痛みを識るもの (デスイーター)
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BBF風紹介

 BBF風にキャラクター紹介します。

 原作最新話まで読んでいる前提で書いてますんで、ネタバレ注意。

 パラメーターの→は作中のランク戦の中で変動した数値。原作より変動した数値は太字で記載。


 『那須隊』

 

 ボーダー本部所属。

 

 MEMBER(メンバー)

 

 SH/那須玲(隊長)

 AT/七海玲一

 AT/熊谷友子

 SN/日浦茜

 OP/志岐小夜子

 

 UNIFORM(ユニフォーム)

 

 女性版:原作同様、女性らしさと機動性を兼ね備えた身体にフィットしたSFスーツ風のデザイン。志岐が考案し、一部男性隊員に絶大な人気を誇る。

 

  

【挿絵表示】

 

 

 男性版:原作那須隊の隊服を男性用にアレンジした一品。男が着てもおかしくない感じで、という無茶ぶりを実現させたのは七海としても助かったと思っている。原案は志岐が考案した模様。

 

  

【挿絵表示】

 

 

 PARAMETER(パラメーター)

 

 近:■■■■■□□□□□

 中:■■■■■■■■□□

 遠:■■■■□□□□□□

 

 攻撃手二名と射手、狙撃手の4名部隊であり、特に中距離戦に強い。

 

 七海や那須が攪乱に回り、他のメンバーがその隙を突くスタイルを取る。

 

 FORMATION&TACTICS(フォーメーション アンド タクティクス)

 

 ▼七海と那須による攪乱戦法

 

 七海が切り込んで攪乱し、それを那須が射撃で援護。熊谷が適時フォローに回り、茜が仕留める現那須隊の基本戦法。

 

 七海と那須の機動力と中距離での制圧力を活かした、単純ながら強力な戦術である。

 

 ▼中距離での射撃戦

 

 七海、那須、熊谷がそれぞれ射撃トリガーを用いて中距離での射撃戦を展開する陣形。

 

 地形破壊の七海の『メテオラ』、縦横無尽の軌道を描く那須の『バイパー』、追い込みに最適な熊谷の『ハウンド』の組み合わせは、強力無比。熊谷が『ハウンド』を習得した事により形になった戦法である。

 

 

 『七海玲一』

 PROFILE(プロフィール)

 

 ポジション:攻撃手(アタッカー)

 年齢:17歳

 誕生日:12月23日

 身長:173cm

 血液型:A型

 星座:かぎ座

 職業:高校生

 好きなもの チームメイト、平和な日常、那須玲

 〔FAMILY(ファミリー)

 父、母、姉(全員故人)

 

 〔RELATION〕

 

 那須玲←大切な存在

 熊谷友子←気の良いチームメイト

 日浦茜←可愛い後輩

 志岐小夜子←隊のオペレーター。頑張ってる。

 影浦雅人←兄貴分にして師匠。慕ってる。

 荒船哲次←最初の師匠。頼りになる。

 村上鋼←親友にしてライバル

 太刀川慶←師匠。でも大学はきちんと行って欲しい。

 出水公平←師匠。意外と面倒見が良い。

 風間蒼也←師匠筋。厳しいけど割とお茶目。

 加古望←頼りになる大人の女性。炒飯に抵抗力あり。

 迅悠一←恩人。姉の関係者。

 

 PARAMETR(パラメーター)

 

 トリオン:10 

 攻撃:8 

 防御・援護:7→8 

 機動:10 

 技術:9 

 射程:4 

 指揮:5→6 

 特殊戦術:6 

 TOTAL 61

 

 

【挿絵表示】

 

 

 TRIGGER SET(トリガーセット)

 

 MAIN TRIGGER(メイントリガー)

 

 『スコーピオン』

 『グラスホッパー』

 『シールド』

 『メテオラ』

 

 SUB TRIGGER(サブトリガー)

 

 『スコーピオン』

 『グラスホッパー』

 『シールド』

 『バッグワーム』

 

 〔SPECIAL〕

 

 副作用(SIDE EFFECT)

 

 『感知痛覚体質』

 

 自分に痛みを与える()()をレーダーのように知覚出来る。

 

 痛み(ダメージ)が発生するのであれば故意か偶発かは問わず、殺気の有無も関係ない。

 

 ただし、痛み(ダメージ)が発生しない場合は感知出来ない。

 

 黒トリガー(BLACK TRIGGER)

 

 名称不明。起動不能。七海の姉、玲奈がその命に不可逆の変換を施したもの。七海の右腕となっており、見た目は真っ黒な義手。幾度起動を試しても反応する気配は全く見られていない。

 

 無痛症(PAINLESS)

 

 過去の大規模侵攻で生死の境を彷徨い、姉の黒トリガーによって一命を取り留めた時に発症した病。

 

 文字通り痛みを感じず、触覚が機能していない。

 

 その為特注のトリオン体を用いない生身の身体では一切の感覚がなく、味覚も死んでいる。

 

 特注のトリオン体の使用時は()()()()()()()()()()()()()()程度の味覚を得られ、痛みも触覚に問題ない程度は再現される。

 

 

 『無痛症』の治療の為に『ボーダー』に入隊し、頭角を現したストイックな攻撃手。

 

 影浦や村上等の攻撃手界隈と仲が良く、影浦は特に師匠として、兄貴分として慕っている。

 

 四年前の大規模侵攻で天涯孤独になっている為、那須の家に引き取られた。

 

 強くなる為の努力は惜しまず、その為なら頭を下げる事も厭わないストイックな性格。

 

 戦闘中は徹底的にドライになる事が出来、相手の弱みを容赦なく突く。

 

 那須との関係は色々ぐちゃっていたが、なんとか改善の兆しが見えた。

 

 無痛症の所為もあって反応が淡白な為無感情な人間と思われ易いが、那須に向ける好意自体は年相応。ぶっちゃけベタ惚れ。

 

 戦闘ではサイドエフェクトを最大限に活かした回避主体の戦術を取り、相手を攪乱して隊が得点する隙を作るのが主な役目。

 

 その性質上、1対1(タイマン)より多対1の乱戦の方が得意。

 

 至近距離で『メテオラ』をばら撒きながら斬り込んでくるその姿は圧巻の一言。

 

 

 『那須玲』

 PROFILE(プロフィール)

 

 ポジション:射手(シューター)

 年齢:17歳

 誕生日:6月16日

 身長:159cm

 血液型:A型

 星座:うさぎ座

 職業:高校生

 好きなもの 桃缶、チームメイト、トリオン体での運動、七海玲一

 〔FAMILY(ファミリー)

 父、母

 

 〔RELATION〕

 

 七海玲一←大事な人。絶対失いたくない。

 熊谷友子←親友。一緒に戦おう。

 日浦茜←可愛い後輩。成長したなあ。

 志岐小夜子←信頼できる恋敵。割と以心伝心。

 奈良坂透←従兄弟。茜の師匠。

 小南桐絵←学友

 

 PARAMETR(パラメーター)

 

 トリオン:7 

 攻撃:8 

 防御・援護:

 機動:8→9 

 技術:8 

 射程:4 

 指揮: 

 特殊戦術:4 

 TOTAL:54

 

 

【挿絵表示】

 

 

 TRIGGER SET(トリガーセット)

 

 MAIN TRIGGER(メイントリガー)

 

 『バイパー』

 『アステロイド』

 『シールド』

 『メテオラ』

 

 SUB TRIGGER(サブトリガー)

 

 『バイパー』

 『グラスホッパー』※ROUND4より

 『シールド』

 『バッグワーム』

 

 〔SPECIAL〕

 

 『リアルタイム弾道制御』

 

 『ボーダー』内で那須と出水だけが持つ特技。『バイパー』の弾道をその都度自由に引く事が出来、変幻自在の弾丸制御を可能とする。

 

 

 本作ヒロイン。原作の那須さんに病み成分をぶっこみ、ヒロインらしさを上げた存在。

 

 尋常ではない機動力と弾幕で相手を翻弄し、華麗に戦う機動型射手。

 

 原作と違い、無理に自分で点を獲る必要がなくなった為、援護能力が格段に上昇し、指揮能力も上がっている。

 

 半面原作よりコミュ力が落ちており、横の繋がりがとにかく狭い。まともに友人と呼べるのは隊のメンバーの他は小南くらいという有り様。

 

 七海への依存から来る暴走癖があったが、なんとか改善の兆しを見せた。

 

 小夜子の事については色々と複雑な模様。

 

 

 『熊谷友子』

 

 

PROFILE(プロフィール)

 

 ポジション:攻撃手(アタッカー)

 年齢: 17歳

 誕生日:4月14日

 身長:171cm

 血液型:O型

 星座:はやぶさ座

 職業:高校生

 好きなもの:りんご、肉うどん、スポーツ全般

 〔FAMILY(ファミリー)

 父、母、弟

 

 

 〔RELATION〕

 

 那須玲←親友。色々と心配。

 七海玲一←チームメイト。もう大丈夫かな。

 日浦茜←後輩。同級生の妹。成長したなあ。

 志岐小夜子←後輩。色々気がかり。

 村上鋼←鍛錬相手。色々お世話になりました。

 出水公平←恩人。お世話になりました。

 

 

 PARAMETR(パラメーター)

 

 トリオン:5 

 攻撃:7

 防御・援護:8→9

 機動:7 

 技術:8 

 射程: 

 指揮:4 

 特殊戦術:2 

 TOTAL:46 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 TRIGGER SET(トリガーセット)

 

 MAIN TRIGGER(メイントリガー)

 

 『孤月』

 『旋空』

 『シールド』

 『FREE TRIGGER』

 

 SUB TRIGGER(サブトリガー)

 

 『FREE TRIGGER』

 『ハウンド』※ROUND4より

 『シールド』

 『バッグワーム』

 

 

 『那須隊』の防御型攻撃手(アタッカー)。色々と複雑な隊の人間模様に悩んでいたが、ROUND3での敗戦を契機に長年の悩みが快方に向かい肩の荷が下りた。

 

 色々と危なっかしい親友の那須を支えつつ、味方へのフォローに駆け回る苦労人。

 

 姉御肌だが割と女性らしい。そのギャップが良いとファンもそれなりにいる。

 

 戦闘では受け太刀を主とした防御的な戦術を取るが、『ハウンド』習得により中距離戦での活躍も可能となり、動きの自由度が上がった。

 

 何気に隠密能力も高く、ROUND1と2では得点チャンスまで気配を隠し切った。

 

 彼女は悩みの種(小夜子の恋慕)をまだ知らない。

 

 

『日浦茜』

 

 

PROFILE(プロフィール)

 

 ポジション:狙撃手(スナイパー)

 年齢:15歳

 誕生日:7月7日

 身長:154cm

 血液型:O型

 星座:つるぎ座

 職業:高校生

 好きなもの:帽子集め、猫、ソフトクリーム

 〔FAMILY(ファミリー)

 父、母、兄

 

 〔RELATION〕

 

 那須玲←先輩。綺麗だなあ。

 七海玲一←先輩。凄いなあ。

 熊谷友子←先輩。兄の同級生。なんでお兄ちゃん、熊谷先輩と会うと顔が赤くなるんだろう?

 奈良坂透←師匠。この前褒めて貰った。

 

 PARAMETR(パラメーター)

 

 トリオン:5 

 攻撃: 

 防御・援護:

 機動:5→6 

 技術: 

 射程:7 

 指揮:3 

 特殊戦術: 

 TOTAL:51 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 TRIGGER SET(トリガーセット)

 

 MAIN TRIGGER(メイントリガー)

 

 『ライトニング』

 『シールド』

 『FREE TRIGGER』

 『FREE TRIGGER』

 

 SUB TRIGGER(サブトリガー)

 

 『バッグワーム』

 『FREE TRIGGER』

 『シールド』

 『テレポーター』

 

 

 『那須隊』の狙撃手。今季ランク戦の直前に『ライトニング』をマスタークラスまで上げた期待の成長株。

 

 隊に貢献出来るように狙撃銃を自身が得意とする『ライトニング』に絞り、精密射撃を専門とする名狙撃手へと変貌した。

 

 近付かれた時や狙撃位置の確保に利用する為、『テレポーター』をセットしている。

 

 最初は『グラスホッパー』を使おうとしたが、一度奈良坂の前で試して盛大にやらかした為、奈良坂の提案で『テレポーター』を選択した。

 

 早くもその扱い方は習熟しつつあり、独自の強みを持った転移系狙撃手が爆誕した。

 

 

 『志岐小夜子』

 

 

PROFILE(プロフィール)

 

 ポジション:オペレーター

 年齢: 16歳

 誕生日:8月9日

 身長:156cm

 血液型:A型

 星座:ぺんぎん座

 職業:高校生

 好きなもの:アニメ、ゲーム、カレー、読書、チームメイト

 〔FAMILY(ファミリー)

 父、母、弟、弟

 

 〔RELATION〕

 

 七海玲一:好き。でも表には出さない。

 那須玲:先輩。恋敵。勝てないなあ。

 熊谷友子:友達。おっぱい大きい。

 日浦茜:後輩。強くなった。

 国近柚宇:ゲーム仲間

 橘高羽矢:ゲーム仲間

 

 PARAMETR(パラメーター)

 

 トリオン:7 

 機器操作:10

 情報分析:

 並列処理:

 戦術:

 指揮:

 TOTAL:42 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 引きこもり系オペレーター。過去の経験から極度の男性不審に陥っていたが、七海限定で解除された。原因:LOVE。

 

 七海への恋心がモチベーションを加速させたのか、色々と奮起して努力した結果全能力一段階上昇のバフがかかった。

 

 現在進行形で七海に好意を持っているが、七海が誰を見ているのかは先刻承知である為、その想いは墓まで持って行く予定。でも、愛人くらいなら狙ってもいいかなあと思っている。

 

 サブカル大好き少女で、休日にはよく隊の皆とゲームをして遊んでいる。格ゲーでの持ちキャラは「お別れです!」と連呼する青い服の牧師。

 

 ゲームは割となんでもこなす。国近と橘高はオンラインゲームを通じて知り合い、今では良きゲーム仲間となっている。

 

 



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那須隊の七海玲一
七海の始まり


 ────降りしきる雨の中、幼い少女の慟哭が響いていた。

 

 少女の視線の先には、見るも無残な少年の姿があった。

 

 辺り一面は瓦礫の山で、そこが今まで自分達が暮らしていた街だとは誰もが信じ難いに違いない。

 

 遠くでは異形の化け物のようなシルエットが動いており、突如として訪れた日常の終わりに誰もが混乱し、逃げ惑っていた。

 

 彼女と同い年くらいであろう黒髪の少年は瓦礫に右腕を潰され、尋常ではない量の血液が傷口から流れ出ている。

 

 痛みと失血で意識が朦朧としているのか、少年の眼は虚ろに開かれている。

 

『玲一、玲一……っ!!』

 

 少女は足を挫いたのか、歩く事は出来ないようだ。

 

 なんとか少年の元へ辿り着こうと這いずっているが、瓦礫が邪魔で一向に前に進めない。

 

 瓦礫を掻き分けながら進もうとする所為で少女の手は傷だらけになり、血と泥に塗れている。

 

 それでも尚少年の元へ向かおうと、人目も憚らず涙を流しながら彼の名を呼ぶ。

 

 しかし、応える声はない。

 

 少女にとって何より大切なものの命の鼓動は、容赦なく消えようとしていた。

 

『────ごめんね。遅くなって』

『……あ……』

 

 ────けれど、そこに一人の女性が現れた。

 

 長い黒髪を靡かせて瓦礫の向こうから跳躍して来た女性は何処か倒れた少年の面影が見られ、明確な血の繋がりを感じさせた。

 

 女性は茶色のローブのようなものを羽織っており、腰には日本刀らしきものを佩いている。

 

 明らかに普通ではない恰好の女性を見て、それでもその顔に見覚えがあった少女はその名を呼んだ。

 

玲奈(れいな)お姉ちゃん……っ! 玲一が、玲一が……っ!』

『分かってる。大丈夫だよ。玲一は、私が助けるから』

 

 少女は余程、その女性に信を置いているのだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()、そう感じてしまった少女は安堵の息を吐いた。

 

 冷静に考えれば医療関係者でもない女性が一人来た所で死ぬ寸前の少年を助けられる筈がないのだが、そんな事を考える余裕はなかった。

 

 この極限状態で、冷静な思考をしろという方が無理がある。

 

 だから少女は、女性に全てを任せてしまった。

 

 …………任せきって、しまったのだ。

 

『…………ごめんね、玲一。お姉ちゃん、もっと早く来たかったんだけど────あいつらを片付けるのに、手間取っちゃって。迅君が助けてくれなかったら、きっと間に合わなかった』

 

 でも、と女性は告げる。

 

『────お姉ちゃんの()()を使って、玲一を助けるから。辛い想いをさせちゃうだろうけど、それでも玲一には生きていて欲しいから』

 

 途端、女性の身体から眩い光が放たれる。

 

 近くでそれを見ていた少女は眩しさに耐え切れず目を背け、身動き一つ出来ない少年は呆然と光に包まれる女性の姿を見上げていた。

 

『だから、お願い。玲ちゃんと一緒に、生きていて。お姉ちゃんの分まで、玲一には幸せになって欲しいんだ』

 

 朧げに視界に映る女性の顔は、それまで見た事のないようなものだった。

 

 悲しみと覚悟がない交ぜになったような、儚い笑顔。

 

 末期の人間が浮かべる、間際の時の笑みだった。

 

『困った事があったら、迅君が力になってくれると思うから。ボーダーの皆も、良い人達ばっかりだから』

 

 そして、変化が現れる。

 

 瓦礫に潰された筈の、少年の右腕。

 

 それが、再生していた。

 

 正しくは、()()()()()()いた。

 

 女性から溢れ出た光が傷口に注がれるように流れ込み、腕の形に変化していく。

 

 傷口に新たな腕が生えた事で出血が止まり、心なしか少年の顔から苦痛が消える。

 

 けれど、少年が言葉を発せたのならこう叫んでいただろう。

 

 止めてくれ、と。

 

 少年には、分かっていた。

 

 今自分の右腕になっているものは、姉の無くしてはいけない()()だ。

 

 姉は取り返しのつかないものを使って、自分を助けようとしている。

 

 このまま姉の行為を見過ごせば、彼女とはもう二度と会えない。

 

 そんな予感が、少年にはあった。

 

 しかし、現実に少年は声を出す事すら出来なくなる程衰弱している。

 

 だから、姉の行為を止める事は出来ず。

 

 最後まで、姉の儚い笑顔を見上げ続けていた。

 

『────さよなら、玲一。ずっと、見守っているからね』

 

 ────そして、終わりの時が訪れる。

 

 怜一の右腕が完成した直後、姉の身体が罅割れる。

 

 大好きだった姉の身体は砂と化して崩れ去り、少年は自分の右腕と引き換えに、欠け替えのない肉親をその日永遠に失った。

 

 

 

 

「……っ!」

 

 自室で、少年が目を覚ます。

 

 布団を跳ね飛ばし、宙に思い切り手を伸ばす。

 

 しかしその手に掴めるものはなく、そこで初めて少年は先程の光景が夢であった事を理解した。

 

「…………あの時の、夢か…………」

 

 少年は溜め息を吐き、何とか落ち着こうと試みる。

 

 妙に身体が動かし難い気がして確かめると、寝間着が汗で肌に張り付いていた。

 

 不快な筈の感触を、少年は()()()()()()()()()()()()

 

 自然な動作で自分の頬を抓っても、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 少年は伸ばした右腕を、常人とは違う()()()を見上げ、呟く。

 

「…………姉さん。俺は、生きてるよ。姉さんの言う通り、()()()に」

 

 ────無痛症。

 

 それがあの日、七海が己の生存と引き換えに発症した、()の名称だった。

 

 

 

 

 ────数年前、この三門(みかど)市に異世界からの『門』が開いた。

 

 『門』から現れた異形の怪物達には地球上の兵器は効果が薄く、自衛隊が出動しても抵抗すら出来なかった。

 

 招かれざる来客の名は、『近界民(ネイバー)

 

 地球(こちら)とは異なる技術を持った、異世界の存在である。

 

 未知の技術(テクノロジー)を持つ『近界民』に、抵抗の余地はない。

 

 街は思うさま蹂躙され始め、都市の壊滅は時間の問題と思われた。

 

 …………だが、彼等の侵略に待ったをかける者達がいた。

 

 突如として三門市に現れ、『トリガー』と呼ばれる未知の技術で『近界民』を撃退した者達の名は、『ボーダー』。

 

 ────界境防衛機関【ボーダー】。

 

 それが、過去の近界民大規模侵攻を機に表に現れ、この世界を異世界の進攻から護る組織の名乗った名称だった。

 

 

 

 

 その大規模侵攻の時、七海は那須を降り注ぐ瓦礫から護る為に突き飛ばし、彼女の身代わりとなって瓦礫に右腕を潰された。

 

 死を覚悟した七海だったが、そこに七海の姉の玲奈が現れた。

 

 そして彼女は己の命を七海の右腕に替え、結果として彼は生き残ったのである。

 

 ────『ブラックトリガー』。

 

 姉はそういった名称の『道具』になったのだと、病室を訪れた迅という少年が教えてくれた。

 

 迅は自分がボーダーの人間である事、姉もそうであった事。

 

 そして、姉が何をしてどうなったのか、今の自分の状態が何なのか。

 

 その事を、説明してくれた。

 

 …………薄々、分かっていた。

 

 姉が、あの時自らの命と引き換えに自分を助けた事を。

 

 自分は、姉を犠牲にして生き残った事を。

 

 …………その事を改めて自覚して壁を叩いた時、七海は自分の身体に起きた()()に気が付いたのだ。

 

 痛みを、感じなかった。

 

 思い切り壁を殴り、血も出ているというのに、()()()()()()()()()()()のである。

 

 その一部始終を見ていた迅は何かに気付いた様子で医師を呼び、七海は検査を受ける事になった。

 

 そして七海は、自身が『無痛症』と呼ばれる病を発症した事を知ったのだ。

 

 無痛症とは、文字通り()()()()()()()()()という症状である。

 

 それだけを聴くとそこまで重大ではないかもしれないが、実際は違う。

 

 痛みを感じないという事は、()()()()()()()()という事。

 

 つまり、地に足で立つ感覚も、物に触る感覚も、何かを食べた時の味覚も、その全てが七海には感じ取れない。

 

 医師は原因は不明で本当にこれが病に依るものかさえ分からないと話していたが、現実として七海は痛みを感じる機能を失った。

 

 一通りの説明を聞いた後、再び現れた迅が、神妙な顔で告げた。

 

『君、ボーダーに来る気はないかな?』

 

 ────それが、始まり。

 

 七海は然るべき準備を終えて、界境防衛機関『ボーダー』に入隊した。

 

 無痛症をトリオン体で治療する為の、治験志願者として。

 

 

 

 

「おはよう、玲一。よく眠れたかしら」

「ああ、お陰様でな」

 

 着替えてリビングに出た七海を待っていたのは、絶世の、と呼んで差し支えのない美貌を持った少女だった。

 

 明るめの金髪をボブカットにしたその少女の名は、那須玲(なすれい)

 

 この家の家主の一人娘であり、七海にとっては()()()にあたる。

 

 そして、欠け替えのない幼馴染でもあった。

 

 ────四年前の大規模侵攻で家と姉を失い、交通事故で既に両親が他界していた七海は名実共に天涯孤独の身となった。

 

 そんな七海を引き取ってくれたのが、幼馴染だった那須の両親だったのである。

 

 那須から彼女を助けた事を聞いていた両親は元々の人の良さもあり、諸手を挙げて七海を引き取る事を決めたらしく、有無を言わさぬ調子で七海を家に歓迎した。

 

 中でも那須は四六時中七海にべったりと付き添い、何かあれば率先して手伝おうとする様子が見られた。

 

 痛覚が死んでいる為にしっかり注意しなければ階段から足を踏み外しかねない上、入浴の時も同様に温度設定を間違えれば大火傷をする危険もあった。

 

 流石に病弱な彼女が無痛症で難儀する七海の介助を全面的にするのは無理があった筈だが、彼女の熱意に根負けする形で彼女が調子の良い時に限って無痛症の身体に慣れる為の訓練を行う事になった。

 

 そして周りの事が何とか落ち着いた七海は、トリオン体になる事で無痛症を治療出来る可能性を求め、『ボーダー』に入隊した。

 

 那須もまた、病弱な身体をトリオン体で治療出来る可能性を求めて入隊したが、本音としては七海と共にいる為だろう。

 

 トリオン体で動くようになれば七海の手伝いがやり易くなる、くらいの事は考えていても不思議ではない。

 

 那須の七海への献身は、些か度が超えていた。

 

 それこそ、自分の人生を全て擲つ勢いで七海に尽くしていたと言っても過言ではない。

 

 しかし那須への負い目もあり、七海はそんな彼女を受け入れる他なかった。

 

 あれから、四年。

 

 那須はトリオン体によって健康な身体を手に入れ、七海もまた、()()()()()()を手に入れていた。

 

 

 

 

「くまちゃん、茜ちゃん、お待たせ」

 

 人のいない廃墟の街、『警戒区域』。

 

 そこに七海と共にやって来た那須は仲間の姿を見つけ、笑みを浮かべて声をかける。

 

 視線の先にいた二人の少女も那須達に気付き、駆け寄りながら笑いかけた。

 

「来たね、玲。それに七海も」

 

 快活な笑みを浮かべて七海達を出迎えた長身の少女の名は、熊谷友子(くまがいゆうこ)

 

 那須の率いるチーム、『那須隊』の攻撃主(アタッカー)である。

 

「那須先輩、七海先輩、こんにちは……っ! 今日もよろしくお願いします……っ!」

 

 元気な挨拶を交わした小柄な少女の名前は、日浦茜(ひうらあかね)

 

 那須隊の狙撃手(スナイパー)で、高校生である三人とは違い15歳の中学生であり、隊の中では最年少のメンバーとなる。

 

『こっちは準備OKです。いつでも行けます』

 

 そんな彼女達に通信越しで話しかけて来たのは、志岐小夜子(しきさよこ)

 

 那須隊のオペレーターであり、四人をサポートする()()()()()の引き籠り少女である。

 

「…………志岐、()()()()?」

 

 そして、()()()()()()()()()()である七海が、通信越しに小夜子に問いかける。

 

 一瞬息を呑む音が通信越しに聞こえ、それでも間を置かずに返答があった。

 

『はい、()()()()()

「…………そうか。なら、問題ないな」

「ええ、()()の成果は出ているようで何よりだわ」

 

 その様子を見て七海は安堵の息を漏らし、那須はくすりと笑みを漏らした。

 

 暖かな空気がその場を包むが、七海達が此処に来たのは談笑する為ではない。

 

 『ボーダー』隊員としての、()()を果たす為だ。

 

『────【(ゲート)】発生、【門】発生……っ! 繰り返します、【門】発生……っ! 発生座標誘導誤差2.2。区域に近い一般市民は退避して下さい』

 

 警報(アラート)が、鳴り響く。

 

 それと同時に中空に黒い【穴】が出現し、その中から異形の怪物が現れ出る。

 

 白一色の巨躯を持った、大型の甲虫のような姿。

 

 ────『近界民(ネイバー)』。

 

 その尖兵たる『トリオン兵』が、『門』を通じてこの世界に姿を現わしたのだ。

 

 そして、この世界に侵略する『近界民』を排除する事こそ、ボーダー隊員の使命。

 

 そして、その為の武器は、既に手の中にあった。

 

「「「「────トリガー、起動(オン)」」」」

 

 彼女達四人がその手に握ったデバイスが光を放ち、彼女達の身体を組み替えていく。

 

 普通の人間の身体から、未知のエネルギー『トリオン』を用いた戦闘用のボディへと。

 

 一瞬の浮遊感の後、戦闘体への換装が完了する。

 

 換装を終えた四人の見た目は、普通の恰好からSFのパイロットスーツのような身体にフィットした姿へと変わっていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 那須はその周囲に光り輝く立方体を、熊谷はその手に日本刀を、茜はその手に狙撃銃を。

 

 彼女達の前に出た七海はその手に短刀のような白く光る奇妙な刃を携え、己が敵を見据えた。

 

「さあ────」

「────戦闘開始だ」

 

 そして、『近界民』との戦闘が、『防衛任務』が、始まった。




 さて、というワケで連載開始です。

 那須隊にオリ主ぶっこんだランク戦中心の物語となります。

 前期ランク戦を経て第二次大規模侵攻がゴールとなりますので、お付き合い下さい。

 退屈はさせません。クオリティは保証しますので。


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七海と防衛任務

 黒い門が開き、異世界からの侵略者、『近界民』────その尖兵、トリオン兵が現れる。

 

 門から降り立ったのは巨大な芋虫のような姿をした捕獲用トリオン兵、『バムスター』。

 

 見た目は巨大な怪物に見えるが、こいつはトリオンという特殊なエネルギーを用いて作製されたいわば『人形』である。

 

 七海が姉と痛みを失った過去の大規模侵攻では、この『バムスター』が我が物顔で街を蹂躙し、人々を呑み込み連れ去って行った。

 

 あの大規模侵攻の被災者にとっては、忌むべき怨敵。

 

 このバムスターの大群が街を破壊しながら進む光景は、今も脳裏に焼き付いている。

 

 あの時ボーダーが現れるまで、現代火器の一切が通じないこの化け物は、人々にとって悪夢の象徴だった。

 

「玲一、私は増援を牽制するから『バムスター』の排除をお願い」

「了解した」

 

 七海は那須から指示を受けると、地を蹴り大きく跳躍。

 

 一直線に、バムスターに接近する。

 

 バムスターも近付いて来る七海に気付くが、その動きは鈍重極まりない。

 

 過去に街を破壊し、人々を連れ去った『バムスター』は確かに悪夢の象徴と言える。

 

 しかし、訓練生(C級)ならばいざ知らず、B級()隊員にとっては────。

 

「────1体目」

 

 ────単なる、()()でしかない。

 

 七海はそのまま光るブレード────スコーピオンを、一閃。

 

 バムスターの口内にあるカメラアイ、即ちトリオン兵の弱点を一撃で両断し、破壊。

 

 核を失ったバムスターは機能を停止し、そのまま轟音と共に崩れ落ちた。

 

 バムスターは確かに堅牢な装甲を持ち、そのサイズから移動するだけで破壊を撒き散らせる大型トリオン兵だ。

 

 しかしその動きは鈍重で、遠距離攻撃手段は皆無。

 

 元々その大きな口で人間を呑み込み、体内に格納して捕獲、もしくはトリオン器官のみを引き抜いて廃棄する事を主目的として作製されているトリオン兵である。

 

 トリオン体に換装してトリオン兵にダメージを与える事の出来る状態となった正隊員にとっては、ただの動きの鈍い()でしかないのだ。

 

『七海先輩、『モールモッド』3体が前方から来ます。那須隊長が援護しますので、迎撃して下さい』

「了解」

 

 そして当然、捕獲用の大型がその製造目的を果たせるように、()()()を務めるトリオン兵も存在する。

 

 それが、モールモッド。

 

 蜘蛛のような無数の脚を持ち、機敏な機動力と鋭いブレードを併せ持つ()()()のトリオン兵だ。

 

 七海が視線を先に向ければ、そこには地を這うように移動する三機のモールモッド。

 

 三機のモールモッドは七海を発見するとゴキブリじみた速度で動き出し、三方向に分かれて七海を取り囲もうとする。

 

「────『バイパー』」

 

 ────だが、その三機のモールモッドの脚部目掛けて、正確無比な弾道で無数の光弾が直撃する。

 

 那須が用いたトリガーは、『変化弾(バイパー)』。

 

 弾道を設定する事で複雑な軌道を可能にする、射手(シューター)用のトリガーである。

 

 脚部を破壊された『モールモッド』は身動きできず、その場に崩れ落ちる。

 

 そして、その隙を逃す七海ではない。

 

 七海はすぐさま壁を蹴り、跳躍。

 

 家屋の隙間を駆け抜けて、一気にモールモッドに肉薄。

 

「────二体目」

『撃ちます……っ!』

『────『アステロイド』』

 

 七海が1体目のモールモッドの核を『スコーピオン』の刃で斬り裂き、破壊。

 

 二体目のモールモッドは、茜が狙撃により核を破壊し撃滅。

 

 三体目のモールモッドは、那須の威力重視の射手トリガー────『通常弾(アステロイド)』により、核を破壊され沈黙した。

 

 都合、十数秒。

 

 それだけで、門から現れた全てのトリオン兵は殲滅された。

 

 四人の練度の高さが伺える、鮮やかな手並みだったと言える。

 

『敵戦力、追加ありません。戦闘終了です。お疲れ様でした』

 

 オペレーター、小夜子の任務終了宣言により、七海達は肩の力を抜いた。

 

 幾ら彼等にとって取るに足りない相手といえど、これは紛れもなく()()

 

 万が一が起こる可能性は、いつだって存在する。

 

 そもそも、実戦にはイレギュラーが付き物だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()という()()は、実戦で兵士を殺す何よりの()だ。

 

 それを理解しているからこそ、門を通じて出現する『近界民』を迎撃する防衛任務には、真摯に当たる。

 

 それはボーダー隊員として、当たり前の心得と言えた。

 

「万一の時の為に茜の傍に控えてたけど、問題なかったね」

 

 唯一攻撃に加わらず、狙撃手故に近付かれてはどうしようもない茜のガードに付いていた熊谷が、にかっと軽やかに笑う。

 

 攻撃よりも防御面に秀でている彼女は、チームでの戦いでは近接では無力な茜や実力ある攻撃手に接近されれば不利な那須の護衛に付く事が多い。

 

 今回の防衛任務でも、万一茜の近くにトリオン兵が現れた場合に備えて張り付いていたのだ。

 

 狙撃手は元々隠れて遠方から狙撃するのが仕事である為、単独で動く事が多い。

 

 事実、七海が正式に加入するまでの那須隊では熊谷は基本的に那須のガードに専念していた。

 

 しかし、七海が加入した事で熊谷の役割は変わった。

 

 七海と那須が組んで機動戦を仕掛ける、という手札が()()()()為、熊谷が那須に張り付く必要性が薄くなったのだ。

 

 その事について何も思わなかったワケではないが、七海の正式加入は彼女としても歓迎すべき事だ。

 

 それに、これまでは自分が那須のガードに入っていた事で、若干ながら彼女の機動力を制限していた節もあった。

 

 しかし那須単独では上位の攻撃手(アタッカー)に接近された時の対処が難しく、前期の『ランク戦』まではガードを担当していた熊谷や援護を担当していた茜が落ちれば一気に押し込まれる事も珍しくはなかった。

 

 だが、今は違う。

 

 ()()()()()で正式な入隊が遅れていた七海が正式に那須隊に入った事で、自分達の総合力は格段に強化されたと言っていい。

 

 その事を思えば、自分のちっぽけな蟠りなど取るに足らない事だ。

 

 少なくとも熊谷は、そう割り切っていた。

 

「部隊としての連携は、問題なさそうね」

「はいっ、綺麗に動けていたと思います」

「ああ、特に問題は感じなかった」

 

 那須の総評に、茜と七海が同意する。

 

 熊谷も「そうだな」と言って頷き、小夜子も通信越しでそれに追従した。

 

 今回の防衛任務は、実戦で自分達の連携が問題ないか確かめる、という目的もあった。

 

 無論、手を抜いていたワケではない。

 

 七海という新戦力が加わっても部隊としてきちんと動けるかどうか、それを確かめただけだ。

 

 その為、念には念を入れて熊谷に茜のガードに専念して貰っていたワケだ。

 

 無論連携の訓練はこれまで幾度も重ねているが、訓練と実戦は別物であるというのもまた事実である。

 

 本当に実戦に堪え得るかどうかは、実際に実戦を経験するまでは分からない。

 

 そういった意味では、今回の防衛任務は大成功と言えた。

 

「しかし、玲も玲一も凄い機動力よね。何度もこの目で見てるけど、上位の攻撃手にも見劣りしないと思うわ」

「そうですよね……っ! あんなに動けて、凄いと思いますっ!」

「…………これでも、鍛錬は欠かしていないつもりだからな。成果が出ているようで、何よりだ」

 

 七海は熊谷と茜の称賛に淡々と応じ、那須はそれをニコニコしながら見守っていた。

 

 その視線をむず痒く感じながらも、七海はあくまで平坦な声で続けた。

 

「それに、身体が付いて来なきゃ、サイドエフェクトも宝の持ち腐れだからな。折角の、持って生まれた力だ。活かさない手はないだろう」

 

 ────『感知痛覚体質』。

 

 それが、七海が発症したサイドエフェクトの名称だ。

 

 副作用(サイドエフェクト)とは、トリオン能力に優れた者が稀に発現する特殊能力だ。

 

 特殊能力とは言っても、あくまでその力は人間の能力の延長線上のものであり、念動力に目覚めたり手から炎を出したり出来るワケではない。

 

 その内容は個々人によって千差万別で、単に視力や聴力が強化されるだけのものもあれば、『未来視』のような極まった例も存在する。

 

 その分類は下から順に『強化五感』、『特殊体質』、『超技能』、『超感覚』が存在し、七海のそれは名称の通り『特殊体質』に当たる。

 

 七海の副作用(サイドエフェクト)は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ものだ。

 

 つまり、何時何処の範囲内にいれば()()を負う結果になるかを、レーダーの要領で常に感知出来る。

 

 要するに、()()()()()()()()()()()()()()()が常に分かるという事だ。

 

 そのダメージの()()は、何であっても構わない。

 

 ビルの倒壊だろうが、爆弾の爆発だろうが、トリオンによる攻撃だろうが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()が常に七海には感知出来る。

 

 つまり、どう動けば攻撃に当たらないか、という事が本能的に理解出来るワケだ。

 

 故に遠方からの狙撃も彼にとっては()()()()()()()()()()()()に過ぎず、乱戦での不意打ちも同様である。

 

 似たようなサイドエフェクトの持ち主に影浦(かげうら)という隊員がいるのだが、彼のそれとは細かな部分が異なっている。

 

 しかし副作用(サイドエフェクト)の活用方法は似ている為、それを活かした()()()()に関しては彼に師事して基本を学んでいた。

 

 他にも回避技術を高める為に、とあるA級一位部隊の二人にも色々協力して貰っていたりする。

 

 ともあれ、サイドエフェクトに驕る事なく、鍛錬を欠かさなかったからこそ今の七海の強さがある。

 

 その事に関しては、七海は自信を持っていた。

 

 むしろ、自分を卑下すれば自分を鍛えてくれた()()()への侮蔑となる。

 

 自信を持つ事は、悪い事ではない。

 

 適度な自信とたゆまぬ向上心こそが、実力向上の鍵だ。

 

 七海は、師匠達からそう教わった。

 

 三者三様で色々と言っていたが、七海は三人の意見を自分の中で噛み砕いて平均化した結果、そのような結論に至った。

 

 三人共特に否定はしなかった為、これで良いと判断したのだ。

 

 影浦はともかくA級一位部隊の二人との()()については熊谷はともかく那須は知らない為、彼女達の前で話題に出したりはしていないのだが。

 

「防衛任務も終わったし、帰りましょうか。折角だから、くまちゃんと茜ちゃんも(ウチ)に泊まっていく?」

「あたしは構わないよ。茜は?」

「はいっ、お母さんに確認してみますっ」

 

 那須の提案で、熊谷と茜がそれぞれ家族に連絡を取り、宿泊の許可を取り付ける。

 

 どうやら今夜は、華やかなお泊り会になりそうだった。




 カバー裏風紹介

 
【挿絵表示】

【七海玲一(ななみれいいち)】
 本編主人公。

 普通高校の二年生。戦闘スタイルはアサシンだが性根はナイトのそれ。

 寡黙なクールガイだが、ストイックな性格で強くなる為に実力者に頭を下げて弟子入りする事に躊躇いはない勤勉な強襲系アサシン。

 常に那須さんの為に行動し、那須さんの為に己は在ると豪語する勇者。周りはそんな彼を生暖かく見守っている。

 部活は那須さんの所へ直行する為帰宅部。那須さんと同居している為、色んな意味で男子の視線が突き刺さる。

 大抵の事はそつなくこなすが、無痛症故に味覚が死んでいる為料理だけは苦手。

 那須さんの名前が自分の名前の中に入っている事に初めて気付いた時は、人知れずガッツポーズを取ったという。


【挿絵表示】

【那須玲(なすれい)】
 本編ヒロイン。依存癖とヤンデレ属性を開花した弾バカガール。

 七海への態度は傍から見れば恋する乙女のそれだが、内心は結構ぐちゃぐちゃに捻じれていて悲しいすれ違いを繰り返している。

 原作よりも積極性が上がり、沸点が下がっている。七海を馬鹿にされるとキレる。七海が傷つくと正気を失う。

 七海が他の女子と仲良くしていると、柱の影でバイパーを待機させながらレイプ目で見つめる那須さんの姿があるという噂がある。


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七海とその夜

「……ふぅ……」

 

 照明の落ちた、那須邸の一室。

 

 彼の自室であるその部屋で、七海はベッドに座りながら溜め息を吐いていた。

 

 防衛任務の後、熊谷と茜が那須の家にお泊り会をしに来る事が決まり、賑やかな夕食会が催される事になった。

 

 生憎那須の両親は仕事の関係で不在だったが、彼女達が泊まりに来るのは何もこれが初めてではない。

 

 所謂フリーパス状態であり、那須の両親からはいつでも招いていいと許可を貰っている。

 

 那須もその辺りは分かっているので、遠慮なく彼女達を呼んだワケだ。

 

 夕食会では主に熊谷が料理を作り、肉うどんを中心に各々の好みの品が並んだ食卓となった。

 

 流石に茜の好物のソフトクリームまでは用意出来なかったが、那須の好物である桃缶は元々家に相当数ストックしてある。

 

 その為デザートとして出したのだが、放って置くと延々と桃缶だけを食べている為、他にもガレットやバームクーヘン等、上品なお菓子を並べて皿に取り分けていた。

 

 最初の頃は女子会の空気に混ざるのはどうかと思って遠慮していた七海も、那須達の根気強い要請に負け、今では共に食卓に付き、団欒の一時を過ごしていた。

 

 ()()()()()()()()()ものの、雰囲気だけでも楽しむ事は出来るからだ。

 

 …………七海は無痛症の治療の為に『ボーダー』に入隊し、専用の()()()()()()()()()()()の作製には漕ぎ付けたが、全てが元通り、とは行かなかった。

 

 完成したトリオン体は触覚はある程度回復したのだが、感じ取れる痛み(感覚)はそう大きなものではなかった。

 

 ()()に関しても、()()()()()()()()から()()()()()()()()()()()()()程度に変わっただけだった。

 

 相当濃い味付けをすればそれなりに味も分かって来るが、そんな料理を毎日食べていては当然身体に悪い為、今の七海にとって食事とは極論栄養補給の為のものだった。

 

 それでも他の者達と同じように料理を食べているのは、人間らしい生活を忘れない為である。

 

 栄養摂取さえ出来ればいいとなれば、極論栄養食品だけで生きていく事も可能と言えば可能だ。

 

 だが、それではあまりに日常に彩りというものが欠けている。

 

 人間にとって食事は単なる栄養補給の手段ではなく、眼で楽しみ、雰囲気を味わい、団欒の時を過ごす為のものでもある。

 

 味が殆ど分からないからと言って食事を簡素なものだけで済ませようとしていた過去の七海にそう言って心変わりさせたのは、他ならぬ那須である。

 

 流石の七海も那須に「私も玲一と同じ食事しか食べない」とまで言われれば、折れるしかない。

 

 七海にとって、那須は何に置いても優先すべき大切な存在だ。

 

 そんな彼女に無味乾燥な食事を強いるなど、七海に出来る筈がなかったのである。

 

 …………まあ、そんな経緯があったので、塩昆布と水だけで日々を生きている志岐小夜子(引き籠り)の生活状況を見た時は唖然としていた。

 

 有り体に言えば、キレた。

 

 七海と違って普通の食事を楽しめるのに、面倒臭がって最低限の栄養補給で済ませようとする小夜子の所業は、那須にとって相当に度し難いものに映ったのである。

 

 勿論、大声で当たり散らしたワケではない。

 

 ただ、部屋の床に正座させた小夜子を前にハイライトを消した眼で延々と食事の大切さを説いただけである。

 

 その時の経験を、後に語った小夜子曰く────。

 

『…………あの時は、殺されるかと思いました。美人の女の人が笑顔で説教して来るのって、あんなに恐ろしいんですね』

 

 と、ガタガタ震えながら、そう語っていた。

 

 美少女と言って差し支えない容姿の那須が眼だけが笑っていない笑顔で淡々と語り続ける有り様は、相当に怖かったらしい。

 

 美人を怒らせると怖い、とはまさにこの事だろう。

 

 その日、小夜子は那須を決して怒らせてはいけないと、心に刻んだのであった。

 

 ちなみに一通り説教を終えた那須は、小夜子の生活改善に取り掛かった。

 

 兎にも角にも、小夜子は()()()()()()()()()傾向が見られていた。

 

 小夜子はゲームやアニメ、読書に熱中し、『ボーダー』の職務がない時間帯は趣味に全てを費やしている。

 

 つまり、小夜子にとって食事とは、()()()()()()()()()()という意味合いしかなく、好物だと言った塩昆布と水も、()()()()()()()()()()()()()()であるから食べていただけである。

 

 好きだから食べていた、というよりも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と言った方が正しい。

 

 極論、片手ですぐ食べられるものならサンドイッチでもお菓子でも何でも構わないのが小夜子である。

 

 料理の手間を徹底的に排し、その分の時間を趣味に注ぎ込む。

 

 それが、小夜子の基本的な思考傾向であった。

 

 その為、下手に複雑な料理を教えてもすぐに面倒臭がってやらなくなるのは目に見えている。

 

 そこで那須は、同じお嬢様学校に通う『ボーダー』の友人、小南桐絵(こなみきりえ)を頼った。

 

 小南は作れる料理のレパートリーは少ないが、彼女の作るカレーは絶品だ。

 

 カレーは左程手間をかけずに作れる上、量を調整すれば作り置きも出来る。

 

 その為、一度作ってしまえば後は温めて御飯にかけるだけなので、それまで料理の手間を厭うていた小夜子が始める料理としてはこの上なく適していた。

 

 人が良く善人を形にしたような小南は滅多に頼って来ない那須の頼みに快く応じ、二人がかりで小夜子にカレーの作り方を叩き込んだのである。

 

 最初は乗り気でなかった小夜子も小南が作ったカレーを食べると眼の色を変え、「こんな美味しくて手軽なものが世の中にあったのですね……っ!」と感動していた。

 

 正直、見ていて引くくらいには。

 

 その時点で「貴方、今までどういう生活をして来たの?」と小一時間問い詰めたくなったが、同じ話を蒸し返すのはどうかと思った為那須はぐっと堪えた。

 

 確かに小南のカレーは絶品であるが、小夜子の瞠目具合はそれを加味しても異常だった。

 

 それはまるで、飢えた子供がようやく食事にありつけた時の反応のように思えたのである。

 

 余程、効率重視で料理の()という要素を排した生活を送って来たのだろう。

 

 それまでどういった生活をして来たか、伺い知れるものである。

 

 ちなみに那須はいつか七海の味覚が元に戻った時の為にと様々な料理を学んでおり、当然小南からカレーの作り方を習っていた。

 

 その為料理教室の際は那須も同席し、共にカレーの作り方を教えていた。

 

 …………まあ、小夜子がサボらないようにという、監視の意味合いもあった事は否定しないが。

 

 ともあれ、こうして小夜子は水と塩昆布だけという不健全な食生活からは脱却を果たした。

 

 ただし、カレーの手軽さと上手さに味を占めた彼女は他の料理を一切作らず、カレーばかりを作り置きして食べるようになってしまった。

 

 その為、時々熊谷や茜、稀に小南を引き連れて小夜子の部屋に突貫し、突発的な料理教室という名のお食事会を開催している。

 

 本当なら七海も連れて行きたかったが、小夜子はとある過去の経験から()()()()()を患っている。

 

 そこに男性である七海を連れて行く事は出来なかった為、その時は渋々ながら七海に留守番を頼む事になったのだ。

 

 …………ちなみに、七海が那須隊への加入が遅れていたのはこの小夜子の男性恐怖症が原因である。

 

 小夜子は年上の男性を前にすると、社会生活に支障を来すレベルで取り乱す。

 

 当然、まともな会話も不可能。

 

 つまり、七海がそのまま那須隊に参加した場合、指示も貰えずオペレーターに協力を仰ぐ事も出来なくなる。

 

 オペレーターから指示を貰えないというのは、戦場に置いて致命的だ。

 

 故に、長い時間をかけて小夜子に七海を()()()事で、どうにか七海のオペレートが可能な域にまで持って来たワケだ。

 

 今日の防衛任務は、本当に小夜子が七海をオペレート出来るかを見る、という目的もあった。

 

 結果としては問題なくオペレートが出来ていた為、一安心である。

 

 七海はその経緯を思い出し、くすり、と笑みを漏らした。

 

「…………ようやく、此処まで来たか。俺はちゃんと、約束を果たせているかな────姉さん」

 

 そう呟き、七海は自分の右腕を────姉が残した、『(ブラック)トリガー』を見詰める。

 

「…………トリガー起動(オン)

 

 そして、トリガー起動の言葉を、告げる。

 

 しかし、何も起こらない。

 

 右腕は、『黒トリガー』は、完全に沈黙していた。

 

 ────この右腕(黒トリガー)は、今まで一度たりとも起動出来ていない。

 

 七海に適合はしているらしいが、この右腕をトリガーとして起動しようとしても、うんともすんとも言わないのだ。

 

 その為、七海は『黒トリガー』を扱う特別な隊員────『S級隊員』としては扱われていない。

 

 ()()しているだけで使()()()()なのだから、当然の事ではある。

 

 『黒トリガー』は、それ一つだけで戦局を変えかねない凄まじい力を持つ大戦力である。

 

 しかし、その特殊な()()()故か、『黒トリガー』は『適合』した人間でなければ起動出来ない。

 

 誰が『適合者』になるかはその『黒トリガー』によって違い、その『黒トリガー』の『作成者』の好みが反映されているというのが通説である。

 

 その為、起動出来ない人間の所にあっても宝の持ち腐れなのである。

 

 通常、『黒トリガー』は適合した人物の中でも組織によって選抜された者が所持し、有事の際はその力で『ボーダー』に貢献する。

 

 故に、起動出来ないこの『黒トリガー』が七海の元にあるのは本来であればおかしい。

 

 着脱が出来ないという事情を加味しても、普通であればそんな事は罷り通らない。

 

 …………意外にも、と言えば失礼に当たるが、この『黒トリガー』と自分の現在の処遇を認可したのは『ボーダー』のトップである城戸(きど)司令である。

 

 城戸司令は旧ボーダーに属していた人間で、今では『近界民』排斥を掲げて冷徹に指揮を執る自他共に厳しい人物だ。

 

 しかし、どうやら城戸司令と七海の姉である玲奈は旧ボーダー時代に親交があったらしく、その弟である七海に目をかけている節があった。

 

 城戸司令は俺の右腕の『黒トリガー』が着脱不能である事、そもそもこの右腕がなければ七海が生活に支障を来す事などを軸に説明し、有無を言わさぬ調子で七海がこの『黒トリガー』を所持する事を認める決定を下した。

 

 どうやらこの決定には迅も関わっているらしく、あれこれ根回しをしてくれていたらしい。

 

 本当に、迅を初めとした旧『ボーダー』の面々の心遣いには七海は頭が下がる想いであった。

 

 旧ボーダーの面々が中核となっている『玉狛支部』にも度々お世話になっており、那須が支部所属の小南と友人関係になったのもその縁が関係している。

 

 クラスメイトであったというのも理由ではあるが、七海を通じた縁であるというのも大きい。

 

 那須が七海と一緒にいても目くじらを立てない女子は那須隊のメンバーを除けば、小南くらいである。

 

 それ以外の女子と二人きりで話していたりすると、目に見えて那須の機嫌が悪くなるのはご愛敬だが。

 

「…………玲一、起きてる?」

「あ、ああ、起きてるよ」

 

 そこで部屋の扉の向こうから那須の声がして、七海が返答すると那須が寝間着のまま部屋の中に入って来た。

 

 身体の線が浮き出るような寝間着を着た那須の姿は月明かりに照らされて幻想的な美しさを纏っており、儚げな美貌が七海を見詰めて揺れている。

 

 深夜に男の部屋に来るにはあまりにも無防備過ぎると言えたが、無痛症の影響で性欲も鈍っている七海にとっては幼馴染の熱っぽい視線にドキリとする事はあれど、即座に押し倒したりするといった思考には繋がらない。

 

 七海にとって那須は、手を触れてはならない宝石のようなもの。

 

 自分の気持ちを押し殺してでも守り抜きたい、()()

 

 それが、今の彼の那須に対する認識であった。

 

 …………それが、彼女の気持ちと致命的にすれ違っている事には、気付いていなかったのだが。

 

「また、起動を試していたの?」

「…………ああ、けど、駄目だった。姉さんは何で、応えてくれないんだろうな……」

 

 ふと、愚痴を漏らす。

 

 七海の口から漏れたその言葉は、紛れもない彼の()()であった。

 

 ────那須は、知っている。

 

 一人、物哀し気に右腕を見詰める七海の姿を。

 

 一人、幾度も『黒トリガー』起動に挑戦する七海の姿を。

 

 それが、いつも強がっている少年の本当の姿であるという事を。

 

 …………那須の表情が、曇る。

 

 今日熊谷達を家に呼んだのは、仲間との団欒で少しでも七海に楽しんで貰いたかったからだ。

 

 熊谷達と談笑する七海の姿は、傍から見ても楽しそうに見えた。

 

 事実、彼は楽しめていたのだろう。

 

 欠け替えのない仲間との、団欒の一時を。

 

 …………けれど、七海の右腕は彼の()そのものだ。

 

 たとえどれだけ気分が高揚していたとしても、彼は自身の右腕を見る度過去の喪失を想起する。

 

 七海の右腕が常に彼と共にある以上、それを切り離す事は出来ない。

 

 彼自身、正真正銘()()()()である『黒トリガー』を起動出来ていない事を、とてつもない負い目に感じていた。

 

 先程の呟きが、その証左だ。

 

「お、おい、玲……?」

 

 改めてそれを見せつけられて複雑な想いを抱いた那須は、無言のままベッドに座る彼の隣に腰掛けた。

 

 そして七海の右腕をかき抱き、その身体を密着させる。

 

 幼馴染の突然の行動に目を白黒させた七海を見て、那須はくすりと笑みを浮かべた。

 

「────眠れないなら、眠れるまで、一緒に星を数えましょう。今夜は雲もないし、綺麗な星が見えているわ」

 

 那須はそう告げると窓の外の夜空を指さし、つられて視線を動かした七海の視界には満天の星空が見える。

 

 その光景に七海は思わず息を呑み、それを見て那須は満足そうに微笑んだ。

 

「ね? いいでしょ?」

「…………分かったよ。仕方ないな」

 

 ありがとう、とか細い声で口にした七海は、密着した那須の身体を見ないように夜の空を見上げる

 

 那須もまた、七海に寄り添いながら星空を見上げた。

 

 ────流れ星が、落ちる。

 

 二人がそれに何を願ったのか、知るのは無粋だろう。

 

 彼女達だけの願いが、そこには込められていたのだから。




 というワケで那須さんとの夜会話回。

 と、現状の説明+αでした。

 次回はバトルかな。個人ランク戦。

 さて、相手は誰でしょう?


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七海と太刀川

「────旋空弧月」

 

 長身の男が振るう日本刀型のブレードトリガー、『弧月』が光を帯びて、()()()

 

 刀身を伸ばし、拡張斬撃────即ち()()()()を可能とするオプショントリガーが起動し、攻撃範囲を伸ばした斬撃が襲い来る。

 

「……っ!」

 

 その攻撃に対し、七海は空中機動を可能とするジャンプ台トリガー────『グラスホッパー』を起動。

 

 足元に展開したグラスホッパーを踏み込み、一瞬にして斬撃の効果範囲外へ逃れる。

 

 七海の副作用(サイドエフェクト)、『感知痛覚体質』があれば紙一重の回避から反撃に繋げる事が可能だ。

 

 普通であれば、こんな大ぶりの回避は行わない。

 

 では何故、七海がこのような大袈裟な回避軌道を取ったのか。

 

 答えは一つ。

 

「────旋空弧月」

 

 ────そうでもしなければ、この男の()()()()()()()からは逃れられないからだ。

 

 続け様に放たれた旋空弧月が、七海を追い縋るように迫る。

 

 七海は咄嗟にグラスホッパーを起動、再び大きく回避軌道を取る。

 

「甘いぞ、七海」

 

 だが、男────太刀川慶(たちかわけい)の猛攻は止まらない。

 

 片方の『弧月』を納刀し、グラスホッパーを起動。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、一気に七海に肉薄する。

 

「くっ、『メテオラ』……ッ!」

 

 七海は主に太刀川の視界を塞ぐ為、咄嗟にメテオラを射出。

 

 地面にトリオンキューブが当たった瞬間盛大な爆裂音が響き、『炸裂弾(メテオラ)』の爆発が視界を覆う。

 

 自らのサイドエフェクトで爆破範囲ギリギリに滑り込んだ七海は、連続してメテオラを射出。

 

 幾つもの爆裂音が響き渡り、トリオンの爆発が建物を破壊しながら無数に展開される。

 

(あそこだ……っ!)

 

 七海は爆発の隙間から、太刀川の黒コートを視認。

 

 爆発の隙間を縫うように移動し、右手に『スコーピオン』を展開。

 

 太刀川の黒コート目掛けて、スコーピオンの刃を振るう。

 

「な……っ!?」

 

 ────だが、七海が斬り裂いたのは太刀川が羽織っていた黒コート()()

 

 太刀川本人の姿はなく、七海はすぐさま周囲を確認する。

 

 だが、その一瞬のタイムロスが致命的だった。

 

「────だから言ったろ、()()ってな」

 

 瞬間、七海のサイドエフェクトが痛みを────攻撃を感知。

 

 すぐさまグラスホッパーを起動し、その場から飛び退く。

 

 旋空弧月は正確には斬撃を()()()のではなく、刀身を()()するトリガーだ。

 

 当然、刀身を伸ばした分だけ取り扱いは難しくなるし、刃を引き戻すまでの間は明確な隙になる。

 

 隙と言っても、誰にでも突けるような間隙ではない。

 

 目の前の太刀川のような実力者ならば、それこそ隙などないかのように次から次へと旋空孤月を放って来る。

 

 それでも、至近距離での鍔迫り合いであれば、その一瞬は僅かな隙であろうとサイドエフェクト感知痛覚体質で攻撃を察知出来る七海にしてみれば明確なチャンスだ。

 

 七海は()()()()()()()()()()攻撃範囲外へ退避し、反撃に繋げるべくメテオラを出そうとして────。

 

「────残念、そりゃ囮だよ」

 

「が……っ!?」

 

 ────その背中に、旋空弧月の斬撃を浴びた。

 

 振り向いて、気付く。

 

 先程まで、七海がいた場所。

 

 そこには、()()()()()()()()()が突き刺さっていた。

 

(……っ!? さっき感知した攻撃は、あれか……っ!)

 

 七海が旋空弧月だと考え、回避した攻撃。

 

 サイドエフェクトで感知出来たが故に攻撃の()()を見る事なく回避したそれは、旋空弧月ではなく()()()()()だったのだ。

 

 七海のサイドエフェクトは、痛みの発生範囲────即ち、()()()()()()()を感知する。

 

 だが、その攻撃の()()までは分からず、当然その攻撃が()()()かも分からない。

 

 彼のサイドエフェクトは、自身に与える『痛み』を等しく区別なく感知する。

 

 故に、彼に対しては()()が有効な手段と成り得るのだ。

 

 分かっていた、つもりだった。

 

 けれど、その上を行かれた。

 

 太刀川の二刀流を()()()()()()()()()からこそ、()()()()()という牽制手段を見抜けなかった。

 

 トリオン供給器官を斬り裂かれ、身体中に罅が奔っていく七海を屋根の上から見下ろしながら、太刀川は不敵な笑みを浮かべる。

 

「お前も随分上達したが、まだ負けてやるワケにはいかないな」

 

 ピシリピシリと、七海の罅割れが広がって行く中、太刀川は腰に手を当て口元を歪めた。

 

「────これでも、NO1攻撃手(アタッカー)なんでな。『一位』の壁は、分厚いぜ」

 

 最後まで笑みを浮かべながら、告げる。

 

『戦闘体活動限界、『緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 無機質な機械音声(マシンボイス)が、戦いの終わりを告げる。

 

 一瞬の浮遊感の後、七海は戦場としていた仮想空間から弾き出された。

 

 

 

 

「よお七海、今回も俺の勝ちだな」

「…………太刀川さん。はい、対戦ありがとうございました」

 

 『緊急脱出』用のベッドの上から起き上がった七海は、たった今戦った相手────太刀川に声をかけられていた。

 

 太刀川はA()()()()()()の隊服を靡かせながら、上機嫌な様子で笑っている。

 

 七海は横柄と言えなくもない太刀川(師匠)の態度に気を悪くする様子はなく、むしろ礼を尽くして頭を下げる。

 

 それを見た太刀川は苦笑し、頭をぽりぽりとかいた。

 

「本当に、お前は真面目だなあ…………ま、年上に敬意を持つのはいい事だ。もっと敬え敬え」

「…………そういう事言うから、あんまし尊敬とかされないんですよ。太刀川さん」

「む、出水か」

 

 そんな太刀川の後ろから声をかけて来たのは、金髪の陽気そうな少年────出水公平(いずみこうへい)

 

 太刀川が隊長を務める『太刀川隊』の『射手』であり、七海にとってはもう一人の『師匠』に当たる。

 

「よお七海、惜しかったな。前より随分動きは良くなってるし、ビシバシ鍛えた甲斐があるってもんだ」

「…………そう言って頂けると、嬉しいです」

 

 七海は恐縮したように頭を下げ、そんな彼の肩を太刀川がポンポンと叩く。

 

「ああ、B級の連中相手ならそれなり以上に良い勝負が出来る筈だぞ。けどまあ、俺に勝つにはまだまだ早いって事だな」

 

 何せ、俺は『一位』様だからな、と自信満々に告げる彼の言葉は何も間違っていない。

 

 彼は、太刀川慶はこのボーダーに存在する『攻撃手(アタッカー)』の中でも、トップの実力を持っている。

 

 仮想空間での戦いで隊員同士でポイントを奪い合う『個人ランク戦』では、勝利する度にその隊員が使っていた『トリガー』にポイントが加算される。

 

 このポイントが8000を超えると達人(マスター)クラスと呼ばれるようになり、文字通りその武器の扱いを習熟した者が得る称号だ。

 

 太刀川の主武器である『孤月』のポイントは、4万オーバー。

 

 他の『攻撃手(アタッカー)』と比べても、圧倒的な数値だ。

 

 それだけ、彼が孤月の扱いに習熟し、他を寄せ付けない実力を持っている事の証左でもある。

 

 …………まあ、大学の勉強そっちのけでランク戦に入り浸っていたからこそのポイント、と言い換える事も出来るのだが。

 

 ともあれ、戦闘以外の部分に多大な問題があるとはいえ、太刀川は七海に稽古を付けてくれた師匠だ。

 

 元よりその実力を見込んで弟子入りしたのだから、敬意を抱く事に何の疑いもない。

 

 七海が強くなれたのは、紛れもなく彼等の指導あってのものだ。

 

 その恩を忘れる程、礼儀知らずではないつもりである。

 

「しかし、お前さんが俺達に弟子入りしてから随分経つよなあ。最初は別段、そこまで興味はなかったんだが……」

「でも、今じゃ太刀川さんを楽しませるくらい強くなったんだし、良い拾い物だったんじゃないですか?」

「ははっ、違いない」

 

 出水の言葉に、太刀川はからからと笑う。

 

 戦闘に持てる全てを注ぎ込んでいる彼にとって、自分を楽しませる程の好敵手の存在は大いに歓迎すべきものである。

 

 そんな彼等に弟子入りしたのは、今から一年前。

 

 強さを求め自己鍛錬に勤しんでいた七海が、迅の紹介で太刀川達の所に訪れた時からである。

 

 

 

 

「七海玲一? 誰だそいつは?」

 

 太刀川は突然自分の所にやって来た迅に話を聞いた直後、ポカンとした様子でそんな言葉を口にした。

 

 旧来の好敵手がいきなり「頼みがあるんだけど」ってやって来たから話を聞いてみれば、「知り合いの面倒を見て欲しい」との事。

 

 七海玲一というのが、その()()()()()()の名前らしかった。

 

「こないだB級に上がったばかりの子なんだけどね。中々筋がいいんだけど、独学での鍛錬が頭打ちになっちゃったみたいでさ。とにかく強い人相手に回避技術を学びたいみたいなんだよね」

「それで俺の所にか。でもよお、そいつB級上がり立てなんだろ? そんな奴の相手をした所で、つまんないだろうしなあ」

 

 太刀川は正直言って、この提案に乗り気ではなかった。

 

 強い奴との戦いは大いに歓迎だが、太刀川にはわざわざひよっこを強くなるまで鍛えてやる義理はないしぶっちゃけかなり面倒だ。

 

 如何に迅の頼みとはいえ、素直に受けてやるのは憚られた。

 

 弱い奴に付き合うくらいなら、ランク戦に行って強い連中と戦り合った方が断然良い。

 

 そう考えて断ろうと口を開きかけると、迅がそれを読んでいたかのように言葉を被せて来た。

 

「まあ、最終的には太刀川さんに任せるけど、試しに一回付き合ってあげてもいいんじゃない? 何せその子、結構強い『サイドエフェクト』を持ってるし」

「…………ほぅ、『サイドエフェクト』持ちか」

 

 ────その迅の一言は、太刀川を引き留めるには充分な効力を持っていた。

 

 『サイドエフェクト』持ちの連中は大抵戦闘で厄介な立ち回りを見せ、骨のある奴が多い。

 

 それに『サイドエフェクト』持ちという事は、トリオン能力も高めな筈だ。

 

 迅の言う通りであれば、そいつの『サイドエフェクト』は戦闘にかなり有用なものと見た。

 

 戦闘に有用なサイドエフェクトとなるとまず真っ先に影浦や村上の名前が思い浮かび、太刀川の頭に仄かな期待が膨らむ。

 

 もしかすると、あの二人のように()()()奴かもしれない。

 

 そんな風に抱いた興味は捨てきれず、結局太刀川は出水を連れて七海と会う事を承諾したのだった。

 

 

 

 

「七海玲一です。お話は迅さんから通っていると思いますが、今回はお二人にお願いがあって参りました」

 

 その日、太刀川隊の隊室を訪れたのは細身で黒髪の少年だった。

 

 歳は、高校に入ったばかりに見える。

 

 見た感じ、出水とは同学年のように思えた。

 

 線が細い美少年に見えるが、身体つきを見るにそれなり以上に鍛えている事が分かる。

 

 少年、七海は礼儀正しく頭を下げ、菓子折りを渡して来た。

 

 それを受け取った太刀川は菓子折りを一旦テーブルに置くと、がしっ、と七海の腕を取りにかっと笑った。

 

「話は聞いてるぜ。鍛えて欲しいんだろ? じゃあまずは()ろう今すぐ戦ろう。まずはやってみなくちゃ始まらないからな」

「え、ちょ……っ!?」

「あー、諦めて一戦やって来なー。俺もお前さんがどれくらい()()()か、見ておきたいしな」

 

 こうして、有無を言わさぬ調子で七海を訓練室に叩き込んだ太刀川は突然の展開に目を白黒させている七海相手にすぐさま斬りかかった。

 

 そこで太刀川は七海のサイドエフェクト、『感知痛覚体質』の事を知り、その身のこなしにも充分以上の可能性を感じた。

 

 そして訓練室で向き合ったまま、話を切り出した。

 

「成る程な。結構いい線行ってるじゃないか。けど、そのサイドエフェクトがあるんなら、普通に鍛えてりゃそこそこ強くなれると思うんだがな」

 

 これは、完全なブラフである。

 

 此処で七海が驕った事を言うようなら、その時点でこの話は無しにするつもりだった。

 

 七海は太刀川の問いかけに、首を振って答えた。

 

「…………いいえ、それじゃあ駄目です。幾らサイドエフェクトがあっても、身体が付いて来なくちゃ意味がないんです。この力に頼り切るだけじゃ、駄目なんです」

 

 だから、と七海は必死の形相で、語る。

 

「太刀川さん、出水さん、お願いします。俺に、稽古を付けて下さい。俺に出来る事なら、なんだってやります」

 

 出水はその眼に、確固たる決意を感じた。

 

「泣き言は言いません、容赦もしなくて構いません。俺を、全力で叩きのめして下さい」

 

 太刀川はその眼に、隠し切れない闘志を感じた。

 

 そして、悟る。

 

 彼の覚悟は、紛れもない()()であると。

 

「だから、お願いします。どうか、俺を鍛えて下さい。大切なものを守る為にも、俺は────強くならなきゃ、いけないんです」

 

 七海は床に頭を擦りつける勢いで、二人に頼み込んだ。

 

 その様子を見て、太刀川は出水と顔を突き合わせ、互いにこくりと頷いた。

 

「────いいぜ、付き合ってやるよ。迅の奴からも頼まれているし、お前を鍛えるのは面白そうだ」

「ああ、俺も構わないぜ。『メテオラ』を使うんだろ? ついでだから、そっちの取り扱いも叩き込んでやるよ」

「────ありがとう、ございます。これから、よろしくお願いします」

 

 こうして、七海は太刀川と出水の二人に、弟子入りする事となったのだった。

 

 これが、一年前。

 

 未だ七海が那須隊に属さず、単独(ソロ)でいた頃の話である。

 

 

 

 

「あの時と比べりゃ、強くなったのは事実だろーぜ。自分の戦術も、確立出来ているしな」

「ま、それでも俺の方が強いのが変わらないがな」

 

 二人が、笑いながらそう告げる。

 

 確かに、七海も実感として自分が強くなった自覚はある。

 

 太刀川相手には負け越しているものの、自分なりの戦術も確立出来ており、やり様によっては充分格上とも戦えるだろう。

 

 これも、太刀川の斬撃や出水の射撃を浴び続けながら、回避技術を磨いた賜物である。

 

「もうすぐ、10月か。B級ランク戦、頑張れよ」

 

 太刀川なりの激励の言葉を受け、七海は大きく頷いた。

 

「はい……っ! 全力で、上位まで駆け上がって見せます」

「おーおー、良いじゃねえか。じゃ、次はいっちょ俺とやるか?」

「はい、よろしくお願いします……っ!」

 

 出水の申し出に二つ返事で頷き、出水と共に個人ランク戦用のブースへ向かう。

 

 その後姿を、太刀川は不敵な笑みを浮かべながら眺めていた。

 

────────その内、強くなった七海と『風刃』を持った俺とやり合える機会が来るよ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる────────

 

 ────────それは、太刀川が七海の指導を受ける事にした決定打。

 

 あの日、迅から告げられた()()の内容だった。

 

 太刀川は、何も七海の為だけに彼の指導を引き受けたのではない。

 

 迅の語ったその()()に大きな魅力を感じて、彼の指導を引き受けたのだ。

 

 私利私欲、と言ってしまえばその通りだ。

 

 だが、それがどうした。

 

 別段、誰に迷惑をかけるワケでもない。

 

 ただ彼は、強い相手と、好敵手と戦いたいだけだ。

 

 戦うという事に関して、彼は何よりも純粋だった。

 

 だから、思う。

 

 早く、その未来が来てくれと。

 

 その時に自分はきっと、大いに笑って剣を手にしているのだろうから。




 明日は台風の影響で陸の孤島と化した職場へ夜勤に行って来ますので更新は出来ません。

 今後も更新は継続するのでご心配なく


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志岐小夜子の事情

 ────志岐小夜子は、男性恐怖症である。

 

 それは彼女をよく知る人間にとって周知の事実であるし、彼女自身も自分がそうであると自覚している。

 

 小夜子は男性とまともに会話する事が出来ず、年上の男性を前にすると社会生活に支障を来すレベルで取り乱す。

 

 その為まともに外出する事も出来ず、現在は一人暮らしの自宅で引き籠り生活を送っている。

 

 小夜子とて、最初から此処まで深刻な状態になっていたワケではない。

 

 確かに人と話す事は苦手だったが学校には通っていたし、少なかったが友達もいた。

 

 原因となったのは、中学生の頃。

 

 年上の男の先輩に、声をかけられてからの事である。

 

 その先輩は小夜子に目をかけてくれており、困った時は色々と助けになってくれた。

 

 先輩は顔立ちも整っていた為当然小夜子も悪い気はせず、二人で過ごす時間も多くなった。

 

 …………切っ掛けとなったのは、その先輩から迫られて小夜子が逃げ出した一件である。

 

 小夜子としては先輩の事は慕っていても流石に男女関係のあれこれになると怖かった為、反射的に先輩を突き飛ばして逃げてしまったのだ。

 

 先輩を傷付けてしまったかな、と考えた小夜子だったが、後で謝ればいいか、と気楽に考えていたのだ。

 

 ────そして、翌日になって小夜子はその先輩の本性を知ったのである。

 

 小夜子が登校すると、自分の机に落書きがされていた。

 

 その落書きでは小夜子が秘密にしていたアニメやゲーム等のサブカル趣味の事が揶揄されており、クラスメイトはそれを見て唖然とする自分を見てくすくすと笑っていた。

 

 そういったサブカル趣味が年頃の女子にとってあまり大っぴらに言える趣味でない事は、小夜子も薄々分かっていた。

 

 だからこそその趣味について友達に話した事はなく、唯一話した事があるのは信頼していたその先輩()()

 

 まさか、と思いその先輩の所に事情を聞きに行った小夜子を待っていたのは、蔑むような眼で彼女を見下ろす先輩の眼だった。

 

 ────折角人が親切にしてやってるのにヤらせもしないとか、何様のつもり? オタク趣味の陰キャ女子の癖にさあ────

 

 その先輩は単に身体目当てで小夜子に近付いただけで、小夜子が思い通りにならないと分かるとあっさり掌を返したのだ。

 

 その時に感じた絶望感、年上の男への恐怖は筆舌に尽くし難い。

 

 …………そこから先は、よく覚えていない。

 

 何か大声で言い放った気もするし、泣きながらその場から逃げ去っただけの気もする。

 

 一つだけ確かなのは、その日以来小夜子は学校に行けなくなった事だ。

 

 年上の男を見るとまた身体目当てで近付いて来るのかと怖くなり、どんな優しい言葉をかけられてもそれを信じる事は出来なくなった。

 

 小夜子は自分の容姿に自信は持っていなかったが、一度身体目当てで近付かれ、裏切られた経験から、()()()()()()()()()()()()といった考えを抱くようになった。

 

 …………彼女は、自身の容姿への客観性が足りていなかった。

 

 確かに目立つ容姿ではないが、小夜子は充分以上に整った容姿をしている。

 

 身近に那須という例外(桁違いの美少女)がいる為基準が自然と高くなり過ぎているだけで、彼女自身が優れた容姿をしている事は事実だ。

 

 だからこそその先輩は小夜子を狙ったのだろうが、小夜子は自分の容姿について目立たない地味な女、としか考えていなかった為に起きた認識のズレである。

 

 ともあれ、学校に行けず家から一歩も出られなくなった小夜子はそれまで以上に自分の趣味(アニメやゲーム)にのめり込んだ。

 

 幼少の頃から慣れ親しんでいたアニメやゲームは、現実に絶望した小夜子にとって最高の()()()()だった。

 

 アニメのゲームの世界にのめり込めば、辛い現実を忘れられる。

 

 夢のような世界で、想像のままに楽しむ事が出来る。

 

 両親も小夜子がそうなった事情を知っている為、何も言う事が出来ずただ時間だけが過ぎて行った。

 

 そんな小夜子の一つ目の転機は、熊谷に『ボーダー』に誘われた事である。

 

 昔小学校時代の知り合いだった熊谷は中学が違った為小夜子の現状については最初は知り得ていなかったが、友達伝いに彼女の事を知るとすぐさま自宅まで押し掛けた。

 

 小夜子が突然の熊谷の訪問に驚く間もなく、彼女は言った。

 

────小夜子、『ボーダー』に入ってうちの隊のオペレーターをやりなよ────

 

 熊谷は目を白黒させる小夜子に対し詳細な説明を行い、『ボーダー』に入隊して那須隊のオペレーターをやる事を承諾させたのだ。

 

 彼女を再び学校に通えるようにしよう、とは熊谷は思わなかった。

 

 小夜子の負った心の傷は深く、無理やり学校へ行かせても毒にしかならない。

 

 その点、オペレーターをやれば給金も出るし何より外との窓口が出来る。

 

 男性恐怖症の小夜子が『ボーダー』の那須隊の作戦室に行く際は多少の工夫は必要だが、事情を知っている『加古隊』の加古や本部オペレーターの沢村等が車で送り迎えをしてくれる為、今の所問題は起きていない。

 

 場合によっては夜間のうちに熊谷の付き添い(密かに七海が影から護衛している)で行く事もあるのだが、ともあれなんとかオペレーター業をこなす事が出来ていた。

 

 …………問題になったのは、『那須隊』で唯一の男性隊員である七海に関してである。

 

 七海は、小夜子が苦手とする()()()()()に当たる。

 

 当然顔を合わせるどころか会話も出来ず、その時点では七海の那須隊入りは先延ばしにする他なかった。

 

 正直な話をすれば、この時点で熊谷達は小夜子を切り捨てて別のオペレーターを迎える選択肢もあった。

 

 だが、熊谷が小夜子の事を大事に思っているのは那須隊の誰もが知っていたし、何より彼女達の性根が小夜子を切り捨てる事を良しとしなかった。

 

 とうの七海も小夜子の事情は聞いていた為、彼女を見捨てる事は断じてなかった。

 

 そうなると急務なのが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 小夜子も折角自分を想って『ボーダー』へ誘ってくれた熊谷に迷惑はかけたくなかった為、なんとか七海のオペレートが出来ないか考えを巡らせた。

 

 筆談でオペレートする事も考えたのだが、それではタイムロスが致命的になる為却下。

 

 那須を通じて指示を伝えるという案も、同様の理由で却下された。

 

 戦いの中のオペレートは一分一秒を争う時間との戦いだ。

 

 少しのタイムロスが大きな失敗に繋がりかねない以上、話は結局()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事になる。

 

 そうなると、小夜子自身はお手上げだった。

 

 男性を目にするだけで固まってしまうし、あの先輩を思い起こさせる年上の男性となると最早正常な思考を保つ事も不可能となる。

 

 何より、小夜子の根底には()()()()()()()()()という根本的な()()()()が根付いていた。

 

 小夜子が頑張ろうとしていたのはあくまで友人の熊谷の為で、七海の為ではない。

 

 むしろ、自分にこんな苦労を負わせている七海の事を煩わしくさえ思っていた。

 

(なんで、私があんな男の為に……っ!)

 

 その煩悶が、敵意に変わるまでそう時間はかからなかった。

 

 自分の男性恐怖症を知りながらも那須隊の面々が信頼を置き、彼の為なら多少の労苦は厭わない程の彼女達の献身ぶり。

 

 それが小夜子には()()()()()()()()()()()()()()と思えてならなくなり、その鬱憤が頂点に達した時遂に小夜子は熊谷に食ってかかったのだ。

 

 何故、あいつをあそこまで信頼しているのか、と。

 

 …………そこで、小夜子は七海の事情を知ったのだ。

 

 自分のちっぽけな事情とは比べるべくもない。

 

 暗く重い、悲劇の話を。

 

 小夜子は、自分が恥ずかしくなった。

 

 彼女達が彼を信頼するのも、当然だ。

 

 彼は、七海玲一は、その身を以て那須を救い出した。

 

 そして、姉の喪失という痛ましい経験をしながらも、自分と違って塞ぎ込まずに懸命に生きている。

 

 人間性という点で、あの先輩とは比べる事すら烏滸がましい。

 

 あんな、女を物としか考えていないような奴とは、全く違う。

 

 その身を挺して、大切な人を守る。

 

 言葉にすれば簡単だが、現実はそう簡単に出来る事ではない。

 

 更に言えば、七海はそのサイドエフェクトにより、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のに彼女を庇い右腕を失ったのだ。

 

 その覚悟は、最早小夜子の理解出来るところではなかった。

 

 話してみよう。

 

 直接姿を見る事は出来ずとも、壁越しで。

 

 その考えを熊谷越しに伝えると、七海は快く承諾した。

 

 そして小夜子は、自宅に七海を呼び出した。

 

 男を、自分の家に呼ぶ。

 

 それまでの小夜子には、考えられない行為だった。

 

 だが、それまでの自分の所業を思えばこれくらいの事はしなければならないと思った。

 

 勿論、面と向かって話すのは躊躇われた為、玄関の扉越しで話す事となった。

 

 本当であれば室内に招き入れた上で話をするべきだったのだろうが、そこが当時の彼女の限界でもあった。

 

 当然、彼女の事情を知る七海は快くその提案を承諾した。

 

 …………そして、七海が小夜子の家にやって来た。

 

 呼び鈴を聞いて玄関に向かった小夜子は、そこで初めて直に七海の声を聴いた。

 

『話があるって聞いたけど、何かな……?』

 

 聞こえた声は男性にしては粗野な感じがなく、落ち着きながらも何処か浮世離れしているような、そんなイメージを感じ取った。

 

 声をかけられて固まっていた小夜子は数十秒後に我に返り、慌てて返答した。

 

『ごっ、御免なさい……っ! そのですね、今日は貴方に、その…………謝り、たくて……』

『俺に、謝る……?』

 

 男性を前にした事で動悸が激しくなり、言い知れぬ恐怖感が小夜子を襲っていた。

 

 この相手は大丈夫だ、と考えていても、過去に刻まれた小夜子の心の傷は浅いものではない。

 

 本能的な部分が、()()()()()()と訴えて小夜子を揺さぶっていた。

 

『えっと、ですね…………貴方の話を、大規模侵攻の時の話を、聞いたんです……』

『……そうか』

 

 七海は小夜子の告白に、何を聞く事もなくそう返した。

 

 恐らくは彼にとって地雷に近い過去の大規模侵攻の話を出すに当たって小夜子は何かしら拒絶的な反応が来るものと覚悟していたのだが、七海の対応は穏やかだった。

 

 むしろその声には、こちらを慮る色さえあったのだ。

 

『…………その、怒らない、んですか……? 私、勝手に貴方の過去を……』

『多分、熊谷あたりが話したんだろう? 元々、隠している事でもない。何より、熊谷が話して大丈夫と判断したんなら俺は構わない。チームの一員となる以上、知る権利はある筈だ』

 

 それより、と七海は続けた。

 

『あまり、聞いていて楽しい話ではなかった筈だ。気分は、害していないか……?』

 

 …………その言葉を聞いて、小夜子は唖然となった。

 

 この少年は、自分の過去を勝手に聞かれたというのに、怒るどころか小夜子の事を心配している。

 

 他の人とは、何かが違う。

 

 七海に関して、小夜子はその時本気でそう思えた。

 

 だから、そこから踏み込んだ話が出来たのだろう。

 

『…………いえ、大丈夫です。いえ、そんな事より……っ! 七海先輩は、私の事が煩わしくないんですか……っ!?』

 

 後は、勢いのままだった。

 

『私の所為で、七海先輩は那須隊に入れていないのに、何で私を責めないんですか……っ!? 私が、邪魔じゃないんですか……っ!? 私さえいなければ、貴方は那須さんの傍で戦えるのに……っ!』

 

 それは、小夜子の本心だった。

 

 七海からしてみれば、小夜子の所為で彼は大切な人の傍で戦う事が出来ていない。

 

 自分だったら、そんな奴邪魔に思うに決まってる。

 

 なのに、七海からは一向に負の感情を向けられる気配がない。

 

 それが、彼女には納得行かなかった。

 

『邪魔に思う筈が、ないだろう? 志岐は、優秀なオペレーターだ。今も、那須隊の役に立っているじゃないか』

『……え……?』

 

 だから、その切り返し方は予想の外だった。

 

 てっきり、こちらを落ち着かせる為に適当に優しい言葉でも連ねるかと思えば、七海の返答はそもそもの()()が違っていた。

 

『那須から聞いてる。志岐のオペレートは、凄いって。俺がいない間、オペレーターとして那須達を支えてくれてるんだから、邪魔になんて思う筈がない。むしろ不甲斐ないのは、俺の方だ』

 

 小夜子がいるから那須隊に入れない事、ではなく。

 

 小夜子がいるから那須隊が助かっている、という視点。

 

 その視点は、小夜子が予想もしていなかったものだった。

 

 普通、こういう時は自分の感情を優先して物事を語るものだ。

 

 しかし、七海は自分の感情ではなく、ただ()()を語り、小夜子の有用性を示して来た。

 

 唖然とする小夜子を他所に、七海は続ける。

 

『俺は見ての通り、女心には疎い方だ。カウンセリングなんてものは出来ないし、やった所で逆効果だろう。気を回る奴ならなんとか自力でお前の信頼を得てどうにか出来るんだろうが、俺はそのあたり不器用なんだ』

 

 だから、と七海は話を続けた。

 

『お前は、何も悪くない。お前の事情は聞いてるし、男を怖いと思うのも当然の事だろう』

 

 それに、と七海は穏やかな声で、告げる。

 

『────志岐は、俺を此処に呼んでくれたじゃないか。本当は話しているだけで辛いだろうに、お前は勇気があると俺は思うよ』

『あ……』

 

 きゅうう、と、胸の奥が締め付けられる感触があった。

 

 それはあの先輩に最初抱いていた敬意とは、まるで違う。

 

 不器用だが穏やかな、裏表のない優しさ。

 

 損得や私欲など関係ない、純粋な善意。

 

 それに触れた事で、心に温かな感触を齎したのだ。

 

 思えば、自分が今までまともに話した事のある男性はあの先輩だけだった。

 

 だからこそ、()()()()()()()()があの先輩となってしまい、男は()()信用出来ない、と思い込んでいたのだろう。

 

 けれど、この人は、違う。

 

 あんな、欲望塗れの男なんかとは、全然違う。

 

 純粋にこちらの事を気遣って、温かな言葉をかけてくれている。

 

 それを確信した瞬間、志岐は無意識の内に玄関の扉を開いていた。

 

『志岐……?』

『……あ……』

 

 そして、七海の姿が初めて小夜子の眼に映る。

 

 ドア越しでも、映像越しでもない。

 

 現実の七海が、触れ合える程の距離にいる。

 

 顔立ちは何処か中性的だが、肩等を見ると案外がっしりした体格である事が伺える。

 

 何より、その眼は予想していたよりもずっと穏やかで、年上の男性が目の前にいるのに、志岐が取り乱す事はなかった。

 

『…………あ、大丈夫…………みたい、です。私、七海先輩と…………話せ、ます……』

『……そうか。何が原因だったのかは分からないが、よく頑張ってくれた。これで、俺は君のオペレートで戦えるんだな』

『はい…………大丈夫、です』

 

 志岐は七海の服の袖口をきゅっと掴み、上目遣いで七海を見上げた。

 

『えっと…………小夜子って呼ん……っ!? な、なんでもないです……っ!!』

『あ、ああ……』

 

 ()()()()()()()()()()()()()を慌てて理解した小夜子は土壇場で言い直し、それを見た七海は目を白黒させた。

 

 こうして、志岐小夜子は七海玲一の入隊を受け入れた。

 

 これが、8月の終わり。

 

 前の『ランク戦』が終わった、直後の出来事であった。

 

 

 

 

「…………あれは反則ですって、本当に。あんな優しい声で、下心ゼロであんな事言われたら…………惚れるしか、ないじゃないですか……」

 

 はぁ、と志岐は深く溜め息を吐いた。

 

 結局の所、小夜子が七海を受け入れた理由は、なんてことはない。

 

 単に、小夜子が七海に惚れてしまった、というだけである。

 

 無論、あの時の七海は小夜子を口説くような意図はなかった筈だ。

 

 何故って、彼には那須がいる。

 

 傍から見ているだけでも、七海の那須へのべた惚れぶりは明らかだ。

 

 当人達は色々とすれ違いを繰り返しているようだが、小夜子には分かる。

 

 ────きっと、七海は那須に恋している。

 

 そして那須も、きっと七海が異性として好きなのだ。

 

 今は互いに正直になれていないだけで、彼等は両想いなのだ。

 

 当然、自分が入る隙間なんかない。

 

 あの二人は、あんなにもお似合いなのだ。

 

 自分なんかが、入っていくべきではない。

 

 小夜子の初恋は、それを自覚した瞬間に終わったのだ。

 

 未練がない、なんて言わない。

 

 むしろ、未練たらたらだ。

 

 もしも何かの間違いで七海が那須と離れるような事があれば、改めて想いを告げる事もあるだろう。

 

 …………けれど、そんな事にはならないだろうと。彼女には、分かっていた。

 

 だって、思うのだ。

 

 七海の隣は、那須が一番似合っている。

 

 だから、この想いはこのまま墓まで持って行こう。

 

 自分の男性恐怖症は、微塵も治っていない。

 

 ただ、七海という()()が出来ただけだ。

 

 そんな自分が、他の男性と結ばれるなんてある筈がない。

 

 けれど、それでも良かった。

 

 今どき結婚しない女性なんて腐る程いるし、『ボーダー』のオペレーターをやっていれば給金も出るし就職先もある程度斡旋してくれるらしい。

 

 幸い、機器操作等の能力には自信がある。

 

 オペレーターを続けられなくなっても、技術職という道がある筈だ。

 

 だから、大丈夫。

 

 この想いは、仕舞ったままでも大丈夫。

 

 時折頬を伝う涙は、胸の痛みは、知らなかった事にする。

 

 何故かなんて、決まっている。

 

 七海がいて、那須がいて、熊谷がいて、茜がいて、自分がいる。

 

 そんな今の那須隊が、好きだから。

 

 自分の想いに蓋をするだけで、今まで通りの毎日がやって来るのなら。

 

 自分は、このままで構わない。

 

 それが、小夜子の結論。

 

 16歳の秋に経験した、苦い初恋の結末だった。




 陸の孤島(職場)から脱出。

 というワケで小夜子ちゃんの独自解釈設定回でした。

 男性恐怖症なら何か理由がある筈だよね、という事で理由を捏造。

 サブカル趣味も想像です。

 小夜子ちゃんがななみんを入れる上でネックになるので、色々考えた結果なのです。


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七海と影浦

「お邪魔します」

「おう、来たな七海。早く座れや」

 

 ガラガラという音と共に、入口の扉が開けられ七海が店内に足を踏み入れる。

 

 そんな七海の姿を見るなり長身の目つきの鋭い少年、影浦雅人(かげうらまさと)は笑みを浮かべて店内の席を指さしていた。

 

 ────此処はお好み焼き屋『かげうら』。

 

 その名の通り、この影浦の実家である。

 

「カゲ、俺等まで呼んで貰ってすまないな」

「飯食いに来たぜ、カゲ」

 

 七海に続いて店に入って来たのは、二人の背の高い少年だった。

 

 眠たげな眼の少年の名は、村上鋼(むらかみこう)

 

 NO4攻撃手(アタッカー)の称号を持ち、優れた剣の腕を持つ実力者である。

 

 その後ろから来た帽子を被ったスマートな体躯の少年は、荒船哲次(あらふねてつじ)

 

 村上の師匠筋に当たり、攻撃手から狙撃手への異例の転向をした事で知られる『荒船隊』の隊長である。

 

 そして、彼等を出迎えた影浦は、B級のチームの中でもNO2の順位を誇る『影浦隊』の隊長だ。

 

 とある罰則規定により大幅にソロポイントを減らされてはいるものの、その実力自体は疑いようがない。

 

 七海と同じようにサイドエフェクトを持ち、そして七海にサイドエフェクトを活用した回避方法の基礎を教えた()()()()()()にあたる人物である。

 

 

 

 

 ────影浦雅人が七海と初めて出会ったのは、個人ランク戦のブースだった。

 

 気紛れにランク戦に興じる為ブースを訪れた影浦は、偶然七海の試合結果を目撃したのだ。

 

 試合の相手は、影浦も良く知る攻撃手、荒船哲次。

 

 当時は純粋な攻撃手だった荒船と七海のその時の戦績は、4:6。

 

 惜しくも負け越していたが、見慣れない名前である事からB級に上がってそう間もない相手だろう。

 

 だと言うのにマスタークラスの攻撃手である荒船相手にこの戦績ならば、充分に将来有望と言えた。

 

「……あいつ、まさか……」

 

 …………だが、それより気になったのは試合の中で見せた七海の()()()()だった。

 

 七海は背後から迫る荒船の太刀をまるで見えているかのように()()()()()()()()()()()()()し、反撃に繋げていた。

 

 動きこそまだぎこちないが、その()()()()()には既視感があった。

 

 影浦はそれを確かめる為、ランク戦を終えた荒船と談笑していた七海に声をかけた。

 

「おいお前、ちょっと来い」

「はい、なんですか……?」

「ランク戦。相手しろ」

 

 あまりにも一方的な影浦の言葉に七海は目を白黒させていたが、その様子を見ていた荒船は苦笑しながらポン、と七海の肩を叩いた。

 

「行って来い。こんなナリだが悪い奴じゃないし、得るものはきっとある筈だ」

「は、はい」

「……チッ、行くぞ」

 

 フォローされたのが気まずかったのか、影浦はそっぽを向きながらスタスタとブースに入って行った。

 

 七海もそれを追いかけるようにブースに入り、影浦との個人ランク戦を開始した。

 

 

 

 

「オラオラ、どうしたぁ……っ!?」

 

 影浦のブレードトリガー、『スコーピオン』が七海に迫る。

 

 七海はそれを紙一重で回避────ではなく、バックステップで影浦から距離を取る。

 

 片手(サブトリガー)が空いているスコーピオンの使い手相手に、迂闊な接近は命取り。

 

 それを、良く分かっている動きだった。

 

 ブレードトリガー、スコーピオンは一度出したら出しっぱなしである弧月とは違い、身体の何処からでも()()()事が出来る。

 

 更に刀身の形も自由に変形出来、弧月と比べると応用力が非常に高い。

 

 その反面扱いには癖があり、一朝一夕では使いこなす事は出来ない。

 

 そして耐久力にも難があり、弧月とまともに打ち合えば不利は否めない。

 

 しかし、ブレードトリガーの中では最も軽く、その応用性からスピードアタッカーに特に好まれている優秀なトリガーだった。

 

 影浦もまた、その取扱いに関してはボーダーでトップクラスであるという自覚はある。

 

 だから、()()()()()()今の七海の回避行動に違和感はない。

 

 …………そう、本当に七海が()()()()()()()であればの話だが。

 

「オラ……ッ!」

「え……っ!?」

 

 影浦は、バックステップで逃げた七海に向かって突貫した。

 

 その行動に、七海は瞠目した。

 

 当然である。

 

 現在、七海は片手にスコーピオンを握っているとはいえ、もう片方の手はフリーなままだ。

 

 これまでの戦いで、影浦がスコーピオンの取り扱いに関して自分以上────いや、以前に戦ったどの相手よりも習熟しているのは承知している。

 

 だから、分からなかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()という、影浦の行動の理由が。

 

 だが、身体に染み付いた反射行動は迎撃を選択する。

 

 七海は右腕に構えたスコーピオンを振り下ろし、影浦はそれを右腕のスコーピオンで受け止める。

 

 しかし、七海の攻撃はまだ終わっていない。

 

 無防備に突っ込んで来た影浦を刺し返すべく、足からスコーピオンを出して攻撃し────。

 

「────甘ぇよ」

 

「な……っ!?」

 

 ────同じように影浦が足から出したスコーピオンによって、七海のスコーピオンは受け止められた。

 

 七海は、瞠目した。

 

 完全な不意打ちであるスコーピオンが、受け止められた事に。

 

 七海はサイドエフェクト、『感知痛覚体質』によって自身が攻撃を受ける範囲を察知出来る。

 

 しかし、今影浦が足から出したスコーピオンに、七海は反応出来なかった。

 

 それはつまり、影浦は最初から七海のスコーピオンを受け止める為()()にスコーピオンを展開したという事だ。

 

 有り得ない。

 

 影浦の行動は、()()()()()()()()()()()()()()()し、尚且つ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()理屈に合わない。

 

「ハッ、隙だらけだぞ」

「……っ!?」

 

 だが、相手は待ってくれない。

 

 思考の空白から間一髪で脱した七海は慌ててバックステップで距離を取り、影浦から離れる。

 

 しかし、その行動は些か遅過ぎた。

 

 影浦はその長い腕を目一杯伸ばし、腕先からスコーピオンを展開。

 

 七海はそれを回避せんが為、再び地を蹴り移動しようとし────。

 

「────だから言ってんだろ、甘ぇよ」

 

「が……っ!?」

 

 ────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()によって、七海は胸を穿たれた。

 

 サイドエフェクトで感知は出来たが、その展開速度は速過ぎた。

 

 まだ回避技術が成長途中であった七海は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に、その攻撃を受けてしまった。

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出』』

 

 後は、当然の流れ。

 

 無機質な機械音声を聴きながら、七海の意識は現実へと弾き出された。

 

 

 

 

「やっぱテメェ、俺と同じで()()()んだろ。サイドエフェクトってやつをよ」

 

 ブースから出るなり、影浦は確信を持ってそう告げた。

 

 そう、それこそが影浦が七海をランク戦に誘った理由。

 

 七海の回避のやり方は、まだ未熟ながらも『感情受信体質』というサイドエフェクトを持つ影浦のそれと似通っていたからだ。

 

 そこから、影浦は七海が自分と似たようなサイドエフェクトを持っているのではないかと考えた。

 

 そして実際に戦い、その考えに確信を持ったワケである。

 

「…………気付いて、いたんですね。それに、()()()()()って事は……」

「ああ、俺も持ってんだよ。『感情受信体質』っつうクソサイドエフェクトをな」

 

 ────『感情受信体質』。

 

 影浦が持つサイドエフェクトであり、その性質と()()()()は七海のそれと酷似していた。

 

 影浦は自分に向けられた感情を、その()()()()()から正確に判別出来る。

 

 その感じ方は()()()()程不快に感じ、受け取る感情の中には()()即ち────()()()()が含まれる。

 

 つまり影浦は、七海と同じく()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 先程の不意打ちを正確に受け止められたのは、そこに七海からの攻撃が来ると()()()()()()()である。

 

 更に言えば、影浦は七海のサイドエフェクトが自分と同じく攻撃を感知出来る類のものであると考えていた為、不意打ちを受け止める為に使ったスコーピオンは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 結果、七海は不意打ちを受け止められた事に動転し、影浦の追撃を避け切れずに倒されてしまったワケである。

 

「…………そうでしたか。影浦先輩だけ話して貰ったのでは不公平ですよね。実は俺も、『感知痛覚体質』ってサイドエフェクトを持ってて……」

 

 それを聞いて納得した七海は、相手にだけサイドエフェクトの事を話させては悪いだろうと、自分のサイドエフェクトについて事細かに話した。

 

 影浦はその話を黙って聞いていたが、全てを聴き終わると盛大に溜め息を吐いた。

 

「…………成る程、テメェの『副作用』の事は分かったぜ。ったく、やっぱ()()()()よなテメェ」

「え……? 勿体、ない……?」

 

 七海は、突然の影浦の言葉に目を白黒させた。

 

 自分のサイドエフェクトについて知った相手は、那須隊の面々は例外として、大抵「ずるい」「羨ましい」などの感想を持つのが常だった。

 

 しかし、影浦はそのどれでもなく、よりにもよって()()()()と口にした。

 

 意味が分からずキョトンとする七海相手に、影浦は盛大に溜め息を吐いた。

 

「…………あのな、ちったぁ考えてみろよ。テメェはいつ何処に攻撃が来るか、サイドエフェクトで正確に感知出来んだろが。だったら、相手の懐に入り込んでも()()()()()()()()()分かってんだからスコーピオン持ち相手でも行けんだろ」

「あ……っ!」

 

 そう、影浦が()()()()と言ったのは、七海が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()事についてだったのである。

 

 七海はそのサイドエフェクトにより、何処に攻撃が来るかを正確に感知できる。

 

 その精密さはかなりのものであり、紙一重の回避を可能にしている原動力でもある。

 

 そして、その真価は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という所にある。

 

 普通であれば、片手の空いたスコーピオン使い相手に距離を取るのは正しい。

 

 だが、七海の場合は違う。

 

 たとえ片手の空いているスコーピオン使い相手だろうが、何処に攻撃が来るかを感知出来る以上懐に入るにあたってのリスクは極論度外視出来る。

 

 無論、相応の回避技術は必要だろうが、確かにそれは七海のサイドエフェクトを十全に活かしきる活用方法と言えた。

 

 影浦は自分が七海のそれと酷似したサイドエフェクトを持っていたが故にその事にいち早く気が付き、ついついお節介で口に出してしまったのだ。

 

 影浦雅人は常日頃から他人の数十倍の負の感情を感じ取っている為気が短く、誤解され易い性格をしている。

 

 しかしその実裏表がなく素直であり、中々に面倒見が良い一面もある。

 

 こんな()()()をしたのも、そんな彼の性根に由来するものだろう。

 

「…………あー、クソッ、アドバイスなんて柄じゃねぇっつーのに…………ったく、何やってんだ俺ぁ」

 

 自分が何を口走ったのかに改めて気付いた影浦は、ばつが悪そうな顔でそっぽを向いた。

 

 そんな影浦を見ていた七海は、がしっ、と影浦の腕を掴む。

 

 その行動に()()()()()()()()()()()()影浦は改めて七海を見下ろすと、七海は真剣な表情で影浦を見上げていた。

 

「お願いします……っ! 俺に、サイドエフェクトを使った回避のやり方を教えて下さい……っ!」

 

 ────それが、転機。

 

 最初は面食らって申し出を断った影浦も、七海の熱意に根負けし、彼にサイドエフェクトを使った回避技術の基礎を叩き込む事になったのだった。

 

 

 

 

「ははっ、あの時の影浦は傑作だったなあ。七海に縋りつかれて困り果てている時の顔なんか、今でも思い出せるぜ」

「…………チッ……」

 

 当時、その場に居合わせていた荒船はその時の事を思い返し、軽快な笑い声をあげた。

 

 影浦はそんな荒船を睨みつけるが、影浦の性根を知る荒船にとっては別段怖くもなんともない。

 

 このくらいであれば逆鱗に触れる事はないだろうという、これまでの付き合いの中で培った判断の上で軽口を言っているのである。

 

「でも、意外だったよ。カゲが誰かを弟子に取る、なんてな」

「…………最初にこいつをブースに誘って、不用意な事を言ったのは俺だかんな。それに、鋼ならわかんだろ?」

 

 影浦の言葉に村上は一瞬目を見開き、そしてこくりと頷いた。

 

「…………ああ、サイドエフェクト持ちの本当の苦労は、同じサイドエフェクト持ちにしか分からないからな」

「…………チッ、いちいち言うなっての」

 

 そう、それが影浦が七海の弟子入りを許した根本的な理由。

 

 サイドエフェクトは確かに便利な能力ではあるが、良い事ばかりではない。

 

 たとえば影浦の場合は四六時中他人の感情が肌に突き刺さる所為で常にストレスを溜め込んでいるいるような状態であり、人の多い場所では碌に落ち着く事も出来ない。

 

 今の短気な性格も、そのサイドエフェクトが原因とも言える。

 

 七海の場合はデメリットなど無いように見えるが、回避技術も碌にない頃は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という状況が幾度もあった筈であり、幼少期はさぞ落ち着かない毎日を送っていた事だろう。

 

 何せ、虫に刺される時や注射の時等も、逐一その状況をサイドエフェクトが伝えて来るのだ。

 

 痛みが来る場所が分かるというのは、何もいい事ばかりではない。

 

 日常生活において、擦り傷や虫刺されが出来るのはある意味当たり前だ。

 

 それすら逐一反応していたのでは、中々に気が休まらない。

 

 今は無痛症を患っている為サイドエフェクトを便利に感じる事も多いが、それまでの苦労がなかった事にはならない。

 

 影浦は、その事を良く分かっている。

 

 自分のそれよりも付き合い易いサイドエフェクトだろうが、それでも自分と重ね合わせて共感した部分があるのは否定出来ない。

 

 だからこそ、影浦は七海の弟子入りを認めてしまったのだ。

 

 だが、それだけではない。

 

 鍛えれば自分が楽しめる良い遊び相手になるという期待も、少なからずあった。

 

 そして今、七海は太刀川達の指導もあり見違える程に強くなっている。

 

 『メテオラ』を使った必殺の戦法まで確立している有り様であり、影浦から見ても充分()()()()()()に育っていた。

 

「オラ、焼けたぞ七海。食え食え」

「はい、頂きます」

 

 影浦が焼いたお好み焼きを七海の皿に乗せ、ほかほかのお好み焼きを口に運ぶ。

 

 そして、七海の口の中に()()()()()()()()()()()()

 

 無痛症故に普通であれば味覚も感じられない七海だが、今七海は()()()()()()()()()を使っている。

 

 これは七海が少しでも痛覚────触覚を感じ取れるよう技術開発部が開発したものであり、ある程度の痛みや触覚、そして()()()()()を感じ取る事が出来る。

 

 感じ取る事が出来る味覚は非常に薄く、普通の料理を食べても精々「甘い」か「酸っぱい」等が辛うじて分かる程度で、味をきちんと感じ取る事は出来なかった。

 

 那須がトリオン体で健康体の身体を手に入れた前例があるだけに、何故七海だけこんな中途半端な結果になるのかと『ボーダー』本部開発室長鬼怒田本吉(きぬたほんきち)を初めとした開発部一同は首を傾げていたが、少しでも成果があったのなら喜ぶべき事だと七海は受け入れた。

 

 影浦はそんな七海の状態を理解している為に、七海の為に焼いたお好み焼きは()()()()()()()()()を施している。

 

 使用した調味料の量も通常の非ではなく、普通であればまず食べられるような味付けではない。

 

 そして当然、身体にも悪い。

 

 しかし、影浦が出来る事と言ったらこれしかないのだ。

 

 七海の無痛症とそれに伴う苦労を知った影浦は、飲食店の息子として出来る事がないか試行錯誤した。

 

 そして、薄くだが味が分かるという事ならば、思い切り濃い味付けならばどうにか味を感じ取る事が出来るだろうという結論に達したのだ。

 

 勿論、この事は七海に伝えてある。

 

 あまり身体に良い方法とは言えない為、回数を絞って七海に事前に話を通した上でこの「七海専用お好み焼き」を提供していた。

 

 七海は影浦の気遣いに感謝し、滅多に口に出来ない()()()()()()を食べていた。

 

 その事情は荒船や村上も知るところである為、珍しく顔を綻ばせてお好み焼きを頬張る七海とそれを上機嫌で見ている影浦を微笑まし気に見守っていた。

 

 影浦としては本当はこんな形ではなく、頻繁に七海を店に誘いたいのだが、今の状態ではそれは無理がある。

 

 那須と同じように、影浦もまた、七海の無痛症の治療を一身に願う一人でもあるのだ。

 

 開発部にも一度殴り込み(お願い)をしに行ったのだが、芳しい成果は得られなかった。

 

 …………勿論、諦めたワケではない。

 

 何かチャンスがあれば、積極的にそれを掴みに行くつもりだった。

 

 ちなみに、この影浦の思惑は影浦隊の面々にはとうの昔にバレており、全員が全面協力をするつもりでいた。

 

 影浦も薄々それには勘付いているが、口に出すのも癪であった為気付かない振りをしていた。

 

 まあ、それを影浦隊の面々が察しているかどうかは、言わぬが花であろう。

 

「オラ、もっと食え。今日は奢りだかんな、遠慮すんな」

「はい、ありがとうございます。カゲさん」

 

 影浦は、楽し気な様子で七海にお好み焼きを振る舞っている。

 

 これが、日常。

 

 七海が守りたいと願う、光景の一つだった。




 カバー裏風紹介

 【影浦雅人】

 七海の師匠筋にして兄貴分にあたる大型犬系攻撃手(アタッカー)
 
 見た目と言動はチンピラのそれだが意外に面倒見が良く性根は悪くない。

 いつもサイドエフェクトの所為でストレスが蓄積しているが、同じようなサイドエフェクトを持った七海には共感と仲間意識を抱いている。

 七海の無痛症の事を知り、七海専用のお好み焼きを作っちゃった世話焼き人。

 七海からは実の兄のように慕われており、呼び方を「カゲさん」にさせたのもなんだかんだ照れ臭かったからである。

 本作でも重要な立ち位置にいるキャラクター。作者も大好き。

 【太刀川慶】

 餅。もじゃ髭。ダンガー。黒コート青春二刀流。

 色々と言われているが、戦闘面に関しては天才としか言いようがないNO1攻撃手(アタッカー)

 半面、戦闘以外は悲惨の一言。

 大学の単位が危うくなったり、「danger」を「ダンガー」と呼ぶ残念さは本作でも健在。

 本作では七海の師匠の一人であり、数えるのも面倒な程の回数、七海を斬り捨てて回避技術を文字通り身体で学ばせた。

 生粋の戦闘狂であり、強くなった七海が本気で自分の前に立つ日を今か今かと心待ちにしている。

 【荒船哲次】

 ビルから飛び降りる系狙撃手。映画好き。

 原作でもやたらビルから飛び降りるスタイリッシュなシーンが強調されており、その【孤月】逆手持ちは厨二心を擽る格好良さ。

 今作では影浦を通じて七海と親しくなり、狙撃の通じない七海をどう倒してやろうかと常日頃から試行錯誤中。

 七海とランク戦で戦える日を心待ちにしている。

 【村上鋼】

 同じく影浦を通じて七海と親しくなった眠たげな眼の強者。

 七海とは個人ランク戦を幾度も行っており、良いライバルだと認識している。

 同じサイドエフェクト持ちとして少なからず七海には親近感を感じており、人柄も好ましく思っている。

 影浦や荒船と同様、無痛症で苦しむ七海の為なら多少の労苦は厭わない。

 勿論来馬隊長も村上伝いに七海の事情は聞いており、彼もまた出来る事があればなんでもする、との事。

 太一(真の悪)については下手に協力させない方がいいかなあ、と思っている。


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熊谷友子の憂鬱

 ────熊谷友子は、那須隊の攻撃手(アタッカー)である。

 

 同じ攻撃手でもその役割は積極的に敵に切り込む同じ隊の七海とは違い、仲間の護衛(ガード)が主である。

 

 彼女の『弧月』を用いた『返し』の技の練度は上位の攻撃手達にも評価されており、伊達に那須隊の守りの要を担って来たワケではない。

 

 この『返し』の技術は男性恐怖症を患う小夜子に関する事情で七海がこれまで隊に入る事が出来ていなかった為、ランク戦では七海がいない分を埋めようと必死になって磨いたものである。

 

 しかし、幾ら『返し』の技術を磨いても()()()()()()()()()()()()という弱点はどうにもならず、前期のランク戦では下位にこそ落ちなかったものの、最終順位はB級中位の中でも最下位(ワースト)

 

 あの時は、悔し涙で枕を濡らしたものである。

 

 …………けれど、今期のランク戦からは違う。

 

 どうやったのかは詳しく聞いていないが、どうやら七海が小夜子の壁を取り払う事に成功したらしい。

 

 小夜子の事情に関しては熊谷もその経緯を知っている為今まで口出しはなるべく控えていたのだが、男性恐怖症…………いや、()()()()()()()に陥っていた彼女と会話出来るようになったのだから、大したものだ。

 

 会話が出来るようになった証拠として小夜子が七海と共に作戦室にやって来て、和やかに話していた時は心底驚いた記憶がある。

 

 熊谷だけではなく、当然の如く茜も唖然としていた。

 

 那須だけは妙な様子でニコニコ笑っているだけだったが、何故かその時の彼女は触れてはならない感じがした為熊谷は怖くて理由を聞いていない。

 

 美人を怒らせると怖いのは、小夜子の食事事情を目の当たりにした時の那須の『お説教』で思い知っている。

 

 那須は人形のように整った美貌を持ち、同じ女である熊谷から見ても『美人』や『美少女』といった形容詞が有無を言わさず当て嵌まる存在だ。

 

 『ボーダー』内で那須と男性人気を二分する『嵐山隊』のオペレーターの綾辻遥(あやつじはるか)の人気ぶりも相当なものだが、あちらが親しみ易い近所のお姉さん的な人気なのに対し、那須の扱いは高嶺の花的なそれだ。

 

 その浮世離れした美貌も然る事ながら、ランク戦で魅せる普段の彼女からは想像もつかないハイスピードな機動戦の様子を知る『ボーダー』隊員からは畏怖と尊敬の入り混じった眼差しを向けられている。

 

 また、七海と那須の関係を知る隊員達にとっては、彼女の存在はまた別の意味を持つ。

 

 七海はそこまで積極的にコミュニケーションを取るタイプではないが、攻撃手達の間では割とその存在を知られており、特に彼と似たサイドエフェクトを持ち師匠筋の一人である影浦雅人は良い兄貴分として七海の面倒を見てくれている。

 

 影浦は見た目こそ威圧感があるが、その実裏表がなく一端身内と認定した相手には割と面倒見が良い側面がある。

 

 七海もなんだかんだ影浦の事は慕っており、彼との関係は仲の良い兄弟のようでもあった。

 

 彼が隊長を務める影浦隊との親交も厚く、七海はちょくちょく影浦隊の作戦室に出入りして交流を深めていた。

 

 影浦を通じた繋がりで荒船や村上といった面々とも仲が良く、休日には影浦の実家のお好み焼き屋で食事を共にする事もある。

 

 そんなこんなで外での七海は割と周囲に可愛がられているタチだが、熊谷の属する『那須隊』ではまたその立ち位置は変わって来る。

 

 熊谷にとっては対等な仲間にして訓練相手であり、茜にとっては高い実力を持った尊敬出来る先輩にあたる。

 

 小夜子に関しては会話出来るようになったのがつい最近である為、その関係性はよく分からない。

 

 だが、引き籠りの男性恐怖症だった小夜子が七海を前にすると積極的に話しかける様子がある為、そう悪い関係性ではない筈だ。

 

 そして那須との関係は、一言で言い表せるものではない。

 

 互いが互いを想い合い、相手の事を慮って行動しているのは事実だ。

 

 …………だが、ある程度付き合いが長い熊谷からして見ると、その関係性は正常なものとは言い難かった。

 

 七海の事情は、知っている。

 

 七海は過去の『近界民』の大規模侵攻で瓦礫から那須を救った代償として右腕を失い、その彼を助ける為に彼の姉である七海玲奈(ななみれいな)は自らの命に不可逆の変換を施し、黒トリガー(彼の右腕)になった。

 

 紛うことなき、悲劇の経緯。

 

 この話を初めて那須から聞いた時には、熊谷は思わず瞳を潤ませたものだ。

 

 七海の過去には、目を覆うばかりの悲劇があった。

 

 それは、彼の事情を知る誰もが同意するところだろう。

 

 そして問題は、その悲劇の結末に対する彼等の()()()()()だ。

 

 那須は話した時の様子や普段の態度を見る限り、七海に多大な()()()を抱いている。

 

 恐らく、那須は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と考え、七海に寄り添っている。

 

 自分の本当の気持ちに、蓋をしたまま。

 

 那須が七海をどう思っているかは、普段の様子や話しぶりを見る限り明らかだ。

 

 しかし那須は、その負い目によって自身の想いから目を背け続けている。

 

 場合によっては、負い目と自分の想いを混同している可能性すら有り得る。

 

 この件に関しては第三者が易々と踏み込んでいい問題ではない為、熊谷としても対処をしかねている。

 

 …………そして、問題は那須の方だけではない。

 

 七海もまた、自分に正直になれてはいない。

 

 彼は那須とは違い、恐らく自分が那須に抱いている想いについてはある程度自覚している。

 

 しかし、彼は彼で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思い込んでいる為、自分の本当の気持ちを押し殺している。

 

 七海は割と聞き分けが良いように思えるが、自分で決めた事、思い込んだ事に関しては呆れる程に頑固だ。

 

 他者が彼についてどうこう言ったところで、彼は耳を貸そうとはしないだろう。

 

 こればかりは男女の問題に関わる為、普段彼が仲良くしている面々のサポートはあまり望めない。

 

 こう言うと失礼かもしれないが、影浦達は男女関係のあれこれに関して有効なアドバイスが出来るようには思えない。

 

 少なくとも、熊谷が知る彼等ではこの問題を解決出来るイメージはなかった。

 

 これはあくまで、二人の()()の問題なのだ。

 

 第三者がどうこう言ってなんとかなるものではなく、あくまで二人に自分の間違いを()()()()()必要がある。

 

 そうなると恋愛経験のある女性が相談相手として適役なのだが、生憎熊谷の知り合いは『ボーダー』の職務や戦闘が第一という者達ばかりだ。

 

 学校に友人は多いものの、流石に七海と直接接点のない相手に相談するのは憚られる。

 

 せめて那須の他に()()()()()()()()()()()がいれば良い刺激となったのだろうが、それを言っても詮無き事だ。

 

 七海と那須が親しい関係なのは、『ボーダー』のB級以上の面々にとっては周知の事実だ。

 

 那須もまた、七海への好意を()()()()()()()()()()()()()()()()()傍から見た感じでは隠そうとはしていない。

 

 彼女は七海が那須隊の面々以外の女子と二人きりで話しているとあからさまに不機嫌になるし、七海の帰りが遅いと自ら迎えに行こうとする事も珍しくない。

 

 以前七海が影浦の実家で食事を終えた後、話が弾んで帰りが遅れた時などは那須が直接店まで出向き、お好み焼き屋に超の付くような美少女が現れた事で場が騒然したというエピソードもあった。

 

 影浦は店を不必要に騒がせた事で若干不機嫌となり、荒船と村上はその様子を微笑まし気に眺めていた。

 

 七海はこの件に関しては自分の落ち度であるとし、菓子折りを持って影浦の所に向かったのを覚えている。

 

 那須も後になって自分のした事を自覚したのか、影浦隊の作戦室まで謝りに行った。

 

 それ以来、七海は多少遅れる時でも那須への連絡を欠かさないようになった。

 

 ともあれ、傍から見るだけでも那須は七海にべったりなのだ。

 

 そんな二人の関係を見ている以上、間に割り込んで七海に近付こうとする女子などいる筈がない。

 

 一度七海の整った容姿に惹かれて話しかけて来たC級の女子がいたのだが、背後から現れた那須ににっこりと微笑まれてすごすごと退散したという噂もある。

 

 その噂に関しては現場を見たワケではないが、那須ならば普通にやるだろうという確信が熊谷にはあった。

 

 那須は、七海に対し重度の依存癖がある。

 

 彼女は七海の一挙手一投足を逐一見続けており、七海の動向を常に気にしている。

 

 あまり長く七海と離れていると落ち着かなくなり、突拍子もない行動を取る事がある。

 

 また、七海が傷付く事を極度に恐れているきらいがあり、七海と模擬戦をした時には明らかに動きに精彩を欠いていた。

 

 …………彼等の時間は、四年前のあの時からずっと止まったままなのだ。

 

 表面上は悲劇を乗り越えているように見えるが、それはあくまで表層的にそう見えるだけに過ぎない。

 

 彼等は、未だにあの悪夢に囚われている。

 

 それをどうにかしてやれない事が、熊谷の一番大きな悩みだった。

 

 …………その件について、頼れそうは相手は実は一人だけいる。

 

 迅悠一(じんゆういち)

 

 過去の大規模侵攻の時に表に出て来た『旧ボーダー』のメンバーの一人であり、七海の姉であった玲奈の旧知でもある。

 

 現在は『玉狛(たまこま)支部』という『ボーダー』の支部に属しており、『黒トリガー』の一つである『風刃』を持つ『S級隊員』でもある。

 

 ()()()()()()()()()()()を持ち、『ボーダー』にとってなくてはならない存在ではあるが、彼はこれまでに七海に関する事で様々な便宜を図って来た経緯がある。

 

 無痛症になった彼を『ボーダー』に勧誘したのも彼であるし、起動出来ない七海の右腕(黒トリガー)の所有権を彼に残すよう手を回した事もある。

 

 迅はその立ち位置故にあまり他人の事情に深く関わろうとしないのが常ではあるが、七海に関しては例外的に干渉を続けているように思う。

 

 そのくせ、七海本人の事は避けている節がある。

 

 必要な事があれば他者を通じて伝え、七海の前に姿を現わさないようにしているように見える。

 

 元々神出鬼没な男でもあり、趣味が暗躍と言うだけあって何時何処にいるか分かったものではない。

 

 女性のお尻を触るという褒められない趣味を持っているらしいが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()為に最終手段である自分を囮に彼を連れ出す作戦も使えない。

 

 それに、たとえ話す事が出来たところで適当にはぐらかされるのがオチだろう。

 

 生憎、熊谷はコミュニケーション能力は高くとも常に煙に巻くような会話を行う迅のような曲者相手に渡り合えるような器用さはない。

 

 そもそも、迅はそのサイドエフェクトの関係もあって()()()()()()事は非常に難しい。

 

 少なくとも、熊谷には無理だ。

 

 …………それに、薄々は気付いている。

 

 迅が七海と那須の関係について何も口出ししないのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事を識っているからだ。

 

 結果が分かっている徒労をする程、迅は暇ではない。

 

 もしかすると()()()()()()()()()()だけかもしれないが、現時点で彼が介入して来ないという事はそういう事だ。

 

「…………はぁ、やんなっちゃうわね。ホント」

 

 熊谷は一人、個人ランク戦のブースでぼやいた。

 

 気晴らしの為に来たのだが、生憎中々相手が見つからなかった。

 

 というのも、今は丁度太刀川と生駒(いこま)という好カードでの対戦が行われており、多くの隊員はその観戦に熱中しているからだ。

 

 熊谷としても同じ『弧月』使いのトップランカーの対戦は非常に見応えがあったが、そもそも彼等の対戦は痕跡(ログ)で腐る程見ている。

 

 生での対戦は矢張り熱が違うものの、今は身体を動かしたかった熊谷としては消化不良は否めなかった。

 

「……熊谷……?」

「あ、七海。此処にいたのね、アンタ」

 

 そんな熊谷に声をかけて来たのは、同じコンセプトの隊服に身を包んだ七海である。

 

 七海はランク戦のブースから出て行く荒船に会釈をしており、どうやら彼と一戦交えた後らしかった。

 

「珍しいな。熊谷は個人ランク戦はそこまで熱心な記憶はなかったんだが」

「あたしもたまには此処で剣を振るいたい事もあるのよ。それで、アンタ今暇? なら、一戦やらない?」

「構わない。丁度、身体も温まって来たところだ」

 

 同じ隊の隊員同士だが、個人ランク戦で鎬を削り合うのは訓練とはまた違った趣がある。

 

 普段戦えない相手と戦うのもいいが、こういうのも案外悪くない。

 

 なんだかんだ言いつつも、熊谷は七海の事が同じ隊の仲間として好ましく思っているのだ。

 

 攻撃手としての実力は残念ながら七海の方が上ではあるが、熊谷もただでやられる程ヤワではない。

 

 熊谷は落ち込んでいた気分を払拭し、七海と共にブースの中に入って行った。 




 というわけでくまちゃん回でした。

 ちょこちょこ伏線を撒きつつ、ななみんの那須隊での立ち位置を描写したつもりです。

 うちの那須さんのキャラについては、まあお察しの通り相当『重い』です。

 その為に第一話のあの悲劇を挿入して性格の根本に手入れをしたワケですからね。

 理由のない性格改変はあってはならないのでね。


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七海と玉狛支部

「やああああああ……っ!」

 

 緑の衣装を纏った小柄な少女、小南桐絵が片手斧のトリガー────『双月』を手に斬りかかる。

 

 それを迎え撃つ七海はバックステップでそれを回避し、グラスホッパーを起動。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、距離を取る。

 

 それと同時にメテオラを放ち、トリオンキューブが射出される。

 

 地面に着弾したメテオラが爆発し、小南の視界を塞ぐ。

 

 その隙に七海は横に回り込み、手にしたスコーピオンを投擲。

 

 爆発の隙間を縫う形で投擲された短刀型のスコーピオンは────小南の『双月』によって打ち払われ、砕け散る。

 

「甘いのよ……っ!」

「……っ!」

 

 七海の攻撃を押し返した小南はそのまま地を蹴り、距離を詰めて来る。

 

 それに対し、七海はもう片方のスコーピオンを投擲。

 

 同時に再びグラスホッパーを起動し、大きく上へ跳躍する。

 

「こんなの……っ!」

 

 投擲されたスコーピオンは再び双月によって打ち払われるが、七海は更に次の手を繰り出す。

 

 トリオンキューブを精製し、メテオラを撃ち出す。

 

 炸裂弾が、上空から小南へ降り注ぐ。

 

「なら……っ!」

 

 それに対し、小南もまたメテオラを射出。

 

 メテオラ同士が衝突し、中空で大きな爆発が起こる。

 

「────接続器(コネクター)起動(オン)

 

 そして、小南は二つの双月を連結させ、小型の片手斧は大斧へと形を変える。

 

 一気に上空へ跳躍した小南は連結した『双月』を手に、七海に斬りかかる。

 

 この状態の双月は、ボーダーのトリガーの中でも随一の切断力を誇っている。

 

 シールドを張った所で、何の意味も為さない。

 

 そしてそのリーチと小南の卓越した取り回しにより、生半可な回避行動も無意味だ。

 

 現在、二人の真下ではメテオラが起爆している最中だ。

 

 下に逃げる事が出来ない以上、回避軌道は限定される。

 

「……っ!」

 

 だが、七海にはグラスホッパーがある。

 

 確かに大斧の双月とまともに打ち合う事は出来ないが、大型化しただけあって今の双月は至近距離での斬り合いには向いていない。

 

 防御は一切が無意味だが、懐に入りこめれば勝機はある。

 

 そう考えた七海はグラスホッパーを踏み込み、小南の懐に飛び込んで────。

 

「────接続器(コネクター)解除(オフ)

「……っ!?」

 

 ────右腕と片脚から突き出したスコーピオンは、片手斧に戻った双月によって受け止められた。

 

 小南は今の一瞬で大斧となった双月を片手斧の状態に戻し、七海の攻撃を受け止めたのだ。

 

 確かな経験に裏打ちされた手腕による、ハイスピードのトリガー切り替え。

 

 それによって、小南は七海の意表を突いた。

 

「……っ! まず……っ!」

「遅い……っ!」

 

 既に二本のスコーピオンを出し、それを受け止められた七海は現在両攻撃(フルアタック)の状態にあり、新たなトリガーを展開する事は出来ない。

 

 慌ててスコーピオンを破棄して防御行動に移ろうとするが、その隙は小南相手では致命的だった。

 

 双月を持ったまま七海の防御を両腕ごと弾き飛ばした小南は、そのままの勢いで双月を振るい────。

 

「────っ!」

「あ……っ!?」

 

 ────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に接触。

 

 避けようのない超至近距離でメテオラが起爆し、二人は同時にトリオンの爆発に呑み込まれた。

 

 

 

 

「もー……っ!! あそこで相打ち狙いとか、やってくれたわね~~っ!!」

「あのまま負けるよりは、マシかと思いましたので」

 

 対戦が終わり、現実に戻った七海は戦闘体とは違いブラウンの長髪になった髪を揺らした涙目の小南にヘッドロックをかけられていた。

 

 家族ですらない異性相手にしては妙に距離が近いが、小南のパーソナルスペースは割とこんなものだ。

 

 小南はお嬢様学校に通っている所為もあるのか、異性との距離感が少々おかしい所がある。

 

 普通、小南くらいの容姿の少女にこんなに密着されては邪念の一つでも浮かぶのが健全な男子というものだ。

 

 たとえ小南にそんな気が欠片もないにしても、容姿の整った少女に密着されて悪い気がする男などいない。

 

 ドキドキしたり密かに興奮したりするのが、正常な反応である筈だ。

 

 七海が平然としているのは無痛症の影響で性欲が減衰している所為でもあり、彼にとって特別な感情を向ける異性が別にいるという理由もある。

 

 それもなしに小南の過剰とも言えるボディタッチを含むスキンシップを受けて平然としていられるのなら、それは何処か価値観がズレた人間に違いない。

 

 それこそ、何に置いても自分の信念を優先するような、そんな者がいるとすれば小南の行動も健常な身体のまま平然と受け流せるのかもしれない。

 

 ともあれ、七海は現在『ボーダー』支部の一つ、『玉狛支部』にやって来ていた。

 

 『玉狛支部』はあの迅が所属する支部であり、本部とは距離を置いている派閥でもある。

 

 『ボーダー』の主要派閥が()()()()()()()()()()であるのに対し、『玉狛支部』は()()()()()()()とも言うべき独自の思想を持っており、難しい立場にいる。

 

 無論親『近界民』派と言っても()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()といったスタイルであり、その方針故か本部未承認の『近界民技術(ネイバーテクノロジー)』を用いた独自のトリガーの開発に成功している。

 

 先程の模擬戦で小南が使った斧型のトリガー『双月』とその連結を可能にしたオプショントリガー『接続器(コネクター)』もその一つであり、本部のランク戦では使用出来ない代物である。

 

 故に現在、小南を含めた『玉狛支部』のチーム、『玉狛第一』はランク戦を一切行っておらず、当然個人ポイントの更新も止まっている。

 

 しかしその上で攻撃手(アタッカー)三位の順位を堅持しているあたり、小南の実力の高さが伺える。

 

 ()()()()()()()()()()()という触れ込みは、伊達ではないのだ。

 

「小南、七海の取った手段は別段間違ったものじゃない。捨て身の戦法である事は否定しないが、実戦では有効な手である事もまた事実だ。ただ負けるのと、相手を道連れにするのではその後に戦う仲間の負担が違って来るからな」

「それに、戦績自体は今の引き分けを除けば7:2で勝ってるじゃないですか。何が不満なんです?」

 

 そんな小南に諭すように語りかけたのは、二人の男性だ。

 

 一人は鍛え上げた肉体を薄手のTシャツに押し込んだ大柄な男であり、名前を木崎(きざき)レイジという。

 

 『玉狛支部』のチーム、『玉狛第一』を率いる隊長であり、『ボーダー』唯一の『完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)』である。

 

 もう一人の長身の男の名は、烏丸京介(からすまきょうすけ)

 

 『玉狛第一』の『万能手』であり、その整ったルックスから『ボーダー』内の女性ファンが多いイケメンである。

 

 二人に諭された小南はう~、と唸りながらそっぽを向いた。

 

「だって、あんな凡ミスみたいなやられ方……っ!」

「七海の執念を甘く見たお前のミスだ。素直に受け入れろ」

「うう~…………分かったわよ、もう……っ! でも、次はこうはいかないんだかんね……っ!」

 

 レイジの追撃で遂に折れた小南はキッ、と七海を睨みつけ、精一杯の啖呵を切った。

 

 その様子を見ていた七海はこくりと頷き、なんとか凝り固まった表情筋を動かして笑みの形を作った。

 

「はい、()()()()()()()から」

 

 その宣言を聞いた小南は喜色とも取れる表情を浮かべ、不敵な笑みを見せた。

 

「上等……っ! じゃあ早速……っ!」

「もう夕飯の時間だ。今度にしろ」

「ううぅ…………はぁい……」

 

 負けず嫌いの小南はすぐにでも模擬戦を再開しようとしたが、流石にレイジから待ったがかかった。

 

 確かに時刻はレイジの言うように17:00近くになっており、夕飯の時間が近い事は確かだ。

 

 小南が渋々納得したのを見届けたレイジは厨房に向かい、夕飯の調理に取り掛かった。

 

 程なくして美味しそうな匂いが漂ってきて、その匂いにつられて小南の機嫌が瞬く間に向上していく。

 

 喜怒哀楽の移り変わりの激しい、いつもの小南らしい様相だった。

 

「ったく、迅はこんな時に限って留守なんだから。幾ら気まずいからって、限度があるわよね」

「…………いえ、そんな……」

 

 小南の矛先が、不意にこの場にいない『玉狛支部』のS級隊員、迅悠一へと切り替わった。

 

 迅は今日、七海が訪れるのを分かっていたかのように「今日は用事があって帰れないから」と連絡を寄越したきり、音信不通となっている。

 

 彼が神出鬼没なのはいつもの事だが、七海が『玉狛支部』を訪れる時は毎回こうなのだ。

 

 いつも何かしら理由を作り、七海と顔を合わせないようにしている。

 

 ()()()()()()()と確信を持つくらいには、迅の七海に対する対応は徹底していた。

 

 それについては小南を初め『玉狛支部』の面々も承知しており、実はその事について小南から迅を問い詰めた事もあった。

 

 はぐらかしは許さない、といった態度で行われた詰問にはレイジと烏丸も居合わせており、三人に囲まれた迅は観念したようにこう言った。

 

 ────()()()()、俺とあいつは顔を合わせない方がいい。俺のサイドエフェクトがそう言ってる────

 

 …………こんな事を言われては、それ以上追及する事は出来なかった。

 

 迅が自分のサイドエフェクトを引き合いに出す時の彼の行動は、己のサイドエフェクト────即ち、『未来視』に基づいたものだからである。

 

 詳細は本人にしか分からないので本当のところはどうか分からないが、迅は()()()()()()()()()()()()()()を垣間見る事が出来るらしい。

 

 確定した未来に関しては数年以上先まで見る事が出来るが、迅の行動によって移り変わる可能性を秘めた()()()()()()に関しては少し先の事までしか見通せないとのことだ。

 

 会った事のない相手の未来は分からないし、以前視認した時と状況が変わっていれば相手を視認する度に未来情報のアップデートがかけられる為、一度姿を見ただけで全ての未来が分かる、という話でもない。

 

 迅はこの未来視の力を、『ボーダー』の────いや、この世界を護る為に行使している。

 

 彼の最優先事項は自身のサイドエフェクトを用いて()()()()()()()()()()()()、もしくは()()()()()()()辿()()()()()()に焦点が置かれており、その為に常日頃から街を徘徊して逐一未来情報のチェックをかけている。

 

 その人生を全て『ボーダー』に捧げた、と言っても過言ではない。

 

 それだけ迅の力は替えの効かないものであり、『ボーダー』での重要度は非常に高い。

 

 迅に匹敵する実力の持ち主ならいないワケではないが、未来視のサイドエフェクトだけは彼だけしか持ち得ない。

 

 いつも飄々として真意を掴ませないようにしているのは、自分の抱えるものを他の者に悟らせないようにする為のポーズなのかもしれなかった。

 

「迅さんは何か考えがあるんでしょうし、これまでも多大な恩があります。理由があるなら後で話してくれるでしょうし、俺は気にしていません」

「そう?それならいいけど…………でも、困った事があったらいつでも言いなさいよ? アンタは玲奈さんの忘れ形見みたいなもんだし、可能な限り融通を効かせてあげるわ」

「…………はい……」

 

 小南の言葉に、七海は思わず彼女の顔を盗み見た。

 

 いつも溌溂としている小南の表情には若干の影が差しており、彼女らしくない暗さを纏っている。

 

 矢張り、彼女もまた七海の姉の事を吹っ切れていないのだろう。

 

 ────七海の姉、七海玲奈(ななみれいな)は今の『ボーダー』が出来上がる前の前身となる組織、いわゆる『旧ボーダー』の一員であり、レイジや小南、迅もまたその組織に属していた。

 

 当然、彼等と七海の姉は旧知の仲であり、玲奈の葬儀の時には全員が参列していた。

 

 中でも小南はわんわんと泣いており、そんな小南を落ち着かせながら迅が七海を────正確には七海の右腕(黒トリガー)を見ていた事を覚えている。

 

 その時の迅の表情は、今にも泣き出しそうなものに見えた。

 

 小南から聞いた話によれば、迅は『旧ボーダー』の中でも特に玲奈との交流が深かったらしい。

 

 二人で共にいる事もしょっちゅうであり、実は七海が家にいない時に彼の家に行った事もあったのだという。

 

 親しい相手がその命を犠牲にしてしまったのだから、その心中が穏やかである筈もない。

 

 ────ごめん、玲奈。俺は、人でなしだ────

 

 以前姉の命日に、玲奈の墓の前に一人で立っていた迅は、確かにそう呟いていた。

 

 同じように墓参りに来ていた七海に気付くと、迅は会釈して一言二言言葉を交わすと去って行った。

 

 その頬に涙の痕があった気がしたのは、気の所為だろうか。

 

 それ以来、迅と姉の墓の前で居合わせる事はなくなった。

 

 しかし彼が持って来たと思われる花は毎年供えられており、恐らく自分と顔を合わせないように時間をズラしているのだろう。

 

 聞いた話だとまだ暗い明け方のうちに墓地に向かう迅の姿を見たという話もあり、それだけ迅にとって玲奈は特別な存在だったのだろう。

 

 だからこそ、小南やレイジも迅に対して決定的な一歩を踏み込めていないのだ。

 

 その辛さは、彼等もまた、味わったものであるだろうから。

 

「そういえば、そろそろランク戦が始まるでしょ? そっちは大丈夫なの?」

「ええ、チームとしての練度はそれなりに仕上げてあります。もう幾つか策も考えてありますし、万全の体制で挑むつもりです」

 

 若干の自信を込めたそう言った七海を見て、小南は軽く笑みを浮かべた。

 

「そう。変なミスとかすんじゃないわよ。アンタが入れば玲の部隊も上位行ける芽が出て来るだろうし、頑張んなさい」

「はい。精一杯やらせて貰うつもりです」

 

 七海の返答を聞き、小南がうんうんと頷く。

 

 小南には、これまで模擬戦で散々鍛えて貰ったのだ。

 

 師匠筋としては太刀川や出水、影浦がいるが、同じ相手とばかり戦っていては変な癖が付きかねない。

 

 だからこうやって時たま模擬戦の相手をしてくれる小南は、七海にとって重要な存在である。

 

 練習相手の全員が総じて高いレベルの実力を持っている事もあり、七海の腕前もガンガン上がっていた。

 

 流石に師匠筋の人々や小南相手には負け越す事が常であるが、それでも良い経験をさせて貰っている事に変わりはない。

 

 それに、この『玉狛支部』であれば秘密の特訓をしても本部の者達に情報が漏れる事はない。

 

 チーム同士で鎬を削るランク戦で優位を取る為には、情報戦は必須だ。

 

 そういう意味でも、此処は得難い場所と言えるだろう。

 

「おい、出来たぞ。七海も食べて行け」

「……はい、ご馳走になります」

「わ、美味しそう」

 

 レイジはクリームシチューと肉肉肉野菜炒め、ご飯を次々と並べて行き、美味しそうな香りが漂って来る。

 

 食べ始めると七海のものにだけ濃い目の味付けがしてあるようで、ほんのりした風味が口の中に広がった。

 

 影浦の作ってくれる七海専用お好み焼き程極端ではないものの、七海に食事をしている雰囲気を味遭って貰う為には充分なものと言えた。

 

 これが、『玉狛支部』。

 

 アットホームな空気の漂う、暖かな家庭のような場所だった。




 明日は更新出来ませんが明後日は更新可能です。

 そろそろランク戦が近付いて来たな。こうご期待。

 評価、感想よろしくお願いします。


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七海と加古

「さあ、遠慮せずに食べてね。堤君は()()()()()()()()()()()()()()()けど、七海くん用に作った炒飯はまだあるから」

「はい、頂きます」

 

 七海は品良く家具が整えられたお洒落な感じのする『加古隊』の隊室のソファーに座りながら、部屋の主────『加古隊』隊長、加古望(かこのぞみ)の作った炒飯を食べていた。

 

 食べているのは、『トマトサーモン炒飯』。

 

 トマトがサーモンの魚臭さをいい感じで打ち消しており、割と()()()の部類の炒飯だ。

 

 『加古隊』の隊長の加古は長身のセレブオーラを纏った美人であり、A級部隊の長の一人として中々癖のある性格をしている。

 

 マイウェイを全力でモンローウォークするタイプの加古の趣味は、『炒飯作り』。

 

 『ボーダー』でも有名な、加古と付き合っていく中で最も注意しなければならない必須事項である。

 

 加古は、料理の腕自体はそこまで悪くない。

 

 どころか、料理上手なタイプに入る。

 

 …………だが、問題となるのは加古の有り余る()()()

 

 加古は何をどう間違えたらそういった発想に至るのか、炒飯の具にとんでもない具材を使用する事がある。

 

 10回中8回は絶品の激ウマ炒飯が出来上がるのだが、残り二回の()()を引いた者の末路は悲惨である。

 

 何故か予め用意してあった布団の上で倒れている『諏訪隊』隊員堤大地(つつみだいち)は、先程加古から提供された『いくらカスタード炒飯』でダウンし、この部屋の住人である『加古隊』隊員の双葉が慣れた様子で面倒を見ていた。

 

 堤は加古に気に入られているらしく、頻繁に彼女の炒飯の被害に遭っている。

 

 彼は割と運が悪い方なのか、他の隊員が数回に一度のペースで()()を引くのに対し、ほぼ毎回のように()()を引き当てている。

 

 『加古隊』隊員の黒江双葉(くろえふたば)はYAMA育ちである為か胃袋が頑丈であり、たとえ加古の『外れ炒飯』を引いたとしても問題なく完食出来る。

 

 尚、七海の場合は無痛症で味覚が殆ど感じられない為、加古の『外れ炒飯』を引いてもダウンする事がない。

 

 加古も七海の事情については承知しており、七海に炒飯を作る時は濃い目の味付けを心がけている。

 

 それを功を奏しているのか味を濃くする為に入れた調味料の味が強くなり、味を僅かにしか感じ取れない七海は加古の炒飯の攻撃力の源である()()()()()()()()()()()()()()()()()を一種類の味で塗り潰す事で軽減出来ているのだ。

 

 先程も堤と同じ『いくらカスタード炒飯』を食しているのだが、味を濃くする為に入れた醤油の味によってカスタードの甘味が緩和され、ほぼノーダメージでの完食に成功していた。

 

 七海は特に問題なく『トマトサーモン炒飯』を食べ終えると、「ご馳走様でした」と告げ、加古にお辞儀をした。

 

「先日も、うちの志岐を送って下さってありがとうございます。いつも、助かってます」

「ふふ、大丈夫よ。私もそこまで手間じゃないし、あの子と話すのは楽しいしね」

 

 加古は意味深な笑顔を浮かべるが七海はその真意には気付かず、ただ真摯な言葉を返す。

 

 『那須隊』オペレーターの小夜子は重度の男性恐怖症の為、普段は家に籠ってボイスチャットで隊員と連絡を取り合っているが、『防衛任務』の時等は『ボーダー』本部の自隊の作戦室に赴く必要がある。

 

 その為、彼女が男性と会わないように車での送り迎えを買って出てくれたのが加古なのだ。

 

 最初は人通りが少ない深夜のうちに熊谷や七海の付き添いで『ボーダー』本部へ行き、任務のシフトまで『那須隊』の作戦室で過ごしていたのだが、その事を聞いた加古が「じゃあ私が送ってってあげるわ」と申し出てくれたのだ。

 

 加古は任務のシフトを組む忍田(しのだ)本部長と掛け合い、自分の都合の良い時間に小夜子を送り迎え出来るようにした。

 

 話を聞いた本部オペレーターの沢村(さわむら)さんも自分の都合がつく時ならと、加古共々車での送り迎えを申し出てくれたのもありがたかった。

 

 以来、どうしても二人の都合が合わない日を除き、小夜子の送り迎えの労力はかなり減ったと言っていい。

 

 小夜子は散々お世話になっているからは沢田と加古の二人には頭が上がらない様子で、なるだけ迷惑をかけないように短期間であれば作戦室に泊まり込む事もするようになった。

 

 その為、SFめいた内装(小夜子の趣味でデザイン)の那須隊の作戦室には小夜子が寝泊まり出来るよう小規模の居住スペースが追加されており、彼女の趣味であるアニメやゲームもそれなりに持ち込んでいる。

 

 特にそういった趣味がなかった那須隊のメンバーも興味本位でやってみた結果サブカル趣味も悪くないと感じたのか、ちょくちょく小夜子と一緒にアニメを見たりゲームをしたりしている。

 

 特に好評だったのが格闘ゲームであり、那須は鞭使いの軍人風女性キャラや氷使いの少女のキャラを使い分け、熊谷は眼帯をした軍人の男性キャラを使ってゲームを楽しんでいた。

 

 ちなみに七海はトランプを武器にする老紳士のキャラを、小夜子は「お別れです!」と度々叫ぶ青い神父服のキャラを使っている。

 

 男性恐怖症も、ゲームの世界にまでは適用されないらしかった。

 

 戦績はなんだかんだプレイ時間の多い小夜子がトップで、熊谷、那須、七海の三人はさしたる差はない。

 

 まあ、ゲームやアニメのストックは小夜子の家の方が多い為、今では皆で小夜子の家にお邪魔してやる事も多いのだが。

 

 それを思い返しながら、七海は加古に返答する。

 

「ですが、お世話になっているのは事実ですので」

「真面目ねぇ。悪い事ではないけれど、もう少し()()も覚えなきゃ。趣味の一つでもないと、二宮くんみたいなつまんない人間になっちゃうわよ?」

「一応、志岐達と共にゲームをする事はありますが……」

 

 加古の二宮に対するディスりはいつもの事なのでスルーし、七海は当たり障りなくそう答えた。

 

 彼女が名前をあげた二宮匡貴(にのみやまさたか)はB級のトップチームである『二宮隊』の隊長であり、加古の昔のチームメイトでもある。

 

 二宮は以前はA級に属していたが隊員の隊務規定違反のペナルティによってB級に降格され、今ではA級への登竜門的な扱いをされている。

 

 B級のトップ2である『二宮隊』と『影浦隊』はその両方が元A級であり、ペナルティによってB級部隊となっている。

 

 つまりA級相当の実力はそのままである為、彼等がB級になってからはその順位が下がった事はない。

 

 加古は昔馴染み故なのか二宮を特に毛嫌いしている様子があり、普段から繰り返し毒を吐いている。

 

 二宮本人の前でもその様子は一切変わらず、気難しい隊長のフォローを担当している『二宮隊』の犬飼澄晴(いぬかいすみはる)は二人が対面する度にいつも頭を悩ませているらしい。

 

 この件に関しては下手に触っても碌な事がなさそうなので、スルーするに限る。

 

「インドアな趣味もいいけど、アウトドアも良いものよ? なんなら、今度ドライブに連れて行ってあげましょうか? 玲ちゃんも一緒に」

「はい、後で玲に話してみます」

「ふふ、よろしくね」

 

 それから、と加古は思い出したように告げた。

 

「小夜子ちゃんにも、構ってあげてね。彼女、割と寂しがり屋みたいだから」

「そうですか……? 俺を受け入れてくれたとはいえ、男性恐怖症の彼女に過度な接触はどうかと思っていたのですが……」

「一度受け入れた七海くんなら、大丈夫よ。貴方は、充分に彼女の信頼を勝ち取っているわ。それに……」

 

 いえ、と加古は口に出しかけた言葉を引っ込め、笑顔で取り繕った。

 

「私からあれこれ言うのは野暮ってものよね。こういうのは、本人達に任せるべきだし」

「はい……?」

 

 疑問符を浮かべる七海に対し、加古はくすりと笑みを漏らした。

 

「ふふ、なんでもないの。とにかく、小夜子ちゃんを大事にしてあげてね。自分から積極的に話しかけるとか、そういう事でいいから」

「は、はぁ……そういう事であれば」

 

 一向に加古の真意を見抜く事が出来ず、七海は困惑するばかりだ。

 

 無理もない。

 

 七海は小夜子の事を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()として見ており、彼女が七海を受け入れる事が出来た()()については詳しく詮索する気がないのだ。

 

 あれこれと根掘り葉掘り聞くのはどうかと思った事に加え、七海はあくまで彼女が()()()()()()自分を受け入れてくれたのだと考えている。

 

 小夜子の会話から彼女の想いを察した加古とは、認識のズレが生じるのは当たり前である。

 

 彼女は小夜子本人とは違い、彼女がその想いを押し込めるべきだとは考えていない。

 

 恋愛に明確なルールなんてものがない以上、好きならば好きと言い、可能であるならば略奪愛も上等だ、というのが加古の恋愛観である。

 

 なので、思ってしまったのだ。()()()()と。

 

 七海の想いが誰に向いているかは承知しているが、それはそれとして玉砕するまで恋愛(ゲーム)の結果は分からない、というのが彼女の持論だ。

 

 成功する可能性が低いのだとしても、まずは突貫しない事には始まらない。

 

 だから時々こうして七海を誘導したり、小夜子に発破をかけたりしているのだ。

 

 余計なお世話、と言うなかれ。

 

 彼女がそんな行動を取っているのは、七海と那須の関係の()()に気付いているからでもある。

 

 二人の関係性が捻じれて絡まりきっている以上、当人達だけで変革を齎すのは難しい。

 

 必要なのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 那須はこれまで、那須隊やお世話になっている加古達以外の女性が七海に近付く事を徹底して嫌っている。

 

 そんな那須の姿を知っているからこそ、『ボーダー』の女性陣は彼に不用意に近付く事を控えている。

 

 だからこそ、小夜子という存在は貴重なのだ。

 

 那須が()()として認識している為遠慮なく七海に近付く事が出来、尚且つ七海に淡い想いを抱いている。

 

 その彼女がその想いを表面化させれば、那須の考えにも変化が訪れる筈だ。

 

 そして、そうなれば七海も変わらずにはいられない。

 

 小夜子が本当に()()()場合、七海は選択を迫られる事になる。

 

 加古は、それを期待している。

 

 いずれにせよ、このままでは遠からず関係が破錠するのは目に見えている。

 

 ならば、いっそ派手に爆発させてしまった方が良い。

 

 那須にとっても、七海にとっても、小夜子にとってもだ。

 

 小夜子は自分の想いを上手く押し殺していると思っているようだが、それは彼女の交友関係が狭いが故の錯覚に過ぎない。

 

 加古のような者からしてみれば、その想いはすぐに察する事が出来る。

 

 そもそも、想いを遂げるにしろ玉砕するにしろ、決断は早い方が良いというのが加古の考えだ。

 

 小夜子自身は一生独り身でも構わないと考えているのかもしれないが、加古に言わせて貰えば自分から選択肢を切り捨てるべきではない。

 

 どうしても七海を諦めきれないならば、いっそ公認の愛人でも目指す気概でやった方が良い。

 

 それは極論だとしても、今の小夜子のスタンスが気に食わないというのが正直な感想だった。

 

 女は男に尽くして当然、だとは加古は全く思わない。

 

 古い日本の価値観であればそれでいいのかもしれないが、21世紀になってそれはあまりに時代遅れだ。

 

 あれこれと何から何までやってあげるつもりまではないが、多少の()()()くらいはしてやりたい。

 

 それが、今の加古のスタンス。

 

 どちらにも深くは肩入れしない、あくまで()()()としての立場を弁えた立ち回りだった。

 

「それより、そろそろB級のランク戦よね? 準備は万端?」

 

 話題を切り替える為、加古は間近に迫ったランク戦の事を切り出した。

 

 既に日付は9/30であり、ランク戦開始までそう時間はない。

 

 切り出す話題としては、順当なものである筈だ。

 

「ええ、大丈夫です。部隊の仕上がりも形になっていますし、作戦も色々練っています」

「そう。ま、私が言わずとも他の面々が聞いてるか。余計なお世話だったわね」

「いえ、お気遣いありがとうございます」

 

 加古の言葉に七海は畏まり、そんな彼を見て加古はくすくすと笑う。

 

「本当、真面目ねえ。そう思わない? 双葉」

「そうですね。でも、そこが七海先輩のいいところなので」

 

 加古はそれまで炒飯によるダメージで倒れた堤の面倒を見ていた双葉に話を振り、双葉は柔らかな笑顔でそう答えた。

 

 入隊してそう間もない双葉は加古の伝手で七海を相手に模擬戦を繰り返しており、今では七海が稽古をつけるような恰好になっている。

 

 彼女の使用する予め設定した軌道を高速で移動する試作トリガー、『韋駄天』は確かにそのスピードは驚異的なものの、何処に攻撃が来るかサイドエフェクトで察知出来る七海にとっては来るのが分かっている攻撃(テレフォンパンチ)に過ぎない。

 

 結果として新しいトリガーを得て調子に乗っていた双葉の自信は、七海によって完膚なきまでに叩き潰された。

 

 最初はその事もあって七海に反発していたものの、七海の人の良さとその悲惨な過去を知ってからは尊敬出来る先輩として慕ってくれている。

 

 その甲斐もあって『韋駄天』に頼り切りの猪突猛進な戦法は改善の兆しを見せており、それを狙って二人を引き合わせた加古も満足する結果となった。

 

「七海くんも、ランク戦関連で試したい事とかが出来たらいつでも言ってね。私も双葉も、声をかけられればいつでも練習相手になってあげるから」

「はい、私も出来る限り協力します。私も、先輩が上に上がれるよう応援していますから」

「…………ありがとう。必要になったら、お願いします」

 

 二人の厚意に七海は感謝し、頭を下げる。

 

 いい加減良い時間になったので七海がお暇しようとすると、加古が「あっ、そうだ」と言って呼び止めた。

 

「炒飯、多く作り過ぎちゃったからおにぎりにしておいたわ。良かったら食べて頂戴。お腹一杯なら別に知り合いに渡してもいいわよ」

「はい、ありがたく頂きます」

 

 七海はタッパーに詰められた炒飯おにぎりを受け取り、『加古隊』の隊室を後にした。

 

 そうして持ち帰った『チョコミント炒飯』のおにぎりは、紆余屈折あって帰りに出会った太刀川の腹に収まる事になり、その日の個人ランク戦では負けなしだった太刀川は炒飯によって緊急脱出(即落ち)する事になったのだった。




 加古さん回です。これで後は茜ちゃん回と風間さん回を残すくらいか。

 ランク戦開始まであと僅か。お楽しみに。


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日浦茜と那須隊

 日浦茜は、自分の所属する那須隊が大好きだ。

 

 まず、彼女を那須隊に引き入れてくれた熊谷友子は尊敬できる先輩だ。

 

 多少ざっくばらんな所はあるものの、実は意外な程女性的な面もあり、()()()()()()()()として姉のように慕っていた。

 

 オペレーターの小夜子も当初はとっつき難かったが、最近では一緒にゲームをしたりアニメをしたりして交流を深めている。

 

 熊谷達は専ら格闘ゲームが好きなようだが、茜はどうやらそういった方面のゲームに関するセンスはないらしく、恋愛ゲームなんかを主に楽しんでいた。

 

 自分がゲームをしている横で小夜子が面白がってあれこれ解説して来るので色々と台無しになったりはするが、なんだかんだ楽しめているので良しとする。

 

 狙撃手故なのか、唯一シューティングゲームでは好成績を収めていたが、そういった方面になると那須が格闘ゲーム以上に大暴れするので、結局は二位止まりだった。

 

 まあ、那須隊に入った当初は那須とゲームで遊ぶ事になるとは夢にも思わなかったので、これはこれで楽しめている。

 

 その隊長の那須は信じられない程の美人で物腰も柔らかく、女性としての理想を体現している存在と言っても過言ではない。

 

 熊谷などは「玲は結構怖い所があるからね」と言うが、茜にとってはいつも微笑みかけてくれる優しい先輩なので、その()()とやらを実感した事はない。

 

 確かにランク戦なんかでは縦横無尽に跳び回って相手を翻弄する実力者だが、その強さに憧れる事はあっても怖いと思った事など無い。

 

 その旨を熊谷に話したところ、大きな溜め息と共に「茜はそれでいいや」と言われたので首を傾げたが、まあ良しとする。

 

 そして、最後の一人。

 

 那須隊唯一の男性隊員にして、隊長である那須の幼馴染、七海玲一。

 

 男の人にしては全然荒っぽさがなくて、真面目で誠実、顔立ちも整っている。

 

 本人は自分の容姿について自覚はないみたいだが、充分美形と言える顔だ。

 

 顔立ちが整っている割に筋肉なんかはしっかり付いていて、スマートな運動選手みたいな印象を受ける。

 

 運動部でエースを張っていても違和感がないくらいには、彼の身体つきは運動向けに鍛えられていた。

 

 どうやら玉狛支部の木崎レイジと一緒にちょくちょく走り込みをしているらしいので、その所為もあるかもしれない。

 

 しかし、本人は運動部に所属するつもりはないらしい。

 

 勿体ないとも思うが、彼の事情を知れば致し方ないとも言える。

 

 …………七海玲一は、『無痛症』という病を患っている。

 

 本当に()()としての症状なのかは分からないとの事だが、その所為で彼は痛覚がないとの事だった。

 

 それを最初に聞いた時は「痛い思いしなくていいんじゃ……」と考えたら、その実態は全く違った。

 

 痛覚がないという事は、触覚がないという事を意味している。

 

 つまり、茜が普段感じている物を掴んだ感覚や、風を切って走る感覚、更には味覚なんかも彼は一切感じ取る事が出来ていない。

 

 そのハンデを乗り越える為、彼は日常的にトリオン体を使用している。

 

 戦闘用のものではなく、あくまで日常を不便なく過ごす為のものであるが、それを以てしても完全に感覚を取り戻せているワケではないらしい。

 

 周りに人がいる状態ならばともかく、一人で過ごすには無痛症の身体は不便に過ぎる為、七海は一人きりでいる時は大体トリオン体で過ごしている。

 

 レイジと走り込みを行う時は生身でなければ意味がない為普通の身体でやっているが、それもレイジが傍で付きっ切りで危険がないか確認しているからこそ行える事だ。

 

 本当であればそこまでしなくてもいいらしいが、どうやらそうでもしないと那須からの許可が下りないらしい。

 

 那須はとにかく七海に危険が及ぶ事を嫌っていて、最初は七海が生身で走り込みをすると聞いた時もいい顔をしなかったらしい。

 

 レイジが根絶丁寧に説明して条件付きで折れたとの事だったので、その心配性は相当なものだ。

 

 しかし、茜にはそんな那須を責める事は出来なかった。

 

 那須と七海の過去については、聞いている。

 

 七海は四年前の大規模侵攻の時、那須を庇って右腕を失いそんな彼を助ける為に七海の姉はその命を投げ出した。

 

 那須はその時の体験で、七海が傷付く事に対し心的外傷(トラウマ)を抱えているらしい。

 

 熊谷からそう聞いたので、間違いない筈だ。

 

 だから他人よりちょっと心配症でも、仕方ないと思うのだ。

 

 それに、茜から見ても那須と七海はお似合いのカップルだった。

 

 どうやら正式に付き合っているワケではないらしいが、茜の眼には二人は()()()()()()()()()()()()()に見えたのだ。

 

 熊谷にその事を話すと難しい顔をしていたが、それが何故かは分からない。

 

 「まだあいつらはそういう段階じゃないよ」と言っていたが、茜にはその意味を理解出来なかった。

 

 狙撃手の師匠である奈良坂透(ならさかとおる)にも聞いてみたのだが、彼は「俺が言うべき事じゃない」とはぐらかすだけだった。

 

 彼は那須の従兄弟でもあるそうなので何か知っているのかと思って聞いてみたのだが、上手くいかないものである。

 

 ともあれ、そんなこんなで茜にとって那須隊の面々は各々違った魅力のある素晴らしい先輩達と言えた。

 

 休日になるとちょくちょく那須の家でお泊り会が開催されるし、普段から小夜子の家や隊室でゲームに興じたりもしている。

 

 茜は、そんな那須隊の空気が好きだった。

 

 確かに狙撃手なんて事をしているし、『近界民』相手に戦うのが怖いと思う事もある。

 

 けれど、それでもこの『ボーダー』での毎日は彼女にとって欠け替えのない()()なのだ。

 

 両親はそんな茜の事をしきりに心配して度々『ボーダー』を辞めたらどうかと口にして来るが、彼女にとってはその選択肢は有り得ない。

 

 今の居場所を捨てるなんて、考えた事すらない。

 

 なので、両親が安心出来るようにB級の中でも上位に食い込んでそれを説得材料にする。

 

 そうでもしないと、何か切っ掛けがあれば両親は茜を連れて引っ越しでもしかねない。

 

 それだけ、両親の茜への気のかけ方は真に迫っていた。

 

 …………勿論、自分の心配をしてくれての事なのは分かっている。

 

 両親が嫌いなワケでもなかったし、むしろ自分に充分以上の愛情を注いでくれた素晴らしい親だとも思う。

 

 けれど、それでは駄目なのだ。

 

 確かに、『ボーダー』の任務に危険がないとは言わない。

 

 『緊急脱出(ベイルアウト)』システムがあるからと言って、戦場に出る以上絶対安全とは言い切れない。

 

 だが、それを言うなら一般市民だって危険がないというワケじゃない。

 

 世間は三門市に限定して『近界民』が出現していると認識しているが、他の地域でも『近界民』が出現しないワケではない。

 

 三門市の出現数が異様に多いだけで、他の地域でも『近界民』が密かに人々を連れ去っているらしい。

 

 つまり、『ボーダー』を辞めて一般人に戻るという事は、自分から武器を手放し何の保証もない場所に行くようなものだ。

 

 ならば極論、このまま『ボーダー』に所属して自衛出来る力を持っていた方が安全だし、何より身近な人を自分の手で護る事が出来る。

 

 だから、茜は『ボーダー』に、『那須隊』にいたかった。

 

 那須達がランク戦で上位を目指しているのは、つまるところ茜の為でもあった。

 

 他にも上を目指す目的はあるのだろうが、茜の存在がその一つである事は間違いない。

 

 彼女達は茜の意志を尊重し、彼女が自分達と共にいられるように全力を尽くしてくれている。

 

 それなら、茜とて全力を尽くすだけだ。

 

 彼女達と変わらぬ日常を過ごし続ける為に、出来る事は全部やる。

 

 今期のランク戦からは七海も隊に加入してくれるので、充分上位を目指せる芽はある筈だ。

 

 師匠の奈良坂にその旨を伝えてこれまで以上に指導を厳しくして欲しいと伝えたところ、彼は「分かった」とだけ言って訓練のメニューを増やしてくれた。

 

 言葉少なな先輩ではあるが、面倒見の良い人である事は弟子である茜が一番良く分かっている。

 

 そうして茜は今期のランク戦に向けて、それまで以上に熱心に訓練をこなしていた。

 

 那須と七海、そして志岐が立てた作戦の中では、茜の技量が重要視されるものもある。

 

 自分に期待してくれている以上、茜はその期待に全力で応える所存だった。

 

 …………そういった努力が実を結んだのか、茜の狙撃トリガー『ライトニング』のポイントは10月1日で8015ポイント(マスタークラス)となった。

 

 数字が全てとは言わないが、自分の努力が実を結んだのだと思うとそれを明確な形で表しているようで嬉しかった。

 

 当然、茜は真っ先に那須隊の面々に報告しに行った。

 

 すると那須が「じゃあお祝いをしましょう」と言って家に招き、豪勢な食事会を開いてくれた。

 

 その時は普段は家から出ない小夜子もやって来て、皆で茜のマスタークラス到達を祝福してくれたのだ。

 

 この時、茜は改めて自分の居場所は此処にあるのだと強く感じた。

 

 熊谷も「よくやったぞ、茜」と褒めてくれたし、那須も「おめでとう、茜ちゃん」と言ってくれた。

 

 いつもいじわるな小夜子もこの時ばかりは「おめでとうございます」と言ってくれたし、七海は「頑張ったな」と頭を撫でてくれた。

 

 その様子を見ていた熊谷がなんとも言えない顔をし、那須はニコニコと笑っていた。

 

 その時、少しだけ那須の笑顔が怖く見えたのは内緒だ。

 

 きっと、気の所為だろう。

 

 あんなに優しい那須から、寒気のようなものを感じたなど勘違いに決まってる。

 

 熊谷がそんな茜の様子を見て深々と溜め息を吐いたのだが、茜にはちっともその理由が分からなかった。

 

 小夜子からは何故か羨むような視線を感じた気がするが、多分自分ばっかり七海に構って貰えているように見えたからだろう。

 

 その後はさり気なく小夜子の方に七海が向かうようにしたら嬉しそうにしていたので、きっとそうだ。

 

 その後那須から妙な視線を感じた気がしたが、まあ気の所為だろう。

 

 ともあれ、ランク戦に向けた準備は順調と言って良かった。

 

 小夜子が七海のオペレートを問題なく出来る事も分かったし、部隊での連携も確認出来た。

 

 明後日には、今期のランク戦が開始される。

 

 前回は那須の不調もあってB級中位最下位という残念な成績に終わったが、今期の那須隊は一味違う。

 

 新しく加入した七海によってこれまで那須隊が抱えていた()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という弱点が解消され、各々の能力も前回よりも更に上がっている。

 

 何より、七海はチームランク戦の参加は今回が初めてだ。

 

 個人戦は結構やっているようだが、チームでの戦いでの七海の力はまだ誰もが初体験の筈である。

 

 このあたりの理屈は師匠の奈良坂から教授されたのだが、茜も七海の加入が大きな武器であるとは思っていたので納得していた。

 

 意気軒高、気合充分。

 

 今の自分達を表す言葉は、まさにこれだろう。

 

 意味は良く分かっていないが、リーゼント頭の狙撃手の先輩がそう言っていたので多分そうなのだろう。

 

 意味を説明して貰おうとすると何処かに行ってしまったが、特に気にしてはいなかった。

 

 自分達は、今期のランク戦で上位を目指す。

 

 B級上位に入るだけではなく、叶うのならば不動のNO2に狙いを定めたい。

 

 七海がそう言っていた以上、茜もそれに否はない。

 

 ランク戦まで、あと二日。

 

 那須隊の面々は、その全員が来るべき本番に向けて昂揚していた。




 茜ちゃんマスターランク到達。原作ではポイントは不明ですがマスターではなさそうだったので、この作品世界ではこうしました。

 七海加入という切っ掛けもあって良い刺激になったということで。


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七海玲一①

「────メテオラ」

 

 仮想訓練場、そこで隊服を身に纏った戦闘体の七海は()()()()()()()目掛け、メテオラを放つ。

 

 恵まれたトリオン能力から生成された巨大なメテオラのトリオンキューブが無数に分割され、着弾。

 

 トリオンの爆発が連鎖的に巻き起こり、土煙を撒き上げる。

 

 一見、何の意味もない行為。

 

 しかしそれは、()()()()()()()()()()為の行動だった。

 

「……っ! そこか……っ!」

 

 七海は短刀型のスコーピオンを手に、背後に向かって振り抜いた。

 

「く……っ!」

 

 硬質な音と共に、()()()()()()()()()()青い隊服の男────歌川遼(うたがわりょう)のスコーピオンが七海のスコーピオンによって受け止められた。

 

 歌川は自分の攻撃が受け止められた事に苦い顔をしながらも、弾丸のトリガー────アステロイドを精製、射出する。

 

 しかし、射手トリガーとしてのアステロイドには引き金を引くだけで発射出来る銃手トリガーのそれとは違い、トリオンキューブを精製し、それを撃ち出すという()()()()()()()()()()がある。

 

 当然、機動力に長けた七海がその隙を突く事は造作もない。

 

 七海はその場でグラスホッパーを起動し、アステロイドが撃ち出される直前に上空へ退避。

 

 そのまま眼下の歌川に対し、メテオラを射出しようとして────。

 

「────甘いぞ」

 

 ────()()()()()()()()()()()()()()()()()()がメテオラのトリオンキューブに突き立ち、メテオラが起爆。

 

 自らの生み出した弾丸の爆発に、七海は呑み込まれた。

 

「く……っ!」

 

 爆発に呑み込まれたかに見えた七海は、全身を覆う形態のシールド────『固定シールド』に身を包んだ状態で、爆発から弾き出された。

 

 固定シールドは展開中移動が出来なくなる代わりに全身を包み込むようにシールドを展開する技術であり、咄嗟のハウンドやメテオラを凌ぐ時に役に立つ代物だ。

 

 七海はその技術を活かし、起爆されたメテオラの爆発をノーダメージで凌ぎ切って見せた。

 

「アステロイド……ッ!」

 

 ────相手の、思惑通りに。

 

 固定シールドを展開したが故に身動き出来ない七海の眼下から、再び歌川のアステロイドが放たれる。

 

「く……っ!」

 

 七海は咄嗟に身体を捻り、爆破で脆くなっていたシールドを貫いた歌川のアステロイドは彼の右肩を撃ち抜くに留まった。

 

 しかし痛打である事は変わらず、七海は苦い顔をする。

 

 すかさず距離を取る為グラスホッパーを起動し、踏み込もうとして────。

 

「────甘い、と言った筈だ」

「……っ!?」

 

 ()()()()()()()()()()()と共に、目の前に自分の首を掴んだ少年────のように見える青年。

 

 隠密トリガーカメレオンを解除した風間蒼也(かざまそうや)が、その姿を現わしていた。

 

「が……っ!?」

 

 風間は、七海を掴んだ腕からスコーピオンを展開。

 

 七海の首は暗殺者の刃により貫かれ、致命。

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出』』

 

 そして、機械音声が七海の敗北を告げたのだった。

 

 

 

 

「動きは良かったが、まだ詰めが甘いぞ。お前のサイドエフェクトは、万能じゃない。それをよく心しておけ」

「はい、ありがとうございます」

 

 模擬戦が終わり、風間隊の作戦室に戻って来た七海はこの部屋の主────風間蒼也から激励の言葉をかけられていた。

 

 風間は目つきの鋭い少年のように見えるが、歴とした成人であり『風間隊』の中でも最年長だ。

 

 最も、その実年齢を初見で見抜けた者は殆どいない。

 

 何せ、体格も小柄で顔も童顔の類なのだ。

 

 『ボーダー』内部でも、彼とあまり親しくない者はその年齢を誤認している可能性が高い。

 

 だが、その実力は折り紙付きだ。

 

 攻撃手(アタッカー)の中でもNO2の順位を誇り、こと『カメレオン』を用いた隠密(ステルス)戦闘では他の追随を許さない。

 

 彼の率いる『風間隊』も隠密戦闘を得意としたコンセプトチームであり、その戦いはまさに影から敵を斬り裂く暗殺者の如し。

 

 『カメレオン』の扱いについて、ボーダーで最も熟達しているのが風間である。

 

 隠密トリガー、『カメレオン』は()()()()()()()()という他に類を見ない効果を持つが、その代償としてカメレオン展開中は()()()()()()()()()使()()()()()()という制限が課せられている。

 

 トリオン体は、トリオンでしかダメージを与えられない。

 

 つまり、トリガーを起動しなければ相手に攻撃出来ない以上、カメレオンを使用した戦闘では()()()()()()()()姿を現す必要がある。

 

 更に『バッグワーム』と違ってレーダーには映る関係上、大まかな位置自体は知られてしまう。

 

 極めれば強力なトリガーではあるが、一朝一夕で使いこなせるようなトリガーではないのだ。

 

 風間はカメレオンの展開と解除のスピードも然る事ながら、その()()()についても習熟している。

 

 先程の攻防でも、カメレオンを解除せずに七海の首を拘束する事によって、痛み(ダメージ)を感知出来る彼のサイドエフェクトを反応させる事なく肉薄。

 

 そこから即座にカメレオンを解除してからのスコーピオン展開で、トドメを刺したのである。

 

 熟達のカメレオン使いらしい、発想力や技術の光る攻防であった。

 

 ────七海がこうして風間達を相手に多対一で戦っているのは、以前の風間からの誘いが切っ掛けだった。

 

 影浦や太刀川、出水の指導の甲斐もあって着実に力を付けていた七海の下に、ある日突然風間が訪ねて来てこう言ったのだ。

 

 ────部隊の練度を上げる為に、お前の力を借りたい。お前にとっても、良い訓練になる筈だ────

 

 風間は自分達の隊の隠密戦闘の練度を上げる為、姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()七海を訓練相手として抜擢したのだ。

 

 どうやら風間は太刀川から七海の事を聞いていたらしく、サイドエフェクトを活かした回避技術を磨いている彼に興味を持ったらしい。

 

 太刀川から七海の動きを録画したデータは見せられていたらしく、それを見て即座に白羽の矢を立てたとの事だった。

 

 無論突然の申し出に困惑した七海だったが、理由や経緯を聞くと納得し、快く風間の申し出を受けたのだ。

 

 それ以来、七海は時間を見つけては風間隊の三人を相手に集団戦の訓練を行っていた。

 

 今日は用事がある為に不在である菊地原士郎(きくちはらしろう)を含めた三人の『カメレオン』使いを相手にする戦闘訓練は、乱戦での動きを学ぶのに格好の場だった。

 

 太刀川と出水相手に2対1で戦った事はあるものの、二人は射程が長く攻撃力も高過ぎる為、至近距離での乱戦とはまた違った戦い方をせざる負えなかった。

 

 その点、『風間隊』の面々は七海と同じく『スコーピオン』をメイントリガーに据えている事もあって、乱戦の相手としては最適と言えた。

 

 風間は言い方こそストレートで容赦がないが、その実目をかけた相手に関してはむしろ面倒見が良い方で、七海も数々の助言を賜り自身の力に変えていた。

 

 歌川は善人を絵にしたような男で好感が持てるし、菊地原も口は悪いがなんだかんだでこちらの事を気にかけてくれており、素直ではないだけで悪い奴ではない。

 

 七海は、『風間隊』とは良好な関係を築けていたと言って良い。

 

 太刀川や影浦との訓練に加えて風間隊との訓練を行う日々は中々ハードではあったが、充実した毎日であったとも言えた。

 

 鍛錬を積み重ねて着実に力を付けていく感覚は、七海にとって好ましいものだった。

 

 鍛錬馬鹿(ワーカーホリック)と呼ばれようが、それが性分なのだから仕方ない。

 

 七海には、強くならなければならない理由がある。

 

 その為の苦労は、欠片とて惜しむつもりはなかった。

 

「それはそうと歌川。お前はまだ、『カメレオン』の解除が早過ぎる。あれではただの見えている攻撃(テレフォンパンチ)だ。精進しろ」

「はい、すみません」

 

 風間は同じ隊の歌川にも、容赦のない指摘を送る。

 

 叱責を受けた歌川は頭を下げ、粛々と風間の言葉を受け止める。

 

「…………だが、最後の『アステロイド』での援護は上出来だった。俺達の隊で、射手トリガーを使うのはお前だけだ。これからも頼りにしている」

「はい……っ! ありがとうございました……っ!」

 

 だが、風間は叱責を送るだけの男ではない。

 

 褒めるべき所はきちんと評価し、激励の言葉をかける。

 

 そんな上官だからこそ、歌川と菊地原の二人は彼を慕っているのだ。

 

 那須隊の和気藹々とした空気とはまた違った関係性だが、こういうのもいいものだな、と七海は僅かに笑みを漏らした。

 

「ほぅ…………その眼、俺の隊に興味が出て来たか? お前なら、隊に加える事も吝かではないのだがな」

「勘弁して下さい。俺が所属する隊はもう決めてるって、前から言ってるでしょう?」

「フ、冗談だ。これくらい受け流せ」

 

 どうやら完全にからかっただけらしく、風間は滅多に見せない悪戯っぽい笑顔を見せてそう言った。

 

 真面目一辺倒の人間に見えるものの、風間は茶目っ気を見せる事もある。

 

 普段とそう変わらない表情で冗談を言うので、割と騙される人間は多いのだ。

 

 まあ、七海を隊に入れてもいい、というのは本音かもしれないが、七海の事情もきちんと理解しているので、本気で誘ったワケではあるまい。

 

 冗談で空気を和ませようという、風間なりの気遣いだろう。

 

「…………明日は、遂にお前が参加する初のB級ランク戦になるのか。準備は抜かりないだろうな?」

「はい、お陰様で。調整に付き合って頂き、ありがとうございました」

「別にいい。俺達にとっても良い訓練になるからな」

 

 今日は、10月2日の火曜日。

 

 明日、10月3日は『B級ランク戦』が始まる日だ。

 

 七海は、このランク戦を勝ち上がる為に鍛錬を重ね、『那須隊』の面々とも協力しながら準備を続けて来た。

 

 その努力が、結実するか否か。

 

 全ては、これから始まるランク戦にかかっている。

 

 出来る事は、やって来たつもりだ。

 

 太刀川、出水、影浦、風間。

 

 名前を挙げるだけでも自分には勿体ない程の、師匠達。

 

 『ボーダー』でも名立たる実力者である彼等が此処まで協力してくれたのだから、無様な結果は見せられない。

 

「これは、お前の…………いや、お前達の戦いだ。誰の為でもなく、ただお前達が勝ちあがる為に全力を尽くせ。余計な事は考えるな」

 

 風間は、そう言って激励する。

 

 歯に衣着せぬ物言いながらも確かなエールを含んだ金言が、七海に送られた。

 

『細かい事は気にするなよ。全力で、暴れて来い。期待してるぞ』

『ま、そういう事だな。面白い試合、見せてくれよ』

 

 先日聞かされた、太刀川と出水の、言葉が想起される。

 

 二人なりの激励の言葉が、七海の決意を後押しした。

 

『精々勝ち上がって来な。俺んトコまで来たら、相手してやっからよ』

 

 影浦もまた、そう言って七海を応援してくれた。

 

 太刀川達とはまた違った、激励の言葉。

 

 B級のNO2のチームを率いる隊長として、影浦は七海が勝ち上がって来るのを待っているのだ。

 

 その言葉に、微塵も嘘はない。

 

 信じているのだ。

 

 七海が、自分達のいる場所まで上がって来る事を。

 

 師匠の一人にして兄貴分の影浦にそんな期待をかけられては、更に気合いが入るというものだ。

 

『────頑張れよ、七海』

 

 ────それは、七海の携帯に届いた一通のメッセージ。

 

 宛名は、見なくとも分かる。

 

 迅が、七海にエールを送ってくれている。

 

 姿を見せないだけで、ちゃんと七海の事を気にかけてくれている。

 

 そんな迅が、自分に「頑張れ」と言ってくれた。

 

 ならば、その期待に応えよう。

 

 全力で、勝ち上がる。

 

 『那須隊』を、上に連れて行く。

 

「────やってやる」

 

 七海は、不敵な笑みを浮かべ、告げる。

 

 B級ランク戦。

 

 それが遂に、始まりの時を迎える。




 これで序章は終わり。明日からB級ランク戦が開催されます。

 修達『玉狛第二』が結成する前の『前期ランク戦』の模様をお楽しみ下さい。


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B級ランク戦/ROUND1
Opening


 ────10月2日、水曜日。B級ランク戦当日。

 

「じゃあ、最終確認をするわ」

 

 用途不明の窪みやパイプが壁に設置されている宇宙船の船内のようなSFチックな『那須隊』作戦室にて、那須が七海達を前にそう切り出した。

 

 既に全員がボディスーツのような『那須隊』の隊服に換装しており、気合充分といった感じだ。

 

「今日のROUND1の対戦相手は、『諏訪隊』と『鈴鳴第一』。どちらも近接戦メインのチームね」

「『諏訪隊』が諏訪さんと堤さんが組んでのダブル散弾銃(ショットガン)での近接火力での力押し、『鈴鳴第一』はNO4攻撃手(アタッカー)の村上先輩を銃手の来馬先輩と狙撃手の太一くんが援護する形ね」

「『諏訪隊』の攻撃手の笹森先輩は、守り役になったり『カメレオン』で奇襲したりして来ますね」

 

 那須の言葉を、熊谷と茜が補足する。

 

 どちらも、前期までのランク戦で彼女達が散々やり合った相手である。

 

 戦術についても、一通り知っているのは当然だ。

 

 無論、彼女達の試合には七海も全て目を通している為、認識は共有している。

 

「『諏訪隊』相手の戦績はそう悪いものじゃないけど、問題は『鈴鳴第一』よね」

「そうですね。前回の最終戦も、最後は村上先輩を倒しきれずに『鈴鳴第一』に負けちゃってますし」

「『諏訪隊』も、決して侮って良い相手じゃないわ。けど、今回は今までとは違う…………そうよね? 怜一」

 

 那須に話を向けられ、七海はこくりと頷いた。

 

「…………ああ、玲達の雪辱は晴らして見せる。今回は作戦も練ってある。俺が加入して正解だったと、皆に言わせて見せるさ」

 

 

 

 

「『那須隊』と『鈴鳴第一』か…………そういえば、()()()()だったな。七海の奴が参加すんのはよ」

 

 SFじみた『那須隊』の作戦室とは打って変わって、麻雀卓等が置かれた大学の部室のような『諏訪隊』の作戦室で金髪の柄が悪そうな容姿の隊長の諏訪洸太郎(すわこうたろう)が堤に確認を取る。

 

 開眼すれば『ボーダー』のイケメンランキングが変動すると密かに囁かれる糸目の青年、堤大地(つつみだいち)はこくりと頷いた。

 

「はい、三日前に加古さんの所でそう話していました。間違いありません」

「そうか…………って、あー成る程。堤お前、それでこないだ具合悪そうだったのかよ。懲りねぇなあオイ」

「ま、まあ、加古さんも悪気があるワケではないので……」

 

 『加古炒飯』の()()を噂で聞いている諏訪は堤に同情するような視線を向けるが、堤は困ったような顔でぽりぽりと頭をかいている。

 

 何故彼が懲りずに加古炒飯の餌食になり続けているのかは分からないが、個人の問題だろうと諏訪はそれ以上の追及は止めた。

 

 見た目は柄が悪い大学生そのものだが、なんだかんだで気遣いの出来る男なのである。

 

「俺ぁ七海の奴と直接戦った事はないけどよ。日佐人、お前確か一回やった事あんだよな?」

「はい…………10:0で負けてしまいましたけど」

 

 諏訪の質問に答えたのは、隊員の中で唯一の未成年である笹森日佐人(ささもりひさと)である。

 

 短髪の黒髪をしたそばかすが目立つ少年は、頭をかきながらそう告げた。

 

「その、とにかく動きが速くて、全然捉えきれませんでした。正直、接近戦でやり合える自信はありません」

「試合を見ましたけど、確かに緑川みたいな機動力を持ってましたね。しかも攻撃を感知出来るサイドエフェクトも持っているらしいので、攻撃を当てる事自体が難しいと思います」

 

 二人はそれぞれ、所感を告げた。

 

 七海と個人戦をした事があるのは日佐人だけだが、堤も加古繋がりでなんだかんだ七海とは親しいので、彼の個人戦を観戦した事はある。

 

 結果として、()()()()()()()()()()()()()()()()というのが正直な感想だった。

 

 それを聞いて、諏訪が難しい顔で考え出す。

 

「つーこたぁ、合流を優先して他の連中とやり合ってる間に俺と堤で蜂の巣にするのが手っ取り早そうだな。()()()()()()()()()()()うしな」

「そうですね。俺もそれしかないと思います」

「おし、じゃあそれで行くか。お前等、絶対に一人で当たんなよ」

 

 一先ずの方針を決めた諏訪と堤が席を立ち、ランク戦の会場に向かうべく出て行った。

 

 それに付いていく形で立ち上がった笹森は、妙な引っかかりを覚えて首を捻った。

 

(なんだろう…………何か、()()()()()()()気がする。それも、重大な何かを……)

 

 暫くその場で頭を悩ませていた笹森だったが、ドアの向こうから諏訪が自分を呼ぶ声を聞き、思考を中断させてその後を追った。

 

 その事を、彼は後に後悔する事になる。

 

 

 

 

「遂に七海くんと戦うのか。緊張して来たな……」

 

 所変わって、『鈴鳴第一』の作戦室。

 

 あまり物がない片付いた部屋の中で、椅子に座った隊長の来馬辰也(くるまたつや)は手を膝に置きながらそう呟いた。

 

 くせっ毛の明るい髪色のほんわかした雰囲気の来馬は、元来の優しい性格で『ボーダー』内では親しまれつつも慕われている人格者だ。

 

 善人が形になったような青年であり、当然隊員からの信頼も厚い。

 

「大丈夫です。七海は俺が抑えます。来馬隊長と太一はいつも通り、援護をお願いします」

 

 そう告げるのは、この隊の隊員にしてNO4攻撃手の称号を持つ村上鋼。

 

 七海の友人にして好敵手である少年は、眠たげな眼の中に闘志を燃やしていた。

 

 それを見た来馬ははぁ、と深呼吸を行い、改めて村上に向き直った。

 

「そうだね。それでいこうか。それから…………僕は彼と戦った事はないのだけれど、鋼から見て七海くんはどうだい?」

「俺から見た七海、ですか……」

 

 村上はしばし考える素振りをしながら、思い出すように語り出す。

 

「戦術的な意味では、『スコーピオン』を用いたスピードアタッカーです。『グラスホッパー』も使うので、緑川のような動きに近いですね」

「緑川くんか。という事は、一度捕まると逃げるのは難しそうだね」

 

 来馬の言葉を、村上は首肯し肯定する。

 

「はい、ですから七海とは絶対に1対1で当たらないで下さい。今回のMAP選択権は『那須隊』にあるのでどんなMAPを選んでくるかは分かりませんが、いつも通り合流優先で動きましょう」

「うん。僕もそれでいいと思う。頼りにしてるよ、鋼」

「はい、任せて下さい」

 

 慕う隊長からの信頼に村上は笑顔で答え、その場にいたもう一人────狙撃手の別役太一(べつやくたいち)に目を向けた。

 

「太一、もう一度言っておくが()()()()()()()()()()()からな。見つけたからと言って、絶対に撃つんじゃないぞ。あくまでも援護に徹してくれ」

「わかったっす……っ! 任せてくださいっ!」

 

 太一がドン、と自分の胸を叩くと、その拍子に机にぶつかりそこに置かれていた茶碗がその衝撃で落下。

 

 陶器が割れる音と共に破片が散らばり、お茶が床にぶちまけられた。

 

「あー……っ! すみませんすみません……っ! 今拭いて……っ!」

「きゃ……っ!」

 

 お茶を零してしまった太一は慌てて雑巾を取りに行こうとして躓き、お茶を運んでいたオペレーターの今結花(こんゆか)に衝突。

 

 その所為で、お盆に乗っていたお茶も全て落下。

 

 太一の行動は、更なる被害の拡散を招く事になった。

 

 彼は悪気があるワケではないのだが、おっちょこちょいでこういったドジを毎回のようにやらかしている。

 

 付いた仇名は、『真の悪』。

 

 あんまりにもあんまりなネーミングだが、以前間違えて来馬の飼っていた熱帯魚を茹で上げて全滅させてしまった経緯を考えれば致し方ないだろう。

 

 尚、その時の来馬は菩薩マインドを発揮し血涙を流しながら太一を許したそうな。

 

「太一~~っ!! アンタそうやっていつもいつも……っ!」

「わー……っ! ごめんなさいごめんなさいいいい……っ!」 すぐに片付け……っ!」

「…………太一、大丈夫だ。俺が片付ける」

 

 これ以上太一に行動させればどうなるかは結果が明らかである為、村上は溜め息を吐きながら立ち上がり来間もそれに続いた。

 

 今日もいつも通り、『鈴鳴第一』の面々はこんな調子であった。

 

 

 

 

「さあやって参りました『ボーダー』の皆さん、今期のB級ランク戦が遂に開幕します……っ! 実況はこの『海老名隊』オペレーター、武富桜子(たけとみさくらこ)がお送りします……っ!」

 

 B級ランク戦が行われる、試合会場。

 

 数多くのC級隊員が観戦席に座る中、実況席で元気良く挨拶したのはオペレーターの桜子。

 

 『実況席の主』とも呼ばれている、お前本業はどうしたと言わんばかりに実況に熱狂する名物オペレーターである。

 

 B級ランク戦の実況解説の必要性を上層部に根気良くプレゼンし、『ボーダー』全体の練度を上げる貢献を果たした地味に凄い少女である。

 

「解説には皆さんご存じ『始まりの狙撃手』として数々の弟子を排出した『東隊』の東隊長と────」

「どうぞよろしく」

 

 桜子に紹介された渋い顔つきの成人男性、東春秋(あずまはるあき)が軽く名乗る。

 

「──A級部隊『草壁隊』の攻撃手、緑川隊員にお越し頂きました……っ!」

「よろしく~」

 

 続いて、小柄な少年隊員、緑川駿(みどりかわしゅん)がにへらっと笑って挨拶する。

 

 この『B級ランク戦』では実況のオペレーター1名と解説役の隊員二名により、実況中継と試合内容の解説が行われている。

 

 解説役の隊員はA級隊員が務める事が多いが明確な規定はなく、実力の確かなB級隊員が務める場合もある。

 

 東は元はA級だったが部隊を組み直してB級になった立場であり、数々の弟子を排出した優れた戦術眼から多くの隊員に慕われている。

 

 彼の解説は聞きごたえがあると評判であり、観戦席にはC級、B級はおろかA級隊員まで見物に来ている。

 

「おー、東さん解説か。ツイてるなこりゃ」

「そういう意味でも、見に来た甲斐はありましたね」

 

 観戦席には、太刀川と出水が並んで腰かけていた。

 

 本来であれば今は防衛任務のシフトの時間なのだが、迅がシフトを変わってくれたらしい。

 

 その事について言いたい事がないワケではなかった太刀川だったが、ありがたい事はありがたかったのでこうして観戦に来ているワケである。

 

 他にも加古や双葉、烏丸等も観戦席におり、本日のランク戦は満員御礼の大盛況だった。

 

「それでは初日という事で、B級ランク戦についての説明を────東さんからお願いしたいと思いますっ!」

「分かった。じゃあ簡単に話そう」

 

 説明依頼を受けた東が、落ち着いた声で語り出した。

 

「まず、B級のチームは基本的に上位、中位、下位で区分けされている。上から順に上位、中位がそれぞれ7チームずつ、下位は6チームの合計20チームだ」

 

 そして、と東は桜子に目配せして、桜子が手元の機器を操作してスクリーンに20チームの名称とそれぞれのポイントが表示される。

 

 1位『二宮隊』15Pt

 2位『影浦隊』14Pt

 3位『生駒隊』13Pt

 4位『弓場隊』12Pt

 5位『王子隊』11Pt

 6位『東隊』10Pt

 7位『香取隊』9Pt

 

 此処までが、『B級上位チーム』。

 

 名実共にB級の中でもトップランクの精鋭揃いで、A級と遜色ない実力を持ったチームも存在する。

 

 8位『鈴鳴第一』8Pt

 9位『漆間隊』7Pt

 10位『諏訪隊』6Pt

 11位『荒船隊』5Pt

 12位『柿崎隊』4Pt

 13位『早川隊』3Pt

 14位『那須隊』2Pt

 

 こちらが、『B級中位チーム』。

 

 上位より総合力で見劣りする部分はあるものの、固有の戦術を確立されており時には大物食いもしかねない曲者揃いだ。

 

 この下に『B級下位』の『松代隊』『吉里隊』『間宮隊』『海老名隊』『茶野隊』『常盤隊』がいるのだが、こちらはまだ固有の強みを活かせていないチームが多く、中位に食い込みかねないチームは今の所存在しない。

 

「表示されているポイントは前期のランク戦の結果を鑑みた『初期ポイント』だ。以前の結果を鑑みた『シード権』のようなものだと考えて貰えればいい。この『B級ランク戦』では、このポイントの()()()()が基本となる」

 

 東は一呼吸置き、話を続ける。

 

「『ランク戦』では相手チームの隊員を『緊急脱出』させた(倒した)時、その隊員を倒したチームに1ポイントが加算される。尚、トリオンの漏出で『緊急脱出』した場合はそれまでにその隊員に最も多くのダメージを与えた隊員の所属する隊のポイントになるので覚えておくように」

 

 まるで生徒に教える教師のように、淡々と東は説明を重ねていく。

 

 分かり易い説明に、皆は黙って聞き入っていた。

 

「試合時間はステージの広さにもよるが、おおむね45分から60分。そして、最後まで生存した隊員のいる隊には生存ポイントとして2ポイントが加算される。相手を倒すだけではなく、生き残る事も重要という事だな」

 

 東はつまり、と続けた。

 

「先程も言ったように、前期で順位が上の隊である程、その初期ポイントは大きくなる。下の順位のチームが上位に到達する為には、相応の努力が必要となる」

 

 そこで東は再び一呼吸置き、観戦席のC級隊員を見回した。

 

「…………厳しいルールかもしれないが、ランク戦があくまで実戦を想定した訓練である事は忘れないでくれ。()()では、時としてそういった理不尽を跳ね除ける力が必要になる場合もある」

 

 東は更に、観戦席にいるB級、A級の面々に目を向ける。

 

「各々の部隊の面々はこれから他の部隊と鎬を削り合うワケだが、他の部隊は決して()などではなく、あくまで訓練の()()()()である事を念頭に置いて欲しい」

 

 誰もが、東の声に耳を傾けていた。

 

 ()ではなく、()()()()

 

 それは互いに競い合う以上どうしても相手を()として見がちなこのランク戦の中に置いて、初志を忘れないで欲しいという東の忠告だった。

 

 普段は快活な桜子も、この時ばかりは息を呑んでその言葉を噛み締めていた。

 

「説教臭くなって申し訳ないな。気を取り直していこう」

 

 東はそこでふぅ、と溜め息を吐き話を続けた。

 

「説明の続きだ。ポイントのやり取りについては今説明した通りだが、ランク戦ではその時戦うチームの中で最もポイントが低いチームがMAPの()()()を持つ。自分の隊に有利な地形を選んでそれを活用する事も、ランク戦では重要だ」

 

 逆に、と東は続ける。

 

「地形戦を()()()()()()側のチームは、イレギュラーな状況にも対処する対応力が求められる。有利な地形だからと言って慢心していては、足元を掬われる事になるだろう」

 

 そこまで言うと東は桜子に目を向け、それを受けた桜子はこくりと頷いた。

 

「分かり易いご説明、ありがとうございました……っ! それでは皆さん、お待たせ致しました。B級ランク戦ROUND1昼の部、これより開始したいと思います……っ!」

 

 意気揚々と桜子は機器を操作し、一瞬間を置いて大きな声で宣言する。

 

「各部隊、転送開始……っ!」

 

 桜子の宣言により、『那須隊』、『鈴鳴第一』、『諏訪隊』の3チームの面々が戦場である仮想空間に送り込まれる。

 

 今期のB級ランク戦が、遂に開幕を迎えた。




 はい、前期ランク戦ROUND1開幕です。

 これより、ランク戦をお楽しみ下さい。


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Mist forest

 肉体が解け、一瞬の浮遊感と共に現実とは違う空間へと降り立つ。

 

 見渡す限りの『森』が、視界に飛び込んで来る。

 

『B級ランク戦、ROUND1。全部隊、転送完了』

 

 実況担当のオペレーター、桜子のアナウンスが響き渡る。

 

 今この瞬間、3つのチームは戦いの舞台である仮想の大地へと足を踏み入れた。

 

『────マップ、『森林A』。天候、『濃霧』』

 

 桜子が、マップと地形条件を読み上げる。

 

 それが、始まりの合図。

 

 正式に、ランク戦が開始された証だった。

 

 …………七海は周囲を、霧に包まれた鬱蒼と茂る木々を見上げ、湿気でぬかるんだ地面を踏み締める。

 

 周囲は濃い霧に包まれ、背の高い樹木に囲まれた薄暗い森の中の視界は最悪だ。

 

 しかし、これは元より自分達が()()()()地形(MAP)

 

 不安など、今更抱く筈もない。

 

『位置情報、送信しました』

 

 志岐の声と共に部隊全員の位置情報が送信され、各々の視界にそれぞれの位置が記された全体MAPが表示された。

 

 そして、通信が繋がり那須からの指示が聞こえて来る。

 

『作戦開始よ。予定通りに行きましょう』

『『「了解……っ!」』』

 

 そして、七海達はその全員がバッグワームを起動。

 

 深い森の中に、身を躍らせた。

 

 

 

 

「これはまた、思い切ったマップ選択をしてきましたね」

 

 実況席でそう口にしたのは、解説に呼ばれた東だ。

 

 東の言葉を受け、実況担当のオペレーター、桜子が早速反応する。

 

「ふむふむ、そうですね。『森林A』は傾斜の殆どないマップで、背の高い樹が生い茂っている所為で見通しも悪い。狙撃手にとってはただでさえ面倒な地形である上、天候は『濃霧』に設定されています」

「こうも視界が悪いと、殆ど遭遇戦だね。レーダーで居場所が分かると言っても、森の中だから地面にいるのか、木の上にいるのかもわかんないし」

「レーダーでは、高低差までは表示されませんからね」

 

 桜子はもう一人の解説者である緑川に合いの手を入れながらもマップ把握は怠らず、解説を進めていく。

 

 彼女は所属する隊の順位こそ低いものの、オペレート能力は決して低くない。

 

 自身の持つオペレート能力を最大限に駆使して非常に分かり易い実況を行えているからこそ、『実況席の主』などという異名で呼ばれているのだ。

 

「このマップだと、狙撃手はその優位を殆ど活かせません。レーダー頼りに撃ち抜く事は出来なくもないですが、難易度は高いでしょう」

「…………ちなみに、東さんなら?」

「個人技能を考慮に入れた返答は、此処では控えさせて貰います」

 

 言外に()()()()()()()と話しつつ、東は続きを口にする。

 

「『那須隊』、『鈴鳴第一』、『諏訪隊』のうち狙撃手がいるのは那須隊と鈴鳴第一です。地形と天候の影響を主に受けるのは、その二チームとなるでしょう」

「成る程、強みの一部を殺してでも狙撃を警戒したという事ですか」

「状況だけを見れば、そうなります。ですが、忘れてはいけないのはこのマップを選択したのは()()()()()()()那須隊であるという事です」

 

 つまり、と東は続けた。

 

「他にも何か、思惑があるのかもしれません。今の彼女達は、曲者ですよ」

 

 

 

 

『取り敢えず、合流を優先しよう。このマップじゃ長距離の狙撃は無理だし、固まって動いた方が良い』

 

 通信から来馬の指示が飛び、村上と太一は即座に応答した。

 

『そうっすねっ! この霧じゃ狙撃なんて無理だし、銃手みたいな戦い方をするしかないかー』

「ああ、俺が前衛を張る。援護を頼むぞ太一」

 

 二人共、来馬の指示に従う構えだ。

 

 狙撃が不可能である以上、狙撃手を合流させて援護に徹させるという来馬の判断はそう悪いものではない。

 

 この霧では長距離狙撃など夢のまた夢であるし、強みが活かせないなら別の方法を差配するのは正しい選択だ。

 

 村上もまたそれが妥当であるとし、心強い返事で応じた。

 

『…………やっぱり、他の隊も全員バックワームを使ってるみたいっすね』

「霧で視界が塞がれている以上、バッグワームを使わずにレーダーに映るのは自分だけ居場所を知らせているようなものだ。当然の選択だろう」

 

 つまり、と村上は告げる。

 

「…………逆に言えば、いつ遭遇してもおかしくないって事だ。気を付けろよ、太一。こういう場所は、七海の独壇場だ。合流するまでは、戦闘は絶対避けろよ」

『わかってますって。でも、一つだけ分からない事があるんすよね』

「なんだ?」

 

 あのですね、と太一は続けた。

 

『…………七海先輩は()()()()()()()()()のに、なんでこんなマップを選んだんだろうって』

 

 

 

 

「『鈴鳴第一』、『諏訪隊』は共に隊員同士が近い位置に転送され、間もなく合流する模様……っ! 一方、『那須隊』はそれぞれが離れた位置に転送されている……っ! これは『那須隊』が不利と見るべきか……っ!?」

 

 実況席で試合の状況を見ながら、桜子がノリノリで語る。

 

 彼女の展開したMAPの全体図では鈴鳴第一と諏訪隊を示す点が比較的近い位置にある一方、那須隊を示す点はそれぞれ割と離れた位置にあった。

 

 三つの部隊の中で、現時点での合流に最も時間がかかるのは『那須隊』だ。

 

 それだけを見れば、『那須隊』が不利なように思える。

 

 桜子の判断は、普通であればそう間違ったものでもない。

 

 しかし、東はそれに待ったをかけた。

 

「…………いえ、そうとも言い切れません。何せ、今期のランク戦からは『那須隊』には新メンバー、七海隊員が加入しています。彼が入った『那須隊』は、今までとは別物と思った方がいいでしょう」

「ふむ、私も七海隊員の情報についてはそれなりに調べていますが、個人戦のログを見た限りでは緑川くんの動きに近い気がしましたね」

 

 桜子がそう言って緑川に視線を向けると、緑川はそうだなあ、と少し考える素振りをした後話し始めた。

 

「七海先輩のスタイルは確かに俺に似てるね。トリガーセットも殆ど同じだし、戦い方もスピード重視だしね」

「では、緑川くんのように機動力で翻弄して相手を仕留めるスタイルでしょうか?」

「基本的にはね。でも、七海先輩には俺にはない()()が何個かあるから、個人戦ならともかく、集団戦ではあんましやり合いたくないかな」

 

 緑川の言葉を桜子は相槌を打ちながら聞き、緑川は画面を見ながらにやっと笑みを浮かべた。

 

「多分、すぐに分かると思うよ。このMAP条件での七海先輩は、かなりえげつないからね」

 

 

 

 

「ったく、クソ面倒なマップ選びやがって」

「まあまあ、幸いこうして合流出来たんですし、なんとかなりますって」

 

 諏訪の悪態に、堤が取りなす形で応じる。

 

 二人は運よく合流し易い場所に転送され、たった今この場で合流した所である。

 

 唯一笹森だけは離れた場所に転送された為、この場にはいない。

 

 不良学生のような口の悪さの諏訪を宥めるのは慣れている為、取り立てて険悪な空気というワケではない。

 

 『諏訪隊』のやり取りは、いつもこんなものである。

 

「それに、うちには狙撃手がいませんからこのマップは有利ですよ。前向きに考えましょう」

「ま、そうだな。那須隊がどんな考えかは知らねーが、こうなったらやるっきゃねえよな」

 

 うし、と気合いを入れて諏訪が先に進む。

 

 堤もその後を付いて行きながら、周囲を警戒していた。

 

 ぬかるんだ地面を踏み、慎重に前へ歩いていく。

 

 深い霧に遮られた視界の中、一歩一歩先へと進む。

 

 ────だからこそ、気付けた。

 

 自分達の、真上。

 

 木々の合間から垣間見える、トリオンキューブの光に。

 

 分割された無数のトリオンキューブの『弾丸』が、二人の下へ降り注ぐ。

 

 それにいち早く気付いた堤は、咄嗟に諏訪を突き飛ばした。

 

「……っ!? 諏訪さん……っ!」

「どわ……っ!?」

 

 堤の声によって突き飛ばされて初めて迫り来るトリオンキューブに気付いた諏訪はその場から転げ回るようにして着弾地点から離れ、『炸裂弾(メテオラ)』が地面に着弾。

 

 轟音と共に、無数の爆発が巻き起こった。

 

「く……っ!」

 

 だが、爆発に気を取られている暇はない。

 

 堤は木々の間から飛来した人影────『スコーピオン』を構えた七海の姿に気付き、シールドを展開。

 

 七海の『スコーピオン』が、鈍い音を立てて堤のシールドに食い込んだ。

 

「諏訪さん……っ!」

「チィ……っ! 喰らいやがれ……っ!」

 

 堤のシールドは、次の攻撃で破られる。

 

 そう判断した堤は、転げ落ちた身体を起こし膝立ちになった諏訪と共に散弾銃(ショットガン)を構え引き金を引く。

 

 広範囲に射出されたアステロイドの弾丸が、七海に迫る。

 

「……っ!」

 

 だが、七海は即座にグラスホッパーを起動。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、上空へ跳躍。

 

 二人の銃撃を難なく回避し、再びトリオンキューブを精製する。

 

「────メテオラ」

 

 先程よりも細かく分割されたメテオラの弾丸が、堤達に降り注ぐ。

 

 着弾地点の中心にいた堤は範囲外へ逃げ切れないと判断し、両防御(フルガード)でシールドを展開。

 

 その一瞬後に、七海のメテオラが着弾した。

 

「どわあああ……っ!」

「く……っ!」

 

 ギリギリで爆発の範囲外にいた諏訪は態勢を立て直しきれていなかった事もあり、トリオンの爆発の余波を受けてゴロゴロと地面を転がるように吹き飛ばされる。

 

 堤は両防御が功を奏し、シールドはボロボロの穴だらけになったものの本人は大したダメージは負っていない。

 

 すぐさま銃を構え直し、反撃に移ろうとして────。

 

「────まず、一点」

「……な……っ!?」

 

 ────閃光が、堤の額を射抜いた。

 

 穴だらけになった、シールドの隙間。

 

 そこを縫うように木々の奥から放たれた狙撃銃(ライトニング)の精密射撃が、堤の急所を穿つ。

 

『警告。トリオン器官損傷甚大。『緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 トリオン供給脳を貫かれた堤のトリオン体が光に包まれ、四散。

 

 一筋の光となって、遥か彼方へと消え去った。

 

 その光を確認し、七海は薄く笑みを浮かべる。

 

「よくやった、()()

『はいっ!』 

 

 七海はその場で堤を仕留めた狙撃手、茜に通信越しに称賛の言葉をかけた。

 

 茜は元気良く、七海の声に返答した。

 

 

 

 

「おーっと、此処で堤隊員が緊急脱出……っ! 七海隊員の攻撃を何とか捌いていた堤隊員を、日浦隊員がスナイプしたぁ!」

 

 実況席では予想外に早い脱落者に驚嘆し、桜子が大きな声をあげる。

 

 その横で見ていた東は、ふむ、と顎に手を当てた。

 

「今のメテオラは堤隊員をその場に固定し、尚且つ日浦隊員の射線を確保する為のものですね」

「ふむ、というと?」

 

 つまり、と東は続けた。

 

「今回の対戦マップの天候は、『濃霧』。レーダーがあるとはいえ、視界は殆ど無いに等しい。()()なら、オペレーターの援護があるとはいえ狙撃を成功させる事は非常に難しいでしょう」

「でも、日浦さんはちゃんと当てたよね。あの人って、そこまで突き抜けた腕を持ってたイメージはないんだけど」

 

 緑川が頭を捻りながら東に話しかけると、東は諭すような口調で答えた。

 

「勿論、日浦隊員の日頃の研鑽の結果ではあります。ですがそれ以上に、今の一撃は七海隊員のアシストがあっての狙撃成功と言えるでしょう」

 

 東は一呼吸置くと、口元に笑みを浮かべた。

 

「…………あのメテオラは堤隊員にシールドの使用を強制してその場に留まらせただけではなく、爆発によって()()()()()()()()()()()()()()目的もあったワケです」

 

 恐らく、と前置きして東は続けた。

 

「七海隊員は日浦隊員を後方に控えさせた上で突貫し、『メテオラ』を使用。『メテオラ』の爆発によってその場所の霧が晴れた事で日浦隊員が堤隊員の()()に成功し、狙撃を行う事が出来たワケです」

 

 しかも、と東は付け加えた。

 

「この場合、霧が晴れたのは一瞬なので日浦隊員の位置は恐らく割れていない。そしてメテオラの爆発音で、日浦隊員の移動音も掻き消せる。天候を活用した、良い戦術と言えるでしょう」

「…………成る程。七海隊員は、そこまで考えていたのですね」

 

 東の解説に相槌を返し、桜子は実況に戻る。

 

「さあ、那須隊の奇襲で隊員を一人失った諏訪隊……っ! これは苦しいか……っ!? 霧を隠れ蓑にする那須隊に、どう対抗する!?」

 

 

 

 

「ちぃ、やってくれるぜ……っ!」

 

 目の前で仲間を落とされた諏訪が、ショットガンで七海を狙う。

 

 しかし七海は危なげなく散弾を回避し、そのまま距離を詰めて来る。

 

 その歩法、正に暗殺者の如し。

 

 早くも隊員を落とされた焦りもあり、諏訪の額に冷や汗が浮かぶ。

 

「相変わらず戦闘中は無口なヤローだな、おい……っ!」

 

 片手のショットガンだけでは、回避能力に優れた七海の相手は出来ないと判断したのだろう。

 

 諏訪は防御を捨て、両腕にショットガンを装備。

 

 両攻撃(フルアタック)で一斉掃射し、広範囲に弾丸をばら撒いた。

 

「──────」

 

 七海は、諏訪がショットガンを装備した段階で 一斉射撃の範囲を察知。

 

 グラスホッパーを起動し、素早い動きで樹上に退避する。

 

「おっと……っ!」

 

 ガキン、という音と共に諏訪の額を狙った弾丸が彼の顔の前に局所的に展開されたシールドによって防がれる。

 

 防御力を一点集中したシールドにより、両攻撃の隙を狙った狙撃は失敗に終わった。

 

「────メテオラ」

 

 しかし、七海達の攻撃は続く。

 

 木上に跳び上がった七海は頭上から分割したメテオラのトリオンキューブを射出し、地面に着弾した弾丸によって次々と爆発が起きる。

 

 轟音と共に諏訪が盾にしていた木が薙ぎ倒され、諏訪は間一髪で退避して木の下敷きになる事を回避する。

 

「く……っ!」

 

 更に、メテオラの爆撃の隙間を縫うような動きで七海が飛来。

 

 スコーピオンを振り下ろし、諏訪がそれをシールドで防御する。

 

「────メテオラ」

「うぉ……っ!」

 

 そして、七海は()()()()()()()()()()使()()

 

 諏訪は慌てて後退するが、またもや爆発の隙間を縫う動きで七海が肉薄する。

 

 爆撃で移動範囲が狭められている上、七海にはグラスホッパーがある。

 

 機動力では七海が圧倒的に上である以上、完全な逃げに走るのも難しい。

 

 完全に、七海の戦術に諏訪は絡め取られていた。

 

 

 

 

「出たぁ────っ!! 七海隊員のメテオラ殺法……っ! 一度あれを喰らうと抜け出すのは厳しいぞお……っ!!」

 

 実況席で、桜子が大袈裟なリアクションで絶叫する。

 

 その間にも画面の中では七海が次々とメテオラを使用し、爆撃と斬撃の合わせ技で諏訪を追い詰めていた。

 

 その様子を見ていた緑川があちゃー、と声をあげる。

 

「あれに捕まると、抜け出すのは難しいからね。しかも諏訪さんはグラスホッパーを持ってないし、そう身軽なワケじゃない。このままだと、落ちるのは時間の問題かな」

「まあ、あんな真似が出来るのは彼だけでしょうからね。ほぼ固有の戦法であり、しかも対応が難しい。攻撃手と銃手の立ち回りの差を差し引いても、諏訪の不利は否めません」

 

 緑川と東が、それぞれの視点から補足を入れる。

 

 攻撃手としての見たままの感想を告げる緑川を、客観的な視点から東がフォローする。

 

 解説の相性という点では、中々のものと言えるだろう。

 

「七海隊員のメテオラ殺法は至近距離でメテオラを爆破し、それと同時に斬り込む独自のスタイルですからね。メテオラを至近距離で使う場合は相打ち狙いが殆どですが、七海隊員に限って言えばその常識は通用しません……っ!」

「七海先輩は、どう動けば当たらないか完全に()()()()からね。他の人じゃ、あんな真似はできないよ」

「ああ、自分の強みを最大限に活かしている。良い戦法と言えるだろう」

 

 ただし、と東は付け加える。

 

「────これは、集団戦だ。個人技能だけじゃ、結果は決まらない。そろそろ、()()ぞ」

 

 

 

 

「────旋空弧月」

 

 ────不意に、斬撃が襲い来る。

 

 木々を切り倒しながら振り下ろされたその()()()()()は、正確に七海の背を狙っていた。

 

「…………っ!」

 

 七海は背後には目も向けずにそれを察知し、その場から飛び退いて斬撃を回避する。

 

 彼に斬り込まれていた諏訪も慌ててその場から退避し、斬撃は地面を斬るのみに終わった。

 

「……鋼さん……」

「随分気合い入ってるじゃないか、七海。俺も、混ぜてくれないか?」

 

 その斬撃を放った相手が、木の影からゆっくりと歩み出る。

 

 表情があまり変わらないと言われがちな彼は、その眼に闘志を漲らせて七海達を見据えている。

 

 ────NO4攻撃手、村上鋼がこの場での戦闘に介入した瞬間だった。




 七海くんの簡易版ステータス紹介です。

『七海玲一』

トリオン:10 
攻撃:8 
防御・援護:7 
機動:10 
技術:9 
射程:4 
指揮:5 
特殊戦術:6 
TOTAL 59

 トリガーセット

『メイン』 スコーピオン シールド グラスホッパー メテオラ 
『サブ』 スコーピオン シールド グラスホッパー バッグワーム

 これが七海くんの基本のトリガーセットとなります。


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Assault soldier

「七海隊員と諏訪隊員の戦いに、村上隊員が乱入……っ! 戦況は三つ巴の様相を呈して来たぁ……っ!」

 

 画面に映る七海、諏訪、村上を見ながら桜子がオーバーリアクションで実況する。

 

 息もつかせぬ展開に、会場全体が沸いている。

 

 七海と日浦の鮮やかな連携による堤撃破や、七海の派手なメテオラ殺法。

 

 そして、そこに満を持してNO4攻撃手(アタッカー)村上鋼がやって来たのだ。

 

 これで、盛り上がらない方がどうかしている。

 

「諏訪隊員を追い詰めた七海隊員でしたが、村上隊員の乱入によって取り逃がした形となります。これは七海隊員としては悩ましい展開か……っ!」

「まあ、ある意味では当然の展開ではあります。七海隊員の戦法の()()上、こうなるのは必然かと」

「ふむ、それはどういう……?」

 

 東の言葉に桜子が反応し、東は丁寧に解説する。

 

「メテオラ殺法と呼ばれる七海隊員の戦法は、メテオラを狭い範囲で乱打するのが特徴です。メテオラはただでさえ、爆発の時大きな音と光を発します」

 

 つまり、と東は続けた。

 

「それを連続で使用しているのですから、天候が『濃霧』であっても音と光を頼りに七海隊員の場所に辿り着く事は容易です。いわば、大声で自分の居場所を喧伝しているようなものですからね」

 

 確かに、東の言う通りメテオラは()()()()()()()()という性質上非常に目立つ。

 

 それを連続で使っているのだから、居場所がバレるのもある意味当然だ。

 

「成る程、それで村上隊員はベストタイミングでの乱入に成功出来たワケですね。来馬隊長と別役隊員もすぐに合流出来る位置にいますし、メテオラ殺法の弱点がこんな形で響いて来るとは……」

 

 桜子は感心するようにうんうんと頷き、実況に戻ろうとする。

 

 だが、桜子の発言に気付いた東が待ったをかけた。

 

「いや、それは違うぞ」

「え……?」

 

 キョトン、とする桜子に対し、東は苦笑いを浮かべながら告げる。

 

「俺は、七海の戦法の()()と言ったんだ。()()だと、言った覚えはないぞ」

 

 

 

 

「行くぞ」

「……っ!」

 

 村上は左手にシールドモードの『レイガスト』を、右手に『弧月』を構え、七海に斬りかかる。

 

 七海はそれに応じて村上と斬り合う────事はせず、即座にグラスホッパーを起動。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、木上へ跳躍する。

 

「喰らいやがれ……っ!」

「当たれ……っ!」

 

 上に跳んだ七海の姿を見た諏訪と、村上の背後から飛び出して来た来馬がそれぞれショットガンとアサルトライフルを構え、アステロイドの弾丸を放つ。

 

「────」

「は……っ!?」

「え……っ!?」

 

 七海はひらりと空中で身を躍らせると、木々を足場に三次元機動を展開。

 

 木の幹を蹴り、枝を掴んでくるりと回り、木から木へと曲芸じみた動きで移動。

 

 弾丸の雨の中を恐れもせずに潜り抜け、来馬の側面に着地する。

 

 間髪入れず、右手にスコーピオンを構えた七海が来馬に斬撃を見舞う。

 

「させるか」

「……っ!」

 

 だが、それを見越して来馬に近付いていた村上がレイガストのシールドでスコーピオンを受け止める。

 

 返し刀で村上が弧月を振るおうとして────その刃は、空を切る。

 

「何……っ!?」

 

 七海はレイガストに接触したスコーピオンを、その場で手放し破棄。

 

 大きく身を屈ませ、村上の斬撃を回避。

 

 そのまま足からスコーピオンを出して蹴りを放ち、村上の脚部を狙う。

 

「舐めるな」

 

 だが、村上は即座に対応。

 

 振り抜いたばかりの弧月を逆手持ちに切り替え、足元の七海を突き刺さんとする。

 

「────勿論、舐めてはいませんよ」

「な……っ!?」

 

 だが、またもや七海はスコーピオンを即座に破棄。

 

 七海の足が蹴り飛ばしたのは村上の足ではなく、その手前に展開したグラスホッパー。

 

 思い切りグラスホッパーを踏み込み、七海はその場から低空姿勢のまま離脱する。

 

「へっ、寄って来て貰えて助かるぜ……っ!」

 

 その離脱先には、諏訪がショットガンを構えて待ち構えていた。

 

 自分の所にわざわざ突っ込んできてくれた七海を蜂の巣にせんと、諏訪はショットガンの引き金を引き────。

 

「────メテオラ」

「うお……っ!?」

 

 ────引き金を引き切る前に、七海が展開したメテオラが爆発。

 

 爆発の光に視界が塞がれ、七海の姿を見失う。

 

「こなくそ……っ!」

 

 諏訪は、それでも攻撃を敢行。

 

 ショットガンの引き金を引き絞り、アステロイドの散弾を発射する。

 

「……っ!」

 

 …………だが、その弾丸を受け止めたのは村上のレイガストだった。

 

 七海の姿は、何処にもない。

 

 今のメテオラは、諏訪と村上の手前────つまり、二人の視界を塞ぐ位置で爆破された。

 

 その一瞬で諏訪と村上は七海の姿を取り逃し、彼を狙った諏訪の散弾は敢え無く村上のレイガストへと吸い込まれたのだ。

 

 諏訪のショットガンは、射程がそれ程長くない代わりに威力に特化したトリガーだ。

 

 硬い事で知られるシールドモードのレイガストと言えども無傷では済まず、多少なりとも罅割れが出来ていた。

 

 致命的な損傷ではないものの、二度三度と続けば分からない。

 

 まんまと、七海にしてやられた形になる。

 

「────メテオラ」

 

 だが、七海は止まらない。

 

 木上から無数の分割されたメテオラのトリオンキューブが降り注ぎ、広範囲を爆発が埋め尽くす。

 

「どわあ……っ!」

「……っ!」

「うわあ……っ!」

 

 諏訪と来馬はシールドを、村上はレイガストを盾にしつつ爆破範囲から後退。

 

 その隙を突いて、爆発の隙間を縫うような動きで七海が駆け降りる。

 

 来馬の背後に着地した七海は、スコーピオンを繰り出した。

 

 村上のフォローは、間に合わない。

 

 一瞬遅れて七海に背後を取られた事に気付いた来馬だが、一手遅い。

 

「先輩……っ!」

 

 そこで、後方にいた太一が来馬のピンチにたまらず行動。

 

 七海目掛けて、『イーグレット』で狙撃する。

 

「──────」

 

 当然、七海はサイドエフェクトでその狙撃を感知。

 

 ひらりと身を躱し、太一の狙撃を回避。

 

 だが、太一にとってはそれで充分。

 

 一瞬の時間を稼いだ事で、来馬はその場から飛び退き、村上が来馬の前に出る。

 

「────二点」

「……え……っ!?」

 

 だが、それすら七海の手の内。

 

 森の奥から飛来した『ライトニング』の弾丸が、太一の額を貫通。

 

 ────カウンタースナイプ。

 

 狙撃手が最も警戒しなければならないそれを受けてしまった太一はトリオン伝達脳を破壊され、致命。

 

『トリオン供給機関破損。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 脱落は、避け得ず。

 

 無機質な機械音声と共に、『緊急脱出』の証である光の柱が立ち上った。

 

 

 

 

「またしても日浦隊員の狙撃が炸裂ぅ……っ! 隊長のカバーに入った別役隊員が、カウンタースナイプにより落とされたぁ……っ!」

 

 桜子の実況と共に、会場に歓声が沸き上がる。

 

 誰もが、目を見張っていた。

 

 確かに、今の一撃は茜が成し得た得点である。

 

 だが、その狙撃を成功させたのが七海の驚くべき乱戦での立ち回りにある事は最早言うまでもない。

 

 会場の誰もが、乱戦を自分のものとしてコントロールし切った七海の動きに瞠目していた。

 

「七海隊員は()()()()()()()()()()ので、ああいった乱戦はむしろ得意なんです。むしろ、1対1の状況より多対1の状況の方が七海は活躍出来るんですよ」

 

 つまり、と東は告げる。

 

「あのメテオラ殺法は、敢えて自分の居場所を喧伝して多対1の乱戦へ誘導する目的もあったワケです。多くの相手を引き寄せるのは、むしろ七海としては願ったり叶ったりの筈です」

「そういう意味じゃ、ゾエさんの『適当メテオラ』にも似てるよね。ゾエさんと違ってスピードがずば抜けてるから、場をしっちゃかめっちゃかにしながら好きに移動出来るし」

 

 東の言葉に、緑川も賛同する。

 

 確かに、説明されてみると七海の動きはその全てが乱戦へ誘う為のものである事が分かる。

 

「最初に堤隊員を落としたのは、同方向からの弾幕の()()を減らし、自分の()()()()を広げ易くする為でしょう。その上で『メテオラ』を連打して『鈴鳴第一』を呼び寄せ、敢えて来馬隊長を執拗に狙う事で別役隊員を釣り出す事に成功した」

「『鈴鳴第一』は、来馬先輩が危なくなると絶対フォローに入るからね。七海先輩は村上先輩とも仲が良いし、そういうのも知ってた筈だよ」

「成る程、中々に強かですね……」

 

 七海の取った戦術を解説され、桜子は再び感心して頷いた。

 

 そして、不意に何かを思い出したようにポンと手を叩いた。

 

「今の日浦隊員のカウンタースナイプは、オペレーターが弾道解析して別役隊員の位置を割り出したんですね?」

「ああ、その通りだ」

 

 同じオペレーター故に今の狙撃の絡繰りに気付いた桜子の意見を、東が肯定する。

 

「太一は、この霧の中でも狙撃を可能とする為に七海達からそう離れていない場所に隠れていた。そのお陰で来馬のフォローが可能だったワケだが、逆に言えば七海が太一を()()出来る位置まで近付いてしまったとも取れる」

「現場での自分の隊の隊員の観測結果があれば、位置解析の精度は段違いに上がりますからね。まあ、それを差し引いても優秀なオペレートだと思いますが」

 

 桜子はそう零し、あまり話した事のない引き籠りの『那須隊』オペレーターの事を思い出す。

 

 男性恐怖症の引き籠りながらオペレート能力は割と優秀であるという噂は耳にしていたが、その噂が事実であった事を思い知る。

 

 同じオペレーターだからこそ、分かる。

 

 小夜子のオペレート能力は、B級オペレーターの中でも群を抜いている。

 

 以前計測した小夜子のデータは、もうあまり信用しない方が良いのかもしれない。

 

 それだけ、小夜子のオペレート能力は目に見えて上がっていた。

 

 その理由までは定かではないが、事実は事実として受け止めるべきだ。

 

 人知れず感嘆の息を吐く桜子を横目で見ながら、東はコホン、とわざとらしく咳払いをする。

 

 その咳払いで我に返った桜子は、自分の職務(やるべき事)を思い出し、慌てて解説に戻った。

 

「さあ、乱戦が続く限り七海隊員が有利か……っ!? 選んだ地形と七海隊員という新たな戦力を最大限に活用して戦場を荒らし回る『那須隊』に、他の隊はどう対応する……っ!?」

 

 

 

 

「おーおー、七海の奴暴れ回ってるなあ。ま、散々鍛えた甲斐があるってもんだな」

 

 観戦席で、試合を見ていた出水が嬉しそうにそう零す。

 

 同じく七海の暴れっぷりを見ていた太刀川も、そんな出水に同意した。

 

「俺とお前で徹底的に鍛えてやったんだ。どうやら風間さんも一枚噛んでたようだし、このくらい出来るのはむしろ当然だろ」

「というより、太刀川さんが風間さんを紹介したようなモンでしょ? 太刀川さんって、割と弟子には甘い人だったんすね」

「馬鹿言え。俺は単に風間さんとの世間話でぽろっとあいつの事を漏らしただけだ。七海に興味を持ったのは、あくまで風間さんだ」

 

 だが、と太刀川は続けた。

 

「至近距離での乱戦の訓練には、風間隊は絶好の相手だったのは事実だ。あのレベルを捌けるなら、大抵なんとかなるだろう」

「俺も、出来れば七海とは乱戦ではやり合いたくないっすからね。七海は1対1(タイマン)と乱戦じゃ、動きが()()っすから」

「鋼が良い様にやられてるのも、それが理由だろうしな」

 

 太刀川は試合画面を見上げ、ぼそりと零す。

 

「鋼は個人戦では結構七海とやり合ってただろうが、()()()()()()()()()()()を見るのは初めての筈だ。あいつのサイドエフェクトは一度見たものはすぐに学習出来るが、()()()()はどうにもならない」

 

 それに、と太刀川は続ける。

 

「チームとして戦う村上にとって、来馬を狙われるのはかなりやり難い筈だ。あいつが条件反射で来馬を守る事が分かっている以上、七海がそこを突かない手はない」

「実際、徹底して来馬先輩を狙ってますもんね。ああいう七海のクレバーなトコ、俺好きですよ」

「ま、那須が関わらなけりゃあいつの判断能力は大したもんだからな。この試合も、多分ありゃ鋼とまともにやり合う気はないな。あくまで戦術で、試合を有利に運ぶつもりだ」

 

 確かに、七海はこれまで村上とまともに打ち合おうとはしなかった。

 

 乱戦で立ち回る為に打ち合う事より移動と『メテオラ』による攪乱に徹底していたという理由もあるのだろうが、七海が普段から村上と個人戦で戦っている以上まともにやり合えばどちらが有利なのかは分かり切っている。

 

 だからこそ、七海は正面から村上と打ち合う事はしなかった。

 

 個人技ではなく戦術で、彼を倒して点を取る為に。

 

 七海は、個人の拘りを捨ててチームでの勝利を目指している。

 

 あれは、そういう動きだった。

 

「今の攻防で、日浦の援護を受けた七海の()()()は全員が思い知った筈だ。まともにあいつとやり合いたきゃ、日浦を先に狙うのもありなんだろうが────」

 

 そこまで言うとニィ、と太刀川は盛大に口元を歪めた。

 

「────あいつ等は、大事な事を忘れてるぞ。七海の()()()は、そろそろ仕上げだ」

 

 太刀川の、視線の先。

 

 そこにあったのは、MAPの全体像。

 

 各隊員の位置を記した、俯瞰図だった。




 ななみん大暴れ。初陣なので無双中です。

 明日は更新出来ませんが明後日は更新しまーす。


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Assault unit

「太一……っ!?」

「く……っ! やってくれたな……っ!」

 

 太一の緊急脱出(ベイルアウト)で動揺した来馬を庇いながら、村上は今の狙撃が来た方向────即ち、茜がいるであろう方向を見据えた。

 

 乱戦という得意分野(フィールド)を最大限に活用しながら縦横無尽に立ち回る七海を相手にする上で、狙撃手の存在はこの上なく厄介だ。

 

 七海に翻弄されるあまり、一瞬でも狙撃手たる日浦茜の事を無意識のうちに軽く()()()()()()()()事が悔やまれる。

 

 茜は堤を狙撃で『緊急脱出』させた後は、諏訪が防いだ一撃を放って以来、全く撃って来なかった。

 

 最初は単純に乱戦になったが故に介入する暇がなくなったのだと判断していたが、今なら分かる。

 

 茜は、ずっとこの瞬間を狙っていたのだ。

 

 即ち、七海が乱戦の中で鈴鳴第一の狙撃手である太一を釣り出すその瞬間を。

 

 この三つ巴の戦いの中で、狙撃手は『那須隊』の茜と『鈴鳴第一』の太一のみ。

 

 そのうち片方が落ちれば、主戦場の()()から仕掛けられる手札(カード)がなくなった方が不利になる。

 

 七海相手に狙撃で仕留める事は難しいものの、それでも牽制や茜への抑えなど出来る事は幾らでもあった。

 

 それを、今の一撃で覆された。

 

 認めなければならない。

 

 日浦茜。

 

 彼女は、優秀な狙撃手(スナイパー)だ。

 

 つい先日マスタークラスに至ったばかりだというが、とんでもない。

 

 確かに、彼女の師匠である奈良坂やNO1狙撃手である当真等と比べれば個人技という点では劣るかもしれないが────。

 

 ────()()()()()()()()()()()()()()()()として見るならば、既にその技術は高みの(きざはし)に足をかけている。

 

 厄介なのは、七海だけではない。

 

 警戒が必要だ。

 

 これまで以上に、強く、鋭く。

 

 村上はそう考え、()()()()への警戒度を引き上げた。

 

 

 

 

「チィッ、こりゃ面倒な事になったぜ……っ!」

 

 一連の流れを見ていた諏訪は、盛大に舌打ちした。

 

 堤を七海の奇襲で落とされた時から、諏訪は状況に翻弄されるばかりで何の戦果も挙げられていない。

 

 村上の乱入で乱戦となった時には隙を突くチャンスだと考えたが、それは大きな誤りだった。

 

(ったく、何が()()()()()()()()()()()だっての……っ! 俺ぁ馬鹿か。カゲの奴と似たようなサイドエフェクトを持ってる時点で、()()()()()()()()事は予想出来ただろーによ……っ!)

 

 ランク戦開始前の、ミーティング。

 

 その時に笹森が引っかかっていた点が、これだったのだ。

 

 七海と同じく()()()()()()()()性質を持つサイドエフェクトを持つ影浦は、()()()()()事で有名だ。

 

 何処から攻撃が来るか分かっているのだから、多人数が入り乱れる乱戦ではその強みを最大限に活かす事が出来る。

 

 それを知っていたからこそ、七海のサイドエフェクトに()()()を感じてそれが引っかかっていたのだ。

 

 だが、後悔してももう遅い。

 

 既に、自分達は七海の術中に嵌まってしまっていた。

 

(こうなったら、なんとか村上の漁夫の利を狙うしかねえ……っ! 笹森が()()を片付けるまでの間、なんとか七海の奴を抑えねえと……っ!)

 

 村上はどうやら、自分達の隊の狙撃手をスナイプした日浦を狙おうとしているらしい。

 

 目線を狙撃があった方向に向け、少しずつ歩を進めている。

 

 あからさまに()()()()()()()と喧伝しているようだが、あれは恐らく諏訪への挑発だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()という、言外のアピールである。

 

 来馬もこちらに視線を向けている事から考えても、『鈴鳴第一』が諏訪との共闘を望んでいる事は間違いない。

 

 そして、諏訪に残された手はそれしかないのも事実だった。

 

「チッ、やってやるぜ……っ!」

 

 諏訪はその場から駆け出し、七海の側面を狙える位置に移動。

 

 村上達を巻き込まない場所を確保し、ショットガンの引き金を引いた。

 

「────」

 

 七海はサイドエフェクトでその銃撃を感知し、グラスホッパーにより木上へ向け跳躍。

 

 周囲にメテオラのトリオンキューブを精製し、射出しようとする。

 

「────旋空弧月」

 

 だが、そこで村上が旋空弧月の拡張斬撃を放つ。

 

 最大限に拡張されたブレードが、周囲の木々を両断しながら振るわれる。

 

 当然ながらそれを察知していた七海は、メテオラを破棄しグラスホッパーを用いてその場から離脱。

 

 今度は別の木の枝に着地し、そのまま三次元機動を行おうとする。

 

「────旋空弧月」

「……っ!」

 

 しかし、村上は更に旋空弧月を振るう。

 

 無数の木々を両断しながら振るわれた拡張ブレードにより、森の木々が伐採され僅かではあるが見通しが良くなっている。

 

 今のは、七海本人を狙って放たれた斬撃というよりは────木々の数を減らし、七海の三次元機動を封じる目的で振るわれたものだ。

 

 この戦場を七海がコントロール出来ている原因の一つに、無数の木々を足場とした七海の三次元機動がある。

 

 射線が通ってしまうのは痛いものの、三次元機動と狙撃の射線、そのどちらかを封じなければそもそもの勝ち目がなくなる。

 

 ならばどちらを取るかは、自明の理であった。

 

「おらあ……っ!」

「当たれ……っ!」

 

 足場が減り、機動力が減衰した七海目掛けて諏訪のショットガンと来馬のアサルトライフルの銃口が火を噴いた。

 

 アステロイドの銃撃の雨が、広範囲に渡って降り注ぐ。

 

「────」

 

 それに対し七海が取った対応は、至極単純。

 

 グラスホッパーをメインとサブでフル起動し、周囲一帯に大量のジャンプ台を展開。

 

 無数に出現したグラスホッパーを足場に、超高速の三次元機動を行った。

 

「な……っ!?」

「『乱反射(ピンボール)』……っ!?」

 

 『乱反射(ピンボール)』とは、A級隊員緑川が得意とする事で知られているグラスホッパーを用いた三次元機動技術だ。

 

 大量に分割したグラスホッパーを一定範囲内に展開する事で、地形に左右されない三次元機動を展開する。

 

 緑川の代名詞とも言えるそれを、七海は高精度で再現している。

 

 諏訪と来間の銃撃は空を切り、高速で移動する七海の位置を二人は把握出来ていない。

 

『諏訪さん後ろ……っ!』

 

 通信越しに、緊急脱出してオペレーターの小佐野と一緒にいる堤の声が響く。

 

 ぎょっとして後ろを振り向くと、そこにはスコーピオンを振り上げた七海の姿。

 

 既に回避出来るような距離ではなく、諏訪はシールドの範囲を狭めてスコーピオンの前に展開する。

 

「く……っ!」

 

 鈍い音が鳴り、七海のスコーピオンが諏訪のシールドに受け止められる。

 

 範囲を狭めて張ったお陰で、シールドは罅割れたものの諏訪にまでは攻撃は通っていない。

 

 諏訪はそのままショットガンを構え、反撃に繋げようとして────。

 

「────三点」

 

「……がっ……っ!?」

 

 ────シールドを迂回するように放たれた、無数の『変化弾(バイパー)』によって全身を打ち貫かれた。

 

「『バイパー』、だと……っ!? まさか……っ!」

 

 諏訪は、そこで初めて気付く。

 

 これまでの戦闘では七海と茜に散々掻き回され、その二人の対策に追われていた。

 

 しかし、思い出して欲しい。

 

 彼等の属する隊の名は、その隊長は────果たして、()であったかという事を。

 

「那須か……っ!」

 

 ────卓越した『変化弾(バイパー)』の使い手にして、七海達が属する『那須隊』の隊長。

 

 那須玲。

 

 その彼女が、切り倒された木の幹の上に足を乗せ、こちらを睥睨していた。

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 そして、諏訪のトリオン体が崩壊し、『緊急脱出』の光が立ち上る。

 

 七海と、那須。

 

 『那須隊』が誇る二人のエースが、遂に戦場で合流を果たした。

 

 

 

 

「此処で那須隊長が『バイパー』で奇襲ぅ……っ! 鈴鳴第一と共闘の構えを見せた諏訪隊長、此処で『緊急脱出』です……っ! 得点は、那須隊のみが三点先取で大幅リード……っ! この勢いはもう止められないかぁ……っ!?」

 

 奇襲で諏訪を落とすという劇的な登場を果たした那須の姿に会場が沸き上がり、桜子もノリノリで実況音声を響かせる。

 

 試合は、既に『那須隊』の独壇場。

 

 あまりにも鮮やかな展開に、皆度肝を抜かれていた。

 

「諏訪も『鈴鳴第一』も、七海と日浦に意識を集中させ過ぎましたね。二人の連携の厄介さを印象付けて、あの場で最も警戒しなければならない那須の合流を悟らせなかった。完璧に、『那須隊』の作戦が嵌まっていますね」

「つまり、七海隊員の暴れっぷりと日浦隊員のアシストの巧みさに目を向けさせて、那須隊長の事を意識の外に追いやらせたという事ですか」

 

 桜子の言葉を、東は頷いて肯定する。

 

「はい、七海が使った『乱反射(ピンボール)』は勿論攻撃の回避の為でもあったのでしょうが、一番の目的は自分の技に目を惹きつけて那須の奇襲を成功させる為でしょうね」

「成る程、見事な『乱反射(ピンボール)』でしたからね。眼を奪われるのも無理はありません。そのあたり、『乱反射』の使い手として有名な緑川くんはどう見ますか?」

 

 桜子に話を向けられ、緑川はうーん、と困ったような顔をした。

 

「どう見るっていうか…………そもそも、七海先輩に『乱反射』教えたの俺だしね」

「え……? そうなんですかっ!?」

「うん。とは言っても、七海先輩に頼まれて目の前で乱反射を繰り返し見せただけだけどね」

 

 俺、教えるの苦手だから、と緑川は苦笑する。

 

「いつだったかなあ…………七海先輩が突然俺の所に来て、乱反射を見せて欲しいって言うから個人戦に付き合って貰えるなら、って事で引き受けたんだ。個人戦の中なら、遠慮なく乱反射を使えるし」

 

 緑川は当時の状況を思い出すように、遠い目をしながら語った。

 

「前半は七海先輩が乱反射を試そうとして動きが乱れたから四本は取れたけど、そのあたりで乱反射を大体覚えちゃったみたいでね。最終的には4:6で負けちゃったんだ。他にも色んな人から指導を受けてるらしいし、ホント七海先輩って勤勉だよね」

「そのような事が…………だから緑川くんは、七海隊員が乱反射を使った時も驚かなかったんですね」

 

 桜子の言う通り、緑川は自分の十八番である乱反射を七海が使用したところを見ても、おお、と感嘆する声はあげていたが、使った事そのものに関しては驚いてはいなかった。

 

 あれはそもそも七海に『乱反射』を教えたのが緑川当人であった為、七海が乱反射を使える事を予め知っていたが故の反応だったのだろう。

 

「そうだね。それはそうとして…………東さん、この状況って……」

「…………ああ、一番組ませてはいけない二人が揃ってしまった事になるな」

「へ……? それはどういう……」

 

 事ですか?と聞く桜子に対し、東は苦笑しながら答えた。

 

「すぐに、分かりますよ。あの二人が揃う事が、どういう事なのかはね」

 

 

 

 

「────メテオラ」

「く……っ!」

「……っ!」

 

 戦闘再開の合図となったのは、七海のメテオラだった。

 

 無数の爆発が村上達の周囲で連鎖し、彼等の行動を縛る。

 

「────行って」

 

 そこに、三次元軌道を描きながら飛来する那須の『変化弾(バイパー)』が降り注ぐ。

 

「く……っ!」

 

 二人はシールドを固定モードで使用し、全方位から襲い来るバイパーを防御。

 

 なんとか攻撃を凌いだ後、来馬は反撃の為アサルトライフルを放つ。

 

「────」

 

 だが、那須はすぐさま木々を足場にした三次元機動を展開。

 

 木々の間を縦横無尽に跳び回りながら、再びバイパーを射出する。

 

「────メテオラ」

 

 走って『バイパー』から逃れようとする二人の進行方向に、七海のメテオラが降り注ぐ。

 

 逃走をによる回避を諦めた二人は、その場で固定シールドを展開。

 

 全方位から襲い来る那須のバイパーを、なんとか受け止めようとするが……。

 

「────」

「く……っ!」

 

 そこに、弾丸の隙間を縫うような軌道で七海がスコーピオンを振り被り追撃。

 

 バイパーの集中砲火で脆くなっていたシールドを割り砕き、村上のレイガストによってスコーピオンが止められる。

 

「────」

「……っ!」

 

 しかし、彼等の猛攻は止まらない。

 

 その場に七海がいるにも関わらず、那須は躊躇なくバイパーを発射。

 

 美しい軌道を描く変幻自在の弾丸が、再び彼等に迫り来る。

 

「くぅ……っ!」

 

 来馬と村上は、再び固定シールドを展開。

 

 全方位から襲い来るバイパーを、再び防ごうとする。

 

「な……っ!?」

「うわあ……っ!?」

 

 だが、全方位から降り注ぐと思われたバイパーは、直前で軌道を変更。

 

 シールドの一点に向けて全ての弾丸が収束し、那須の弾丸は範囲を広げる為に強度が下がっていたシールドを貫通。

 

 二人の身体に降り注ぎ、少なくないダメージを与えた。

 

「く……っ!」

 

 その隙に追撃を加えようとした七海に向け、村上は弧月を振るう。

 

 しかし即座にスコーピオンを破棄した七海は、グラスホッパーで上空へ跳躍。

 

 那須と共に、再び三次元軌道を展開した。

 

 

 

 

「こ、これは凄い……っ!? 那須隊長、七海隊員の両名が縦横無尽に三次元機動を展開しながら『鈴鳴第一』を翻弄……っ! 『鈴鳴第一』、防戦一方でまともな反撃が出来ていない……っ!」

 

 七海と那須、二人の鮮やかな戦術を目のあたりにして、桜子は瞠目しながらもノリノリで実況を飛ばす。

 

 会場の盛り上がりは最高潮に達しており、歓声が痛いくらいである。

 

「見ての通り、七海と那須はどちらも機動力に特化しています。そして知っての通り那須はバイパーのリアルタイム弾道制御という強力な武器が、七海には類稀なる()()()()が備わっています」

「あの二人が組むと、こうなっちゃうんだよね。一度双葉と組んでやり合ってみた事があるんだけど、全然歯が立たなかったんだ。少なくとも、飛び道具もなしだと戦いにすらならないよ」

 

 だって、と緑川は付け加えた。

 

「二人揃ってあのレベルで動ける上に、どう飛んでくるか分からないバイパーと動きを制限する為のメテオラが次々やって来て、前に出ようとしても七海先輩に止められちゃう。ハッキリ言って、あの二人が組んだら殆ど敵なしだよ」

「敵なしは言い過ぎかもしれませんが、厄介な布陣である事も確かです。狙撃手がいれば少なくとも那須の動きはある程度制限出来ますが、今回はそれもない」

 

 恐らく、と東は付け加える。

 

「太一を狙ったのは、那須の動きの自由度を上げる為でしょう。狙撃がなければ、上に跳んでも狙い打たれる可能性はなくなりますからね」

「つまり、此処までの展開は全て『那須隊』の計算づくだったと」

「そういう事です。相当しっかり作戦を練って来ていますね、彼女達は」

 

 惜しみない称賛の言葉を口にする東に、桜子はただ感心している。

 

 この試合、最初から今に至るまで全てが『那須隊』の掌の上で進んでいる。

 

 試合展開を完璧に、コントロールし切っている。

 

 その手管を、東は素直に称賛していた。

 

 桜子は意識を切り替え、画面に目を向ける。

 

 そこには、機動力を武器に村上達を翻弄する『那須隊』の姿。

 

 その鮮やかな手並みを視界に収めながら、再びマイクを握り締めた。

 

「さあ、このまま『那須隊』の独壇場で終わるのか……っ!? 試合も既に、大詰めとなって参りました……っ!」

 

 

 

 

「…………これは、決まりだな」

 

 会場の上層、特別観戦席。

 

 そこから一つの画面を見ていた風間は、口元に笑みを浮かべながら呟く。

 

「あいつ等の、作戦勝ちだ」

 

 風間はそう告げ、じっと画面を見据えていた。



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Perfect game

「……くお……っ!?」

 

 鈍い音と共に、諏訪の生身の身体が『緊急脱出』用の黒いベッドに受け止められる。

 

 目に映るのは、見慣れた天井。

 

 自分が那須にやられて緊急脱出した事を今更ながら実感し、諏訪は溜め息を吐いた。

 

「ったく、今回いいトコなしだな俺ぁよ。後は笹森に任せるっきゃねぇか」

 

 諏訪はそう呟くとベッドから起き上がり、部屋を出る。

 

 するとオペレートの為機器を操作している『諏訪隊』オペレーターの小佐野瑠衣(おさのるい)と堤が諏訪に気付き、声をかける。

 

「諏訪さん、お疲れ様です」

「おつ~、諏訪さん一点も取れなかったね~」

「ったく、言われなくても分かってるっつーの」

 

 丁寧に諏訪を労う堤とは対照的に軽口でからかう小佐野に、諏訪は苦笑する。

 

 口は少し悪いが、敢えて軽く言う事で諏訪をフォローしているつもりなのだろう。

 

 そのあたりの事が分かるくらいには、小佐野との付き合いは長かった。

 

「とにかく、もう勝ちはなくなったにしても一発はぶちかましてやりてえからな。笹森を全力でフォローすっぞオラ」

「実際にやるのは殆ど私だけどね~」

「うっせ、気分だよ気分」

 

 小佐野と軽口を言い合った後、諏訪は通信越しに笹森に声をかけた。

 

「笹森、悪ぃが後は頼んだぜ。()()、取って来いや」

『了解です、諏訪さん……っ!』

 

 諏訪の激励に、笹森は通信越しに力強く答えた。

 

 

 

 

(…………もうすぐ、日浦さんの背後を取れる)

 

 一人、笹森は森の中を進んでいた。

 

 遠くでは光と爆音が繰り返し響き渡っており、今も尚主戦場では『那須隊』と『鈴鳴第一』が激突しているようだ。

 

 無論、その戦場に加わる気は笹森にはない。

 

 自分が行って、どうこうなる場所ではない事は痛い程理解している。

 

 何故なら、あそこで戦っている人達は皆自分より強い。

 

 NO4攻撃手である村上は言うに及ばず、七海も以前個人戦でボロ負けしているし、那須もあの弾幕を掻い潜って本人に斬り込むのはもう仲間の支援が望めない笹森には不可能だった。

 

 三人程突出した能力は持っていないが、来馬は村上のサポーターとしての能力は決して侮れるものではない。

 

 本人はあまり自分が強いとは思っていないようだが、村上の動きを理解した的確なサポート能力は安定感があり、判断能力もそう悪くない。

 

 正直、村上と来馬のコンビとは正面から当たりたくないというのが本音だ。

 

 それに対して自分は、何か尖った強みがあるワケでもない。

 

 笹森の基本的な動きは諏訪と堤が銃撃している間のシールドでの護衛役、もしくは銃撃している最中に『カメレオン』で接近してシールドを割りに行く事だ。

 

 部隊が三人全員揃っているのであればある程度活躍出来る自信はあるが、今回は既に諏訪も堤も緊急脱出している。

 

 笹森だけMAPの端に転送されてしまったという運の悪さもあったが、このROUND1でもう自分達の勝利の芽はないだろう。

 

 自分があの主戦場に飛び込めば、即死する。

 

 それは懸念でもなんでもない、ただの厳然たる()()だった。

 

(けど、それでも一矢報いる事は出来る……っ!)

 

 だが、笹森は全てを諦めたワケではなかった。

 

 今こうして笹森がバッグワームを使いながら森の中を駆けているのは、唯一主戦場から離れた相手────日浦茜を仕留める為だ。

 

 茜はこの試合で二点を捥ぎ取り、隊を的確にサポートする目覚ましい活躍を遂げた。

 

 しかし、狙撃手である以上攻撃手に接近されればどうしようもない。

 

 彼女がメインで使っているのは速射性のあるライトニングではあるが、自分にはカメレオンがある。

 

 茜の姿が見えたらバッグワームからカメレオンに切り替え、狙撃銃が使えないくらい接近して攻撃すれば茜は仕留められる筈だ。

 

 元々、狙撃銃のトリガーは文字通り()()の為の代物で、()()()()()()()()()()は全く想定されていない。

 

 銃手のトリガーとは比べ物にならない射程を持っている代わりに、小回りが利き難いのだ。

 

 そして茜には、元攻撃手である荒船のように接近された場合の明確な対処方法があるワケでもない。

 

 笹森は攻撃手としてはお世辞にも強い部類であるとは言えなかったが、自分の()()に徹する事は出来る。

 

(見えた……っ!)

 

 そして遂に、遠目に茜の姿を視認する。

 

 光と音の炸裂する主戦場を挟んだ、丁度真ん中。

 

 幸い、主戦場から響き渡る爆音で茜が自分の接近に気付いている様子はない。

 

(カメレオン、起動……っ!)

 

 笹森はレーダーから身を隠すマント状のトリガー、バッグワームを解除し、透明化トリガー(カメレオン)を使用する。

 

 トリガーの効力によって笹森の姿が透明化し、見えなくなる。

 

(行くぞ……っ! 速攻で片付ける……っ!)

 

 バッグワームを脱いだ事で、既にレーダーには捕捉されている筈だ。

 

 故に、オペレーターによって位置を特定される前に、至近距離までカメレオンで近付いて倒す。

 

 これしかない。

 

 茜を倒したら、自らの意志で緊急脱出し離脱する。

 

 他の面子相手では勝ちの目等全く見えない以上、それが今出来る最善の筈だ。

 

(獲った……っ!)

 

 笹森は茜の至近まで近付いた所で、カメレオンを解除。

 

 鞘から抜いていた『弧月』を起動状態に切り替え、茜の背に向かって振り下ろす。

 

 これで、ようやく一点。

 

 笹森は、そう確信した。

 

 

 

 

「あーあ、結局見落としたまんまだったか」

 

 観戦席でその様子を見ていた太刀川は、溜め息を吐いた。

 

 そして、()()()()()()を予測し、楽し気な笑みを浮かべた。

 

「────『那須隊』は今、()()いるんだぞ」

 

 

 

 

「え……っ!?」

 

 ────笹森の振り下ろした弧月は、受け止められた。

 

 他でもない、()()の太刀によって。

 

 そして、気付く。

 

 目の前に、長身の少女が立っている。

 

 霧に溶け込むような色合いの()()()()()()()()を纏ったその少女は────()()()()は、鍔の付いた特注の『弧月』を抜刀し、笹森の斬撃を受け止めていたのだ。

 

「熊谷先輩……ッ!? まず……っ!」

 

 まさか受け止められるとは思いもしていなかった攻撃が止められた事に動揺し、笹森の動きが一瞬硬直する。

 

 この場で、それは致命的だった。

 

「あ……っ!?」

 

 弧月を持っていた右手首が、撃ち抜かれる。

 

 視線の先には、ライトニングを構えた茜が銃口をこちらに向けていた。

 

 右手を失った事で弧月を持つ腕は左腕だけとなり、当然かかる力は半減する。

 

「やああ……っ!」

「うあ……っ!」

 

 その隙を逃さず、熊谷が両手で弧月を持ち、下から突き上げるように笹森の弧月を押し戻す。

 

 男性と女性との膂力の差があるとは言っても、笹森は小柄で熊谷は女性にしては比較的長身。

 

 スポーツ好きな事もあって並の男子よりは相当身体を鍛えており、フィジカル面もかなり優秀だ。

 

 そんな彼女の両手持ち弧月を、左腕だけになった笹森の弧月で対処するのは無理があった。

 

 当然の流れとして笹森は弧月を腕から弾き飛ばされ、己の武器を失った。

 

「────はあああ……っ!」

 

 ────そして、一閃。

 

「が……っ!?」

 

 熊谷はそのまま弧月を振り下ろし、動揺していた笹森はシールドを張る間もなく刃を受けた。

 

 それが、致命。

 

 袈裟斬りに両断された笹森の身体は罅割れ、その機能を失っていく。

 

(く…………やら、れた……っ!? 最初から、隠れていたんだ……っ! バッグワームを着て、日浦さんの傍に……っ!)

 

 熊谷がやった事は、至極単純。

 

 バッグワームでレーダーから隠れ、茜の傍に潜んでいた。

 

 そして茜を狙って現れた笹森を迎撃し、茜の援護でこれを仕留めた。

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出』』

 

 機械音声が、笹森の敗北を告げる。

 

 笹森は悔し涙を流しながら、光の柱となって戦場から消え去った。

 

 

 

 

「おーっとぉ、ここで『諏訪隊』最後の一人、笹森隊員が『緊急脱出』……っ! 単独で日浦隊員を狙ったが、バッグワームで隠れて護衛していた熊谷隊員によって返り討ちにされたぁ……っ!」

「完全に、嵌められましたねあれは」

 

 ノリノリの実況を続ける桜子の横で、東が苦笑してそう告げた。

 

「最初は七海、次に日浦、最後に那須隊長の活躍を見せつけて、『諏訪隊』の意識から熊谷の事を失念させた。恐らくこれは、計算づくでしょうね」

 

 東の言う通り、この戦いでは七海を初めとした三人は鮮やかと言える程の戦果を挙げていた。

 

 堤を奇襲で落とし、乱戦を完全にコントロールした七海は言うに及ばず。

 

 茜はその精密射撃で二点を捥ぎ取ったばかりか的確に部隊を掩護し、厄介な相手として印象付けさせた。

 

 那須も鮮やかな奇襲で諏訪を落とし、七海共々高度な機動戦を展開している。

 

 言うならば、この三人を陽動とする事で相手の意識から熊谷の存在を隠したのだ。

 

 熊谷は霧の中では非常に見え難い白いバッグワームで風景に溶け込んでおり、バッグワームを使っている以上レーダーにも映らない。

 

 だからこそ笹森は熊谷の存在に気付かず、不用意に茜に近付いてしまったのだ。

 

「成る程、他の三人が敢えて目立つように動かす事で、熊谷隊員の存在を見落とさせたんですね。今回の『那須隊』は、中々にえぐいですねえ」

「七海先輩は、そういうトコはホントシビアだからね。仲が良い相手でも、戦う時には容赦しない。そういう人だよ、あの人は」

「そういう割り切りが出来る奴は、強いですからね。実戦を想定した訓練である以上、そういった姿勢は見習うべきでしょう」

 

 三人はそれぞれの言葉で七海を称賛し、桜子は大画面に映る映像を主戦場のそれに集中させ、実況を再開する。

 

「さあ、これで残るは『那須隊』の全員と『鈴鳴第一』の二名のみ……っ! 『那須隊』の快進撃が、全く止まらないぞぉ……っ!」

 

 

 

 

「笹森君は駄目だったか……っ!」

「厳しいですね。これは」

 

 遠くで立ち上った『緊急脱出』の光と笹森が落ちた事を伝えるアナウンスを受けて、来馬の顔に焦りが浮かぶ。

 

 『諏訪隊』が茜を仕留める為に笹森を単独で動かしていた事は、彼等も分かっていた。

 

 この戦場に現れていない以上、厄介な狙撃手を獲りに行ったと推測するのはそう難しい事ではない。

 

 狙撃手を仕留めてくれるのは彼等としても助かる為、期待していたのだが…………どうやらそれは、失敗に終わったらしい。

 

「────メテオラ」

「く……っ!?」

「うわ……っ!?」

 

 だが、動揺している暇はない。

 

 七海から無数のメテオラが撃ち込まれ、周囲の地形を穴だらけにしながら二人の視界を爆発が塞ぐ。

 

「──────」

「「『シールド』……ッ!」」

 

 そこに、那須が放った無数のバイパーが全方位から襲い来る。

 

 『鳥籠』と呼ばれるこの那須の戦法相手に今出来る事は、固定シールドで弾丸を防ぐ事のみ。

 

 包囲射撃の弾丸は、固定シールドによって防がれる。

 

 しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()固定シールドの性質上、シールド展開中の移動は封じられる。

 

 厄介なのは、七海と那須の()()()()だ。

 

 先程の村上の旋空弧月で木々が少なくなっている至近距離を七海が駆け回り、そのサイドエフェクトを活かした立ち回りで村上達の動きを封じ込める。

 

 そして、那須はバイパーの射程距離を利用して木々の生い茂った比較的遠い場所を跳び回り、常に移動しながらバイパーを撃ち続けている。

 

 弾幕を張る那須に接近しようにも七海のメテオラで視界も移動経路も塞がれる上、木々が邪魔となって来馬のアサルトライフルでも那須を狙い撃つ事が出来ない。

 

 自分達の強みを活かした、狡猾な位置取りであった。

 

 村上達はそんな二人に翻弄され、今も尚その場から動けずにいる。

 

 そして当然、止まった相手を逃す七海達ではない。

 

「────メテオラ」

 

「く……っ!」

「うぐ……っ!」

 

 七海の手により、メテオラの雨が降り注ぐ。

 

 バイパーを受け止めた事で限界に達していた固定シールドは、その爆発によって砕け散る。

 

「──────仕留める」

 

 そして、その隙を逃さず那須が再びバイパーを放つ。

 

 複雑な軌道を描く無数の弾丸が、村上達に迫る。

 

「来馬隊長……っ!」

「うわ……っ!」

 

 シールドを張り直すのが間に合わないと見た村上は、七海のメテオラ連打によって地面に空いた穴の中に来馬を押し込んだ。

 

 そして自分もその穴の中に飛び込み、レイガストを掲げ穴を塞ぐ()とする。

 

「くうう……っ!」

 

 そして、レイガストにバイパーが着弾。

 

 衝撃に耐えながら、村上はレイガストで弾丸を受け止め続ける。

 

(ん……?  ()()()()()()()()()()()()な……?)

 

 村上は自分のレイガストで受け止めている弾丸のサイズが、先程のそれより細かく分割されている事に気付く。

 

 細かく分割されているという事は、威力を犠牲に弾数を増やしているという事。

 

 しかし、解せない。

 

 レイガストを連続攻撃で割るつもりなら、弾数よりも威力重視で来る筈だ。

 

 バイパーは元々、威力の高い弾丸ではない。

 

 その変幻自在の軌道が売りの、()()()()()()()()()()()()()()トリガーである。

 

 ただでさえ低い威力の弾丸を、穴に隠れて包囲する必要のない相手に必要以上に分割する。

 

 その意味は、なんなのか。

 

「……っ!? まさか……っ!?」

 

 それに気付いた村上は、ハッとなってレイガスト越しに真上を見上げた。

 

 すると自分に向かって降り注ぐバイパーの他に、()()()()()()()()()()()()()()()があった。

 

 そのその着弾位置を確認し、村上は血の気が引いた。

 

 そこには、度重なる爆発で抉られたクレーターの中に設置された、()()()()()()()()()()()()()の姿。

 

 それも、一つや二つではない。

 

 クレーターの中に一定間隔に設置された『メテオラ』のキューブは、合計7つ。

 

 軌道を外れたバイパーの弾丸は、その全てがメテオラのトリオンキューブに向かっていた。

 

 それを視認した村上は慌てて来馬と共に穴から出ようとするが、時既に遅し。

 

「────悪いね、鋼さん。今回は、()()の勝ちだ」

「……っ!!」

 

 ────そして、着弾。

 

 クレーターに設置された七つのメテオラキューブは那須のバイパーが着弾すると共に、起爆。

 

 トリオンキューブは連鎖的に爆発を引き起こし、周囲の地面が下から吹き飛ばされる。

 

 避けようのない至近距離で穴の中に籠っていた村上と来馬は、為す術なくその爆発に呑み込まれた。

 

『戦闘体、活動限界────『緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 機械音声のアナウンスと共に、二つの光の柱が立ち上る。

 

 それが、決着の合図。

 

 仲間は、一人も欠けず。

 

 そして、対戦相手は、全て『那須隊』が討ち獲った。

 

 試合結果が、表示される。

 

 『諏訪隊』0Pt

 『鈴鳴第一』0Pt

 『那須隊』8Pt(6得点+生存点2点)

 

 ────完全試合(パーフェクトゲーム)

 

 B級ランク戦、ROUND1。

 

 誰もが瞠目した、七海の初陣だった。




 というワケでROUND1、終了。

 那須隊の完全勝利です。

 次回、総評諸々となります。


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General comment

「決着ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ~~……っ!! 『メテオラ』の起爆により、村上隊員、来馬隊長の両名が緊急脱出……っ! 最終結果は8:0:0……っ! 『那須隊』の完全勝利です……っ!」

 

 桜子の盛大な宣言と共に、会場で一気に歓声が沸き上がった。

 

 最後まで試合展開をコントロールし尽くした『那須隊』の手管は、それだけ鮮やかなものであった。

 

 この盛り上がりも、当然のものと言えるだろう。

 

「最初から最後まで、『那須隊』の独壇場でしたね……っ! 試合展開を振り返ってみてどうでしょう? 東隊長」

「そうですね。終始、『那須隊』の作戦が十全に機能していたと言えるでしょう。地形と戦術、そして()()()()の有利を最大限に活かしてこの結果に繋げたと言えます」

 

 まず、と前置きして東は話し始める。

 

「『那須隊』は()()()()()()()()()()事によって、相手チームの思考から余裕を奪っていました。いえ、それどころか相手チームの思考誘導すら仕掛けていた」

「思考誘導、ですか……?」

 

 はい、と東は桜子の言葉を肯定する。

 

「たとえば、先程の熊谷による笹森の迎撃ですね」

「ええ、七海隊員を初めとする他の隊員の大暴れによって熊谷隊員の存在を忘れさせた、という事でしたが……」

「いえ、厳密にはそれは違いますね」

 

 東の予想外の言葉に、桜子はキョトンとした顔をする。

 

 その顔を見て苦笑しつつ、東は話を続けた。

 

()()()()()のではなく、()()()()()()()()()()()()()()()んですよ。それまでの経緯と、試合のセオリーを上手く使ったんです」

 

 一つ聞きますが、と東は前置きして告げる。

 

()()()()()()は、一体なんだと思いますか?」

「狙撃手の利点、ですか…………ふむ、相手の隙を突ける事、でしょうか……?」

「それも間違いではありませんが────最も大きな利点は、()()()()()()()()()()()()です」

 

 そこで一拍置き、東は続けた。

 

「狙撃手は攻撃手は言わずもがな、射手や銃手の射程の()からの攻撃が可能です。つまり、主戦場の外側にいながら的確な戦闘支援が行えるんですよ」

 

 そして、と東は告げる。

 

「今言った通り、狙撃手の利点は戦場に外側から介入出来る事です。つまり、()()()()()()()となる。その為に狙撃手は『バッグワーム』を最初から使い、然るべき時まで隠密に徹します」

 

 つまり、と東は親指を立てた。

 

「戦場の外側からの干渉が主な狙撃手に攻撃手の護衛を付けるという事は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()事になるんです。戦闘支援が本分である狙撃手を守る為に貴重な攻撃手を戦線から外れさせるのは、()()()()()()下策です」

「た、確かに……っ! 今まで狙撃手に護衛を配置しているチームは、見た事がありませんね……っ!」

 

 桜子の言う通り、狙撃手を守る為に攻撃手を護衛に割いたチームは、これまで存在しなかった。

 

 狙撃手は単独行動が基本であり、逆に攻撃手は主戦場で斬り結ぶ事が本分だ。

 

 主戦場の戦力を減らしてまで狙撃手に護衛を割くのは、効率という観点から見ればまず有り得ないのである。

 

「狙撃手を守るなら、主戦場から狙撃手を狩る為に飛び出した敵をその場で追えばいいだけですからね。その方が攻撃手を腐らせずに済みますし、主戦場から離脱した人数が自チームと相手チームで同じであれば、戦力の均衡もそう簡単には崩れません」

「言われてみれば、狙撃手を狩ろうと主戦場を飛び出した隊員を別の隊員が追う光景はそう珍しいものではありませんね。確かに、そっちの方が戦力をより有効活用出来ます」

 

 よっぽど機動力に差がない限りは、狙撃手を狩ろうと主戦場を離脱した相手から狙撃手を守るには、その場で自分の隊の攻撃手を一人追っ手に差し向ければなんとかなる。

 

 最初から狙撃手に護衛を配置するという采配は、矢張り普通は有り得ないのだ。

 

「…………ですが、『那須隊』はそのセオリーを逆手に取った。『諏訪隊』に()()()()()()()()()()()()()()()と思い込ませ、熊谷が日浦の護衛に配置されている可能性から目を逸らさせたのです」

「成る程、しかしそうなると『諏訪隊』は何処に熊谷隊員がいると考えていたのでしょうか?」

「恐らく、主戦場の傍でしょうね」

 

 東は一呼吸置き、続ける。

 

「『那須隊』はこの試合で、自分の隊の隊員を順次主戦場に介入させる事で試合を有利に進めて来ました。七海が派手に暴れる事で日浦が狙撃する隙を作り出し、その後も七海の動きをベースに戦場をコントロールしていた」

 

 東の言う通り、『那須隊』は七海が主戦場で暴れ回り、そこに日浦の狙撃、那須の奇襲を加える事で相手の裏をかき続けて来た。

 

 戦力の順次投入という戦略が、『那須隊』の方針であると思い込ませた。

 

「決定的だったのは、那須隊長の奇襲ですね。恐らくあれで『諏訪隊』は、残る熊谷も主戦場に介入する隙を狙っているものと()()()()()。諏訪はその奇襲で落とされた当人なので、より強くそう考えてしまった事でしょう」

 

 それに、と東は付け加えた。

 

「熊谷は前期のランク戦まで、那須隊長の護衛として立ち回っていました。『諏訪隊』は前期でも何度も『那須隊』と戦っていますから、()()()()()()()()()()という先入観があったのかもしれません」

「成る程、それが『那須隊』が仕掛けた思考誘導であると」

 

 その通り、と東はにこやかに答えた。

 

「『諏訪隊』は一点も取れないまま二人が落とされた事で、こう思った筈です。()()()()()()()()()()()()()と。何も出来ずに落とされた分、口惜しさも相当なものでしょうからね」

 

 確かに、『諏訪隊』の二人は『那須隊』に思うが侭に翻弄され、一点も取れずに落とされてしまった。

 

 その悔しさは、思考から余裕を奪うには充分過ぎた。

 

「だからこそ、熊谷が日浦の護衛として配置されている可能性を見抜けなかった────いえ、見抜くだけの()()がなかった。先に落ちた堤と諏訪も、最後に残された笹森も、焦りで柔軟な思考が抜け落ちてしまったワケですね」

 

 

 

 

「ったく、耳が痛ぇぜ。悪ぃな、日佐人。俺のミスで、お前を無駄に落とさせちまった」

 

 東の解説を聞いていた諏訪は、作戦室でばつの悪そうな顔でそう告げた。

 

 それを聞いた笹森はいえ、と俯きながら答える。

 

「熊谷先輩が日浦さんを護衛している可能性を見抜けなかったのは、俺も同じです。諏訪さんの所為じゃありませんよ」

「まあまあ、見抜けなかったのは全員同じだし。誰の責任かで考えるべきじゃないよ」

 

 落ち込む二人を見兼ねたのか、堤が即座にフォローに入る。

 

 粗雑に見えて割と面倒見が良く隊長としての自覚もある諏訪と、まだ精神的に未熟な所がある笹森相手では、こうして堤がフォローに入る事が多い。

 

 堤は年齢こそ諏訪と同じだが隊長の責務に縛られてはいないし、何より性格的にも仲裁には向いていた。

 

 この隊の仲を取り持つ、精神的なバランサーと言えるだろう。

 

「全員仲良く0点だかんね~。誰が悪いって言うなら、全員悪いよ~」

「まあ、全員が反省点があったという事で、次に繋げましょう。今期のランク戦は、まだ始まったばかりなんですし」

 

 小佐野と堤のフォローを聞き、諏訪は苦笑し笹森の肩をがしっと掴んだ。

 

「わっ、諏訪さん……っ!?」

「ってぇ事だ。良い様にやられちまったのは悔しいけどよ、挽回が効かねえワケでもねえ。堤の言う通り、ランク戦はまだ1ROUND目なんだしよ」

「……はい……っ! 俺も次は、もっと活躍できるように頑張ります……っ!」

 

 諏訪の発破を受け、落ち込んでいた笹森の表情に笑顔が戻る。

 

 なんだかんだで、悪くない隊の雰囲気であった。

 

 

 

 

「それにしても、ホントに今回の『那須隊』は戦術がえぐいというか、初見殺し満載って感じだったよね。東さんの言う通りさ」

 

 解説席で緑川は東の解説を反復しながら、そう呟いた。

 

 何処か楽し気な様子さえ滲ませて、緑川は口を開く。

 

「『諏訪隊』を精神的に追い込んだのはその通りだと思うし、『鈴鳴第一』に対してもそうだよね」

「ええ、その通りですね。『那須隊』は、『鈴鳴第一』の中でも来馬を集中的にターゲッティングしていました」

 

 緑川の言葉を、東はそう言って肯定する。

 

「『鈴鳴第一』の村上と太一は、来馬が危険に晒されれば必ずそれを庇います。『那須隊』は今回、それを利用して徹底的に来馬を狙って二人の動きを封じ込めました」

「太一先輩も、来馬さんを狙われて炙り出されちゃったからね~」

 

 二人の言う通り、七海達はこの試合で執拗な程狙いを来馬に集中させた。

 

 来馬が狙われれば必ず二人がカバーに入るという事を知っていた七海は、来馬を狙い続ける事で村上の動きを制限し太一を上手く釣り出した。

 

 親しい相手でも試合では微塵も容赦しない、七海らしいえぐい作戦と言える。

 

「では、来馬隊長の守りに意識を傾け過ぎた事が『鈴鳴第一』の敗因になった、という事でしょうか」

「かと言って来馬なしでは()()()()がいなくなるので、どちらにせよ厳しい展開になったと思いますよ。必ずしも、村上と太一の行動が悪手であったとは言い切れません」

 

 東の言う通り、『鈴鳴第一』で中距離の()()()()が出来るのは来馬だけだ。

 

 七海のサイドエフェクトの関係上狙撃では有効打が狙い難い為、中距離の銃撃が行える来馬の役割は地味に重要なのだ。

 

 銃で()()()()事が出来る来馬がいたからこそ、あの二人の攻撃が()()()()で済んだのだ。

 

 もしも銃で撃ち返せる来馬がいなければ、二人の攻撃は更に苛烈さを増したに違いない。

 

 来馬なしであれば、村上は七海と那須の飽和攻撃に成す術もなかったであろう。

 

「勝敗の分かれ目は、矢張り七海と那須を合流させてしまった事でしょうね。あの二人の合流は、なんとしてでも阻止するべきでした」

「合流してからの二人は、物凄かったですからね。まるで、戦闘機の爆撃を見ているようでした」

「実際、戦った事のある身からすればそんな感じだよ。こっちの攻撃は全然当たらないのにあっちの攻撃は雨あられと降り注ぐんだから、射程持ちがいないとそもそも戦いにならないしね」

 

 東の言葉に、桜子と緑川も同意する。

 

 実際にあの二人のタッグと戦った事のある緑川にしてみれば、その実感もひとしおだ。

 

 双葉共々、あの時の模擬戦はちょっとしたトラウマになっていたりする。

 

「七海隊員は1対1での戦いであれば、村上には劣ります。実際、村上との個人戦の戦績も村上が勝ち越していますしね。ですが、乱戦というフィールドと入り組んだ地形、そして仲間の援護を受けた七海の動きは個人戦のそれとは別物でした」

「村上先輩も、()()()()()()()()()()と戦ったのは初めてだろうからね。一度戦った相手には確実に有利になるのが村上先輩の強みだけど、だからこそ意表を突かれた感じなのかも」

「恐らく、それも計算の内だったのでしょうね」

 

 東はそこまで言うと、説明を続けた。

 

「最後、二人が落ちた原因である()()()()()()の罠も七海は今回初めて使ったものと思われます」

「でもあれ、いつの間に仕掛けてたんですか? しかも七つも」

「七海が『メテオラ』で爆撃を仕掛けて、二人の視界を塞いでいる間ですね」

 

 つまり、と東は説明する。

 

「あの時、七海の『メテオラ』と那須の『バイパー』の飽和攻撃によって村上と来馬は防戦一方でした。更には七海の『メテオラ』は爆発の範囲が広い為、周囲の視界は殆ど塞がっていた状態に近かった」

 

 東は桜子に頼み、七海と那須の猛攻の映像を映し出す。

 

「七海が『メテオラ』をあれだけの回数使い続けたのは、地面にクレーターを空けてその中に『置きメテオラ』という()()を仕掛ける為だったんです」

 

 そして、と東は続ける。

 

()からの攻撃の対処で手一杯だった二人は、七海が仕掛けた『地雷』に気付けなかった。二人の傍に丁度彼等が入り込める大きさの穴が空いていたのも、地雷原に二人を誘い込む為の罠だったワケです。まあ、七海の恵まれたトリオン能力だからこそ出来る荒業ではありますが」

「七海先輩のトリオン能力って、攻撃手の中じゃずば抜けて高いからね。確か、レイジさんより少し下くらいじゃなかったっけか」

 

 七海のトリオン能力は、『10』。

 

 これは、トリオン能力が低めな者が多い攻撃手の中では飛び抜けて高い数値だ。

 

 通常、トリオン能力が高い者はそのアドバンテージを最大限に活かす為に射手や銃手になる場合が多い。

 

 二宮や出水のように、トリオン能力に優れた者は射手というポジションがその強みを生かし易いからである。

 

 一方、精々ブレードやシールドの形成くらいしかトリオンを使わない攻撃手は、比較的トリオン能力の上下に影響され難いポジションだ。

 

 代わりに近接戦闘のセンスが必要となるが、生まれつきの才能であるトリオン能力よりは努力や鍛錬でどうにかなる域ではある。

 

 翻って、七海は近接戦闘のセンスにも溢れ、トリオン能力も高い。

 

 やろうと思えば、どのポジションでも問題なくこなせるポテンシャルはある。

 

 だが、その中でも七海は敢えて攻撃手という立ち位置を選んだ。

 

 自分の能力を『那須隊』で最も活かせるのは、そのポジションであると理解したが故に。

 

 結果的に、それは正解だったと言えるだろう。

 

「この試合では完全に戦術で封殺された形になりましたが、村上もこれで七海の乱戦の動きは()()()筈です。次は、こう簡単にはいかないでしょう」

 

 

 

 

「鋼……」

 

 『鈴鳴第一』の作戦室で、来馬は黙って東の解説を聞いていた村上を見詰めていた。

 

 その視線に気付いた村上が車の方を振り向き、その口元に柔らかな笑みを浮かべた。

 

「来馬先輩、東さんの言う通りです。俺は、来馬隊長を守った事を後悔なんてしていません。今回は単に、七海の奴にしてやられただけです」

「そうっすよ……っ! 間違っても、来馬先輩の所為で負けたとかじゃないっすから……っ!」

「太一、一言余計」

 

 ジト目で太一を睨みつける今に対し、来馬はまあまあ、と苦笑しながら仲裁に入る。

 

 自分よりも、常に仲間を優先する。

 

 それが、この『鈴鳴第一』の持っている暖かな()なのかもしれなかった。

 

 村上はその様子を微笑まし気に見ながら、改まって来馬に向き直る。

 

「とにかく、これで七海のチーム戦での動きは()()出来ました。次は、やらせません」

「うん、頼りにしてるよ。僕もなんとか出来るように頑張るから、あまり気負い過ぎないようにね」

「「はい……っ!」」

 

 来馬の激励に、村上達は笑顔で応える。

 

 『鈴鳴第一』は、決意を新たに再戦の誓いを立てた。

 

 

 

 

「最初に言った通り、今回の『那須隊』の勝ちはMAP選択による地形の有利と七海隊員が加わった事によって得られた新戦術をぶつける事で勝利を得ました。しかし逆に言えば、同じ手は二度は通用しないという事です」

 

 東はそう告げると、試合の得点が表示された画面を見る。

 

「今回、『那須隊』は一挙に8得点を獲得しました。夜の部の結果が出なければ明確な順位はまだ分かりませんが、次の戦いでは恐らくMAP選択権が得られる事はないでしょう」

「初期ポイントは2点だったけど、これで一気に10点まで増えたからね。B級中位じゃ中々無い得点率だし、少なくとも次当たる相手の誰よりも下のポイントにはならないでしょ」

「MAP選択権があるのは、対戦するチームの中で最もポイントが低いチームですからね。お二人の言う通り、彼等にMAP選択権が回って来る可能性は低いでしょう」

 

 東の言葉に、緑川と桜子も同意する。

 

 MAP選択権は、ポイントが低いチームに対する()()()のようなものだ。

 

 今回8ポイントという大量得点を獲得した『那須隊』は、少なくとも次の試合でMAP選択権を得られる事はない筈だ。

 

「つまり、今回の最大の勝因だった地形での有利と初見殺しという要素を次回は使えないという事です。次の試合で、七海を加えた新たな『那須隊』の真価が問われる事でしょう」

 

 東はそう言って、今回の試合の総評を締め括った。

 

 緑川も楽し気な表情を浮かべ、桜子も笑顔で頷いた。

 

「ありがとうございました。これにてB級ランク戦ROUND1、昼の部を終了致します。皆さん、お疲れ様でしたっ!」

 

 そして、七海の初陣であったROUND1の正式な終了が告げられる。

 

 会場は、大歓声を以てその宣告を受け入れた。




 これにてB級ランク戦ROUND1終了です。

 あとは試合の後の後日談みたいな感じですね。

 ROUND2までの間の日常回です。


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Monologue

「お疲れ様、皆」

 

 東による総評が終わり、ランク戦ROUND1が正式に終わった直後。

 

 『那須隊』の作戦室で、トリオン体から通常の肉体に戻った那須が七海達に労いの声をかける。

 

 その顔には相応の疲労の色が見え、そんな彼女を気遣った七海が無言で彼女専用のゆったりとしたソファに座らせた。

 

「一番疲れているのは玲だろう? 無理はしちゃ駄目だ」

「ごめんなさい。でも、此処までの快勝は初めてで…………多分、浮かれているんだと思うわ」

 

 そう告げる那須の顔には、確かな喜びの色が浮かんでいるように見える。

 

 前期までは七海が共に戦えないもやもやや隊長と唯一のエース兼任で精神的な負担が大きく、那須は全力を出せていたとは言えなかった。

 

 だが、今回からは七海が加入した事で隊長としての精神的負担は軽くなり、何より七海と肩を並べて戦える事で那須の精神面のコンディションはそう悪くないものになっている。

 

 気兼ねなく自分が好むトリオン体での運動に興じられた上に、今まで戦績が思わしくなかった『鈴鳴第一』相手に完封勝ち。

 

 那須が珍しくはしゃいでいるように見えるのは、気の所為ではないだろう。

 

「隊としての動きに、問題はなかったように思う。今後もこの調子で行こう」

「はいっ、私も上手く出来てたと思いますっ!」

「そうだね。初めて玲と離れて戦ったけど、これはこれで悪くないよ。これからは防御だけでなく、攻撃も学んでった方がいいかな」

 

 七海の言葉に茜と熊谷も同調し、熊谷は今回の動きを鑑みてそんな事を口にした。

 

「必要なら太刀川さんか鋼さんを紹介するけど、どうする?」

「太刀川さんはともかく、鋼さんは今回嵌め殺したばっかりでしょ? 気まずくない?」

「大丈夫。試合の事をプライベートに持ち込むような人じゃないよ。熊谷がそういうのを気にするなら、小南に頼んでもいいけど」

 

 七海の言葉に、熊谷は疑問符を浮かべる。

 

「小南……? あの子、専用のトリガーを使ってるんじゃなかったっけ……?」

「小南は『双月』を手にするまでは、『弧月』の二刀流を使ってたよ。そもそも、小南が個人ランク戦一位になったのは『弧月』を使ってた時期だしね」

「あ、そっか。玉狛のトリガーは、ランク戦じゃ使えないから……」

 

 熊谷の言う通り、小南達『玉狛支部』の面々が使用する支部専用のワンオフトリガーは、規格(レギュレーション)が違う為ランク戦では使用出来ない。

 

 故に彼女達は自分達専用のトリガーを手にしてからは一切ランク戦を行っていないが、そうなる前に小南は『ボーダー』の規格品のトリガーを使って個人ランク一位にまで上り詰めている。

 

 つまりその時代に使っていたブレードトリガーがあるという事であり、それが小南の場合は『弧月』であったというだけの話だ。

 

「小南は口で説明するのは苦手な方だし、攻撃重視の立ち回りだから熊谷の基本スタイルとは合わないかもしれないけど、それでも戦闘経験豊富なベテランなのは間違いない。彼女と戦うだけでも、良い経験になる筈だよ」

「そっか。それなら、お願いしようかな。小南ちゃんとは戦った事なかったしね」

「了解。後で話を通しておくよ」

 

 そこまで話すと、七海は不意に視線を感じて振り向いた。

 

 目を向ければ那須がにこにこを笑いながらこちらを見ており、付き合いの長い七海にはその視線が()()()()()()()()()()という無言のアピールである事に気が付いた。

 

 七海はしばし逡巡した後、那須に近付いて頭をくしゃっと撫でた。

 

 那須は気持ち良さそうな顔で七海に身体を預け、喜色があからさまに溢れ出ている。

 

 さらさらした那須の髪の感触に少々熱中していると、こほん、という咳払いの音が聴こえて我に返る。

 

 咳払いがした方を見ると小夜子が呆れた表情で立っており、熊谷や茜も何処か居心地悪そうにしていた。

 

「二人の世界を作るのはいいんですけど、此処には私達もいるのでそういうのは夜の自宅でやって頂けると助かります」

「夜……? それならいつも────」

「待て玲、それは言ったらマズイ気がする」

 

 妙な事を口走ろうとした那須を、七海は慌てて制止する。

 

 無痛症になって以来情緒が鈍くなった彼ではあるが、此処で那須との普段の()()()の事を暴露するのは止めて置いた方が良いと本能が警告して来たのでそれに従ったまでだ。

 

 しかし時既に遅く、茜は目をキラキラさせて、熊谷は微妙な表情で、小夜子は何処か口惜しそうな表情で自分達に好奇の視線を向けていた。

 

「せ、先輩……っ! えっと、それって……」

「…………茜、多分アンタが想像してるのは違うだろうとだけ言っておくよ。まあ、誤解されるには充分な絵面だろうけどね」

「…………いいなあ…………」

 

 ある程度事の察しがついた熊谷は茜の誤解を溜め息交じりに解こうとしており、小夜子の羨ましそうな声色の呟きには気付いていない。

 

 小夜子もどうやら実情はなんとなく察していたようだが、それでも思う所はあるらしかった。

 

 実態は那須が頻繁に七海の部屋を夜に訪れて話をしていくだけなのだが、年頃の男女が夜中に部屋の中で二人きり、という時点で誤解される材料としては充分過ぎる。

 

 収集がつかなくなりつつある事を察し、熊谷は強引に話題の切り替えを図った。

 

「それより、東さんの言う通り次は此処まで好条件では行けないと思うよ。夜の部の結果次第ではあるけど今ので完全にマークされただろうし、MAP選択権も多分ない。結構厳しくなるんじゃないかい?」

 

 熊谷の言う通り、今回完勝出来たのは()()()()を徹底出来た事が大きな要因となっている。

 

 集団戦での七海を初めて目にする者達はその厄介極まりない挙動を見切る事が出来ず、試合を完全に『那須隊』の制御下に置かれてしまった。

 

 だが、次からは有利な地形を選ぶどころか、他の隊が選んだ優位地形で戦わされる事になる。

 

 更に、七海の基本戦法も今回でバレており、マークのされ方も全く違って来る。

 

 間違いなく、楽観出来る状況ではない筈だ。

 

「そうだな。確かに、最初から最後まで作戦通りだった今回と比べるとやり難くはなると思う。けど、その為のシミュレーションや思考実験はたくさん重ねて来た」

 

 ランク戦の映像には全部目を通しているしな、と七海は付け加える。

 

 七海は小夜子関連の問題で隊に参加出来なかった以前から、ランク戦の映像には全て目を通して来た。

 

 現在『那須隊』がいるB級中位だけではなく、B級上位チームの戦法の研究も欠かさず行って来た。

 

 隊の一員として動けなかった期間も、彼は決して腐っていたワケではない。

 

 自己鍛錬を繰り返しながらも、自分が参加出来るようになった後で役に立つよう、知識の研鑽を怠らなかった。

 

 このあたりの勤勉さが、七海の強みとも言える。

 

「けど、油断出来ない事は事実だ。他の隊も、今回の試合で俺達をマークして来ただろうからな」

 

 

 

 

「うーん、これは完全なジョーカーだね。シンドバットは、思っていた以上に厄介な駒みたいだ」

 

 所変わって、B級上位『王子隊』の作戦室。

 

 その隊の隊長、王子一彰(おうじかずあき)はROUND1の映像を見ながらそう告げた。

 

「その『シンドバット』というのは、もしかして七海の事か?」

 

 そんな王子にそう尋ねたのは、同じ隊の射手、蔵内和紀(くらうちかずき)

 

 七三分けの髪をした、落ち着いた雰囲気の少年である。

 

「うん。変かな?」

「……いいんじゃないか?」

 

 適当にも思える返事をした蔵内だが、これには理由がある。

 

 この隊の隊長である王子は、他人に珍妙な仇名を付けるという一風変わった趣味を持つ事で知られている。

 

 そのネーミングセンスというのが中々ぶっ飛んでおり、『生駒隊』の隠岐を『オッキー』と呼ぶのはまだ良い方で、『生駒隊』の水上は『ミズカミング』、『香取隊』の若村は『ジャクソン』と呼んでいる。

 

 今回の『シンドバット』も七海→七つの海→七つの海を股にかける→シンドバットと来たのだろうが、王子語読解力に優れた────というよりその斜め上のネーミングセンスに慣れた『王子隊』の面々でなければ、何を言っているか分からなくなる事請け合いだろう。

 

「お前は、七海が上位まで上がって来ると思うか」

「当然だね。彼は、チームでの自分の役割をしっかりと理解して立ち回っている。その証拠に、彼は今回の試合ではチームのサポートに徹して自分では一点も取っていない」

 

 そして、と王子は続ける。

 

「最後の『メテオラ』地雷は彼が仕掛けたものだから彼の得点としてカウントされてるけれど、あれだって起爆はナースに任せているしね」

 

 確かに、王子の言う通り七海は派手に暴れていた割には、点を取る役割は他の面々に任せていた。

 

 得点への功績が最も高かったのは事実だが、彼は自分でトドメを刺す事には一切頓着していない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()という考えが分かる、堅実な立ち回りだ。

 

 ちなみにナースとは、言うまでもなく王子が那須に付けた仇名である。

 

「隊長! 何故七海先輩は自分で得点しようとしなかったんでしょうか!?」

 

 それを聞いて王子に質問したのは、隊の最年少である黒髪ショートの少年、樫尾由多嘉(かしおゆたか)である。

 

 真面目を形にしたようなその少年の真摯な問いに、王子は丁寧に答える。

 

「単純に、その方が得点し易いからだよ。カシオ、シンドバットの一番の強みはなんだと思う?」

「はいっ! 優れた機動力による攪乱能力ですっ!」

「正解。じゃあ、彼は今回の試合でその強みをどういう風に活かしていた?」

 

 王子の問いに、樫尾は一瞬悩む素振りを見せたが、すぐにハキハキと答えを告げた。

 

「常に動き回って相手の隙を作り、その隙を仲間に突かせていましたっ!」

「その通り。詰まる所、シンドバットの役割はいわば超攻撃的な()────つまり、()()なんだ。試合の中で魅せた『乱反射』も、回避よりも目立つ事に重点を置いて仕掛けていた節がある。自分が積極的に前に出る事で、相手の眼を眩ませたワケだね」

「成る程、勉強になりますっ!」

 

 素直に教えを吸収していく樫尾を微笑ましい目で見ながら、王子は続けた。

 

「窮極的にその役割が陽動である以上、無理をして自分で得点を取りに行く必要はない。相手を崩す事が出来れば、その穴を仲間が広げて決壊させてくれるからね。だからシンドバットは、点を取るのを仲間に任せていたのさ。陽動に徹した彼の厄介さは、今日見て貰った通りだ」

 

 でも、と王子は告げる。

 

「逆に言えば、彼は乱戦にさえならなければその真価を発揮出来ない。1対1での戦績は鋼くんやイコさんには及ばないようだし、付け入る隙は必ずあるよ」

 

 

 

 

「『那須隊』、ヤバイな」

 

 ゴーグルを額にかけた濃い顔立ちの少年────生駒達人(いこまたつひと)は開口一番にそう言った。

 

 彼等はROUND1の試合映像を見たばかりであり、自然と話題の切り口は今回の試合で大活躍した『那須隊』の事になる。

 

「ヤバイっすね」

「マジヤバっすね」

 

 そんな生駒に同調したのは、顔立ちの整った『生駒隊』狙撃手隠岐孝二 (おきこうじ)と小柄な金髪ショートヘアの少年、南沢海(みなみさわかい)

 

 生駒の独特のノリに乗っかり、軽い調子で言葉を重ねる。

 

「ログ見たけど、今の『那須隊』前期とは別物やな。七海の加入でホンマ化けおったわ」

 

 冷静に自分の見解を口にするのは、射手の水上敏志(みずかみさとし)

 

 ノリの軽い隊員が集まったこの『生駒隊』の中では、突っ込みと参謀を兼ねる知性派である。

 

「俺、七海と個人戦やった事あるんやけどな。あいつ、避けるのがごっつ上手いねん。家越し『旋空』も避けられてもうたし、話聞く限り狙撃も効かないらしいわ」

「うわ、それじゃあ俺出番ないじゃないっすか」

「阿呆。そんなら他の奴狙えばいいだけやんか」

 

 ()()()()()()()という七海の性質を聞いた狙撃手の隠岐がぼやいた言葉に対し、呆れた様子でツッコミを入れるのは『生駒隊』オペレーターの細井真織(ほそいまおり)

 

 見ての通り突っ込みオンリーの苦労人で、自由奔放な隊員達にいつも振り回されていた。

 

「東さんの解説聞いてたやろ? 七海が狙えないなら、ぴょんぴょん跳び回る那須さんや狙撃で援護して来る茜ちゃん狙えばええねん」

「分かりました。そんなら、心をオニにして撃ちますわ」

 

 隠岐の返答に真織は溜め息を吐きつつ、生駒に目を向けた。

 

「なんやマリオちゃん。こっち見て」

「アンタ、ヤバイヤバイ言うけど対策はあるんかいな?」

 

 ジト目で見る真織に対し、生駒は変わらぬ表情で答える。

 

「そこはホラ、可愛い可愛いマリオちゃんが考えてくれるやろ」

「何が可愛いマリオちゃんやっ! きっもっ! しかも人任せやん……っ!」

「まあまあ、それだけ頼りにしてるって事ですよ」

 

 顔を真っ赤にする真織を、隠岐が横からなだめている。

 

「それよか、やっぱ『那須隊』可愛い子多いわ。七海の奴が羨ましいわ」

「イコさんイコさん、マリオが他の子ばっか可愛い言うから拗ねてますで」

「何言うてんねん。マリオちゃんも充分可愛いで」

「うわきっもっ! きっもっ! 何言うてんねんっ!」

 

 一度脱線した以上、『生駒隊』の会話が元の路線に戻る事はない。

 

 各々が好き勝手に喋り出し、真織はツッコミが追い付かずに慌てふためく。

 

 最早飽きる程繰り返された、『生駒隊』の日常であった。

 

 

 

 

「…………そうか」

 

 三門市、『警戒区域』。

 

 その一角で、破壊した『バムスター』の群れの上に腰掛け、少年────迅悠一(じんゆういち)は手元の機器の画面を見ていた。

 

 そこには今日あったランク戦の結果が表示されており、『那須隊』の8得点という大戦果が記されていた。

 

「やっと、未来の歯車が回り始めた。まだ、()()()()に繋がるレールには乗り切れたとは言えないけど────準備段階だと思えば、悪くない回り方だ」

 

 迅は誰に言い聞かせるでもなく、呟きを漏らす。

 

 その声は何処か哀し気で、何かを堪えているようにも聞こえた。

 

「君から玲奈を奪ってしまった俺に出来る償いは、可能な限りして来たつもりだ。それでも、あの日の真実を知った時に君が俺を許せないと言うのなら、俺は大人しく罰を受けるよ」

 

 君はそんな事望まないのかもしれないけど、と迅は呟く。

 

 それは許しを請う罪人の懇願と言うよりも、罪を裁いて欲しい咎人の悔恨に思えた。

 

「────でも、俺には未来を繋げる責任がある。最上さんも、玲奈も、こんな俺に────未来を、託してくれた。だから、俺は立ち止まるワケにはいかないんだ」

 

 迅は三門の街を見回し、軽く頬を緩ませた。

 

「頑張れ、七海。今はただ、強くなってくれ。後々辛い時も来るかもしれないけれど、それでも俺はお前の笑顔を確かに()()んだ」

 

 そして迅は己の手にする黒いトリガーを────『(ブラック)トリガー』を、見詰めた。

 

「だから俺は、あの未来を実現させたい。夢物語に近いとは分かっているけれど、可能性が限りなく低い未来だと識ってもいるけれど────」

 

 でも、と迅は告げる。

 

「俺は、その未来に懸けたいんだ。どんなに可能性が低くても、どんなに厳しい道のりであっても────」

 

 そして迅は『黒トリガー』を握り締め、空を見上げた。

 

「────それでも俺は、幸福な未来(ハッピーエンド)に繋げたいんだ。その為だったら、なんだってやってやる。それが、俺の果たすべき義務だから。俺に残された、願いだから」

 

 だから、と迅は告げる。

 

「玲奈の分まで、幸せに生きて欲しい。勝手な願いだと、分かってはいるけれど。それでも────」

 

 迅は空を、三日月を見上げ、呟く。

 

「────願う事くらいは、許して欲しい」

 

 物憂げな、迅の声が漏れる。

 

 その声はとても哀しい、罅割れたような声色で。

 

 迅の顔もまた、深い悲しみと後悔を湛えていた。




 シンドバットはカンさん、ナースはティガーズさんから案を頂きました。

 中々良いセンスをしていらっしゃる。


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Opponent

「それじゃあ、よろしくお願いします。加古さん」

「ええ、任されたわ」

 

 『ボーダー』本部の裏手、人気の少ないその場所で七海は小夜子と共に加古と落ち合っていた。

 

 加古は自分の愛車にもたれ掛かり、一見さんお断りなセレブオーラ満載で佇んでいた。

 

 これだけセレブっぽいオーラを持っているのに一般家庭出身であるとは、とてもではないが信じ難い。

 

 何処かのお金持ちの跡継ぎであるとか、お忍びで来ているお偉いさんの娘だとか、そういった噂には事欠かない。

 

 加古本人は割と面倒見が良く、目をかけた人間には優しい為慣れてしまえば特に壁は感じない。

 

 まあ、本人が割と茶目っ気に満ち溢れており人をからかう事が大好きなので、下手に気を許すと痛い目を見るのが玉に瑕ではあるが。

 

 ちなみに、今は男性恐怖症の小夜子を無事に自宅まで送り届ける為、加古に迎えに来て貰ったのだ。

 

 小夜子はその性質上、一人で帰宅するのはかなり厳しい。

 

 夜とはいえ人通りがないワケではないし、そもそも年頃の娘を一人で帰す等論外だ。

 

 その為、加古や沢村に車で送って貰ったり、七海が送迎を請け負ったりして対応している。

 

 今日は七海は影浦に自分の店に来るよう呼ばれている為に送る事は出来ない為、加古に送迎を頼んだワケである。

 

 加古は嫌な顔一つせずに承諾し、こうして迎えに来てくれたのだ。

 

 本当に、いつも世話になりっぱなしだと七海は加古に感謝した。

 

「それから、ランク戦見たわよ。上手く動けてたじゃない」

「ありがとうございます」

 

 加古の短い激励に、七海は頭を下げて返答する。

 

 その生真面目な様子を見た加古はくすり、と笑った。

 

「まあ、東さんも言ってたように次が本番だろうから、頑張りなさい。応援してるわ」

「はい、ご期待に沿えるよう頑張ります」

「ふふ、そう言って貰えると応援し甲斐があるわね」

 

 加古は七海の返答に満足すると、小夜子に手招きする。

 

「さ、乗りなさい。家に直行でいいのよね?」

「はい、お願いします」

 

 小夜子の返答を聞き、加古は「じゃあね」と七海に告げて運転席に乗り込んだ。

 

 そして小夜子は七海に向き直り、ぺこりと頭を下げる。

 

「では、一足先に帰らせて貰いますね。七海先輩もお気を付けて」

「ああ、悪いな。なんだか仲間外れにしたみたいになっちゃって」

「いえ、これは私の問題ですので。それでは」

 

 そう言って、小夜子は加古の車に乗り込んだ。

 

 加古は七海に一度手を振るとアクセルを踏み、車を発進させる。

 

 廃屋ばかりであった『警戒区域』を抜け、加古の車は光溢れる夜の街へ入っていく。

 

 『ボーダー』本部が『近界民』の出現するエリアである『警戒区域』の中にある以上、区域内を車で走行するのは危険が伴う。

 

 その為、七海は『警戒区域』ギリギリの場所まで小夜子を連れて来て、加古と落ち合ったワケである。

 

 それまでの道に関しては七海が許可を貰った上でトリオン体で小夜子を抱き上げながら駆け抜けており、抱き方はお姫様抱っこであった事を追記しておく。

 

 その途中終始小夜子の顔は赤らんでいたワケだが、それが何故かは言わぬが花だ。

 

「…………ふふ、七海くんに最後まで送って貰えなかったのが残念?」

「え、い、いや……」

「流石に、『警戒区域』の外で屋根の上を跳び回るワケにはいかないものね。あ、でも『カメレオン』使えばいけるかしら? 今度打診してみてもいいかもね」

 

 加古はくすくすと笑いながらそんな冗談を宣い、小夜子は何も言えず沈黙する。

 

 元々コミュ障気味だった小夜子と、曲者が極まったような性格の加古では、話術で勝負になる筈もない。

 

 こんな感じで、いつも加古には翻弄されっぱなしだった。

 

「どう? 部隊の方は。上手く出来そう?」

「え、ええ。七海先輩のオペレートもちゃんと出来てると思いますし、我ながら上手くやれてるんじゃないかなって」

 

 何処か誇らしげに言う小夜子を見て、加古は満足気に頷いた。

 

「そう。そういう自信は大事よ。まずは自分で自分を認めてあげなくちゃ、何も出来なくなっちゃうからね」

「自分で自分を、認める……」

「そうよ。自分のやる事に自信を持ってないと、いざという時の()()が踏み出せないからね。適度な自信を持つ、ってのは大事な事なの」

 

 まあ、それも程度によりけりだけどね、と加古は話す。

 

「流石に二宮くんみたいになれとは言わないけど、自信を持てずにびくびくするより堂々としていた方がずっといいわ。双葉にも、これは言い聞かせているんだけどね」

 

 ちなみに、そうやって調子に乗せた所で七海をぶつけて盛大に心をへし折らせたのは加古自身の采配である。

 

 お陰で双葉は迂闊さや慢心が消え、以前より格段に強くなったと言って良い。

 

 その切っ掛けとなった七海の事も今では慕っているし、加古としては万々歳だ。

 

「これは何も、戦闘面に限らないわ。プライベートの、それこそ恋愛にだって言える事よ」

「加古さん、それは……」

「別に今すぐどうこうしろって話じゃないわ。私だって、必要以上に干渉するべき事とそうじゃない事は弁えてるつもりよ」

 

 でも、と加古は続けた。

 

「小夜子も、気付いてるんじゃない? 今のあの二人の関係は、歪だって」

「…………はい、薄々は……」

 

 小夜子は、細々とした声でそう答える。

 

 彼女とて、那須と七海の()()()()については薄々気付いていた。

 

 最初は気付いていなかったが、七海に想いを寄せて以来彼の事を見続けて来たからこそ、分かる。

 

 あの二人は、お互いへの負い目で雁字搦めになってしまっている。

 

 七海はその所為で自分の想いに蓋をしてしまっているし、那須は自分の想いを負い目と混同してしまっている。

 

 健全な関係性でない事は、確かだった。

 

「小夜子が二人に遠慮するのは勝手だけれど、何処かでぶつからないとならない時がきっと来るわ。今だって、薄氷の上を渡っているようなものだもの」

 

 一つ聞きたいのだけれど、と加古は前置きして問う。

 

「那須さんって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かしら?」

「…………いえ、私の知る限り一度もありません」

「そう」

 

 やっぱりね、と加古は溜め息を吐いた。

 

「今回は、作戦が上手く行ったから七海くんは一度も被弾せずに済んだけど…………少なくとも、今後一切被弾しない、て事はないと思うわ。B級上位まで上り詰めるつもりなら、猶更ね」

「七海先輩が被弾すると、マズイって事ですか……?」

「正確には、那須さんの眼の前で被弾する事がね」

 

 だって、と加古は説明する。

 

「話を聞く限り、彼女は七海くんの()()()()心的外傷(トラウマ)を持っているわ。幾らトリオン体で血が出ないとはいえ、眼の前で七海くんの腕を吹き飛ばされでもしたら、彼女…………冷静でいられるかしら?」

「それは……」

 

 充分に、有り得る話だった。

 

 那須は、過去の悲劇の記憶を未だに引きずっている。

 

 それが状況的に再現されでもすれば、瞬く間に己の理性を手放すだろう。

 

 そしてそれは、そう遠くない未来に起こり得る。

 

 今の『那須隊』にとって一番強力な戦術は、七海と那須が組む事での機動戦を仕掛ける事だ。

 

 二人が戦いの中で合流を目指して行動する以上、眼の前で被弾する確率は飛躍的に高まる。

 

 そうなった時、那須がどんな反応をするのか。

 

 少なくとも、冷静なままでいられる事は無い筈だ。

 

「厳しい事を言うようだけど、これは多分避けられないわ。だから、その時になったら小夜子ちゃんには那須さんをお願いしたいの」

「那須さんを、ですか……?」

 

 ええ、と加古は肯定する。

 

「七海くんは放って置いても周りの人達が絡んで行くでしょうけど、那須さんの場合そこまでしてくれる人ってそう多くないでしょ? 彼女、交友関係結構狭いし」

 

 『那須隊』の身内か、小南ちゃんくらいじゃない?と加古は続けた。

 

 それについては、小夜子もその通りだと思った。

 

 那須は、同姓異性問わずそこまで交友関係を広げるタイプの人間ではない。

 

 コミュ障というワケではなく、狭く深くの人間関係を重視するタイプであるというだけだ。

 

 彼女は割と、自分の身内認定した人や特に親しい人と交流を深めていけば満足するタイプの人間である。

 

 その為、有事の時に頼れる相手はどうしても限定されてしまう。

 

 熊谷と茜では遠慮が入って那須に鋭く切り込んで話す事は出来ないだろうし、小南もそういった相談は不得手だ。

 

 必然的に、そういう時に那須に物申す事が出来るのは、小夜子が一番適任ではある。

 

「多分、貴方にしか出来ないと思うわ。同じ人を好きになった、貴方にしかね」

「私、しか……」

「勿論、那須さんが不甲斐ないようならそのまま彼を奪ってもいいと思うわ。そのくらいの荒療治は必要だろうし、チャンスは逃すものじゃないわよ」

 

 何処かからかうような口調だったが、小夜子はその言葉に彼女の本気の色を見て取った。

 

 何も彼女は、小夜子に那須の当て馬になれと言っているのではない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()と、発破をかけているだけだ。

 

 その事には気付いていたが、小夜子としてはどう答えたものか分からない。

 

 何が一番の正解なのか、判断がつかずにいたのだ。

 

「…………まあ、覚悟だけはして置いて頂戴。何を言うべきかは、多分その時になればきっと分かるわ」

「…………はい…………」

 

 小夜子はか細い声で返事をして、加古はそれを聞いてこくりと頷いた。

 

 そこからは小夜子の気を紛らわせようと話題を切り替え、小夜子もそれに乗せられて笑顔を浮かべる。

 

 二人を乗せた車は、夜の街を駆けて行った。

 

 

 

 

「お邪魔します」

「カゲさん、来ました」

「おーおー、こっちだ」

 

 七海はお好み焼き屋『かげうら』の暖簾を潜り、店内に足を踏み入れる。

 

 するとすぐさま七海に気付いた影浦が声をかけ、席へと案内した。

 

 七海と、その後ろについて来た熊谷と茜、そして那須を。

 

 以前この店に訪れて大騒ぎを引き起こした那須だが、今の彼女は普段とは一風変わっていた。

 

 髪色は黒一色となり、髪型も多少変えている。

 

 目元にはアンダーリムの眼鏡までかけており、印象がかなり変わっていた。

 

 那須は七海同様、トリオン体での治療の為に『ボーダー』に入隊した経緯がある。

 

 その際その研究内容について一般向けに報道もされている為、那須は三門市ではその美貌も相俟って結構な知名度を誇っている。

 

 前回彼女が訪れた時の大騒ぎはその事も起因しており、彼女がこういった店に来店し難い理由でもある。

 

 この那須の姿は、有り体に言って変装である。

 

 今の那須は、生身の姿ではない。

 

 那須の体調の問題をどうにかする為の、日常用のトリオン体を使用している。

 

 髪色なんかはトリオン体の機能で変えているし、髪型も設定変更でどうにかしている。

 

 那須が出かける時に重宝している、開発室特性のボディである。

 

 ちなみに余計な機能まで付けようとしたメンバーがいたものの、鬼怒田の拳骨を落とされて事なきを得たそうな。

 

 ともあれ、今の那須は一見すれば彼女と分からないよう変装していた。

 

 それも全ては、今回の打ち上げに参加する為である。

 

 影浦はランク戦が終わったばかりの七海に声をかけ、自分の店に来るよう誘った。

 

 それを見ていた那須が羨まし気な感情を向けていた事をサイドエフェクトで察知した影浦は、騒ぎを起こさないようにするという条件付きで那須達の同行を認めたのだ。

 

 那須もこれには喜び、熊谷と茜共々打ち上げへの参加を決め込んだのだった。

 

「影浦先輩、今日はありがとうございました。以前あのような真似をした、私も誘って下さって」

「あー、別にどってことねぇよ。騒ぎを起こさねぇなら客を拒む理由もねえしな」

 

 ぽりぽりと頭をかきながら、影浦は答えた。

 

 どうやら真っ直ぐな感謝の気持ちがこそばゆかったようで、どう反応していいか分からない様子だった。

 

「素直じゃないな、カゲも」

「ケッ、余計なお世話だっての」

「あ、鋼さん」

「よう七海。今日はやってくれたな」

 

 そんな時、声をかけて来たのは今日の試合で対戦したばかりの村上鋼だった。

 

 村上は何処か楽し気な笑みを浮かべ、七海の肩を軽く叩いた。

 

「ああでもしないと、鋼さんは攻略出来ないと思いましたので」

「それを実際に徹底出来るんだから大したものだよ。ま、でも次はこうはいかないからな。覚悟しとけ」

「はい、望む所です」

 

 二人はそう言って、がしり、と握手を交わした。

 

 今回、七海は相当にえげつない戦法で村上達を追い詰めていたものの、村上にそれを引きずる様子は見られない。

 

 試合の借りは試合で返すと言わんばかりの、爽やかなやり取りだった。

 

「おーおー、七海の奴にコテンパンにされた奴が言うじゃねえか」

「でも、鋼さんにはサイドエフェクトがあるからね。ある意味、次が本番なのかも」

 

 村上をからかった影浦の言葉に反応したのは、恰幅の良い優し気な少年。

 

 『影浦隊』の銃手、北添尋(きたぞえひろ)である。

 

「あ、ゾエさんこんばんは」

「うん、こんばんは。試合見てたよ、お疲れ様」

「ありがとうございます。あ、ユズル君もこんばんは」

「…………どうも」

 

 更にその北添の傍にいたのは、『影浦隊』狙撃手絵馬(えま)ユズル。

 

 ユズルは言葉少なに挨拶するが、彼は割といつもこんな感じのテンションなので七海を嫌っているとかそういうワケではない。

 

「おうおう、来てやったぞ男共ー。ユズル、隣座らせろ」

「はいはい」

 

 そして最後にやって来たのは、『影浦隊』オペレーター仁礼光(にれひかり)

 

 明るく元気、というよりざっくばらんで遠慮がない性格の、『影浦隊』影の支配者である。

 

「おう七海~、大暴れだったなー。皆で見てたぞー。な、ユズル」

「そこでどうして俺に振るのさ」

「お前が全然喋んないからだろ~?」

 

 光は持ち前の明るさで隣に座った絵馬の背中を叩き、肩に手を回してうりうり、とユズルに迫っている。

 

 ユズルは若干煩わしそうにしているが、無理やり解く様子もない為そこまで嫌がっているワケではないらしい。

 

「仲が良いんですね」

「そうだろそうだろー? こいつ等、アタシがいないとホント駄目でなー」

「ケッ、言ってろ」

「まあまあ」

 

 割と口では遠慮なくズバズバ言っているが、『影浦隊』の雰囲気は極めてアットホームで、何処か楽し気ですらある。

 

 隊員同士の仲は、見ての通り良好らしかった。

 

「お、お前等来てたのか」

「あ、荒船さん。こんばんは」

 

 そんな中、店の入口から現れたのは『荒船隊』の隊長荒船哲次。

 

 彼は隊員の穂刈と半崎を連れて、近くの席に座った。

 

「よう、大活躍だったな。当たった時は容赦しないから楽しみにしてろよ」

「…………どうやらそんなに待つ必要はなさそうだぞ。荒船」

「あん?」

 

 穂刈の言葉に、荒船は手元の機器を見る。

 

 それに釣られて、七海達もその機器を覗き込んだ。

 

 ────B級ランク戦ROUND2、夜の部────

 

 ────参加チーム:『那須隊』『荒船隊』『柿崎隊』────

 

「…………へえ、望む所じゃねえか」

 

 対戦相手の告知を見た荒船は、獰猛に笑う。

 

 そしてその視線は七海に────己の対戦相手に向けられた。

 

「全力で潰してやるぜ、七海」

「こちらこそ、です」

 

 二人は、闘志を確かめる。

 

 次の戦いに、その意地を通す為に。

 

「人の店で睨み合ってじゃねぇよ、タコ」

「あっ」

「いでっ」

 

 …………まあ、お好み焼き屋の店内である事も忘れて睨み合った結果、影浦にどつかれる羽目となったのであるが。



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Each scene

「じゃあ荒船さん、俺達はこれで」

 

 お好み焼き屋『かげうら』から出た所で、七海がそう言って荒船に手を振った。

 

 結局あの後、打ち上げは滞りなく再開された。

 

 影浦が七海用に用意した専用お好み焼きを興味本位で茜が食べてしまい、その味の強烈な濃さに悶絶する事はあったが、特に問題なく皆楽しめていた。

 

 那須が茜のその反応を見て自分も七海専用の味の超絶濃い料理を作るべきだろうかと真剣に検討し出したりもしたのだが、それはまた別のお話である。

 

「おう、またな。首洗って待ってろよ」

「はい。全力でやらせて頂きます」

「言うじゃねえか。楽しみにしてるぜ」

 

 はい、という返事と共に七海は頭を下げ、那須達と共に帰路に着いた。

 

 荒船はその後ろ姿を黙って見据え、にやりと獰猛な笑みを浮かべた。

 

「楽しそうだな、荒船」

「ああ、そうだな。否定はしねえよ」

 

 穂刈の指摘を、荒船は笑みを浮かべたまま肯定する。

 

 荒船の脳裏には、かつての七海との思い出が想起されていた。

 

 

 

 

 初めて荒船が七海と出会ったのは、まだ七海がC級だった頃にまで遡る。

 

 当時の七海はまだC級だったが故に『スコーピオン』一本しか使っていなかったのだが、それでもC級相手ならたとえ弾丸トリガーの使い手だろうと難なく斬り捨てていた。

 

 その様子を映像で見ていた荒船はその実力にも興味が沸いたが、何より気になったのはその()だった。

 

 その時の七海は何かに追い立てられるように鍛錬に励んでいて、見ていて鬼気迫るものがあった。

 

 周りが、殆ど見えていない。

 

 荒船には、当時の七海はそう映った。

 

 しかし、この『ボーダー』にそういった傾向の隊員は相応に存在する。

 

 親兄弟等の大切な人を過去の大規模侵攻で殺されている者、家を失った者はそれなりに多く、そういった者達の中には『近界民』への復讐を志して『ボーダー』の門を叩く事がある。

 

 現在A級部隊の隊長である三輪秀次(みわしゅうじ)等はその筆頭であり、常日頃から『近界民』排斥を掲げている。

 

 しかし、七海のそれはそういった者達とは異なって思えた。

 

 憎い何かを追い縋って力を求めている、というよりは。

 

 掌から零れ落ちる物を必死に掬おうとするような、そんな必死さが見て取れた。

 

 今なら、分かる。

 

 あの時の七海は、姉と右腕、痛覚を失い、唯一残った大切なもの(那須の存在)を失わないように、ひたすらに力を求めていた。

 

 七海は、あの時姉を失ったのは自分が弱かったからだと考えている。

 

 誰もが「七海は悪くない」と言うが、誰よりも七海自身が自分自身を許せなかった。

 

 その焦りが、鬼気迫る様子として表面化していたのだろう。

 

 そんな彼をなんだか放って置けない感じがして、荒船は七海を模擬戦に誘った。

 

 結果として、七海の実力は本物だった。

 

 まだまだ粗削りな所はあったが、その副作用(サイドエフェクト)を活かした回避技術には目を見張るものがあった。

 

 惜しむらくはまだ自分の能力を活かした技術を学びきれていない所だったが、こればかりはサイドエフェクトを持たぬ荒船に教えられる事ではない。

 

 それよりも荒船は、そこまで必死になって力を求める七海の()()の方が気になった。

 

 しかし、経験上あまり人に言いたくないものである事は察せられた。

 

 けれども、その理由が分からない事にはどう助言していいのかも見当がつかない。

 

 荒船は「嫌なら言わなくていい」と前置きした上で、七海に力を求める理由を聞いた。

 

 …………そこで荒船は、七海の身の上を知ったのである。

 

 過去の大規模侵攻で右腕を欠損し、姉は黒トリガー(無機物)となり、彼の身体は痛みを失った。

 

 その時の七海の言葉は、今でも覚えている。

 

 ────俺は、強くならなくちゃいけないんです。これ以上、何も失わない為にも────

 

 …………荒船は、何も言えなかった。

 

 辛い過去を背負っているのだろうと考えていたが、その過去の壮絶さに想像が追い付いていなかった。

 

 荒船は、何かを喪って『ボーダー』に入ったのではない。

 

 単に自分の力を活かせる場として、『ボーダー』を選んだというだけだ。

 

 だから、彼は悲劇を経験していない。

 

 親族は健在だし、親しい人が亡くなったという経験もない。

 

 そんな自分が、彼の力になれるだろうか。

 

 一瞬でも、そういった考えが頭に過らなかったと言えば嘘になる。

 

 七海の力を求める理由が彼の過酷な過去の悲劇に根差している以上、その悲劇を共感出来ない自分の言葉が響く筈もない。

 

 今ならば別の考えも出来るのだろうが、当時の荒船はそこまで達観出来てはいなかった。

 

 出来る事と言えば戦い方を教える事だが、その時の荒船はまだ人に教えられる程の戦闘理論を確立出来ていなかった。

 

 更に言えば自分はサイドエフェクトなど持っていない為、それを上手く使った戦い方等を教える事も出来ない。

 

 その為せめて模擬戦の相手になって経験を積ませてやろうと彼がB級に上がって以降も事あるごとに七海と戦っていたのだが、その最中に絡んで来たのが影浦である。

 

 影浦は七海の立ち回りから自分と似たようなサイドエフェクトを持っていると察したらしく、七海を個人戦に誘い、紆余屈折あって事実上の弟子にしてしまった。

 

 あの影浦が弟子を取ったという事でその時は大層驚いた事を覚えているが、七海は影浦に師事して以降、目に見えて実力が上がって行った。

 

 七海はいつの間にやら太刀川や出水、風間等の『ボーダー』トップクラスの面々にも指導を受けており、元の素質も相俟って実力をメキメキと上げて行った。

 

 当初は圧倒出来ていた個人戦の戦績も、今では五分か七海の方が僅かに上だ。

 

 多くの仲間と交流した為か当初存在した切迫感も薄れ、『ボーダー』の中で上手くやれているようだった。

 

 特に攻撃手界隈では個人戦を通じて交流の輪を広げており、太刀川(ランク戦馬鹿)程ではないが、よく個人戦のブースに出入りしている。

 

 着実に強くなっていく七海を見て誇らしくなると同時に、荒船が抱いていた感情は()()()だった。

 

 知り合ったのは自分が先なのに、後から知り合った面々の指導を受けて腕を磨いていく七海の姿に、()()()()()()()()()()()という想いがあったのは否定出来ない。

 

 自分が彼を指導してやれなかったのは、自分の技術力や戦闘理論の不足故だ。

 

 だからこそ彼は技術を磨いて行ったし、戦闘理論も他人に説明し指導出来る程にまで確立させていった。

 

 完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)になって同ポジションの隊員を量産するという目的も、七海を鍛えてやれなかったからこそ、より高い目標を志す事で自分を納得させたいという動機があったのかもしれなかった。

 

 七海と出会ってから、二年以上が経過した。

 

 今では七海は『那須隊』の一員としてチームランク戦に参加して来ており、今日行われたROUND1ではあの村上を擁する『鈴鳴第一』相手にチーム戦術によって完封勝ちを収めて見せた。

 

 その試合映像を見た時、荒船は自分の心の火が燃え盛った事を感じ取った。

 

 ()()()()()()()()()()()()という七海相手に、狙撃手のみを集めたコンセプトチームである『荒船隊』でどうやり合うか、そのシミュレーションは腐る程やって来ている。

 

 それが実際に通用するのか、試してみたい。

 

 今の七海を、チームとして打ち倒したい。

 

 それが、今の荒船にとっては全てだった。

 

 …………七海を相手とした勝つ為の策は、用意出来ている。

 

 おあつらえ向きに、ROUND2のMAP選択権は自分の隊にある。

 

 前回は転送位置が悪く結果が振るわなかったが、今となって見ればそれが功を奏した形となる。

 

 前回は狙撃手の優位をあまり活かせない『市街地D』であった事もあり、思うように点が取れなかったが今回は違う。

 

 ROUND1で『那須隊』がやったように地形戦を仕掛け、七海を追い詰めてやる算段である。

 

 荒船が立てた作戦は、ある意味では()()の要素が強いものだ。

 

 MAP選択にしてみても、セオリーを無視したものを選ぼうとしている。

 

 無論負けるつもりでやる筈がないし、充分に勝算はあると判断している。

 

 そしてその判断を、隊員の皆は支持してくれた。

 

 穂刈は「好きにやればいいだろう。荒船の」と荒船の考えを肯定してくれたし、半崎も「ダルイっすけど、なんとかします」と彼の判断を支持してくれた。

 

 オペレーターの加賀美も、「任せて下さい」と快い返事を返してくれた。

 

 これで気合いを入れなければ、隊長である己の立場がない。

 

 自分の為に隊員全員が協力してくれているのだから、己も全力を尽くすだけである。

 

 自分の手を離れ、成長した七海と己。

 

 そのどちらがより強いのか。

 

 これは、それを知る為の戦いでもある。

 

 荒船は一人、ぐっと拳を握り締めた。

 

 ────必ず勝つ。

 

 その想いを、胸に秘めて。

 

 

 

 

「相手は『那須隊』と『荒船隊』か。こりゃ、厄介な事になりそうだな……」

 

 所変わって、『柿崎隊』の作戦室。

 

 そこで、隊長の柿崎国治(かきざきくにはる)がROUND1の映像を見ながら難しい顔をしていた。

 

「今回のMAP選択権は、『荒船隊』にありますからね。順当に考えれば、『市街地C』で優位を取って来るんじゃないでしょうか」

 

 そんな柿崎に話しかけたのは、明るい髪色の猫目の少年、巴虎太郎(ともえこたろう)

 

 この『柿崎隊』の銃手であり、かつては唯一の小学生隊員だった経歴を持つ少年である。

 

 ちなみに『市街地C』とは高低差の激しいMAPで、『荒船隊』がMAP選択権を得られた戦いではほぼ必ずこのMAPを選んで来ていた。

 

 虎太郎はそういった経緯も鑑みて、MAPについては考察していた。

 

「『荒船隊』に関してもそうだけど、今の『那須隊』も決して侮れる相手じゃないですね。七海先輩の加入もあって、前期とは別物だと考えた方が良さそうです」

 

 そんな風に意見するのは、三つ編みの淑やかな少女、照屋文香(てるやふみか)

 

 かつて新人王を争った秀才であり、隊員募集をかけた柿崎に対し「(柿崎が)支え甲斐がありそうだと思って来ました」と宣った押しかけ肝っ玉女房系少女である。

 

 照屋の眼はROUND1の映像、特に那須と七海の連携に注視しており、少々険しい表情をしていた。

 

「やっぱり、この二人が組むととんでもないな。なるべくなら、合流前に叩いておきたい所だが……」

「七海先輩も那須先輩も機動力が高いので、それはちょっと難しいかもですね。あの人の個人戦の映像は持っていますけど、実際に戦った事はないのが痛いですね……」

 

 虎太郎は少々弱気な発言をぼやくが、照屋は背筋を伸ばして叱咤する。

 

「それでも、何も出来ないワケじゃありません。どう対応すべきか、色々詰めていきましょう」

「ああ、そうだな。心配なのは確かだが、出来る事をやっていこう。文香、虎太郎、頼んだぞ」

「「はいっ!」」

 

 照屋のぐいぐいとした押しに引っ張られる形で、『柿崎隊』の面々は作戦会議を始めた。

 

 『柿崎隊』は、今日も平常運航。

 

 和やかながらも締めるべき所はしっかり締める、学校の部活のような雰囲気がそこにはあった。

 

 

 

 

「…………荒船さんか…………」

 

 七海は那須と共に夜の街を歩きながら、一人呟いていた。

 

 熊谷と茜は既にそれぞれの家に送り届けて来ており、後は那須と共に那須邸に帰るだけである。

 

 二人共そこまで会話が得意ではない為口数はそう多くないが、少なくとも那須は七海と一緒にいられて幸せそうである。

 

 七海もまた、悪い気はしていないようだった。

 

 そして当然、七海の独り言を聞き留めた那須が声をかける。

 

「…………心配……? 荒船さんと当たるのは」

「…………心配、というより嬉しい、かな。荒船さんは、俺の最初の目標なんだ。まだ俺が右も左も分からない未熟者だった時代にお世話になった、俺の恩人だから」

 

 七海は思い出を噛み締めるように、そう告げる。

 

 彼の脳裏には、当時の情景がありありと浮かんでいた。

 

「確かに具体的な指導を受けたワケではなかったけれど、荒船さんと戦うのは本当に良い経験になったよ。言うなれば荒船さんは俺にとって、()()()()()かもしれないね」

「そう…………少し、妬けちゃうわね。そんな楽しそうな玲一の顔、あまり見た事がないもの」

 

 那須の言う通り、七海の顔は何処か楽し気なそれに見える。

 

 彼自身、昂っているのかもしれない。

 

 荒船と戦う、その時を待ち望んで。

 

「心配しなくても、ちゃんとチームとして勝てるよう全力を尽くすよ。荒船さんにきちんと勝って、その上でチームとして勝つ。手抜きはしないよ」

「もう、そういう事じゃないのに……」

 

 何処かズレた返答をする七海に対し、那須は頬を膨らませて抗議する。

 

 そのままするりと七海に身体を密着させると、上目遣いで彼の顔を覗き込んだ。

 

「何か失敗しても、皆でフォローするから大丈夫よ。だから、もっと私達を頼ってね?」

「ああ、約束する」

 

 そう、と那須は短く答え、そのまま離れる────かと思いきや、七海の腕を取り、寄り添うように歩き出す。

 

 頑として動かないだろう事を察した七海は苦笑しつつも、そのまま夜の街を歩き続けた。

 

 那須と七海は何処かすれ違ったまま、二人揃って並んで歩く。

 

 それが、最も価値ある行いだと信じて。




 明日は更新出来ないので明後日更新します。

 ROUND2編に突入します。


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B級ランク戦/ROUND2
Second round


「今回の相手は、『荒船隊』と『柿崎隊』。どちらも、何度も戦った事のあるチームね」

 

 『那須隊』作戦室にて、トリオン体に換装した那須が皆を前にそう切り出した。

 

 普段『那須隊』のブリーフィングは主に那須邸で行うのが通例であるが、ランク戦直前の確認等はこの作戦室で行っている。

 

 作戦なんかは既に練って来た後である為、念押しの確認の意味が強い。

 

「『柿崎隊』は尖ったトコはないけど、堅実さがウリのチームだよね。基礎力が高いし、油断出来る相手じゃないと思うよ」

「そうね。でも、柿崎さんは毎回合流を最優先にするから、狙い目があるとしたらそこかしら」

 

 確かに那須の言う通り、『柿崎隊』はこれまでのランク戦では毎回隊員の合流を最優先にして動いており、チームを分けた事は一度も無い。

 

 堅実さを重視した戦略だが、逆に言えば()()()()()という弱みにも成り得る。

 

 事実、これまで『柿崎隊』の戦績がそこまで振るわなかった背景にその要因が絡んでいる事は間違いないだろう。

 

「あと、今回のROUND2では唯一狙撃手がいないチームですよね」

「そうだな。今回も、お前の力が活きる機会が多くなる筈だ。頼んだぞ、日浦」

「はいっ!」

 

 茜は自信満々に、喜色を浮かべて力強くそう答えた。

 

 前回のROUND1で狙撃を綺麗に決めて得点に繋げた事が、彼女の自信に繋がっているのだろう。

 

 七海が加入する前の『那須隊』は、決定力が不足していた。

 

 茜の役割も専ら那須のサポートであり、自分で得点を挙げた回数は数える程しかなかった。

 

 しかし、七海が隊に入った事でチームの攪乱能力が飛躍的に向上し、茜が敵を仕留める好機も作り易くなっている。

 

 その結果が、前回のROUND1だ。

 

 MAP選択の優位も勿論あったが、先日マスタークラスになった事を鑑みても、茜の実力は目に見えて向上している。

 

 試合の後師匠の奈良坂からもお褒めの言葉を貰っているので、茜としてはテンション最高潮である。

 

「今回は解説に奈良坂(師匠)も呼ばれてるので、情けない試合は出来ませんっ! 精一杯、頑張りますっ!」

「ああ、だが気負い過ぎるなよ。何かあってもフォローはしてやる」

「ありがとうございますっ!」

 

 わしわしと七海は茜の頭を撫で、茜は気持ち良さそうにされるがままになっている。

 

 その光景を見ていた那須の視線の温度が加速度的に下がって行ったが、七海が視線に気付いて茜から手を離すと那須はにっこりと笑みを向けていた。

 

 一連の流れを直に見ていた熊谷は背筋が寒くなる感覚に襲われたが、気付かない振りをする事に決めた。

 

 誰だって、見えている地雷は踏みたくないものである。

 

 ちなみに小夜子もまた、那須と似たような表情を浮かべていたのだが…………こちらに関しては、誰も気付いてはいなかった。

 

 単にこれは、自分の想いを正確に自覚していないか、自覚して隠しているかの違いである。

 

 少なくとも感情の制御については、小夜子の方が上手かったというだけの話ではあるが。

 

「それで、『荒船隊』の方だけれど……」

「それに関しちゃ、七海の独壇場でしょ? なんたって七海には、()()()()()()()んだしね」

 

 熊谷の言う通り、七海はサイドエフェクト『感知痛覚体質』により、()()()()()()()()()()()()

 

 正確には、狙撃も不意打ちも七海にとっては見えている攻撃(テレフォンパンチ)に当たるので効果は薄い、と言うべきか。

 

 七海に狙撃を仕掛けようものならほぼ確定で回避され、『グラスホッパー』を含めた圧倒的な機動力で瞬く間に狙撃手を狩りに行けるだろう。

 

 再装填(リロード)の時間がかかり()()()()()()()という狙撃手の性質上、七海からすれば何処に来るか分かってる単発の弾丸を避けながら相手の所に辿り着けばいいだけなので、狙撃は殆ど障害にならない。

 

 唯一『ライトニング』だけは連射が可能だが、威力は狙撃銃トリガーの中では最も低い為、避けずとも七海のトリオン量を用いたシールドなら難なく防ぐ事が出来る。

 

 七海にとって狙撃手は、最も与しやすい相手と言えるのだ。

 

「…………けど、それは荒船さんだって分かってる。あの荒船さんが、何の策も用意していないとは俺は思えない」

 

 だが、それは七海を良く知る荒船にとっては周知の事実だ。

 

 ()()()()()()()()()という『荒船隊』は、そのまま当たれば七海にとってはカモでしかない。

 

 唯一荒船だけは『弧月』を用いた近接戦闘が可能だが、そうなると狙撃手は二人に減って狙撃の圧力が減る為、ROUND1のように七海が時間を稼げば那須が合流して機動戦で圧倒する事が出来る。

 

 それを、荒船が理解していないとは思えなかった。

 

「断言しても良い。確実に、何か仕掛けて来る。俺に対する何らかの対策を、使って来る筈だ。だから、そうなった時は────」

 

 そして七海は、自分の()()を告げた。

 

 

 

 

「皆さんこんにちは。今回ランク戦実況を務めさせて頂きます、『風間隊』オペレーター三上歌歩(みかみかほ)です。どうぞよろしくお願いします」

 

 10月5日、ランク戦当日。

 

 ランク戦のブースには、今日も大勢の観戦者が集まっていた。

 

 今回の実況担当は、小柄な体躯の黒髪ショートの少女、三上。

 

 七海も世話になっている、A級部隊『風間隊』のオペレーターだ。

 

「解説にお越し頂いたのは『三輪隊』の狙撃手、奈良坂隊員と────」

「よろしく頼む」

 

 キノコのようなと揶揄される髪型の落ち着いた少年、奈良坂透(ならさかとおる)が三上の紹介を受けて表情を変えず軽く会釈する。

 

「────A級一位部隊『太刀川隊』の射手、出水隊員です」

「よろしくなー」

 

 そして同様に、紹介を受けた出水は仏頂面の奈良坂とは対照的なにこやかな笑顔で応じた。

 

 これだけで、二人のキャラ性の違いが良く分かる。

 

 二人共これが平常運転であるので、表面上はどういった心持ちなのかは察せられなかった。

 

「さて、前回のROUND1の結果を受け、現在の順位はこうなっております」

 

 三上はそう告げると共に機器を操作し、順位の一覧を表示する。

 

 『那須隊』2Pt→10Pt(暫定14位→8位)

 『鈴鳴第一』8Pt→8Pt(暫定8位→9位)

 『漆間隊』6Pt→8Pt(暫定9位→10位)

 『柿崎隊』4Pt→8Pt(暫定12位→11位)

 『荒船隊』5Pt→7Pt(暫定11位→12位)

 『諏訪隊』6Pt→6Pt(暫定10→13位)

 『早川隊』3Pt→3Pt(暫定13位→14位)

 

「ROUND1で一挙8得点を獲得した『那須隊』が一気にB級中位トップに躍り出た事で、他の隊の順位は軒並み下がっています」

「『荒船隊』は前回運が無かったよなー。狙撃がやり難い『市街地D』だった事を鑑みても、転送位置が最悪だったし」

 

 出水の言葉を、奈良坂が頷いて肯定する。

 

「荒船さんが『弧月』を抜く決断をしなかったら、恐らく一点も取れていなかっただろう。特化型のチームは特性が活きれば強いが、逆に不得意な状況に追い込まれれば脆い」

「『市街地D』はモールの中で戦う事が多いから、遠距離で有利を取る『荒船隊』にとっちゃ最悪の部類のMAPだったしなー。それでも対応したあたりは流石だけど」

 

 二人の説明に、三上が補足する。

 

「ROUND1では荒船隊長が『弧月』を用いた接近戦を仕掛けて、他の二人が狙撃で援護する『鈴鳴第一』に近い戦術を取っていました。しかし『漆間隊』の奇襲で半崎隊員が落とされた事で均衡が崩れ、『柿崎隊』に押し込まれてしまった形でしたね」

「そうそう、前回は柿崎さんトコの戦略が上手く嵌った形だよねー。『早川隊』が選択したMAPを最大限に活かし切って、地力の厚さで押し切った感じ」

 

 その通りだ、と奈良坂は出水の言葉を再度肯定する。

 

「『早川隊』は地力の面で『柿崎隊』に完全に負けていたからな。半面、『柿崎隊』は堅実な戦略と容易には崩れない隊員の層の厚さがある。だからこそ、生存点を含めて4ポイントが獲得出来たという事だ」

 

 つまり、と奈良坂は続けた。

 

「『柿崎隊』は無理をしない分、隊員が落ち難いという明確なメリットがある。そこは、評価すべきポイントだろう」

「成る程、ではこの試合も『柿崎隊』が台風の目になるという事でしょうか?」

「いや、今回はそもそも前提条件が異なっている」

 

 三上の問いかけを奈良坂は否定し、まず、と話し始めた。

 

「今回のMAP選択権は、『荒船隊』にある。先程言ったように、『荒船隊』は特化型のチームだ。弱点を突かれれば脆いが、逆に得意なフィールドに引き込めば圧倒的な優位を勝ち取れる」

 

 恐らく、と奈良坂は前置きして続ける。

 

「今回『荒船隊』は『市街地C』のような、狙撃手に有利なMAPを選んでくる筈だ。狙撃手に有利な地形で戦う事がどういう事なのか、他の隊は身を以て知る事になるだろう」

「確かに、これまでのランク戦でも『荒船隊』はMAP選択権を得られた試合では大量得点を獲得しています。得意地形に引き込んだ時の『荒船隊』の爆発力には、目を見張るものがありますね」

 

 三上は奈良坂の発言に同調し、分かり易く補足を加える。

 

 こういった気遣いが出来る点が、彼女の魅力と言えよう。

 

「けど、七海にゃ()()()()()()()ぞ? そこんトコどうなんだ?」

「それは、確かに憂慮すべき点だ。だが、極論それは七海を無視して他の隊員を狙えばいいだけの話だ」

 

 要するに、と奈良坂は捕捉する。

 

「無理に七海を狙わずに他の隊員を狙撃で仕留め、七海に補足される前に自主的に『緊急脱出(ベイルアウト)』すれば良い。有利地形で高台を取れれば、可能ではある筈だ」

「つまり、『荒船隊』は七海隊員に接近される前に点を取り逃げするという戦略を取って来ると……?」

「あくまで可能性の話だ。単に、そういう手も取れるというだけでな」

 

 それに、と奈良坂は付け加えた。

 

「理論上は出来なくもないが、あまり現実的ではないのも事実だ。七海は素の機動力がずば抜けて高い上に、『グラスホッパー』をメイン・サブ両方に装備している。自主的な『緊急脱出』には相手チームの隊員が60m以内にいない事が条件となるが、七海相手ではそれも難しい」

「地形踏破訓練の成績も物凄かったみたいだしなー、七海は。狙撃が効かないから最短ルートで迫って来るし、確かにあいつから逃げ切るのは難しいわな」

「矢張り、台風の目になるのは七海隊員なのでしょうか?」

 

 出水はそうだなー、と言いながら腕を組んだ。

 

「台風の目と言うか、七海は自分で台風を引き起こすような奴だからなー。ROUND1を見て分かる通り、あいつの攪乱能力はずば抜けて高い。少しでも隙を見つけたら、あっという間にペースを持っていかれるぞ」

 

 実際そうだったでしょー、と出水がにこにこ笑いながら告げる。

 

 その様子は何処か自慢気で、自分の弟子が評価されているのが嬉しいという感情が見て取れた。

 

「だが、当然それは荒船さんも承知している。七海を抑えなければどうしようもない事は、あの人が一番良く分かっている筈だ」

 

 つまり、と奈良坂は何処か楽し気な感情を目に宿した。

 

「────何か、仕掛けて来るだろう。七海を封じ込める為の、必殺の()を」

 

 

 

 

『さあ、スタートまで残り僅かとなりました』

 

 スピーカーから、三上の声が聞こえて来る。

 

 これから七海達は、戦場である仮想空間へと転送される。

 

 実況の声は基本的に仮想空間へは届かず、実況席での会話を試合中彼等が耳にする事は出来ない。

 

 彼等が試合中聞く事が出来る外部の声は、オペレーターとの通信のみ。

 

 それ以外は全て、シャットアウトされる。

 

『全部隊、転送開始』

 

 そして、身体が浮くような感覚と共に彼等の身体が現実から仮想へと送られる。

 

 現実から仮想へ。日常から戦いの場へ。

 

 境界を超え、彼等は辿り着く。

 

『────MAP、『摩天楼A』。時刻、『夜』』

 

 ────ネオン煌めく、大都会。

 

 宙に満月を戴く、夜のビル群。

 

 中天の満月の輝きを掻き消すような光量のネオンに彩られた摩天楼が、今回の戦いの部隊だった。

 

 夜闇の中に照らされた高層ビル群の一つ、その屋上。

 

 そこに、帽子を被った長身の男────荒船哲次が立っていた。

 

「穂刈、半崎、作戦通りに行くぞ。まずは、上を取るんだ」

『了解っす』

『作戦通りだな。了解』

 

 高層ビルの上から人のいない仮想の大都市を見下ろす荒船は、闘志を漲らせて不敵な笑みを浮かべてみせた。

 

「さあ、七海。勝ちに行かせて貰うぜ」

 

 荒船は宣言と共に、バッグワームを起動。

 

 ビルの屋上から跳躍し、夜の街へと消えて行った。



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Surprise attack

「始まりましたB級ランク戦ROUND2……っ! 今回は『荒船隊』、『柿崎隊』、『那須隊』の三つ巴です」

 

 実況席から三上の解説が始まり、ランク戦の開始が告げられた。

 

 彼女はハキハキとした声で、己が役目を全うする。

 

「選ばれたステージは、『摩天楼A』。このステージ選択はどう見ますか、出水さん」

「そうだなー。意外、っちゃ意外だな。てっきり、『市街地C』あたりを選ぶかと思ってたからな」

 

 問われた出水はぽりぽりと頭をかき、試合映像に目を向けながら口を開いた。

 

 その表情は言葉の内容とは裏腹に、笑みが隠しきれていない。

 

 何か、面白いものを見つけた。

 

 そんな、好奇心にあふれた顔だった。

 

「『市街地C』は、狙撃手有利マップだ。大方のチームも、そっちを選んでくると思っていただろう」

 

 出水の発言に、奈良坂が表情を変えぬまま追随する。

 

 奈良坂もまたマップの映像に目を通し、目を細めた。

 

「『荒船隊』は、狙撃手三人という特殊な構成のチームだ。通常は、そのチーム構成を活かして高台を確保し、包囲狙撃で相手を仕留めるのが彼等の基本戦術だ」

「この『摩天楼A』は高層ビルが無数にある為高台自体は多いですが、ビルが多過ぎる為に射線が制限されがちなステージです。一見、『荒船隊』にとっては有利とは言い難いステージに思えますが……」

「ま、何か考えがあるんだろ。荒船さんは、意味のない事はしないしな」

 

 二人の疑問の解答を、出水はそう締め括った。

 

 その視線は、マップ映像に釘付けだ。

 

 疑問の答えは、試合の中で嫌でも見えて来る。

 

 そう、言外に主張していた。

 

「多分、面白い事になるぞ。きっとな」

 

 

 

 

「…………転送位置が悪いな。この位置じゃ、合流までにかなり時間がかかりそうだ」

 

 ビルの屋上で、七海は仲間に通信で語り掛ける。

 

 彼のいる場所はマップの北西端と言える場所で、レーダー上では他の隊員とはかなり距離がある。

 

 率直に言って、合流するまでに他チームとかち合う確率が非常に高い。

 

『そうね。私は玲一の真逆の方向にいるし、茜ちゃんとくまちゃんの位置はマップ南西端。合流は厳しいわ』

『でも、モタモタしてると荒船隊に高台を取られちゃうから合流優先で動くワケにはいかない。今のうちに、高台を押さえておかないと』

『はいっ、幸い熊谷先輩とはすぐに合流出来ましたし、無理に合流しなくてもなんとかなると思います』

 

 チームメイト達からの、通信が返って来る。

 

 三人の意見は、合流よりも高台を取り『荒船隊』の動きを抑える事を優先するといったものだ。

 

 この『摩天楼A』ステージは大都市を再現している為かかなり広く、高層ビルが乱立している。

 

 その中でも中央区にはかなりの高さを持つビルが点在しており、そこを狙撃手三人で組まれたチームである『荒船隊』に抑えられると面倒な事になる。

 

 故に、高台を目指す事を最優先とする方針は七海としても異論はない。

 

「そうだな。荒船さんが何を考えてこのマップを選んだかは分からないが、狙撃手に高台を取られれば不利なのは間違いない。まあ、いざとなれば俺が『メテオラ』でビルを吹っ飛ばしてもいいんだが……」

『下手に建物を破壊すると、射線が通り易くなるわ。だから玲一には悪いけど、極力『メテオラ』は使わずに『荒船隊』を追って頂戴。勿論、必要と感じたら玲一の判断で使って構わないわ』

「了解。中央の高台に向かうぞ」

 

 七海の返答に、それでお願い、という那須の声が返って来る。

 

『私も、そっちに向かうわ。『柿崎隊』は一旦無視して、『荒船隊』に狙いを絞りましょう。幾ら玲一に()()()()()()()とはいえ、狙撃手に高台は取られないに越した事はないからね』

「けど、玲の位置から中央区に向かえば途中で『柿崎隊』とかち合う可能性が高いが、そこはどうする?」

『見つからなければやり過ごすけど、もしも見つかった場合は適当に相手をして切り抜けるわ。幸い、『柿崎隊』は狙撃手がいないチームだから逃げに徹すればどうとでもなるしね』

 

 確かに、『柿崎隊』は狙撃手がおらず、合流を優先して動く為初動も遅い。

 

 ただでさえ機動力に特化している那須が逃げに徹すれば、追撃するのは難しいだろう。

 

『あたしと茜も、中央区に向かうよ。『荒船隊』を倒せれば、今度はこっちが高台から有利を取れる』

『はいっ、任せて下さいっ!』

 

 熊谷と茜からの頼もしい言葉を聞き、七海は深く頷いた。

 

「そうだな。柿崎隊に狙撃手はいないし、『荒船隊』をどうにか出来れば確かに有利だ。その方針で行こう」

『ええ、私もそれでいいと思うわ。皆、始めるわよ』

『『「了解っ!」』』

 

 全員の意志が統一され、『那須隊』は動き出す。

 

 そして七海はバッグワームを起動し、ビルの屋上から跳躍。

 

 展開したグラスホッパーを踏み、七海は夜の街へと飛び込んだ。

 

 

 

 

「合流を優先するぞ。文香、虎太郎。幸い、割と近い位置に転送されてる。合流してからは、『荒船隊』が向かう可能性の高い中央のビル群に向かう」

『了解しました。私が中央区に一番近い位置ですが、先行して『荒船隊』を牽制しましょうか?』

 

 金髪のスポーツマン風の青年、柿崎は隊員に通信越しで指示を与え、夜の街を駆けて行く。

 

 そんな彼に意見を言ったのは、通信先にいるチームメイト、照屋文香だ。

 

 その意見を受けて柿崎はしばし思案し、首を振った。

 

「…………いや、合流優先だ。先行しても、万が一先に高台を取られていたら狙い撃ちにされる可能性が高い。可能なら、リスクは冒すべきじゃない」

 

 それに、と柿崎は続ける。

 

「幸い、此処は高低差が多い上にレーダーじゃ上下の位置までは分からない。建物の中に入れば『荒船隊』の射線は切れるし、奇襲もやり易い。合流してから動けば、『荒船隊』の狙いも分散出来る筈だ」

『了解しました』

『了解です』

 

 隊長の意見を二人は揃って聞き入れ、柿崎は溜め息を吐いた。

 

 確かに、今彼女達に告げた言葉に嘘はない。

 

 しかし、同時に彼にとっては()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という想いが強い事も事実だった。

 

 言うなれば、今の言葉は詭弁だ。

 

 自分の真意を覆い隠し、耳障りの良い言葉で飾り立てる。

 

 けれどそれでも、柿崎は仲間を危険に晒す抵抗感を拭い去る事が出来なかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 柿崎の根幹にある想いは、これだ。

 

 彼は、仲間に責任を負わせたくはないと強く思っている。

 

 その重荷は、自分だけで背負うべきだ。

 

 自分()()()に付いて来てくれた三人に、余計なものを背負わせたくはない。

 

 その優しさが生んだ、哀しいすれ違いであった。

 

「…………これで、いい筈だ。責任は全部、俺が取る」

 

 柿崎は無理やり迷いを振り切り、夜の街を駆けて行く。

 

 その姿は、何かに追い立てられるかのように見えた。

 

 

 

 

「全部隊、バッグワームを起動。今回は、最初から全員がバッグワームを使っていますね」

 

 実況席では試合映像を見ながら、三上が実況を続けていた。

 

 試合映像には全員のマーカーが薄くなり、バッグワームを起動しているのが見て分かる。

 

 オペレーターのレーダーにはバッグワームを着た隊員の位置は表示されないが、実況をする以上位置が分からなければ話にならない。

 

 実況用の映像には、しっかりと各部隊の動きが映し出されていた。

 

「『荒船隊』は、全員が狙撃手だ。開始直後からバッグワームを着るのは当然だし、他の部隊も狙撃手相手に位置を晒す理由はない。当然の流れだろう」

「そうだなー。今回は、『荒船隊』が選んだステージだしな。当然マップ情報なんかも頭に叩き込んでるだろうし、何処に射線が通っているかも理解してる筈だからな」

 

 けど、と出水は試合映像を見据えて声をあげる。

 

「今回は、荒船隊は割と運が良いみてーだな。全員が、中央区の付近に転送されてる。穂刈と半崎は、もう狙撃位置についてるぞ」

 

 確かに、出水の言う通り映像にはビルの屋上に陣取っている穂刈と半崎の姿が見える。

 

 荒船もビルの屋上へ向かって駆け上がっており、屋上へ到達するまでそう長くはかからないだろう。

 

「…………運も実力のうち、と言うべきか。だが、このマップはビルが多いステージだ。多少中央区から離れた場所に転送されていても、そこまで不利にはならなかった筈だ」

 

 だが、と奈良坂は続けた。

 

「それでも、『市街地C』より安定して有利を取れるかと言われれば否と答えるしかない。だから、何かある筈だ」

 

 奈良坂もまた、試合映像に映る荒船の姿を見据えた。

 

「────荒船さんが考えた、勝つ為の策がな」

 

 

 

 

「荒船さん、発見しました」

 

 ビルの屋上から屋上へ、グラスホッパーを用いて飛び移る七海の視界に、ビルの屋上へ駆け上がった荒船の姿が映し出される。

 

 此処は中央区の中でも端に位置するビルの上であり、視界の先には更に高いビルがある。

 

 恐らくは荒船はあそこを目指していたのだろうが、なんとか狙撃位置に付く前に補足出来たようだ。

 

 荒船は、既に七海の接近に気付いている。

 

 バッグワームを解除した荒船は、右手に『狙撃銃(イーグレット)』を構え即座に弾丸を放つ。

 

「ふ……っ!」

 

 七海は最小限の動きで身体を捻り、イーグレットの狙撃を回避。

 

 そのままグラスホッパーを起動し、時にはビルの壁を蹴り、駆け上がる。

 

 その姿、まさに風の如し。

 

 ジグザグの機動で風を切り、荒船に迫る。

 

「ハッ……!」

「……っ!」

 

 荒船の側面に着地し、七海は刃を振るう。

 

 しかしガギン、と硬質な音と共に七海のスコーピオンが受け止められる。

 

 荒船はイーグレットを投げ捨て、ブレードトリガー弧月を逆手持ちにして七海の斬撃を受け止めていた。

 

 弧月とスコーピオンでは、耐久力に差がある。

 

 鍔迫り合いは、不利。

 

 七海は素早くその場から飛び退き、ビルの淵へと着地する。

 

 ネオンに照らされたビルの上で、七海と荒船が相対した。

 

「荒船さん……」

「よう、七海。悪ぃが、今回は俺も本気だ」

 

 だから、と荒船は『弧月』を前に突き出してニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

「────ぶった斬らせて貰うぜ、七海」

 

 

 

 

「此処で荒船隊長が弧月抜刀……っ! 出水さん、この展開はどう見ますか?」

 

 実況席でその様子を見ていた三上が、隣の出水に話を振る。

 

 出水は笑みを浮かべながら、その質問に応答した。

 

「そうだなー。近付かれたら弧月で斬り返せるのが荒船さんの強みだけど、此処まで早く抜くのは初めて見たな」

「…………成る程、そう来るか」

 

 出水に続き、奈良坂も口を開く。

 

 三上はそれに気付き、傾聴の姿勢を見せた。

 

「『荒船隊』は、三人全員が狙撃手というその特殊性が武器の部隊だ。荒船が狙撃を捨てて剣を取るのは、近付かれた時の緊急避難的な意味合いが強い」

 

 そして、と奈良坂は続ける。

 

「狙撃手が三人から二人になれば、当然狙撃の圧力も減ってしまう。()()()()を見れば、悪手に思える」

「けど、七海にゃ()()()()()()()だろ? なら、こういうのもアリっちゃアリじゃねーか?」

 

 確かに、出水の言う通り七海には()()()()()()()

 

 サイドエフェクトの事までは実況の場である為詳細は言及しないが、B級以上の隊員にとって七海のサイドエフェクト、『感知痛覚体質』は周知の事実だ。

 

 七海にとっては、狙撃は脅威足り得ない。

 

 それが、ランク戦を行っているボーダー隊員にとっての共通認識である。 

 

「いや、それは違う。確かに七海に狙撃は()()()()が、()()()()()ワケじゃない」

 

 だが、その認識に奈良坂が待ったをかける。

 

 奈良坂は鋭い目線で、映像の七海を射抜く。

 

「俺から言わせれば、狙撃手の役目は窮極的には二つ。()()()()()()()()()()()()()か、()()()()()()()()()()()()()()()()かだ」

 

 奈良坂は、狙撃手NO2の立ち位置を以てそう宣言する。

 

 ()()()()()()()()と公言している当真とは真っ向から反する持論だが、彼に言わせればはそもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 たとえその一発が当たらずとも、チームに貢献出来れば問題ない。

 

 優先すべきは自分一人で成し得た戦果ではなく、全体(チーム)への貢献。

 

 それが、奈良坂の狙撃手としてのスタンスだった。

 

「七海を確かに狙撃で仕留めるのは至難の業だが、遠距離からの狙撃があれば七海の体勢を崩せるし、場合によっては射線に()()()()事も出来る」

 

 つまり、と奈良坂は締め括る。

 

「荒船さんが最初から前に出て、狙撃手二人が七海の動きを抑える。それが、今回の荒船隊の作戦だ」

 

 

 

 

「ハ……ッ!」

 

 荒船の斬撃を、七海は後ろに跳んで躱す。

 

 彼の振るう弧月と、七海が使うスコーピオンでは耐久力に差がある。

 

 故に、打ち合えば不利は必至。

 

 攻撃は、回避一択だ。

 

「……っ!」

 

 そこに、遠方から狙撃が撃ち込まれる。

 

 七海はそれが見えているように的確に顔を逸らし、狙撃を回避。

 

「おら……っ!」

「……っ!」

 

 だがそこに、今度は荒船の斬撃が襲い掛かる。

 

 七海は咄嗟に後ろに下がろうとするが、何かに気付いたようにその場に踏み留まり、荒船の斬撃をスコーピオンで受け止める。

 

 …………するとその一瞬後に、七海の真後ろを狙撃の弾が通過する。

 

 あのまま下がっていれば、今の弾丸に被弾していただろう。

 

 七海のサイドエフェクト、『感知痛覚体質』によりその事を見抜き迎撃を選択したのだ。

 

 穂刈と半崎の狙撃による援護は、荒船程の実力者相手をするには厄介極まりない。

 

 幾ら()()()()()()()()()()()とはいえ、正確無比な狙撃の援護で七海の動きは相応に制限されている。

 

 このままだと、ジリ貧に陥る恐れもあった。

 

(……狙撃で動きが制限されるな。一端、退くのも手か……?)

 

 いや、と七海は考え直す。

 

(荒船さんは、此処で仕留めて置いた方が良い。荒船さんさえ倒せれば、そのまま他の狙撃手も獲りにいける。まずは、荒船隊を倒す事が最優先だ)

 

 そう、荒船さえ倒せれば七海にとって狙撃手は格好の獲物でしかない。

 

 此処で荒船を倒せば、後は一気に持って行ける。

 

 そんな()を出した七海はその場から飛び退き、グラスホッパーを踏む。

 

 ジャンプ台トリガーによって加速を得た七海の身体が、一瞬にして位置を変える。

 

「……っ!」

 

 そうして七海は荒船の側面に回り込み、再びグラスホッパーを起動。

 

 スコーピオンを右腕に持ち、荒船に斬りかかった。

 

「させるか……っ!」

 

 だが、荒船は弧月を逆手持ちで構え、七海の斬撃を受け止める。

 

 攻撃を止められた七海はすかさず左腕にスコーピオンを出現させ、荒船の脇腹を狙って刺突を放つ。

 

 軽量のスコーピオンの速度を活かした、ハイスピードの連続攻撃。

 

(獲った……っ!)

 

 七海は、その時勝利を確信した。

 

 …………して、しまった。

 

「────かかったな」

「……っ!?」

 

 ガクン、と急激な重量が右足にかかり、身体のバランスが崩れる。

 

 左腕のスコーピオンによる斬撃は、体勢を崩した事で空を切る。

 

 視線を足に向ければ、右足の膝下あたりに無骨な鉄塊が突き立っていた。

 

 そして、荒船の左腕には────掌に収まる程度の、小型の拳銃トリガーが握られている。

 

 完全な、不意打ち。

 

 その事に驚愕を露わにした七海は、データでのみ知っていたその()()の名を、思わず口にした。

 

「『鉛弾(レッドバレット)』……ッ!?」

 

 命中した相手に『重石』を付け、機動力を削ぐ特殊弾頭のトリガー。

 

 ────『鉛弾(レッドバレット)』。

 

 それが、七海のサイドエフェクトを掻い潜り、彼に撃ち込まれた弾丸の名称だった。



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Master and pupil

「こ、ここで『鉛弾』……っ! 荒船隊長、至近距離からの銃撃で七海隊員に『鉛弾』を撃ち込んだ……っ!」

 

 実況席は、その攻防を目にして沸いていた。

 

 三上は目を見張り、出水は口笛を吹き、奈良坂でさえも瞠目していた。

 

「…………まさか、こんな隠し玉を用意していたとはな。全ては、この為の作戦か」

 

 奈良坂は感心するように、溜め息を吐いた。

 

 誰もが息を呑む程の、()()()()

 

 それを成功させた荒船に、彼等は声なき称賛を送った。

 

「奈良坂さん、この為、とは……?」

「最初から、荒船さんは七海に『鉛弾』を撃ち込む為にこのステージを選んでいた、という事だ」

 

 三上の疑問に答えるように、奈良坂が説明を続ける。

 

「この『摩天楼』ステージは高層ビルが多く、マップもかなり広い。グラスホッパーを持たない上に合流優先の戦術を取る柿崎隊は、他の隊より初動が遅れがちだ」

 

 奈良坂の言う通り、この『摩天楼A』ステージは数あるステージの中でもかなりの広さを持っている。

 

 ビルが多い事もあり、普通に移動していては隊員同士が合流、ないしは相手チームとエンカウントするまでにそれなりの時間がかかるのだ。

 

 そして、『柿崎隊』は合流を重視する戦術を取る為どうしても初動が遅れる。

 

 柿崎が隊員の単独先行を好まない事もあり、結果的に出遅れる形となる。

 

「必然、荒船さんに最初にかち合う確率が最も高いのは素の機動力が高く、今回のチーム戦の中で唯一グラスホッパーを使っている七海になる」

 

 つまり、と奈良坂は続けた。

 

「荒船さんの狙いは最初から、七海に自分を追って来させて接近戦に持ち込み、柿崎隊が来る前に自分を落とそうと近付いて来た七海に不意打ちで『鉛弾』を撃ち込んで機動力を削ぐ事だったんだ」

 

 その証拠に、と奈良坂は付け加える。

 

「荒船さんが用意していた銃手(ガンナー)トリガーの形状は、単発式拳銃(デリンジャー)だ。この選択からも、荒船さんが今の一発を当てる事を何より重視していた事が分かる」

「ふむ、それはつまり……?」

 

 現実の銃器の話になるが、と前置きした上で奈良坂は続けた。

 

「デリンジャーは他の銃器と違い、()()()()には全く向いていないんだ。単発式拳銃の名の通り一発しか撃てないし、威力も射程もたかが知れている。正規の軍人等は、まず装備しないタイプの拳銃だな」

 

 だが、と奈良坂は話を続けた。

 

「デリンジャーの最大の長所は、その()()()だ。掌に収まるタイプのそのサイズは、隠し持つには非常に便利だ。実際、これまでの歴史の中でもデリンジャーは護衛、もしくは暗殺に多用されている」

 

 そして、と奈良坂は話を切り替える。

 

「トリガーとしてのデリンジャーにも、同じ事が言える。現実のデリンジャーと同じく単発式で射程、威力共に低い。弾速はそれなりに確保してあるから、()()()()()()()()()()()と言っても過言じゃない」

「つまり、荒船隊長はその携行性に目を付けてデリンジャーを選択したと」

「まず間違ないだろう。そうでなければ、汎用性の高いアサルトライフルタイプか、威力重視のショットガンタイプの方が使い易いからな」

 

 それ以外に理由はない、と奈良坂は断言する。

 

 つまり、荒船は威力や射程、汎用性を捨ててまで、隠匿性の高さのみに目を付けてデリンジャー型を選択した。

 

 そこには、明確な意図が感じられる。

 

「あのデリンジャーは、()()()()()を確実に当てる為に用意した代物だ。その一発で七海に『鉛弾』を当てる事こそが、荒船さんの狙いだったんだろう」

 

 そこまで言うと、奈良坂は一呼吸置いて続けた。

 

「七海の強みは、ヒット&アウェイを中心とした攪乱戦法だ。機動力を殺せれば、その強みの殆どが封じられる」

 

 奈良坂は再び画面に目を向け、告げる。

 

「荒船さんの作戦が、完全に決まった。仲間と合流出来るまで荒船の攻撃を凌ぎ切れなければ、七海は落ちるぞ」

 

 

 

 

「く……っ! 完全にしてやられたな……っ!」

 

 七海は鉛弾を撃ち込まれた右足を自らのスコーピオンで斬り落としながら、その場から離脱した。

 

 足がなくなるのは痛いが、100㎏の重しなど付けていては移動もままならない。

 

 もしも()()()を撃ち込まれた時には、その時点で戦闘不能だ。

 

 機動力こそが七海の最大の持ち味なのだから、それを殺されてはたまらない。

 

 …………今のは、完全な()()()()だった。

 

 来るとは思っていない攻撃を受けてしまったが故の動揺は、思った以上に大きい。

 

 これまで、()()()()()()()()()()()()()()からには猶更だ。

 

 …………七海のサイドエフェクト、『感知痛覚体質』は()()()()()()()()をレーダーの要領で自動感知する事が出来る。

 

 その為、七海には狙撃も不意打ちも()()()()()()()()()()()()に過ぎず、不意打ちを受ける事はまずない。

 

 事実、これまで彼が()()()()を受けた経験は皆無だった。

 

 彼が受けた事があるのは、あくまで()()()()()()()()攻撃だけなのだから。

 

 …………だが、荒船はその常識を覆して来た。

 

 痛み(ダメージ)ではなくデメリット効果()()を発生させる『鉛弾』を使い、渾身の不意打ちを叩き込んで来たのだ。

 

 自分のサイドエフェクトの()()と成り得る『鉛弾』についての知識は、当然持ち併せていた。

 

 だが、鉛弾は重石を付ける効果にトリオンの殆どを割いている為、射程・弾速共に普通の弾丸と比べれば著しく減衰してしまう。

 

 しかもオプショントリガーでありながら『旋空』や『スラスター』とは違い、使用トリガーの枠を一枠消費する。

 

 つまり、鉛弾を撃つ時は他のトリガーが一切使えない両攻撃(フルアタック)の状態になってしまうのだ。

 

 その使い勝手の悪さもあり、B級で『鉛弾』を使う者は今までいなかった。

 

 唯一A級部隊の『三輪隊』隊長の三輪秀次(みわしゅうじ)が使い手として知られているが、彼の場合はA級特権によるトリガー改造により『鉛弾』を片方のトリガースロットだけで撃てるようになっている。

 

 逆に言えば、そうでもしなければ『鉛弾』は実戦では使い難いという事だ。

 

 だからこそ、七海は『鉛弾』の事を知ってはいても使()()()()()()()()()()()()()()()()と判断していた。

 

 …………だが、荒船はその七海の油断をこそ突いて来た。

 

 使()()()()()()と思っていた『鉛弾』を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という方法を用いて、七海に当てて来た。

 

 七海と遭遇して弧月を抜いたのも、チームの狙撃手の援護を受けて七海とやり合っていたのも、全ては今の一発を当てる為。

 

 完全に、荒船の作戦に嵌められた。

 

 『鉛弾』の重さは、一個につきおよそ100㎏。

 

 無論、そんなものを付けたままで碌に移動出来る筈もない為、鉛弾を撃ち込まれた右足を切り捨てるしかなかった。

 

 だが、当然の如く片脚がないのでは機動力は大幅に落ちる。

 

 機動戦を主とする七海にとって、足を失うのは死んだも同然の痛打である。

 

「行くぜ……っ!」

 

 そして、そんな状態の七海を逃がす程荒船は甘くない。

 

 弧月を構え、七海に斬りかかって来る。

 

「なら……っ!」

「────!」

 

 だが、七海もそのままやられるワケにはいかない。

 

 即座に思いついた()を実行に移し、()()()()()()()退()()()

 

「な……っ!?」

 

 荒船の眼が、驚愕に見開かれる。

 

 当然だ。

 

 七海の片脚を削っている以上、彼の機動力は死んでいる。

 

 今のような俊敏な回避など、望むべくも無い筈だった。

 

「あれは……っ!?」

 

 そこで、気付く。

 

 先程七海が切り捨てた筈の右足の断面を覆うように、硬質な『刃』が生えている。

 

 その刃はヒールのような形をしており、しっかりと『足』の役割をこなしていた。

 

「スコーピオンを、足代わりにしやがった、だと……っ!?」

 

 ────その『刃』の名は、『スコーピオン』。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()という特徴を持つ、ブレードトリガーである。

 

 

 

 

「これは、スコーピオンを足代わりに……っ!? まさか、こんな事が出来るなんて……っ!」

 

 実況席でその映像を見ていた三上は、驚愕に目を見開いた。

 

 彼女はスコーピオンを主武器として活用する、『風間隊』のオペレーターだ。

 

 当然スコーピオンを扱う所を目にする機会は多く、その()()()についてもそれなりに見知っていた。

 

 だが、その彼女をしても七海のスコーピオンの()()()は初めて見る代物だった。

 

「…………成る程、面白ぇスコーピオンの使い方だな。やるにゃあセンスが要りそうだが、こりゃ今後スコーピオンの使い手相手だと足を削っても油断出来なくなりそうだな」

「確かに、センスの光る()()だ。真似するのは難しいかもしれないが、選択肢としては悪くない代物だろう」

 

 出水と奈良坂も、七海の奇抜な()()()に称賛の声を漏らす。

 

 ランク戦の会場も、七海が使用した()()を見て沸いていた。

 

「これで、足を削られた不利はなくなったと見るべきでしょうか?」

 

 三上が、奈良坂達に問いかける。

 

 確かに、()()()()()では削られた足の補填に成功し、不利を覆したと言える。

 

 だが、奈良坂はその問いに()と答えた。

 

「いや、それは違うな。確かに機動力はあれで補えたが、言い換えれば今の七海は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だと言える」

 

 つまり、と奈良坂は告げる。

 

「当然、シールドを張りながらのメテオラやグラスホッパーの同時起動等も不可能になる。出来る事が減っているのは、間違いない」

「ブレードである以上右足で攻撃も出来るっちゃ出来るが、それだと()()()()()()()()()()()()()()()っつースコーピオンの利点が死ぬからな。七海としちゃ、厳しい状態に違いないだろーぜ」

 

 そう、今の七海は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()の状態であると言える。

 

 必然的に他に使えるトリガーは一つきりとなり、戦いの中での選択肢はおのずと制限される。

 

 グラスホッパーを起動しての高速機動を行おうとすればその最中シールドを張る事は出来ないし、迂闊にメテオラを放てばその隙を狙われる。

 

 今、七海が相対しているのは荒船だけではない。

 

 穂刈と半崎もまた、遠距離から七海を仕留めんと狙いを定めている。

 

 不利な状況である事は、変わっていないのだ。

 

「けど、さっきと違って圧倒的不利とまで言えなくなったのは事実だ。此処からどうなるかは、まだわかんねーぜ」

 

 

 

 

「ったく、本当にテメェは多芸だな……っ! けど、さっきよりはやり易くなってんだろ……っ!」

 

 荒船は驚愕から立ち直り、七海に向かって駆け出し弧月を振るう。

 

 『鉛弾』の拘束から逃れる為に斬り落とした右足をスコーピオンで補填したのは驚いたが、先程までのようなグラスホッパーを絡めた機動はやり難くなっている筈だ。

 

 幾らサイドエフェクトの恩恵があるとはいえ、荒船には穂刈と半崎の援護狙撃がある。

 

 三人がかりで挑めば、七海といえど長くは保たない。

 

 荒船の持つ戦闘理論は、そう結論付けていた。

 

「────」

「な……っ!?」

 

 だが、その目算は甘かった。

 

 七海は荒船の弧月の斬撃をバックステップで回避すると、そのまま右足を軸に腰を低くしながら滑るように回転。

 

 直後に襲って来た『イーグレット』の十字砲火(クロスファイア)を、難なく避け切った。

 

「この……っ!」

 

 続く荒船の頭上からの斬撃も、くるりと身を翻し、曲芸じみた動きで回避。

 

 そのままバク転の要領で跳躍し、ビルの淵へ着地する。

 

 鮮やかな、回避技術。

 

 その光景に、誰もが目を見張っていた。

 

 

 

 

「あいつはな、俺に撃たれまくったり、太刀川さんに斬られまくったりしながら、回避技術を磨いてきたんだ」

 

 それを見て、解説席の出水は得意気に告げる。

 

 彼の、師匠として。

 

 誰よりも、彼の努力を知る者として。

 

「サイドエフェクトを最大限に活かす方法も、影浦さんから学んでる」

 

 その顔には、笑みがある。

 

 七海が鍛え抜いた技術を活かしている、その姿を見たが故に。

 

「あいつの技術は、そんな努力の末に磨いたもんだ。荒船さんの努力も、作戦も、大したもんだ。けど────」

 

 そして出水は、告げる。

 

「────生半可な攻撃が、あいつに当たると思うなよ。今のあいつは、強いぞ」

 

 己の弟子の、強さを。

 

 確かな経験を積み重ねたが故の、その成果を。

 

 師は、弟子の確かな成長を、誇った。



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Senior pride

『隊長、中央区で『荒船隊』が誰かとやり合ってるみたい。三対一で捌けてるって事は、七海先輩ですかね』

 

 オペレーター、宇井真登華(ういまどか)からの報告を聞き、柿崎は顔を顰めた。

 

 彼等『柿崎隊』は合流を優先した為、完全に初動が遅れまだ中央区に到達出来ていない。

 

 そんな中、真登華が中央区にいるのは『荒船隊』と断定出来たのは、()()()()()()()()を確認出来た為である。

 

 『那須隊』にも狙撃手はいるが、その数は一人だけ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()時点で、狙撃手だけで組まれたチームである『荒船隊』であると推測出来るのだ。

 

 そして、そんな状態で難なく攻撃を捌けている事から、戦っている相手は()()()()()()()特性を持つ七海である可能性が高い。

 

「それで、七海の動きはどうだ? 狙撃手を狩りに行ってないって事は、荒船とやり合ってるのか?」

『一ヵ所に留まって誰かと戦ってるみたいなので、多分そうですね。戦況までは、近くまで行かないと分かりませんが……』

「そうか。分かった」

 

 柿崎は真登華からの報告を受け、足を止めて思案する。

 

(七海が荒船とやり合ってるなら、その隙を突いて三人で…………いや、七海は乱戦をこそ得意としている。それに、狙撃手が生きている間に姿を晒すのは愚策だ)

 

 先日見たROUND1のログを思い返し、柿崎は険しい顔となった。

 

 ROUND1では七海はそのサイドエフェクトと機動力をフルに活用し、乱戦を完全にコントロールしていた。

 

 『諏訪隊』は完全にそれに翻弄され、あの村上でさえ来馬を狙われ続けた事で動きを制限されてその結果仕留められている。

 

 此処で下手にあの戦場に乱入するのは、七海の思う壺だ。

 

 乱戦こそ彼の得意分野であるならば、その得意分野をわざわざ提供してやる程馬鹿な事はない。

 

 ならば、自分が取るべき戦略は……。

 

「よし……っ! 文香、虎太郎、『荒船隊』の狙撃手を狙いつつ、『那須隊』を牽制する。このまま中央区に行くぞ」

「七海先輩と荒船先輩の戦いは、放って置くって事ですね」

 

 虎太郎の確認に、柿崎はああ、と言って肯定する。

 

「七海の一番の得意分野は、乱戦だ。わざわざこっちから相手の土俵に乗り込む必要はねえ」

 

 それに、と柿崎は続ける。

 

「『那須隊』は前回と同じく、最終的には那須と七海の合流を狙って来る筈だ。俺達は狙撃手を狙いに行きつつ、那須の合流をなんとしてでも妨害する。というより、本命はこっちだな。あの二人に組まれちゃ、正直勝ち目はねぇ」

「確かに、前回の試合映像を見る限りあれは組ませちゃ駄目な手合いですね。機動力と弾幕密度が違い過ぎて、対応し切れません」

 

 柿崎の意見に、照屋も同意する。

 

 前回の那須と七海が組んだ時の暴れっぷりは、対策の為に何度も映像を見返している。

 

 そしてそれを見た結論は、()()()()()()()()()()()()()()()というものだ。

 

 七海が前衛となって攪乱しつつ『メテオラ』で視界と移動経路を塞ぎ、那須が周囲を縦横無尽に跳び回りながら『バイパー』の弾幕で援護する。

 

 あのフォーメーションを組まれた時点で、機動力で劣る自分達に勝ち目はないと言っても良い。

 

 それだけ、あの二人の連携は強力極まりないのだ。

 

 二人の合流の阻止をこそ、最優先目標に設定するべきだろう。

 

「ただ、七海もそうだが、那須も機動力は相当高い。それを考えれば、合流に間に合わない可能性も高いだろう。その場合は、那須が荒船に仕掛けた所を狙うぞ。間違っても、あの二人の()()に入るのだけは避けるんだ」

「了解っす」

「分かりました」

 

 柿崎の言葉に二人は同意し、『柿崎隊』の三人は夜の街を駆け出した。

 

 

 

 

「那須先輩、『柿崎隊』はもうすぐ中央区に着きそうです。周りを警戒してるので、多分、那須先輩の合流を妨害して来るつもりなんだと思います」

 

 中央区、とあるビルの屋上。

 

 そこでは、狙撃銃を構えた茜が銃のスコープ越しに『柿崎隊』の姿を視認していた。

 

 狙撃手の使う狙撃銃は、狙撃の為に遠距離を視認する為のスコープが搭載されている。

 

 そして、そのスコープの活用法は狙撃の補助だけではない。

 

 今のように、スコープ越しに相手チームの動向を監視する事も出来るのだ。

 

 レーダーと違い、スコープ越しの視認である為バッグワームを着た相手でも問題なく確認出来る他、相手の挙動をそのまま見る事が出来る。

 

 障害物によって見えたり見えなかったりもする為精度は完璧ではないものの、これは狙撃手が持つ、固有の優位性と言える。

 

 高台を取り、相手チームの動向をリアルタイムで報告する。

 

 それが、今の茜に与えられた個別任務(ミッション)だった。

 

『そう、分かった。茜ちゃんは引き続き監視をお願い。でも、()()が整うまで撃っちゃ駄目よ』

「分かってます。任せて下さいっ!」

 

 那須の言葉に、茜は力強くそう答えた。

 

 チームから頼りにされているこの状況は、否応なしに茜の心を奮い立たせる。

 

『張り切り過ぎて凡ミスしないようにね、茜』

「も~、小夜子先輩いじわるですっ!」

 

 …………まあ、茜が気負い過ぎないよう小夜子が適度に茶々を入れてはいたのだが。

 

 オペレーターの分かり難い気遣いに、茜はぷんすか頬を膨らませるのであった。

 

 

 

 

(チィ、攻め切れねえ……っ!)

 

 荒船は七海に弧月を振るいながら、一向に変化しない膠着状態に焦りを覚えていた。

 

 弧月を上段に構え、袈裟斬りに振り下ろす。

 

 しかし七海は最小限の動きで斬撃を回避し、続く二発の援護狙撃も即座に対応。

 

 側転の動きで狙撃を回避し、荒船の背後を取って右足の義足となっているスコーピオンを振るう。

 

 蹴りによって振るわれたスコーピオンを、荒船は逆手持ちにした弧月で受け止める。

 

 そして七海はその弧月を踏み台とし、バク転の要領で身体を回転させ着地。

 

 二度目の十字砲火でさえも、身体を捻り曲芸じみた動きで回避してみせた。

 

(クソ……ッ! なんで、こうまで当たらねえんだ……っ!? さっきからグラスホッパーの一つも使わず、身のこなしだけで俺達の攻撃を捌き切ってやがる……っ! こりゃ確かに、個人戦とは別物だぞ……っ!?)

 

 荒船は三人がかりの攻撃を難なく捌いて行く七海を見て、思わず舌打ちした。

 

 当初の作戦では、足を失い機動力の鈍った七海を援護狙撃を受けた荒船が仕留めるつもりだった。

 

 だが、七海は()()()()()()()()()()()()()()という思いもしなかった方法を用いて、機動力を補ってしまった。

 

 それでも片方のトリガースロットが塞がっている状態であるが故にこれまでのようにグラスホッパーを絡めた高速機動は行えないだろうと高を括っていたのだが、七海はトリガーによる補助なしで攻撃を回避し続けていた。

 

 ROUND1のグラスホッパーを用いた高速機動が、印象に残っていた事もあるのだろう。

 

 まさか、グラスホッパーなしでも此処までの回避技術を見せつけられるとは思っていなかった。

 

 荒船はこれまで、七海とは散々個人戦で戦っている。

 

 だからこそ、七海の動きは頭に叩き込んでいた筈だった。

 

 …………しかし、此処に来て七海の動きが個人戦のそれとは明確に別物である事を理解する。

 

 個人戦の時は、七海は相手を仕留める為に一歩を踏み込み、それを迎撃する形で点を取る事が多かった。

 

 七海は機動力は突出しているが、反面攻撃能力は影浦や村上と比べれば一歩劣る。

 

 その為、攻撃の為に前に出て来た七海を迎え撃てるかどうかが、これまでの彼との個人戦の勝敗を決定付けていた。

 

 …………だが、個人戦とチーム戦では明確な違いがある。

 

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()事である。

 

 前回のROUND1でそうだったように、七海は集団戦では相手の()()に専念して動いている。

 

 故に、()()()()()()()()()()()必要がない為、個人戦の時は有効だった()()()()()()()()()が通用しないのだ。

 

 七海からしてみれば、徹底的に相手を攪乱してやれば、その隙をチームメイトが突いてくれる。

 

 攻撃を半ば捨て、攪乱に全てを注ぎ込んだ七海の動きは、相手からすれば厄介極まりない。

 

 通常であれば突くべき隙である()()()()が、集団戦で戦う七海には存在しないからだ。

 

 結果として、荒船は渾身の策を以てしても七海を攻め切れず、膠着状態に陥っていた。

 

(まずいな、このままだと……っ!)

 

 この膠着状態にこそ、荒船は焦りを覚えていた。

 

 自分達は、持てる全ての戦力をこの戦場に注ぎ込んでいる。

 

 つまりこれ以上追加出来る()はないのだが、七海は違う。

 

 七海のチームメイトは、『那須隊』は、まだ誰一人としてその姿を見せていない。

 

 本来であれば七海を速攻で仕留めた後、各個撃破する心づもりでいたが────此処に来て、その目論見は破錠したと言わざる負えなかった。

 

 もしもROUND1の時のように那須が七海と合流してしまえば、この均衡は崩れ去る。

 

 ただでさえ、最近は七海相手の個人戦では五分五分に近い結果なのだ。

 

 そも、狙撃手へ転向した荒船と現在も攻撃手に専念している七海とでは、立ち回りに明確な差がある。

 

 …………万能手は、攻撃手との接近戦では不利になり易い。

 

 それは何故か。

 

 単純に、汎用性と対応力を取っているか、一つの事柄に専念しているか、その差である。

 

 『万能手』はその名の通り、近接・中距離双方に対応したスタイルである。

 

 近距離では弧月やスコーピオン、中距離では銃手トリガーに持ち替えて戦うのが『万能手』の戦い方だ。

 

 どんな距離でも対応出来る分汎用性は高いが、逆に言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事でもある。

 

 違った距離、二つの攻撃用トリガーの習熟に時間を割いている関係上、どうしても個別のトリガーで見た習熟度が攻撃手より低くなり易いのが万能手の欠点と言える。

 

 要は、同じ時間で二種類の鍛錬をしていたか、一種類の鍛錬をしていたかの違いである。

 

 同じ時間を使っている以上、二種類の鍛錬をしなければならない『万能手』の近距離・中距離それぞれの練度はどうしても『攻撃手』や『銃手』より低くなり易い。

 

 勿論、相応の修練を積み重ねて強力な『万能手』となった者もいるが、そうなるまでには相当な時間がかかるのだ。

 

 そして、荒船の場合も同じ事が言える。

 

 確かに荒船は以前までマスタークラスの攻撃手だったが、今は狙撃手を主として立ち回っている。

 

 今回のように接近戦で弧月を抜く事はあるが、攻撃手時代と比べると接近戦を行う頻度は減少しているのは事実だ。

 

 『完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)』を目指している関係上、今更弧月の鍛錬に費している時間はない。

 

 狙撃手としてマスタークラスになった以上、次は銃手トリガーを極めなければならない。

 

 故に、荒船の攻撃手としての腕が以前より落ちている事は否定出来ない事実であった。

 

 そして、この状態で那須が合流して来れば、確実に荒船は落とされる。

 

 それを分かっているが為に、荒船は焦りを覚えていた。

 

(クソッ、此処までして駄目なのかよ……っ! 偉そうな事を言っておいて、俺は……っ!)

 

 荒船は此処に来て、自分の作戦が完全に失敗に終わったと判断せざる負えなかった。

 

 自分は、賭けに負けたのだ。

 

 仲間を巻き込んだ、賭けに。

 

 そう思うと、自分の作戦に乗ってくれた二人に申し訳がなかった。

 

 後悔が言葉となり、我慢しきれずに口から漏れる。

 

「すまねえ、穂刈、半崎。俺は……」

『────早いぞ荒船、諦めるのは』

 

 ────だが、通信から聴こえて来たのはチームメイトの叱咤の声だった。

 

 ハッとなって通信に耳を傾けると、もう一人のチームメイトも通信を繋いでくる。

 

『そうっスよ荒船さん。ちょっと予定通りに行かなかったからって、諦めるのは無しっす。だるいっすけど』

『言う通りだぞ、半崎の。確かに手強いけどな、七海は。けどよ────』

 

 そして、穂刈が強い力を込めて、告げる。

 

『────この程度で倒せる程、手応えがないのか? 隊長が認めた、七海(おとこ)は』

「……っ!」

 

 その言葉に、荒船は瞠目した。

 

 そうだ、何を考えていた。

 

 自分が認めた相手は、七海玲一の力は。

 

 こんな策()()でどうにかなる程、小さいものであったのか。

 

 答えは()

 

 此処までやって、ようやく()()

 

 そうでなければ、張り合いがない。

 

 そうでなければ、意味がない。

 

 彼は、荒船が認めた程の男なのだ。

 

 年齢も、過去も、その経緯も関係ない。

 

 荒船は、彼が尊敬するに足る相手でいたかった。

 

 ただ、それだけなのだ。

 

 『完璧万能手』を量産するという目的も、その一環。

 

 無論その目的自体に嘘はないが、本音を言ってしまうのならば────。

 

「────ハッ、そうだったな」

 

 ────七海に、良い恰好を見せたかっただけなのだ。

 

 そんな、子供じみた意地。

 

 それが、今の荒船を突き動かす全てだった。

 

 ただの、()()()()として忘れ去られたくない。

 

 彼を鍛えた()()()に、胸を張って誇りたい。

 

 七海を最初に鍛えたのは、自分なのだと。

 

 笑うなら笑え。

 

 だが、それでも。

 

「────恰好良さを求めて、何が悪ぃってんだよ」

 

 ────その想いは、決して間違ったものではない。

 

 下らない見栄、男の意地。

 

 だからどうした。

 

 他人にとっては取るに足らないものだろうと、自分にとってはそれこそが重要なのだ。

 

 『弧月』を逆手持ちに構え、七海と対峙する。

 

 その眼には不敵な笑みを浮かべ、鋭い眼光で七海を睨みつける。

 

「……荒船さん……」

 

 七海も、そんな荒船の変化に気付いたのだろう。

 

 気を引き締めて、荒船の姿を凝視した。

 

「────ぶった斬ってやるぜ、七海。俺の意地に懸けてな」

「はい、こっちこそ……っ!」

 

 そして再び、二人は鍔迫り合う。

 

 双方、不敵な笑みを浮かべて。

 

 互いの覚悟を、胸に。



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fall into a trap

「おらあ……っ!」

 

 荒船が弧月を上段に構え、七海に斬りかかる。

 

 七海はすぐさま身体を捻り、斬撃を回避しつつ荒船の側面に回り込む。

 

 そして右足と化したスコーピオンを、蹴りと共に荒船に振るう。

 

「ハッ……!」

 

 だが、荒船はそれを逆手持ちにした弧月でガード。

 

 攻撃を防がれた七海は、即座に退避を選択。

 

 その場から飛び退き、距離を取る。

 

「────旋空弧月」

「……っ!」

 

 荒船は弧月を上段に構え直し、『旋空』を起動。

 

 拡張斬撃、『旋空弧月』のブレードが屋上一帯を斬り払う。

 

 七海はそれを、跳躍で回避。

 

 ジャンプ台トリガー、グラスホッパーを起動。

 

 グラスホッパーを踏み込み、空中から荒船に斬りかかる。

 

「……っ!」

 

 だが、そこに遠方からイーグレットの狙撃が飛来。

 

 それを察知した七海は即座にグラスホッパーを起動。

 

 ジャンプ台トリガーによって方向転換を行い、荒船から離れた場所に着地した。

 

「…………やっと、スコーピオン以外のトリガーを使いやがったな。此処までやってようやくとか、どんな回避能力してんだテメェ」

「荒船さんこそ、『旋空』使うなんて珍しいですね。()()()使()()()()()()()()って前言ってませんでしたか?」

「いつの話だよオイ。確かに旋空は()()()()()としちゃ汎用性が低いが、それでも有効な場面もある。今みたいにな」

 

 それより、と荒船がニヤリと笑みを浮かべた。

 

「戦闘中にテメェが会話に応じるなんて、珍しいじゃねぇか。どういう心境の変化だ?」

「荒船さんこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて言ってませんでした?」

「まあ、俺自身無駄な会話は嫌いなんだが……」

 

 でもよ、と荒船は苦笑いを浮かべた。

 

「テメェとこうして刃を交わしながら話すのも、なんか楽しく思えてな。気の迷いだ、忘れろ」

「そうですね。俺としては、このまま会話を続けても良いんですが」

「馬鹿言え。時間稼いだらテメェが有利になんだろが」

 

 那須との合流狙ってんのは分かってんだぞ、と暗に語る荒船。

 

 その表情は常になく楽し気だが、流石にこれ以上会話を続ける気はないらしい。

 

 弧月を構え直し、七海もまた、手足に力を込める。

 

「きっちり叩き斬ってやっから、覚悟しな。七海」

 

 

 

 

「荒船隊長が、旋空弧月を絡めた攻撃で七海隊員を追い込み始めた……っ! 先程とは一転、七海隊員が守勢に回っている……っ!」

 

 実況席で、三上がハキハキした声で戦況を伝える。

 

 画面では旋空弧月を用いて攻撃を加える荒船の姿が映し出されており、会場は大盛り上がりを見せていた。

 

「荒船隊長が『旋空』を用いるのは珍しいですが、どう思われますか出水さん」

「そうだなー。確かに、荒船さんが旋空使うのは珍しいよな」

 

 それを言うなら狙撃手に転向してからはそもそも弧月使うのも珍しいんだけど、と出水は言いつつ口元に笑みを浮かべた。

 

「前に聞いた話じゃ、荒船さん旋空は使()()()()って言ってあんまし好んでなかった気がするけどな。そこらへんどーよ、奈良坂」

「そうだな。荒船さんのその見解は、そう間違ったものじゃない」

 

 まず、と前置きしつつ奈良坂が続ける。

 

「旋空は弧月を使う多くの隊員のトリガーセットに確認出来るが、実際に旋空を多用するのは生駒さんや太刀川さん等限られた隊員だけだ」

 

 それは何故か、と奈良坂は説明する。

 

「まず、単純に扱いが難しい。旋空は、ブレードを()()()()…………つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()オプショントリガーだ。見た目は遠隔攻撃に見えるが、その実態は()()()()()()()()()()()()()なんだ」

 

 つまり、と奈良坂は続けた。

 

「ブレードそのものを拡張するという事は、その分()()も増す。要するに、弧月の一番の利点である()()()()()()()()を犠牲にしてしまうんだ」

 

 弧月は正隊員の使用するブレードトリガーの中では最も使用率が高く、人気の高い傑作トリガーとされている。

 

 その弧月の人気を支えているのが、取り回しのし易さ…………つまり、()()()()である。

 

 スコーピオンのような変則的な技術を必要とせず、レイガストのような重さもない。

 

 手に馴染み易い日本刀の形状のブレードという事もあり、初心者から熟練者まで幅広く使われている汎用性の高いトリガーである。

 

 軽さという点ではスコーピオンの方が優れるが、こちらは耐久力に難があり、自由度が高い分判断力を問われる為お世辞にも初心者向けとは言い難い。

 

 その点弧月は特に難しい事を考えずとも、単純に剣の腕を磨けばそれが実力に反映される。

 

 適度な重さもあって攻防両面に優れ、汎用性が高い。

 

 それが、弧月の最大の利点である。

 

 そして、『旋空』はある意味その利点を台無しにしていると言える。

 

 ブレードを拡張するという事は、拡張した分の重さが加わり、通常の弧月とは全く違った取り回しを求められる。

 

 初心者が迂闊に『旋空』を使えば、その予想外の()()に振り回されて致命的な隙を晒すのがオチだ。

 

 剣を扱う際、()()というものはかなり重要視される。

 

 重量次第で剣への力の込め方や体重移動は全く違って来るし、重さの違う剣を扱う場合はその重さに適した訓練を行う必要がある。

 

 旋空はその射程を、15メートル程まで伸ばす事が出来る。

 

 そこまでブレードを伸ばすとなると、その重さは通常の弧月とは全くの別物だ。

 

 相当の修練を重ねなければ、その重さに翻弄されるだけだろう。

 

「まあ、太刀川さんはその旋空弧月を二刀流でぶん回すけどなー」

「あれは例外だ。普通の隊員と同じ尺度で考えない方が良い」

 

 奈良坂は、溜め息と共にそう告げる。

 

 確かに出水の隊、『太刀川隊』の隊長である太刀川は、その扱いの難しい旋空弧月をあろう事か二刀流で振り回す。

 

 ただでさえ扱いの難しい旋空弧月を二刀流で自由自在に使いこなすその技量の非常識さは、今更語るまでもない。

 

 剣術に置いて太刀川は常人の域から逸脱しており、間違っても普通の隊員と同じ物差しで測ってはいけないのだ。

 

 それでも彼の師匠の忍田本部長には及ばないあたり、ボーダーのトップがどれだけの変態技巧揃いかは伺い知れるというものだ。

 

「ともかく、旋空は扱いの難しいトリガーだ。先端に行く程速度と威力が増すという特性もあるが、裏を返せばそれだけの重さを扱わなければならないという事だ」

 

 そして、と奈良坂は付け加える。

 

「単純に遠距離に対応したいのであれば、秀次のように銃手トリガーを使うか、『王子隊』のようにハウンドを装備すれば良い。そちらの方が対応出来る範囲は広く、後者であれば剣を振るいながら弾丸を射出出来るという利点もある」

「確かに、遠距離戦をしたいならそっちの方が便利だよな。まあ、そう考えた奴が『万能手』になるんだろうけどな」

 

 そうだな、と奈良坂は出水の言葉を肯定する。

 

「実際、そちらの方が対応力が広いのは確かだ。習熟に時間がかかるという難点はあるが、それを差し引いても『万能手』の存在そのものが隊のメリットと成り易い」

「『嵐山隊』なんか、『万能手』三人と狙撃手のチームだからなー。あんまし戦り合った事はないけど、そつのない戦い方だったのは覚えてるぞ」

「『嵐山隊』は『万能手』を集めた部隊の理想形だ。『万能手』の利点は、『嵐山隊』の戦いを見れば大体分かると言っても過言ではないだろう」

 

 そして奈良坂はそこで一呼吸置き、まとめに入った。

 

「それだけ、『旋空』は銃手トリガーや射手トリガーと比べて汎用性で劣るという事だ。『旋空』は()の攻撃である分、銃手や射手のように()()()()()()()()()()が不可能に近い」

 

 味方ごと斬るならともかくとしてな、と奈良坂は付け加えた。

 

「荒船さんはそこをきちんと理解して、『旋空』が使()()()()と語ったんだろう。だが、こと今回の戦いに置いては『旋空』使用はそう間違った判断じゃない」

「今回は、『旋空』使用が正解だと言う事ですか?」

「ああ」

 

 今回に限って言えば、と奈良坂は続けた。

 

「荒船は今、狙撃の援護があるとはいえ周囲に味方がいない状況で七海と斬り合っている。つまり、『旋空』を使っても味方を巻き込む心配がなく、取り回しに関してはマスタークラスの荒船が失敗する筈もない」

 

 加えて、と奈良坂は告げる。

 

「七海には、()の攻撃よりも()の攻撃の方が有効だ。狙撃や不意打ちを察知出来る以上、()()()()()()()()よりも()()()()()()()()を仕掛けた方が七海相手には有利に働くんだ」

 

 奈良坂はそこで一呼吸置き、続けた。

 

「ROUND1で、七海は堤さんを真っ先に落とした。あれは()攻撃が出来るショットガンの使い手を二人相手にすると、七海といえども動きが制限されてしまうからだ。そして今回も、荒船さんが旋空を使いだしてから七海は守勢に回っている」

「つまり、七海隊員には旋空が有効な対策であると?」

「勿論、相応の習熟度は必要だが、狙撃や銃撃より効果が望めるのは確かだ。対策と言える程劇的な効果が望めるワケじゃないが、有効な一手である事は間違いない」

 

 確かに奈良坂の言う通り、サイドエフェクトで攻撃を察知出来る七海にとって、厄介なのは不意を打った奇襲よりも()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 加えて、旋空弧月は威力の面でも銃手トリガーの比ではなく、充分に習熟した『旋空』の使い手であればその優秀な硬度で知られる『壁トリガー(エスクード)』さえ斬り払う事が可能だ。

 

 強固な七海のシールドであろうと、流石に『旋空』による斬撃までは防げない。

 

 あらゆる面で、七海に対し『旋空』は()()()()()のだ。

 

 荒船は戦いの中でその事に気付き、旋空を使い始めた。

 

 それが、戦いの均衡を崩す一手になると信じて。

 

 奈良坂はその荒船の判断を称賛し、告げる。

 

「少なくとも、先程までより荒船が優位に立った事は間違いない。何かもう一手があれば、七海は崩れるぞ」

 

 

 

 

「くっ、早くしないと……っ!」

 

 七海と荒船が斬り結んでいるビルから、少し離れたビルの中、半崎は全速力で階段を駆け上がっていた。

 

 先程まで穂刈と共にイーグレットによる援護狙撃に徹していた半崎だが、イーグレットによる単発狙撃では効果が薄いと判断。

 

 通信による話し合いの結果、ライトニングが届く位置まで近付く為に移動している最中であった。

 

 常であればイーグレット以外の狙撃銃は持ち込んでいない半崎であるが、今回に限っては相手が狙撃で仕留める事が難しい七海である事もあり、穂刈はアイビスを、半崎はライトニングもトリガーセットに入れている。

 

 現在の戦況を動かすには連射の効くライトニングが最適であると判断し、半崎が移動する事となったのだった。

 

「那須さんが来たら、幾ら荒船さんでも保たないっすからね。その前に、なんとしてでも七海さんを仕留めないと……っ!」

 

 常日頃から「ダルい」と言って覇気のない様子を見せる半崎ではあるが、その表情は真剣そのものだった。

 

 彼が「ダルい」と連呼するのは一種のポーズであり、その実態は練習熱心で鍛錬を欠かさない勤勉な少年だ。

 

 彼が「ダルい」と言うのは、常に上を目指し続ける向上心を持つが故。

 

 決して、「やる気がない」為の愚痴というワケではない。

 

 今回、彼もまた荒船の熱に感化された一人だった。

 

 いつも合理性を重視し、的確な指示で自分達を率いる荒船が、今回に限っては七海を倒す為に柄にもなく熱くなっている。

 

 その影響を受けていないとは、彼は言えなかった。

 

 ()()としての荒船を見続けて来た半崎にとって、今の()()()としての荒船の持つ熱は、とても眩しいものに映ったのだ。

 

 無論、今回の作戦が()()とも言える不安要素を抱えたものであった事は理解しているし、実際目論見通りにいけたとは言えなかった。

 

 だが、彼は荒船の作戦に乗った自分が間違っていたとは思っていない。

 

 何故なら、まだ勝負は決まっていない。

 

 作戦は予定通りには行かなかったが、そもそも実戦に置いて作戦が何から何まで思い通りに進む、という事はまず有り得ない。

 

 実戦にはイレギュラーが付き物であるし、不確定要素が絡む以上()()は有り得ない。

 

 ()()()()()()()()()()というのが、作戦というものに対する認識だ。

 

 その点で言えば、今の状況はそう悪くない。

 

 確かに足を奪って機動力の落ちた七海を仕留める、という当初の作戦は七海の機転によって失敗したが、七海の行動に制限がかけられている事に違いはない。

 

 後は自分が狙撃位置に付いて『ライトニング』の連射で援護すれば、必ず勝機は見えて来る。

 

 そう信じて、半崎は階段を駆け上がる。

 

「よし、屋上だ……っ!」

 

 階段を上り終えた半崎は屋上の扉を開け放ち、屋上の淵にしゃがみ込み荒船達が戦っているビルをスコープ越しに視認する。

 

 先程よりも近い位置に見えるそのビルの屋上に、荒船と斬り結ぶ七海の姿が見える。

 

 視界の先では、荒船の『旋空弧月』による斬撃を、七海が跳躍して回避していた。

 

(俺の狙撃で、体勢を崩す……っ!)

 

 半崎は標的を定め、引き金に指をかけ────。

 

「……え……?」

 

 ────その引き金を引く前に、スコープを覗き込んでいた半崎の右眼が()()()()()()()()()()()

 

「な、んで……?」

 

 スコープを覗いていた眼球が破壊された事で半崎は狙いを付ける事が出来なくなり、動揺して狙撃銃を取り落とす。

 

 そして駄目押しとばかりに第二射によって半崎の額が射抜かれ、致命。

 

「…………こりゃダルいわ。すいません」

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 悔し気な表情を浮かべた半崎は、何も出来ず。

 

 機械音声が、彼の脱落を告げた。

 

 

 

 

 そのビルから少し離れた、ビルの屋上。

 

 周囲のビルより一際高い位置にあるその場所に、彼を仕留めた狙撃手────『ライトニング』を構えた、日浦茜の姿があった。

 

「…………やっと、射程内に入ってくれましたね。迂闊に動くワケにはいかないので、助かりました」

 

 茜は不敵な笑みを浮かべ、告げる。

 

「これでまず一点、です」

 

 自分達の策の、成功を。




 明日は更新出来ないので明後日更新します。


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Girl growth

「此処で半崎隊員、日浦隊員の狙撃により『緊急脱出』……っ! この試合、初めての脱落は『荒船隊』となりました……っ!」

 

 実況席で三上が半崎の『緊急脱出』を伝え、会場が盛り上がる。

 

 それを見ながら、奈良坂は一人静かにこくり、と頷いていた。

 

「半崎隊員が狙撃ポイントを移動した隙を狙った、的確な狙撃でした。そのあたりどうでしょうか奈良坂さん」

「そうだな。狙撃手の動きとしては満点に近い」

 

 奈良坂は己の弟子の功績を、素直に評価した。

 

 傍目から見れば無表情のままだが、僅かに頬が緩んでいるように見える。

 

「日浦は高台から相手チームを監視し、部隊にその情報を伝えていた。事実、その情報によって那須は『柿崎隊』を上手く躱しながら進む事が出来ている」

「狙撃手の利点だよなー。狙撃銃のスコープで遠距離の相手を視認出来て、ダイレクトに情報を取得出来るのはさ」

 

 うちは狙撃手いないからそういう事出来ないんだよなー、と出水はぼやく。

 

 もっとも、『太刀川隊』には国近というハイスペックオペレーターがいるので、情報戦は割となんとかなってしまうのであるが。

 

「そして、日浦が監視していたのは『柿崎隊』だけではない。『荒船隊』も、その動向を監視していた筈だ」

「ですが、穂刈隊員も半崎隊員もバッグワームを使っていましたし、最初二人がいた場所は日浦隊員の位置からでは視認出来ない距離だった筈ですが……」

「いや、『那須隊』は穂刈と半崎の位置自体は知っていた。あれだけ何度も狙撃すれば、弾道解析で大体の位置は特定出来る」

 

 そう、奈良坂の言う通り、穂刈と半崎は荒船の援護の為に繰り返し狙撃を行っていた。

 

 一度撃ったら狙撃位置を移動するのが狙撃手のセオリーではあるが、七海相手に狙撃の圧力を減らす事はリスクが高い。

 

 元々、単発な狙撃では仕留められない七海の行動を制限するには、絶え間ない狙撃が必要だ。

 

 無論、場所を移動する余裕などある筈もない。

 

 だからこそ半崎が移動を開始した後も、穂刈は狙撃を継続して牽制を続けていたのだから。

 

「『那須隊』は、荒船隊の狙撃手二人の位置は掴んでいた。それに加え、急に片方からの狙撃が途切れたのだから、どちらの隊員が移動を開始したかは察する事が出来る」

「ですが、それだけでは半崎隊員の移動経路を特定する事は出来ないのでは?」

「いや、()()()()()()()()()()()()()()という事さえ分かれば、何処に向かうかは大体分かる」

 

 え、と困惑する三上に対し、奈良坂は続けた。

 

「狙撃手は、一度撃ったら別の狙撃ポイントへ移動するのがセオリーだ。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のは狙撃手の基本だ」

「あ……っ!」

 

 そこで、三上も気付いた。

 

 彼女のオペレートする部隊には狙撃手はいなかった為すぐに察する事は出来なかったものの、狙撃手が狙撃位置を確保するにあたり、複数の狙撃位置を予め想定しておく事が必須なのだ。

 

 つまり、茜は最初からあの周辺で()()()()()()()()()()は大体頭に叩き込んであった。

 

 要するに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事になる。

 

「七海と日浦、二人の観測結果を元にオペレーターが情報支援をしていれば、半崎が抑えようとしている狙撃ポイントは大体予測出来る。日浦はただ、そのあたりを付けていたポイントを逐一確認し、そこに半崎が現れた時点で狙撃を敢行しただけだ」

 

 基本的な事以外、何もしていない、と奈良坂は語る。

 

「狙撃手にとっての最善手は、()()()()()()()()事だ。戦場を俯瞰し、チームメイトと連携し、適切なタイミングで狙撃する。これだけだ。俺が日浦に叩き込んだのは、この基本の動きだけだ」

 

 だが、と奈良坂は続ける。

 

「基礎を疎かにする者に、結果は伴わない。逆に、基礎を極めた者は()()()()()()()()()()()()()という点が何よりの武器になる。適切な援護を行い、部隊を屋台骨から支える。それが、狙撃手に求められる役割だ」

 

 そこで一呼吸置き、奈良坂は続ける。

 

()()()()()を持ち、それを狙撃に活かす事を俺は否定しない。だが、そんな()()を持っている者はほんの一握りだ。他の者がそれを真似ても、同じように出来るとは限らない」

 

 だが、と奈良坂は顔を上げた。

 

「基礎を極めた者は、状況次第でそんな才能の持ち主とも十分にやり合える。基礎固めの鍛錬は、決して嘘をつかない」

 

 何処か誇らしげに、奈良坂は続けた。

 

「狙撃手の役割は、チームの援護者(サポーター)だ。チームの一員としての仕事を、こなせるかどうか。それが、狙撃手が最も重視すべき事柄だ」

 

 そこで微かに、本当に微かに笑みを浮かべ、マイクに拾われないように音量を抑えて、告げる。

 

「良い狙撃手に育ったな、日浦」

 

 

 

 

「な……っ!? 半崎が落ちた、だと……っ!?」

 

 七海と対峙していた荒船は、仲間の脱落の報を聞き動揺を露わにする。

 

 半崎は荒船の援護の為、ライトニングが当てられる距離まで移動させていた。

 

 その狙撃位置に着きそうだと加賀美から報告が来た矢先の、『緊急脱出』だ。

 

 荒船からしても、予想外にも程があった。

 

「────」

「く……っ!」

 

 だが、七海はそんな隙を見逃しはしない。

 

 容赦なく右足のスコーピオンで斬り込み、迎撃が遅れた荒船の脇腹を刃が掠める。

 

 致命打ではない。

 

 だが、少なくないトリオンが傷口からは漏れ出していた。

 

「この、野郎……っ!」

 

 荒船は即座に弧月で迎撃するが、それを察知していた七海は即座に離脱。

 

 バックステップで距離を取り、離れた場所に着地した。

 

「ったく、俺もヤキが回ったな。テメェ、最初から半崎を釣り出して狙撃で仕留める事が目的だったな」

「さて、どうでしょうね」

「言うじゃねえかこの野郎」

 

 荒船は目の前の食えない後輩を睨みつけ、己の失策を悟る。

 

 半崎は、たまたま茜の射程に入って仕留められたのではない。

 

 七海の誘導によって()()()()()()()()()()()()待ち構えていた茜に狙撃されたのである。

 

「俺の一騎打ちに乗ったのも、わざとだな? 俺の戦意を煽って半崎が『ライトニング』で援護できる場所に移動するよう仕向けたんだろうが」

 

 本当に性格の悪い奴だなオイと、荒船は愚痴を漏らす。

 

 だが、それは決して七海を非難しているワケではない。

 

 七海の策に嵌り、まんまと仲間を死地に向かわせてしまったのは他ならぬ荒船の判断だ。

 

 自分の失策を反省し、自分の行動を誘導した七海を称賛する事はあれど、卑怯などと罵る事は以ての外。

 

 そもそも、ルール違反を犯しているワケではないのだから嵌められた方が悪いのだ。

 

 荒船はその辺りの判断を、間違えるような愚物ではない。

 

 単純に、弟子の想像以上の成長とそれにやられた己の未熟を恥じるのみだ。

 

「大したモンだよ、テメェは。あの時のひよっ子が、随分大きくなったもんだ」

 

 だがな、と荒船は不敵な笑みを浮かべる。

 

「────それで勝ちまで、譲ってやるつもりはねえ。不利になったのは確かだが、それでもまだ負けちゃいねえ。勝負はこっからだぞ、七海」

 

 

 

 

「荒船隊長、再び七海隊員に『旋空弧月』で斬りかかる……っ! しかし狙撃手が一人減った事で、荒船隊長の不利は否めないか……っ!?」

 

 画面の中で旋空弧月を用いて七海に斬りかかる荒船の姿と、それを危なげなく回避する七海の姿が映り込む。

 

 そこに穂刈の援護狙撃が入るが、一方向からの狙撃だけでは七海を崩す事は難しい。

 

 七海の動きには、先程よりも余裕が見えて来ていた。

 

「狙撃手が二人から一人に減ったのは、『荒船隊』にとっては致命的だ。狙撃の圧力も、単独となると七海相手ではそう大きな効果は望めない。『柿崎隊』の乱入があれば状況が変わる可能性はあるが、恐らくそれは望めないだろう」

「ふむ、先程のお話では日浦隊員が『柿崎隊』をマークしているとの事でしたが、そのマークは半崎隊員を狙撃する為に一旦外れたのではないのですか?」

 

 三上の疑問は、最もだ。

 

 確かに茜は『柿崎隊』の動向を監視していたが、半崎を仕留める為に複数の狙撃ポイントをチェックしなければならなかった関係上、一旦は『柿崎隊』からマークを外さざる負えなかった筈だ。

 

 つまりそれは『柿崎隊』を見失った可能性を意味しており、『柿崎隊』の乱入を否定出来る要素はない筈なのである。

 

「いや、それは違う。確かに日浦は『柿崎隊』からマークを外したが、それは『柿崎隊』を見失った事を意味しない」

 

 何故なら、と奈良坂は続ける。

 

「日浦は、別の者にそのマークを()()()()()からだ。この場で最もそれに相応しい、あいつにな」

 

 

 

 

「…………おいおい、こりゃ予想外だぜ」

 

 半崎『緊急離脱』の報を聞き、急ぎ主戦場へ向かっていた柿崎は目を見開き瞠目していた。

 

 それは何故か。

 

 彼等の周りを見れば、それは嫌でも分かる。

 

 柿崎達の周囲に刻まれた、()()()()()

 

 それを為した者は、柿崎の視線の先にいた。

 

「此処でお前が突っかかって来るとはな、那須」

「────」

 

 柿崎が見上げる、家屋の屋上。

 

 その淵に立つ那須が、戦意を漲らせた瞳で彼等を睥睨していた。

 

 

 

 

「此処で那須隊長と『柿崎隊』がエンカウント……っ! これまで戦闘を避けて来た那須隊長が、此処で『柿崎隊』に仕掛けた……っ!」

 

 三上は画面内で対峙する那須と『柿崎隊』を機器の操作によりズームアップし、その状況を伝えた。

 

 これまで放置に近い扱いをされていた『柿崎隊』にスポットが当たり、会場も盛り上がりを見せている。

 

「成る程、茜ちゃんは那須さんに『柿崎隊』を任せたワケか。しかも此処でつっかかったって事は、この場で足止めするハラか?」

「十中八九そうだろう。今、七海と荒船の戦いに『柿崎隊』が加わるのは『那須隊』としては避けたい所だからな」

「しかし、七海隊員にとって乱戦は得意とする所では? 事実、ROUND1では三つ巴の乱戦を完全にコントロールしていましたが……」

 

 確かに、ROUND1で七海は『諏訪隊』と『鈴鳴第一』相手に乱戦で見事な立ち回りを演じ、その戦況を完全に支配してみせた。

 

 あの映像を見た限りでは、七海が乱戦を厭う理由はない。

 

 三上は、その疑問を提示しているのだ。

 

「あの時とは、状況が違う。七海は今、片方のトリガースロットをスコーピオンによる右足の補填に割いている」

 

 つまり、と奈良坂は続けた。

 

「迂闊に他のトリガーを使うワケにはいかない以上、ROUND1の時のようなグラスホッパーやメテオラを乱打しての立ち回りは望めない。加えて、今七海が戦っている場所は狭い屋上だ。三人全員が銃手トリガーを持っている『柿崎隊』に乱入されれば、動きが制限されるのは必至だろう」

 

 確かに、奈良坂の言う通り七海がROUND1で乱戦を完全にコントロール出来たのは、グラスホッパーやメテオラの的確な運用にある。

 

 片方のトリガースロットが常に埋まっている現状、迂闊に他のトリガーを使えばいざという時の防御が行えない。

 

 『乱反射(ピンボール)』のような真似も、当然出来ない。

 

 故に、『柿崎隊』の乱入を防ぐ為に那須が立ちはだかったのだ。

 

「恐らく、那須は七海が荒船を仕留めるまで『柿崎隊』を足止めするつもりだ。那須の機動力と弾幕ならそれが出来るし、今彼等がいるのは障害物だらけの都市部であり、穂刈の狙撃も届かない位置にいる」

 

 それに、と奈良坂は続けた。

 

「攪乱に専念した那須は、強いぞ」

 

 

 

 

「────」

 

 那須は自身の周囲に、分割したトリオンキューブを展開。

 

 彼女を中心に旋回するトリオンキューブを従えたまま、那須は屋上から飛び降りる。

 

「来るぞ……っ!」

 

 柿崎の叫びと同時、那須の周囲に浮遊していたトリオンキューブが射出。

 

 複雑怪奇な軌道を描き、四方八方から『柿崎隊』へと襲い掛かる。

 

「「シールド!」」

 

 それに対し、虎太郎と照屋が連携して固定シールドを展開。

 

 バイパーの包囲攻撃を、二重の球形シールドで防ぎ切った。

 

「喰らえ……っ!」

 

 そこですかさず、柿崎がアサルトライフルからアステロイドを射出。

 

 空中に身を躍らせた那須に向け、銃撃を放つ。

 

「────」

 

 だが、那須はビルの壁を蹴り、即座に跳躍。

 

 壁や街灯を足場にした、三次元機動を展開。

 

 瞬く間に柿崎の射程外へ跳び上がり、再び自身の周囲に分割したトリオンキューブを展開。

 

 再び、バイパーの全方位攻撃を放つ。

 

「「シールド……っ!」」

 

 それを察知していた虎太郎と照屋が、再び『固定シールド』を展開。

 

 全方位攻撃を防ぎ切り、再び那須に視線を向ける。

 

「────」

 

 那須はビルの屋上から屋上へ跳び移りながら、バイパーを発射。

 

 無数の光弾が降り注ぎ、『柿崎隊』は再び固定シールドでの防御を余儀なくされる。

 

 狙いを定めようにも、那須は常に三次元機動での移動を繰り返し、決して一ヵ所に留まらない。

 

 こちらを無理に攻める気がない為、攻めに転じた隙を狙う事も出来ない。

 

 戦況は、那須が意図した通りの膠着状態に陥っていた。

 

 

 

 

「なんと、那須隊長、三次元機動とバイパーによる包囲攻撃で『柿崎隊』を寄せ付けない……っ! 『柿崎隊』、翻弄されて身動き取れず……っ!」

「障害物を盾にして、機動戦で翻弄する。那須さんの得意な立ち回りだな」

 

 出水の言う通り、障害物を利用した機動戦は、これまで那須が見せて来た得意戦法である。

 

 故にこれまで通りの動きと言えるのだが、その精度が段違いに上がっていた。

 

「今の那須は、単独で『柿崎隊』を落とすつもりがない。()()()()()()と考えているからこそ、攪乱に専念している。あれでは、落とす隙はまず見つからない」

 

 確かに今の那須の動きは、ROUND1で見せた七海の動きに近い。

 

 自分で点を取る気がなく、ただ相手のペースを乱して翻弄する事に専念している。

 

 無理をする気がない以上、隙など晒しようがないのだ。

 

「前期までの那須は、隊のポイントゲッターが自分しかいない以上火力不足を承知で無理にでも攻撃に出る必要があった。だからこそ、B級中位の中で燻らざるをえなかったと言える」

 

 だが、と奈良坂は続ける。

 

「今の『那須隊』には、七海が加わった事で那須が無理に点を取る必要がなくなった。部隊で連携する事で、相手の隙を作り次第チームメイトが得点すれば良い。つまり、那須の負担が減った事でこれまでにない動きの()()()が出て来たんだ」

 

 前期までの那須は、自分が点を取らなければならない以上、無理な動きをして落とされる事が多かった。

 

 隊で前衛を務められるのが熊谷しかいなかった事もあり、熊谷が落とされるとそのまま押し込まれる事も多かった。

 

 だが、今の那須は違う。

 

 七海の加入によって自身が無理な動きをする必要がなくなり、これまで点を取る為に割いていたリソースを、他の部分に注ぎ込めるようになった。

 

 それにより、機動力や援護能力、攻撃能力に至るまでが格段に上昇している。

 

 名実共にチームの()()として、理想的な動きが出来るようになったのだ。

 

「『柿崎隊』は、『那須隊』に準備時間を与え過ぎた。既に、盤面は終わりに近づいている」

 

 奈良坂は淡々と事実だけをそう述べ、画面に映る光景を見据えた。

 

「戦場の支配権は、既に『那須隊』に移りつつある。いや、既にそうなっていると言っても過言ではないだろう」

 

 そして奈良坂はそれぞれの映像を見て、告げる。

 

「此処からが、正念場だ。これからの動きが、各部隊の真価を問う事となるだろう。そろそろ、()()ぞ」

 

 仕掛け、対応し、翻弄される。

 

 各々の部隊の選択が、勝負を決める。

 

 試合は、佳境へ入っていた。



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Fly high

「────旋空弧月」

 

 荒船が弧月を構え、拡張斬撃旋空を放つ。

 

 七海はそれに対し、跳躍によって回避。

 

 すかさずそこにイーグレットの弾丸が飛来するが、七海はグラスホッパーを起動。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み、弾丸を回避しつつ荒船の背後に着地する。

 

「ハッ、見え見えなんだよ……っ!」

 

 だが、荒船は再び旋空を起動し、七海のいる方向に刃を振り抜く。

 

 七海は旋空弧月を跳躍で回避。

 

 グラスホッパーを踏み、ビルの淵に着地する。

 

 先程から、何度も繰り返された攻防。

 

 戦況は、完全に膠着状態に陥っていた。

 

 先程までは、荒船は半崎が狙撃位置に着くまでは無理をせず、時間稼ぎに徹するつもりだった。

 

 故にこそ意図的に膠着状態に持ち込んでいたのだが、先程と違いもう半崎の援護は望めない。

 

 此処で半崎が落ちる事は、荒船にとっても完全な想定外であったのだ。

 

 だが、荒船に焦りはない。

 

 先程、とある朗報が彼の耳に飛び込んで来たからだ。

 

(那須は今、柿崎隊と戦り合ってる。なら、此処で多少時間をかけてもすぐに状況が悪化する事はねえ)

 

 それは、高台からこちらを援護していた穂刈からの報告であった。

 

 曰く、この先の都市部でバイパーが放たれる所を目撃した、とのことだ。

 

 那須本人は確認出来なかったそうだが、この試合でバイパーを持ち込んでいるのは、那須だけだ。

 

 彼女の代名詞的なそれが使われたとなれば、十中八九那須はそこにいる。

 

 そして、今現在彼女が戦う相手は、『柿崎隊』しか有り得ない。

 

 『柿崎隊』は常に合流して動く為、三人全員がそこにいると見て間違いないだろう。

 

 これで、一番警戒するべき那須と『柿崎隊』の位置は割れた。

 

 茜の位置も半崎の狙撃の際に大方の場所は分かっており、前回の事を鑑みれば熊谷は茜の護衛に付いている筈だ。

 

 つまり、ほぼ全員の位置がこれで特定出来た事になる。

 

(今の日浦の位置からなら、ライトニングで此処は狙えねぇ。イーグレットなら可能性はあるが、ライトニング程の速度は出ねえ上に日浦の嬢ちゃんはマスタークラスになったのはあくまでライトニングだけだ。動きさえ止めなきゃ、何とか反応は出来る筈だ)

 

 来る方向も分かってるしな、と荒船は分析する。

 

 狙撃手相手に最も注意しなければならないのは、()()()()()である。

 

 最初の一発だけは何処から飛んでくるか分からない上に、ライトニング(速度重視)イーグレット(射程重視)アイビス(威力重視)のどれで来るかも分からない。

 

 相当の警戒をしていなければ、避ける事は難しいのだ。

 

 だが、来る()()さえ分かってしまえばなんとかなる場合が多い。

 

 ライトニングであれば通常のシールドで防げるし、イーグレットであっても集中シールドを用いれば防げなくはない。

 

 唯一アイビスだけはシールドではまず防げないが、そもそもアイビスは三つの狙撃銃の中で最も弾速が遅い。

 

 弾丸が来る方向さえ分かっていれば、避ける事はそう難しくはないのだ。

 

(しかし、上手く避けやがるなこいつ。きちんと()に逃げてるあたり、旋空相手の回避手段も相当鍛えてやがるなこりゃ)

 

 荒船は七海の姿を見据え、苦笑いを浮かべる。

 

 七海が先程から荒船の旋空弧月を跳躍で躱しているのは、()()()を制限させない為だ。

 

 彼の身のこなしなら、一度目の旋空はしゃがんで回避する事も可能といえば可能だ。

 

 だがその場合、()()()()()()()()を避け切る事が難しくなる。

 

 しゃがんでの回避を選択してしまった場合、そのまま旋空弧月を振り下ろされれば避けるのは相当難しい。

 

 旋空弧月は見た目は()()()()に見えるが、その実態は()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 つまり、相応の技巧は必要となるが途中で攻撃の軌道を変える事は出来なくはない。

 

 それを分かっているからこそ、七海はグラスホッパーを使うリスクを承知した上でもしゃがみ込んでの回避行動を選択しなかったのだ。

 

(七海対策にそこらへんも鍛えたんだが、考えてみりゃこいつは太刀川相手に散々鍛錬を積んでる。旋空弧月の避け方は、習熟済みってワケか)

 

 荒船はその事実に多少心を乱されながらも、努めて冷静に七海と対峙する。

 

 分かっていた事だ。七海が、強くなっている事は。

 

 七海は太刀川に出水、影浦といった面々の指導により、以前とは比べ物にならない実力を身に着けた。

 

 ボーダートップクラスの面々の指導を受けた成果は、彼の身にしっかりと刻まれている。

 

 その成果を刻むのは、可能なら自分がやりたかった。

 

 自分が七海を鍛えて、彼を強くしたかった。

 

 だが、当時の荒船には人を鍛えるだけの技術が不足していた。

 

 だからこそ、あの時影浦に付いて行った七海を笑顔で見送ったのだ。

 

 …………悔しくない、と言えば嘘になる。

 

 今の荒船なら、あの時の七海にも充分な指導を行う事が出来るだろう。

 

 だが、それは有り得ない()()()の話だ。

 

 既に七海は荒船の指導が必要な領域はとっくに抜け出し、更なる高みに足をかけようとしている。

 

 今更自分が指導に加わった所で、邪魔にしかならないだろう。

 

 ならば、せめて。

 

 せめてランク戦で七海と直に渡り合い、()()()()()の意地を見せてやりたい。

 

 ()()()()()()()()()()のだと、七海に示してやりたかった。

 

 故に、猛る。

 

 盤面は不利。

 

 味方も落ちた。

 

 当初の作戦は、完全に瓦解した。

 

 だからどうした。

 

 自分はまだ負けていないし、仲間だって残ってる。

 

 今だって、七海と渡り合う事が出来ている。

 

 諦める理由など、何一つない。

 

 必ずこの手で、七海を斬り伏せてみせる。

 

「おらああ……っ!」

 

 荒船は闘志を刃に宿し、旋空弧月を起動。

 

 七海に、己の最初の弟子に、渾身の斬撃を放つ。

 

「────」

 

 だが、七海は軽々と跳躍し、斬撃を躱す。

 

 動揺はない。

 

 分かっていた事だ。

 

 七海に、この程度の攻撃が通用しない事は。

 

 大ぶりの斬撃の隙を突いて、接近して来る事は。

 

「────かかったな」

「……っ!」

 

 ()()が、響く。

 

 荒船の左手に握られた銃手トリガー(デリンジャー)から放たれた弾丸が、七海の右足のスコーピオンに着弾。

 

 着弾した『鉛弾』が、重しとなって刃に撃ち込まれる。

 

 最初から、これを狙っていた。

 

 一度鉛弾を当ててからデリンジャーを使わなかったのは、この為。

 

 この一発に繋げる為に、今まで耐えて来たのだ。

 

 重石を付けられた七海の身体の動きは、著しく鈍っている。

 

 今なら、当てられる。

 

 これまで当てられなかった攻撃を、七海に。

 

「うらあ……っ!」

 

 旋空を起動する間すら、惜しい。

 

 荒船は逆手持ちに構え直した弧月を、己の出せる最速を以て振り上げる。

 

 同時に、穂刈も遠方から狙撃を放つ。

 

 剣と狙撃の、十字攻撃(クロスアタック)

 

 重石を付けられ、動きの鈍った七海にこの攻撃は避け得ない。

 

 荒船も、穂刈も、勝ちを確信した。

 

「────いいえ、それはこちらの台詞です」

「……っ!?」

 

 そこで、気付く。

 

 七海の後方。

 

 先程まで彼がいた場所に、()()()()()()()()()()()が設置されている。

 

 そして、そのトリオンキューブに────メテオラに、突如狙撃が着弾。

 

 その一撃が引き金となり、メテオラのトリオンキューブが起爆。

 

 ビルの屋上を、凄まじい爆風が席巻した。

 

「うおおおおおおおおお……っ!?」

 

 荒船は爆風に押し流され、ビルの屋上から落下。

 

 地面に向けて、凄まじいスピードで落ちていく。

 

「く……っ!」

 

 トリオン体は、たとえ高所から落下しようがダメージを受ける事は無い。

 

 即ち、このまま墜落しようが落下ダメージによって『緊急脱出』する事は有り得ない。

 

 だが。

 

 だが。

 

 投げ出された空中では、()()()()()()()()()()

 

 そして、荒船が対峙していた七海が最も得意とするものは────空中での、三次元機動である。

 

「……っ!」

 

 案の定、屋上から飛び降りた七海が、周囲のビルを足場にしながら三次元機動で追い縋って来る。

 

 不規則な軌道を描きながら、鍛え上げたその脚力で正確無比に暗殺者はビルを駆ける。

 

 その右足に、既に重石は存在しない。

 

 即座に重石の付いたスコーピオンを破棄し、新たなスコーピオンを右足とした七海に、『鉛弾』の枷はない。

 

 穂刈から放たれた狙撃すら回避し、最短最速で、七海が荒船へと肉薄する。

 

「うらあああああああああああああああ……っ!」

 

 だが、荒船もただでやられるつもりはない。

 

 空中で体勢を崩しながらも、旋空弧月を起動。

 

 七海に向けて、最大出力の旋空弧月を振り抜いた。

 

「────」

 

 だが、それすら七海は乗り越える。

 

 旋空弧月が迫り来る中、出力を調整したグラスホッパーを、分割起動。

 

 出力を抑える事で複数枚展開したジャンプ台トリガーにより、旋空弧月の斬撃軌道を掻い潜る。

 

 旋空弧月を全力で振り抜いた荒船に、最早回避の手段はない。

 

 七海はそのまま、荒船へと肉薄する。

 

「ハッ、これくらい超えて来るよなあ、お前はよお……っ!」

「……っ!」

 

 だが、荒船は諦めてはいなかった。

 

 その左手に構えたデリンジャーを、今度は鉛弾なしで撃ち放つ。

 

 回避は不可能な、至近距離でのアステロイドの発射。

 

 それが、荒船の最後の一手。

 

 最後まで勝ちを諦めない、荒船の意地の結晶。

 

「────はい。荒船さんなら、そこまですると思いました」

「……は……っ!?」

 

 ────だが、七海はそれすら読んでいた。

 

 七海は即座に右足のスコーピオンを破棄し、()()()()()()()()()()を展開。

 

 両防御(フルガード)のシールドで、『アステロイド』は受け止められる。

 

 幾ら七海の豊富なトリオンを注ぎ込んだシールドとはいえ、片方だけのシールドだけでは威力特化の弾丸(アステロイド)は防げない。

 

 故にこその、両防御(フルガード)

 

 七海はそれを即座に選択し、実行に移した。

 

 最早、荒船に出来る事など何もない。

 

 七海がその右腕にスコーピオンを展開する光景が、走馬灯のように荒船の眼に映り込む。

 

「が……っ!?」

 

 そして、スコーピオンが振り下ろされる。

 

 七海の振るった刃は正確に荒船の身体を両断し、致命。

 

 荒船の前身に罅割れが発生し、トリオンが漏れ出していく。

 

 そして荒船は、自身を打ち倒したかつての弟子を、見上げた。

 

「────お前の勝ちだ、七海。強くなったな、本当によ」

「はい、ありがとうございました。荒船さん。貴方のお陰で、俺は此処まで強くなれました」

「────っ!」

 

 …………その言葉に、荒船がしたのはどんな表情であったか。

 

 驚きか、歓喜か、それは荒船自身にも分からない。

 

 だが、悪くない心境なのは、確かだった。

 

「…………ははっ、こりゃあ負けるワケだ。完敗だよ、七海」

 

 荒船は、何処か吹っ切れたような笑みを浮かべる。

 

 それは、例えるなら憑き物が落ちたような、そんな笑みだった。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 そして、機械音声が彼の敗北を告げる。

 

 荒船は光の柱となって、その戦場から脱落した。

 

 

 

 

「荒船……っ!?」

 

 荒船の緊急脱出の報を聞いた穂刈に、動揺が奔る。

 

 あと一歩、あと一歩だったのだ。

 

 あと一歩で、荒船は七海を仕留められた。

 

 だが。

 

 だが。

 

 あの一発が。

 

 七海の置きメテオラを起爆した茜の狙撃が、全てを覆した。

 

 最後に放ったデリンジャーの一撃は、確かに荒船が用意していた()()()であった。

 

 だが、あの一撃は。

 

 本当なら、あの屋上で放つ筈であった。

 

 あんな、身動きが取れない空中ではなく。

 

 穂刈の援護が十全に届く、あの屋上で放つ筈だったのだ。

 

 それを、あの一発が覆した。

 

 七海がメテオラを使う可能性自体は、考慮していた。

 

 しかし、射手トリガーであるメテオラにはトリオンキューブを精製し、分割、射出するという発射までの時間遅延(タイム・ラグ)がある。

 

 それを考えれば、七海のメテオラは()()()()()()()である筈だった。

 

 だが、七海はその認識を逆手に取った。

 

 メテオラを設置し、それを茜に撃ち抜かせる事で予測不能なタイミングでの起爆を仕掛けたのだ。

 

 完全に、不意を突かれた。

 

 茜の狙撃は防ぎ切れると、高を括っていた.

 

 狙撃が来る方向すら分かっていれば、狙撃は防ぐ事が出来る。

 

 その認識を、利用された。

 

 荒船ではなく、味方が仕掛けた爆弾(メテオラ)の遠隔起爆という手段で、裏をかかれた。

 

 言い訳のしようがない、完全敗北だった。

 

(後悔してる暇はないぞ、今は。何が出来る、俺だけで。狙っても無駄だからな、七海は…………移すか? 標的を)

 

 穂刈はなんとか頭を切り替え、次に自分が取るべき行動を思案する。

 

 このまま七海を狙撃で狙うのは、有り得ない。

 

 七海に、単発での狙撃等通用する筈がないからだ。

 

 むしろ、一刻も早く此処を離れなければ、七海に刈り取られるだけだ。

 

 ならば、さっさとこの場所を放棄して、『柿崎隊』を狙えるポイントに移動するべきだ。

 

 この試合、自分達の隊はまだ一点たりとも得点していない。

 

 ならば『那須隊』に拘らず、とにかく()()()()を狙いに行くべきだ。

 

(善は急げだな、とにかく)

 

 穂刈はすぐさまその場からの撤退を決め、屋上の入口に飛び込んだ。

 

 そして全速力で階段を駆け下り、下へ向かう。

 

 ビルから飛び降りる事も考えたが、もしも七海に見つかればすぐさまグラスホッパーで肉薄される。

 

 多少手間がかかろうが、ビルの内部を駆け降りるしかなかった。

 

「が……っ!?」

 

 ────だが、それすら用意(誘導)された逃げ道だった。

 

 穂刈の背中に、鋭い斬撃が振り下ろされた。

 

 ワケの分からぬまま致命打を受けた穂刈が見たのは、長身の少女。

 

「な、何で、お前が……っ!?」

「そりゃ当然、穂刈先輩を仕留める為だよ」

 

 ()()がそう答えると、彼女は更に一撃、弧月を振り下ろす。

 

「ぐ……っ!?」

 

 駄目押しの一撃が、穂刈の身体を両断する。

 

 それが、致命。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が脱落を告げ、穂刈は光の柱となって消え失せる。

 

 『荒船隊』最後の一人も、脱落。

 

 今この瞬間、『荒船隊』の全滅が確定した。



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agony

「此処で荒船隊長、穂刈隊員が連続して『緊急脱出』……っ! 『荒船隊』は、これで全員脱落となりました……っ!」

 

 実況席で三上が『荒船隊』の脱落を告げると、緊迫した戦闘を観戦していた観戦席から歓声が沸き上がる。

 

 ビルから落下しながらの攻防、そして鮮やかな狙撃手狩り。

 

 どちらも、会場を沸き立たせるには充分な熱を持っていた。

 

「荒船隊長は七海隊員相手に二発目の『鉛弾』と三発目の『アステロイド』で勝ちを狙いましたが、惜しくも及ばず。こちらについてはどうでしょう? 奈良坂さん」

「戦略としては悪くなかった。だが、荒船の想定を七海が上回った。極論すれば、それだけの話だ」

 

 奈良坂は淡々と、あくまで事実のみを告げる。

 

「七海相手に有効なのは『鉛弾』、これは最初の一発を当てた時点で七海自身も身を以て思い知った筈だ。だからこそ、七海は()()()を警戒していた。荒船なら、必ず()()()を狙って来る筈だとな」

「ふむ、それだけ七海隊員は荒船隊長の『鉛弾』を警戒していたと」

「まあ、当然っちゃ当然だよな。七海にとっちゃ、普段通りには回避出来ない上に当たれば致命的な枷を負うトリガーだ。警戒するなって方がおかしいだろ」

 

 出水の言葉を奈良坂はそうだな、と肯定する。

 

「七海はあの一発目の鉛弾で、右足を捨てざるを得なくなった。スコーピオンで右足を補填しているとはいえ、トリガースロットを片方埋め続けてしまうハンデを背負う事になった」

 

 これは相当な痛手だ、と奈良坂は話す。

 

 確かに、これさえなければ七海は柿崎隊を乱戦に巻き込み、ROUND1の時のようにグラスホッパーとメテオラを交えた機動戦で翻弄するという選択も出来た。

 

 だがトリガースロットの片方を埋めなくてはならなくなり、荒船との1対1(タイマン)に終始したのである。

 

「七海が荒船相手にあまり接近しようとしなかったのも、それが理由だ。迂闊に近付けば、最初の時のように鉛弾を撃ち込まれかねない。だからこそ、あの時まである程度の距離を維持して戦っていたんだ」

「確かに、七海の奴あまり攻めっ気が見られなかったしなー。鉛弾を警戒してた以上、無理はねーけど」

 

 七海は荒船との戦闘で、鉛弾によって右足をスコーピオンで補填せざるを得なくなってからは、回避を重視した立ち回りを続けていた。

 

 荒船はそれを、()()()()()()()()()()()()と捉えていた。

 

 いや、そう()()()()()()()いた。

 

「そうだな。七海は()が来るまで無理な攻めに出るつもりはなかった。そして、()()が整ったからこそあそこで勝負に出たんだ」

「準備、ですか……?」

「ああ、つまり────日浦が、狙撃位置に着いた事だ」

 

 奈良坂はそこで、MAP画面を見据える。

 

「あの時、七海の置きメテオラを射抜いたのは弾速から考えるにライトニングに間違いない。そして、半崎を狙撃した位置からではライトニングの射程は届かない」

 

 そして、と奈良坂は続けた。

 

「だからこそ、七海は日浦がライトニングでメテオラを狙える位置に移動するまで、時間稼ぎに徹していたんだ。荒船に反応を許さないタイミングで、置きメテオラを起爆させる為にな」

「成る程、その時間を稼ぐ為に七海隊員は回避に徹していたワケですね」

 

 三上の見解にこくりと頷き肯定した奈良坂だが、敢えて言わなかった事もある。

 

 茜がイーグレットで直接狙わずライトニングを当てられる距離まで移動したのは、単純にイーグレットの練度に不安があったからだ。

 

 先日、茜はライトニングのポイントをマスタークラスまで引き上げた。

 

 血の滲む努力の成果であり、確かな成長の証でもある。

 

 だがその一方、イーグレットやアイビスの練度はライトニングと違いそこまで習熟してはいない。

 

 単純に、体格の問題もある。

 

 狙撃手の中でも殊更小柄で尚且つ女性である茜にとって、アイビスは勿論イーグレットも取り回しが難しいのだ。

 

 勿論ある程度の距離で狙撃を命中させるだけの腕は磨いているが、ライトニングと比べればどうしても練度は劣る。

 

 奈良坂の見立てでは、茜がイーグレットのポイントをマスタークラスまで上げるには相当な時間がかかり、アイビスに至っては恐らく年単位の時間がかかる。

 

 茜がライトニングのポイントをマスタークラスまで上げられたのは、単純に彼女との相性の問題もあった。

 

 茜は反射神経はあまり良い方ではなく、運動能力にも難がある。

 

 だが、特定距離での精密射撃には非凡な才能を持っていた。

 

 ()の動きが一瞬でも止まれば、針に糸を通すような正確さで意図した場所を射抜く事が出来る。

 

 それが、茜の適性。

 

 単独で相手を仕留めるには向かないが、チームメイトが生み出した隙を狙った一撃や、カウンタースナイプを成功させるにはこれ以上ない適性と言える。

 

 無論、解説の場で弱点をバラすような真似はしない。

 

 気付いている者はいるかもしれないが、それを師匠の口から言う筈もない。

 

 なんだかんだ、自分の弟子が可愛い奈良坂であった。

 

「しかし、七海隊員のトリガー切り替えの速度は非凡なものがありますね。まさかあそこで右足のスコーピオンを消して、即座に両防御(フルガード)に移るとは。熟練した技巧が伺えます」

「そうだなー。ま、鍛錬の賜物だよな、あれは」

 

 多分あれ鍛えたの風間さんだろうけど、という言葉は呑み込んだ。

 

 七海は太刀川の実質的な紹介により、三上がオペレーターを務める『風間隊』相手に訓練を行っていた。

 

 風間はボーダーの中でも、随一と言って良いトリガー切り替え速度を誇る熟練の戦士だ。

 

 訓練を通じて、七海にトリガーの素早い切り替え方を叩き込んでいたのは想像に難くない。

 

 三上は『風間隊』のオペレーターである為当然その事は知っていた筈だが、彼女は実況の場では公私を交えず客観的な視点での解説に終始している。

 

 そのあたりに、彼女のプロ意識が伺えた。

 

「それから、熊谷隊員が穂刈隊員を討ち取った事に関しては、どうでしょうか?」

「あれはびっくりしたなー。俺もてっきり、熊谷さんは茜ちゃんの護衛をしてるもんだと思ってたからさ」

 

 三上に倣い、出水もしれっと思ってもいない事を口にする。

 

 そんな二人の意図を察し、奈良坂は敢えて気付かない振りをしながら解説を請け負った。

 

「恐らく、『荒船隊』もそう考えていたからこそ不意を突かれたんだろう。ROUND1で熊谷が日浦の護衛をしていたあのシーンは、それだけ印象的だったしな」

 

 そう、それもまた『那須隊』が仕掛けた()()()()()()()であった。

 

 前回のROUND1で、『那須隊』は()()()()()()()()()()()という斬新な戦術を見せつけ、茜を護りつつ笹森を討ち取った。

 

 あの展開は、誰の眼にも強烈な印象を以て焼き付けられた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という強烈な先入観を、あの一戦を通して植え付けたのだ。

 

 先入観というものは、厄介だ。

 

 ()()()()()()()と一度思い込んでしまうと、その()()()()から抜け出す事は中々難しい。

 

 特に、それが強烈な印象を伴っているとなれば、その先入観を拭い去る事は不可能に近い。

 

 七海と那須が攪乱し、茜が狙撃で援護、熊谷が茜を護る。

 

 あのフォーメーションの()()()()()()もまた、先入観を強化する要因となった。

 

「先入観を取り除いて考えれば、何も特別な事はない。先も言ったように、『那須隊』は穂刈の位置は既に特定出来ていた」

 

 あれだけ何度も狙撃を撃ち込んでいたからな、と奈良坂は告げる。

 

「だからこそ、荒船の援護にかかりきりになっていた穂刈にバッグワームを着た熊谷を向かわせ、仕留めた。『那須隊』がしたのは、言葉にしてみればこれだけの事だ。ROUND1同様、心理誘導を用いているだけで行動自体は基本の域を出ていない」

 

 そう、防御に特化した熊谷が単騎で仕留めたから斬新に見えるだけであって、『那須隊』は特別な事は何もしていない。

 

 バッグワームでレーダーから隠した隊員を一人先行させ、狙撃手を仕留める。

 

 彼女達がしたのは、これだけだ。

 

 これだけの事を、心理誘導によって気付かせずに行った。

 

 ()()()()()()()()()という誤った認識を『荒船隊』に植え付け、その隙を突いた。

 

 それだけの、事なのである。

 

「ともかく、これで試合は『那須隊』と『柿崎隊』の一騎打ちになった。両部隊の対応力が、問われる所だな」

 

 

 

 

『柿崎さん、『荒船隊』が全員落ちました。『那須隊』は、一人も落ちてません』

「く……っ! 最悪の展開になっちまったな……っ!」

 

 真登華からの報告を受け、柿崎は思わず舌打ちする。

 

 試合開始からこれまで、自分達は徹底的に蚊帳の外に置かれていた。

 

 合流を優先している為初動が遅い事を両部隊に見抜かれ、此処に至るまで放置を決め込まれた。

 

 先程那須が仕掛けて来るまで、戦闘らしい戦闘は何一つ行えてはいない。

 

 ようやく主戦場に辿り着けると思った矢先に那須に足止めされ、結果として『那須隊』が『荒船隊』を全滅させるまで何一つ成果を挙げられなかった。

 

 全ては、初動の遅さ故に。

 

 『荒船隊』を倒した以上、『那須隊』の隊員はその全員が此処へ向かって来る筈だ。

 

 七海が負傷していれば御の字だが、話に聞く『感知痛覚体質』のサイドエフェクトの件を考えれば難敵である事に間違いはない。

 

 ROUND1での乱戦をコントロールし切った七海の戦いぶりは、今も網膜に焼き付いている。

 

 このまま七海に合流され、那須と連携を取られた時点で恐らく()()だ。

 

 そこに茜の狙撃まで加われば、最早抵抗の余地すらなくなる。

 

 後手に回り続けた結果、負けが確定する秒読み段階に突入していたのだ。

 

(くっ、俺の所為か……っ! もしもあいつ等の思う通りにさせていたら、きっと……っ!)

 

 ────私が中央区に一番近い位置ですが、先行して『荒船隊』を牽制しましょうか?────

 

 思い返すのは、試合が始まったばかりの時の照屋の言葉。

 

 もし、もしあの時合流優先の選択肢を捨て、彼女の好きに行動させていれば、また違った結果になったかもしれない。

 

 蚊帳の外になんて置かれず、戦況を覆す事が出来たかもしれない。

 

 そう考えると、忸怩たる思いだった。

 

 ────『柿崎隊』って、なんかパッとしないよな。堅実って言うより、思い切りが足りないだけじゃね────

 

 …………自分達の隊の評判については、柿崎自身も耳にしていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それが、かつて()()()()()()()()()()()()()()と評された、今の『柿崎隊』の評価だった。

 

 実際、『柿崎隊』はこれまでずっとB級中位の中で燻り続けている。

 

 かつて唯一の小学生隊員だった虎太郎や、新人王の座を奈良坂や歌川と争った秀才、照屋を隊員として迎えているというのに思うように結果が出せないのは、自分の所為なのだ。

 

 自分はかつて、『嵐山隊』に所属していた。

 

 だが、とあるメディア関係の一件で自分に広報部隊は無理だと悟り、逃げるように隊を抜けた。

 

 今でも『嵐山隊』の面々は自分を気に懸けてくれているが、本当は自分にそんな価値などない。

 

 自分はただ、広報部隊という矢面に立つのが嫌で逃げ出した臆病者に過ぎないのだから。

 

 本当は、上を目指したい。

 

 照屋や虎太郎(あいつら)を、こんな所で燻らせたくはない。

 

 けれど、怖いのだ。

 

 あの二人を危険な場所に向かわせようと(矢面に立たせようと)すると、どうしてもあの時の自分と重なってしまう。

 

 あの時、記者に「家族と街の人々どちらを優先しますか?」という悪辣な質問をされた時の、心の動揺を忘れられない。

 

 仲間を危険な場所に向かわせる時、あの時の心的外傷(トラウマ)がそれを拒んでしまう。

 

 あの時の自分と、重ねてしまう。

 

 だから、出来ない。

 

 だから、勝てない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんていう意識が、心の何処かにある。

 

 あいつ等は自分のように弱くないと分かってはいても、二の足を踏んでしまう。

 

 それは、人を気遣い過ぎるが故の柿崎の葛藤。

 

 必要以上に他人の分の重荷まで背負おうとしてしまう優しさから来る、懊悩。

 

 それが、柿崎を苦しめていた。

 

 理屈は分かる。

 

 無理に合流を目指さずに、臨機応変に隊員を動かした方が強い。

 

 それは、今対峙している『那須隊』が証明している。

 

 『那須隊』は隊員を別個に動かし、各々を最適な場所に割り振る事で高い対応力を持っている。

 

 各々の強みと弱みをきちんと理解し、最適な場所に最適な人員を送る。

 

 彼女達がしているのは、そういう動きだ。

 

 それこそが、ランク戦に置いて最善に近い動きなのだ。

 

 合流しか頭にない、自分とは違う。

 

 そうするべきだと分かっているのに、踏み込めない。

 

 柿崎は、迷いを振り切れないままいつも通りにこの場を凌ぐ対策を立てようとする。

 

 …………恐らく、既に柿崎の頭には諦めがあった。

 

 もう、勝てないだろうという諦めが。

 

 それだけ、『那須隊』の部隊としての完成度は高かった。

 

 前期までの『那須隊』と、今の『那須隊』は最早別物だ。

 

 七海という最後のピースが嵌った事で、その本当の力を発揮出来ている。

 

 羨ましい、と思わなくなかったと言えば嘘になる。

 

 だが、出来ない。

 

 自分には、どうしても。

 

 最後の一歩が、踏み出せなかった。

 

「────柿崎さん。少し、いいですか?」

「え……? あ、な、なんだ虎太郎?」

 

 ────そんな時、真剣な顔をした虎太郎が自分を見上げている事に気付いた。

 

 那須の包囲攻撃を『固定シールド』で防ぎながら、虎太郎は彼女に聞かれないように小声で、しかしハッキリとその意志を示した。

 

「このままじゃ、勝ち目はまずありません。だから、俺の作戦を聞いてくれますか?」

 

 虎太郎は、真っ直ぐ柿崎を見据え、告げた。

 

 気付けば照屋も、同じような目で柿崎を見上げていた。

 

「隊長が私達の事を大事にしてくれてるのは、分かります。けど、機会(チャンス)が欲しいんです」

「やられっぱなしは、俺も嫌です。だから、お願いです。柿崎さん」

 

 責任を負わせてくれ、ではなく。

 

 チャンスが、欲しい。

 

 彼等は、そう言った。

 

 柿崎はその言葉に固まり、二人を、二人の真摯な眼を、見据えた。

 

「勝つ為に、俺にチャンスを下さい。俺の、俺達の我儘を、聞いて貰えますか?」

 

 その言葉に瞠目し、柿崎は────。

 

「────ああ、いいぜ」

 

 ────笑顔を見せて、そう答えた。



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Tactics

『那須先輩、七海先輩が荒船隊長を、熊谷先輩が穂刈先輩を撃破しました。これからそっちに向かうそうです』

「そう。分かったわ。じゃあ私は、このまま『柿崎隊』を釘付けにする」

 

 小夜子からの報告を受け、那須が淡々とそう告げる。

 

 現在、那須はその機動力と弾幕を用いて攪乱に徹し、『柿崎隊』を思うが儘に翻弄している。

 

 前期までと違い、今の『那須隊』は那須が一人で点を取ろうとする必要はない。

 

 このまま時間を稼ぎ、茜の支援を受けられる状態で七海と合流すればそれで()()だ。

 

 『柿崎隊』は守りが硬い為一人で落とすとなれば手強い相手だが、柿崎が守備的な戦術を重視する為に攻撃面ではそこまで怖い相手ではない。

 

 機動力もそこそこあるものの、普段からトリオン体での三次元機動に慣れた那須相手に追い縋れる筈もない。

 

 少なくとも、柿崎が元来の守備重視の陣形を捨てない限りは攪乱に徹した那須を捕まえる事は出来ないだろう。

 

「小夜ちゃん、『柿崎隊』に動きはない?」

『ええ、先程から反応は一ヵ所に固まって動いてません。流石に、那須先輩の弾幕相手じゃ何も出来ないみたいですね』

「そう…………」

 

 那須は小夜子の言葉に妙な引っかかりを覚えたが、それを上手く言語化出来ずにいた。

 

 何か、見落としている気がする。

 

 そんな風に懊悩する那須の気配を察したのか、通信越しに小夜子が語り掛けた。

 

『どうしたんですか?』

「ちょっとね。なんだか、何か見落としてるような気がして……」

『見落とし、ですか……』

 

 ふむ、と小夜子は那須の言葉を真剣に検討し始めた。

 

 この様子からして、恐らく那須が覚えている違和感は『柿崎隊』の動きに関連する事だろう。

 

 現在、『柿崎隊』は一ヵ所に固まって微塵も動く様子を見せていない。

 

 那須の弾幕相手に今まで碌に身動きも取れていない有り様だったので、用心して隠れているという可能性はある。

 

 だが、確かによく考えて見ればおかしい。

 

 『柿崎隊』は確かに守備重視の戦術を用いる、ある意味融通の利かない部分があるが、それでも考えなしの部隊ではない。

 

 この状況であれば、全員でバッグワームを用いて那須の背後を狙う、くらいの事はしてもいい筈だ。

 

 なのに、3人の反応はレーダーに映ったまま。

 

 包囲射撃を警戒してバッグワームを使おうとしないのなら理屈は通るものの、時間が経過すれば不利になるのは分かっている筈である。

 

 なのに、動きがない。

 

 それは、つまり……。

 

『……っ! もしかして……っ!』

「小夜ちゃん……?」

 

 何かに気付いた様子の小夜子に那須は怪訝な顔をするが、続く小夜子の言葉に耳を傾けた。

 

『那須先輩。ちょっと、聞いて欲しい事があるんですが……』

 

 

 

 

「これは……」

 

 実況席の三上は、画面に映った表示を見て息を呑んだ。

 

 同様に、奈良坂もその画面を見てふむ、と頷いている。

 

 そして、出水は笑みを隠さず、呟く。

 

()()()()な、これは」

 

 

 

 

「いた……っ!」

 

 ビルの壁を足場に跳び回りながら進む那須の視界に、建物の影にいる柿崎の姿が映り込んだ。

 

 他の隊員は柿崎の奥にいるのか、姿は見えない。

 

 その事を確認した那須は周囲に浮遊させていたトリオンキューブを射出し、バイパーの雨が柿崎へと降り注ぐ。

 

「シールド……っ!」

 

 柿崎は固定シールドを用いて、バイパーを防御。

 

 しかし途中で軌道を変え、一点集中したバイパーが柿崎が広げたシールドを貫き、無数の光弾が柿崎のトリオン体を削り取る。

 

「く……っ!」

 

 柿崎はすかさずアサルトライフルを構え、反撃しようとするがそれを許す那須ではない。

 

 那須はビルの壁を蹴り、すぐさま柿崎の射程外へと移動する。

 

 射程外への退避を完了させると、次なる攻撃の為に周囲にトリオンキューブを展開。

 

 柿崎を追い詰める為、再びバイパーを射出する。

 

「……っ!」

 

 ────その瞬間を、待っていた者がいた。

 

 那須の背後にある、ビルの屋上。

 

 そこから飛び降りた()()()()()()()()()()()()が、弧月をその手に振り被る。

 

 那須の、視界の先。

 

 こちらを見上げている柿崎の背後に、黒い球状のオブジェクト────浮遊している『ダミービーコン』を、視認した。

 

 『ダミービーコン』は、レーダーの反応を欺く()のトリガー。

 

 『柿崎隊』はこれまで、隊員を単独で動かさずにずっと合流して戦って来た。

 

 故に、反応が三つ重なっていれば『柿崎隊』が()()()()()()()と誤認させる事が出来る。

 

 先入観を利用して熊谷の奇襲を悟らせなかった、『那須隊』のように。

 

 今度は『柿崎隊』が、先入観を利用した奇襲を敢行した。

 

 ダミービーコンの動きはよく見れば人間のそれとは違う故に見破る事が出来るという弱点も、()()()()()()()()()()()()()()()()事で対応した。

 

 今の那須はバイパーの両攻撃(フルアタック)をしている状態で、ガードは間に合わない。

 

 タイミング的に、回避も間に合わない。

 

 『柿崎隊』の決死の一撃が、決まる。

 

 その光景を見ていた、誰もがそう思った。

 

「────()()()()、来たわね」

「……え……?」

 

 ────那須当人、以外は。

 

 虎太郎は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を浴び、弧月を握るう腕の手首を吹き飛ばされた。

 

 何が起こったのか分からないまま、虎太郎はその場で呆然となり。

 

「────虎太郎、後ろだ……っ!」

「……へっ……? が……っ!?」

 

 そして、柿崎の叫びも虚しく虎太郎は背後から無数のバイパーを被弾し、致命。

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 機械音声が虎太郎の脱落を告げ、虎太郎は光の柱となって戦場から消え失せた。

 

 

 

 

「『ダミービーコン』を用いた奇襲を狙った『柿崎隊』の巴隊員でしたが、惜しくも迎え討たれ『緊急脱出』……っ! 『柿崎隊』はこれで、残り二人となりました……っ!」

 

 実況席の三上が虎太郎の脱落を告げ、会場は大盛り上がりを見せる。

 

 鮮やかな奇襲と、それに対応して見せた那須の手腕に、会場の熱は最高潮に高まっていた。

 

「いやー、惜しかったな。作戦自体は良かったけど、那須さんがあそこまで綺麗に対応するとはなー」

「恐らく、奇襲を読んでいたのだろうな」

 

 出水の言葉に、奈良坂がそう答える。

 

「巴は『ダミービーコン』を使った事を隠す為、敢えて柿崎さんを移動させずに一ヵ所に留めた。確かに間違った作戦ではないが、あの状況で『柿崎隊』が移動も隠れもしない()()()()を浮き彫りにさせる結果となってしまった」

 

 確かに、虎太郎の作戦は間違ってはいない。

 

 『柿崎隊』が三人纏まったままであると錯覚させる為に柿崎を動かさなかったのは、分かる。

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()のが分かり切っているあの状況でそれをするのは、()()()()()()()()()()()と相手に察知されるリスクを背負う結果となったのだ。

 

 恐らくだが、虎太郎は圧倒的不利な状況からの焦りもあり、()()()()()()()()()()()()()()()()と相手が判断してくれるだろうと、ある意味で()()してしまったのだ。

 

 事実、那須はそう思いかけたし、作戦が成功していた可能性は充分にあった。

 

 だが、那須の感じた違和感を正確に言葉にした小夜子の一声が、作戦を見破る一助となった。

 

 那須は勘が鋭いが、それを言語化する術にはそこまで長けてはいなかった。

 

 逆に小夜子は、勘はそこまで働かないものの、抽象的なものを言語化する事を得意としていた。

 

 小夜子は那須から違和感の()()を正確に聞き出し、那須の直感が察知した『柿崎隊』の策を見破り、その対処法を実行したのだ。

 

「作戦を見破った那須は奇襲に適した地形に敢えて移動し、懐にバイパーの置き弾を用意して虎太郎を迎え討った。奇襲の出鼻を置き弾で挫き、ビルを迂回させたバイパーで虎太郎を仕留めたんだ」

「那須さんは最初から、バイパーの標的を柿崎さんじゃなくて奇襲して来るであろう虎太郎に定めていたってワケだな。バイパーのリアルタイム弾道制御が出来るっつー強みを上手く活かした形だな」

 

 俺もそれ出来るんだけどねー、と出水は余計な事まで説明する。

 

 彼もまた那須と同じようにバイパーの弾道のリアルタイムでの制御が可能な技術を持っており、射手としての腕も随一だ。

 

 『バイパー』は『変化弾』の名の通り自在な軌道を描く事が出来る射撃トリガーだが、あまりにも自由度が高過ぎる為多くのバイパーの使い手は予め設定していた幾つかの弾道を使い分ける事で対処している。

 

 だが、那須と出水は本当の意味で、()()()()バイパーの軌道を自在に設定する事が可能なのだ。

 

 それはどんな地形であろうと障害物の隙間を縫う形での正確な射撃が出来るという事でもあり、那須の強さを支える根幹の一つである。

 

 那須はこれまでの射撃でも、複数のビルを迂回させる事で何処から弾が来るか分からないようにして『柿崎隊』を翻弄していた。

 

 だからこそ、最初柿崎は那須の放った『変化弾(バイパー)』がこれまで通り自分を狙ったものだと思い込んだ。

 

 しかし、それこそが罠。

 

 那須は最初から、バイパーの弾道を自分の背後に着弾するように設定していたのだ。

 

 全ては、奇襲に対応し返り討ちにする為に。

 

 優れた観察眼と技術の併用による、鮮やかな迎撃であった。

 

「渾身の一手が防がれた『柿崎隊』ですが、矢張りこうなると厳しいでしょうか?」

「厳しいな。小太郎が落ちた時点で、『柿崎隊』の勝ち筋は無くなったと言っても過言じゃない」

 

 だが、と奈良坂は続けた。

 

「『柿崎隊』は、どうやらまだ点を取る事を諦めたワケじゃなさそうだ。単独で動き出したのは、虎太郎()()じゃないみたいだからな」

 

 

 

(急がないと……っ!)

 

 照屋文香は、闇夜に紛れてネオンに照らされた夜のビル群を駆けていた。

 

 全ては、この先にいる狙撃手────日浦茜を仕留める為に。

 

 照屋と虎太郎はもしも虎太郎の奇襲が失敗した時の為に、照屋を単独で狙撃手狩りに向かわせる事にしたのだ。

 

 結果として柿崎をあの場に一人で残す事になってしまったが、幸い那須は攻撃力それ自体はそこまで高くはない。

 

 守りに徹すれば、時間稼ぎ自体は出来る筈だ。

 

 照屋はそれよりも、この展開で最も脅威になる存在────即ち、狙撃手の日浦茜を仕留める事を選んだのだ。

 

 七海の派手な立ち回りに隠れがちだが、茜の脅威度は前期のそれと比べて段違いに上がっている。

 

 事実、ROUND2でも日浦はチームメイトが作り出した隙を有効活用する形で、正確に得点に繋げていた。

 

 今の『那須隊』の攻撃の要は、実質茜であると言っても過言ではない。

 

 那須も七海も、その真骨頂は優れた機動力を活かした攪乱能力にある。

 

 その変則的な戦い方から対応が困難ではあるが、攻撃能力そのものはそこまで突出したものを持っているワケではない。

 

 事実、ROUND1で彼女達の得点の要となっていたのは茜の狙撃であった。

 

 那須や七海が徹底的に相手を翻弄し、そうして出来た隙を茜が突く事で敵を仕留める。

 

 これが、今の『那須隊』の必勝パターンと言える。

 

 つまり、茜が健在である限り今の『那須隊』に勝つ事は不可能に近い。

 

 七海と那須が合流し、茜が狙撃位置に付いてしまえば、最早抵抗する余地はない。

 

 良い様に攪乱された挙句、茜の狙撃で仕留められて終わりだ。

 

 本当であれば七海を直接倒せれば良かったのだが、()()()()という点で七海は群を抜いている。

 

 サイドエフェクトによって狙撃や不意打ちが効かず、機動力が高過ぎる上に『メテオラ』を用いての攪乱まで行って来るので、正面から当たってもまず仕留められない。

 

 七海を仕留めるには、彼が思いもつかないような真の意味での()()()()を仕掛けるか、太刀川のような圧倒的な技巧と攻撃力を以てゴリ押すしかない。

 

 極論()()()()()()()()()()()()が出来なければ、七海にまともなダメージを与える事は難しい。

 

 彼に手古摺っている間に、茜に狙撃されるのがオチだ。

 

 故に必然的に、狙うとすれば茜しかいないのだ。

 

 虎太郎と共に那須に奇襲を仕掛ける事も考えたが、二人がかりでの奇襲は察知される可能性が高まる。

 

 そう考えてこちらを選んだのだが、たった今虎太郎が『緊急脱出』したという報が真登華から告げられた。

 

 それを聞いて、即座に柿崎の所に戻ろうとしなかったかと問われ肯定すれば嘘になる。

 

 だが、他ならぬ柿崎から「そっちは任せた」とエールを送られたのだ。

 

 敬愛すべき隊長から、全幅の信頼を以てこの仕事を任されたのだ。

 

 此処で奮い立たなければ、女が廃る。

 

 照屋はこれ以上ない程気力を充実させ、夜の街を駆けて行く。

 

 狙うは一人、『那須隊』の狙撃手────日浦茜。

 

 茜の位置は、おおよそ掴んでいる。

 

 『ライトニング』を主武器(メインウェポン)とする彼女の射程は、そう長くはない。

 

 間違いなく、主戦場となったあのビルの近辺にいる筈だ。

 

 恐らく、茜自身も自分達を射程内に収める為に移動している最中の筈だ。

 

 周辺に網を張れば、必ず見つかる。

 

 懸念があるとすれば七海と遭遇する事だが、七海は『グラスホッパー』を装備している。

 

 故に最短最速で、柿崎の所へ向かっている筈だ。

 

 それはつまり柿崎を見殺しにする事と同義だが、既に彼女に迷いはない。

 

 …………この試合の勝ち筋は、虎太郎が落ちた時点で完全に失われた。

 

 少なくとも、生き残って生存点を取る事は不可能だろう。

 

 ならばせめて、確実に点を取って次に繋げる。

 

 それしか、残された手はない。

 

 だが、諦めはない。

 

 それが最善であるならば、自分はやるべき事を為すだけだ。

 

 必ず、仕留める。

 

 固く誓い、照屋は夜の街を駆けて行く。

 

 決着の時は、刻一刻と迫っていた。



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result

「照屋隊員、柿崎隊長からは離れ単独で動く……っ! 狙うは『那須隊』狙撃手、日浦隊員か……っ!」

 

 実況席で三上がハキハキした声で、画面を見ながらそう告げる。

 

 映し出された画面にはバッグワームを使用している照屋の反応が主戦場となったビル群の方に向かっており、その先には同じくバッグワームを用いている茜の反応があった。

 

 照屋が彼女を狙って動いているのは、外から見れば瞭然だった。

 

「柿崎さんを一人にしてでも日浦ちゃんを狙ったかー。ま、悪い選択じゃねーわな」

「そうだな。むしろ、この状況なら最善に近い選択と言える」

 

 照屋の戦術を出水が称賛し、奈良坂もそれに追随する。

 

 A級の二人から見ても、照屋の選択はそう悪くないものであった。

 

「あの場では、固まっていても意味はない。このMAPは、那須と相性が良過ぎるからだ」

「ふむ、それはこのMAPにビルが多いから、という事ですか?」

「有り体に言ってしまえば、そうなる」

 

 まず、と奈良坂は前置きして話し始めた。

 

「この『摩天楼A』のMAPは数あるMAPの中でもかなり広大な部類に入り、尚且つ中央に近付くにつれてより多くのビルが乱立している。つまり、那須の()()()()()()には事欠かないという事だ」

「障害物を盾に機動戦で相手を翻弄するのが、那須さんの戦闘スタイルだからなー。上から狙撃で牽制出来る狙撃手がいなくちゃ、このMAPで相手するのはきちーだろ」

 

 確かに、彼等の言う通り那須の戦闘スタイルは障害物が多く、高低差の激しい場所でこそ真価を発揮する。

 

 那須と柿崎が戦り合っている場所は中央区の端のあたりであり、周囲には大小様々なビルが乱立している。

 

 その上ビル同士の位置も割と近い為、ビルの壁を足場にした三次元機動を行うには最適の場所と言えた。

 

 ビルの間を跳び回りながら複雑怪奇な軌道の『変化弾(バイパー)』を自らの手足のように操る那須に、『柿崎隊』はこれまで三対一の状態でも翻弄され続けていた。

 

 那須は決してブレードトリガーの間合いには近付かず、ビルの間を跳び回りながら『バイパー』の射程・弾速・威力を幾度もチューニングし直しながら放ち続けている。

 

 その所為で『柿崎隊』はどういう軌道で『バイパー』が襲って来るのかを全く予測する事が出来ず、『固定シールド』を用いての防戦でしか対処出来ていなかった。

 

 『柿崎隊』の中距離戦用の武器である銃手トリガーは同一威力での射程であれば射手トリガーに勝るが、射手トリガーのような威力・弾速・射程の調整(チューニング)は出来ず、最大射程では遠く及ばない。

 

 銃手トリガーはあくまで中距離戦に置いての()()()が武器であり、()()()となると射手トリガーに劣ってしまう。

 

 それを分かっているからこそ、那須は銃手トリガーの射程外から一方的に攻撃を仕掛けているのだ。

 

 時折銃手トリガーの射程ギリギリまで接近して弾速や威力を重視したバイパーを撃って来る事もあるが、それでも決して無理はせず、回避に重点を置いた立ち回りを徹底している。

 

 自分の強みを完璧に理解し尽くしている、そういう類の動きであった。

 

 そんな那須相手では、二人いようが三人いようが効果的な戦いは望めない。

 

 精々、固定シールドを張りながら牽制代わりの銃撃を放つくらいが関の山だ。

 

 那須が『柿崎隊』を仕留める為に攻めっ気を出せば話は別だが、虎太郎を撃破した後も彼女は回避重視の立ち回りを崩していない。

 

 照屋は現在バッグワームを着ている為、那須には彼女が付近に潜んでいるのか、それとも此処を離れているのか判断が出来ないからだ。

 

 故に、いつ奇襲を受けてもいいように回避重視の立ち回りを継続している。

 

 だからこそ、一人となった柿崎でも彼女の包囲射撃を防ぐ事が出来ていたのだ。

 

「那須は今、照屋が付近に隠れているのかそれとも別の場所に向かったのか、判断がつかない状況だ。照屋が見つからない限り、無理に柿崎さんを仕留めには行かないだろう」

「七海が合流すりゃ、それで()()だからな。そりゃ、わざわざ危ない橋を渡る必要はねーっつー話だ。そういう意味じゃ、照屋ちゃんの判断は正しいな」

 

 柿崎さんの判断かもしれねーけど、と出水は呟く。

 

「しかし、ホント意外だったな。最後まで部隊は別けねーと思ってたんだがな」

「『柿崎隊』はこれまで合流優先の戦術を徹底している。そういう意味では、意表を突くには良い手だった」

 

 だが、と奈良坂は続ける。

 

「その判断を最初に出来なかった事が、悔やまれるな。最初から部隊を別けて主戦場に介入していれば、また違った結果もあっただろう。判断の遅れが、試合の明暗を分けたと言える」

「ま、たらればの話を今してもしゃーねえけどな。それこそ、七海得意の乱戦に巻き込まれて全滅した可能性も有り得ただろーし。結果論だけ言っても仕方ないって、前に太刀川さんも言ってたぜ」

「ああ、だから彼等の判断が間違っていたとまでは言わない。あくまでも結果論だからな」

 

 奈良坂は出水の意見を認め、そう締め括った。

 

 彼からして見れば『柿崎隊』の合流戦術は非効率の極みであり、内心思う所がないわけでもない。

 

 だが、此処は解説の場だ。

 

 『柿崎隊』の守備重視の戦術は確かに効率的とは言い難いが部隊の損耗を避けるという点では現実の戦場に置いては決して間違った判断とは言えず、ランク戦の存在意義が()()()()である以上、彼等の行動を批判するのはランク戦の理念を否定する事になる。

 

 ROUND1の最初で東が語った通り、ランク戦といえどその本質は実戦を想定した()()である。

 

 競争形式にして鎬を削り合う事が上達の近道である事は数々のスポーツが証明しており、その為に対戦形式にしているが、その本質を決して見誤ってはならない。

 

 幾ら『緊急脱出』があるとはいえ、彼等が放り込まれるのは本物の()()なのだ。

 

 戦場に置いては、生き残るという事は大切だ。

 

 生き残ってさえいれば後の戦線に貢献出来るし、味方が一人でも多い方が有利なのは間違いない。

 

 そういう意味で、柿崎の戦術を間違っていると告げるのは、ランク戦の意義に反する。

 

 柿崎の戦術はランク戦に適したものとは言い難いが、実戦を想定したものとして見るなら一定の評価を下す事が出来るのだ。

 

 解説を任された者の一人として、そんな真似をするべきではないと奈良坂は判断したワケである。

 

「ともかく、照屋ちゃんが日浦ちゃんを仕留められるかどうかがこの試合の分水嶺なのは間違いないだろーぜ。まさに、最終局面ってやつだな」

 

 

 

 

 ────照屋文香が『柿崎隊』に入隊したのは、とあるテレビ放送が原因だった。

 

 それは今では『ボーダー』の広報部隊として多くのメディアに出演している『嵐山隊』の嵐山と柿崎が広報イベントとして記者達のインタビューを受けている番組だった。

 

 常に笑顔を絶やさず爽やかな声で記者の質問にそつなく答える嵐山に対し、柿崎は緊張しているのか少し表情が硬かったように思う。

 

 そして、記者が彼等にこんな質問をしたのだ。

 

 ────次に大規模な『近界民』の襲撃があったら、街の人と自分の家族どっちを守りますか?────

 

 …………今思い出しても腹立たしい、悪意に満ちた質問だった。

 

 街の人を優先すると言えば家族を大事にしないのか、と揚げ足を取り。

 

 家族を優先すると答えれば、街の人を守る気がないのか、と責め立てる。

 

 そういう批判を行う為の、性根の腐った質問だったように思う。

 

 他の人がどう判断しようが、他ならぬ照屋自身がそう思ったのだ。

 

 そういった一般市民の()()()()に内心腹を立てたのは、一度や二度ではない。

 

 下手に反応すればそういった輩はつけ上がる事が分かり切っているから特に何もしていないだけで、内心で腸が煮えくり返った経験は幾度もあった。

 

 だから、その時に嵐山がそつのない返答で記者をやり込めた時は内心喝采したものだ。

 

 …………けれど、それ以上に目を惹いたのは。

 

 その質問を受けた時の、柿崎の苦しそうな表情だった。

 

 その表情を見た時、照屋の中に強烈な庇護欲めいた感情が沸き上がった事を覚えている。

 

 昔から照屋は世話焼きな面があり、あまり要領の良くないタイプのクラスメイトにも分け隔てなく接し、多くの者から慕われていた。

 

 そうやって世話を焼いた中にはいじめられっ子も多く含まれており、いじめっ子達にとって攻撃対象を庇護する照屋は目障りに映り、新たないじめの標的にする事で報復しようとした。

 

 結論から言えば、照屋はいじめっ子達全員を返り討ちにした。

 

 クラスメイトや教師の前でいじめっ子達を正面から糾弾し、逆上した彼等達をその場で取り押さえた。

 

 流石に公衆の面前で照屋に殴りかかったいじめっ子達に反論の余地はなく、クラスで居場所を無くした彼等は小学校を卒業するまでずっと肩身の狭い思いをする事となった。

 

 そんな照屋にとって、あの時の柿崎は酷く魅力的に映ったのだ。

 

 柿崎はあの時、自分の保身よりも『ボーダー』の、仲間の事を気にして言葉を詰まらせていた。

 

 彼ならば自分の保身を考えて動けなかったと言うだろうが、照屋はそうは思わなかった。

 

 あの時、柿崎は自分が迂闊な事を答える事で共にインタビューを受けていた嵐山に批判の眼が向くのを恐れていた。

 

 彼は嵐山が質問に答えている最中、しきりに嵐山の事を心配していたのだから。

 

 多くの者はそつなく質問に答えていた嵐山に注目していた為気付かなかっただろうが、ずっと彼の事を凝視していた照屋の眼には嵐山の方を心配そうに見詰める柿崎の姿がハッキリと映っていた。

 

 自分の先入観が多大に入った解釈だったかもしれないが、照屋はそんな柿崎を見て、『ボーダー』に入隊して彼と共に戦う事を決めた。

 

 柿崎が自分の隊の隊員を募集した時、照屋は即断で彼の部隊に入隊した。

 

 実際に彼の隊に入り、接していくにつれて自分の考えは間違っていなかったと強く思うようになった。

 

 柿崎は常に仲間の事を考え、自分よりも仲間を優先してしまう、何処か危なっかしい所がある青年だった。

 

 彼はとにかく、全ての責任を自分で負いたがる悪癖があった。

 

 何をするにしても、責任が全て自分に集中するように動いてしまう。

 

 他の誰かに、重荷を背負わせたくない。

 

 そんな優しさが、彼の行動には滲み出ていた。

 

 そんな彼を見て、照屋は()()()()()()()()()()とより強く決心した。

 

 柿崎は、自分の所為で隊が燻っていると考え続けている。

 

 前期のランク戦でも、負ける度に自分達に頭を下げて謝って来る柿崎を見るのは辛かった。

 

 だが、そんな柿崎が、今回は自分と虎太郎の勝手を許してくれた。

 

 責任を、負わせてくれた。

 

 だからこそ、失敗するワケには行かない。

 

 勝つ事までは、無理かもしれない。

 

 けれど、確実に点を取り、彼の判断が間違っていなかったと証明する。

 

 その為に、全力を尽くす。

 

 照屋は、静かな闘志を漲らせ、夜の街を駆けていた。

 

「見つけた……っ!」

 

 そして遂に、その想いが報われる。

 

 視界の先、ビルの谷間。

 

 そこを走る、小柄な影。

 

 日浦茜が、そこにいた。

 

 こちらの事を、茜も気付いたのだろう。

 

 慌てた様子でライトニングを構え、こちらに銃口を向けた。

 

 弾速重視の狙撃銃(ライトニング)の弾丸が、照屋に向かって撃ち込まれる。

 

「シールド!」

 

 だが、照屋は慌てる事なくシールドを展開。

 

 弾速が速いとはいえ、威力に乏しいライトニングの弾丸は、シールドを傷付ける事すら出来ずに弾かれる。

 

 茜の真骨頂は、味方の支援を受けての精密狙撃。

 

 単体では、その脅威は発揮されない。

 

(獲った……っ!)

 

 照屋は弧月を構え、茜に向かって斬りかかる。

 

 接近戦では、照屋に分がある。

 

 そも、狙撃手は接近を許した時点で無力な相手に成り下がる。

 

 この距離なら、負けはない。

 

 そう確信し、照屋は弧月を振り下ろした。

 

「……え……?」

 

 ────だが、その斬撃は空を切る。

 

 茜の姿が、()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

 思いも依らぬ展開に、照屋の思考に空白が生まれる。

 

 だが、その現象を起こす事が出来る一つのトリガーの存在を思い出し、勢い良く背後を振り向いた。

 

「ぐ……っ!」

 

 しかし、その判断は遅きに失した。

 

 背後から飛来した弾丸により、弧月を握る照屋の手首が吹き飛ばされた。

 

 弧月を取り落としながらも、照屋は後ろを向く。

 

 照屋の背後、さして高くもないビルの屋上。

 

 そこに、日浦茜がライトニングを構えたまま立っていた。

 

「『テレポーター』……ッ!?」

 

 視界の先、数十メートルを瞬時にして移動する()()()()()()()()()

 

 ────『テレポーター』。

 

 彼女が使用したのは、紛れもなくそのトリガーだった。

 

 完全に意表を突かれた照屋は、唇を噛んだ。

 

 だが、悔しがっている時間はない。

 

 このまま茜の逃亡を許せば、自分の行動のその全てが無駄になる。

 

 急がなければ。

 

 即断した照屋は、左手にアサルトライフルを構えて駆け出した。

 

 茜がいるビルは、そう高いものではない。

 

 トリオン体の運動能力であれば、充分に駆け上がれる筈だ。

 

 そう判断し、照屋はビルを駆け上がるべく地を蹴り跳躍。

 

 テレポーターには、一度長距離を飛ぶと再使用までに時間がかかるデメリットがある。

 

 故に、速攻。

 

 テレポーターが再使用可能になる前に、茜を仕留める。

 

 そう意気込み、照屋は一気に屋上まで駆け上がった。

 

 視界の先には、屋上から飛び降りて逃げようとする茜の姿。

 

 逃がさない。

 

 照屋はアサルトライフルの引き金に手をかけ、そして────。

 

「が……っ!?」

 

 ────背後から受けた()()により、そのトリオン体を斬り裂かれた。

 

「な、にが……っ!?」

 

 何が起きたか理解出来ず、振り向く。

 

 その、背後を振り向いた照屋が見たものは。

 

「────」

 

 自分の背中に義足の刃(スコーピオン)を突き立てた、バッグワームを纏った七海の姿だった。

 

「ぐ……っ!?」

 

 だが、照屋には反撃すら許されない。

 

 隙を逃さず放たれた『ライトニング』の一撃が、照屋の頭部を貫通。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が彼女の敗北を告げ、照屋は光の柱と化して戦場から脱落した。

 

 

 

 

「な……っ!? 文香がやられた……っ!?」

 

 照屋脱落の報は、すぐに柿崎にも伝わった。

 

 柿崎の顔に、自らを悔いる感情が浮かぶ。

 

 一瞬の、思考の空白。

 

 だが、那須の攻撃は容赦なく。

 

 無数の光弾が、柿崎に降り注いだ。

 

「く……っ! む、これは……っ!?」

 

 柿崎はこれまで通り固定シールドを張ろうとして、気付く。

 

 放たれた光弾は、柿崎を包囲する形ではなく、一ヵ所に纏まって降り注いでいる。

 

 恐らく、先程もあった包囲射撃『鳥籠』に見せかけての一点集中両攻撃(フルアタック)

 

 瞬時に柿崎はそれだと判断し、シールドを前面に集中して展開した。

 

 幾らかは通すかもしれないが、この場で脱落するよりはマシだ。

 

 そう判断し、前面にシールドの強度を集中した。

 

 …………して、しまった。

 

「……な……?」

 

 確かに、那須の射撃は一点に集中した攻撃であった。

 

 誤算があるとすれば、それは。

 

 シールドに着弾した瞬間、その弾丸が()()()()事。

 

 ────()()()、『変化炸裂弾(トマホーク)』。

 

 それが、柿崎に放たれた那須の()()()であった。

 

 広範囲を焼き尽くす爆発に呑まれ、柿崎は致命。

 

『戦闘体活動限界、『緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 そして、機械音声が柿崎の、『柿崎隊』の敗北を告げる。

 

 登り立った光の柱が、試合終了の合図となった。

 

 試合結果、8:0:0。

 

 ROUND1に続く、『那須隊』の完全勝利だった。



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Signs and anxiety

「照屋隊員、柿崎隊長、続けて緊急脱出……っ! 此処で決着……っ! 戦績は8:0:0……っ! ROUND1に続き、『那須隊』の完全勝利です……っ!」

 

 三上が盛大に『那須隊』の勝利宣言を行い、会場は歓声で包まれた。

 

 ROUND1に引き続き、一点も逃さない完全勝利(パーフェクト・ゲーム)

 

 途中経過は違ったとはいえ、結果としては『那須隊』の独走状態となったワケだ。

 

 これで、盛り上がらない方がどうかしている。

 

「綺麗に決めたなー。まさか、七海の奴が茜ちゃんの護衛に付いてたとは。てっきり、那須さんの方に向かってるモンだと思ってたぜ」

「それは、『柿崎隊』も同じように考えていた筈だ。だからこそ、あの奇襲が完璧に決まったと言える」

 

 確かに、奈良坂の言う通り『柿崎隊』は、いや、この試合を見ていた殆どの人間が七海は那須との合流を目指していると考えていた筈だ。

 

 ROUND1で見せた那須と七海の連携による圧倒的な制圧力は、記憶に新しい。

 

 だからこそ、誰もが騙された。

 

 七海は、那須との合流を優先すると、思い込ませた。

 

「恐らく、七海は荒船さんを倒した後バッグワームを起動。即座に日浦のフォローに入れる位置に、身を隠していたワケだ。そして、日浦は逃げる振りをしながら照屋を()()に誘い込んだ」

「あれはびっくりしたよなー。まさか、日浦ちゃんが『テレポーター』を装備してたなんて。あれ、お前の仕込みか?」

「『テレポーター』は、俺が教えたワケじゃない。狙撃手としての『テレポーター』の扱い方については、多少聞かれたがな」

 

 『テレポーター』は瞬間移動という性質を持つ特殊なオプショントリガーであり、その使い手の数は限られる。

 

 A級では『嵐山隊』の嵐山と、『加古隊』の加古が使い手としては有名だ。

 

 『那須隊』と交流があるのは後者の方なので、恐らく加古が使い方を叩き込んだのだろう。

 

「狙撃手が『テレポーター』を使う事についてはどうなんでしょう? 奈良坂さん」

「正直、『グラスホッパー』の方が汎用性が高いのは確かだ。逃走や狙撃位置の変更時にも利便性は高い上に、『テレポーター』のような再使用までの時間遅延(タイム・ラグ)もない」

 

 だが、と奈良坂は続けた。

 

「『グラスホッパー』を使いこなすには、ある程度のバランス感覚、運動神経が必須だ。日浦は残念ながらと言うべきか、そちらについての適性は皆無だった」

「それで『テレポーター』か。じゃあ、『グラスホッパー』を使えないから仕方なく使ってる感じか?」

「確かにそういう面もあるが、『テレポーター』には『テレポーター』で利点はある。それは、日浦がその身で証明して見せた筈だ」

 

 奈良坂は僅かに口元を綻ばせながら、説明を続ける。

 

「『テレポーター』は『グラスホッパー』と違い、相手の身体や攻撃を無視して指定の場所まで移動する事が出来る。先程の日浦のように、相手に接近された時の逃走手段としては悪くない選択肢だ」

「加えて言や、日浦ちゃんが『テレポーター』を使うとは考えてなかったから照屋ちゃんに隙も出来たしなー。だから『テレポーター』からの狙撃で、右腕は撃ち抜けたワケだし」

 

 そう、照屋はあの一瞬、完全に虚を突かれた事で思考に空白が生じ、背後のビルへ転移した茜の狙撃によって右腕を失っている。

 

 茜の『テレポーター』使用は、初見殺しという点も加味して充分以上の効果を発揮したと言えるだろう。

 

「日浦は相手の動きが一瞬でも止まれば、正確に狙った場所を撃ち抜く事が可能だ。そういう意味で、今回は『テレポーター』の使用が致命打に繋がったと言える」

「照屋ちゃんも『テレポーター』を使われた事で、早いトコ日浦ちゃんを仕留めなきゃ逃げられる、と考えただろーからな。結果として背後への警戒が疎かになって、七海に斬られちまったワケだ」

 

 そうだな、と奈良坂は出水の言葉に頷く。

 

「予想外の事態が重なった時には、思考の硬直が発生し易い。目先の事だけを考えてしまいがちになり、ミスを誘発し易くなる。日浦の『テレポーター』使用は、あの局面で最善の選択だったと言えるだろう」

「何処まで計算づくかは分からねーけど、結果としちゃ大戦果に繋がったのは確かだな。七海の奇襲を、照屋ちゃんが想定してなかった事を含めてもな」

 

 …………実際には、照屋は七海の奇襲を想定していなかったワケではない。

 

 但し、日浦の『テレポーター』使用という予想外の一手で完全に虚を突かれた結果、警戒を疎かにしてしまった。

 

 完全に、茜の一手にしてやられた形になる。

 

「それから、柿崎さんを倒した時に那須さんが『変化炸裂弾(トマホーク)』使ったのには驚いたなー。那須さん、合成弾今まで使った事なかったし」

 

 そう告げる出水の顔は、何処か嬉しそうだ。

 

 射手トリガーを二つ合成し、強力な弾丸を精製する技術、『合成弾』を開発したのは、他ならぬこの出水である。

 

 自分の技術を見事に使いこなした者がいるとなれば、先達として興奮を覚えずにはいられなかった。

 

 技術は、広めてこそ意味がある。

 

 有用な技術は、どんどん広め全体の戦力の質を上げるべき。

 

 それが、射手ランキング二位、出水公平の持論であった。

 

「だからこそ、初見殺しが成立し得たワケだ。柿崎さんも、那須が単独で自分を仕留めようとするとは考えていなかった筈だからな」

「それまで、完全に攪乱に徹してたからなー。それに、柿崎さんも那須さんが『合成弾』を使うとは考えてなかった筈だから、読み切れなくても無理はねーわな」

 

 B級中位には、『合成弾』を扱うチームは今まで存在していなかった。

 

 『合成弾』は誰もがおいそれと簡単に扱える技術ではなく、それ故にその技術の使い手はB級上位陣からちらほら見られる程度だ。

 

 今までB級上位と戦った事のなかった柿崎からして見れば、『合成弾』を見分ける事は難しかっただろう。

 

 加えて言えば、那須は柿崎を相手にしている最中、弾速や射程を繰り返しチューニングしながら弾幕を張っていた。

 

 那須の『変化炸裂弾』は通常の『変化弾(バイパー)』より弾速が遅いという特徴があるのだが、それまでにも那須は弾速を繰り返し変えていた為、弾速で『合成弾』を判別する事が出来なかった。

 

 それもまた、那須の技巧と戦術の組み立ての勝利と言える。

 

「しかし、それなら何故すぐに『変化炸裂弾』を使わなかったのでしょうか?」

「そりゃ、防がれる可能性があるからだろーな」

 

 三上の疑問提示に、出水は即答で答える。

 

「『合成弾』はその性質上、弾丸の合成を終えるまで完全に無防備になる。その隙を狙われちゃ幾ら那須さんでも簡単に落とされるから、照屋ちゃんの居場所が判明するまでは使えなかったのさ」

 

 それに、と出水は付け加える。

 

「『変化炸裂弾』は、『バイパー』と『メテオラ』の二つの性質を持った弾丸だ。つまり、その()()()()で相手を落とす弾ってワケだ」

 

 つまりだな、と出水は告げる。

 

「『柿崎隊』が三人揃っていた状況じゃ、『変化炸裂弾』を使っても『固定シールド』の重ね掛けをされちまえば防がれる。一人くらいの『固定シールド』だったらどうにかなる可能性はあるが、流石に三人分の『固定シールド』をどうにかするのは難しいからな」

「つまり、柿崎隊長が一人になってしまったが為に『変化炸裂弾』を使う隙を与えてしまったという事ですか」

「結果としちゃそうなるが、それもまた結果論だな。結局駄目だったからって即作戦が失敗だったとはならねーぞ」

 

 太刀川さんの受け売りだけどな、と出水はからからと笑う。

 

 なんだかんだ言いながらも、彼は自分の隊長をリスペクトしているのだ。

 

 太刀川は個人技も然る事ながら、隊長としての立ち回り方も充分以上に心得ている。

 

 たとえ私生活がだらしなかろうが、出水にとっては尊敬すべき隊長である事に違いはないのだ。

 

「さて、総評総評っと。まずは『柿崎隊』から行くか」

 

 出水は気を取り直し、解説から総評に移った。

 

 三上は背筋を正し、奈良坂も顔を上げる。

 

「『柿崎隊』は、奈良坂が言ったみてーに判断の遅れが悔やまれるな。どうせ隊を別けるなら、最初から別けるべきだった。合流優先の戦術が悪いとは言わねーが、それだけだと限界があるからなー」

「一つの戦術に拘る事なく、様々な戦術を逐次選べるようになれば、『柿崎隊』は上に上がれるだけの地力はある。もう少し、視野を広く持つべきだろうな」

 

 

 

 

「…………すまなかった。出水の言う通り、合流優先の方針を捨ててお前達を最初から先行させていれば勝てたかもしれない。俺の判断ミスだ」

 

 『柿崎隊』の作戦室で、柿崎はそう言って照屋と虎太郎に頭を下げた。

 

 そんな柿崎を見て、照屋ははぁ、と溜め息をつく。

 

「何言ってるんですか、柿崎先輩。出水先輩も、柿崎隊長の合流優先の戦術自体は否定してません。だから、簡単に捨てるだなんて言わないで下さい」

「そうですよ。それに、今回で新しい戦術も開拓出来たじゃないですか。『ダミービーコン』を使った奇襲も、柿崎先輩が合流優先の戦術を捨てなかったからこそ出来た事なんです。あの調子で、どんどん選択肢を増やしていきましょうよ」

「合流したと見せかけて一人別れて背後から奇襲するとか、そう思わせておいて三人で叩くとか、色々バリエーションはある筈です。これから、全員で色々考えていきましょう」

 

 そう言って照屋と虎太郎は今後の戦術について、あーでもないこーでもないと、様々な意見を交わし始めた。

 

 そんな二人の様子を見て、柿崎は苦笑いを浮かべる。

 

 人の成長とは、早いものだ。

 

 柿崎は心の何処かで、年下の二人を()()()()()()と強く意識するあまり、彼等に責任を負わせる事を、無意識の内に忌避していたのかもしれない。

 

 けれど、彼等は単なる雛鳥ではなく、自分の意志を持ち、分別を持った一人の人間だ。

 

 何もかもをやってあげていては、若者の成長は望めない。

 

 互いの意見を交わし、重荷があれば負担を分散し、無理のない成長を促す。

 

 それが、自分達の本当のあるべき姿だった。

 

 柿崎は過去の経験から、他人に重荷を背負わせる事を恐れ過ぎていた。

 

 だが、彼等ならば共に重荷を背負い前に進む事が出来る。

 

 意見を交わし合う二人を見ながら、柿崎はそう強く感じていた。

 

 

 

 

「次は『荒船隊』だなー。作戦としちゃ悪くなかったが、七海の機転で上を行かれちまった感じだよな」

 

 出水は『荒船隊』の総評に移り、そう所見を述べた。

 

 それに対し、奈良坂がいや、と反論する。

 

「それもあるが、個人的に言わせて貰えば七海を仕留める事に固執し過ぎた印象が強い。『鉛弾』で負わせた枷を『スコーピオン』で補填された時点で半崎と穂刈を離脱させ、那須や『柿崎隊』を狙いに行かせればまた別の結果もあった筈だ」

「そうでしょうか? 荒船隊長は、七海隊員を倒そうといつになく気持ちの籠った戦いを見せていました。そのあたりはどうお考えですか?」

「関係ないな」

 

 三上の言葉を、奈良坂はそうバッサリと言い捨てた。

 

 キョトンとする三上に対し、奈良坂は言葉を重ねる。

 

()()()()()()()()()()()()()()。前に、太刀川さんが言っていた事だ。隊長であるならば、自分の気持ちよりも隊の勝利を優先すべきだった」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とも言ってたなー。その点でいや、荒船さんは割といい線行ってたんじゃないか?」

 

 出水の指摘に、奈良坂は首を振って否定する。

 

「いや、攻撃手の頃だったならともかく、今の荒船さんの本領は狙撃手だ。狙撃手に転向した以上、純粋な攻撃手と接近戦でやり合えば不利は否めない。善戦していたのは確かだが、あの作戦は賭けの要素もまた大きかったように思う」

 

 だが、と奈良坂は表情を緩めた。

 

「作戦自体は、悪くはなかった。『荒船隊』は最初に言ったように有利不利が極端なコンセプトチームだが、自分達との相性が最悪な七海に対し具体的な対策を以て臨んだ事は評価すべきだろう」

「へー、奈良坂、色々厳しい事言ってたけど、なんかかんだで荒船さんの事認めてるじゃねーか」

「さっきのは俺の所感だ。言った筈だ、()()()()()()()()()()()、と。確かに博打要素の強い戦法だったが、評価すべき所があるのは事実だからな」

 

 奈良坂はそれに、と付け加えた。

 

「聞いた話では、荒船さんはレイジさんと同じ『完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)』を目指しているという事だ。本当にそれが実現するのなら、『荒船隊』の戦術は更なる進化を遂げる筈だ。そういう意味でも、注目のチームと言えるだろう」

 

 

 

 

「ハッ、言ってくれるじゃねえか。上等だよ」

 

 『荒船隊』の作戦室で、奈良坂の総評を聞いていた荒船は不敵な笑みを浮かべて見せた。

 

 その顔に、敗北の悲嘆は欠片も見られない。

 

 あるのは、上を目指すという、確固たる決意だけだ。

 

「今回は、俺の我儘に付き合わせて悪かったな────だが、約束する。俺は『完璧万能手』になって、お前達をB級上位へ、いや、A級まで連れて行く」

「期待しているぞ、荒船」

「はいっ、隊長ならきっと出来るっす……っ!」

 

 荒船の宣言に、穂刈と半崎は晴れやかな顔でそう答えた。

 

 そんな二人を眩し気に見詰めながら、荒船は笑みを深くした。

 

「その暁にゃあ、お前等を『完璧万能手』に育ててみるのも悪くねえかもな。そん時ゃ覚悟しとけよ」

「藪蛇だったか、これは」

「でも、それはそれで面白そうっすね」

 

 『荒船隊』の三人は、そう言って笑い合った。

 

 そんな三人を、『荒船隊』のオペレーターである加賀美は笑みを浮かべて見守っていた。

 

 

 

 

「『那須隊』は、今回も大暴れだったなー。七海の奴が『鉛弾』撃ち込まれた時はどうなる事かと思ったが、結果としちゃROUND1に引き続き完全勝利を決めたんだから大したモンだよ」

「そうだな。作戦も上手く嵌っていたし、レベルの高い試合運びだったと言えるだろう」

 

 総評は遂に、完全勝利を決めた『那須隊』へと移る。

 

 出水も奈良坂も、笑みを浮かべながら『那須隊』を讃えた。

 

「七海は荒船さんの対策を機転で乗り切って、心理誘導まで仕掛けて『荒船隊』を全滅に追い込んだからなー。本当に、我が弟子ながらえげつねえったらありゃしねえ」

「戦上手、とは彼のような者の事を言うのだろうな。俺から見ても、七海の対応は完璧に近い。自分の役割を完璧に心得ている、そういう動きだ」

「そういう意味じゃ、日浦ちゃんも中々のモンだったんじゃねーの?」

 

 出水は七海を褒める傍ら、奈良坂が茜を褒めたがっている事を察し、露骨な話題振りを行った。

 

 彼自身、弟子の七海を公的な場で褒めるのは大変気分が良かったので、気持ちは充分分かるのだ。

 

 その配慮を察したのかは分からないが、奈良坂は常ならぬ饒舌さで話を始めた。

 

「そうだな。日浦は己の役割をしっかりと理解し、無理のない立ち回りを行っていた。自分の強みを活かし、部隊全体に貢献を果たす。狙撃手として、模範的な立ち回りであったと言っても過言じゃない」

 

 奈良坂は知らず頬を緩めながら、茜への称賛を続ける。

 

「基本は、全ての動きに通じるものだ。日浦は基礎の鍛錬を怠らず、結果として狙撃手として理想的な立ち回りが出来るようになった。チームで求められた己の役目を果たし、部隊の援護を十全に務める。今後も鍛錬を怠らず、更に精進して欲しいと思っている」

 

 

 

 

「聞きましたっ!? 聞きましたっ!? 奈良坂先輩が、私の事あんなに褒めてくれてますよお~……っ!」

 

 『那須隊』作戦室で奈良坂の称賛の言葉を聞いた茜は、小躍りせんばかりに喜んでいた。

 

 そんな彼女を、『那須隊』の面々は暖かく見守っている。

 

 解説中の奈良坂のべた褒め具合を聞けば、更に狂喜乱舞するであろう事は間違いない。

 

「私、これからも頑張りますっ! 師匠の弟子として恥ずかしくない狙撃手になれるよう、精進しますっ!」

 

 

 

 

「あと、熊谷さんも上手い事やったなー。彼女が単騎で狙撃手狩りに行くとか、前期までじゃ考えられなかったもんなー」

「そうだな。前期までの熊谷は、那須の護衛に付かざるを得なかった。七海の加入で那須の護衛をしなくて良くなった分、動きに自由度が出て来たという事だ」

 

 熊谷は彼等の言う通り、前期までは那須の護衛として立ち回る他なく、結果として動きに多大な制限がかかっていた。

 

 だが、七海の加入で護衛の必要性がなくなった事で、熊谷を単独で動かすという選択肢も出て来たのだ。

 

 この点は、臨機応変な対応が求められるランク戦では明確なプラス要素と言えるだろう。

 

「那須さんも、前より伸び伸び動けるようになった感じだもんなー。七海が加入するだけで此処まで化けるとか、ホント恐れ入ったよ」

「それだけ、七海の加入は『那須隊』にとって大きな転機だったという事だ。現に、ROUND1と違って那須は七海と合流せずとも充分な働きが出来ていたしな」

「そうだなー。結局、最後まで合流しなかったもんな」

 

 けど、と出水は他の誰にも分からないように、一人怪訝な顔をした。

 

(合流する必要がなかったって言うより、まるで()()()()()()()()()()みたいに見えたんだよなー。気の所為か、もしくは……)

 

 

 

 

(…………結局、この判断は間違っていなかったんでしょうか……)

 

 『那須隊』の作戦室で、小夜子は一人俯いていた。

 

 この試合、那須に七海と合流せずに柿崎を仕留めるよう進言したのは、他ならぬ小夜子である。

 

『照屋さんの居場所が掴めたら、『合成弾』で柿崎隊長を狙って下さい。七海先輩は少なからず負傷しているようですから、此処は安全策で行きましょう』

 

 小夜子はあの時、こう言って那須に七海と合流前に試合を終わらせるよう促した。

 

 嘘を言っているワケではないが、小夜子の真意は他にあった。

 

 ────眼の前で七海くんの腕を吹き飛ばされでもしたら、彼女…………冷静でいられるかしら?────

 

 それは、ROUND1の後、小夜子が加古から告げられた()()

 

 小夜子は、この言葉が脳裏から消えず、結果として那須と七海が合流しないよう取り計らった。

 

 今日の試合で、七海は片脚を失い、それを『スコーピオン』で補填していた。

 

 部位欠損の瞬間を目にしたワケではないが、その姿は少なからず那須の心的外傷(トラウマ)を刺激する可能性があった。

 

 だからこそ、小夜子はリスクを嫌って那須と七海を合流させなかったのだ。

 

(いずれ出て来る問題なら、無理に眼を背けるような真似は…………でも、一体どうするのが正解なの……?)

 

 小夜子は一人自問し、煩悶する。

 

 答えは未だ、出そうにはなかった。

 

 

 

 

「ともあれ、『那須隊』がその強みを十全に見せつけた結果となった。そして、これは……」

「はい、これで『那須隊』はB級上位入りが確定しました」

 

 奈良坂の言葉を、三上がそう補足する。

 

 三上は画面を操作し、各隊の順位を表示する。

 

「今回のROUND2の結果により、『那須隊』は8Pt獲得によりランク戦のポイントは18Ptとなりました。その結果順位が繰り上がり、一気にB級5位まで上り詰めた事になります」

 

 その結果、『香取隊』が中位落ちとなりました、と三上は付け加えた。

 

「そして今、ROUND2夜の部の結果により、ROUND3の組み合わせも決定しました」

 

 そして三上は画面に四つの隊の名前を表示し、告げる。

 

「次回のB級ランク戦ROUND3の『那須隊』の対戦相手は、『二宮隊』『東隊』『影浦隊』の3チーム。4チームによる、四つ巴の対戦となります」

 

 B級一位部隊、『二宮隊』

 

 B級二位部隊、『影浦隊』

 

 そのトップ2チームにベテラン狙撃手東春秋が率いる『東隊』を加えた、合計3チーム。

 

 それが、次なる『那須隊』の対戦相手だった。



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Concern

「二宮さーん、次の対戦相手決まりましたよー」

「知ってる。いちいち騒ぐな」

 

 B級一位部隊、『二宮隊』作戦室。

 

 そこでソファーに座る『二宮隊』隊長、二宮匡貴(にのみやまさたか)は笑顔で話しかけて来た隊の銃手、犬飼澄晴(いぬかいすみはる)に素っ気なく応じた。

 

 機嫌が悪いのかと思う程の塩対応だが、彼は常時こんな感じなので犬飼も気にした素振りは全くない。

 

 そも、姉二人によってコミュ力を徹底的に鍛えられた犬飼はこれくらいでは動じない。

 

 常日頃から鉄面皮を崩さない隊長に対し、変わらない笑顔を張り付けたまま話しかけ続ける。

 

「しっかし、『那須隊』がまさか上位に上がって来るとは驚きですよねー。前期までは、中位の中でも下の方の順位だったのに」

「七海が加入したのなら、当然の結果だ。中位の連中では、あいつの相手は荷が重いだろう」

「あれ? 隊長って七海くんの事知ってるんですか?」

 

 意外な二宮の言葉に、犬飼はキョトンとした顔をする。

 

 才能ある奴が好きで雑魚と見做した相手には塩対応を徹底する二宮にしては、七海に対する評価は予想外に高い。

 

 何処かで彼の事を知らなければ、出て来ないであろう言葉だ。

 

「話した事はない。だが、太刀川との個人戦なら見た事がある」

「そういや、太刀川さんや出水に師事してるんでしたっけか。確か、カゲや村上とも仲が良かった筈ですよね」

「動きは、悪くはなかった。回避を重視にした立ち回りは、攪乱にはうってつけだろう」

 

 犬飼の話は完スルーしつつ、二宮は七海の評価を語り出す。

 

 これもまたいつもの事なので、犬飼は聞き役に徹し始めた。

 

「あの機動力はヤバイっすもんねー。あんなに跳び回られちゃ、撃っても当てるの難しそうですねー。そういえば、攻撃を察知するサイドエフェクトも持ってるんですよね」

「そうらしいな。だが今日の試合を見る限り、完璧に察知出来るというワケでもない事は分かった。やりようによっては、どうとでもなる」

「でも、厄介なのは変わりないですよねー。今までの二試合も、七海くんに攪乱された隙をチームメイトが的確に突いてますし。戦術も完成度も高いですよね」

 

 犬飼は自分なりに分析した『那須隊』の戦術をそう評価し、二宮の反応を待つ。

 

 対する二宮の反応は、舌打ちだった。

 

「あいつ等がこれまで圧勝出来たのは、相手チームの弱点を徹底的に突いたからだ。相手の弱みを突いて、相手のペースを徹底的に崩す。今の『那須隊』の戦術の要はそこにある。そんなもの、致命的な弱みを抱えているチーム相手にしか通用しない」

「確かに、来馬先輩を狙い続けたり、荒船さんを煽って一騎打ちに持ち込んだり、えげつない戦法取り続けてますもんねー」

 

 二宮の『那須隊』評に、犬飼はそう感想を述べる。

 

 この場合、()()()()()は勿論誉め言葉だ。

 

 犬飼は七海の容赦のないクレバーな戦術スタンスを、隊のバランサーを務める者として高く評価していた。

 

 二宮はその点はそこまで評価していないようだったが、七海のクレバーさは戦場では優れた素質だ。

 

 支援を得意とする銃手の立場からして見ても、七海の立ち回りはチームに欲しい、と思うくらいには優秀と言えた。

 

(ま、思うだけだけどねー。多分二宮さん、()()()は絶対入れないだろうし)

 

 もっとも、それを実行に移す気があるかどうかは別の話だ。

 

 二宮は今でも、かつてこの隊に所属していた狙撃手、鳩原未来(はとはらみらい)の事に拘り続けている。

 

 恐らく、今でも機会があれば鳩原を()()()()()()と思っているに違いない。

 

 隊室に鳩原の私物を纏めたダンボールが残り続けているのも、その証左だ。

 

 『二宮隊』の四人目は、鳩原未来。

 

 これは二宮の中では、変えようがない事実としてあるのだろう。

 

 狙撃手がいない不便さを差し引いてでも、そこは譲れない一線であるらしかった。

 

(それこそ、こういうトコは二宮さんが言う()()に当たるんだろうけど。ま、わざわざ口に出す事じゃないよね)

 

 二宮は一見理性的な人間に見えるが、その実かなり感情を優先する人物である。

 

 口を開けばぶっきらぼうで容赦のない言葉や罵詈雑言が出るのがデフォルトではあるが、決して冷たい人間ではない。

 

 むしろ、隊の中で最も感情的な人間こそ二宮なのだ。

 

 もしもこの事を知られたら、七海であらば間違いなくその弱みを突くだろう。

 

 これまで七海と碌に交流を持った事がない事が、幸いと言えた。

 

「…………フン、それに回避が上手くても回避が出来ない弾幕を張れば叩き潰せる。俺達の敵じゃないな」

 

 そんな犬飼の内心を察したのか、二宮は眉間に皺を寄せながらそう告げた。

 

 言っている事は強がりにも思えるが、その言葉を現実に出来てしまうのがこの二宮匡貴という男である。

 

 実際、彼が力押しでゴリ押せば勝てない相手はまずいない。

 

 それだけ、彼の『ボーダー』トップクラスのトリオン量から放たれる弾幕は驚異的と言えた。

 

(けど、戦術だなんだ言ってるけど、結局ゴリ押しが好きなんだよなー、二宮さんは)

 

 『旧東隊』で戦術の薫陶を受けた二宮だが、彼が好む戦法は単純明快な()()()である。

 

 脳筋というワケではなく、単に()()()()()()()()()()()()()というだけだ。

 

 二宮の地力があれば小賢しい策を用いるよりも、彼の力を正面からぶつけた方が手っ取り早く、そして強い。

 

 とある事情でB級に降格させられているが、その実力はA級のまま。

 

 B級一位部隊、『二宮隊』は今日もまた、平常運転だった。

 

 

 

 

「七海先輩やっばいなー。案の定上位まで上がって来たし、やっぱ凄えわ」

「確か、狙撃も不意打ちも効かないんだっけか。確かにそりゃ厄介だな」

 

 所変わって『東隊』作戦室、隊の攻撃手である小荒井登(こあらいのぼる)奥寺常幸(おくでらつねゆき)は顔を突き合わせてうんうんと唸っていた。

 

 彼等が見ているのは『那須隊』のROUND1とROUND2の映像であり、そこでの七海の立ち回りが克明に映し出されていた。

 

「結局、七海先輩のサイドエフェクトってどういうものなんですか? 東さん」

「呼び方は、『感知痛覚体質』。文字通り、()()()()()()()()()をレーダーのように探知出来るサイドエフェクトだ」

 

 奥寺の質問に、東は丁寧に答える。

 

 二人が聞き役になった事を察し、東は七海のサイドエフェクトについての講釈を開始した。

 

「魚の位置を表示する魚群探知機のように、どこにいればダメージを受けるのかっていう事が感覚的に分かるらしい。狙撃も引き金を引いた時点で察知されるし、不意打ちも実行した瞬間に察知される。狙撃も不意打ちも効かないってのはそういう意味だ」

「うわ、聞けば聞く程ヤバイじゃないっすか。狙撃が効かないとか、うちの隊の天敵ですよね?」

 

 七海のサイドエフェクトの詳細を知り、小荒井があからさまに顔を顰める。

 

 なまじ狙撃特化チームの『荒船隊』が完敗した所を見たばかりなだけに、狙撃手である東を中心に構築された現『東隊』の不利を悟ってしまったのだ。

 

「いや、そうでもないぞ。七海のサイドエフェクトは完璧じゃないし、七海自身にも弱点はある」

「弱点、ですか」

 

 ああ、と東は表情を変えず、答えた。

 

「七海は確かにほぼ全ての攻撃を察知出来るが、荒船が使った『鉛弾』みたいな例外がないワケじゃないし、幾つか抜け道もある。戦術をきちんと組み立てる必要はあるが、決して勝てない相手じゃない」

 

 ちょっと考えてみてくれ、と東は小荒井と奥寺に七海の攻略法について思案するよう促した。

 

 すると奥寺と小荒井はあーでもないこーでもないと頭を捻り始め、東はそれを穏やかな表情で見守っている。

 

 その様子はチームメイトのそれというよりも生徒を見守る教師のようでいて、二人が意見を交わすのを眺めながら東は来るべき戦いに想いを馳せた。

 

(悪いが、容赦はしない。お前の()()を自覚させるには、実戦でやるのが手っ取り早いからな)

 

 『始まりの狙撃手』は獲物を見定め、戦術という名の弾丸を装填する。

 

 その弾丸が放たれる日は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

「おー、七海の奴も遂に上位入りかー。嬉しいだろー、カゲ」

「チッ、うるせえよ」

 

 『影浦隊』の作戦室で、オペレーターの仁礼は影浦にそんな調子で茶々を入れ、影浦は舌打ちしつつそう吐き捨てた。

 

 しかしその頬は僅かに綻んでおり、彼が上機嫌である事は付き合いの長い者には分かる。

 

 だからこそ、仁礼も遠慮なくこうして口出ししているワケだ。

 

「なんだよ嬉しい癖によー、おめーもそう思うだろ? ユズル」

「そうだね。なんだかんだ、楽しみではあるかな」

 

 仁礼の唐突な話題振りに、ユズルは珍しく笑みを浮かべて答えた。

 

 『影浦隊』と七海の親交は深く、七海自身もこの作戦室や影浦の実家には度々お邪魔していた。

 

 その為人見知りする傾向のあるユズルとも仲良くなっており、ゾエや仁礼は言わずもがなだ。

 

「でも、ホントに早かったねー。ROUND2でもう上位に上がるとか、流石に予想外だったよ」

「別にそうでもないんじゃない? 七海くんの力なら、むしろこれくらいは当然だよ」

 

 ほんわかした表情のまま呟くゾエの言葉に、ユズルはやんわりとそう言って否を告げた。

 

 『影浦隊』の面々は七海の実力を高く評価しており、遅かれ早かれ彼等が上位に上がって来る事は予想していた。

 

 ゾエが驚いて見せたのも、あくまでポーズだ。

 

 彼ならば、やれるだろう。

 

 それが、『影浦隊』の共通の認識だった。

 

「…………けど、東のおっさんや二宮もいんのか。チッ、嫌な予感がしやがるぜ……」

 

 だから、影浦が案ずる事はただ一つ。

 

 念願の七海との直接対決に、()()が入る可能性だ。

 

 乱戦となれば七海や影浦の独壇場ではあるのだが、今回は相手が相手である。

 

 豊富なトリオン量にあかせた凄まじい弾幕の雨を放ってくる射手、二宮匡貴。

 

 ベテラン故の経験と機知に富んだ立ち回りで隙のない動きを見せる狙撃手、東春秋。

 

 ROUND3では、『影浦隊』の他にこの二人が率いるチームが参戦している。

 

 有り体に言って、良い予感は全くしなかった。

 

「それに、いや……」

 

 影浦はそこで言葉を連ねようとして、止めた。

 

 ()()ばかりは自分がどうこう言っても詮無き事であるし、何よりそれは七海本人の問題だった。

 

 幾ら師匠だからと言って、迂闊に踏み込んで良い問題とそうでないものの区別くらいは付けるべきだ。

 

 影浦はそう考えて、余計な口出しは思い留まったのだった。

 

(チッ、うだうだ考えるのは止めだ。どちらにしろ、直接ぶつかればハッキリすんだろ)

 

 考えるのが面倒になった影浦は、そう思ってそれまでの思案を投げ捨てた。

 

 元々、自分はデリケートな問題を扱うのは苦手だし、七海の周りには頼れる相手は山ほどいる。

 

 わざわざ自分がやらなくても、誰かがお節介を焼くだろう。

 

 そう考えて、影浦はソファーに座り直した。

 

 

 

 

「…………そう。貴方はそういう選択をするのね、小夜子ちゃん」

 

 加古はROUND2の試合映像を見て、小夜子の意図を正確に察しそう呟いた。

 

 彼女の()()も分かるし、そもそもそれを小夜子に自覚させたのは他ならぬ加古本人だ。

 

 だが、加古は小夜子が選んだ()()を、険しい顔で受け止めた。

 

「確かに、B級上位に上がればこれまでのように点を荒稼ぎする事は難しくなる。だから、今回は問題を棚上げして点稼ぎに徹する事は間違いじゃない」

 

 けど、と加古は自分の懸念を、告げる。

 

「────次の試合には、東さんがいるのよ。東さんが彼の弱みを突かないってのは、悪いけど想像出来ないわね」

 

 

 

 

「ふー、終わった終わった。中々見応えのある試合だったなー」

「それに関しては否定しない。良い試合だった」

 

 ROUND2の解説を終え、帰路に着いた出水と奈良坂は共に本部の廊下を歩いていた。

 

 二人共向かう先は隊室であり、方向もそう変わらない為こうしてお喋りをしながら進んでいる。

 

 もっとも、奈良坂は基本的に自分からはあまり話そうとしないので、出水が話題提供を行っていたのだが。

 

「お、弾バカに奈良坂じゃねーか。解説聞いてたぜー」

 

 陽気な声でそんな二人に話しかけたのは、奈良坂と同じ『三輪隊』に所属する攻撃手、米屋陽介(よねやようすけ)

 

 米屋は親し気に手を振りながら、二人に絡み始めた。

 

「誰が弾バカだ、槍バカ」

「お前以外にいねーだろーがよ。それはともかく奈良坂、随分日浦ちゃんの事褒めてたじゃねーか。なんだかんだ弟子は可愛かったんだなー、お前」

「別に褒めたつもりはない。客観的な視点で評価をしただけだ」

 

 米屋のからかいに奈良坂は仏頂面でそう応じるが、その声は微妙に上擦っている。

 

 そんな彼の珍しい様子に、米屋は更に笑みを深くした。

 

「日浦ちゃん可愛いもんなー。お前の気持ちも分かるぜー」

「だから、そういうのじゃないと言っている。俺はあくまで、解説として然るべき仕事をしただけだ」

 

 解説の時の意外な程の饒舌ぶりは棚に上げ、奈良坂はむすっとしながらそう答える。

 

 とは言うものの、あの解説では奈良坂の日浦への可愛がり具合が一目瞭然であった。

 

 普段あまり喋らない奈良坂にしては妙に饒舌であったし、茜の事を評価する時も彼にしては有り得ないくらい気合いが入っていた。

 

 あれで()()()()()()と言うのは、中々に苦しいものがある。

 

「そういや、七海はお前の弟子だったよな」

 

 ひとしきり奈良坂をからかい終えた後、米屋は唐突に出水にそう話しかけた。

 

 いきなり話題を振られた出水はキョトンとした顔をしながら、米屋に尋ね返す。

 

「そうだが、それがどうかしたか?」

「お前さんの眼から見てどーよ。あいつは、B級上位でも通用すっか?」

「あいつが、B級上位でか」

 

 出水は米屋の予想外の質問にしばし頭を巡らせ、ゆっくりと告げる。

 

「…………少し厳しい、だろーな。対戦相手に二宮さんがいるってのもあるけど、何より東さんがいるのがやべえ」

 

 少なくとも、と出水は付け加えた。

 

「東さんが、七海の()()に気付いてねーとは思えねーんだよな。あの人、七海と同じで実戦だと容赦ないし」

 

 ROUND1の時、解説だった東は七海が、『那須隊』が取った戦術を的確に分析し、解説して見せた。

 

 それは裏を返せば『那須隊』の戦術の性質や弱みは理解しているという事であり、東の性格を考えても弱みを突かない、とはどうしても思えなかった。

 

「多分、次のROUNDで色々変わるぞ。良い意味でも、悪い意味でもな」

 

 出水はそう締め括り、米屋はふーん、と気のない様子で返事を告げる。

 

 彼の言葉が正しいかどうか分かるのは、まだ分からない。

 

 しかし確実に、その時は近付いていた。




 【痛みを識るもの】カバー裏風紹介

【ならさか】

『うちの子可愛い』

 師匠馬鹿一号。

 ROUND1で活躍する茜を見て居ても立ってもいられず、公的な場で「うちの子可愛い」がやりたいが為に解説を引き受けた。

 茜の解説だけ妙に饒舌だったのもその為で、茜の事を語り出すと割と止まらない。

 性格上正面から褒める事は不向きな為、人伝に今回の話が伝われば充分だと思っている。

 なんだかんだ弟子には甘いきのこヘアーの持ち主。

【あかね】

『子犬系狙撃手』

 本作で才能を開花させた中学生狙撃手。

 苦手な『イーグレット』や『アイビス』を扱う事を半ば放棄し、【ライトニング】一本の練度を高めた成長する狙撃手。

 その成長ぶりは師匠の奈良坂もほくほく顔で、皆もたくさん褒めてくれる為最近は割と毎日幸せ。

 転校フラグが立っていた気もするが、それを全力で過去形にする為現在奮闘中。

 【くま】

 『世話焼き姉御肌』

 隊の人間関係に日々苦悩する悩める攻撃手。

 七海加入で活躍の場は減ったものの求められる役割は悪くないと思っている為、那須と七海の関係に常に苦慮しながらなんだかんだで楽しくやっている。

 この世界線では迅さんのセクハラの被害は受けていない。

 理由は察して知るべし。

 【さよこ】

 『恋する引き籠り』

 かつて引き籠って塩昆布と水だけの生活を送っていたが、七海の存在を機に徐々に変わり始めている。

 引き籠りだが技術力は高く、非常に高いレベルで情報処理と献策を行っている。

 依然として引き籠りなのは変わっていないが、本人はそれでもいいと思っている。

 現在七海に片思い中。

 片思いのままこの想いは墓まで持っていくつもりであったが、加古の干渉によって揺らいでいる。

 ある意味今後のキーパーソンに成り得る重要キャラ。

 今ではカレーの作り置きが好物。


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Bad feeling

「へー、七海達今回も8得点か。やるじゃない」

 

 『ボーダー』玉狛支部、生活感溢れるその場所で小南はソファーで寛ぎながらROUND2の結果を見て感心した声を漏らした。

 

 彼女達の属するチーム、『玉狛第一』は使用トリガーの規格が違う為ランク戦は参加しておらず、玉狛の掲げる方針的にも本部からは距離を取っていた。

 

 しかし本部でのランク戦のデータ等は普通に見る事が出来る為、こうして気に懸けている七海の試合を見ていたワケである。

 

「今の『那須隊』の地力なら中位相手ならそうなってもなんら不思議じゃない。それだけ、七海がチームに齎した影響は大きなものだ」

「そうっすね。七海は良くやれてると思います」

 

 レイジと烏丸も、七海の戦果をそう評価する。

 

 彼等『玉狛支部』は旧『ボーダー』のメンバーが中核になっており、七海の姉である玲奈との親交も深かった。

 

 この支部で旧『ボーダー』所属ではないのは烏丸とオペレーターの宇佐美くらいであり、小南、迅、レイジ、そして支部長の林道や今スカウトに行っている二人は最初期から『ボーダー』にいる古株だ。

 

 その為玲奈の弟である七海には何かと目をかけており、比較的良好な関係を築いている。

 

 トリガーの調整や模擬戦の相手等、出来る事があれば積極的に協力している。

 

 特に最古参の攻撃手である小南との模擬戦は得るものも多い為、七海がこの支部に来ると大概彼女との模擬戦があるのが常だ。

 

 小南も口ではなんだかんだ言いながら七海との模擬戦は楽しんでいるらしく、ランク戦が始まってから七海が支部に来ない事に対し、ちょくちょく文句を漏らしていた。

 

 しかし気に懸けているのは事実であり、七海達『那須隊』がROUND1で大勝した時もまた、諸手を挙げて喜んでいた。

 

 そういった感情表現に素直なのもまた、小南の美点であった。

 

「だが、B級上位となればこれまでのようには行かないだろう。特に、次のROUND3では東さんと二宮がいる」

「二宮はともかく、東さんは狙撃手でしょ? 七海に狙撃は効かないんだから、そこまで心配する程の事?」

「相手は東さんだ。他の狙撃手と同一で考えない方が良い」

 

 小南の言葉をレイジはそう言って諭し、淡々と話を続ける。

 

「東さんは、とにかく戦術の組み立てが上手い上に個人技能も群を抜いて高い。東さんがその戦術指揮能力をフルに活用した結果が、二宮達が所属していた『旧東隊』のA級一位という戦績だ」

「そういや、そうだったわね。でも、戦術なら七海達だって大したものじゃない。これまでだって、完封試合をして来たワケだし」

「確かに、七海達の戦術も充分評価出来る代物だ。だが、東さんの戦術のレベルが相手じゃ流石に分が悪い」

 

 そもそも、とレイジは続けた。

 

「東さんは、豊富な戦闘経験とそれに裏打ちされた確かな戦術眼がある。たとえ狙撃が通じない七海相手でも、攻略法を用意して来る筈だ。七海には、明確な()()もある事だしな」

「弱み……?」

「お前も気付いている筈だ。七海は、ある事柄が絡むと正常な判断能力を喪失する。いや、頑固に、意地になると言った方が正しいか」

 

 レイジの言葉に小南は「あ……」と何かに気付いたように目を見開き、頭を抱えた。

 

「あー、そうだったわね。あの子、そういうトコばっか玲奈さんに似てるんだから……」

「恐らく、東さんはROUND3ではそこを突いて来るだろう。相手の弱点を突く事でその改善を促すのが、東さんのやり方だ。次の試合で、あいつは禊を受ける事になるだろう」

 

 そう話すととレイジは何処か遠くを見据え、告げる。

 

「どちらにせよ、厳しい試合になりそうだ」

 

 

 

 

「次の試合の相手は『東隊』、『二宮隊』、『影浦隊』が相手か……」

 

 ROUND2終了後の『那須隊』作戦室で、七海達は顔を突き合わせて難しい顔をしていた。

 

 ROUND2ではROUND1と同様8得点という大量得点を獲得し、『那須隊』は初めてB級上位に足を踏み入れた。

 

 だが、よりにもよってその矢先の対戦相手が、B級一位部隊『二宮隊』を含むB級の中でもトップランクのチームである。

 

 予想くらいは、していた。

 

 いつかは当たるものだと、覚悟していた。

 

 だが、こんなに早くその時が訪れるとは、思ってはいなかった。

 

 『二宮隊』の試合ログは、見ている。

 

 圧倒的なトリオン能力から放たれる弾幕の雨は、七海と言えども掻い潜るのは難しいだろう。

 

 脇を固める犬飼、辻もマスタークラスの実力者であるし、正面から当たるのは下策。

 

 選ばれたMAPにも寄るが、基本的に二宮との1対1での戦闘は避けるしかない。

 

 他の援護が望めない状況で二宮とタイマンになれば、その時点でほぼ()()だ。

 

 幾ら七海がサイドエフェクトで攻撃を掻い潜れると言っても、避ける隙間がそもそもなければどうしようもない。

 

 そういった意味で、非常に厄介な相手と言えた。

 

「カゲさんの所と、俺が……」

 

 しかし、それ以上に七海の心を揺さぶっていたのは、早くも影浦との戦いの機会がやって来た事である。

 

 自分にサイドエフェクトを用いた戦い方を叩き込み、今の七海の戦法の基礎を作ってくれたのは間違いなく影浦だ。

 

 それ以外にも影浦は自分の事を何かと気に懸けてくれており、七海にとっては気の良い兄のような存在であった。

 

 その影浦と、直接対決する。

 

 それは、このランク戦を行っていく中で、一つの目標ですらあった。

 

 その目標が予想外に早く達成されそうな事に、困惑を覚えているのは確かだった。

 

「七海からしてみれば、念願の対決よね。どう? 緊張する?」

 

 熊谷が笑顔でそう問いかけると、七海はそうだな、と思案した。

 

「…………緊張していない、と言えば嘘になる。まさか、こんなに早く機会が来るとは思っていなかったからな」

「そうね。此処まで早く上位に上がれたのは、嬉しい誤算だわ」

 

 那須もまた、笑顔でそう話す。

 

 彼女はROUND1に続く大勝を経て、すっかりご機嫌な様子だった。

 

 前期までは中位の中で燻り続けていただけに、この大戦果が素直に嬉しいのだろう。

 

 那須は見た目は淑やかなお嬢様に見えるが、その実趣味と聞かれると「トリオン体での運動」と答え、「相手を蜂の巣にするのは楽しい」と普通に宣う、色んな意味で『ボーダー』女子らしい少女だった。

 

 こう見えて中々好戦的なのが那須であり、体調の問題がある為あまり個人ランク戦には顔を出せないのだが、今回は二試合共思う存分暴れ回る事が出来た為、そういう意味でも那須は機嫌が良かった。

 

「…………でも、次はきちんと玲一と合流して戦いたい(暴れたい)わね。ROUND1での共闘は、楽しかったし」

「そうだな。俺と那須が合流出来れば、戦術的にも強力なのは確かだ。次の試合でも、合流を目指して動くべきだろう」

「そうね。そうした方が強いのだから、合流しない理由はないわ」

 

 やけに合流を強調する那須は、どうやらROUND2で結局七海と合流して戦えなかった事が少々不満だったようだ。

 

 那須はROUND1で七海と組んで相手を翻弄するあのフォーメーションが思いの他気に入ってしまった様子で、実を言うとROUND2でも七海が『鉛弾』を撃ち込まれるまではその方針を崩そうとはしなかった。

 

 しかし七海が荒船に『鉛弾』を撃ち込まれ、機動力が低下してしまった事でROUND1の時のような乱戦のコントロールは難しいと考えた小夜子によって方針転換が提案され、七海の同意もあった事で渋々那須がそれに承諾した形となった。

 

 先程から那須が小夜子に微妙に恨みがましい視線を向けているのは、気の所為ではないだろう。

 

「玲、アンタが七海と合流したかったのは分かったから、あんまし小夜子をいじめないでよね。あの時は小夜子の判断が正しかったんだから、仕方ないでしょ」

「もう、分かってるわよ。ごめんね、小夜ちゃん」

「いえ、気持ちは分かりますので……」

 

 その事に気付いた熊谷に窘められ、那須はばつが悪そうな顔で小夜子に謝罪する。

 

 小夜子は少々難しい顔をしながらも、その謝罪を受け入れた。

 

 那須の態度が、気に障ったのではない。

 

 単に、那須と七海を合流させなかった判断について、未だに煩悶しているのだ。

 

(…………駄目だな、私。どうしても、加古さんのあの言葉が頭から離れない。でも、今回のような事がない限りは二人を合流させるのがベストなのは事実だし……)

 

 今回、那須が七海との合流を断念したのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という明確な理由あってのものだ。

 

 七海はそのサイドエフェクトや戦い方の都合上、被弾する事自体が珍しい。

 

 事実、地形戦を仕掛けて完全に相手を策に嵌めたROUND1では、ノーダメージで切り抜けている。

 

 ROUND2も荒船が『鉛弾』という隠し玉を使って来なければ、無傷で突破した可能性が高い。

 

 更に言えば、今回はステージが広大であった事に加え、那須と七海の転送位置がかなり離れていた事も、要因の一つである。

 

 逆に言えば、そういった理由なしで那須を説得するのは難しい。

 

 那須と七海が組んでの機動戦こそ、今の『那須隊』の最強の戦術であるからだ。

 

 余程の理由がない限り那須は七海との合流を目指すだろうし、部隊をサポートするオペレーターもしても、理由なくそれを止める事は出来ない。

 

 だからこそ、小夜子の抱く()()()()は拭えなかった。

 

 加古の言う通り、七海の()()()()()を那須が見た場合、どういう反応をするか予測がつかないのは確かだ。

 

 那須は、過去の大規模侵攻の一件で、心に深い傷を負っている。

 

 その疵は深く、心的外傷(トラウマ)として那須の心に刻み込まれている。

 

 そのトラウマを想起するような場面を見てしまえば、どうなるか。

 

 こればかりは、小夜子としても判断のつかない所である。

 

 悩みの種は、尽きなかった。

 

「さ、予習もいいけど遅くなる前に帰った方がいいよね。小夜子、アンタ帰りはどうすんの?」

「あ、えと、加古さんに送って貰おうかと……」

「じゃあ俺、加古さんに伝えて来るよ。志岐は此処で待ってて」

 

 七海は小夜子の話を聞くなり、そう言って加古に小夜子の送迎を頼む為に隊室を出て行った。

 

 それを見送った那須は苦笑しつつ、熊谷と茜に向き直った。

 

「じゃあ、玲一が来て小夜子を送り届けたら私達も帰りましょうか。特に用事もないしね」

「そうね」

「はい、そうですねっ!」

 

 那須の言葉に熊谷と茜の二人はそう言って頷き、世間話に花を咲かせ始めた。

 

 小夜子はそれを横目で見ながら、人知れず溜め息を吐いたのだった。

 

 

 

 

「よし、こっちだな」

 

 七海は『ボーダー』の廊下を、『加古隊』作戦室に向かって歩いていた。

 

 元々今日の小夜子の送迎は加古に前から頼んでいた事だが、加古は本日「用事があるから少し遅くなる」と話しており、今頼んで大丈夫か聞いておく必要があった。

 

 まだその「用事」とやらが終わっていなければ那須達を帰らせて小夜子と二人で待つ心づもりであったし、お世話になっているのだから直接対面して話すのが筋だとも思っている。

 

 加古が善意で自分達に良くしてくれているのだから、最低限の礼節は通したい。

 

 そう考えて、七海は足早に廊下を進んでいた。

 

「む……?」

「あ……」

 

 そこで、廊下の曲がり角から長身の男性がやって来て、目が合った。

 

 背の高い整った容姿に、威圧的な雰囲気。

 

 そしてそのスーツには、『B001』の文字。

 

 間違いない。

 

 彼こそ、B級部隊の中でトップに座する部隊の長。

 

 射手の王、二宮匡貴。

 

 それが、目の前に現れた男の名だった。

 

「お前は…………七海か」

「はい、初めまして。次の試合ではよろしくお願いします」

 

 七海はそう言って間髪入れずにお辞儀をして、それを見た二宮は若干の硬直の後、フン、と鼻を鳴らした。

 

「中位の連中相手に圧倒して良い気になってるんだろうが、俺達はお前等が今まで倒して来た連中とは違う。小細工だけでどうにかなると思っているなら、大間違いだ」

 

 挨拶して返って来たのが傲慢極まりない俺様発言だった事に、七海は一瞬キョトン、となる。

 

 しかし悪意のようなものは欠片も感じ取れない為、この男はこれがデフォルトなのだと察したのだった。

 

「それから、狙撃が効かないから東さんは怖くない、と考えているなら誤りだ。あの人は、狙撃を察知出来る程度でどうにか出来る人じゃない。油断すれば、足元を掬われるだろうな」

「は、はあ……」

「それに、影浦の実力は今更言うまでも無い筈だ。B級上位は、お前が考えている程甘い所じゃない。次のROUNDで、それが嫌でも分かる筈だ」

 

 そこまで聞いて、七海は不思議な感覚に襲われた。

 

 最初は馬鹿にされているのかと思っていたが、内容を聞くと忠告のようにも思える。

 

 二宮は言い方こそ罵詈雑言を話しているようにしか聞こえないが、その内容は七海に次の試合での注意点を根絶丁寧に教えているようにも思える。

 

 そして恐らく、二宮自身はその事に全く気付いていない。

 

 話を聞く度に、七海の中の二宮の評価がどんどん上方修正されていく。

 

 傍から聞くと馬鹿にしているようにしか思えないのに、内容をよく聞くとちゃんとした講義になっている。

 

 そんな摩訶不思議な体験をしていた最中、七海の耳に聞き慣れた声が聞こえて来た。

 

「二宮くん、後輩を捕まえて何してるのかしら? もしかして、その子を隊に勧誘したい、とか?」

「チッ……」

 

 二宮はその場に現れた第三者────加古の姿を見咎めると露骨に舌打ちをし、「じゃあな」と七海に告げるとスタスタとその場から去ってしまった。

 

 いきなりの展開に唖然とする七海に対し、加古はくすくすと笑いながら声をかける。

 

「彼、すっごい変な人でしょ? 口は物凄く悪いし常時俺様発言しかしないけど、妙なトコで面倒見が良いのよねえ。あれで気遣ってるつもりなんだから、笑えないわ」

「いえ、なんだかんだで気を遣って貰えた事は理解出来ましたし……」

「噛み砕いて理解する必要がある時点で失格よ、二宮くんの講釈はね。どうせ戦術論とかも東さんの受け売りなんだろうから、別に気にする事はないわ」

 

 加古が二宮の事を語る時、馬鹿にしているような、それでいて一定の評価はしているような、そんな複雑な感情が垣間見えた。

 

 元チームメイトだったらしいので、その時に色々あったのだろう。

 

 二人の仲が悪い事は双葉からも聴いているので、変に踏み込むべきではない。

 

 七海はそう判断し、藪蛇を突かない事とした。

 

「さて、用事は終わったからすぐに車を回すわ。悪いけど、いつもみたいに小夜子ちゃんを区域の端まで連れ出して貰えるかしら?」

「いえ、大丈夫です。毎回すみません」

「別にいいわ。好きでやってる事だしね」

 

 それに、と加古は続けた。

 

()()()()()を控えているのだもの。人の厚意は、黙って受け取っておくものよ」

「…………はい、ありがとうございます」

「よろしい」

 

 加古は「じゃあよろしくね」と言いながら踵を返し、その場から立ち去った。

 

 七海もまた小夜子を連れ出す為、来た道を戻る。

 

 様々な者達の想いが揺らめき、交錯する。

 

 運命の一戦は、間近に迫っていた。




 これにてROUND2編は終了。

 次回から、ROUND3編となります。お楽しみに


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B級ランク戦/ROUND3
Third round


「今回は基本的に合流を目指すわ。玲一は私と、くまちゃんは茜ちゃんと合流するように動きましょう」

 

 『那須隊』作戦室で、隊長の那須が皆の前でそう告げた。

 

 大方の作戦は那須邸で練って来ており、今しているのはその確認である。

 

「玲と七海が合流するのに異存はないわ。あたしと茜が合流を目指すと、ROUND2みたいに狙撃手を狩りに行く事は出来なくなるけど……」

「前回のあれで、くまちゃんの狙撃手狩りに関しては向こうも警戒してると思う。東さんは勿論、絵馬くんも一筋縄で行く相手じゃないわ」

「ま、そうだよね」

 

 言外に熊谷では実力不足だと言われているに等しいが、熊谷はそれを否定しなかった。

 

 攻撃手との斬り合いならそこそこ自信のある熊谷だが、相手が熟練の狙撃手と天才肌の狙撃手となると少々分が悪い。

 

 熊谷はトリオン能力はあまり高い方ではなく、機動力もそこまで高いワケではない。

 

 東と絵馬の相手をするのは、少々キツイものがあるだろう。

 

「それに、狙撃手狩りなら玲一がやれるわ。だからくまちゃんは無理をせず、茜ちゃんの護衛をして頂戴」

「了解。任された仕事はやり遂げるわ」

 

 那須の言葉に、熊谷は複雑な表情をしながらもそう頷いた。

 

 熊谷とて、分かっている。

 

 今回の試合、相手チームはほぼ全員が格上だ。

 

 唯一『東隊』の奥寺と小荒井は単独であればなんとか出来なくもないが、彼等はランク戦だと常に連携して動く。

 

 連携した二人の実力は、上位の攻撃手さえ食いかねない。

 

 七海も小荒井相手に個人ランク戦で10:0を決めた事はあるものの、当時はまだ小荒井はB級に上がったばかりであり、興味本位で挑んで来たのを一蹴しただけだ。

 

 あの時より確実に強くなっているだろうし、そもそも彼等の本領はその連携にある。

 

 個人技で上回っているからと言って、決して油断出来る相手ではないのだ。

 

 今回熊谷が相手をするとすれば、その小荒井・奥寺のコンビか、『二宮隊』の攻撃手、辻新之助(つじしんのすけ)だ。

 

 影浦の相手をするという選択もなくはないが、圧倒的な攻撃能力を持つ影浦に対し守備重視の熊谷はどうしたって不利になる。

 

 ()()()()()()()()くらいの気概を持てなければ、影浦には勝てない。

 

 それに、影浦の相手は七海が務める事になっている。

 

 実力や相性的にもそれが妥当であるし、何より七海本人が影浦と戦う事を強く希望している。

 

 七海にとっては、目標の一つであった影浦と大舞台で戦り合う初めての機会なのだ。

 

 その機会を奪うような無粋は、出来ればしたくなかったというのも本音である。

 

「茜ちゃんは今回も、援護に徹して貰うわ。狙撃タイミングはこっちで指示するから、その時はお願い」

 

 ただし、と那須は付け加える。

 

「影浦先輩だけは、狙撃しちゃ駄目よ。玲一と同じく、サイドエフェクトで狙撃を察知出来ちゃうから」

「はい、分かってます。問題ありませんっ!」

 

 茜の色良い返事に、那須は安堵の息を漏らす。

 

 影浦のサイドエフェクト、『感情受信体質』はその名の通り自分に向けられた相手の感情を察知する能力だ。

 

 当然、その感情の中には敵意────つまり()()()()も含まれる為、七海と同じく狙撃も不意打ちも通用しない。

 

 彼に狙撃をしたところで、当然の如く避けられて狙撃手を狩られるだけだ。

 

「影浦先輩のサイドエフェクトは、玲一のそれとかなり似てるわ。だから、強みや弱点も殆ど一緒よ。その点を考慮して動いてね」

「ええ」

「了解ですっ!」

 

 那須の確認に熊谷と茜の二人が同意し、七海もこくりと頷いた。

 

 七海と影浦のサイドエフェクトは、戦闘に用いる場合の利点や欠点は非常に似通っている。

 

 その為、七海への対策はそのまま影浦の対策に繋がる事が多い。

 

 もっとも、七海に言わせて貰えば影浦のサイドエフェクトと自分のそれとはかなりの違いがあるのだが。

 

「付け加えるなら、カゲさんは俺と違って攻撃しようか迷った段階でもそれを察知しかねないから、迂闊にカゲさんに注意を向けない方が良い。細かい所で、俺のサイドエフェクトとは違うからな」

「ええ、分かったわ。茜ちゃん、出来る?」

「はいっ、気を付けますっ!」

 

 茜は元気良くそう返答し、七海と那須はこくりと頷いた。

 

「あとは、『東隊』がどのMAPを選んで来るかね。過去のログだと、あまり凝ったMAPは選ばないみたいだけど……」

 

 

 

 

「MAPは『市街地B』。これでいいんだな?」

「はい、それで行きたいと思います」

 

 『東隊』作戦室で、東は奥寺に選択MAPを確認した。

 

 奥寺と小荒井が話し合って決めたのは、『市街地B』。

 

 高い建物と低い建物が混在し、場所によっては射線が通り難いMAPである。

 

「最初は、東さんが得意な『展示場』ステージにしようかとも思ったんですが……」

「『展示場』ステージは障害物が多くて構造が複雑な分、那須先輩や七海先輩にとっても有利なステージですからね」

 

 そう、東が得意とする『展示場』ステージは、同時に『那須隊』が得意とするステージでもある。

 

 『那須隊』は七海と那須という、三次元機動を得意とする隊員が二人いる。

 

 障害物だらけの『展示場』ステージでは、二人に縦横無尽に跳び回られてまともに戦えるかどうかも怪しい。

 

 特に、小荒井は個人戦で七海と戦った経験がある。

 

 あの三次元機動を直に体験した身からすれば、()()の多い場所で彼と戦り合うのは勘弁願いたかった。

 

「実際、前期までの『那須隊』は『河川敷』ステージと『展示場』ステージを選ぶ事が多かったからね。その懸念は間違っていないと思うよ」

 

 二人の意見を肯定したのは、『東隊』オペレーターの人見摩子(ひとみまこ)

 

 東の指導の下成長していく二人を温かく見守る、姉のような存在である。

 

 摩子に褒められた奥寺は若干頬を赤く染めるが、本当に一瞬だった為他の者が気付く様子はない。

 

 気付いたら真っ先に口に出しそうな小荒井が気付いてないのも、僥倖と言える。

 

「…………はい、ですからなるべく二人に足場を与えたくないので、『市街地』MAPを選ぶ事にしました。相手が『那須隊』だけなら、『市街地A』でも良かったんですが……」

「『二宮隊』や『影浦隊』相手に、地力勝負の『市街地A』じゃきついと思って『市街地B』の方にしたんす」

「ふむ、成る程」

 

 確かに二人の言う通り、単純に『那須隊』の対策をするだけであれば特徴のないオーソドックスなMAPである『市街地A』を選ぶ事は間違いではない。

 

 だが、今回の相手には『二宮隊』や『影浦隊』もいるのだ。

 

 完全な地力勝負になると、東はともかく奥寺と小荒井は各個撃破の可能性が出て来てしまう。

 

 彼等二人は連携すれば上位の攻撃手さえ食いかねないが、逆に言えば単独だと上位陣の相手は荷が重い。

 

 連携特化の立ち回りであるが故に、七海や那須のように単独で相手を圧倒出来るタイプではないのだ。

 

 それを考えると、地力勝負になり易い『市街地A』は危険である。

 

 二人は、そう判断を下したのだ。

 

「二人の意見は分かった。MAPの天候設定も弄れるが、それはどうする?」

「俺は別に、そのままでもいいと思うんですが……」

「でも、折角弄れるんだし弄りたいっすよねー。『那須隊』もROUND1じゃ地形戦仕掛けて圧勝してますし、俺等もなんかやりたいなーって」

 

 小荒井は以前に見たROUND1の『那須隊』の戦いを思い出しながら、そうぼやいた。

 

 それに厳しい視線を向けるのは、当然奥寺である。

 

「お前なー、やりたいからってだけで天候条件弄るのはどうなんだ? それで不利になったらどうする?」

「でもよー、今まだって中々『二宮隊』や『影浦隊』相手に良い戦績取れてないだろー? それだったらここらで一発、天候設定で仕掛けてみるのもアリじゃねえか?」

 

 慎重派の奥寺とノリ重視の小荒井の意見が、俄かに衝突する。

 

 摩子がすかさず仲裁に入ろうとするが、そこで東が口を出した。

 

「ふむ、何か考えがあるのなら弄ってみてもいいぞ。ただ、ちゃんと理由は考えろよ」

「はいっ!」

「ったく、ちゃんとした理由はあるんだろうな?」

 

 東の言葉に我が意を得たりとばかりに小荒井は顔を輝かせ、奥寺はそんな彼を見て溜め息をついた。

 

 小荒井はえっとですね、と前置きして話し始めた。

 

「ROUND1の『那須隊』が仕掛けた天候を見た時に、ちらっと思いついた事なんすけど……」

 

 そして彼は、希望する『天候』を告げた。

 

 

 

 

「やって参りましたB級ランク戦ROUND3。今回の実況は私、『嵐山隊』オペレーター綾辻遥(あやつじはるか)が担当させて頂きます」

 

 ランク戦ROUND3の当日、ランク戦の会場に元気の良い声を響かせたのは容姿端麗な落ち着いた雰囲気の少女、綾辻。

 

 子供番組のお姉さんのような親しみ易い雰囲気の少女であり、『ボーダー』内での人気を那須と二分する存在でもある。

 

「解説には『加古隊』の加古隊長と、『冬島隊』の当真隊員にお越し頂きました」

「よろしくね」

「おう、よろしくな」

 

 解説席に座るのは加古と、リーゼント頭が特徴的な男性、当真勇(とうまいさみ)

 

 どちらも個性豊かな隊員であり、加古はそのモデルのような美貌と自由奔放な振る舞いで、当真はNO1狙撃手という肩書きで有名である。

 

 双方共に規律や常識より自分の考えを優先させる自由人であり、取り扱いを間違うとカオスな事になるだろう。

 

 まあ、芸術以外はそつなくこなす綾辻であれば大丈夫ではありそうだが。

 

「では、前回の結果を踏まえた現時点での暫定順位はこちらになります」

 

 綾辻は機器を操作し、画面に前回からの得点と順位の移り変わりを表示する。

 

 1位:『二宮隊』19Pt→23Pt

 2位:『影浦隊』17Pt→21Pt

 3位:『生駒隊』16Pt→19Pt

 4位:『弓場隊』15Pt→18Pt

 5位:『那須隊』10Pt→18Pt 

 6位:『王子隊』13Pt→15Pt

 7位:『東隊』13Pt→15Pt

 

「見ての通り、ROUND2で8得点という大量得点を挙げた『那須隊』がB級上位へと繰り上がり、『香取隊』が入れ替わりで中位へ落ちています。矢張り、ROUND1から快進撃を続ける『那須隊』の存在が目立ちますね」

「そうね。七海くんが加入した以上、当然の結果ではあるけれど。彼の相手は、中位の子達には荷が重いわ」

 

 奇しくも以前二宮が告げたのと同じ評価を口にする加古に、当真も口を出した。

 

「そうだなー。七海にゃ狙撃は効果が薄いっつー話だし、あの機動はやべーからな。動きの質だけ見りゃ、A級クラスっつっても問題ねーだろーぜ」

「判断も的確で、相手の弱点を容赦なく突くクレバーさもあるしね。戦闘員としての意識に関しても、相当高いと思うわよ」

 

 当真と加古は、そう言って口々に七海を称賛する。

 

 それを聞いていた綾辻は、ふむ、と頬に手を当てた。

 

「では、今回もまた七海隊員が台風の目になるという事ですか?」

「いや、それはどーだろーな。これまでと今回とじゃ、色々と状況が違えからな」

 

 当真はそう言いつつ、口元に笑みを浮かべた。

 

「幾ら七海でも、二宮の相手はきちーだろ。あの雨のような弾幕は、避ける隙間なんかねーからな」

「二宮くんが好きなゴリ押し戦法は、七海とは相性が良いからねえ。馬鹿の一つ覚えみたいに力押しで来るだけで、七海くんとしては相当辛いと思うわ」

 

 今回の相手には、NO1射手の二宮がいる。

 

 彼の豊富なトリオンから放たれる絨毯爆撃は、七海にとっては脅威そのものだ。

 

 幾ら回避に特化しているとはいえ、そもそも()()()()()()()()()がなければどうしようもない。

 

 トリオン量でも七海を上回っている以上、シールドの強度も過信出来ない。

 

 あらゆる意味で、七海にとって戦い難い相手と言える。

 

「それに、今回はユズルと東さんもいるからな。幾ら七海に狙撃が()()()()とはいえ、あの二人相手じゃ安心なんか出来ねーぞ。特に、東さんはな」

 

 勿論ユズルもだけどよ、と当真は付け加える。

 

「東さんは単純な経験値と戦術眼がやべーし、ユズルもなんだかんだ立ち回りがうめーからな。自分の回避能力を過信してっと、痛い目見る事になるだろーぜ」

「成る程、矢張りB級上位陣の壁は厚いという事ですか」

「まあ、それでも抵抗の余地がないってワケじゃないけど…………厳しい戦いである事は、変わりないわね」

 

 それに、と加古は続ける。

 

「今回は影浦くんもいるから、茜も迂闊に狙撃は出来ないと思うしね。下手に狙撃すれば、彼に察知されちゃうから」

「影浦隊長も、狙撃が効きませんからね。そういう意味では、各々の狙撃手な慎重な立ち回りを求められるという事ですね」

 

 さて、と綾辻は話を切り上げ、己が職務を遂行する。

 

「では、B級ランク戦ROUND3。各部隊、転送開始です」

 

 綾辻の宣言と共に、四つの部隊が仮想空間へ転送されていく。

 

 B級ランク戦、その三回戦目。

 

 誰にとっても転機となる一戦が、開始された。



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Dark clouds

『全部隊、転送完了』

 

 綾辻のアナウンスと共に、四つの部隊、その全てが仮想空間に降り立った。

 

 視界に映るのは、様々な建物が並ぶ市街地の姿。

 

『────MAP、『市街地B』。天候、『雪』』

 

 ────そして、降り積もる()

 

 雪が降りしきる、白銀の街。

 

 それが、今回の戦場だった。

 

「…………雪、か…………」

 

 七海は周囲に降り積もる雪を見据え、険しい表情を浮かべる。

 

 これだけ雪が降り積もっているとなると、どうしても機動力が削がれてしまう。

 

 『グラスホッパー』を活用すればどうにかならない事はないが、迂闊に飛べば狙撃手の餌食になる────そう、()()であれば。

 

 だが、七海はサイドエフェクトにより狙撃を察知し、たとえ空中だろうが『グラスホッパー』を用いれば充分回避する事が可能だ。

 

 今回MAPを選んだのは、『東隊』。

 

 熟練の狙撃手にして戦術家として名高い東が、その程度の事を分かっていないとは思えない。

 

 何かある。

 

 七海はそう考え、警戒を強めた。

 

 

 

 

「あの雪は東さんの作戦じゃないわね。多分、小荒井くんあたりが選んだんでしょう」

 

 解説席で加古は開口一番、そう言い切った。

 

 いきなりの断言に、実況の綾辻は困惑しながら尋ねた。

 

「その根拠はなんでしょうか? 加古隊長」

「私の昔の所属、忘れた? 東さんの下で戦った経験があれば、東さんのやり方はある程度分かるわよ」

 

 ま、二宮くんはどうだか知らないけど、とナチュラルに二宮をディスりながら加古は話を続けた。

 

「東さんはね、MAPはそこまで凝ったものにしないのよ。凝ったMAPにすると、必然的に()()()が限定されて作戦が読み易くなっちゃうでしょう? あの人は、そういう博打はあまり打たないわ」

 

 無論、それは優れた戦術眼を持つ東ならではの視点だろう。

 

 確かに凝った地形条件を設定すれば有利になれるが、相手の戦術レベルによってはMAPや天候から作戦を読まれるリスクもある。

 

 東の場合は地形条件で大幅に有利を取るよりも、限られた条件下で臨機応変に作戦を組み立てる事が多い。

 

 無論、『展示場』ステージ等の得意なMAPで仕掛ける事もないワケではないが、加古が知る東であれば天候までは弄らないのが普通だった。

 

 だからこそ、天候を『雪』等という尖ったものにした時点で、加古はこれが東の考えた設定ではないと見抜いたのだ。

 

「ただ、選んだのは小荒井くんでしょうけど、東さんもそれを認可した以上、天候条件を利用した策を仕掛けて来てもおかしくないわ」

「そうだなー。雪が降ってるとはいえ、視界が制限される程じゃねえ。東さんなら、幾らでも利用出来る地形だろーな」

 

 加古の言葉に、当真もそう言って同意する。

 

 東は小荒井と奥寺の成長を第一とするスタンスを取り、作戦も二人に決めさせているが、あの二人が考える作戦はある程度自由度のあるものが多い。

 

 言い換えれば、それだけ東の戦術眼を活かせる()()を持った作戦で来る事が多い、というワケだ。

 

 小荒井と奥寺が決めたのは恐らく大まかな方針だけで、細かい部分は臨機応変な対応を取る筈だ。

 

 そして、東に()()()()なやり方を提示した以上、彼が何も仕掛けない筈はない。

 

「その事は、流石に二宮くんも分かってる筈よ。影浦くんも東さんの狙撃は防げないって聞いてるし、割と全員動き難くなるんじゃないかしらね」

「ま、どっから東さんに狙撃されるかわかんねーし、そりゃ動き難くもなるわな」

 

 けどよ、と当真は続ける。

 

「『影浦隊』は、どの道さっさと動くだろ。あいつ等がじっとしてるなんて、ちっと考えらんねーしな」

 

 

 

 

『隊長、どうしますか? 初期位置が良かったですし、やっぱ合流優先で?』

 

 犬飼は自らの隊長、二宮にそう尋ねた。

 

 彼等二人は初期位置が割と近くに転送されており、やろうと思えばすぐに合流できる距離にいる。

 

「分かり切っている事を聞くな。すぐに()()。備えろ」

『ですよねー、犬飼了解っ!』

 

 二宮は詳しい説明を省き、犬飼は分かっているとばかりにそう答えた。

 

 そして、()()は二宮の読み通りすぐに飛来して来た。

 

 ────山なりに飛んで来た、『()()()()』の砲撃が。

 

 

 

 

「うっひゃー、来たかゾエの『適当メテオラ』。これはウザい」

 

 犬飼はいつも通り飄々とした声をあげながら、機敏に動いて爆撃を回避している。

 

 飛来したメテオラが地面や建造物に着弾し、周囲を巻き込んだ爆発が連鎖的に巻き起こる。

 

 家屋が崩れ、瓦礫が飛び、爆風が吹き荒れる。

 

 MAPの各所でメテオラの火が上がっており、この爆撃が至る所に飛んで来ているのが分かる。

 

 戦場は、戦闘機の砲火に晒されたような有り様となっていた。

 

 犬飼が『適当メテオラ』と呼んだこの爆撃は、『影浦隊』の銃手、北添によるものだ。

 

 北添は開けたMAPで戦う際、開幕直後に各所にレーダー頼りのメテオラをグレネードガンでぶち込み、戦場を搔き乱す。

 

 その隙に影浦を好きな所に突貫させるのが、『影浦隊』の基本戦法だ。

 

 市街地MAPが選ばれた時点で、この適当メテオラが飛んでくる事は分かり切っていた。

 

 この戦法の強い所は、分かっていても対処がし難い事だ。

 

 爆撃を続け様に撃ち込まれれば、当然身動きは取り難くなる。

 

 下手に動けば爆発に巻き込まれる危険がある以上、迂闊な行動は取り難い。

 

 そしてその間に影浦が目当ての敵に迫り、ゾエが爆撃で他の相手を牽制する。

 

 それが、『影浦隊』のいつものやり方である。

 

 爆撃を続けるゾエを誰かが止めない限り、『影浦隊』有利の戦場が続く。

 

「────けど残念。その爆撃、止めさせて貰うよ」

 

 

 

 

『おいゾエ、一発も当たってねーじゃねーか』

 

 北添の耳に、通信越しにオペレーターの仁礼の罵声が聞こえる。

 

 いつも通りの仁礼に、北添は苦笑しながら答えた。

 

「レーダー見て適当撃ちだしねー。当たる方が珍しいというか、そもそも当てるのが目的じゃないでしょ?」

『つべこべ言うな。それより、そろそろ誰か寄って来てもおかしくねーぞ。二宮さんだったら粘ってから死ねよ』

「うーん、ゾエさんの扱い軽くない?」

 

 仁礼の言葉に軽く返しながら、北添は油断なく周囲を見回した。

 

 この適当メテオラはその影響範囲が広く派手な分、敵に捕捉され易い。

 

 戦場の各所に弾をばら撒いているのだから自分の居場所を喧伝しているに等しく、七海の『メテオラ殺法』程ではないが非常に目立つ。

 

 経験則として、そろそろ誰かが北添の爆撃を止めに来ていてもおかしくなかった。

 

「────旋空弧月」

 

 そして、その予測は早くも現実となる。

 

「うわっと……っ!」

 

 伸びる斬撃、旋空弧月が放たれ、北添はその場から転がるようにして回避し、屋上から滑り落ちる。

 

 地面に着地した北添が振り向くと、視線の先には線の細い整った顔立ちの少年────『二宮隊』攻撃手、辻新之助が立っていた。

 

「一番近いの辻くんだったかー。取り敢えず引き気味に相手しつつ、カゲのトコまで引っ張ってくねー」

『チッ、しゃーねえな』

 

 影浦の了解の意味が込められた返答を聞きつつ、北添は銃を構え、辻相手に銃撃戦を開始した。

 

 

 

 

「おっと、此処で辻隊員が北添隊員の爆撃を止めに行った。これで、各チームが動き易くなりますかね」

 

 実況席で綾辻がそう告げると、当真が「そーだな」と言ってその意見を肯定する。

 

「ゾエの奴も辻の相手をしながらじゃ、爆撃は出来ねーだろ。辻がゾエを抑えてる間は、少なくとも爆撃はねーと見ていいだろーぜ」

「そうね。爆撃で行動が封じられていた各チームが、一斉に動き出すわ」

 

 でも、と加古は付け加える。

 

「────少し、位置が悪いわね。()()、もう追いつかれるわ」

 

 

 

 

「く……っ! 運がない……っ!」

 

 雪道を強引に駆け抜けながら、熊谷は思わずそう愚痴った。

 

 熊谷の背後には犬飼が銃撃しながら迫って来ており、アサルトライフルの弾丸をシールドでなんとか弾いている。

 

 相手が攻撃手ならいざ知らず、銃手相手では至近距離で鍔迫り合いをするワケには行かない。

 

 銃手の距離で相対してしまった時点で、熊谷には逃げの一手しか残されていなかった。

 

(爆撃を避けた先で犬飼先輩とバッタリ遭遇するなんて、ホント運がないわね……っ!)

 

 そう、熊谷は北添の爆撃を避けて移動した結果、同じようにバッグワームを着て移動していた犬飼に捕捉されてしまったのだ。

 

 今熊谷はバッグワームも脱ぎ捨て、両防御(フルガード)のシールドでなんとか犬飼の銃撃を防いでいる。

 

 そうでもしなければ、とうの昔にシールドを割られてそのままやられてしまっただろう。

 

 なんとか味方と合流出来るまで、シールドを張りながら逃げる以外熊谷が生き残る方法はなかった。

 

『熊谷、すぐに急行する。それまでなんとか保たせてくれ』

『悪いわね、七海。出来れば急いでくれると助かるわ』

『了解』

 

 通信で七海が救援に向かう事が告げられるが、如何せん足場が悪過ぎる。

 

 雪で鈍った機動力では、いずれ犬飼に追いつかれる。

 

 そう考えた熊谷は何かないかと周囲を探り、その視線の先に────学校の校舎を、捉えた。

 

(あそこだ……っ!)

 

 熊谷はそのまま校門を抜け、学校の敷地内に入る。

 

 当然犬飼もそれを追い、敷地へ入って来る。

 

「逃がさないよ」

 

 そして犬飼は再び、熊谷に向かって銃撃を放つ。

 

 だが熊谷はそれをシールドで防ぐのではなくサイドステップで回避し、犬飼の銃撃は校舎の壁を破壊した。

 

 それを待っていたかのように熊谷は駆け出し、校舎の中に突入する。

 

「ひゅー、やるねえ」

 

 自分の銃撃を利用された犬飼は口笛を吹きつつ、銃を構えて校舎の中に押し入った。

 

 そして中に入った熊谷に銃撃を仕掛けようとして、気付く。

 

「……っ!」

 

 ────熊谷の周囲に、射撃トリガーのトリオンキューブが浮遊している事に。

 

「メテオラ……ッ!」

 

 熊谷はそのままトリオンキューブを射出し、メテオラが爆発。

 

 犬飼は、その爆発に呑み込まれた。

 

 

 

 

「熊谷隊員、此処でメテオラを使用……っ! 犬飼隊員を迎撃した……っ!」

 

 実況席で綾辻が戦況を伝え、会場が歓声に包まれる。

 

 流れとしては、これまでのROUNDと変わらない。

 

 『那須隊』が予想外の一手を打ち、それが展開を変える一助となる。

 

 傍目から見れば、そういった既視感があった。

 

「くまが射撃トリガー使うのはこれが初めてだよなー。意表を突くには確かに良い手だ」

「ええ、新しい戦術を取り入れるのは悪くない手段よ」

 

 でもね、と加古は続けた。

 

「付け焼刃で倒せる程、甘くはないわよ。犬飼くんはね」

 

 

 

 

(やった……?)

 

 熊谷は油断なく土煙の向こうを見据え、いつでも動けるように構えた。

 

 校舎に入った瞬間に仕掛けた、メテオラによる不意打ち。

 

 タイミングも、悪くはなかった。

 

「……っ!」

 

 だが、()()()土煙の向こうから銃撃が飛んで来た。

 

 熊谷はすかさずシールドを展開し、それをガード。

 

 そして、煙を掻き分けながら口笛を吹く犬飼が姿を現わした。

 

「やるねえ、熊谷さん。けど残念、固定シールドならメテオラは防げちゃうんだなー、これが」

「く……」

 

 犬飼の言う通り、メテオラの長所はあくまで爆発による()()()()であり、シールド貫通力そのものはアステロイドを大きく下回る。

 

 障害物の破壊や広範囲攻撃にはすこぶる便利なトリガーではあるが、シールドを破る為の突破力は下から数えた方が早い。

 

 更に言えば、熊谷はあまりトリオンが多いタイプではない為、トリオンを多めに消費するメテオラとは相性が悪く、あまり連発しているとあっという間にトリオン切れに陥る。

 

 七海が使えば目の眩むような広範囲の爆発を引き起こすメテオラだが、七海の半分程のトリオンしか持たない熊谷では爆竹のような爆発を起こすのが精々だ。

 

 それもあって、渾身の奇襲も犬飼に難なく防がれてしまった。

 

(けど、時間稼ぎっていう目的は果たせた。多分、そろそろ七海が来てくれる筈……っ!)

 

 防がれてしまったのであれば、仕方がない。

 

 熊谷はそう頭を切り替え、再びメテオラのトリオンキューブを精製。

 

 犬飼に向けて、射出準備に入った。

 

 

 

 

「まずいわね」

「ああ、まずいな」

 

 解説席の二人は熊谷のその行動を見て、呟く。

 

 思わず綾辻も二人の発言に注目し、加古がその()()を告げる。

 

「────そこはもう、二宮くんの射程内よ」

 

 

 

 

「…………え…………?」

 

 熊谷は、惚けたような声をあげた。

 

 メテオラを射出しようとした、その瞬間。

 

 犬飼の銃撃で空いた穴を広げる形で、無数のアステロイドが飛来。

 

 熊谷のシールドを軽々と突き破り、彼女の身体に風穴を空けた。

 

 壁に空いた穴の先を見れば、そこにはバッグワームを着た二宮の姿。

 

「────アステロイド」

「が……っ!?」

 

 二宮は一切手を緩める事なく、更なる『アステロイド』を射出。

 

 熊谷の身体にその全てが着弾し、致命。

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 機械音声が、熊谷の敗北を告げる。

 

 熊谷は、光の柱となって戦場から離脱した。

 

 …………ROUND3開始後、僅か数分。

 

 最初の脱落者は、『那須隊』から出てしまった。

 

 此処まで快進撃を続けて来た『那須隊』の戦績に、罅が入る。

 

 戦況は早くも、暗雲が立ち込め始めていた。



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Girls fury

「……っ!」

 

 那須隊作戦室の緊急脱出用ベッドに、熊谷の身体が投げ出される。

 

 久々の、しかし前期では嫌という程味わった感触。

 

 それを受けて、熊谷は自分が落ちたという現実を受け入れた。

 

「ちくしょう……」

 

 熊谷は己の不甲斐なさに拳を握り締め、滲み出て来た涙を擦る。

 

 分かっては、いたつもりだった。

 

 自分は、強者などではない。

 

 返しの技術こそ評価されているが、トリオンも左程多くないし、茜のようにマスタークラスに到達したワケでもない。

 

 前期まで、『那須隊』はほぼ那須一人に頼り切った危ういバランスの上で戦っていた。

 

 自分も茜も那須の援護に徹しており、前期に限って言えば熊谷が単独で落とせた相手は殆どいない。

 

 茜もまた、狙撃手というポジションにありながら前期までの戦績はあまり振るわなかった。

 

 けれど、七海が加入した今期は、最高のスタートを切れていた。

 

 ROUND1では前期に手も足も出なかった『鈴鳴第一』に快勝し、ROUND2では七海の対策をして来た『荒船隊』を退け、地力の高い『柿崎隊』もほぼ完封勝ちに持ち込んだ。

 

 2試合続けて8得点獲得の、完全勝利(パーフェクト・ゲーム)

 

 前期までの自分達では、まず得られなかったであろう大戦果である。

 

 その大戦果を以て、『那須隊』は初の上位入りを果たした。

 

 だが。

 

 だが。

 

 上位陣、そのトップチームの二人が相手とはいえ、熊谷は手も足も出なかった。

 

 上手く逃げたつもりが、死地へ追い込まれていた。

 

 七海が来るまで、保たせる事が出来なかった。

 

 彼等の戦い方に憧れて習得したメテオラも、上手く活かす事が出来なかった。

 

 悔しい。

 

 その想いが、熊谷の中から溢れ出す。

 

 何も出来ず、落ちてしまった事は勿論悔しい。

 

 だが、それ以上に。

 

 ────自分が、チームのお荷物になっていないかと、一瞬でも思ってしまった事が、どうしようもなく腹立たしかった。

 

 ROUND2までの2試合、那須達は自分を上手く運用し、活躍の場を与えてくれていた。

 

 ROUND1では、バッグワームを用いて茜を護衛し、彼女を狙って来た笹森を落とした。

 

 ROUND2では、バッグワームを用いて相手の狙撃手、穂刈を落とした。

 

 どちらも、バッグワームを用いた奇襲戦法だった。

 

 正面からの戦いなど、一度もしていない。

 

 適材適所に、自分を割り振ってくれたのは分かっている。

 

 その采配の理由を疑うなど、仲間としてあってはならない。

 

 けれど。

 

 けれど。

 

 一人きりで上位の相手と相対し、何も出来ずに落とされた時、「ああ、自分は隠れてなきゃ何も出来ないんだな」と、一瞬でも思ってしまった自分自身が許せない。

 

 自分との適性を度外視し、仲間の戦い方への憧れだけでメテオラを選んでしまった自身の浅はかさが恨めしい。

 

 憧れは、理解から最も遠い感情だ。

 

 何かの漫画で、そんな台詞を読んだ事がある。

 

 確かに、その通りだ。

 

 ただ憧れるだけじゃ、何の意味もない。

 

 憧れだけじゃ、相手を理解する事など出来はしない。

 

 たとえ憧れた相手の真似をしても、自分がその相手になれるワケではないのだから。

 

 見習うべき所は見習い、自分に適した形に落とし込む。

 

 今の熊谷には、それが足りていなかった。

 

 それが、実際に『メテオラ』を使ってみてよく分かった。

 

 結局、慣れない射手トリガーを使った事で周囲への警戒が疎かになり、それが原因で落とされてしまった。

 

 射手トリガーは、トリオンキューブを分割し、狙いを付けて射出するというプロセスがある故に、起動中常に脳のリソースを使用する。

 

 流石に那須が使用するバイパー程ではないが、メテオラもまた狙いを付けて射出する必要がある為、射手トリガーに慣れてない熊谷は注意力が散漫になってしまった。

 

 その結果が、先程の『緊急脱出』である。

 

「…………よしっ!」

 

 気持ちを切り替え、熊谷はベッドから起き上がる。

 

 過ぎてしまった事を悔やんでも、仕方ない。

 

 今やるべきなのは、小夜子のサポートをして少しでも彼女の負担を少なくする事。

 

 それ以外に、有りはしない。

 

「小夜子、何か手伝う事ある?」

 

 熊谷はオペレータールームへ入り、小夜子に開口一番そう告げる。

 

 小夜子は多少心配そうな目を向けていたものの、熊谷が慰めを必要としていない事を察するとこくりと頷いた。

 

「じゃあ、那須先輩の方をお願いします。私は七海先輩の方に集中するので」

「分かった」

 

 熊谷が小夜子のオーダーを承諾して画面の前に座ると、七海から通信が飛んで来た。

 

『すまない。間に合わなかった』

「気にする事ないわ。あたしが凌ぎ切れなかったのが悪い。それより、試合に集中しなって。反省会は後だよ後」

『了解した』

 

 七海の返答を聞き、熊谷はふぅ、と溜め息をつく。

 

 此処でもし、熊谷が感情を吐露していたりすれば、七海は間違いなく彼女の失点を取り返そうと無茶をする。

 

 二宮に、正面から当たってしまう。

 

 それは、駄目だ。

 

 仲間想いなのが七海の長所であるが、時折仲間想いが()()()事がある。

 

 そしてそれは、『那須隊』全体に言えた。

 

 仲間意識が強過ぎる為に、仲間に捨て身の作戦をやらせる事が出来ない。

 

 ランク戦では、捨て身の作戦もまた、有用な策の一つである。

 

 実戦でも、『緊急脱出』システムの存在を加味すれば、充分実用性のある戦略だ。

 

 だが、今の『那須隊』は捨て身の作戦を取る事が出来ない。

 

 『柿崎隊』と違って単独行動自体は許容しているが、作戦の()()に仲間の脱落を組み込む事が出来ないのだ。

 

 前からこの傾向は強かったが、それには理由がある。

 

 前期までの『那須隊』は、一人でも落ちればそこから一気に押し込まれる事が常だった。

 

 那須が部隊を支えるエースである事は変わりなかったものの、当時の『那須隊』の構成では茜による狙撃の援護がなくなれば熊谷が追い込まれ、熊谷が落ちれば前衛のいなくなった那須が押し込まれる。

 

 つまり、一人でも落ちればその時点で勝ち筋は途端に薄くなってしまうのだ。

 

 故に、前期までの『那須隊』は生存重視の戦略を取らざる負えなかった。

 

 そして七海が加入した今となっても、その癖は抜けていない。

 

 七海の加入によって一人落ちても立て直しが図れるようになっているのだが、長年の癖というものは中々抜けないものだ。

 

 それに、隊長の那須がそれを是としているのも原因の一つであった。

 

 那須は表面上は分かり難いものの、身内への依存癖が強い。

 

 中でも七海に対する依存度は、病的と言えるレベルだ。

 

 故に、彼女は仲間を、七海を害される事に対して敏感になり過ぎている。

 

 以前、街で那須が柄の悪い男性に絡まれ、それを七海が割って入った事がある。

 

 七海は穏便に男性にお帰り願おうとしていたが、男性が逆切れして七海に殴りかかろうとした瞬間、那須は容赦なく金的を敢行して悶え苦しむ男性を放置してその場を後にした。

 

 その他、熊谷や茜がC級隊員に噂話で馬鹿にされた時も、それを聞きつけた那須が笑顔の威圧で彼女達を揶揄したC級隊員を吊るし上げていた。

 

 那須は、身内の事となると頭に血が上り易いという特徴がある。

 

 有り体に言えば、身内に関する那須の沸点は非常に低い。

 

 いつ何時、爆発するか知れたものではない。

 

 それを知っている熊谷は、恐る恐る那須と通信を繋いだ。

 

「玲、大丈……」

『────くまちゃん、任せて。くまちゃんを傷付けた報いは、ちゃんと受けさせるから』

「って、玲……っ!?」

 

 底冷えするような那須の声を聞き、熊谷は仰天して問い返す。

 

 どうやら、早くも那須はその沸点をオーバーしていたらしかった。

 

 

 

 

「『那須隊』の熊谷隊員、二宮隊長の『アステロイド』により『緊急脱出』……っ! 四つ巴の試合最初の脱落者は、『那須隊』から出てしまいました……っ!」

 

 綾辻の実況に、会場がどよめいた。

 

 『那須隊』は今期のROUNDで、今まで一人も『緊急脱出』していなかった。

 

 その牙城が遂に崩れたのだから、この反応も当然だろう。

 

「運がなかったのもそうだけど、あれは犬飼くんが上手かったわね。実質、彼が取った点と言っても差し支えないわ」

「ふむ、と言うと……?」

 

 加古の説明に綾辻が問い返し、加古はつまりね、と続けた。

 

「熊谷さんは犬飼くんの銃撃を利用して校舎の中に逃げ込んだけど、それ自体が犬飼くんの罠だったのよ。彼は最初から、熊谷さんを校舎の中に追い込むつもりだった」

「つまり、銃撃で校舎の入口を壊したのはわざとだと……?」

「十中八九、そうでしょうね。あたかも熊谷さんに乗せられたかのように見せていたけど、最初からあれは計算づくの行動だった筈よ」

 

 彼、そういうの上手いしね、と加古は犬飼を評価する。

 

 犬飼は飄々としていて掴み所のない性格をしているが、その本質は冷徹な判断を下せる名サポーターだ。

 

 戦況全体を俯瞰し、適時最適な行動を組み立てる判断力に優れている。

 

 だからこそ、彼は『二宮隊』の調整役(バランサー)と呼ばれている。

 

 数々の経験と優れた判断力に裏打ちされた支援能力は、他の追随を許さない。

 

 射手顔負けのサポート能力を持ちながら、マスタークラス銃手(ガンナー)として単騎でも問題なく立ち回れる。

 

 それが、『二宮隊』銃手、犬飼澄晴の強みなのだ。

 

「犬飼くんは熊谷さんを見通しの悪い屋内へと追い込み、バッグワームで近付いた二宮くんがそれを仕留める。言うだけなら単純だけど、犬飼くんの立ち回りがあってこそのものよ」

「そうだなー。実際、相手の追い込み方としちゃベストな立ち回りだったと思うぜ。熊谷も自分があの場所に誘導された事にゃ、二宮さんに撃たれるまで気付いてなかったしな」

 

 当真の言葉に加古もそうね、と言って肯定した。

 

「でも、二宮くんにしては慎重な立ち回りね。普段なら力押しで熊谷さんを追いかけても良さそうなのに、わざわざ犬飼くんに狩り出させてる。珍しく、やる気になってるじゃない」

 

 それだけ、今の『那須隊』を警戒してたのかしら? と加古は一瞬思ったが、すぐに「違う」と自分の考えを覆した。

 

(多分、二宮くんの()()()が出てるわね。気になる相手がいると、試さずにはいられないってやつ。この前の一件で、七海くんに目を付けたのかしら?)

 

 加古はROUND2の直後の二宮と七海のやり取りを思い出し、溜め息を吐いた。

 

(熊谷さんを追い込んで倒したのは、『那須隊』に対する挑発。それで彼女達がどう出るか、見てるのね。全く、厄介な事をしてくれたモンだわ)

 

 ま、丁度いいかもしれないけど、と加古は誰知らず嘯く。

 

(二宮くんが『那須隊』を狙うって言うなら、丁度良いわ。この機会に、彼女達の弱みを全部出し切って貰いましょう。仕上げは東さんに任せて、ね)

 

 

 

 

「東さん、7のポイントで小荒井と合流します。敵の情報を下さい」

『その先に二宮と犬飼がいるな。ゾエは辻と遠くで交戦中、絵馬と影浦の姿はまだ見えない』

 

 白いバッグワームを着た奥寺は東からの通信を受け、一旦その場で止まる。

 

 犬飼はともかく、二宮の相手は幾ら小荒井と組んでも荷が重い。

 

 このまま進んでも、いるのは犬飼を傍に控えさせた二宮だ。

 

 戦略的に考えても、彼等と戦り合うのは旨味が無さ過ぎる。

 

『あちゃー、二宮さん相手はキツイっすよー』

「そうだな。それは俺も同意見だ。となると、狙うべきは辻先輩か」

 

 奥寺の言葉に小荒井も通信越しに「そうだなー」と賛同の意を示す。

 

 無理に二宮と当たるよりは、そっちの方がずっとマシだ。

 

 作戦方針が決まり、奥寺は通信で再度確認を取る。

 

「じゃあ、小荒井と合流したら辻先輩のトコ行きますか。ちなみに東さん、七海先輩と那須先輩はどうなってますか?」

『その二人の姿はまだ────いや、待て』

 

 通信の先で、東が息を呑む音が聞こえた。

 

 何事かと奥寺が聞き返そうとした矢先、通信越しに東の呟く声が聞こえた。

 

『────成る程、そう動くのか』

 

 

 

 

「これでまずは一点ですね、二宮さん。いやー、こんな序盤で点取れるとか幸先いいなー」

「取れて当然の点を取っただけだ。この程度の事で浮かれるな」

 

 校舎の敷地内、雪が降り積もる校庭で合流した犬飼と二宮はそんなやり取りを交わしていた。

 

 雑談に興じているように見えるが、二宮は勿論、犬飼もまた警戒は微塵も欠かしていない。

 

 いつ何処から来ても対応出来るよう、常に周囲に注意を向けていた。

 

「お、あれは……っ!」

 

 ────だから、気付けた。

 

 校舎の上から飛来する、無数の光弾に。

 

「チッ……! 犬飼、両防御(フルガード)だ……っ!」

「了解……っ!」

 

 無数の光弾が、二人の下へ降り注ぐ。

 

 そして、着弾した瞬間、その弾丸は────爆発した。

 

 『変化弾(バイパー)』では、有り得ない。

 

 着弾と同時に爆発する性質はメテオラのそれだが、メテオラはあのような軌道は描かない。

 

 ────『変化炸裂弾(トマホーク)』。

 

 それが、彼等の元に飛来した合成弾の正体である。

 

「危ない危ない、直撃したらヤバかったなー」

 

 だが、犬飼と二宮に損傷はない。

 

 二人が揃って両防御(フルガード)で『固定シールド』を展開し、その爆発から身を守ったからである。

 

 『変化炸裂弾』は威力そのものはバイパーやメテオラより上ではあるが、その爆発範囲を最重視するメテオラの性質は変わっていない。

 

 二宮の桁外れのトリオン量にあかせたシールドであれば、防ぎ切る事は可能だ。

 

 そこに犬飼のサポートもあれば、より盤石。

 

 結果として、『変化炸裂弾』による奇襲は、失敗に終わった。

 

「『変化炸裂弾』って事は、那須さんか。此処で仕掛けて来るとか意外だなー」

「ふん、仇討ちのつもりか。下らん。さっさと獲りに行くぞ」

「了解」

 

 若干失望したような二宮の言葉に犬飼は素直に頷き、移動を開始しようとした刹那。

 

 それが、飛来した。

 

「────メテオラ」

「……っ!」

「チッ……!」

 

 上空から降り注ぐは、無数のトリオンキューブ。

 

 明らかに先程とは異なる弾丸が降り注ぎ、犬飼と二宮は再び固定シールドを展開。

 

 シールドに着弾した光弾が爆発を起こし、周囲を爆風が吹き荒れる。

 

「ありゃりゃ、まさか、()()()も来るとはねー」

「…………お前もか、()()

「────」

 

 固定シールドでメテオラに耐え抜いた犬飼と二宮が見上げる、その先。

 

 聳え立つ校舎の、屋上。

 

 給水塔の上に足をかけた七海が、彼等を見下ろしていた。



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escape

「那須隊長が合成弾で『二宮隊』を奇襲……っ! 続けて七海隊員も、同じく仕掛けた模様です」

 

 実況席で、綾辻が戦況を伝える。

 

 画面には睨み合う七海と二宮、犬飼の姿があり、少し離れた街灯の上に険しい表情の那須が佇んでいた。

 

「那須隊長と七海隊員が合流し、攪乱戦を仕掛けるのは現在の『那須隊』の強力な戦術ですが、二人の連携は『二宮隊』に通用するでしょうか?」

「正直に言って、厳しいわね。連携の練度をとやかく言うつもりはないけど、とにかく()()が悪過ぎる」

「相性、ですか」

 

 ええ、と加古が画面を見ながら続けた。

 

「七海くんと那須さんの連携の一番強力な点は、敵の攻撃を掻い潜り、一方的に敵を搔き乱す事が出来る点なのよ。そしてその連携は、障害物が多い場所でこそ活きる」

「現在彼等がいる場所には校舎を始めとした建物が点在しており、遮蔽物が全くないワケではありませんが……」

「だから言ったのよ、()()()()()って」

 

 え、と疑問符を浮かべる綾辻に対し、加古は淡々と答えた。

 

「あの程度の障害物、二宮くんなら薙ぎ払えるわ」

 

 

 

 

「────メテオラ」

 

 自身を囲んだつもりでいる那須達に対し、二宮が取った解答はシンプルだった。

 

 分割なし、まるごと一発のメテオラを校舎に向けて射出。

 

 校舎に着弾したメテオラは大爆発を起こし、建物に大きな風穴を空けた。

 

「くっ、メテオラ……ッ!」

 

 二宮の狙いを悟った七海は、即座にそれを止めるべくメテオラを使用。

 

 分割したトリオンキューブが、二宮に向けて降り注ぐ。

 

「させないよ」

「……っ!」

 

 だが、犬飼が固定シールドを使用しメテオラを防御。

 

 シールドはボロボロになったものの、二宮・犬飼両名は共に無傷。

 

 二宮の射撃を、止める術はない。

 

「────メテオラ」

 

 二宮の豊富なトリオンによって放たれた『炸裂弾(メテオラ)』が、再び校舎を抉り取る。

 

 連続してメテオラを受けた校舎は、最早建物の程を為していなかった。

 

 これで、付近で一番大きな建造物は破壊出来た。

 

 二宮の視界に、七海だけでなく那須の姿も映り込む。

 

「────ハウンド」

 

 射線を確保した二宮は、即座に両攻撃(フルアタック)ハウンドを射出。

 

 夥しい数の光弾が、雨あられと降り注ぐ。

 

「……っ!」

「きゃ……っ!」

 

 その光景を見た七海は、即座に撤退を選択。

 

 グラスホッパーを起動し、ジャンプ台トリガーを踏み込み加速。

 

 そのまま那須を強引に連れ去り、グラスホッパーを連続起動し加速を重ねる。

 

 七海は脇目も振らず高速での逃走を続け、白銀の街の向こうへ消えて行った。

 

 

 

 

「二宮隊長、メテオラで強引に建物を破壊しハウンドで迫るも、形勢不利と見た七海隊員は即座に離脱を選択。一目散に撤退しました」

「良い判断ね。あそこで迷えば、あの場で落ちていたわ」

 

 加古はそう言って七海の判断を称賛し、笑みを浮かべる。

 

「結局の所、七海くんが二宮くんの相手をするにはROUND1で『那須隊』が仕掛けた『森林』MAPのような極端に障害物が多い地形でないと厳しいのよ。多少の建物なら、二宮くんは簡単に壊しちゃうからね」

「確かに。二宮さんの相手をするにゃあ、あそこは建物が少な過ぎたな」

 

 『市街地』系MAPだと厳しいだろうな、と当真は告げる。

 

 確かに『市街地』系のMAPはその名の通り住宅地を模したものである為、極端に背の高い建物はそう多くはない。

 

 七海と那須が二宮の相手をする場合、辺り一面障害物だらけのような場所を用意する必要がある。

 

 そうでもしなければ両攻撃(フルアタック)ハウンドによる絨毯爆撃で、瞬く間に炙り出されてしまう。

 

 一度二宮のハウンドに捕まれば、そこから抜け出すのは難しい。

 

 もしも一瞬でも七海の判断が遅れていれば、そのまま押し込まれて落ちていた筈だ。

 

 あの場で即座に撤退を選択した七海の判断は、的確だったと言えよう。

 

「あの攻防で、七海くんも二宮くんとの相性の悪さは実感した筈よ。普通なら二宮くんは避けて別の隊を狙う所だけど、どうするかしらね」

 

 

 

 

「玲一、なんで逃げるの……っ!? まだ、くまちゃんの仇を取ってないのに……っ!」

 

 那須は七海に抱えられながら、険しい顔で抗議をあげる。

 

 七海は決して足は止めず、諭すように那須に語り掛けた。

 

「あの場に留まれば、やられていたのは俺達の方だ。俺は、お前の自殺を見過ごすワケにはいかない」

「けど……っ!」

 

 尚も抗議する那須に対し、七海は固い表情で答えた。

 

「俺も、みすみす熊谷を落とされてしまった失点は取り返したい。別に、このまま逃げ帰るワケじゃない。単純に、もっと有利な条件で勝負をかけるだけだ」

「有利な、条件……?」

 

 ああ、と七海は答える。

 

乱戦(得意分野)に持ち込む。丁度、最適な相手がこの先にいる」

 

 

 

 

「うひー、マスタークラスの相手はしんどいなあ」

 

 北添はシールドを張る辻相手に、擲弾銃でアステロイドを銃撃する。

 

 辻はシールドで北添の銃撃をガードし、距離を詰める。

 

 避けられる弾は避け、避け切れないもののみを集約したシールドで防御する。

 

 そうする事でシールドの損耗を最小限に抑え、そつのない動きで辻は北添に肉薄していく。

 

 ただでさえ鈍重な北添は、雪で機動力が鈍っている事もあり、このままだともうすぐ追いつかれる。

 

 攻撃手の距離まで近付かれてしまえば、ブレードでシールドを両断されて終わりだ。

 

 そうでなくとも、旋空弧月の威力であればシールドは割り砕ける。

 

 北添は、確実に追い詰められていた。

 

「こりゃゾエさん死んだかも。本格的にヤバイなー」

 

 脱落の二文字が北添の脳裏に浮かび、しかし最後まで足を止める事はない。

 

 たとえ此処で落ちたとしても、時間を稼げばそれだけでチームの益になる。

 

 毎回捨て身上等の戦法を取る『影浦隊』としては、ごく当たり前の心意気だった。

 

「────旋空弧月」

 

 距離を詰めた辻は、容赦なく『旋空』を起動。

 

 拡張斬撃にて、北添を両断せんとする。

 

「────メテオラ」

 

 ────だが、そこに上空から光弾が飛来。

 

 その光弾の正体を察した辻はその場から飛び退き、地面に着弾した『メテオラ』は連鎖的な爆発を引き起こした。

 

 辻はその爆発が飛んで来た方向を、見据える。

 

 そこには、ビルの屋上からこちらを睥睨する七海の姿があった。

 

「うわわ……っ!」

 

 七海は、驚いて一目散に逃げる北添を追う様子は全くない。

 

 むしろ、辻の行く手を阻むような位置取りだった。

 

「七海くん……」

「ちょっと、付き合って貰いますよ。辻さん」

 

 そして両者は、その場で戦闘を開始した。

 

 

 

 

「二宮隊長・犬飼隊員両名から逃走した七海隊員と那須隊長、今度は『二宮隊』攻撃手、辻隊員に標的を変えた。しかし、近くにいた北添隊員を追う様子は見せていません」

「最初から、目的は辻の足止めだろーな」

 

 当真の言葉に、加古もそうね、と言って追随する。

 

「七海くんの狙いは、ゾエくんにもう一度爆撃して貰って乱戦のチャンスを作る事ね。数部隊入り乱れての乱戦なら、二宮くんの両攻撃(フルアタック)は封じられるからね」

「犬飼がカバー出来るとはいえ、相手によってはそれも厳しくなるからな。二宮の強みを封じるには、良い手だろーぜ」

「まあ、セオリー通りと言えばその通りなのだけれどね」

 

 加古は、そう言って苦笑した。

 

「でも、二宮くんを相手にするなら対策はむしろシンプルな方が良いわ。あれこれ考え過ぎると、ドツボに嵌まるからね」

「まあ、二宮さん自身がシンプルイズベストの能力だしなー。正攻法を突き詰めた相手は、むしろ絡め手を使う相手より面倒だと思うぜ」

「単純明快故に明確な対策というものがないからね。ま、やってる事は力押し以外の何物でもないのだけれど」

 

 二人の言うように、二宮の強みはその豊富なトリオンによる重爆撃能力と、地力の高さから来る安定感だ。

 

 広範囲のハウンドで相手のシールドを広げさせ、薄くなったシールドをアステロイドで穿つ。

 

 窮極、二宮がしているのはこれだけだ。

 

 単純、故に強い。

 

 やっている事が単純明快であるが為に、明確な対策というものが存在しない。

 

 強いて言うのであれば、両攻撃を使()()()()()()である。

 

 両攻撃は確かに強力だが、その最中自分のガードががら空きになってしまうという弱点がある。

 

 故に、二宮は相手の狙撃手が生きている段階では、両攻撃を使おうとしない。

 

 先程両攻撃を使用したのは、その隙をカバー出来る犬飼がいたからだ。

 

 那須の『変化弾(バイパー)』も七海の『炸裂弾(メテオラ)』も、固定シールドを突破するには威力が足りない。

 

 だからこそ、あの場で二宮は防御を犬飼に任せ、躊躇なく両攻撃(フルアタック)を敢行したのだ。

 

 だが、乱戦の最中ともなればそうも行かない。

 

 威力の高いアイビスは集中シールドでも相殺出来ず、何処から一発目が飛んでくるかは分からない為、それに備える為には二宮は常に片手を空けておく必要がある。

 

 七海の狙いは、それだ。

 

 乱戦を誘発する適当メテオラを使う北添をフリーにする事で、爆撃を使って敵を一ヵ所に寄せ集める。

 

 それが、七海の立てた作戦だった。

 

「けど」

「ええ、そうね」

 

 だが、二人はそれに待ったをかけた。

 

 それは何故か。

 

「位置が、悪いわね」

 

 

 

 

「ふいー、なんとか逃げ切れた。いやあ、七海くんに逃がして貰ったって感じだけど」

 

 とある建物の屋上で、北添は冷や汗をかきながら街を見回した。

 

 七海の援護であの場から逃げおおせる事が出来た北添は、即座に爆撃するのに最適なポイントへと移動した。

 

 先程の動きを見る限り、七海が北添を利用しようとしているのは間違いない。

 

 しかし、折角の降って沸いたチャンスである。

 

 北添としては、罠だろうがなんだろうがこのチャンスを逃すワケには行かなかった。

 

「ヒカリちゃん、レーダーお願い」

『ったく、ホントお前等はアタシがいねーとなんもできねーな』

 

 通信越しに愚痴りながらも、仁礼は的確な情報解析で相手チームのいる場所を割り出し、北添に知らせた。

 

「じゃあ爆撃するねー。巻き込まれないようにしてよ、カゲ」

『ハッ、誰に物言ってんだよ』

 

 北添は影浦に確認を取り、擲弾銃の引き金を引こうとする。

 

 そこで、気付く。

 

 自らの背後。

 

 その奥から、無数の光弾が飛来している事に。

 

「うわわわわ……っ!」

 

 北添は必死になってその光弾────『ハウンド』をシールドで防御。

 

 だが、その絶対量が並ではない。

 

 土砂降りの豪雨のようなハウンドが、北添をその場に釘付けにする。

 

「に、二宮(ニノ)さん……っ!」

 

 北添は視界の向こうに、見知った黒スーツの男を見た。

 

 既に男────二宮の周囲にはトリオンキューブが浮遊しており、菱型に分割する独特の手法で無数の弾丸を形成する。

 

「────アステロイド」

「ぐ……っ!」

 

 ────そして、威力重視の弾丸(アステロイド)が北添に着弾。

 

 トリオン体に無数の風穴が空き、容赦なくトリオンの煙が漏れ出ている。

 

 どう見ても、致命傷。

 

 それを悟った北添は、レーダー頼りの爆撃を敢行。

 

 戦場各所に、爆撃の雨を降らせる。

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 そして、機械音声が北添の敗北を告げる。

 

 北添は光の柱となり、戦場から消え去った。



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Confusion

「二宮隊長の攻撃により、北添隊員が『緊急脱出』……っ! 辻隊員から逃げた先には、二宮隊長が待っていた……っ!」

 

 綾辻が北添が脱落した事を告げ、会場がどよめく。

 

 これで、『二宮隊』は早くも二得点獲得。

 

 他のチームが未だに一点も取れていない中、B級一位部隊の貫録を見せつける戦績である。

 

「今のは運がないのもそうだけど、上手く追い込まれた感じね。辻くんと犬飼くんが、良い感じに二宮くんを動かしてるわね」

「そうだなー。今回二宮と犬飼は、バッグワームを着て動いてたからな。多分、辻からの情報を元にゾエの逃走ルートを予測して待ち構えてたんだろ。逃げたつもりが、先にあったのはライオンの檻だったワケだ」

 

 でもよ、と当真は続ける。

 

「なんか今日の『二宮隊』…………つーか、二宮さんか。なんだか、やる気がいつもと違くねえか? 普段より動きが細けえっつーか、ガチで相手を潰すっつー気合いが見えんな」

「そうね。二宮くんなりに、今の『那須隊』を評価した結果なのかしら?」

 

 加古はそれにしても、と思う。

 

(二宮くんが此処まで七海くん達相手にムキになるなんて、珍しいわね。余程、琴線に触れる何かがあったのかしら?)

 

 確かに、今回の『二宮隊』の動きには隙らしい隙がまるでない。

 

 念入りに隙間を埋めるような、詰め将棋のような戦術だ。

 

 犬飼と辻が二宮をサポートし、相手にぶつけるという戦法はいつもの『二宮隊』のものだが、今日の彼等はより能動的(アクティブ)な感じがしてならない。

 

 それだけのものを七海から感じたのか、或いは……。

 

(……二宮くんのちょっとズレた()()()が出たか、よね)

 

 その可能性を思い描き、加古は溜め息を吐いた。

 

 二宮はどうにも天然の気があり、常人とは少し思考回路がズレている部分がある。

 

 本人は良かれと思ってやっている事でも、傍目からはどういう意図なのか理解し難い事が多い。

 

 今回もまた、七海と直に接した結果何らかの()を抱いて気遣いという名の斜め上からの干渉を行っている可能性は否定出来なかった。

 

「しっかし、七海も折角逃がしたゾエが倒されるなんて予想外だったろ。流石に」

「確かにそうかもしれないけど、北添くんも最低限の仕事はしたわ。最後、防御を捨てて爆撃を敢行したからね」

 

 加古は笑みを浮かべ、告げる。

 

「動くわよ。これから」

 

 

 

 

『辻ちゃんごめーん、ゾエの最後っ屁がそっちに行くよー』

「辻了解」

 

 犬飼からの通信を受け、辻は上方に目を向ける。

 

 空から飛来するのは、メテオラの爆撃。

 

 辻はメテオラの弾を視認するとその場から飛び退き、一瞬遅れて着弾。

 

 メテオラの弾が爆発し、爆風で家屋を吹き飛ばす。

 

「……っ!」

 

 そこに、爆風など意に介さぬとばかりに七海がスコーピオンを構えて突っ込んで来る。

 

「────旋空弧月」

 

 辻は即座に『旋空』を起動し、拡張斬撃を飛ばす。

 

 すると七海はそれが分かっていたかのように爆風で吹き飛ぶ瓦礫を足場とし、跳躍。

 

 飛ぶ瓦礫を足場とした三次元機動を展開し、爆風の中を燕の如く跳び回る。

 

「…………そこ……っ!」

 

 辻は七海の着地点を読み切り、振り向きざまに再び旋空弧月を放つ。

 

「うわ……っ!」

「え……っ!?」

 

 ────だが、そこにいたのは七海ではなかった。

 

 辻の放った旋空弧月を驚きの声と共にグラスホッパーで飛び退き、回避した小柄な影。

 

 それは白いバッグワームを着た、『東隊』の攻撃手。

 

 弧月を構えた、小荒井の姿だった。

 

「なら当然……っ!」

 

 辻は即座に周囲を見回し、後方から迫る小柄な影を視認。

 

 その人影に向かって、弧月を振り下ろす。

 

「……っ!」

 

 人影────奥寺は弧月を用いて、辻を迎撃。

 

 斬撃を受け止められた辻は、その場でバックステップ。

 

 背後から斬りかかって来た小荒井の斬撃を、跳んで交わす。

 

「…………やられたな」

 

 爆煙が晴れ、周囲の景色が色を取り戻す。

 

 周囲には七海の姿も那須の姿も見当たらず、此処にいるのは辻と小荒井、奥寺のみ。

 

「…………逃がしたか」

「くっそ、上手く利用されちまったかー」

 

 奥寺と小荒井も自分達の動きが利用された事に気付き、顔を曇らせる。

 

 七海は『東隊』の二人の奇襲を利用する事で、まんまとこの場からの離脱に成功していた。

 

 

 

 

「おーっと、此処で奥寺隊員と小荒井隊員が奇襲……っ! しかしその隙に、七海隊員と那須隊長は離脱を図った模様……っ!」

「相変わらず、状況判断が巧えな。七海は」

 

 当真は七海達の鮮やかな離脱を見て、感嘆の息を漏らした。

 

「そうね。奥寺くん達が奇襲して来た事を察して、爆風による視界封鎖を利用して辻くんの相手を彼等に押し付けた。状況を弁えた、良い判断よ」

「あのままあそこに留まってりゃ、二宮さん達がやって来ただろーからな。七海としちゃ、二宮さんと正面から戦り合う展開はなんとしてでも回避してー筈だかんな」

 

 そう、七海は先程の二宮との攻防により、二宮と正面から当たればまず勝てない、という判断を下した。

 

 二宮が自分達を視認した後で動いたのでは、抵抗の余地すら与えられない。

 

 七海達が二宮を倒すには、力勝負の土俵に上がっては駄目だ。

 

 不意打ちで、反撃の暇もない撃破を狙わなければ戦いにすらならない。

 

 それが、実際に二宮と戦って得た、七海の考えであった。

 

「案の定、七海も那須もバッグワームを使ってやがる。こりゃ、隙を見て二宮を奇襲するハラかね」

「多分、二宮くんが他の誰かと戦っている隙を待つ構えじゃないかしらね。実際、あまり離れていない場所で機を伺っているように見えるわ」

 

 確かに加古の言う通り、七海と那須の反応は辻、奥寺、小荒井の三人が戦っている地点からそう遠くない場所にあった。

 

 このまま彼等の戦いに二宮が参戦するのを待ち、隙を見て奇襲する構えだろう。

 

「けど、どうやらそれは読んでいたみたいね。二宮くんの癖に、生意気だわ」

 

 

 

 

「────メテオラ」

 

 二宮はトリオンキューブを四つに分割し、建物に向けてメテオラを射出。

 

 その標的は辻と交戦している小荒井達────では、ない。

 

 狙いは、周囲の建物。

 

 建物に着弾したメテオラは大爆発を起こし、建造物を薙ぎ払った。

 

「────メテオラ」

 

 瓦礫の崩れる音を聞きながら、二宮は第二射を放つ。

 

 連続して放たれたメテオラが、更なる家屋を吹き飛ばした。

 

 

 

 

「此処で二宮隊長、辻隊員を援護するのではなく建物の破壊活動を始めた……っ! これは、隠れている七海隊員を炙り出す狙いか……っ!?」

「十中八九、そうでしょうね」

 

 綾辻の言葉を、そう言って加古は肯定した。

 

「二宮くんは七海くんの狙いを察して、七海くんの()()()()を物理的に排除する事にしたみたい。多分、周辺の建物はあらかた吹き飛ばすつもりじゃないかしら?」

「しかし、それでは射線が通って狙撃に身を晒す結果になるのでは……?」

「東さんが相手なら、多少の障害物の有無は関係ないわ。そもそも、今回のMAPは『東隊』が選んだものだしね。ほんの少しでも射線が通っていれば、東さんにとっては充分過ぎるわ」

 

 東は、『ボーダー』最初の狙撃手として数々の弟子を持ち、これまでも第一線で若手を牽引して来たベテランだ。

 

 その技術の高さは言うに及ばず、戦略眼も並外れている。

 

 二宮は、そんな東が隊長を務めていた旧『東隊』の隊員だった。

 

 だからこそ、東の事を良く知る二宮は多少射線が通り易くなった所でそう変わりはしないと判断し、建物の破壊に踏み切ったのだ。

 

「さて、こうなると隠れ続けるワケには行かなくなったわね。七海くん、どうするつもりかしら?」

 

 

 

 

「く……っ! まさかこんな力技で来るなんて……っ!」

 

 破壊されていく建物を見ながら、七海は思わず仰天する。

 

 まさか、此処までの力技で仕掛けて来るとは想像していなかった。

 

 大量のトリオンを消費する方法ではあるが、二宮程の多量のトリオンを持っているならばそう関係はない。

 

 自分の強みを理解した、割り切った戦法と言える。

 

『どうしますか? このままだと、焼き出されるのも時間の問題ですよ?』

 

 通信越しに、小夜子がそう尋ねて来る。

 

 那須は今、この場にはいない。

 

 色々と言い含めながら、少し離れた場所に待機して貰っているのだ。

 

 今は熊谷が通信越しに、那須を宥めている所である。

 

 …………熊谷が落とされた事で、那須は完全に頭に血が登っている。

 

 今期のランク戦での初失点だった事もあり、動揺も大きかったらしい。

 

 先程の二宮への襲撃も、那須を抑え切れないと判断した七海が同行した形である。

 

 そうでもしなければ、那須は一人でも二宮に突貫していた可能性があった。

 

 那須の頑固さを知っていた七海は、早々に説得を諦めて彼女と共に戦う事を選んだのである。

 

 …………どうにも那須は、()()()()()()()()()()()()()()という想いが、先行しているように思う。

 

 確かに、七海が加入した事で『那須隊』は大幅に強化された。

 

 ROUND2までの快進撃を見ての通り、前期とはまるで別物となっている。

 

 しかし、今の『那須隊』は別に無敵というワケでも最強というワケでもない。

 

 きちんと作戦を立てなければ勝てはしないし、当然思うように動けない事もある。

 

 その事を分かっていない筈はないのだが、ROUND2までの快勝が那須の()()()()()()()()()という悪癖を、助長している可能性は否定出来ない。

 

 那須は交友関係がそう広い方ではないが、その反動なのか一端身内と認めた者にはトコトンまで情深くなる性質がある。

 

 相手を信用するのは、まだ良い。

 

 だが、それは翻れば身内を害されればすぐさま頭に血が登ってしまう、という事をも意味している。

 

 今の那須の頭にあるのは、どうやって熊谷の仇を取るかどうかだけだ。

 

 熊谷がなんとか説得に当たってくれているが、どうやら成果は芳しくないらしい。

 

 早めに動かなければ、暴走の可能性も充分に考えられた。

 

 そもそも今現在、二宮の手で刻一刻と建物が破壊され、隠れ場所が潰され続けている。

 

 このまま動かなければ、ジリ貧になって終わりだ。

 

「…………よし。志岐、周辺MAPの解析頼む。それから、那須には────と、伝えてくれ」

『了解しました』

 

 

 

 

「…………来たか」

 

 二宮は空を見上げ、無数の弾丸が飛来して来るのを視認した。

 

 その軌道から、間違いなく『変化弾』の系統。

 

 そして先程の事を考えれば、恐らくは合成弾(トマホーク)

 

「犬飼」

「了解」

 

 二宮と犬飼は一塊となり、二重の『固定シールド』を展開。

 

 その一瞬後、『トマホーク』が着弾。

 

 大爆発が、周囲を呑み込んだ。

 

「ふー、怖い怖い。油断すると一気に持っていかれそうですね」

「無駄口を叩くな。追い立てるぞ」

「犬飼了解」

 

 今の『変化炸裂弾』で、那須が近くにいる事は分かった。

 

 那須は『バイパー』のリアルタイム弾道制御という得難い武器を持っているが、火力はそう高いワケではない。

 

 二宮であれば、トリオンの暴力で強引に叩き潰せる。

 

 多少弾幕を張ろうが、滅多な事では二宮のシールドは破れない。

 

 ただ前に進み、障害を退け、敵を薙ぎ払う。

 

 そのシンプルなゴリ押し戦法(ノースサウスゲーム)を易々と実行出来るのが、二宮の強みである。

 

「────メテオラ」

 

 だが、それを分かっていて二宮の好きにさせる程七海は甘くはない。

 

 七海は建物の屋上から、メテオラを射出。

 

 二宮と犬飼に向け、無数の『炸裂弾』が降り注ぐ。

 

「────メテオラ」

 

 それに対し、二宮は『固定シールド』────ではなく、メテオラで応戦。

 

 近場の障害物に着弾させ、メテオラを爆破。

 

 七海のメテオラは、その爆破に巻き込まれ次々に誘爆。

 

 その爆発は、二宮にまでは届かなかった。

 

「……っ!」

 

 それを見た七海は、即座に撤退を選択。

 

 グラスホッパーを起動し、ジャンプ台トリガーを踏み込む。

 

 同時に再びメテオラを精製し、地面に向けて射出。

 

 無数の爆発が、二宮の視界を塞いだ。

 

 七海はメテオラの爆発を隠れ蓑とし、素早く二宮と距離を取る。

 

 二宮の射程内にいたままでは、ハウンドの絨毯爆撃に捕まって終わりだ。

 

 一度あの弾幕の檻に捕らわれてしまえば、脱出はほぼ不可能。

 

 故に七海はあれから、一度でも攻撃が失敗すれば即座に撤退するよう心掛けていた。

 

 一瞬の判断の遅れが、致命的な情報を生む。

 

 その想いが、七海に逃走を急がせた。

 

「……っ!」

 

 …………だが、そこで七海の『感知痛覚体質(サイドエフェクト)』に反応があった。

 

 七海はすぐさまグラスホッパーを踏み込み、その場から飛び退く。

 

 一瞬後に()()()()()()()が、七海のいた場所を掠めた。

 

 七海は、その斬撃の主を見る。

 

「────よお、七海。遊ぼうぜ」

 

 その斬撃を、スコーピオンの発展形────『マンティス』を使う、七海の師匠にして敬愛する兄貴分。

 

 『影浦隊』隊長、影浦雅人がそこにいた。



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Mental Pain

「二宮隊長の攻撃から離脱した七海隊員、影浦隊長に捕まった……っ! これは厳しいか……っ!」

「此処で影浦くんが来たか。まあ、順当と言えば順当なのかもね」

 

 画面を見ながら加古は、意味深な笑みを浮かべた。

 

「いつもの影浦くんなら、とっくに目当ての相手と戦ってる頃だもの。けど、七海くんが二宮くんから度々逃げ回っている所為で、中々捕捉出来なかったみたいね」

「七海の機動力はえぐいからなー。あれがなきゃ、とうの昔に二宮に捕まって終わってたろ。撤退の判断も素早いし、中々の戦上手じゃねえか」

「でも、それを言うならそもそも二宮くんに何度も仕掛けたのは頂けないわね」

 

 淡々と、ただ事実を言うように加古は告げる。

 

「あの最初の一度の遭遇で、七海くんは二宮くんとの相性の悪さを身を以て知った筈よ。MAP条件もあまり有利とは言えないし、何度も二宮くんに仕掛けるくらいなら他の相手をまず狙った方が効率的だわ」

「しかし、乱戦に巻き込む為にわざと残したという見方も出来るのでは……?」

「いいえ、今回に限って言えば二宮くんは明確に『那須隊』をターゲットにしているわ。他の相手が突っかかって来ても、適当にいなして終わりでしょう」

 

 それに、と加古は続けた。

 

「二宮くんの相手をするなら、随伴してる犬飼くんをまず落とさないとお話にならないわ。二宮くんがあそこまで強気に攻められるのは、防御面を犬飼くんがサポートしているからよ」

 

 確かに、二宮の両攻撃(フルアタック)は強力ではあるが、反面その最中は防御が無防備となる欠点がある。

 

 その為、普段であれば狙撃手が健在である間は二宮は両攻撃を行おうとはしなかった。

 

 ()()()()()()()()、であるが。

 

 今、二宮には犬飼が合流し、防御面のサポートを務めている。

 

 だからこそ、二宮はあそこまで躊躇なく両攻撃を仕掛ける事が出来ているのだ。

 

 この場面で真っ先に落とさなければならないのは、実は犬飼の方なのである。

 

「そう考えると、くまちゃんが真っ先に落ちたのが悔やまれるわね。彼女の立ち回り次第では、犬飼くんを二宮くんとの合流前に落とせた可能性もあったのだし」

「でも、そりゃ結果論じゃねーか。どうすりゃ良かったってんだよ?」

「射手トリガーを『メテオラ』ではなく、別の何かに、たとえば…………いえ、これこそ結果論ね。忘れて頂戴」

 

 加古は何かを言いかけるも中断し、画面に向き直った。

 

「ともあれ、影浦くんに一度捕まった以上容易に抜け出せるとは思えないわ。此処からどうなるか、その判断が明暗を分けるわよ」

 

 

 

 

「なんだあ七海、シケた面してんじゃねえ、よ……っ!」

「……っ!」

 

 影浦は攻撃的な笑みを浮かべ、腕を、スコーピオンを振るう。

 

 七海はそれを紙一重で回避────は、しない。

 

 即座に『グラスホッパー』を起動し、それを踏み込み跳躍。

 

 そして、七海がいた場所に向けて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が突き出される。

 

 スコーピオンを連結させ、射程距離を伸ばす高等技術。

 

 ────『マンティス』。

 

 影浦雅人が生み出した、スコーピオンを使用した独自技術である。

 

 これがある為、影浦の射程距離は他の攻撃手の比ではない。

 

 間合いを見誤れば、一瞬で首を持っていかれる。

 

 七海はそれを知っていたが故に、大幅な回避軌道を取ったのだ。

 

 生半可な回避では、影浦のマンティスを避ける事は出来ない。

 

 影浦自身の身軽さもあり、一度彼に捕まった以上は抜け出すのは至難と言えた。

 

「く……っ!」

 

 だが、七海は即座に撤退を選択。

 

 グラスホッパーを起動し、それを踏み込もうとして────。

 

「────待てやコラ。何処行こうとしてんだ、テメェ」

「……っ!」

 

 ────移動先に突き出されたマンティスの攻撃を察し、グラスホッパーを放棄して慌ててその場から飛び退いた。

 

 振り返れば、影浦が不機嫌そうな表情で七海を見据えている。

 

「俺と戦り合うのが楽しみだったっつうあの言葉は嘘だったのか、お前? なに、いきなり逃げようとしてんだよオイ」

「で、でもカゲさん、早くしないと二宮さんが……っ!」

「関係あっかコラ。捕まったらそん時ゃそん時だろ」

 

 七海の懸念を、影浦はそう言って一蹴する。

 

 唖然とする七海に対し、影浦は舌打ちしつつ告げる。

 

「大体、何をそんな必死になってんだよお前は。負けた所で、何か失うモンがあるワケでもねえ。順位だって、まだまだどうとでもなんだろ。別に、遠征目指してるワケでもねぇだろが」

「……それは……」

 

 確かに、七海は上を目指しているとはいえ、A級になって遠征部隊に選ばれる事までは目指していない。

 

 単純に、A級になっても那須の体調の問題で遠征部隊に選ばれる事はまずないであろう事が分かっているからだ。

 

 太刀川から聞いた遠征艇の内情を知る限り、那須に長期間の遠征が耐えられるとは思えない。

 

 トリオン体ならば自由に動けるとはいえ、万が一を考えれば医療設備の整わない場所に長期間滞在する事は出来ない。

 

 その為、A級そのものは目指しても、遠征部隊に志願する事までは考えてはいなかった。

 

 影浦もその事は知っていた為、こう聞いたのである。

 

 即ち、()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

「…………別に、勝ちに拘る事をどうこう言うつもりはねえよ。誰だって、やるなら勝ちてぇモンだかんな。けどよ、おめーは必死になり過ぎだ。明確な目標があるワケでもねえ癖に、なんでそこまで負けを恐れてんだ?」

「それは……」

「…………チッ、柄にもねえ事させんな。説教なんざ、俺のやる事じゃねえだろうが」

 

 影浦はそう告げると、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「全部忘れて、楽しめよ。七海。下らねぇ事に拘ってねーで、好きなようにやりゃあいいじゃねえか」

「カゲさん、でも俺は……っ!」

「ウダウダ言うんじゃねえ……っ! 行くぞオラア……ッ!」

 

 七海の反論は聞かず、影浦はスコーピオンを────否、マンティスを振り下ろす。

 

 それを七海はバックステップで回避し、逃走を図る。

 

 しかし、影浦はそれを許さない。

 

 更に一歩を踏み込み、鞭のようにしなるマンティスでその行く手を塞いだ。

 

「……っ!」

 

 迫り来るマンティスを、七海は咄嗟にシールドでガード。

 

 尚もそこから逃走しようとするが、その前に影浦が回り込む。

 

「まだ逃げんのか、テメェ……ッ! そんなに、()()()()()()()()()()かよ……っ!」

「……っ!?」

「なんで分かった、って顔だな? その顔に出てんだよ、ハッキリとなあ……っ!」

 

 影浦は攻撃の手を緩めず、マンティスを振るいながら七海を追い立てる。

 

「余計な事考えたままでよぉ、上を狙えると本気で思ってんのかテメェは……っ!? テメェの女の事くれぇ、テメェでどうにかしやがれ……っ! 女に振り回されて、びくついてんじゃねえよ馬鹿が……っ!」

「く……っ!」

 

 七海は影浦の言葉に何も言い返せず、次第に追い込まれて行く。

 

 念願の、影浦との公式の場での戦いの筈だった。

 

 戦いの前にも、確かな高揚があった筈だ。

 

 なのに。

 

 なのに。

 

 何故、こんなにも、苦しい気持ちで戦っている……?

 

 これは、彼との戦いは、自分が望んだものではなかったのか……?

 

(…………本音を言えば、カゲさんとの戦いにのめり込みたい。けど、そうしたら玲が……っ!)

 

 …………そう、それが七海の焦りの原因。

 

 もし、此処で影浦と戦い、二宮に捕捉されてしまった場合。

 

 那須は、必ず無茶をする。

 

 無茶をして、落とされてしまう。

 

 それだけは。

 

 それだけは、七海は看過出来なかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()経験を、たとえ疑似的にでも体験したくはなかった。

 

 ハッキリ言って、眼の前で那須が落とされる所を見てしまえば、七海は冷静でいられる自信はなかった。

 

 ────さよなら、玲一。ずっと、見守っているからね────

 

 …………朧げな意識の中で聞いたあの姉の最期の言葉は、今でも脳裏に焼き付いている。

 

 あの時の絶望は、筆舌に尽くし難い。

 

 あんな経験をもう一度するくらいなら、()()()()()()()だ。

 

 七海の意識は、無意識は、明確にそう訴えていた。

 

 無論、ランク戦と実戦は明確には異なる事は頭では理解している。

 

 しかし、七海の心的外傷(トラウマ)はそれを別個のものとして扱う事を許さない。

 

 仮想空間の、負けても死なない戦いであると分かっていても、()()()()()()()()()()()()()という想いがどうしても先行してしまう。

 

 しかし同時に、七海には那須への負い目がある。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という想いが、那須の行動を阻む事を拒んでいる。

 

 那須の要求を、拒む事が出来ないでいる。

 

 今、那須は熊谷の仇討ちの為に二宮を落とす事を欲している。

 

 その願いを叶える為には、こんな所で足止めを喰らうワケにはいかない。

 

 たとえ、その相手が戦う事を熱望していた自分の師匠だとしても。

 

 那須の願いを、受け入れないワケにはいかない。

 

 それが、どれ程歪な思考なのかも気付かないまま。

 

 七海は、尚も逃走にだけ意識を向ける。

 

 此処から離脱して、機会を作り、二宮を落とす。

 

 その為に、七海は己の師に背を向けた。

 

 …………背後から、失望の溜め息が聞こえた。

 

 尚も己のエゴに拘る七海に。

 

 影浦は、激しい怒りを燃やした。

 

 

 

 

『…………ユズル。狙え』

「…………分かった」

 

 通信から、影浦のドスの効いた声が聞こえる。

 

 ユズルは何も聞き返さず、了解の返事を伝えた。

 

 彼としては七海の気持ちは分からないでもないが、影浦の怒りも同様に理解出来る。

 

 此処で影浦が物理的に七海の性根を叩き直すと言うのなら、ユズルとしても否はなかった。

 

 ユズルは狙撃銃を構え、スコープに標的を映し出す。

 

 狙うのは影浦と戦り合っている七海────ではない。

 

 単に七海を狙っても、サイドエフェクトで察知されて避けられるのがオチだ。

 

 だからこそ、七海が()()()()()()()()に誘導する。

 

 好機は、()()()の方からやって来ていた。

 

 

 

 

「玲一……っ!」

「玲……っ!?」

 

 影浦に捕まった七海の姿に、業を煮やしたのだろう。

 

 分割したトリオンキューブを従えた那須が、物陰から飛び出した。

 

「出て来たか、那須……っ!」

 

 影浦は怒りの形相のまま那須を睨みつけ、彼女に向かってマンティスを伸ばす。

 

 しかし、頭に血が登ってはいても那須は戦闘巧者。

 

 決して影浦の射程距離には近寄らず、バイパーを放つ。

 

「うざってぇな……っ!」

 

 だが、影浦もまた回避技術は相当なものがある。

 

 マンティスの使用中は両攻撃状態でシールドを出せないにも関わらず、影浦は身のこなしのみで全てのバイパーを躱し切る。

 

 だが、影浦といえど複雑な軌道を描くバイパーを躱し切るには攻撃の手を緩めざるを得ない。

 

 その隙を逃さず、七海はグラスホッパーを用いてその場から離脱。

 

 那須と合流し、そのまま逃走を図る。

 

「やっぱ、そうすんのか。テメェは……っ!」

 

 ()()()七海が逃走を図った事に、影浦は激情を露わにする。

 

 そして、告げる。

 

「────やれ、ユズル」

『了解』

 

 簡潔な、攻撃命令。

 

 命令に従った狙撃手の弾丸が、()()()()()()()放たれた。

 

 

 

 

「……っ!」

 

 その弾丸の存在に気付いたのは、当然サイドエフェクトを持つ七海だった。

 

 彼のサイドエフェクトの感知によれば、弾丸は那須の身体を貫通してそのまま自分に直撃する弾道を描いている。

 

 那須は自分と違いグラスホッパーを持っていない為、空中では足場がなければ回避機動を行えない。

 

 かと言って下に降りれば、影浦に再び捕まってしまう。

 

 故に、手段は一つ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 七海は、それを即座に実行に移し、狙撃を、()()()()の一撃を受け止めた。

 

 

 

 

「防がれた……っ!?」

 

 その狙撃を防がれたユズルは、驚きの声をあげる。

 

 敢えて七海を直接狙わず、彼にも当たる軌道で那須を狙った。

 

 そうする事で七海に那須を庇わせ、強引に被弾させるつもりだった。

 

 だが、此処で躊躇なく両防御(フルガード)でアイビスを凌ぎ切るとは思っていなかった。

 

 渾身の一射は、無駄に終わった。

 

 少なくともユズルは、そう判断した。

 

 

 

 

「────」

 

 しかし、()は違った。

 

 白いバッグワームを着た彼は、『アイビス』を構え、引き金を引く。

 

 『始まりの狙撃手』の狙撃が、東の一射が、放たれた。

 

 

 

 

「……え……?」

 

 最初、那須は何が起きたのか分からなかった。

 

 突然自分の側面に展開されたシールドで狙撃が防がれた事は、分かった。

 

 自分には反応出来なかった狙撃を、七海が感知して防御してくれたのだと理解した。

 

 けれど。

 

 けれど。

 

 その直後、七海が自分の身体を強引に引き寄せ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()所を見て、完全に思考が停止した。

 

 一射目とは別の場所から放たれたその狙撃は、自分を狙ったものだった筈だ。

 

 七海が那須の身体を引き寄せなければ、その弾丸は那須に直撃していた筈だ。

 

 だが、七海はそれを察知し、()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その状況は、否応なく那須の記憶の奥底、最も忌まわしき記憶を想起させる。

 

 ────玲一、玲一……っ!────

 

 降りしきる雨の中、右腕を失った玲一を、刻一刻と死に向かう幼馴染を見ているしかなかった記憶が蘇る。

 

 恥ずかしげもなく玲奈に縋り、結果として彼女にその命を投げ出させてしまった記憶が、明確な心の痛みと共にリフレインする(繰り返される)

 

 那須の眼に映るのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()の姿。

 

 過去の記憶と、現在の映像が、混ざり合い、重なり、彼女の心を搔き乱す。

 

 その一瞬、その光景を見て。

 

 那須の感情は、決壊した。

 

「あ、あ、あぁ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……っ!!!!!」

 

 抑え切れない激情が溢れ出した那須は、七海の右腕を奪った()を、狙撃手を仕留めんと、脇目も振らずに跳躍した。

 

 自分を制止する七海の声も、最早聞こえない。

 

 ただ、堰を切った激情の命ずるまま、大切なものを害した敵を討ち果たす。

 

 今の彼女には、それしかなかった。

 

 それしか、考える事が出来なかった。

 

 思考が染まる。

 

 怒りに、憎悪に、そして悲嘆に。

 

 真っ赤になった思考回路で、那須は()の居所を目指した。

 

「…………あ…………」

 

 ────けれど、そんな猪武者など格好の的。

 

 狙撃の第二射が、那須に向かって撃ち放たれた。

 

 激情のままに跳躍した彼女に、回避する余地など有りはしない。

 

 弾丸は寸分違わず、那須の胸に吸い込まれ────。

 

「ぐ……っ!」

「…………え…………?」

 

 ────那須の前に飛び出した、七海の胸を貫いた。

 

 その衝撃で那須と共に七海の身体は近くの建物の屋上へと吹き飛ばされ、落下する。

 

「…………だい、じょうぶか……?」

「れい、いち……」

 

 胸を射抜かれた七海は傷口から全身に罅割れが広がり、トリオンが漏れ出していた。

 

 致命傷なのは、見れば分かる。

 

 負けても、命は失われない。

 

 それが分かっていても、その光景は否応なく過去の悪夢を想起させる。

 

 その姿を見た那須に、激しい後悔が襲い掛かる。

 

 唯一、幸運な事があるとしたら。

 

 ────七海の身体が崩れ去る前に、別方向から放たれた狙撃(ユズルのアイビス)により、那須もまた、致命傷を負った事だろうか。

 

『『戦闘体、活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 奇しくも、同時。

 

 同時に告げられた機械音声が、那須と七海、二人の敗北を告げた。



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Bargaining

「こ、これは……っ! 東隊長の狙撃により七海隊員が、絵馬隊員の狙撃により那須隊長がそれぞれ『緊急脱出』……っ! ROUND1より快進撃を続けて来た『那須隊』が、此処に来て壊滅状態に陥りました……っ!」

 

 会場は、重い空気に包まれていた。

 

 那須を狙う事で()()()()()()()という特性を持つ七海相手に狙撃に当たるよう誘導したユズルと東の機転も然る事ながら、七海が撃たれた後に見せた那須の鬼気迫る表情が皆の網膜に焼き付いている。

 

 普段の落ち着いた笑顔をかなぐり捨てての、感情を剥き出しにした那須の姿は、思わず目を背けてしまうような痛々しさがあった。

 

「上手く那須さんを狙う事で、七海くんを釣り出したわね。彼が那須さんを必ず庇う事を知っていれば、当然の選択だわ」

 

 だが、此処は公的な解説の場。

 

 加古は決して私情は挟まず、解説に終始した。

 

「そうだなー。流石ユズル、って感じだな。東さんに横から掻っ攫われた格好だけど、その後できっちし那須を獲ってんのは良い判断だ」

 

 その配慮を感じ取ったのだろう。

 

 当真もまた、戦況だけを淡々と解説した。

 

 俺が鍛えたんだぞー、とアピールする事は忘れていなかったが。

 

「これで『那須隊』は日浦隊員を残すのみとなりましたが、どう思われますか?」

「そうだなー。日浦だけ残っても、得点狙うのはきちーだろ。味方のフォローが前提の立ち回りだからなー、あの子。これ以上のロスを抑えるなら、距離を取って自分から『緊急脱出』するしかねーんじゃねえの?」

 

 当真は多少辛辣ながらも、狙撃手としての見解を述べる。

 

 茜は確かにROUND1、ROUND2と続けて得点源となっているが、それは味方の援護が大前提として立ち回った結果である。

 

 彼女単独の得点力となると、ライトニングを主武装としている以上射程や威力の問題もあり、厳しいと言わざる負えない。

 

 当真としても、彼女が一人で奮闘しても良い結果が得られるとは思えなかった。

 

「それはどうかしら? 何も、安全策だけが手じゃないと思うわよ?」

「ほーう、どういうこった? 日浦がこの状況で、やれる事があるっつーのか?」

「ええ、勿論」

 

 だが、その考えに加古は待ったをかけた。

 

 当真の訝し気な視線も意に介さず、微笑みを称えた目で加古は告げる。

 

「あの隊で一番メンタルが強いのは、ある意味あの子よ。あれで中々、肝が据わった子なのよね」

 

 

 

 

『茜、那須隊長と七海先輩が落ちたわ。どうするの?』

「…………」

 

 通信から、小夜子の声が聞こえる。

 

 茜は今隊の中で生き残っているのが自分だけである事を知り、ぎゅっと拳を握り締めた。

 

 那須や七海が落ちた経緯に、思う所がないワケでもない。

 

 だが、後悔なら後でも出来る。

 

 今はまだ、試合の最中。

 

 出来る事をやってからでも、後悔するのは遅くない。

 

「志岐先輩、レーダーの精度を上げるのでMAP情報を転送して下さい。それから、────────の解析って出来ますか?」

『出来るわ。すぐ終わるから待ってて』

「はい、お願いします」

 

 茜はそう告げると、小夜子が仕事を終えるのを待った。

 

 雪降る街で、茜は一人白銀の世界の向こう側を見据える。

 

 その眼には、確固たる決意が宿っていた。

 

 

 

 

「七海は仕留めた。辻をこれ以上その場所で足止めする必要はない。一旦退いて、例の場所まで誘導してくれ」

『了解しました』

 

 通信越しに奥寺達に指示を下し、東は溜め息を吐いた。

 

 奥寺と小荒井は、現在辻の相手を務めている。

 

 彼等は七海の手管によって辻の相手を押し付けられたように見えたが、実は違う。

 

 最初から彼等は、辻を足止めするつもりでいたのだ。

 

 東はこの試合で、最初から七海に那須を庇わせてそこを狙撃で仕留めるつもりだった。

 

 その為には、七海が逃げに徹している最中、跳躍中で身動きが取れない那須を狙う、というシュチュエーションが必要になる。

 

 あそこで辻が影浦との乱戦に合流すれば、七海は那須の所に辿り着けず、那須を庇える位置に付けない可能性があった。

 

 七海を直接狙った所で、サイドエフェクトによって容易に避けられてしまう。

 

 ならば、七海が()()()()()()()()()()()()()()()()のが一番手っ取り早い。

 

 そして、七海は那須を狙えば必ずそれを庇う。

 

 そうと分かれば、やる事は単純だ。

 

 敢えて七海が気付く弾道で那須を狙撃で狙い、七海にそれを庇わせる。

 

 そうする事によって、七海を回避ではなく防御行動へと誘導する。

 

 それが、東の立てた作戦だった。

 

 この試合、作戦の基本方針は奥寺と小荒井の二人が立てたものにしているが、七海を仕留める算段を付ける為に東は自分の戦術を作戦に組み込んだ。

 

 七海と二宮の相性の悪さは初めから分かっていた為、一度二宮と相対すれば七海は逃げに徹するだろうと分かっていた。

 

 そして、彼の師匠筋である影浦が、七海との公式戦での戦いを熱望していた事も知っていた。

 

 ならば、話は簡単である。

 

 二宮に追い立てられた七海が影浦から逃走する隙を突き、七海が合流するのを待ってから那須を狙撃で狙う。

 

 あの影浦から逃げるのならば、複雑な軌道での逃走はなく最短距離での撤退を選ぶ筈だ。

 

 故に東は、二人の逃走ルートを狙える位置で彼等が網にかかるのを待ち構えていた。

 

 そして、奇しくも同じ事を考えていたユズルの第一射で出来た隙を突き、七海の右腕を吹き飛ばした。

 

 ちなみに、右腕を狙って吹き飛ばしたのもわざとである。

 

 彼等の過去については、東も聞き知っていた。

 

 だからこそ、敢えて心的外傷(トラウマ)を想起させるようなシュチュエーションを作り出し、過去の疵を再現して見せた。

 

 案の定冷静さを失った那須は無謀な突貫を行い、それを庇った七海は東の第二射で致命。

 

 その那須もまた、ユズルの第二射で脱落した。

 

 これで、狙撃を行う上で一番の障害であった七海は仕留められた。

 

 七海はサイドエフェクトで狙撃を察知出来る上に、グラスホッパーを装備している為下手に狙撃を行えば容易く回避された上に瞬く間に接近され、刈り取られる。

 

 影浦と違い殺気を消しても問答無用で察知出来る為、東でさえきちんと作戦を立てなければ仕留める事は出来なかった。

 

 だが、その七海が盤面から消えた以上東は格段に動き易くなった。

 

 狙撃を感知出来る影浦も、殺気を消した東の狙撃までは察知出来ない。

 

 加えて七海と違ってグラスホッパーを持っていない為、充分な距離を取れば逃げ切りも不可能ではない。

 

 奥寺と小荒井の二人に足止めを任せれば、充分逃げ切れる。

 

 故に、今二人に辻の相手をさせるのは得策ではない。

 

 可能であれば、辻を東の射程内に誘導し、そこで仕留める。

 

 もしくは、乱戦に釣られてやって来た影浦を、狙撃で仕留める。

 

 どちらであっても、『東隊』に損はない。

 

 七海を仕留められた後は、最初からそうする手筈であった。

 

 東としては七海を仕留めた事でこのROUNDでやるべき仕事は終えたと考えている為、あとは奥寺達の好きにさせるつもりであった。

 

 本来ならばこの試合も全て奥寺達に任せたかったが、『那須隊』の弱点はなんとしてでも此処で突いて置きたかった。

 

 今のままでは、『那須隊』はこれより上には上がれない。

 

 致命的な弱みを抱えたまま通用する程、B級上位の壁は薄くはないのだ。

 

 それを自覚し、改善に繋げられたのであれば御の字だ。

 

 『那須隊』の面々には恨まれるかもしれないが、それもまた自分の仕事であると東は割り切っていた。

 

 狙撃と戦術によって相手の弱点を突き、相手にその弱みを自覚させて改善を促すのが東のやり方だ。

 

 これまでも、東に物理的に弱点を矯正された隊員は数知れない。

 

 中にはそのまま折れてしまう者もいたが、そうなってしまったらそれはそれで仕方ないとも思っている。

 

 その程度で折れるようなら、戦場ではやっていけない。

 

 厳しいと思うかもしれないが、自分達がやっているのは遊びではないのだ。

 

 ランク戦はスポーツ的な側面がある事は否定しないが、その根幹の目的は実戦を想定した()()()()である。

 

 戦場では、心に隙がある者から死んでいく。

 

 たとえ未成年だろうと、相手が容赦してくれる理由にはならない。

 

 一度戦場に出た以上、その命はあくまで自己責任で護らなければならない。

 

 それが出来ない者を、戦場に立たせるワケには行かない。

 

 だからこそ実戦に出るのはB級以上の隊員であると限定しているし、覚悟の足りない者は永遠にC級(訓練生)のまま燻り続けている。

 

 実力が足りているとは言い難いB級下位の者達も、最低限の戦場に立つ覚悟だけは備えている。

 

 そうでなくば、B級にはなれはしない。

 

 だからこそ、ランク戦という()()()の場があるのだ。

 

 此処で折れるようなら、そこまで。

 

 そういう考えが、東にはあった。

 

「さて、これで『那須隊』に残っているのは日浦だけだが、どうなるか。リスクを避けて『緊急脱出』するのか、それとも……」

 

 

 

 

「じゃあ辻先輩、おっ先ー……っ!」

 

 小荒井はわざとらしく笑みを浮かべ、グラスホッパーを踏み込んで奥寺共々辻から距離を取り、そのまま逃走を図った。

 

 突然の反転に瞠目した辻だが、すぐさま彼等を追いかけながら通信を繋ぐ。

 

「隊長、奥寺と小荒井が撤退しました。このまま追いますか?」

『ああ、だが深追いはするな。恐らくそいつらが向かう先には東さんがいる。東さんのおおまかな位置だけでも分かれば良い。狙撃には警戒しろよ』

「辻了解」

 

 隊長の許可を取り、辻はバッグワームを纏い走り出す。

 

 『グラスホッパー』を持つ二人に追いつける筈もないが、二人の目的が自分の誘導であればつかず離れずの距離を維持する筈。

 

 そう考えた辻の想像通り、視界の先にちらちらと後ろを振り返りながら駆ける小荒井達の姿が見えた。

 

 わざわざ振り返ってまでこちらを視認しているのは、辻がバッグワームを使っているからだろう。

 

 レーダーに映らない以上、辻がちゃんと追ってきているかを確認するには肉眼で視認する他ない。

 

 狙撃手が高所から俯瞰して動きを教えるという手もあるが、辻は射線の通り難い裏路地や建物の隙間などを選んで移動している。

 

 その為、こちらの動きを気にする小荒井達の狙いが丸わかりだ。

 

 東直々の教導を受けているとはいえ、彼等はまだ『ボーダー』の中では若手。

 

 駆け引きに関しては、そこまで熟達しているワケではない。

 

 まだ動きの所々に、青臭さが伺える。

 

 連携の練度自体は目を見張るものがあるが、そのあたりが今後の課題だろう。

 

 辻は二人の動きを観察しながら、距離を詰めるべく雪道を駆ける。

 

 二人の速度も、緩んで来ている。

 

 恐らく、東が待機している地点が近いのだろう。

 

 そろそろ退き時か、と辻が周囲を警戒した、その刹那。

 

「……っ!」

 

 横合いから鞭のようにしなる刃が飛んで来て、辻は反射的に『弧月』でそれを受け止めた。

 

「よぉ、今俺ぁ機嫌悪ぃんだよ。ちっと憂さ晴らしに付き合えや」

「…………影浦さん……」

 

 その刃、マンティスを振り抜いた少年────影浦は、そう言って獰猛な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

「奥寺隊員、小荒井隊員を追っていた辻隊員、此処で影浦隊長に捕まった……っ! 奥寺、小荒井両隊員も反転し、乱戦の構えか……っ!」

「影浦くん、東さんじゃなくて辻くんの方を狙ったのね。案外冷静じゃない」

 

 加古は戦況を見据え、笑みを浮かべる。

 

 東は二度の狙撃の敢行により、影浦に位置がバレている。

 

 普通の狙撃手であればそのまま狙撃手狩りに向かう影浦だが、東相手だとそうもいかない。

 

 何せ、東の殺気のない狙撃は影浦のサイドエフェクトを潜り抜けてしまうからだ。

 

 七海と違い、()()が攻撃に乗っていなければ、その攻撃を察知する事は出来ない。

 

 東は殺気を消して狙撃を行う事が出来る為、狙撃手でありながら影浦との相性は最悪なのだ。

 

 故に、影浦も東相手では慎重にならざるを得ない。

 

 近距離(クロスレンジ)では圧倒的な攻撃能力を持つ影浦だが、遠距離からの察知出来ない狙撃となれば対抗手段は限られる。

 

 その為、無理に東を追うよりは辻を仕留めに向かった方が良いと判断したのだろう。

 

 この試合で影浦が戦いたがっていた相手が既に脱落していた事も、彼に安全策を取らせた一つの要因である。

 

「乱戦になれば、影浦くんが有利ね。今彼等がいる場所は少し射線が通り難いから、東さんが狙撃位置に付くまでに小荒井くんか奥寺くんを落とせれば、一気に均衡が崩れるわ」

「確かにそうなるな。あの二人は、二人揃うとつえーけど一人だけならそこまでじゃないしな」

 

 けどよ、と当真は続ける。

 

「まだ、『緊急脱出』してねーのな日浦は。誰にも捕捉されてねーし、距離を取って『緊急脱出』する事自体は出来ると思うんだがなー」

「それはきっと、茜ちゃんが戦う事を選んだから、でしょうね」

 

 当真の言葉に、加古はそう答えた。

 

 訝し気な表情を浮かべる当真に、加古は話し始めた。

 

「確かに、これ以上点を取られないように自発的な『緊急脱出』をするのがベターに思える。けれどこの試合、『那須隊』はまだ一点も取れていないのよ」

 

 そう、確かに自分の意志で『緊急脱出』するのは相手チームとリードを広げられないようにするには有効な手だが、それは少なくとも点を挙げた後に取るべき戦略だ。

 

 今回のROUND3で、『那須隊』は未だ一点たりとも獲得していない。

 

 そんな状態で茜が『緊急脱出』を選べば、点差は開く一方だ。

 

 だが、もしも茜が誰かに落とされたとしても得点を挙げる事が出来たなら。

 

 ()()()()()()()()()は、最低限に抑えられる。

 

 だからこそ、茜は戦うという選択をした。

 

 そして今も、狙撃手として身を潜め得点のチャンスを狙っている。

 

 それが、最善の行動だと信じて。

 

「ランク戦では、失点より得点が大事。リスクを恐れていては、何も出来ないわ」

 

 それに、と加古は続ける。

 

「きっと彼女は、勝算を持って動いているわ。彼女達のオペレーターは、優秀だからね」

 

 加古は画面の一点を見詰めながら、そう告げる。

 

 試合は、既に佳境。

 

 その中で、茜は孤独な戦いを始めていた。



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military gains

「……………………」

「茜……」

 

 『那須隊』の作戦室で、生身の身体に戻った那須と熊谷は、未だに画面の向こうで戦っている茜の姿を複雑な面持ちで見据えている。

 

「…………」

 

 後ろからそれを見ている七海も何も言えず、作戦室には小夜子のキーボードを叩く音だけが響いている。

 

 小夜子もまた、そんなチームメイト達には敢えて話しかけはせず、茜のサポートに集中している。

 

 茜の姿を、三人に見せつけるように。

 

「…………目を、逸らさないで下さい。私にも、先輩達にも、見届ける義務がある筈です」

 

 返答は、なかった。

 

 しかし、三人は沈痛な面持ちで、それでも顔を上げた。

 

 今はそれだけで良しとし、小夜子は茜のサポートを再開した。

 

 それが、今出来る最善と信じて。

 

 

 

 

「オラア……ッ!」

 

 影浦は腕を振るい、鞭のようにしなるマンティスを振るう。

 

 その標的とされた辻は『弧月』でその刃を受け止めながら、一歩下がる。

 

 だがそこに、側面から奥寺と小荒井が同時に斬りかかる。

 

 二方向から挟み込むようにして斬り込む二人に対し、辻の取った手段は単純明快。

 

「────旋空弧月」

「……っ!」

「うわ……っ!」

 

 『旋空』を起動し、拡張ブレードで二人纏めて薙ぎ払う。

 

 しかし、それをまともに受ける程奥寺も小荒井も未熟ではない。

 

 今はまだ発展途上とはいえ、二人は東の教導の下B級上位に居座り続ける実力者。

 

 旋空相手に受け太刀は不利な事を知っている二人は、グラスホッパーを起動しそれを踏み込み、跳躍。

 

 『旋空弧月』の軌道から、一瞬にして退避した。

 

「……っ!」

 

 しかしすかさず、影浦が辻を追撃。

 

 辻は再び弧月で受け太刀しようとして────『マンティス』の刃は、別方向に跳ね上がった。

 

「うわっと……っ!」

 

 狙われたのは、辻に再び斬りかかろうとしていた小荒井。

 

 小荒井は間一髪で身体を捻り、マンティスの斬撃を回避。

 

 グラスホッパーを用いて、影浦から距離を取った。

 

「気を付けろ。迂闊に影浦先輩の射程に踏み込むな」

「分かってるって、危ねぇ危ねぇ」

 

 離れた場所に着地した小荒井と奥寺は、慎重に影浦との間合いを図っている。

 

「……チッ……」

 

 影浦としては七海が脱落した以上、誰を狙うかについての執着は特にない。

 

 ただ、燻った苛立ちをぶつけられる相手がいれば誰でも良かった。

 

 一番それをぶつけるべき相手は、既にこの場からいなくなっているのだから。

 

『カゲさん、そろそろ二宮さんが来るよ。その前に誰か仕留めておきたい。動き、止められる?』

 

 ユズルからの通信を聞き、影浦の動きが一瞬止まる。

 

 ほんの一瞬思案する素振りをした後、影浦は答えを返した。

 

『…………出来ねぇと思うか?』

『了解』

 

 影浦が作戦を了承した事を確認すると、ユズルは通信を切った。

 

 そして、影浦は鋭い眼光で辻を睨みつけ、飛び掛かる前の獣のように身を沈ませた。

 

「…………行くぜ」

 

 影浦は腕を振り上げ、辻に向かって斬りかかった。

 

 

 

 

「…………日浦が『緊急脱出』する素振りがないな。何処かで隠れて、機を伺っているのか……」

 

 東は戦況をスコープで俯瞰しながら、一人呟く。

 

 七海と那須の脱落からそれなりに時間が経過しているのに、茜が『緊急脱出』する素振りは見えない。

 

 前の試合、茜はテレポーターを使用していた。

 

 もしも自発的な『緊急脱出』する為の距離が足りなかったのだとしても、テレポーターを用いれば距離を稼ぐ事など造作もない筈。

 

 即ち、彼女に自発的に『緊急脱出』する気があるならとうにしていなければおかしいのだ。

 

(…………だが、どうやって点を取る気だ? 今までの試合の立ち回りを見る限り、あの子の基本戦法はあくまで味方のサポートである筈。単騎で相手を仕留められるタイプの狙撃手ではない筈だが……)

 

 茜は前期の試合では那須の援護に終始し、今期の試合でもあくまで味方のサポートとして振る舞っていた。

 

 その支援能力は特筆すべきものがあるが、反面単騎での得点能力は低いと東は見ていた。

 

 彼女の得意とするライトニングは弾速と速射性が武器であり、威力は狙撃銃の中で最も低くシールドを貫く事は出来ない。

 

 確実に相手の急所に当てなければ、致命傷を与える事も難しい。

 

 茜はその弱点を、味方の攪乱能力を当てにする事で補っていた。

 

 必然的に、味方が全員脱落してしまった現在、彼女が相手を仕留める事は難しくなっている筈だ。

 

 仮に相手を仕留められたとしても、その後に彼女がやられてしまえば得点の差を縮める事は出来ない。

 

 確かにランク戦では失点より得点が大事だが、それでも一点のロスは痛い筈だ。

 

 ライトニングの射程を考えれば、主戦場に介入して得点した所でその後の追撃を避けられるとは思えない。

 

 今の状態で茜が一方的な利益を得るには、狙撃で得点を得ながら自発的に『緊急脱出』する為の距離を稼ぐ必要があるワケだが……。

 

「…………いや待て、もしかすると、彼女は……」

 

 そこで東は一つの()()()に思い至り、笑みを浮かべた。

 

「…………試してみる価値はありそうだな、これは。或いは、面白いものが見れるかもな」

 

 

 

 

『奥寺、小荒井、辻の動きを止めろ。俺が狙う』

『了解』

『了解っす』

 

 東からの通信による指示を受け、奥寺と小荒井は辻に向かって斬りかかった。

 

 今日は普段より東からの指示が来る事が多いな、と思いながらも彼等に指示に従う事に関して否などあろう筈もない。

 

 東の采配を信じ、二人は全力で辻に斬りかかる。

 

 前方から影浦、右から小荒井、左から奥寺に斬りかかられた辻は、その場からバックステップで退避。

 

 それと同時に旋空を起動し、三人を同時に薙ぎ払う為刃を振るう。

 

「チッ……!」

「……っ!」

「おわ……っ!」

 

 影浦、奥寺、小荒井は同時に跳躍し、旋空孤月を回避。

 

 奥寺と小荒井はグラスホッパーを起動し、辻の側面に回り込む。

 

 そのまま辻に斬りかかろうと、二人はグラスホッパーを起動し────。

 

『二人共、下がれ……っ! ハウンドが来るぞ……っ!』

『『……っ!』』

 

 ────東の声で上空から迫りくる無数の光弾に気付き、グラスホッパーの向きを変えてその場から離脱した。

 

 しかし、追尾性能を持った弾丸は尚も二人を追い縋る。

 

「うひゃあ……っ!」

「く……っ!」

 

 二人は脇目も振らず、グラスホッパーを連続起動しその場から逃走を図る。

 

 流石にグラスホッパーの加速は追い切れないのか、ハウンドの追撃を二人はなんとか切り抜けた。

 

「……っ!」

 

 ────だが、その機を逃さぬ者がいた。

 

 いつの間にか二人の側面に近付いていた影浦が、小荒井に向かってマンティスを振り下ろす。

 

 回避を許さぬタイミングで、影浦の刃が牙を剥く。

 

「────」

 

 だが、絶体絶命の窮地となった小荒井の顔に────笑みが、浮かんだ。

 

「……っ!」

 

 その小荒井の()()を察知した影浦は、咄嗟に腕を引っ込めた。

 

 そして、次の瞬間────遠方からの狙撃で、マンティスの刃が砕け散る。

 

 もし、腕を引っ込めるのが遅れていれば、影浦の右腕は撃ち抜かれていただろう。

 

 しかし、影浦が隙を晒してしまった事実は変わらない。

 

 今なら、いける。

 

 そう考えた小荒井は、味方の指示を待たずに影浦に斬りかかり────。

 

「……え……?」

 

 ────その身体を、狙撃によって吹き飛ばされた。

 

「狙撃……っ!? ユズルか……っ!?」

 

 『アイビス』の狙撃により、胴体のど真ん中を吹っ飛ばされた小荒井は何が起きたかを遅れて理解し、しかし時既に遅く。

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 機械音声が彼の脱落を告げ、小荒井は戦場から離脱する。

 

「小荒井……っ!」

 

 味方がやられ、動揺する奥寺。

 

 しかし、彼もまた、己に忍び寄る脅威に気付けなかった。

 

「が……っ!?」

 

 思考の空白に、無数の弾丸が撃ち込まれる。

 

 奥寺の背後から飛来した無数のハウンドが、彼の身体を撃ち貫いた。

 

 振り向けば、遠目に見える二宮の姿。

 

 距離を詰められ、射程内に入れられた事を知った奥寺もまた、時既に遅し。

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出』』

 

 機械音声が敗北を告げ、奥寺もまた脱落する。

 

「……チッ……」

 

 それを見届けた影浦は、踵を返して撤退した。

 

 

 

 

「カゲさん、後は隠れてタイムアップを狙おう。東さんがいる中で、三人揃った『二宮隊』を相手にするのは無茶だ」

『……ったく、オメェも下手こくなよ……』

「了解」

 

 ユズルは影浦との通信を終えると、スコープ越しに主戦場を見据えた。

 

 影浦は既にその身軽さを活かして離脱しており、『二宮隊』の三人はそれを追う素振りはない。

 

 矢張り、自分と東の狙撃を警戒しているのだろう。

 

 今の狙撃で居場所は割れているものの、自分と東の位置は全くの逆方向。

 

 どちらかを狙えば、もう片方にやられかねない。

 

 自分の位置も東の位置も、そこに辿り着くまでには射線が通り易い場所を通過しなければならない。

 

 隠れ潜んだ影浦の奇襲も考慮すれば、堅実な手を好む『二宮隊』は無理をしてまで追っては来ない筈だ。

 

 既に『二宮隊』は三得点を獲得しており、得点数では既に四部隊の中でトップに立っている。

 

 後はタイムアップを待つだけで、『二宮隊』の勝利が決まる。

 

 その事については癪だが、『影浦隊』も二得点を獲得している。

 

 最良とは言い難いが、まずまずの戦果と言えるだろう。

 

 ユズルも、この後は隠密に徹してタイムアップを待つつもりであった。

 

 だからユズルはアイビスを手に、その場から立ち上がろうとして────。

 

「……が……っ!?」

 

 ────その脳天を、閃光が撃ち貫いた。

 

 威力と弾速から察するに、使用されたのは『ライトニング』。

 

 そしてこの試合でライトニングを多用する者は、一人しかいない。

 

「日浦さんか……っ!」

 

 油断した。

 

 彼女はあくまで支援が主であり、単独での得点能力は低いと見誤った。

 

 ユズルの位置を特定したのは、恐らく弾道解析によるものだろう。

 

 小荒井を狙撃した時の弾道を解析し、彼の位置を割り出したに違いない。

 

 最初の狙撃の後移動したとはいえ、主戦場から離れるワケには行かなかった以上そこまで大きく場所を移したワケではないのだから。

 

 しかし、小荒井を仕留めてから殆ど時間は経過していない。

 

 つまり、那須を仕留めた時の狙撃も弾道を解析されており、そこから大まかなユズルの位置を逆算したのだろう。

 

 そして近くに潜み、ユズルが狙撃するのを待って位置を特定。

 

 狙撃位置に付き、狙い撃った。

 

 恐らく、テレポーターを用いて。

 

 テレポーターは、移動先を視界に入れてさえいれば、数十メートルを一瞬にして移動出来るトリガーだ。

 

 茜はそれを使い、ユズルの狙撃後即座に最適な狙撃位置に付き、狙撃を敢行したのだろう。

 

「……やられたな」

 

 既に致命傷であると悟ったユズルは、自分を仕留めた狙撃手に賛辞を贈る。

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出』』

 

 そして、機械音声がユズルの敗北を告げる。

 

 最年少狙撃手は、少女の狙撃によって戦場から脱落した。

 

 

 

 

「……よし……っ!」

 

 ビルの屋上からそれを見届けた茜は、笑みを浮かべた。

 

 そして、間髪入れずに最後の行動に映る。

 

「『緊急脱出(ベイルアウト)』……ッ!」

 

 茜は自らの意志で、『緊急脱出』を使用。

 

 彼女は誰に落とされる事もなく、戦果と共に戦場から離脱した。

 

 

 

 

「小荒井隊員、奥寺隊員が続けて『緊急脱出』……っ! 更に絵馬隊員も日浦隊員の狙撃により、『緊急脱出』……っ! 日浦隊員も、自発的に『緊急脱出』しました……っ!」

「鮮やかな仕事ぶりね、茜ちゃん」

 

 綾辻の実況を聞き、加古は笑みを浮かべた。

 

 その横では、当真が唖然とした表情で画面を凝視していた。

 

「…………おいおい、こりゃとんだ番狂わせだな。まさか、日浦の嬢ちゃんがユズルを仕留めた上に、勝ち逃げするたぁな」

「だから言ったでしょう? ()()()()()()()()()()()って。初めから、茜ちゃんはユズルくんにだけ標的を絞って動いていたのよ」

 

 そんな当真を面白気に眺めながら、加古は続けた。

 

「確かにランク戦では失点より得点が大事だけれど、余計な点を相手に与えないに越した事はないわ。つまり、茜ちゃんが最大の戦果を挙げるには、狙撃した後間髪入れずに『緊急脱出』する必要があった」

 

 でも、と加古は告げる。

 

「主戦場に介入して得点しても、自発的な『緊急脱出』の条件である他の部隊の隊員との距離60m以上を稼ぐのは難しいわ。だから茜ちゃんが狙ったのは、主戦場に介入するべく潜んでいた狙撃手────つまり、ユズルくんね」

 

 東さんを狙うのは流石に厳しいだろうしね、と加古は付け加えた。

 

「東さんはこのMAPを選択した部隊の隊長だし、小荒井くん達の装備を見れば『東隊』は全員が雪用の迷彩装備で臨んでいるのが分かる。MAP条件も知り尽くしている事も加味すれば、東さんを狙うのが無謀なのは一目瞭然ね」

 

 良い判断だわ、と加古は無理をしなかった茜を称賛する。

 

 この試合、那須と七海は無理をして二宮を狙った事で敗北を喫した。

 

 それを見ていた茜は決して無謀な真似はせず、()()()()()を狙い撃った。

 

 その冷静な判断を、加古は称賛したのだ。

 

「恐らく、那須さんを狙った時の弾道をオペレーターに解析させていたのでしょうね。そこでユズルくんの大まかな位置を確認して、ユズルくんが動くのを待って再び弾道解析をかけて位置を特定、狙撃した。多分、移動には『テレポーター』を使ったんでしょうね」

「…………だろーな。ったく、ホント見誤ってたぜ。大したモンだよ、日浦の嬢ちゃんは」

 

 当真は頭をポリポリとかき、苦笑いを浮かべた。

 

 前回の試合で奈良坂があんまりにも茜を褒めちぎるものだから、NO1狙撃手として辛口の判定をしてやろう、と意気込んで解説を引き受けたはいいものの、これでは認めざるを得ない。

 

 茜は、優秀な狙撃手に成長した。

 

 そしてそんな彼女を育てた奈良坂の手腕も、認めなければならない。

 

 ROUND2で奈良坂が言った持論については物申したかったのだが、これでは文句を付ける事など出来はしない。

 

 元々、奈良坂の技量については認めていたのだ。

 

 その()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という持論だけはどうしても納得出来ず、今でもそれは認めていないのだが、こうまで問答無用の戦果を彼の弟子に挙げられては文句を言うのは野暮というもの。

 

 己の鍛えたユズル相手に戦略で勝利したのだから、茜の技量と判断力は本物だ。

 

 ユズルは当真から見ても技量にも機転にも優れ、単独での得点能力も突出している。

 

 壁抜き等の高等技術も難なく行う事が出来、これからの成長も期待出来る。

 

 そんなユズルを、茜は己が技量と冷静な状況判断で打ち破った。

 

 弟子同士の対決は、完敗と言って差し支えない。

 

 ユズル自身、当真を師匠と認めていなかったりはするのだが。

 

「そして目的を果たした後は、即座に『緊急脱出』した。残り一人の状態から、よく此処まで状況を好転させたわ。流石ね」

「……だな。良い狙撃手になったじゃねーかちくしょう」

 

 当真の負け惜しみを聞きながら、加古は画面を見詰め直した。

 

「もう、試合は終わりね。東さんも影浦くんも、完全な撤退モード。二宮くんも、リスクを冒してまで追うつもりはないでしょうからね」

 

 

 

 

『……ごめんカゲさん。やられちゃった』

 

 通信越しのユズルの謝罪に、影浦は深々と溜め息を吐いた。

 

「ったく、だから下手こくなっつったろうが」

『いやー、あれは日浦ちゃんが上手かったと思うよー?』

 

 だからそんな責めないで、と北添に言われ、元々責めるつもりなどなかった影浦は口を噤んだ。

 

 チームメイトが全員やられ、意気消沈して何も出来ないだろう、と高を括っていたのは、影浦も同じだからだ。

 

(……まあ、思ったより根性あるみてぇじゃねえか。これなら、妙な手出ししなくても良さそうか……?)

 

 影浦はバッグワームを着て建物に隠れながら、『那須隊』の今後について思いを馳せていた。

 

 場合によっては作戦室に殴り込む事も考えていたのだが、茜の行動を見てその考えを改めた。

 

 考えてみれば、自分以外にも七海達を気に掛ける奴は大勢いる。

 

 ならば、わざわざ自分が余計な事をせずとも良い。

 

 タイムアップを待ちながら、影浦はそう考えていた。

 

 

 

 

「隊長、このままタイムアップでいいんですか?」

「構わん。東さんが隠密に徹した以上、探しても無駄だ。リスクを冒してまで動く価値はない」

 

 犬飼は雪だるまを作っている二宮に壁越しで声をかけながら、了解、と短く口にした。

 

 このままタイムアップを狙うと決めてから三人で建物の影に隠れていたのだが、二宮が手持無沙汰になって暇を持て余している事を察して、犬飼は辻と共に別室に腰を落ち着けたのだ。

 

 その間二宮は黙々と雪だるまを作っており、傍から見ると非常にシュールな光景だった。

 

「……時間だな」

 

 綺麗に並べられた雪だるまを作り終えた二宮は立ち上がり、近くの壁に背を預けた。

 

『タイムアップ……ッ! これにて試合終了……っ! 戦績は、3:2:1:1……っ! 『二宮隊』の勝利です……っ!』

 

 そして、試合終了のアナウンスが告げられる。

 

 四つ巴の雪上戦は、『二宮隊』の勝利で幕を閉じた。



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suggestion

「さて、本日の試合はこれにて終了……っ! それに伴い、暫定順位が更新されます」

 

 綾辻はそう告げると機器を操作し、画面にランク戦の暫定順位を表示した。

 

B級上位

 

1位:『二宮隊』23Pt→26Pt

2位:『影浦隊』21Pt→23Pt

3位:『生駒隊』19Pt→22Pt

4位:『弓場隊』18Pt→20Pt

5位:『那須隊』18Pt→19Pt

6位:『王子隊』15Pt→17Pt

7位:『香取隊』13Pt→17Pt

 

B級中位

 

8位:『鈴鳴第一』14Pt→17Pt

9位:『東隊』15Pt→16Pt

10位:『諏訪隊』10Pt→12Pt

11位:『柿崎隊』8Pt→12Pt

12位:『漆間隊』10Pt→11Pt

13位:『荒船隊』7Pt→9Pt

14位:『早川隊』5Pt→5Pt

 

「ご覧の通り、『香取隊』が4得点を獲得しB級上位に復帰。入れ替わりに『東隊』が中位落ちという結果になりました」

「『那須隊』はROUND2までの貯金で、なんとか上位に留まった感じだな。結構苦しい試合だったにしては、マシな結果になったじゃねーの」

 

 確かに、『那須隊』は結果としては惨敗に近かったものの、ROUND2までの大量得点が功を奏し、上位に留まる事が出来た。

 

 あの試合内容にしては、上々の結果と言える。

 

「『東隊』が中位に落ちたのは、なんか意外な感じだな。試合も割と上手くコントロールしてた感じはするがよ」

「元々、東さんはそこまで大量得点を狙うタイプじゃないからね。獲れる点を確実に取ってタイムアップを狙うのが常套手段だし、それを考えれば仕方ない面はあるわ」

 

 でも、と加古は続けた。

 

「もしも茜ちゃんが無理に東さんを狙っていれば、『東隊』に得点が入って中位落ちにはならなかったかもしれないわね。それに、彼女が得点していなければ更に上のチームとの点差が開く結果になっていたわ」

「そう考えっと、マジで日浦ちゃんはファインプレーだな。チームメイトの敗退のロスを、最低限で抑えられたからな」

 

 確かに、ポイントが同じであればシーズン開始時の順位が優先される以上、『東隊』にあと1点入っていればその順位は7位に繰り上がり、『香取隊』が上位に復帰する事もなかった。

 

 そして、『那須隊』も1ポイントとはいえ獲得した事で、上の順位のチームとの点差を最低限に留める事が出来た。

 

 あらゆる意味で、茜の功績は大きい。

 

 彼女が取った選択は、そういう意味で最善だった。

 

「けど、次も同じような結果だったら『那須隊』は中位落ちも有り得んぞ。さっきも言ったが、今回はROUND2までの貯金が活きた側面がでけぇからな。このまんまだと流石に限界があんだろ」

「そうね。それについては同意見だわ」

 

 加古はそう告げ、総評に移るけれど、と前置きして話し始めた。

 

「今回、『那須隊』は全体的に動きが悪かったと言わざるを得ないわ。熊谷ちゃんが落ちたのは転送運もあるからある意味仕方ないとしても、その後の行動が頂けないわね」

「よりにもよって二宮に突っかかったからなー。チームメイトをやられた借りを返したかったのはわかっけどよ、それでも相手が悪過ぎるわな」

 

 そう、今回の『那須隊』の最大の問題点はそこだ。

 

 熊谷が落ちたのは、転送運もありある意味では仕方ない。

 

 だが、そこで『那須隊』は相性が最悪で尚且つ最も地力が高い二宮に対して仕掛けてしまった。

 

 そこが、今回の試合の分かれ目だったと言えるだろう。

 

「『那須隊』が取るべきだった戦略は、『二宮隊』を放置して他の二部隊と食い合わせ、その隙を狙って獲れる点を取っていく事。少なくとも、二宮くんを真っ先に狙う事じゃないわ」

「ま、そうだな。これまでのROUNDのように上手く乱戦に持ち込めれりゃ、得点するチャンスもあっただろーぜ」

 

 ま、それも結果論ではあるけどよ、と当真は告げた。

 

 確かに、『那須隊』は『二宮隊』を狙う事に固執しなければ、得点を得られていた可能性はあった。

 

 同じ『二宮隊』を狙うにしても、犬飼と合流して隙のなくなっていた二宮ではなく、単独で動いていた辻を狙えば、落とせていた可能性もあった。

 

 だが、『那須隊』は…………というよりも那須はあくまで二宮を倒す事に拘り、その機会をふいにしてしまった。

 

 完全な、失策と言えるだろう。

 

「最初の二宮くんとの戦いで、『那須隊』は彼との相性の悪さは身を以て分かっていた筈よ。格上の相手を落とす為に試行錯誤するのは悪い事じゃないけれど、それならそれで自分達の得意分野を活かすべきだったわね」

「そうだなー。『那須隊』は攪乱に特化した能力持ちが揃ってんだから、『二宮隊』と他の隊を食い合わせて犬飼と二宮を分断させりゃ、二宮を倒せるチャンスもあったかもしんねーしな」

 

 まあ、結果論だがよ、と当真は付け加えた。

 

 実際は『二宮隊』を崩すのはそう簡単な事ではなく、合流した二宮と犬飼を分断するのも至難の業だ。

 

 二宮が近くにいる以上あの絨毯爆撃を掻い潜らなければ彼等に肉薄する事は出来ず、狙撃も犬飼が防御に専念していたあの状態では成功させるのは難しい。

 

 B級一位の壁は、そう薄くはないのだ。

 

「そういやその『二宮隊』だけどよ、今回は妙に『那須隊』に執着してた気がすんな。二宮は犬飼と連携してくまを仕留めてたし、その後も迷う事なく『那須隊』を追いかけてやがったしよ」

「それについては二宮くんの悪い癖が出ただけだから気にしなくていいわ。時折ある彼の気紛れ、とでも思って頂戴」

「ふーん、そういうもんか」

 

 てっきり二宮が七海の事をそれだけ買ってたと思ってたんだがな、という当真の呟きを、加古は心中で肯定した。

 

 言葉にしてみれば、なんて事はない。

 

 二宮はそれまでの七海の対戦映像を見て本人と直に接した結果、七海に一定以上の価値を見出した。

 

 目をかけるに値すると考えた相手に対しては、余計なお節介を焼くのが二宮という男の特徴である。

 

 二宮はこの試合で七海を、『那須隊』を試すつもりで熊谷を確実に落としにかかり、それに対する反応を見た。

 

 だからこそ、感情任せに自分達に仕掛けて来た『那須隊』を見て、ああも落胆していたのだ。

 

 この程度か、と。

 

「ま、『二宮隊』に関してはいつも通りに戦って、いつも通りに勝った、という所かしら。まあ、間違いなく東さんの案じゃない雪MAPで動きが鈍らなかったあたりは評価してもいいかもね」

 

 

 

 

「ふん……」

 

 作戦室で加古の総評を聞いていた二宮は、不機嫌そうに眉を揺らした。

 

 彼と加古の相性の悪さは犬飼も知っている為、見ている側としては気が気ではない。

 

 試合の最中から二宮の機嫌はかなり下降しており、試合終了直後の今は最悪と言って良い。

 

 胃が痛いなー、と犬飼は宙を仰いで頼むからこれ以上煽らないでくれよー、と加古に願った。

 

 

 

 

「それから、『東隊』はやっぱり東さんが上手かったわね。()()()()()()()七海くんを那須さんを利用する事で被弾させ、落とした手腕は流石と言えるわ」

「ま、あの人なら当然だろ」

 

 加古は次に、東の手腕を褒め称えた。

 

 サイドエフェクトで狙撃が効かない七海を、那須を狙う事でそれを庇わせ、落とす。

 

 言うは易しだが、行うは難しだ。

 

 那須を狙うと言っても、那須自身かなり機動力が高い。

 

 一ヵ所に留まる事はまずない上に、建物を利用した三次元機動で縦横無尽に跳び回る。

 

 その彼女を狙うには、彼女の移動経路をシミュレートし、その移動先に射線を()()()()必要があった。

 

 止まった的を狙うならまだしも、機動力に優れた那須を空中で狙い撃つというその絶技。

 

 『始まりの狙撃手』と呼ばれるに相応しい、卓越した技量が伺える。

 

「最初にそれを狙ったユズルくんも流石だったけど、東さんはその上を行ったわね。七海くんの両防御(フルガード)でのシールドなら、『アイビス』の狙撃でも()()()()防ぎ切れる。それを分かっていたからこそ、ユズルくんに先に撃たせてその隙を狙った」

「ま、幾らトリオン能力がでかくても『アイビス』二発を防ぐのは無理があっからな。しかも、ユズルの狙撃から間髪入れずに撃ってっからシールドを張り直す時間もねえ。ありゃ防げって言う方が無茶だ」

 

 そう、東はユズルの狙撃のコンマ数秒後に『アイビス』の弾を七海に着弾させている。

 

 あれは、ユズルが撃つタイミングを読み切っていなければ出来ない芸当だ。

 

 タイミングが遅れていれば、七海はシールドを張り直すか『グラスホッパー』で回避していた可能性もあった。

 

 確かな戦術眼に裏打ちされた、計算され尽くした一射と言える。

 

「けど、七海を仕留める為に全霊を注いでた感じがあるよな、今回の『東隊』は。辻を小荒井達に足止めさせたのもその為だろ」

「そうね。東さんといえども、()()()()()()()という性質を持つ七海くんの存在は無視出来なかったでしょうからね。七海くんがいるだけで、『東隊』の動きをある意味では制限出来ていたとも言えるわ」

「『東隊』は小荒井と奥寺が相手を釣って、東さんが狙撃で仕留めるスタイルだからなー。その狙撃が効かない七海を最優先で対処すんのは、まあ当然っちゃ当然なんだよな」

 

 そう、当真たちの言う通り、『東隊』はこの試合、七海を仕留める事を最優先に行動していた。

 

 狙撃を回避された上に七海に位置を補足されては、流石の東といえど動きが制限されてしまう.

 

 だからこそ、『東隊』は()()()()()()()()()()という目標を立てて行動していたように見える。

 

 結果としては一点しか取れなかったものの、作戦自体は上手く行っていた。

 

 中位落ちという結果となったのは、ある意味で致し方なかったと言えるだろう。

 

「けど、七海並とは言わずとも、小荒井達にはもうちょい攪乱能力が欲しいトコだよなー。折角連携がうめぇのに、ちと勿体ない気がすんぜ」

「そうね。前の試合で奈良坂くんも解説していたけど、遠距離攻撃手段が『旋空』だけだとどうしても連携ではやり難い部分も出て来るわ。他にも…………いえ、これは私が口出しするべき事じゃないわね」

 

 東さんに怒られちゃうわ、と加古は悪戯っぽく笑った。

 

「まあ、『東隊』ならまたすぐに上位に戻って来るでしょう。その時には、小荒井くん達も一皮剥けてるかもね」

 

 

 

 

「今回はお前達を活かし切れなかった俺が悪い。だからそう落ち込む事はないぞ」

 

 『東隊』作戦室で、中位落ちという結果に意気消沈している小荒井と奥寺の二人に東は穏やかな口調でそう告げた。

 

 それに対し、小荒井はでも、と言い募る。

 

「…………俺等がもっとちゃんと影浦先輩を抑えてれば、あそこで一点取れてたかもしれないのに……」

 

 小荒井の脳裏には、あの時確かに影浦が自分を見て腕を引っ込めた時の映像が想起されている。

 

 恐らく、あの時影浦が狙撃を回避出来たのは自分の所為だ。

 

 影浦の前で「獲った」と確信してしまったから、その()()を彼のサイドエフェクトに読み取られて、あの回避に繋げられてしまった。

 

 あの狙撃の失敗は、自分の未熟の所為である。

 

 小荒井は、そう考えて自分を責めていた。

 

「それを言うなら俺も同罪だ。お前だけの所為じゃない」

「けどよ……」

「はいはい、反省するのはいいけどそれより次にどう活かすかの方が大事でしょ? しゃんとしなさい」

 

 後悔の感情ばかりを垂れ流す二人に対し、人見が溜め息を吐きながらそう言って仲裁に入った。

 

 それを見て、東も人見に同調する。

 

「そうだぞ。自分達に足りない部分があると分かったのなら、次どうやってそこを克服していくか考える事が大事だ。くよくよしてばかりじゃ何も出来ないぞ」

 

 自分の所為だ、と思い込む二人に対し、「お前達は悪くない」と語っても効果は薄いと判断した東は、そう言って切り口を変えた。

 

 目論見通り二人はようやく東の言葉に耳を傾け、顔を上げた。

 

「これは言うべきかどうか迷っていたが、次の試合の内容次第ではお前達のサブトリガーを本格的に解禁しても良いと考えている。今回の結果が不足と感じるのなら、その経験を踏まえた成果を次の試合で見せてくれ。期待してるぞ」

「「はいっ!」」

 

 東の言葉に一転して二人は笑顔になり、「俺『ハウンド』装備したいっ!」「気が早いっての」などと雑談を交わし始めた。

 

 そんな二人を見て人見は「気が早いんだから」と溜め息を吐き、東はその光景を見て苦笑していた。

 

 残念ながら中位落ちという結果となってしまったが、得るものはあった。

 

 彼等は、この隊は、きっと大丈夫だろう。

 

(…………あとは、七海達がどうなるか、だな。俺がやるのは此処までだ。叶うなら、後の試合でその結果を見せて欲しいものだな)

 

 

 

 

「『影浦隊』は、基本的にいつも通りやれてたように思うわね。転送位置の悪さもあって影浦くんが中々戦闘を始められなかったけど、結果を考えればそれだけ余裕を持って戦えたという事でもあるわ」

 

 『影浦隊』の動きをそう評価する加古に対し、当真もそうだなー、と言って同意する。

 

「ゾエは最低限の仕事はしてたし、ユズルも狙撃で得点してる。ただ、カゲがユズルと連携して七海を追い込んだのには驚いたな」

「普段なら、ユズルくんは単独で動いて獲れる相手を獲る事が多かったものね」

 

 そう、加古の言う通り『影浦隊』は合流する事は殆どなく、北添の爆撃を起点にしてユズルと影浦が単独で動き、影浦は目当ての相手と戦い、ユズルは隙を見せた相手を順次落としていくのが普段の動きだ。

 

 少なくとも、影浦とユズルが連携して一人を狙う、という事は殆どなかった。

 

 アドリブの連携を成功させたユズルは、1万ポイント超えの狙撃手の面目躍如といった所だ。

 

「でも、これで『影浦隊』が戦術的行動を取ればどれだけ強いかが証明されたわね。私としてはこれからも精進して、是非とも『二宮隊』に目に物を見せて欲しいものね」

 

 

 

 

「ったく、うっせーんだよファントムばばあ」

 

 『影浦隊』作戦室で、影浦は不機嫌そうに鼻を鳴らしながらソファーにどかっと腰掛けた。

 

 それを見守るように北添がまあまあと彼をなだめ、ユズルがそんな影浦を何か言いたげに見詰めている。

 

「あ? なんだユズル」

 

 サイドエフェクトでその感情を察知した影浦はそう尋ね、ユズルは少しの逡巡の後口を開いた。

 

「その、初めてカゲさんと連携したけど、中々良かったからさ。これからも、機会があればやってみない? カゲさんが良ければ、だけど」

「…………上、目指したくなったのか?」

「うん。日浦さんには完敗しちゃったし、俺もまだまだだって思った。だから、やれる事があるならやってみたいんだ」

 

 それに、とユズルは続けた。

 

「七海さん達、これで終わるような人達じゃないでしょ? だったら、俺等はもっと強くなって堂々と待ってようよ。その方がきっと、面白いと思う」

 

 そう告げるユズルの声には、確かな熱が宿っていた。

 

 今まで、ユズルは狙撃手として天賦の才を持ち、自分の力量に不満を覚えた事はなかった。

 

 師匠と仰ぐ鳩原の力量は認めていたが、彼女は自分にとって尊敬すべき師であり、比較対象としては見ていなかった。

 

 しかし、ユズルは今回自分より格下だと思っていた茜に完膚なきまでに敗北した。

 

 その事実が、彼の心に火を付けた。

 

 まだ、自分にも出来る事がある。

 

 才能なんかに、胡坐をかいている暇はない。

 

 もっと、もっと上を。

 

 その想いが、鳩原の失踪で燻っていたユズルの心を奮い立たせたのだ。

 

「…………いいぜ。面白ぇじゃねえか」

「……! じゃあ……っ!」

「ああ、付き合ってやるよ。オラ、訓練室行くぞ」

 

 そう言って影浦は光に訓練室の設定についての指示を飛ばし、「全く、お前等はあたしがいないとなんもできないなー」と嬉しそうな悲鳴があがる。

 

 そんな光景を見ながら、ユズルはその顔に笑みを浮かべた。

 

(次は負けないからね、日浦さん)

 

 そして、ユズルは敬愛すべき隊長達の後を追った。

 

 立ち止まらず、前へ進む為に。

 

 その先に待つ、再戦を信じて。

 

 

 

 

「各部隊の動きに関してはこんな感じね。これでいいかしら?」

「はい、ありがとうございます。では最後に、各部隊について何か一言あればどうぞ」

 

 綾辻がそう告げると、加古はしばし思案した上で「分かったわ」と了承の意を示した。

 

「『二宮隊』に関しては私が言うべき事は何もないわ。そのくらい、分かっているでしょうからね」

「そうだなー。流石のB級一位、ってトコか」

 

 『二宮隊』については、加古から言うべき事は特に何もないのだろう。

 

 今回三得点を挙げて勝利した部隊に、不足などあろう筈もない。

 

「『東隊』は小荒井くんと奥寺くんの成長次第で、まだまだ伸びると思うわ。期待してるわよ」

「おう、同じ狙撃手メインの部隊の隊員としても応援してるぜー」

 

 『東隊』に関しても、発展途上の小荒井と奥寺次第でどうとでもなる部隊である。

 

 二人の指導に関しては東なりの方針がある筈なので、此処で詳しく言うべき事はない。

 

「『影浦隊』はさっきも言った通り、戦術的な動きが出来るようになれば化けるわ。こっちも今後に期待ね」

「今回上手く行ったんだし、ユズルとカゲならどうにかすんだろ。ゾエもいるしな」

 

 『影浦隊』は今回、不可抗力ではあったが影浦とユズルの連携を見せた。

 

 その連携を更に極めていけば、今後更に躍進する可能性は充分にある。

 

 元々の地力が高いだけに、何処まで伸びるかについても期待が持てるだろう。

 

「『那須隊』に関して言えば、戦術的な事に関してはさっき言ったし、他に私が言える事は一つだけね」

 

 加古はそう告げると一呼吸置き、笑みを浮かべた。

 

「────()()()()()()()()()()。以上よ」

 

 ────そして、『那須隊』の面々に対する、彼女なりのエールを口にした。

 

 その意味を分かった者は、どれだけいただろうか。

 

 観戦席のC級隊員は疑問符を浮かべていたものの、その意味は七海達と親しい者にとっては一目瞭然。

 

 真実自分の仕事を終えた加古は、それ以上言葉を重ねず口を噤んだ。

 

 それが、今自分に出来る最善と確信して。

 

「では、これにてROUND3の総評を終わります。皆さん、お疲れ様でした」

 

 加古の話が終わった事を理解した綾辻が、ROUND3の閉幕を告げる。

 

 波乱のROUND3は、これで終わりを迎えた。

 

 『那須隊』に、大きな波紋を残して。




 茜ちゃんを朽木さんが描いて下さいました。可愛い

 
【挿絵表示】


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霧中模索/それぞれの足跡
七海と那須①


「…………俺、は…………」

 

 七海は那須邸の自室で一人、ベッドに座りながら懊悩していた。

 

 あの記憶に新しい敗戦の日から、一夜が経過した。

 

 その間、那須とは一切話が出来ていない。

 

 試合が終わった直後、「一人にして欲しいの」と告げたきり、那須は今回の反省も次回に向けた作戦提示も行わず、そのまま帰って自室に籠ってしまった。

 

 無理もない、と七海は思う。

 

 実力が足りず、敗北したのならまだ良い。

 

 だが、今回の試合では加古が総評で告げた通り、完全に那須の失策が原因だった。

 

 熊谷が落とされた後、二宮を直接狙わずに今まで通り乱戦に持ち込み、獲れる点を狙っていけばこのような結果にはならずに済んだかもしれない。

 

 茜のお陰でロスは最低限に抑えられたが、その事実もまた那須や七海の心を締め付けていた。

 

 自分達が無様な試合展開を見せた直後、茜は冷静な判断力と小夜子の正確なサポートを頼りに、しっかりと得点を挙げて逃げ切って見せた。

 

 那須の暴走に引きずられるが侭に惨敗を喫した自分達とは、雲泥の差だ。

 

 本当に、良い狙撃手に育ってくれた。

 

 だからこそ、自分達が惨めに過ぎる。

 

 あの時、本当であれば那須の暴走を抑止すべきだったのは自分だった。

 

 那須は基本的に、七海の言う事であれば大抵は従う。

 

 今回の場合でも、七海が強く訴えかければ暴走を止められた可能性はあった。

 

 だが、七海にそれは出来なかった。

 

 七海は、那須を負い目で自分に縛り付けているという()()()()に囚われている。

 

 事実がどうであろうが、七海は自分の過去の経緯が原因で那須を自分の傍に縛り付けている事を、常に気に病んでいた。

 

 あの悲劇さえなければ、那須が此処まで七海に寄り添う事はなかったのではないか?

 

 その想いが、七海はどうしても拭えなかった。

 

 七海は、自分に自信がない。

 

 正確に言えば、自分に誰かを惹き付けるだけの魅力があるとは思っていない。

 

 七海は幼くして右腕と痛み、姉を無くし、頼るべき相手がいなかった。

 

 那須の両親は良くしてくれていたが、彼等は七海にとってはあくまで()()()()()()なのである。

 

 自分の親代わりとして見るには、抵抗があったというのが本音だ。

 

 七海は、周囲が思うよりは明確に、那須への想いを自覚している。

 

 けれど、彼の持つ思い込み(負い目)がそれを表に出す事を許さない。

 

 那須と共に暮らし、常に傍に寄り添い、彼女は献身的に尽くしてくれる。

 

 本当であれば、こんなに幸せな事はない。

 

 …………それが、那須の負い目から生じたものでなければ。

 

 それだけ、那須の七海への献身は病的だった。

 

 七海の願いは何であろうと叶えようとし、その為に自分を犠牲にする事を厭わない。

 

 自分の事は二の次であり、那須の行動原理には常に七海の存在があった。

 

 那須の生活は、七海を中心に構築されている。

 

 朝起きる時も真っ先に七海に挨拶に向かい、登校もそれぞれの学校への別れ道までは一緒に歩く。

 

 放課後は七海といち早く合流する為に友達付き合いも部活動もなしに、最短で家に帰って来る。

 

 一度自分の事はいいから友達付き合いを優先しても構わない、と告げた事があるのだが、その時は目に見えて取り乱し、七海に縋りついて泣き出した為すぐさま発言を撤回する事となった。

 

 那須は自分の献身が七海に拒否されると、すぐさま情緒が不安定になる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()と思い込み、下手をすればそのまま自傷行為に走りかねないのだ。

 

 実際、その寸前まで行った事はある。

 

 それだけ那須にとって七海の存在は絶対であり、なくてはならないものだった。

 

 …………七海にとっての那須が、そうであるように。

 

 七海にとって那須は、幼馴染であり、気になる女の子であり、そして自分の()()故に守れなかった少女である。

 

 自分が弱いから、姉は命を投げ出した。

 

 自分が弱いから、那須を自分に縛り付けてしまった。

 

 自分が弱いから、今の関係を変える事が出来ない。

 

 七海の内側には、常に強烈な自己嫌悪がある。

 

 ひたすらに強さを求めたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という想い故。

 

 太刀川や村上はそんな自分の鍛錬に打ち込む様子を褒めてくれたが、七海の持つ動機は彼等が想像するようなストイックな向上心などではない。

 

 ただ、弱さ故に大切なものを失った過去の自分から離れたいが為、修練に集中し余計な事を考えないようにしているだけだ。

 

 けれど、そんな風に自分を誤魔化していたツケが祟ったのだろう。

 

 影浦と公式戦で初めて戦えるという大事な試合で那須の暴走を止められず、惨敗を喫した。

 

 その事は、七海の心に深い傷を刻み込んだ。

 

 あれだけ自分に目をかけていた影浦の期待を、裏切ってしまった。

 

 仮想の出来事とはいえ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という想いに引きずられ、影浦の厚意に背を向けた。

 

 あの時の影浦の激情は、今でも脳裏に残っている。

 

 ────やっぱ、そうすんのか。テメェは……っ!────

 

 影浦に背を向け、逃げ出した時。

 

 背後から響いた、影浦の怒声。

 

 失望と怒りが入り混じったそんな声を出させてしまった事に、七海は何より後悔した。

 

 影浦は、自分との勝負を楽しみにしてくれていた。

 

 自分も、影浦との勝負を楽しみにしていた。

 

 なのに、自分が全部台無しにした。

 

 那須を止めるのではなくその行動に同調し、多くの想いを裏切った。

 

 その罪は、果てしなく重い。

 

 誰が一番の戦犯かと問われれば、間違いなく自分である。

 

 七海は、そう強く信じていた。

 

 あの一戦には、加古が解説として招かれていた。

 

 今まで散々世話になった彼女に、あんな無様な試合を見せてしまった。

 

 きっと、失望していた事だろう。

 

 総評の時も自分達の行動を手厳しく酷評していたし、彼女自身も七海達に呆れ果てていた筈だ。

 

 自分の師匠達も、あの無様な敗北を見て失望しているに違いない。

 

 裏切ってしまった。

 

 期待を。

 

 厚意を。

 

 皆の、想いを。

 

 …………許せない。

 

 あれだけ多くの人の支援を受けておきながら、それをあっさりと裏切ってしまった自分自身が許せない。

 

 そんな自分を許容してしまった、自分自身の弱い心が許せない。

 

 そして、そんな風に省みておきながら、同じ状況になれば同じ行動を繰り返すだろうと分かる自分の愚かさが、何より許せなかった。

 

 分かるのだ。

 

 自分は、同じ状況に立たされればまた同じ行動を繰り返すのだと。

 

 自分にとって那須の願いは、至上の命題そのものだ。

 

 その内容の是非に関わらず、那須が願う事であれば()()()叶えようとしてしまう。

 

 そして、そんな自分自身を止められない。

 

 那須に対する負い目、申し訳なさが、彼女の願いを断る勇気を七海に持たせなかった。

 

 …………元々、那須は自分の主張を強く口にするタイプではない。

 

 様々な想いを抱えながら、笑顔で全てを抱え込む。

 

 あれは、そういう少女だ。

 

 以前はもっと前向きだった筈だが、あの四年前の悲劇以来彼女の根幹には悲観的(ネガティブ)な諦観が根付いている。

 

 七海に関する事であれば必要以上に干渉しようとする傾向はあるものの、それ以外の事に関しては基本的に他人を、七海を優先する。

 

 控えめな性格の、優等生。

 

 周りからは、そんな風に見えていた筈だ。

 

 だが、その本質は全く違う。

 

 那須の本質は、激情家だ。

 

 理論立てて物事を考えるのは得意だし、頭の回転も非常に速い。

 

 だが、彼女の行動原理はその心の内で燃え盛る激情にある。

 

 彼女は常に己の大き過ぎる感情に振り回され、それをなんとか抑えつけているだけだ。

 

 だから、ちょっとした切っ掛けでその感情は溢れ出す。

 

 七海に関わる事となると沸点が異様に低くなるのも、その顕著な例だ。

 

 特に、七海が害される事に対し、那須は敏感に反応する。

 

 あの試合の最中、七海はよりにもよって那須の眼の前で()()()()()()()()()()しまった。

 

 別の場所で被弾し、それを『スコーピオン』等で補っていれば、まだ判断能力の低下だけで済んだかもしれない。

 

 右腕ではなく別の部位なら、理性が焼き切れる事はなかったかもしれない。

 

 だが、()()()()()()()と同じく、()()()()()()で、()()()()()()()()()()しまった。

 

 その事は、那須の記憶の悪夢を想起させるに充分な出来事だったに違いない。

 

 恐らく、東もそれを狙って敢えて右腕を狙撃したのだろう。

 

 那須から、冷静さを奪う為に。

 

 そして目論見通り那須は暴走し、無謀な突貫の末に七海を道連れに敗退した。

 

 悔しい。

 

 情けない。

 

 申し訳ない。

 

 那須に足を引っ張られた事、ではない。

 

 暴走する那須を止められなかった自分自身が、である。

 

 ────七海は、非常に内罰的な少年だ。

 

 責任を外ではなく、己が内に求めようとする。

 

 誰の所為で、ではなく。

 

 自分の所為で、と考える悲観的な思考。

 

 それが、七海の根幹にあった。

 

 だから、自室に閉じ籠りチームの誰とも会おうとしない那須相手に、踏み込めない。

 

 もう、次の試合まであと数日だというのに。

 

 まだ、碌に作戦も立てていないのに。

 

 那須の行動を、諫める事が出来ない。

 

 諫めようと、思う事が出来ない。

 

 一晩が過ぎても、状況は変わらず。

 

 那須は、部屋から出て来ようとしなかった。

 

 

 

 

 ────自分の命は、七海の為にある。

 

 那須は本気でそう思っていたし、その想いそれ()()に偽りはない。

 

 自分の行動は全て七海の為にあるものであるし、極論それ以外は何も要らない。

 

 彼女は、七海さえいればそれで良かった。

 

 熊谷や茜、小夜子の事は勿論大切だ。

 

 同じ学校に通う小南も、良い友人だと言える。

 

 だが、それ以上に交友関係を広げる必要性を、彼女は見いだせなかった。

 

 彼女は、今の人間関係で満足していた。

 

 今ある繋がりで充分だと判断してしまったが故に、それ()()に目を向けようとする想いが欠如していた。

 

 同じ学校に通っているとはいえ照屋などとは接点も碌になく、星輪女学院でも友達らしい友達は殆どいない。

 

 世間話をする程度の相手はいるが、それだけだ。

 

 熊谷のような、親友と呼べる相手はあの学校にはいなかった。

 

 那須は別に、それで良いと思っていた。

 

 だって、下手に友人なんて増やせば七海との時間が減ってしまう。

 

 自分が満たされているのは、七海と共にいる時だけだ。

 

 七海がいてこそ、自分が生きる意味がある。

 

 七海がいるから、自分は生きていて良いと思える。

 

 七海のいない自分なんて、そもそも存在する価値などない。

 

 彼女は本気で、そう思っていた。

 

 これは、比喩表現などではない。

 

 もし、七海が何かの原因で死んだりすれば、那須は間違いなく後を追う。

 

 それだけ、那須の七海への執着は凄まじいものがある。

 

 だからこそ、彼に尽くしながら彼に頼り切りになっている矛盾に気付いていない。

 

 那須は七海の欲する事は全て叶えたいと思っているが、同時に()()()()()()()()()()()()()()と思い込んでしまっている。

 

 即ち、自分が願う事は、七海も同じように願っている事なのだと、無意識の内に思い込んでしまっているのだ。

 

 普通に考えればそれは違うと分かりそうなものだが、彼女の依存癖は筋金入りだ。

 

 外から指摘した所で、恐らくそれを認めようとはしないだろう。

 

 思考と行動の乖離を告げられた所で、那須はその事に無自覚なのだ。

 

 困惑して、それで終わりだろう。

 

 那須にとって、七海に尽くす事も、七海が自分に尽くす事も、()()()()()()()であり、その事に何の疑いも持っていない。

 

 七海と離れると不安になるのも、七海がチームメイト以外の女の子と仲良くしていると負の感情が溢れ出るのも、その本当の意味に気付いてはいない。

 

 何故七海の傍にいたいのか、その明確な回答を那須は持っていない。

 

 正確には、気付こうともしていない。

 

 だって、那須にとって七海が傍にいるのは当たり前で、七海と自分の(自分勝手な)願いを叶えようとする事も、七海の為になると本気で信じている。

 

 彼女にとって七海とチームメイト以外は()()に過ぎず、彼女は()()を己の内に入れる事を許さない。

 

 だから彼女は七海以外を頼る事はなかったし、それはチームメイトといえども例外ではない。

 

 実はROUND2までの試合で茜や熊谷の運用方法を決めたのは小夜子であり、那須ではない。

 

 正確には、七海の出した案を元に小夜子がそれを纏めたのがあの形である。

 

 那須はその作戦を承認し、号令をかけたに過ぎない。

 

 那須本人は前期までの合流戦術を好んでいたし、出来る事ならチームメイト全員で動きたいとも思っていた。

 

 だが、茜と熊谷の能力を活かしきるには、合流より単独運用の方がベストなのだ。

 

 それを誰よりも正確に理解していた七海と小夜子は、草案を纏めて作戦として形にした。

 

 全ては、『那須隊』の全員で勝ち上がる為に。

 

 実際、那須は気分が良かった。

 

 前期まではB級中位の下の方で燻り続けていたのが、今期は僅か3ROUND目からB級上位に食い込む事が出来た。

 

 しかも、最初の二試合はまさかの完全試合(パーフェクト・ゲーム)

 

 これで、調子に乗るなと言う方が無理がある。

 

 だから、ある意味那須はROUND3も楽観していた。

 

 これまでもどうにかなって来たのだから、今回も大丈夫だろうと。

 

 結果的に東にその弱点を突かれ、那須は敗北した。

 

 考え得る限り、最悪の形で。

 

 悔しかったし、申し訳なかった。

 

 熊谷の仇を獲れなかった事も、七海を勝たせてあげられなかった事も。

 

 何より、それまで上がり調子だったチームの流れまでをも堰き止めてしまった事を、那須は悔いていた。

 

 自分達が惨敗した後、茜が一人で活躍したのを見て、那須は複雑な想いを抱いていた。

 

 チームメイトが活躍したのは、勿論嬉しい。

 

 けれど、彼女一人だけが活躍した事で、余計に自分達の惨めさが加速した。

 

 他の皆に、合わせる顔がない。

 

 そう思い込んでしまった那須は、七海とすら接触を拒否して自室に引き籠もっている。

 

 表向きは、体調不良であると嘯いて。

 

 七海も、那須もその疵は重い。

 

 『那須隊』は、その機能を完全に停止していた。



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熊谷友子①

「……はぁ……」

 

 熊谷は『ボーダー』本部のラウンジで、溜め息を吐いていた。

 

 彼女が憂うのは、他でもない────昨日から閉じ籠ったままの那須と、チームメンバーとの接触を避けている七海の事だ。

 

 昨日のROUND3の試合で、熊谷は真っ先に落とされた。

 

 B級一位部隊の犬飼と二宮というオーバーキルにも程がある二人に追い込まれ、成す術なく沈んでしまった。

 

 そして、その熊谷の脱落を切っ掛けに那須が暴走。

 

 熊谷の仇を取ろうと無理に二宮を狙い、結果として七海を巻き込んで脱落してしまった。

 

 …………熊谷も、途中まではやりようはあると考えていたのだ。

 

 犬飼と不運にもエンカウントしてしまった後、熊谷は学校の校舎に彼を誘い込み、そこで隠し玉として用意していた『メテオラ』で奇襲。

 

 あわよくばそのまま落とし、そうでなくとも隙を見て逃走を図るつもりだった。

 

 だが、誘い込まれていたのは熊谷の方だった。

 

 犬飼は熊谷の『メテオラ』による奇襲を難なく躱し、視界の効かない校舎の外から飛来した二宮の『アステロイド』により、彼女は落とされてしまった。

 

 彼女が追われている最中に『メテオラ』を使わなかったのは、熟達しているとは言い難い射撃トリガーを当てる為には広い屋外では不利と考えた事と、牽制として用いるには熊谷のトリオン量に不安があったからである。

 

 元々、『メテオラ』は他の射撃トリガーと比べても大幅にトリオンを喰う弾丸だ。

 

 熊谷のトリオン能力の評価は、『5』。

 

 お世辞にも、トリオンが豊富とは言い難い数字だった。

 

 そんな状態で考えなしに『メテオラ』を連発すれば、熊谷のトリオンはあっという間に尽きてしまう。

 

 更に、『メテオラ』の使用中はどうしても脳のリソースをそちらに使ってしまい、他の事が疎かになる。

 

 そういった理由で、熊谷は逃走中に『メテオラ』を使用する事はなかった。

 

 恐らく、屋外で使った所で大した効果も挙げられず、徒にトリオンを消費する結果になっていたであろう事は予想出来る。

 

 有り体に言って、ROUND3で熊谷が落とされた原因の多くに、『メテオラ』が事実上腐ってしまった事がある。

 

 そも、『メテオラ』をトリガーセットしていた理由も、那須や七海が自在に『メテオラ』を扱う様子を見て憧れたという理由が強い。

 

 那須に頼んで射撃トリガーのレクチャーをして貰い、ある程度実戦で使えるよう仕込んでは貰ったのだが、熊谷と那須ではそもそも射撃トリガーへの適性が違う。

 

 射撃トリガーを扱う際に必要となるのは状況を俯瞰する視点、相手の行動を予測し、適切な弾道を描く空間把握能力、そして使い方を間違えない為の瞬時の判断能力だ。

 

 あからさまに言ってしまえば、射撃トリガーを十全に使うには頭が良くなければ話にならない。

 

 その点、熊谷は適性が高いとは言い難かった。

 

 学校の成績はそう悪いワケではないが、流石にリアルタイム弾道制御という離れ業を行う那須と比べれば、頭の回転の速さの違いは歴然だった。

 

 そもそも、熊谷のポジションは攻撃手(アタッカー)

 

 射手とはまるで立ち回りが違う為、彼女が射撃トリガーを習うのであれば本当であれば()()()()()()()()()()()()()()()()()に教わるべきであった。

 

 そうなると七海が適任と言えるのだが、生憎七海は教導能力はそこまで高いものではない。

 

 戦術の組み立て等は優れているが、七海には無痛症がある。

 

 人とは身体を動かす感覚が違う為、教える時には他者との差がハンデとなる。

 

 教師としては向いていないのだ、七海は。

 

 戦闘そのものもサイドエフェクトを前提としたものである為、戦闘時の立ち回りは理論派と言うより感覚派に近い。

 

 それでも仲間との連携が取れているのは、偏に小夜子のオペレートが優秀だからだ。

 

 小夜子は那須や七海が取得した情報を元に正確な弾道経路を導き出し、それを逐次那須や茜に伝える事で高度な連携を可能としている。

 

 それが茜の正確無比な精密射撃の成功に繋がっており、ROUND3の終盤の茜の大戦果も彼女の弾道解析能力なしには成し得なかったであろう。

 

 その小夜子は、今朝早くから加古に呼び出されて出かけている。

 

 日中から彼女が出かける事は珍しい為心配にはなったのだが、今の熊谷に他人の心配をしている余裕はなかった。

 

(…………あたしが、落とされなければ…………いや、そもそもあの二人の関係を放置しなければ、こんな事には……)

 

 熊谷は、自己嫌悪に沈んでいた。

 

 昨日の一戦の敗因は、元を辿れば熊谷の開幕直後の『緊急脱出』にある。

 

 彼女が落ちた事で那須の暴走に繋がり、『那須隊』のエース二人の脱落という最悪の事態を招いてしまった。

 

 その自責の念が、熊谷を苛んでいた。

 

 あくまで結果論である事は分かっているのだが、真っ先に落ちてしまった負い目もあり、熊谷は前を向く事が出来ていない。

 

 元はと言えば、熊谷が那須と七海の歪な関係を知りながらそれを放置していた事にも原因があるのだ。

 

 …………那須と七海の関係の捻じれについて、熊谷は那須に近い者として充分承知していた。

 

 だが、那須に近過ぎるが故に遠慮してしまい、踏み込んだ対策を取る事が出来ず、今日まで至ってしまった。

 

 その結果が、あれだ。

 

 七海は那須に抱く負い目故に彼女の要望を断れず、暴走を抑止する事が出来なかった。

 

 那須は七海に対する執着を見抜かれ、それを利用されて七海共々罠にかかり仕留められてしまった。

 

 熊谷が二人の関係に対し、何か有効な対策を打てていればこうはならなかった。

 

 少なくとも、熊谷はそう考えていた。

 

 悔しい。

 

 情けない。

 

 何より、そんな無様な自分が許し難い。

 

 だが、そうは思っていても他人のフォローを第一とする熊谷にとって、無理に踏み込んで関係を変える、という一手を取る事は難しかった。

 

 何かあれば自分が支えれば良い、という考えが熊谷の中にはある。

 

 辛い時に寄り添い、愚痴を聞くだけでも少しは楽になる筈。

 

 そう思って二人の傍にいたのだが、今はその那須からも会う事を拒絶されている。

 

 一度携帯で連絡を取ろうとしてみたものの、「ごめん」と一言書かれたメールが送られてきて以来、何の音沙汰もない。

 

 こうなると、熊谷は八方塞がりだった。

 

 少しは良い考えが浮かぶかと思って気分転換を兼ねて個人戦をしに来たはいいものの、懊悩を抱えたままの熊谷にいつものキレはなく、敗戦を重ねる結果となってこうしてラウンジに退避して来たのである。

 

「…………どうすればいいのよ、もう…………」

「あれ? 熊谷さんじゃない」

「え……? あ、出水くん……」

 

 そんな熊谷の下に、見知った声が聞こえて来た。

 

 顔を上げた先にいたのは、『太刀川隊』の射手にして七海の師匠の一人、出水公平。

 

 出水は意外そうな顔をしながら、熊谷の姿を見据えていた。

 

「どうしたの? 本部のラウンジに一人でいるなんて珍しいじゃん」

「それは……」

「…………あー、まあ言わなくて良いよ。大体察したから」

 

 はぁ、と溜め息を吐きながら出水は熊谷の正面の席に座り込む。

 

 突然の接近に目を白黒させる熊谷だが、出水からは本気の心配の色を感じ取る事が出来た為、話があるなら黙って傾聴しよう、とその場に腰を落ち着けた。

 

「大方、昨日のあれで七海達が沈んでんだろ? で、熊谷ちゃんはそれを自分の所為だと思ってる、と」

「そうだけど……」

「あー、まあそう思うのは当然だよなあ。事実と言えなくもないし……」

 

 てっきり何かしらの慰めの言葉が出て来るかと思っていたのだが、出水はハッキリと熊谷の失態を認める発言をした。

 

 熊谷としても言い返す事など出来ず、俯くしかなかった。

 

「一つ聞きたいんだけどさ。熊谷さんは、何で『メテオラ』を選んだの? もしかして、明確な目的を持って選んだワケじゃないとか?」

 

 不意に、出水がそんな質問をして来た。

 

 内容は図星だった為に、熊谷は思わず目を見開く。

 

「…………何で分かるの?」

「そりゃ、これでもNO2の射手だからなー。『ボーダー』で二番目に凄い射手としちゃ、素人射手の考えなんて見え見えだよ」

 

 敢えて偽悪的に振る舞いながら、出水はそう告げる。

 

 此処で下手な慰めの言葉を言っても、逆効果だ。

 

 ならば、それよりもまず()()の話をした方が効率的だ。

 

「熊谷さんはトリオンが多い方じゃねーし、そこまで器用でもねーだろ? そういう人が付け焼刃で射手トリガー使っても、そりゃ有効に使えるワケがねーんだ。それは、熊谷さんも身を以て思い知っただろ」

「……そうだね……」

「ま、射手トリガー使うにゃ脳のリソースをある程度振り分ける必要があっからなー。斬り込みながらバカスカ使える七海の方がおかしいから、普通の人が使えばああなるって」

 

 七海だってサイドエフェクト前提に使ってるかんなー、と出水は付け加えた。

 

 確かに、攻撃手が射手トリガーを使う際、『メテオラ』を使う事は早々無い。

 

 熊谷の知る限りで言えば七海以外では、『玉狛第一』の小南くらいだ。

 

 それだけ、攻撃手が射手トリガーを使う、という事は難しいのだ。

 

「それに、射手トリガーの選択も悪い。熊谷さんはトリオン多い方じゃねーから、『メテオラ』でもそこまで広範囲は巻き込めねーし、息切れも早い。だから逃げっ時も使えなかっただろ?」

「……うん……」

「ま、七海が使ってるのを見て羨ましがる気持ちは分かっけどよ、何事も向き不向きってのがあんだ。俺だって、もしも攻撃手やってたら此処まで強くはなれなかっただろーしな」

 

 太刀川さんみてーには動けねーしな、と出水は苦笑する。

 

 確かに、『ボーダー』に属する隊員は自分の向き不向きを測った上で、自身のポジションを選択する。

 

 熊谷の例を言えば射手トリガーの取り扱いにも狙撃にも適性がなく、ブレードトリガーの適性が一番高かったが故に攻撃手を選択した。

 

 そこから受け太刀を重視した立ち回りを修め、今では攻撃手界隈でもその防御の上手さは一定の評価を得ている。

 

 適材適所とは、まさにそういう事だ。

 

 仮に出水が攻撃主に転向したところで大した活躍は出来ないであろうし、熊谷は狙撃手をやれるような適性は無い。

 

 それだけ、今のポジションは自分に合ったものなのだ。

 

 そこから外れた事をしようとすれば、むしろ失敗する方が当然と言える。

 

(……やっぱり、私が安易に『メテオラ』なんかを選んだから……)

 

 出水の説明を聞くうちに、熊谷は自身の選択がどれだけ愚かなものだったのかを思い知った。

 

 付け焼刃の戦術に手を出し、その結果落とされるのを早めてしまった。

 

 もしもあそこで校舎に入って奇襲を狙わず、屋外を逃げ続けていればもしかすると七海の合流が間に合う可能性もあったかもしれない。

 

 結果論ではあるが、熊谷の選択が少なくとも間違っていた事は証明されている。

 

 他ならぬ、彼女の脱落という形で。

 

 そう考えると益々自分が惨めになり、熊谷の心は更に重くなる。

 

「あー、ごめんごめん。責めるつもりじゃなかったんだよ。ただ、()()()()と思ってさ」

「……え……?」

 

 そんな彼女を見て、出水は努めて明るい声でそう告げ、予想外の言葉に熊谷は顔を上げた。

 

 視線を合わせた出水はにやっと笑い、熊谷に向けて口を開いた。

 

「確かに、射手トリガーは()()()()()付け焼刃でどうこうなるもんじゃねー。けど、それも()()()()()()()でな。確かに『メテオラ』っつう選択肢は頂けねーが、他に()()()があるとしたらどーする?」

「選択、肢……?」

 

 ああ、と出水は答え笑みを浮かべた。

 

「もし良ければなんだけどさ。熊谷さん、────を、覚えてみる気ない?」

 

 そして、彼は一つの、()()を告げた。

 

 

 

 

「おしおし、どうやら上手く行きそうだなー」

 

 熊谷と連れ立ってラウンジを出て行く出水を見て、太刀川は笑みを浮かべた。

 

 彼が此処にいる事からも分かる通り、出水が熊谷に会ったのは偶然ではない。

 

 七海達の()()を考えて、太刀川なりにフォローしてやろうと思い立ったが故に出水を彼女の下に向かわせたのだ。

 

 自分が出て行っても、どうせやれるのはランク戦だけだ。

 

 今の熊谷に、ただの言葉や気晴らしに意味はない。

 

 必要なのは、()()()()()()()()()

 

 だからこそ、()()を持っている出水が彼女の下に向かったのだ。

 

 出水もなんだかんだで七海達の事は気に懸けており、自分に何か出来る事はないかと考えていた。

 

 そんな出水の心情を察した太刀川は、彼にGOサインを出してやったのだ。

 

 太刀川はお世辞にも気が利く人物とは言い難いが、こと()()が関われば彼の頭は冴え渡る。

 

 何が必要で、どう動くのがベストなのか。

 

 戦闘に関わる事ならば、太刀川がその判断を間違える事はない。

 

 その二面性を見た某彼の師匠曰く、「どうして慶はその頭の回転を戦闘以外に使えないんだ」と愚痴を零していた程であった。

 

 ともあれ、これで熊谷に関しては大丈夫であろう。

 

 ()()()()()()()、彼女の悩みは戦術的な側面からテコ入れすればどうにかなる。

 

 まずは熊谷に自信を付けて貰わなければ、今の破綻した『那須隊』を立て直すなど不可能だ。

 

 そして、戦闘以外の事となれば太刀川が出る幕ではない。

 

 今回の件に関する手出しは、これだけに留めるつもりであった。

 

「…………ま、他の連中が何とかするだろ。早く立ち直れよ、七海。お前が腑抜けたままじゃ、つまんないからな」

 

 太刀川はそう呟き、ラウンジを後にした。

 

 七海達が動けずにいても、彼等が築いた関係性は生きている。

 

 周囲の者達は、一人、また一人と動き出していた。



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七海玲一②

 ────初めて彼女と出会った時、思わずその姿に魅入ってしまった事を覚えている。

 

 七海が那須と出会ったのは、まだ小学校に上がる前。

 

 比較的運動神経が良かった七海であったが、他の子供と比べて()()()()()()()()()()()()()ので子供達の親からは要領の良い子、と見られていた。

 

 サイドエフェクト、『感知痛覚体質』は幼い頃より発現しており、七海にはどう動けば怪我を負わないか、痛い思いをしないかという事が感覚的に分かっていた。

 

 その為、他の子供より怪我を負う可能性が低くなるのは自明の理であったのだ。

 

 しかし、当時はまだ『ボーダー』も存在せず、『近界民』についての情報も出ていなかった時代。

 

 七海がそんな能力を持っていたと知る者はおらず、彼は要領が良く怪我をしない子として親達の間では知られていた。

 

 サイドエフェクトの事を知らなければ、単に要領が良いだけにしか見えない為当然と言える。

 

 ちなみに、怪我が少ない事に関して姉に何故かと問われ、正直に答えた事があった。

 

 自分はどう動けば怪我をしないかが分かるのだ、と。

 

 流石の姉も怪訝な顔をしていたが、頭ごなしに否定する事もなく、きちんと話を聞いてくれた。

 

 玲奈は近所でも評判の良い少女であり、七海の同級生達にも慕われていた。

 

 荒唐無稽な七海の話にも耳を傾けてくれた姉は、他の人にその話をしない事を七海に確約させた。

 

 姉は昔から、頭の回転が速い少女だった。

 

 恐らく七海がこの話を広める事で、悪い風評が生まれる事を危惧したのだろう。

 

 それはそうだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()など、幼い子供が語った所で笑い話にされるか、妙な眼で見られるかのどちらかだ。

 

 しかし、七海は少々極端な性格でもあった。

 

 この一件以来、七海は他の子供と少し距離を置くようになったのである。

 

 迂闊に話をして情報が漏れるリスクを背負うくらいならば、初めからある程度距離を置いて接すれば良い。

 

 幼い七海はそう結論してしまい、結果として七海は人の輪から遠ざかるようになった。

 

 七海が那須と出会ったのは、そんな時である。

 

 那須と七海は親同士が仲が良く、その縁で彼女と出会う事になった。

 

 その日は調子が良い日だったらしく、那須は彼女の親に呼ばれて家のリビングに姿を見せた。

 

 その時の衝撃は、筆舌に尽くし難い。

 

 普通、その年代の少女と言えば()()より()()()、いや、()()()()()という表現が当て嵌まる事が多い。

 

 そこに()()()()()()()等の装飾語が入る事はあるが、概ねそのような表記が付く。

 

 …………だが、那須は他の少女とは容姿のレベルがまるで違っていた。

 

 まだ、小学校に上がる前の段階で、である。

 

 その頃から那須は誇張なしの美少女としての片鱗を見せており、儚げなその雰囲気はまさに深窓の令嬢そのものだった。

 

 当時は今より更に身体が弱く、外出もままならない状態だった事もそのイメージを補強していた。

 

 初めて出会った時等は、お伽噺のお姫様のようだ、と思ったものである。

 

 ぶっちゃけ、一目惚れだった。

 

 恋のなんたるかを理解するその前に、七海の少年としての心に那須の存在は一瞬で深く重く刻み込まれた。

 

 この少女と知り合えた事に、両親に深く感謝した。

 

 運命を、感じた。

 

 何があろうとこの少女を守り抜く、と幼心に誓った。

 

 そして、その誓いは今日に至るまで忘れた事は一度も無い。

 

 小学校に上がってからは那須の美貌は次第に周囲の知る所となり、余計な興味ややっかみが生じる事もあった。

 

 そして七海は、その都度対応に全力を尽くした。

 

 しつこく那須に絡もうとする男子は力づくでお引き取り願い、彼女に男子の興味をこぞって掻っ攫われた女子達の嫌がらせは即日ホームルームで告発し、二度とやらないよう誓わせた。

 

 少々やり過ぎる事もあったが、決して暴力は振るわず相手の失言や失態を引きずり出し、都度都度適切に対処していった為、周囲の大人達も七海の徹底的な()()()に気付く事はなかった。

 

 そんな七海の奮闘に、那須はどうやら気付いていたらしかった。

 

 二人きりになった時に、小声で「ありがとう」と言われた直後は、自分でもどうかと思う程舞い上がった事を覚えている。

 

 自分の行為は、報われた。

 

 その想いが、七海の()()()を更に助長させた。

 

 結果として、那須は確かに虐めや嫌がらせとは無縁になったが、その代わりに交友関係は酷く狭い範囲で完結してしまった。

 

 那須は人付き合いは少々不器用な方だったらしく、尚且つ身内とそれ以外を明確に区別するタイプだった。

 

 その為、ごく狭い範囲の人付き合いで満足してしまい、自分から積極的に友人を増やそうとはしなかった。

 

 そして、そんな那須の在り方を、是正する者は誰もいなかった。

 

 そもそも、那須は左程頻繁に学校に行っていたワケではない。

 

 那須は生まれつき病弱であり、調子の良い日以外は外出すらままならない。

 

 学校に行ける日自体が少ないのだから、友達が少ない事はある意味仕方ないと周囲は判断していた。

 

 確かに、そういう面はあった。

 

 那須は自室に訪れた七海の話を聞く事が何よりの楽しみになっており、友達よりも七海を優先しているのは明らかだった。

 

 此処で七海が接触を抑えていればまた話は違ったのだろうが、当時の七海にその選択肢は有り得なかった。

 

 那須と共に過ごす時間は七海にとって何よりも大事なものとなっていたし、それは彼女も同じであった。

 

 誰が二人に尋ねても、同じ返答が返って来るだろう。

 

 即ち、()()()()()()()()()()()()()()()()のだと。

 

 その頃には既に七海にとって那須は単に気になる異性以上の存在となっており、あらゆる危険から彼女を守る、という誓いも守り続けていた。

 

 その結果が、あの四年前の大規模侵攻の悲劇である。

 

 那須に向かって瓦礫が降り注ぐのをサイドエフェクトで察知した七海は、躊躇なく彼女を突き飛ばしその身代わりとなって瓦礫に右腕を押し潰された。

 

 考えた末の行動ではない。

 

 ただ、()()()()()()()()()。それだけなのである。

 

 その後に起きる事を、明確に意識して動いたワケではない。

 

 ただ、那須に危険が迫っていたから、当然のようにその身を盾にしただけだ。

 

 七海にとって那須を命懸けで護る事は常識以上に当然の事であり、そこに疑問を差し挟む余地などない。

 

 それは最早、七海という存在の()()だった。

 

 些か極端に過ぎるが、昔から七海はそういう所があった。

 

 様々な意味で、()()()()()()()のである。

 

 サイドエフェクトの影響で怪我が少なかった幼少期、その能力を隠す為に他の者と距離を置いていたように。

 

 やるからには、徹底的に。

 

 それが、七海の方針(スタンス)だった。

 

 加減は要らない。

 

 躊躇もしない。

 

 ただ、こうと決めた事に全力であれ。

 

 それが、七海という少年の在り方。

 

 それは主を戴く、従者のそれに近い。

 

 自分というものの上に、那須の存在を置いてしまっている。

 

 だから、彼女を守る為にその身を投げ出す事に躊躇が無い。

 

 だから、その行動に疑問を覚える事が無い。

 

 だから、それが異常であるとは欠片も考えていない。

 

 普通、自分の身を危険に晒す事を人間は躊躇するものだ。

 

 特に七海は、そのサイドエフェクトによってどう行動すれば怪我を避けられるかを知っていたし、たとえ突発的な事故だろうが彼にとっては()()()()()()()()()()()()()に当たる。

 

 つまり、七海はその行動を選べば自分がどういう目に遭うかを知っていながら、那須の為にその身を投げ出したのだ。

 

 その迷いのなさは、最早狂気だ。

 

 人は、痛みを嫌がるものだ。

 

 怪我を避けられるのなら、避けるものだ。

 

 特に、まだ情緒が整っていない子供の時分であれば。

 

 しかし、七海はそうしなかった。

 

 自分が痛い思いをする事よりも。

 

 自分が取り返しのつかない怪我を負うよりも。

 

 那須が傷付く事が、彼には耐えられなかった。

 

 そしてその想いは、現在に至るまで欠片も変わっていない。

 

 むしろ、あの大規模侵攻の悪夢を経て更に強くなっているとも言える。

 

 七海はあの時、()()()()を知った。

 

 姉という欠け替えのない存在を失った事で、七海は何かを喪う事に対し過度な恐怖を抱いた。

 

 あの日、意識が朦朧とし、身体も自由に動かせない中。

 

 砂となって、崩れ落ちる姉だったもの。

 

 自分が助かる代わりに、死体すら残さずに消え果てた姉。

 

 あの光景が、脳裏に焼き付いて離れない。

 

 七海は、姉のお陰で命を拾った。

 

 だが、七海の中の時計の針は、あの時から止まったままだ。

 

 だから、ROUND3で那須が狙われた時、考えるよりも先に身体が動いた。

 

 那須の身代わりとなって弾丸を受け、身を挺して防いだ。

 

 それで那須が助かれば、七海としても問題はなかった。

 

 だが、実際は那須は七海の損傷を見て、暴走。

 

 無防備なまま突貫を敢行し、二度目の狙撃の標的となった。

 

 その時もまた、七海は那須を守る事を最優先とした。

 

 即ち、再び自分を盾にした。

 

 結果は、言うに及ばず。

 

 七海の選択は状況を悪化させただけに終わり、試合にも負けてしまった。

 

 悔しかった。

 

 何より、情けなかった。

 

 自分が落ちた事が、ではない。

 

 那須を守り切れなかった事が、である。

 

 七海は、今でもあの時の那須を庇った判断が間違いだったとは欠片も考えていない。

 

 正確には、それ以外の選択など思いつきもしていない。

 

 何があろうと、那須を守る。

 

 幼き日のその誓いは、まるで呪いのように七海の心を縛っている。

 

 誰かに言われた事であれば、やがてそれは忘れるものだ。

 

 だが、七海は自分で決め、自分自身で誓いを立てた。

 

 その想いが、色褪せる事などある筈がない。

 

 今でも七海は、那須の事を男として想い続けている。

 

 那須を縛り付けてしまっているという負い目から、その想いに蓋をしていても。

 

 想いそれ自体が、消えたワケではない。

 

 むしろ、その想いは成長した事によってより強く、強固になっていた。

 

 故に、ブレようが無い。

 

 七海は()()()()()()()()()()()()()()()事は悔いているが、()()()()()()()に関しては全く反省していない。

 

 もしくは、するべきだとも思っていない。

 

 那須を守る事は七海にとって当たり前の事であり、要はそれが上手く行ったかそうでないかの違いだけだ。

 

 その事を()()()として自覚しているならばまだしも、七海のこれは無意識だ。

 

 自分一人で、何が悪かったという事に気付ける筈もない。

 

 だが、今の七海は那須に接触を拒絶され、どうしたらいいか全く見当がつかずにいる。

 

 図らずも、那須が部屋に閉じ籠り、全ての接触を断ったが為に浮き彫りになった歪みと言えよう。

 

「…………」

 

 七海は頭の整理がつかないまま、『ボーダー』本部にやって来ていた。

 

 特に、何か目的があったというワケではない。

 

 ただ、自然と足が向いただけだ。

 

 …………家には、部屋に閉じ籠った那須がいる。

 

 七海にとって、那須がすぐ傍にいながら会う事が出来ないという状況は、拷問に近いものだった。

 

 だから逃げるように那須邸を後にしたのだが、今の七海に何かを積極的にやろうとする程の覇気はない。

 

 ただ、本部の中をブラつきながら無為に時間を要被するだけだ。

 

「……七海か……?」

「……鋼さん……」

 

 そんな折、七海と親しい攻撃手の一人────村上鋼が、七海の存在に気が付いた。

 

 村上は一瞬迷ったものの意を決して七海に近付き、おずおずと口を開いた。

 

「本部には、何か用があって来たのか?」

「いや、そういうワケじゃないが……」

 

 ふむ、と村上は七海の様子を観察し、昨日の出来事を鑑みてその精神状態の大方を把握した。

 

 何が問題であるかも、理解した。

 

 本来ならば言葉を尽くして対処する所なのだろうが、元より口が回る方ではない。

 

 ならば、取るべき答えは一つ。

 

 村上は意を決し、七海に()()()()を告げた。

 

「もし時間があるのなら────少し、付き合って貰えないか? 個人戦に、さ」

 

 ────純粋な、個人ランク戦の誘い。

 

 普段から行っているそれは、今回に限っては別の意味を持つ。

 

 言葉で諭せないなら、行動で。

 

 百の言葉を尽くすよりも、実戦は何よりも雄弁に自分の想いを突き付けられる。

 

 そう判断したが故の、戦いの誘い。

 

「……分かった。付き合うよ」

「ありがとう」

 

 そして、七海はその誘いを受け入れた。

 

 素早くブースに移動する七海の姿を眺めながら、村上は気合いを入れた。

 

 少しでも、七海の力になる為に。

 

 彼の親友の一人である村上は、己が剣を以て友を助ける決断をした。

 

 それが、最善の手段と信じて。



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七海玲一③

「行くぞ」

「……っ!」

 

 MAP、『市街地A』。

 

 くじ引き(ランダムに)決定された何の変哲もない住宅地が立ち並ぶその場所で、向かい合った七海と村上は共に地を蹴り、跳躍する。

 

 村上は、前へ。

 

 七海は、後ろへ。

 

 逃げる七海を、村上は『弧月』を携え追い縋る。

 

 正面からまともに打ち合えば、耐久力の低い『スコーピオン』を使用している七海が不利。

 

 故に、七海は正面からではなく、側面から隙を突こうと、距離を取る。

 

 だが、それを許す村上ではない。

 

「スラスター、オン」

「……っ!」

 

 村上は『レイガスト』のオプショントリガー、『スラスター』を起動。

 

 ブースターの推進力を得た村上が、七海に向かって斬りかかる。

 

「く……っ!」

 

 七海は仕方なく、右手に構えた『スコーピオン』で迎撃。

 

 『弧月』の刃と『スコーピオン』の刃が、ぶつかり合う。

 

 だが、耐久力に優れる『弧月』と比べ、『スコーピオン』の太刀は脆弱。

 

 受け太刀をした所為で罅割れ、刃が欠ける。

 

「……っ!」

 

 たまらず七海は、足元に『グラスホッパー』を展開。

 

 それを踏み込み、強引に距離を取ろうとして────。

 

「────甘い」

「が……っ!?」

 

 ────それを予測した村上が、その移動先を『旋空弧月』で薙ぎ払った。

 

 胴体を両断された七海は成す術なく倒れ、致命。

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 そして機械音声が七海の敗北を告げ、彼の身体は仮想空間から弾き出された。

 

 

 

 

『第二戦、開始』

 

 個人ランク戦、二戦目。

 

 その、開始が告げられた。

 

 先程と同じように向かい合った七海は、またもや村上から距離を取る。

 

 今度は最初から『グラスホッパー』を起動し、ジグザグな軌道を描きながら建物の影へ退避する。

 

「────『旋空弧月』」

「……っ!」

 

 だが、そこへ村上が『旋空弧月』を放つ。

 

 家屋が斬り裂かれ、七海の姿が浮き彫りになる。

 

「……っ! 『メテオラ』……っ!」

 

 七海はその時点で視界を封鎖すべく、『メテオラ』を使用。

 

 分割されたトリオンキューブが、無数に展開される。

 

「スラスター、オン」

「な……っ!」

 

 村上はそこで回避ではなく、『レイガスト』を手放しスラスターを使用する事を選択。

 

 シールドが展開されたままの『レイガスト』が、七海の『メテオラ』を吸着。

 

 そのまま押し戻され、無数の『メテオラ』が付属したシールドが七海に突き返される。

 

「くぅ……っ!」

 

 そして、起爆。

 

 無数の『メテオラ』の予期せぬタイミングでの起爆により、七海の身体は爆風に呑み込まれた。

 

 だが、そこで終わる七海ではない。

 

 『固定シールド』を用いて爆発から身を守った七海は、すぐさまその場から離れる為『グラスホッパー』を展開し────。

 

「────『旋空弧月』」

「ぐ……っ!」

 

 ────振り抜かれた『旋空弧月』に両断され、その斬撃を避け切れず致命。

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出』』

 

 機械音声によって、彼の脱落が知らされた。

 

 

 

 

「────甘い」

「が……っ!?」

 

 三戦目、逃げてばかりではいけないと考え、距離を取るのではなく詰めた七海であったが、単純な剣の勝負に持ち込んだ時点でサイドエフェクト、『強化睡眠記憶』を持つ村上に対する勝ち目などない。

 

 相手は、これまでに幾度も七海と対戦を繰り返した村上鋼。

 

 村上は七海の()()()()()()()は知らなかったが、逆に言えば()()()()()()()()()()は知り尽くしている。

 

 故に、七海の動きは村上に対して筒抜けに等しい。

 

 サイドエフェクト、『強化睡眠記憶』は睡眠によって学習記憶を100%定着させる事が可能な能力である。

 

 彼は一度眠れば、それまでの経験を100%の効率で自身に刻み込む事が出来る。

 

 言うなれば、自動(オート)で発動する復習記憶能力。

 

 彼に対し、一度使用した動きは二度と通用しない。

 

 案の定、軽くいなされた七海は隙を突かれ、『弧月』で切り裂かれる。

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出』』

 

 そして七海は敗北を告げるアナウンスと共に、戦場から脱落した。

 

 

 

 

「────これでもう4:0だぞ、七海。いつもの手応えはどうした」

「く……」

 

 更に回数を重ね、五戦目。

 

 七海は、一度も勝ち星を挙げる事が出来ずにいた。

 

 その敗北のいずれも、七海が村上から逃げようとしてその隙を突かれる形でやられている。

 

 元々、七海の攻撃能力は村上や影浦と比べると一歩劣る。

 

 だからこそこの結果はあるい意味では予想通りだが、二人とも結果に不満を持っているのは明らかだった。

 

 七海の顔には明確な焦りが見え、村上もまたいつもの仏頂面が極まっている。

 

 七海は、自分の不甲斐なさに溜め息を吐き。

 

 村上は、そんな七海を見て顔を曇らせた。

 

 元々、個人戦の戦績では七海は村上に負け越している。

 

 だからこそこの結果はある意味では順調なものなのだが、肝心なのはその()()()だ。

 

 どの試合も碌に粘る事も出来ず、あっさりと落とされてしまっている。

 

 普段であれば負けるにしても粘った末の接戦が見られ、見応えのある戦いになるのだ。

 

 それが、今は出来ていない。

 

 明らかに、七海の動きは精彩を欠いていた。

 

 理由は、言わずとも明確である。

 

 昨日の敗戦を、未だに引きずっている。

 

 自分を責めて、調子を崩している。

 

 それが、一目瞭然の結果と言えた。

 

「ハッ……!」

「く……っ!」

 

 村上が攻め、七海が退く。

 

 これまでに、何度も繰り返された光景。

 

 しかしそれを見る度に村上の眉間に皺が増えていき、表情が険しくなっていく。

 

「…………いつもの攻めはどうした? そんなに、()()()()()()()のか?」

「……っ! それは……っ!」

 

 七海の太刀筋が、ブレる。

 

 村上はそこを容赦なく突き、七海の手から『スコーピオン』は弾き飛ばされる。

 

「なんで分かったって顔だな。見れば分かるんだよ……っ!」

「く……っ!」

 

 七海は素早く腕から『スコーピオン』を生やし、村上の太刀を迎撃する。

 

 強度重視で小さく凝縮した『スコーピオン』が、村上の斬撃を受け止める。

 

 しかし二の腕から直接生やした刃に、汎用性などある筈もない。

 

 村上は敢えて腕から力を抜き、七海のバランスを崩す。

 

「……っ!」

「────貰った」

 

 ────その隙を突き、一閃。

 

 村上の攻撃は七海の右腕を斬り飛ばし、傷口から大量のトリオンが漏れ出した。

 

 その光景を見ながら、村上は一歩、また一歩と七海に近付いて行く。

 

「…………お前の剣には、気迫が足りないと前々から思っていた。()()()()()()()()()()()()()()()で、相手を落とせると思っているのか?」

「それは……」

 

 村上の言葉にどう答えていいか分からず、七海は黙りこくる。

 

 そんな七海を見た村上は、溜め息を吐いた。

 

「無自覚か…………いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()か? お前の剣を見れば分かる。お前には、()()()()()()()()()()()()()…………良くも悪くもな」

 

 村上はそう告げると、七海に『弧月』の切っ先を突き付ける。

 

「確かに、チームランク戦であれば自分で得点せずとも仲間の援護で得点に繋げられる。実際、ROUND1では俺もしてやられたしな」

 

 けれど、と村上は続ける。

 

()()()()()()()()()()のと()()()()()()()()()()のは明確に違う。自分一人で点を取ろうとする努力は、最低限するべきだ」

「一人で、点を取る努力……」

 

 村上の言葉を復唱する七海に、村上は優し気な声色で重ねる。

 

「別に、無理をしろと言っているワケじゃない。単に、心情的な問題だ。仲間と協力して点を取るスタンスは、間違ってるワケじゃない。けど、()()()()()()()()()()()()()()のは良くないってだけだ」

 

 たとえば、と村上は続けた。

 

「お前が時間を稼いで、日浦さんの狙撃で相手を倒す。それ自体は間違っていない。けれど、もしお前が一人で相手を倒す事が出来れば、その分日浦さんに別の相手をマークさせる事も出来る。()()()()と言ってるんじゃない。()()()()()()()()()()()()()と言っているんだ」

 

 勿論、と村上は告げる。

 

「そうした方が良い場面っていうのは、やっぱりある。確実性を取るのは、何も悪い事じゃない。ただ、()()()()()()()のと()()()()()()()()()()ってのは、やっぱり違う。選択肢の()()ってのは、武器になるからな」

 

 そう語る村上の眼には、何処か誇らしげな光が浮かんでいた。

 

 何か、思い当たる事があるのかもしれない。

 

 七海はROUND2の『鈴鳴第一』の試合は見ていないが、そこで何かがあったのかもしれない。

 

 後で見てみようか、と彼は思い立った。

 

「お前は、仲間を気にし過ぎるきらいがある。仲間の事を考えるのは大事だが、それにしたって限度がある」

 

 自分の事を疎かにし過ぎだ、と村上は言う。

 

 そうかもしれない。

 

 客観的に見れば、七海は自罰的な傾向が強く、仲間に気を回し過ぎるタイプではあった。

 

 その為自分の主張というものが薄く、我を通す場面というのは殆ど見ない。

 

 誰かの助けになる、という事は得意だけれど。

 

 誰かを引っ張る、という事に関してはむしろ苦手なのだ。

 

「お前は、その気になれば他の人を引っ張る事が出来る奴だ。けど、お前は色々と遠慮し過ぎだ。自分を通さなきゃいけない時まで黙ってちゃ、何も解決出来ないぞ」

「俺は……」

「ま、気持ちは分かるけどな」

 

 お前も分かってるとは思うが、と村上は前置きして告げる。

 

「俺は、来馬先輩を狙われたらどんな状況だろうが庇いに行く。それは今後も変わらないし、変えていくつもりもない」

 

 けどな、と村上は言う。

 

「その上で俺は『鈴鳴第一』を上に連れて行くつもりだし、太一だって同じ気持ちだ。この気持ちに、偽りはない。それに、そう遠い話でもなさそうだしな」

 

 確かに彼の言う通り、今の『鈴鳴第一』はかなりポイントを稼いでいる。

 

 次のROUNDの結果次第では、上位に上がって来る可能性も充分考えられるだろう。

 

 それだけの地力が、彼等にはある。

 

「…………まあ、お前が那須を大事にしてるのは知ってるよ、見れば分かるし、それ自体は何の問題もない」

 

 けど、と村上は告げる。

 

「他人からしてみれば、お前のそれは()になるってのは覚えておいて損はない。俺も他人の事を言えた口じゃないが、()()()()()()()()()()()()ってのは割と大事だからな」

 

 そこを突かれて負けた以上偉そうな事は言えないがな、と村上は言う。

 

 確かにROUND1では、七海達は村上の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という性質を利用し尽くし、村上に何もさせずに完封した。

 

 来馬を狙えば村上の動きを制限出来ると分かっていたからやった事だし、たとえ親しい友人だろうと試合は試合だ。

 

 試合の中で容赦する気は、微塵もなかった。

 

 だが、村上はそれを例に挙げて()()()()()()と言って来た。

 

 そうかもしれない。

 

 事実、ROUND3では七海が那須を庇うという性質を利用され、結果的に二人共落とされている。

 

 奇しくもそれは、来馬を必ず庇うという性質を利用されて落とされた、村上の状況に酷似していた。

 

「昨日の試合を見れば、お前の弱みは嫌でも分かる。今のままじゃ、同じように弱みを突かれて負けるだろう。これは何の誇張もない、ただの事実だ」

 

 上位はそんな甘い場所じゃないみたいだからな、と村上は告げる。

 

 確かに、七海はROUND3で思い知った。

 

 B級上位陣の層の厚さと、そのシビアな判断能力を。

 

 二宮は、安定した高い地力を押し付ける危なげない試合展開を見せた。

 

 影浦は、自分の強みを活かした苛烈な攻めを見せて来た。

 

 そして東は、的確にこちらの()()を突いて来た。

 

 そのどれもが安定して強く、上位という場所の壁の厚さを痛感する結果になった。

 

 覚悟の据わり方という点で、『那須隊』は上位陣の面々と比べて劣っていると言わざる負えなかった。

 

「…………まあ、お前と那須の関係については俺が口出し出来るような事じゃない。そういう事には俺は疎いし、無暗に干渉して良い事でもないだろう」

 

 けど、と村上は続けた。

 

「俺はこれでも、お前の()()のつもりだからな。困った事があるなら、いつでも相談に乗るくらいはしてやれる。だから、もっと頼れ。俺は、そんなに頼りないか?」

「あ……」

 

 その、村上の優しい声に、七海は呆けたような顔をした。

 

 七海には、誰かを頼る、という意識が欠如していた。

 

 チームメイトであれば協力体制を築くのはむしろ当然だが、それ以外────困った時に友人に頼るという発想は、今までになかった。

 

 頼るまでもなく、協力してくれる者が多かった弊害かもしれない。

 

 鍛錬についての相談という実利以外の面でも、悩みがあるから相談する、という当たり前の事をして来なかった。

 

 村上からしてみればそれは存外、寂しい事だったらしい。

 

「…………そうだな。これからは、いざという時は頼りにさせて貰うよ」

「ああ、そうしろ。そっちの方が、俺も嬉しいからな」

 

 そして、個人ランク戦の制限時間のタイムアップが告げられる。

 

 仮想の戦場で相対していた二人は、共に苦笑を浮かべながらその場所から現実へ戻って行った。



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志岐小夜子①

「さて、小夜子ちゃん。私の言いたい事は分かってるわね?」

「……はい」

 

 『加古隊』作戦室、人払いを済ませたその場所で、小夜子は加古と向かい合っていた。

 

 小夜子は俯きそうになり顔を必死で上げ、加古の姿を見上げている。

 

 そんな健気な姿を見て、加古は口元に笑みを浮かべた。

 

「…………ふふ、そんなに沈まなくても大丈夫よ。別に、責めようってワケじゃないの。ただ、これから貴方がどうするか…………それは、聞いておきたかったからね」

「これから、どうするか……」

 

 小夜子の声に、困惑はない。

 

 何処か張り詰めてはいるが、それでも何を問われているのか分からないワケではないようだ。

 

 事実、今回は加古にとっても小夜子にとっても()()の意味が大きい。

 

 今回、『那須隊』は七海の弱みを突かれ、その結果那須が暴走して敗北を喫した。

 

 加古としては、相手チームに東がいた以上当然の結果だったと考えている。

 

 東は、相手の弱点を理解し、それを突く事で改善を促す事がままある。

 

 あのROUND2を見た東が、七海の弱点に気付いていないとは加古は考えていなかった。

 

 加古でさえ感じた、ROUND2での『那須隊』の行動の違和感。

 

 即ち、()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()という点。

 

 あの時、那須は無理に合成弾を使わずとも、時間を稼げば七海と合流し、二人がかりで柿崎を仕留める事が出来た。

 

 あの時点で柿崎は仲間が全員『緊急脱出』しており、那須の弾幕を掻い潜る手段もなかった。

 

 あのまま攪乱に徹していれば、七海の合流まで充分に時間を稼げた筈だ。

 

 MAPが広かった事もあり、タイムアップ時間までも余裕があった。

 

 あの場面で、『那須隊』が時間稼ぎを択ばなかったのは違和感でしかないのだ。

 

 もしあの時、『合成弾』を使わずに時間稼ぎを選んでいれば、()()()()()()()使()()()()()()()()を隠し、ROUND3に臨む事が出来ていた。

 

 そうすればもしかすると、那須の合成弾による奇襲で誰かを仕留められていた可能性もあった。

 

 そう考えれば、ROUND2での『変化炸裂弾』の使用は悪手でしかない。

 

 晒さなくて良かった手札を晒した結果、得られたものがあまりに少な過ぎる。

 

 だからこそ、その行動には『那須隊』にしか分からない()()があった。

 

 あの場面、那須に『合成弾』使用を進言したのは他ならぬ小夜子である。

 

 小夜子は加古の助言を聞き、()()()()()()()()()()()と那須を対面させるリスクを恐れ、()()()()()()()()()()を急いだ。

 

 あの状態の七海と合流して、那須が暴走しない保証はなかった。

 

 いや、ROUND3での事を考えれば暴走していた可能性は高いと言わざるを得ない。

 

 だからこそ小夜子はあの場面で決着を急ぎ、那須に『合成弾』を使わせた。

 

 …………そして、それが東に七海の()()を確信させた決定打だろう。

 

 柿崎相手に無理に『合成弾』を使用した違和感の正体を、東は正確に読み取った。

 

 その上で、ROUND3の試合でそれを突く事を決めた。

 

 ROUND3の試合は制圧力の高さ故七海との相性が最悪に近い二宮と、七海と縁深い影浦が揃っていた。

 

 二宮ならば速攻で『那須隊』の誰かを落とす事は充分考えられたし、そうなれば仲間想いが過ぎる那須が暴走する展開も目に見えていた。

 

 那須はあれで、中々の激情家だ。

 

 前期までの試合でも、仲間が落とされた後は鬼気迫る様子で攻め立て、隙を晒して落とされる事が何度かあった。

 

 その暴走が起きる可能性が高いと東は判断し、七海を仕留める為の網を張った。

 

 恐らく、『影浦隊』の狙撃手であるユズルも七海との付き合いの深さ故、彼の弱点には気付いていた筈だ。

 

 だからユズルに先に狙撃させ、シールドが壊れた所を狙い撃った。

 

 那須に心的外傷(トラウマ)を想起させるように、わざわざ右腕を狙って。

 

 結果として那須は完全に暴走し、それを庇う為に七海が射線に自ら入り、落とされた。

 

 呆然自失となっていた那須も、その隙を突く形でユズルが獲った。

 

 東としては、想定通りの試合結果だったと言えるだろう。

 

 かつて彼の下で戦った一員として、加古は東の思考をほぼ完璧に追跡(トレース)していた。

 

 あの試合の解説を引き受けたのは、リアルタイムでその様子を見て、どう動くべきか判断を下す為でもあった。

 

 場合によっては『那須隊』の作戦室に突入する事も考慮していたが、終盤の茜とそれをサポートした小夜子の動きを見て、考えを改めた。

 

 即ち、干渉を行うのは小夜子だけで充分であると。

 

 助言を求められた場合は応じるが、そうでない限りは小夜子以外に自ら干渉はしない。

 

 加古はそう決めて、小夜子を隊室に呼び出したのだ。

 

 小夜子はどうやら加古の意図を正確に理解していたらしく、すぐさま彼女の招集に応じた。

 

 何処か、覚悟を瞳の奥に秘めながら。

 

 故に、加古は心配ないだろうと思いつつも、確認の為に小夜子に声をかけた。

 

「今、『那須隊』はバラバラよね? 那須さんは閉じ籠って出て来ないらしいし、七海くんもどうすればいいか分からずにいる。熊谷さんも迷いがあるようだけど、七海くんと熊谷さんは多分大丈夫でしょうね」

 

 あの二人、頼れる相手が多いから、と加古は続けた。

 

 確かに、そうだろう。

 

 熊谷はその社交的な性格から交友関係が広く、相談を持ち掛けられる相手もそれなりにいる。

 

 七海にしても、攻撃手界隈に知り合いは多く、村上や荒船などとは特に仲が良い。

 

 村上とは良きライバル関係であり、もしかすると今頃村上がお節介を焼いている真っ最中かもしれなかった。

 

 そういう意味で、七海と熊谷の二人は大丈夫だろう。

 

 茜に関しては、最初から何も問題はない。

 

 彼女はただ、チームメイトが戻って来るのを待っている。

 

 七海と那須の問題に気付けなかった者として、待つ事が自分の仕事であると割り切っている。

 

 彼女はお世辞にも相談相手として向いているとは言えず、人を上手く説得する術にも長けていない。

 

 ただ、彼女は思うが儘に振る舞うだけだ。

 

 それが、皆の為の最善であると信じて。

 

「問題は、那須さんね。彼女、相談できる相手に心当たりはあるかしら? ()()()()()()()()()

「…………いえ、小南先輩がそうだとは思いますが、その……」

「ええ、悪いけれど相談相手として適切なアドバイスが出来る子じゃないわね」

 

 加古はバッサリと、ただの()()としてそう告げた。

 

 小南は素直で純粋、それでいて騙され易いが芯の強い少女だ。

 

 旧『ボーダー』時代から戦場を生き抜いて来た事もあり、その精神性は()()としてある意味完成されている。

 

 普段は色々と隙が多いが、こと戦闘となれば別人のような切れを見せるのが小南だ。

 

 戦闘員として、彼女以上に頼りになる者はそういないだろう。

 

 しかし彼女は、那須のような()()()()を持つ者の相談相手としては向いていない。

 

 自分の精神が一つの完成形として安定しているが故に、那須のように自分の心を誤魔化し続けて来た者の悩みは理解出来ないのだ。

 

 更に言えば、加減が出来る性格でもない。

 

 彼女が那須の悩みを聞いたならば、全力で那須の性根を叩き直そうとするだろう。

 

 それが無意識に分かっているからこそ、那須が彼女に相談する事はない。

 

 そして、小南の方からは恐らく干渉して来る事はない。

 

 彼女はあれで、人との距離の取り方は割とシビアな方だ。

 

 頼られたのなら応じるが、そうでない限りは余計な干渉は避ける。

 

 それが、彼女のスタンスである筈だ。

 

 つまり、今那須が相談出来る相手は誰もいない。

 

 七海が自分から那須に歩み寄ろうとしても、今の那須の状態でそれを受け入れられる筈もない。

 

 熊谷もまた、遠慮と今まで問題を放置した負い目から、那須を強引に連れ出す事は出来はしない。

 

 茜もまた、そういう面では頼れない。

 

 つまり。

 

 つまり。

 

 小夜子しか、いないのだ。

 

 那須を連れ出し、性根を叩き直す。

 

 その大役が務められるのは、現時点で小夜子しかいない。

 

 現状をどうにか出来るのは、彼女を置いて他にいないのだ。

 

「状況は理解出来てるみたいね。その上で聞くわ。貴方は、どうする気なの?」

「…………そうですね。那須先輩と、話をしてみたいと思います」

 

 加古に問われた小夜子は、迷う事なくそう答えた。

 

 それを見て、加古は唇を吊り上げる。

 

「へえ、何を話すの?」

「全部、ですかね。那須さんが悩んでいる事と、現状の問題点。そして────私の、七海先輩への想いを」

 

 小夜子は、顔を上げる。

 

 その顔には、燃え盛る闘志のような────それでいて、真っ直ぐな女の情があった。

 

 その瞳に宿すのは、チームメイトを心配するが故の決意だけではない。

 

 今まで秘めて来た、解き放つべきではないと考えていた激情。

 

 それを、表に出す覚悟を決めた。

 

 彼女の眼は、それを雄弁に訴えていた。

 

「先に言っておきますね。私、ROUND2で那須先輩に『合成弾』を使わせた事が間違いだったとは思ってません」

「あら、それはどうして?」

「あれがあったから、今回のROUND3でうちの隊が抱える()が浮き彫りになったからです。あそこまでやられれば、全員が自分の隊の問題点を嫌でも自覚したでしょう」

 

 オペレートしていた私が言うんだから間違いありません、と小夜子は断言する。

 

 確かに、今の『那須隊』の面々が沈んでいるのは自分達が抱える問題を明確に自覚したが故だ。

 

 あそこまでの惨敗がなければ、こうはならなかったであろう。

 

 そういう意味で、ROUND3は良い機会だったと、小夜子は言い切ったのだ。

 

「恐らく、ROUND2で那須先輩が暴走した所で、大した被害は受けなかった筈です。言っちゃ悪いですが、あの時点でうちの負けはほぼありませんでした。暴走しても、充分フォローが効く範囲だったと言えるでしょう」

 

 ですが、と小夜子は続ける。

 

「上位陣相手にその弱みを晒した事で、那須先輩達は否応なく自分達の弱点に気付いた筈です。あそこまでコテンパンにやられたんですから、当たり前ですけど」

「でも、その所為で1点しか取れなかったわよ? 今後の事を考えると、あの惨敗は響くんじゃない?」

「そうでもありません」

 

 小夜子は加古の面白がるような質問に、間髪入れずに答えた。

 

「ROUND2までに、うちの隊は合計16点という大量得点を獲得しています。結果として、あそこまでの惨敗をしても上位に留まる事が出来ました。茜が1点取った事も大きかったですがね」

 

 そう、『那須隊』は彼女の言う通り、ROUND1で8点、ROUND2で8点の計16ポイントを獲得している。

 

 その()()があったが為に、ROUND3で1点しか取れていなくとも、上位に残留する事が出来た。

 

 そして、上位陣の力をその身を以て体験する事が出来た。

 

 そういう意味では、非常に有意義な試合であったとも言える。

 

「茜は那須先輩達と違い、一切の間違いを冒しませんでした。獲れる点を取って、獲られる事なく離脱する。あの状況では、ベストな判断だったと言えるでしょう」

「そうね。それは認めるわ。あの状況で、彼女は己の最善を尽くした。誰にも、文句が言えない形でね」

「ええ、そして、私はそれを那須先輩達に何の口出しもさせずに見せ続けました。あの時の作戦室は、お通夜のような雰囲気でしたね」

 

 当時の事を思い返すように、小夜子が呟く。

 

 彼女は三人が落ちた後、問答無用でモニターの前に立たせ、茜が孤軍奮闘する様を見せ続けた。

 

 状況判断を誤り、落ちてしまった三人に何か口出しが出来る筈もない。

 

 三人は黙ったまま、一人で見事な戦果を挙げる茜の姿を瞼に焼き付けた。

 

 その内心は、最早グチャグチャになっていた筈だ。

 

「判断ミス、というか暴走ですね。それで落ちた那須先輩には、特に()()()筈です。一番年下の茜が自分と違って判断を間違えず、あそこまでの戦果を挙げた事実に、心がポッキリ折れた筈ですね」

「それを分かっていて見せたあたり、小夜子ちゃんもやるわね」

「正直、あの時点でもう覚悟は決めていましたから」

 

 小夜子はそう告げると、溜め息を吐いた。

 

「…………いつか、こんな時が来るんじゃないかとは思っていました。中位までは地力と作戦でなんとか出来ていましたけど、致命的な弱みを抱えたままじゃ上位じゃ通用しない事は分かり切っていましたから」

 

 そう、今の『那須隊』は確かに強いが、それでも多くの()()がある。

 

 その最たるものが、()()()()()()()()()()()()()事である。

 

 誰か一人でも落ちれば那須が暴走する事が分かり切っているが故に、隊員に捨て身の作戦を指示出来ない。

 

 ランク戦では、捨て身の作戦────言うなれば()()()()()()()()()()()()()()()()を取れるか否かで、戦略の幅がまるで違って来る。

 

 姿を晒しての捨て身での狙撃、巻き添えを狙った『メテオラ』での自爆。

 

 取れる手段は、とても多い。

 

 それが出来ない時点で、『那須隊』の選択肢は必然的に少なくなって来る。

 

 ROUND3で言えば、熊谷が落ちる覚悟で二宮を釣り出し、その間に他のメンバーが点を取る、という動きも出来た筈なのだ。

 

 だが、『那須隊』が抱える弱み故にその選択肢が取れなかった。

 

 捨て身の作戦が()()()()()()はともかく、選択肢を自分から潰しているのは頂けない。

 

 特に、捨て身が必要になる場合が充分考えられる上位での試合に置いては。

 

 だから、綻びが出るのはむしろ当然であったのだ。

 

 それを理解したからこそ、小夜子の覚悟が定まったと言える。

 

 加古の助言を受け、現状の問題点を身を以て体感した。

 

 故に、今の小夜子に迷いはない。

 

 ただ、やるべき事をやる。

 

 今の彼女には、それしかない。

 

「だから今日、那須先輩の所に行きます。だからちょっと、そこまで送って貰えますか?」

 

 加古の返事を待たず、小夜子は告げる。

 

「ちょっと、女の喧嘩をやりに行きますので」

 

 臆面もなく、彼女はそう言い放った。

 

 それに対する加古の返答は、分かり切っていた。



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志岐小夜子②

 ────なんて、啖呵を切ってはみたけれど、結局殆ど勢い任せだ。

 

 加古相手だからある程度の見栄を張ったが、それでも小夜子の本質は人間関係から逃避した引き籠りだ。

 

 男の人は未だに信用出来ないし、例外と言えば七海くらいだ。

 

 それ以外の男性は、やっぱり怖い。

 

 そんな事はない、と分かってはいても、小夜子の記憶にはあの時先輩から向けられた心底悪意に満ちた視線が色濃く刻まれている。

 

 それが消えない限り、小夜子が七海以外の男性に心を許す事はないだろう。

 

 七海は、別だ。

 

 彼は自分の所為で那須のチームに入れずにいたというのに、小夜子に対し恨み言を言う事なく、むしろ彼女を励ましてくれた。

 

 他の男性とこの人は違う、と小夜子は思った。

 

 冷静になればあの先輩が特別()()であっただけで、他の男性がそうであるとは限らないのだが────それでも、小夜子の根底には男性に対する過剰な疑心がある。

 

 優しい言葉は、単に女に取り入って関係を迫る為ではないのか。

 

 そういった考えが、どうしても拭い切れない。

 

 過去の心的外傷(トラウマ)は、そう易々と払拭出来るものではないのだ。

 

 そんな弱い自分が、那須相手に喧嘩する?

 

 しかも、七海の事を引き合いに出して?

 

 ────有り得ない、と昔であれば思っただろう。

 

 那須は、女の小夜子から見ても絶世の、と形容するに相応しい美貌を持った少女だ。

 

 儚げなその容貌は男性の庇護欲をそそらせるし、気品すら漂わせるたおやかな仕草は男女問わずその眼を惹きつけるだろう。

 

 だが、小夜子は知っている。

 

 那須はその外面に反し────────否、その外面に相応しい()を持った少女であると。

 

 本当の意味で彼女の眼に入っている男性は七海だけであり、七海に関わる事柄でのみ初めて他人に興味を向ける。

 

 ()()()()()()()の線引きがしっかりし過ぎており、傍から見れば対応があからさまに違う。

 

 彼女が身内であると判断した者には心配りを欠かさず、親身になって対応するが、それ以外の者を()()()()()()と見る傾向が那須にはある。

 

 彼女が真の意味で心を許しているのは小夜子同様七海のみであり、チームメイトの熊谷や茜がそれに続く。

 

 自惚れでなければ、小夜子自身もその()()カウントに換算されている筈だ。

 

 那須は七海、それ以外の身内、身内がお世話になった人までは真摯に対応し、礼を尽くす。

 

 しかし、それ以外の人間に対しては当たり障りのない────────ハッキリ言って、関わる意義を見出していないとしか思えない対応をする場合がある。

 

 特に、身内を害されたと感じた時、那須はその内に秘めた激情を露わにする。

 

 ROUND3で、七海の右腕が吹き飛ばされた所をその眼で見た時のように。

 

 彼女は、大事な者が傷付けられれば()と化す。

 

 思慮分別を放り捨て、報復を果たすべく衝動的に動いてしまう。

 

 憤激に囚われた那須の怒り様は、仲間から見ても筆舌に尽くし難いものがあった。

 

 美人が怒ると怖い、という典型と言える。

 

 幸いと言うべきか、那須は生身の身体が病弱な為、トリオン体でなければ碌に運動も出来ないので普段の生活でその激情が発露してもそう大事にはならないだろう。

 

 怒らせて無事で済むかどうかは、別として。

 

 那須は理性的な見た目に反し、かなりの激情家である。

 

 眼の前で怒らせれば、流石に何をするかは分からない。

 

 自分は、今からそれをしに行くのだ。

 

 小夜子(引き籠り)那須(病弱少女)の生身の体力は、どちらも大して変わらない。

 

 ハッキリ言ってしまえば、どちらも体力はすぐ尽きる。

 

 トリオン体になれば那須の圧勝ではあるが、流石に生身の人間相手にトリオン体になって掴みかかるような真似はしないと信じたい。

 

 その為には、いっそ思い切り怒らせた方がいいかもしれない。

 

 那須は一定以上の沸点を超えると、全ての思考を放棄して突貫する悪癖がある。

 

 余計な事をさせない為には、思い切り怒らせた方がむしろ効果的かもしれない。

 

 小夜子は、こと此処に至ってそのような小賢しい事を考えていた。

 

 ハッキリ言ってしまえば、やりたくなどない。

 

 だが、加古にも言われたのだ。

 

 自分しか、この役を務める事は出来ないのだと。

 

 なんで自分が、と思わない事もない。

 

 確かに小夜子は七海に恋しているが、その想いは墓まで持って行くつもりであったのだ。

 

 自分が那須を差し置いて七海と一緒になるなど想像も出来なかったし、何より烏滸がましい。

 

 あの二人は、四年前の悲劇で心に大きな傷を負っている。

 

 なら、二人で一緒になってその疵を乗り越えて行くのが正しい道筋の筈だ。

 

 自分のような、人間関係で折れた程度の人間が、割って入るべきではない。

 

 小夜子はそう考えて、初恋を自ら終わらせようとしていたのだ。

 

 だが、加古がそれに待ったをかけた。

 

 何も、遠慮する必要はない。

 

 ただ、自分の思うが儘にやれば良いのだと。

 

 小夜子は、その言葉を突っぱねる事が出来なかった。

 

 彼女の言葉全てに、納得したのではない。

 

 ただ、加古の言葉に頷く自分がいたのも、確かだった。

 

 何故って、やっぱり小夜子は七海の事が好きなのだ。

 

 加古の言葉を拒絶出来なかった時点で、七海への未練の大きさは察して知るべしである。

 

 …………本当であれば、諦めたくはないのだ。

 

 七海に想いを告げて結ばれ、二人で共に生きていく。

 

 そんな夢想を、した事がなかったかと言われれば肯定するしかない。

 

 他の男性に触れられる事など死んでも嫌だが、七海が相手であればそうでもない。

 

 むしろ、抱き締めて欲しいとすら思う。

 

 その先に進む事すら、否はない。

 

 七海と恋人同士になった夢を見た事も、一度や二度ではない。

 

 小夜子の七海への恋慕は、そう簡単に振り切れるような軽いものではないのだ。

 

 元より、男性不審が極まっていた彼女の心を溶かした唯一の男性が七海である。

 

 那須程とは言わずとも、普通に考えれば重すぎる想いを小夜子は彼に抱いている。

 

 流石に那須のあれは常軌を逸している部分もあるが、小夜子も人の事が言える立場ではない。

 

 サブカル趣味にどっぷり浸かっている小夜子は、他人より想像力が豊かである。

 

 七海に迫られるシュチュエーションも、腐る程夢想して来た。

 

 以前その想いを抑え切れずこっそり妄想をパソコンで文章にしてみた事もあるのだが、18禁方面に振り切れてしまった為即座にデータフォルダの奥底に封印した。

 

 むっつりの称号を戴いてもなんらおかしくない内容だったので、あれを誰かに見せる事は未来永劫有り得ないだろう。

 

 むしろあれを見られたら死ねる。

 

 それくらいの内容だった。

 

 しかし、そうやって時折サブカル方面で発散出来ているから、彼女の想いを隠し続けて来れたのだろう。

 

 そうでなければ、何処かで爆発していた可能性は否定出来ない。

 

 そういう意味では、サブカル趣味はそう悪いものではない。

 

 否定的な見方をする者がいるのは事実だが、小夜子からしてみれば趣味に没頭するのは悪い事ではない。

 

 それがスポーツだろうがアニメやゲームだろうが、趣味である事に変わりはない。

 

 後ろ指刺される謂れは、何も無い筈だ。

 

 …………まあ、一般的な先入観(イメージ)というものはどうしても付いて回るので、仕方ない部分はあるのだが。

 

 サブカル趣味が周囲からどう見られているかは、過去の小夜子の体験が証明している。

 

 流石にこの『ボーダー』の正隊員にそんな事で他人を責める輩がいるとは思えないが、それでもサブカル趣味を大っぴらにして人付き合いをする程小夜子も気が強くはない。

 

 最近では身内の他にもゲーマーで有名な『太刀川隊』のオペレーターの国近や隠れてそういった趣味に興じていた『王子隊』の橘高等とオンラインで対戦する事もあり、小夜子のサブカル生活は概ね満足していた。

 

 同じ趣味を持つ者同士通じ合う事も多く、二人とは割と仲良しになっている。

 

 このままオペレーターの間でサブカル趣味を広めていければ、小夜子の交友関係も相応に広がっていくだろう。

 

 オペレーターは言うまでもなく女性だけなので、小夜子としても交流するのはそう吝かではない。

 

 中には苦手なタイプもいるものの、何も全員と仲良くなりたいというワケではない。

 

 同じ趣味を持つ相手が一人か二人増えるだけでも、割と満足である。

 

 那須程極端ではないにしろ、小夜子も狭く深い関係を好むタイプの人間であるからだ。

 

 そういう意味で、那須と一番感性が近いのは小夜子だと言える。

 

 どちらも内に溜め込みがちな性格で、あまり我を通すタイプでもない。

 

 かと思えば譲れない事は頑として譲らないし、融通が利かない部分も多い。

 

 那須は冷静に見えて激情家であるし、小夜子もそこまで理性的な人間というワケでもない。

 

 生身の運動能力に関しても、そう違いはない。

 

 病弱な那須と引き籠り故の虚弱体質の小夜子で、同列に扱って良いかどうかは別として。

 

 色々思う所はあれど、小夜子としても那須の事はどちらにしろ放置は出来ないと思っていた。

 

 もし、このままの状態でROUND4に突入すれば、まず間違いなく負ける。

 

 そうなれば、流石にB級上位に残留は出来ないだろう。

 

 また、中位からやり直しだ。

 

 『那須隊』は、隊員の精神状態で大きく強さが左右されるチームだ。

 

 その精神状態がボロボロでは、勝てる試合でも勝てはしない。

 

 そして、最も()()と言えるのが那須だろう。

 

 熊谷は単に落とされた事と那須と七海の問題を放置していた事を気に病んでいただけで、明確な方向性が見えれば立ち直るだろう。

 

 七海もまた、仲の良い攻撃手の者達が世話を焼く筈だ。

 

 茜は元々折れてはおらず。チームメイトが戻って来るのを今も待ち望んでいる。

 

 つまり、最重要懸念事項は那須の問題解決にあるのだ。

 

 加古の言う通り、那須の交友関係は酷く狭い。

 

 そしてチームメイトに相談して来ない以上、彼女に世話を焼いてくれる相手もいない。

 

 小南に頼めばやってくれるかもしれないが、自分で何も試さずに他人に頼るのは小夜子としても嫌だった。

 

 仮にも、チームメイトなのだ。

 

 そして小夜子にとっては、()()でもある。

 

 此処で女を見せずして、何処で見せるというのか。

 

 そんな想いが、小夜子にはあった。

 

 …………それに、今の那須にも思う所は大いにある。

 

 七海の心を独占しておきながら、本人は自分の想いから目を背けている。

 

 彼女達を応援するべく身を引いた小夜子としては、何をやっているんだ、と言いたくもなる。

 

 小夜子は、那須達の幸せを願って身を引いたのだ。

 

 なのに、とうの本人達は負い目が絡まり合って素直になれずにいる。

 

 傍から見て、かなり焦れったい。

 

 思わず、横から蹴り飛ばしてやりたくなるくらいには。

 

 結局の所、小夜子が思い立った動機はそれだ。

 

 下らない事でうじうじしている那須に、蹴りを入れに行く。

 

 もしも那須が情けない姿を見せ続けるようであれば、そのまま七海に告白しに行く事も辞さないつもりだった。

 

 同じ人を好きになった者として、那須に喧嘩を売りに行く。

 

 小夜子には、その権利がある。

 

 その事は、加古も保証してくれている。

 

 七海や熊谷には迷惑をかけるかもしれないが、チームメイトのよしみで許して欲しい。

 

 具体的には、自分や那須の身体に青痣が残る展開になったとしても見逃して貰いたい。

 

 最初から物理的に喧嘩をするつもりはないのだが、結果としてそうなってしまう可能性は否定出来ない。

 

 引き籠りと病人の喧嘩なのでスケールは小さいかもしれないが、それでも手が出ない保証はない。

 

 むしろ、一発は頬をひっ叩いてやるつもりであった。

 

 右の頬を叩かれたら左の頬を差し出せと何処かで聞いたが、冗談ではない。

 

 右の頬を叩かれたら、当然相手の右頬も叩く。

 

 それも全力で。

 

 報復は、当然の権利である。

 

 そして今回に限り、小夜子は一切の我慢をするつもりはなかった。

 

 単純に、そうでもなければ那須には勝てないと思っているからだ。

 

 いや、勝ち負けの勝負をしに行くのではないが、心情的には似たようなものだ。

 

 今から彼女は、那須を殴り飛ばしてでも立ち直らせる為に彼女の家まで全力の喧嘩を売りに行く。

 

 その為に加古の車に乗り、彼女の家に向かっている。

 

 加古は先程から何も喋らず、時折小夜子の百面相を見て笑みを浮かべている。

 

 自分の貧相な考えなど、このモデル並の美女にはお見通しだろう。

 

 けれど敢えて言葉にせず見守ってくれている事が、本当にありがたい。

 

 これまでの道程で、気合は充分入れ直せた。

 

 後は、この想いを彼女にぶつけるだけである。

 

 志岐小夜子、一世一代の大喧嘩。

 

 相手は那須玲。『那須隊』隊長であり、小夜子が恋する七海の想い人。

 

 相手にとって、不足はない。

 

 加古の車が、那須邸に着いた。

 

 小夜子は車から降り、玄関の前に立つ。

 

 そして、意を決してインターホンを鳴らした。

 

 女同士、腹を割った話し合い(喧嘩)をする為に。



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那須玲①

 ────彼と初めて出会った時、那須は運命めいたものを感じていた。

 

 親の紹介で出会った七海は、線の細い穏やかな印象を持った少年だった。

 

 当時の七海は今より口数が少なく、訥々と呟くように話すので物静かなイメージが強かった。

 

 それでいて運動もそれなりに嗜んでいるようで、見た目に反して割と体育会系の気質があった。

 

 しかしインドアな趣味にも理解があり、那須が一緒に読書がしたいと言えば、素直にそれに応じてくれていた。

 

 那須が微笑みかけると顔を赤らめる初心な所もあり、そんな彼の反応を見るのは気分が良かった。

 

 当時から美少女の片鱗を覗かせていた那須は男女問わずあらゆる視線を集めており、自分の容姿のレベルについては何となくではあるが自覚していた。

 

 人より優れた容姿を、自分は持っているのだろうと。

 

 もっとも、それはあくまで客観的な視点に立ったもので、那須自身は自分の容姿についての理解が高かったとは言い難い。

 

 繰り返し()()()()という形容詞を付けられていれば自分に対する他人の評価は嫌でも分かるのだが、実感を持っていたかと言われれば話は別だ。

 

 精々、()()()()()()()()()()()()()という感覚だ。

 

 しかし、その自分の容姿が七海のそんな反応を引き出しているのだとしたら、そう悪い気分でもなかった。

 

 那須は元来病弱な身体で、普段は外出もままならなかった。

 

 そんな那須にとって、外の世界の話を楽し気に語ってくれる七海という存在は、特別なものであった。

 

 差し詰め、城に閉じ籠ったお姫様の下に訪れる王子様のよう、と言えば言い過ぎだろうか。

 

 家の中という閉じた世界で暮らさざる負えなかった那須は、家族以外の話し相手に飢えていた。

 

 そんな中で七海は外の情報を齎してくれる貴重な存在であり、その年齢不相応の落ち着いた性質は那須の好む所だった。

 

 確かに那須は話し相手に飢えていたが、かといって騒がしい相手は苦手だった。

 

 その点七海は話し上手とは言い難かったが相手に合わせたペースで話をしてくれる為、那須としても話し易かった。

 

 年齢を重ねるにつれ那須の美貌に対する興味とやっかみに悩まされる事もあったが、そういう時はすぐさま七海が対応してくれた。

 

 素直にお礼を言ったら顔を赤くしていたので、自分の為にやってくれたのだな、と嬉しくなった。

 

 ともあれ、那須にとっての七海の存在は、最早無くてはならないものになっていた。

 

 添い遂げるのであれば、この子だろう。

 

 幼心に、那須はそんな夢想を抱いていた。

 

 七海も那須に対し少なくとも好印象を抱いていたのは分かっていたので、彼女は漠然と自分の()()()()()は彼になるだろうと、想像を巡らせていた。

 

 男女が付き合うにあたり、最も大事な事はその相手といて、ストレスにならないかどうか、である。

 

 特に那須は無理が効くような身体でない以上、パートナーとの性格的な相性の良さは必須だった。

 

 その点、七海は満点に近い相手と言えた。

 

 一緒にいて苦ではなく、いつも彼と会う時間が待ち遠しい。

 

 病弱な身体故に迷惑をかける事も多いだろうが、それでも七海であれば何とかしてくれるだろうと、那須は思っていた。

 

 …………()()()()では、那須もまた七海への想いを自覚していたのだ。

 

 自覚して、彼と一緒になる未来を夢見ていた。

 

 その未来が、必ず訪れると信じて。

 

 ────けれど、その夢想は一瞬にして崩れ去る。

 

 四年前のあの日、『近界民』の大規模侵攻によって。

 

 その日、那須は縁側で七海と話をしていた。

 

 いつも通りの、平和な歓談。

 

 しかし、昼過ぎに空に黒い()が空き、世界は一変した。

 

 穴から現れる、白い化け物の群れ。

 

 化け物に追われ逃げ惑う、街の人々。

 

 そして、化け物によって薙ぎ倒された瓦礫の山。

 

 そんな、地獄のような光景が広がっていた。

 

 だが、七海はそんな事態にもある程度落ち着いて対処していた。

 

 とにかく建物から離れよう、という事になり、七海は那須の手を引いて歩きだした。

 

 那須はただ、そんな七海に黙って従うだけであった。

 

 その時はまだ、那須の心には余裕があった。

 

 たとえ突然訪れた非日常だろうと、七海と一緒であれば大丈夫。

 

 そんな、漠然とした楽観論を抱いていた事を覚えている。

 

 その後に待ち構えるものに、気付く事なく。

 

 …………()()が訪れたのは、避難を始めてすぐだった。

 

 自分の手を引いて歩く七海の足取りが、変わる。

 

 何かに気付いた様子の七海は那須を突き飛ばし、そして────。

 

 ────崩れた屋根の、下敷きになった。

 

 その光景は、今でもよく覚えている。

 

 轟音と共に、何かが崩れ落ちる衝撃。

 

 手を繋いでいた筈の七海は、傍に居らず。

 

 瓦礫に右腕を押し潰され、大量の血を流し倒れる七海の姿が、見えた。

 

 何を叫んだかは、覚えていない。

 

 しかし、事態を理解した那須が、半狂乱になって七海の事を呼んでいた事は覚えている。

 

 サイドエフェクト、『感知痛覚体質』。

 

 その影響によって痛みの発生する場所を感知していた七海は、那須に向かって瓦礫が落ちて来る事を察知し、自分がどうなるかを分かった上で身代わりとなった。

 

 誰かの為に、その身を投げ出す。

 

 言うは易く、行うは難し。

 

 しかし、七海はやってのけた。

 

 少しも迷う事なく、那須の為にその身を投げ出した。

 

 …………その事が、二人の関係に決定的な溝を作る事となった。

 

 瓦礫に押し潰され、右腕を喪失した七海。

 

 切断面からは絶え間なく血が流れ落ちており、早くなんとかしなければ死神の足音が聞こえて来るのは確実だった。

 

 しかし、所詮那須は病弱な少女でしかなかった。

 

 瓦礫を退かして七海を救う事も、走って助けを呼びに行く事も出来ず、自由にならない身体のまま七海に少しでも近付こうとしていた。

 

 彼女を守る為とはいえ、七海は那須を突き飛ばしてしまった為、那須は打撲を負っていた。

 

 身体の痛みと、欠け替えのない存在がその手から零れ落ちていく恐怖。

 

 それが那須の精神を追い詰め、体調を悪化させていった。

 

 痛む身体に、限界の心。

 

 その二重苦に、那須の精神は完膚なきまでに叩き折られた。

 

 最早どうする事も出来ず、那須は目の前で失われていく七海の命の灯火をただ見ているしかなかった。

 

 …………そんな時にやって来たのが、七海の姉の玲奈だ。

 

 玲奈はすぐさま状況を理解すると「任せて」と告げ、本当になんとかしてしまった。

 

 ────自らを、『黒トリガー』とする事で。

 

 トリオン能力に優れた人間が、己が全てを懸けて自らに不可逆の変換をかけたもの。

 

 それが、『黒トリガー』。

 

 玲奈は七海の状態を確認するとあっさりと自らが『黒トリガー』と化す事を選択し、自分の身体を七海の右腕へと変化させた。

 

 彼の義手となった玲奈のお陰で七海の命は助かり、那須もまた、あの大規模侵攻を生き残った。

 

 二人は病院に着くなり入院する事となり、そのまま数日が経過した。

 

 その後彼の病室を訪れた那須が見たものは、欠け替えのない存在を失い、意気消沈する七海の姿であった。

 

 自分の所為だ。

 

 那須は強く、そう考えた。

 

 自分があの時、玲奈を頼ってしまったから、七海から大切な姉を奪ってしまった。

 

 他に選択肢などなかったとはいえ、玲奈の背中を押してしまったのは自分だ。

 

 あの時はああするしか無かったとはいえ、七海から姉を奪う最後の一押しをしたのは、自分なのだ。

 

 故に、那須は誓った。

 

 これからは、彼への贖罪の為に生きるのだと。

 

 自分が奪ってしまったものを、一生をかけて償っていくのだと。

 

 七海は姉の存在と共に、自らの痛みをも失った。

 

 痛みを、触感を失った七海は普段通りの生活をする為にも、リハビリが必須だった。

 

 そして那須は、進んでそれを買って出た。

 

 流石に病弱な那須では何から何まで世話をする事は不可能だが、それから那須は七海と可能な限り一緒にいるようになり、彼の手足となるべく献身的に振る舞った。

 

 傍から見ても、病的な程に。

 

 その根底には、()()()()()()()()()()という那須の秘めた想いがある。

 

 自分の所為で右腕と姉を失う事になったのだから、一生懸命尽くしてその埋め合わせをする事で七海からの評価を維持する。

 

 那須が無意識の内に働かせていた()()の内容は、こんな所である。

 

 無論、七海が那須を恨んでいるなどという事は有り得ない。

 

 彼自身内罰的な傾向があるし、あの一件は自分の責任である、と言い張っている。

 

 けれど、彼女はそれを知らない。

 

 自分の事をどう思っているかという事を聞くのが怖くて、()()()()()()()()()()()について聞く事を避けていた。

 

 答えは分かり切っている筈なのに、1%の疑念が拭えない。

 

 だって、彼は自分を助ける為にその右腕と痛み、そして欠け替えのない肉親を失ったのだ。

 

 幾ら七海が温厚な性格だからと言って、その原因となった自分を少しも恨んでいない事などあるのだろうか?

 

 そんな想いが、那須を正面から七海と向き合わせる事を躊躇わせた。

 

 ハッキリ言ってしまえば、彼女に度胸がないだけなのである。

 

 しかし、怖いものは怖いのだ。

 

 那須が抱える七海への想いは、無理に抑え込み続けた事で重度の依存癖に変化してしまっている。

 

 七海の一挙手一投足から目を離せず、彼が害されれば正気を失う程怒り狂う。

 

 それは最早癇癪と何も変わらず、那須の精神は非常に不安定な状態のまま今日まで過ごしてしまった。

 

 彼女が自らの負い目と自分の想いを混同してしまっているのは、今の現実から目を背ける為である。

 

 七海に、拒絶される事が怖い。

 

 もし、もし七海が那須を恨んでいたのだとしたら。

 

 そんな有り得ない筈の仮定が、とても怖い。

 

 七海がいるから、自分は生きていける。

 

 そう本気で考えている那須にとって、七海に嫌われる事は世界の終わりと同義である。

 

 七海が生きていて、七海が自分を選んでくれる世界でなければ、彼女は許容出来ない。

 

 それ以外の可能性など、見たくもない。考えたくもない。

 

 けれど、無理に距離を詰めて関係が壊れる事もまた怖い。

 

 七海に近付いて、拒絶される事が怖い。

 

 七海に迫って、厭われる事が怖い。

 

 七海に告白して、断られる事が怖い。

 

 怖い。

 

 怖い。

 

 とても、怖い。

 

 だって、()()()()()()()()()と、誰が保証してくれるのだろう?

 

 七海本人には、怖くて聞けない。

 

 かと言って、七海の気持ちは七海にしか分からない。

 

 七海の気持ちを確かめる術がない以上、仮定(もしも)を想定して動くしかない。

 

 そうなると、ネガティブな想像ばかりが浮かんで来る。

 

 七海が、自分以外の誰かと共に生きている未来。

 

 七海が、自分を拒絶して一人で生きていく未来。

 

 七海が、いなくなってしまう未来。

 

 そんな未来になってしまえば、那須は生きてはいけない。

 

 迅悠一(未来が分かる男)に聞いてみようかと思った事はあるが、恐らく何も答えてくれないだろう事は予想出来る。

 

 彼は、未来を視る力を安売りしない。

 

 それにもし、彼女が望まない未来であっても、迅が望む未来であったのなら、真実を話してくれない可能性も有り得る。

 

 彼はいつも、より多くを救える選択肢を選ぶ。

 

 もしも七海が他の人を選ぶ未来であっても、より多くを救える未来であるのなら、迅はそれを許容する。

 

 彼にとっては大多数の救済が最優先事項であり、個人の恋愛感情にまで頓着してくれるとは思えない。

 

 未来を視る力を持つ彼の重責は、個人の事情では揺るぎはしない。

 

 七海を通じた付き合いでしかないが、迅の性質について那須はそのように解釈した。

 

 だから、彼女が迅に頼る事は有り得ない。

 

 流石に、その程度の分別はあった。

 

 しかしそうなると、振り出しに戻ってしまう。

 

 那須は、七海の気持ちが知りたい。

 

 けれど、それを確かめるのは怖い。

 

 それを聞くのも、怖くて出来はしない。

 

 つまり、どうしようもないのだ。

 

 那須には、一歩を踏み込む勇気がない。

 

 長年に渡る負い目を抱え続けた事で、すっかり弱気が癖になってしまっている。

 

 決断力、という点で那須は高いとは言えなかった。

 

 頭に血が登らない限り、那須が能動的な行動をする事は殆どない。

 

 七海に関する事以外、無気力であると言っても過言ではない。

 

 …………これでも、マシにはなった方なのだ。

 

 熊谷と友達になる前は、それこそ七海以外の人間とは碌に口も聞こうとしなかったのだから。

 

 熊谷という心を許せる友を得た事で、那須はようやく七海以外の人間を視界に入れるようになった。

 

 閉じていた世界が、広がった。

 

 しかし、それでも那須が心を許すのは『那須隊』のメンバーのみ。

 

 比較的仲が良い小南とさえ、それなりの壁がある。

 

 彼女が真に胸襟を開ける相手は、同じ隊の仲間しかいないのだ。

 

 けれど今、那須は前回の試合でその仲間達に多大な迷惑をかけてしまった。

 

 眼の前で七海の右腕が吹き飛ばされた事で怒り狂い、結果として惨敗を喫してしまった。

 

 七海を巻き込んで自滅に近い形で落ちた那須の責任は、とても重い。

 

 …………だが、それだけであればまだ、()()()()()()()()()と言い訳出来たのだ。

 

 そのまま、隊全員が負けてしまったのであれば。

 

 しかし、現実には一人残された茜が小夜子のサポートを得て孤軍奮闘し、きっちり点を取った上で逃げ切り退場まで実行した。

 

 きちんと戦略を練れば、上位相手でも通用するのだと、他ならぬチームメイトが証明してしまった。

 

 あそこで自分が暴走しなければ、もしかすると勝ちの目もあったのかもしれない。

 

 そう考えると自分がやらかしてしまった事に対する責任がより重くのしかかり、彼女に考える事を放棄させていた。

 

 きっと、チームメイトはこんな自分に失望しただろう。

 

 隊長失格、と言われてもおかしくはない。

 

 それに何より、七海に失望されたかもしれない。

 

 その想いが、那須を部屋に閉じ籠らせた。

 

 彼女は部屋の中で一人膝を抱えて、答えの出ない煩悶を繰り返している。

 

 こんな事をしている場合ではないのは、分かっている。

 

 次のランク戦は、僅か数日後なのだ。

 

 早い所対策を立ててミーティングをしなければ、次もまた無惨な結果に終わってしまう。

 

 けれど、身体は、心は言う事を聞いてくれなかった。

 

 誰かと会うのが、誰かと会って責められるのが、怖い。

 

 その想いだけが暴走し、那須は益々自らの殻に籠ってしまう。

 

 八方塞がり。

 

 今の那須の状況を表現するに、これ以上の言葉はないだろう。

 

 現状のままでは駄目だと分かっているのに、怖くて前に進めない。

 

 答えの出ない自問自答を繰り返す、結果の出ない永久機関。

 

 それが、今の那須なのだ。

 

「…………ん…………?」

 

 不意に、インターホンが鳴った。

 

 玄関のカメラ映像を見てみると、家の前に小夜子が立っている。

 

 何か、用があって来たのだろうか。

 

 けれど、今は会いたくなかった。

 

 だから那須は、無視を決め込もうと目を背け────。

 

『那須先輩。今行くので、その場を動かないで下さい』

「……え……?」

 

 ────合鍵を使って家の中に入って来た小夜子の行動に、仰天した。

 

 確かに、チームメンバーには家の合鍵を渡している。

 

 いつでも集まれるようにという意味と、那須の容態が急変した時に助けて貰う為という大義名分で。

 

 しかし普段、彼女達がこの合鍵を使う事はない。

 

 流石に那須の許可なく家に入るのはどうかと思っていたし、家に集まる時は大抵那須と一緒なので合鍵を使う機会がなかったのだ。

 

 だが、小夜子は那須の返事も聞かずに合鍵を使い、家の中に踏み込んで来た。

 

 普段であれば、有り得ない行動。

 

 そんな彼女の突拍子もない行動に、那須は尋常ならざる何かを感じて、慌てて部屋の鍵を閉めようとする。

 

「お邪魔しますよ」

「……あ……っ!?」

 

 ────だが、鍵を閉める前にドアが開け放たれ、小夜子が文字通り部屋の中に押し入って来た。

 

 小夜子は後ろ手で鍵を閉めると、呆然とする那須相手に近寄りつつ告げる。

 

「────突然失礼しますね。ちょっと、喧嘩しに来ました」

 

 そして小夜子は、那須に向かって凄絶な、()を感じさせる笑みを浮かべた。



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那須玲②

「……え……? 小夜、ちゃん……?」

 

 小夜子が扉を開け放ってその眼に飛び込んで来たのは、呆然とこちらを見詰める那須の姿だった。

 

 那須は身体の線がくっきり出ている部屋着のままで、ベッドの上に腰掛けていた。

 

 布団の乱れようを考えるに、恐らく小夜子が来るまで布団の中に籠っていたであろう事は容易に想像出来る。

 

 何故、そんな事をしていたかという事も。

 

(……やっぱり、来て正解だったみたいですね。駄目ですねこれは……)

 

 小夜子はその様子から那須の精神状態がどういったものであるかを察し、溜め息を吐いた。

 

 自分の失敗を反省し、どうすればいいかを考えていたのであれば、まだ良かった。

 

 しかしこの様子では、恐らくひたすらに現実逃避をしていただけだ。

 

 何かを聞いても、建設的な答えなど返って来ないに違いあるまい。

 

 小夜子はそんな那須の不甲斐ない姿を見て、本当の意味で覚悟を決めた。

 

 即ち、此処で那須と本気の喧嘩をする覚悟を。

 

「え……? じゃないですよ那須先輩。私がなんで此処に来たか、本当に分からないんですか……?」

「えっと、その……」

 

 キョトン、とする那須を見て、小夜子の視線の温度が下がる。

 

 そして、遠慮容赦なく斬り込む事を決めた。

 

「…………前の試合、酷いものでしたよね。那須先輩の勝手で、全てが台無しになりました」

「……っ!」

 

 びくん、と那須は目を見開いて硬直する。

 

 彼女自身、前回の失敗の()()は自覚していただけに、その事を責められれば閉口せざるを得ない。

 

 ただし、その()()については今も尚自分を誤魔化し続けている。

 

 何故、彼女はあのような行動を取ったのか。

 

 その、自分自身の行動の理由についての理解が、足りていない。

 

「別にですね、二宮さんを狙った事についてはどうこう言うつもりはありません。ですけど、一度失敗した後も二宮さんを()()()()狙い続ける必要はありませんでしたよね? 他の隊に押し付けて、別の点を取った方が効果的だった筈ですよ」

「それは……」

 

 だからまずは、その()()を詳らかにする。

 

 順を追って、彼女の失態を暴いていく。

 

「熊谷先輩が落とされたから、ですか? ですけど、ランク戦なんですから落とされる事も普通にありますよね? 前期でも、熊谷先輩が何度落とされたと思っているんですか?」

 

 ああ、そういえば、と小夜子はわざとらしい口調で告げる。

 

「────前期も、熊谷先輩が落とされた後は動きが悪くなってそのまま負ける事が多かったですよね。あれ、本当に前衛がいなくなったからってだけですか?」

「……っ!」

 

 小夜子の指摘に、那須が固まる。

 

 彼女の言葉は、事実だ。

 

 前期でも、熊谷が落とされた後は那須は目に見えて動きが悪くなり、そのまま落とされる事が多かった。

 

 茜が落とされた時はそうでもないが、熊谷が目の前で落とされた後となると、途端に動きから精彩が消えていた。

 

 それを、小夜子はオペレーターとして何度も目にしている。

 

 故に、そこを突いたのだ。

 

 何故、仲間が落ちる事を過剰に気にするのか、と。

 

「那須先輩って、基本的に誰かに依存しないと生きてられないですよね? だから七海先輩がいない時は、熊谷先輩でそれを()()してた。違います?」

「そっ、それは……っ!?」

 

 違う、という言葉が出て来なかった。

 

 酷い事を言われている筈なのに、沸いて来たのは怒りではなく、焦燥だった。

 

 自分の脆い所が、暴かれようとしている。

 

 それ故の、恐怖。

 

 しかしだからこそ、小夜子は容赦しなかった。

 

「熊谷先輩、男勝りで格好良いですもんね? 七海先輩が近くにいない時の代わりとしちゃ、最適だったんじゃないですか? 那須先輩は他の男なんて目に入ってなかったでしょうし、女相手なら浮気にはなりませんものね」

「……っ! 何を……っ!?」

 

 流石にそこまで言われてカッとなったのか、那須の眼に怒りの色が入り混じる。

 

 鋭い視線が、小夜子を射抜く。

 

 だが小夜子は全く動じず、胸を張って那須と対峙した。

 

「違うんですか? 誰かに一緒にいて欲しいけど、他の男を傍に置いて七海先輩に見放されたくない。だから男勝りで自分を守ってくれる熊谷先輩に依存して、七海先輩の代わりにしてた。だから熊谷先輩が落とされると、心の支えがなくなってまともに戦えなくなってたんでしょう?」

「わた、しは……」

 

 那須の瞳から、怒りの色が消えていく。

 

 代わりに表出したのは、()()

 

 これ以上追及しないで欲しいという、恐れの感情。

 

 けれど、尚も小夜子は踏み込んだ。

 

「今回の試合で熊谷先輩が落とされた後、執拗に二宮さんを狙ったのは、熊谷先輩の仇を取るという()()()を示す事で熊谷先輩に媚を売っていたんでしょう? 自分の為に怒ってくれれば、悪い気はしないだろうと考えて」

 

 まあ、結果はあのザマでしたけど、と小夜子は詰る。

 

 そして更に、那須の精神を追い詰める。

 

「七海先輩の右腕が吹き飛ばされて暴走した時も、あれ、割と正気だったんじゃないですか? 七海先輩が撃たれて脱落までそう遠くないと悟って、一人で戦うのが嫌だったから、()()()()()()()()()()()()()()()って心の何処かで考えてたんじゃないですか?」

「そんな、事……っ!」

「ないって言えるんですか? 本当に」

 

 最早、那須は泣き出す寸前だった。

 

 言葉に詰まり、嗚咽を漏らす。

 

 しかし小夜子は、容赦しない。

 

 那須を、的確に追い込んで行く。

 

「それなら、今後同じ事があっても同様の間違いを冒さないって誓えますか? 無理ですよね? 自分の気持ち一つも自覚出来てない人が、感情のコントロールなんて無理に決まってますよね?」

「自分の、気持ち……?」

 

 その言葉に、何かを感じたのだろう。

 

 那須は小夜子の言葉を復唱し、予定通り食いついて来た彼女に対し小夜子は口元を歪めた。

 

「一つ聞きますけど、那須先輩にとって七海先輩って()ですか? ()()()()()()()()()、じゃ、ありませんよね?」

 

 小夜子の問いに、那須はポカン、と口を開ける。

 

 そして、絞り出すような声で呟く。

 

「……私にとっての、玲一……?」

「そこで即答できない時点で駄目なんですよ」

 

 はぁ、と盛大に溜め息を吐いて、小夜子は続けた。

 

「あれだけ盛大に媚を売っていたんです。恋愛感情を持っているという答え以外、有り得ないでしょう? まさか、違うとでも言うつもりですか?」

 

 那須の七海に対する好意は、本人が自覚していたかはともかく、周囲から見れば割とあからさまだった。

 

 他の人とは向ける視線の温度が明らかに違うし、那須は七海に対して執着している事も一目瞭然だった。

 

 あれで()()()()()()()と言うのは、無理があるだろう。

 

「でも、でもそれは……っ!」

 

 ────「私には、その()()がない」のだと、那須は告げる。

 

 七海に恋慕の情を抱いている事は否定せず、けれど。

 

 自分にはそれは許されないのだと、彼女は言った。

 

「…………へえ、それはどうして、ですか……?」

 

 小夜子は、その言葉を聞いて自らの中の熱が燃え上がる温度を感じ取った。

 

 しかし努めて冷静に、那須に尋ね返す。

 

 即ち、()()()()()()()()()()()()()と。

 

「…………玲一は、私の所為で右腕も、痛みも、お姉さんも、なくしちゃった。だから、私は一生かけて償わなくちゃ。何をしてでも、玲一の力にならなくちゃ。だから、私は幸せになっちゃいけないの……」

 

 絞り出すような声で、那須は告げる。

 

 自分の所為で、七海は大切なものを失ってしまった。

 

 だから、自分には彼と結ばれる資格がない。

 

 自分は、幸福になる権利なんてないのだと、那須は言う。

 

 それが、どれ程傲慢な想いであるかも、気付かず。

 

「玲一の零しちゃった幸せは、私が拾い集めなきゃいけないの。だから、私の幸せは求めちゃいけないの。そうしなきゃ、私は玲一に顔向け出来ないから」

「……………………」

 

 …………彼女達の抱える事情を、知ってはいた。

 

 だが、赤裸々に彼女が語るその想いは、酷いくらいの生々しさに満ちていた。

 

 四年前の大規模侵攻で七海は右腕を失い、彼の命を救う為に彼の姉はその命を投げ出した。

 

 那須は、その事を今でも悔いている。

 

 自分さえいなければ、七海があんな想いをする事はなかった。

 

 そう考えているから、那須は七海に対して素直になれない。

 

 七海の為に生きるのだと、後ろ向きの覚悟を決めてしまっている那須では。

 

「…………玲一の事は、勿論好きだよ。好き、だけど…………私は、玲一に好いて貰う資格なんてないんだ。私は、幸せになる権利なんてないんだ。だから、このままがいいの。このままで、いいから」

 

 だから、放って置いて、と那須は告げる。

 

 その姿は弱弱しく、また痛々しい。

 

 元より儚げな那須の容姿が、より一層その悲壮感を際立たせた。

 

 その場面だけを切り取れば、美しい彫像のようでさえあっただろう。

 

 だが、那須も小夜子も、生きた人間だ。

 

 物言わぬ彫像でも、考える事のない人形でもないのだ。

 

 無機物であろうとする事を、決して許されはしない。

 

「────そうですか。なら、七海先輩は私に下さい」

「……え……?」

 

 ────だから、そこで小夜子は切り込んだ。

 

 間違いなく那須を激昂させるに足る、()()を放り投げて。

 

「七海先輩を、好きになっちゃいけないんでしょ? なら、私に下さいよ。私も、七海先輩の事は()()()()()()()()好きですから」

「……な……っ!?」

 

 その言葉が、あまりに予想外だったのだろう。

 

 那須はその口を大きく開けて、唖然としている。

 

 小夜子はそんな那須の態度を嘲るように、思い切り唇を歪めた。

 

「あのですね、少しは疑問に思わなかったんですか? 男性恐怖症の私が、何で七海先輩を平気になったのかって事を。何の理由もなく、私が先輩を受け入れたと思っていたんですか?」

 

 簡単な話ですよ、と小夜子は続ける。

 

「私は、七海先輩に恋しちゃったんです。詳細は省きますが、私は七海先輩に惚れちゃったんです。だから先輩がチームに入る事を受け入れたし、オペレートも了承した。好きな男性には、傍にいて欲しいものですからね」

 

 那須先輩と同じですよ、と小夜子は敢えて強い口調で告げた。

 

 その言葉に那須は息を飲み、顔面が蒼白になっていく。

 

「那須先輩も、七海先輩に傍にいて欲しいから、同じチームに入って貰ったんでしょう? 勝てるかどうかはどうでも良くて、ただ傍にいて貰えればそれで良い。だから、勝敗よりも先輩に気に懸けて貰えるかが大事で、結果としてチームを敗北に追い込んだ」

 

 そう。思えば、那須がこれまで勝利に執着した事は一度もない。

 

 作戦も実際は七海と小夜子が草案を練ったもので、那須は具体的な方針を示してはいない。

 

 彼女が作戦を立てたROUND3ではただ七海との合流を優先する、という意思表示しかしなかった。

 

 ある程度の現場指揮はやっていたものの、隊長として過不足なく振る舞えていたかと聞かれれば、疑問は残る。

 

 無論、それは那須に限った話ではない。

 

 隊長をあくまでエースとして扱い、作戦はオペレーターや他の隊員が立てている、という方針のチームは他にもいる。

 

 今回戦った『東隊』も東は奥寺達の教育の為に率先して作戦を提示したりは基本的にしないし、『香取隊』や『生駒隊』も隊長ではなく他のメンバーが作戦を立てている。

 

 それ自体は、別に問題はない。

 

 適材適所という言葉があるし、別段隊長が指揮を執らなければならないという道理も無い。

 

 …………問題なのは、那須が隊長としての権限を使い、チームを不利に追い込んでしまった点だ。

 

 那須はROUND3に置いて、隊長としての指示を出し、二宮を狙い続けるようチームを動かした。

 

 勝算あっての事ではなく、ただ自分のエゴを通す為に。

 

 チームの、私物化。

 

 小夜子が問題視していたのは、それである。

 

 指示を他人任せにしていたのなら、まだ良い。

 

 しかし那須はあろう事か隊長としての権限を使い、成功率の低い二宮相手の戦いを部隊に強いた。

 

 勝つ為ではなく、ただ自分の心の安定を得る為に。

 

 その行為は、断じて看過出来る代物ではなかった。

 

「自分の都合でチームを好きにされると、迷惑なんです。七海先輩や茜が、どれだけ努力して来たかご存じですか? その努力を、那須先輩の勝手で踏み躙ったんですよ? その事を、申し訳ないとは思わないんですか?」

「……っ! わた、しは……っ!? でも……っ!?」

「でもも何もありません……っ! 那須先輩がやったのは、そういう事なんですから……っ!」

 

 此処に来て小夜子も声を荒げ、那須に詰め寄った。

 

 那須の襟首を掴み、至近距離で顔を突き合わせる。

 

「今の那須先輩は、隊のお荷物です……っ! これ以上無様を晒す気なら、隊長から降りて下さい……っ! 隊長は、七海先輩に務めて貰いますから……っ!」

 

 だから、と小夜子は続ける。

 

「心配しなくても、那須先輩が放り出した七海先輩の面倒は、()()()()()()()()()()()()から。公私共に、七海先輩のパートナーになって」

 

 素晴らしいでしょう? と、小夜子は告げる。

 

 敢えて嫌味ったらしく、那須の神経を逆なでするように話す。

 

 那須の気持ちを、引き出す為に。

 

「七海先輩は、中々に義理堅いですからね。泣き落としでもすれば、案外既成事実まで持っていけるかもしれません。きっちり、七海先輩に私の匂いを刻み込んであげますから」

 

 くすくす、と小夜子は敢えて悪ぶった笑みを浮かべる。

 

 お前の男は私のものだ、と告げるように。

 

 那須の激情を、誘い出す。

 

「一回だけ、七海先輩に抱き締めて貰った事があるんですよね。先輩の身体、大きかったなあ…………今度は、()()()()()()()()()()()()やって欲しいですよねえ」

「……っ! 小夜、ちゃん……っ!」

「おや、怒りましたか?」

 

 変ですねえ、とわざとらしく小夜子は告げる。

 

 からかうように、馬鹿にするように。

 

 那須の神経を、逆撫でする。

 

「だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んでしょう? だったら、私が七海先輩とどうなろうが関係ないですよね? だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……っ!」

 

 そう、それは他でもない、那須自身が語った言葉。

 

 自分は、幸せになってはいけない。

 

 那須は確かに、自らの言葉でそう告げた。

 

 それが自分の本心なのだと、言ったのだ。

 

 その揚げ足を取る形で、小夜子は彼女の心を抉り出す。

 

「それなら、私が七海先輩を幸せにしてみせます。こう見えて私、尽くす女ですので。これからは私が、七海先輩の為に生きる女になりますから」

 

 だから、と小夜子は告げる。

 

 決定的な、一言を。

 

「私が、七海先輩を愛してあげます。だから那須先輩は、彼の事は諦めて下さいね」

 

 しん、とその場が静まり返る。

 

 静かな空間で、小夜子の言葉が部屋に響く。

 

 一瞬の静寂の後、那須の瞳に明確な激情が宿り。

 

 そして、弾けた。

 

「う、あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……っ!!!!」

「ぐ……っ!」

 

 那須が、凄まじい形相で小夜子に掴みかかる。

 

 明らかに正気をなくして、小夜子の首を締め上げる。

 

 その姿は、まさしく鬼。

 

 情を抱くが故に変じた、女の鬼の姿だった。

 

「渡さない……っ! 貴女なんかに、玲一は絶対渡さない……っ! 玲一は、私の、私の……っ!」

「ぐ、かは……っ!」

 

 一切の加減なしに、那須の指が小夜子の首に食い込んだ。

 

 そのまま絞め殺すような勢いで、那須は小夜子の首に力を込める。

 

「それ、は…………こっち、の…………台詞、です……っ!!」

「きゃ……っ!」

 

 だが、小夜子もやられてばかりではない。

 

 那須の脇腹に思い切り蹴りを叩き込み、痛みで怯んだ那須をそのままベッドに押し倒した。

 

 そのまま馬乗りになり、那須の襟首を掴み上げる。

 

「そのくらい好きなら、何で自分を誤魔化すんですか……っ!? 七海先輩を渡したくないなら、何で()()()()()()()()()()なんて馬鹿な事が言えるんですか……っ!? そんな事言うって事は、その程度の想いだったって事でしょう……っ!?」

 

 なら、と小夜子は叫ぶ。

 

「私に、下さいよ……っ! 那須先輩が七海先輩を自分のものにしないなら、私にくれてもいいじゃないですか……っ! あの人の心を独り占めしておいて、()()()()()()()()()()だとか、いい加減にして下さいよ……っ!」

 

 小夜子もまた、目尻には涙が浮かんでいる。

 

 彼女も那須と同じように、自分の想いを叩きつけている。

 

 全ては、チームの為に。

 

 そして、大好きな先輩達の為に。

 

 彼女は、己が役割を貫くと決めたのだから。

 

「私がどんな想いで、今まで自分の気持ちを隠して来たか分かりますか……っ!? 全部、七海先輩に幸せになって欲しいからですよ……っ!? なのに、その先輩を唯一幸せに出来る那須先輩がその資格がないとか、ふざけるのもいい加減にして下さい……っ! それじゃあ、それじゃあ……っ!」

 

 そして、小夜子は告げる。

 

 己の、本当の想いを。

 

「────────私が身を引いた意味が、なくなっちゃうじゃないですか……」

「…………あ…………」

 

 ────その言葉を聞いた、那須の瞳に理性が戻る。

 

 何故、彼女がこんな事をしたのか。

 

 その全てを理解した那須が、小夜子の意図を汲み取った。

 

 それを確認した小夜子は、疲れた様子で脱力し、そのまま那須の上へと倒れ込む。

 

 そして、泣いた。

 

 さめざめと、声を殺して。

 

 馬乗りになっていた那須の上に倒れ込んだまま、嗚咽を漏らして泣き続けた。

 

 那須はそんな彼女を自分の服が涙で汚れるのも構わず抱き締め、耳元で囁く。

 

「…………ごめん、なさい」

 

 返答は、なかった。

 

 ただ、泣き続ける小夜子の声だけが、那須の部屋に響いていた。



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那須玲③

 

「…………うぅ、人前でこんなに泣いたのなんて初めてですよぉ。恥ずかしいです……」

 

 那須の腕の中で散々泣き腫らした小夜子は、目尻を擦りながら半泣きでぼやいた。

 

 最初は、那須に発破をかけるだけのつもりだったのだ。

 

 自分も七海が好きなのだと教え、那須の焦りを引き出して本音を表出させる。

 

 それが、()()()小夜子の考えだった。

 

 しかし自分を誤魔化し続ける那須の姿を見ているうちに怒りが沸き、ついつい必要以上に刺々しくなってしまった。

 

 その結果があの想いの告白からの大号泣であり、今更になって小夜子は自分の所業を振り返って恥ずかしくなっていた。

 

 しかし、それを言うなら那須も那須である。

 

 頬を叩かれる程度は覚悟していたものの、まさかノータイムで首を絞められるような事になるとは思っていなかった。

 

 小夜子の首筋には、くっきりと首を絞められた赤い痣が残されている。

 

 もし誰かにこれを見られてしまえば、何かあったのかと勘繰られる事は請け合いだ。

 

 マフラーか何かで隠すか、人前ではトリオン体でいる事にしよう、と小夜子は心に決めた。

 

 今の状況で小夜子にそのような蛮行をするまでに諍う可能性があるのは誰か、勘の良いものならすぐに察する事が出来る。

 

 小夜子としても、万が一にも那須の悪い風評が流布される事は避けたかった。

 

 先程は散々罵っていたが、それでも小夜子が那須に感じる友愛の情は本物だ。

 

 そもそも、那須も七海も大好きだからこそ、彼女は身を引く事を決めていたのだ。

 

 誰が好き好んで、敬愛する少女の評判を落としたいと言うのだ。

 

 確かに色々思う所はあるのだが、それとこれとは話が別だ。

 

 そも、悪評の流布による苦しみは小夜子自身も知っている。

 

 あんな想いを誰かにさせる事など、あってはならない。

 

 小夜子が那須に喧嘩を売りに来たのは確かだが、かといって那須が嫌いなワケではない。

 

 やっていい事と悪い事の区別は、出来ているつもりだった。

 

「…………その、ごめんなさい…………わたし、あんな……」

「いいですよ、別に。わざと怒らせたのは私なんですし、手を出される事くらい想定内です…………いきなり首絞めは、流石に驚きましたけどね」

 

 那須先輩の情念を舐めてました、と小夜子は苦笑する。

 

 そう言われてしまうと、那須としても閉口するしかない。

 

 あの時、那須は完全に正気を失っていた。

 

 自分の大切なもの(七海玲一)を奪おうとする、目の前の泥棒猫を許してはおけない。

 

 そんな想いが先行し、那須に本気の害意を抱かせた。

 

 もしも小夜子が何の抵抗もしなければ、あのまま首を絞め続けていた可能性が高い。

 

 とは言っても、元来病弱な那須である。

 

 生身の身体ではすぐに限界が来て、途中でバテて終わるのがオチだろう。

 

 現に、那須は先程激しい運動をした所為で息を切らしている。

 

 同様に、引き籠り故の虚弱体質の小夜子もまた、肩で息をしていた。

 

 双方共に生身の身体能力は最底辺である以上、当然の結果であった。

 

「その、えっと……」

「なんで私が七海先輩を好きになったか、ですよね? ちょっと長くなりますけど、傾聴願います」

 

 おずおずと尋ねる那須に対し、小夜子はその意図を察して自らが七海に想いを抱くに至った経緯を話し始めた。

 

 過去の心的外傷(トラウマ)から、男性不審が極まっていた事。

 

 最初は、七海の事も厄介者としか捉えていなかった事。

 

 七海の過去を知り、自らの行動に後悔を抱いた事。

 

 そして、実際に七海を家に呼び、直接話した結果、七海に自分を肯定されて嬉しかった事。

 

 その時、七海に明確な恋心を抱いた事。

 

 それらを訥々と語る最中、那須は真剣な表情で小夜子の話に聞き入っていた。

 

 それは、恋敵を見るような目ではなく。

 

 何処か、眩しいものを見るような、そんな眼であった。

 

「…………とまあ、以上が私が七海先輩に想いを寄せるようになった経緯ですね。理解出来ました?」

「…………うん、概ね。けど、そんなに好きなら、なんで……」

「諦めたか、ですか?」

 

 こくり、と那須は小夜子の言葉を肯定する。

 

 同じ人を好きになった那須としては、何故彼女がその想いを諦める事が出来たのか、全く理解が及ばなかった。

 

 那須は素直になれていないだけで、七海への想い自体は抱え込み続けている。

 

 その想いの大きさは、時として理性を押し潰す。

 

 あれ程の想いを抱いておきながら、それを完全に御して隠し続ける事が出来た小夜子の事が、那須は理解出来なかったのだ。

 

 ある意味至極当然の疑問に、小夜子は溜め息を吐いた。

 

「…………あのですね。私も同じ人を好きになった女ですから、分かるんですよ。自分の好きな人の想いが、()()()()()()()()くらいは」

 

 私、そこまで鈍くないつもりですよ? と小夜子は言う。

 

 小夜子は、気付いていた。

 

 ずっと七海を見ていたからこそ、彼の想いが果たして誰に向いているのか、という事を。

 

 その想いが、自分が割り込めるような安いものではない事を。

 

「…………私、七海先輩に恋してますけど、那須先輩の事も大好きなんです。私が諦めるだけで、二人が幸せになれるなら────ホラ、迷う必要なんてないじゃないですか」

「…………小夜、ちゃん…………」

 

 那須は小夜子の言葉に、その覚悟に、絶句する。

 

 大切な人の幸せの為に、自分の幸せを諦める。

 

 同じような事は那須も先程言っていたが、それとはまたベクトルが違う。

 

 那須のそれは、負い目を隠れ蓑にした言い訳だ。

 

 本気で、幸せになりたくないと思っていたのではない。

 

 むしろ、「七海は誰にも渡さない」という想いは、誰よりも強い。

 

 だからこそ、小夜子の覚悟を前に言葉もなかった。

 

 小夜子は自分の幸せと大切な人の幸せを天秤に乗せて、躊躇なく前者を切り捨てたのだ。

 

 那須とは違って、自分の想いを自覚した上で。

 

 それは、並大抵の覚悟ではないだろう。

 

 もし、那須が同じ事をしろと言われれば、ハッキリと無理だと言える。

 

 それを、小夜子はやってのけた。

 

 那須が彼女を眩しく思うのも、当然だった。

 

 勝てない。

 

 覚悟の強さが、まるで違う。

 

 うじうじし続けた自分とは違い、ちゃんと前を向きながらも自分の想いに折り合いを付ける事が出来ている。

 

 とてもではないが、真似出来る気はしなかった。

 

「…………そんな、そんなの、重過ぎるよ…………私、そんな小夜ちゃんの想いを踏み躙ってまで、幸せには……」

「…………あのですね。もっかい叩かれなきゃ目が覚めませんか? 見当違いですよ、それ」

 

 小夜子の覚悟の大きさに圧倒され、弱気な発言を吐いた那須を、小夜子はジト目で睨みつける。

 

 そして小夜子は、がしっと那須の肩を掴んでその至近に詰め寄った。

 

「私は、七海先輩の幸せの為に身を引いたんです。ぶっちゃけると、()()()()()()()()()()()()()です。単に、七海先輩が幸せになるには那須先輩が必須なだけで、那須先輩の幸せ云々についてはそこまで気にしてません」

「……へ……?」

 

 突然のドライな発言に、那須はポカンと口を開く。

 

 それを見てくすりと笑った小夜子は、敢えて唇を吊り上げた。

 

「私、別に聖人君子でもなんでもないですよ? 確かに那須先輩の事は好きですけど、()()()()()()()()恋敵である事に変わりはありませんから。私、恋敵の幸せを単純に願える程良い人じゃないですよ?」

 

 だから、と小夜子は続けた。

 

「那須先輩が幸せになれるかどうかは、ぶっちゃけどうでもいいです。肝心なのは、七海先輩が幸せになる事────これだけです。極論、それ以外は全て些事ですね」

 

 その言葉は敢えて偽悪的に振る舞っているのは事実だが、割と小夜子の本心ではあった。

 

 七海に恋しているし、那須の事が好きなのも本当だ。

 

 けれど、七海の心を独占する那須に何も思わない程、女を捨ててはいないというのもまた事実。

 

 そこらへんの折り合いとして、小夜子は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という結論を出したワケだ。

 

 極論、那須が幸せを感じていようがいまいが、七海さえ幸せなら小夜子はそれで良い。

 

 そして、七海が幸せになるには彼と那須が結ばれるのは必須事項だ。

 

 ならば手段を問わず、二人をくっつけてしまえばいい。

 

 今すぐでなくてもいいが、その為の()()くらいは欲しい。

 

 それが、小夜子の現在の目論見だった。

 

 先程那須を詰って焚き付けたのも、全てはその為。

 

 那須に自分の本心に正直になって貰い、七海との距離を近付ける為である。

 

 負い目があろうがなんであろうが、とにかく那須には七海と結ばれて貰う。

 

 細かい話は、全てそこから。

 

 そんな事を考えて、小夜子は此処までやって来ていたワケである。

 

「だから、別に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですよ。私はあくまで私の目的の為にやってる事なんで、那須先輩が申し訳なく思う必要はありません。なので那須先輩は、さっさと自分の気持ちに正直になっちゃって下さい」

「わたしの、気持ち……」

「分かってるでしょう? さっき、何で私の首を絞めるくらいに激昂したのか。それが答えである筈です」

 

 小夜子に問われ、那須は自問自答する。

 

 先程小夜子の首を絞めるまでに至ったのは、()()()()()()()()()()という一心故。

 

 そしてそれは明らかに、自分の想いから、()()から来ている。

 

 既に答えは、出たようなものであった。

 

「けど、けど、私に、七海と一緒になる資格は……」

「……っ! まだ言ってんですか貴方は……っ! そんなんだと、本気で七海先輩を寝取りますよ……っ!?」

 

 答えが出ているにも関わらず、尚もうじうじする那須を見て、流石に小夜子も激昂した。

 

 那須の悲観的な側面は知っているつもりだったが、まさか此処まで頑固だとは思いもしていなかった。

 

 故に容赦なく、小夜子は再び那須を責め立てる。

 

「さっき私の首を絞めたのは、七海先輩を私に奪われたくないから、七海先輩が好きだからでしょうが……っ! 人一人殺そうとするくらい好きなら、負い目だなんだ考える前に自分が何をすべきかくらい自覚して下さい……っ! 那須先輩のそれは、七海先輩に対しても私に対しても侮辱でしかありません……っ!」

 

 はぁはぁと、息を切らせながら小夜子は怒鳴る。

 

 そして激情のまま、那須の胸倉を掴み上げる。

 

「────これだけは、ハッキリさせて下さい。那須先輩は、七海先輩の事が好きなんですよね? 誤魔化しは許しません、正直に答えて下さい」

 

 さもないと、と小夜子はドスの効いた声を出す。

 

「もしも私が望む答え以外をほざいた場合、私はこの後七海先輩の所に行って既成事実を作ります。その為の薬なんかも用意してありますから、心して答えて下さいね」

 

 さあ、と小夜子は凄みのある笑顔で近付き、那須に答えを迫った。

 

 那須はしばし逡巡した後、か細い、消えるような声で呟く。

 

「…………好き、よ…………本当に、大好き……」

「…………それが聞ければ、充分です」

 

 はぁ、と溜め息を吐いて小夜子はへなへなと脱力した。

 

 その変わり様に呆然とする那須に対し、小夜子は苦笑する。

 

「たったこれだけの事を聞きだすだけの為に、どれだけ労力が必要だったと思ってますか? 振り回されるこっちの身にもなって下さいよ」

「ご、ごめんなさい…………」

「…………まあ、いいですけどね。言いたい事が言えてスカッとしたのは、まあ事実ですし」

 

 ふぅ、と再度深く溜め息を吐いて、小夜子はその身をベッドに投げ出した。

 

「…………あーあ、失恋しちゃったなあ。いや、告白して断られたワケじゃないけど、似たようなものですよねえ……」

「小夜ちゃん……」

「独り言ですよ、独り言。恨み言、って言い換えてもいいですけど」

 

 やれやれ、と小夜子はかぶりを振り、天井を見詰めた。

 

「…………相手が那須先輩でなければ、私は諦めたりしませんでしたからね? そこの所、忘れないで下さいよ? 本当に、感謝して欲しいくらいなんですから」

「…………そう、よね…………ごめ…………いえ、ありがとう」

「それでいいんですよそれで。私の食生活を改善しに来た時みたいに、堂々としていればいいんです」

 

 美人は笑っていた方が得ですよ、と小夜子は乾いた笑みを浮かべた。

 

 そんな小夜子に何も言えず、那須はしばし閉口する。

 

 またもやうじうじし始めた那須を見て、小夜子は再び溜め息を吐いた。

 

「…………もう、何回言わせる気です? 私は那須先輩の為じゃなくて七海先輩の為に行動したんであって、那須先輩がどうなろうが関係ありませんから、負い目を感じる必要はありませんよ? そこの所、しっかりしていて下さいね」

 

 でも、と小夜子は悪戯っぽく笑った。

 

「もしも負い目を感じて仕方ないって思うなら、時々七海先輩を貸して下さい。()()()お世話になってみたいのも事実なので、少しくらいレンタルしても罰は当たらないと思いませんか?」

「な、何をする気なのよ、小夜ちゃん……?」

「そりゃ、()()ですよ、色々。那須先輩は、何を想像したんですか?」

 

 う、と言葉を詰まらせ那須は顔を赤くする。

 

 そんな那須の反応に満足した小夜子は、くすり、と笑みを浮かべた。

 

「ま、色々問題は山積ですけど、取り敢えず私の言いたい事は全部言い切りました。そろそろ、加古さんの言った言葉も思い出せた頃じゃないですか?」

「あ……」

 

 ────()()()()()()()()()()。以上よ────

 

 加古は、あのROUND3が終わる時、確かにそう言った。

 

 ()()()()()()()()。それが、加古の助言。

 

 この上なく真実を突いた、加古なりのエール。

 

 それを、那須は今更になって思い出した。

 

 あの時は、何を言われているのか分からなかった。

 

 けれど、小夜子と本音でぶつかり合って、ようやくその意味が見えて来た。

 

 自分を誤魔化さず、向き合うべきものと向き合う。

 

 彼女が取り得る()()は、それしかないのだと。

 

「…………ごめんね。そして、ありがとう」

 

 那須はそう告げると、ベッドの上から起き上がる。

 

 小夜子は無言で頷き、立ち上がって歩き出す那須を見送った。

 

「私、行って来るね。上手く言えるかどうかは、分からないけど…………自分の気持ちに────────これ以上、嘘をつかない為に」

 

 だから、と那須は満面の笑みを浮かべた。

 

「────玲一の所に、行って来るね」

 

 ────そう言い残し、那須はその場を後にした。

 

 その後姿を見据えながら、小夜子は溜め息を吐き────。

 

「…………勝てないなあ、ホント……」

 

 ────その瞳から、一筋の涙を、流した。



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熊谷友子②

「……七海……」

「熊谷か……」

 

 『ボーダー』本部の個人ランク戦ブース、そこで熊谷は七海と顔を合わせた。

 

 七海は村上との模擬戦の後、気分転換を兼ねて個人ランク戦に精を出していた。

 

 熊谷も同様に、出水からの()()を受けてその成果を試しに来た所である。

 

「丁度良いや。一戦、付き合ってよ」

「……ああ」

 

 他にも言うべき事は、言いたい事は、色々とあった。

 

 しかし熊谷が選んだのは、何に置いても()()()だった。

 

 自分は、難しい事を話すのには向いていない。

 

 ならば、直接ぶつかった方が手っ取り早い。

 

 そう判断しての、即断即決だった。

 

 そうして二人は、個人ランク戦のステージへと移行した。

 

 

 

 

「…………」

 

 MAP、『市街地B』。

 

 天候は、『雪』。

 

 否が応でも前回の敗戦を想起させるステージ設定で、個人戦は開催された。

 

 実行する人は滅多にいないものの、個人ランク戦でもMAPや天候設定は弄る事が出来る。

 

 しかし個人ランク戦の場合、個人技を競いたいが為に戦う事が多い為、多くの場合何の変哲もない『市街地A』が選ばれ、天候設定を弄られるのも稀だ。

 

 だからこそ、驚いた。

 

 このMAPは当然ながら七海だけではなく、熊谷にとっても苦い経験をしたものの筈だ。

 

 けれど、熊谷は敢えてそこを選んで来た。

 

 しかも、普段の個人ランク戦のような対面スタートではなく、ランダム位置でのスタートまで用いて。

 

 そこには、何か明確な意図がある。

 

 そう確信しながら、七海は建物の間を縫うように跳び回る。

 

 壁等を足場とする七海にとって、動き難い地形条件はそう問題ではない。

 

 地面に雪が積もっていて動き難いなら、地面を避けて移動すれば良いだけである。

 

 七海はそれを実行に移し、家々の間を跳び回る。

 

 そして遂に、雪道を逃げる熊谷の後姿を捕捉した。

 

「……っ!」

 

 追って来た七海に、熊谷が気付く。

 

 熊谷は走るスピードを上げ、路地を駆けて行く。

 

 しかし、雪道である為その動きは鈍い。

 

 容易に七海に追いつかれ、蹴撃をかけられる。

 

「────『メテオラ』」

 

 七海は、曲がり角の先へ向けて『メテオラ』を使用。

 

 局所的な大爆発が、路地の中で炸裂する。

 

「────」

 

 そうして障害物を破壊した七海は、最短ルートで熊谷に接近。

 

 その手にスコーピオンを携え、斬りかかる。

 

「く……っ!」

 

 しかし、熊谷は受け太刀の名手。

 

 七海の斬撃を、難なく受け止めて見せる。

 

 刃と刃のぶつかる鈍い音が、路地の中で響き渡る。

 

 しかし、一撃だけで終わる筈もない。

 

 七海は左腕にもスコーピオンを出現させ、左下から抉るように突き上げる。

 

「……っ!」

 

 熊谷はそれを、『弧月』の角度をずらす事で当てて防御。

 

 鋭い七海の連撃を、凌いで見せる。

 

「────」

 

 七海は攻撃の手を緩めず、スコーピオンの二刀を振るう。

 

 熊谷は絶妙な姿勢を維持し、それを受け止め続ける。

 

 スコーピオンと『弧月』では耐久力に違いはあるが、斬れ味そのものにさしたる差はない。

 

 故に、攻撃を仕掛ける側でいる限り、耐久力の差は不利には繋がらない。

 

「く……っ!」

 

 流石の熊谷にも、限界が見え始めていた。

 

 刃を受け止める度に後退し、なんとか致命打だけは避け続ける。

 

「────」

 

 膠着状態に、埒が明かないと判断したのだろう。

 

 七海は一旦その場から飛び退き、『グラスホッパー』を使用。

 

 三次元機動を展開し、熊谷を翻弄する。

 

 熊谷は、下手に動かない事を選択。

 

 その場に留まり、七海の出方を見る。

 

「────」

 

 七海は、熊谷の背後に着地。

 

 スコーピオンを振るい、熊谷の胴を狙う。

 

「……っ!」

 

 だが、予め備えていたのだろう。

 

 逆手に持った『弧月』で、その斬撃を受け止める。

 

 しかし、一撃目が防がれる事など承知の上。

 

 左に持ったスコーピオンを、思い切り振り抜いた。

 

「──────……ド……ッ!」

「……っ!?」

 

 ────しかし、その瞬間、熊谷の()()が炸裂。

 

 眩い光が、路地の中で炸裂した。

 

 

 

 

「…………はぁ、いけると思ったんだけどね。流石だわ」

 

 個人ランク戦を終え、七海と共に『那須隊』の作戦室にやって来た熊谷はそう言って溜め息をつく。

 

 あの後、熊谷の()()は七海に手傷こそ負わせたものの、七海はその場で『メテオラ』を乱打。

 

 成す術なく爆発に呑み込まれ、熊谷は『緊急脱出』したのだった。

 

 上手く行かなかった事を後悔する熊木に対し、七海が問いかける。

 

「……あれは、誰に……?」

「出水くんからよ。どうやら、あの試合を見て心配してくれたみたいでね」

 

 それだけじゃないでしょうけど、と熊谷は言う。

 

 確かに、出水は割と面倒見が良いものの、自分から率先して人に教えるタイプではない。

 

 もしかすると、気を回してくれたのかもしれない。

 

 七海はふとそう考え、戦闘面では頭の回る師匠の一人の顔を思い浮かべた。

 

 …………頭の中の彼は「戦おう」ばかりで碌に話も出来なかったのだが。

 

「ま、でもアンタに手傷を負わせられたんだから上出来と言えば上出来ね。びっくりしたでしょ?」

「…………ああ、意識の外からの攻撃だったのは間違いない。サイドエフェクトがなければ、直撃していただろうな」

 

 七海の言葉は、誇張でもなんでもない。

 

 あの一撃、七海は予想していなかった。

 

 それでも手傷だけに留められたのは、七海のサイドエフェクトあってのものだ。

 

 そうでなければ、きっとあそこでやられていたのは七海の方だったに違いあるまい。

 

「…………ねえ、あたし達は、これでもまだ頼りない?」

「え……?」

 

 突然の言葉に、七海がキョトンとした顔をする。

 

 それを見て、熊谷が溜め息を吐いた。

 

「アンタにとって、あたしや茜は()()()()()()なんでしょ? アンタだけじゃなく、玲にとっても」

「それは……」

「…………ま、あのザマを見れば反論出来ないのは確かなんだけどね」

 

 熊谷は今回の試合、開幕直後に落とされた時の話をしているのだろう。

 

 手は固く握られ、唇は引き結ばれている。

 

 あの敗北は、熊谷にとっても手痛い記憶らしかった。

 

「けど、あたしだってこれくらいはやれるのよ。いつまでも、守られるだけの存在じゃない。茜だって、そうでしょ? あの子の活躍は、アンタもその眼で見た筈でしょ」

「……それは……」

 

 熊谷の言葉に、七海は言葉を詰まらせる。

 

 前回の試合、茜は七海達が落ちた後も孤軍奮闘し、一人で戦果を挙げて見せた。

 

 あの活躍は、記憶に新しい。

 

 茜に対し、心の何処かで援護に徹さなければ何も出来ない、という想いがあったのかもしれない。

 

 茜も熊谷も七海にとっては守るべき対象であり、戦友と言うより庇護対象という意識が強かった。

 

 けれど、茜のあの活躍は、そんな意識を吹き飛ばすには充分だった。

 

 茜は、一人でもあれだけの事が出来た。

 

 これまでの積み重ねは、きちんと形になっている。

 

 熊谷もまた、成長している。

 

 新しい技を習得し、前を向いて歩いている。

 

 その事を、深く実感した。

 

「アンタや玲に比べれば、あたし等は弱い。けれど、それならそれで弱いなりにやり用ってものがあるわ。それに、いつまでも弱いままでいるってワケでもないしね」

 

 今回見た通りにね、と熊谷は言う。

 

 確かに彼女の言う通り、七海は彼女達を甘く見過ぎていたのかもしれない。

 

 熊谷の言葉に、反論出来なかったのが良い証拠だ。

 

 守るべき対象。

 

 聞こえの良い言葉だが、それは裏を返せば()()()()()()()()()()()()()事を意味している。

 

 だからこそ、彼女が落とされた時那須は過敏に反応し、あそこまで戦況を狂わせた。

 

 ()()()()()()が、害された事に怒って。

 

 しかし、それでは駄目なのだ。

 

 守るべき対象、ではなく。

 

 共に戦う仲間、として見なければ。

 

 この先、とてもではないが上を目指す事など出来はしない。

 

 そんな()()が残ったままで通用する程、B級上位は甘くはない。

 

 上を目指すのなら、そういった意識から変えていかなければ駄目なのだ。

 

 一方通行の感情は、必ず破綻を来たす。

 

 それは、今回の試合で嫌という程思い知った。

 

 ────俺はこれでも、お前の()()のつもりだからな。困った事があるなら、いつでも相談に乗るくらいはしてやれる。だから、もっと頼れ。俺は、そんなに頼りないか?────

 

 

 先程の、村上の言葉が想起される。

 

 そうだ。その通りだ。

 

 自分は、本当の意味で仲間を頼って来なかった。

 

 心情的な意味でも、戦う仲間としても。

 

 仲間を頼り、戦う。

 

 その意識が、足りていなかった。

 

 これまでの試合、確かにそれぞれの隊員を単独で動かす事が多かったが、それでも最低限の()()はしていた。

 

 即ち、()()()()()()()()()()を確保した、少々弱気な采配を。

 

 しかし、これからB級上位でやっていく以上、それだけでは駄目なのだ。

 

 何処かで必ず、()()()()()()()()()()必要が出て来るだろう。

 

 そういった采配が出来なければ、これから上へは行けはしない。

 

 その為に必要なのは、信じる事。

 

 仲間を頼って大丈夫だと、心の底から信頼を置く事だ。

 

 作戦の中で仲間が落とされたとしても、取り乱す事なく戦い続ける。

 

 それが出来ないようでは、この先やっていけない。

 

 それは、今回の試合で深く思い知った。

 

 他ならぬ、東の狙撃によって。

 

 東は恐らく、あの狙撃で那須が暴走すると確信していたのだろう。

 

 だからこそ、撃った。

 

 明確な弱みを、突かれた。

 

 あの一撃で、恐らく今の『那須隊』の弱みは知れ渡った筈だ。

 

 このままでは、勝てはしない。

 

 意識を、変える必要がある。

 

 その為に、必要な事。

 

 ────七海くんって、過保護よね。良い意味でも、悪い意味でも────

 

 ふと、いつかの加古の言葉が想起される。

 

 あの時、彼女は何と言ったのであったか。

 

 ────私が色々とお節介を焼き過ぎるのもあれだけど、一つ言えるとすれば────

 

 

 そう、あの時加古は……。

 

 ────()()とは、きちんと話した方が良いと思うわよ────

 

 ────那須と話せと、そう言ったのだ。

 

 顔を上げる。

 

 前を向く。

 

 目の前にいる熊谷を、真摯な眼で見据えた。

 

「…………ごめん。これからはちゃんと、戦う仲間として見るよ。そうでなくちゃ、いけないからな」

 

 それと、と七海は言う。

 

「ちょっと、行く所が出来た。話は、また後でな」

「うん、行って来て。多分、そうするのが一番良いだろうから」

 

 熊谷に見送られ、七海は隊室を後にした。

 

 向かう先は、決まっている。

 

 七海は携帯を手に取り、メールに文章を打ち込んだ。

 

 

 

 

 

「…………これで、なんとかなったかな……」

 

 熊谷は隊室から出て行った七海を見送り、溜め息を吐いた。

 

 出て行く間際の、七海の表情。

 

 そこにあったのは、迷いや葛藤ではない。

 

 明確な、覚悟を決めた男の顔だった。

 

 あれなら、大丈夫だろう。

 

 意識の改革も、出来た筈だ。

 

 自分の事も、認めて貰えた筈だ。

 

 勿論、茜の事も。

 

 昔から、七海は仲間の安全に対し、過剰に配慮し過ぎるきらいがあった。

 

 過去に、大切なものを失ってしまった反動なのかもしれない。

 

 七海はとにかく、身近なものを()()事を恐れるのだ。

 

 恐れるあまり、二の足を踏んでしまう。

 

 それが、これまでの七海の弱点と言えた。

 

 だけど、あれなら大丈夫。

 

 まさか出水が自分に教えを授けてくれるとは思っていなかったが、恐らく太刀川あたりが気を回したのだろう。

 

 私生活が壊滅的なあの男は、こと戦闘に関する事であれば気が回る。

 

 弟子の七海の為に、一肌脱いだのだろう。

 

 出水はそんな太刀川の意向を組んで、動いてくれたに違いない。

 

 熊谷は二人に感謝し、これまでの事を想起した。

 

 那須と七海の、致命的なすれ違い。

 

 それが生んだ、今回の敗戦。

 

 もう駄目かと思っていたが、事態はどうやら快方に向かっているらしかった。

 

 那須に関しても加古や小夜子が動いてくれているらしいし、自分が出来る事はもうないだろう。

 

 強いて言えば、那須達が戻って来た時に温かく迎えてやる程度だ。

 

 多分、大丈夫。

 

 七海は、やると言ったからにはやる男だ。

 

 後は、彼に任せておけば問題ない。

 

 背中は、充分押せた筈だ。

 

 自分の役目は、果たせた筈だ。

 

 これまで先延ばしにして来た問題に、終止符を打つ。

 

 その為の最善は、出来た筈だ。

 

 あとは、習ったばかりの()()を他の部隊にバレないように形にするだけ。

 

 そう考えて、熊谷は丁度良い相手がいる事に気が付いた。

 

 ────小南は口で説明するのは苦手な方だし、攻撃重視の立ち回りだから熊谷の基本スタイルとは合わないかもしれないけど、それでも戦闘経験豊富なベテランなのは間違いない。彼女と戦うだけでも、良い経験になる筈だよ────

 

 以前、七海が練習相手として小南を紹介する、と言った事を思い返す。

 

 結局あの時は村上に頼んだのだが、今後の事を考えればランク戦でぶつかる相手にこの()()()の存在は伏せて置いた方が良い。

 

 そう考えれば、ランク戦と関りの無い場所にいる小南は最適な相手と言えた。

 

 頼んでみよう。

 

 七海が戻ってきたら、小南とのマッチアップを。

 

 熊谷は己の進むべき道を見つけ、立ち上がった。

 

 『那須隊』は、その全員がようやく前を向こうとしていた。



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七海玲一④

「心臓の音、うるさいよ。告白でもしに行くワケ?」

「菊地原……」

 

 『那須隊』の作戦室を出て、『ボーダー』本部の廊下を歩いていた七海に声をかけて来たのは、猫のようなイメージを持った中性的な顔の少年────『風間隊』の攻撃手、菊地原士郎(きくちはらしろう)だった。

 

 言葉の内容は刺々しいが、じとっと七海を見上げるその眼には明らかな心配の色がある。

 

 こちらの様子が気になって、声をかけて来たに違いあるまい。

 

 菊地原は言葉は常に刺々しいが、その実とても仲間想いの少年だ。

 

 それが分かる程度には、七海は菊地原と付き合いがあった。

 

 『風間隊』と乱戦の訓練を重ねる中で、当然菊地原とも戦り合っている。

 

 風間にある意味スカウトされて来た七海に菊地原も最初は良い顔をしなかったが、七海のストイックなスタンスと確かな実力を感じて、それなりに交流を深める仲にはなっていた。

 

「何しに行くか知らないけどさ、そんな心臓の音させてちゃ碌な事出来ないんじゃないの? ちょっとは考えてよね」

 

 要約すれば、少し心の整理をしてから行け、という菊地原なりの気遣いだ。

 

 その意味を正確に察した七海は、苦笑しながら頷く。

 

「ああ、そうだな。じゃあ、お言葉に甘えるとするか」

「…………ふぅん、割と冷静なんだ。今すぐにでも行きたいー、とか言うと思ってたけど」

「幸い、俺に良くしてくれる人が多くてな。そのお陰だ」

 

 七海の言葉に菊地原は少しむすっとしながら、「そう……」とだけ呟き口を閉じた。

 

 しかしその眼はちらちら七海を盗み見ており、何か話したい事があるのが分かる。

 

「もし良ければなんだが、そちらの隊室にお邪魔させて貰っても構わないか? ラウンジだと、ちょっとな」

「別にいいけど? ただ、今隊室には誰もいないからお茶とかも出さないからね。僕、自分でお茶入れた事ないし」

 

 構わない、と七海が告げると菊地原は足早に踵を返し、隊室へと向かって行く。

 

 七海もまた苦笑しながら、その後を追った。

 

 

 

 

「で? 今どんな感じなワケ? 折角だから、洗いざらい吐いて貰うからね」

 

 隊室に着くなり、菊地原は後ろ手でドアを締めると開口一番そう切り出した。

 

 なんだかんだで、『那須隊』の現状を…………というより七海の状態を気にしていたのだろう。

 

 その顔には「早く話せ」という想いが張り付いており、誤魔化しは許してくれなさそうな勢いだ。

 

「分かってるよ。心配かけたのは、悪かったしな」

「別に心配とかしてないし。僕は単に、七海が風間さんに迷惑をかける事にならないか懸念してただけで……」

「まあとにかく、話すよ。こちらとしても、それくらいの誠意は見せたいからな」

 

 ぶつぶつと文句を垂れ流す菊地原に苦笑しながら、七海はこれまでの経緯を語り始めた。

 

 那須の暴走を止められず、情けない敗北を喫してしまった事。

 

 試合の後、村上によって喝を入れられた事。

 

 先程、熊谷と本音で語り合った事。

 

 自分の想いを、改めて自覚した事。

 

 そして、那須と話をしようと決めた事。

 

 それらを傾聴していた菊地原は全てを聞き終えると溜め息を吐き、七海の顔を見詰めた。

 

「…………ふぅん、やっと正直になるつもりになったワケ? じゃあ、告白しに行くってのも間違いじゃないんだ」

「告白と言うか、互いの立場の再確認だな。とにかく、今のままじゃいけない事は分かったから、そのあたりについて話をするつもりだ」

 

 加古さんにも助言されたしな、と七海が話すと菊地原はじとっとした目で七海を見る。

 

 その眼には、何処か恨めし気な感情が伺えた。

 

「…………なんでそれを、もっと早くやれなかったワケ? 僕、前に言ったよね? 正直になれてないのはどうかと思う、って。それを聞き流しておきながら、加古さんの言葉は聞くの? 依怙贔屓じゃない? それ」

 

 要は、自分のアドバイスは聞き入れなかったのに、他人の助言は聞き入れた事が少々気に食わなかったらしい。

 

 そんな風に心配してくれていた菊地原の心情に申し訳なく思いながら、七海は答えた。

 

「いや、単にあの時は俺が言葉の意味を理解してなかっただけだよ。今回、身を以て思い知ったから、ようやくそれが分かっただけだ」

「今回、君無様だったからねー。那須さん庇って撃たれるとか、サイドエフェクトの持ち腐れじゃない。だから前から、あの地雷女は辞めとけって言ってたのに」

 

 ぶうぶうと文句を言いながら、更に菊地原は七海に詰め寄った。

 

「あの人、顔は良いけど内面グチャグチャし過ぎでしょ。常に心音が乱れてたし、常時情緒不安定とかどうなってるの? 七海が傍にいなくなると死人かって思うくらい逆に静かになるし、聞いててホント不気味だったんだけど」

「そうか……」

 

 那須の事をボロクソに言っている菊地原だが、これには理由がある。

 

 彼は、『強化聴覚』というサイドエフェクトを所持している。

 

 文字通り他人より耳が良いというサイドエフェクトであり、傍目には地味に思えるが、その()()()は他の追随を許さない。

 

 たとえば物音から他人の位置を正確に探れるし、心音の乱れから精神状態を把握する事も出来る。

 

 彼はその固有の能力によって、那須の内面の異様さを人一倍感じ取っていたのだろう。

 

 …………菊地原から見て、那須は得体の知れない少女と言って差し支えなかった。

 

 表面上はニコニコしているのに、常に心音が乱れている。

 

 特に七海が他の者と話す時は大時化の海かと思うくらいの乱れようとなり、逆に七海が傍にいない時は凪の海のように静かになる。

 

 菊地原から見ればその内面の異常性は明らかであり、その事を何度か七海相手に口にした事もある。

 

 即ち、あの女だけは辞めておけ、と。

 

 サイドエフェクトによって内面の異様さを知った菊地原からして見れば、それなりに付き合いの長くなったこの友人があのような少女の傍にいるのはあまり心穏やかではなかった。

 

 何か切っ掛けがあれば、距離を置かせた方が良い。

 

 そうとさえ、思っていた。

 

 …………それを今まで実行しなかったのは、他ならぬ七海が那須の傍にいる事を望んでいたからだ。

 

 確かに那須は、菊地原から見てお近付きになりたくない少女である。

 

 しかし七海にとっては欠け替えのない幼馴染であり、好いている少女なのだ。

 

 その事を那須を見る七海の心音のほのかな高まりから察していた菊地原は、二人の関係について強く口を挟む事をしなかった。

 

 精々、思い出したように時折忠告を挟むくらいである。

 

 今回も、七海がいつまでも自分の気持ちに正直にならないようであれば無理やりにでも那須と距離を置かせるつもりだったのだが────この様子では、その心配は懸念に終わったらしかった。

 

 その事を喜んでいいのか残念に思うべきか分からず、菊地原は再び溜め息を吐いた。

 

「まあ、俺と玲の関係が普通じゃなかったのは承知してる。玲がああなってしまったのも、全部俺の責任だからな」

「それ、別に君の所為じゃなくない? あの女が勝手に色々思い込んで、暴走してるだけでしょ? 君の落ち度とか、見当たらないんだけど」

「俺が落ち度と思ってるから、そうなんだよ。それで納得しとけ」

 

 えー、と明らかに不満気な菊地原だったが、七海の態度が変わらないのを見ると本日何度目か分からない溜め息を吐いた。

 

 今日はつくづく、溜め息の多くなる日であるようだった。

 

「それ、ホント損な性分だよね。いつも自分が悪いって背負い込んで、疲れない?」

「性分だからな。それに────誰かに責任を押し付けるのは、嫌なんだ」

 

 俺はな、と七海は続ける。

 

「────誰かに責任を押し付けるくらいなら、全部自分で背負い込んだ方がマシだ。全部自分一人の責任にしてしまえば、失敗した時に誰も巻き込まずに済む。だから、俺はそれで良い。そう思っていたんだ」

「けどそれは……っ!」

 

 違う、と言い募ろうとした菊地原だったが、七海の顔を見て絶句した。

 

 七海はとても穏やかな、何か吹っ切れたような顔をしていたからだ。

 

「…………けど、鋼さんに言われてな。()()()()()って。俺は気付いていなかったが、親しい相手に一切頼られないというのは、思った以上にきついらしい」

「当たり前だよ馬鹿」

 

 はぁ、と菊地原は溜め息を繰り返しながら、告げる。

 

「あのね、君は全部背負い込んで満足かもしれないけど、背負い込まれた側からするとそれ、重荷でしかないんだからね。失敗しても自分一人の責任になるからいいって君は言うけど、それ、全部責任を持って行かれた側がどう思うか考えた事あるワケ?」

「…………まさに、その通りだな。俺はそのあたり、全く考えが及んでいなかった」

「だろうと思ったよ。まったく」

 

 やれやれ、と菊地原は大袈裟に手を振り、見せつけるように嘆息した。

 

「君はね、もう少し自分が周りにどう思われてるか自覚するべきだと僕は思うよ。少なくとも、君がヘマをしたら心配する人達は一定数いるんだから、もう少し周りに気を配る事を考えたら? それだけで、大分こっちの負担は減って来ると思うんだけど」

「…………返す言葉もないな」

 

 菊地原の説教を受け、七海は閉口する。

 

 まさしく、彼の言う通りであるからだ。

 

 七海はそれまで()()()()()()()()()()()()()という考えが成功して、()()()()()()()()()()()()()()()()という考えに及んでいなかった。

 

 その事を、村上の言葉によって気付かされた。

 

 ()()()()()、という事は、相手からしても存外寂しい事であるのだと。

 

 七海は周りを気遣ったつもりでいながら、全く気を配っていなかった。

 

 何もかも自己完結して、周りを頼って来なかった。

 

 それは、彼と親しくなった者達からしてみれば、とても寂しいものであったのだ。

 

 頼られない、という事は、即ち信頼してくれていない、という事である。

 

 たとえ七海にそのつもりがなくとも、相手はそう考えても不思議ではない。

 

 今までそんな心労を強いて来たのだと思うと、七海としても非常に申し訳なかった。

 

 今度、きっちり謝った方がいいだろう。

 

 七海は深く、そう反省していた。

 

「…………ま、他の人から言われて気付いたってのは釈然としないけど、そこに気付いたんならそこそこの進歩じゃない? 君、今までが内に籠り過ぎなんだよ。精神的に、殆ど陰キャの域にいたからね。君のネガティブ思考、ホント苛々してたんだから」

「すまんな、色々心配かけてて」

「自覚したんならこれからは気を付けてよね、もう」

 

 はぁぁぁぁ、と菊地原は最後に盛大な溜め息を吐き、顔を上げた。

 

「で? 落ち着いた? 今から那須さんに会っても大丈夫そうなの?」

「ああ、お陰様でな。そろそろ行くよ、ありがとな」

「さっさと行けばいいじゃん。もう」

 

 じゃあまたな、と言い残し、七海は『風間隊』の隊室を立ち去った。

 

 後には、菊地原一人だけが残された。

 

 

 

 

 

 ────菊地原士郎にとって七海玲一は、()()()気に食わない相手だった。

 

 隊長の風間が「隠密戦闘の練習相手として連れて来た」と言い、連れて来た七海は何処か困惑しつつも、確かな強い意志をその眼に秘めていた。

 

 問答無用で模擬戦に突入すると、菊地原は七海の心音の()()に驚いた。

 

 七海は、普通の人と比べて心拍の上下が酷く()()のだ。

 

 普通、戦闘中であれば心拍は上昇し、絶え間ない攻防の中でその心音は跳ね上がっていくものだ。

 

 だが、七海はたとえ乱戦の最中であろうと、殆ど心音の変化がなかった。

 

 変化自体は、ある。

 

 だが、他の人と比べても酷く薄い。

 

 それが何故かと菊地原は試合中常に疑問に思っていたが、七海が()()()という病を患っていると聞いてそれは氷解した。

 

 無痛症という事は、つまり触覚等の()()()()()()()()の働きが殆ど死んでいるという事だ。

 

 曲がりなりにも心音が聞き取れていたのは七海が無痛症を克服する為に用意されたトリオン体を使用していたからであり、生身の七海は心音の変化がトリオン体以上に鈍かった。

 

 七海は、感情そのものが他の人と比べて希薄なのだ。

 

 幸いだと言えるのは、七海が()()()()()()()()()()でなかったという点だろう。

 

 先天性の無痛症であれば、痛みという感覚そのものを理解出来ず、他人に全く共感を抱けない人間になっていた可能性すらある。

 

 だが、七海は後天的な無痛症だ。

 

 その原因については定かではないが、七海はある日突然痛みという感覚が消え失せた。

 

 だから今の七海が持つ情動は、痛みをなくす前の彼の感覚を想起しながら再現しているものだろう。

 

 故にこそ、彼の那須への情動は他の何よりも強い。

 

 自分の右腕を失ってまで、助けた幼馴染である。

 

 その心の深い所に、彼女の存在があるのは容易に伺い知れた。

 

 正直な話、あの常時心音が乱れている那須という少女の何処がそんなに良いのかと思ったが、七海に「一目惚れだよ」と笑顔で言われては引き下がるしかない。

 

 ともあれ、当初はどうなるか散々気を揉んだものの、どうやら七海は自分の知らない所で悩みを快方に向かわせたらしい。

 

 自分がそこに立ち会えなかった事はつくづく気に食わないが、間が悪かっただけだと考えて納得する事にする。

 

 …………逆に言えば、そうとでも考えなければ納得は出来なかったのだが。

 

「…………まったく、精々上手くやりなよ。僕にこれだけ心配させたんだから、ちゃんと出来なきゃ承知しないんだから」

 

 菊地原は大きく嘆息しながら身体を倒し、ソファーに横になった。

 

 その後、隊室に戻って来た風間達にその姿を見られ、結果として七海とのあれこれを洗いざらい吐く事になってしまった。

 

 なんだかんだで、身内に甘いのは菊地原も同じである。

 

 菊地原は那須の所に向かった七海の動向に想いを馳せながら、盛大に溜め息を吐いたのであった。



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七海と那須②

「悪いな、急に呼び出して」

「いえ、私も話したい事があったし、丁度良かったわ」

 

 『ボーダー』本部の屋上、夜風に晒されたその場所で、那須と七海は向かい合っていた。

 

 二人きりで会いたいと告げた七海に対し、那須はこの場所で会う事を提案した。

 

 これからする話の内容を考えると一般人がいる場所でするのは気が引けるし、家でするのもなんだか違う感じがした。

 

 その点、『ボーダー』本部の中でも滅多に人が来ないこの場所であれば、話をするのに丁度良かった。

 

「…………なんだか、すっきりした顔をしてるな。何かあったか?」

「…………ええ、色々とね」

「そうか…………良い変化、だったんだろうな……」

 

 おずおずと、話を切り出すのを迷うように二人は話す。

 

 思えば、いつもそうだった。

 

 二人で話す時は肝心な話題をいつもぼかして、なあなあで済ませる。

 

 それが、二人の間で常態化していた。

 

 けれどきっと、それでは駄目なのだ。

 

 一歩を踏み込まなければ、とても前には進めない。

 

 だから七海は、那須は、息を大きく吸い込んで、告げる。

 

「「その、ごめんなさい(すまなかった)……っ! って、え……?」」

 

 二人同時に謝罪の言葉を口にして、それが被ってしまった。

 

 あまりのタイミングの良さに二人共空気を逸し、微妙な雰囲気がその場を包む。

 

 しばしの沈黙の後、七海がまず我に返った。

 

「な、なんで玲が謝るんだ……? 悪いのは、みすみす術中に嵌まった俺の方だろう……?」

「…………その切っ掛けを作ったのは、そもそも私よ。だから、私が悪いのは当然じゃない」

「いや俺が……」

「私が……」

 

 そんな感じで水掛け論になりそうだったので、七海は一旦仕切り直す事とした。

 

 自分はこれからの事を話しにしに来たのであって、水掛け論をしに来たのではない。

 

「…………どっちも悪い、って事でいいだろ。俺も玲も、両方悪かったって事だ」

「…………そうね。そういう事にしましょうか……」

 

 矢張り、同じ事を感じていたのだろう。

 

 那須は渋々、といった感じで七海の提案を受け入れる。

 

 そのあたり、似た者同士とも言えた。

 

「…………俺からで、いいか?」

「……ええ……」

 

 そう言ってこくりと頷く那須を見て、七海は話を始めた。

 

「俺さ、言われたんだよ。鋼さんから、()()()()()()()()ってな」

「それは……」

 

 七海が語る村上の言葉に、思う所があったのだろう。

 

 那須の表情が、変わる。

 

 それを見ながら、七海は続けた。

 

「俺、何もかも背負い込めば責任は俺一人で取ればいいから、それでいいと思ってた。けど、責任を背負い込まれる周りからしてみると、俺のやり方は気が気じゃなかったらしい」

 

 その事を村上だけじゃなく、色んな奴に言われた、と七海は話す。

 

 責任を背負い過ぎるのは、決して良い事ばかりではない。

 

 その事を実感したと、七海は語る。

 

 実際、七海の内罰的な思考は周囲からしてみればとても危なっかしい。

 

 何であろうと背負い込もうとするので、迂闊に頼みをする事すら出来ない。

 

 頼り難いし、頼ってくれない。

 

 七海は周囲から、そのような評価を受けていた。

 

 彼自身は、全く自覚していなかったのであるが。

 

「だから、これからは何かあれば必要に応じて遠慮なく他の人を頼るよ。そうした方が、良さそうだからな」

「…………そうね。その方が、ずっといいわ。玲一はもっと、肩の荷を下ろすべきなのよ」

 

 私が言えた事じゃないけどね、と自嘲する那須を見て、七海は口を開いた。

 

「…………それ、似たような事を熊谷にも言われたよ。正しくは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、って話だったけど」

「くまちゃんが……」

 

 ああ、と七海は頷く。

 

「結局、俺も玲も過保護だったんだよ。熊谷も日浦も、弱くはない。俺達はその事を、もっと考えるべきだった」

「…………そうね。そういう、事よね……」

 

 那須はそう言いながら、先日の試合の失態を思い出す。

 

 真っ先に熊谷が落とされた時、那須の思考を占めていたのは()()()()()()()()()()()()だった。

 

 それは裏を返せば、熊谷の事を戦う仲間としてではなく、()()()()として見ていた事を意味している。

 

 正直、ランク戦を共に戦う仲間に向ける感情として少々()()()()()いる。

 

 仲間の心配をする事は悪い事ではないが、那須のそれは少々度が過ぎていた。

 

 ランク戦である以上、力及ばず落とされる事も勿論あるだろう。

 

 だが、その度に怒って冷静な判断力を失っていては、とてもではないがやっていけない。

 

 ROUND2までは、奇跡的にそういった機会がなかっただけだ。

 

 B級上位でやっていくなら、幾らでも()()()()()()()()()()はやって来るだろう。

 

 ある意味、那須はその事に()()()必要があるのだ。

 

 今後の戦いを、勝ち抜く為には。

 

「茜の戦いを、見ただろう? あれだけの戦果を、一人で挙げて見せたんだ。だから、あいつ等は俺達が思うような弱い存在じゃない。戦場で背中を預け合う、()()だよ」

「戦友、か……」

 

 その些か物騒な響きに、那須は苦笑する。

 

 自分達がやっているのは、『近界民』との戦争なのだ。

 

 普段あまり意識していなかったその事を、改めて認識する。

 

 即ち、普通の10代の思考ではないな、と。

 

 しかし、これが現実なのだ。

 

 実際に異世界人(ネイバー)は襲来し、この世界の人々を脅かしている。

 

 自分達は、その脅威から人々を守る組織、『ボーダー』に属している。

 

 故に、自分達は()()なのだ。

 

 敵を駆逐する為、己が身を賭して戦う戦場の歯車。

 

 それが、自分達だ。

 

 普通の少年少女の思考とは言い難いが、『ボーダー』にとってはこれが日常だ。

 

 恐らく、『ボーダー』の面々とそれ以外の人間とでは、相当な温度差がある。

 

 一般人相手に戦闘員が同じ目線で話が出来るワケではないのだから、ある意味当然の事だ。

 

 故に、『ボーダー』の正隊員達は組織の内部でその交友関係を広げていく。

 

 入隊して、それまでの友人と疎遠になった経験をした隊員は、数多い。

 

 だからこそ、同じ『ボーダー』の仲間は、特に同じ隊の仲間の事は信頼しなければ駄目なのだ。

 

 共に背中を預け合えるようでなければ、真の意味での仲間とは言えない。

 

 守られるだけのヒロインなど、此処にはいない。

 

 いるのは、戦う覚悟を決めた戦士だけだ。

 

 戦士相手に、余計な気遣いはむしろ侮辱にあたる。

 

 頼り合う仲間として接し、共に切磋琢磨していく。

 

 それが出来てこそ、本当の()()と言えるだろう。

 

「だからお前も、もう少し熊谷達を頼ってやれ。俺もお前も、一人の手で掬い上げられるものには限度がある。自分の荷物を仲間に預ける事も、必要な事だぞ」

 

 受け売りだけどな、と七海は苦笑する。

 

 そんな七海の言葉を聞き、那須は頷く。

 

 確かに那須は、これまできちんと他人を頼って来たとは言い難い。

 

 トリオン体を得て、それまでと違って一人で動き回れるようになって、すっかり他人を頼る事をしなくなっていた。

 

 昔の、外出もままならなかった頃の那須であれば、そんな事有り得なかった筈なのに。

 

 今の那須は、なんでも一人でやろうとし過ぎている。

 

 その事を、那須は言われて初めて自覚した。

 

 そんな事はない、と言うのは簡単だ。

 

 けれど、心の深い部分が、七海の言葉を受け入れている。

 

 それは、彼の言葉に一理あると、那須の深層心理が認めた証だった。

 

 那須はその事を認め、深く息を吐いた。

 

 自分の誤りは、認めた。

 

 次は、自分の想いを吐露する時だ。

 

「…………私ね。ずっと、ずっと思ってたんだ。玲一の大切なものを奪ってしまったから、私が玲一を支えて償い続けてあげなくちゃって」

「それは……」

「玲一は、私は悪くないって言うよね? けど、無理だよ…………責任は、どうしても感じちゃう」

 

 だって、と那須は続ける。

 

「私を助けようとしなければ、玲一は右腕を失う事もなかったし、玲奈さんもいなくならずに済んだ。痛み(感覚)だって、失わなかったと思う。だから全部、私の所為なんだよ」

「それは……っ!」

「違わない。言っとくけど、これだけは譲るつもりはないから」

 

 それは違う、と反論しようとした七海を、那須はそう言って制する。

 

 七海が二の句を告げる前に、那須は畳みかけた。

 

「だから私ね、玲一は本当は私の事恨んでるじゃないか、私を気遣ってそれを隠してるだけじゃないかって、ずっと思ってた。そんな事、ある筈ないって分かってる筈なのにね」

「当然だろう。なんで俺が自分の意志でした事の責任を、玲に求める必要がある? そんな事、考えた事すらない」

「そう言うと思ったよ、玲一なら」

 

 でもね、と那須は続ける。

 

「私、ずっとその事ばっかり考えてた。玲一に嫌われたくないから、何が何でも玲一の傍にいて、支え続けなきゃいけないって。玲一にどう思われてるか確認するのが怖くて、自分の本当の気持ちを隠してた」

「玲……」

「だからね、玲一。教えて欲しいの。玲一の気持ちは、ずっと変わってない? 変わらず、私の事を……」

 

 好きでいてくれてた? と、那須は言外に告げる。

 

 那須は、七海が自分に向ける好意自体には気が付いていた。

 

 その上で、気付かない振りをしていた。

 

 四年前の悲劇があってからは、意図的に。

 

 七海が自分を見る眼が変わっていないか、確認するのが怖かった。

 

 だから、負い目を理由にして、向き合う事を避けていた。

 

 けれどその欺瞞は、小夜子によって打ち破られた。

 

 小夜子は那須と本音でぶつかり合い、彼女の本心を強制的に気付かせた。

 

 那須の想いそのものは、七海と出会った時から何も変わっていない。

 

 彼に対する好意も、変わらず心に刻み込まれている。

 

 ただ、そこから目を背けていただけで。

 

 見る眼が変わったという可能性を、考えたくない。

 

 もう、自分を好きでいてくれないのではないか、という疑念を捨てきれない。

 

 だから、逃げていた。

 

 自分と、七海の気持ちと向き合う事を。

 

 けれど、それも今日まで。

 

 那須は、自分の気持ちと、七海と向き合う覚悟を決めた。

 

 その那須の想いは、正確に七海へと伝わった。

 

 七海は、居住まいを正した。

 

 こればかりは、真摯に答えなければならない。

 

 彼の男としての矜持が、そう語っていた。

 

「俺の気持ちは、何も変わってないよ。俺の想いは、昔から何一つ変わっていない。玲も、同じと考えていいのか?」

「勿論よ。私は、片時も貴方の事を想わなかった日はないわ」

 

 決定的な言葉は省き、二人は意志を疎通させる。

 

 今日語り合ったのは、関係を変えたいからじゃない。

 

 お互いの想いを、改めて確認する為だ。

 

 まずはお互いの想いを正確に知り、その上で向き合い方を考える。

 

 決定的に関係を変えるとすれば、まだ先。

 

 ある程度、様々な()()が着いた後だろう。

 

 それまでは、チームメイトとして付き合っていく。

 

 ある種それは、二人の暗黙の了解だった。

 

 関係を変えるのならば、もっと相応しい機会があるのだと。

 

「…………俺は、玲を俺への負い目の所為で俺に縛り付けてしまっている、と考えていた。玲が俺の傍にいてくれるのはその為であって、玲の本意じゃないんじゃないかって」

「そんな事、ある筈ないじゃない。私は、ずっと……」

「…………ああ、そんな当然の事を、俺は今まで信じる事が出来ていなかったんだ」

 

 お互い様だな、と七海は苦笑する。

 

 那須は七海の気持ちが変わってしまったのではないか、と確認するのが怖くて一歩を踏み出せず。

 

 七海は、那須が傍にいてくれるのはただ負い目の為だけではないか、と憂慮した。

 

 お互い、余計な疑心がその想いを縛っていた。

 

 だから、自分に正直になる事が出来なかった。

 

 自分を、誤魔化し続けていた。

 

 加古の言葉は、それを正確に言い当てていた。

 

 自分に、正直になる。

 

 ただそれだけで、改善する関係であるのだと。

 

「然るべき時が来たら、言うよ。玲に、告げるべき言葉を。だから今は────」

「────ええ、今は、お互いの気持ちが変わっていない事を確認出来た。それだけで、充分よ」

 

 だから、と那須は七海に近付き、その身体を抱き締めた。

 

「…………これくらいは、いいでしょう? 折角、長年の心配事が解消されたんだもの。少しくらい、役得があってもいいと思うわ」

「…………ああ、このくらいで良ければ、幾らでも。こんな所、誰かに見られたら何言われるか分かったものじゃないな」

「言わせておけばいいじゃない。まあ、こんな所に来る物好きなんて、滅多にいないだろうけど」

 

 二人はそう言い合って、くすくすと笑い合った。

 

 二人の関係の歪みは、遂に解消された。

 

 全てが元通り、とはいかないけれど。

 

 それでも、お互いの心に刺さっていた棘は抜けた。

 

 それを、証明するかのように。

 

 二人の顔には、晴れやかな笑顔が浮かんでいた。



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七海玲一⑤

「あ、七海じゃない。アンタ、もう平気なの?」

「ええ、皆のお陰もありまして。なんとか、持ち直した所です」

 

 『ボーダー』玉狛支部を訪れた七海を出迎えた小南に対し、七海は苦笑しながらそう告げる。

 

 矢張り、玉狛の面々にも相当な心配をかけてしまっていたようだ。

 

 こちらを見て溜め息を吐く小南の姿を見るに、特にこの少女は我が事のように気を揉んでくれていたらしい。

 

 口では色々言うものの、小南は善性の塊のような少女だ。

 

 自分のこれまでの行動の結果かけてしまった心労は、察して知るべしだろう。

 

 そう思い、七海はぺこりと頭を下げた。

 

「ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。これからは、きちんと皆を頼りにさせて頂きます」

「分かればいいのよ、分かれば。アンタ、口では頼るとか言う癖に、全然頼って来ないんだもん。そういうトコ、どうかと思ってたのよね」

「返す言葉もないです……」

 

 矢張り、自分が他人を頼ろうとしない所は、皆少なからず不満に思っていたようだ。

 

 小南は特に感情を正直に表現する少女であるので、あからさまに顔を顰めて不満をアピールしている。

 

 それだけ気を揉ませてしまっていた事実に、七海としては平謝りする他ない。

 

「…………どうやら、今回は口だけではないらしいな。心の整理はついたのか?」

 

 そのやり取りを見ていたレイジは、表情を変えずにそう尋ねる。

 

 こちらは小南とは反対に滅多に感情を表に出さないが、それでも七海を心配してくれていた事くらいは分かる。

 

 だから七海は、真摯に答えを返した。

 

「はい、なんとかなりました。改善点も、自覚出来ましたし」

「ならいい。頼る事は、恥じゃない。お前はもっと、頼る事を覚えるべきだな」

「鍛錬の面では、一応頼らせて貰っていましたが……」

 

 七海の言葉に、レイジは大きく溜め息を吐いた。

 

「それだけじゃ、頼ったとは言い難いな。お前は強くなる事に対しては真摯だったが、足りない部分を自分を鍛える事で補おうとしていた。鍛錬を欠かさないのは当然だが、それだけじゃ駄目だ」

「要は、足りない部分があったら遠慮なく人を頼りなさいって事よ。そりゃ任せきりじゃ駄目だけど、アンタに頼られて悪い気がする奴なんていないんだから堂々と頼りなさい」

 

 文句言う奴がいたらあたしがしばいてあげるわ、と小南は胸を張って告げる。

 

 そんな彼女の気遣いに感謝し、二人に改めて頭を下げた。

 

「これからは、頼る事も多くなると思います。その時は、よろしくお願いします」

「よろしくされてあげるわ……っ!」

「ああ、いつでも頼れ。お前の頼みなら、俺達は断らん」

 

 謝意を伝えた七海を小南とレイジは暖かく迎え、レイジは七海の頭をわしわしと撫でた。

 

 そのような経験がなかった七海は多少戸惑ったものの、なんだか父親に褒められているようでいて、悪い気分ではなかった。

 

 暫くそのまま身を委ねていると、そういえば、と小南が思い出したように告げる。

 

「そもそも、今日此処に来たのはなんで? いつも、来る時は連絡くれるわよね?」

 

 小南の言う通り、七海は玉狛支部に用事────────要は小南やレイジに模擬戦を頼む時は、二人が支部にいるかきちんと事前連絡で確認してからやって来るのが常だった。

 

 だが、今回七海は小南達に連絡を取らずに此処に来ている。

 

 つまり、彼が用があるのは小南でもレイジでもない、という事になる。

 

「…………実は、迅さんに呼ばれたんです」

「迅に……?」

 

 ええ、と七海は答え、自分が此処に来た理由を告げた。

 

「────────話したい事があるから、支部に来て欲しいと。そう、言われたんです」

 

 

 

 

「よう七海、悪いな」

「迅さん……」

 

 玉狛支部、その屋上。

 

 星明りに照らされたその場所で、迅は七海の到来を待ち受けていた。

 

 未来を視るその瞳が、七海の姿を視界に映す。

 

 彼の眼は、何処か憂いを帯びているように見えた。

 

 そも、迅が七海と自分から会おうとする事自体、最近では滅多になかった。

 

 それどころか、七海が支部を訪れる時は姿を晦まし、接触を避けていた程である。

 

 その事について小南達から散々苦言を呈されていたのだが、それでも迅の態度は変わらなかった。

 

 なのに何故、今になって自ら七海に会おうと思ったのか。

 

 七海は、その理由が知りたかった。

 

「…………詳しい事情は、説明するまでもありませんか……?」

「そうでもないよ。俺が視る事が出来るのは、あくまで未来の()()だ。人の心なんかは勿論直接見えないし、色んな材料から状況を推察する事は出来てもそれはあくまで()()だ。だから、話してくれるって言うなら聞くよ」

 

 お前が話して良いって言うならな、と迅は告げる。

 

 そんな彼に対し、七海は躊躇わず口を開いた。

 

「そうですね。じゃあ、少々長くなりますが……」

 

 そして七海は、これまでの経緯を迅に語った。

 

 迅はそれを、黙って傾聴している。

 

 聞き返す事も、内容を理解しようと頭を捻っている様子はない。

 

 ただ、予定調和のように、話を聞き入っていた。

 

 そんな迅の様子を見ながら、思う。

 

 恐らく、迅が話を聞きたい、というのは建前でしかない。

 

 迅は「詳しい事は分からない」と言ったが、()()()()()()()()とも言った。

 

 つまりそれは、状況を正確に理解している、という事に他ならない。

 

 七海から現状を聞かずとも、迅はそれに関する情報を既に手にしている筈なのである。

 

 なのにわざわざ七海に話させたのは、何故か。

 

 それは多分、七海の反応を見たいからだろう。

 

 正確には、今の七海の心の動きを。

 

 先程の話の中でも、()()()()()()()()という点は恐らく本当だろう。

 

 だからこうして、七海に話をさせる事で七海の精神状態をチェックしている。

 

 自分が持って来た話を、伝えるべきか否かを判断する為に。

 

「…………以上です。傾聴、ありがとうございました」

 

 七海はそう言って話を終え、迅の反応を待つ。

 

 迅はそれを聞くと深く溜め息を吐き、じっと七海を見据えた。

 

「そうか。大変な時に、傍にいてやれずに悪いな。なんて、俺が言っても虚しいだけか」

「…………いえ、迅さんには迅さんの事情があったでしょうし……」

 

 七海は迅が言わんとする事を理解し、そう告げる。

 

 迅は未来視の力を持つ以上、今回七海に起きた事柄を()()知っていた筈だ。

 

 彼にその気があれば、それこそ試合直後にでも七海の元に来る事が出来ただろう。

 

 なのに、来なかった。

 

 そこには、迅の明確な意図を感じられる。

 

 即ち、()()()()()()()()()()()という事に。

 

 迅は、七海の問題が解決するこのタイミングを狙って動いた。

 

 恐らく、七海に何かの話をする為に。

 

 そうした方が良い結果に繋がると、己が視た未来を元に考えて。

 

 七海が自分の意図を理解した事を、察したのだろう。

 

 深々と溜め息を吐き、迅は口を開いた。

 

「…………全く、察しが良過ぎるな。これでも、色々と工夫したんだけど」

「いえ、これでも迅さんの事は昔から知ってますので。レイジさん達にも話は聞いていますし」

「そっか。ま、なら仕方ないかな」

 

 迅はそう言ってぽりぽりと頭をかき、真剣な眼で七海を見据えた。

 

「…………実は、七海に伝えなきゃいけない事があるんだ。七海は、お姉さんが────────玲奈が死んだ事を、自分の所為だと思っているだろう?」

「それは……」

 

 いきなりの切り出しに、七海は困惑する。

 

 確かに、七海は玲奈が死んだ責任を、自分の行動の所為だと思っている。

 

 それは、事実の筈だ。

 

 なのに、迅のこの言い方。

 

 これでは、まるで……。

 

「違うんだ。それは違うんだよ、七海。玲奈が死んだのは、俺の所為なんだ」

「え……?」

 

 ────────その責任の在り処が、別にあるとでも言いたげだった。

 

「少しは、聞いてるんじゃないか? 俺は、玲奈が君の元へ行けるように協力した。いいか、()()()()()()んだ。そこで起きる()()を、識りながらな」

「……っ!」

 

 七海は、迅が言わんとする事を正確に理解した。

 

 迅には、『未来視』のサイドエフェクトがある。

 

 即ち、玲奈が七海の元に向かう事で起きる結果────────()()()()()()()()()を、識る事が出来た筈なのだ。

 

 それを知りながら、迅は玲奈を行かせた。

 

 つまり迅は、こう言っているのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()のだと。

 

「俺はあの時、幾つかの未来を視ていた。その中にさ、あったんだよ。君が生き残る事で、玲奈が黒トリガーになる事で、より多くの人が救われる未来が。だから俺は、()()()()()()()()()()────────俺が、玲奈を殺したようなモンだ」

 

 だから、と迅は言う。

 

「君は、俺を恨んで良い。憎んで良い。玲奈の死の責任は君じゃない、俺にあるんだ。君はこれ以上、自分を責める必要はないんだよ」

「……迅さん……」

 

 …………此処に至り、七海は迅の意図を正確に理解した。

 

 迅はただ、七海の事を気遣っていただけだ。

 

 彼が玲奈の死を、自分の責任だと感じている事に、迅は心を痛めていた。

 

 彼女の死の責任は自分にあると、強く思い込んでいたが故に。

 

 だから彼は、自分が悪者になってでも、七海の重荷を減らす事を選んだ。

 

 自分なら、幾ら恨まれても構わない。

 

 そんな意図が、透けて見えた。

 

 きっと彼は、これまでもそうして来たのだろう。

 

 自分がどう思われようと、構わない。

 

 ただ、自分の周りの人達の、皆の幸せを心から望む。

 

 それが、迅悠一。

 

 ただ一人特別な力(未来視)を持って生まれてしまった、男の生き様だった。

 

 一度、大きく深呼吸する。

 

 そして、七海は自分の想いを、伝えるべき言葉を、告げる。

 

「────────そうですか。教えて下さって、ありがとうございました。でも、俺は貴方を恨みません」

「七海……」

「迅さんの事だから、俺がこう言う事も()()()()()んじゃないですか?」

 

 迅はそう問われ、やれやれと溜め息を吐く。

 

 その様子からすると、図星らしかった。

 

「…………ああ、君がそう答える未来は視えていた。けど、俺を気遣う必要は────────」

「いいえ、これは俺の本心です。そもそも、何で俺が迅さんを恨む必要があるんですか?」

「え……?」

 

 予想外の事を言われた、と迅は困惑を露わにする。

 

 そんな迅に、七海は真摯に自分の想いを告げる。

 

「迅さんは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言いました。けど、姉さんがその事を察せなかったと思いますか?」

「……それは……」

 

 察していた、のだろうと思う。

 

 玲奈は迅の、『旧ボーダー』の仲間だった。

 

 当然彼の未来視(ちから)についても知っていただろうし、死にかけの七海の姿を見た時点で、迅の意図を正確に理解した筈だ。

 

 けれど、玲奈は迅への恨み言など一言も口にしなかった。

 

 ────困った事があったら、迅君が力になってくれると思うから。ボーダーの皆も、良い人達ばっかりだから────

 

 彼女は、今際の際に、そう言った。

 

 迅なら、なんとかしてくれると。

 

 そう信じて、彼女は逝った。

 

 あの時の玲奈に恨みの感情などなかったと、七海は胸を張って言える。

 

 何せ、大切な姉の事だ。

 

 自分の所感は、間違っていない。

 

 姉が迅を恨んでいない以上、自分が恨むのは筋違いというものだ。

 

「姉さんは、むしろ迅さんに感謝していました。迅さんのお陰で、俺を助けに来れたんだと。迅さんは、俺と姉さんの()()なんです」

「玲奈が、俺に……?」

 

 そう言われる事は、流石に予想外だったのだろう。

 

 迅の眼が、驚愕に見開かれた。

 

 恐らく、ずっと恨まれていると思い込んでいたのだろう。

 

 きっとこれまで、彼は様々な人の恨みを買っていたに違いない。

 

 だから玲奈の一件もそうなのだと、()()()()()()()

 

 彼は、人に感謝される事に慣れていない。

 

 自分の人生を『ボーダー』の為に、この世界の平和の為に捧げたも同然なのに、彼の理解者は驚く程少ない。

 

 そして彼は、そんな理解者達から意図的に距離を取っていた。

 

 何かあった時、自分だけで責任を背負い込めるように。

 

 その思考傾向は、これまでの七海と同じだ。

 

 自分で、全ての責任を背負い込もうとする。

 

 他者に、自分の重荷を預けようとしない。

 

 それは周囲から見れば気が気ではないのだと、七海は身を以て実感した。

 

 迅との違いは、迅は周囲の思惑をある程度理解しながら、敢えてそう振る舞っているらしいという事だ。

 

 彼は、自分一人の幸福というものを投げ捨てている。

 

 より良い未来の為に、自分の幸せを犠牲に出来てしまう。

 

 彼は、ずっと孤独だった。

 

 『未来視』という唯一無二の力を持って生まれた所為で、彼は自分の望まぬ未来を散々見せられて来た。

 

 だから、自分が幸せになる事を諦めてしまっていた。

 

 自分が、やらなければならない。

 

 彼の自己犠牲精神は、きっと誰よりも大きい。

 

 皆の為ならばと、自分の幸福を秤にかけてしまえる。

 

 それが、迅の強さだった。

 

 けれど、その在り方は彼の精神に尋常でない負担をかけ続けている。

 

 自分がどう思われようと、構わない。

 

 そんな彼のスタンスは、一種の諦観に依るものだろう。

 

 彼は、自分が真に理解される事を諦めてしまっている。

 

 だから、誰にも期待しない。

 

 自分を含めて、より良い未来に辿り着く為の()として見る。

 

 彼はそうやって、人と距離を取っていた。

 

 恐らく彼の中には、そうして他人を()として見ている事に対する負い目がある。

 

 人を()として見ている自分が、優しくされるなんてあってはならないのだと。

 

 そう、本気で思い込んでいる。

 

 筋違いも、良い所だ。

 

 彼がそうやって動いているのは、元々幸せな未来を掴み取る為だ。

 

 感謝こそすれ、恨む道理など無い。

 

 むしろ、そんな風に思ってしまう迅を、哀しいと感じてしまった。

 

 自分の同情など、迅は求めていないのかもしれない。

 

 けれど七海は、言わずにはいられなかった。

 

「迅さん、迅さんこそ、これ以上自分を責めないで下さい。きっと、姉もそう言う筈です。それとも────────迅さんが知る姉は、貴方を責めるような人でしたか?」

「────────参ったな。そう言われちゃうと、返す言葉がないや」

 

 はぁ、と迅は深く溜め息を吐き、頭をかいた。

 

 そうして七海を見た迅の顔は、何処か憑き物が落ちたようであった。

 

「…………本当はさ、気付いてたんだ。玲奈が、君が、俺の事を恨む筈がないって。けど、那須さんと同じだよ。俺は、それを確認するのが、今まで怖くて出来なかった」

「迅さん……」

「…………本当、馬鹿だよ。玲奈にもよく、呆れられたもんさ」

 

 迅は昔を懐かしむように、宙を見上げた。

 

 その横顔は、憂いに満ちている。

 

 玲奈の話をする迅の姿は、彼女に対し仲間以上の何かを抱いていたと、そう思わせるには充分だった。

 

「…………迅さんは、姉の事を…………」

「さて、それはもう過ぎた事さ。過去に何があったとしても、現在(いま)が変わるワケじゃない。イフの話をするのは、あまり好きじゃないんだ」

 

 そう言って、迅は誤魔化す。

 

 それが最早、答えだった。

 

「…………玲奈はさ、昔こう言ってくれたんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って。ぶっちゃけると、嬉しかった。そんな風に、俺を気遣ってくれた事がさ」

 

 迅は、物憂げにそう告げる。

 

 その言葉には、玲奈に対する親愛の情が見て取れた。

 

「小南も、レイジさんも、最上さんも…………皆、俺の事を気遣ってくれた。でも皆、俺の力が必要なものだと理解していたから、俺に()()()()()()()()とは言えなかった」

 

 当然だけどな、と迅は告げる。

 

 もし、迅がその力を使って『ボーダー』に貢献しなければ、これまでよりもっと酷い被害が出ていたに違いあるまい。

 

 今の平和は、迅の貢献なしには成り立っていない。

 

 『ボーダー』の存在すら、彼の力を支柱にしている面がある。

 

 だから、迅は己が役目を投げ出せない。

 

 そうすればどうなるか、誰よりも識っているが故に。

 

「俺は皆の為に自分の幸せを捨てる事を当然だと思ってたし、皆もそんな俺に何も言えなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()って言ったら、誰もが押し黙ったよ」

 

 故に、迅は人を遠ざける。

 

 自分の幸福より、皆の未来を選んでいたが為に。

 

 けれど、玲奈はそんな迅の在り方を()とした。

 

 皆の為に、個人の幸福を捨てる必要はない。

 

 そう、言ってくれたのだと言う。

 

「最上さんにも、似たような事は言われたけどね。でもそれは、大人としての意見でもあったから、俺は素直に受け入れる事が出来なかった」

 

 当時は、自分を認めて貰いたいって欲もあったしな、と迅は言う。

 

 彼の師であり、彼が持つ黒トリガーの()()()でもある最上の事は、七海も聞き知っていた。

 

 過去の戦いで自らを黒トリガーとした、迅の大切な人だったのだと。

 

 今彼が持つ黒トリガー、『風刃』はその最上が自らの命に不可逆の変換を施した果ての姿だ。

 

 迅はきっと、最上の死から、誰にも自分の重荷を預ける事が出来なかったのだろう。

 

 自分に()()()()()()()()()()と言ってくれた最上は、自らを黒トリガーとして(自分の命を投げ出して)しまったが故に。

 

 彼は、自分が重荷を捨てれば、また誰かが犠牲になると思い込んだ。

 

 それだけ、最上の死が迅に与えた影響は強かった。

 

 だから迅は、自分の重荷を誰にも預けようとしなくなった。

 

 そうする事で、また誰かが犠牲になるくらいなら。

 

 自分一人で、背負い込んでしまった方が良いと考えて。

 

「けれど玲奈は、言ってくれたんだ。()()()()()()()()()()()って。嬉しかったよ、本当に。誰も言えない事を、俺に言ってくれたから」

 

 けど、と迅は告げる。

 

「俺は、そんな玲奈さえ、未来の為に見殺しにしてしまった。あの時程、自分の事を人でなしと思った事はない。自分は、自分の幸福どころか、他人の、大切な人の命さえ、未来の為なら平気で犠牲に出来るんだって、そんな風に自覚した」

「…………けど、辛かったのは迅さんも同じでしょう?」

 

 七海は居ても立っても居られず、そう言った。

 

 これ以上、迅が自分を責める姿を見る事が耐えられなかったから。

 

 だから七海は、告げる。

 

「大切な人が死ぬ痛みは、俺も良く識っています。だから、迅さんが自分だけを責める必要はないんです。姉だって、そんな事は望んでいない筈です」

「…………そうだな。やっぱり、君は玲奈の弟だよ。そんな風に気遣う所まで、そっくりだ」

 

 そう告げる迅の瞳が、潤んでいたのは気の所為だろうか。

 

 他ならぬ、玲奈の弟である七海に許された事で、彼の重荷は少しでも軽くなった。

 

 今は、そう信じたい。

 

 七海は、強くそう思った。

 

「参ったな…………君を気遣うつもりが、俺が気遣われちゃうなんて。これじゃあ、面目が立たないや」

「迅さんは少し、気を張り過ぎなんですよ。少し気を抜いても、バチが当たらないと思いますよ」

 

 それに、と七海は言う。

 

「もう少し迅さんは、自分の気持ちを周りに伝えるべきです。言わなきゃ、何も伝わりません。それは俺も今回、強く感じた事ですから」

「…………そうだな。本当、その通りだよ……」

 

 そう呟き、迅は星空を見上げる。

 

 一筋の風が、吹いた。

 

 満天の星空に、流れ星が落ちる。

 

 それを見て、迅は瞳を僅かに細めた。

 

 彼が何を感じていたかは、分からない。

 

 けれど、少しでも彼の気持ちが軽くなったのならそれで良い。

 

 共に星空を眺めながら、七海はそう強く願った。



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七海玲一⑥

「迅、そこに座れ」

「え、なん…………はい」

 

 七海が迅を連れて支部の中へ戻ると、リビングで仁王立ちするレイジが険しい表情で迅を睨みつけ、有無を言わさず着席させた。

 

 いつの間にか部屋の入口には小南が同じく仁王立ちしており、何が何でも迅を逃がさない構えだ。

 

 その二人の視線に挟まれた迅は観念し、その場に座り込んだ。

 

「話は全て聞かせて貰ったぞ、迅」

「え……? いやだって、レイジさん達ずっと中にいたんじゃ……」

「その場にいなくても、話を聞く方法はあると言う事だ」

 

 レイジはそう告げると七海に右手を差し出し、七海はポケットから()()()()()()()を取り出し渡した。

 

 その光景を見た迅は、何が起きたかを正確に理解する。

 

 実は七海は、レイジ達に頼まれて()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のである。

 

 迅に会いに行く直前、あれだけ七海の事を避けていた迅が自ら彼に会おうとしているという事を聞いた二人はその行動を不審に思い、七海に無理を言って盗聴まがいの事をさせていたのだ。

 

 とうの七海としても迅を騙すようで気が引けたのだが、「迅が抱えているものを、俺達も知りたいんだ」という言葉に押し切られ、承諾した形である。

 

 七海にとって迅は色々助けてくれた恩人にあたるが、玉狛の面々もまた、様々な便宜を図ってくれた恩人である事に違いはない。

 

 特に日頃から模擬戦等で何かと世話になっているレイジ達の頼みは、七海としても断り難かった。

 

 それに、彼等の気持ちも分かるのだ。

 

 迅は、色々なものを自分一人で抱え過ぎている。

 

 その重荷を少しでも軽くしたいという願いは、七海もレイジ達も共通している。

 

 だからこそ、七海はレイジ達の願いを承諾した。

 

 迅の悩みを、仲間同士で共有する為に。

 

 つまり今のレイジ達は、七海に対するあの迅の告解を聞き、この場を設けたワケである。

 

 その事を察した迅は迂闊な発言は出来ないと考え、押し黙る。

 

 それを見て、レイジは溜め息を吐いた。

 

「…………お前が色々なものを抱え過ぎてる事は、知っている。だが、お前もこれまでの七海と同じで人を頼らな過ぎる。七海にも言ったが、お前はもっと人を頼る事を覚えるべきだ」

「いやあ、もう色々頼ってるよ? 『ボーダー』の皆には、これまでだって……」

「────────それは皆の未来を守る為の()()であって、お前個人が誰かを頼ったワケではないだろうが」

 

 ふぅ、とレイジは再び嘆息する。

 

 そして、じっと迅の顔を見据えた。

 

「お前は皆の為に自分が奔走する事を当然だと思っているのだろうが、それは違う。俺達は、これまでずっとお前の力に助けられて来た。お前がいなければ、今の平和は存在しないだろう」

「そうよ……っ! アンタは当然のように皆を守る為に動くけど、別に辞めたくなったらいつでも辞めていいんだから……っ! 文句言う奴は、あたしが黙らせるわ……っ!」

「小南、それは……」

 

 出来ない、と告げる迅に、小南は大きく溜め息を吐いた。

 

「なら、もっと仲間を頼りなさいよ。アンタとあたし等の付き合いは、そんなに浅いモンだったとでも言うワケ? 弱音くらい、いつでも聞いてあげるわよ」

「そうだな。他の場所ならともかく、此処でなら誰かに話が漏れる心配はない。お前が一人で抱え込む淀みを吐き出すには、絶好の場所の筈だ」

「レイジさん、小南……」

 

 迅の声は、心なしか少し震えていた。

 

 きっと、今までなかったのだろう。

 

 ()()()()()、なんて言われた事は。

 

 迅はこれまで、『ボーダー』の為に、街の平和の為にその全霊を捧げて来た。

 

 それが当然だと、考えていた。

 

 それは、未来視(特別な力)を持って生まれた自分の責務なのだと、ずっと思って来た。

 

 だからこそ、仲間にも弱音を吐いた事はなかった。

 

 弱音を吐けば、立ち止まってしまうかもしれない。

 

 そんな想いが、彼の中にはあったのだろう。

 

 けれど二人は、()()()()()()と言った。

 

 弱音を吐いて、立ち止まっても構わないのだと、言ってくれたのだ。

 

 恐らくレイジ達は、ずっとこんな機会を待っていたに違いない。

 

 迅の本音を聞いて、その心に踏み込む時を。

 

 今まで、迅の在り方を見続けて、一番歯痒かったのは恐らく彼等だろう。

 

 ずっと一緒にいるのに、何も出来ない。

 

 迅が自分から弱音を吐かず、聞いても煙に巻いてしまう以上、踏み込みようがなかった。

 

 だからこそ、多少強引な手段を用いてでも踏み込む事を決意したのだろう。

 

 迅の心に刺さった棘を、抜く為に。

 

「お前と七海は、似た者同士だ。どっちも、何もかも自分で背負い込み過ぎる。繰り返すが、少しは頼れ。お前等二人の重荷くらい、幾らでも支えてやる」

「言っとくけど、これだけ言って理解出来ないようなら理解出来るまで身体に叩き込むからね……っ! 分かった……っ!?」

 

 小南はその手にトリガーを握り締めながら、じろりと七海と迅を睨みつける。

 

 彼女は、本気だろう。

 

 此処で否と言えば、二人纏めて訓練場に叩き込む勢いだ。

 

 逆に言えば、それだけ彼女は彼等を心配しているのだと言える。

 

 それを理解した二人に、否と言う答えは持ち合わせていなかった。

 

「…………大丈夫。分かりましたから」

「ああ、七海にも言われたしな。これからは、時々寄りかからせて貰うよ」

「なら良し……っ! ホント、約束破ったら酷いんだからね」

 

 最後に一言そう念押しすると、小南はふぅ、と嘆息した。

 

 その様子を見ながら、迅は七海に目を向ける。

 

 そんな迅に、七海はくすりと笑みを漏らした。

 

「ホラ、これでおあいこですよ。上手くやったでしょう?」

「…………ああ、参った。降参だよ、降参」

 

 やれやれ、と迅はかぶりを振ってそのままソファーに腰掛けた。

 

 七海としては、此処で敢えてレイジ達に手を貸した事を強調する事で、迅が抱く七海への負い目を少しでも軽減する狙いがあった。

 

 自分もこんな真似をしたのだから、負い目なんて感じ続ける必要はないのだと。

 

 その意図を正確に感じ取った迅としては苦笑する他なく、そんな二人を小南がジト目で見詰めていた。

 

「…………けどホント、なんか腹立つわね。今まであたしたちには何も話さなかった癖に、七海にだけは話すとか。あんたが玲奈さんにぞっこんだったのは知ってるけどさ、それにしたって薄情じゃない?」

「いや、別に小南達を信じてなかったワケじゃないよ。ただ、小南達もきつかった時期に俺だけ弱音を吐くのは、なんか出来なくてさ」

「…………そう。ま、気持ちは分からなくはないけどね」

 

 あたしもそうだったし、と小南は呟く。

 

 彼女達が言っているのは、あの過去の大規模侵攻の前、『ボーダー』が表に出て来る前の時期なのだろう。

 

 詳しくは聞いていないが、過去に近界での戦争により、『旧ボーダー』にいた面々の多くが亡くなったのだと聞く。

 

 当時は『緊急脱出』システムも存在せず、負ければ死、という状況下で迅や小南は剣を執って戦っていた。

 

 そんな時に、他者を気にかける余裕などある筈もない。

 

 近界の戦争による欠員で人手が足りなくなり、その結果過去の大規模侵攻では被害を防ぎ切る事が出来なかった。

 

 七海は、そう聞いている。

 

 迅は当時、少しでも良い未来を掴み取る為に必死だった筈だ。

 

 それこそ、全てを投げ出す勢いで。

 

 故に迅は一人で負担を抱え込み、今日まで至ってしまった。

 

 一度付いた習慣は、中々抜けるものではない。

 

 まるで息をするかのように、迅は自ら進んで重荷を背負い続けてしまう。

 

 だから、一計を案じた。

 

 彼が、隙を見せるように。

 

 その隙を、活かす為に。

 

 七海としても、あの迅がこれから素直に頼って来るとは思っていない。

 

 精々、見かけた時に誘いを断らない程度だろう。

 

 だからこちらとしては、その誘う頻度そのものを増やすくらいしか対応策がない。

 

 その為には、迅をなるべく人のいる場所に来させる必要がある。

 

 迅の事だから、姿が見えない時は人気のない場所で暗躍しているに違いない。

 

 本気で雲隠れした迅を探すのはほぼ不可能なので、見かけたら声をかけるくらいがベストだろう。

 

 恐らくそのあたりが、妥協点だ。

 

 迅のスタンスと、こちらの気遣いとの。

 

 それが分かっているのだろう。

 

 小南は、盛大に嘆息した。

 

「ま、言って聞くような奴じゃないのは知ってるし、いざとなれば力づくでも言う事聞かせるから覚悟しなさいよ」

「はは、参ったな。実力派エリート、大人気じゃないか」

「そうよ。人気者なのよアンタは。だからもうちょっと、人を頼りなさいよね」

 

 迅の冗句も的確に返しの手を打ち、小南は迅を窘めた。

 

 乾いた笑いを浮かべる迅だが、その眼には明確な親しみの色がある。

 

 小南の気遣いは通じた、と思って良い筈だ。

 

「それで? 七海には()()()()は聞かせるワケ? 次のROUNDの時に告知するんだっけか」

「おいおい、それは極秘事項だろう。七海にだけ聞かせるのは、フェアじゃないな」

「例の、発表……?」

 

 不意に変わった話題に気を引かれ、七海が小南の言葉を復唱する。

 

 その様子を見た迅は、ふふ、と薄く笑みを浮かべた。

 

「少し、ランク戦に関して()()()があってね。その発表を、次のROUNDでするつもりなんだ。丁度、俺も解説に呼ばれてるしな」

 

 俺と太刀川さんがお前等の試合の解説になる、と迅は話す。

 

 ROUND4、その試合。

 

 自分達『那須隊』が当たる組み合わせは、『香取隊』と、『王子隊』。

 

 その試合の解説に、迅と太刀川がやって来る。

 

 これは、是が非でも気合いを入れて試合に臨まねばならないだろう。

 

「今のお前達なら、良い試合が出来ると確信してる。だから、遠慮なくやって来い。七海達の力はB級上位でも充分通用するんだと、皆の前で示して来な」

「はいっ、任せて下さい……っ!」

「ああ、期待してるよ」

 

 気合いの入った返事をする七海を、迅は眩しそうに見詰めた。

 

 これなら、大丈夫。

 

 そんな信頼の籠った視線が、七海に向けられた気がした。

 

 それは、小南も同意見だったのだろう。

 

 七海の姿を見た小南は、盛大に笑みを浮かべた。

 

「もう大丈夫そうね、七海。なんなら景気づけに一発戦ってく? 言っとくけど、こないだみたいな真似はもうさせないかんねっ!」

「…………なら、一戦お願いします。俺も丁度、身体を動かしたかった所ですし」

「よしっ! じゃあ早速行くわよっ!」

 

 ほら早く早く、と小南に急かされるまま、七海は訓練場へ向かう。

 

 その後姿を迅は見据え、笑った。

 

 その笑みからは憑き物が落ちたような印象があり、今回の出来事は迅自身にとっても良い経験であったようだ。

 

 そんな迅を見て、レイジは安堵の息を吐いた。

 

 彼にとっての重荷が、一つ降りた。

 

 その事を、喜びながら。

 

 

 

 

「鋼さん。ご心配、おかけしました。もう、大丈夫です」

「そうか。少しでも助けになれたんなら、幸いだ」

 

 翌日、七海は鈴鳴支部を訪れ、村上に礼を言っていた。

 

 もう、自分は大丈夫だと。

 

 そう、彼に伝える為に。

 

 七海の様子を見た村上は笑みを浮かべ、その肩に手を置いた。

 

「俺達もすぐ、上位へ辿り着く。だから、上で待っていてくれ。ROUND1の借りは、その時に返してやるさ」

「ええ、望む所です。次も、返り討ちにしてみせます」

「ああ、その意気だ。それでこそ、倒し甲斐があるってモンだ」

 

 七海と村上は、そう言って笑い合う。

 

 互いに信を置く好敵手は、再戦を誓う。

 

 その誓いが果たされる時は、きっとそう遠くはない筈だ。

 

 

 

 

「カゲさん。前回の試合では不甲斐ない姿を見せてしまって、申し訳ありませんでした」

「…………」

 

 七海は、『影浦隊』の作戦室を訪れていた。

 

 作戦室には影浦が一人だけ座っており、他の隊員は不在だった。

 

 だから、七海は正直に謝意を告げた。

 

 前回の試合の、自らの不甲斐なさについて。

 

 影浦に、どれ程の失望を与えてしまったか知れない。

 

 もう、見放されているかもしれない。

 

 けれど、けじめはつけなければならない。

 

 そう考えて、此処に来た。

 

 深々と頭を下げる七海に対し、影浦はぼそりと告げる。

 

「…………もう、大丈夫なのかよ……?」

「…………はい、大丈夫です」

「そうか。なら良いさ。顔を上げな」

 

 影浦に促され、七海は顔を上げる。

 

 そうして恐る恐る見た影浦の顔には、笑みが浮かんでいた。

 

「シケた面してんじゃねえよ。もう、あんな真似はしねぇんだろ? だったら、俺としちゃあ文句はねぇよ。うだうだ言うのは好きじゃねえし、おめーが大丈夫っつーならそれを信じるだけだ」

「カゲさん……」

「…………だからまあ、なんだ。気にすんな。俺は別に、お前の事を嫌いになってたりはしてねーからよ」

 

 影浦はぼそぼそと言葉を選びながら、そう告げる。

 

 それは不器用な彼なりの、気の使い方だった。

 

 それを感じ取り、七海は笑みを浮かべる。

 

 矢張り彼は、尊敬すべき兄貴分であると。

 

 そう、強く思い直した。

 

「はい……っ! 今度こそ、ちゃんと挑ませて貰います……っ! だから待ってて下さい、カゲさん……っ!」

「おう、待っててやる。だから、さっさと来いよ。おめーなら、その気になりゃ上位(ここ)でも充分やってける筈なんだからよ」

「はい、必ず」

 

 そう言って、七海と影浦は笑い合った。

 

 影浦は弟子の変化を祝福し、七海はそれを受け入れる。

 

 なんだかんだで、良い師弟関係であった。

 

 翳りは消えた。

 

 関係は、正常化された。

 

 俯いていた者は、顔を上げた。

 

 ────────『那須隊』は此処に、復活した。



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B級ランク戦/ROUND4
第四戦、開始


 ────10月17日、ROUND4当日。

 

 『那須隊』の作戦室には、その全員が揃っていた。

 

 いつものように、既に作戦方針は那須邸で決めている。

 

 此処でするのは、あくまでその詳細を詰める()()だ。

 

 戦いに臨む彼等に、懸念の色はない。

 

 誰もが前を向き、顔を上げている。

 

 前回の敗戦直後の暗い雰囲気など、既に微塵も存在しなかった。

 

「今回の相手は、『香取隊』と『王子隊』。『香取隊』はエースの香取さんが中心のチームで、他の二人が彼女をカバーする形ね」

「エースを他の隊員がカバーするって事は、ある意味うちと似たコンセプトのチームって事か」

 

 那須の話を聞き、熊谷が素直な感想を口にする。

 

 だが、そこに七海が待ったをかけた。

 

「…………いや、それは見た目だけだ。『香取隊』は、結果的にその形になっているに過ぎない」

「どういう事ですか? 七海先輩」

 

 それはな、と茜の質問に七海はすぐさま答える。

 

「『香取隊』は、隊長の香取の()()()()()()()ワンマンチームだ。香取が好き勝手に暴れて、他の二人はそれを追いかけてフォローに回っているだけ。チームワークに関しては、正直今まで戦ったチームの中でも最低と言って良いだろう」

「丁度、前回の那須先輩と七海先輩みたいですね」

「…………返す言葉もないな」

 

 小夜子が悪戯っぽく笑いながら告げて来た言葉に、七海は押し黙る。

 

 確かに、小夜子の言う通りではある。

 

 前回は那須の暴走を止められずに惨敗を喫したが、『香取隊』はある意味毎回それをやっているに等しい。

 

 香取が点を獲れれば良いが、何かの拍子で崩れればあっという間に敗退する。

 

 それが、『香取隊』。

 

 エースの香取の戦闘能力と運動センスは特筆に値するが、正直彼女一人で戦っているようなチームだ。

 

 前期はB級上位に居残れていたようだが、今期はROUND2の得点で『那須隊』が上位に上がった際に入れ替わりで中位落ちしている。

 

 良くも悪くも、香取次第のチーム。

 

 香取個人の能力は警戒すべき代物ではあるが、チームとしての脅威は薄い。

 

 正直、幾らでも付け入る隙があるだろうというのが七海や小夜子の見解であった。

 

「でも、香取さんは強いわよ。近接寄りの『万能手』で機動力も高いし、油断すればあっという間に獲られてしまうわ」

「それは理解してる。けど、問題ない」

 

 七海は薄く笑みを浮かべ、告げる。

 

「布石は、既に打って置いた。『香取隊』への対策は、ある意味もう終わってるんだよ」

 

 

 

 

「MAPは『市街地D』で行くわよ。『那須隊』も『王子隊』も、まとめてぶっ潰してやろうじゃないの」

 

 『香取隊』、作戦室。

 

 珍しく意気込んで、隊長の香取葉子(かとりようこ)はMAPの選択をチームメイトに告げた。

 

 その様子に若干引き気味のチームメイトの若村麓郎(わかむらろくろう)が、躊躇いがちに口を開く。

 

「お前にしちゃ、随分と気合い入ってるじゃないか。そんなに、中位落ちしたのが嫌だったのかよ?」

「別に。ただ、まぐれで上位に上がって来たような部隊に見下されるのが嫌なだけよ」

「それ、もしかして『那須隊』の事……? 前回の試合は、確かに惨敗してたけど……」

 

 香取の言葉に追随するように、隊員の三浦雄太(みうらゆうた)はおずおずと話す。

 

 それを聞くと香取は、我が意を得たとばかりににやりと笑みを浮かべる。

 

「そうよ。前回、ボロ負けだったそうじゃない? 所詮、その程度のチームなのよ。新しく加わった七海って奴も、大した事ないわ。こないだ、個人ランク戦でギタギタにしてやったしね」

「へえ、お前七海と戦った事あるのか」

 

 若村の問いに、香取はええ、と頷く。

 

「今期のランク戦が始まる、直前くらいにね。ぴょんぴょん跳ね回るのは鬱陶しかったけど、屋内戦にしちゃえば全然怖くないわ。あの時も、屋内に追い込んでボコってやったしね」

「そうか。だから『市街地D』を」

「そ。避けるのが得意なら、避ける場所の少ないトコに追い込んじゃえばいいのよ」

 

 好戦的な笑みを浮かべ、香取は告げる。

 

「見てなさい。あんな奴、ギタギタにしてやるんだから。個人戦と同じようにね」

 

 

 

 

「とまあ、そんな風に考えているだろうから、その油断を突いていこう」

 

 話を終えた七海に対し、那須は苦笑し、茜は驚き、熊谷は唖然としている。

 

 それだけ、七海の()()()は用意周到な代物であったのだ。

 

「つまりアンタは、今期のランク戦が始まる直前のタイミングで香取さんと個人戦をやって、()()()()()()()()()()()()()って事?」

「そうだ。個人戦で多少俺の『スコーピオン』のポイントが減ろうが、チームランク戦には関係ない。なら、利用しない手はないだろう」

 

 あっけらかんと、七海はそう告げる。

 

 七海は別に、香取の実力を軽く見ているつもりはない。

 

 むしろ、正面から当たるのはマズイと考えたからこそ、彼女の油断を誘う策を打った。

 

 その為に個人ポイントを犠牲にしてわざと負けるというのは、些か行き過ぎにも思える。

 

 だが、元々七海は個人のポイントには執着していない。

 

 仲の良い攻撃手連中と切磋琢磨する間にマスタークラスには到達しているが、多少の増減は気にしていないのだ。

 

 自分のポイントより、チームの勝利を。

 

 そういった思考を持つ七海だからこそ、打てた手と言える。

 

「ついでに、その対戦で()()()()()()()()っていうイメージも植え付けて置いた。だから恐らく、『市街地D』を選んでくる筈だ」

「『市街地D』。大型のショッピングモールが主戦場となり易い、縦に広く横に狭いMAPですね」

 

 小夜子の言う通り、『市街地D』は中央の大型ショッピングモールが主戦場となる事が多いMAPである。

 

 大通りは射線が通る為、モールの中に入らなければ常に狙撃の危険に晒される事になる。

 

 故に、大抵の場合モールの中に入っての戦いとなるのだ。

 

 香取が本当に()()()()()()()()()というイメージを持っていれば、そこを選んで来る筈だ。

 

「欲を言えば『展示場』あたりを選んで欲しいが、『展示場』は障害物が多くて射線を誘導し易い、『那須隊』にとっても有利なステージだ。流石にその選択は、オペレーターあたりが止めるだろう」

「確かに。前期でもあたし等がステージ選択権を得た時は、『河川敷』か『展示場』を選ぶ事が多かったからね。流石に、そこを選んではくれないか……」

 

 でも、と熊谷は告げる。

 

「『市街地D』ってなると、狙撃手の茜がやり難くなるんじゃない? そうなると、うちが有利って感じはしないけど……」

 

 熊谷の言う通り、『市街地D』はモールが主戦場となる為、狙撃手はその利点を失ってしまう。

 

 壁抜き狙撃を当てるのは至難の業だし、そもそも茜の主武装は『ライトニング』だ。

 

 『アイビス』ならともかく、『ライトニング』に壁抜きが出来る程の威力はない。

 

 かと言って狭いモール内に茜を入れてしまえば、一度狙撃した後追撃を避けるのは困難になる。

 

 今回、狙撃手がいるのは『那須隊』だけだ。

 

 狙撃手対策という意味では、『市街地D』はなんらおかしい選択ではないように思える。

 

「そこはどうとでもなる。射線が通り難いなら、()()()良いだけの話だ」

 

 つまりな、と七海はチームメイトにその()()を話した。

 

 熊谷は息を飲み、茜は「やれます!」と力強く返答し、那須はそれを見て微笑んだ。

 

 小夜子も、「充分可能だと思います」とコメントしている。

 

 七海の作戦は、概ね賛成されたようだ。

 

「気を付けなければいけないのは、むしろ『王子隊』の方だ。隊長の王子は、中々の曲者だからな」

 

 

 

 

「今回、シンドバット(七海)ナース(那須)は最初からは狙わない。最初に狙うのは、ヒューラー(日浦)だ」

 

 『王子隊』作戦室、そこで隊長の王子一彰(おうじかずあき)が教鞭を持って、まるで生徒に教える教師のようにそう告げた。

 

 いきなり突飛な仇名を相手チームの面々に付けているが、彼がヘンテコな仇名を初対面の相手だろうと問答無用で付け、躊躇いなくそれを呼ぶのはこの隊では見慣れた光景だ。

 

 見慣れ過ぎて、誰も突っ込む者はいなかった。

 

 シンドバットも何故か七海という苗字から七つの海→七つの海を股にかける→じゃあシンドバットだ、という斜め上の発想から来た仇名だ。

 

 ナースも那須を伸ばしただけだがまるで看護師(ナース)のように聞こえるし、熊谷の(bear)という苗字から考えたのだろうが、ベアトリスでは外人の名前にしか聞こえない。

 

 初見では誰の事を言っているか意味不明だが、王子語に慣れた此処の隊員達はそれを流してしまっている。

 

 もしも関係の内第三者がこの場にいた場合、会話内容が意味不明になる事請け合いだろう。

 

「王子先輩っ! 何故日浦さんを真っ先に狙うんですかっ!? 七海先輩は、放置できるような相手ではないのではっ!?」

 

 そんな王子の作戦方針の意図を素直に尋ねたのは、真面目を形にしたような少年隊員、樫尾由多嘉(かしおゆたか)である。

 

 王子は生徒を諭す教師のように、「良い質問だね」と答えた。

 

「さて問題、何故シンドバットを放ってまでヒューラーを狙うのか。考えてみて、樫尾くん」

「……………………………………あっ、そうかっ! これまでの試合では、日浦さんが『那須隊』の得点源でしたっ!」

「よく気付いたね。及第点をあげよう」

 

 王子はそうだね、と言い話を続ける。

 

「ROUND3までの試合、確かにシンドバットが一番目立っているように思えるし、隊長のナースも厄介だ。けど、実際一番得点を挙げているのは実はヒューラーなんだよ」

「確かに、日浦はROUND3までに5得点を挙げている。七海の派手さに目が行きがちだが、今の『那須隊』の真のポイントゲッターは彼女か」

「そういう事さ」

 

 王子はもう一人の隊員、蔵内和紀(くらうちかずき)の言葉をそう言って肯定する。

 

 ROUND3までの試合、確かに七海が最も派手に立ち回り、活躍しているように見える。

 

 しかし、実際に得点を挙げているのは、実は狙撃手の茜なのだ。

 

 七海がROUND3までに挙げた得点は、ROUND1の最終局面で設置した『メテオラ』の起爆に村上と来馬を巻き込んで仕留めた事による二点と、ROUND2で荒船を討ち取った際の一点の合計三点。

 

 対して、茜はROUND1では堤と太一を狙撃で仕留め、ROUND2でも半崎と照屋を狙撃で仕留めている。

 

 ROUND3に至っては、隊の誰もが脱落した中、単独で得点を挙げて逃げ切ってさえいる。

 

 今の『那須隊』の強さを語る上で欠かす事の出来ない要素、それこそが茜なのだ。

 

「『那須隊』の基本戦法は、シンドバットが斬り込んで攪乱し、その隙をチームメイトに()()()()ものだ。その隙を突く手段の最たるものが、ヒューラーの狙撃なんだ。これを潰さない事には、いつ誰が落ちても不思議じゃない」

「成る程、だから真っ先に日浦を狙うのか」

「そうなるね。でも、彼女は狙撃手だ。普通に追うだけじゃ、まず見つからないだろうね」

 

 だから、と王子は続ける。

 

「次のROUNDでは恐らく、カトリーヌがシンドバットに突っかかる筈だ。そしてきっと、シンドバットと戦っている彼女をヒューラーの狙撃で仕留めるのが、『那須隊』の筋書きだろう」

「つまりお前は、こう言いたいワケか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と」

 

 蔵内の指摘に、王子はその通り、と答える。

 

「流石に一度狙撃すれば、狙撃手の位置は割れるからね。僕等はそこを狙って、彼女を仕留めれば良い」

「成る程、理解出来ましたっ! ご説明ありがとうございますっ!」

 

 生真面目にそう話す樫尾に笑いかけながら、王子は続ける。

 

「幸い、彼女の機動力自体はそこまで高くはない。『テレポーター』も、一度使用した後は連続使用出来ないから視線の先を見逃さなければ問題ない。僕達は彼女が姿を見せるまで主戦場の傍で身を隠し、機を伺うんだ」

 

 王子はそう話すと二人を見据え、告げる。

 

「厄介な相手だけど、勝ち筋がないワケじゃない。落ち着いて、堅実に行こうじゃないか」

 

 

 

 

「やって来たでー、B級ランク戦ROUND4夜の部。実況はウチ、細井真織が務めるんでほなよろしく」

 

 B級ランク戦、ROUND4。

 

 その会場の実況席で、『生駒隊』オペレーターの真織が元気に自己紹介する。

 

 観客席は観戦者で埋め尽くされ、本日もランク戦は盛況。

 

 中盤に差し掛かった事で、観客の期待も大いに高まっていた。

 

「そんで、解説には迅さんと太刀川さんを呼んでますんでよろしゅう頼んますわ」

「「どうぞよろしく」」

 

 解説席では迅と太刀川がでん、と座り込み、迅はひらひらと手を振り、太刀川は迅から渡されたものであろうぽんち揚げをぼりぼり食べている。

 

 その姿に、緊張の色は欠片もない。

 

 ただ、モニターを見るその視線は真剣そのものだ。

 

 この試合の動向を、決して見逃してなるものか。

 

 そういう気迫を、二人からは感じ取れた。

 

 そんな二人の異様な空気を、真織も感じ取ってしまったのだろう。

 

 その()()を察しながら、真織は盛大に溜め息を吐いた。

 

 少々気が重いが、これでも普段からマイペース過ぎる隊員達の相手をしているのだ。

 

 隊長の生駒を通じてこの二人とも親交はあるし、扱い方も多少は心得ている。

 

 どうやら、気を揉む実況になりそうだと、真織は密かに嘆息した。

 

 それでも全力で職務にあたるあたり、彼女の生真面目さが分かるというものだが。

 

「さあ、時間やで。全部隊、転送開始や……っ!」

 

 真織の宣言と共に、全ての部隊が仮想空間へ転送される。

 

 B級ランク戦、ROUND4。

 

 その火蓋が、切って落とされた。




 幕間は終わり、新生那須隊がROUND4に臨みます。
 
 こうご期待。


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那須隊①

『全部隊、転送完了。MAP、『市街地D』』

 

 アナウンスが響き渡り、全ての部隊が戦場に揃った事を告げる。

 

 視界に聳え立つのは、巨大なショッピングモール。

 

 主戦場となるであろうそれを見据え、七海は顔を上げた。

 

「俺はモールに入る。皆は予定通り頼むぞ」

『ええ、任せて』

『うん、任せて』

『はいっ、任せて下さい……っ!』

 

 三者三様の返答を聞き、七海は笑みを浮かべる。

 

 そして、躊躇う事なくモールの中へ突入して行った。

 

 

 

 

「さあ、始まったでB級ランク戦ROUND4……っ! 各部隊、続々とモールの中に集まってるで……っ!」

 

 実況席で真織が元気よく語り、そういえば、と呟く。

 

「MAPは『市街地D』やけど、これ『王子隊』の対策MAPなんかな。狭いし縦に広いしで、相当やり難いでっしゃろからな」

「確かに、そういった側面もありますね。()()()()()()()()、良いMAP選択でしょう」

「そうだなー。『王子隊』はトップクラスの()()()()()だから、その利点を潰すのは間違っちゃいない」

 

 けど、太刀川は告げる。

 

「今回、MAP選択したのって『香取隊』だろ? あそこがそういう風に頭使うイメージはないけどなー」

「あ、わかるで。香取ちゃん、そういうの苦手っぽいしな」

 

 割と散々な言い様だが、事実でもある。

 

 香取はあまり作戦立案能力に恵まれていない、というよりは、作戦そのものを碌に立てない。

 

 彼女は本質的に自分しか信じていない為、チームメイトの動きを当てにしておらず、作戦そのものの有用性を感じていない。

 

 その為、彼女の隊がMAP選択権を得た時は、『市街地A』のような癖の無いMAPを選ぶ事が多かった。

 

 『市街地D』というMAP選択自体が、そもそも()()()()()()()()()()と言える。

 

「お、その香取ちゃんが早速突っかけるみたいやな。相手は────やっぱ、七海か」

 

 

 

 

 その姿が吹き抜けを挟んだ向こう側の視界に飛び込んで来た瞬間、香取は即座に行動に移した。

 

 軽業師のような身のこなしで吹き抜けを飛び降り、グラスホッパーを起動。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、一気に跳躍。

 

 一瞬で相手────七海の元へ辿り着き、右手のスコーピオンを振るう。

 

「────」

 

 七海はその攻撃を、振り返る事もなく躱す。

 

 そしてすかさず、スコーピオンで迎撃。

 

 最短最速で放たれた刺突が、香取を狙う。

 

「このっ!」

 

 無造作に放たれたその刺突を、香取は身体を捻って回避。

 

 即座に距離を取ると、左腕に抜き放たれた拳銃型トリガーを展開。

 

 弾丸を────誘導弾(ハウンド)を撃ち放つ。

 

 しかしそれも、七海を穿つには至らない。

 

 七海は瞬時にグラスホッパーを起動し、跳躍。

 

 グラスホッパーの連続起動により、あっという間にハウンドの射程外へと離脱。

 

 そしてそのまま、香取から逃げるように駆け出した。

 

「くっ、待て……っ!」

 

 それを香取は、グラスホッパーを使用して追撃。

 

 香取と七海の、追走劇が始まった。

 

 

 

 

「香取、七海を襲撃……っ! けど仕留められんで、七海との追いかけっこが始まったで……っ!」

「良い様にあしらわれてんな、香取」

 

 実況席ではその様子を、真織は気合い入った声で実況し、太刀川は何処か冷めた目で見詰めていた。

 

「香取が七海に速攻で仕掛けるのはある意味予想通りだが、馬鹿正直に逃げる七海を追ってちゃあいつの思う壺だろ。そもそも七海が()()()()()()()使()()()()()()()()時点で、()()の可能性は考慮すべきだった」

 

 そう、太刀川の言う通り、今回七海は()()()()()()()使()()()()()()()()()

 

 その為に、香取が此処まで早く七海を捕捉出来た。

 

 そしてそんな状況を、七海が想定していない筈がない。

 

「こりゃ、香取は試合のログをまともに見てないな。一度でも七海の試合を見てれば、こんな愚は冒さない」

「つまり七海は、香取ちゃんを釣り出して何かを狙ってる、ちゅー事か?」

 

 けど何を? と真織が尋ねると、迅がそれに返答した。

 

「恐らく、()()()()でしょう。()()に、位置を確保させる為のね」

 

 

 

 

『王子、香取が七海を追ってる。どうやら、上の階に向かっているらしい』

「ならそこに、ヒューラーが待ち構えている筈だ。引き続き、バッグワームで隠れながら追おう」

『了解』

 

 王子は周囲を警戒しながら通信越しに仲間に指示を飛ばし、慎重に移動を続けていた。

 

 今回、『王子隊』はその全員が開幕直後からバッグワームを起動し、香取が動くのを待っていた。

 

 香取が動くまでは潜伏に徹する心づもりではあったが、予想より早く香取が七海を補足した為に、急いで彼等の後を追ったのだ。

 

 七海が香取を、日浦の射程内へ誘い出すのを見越して。

 

 恐らく香取は、その事に気付いていない。

 

 どうやら七海の実力を軽く見ているらしい彼女は、自分が()()()()()()などとは欠片も思っていないだろう。

 

 ただ、逃げる相手を追っているだけ。

 

 故に、その後を追う『王子隊』の存在にも気付かない。

 

 上位に上がり立ての相手くらい()()()()()()()()()()という香取の高過ぎるプライドが、彼女の目を曇らせていた。

 

 『王子隊』にとっては、都合が良い事この上ない。

 

「カトリーヌの戦闘力も、シンドバットのサイドエフェクトを応用した回避能力と機動力も脅威ではある。正面から当たれば、確かに危ないだろう」

 

 けれど、と王子は続ける。

 

「チームの連携と作戦立案能力なら、僕等だって負けてない。見せてあげるよ。本当の、B級上位の戦い方ってやつをね」

 

 

 

 

『葉子が七海くんを追ってるわ。フォローお願い』

「チッ、あいつまた勝手に仕掛けやがったな……っ!」

 

 『香取隊』の銃手、若村麓郎はオペレーターの染井からの報告に舌打ちし、カメレオンを起動しながら足早へ上階へ向かう。

 

 香取の独断専行はいつもの事だが、今回香取はグラスホッパーを多用して七海を追いかけている為に、追い付く事は容易ではない。

 

 だからこそ若村と三浦の二人は、カメレオンのトリガーセットを常備せざるを得なかったとも言える。

 

 カメレオンは、先行する香取に追いつくまでの隠れ蓑としては最適なのだ。

 

 戦闘行動に移らなければカメレオンを解除する必要もない為、香取の元へ辿り着くまでに相手に捕捉されなければそれで良い若村達としては頼らざるを得ないトリガーであった。

 

 バッグワームを併用出来ない為レーダーには映ってしまうが、そのあたりはもう割り切るしかない。

 

 香取に()()()()為には、これくらいしか方法がないのだから。

 

「ったく、珍しくやる気があると思ったらこれだ。あいつの頭に、作戦なんてモンを期待した方が馬鹿だったか……っ!」

 

 若村は、香取の行動に苛立ちを露わにしていた。

 

 試合前、彼女にしては珍しく凝ったMAPを指定してまで勝ちを狙う姿勢を見た時は、香取も今までの考えを改めたかと思ったが、そうではなかった。

 

 彼女は単に、()()()()()()()()()()()()だけだったのである。

 

 香取は、何も変わっていない。

 

 むしろ、頭に血が上っている状態である分、これまでより一層タチが悪い。

 

 その事を改めて突き付けられた若村は、冷静さを失っていた。

 

 だから、気付かない。

 

 そんな彼等の行動が、相手の掌の上である事に。

 

 ()()()()()()のは、何も香取だけではなかったのだ。

 

 

 

 

「くっ、ちょこまかと……っ!」

 

 香取は七海を追いかけながら、これ以上ない程苛立っていた。

 

 すぐに仕留められると思ったのに、七海はグラスホッパーを多用して縦横無尽の機動で香取を攪乱し、決してその背に手を届かせない。

 

 吹き抜けを跳び上がったと思えば、階段を飛び降りて元の階へ戻ったり、グラスホッパーの連続使用で加速して視界からいなくなったかと思えば、背後からスコーピオンで奇襲する。

 

 いずれも決して深くは切り込んで来ず、隙を一切見つけられなかった事が香取の苛立ちを加速させていた。

 

 まるで、遊ばれているようだ。

 

 そう彼女に思わせるには、充分な立ち回りだったからである。

 

(けど、そろそろ最上階。もうこれ以上上には行けない筈……っ!)

 

 だが、追走劇にも終わりが見え始めていた。

 

 二人はそろそろ、最上階へ到達する。

 

 屋上へ逃げるにしても、そこへ先回りすれば良いだけの話。

 

 此処で、仕留める。

 

 そう意気込んで、香取は最上階へ上がった。

 

 上がって、しまった。

 

 ()()の、思惑通りに。

 

「「────メテオラ」」

 

 そして、()()が放った無数のトリオンキューブの爆発が、辺りを埋め尽くした。

 

 

 

 

「うわあ……っ!」

「く……っ!」

 

 最上階の、すぐ真下。

 

 そこまで辿り着き、合流していた若村と三浦は、突如周囲一帯を襲った爆発────『メテオラ』の連続爆破から、必死に逃げ回っていた。

 

 もう少しで、香取に追いつける。

 

 そう思った矢先の、突然の爆発。

 

 有り体に言って、彼等は完全に足並みを崩されていた。

 

 絶え間なく降り注ぐメテオラのトリオンキューブは次々と通路や壁を吹き飛ばし、周囲に破壊の渦を撒き散らしている。

 

 それに巻き込まれないようにカメレオンを解除してシールドを張りながら逃げるする事が精一杯で、周囲に気を配る余裕などない。

 

 そして、爆発から逃げた、その先。

 

「あいつは……っ!」

 

 ようやく爆発の連鎖が止まり、周囲に気を配る余裕が出来た。

 

 だからこそ、気付いた。

 

 爆発で吹き飛ばされた、店舗の壁。

 

 その向こう側に、バッグワームを着た王子一彰の姿があった。

 

「……っ! やられたね……っ!」

 

 若村達の姿を確認した王子は舌打ちし、バッグワームを解除して『弧月』を抜刀。

 

 対する若村達も、銃手トリガーを構え応戦。

 

 別々の思惑で香取を追っていた三人は、メテオラの爆撃によって炙り出され共に食い合わせられる結果となった。

 

 

 

 

「おっとぉ、此処で七海と那須がメテオラを連続使用……っ! 爆発で炙り出された『香取隊』の二人と王子が、交戦を開始したで……っ!」

「完全に、七海の術中に嵌まったな」

 

 実況する真織の説明に、太刀川はにやりと笑いながらそう告げる。

 

 その眼は、いつも以上に楽し気だった。

 

「七海は、徒に逃げ回っていたんじゃない。自分達を『香取隊』と『王子隊』が追っている事を知っていて、あいつ等が追い付くのを待っていたんだ」

「『王子隊』は多分、七海が上で待たせている仲間を仕留めようとしてたんやろなー。足を使って狙った相手を獲る、『王子隊』のいつもの手やで」

「けれど今回、それを七海に利用された形になります」

 

 迅はそう告げ、二人の注目を浴びる。

 

 此処まであまり積極的に話に絡んで来なかった彼の言葉に、期待度が高まった。

 

「七海隊員は恐らく、『王子隊』のやり口もログ等で確認していたのでしょうね。そこから『王子隊』が取るであろう作戦を推測し、自らを囮に彼等を釣り出した」

「香取ちゃんの動きも、王子の動きも、全部予想通りだったっちゅーんか」

「そうなります。彼は、勤勉ですからね。それくらいの()()は、きちんとこなしていた事でしょう」

 

 そう語る迅の表情は、何処か誇らしげでもあった。

 

 これまで七海と距離を置かざるを得なかった彼からしてみれば、ようやく間近で彼の戦いを目にする機会だったのだ。

 

 公的な解説も出来るとなれば、気分が高揚しない筈もない。

 

 いつも通りの笑みで誤魔化しているだけで、迅もまた、この一戦を楽しみにしていたのだ。

 

 一つの山場を乗り越えた、『那須隊』の、七海の活躍を。

 

 自分の目で、見届ける為に。

 

 そんな迅の心情を、太刀川は察しているのだろう。

 

 にやにやと、からかうような視線を迅に向けていた。

 

 迅はその視線に気付きながらも、解説に専念した。

 

「恐らくうちの七……っ! 七海隊員は、香取隊長の性格と王子隊長の性質を理解した上で、今回の策を打ちました。香取隊員は言うに及ばず、王子隊長に関しても彼は布石を打っていた」

 

 そこで迅は一旦言葉を区切り、再度口を開く。

 

「王子隊長もまた、勤勉な性格です。今回の試合に臨むにあたり、七海隊員のこれまでの試合を研究して来た筈です。そして、日浦隊員の存在に目を付けた」

「日浦ちゃんの、かいな?」

 

 ええ、と迅は頷く。

 

「これまでの試合、七海隊員の活躍が目立っていましたが、一番得点を挙げていたのは実は日浦隊員なんです。王子隊長はその事に気付き、今回真っ先に彼女を落とす事を考えていた」

「そうやな。香取ちゃんを追ってたのも、七海が香取ちゃんを日浦ちゃんの射程内に誘導すると考えていたからやろーしな」

 

 『生駒隊』のオペレーターとして『王子隊』とは幾度も戦った事のある真織は、王子の行動をそう判断した。

 

 そしてその見立ては恐らく、間違ってはいない。

 

 飽きる程彼等と戦った真織の眼は、正確に彼の思惑を捉えていた。

 

「けれど七海隊員は、それすら見越していました。実際に最上階で待っていたのは、日浦隊員ではなく那須隊長。そしてタイミングを見計らって、那須隊長と共に『メテオラ』での炙り出しを敢行した」

 

 その結果が、これ。

 

 『メテオラ』の爆撃によって炙り出された王子は『香取隊』の二人と遭遇する羽目になり、香取の背中を狙っていただろうとその状況から考えた『香取隊』の二人からしても王子を見逃す選択はない。

 

 結果として、三人は七海の思惑通り戦り合う結果となった。

 

 『カメレオン』を用いての奇襲が可能な二人と、『王子隊』の中で最も厄介な王子本人をこうして表に引きずり出した。

 

 それこそが、七海の狙い。

 

 香取を罠に嵌めると思い込ませ、本命の三人を罠にかけた。

 

 周到に用意された、戦略。

 

 それが、綺麗に嵌った結果だった。

 

「これで、序盤の流れは『那須隊』が握ったと言っても過言ではありません。此処からは、一度の敗戦を経て成長した彼等の戦いを見る事が出来るでしょう」

 

 迅はそこまで言うとにやり、と笑みを浮かべる。

 

「今の彼等は、強いですよ」

 

 彼は、誇らしげにそう告げた。

 

 七海の門出を、祝福するかのように。

 

 何の憂いもなく、迅は、笑った。



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香取隊①

「チッ、あいつ等……ッ!」

 

 香取は雨のように降り注ぐメテオラの爆撃を回避しながら、上階からそれを放つ二人の姿を睨みつけた。

 

 七海と那須は壁や瓦礫、時には七海のグラスホッパーを足場にしながら縦横無尽に跳び回り、常に位置を変えながらメテオラを放ち続けている。

 

 一ヵ所に留まっているならばやり様もあったのだが、これだけ動き回られては狙いを付ける事も出来ない。

 

 香取とて、黙ってそれを見ていたワケではない。

 

 隙を見つけてグラスホッパーで接近しようとしたものの、途端に爆撃の密度を高められ、退かざるを得なかったのだ。

 

 香取は機動力に優れた、どちらかといえば七海に近いタイプの戦い方をする『万能手』である。

 

 『万能手』として銃手トリガーの扱いもお手のものだが、決して近接戦闘が弱いワケではない。

 

 むしろ、その近接戦闘能力のセンスは上位の攻撃手にも見劣りしない。

 

 機動で相手を攪乱し、隙を突いて仕留めるのがいつもの香取の戦い方だ。

 

 しかし、この相手は突くべき()が見当たらない。

 

 シールドを張りながら強引に近付き、銃撃を敢行しようとも、すかさずどちらかがフォローに入っていた。

 

 シールドを張ったりグラスホッパーを置く等して、相手の攻撃を当てる隙間を作らせないのだ。

 

 香取の持つハンドガン型の銃手トリガーは、どちらかといえば中距離での牽制用のものである。

 

 北添のような火力重視のトリガーでない以上、撃ち合いには向いていない。

 

 少なくとも、このメテオラの弾幕をどうこう出来るものではなかった。

 

『葉子。今の爆撃で二人が王子隊長と鉢合わせて戦闘になった。そっちへの援護は出来ないわ』

「別にいいわよ。どうせ期待してないし。でも……」

 

 気に食わないわね、と香取は呟く。

 

 個人戦で戦った時は、七海はメテオラなど使っていなかった。

 

 彼がメテオラを使うのはこれまでの試合を見れば分かった筈だが、香取には試合のログを確認する習慣が存在しない。

 

 たとえ次戦う相手だろうが、その戦術のチェックをやった事が一度たりともないのだ。

 

 自分はやれる。一人でも勝てる。

 

 そんな高過ぎる香取の自負と、生来の面倒臭がりな性格。

 

 それが影響して、彼女から()()()()()()()というやって当たり前の事を行う選択肢を失わせていた。

 

 いや、それだけではない。

 

 香取は半ば、諦めていたのだ。

 

 勝てる相手には勝てるし、勝てない相手には勝てない。

 

 そういった()()が、今の香取の中にはあった。

 

 彼女が口にする()()()()()という言葉は、いわばその()()()()()()()()()()()()()()()()()だった。

 

 彼女自身が区分けした()()()()()()がいる場所こそが、その()の向こう側。

 

 香取は、そう定義していた。

 

 無論、口に出して言ったワケではない。

 

 だが、香取は強者の実力を測れない程馬鹿ではなかったし、口ではどう言おうが自分一人での限界も心得ていた。

 

 しかし、理解している事と納得出来るかはまた別の話である。

 

 香取は自分の力量不足を認められる程素直な性格ではなかったし、生来なんでも要領良くこなせた所為で、そもそも()()()()()()()()()()()()()が分からない。

 

 勝てる相手にはしっかり勝てる分、彼女に引き際を見誤らせていたという面もある。

 

 だから、上位に来るなり惨敗する程度の実力でB級上位に上がって来た隊など、どうとでもなると見下していた。

 

 以前に個人戦で七海を下していた事も、その驕りに拍車をかけていた。

 

 故に、その『那須隊』に良いようにされている現状は、香取としては我慢ならない状態なのである。

 

『葉子、今は避ける事に専念して。消費の大きいメテオラを撃ち続ける事は、幾らなんでも不可能な筈。爆撃が止んだ隙を狙って』

「分かってるわよ、もう」

 

 そんな香取の心情を察した染井の念押しに軽く頷き、シールドを張りながら逃げ回る香取は再度上階の二人を睨みつける。

 

 周囲は度重なる爆撃で瓦礫が散乱しており、モールの外壁にも所々穴が空いている。

 

 まるで、テロのあった現場のようだ。

 

 その無惨な破壊痕は、彼女に過去の大規模侵攻の記憶を想起させる。

 

 瓦礫に埋まった自分を助けてくれた、血塗れの親友の手。

 

 その光景は、未だに彼女の脳裏に深く深く刻まれている。

 

 自然と心が波立ち、彼女から平静を失わせていく。

 

 そして、気付く。

 

 いつの間にか周囲に降り注いでいた爆撃の雨が、止まっている。

 

 上を見れば、そこには自分を睥睨する七海の姿。

 

 その視線が、なんだか自分を見下しているような気がして、香取の沸点はあっという間に超過した。

 

「この……っ!」

 

 グラスホッパーを踏み込み、七海に向かって最短距離で跳躍。

 

 同時にハンドガンからハウンドを撃ち放ち、弾丸と共に七海に突っ込む。

 

 猪突猛進と言って良い、単調な攻め。

 

 そんなものが、今の七海に通用する筈もなかった。

 

「────メテオラ」

「はぁ……っ!?」

 

 七海は、至近距離でメテオラを使用。

 

 その事態に面食らった香取は、慌ててシールドを張りながら後退。

 

 メテオラの爆発に吹き飛ばされる形で、押し返された。

 

「────」

「く……っ!?」

 

 そして、間髪入れずに爆発の隙間を縫うような動きで七海が斬り込んで来る。

 

 スコーピオンで七海の刃を受け止めた香取だが、元よりスコーピオンの耐久性は脆弱。

 

 同じスコーピオンでも、一方的に受け太刀していればいずれ割れる。

 

 その事を知っていた香取は、舌打ちしつつ七海と距離を取ろうとする。

 

「────メテオラ」

「ちょ、嘘でしょ……っ!?」

 

 七海のメテオラ殺法の事を知らなかった香取は、至近距離でメテオラを乱発する七海の行動に唖然としながら、爆撃を回避。

 

 即座に後退しようとするが、彼女の移動経路を塞ぐように置かれたメテオラの爆発がそれを許さない。

 

 その爆発の隙間を縫って切り込んで来る七海の存在もあって、香取は完全にその場に釘付けにされていた。

 

(く……っ!? やり難いったらありゃしないわ……っ!? 一体なんなの、こいつ……っ!?)

 

 その、個人戦の時とは別物の動きを見せる七海に、香取は焦りを見せる。

 

 あの時、七海はスコーピオンとグラスホッパーしか使っておらず、その挙動は緑川のような機動戦特化のスピードアタッカーそのものであった。

 

 自分の機動力であれば、問題なく捌ける。

 

 そんな香取の認識は、此処に来て完全に覆されていた。

 

 香取の機動力は、高い。

 

 近接重視の『万能手』なだけあり、その立ち回りのキレは本物だ。

 

 事実、彼女の機動戦での能力は『ボーダー』でも一定の評価を置かれていた。

 

 機動力に限って言えば、香取は『ボーダー』内でも上位に位置するものを持っている。

 

 それだけの、地力はあった。

 

 しかし、幾ら光る原石だったとしても、磨かなければ相応の輝きは発揮出来ない。

 

 才能だけでやって来た()()()()()()()香取と、自分の才能を鍛錬で徹底的に突き詰めた、()()()()()()()()を得た七海。

 

 両者の差は、そこにあった。

 

 そもそも、今香取を苦しめている『メテオラ殺法』自体、試合のログさえ見ていれば警戒出来ていた筈だ。

 

 しかし香取は以前の個人戦と()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という人伝の情報だけで彼等の実力を判断し、碌な警戒をしていなかった。

 

 所詮、運だけで上位に上がって来た連中。

 

 そんな想いが、香取にはあった。

 

 香取はROUND2の結果により、『那須隊』と入れ替わる形で前回中位落ちを経験している。

 

 その時の相手は、『早川隊』、『諏訪隊』、そして『柿崎隊』。

 

 『早川隊』は他に中位に上がるような部隊がない為にギリギリで下位落ちを避けられている隊に過ぎず、『諏訪隊』と『柿崎隊』は『那須隊』に完全試合(コールドゲーム)を喰らっている。

 

 大した事はない、と香取は楽観しながら試合に臨んだ。

 

 事実、香取は『早川隊』の三人を瞬殺し、一気に三得点を挙げた。

 

 だが、その後笹森を追っていた最中にバッグワームを着た『諏訪隊』の諏訪と堤、『柿崎隊』の柿崎と照屋の挟撃を受けた。

 

 そして意識を散らされた所を、背後から奇襲した虎太郎によって香取は落とされた。

 

 その際に虎太郎も相打ちの形で落としているが、エースの香取を失った『香取隊』は瞬く間に瓦解。

 

 そのまま『諏訪隊』の銃撃に晒され、若村と三浦は敗退。

 

 結果としては四得点を獲得し上位に復帰出来たものの、快勝とは言い難い。

 

 香取がこの試合でMAP設定を凝ってまで七海に拘ったのは、前回の試合の鬱憤晴らしが目的だった。

 

 だが、蓋を開けてみれば何一つ香取の思うようには進まない。

 

 彼女の苛立ちは、頂点に達しようとしていた。

 

 

 

 

「おっとぉ、此処で香取が七海のメテオラ殺法に捕まった……っ!  これは苦しいでえ……っ!」

「これはいっそ見事だな。碌に対策してなかったのが見え見えだ」

 

 真織の実況に対し、太刀川は冷めた声で告げる。

 

 その声には、幾分かの呆れが含まれていた。

 

「七海の立ち回りをきちんと見た事があるなら、ああまで不用意には突っ込まない筈だ。七海相手に不用意に接近すりゃ、メテオラの檻に捕まるからな。あそこは、仲間と合流するまで中距離での牽制に徹するべき場面だろ」

「そうですね。七海隊員のあの戦法は、一度捕まると抜け出す事は中々難しい。幾ら香取隊長の運動センスがあっても、厳しい筈です」

 

 ですが、と迅は続ける。

 

「『香取隊』は、彼女だけではありません。まだ、チャンスは残っていますよ」

 

 

 

 

『葉子。七海くんの動きを一瞬止めるからその隙に離脱して』

「え……っ!? 一体、何を……っ!?」

 

 着実に七海に追い詰められていた香取は、染井からの通信を聞き疑問符を浮かべる。

 

 しかし、他の誰の言う事も聞かない香取であっても、染井の言葉であれば聞く耳を持つ。

 

 香取は条件反射で染井の言葉を受け入れ、その時を待った。

 

「────『誘導炸裂弾(サラマンダー)』」

「……っ!」

 

 ────そして、その()が来た。

 

 下の階から吹き抜け越しに放たれた、無数の『合成弾』のトリオンキューブ。

 

 『誘導弾(ハウンド)』と『炸裂弾(メテオラ)』、その二つの特性を併せ持つ弾丸が、七海に向かって降り注ぐ。

 

 流石の七海も、避ける()()がなければどうしようもない。

 

 迷わず撤退を選択し、グラスホッパーを用いてその場から離脱。

 

 香取はその隙を突いて、下の階へと撤退した。

 

「良かった。間に合ったよ」

 

 下の階には、香取の姿を見て安堵の息を吐く三浦と、その隣で仏頂面になっている若村がいた。

 

 てっきり此処には来れないだろうと思っていた二人の姿に、香取は疑問符を浮かべる。

 

「…………雄太、アンタ等王子と戦り合ってたんじゃなかったワケ?」

「交戦を中止して此処までやって来たんだよ。華さんの助言でな」

「ふぅん、そう」

 

 何故、とは聞かない。

 

 香取にとって染井を信じるのは当然の事であり、彼女の言葉を疑った事などない。

 

 それは幼い頃から変わらない香取の習性であり、今後もそれで良いと思っている。

 

 染井が言うのであれば、きっとそれは正しい事なのだろう。

 

 そんな想いから、香取は即座に思考を切り替えた。

 

 即ち、此処からどうやって七海の相手をするのかという事に。

 

 先程の『サラマンダー』の発射地点に目を向ければ、そこには自分達と同じように隊全員が揃っている『王子隊』の姿がある。

 

『葉子、『王子隊』と一緒に七海くんを集中攻撃するわ。きっと、向こうもそのつもりよ』

「『王子隊』と……? あいつ等が、それに乗って来るって事?」

 

 香取の言葉を、染井は即座に肯定する。

 

『乗って来るわ。そうするしかないもの』

「そう。分かった」

『ただ、中距離での撃ち合いに徹して。近付けば、またさっきみたいな事になるから』

 

 分かってるわよ、と溜め息を吐きながら香取は七海を見上げ、ふと気付く。

 

 先程、七海と共にメテオラの雨を降らせてきた那須の姿が、何処にもない。

 

 七海との交戦中は頭に血が上っていて気付かなかったが、いつの間にか姿を晦ましている。

 

(…………まあ、どうせ安全な場所まで逃げたんでしょ。前回の試合で大ポカしたらしいし、気にする事はないわね)

 

 香取はそう考え、思考を放棄した。

 

 違和感に気付いても、その原因を追究しない。

 

 彼女の悪癖は、こと此処に至っても健在だった。

 

 だから、その事を深く考えはしない。

 

 若村と三浦の二人に至っては、その違和感に気付きもしない。

 

 そもそも二人は、香取からこれまでの詳しい経緯を聞いていない。

 

 故に、気付きようがない。

 

 『香取隊』は、これまでと同じ。

 

 失敗を活かす事なく、眼の前だけを見過ぎている。

 

 そう、『香取隊』()、現状の正しい理解には及んでいなかった。

 

 

 

 

(利用させて貰うよ。カトリーヌ、ミューラー、ジャクソン)

 

 だが、彼は違う。

 

 彼は、王子は、正確に現状を把握している。

 

 故に、笑う。

 

 最後に勝つのは、自分達であると。

 

 『王子隊』の策が、動く。



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王子隊①

「七海に追い詰められた香取が、今度は王子隊の横槍で離脱……っ! 今度は最上階に、『香取隊』と『王子隊』が全員集合や……っ!」

「『王子隊』に救われた形になったな」

 

 戦況を解説する真織に、太刀川がそう告げる。

 

 その眼は油断なく細められ、戦況を俯瞰していた。

 

「『王子隊』はどうやら、『香取隊』を利用して七海を追い詰めるハラだな。その為には、此処で香取に脱落されるワケにはいかなかったからか」

「七海を仕留める為に、敢えて香取ちゃんを生かしたっちゅー事か?」

「そうなりますね」

 

 太刀川の意見を、迅がそう言って肯定する。

 

 真織の視線が迅へと向けられ、説明の続きを促した。

 

「『香取隊』も『王子隊』も、自分の隊だけでは集団戦で動く七海を仕留めるのは難しいですからね。香取隊長だけで七海を倒せるならまだしも、それもまた厳しい」

「ふむ、香取ちゃんはチームワークこそあれやけど個人の戦闘能力は高いで? それでもかいな」

「単純に、相性が悪いしな」

 

 真織の疑問に、太刀川がそう答える。

 

「香取の基本戦法は、高い機動力で攪乱して相手の隙を突く形だ。あいつの動きを眼で追えない相手なら、単独でも容易に落とせる。それが、香取の強みだな」

 

 だが、と太刀川は続ける。

 

「七海は、回避能力がずば抜けて高い上に、機動力も香取と同じかそれ以上だ。『グラスホッパー』も香取と違って二つ装備している分、瞬間的な加速力は七海の方が上だし、機動の自由度も段違いだ」

「加えて、七海は()()()()()()ですからね。更に『メテオラ殺法』という強力な勝ち筋(手札)もある以上、香取隊長の不利は否めません」

「ま、単純に練度の問題もあるけどな」

 

 敢えて言うが、と太刀川は前置きして話し始めた。

 

()()()()()()()()()()()()ってのは前から俺が言ってる事だが、それでも基本的な戦う上での()()()があるとないとでは大分違う。香取には、それが全く足りていない」

「ふむ、それは香取ちゃんにやる気が感じられないゆー事か?」

「有り体に言えば、そうなるな」

 

 ふぅ、と太刀川は溜め息を吐き、続ける。

 

「香取は、素質(センス)自体は悪くない。機動力は高いし、相手の懐に飛び込む胆力もある。戦闘員としての適性は、これ以上なく高いだろうな」

 

 けど、と太刀川は目を細めた。

 

「あいつには、格上を喰ってやろうっていう気概が足りない。現時点で勝てないと思える相手だろうが、その時点で背を向けたら成長も何もない。つくづく、惜しい奴だよ」

「太刀川さん、それくらいで」

「ん? ああ」

 

 更に香取の批評を口にしようとした太刀川に対し、迅がやんわりと話題転換を促した。

 

 香取に色々と問題があるのは確かだが、あまり一人の隊員を公衆の場であまりこき下ろすワケにもいかない。

 

 ある程度は荒療治だと見逃していたものの、今の太刀川には若干の私情が見えていた。

 

 太刀川は勤勉に自分を鍛え抜く七海の姿を間近で見ていた為に、自分を鍛える事を碌にしない香取に対し思う所が結構あったのだろう。

 

 それが、今までの刺々しい態度に繋がっていたワケである。

 

 どうやら、太刀川は迅が思っていた以上に弟子に入れ込んでいるらしかった。

 

 自身のライバルの意外な一面に、迅は内心でくすりと笑みを漏らした。

 

「これからは、『王子隊』の動きに注目していかなければならないでしょうね。きっとこれから、動きがある筈です」

「そうやなー。共闘に見せかけて後ろからブスリ、とか王子はしれっとやるかんなーあいつは」

 

 ホンマ、油断ならん奴やでー、と真織は王子の評価を口にする。

 

 そんな評価を迅や太刀川は否定せず、画面を見据えた。

 

「『王子隊』の分析力と戦術立案能力は、B級の中でもかなり高い。その策略がどう盤面を動かすか、見物ですよ」

 

 

 

 

「日浦さんを最初に追うのは分かりましたが、肝心の七海先輩に関してはどう対処するんですかっ!? 彼がいる限り、『那須隊』を崩すのは容易ではないと見ましたがっ!」

 

 それは、『王子隊』の試合前のミーティングでの出来事。

 

 隊長の王子の()()()()()()()()という作戦方針を聞いた後、樫尾が口にした疑問だった。

 

 王子の説明では、()()()()()()()()()()()()は分かったものの、()()()でどうするか、もしくは()()()()()()()()()()()()にどうするかの説明が抜けている。

 

 樫尾が疑問に思うのも、当然の話だった。

 

「良い質問だね。まず、前言を撤回するようで悪いけれど、ヒューラーを最初に落とすのは()()()()()()()()くらいに考えて欲しいんだ」

「それは、日浦さんを本気では狙わない、という事ですかっ!?」

「少し、違うかな。ヒューラーを狙うのは確かだけど、場合によっては作戦の切り替えも有り得るって事さ」

 

 まず、と王子は続ける。

 

「シンドバットがカトリーヌを釣り出すのはほぼ間違いないと思うけれど、釣り出した先にいるのがヒューラーとは限らない。むしろ、ナースの可能性も高いと僕は見ているよ」

「日浦さんとではなく、那須さんとの連携を狙うという事ですか」

「その通り。実際に二人が組んだ時の厄介さは、これまでの試合ログでも分かる。あの二人が組むと、状況によってはそのまま完封されかねない怖さがある」

 

 けど、と王子は笑う。

 

「前回のROUND3の試合では、二人が組んでいたにも関わらず二宮さん相手には防戦一方でひたすら逃げに徹していた。これは何故だと思う?」

「それは……」

「二宮の弾幕の密度が濃過ぎるから、だろうな」

 

 言葉に詰まった樫尾に変わり、蔵内がその答えを告げる。

 

 そうだね、と王子は蔵内の言葉を肯定する。

 

「シンドバットのサイドエフェクトは、カゲさんのそれに良く似ている。いつ何処から攻撃が来るのか分かるというアドバンテージは、乱戦に置いてはこの上なく有利に働く代物だ」

 

 だけど、と王子は告げる。

 

「そもそも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事なのさ。二宮さんクラスの弾幕相手となると、シンドバットは手も足も出ない。僕はそう解釈している」

「だが、流石に二宮クラスの弾幕を張る事は出来ないぞ」

「確かに、一人ではそうだろう。けれど、複数人でなら疑似的な()()は出来る筈だ」

 

 そう言うと王子は人差し指を立てて、説明の纏めにかかる。

 

「幸いと言うべきか、僕達三人は全員が『ハウンド』を装備している。そして、カトリーヌを釣り出す以上、必然的にその場にはジャクソンとミューラーも寄って来る筈だ。前線は、彼等に張って貰おう」

「『香取隊』と連動して、七海を弾幕で追い詰めるという事か」

「有り体に言えば、そうだね。流石の彼も、射程持ち全員から狙われれば防戦一方にならざるを得ない筈だ」

 

 それからもう一つ、と、王子は続ける。

 

「シンドバットとナースが合流した場合、ナースを集中攻撃する。そうすれば、彼は必ずナースを庇う」

「確かに、ROUND3でも那須を庇った結果東さんに撃たれていたな」

「そう。彼のアキレス腱こそが、ナースの存在なんだ」

 

 王子の言う通り、前回のランク戦で七海は那須を庇った結果狙撃に自ら身を晒し、敗戦の原因を作っている。

 

 那須を狙われれば七海がそれを庇う、というのは、あの映像を見れば誰でも分かる事だった。

 

「『鈴鳴第一』と同じで、隊長を狙えば隊のエースがそれを庇う。これを利用しない手はないね。当然彼もそれは分かっているだろうから、逃げ場の少ない閉所でナースと共に行動し続ける事は避ける筈だ」

 

 けれど、と王子は告げる。

 

「ナースもまた、シンドバットが危なくなれば出て来ざるを得ない。シンドバットを追い詰めれば、自然と彼女も釣り出せる。そうなればヒューラーが動いて来る可能性もあるだろうから、その場合は彼女を狙う」

 

 そこまで言うと王子はにこりと笑い、ポン、と手を叩いた。

 

「厄介な相手だが、勝てない相手じゃない。此処は、僕等なりの戦い方を見せてあげようじゃないか」

 

 

 

 

「「────ハウンド」」

 

 『王子隊』の二人、王子と樫尾が射撃トリガー、ハウンドを撃ち放つ。

 

 狙いは無論、上階に立つ七海一人。

 

 無数の誘導弾が、七海に向けて射出。

 

「喰らえ……っ!」

「この……っ!」

 

 更に、『香取隊』の若村と香取も射撃で弾幕を張る。

 

 使用するのは、こちらも『誘導弾(ハウンド)』。

 

 四人分の弾幕が、一斉に七海に襲い掛かる。

 

「────」

 

 七海はその弾幕を見て、即座にグラスホッパーを使用。

 

 連続機動により、縦横無尽に上階を駆け回る。

 

「────サラマンダー」

 

 だがそこに、第二波が訪れる。

 

 蔵内が生成した合成弾、『誘導炸裂弾(サラマンダー)』による爆撃が敢行。

 

 上階は、無数の爆風に呑み込まれた。

 

「……っ!」

 

 七海はそれを、シールドを張りながら離脱。

 

 爆発から、間一髪で脱出する。

 

 先程の攻勢から一転、今度は七海が追い詰められる側に変わって行った。

 

 

 

 

「『王子隊』、『香取隊』と連動して弾幕を張る……っ! 周囲を埋め尽くす弾幕の雨に、手も足も出ないか……っ!?」

「こりゃ、王子は前回の試合を相当研究して来てるな」

 

 その映像を見て、太刀川はほう、と感嘆の息を漏らす。

 

「前回の試合、七海は二宮相手に逃げ回るしかなかった。幾ら七海でも、あの弾幕の密度相手じゃどうしようもないからな。で、王子はそれを再現しようと思い立ったワケだ」

 

 『香取隊』を巻き込む事でな、と太刀川は補足する。

 

「七海は『香取隊』にとっても、頼みのエースの香取が単体では落とし難い厄介な相手だ。利害を一致させて共闘する事は、そう難しい事じゃない」

「『香取隊』も、それを分かって『王子隊』の行動を許した面があるでしょうからね」

「そういう事だ。香取の発案とは思えないから、多分オペレーターあたりが献策したんだろう」

 

 確かに太刀川の言う通り、若村達に王子を見逃して共闘の形に持って行くよう指示を出したのは、オペレーターの染井である。

 

 染井は『王子隊』の作戦に乗るリスクと七海を放置する危険性を天秤に乗せた結果、後者がより重いと判断したのだろう。

 

 香取が七海を強烈に意識している以上、七海を放置しろと言われて彼女が頷く筈がない。

 

 ならば七海に狙いを定め、『王子隊』の思惑に乗ってでも倒す方向性に持って行った方がまだマシ。

 

 オペレーター(香取の幼馴染)は、そういう判断を下したのだろう。

 

 出来る範囲で、香取の暴走をコントロールする。

 

 それが『香取隊』に置ける染井の暗黙の了解的な役割であり、これまで『香取隊』が上位に残留出来ていた要因でもある。

 

 恐らく、染井が要所でフォローしなければ『香取隊』はもっと早くに中位落ちしていた筈だ。

 

 染井の存在が、隊の地位を何とか保たせている。

 

 色々な意味で、瀬戸際のチームであった。

 

「ともあれ、今の所『王子隊』の作戦は上手く決まっているように見える。七海も回避に徹しているし、あれじゃあ反撃する暇はない筈だ」

 

 だが、と太刀川は告げる。

 

「今の七海は、『那須隊』は、前回までとは違う。どうやらその事は、分かっていないらしいな」

 

 

 

 

(…………いい加減、ナースが出て来ても良さそうな頃合いだけど…………まさか、()()()()のか?)

 

 ハウンドの弾幕を張りながら、王子は注意深く周囲を見回す。

 

 王子の見解では、そろそろ那須が痺れを切らせて戦場に介入して来る筈だった。

 

 だが、一向に彼女が現れる気配はない。

 

 もしや自分の作戦が読まれて、那須を離れた場所に退避させたか、と王子は考えた。

 

(いや、どの道此処で介入しなければシンドバットが落ちる。その展開は、何が何でも避けたい筈。攻撃の要の彼がいなくなるのは、彼女達にとって致命的な筈だ)

 

 だが、「それはない」と考えを改めた。

 

 此処で介入しなければ高確率で七海が落ちる以上、何もしないで座している筈がない。

 

 香取は目の前の七海を落とす事に集中している所為かそこまで頭が回っている様子はないが、この局面で介入しない筈がないのだ。

 

 故に、王子は待っていた。

 

 那須が、射撃で戦場に介入するその時を。

 

「……っ! あれは……っ!」

 

 そして、気付く。

 

 上階の、瓦礫の向こう。

 

 そこから、無数のトリオンキューブが射出されこちらに向かって来た事に。

 

 あの弾道からして、メテオラでは有り得ない。

 

(『変化弾(バイパー)』……ッ! ナースが来たか……っ!)

 

 その弾丸をバイパーと断定した王子は、仲間二人に目配せして駆け出した。

 

 狙うは、瓦礫の向こうに潜む那須。

 

 彼女を狙う事で、七海を釣り出す。

 

 前回の焼き直しのようなやり方で、七海を仕留める。

 

 分かっていても、防げない一手。

 

 王子は、自分の取った策をそう評していた。

 

 一概には、間違っていない。

 

 確かに、前回の試合で七海はその戦術に敗北を喫したのだから。

 

 けれど。

 

 けれど。

 

 それはあくまで、()()()()()の話だ。

 

 今、七海は敗戦を機に一つの谷間を超え、先へ進んでいる。

 

 故に。

 

 故に。

 

「な……っ!?」

 

 ────同じ方法で勝てる程、甘くはなかったのだ。

 

 瓦礫の先、その向こう。

 

 そこにいたのは那須────────ではない。

 

 白い、身体にフィットした隊服は確かに『那須隊』のもの。

 

 しかし、()()は那須ではない。

 

「────引っかかったわね」

「ベアトリス……ッ!?」

 

 そこにいたのは、熊谷友子。

 

 『弧月』をその手に携えた、『那須隊』の攻撃手(アタッカー)である。

 

 つまり、今放たれた弾丸は『変化弾(バイパー)』ではなく、『誘導弾(ハウンド)』。

 

 この熊谷が撃った、『ハウンド』だったのだ。

 

 前回までのログでは、『那須隊』はハウンドを使う者は誰一人としていなかった。

 

 だから、誤認した。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という当たり前の事を、先入観で気付けなかった。

 

 そして、致命的な隙を、晒した。

 

「が……っ!?」

「王子……っ!?」

「王子先輩……っ!?」

 

 王子の背中に、無数の弾丸が着弾する。

 

 振り返れば、そこには瓦礫の影に立つ那須の姿。

 

 そこで、気付く。

 

 釣り出されたのは、誘い出されたのは、自分だった。

 

 『香取隊』を利用して『那須隊』を罠に嵌めるつもりが、罠にかかったのは自分の方。

 

 『那須隊』が本当に狙っていたのは、香取ではなく王子の方だったのだ。

 

「く…………やられたね」

『戦闘体活動限界。『緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 悔し気な王子の台詞と共に、機械音声が彼の敗北を告げる。

 

 光の柱となって戦場から脱落する、王子の姿。

 

 B級ランク戦、ROUND4。

 

 その最初の脱落者は、彼となった。



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王子隊②

「王子、此処で『緊急脱出(ベイルアウト)』……ッ! ROUND4最初の脱落者は、まさかまさかの王子隊長や……っ!」

「今のは、上手かったな」

 

 今試合初の脱落者が出た事で、観戦席は大いに盛り上がっている。

 

 それが変人にして切れ者として名高い王子とあれば、尚の事だ。

 

 太刀川の言葉に、真織がすかさず反応する。

 

「上手かった、っちゅー事は今の王子を仕留めるまでの流れが、『那須隊』の計算づくだったっちゅー話かいな?」

「そうだ。七海は王子の性格を利用して、罠を張っていたのさ」

 

 まず、と太刀川は前置きして口を開く。

 

「王子は、相手の研究に余念がない勤勉な性格だ。これまでの『那須隊』のログも、飽きるくらいに見ている筈だ。そして、『那須隊』の決定的な弱点に気が付いた」

「ふむ、それはなんや?」

「那須が狙われれば、七海が必ずそれを庇う、という点だ」

 

 太刀川の言う通り、前回の試合では七海が那須を庇って狙撃された事が、敗戦へと繋がった。

 

 あの過剰なまでの那須を守る事への拘りが、王子には()()()()()に見えた筈だ。

 

「七海相手に、攻撃を当てる事は難しい。けど、那須を狙えば七海は自分から攻撃に身を晒してくれる。王子なら、こんな弱みを放置する筈がない」

「そうやなー。弱い所を全力で突いて、獲れる点を取って行く。それが、『王子隊』のいつものやり方やからなー」

 

 爽やかな顔してやる事えぐいんやでー、と真織は笑う。

 

 笑う、が、そんな王子を見事に嵌めてのけた『那須隊』の手腕には、瞠目せざるを得ない。

 

 笑顔の傍ら、冷や汗を流す真織だった。

 

()()()、七海はそこに罠を張った。くまに瓦礫の影から『誘導弾(ハウンド)』を撃たせる事でな」

「あれは驚いたなー、ウチも。前回まで、装備してなかったやろあれ」

「前回は、『炸裂弾(メテオラ)』を使用していましたからね」

 

 迅はそう言い、捕捉説明を行った。

 

「熊谷隊員のトリオン評価値は『5』。極端に低いワケではありませんが、そう余裕のある数値ではありません。弾トリガーをセット出来るとしたら、一つが限度でしょうからね」

「ちゅー事は、今回でメテオラからハウンドに切り替えたっちゅー事かいな」

「ああ、そうだ」

 

 何せ、うちの出水が教えたからな、と太刀川は告げる。

 

 思わぬ情報に、真織は目を丸くした。

 

「つまりあれか、くまちゃんのハウンドはあれ、覚えたてだったっちゅーんか?」

「そうだぞ? けど、出水曰く筋は悪くなかったらしい。元々、メテオラに関してもある程度形に出来ていたしな」

 

 それに、と太刀川は続ける。

 

「出水曰く、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()トリガーなんだそうだ。くまは弾トリガーの基本に関してはもう出来てたから、後はハウンドの基本的な取り扱いを教えればそれで習得したらしいぞ」

「そうですね。攻撃手が持つ弾トリガーの選択としては、割とベターなものと言えます」

 

 たとえば、と迅は続ける。

 

「今試合している『王子隊』等が、それは顕著です。彼等は全員がハウンドを装備して、中距離戦に対応しています。それだけ、ハウンドは攻撃手にとっても()()()()トリガーなんです」

「一旦誘導対象を設定すれば、後は自動で飛んでいくらしいからな。弾トリガーの中では、一番扱いが簡単なんだそうだ」

 

 シンプルイズベストってやつだな。と太刀川は告げる。

 

 彼がその言葉の意味を理解しているかどうかはともかく、言っている事は的を射ている。

 

 いちいち弾道を設定しなければならない他の弾トリガーと違い、ハウンドは標的さえ決めてしまえば後は発射するだけで良い。

 

 つまり、近距離・中距離で攻撃手が使う牽制手段としては、これ以上なく適しているのだ。

 

 『変化弾(バイパー)』と比べれば自由度は劣るものの、汎用性では圧倒的に上。

 

 ある程度向き不向きを択ばず活用出来る、汎用性の塊。

 

 それが、ハウンドの持つ強みなのだ。

 

 取扱い方も他の弾トリガーと比べれば習得に手間がかからず、()()()()()()()()()()()()()()()()トリガーとも言える。

 

 もっとも、装備している分のトリオンは当然食うので、本当に誰でも装備出来るワケではないのだが。

 

 ともあれ、攻撃手である熊谷が使用する弾トリガーとしては、メテオラよりも余程適していると言える。

 

 メテオラは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という使い道をきちんと考えなければ使い難いと言っても過言ではないトリガーであり、事実熊谷は前回の試合でその強みを使い切れていなかった。

 

 だからこそ、今回の試合までにハウンドを習得し、早速作戦に活かしたのだろう。

 

 ハウンドの持つ曲射弾道によって、()()()()()()()()()()()()()()()させる為に。

 

「前回の試合まで、『那須隊』でハウンドを使う奴は誰もいなかった。狙撃手の日浦は勿論、七海も熊谷もメテオラしか使っていない。だから、曲がる弾道を描いた時点で王子はそれを那須のバイパーだと()()したのさ」

「だから、部隊全員でその()()()に急行したワケか。けど……」

「そう、そこにいたのは那須ではなく────ハウンドを使った、熊谷だった」

 

 つまりだな、と太刀川は続ける。

 

「王子はそこに那須がいると確信し、距離を詰めて『弧月』で切り込む予定だったんだろう。けど、実際にそこにいたのは熊谷だった。自分の想定と異なる展開を直視した事で、王子の頭は一瞬真っ白になっただろうな」

「その思考の空白の隙を、近くにバッグワームを使って隠れていた那須隊長が突いたワケです。『那須隊』の狙いは、最初から彼だったようですからね」

 

 二人の解説に、真織が感心したように頷く。

 

「ほー、『那須隊』は香取ちゃん狙いかと思いきや、本命は王子だったっちゅーことか」

「そういう事ですね。『那須隊』は、何が何でも最初に王子隊長を落としておきたかったのでしょう。だからこそ、那須隊長は狙いを彼一人に絞って射撃を敢行した。ギリギリまで、バッグワームを着て自分の位置を隠す為にね」

 

 そう、那須はあの時、『王子隊』三人の誰でも狙える位置にいた。

 

 だが、実際に那須が仕留めたのは王子一人。

 

 他の二人には、一発たりとも弾を放っていないのだ。

 

「万が一、王子隊長が不意打ちに気付いても確実に仕留める為の一手でしょう。那須隊長はバイパーを地面スレスレで瓦礫を隠れ蓑にしながら進ませ、その全弾を王子隊長に叩き込んだ。見事な手腕でしたね」

「毎回リアルタイムで弾道を引ける那須の強みを、そのまま活かした形だな」

「ええ、バイパーは威力は低いですが、その応用性がずば抜けて高い。那須隊長の持つこの武器は、中々真似出来るものではありません」

 

 那須のリアルタイム弾道制御という武器は、彼女の他にはA級一位部隊の出水しか持ち得ない代物だ。

 

 彼女の名が『ボーダー』内で知られているのは勿論その美貌もあるが、この武器の影響も大きい。

 

 バイパーと言えば那須、と言える程に彼女の武器は誰にとっても印象的且つ強力な代物だったのだ。

 

「けど、なんで『那須隊』はそこまでして王子を落としたかったんかいな? そこまで、王子が厄介だと思っとったって事か?」

「結果的に言えばそうなりますね。『王子隊』を放置すれば、『香取隊』共々集中攻撃を受け続ける。マークされる事が分かっていた以上、彼を放置するという選択は有り得なかった、という事です」

 

 そう、『那須隊』にとって、今回の試合で最大の脅威に映っていた人物こそが王子であった。

 

 近接戦闘能力が高く、中距離や奇襲も難なくこなし、何より頭の回転が速く判断力にも優れている。

 

 彼がいる限り、何処まで行っても不意の一撃を喰らう可能性を排除出来ない。

 

 だからこそ、彼を最優先で狙い撃った。

 

 彼が必ず狙うであろう、那須の存在を囮とする事で。

 

 そして結果的に王子は『那須隊』の策に嵌り、真っ先に落とされた。

 

 此処までは、理想的な展開と言える。

 

「隊長である王子が落ちた事で、『王子隊』の脅威度が激減する事は避けられん。戦場でリアルタイムに判断を下す指揮官が現場にいるといないのとでは、天と地程差があるからな」

「そうですね。彼の機転は、戦場にあってこそ活かされるもの。オペレーターを通じて支援する事は可能ですが、リアルタイムでの体感情報があるのとないのでは大分違いますからね」

「そういえば、王子はなんだかんだ生き残る事を念頭に置いて動いとった気がするなあ。あれはそういう意味があったっちゅー事か」

 

 王子が落とされた影響は、三人の言う通り単純な戦力減に留まらない。

 

 戦場に実際に立ち、指示を下す指揮官と、拠点から一方的に指令を送る指揮官。

 

 どちらがより機能的且つ効率的に部下を動かせるかと言われれば、前者だ。

 

 後者は俯瞰的な視点を持てるというメリットがあるが、ランク戦の場合その視点はオペレーターだけで概ね事足りている。

 

 つまり隊長の仕事は指示を下すだけではなく、()()()()()でもあるのだ。

 

 単純な戦闘員と指揮官とでは、戦場に置ける重要度は大分違う。

 

 そういう意味でも、王子の離脱は『王子隊』にとって致命的と言えた。

 

「此処から『王子隊』が巻き返せるかどうかは、残る二人の働きにかかっています。王子隊長が外側から何が出来るかによって、大分変わって来るでしょうね」

 

 

 

 

「……っ! 全く、してやられたね」

 

 『王子隊』作戦室の『緊急脱出』用ベッドに投げ出された王子は、身体を大の字にしたまま溜め息を吐く。

 

 自分から見ても、良い作戦だった筈だ。

 

 相手の弱みを突き、獲れる点を確実に取る。

 

 それが、『王子隊』の、自分のスタンスだ。

 

 けれど今回は、それを逆用された。

 

 自分の思考を読み切られ、まんまと釣り出された。

 

 その結果、まさかの第一脱落者となってしまった。

 

 王子は、自分の価値を間違わない。

 

 隊長が最優先で生き残る事こそが最善の結果に繋がると判断し、なるだけ落ちる危険が及ばないように立ち回って来たつもりだ。

 

 無論、場合によっては無理を通す事もあるが、基本的には生き残りを優先して立ち回っていた事に変わりはない。

 

 だからこそ、現状の不利を正確に把握していた。

 

 こんな所で、寝ている場合ではない事にも。

 

「さて、無様に落ちてしまったけれど、隊長としての務めはまだ果たせる。何処まで出来るかは分からないけど、やれる事はやらなくちゃね」

 

 王子はそう呟くとベッドから起き上がり、オペレーターの羽矢の待つ部屋へ移動する。

 

 羽矢は王子に軽く「お疲れ様」、と告げると隣に座るよう促し、王子は躊躇いなく席に着く。

 

「此処から僕が指示を出す。協力お願いするよ、羽矢さん」

「ええ、勿論よ」

 

 そして、王子は戦場に残る仲間に声を届けるべく通信を繋いだ。

 

 

 

 

『カシオ、クラウチ、謝罪は後だ。今は時間が惜しい。これからの作戦を伝える』

「ああ」

「はいっ!」

 

 王子が脱落した事に動揺していた樫尾と蔵内だが、王子の声が届くや否やその眼に闘志が戻り、油断なく周囲を警戒している。

 

 樫尾は正面の熊谷を、蔵内は背後の那須に背中合わせで対峙しながら、王子の指示を待った。

 

『まずはベアトリスを狙って、ナースを釣り出すんだ。ベアトリスもどうやら『ハウンド』を使うみたいだけど、練度ではこちらに分がある。あまり時間をかけるワケには行かないが、焦らず攻め立てるんだ』

「だが、それを素直に那須が許すとは思えないが……?」

『それはそれで好都合だ。ナースが出て来たら、即座にそっちに狙いを切り替える。カシオのグラスホッパーを使えば、ベアトリスも追っては来れないだろうからね』

 

 確かに王子の言う通り、熊谷はそこまで機動力に優れているワケではない。

 

 グラスホッパーを使えば、振り切る事は出来るだろう。

 

『『香取隊』がシンドバットを引き付けている間にナースを追い込めれば、必ずシンドバットは動く筈だ。僕達はこれまで通り、その隙を突いて得点する。基本方針は変わらない。多少の無理を強いるかもしれないが、僕達が此処から勝つにはそれしかない』

 

 それから、と王子は続けた。

 

『ナースが落とせないと判断したら、ベアトリスだけでも落とすんだ。誰を獲っても一点なのは変わらないし、その場合は『香取隊』の面々も狙わせて貰おう』

 

 通信越しに王子はにやりと笑い、告げる。

 

『最終的に全員が落とされようが、より多くの得点を得られれば僕達の勝ちだ。多少厳しい戦いになるかもしれないが、『香取隊』を上手く使えば不可能ではない筈だ』

「了解」

「分かりましたっ!」

 

 二人の返答を聞き、王子は満足気に首肯した。

 

『頼りにしているよ、二人共。まだ、勝ちの目はある。焦らず貪欲に、点を獲っていこう。更に強くなって挑んで来た彼等に、僕等の戦い方を一つ、見せてあげようじゃないか』

 

 戦場から脱落した王子は、笑う。

 

 まだ、勝負は決まっていないと。

 

 『王子隊』の牙は、まだ折れていないのだと。

 

 端正な顔に熱い闘志を漲らせ、王子は獰猛な笑みを浮かべる。

 

 それは正しく、獲物を狙う肉食獣(ハイエナ)の目付きであった。



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王子隊③

「ハァ……ッ!」

 

 樫尾はその背にハウンドのトリオンキューブを従え、熊谷に斬りかかる。

 

 駆け出すと同時にハウンドが射出され、無数の弾丸が熊谷を襲う。

 

「く……っ!」

 

 熊谷はその場でシールドを広げ、展開。

 

 広範囲に広げたシールドにより、ハウンドの弾を防ぎ切る。

 

 だが、防がれる事など百も承知。

 

 樫尾の狙いは、最初から熊谷をその場に釘付けにする事。

 

 動きの止まった熊谷に、『弧月』を以て斬りかかる。

 

「ハウンド……ッ!」

 

 しかし、ハウンドを装備しているのは今や『王子隊』だけではない。

 

 熊谷もまたハウンドを射出し、斬りかかる樫尾を迎撃する。

 

「……っ!」

 

 樫尾もまた、シールドでハウンドを防御。

 

 その場で構えていた熊谷と違い、駆け出している最中だった為か数発掠ってしまったが、彼の行動を制限するには至らない。

 

 樫尾はそのまま、弧月を上段に振り下ろす。

 

「ふっ……!」

「く……っ!」

 

 しかし、熊谷は受け太刀の名手。

 

 樫尾の斬撃を難なく弧月で受け止め、そのまま押し返す。

 

 結果、樫尾は熊谷の動きを止める事すら出来る、押し戻される。

 

「樫尾、()だ……っ!」

「……っ!」

 

 樫尾は蔵内の叫びを聞き、気付く。

 

 自分の立っている、瓦礫の隙間。

 

 その奥に、鈍い無数の光が高速で移動している事に。

 

 光の弾、バイパーは瓦礫の隙間から跳ね上がるような軌道で、樫尾を四方から狙い撃つ。

 

『カシオ、上に逃げるんだ』

「はいっ!」

 

 王子の通信を受け、樫尾はその場でシールドを張りながら、グラスホッパーを起動。

 

 大きく跳躍し、那須の放ったバイパーの檻────『鳥籠』が完成する前に離脱する。

 

「────」

「……っ!」

 

 しかし、そこで待ち構える者がいた。

 

 グラスホッパーを用いて跳躍した樫尾と同等の高度にトリガーの補助なしで跳び上がったのは、バイパーの主────那須玲。

 

 無数のトリオンキューブを従えた彼女は、己の空域に足を踏み込んで来た者を容赦なく狙い撃つ。

 

 縦横無尽の軌道を描く弾丸が、四方より樫尾に迫る。

 

「────ハウンド!」

「────ッ!」

 

 だが、蔵内とてそれを黙って見ているワケもない。

 

 地上からハウンドを撃ち放ち、己のチームメイトを襲う少女を蹴散らさんと進む。

 

「ハァ……ッ!」

 

 更に、樫尾もグラスホッパーを踏み込み、シールドで被弾を抑えながら那須へ突貫。

 

 弧月を構え、彼女を斬り裂かんと迫る。

 

 跳躍の中途にあった那須に、それを避ける術はない。

 

 白刃が、那須に振り下ろされた。

 

 

 

 

「ナースの弱点は、攻撃手に寄られた場合の防御の脆さだ」

 

 『王子隊』作戦室で、笑みを浮かべた王子が呟く。

 

 彼の眼は油断なくモニターを見据えており、自身のチームメイトの奮闘を視界に収めている。

 

 その様はまるで、チェスを指す指し手のようであった。

 

「中距離での彼女は無類の強さを発揮するが、一旦寄られてしまうとそれを押し返す手段に乏しい。彼女の得意とする『バイパー』はその自由度が武器だが、反面威力はそこまで高くない。ある程度の被弾を覚悟すれば、懐に潜り込む事は可能だ」

 

 王子は薄く笑みを浮かべ、告げる。

 

「事実、前期の『那須隊』が『鈴鳴第一』に負けた時は大抵鋼くんを押し返せずにナースを落とされて負けている。彼女は銃手や射手相手の制圧力はずば抜けて高いが、反面突破力の高い攻撃手相手は苦手なんだ」

 

 確かに王子の言う通り、前期の『那須隊』は『鈴鳴第一』に碌に勝てていない。

 

 その試合の殆どが、寄って来た村上を押し返せずにそのまま敗北している。

 

 一度攻撃手に寄られれば、那須は脆い。

 

 それが、前期の『那須隊』が伸び悩んだ原因でもあった。

 

 確かに那須の操るリアルタイム弾道制御を行う『バイパー』の制圧力は脅威だが、その本質はあくまで()()

 

 変幻自在の軌道で相手を崩し、その隙に的確な一撃を叩き込むのが那須の必勝パターン。

 

 逆に言えば、『バイパー』で崩せない相手に対しては、那須は対抗手段がない。

 

 王子が研究したのは、何も今期のランク戦の『那須隊』だけではない。

 

 前期の『那須隊』の戦術もまた、王子は履修済みだ。

 

 情報は、少しでも多い方が良い。

 

 そんな王子自身の考えを、忠実に実行した結果だった。

 

 策は打った。賽は投げられた。

 

 王子は勝利を確信し、告げる。

 

「さあおいで、シンドバット。今度もまた、その身を盾に彼女を守るんだ。僕らはそこを容赦なく、突かせて貰うけどね」

 

 

 

 

「────そうは、いきませんよ」

 

 同刻、『那須隊』作戦室。

 

 そこに座す小夜子は、画面を見据え告げる。

 

()()は、予測済みです」

 

 

 

 

「────甘いわ」

「な……っ!?」

「え……っ!?」

 

 ────その光景に、その場の誰もが瞠目した。

 

 樫尾に肉薄された那須は、()()()()()()()()()()

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、天高く跳躍した。

 

 樫尾もまたグラスホッパーを起動して追おうとするが、バイパーの牽制がそれを妨げる。

 

 那須はそのまま、先のメテオラ爆撃で空いた穴に飛び込み、屋上へと離脱した。

 

 

 

 

「那須隊長がグラスホッパーを使用して屋上に退避……っ! ただでさえ機動力がごっつ高い那須さんに、新たな()が加わったで……っ!」

「成る程、そう来るか」

 

 実況席でノリノリで話す真織に対し、太刀川は感心したように頷き呟いた。

 

「元々、那須の機動戦のセンスはずば抜けて高かった。トリガーの補助なしであそこまでの動きが出来る奴は、中々いないだろうな」

 

 だが、と太刀川は続ける。

 

「ただでさえ機動力が高かった那須に、グラスホッパーという武器が加わった。この事実は、思った以上にデカイぞ。今までの那須の弱点だった、()()()()()を消す事が出来るんだからな」

 

 確かに太刀川の言う通り、空中では身動きの取りようが無い為、跳躍中を狙われれば回避出来ない。

 

 だが、グラスホッパーを装備しているとなると話は変わって来る。

 

 空中だろうが即座に足場を形成し、加速を得られるグラスホッパーは、空中戦を行う者にとっては何よりの武器となるのだ。

 

「グラスホッパーを使いこなすにはコツがいるが、元々機動戦に長けていた那須だ。適性自体は、高かっただろう。前回使ってなかった所を見ると、これまで練習を重ねて今回で形にしたって所か」

 

 それにしては練度が高いがな、と太刀川は呟く。

 

 彼の言葉通り、グラスホッパーは使用にセンスが必要なトリガーだ。

 

 グラスホッパーを的確な場所に配置し、それを踏み込む事によって得られる加速に身体を振り回される事なく、空中機動を行わなければならない。

 

 バランス感覚に優れていなければ、途中で体勢を崩してしまう事も考えられる。

 

 事実、茜などはグラスホッパーを試した所、師匠の奈良坂をしても匙を投げる結果となってしまった。

 

 だが、那須にはこれまでに培った機動戦のノウハウがある。

 

 それを応用する事で、短期間でのグラスホッパー習得に繋げたのだろう。

 

 熊谷にせよ、那須にせよ、戦力向上に余念がない。

 

 つくづく、勤勉な部隊と言えた。

 

「さて、これで那須を捉える事はより難しくなったな。『王子隊』がどう動くか、見せて貰うとしよう」

 

 

 

 

『カシオ、クラウチ、屋上には出るな。恐らくそこには、ヒューラーが待ち構えている筈だ』

 

 通信越しに、王子の指示が届く。

 

 屋上へ出ようとしていた樫尾は、それで足を止めた。

 

『あそこまで迷いなく屋上へ出た以上、そこには明確な意図がある。こちらが追いかける事が想定済みなら、わざわざ相手の土俵に乗ってやる必要はない』

「しかし、それでは那須隊長を仕留められないのではっ!?」

『それについても問題ない。先程と同じく、ベアトリスを狙ってナースを釣り出せば良い』

 

 王子の言葉に、樫尾は瓦礫の上で油断なくこちらを見据える熊谷に視線を向ける。

 

 蔵内は那須が消えた屋上の穴に目を光らせながらも、手元にトリオンキューブを精製した。

 

『ベアトリスを狙えば、必ずナースは横槍を入れる。それを利用しない手はない。確実に、追い詰めて行こう』

 

 

 

 

「成る程、そう来ますか」

 

 モニターを見ながら、小夜子は呟く。

 

 そして、薄笑いを浮かべた。

 

「なら、()()ですね」

 

 

 

 

「「『ハウンド』!」」

 

 樫尾と蔵内が、同時に『ハウンド』を射出。

 

 眼下の熊谷目掛け、二人分のハウンドが襲い掛かる。

 

「く……っ!」

 

 流石に、二人分の弾幕となると熊谷も守りを固める他ない。

 

 シールドを固定モードで使用して、ハウンドの包囲攻撃を凌ぐ。

 

 そこへすかさず、蔵内が追加のハウンドを射出。

 

 熊谷を、その場に釘付けにした。

 

「行きます……っ!」

 

 樫尾はその隙を逃さず、旋空を起動。

 

 『旋空弧月』を用いて、熊谷の防御を崩しにかかる。

 

 七海は未だ、『香取隊』と交戦の中途。

 

 この場で介入出来るのは、那須を置いて他にはいない。

 

 二人は那須が飛び込んで来るのを今か今かと待ち受け、油断なく動く。

 

 そして、矢張り那須は動いた。

 

「な……っ!?」

 

 ────ただし、天井の穴から放たれた無数のバイパー、という形で。

 

 『バイパー』は正確無比な弾道を描き、的確に樫尾と蔵内を包囲する。

 

 威力ではなく、数を重視した両攻撃(フルアタック)バイパー。

 

 それが、鮮やかな軌道で自らのチームメイトを追い立てる相手に牙を剥く。

 

「「『シールド』!」」

 

 樫尾は囮のつもりで発動した『旋空』を解除し、蔵内の所まで後退し二人がかりで固定シールドを展開。

 

 夥しい数のバイパーを、なんとか防ぎ切った。

 

「くっ、まさか仲間の観測結果とオペレーターの解析を頼りに此処まで正確な弾道を描くとはな……っ!」

 

 蔵内は、思わず毒づく。

 

 那須が今回やったのは、チームメイトの熊谷の直接の観測結果と、小夜子が解析した建物の構造の情報を組み合わせる事による、遠隔弾道計測。

 

 解析して得られた情報をフィードバックした、予測弾道制御。

 

 那須は、目で見るのではなくオペレーターの纏めた情報を頼りに、今回の射撃を敢行したのだ。

 

 それがどれ程の高等技術かは、言うまでもない。

 

 本人が飛び込まずとも、ただ遠隔でバイパーを送り込むだけで良い。

 

 熊谷を助ける為に那須を飛び込ませる、という『王子隊』の作戦の前提は、崩れ去った。

 

 

 

 

「皆、那須先輩を舐め過ぎです。あの人は、これくらいの事は普通に出来る人なんですから」

 

 作戦室で一人、小夜子は呟く。

 

 その言葉には自分の隊長への信頼と、仄かな憧憬があった。

 

「あの人は、七海先輩が加入するまで一人で隊を率いて来ました。色々と重いし歪んでたのも事実ですけど、それでも隊を率いる重責をこなして来たのは確かなんです」

 

 小夜子は過去に想いを馳せ、呟く。

 

 七海が隊にいない時の那須は、常に何処かで無理をしていた気配があった。

 

 己が全てと言っても過言ではない七海が傍にいない事は、当時の那須にとって相当なストレスだった筈だ。

 

 しかし那須は泣き言一つ言わず、隊長としての職務を遂げ続けた。

 

 七海が加入出来ない原因であった、小夜子(じぶん)に当たる事すらなく。

 

 那須は、決して他人に責任を求めない。

 

 男性不信の小夜子が七海を最初受け入れられなかった事もまた、自分の力不足と捉えていた。

 

 そして、そんな隊長だからこそ、小夜子は付いて行くと決めたのだ。

 

「七海先輩ばっかり目立ってますけど、那須先輩だってうちの看板である事に変わりはないんです。あの人に隊長を任されるに足る力があるから、うちの名前は『那須隊』なんです。それは、今後も変わりはありません」

 

 小夜子の言葉には、深い信頼が滲んでいた。

 

 那須の歪さに気付きながらも、誰よりも那須に信を置いていたのは他ならぬ彼女なのだ。

 

 彼女となら、やっていける。

 

 そう、確信めいた何かを以て、小夜子は那須に付いて行く事に決めた。

 

 たとえ彼女が、心に闇を抱えていたとしても。

 

 たとえ彼女が、自分の恋敵であったとしても。

 

 小夜子の気持ちに、揺らぎはなかった。

 

「足りない所は、私や皆がカバーします。だから、存分にやって下さい、那須先輩」

 

 

 

 

『まだだよ。まだ、策はある』

 

 王子は通信越しに、告げる。

 

 まだ、取れる策はあるのだと。

 

 まだ、自分達は、負けていないのだと。

 

 樫尾と蔵内は傾聴し、頷く。

 

 自分の隊長の、渾身の()に。

 

 

 

 

「此処まで見事な指し手は中々いない。シンドバットか、それともオペレーターのセレナーデ(小夜子)か。いずれにせよ、賞賛に値するよ」

 

 けど、と王子は告げる。

 

 その眼には、爛々と燃え盛る闘志が宿っていた。

 

「最後に勝つのは、僕達だ。あらゆる手段を以て、勝ちに行かせて貰うよ」

 

 『那須隊』と『王子隊』の戦いは、佳境を迎えていた。

 

 嵌めるか、嵌められるか。

 

 その行方は、二人の指し手に委ねられた。



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香取隊②

 なによこれ、と香取葉子は舌打ちした。

 

 現在、『香取隊』はその全員が七海一人を相手取っている。

 

 いや、()()()()()()()いた。

 

「────メテオラ」

「く……っ!」

「うわ……っ!」

「……っ!」

 

 七海はスコーピオンで切り込みながら、メテオラを使用。

 

 無数の爆発が、香取達を取り囲むように発生する。

 

 トリオンの爆発によって、視界も移動経路も封鎖される。

 

 爆撃の最中は、身動きは碌に取れない。

 

 動いた結果、爆発に巻き込まれてしまう危険性があるからだ。

 

「────」

「チッ……!」

 

 だが、その常識は七海には通用しない。

 

 爆発の隙間、下手をすれば自分も呑まれてしまいそうな至近距離から、鮮やかな身のこなしで七海が飛び出してくる。

 

 その手には当然、鈍く光るスコーピオンが握られている。

 

 側面からの奇襲に気付いた香取は、自身のスコーピオンで迎撃。

 

 振るわれた七海の刃を、自らのスコーピオンで受け止める。

 

「この……っ!」

 

 そしてすかさず、左手のハンドガンを発射。

 

 アステロイドの弾丸が、七海に向けて放たれる。

 

「────メテオラ」

「……っ!」

 

 だが、七海は瞬時に地を蹴り跳躍し、それと同時にメテオラを使用。

 

 再び視界と移動経路を塞がれ、七海の姿は何処かに消えた。

 

(全く、何度目よこれ……っ! これだけやって掠りもしないし動きは変態的だし、なんなのよこいつ……っ!?)

 

 香取は現状に苛立ちながら、七海の消えた方角を見据えて舌打ちする。

 

 先程から、今のような攻防の繰り返しだ。

 

 七海は決して無理をせず、メテオラで香取達の動きを封じながらひたすらに時間を稼いでいる。

 

 機動力に優れた香取もメテオラの爆発が連鎖する中動き回る事は出来ず、戦況は完全な膠着状態に陥っていた。

 

 そう、七海の思惑通りに。

 

 七海が自分だけで香取達を落とす気がない事は、これまでの攻防を見れば容易に想像がつく。

 

 恐らく、七海は自分達を此処に釘付けにしている間に仲間に『王子隊』を獲らせ、その後で仲間と合流しつつ悠々と『香取隊』を仕留めるつもりなのだろう。

 

 気に食わない。

 

 此処まで来れば、香取とて理解出来る。

 

 今期のランク戦直前に行った、七海との個人戦。

 

 あの時、七海は明確に手を抜いていた。

 

 自分の実力を、本当の戦闘スタイルを隠す為に。

 

 香取はまんまとその思惑に乗ってしまい、結果としてこの現状がある。

 

 気に食わない。

 

 苛々する。

 

 あいつが、あんな奴だけが。

 

 まるで物語の主役のように、輝いている事が。

 

 …………七海が過去の大規模侵攻の被害者の一人である事は、香取も聞き及んでいる。

 

 だが、そんな経験を持つ者はこの街に生きる者であれば腐る程いる。

 

 香取の幼馴染である染井は、過去の大規模侵攻で両親を失っている。

 

 他ならぬ香取を、助ける為に。

 

 香取はあの大規模侵攻の時、崩れた家の中に閉じ込められていた。

 

 しかし、染井が素手で瓦礫を掻き分け、香取を救出してくれたのだ。

 

 「葉子の家の屋根の方が、軽そうに見えたから」と、そう口にしていたが、どちらにせよ香取が染井の手で助けられた事に変わりはない。

 

 だから香取は、染井が『ボーダー』に入ると聞いた時、共に入隊する事を即決した。

 

 昔から要領は良い方だったし、身体を動かすのも好きだ。

 

 何より、染井と一緒ならなんでもやれる。

 

 そう信じて『ボーダー』に入隊し、染井と共にチームを組んだ。

 

 香取が連れて来た若村と、染井が連れて来た三浦と共に。

 

 本当は染井と二人だけでも良かったのであるが、染井が「戦闘員が一人だと厳しい事が多い」と言うものだから渋々二人の入隊を認めた形だ。

 

 染井と組んで、上へ駆け上がって行く。

 

 隊を組んだばかりの頃は、そんなビジョンを見ていた。

 

 …………しかし、現実は厳しかった。

 

 確かに、B級の中位までならなんとかなった。

 

 香取が暴れるだけで点が取れたし、厄介と思える相手もあまりいなかった。

 

 しかし、B級上位からは違った。

 

 単純に、自分では勝てない相手がいた。

 

 策を張られ、絡め取られた事もあった。

 

 正面から戦って、完膚なきまでに叩き潰された事もある。

 

 認めざる、を得なかった。

 

 天才は、自分一人だけではない。

 

 むしろ自分は、上に立つ連中からすれば、そこまで強くはないのだと。

 

 悔しかった。

 

 でも、どうしようもなかった。

 

 だって、自分に足りない所があると分かっても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から。

 

 香取は昔から要領が良く、なんであれすぐさま覚える事が出来た。

 

 だから勉強も努力せずとも良い点が取れたし、運動も万能だった。

 

 事実、『スコーピオン(ブレードトリガー)』と『アステロイド(銃手トリガー)』の双方をあっという間にマスターし、現在の『万能手』という立ち位置を得た。

 

 しかし、それもそれぞれのトリガーだけでは限界を感じてポジション転向を繰り返した結果でしかないのもまた事実だった。

 

 自分が迷走しているのは、なんとなく分かっている。

 

 けれど、どうすればいいか分からない。

 

 どうすれば上の連中に勝てるようになるのか、本気で分からなかったのだ。

 

 …………『那須隊』が上位へ上がって来たのは、そんな時だった。

 

 『那須隊』は前期までは、中位の下の順位ギリギリで燻っているような、ハッキリ言ってうだつのあがらないチームだった。

 

 隊長の那須の実力は本物だが、それを活かしきれていない残念なチーム。

 

 そんな評価も、何処からか聞こえて来た。

 

 香取も那須の(認めたくはないが)自分以上のルックスと、その身のこなしは評価し意識していた。

 

 自分の隊の隊服も、『那須隊』の隊服をある程度モデルにしてデザインした程だ。

 

 だが、それだけ。

 

 自分の隊と同じで、隊長だけが強くても他が駄目ならどうしようもない。

 

 そんな風に、ある種同情的な親近感すら持っていた。

 

 …………だが、その『那須隊』が僅か2ROUNDで上位まで上がって来た。

 

 原因は、ハッキリしている。

 

 七海玲一。

 

 あの少年が、『那須隊』に入ったからだ。

 

 聞けば、彼は那須の幼馴染だという。

 

 男女の関係だという噂も、香取は耳にしていた。

 

 なによそれ、と香取は思った。

 

 香取にとって那須は、高嶺の花のように考えている存在だった。

 

 浮世離れした美貌を持つ、孤高の天才。

 

 そんな風に、思っていた。

 

 けれど、自分の男を連れて来た、という話を聞いて、自分がある種の尊敬の眼を向けていた少女が世俗に塗れた感じがして、有り体に言って気分が悪かった。

 

 だから今期のランク戦が始まる前に七海から個人戦の誘いを受けた時、一も二もなく頷いた。

 

 ギタギタにしてやる。

 

 化けの皮を剥がしてやる。

 

 そんな想いで、個人戦に臨んだ。

 

 結果としては七海は立ち回りは悪くなかったが、香取の敵ではなかった。

 

 少なくともその時は、そう感じていたのだ。

 

 それこそが、七海の狙いであったと気付かずに。

 

 七海に言わせれば最善を尽くした結果の策の一つに過ぎなかったのだろうが、自分を嵌める為だけに容易にポイントを投げ捨てた彼の行動を、香取は心底理解出来なかった。

 

 七海という人間が、全然理解出来なかった。

 

 自分も勝ちたい、という欲はある。

 

 しかし、その為にポイントを自分から投げ捨てるか? と問われれば、首を横を振らざるを得ない。

 

 意味わかんない。

 

 けど、ムカつく。

 

 そんな想いが、沸々と心の奥底から沸き上がって来た。

 

 だって、自分のチームの勝利の為に滅私奉公する七海の姿は、まるでお姫様を守る騎士のようで────認めたくはないが、恰好悪くはなかったのだ。

 

 どうすれば、彼のようにチームを勝利を導けるのか分からない。

 

 あっという間にチームを上位まで引き上げた、その手腕が妬ましい。

 

 彼が入っただけで、『那須隊』はチームの歯車が噛み合い、その全体の力が向上していた。

 

 その在り方は、香取の理想のようなものだった。

 

 自分と染井、那須と七海。

 

 どちらも幼馴染の間柄であるのは変わりないのに、なんで向こうは出来て自分達には出来ないのか。

 

 そんな想いが、香取にはあった。

 

 だから、『那須隊』が上位に来たばかりのROUND3で惨敗したと聞いた時は「ざまあみろ」と鼻で笑ったものだった。

 

 所詮、まぐれだったのだ。

 

 精々運が良かった程度で、実力そのものは上位でやっていける程ではない。

 

 そう判断して、ついでに七海の鼻っ柱をもう一度折ろうと意気揚々とこの試合に臨んだ。

 

 そして、現在(いま)の有り様だ。

 

 実力を隠していた七海の策にまんまと嵌まり、抜け出す方法すら分からずにいる。

 

 チームメイトも七海の動きに翻弄されるばかりで、いつも通り役に立たない。

 

 一度は共闘の姿勢を見せた『王子隊』も、隊長の王子が落ちてからは熊谷と那須の相手にかかりきり。

 

 完全に、『那須隊』にペースを持って行かれていた。

 

 独壇場、と言っても過言ではないかもしれない。

 

 悔しい。

 

 許せない。

 

 理解出来ない。

 

 なんで、あいつらばっかり。

 

 あいつらばっかり、あんなに強くなれているのか。

 

 何がなんだか、分からなかった。

 

 フラストレーションが、時を経るごとに溜まって行く。

 

 変わらない戦況が、足踏みを続けるだけの自分達の立ち位置を暗喩している気がして苛立たしい。

 

「ん……?」

 

 そんな時、天井の穴から無数の光弾────『変化弾(バイパー)』が放たれ、『王子隊』の二人を襲う姿を見た。

 

 『王子隊』の面々は縦横無尽に弾道を描くバイパーの対処に手一杯な様子で、落ちるのも時間の問題だと思えた。

 

 ふと、天井の穴を────その先に那須がいる穴を、見据えた。

 

 そして、自分達に切り込む七海を見る。

 

「これだわ」

 

 香取は明確な作戦目標を思い付き、唇を歪めた。

 

 

 

 

『多分そろそろカトリーヌが焦れて、ナースを狙う筈だ。カシオとクラウチは、それを援護してナースを獲らせるんだ』

 

 通信越しに、王子の指示が届く。

 

 それを受け、二人は小さく首肯した。

 

「だが、本当にそうなるのか? 七海が香取を逃がすとは思えないが……」

『だから、その隙をこちらで作ってあげるのさ。合図をするから、そうしたらグラスホッパーを用いて二人でシンドバットの所へ向かってくれ。少しでも隙を作れれば、カトリーヌはそれを突ける。その程度のポテンシャルは、持っているからね』

 

 王子はそう告げ、にやりと笑みを浮かべる。

 

 彼もまた、香取の戦闘能力自体は評価している。

 

 1対1で戦えば分が悪いだろう、とも思っている。

 

 だが、『香取隊』としての評価は、散々たるものだった。

 

 大した作戦もなく、ただ香取が暴れて点を獲るだけのチーム。

 

 そんな相手、王子にしてみればカモでしかない。

 

 付け入る隙がバーゲンセールのように湧いて出る相手を、どう脅威に思えばいいのか。

 

 王子には、分からなかった。

 

 香取自身の思考も、そう複雑なものではない。

 

 思考や行動を推測・誘導する事も、王子にしてみれば容易だった。

 

 今の香取は、自分や七海の思惑に絡み取られた、哀れな操り人形(マリオネット)に過ぎない。

 

 人形は、自分の意志を持てなければただ使われ捨てられるだけ。

 

 ならば精々、利用させて貰おう。

 

 自分達の、勝利の為に。

 

 王子は一人ほくそ笑み、更なる指示を仲間に告げる。

 

『カトリーヌがナースを獲ったら、その隙にベアトリスを獲るんだ。シンドバットは、必ずナースを庇いに行く筈。ギリギリまでシンドバットの邪魔が出来れば、彼が戻って来るまでにベアトリスを孤立させる事が出来る。そこを狙うんだ』

 

 それと、と王子は続ける。

 

『ベアトリスが獲れたら、今度はジャクソンとミューラーの番だ。カトリーヌが落ちた時点で彼等は脅威ではないから、落とすのは容易な筈だ』

 

 そして、と王子は告げる。

 

『此処まで成功すれば三点、そう悪くはない結果の筈だ。その後はシンドバットから逃げ回りながらヒューラーを探して仕留められれば理想だが、恐らく厳しいだろうね』

 

 王子は無理はしなくて良い、と二人に告げる。

 

 確かにそこまで出来れば理想ではあるが、茜の隠密能力は割と高い。

 

 七海から逃げながらで見つけられる程、甘い相手ではない筈だ。

 

『だから、ジャクソンとミューラーを仕留めたら、シンドバットがカトリーヌの相手をしている隙に逃げ切って『緊急脱出』するんだ。『那須隊』には生存点が入ってしまうけれど、それでも三点だからね』

 

 カトリーヌはシンドバットが獲るだろうから四点かな、と王子は告げる。

 

 王子はこと此処に至り、作戦目標を自分の隊の勝利から、『那須隊』との点差を可能な限り広げない事、に変更していた。

 

 今回で、十二分に思い知った。

 

 『那須隊』は、甘く見て良い相手ではない。

 

 充分、上位に相応しい実力を持った隊であると。

 

 だから、無理はしない。

 

 無理をせず、獲れる点を取って逃げ切る。

 

 それが、今の王子の作戦目標。

 

 二人に伝えた、作戦方針だった。

 

『さあ、上手くカトリーヌを動かして、獲れる点を取って行こう。分は悪いが、それでも出来る事を諦める理由にはならない。僕らの戦い方ってやつを、一つ見せてあげるとしよう』

 

 王子はそう告げ、にやりと笑った。

 

 策士は盤面を見ながら、ほくそ笑む。

 

 完全勝利こそ諦めても、獲れる点は確実に取る。

 

 そんな貪欲な姿勢が、その表情からは見て取れた。

 

 戦況が、動く。



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王子隊④

「『香取隊』が七海隊員一人によって抑え込まれる中、『那須隊』と『王子隊』が一進一退の攻防を繰り返す……っ! いやー、バチバチやっとるなあ」

「そうだな。王子相手に読みあいで此処まで肉薄するなんて、大したモンだよ」

 

 太刀川はそう告げ、ふっと笑みを浮かべる。

 

 その顔は、何処か誇らしげにも見えた。

 

「そうやなー、『王子隊』の二人は熊谷ちゃんを狙うと見せかけて、那須さん狙ったやろー? 多分あれ、那須さんを狙って七海に庇いに来させたかったんと違うか?」

「だろうな。前回の試合を研究したなら、王子ならその手を取らない筈がない。もっとも、王子としちゃ誰が相手だろうと点が獲れればそれで良かっただろうけどな」

 

 忘れがちだが、と太刀川は補足する。

 

「誰を獲っても一点、これは変わらない。隊のサポーターを落としても、エースを落としても、取れる点数は同じ。なら、より()()()()()を狙うのが効率が良いに決まってる」

 

 意地や個人の事情を抜きにすればな、と太刀川は告げる。

 

 そう、太刀川の言う通り、ランク戦では()()()()()()()隊に入るポイントに変わりはない。

 

 ならば、より()()()()()を優先するのは決して間違った選択ではない。

 

 しかし、これは言うは易し行うは難しだ。

 

 自分の隊の誰が獲られ難く、獲られ易いかについては、大抵の部隊は自覚している。

 

 単純に、そのポジションの問題だ。

 

 攻撃手はポイントを獲られ易い役柄だが、同時に最大のポイントゲッターでもある。

 

 弾速や射程にトリオンを割り振る必要のある射撃トリガーと違い、ブレードトリガーはそのトリオンの殆どを攻撃力に注ぎ込める。

 

 当然、シールドの破断力は射撃トリガーと比べても段違いに高いし、文字通り隊の攻撃の要を担うのが攻撃手というポジションだ。

 

 射手と銃手は、基本的には隊のサポーターだ。

 

 中距離から攻撃手を援護し、攻撃手に()()()()()()のがこれらのポジションの役割だ。

 

 その性質上距離を保てれば落とされ難いが、距離を詰められると途端に脆くなる場合が多い。

 

 また、トリオンに優れた者に適したポジションであり、トリオン能力に優れた隊員は大体このポジションを選ぶ。

 

 良くも悪くも、個人の資質が重要となるポジションであり、落とされ難さは個人個人で全く違う。

 

 北添のような()()()()()()()で仕事を遂行する者もいれば、出水のように優れたトリオン能力と立ち回りで最後まで生き残るよう立ち回り仕事をこなす者など、様々なパターンがある。

 

 尚、二宮はトリオン能力が高過ぎて移動要塞に等しい為、射手のセオリーには当てはまらない。

 

 良くも悪くも、規格外の男なのだ、彼は。

 

 ちなみに『万能手』は攻撃手と銃手の中間の役柄なので、更に個人の能力が影響し易い為、評価が難しいポジションである。

 

 『万能手』の数自体が少ない事もあり、明確な評価がやり難いのだ。

 

 そして、狙撃手は他のポジションとは全く違った立ち回りをこなす役職だ。

 

 その性質上、狙撃手は隊のメンバーから離れて単独行動を取り、適宜隊の援護を行う事が仕事だ。

 

 当然隠密能力が高い者が多く、見つからない限りは落とされる事はないが、逆に言えば見つかれば基本的に終わりなのが狙撃手というポジションである。

 

 荒船という例外を除き、狙撃手は寄られた時点でまともに抵抗する手段は無い。

 

 狙撃中は一発撃つごとに再装填(リロード)が必要となる関係上中距離戦ではまず当たらないし、連射が可能であるライトニングは威力が心もとない。

 

 専ら、寄られそうになった時の牽制がライトニングの主な役割である。

 

 尚、そのライトニングを用いて得点を挙げ続けている茜は例外だ。

 

 彼女の立ち回りは他の狙撃手と比べても少々違った方向に尖っており、オンリーワンの速射銃使いと言える。

 

 これらを踏まえた上で、最も()()()()()『那須隊』の駒は誰か。

 

「一見、落とし易いのは『王子隊』の近くにいる熊谷のように思える。だが、熊谷は受け太刀の名手だ。樫尾の『弧月』で落とすのは難しいし、そもそも那須が弾幕を張っている限り熊谷に集中する事は不可能だ」

 

 つまり、と太刀川は告げる。

 

「『王子隊』が狙っているのは、間違いなく那須だろうな。熊谷は那須の援護があるから無理、七海は狙おうとしてもどうにもならない。と来れば、那須を狙う他ないだろ」

 

 消去法だな、と太刀川は語る。

 

 確かに、彼の言う通り狙うなら那須だろう。

 

 熊谷が那須の横槍の所為で狙い難い以上、那須を直接狙う他ない。

 

 王子が考察した通り、那須は攻撃手に寄られれば脆い。

 

 彼女の本領はあくまで中距離戦であり、一旦寄られてしまえばそれを押し返す力には乏しい。

 

 もっとも、今の彼女にはグラスホッパーがあるので、そう簡単にはいかないだろうが。

 

 ちなみに、七海はその回避能力の高さから、日浦は未だに痕跡が掴めない事から除外されている。

 

 それら二人と比べれば、まだ那須の方が狙い易い、という事だ。

 

「けど、そう簡単に行くかいな。那須さんの弾幕に加えて、那須さんを狙うとなれば七海だって黙ってへんで?」

「だから、香取を使うのさ。膠着状態で焦れて、動き出すチャンスを待ち望んでるあいつをな」

 

 太刀川はそう言うと画面を見て、告げる。

 

「動くぞ。香取はいい加減焦れてる筈だし、頃合いの筈だ」

 

 

 

 

「「────ハウンド」」

 

 蔵内と樫尾、二人の放った『誘導弾(ハウンド)』が、七海を狙い撃つ。

 

 七海は即座にグラスホッパーを起動し、回避機動を取る。

 

 香取は、それをチャンスと見てグラスホッパーを起動。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、一気に跳躍する。

 

「────」

 

 だが、それを黙って見ている七海ではない。

 

 『炸裂弾(メテオラ)』を生成し、香取を追撃にかかる。

 

「「シールド!」」

 

 此処で、『香取隊』の二人も動く。

 

 二人がかりで、メテオラの軌道を塞ぐようにシールドを展開。

 

 七海のメテオラは、シールドに着弾し爆発。

 

 香取には、届かず。

 

 そして香取は、天井の穴を抜け、屋上へと躍り出た。

 

 

 

 

「さあ、カトリーヌ。ナースは任せたよ」

 

 『王子隊』の作戦室で、王子はほくそ笑む。

 

 此処までは、自分の思い通りに事が進んでいる。

 

 香取は自分が乗せられているとも知らず、迷う事なく屋上へ向かった。

 

 此処で香取が那須を仕留められれば上出来だが、少なくとも足止めが出来れば良い。

 

 その間に自分達は熊谷を、そして用済みとなった若村と三浦を仕留める。

 

 七海は自分達への追撃よりも、那須を助けに行く事を優先する筈だ。

 

 故に自分達は目的を果たした後、七海が戻るまでに逃げ切って『緊急脱出』すれば良い。

 

 この作戦が上手く行けば、『那須隊』に渡す得点は生存点を含めた3点に留まる。

 

 ランク戦は、最後まで生き残ったチームに生存点の2点が入る。

 

 故に、生き残る事も重要な戦術の一つだ。

 

 だが、絶対ではない。

 

 たとえ最後まで生き残らずとも、それまでに得点を重ねれば、逃げ切る事は可能だ。

 

 事実、『王子隊』は生存点こそあまり取った事はないが、貪欲に相手チームの隊員を仕留める事で得点を重ねて来た。

 

 その結果として、安定して上位にいる今の地位を確立出来ているのだ。

 

 『王子隊』は、『二宮隊』のような圧倒的な力や、『影浦隊』のような極端なまでに攻撃に特化した能力はない。

 

 そして『生駒隊』の生駒や、『弓場隊』の弓場のような単騎で他を圧倒出来るエースもいない。

 

 戦術の奥深さでも、『東隊』の東には負けているだろう。

 

 だが、頭を使った戦いをすれば、幾らでもそれらの隊に肉薄出来ると王子は信じていた。

 

 これまでも、そうやってB級上位でやって来た。

 

 特別な、突出した力などなくても、工夫次第でどうとでもなる。

 

 そう信じて、これまでやって来たのだ。

 

 だから、負けない。

 

 上位に上がって来たばかりの『那須隊』にも、隊長が暴れるだけの考えなしの『香取隊』にも。

 

 勝てずとも、作戦目標が達成出来れば負けではない。

 

 そう考え、実行に移した。

 

「さあ、詰め(チェック)をかけに行こう。この試合、これ以上君達の思い通りにはさせないよ。シンドバット、セレナーデ」

 

 

 

 

「────矢張り、そう来ましたね」

 

 画面を見ながら、小夜子は呟く。

 

 そして、笑みを浮かべた。

 

「計算通りですよ。王子先輩」

 

 

 

 

「……え……?」

 

 香取は、爆撃によって空いた穴から屋上へ出た。

 

 そこで待ち構える、那須を仕留める為に。

 

 だが。

 

 だが。

 

 屋上に出ても、那須らしき人影は見当たらない。

 

 つい先程まで、此処からバイパーは放たれていたというのに。

 

「一体、何処、に……っ!?」

 

 そして、気付く。

 

 自分が出てきた、穴の四方。

 

 そこに、四つのトリオンキューブが設置されていた。

 

 そして、その四つのトリオンキューブ目掛けて、疾走する光の弾がある。

 

「……っ!」

 

 その正体に勘付いた香取は、即座にグラスホッパーを起動。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、屋上から飛び降りる。

 

 その、刹那。

 

 光弾が、バイパーが四つのトリオンキューブ────『炸裂弾(メテオラ)』に、着弾。

 

 四つのメテオラが一斉に起爆し、屋上を爆発が席巻した。

 

 

 

 

「な、なんですか今の爆発は……っ!?」

「…………那須が、『トマホーク』でも使ったのか……?」

 

 その爆発の衝撃は、モールの中へまで響いていた。

 

 予想外の展開に、樫尾と蔵内は怪訝な顔をする。

 

 那須が香取を迎撃するとして、香取がやって来る事を見越して『トマホーク』を生成していたとしても不思議ではない。

 

 だが、直前まで自分達に向かってバイパーを放っていた那須に、そんな余裕があっただろうか?

 

 となればメテオラ単体で使ったものとも考えられるが、那須には七海のような副作用(サイドエフェクト)はない。

 

 至近距離でメテオラを使うような事は、彼女には出来ない筈だが。

 

『……っ! カシオ、クラウチ、()()……っ!』

 

 不意に、通信越しに王子の焦った声が聞こえた。

 

 その意味を理解しようとした、刹那。 

 

「え……? が……っ!?」

「樫尾……っ!?」

 

 ────樫尾の背中に、瓦礫の中から跳ね上がるようにして飛来した、無数の光弾────────バイパーが直撃。

 

 致命の一撃を、受ける。

 

「あれは……っ!」

 

 そして、蔵内は見た。

 

 積み重なった瓦礫の、その向こう。

 

 そこに、()()()()()()()()()()()が立っている所を。

 

 何故、屋上にいた筈の彼女が此処にいるのか。

 

 それを考えるよりも早く、蔵内はハウンドを放つ。

 

 当てられずとも良い。

 

 バッグワームを解除するにも、一瞬の時間遅延(タイム・ラグ)がある。

 

 その隙に彼女をあの場に固め、攻撃を続ければ良い。

 

 そう考えて、蔵内は両攻撃(フルアタック)でハウンドを放った。

 

 『香取隊』の二人は、依然として七海の相手をしている。

 

 だから、自分が攻撃されるとすれば那須が相手だ。

 

 ならば、その那須さえ抑え込んでしまえば、安全だ。

 

 致命傷を受けた樫尾の戦闘隊は罅割れ、脱落までもう数秒もない。

 

 その樫尾の犠牲を無駄にはしないと、蔵内は攻撃を放つ。

 

 放って、しまった。

 

「が……っ!?」

 

 ────そして、その隙は狙い撃たれる。

 

 那須のバイパー、ではない。

 

 背後より飛来した、一発の弾丸によって。

 

 正確な狙撃が、蔵内の頭部を貫いた。

 

「……っ!」

 

 振り向き、気付く。

 

 そこには、先程までのバイパーの攻撃で空いたと思われる小さな────辛うじて、腕が通るくらいの穴があった。

 

 そこから見える、ビルの屋上。

 

 そこには、狙撃銃(ライトニング)を構えた日浦茜の姿。

 

 彼女は文字通り、針に糸を通すような正確さを以て、あの穴から蔵内を狙い撃ったのだ。

 

 その技量への称賛、してやられた事に対する後悔。

 

 蔵内は、それら諸々がないまぜとなった溜息を吐いた。

 

 完敗だ。

 

 そうとしか言いようのない、結末であった。

 

『『戦闘隊活動限界。『緊急脱出』』』

 

 奇しくも、同時。

 

 樫尾と蔵内の戦闘体は罅割れ、崩壊。

 

 二つの光の柱となって、戦場から離脱した。



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香取隊③

「樫尾、蔵内が続けて緊急脱出……っ! 『那須隊』と読み合いで競っとった『王子隊』、此処で全員脱落や……っ!」

「結局、より香取を上手く使()()()のは『那須隊』の方だったな」

 

 『王子隊』の全滅の報に会場がざわめく中、太刀川はそう言ってにやりと笑う。

 

 その表情には矢張り、何処か誇らしさが混じっていた。

 

「なんとなくは分かりはるけど、解説頼んでもええかいな?」

「ああ、いいぞ。まず、『王子隊』は『香取隊』を援護して、那須を獲らせに行った。此処まではいいな」

 

 太刀川の問いに、真織はこくりと頷く。

 

「そーやな、ハウンドで七海の気を引いて、その隙に香取ちゃんを離脱させる。上手い具合にやったなあ思っとったが、あれも『那須隊』の想定通りだったっちゅー事か?」

「その通り。七海は最初から、香取に那須を追わせるつもりだったのさ」

 

 まず、と太刀川は前置きして話し始める。

 

「あの時、『王子隊』も『香取隊』も、屋上の穴から襲ってくるバイパーを見て、那須は屋上にいると思った筈だ。だが、那須が屋上にいたのはあくまで()()()()だった」

「確かに、いつの間にかモールの中に戻って来ておったな。あれはどういうカラクリなん?」

「単純に、壁の穴から入って来たのさ。七海のメテオラの爆撃で空いた、穴からな」

 

 その言葉に、真織はハッとなってモールの映像を見る。

 

 主戦場となっているモールの外壁は度重なる七海のメテオラによってボロボロになっており、所々に穴が空いている。

 

 人一人通るには充分な大きさの、穴が。

 

「那須はバイパーを屋上の穴を経由して撃ち出す事であたかも自分が屋上にいるかのように錯覚させながら、密かに壁の穴を経由してモールの中に戻っていたのさ。最大のチャンスを、待つ為にな」

「けど、流石に那須さんでも音を立てずにモールに入るのは無理とちゃうか? 壁に穴が空いてるのは最上階付近だけやし、気付かれずに入るのは厳しいんと違うか?」

「そうでもないさ。物音なんて、メテオラの()()()に比べれば些細なものだろうからな」

 

 つまり、と太刀川は告げる。

 

「七海がああまでもメテオラを乱発していたのは、『香取隊』の動きと視界を封じる為でもあったが、那須がモールに戻って来たのを隠す為でもあったのさ」

「あれだけの爆音が響き、尚且つ天井の穴から絶え間なくバイパーが降り注げば、那須隊長が密かに移動した、なんて事に気付ける人間はまずいないでしょうからね。単純ながら、良い陽動です」

 

 太刀川の説明を迅が補足し、迅もまた笑みを浮かべる。

 

 迅もまた、七海達『那須隊』の活躍に心躍っている様子であった。

 

「恐らく、『那須隊』は『香取隊』がどのMAPを選んでくるか、予め予想していたのでしょう。だから『市街地D』のモールの構造をシミュレートし、あれだけの精度の弾道制御を実現した」

 

 迅の言う通り、那須の技量だけでは屋内から壁の穴を経由して屋上の穴を通ったバイパーを撃ち、正確に相手を狙う、などという芸当は不可能だ。

 

 オペレーターの正確な構造解析と弾道制御補佐があって、初めて可能となる絶技。

 

 那須と、小夜子。その二人のコンビネーションが生んだ、素晴らしい連携攻撃と言えるだろう。

 

「那須隊長の技量も然る事ながら、オペレーターと上手く連携出来なければこうは行かなかったでしょうね。どちらも、成長の程が伺えます。前回の敗戦を糧として、より強くなったと言えるでしょう」

「ああ、風間さんも良く言ってるが、落とされて学ぶ事もランク戦の存在意義だ。一度惨敗したとしても、それで終わりじゃない。要は、その敗戦から()()()()()だ。それが出来ていれば、敗北すらも自分達の力に変えられる」

 

 太刀川の言う通り、ランク戦の本質はあくまで()()()()だ。

 

 一度落とされたからと言ってそれで全てが終わるワケではないし、敗北もまた、改善点を見詰め直す機会と捉える事が出来る。

 

 事実、これまでに七海に弱みを突かれて負けた部隊は、その弱点を見詰め直す形で明確な成長を遂げている。

 

 前回のラウンドで結果的に『香取隊』を圧倒した『柿崎隊』などが、その良い例だ。

 

 これまで『那須隊』に負けた部隊で、腐っているチームは何処にもいない。

 

 敗戦を糧とし、明確に()に繋げている。

 

 それこそが、ランク戦の本来あるべき姿であるのだ。

 

「日浦ちゃんも、壁抜き狙撃ならぬ穴抜き狙撃で蔵内を仕留めおったしなー。つくづく、前期までとは別物やで」

「元々、日浦隊員は精密狙撃の素質はありました。その長所を伸ばす形で日浦隊員は射撃の精密さを突き詰め、獲れる点を確実に取るポイントゲッターへ変貌したワケです。派手さはありませんが、堅実で仕事を確実にこなす。良い狙撃手に成長したと言えるでしょう」

 

 迅の言う通り、壁の穴を通じて蔵内を仕留めた茜の狙撃は、驚嘆すべき精度と言える。

 

 王子も茜がモールの外にいる事までは予想出来ていたが、モールの外に出た相手を狙うのではなく、壁の穴を通す形でモール内にいる相手を狙うとは、考えていなかったのだろう。

 

 七海のメテオラと那須のバイパーが目晦ましとなり、『那須隊』の狙いを悟らせなかった。

 

 完全に、『那須隊』の作戦勝ちと言えるだろう。

 

「香取隊長は現在、那須隊長のメテオラ起爆から逃れて、モールの外の路地にいます。香取隊長の選択が、今後の試合展開を左右すると言っても良いでしょう」

「と言っても、二つに一つだがな。中にいる『香取隊』の二人を助けに戻るか、それとも日浦を獲りに行くか」

「香取ちゃんなら日浦ちゃんを狙いに行きそうな気もするけど、どやろなー。若村も三浦も、『那須隊』三人相手やとあんまし保たないやろ」

 

 そう、この時点で香取が取れる選択は、二つに一つ。

 

 モールに戻って若村と三浦と共に『那須隊』と戦うか、外にいる事を利用して位置の割れた茜を獲りに行くか。

 

 前者は、無難な選択だ。

 

 仲間と合流すれば幾らかやりようはあるし、『那須隊』ともある程度拮抗出来るだろう。

 

 後者は、完全な博打だ。

 

 茜を獲れれば問題ないが、もしも取り逃せば仲間二人を見殺しにした上、『那須隊』に袋叩きにされる結果が待っている。

 

 どちらを選んでも、分が悪い。

 

 『那須隊』は香取に、そういう二択を強いて来たのだ。

 

 あのメテオラ起爆は爆音でモール内の者達の注意を惹き付ける役割の他に、香取を外に叩き出す狙いもあった。

 

 香取に屋上から避難させ、路地に逃げ込ませる事で、彼女に不自由な二択を迫る事こそ『那須隊』の狙い。

 

 香取の判断が、試される時だ。

 

「さあ、どっちを選ぶにしろ時間はないぞ。香取は、どうする?」

 

 

 

 

『葉子、那須さんはモール内にいたみたい。今、『王子隊』の二人は那須さんの射撃と日浦さんの狙撃で退場したわ。残っているのは、私達と『那須隊』だけよ』

「ったく、やってくれたわね……っ!」

 

 自分がまんまと釣りだされ、利用された事に気付いた香取は舌打ちする。

 

 屋上に上がっても那須はおらず、仕掛けられていたメテオラがバイパーで起爆。

 

 何とか屋上から逃れて状況を把握しようとした矢先に、『王子隊』脱落の報。

 

 流石に此処まで材料が揃えば、自分が利用された事は理解出来る。

 

 だが、理解と納得はまた別の話だ。

 

 まるで糸で繰られる操り人形のように自分がまんまと躍ってしまい、敵に利する結果となった事に、香取の苛立ちは最高潮に達していた。

 

 この試合が始まってから、何一つ上手く行っていない。

 

 七海を単騎で撃破しようといつも通り単独先行で突撃すれば、七海に良いようにあしらわれ、隊の全員が釣り出された。

 

 その後は七海一人に『香取隊』全員が抑え込まれ、その間に七海以外の『那須隊』は『王子隊』とやり合い、結果として『王子隊』を全滅させてしまった。

 

 現時点で、『那須隊』は単独三点。

 

 自分の隊は、自分は、まだ一点も挙げられていない。

 

 悔しい。

 

 遣る瀬無い。

 

 自分が何も出来ないのが、何も出来ずにいるのが、口惜しい。

 

 沸騰する頭に、差し込んでくる冷たい何かがある。

 

 どうせ無駄だ。

 

 諦めろ。

 

 自分は、何もできない。

 

 そんな、都合の良い諦観の囁き(自分の弱音)が、脳裏に響く。

 

 いつも、そうだった。

 

 B級上位まで駆け上がった後は、いつもそうだ。

 

 自分は、強い筈だ。

 

 個人戦なら、大抵の相手に負けはしない。

 

 けれど、自分でも勝てない相手が、『ボーダー』にはうじゃうじゃいる。

 

 二宮には、あの弾幕に対し手も足も出ずに敗北した。

 

 影浦には、奇襲を察知されて容易く返り討ちにされた。

 

 生駒には、驚異的な『旋空弧月』の網を潜り切れず、落とされた。

 

 B級でさえ、これなのだ。

 

 以前個人戦で戦った太刀川や風間にはワケが分からないまま敗北し、自分の実力の程を思い知った。

 

 自分は、天才だ。

 

 なんだって要領良くやれるし、戦闘だって難なくこなせる。

 

 でも、()()()()()()()()()()()のだ。

 

 自分以上の才能の持ち主には、才能()()でやって来た自分では敵わない。

 

 上位の者達は、己の才能をたゆまぬ鍛錬で伸ばし、現在に至っても成長を続けている。

 

 だが、香取には、努力のやり方が分からない。

 

 生まれてこの方努力せずともどうにかなって来たから、そもそも努力のやり方を知らないのだ。

 

 どうすれば、強くなれるのか。

 

 自分では、答えが出ない。

 

 見つからない。

 

 どうすればいいのか、見当もつかない。

 

 だから、香取は諦めていた。

 

 これ以上、上を目指す事を。

 

 口では虚勢を張ってみるものの、いざ強者を前にすると諦めが思考を覆ってしまう。

 

 『那須隊』は、自分より下の存在の筈だった。

 

 前期まではうだつの上がらない、中位の中でも落ち目の部隊だった筈だ。

 

 なのに。

 

 なのに。

 

 どうして、七海一人が加入しただけでこれだけ強くなれている?

 

 自分には、そんな事出来なかったのに。

 

 なんで、『那須隊』には、七海には出来た?

 

 それが、心底分からない。

 

 分からない。

 

 七海という人間が、心底分からない。

 

 以前香取と個人戦をやった時の七海は、弱者の仮面を被った偽物だった。

 

 上位に上がり、自分と戦う可能性を見越して、わざわざ自分のポイントを捧げてまで、香取に()()()()()という印象を植え付けた。

 

 その用意周到さが、底知れなさが、怖かった。

 

 此処に来て、ようやく分かった。

 

 自分は、七海が羨ましかったのだ。

 

 自分には出来ない事を軽々こなす七海が理解出来なくて、怖くて、そして妬ましかった。

 

 何故、自分には出来ないのに、お前は出来ているのか。

 

 それが分からないから、苛立つ。

 

 それが理解出来ないから、こんなにも悔しい。

 

 だから、こんなにも七海を意識してしまう。

 

 自分には出来ない事をやり遂げた七海を。

 

 自分には分からない事を理解している七海を。

 

 この時点で、最早香取の思考は諦めで大半が支配されていた。

 

 何をしようが、七海には敵わない。

 

 どうせ、何をしようと負ける。

 

 そんな暗い想いが、香取の中に充満していく。

 

『葉子ちゃん、お願いがあるんだ』

「……え……?」

 

 そんな時だった。

 

 三浦が、通信越しに声をかけて来たのは。

 

 これまでの試合で、三浦が自分から香取に進言した事などない。

 

 いつも苦笑いを浮かべながら、香取のフォローをしていただけ。

 

 そんな三浦が、自分から香取に()()()があると、()()があると言った。

 

 それが気になって、香取は通信に耳を傾けた。

 

「……何……?」

『僕らはこれから、なんとか『那須隊』の三人相手に時間を稼ぐ。だから葉子ちゃんは、日浦さんを抑えて欲しいんだ』

「でも……」

 

 アンタ達じゃ無理でしょ、という言葉は、何故か出て来なかった。

 

 香取の、まだ冷静な部分が告げている。

 

 三浦達では、『那須隊』の相手は無理だと。

 

 先程まで拮抗状態が続いていたのは、自惚れではなく自分がいたからだ。

 

 自分という突破力のある戦闘員がモールからいなくなった今、三浦と若村は『那須隊』にとってはどうとでも料理出来る相手に過ぎない。

 

 だから香取には、三浦の言葉が()()()()()()()()()()()()という風に聞こえた。

 

 惑う香取の選択を、後押しするように。

 

 そこに三浦の気遣いを感じ、香取は思わずため息を吐いた。

 

「……あのさ。気遣いとか要らないんだけど? 第一……」

『…………何、うだうだ言ってんだ。迷う暇があったら、さっさと動けよ』

 

 三浦の気遣いを一蹴しようとした香取の耳に、今度は若村からの通信が届く。

 

 いつも通りの憎まれ口にかちんと来たが、生憎今は怒る程の余裕はなかった。

 

「何よ? 文句でもあるワケ?」

『ああ、大有りだな。お前が一人で暴走すんのは、いつもの事だろうが。けど、今まで俺達が上位に残れていたのは────悔しいが、単独先行したお前がきちんと点を取って来たからだ』

 

 心底腹立たしい、というように、若村は告げる。

 

 若村も、分かっているのだ。

 

 この部隊は、香取あっての部隊。

 

 良くも悪くも香取次第の部隊だが、言い換えれば香取を()()()()()事が出来れば充分上を狙える部隊とも言える。

 

 ならば、この場面ですべき事は何か。

 

 香取をモールに呼び戻し、再び膠着状態を作る事か?

 

 違う。

 

 香取を自由にさせ、()()()()()()()()()事だ。

 

 幸い、この試合で『王子隊』は一点も取れずに敗北した。

 

 故に、たとえ一点だろうと、今の自分達にとっては貴重な得点なのだ。

 

 それに、もしも香取が茜を獲った上でモールに戻り、誰か一人でも『那須隊』を落とせれば、充分元は取れる。

 

 『那須隊』の勝利を阻む事は出来ないまでも、自分達が上位に居残る為の得点は取れる。

 

 たとえ、三浦と若村の二人が『那須隊』に落とされてしまったとしても。

 

 二人共、それは『那須隊』と『王子隊』の戦いを見て気付いた事だ。

 

 三浦は、この試合で連携の大切さを知った。

 

 若村は、この試合で戦術の重要性を理解した。

 

 だから、こうして香取に発破をかける事にしたのだ。

 

 自分達の、『香取隊』の今後に活かす為に。

 

『だから、好きにやれ。いつも通り、やりたいようにやって来い』

『うん。葉子ちゃんは、そうするのが一番強いもんね』

『葉子。私も二人に同意するわ。もう、迷わないで』

 

 若村が、三浦が、染井が、口々に言う。

 

 好きにやれ、と。

 

 好きにやって、良いのだと。

 

 そんな言葉をチームメイトにかけられ、香取は────笑みを、浮かべた。

 

「────はん、上等じゃない。いいわ、やってやろうじゃないの……っ!」

 

 香取は染井が割り出した茜の座すポイントである一つのビルを見上げ、駆け出した。

 

 いつも通りの、単騎特攻。

 

 だが、その心は、これまでにないくらい、晴れやかだった。

 

 試合は、終わりに近付いている。

 

 決着は、近い。



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香取隊④

「さて、あれだけ言ったからには俺達もただやられるワケには行かない。可能な限り時間を稼ぐぞ」

「うん。葉子ちゃんが日浦さんを落とすまで、何とか粘ってみよう」

 

 若村と三浦は二人で頷き合い、『那須隊』の三人と相対した。

 

 正直言って、不利なんて言葉では片付けられない。

 

 一矢報いる、と考える事すら烏滸がましい。

 

 これは、どれだけ落とされるまでの時間を稼げるか。

 

 そういう、()()()の類だった。

 

 だが、負け戦であろうと意味のない戦いではない。

 

 自分たちがどれだけ『那須隊』を足止め出来るかで、香取が目的を果たせるかどうかが変わってくる。

 

 此処で、踏ん張らない理由などあろう筈もなかった。

 

(そうだ。俺達には、何も足りていなかった。葉子だけじゃない。俺は文句を言うばかりで、具体案なんて何も考えちゃいなかった)

 

 若村は視線の先にいる七海を見据え、歯を食い縛る。

 

 この圧倒的不利な状況は、ただ香取が暴走したが為に起きた事ではない。

 

 自分達が碌な戦術も講じず、実質無策で試合に臨んだからだ。

 

 自分など、香取が珍しくMAPを選んで意気込んでいたものだから、普段よりやる気があるならいけるだろうと、()()してこの試合を迎えてしまった。

 

 その結果が、これだ。

 

 MAPを選んだだけで、有利になるワケがない。

 

 そのMAP選択に必要な情報が間違っていたのならば、猶更である。

 

 そして、MAPを効率的に活用する方法に関しても、自分達は何も考えていなかった。

 

 むしろ、このMAPを最大限に運用したのは、香取に誤情報を掴ませMAP選択を誘導した『那須隊』の方である。

 

 香取は案の定七海に独断専行で突貫し、それを追いかけた自分達もメテオラで釣り出され、カメレオンでの奇襲、という手札(カード)を早々に潰された。

 

 その後『王子隊』との共闘で七海を追い込んだものの、熊谷によって釣り出された王子隊長が落とされたのを皮切りに、戦局は『香取隊』VS七海、『王子隊』VS那須&熊谷という構図に移行した。

 

 形だけ見れば『那須隊』の分断に成功してはいるが、自分達が七海一人相手にいいように翻弄されていては何の意味もない。

 

 挙句の果てに『王子隊』の思惑に乗って屋上に潜む那須を落としに香取を向かわせた結果、香取はモール外へ叩き出され、『王子隊』は『那須隊』の策に嵌って全滅した。

 

 モール内には自分達二人と茜以外の『那須隊』全員が相対しており、戦力差は明らかだ。

 

 これまで自分達が七海相手に拮抗出来ていたのは、七海に攻めっ気が無かった事も勿論だが、香取の存在も大きかった。

 

 香取の戦闘センスはずば抜けて高く、機動力の高さもあり、相手にとっても無視出来ない強さを持った駒だ。

 

 その香取を抑える為に、七海は攻撃よりもメテオラでの行動封鎖を重点的に行い、結果的にそれが拮抗状態を生み出していた。

 

 だが、『那須隊』の策によって香取はモール外へ叩き出され、七海が膠着状態を作り続ける理由も失われた。

 

 そして、『王子隊』が全滅した事で那須と熊谷がフリーになり、七海の加勢に加わる。

 

 そうなると、最早勝ち目がどうこうという次元ではない。

 

 香取程の機動力や突破力を持たない自分達では、時間稼ぎが関の山どころか、時間を稼げるかどうかすら怪しい。

 

 完璧に、『那須隊』の策に絡め取られた。

 

 若村はこと此処に至り、『那須隊』の試合運びに憧憬交じりに感服する他なかった。

 

 全ての行動に意味があり、相手の思考を誘導し、自分達に有利な形へ試合展開を()()していく。

 

 仕込みを忘れず、チャンスを逃さず確実に点を獲る。

 

 その鮮やかな手並みは、自分達には無いものだ。

 

 戦術を齧る、どころではない。

 

 用意周到な策を以て、戦術を自らのものとして確立させている。

 

 その姿に、その在り方に、若村は気付かされた。

 

 自分に足りなかったのは、これだったのだと。

 

 相手チームを分析し、MAPを活用し、自分達の強みを相手に()()()()()

 

 その試合の組み立て方を、自分は今まで何一つ考えて来なかった。

 

 これまでの自分と言えば、香取の独断専行に腹を立てながらそれを追い、その場その場で()()()()()()をするだけ。

 

 先の展望も、敗北の原因も、何一つまともに考えては来なかった。

 

 その結果が、今の足踏みを続ける『香取隊』だ。

 

 香取は勝手に動き、自分は文句ばかりを垂れ、三浦はその場その場のフォローに終始する。

 

 これでは、成長など望める筈もない。

 

 香取の、言う通りだ。

 

 自分は自分の力のなさを棚上げして、香取の粗探し()()をして満足してしまっていた。

 

 香取は、そんな自分達を使()()()()と判断し、結果的に独断専行に走っていたに過ぎない。

 

 自分よりも余程、香取の方が隊の現状を理解していた。

 

(ったく、そんな俺が、葉子を責める資格なんてねえじゃねえか……っ!)

 

 若村は舌打ちし、右手に持った突撃銃を握り締める。

 

 後悔は、後でも出来る。

 

 今は、この場で出来る最善を行うだけだ。

 

 ────自分達の強み、それは何か。

 

 当然、高い得点力を持った香取の存在だ。

 

 此処で香取に取らせるべき行動は、自分達に合流させて負けの時間を引き延ばす事ではなく、自分達が時間を稼ぎ、香取に一点を確実に獲らせる事だ。

 

 幸い、この試合で『王子隊』は一点も取れずに敗北した。

 

 現在、『香取隊』と『王子隊』のポイントは同率17点。

 

 同じ得点であればシーズン開始時に順位が高かった方が上となる為今は『王子隊』の下にいるが、此処で自分達が一点でも獲得出来れば『香取隊』は18点。

 

 『王子隊』の点を超え、中位落ちから逃れる事が出来る。

 

 此処が、勝負の分かれ目だ。

 

 絶対に、この一点を逃すワケには行かない。

 

 たとえ自分達が落とされようと────いや、自分達の得点と引き換えに、香取に点を獲らせる。

 

 それくらいの覚悟で、臨まなければならない。

 

 此処に来て、若村と三浦は思考を同じくしていた。

 

 香取の為に、隊の為に、一秒でも長く足止めに徹する。

 

 それが、今自分達に出来る()()だ。

 

「行くぞ……っ!」

「うん……っ!」

 

 若村は突撃銃を、三浦は『弧月』を構え、『那須隊』と相対する。

 

 決死の時間稼ぎが、始まった。

 

 

 

 

「おっとぉ、此処で『香取隊』の二人が『那須隊』と交戦を開始……っ! どうやら香取ちゃんは、このまま日浦ちゃんを狙うつもりやな……っ!」

「ま、順当な選択だろうな」

 

 太刀川は真織の実況に、そう答えた。

 

「此処で香取がモールに戻っても、敗北の時間を引き延ばす効果しか望めない。なら、一人でモールの外にいる()()()()の日浦を刈る方が、ずっと効果的だ」

 

 一点でも取れれば『王子隊』よりポイントは上になるしな、と太刀川は告げる。

 

 確かに、此処でモールに戻っても悪い意味で結果が見えている以上、確実に茜を獲った方が『香取隊』にとっては何倍もメリットがある。

 

 それを考えれば、これ以外の選択はないようにも思えた。

 

「若村と三浦が『那須隊』の三人相手にどれだけ粘れるか、そして香取がどれだけ早く日浦を仕留めに行けるか、それが勝負の分かれ目だろうな」

 

 けど、と太刀川は画面を見据え、笑みを浮かべる。

 

 画面に映る『香取隊』の三人の眼に、諦めは浮かんでいない。

 

 その場の最善を尽くす戦士の顔が、そこにはあった。

 

「────三人共、良い眼をしてる。あれなら、期待出来るかもな」

 

 

 

 

「旋空弧月……ッ!」

 

 三浦は『旋空』を起動し、七海へ拡張ブレードを向ける。

 

 尋常ではない回避機動を行う七海相手には、()の攻撃よりも()の攻撃の方が効果的。

 

 一人『那須隊』の試合ログを確認していた三浦は、それを知っていた。

 

 だからこその、『旋空弧月』。

 

 普段あまり使わないそのトリガーを用いて、七海に挑む。

 

「────メテオラ」

 

 だが、線の攻撃とはいえ単発では意味がない。

 

 七海は難なく『旋空』の攻撃を躱し、メテオラを放つ。

 

「うらああああああああああああ……っ!!」

 

 そうをさせじと、若村は体を捻りながらアサルトライフルの引き金を引き続け、遮二無二に弾丸を放つ。

 

 そのうち幾つかが七海のメテオラに着弾し、起爆。

 

 無数のメテオラが連鎖的に誘爆し、周囲は爆風に包まれた。

 

「く……っ!」

 

 だが、無論『那須隊』の攻撃はそれだけでは終わらない。

 

 爆発を迂回するように放たれた無数の光弾が、若村と三浦を狙い撃つ。

 

 周囲は爆風で包まれ、回避は不可能。

 

 二人は、すぐさま決断を下した。

 

「「シールド!」」

 

 若村と三浦は、同時に『固定シールド』を展開。

 

 バイパーの檻を、『鳥籠』を防御する。

 

(ん……? あれ、両攻撃(フルアタック)にしては弾数が少ない……? これは……っ!)

 

 自分達を包囲する弾丸は、よく見れば両攻撃(フルアタック)にしては数が少ない。

 

 それが意味するところは、何か。

 

 先程の()()()()()を目にしていた三浦の脳裏に、その()()が過る。

 

「……っ!! ろっくん、これはバイパーじゃない……っ! 『()()()()』だ……っ!」

「……な……っ!」

 

 …………『王子隊』は、熊谷が撃った『ハウンド』を那須の『バイパー』であると誤認した。

 

 つまり、これはその時と同じ。

 

 バイパーに見せかけた、ハウンド。

 

 故に、次に訪れる事態は一つ。

 

「あれは……っ!」

 

 ────()()()()()()()による、第二射撃。

 

 天井近くに星々のように煌めく無数の光弾が、致死の雨として降り注ぐ。

 

「ぐぁ……っ!」

「くぅ……っ!」

 

 ハウンドの直撃によって脆くなっていたシールドを貫通し、無数の光弾が二人の体を撃ち貫いた。

 

 バイパーの直撃により、二人の手足に無数の風穴が出来上がる。

 

 何とか急所への一撃は避けたものの、少なくないトリオンが傷口から漏れ出している。

 

 退場は、時間の問題だった。

 

(く、情けないけどあまり保ちそうにない……っ! 頼んだよ、葉子ちゃん……っ!)

 

 

 

 

「見つけた……っ!」

 

 グラスホッパーを用いて、香取はビルの屋上へと駆け上がる。

 

 目まぐるしく景色が移り変わり、風を切るように疾駆する。

 

 そして、捉えた。

 

 ビルの屋上からこちらを視認する、ライトニングを構えた茜の姿を。

 

 茜は香取の姿を確認すると、すぐさまライトニングの銃口を向け、弾丸を撃ち放つ。

 

 ライトニングは、狙撃銃の中でも唯一()()が可能なトリガーだ。

 

 他の狙撃トリガーと比べると小回りが利き、狙撃手が相手に近付かれた際の抵抗手段としても用いられる。

 

 そう、あくまで()()()()だ。

 

 ライトニングは弾速こそ速いが発射先が分かっていれば反応出来ない速度ではなく、威力も低い。

 

 当然、機動力に優れグラスホッパーを用いる香取相手に通用する筈もない。

 

 狙撃手は、位置を知られて寄られた時点で負け。

 

 それは、狙撃手の元祖である東も言っている言葉だ。

 

 攻撃手の接近を許した狙撃手に、生き残る道は無い。

 

 そのセオリー通りに、香取は狙撃手を追い詰める。

 

(獲った……っ!)

 

 遂に茜のいる屋上へ到達し、香取はハンドガンからハウンドを撃ち放ち、同時にスコーピオンで斬りかかる。

 

 ハウンドで逃げ道を塞ぎ、スコーピオンの一撃で仕留める。

 

 万が一にも茜を逃がさない為の、詰めの一手。

 

「……え……っ!?」

 

 だが、そこで香取は予想外の光景を目にする事となる。

 

 茜が、自身に迫る弾丸や香取の方ではなく────横を、モールの方を向いたのだ。

 

 その意味を理解出来ず、怪訝となる香取。

 

 香取がもし、『那須隊』の過去の試合ログを見ていたのであれば、その意味にも気が付いただろう。

 

 だが。

 

 だが。

 

 香取は、『那須隊』の試合ログを()()()()()()()

 

 ()()『那須隊』の情報を、碌に持っていない。

 

 それはどれだけ心構えを決めたとしても、既に過ぎ去ってしまった()()の経緯。

 

 その過去の負債が、今香取へ牙を剥く。

 

「な……っ!?」

 

 ────茜が、消えた。

 

 目の前から、一瞬で。

 

 香取の放ったハウンドはそのまま屋上へ着弾し、スコーピオンも空ぶった。

 

「が……っ!?」

 

 そして、戸惑う香取の頭部を、閃光の一撃(ライトニング)が貫いた。

 

 香取は、その弾丸が放たれた方向に────消える直前に、()()()()()()()()()()へ視線を向ける。

 

 そこには、穴の開いたショッピングモールの壁があった。

 

 そして、その先。

 

 壁の向こう側に、『ライトニング』を構えた茜の姿があった。

 

 …………蔵内は茜によって落とされた時、壁の穴越しに茜を()()した。

 

 つまり茜は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()にいた事になる。

 

 事実、茜が陣取っていたビルは、モールのすぐ横に位置しており、モールとは()()()()()()()()()()()()()

 

 故にそれは、()()()()()()()()()()()()()である事を示していた。

 

 茜がモールの方を向いたのは、テレポーターを使用して退避する為。

 

 香取が来るまで逃げなかったのは、香取の虚を突き狙撃を撃ち込む隙を作り出す為。

 

 ライトニングは、確かに狙撃銃の中でも最も威力が低い。

 

 だが。

 

 だが。

 

 トリオン体の強度に個人差がない以上、適切な急所を射抜く事が出来ればたとえ威力が低くとも致命傷を与える事は出来る。

 

 事実、茜はこれまでの試合でそうやって得点を重ねて来た。

 

 だが、それを香取は知らなかった。

 

 知らなかったが故に、隙を突かれた。

 

 彼女の不勉強が、彼女自身を敗北へと導いた。

 

 その事を察した香取は、乾いた笑みを浮かべた。

 

「…………あーあ、悔しい。アタシ、ホント馬鹿だったわ」

『戦闘体活動限界。『緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 機械音声が、無情に彼女の敗北を告げる。

 

 香取はそのまま、光の柱となって戦場から脱落した。

 

 

 

 

「葉子……っ!?」

「葉子ちゃん……っ!?」

 

 その光景を、若村と三浦はただ見ている他なかった。

 

 突然壁際に茜が現れたと思ったら、壁の穴目掛けて狙撃。

 

 その直後、香取の脱落の報を聞いた二人は、頭が真っ白になった。

 

「────ハウンド」

「────メテオラ」

「────トマホーク」

 

 そんな致命的な隙を、『那須隊』が逃す筈がない。

 

 熊谷が、七海が、那須が、各々の射撃トリガーを一斉掃射。

 

 夥しい、雨のような弾丸が、二人へ降り注ぐ。

 

「が……っ!!」

「ぐ……っ!!」

 

 慌てて固定シールドを張るも、三重の射撃の雨に耐えられるワケがない。

 

 シールドは瞬く間に粉砕され、眩い爆発が二人を包む。

 

『『戦闘体活動限界。『緊急脱出(ベイルアウト)』』』

 

 結末は、変わらず。

 

 機械音声が、二人の敗北を告げる。

 

 それが、終幕の合図。

 

 ラウンド4の戦いは、『那須隊』の完全勝利で幕を閉じた。



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総評、そして

「決着……っ! 『香取隊』の三人が続けて『緊急脱出』……っ! 試合結果は8:0:0……っ! ラウンド1、2に引き続き、『那須隊』の完全勝利や……っ!」

「見事な試合運びだったな」

 

 真織が高らかに『那須隊』の勝利を宣言し、太刀川は笑みを浮かべる。

 

 隣では迅も満足そうに笑っており、双方共に『那須隊』の、七海の活躍にご満悦のようだった。

 

「若村も三浦も頑張っとったけど、結局は勝てんかったかー。ま、あの状況じゃしゃーないわな」

「と言うより、あれは敢えて生かされていたと見るべきだろう」

「ふむ、つまりあれか? 『那須隊』はいつでも仕留められるあの二人を敢えてあの場面まで泳がせていたっちゅー事かいな」

 

 そらなんとも無情やなー、と真織はぼやく。

 

 本人達からしてみればなんとか時間を稼いでいるつもりが、単に泳がされていただけだったとなると、流石に立つ瀬がない。

 

 確かに真織の言う通り、無情な話だった。

 

「そういう事だな。あの場面まで若村と三浦を生かしておく事で、香取に()()()()()()()()()()と錯覚させた。『那須隊』の三人は敢えてモール内に残って若村達の相手をする事で、香取の油断を誘ったのさ」

 

 確かにあの場面で、もし若村と三浦が早々に落ちていた場合、香取は周囲への警戒度をより上げていただろう。

 

 香取は茜を狙った時、茜の狙撃()()に焦点を絞って警戒していた。

 

 攻撃が来るとすれば茜のいる方角からであり、それ以外の方角からの攻撃は考慮していなかった。

 

 だからこそ、茜が『テレポーター』で消えた瞬間、致命的な隙を晒してしまったのだ。

 

 予想外の方角からの攻撃を、無防備に受けてしまう程に。

 

「けど、そんな事せえへんでもさっさと二人を落として四人がかりで香取ちゃんを狙った方が良かったんと違うか? なんで、そんな回りくどい事したんや?」

「香取隊長に、捨て身の特攻をさせない為ですね」

 

 真織の疑問を、迅がそう答える。

 

 迅はまず、と前置きして説明した。

 

「若村隊員と三浦隊員が早々に落ちていたケースだと、香取隊長は文字通り後がない状況になる。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ようになるという事です」

「香取の戦闘センス自体は、本物だからな。覚悟を決めて捨て身で特攻した場合、一人二人持っていかれてもなんら不思議はない」

「『那須隊』はそのリスクを回避する為、敢えて『香取隊』の二人を泳がせる事で香取隊長を仕留め易い状況を作ったワケです。最後までリスク管理を怠らなかった、良い戦術と言えるでしょう」

 

 そう、迅や太刀川の言う通り、香取の戦闘センス自体は非常に高い。

 

 更に言えばあの時、香取は仲間の声を受けて覚悟を決め直し、それまであった諦観も消えていた。

 

 隊の最後の一人になった場合、捨て身で特攻を仕掛ける可能性は充分に考えられた。

 

 追い詰められた獣程怖いものはないと言うが、それは香取にも同じ事が言える。

 

 捨て身の攻撃は、時として想定外の損害を与える事がある。

 

 特に香取は爆発力が高いタイプであり、自身の脱落と引き換えに『那須隊』のメンバーを一人もしくは数人落とすといった展開も、場合によっては有り得ただろう。

 

 『那須隊』はその危険を排除する為、若村と三浦を敢えて泳がす策を打った。

 

 その結果、香取は一人も落とす事が出来ずに脱落した。

 

 完全に、『那須隊』の作戦勝ちだったと言えるだろう。

 

「けどそれ、日浦ちゃんを信頼してへんと出来ん策やよなー。これまでの『那須隊』やったらなんだかんだで護衛で一人同行させそうなモンやったけど、結局日浦ちゃん一人に香取ちゃんを任せおったしな」

「何もかも手を回す事だけが、チームワークではありませんからね。時として仲間の力を信じ、戦局を託す判断も必要。今の『那須隊』は、それを良く分かっていますね」

 

 あの敗戦はきちんと糧になったみたいだな、と迅は一人呟いた。

 

 ラウンド3での敗戦を経験する前の『那須隊』であれば、茜一人に任せず、熊谷あたりを茜の傍に控えさせていた筈だ。

 

 しかしその方針を取った場合、熊谷の存在を香取に認識させる事になってしまい、『テレポーター』での奇襲が成功しない可能性があった。

 

 奇襲が成功したとしても、『テレポーター』で移動出来るのは茜だけ。

 

 香取の傍には熊谷が残る事になり、落ちるまでの間に仕留められてしまう危険があった。

 

 故に、茜一人に香取を任せた判断は、英断だったと言えるだろう。

 

 結果として茜は『テレポーター』を用いた奇襲を敢行し、実質単独で香取を落とす事に成功した。

 

 あの敗戦の経験は無駄ではなかったと、迅に思わせるには充分な成果と言える。

 

「はー、つくづく見事やなー。こら、ウチらもうかうかしてられへんな」

「『生駒隊』も、そろそろ七海達と当たっても不思議じゃないからな。生駒に言っとけ、()()()()()()ってな」

 

 何せ、俺が直々に鍛えてやったからな、と太刀川はからからと笑った。

 

 真織としてはこれだけの用意周到な試合運びをした『那須隊』と当たる時の事を考えると色々と頭が痛いが、そうも言っていられない。

 

 太刀川の言う通り、最早いつ当たってもおかしくはないのだから。

 

「ま、伝えとくわ。ほな、そろそろ総評頼むでー」

「おう、じゃ、まずは『香取隊』からだな」

 

 真織の要請を受け、太刀川は総評に移る事を承諾した。

 

 まず、と太刀川は話し始める。

 

「さっきも言ったが、『香取隊』は最初から最後まで『那須隊』のコントロール下にあったようなモンだ。MAP選択も恐らく誘導されたものだろうし、『那須隊』はこの試合中、『香取隊』の動きを完全に把握し切っていた筈だ」

「香取隊長を釣り出し、『メテオラ』の焼き出しで他の隊員と『王子隊』をかち合わせる。その後は共闘の構えを取った『王子隊』と『那須隊』を分断し、各個撃破した。言ってみればこれだけですが、その作戦を通し切ったのは『那須隊』の個々の実力は勿論、適切な指揮と連携の賜物でしょうね」

「そうだな。そして、『香取隊』は『那須隊』にとっての予想外の行動を取る事が出来なかった。これが、最大の敗因と言える」

 

 太刀川の言う通り、『那須隊』はこの試合中、『香取隊』の行動を完全に予測し切っていた。

 

 そして『香取隊』は予測通りの行動をして、『那須隊』の計算通りの試合展開に持ち込まれ、敗北した。

 

 完敗、と言って差し支えない結果だろう。

 

「『香取隊』は今回折角MAPの選択権を持っていたのに、そのMAPを活かす作戦を何も持ち込んではいなかった。地形戦の重要性は今更言うまでもないから省くが、準備不足をまずどうにかしなくちゃ話にならん」

 

 最後の香取の負けも、試合ログを見ていれば防げた筈だしな、と太刀川は告げる。

 

 確かに、その通りである。

 

 『那須隊』は、()()()()()()()()()()()という事を前提に作戦を組み立て、実際にログを見ていなかった香取はまんまとその策に嵌まり敗北した。

 

 不勉強故に負けた、と言って差し支えない結果である。

 

 『香取隊』は今回、準備不足が目立ち過ぎた。

 

 MAPを選ぶだけでそれを活かす作戦は用意せず、いつも通りの場当たり的な対処で試合を進めた。

 

 その結果が、この惨敗である。

 

「チームランク戦は、個人の実力が高いからと言って勝てるような甘い戦いじゃない。戦術や相手チームの分析を疎かにする奴に、勝利は決して訪れない。そのあたり、もう一度よく考えるべきだな」

 

 だが、と太刀川は続ける。

 

「────最後のあたりの『香取隊』の顔つきは、悪くなかった。結果としちゃ惨敗に終わったが、諦めずに上を目指す姿勢があれば、あとは隊としての努力次第だ。伸び代自体は充分にあるチームだから、もっと楽しませてくれるようになると嬉しいな」

 

 

 

 

「…………まったく、好き放題言ってくれちゃって…………まあ、言い返せないのは確かだけど……」

「葉子……」

「葉子ちゃん……」

 

 『香取隊』の作戦室で、生身の身体に戻った香取はそう言って溜息を吐いた。

 

 そんな香取を、若村と三浦は複雑そうな面持ちで見詰めている。

 

 若村は柄にもなく殊勝な香取を見てどう反応していいか分からず、三浦も下手な口出しが出来ずにいる。

 

 だが、二人が何かを言う前に、染井が割って入った。

 

「でも、上を目指すつもりはあるんでしょ?」

「当然じゃない。あれだけ言われて、引き下がれるモンですか。あいつ等にも、きっちり借りを返したいしね」

 

 香取はそう言って拳を握り締め、自分が落とされた時の事を想起する。

 

 あの時、香取は目の前から茜が消えた事に対し、何も反応する事が出来なかった。

 

 『テレポーター』は使用者が少なく、B級隊員でセットしている者は殆どいない。

 

 碌にログを見ない香取はその詳細な効果すら知らず、茜がモールの方角を向いた()()を理解する事が出来なかった。

 

 理解出来なかったが故に、致命的な隙を晒し、落とされた。

 

 原因がハッキリしているだけに、口惜しさはかなりのものがある。

 

 次は負けない、と意気込むのも当然と言えた。

 

 そんな香取を見て、若村もまた溜息を吐いた。

 

「別に、お前だけの所為じゃない。そもそも、MAP選択権があったのに碌な戦術を用意しなかった俺達も同罪だ」

「へえ、珍しいじゃない。アンタがそんな事言うなんてね」

「ただ、自分の馬鹿さ加減を自覚しただけだ。俺はお前を糾弾出来る程、偉くもなんともなかったってな」

 

 若村の絞り出すような独白に、香取はそう、と短く告げるだけに留めた。

 

 元々、香取は若村達には一切の期待をしていなかった。

 

 若村は文句を言うだけで具体案を出すワケでもなく、三浦はその場その場のフォローで手一杯。

 

 だから、自分が暴れた方が手っ取り早く点が獲れる。

 

 そう判断した結果が今までの度重なる香取の独断専行であり、足踏みを続ける原因となっていた。

 

 結局、双方共に現状がどうしようもない事を理解しながら、互いの粗探しばかりをして碌な対策を取って来なかった。

 

 試合の度に反省点を挙げるまでは良いが、そこからどう()()()()()()()をきちんと話し合わなければ、何の意味もない。

 

 今までの『香取隊』には、その視点が決定的に欠けていた。

 

 本当の意味での()()()()など、ただの一度も行って来なかったのだ。

 

 それでは、改善など出来よう筈もない。

 

 だが、若村は今回の試合で自分の現状を正確に認識し、改善点についても理解した。

 

 下ばかりを向いていた顔を、ようやく前に向けた。

 

 これは、明確な変化と言えた。

 

「僕も、何処まで出来るか分からないけど協力するよ。これからは全員で作戦を話し合って、きちんと考えてランク戦に臨もう。今からでもきっと、遅くはない筈だから」

「そうね。雄太の言う通り、やるべき事がハッキリしたなら後は実行に移すだけよ。それとも、葉子は嫌?」

「…………正直、面倒だけど…………でも、このまま舐められたままってのもムカつくわ。やるってんなら、トコトンやってやろうじゃないの」

 

 今度こそ、目にもの見せてやるんだから。と、香取は獰猛な笑みを浮かべる。

 

 その顔を見て若村は苦笑し、三浦は笑みを浮かべた。

 

 確実に前を向き始めた隊員達を見て、染井は誰にも気付かれないように少しだけ笑った。

 

 ずっと足踏みを続けていた面々が、ようやく前へ一歩を踏み出した。

 

 その意味は、とてつもなく大きい。

 

 『香取隊』は、もっと上を目指せる。

 

 既に、これまであったぎこちない空気はない。

 

 ただ上を目指す確たる決意が、芽生えていた。

 

 

 

 

「次は『王子隊』だな。『王子隊』は、最初から最後まで不利な戦いを強いられたイメージが強いな」

「横に狭く縦に広い『市街地D』では、『王子隊』の強みである機動力を活かし難かったですからね。無理もないでしょう」

 

 迅の言う通り、『王子隊』の強みはその機動力にある。

 

 隊の三人全員が()()()事で有名な『王子隊』は、状況に応じて獲り易い駒を狙い、着実に点を獲っていくのが基本的な戦法だ。

 

 しかし広さの限られたモールが主戦場となった『市街地D』ではその機動力を活かす事が出来ず、次善の策に甘んじるしかなかったワケである。

 

「それでも『香取隊』を利用して点を獲ろうとする姿勢は良かったけど、『那須隊』が『香取隊』に仕込んだ仕込みの()()までは見抜けなかったみたいだな。結果的に、『香取隊』の巻き添えを食らったようなモンだろ」

「王子隊長が早々に落ちた事も痛かったですね。先ほども言いましたが、通信越しの指示ではどうしてもタイムラグがありますし、直に戦場を見た時とそうでない時とでは、どうしても認識の差が生じます。王子隊長の早期脱落がなければ、また違った結果になったかもしれません」

「それが分かってたから、『那須隊』は王子を真っ先に狙ったんだろうからな。相変わらず、初見殺しの使い方が上手い」

 

 確かに、太刀川の言葉通り、今回の『那須隊』は()()()()()()()()()()使()()()()という初見殺し要素を最大限に活かし、王子に隙を作らせそこを仕留めた。

 

 自分達の持つ手札(カード)の切り方を心得ている、良い采配と言える。

 

 あの一手が、試合の流れを決めたと言っても過言ではない。

 

 太刀川の言う通り、手札の使い方が抜群に上手い。

 

 称賛に値する、良い戦術と言えた。

 

「『王子隊』は確かに相手チームの研究に余念がない勤勉なチームだが、逆に今回は前回の試合までの情報を絶対視し過ぎたのが敗因と言える。王子が戦場に残っていれば幾らでも軌道修正は出来たんだろうが、それを見越して王子を最優先で狙った『那須隊』が一枚上手だったな」

 

 

 

 

「太刀川さんの言う通りだ。今回は、僕が早々に落ちてしまったのが悪い」

 

 『王子隊』の作戦室で、王子はそう言ってチームメイトに謝罪した。

 

 その姿に、樫尾は思わず立ち上がって反論する。

 

「いえっ! 王子隊長の作戦を遂行し切れなかった自分にも原因がありますっ! 王子隊長だけが悪いなんて事はありませんっ!」

「そうだな。今回、お前の機転にいつも頼り過ぎている事を痛感した。これからは、お前がいない場合のやり方も考慮に入れておくべきだろうな」

 

 樫尾に続き、蔵内もそう言ってフォローを入れる。

 

 隊員達の激励に感謝しながら、王子は笑みを浮かべた。

 

「僕も、これからは今まで以上に生き残る事を念頭に置いた戦い方を模索していくつもりだ。君達には色々苦労をかける事になるだろうけど、これからもよろしく頼むよ。『王子隊』は、まだまだこれからだ」

「はいっ!」

「そうだな」

 

 王子の言葉に、樫尾と蔵内が一も二もなく賛同する。

 

 『王子隊』はこれからも、勤勉に自分達に出来る事を模索していくだろう。

 

 彼らの歩みに、行き止まりはないのだから。

 

 

 

 

「最後に『那須隊』だな。前回はぼろ負けしてたが、その経験はきちんと活かせているみたいで何よりだ。特に文句を付ける所のない、完璧な立ち回りだったと言って良いだろう」

「そうですね。各々の強みを十全に活かした、良い戦術でした」

 

 『那須隊』を評価する太刀川と迅の顔には、確かな誇らしさが伺える。

 

 二人共手塩にかけた弟子の晴れ舞台をようやく直で解説出来た事もあり、些か高揚しているようだ。

 

 迅が妙に口数が少なかったのも、調子に乗って余計な事まで口走る事を避ける為だろう。

 

 二人共、なんだかんだで七海への入れ込み具合は割と深い。

 

 ラウンド2で茜を褒める為だけに解説を引き受けた奈良坂と、実はどっこいどっこいである。

 

「今回、くまが『ハウンド』を持ち込んで来たが、これで『那須隊』は中距離での射撃戦の厚みがより増した事になる。今までは七海と那須が暴れて日浦と熊谷がそれをフォローする形だったが、これで那須と熊谷が組んでの射撃戦という選択肢が出来た。この手札が増えたのは大きいぞ」

「そうですね。熊谷隊員はいざとなれば味方の盾となって相手の攻撃手を押し留める役割も持てますから、更に戦術の幅が広がったと見るべきでしょう」

 

 二人の言う通り、熊谷が『ハウンド』を習得した意味は思った以上に大きい。

 

 今まで熊谷は中距離戦で出来る事が少なく、ラウンド2までの活躍も専ら隠密からの奇襲だった。

 

 だが『ハウンド』という使い勝手の良い中距離火力を手にした事で、熊谷に()()()()()()()()()という手札が加わった。

 

 これだけで、今までとは出来る事が大分違って来るのだ。

 

 隊との相性を考慮しても、最善の選択だったと言えるだろう。

 

「そして今回、那須隊長は『グラスホッパー』を使用しました。これで更に機動力に磨きがかかり、これまで以上に彼女を機動戦で捉える事は難しくなるでしょう」

「『グラスホッパー』があるとないとじゃ、機動の自由度と速度にかなりの違いが出るからな。七海との合流も、これまでよりずっとやり易くなる筈だ」

 

 そう、那須はこれまで、『グラスホッパー』なしでも縦横無尽の機動で相手を幻惑していた。

 

 そこに、『グラスホッパー』という機動力を強化する手札が加わったのだ。

 

 空中での隙はこれまで以上に少なくなり、彼女を追うのも彼女から逃げる事もより困難になるだろう。

 

「二人の強化で、七海はこれまで以上に攪乱がやり易くなった筈だ。この試合でも一人で『香取隊』全員を抑え切ったし、自分の役割を心得た悪くない立ち回りだ」

「日浦隊員も、自分の仕事をきっちりこなしきっていましたね。こちらも、やるべき事をしっかりと理解して立ち回っています。『テレポーター』使いの狙撃手として、これからも躍進を期待出来るでしょう」

 

 そして七海と茜も、各々の役割をこなし切っていた。

 

 七海は単独で『香取隊』を完全に抑え込み、茜はチャンスを逃さず的確な狙撃で得点を重ねて行った。

 

 今回の試合では、『那須隊』の全員がその強みを活かし切れたと言えるだろう。

 

「だが、それでも油断ならないのがB級上位の面々だ。今回は上手く行ったが、次はどうなるか分からないぞ」

「ですが、今回で隊の理想的な立ち回りを知れたのは明確なプラスだったと言えるでしょう。彼等なら、きっとこれからも良い試合を見せてくれるでしょう」

 

 さて、と迅は仕切り直すように咳払いをした。

 

「総評はこれで終わりですが、此処で一つ、お知らせがあります。本来は忍田本部長が話す予定でしたが、()()()()()()()用事が出来たので僭越ながら自分が代わりに話す事とします」

「……ほぅ……」

 

 迅の言い回しにその真意を悟った太刀川が、目を細めた。

 

 『未来視』の副作用(サイドエフェクト)を持つ迅にとって、()()()()()()()などという言い回し自体が不自然だ。

 

 彼は、視えていた筈なのだ。

 

 今自分がその説明をする事になる、未来を。

 

 つまりこれから話す情報は、()()()()()()()()()()()()()()()と、迅は事情を知る者達に暗に伝えたのだ。

 

「結論から言いますと、今期のランク戦はラウンド8で終了となり、そこからA級B級合同の『合同戦闘訓練』を行います。大規模な戦いを想定した、複数チーム同士が組んだ特殊なランク戦と思って頂ければ結構です」

「「……っ!」」

 

 その迅の言葉に、傍で聞いていた太刀川と真織、そして迅の事情を知る者達は息を呑んだ。

 

 迅は今、()()()()()()()()()と告げた。

 

 『未来視』を持つ迅が、そう言った以上。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()と断言したに等しい。

 

 その事を理解した者達は、来るべき戦いを自覚し、奮起した。

 

 彼等の中には、過去の大規模侵攻で被害を受けた者も多い。

 

 そういった者達にとって、二度目の大規模侵攻は、ある意味でリベンジの機会でもある。

 

 かつて何も出来なかった自分が、今度は自分の力で街を守る。

 

 これで、奮い立たない者などいるワケがない。

 

 会場の熱気から自分の意図が正確に伝わった事を察した迅は、まとめに入った。

 

「ちなみに、この『合同戦闘訓練』はA級への昇格試験も兼ねています。これまではB級で上位二チームのみがA級への昇格試験を受ける事が出来ましたが、今回はラウンド8終了時点でB級上位にいたチーム全員にその機会があると思ってくれれば結構です」

 

 これで説明を終わります、と迅は真織に目配せをした。

 

 合図を受けた真織はこくりと頷き、声を張り上げた。

 

「これでB級ランク戦、ラウンド4は終了やっ! 新情報については後で詳しい説明がある筈やから、しっかり聞いとくようになー」

 

 そして、真織の一声でROUND4は終了した。

 

 一つの、大きな情報と共に。



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緊急隊長会議

「皆、急な呼び出しに集まってくれて礼を言う。このようなやり方で、誠に申し訳なかった」

 

 精悍な顔立ちの男性、『ボーダー』本部長忍田真史(しのだまさふみ)が開口一番、そう告げた。

 

 此処は本部の会議室、そして────今この場には、B級及びA級部隊の隊長が数多く揃っている。

 

 ROUND4終了時に迅の口から告げられた、A級とB級の部隊が共に行う事になる『合同戦闘訓練』。

 

 その説明を────即ち、この訓練を行う()()となった迅の()()について話す為に、忍田が実際に訓練に参加する事になるであろう部隊の隊長に召集をかけたのだ。

 

 今此処にいるのは、中位以上のB級部隊の隊長と、スカウト旅等の事情でいない『草壁隊』等を除くA級部隊の隊長達。

 

 手前のテーブル中央には、『太刀川隊』隊長太刀川慶。

 

 それに並ぶように、『風間隊』隊長、風間蒼也と『冬島隊』隊長、冬島慎次等のA級部隊隊長陣。

 

 奥のテーブルには、『二宮隊』隊長、二宮匡貴。『影浦隊』隊長、影浦雅人。

 

 『生駒隊』隊長、生駒達人や、『弓場隊』隊長、弓場拓磨(ゆばたくま)等のB級部隊長の面々が着席している。

 

 そうそうたる面々が、この会議室に集まっていた。

 

「皆、突然の事で驚いたと思う。日々ランク戦を通じて切磋琢磨している君達に、このような混乱を齎す事は私としても本意ではない。だが、そうも言っていられない事態が起きているのだ」

「そんな事は分かってるって、忍田さん。わざわざ、迅にあんな真似をさせたんだ。此処にいる奴等だって事情は察せられるだろ」

「止むを得ない事情があったにせよ、あまり褒められたものではない手段を使ったのは事実だ。そのあたりは、きちんと筋を通すべきだ」

 

 相変わらずの自分の師に、苦笑しつつも太刀川はそれ以上の茶々を入れる事は控えた。

 

 それよりも、此処で通達されるであろう詳細を聞きに回った方が、ずっと面白そうだ。

 

 太刀川は自分の嗅覚が間違っていない事を感じながら、事の成り行きを見守った。

 

「慶の言う通り、薄々察している者はいるかもしれないが────此処にいる迅から、近々大規模な『近界民(ネイバー)』の侵攻が起こる可能性を提示された」

 

 その言葉に、半ば大多数が予想していたとはいえ、どよめきが漏れる。

 

 それはそうだろう。

 

 多くの悲劇を生んだあの四年前の大規模侵攻から、『近界民(ネイバー)』の動きはあくまで散発的で、部隊単位で対処可能な程度のトリオン兵が送られてくる事が精々だった。

 

 だが、今回、その前提が破られた。

 

 来るのだ。

 

 二度目の、大規模侵攻が。

 

 多くの悲劇を生みかねない、大きな戦いが。

 

 その事を自覚し、嵐山や柿崎(市民の安全を憂慮する者)は表情を引き締め。

 

 香取や三輪(過去に疵を持つ者)は顔を顰めた。

 

 いずれも、傍から見ていれば分からない程の変化。

 

 しかしその全てを認識しながら、忍田は話を続ける。

 

「そこで迅から、第二次大規模侵攻に備える為にA級B級合同での戦闘訓練が提案された。内容に関しては────」

「────そこから先は俺が説明するよ、忍田さん。()()()()、でしょ?」

 

 迅はそう言って、忍田から話を引き継いだ。

 

 忍田は何か言いたげだったが、迅の眼を見て息を呑み、こくりと頷いた。

 

 それだけ、迅の眼は今まで彼が見た事がないものだったのだ。

 

 何処か飄々としたイメージを持つ迅だが、忍田は彼にかかっている一個人が背負うには巨大すぎる重責に内心申し訳なく思うばかりだった。

 

 いつも笑っているように見えて、心の奥では涙さえも枯れ切っている。

 

 それが、迅の本質。

 

 以前林藤から告げられた、迅のどうしようもない部分だった。

 

 だが、今の迅は、違う。

 

 今までの、何処か無理をしている感じが薄くなっている。

 

 彼の眼には、仲間に対する信頼と、良い意味での()()がある。

 

 これくらいなら、皆やってくれる。

 

 そんな信頼が、迅の眼からは垣間見えた。

 

 何があったかは忍田の預かり知る所ではないが、見たところ良い傾向のように思えた。

 

 実は迅から今回の話を持ってこられた時、忍田は内心驚いていたのだ。

 

 迅は、自分の『未来視』で得た情報を軽々と他人に喋りはしない。

 

 彼自身が厳選した情報だけを的確なタイミングで伝え、未来のレールを調整している。

 

 その為には、予想外の動き(イレギュラー)が少ないに越した事はない。

 

 故に、彼は情報を伝えるだけで、そこから先の動きについて明確な指示を出した事はない。

 

 曰く、自分が動き過ぎると未来が予想外の方向に転がり落ちる可能性があるかららしい。

 

 故にあくまで迅は第三者として個人で暗躍し、自身が深入りするような展開を避けていた。

 

 だが今回、迅は未来の情報を伝えるばかりか、その対策の()()()まで提示して来た。

 

 しかも、きちんと理由まで付け加えた上で。

 

 迅は、基本的に理由を説明しない。

 

 「俺のサイドエフェクトがそう言ってる」という文言を以て、理由の言及を避けるのだ。

 

 何故、そうする事で未来が変わるのか。

 

 彼は、説明を敢えて省いていた。

 

 余計な情報を伝える事で、未来が悪い方向に向かってしまう可能性。

 

 それを彼は、いつも憂慮していた。

 

 未来を視る目を持ちながら、未来というものを一番信用していない。

 

 そんな、彼であったが故に。

 

 その前提が、今回は覆った。

 

 迅が此処まで積極的に干渉したという事は、裏を返せば未来を、()()()そこまで信頼したと言い換える事も出来る。

 

 故に、此処は彼に任せよう。

 

 そう考えた忍田は、迅の行動を黙認した。

 

 そんな忍田に軽く頭を下げた迅は、改めて勢揃いした隊長達の顔を見据える。

 

 誰もが異なる個性を持ち、誰もが自分の信念の下、此処へ集っている。

 

 これなら、大丈夫。

 

 迅はそう自分に言い聞かせ、ゆっくりと口を開いた。

 

「じゃあ、此処からは俺が説明しよう。今忍田さんが言った通り、近々大規模な近界の侵攻が起こる未来を視た。ハッキリ言って、規模を考えれば四年前のあれに匹敵────────もしくは、上回るだろう」

 

 改めて告げられたその言葉に、皆は一様に息を呑んだ。

 

 未来を視る男(迅悠一)の言葉は、重い。

 

 確かなリアリティを以て、大きな戦いの足音を皆に感じさせた。

 

「近々、というのはどの程度だ? それによって、遠征のスケジュールも調整する必要が出て来るぞ」

「年内、ってワケじゃないのは確かだ。まだ断定は出来ないが、恐らく年を越した後────1月下旬あたりだと、俺は見てる」

 

 風間の質問に、迅はそう答える。

 

 現在が10月17日である為、迅の告げた大規模侵攻まであと三ヵ月程。

 

 短くはないが、長くもない期間だ。

 

 今日明日といったものでない事に安心した者もいれば、確かに迫る戦いの気配に息を呑んだ者もいる。

 

 どちらにせよ、迅がこう告げた以上大規模侵攻は必ず起こる。

 

 迅が見た未来は、確度が高い情報程先の事が分かる。

 

 三ヵ月も先の未来を視たという事は、()()()()()()()()()()という情報自体は、ほぼ揺るぎのないものなのだろう。

 

「けど、俺が視たのは大きな戦いが起こる事()()であって、どんな連中が攻めて来るのかとか、そういった詳細な情報までは分からない。けれど、『ボーダー』が一丸にならないと乗り切れない戦い、って事だけは言える」

 

 そこで、と迅は続けた。

 

「此処にいる面々は、B級同士であればランク戦を通じて戦った事があるだろうし、個人戦で鎬を削った者もいるだろう。けど、B級の面々はA級隊員の集団戦闘での()()()なんかは、知らない人が多いんじゃないか?」

「……確かにそれは言えるな。俺達は、データでしかA級部隊の動きを知らない。個人戦で戦った事はあっても、七海がそうであったように個人戦と集団戦とじゃ各々の取る動きは違って来る。そういう意味では、俺等B級にとってA級は()()()()()と言っても過言じゃないだろう」

 

 迅の言葉を、荒船がそう言って肯定する。

 

 彼は『完全万能手を量産する』という己の野望の為、参考にしようとA級の戦闘ログにはあらかた目を通していた。

 

 それでもデータ上と実際に戦うのでは感じる印象は全く違って来るし、隊員達も日々鍛錬を重ねている以上、過去の記録データがそのまま使えるとも限らない。

 

 ()()()()A()()()()()()()()()()()()()については、確かに未知のものと言えた。

 

「今回、部隊同士、もしくは別の隊の隊員と組んでの作戦行動の機会も多くなる筈だ。可能であれば大規模侵攻が起こる可能性が高い期間は隊のメンバーは全員揃って出撃可能な状態にある事が望ましいし、忍田さん達にある程度そこは取り計らって貰うつもりだ」

 

 でも、と迅は続ける。

 

「それでも、隊の仲間が『緊急脱出』して他の部隊と合流する展開もあるだろうし、分断して動いた結果別の部隊の隊員と共闘する展開も有り得る。その時、相手の()()()を知ってるかどうかってのは大分重要になって来るだろう」

「成程、それで『合同戦闘訓練』か」

「そういう事」

 

 風間の言葉を肯定し、迅は笑みを浮かべた。

 

「この『合同戦闘訓練』ではA級部隊とB級部隊が一つのチームになって貰って、AB混合チーム同士で試合を行う。共闘すれば互いの戦法や考え方も理解出来るだろうし、実際に戦う事で見れるものもある。間違いなく、有用な経験になる筈だ」

「それは私も同意しよう。これまで、個人的に混合チーム同士で試合をする事はあっても、公的な場でそういった試みを計画的に行う事はなかった。それを踏まえて、私は迅の提案を採用するに値するものであると判断した」

 

 迅の言葉を保証するように、忍田が力強く告げる。

 

 A級とB級の部隊同士がチームを組み、同じようにチームを組んだAB合同の部隊と戦う。

 

 普段集団戦で戦う機会のない隊員同士が鎬を削り合うそれは、確かな経験となって隊員達の中に蓄積される。

 

 特殊なランク戦、というのも言い得て妙だ。

 

 ランク戦の本質は、()()()()()()()()()()()である。

 

 今回はそれを、より明確な目標に向けて行うというだけの話だ。

 

 そのかかる時間や準備、スケジュールを考えれば、ランク戦をROUND8で中断するという選択も理に適っている。

 

 普段通り16ROUND全てを行っていては、そんな戦闘訓練をこなす時間など取れる筈もない。

 

 故にこそ、ROUND8で通常のランク戦を中断し、そこから『合同戦闘訓練』を開催する、という方式を取ったのだろう。

 

 ランク戦は鎬を削り合う場であると同時に、普段の成果を試す場でもある。

 

 全てのチームがランク戦には相応の覚悟を以て望んでおり、その想いは蔑ろにされるべきではない。

 

 中位から上位へ、そしてその先へ。

 

 そう願う者でなければ、B級隊員にさえなれてはいないであろうから。

 

 今回の案は、そのあたりを加味した上での折衷案と言えるだろう。

 

「そして、ランク戦を途中で中断させてしまう都合上、通常のA級昇格試験を実施するのは難しい。そこで、この『合同戦闘訓練』を事実上のA級昇格試験とする案を提出させて貰った」

 

 忍田は集まった面々を見据えながら、静かに告げる。

 

「ROUND8の終了時点でB級上位に残留していた面々に限り、共闘・対戦したA級部隊の隊長から過半数の認可を得た部隊は、A級へ昇格出来るものとする。事実上、A級部隊の隊長達が昇格試験の試験官だと言えるだろう」

 

 そう告げると忍田は風間や太刀川に目を向け、二人はこくりと頷いた。

 

 A級部隊の隊長達には、予めこの試験官をやって貰う旨は伝えてある。

 

 隊長陣としても、否などあろう筈もない。

 

 A級昇格に値するかどうかは、共闘もしくは対戦すれば、おのずと理解出来る。

 

 自分達はただ、そこに評価を付けるだけで良い。

 

 上に上がらせるべきか、否か。

 

 特に風間は、この点で妥協する気など全くなかった。

 

 今回は都合上多くの部隊にA級に上がるチャンスが与えられているが、A級の壁はそう薄いものではない。

 

 遠征部隊に選ばれる可能性があるA級部隊となる為には、相応の力と連携、そして心構えが必須だ。

 

 此処で妥協する意味など、全くない。

 

 風間はあくまで公平な視点で、ふるい落としを行うつもりであった。

 

 それが、誰にとっても良い結果であると、彼は分かっているが故に。

 

 その程度の事が分からないようでは、A級部隊の隊長などやってはいけない。

 

 風間は、そう考えていた。

 

「無論、試合の結果は勿論だが、その内容に関しても判断材料となる。ただ勝てば良い、というものではない事だけは念頭に置いておいてくれ」

 

 そんな風間の考えをフォローするかのように、忍田は告げる。

 

 風間は敢えて厳しくやって憎まれ役を買って出るつもりのようだが、そこに現場のトップである忍田の言葉があるとないとでは大分話が変わって来る。

 

 此処でそういった根回しを怠る程、忍田は考えなしではなかった。

 

 風間は気にしないかもしれないが、忍田としては未だ学生の身分である彼等が戦闘によって心身を擦り減らしている事を、仕方ない事だと理解しつつも申し訳なく思っていた。

 

 だから、やれる事はなるだけやってやりたい。

 

 それが、忍田の想いでもあったのだから。

 

「私もこの『合同戦闘訓練』の結果を踏まえ、当日の指揮に反映させるつもりでいる。全ての試合で皆が全力を出し尽くす事を、私は願っている。そして忘れないで欲しいのは、君達は競い合い、切磋琢磨する間柄であると同時に────共に戦う、仲間であるという事を」

 

 その言葉で思い出すのは、今期のランク戦が始まった時、東が語った内容。

 

 ────各々の部隊の面々はこれから他の部隊と鎬を削り合うワケだが、他の部隊は決して()などではなく、あくまで訓練の()()()()である事を念頭に置いて欲しい────

 

 

 東はランク戦が開催された直後、皆にそう語りかけた。

 

 忍田の考えも、東と同じだ。

 

 ランク戦で競い合う間柄ではあっても、有事の際は共に戦う仲間なのだ。

 

 情報戦は勿論大事だが、いざ実践に赴くにあたり、仲間相手に壁を作っていても意味はない。

 

 円滑な意思の共有が、戦場では必要不可欠だ。

 

 それを分かっている彼等は、改めてその事を説いたのだ。

 

 皆が初心を、忘れない為に。

 

 戦闘を経験して大人びていても、まだ彼等は大半が学生の身分。

 

 精神的な未熟さというものは、矢張りあるのだ。

 

 故に、そこをフォローするのは大人である自分達の役目である。

 

 彼らは、自分の役割を間違えない。

 

 迅が、こんな風に自分達を頼って来たのは初めてだ。

 

 今まで常に一歩引いた立ち位置を崩さなかった迅に、明確な歩み寄りの姿勢が見えた。

 

 ならば、その意図を汲まずして何が大人か、何が本部長か。

 

 忍田は心底そう思い、全力でことに当たるつもりだった。

 

「質問がなければ、以上で終了とする。『合同戦闘訓練』についての詳細は、改めて資料として配布しよう。皆、今日は集まってくれて感謝する。健闘を、祈っている」

 

 忍田はそう締め括り、隊長会議は終了となった。

 

 迅はそんな忍田の横で、居並ぶ隊長の面々を見据えた。

 

 良い眼だ。

 

 皆がそれぞれ、自分の成すべき事を理解している眼だ。

 

 これなら、大丈夫。

 

 未来はもう、動き始めている。

 

 迅は、確かな確信を持ち、笑みを浮かべた。



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それぞれの想い

「お待たせ、玲一」

「ああ、終わったのか。玲」

 

 七海は会議室の近くの廊下で、会議を終えて部屋から出てきた那須を出迎えた。

 

 今回、忍田本部長からの召集により、隊長陣が集められ緊急の隊長会議が開かれた。

 

 表向きは今回迅が告知した『合同戦闘訓練』の詳細説明だが、その内実は迅の()()()()()()()である事は容易に想像出来る。

 

 事実、今の那須の表情は何処か重い。

 

 矢張り、察していた通り二度目の大規模侵攻がある事は、ほぼ確定であるらしい。

 

 思い詰めるような那須の表情が、何よりもそれを雄弁に物語っていた。

 

 七海は重苦しい表情をする那須の頭にポン、と手を置き、精一杯の笑みを向ける。

 

「…………玲一…………」

「大丈夫。何を説明されたかは、大体分かってる。けど、心配するな。あの時とは、違う。俺もお前も、『近界民(ネイバー)』と戦う為の力はきちんと持っている。もう、無力な俺達じゃない」

 

 それに、と七海は続けた。

 

「俺達は、独りじゃない。『ボーダー』の皆が、心強い仲間がいる。だから、あの時のようにはならないよ。今度こそ、この街を、大切なものを守り抜くんだ」

「……うん。分かった。私も頑張るわ」

 

 七海の言葉に、那須も幾分か落ち着いたのだろう。

 

 表情から険が抜け、柔らかな笑みを浮かべている。

 

「…………あー、お二人さん。そういうのは、往来でやらない方がいいと思うぞ」

「あ……」

「ああ、すみません。荒船さん。お疲れ様です」

 

 そんな折、声をかけられ振り向けば、そこにはなんとも言えない表情をした荒船が立っていた。

 

 那須は今のやり取りを見られていた事に気付いて赤面し、七海は平然と荒船に挨拶を行った。

 

 自分の気持ちを誤魔化し続けていた者と、自覚しながらも蓋をしていた者の、如実な反応の差であった。

 

「ったく、青春してるようで何よりだな全く。それより、今日の試合も凄かったそうじゃねえか。まだログは見てねえが、上位でも完全勝利とは恐れ行ったぜ」

「いえ、荒船さんこそ、四点獲得で調子良いって聞いてますよ」

「そう言われっと、お前らの八得点と比べられてるようで癪だがな。ま、俺等なりにやれる事はやってるつもりだ。次やる事があったら、前みてぇには行かねぇぞ」

 

 そう言って、荒船と七海は笑い合う。

 

 ROUND2では七海の勝利に終わったが、荒船としては次へのステップアップの足掛かりとしては悪くない経験をしたと思っている。

 

 事実、今の荒船隊は上り調子である。

 

 得点差がある上にROUND8までで終わりという縛りがある以上今期上位を狙う事は難しいかもしれないが、それでも悪くない調子だと思っている。

 

 今回は、上位と中位の入れ替わりが頻繁に起きている。

 

 ROUND2で『香取隊』が中位落ちし、ROUND3で上位に戻ったものの、今回のROUND4の結果で『王子隊』共々無得点で中位落ち。

 

 逆に、ROUND3で中位落ちした『東隊』はきっちり上位に戻って来ており、更にこのROUND4で遂に『鈴鳴第一』が上位へと辿り着いた。

 

「次の試合、『東隊』と『鈴鳴第一』だってな。鋼もリベンジに燃えてるし、気合い入れてけよ」

「はい、勿論です」

 

 その『鈴鳴第一』は、次の試合の対戦相手でもある。

 

 ROUND1では完封出来たものの、七海の集団戦での動きを()()()村上のいる『鈴鳴第一』。

 

 そして、ROUND3で惨敗を喫した『東隊』。

 

 どちらも、七海にとって無視出来ない相手である。

 

「────ああ、その言葉を聞けて嬉しいぞ。七海」

「鋼さん……」

 

 ────そして、相手にとってもそれは同じ。

 

 そこには、七海と同じように自分の隊長を迎えに来たのであろう、村上が立っていた。

 

 村上は不敵な笑みを浮かべ、七海に腕を差し出す。

 

「前回はしてやられたが、今回はそうはいかない。きっちり、雪辱は晴らさせて貰うぞ」

「こちらも、負けるつもりはありません。今度も、しっかり仕留めさせて貰います」

 

 七海はそう言って村上と握手を交わし、村上はその様子に満足気な笑みを浮かべると、「じゃあな」と言ってそのまま立ち去った。

 

「あいつも熱くなってるじゃねえか。こりゃ、マジでうかうかしてらんねえな。七海」

「そうですね。元より、鋼さんを侮るなんて事はある筈がありません。全力で、事に当たらせて貰います」

「おう、楽しみにしてっぞ」

 

 そう言って、荒船もその場を後にした。

 

 その後姿を見送った七海が那須の方に振り向くと、その視線の先────廊下の向こうで、仁王立ちする男がいた。

 

 ツーブロックリーゼントというあまり見ない髪型に、ハーフリムの眼鏡。

 

 眼光は鋭く、雰囲気はどう見ても堅気の人間ではない。

 

 だが、七海は知っている。

 

 どう見ても不良系(ヤンキー)そのものといった格好にしか見えない彼は、その実誠実な紳士であり、曲がった事が大嫌いな()であると。

 

 特攻服が抜群に似合いそうな、その彼の名は────。

 

「おう、七海ィ。元気そうじゃねェか」

「はい、ご無沙汰してます。弓場さん」

 

 ────B級上位部隊『弓場隊』隊長、弓場拓磨(ゆばたくま)

 

 数多くの個人戦を繰り返し、その実力を磨き抜いた凄み(ドス)の効いた漢である。

 

 七海とも何度か個人戦でやり合った経験があり、それなりに気に入られている。

 

 同じようにストイックな性格の者同士、気が合うのかもしれない。

 

 言葉よりも行動で、というのは二人の共通した思想であるのだから。

 

「那須も、こうして話すのは初めてだなァ。よろしく頼むぜ」

「…………はい、よろしくお願いします」

「まあ、そう警戒すんな。七海は、個人戦でやり合った戦友(ダチ)なんでな。見かけたんで、ちィと挨拶に来ただけさ」

 

 それに、と弓場は告げる。

 

「次のROUND5、おめェーらの試合の解説すっことになったからよ。良い試合、期待してっからな」

「はい、任せて下さい」

 

 間髪入れずにそう答えた七海に、弓場はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「おゥ、良い返事だ。気張れよ七海ィ。俺等と当たるまで、きちっと腕ェ磨いとけや」

「ええ、その時はよろしくお願いします」

 

 七海の返事に満足した弓場は、「またな」と言いつつその場を立ち去った。

 

 考えてみれば、此処は隊長会議が行われた場所のすぐ傍。

 

 荒船や弓場のように、七海を知る人間であれば、こうして声をかけて来てもなんら不思議ではない。

 

「おや、シンドバットじゃないか。今日は完敗だったよ」

「王子さん……」

「それとナースも、こんばんは」

 

 案の定、続けて声をかけてきたのは今日の試合で戦ったばかりの相手、王子だった。

 

 いきなり珍妙な名前で呼ばれた七海と那須だったが、王子のこの奇天烈なネーミングセンスを付ける性格については聞き知っていた。

 

 流石にこうして呼ばれてみると違和感が物凄いが、慣れるしかないのだろう。

 

 七海の眼を見て呼びかけていなければ、「シンドバット」なんてあだ名が自分の事を指しているとは夢にも思わなかったに違いない。

 

 那須も話に聞く以上の変人ぶりに、目を白黒させていた。

 

 戦い、自らの手で落とした相手ではあるが、会話は一切していない。

 

 七海以外の男子には欠片も興味のない那須ではあるが、その那須にとっても王子の奇抜さは記憶に留めざるを得ない代物であった。

 

「今回の試合、見事な采配だった。あの采配は誰がやったものかな? 君か、もしくはセレナーデ(小夜子)か。どちらにしろ、凄まじい差し手であると認めざるを得ないね」

 

 じろりと、探るような目つきの王子に、七海は努めて冷静な声で切り返す。

 

「それに答える義務は、あるでしょうか?」

「ないね。ま、今の反応で分かったよ。多分、今日の試合の采配を振るったのはセレナーデの方だね。君はもう少し、会話術を覚えた方がいいかもだ」

「…………」

 

 図星を突かれ、七海は言葉に詰まる。

 

 七海は確かに機転が利く方だが、コミュニケーション能力はあまり優れているとは言えない。

 

 試合中は余計な会話をする必要はなく、対戦相手と話す意味も時間稼ぎ以外には存在しない為、どうとでも誤魔化しが利く。

 

 だが、こういった戦場の外での駆け引きとなると、流石に王子のような曲者の相手は荷が重い。

 

 だからこそ、試合前は王子と接触していないようにしていたのだから。

 

「今回はしてやられたけど、次の機会があればこうはいかないよ。ベアトリスやヒューラーにも、そう伝えてくれ」

 

 じゃあね、と言いつつ王子は踵を返して歩き去った。

 

 上手く丸め込まれた感じが強く、矢張り曲者だな、と七海は王子への警戒度を引き上げた。

 

 もし、次戦う事があれば、より一層気を引き締めてかからなければならないだろう。

 

 その機会があるかどうかはともかく、七海はそう強く感じていた。

 

「……あ……」

「ん……?」

 

 そして、遭遇はまだ続く。

 

 廊下の曲がり角から出てきた香取が、七海とばっちり目が合った。

 

 傍にはオペレーターの染井もおり、香取は七海の顔を凝視するとつかつかと早足でこちらに近付いて来た。

 

 その様子に那須は険しい顔を見せるが、七海に制止されて引き下がった。

 

「……アンタ、よくも騙してくれたわね。まさか、ポイントを犠牲にしてまで弱い振りをするなんて思ってもみなかったわ」

「個人のポイントが減ろうが、チームランク戦には影響しませんからね。勝利の為に出来る事をやり尽くすのは、当然の事です」

「ムカつく。でも────そんなアンタの言ってる事が正しい、って今まで理解出来てなかった自分が一番ムカつくわ」

 

 へぇ、と七海は思わず感心した。

 

 この試合の前の香取は、お世辞にも好感を持てるとは言い難い人格の持ち主だった。

 

 才能はあるのにすべき努力をせず、ただ燻っているだけの存在。

 

 七海は香取の事を、そう評価していた。

 

 だが、今の香取は違う。

 

 足踏みしかしていなかった今までと違い、明確に前を、上を向いている。

 

 屋上から叩き落した後の事は伝聞の情報でしか知らないが、太刀川が言ったという「良い眼をしていた」という言葉は、事実だったようだ。

 

 今の香取と試合の前の香取は、最早別物だ。

 

 今後は、今回のような単純な策は通用しなくなるだろう。

 

 次に戦う事があれば、一皮剥けた『香取隊』と戦り合う事になる筈だ。

 

「次は、負けないから。覚えてなさいよ」

「ああ、俺達も負けるつもりはない。けど、応援はしている」

「フン、生意気ね。いいわ、次は絶対吠え面かかせてあげるから」

 

 香取は捨てセリフのようにそう言い残すと踵を返し、染井と共に立ち去った。

 

 染井は去り際にぺこりとお辞儀をして、香取に付いていく。

 

 その様子は何処か、自分と那須の関係を想起させた。

 

 恐らく、香取にとっては彼女こそが一番大事な存在であるのだろう。

 

 染井の手袋の下からは、「痛み」の気配がした。

 

 何か事情があるのだろうが、そこに踏み込もうとは思えない。

 

 自分達に自分達の事情があるように、彼女達には彼女達の事情がある。

 

 それぞれに事情があり、その内容は個々人で全く違う。

 

 必要がない限り踏み込むべきではなく、無暗に踏み込む意味はない。

 

 そのあたりは、きちんと弁えていた。

 

「……お前が、七海か」

「貴方は……」

「三輪、三輪秀次だ。A級部隊で隊長をやっている」

 

 ────けれど、何事にも例外はある。

 

 少年は、七海と似た過去を持つ者(三輪秀次)は、じとりとした目で七海を見据えていた。

 

 三輪秀次(みわしゅうじ)

 

 話には、聞いている。

 

 七海と同じく、あの四年前の大規模侵攻で肉親を、姉を失っている事。

 

 そして、『近界民(ネイバー)』を憎悪し、親『近界民』派である玉狛とは、特に迅とは非常に折り合いが悪い事を。

 

 他ならぬ迅から、聞いていた。

 

 聞く所によれば、迅は三輪の姉がトリオン器官を抜かれ致命傷を負った後、姉を抱きかかえる三輪と遭遇したらしい。

 

 だが、三輪の姉がもう手遅れであると視てしまった迅は何も言わずその場を立ち去り、それが三輪の迅に対する負の感情に拍車をかけているらしかった。

 

 何を思って自分に声をかけて来たかは分からないが、無視をするワケにもいかない。

 

 七海は黙って、三輪が要件を切り出すのを待った。

 

「…………前から、気にはなっていた。お前も、俺と同じように…………あの大規模侵攻で、姉を失ったそうだな」

「……ええ、そうですけど。それが何か?」

 

 素っ気ない七海の返答に、三輪はしばし逡巡した後、口を開いた。

 

「お前は、憎くはないのか? 『近界民』が」

「いえ、憎いという感情はありません」

「……っ! 何故だ? 肉親を奪った連中だぞ。そして今も尚、この世界を脅かそうとしている。殺したい、とは思わないのか?」

 

 矢継ぎ早に告げられる問いは、次第に感情が乗っていった。

 

 三輪自身、何故こんな問いをしているかについて明確な答えがあるワケではないのだろう。

 

 だが、自分と似た境遇を持ちながら、『近界民』を憎悪しない七海が理解出来ない。

 

 そんな三輪の感情が、七海にはひしひしと伝わって来ていた。

 

「何故、何故親『近界民』などという世迷い事をほざいている奴と、迅と親しくしていられる……っ!? あんなヘラヘラした奴に、なんで……っ!」

「…………成程、貴方の言いたい事は理解出来ました。それが本音ですね?」

「……っ!」

 

 七海の指摘に、三輪は押し黙る。

 

 色々と言ってはいたが、三輪の問いたいのはただ一つ。

 

 何故、自分と似た境遇の七海が親『近界民』派の『玉狛支部』の迅(自分が許容出来ない相手)と、何の問題もなく付き合えているのか。

 

 それが理解出来ないから、三輪はわざわざ七海に声をかけたのだ。

 

 多分であるが、先ほどの試合で迅が七海達を評価する姿を見て、迅が七海に向ける親愛の情を感じたのだろう。

 

 その事が彼の中で引き金となり、今回の問答に及んだ。

 

 恐らく、事の経緯はこんな所だろう。

 

 正直、不躾な質問をされて良い気分ではなかったが、それでも彼を責める事は出来ない。

 

 自分には守るべき大切な相手(那須の存在)があったが、彼にはきっと、そんな存在はもういなかったのだろうから。

 

 ふと、想像する。

 

 あの大規模侵攻で、もし姉だけではなく那須をも失ってしまった場合。

 

 自分が、彼のようにならなかった保証はない。

 

 むしろ、自分で命を絶ってもなんら不思議ではないだろう。

 

 自分が今まである程度前向きにやって来れたのは、那須という欠け替えのない、大切な存在(心の拠り所)がいたからだ。

 

 それがなければ、きっとこの世界で生きる事に耐えられなかったに違いない。

 

 そう考えると、三輪を悪く思う事など、出来る筈もなかった。

 

「あの時姉が死んでしまったのは、俺が弱かったからです。姉は俺を助ける為に、自らを犠牲にしました。俺には、その献身に報いる義務がある」

 

 七海は自分の右腕を、姉の形見(黒トリガー)に目を向けながら、告げる。

 

 言葉が届くとは、思わないけれど。

 

 それでも、自分の意思を伝える為に。

 

「だから、俺がやるべき事は、近界民を憎む事じゃない。強くなって、大切なものを守る事です。近界民の排除は、その手段に過ぎない。もしも玉狛の思想通り、友好的な近界民と手を結んで平和が訪れるのなら、俺はその未来を歓迎します」

「……っ!? 馬鹿な、近界民の排除がボーダーの責務だぞ……っ!? 連中と手を結ぶなど……っ!」

「それは、()()()()()()()でしょう? 少なくとも旧ボーダーは、今の玉狛と同じ思想を掲げていました」

 

 事実、同盟を結んでいた国はあったようです。と七海は告げ、三輪の反応を待った。

 

 三輪は尚も何か言いたげではあったが、これ以上は意味がないと悟ったのだろう。

 

 そのまま踵を返して、足早に立ち去った。

 

「…………悪いな。気を遣わせた」

「東さん……」

 

 その後姿を暫く見ていた七海だったが、そこに声をかける者がいた。

 

 先日のROUND3で惨敗を喫した忘れもしない相手、東だ。

 

 東は三輪の去った方向を見ながら、ふぅ、と溜め息を吐いた。

 

「あいつの事を、出来れば悪く思わないでくれ。見て分かったと思うが、あいつも一杯一杯なんだ。多めに見てくれると助かる」

「……ええ、それは俺も分かったので大丈夫です。えっと、その……」

「ああ、悪い悪い。前回の試合じゃ我ながら嫌なトコを突いた自覚はあるからな。正直、俺にはあまり良い感情を持ってないんじゃないか?」

 

 東は何処か探るような眼で、七海を見た。

 

 そこに悪意はなく、単に心配しているだけというのが見て取れた。

 

「いえ、あの経験があったから、俺達は前を向く事が出来ました。その事については、感謝しています」

「そうか……」

「ですが、次の試合では負けません。きっちり、やられた分はやり返して見せます」

 

 七海は毅然とした態度で、そう宣言した。

 

 それには、流石に東も面食らったのだろう。

 

 一瞬瞠目した後、薄く笑みを浮かべた。

 

「…………ああ、今回も手を抜くつもりはない。やれると言うなら、やって見せろ」

「はい、必ず」

 

 七海の返答を聞き、東は笑ってその場を後にした。

 

 その後姿を見ながら、七海は改めて決意する。

 

 今度は、負けない。

 

 それは、那須も同じ。

 

 七海と同じように東の後姿を見据えながら、今度こそ、と気を引き締めた。

 

 『合同戦闘訓練』という予定外の事態にはなったが、自分達のやる事に変わりはない。

 

 作戦を練り、勝利する。

 

 『那須隊』の皆で、上を目指し続ける。

 

 そして、今度こそ、大切なものを守り切る。

 

 それが、やるべき事。

 

 自分達の、目的。

 

 それが果たされるまで、足踏みをする事は許されない。

 

 必ず、勝つ。

 

 勝って、強くなる。

 

 強くなって、守り抜く。

 

 二人はそんな想いと共に、最初の狙撃手の後姿を見送った。



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旧東隊①

「くそ……っ!」

 

 ガン、と鈍い音と共に三輪の拳が壁に叩きつけられる。

 

 トリオン体ではなく生身である為壁が凹んだりはせず、三輪の苛立ちが空しく響くだけ。

 

 逃げるようにあの場を立ち去った三輪は、その心中に複雑な想いを抱え、感情のオーバーフローを起こしていた。

 

(『近界民(ネイバー)』と手を結ぶ? 『ボーダー』は元々それをやっていた……? 馬鹿な、有り得ない……っ! 『近界民』は全て、()()()()()()()の筈だろう……っ!?)

 

 三輪にとって『近界民』とは姉を殺した仇であり、何が何でも打ち滅ぼさなくては気が済まない()だ。

 

 たとえ人の姿をしていたとしても自分達とは相容れない外敵であり、未だにこの世界を脅かし続ける度し難い存在。

 

 それが三輪にとっての『近界民』であり、それは皆の共通認識だと思っていた。

 

 だからこそ親『近界民』派なんて世迷い事を言っている玉狛の事は蔑視していたし、特に迅の事は絶対認めてなるものか、と考えていた。

 

 迅悠一。

 

 あの時、四年前の大規模侵攻の時に致命傷を負った三輪の姉を見捨て、ただその場を立ち去った()()の男。

 

 その時の記憶は、今でも三輪の脳裏に焼き付いている。

 

 迅が自分に向ける、憐れむような、それでいて何かを諦めたような眼。

 

 今ならば、分かる。

 

 迅は、『未来視』のサイドエフェクトを持っていた。

 

 故に、分かったのだろう。

 

 自分の姉は、既にあの時点で手遅れであり、助かる未来は欠片も存在しなかった事が。

 

 だから迅は命の取捨選択(トリアージ)を行い、姉を見捨てて別の者を助けに行った。

 

 理屈では、分かっている。

 

 だが、理屈が、理由が分かるのと、それを納得出来るかどうかは別の話だ。

 

 三輪は、今でも考えずにはいられない。

 

 もしかすると、姉が助かる未来は、あったのではないか。

 

 迅はただ、その可能性が低過ぎるが故に切り捨てただけではないか。

 

 面と向かって、問い質した事はない。

 

 だが、()()()()()()()事を行動原理とするあの男なら、充分有り得るだろうと、三輪は考えていた。

 

 …………何故なら、そう考えれば迅を敵視し、行き場のない憎悪を一先ず向ける事が出来るからだ。

 

 三輪自身気付いてはいないが、彼はある意味で迅に依存している。

 

 そして恐らく、迅はそれを許容している。

 

 そうやって自分を敵視する事で三輪が奮起し、防衛力が上がるのであれば。

 

 自分が敵視される事くらい、取るに足らない事であると。

 

 その重過ぎる過去から自己評価が極端に低い迅なら、その程度の事は考えている筈だ。

 

 そして、薄々三輪もそれには気付いている。

 

 三輪の迅への反発は、言うなれば子供の癇癪だ。

 

 ぶつけどころのない怒りを、身近な対象に向ける事で鬱憤を晴らす。

 

 そういう側面は、間違いなくあった。

 

 憎悪を、怒りを持続させるという事は、思った以上に難しいものだ。

 

 たとえどれだけの怒りを抱こうと、日常の中でそれは希釈され、薄れていく。

 

 だからこそ三輪は迅を敵視し、あの日の悲しみと後悔をその都度思い出す事で怒りを持続させている。

 

 自分の憎悪を、忘れない為に。

 

 今の三輪には、『近界民』を倒す事以外何も見えていない。

 

 それ以外は全て些事であり、自分の人生すらどうでもいいと思っている。

 

 今現在進学の意思がないのも、『近界民』の殲滅だけしか考えていないからだ。

 

 野垂れ死ぬまで、一匹でも多くの『近界民』を駆逐する。

 

 そんな想いが、今の三輪を突き動かす原動力だった。

 

 だから、三輪には具体的な()()()()()()()()()がない。

 

 『近界民』を倒す、それ()()しか考えていない。

 

 どれだけ倒せばいいのか、どうすればより良い未来に繋げられるのか。

 

 そういった事を、全く考えていなかった。

 

 だから、七海が告げた()()()()()()()()()()()()()()()()()()()といったイフの展望は、まさに寝耳に水だった。

 

 『近界』は広大であり、そこに住まう全ての『近界民』を殲滅する事は、現実的ではない。

 

 果てなく広がる『近界』の宙に浮かぶ星々を全て滅ぼす事など夢物語に過ぎず、たとえ『近界』に侵攻したとしても手痛いしっぺ返しを食らうのがオチだ。

 

 今の『近界民』の侵攻が散発的なトリオン兵の出兵に留められているのは、『近界民』がこの世界を()()()()()()()であるとは考えていないからだ。

 

 精々、都合の良い物資調達場所。

 

 その程度の、認識の筈である。

 

 だがもし、この世界が、『ボーダー』が本気で『近界』を滅ぼそうと動いた場合、待っているのは結末の見えた全面戦争だ。

 

 一つの国家相手でも手一杯だというのに、それらが手を結び攻め込んで来たらどうなるか。

 

 今の平和は、薄氷の上のものに過ぎない。

 

 だからこそ迅は暗躍を止めないし、それを理解している上層部は迅の意見を重要視する。

 

 上層部が殊更迅を重要視するのが三輪としては面白くなく、その理由を()()()()()()()()()()()()()という表面上の理屈だけで片付けてしまっている。

 

 だから、()()()()()()()()()()()()()なんて事は、三輪としては未知の概念に等しかった。

 

 『近界民』を、殺せれば良い。

 

 それしか、考えて来なかった。

 

 考えないように、していた。

 

 だって、そうしなければ喪失の重さに耐えられない。

 

 姉のいない世界で、生きる意味が見つけられない。

 

 自分から復讐を取ったら、最早何も残らない。

 

 だから、縋る。

 

 復讐に。

 

 それを肯定してくれる、城戸の言葉に。

 

 自分の憎悪を受け止めてくれる、迅の存在に。

 

 分からない。

 

 何故、こんなにも心が苦しいのか。

 

 何故、こんなにも七海の言葉が頭をかき乱すのか。

 

 全く以て、分からなかった。

 

「おいおい、酷い顔だぞ。秀次」

「…………東、さん……」

 

 不意にかけられた声に、三輪は顔を上げる。

 

 そこには、慣れ親しんだ声が、顔が。

 

 かつて自分の隊長だった、東春秋の姿があった。

 

 東は呆けている三輪の肩をポン、と叩くと軽く声をかけた。

 

「ちょっと、付き合わないか? 久々に、焼き肉連れてってやる」

 

 

 

 

 ────どうしてこうなったのだろう、と、三輪は茫然としていた。

 

 言われるがままに東に付いて来た結果、連れて来られたのは以前も東と共に来た事のある焼き肉屋、『寿寿苑(じゅじゅえん)』。

 

 そこに入ったまでは、良い。

 

「ホラ、三輪くんも食べないと。お腹空いてるでしょ?」

「無理に食わせるな。秀次はお前とは違って小食なんだ」

「あら、何よお兄さんぶって。変に見栄を張ると却って格好悪いわよ?」

 

 …………何故、加古と二宮(旧東隊の面々)が此処にいるのか。全く以て、理解不能だった。

 

 加古は、まだわかる。

 

 なんだかんだでお節介焼きな彼女が、東に誘われて付いて来たのは容易に想像できる。

 

 だが。

 

 だが。

 

 何故、二宮までいるのか。

 

 先程から二宮はジンジャーエールをちびちび飲みながら焼き肉をぱくぱく食べており、自分から積極的に三輪に話しかける様子はない。

 

 精々時折加古の言葉に反論するくらいで、三輪に対する能動的なアクションが皆無だ。

 

 あれか。

 

 もしかして、東さんに誘われたから深く考えずに付いて来ただけとか?

 

 昔から行動の読めない人ではあったので、充分有り得ると三輪は思った。

 

 加古に言わせれば「二宮くん程分かり易い人はいないわよー」との事らしいが、自分にはついぞ理解不能だった。

 

 同じ隊にいた時、外に連れ出され黙々と雪だるまを作り始めた時は何事かと思った。

 

 東曰く、少しでも自分に気分転換させたかったらしいが、長身の年上男性が無言で雪だるまを作り続ける光景を見て何故気分転換になるのか理解が及ばなかった。

 

 その事を加古に教えたら大笑いしながら二宮の下に直行し、それから暫くの間二宮は終始不機嫌になっていた。

 

 二宮が頓珍漢な事をやらかし、加古がそれを見て煽り、東が宥め、三輪が翻弄される。

 

 それが、旧『東隊』で良く見られた光景だった。

 

 悩みと混乱で思考が鈍化していた三輪は変なテンションの頭のまま、そんな事を考えていた。

 

 

 

 

 ────無論、そんな三輪の内心など東は百も承知である。

 

 だからこそ、加古だけではなく二宮を引っ張って来たのだ。

 

 三輪をフォローさせるにせよ、自家中毒に陥っている心中をまず落ち着かせなければ話にならない。

 

 だから三輪にどう接するか迷っていた二宮(ナチュラルに面白い行動をする男)を連れ出し、話を聞きつけた加古(最初からノリノリの女)と共に焼き肉屋にやって来たワケだ。

 

 二宮ショックは、三輪の葛藤を吹き飛ばすには丁度良かったらしい。

 

 知らず東の役に立っていた二宮に内心で感謝しつつ、東は話を切り出した。

 

「さて、悪いと思ったが、お前と七海の話は大体聞いていた。何か、知りたい事があれば答えるぞ」

「……っ!」

 

 東の言葉に、三輪の身体が硬直する。

 

 それを見て、東は畳みかけるように口を開いた。

 

「恐らくお前が気にしているのは、七海が言った()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という点だな。結論から言えば、それは事実だ。とは言っても、今の『ボーダー』が出来る前────迅や小南達が所属していた、『旧ボーダー』での話だがな」

「……な……」

 

 七海が告げた言葉は、真実だった。

 

 その事に瞠目し、三輪は激情のままに言葉を口にする。

 

「で、ですが、それはあくまで迅達がやった事でしょう……っ!? 今の『ボーダー』には関係ないんじゃ……っ!」

「何言ってる。他ならぬ城戸司令も、その『旧ボーダー』の一員だったんだぞ。つまり城戸司令も、当時はその事に賛同していたワケだ」

「そんな……」

 

 三輪の拠り所の一つである、()()()()()()()()()()()()()()()が『近界民』の存在を許容していたと知り、三輪は愕然となった。

 

 話としては、聞いた事はあった。

 

 城戸司令は今の『ボーダー』が出来る前の前身となる組織、『旧ボーダー』に所属していた事は。

 

 だが、その組織の詳細については、三輪は何も知らなかった。

 

 城戸が所属していたのだから、今と同じ『近界民』を駆除する為の組織なのだろう。

 

 その程度にしか、考えてはいなかった。

 

 だが、実際は違った。

 

 旧『ボーダー』は、あろう事か『近界民』と同盟を結んでいた。

 

 そんな組織に、城戸は属していた。

 

 信じていたものが、崩れていく。

 

 そんな感慨を、三輪は抱いていた。

 

「今その同盟がどうなっているかまでは知らないが、当時『近界』にある複数の国家と融和的な関係を築けていたのは確かだ」

 

 それに、と東は続けた。

 

「A級部隊が行ってる近界遠征だって、何も無差別に『近界民』に喧嘩を売りに行くんじゃない。時には平和裏に交渉して、トリガーを持ち帰って来る事もある。『旧ボーダー』の思想は、完全に消えたワケじゃないんだ」

「そん、な…………『近界民』は敵で、害虫で、滅ぼすべき、存在の、筈じゃ……」

「『近界』は、単に()()()()()()()()ってだけだ。技術格差や相互不理解なんかの所為で侵略される側に回っちゃいるが、別段全ての国に交渉の余地がないワケじゃない。仲の良い国と仲の悪い国があるのは、この世界を見ればわかるだろ?」

 

 そう、東の言う通り、『近界』にある国家はあくまで()なのだ。

 

 国である以上それぞれ違った思想があるし、この世界に対するスタンスが違うのも通りだ。

 

 互いに利益があれば手を結ぶし、相容れなければ争う。

 

 この世界の国と、なんら変わりはない。

 

 決して、単なる()()()()()()()()()ではないのだから。

 

「────だから、七海くんが言った事も間違ってないのよ。強大な『近界』の国家に対抗するには、同じ『近界』の国家の手を借りる。合理的だし、充分有り得る選択肢だと思うわ」

「それは……」

「要は、視点の違いよ。襲って来る『近界民』を撃退するのは当然だけど、どうやってその襲撃自体を減らせるか、この世界をより安全な状態に持って行くか。そういう未来の展望を、七海くんは語ってたってワケ」

 

 大切なものを守る事が、七海くんの最優先だしね、と加古は語った。

 

 未来の展望。

 

 それは、確かに三輪にはない視点だった。

 

 三輪は極論、()()()()()()()()()()()という事しか考えていない。

 

 対して七海は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という視点で話をしていた。

 

 三輪の問うた()()()()()()()()()()()()()()()という問いへの、七海なりの解答。

 

 それは即ち、()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 確かに『近界民』の襲撃は撃退する他ないが、それだけをやっていても平和が訪れるというワケではない。

 

 『近界』の襲撃は散発的だが、裏を返せばそれだけ()()()()()()()()()()()()()だけだとも取れる。

 

 恐らく、今の散発的な襲撃は嵐の前の静けさに過ぎない。

 

 この世界の、『ボーダー』の戦力は昔と比べて充実している。

 

 以前はトリオン兵を派遣するだけで人を攫う事が出来たが、『ボーダー』の戦力の拡充によってトリオン兵は軒並み撃退されている。

 

 故に、今は『ボーダー』の戦力を図り、効率的な侵攻の為の準備をしている可能性は充分にある。

 

 事実、近いうちに大規模な侵攻が来ると迅は予知した。

 

 今まで様子見に徹していた国が、本気で牙を剥いてくる。

 

 そうなった時、味方となる『近界』国家があるとないのとでは、大分話が違って来る。

 

 だからこそ、『近界民』と手を結ぶという選択肢が現実味を帯びて来るワケだ。

 

 当然手を結ぶ相手は厳選しなくてはならないが、それでも『近界』側の助力を得られるに越した事はない。

 

 度重なる『近界』への遠征には同盟を結ぶ国家を探すという目的が含まれていてもおかしくはないし、そもそも城戸の『近界民』排斥という言葉自体が『ボーダー』に人を集める為の建前に過ぎない。

 

 必要ならば誰とでも手を結ぶし、どんな手段でも取る。

 

 それが、城戸正宗(きどまさむね)という男なのだから。

 

「秀次、加古の話は話半分に聞いておけ。別に、俺達はお前に復讐を捨てろと言うつもりはない」

「二宮さん……」

 

 そこで、初めて二宮が話に加わって来た。

 

 加古は珍しく茶々を入れず、事の成り行きを見守っている。

 

「復讐は、お前の戦う為のモチベーションそのものだろう。理屈でそれを否定した所で、納得出来るとは俺は思わない。それに、人は人だ。七海が何を考えていたところで、それはお前に関係あるのか?」

「それは……」

 

 確かに、関係はない。

 

 七海は、別に三輪の考えを否定したワケではない。

 

 ただ、()()()()()()()と言っただけだ。

 

 三輪は、ただその意見を生理的に受け付けなかっただけ。

 

 語ってみれば、それだけの事なのである。

 

「他人の意見など、有用なものだけ取り入れればそれで充分だ。必要ないと思った意見は一顧だにする必要はない。同じように、七海やこの女が何を言おうと、お前が気にする必要は一切ない」

「二宮さん……」

 

 二宮の言葉に、三輪は心のざわつきが落ち着くのを感じていた。

 

 そうだ。七海が何を言おうと、自分には関係ない。

 

 自分にとって『近界民』は敵だし、その認識が変わる事は有り得ない。

 

 それでいいのだ。

 

 それで良しとする他、ないのだ。

 

「あら、東さんから昔教わった内容を言葉を変えて話してるだけなのに、偉そうね。そんなだから天然とか言われるのよ」

「それはお前が言っているだけだろう。俺は別に天然じゃない」

「普通、天然ってそれを自覚しないものなのよね」

 

 相変わらず二宮に茶々を入れる加古とそれに応対する二宮のやり取りに、三輪は茫然と眺めている。

 

 それを見ていた東が、頃合いと見て声をかけた。

 

「ま、二宮の言う通りだ。他人の意見を受け入れる事は大事だが、必要以上に振り回される必要はない。意見を受け入れるよう強要したところで、そこに意味はないからな。今はただ、自分とは違う意見を持った相手もいるという事だけ覚えておけばそれで良い」

 

 東の言葉に、三輪は深く頷いた。

 

 今は、何も気にする必要はない。

 

 そう自分に言い聞かせ、三輪は顔を上げた。

 

「有象無象の言葉など気にする必要はない。つまりそういう事だ」

「何がつまりよ? 勝手に東さんの言葉を曲解しないでよね」

「はは、相変わらずだなお前らは」

 

 二宮が、加古が、東が、自分の前で笑っている。

 

 かつては良く見た光景で、何処か郷愁の匂いがした。

 

 自分の隊を持ってから、そういえば誰かと食事に行く機会など、果たしてあっただろうか。

 

 三人からは、この空間からは、温かな匂いがする。

 

 それは、かつて大切にしていた家の匂いとは違うけれど。

 

 これはこれで良いものだと、三輪は思った。

 

 こうして、旧『東隊』の面々は交流を深めていた。

 

 走り続けるだけが、戦いではない。

 

 時には、立ち止まる事も必要なのだと。

 

 そう、信じて。



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七海と玉狛支部②

「あ、七海じゃない。玲もいらっしゃい」

「ご無沙汰してます」

「お邪魔します」

 

 『緊急隊長会議』の直後、『玉狛支部』を訪れた七海達を出迎えたのは、笑みを浮かべた小南だった。

 

 小南は「早く入って」と言いながら七海達を支部の中へ招き入れ、七海達はその招待に応じる。

 

 何故、七海と那須がこの『玉狛支部』にやって来ているのか。

 

 ことは、会議の後で出会った東と別れた直後にまで遡る。

 

 

 

 

 

「…………玲一、次は負けないよう頑張ろうね」

「ああ、二度も同じ轍は踏まない。あの時とは違うって事を、証明しなくちゃな」

 

 東の背を見送り、決意を新たにした二人はそう強く意気込んだ。

 

 ROUND3での東との手痛い敗戦は、未だ色濃く脳裏に刻まれている。

 

 あの狙撃(いちげき)で、自分達が抱えていた膿は全て白日の下に曝け出された。

 

 あれがあったからこそ、自分達はその関係を見詰め直す事が出来、今の成長へ繋がった。

 

 そういう意味では恩人ではあるのだが、それとこれとは話が別だ。

 

 借りは、きっちり返す。

 

 同じように、ランク戦という舞台で。

 

 『ボーダー』随一のベテランであり、始まりの狙撃手でもある熟練の戦術家、東春秋。

 

 今度こそ、その喉元に刃を届かせる。

 

 少なくとも、あのような醜態はもう二度と晒さない。

 

 二人はそれぞれそう決意し、拳を握り締めた。

 

 超えるべき山は、とても高い。

 

 だが、それは山を越えない言い訳にはならない。

 

 下剋上上等。格上だろうと必ず隙を見つけ出し、そこに刃を叩き込む。

 

 今までも、そうやって勝ち進んできたのだ。

 

 難易度は段違いではあろうが、それでも決して超えられない山など有りはしない。

 

 今度こそ、勝つ。

 

 その想いを、二人は再度確認し合った。

 

「さて、そろそろ帰りましょうか。一応、私が聞いた情報の事もきちんと話したいしね」

「そうだな…………ん……?」

 

 気持ちを整理し、帰路に就こうとしたした刹那。

 

 七海の携帯にメッセージが届き、そこには「迅悠一」の文字。

 

 何事かと思い内容に目を通せば、「説明するから玉狛に来て欲しい」の一言。

 

 どうやら、自分達の動きを視て、自ら情報を説明する為に連絡を寄越してくれたらしい。

 

 他ならぬ迅から話が聞けると言うのであれば、是非もない。

 

 那須にも確認を取り、二人は『玉狛支部』へ向かう事を決めた。

 

 

 

 

 これが、顛末。

 

 恐らく、迅から事情は聞いていたのだろう。

 

 七海達を出迎えた小南の表情は、何処か硬い。

 

 小南自身、何を言うべきか迷っている様子だった。

 

 無理もない。

 

 七海は、那須は、四年前の大規模侵攻の()()()だ。

 

 その事を四年前の戦いの当事者だった小南は強く意識しており、彼女自身もまた、あの戦いは玲奈を失った辛い記憶が絡んでいる。

 

 七海の姉、玲奈の事を当時の小南はいたく慕っていたらしい。

 

 年下の子達に好かれ易かった姉らしい話だと思ったが、小南の胸にも玲奈の喪失は色濃い悲劇として刻まれている。

 

 ────なんで、なんで死んじゃったのよぉ……っ! 玲奈お姉ちゃん……っ!!────

 

 

 当時の、小南の叫びが想起される。

 

 玲奈の葬儀。そこに出席していた小南は、林道支部長に宥められながらわんわんと泣いていた。

 

 既に涙は枯れていた七海の眼にも、その時の小南の嘆きはハッキリと映し出されていた。

 

 『大規模侵攻』というワードは、いわばこの場の全員の()()なのだ。

 

 だからこそ小南は何を言うべきか迷っていたのだが、小南は停滞を良しとはしない強い少女だ。

 

 パン、と自分の頬をひっ叩くと、真っ直ぐ顔を上げて口を開いた。

 

「ま、聞いてるでしょうけど、またでっかい戦いが来るわ。迅の言い方だと、もしかすると四年前のあれより大きなものかもしれないみたい」

 

 でも、と小南は胸を張って告げる。

 

「安心しなさい……っ! あたしも迅も、レイジさんもとりまるも、絶対負けたりしないから……っ! 襲って来る『近界民(ネイバー)』なんて、けちょんけちょんにしたげる……っ! 『ボーダー』最強部隊の看板は、伊達じゃないんだから……っ!」

「小南さん……」

「桐絵ちゃん……」

 

 小南の精一杯の強がりに、七海と那須は息を呑んだ。

 

 確かに二人を元気づける為に敢えて誇張して告げている部分はあるが、小南は本気で言っている。

 

 虚勢の類ではなく、本気で「絶対負けない」と宣言している。

 

 小南の実力は、本物だ。

 

 旧『ボーダー』の時代から最前線で戦ってきた経歴は、伊達ではない。

 

 普段こそ隙の多い彼女ではあるが、戦場では誰よりも心強い戦士になるのだと、七海は知っている。

 

 その彼女が、自分達を気遣って元気づけようとしてくれているのだ。

 

 これに応えずして、何に応えるというのだろう。

 

「はい、俺達も、もう無力じゃありません。『ボーダー』の一員として、今度こそ大切なものを守り抜きます」

「ええ、今度こそ、何も失わない。その為に、私達は力を付けたんだから。桐絵ちゃんに比べればまだまだかもしれないけど、私達は強くなった」

「だから、俺達も戦います。皆と、一緒に」

 

 七海と那須の返答に、小南は満足気に頷いた。

 

 もう、後ろを振り返るばかりじゃない。

 

 過去を、乗り越える必要はない。

 

 ただ、過去を背負い、その上で前を向き続ける。

 

 それこそが大事な事なのだと、彼等は皆から教えられた。

 

 もう、過去に縛られるだけの彼等ではないのだ。

 

 それを、確認したかったのだろう。

 

 満足の行く返答が得られた小南は、晴れやかな笑みを浮かべていた。

 

「あらあら、こりゃ俺の出る幕じゃないかな? いちいち気を回さなくても、小南がやってくれたみたいだしな」

「迅さん……」

 

 そこに、タイミングを見計らった迅がやって来る。

 

 いつも通りの、飄々とした態度。

 

 しかしそれがあくまでポーズである事を知っている小南は、目尻を釣り上げた。

 

「何言ってんのよ。アンタもアンタで、ちゃんと説明しなさい。皆を頼るって、アンタ言ったわよね」

「やれやれ、敵わないな」

「当然でしょ? 一体、どんだけ長い付き合いだと思ってんのよアンタ」

 

 じとっとした目つきの小南の言及に迅は白旗を上げ、話をする為に七海達の向かいのソファーに腰かけた。

 

 小南は当然の如く迅の隣に座り、何がなんでも彼を逃がさない構えだ。

 

 迅は軽く深呼吸すると、ゆっくりと話し始めた。

 

「けど、実は話せる事はそう多くはないんだ。会議の時に言った通り、()()()()()()()()()って事は確定事項みたいだけど、それが何処の国からの侵攻なのか、どういう連中が相手なのか、それもまだなんとも言えない」

「迅さんでも、ですか……?」

「俺の力は、そう便利なものじゃないよ。今回の予知だって、いつも通り街の人や隊員の未来を視た結果、大規模な戦いが起きる事()()が分かったようなものなんだからさ」

 

 迅の『未来視』は、()()()()()()()()()()()()()()を視る。

 

 逆に言えば、会った事のない相手の未来は視えない。

 

 彼が進学を取りやめてまで普段から街をぶらついているのは、街の人々や『ボーダー』の皆の未来を逐一チェックし、危険な兆候がないか確かめる為だ。

 

 そのいつも通りの日課(ルーチンワーク)をこなしている時に、視えてしまったのだろう。

 

 この三門市に再び、大きな戦禍が巻き起こる事を。

 

 更に場合によっては、その戦禍はこの街に、『ボーダー』に、深刻な被害を齎す。

 

 迅は言葉を濁しているが、()()()()()()()()()()()()()()()()と言っている以上、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が視えてしまったと言っているに等しい。

 

 そして、無策のまま戦いを迎えれば、その未来は現実になってしまう。

 

 だからこそ、迅は動いたのだ。

 

 『ボーダー』の戦力を底上げし、大規模な集団戦闘の訓練を行う事で、未来に起きる戦いの被害を少しでも減らす為に。

 

 …………だが、迅が今回忍田に打診してまで動いたのは、少なからずこの間の一件が関連している筈だ。

 

 自分や小南達からの言葉で、迅は真の意味で他人を頼る事を知った。

 

 良い意味で、他人に甘えるようになった。

 

 だからこそ、忍田本部長に打診して『合同戦闘訓練』という企画を通したのだ。

 

 持っている駒で事に当たるだけではなく、皆の力そのものを強め、対応力を上げる為に。

 

 これまでの迅では、考えられなかった動きだろう。

 

 今までの迅は、常に切羽詰まっていた。

 

 駒が成長するのを待っていては、手遅れになる。

 

 そう考えるからこそ、迅は()()()に限定して役割を割り振る。

 

 それが、()()()()()()()()であると知っているからだ。

 

 だが、あの1件で迅は視点を変えた。

 

 現段階では、迅の言う通り第二次大規模侵攻の情報は、()()()()()()()()()という程度でしかない。

 

 戦いの詳細も、敵の戦力も分からず、交渉材料としては弱いと言わざるを得ない。

 

 しかしそれでも、迅は忍田に話を持ち込んだ。

 

 情報の足りない部分は、自分の機転で穴埋めをする形で。

 

 結果として忍田は迅の要請を快諾し、上層部もその動きを認可した。

 

 忍田は迅が自分を頼って来た事が、嬉しかったらしい。

 

 迅の立ち位置は特殊で、唯一無二のものだ。

 

 彼にしか『未来視』の力はなく、その未来を変える為には、彼が自分の視た未来を他者に伝えて動く必要がある。

 

 故に迅は常に孤独に立ち回り、他人を頼る、という事がなかった。

 

 しかし今回、迅は自分との話やレイジ達のお説教を経て、他人を頼る事を本当の意味で知った。

 

 だからこそ、忍田を頼る事が出来たのだろう。

 

 仲間を、皆を、その性格や力量含めて信頼する事が出来たが故に。

 

 そんな迅の変化を、忍田は歓迎したのだ。

 

 彼もまた、迅一人に重荷を背負わせ続ける事に対し、何も感じていないワケではなかったのだから。

 

「…………ただ、お前になら、七海になら話せる事もある。他ならぬお前を見て、視えた未来もあったんだ」

「俺を……?」

 

 迅はああ、と答え七海をじっと見据えた。

 

「今回の大規模侵攻、お前はきっと、とんでもなく()()()()()と戦う事になる。俺やレイジさん達でもやられかねない、文字通りの()()とだ」

「え……っ!?」

「…………」

 

 迅の言葉に、那須が思わず目を見開く。

 

 七海もまた、黙り込む。

 

 迅がこう言った以上、来るのだろう。

 

 自分が、敵の最大戦力と戦う未来が。

 

「正直、お前がその相手との戦いで時間を稼げるかどうかが、未来の分かれ目になる。だが、言うまでもなく難問だ。お前には、辛い役目を押し付ける事になる」

「いえ、構いません。迅さんがそう言うって事は、俺がそいつから逃げれば、その分悪い未来に転がる可能性が高いって事ですから」

「…………すまないな……」

 

 七海の返答に、迅は苦笑する。

 

 全てを理解し、それでも是とした七海の覚悟に、迅は敬意を表した。

 

 七海の言う通り、もしも七海がその相手から逃げれば、その分だけ他の被害が拡大する。

 

 迅やレイジでさえ、やられかねない相手だ。

 

 そんな相手を、野放しにすればどうなるか。

 

 無論、ただでは済まない。

 

 それは、最悪の未来への引き金となるに充分な要素と言えた。

 

 七海はそれを察して、自分がその相手を引き受ける事を、了承してくれた。

 

 迅にとって、これ程助かる事はない。

 

 相手の底が知れないのは怖いが、元々七海は攪乱能力に特化している。

 

 上手く立ち回れば、誰よりも時間を稼げる可能性があるのだ。

 

 それは、七海自身も承知している。

 

 自分の強みを活かして迅の役に、より良い未来の一助となれるのなら、それで構わない。

 

 七海は、そう判断したワケだ。

 

「勿論、フォローは忘れないから安心してくれ。無理をする必要はない。間に合うようなら俺も向かうし、可能であれば他の奴も送る。お前は、お前に出来る事をやってくれればそれで良いんだ」

「分かりました。全力を尽くします」

「ああ、頼んだぞ」

 

 迅はそう言って、ふぅ、と溜め息を吐いた。

 

 そして、それを見計らったように、レイジが湯気の立つ鍋を運んで来る。

 

「話は終わったようだな。夕飯がまだなら食っていけ。量は充分ある。気張るのは良いが、まずは食って栄養を付けろ。話はそれからだ」

 

 有無を言わさぬ調子で、レイジは告げる。

 

 けれど、その言葉は温かみに満ちていて、自分達の事を本気で気遣っているのが嫌でもわかる。

 

 幼い頃に両親が事故死してしまった七海にとっては()()というものは未知のものに等しいが、父がいたらこんな感じなのかな、と漠然に思うのであった。

 

 結局、七海と那須はレイジの料理をご馳走になった。

 

 出汁の効いた豚骨風味の鍋は香り豊かで、味覚や嗅覚が殆ど死んでいる七海にとっても、見ただけで美味しそう、という事がわかる代物だった。

 

 鍋を囲み、談笑し、なんでもない事を語り合う。

 

 そんな、欠け替えのない日常風景。

 

 『玉狛支部』には、それがあった。

 

 だからこそ、迅は、小南は、彼等は、この場所を守っているのだろう。

 

 想いを抱えて、尚前へと進む為に。

 

 そんな彼等と笑い合い、七海は一時の休息を取ったのだった。



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B級ランク戦/ROUND5
第五戦、開始


 ────10月20日、ランク戦ROUND5当日。

 

 いつも通りランク戦の会場は観客で埋め尽くされ、試合が始まるのを今か今かと皆待ち望んでいた。

 

 ROUND4終了時に迅によって通達された『合同戦闘訓練』の情報もまた、その盛り上がりの一助となっているであろう事は否定出来ない。

 

 今期の通常のランク戦がROUND8で終了する関係上、既に折り返し地点に来ている。

 

 あと4ROUND、上位に居続けられれば、事実上のA級昇格試験の切符が手に入る。

 

 戦いに臨む隊員達は皆、意気込んで今日という日を迎えた事だろう。

 

「どうも~、実況の『太刀川隊』国近で~す。こちら解説の弓場さんに、小南ちゃん」

「おゥ、よろしくな」

「よろしくね」

 

 実況席に座るのは、緩い雰囲気(オーラ)全開だがその能力は極め付きのA級一位部隊『太刀川隊』のオペレーター、国近柚宇(くにちかゆう)

 

 そして厳つい空気を纏う凄み(ドス)の効いた男、弓場拓磨。

 

 そんな二人の隣にあっけらかんとした顔で座る、短髪に緑系統の衣装の戦闘体へ換装した小南桐絵。

 

 この三人が、今回の実況担当である。

 

「弓場さんも小南ちゃんも、なんだか久しぶり~。今日はよろしくねぇ」

「あァ、頼むぜ」

「ま、太刀川にはうちの七海が世話になってるし、よろしくしたげる」

 

 かたやA級部隊のオペレーター、かたや本部から距離を置く『玉狛支部』の戦闘員、かたやB級部隊の隊長と、それぞれ立場が違う為顔を合わせる事はあまりない三人組だが、特に不協和音はない。

 

 国近は大体の事をその緩さで受け止めてしまうし、小南はコミュニケーションは割とぐいぐい行くタイプだ。

 

 弓場は硬派な事で知られているが、振られた話題を無視(シカト)する程薄情ではない。

 

 その滲み出る威圧感(タッパ)によって他の隊員から敬遠されがちな弓場だが、国近も小南も全く気後れする様子はない。

 

 良くも悪くも、マイペースな者達が集った結果と言えた。

 

「さーて、まずはおさらいかな~。前回の結果はこうなってるよ~」

 

 1位:『二宮隊』26Pt→29Pt

 2位:『影浦隊』23Pt→27Pt

 3位:『那須隊』19Pt→27Pt

 4位:『生駒隊』22Pt→25Pt

 5位:『弓場隊』20Pt→23Pt 

 6位:『東隊』16Pt→21Pt

 7位:『鈴鳴第一』17Pt→20Pt

 

 国近が機器を操作すると、前回の結果一覧がスクリーンに表示される。

 

 その一覧を見ながら、弓場はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「前回の結果で、『那須隊』が一気に三位に躍り出たかァ。中々やるじゃあねェか」

「うちの七海達なら、本気出せばこんなものでしょ。これからだってバンバン点取るだろうしねっ!」

「さァて、それはどうだろうなァ? 今回、相手にゃ東サンがいるんだぜ?」

 

 東の名を聞いた小南はむむ、と口ごもった。

 

 普段から自信満々な小南といえど、東の名前は流石に無視出来ない。

 

 彼はROUND3で、『那須隊』が惨敗した張本人。

 

 その卓越した技術と底知れない戦術眼は、『ボーダー』随一のベテラン狙撃手として確かな存在感を持って広く知れ渡っている。

 

 自らを「強い」と言って憚らない小南といえど、東の力量には一目置いている。

 

 相手にした時の厄介さも、見知っていた。

 

「そうだねー。指揮や狙撃の能力もそうだけど、東さん生存能力はピカイチだもんね」

「実際、今期のランク戦じゃあまだ一度も落ちてねェからなァ。俺も一度、追い詰めはしたんだけどよォ。うめェー事影浦と食い合わされて、取り逃がしちまったんだなァこれが」

 

 全く、なんであそこから逃げられるかねェ、と弓場は愚痴るように言った。

 

 確かに、一度見つかって距離を詰められれば普通、狙撃手はそこで終わりだ。

 

 だが東は実際にその状況から上手く影浦に弓場を押し付ける事で隙を作り、逃亡を成功させている。

 

 当時の弓場としても、何が起きたかすぐには理解出来なかったらしい。

 

 結果としてその試合は影浦と相打ちに近い状態となり、東は結局誰にも落とす事が出来なかった。

 

「七海達ァ大量得点を重ねちゃいるが、それも生存点の二点込みの話だ。東サン相手に生存点取るのは、中々難しいだろうなァ」

「むむ……」

 

 小南は言い返す言葉が見つからず、口をへの字に結んで唸る。

 

 確かに、東相手に生存点を取るのは至難の業だ。

 

 東の攻勢を凌ぐだけならまだしも、落とすもしくは撤退に追い込むとなると、途端に難易度が跳ね上がる。

 

 今まで東が出た試合では、相手チームが東を仕留められずに時間切れになる、といった決着が殆どである。

 

 ROUND3の試合もその類であり、東の事を良く知るからこそ、二宮などは彼を深追いしようとはしない。

 

 結果として、東が参加した試合は生存点を取る事が難しく、点数が伸び悩み易くなるのだ。

 

 B級上位陣のポイントが大きく変動し難いカラクリが、そこにあった。

 

「────ま、だが無理たァ言ってねえ。前回ので東サンのやり方ァ分かっただろうし、七海達ならなんとかすんだろ」

「そ、そうよね! ホント弓場ちゃんたら回りくどいんだから……っ!」

「小南ィ、そらあどういう意味だァ?」

 

 水を得た魚のようにはしゃぐ小南を胡乱な目で見据える弓場だが、それくらいで黙るような小南ではない。

 

 「言葉通りよ!」と即答した小南は、そういえば、と何の悪意もなく話題転換を行った。

 

「『鈴鳴第一』は今回、どのMAPを選んで来るのかしらね。そろそろ分かりそうなものだけれど」

「あ、今送られて来たよ~。えっと、選んだMAPは……」

 

 

 

 

「『市街地E』、今回はこれで行こう」

 

 『鈴鳴第一』、作戦室。

 

 そこで隊長の来間は、隊員の二人に向けてそう告げた。来間→来馬

 

「予定通りッスね。最初は、『市街地D』にする案もあったッスけど……」

「前回の試合を見た限り、『市街地D』を選べば七海達に利用される恐れがある。避けるべきだろうな」

 

 来馬の決定を聞き、太一と村上はそう言って彼の選択を肯定する。

 

 前回の七海達の試合ログを見るまでは、『市街地D』も有力候補としてあったのだ。

 

 しかし、『市街地D』のMAPを利用し『王子隊』と『香取隊』を嵌め殺した試合ログを見てしまった以上、同じMAPを選ぶ選択は憚られた。

 

 屋内に追い込んだとしても、市街地Dは縦に広いMAPだ。

 

 七海だけではなく那須も『グラスホッパー』を装備してしまった以上、空中戦ではどうしてもあちらに分がある。

 

 みすみす相手の土俵に上がる真似は、避けるべきだった。

 

「しかし『市街地E』ッスか。あんまし選ばれた事のないMAPッスよね」

「結構特殊なMAPだからね。割と敬遠する人は多いんじゃないかな」

「ですが、例の作戦を実行するなら最適なMAPです。ROUND1に七海にやられたように、今回はこちらの得意分野を押し付けてやりましょう」

 

 村上は常ならぬ熱の籠った声で、そう告げる。

 

 前回の試合、村上達は七海達『那須隊』相手に完封負けを喫した。

 

 今回は、そのリベンジマッチにあたる。

 

 七海の好敵手を自負する村上としては、何がなんでもやり返してやりたい、というのが本音であった。

 

「うん。僕達は、あの負けがあったからこそ成長出来た。その成果を、七海くん達に見せるんだ」

 

 

 

 

「『市街地E』たァ、また随分と思い切ったモンだなァ。中々タマァ据わってるようじゃねェか、来馬さんはよ」

 

 『鈴鳴第一』から送られて来たMAP選択を聞き、弓場は感心したようにそう告げる。

 

 国近はそうだね~、と笑いながら機器を操作してMAPの映像をスクリーンに表示した。

 

「『市街地E』はある意味『市街地D』と似ていて、屋内戦になり易いMAPだよ~。最大の違いは、その屋内が()()である事だけどね~」

「東サンがいる以上、屋内戦になる事は決まったようなモンだけどなァ」

「そうだね~。屋内に入らないと、狙撃の的になっちゃうから~」

 

 『市街地E』は、国近の言う通り『市街地D』と性質が似たMAPだ。

 

 この『市街地E』は駅舎を中心としたMAPであり、最大の特徴は()()()()()()事だ。

 

 地上は遮蔽物となるものが殆どなく、射線が通りまくる為、狙撃を警戒するのであれば屋内に逃げ込まざるを得ない。

 

 駅地下にある、『地下街』へと。

 

 そして、東がいる以上、射線の通る場所に留まるのは自殺行為だ。

 

 必然的に、屋内での戦いになる筈である。

 

「こりゃあ、東さんの対策であると同時に、七海の対策でもあるなァ。()()をなくして、七海の動きに制限をかける気だろうなァ」

「ま、そうでしょうね。確かに、七海はこのMAPじゃいつものような動きは出来ない。逃げ場を塞いで、鋼さんが近付き易くする為のものなんでしょうね」

 

 そう、このMAPの地下街は横はそれなりの広さがあるが、縦が狭い。

 

 三次元機動を得意とする七海や那須にとって、()に跳んで逃げる事が出来ないというのは相当な痛手の筈だ。

 

「それにィ、このMAPなら来馬の新戦法も効果的に使えそうだしなァ。そう考えっと、鈴鳴に利点が多いMAP選択だなァ」

「あー、確かに。あれを使うなら、割と最適なMAPよね。今回、本気度が違うっぽいわね鋼くん達」

「そんだけ、リベンジに燃えてるってこったろうが。来馬も中々に熱くなってるじゃねェの」

 

 勿論鋼もな、と弓場は笑う。

 

 明確に相手を意識したMAP選択に『鈴鳴第一』の本気度を感じて、楽しくなって来たのだろう。

 

 好戦的な、弓場らしいと言える。

 

「さて、後は東さんがこのMAPにどう対応すっかだなァ」

 

 

 

 

「『市街地E』か。これは却って好都合すかね、東さん」

「ああ、対七海を想定するのであれば、これ以上ないMAPだろうな」

 

 『東隊』の作戦室で、小荒井の言葉を東はそう言って肯定する。

 

 狙撃手不利なMAPにも関わらず、『東隊』の三人に焦りは見受けられなかった。

 

「お前達の()()()を使うには、最適なMAPと言える。ただ、当然これまでの戦法は使い難くなるのは考慮しておけよ。このMAPじゃ、俺もいつものようには動けないからな」

「分かってるッす。俺等が東さんに頼り切った部隊じゃない事は、今回で証明して見せるっすよ」

「おいおい、いいのかそんな啖呵切って? 東さんに頼り切りだったのは事実だろうが」

 

 言葉の綾だよ綾、と小荒井は奥寺の反論にむすっとしながら返答する。

 

 その様子を微笑まし気に見据えながら、東はさて、と仕切り直した。

 

「恐らく、地下街が戦いの舞台になるだろう。俺はさっき言った通りに動くから、お前らは好きに動け。いつも通り、戦術の組み立ては任せる。特殊なMAPだが、やるだけの事をやってみろ」

「「はいっ!」」

 

 東に期待をかけられ、小荒井は奥寺はあーでもないこーでもないと、互いに意見を交わし合う。

 

 そんな二人を見ながら、東は笑みを浮かべた。

 

 

 

 

「『市街地E』…………また面倒なMAPを選んで来たな」

「私や玲一の対策でしょうね。東さんの対策でもあるんでしょうけど」

 

 『那須隊』作戦室で、七海達は選ばれたMAPに対し率直な感想を言い合っていた。

 

 確かに、このMAPであれば『那須隊』の強みを大分封じる事が出来る。

 

 同じ屋内戦でも、出来る事はかなり限られてしまう筈だ。

 

「かと言って、外にいたら東さんの狙撃でやられかねない。このMAPを選んだのは鈴鳴だが、東さんならどのMAPでも動きが鈍るとは思えないからな」

「そうだね。あれだけの精度の狙撃が出来る相手なんだ。楽観は、しない方が良いと思う」

 

 東の力量は、ROUND3で嫌という程思い知っている。

 

 彼であれば、狙撃手不利なMAPでも独自の立ち回りで攻めて来る筈だ。

 

 ある程度動きに制限はかかるだろうが、だからと言って絶対的に有利を取れる、といった事までは期待しない方が良いだろう。

 

「来馬さん達の新戦法も、このMAPだとかなり効果的だ。つくづく、本気で来てるのが分かるよ」

「けど、負ける気はないですよね?」

「当然よ。今回もしっかり、勝ちに行くわ」

 

 小夜子の問いに、那須はそう言って力強く答えた。

 

 確かに不利は否めないMAPだが、やりようがないワケでもない。

 

 それに、東の動きの自由度が制限されるのはこちらとしても願ってもない。

 

 別に、悪い事ばかりではないのだ。このMAPは。

 

「今回も、勝ちに行くわよ。プランはBで行きましょう」

 

 

 

 

「さて、そろそろ時間だよ~。準備はいいかな~?」

 

 ある程度話に区切りがついたのを見計らい、国近がそう切り出した。

 

 弓場も小南も特段不満はなく、首肯して国近の言葉を肯定した。

 

 それを見て、国近はにへらっと笑う。

 

「じゃあ行くよ~。全部隊、転送開始~」

 

 国近が機器を操作し、三つの部隊全てが仮想空間に転送される。

 

 B級ランク戦、ROUND5。

 

 その戦いが、始まった。



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東隊①

『────全部隊、転送完了。MAP、『市街地E』。時刻、『夜』』

 

 アナウンスと共に各部隊の隊員がランダムに転送され、試合開始が告げられる。

 

 七海は夜闇の中で煌々と光る駅舎と地下街へ続く通路の灯かりを見据えながら、拳を握り締めた。

 

「行くぞ。俺は予定通り地下へ向かう」

『ええ、お願いね』

『サポートは任せて下さい』

 

 那須と小夜子の返答を聞きながら、一度深呼吸する。

 

 そして、七海はそのまま地下街へ続く階段を駆け下りて行った。

 

 

 

 

「さあ、始まったよB級ランク戦ROUND5~。今回は『市街地E』のMAPだけど、中々珍しいMAPだよね。滅多に使われないMAPだし」

 

 実況席で国近が普段通りの緩い声でそう話し、ランク戦ROUND5の開幕を告げた。

 

 国近の声に、小南が早速反応する。

 

「そうね。私も、このMAPが使われたのはあんまし見た事ないわ。やっぱ、面倒なMAPだからね」

「そうだなァ、隊によっちゃあ一番やりたかねェMAPでもあるだろうしなァ」

 

 弓場はそう告げ、眼鏡をくいっと上げた。

 

「このMAPは地上部分は建物に囲まれていて、駅舎前の広場くれェしかまともに動ける場所がねェ。んなトコにいたら狙撃の的になるんで大概は地下街が主戦場になるんだが、この地下街が曲者でなァ」

「高さが殆どない上に、横幅もあんましない曲がりくねった通路が張り巡らされてるからね。一度中で戦闘になると回避も移動もやり難くなるから、割とクソMAP認定されがちね」

 

 小南の言う通り、この『市街地E』はその特殊性故に敬遠されがちなステージだ。

 

 駅の地下に張り巡らされた地下街は高さがあまりなく、それでいて通路は入り組んでいる。

 

 射撃を回避するスペースにも乏しい為、一度相手と遭遇すると逃げを選ぶ事も難しい。

 

 バッグワームを着て動けば曲がり角で相手と遭遇して戦闘、事故のような形で落ちる事もある。

 

 そういった事情で、このMAPが使われる事は殆どなかった。

 

「だがまあ、今回に関しちゃ悪くねェMAP選択だ。那須隊と東隊の強みを、大分潰せるからなァ」

「そうね。高さがないから七海達は回避機動がやり難いし、曲がり角が多い上に遭遇後に逃げる事が難しいから狙撃手も動き難い。相手チームの強みを的確に潰せるわね」

 

 むう、と小南は溜め息を吐く。

 

 七海達を贔屓している小南にとっては、その七海達が不利なMAP選択に少々思う所があるらしい。

 

 だが、流石に解説の場で馬鹿正直にそれを言うワケにはいかない為、口を噤んでいた。

 

 …………もっとも、それも何処まで続くか分かったものではないのだが。

 

 小南という少女は、感情表現がストレートで、嘘をつく事が苦手だ。

 

 最初は取り繕えたとしても、徐々にボロが出て来るに違いあるまい。

 

 恐らく、すぐにでも一喜一憂する小南の姿が見られる事だろう。

 

 そこらへんを察している国近はにまにま笑みを浮かべつつ、実況を続けた。

 

「さて、各チームは続々と地下街へ突入しているぞ~。この特殊なMAPで各部隊がどう動くか、こうご期待~」

 

 

 

 

『俺も地下へ入る。お前達は合流を最優先に動いて構わない』

「了解しました」

 

 奥寺に東から通信が入り、奥寺はそれをすぐさま了承する。

 

 小荒井と奥寺は確かに二人で組めば格上も落とせる力を発揮するが、単騎ではそこまで強くはない。

 

 合流しなければ文字通り戦力が半減する以上、それが最優先事項となる事は最早必然だった。

 

「小荒井、今どのあたりだ?」

『駅側の階段から地下に降りたトコだ。奥寺は駅の反対側だっけか』

「そうだ。今回は転送運には恵まれなかったみたいだな」

 

 奥寺の言う通り、今回二人はMAPの両端にそれぞれ転送されていた。

 

 全体の面積はあまり広くはないMAPではあるが、道が入り組んでいる為に合流までに相応の時間がかかる事は最早必然。

 

 二人からしてみれば、最悪の転送位置だったと言える。

 

 道が入り組んでいない地上を突っ切る事も考えたが、今回相手チームにはそれぞれ狙撃手がいる。

 

 自分から()になりに行くリスクは、出来れば避けたい所だった。

 

「どうやらどのチームもバッグワームを使ってるみたいだから、殆ど遭遇戦になる。鉢合わせても出来る限り逃げ切るよう努力しろよ。どっちか一人落ちるだけで、大分キツくなるからな」

『分かってるって。そう言う奥寺こそ、事故って落ちるなよ~?』

「当然だろ。と、言いたいが、このMAPだとそれも限界があるな。何にせよ、気を付けるしかないが」

 

 遭遇戦になればそのまま落ちる可能性がある以上、現在の状況は二人にとって芳しいとは言えない。

 

 一刻も早い合流が、待ち望まれる所だ。

 

(早く合流しないと……っ! 場合によっては、地上に出る事も考慮すべきか……? いや、それを見越して上で狙撃手が待ち構えてる可能性もある。軽挙は慎むべきだな)

 

 相手チームの狙撃手、特に日浦は隠密能力が非常に高い。

 

 小柄な身体を活かしてチャンスまでじっと耐え忍び、隙を逃さず相手を仕留めるのが彼女のスタイルだ。

 

 ライトニングを主武装とする珍しい狙撃手だが、その得点能力は本物だ。

 

 これまでの四試合で、一度も落とされる事なく得点を重ねている。

 

 このMAPでは狙撃手の有利が潰され易いが、それを見越して地上に出て来る相手を狙って潜んでいる可能性はないとは言えない。

 

 速射性に優れるライトニングは、隙を突くには格好の獲物だ。

 

 シールドを張る時間を与えず、最初の一発で確実に仕留める。

 

 それが、彼女の戦闘スタイルだ。

 

 みすみすその隙を与える事になる行動は、慎むべきであった。

 

(早く……っ! 早く合流しないと……っ!)

 

 だが、焦る心はどうしようもない。

 

 確かに奥寺と小荒井はこれまでの戦いで成長し、()()()も手に入れた。

 

 しかし、二人の強さは二人揃ってこそ。

 

 単騎での経戦能力は、正直心もとない。

 

 今までは特に苦も無く合流出来ていた為あまり考えてはいなかったが、合流が中々難しいこのMAPでは転送位置の悪さは二人のメンタルにかなりの影響を及ぼしていた。

 

 故に。

 

 故に。

 

「……っ!」

 

 ────曲がり角の向こうから放たれた、無数のトリオンキューブを見た時、心臓が凍った。

 

 奥寺はグラスホッパーを用いて、その光弾を慌てて回避。

 

「ハァ……ッ!」

 

 同時に、曲がり角から長身の女性────熊谷が駆け出し、奥寺に斬りかかる。

 

 奥寺は弧月を用いて、熊谷の斬撃をガード。

 

 弧月同士での鍔迫り合いが、始まった。

 

 

 

 

「おーっと、此処で奥寺隊員と熊谷隊員がエンカウント~っ! 遭遇戦が開始されたあ……っ!」

「割と運がないみたいね、奥寺」

 

 国近の実況に、小南は端的な感想を漏らした。

 

 MAPの性質上遭遇戦になるのが常ではあるが、今回は遭遇した状況が悪い。

 

 奥寺は小荒井と組んでこそ真価を発揮する駒であり、単騎での能力はそこまで高くはない。

 

 こんな序盤、しかも一人でいる時に捕まるのは、彼にとっても想定外だった筈だ。

 

「でも、熊谷さんは割と防御向きの攻撃手でしょ? それならさあ、奥寺くんが生き延びる可能性もあるとは思わない~?」

「分かっている事を聞くのは意地が悪いぜェ、国近ァ。今の熊谷にゃ、ハウンドがあんだろが。『射程持ち』相手に、弧月しか武器がねェ奥寺はどうしたって不利だ。鍔迫り合いながら射撃、って真似が出来るからなァ」

 

 弓場の言う通り、今の熊谷はハウンドを装備している。

 

 奥寺も熊谷も同じく攻撃手だが、近接戦に置いて手数の多さが一つの武器である事は間違いない。

 

 このままやり合えば、奥寺が不利な事は誰が見ても明らかだった。

 

「ん~、それはどうかなぁ?」

 

 だが、国近は弓場の言葉に待ったをかけた。

 

 その目は、画面の中の奥寺に注がれている。

 

「あれ、()()()()()()っていう目には見えないんだけどね~」

 

 

 

 

「ハウンド……ッ!」

「く……っ!」

 

 熊谷の号令により、ハウンドが奥寺に降り注ぐ。

 

 奥寺はシールドを広げてそれを防御し、いなす。

 

 しかし、熊谷の攻撃は終わらない。

 

 そのまま弧月を振りかぶり、一閃。

 

 それを奥寺は身を捩って回避し、お返しとばかりに横薙ぎに『弧月』を振るう。

 

「甘い……っ!」

「……っ!」

 

 だが、熊谷は元々防御寄りの攻撃手。

 

 その斬撃も弧月で難なく受け止め、刃を滑らせるようにして奥寺のバランスを崩す。

 

 上手い具合に体勢を崩された奥寺はよろめき、隙を作る。

 

 その隙を、逃す熊谷ではない。

 

 即座にハウンドのトリオンキューブを生成した熊谷は、それを奥寺目掛けて発射せんとする。

 

 これで仕留められれば良し。

 

 そうでなくとも、シールドを広げた隙に斬撃を叩き込めば良い。

 

 詰めに近い、一手。

 

 だが。

 

 だが。

 

「────ハウンド……ッ!」

「え……っ!?」

 

 ────それは相手が、無抵抗だった場合に限られる。

 

 追い込まれた奥寺が放ったのは、射撃トリガー()()()()

 

 不意打ちで放たれたそれを防御する為、熊谷は自身のハウンドを解除しシールドを展開。

 

 そして彼女がシールドで奥寺のハウンドを受け止めている隙に奥寺はバックステップで距離を取り、そのままグラスホッパーで逃走を図った。

 

 一度距離を取る事を許してしまった以上、グラスホッパーを持たない熊谷に奥寺を追う手段はない。

 

 完全に、してやられた。

 

 熊谷は、そう感じざるを得なかった。

 

 

 

 

「おーっと、此処で奥寺隊員ハウンドを使用……っ! 熊谷隊員の気を惹き、逃走に成功したぞ~……っ!」

「…………まさか、奥寺が弾トリガーを装備していたとはなァ。こりゃあ、予想外だったぜェ」

 

 その様子を見ていた実況席が、俄かに盛り上がる。

 

 先程は射撃トリガーを持たない奥寺が不利だと断じていた弓場だが、奥寺もハウンドを装備していた事により、その前提は覆った。

 

 完全に、意表を突かれたと言って良いだろう。

 

「国近ァ、おめェーはこれを知ってたのかァ?」

「ん~? そういうワケじゃないよ。でも~、なーんかして来そうな雰囲気がしたからねー。くまちゃんと遭遇して驚いてたのはホントみたいだけど、何も手がないって感じの顔じゃななかったしね~」

 

 要は、殆ど直感でさっきはああ言っていたらしいとの事だ。

 

 だが、恐らく勘だけではあるまい。

 

 A級一位部隊のオペレーターとして、国近はかなりの回数の戦闘を見てきている。

 

 その経験則から、奥寺がこのままで終わるワケがないと、見抜いていたのだろう。

 

 のほほんとしているが、有能である事は間違いない。

 

 太刀川と同じく学業の成績は目も当てられないものの、ことオペレート能力に関しては百戦錬磨の猛者。

 

 それが、国近柚宇。

 

 A級一位部隊のオペレーターという立場は、伊達ではないのだ。

 

「むう、此処で奥寺を仕留めておけば大分楽になったのに。惜しいわね」

「いやァ、そうとも限らねェんじゃねェか?」

 

 早速身内贔屓の発言をした小南に対し、弓場はニヤリと笑みを浮かべてそう言った。

 

「確かに奥寺のハウンドにゃあ意表を突かれたが、今回奥寺はそいつを逃亡の為だけに使用せざるを得なかったとも取れる。つまり、ここぞという時の()()()を早々に使っちまった事になるワケだ」

「あー、それもそうね。奥寺がハウンドを使う事はまだ誰も知らなかったワケだから、小荒井と合流してから使われたりしたらそれで一人持ってかれる可能性もあったワケか」

 

 そう、奥寺は確かにハウンドの使用で窮地を切り抜けたが、裏を返せば()()()()()()()使()()()()()()()()とも取れる。

 

 少なくとも、今の一戦で『那須隊』は奥寺がハウンドを装備している事を知った。

 

 『那須隊』相手にもうハウンドで意表を突いて仕留める、という動きが出来なくなったのは、明確な弱みと言える。

 

 そう考えれば、熊谷は良い仕事をしたと考える事も出来る。

 

 彼女が奥寺を追い込んだからこそ、奥寺はハウンド装備という手札(カード)を早々に切るハメになったのだから。

 

「それなら、『東隊』はこれで大分不利になったと見ていいかしら? 元々狙撃に不向きな上に奥寺と小荒井の合流は大分時間がかかりそうだし、踏んだり蹴ったりでしょ」

「いや、少なくとも奥寺がハウンドを使える事は鈴鳴には知られてねェ。地下街という性質上、狙撃手にスコープ越しで覗かれてるとも考え難ェしなァ。『那須隊』はともかく、『鈴鳴第一』相手にはまだハウンドが有効な事は変わらねェよ」

 

 弓場の言う通り、奥寺が隠し玉(ハウンド)を見せたのはあくまで『那須隊』のみ。

 

 『鈴鳴第一』には、まだ彼がハウンドを使える事は知られていない。

 

 そう考えれば、まだ幾らでもやりようはある筈だ。

 

「序盤から、面白ェモンが見れたが、まだまだ始まったばかりだ。何を見せてくれんのか、期待しようじゃあねェか」

 

 弓場は、そう言って好戦的に笑った。

 

 『市街地E』という特殊な戦場で始まった試合は、序盤から波乱の予兆を見せていた。

 

 戦いは、まだまだこれからである。




市街地Eの地下街は「駅地下」と考えればわかるかと思います。


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東隊②

「すみません、何とか逃げ切りましたが隠し玉を使ってしまいました」

『今回は仕方ない。気にするな』

 

 奥寺は熊谷が追って来ない事を確認しつつ、通信を繋ぐ。

 

 東からは労いの言葉がかけられたが、正直心中は穏やかではなかった。

 

 自分がハウンドを使えるという手札(カード)は、出来れば必殺の機会にこそ切りたかったというのが本音である。

 

 だが、小荒井と連携しているならばともかく、単騎で熊谷を落とせると思う程奥寺は自惚れてはいなかった。

 

 熊谷は、受け太刀を得意とする防御的な攻撃手だ。

 

 突然のハウンド使用には驚いていたが、それでも反射的に防御態勢を取る程度には、彼女の思考は()()に寄っている。

 

 意表を突く事は出来たが、それで熊谷の守りが崩れる程彼女の防御は甘くはない。

 

 恐らく、あのまま単騎で戦い続けても良くて膠着状態、悪ければ劣勢に追い込まれていただろう。

 

 奥寺が逃げ切れたのは、ハウンド使用で強引に隙を作り、グラスホッパーの有無を上手く活かせたからだ。

 

 ハウンドをあそこで使わなければグラスホッパーを使用する隙は作れなかっただろうし、あの場面では自分の行動があれで正解であったという事に疑いはない。

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事実は今更変えようがない。

 

 取れる戦術の選択肢が狭まった事は、否定出来ない事実であった。

 

『あーもう言わんこっちゃないだろー。これじゃ、那須隊相手に不意打ち出来ないじゃんかー』

「…………今回ばかりは返す言葉もないな」

 

 小荒井の言葉も、奥寺は特に反論なく受け入れた。

 

 そんな、相方の反応がむず痒かったのだろう。

 

 小荒井は通信越しに、むすぅー、と頬を膨らませた。

 

『あーもう、調子狂うなー。そこはちゃんと言い返すトコだろー?』

「だが……」

『二人共、過ぎた事を言っても仕方ないわ。反省は後にして、次の事考えよっか』

 

 小荒井と奥寺のやり取りに、通信越しにオペレーターの人見からフォローが入る。

 

 第三者の介入で、頭が冷えたのだろう。

 

 二人はこくりと頷き合い、思考を切り替えた。

 

『ま、人見の言う通りだ。確かに那須隊相手にハウンドでの不意打ちは出来なくなったが、鈴鳴第一相手にはまだ有効な手だ。状況を見極めて、狙える相手を狙っていこう』

「了解です」

『了解しましたっ』

 

 東の一声に二人は素直に反応し、気を引き締めた。

 

 確かに先ほどは不運なエンカウントをしてしまったが、まだまだ挽回は出来る。

 

 幸い熊谷が追って来る気配はないようだし、このまま合流を目指しても問題はなさそうだ。

 

 奥寺はそのまま、小荒井と合流するべく駆け出した。

 

 

 

 

『玲ごめん、奥寺くんは逃がしちゃったわ』

「構わないわ。彼がハウンドを使うっていう情報は取得出来たんだもの。序盤の状況としては、悪くないわ」

 

 熊谷から通信を受けた那須は、冷静にそう返答する。

 

 確かに此処で熊谷が奥寺を仕留められていれば後々楽になったのは事実だが、たとえ逃げられたとしても()()()()()()()()使()()という情報を知れたのは大きい。

 

 奥寺と小荒井は、連携を前提とした動きで攻めて来る相手だ。

 

 その奥寺がハウンドを使ったという事は、同じように小荒井もハウンドを装備している可能性が高い。

 

 二人の戦法や練度は鏡合わせのように似通っているので、片方が習得したのであればもう片方も習得していてもなんら不思議ではない。

 

 今回の試合では、相手にハウンド持ちが二人増えたと考えた方が良いだろう。

 

『そうだな。この情報は、あるとないとでは大分違う。幸先の良いスタートと考えて問題ないだろう』

『そうですよっ! ただでさえ特殊なMAPなんですし、情報は多いに越した事はありませんっ!』

 

 那須に追従するように、七海や茜からもフォローが入る。

 

 熊谷が得た情報の重要性は、二人もきっちり認識している。

 

 彼女達は、気休めは言わない。

 

 純然たる事実を元に分析し、その上で()()()()と言っている。

 

 戦場に置いて士気の維持は勿論重要であるが、情報の正確性もまた重要視される。

 

 相手を気遣って情報を捻じ曲げるようでは、戦場ではやっていけない。

 

 事実は事実として、受け止める事もまた大事なのである。

 

 要は、言い方の問題だ。

 

 ()()()()()()()()という()()は、戦いが終わった後にすれば良い。

 

 戦場にいる間は、()()()()()()()()()を最優先で考え、実行する必要がある。

 

 だから戦いの最中に伝えるべき情報は()()()()()()()()()()()であり、相手の失態の是非ではない。

 

 事実、戦闘中も反省()()をしていた『香取隊』は、足踏みを続ける結果となっていた。

 

 今一番考えるべき事柄は、何か。

 

 それが分からないようでは、先へはとても進めないのだから。

 

「作戦は継続するわ。予定通りに動いて」

『『了解』』

『了解ですっ!』

 

 那須は短く指示を伝え、通信を終えた。

 

 電光に照らされた通路の奥を見据え、彼女は鋭い眼光を飛ばした。

 

「前回の借りは、きちんと返させて貰います。今度こそ、隊長としてしっかりやってみせるわ」

 

 

 

 

「おし……っ! そろそろ合流出来るな……っ!」

 

 小荒井はグラスホッパーを用いて地下街を進みながら、笑みを浮かべた。

 

 先程の奥寺の件を考えてみても、一刻も早く合流しなければいつ誰と遭遇するか分かったものではない。

 

 自分は奥寺同様、単騎では他の攻撃手に一歩劣る。

 

 それを自覚しているからこそ、小荒井は奥寺との素早い合流を優先し、わざわざグラスホッパーで加速を得て通路を疾駆していた。

 

 今回、グラスホッパーを装備しているのは自分達の他には七海と那須の二人。

 

 悪い事に、二人は既にハウンドを見せてしまっている『那須隊』の隊員だ。

 

 双方共単騎で出会った時点で殆ど逃げ切りは不可能であると考えて差し支えはなく、ならば多少目立つ行動をしてでも一刻も早い合流を目指した方が良い。

 

 小荒井はそう考え、グラスホッパーを使用しての移動に踏み切った。

 

 ある意味では、間違っていない。

 

 小荒井も奥寺も、単騎では然程強くはないが、相方と組んだ時はその連携で格上相手だろうが食いかねない実力を発揮する。

 

 比翼連理が揃うか否か、それが勝負の分かれ目だ。

 

 故に、合流を最優先とする小荒井の判断は誤りというワケではない。

 

 だが。

 

 だが。

 

「────旋空弧月」

「……っ!」

 

 ────この状況下では、些か軽率でもあった事は否定出来ない。

 

 小荒井がグラスホッパーを踏み込み、通り過ぎようとした通路脇の店舗。

 

 その中から店舗のウインドウを突き破って放たれた『旋空』が、小荒井を襲う。

 

 小荒井は慌てて小さなグラスホッパーを展開し、自分の身体を弾くようにしてなんとか旋空弧月を回避。

 

 ゴロゴロと床を転がりながら、旋空弧月の発射元である店舗から距離を取る。

 

 そしてすぐさま起き上がり、店舗の中を見据え────そこから、予想通りの相手が現れた。

 

「かーっ、此処で村上先輩かよ。ツイてねぇー」

「そう言うな。きっちり相手してやる」

 

 NO4攻撃手、村上鋼。

 

 右手に『レイガスト』を、左手に『弧月』を構えた中世の騎士の如き立ち姿のその少年は、小荒井に好戦的な笑みを向けた。

 

 

 

 

「おーっと、此処で小荒井隊員が村上隊員に捕まった~……っ! どうやら今回の東隊は、トコトン運に恵まれていないようだねえ」

「確かにこりゃあ、ちと厳しい展開だなァ」

 

 国近の実況に、弓場は眼鏡をくいっと上げながら呟く。

 

 その視線は、小荒井と対峙する村上の映像に向けられている。

 

「そうなの~? 奥寺くんと同様、小荒井くんも多分隠し玉としてハウンド持ってるよねきっと。それでも厳しいかなあ?」

「ああ、厳しいなァ」

 

 国近の問いに、弓場は即答する。

 

「確かに鈴鳴は、小荒井達がハウンドを使うって情報自体は知らねェ。だが、こればっかりは相手が悪過ぎるとしか言えねェなァ」

「鋼さんは、元々守りが堅いからね。多少予想外の攻撃が来ても、崩すのは難しいわ」

「あァ、しかも右手にレイガストを持ってるって事ァ、防御に意識を割いていると見て間違いねェ。ハウンドを使った所で、逃げる隙を作れれば御の字ってトコだろうなァ」

 

 そう、今の村上はレイガストを()()()装備している。

 

 村上は攻撃重視の時は左手に、守備重視の時は右手にレイガストを装備して立ち回りを使い分けている。

 

 その村上が右手にレイガストを装備しているという事は、不意打ちに対して十全に備えている状態にあると言っても過言ではない。

 

 そんな村上にハウンドで不意打ちを仕掛けた所で、逃げる隙を作れるかどうか、といった所だろう。

 

「小荒井としちゃあ、此処でハウンドを切る事は避けたい筈だからなァ。那須隊に続いて鈴鳴第一にまで隠し玉を見せちまったら、隠し玉の意味がなくなっちまうからなァ」

「つまり、隠し玉を使い潰して逃げるか、奥寺との合流までなんとか耐えるか。選べるとしたら、そのどちらかね」

「どちらにしろ、分の悪ィ二択には違いねェけどなァ」

 

 小荒井としては、折角不意打ちに使える手札を此処で使い切りたくはない。

 

 だが、村上は手札を温存したまま相手に出来るような生易しい相手ではない。

 

 全力で当たらなければ、村上相手には戦いの土俵にすら上がれない。

 

 小荒井はその小柄な身体での身軽な動きを武器とするが、逆に言えば体格に劣る相手との正面からの鍔迫り合いは不利となる。

 

 特に、この地下街のような狭い空間では猶更だ。

 

 事実上、小荒井が生き残る為にはハウンドという手札を切るしかない。

 

 奥寺が到着するまで耐え凌ぐという選択肢も、あるにはある。

 

 だがそれは、とても現実的とは言い難かった。

 

「幸い、奥寺との距離はそう遠くねェ。少しの間耐えれば、合流は出来んだろうけどなァ」

「けど、そう上手くは行かないわ。ホント、今回運がないのね」

 

 小南はそう言って笑うと画面を見据え、告げる。

 

「『東隊』は」

 

 

 

 

「────メテオラ」

 

 ────それは、突如として訪れた。

 

 村上のいる場所の、逆方向。

 

 小荒井が進もうとしていた方向から、爆音が響いた。

 

 続け様に響く爆音と同時に、先の通路が崩落。

 

 奥寺と合流する為に向かおうとしていたその道は、瓦礫に塞がれ通路としての機能を停止した。

 

「な……っ!? メテオラって事は、まさか……っ!」

「…………来たか、七海」

「────」

 土煙舞う瓦礫を背に、こちらに歩み寄る影があった。

 

 その手にスコーピオンを携えた少年の名は、七海玲一。

 

 通路を爆破し塞いだ張本人は、村上と小荒井を見据えスコーピオンを構え直した。

 

 此処に、七海と村上。

 

 二つの部隊のエースが、小荒井を挟む形で揃ってしまった。

 

 最早、逃げ場はない。

 

 

 

 

「おっとおっとぉ、此処で七海隊員が通路を爆破しながら出現~っ! 小荒井隊員、両部隊のエースに挟み撃ちにされる形になったぞぉ」

「こりゃ死んだわね。あいつ」

 

 画面を見て、小南は端的に告げる。

 

 彼女が七海贔屓なのは見ての通りだが、傍から見ても小荒井の窮地は明白であった。

 

「今の崩落で、奥寺と合流出来る最短ルートは潰れたわ。回り道をすれば合流出来なくもないけど、それまで小荒井が生きてられるとは思えないわね」

「俺もそりゃあ同感だなァ。鋼だけでも厳ちィってのに、そこに七海まで加わりやがった。相当気張らなきゃ、先は無ェわなァ」

 

 小南達の言う通り、今小荒井は七海と村上、二人のエース攻撃手と対峙している。

 

 立ち位置も、丁度小荒井を挟み撃ちするような恰好だ。

 

 無理にグラスホッパーで抜けようとしても、村上の防御や七海の機動力を振り切るのはまず不可能。

 

 殆ど遭遇戦に近い戦いを強いられ道も入り組んでいるこのMAPの特性が、最悪の形で突き刺さったと言えるだろう。

 

「小荒井一人で、この二人の相手は荷が勝ち過ぎる。捨て身の特攻を仕掛けても、手傷を与えられるかどうかすら怪しいってんだからなァ」

 

 そう。村上は防御が堅く、()()()()()()()()()の攻撃ではまず崩れはしない。

 

 七海に関してはサイドエフェクトで攻撃を察知出来る上に、機動戦での立ち回りは七海が上だ。

 

 捨て身になったところで、刃が届く筈もない。

 

 奥寺と二人揃えば幾らでもやりようはあるのだが、開始直後の一番隙の多い時間帯を狙われた以上どうしようもない。

 

 ほぼほぼ、()()()と言って差し支えない状況であった。

 

 その二人の解説を聞き、国近はほぅほぅと感心する素振りを見せながら、マイクを握り締めた。

 

「さあ、序盤から波乱の展開だが、どうなる小荒井隊員~……っ!? この窮地、切り抜ける事が出来るか……っ!?」

 

 国近は画面に映る小荒井の姿を見て、笑った。

 

 面白いものが、見られるだろう。

 

 そんな期待が、その目からは伝わって来る。

 

 戦いは、序盤から早くも一つの佳境を迎えつつあった。



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東隊③

「────旋空弧月」

「うわっと……っ!」

 

 村上は左手に構えた弧月で、『旋空』を放つ。

 

 狙いは当然、自身と七海の二人に挟まれた標的────小荒井だ。

 

 小荒井はグラスホッパーを利用し、跳躍して『旋空』を回避。

 

 村上の斬撃は、空を切る。

 

「────」

 

 しかし、これはあくまで陽動。

 

 小荒井を、この場から逃さない為の牽制。

 

 故に、()()()は当然やって来る。

 

 スコーピオンを携えた七海が、壁や天井を足場にして跳躍した小荒井へと追い縋る。

 

「く……っ!」

 

 小荒井は弧月でスコーピオンを防御────は、しない。

 

 それは何故か?

 

 当然、()()()()()()()()()からである。

 

 防御ではなく回避を選択した小荒井は、グラスホッパーを踏み込み七海からの離脱を試みる。

 

 七海とは逆方向────村上の方に向かって、小荒井が跳躍。

 

 あわよくばこの場を抜け出さんと、全速力で疾駆する。

 

「────スラスター、オン」

 

 だが、それを許す村上ではない。

 

 村上はレイガストのオプショントリガー、スラスターを起動。

 

 一瞬にして空中の小荒井へと肉薄し、小荒井にレイガストのシールドバッシュを敢行する。

 

「ぐ……っ!」

 

 村上の盾の突進(シールドバッシュ)を喰らった小荒井はその場から弾き飛ばされ、再び七海の方へ押し戻される。

 

 当然、その先にいた七海はスコーピオンを構えて跳躍。

 

 逃走に失敗した小荒井を、刈り取りにかかる。

 

「やられてたまるか……っ!」

 

 小荒井は即座にグラスホッパーを起動し、ジャンプ台トリガーを踏み込み下へ逃げる。

 

「────」

「ぐ……っ!?」

 

 しかし、ただで逃がす程七海は甘くはない。

 

 小荒井が下へ逃げた瞬間、手に持っていた短刀型のスコーピオンを迷わず投擲。

 

 投擲されたスコーピオンの刃が小荒井の脇腹を抉り、傷口からトリオンが流出する。

 

 直撃しなかっただけマシだが、それも時間の問題だ。

 

 七海は小荒井と少し離れた場所に着地し、油断なく小荒井の動向を見据えている。

 

 恐らく、すぐでも攻撃は再開されるだろう。

 

 既に着地を終えた村上はレイガストを構えながら『弧月』を振りかぶる準備をしており、七海もまた、いつでも動き出せる体勢を崩していない。

 

 七海は奥寺がハウンドを使用したという情報から、既に小荒井もハウンドを装備しているだろうと当たりをつけている為、不用意に踏み込みはしない。

 

 村上もまた、七海の立ち回りから小荒井に何か()()()があると察し、七海に便乗する形で警戒を怠らず仕留める隙を狙っている。

 

 もしも小荒井と奥寺がハウンドを装備していなければ、最初の攻防でそのまま落とされていただろう。

 

 だが、それも時間の問題だ。

 

 機動力に長けた七海から逃げ切る事は至難であり、村上も防御を崩す隙も、現状一切見当たらない。

 

 小荒井は既に、いつ落ちてもおかしくはない窮地へと追い込まれていたのだった。

 

 

 

 

「七海隊員と村上隊員の猛攻が、再び小荒井隊員を襲う……っ!  これは小荒井隊員、厳しいか……っ!?」

 

 実況席で戦況をを見ていた国近がそう告げ、弓場も鋭い眼光を画面の先へ飛ばしている。

 

「このままだと、小荒井は落ちるな。ちィと頑張っちゃいるが、流石にあの二人相手は分が悪ィ」

「二人共、小荒井を逃がさないように立ち回ってるしね。多分、小荒井を落とすまで疑似的な共闘を続けるつもりでしょ」

 

 小南の言う通り、七海と村上は一種の休戦協定を結んでいる状態にあった。

 

 言葉を交わしたワケではない。

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()という思惑は、二人共合致していた。

 

 小荒井が奥寺と合流した時の厄介さは、七海達も百も承知だ。

 

 だからこそ、合流前に潰す。

 

 『鈴鳴第一』がこのMAPを選んだ意図の中に当然それは盛り込まれているし、七海もこの機会を逃すつもりはサラサラなかった。

 

 東を相手にするには、まず脇を固める小荒井と奥寺を排除しなければ話にならない。

 

 それが単騎であればそこまで強くない駒ともなれば、やる事は決まったようなものだ。

 

 即ち、見敵必殺。

 

 幸い、小荒井は目立つ事も厭わずグラスホッパーを用いて移動していた。

 

 その情報を地下街に潜伏しているチームメイトから入手した七海は、小夜子と連動し小荒井の通るルートをシミュレート。

 

 進行方向に先回りし、通路崩しからの奇襲を狙ったのだ。

 

 そこに村上が参戦してくれた事は、嬉しい誤算である。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()とは思っていたが、まさか此処まで上手く行くとは七海も思っていなかっただろう。

 

 挟み撃ちに成功した時点で、村上と七海の思惑は一致を見た。

 

 そして、今の状況へと繋がったワケである。

 

 結果として二人のエース攻撃手に挟まれる形になった小荒井としては、文句の一つも言いたくなる状況であろうが。

 

「じゃあ小南ちゃん達は、このまま何も出来ずに小荒井くんが落ちると思ってる?」

 

 だが、そんな状況であるにも関わらず、国近は不意にそんな事を言い出した。

 

 分かり切った事を聞く国近を不審に思いつつ、小南は質問に答える。

 

「そりゃそうでしょ。あの状態から生き残るなんて、まず無理よ。七海も鋼さんも、捨て身の特攻が通じる相手じゃないわ。相打ち覚悟で行っても、碌に戦果は得られないでしょうからね」

「俺も同意見だなァ。流石に、気張ってどうこうなる範囲を超えてやがる。それとも何か? おめェーはこの状況から小荒井が何か出来るって、そう思ってんのか?」

 

 弓場は、胡乱な目で国近を見据える。

 

 鋭い眼光で睨みつけられるように見られても、国近の態度に変化はない。

 

 ただ淡々と、己の意思を言葉に乗せた。

 

「んー、それはまだ分からないかなー。私も小荒井くんが絶体絶命なのは分かるし、生き残るのも無理だとは思うけど」

 

 でも、と国近は告げる。

 

「────何も出来ずに落ちる程、諦めが良くはないと思うよ。小荒井くんは」

 

 

 

 

 ────小荒井が『ボーダー』に入った理由は、別に大したものではない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()。これに尽きる。

 

 自分と奥寺は、何をするにも一緒だった。

 

 血の繋がった兄弟というワケでも、兄弟同然に育った幼馴染というワケでもない。

 

 ただ、初めて出会った時に確信したのだ。

 

 こいつとは、一緒にやった方が上手く行くと。

 

 その直感は、間違っていなかった。

 

 日常の些細な事柄、サッカーの試合、そのいずれも小荒井は奥寺の行動が手に取るように分かり、どうすればお互いにやり易いのか、という事が直感的に理解出来ていた。

 

 その二人が共にサッカー部へ入部し、ゴールデンコンビと呼ばれるようになるのは、最早必然だったと言える。

 

 楽しかった。

 

 口では色々と言い合う間柄だが、奥寺とは根本的な部分で繋がっているのが理解出来たからだ。

 

 言い換えれば、()()()()()()()()()()()()のだろう。

 

 親兄弟でも幼馴染でもない二人がどうしてそこまで()()()()のか不思議で仕方なかったが、それが特に問題とは思わなかった。

 

 学生生活というタイムリミットこそあれど、時間制限が来るまで奥寺と共に楽しくやれればそれで良い。

 

 少なくとも小荒井は、そう思っていた。

 

 ────あの、大規模侵攻が起こるまでは。

 

 とは言っても、小荒井自身があの侵攻の被害を直接受けたワケではない。

 

 奥寺も、家族が死んだなどという話は聞かなかった。

 

 だが、『ボーダー』が出来て暫く経った頃、急に奥寺が言い出したのだ。

 

 『ボーダー』に入りたい、と。

 

 大規模侵攻が起きた後、奥寺が何かに悩んでいるのは気付いていた。

 

 だが、問い詰める気にはなれなかった。

 

 恐らく、奥寺の知り合いの誰かが、ボーダーに入ると決めたのだろう。

 

 奥寺は多分、その人を助けてやりたいのだ。

 

 言葉にはせずとも、小荒井はそんな奥寺の心の機微を理解していた。

 

 だから、迷わず告げたのだ。

 

 自分も、一緒にボーダーに入ると。

 

 奥寺は最初は面食らっていたようだが、薄々俺がどう答えるかは元々察していたらしい。

 

 何度か念押しした後、「じゃあ一緒にやるか」と笑顔で頷いたのだ。

 

 何をするにも、二人一緒なら上手く行く。

 

 それまでも、そうだった。

 

 なら、相棒が行くと言うのであれば、自分も当然付いて行く。

 

 難しい事は、考えずとも良い。

 

 ただ、奥寺(あいぼう)の力になれればそれで良い。

 

 そう考えて、二人はボーダーの門を叩いたのだ。

 

 そしてそこからB級に上がり、いざチームを組もうという段になって、二人はようやく気付いたのだ。

 

 自分達を率いる、隊長が要ると。

 

 自分も奥寺も、隊長には向いていない。

 

 そも、自分と奥寺は連携出来なければそこまで強くはない。

 

 別々の隊に入るなど、考慮すらしていなかった。

 

 しかし、部隊の定員は四名。

 

 その時のB級部隊は殆どが三名部隊で、自分と奥寺が共に入れるような隊は存在しなかった。

 

 戦闘員が一人という珍しい隊もいたにはいたが、そこに入る気にもなれなかった。

 

 となると自分達で隊を立ち上げるしかないのだが、二人に指揮官としての適性はなかった。

 

 かと言ってどちらかが隊長をやるとなると、連携が甘くなるであろう事は容易に予測出来た。

 

 自分達の強さは、連携あってこそのもの。

 

 その連携を疎かにするような選択を、取る事は出来なかった。

 

 そんな時、二人は耳にしたのだ。

 

 A級部隊を率いていた一人の隊長が、隊を解散して単独(フリー)の身でいるのだと。

 

 そこに運命的な何かを感じた小荒井は、奥寺共々その相手────東に、突貫した。

 

 勿論、初めから色良い返事を貰えたワケではない。

 

 昼夜問わず東の所に通い詰め、足に縋りついて泣き落としまで敢行して、ようやく了解の返事を貰えたのだ。

 

 我ながら手段を選ばなかった自覚はあるが、逆に言えばそこまでしなければ東が隊長を引き受けてくれる事はなかっただろう。

 

 なり振りかまわなかった、小荒井の執念の勝利と言える。

 

 そうして晴れて『東隊』となった小荒井と奥寺は、東から指導を受けメキメキと実力を上げて行った。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という評価も聞こえて来るようになり、二人は順調そのものだったと言える。

 

 だが、B級上位は甘い世界ではなかった。

 

 中位までと違い相手から中々点が獲れず、自分達が倒されて東だけ生き残り、タイムアップにより試合が終了する、といった事が何度もあった。

 

 東は隠密能力や作戦立案能力も然る事ながら、生存能力もずば抜けて高かった。

 

 一度弓場と影浦に挟み撃ちにされた時も、上手く二人を食い合わせて無傷で脱出した程だ。

 

 そんな東に対して、二人は何かが出来ているという実感がなかった。

 

 点は碌に獲れず、強い相手には落とされる。

 

 そういった日々が続いたからこそ、『東隊』はB級上位での成績は伸び悩んでいた。

 

 そして前回のROUND3では、遂に中位落ちを経験してしまった。

 

 ROUND3では、東はきっちり仕事をこなしていた。

 

 狙撃が効かない七海相手に狙撃を成功させ、緊急脱出にまで追い込んだ。

 

 『東隊』が中位落ちしたのは、偏に自分達が一点も取れなかったからである。

 

 もし、自分達が一点でも取れていれば、あの時中位落ちを経験せずに済んだ筈だ。

 

 所詮は「もしも」の話だが、そう思わずにはいられない。

 

 だから、続くROUND4で東が自分達の行動を評価してくれた事は嬉しかった。

 

 中位落ちしたROUND4では、『荒船隊』と『諏訪隊』、『柿崎隊』という面子と戦った。

 

 選択されたMAPは、『市街地C』。

 

 高低差のある住宅地の連なる、狙撃手有利MAPであった。

 

 序盤に『諏訪隊』の三人を落とせたまでは良かったが、その時に諏訪の銃撃で小荒井が右腕を負傷。

 

 高台に陣取られた『荒船隊』の三人の狙撃を掻い潜る事が出来ず、膠着状態に陥った。

 

 そこで、二人は東に問われた。

 

 撤退か、それとも続行か。

 

 そして、続けたとして誰を狙うのか。

 

 まず、その時点での撤退は出来なかった。

 

 三点では、上位へは復帰出来ない。

 

 あと二点、最低でも必要だった。

 

 MAPを完全に味方に付けた『荒船隊』の攻略が難しい以上、残る『柿崎隊』を狙いたい所だったが、『柿崎隊』は生存能力の高い隊員が揃っている。

 

 『柿崎隊』に仕掛けている間に、『荒船隊』に狙われては目も当てられない。

 

 だから二人は、落とされる事を承知で『荒船隊』の狙撃手二人に特攻した。

 

 結果として奥寺は落とされたものの穂刈と半崎を落とす事には成功し、残された小荒井はそのまま撤退する事を選んだ。

 

 欲をかきたくなる場面ではあったが、充分戦果は得られたと判断し、そこで試合を降りる決断を下したワケだ。

 

 結果として自分達はB級上位へ復帰する事が出来、東からも最後の撤退の判断を評価され、サブトリガーの本格的な使用が解禁された。

 

 だからこそ、『ハウンド』をこの試合に持ち込む事が出来たのだ。

 

 自分達は今、上がり調子の筈だ。

 

 しかし、今回の試合ではつくづく運に見放されている。

 

 奥寺と合流できる目途は立たず、自分が落ちるのも時間の問題。

 

 そんな状況に、小荒井は諦めが頭を過り────は、しなかった。

 

 脳裏に浮かぶのは、()()()()()()()()()()()()という思考。

 

 思考を止めてはならない。

 

 相手の戦術レベルを想定し、最適の選択肢を選び抜く。

 

 それが、東の教え。

 

 その教えを受けた自分達が、思考放棄など以ての外。

 

 考えろ。

 

 考えろ。考えろ。考えろ。

 

 落とされる事は、良い。

 

 だが、此処で何も得られず、ただ落とされるのはゴメンだ、

 

 だからこそ、小荒井は思考を止めなかった。

 

 袋小路の先にある答えを、見つける為に。

 

 …………ふと、通路を塞ぐ瓦礫とその向こうの()()()()()に気付く。

 

 そして、閃くものがあった。

 

 すぐさま通信を開き、告げる。

 

「東さん。ちょっと、頼みたい事があるんですけど……」

 

 小荒井は、闘志を漲らせ、東への()()を終えた。

 

 そして、顔を上げる。

 

 前門の七海に、後門の村上。

 

 二人に挟まれた自分に、生き残る道などない。

 

 だが。

 

 だが。

 

 それは、勝負を捨てて良い理由にはならない。

 

 この場で出来る、最善を。

 

 そう決意し、小荒井は弧月をその手に駆け出した。



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東隊④

『つーわけで、後は頼んだぜ奥寺。しっかりやれよっ!』

「…………ああ、任せておけ」

 

 小荒井からの通信を聞き、奥寺は人知れず溜め息を吐いた。

 

 現在、小荒井は七海と村上という相手のエース二人に挟まれた状態にいる。

 

 しかも通路は瓦礫で寸断されており、逃げる隙も見当たらない。

 

 自分が共にいればなんとかなったかもしれないが、最短ルートが潰された以上辿り着く頃には最早手遅れになっている筈だ。

 

 小荒井は、此処で落ちる。

 

 まだ、一度も自分との連携を見せないまま。

 

 その事が、妙に悔しかった。

 

 奥寺にとって小荒井は、不思議な間柄の相手だった。

 

 兄弟というワケでも、幼馴染というワケでもないのに、自然と相手の考えが分かるのだ。

 

 相手がどう考え、動き、自分に何を求めているか。

 

 それが自然と分かったから、小荒井とは自然とコンビを組むようになっていった。

 

 小荒井と一緒にやるサッカーは、楽しかった。

 

 息の合った相棒と共にスポーツに熱中し、互いに軽口を叩きながら笑い合う。

 

 そんな日常を、奥寺は口に出さずとも確かに好んでいた。

 

 ただし、相棒とはいえ何もかも打ち明けているワケではない。

 

 自身が淡い想いを抱く女性、人見摩子に関する事もその一つだ。

 

 人見は奥寺にとって、有り体に言ってしまえば()()()()()()()という立ち位置だった。

 

 それなりに交流があり、相応に優しく、面倒を見てくれた。

 

 そんな女性に奥寺が仄かな好意を抱くのは、最早自然な流れだったと言える。

 

 かと言って割と奥手な奥寺には告白するような思い切りは持てず、小荒井と過ごす楽しい時間に重きを置いていた事もまた事実だった。

 

 ────あの、大規模侵攻が起こるまでは。

 

 奥寺も小荒井同様、直接の被害を受けたワケではない。

 

 だが。

 

 だが、人見は────あの大規模侵攻で、祖父を失った。

 

 その直後の消沈ぶりは、傍から見るだけでも酷かった。

 

 無理な作り笑いを浮かべた、痛々しい姿の彼女は、正直見ていられなかった。

 

 少しでも気が楽になればと話し相手になってみたりもしたが、何処までそれが彼女の助けになったのかは正直分からない。

 

 けれど結局、しばらくすると彼女は自分の中で折り合いを付けたらしい。

 

 祖父の復讐の為ではなく、これ以上悲しむ人を減らす手助けが出来るならと、人見はボーダーに入る決意を固めた。

 

 そして、そんな彼女を見て、自分もボーダーに入って彼女の助けになろう、と思ったのだ。

 

 …………正直、不純な動機だったと思っている。

 

 好きな人の傍でアピールしたいから、防衛組織に入る。

 

 ボーダーに皆が入る理由は様々だろうが、自分の理由はどうにも低俗なものに思えた。

 

 だから、小荒井にボーダーに入る話をした時も、その理由については話さなかった。

 

 けれど、小荒井は理由も聞かずに二つ返事で一緒にボーダーに入る、と言ってくれた。

 

 恐らく、何らかの事情がある、という事くらいは小荒井も察していただろう。

 

 だが、自分がそれを話したくない事を悟ると、一切の追及をせずにただ自分と共に入隊する決意を固めてくれた。

 

 正直、助かったと思ったのは事実だ。

 

 ボーダーでは、戦闘員としてやって行く事になる。

 

 その上で、小荒井との連携力を活かさない手はない。

 

 そも、自分にとって小荒井は既にいて当然の相棒であり、いなければきっと、調子が狂う。

 

 いわば、自分の半身のようなものなのだ。小荒井は。

 

 一緒にいるのが自然で、自分にとってなくてはならない相方。

 

 それが、奥寺にとっての小荒井だった。

 

 今までは、なんだかんだで小荒井とはすぐに合流出来ていた。

 

 だからこそ、強者ひしめくB級上位で曲りなりにもやって来れたのだと言える。

 

 故に、今回のような一度も合流しないまま片方が脱落の危機を迎えるといった状況は、正直初めてだった。

 

 合流した後、分断された事ならある。

 

 だが、そもそも一度たりとも合流出来ないという事は、不思議と今までなかった。

 

 恐らくは偶然であろうが、その偶然も今回ばかりは作用してくれなかった。

 

 …………正直、心細くないと言えば嘘になる。

 

 分かるのだ。

 

 きっとこの試合、自分は小荒井と合流は出来ないのだと。

 

 何故、と問われてもそう感じたから、としか言いようがない。

 

 だが、この直感は恐らく当たってしまうのだろうという、嫌な確信があった。

 

 そして、今の小荒井が説明した「作戦」を聞き、それは決定的となった。

 

 小荒井が東に頼んだのは、自分の救助ではない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 聞いた時は思わず耳を疑った作戦だったが、東はそれを「実行可能」と答えた。

 

 その答えを聞いた小荒井は、笑いながら作戦実行の許可を東に取り、自分にも後は頼むと伝えて来た。

 

 小荒井に気負いはなく、ただ自分のやるべき事を見据えて行動しようとしている。

 

 それが妙に悔しくて、奥寺は内心悶々としていた。

 

『奥寺。心配するな。これも良い経験だと思って、思うようにやってみろ』

「東さん…………わかりました。やってみます」

 

 そんな時に、通信越しに東の声が届く。

 

 東の声には、何処か自分を案ずるような響きがある。

 

 恐らく、小荒井と合流出来ずにいる自分のメンタルの不安定さに気付き、フォローを入れてくれたのだろう。

 

 つくづく、自分達には出来過ぎた隊長だ。

 

 そうだ。何を迷っていたのだろう。

 

 考えてみれば、こんな状況はこれから何度も起こり得る。

 

 その度に心が乱れていては、勝てる試合も勝てなくなる。

 

 何より、小荒井が覚悟を決めたのだ。

 

 相方の自分が、こんなザマでどうする?

 

 自分も、しっかりしなければ。

 

 勝つ為に。何よりも、相棒の覚悟に応える為に。

 

 やってやる。

 

 奥寺は決意を新たに、地下街を駆けて行った。

 

 

 

 

「うりゃあ……っ!」

 

 小荒井は『弧月』を上段に構え、七海に斬りかかる。

 

 村上ではなく、七海を狙った理由は単純明快。

 

 七海は、距離を離すと危険だからだ。

 

 近接オンリーの村上とは違い、七海はメテオラをセットしている。

 

 こんな閉鎖空間でメテオラを使うなど普通は自殺行為だが、生憎七海は普通ではない。

 

 たとえ至近距離だろうが、使う時は容赦なく使って来る筈だ。

 

 その展開を避ける為に、敢えて七海に突貫したのだ。

 

 更に言えば、七海はスコーピオンを使う都合上、不意を打つ能力に優れている。

 

 村上とやり合っている間に後ろから一刺し、という展開も、七海なら十分に考えられるのだ。

 

 故に、前進にこそ活路を見出し小荒井は斬撃を放つ。

 

 だが、当然七海はそれをスコーピオンで迎撃。

 

 『弧月』の刃が、スコーピオンに受け止められる。

 

 誰もが知っての通り、弧月とスコーピオンでは耐久力に差がある。

 

 一方的にスコーピオンで弧月を受け太刀し続ければ、スコーピオンはあっという間に砕け散る。

 

 元々、スピードアタッカー用の攻撃特化のトリガーなのだ。

 

 防御に用いる武器としては、正直心もとない。

 

 故に七海は、即座に次の手を打つ。

 

「────」

 

 左手にスコーピオンを生やしながらの、一閃。

 

 前兆なしで放たれたその攻撃が、弧月を掻い潜って小荒井を襲う。

 

「うおっと……っ!」

 

 それを小荒井は、身体を捻り強引に回避。

 

 間一髪で、攻撃を凌ぐ。

 

「────旋空弧月」

 

 しかし、今度はそこに背後からの『旋空』が襲い来る。

 

 放ったのは、当然村上。

 

 七海ごと小荒井を両断せんとする斬撃が、横薙ぎに振るわれる。

 

 今は表面上共闘の姿勢を見せているが、七海と村上は対戦相手。

 

 その前提は、変わっていない。

 

 故に、これは共闘の反故などではない。

 

 そもそも。

 

 単発の『旋空』程度では、七海を傷付けるには至らない。

 

 攻撃が来るのを()()した七海は極小のグラスホッパーを用いて、跳躍。

 

 最低限の動きで、村上の旋空を躱す。

 

「く……っ!」

 

 小荒井も、同じようにグラスホッパーを踏み、斬撃を回避。

 

 七海と小荒井が、同時に中空へと躍り出た。

 

「────」

 

 空中戦となった以上、七海が黙っているワケはない。

 

 壁を蹴り、天井を足場に、三次元機動で小荒井の背後を取る。

 

 一瞬の、目にも止まらぬ体捌き。

 

 小荒井の背に狙いを定めた暗殺者(七海)が、音もなくスコーピオンを振るう。

 

 既に、回避が許されるタイミングではない。

 

 受けるか、斬られるか。

 

 刃の脅威に晒された小荒井に許された選択は、それだけだった。

 

「こなくそ……っ!」

 

 小荒井はなんとかそれに反応し、弧月で受け太刀。

 

 鈍い音と共に、スコーピオンが弧月によって受け止められる。

 

「────旋空弧月」

 

 動きが止まった小荒井に、村上の旋空弧月第二波が放たれる。

 

 旋空弧月は、切断力であれば他の追随を許さない強力な一撃だ。

 

 扱い難く使いこなせている者はそう多くはないが、シールドさえ容易に両断するその突破力は伊達ではない。

 

 先端に近付けば近付く程威力が上がるというその性質上、離れた場所を攻撃する手段としてはこの上なく有効だ。

 

「……っ!」

 

 故に。

 

 小荒井が取った手段は、()()

 

 グラスホッパーを用いて無理やり七海から離れた小荒井は、その勢いを利用して旋空を掻い潜りつつ側面から村上へと肉薄する。

 

 旋空弧月は確かに強力な攻撃ではあるが、同時に隙の大きい一撃でもある。

 

 ブレードを拡張して振るっている以上、その重さの枷(デッドウェイト)はどうしたって使用者の動きを鈍くする。

 

 即ち、旋空を使用している最中は、奇襲に対して反応が遅れ易い。

 

 小荒井はその隙を狙って、村上に特攻を敢行したのだ。

 

 しかし。

 

 しかし。

 

 ────村上は、旋空を使った程度で隙を晒すような練度の持ち主ではない。

 

 重さの枷(デッドウェイト)など、とうに克服済み。

 

 太刀川や忍田の域にはまだ及ばないが、それでも旋空の扱いには一通り習熟している。

 

 即ち。

 

 小荒井の特攻にも、冷静に対処が可能。

 

 レイガストを用いて、小荒井の斬撃をガードする。

 

 そも。

 

 防御重視の攻撃手である村上の真価は、容易には崩せないその堅牢な防御力にある。

 

 故に。

 

 故に。

 

 ────その攻撃が対処される事は、小荒井にとっても()()()()

 

「────ハウンド……ッ!」

「……っ!」

 

 小荒井はそこで、隠し玉(ハウンド)を放つ。

 

 村上の、レイガストの側面。

 

 ()のない箇所へ向け、猟犬(ハウンド)が牙を剥く。

 

 村上は弧月とレイガスト、その両方を起動している。

 

 このハウンドを防ぐ為にシールドを張るには、そのどちらかのトリガーをオフにしなければならない。

 

 だが、レイガストを失えば小荒井の追撃を防ぐ事が出来ず、弧月を失えば切り返しの手段が喪失する。

 

「────」

 

 故に。

 

 村上が取った手段は、小荒井の想像を超えていた。

 

 小荒井の弧月を受け止めていたレイガストをハウンドが迫る側面へと向き直し、その全弾を受け止める。

 

 素通しになった小荒井の斬撃は、左手の弧月を逆手持ちにしてこれを受け太刀。

 

 一瞬の、曲芸の如き技術を用いた的確な防御。

 

 それによって、小荒井の奇襲は完全に防がれた。

 

「が……っ!」

 

 そして、動きの止まった相手程、落とし易いものはない。

 

 背後から忍び寄った七海の刺突が、的確に小荒井の胸を、トリオン供給器官を刺し貫いた。

 

『警告。トリオン供給器官破損』

 

 機械音声が、小荒井の致命傷を告げる。

 

 小荒井のトリオン体の全身に罅割れが発生し、その身体が限界を迎える。

 

「やっぱ強ぇな、七海先輩。けど、ただでやられるつもりはないね……っ!」

「……っ!」

 

 だが、崩れ行く小荒井の身体の影から、無数の光弾が、ハウンドが放たれた。

 

 これこそが、小荒井が片手が空いているにも関わらず、シールドさえ張らずに攻撃を素通しした理由。

 

 小荒井は最初から、攻撃を回避するつもりがなかった。

 

 自分を囮に、七海にハウンドによる一撃を叩き込む。

 

 それが、彼の狙い。

 

 自分の脱落が最早不可避であると悟ったが故の、捨て身の特攻。

 

「────」

 

 だが、それさえ七海には通じない。

 

 七海はスコーピオンを破棄すると、即座にシールドを全方位に展開。

 

 無数に散ったハウンドの攻撃を、受け止める。

 

 最後の一撃も、届かず。

 

 一矢報いる事も叶わず、散りゆく小荒井は。

 

 ────ニヤリと、笑みを浮かべた。

 

 

 

 

『東さん』

 

 短く、オペレーターの人見から声がかかる。

 

 それだけで良い。

 

 必要な情報は、既に受け取っている。

 

 故に。

 

 東は、想定通りに己の仕事を遂行した。

 

 

 

 

「な……っ!?」

「……っ!?」

 

 ────瓦礫の向こうから飛来した、一発の弾丸がその場の全てを覆した。

 

 七海のシールドに小荒井のハウンドと()()()()()命中したそのアイビスの弾丸は、広げていたシールドを容易く貫通し七海の左腕を吹き飛ばす。

 

 弾丸の勢いはそれだけでは止まらず、レイガストをハウンドの防御の為に側面に降ろしていた村上の右腕は、その一撃によって吹き飛ばされた。

 

「…………どうにか仕事は出来たな。後は頼みます。東さん、奥寺」

『────緊急脱出(ベイルアウト)

 

 それを見届けた小荒井は、光の柱となって戦場から離脱する。

 

 誇らしげに散った小荒井の姿が、二人の瞼へ焼き付けられた。



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鈴鳴第一①

「おー、此処で小荒井隊員が緊急脱出……っ! しかーし、小荒井隊員の捨て身の()()によって七海隊員と村上隊員の片腕が吹き飛ばされたぞぉ……っ!」

「…………おゥ、良い仕事しやがるじゃねェか。小荒井」

 

 弓場は小荒井の散り様を見て、口元に笑みを浮かべた。

 

 自分の脱落が確定しても尚、隊の為に動くその気概。

 

 それは、彼の好む気質であったのだから。

 

 仮想空間での戦闘である上緊急脱出システムがある以上、脱落はポイントの増減以外のデメリットは無い。

 

 場合によっては、脱落覚悟で()()をこなす事も、ランク戦における戦術の一つだ。

 

 確かに相手チームに点を獲られるのは痛いが、ただ落とされるのと仕事をしてから落とされるのとでは、後の展開に大きな違いが出て来る。

 

 そも、ランク戦は失点よりもまず得点が重要。

 

 失点を得点でカバー出来る目算があるのであれば、失点のリスクは許容出来る。

 

 無論ノーリスクというワケにはいかないが、何も出来ずにやられるよりはよっぽど良い。

 

 そういう意味では、小荒井はきっちりやるべき事をやり切ったと言えるだろう。

 

「…………しかし、小荒井も上手かったけど相変わらず東さんヤバいわね。なんで瓦礫越しに、しかも小荒井のハウンドとタイミングを合わせて当てられるのよ?」

 

 むぅぅ、と小南は難しい顔で唸りながら画面を睨みつける。

 

 小南としては、またしても()()()()()()()筈の七海に東が狙撃を成功させた事が、どうにも信じ難いのだろう。

 

 前回のように七海の心の隙を突いたワケではなく、純粋な()()()()で当てて来た。

 

 七海のサイドエフェクトは、痛みの()()()()は感知出来てもその()()()()()までは分からない。

 

 つまり、痛み(ダメージ)の発生範囲とタイミングが()()()()であれば、七海の感知はそれを()()()()()として解釈する。

 

 故にこそ、東は七海のサイドエフェクトを掻い潜り、攻撃を当てる事が出来たのだ。

 

 しかも今回、東は威力減衰を避ける為に通路を塞ぐように積み重なった瓦礫の()()を縫う形で狙撃を敢行している。

 

 丁度、前回のROUND4で茜が壁の穴越しに狙撃を成功させたように。

 

 東はそれと同じ事を、更に高精度に行ったのだ。

 

 肉眼では見えない位置にいる相手の場所を観測結果を元に算出し、小荒井のハウンドと全く同じタイミングで着弾するよう調整し狙撃を行う。

 

 完全に、言うは易く行うは難しである。

 

 相手の位置情報を観測結果によるオペレートだけで把握する必要がある上、七海の攻撃感知を掻い潜るには小荒井のハウンドとタイミングが完全に一致しなければならない。

 

 観測結果を元に狙撃を行うだけであれば、マスタークラスの狙撃手であれば可能だろう。

 

 瓦礫の隙間を縫うような狙撃も、茜であれば可能だ。

 

 指定されたタイミングで標的に着弾させるのも、奈良坂やユズルであれば出来るだろう。

 

 だが。

 

 だが。

 

 それら全てを寸分の狂いなく成功させるとなると、如何に上位の狙撃手であろうと難しいと言わざるを得ない。

 

 それを成功させるのが、()()()()()()()

 

 全ての狙撃手の元祖にして、ボーダーでも随一の戦術家。

 

 東春秋。

 

 多くの隊員に尊敬の眼で見られており人望も厚い、ベテランの中のベテラン。

 

 ボーダー隊員の師弟関係を紐解けば、大抵その源流には彼がいる。

 

 それだけ多くの知見を持ち、知恵を知識とするだけの機転もある。

 

 そんな彼だからこそ、この絶技を成功させたのだ。

 

 小南でなくとも、絶句するのは無理からぬ事と言えるだろう。

 

「確かになァ。相変わらず、厳ちィお人だぜったくよォ。ま、それを援護した小荒井も大したモンだけどなァ」

「あの捨て身の特攻も、東さんの狙撃の為の()()だったワケよね? 奥寺と分断されてこのまま終わるかなーと思いきや、最後の最後でやりやがったわねあいつ」

「大分鬼気迫る感じだったしねー、あの時の小荒井くん。惚れ惚れするような仕事ぶりだったよー」

 

 三者三葉、言葉は違えど小荒井を評価する声が飛び出した。

 

 確かに東の狙撃は見事なものだったが、それも小荒井のアシストあってのもの。

 

 その身を犠牲に仕事をやり切った小荒井の手腕は、評価されて当然のものだ。

 

 彼のこなした役割は、それだけ大きかったのだから。

 

「これで二人共片腕がなくなっちゃったけど、やっぱこれ大きい?」

「大きいなァ。七海は片腕が吹き飛んだ事で攻撃の()()が減っちまったし、村上はそもそも片腕で防御し、もう片方で攻撃するスタイルだ。普段の戦い方が出来ねェってのは、大分きちィだろうなァ」

 

 弓場の言う通り、片腕がなくなった両者の戦力低下は避けられない。

 

 七海は片腕がなくなった事で攻撃の手そのものが減り、近接戦闘での切り返しがやり難くなった。

 

 村上に至っては防御と攻撃をそれぞれの腕で担当していた為、片腕の喪失は戦闘スタイルの崩壊を意味する。

 

 どちらも、かなりの痛手だったと言える。

 

「けど、ぶっちゃけ()()()()でしょ? そのくらいの戦力低下で、奥寺が二人を上回れるとは思えないけど」

「それは違うなァ小南ィ。東サンが二人の片腕を吹き飛ばしたのは、別に奥寺が二人を倒し易くする為じゃあねェーんだ。あの場で、二人を食い合わせる為だ」

 

 弓場は小南の言葉をそう言って否定し、眼鏡をくいっと上げた。

 

「七海としちゃあすぐにでも東サンを追っかけてェ場面だろうが、片腕がなくなった鋼としちゃあ此処で七海を見失うのは避けてェ筈だ。一度隠密に徹した七海を見つけるのは、至難の業だろうからなァ」

 

 そう、確かに弓場の言う通り、七海の隠密能力はかなりのものだ。

 

 音を立てずに移動する歩法も習得しているし、性格上幾らでも我慢が効くので潜伏も苦としない。

 

 入り組んだこの地下街では、その隠密能力はかなりの脅威になる筈だ。

 

「それに、七海は腕は削れたが足は全く削れてねェ。今は折角、自分で作った袋小路にいる状態なんだ。この機を逃すのは、鋼としちゃあ惜しいと考えるだろうぜ」

「むぅ……」

 

 弓場の言葉に、小南は頬を膨らませながら理解を示した。

 

 七海の強みは、その図抜けた機動力を軸とした回避能力だ。

 

 三次元機動によって相手を翻弄し、隙を作って仕留めるのが七海の戦闘スタイルだ。

 

 現在、七海は自分で崩した瓦礫の壁と村上に挟まれる位置にいる。

 

 つまり、()()()()退()という選択肢が取り難い場所にいるという事だ。

 

 不利になれば一目散に逃げを選ぶ事が出来るのは、七海の大きな強みだ。

 

 それが難しい現状は、村上としても願ってもない。

 

 追いかける事が難しい東を追うよりは、目の前の相手に集中したいと考える筈だ。

 

「東サンはそこまで考えて、敢えて七海の足を残したんだろうぜェ。そういった心理誘導も、あの人は難なくこなすからなァ」

「むむぅ、相変わらずいやらしいというか、えぐいわね」

 

 むすぅ、と頬を膨らませながら小南は呟く。

 

 完全に、七海贔屓の感情を隠さなくなって来ている。

 

 先程までは七海が優勢な状況であった為にある程度隠せていたようだが、此処に来てボロが出始めたようだ。

 

 七海が不利な状況になって不満なのが、まるわかりである。

 

 国近はそんな小南を微笑まし気に見詰めながら、マイクを握り直した。

 

「さあ、東さんの一射で状況が大きく変わったぞ~。さあ、両者はどうする……っ!?」

 

 

 

 

「く……っ! やられたな……っ!」

「…………」

 

 右腕を失い、レイガストを取り落とした村上は即座に左腕でレイガストを掴み直し、舌打ちする。

 

 同様に左腕を失った七海は、険しい目つきで積み重なった瓦礫を睨みつけている。

 

 その動きは、瓦礫の向こうから狙撃した東を意識しているのが容易に見て取れた。

 

 瓦礫で通路を塞いだ事で、その先からの攻撃に対しては意識を割いてはいなかった。

 

 まさか、ハウンドと同時に着弾させる事で七海のサイドエフェクトを掻い潜らせるなどという手を取るとは、思いもしなかったのだ。

 

 前回、東は七海の心の隙を突く形で狙撃を成功させた。

 

 だが、今回は完全にその技術と立ち回りにしてやられた。

 

 弱みを克服しようが、今度は純粋な技を以て上回られた。

 

 東という実力者の力の()()を、完全に見誤っていたと言える。

 

「…………」

 

 七海としては、今すぐにでもこの瓦礫を吹き飛ばして東を追いかけたい。

 

 だが。

 

 だが。

 

「────」

 

 ────目の前にいる少年(村上鋼)がそれを許すかどうかは、また別の話である。

 

 村上はレイガストをシールドモードからブレードモードに変え、その切っ先をこちらに向けている。

 

 右腕を失い、普段の西洋騎士のような戦闘スタイルを失った村上だが、その立ち姿から感じる圧は微塵も揺るがない。

 

 此処からは、逃がさない。

 

 言外にそう告げる村上に、七海はスコーピオンを構え直す他なかった。

 

「行くぞ」

「ええ」

 

 それが、合図。

 

 村上はレイガストを振りかぶり、七海に斬りかかった。

 

 

 

 

「…………追って来ないか。どうやら、上手く行ったようだな」

 

 地下街の通路を駆けながら、東は一人呟く。

 

 東は狙撃に成功した直後、すぐさま逃げの一手を取った。

 

 幾ら東がベテランの狙撃手とはいえ、七海の機動力相手では逃げ切るにも限界がある。

 

 村上があの場で七海に挑まず東を追いかける可能性があった以上、あの場に留まるという選択肢は有り得なかった。

 

 瓦礫で通路が塞がっているとはいえ、七海のメテオラならばそれを排除する事は容易だ。

 

 あの場に留まって第二射を狙うメリットよりも、すぐさま追撃されて仕留められるリスクの方を、東は厭うたワケだ。

 

 狙撃手は、臆病なくらいで丁度良い。

 

 臆病と用心深さを履き違えてはいけないが、その境界を見極めるのも狙撃手の技能の一つだ。

 

 用心に用心を重ね、機会を決して逃さず仕留めに行くのが東の戦闘スタイルだ。

 

 無用と思われるリスクは、負わないに越した事はなかった。

 

「小荒井、良い援護だった。お陰で俺も、想定通りの仕事が出来た。よくやったな」

『ありがとうございますっ!』

『ああ、お前にしちゃ、上出来だったと思うぞ』

 

 東は仕事をこなして退場した小荒井に労いの言葉をかけ、奥寺もそれに追随する。

 

 そんな二人の様子を聞いて笑みを溢しながら、東は告げた。

 

「俺はこのまま予定通りに動く。奥寺も頼んだぞ」

『了解しました』

 

 奥寺の返答を聞き、東は黒い球体のようなものを通路に出しながら移動を続行する。

 

 東隊の面々は、密かに暗躍を続けていた。

 

 

 

 

「スラスター、起動(オン)

 

 村上はオプショントリガースラスターを起動し、その勢いのまま七海に斬りかかる。

 

 いきなりの加速斬撃に、七海の回避は遅れスコーピオンで受け太刀。

 

 スラスターのブーストがかかったレイガストのブレードが、七海のスコーピオンを叩き割る。

 

「────」

 

 斬り合いは不利だと即座に悟った七海はグラスホッパーを起動し、側面を通って村上から逃げようとジャンプ台トリガーを踏み込み跳躍。

 

「チェンジ、シールドモード。スラスター、オン」

「……っ!」

 

 しかし、村上は即座にレイガストをシールドモードに切り替えると、スラスターを用いて七海に突貫。

 

 シールドモードの面積を利用し、七海を瓦礫に叩きつける。

 

「ぐ……っ!」

 

 更にレイガストを手放し、身体全体を使ったタックルで無理やり七海を瓦礫とレイガストで挟み込む。

 

 そして腰の鞘から弧月を抜刀し、身動きを封じた七海へ刺突を放つ。

 

 回避を封じた上での、絶死の一撃。

 

 七海は、それを。

 

「な……っ!?」

 

 ────弧月の刃の先にメテオラのトリオンキューブを生成する事で、解答とした。

 

 渾身の力で放たれた弧月の一刺しは止まらず、その刃がメテオラのキューブに接触。

 

 即座にトリオンキューブは起爆し、周囲一帯は爆発に包まれた。

 

「く……っ!」

 

 間一髪、レイガストを掴み直しメテオラの爆発を防いだ村上は爆破の光で見失った七海の姿を即座に探す。

 

 そして、気付く。

 

 今のメテオラの爆破で、通路を塞いでいた瓦礫が吹き飛ばされている事に。

 

 そして、周囲に七海の姿はない。

 

 緊急脱出した様子もない為、恐らく七海はシールドを用いてメテオラの爆発から身を守ったのだろう。

 

 更に瓦礫が吹き飛ばされた事で出来た()()()を用いて、即座に撤退を選択した。

 

 此処に来て最大の機会(チャンス)を逃した事を、村上は悟る。

 

 途中までは思い通りに行っていた筈だが、どうやら自分のライバルは此処で仕留められてくれる程生易しい存在ではなかったようだ。

 

 それでいい、と感じる自分に苦笑しながら、村上はレイガストを構えて通路の先を睨みつけた。

 

 戦いは、一旦仕切り直しとなった。

 

 だが、まだこれからだ。

 

 次は、必ず。

 

 村上はそう心に決めて、地下街の通路を歩き始めた。



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鈴鳴第一②

「一度は村上隊員に追い込まれたかに見えた七海隊員、咄嗟の機転でメテオラを起爆させその隙に乗じて脱出……っ! 勝負は仕切り直しになったぞ~っ!」

「今のはうめェな、やるじゃねェか七海ィ」

 

 国近の実況と共に、一部始終を見ていた弓場はニヤリと笑みを浮かべる。

 

 片腕のハンデをものともせず七海を追い込んだ村上の動きも大したものだったが、七海の機転はそれを上回った。

 

 その事を、素直に称賛しているのだろう。

 

「むむ……」

 

 一方、七海が撤退に成功したというのに小南の顔色は優れない。

 

 今しがた使われたばかりの相手の斬撃の通り道にメテオラを置いて起爆させるという戦法は、以前小南が七海にやられたものと同じだ。

 

 尚、あの時と違って相打ちにならなかった最大の原因は、小南と村上の()()()()にある。

 

 村上はレイガストを盾としてどっしり構えて堅実な攻めをする守備的な攻撃手であり、攻撃よりも防御に重きを置く戦法を取る。

 

 一撃で切り崩すよりも、レイガストによる防御で相手の隙を作り、そこから切り返す()()の戦法が村上の持ち味だ。

 

 無論、攻撃速度が遅いワケではないが、そこまで突出しているというワケでもない。

 

 逆に、小南は防御をそもそも考えない極限まで攻撃に特化している攻撃手だ。

 

 双月というワンオフトリガーを用いた斬撃は、相手に防御という選択肢を許さない。

 

 ()()()()()()()()という言葉を有言実行する小南のスタイルは、()()()()()()()()という言葉に集約される。

 

 一撃でカタを付ける以上、全力で刃を振り抜くのが小南の攻撃方法だ。

 

 当然そのスピードは通常の攻撃手の比ではなく、シールドを貼ろうがメテオラごと問答無用で両断される以上、あの模擬戦で七海が落ちるのを防ぐ事は不可能だった。

 

 今回は七海が予めメテオラを起爆させるつもりで準備していた上、村上もレイガストで七海を押さえつけながらの不安定な体勢での斬撃だった。

 

 結果として七海はシールドでの防御が間に合い、レイガストと密着状態にあった村上は咄嗟にそれを拾い上げ防御に成功したワケである。

 

 ともあれ、あの模擬戦での相打ちの事は小南にとっても割と最優先で払拭したい類の雪辱である。

 

 その時の事を想起して、難しい表情をしていた小南であった。

 

 一方、そんな小南の事情など知らない国近は小南の様子に疑問符を浮かべつつも、己の仕事を遂行すべく口を開く。

 

「これで仕切り直しだね~。これから皆どう動くと思う?」

「東サンはどう動くかまだわからねェが、七海は恐らく東サンの索敵をしながら機会があれば準備を整えた上で村上に仕掛けるだろうな。さっきみてェな場所じゃなく、もっと有利になる所を選んでなァ」

「そうね。多分、七海ならそう動くと思うわ」

 

 弓場の意見に、小南もそう言って追随する。

 

 これでも、小南と七海の付き合いは長い。

 

 七海のやりそうな事は、ある程度見当がつくのが小南だ。

 

 全てが分かるワケではないが、少なくとも赤の他人よりは何倍も七海の事を知っている。

 

 四年間の付き合いは、玲奈の関係もあってそれなりに濃密だったのだから。

 

「七海は基本的に慎重に動くけど、チャンスを逃す程鈍くないわ。東さんから再び狙われるリスクがあっても、むしろ東さんを釣り出す好機と捉えて突っ込む筈よ」

「あぁ、蛮勇は褒められたモンじゃねェが、七海は蛮勇と武断の境界はきちっと弁えてやがる。迂闊な事はしねェだろうが、機会があれば仕掛ける筈だぜ」

 

 それに、と弓場は告げる。

 

「これまで、那須隊は七海と熊谷以外は碌な動きを見せてねェ。一番隠れられると厄介な二人組が、此処に至るまで隠密に徹してやがる。こりゃあ、なんか仕掛けるつもりなのは間違いねェだろうぜ」

「確かに。玲達ならなんかやりそうだわ」

 

 弓場の言う通り、これまで那須隊の中で姿を見せたのは熊谷と七海のみ。

 

 那須と茜は一度も戦闘に参加せず、姿さえ見せていない。

 

 二人はバッグワームを使っている為、他の隊の者達は彼女達が何処にいるか全く掴めていない筈だ。

 

 七海の戦闘にも参加しなかった事を考慮するに、何かの()()をしていると考えるのが自然だろう。

 

「那須隊長も熊谷隊員も、バッグワームを着ながら地下街を歩き回ってるねー。何かを探してるのか、もしくは……」

「もしくは、何よ?」

「んふふー、なんだろうねえ? わっかんないな~」

 

 国近は煙に巻くような物言いで、笑みを浮かべる。

 

 その笑みを見て、小南は国近が何かに気付いた事を察した。

 

 だが、今此処でそれを言うつもりはないらしい。

 

 こういう()()()()()()()()()は身内で腐る程見てきた小南だからこそ、国近に今それを喋るつもりがないのは一目でわかった。

 

 こうなった時、無理に聞き出そうとしても無駄骨に終わる。

 

 身内()とのコミュニケーションでそれを学んでいる小南は、それ以上は深く追求しなかった。

 

 どの道、この試合が終わるまでにはネタバラシされる類の事なのであろうから。

 

「さーて、ちなみに他の子達(来馬と茜と太一)はっと……」

 

 国近は笑みを浮かべたまま機器を操作し、未だに姿を見せていない隊員達の居場所を割り出した。

 

 その全隊員の配置図は小南や弓場の視界にも飛び込んできており、三人の視界が一点に集中する。

 

「これは……」

「────ぶつかるぞ、こいつァ」

 

 

 

 

『なんとか逃げ切った。後は予定通りに頼む』

『分かったわ。くまちゃんと茜ちゃんもお願い』

『はいっ、了解ですっ!』

「うん、了解」

 

 仲間との通信を終え、熊谷は息を吐いた。

 

 分かっていた事だが、このMAPは情報量が多い。

 

 見通しが悪い上に視界が狭く、バッグワームを使ってしまうといつ何処から相手がやってくるか分からない。

 

 その性質上ほぼ遭遇戦になり易く、不意に落ちるといった展開も充分に考えられる。

 

 故に、曲がり角を曲がる度に相手と遭遇しないか緊張する、といった事を何度も繰り返していた。

 

 だから。

 

「────旋空弧月」

「……っ!」

 

 ──────その一撃に反応出来たのも、そういった警戒の賜物だった。

 

 曲がり角の向こうから放たれた、『旋空弧月』一閃。

 

 熊谷はそれを、咄嗟のジャンプで躱す。

 

「ハウンド……ッ!」

「……っ!」

 

 そしてすかさず、ハウンドを射出。

 

 無数の光弾が、相手に、村上に迫る。

 

「────」

 

 だが、村上は弧月を床に突き立てると腰に差していたレイガストの鞘を抜き放ち、そのままシールドモードを展開。

 

 ハウンドの射撃を、全弾防ぎ切った。

 

 しかし、それで充分。

 

 熊谷はその間に着地し、腰の鞘から『弧月』を抜き放つ。

 

 そして、正面から村上と向き合った。

 

「……村上先輩……」

「色々と面倒な事になったが、こっちも必死なんでな。悪いが、逃すつもりはない。仕留めさせて貰うぞ、熊谷」

 

 右腕を失いながら、その圧は健在。

 

 熊谷はNO4攻撃手、村上鋼と対峙した。

 

 

 

 

「此処で熊谷隊員、村上隊員とエンカウント~……っ! 遭遇戦が始まったぁ……っ!」

「此処で、熊谷が鋼に捕まったか」

 

 実況席で、弓場は難しい顔で画面を眺めていた。

 

 その隣では小南もハラハラした様子で状況を見守っており、その反応は子供を見る親のそれ。

 

 なんだかんだ、微笑ましい光景が展開されていた。

 

「これはちィと厳しいなァ。熊谷は七海と違って、機動力はそう高くねェ。しかも鋼には、『スラスター』がある。振り切るのは難しいだろうなァ」

「やっぱり、熊谷ちゃんだと村上くんの相手は厳しい? 今の状態も含めてさ」

「ああ、厳しいな」

 

 弓場はハッキリとそう告げ、間髪入れずに喋り出す。

 

「熊谷も、腕自体は悪くはねェ。受け太刀の技術は充分評価出来るし、ハウンドも仕上げて来ている。加えて言やァ、今の村上は片腕だ────だが、それだけで上を取れる程、村上の壁は薄くはねェ」

 

 弓場は険しい目つきで画面を見据え、告げる。

 

「確かに、片腕で防御をしつつ片腕で攻撃するいつものスタイルは出来なくなってやがる。けどな、そもそもの()()が違う。集中した村上は、その程度のハンデは容易く覆すぜ」

 

 そう、村上にはサイドエフェクト『強化睡眠記憶』によって積み上げて来た膨大な()()()がある。

 

 その技の冴えは言うに及ばず、様々な戦術・戦法を、文字通りその身に刻み込んでいる。

 

 村上の経験の中には、当然熊谷との戦闘の経験も入っている。

 

 ハウンドの習得で若干戦闘スタイルが変化したとはいえ、根本の守備重視の戦い方が変わったワケではない。

 

 片腕がない事に油断していると、あっという間に持っていかれてしまうだろう。

 

「正念場だなァ、気張れよ熊谷。此処で耐えられるかどうかで、大分変わるぞ」

 

 

 

 

「ハウンド……ッ!」

 

 熊谷がハウンドを生成し、村上に向かって放つ。

 

 無数の光弾が、村上へ向かって襲い掛かる。

 

「────」

 

 それを、村上は前に出てレイガストを振るい、防御。

 

 ハウンドによる攻撃は、敢え無く弾かれる。

 

「やああ……っ!」

 

 だが、それで充分。

 

 熊谷はハウンドを囮にする形で村上に肉薄し、下段より弧月を振るう。

 

「く……っ!」

 

 しかし、村上はそれをも防ぐ。

 

 レイガストを一旦手放し、すぐさま弧月を抜刀。

 

 熊谷の振るった弧月を、受け太刀で防御する。

 

「ハウンド……ッ!」

 

 だが、村上の防御が堅い事など百も承知。

 

 熊谷はすかさずレイガストのない方向から、ハウンドを撃ち放つ。

 

 片腕となった村上の腕は、今現在弧月を握っている。

 

 レイガストは、熊谷が今しがた放ったハウンドの正反対の方向にある。

 

 つまり、これを防ぐには。

 

「────シールド」

 

 ────どちらかのトリガーをオフにして、シールドを展開するしかない。

 

 村上は、襲い来るハウンドをシールドで防御。

 

 瞬時のトリガー切り替えを、一切の迷いなく選択した。

 

(ここ……っ!)

 

 熊谷は、それこそを待っていた。

 

 村上が今シールドを貼る為に解除したのは、恐らくレイガスト。

 

 弧月を解除すれば、そのまま熊谷の斬撃が通ってしまうからだ。

 

 故に今、此処で勝負をかける。

 

「……っ!」

 

 熊谷は弧月の刃を傾け、村上の弧月の刀身を受け流す。

 

 ブレードが滑り、僅かに村上の体勢が崩れる。

 

「ハウンド……っ!」

 

 そして、熊谷の周囲にトリオンキューブが展開。

 

 ハウンドの群れが、村上に再び牙を剥く。

 

(────旋空弧月)

 

 更に、熊谷は発声認識なしで『旋空』を起動。

 

 下段からの振り上げによる、旋空弧月を放った。

 

 ハウンドの射撃で、仕留められれば良し。

 

 たとえシールドでの防御が間に合ったとしても、旋空であればその上から叩き斬れる。

 

 獲った。

 

 熊谷は、そう確信した。

 

 

 

 

「上手いな、くま。けど────」

 

 観戦席にいた太刀川は、映像を見て一人呟く。

 

 その言葉は、純粋な称賛があった。

 

 だが、それだけではない。

 

 確かに、熊谷の技術や戦法は大したものだ。

 

 以前よりも着実に、力を付けているのが見て取れた。

 

 だが。

 

 だが。

 

「────鋼は、追い込んだ時の方が怖いぞ」

 

 

 

 

「────旋空弧月」

「な……っ!?」

 

 ────────村上は、その一歩上を行く。

 

 自身の置かれた状況を正確に認識した村上は、迷わずシールドでハウンドをガード。

 

 更に、刀身を受け流され地面に突き立っていた弧月を、旋空を起動しながら一閃。

 

 弧月を持つ熊谷の右手首を、一瞬で断ち切った。

 

 その手首ごと熊谷の手を離れた弧月は地面に落下し、旋空での攻撃は不発に終わる。

 

「が……っ!」

 

 そして、村上はその隙を逃しはしない。

 

 振り抜いた弧月を逆手に持ち直し、一閃。

 

 熊谷の身体を、袈裟斬りにした。

 

『警告。トリオン漏出過多』

 

 機械音声が、熊谷の限界を告げる。

 

 勝負あり。

 

 熊谷の技術を、村上の技巧が上回った。

 

 誰の目にも分かる、完敗である。

 

 

 

 

「流石っすね、村上は。けど────」

 

 だが、それに異を唱える者がいた。

 

 それは今の太刀川の呟きを隣で聞いていた、出水の声。

 

 彼は熊谷が致命傷を負った様子を見て、笑みを浮かべていた。

 

「────熊谷さんは、ただじゃ落ちねーよ」

 

 

 

 

「ぐ……っ!?」

 

 それは、()()()()()()()()()()()()()()

 

 村上の身体に着弾したそれは、紛れもなくハウンド。

 

 致命傷までは至らないが、少なくない数の風穴が空き、トリオンが漏れ出している。

 

 特に左足は穴だらけで、最早機敏な動きは望めない。

 

 自らを囮とした、捨て身の一撃。

 

 それは、確かに村上へと届いていた。

 

 村上は自分に無視出来ないダメージを与えた熊谷の姿を、見据える。

 

「あたしもやるもんでしょ? 村上先輩」

 

 笑みを浮かべてそう告げる熊谷に、村上は思わずため息を吐きながら苦笑した。

 

 それは、相手を認める、称賛の笑みだった。

 

「…………そうだな。してやられた。ある意味じゃ、完敗だ」

「そりゃ嬉しいわね、ホントに────さて、後はよろしく頼むわね。皆」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 そして、機械音声が熊谷の脱落を告げる。

 

 熊谷は晴れやかな表情で、戦場から離脱していった。



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鈴鳴第一③

「…………」

 

 村上は今しがたまで熊谷がいた場所を一瞥し、溜め息を吐く。

 

 熊谷が捨て身で放った弾丸は、確かに村上に届いていた。

 

 少なくない数の風穴からトリオンが漏れ出しており、東に狙撃された右腕のダメージも含めれば、時間経過によるトリオン漏出量は無視出来ないレベルになるだろう。

 

 最早、長期戦は望めない。

 

 自分の隊に貢献する為には、一刻も早く点を獲る必要があった。

 

 …………だが、わざわざ相手を探す必要はない。

 

 漠然とだが、分かるのだ。

 

 あいつは、自分の好敵手は、()()()()()()()()()()()()()()()だろうと。

 

 それは、計算に基づく予測等ではない。

 

 強いて言うならば、戦士としての直感。

 

 否。

 

 親友としての、()()だった。

 

 だから、その行動に根拠はない。

 

 ただ、確信があった。

 

 村上はレイガストを拾い上げ、それを背後に叩きつけた。

 

「……っ!」

「来たな、七海……っ!」

 

 そのレイガストが、無音で忍び寄っていた七海の刃を受け止める。

 

 七海はそれに対して驚く様子もなく、その場から飛び退いて村上と対峙した。

 

 村上同様片腕の七海は、唯一残った右腕に短刀型のスコーピオンを携えている。

 

 そして村上は左腕でレイガストを構え、七海を油断なく見据えている。

 

 互いに片腕が欠落した二人の好敵手は、再び戦いの時を迎えた。

 

 

 

 

「熊谷隊員、惜しくも村上隊員に敗れ緊急脱出……っ! しかし捨て身の攻撃で村上隊員を削り、負傷した村上隊員の元へ七海隊員が急行……っ! 事態は急展開を迎えているぞお~……っ!」

「どいつもこいつも、中々厳ちィ奴等じゃねェの。ったくよお」

 

 国近の実況と共に、弓場は好戦的な笑みを浮かべてそう告げた。

 

 村上と熊谷の攻防は、それだけ見応えがあった。

 

 技と技の応酬、隙を突き合い、一瞬のチャンスを逃さず攻撃に移る。

 

 まさに息もつかせぬ攻防であったし、弓場の眼から見ても二人の技術はかなり高いレベルにあると感じられた。

 

 レベルの高い攻防を直で見られたのだから、ストイックに強さを求める弓場としては興奮せずにはいられないのだろう。

 

「村上が強ェのは勿論だが、熊谷も巧かったなァ。村上に片腕っつうハンデがあったとはいえ、あそこまで喰らいつけたのは大したモンだ。相当、練習を重ねたと見える」

「しかも、最後の最後まで諦めずに一矢報いたからね。くまちゃんも、中々のモンでしょ?」

 

 フフン、と小南は得意気に胸を張る。

 

 実はこの少女、このランク戦の前に熊谷の鍛錬に付き合っているのだ。

 

 無論小南に何かを懇切丁寧に教えるような器用さはない為実戦形式で文字通り身体に叩き込んだのだが、その成果が出ているようで嬉しいらしい。

 

 先程とは違って純粋に熊谷の活躍を喜んでおり、自分が公平であるべき解説の立場である事など忘却の彼方だ。

 

 だが、小南を此処に呼んだ時点でこうなる事は彼女を知る者であれば誰しもが推測出来た事だ。

 

 なにせこの少女、身内贔屓の解説をしたのは一度や二度ではないのだ。

 

 それでも解説の場に呼ばれるのは旧ボーダー時代からの戦闘経験に基づく観察眼と、その人柄を買われての事である。

 

 解説は普通、どちらか一方のチームに肩入れする事はあまり推奨されないものだが、明確に禁止されているワケでもない。

 

 そも、この程度の事は大なり小なり今までもあったのだ。

 

 人付き合いがある以上完全に公平(フラット)な視点を持つ事は難しく、ましてや此処にいる者の大半が未成年だ。

 

 小南ほど露骨ではなかったにしても、特定のチームを贔屓するような発言をしたのは何も彼女だけではない。

 

 単に小南は、表現が他の人より派手なだけだ。

 

 似たような事が今までにもあり、それが黙認されて来た以上、小南の言動を諫める者は誰もいない。

 

 弓場もそんな小南の様子に苦笑しつつ、返答を告げる。

 

「あァ、ハウンドを覚えて間もねェってのに大したモンだ。随分、優秀な指導を受けたと見えるなァ」

「そうでしょそうでしょ、実はね」

「熊谷さんには、出水くんがハウンドの使い方を叩き込んでたからね~。むしろ、このくらいはやって貰わないと困るかな~」

 

 意図してか否か、小南の発言に被せるように国近が熊谷がハウンドを短期間で覚えたカラクリを暴露する。

 

 自分の台詞を乗っ取られた小南はぎぎぎ、と国近の方を振り向いて睨みを効かせるが、国近は何処吹く風だ。

 

 全く悪びれもせず、ほら解説解説、と急かして来る。

 

 分かってはいたがこの少女、中々に良い性格をしているようだ。

 

 釈然としないものはあったものの、この手の輩にまともに対応しても疲れるだけなのは目に見えている。

 

 小南は気分を切り替え、顔を上げた。

 

「なんにせよ、片足を失った状態で七海と戦り合うのはきついでしょ。くまちゃんのお陰で、七海が大分有利になったわね」

「いや、そうとも言えねェんじゃねェか?」

 

 七海の有利を告げる小南に、弓場が待ったをかけた。

 

 その言葉に反応し、小南が胡乱な眼を弓場に向ける。

 

「なんでよ? 弓場ちゃんは、まだ七海が不利って言いたいワケ?」

「不利とまでは言わねえが、まだ()()()ってェやつがある」

 

 なにせ、と弓場は続ける。

 

「あいつ等がいるのは、狭い地下通路だ。普段のような機動は封じられるし、あんなトコでメテオラを連発すりゃあ生き埋めだから得意のメテオラ殺法も使えねェ。七海が有利な状況たァ、ちィと言い難いんじゃねェか?」

「むむむ……」

 

 小南は正論を向けられ言葉に詰まるが、やがて何かを思い出したようにポン、と手を叩いた。

 

「でも、今の鋼さんは片腕しか使えないのよ? さっきみたいな真似は早々出来ないでしょうし、得意戦法が封じられてるのは鋼さんも一緒よ。そりゃあレイガストは中々割れないでしょうけど、守ってばかりじゃ勝てないわ」

「ま、だろうな。その点に関しちゃあ、俺も同感だ」

 

 だが、と弓場は続ける。

 

「鋼が、その程度の事を分かってねェと思うか? あいつは、あの場で七海を迎え撃つ事を選択した。なら、それ相応の()()ってェのがある筈だぜ」

 

 そう、片腕を失ったハンデは、常時両腕を攻防に用いていた村上の方が明らかに大きい。

 

 レイガストは確かに高い耐久力を持っているが、()()()()()という性質を持つ以上、携行して戦わなければ意味がない。

 

 そして、シールドモードのレイガストに攻撃能力は皆無だ。

 

 守ってばかりではじり貧になるのは避けられず、万が一にも七海と那須の合流を許せばROUND1の焼き直しになりかねない。

 

 攻撃の手を欠いては、不利になるのは村上の方なのだ。

 

 ブレードモードへのシフトチェンジがあるが、スコーピオンという奇襲に最適なトリガーを所持している七海相手に防御をがら空きにするのはリスクが高い。

 

 それは、村上も分かっている筈だ。

 

 だが、それでも迎え撃つと決めた以上、そこには明確な()()がある。

 

 そう確信した弓場は、食い入るように画面に目を向けた。

 

「始まるみてェだな。鋼も七海も、根性見せてみろや」

 

 

 

 

「────」

 

 先に踏み込んだのは、七海だった。

 

 七海は地を蹴り跳躍し、壁を、天井を足場とし、縦横無尽に駆け回る。

 

 その姿、まさに蜘蛛の如し。

 

 あっという間に村上の背面に降り立った七海が、スコーピオンの刺突を放つ。

 

「ハァ……ッ!」

「……っ!」

 

 だが、村上はそれに即応する。

 

 身体を回転させ、レイガストを背面に向けて突き上げる。

 

 レイガストの上の窪み部分でスコーピオンの刃を捉え、跳ね上げた。

 

 七海の右腕から、スコーピオンが弾かれる。

 

 そして、武器を失った七海に対し、村上はレイガストを地面に突き立て弧月を抜刀。

 

 ブレードトリガーによる一撃が、七海に迫り来る。

 

「────」

 

 だが、七海に慌ての色はない。

 

 七海は即座に弾かれたスコーピオンを破棄し、小型の鋏のような形状のスコーピオンを腕から展開。

 

 凝縮し強度を上げたスコーピオンによって、村上の斬撃を受け止める。

 

 そしてそのまま足を蹴り上げ、足先から伸ばしたスコーピオンで村上を貫かんとする。

 

「……っ!」

 

 それに対し、村上は即座に弧月を地面に突き立てレイガストを蹴り上げる。

 

 蹴り上げたレイガストが七海の足先から伸びたスコーピオンに衝突し、鈍い音が鳴った。

 

「スラスター、オン」

 

 だが、村上の追撃は終わらない。

 

 蹴り上げたレイガストを左手でキャッチすると、即座にスラスターを起動。

 

 七海にレイガストを押し当てたまま、シールドバッシュを敢行する。

 

「く……っ!」

 

 このままでは先程のように壁に押し付けられると悟った七海は、自分の側面に展開したグラスホッパーに身体を押し付け、跳ね飛ばされるようにして村上の突撃から離脱。

 

 勢いのついた状態で壁に向かって弾き飛ばされるが、足先にスコーピオンを展開しそれを壁に突き立てる形で激突を防ぐ。

 

 そして、七海にシールドバッシュから離脱された村上の身体は、そのままシールドごと壁に衝突────────すると思いきや、その直前にスラスターを解除し、壁を蹴りつけて方向転換。

 

「スラスター、オン」

 

 そのまま逃げた七海へ向け、シールドバッシュを再度敢行する。

 

 しかし、離れた状態からの突撃など、七海が喰らう筈もない。

 

 七海は慌てる事なく、即座にグラスホッパーを展開。

 

 村上の突撃から、離脱を図る。

 

「────旋空弧月」

 

 だが、村上はその場でスラスターを解除し、レイガストを地面に向かって突き立てた。

 

 そして、先程地面に突き立ててあった弧月を拾い上げ、即座に旋空を起動。

 

 グラスホッパーを用いて跳躍した七海へ向け、拡張斬撃が襲い来る。

 

「────」

 

 対して、七海は極小のグラスホッパーをその場に展開。

 

 それを蹴りつけるようにして、村上の旋空を躱す。

 

 そしてそのまま天井に着地し、更に跳躍。

 

 三次元機動を展開し、一瞬にして村上の背後を取った。

 

 スコーピオンを振り上げ、それを村上に突き立てんと迫る。

 

「……っ!」

 

 だが、その程度で村上の防御は崩れはしない。

 

 村上はすぐさま弧月を逆手持ちに切り替え、スコーピオンを受け太刀。

 

 そのまま旋空を起動し、斬り上げる形で七海の両断を狙う。

 

 無論、七海もそのまま攻撃を受けはしない。

 

 サイドエフェクトで攻撃を感知した七海は即座にグラスホッパーを展開し、跳躍。

 

 村上の側面へ移動し、すぐさまスコーピオンを手に斬撃を放とうとして────。

 

「……っ!」

 

 ────サイドエフェクトが感知した()の攻撃に反応し、シールドを貼りながらその場から後退した。

 

 そして、次の瞬間。

 

 通路を覆う()()が、七海に襲い掛かった。

 

「…………っ!!」

 

 七海は即座にスコーピオンをオフにし、両防御(フルガード)でシールドを展開。

 

 銃撃の雨を、二重のシールドを以て防ぎ切る。

 

「────旋空弧月」

 

 だが、七海を襲うのは銃撃だけではない。

 

 村上もまた、旋空を起動し七海を狙う。

 

 旋空は、切断力が高いトリガーだ。

 

 シールドだろうと耐久力が高いエスクードだろうと、容易に切り払う。

 

 故に、旋空相手に()()は意味を為さない。

 

 旋空相手に有効なのは、回避一択、

 

 だが、銃撃の雨が降り注いでいる現状、シールドを解除する事は出来ない。

 

 故に。

 

 七海は、体捌きだけで紙一重で旋空を躱す。

 

 旋空の接触地点、それをサイドエフェクトで読み切っていたからこその回避技術。

 

 だが。

 

 だが。

 

 七海にその程度の芸当が出来る事は、村上は百も承知。

 

 そして。

 

 前回の試合と、決定的に違う点が一つある。

 

 それは。

 

 集団戦での七海の動きを、村上が既に()()()いる事だ。

 

 サイドエフェクト、『強化睡眠記憶』。

 

 その真価は、()()の時にこそ発揮される。

 

 前回の雪辱を、村上は忘れていない。

 

 来間を散々狙われ、最後には纏めて吹き飛ばされ脱落した、苦い敗北の記憶。

 

 その敗戦の経験が、村上を強くした。

 

 想いだけの話ではない。

 

 かつては忌み嫌っていたサイドエフェクトの恩恵を十全に用いて、対策した。

 

 単発の、普通の攻撃では七海を捉える事は出来ない。

 

 ただ囲むだけでは、その技巧の前に翻弄される。

 

 故に。

 

 故に。

 

 求めたのは、七海が()()()()()()()()()()()での一撃。

 

 全ての条件は、今此処に整った。

 

 村上は、『旋空』の軌道を腕の捻りだけでその場で変更。

 

 紙一重で回避した七海の右手首を、『旋空』の刃が斬り落とす。

 

「……っ!」

 

 村上の刃が、その技巧を以て七海に届く。

 

 その痛打により、七海は即座にこの場の不利を確信。

 

 シールドを一枚解除し、多少の被弾を許しながらもグラスホッパーを用いて跳躍。

 

 相手の銃撃の射程から、ギリギリで離脱した。

 

 已む無く両防御(フルガード)を解除した事により、防ぎ切れなかった銃弾によって七海の身体には無数の風穴が空いている。

 

 村上のそれ程ではないが、トリオンの煙が傷口から漏れ出ている。

 

 ROUND3以来となる、明確な七海の被弾だった。

 

「────」

 

 そして七海は、自らにその弾痕を撃ち込んだ相手を見据える。

 

 視線の先、村上の後方。

 

 そこには、()()()()()()を両手に構えた来馬の姿。

 

 かつての試合では、抵抗を許さず仕留めた相手。

 

 しかし彼等は、敗北を糧に強くなった。

 

 村上と来馬。

 

 成長した『鈴鳴第一』の二人が、敗戦を経て磨いた刃を七海に見せた瞬間だった。



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鈴鳴第一④

「おーっと、此処で七海隊員と村上隊員の戦闘に来馬隊長が介入……っ! 両攻撃(フルアタック)による好アシストによる連携で痛打をもぎ取った~……っ!」

「来馬サンの援護が、上手く決まったなァ」

 

 来馬と村上の連携プレーの鮮やかな成果に、会場が沸き立った。

 

 これまで、七海がまともに被弾した回数は数える程しかない。

 

 最初は、荒船の不意打ち『鉛弾』による拘束。

 

 二度目は、ROUND3での東のスナイプ。

 

 三度目は、このROUNDでの東の瓦礫抜き狙撃。

 

 その殆どが、工夫を凝らして()()()()()()()()()()()()()()()()事で届かせた攻撃である。

 

 今回のように、()()()()()()()()()()()()()()()()というのは、今まで例がない。

 

 此処に至るまで来馬の両攻撃(フルアタック)という切り札を隠した、鈴鳴第一の策が生きたというワケだ。

 

「これまで、鈴鳴は銃手の来馬サンと狙撃手の太一が村上を援護するのが基本だった。嵌れば強いが、逆に言えば村上頼りの面が大きく、どうしたって()()()()が複数いる相手にゃあ弱くなる」

 

 前に、諏訪隊に面制圧されて負けたようにな、と弓場は語る。

 

 確かに、これまでの鈴鳴は村上という大戦力をどう運用するか()()に焦点が置かれており、村上が戦えない距離だと押されてじり貧に陥る事が多かった。

 

 以前はその点を突かれて、近付けないまま諏訪と堤の一斉掃射で負けてしまった事もある。

 

 そして、村上には決定的な()()がある。

 

 それは、()()()()()()()()()()()()という性質だ。

 

 村上は結果的に自分の守りが薄くなろうと、来馬がピンチになれば反射的にそれを庇う。

 

 これは考えての行動ではなく、身体に染み付いた反射的なものだ。

 

 来馬が目の前で攻撃対象となれば、村上は自分の身を顧みずにそれを庇ってしまう。

 

 ROUND1ではその点を七海が突き、村上を完全に封じ込めて嵌め殺している。

 

 村上が来馬を必ず庇うというのは彼と親しい者の間では周知の事実なので、そこを突かれ易いのだ。

 

 来馬もまた、突出したものがない為狙われ易いという点もそれに拍車をかけていた。

 

 だが今回、村上達はそれを()()()()()()()という手で補って来た。

 

 来馬と別行動をするのではなく、合流しながらも両攻撃(フルアタック)の火力で押し切る事で、相手に反撃の隙を与えない。

 

 攻撃は最大の防御、と言わんばかりの陣形である。

 

 そしてそれは、村上達にとっては最適解でもあった。

 

 村上に「来馬を庇うな」と言った所で無駄であるし、そもそも聞き入れる筈もない。

 

 どんな状況であろうと、村上と太一は来馬を庇う。

 

 ボーダー随一の人格者である来馬と、それを慕う者達が集まった部隊。

 

 それが、鈴鳴第一というチームなのだ。

 

 それは変わる事などないし、本人達も変えようとは思っていない。

 

 故に、戦術の組み換えによって()()()()()()()事でその隙を埋める事とした。

 

 恐らくこれが、村上達にとっての最善。

 

 誰に何を言われようと揺るがない、鈴鳴第一の最適な強化案であった。

 

「来馬サンが大きく前に出て、二人分の防御を鋼が請け負う。それが、今の鈴鳴第一の新戦術の肝だろう。恐らく、こいつを決める為にこのMAPを選んだんだろうなァ」

「このMAPだと、狭い地下通路での戦いを強いられるからね。上や横に逃げる隙間がない以上、来馬先輩の両攻撃の射程が活きるってワケね。むう」

 

 そして、この戦術は今回のMAP『市街地E』と組み合わさる事で七海への対策へも成り得る。

 

 確かに鈴鳴の新戦術は強力ではあるが、七海にはグラスホッパーを用いた高い機動力がある。

 

 開けた場所で戦っても、射程外へ逃げられてしまう可能性が高い。

 

 だからこそ村上達は狭い地下通路が主戦場となるこの『市街地E』のMAPを選択し、来馬の銃撃が有効活用出来る場へと七海を引きずり出したのだ。

 

 回避する為の場所を制限し、七海を来間の射程内へ収める為に。

 

 そして、その戦略は功を奏し七海に痛打を与える事に成功した。

 

 この攻撃成功は、大きい。

 

「七海は今の攻撃で、唯一残っていた右腕の手首から先を失った。手首の断面からスコーピオンを生やしゃあまだ戦れるが、手で刃を持つ時と比べるとどうしたって自由度が違って来る。こいつは大きい筈だぜ」

「咄嗟に刃を返す事も出来ないし、投擲も出来そうにないわね。もう、なにやってるのよ七海ったら」

 

 むぅ、と七海の窮地に頬を膨らませる小南を見て、弓場は思わず苦笑した。

 

 身内贔屓しがちなこの少女の性質は見知っていたが、此処まで入れ込んでいるとは思っていなかった為だ。

 

 どうやら小南にとって、七海の存在はかなり大きなウェイトを占めているらしい。

 

 どういった関係性なのかは察するしかないが、迅から聞いた()()から考えるに色々複雑な関係なのは間違いない。

 

 どちらにせよ、詮索は趣味ではない。

 

 此処はフォローしてやるべきかと、弓場は持ち前の面倒見の良さを発揮した。

 

「そう言ってやるなよ小南ィ。今のは七海がしくじったっつゥよりも、鋼達が巧かっただけだからなァ。それに、不利にゃあなったがまだ負けが決まったワケでもねェ」

「…………ま、そうね。七海なら、このくらいどうにかするでしょ。あいつは、強いんだから」

「へェ……」

 

 弓場はその小南の言葉に、思わず溜め息を吐いた。

 

 この小南桐絵という少女は攻撃手ランクは3位だが、それはあくまで()()()()()()()()()()()である。

 

 玉狛第一は規格外のワンオフトリガーを所持している為、ランク戦への参加が出来ない特殊なチームだ。

 

 その玉狛第一に属する小南は、支部が本部から独立した事を切っ掛けにランク戦から退いている。

 

 つまり、その時点からポイントの更新がないにも関わらず、ランク3位という成績を未だ堅持しているのだ。

 

 それだけの実力を、この少女は持っている。

 

 故に、その自負は大きい。

 

 自らを()()と言って憚らず、「弱い奴に興味はない」と言い切る彼女にとって、()()の評価はかなり厳しいものである。

 

 その彼女が、七海を()()と断言したのだ。

 

 身内贔屓も勿論あるのだろうが、彼女がこう評価するからには七海は小南から見ても光るものを持っているという事だ。

 

 弓場も個人ランク戦を通じて七海とは戦り合った事ならあるが、()()()()()()()が戦うのを見るのは今シーズンが初めてだ。

 

 これは、期待出来る。

 

 弓場は好戦的な笑みを浮かべ、試合映像を見据えた。

 

 そこには村上と来間、二人と対峙する七海の姿が映し出されていた。

 

 

 

 

(手首だけか。本当なら今ので、落としておきたかったんだがな……)

 

 村上は背後に立つ来馬の存在を意識しつつ、距離を取って対峙する七海の姿を見詰めた。

 

 七海の身体には所々風穴が空いており、右腕の手首から先は喪失している。

 

 傷口からは多量のトリオンが漏れ出ており、痛打を与えた事は間違いない。

 

 しかし、本来であればあの攻撃は七海の身体をそのまま両断する筈だった。

 

 そう出来なかったのは、七海の回避機動が以前よりも上がっていたからだ。

 

 恐らく、これまでのランク戦を通じて七海も経験を積み、回避能力に磨きをかけたのだろう。

 

 その成長を、見誤った自分の落ち度だった。

 

 確かに七海に痛打は与えたし、トリオン漏出による緊急脱出も時間をかければ有り得るだろう。

 

 だが、トリオン切れで落ちるとすれば恐らく自分の方が先だろうと、村上は感じていた。

 

 累計ダメージは自分の方が大きいし、単純なトリオン量も七海の方が上だ。

 

 時間経過で有利になるのは、むしろ七海達の方である。

 

 自分が落ちれば、恐らく七海は即座に来馬を落とすだろう。

 

 来馬の両攻撃(フルアタック)は確かに強力だが、七海のトリオン量であれば両防御(フルガード)でシールドを貼れば突破可能だ。

 

 七海が今突っ込んで来ないのは、自分という()()がいるからだろう。

 

 一撃で仕留められる状況でない限り、七海が余計なリスクを冒す筈もない。

 

 今やるべきなのは、なるべく短時間で七海を削り、仕留める事。

 

 その焦りを、七海に勘付かれてはならない。

 

 七海は、相手の弱みを突く事が抜群に上手い。

 

 無論、その事を卑怯だとか言うつもりは微塵もない。

 

 戦場では弱みを見せた方が悪いのだし、相手の弱点を突くのは当然の事だ。

 

 そして、七海はそのあたりの割り切りに関してはA級の面々にも見劣りしない。

 

 七海にとっても自分は親しい相手であるという自負はあるが、七海は相手が親友でも────────否、親友だからこそ容赦しない。

 

 これが1対1の勝負ならまた話も違っただろうが、七海にとってこれはチームの勝敗がかかった()()である。

 

 故に、手段も選ばなければ相手が誰であろうと容赦する理由にはならない。

 

 それに、真剣勝負の場に置いて、手心を加える事こそ相手への侮辱に他ならない。

 

 七海はそれを、きちんと理解している。

 

 だからこそ、ROUND1では自分達の弱みを的確に突いて嵌め殺して来たのだから。

 

 あの敗戦を経て、自分達は強くなった。

 

 前期では到達出来なかったB級上位へと駆け上がり、一歩先に上位へ上がった七海達と鎬を削り合っている。

 

 その事が、どうしようもなく嬉しい。

 

 村上は自分が、常よりも昂揚している自覚があった。

 

 B級上位という戦いの場で、親友と鎬を削り合う事が出来ている。

 

 それは村上の戦士としての本能を、どうしようもなく掻き立てていた。

 

 今度こそ、七海(しんゆう)に勝つ。

 

 その想いを盾に込め、村上は来馬に目配せした。

 

 来馬はその村上の意図を察し、引き金に指をかける。

 

 二丁の突撃銃による一斉掃射が、戦闘再開の合図だった。

 

 

 

 

 ────やり難い、と七海は感じていた。

 

 七海は両防御(フルガード)で来間の銃撃を防御しながら、通路を駆けている。

 

 しかし二丁の突撃銃の射程が思った以上に広く、中々射程外へ抜け出せずにいた。

 

 グラスホッパーを用いて一気に距離を離さないのは、両防御を崩せば先程のように痛打を貰う可能性があるからだ。

 

 もしもこの上足まで失う事になった場合、自分の脱落がほぼ確定してしまうと言っても過言ではない。

 

 現在膠着状態が継続しているのは、自分の足が死んでいないからだ。

 

 攻撃の要である右手首が斬り落とされたのは痛かったが、足を集中的に防御した為脚部に損傷はない。

 

 もしも足を失ってしまえば、村上の旋空弧月から逃げ切る事は難しい。

 

 『旋空』の射程は、通常は最大20メートル。

 

 生駒という例外を除き、それが拡張斬撃の届く最大射程だ。

 

 今、七海はこの『旋空』の射程にだけは決して入らないように逃走を続けている。

 

 『旋空』は射撃と違い、()()()()()()攻撃である。

 

 シールドはおろか耐久力の高いエスクードや固定シールドさえも両断してしまうその威力は、ノーマルトリガーの中でも随一だ。

 

 先程も、その旋空によって七海の手首は斬り落とされた。

 

 来間の銃撃を防ぐ為に両防御を用いている今、グラスホッパーを使えない状態で『旋空』を避けるのは難易度が高い。

 

 旋空は、()の攻撃である。

 

 そして、村上は先程その旋空の軌道を()()()()()()()()()という離れ業を見せた。

 

 紙一重の回避では、あの技巧の前に斬り払われる。

 

 故に、七海が取った選択は両防御をしながらの全力疾走。

 

 村上の旋空の射程に決して入らぬよう、逃走を続けていた。

 

(もう少しだ……っ!)

 

 しかし、七海とて闇雲に逃走を続けているワケではない。

 

 向かうのは、この地下街の()()

 

 地上へ上がる、地下街への出入り口である階段である。

 

 外に出れば狙撃手の射線に晒される事になるが、この狭い通路で来馬の銃撃に晒されるより遥かにマシである。

 

 なにより、七海に狙撃は基本的に通用しない。

 

 七海が地下街へ入ったのは、あくまで地下にいる他のチームの者達を仕留める為である。

 

 幾ら狙撃が効かないとしても、落とす相手がいなければ地上に残る意味はない。

 

 だが、このまま行けば村上達を引き連れた状態で地上に出る事が出来る。

 

 上に出てしまえば、こちらのものだ。

 

 来間の銃撃が七海にとって脅威なのは、あくまで此処が狭い地下通路だからである。

 

 開けた場所に出てしまえば、グラスホッパーを用いて射程外へ出る事は容易い。

 

 後は射程外からメテオラで爆撃を続ければ、容易に削り殺せる。

 

 故に、駆ける。

 

 地上へ向かう、階段へと。

 

『七海先輩、もうすぐ出口です』

「了解。他のチームの反応は?」

『近くにはありません。バッグワームを使っていればその限りではありませんが……』

 

 充分だ、と七海は返答した。

 

 バッグワームを使っているのであれば、使えるトリガーは片枠のみ。

 

 たとえ奇襲して来ても、両攻撃(フルアタック)でなければ防ぐ事は可能だ。

 

 脅威なのは東の狙撃であるが、東のいた場所からは大分離れているし、幸い東の機動力はそう高くない。

 

 このタイミングであれば、近くに潜んではいない筈だ。

 

『そこの曲がり角の先が、出口です……っ!』

「よし……っ! 間に合ったか……っ!」

 

 七海はラストスパートをかけ、壁を蹴って曲がり角の向こうへ跳躍する。

 

 そして、その先に待つ出口の階段を駆け上がろうとして────。

 

「な……っ!?」

 

 ────その出口を塞ぐ()を前に、立ち止まった。

 

 出口へ向かう階段は、ある。

 

 だが、その階段の先が玉狛の、旧ボーダーのエンブレムが刻まれた()()()()()────『エスクード』によって、塞がれていた。

 

 馬鹿な、と七海は絶句した。

 

 エスクードは、堅牢な耐久力と一度出してしまえばそのままその場に残る応用性の高いトリガーではあるが、()()()()()という最大の問題がある。

 

 地下街の出入り口は、此処だけではない。

 

 その全てを塞ぐとすれば、相当のトリオンが必要になる筈だ。

 

 それこそ、トリオンが平均程度の者であれば戦闘に必要なトリオンすら殆ど残らない程に。

 

 村上も来間も、現在トリオン切れを極端に気にするような素振りは見えない。

 

 二人のトリオンは、平均より少し上程度。

 

 少なくとも、エスクードを連発しても戦闘に支障が出ないレベルのトリオン量ではない。

 

「……っ!」

 

 そこで、気付く。

 

 この場にいない、鈴鳴第一の()()()()()()()に。

 

 思えば、その隊員だけはこの戦闘が始まってから一度も目にしていない。

 

 つまり、()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼のトリオン量は決して多くはないが、戦闘に必要なトリオンまで注ぎ込めばなんとか足りるかもしれない。

 

 それに、そういった()()()は、彼なら如何にもやりそうである。

 

「太一か……っ!」

 

 鈴鳴第一の狙撃手、別役太一。

 

 間違いなく、その少年こそがこの(エスクード)で出口を塞いだ張本人に違いなかった。

 

 

 

 

「ふひー、きっつー。このトリガー、燃費悪過ぎでしょー」

 

 太一は、壁に背を預けへとへとになりながら溜め息を吐いた。

 

 既にトリオンは殆ど空っ穴に近いが、それでも彼はやり遂げた。

 

 己が言い出した、この試合での役割を。

 

 …………前回の試合では、太一は何の戦果も上げられず、相手の狙撃手に落とされた。

 

 狙撃手にとって一番警戒しなければならない筈の、カウンタースナイプで。

 

 きっと、自分は狙撃手としての才能はそんなに無いのだろう。

 

 他の、凄い狙撃手と比べると自分は狙撃に関して光るものを持っていない。

 

 精密射撃は茜に上を行かれているし、ユズルのような上手い立ち回りも出来ない。

 

 しかし、狙撃手として負けていても、チームとして勝てれば良い。

 

 そう思って進言したのが、この作戦だった。

 

『太一、作戦は成功よ。七海くんを追い詰めたわ』

「よっし……っ!」

 

 作戦が上手く決まったとの報告を受け、太一はガッツポーズを取る。

 

 小さな狙撃手の献策が、今此処に成就した瞬間だった。



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鈴鳴第一⑤

「おぉっとぉ、地下での戦闘を嫌い地上へ向かった七海隊員、出入り口をエスクードで塞がれており袋小路……っ! 万事休すか……っ!?」

「…………流石に、()()かこいつァ」

 

 弓場は画面を見ながら、思わずそう溢した。

 

 エスクードは、耐久力に定評のあるトリガーである。

 

 使用者のトリオン量に関係なく一定の耐久力を保持しており、その強度はアイビスの狙撃すら防ぐ程だ。

 

 このエスクードを破壊出来るとすれば旋空弧月かスラスターによる加速を得た斬撃だろうが、生憎それが可能なのは追い詰めた側の村上であり、追い詰められた側である七海ではない。

 

 少なくとも、七海が普段使用するトリガーセットでこの(バリケード)トリガーを破壊出来るものは存在しない。

 

 試した者はいない為未知数ではあるものの、メテオラを撃ち込み続ければ破壊出来る可能性はなくもないだろうが、あの閉所では幾ら七海でも自分を巻き込んでしまいかねない。

 

 そもそも、村上と来馬はすぐそこまで迫って来ているのだ。

 

 無為な行動をしている時間は、七海には無い。

 

 絶体絶命、とはまさにこの事だろう。

 

 弓場の眼から見ても、今の七海は()()に限りなく近い状況だった。

 

「ううん、そーとも限らないと思うわよ?」

 

 ────だが、その弓場の見解に小南が待ったをかけた。

 

 小南は贔屓している七海が窮地に陥っているにも関わらず、平然としていた。

 

 先程まで感情剥きだしで一喜一憂していた少女と同一人物とは、思えない程に。

 

「……へェ、じゃあおめェーは七海が此処から逆転できると、そう思うのか小南ィ?」

「当たり前じゃない。確かに太一の()()()は大したものだったけど、一つ忘れてる事があるわ」

「そうだねえ~。そろそろ、()()も終わっただろうしねえ~」

 

 小南の言葉に追随したのは、意外な事に国近だった。

 

 国近はいつもの緩いオーラを発しつつ、ふにゃっとした笑みを浮かべている。

 

 だが、その眼はA級一位部隊のオペレーターとしての、冷徹な観察眼のそれだった。

 

「準備だァ? そりゃ一体、何の事だ国近ァ?」

「んふふ~、すぐ分かると思うよ~。ね? 小南ちゃん」

「そうね。ようやく、アンタが何を察したかも理解出来たし。ま、それで正解でしょ。つまるところ、これは────」

 

 少女二人の会話に弓場が首を傾げる中、小南は画面を見据え、告げる。

 

「────玲達に、時間を与え過ぎたって事よ」

 

 

 

 

「よし……っ! いいぞ太一……っ! これで()()だ……っ!」

 

 来馬は生来の彼の性格からすると珍しく、好戦的な笑みを浮かべて地下街を駆けていた。

 

 前回の敗戦から自分達の部隊の強みと弱みを見詰め直し、新戦術を習得しB級上位まで上がって来た。

 

 そして、ROUND1で完敗を喫した七海を、今度は自分達が追い詰める事が出来ている。

 

 来馬の両攻撃、村上の技術向上、太一の献策。

 

 そのいずれかが欠けていれば、此処までは来れなかった筈だ。

 

 今度こそ、勝つ。

 

 そう意気込んで、先行する村上の背を頼もしく思いながら通路を駆ける。

 

 もう、村上に守られるばかりの自分ではない。

 

 きちんと隊の銃手としてチームに貢献し、村上の助けになれている。

 

 その事が、来馬はこの上なく嬉しかった。

 

 今までは、村上に守られてばかりであまり役に立っていたという実感がなかった。

 

 自分達のチームが「村上頼りのチーム」と揶揄されていた事も、知っていた。

 

 けれど、それは事実だった。

 

 NO4攻撃手である村上の強さに頼り切った、彼ありきのチーム。

 

 村上が落ちれば、最早それまで。

 

 それが、これまでの鈴鳴第一だった。

 

 だが、今は違う。

 

 隊の全員がきちんと勝利に貢献し、エースの村上をしっかり活かし切れている。

 

 だからこそ、B級上位まで駆け上がって来れたのだ。

 

 まだ、自分達は先を目指せる。

 

 故に、此処で因縁の相手である七海を倒す。

 

 他ならぬ、自分達の手で。

 

 一歩一歩、地面を踏みしめ駆けていく度に、そんな想いが走馬灯のように駆け巡る。

 

 それはきっと、村上も一緒だろう。

 

 強くなった鈴鳴第一が、七海を落とす事で前回の雪辱を晴らす。

 

 この戦いは、その為の舞台だ。

 

 必ず、勝つ。

 

 その想いが、胸の奥から湧き上がる。

 

 あと、数歩。

 

 次の曲がり角を超えれば、袋小路に追い込んだ七海と接敵する。

 

 来馬が、銃を構えた。

 

 村上が、盾を握り締めた。

 

 七海の姿が見えた瞬間、攻撃を開始する。

 

 最大限の警戒を以て、村上は曲がり角を超えた。

 

「────メテオラ」

 

 そこに、七海のメテオラが飛来する。

 

 分割なしのメテオラのトリオンキューブが狙うのは、村上ではない。

 

 メテオラの向かう先は、天井。

 

 間違いない。

 

 天井にメテオラを当てる事で、あの時のように崩落を起こし瓦礫で通路を塞ぐつもりだ。

 

「スラスター、オン」

 

 だが、そうはさせじと村上がレイガストを手放し、スラスターを起動。

 

 スラスターの加速でメテオラと接触したレイガストは、そのまま七海の方に飛んでいく。

 

(────旋空弧月)

 

 このままメテオラが誘爆しても、七海のシールドであれば防がれるだろう。

 

 だからこそ、次で仕留める。

 

 村上は鞘から弧月を抜刀し、音声認証なしで旋空を起動。

 

 七海がメテオラの爆発から逃れる為にシールドを張った瞬間、斬り払う。

 

 それを避けられても、来馬の銃撃で詰み。

 

 獲った。

 

 村上は、そう確信した。

 

 

 

 

「そうはいきません」

 

 作戦室で小夜子は、隣に座った熊谷と共にキーボードを打ち続ける。

 

 そして、解析した情報を送信し、告げる。

 

「────観測情報、解析完了。全区画、構成把握。弾道制御ナビゲート、OKです」

『了解』

 

 小夜子の言葉に、答える声があった。

 

 涼やかな、それでいて力強い声。

 

 それは、紛れもなく────────自分達の隊長、那須の声であった。

 

 

 

 

「な……っ!?」

 

 レイガストに吸着したメテオラが、七海に向かう。

 

 しかし、それは七海に届く事はなかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()が、的確にメテオラのトリオンキューブを射抜いたからだ。

 

 視線を向ければ、その先には壁に足を付けた七海の姿。

 

 その踏みしめている壁面には、僅かな罅が入っている。

 

 間違いない。

 

 地面や障害物を通して、スコーピオンを放つ技。

 

 ────『もぐら爪(モールクロー)』。

 

 その刃が、メテオラを起爆させた瞬間だった。

 

「く……っ!」

「うわ……っ!」

 

 『もぐら爪』で射抜かれたメテオラは、七海に近付く前に起爆。

 

 通路を、巨大な爆発が席巻した。

 

 メテオラの爆発は周囲の壁を抉り、天井を軋ませ無数の瓦礫が降り注ぐ。

 

 天井から離れた場所での起爆であった為、通路を塞ぐ程の崩落には至らない。

 

 だが、舞い上がる土煙で、七海の姿を村上達は見失っていた。

 

 しかし、それならば七海の姿が視認出来た時点で来馬の銃撃と共に『旋空弧月』を放てば良い。

 

 どの道、七海は此処から逃げられないのだ。

 

 焦りこそ、七海にとって絶好の好機。

 

 落ち着いて、()()()()()()()()()()仕掛ければ良い。

 

 いつも通りの()()の姿勢で、村上は『弧月』を構えた。

 

 いつでも、攻撃に移れるように。

 

 いつでも、仕掛けられるように。

 

 いつ、七海が来ても良いように。

 

 ()()の体勢を、取った。

 

 取って、しまった。

 

「……っ!? 来馬先輩……っ! が……っ!?」

「太一……っ!?」

 

 ────獲物を追い立てる狩人に、魔女の火がその脅威を知らしめる。

 

 背後から飛来した、無数の光弾。

 

 正確に来馬を狙ったその弾丸を、柱の影から飛び出した太一が身代わりとなって被弾。

 

 全身に風穴が空き、一瞬にして致命傷を負う。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出』

 

 無慈悲な機械音声が、太一の脱落を告げる。

 

 光の柱となって、太一がその場から消え去った。

 

「太一、く……っ!」

 

 その光景に、来馬は思わず拳を握り締めた。

 

 …………元々、狙撃に必要なトリオンすらエスクードに注ぎ込んだ太一には、この試合で狙撃手として戦う事は不可能だった。

 

 来馬は自発的な『緊急脱出』を勧めていたが、太一はいざという時来馬の盾となるべく近くに隠れていた。

 

 その結果いち早く背後からの奇襲に気付き、その身を犠牲に来馬を守ったのだ。

 

 来馬を庇った事に、理由などない。

 

 ただ、そうしたいから太一は来馬の身代わりになったのだ。

 

 強いて言うなら、既に戦えない自分が残るより、来馬を生き残らせた方が良いという判断もある。

 

 しかし、光弾の主────那須は、容赦など微塵もするつもりはなかった。

 

「く……っ!」

 

 再び、通路の奥から無数の光弾が飛来する。

 

 村上は『弧月』をその場に突き立て、落ちていたレイガストを回収。

 

 来馬はシールドを張り、その隙を埋める形で村上がレイガストを展開。

 

 飛来する光弾を、なんとか防ぎ切った。

 

「────」

 

 だが、忘れてはならない。

 

 一度守勢に入った事で、自由の身になった者がいる事に。

 

 彼は、七海は、スコーピオンを手首の断面から展開し、村上に斬りかかる。

 

「……っ!」

 

 村上は、レイガストを回転させその斬撃を防御。

 

 未だ降り注ぐ光弾は、来馬の固定シールドが防ぐ。

 

 しかし光弾の数が多く、来馬のシールドには既に幾つもの罅割れが入っている。

 

 だが、シールドではブレードトリガーの斬撃は防御出来ない。

 

 レイガストでなければ、七海の斬撃は防げない。

 

 故に。

 

 村上が選んだのは、()()()()

 

 一瞬だけレイガストを手放し、即座に弧月を引き抜く。

 

 そして、スコーピオンを振り下ろす七海に斬撃を見舞った。

 

「────」

 

 サイドエフェクトでその攻撃を感知した七海は、紙一重で攻撃を回避。

 

 しかしその代償として、一旦村上から距離を取る。

 

 村上にとっては、それで充分。

 

「来馬先輩、那須さんを追いましょう……っ!」

「うん……っ!」

 

 村上は来馬の同意を取り、その場で反転。

 

 来馬を庇いながら、光弾が迫って来た方向へ駆け出した。

 

 …………今の射撃は、間違いなく那須のバイパーである。

 

 つまり、あの光弾の先に、彼女がいる筈だ。

 

 七海を追い詰めたこの地形を捨てるのは惜しいが、このまま那須を放置すればじり貧になる。

 

 故に、有利地形を捨ててでも那須を追う。

 

 それが、二人の選択だった。

 

 戦略としては、間違っていない。

 

 那須のリアルタイム弾道制御による変幻自在のバイパーは確かに脅威だが、その制圧力の反面火力には欠ける。

 

 レイガストという堅牢な盾を持つ村上にとって、近付く事さえ出来れば那須は容易に落とせる相手だ。

 

 更にこのMAPでは那須の得意とする機動戦をするだけの広さがなく、普段のように機動力で翻弄する戦法を取る事は出来ない。

 

 だからこそ、村上達は那須を追った。

 

 放たれる光弾をその道標とし、那須に肉薄せんと駆ける。

 

 無論、七海もそんな自分達を放置はしないだろう。

 

 故に来馬には背後から追って来る七海を牽制して貰い、村上が那須の弾幕をガードする。

 

 そのフォーメーションを以て、那須を追い立てる。

 

 状況は複雑化したが、まだ勝ちの芽がなくなったワケではない。

 

 那須さえどうにか出来れば、今度こそ七海に詰めをかけられる。

 

 その想いが、彼らの足を進ませた。

 

『鋼くん、バイパーは正面の道から来てるわ。きっと、その先に那須さんがいる筈』

「分かった。すぐに向かう」

 

 そうしているうちに、道が十字路に差し掛かる。

 

 オペレーターのナビゲートに従い、村上と来馬は正面の道を突き進む。

 

 その先にいる、那須を追って。

 

 居場所さえ分かれば、こっちのものだ。

 

 そう考えて、村上は逸る心を抑えながら後ろを駆ける来馬の様子を一目見ようと振り向いた。

 

「……っ!?」

 

 だからこそ、気付いた。

 

 ()()()()()()、光弾の存在に。

 

「来馬先輩……っ!」

「うわ……っ!」

 

 村上は咄嗟に来馬の服を掴むと、自分の方へ引き寄せる。

 

 そしてレイガストを構え、光弾を、バイパーをガードする。

 

 バイパーの威力そのものは、射撃トリガーの中でも一際低い。

 

 その応用性こそが武器であり、火力自体はそれ程でもない。

 

 無論、硬いレイガストの盾を貫通出来るような威力はなく、来馬のシールドと合わせれば防ぎ切れる。

 

 村上は、そう目算した。

 

 その分析自体は、正しい。

 

 (オペレーター)の解析が間違っていた原因は気になるが、今はとにかく()()()()()()()()を防ぐ事こそが肝要。

 

 ────本当に、光弾が来るのが背後から()()であったのならば。

 

 本来であれば、気付くべきだった。

 

 那須を追っている二人を、グラスホッパー持ちの七海が()()()()()()()()理由を。

 

 このタイミングで那須が脱落すれば、七海は一気に窮地に立たされる。

 

 なのに、身体を張っての妨害も、メテオラでの牽制もない。

 

 グラスホッパーを持っている以上、七海が二人に追いつけない、という事は有り得ない。

 

 ならば何故、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のか。

 

 全ては、この瞬間。

 

 二人を、()()へ追い込む為である。

 

「……え……?」

 

 ()()に最初に気付いたのは、来馬だった。

 

 何気なく先の通路へ目を向けた来馬の視界に、()()()()()()無数の光弾が飛び込んで来た。

 

 その異変に反応し、村上も来馬の視線の先を見た。

 

 そこには確かに、こちらに迫る無数の光弾があった。

 

 前と後ろ、全くの逆方向から飛来した光弾が、今彼らに牙を剥く。

 

「く……っ!」

 

 村上はシールドを展開しつつ、レイガストを前面に向ける。

 

 全ての光弾は防ぎ切れないが、致命傷だけは防げる。

 

 そう考えての、防御。

 

 しかし、それは。

 

 この状況では、一手足りなかった。

 

「が……っ!?」

「……っ!?」

 

 ────村上のレイガストを避ける形で、光弾がシールドへ着弾。

 

 着弾した光弾は、その場で()()()()()()()

 

 一点に集中された連鎖的な爆発が、来馬を飲み込んだ。

 

 無論それは、バイパー単独で起こし得る事象ではない。

 

 その弾丸の名は、『変化炸裂弾(トマホーク)』。

 

 メテオラとバイパーを合成させた、那須の得意とする合成弾である。

 

 来馬は合成弾を見抜けず、その爆発に飲み込まれた。

 

 また、やられてしまった。

 

 そんな想いを胸に、来馬は自身の敗北を悟る。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出』

 

 機械音声が、来馬の脱落を告げる。

 

 標的を追い込んだ筈の狩人が、魔女の火を浴びた瞬間だった。



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鈴鳴第一⑥

「那須隊長の射撃により、別役隊員が緊急脱出……っ! 那須隊長を追った鈴鳴第一の二人でしたが、那須隊長の『トマホーク』によって来馬隊長敢え無く緊急脱出……っ! 一気に戦況がひっくり返ったぞぉ~」

「…………こりゃあ、おったまげたなァ。一体、今のはどういうカラクリだァ?」

 

 画面を見ていた弓場は、国近の実況を聞きながら唖然とした表情を浮かべている。

 

 それはそうだろう。

 

 那須のバイパーのリアルタイム弾道制御技術は、弓場も知っている。

 

 ログ以外で見たのは初めてだが、変幻自在なその軌道は弓場としても大したものだと考えていた。

 

 だが、今回のこれはどう考えてもおかしい。

 

 確かに、那須は障害物をものともせず、複雑な軌道のバイパーで相手を狙い撃つ。

 

 障害物の影から雨あられと飛来する那須の弾丸は、彼女自身の機動力も相俟ってかなりの脅威である。

 

 しかし、今弓場が問題視しているのはそこではない。

 

 那須は、あろう事か複雑な地下街の通路を迂回させる形で、全面と背面、双方からの奇襲を敢行していた。

 

 射手のトリガーは、弾速・威力・射程を自由にチューニングする事で、その性質を変化させられる。

 

 弾速や威力を限界まで抑えれば、確かに射程を大幅に伸ばす事は可能だ。

 

 しかし、それでも限度はある。

 

 幾ら射程を伸ばせると言っても、威力が皆無では直撃させたとしても意味はない。

 

 威力が残っていても、弾速が遅すぎれば当てられない。

 

 故に、最低限の威力と弾速を確保した上で、正確に射程距離を計測して射撃を行う必要があった。

 

 那須はそれを、まるで実際に目で見ているかのような精度で行ったのだ。

 

 射程が許すギリギリの距離を迂回させ、充分な威力と速度を持った弾丸を放つ。

 

 道中の障害物や戦闘で発生した瓦礫に当たれば全ての計算が狂ってしまう為、MAPの全体図だけではこの射撃を成功させる事は出来ない。

 

 地下街の構造を知り尽くしていなければ、不可能な芸当だ。

 

「おい国近ァ、おめェーはどうやらこのカラクリを理解出来てるみてェーだなァ。悪ィが、説明してくれや」

「んふふー、いいよー。此処で説明せずにいつするんだ~って感じだしね~」

 

 国近はほんわかした笑みの中に怜悧な知性を宿し、その口を開いた。

 

「弓場さんは、どうしてあんな射撃誘導が出来たんだ~って事が疑問なんだよね?」

「あァ、普通ならMAP選択権のなかった那須隊があんな真似が出来る筈がねェ。ありゃあ、どういう事だ?」

「ま、そうだよね。()()()()()()では、無理だったよ」

 

 国近の言い回しに弓場は疑問符を浮かべ、すぐにハッとなって目を見開いた。

 

 気付いたのだ。

 

 彼女が、何を言おうとしているのかを。

 

「…………まさか国近ァ、あいつ等は……」

「そうだよ~。那須隊はねぇ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだよ~。那須隊の皆が、地下街をずっと走り回ってたのはその為だね~」

 

 ────それが、答え。

 

 MAP選択権を持たず、事前にMAP情報を知る事が出来なかった筈の那須隊が、何故此処まで高度なオペレートが出来たのか。

 

 それは単に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だけなのである。

 

 那須や茜がこれまで隠密に徹しながら地下街を走り回っていたのは、全てこの為。

 

 地下街の構造を完全に把握し、那須のバイパーで広域を纏めて射撃制圧圏内に入れる為だったのである。

 

 那須のバイパーによる制圧射撃は、オペレーターの小夜子との合わせ技だ。

 

 幾ら那須が優れた空間把握能力を持つとはいえ、離れた────────視界外の対象を狙う為には、オペレーターのナビゲートが必須である。

 

 小夜子としても、毎回の如く行っているオペレートである為、作業自体には慣れていた。

 

 しかし此処まで高精度の遠隔射撃を実現出来たのは、彼女がこれまでに培った技術の賜物だろう。

 

 七海が加入して以降、小夜子は自らの能力を磨き続けた。

 

 その原動力が叶う事のない恋慕だとしても、小夜子が腕を鈍らせる理由にはならなかった。

 

 小夜子の献身は、本物だ。

 

 たとえ叶う事のない初恋だとしても、七海(好いた男)の為なら心身を賭して全霊を傾けられる。

 

 それが、小夜子の強さ。

 

 今の那須隊の実力は、彼女の献身あってのものだ。

 

 戦闘員だけが、チームなのではない。

 

 彼女を含む()()揃って、初めて那須隊と呼べるのだ。

 

 国近は、小夜子の友人である。

 

 ゲームを通じて育んだ交流なれど、多少なりとも彼女の事は知っている。

 

 小夜子が努力して積み重ねた、オペレートの技術の向上に関しても国近は知っていた。

 

 他ならぬ彼女が、小夜子のオペレート技術の向上に一役買ったのだから。

 

 学業は壊滅的な国近であるが、そのオペレート技術はボーダー内でも随一だ。

 

 伊達に、A級一位部隊のオペレーターをやっているワケではない。

 

 唯我尊(おにもつ)を抱えながらA級一位の座を堅持出来ている一因には、間違いなく彼女の功績がある。

 

 小夜子はそんな彼女のオペレート技術を直で見て、貪欲にその技術を学んでいったのだ。

 

 国近はあまり指導が上手い方ではない為、見た技術を自分のものにする為に親交のある橘高羽矢(他のオペレーター)との技術交流を通じて腕を磨いた結果が、今の小夜子の高精度なオペレートに繋がっている。

 

 今回の高難易度なオペレートを成功させられたのも、そういった努力の成果だ。

 

 自分の弟子同然の小夜子が部隊に貢献している様子に、内心ほくほく顔の国近であった。

 

 態度で丸わかりな出水や太刀川(七海の師匠)奈良坂(茜の師匠)と違い、いつもニコニコしていて内心を悟らせない為表に出てはいないが、実は国近も弟子(小夜子)には相当甘かった。

 

 今回の実況も、その実小夜子の活躍を話したいが為に受けたという理由も大きい。

 

 七海や茜(自分達の弟子)の活躍を語りたいが為に解説を引き受けた、奈良坂や出水(弟子馬鹿)達と良い勝負である。

 

「結構難易度高いオペレートだから、相当努力して技術を磨いたんだと思うよ~。オペレーターは活躍が表に出難いかもだけど、きちんと部隊に貢献してるんだから。皆、オペレーターのありがたみをもっと知った方が良いと思うな~」

「…………そうだな、肝に銘じとくかァ」

 

 弓場は国近のなんとも言えない言葉の()に自分の隊の気の強いオペレーターの姿を重ねつつ、感慨深げにそう言った。

 

 ランク戦でクローズアップされるのは戦闘員の方だが、その戦闘員が十全に能力を活かす為には、オペレーターの助力が必須である。

 

 オペレーターがいなければ相手の位置情報の解析や接敵警報(アラート)、MAP解析すら行えず、裸一貫で荒野に放り出されるも同然だ。

 

 戦闘員(自分達)が戦う為には、オペレーターの存在が不可欠。

 

 そんな当たり前の事を、改めて思い知った弓場だった。

 

 オペレーターを蔑ろにした事などある筈もないが、これからはもう少し気を遣った方がいいかもしれない。

 

 ふと、そんな事を思った弓場であった。

 

 もっとも、後日それを実践したところ「具合でも悪いのかおめー」と妙な心配をされる事になったのだが。

 

「ともかく、これで鈴鳴第一は鋼さんを残すだけね。玲の射撃包囲網も完成したし、後は時間の問題かしら?」

「ま、確かに厳しい状況だと思うよ~。村上くんは片腕だし、ダメージも結構喰らってる。このままだと、那須さんに削り殺されてお終いって事も有り得るかな~」

 

 二人の言う通り、太一と来馬の脱落により孤立無援となった村上は、一気に窮地に陥った。

 

 来馬の銃撃の援護もなく、機動力に優れる七海を片腕で相手をしなければならない。

 

 足も熊谷のハウンドで削られている以上、このままでは削り殺されて終わるのが目に見えている。

 

「────いや、そうとも限らねェと思うぜ」

 

 ────だが今度は、その見解に弓場がそう告げ待ったをかけた。

 

 弓場は眼鏡を光らせながら、鋭い視線で画面を睨んでいる。

 

「確かに、鋼は見るからに追い詰められた。此処まで持ってきた、七海達の手腕は大したもんだが────」

 

 だが、と弓場は不敵な笑みを浮かべた。

 

「────おめェーら、鋼を舐め過ぎだ。さっきも言ったろ? 追い込まれた時の鋼は、怖ェーってな」

 

 

 

 

「来馬先輩……っ! く……っ!」

 

 村上は助けられなかった隊長が光の柱となった光景を見て、拳を握り締めた。

 

 来馬を守るのは、村上の絶対の行動原理だ。

 

 たとえ負けても死なない仮想空間での戦闘であったとしても、それは変わらない。

 

 自分は、来馬隊長の人柄に惹かれて鈴鳴第一のエースをやっているのだ。

 

 その来馬を守る事こそ、村上にとっての全てだ。

 

 これは決して、誇張ではない。

 

 来馬は確かに個人の戦闘力が突出しているワケではないし、指揮能力もお世辞にも高いとは言えない。

 

 だが、村上が来馬を慕うのは、そんな表面的な部分ではない。

 

 来馬の持つ生来の優しさと、底知れない器の広さ。

 

 鈴鳴支部に配属されたのは別段自分が希望した事ではなかったが、今では鈴鳴こそが自分の居場所だとハッキリ言える。

 

 おっちょこちょいな太一も、そんな太一を見て溜め息をついてばかりの(こん)も、大切な仲間である事に違いはない。

 

 鈴鳴第一は、来馬を中心に回っているチームだ。

 

 太一がうっかりミスをして、それを今が咎め、来馬が笑みを浮かべながら後始末を行い、自分がそれを苦笑しながら手伝う。

 

 そんな支部での日常が、村上はたまらなく好きだった。

 

 表情が変わらない為傍目からは分かり難いが、村上はとても情深い。

 

 だからこそ、この部隊を勝たせたいと、強く思った。

 

 来馬の為に、仲間の為に、剣を振るう。

 

 そこに迷いなどなく、躊躇いなどあろう筈もない。

 

「…………まだだ」

 

 村上は、自分が今来た道に立つ七海を見据え、告げる。

 

 自分は、追い詰められた。

 

 先程までは追い詰める側だった筈が、今ではそれが逆転している。

 

 熊谷にやられた傷口から流れ出したトリオンは、今も尚減り続けている。

 

 このままでは、那須の弾幕に削り殺されて終わりだろう。

 

 長期戦は、最早望めない。

 

 だが、那須に狙われたままでは、そもそも戦いにすらなりはしない。

 

 ならば、どうするか。

 

(一時的にでも良い。那須の射撃を、封じなければ)

 

 那須に狙われたままでは、満足に剣も振るえない。

 

 逃げた所で、足の削れた自分が逃げ切れるとは思えない。

 

 故に。

 

 故に。

 

 答えは一つ。

 

(この場を、他の場所から()()する……っ!)

 

 想起するのは、自分がこれまで戦って来た数々の好敵手。

 

 その中でも、随一の男。

 

 太刀川慶。

 

 『旋空弧月』を自由自在に使いこなす、ボーダートップの攻撃手。

 

 攻撃手としての、一つの完成形。

 

 幾度も戦い、そして敗れた剣の王。

 

 その剣を、その斬れ味を、思い出す。

 

 サイドエフェクト、『強化睡眠記憶』。

 

 それは、相手の戦いを()()()事が出来る能力(ちから)

 

 太刀川の剣術、その全てを再現する事は、今の自分では不可能だ。

 

 だが。

 

 だが。

 

 その一部だけであれば、再現は出来る筈である。

 

 否、しなければならない。

 

 この苦境を。

 

 この局面を。

 

 自分の力で、乗り切る為には。

 

 猿真似では、終わらせない。

 

 己の全霊を以て、彼の剣の記憶(太刀筋)を現実にする。

 

 迷っている、時間はない。

 

 最短最速。

 

 己の肉体を駆使して、その斬撃を解き放つ。

 

「旋空────」

 

 居合一閃。

 

 鞘から抜き放った『弧月』を振り抜き、前面の天井に斬り込みを入れる。

 

「────弧月」

 

 そしてそのまま身体ごと回転し、二閃。

 

 後方の天井に、斬り込みを刻む。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉ……っ!!」

 

 雄叫びと共に、三閃。

 

 前方と後方、今しがた斬り込みを入れた場所の外側へ、再度旋空の斬撃を飛ばす。

 

 一瞬にして無数の斬り込みを刻まれた天井は、崩落。

 

 無数の瓦礫が積み重なり、村上と七海のいる場所は残骸の壁により分断された。

 

 一瞬の、絶技。

 

 連続して旋空を放ち、的確に天井崩しを行った。

 

 その結果として出来た、瓦礫の闘技場(バトルフィールド)

 

 そこに立つのは、七海と村上(二人の好敵手)

 

 今此処で頼れるのは、己の身体と技術のみ。

 

 七海は、那須の援護を受けられず。

 

 村上も、退路は自ら切り捨てた。

 

 正真正銘、決戦の場。

 

 積み重なる残骸に囲まれた二人は、すぐさま己の剣を執る。

 

 村上は、弧月を構え。

 

 七海は、スコーピオンをその手に宿す。

 

 一騎打ちの舞台が、今此処に整った。



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鈴鳴第一⑦

『那須先輩、通路が埋まりました。新たに瓦礫も増えたので、このままでは援護が届きません』

 

 小夜子の報告を聞き、那須は一瞬顔を顰めた。

 

 しかし今やるべき事は、予想外の展開に歯噛みする事ではない。

 

 速やかに、次の策を講じる事だ。

 

「分かった。『トマホーク』で吹き飛ばすわ。弾道と威力の再計算、出来る?」

『勿論です。七海先輩の観測情報から、瓦礫を吹き飛ばすのに必要な威力も算出しました。那須先輩は合成弾の準備を』

「了解」

 

 那須は小夜子から送信されたデータを元に、合成弾の作成を開始する。

 

 村上に肉薄されないよう、充分に距離を取った事が仇となった。

 

 確かに、トマホークを使えば通路を塞ぐ瓦礫を吹き飛ばす事は可能だろう。

 

 だが、トマホークを合成し、最短距離で放ったとしても、どうしたって着弾までには時間がかかる。

 

 合成弾を使用するには両攻撃(フルアタック)の状態にならざるを得ない以上、下手に相手に近付くワケにも行かない。

 

 だからこそ距離を取っての射撃包囲網を敷く事を選んだのだが、村上の地形破壊による物理的な射線の遮断によりそれが完全に裏目に出た。

 

 片腕片足を失い、少なくないトリオンを失っている筈なのに、その脅威は今も尚那須隊に圧を与えている。

 

 NO4攻撃手、村上鋼。

 

 前回は弱みを突く形で封殺した相手だが、その実力は本物だ。

 

 イレギュラーな状況にも、充分以上に対応出来ている。

 

 来間との連携もかなりのものであったし、個人技に至っては言うまでもない。

 

 前期でも、散々苦しめられた相手だ。

 

 侮る事などあろう筈もないが、ある程度の楽観もあったのは確かだった。

 

 その認識は、改めなければなるまい。

 

 彼は、村上は、不利な状況に追い込んだ()()では容易に崩せない相手であると。

 

 前回はたまたま、地の利と自分達の戦術の()()()()の要素が上手く噛み合っただけだ。

 

 村上は既に、集団戦での七海の動きを()()()いる。

 

 無論、七海もあの時から成長しているし、手の内を全て学習されたワケではない。

 

 だが、村上にはその学習の()()を極限まで高めるサイドエフェクト、『強化睡眠記憶』がある。

 

 ()()()()()という条件から一度の戦闘の中での動きを即座に覚えられる事はないものの、その性質上今回のような()()ではこの上なく有利に働くサイドエフェクトだ。

 

 これまで七海がなんとか戦えていたのは、彼自身の成長も然る事ながら、村上が東の狙撃で片腕を失い、熊谷の射撃で片足がほぼ死んでいるからだ。

 

 しかし、それだけのハンデを背負って尚、村上は七海相手に互角以上の戦いを繰り広げていた。

 

 今、村上と七海は閉鎖空間で正真正銘の1対1。

 

 村上が寸断した通路の幅は、些か()()()()

 

 七海のメテオラの威力では、あの場で自分を巻き込まないようにする事は不可能だ。

 

 そも、今の村上が七海にメテオラを使う隙を与えるとも思えない。

 

 一手間違えば、即座に落とされる間合い。

 

 そんな状態でメテオラを使う程の余裕を、あの村上が与える筈もない。

 

 先程のメテオラのキューブに当てる策も、二度目は通用すまい。

 

 同じ手で勝てる程、村上という男は甘くないのだ。

 

 そんな()()()手を取った瞬間、彼の弧月はこちらの身体を両断して来るだろう。

 

 故に、恐らく那須の援護は()()()()()()

 

 勝つにしろ負けるにしろ、そう長くかかる筈もない。

 

 那須のトマホークが着弾する頃には、きっと決着が着いている筈だ。

 

(それでも……っ!)

 

 だが、だからと言ってトマホークを撃たないという選択肢は有り得ない。

 

 爆撃が来ないと分かれば、村上は腰を据えて七海を仕留めにかかる筈だ。

 

 そうなれば、七海に勝ち目はない。

 

 確かに村上のトリオンは熊谷の与えた傷のお陰でかなり減っているが、即座にトリオン切れに陥る程ではない。

 

 トリオン切れになるよりも、村上が七海を仕留める方が早いだろう。

 

 勝機があるとすれば、今この瞬間。

 

 村上に、()()()()()()()()事だけだ。

 

 守りに長けるという村上の性質上、長期戦になればなる程村上は有利になる。

 

 腰を据えた村上の防御は、生半可な攻撃では打ち崩す事は出来ない。

 

 故に、近接戦等で村上を倒す為には。

 

 ────村上に、()()に転じさせるより他はない。

 

 幸い、今の村上は片腕だ。

 

 レイガストでの防御と、弧月での攻撃。

 

 普段はその両方を使いこなす村上だが、片腕で出来るのはどちらか一つ。

 

 これまで曲芸じみた動きで攻防を上手く切り替えて対応してはいるものの、普段より防御の厚みが減っている事は間違いない。

 

 故に、此処は手堅くトマホークを撃ち、何が何でも村上に()()させる。

 

 そうする事でしか、村上と近接戦を強いられた七海が勝つ可能性は無いのだから。

 

(お願い、玲一……っ! 勝って……っ!)

 

 那須は合成弾を作成しながら、天に祈る。

 

 努力の、結実を。

 

 七海の、勝利を。

 

 少女は、少年の勝利に懸けたのだから。

 

 

 

 

「…………」

「────」

 

 村上と七海は、狭い通路の中で睨み合う。

 

 七海の腕からは、スコーピオンが。

 

 村上の左腕には、弧月が。

 

 それぞれの刃を、煌めかせている。

 

 閉鎖空間での、1対1の決闘。

 

 好敵手同士の、一騎打ち。

 

 村上も七海も、どちらも後がない。

 

 七海が此処で落ちれば那須隊の勝率は著しく低下するし、村上も鈴鳴第一の最後の一人になった以上此処で落ちるワケには行かない。

 

 那須隊は二点、鈴鳴第一は一点。

 

 まだ、それだけしか得点出来ていないのだから。

 

 しかも、まだ最大の難敵である東は無傷の状態で地下通路の何処かに潜んでいる。

 

 この決闘が、この試合の分水嶺。

 

 そうである事は、間違いなかった。

 

 故に、負けるワケにはいかない。

 

 ただ、試合の勝敗だけの話ではない。

 

 好敵手として、そして親友として。

 

 目の前の相手に、負けたくはない。

 

 その想いは、二人共同じなのだから。

 

「────旋空弧月」

「……っ!」

 

 先に動いたのは、村上だった。

 

 旋空を起動しての、一閃。

 

 横薙ぎの一撃が、七海を襲う。

 

「────」

 

 だが、七海も大人しくそれを喰らう筈もない。

 

 グラスホッパーを起動し、即座に跳躍。

 

 壁を、天井を、瓦礫の上を足場とし、一瞬にして村上の背後へ回り込む。

 

「……っ!」

「甘い」

 

 しかし、背後を取った程度で崩れる程、村上の防御は薄くはない。

 

 すぐさま弧月を逆手持ちに切り替えた村上は、振り向きざまに弧月一閃。

 

 振り下ろされた七海のスコーピオンを、一息に叩き斬った。

 

「────」

 

 無論、それで終わりではない。

 

 七海はすぐさま右足で蹴りを放ち、足先からスコーピオンを展開。

 

 二の太刀により、村上の胴を狙う。

 

「……っ!」

 

 だが、村上はこれにも対応。

 

 弧月を反転させ、即座に迎撃。

 

 七海の足から伸びたスコーピオンは、村上の弧月に受け止められた。

 

「────」

 

 その時点で、七海は即座に離脱を選択。

 

 グラスホッパーでその場から跳躍し、壁面に着地。

 

 そのまま壁面を足場とした、三次元機動を展開。

 

 再び、村上の背後を取る。

 

「ワンパターンだな」

「……っ!」

 

 しかし、それは村上に読まれていた。

 

 村上は振り向きすらせず、弧月を横薙ぎに振るう。

 

 紙一重でしゃがんでそれを躱した七海は、即座にバックステップで距離を取る。

 

「チェンジ、ブレードモード。スラスター、オン」

 

 だが、それすらも想定の上。

 

 一瞬で弧月を納刀した村上は、ブレードモードに変化させた『レイガスト』を持ちスラスターを起動。

 

 そのまま、噴射装置の加速を得て七海へ突貫する。

 

「……っ!」

 

 スラスターで加速の付いた斬撃は、シールドであろうと防御不可。

 

 即座に回避を選択した七海は、壁面を足場に跳躍する。

 

 防御が不可能な以上、上へ逃げるしかない。

 

 それは、七海にとっては当然の選択。

 

 だが。

 

 だが。

 

「────旋空弧月」

「……っ!!」

 

 ────その回避行動は、読まれていた。

 

 村上は空中でレイガストを手放し、その場に着地。

 

 居合い抜きのように弧月を抜刀し、旋空弧月二連。

 

 拡張斬撃が、致死の刃が、上へ逃げた七海へ降り抜かれる。

 

「く……っ!」

 

 七海は無理やり身体を捻り、なんとかその斬撃の合間を掻い潜る。

 

 しかし、その代償として体勢は崩れ、空中で格好の的となる。

 

「────旋空弧月」

 

 無論、その隙を村上は逃しはしない。

 

 三度、旋空を起動。

 

 旋空弧月の斬撃が、宙に放り出された七海を襲う。

 

 その斬撃に、防御は意味を為しはしない。

 

 回避すら、空中ではままならない。

 

 ならば、どうするか。

 

 どうするのが、正解なのか。

 

 七海は、己の思考回路を駆使してその解答を導き出す。

 

 防御────却下。防御の上から叩き斬られる。

 

 回避────困難。下手な回避機動を取れば、次こそ攻撃を避ける術はない。

 

 故に。

 

 残された答えは、一つ。

 

「────ッ!!」

「な……っ!?」

 

 ────最短最速の、()()

 

 七海はその場でグラスホッパーを踏み込み、村上へ向け突貫。

 

 旋空の刃で脇腹を斬られながらも、最小限のダメージで村上へ向かって刃を振るった。

 

 旋空は、ブレードを拡張するトリガーである。

 

 そしてその最大威力を発揮するのは、刃の()()

 

 その突破力はシールドでの防御を許さず、堅牢なエスクードだろうと容易に斬り裂く。

 

 だが。

 

 だが。

 

 そんな破壊力の高いトリガーなれど、活用者が多くない理由は明らかだ。

 

 拡張した巨大なブレードを扱う難易度も勿論だが、それに加え。

 

 ()()()()()()()()が、ある。

 

 旋空は、中距離での攻撃で真価を発揮するトリガーだ。

 

 それは何故か。

 

 その攻撃力の殆どが、刃の()()に宿っているからだ。

 

 旋空はその性質上、遠くにいる相手にこそ最大の威力を発揮する。

 

 ブレードの長さを調節すれば近距離にも対応可能だが、一度刃を伸ばしてしまった以上。

 

 ────その瞬間に懐に入られれば、それは致命的な隙となる。

 

 故にこそ、七海は攻撃を選択した。

 

 防御は、不可能。

 

 回避は、ジリ貧。

 

 ならば残るは、()()のみ。

 

 決死の一撃が、七海の振るうスコーピオンが、村上へと振り下ろされる。

 

 既にブレードを戻すには、時間が足りない。

 

 シールドも、グラスホッパーで勢いの付いた状態であれば叩き斬れる。

 

 回避不能の、致死の一撃。

 

 七海の拵えた蠍の毒針が、己が好敵手へ肉薄する。

 

 

 

 

『東さん』

「了解」

 

 ────だが、此処にその好機を利用せんとする者がいる。

 

 オペレーターの報告を受けた男は、大型狙撃銃アイビスを構えた東は。

 

 瓦礫の壁に銃を向け、その引き金を引いた。

 

 

 

 

「……っ!!!」

「……な……っ!?」

 

 ────その一撃は、瓦礫の向こうから飛来した。

 

 攻撃モーションに入った七海は、その一撃を避けきれず。

 

 右肩が被弾し、スコーピオンを生やした右腕が宙を舞う。

 

 更にその狙撃はそのまま村上の右足に着弾し、膝から下を吹き飛ばした。

 

 右腕を失い、刃を喪失した七海

 

 右足を失い、完全に機動力が死んだ村上。

 

 想定外の光景に絶句する村上だったが、すぐさまこれが好機と悟る。

 

 些かしっくり来ない結末だが、戦場に卑怯などという言葉を持ち込む事こそ間違いだ。

 

 両足は死んだが、まだ剣を振るう事は出来る。

 

 刃を失った七海を仕留める事は、まだ可能だ。

 

 瞬時に頭を切り替えた村上は、ブレードを戻した弧月を構え、七海へその刃を振り下ろす。

 

(────旋空弧月)

 

 更に、音声認証なしで殆どブレードを伸ばさぬまま旋空を起動。

 

 もし、七海がスコーピオンを生やして受け太刀でもしようものならその刃ごと断ち斬れる。

 

 これで、詰み。

 

 村上は、勝利を確信した。

 

「────ッ!!」

「な……っ!?」

 

 ────だが、次に取った七海の行動に、村上は絶句せざるを得なかった。

 

 七海は体幹だけで空中での姿勢を切り替え、斬り飛ばされた自身の右腕を、()()()()()()()()()()

 

 スコーピオンを生やしたままの、右腕を。

 

 刃の生えた腕が、村上の左腕に突き刺さる。

 

 それにより、村上の斬撃の速度が僅かに、鈍る。

 

 その瞬間、この隙を。

 

 七海は、決して逃さなかった。

 

「ハァ……ッ!!」

「……っ!」

 

 発破と共に、七海は村上の腕に突き立てた自身の右腕にその蹴りを叩き込む。

 

 このまま、腕を斬り落とす狙いか。

 

 そう考えた村上はすぐさま弧月を握り直し、旋空で七海を斬り払わんとした。

 

「……な……?」

「────」

 

 ────だが、七海の攻撃はその時既に()()()()()()

 

 村上の腕に突き立った、七海の右腕から伸びたスコーピオン。

 

 その()()()()()新たな刃が生え、村上の胸を貫いていた。

 

「これは……っ!」

 

 少々変則的だが、間違いない。

 

 これを、この刃の名を、村上は知っている。

 

 七海の師の一人であり、自身の好敵手でもあるB級上位の隊長の一人。

 

 影浦雅人が得意とする、スコーピオンの発展形。

 

 ────『マンティス』。

 

 影浦()から学んだ刃が、七海(弟子)の手で村上に届いた瞬間だった。

 

「……やられたな……カゲが師匠なんだから、そいつを使えてもおかしくはなかった…………完敗だよ、七海」

「いえ、紙一重でした。でも、次があるとしても負けません」

「はは、言ってくれる。塩を送った甲斐があって、何よりだよ」

 

 村上はそうぼやきながら苦笑するも、その笑みは何処か晴れ晴れとしていた。

 

 七海と正面から戦い、そして負けた。

 

 横槍など、言い訳にもならない。

 

 この場の勝者は、間違いなく七海である。

 

 それは誰が見ても明らかな、戦いの結果であるのだから。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 そして、脱落の時が訪れる。

 

 機械音声が村上の敗北を告げ、此処まで奮闘を重ねた少年は、光の柱となって戦場から消えていく。

 

 一瞬遅れて瓦礫の壁に着弾する『トマホーク』の轟音が、その光を掻き消していく。

 

 七海と村上、二人の好敵手の一騎打ちは、その時終わりを迎えたのだった。



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東隊⑤

「緊急脱出したのは、鈴鳴第一村上隊員……っ! 東隊長の横槍をものともせず、一騎打ちを制したのは七海隊員だあ~……っ!」

「良い1対1(タイマン)だった。七海も鋼も、流石だな」

 

 弓場は感慨深げにふぅ、と息を吐き、眼鏡をギラつかせた。

 

 タイマンが何より好きと豪語するこの漢からして見ても、今の一騎打ち(サシ)は見応えがあったのだろう。

 

 熱い戦り合いを見て、傍から見ても満足気な弓場であった。

 

「しかしマンティスたぁ、良ィ隠し玉を用意して来たじゃねェか七海の奴ァよ。流石、カゲの弟子なだけはある」

「実際、マンティスを見る機会も多かった筈だしね。七海なら、あのくらいは出来るわよ」

 

 弓場も小南も、口々に七海の技巧を称賛する。

 

 最後に勝負を決めたマンティスという隠し玉は、それだけインパクトの残るものであり、影浦の固有戦術であったそれを習得した七海の努力の程は言うまでもない。

 

 二人が称賛を口にするのも、無理からぬ事だろう。

 

「けどあれ、どういうカラクリなのかな~? マンティスって確か、こう、びゅいーんって鞭みたいに伸びる感じじゃなかったっけ?」

「ありゃあ多分、自分の腕を地面に見立ててもぐら爪(モールクロー)の要領でスコーピオンを繋げたんだろ。だから厳密には、マンティスの変化版ってェ事になる」

 

 弓場の言う通り、七海が今の攻防で使用したのは厳密にはマンティスの変化版にあたる。

 

 自分の腕の断面を抉り込むように蹴り穿ち、足先からスコーピオンを伸ばして腕に生えていたスコーピオンと連結。

 

 そのままマンティスの技術を用いて、刃を伸ばした。

 

 先程七海が行った奇襲のカラクリは、こういう事だ。

 

 マンティスといえば、影浦の使う鞭のような軌道が目に焼き付いている者も多い。

 

 普通にマンティスを使うだけでは、影浦とも戦い慣れている村上には迎撃される可能性があった。

 

 だからこそ、七海はマンティスの技術を用いた変化版のそれで不意を突き勝利に繋げたのである。

 

「ま、そうとしか考えられないわよね。しかし七海の奴、幾ら吹き飛ばされた腕とはいえ自分の腕を躊躇いなく串刺しにするあたり流石というかなんというか……」

「そのあたりの思い切りの良さも、七海の持ち味だろ。相変わらず、中々のタマァしてやがんなあいつは」

「太刀川さんに訓練で斬られまくって、慣れちゃったんじゃない~? 最初の頃なんか微塵切りだったしね~」

 

 懐かしいなあ、と過去を想起しながらのほほんとえぐい事を口にする国近に、小南と弓場は思わず閉口する。

 

 二人とも戦いの場となればバッサバッサと敵を薙ぎ倒す戦闘員だが、国近の口調で笑顔のまま「微塵切り」などと言われると何か妙に怖い。

 

 ふと、国近の底知れなさが垣間見えた二人であった。

 

「でも、七海くんも凄いけど鋼くんも凄かったよね~。片腕片足であそこまでやれるとか、中々出来ないよ~」

「それが出来るから、あいつはNO4攻撃手なんだよ。他の厳ちィ連中と戦り合って得たその地位は、伊達じゃあねェんだ。東さんの狙撃と熊谷の射撃で負傷してなきゃあ、やられてたのは七海の方だっただろうぜ」

「ま、七海の持ち味は正面切っての斬った張ったじゃないしね。自分の持ち味を活かして勝ったんだから、そこは褒めるべきよ。むしろ、熊谷さんももっと褒めたげても良いと思うわ」

 

 あれがなきゃ、流石に七海もやばかっただろうしね、と小南は言う。

 

 確かに、熊谷が自身が落とされる事と引き換えに村上に与えたダメージは、七海の勝利に大きく貢献していた。

 

 あの一矢がなければ七海は機動力が死んでいない村上と戦り合う事になり、更に状況は厳しくなっていた筈だ。

 

 村上も死んだ片足をカバーする為にスラスターを多用したりしていたが、それでも普段より動きが鈍っていた事は否定出来ない。

 

 むしろ、鈍った機動力をしても尚、七海を追い詰めた村上の技量の高さが伺い知れる。

 

 更に言えば、熊谷が村上へ与えたダメージの大きさから、村上に対し明確な()()()()を意識させたというのも大きい。

 

 時間をかけ過ぎればトリオン切れで敗北する可能性があった以上、村上の頭には常に()()()()に対する焦りが過っていた筈だ。

 

 それが村上を攻めへと転じさせ、七海が付け入る隙を作ったという面はあるだろう。

 

 熊谷が報いた一矢は、決して無駄ではなかったワケだ。

 

「…………でも、あの東さんの狙撃には度肝を抜かれたわね。なんで、瓦礫越しにピンポイントで七海達を狙えたのよ?」

「多分、瓦礫の隙間からスコープでずっと見てたんじゃないかな~? 東さん、瓦礫であの通路が埋まってすぐに近くまで来てたし、隙間から戦いを覗き見てチャンスを狙ってたんだと思うよ~」

 

 確かに、国近の言う通り東は村上が天井崩しを行った直後に瓦礫の傍にやって来ていた。

 

 瓦礫にも隙間は多少なりともあった以上、そこからスコープで様子を伺う事は不可能ではない。

 

 だが、一つの隙間から見える程度の情報量では、正確な相手の位置を取得する事は難しい。

 

 目まぐるしく位置の変わる二人を同時に狙えるタイミングを計るには、一方向からでは情報が足りないのだ。

 

「ん~、確かに片っぽだけだと難しいかもね~。じゃあ、()()()()()なら?」

「え……? あ……っ!」

 

 国近の指摘に、小南も()()()に気付く。

 

 その様子を見てにこりと笑いながら、国近は告げる。

 

「やってる事は、前回と一緒だね。()()()()()()()()()()()。東さんはただ、それを実行に移しただけなんだよね」

 

 

 

 

「……ふぅ……」

 

 村上の緊急脱出を見届けた七海は、那須のトマホークによって吹き飛ばされた瓦礫の壁の向こう側を、先ほど狙撃が来た方角を見据える。

 

 あの狙撃は、サイドエフェクトが感知してから着弾までほんの僅かしか時間がなかった。

 

 攻撃を思い切り振り抜いた直後であった為に反応が遅れ被弾してしまったが、逆に言えばそれだけ近くから東は狙撃を敢行した事になる。

 

 恐らく、まだそう遠くには行っていない。

 

 今なら、まだ追いつける。

 

 両腕を失ってしまった七海だったが、まだ両足は生きている。

 

 その最大の持ち味である機動力は、死んでいない。

 

 弧月であればいざ知らず、七海が扱うのは()()()()()()()()()()()()()という特徴を持つスコーピオンだ。

 

 両足が残っているのならば、まだ充分戦える。

 

 戦力減は免れないが、それでも戦えないワケではない。

 

 東の隠密能力は、ずば抜けて高い。

 

 たとえサイドエフェクトで狙撃を察知出来るのだとしても、技量や立ち回りだけでそれを当てて来るのが東という狙撃手の怖さだ。

 

 事実、七海はROUND3の時を含め四度も東の狙撃による被弾を許してしまっている。

 

 七海に狙撃を当てられた狙撃手は、後にも先にも東だけだ。

 

 そんな相手を、侮れる筈などない。

 

 完全に見失わないうちに追跡し、仕留める。

 

 東を攻略するには、今という好機を置いて他にはなかった。

 

 故に、七海は足に力を籠め、東を追う為駆け出さんとする。

 

「……っ!」

 

 ────だがそこに、サイドエフェクト(攻撃感知)が警鐘を鳴らした。

 

 反射的にその場を飛び退けば、七海のいた場所に拡張されたブレードが横薙ぎに振り抜かれた。

 

 先程まで、幾度も目にした光景。

 

 しかし、今度は()()()が違う。

 

 無論、技量では村上の方が圧倒的に上である。

 

 だが。

 

 だが。

 

 ことこの状況に至っては、ある意味村上以上に厄介な相手である事は間違いない。

 

 一分一秒も無駄に出来ない、この状況。

 

 この場で足止めを喰らう事は、それだけ勝機が遠のくに等しいのだから。

 

「……っ! 奥寺か……っ!」

「東さんは、追わせません。足止めさせて貰います、七海先輩」

 

 ────そう言って『弧月』を構えるのは、『東隊』攻撃手奥寺常幸。

 

 比翼連理の片割れが、相方の想いを背負い七海の前に立ち塞がった瞬間だった。

 

 

 

 

「此処で奥寺隊員が七海隊員を急襲~……っ! さあ、面白い事になって来たぞ~……っ!」

「……奥寺か。そっか、あいつが東さんの観測手になっていたのね」

 

 七海の前に現れた奥寺を見て、小南は得心する。

 

 東があの狙撃を成功させられたのは、逆方向から瓦礫越しに得た観測情報を奥寺がオペレーターを通じて送っていたからだ。

 

 そして今、逃げる東を追わせまいとする為にその奥寺が剣を取って七海の前に立ち塞がった。

 

 つまり、奥寺の存在があるからこそ、東は狙撃を敢行したのだ。

 

 殿を任せるに足ると、彼を信じて。

 

「けど、あいつに七海の相手が務まるワケ? 奥寺は確かに小荒井と組んだ時はかなりまあまあだけど、一人だけだとまあまあ止まりよ?」

「確かに、普段ならあいつ一人には七海の相手は荷が重い。けど、今の七海は両腕がダルマ状態だぜ? あの状態なら、むしろ七海の方を心配すべきじゃねェか?」

「あ……」

 

 弓場の言葉に、小南が押し黙った。

 

 単純な戦力では、奥寺単独では七海相手はかなりキツイ。

 

 元より、奥寺の動きは連携を前提とした立ち回りだ。

 

 機動力でも攻撃力でも上を行かれている以上、単独で七海に挑んだ所で返り討ちに合う可能性の方が高いだろう。

 

 …………だが、今の七海はとても万全の状態とは呼べなかった。

 

 来間の銃撃で少なくないダメージを受けている上、両腕を失っている。

 

 足からでもスコーピオンを伸ばす事は出来るが、両腕が使えた時と比べれば動きの自由度に雲泥の差がある。

 

 スコーピオンの最大の利点は、何処から攻撃が来るか分からない点だ。

 

 身体の何処からでも生やせるという特性があり、ダルマ状態でも戦えない事はないが、リーチを伸ばすには当然両腕があった方が良いのは当たり前だ。

 

 事実、射程の長いマンティスを扱う影浦も、大抵スコーピオンの刃は腕から出している。

 

 単純に、それが一番扱い易い方法だからである。

 

 足からでもスコーピオンを出す事は出来るが、片足を攻撃に使うという事は、その場で動きを止めるに等しい行動だ。

 

 機動力が最大の武器である七海にとって、このハンデはあまりにも大きい。

 

 幾ら攻撃を察知出来ようと、それを避けきれなければ意味はないからだ。

 

 マンティスを使えば良いと思うかもしれないが、こちらもまたリスクが大きい。

 

 その性質上、マンティスの使用中は強制的に両攻撃(フルアタック)の状態になってしまう。

 

 つまり、その間はシールドもグラスホッパーも使えないのだ。

 

 マンティス開発者である影浦はそれをサイドエフェクトによる攻撃感知と体捌きで補っていたが、同じ回避主体でも七海の回避能力はその機動力に依る所が大きい。

 

 影浦は相手の攻撃をすり抜ける形で肉薄し、攻撃を行うが、七海の基本戦法はヒット&アウェイだ。

 

 常に居場所を移動し、高機動で相手を翻弄する事で、攻撃を回避する。

 

 それが、七海の回避能力の真骨頂だ。

 

 一撃離脱が基本の戦法である以上、一気に距離を稼げるグラスホッパーが使用不能になるのは明確な痛手だ。

 

 七海がマンティスを使うとしても、そう濫用出来る筈もない。

 

 影浦と七海とでは、バトルスタイルは似ているようで根本が異なっているからだ。

 

 影浦は、サイドエフェクトと卓越した体捌きを活かした単騎特攻で相手を仕留める為の戦いを得意とし。

 

 七海は自ら斬り込んで機動力で攪乱する事で、相手の隙を生み出し仲間に獲らせる戦いを得意とする。

 

 戦術目的の根本が違う以上、マンティスは七海にとっての最適解には成り得ない。

 

 あくまで、戦術の一つとして組み込むだけに留まるだろう。

 

 故に、この場での奥寺は七海にとっては難敵だ。

 

 ダメージらしいダメージを受けていない奥寺と、満身創痍に近い七海。

 

 流石にこの状況では、七海といえど厳しいと言わざるを得なかった。

 

「でも、七海には玲の射撃援護があるわ。瓦礫の壁もトマホークで吹き飛ばされたし、奥寺が玲の射撃を掻い潜って七海を仕留められるとは流石に思えないわね」

「確かにな。那須の射撃は、確かにこの状況じゃあこの上なく有利に働く」

 

 だがな、と弓場は告げる。

 

「そんなこたぁ、東さんだって百も承知の筈だ。俺ァあの人が、そのあたりを対策してねェとはとても思えねェな」

 

 

 

 

「小夜ちゃん、奥寺くんの位置情報をお願い。時間はかけてられない。『トマホーク』で吹き飛ばすわ」

『了解です。すぐ送ります』

 

 戦況を把握した那須は、すぐさま小夜子に指示を送る。

 

 此処で、東を逃がすワケにはいかない。

 

 折角、自ら顔を出してくれたのだ。

 

 此処で仕留めなければ、いつまた不意の狙撃を喰らうか分かったものではない。

 

 七海のダメージも、既に相当蓄積している。

 

 確かに村上は倒せたが、七海の両腕はその代償として失われた。

 

 心の奥が、ざわつく感じがする。

 

 以前のように我を失う程ではないが、大切な七海を傷付けられた事に、何も思わない筈もない。

 

 しかし、此処で暴走しては前回の二の舞だ。

 

 故に那須はあくまで冷静に、と自分で言い聞かせ、東を脳内で蜂の巣にする光景をイメージする事で無理やり留飲を下げた。

 

 今最優先すべきは、奥寺の排除。

 

 最短最速で奥寺を落とし、東を追撃する。

 

 その為の情報が那須に送信され、那須は合成弾の作成に取り掛かろうとした。

 

 

 

 

「人見。やるぞ」

 

 だが此処に、その目論見を許さぬ者がいる。

 

 その男は、東は、短くオペレーターにそう告げる。

 

『了解しました。ビーコン、起動します』

 

 ────そして、東の策が今此処にその姿を見せた。

 

 

 

 

『これは……っ!?』

 

 通信越しに、小夜子の驚愕の声が聞こえる。

 

 その驚愕の原因は、明らかだった。

 

 MAP全体に、所狭しと無数の東隊の反応が浮かび上がっている。

 

 その数は、MAPを全て埋め尽くさんが如しだ。

 

 幾ら今回のMAPが狭い方だとはいえ、この数はハッキリ言って度を越している。

 

 かなりの量のトリオンを注ぎ込んでいると見て、間違いなかった。

 

「これは、ダミービーコン……っ!?」

『そうです……っ! 間違いありません……っ! 東隊が、ダミービーコンを使って来ました……っ!』

 

 そのトリガーの名は、『ダミービーコン』。

 

 その名の通り、偽の位置情報を発信する囮のトリガーである。

 

 東はこれを、潜伏しながら各所にばら撒いていた。

 

 そして今、それを一斉に起動したワケだ。

 

 この局面で、最大限に活用する為に。

 

『那須先輩、ダミービーコンが各所に起動した所為で、今射撃してもビーコンに当たって標的まで届きません……っ! 今から再計算を行うのも、現実的じゃありません……っ!』

「く……っ! まさかこんな手で射撃を封じて来るなんて……っ!」

 

 那須は思わず、唇を噛んだ。

 

 ダミービーコンは、実体を持ったトリガーである。

 

 手で触れる事も、銃で撃ち落とす事も出来る。

 

 だがそれは同時に、()()()としての役割も果たせるという事を意味している。

 

 先程まで那須の射撃を支えていた観測情報があったとしても、此処まで大量のダミービーコンがある中では射撃を行っても途中でビーコンに当たってしまい標的までは届かない。

 

 むしろ、下手な射撃は那須の位置を相手に教えるようなものだ。

 

 迂闊な行動を見せれば、今度はこちらが追い立てられる側に回ってしまう事だろう。

 

 東の策が、蛇の如き包囲網を食い破る。

 

 戦況は、たった一手でひっくり返ってしまっていた。



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東隊⑥

「此処で東隊、ダミービーコンを起動……っ! これは、凄い数だね~」

「…………成程なァ、確かにこれなら那須の遠隔射撃を封じられる。相変わらず、東サンの戦い方は上手ェな」

 

 東の取った戦略に、弓場は感嘆の声をあげる。

 

 那須の遠隔射撃包囲網は、それまでチームメンバーが観測した情報を元に弾道経路を算出し、複雑な地下通路を迂回して放つものである。

 

 当然その情報はビーコンという()()()()()()()()()()の事は考慮されておらず、しかもビーコンは普通の障害物と違いゆっくりとだが()()

 

 この状態で射撃を敢行しても標的に到達するまでにビーコンに被弾してしまうのが目に見えており、不用意な射撃は那須の位置を晒す事にも繋がる。

 

 ビーコンが起動している限り、那須の遠隔射撃は実質封じられたと言っても過言ではない。

 

 東の一手が、完全に戦況を覆した。

 

 故に、あの場で奥寺を崩すには、七海自身がなんとかするしかない。

 

 しかし、今の七海は両腕を失っている。

 

 自力で奥寺を突破するのは、少々骨が折れそうだ。

 

「しっかしこのビーコンの数、大分トリオンを注ぎ込んでるわね。七海の戦いに横槍を入れるまでずっと動き回ってると思ったら、地下街中にビーコンばら撒いてたワケか」

「これでビーコンのトリオンが切れるまでの間は、東隊がかなり有利になるねー。本当なら、地上に逃げてビーコンがなくなるまで時間を稼ぎたい所だけど……」

「地上への入り口は、全部太一のエスクードが塞いでやがるからなァ。あいつの置き土産が、七海達の退路を断ったワケだ」

 

 そう、太一が落ちた今でも、エスクードは変わらず地上への出口を塞いでいる。

 

 エスクードは、出す時のトリオン消費こそ大きいが、一度展開してしまえば後はトリオンを継続して供給する必要はなく、使用者が消すか壊されるまではその場に残り続ける。

 

 使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という特性は、展開時にかかるトリオンを度外視すればこの上なく厄介だ。

 

 なにせ、一度エスクードを出してしまえばたとえ本人が脱落してもその場に残り続けるのである。

 

 そして、その耐久力は防御系のトリガーの中でも随一で、特に射撃トリガーに対しては圧倒的な耐久性能を発揮する。

 

 アイビスの狙撃でも破壊は出来ないし、メテオラでも破壊不能。

 

 防御不可能の攻撃力を持つ旋空やレイガストのスラスターを用いた斬撃であれば突破可能であるが、そのどちらも七海達【那須隊】のトリガーセットには存在していない。

 

 唯一奥寺だけが旋空をセットしているが、みすみす地上への脱出を許すような真似をする筈もない。

 

 そして、此処で東がダミービーコンを起動したという事は、ある一つの事実を示している。

 

 ダミービーコンは数分間でトリオンが切れ自動的に消滅する。

 

 つまり、長期戦で継続的に使用する事は出来ない。

 

 故に東隊は、ビーコンの起動中の数分間に勝負をかける気でいる筈だ。

 

 東は、ただ逃げたのではない。

 

 この陣形を用いて、那須隊を仕留める為に姿を晦ましたのだ。

 

 戦いは、最終局面に突入している。

 

 残っているのは、那須隊と東隊の面々のみ。

 

 東の知略が勝つか、那須隊がそれを上回れるか。

 

 各隊の選択が、試される。

 

「さあ、勝負を仕掛けてきた東隊に対し那須隊はどう切り返すのか。気合いの入れどころだね」

 

 

 

 

「────旋空弧月……ッ!」

 

 奥寺は旋空を起動し、七海へ拡張斬撃を飛ばす。

 

 無論、単発の旋空程度を喰らう七海ではない。

 

 グラスホッパーを踏み込み、跳躍。

 

 壁を、天井を駆け、奥寺の背後に回り込む。

 

「ハウンド……ッ!」

「……っ!」

 

 だが、奥寺はハウンドでこれを迎撃。

 

 回避行動を余儀なくされた七海は、シールドを張りながらグラスホッパーで再度跳躍。

 

 奥寺から距離を取り、床面に着地した。

 

「旋空弧月……ッ!」

 

 そこへすかさず、奥寺は旋空を起動。

 

 七海はそれを回避し、距離を詰める為壁面を駆け抜ける。

 

「ハウンド……ッ!」

 

 しかし、そうはさせじと奥寺がハウンドを放つ。

 

 七海は止む無く回避を選択し、再び距離を取った。

 

(完全に俺を押し留める事に専念してるな。自分で獲る気はなく、あくまで東さんに()()()()気か)

 

 七海が奥寺相手に膠着状態に陥っているのは、奥寺に自分を無理に仕留めよう、という気がまるでないからだ。

 

 あくまで足止めに徹し、チャンスを伺っている。

 

 東に、七海を狙撃させる機会(チャンス)を。

 

 もし、奥寺が自分で七海を仕留めようと攻め込んで来ていれば、付け入る隙は幾らでもあった。

 

 今の七海には、影浦のそれを参考に鍛錬を積み重ね、習得したマンティスがある。

 

 懐に入り込んでさえくれれば、幾らでも奥寺を落とす手段はあった。

 

 だが、先程から奥寺は旋空とハウンドのみを使い、中距離戦に徹している。

 

 無論、七海のマンティスを警戒しての事だ。

 

 奥寺は、先程の村上と七海の戦いの一部始終をその目で見ている。

 

 七海が見せた隠し玉、マンティスについては最大限に警戒している筈だ。

 

 同じB級上位チームとして、奥寺には勿論影浦との戦闘経験が幾度もある。

 

 故にこそ、マンティスの厄介さについてはその身を以て知っている。

 

 だからこそ、無理に攻めはしない。

 

 攻撃手が隙を作り、狙撃手が獲る。

 

 奇しくも今の那須隊と似通ったその基本戦術を、奥寺は徹底している。

 

 自分の役割に徹した戦闘員は、崩し難い。

 

 特攻という選択肢を選ばない以上、両腕のない七海が彼を崩すのは至難の業だ。

 

 両腕があれば、幾らでもやりようはあった。

 

 マンティスを用いて隙を突く事も、不可能ではなかっただろう。

 

 だが、今の七海が自由に動かせるのは両足のみ。

 

 リーチを稼ぐ必要がある以上、奥寺を仕留めようとすれば必然的に蹴りから放つマンティスを使う事になる。

 

 つまりそれは、その場で足を止める事と同義だ。

 

 そんな隙を、あの東が逃す筈がない。

 

 そういった甘えた手を取った瞬間、東の狙撃は七海の身体を射抜くだろう。

 

 故に、取れる手は自然と限定される。

 

 ビーコンのトリオンが切れるのを待ち、遠隔射撃が通るようになった那須の援護を受けて奥寺を仕留めるか。

 

 被弾を覚悟で突っ込み、奥寺を仕留めるか、だ。

 

 奥寺を仕留める、それ自体はある程度の被弾さえ覚悟すれば充分に可能だ。

 

 だが、場合によっては東は奥寺ごと七海を撃つ事くらいは普通にやって来るだろう。

 

 奥寺自身も、自分を囮にする事に躊躇いはない筈だ。

 

 だから、一見するとビーコンのトリオン切れまで待つのが無難な選択肢に思える。

 

 それが、普通であれば常套手段だからだ。

 

 だが。

 

 だが。

 

 あの東が、常套手段を取った()()で崩せる程度の策を打つだろうか?

 

 東の戦略の巧みさは、これまでに充分思い知っている。

 

 そんな東が、ただ時間を稼ぐだけで崩せるような策を打って満足するだろうか?

 

 有り得ない。

 

 東と二度に渡って戦った七海は、彼がそんな甘い男では無い事を知っている。

 

 同時に、そんな警戒をこそ利用しかねない相手でもある。

 

 ()()()()()()()()()()()()()という考え利用してこちらに特攻を強いるという策だったとしても、東であればやってのける。

 

 そのどちらも、充分に可能性があった。

 

 だからこそ、迷わざるを得ない。

 

 戦場で、迷いとは一番の敵だ。

 

 一分一秒の思考の遅れが、後の戦況を明確に作用する。

 

 戦場では、その場の情報と推測から的確な判断の即断即決が求められる。

 

 迷いは、敗北に繋がる陥穽だ。

 

 戦場で迷う事ほど、愚かな事はない。

 

 同時に、敵にその迷いを押し付ける事が出来れば、その動きを封じ込める事が出来る。

 

 そういった心理戦こそ、東の真骨頂。

 

 単純な技術、技巧だけの話ではない。

 

 心技体その全てを利用し、的確に相手を狩り立てる。

 

 それが、東春秋。

 

 始まりの狙撃手にして、ボーダー随一の戦略家。

 

 数々の戦場を踏破した、ボーダーの生き字引である。

 

(どうする……? 脱落を覚悟で特攻して、奥寺を仕留めておくか……? いや、東さんの攻略には俺が生き残る必要がある。捨て身の特攻は、出来ない)

 

 七海は、必死に頭を回転させる。

 

 何が最適か。

 

 何が一番有益で、何が一番リスクが高いか。

 

 それらの情報を必死に組み立て、最善の道を模索する。

 

 特攻────却下。リスクとリターンが釣り合わない。

 

 時間稼ぎ────推奨困難。東に時間を与えるリスクが不明瞭。

 

 撤退────下策。既に東が姿を晦まして相応の時間が経過している。闇雲に探しても、見つかる可能性は低い。

 

 東を攻略するにあたり、彼の()()を務める奥寺の排除は必要不可欠だ。

 

 だが、東の隠密能力はずば抜けて高い。

 

 最悪、奥寺を落とそうとした隙を突かれて七海が仕留められ、そのままタイムアップまで雲隠れされる可能性がある。

 

 東は、東隊は、無理に高得点を狙わない。

 

 堅実な策で獲れる点を獲り、そのまま逃げ切るのが彼らの常套手段だ。

 

 あの二宮ですら、隠密に徹した東を探し出す事は困難である。

 

 東の事をよく知る彼ですら、そうなのだ。

 

 戦ったのがROUND3を含めた二回だけである自分達が、雲隠れした東を発見出来るビジョンはどうしても浮かばなかった。

 

『玲一。ちょっと、聞いて欲しい事があるの』

「分かった」

 

 奥寺の攻撃を捌きながら思案を続ける七海の下に、那須からの通信が入る。

 

 七海の返事は短く、そして迷いはない。

 

 この状況で、那須が通信して来るとすれば。

 

 それは、現状の突破に関する献策に他ならない。

 

 故に、それを拒否する理由は何処にもない。

 

 以前の、那須に対する負い目からの追従ではない。

 

 チームメイトとして、隊長として、何より愛する少女として信頼している少女が、この苦しい局面で献策して来たのだ。

 

 今の那須は、以前の彼女ではない。

 

 己の感情に向き合わず、激情のままに暴走するだけだったあの頃とは違う。

 

 七海との対話を経て、那須は自分を見詰め直した。

 

 見詰め直して、ようやく彼女は前を向いた。

 

 四年前のあの時から凍り付いたままだった彼女の中の時計の針は、既に動き出している。

 

 七海もまた、那須の意見を肯定するだけのイエスマンではなくなっている。

 

 今の彼女となら、以前よりもより強く、頼り合える。

 

 協力して、どんな難局にも打ち勝てる。

 

 そう、七海は信じている。

 

 だからこそ、七海は彼女の()()を受け入れた。

 

 

 

 

「もう一度聞きますけど、大丈夫ですよね? 今の七海先輩を見ても、暴走したりはしませんか?」

『心配性ね、小夜ちゃん。もう、あの時の私とは違うわ』

 

 小夜子は作戦室で、那須と通信を繋いでいた。

 

 那須の言葉は何処か苦笑交じりで、ROUND3の時のような制御不能の激情の発露は見られない。

 

 以前の、危うい感じは既に成りを潜めていた。

 

『…………まあ、あんな醜態を見せておいて何を言うかと思われるかもしれないけど、大丈夫よ。自分のやるべき事は、分かってるわ』

「玲……」

「それなら構いません。バックアップは任せて下さい」

 

 隣で心配そうな表情を浮かべる熊谷とは対照的に、小夜子はあくまでさばさばした口調で那須にそう告げた。

 

 小夜子の眼から見ても、今の那須に不安要素は感じられない。

 

 那須の献策は、小夜子と彼女が相談の末決めた事だ。

 

 作戦が通用するかどうかはともかくとして、作戦の前段階で躓くといった最悪の事態を迎える事はないだろう。

 

 小夜子は同じ男を好いた女としての感覚で、那須が虚勢を張っているワケではない事を理解出来ていた。

 

 こればかりは、直接ぶつかり合った女同士でしか分からない感覚だ。

 

 熊谷には悪いが、小夜子には今の那須の一番の理解者は自分だという自負がある。

 

 伊達に、本音を曝け出して喧嘩したワケではないのだ。

 

 雨降って地固まるという言葉があるが、今の自分達の関係はまさにそれだと思っている。

 

 今の那須なら、信じて任せても大丈夫。

 

 そんな信頼が、小夜子にはあった。

 

 恋敵として、那須に向ける感情は正直複雑だ。

 

 だが、それは彼女を嫌う理由にも、協力しない理由にもならない。

 

 小夜子にとっての最優先事項は、あくまで七海(好いた男)の幸せである。

 

 その為の努力を惜しむ必要が、何故あるだろうか。

 

 傍から見れば、やり過ぎとも思えるだろう。

 

 人によっては、理解出来ないかもしれない。

 

 恋敵の為に、力を尽くす女など。

 

 だが、それは小夜子が自分で選んだ道なのだ。

 

 何も知らない他人にどう思われようが、知った事か。

 

 自分は単に、七海の事を愛しているし、那須の事も大好きなだけだ。

 

 昔、女は友情より愛情を取る、という言葉を聞いた事がある。

 

 確かに、恋愛の()というのは厄介だ。

 

 時として理性すら焼き切るそれに従って、大事なものすら捨ててしまう気持ちは理解出来る。

 

 しかし、理解出来るからと言って、自分のケースにそれを当て嵌めて欲しくなどない。

 

 自分にとって、七海への愛情と那須への友情は両立可能なものだ。

 

 負け犬の思考、と言う人もあるだろう。

 

 だが、女が一度決めた事を覆す方が、よっぽど無様だと小夜子は思う。

 

 それに何も、七海を完全に諦め切ったワケではない。

 

 那須との仲は応援するが、それはそれとしてチャンスがあれば掻っ攫いに行くのは当然だ。

 

 どの道、自分は七海以外の男性に心を許す事など不可能だ。

 

 彼女の心に刻まれた(トラウマ)は、それだけ深い。

 

 ならば、いざという時の駆け込み寺になる事は、別に悪い事ではないだろう。

 

 那須への友情は不変だが、それとこれとは話が別だ。

 

 もしもそんな時が来るとすれば、色々な意味で七海を受け止める事も吝かではない。

 

 そんな益体もない事を考えながら、小夜子はにこりと微笑んだ。

 

 それは傍で見ていた熊谷が息を呑む程、好戦的な笑みだった。

 

(さあ、始めましょうか。相手は百戦錬磨の戦術家、容易く落とせるとは思いません────ですが、決して不可能ではない筈です。私達の(どく)を、必ず届かせて見せましょう)

 

 小夜子は唇を釣り上げ、笑う。

 

 魔女達の火は、既に窯へとくべられた。

 

 燃え盛る炎をその胸に宿し、少女達は動き出す。

 

 決着の時は、近い。



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東隊⑦

「…………」

 

 東は潜伏を続行しながら、油断なくスコープの先を見据えている。

 

 策は打った。

 

 仕込みも済ませた。

 

 後は、相手がどう反応するか。

 

 それだけだ。

 

 相手の行動を予測し、罠を張り、的確な対処を行う。

 

 そして、相手がイレギュラーな対応を取って来た時の為に、ある程度の()()を策の中に持たせておく。

 

 東がやっているのは基本、これだけだ。

 

 万全の策など無い、と東は考えている。

 

 如何に準備を怠らず、如何に完璧な策に見えても、戦場に置いてその策が目論見通りに行く事はむしろ稀だ。

 

 仮想空間で行うランク戦は設定された環境が自動的に変わる事はない為イレギュラーは起き難いが、実際の戦場では気象条件の変化、予想外の乱入者、施設の老朽化による倒壊、等様々な要因が重なって場を搔き乱して来る。

 

 故に、自分の策を信頼し過ぎる事はむしろ危険だ。

 

 大事なのは、万全の準備を行った上で、予想外の状況が起きた場合にどう対処するか。

 

 如何に相手の意識の陥穽を突けるか。

 

 そして、その思惑を超えられた時にどう対応するか。

 

 それが、戦場では肝要である。

 

(さて、どう出る……?)

 

 東は、相手を侮らない。

 

 『ボーダー』随一の戦術家、などと称賛されていても、自分の後に続く者達は常に進化を続けている。

 

 侮る、という思考そのものが間違いだ。

 

 それこそ、今相手をしている『那須隊』は、以前の敗戦を糧により強く、強かになった。

 

 決して、侮って良いような相手ではない。

 

 だが、易々と負けてやるつもりもない。

 

 今後大きな戦いが待っているのだとすれば、自分に出来る事は少しでも大きな()となり、相手の成長を促す事。

 

 故に、容赦はしない。

 

 手を抜く事も、有り得ない。

 

 万端の準備を整え、東は挑戦者を待ち続けていた。

 

 

 

 

(攻めきれない……っ! やっぱり強いな、この人は……っ!)

 

 奥寺はハウンドと旋空を交互に使い分けながら、七海との戦闘を続けていた。

 

 相手は両腕を失い、少なくない量のトリオンを失っている。

 

 幾ら七海がトリオン量が多いとはいえ、あまり時間をかけ過ぎればトリオン漏れによる緊急脱出すら可能性として出て来る筈だ。

 

 なのに、七海の動きには一切焦りが見られなかった。

 

 こちらが時間稼ぎに徹している事を察しながらも、無理に攻めようという姿勢が見られない。

 

 時間を稼いでいるつもりが、稼がされているような錯覚に襲われる。

 

 七海という戦闘者の巧みさを、改めて見せつけられる思いだった。

 

(落ち着け。状況は想定通りなんだ。此処で焦って攻め込めば、それこそ相手の思う壺だ。俺はただ、自分の役割を遂行すれば良い)

 

 そう、何も焦る必要はない。

 

 この状況で、七海が、『那須隊』が取れる選択は限られている。

 

 安全策を取るのであれば、ビーコンのトリオン切れまで待って、那須の射撃で奥寺を仕留めるという選択肢がある。

 

 だが、この選択肢はないだろうと奥寺は考えている。

 

 『那須隊』は、ROUND3で東の()()をその身を以て味遭った。

 

 このROUNDでも、()()()()()()()筈の七海が、東相手には二度の被弾を許している。

 

 その東に、みすみす時間を与えるような真似を彼らがするだろうか?

 

 可能性が無いワケではないが、確率としては低いと奥寺は見ている。

 

 むしろ、その為に東はわざわざ二度も瓦礫越し狙撃などという高等技術をやってのけたのだ。

 

 東は、その存在そのものが相手への一種の()になる。

 

 彼と戦えば戦う程、その底知れなさに二の足を踏み、()()()()()()()()()()()()()()()()という考えが脳裏を過ぎり、思い切った行動を取れなくなる。

 

 そのネームバリュー。音に聞こえる実力も、東にとっては武器の一つだ。

 

 ()()()()()()()というだけで、相手は慎重に、悪く言えば臆病にならざるを得なくなる。

 

 そうやって二の足を踏む相手を横から討ち取るのが、自分達の戦い方だ。

 

 相手の行動を完璧にコントロールする事は出来ないが、相手が()()と思う行動の方向性を誘導してやる事は出来る。

 

 誘導された()()は、致命の罠への出入り口。

 

 その入り口に足を踏み入れた瞬間、東の罠が発動する。

 

 そして、この場合の『那須隊』にとっての、彼等にとっての()()に見える行動は何か。

 

(……っ! 来た……っ!)

 

 ────その()()は、通路の向こうからやって来た。

 

 こちらに向かって来るのは、無数の曲がりくねる光弾────『変化弾(バイパー)』。

 

 ビーコンが未だ起動している以上、その光弾が此処に来ているという事は。

 

 那須が、合流して来た。

 

 それ以外に、考えられなかった。

 

 

 

 

「那須さんを合流させて、速攻で奥寺くんを仕留めて東さんを炙り出す。確かに、一見すると最善の行動に見えるわね」

 

 観戦席で、試合映像を見ていた加古は一人呟く。

 

 東と七海、どちらとも縁故のある彼女は一方に肩入れしたりはしない。

 

 あくまで公平な視点で、客観的な意見を告げる。

 

「────でもそれは、東さんに誘導された()()よ。定石通りの行動でどうにか出来る程、東さんは甘くないわ」

 

 

 

 

「ハウンド……ッ!」

 

 バイパーで狙われた奥寺は、シールドを張りつつハウンドで応戦する。

 

 弾幕同士で打ち消し合う、などという芸当は出来ないが、撃たれっぱなしになるよりはマシだ。

 

 そう判断した奥寺は、後ろに引きつつ牽制のハウンドを放つ。

 

「────」

 

 だが、こと射手トリガーの扱いで本職の射手に敵う筈もない。

 

 奥寺がハウンドを習得したのは、つい最近だ。

 

 習得したばかりにしては使いこなしている方だと言えるが、それでも射撃トリガーのエキスパートたる那須の熟練度には遠く及ばない。

 

 壁伝いに跳躍して来た那須は無数のトリオンキューブを従えながら、奥寺に接近。

 

 奥寺の射程ギリギリを見極め、射程重視にチューニングしたバイパーを放つ。

 

「く……っ!」

 

 360℃、その全てをバイパーの弾幕で囲まれた奥寺は止むを得ず両防御(フルガード)でシールドを展開。

 

 那須の包囲射撃、『鳥籠』を防御する。

 

「────」

 

 だが、それは足を止める事と同義。

 

 そんな隙を、七海が見逃す筈もない。

 

 七海は音もなく奥寺に接近し、左足で蹴りを放つ。

 

 無論、その足先からはブレードが、スコーピオンが伸びている。

 

 全方位から襲い来るバイパーを防御する為、奥寺のシールドは今薄く広く広げられている。

 

 勢いのついたスコーピオンの一撃であれば、容易く割られてしまうだろう。

 

 逃げようにも、今も尚那須はバイパーを射出し続けている。

 

 完全にこの場で奥寺を固め、七海の一撃で刈り取る構えだ。

 

 奥寺には、最早回避も防御も許されていない。

 

 変幻自在の弾幕を張れる那須と、機動力に特化したスピードアタッカーの七海。

 

 二人に組んで攻め込まれれば、こうなるのは当たり前だ。

 

 奥寺一人では、この二人の相手は務まらない。

 

 

 

 

『東さん……っ!』

 

 ────本当に、奥寺一人であったのならば。

 

 通信越しに響いた部下の声に、東は短く「了解」と告げる。

 

 そして、その一撃は放たれた。

 

 

 

 

「……っ!」

 

 奥寺を仕留めんとする七海の眼前に、通路の先から弾丸が飛来する。

 

 だが、先程と違いその弾丸の軌道は()()()いる。

 

 今からでも、回避は可能。

 

 だが。

 

 だが。

 

 此処で七海が弾丸を避ければ、この弾丸は後ろにいる那須へと直撃する。

 

 丁度、弾丸の位置は七海の身体で隠れて那須には見えていない。

 

 恐らく、そういう軌道を狙って撃って来たのだろう。

 

 この弾丸の意味は、明らかだ。

 

 ────那須に当てたくなければ、自ら弾丸を受けろ。

 

 この弾丸は、そう如実に訴えていた。

 

 現在、那須は奥寺の固める為に両攻撃(フルアタック)の状態だ。

 

 シールドを張る事も、間に合いそうにない。

 

 なにより、()()()()()()()という状況を、七海が容認する筈がない。

 

 故に、致命。

 

 この弾丸は、確実に七海の身体を貫く。

 

「玲」

「了解」

 

 ────七海と那須が、以前のままであったのならば。

 

 七海は迷う事なく、飛来した弾丸を()()()

 

 そして、七海の動きに呼応するように那須の身体が反転し、紙一重でその弾丸を回避する。

 

 致命の筈の弾丸は、二人の身には届かなかった。

 

 

 

 

「以前までの七海先輩であれば、那須先輩が()()()()()()()()()()()()()()庇っていたでしょうね」

 

 小夜子は、作戦室で一人呟く。

 

 隣に座る熊谷も、感慨深げに試合の映像を見守っている。

 

「どんな状況でも、那須さんを庇ってしまう────それが七海先輩の最大の弱みだったのは、間違いありません」

 

 でも、と小夜子は呟く。

 

「あの二人は、もう以前までと違ってきちんとお互いが見えています。だから不必要なまでに過度な庇護や、相手に追従するだけの関係は終わりました。今の二人は、きちんとお互いを信じて共に戦っています」

 

 小夜子はそこまで言うと笑みを浮かべ、告げる。

 

「────以前と同じ手は、通用しません。此処から、()()をかけさせて貰いますよ」

 

 

 

 

「見つけた」

 

 弾丸を回避した那須は、その身に無数のトリオンキューブを纏いながら疾駆する。

 

 狙うは、通路の先の瓦礫の裏に垣間見えるバッグワームを着た人影。

 

 狙撃トリガーは、速射を可能とするライトニングを除き一度撃てば再装填(リロード)まで時間がかかる。

 

 故に、居場所が割れ接近された狙撃手に抵抗する手段はない。

 

 今こそが、千載一遇の好機。

 

 東を仕留めるには、今しかない。

 

 那須は有りっ丈の弾丸を、その人影に向けて叩き込んだ。

 

 

 

 

「確かに。弱点はなくなったようね」

 

 試合を見ていた加古は、薄く笑みを浮かべる。

 

 それは称賛のようでもあり────何処か、憐憫のようでもあった。

 

「でも、弱みをなくした()()じゃ────東さんは、落とせないわよ?」

 

 

 

 

「な……っ!?」

 

 ────そこで、気付いた。

 

 那須が弾丸を叩き込んだ、バッグワームを着た人影。

 

 それは東春秋────────ではない。

 

 弾丸に貫かれたバッグワームの下から出てきたのは、無数の黒い球体。

 

 ダミービーコンと呼ばれる、オプショントリガーだ。

 

 ある程度自由に動かせるそれを用いてバッグワームを()()()、それを()として用いたのだ。

 

「しま……ッ!」

 

 だが遅い。

 

 気付いた時には、既に手遅れ。

 

 那須の前方より飛来した弾丸が、的確に彼女の胴を吹き飛ばした。

 

「く……っ!」

『警告。トリオン漏出甚大』

 

 『アイビス』の狙撃をまともに喰らった那須は、既に致命傷。

 

 視線の先には、バッグワームを脱ぎ捨てアイビスを構えた東の姿。

 

 弾丸で胴の真ん中を吹き飛ばされ、脱落が決まった那須は────笑みを、浮かべた。

 

「────喰らいなさい」

 

 そして、少女の足掻きは形となる。

 

 残ったトリオンを搔き集めて射出された、最後の光弾。

 

 それが、今度こそその姿を晒した東へと殺到する。

 

 このタイミングなら、回避は出来ない。

 

 待ち望んだタイミングでの、最後の一射(ラストシューティング)

 

 最初から、犠牲なしで東を仕留められるとは思っていない。

 

 相打ちになってでも、東を討ち取る。

 

 それさえ出来れば、こちらの勝ちだ。

 

「させない……っ!」

「……っ!」

 

 だが、それに待ったをかける者がいた。

 

 その者は、奥寺は、グラスホッパーを用いて東の眼前に移動。

 

 シールドを用いて、文字通り東の盾となる。

 

 バイパーは、威力自体は低い弾丸だ。

 

 通常のシールドでも、一点に集中されない限りは防ぎ切れる。

 

「甘いわ」

「が……っ!?」

 

 ────その弾丸が本当に、バイパーであったのならば。

 

 放たれた弾丸の名は、『通常弾(アステロイド)』。

 

 特殊な効果を持たない代わりに、()()()()()()()弾丸である。

 

 『威力特化の弾丸(アステロイド)』は容易く奥寺のシールドを突き破り、直撃。

 

 全身に風穴を空けられ、奥寺は致命。

 

『戦闘体活動限界────』

『────緊急脱出』

 

 奇しくも、同時。

 

 奥寺と那須は戦闘体を崩壊させ、光の柱となって戦場から消え去った。

 

「────」

 

 そしてまだ、『那須隊』の刃は折れていない。

 

 七海が、間隙入れず前衛のいなくなった東へと斬り込んだ。

 

 隊長が、大切な者が落ちた直後でも、その刃に陰りはない。

 

 確実にその身に刃を届かせる為、最短最速で東の下へ肉薄する。

 

 機動力では、明らかに七海の方が上。

 

 更に、此処は地下街。

 

 逃げられるような場所もなければ、既に東を守る前衛はいない。

 

 七海はその足にスコーピオンを展開し、東に向かってその刃を振り下ろす。

 

 回避・防御、いずれも不可能。

 

 致命の、一撃。

 

「────」

「……っ!?」

 

 ────その、筈であった。

 

 閃光が、二発。

 

 ライトニングによる狙撃が、七海の両足に被弾した。

 

 撃ったのは、勿論東。

 

 東はあろう事か予めその場に用意していたライトニングを拾い上げ、早撃ちの要領で狙撃を敢行。

 

 至近距離まで迫っていた七海の両足を、射抜いたのだ。

 

 まさしく、早業。

 

 ()()()()()()などという馬鹿げた真似を実現した、東の卓越した技巧あっての立ち回り。

 

 完全に、してやられた。

 

 その事実に、七海は思わず歯噛みする。

 

 弱みは、消した。

 

 対策も、立てた。

 

 しかしそれすら嘲笑うかのように、東は技術でその上を行く。

 

 これが、東春秋。

 

 『始まりの狙撃手』と呼ばれた、百戦錬磨の戦術家なのだ。

 

「…………」

 

 両足を失い、七海の身体は空中に投げ出される。

 

 機動力(あし)すら失いダルマとなった以上、最早七海に抵抗の余地はない。

 

 このまま、トドメの一発で撃ち抜かれて終わりだろう。

 

 東がアイビスを構え、照準を合わせる。

 

 『大型狙撃銃(アイビス)』の武骨な銃口が、七海の身体に向けられた。

 

 東の指が、引き金にかかる。

 

 その、刹那。

 

「────ッ!!」

「……っ!」

 

 ────七海の足の断面から伸びたマンティスが、東のその身に牙を剥いた。

 

 だが、致命ではない。

 

 頭狙いの一撃は東が咄嗟に身体を捻った事で躱され、東の肩に突き刺さった。

 

 対して、東の引き金は既に引かれていた。

 

 アイビスの高威力の一撃が、七海の胴体に炸裂。

 

 マンティスを使う為にシールドを張る事すら放棄していた七海に、その一撃を防ぐことは能わず。

 

 明確な致命傷が、七海の身体に穿たれた。

 

 最後の一矢すら、報いる事は出来ず。

 

 七海は、落ちる。

 

 それは、無為にか。

 

 ────否。

 

 彼の想いを、繋げる者がいた。

 

「……っ!?」

 

 『アイビス』によって穿たれた、七海の身体の風穴の向こう。

 

 密着するような至近距離に、()()はいた。

 

「────」

 

 少女の名は、日浦茜。

 

 今此処に至るまで、一度も姿を見せずに潜伏を続けた『那須隊』の狙撃手。

 

 その胴には、被弾した七海と密着状態でいた代償として致命の大穴が空いている。

 

 だが。

 

 だが。

 

 その指は確かに、『己の愛銃(ライトニング)』の引き金にかかっていた。

 

 今、この瞬間。

 

 東は七海を迎撃したライトニングを早撃ちを実行する為にサブトリガーとして起動し、メイントリガーとしてアイビスを撃ち放った。

 

 ライトニングもまた、万が一の奇襲に備えてオフにはしていない。

 

 つまり。

 

 今この瞬間(とき)だけは、東の両腕は塞がっている。

 

 アイビスの引き金を引いた、この時だけは。

 

 だからこそ、茜は被弾する事を承知で七海と密着するような場所にテレポーターで転移した。

 

 七海の身体が影になる、東の唯一の死角へと。

 

 恐らく、他の場所に転移していればライトニングの早撃ちで仕留められていただろう。

 

 ただ隠れて狙撃するだけでは、通用しなかったに違いあるまい。

 

 故に、茜が選んだのは捨て身の一射。

 

 致命の被弾を覚悟して、東の最初にして最後の、唯一の隙を突く。

 

 それが、茜の────『那須隊』の、答え。

 

「…………」

「────ッ!」

 

 ────そして、閃光の一撃(ライトニング)が放たれる。

 

 茜の手によって放たれた最後の一射(ラストスナイプ)は、東の額を穿ち貫く。

 

 その一撃を、東は笑みを以て受け入れた。

 

 その顔に浮かぶのは、自分の想定を捨て身で超えて見せた者達への称賛。

 

『『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 全くの同時、茜と東の戦闘体が崩壊する。

 

 罅割れ消えていく、二人の狙撃手。

 

 双方の顔には、晴れやかな笑みが浮かんでいた。

 

 こうして、決着は成る。

 

 『那須隊』は文字通りその()()を用いて、東の打倒に成功した。



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総評、第五戦

「此処で決着~……っ! 『那須隊』、決死の連携攻撃を以てあの東隊長を討ち取ったぁ……っ!!」

「よし……っ!」

「────やるじゃねェか、あいつ等ァ」

 

 その結末を垣間見て国近の声は昂揚し、小南は素直に喜色を表現し、弓場は目を見開いて笑みを浮かべている。

 

 会場に集う全ての面々が、息を呑んでいた。

 

 生存者なしによる決着、という結末の特異性も勿論ある。

 

 だが、それ以上に────あの東が落とされたという事に、誰もが瞠目していた。

 

 東は今期の試合では、これまで一度も落ちた事がなかった。

 

 あの二宮や影浦相手でも、それを成し遂げていたのが東という男である。

 

 しかし今回、その前提は覆された。

 

 生存者が誰一人いない為、どのチームにも生存点は入らない。

 

 だが、同じ生存点なしでもこれまで東が戦った試合とはその内実が大きく異なる。

 

 東が落とされた、という事はそれ程大きな出来事なのだから。

 

「さてさて、今回は全員脱落で生存点はなし。各隊の獲得ポイントはこの通りだよ~」

 

 『那須隊』6Pt

 『東隊』3Pt

 『鈴鳴第一』1Pt

 

 国近の機器操作で、画面に各隊の加算ポイントが表示される。

 

 『鈴鳴第一』の1Ptは村上が熊谷を落とした分、『東隊』の3Ptは東が『那須隊』を壊滅させた分、『那須隊』の6Ptは他のチームの隊員全員を落とした分のポイントである。

 

 生存点こそ取れなかったが、東を落とせた事も含め大金星と言って良い。

 

 この試合の勝者は、間違いなく『那須隊』と言えるだろう。

 

「しかし、ホントよくやったわ七海達。まさか、あの東さんを落としちゃうなんてね」

「あぁ、値千金の活躍と言って間違いねェだろうなァ。ったく、こんな大金星あげちまうたァ俺等もうかうかしてられねェなァ」

 

 弓場はそう呟き、好戦的な笑みを浮かべる。

 

 目の前でこんな熱い勝負を繰り広げられて、燃えないような漢ではない。

 

 その眼鏡の奥の瞳にはメラメラと、凄絶な闘気が燃え盛っている。

 

 完全に、火が点いてしまった格好だ。

 

 熱い闘魂(ソウル)が抑えきれないと、その表情は如実に表していた。

 

「ほらほら、まだ総評が残ってるからね~。熱くなっちゃったのは分かるけど、お仕事はちゃんとね~」

「…………おゥ、悪ィな。ちィと熱くなっちまった」

 

 そんな弓場の闘気(オーラ)にも臆さず、国近がちゃっかりと釘を刺す。

 

 横から水を差された弓場は少々ばつの悪い表情をしながら、背もたれに身体を預けた。

 

 元々、生真面目が絵になったような漢である。

 

 自分の仕事を疎かにする事など、彼の性根(タチ)ではない。

 

 やるべき事は全力で、それが弓場のスタンスなのだから。

 

「じゃ、総評に移るねー。最初は、MAPを選択した鈴鳴からが良いかな?」

「そうだな、それが一番分かり易いだろーぜ」

 

 弓場はコホン、と咳払いをすると総評に入った。

 

「『鈴鳴第一』は来馬サンの両攻撃(フルアタック)っつぅ新戦術を効果的に活用する為、『市街地E』のMAPを選択した。全員を地下に向かわせて、閉所での戦いを強要する。その戦術自体は、上手く行ってたと言って良い」

「そうね。狭いトコでの戦いだった所為で七海と玲の機動力が上手く活かし切れなかったし、そういう意味ではこのMAPを選んだのは間違いじゃなかったと思うわ」

 

 二人の言う通り、鈴鳴が今回『市街地E』という特殊なMAPを選んだのは、東や茜の狙撃をやり難くする事も重要だが、なにより七海と那須の機動力封じという面が大きかった。

 

 事実、二人はいつもの一撃離脱戦法が使用し難かった事でかなりその動きを制限されていた。

 

 屋外であれば牽制に一撃撃ち込んで、状況を見て即離脱という戦法が使用出来る

 

 しかし、狭い地下街ではそのような動きは難しく、結果として『那須隊』の動きは著しく制限されていたと言って良い。

 

 閉所であるからこそ来馬の両攻撃(フルアタック)戦法も活きたのであるし、そういう意味では『鈴鳴第一』のMAP選択は間違ってはいなかった。

 

「…………だが、『鈴鳴』は結局1点止まりだったってェのはきちんと受け止めるべきだろうぜ。東サンの横槍にも対応して見せたのは大したモンだが、咄嗟の機転は『那須隊』の方が上だったってェ事だ。村上の技量にゃあ、目を見張ったがな」

「というか片腕片足なくした状態であれだけ動ける時点で、大したものよね。すっごいまあまあだったって褒めたげるわ」

 

 えへん、と何処か偉そうな表情で村上を称賛する小南。

 

 言葉選びが大分あれだが、これでも小南としては最上級に近い賛辞を贈ったつもりなのだ。

 

 …………まあ、()()()()()()()()()()()()()などと聞かれた場合、即答で「自分」と答えるであろう事は想像に難くない。

 

 小南の負けず嫌いな性格は誰しもが知るところなので、今更突っ込む者は誰もいない。

 

 観戦席では烏丸が人知れず溜め息を吐いていたが、見なかった事にした方が良いだろう。

 

「村上は勿論だが、来馬サンの両攻撃(フルアタック)は中々のモンだったし、太一の『エスクード』での封鎖も悪くはなかった。全体的に、よくやってたっつっても良いだろーな」

 

 だが、と、弓場は続ける。

 

「ちィと、那須さんに対する見込みが甘かったのは否定できねェーな。近付いてきた時点で仕留めれば良いとでも考えてたんだろーが、その思惑の上を行かれたワケだからなァ」

「まさか、地下街全体をリアルタイムでマッピングして遠距離からの射撃を敢行する、とは思ってなかったみたいだしねー。まだちょっと、想定外の状況への対処が足りないかなーって」

「ま、それでも上達はしてるしこれから次第じゃない? 鋼さんを上手く活かせればもっと伸び代はありそうだし、今後にも期待出来ると思うわよ」

 

 

 

 

「小南さんの言う通りだ。僕達は、もっと上に行けるよ」

 

 『鈴鳴第一』の作戦室で、来馬は告げる。

 

 その顔には、不安や懸念は浮かんでいない。

 

 ただ、前だけを見る。

 

 その意思が、しっかりと込められていた。

 

「そうっすよ……っ! 今回俺、一度も撃たずに負けちゃったけど、狙撃が難しいMAPでもやれる事はあるって知る良い機会になりましたし……っ!」

「はい、今回はしてやられましたが次は負けません。必ず、勝ちに繋げてみせます」

 

 

 そんな来馬の意思を太一と村上は肯定し、力強く頷く。

 

 今回で二度、『那須隊』には敗北している。

 

 だが、その敗北は着実に彼等の糧となっている。

 

 村上のサイドエフェクト、それだけの話ではない。

 

 隊の全員が、勝利に向かって歩みを一切止めようとしていない。

 

 故に、このチームは強くなる。

 

 七海達が、『那須隊』でそうであったように。

 

 一戦一戦、着実に力を付けて上へと駆け上がっていく筈だ。

 

「ああ、今期で『那須隊』ともう一度戦う機会があるかどうかまでは分からないけど、どのチームが相手でも僕達は負けない。その意気で行こう」

「「はいっ!」」

 

 来馬の声に、二人はもう一度力強く頷いた。

 

 『鈴鳴第一』は、二度目の敗戦を経て更なる躍進を遂げようとしている。

 

 それが、彼等の強さ。

 

 来馬を隊長として慕う者達の、絆の力である。

 

 

 

 

「次は『東隊』かな~。今回は珍しく、奥寺くんと小荒井くんが合流出来てなかったよね~?」

「そうだな。今回、それがかなり大きかったって言って良いと思うぜ。まあ、合流が難しいMAPだったって事もあるだろうがな」

 

 確かに弓場の言う通り、今回のMAPは主に狭く複雑な通路が行き交う地下街で戦う事になる為、転送場所が離れてしまえば容易には合流出来ない。

 

 事実、正反対の場所に転送された小荒井と奥寺は合流出来なかった。

 

 地上で合流するという手もあるにはあるが、今回は全ての部隊に狙撃手が在籍している。

 

 射線が通りまくる地上で合流を目指すのは、リスクが大きい。

 

 堅実を旨とする『東隊』の二人としては、まず取れない方法であっただろう。

 

「合流出来れば幾らでもやりようがあったと思うけど、それは他の隊も分かってたでしょうからね。だからこそ、鋼さんと七海で小荒井を挟み撃ちにしたワケだし」

「そうだな。小荒井と奥寺は確かに二人で組めば上位の連中をも食いかねねェが、逆に言やァ1対1(サシ)でやりゃあそこまで脅威にゃならねェ。小荒井の命運は、七海と鋼に挟まれた時点で尽きてた」

 

 だが、と弓場は不敵な笑みを浮かべる。

 

「────小荒井は、ただじゃあやられなかった。2対1、しかもエース二人相手だっつうのに新しく用意して来た『射撃トリガー(ハウンド)』を使って、東サンが狙撃する隙を作りやがった。結局は落とされたが、良い(タマ)の使い方だったと思うぜ」

「…………まあ、『ハウンド』の着弾と狙撃のタイミングを合わせるとか、相変わらずおかしな真似をしてたんだけどねその東さんは。ホント、あの人色々おかしいわよ」

 

 弓場の称賛の言葉に、小南はそう言って溜息を吐いた。

 

 まさか、『ハウンド』と全く同時に『アイビス』を着弾させる事で七海のサイドエフェクトを潜り抜ける、なんて手法を取って来るとは小南としてみても思ってもみなかったからだ。

 

 発想もそうだが、それが平然と出来る事自体がまずおかしい。

 

 射撃トリガーと同時に攻撃するだけならまだしも、同じ地点に全く同一のタイミングで弾丸を撃ち込むなど、まさに狂気の沙汰だ。

 

 そんな変態的な技術を扱えるのは、『ボーダー』の中でも一握りだろう。

 

 …………逆に言えば、一握りはそういう連中がいるあたり、『ボーダー』の組織の狙撃手連中の変態度が分かるのだが。

 

 凄い、というより変態的、という言葉が出て来る時点で察して知るべしである。

 

「その後も、ヤバかったわよね。二度目の瓦礫越しの狙撃で、七海の腕と鋼さんの足を奪ったし。回避に長けた七海と防御に長けた村上をピンポイントで部位狙撃出来るあたり、なんなのあの人」

「二人が避けられねェタイミングを、ずっと待ってたんだろうなァ。普通に撃ったんじゃ七海にゃ避けられるし、村上にゃあ『レイガスト』で防がれる。だからこそ、七海の攻撃と鋼が『レイガスト』を手放したタイミングを狙って撃ったんだろうぜ」

 

 そう、七海にはサイドエフェクトによる高度な回避能力が、村上には『レイガスト』による堅牢な防御がある。

 

 普通に狙撃したとしても、当てられる可能性は低い。

 

 だからこそ東は七海の攻撃の硬直、そして村上が『レイガスト(守備)』から『孤月(攻撃)』に切り替えたタイミングを狙ったのだ。

 

 七海がブレードを完全に振り抜き、村上がそれを迎撃したまさにその瞬間。

 

 東の一射は、的確に二人の身体を貫いたのだ。

 

 これもまた、東の高い技巧の成せる業。

 

 変態的な狙撃技術の、一環である。

 

「ホント、マジヤバいわあの人。最後、『那須隊』との一騎打ちになった時もそうだったし。なんで近付かれた狙撃手が、あの状態から点を取れるのよ?」

「狙撃手は普通、寄られたら終わりだからねー。他ならぬ東さんも、常日頃からそう言ってるみたいだよ~?」

「当人が、その常識をかなぐり捨ててやがるけどなァ」

 

 三人は、ひたすら東の技量に驚嘆している。

 

 狙撃手は、寄られれば弱い。

 

 それは東が常に言っている事だし、『ライトニング』以外の狙撃銃が再装填(リロード)を必要とする以上接近された時点で狙撃手は基本的に()()だ。

 

 狙撃銃の中で唯一連射が可能な『ライトニング』を持っていたとしても、近距離での撃ち合いで射手や銃手に敵う筈もない。

 

 攻撃手が相手だった場合も、シールド貫通力が無いに等しい『ライトニング』では焼け石に水だ。

 

 通常は、そうなのだ。

 

 だが東は、その常識をひっくり返した。

 

 『ダミービーコン』を活用してバッグワームを囮に仕立て上げ、那須(射手)を迎撃。

 

 続く七海(攻撃手)も、『ライトニング』の早撃ちという絶句するしかない手段で迎撃している。

 

 唯一、東に誤算があったとすれば。

 

 (狙撃手)が、自身の犠牲を顧みずに東を狙いに来た事。

 

 あの一射が、東という牙城を打ち崩した。

 

 それがどれ程の偉業なのかは、最早語るまでもない。

 

「ともあれ、『東隊』は東サンは言うまでもねェが他の二人も順調に仕上がって来てやがる。射撃トリガーを完全にモノに出来たら、あいつ等は化けるだろうぜ」

「そうね。中距離戦、っていう手札が加わるのは大きいわ。二人共、今後に期待って事でいいでしょ」

 

 

 

 

「小南の言う通りだ。二人共、イレギュラーな状況にもよく対応出来ていたと思うぞ」

 

 『東隊』の作戦室で、東はそう言って二人を労った。

 

 それを聞いた小荒井達は、顔を綻ばせる。

 

 他ならぬ、自分の隊の隊長から成長を褒められたのだ。

 

 これが、嬉しくない筈はない。

 

「ありがとうございます……っ! 今度は分断されても合流するまで生き残れるよう、もっと精進するっす……っ!」

「それと、分断された場合の戦術も考える必要があるな。小荒井、ちょっと付き合え。今回の試合を参考に色々考えるぞ」

「おう」

 

 小荒井と奥寺は二人で今日の試合映像を見返しながらあーでもないこーでもないと、議論を交わしている。

 

 すっかり討論に夢中になっている二人を見て、東と人見は顔を綻ばせた。

 

 この二人は、もっと強くなれる。

 

 そう、東達は確信したのだった。

 

 

 

 

「最後は『那須隊』だね~。『那須隊』はもう、なんと言っても村上くんとの一騎打ちと東さん攻略がやばかったね~」

「あァ、どいつもこいつも熱い戦いを見せてくれたじゃあねェか」

 

 『那須隊』の話となり、弓場の口角が自然と吊り上がる。

 

 彼にしてみても、今日の『那須隊』の戦いは充分以上に見応えがあった。

 

 満足気な彼の笑顔が、それを物語っている。

 

「来馬さんの両攻撃(フルアタック)と鋼さんの連携は見事だったけど、それを那須さんの援護で打ち崩したのよね」

「『那須隊』は最初から、あれをやる為に地下街を走り回ってたみたいだからねー。熊谷さんが奥寺くんを逃がした時無理に追わなかったのも、マッピングを優先してたからだろうしね~」

 

 リアルタイムで地下街の構造をマッピングし、それをデータとしてフィードバックして遠距離からの射撃包囲網を完成させる。

 

 それが、今回の『那須隊』の基本方針だった。

 

 その策は見事に決まり、『鈴鳴第一』の連携を崩して太一、来馬を続けて落とし、村上を孤立させた。

 

 そして、村上に七海との一騎打ちを()()()()

 

 この作戦が齎した影響は、計り知れない。

 

「『旋空』で強引に天井を崩落させて、無理やり1対1(タイマン)に持って行った鋼の機転は良かったけどなァ。まさか『マンティス』で決めるたァ、中々粋な真似してくれるじゃねェか七海ィ」

「使い方も巧かったわよね。まあ、自分の腕を容赦なく串刺しにしたのは今でもどうかと思うけど」

「でも意表を突けたのは確かだよねー。覚悟決まってると言うか、迷いが無いのは良い事だよ~」

 

 恐らく、普通に『マンティス』を使ったとしても村上に叩き斬られて終わりだったに違いあるまい。

 

 七海の『マンティス』の習熟度は、影浦には到底届かない。

 

 戦闘スタイルの違いもあるが、熟練度という点では七海はまだまだ『マンティス』を使いこなせたとは言えない。

 

 少なくとも、その開発者である影浦と比べた場合では。

 

 村上は、影浦とも個人戦を幾度もやり合っている。

 

 故に、『マンティス』そのものは村上も見慣れている。

 

 今回村上の不意を打てたのは、既に切り離されたブレードを『もぐら爪』の要領で変化させた、という応用法を用いたからだ。

 

 あの不意打ちが、勝負の決め手となった。

 

 『マンティス』を今の七海が出来る最善の形で活用した、良いやり方と言えるだろう。

 

「後は、那須も最後は上手くやったな。那須と言やァ『バイパー』、もしくは『合成弾』っつう先入観を上手く利用しやがった」

「そうだねー。奥寺くんもまさか、あそこで『アステロイド』が来るとは思ってなかった筈だよー。だからこそシールドは薄く広く広げてあったし、そこを上手く突かれた感じだねー」

 

 二人の言う通り、那須といえば卓越した『バイパー』使いという印象が強い。

 

 シールドは貫くのではなく、迂回する。

 

 それが普段の那須の戦い方であり、奥寺も那須が最後の射撃を敢行した瞬間こう思った筈だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 故に奥寺はシールドを薄く広く展開し、そこを威力特化の弾丸(アステロイド)で射抜かれた。

 

 先入観を上手く利用した、那須の勝利である。

 

「更に言やァ、七海は最後まで動きが良かったな。徹底して()()()()()()()を求めて、やれるこたァ全部やったっつう印象だ。七海のサポートがあったからこそ、那須や日浦が上手く動けたっつっても過言じゃねェな」

「最後『マンティス』を使ったのは、自分に東さんの意識を集中させる為でしょうね。東さんもまさか、日浦さんが七海のすぐ後ろに来てたなんて思ってもみなかったでしょうし」

 

 そう、七海が脱落する直前に『マンティス』を使用した本当の狙いは、自分の背後に来ていた茜の存在を隠す為だ。

 

 最後の一矢として『マンティス』を使ったが故に、東の意識を七海にある程度集中させる事が出来た。

 

 だからこそ、七海と密着状態で転移して来た茜の存在を最後まで隠し通す事が出来たのである。

 

「狙撃手は、言うまでもなく視野が広い。それが東サンとなりゃあ、猶更だ。だが、唯一狙撃の瞬間だけはその視野を一点に凝縮せざるを得なくなる。狙撃体勢に移るまで存在を隠し通しゃあ、気付かれるこたァねェって寸法だな」

「東さんもまさか、自分が狙撃に巻き込まれる事を承知の場所に隠れてるとは思ってなかっただろうからね~。意識の陥穽を突いた、良い手だったと思うよ~?」

 

 笑みを浮かべる国近はそう言って、茜と七海を称賛した。

 

 国近が直接関わっているのは太刀川繋がりで知り合った七海とゲーム仲間の小夜子だけだが、彼女から見ても最後の二人の立ち回りは見事だったと言える。

 

 尚、陥穽という難しい言葉を使っているのは単にゲームに出てきたからであり、彼女が勉強熱心になったワケではない。

 

 彼女は太刀川と同じく、優れた能力と学力がトレードオフしているタチなのだから。

 

「何はともあれ、相打ち状態とはいえ東さんを撃破出来たのは凄かったと思うよ~。もう充分、B級上位レベルと豪語出来るね~」

「そうだなァ。俺等もいつ当たるか分かんねェ以上、気ィ引き締めねェとなあ」

「弓場ちゃんには悪いけど、そん時は七海達が勝つわよ。あいつ等、強いんだから」

 

 ふふん、と贔屓のチームが活躍した事に得意気な小南を見て、弓場は溜め息を吐いた。

 

 経験上、今此処で小南に何かを言った所で逆効果にしかならないのは目に見えている。

 

 迅を通じて小南とも交流のある彼は、彼女の扱い方を心得ていた。

 

 知らぬは当人ばかり、である。

 

「さあ、これで総評終わりっと。これでB級ランク戦、ROUND5は終了だよ~。皆、お疲れ様~」

 

 こうして、ROUND5は終わりを告げた。

 

 皆、少しずつ、しかし着実に前に歩みを進めている。

 

 もう、以前までの彼等ではない。

 

 その事を実感する時は、そう遠くはない筈である。



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成長という戦果

「はうわぁ~、疲れましたぁ」

 

 『那須隊』作戦室で、茜は大きく息を吐きながらへなへなと座り込む。

 

 茜は、今回東を最後に仕留める為だけに息を殺して隠密に徹し続けた。

 

 そして最後に、被弾を覚悟で────否、被弾を前提として『テレポーター』を使用して七海の背後という狙撃位置に付いたのだ。

 

 その役目故、茜は他の隊員が窮地に陥っても手を出す事は許されなかった。

 

 熊谷が村上に落とされた時も、七海が追い込まれた時も、那須がその身を晒した時も、茜は東を落とすという己の役割を遂行する為、ひたすら身を隠し続けた。

 

 その心労は、相当なものであっただろう。

 

 助けられる位置にいるのに助けない、というのは思った以上に心を苛む。

 

 ましてや、それが大切な仲間であれば猶更だ。

 

 だが、茜はその心痛を乗り越えて見事最後の一射を成功させて見せた。

 

 彼女の偉業は、最大の称賛を以て受け入れられるべきだろう。

 

「お疲れ様、茜ちゃん。よくやってくれたわ」

「よくやったな、茜」

「ああ、見事な一射だった」

 

 『那須隊』の面々は、口々に茜を褒めそやす。

 

 彼女がそれだけの事を成し遂げたのだと、皆が理解している。

 

 だからこそ、称賛は惜しまない。

 

 今回の試合のMVPは、まず間違いなく彼女なのだから。

 

「いえいえ~、それを言うなら七海先輩達も凄かったです~。先輩達が頑張ってくれたから、私があの狙撃を決められたんですから~」

 

 えへへ、と照れ笑いを浮かべながらも茜は正直な感想を口にする。

 

 あの一射は、茜だけで成し遂げられたものではない。

 

 『那須隊』全員の活躍があって、ようやく届いた一射なのだ。

 

 最初から、『那須隊』の()()を以て東を仕留めるのが、今回の試合の最大の狙いだった。

 

 村上と戦っている時に那須が中々援護を行わなかったのはあの時点では未だ姿を見せていなかった太一と来間を警戒したという理由もあるが、那須をあまり消耗させるワケには行かないという理由もあった。

 

 東を仕留める為には、可能な限り万全の状態で挑まなければならない。

 

 だが、隠密能力に優れた東を追い込むまで、全く消耗しないというのはほぼ不可能だ。

 

 だからこそ那須の投入を来間が出て来るまで遅らせ、素早い連携攻撃で来間と太一を落としたのだ。

 

 その後の村上の天井崩しは想定外ではあったが、結果として那須の力を温存する事は出来た。

 

 そしてあの最後の盤面が整った後、那須が主戦場に急行。

 

 射撃を敢行する事で自ら囮となって東を釣り出し、そこから()()の盤面に持って行く事が出来たのだ。

 

 そう、最初から、那須は東に落とされる前提を以てあの場に駆け付けたのだ。

 

 ただの包囲攻撃で落とせる程甘い相手ではない事は、理解していた。

 

 故に、東を落とす為には捨て身の策しか有り得ないと、『那須隊』は結論付けた。

 

 身を守る前提で挑めば、東の策に絡め取られて終わる。

 

 かと言って、我武者羅に攻めて落とせるような相手でもない。

 

 故に、冷静な論理を以て捨て身を前提とした策を実行する。

 

 それが、『那須隊』の結論。

 

 今回花を咲かせた、作戦の大前提である。

 

 結果として見事作戦は成功し、東を仕留めるという快挙を成し遂げた。

 

 既に茜の下には奈良坂が、七海の下には太刀川が、小夜子の下には加古がそれぞれ労いのメッセージを送って来ている。

 

 いずれも東の実力を充分承知している面々であり、だからこそ『那須隊』の快挙を称えたのだろう。

 

 尚、小南は解説で散々褒める事が出来て満足したのか、特に追加の反応はない。

 

 というよりも、今は解説が終わったばかりである為終了後のあれこれで手が離せないだけかもしれない。

 

 やもすれば、手が空き次第『那須隊』作戦室に突貫して来る事も小南なら充分考えられる。

 

「皆お疲れ様ー……っ! やったじゃないアンタ達……ッ!」

「わ……っ!」

「うお……っ!」

 

 そんな事を考えていた為か、本当に小南が作戦室にやって来た。

 

 ノックもせずに扉を開け放ち隊室へ飛び込んで来た小南は、そのまま一息に那須と七海を両腕でがしっと抱き寄せ、二人纏めて思い切り抱擁(ハグ)

 

 ぎゅーっと力強く二人を抱き締め、身体全体で喜びを露わにした。

 

 那須と七海は突然の奇襲で目を白黒させながらも、小南の好きにさせている。

 

 二人共、それなりに小南との付き合いは長いのだ。

 

 彼女のストレートな感情表現には慣れたものだし、これが小南なりの親愛の証であるとも知っている。

 

 トリオン体で抱き締めているので少々痛いくらいだが、それはご愛敬である。

 

「アンタ達、ホントよくやったわ……っ! あの東さんを落としたって、何処もかしこも大騒ぎよっ! あの人が落ちる事なんて、滅多にないんだからね……っ!」

「確かに記録上でも、殆ど落とされた事がないみたいだしな」

「全部隊に集中して狙われでもしない限り、まず落ちないわよあの人。そういう状況でも生き残ったケースもあるし、一つの隊だけで東さんを落とすなんて快挙も快挙だわ」

 

 小南の言う通り、東はランク戦で落とされた事は殆ど無い。

 

 極稀に複数の部隊に集中攻撃された結果相手に相応の損害を与えながら落ちる事もあるが、そのケースでも逃げ切った事もある。

 

 ましてや、今回のように一つの部隊だけで東を落とせたケースなど例がない。

 

 正真正銘の、過去に前例のない偉業と言っても差し支えはないだろう。

 

「茜ちゃんも、ホント良くやったわね。もう、狙撃手としちゃA級クラスと言っても良いんじゃないかしら?」

「いえいえ~、まだまだ奈良坂先輩のようにはいきません。今回は、皆の協力があったからですって」

 

 茜は小南の真っ直ぐな称賛に謙遜するが、小南は半ば呆れたように溜め息を吐く。

 

「何言ってるのよ? 仲間と協力して相手を倒すのは、当たり前の事でしょ? その上であの狙撃は凄かったって褒めてるんだから、もっと自信を持ちなさいよね」

「は、はい」

「そうそう。褒められて当然の事をしたんだから、素直に受け取っておきなさい。謙遜も、やり過ぎは良くないわよ?」

 

 乗り越えた相手に失礼でしょうが、と小南は言う。

 

 確かに、謙遜が悪い事だとは言わない。

 

 だが、試合に置いて相手を下した後も謙遜ばかりを続けていては、むしろ相手への侮辱になる。

 

 戦場に置いては意識を切り替えて覚悟完了する茜であるが、そのあたりの機微には少々疎い。

 

 自分を駒として扱えるのは戦場では有用な資質だが、それに徹し過ぎて礼を欠くような真似は控えるべきである。

 

 ランク戦はあくまで、()()()()である。

 

 倒して終わりの()ならばともかく、ランク戦で戦うのは同じ『ボーダー』の仲間である。

 

 その事はきちんと覚えておいて欲しいと、小南は言う。

 

 大体が東からの受け売りの言葉ではあるが、小南もこれには同意見だ。

 

 戦友との諍いで敵に負けるなど、笑い話にもならないのだから。

 

「あ、そういえば東さんがアンタ達と会いたがってるんだけど、どうする?」

「東さんが……?」

「別に負けた事に対する恨み言じゃないわよ? 自分を倒してのけたアンタ等を労いたいだけだと思うけど、どうする?」

 

 小南の問いかけに、七海は思案する。

 

 七海自身は、特に問題は無い。

 

 後ろを振り返り皆の意思を確認すると、全員が首を縦に振った。

 

「俺達は構いません。何処に向かえば良いですか?」

「焼き肉屋よ、焼き肉屋。東さんが隊員と会うって言ったら、隊室以外じゃそこが定番よ。案内したげるから、付いて来なさい」

 

 

 

 

「よく来てくれたな。此処は俺の奢りだ。遠慮せずに食ってくれ」

 

 市内の焼き肉屋、『寿寿苑』に到着すると笑顔の東が席で七海達を出迎えた。

 

 店内には肉の焼ける香ばしい香りが漂っており、食欲を誘う。

 

 肉の焼ける音がそこかしこから聞こえており、いるだけで腹が減りそうだ。

 

 那須はあまり肉は食べられない旨を伝えているが、此処はアイスやジュース、惣菜なども取り扱っている。

 

 茜も小食の類いだが、那須と違って肉が苦手なワケではない。

 

 結果として『那須隊』の全員が、焼き肉屋という普段行かないような場所に集う事となったワケだ。

 

 ちなみに那須は当然以前影浦の実家(お好み焼き屋)でやらかしたような騒ぎが起きる事を避ける為、例の変装機能が付いたトリオン体でやって来ている。

 

 七海も日常生活用のトリオン体で来ているが、流石に男性恐怖症の小夜子は留守番である。

 

 その事を承知している東は小夜子には事前にお菓子の詰め合わせを送っており、保存食料が増えたと小夜子は喜んでいたが、その様子を見た『那須隊』の面々は後でまた『お料理教室』を開催しなければならないと固く決意した。

 

 能力面では色々と成長した小夜子であるが、出不精なその性質だけは全く変わってはいないのだから。

 

 尚、一緒に来た小南は早速焼いた肉を遠慮なく食べまくっている。

 

 何度も来た事があるのか、肉を注文する姿も慣れたものだ。

 

 花の女子高生の姿としてどうかとは思うが、これもまた小南の持つ愛嬌だろう。

 

 結構早いペースで食べているが、あくまで食べ方は丁寧だ。

 

 がさつに見えて何処となく気品があるあたり、お嬢様学校である星輪女学院に通っているだけはあると言えよう。

 

 そんな小南を横目で見ている内に、小荒井と奥寺が七海の下へやって来た。

 

 二人共不敵な笑みを浮かべつつ、七海相手に啖呵を切る。

 

「七海先輩、どもっす。今回はやられちゃいましたけど、次は負けないっすからね」

「俺も、同じ気持ちです。次は負けません」

「ああ、俺も負けるつもりはない。次も、勝たせて貰うぞ」

 

 小荒井と奥寺からの笑顔の宣戦布告に、七海は同じように笑みを返す。

 

 二人共、敗北の憂いは見られない。

 

 ただ、敗戦を糧に前を向いている事が容易に見て取れた。

 

 今度戦う時があれば、更なる強敵となって立ち塞がって来るだろう。

 

 そう予感させるには充分な、『東隊』の攻撃手達の姿であった。

 

「意気軒昂で何よりだ。肉を焼くのは任せてくれ。お嬢さん方の手は、煩わせないさ」

「いえ、あたしもやりますよ。茜達と違って、そこそこ慣れてるので」

「ああ、余計なお世話だったか?」

 

 いえ、お気遣いありがとうございますと熊谷は東に声をかけながら、運ばれて来た肉をトングを使って焼き始めた。

 

 ジュージューという音と共に肉が焼かれ始め、食欲を誘う匂いが充満する。

 

 肉が苦手な那須は惣菜をぱくぱく食べており、特に不満気な様子はない。

 

 那須や七海は服もトリオン体のものである為、焼き肉の匂いを家まで持ち込む心配もない。

 

 熊谷や茜はそもそもそういった事は気にしない為、遠慮なく焼けた肉を食べている。

 

 七海と那須の食事は、二人に比べれば控えめである。

 

 日常生活用にある程度調整してあるとはいえ、トリオン体のエネルギー吸収効率は100%。

 

 油断してトリオン体のまま食べ過ぎると、太る原因になりかねない。

 

 実際に開発部の寺島などはトリオン体で飲み食いし過ぎた為に太った為、気を付けなければならないだろう。

 

 もっとも、二人のトリオン体は特注品。

 

 飲食の事も考慮してある為、エネルギー吸収効率も可能な限り抑えられている。

 

 特に七海のトリオン体は無痛症の事もある為細心の注意を以て設計されており、多少食べ過ぎた所で健康を害する恐れはない。

 

 それでも生身の身体より吸収効率が高い事に変わりはない為、普段から気を遣っているのは事実ではあるが。

 

「しかし、最後はしてやられたな。まさか、()()()捨て身で来るとは思っていなかった」

「そうでもしないと、貴方を落とす事は出来ないと思いましたからね。恐らく、ああでもしないと無理だったと思います」

「成程な」

 

 東は七海の意見を特に否定せず、そう答えた。

 

 事実、最後の一人に至るまで捨て身で東を狙わなければ、東はそれに対応してのけただろう。

 

 彼という高過ぎる壁を打ち崩す為には、最後の一人に至るまで全員が捨て身になる必要があった。

 

 それは、偽らざる七海達の本音であり、明瞭とした事実でもあった。

 

「他に倒す相手がいないからこそ、取れた手だな。最初から、俺を最後に落とす為に戦術を組み立てていたワケか」

「ご想像にお任せします」

「はは、これは一本取られたな」

 

 東は朗らかな笑みを浮かべ、頭をかいた。

 

 『那須隊』の奮闘には期待していたが、まさかあそこまでとは思っていなかったというのが東の正直な感想だ。

 

 自分を撤退に追い込むくらいはするかもしれない、とまでは思っていたが、まさか隊の全員が捨て身で自分を狙って落としてしまうとは思ってもみなかった。

 

 そういう意味では、『那須隊』の今回の作戦は大成功だったと言えるだろう。

 

 他ならぬ東の裏を、かく事が出来たのだから。

 

 今回、『那須隊』は東を仕留める為に隊の全員を犠牲にしている。

 

 1点を取る為に3点を失った事になるが、恐らく今回東をそこまでして狙ったのは単純なポイントの増減だけが理由ではないと東は察していた。

 

 恐らく、『那須隊』は近い内に訪れる大きな戦いの備えとして、()()()()()()()()()()()()がしたかったのではないかと東は見ている。

 

 その()()()()として東は最適であった為、今回の作戦を実行に移した。

 

 付け加えるなら、『那須隊』と『東隊』の点差を考えて3点与えても問題は無いと見ている可能性もある。

 

 もしくは、タイムアップによる決着が多い『東隊』を敢えて上位に残留させる事で他の部隊のポイントの低迷を狙った線もあるだろう。

 

 わざわざ尋ねるような野暮はしないが、そんな所だろうと東は見ていた。

 

(今回の『那須隊』の飛躍は、目覚ましいな。わざわざ弱みを突いた甲斐があったな、これは)

 

 東は『那須隊』の成長ぶりを見て、薄く微笑んだ。

 

 『ボーダー』全体のレベルアップこそ、東が望む展望だ。

 

 今期のランク戦では『那須隊』が台風の目となり、多くの隊に変革を齎す切っ掛けを作っている。

 

 ROUND1で『那須隊』に敗北した『諏訪隊』と『鈴鳴第一』は自分達の戦術を見詰め直し、『鈴鳴第一』は明確な成長を伴って再び七海達の前に立ち塞がった。

 

 ROUND2の対戦相手だった『柿崎隊』と『荒船隊』は既存の戦術を発展させ、より臨機応変な対応が可能な隊へと変貌した。

 

 ROUND3と今回のROUND5の二度に渡って戦った『東隊(奥寺達)』はより視野が広くなり、東から見ても立派な攻撃手に成長した。

 

 ROUND4で対戦した『香取隊』は心構えそのものを入れ替えたらしくROUND5の試合では目覚ましい戦果を挙げているし、『王子隊』もまた戦術のいやらしさに磨きをかけている。

 

 『影浦隊』もユズルの技の切れが増しているし、『二宮隊』も今回の結果を受けて何かしらの反応を見せる筈だ。

 

 七海達を中心に、『ボーダー』の部隊全体が急激な成長を見せている。

 

 それは東としても、歓迎すべき事柄であった。

 

 特に、大きな戦いが控えている今のような状況であるなら猶更だ。

 

(良い傾向だ。楽観するワケじゃないが、これならきっと乗り越えられるだろう────────俺は俺で、やるべき事をやるだけだな)

 

 東は和やかにテーブルを囲みながら食事する隊員達を見ながら、笑みを浮かべる。

 

 まだ先行きは不透明だが、今の『ボーダー』ならどんな困難でも乗り越えられる。

 

 そんな想いが、胸の奥から湧き上がる。

 

 楽に勝てる、などとは思っていない。

 

 苦境に追い込まれる事も、ある筈だ。

 

 だが、こいつ等と一緒であれば踏破出来る。

 

 そんな予感を感じつつ、東は頼もしい後輩達と和やかな時を過ごしたのであった。



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称賛と団欒と決意と

「お疲れ様でした。ご馳走様です」

「ああ、気を付けて帰れよ」

 

 七海が焼き肉屋の前で東に一礼すると、東はそう言って七海達を見送った。

 

 那須隊の面々は熊谷を除いて小食な者が多い為そこまで多くは食べてはいないが、普段来る事のない焼き肉は良い思い出になったと言える。

 

 隊の中で唯一肉類を好む熊谷は普段は那須達に遠慮しているものの、今回のように旨い肉を大っぴらに食べられる機会は得難いものであったらしい。

 

 ほくほく顔で焼いた肉を食べていたのが、印象的であった。

 

 熊谷は姉御肌のイメージが強いが、これでも花の女子高生。

 

 なんだかんだ、外聞というものは気にするのである。

 

 東の招待というお膳立ては、そういった外聞を気にせず肉を食べられる良い機会になったようだ。

 

 思いがけず、普段から心労をかけている熊谷を労う事が出来て七海達としても不満はない。

 

 女子隊員が大部分を占める那須隊だけで焼き肉に行くのはハードルが高いが、影浦の実家に行った時に肉多めのお好み焼きを注文するくらいはやってもいいかもしれないと、七海は思案していたのであった。

 

「あら、奇遇ね」

「加古さん……」

 

 そんな折、七海達の前に現れたのは外行きの恰好をしている加古であった。

 

 シックな装いのコーディネートは一見するとどこぞのセレブのようだが、加古はあくまで一般家庭の出身であり女優でもなんでもない。

 

 しかし本人が並外れた美貌の持ち主で、自信満々の態度を崩さない為下手なモデルよりよっぽどセレブオーラに満ち溢れていた。

 

 つくづく、ボーダー女子には美形が多いものであると七海は思った。

 

 勿論、那須も含めてであるが。

 

「寿寿苑の方から来たって事は、東さんに誘われたのかしら? あの人、誰かを労う時は決まってあそこだしね」

「ええ、ご招待を受けてご馳走に預かって来ました」

「ふふ、東さんとしても嬉しかったんでしょうね。自分を落とせる程の成長を、貴方達が見せたんだから。ホント、ROUND3の時とは別物と言って良いくらいよ」

 

 加古の言葉には、確かな称賛があった。

 

 過去に旧東隊に所属していた彼女からしてみても、東を一つの隊だけで落とした七海達の戦果は偉業そのものだ。

 

 たとえ過去に東に薫陶を受けた加古であろうと、自分の隊だけで東を落とせるかと聞かれれば────────少なくとも、即答は出来ないだろう。

 

 自分の隊の実力に、自信がないワケではない。

 

 だが、東にとって加古はかつての教え子であり────つまり、手の内や思考傾向を知っている。

 

 生半可な作戦は、通用しないと思った方が良いだろう。

 

 少なくとも、隠密に徹した東を撤退に追い込むのではなく落とすとなれば、加古といえど成功する可能性は低い。

 

 よほど条件が良ければ少しはチャンスがあるか、といった所である。

 

 そんな低い確率に賭けるくらいであれば、他のチームと共闘の姿勢を見せるか、東を撤退まで追い込む方がよほど効率的だ。

 

 加古はチャンスを逃す気はないが、リスクヘッジをきちんと考慮して動くだけの柔軟性は持ち合わせている。

 

 彼女自身の気質は攻めに寄ったものであるものの、その時その場で最適な判断を下すだけの資質は備えている。

 

 隊長として動くのならば、東を落とす一点に拘るよりも東を撤退に追い込んでの生存点を狙う方向性に舵を切る筈だ。

 

 そういう意味で、今回の那須隊は東を落とす事に拘り過ぎた、と言えなくもない。

 

 恐らく、ビーコンのトリオン切れまで時間を稼いだ場合、東はそのまま雲隠れしてタイムアップを狙うか、場合によっては撤退を選んだだろう。

 

 そちらの方がリスクは少ないし、東隊に三点を取られる事もなかったかもしれない。

 

 だが、今回の戦果はそういったポイントの単純な差し引き以上の価値がある。

 

 東という難攻不落の相手を落とせた、という経験は確実に那須隊の糧となる。

 

 近い将来大きな戦いが控えている現状を鑑みれば、非常に得難い戦果であった事は言うまでもない。

 

 加古はそこまで考慮して、那須隊を労ったのだ。

 

 今回の戦果の大きさは、ある意味では彼女が一番理解しているのだから。

 

「皆、驚いてたわよー? 二宮くんなんか、凄かったんだから。貴方達にも見せてあげたかったわね。あの顔」

「二宮さん、ですか……」

「そうそう。偶然同じ場所で観戦してたんだけどね~。東さんが落とされた時なんか、信じられない、って目で見てたんだから。普段が普段なだけに、見応えがあったわよあれ」

 

 驚いた二宮の表情が上手く想像出来ず困惑する七海だが、加古はあれこれと身振り手振りでその時の様子を伝えて来る。

 

 加古の事だから割と大袈裟に言っているのだろうが、二宮には天然の気がありそうなのは以前の接触で感じていた。

 

 或いは、とも思うがそれ以上深く考えるのは精神衛生上よろしくないので七海はそこで思考を打ち切った。

 

 触らぬ神に祟りなし、ならぬ触れない二宮に異常なし、である。

 

「三輪くんも、すっごい驚いてたんだから~。隣でへんてこな顔してる、二宮くんが目に入らないくらいね~」

「そうですか。あの人も……」

 

 以前隊長会議の後で出会った三輪の事を思い出す七海だが、正直心情としては複雑だ。

 

 三輪は恐らく、同じような境遇の七海を自分自身と重ねて見ていたのだろう。

 

 更に言えば七海は三輪の嫌う迅と親しい間柄であった為、どう対応していいか分からずに思わず喧嘩腰になった、というのがあの時の流れだ。

 

 七海としてはこちらから干渉する必要性は感じていないが、今後何かしらのアクションがないとも限らない。

 

 確かに三輪とは()()()()()という共通点があるが、ある意味ではそれだけだ。

 

 妙な仲間意識を持たれてもどう反応していいか困るし、何より迅に負担をかける三輪にはそこまで良い印象は持っていない。

 

 無論それを表に出したりはしないが、多大な恩義のある迅を一方的に敵視する三輪に良い感情を抱けないのは七海としては当然の帰結だ。

 

 ただでさえ普段から尋常ではない心労を抱える迅に余計な負担をかけて欲しくはない、というのが七海の正直な想いであるのだから。

 

 あの屋上でのやり取りで改めて理解したが、迅は過度に自罰的な傾向がある。

 

 やもすれば、その傾向は七海より重症だ。

 

 未来視のサイドエフェクト(人とは違う特別な力)を持つが故なのか、迅はなんでもかんでも自分で背負い込もうとする悪癖がある。

 

 迅は、決して責任を他人に求めようとはしない。

 

 それは、人とは違う視点を持つが故のものなのか。

 

 それとも、喪失を孕んだ彼の過去に起因するものなのかは分からない。

 

 だが、迅は人より極端に重荷を抱え込み易いのは事実である。

 

 そんな迅に過剰な負担をかける相手を、好きになれと言う方が無理というものだ。

 

 たとえ迅がそれを許容していたのだとしても、それを迅が意図して行わせていたのだとしても、三輪の姿勢が好きになれないのは七海の率直な感想だった。

 

「ま、色々難儀な子だけどそのあたりは私や東さんが何とかするから心配しないで。きっと、今後は不必要に絡んでくる事はないでしょう」

「そうですか。それなら構いませんが……」

 

 だが、自分にとってはそうでも、目の前の加古にとって三輪はかつてのチームメイト。

 

 先程世話になった東同様、()()にあたる相手なのだ。

 

 その彼女相手に、三輪を悪し様に言うのは流石に憚られた。

 

 …………もっとも、そのあたりの考えは既に加古には見抜かれていたようであったが。

 

 七海の思惑など、とうにお見通しのようであった。

 

「む……?」

「あら、次の対戦相手が決まったみたいね」

 

 そんな時、携帯端末にメッセージが届き次の対戦相手が表示された。

 

 いつの間にか、そんな時間になっていたらしい。

 

 思っていたよりも、長く東達と焼き肉屋にいたようだった。

 

「次の相手は────」

 

 10/27、B級ランク戦ROUND6対戦組み合わせ。

 

 ────暫定三位、那須隊

 ────暫定四位、生駒隊

 ────暫定七位、香取隊

 

 それが、次の七海達の対戦組み合わせ(マッチング)であった。

 

 

 

 

「那須隊、ヤバいな」

「それ、こないだも言っとらんかったか?」

 

 開口一番突っ込みを入れられたのは、生駒隊隊長生駒達人。

 

 突っ込んだのは、隊のオペレーターである細井真織。

 

 俗に「マリオちゃん」と渾名される浪速女子である。

 

 真織は腰に手を当て、はぁ、と溜め息を吐いた。

 

「…………ま、那須隊がヤバいのはこないだ直で実況して思い知ったから気持ちはわからんでもないけどなー。えぐさでは王子隊とも引けを取らんで」

「そうやな。今の那須隊で、一番気を付けなあかんのはそこやろ。どんな初見殺しを抱えているか知れたもんやないからなあ」

 

 真織の言葉に、水上がそう言って賛同する。

 

 この隊のブレインである彼から見ても、那須隊の作戦立案能力とその容赦のなさは脅威と映ったのだろう。

 

 更に言えば、今回は否が応でも注目せざるを得ない事もあった。

 

「今回、東さん落としたのマジヤバいやろ。あの人、俺と二宮で挟み撃ちにしても逃げ切ったんやで」

「影浦さんと弓場さんに挟まれた時も、上手く逃げ切ってましたしね。ホンマ、あの人落とせたんはえらい驚きましたわ」

 

 生駒と隠岐が口々に言うように、今回那須隊は()()()()という快挙を成し遂げた。

 

 東の生存能力の高さ、そして底知れなさを身を以て知るB級上位部隊の面々からしてみれば、その偉業は瞠目せざるを得ない。

 

 それを成し遂げた那須隊を警戒するのも、当然と言えるだろう。

 

「次戦うんやから、ヤバいヤバい言うてる場合ちゃうやろ。対策とか立てんでええの?」

「適当で、じゃダメやろか?」

「ダメに決まっとるやろ阿呆」

 

 溜め息を吐く真織に、隠岐がまあまあとフォローに入る。

 

「言うても転送運もあるし、今回ウチらMAP選択権ないみたいですさかい。やってみな分からんとちゃいます?」

「ま、それでええやろ。下手に作戦立てるより、そっちのがやり易いやろ」

 

 隠岐に賛同する水上は口ではそう言うが、その目には一切の油断はない。

 

 既に彼の頭の中では、那須隊を相手にした時の様々なパターンがシミュレートされている筈である。

 

 生駒隊が普段まともなミーティングをせずとも回っているのは、各隊員の地力の高さもあるが、水上の分析能力と状況適応能力が半端ではないからだ。

 

 隊長である生駒が指揮官向きでない以上、生駒隊の指揮は実質彼一人で取っているようなものだ。

 

 それでどうにかなっているあたり、水上の有能さが伺える。

 

 彼あっての生駒隊、と言っても差し支えはない筈だ。

 

「それより、やっぱ那須隊の女の子皆可愛いな。七海の奴が羨ましいわ」

「そうですよねー。俺ログ二万回見ましたっ! 皆可愛いっす!」

「阿呆か……っ!?」

 

 …………まあ、すぐに話が脱線するのも、いつもの生駒隊らしくはあったのだが。

 

 

 

 

「…………そう。案外早かったわね」

 

 香取隊の訓練室で、香取は静かに対戦組み合わせの情報を咀嚼した。

 

 その目には、ROUND4の時のような侮りや楽観は見られない。

 

 ただ、戦うべき相手を見据えている。

 

 そんな、純粋な闘志が宿った瞳だった。

 

「…………ああ、この為に犬飼先輩にも色々教えて貰ったしな」

「僕まで指導してくれて、ホント感謝してもし足りないね。これで、少しはマシになったかな」

 

 訓練を終えたばかりの若村と三浦も、力強く首肯している。

 

 もう、以前までの燻り続けた香取隊の姿は見られない。

 

 隊の全員があの敗戦を糧に前を向き、勝利の為の努力を重ねている。

 

 ようやくスタートラインに立ったという印象ではあるが、その成果が出ているのは今回のROUND5で6ポイントを獲得し上位復帰出来た事実からも明らかだ。

 

 後ろばかりを向き続けていた者達が、ようやく前を向くようになった。

 

 香取もまた、光る原石のままだった己を磨き始めた。

 

 その輝きは以前とは比べ物にならず、着実に強くなっている実感がある。

 

 何より、その目に最早諦観はない。

 

 あるのはただ、彼女生来の負けん気と何がなんでも勝ってやるという、貪欲な勝利への執念のみ。

 

 那須隊が東を落としたという話は、当然知っている。

 

 香取は、試合のログを見るようになった。

 

 戦うべき相手と定めている那須隊のログにも、全て目を通している。

 

 当然それは、今回のROUNDも同様だ。

 

 熊谷のハウンド、那須の包囲射撃、七海の地形破壊、その全てを目にしている。

 

 前回のように、勉強不足で負けたなどという展開は二度とゴメンだ。

 

 そんな想いが、今の香取を後押ししていた。

 

 準備不足での不利も、勉強不足による隙も、今回は許さない。

 

 やれる事は全部やって、必ず前回の雪辱を晴らす。

 

 必ず、勝ってやる。

 

 香取隊の想いは、今一つに纏まっていた。

 

 七海達の快進撃が、ボーダーの部隊全体に良い影響を与えている。

 

 それは、東が語ったランク戦のあるべき姿。

 

 皆が前に進んでいる、その証拠でもあった。



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二宮式圧迫面接

「どうした? 立ってないで座れよ、七海」

「は、はい」

 

 七海は椅子に座る長身の男、二宮に素っ気なくそう告げられ手近な椅子に座った。

 

 此処は、『二宮隊』の作戦室。

 

 元A級部隊であるからなのかB級部隊の作戦室にしては広く、内容は洒落たオフィスのような雰囲気があった。

 

 室内に他の隊員の姿はなく、この場にいるのは部屋の主である二宮と部外者の七海のみ。

 

 ハッキリ言って、傍目から見ても何がどうなったのかさっぱりなシュチュエーションである。

 

(なんで、こんな事になったんだったか……?)

 

 今の状況の契機、それはROUND5の翌日に七海が『ボーダー』本部にやって来た時まで遡る。

 

 

 

 

「あ、七海くん。ちょっといいかな?」

 

 そんな風に声をかけて来たのは、『二宮隊』の銃手犬飼であった。

 

 にこにこと、笑みを浮かべながら七海に話しかけてきた犬飼の内心は伺えない。

 

 常に笑みを浮かべている程、内心を悟らせない術に長けている。

 

 彼はそんな、典型のような男だった。

 

「構いませんが、何かご用でしょうか?」

「うんうん、と言っても俺じゃなくて二宮さんが、だけどね」

「二宮さんが……?」

 

 犬飼の言葉に、七海は怪訝な表情を浮かべる。

 

 二宮とは、そこまで親しい間柄ではない。

 

 ROUND3で手も足も出なかった相手ではあるが、逆に言えば接点はその程度しかない。

 

 疑問符を浮かべる七海の内心を察したのか、犬飼は「あー」と苦笑する。

 

「まあ、いきなりなんだとは思うよね。俺も詳しくは聞いてないんだけど、多分東さんを倒した件で色々言いたい事とかあるんじゃないかな? あの人、才能ある人が好きだからさ」

「東さんと同じように、俺を労いたいとか、そういう話でしょうか……?」

「多分そんな感じだと思うよー。ただ、二宮さんの気遣いって滅茶苦茶分かり難いから罵倒や暴言に聞こえてもおかしくないのが玉に瑕だけどね」

 

 そう告げる犬飼の言葉には、妙な気苦労が漂っていた。

 

 確かに二宮は、発言を一切オブラートに包まずに言う癖があるように見受けられた。

 

 本人としては気遣っているつもりでも、傍から見ると暴言を繰り返しているだけ、とも取れてしまう。

 

 二宮本人の威圧的なオーラも相俟って、相手からすれば良い印象を抱き難い人物なのは確かである。

 

 犬飼は恐らく、そんな二宮のフォローをする為にこれまでもあれこれ気を回して来たのだろう。

 

 滲み出る苦労性が、その声色からは見て取れた。

 

「だからさ、ちょっとうちの隊室まで来て貰ってもいいかな? 俺はこれから用事だから同行は出来ないんだけど、お願い出来る?」

「はい、特に用事があるワケではないですし……」

「ホント? 良かった良かった。これで二宮さんにどやされずに済むよ」

 

 ありがとねー、と言いながら犬飼は踵を返して立ち去ろうとする。

 

 だが、「そういえば」と呟き再度七海の方に振り向いた。

 

「次の対戦相手、『生駒隊』と『香取隊』だっけ? 対策とかはもう出来てる感じかな?」

「それは……」

「ま、無理に答えなくて良いよ。たださ、『香取隊』の若村っているじゃん? あいつ、一応俺の弟子なんだよね」

 

 実はね、と犬飼は続ける。

 

「前回の敗戦で、色々得るものがあったらしくてね。視野の広さがある程度改善されたから、色々叩き直したんだ。君等との戦いがなきゃ、ああはならなかっただろうね。師匠として礼を言うよ」

 

 でも、と犬飼はニヤリと口元に笑みを浮かべた。

 

「────色々と叩き込んだし、()()()()からね。悪いけど、前回と同じと思うと痛い目に遭うと思うよ。『香取隊』はもう、今までとは別物だからさ」

 

 ニヤニヤと、人の悪い笑みを浮かべる犬飼。

 

 その眼には、確かな自信と────自らの弟子の力に対する、自負があった。

 

 彼がこう言うからには、『香取隊』はあのどうしようもない状態から成長出来たのだろう。

 

 元々、香取のポテンシャル自体は並外れているのだ。

 

 何か切っ掛けがあればブレイクスルーが起きても、なんら不思議ではない。

 

 一度完封勝ちした相手とはいえ、油断すれば痛い目を見る事も間違いではないのだろう。

 

 だが。

 

「────問題ありません。俺達は最初から、相手を舐めてかかった事なんて一度もありませんから」

 

 ────そもそも、七海達は誰が相手だろうと()()した事など一度もない。

 

 相手の戦力を的確に分析し、必要な戦略を以てこれに当たる。

 

 これまでして来たのは、この繰り返しだ。

 

 まだROUND5の『香取隊』のログは見れていないが、一週間後のROUND6までには研究し、対策を打つつもりでいる。

 

 相手を舐めてかかるなど、ある筈もないのだ。

 

「そっか。確かにそうだよね。悪い悪い、要らない気遣いだったね。じゃ、次の試合楽しみにしてるよ」

 

 その発言の意図を理解した犬飼は一瞬笑みを崩しながらもひらひらと手を振り、その場から立ち去った。

 

 そうして七海は、『二宮隊』の隊室に向かう事になったのだった。

 

 

 

 

 ────その結果が、今の状況である。

 

 不必要に重苦しい空気が隊室に漂い、七海は二宮が口を開くのを待った。

 

 元々、七海は会話が上手いタイプではない。

 

 必要最低限の事しか口にしない類いであるし、上手い冗談を言えるようなタイプでもない。

 

 二宮に至ってはコミュニケーションを投げ捨てているとしか思えない有り様なので、空気を緩める為の雑談など思いつく筈もない。

 

 受け身のコミュニケーションがメインの七海と、そもそもコミュ力的に論外な二宮。

 

 二人が揃えば、こうなるのも必然であった。

 

「…………昨日の試合、東さんを落としたな。あれは最初から想定していた展開か?」

「はい。そうですが……」

 

 ようやく二宮が口を開いたかと思えば、七海の返答に答えるでもなくフン、と鼻を鳴らした。

 

 そしてジロリ、と七海の姿を睨みつけるように見据えた。

 

「あの作戦を立てたのは誰だ?」

「オペレーターの志岐と、俺が協議して煮詰めました。あの、それが何か……?」

 

 会話のキャッチボールを投げ捨てて三振を狙っているとしか思えない二宮の態度に首を傾げながらも、七海は聞かれた事を答えた。

 

 特にバラして支障のある情報というワケではないので、話す事自体は問題ない。

 

 問題は、未だ二宮の意図が全く以て理解不能な点だ。

 

 犬飼先輩なんで来てくれなかったんですか、と今更ながら後悔しつつも七海は二宮の返答を────返して答える気配がないので正確には言動を待った。

 

 二宮は一度深く溜め息を吐きながら、再び七海の姿を見据えた。

 

「お前、遠征についてはどう考えている?」

「遠征、ですか……?」

「ああ、仮にお前達がA級になれたとして、遠征部隊を目指す気があるのかどうか。どうなんだ?」

 

 いきなりの質問に、七海は目を白黒させた。

 

 相変わらず、何を言いたいのか理解出来ない。

 

 理解出来ないが、答えないワケにもいかないので七海はしばし思案して答えた。

 

「…………多分、目指さないと思います。だって、うちは……」

「那須の身体の事があるから、か?」

「そうです」

 

 …………そう、七海個人としては興味がないワケではないが、仮にA級になったとしても遠征部隊を目指す事は不可能に近い。

 

 何故なら、那須の体調の問題があるからだ。

 

 那須は元来病弱で、トリオン体でなければ出歩く事も難しい。

 

 そんな那須が、遠征という身体的・精神的に負荷のかかる状況に耐えられるのかと聞かれれば、答えは否だ。

 

 ずっとトリオン体でいるワケにも行かないだろうし、トリオン体でも精神は疲弊するのだ。

 

 遠征という環境が那須に与える負荷は、正直計り知れない。

 

 技術が進んで那須の身体状況が改善すれば話は別かもしれないが、現時点では無理に遠征に行こうとは七海は考えていなかった。

 

 それに、那須の問題が解決出来ても小夜子の事もある。

 

 男性恐怖症の小夜子が、遠征部隊に付いて行く事はまず不可能だ。

 

 そういう理由もあり、『那須隊』が遠征部隊を目指す事はない。

 

 それが、七海の下した結論だった。

 

 二宮は七海の返答を聞くと「そうだな」と話し、口を開いた。

 

「確かに、お前の懸念は正しい。仮にお前達が遠征部隊に志願したとしても、上層部の判断で落とされるだろう。遠征の選抜は、部隊単位だ。一人でも遠征に不適格と判断された者がいれば、選抜に通る事は有り得ない」

 

 なんだか、妙に実感の籠った言葉である。

 

 それは単なる予測というよりも、()()()()()()()()を話しているように思えた。

 

 二宮の言葉には、それを感じさせる憤りと────────悔恨があった。

 

 少なくとも、何かはあるのだろう。

 

 二宮にこう言わせるような、()()()()()()が。

 

 だが、それを詮索するつもりは七海にはなかった。

 

 二宮とさほど近しくない自分が問うべき事柄ではないし、これはあくまで二宮の問題だ。

 

 正直自分の周りだけで精一杯な七海が、わざわざ手を出す気にはなれなかったというのが本音である。

 

「昨日の試合のログを見て理解した。お前は、充分に遠征の部隊員として適性のある人間だ。前回の俺達との試合では失望させられたが、温い部分は改善出来たようだな」

 

 それは、二宮なりの称賛だった。

 

 言葉こそ上から目線で威圧的だが、二宮は確かに七海の実力を褒め称えていた。

 

 仏頂面で愛想の欠片もないが、今自分が褒められている事はなんとなく七海は理解出来た。

 

 相変わらず、愛想の欠片もない称賛ではあるが。

 

「だが、今のままではその才能は埋もれるだけだ。お前の才能は、埋もれさせるには惜しい代物だ。だから、お前の意思を確認したい」

「俺の意思、ですか……?」

 

 そうだ、と二宮は肯定し告げる。

 

「────お前にもし遠征を目指す気があるのなら、俺の下へ来い。俺が、お前を遠征に連れて行ってやる」

「俺が、『二宮隊』に……?」

 

 予想もしなかった言葉に、七海は目を見開いた。

 

 此処でようやく、七海は二宮の意図を理解する。

 

 これまでの会話は、二宮なりの()()であったワケだ。

 

 自分の隊に引き抜くべき存在であるか否かを図る為の、二宮式の強制面接。

 

 それが、今回の事の成り行きだったワケだ。

 

 いきなりの事に目を白黒させる七海に対し、二宮は畳みかけるように告げる。

 

「俺には、遠征を目指す理由がある。お前が隊に入れば、遠征部隊に選ばれる条件は充分揃う。だからこうして、お前の意思を聞いている」

「ですが、失礼ですが『二宮隊』はA級から降格されたのでは……? 詳細は存じませんが、A級に戻る事は可能なんですか?」

 

 七海の知る限り、『二宮隊』と『影浦隊』はペナルティとしてB級に降格された部隊である。

 

 『影浦隊』に関しては、隊長の影浦がメディア対策室の根付さんをアッパーした事件のペナルティであると聞いている。

 

 『二宮隊』に関しては何故か詳細な理由が不明であるが、とにかく何かしらのペナルティとして降格されたのは確かだ。

 

 そんな部隊が、果たしてA級に戻れるのか否か。

 

 問いかけられた二宮は、フン、と鼻を鳴らし答えた。

 

「可能だ。昨日忍田本部長に話を聞いた。隊長の影浦が問題行動を起こした影浦隊はともかく、俺達の場合は条件付きでA級に戻る事は出来る。無論、件の合同戦闘訓練をパス出来ればだがな」

「そうですか……」

 

 つまり、その()()とやらをクリア出来れば『二宮隊』は通常の隊と同じように試験にさえ合格すればA級に戻れるらしい。

 

 その()()の難易度自体は不明だが、二宮のこの様子から察するに達成する当てがあるのか────もしくは何がなんでも達成する意思があるのだろう。

 

 それだけ、二宮は遠征入りを切望しているらしい。

 

 理由までは分からないが、想像は出来る。

 

 誰か、大切な人が『近界』に連れて行かれたか、もしくは────。

 

「七海。答えを聞こう」

 

 ────考えを巡らせた所で、二宮の言葉に我に返る。

 

 二宮は険しい表情で、七海の姿を見据えている。

 

 曖昧な答えは許さない。

 

 そんな空気が、見て取れた。

 

「はい。お断りします」

 

 …………もっとも、七海の答えは決まっていたのだが。

 

 あまりにもあっさりとした返答に、二宮は眉間を釣り上げた。

 

「…………何故だ? 理由を話せ」

「俺の居場所は、『那須隊』にあります。『那須隊』を抜けてまで、遠征を目指す理由が俺にはありません」

 

 それに、と七海は続ける。

 

「ご存じでないかもしれませんが、俺は無痛症を患って日常生活用のトリオン体がなければ真っ当な生活もままならない身です。このトリオン体は特注なのでメンテナンスの必要もありますし、俺が遠征に同行する事は出来ません」

 

 そう、何も遠征行きが不可能なのは那須だけではないのだ。

 

 七海もまた、専用のトリオン体を日常的に使っており、そのメンテナンスに通う必要もある。

 

 まさか遠征に開発部の人間を連れて行くワケにも行かない以上、七海も遠征に行ける筈がなかったのである。

 

 確かに、七海の能力は遠征ではこの上なく役に立つ。

 

 流れ弾や不意打ちを察知出来、機動力も高い七海は遠征における斥候としてはこの上なく優秀だ。

 

 本人のクレバーな気質も、遠征部隊向きと言えるだろう。

 

 だが本人の無痛症に関する問題がある限り、七海が遠征に選ばれる事はない。

 

 これは開発部の鬼怒田からも、念を押されている事柄だ。

 

 それに、七海が遠征で長期間いなくなれば、那須の精神状態がどういう事になるのか全く以て不明である。

 

 関係を見詰め直す事で依存の度合いが表向きマシになったとはいえ、那須の精神の根幹に七海の存在が根差している事は間違いない。

 

 七海と長期間離れる事になれば、何をやらかすか分かったものではないのだ。

 

 それに、七海としても長期間那須と離れる事などゴメンである。

 

 何も、依存に近い感情を向けているのは那須の方だけではないのだから。

 

「…………そういう事か。無駄な時間を使わせたな」

「いえ、それだけ俺を評価してくれたという事ですし。お気持ちだけ受け取っておきます」

 

 七海の言葉に二宮はフン、と鼻を鳴らす。

 

 否定も肯定もしないという事は、七海に対する称賛に嘘がない事の証明だろう。

 

 七海は一礼すると立ち上がり、隊室を後にしようとする。

 

 しかし一つの事に思い至り、七海は二宮の方を見据え口を開いた。

 

「────次戦う事があれば、負けません。前回は無様な姿を見せましたが、今度は仕留めてみせます」

「フン、期待はしている。温い試合を見せるなよ」

「はい」

 

 そのやり取りを最後に、七海は『二宮隊』の隊室を後にした。

 

 その後姿を見送りながら、二宮はデスクから一つの写真を取り出した。

 

 そばかすな特徴的な地味な顔立ちの少女の写真を眺めながら、二宮は深い溜め息を吐いた。

 

 射手の王の心情は、常人には理解出来ない。

 

 もしかするとそれは、彼の普段の姿故の勘違いであり────。

 

「…………」

 

 ────彼の動機は、もしかするとありふれた、何処にでもあるものなのかもしれなかった。



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志岐小夜子③

「……成る程」

 

 七海は隊室のモニターで映像を見ながら、小さく頷いていた。

 

 彼が見ているのは、ROUND5における『香取隊』の試合である。

 

 『柿崎隊』と『諏訪隊』を相手とした試合であり、この組み合わせはROUND3で『香取隊』が辛酸を舐めた相手でもある。

 

 だが、ROUND5における『香取隊』の動きはROUND3の時とも、七海達と戦ったROUND4の時ともまるで違っていた。

 

 まず、香取が独断専行をしていない。

 

 開始直後から隊の三人全員がバッグワームを使用して隠密に徹し、『柿崎隊』と『諏訪隊』がかち合った時を見計らって横から奇襲。

 

 その奇襲で虎太郎・堤の両名を落とすと、即座に撤退。

 

 最後は柿崎と諏訪の一騎打ちに乱入し、両名を撃破。

 

 生存点を含め、6ポイントをもぎ取った。

 

 香取を乱戦に投入し、獲れる点を取った後は即座に撤退。

 

 最後には、疲弊した相手を横から落とすという真似もやってのけた。

 

 以前までの『香取隊』では、考えられない戦い方である。

 

 犬飼の言う通り、これは舐めてかかれるような相手ではない。

 

 元々、香取のポテンシャル自体はずば抜けて高いのだ。

 

 今まで成績が低迷していたのは、一重に戦術というものをまるで理解せずにただ香取の好きにやらせていたからだ。

 

 若村と三浦も、香取のその場その場でのフォローが精一杯で具体的な作戦指針を示したりもしない。

 

 だからこそ、『香取隊』は()()()()()()()()()()()()()()()()()()という状態だったのだ。

 

 今の『香取隊』には、以前のような不安定さは見られない。

 

 ()()()()()()()()()という香取の持ち味を活かし、適時香取を戦場に投入する事で点を取るスタイルがきちんと確立出来ている。

 

 途中途中の若村と三浦のフォローも的確なものであったし、犬飼が()()()()と言うだけはありそうだ。

 

 少なくとも、前のような戦術も何もなくただ香取が暴れるだけ、という状態からは脱している。

 

 香取を闇雲に暴れさせるのではなく適切に運用出来るようになったのであれば、『香取隊』は充分な脅威となる。

 

 『那須隊』としても、対策を怠れば足元を掬われるだろう。

 

 今回のMAP選択権は、『香取隊』にある。

 

 だが、前回と違いこちらの思い通りのMAPを選んでくれる事はない筈だ。

 

 この映像での立ち回りを見れば、そのくらいは理解出来る。

 

 前回の試合では、MAP選択から『香取隊』の行動に至るまでそのほぼ全てをコントロールする形で完封した。

 

 初見殺しを思う存分活かし、翻弄し切った戦いだったと言って良い。

 

 MAP選択権はあの時も『香取隊』にあったが、実質こちらがMAPを選んでいたのと変わりはなかった。

 

 しかし、今回は違う。

 

 ROUND5で、これだけの立ち回りを見せた『香取隊』だ。

 

 MAPも、きちんと考えられた戦術と共に選んで来るだろう。

 

 油断は出来ない。

 

 元より、するつもりもない。

 

 己の持てる全霊を以て、隊を勝利に導く。

 

 七海がやる事は、何も変わらない。

 

 やる事は、幾らでもある。

 

 今回の相手は、『香取隊』だけではないのだ。

 

 『ボーダー』随一の『旋空孤月』の使い手、生駒達人が在籍する『生駒隊』。

 

 こちらもまた、かなりの難敵である。

 

 隊長である生駒の扱う『旋空』の射程は、およそ40メートル。

 

 しかも本人が居合い抜きの技術を持っている為、剣速も凄まじく速い。

 

 武術の心得がある為、接近戦での立ち回りも抜群に上手い。

 

 以前に幾度か個人戦で戦った事はあるが、その時は個人戦用の立ち回りをしていた事もあって『旋空』の斬撃を掻い潜れずに落とされている。

 

 少なくとも、正面から戦り合えば分が悪い相手である事に間違いはない。

 

 無論、何も策がないというワケではない。

 

 だが、『生駒隊』の射手である水上は中々の切れ者だ。

 

 容易な策では、看破されて返り討ちにされるだろう。

 

 そんな考えを巡らせ、七海は取るべき策を思案する。

 

「あ、七海先輩。こんばんはです」

 

 不意に隊室の扉が開き、そこから小夜子が顔を出した。

 

 七海は小夜子に気付くと一旦映像を止め、向き直る。

 

「志岐か? どうした?」

「那須先輩から七海先輩がこっちにいると聞きまして。多分試合のログを見て対策立ててるんだろうなーと思って、お手伝いに来ました」

「そうか。助かる」

 

 小夜子の言葉を七海は特に疑問に思わずに受け入れ、小夜子はにこりと笑って七海の隣に座る。

 

 そして、七海と共に過去の試合ログを視聴し始めた。

 

「映像で見ると生駒さんの『旋空』って結構速いですけど、実際に戦ってみた時の感想はどうです?」

「ああ、映像よりもずっと速く感じたな。サイドエフェクトで感知してからの回避では、間に合わない可能性がある。生駒さんの『旋空』の射程に入りそうな時は、教えてくれるとありがたい」

「了解しました」

 

 小夜子はそう言うと凄まじいスピードで手元のキーボードを叩き、数値の入力を開始した。

 

 恐らく、ログの情報を元に各MAPでの生駒の『旋空』の射程範囲がどうなるのか、どういう場所が危険なのかをピックアップしているのだろう。

 

 その作業スピードはかなり速く、七海が横から見ても画面で様々な数値がとんでもないスピードで入力されて試算を繰り返しており目が追い付かない。

 

 心なしか普段よりも気合いが入っているように見えるのは、気の所為だろうか。

 

 そんな事が脳裏に過るが、さして重要な事でもない。

 

 七海はただ、小夜子の作業が終わるのを試合映像を見ながら待っていた。

 

「…………いつもいつも、志岐には苦労をかけるな。俺達のオペレートは、大変だろう?」

「いえ、私が望んで引き受けた事ですから。全然苦なんかじゃありませんよ」

 

 七海の言葉に、小夜子はそう言って笑みを漏らす。

 

 その笑みには何処か物寂しい空気が漂っていたが、七海は気付かない。

 

 元より、七海は人の心の機微には疎い。

 

 那須が相手であれば長年の付き合いである程度察する事は出来るが、逆に言えば幼馴染程の付き合いでもなければ相手の心証を察する事は難しい。

 

 小夜子の想いを理解しろと言っても、七海には酷な話だろう。

 

「七海先輩は、私の我が儘で那須先輩と戦う機会をこれまで逃し続けてしまいました。だからその分、私が頑張らないと。お二人に顔向け出来ません」

「いや、それは……」

「こればかりは、私の気持ちの問題です。七海先輩は気にしていないと言って下さいましたが、私なりにケジメはつけないといけませんから」

 

 小夜子はハッキリとそう告げ、有無を言わさぬ口調で言い切った。

 

 七海は「気にする必要はない」と言うつもりだったが、こうまで小夜子の意思が硬いと下手な気遣いは侮辱にあたる。

 

 そう考えた七海は渋々言いかけた言葉を飲み込み、それを察した小夜子は苦笑した。

 

「…………七海先輩は、ちょっと人に気を遣い過ぎです。此処は、思い切り詰っても良いくらいなのに」

「そんな事、出来る筈ないだろう? お前の事情は、熊谷から聞いている。過去のトラウマに苛まれる気持ちは、俺にも理解出来る。そんなお前を責めるなんて、俺には出来ないよ」

 

 それは七海の、偽らざる想いだった。

 

 七海は未だに、あの日の事を夢に見る。

 

 右腕を失い、朦朧とした意識の中で垣間見た光景。

 

 姉がその命を使って自分を助けた代償に、砂と化して崩れ去るあの瞬間の映像が。

 

 その悪夢を垣間見る度、七海は声にならない叫びと共に目を覚ます。

 

 そして、気付くのだ。

 

 自分の右腕が、今何で出来ているのかを。

 

 姉がもう、戻って来ない事を。

 

 そんな事が続き、あの大規模侵攻の直後には、碌に眠れない日々が続いていた。

 

 自分のそれとはベクトルが違うだろうが、小夜子のトラウマも決して軽く見れるものではない。

 

 信じていた相手に裏切られ、男性というものを信じられなくなった小夜子。

 

 その絶望は、苦しさは、彼女にしか分からない。

 

 男性恐怖症とて、彼女が望んでなったものではないのだ。

 

 たとえその男性恐怖症故に七海の入隊が遅れに遅れたのだとしても、七海にそれを詰る資格はない。

 

 他ならぬ七海が、そう強く感じていた。

 

 「お前の気持ちは分かるが」と言うのは簡単だが、人の気持ちなんて早々理解出来る筈もない。

 

 自分の気持ちが分かるのは、自分だけだ。

 

 他人はただ、()()しているだけで()()なんて出来ていない。

 

 七海が、三輪の想いに共感出来なかったように。

 

 似たような体験を経た者であっても、その感じ方や受け止め方は個々人によって異なる。

 

 それは環境による違いかもしれないし、本人の資質に依るものかもしれない。

 

 いずれにせよ、「お前の気持ちは分かる」なんて言葉を、他人はともかく自分が言うのは許容し難かった。

 

 あの時に抱いた想いは、絶望は自分だけのものだ。

 

 同じように、あの大規模侵攻で肉親を失った者は山ほどいる。

 

 身内が近界に攫われた者も、数多くいる筈だ。

 

 だが、あの時の絶望を共感出来るとすれば、あの時あの場にいた那須だけだ。

 

 姉の死を看取ったのは、自分と那須の二人だけ。

 

 自分と彼女(七海と那須)だけが、姉の死に対する想いを共感出来る。

 

 同様に、小夜子のトラウマ(絶望)は小夜子にしか理解出来ない。

 

 どうやら小夜子は自分の体験と七海の体験を比べて()()()()()()()()()()()()()()()()()と思っているようだが、それはお門違いというものだ。

 

 トラウマに、絶望に優劣などというものはない。

 

 確かに、傍から見れば彼女は何かを喪ったワケではない。

 

 家族はいるし、家が壊されてもいない。

 

 友達を喪った、という経験もしていない。

 

 だが、彼女の心はその一件で深く傷付けられたという事実は消えない。

 

 傷とは、何も目に見えるものだけではない。

 

 心の奥深くに刻まれた傷痕は、時に取り返しのつかない結果を生む。

 

 小夜子が男性恐怖症を患い、碌に外出が出来なくなっているように。

 

 目には見えずとも、彼女の心には確かに深く大きな傷が刻まれているのだ。

 

 それを、()()()()()()()()()()()()軽く見るなど、出来る筈もない。

 

 それは、彼女への侮辱だ。

 

 よく、引き籠った人間に対し「もっと頑張れ」などと言う人間がいるが、見当外れも甚だしい。

 

 全てがそうだとは言わないが、少なくとも大多数の人々は()()()()()()()()()()()()からこそ引き籠っているのだ。

 

 好き好んで、そうなったワケではない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()からこそ、引き籠っているのだ。

 

 つまり、引き籠っている人々は()()()()()()()()()そうなっているのだ。

 

 そこに()()()頑張れなどと言われれば、無茶ぶりをされていると感じて発言者に敵意を感じてもなんらおかしくない。

 

 塞ぎこんだ人間に対し、()()()という言葉は最大の禁句(タブー)なのだから。

 

 ()()()という言葉はスポーツ等何か大きな事をやっている()()の相手に発破の言葉としてかけるべきものであり、停滞した状況下にある相手にかける言葉としては論外だ。

 

 無論、小夜子に関しても同じ事が言える。

 

 彼女の男性恐怖症は、拭い難い心的外傷(トラウマ)に起因するものだ。

 

 心に刻まれた傷は、自分でもどうしようもないものだ。

 

 何か劇的な切っ掛けがない限り、そう簡単に払拭出来るものではない。

 

 そんな状況下で、小夜子は男性である七海の入隊を受け入れる事が出来た。

 

 これは、誇るべき成果である事に間違いはない。

 

 七海がそんな()()()()小夜子を詰る事など、出来る筈もなかったのである。

 

 …………まあ、肝心の小夜子の本心については、何一つ気付いていないのが困りものではあるのだが。

 

「むしろ、礼を言うのは俺の方だ。志岐が俺を受け入れてくれたから、今の俺がある。他人がどう思うかなんて関係ない。お前はきちんと、胸を張るべきだよ。『那須隊』の、優秀なオペレーターとしてな」

 

 

 

 

「……先輩……」

 

 小夜子の瞳が、潤む。

 

 七海としては、なんてことのない労いの言葉だったのだろう。

 

 だが、小夜子にとってそれは別の意味を持つ。

 

 七海はあくまで、()()()()()()()()()()()()()を称賛している。

 

 それはつまり、()()()()()()()()()には目を向けてすらいない事の証明でもあった。

 

 …………分かっていた、事だった。

 

 だって、知っているのだ。

 

 小夜子は、七海の想いが誰に向いているのか、知っている。

 

 その上で、この道を選んだのだ。

 

 もし、この場で自分の想いを吐露して七海に縋り付けたらどんなに良い事だろう。

 

 そうしたい、という気持ちがないと言えば嘘になる。

 

 けれど、そんな事は出来ない。

 

 七海はまだ、正式に那須と恋人の関係になったワケではない。

 

 だが、この間の一件で二人はお互いの気持ちを確認している。

 

 近い将来、彼等二人の関係は変革を迎えるだろう。

 

 それを焚き付けたのは、自分だ。

 

 慣れない罵倒までして、那須を焚き付けたのは他ならぬ小夜子なのだ。

 

 そんな自分が、那須を裏切る事など出来よう筈もない。

 

「……あ……」

「悪い、何か気に障ったか? 俺が原因なら謝るが……」

 

 不意に、七海の手が小夜子の頭を撫でた。

 

 七海としては、特に意味のない行為だったのかもしれない。

 

 もしかすると普段、那須に同じ事をしている為に癖で出たのかもしれない。

 

 けれど、その優しさは小夜子の心を揺り動かし、そして────。

 

「え、志岐……?」

「…………少し、このままでいさせて下さい。大丈夫、すぐ済みますから……」

 

 ────寄りかかるように、小夜子は七海に抱き着いた。

 

 七海は突然の小夜子の行動に困惑しながらも、そんな彼女を受け止める。

 

 小夜子は七海の抱擁の温かさを感じながら、穏やかな顔で目を閉じた。

 

 もう少し、このままで。

 

 叶う事はない恋慕なれど、このくらいはいいだろう。

 

 そんな想いを抱きながら、小夜子は一時の安らぎを味遭っていた。

 

 …………その日の夜、七海から小夜子の匂いがする事に気付いた那須の笑顔が凍り付き、小夜子のフォローがあるまで殺伐とした空気が発生する事になるのだが、それはまた、別のお話。



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七海と那須③

 …………ぱくぱくぱくぱくぱくぱく…………

 

「ん…………やっぱり美味しいわね。此処のどら焼き」

 

 …………もぐもぐもぐもぐもぐもぐ…………

 

「上手いなホント。幾らでも食えるぞ」

 

 ────────自分は一体、何を見せられているのだろう。

 

 ふと、七海はそんな事を考えた。

 

 七海は、那須とデートをしていた筈だ。

 

 なのに。

 

 なのに。

 

 何故、行った先の店で一心不乱に和菓子を食べているクール系美女(月見蓮)残念な師匠(太刀川慶)の姿を見るハメになっているのか。

 

 全ては、先日の那須との間の一騒動の件まで遡る。

 

 

 

 

「────小夜ちゃんの匂いがする」

「え……?」

 

 冷たい視線が、那須から七海に突き刺さる。

 

 七海が隊室で小夜子と共に試合ログを見た日の夜、「お帰り」と言いながらコツン、と那須が七海の胸元に顔を埋めた直後、急に顔色を変えた那須がそう言い放ったのだ。

 

 那須の視線には何処か怯えの色があり、同時に疑心の類も感じ取れる。

 

「……っ!」

 

 そこで、七海が気付く。

 

 那須の言葉に、思い当たる節があったからだ。

 

 ────…………少し、このままでいさせて下さい。大丈夫、すぐ済みますから……────

 

 あの、作戦室での出来事。

 

 何処か泣きそうな顔をした小夜子が抱き着いて来た時、七海は暫くの間小夜子の好きにさせていた。

 

 小夜子がそうなった原因が分からなかった七海だが、あそこで小夜子を突き放すという選択は取れなかった。

 

 あの時の小夜子は、今にも消えてしまいそうな────────とても、儚い存在に思えてならなかったのだ。

 

 だから、単純な気遣いで七海は小夜子の行為を受け入れた。

 

 七海は、必要だと判断しない限りは他人の内面には踏み込まない。

 

 相手がそれを求めているのであればともかく、ただでさえ他人の心情を解するのが苦手な自分が下手に踏み込めば相手を傷付ける可能性がある以上、余計な干渉は得策ではない。

 

 自分は、誰も彼もの事情を背負える程強くはないし、勝手に背負った所で相手にとっては迷惑だろう。

 

 自分が背負えるのは、精々自分の身内だけ。

 

 那須隊の面々と、玉狛の人達。

 

 それ以上は、恐らく自分の手に余る。

 

 『ボーダー』が様々な事情を抱えた者達が集う場である以上、それぞれ抱えるものがあるのは当然だ。

 

 中には「自分の理由なんて大した事はない」と言う者はいるが、研鑽を積み正隊員となった以上は考えなしで戦っている者など誰もいない筈だ。

 

 研鑽を積み、戦う中で葛藤し、それでも前を向く。

 

 それが出来る者しか、正隊員にはなれないのだから。

 

 そんな人々の事情を、所詮は他人に過ぎない自分が全て抱えるなど傲慢も良い所だ。

 

 それが出来るとすれば、未来を視る事が出来る迅だけ────────とは、思わない。

 

 迅は確かに特殊な力(未来視)を持っているが、それでも同じ人間である事に違いはない。

 

 風船を膨らませ過ぎれば破裂するように、迅とて抱えられる荷物の限度はある。

 

 むしろ、自分よりもずっと長く戦い続けてきた迅の抱える重荷(想い)は想像を遥かに超える筈だ。

 

 だからこそ迅は、人との間に一定の距離を置いている。

 

 自然に視えてしまうものだけでも手一杯なのに、個々人の事情にまで深く踏み込むような余裕はきっと彼にはないのだろう。

 

 故に迅は人を煙に巻き、距離を置く。

 

 その手に抱えた荷物(想い)を、落とさないように。

 

 七海のスタンスは、ある意味ではそんな迅の模倣である。

 

 いや、模倣というのは言い過ぎだろう。

 

 自分は、迅のような広い視野は持っていない。

 

 だからこそ、その手に収めたものを溢さないように、他者への余計な干渉は控えている。

 

 ただ、それだけなのだ。

 

 やり方としては、間違っているワケではない。

 

 なんでもかんでも背負い込めばいずれ自分の限界(キャパシティ)を超えてしまい、手にしたものさえ失うだろう。

 

 しかし、だからといって他人に無関心ではコミュニケーションすらままならない。

 

 そのあたり、『ボーダー』に入ったばかりの頃の七海は()()が効いていなかった。

 

 七海のその極端な性質を何となく察して世話を焼いていたのが、影浦を始めとする攻撃手の面々である。

 

 本来であれば玉狛支部の面々がその役割を担う筈であったが、当時の迅や小南は大切な仲間であった七海玲奈を喪った心の欠落を隠し切れておらず、心に余裕があるとは言い難かった。

 

 特に小南は玲奈の面影が色濃く残る七海の顔を見ていると悲しみがぶり返すのか、意図的に七海の事を避けていた時期もあった。

 

 一定期間を置いて自分の心に折り合いを付けて七海に積極的に絡むようになったあたり、小南の精神力は流石と言えるが、それでも七海と正面から向き合う事が出来ない時期があったのは事実である。

 

 その間を埋めたのが、影浦や村上、荒船といった面々である。

 

 影浦は自分の家(お好み焼き家)等に引っ張って行き、自分の事情等を語って七海に仲間意識を持たせ易くした。

 

 村上は真っ先に来間の所に連れて行き、隊の面々総出で親交を深めて人と関わり合う楽しさを教えた。

 

 荒船は戦闘における基本的な動き方や勉強などを見てやり、時折映画に連れて行っては感想を聞いて共感について学ばせた。

 

 三者三様のやり方ではあるが、七海が当時のコミュ障とも言えるレベルから今の状態にまでなれたのは、この三人の奮闘が大きいと言える。

 

 これがなければ、七海は那須以外の人間との関わり合いに価値を見出せず、必要最低限の事しか口にしない淡白な人間になっていただろう。

 

 今の七海は表面上は淡白に見えるが、その実熱い想いを秘めた人間だ。

 

 戦友達と競い合うのは楽しいし、鍛錬で己を磨いていく感覚も嫌いではない。

 

 友人達と出かけるのは彼の楽しみの一つであるし、勿論那須達との交流も彼を構成する欠かせないファクターだ。

 

 生きる上での楽しみを思い出させてくれた彼等には、七海としても感謝しかない。

 

 だから、七海は()()と認定した相手には極端に甘くなる傾向がある。

 

 故にこそ、縋り付いてきた小夜子をそのまま受け止めてしまったのだ。

 

 …………その行為の意味を、察する事なく。

 

 那須は帰宅してきた七海の胸に顔を埋めた時点で、小夜子の匂いが彼に移っている事に気が付いた。

 

 七海と違い、那須は小夜子(かのじょ)が抱える想いを知っている。

 

 勿論、小夜子の事は信じてはいる。

 

 だが、理解と納得はまた別だ。

 

 頭では()()()()()()()と思っていても、()()()()()という疑念は拭えない。

 

 だからこそ、那須は七海を正面から問い質す事にしたのだ。

 

 ROUND3までの彼女であれば、その想いを押し殺したまま自分の中で抱えていただろう。

 

 だが、あの時他ならぬ小夜子に発破をかけられた彼女に今更迷いや躊躇いはない。

 

 七海が自分に向ける想いを確かに実感出来た那須は、正面からぶつかる事を覚えた。

 

 以前よりも那須が自分の意見をハッキリと言うようになった事は、七海としても歓迎している。

 

 だからこそ七海は、正直に隊室での小夜子との一件を話した。

 

「…………そう…………」

 

 それを聞いた那須の心境は、複雑だ。

 

 七海が自分に嘘をつく筈がなく、小夜子の行動も少し魔が差した程度の事だろう。

 

 明確な裏切りとは、正直思っていない。

 

 だからこそ、那須はどう反応するべきか迷っていた。

 

 小夜子と距離を置け、とは流石に言えない。

 

 七海は以前と違い、那須の言葉に唯々諾々と従う事は止めている。

 

 そんな事を言えば、必ずその()()を問い質して来る筈だ。

 

 小夜子の想いはあくまで彼女のものであり、自分が語って良いものではないと那須は考えている。

 

 しかし、小夜子との一件を聞いて悶々としているのも確かだ。

 

 どうするべきか。

 

「ん……?」

 

 そう悩んでいた那須の下に、電話がかかってきた。

 

 表示された名前は、渦中の小夜子。

 

 那須はノータイムで通話ボタンを押し、小夜子からの電話を受けた。

 

『こんばんは、那須先輩。きっと、そろそろ修羅場ってるだろうなと思って連絡しました』

「…………小夜ちゃん…………なんで、そう思うの?」

『だって、那須先輩が七海先輩に他の女の匂いが付いてるのを見逃す筈がないじゃないですか』

 

 あくまであっけらかんと言う小夜子の言葉には、妙な実感が籠っていた。

 

 実際その通りではあるのだが、こうまでお見通しだとなんだかむず痒くなってくる。

 

 どうにも、彼女には勝てそうにない。

 

 色々な意味で、そう思った那須であった。

 

『一つ言っておきますと、七海先輩とは何にもなかったですよ? 私としてはそのまま押し倒されてもオールオッケーでしたけど、そんな展開にはなりませんでしたしね』

 

 あくまで私が抱き着いただけです、と小夜子は言う。

 

 その言葉に、誤魔化しの気配はない。

 

 ただ本当に、魔が差しただけ。

 

 そういった、ニュアンスだった。

 

『いやまあ、七海先輩にも参りましたよ。あんな事言われちゃ、甘えたくもなっちゃいますもん。それでも軽率な行動だったのは事実なので、こうして連絡したワケです』

 

 敢えて軽く、小夜子は告げる。

 

 この間のように女の情念たっぷりに言う事も出来た筈だが、小夜子としてはあまり那須に深刻になって貰いたくはないのだろう。

 

 だからこそ敢えてお茶らけるように話し、那須の緊張を和らげているのだ。

 

 勝手知ったる恋敵、そのあたりの機微は見逃さないのである。

 

『那須先輩には、七海先輩に私と距離を置けって言う権利はあると思いますけど、先輩の性格上それは無理ですよね? だったら、少し私が何かしても気にならないよう、七海先輩と距離を詰めて置くのをお勧めします』

「距離を、詰める……?」

 

 ええ、と小夜子は那須の言葉を肯定する。

 

『ちょっと、デートでも行って来たらどうです? 少しは気晴らしになると思いますよ』

 

 

 

 

 こうして、小夜子の提案を受けた那須と七海は翌日デートに洒落込む事になったのであった。

 

 二人共、外出の為に日常用のトリオン体に換装済み。

 

 七海は、黒のジャケットに白シャツとスラックスを。

 

 那須は、グレーのチェスターコートとデニムシャツ、水色のカラーパンツをそれぞれ纏い、三門の街へ散策に向かった。

 

 ウインドウショッピングを堪能し、書店で本を眺め、映画を見た。

 

 そのいずれもが欠け替えのない時間であり、二人の顔には自然と笑顔が浮かんでいた。

 

 例の()()を聞いてからここの所、気を張り詰めさせていた反動もあったのだろう。

 

 思考が近いうちに訪れる大きな戦いにばかり向いていて、いつの間にか日常というものを疎かにしがちだった気がする。

 

 思いがけず訪れた日常の味を、二人はしっかりと噛み締めていた。

 

 

 

 

 ……………………此処までであれば、良い話で終わっていたのだ。

 

 問題は、那須が和菓子が食べたいと言い出し、三門市でも有数の老舗である和菓子屋『鹿()のや』にやって来た時の事だ。

 

 この店はボーダー女子の中でも好む者の多い『いいとこのどら焼き』が売っている店であり、奥の座敷で和菓子を頂く事も出来る。

 

 折角だからと和菓子を購入して奥の座敷に向かった二人を待っていたのが、太刀川と月見(予想外の二人)だったワケだ。

 

 どうやら大好きな和菓子を食べたくなった月見が偶然居合わせた太刀川を誘い、この店にやって来たらしい。

 

 一人で来る事も考えたらしいが、月見は類い稀な美貌を持つ美女である。

 

 そんな彼女が街を出歩けば、悪い虫が腐る程やって来るのは容易に想像出来る。

 

 だから彼女は、()()()として太刀川を連れてきたらしい。

 

 ボーダーの中でもトップクラスの実力を持つ太刀川は、広報部隊の嵐山隊程ではないが顔が知られている。

 

 …………隊服が黒コートというある意味不審者ちっくな代物なので、通報されないように顔を広めたという側面がないワケでもない。

 

 私生活は残念極まりない太刀川ではあるが、不思議な空気感がある為有象無象を遠ざけるには丁度良い()()になるのだ。

 

 太刀川と月見は幼馴染の間柄である為、気心も知れている。

 

 要は手軽に使えるボディーガードとして、太刀川を連れ出してきたらしい。

 

 和菓子に目がないのは太刀川も同じなので、特に断る理由もなくほいほいと付いて来たらしい。

 

 問題は。

 

 二人の食べる和菓子の量が、尋常ではない事だ。

 

 太刀川は両手に抱える程の餅系の和菓子を笑顔で食べ続けているし、月見は太刀川を通路側に配置して自分の手元が見えないようにした上で太刀川と同程度の量の様々な和菓子を黙々と食べている。

 

 和菓子好きとは聞いていたが、どうやらちょっとやそっとの()()ではなかったらしい。

 

 もしかすると、何か良い事があって箸が進んでいるのかもしれない。

 

 傍から見ると、長身の男性と長身の美女が淡々と和菓子をかっ喰らっているワケで、シュール極まりない絵面と言えた。

 

 出水や月見がオペレーターを務める三輪隊の面々が目撃すれば、頭を抱えるであろう事は間違いない。

 

 目撃者となってしまった那須と七海も、暫くは空いた口が塞がらなかった程なのだから。

 

「……はぁ……」

 

 訂正。

 

 少なくとも七海の方は、太刀川のオフの時の様子は見慣れている。

 

 吐いた溜め息には、「またか」という感情がありありと見て取れた。

 

 しかし月見の手前、口出しして良いかものなのか判断がつかない。

 

「御免なさい。ちょっと、見苦しい所を見せたわね」

 

 そんな心情はとうに察していた月見は、一度和菓子を食べる手を止めるとそう言って謝意を見せた。

 

 ぎょっとなる七海に対し、月見はくすりと笑みを浮かべる。

 

「知っての通り私生活は色々と論外な太刀川くんだけど、こういう時は便利なのよ。仮にも幼馴染という間柄なのだから、使えるものは使うべきでしょう?」

「おいおい、そりゃ幼馴染って言うよりメシ使いとかそこらじゃないか?」

「太刀川くんに召使いが務まるとは思えないわね。精々雑用が良い所じゃないかしら?」

 

 召使いの発音が何処かおかしかった事は完全にスルーし、月見はそう言って太刀川の意見をばっさり切り捨てる。

 

 幼馴染だけあって、慣れたものだ。

 

「ん? メシ使いってメシの為に使われる奴の事じゃないのか? なんで雑用になるんだ?」

「ねえ太刀川くん、ちょっとその色々ふざけた頭の中身を見せて貰っても良いかしら? 物理的に」

 

 …………その月見も、太刀川の妄言ならぬ迷言に対してはノータイムで罵倒が飛ぶようではあるが。

 

 とうの太刀川は何故自分が詰られたのか理解出来ず、首を捻る有り様だ。

 

 流石はdangerをダンガーと読む男。

 

 色々な意味で、規格外である。

 

「…………その、色々と大変ですね……」

「頭が痛くなる事は多いけれど、これはこれで慣れたものよ。私って、才能あるダメ男を見ると育てたくなるタイプみたいで、その点で言えば三輪くんといい太刀川くんといい逸材揃いで嬉しい限りだわ」

 

 さり気なく太刀川だけでなく三輪もディスりながら、月見は続ける。

 

「折角才能はあるのに、それを伸ばさないなんて損失でしかないじゃない? 太刀川くんも、人間性は残念極まりないけど戦闘に限定すれば頭も回るようになるから、叩き直し(チューンナップ)はやり易かったわ。少し、やり過ぎた気がしないでもないけど」

「んー? チュンチュン(小鳥の鳴き声)がどうしたって?」

「戦闘以外は脳みそ空っぽなのも矯正すべきだったかしら」

 

 でもそうなると戦闘能力が落ちちゃうのよね、と月見はさらっと容赦ない批評を下している。

 

 このあたりの遠慮のなさは、七海達からしてみると新鮮に映る。

 

 同じ幼馴染でも、この二人の間には甘酸っぱい匂いなんて一切しない。

 

 ただただドライな、本当の意味で遠慮のない関係に見えた。

 

「でも、太刀川さんを虫除けにし続けると男性との出会いなんかもないのでは?」

「そうなったら太刀川くんを婿入りさせるから問題ないわ。彼、お相手が見つかるとはとてもとてもとても思えないし。下手に野に放つより、首に縄かけておいた方が良さそうな気がするのよね」

「…………あー…………」

 

 「その方が調…………矯正もやり易いし」と、聞きようによっては猟奇的に思える月見の発言だが、那須はその言葉の裏に本気の色を見て取った。

 

 どうやら、この二人の関係性も自分達に負けず劣らず複雑なようだ。

 

「では、俺達はこのあたりで」

「はい、お邪魔しました」

 

 触らぬ神に祟りなしとばかりに、二人は踵を返して座敷の前から立ち去った。

 

 これ以上、此処にいるのはなんだか不味い気がする。

 

 そんな予感に従い、二人はその場を後にした。

 

 

 

 

「お似合いね。あの二人」

「前と違って那須の言いなりにはなってないみたいだしな。これまで以上に七海が強くなるなら、俺としちゃ大歓迎だ」

 

 二人が立ち去った後、月見と太刀川はそう言って笑みを浮かべていた。

 

 特に太刀川の笑みは肉食獣のそれであり、獰猛な戦闘欲が見て取れる。

 

 そんな幼馴染を見て、月見は薄っすらと笑みを浮かべた。

 

「あの太刀川くんが師匠だなんて、初めて聞いた時には耳を疑ったけれど…………案外、良い師匠をやれてるみたいね」

「どういう意味だそりゃ? けど、お前も意地が悪いよな。俺を婿にとかどうとか冗談言って、あいつ等を追い出す事はなかっただろ」

「あら、聞こえていたのね」

 

 月見はそう言うと身を乗り出し、太刀川の顔を覗き込んだ。

 

 その様子に太刀川は妙な迫力を感じ、息を呑む。

 

「冗談だと思うの? ねえ、太刀川くん」

「…………へ…………?」

 

 ────その時程、目の前の幼馴染が怖いと思った事はない。

 

 後日、冷や汗を流しながらそんな言葉を漏らす太刀川の姿があったとのことだった。




 デート回書くつもりが色々予定外に。筆が滑った結果なので致し方なし。

 仕方ないんや。和菓子屋書こうと思った時点で脳内で太刀川と月見さんが「和菓子食いたい」ってアポ取って来たもんでつい。

 創作仲間に文章に【】が多すぎて読み難いって指摘を受けて直してみたらその通りだったので、これまでの話の戦闘シーンに修正かけてます。

 それからスクエアのワートリ最新話、見たで。

 ネタバレになるんで深くは語らないけど。

 帯島ちゃん、仕草がいちいち女の子らしくて可愛い。


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七海と那須④

「しかし、まさか『鹿のや』に行ってあの二人に遭遇するなんてな。流石に予想外だ」

「色々びっくりしちゃったね。月見さんって、ああいう人だったんだ」

 

 三門の繁華街を歩きながら、クレープを頬張る男女が二人。

 

 『いいとこのどら焼き』で有名な和菓子屋『鹿のや』を後にして街を散策していた七海と那須は、ふとした会話から先程の事を想起する。

 

 和菓子をかっ喰らう太刀川(駄師匠)の様子は七海からしてみれば普段通りそのものであったが、それに付随していた月見のインパクトが良くも悪くも強過ぎた。

 

 怜悧な美貌を持つスパルタ式クールビューティのイメージで通っている月見だが、彼女の太刀川の()()()に関して見るのは初めてだった。

 

 恋愛している男女のような甘酸っぱい雰囲気こそなかったものの、月見が太刀川に向ける視線の中には空恐ろしい情念というか、執着のようなものが見て取れた気がする。

 

 多分、色々と複雑な関係なのだろう。

 

 少なくとも、那須の眼には月見は自分と同程度────────否、それ以上に()()女に見えた。

 

 駄目男好きの性癖を持っているようだが、彼女の場合自分の手で相手を叩き直して成長させる事に遣り甲斐というか、生き甲斐を見出しているように思える。

 

 恐らくそんな月見にとって、才能ある駄目男の典型であり叩いても叩いても図太く立ち上がる太刀川は格好の育成対象なのだろう。

 

 ……………………今脳裏に『調教』という文字が浮かんだ気がしたが、気にしてはいけない。

 

 月見が色んな意味で女王様だったなんて、口が裂けても言えない。

 

 その光景を容易に想像できるので、すぐさま頭を切り替えた那須であった。

 

 きっと、それが正解。

 

 あの手のタイプは、自分の所有物に余計な干渉をする相手には容赦しない。

 

 だって、他ならぬ自分がそうなのだ。

 

 愛が重い女(同類)として、この感覚が間違っていないと確信出来る。

 

 例の一件で落ち着いたとはいえ依存癖も交じっている自分とは異なる部分もあるだろうが、執着対象に手を出された女のやる事など決まっている。

 

 ────────戦争(クリーク)だ。戦争(たたかう)しかない。

 

 軽い干渉であれば警告程度で済ませるが、そうでなければ即粛清(おしおき)

 

 それが、愛が重い女(じぶんたち)のやり方である。

 

 那須は確かにROUND3の後の小夜子の発破を経て落ち着きを見せるようになったが、その本質は微動だにしていない。

 

 今回、七海に女の匂いが付いていたのに許容したのは相手が小夜子だからである。

 

 もし彼女以外の女の匂いが七海に付いていた場合、那須の取る行動は決まっている。

 

 無論、殴り込み(カチコミ)である。

 

 自分が七海を好いている事は、ボーダーの中では知らない者は殆どいない筈だ。

 

 それを知りながら七海に近付いた以上、それは自分への宣戦布告(ちょうはつ)と見做す。

 

 相手をどういうつもりなのか問い詰め、然るべき()()を以て対処する。

 

 勿論、力づくなんてスマートさの欠片もない事はしない。

 

 那須は自分が笑顔で殺気を向けた時の威力を、半ば自覚している。

 

 美人が怒ると怖い、という言葉を聞くが、それは事実だ。

 

 那須程に整った顔の少女が笑顔で威圧すれば、大抵の相手は委縮する。

 

 後は相手が()()()()()()()()()()言葉で散々脅しをかけた後、問題にならないように言い含めるだけだ。

 

 実際、何も知らずに七海に言い寄って来たC級の女子隊員はその()()を受けてからは二度と七海や那須に近寄る事はなくなった。

 

 そんな事を、那須はこれまでに幾度も繰り返しているのだ。

 

 那須は、確かに七海が傷付いても過度に取り乱さなくはなったし、七海が自分の言う事を全て聞いてくれると思い込む事もなくなった。

 

 だが、七海に近付く女がいれば小夜子(唯一の例外)を除いて容赦はしないし、むしろ以前よりも独占欲を大っぴらにするようになった。

 

 感情を制御する術を学んでいても、那須の七海への執着は全く衰えていない。

 

 それどころか、独占欲は以前より強くなっている有り様である。

 

 以前の那須は七海へ対する自分の感情を誤魔化していたが、今の那須はそれを自覚している。

 

 更に七海の気持ちを確認した事で、那須が抱いていた躊躇いも露と消えた。

 

 ちょっとやそっとでは揺るぐ事のない、恋愛的な一種の開き直り状態(無敵モード)に近い。

 

 今の彼女を揺るがせるとすれば、唯一の例外たる正当な恋敵(小夜子)のみ。

 

 それ以外の女は、有象無象に過ぎない。

 

 そんな那須からしても、月見蓮という女傑は決して()()()()()()()()()()()()に思えた。

 

 組織の都合などで敵対するならまだしも、彼女()()の逆鱗には触れてはならない。

 

 これは最早理屈ではなく、女としての直感だ。

 

 触らぬ神に祟りなし。

 

 争ってもデメリットの方が大きい以上、余計な干渉は控えるべきだ。

 

 …………まあ、もしも万が一七海に要らぬちょっかいを出した場合は即刻戦争だが、その可能性はまずない。

 

 相手の方も、自分が同じ穴の貉(どうるい)であると気付いた筈だ。

 

 かなりの切れ者という話らしいし、不必要な面倒を背負い込むような真似はしないだろう。

 

「あ、この桃クレープ美味しい」

「こっちの苺クレープも中々だな。とは言っても、俺は薄くしか味は分からないが…………食べてみるか?」

「うん。じゃあ少し頂こうかな」

 

 あーん、と口を開ける那須に、七海は苺クレープを差し出した。

 

 差し出されたクレープを一口ぱくりと食べてご満悦な那須は、余計な思考を打ち切った。

 

 今は、デート中だ。

 

 先程感じた月見の脅威度から思わず考えを巡らせてしまったが、今はそんな事に頭を回すべきではない。

 

 折角、小夜子が迂遠な方法で後押しをしてくれたのだ。

 

 今はただ、このデートを思いっきり楽しむべきだろう。

 

「ん、おいし」

「そうか。残りも食べるか?」

「ううん、後は玲一が食べて。流石にクレープ二つ全部は多過ぎるわ」

 

 そうか、と言って七海は残った苺クレープを食べ始めた。

 

 口にクリームがつかないよう、器用に食べる七海を見ながら、那須は自分の桃クレープを賞味した。

 

 ふと、思う。

 

 七海は苺クレープを「美味しい」と言っていたが、それは本当であれば正しくない。

 

 彼の生身の味覚は、無痛症によって失われている。

 

 今七海が使用しているトリオン体を以てしても、「薄く何の味か分かる程度」にしか彼は味覚を感じ取れない。

 

 彼が本当の意味で味が()()()のは、影浦の用意した特注の濃さのお好み焼きや、レイジが味を調整した料理のみ。

 

 それ以外の料理は、()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 少なくとも、普通の店屋物ではまず味が分からないに違いない。

 

 なのに「美味しい」と言ってくれたのは一緒にいる那須への気遣いだろうが、その事に那須は忸怩たる思いを感じていた。

 

 七海が本当に()()()()と言える料理を食べるには、影浦の家か玉狛支部に行くしかない。

 

 だが、折角のデートに第三者を巻き込むのは少々気が乗らなかった。

 

 影浦やレイジ(かれら)が嫌いなワケではないが、二人きりのデートの機会など最近殆どなかったのだから今はそれを満喫させて欲しい。

 

 こればかりは、流石に譲れない。

 

 先程は予想外の遭遇(アクシデント)があったものの、これ以上誰かの横槍が入るのは勘弁願いたいところである。

 

 しかし、このまま食べ歩きを続けたとしても本当の意味でそれを楽しめるのは自分だけ。

 

 かと言って、あまり多趣味とは言えない自分達が行けるようなデートスポット(映画館や書店)はもう巡ってしまった。

 

 服は最初に見て回ったし、それなりに買い物もしたのでこれ以上の余計な出費は控えたいところである。

 

 お金に余裕がないワケではないものの、余裕があるからといって際限なく使って良いというものでもない。

 

 買い食い程度なら多少の出費で済むが、それでは七海が楽しめない。

 

 ならばどうするか。

 

(…………あ…………)

 

 不意に、脳裏に過る場所があった。

 

 デートの行き先としては、お世辞にも相応しいとは言えない。

 

 きっと、楽しい気持ちでもいられないだろう。

 

 だけど。

 

 それでも。

 

 ────────今行くべきだと、そう思ったのだ。

 

「玲一」

「なんだ? 玲」

「ちょっと、付いてきて欲しい場所があるんだけど……」

 

 おずおずと切り出した那須の眼を見て、七海は僅かに微笑み────。

 

「分かった」

 

 ────即座に、頷いた。

 

 

 

 

 二人が向かったのは、警戒区域の一角だった。

 

 不自然なまでに整地された、無人の住宅街。

 

 その一角に、不自然に広がる空き地がある。

 

 目的地に着いた七海は、目を見開いて驚きを露わにしていた。

 

「此処は……」

「…………覚えてる、よね。七海の家が、あった場所。そして────」

 

 ────七海の姉(玲奈)が、亡くなった場所。

 

「そうか……」

 

 七海は深く、溜め息を吐く。

 

 そう、此処は他ならぬ七海があの大規模侵攻の時まで住んでいた場所であり────。

 

 ────同時に、七海の姉が自らを黒トリガーに変えて命を喪った場所でもある。

 

 七海が、あの日以来この場所に来るのは初めてだ。

 

 黒トリガーと化し、身体が砂となって崩れて消えた玲奈の墓には、彼女の遺体も遺灰もない。

 

 玲奈の遺骸とも言うべき砂は、殆ど風に溶けて消えてしまった。

 

 故に、玲奈が眠る場所という事であればこの場所が最も相応しい。

 

 けれど、七海にはこの場を訪れる勇気がなかった。

 

 未だ彼女の遺品(黒トリガー)を起動出来ない己が、姉の本当の墓に見舞う権利はないと考えていたからだ。

 

 那須は勿論、そんな七海の葛藤は知っている。

 

 知っていて、此処に連れて来たのだ。

 

 彼をこの場所に連れて来るには、今しかないと考えて。

 

 再び、この世界が近界の大きな脅威に晒されている今こそ、彼を此処に連れて来るべきであると考えたのだ。

 

 七海は今でも、黒トリガーを起動出来ない事を気に病んでいる。

 

 彼を蝕む過去の疵は、未だ色濃く残っている。

 

 だからこそ、此処でもう一度自分の過去(きず)と向き合うべきだと思ったのだ。

 

 …………以前の那須であれば、考えられない行動であった。

 

 以前までの那須であれば、七海を()()()()()()を最優先に考え、不用意に七海の内側へ踏み込もうとはしなかった。

 

 だが、今は違う。

 

 小夜子(恋敵)の発破を受けて変わった那須は、傷付く事を恐れない。

 

 この場所は、那須にとっても忘れ難い悲劇の象徴だ。

 

 今こうしているだけでも胸を締め付けられる感覚を覚え、今すぐに踵を返して立ち去りたくなる。

 

「…………」

 

 だが、それは出来ない。

 

 他ならぬ七海が歯を食い縛って己の傷痕(過去)と向き合っている以上、自分が目を背けてはならない。

 

 那須は顔を上げ、目の前に広がる空き地を見据える。

 

 ────ごめんね。遅くなって────

 

 目を閉じれば、当時の玲奈の言葉が蘇って来る。

 

 ────分かってる。大丈夫だよ。玲一は、私が助けるから────

 

 自分が縋り、その望みを聞き届けたのは彼の姉である玲奈だった。

 

 ────お姉ちゃんの()()を使って、玲一を助けるから。辛い想いをさせちゃうだろうけど、それでも玲一には生きていて欲しいから────

 

 その結果として、玲奈は自らの命を使って七海の右腕を補填した(命を助けた)

 

 ────だから、お願い。玲ちゃんと一緒に、生きていて。お姉ちゃんの分まで、玲一には幸せになって欲しいんだ────

 

 七海の未来(これから)を、守る為に。

 

 彼女は、その身を犠牲にしたのだ。

 

 ────さよなら、玲一。ずっと、見守っているからね────

 

 ────二人の心に、大きな傷跡を残して。

 

 彼女の死は、未だに二人の心を縛り付けている。

 

 二人だけではない。

 

 迅も、小南も、玲奈と関わりを持っていた全ての人々が、彼女の死を忘れられずにいる。

 

 否、忘れて良いようなものではない。

 

 遺された自分達に出来る事は、嘆き悲しむ事ではなく、彼女の遺志を継いで前に進む事。

 

 しかし、それは容易く出来るようなものではない。

 

 これまで、その疵に縛られて正面からお互いの気持ちに向き合う事の出来なかったのが自分達(那須と七海)だ。

 

 けれど、今は違う。

 

 七海も那須も、お互いの気持ちにきちんと向き合えるようになった。

 

 過去から、逃げる事を止めた。

 

 今なら、この過去(傷痕)とも向き合える筈。

 

 そう信じて、那須は七海に声をかけた。

 

「いきなり連れて来て、ごめんなさい。でも、今しかないと思ったの。私達の気持ちにきちんと向き合えるようになって、大きな戦いが来ようとしている今だからこそ、此処に来るべきだと思ったの」

「玲……」

「だから、此処で一緒に玲奈さんに言おう。自分達が、どうするべきか…………どうしたいの、かを」

 

 那須はそう話し、七海の手をぎゅっと握り締めた。

 

 その手は、震えている。

 

 無理もない。

 

 過去に疵を持つのは、彼女も同じ。

 

 七海(じぶん)だけが、辛いワケではないのだ。

 

「あ……」

「…………大丈夫だ。一緒に、言おう」

 

 そっと、七海は那須の手を握り返した。

 

 手の震えが、止まる。

 

 そして二人は隣り合わせで、玲奈の墓標(自分の過去)と向き合った。

 

「…………姉さん、来るのが遅れてごめん。色々、あってさ」

「うん…………勇気がなくて、色々遠回りしちゃったけど、やっと…………自分達がどうするべきか、分かった気がするの」

 

 それは、懺悔ではない。

 

 自分達の意思を、故人(玲奈)に伝える為の決意表明。

 

 今を生きている、自分達の想いを伝える宣言だった。

 

「まだ、姉さんの遺してくれたもの(黒トリガー)は起動出来ていないけど、それでも俺は────強く、なれたよ」

「もう、A級隊員昇格が遠めに見える位置まで来ているの…………ってのは言い過ぎかもしれないけど、それでも私達、強くなれたんです」

 

 もう、過去の傷痕を引きずったままの自分達ではないと。

 

 もう、悲しみに暮れるだけの自分達ではないと。

 

 玲奈に、伝える為に。

 

「姉さんの死を忘れる事は出来ないし、する気もないけれど…………でも、俺達は俺達なりに、未来の為に戦うよ」

「もうすぐ、大きな戦いが来るみたいなの。迅さんが言うから、間違いないと思う」

 

 そして、告げる。

 

 自分達の、想いを。

 

「────だから、見守っていて欲しい。俺達が、未来を掴み取るその時まで」

「きっと、未来を守ってみせる。だから、見ていて下さい。私達の、戦いを」

 

 二人は自らの意思を伝え、その場で一礼した。

 

 そして、言うべき事は言ったのだと、二人はその場を後にする。

 

 ────うん。ずっと見守ってるよ。だから、頑張って────

 

 ふと、そんな声が、聞こえた気がした。

 

 振り向いても、そこには誰もいない。

 

 けれど、確かに聞こえたのだ。

 

 ────「頑張って」という、玲奈の激励の声が。




 七海の家のあった場所が空き地なのは、城戸さんがそう指示したからです。

 本当なら家を復元してあげたかったらしいですが、下手に張りぼての家を復元しても七海を傷付けるだけだろうという判断です。

 そんな感じで色々気を回してるのがこの世界線の城戸さんですね。


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B級ランク戦/ROUND6
第六戦、開始


「よし、こんなもんでいいでしょ。大分形になったと思うよ」

「ありがとうございます、犬飼先輩」

 

 『二宮隊』の訓練室で、若村は自分の銃手としての師である犬飼にそう言って頭を下げた。

 

 そんな若村を見て、犬飼はにんまりと笑う。

 

「いいよいいよ、俺も弟子の成長が実感出来て嬉しかったしさ。燻ってばっかだった弟子がようやくやる気になってくれたんだから、これで喜ばない方がどうかしてるよ」

「耳が痛いですね。自業自得ではあるんですが」

 

 犬飼の笑顔の皮肉に、若村は苦笑する。

 

 あのROUND4で那須隊に惨敗を喫するまで、自分は、ただ香取の粗を探すだけの口だけ野郎だった。

 

 けれど、今は違う。

 

 自分の馬鹿さ加減を思い知り、犬飼に頭を下げて一から叩き直して貰った。

 

 戦術というものも、付け焼刃ながら教えて貰う事が出来た。

 

 少なくとも、碌に戦術も用意せずにぶっつけ本番で場当たり的な対処をするような、今までのような愚行はしない。

 

 無論、戦術という観点で見れば自分よりオペレーターの染井の方が知識も豊富で指揮も巧い。

 

 だが、オペレーターにばかり負担をかけて彼女の本分である情報戦の邪魔をしていたのは他ならぬ自分達だ。

 

 故に、現場での即興の判断力というものが必要になる。

 

 それを自分は犬飼に────いや、犬飼()に叩き込まれた。

 

「辻さんも、ありがとうございました」

「構わないよ。後進が育つのは、良い事だからね。君も三浦くんも、一生懸命で教え甲斐があったしね」

 

 そう話すのは、犬飼と同じ『二宮隊』の辻であった。

 

 辻が視線を向けた先には、『孤月』を持った三浦がいる。

 

 犬飼達にしごかれていたのは、若村だけではない。

 

 三浦もまた、この訓練に参加していたのだ。

 

「ろっくんだけじゃなくオレまで面倒見て貰って、ありがとうございます」

「いいっていいって。今回の場合、面倒見るのが一人でも二人でも大して違いがあるわけじゃあないからね」

 

 相変わらず底の知れない笑みを浮かべながら、犬飼はそう告げた。

 

 そして、二人を見ながら笑みを浮かべる。

 

「ま、あれだけ仕込めば本番でも大丈夫でしょ。君等は本番にはどちらかというと弱いタイプだけど、これまでと違ってきちんと目的意識を持って練習してるからね。少なくとも、前回の二の舞にはならない筈だよ」

「はい、練習の成果はきっちり活かしてみせます」

「言っとくけど、そればっかりに拘って視野を狭めちゃダメだからね? 戦闘中は常に視野を広く持たなきゃ、いつ落とされたって文句は言えないんだからさ」

 

 基礎も大事だけど応用もね、と犬飼は念押しする。

 

 全く以てその通りであったので、若村達は素直に師の忠言を聞き届けた。

 

 視野の狭さこそが、今まで香取隊(かれら)が足踏みを続けてきた理由だった。

 

 同じ轍は、二度は踏まない。

 

 そう決意して、顔を上げる。

 

 その顔を見て、犬飼は再度笑みを浮かべた。

 

「うん、良い顔になったじゃないの。これなら、いけそうかな?」

 

 あ、そうそう、と犬飼は何かを思い出したかのように告げる。

 

「次の君等の試合、俺が解説で呼ばれてるからさ。面白い試合、見せてくれよ」

「「はいっ! 必ず勝ちます……っ!」」

「よしよし、その意気だよ。気持ちで負けてちゃ、そもそも勝ちの芽すらなくなるんだからさ」

 

 さて、と犬飼は目の前の二人を見据える。

 

「それでどうかな? ()()の使い心地は?」

「はい、大分使えるようになったと思います。犬飼先輩達のご指導のお陰です」

「そっかそっかー、そりゃ教えた甲斐があったよ」

 

 若村の返答を聞いた犬飼はニコニコと笑うが、そんな犬飼に三浦がおずおずと声をかける。

 

「…………でも、良くこんなトリガーの使い方を知ってましたね? B級じゃ、使ってる人見た事ないのに」

「んー、ちょっと使ってた子を知っててね。ま、昔の縁故ってやつさ」

 

 犬飼は三浦の問いにそう答えて笑うが、その笑みには()()()()という強い意志が見て取れた。

 

 一度目は許すが、二度目はない。

 

 そう言外に忠告された三浦は、「すみません」と言って引き下がった。

 

 不穏な空気を感じ取った若村はほっと溜息を吐き、横で見ていた辻は目を細めた。

 

 犬飼はそんな彼らの反応に満足すると、そういえば、と話題を変える。

 

「香取ちゃんは、今日も太刀川さんのトコ?」

「ええ、今日もしごいて貰ってる筈です。最近、ほぼ毎日ですけどね」

 

 

 

 

『戦闘体、活動限界』

「……っ!」

 

 機械音声が己の敗北を告げ、香取はその場で膝を突く。

 

 その正面に立つのは、孤月を持った太刀川慶。

 

 彼の左肩には、刃で付けられた傷がある。

 

 太刀川(しょうしゃ)香取(はいしゃ)を見下ろす構図だが、太刀川の眼には以前香取の戦いを見ていた時のような呆れは無い。

 

 ただ、一人の戦闘者として香取に向かい合っていた。

 

「今のは惜しかったな。前は傷一つ付けられなかった事を考えりゃ、大したモンだ」

「く……」

「でもま、易々と勝ちは譲れんな。これでも、一位なんでな」

 

 ニヤリと、太刀川は笑う。

 

 その笑みには、言葉には、強者としての自負があった。

 

 驕り、などではない。

 

 彼は確かにそう言えるだけの実力を持ち、攻撃手ランク一位という肩書きに偽りはない。

 

 ()()()()()、香取は彼と戦っていたのだから。

 

 これまでの香取は、太刀川や風間といった()()()()()()()()と判断した相手との個人戦を避けていた。

 

 自分より弱いと判断した者だけを狙って個人戦を挑み、ポイントを荒稼ぎしていたのが以前の香取である。

 

 故に香取は、()()()()()()()に慣れていない。

 

 最初から()()()()と諦め、勝てるようになる為の努力を怠っていた。

 

 故に、今香取がしているのは()()()()()()()()

 

 格上の戦い方をその身で味遭い、少しでも勝つ為の方法を模索する。

 

 これは、今までのような格下相手での戦いでは得られなかった()()()である。

 

 太刀川だけではなく、ROUND4での敗戦以降とにかく香取は様々な実力者と戦り合った。

 

 代価としてポイントは大分減ってしまったが、それ以上の経験を得られたという自負はある。

 

 …………まあ、目の前で勝ち誇るもじゃ髭(太刀川)の顔を殴り飛ばしたい衝動に駆られたのも事実ではあるのだが。

 

「で? どうだ? 今度は七海に勝てそうか?」

「…………勝つ。絶対、勝ってやる」

「おう、その意気だ。面白い戦いを見せてくれよ」

 

 からからと笑い、太刀川はその場を後にする。

 

 その後姿を睨みつけて舌打ちしながら、香取は現在時刻を確かめた。

 

『葉子。そろそろ時間よ』

「分かった」

 

 丁度その時染井から連絡が来て、香取はブースから出る。

 

 するとそこで待っていた三浦と若村の姿が見え、スタスタとチームメイトの方へ歩いて行く。

 

「勝てそうか?」

「誰に聞いてんの?」

「ならいい」

 

 二人共、以前のような幼稚ないがみ合いは見られない。

 

 劇的に仲が良くなった、というワケではない。

 

 ただ、以前と違ってしっかりと目的意識を共有し、お互いの努力を認めている。

 

 故に、余計な言葉は要らない。

 

 勝つ。

 

 その想いが、彼らを繋げているのだから。

 

 

 

 

「今の『香取隊』は、以前の彼女達とは別物だ。前回のようなやり方は、通用しないだろう」

 

 『那須隊』、作戦室。

 

 そこで最後のミーティングを行っている七海は、開口一番そう告げた。

 

 既に、ROUND5の『香取隊』のログについては全員が目を通している。

 

 明らかに、動きが違う。

 

 それが、試合映像を見た全員の感想だった。

 

「元々、香取はポテンシャル自体は高い。近接戦闘のセンスは突出しているし、咄嗟の機転も悪くない。今までは、碌な作戦もなく独断専行をするだけだったから脅威には成り得なかったが……」

「今の香取ちゃんは違う、という事ね」

「そうだ」

 

 まず、と七海は説明する。

 

「香取がただ暴れるのではなく、チームメイトがお膳立てをした上で適時戦場に投入する事で速やかに点を取り、即座に離脱する。以前と違って、しっかりと自分達の隊の()()()()()()を構築している。恐らく、今回も香取を投入するタイミングはきちんと見計らって来る筈だ」

「確かに、乱戦に横から突っ込まれるだけでもどさくさ紛れに落とされる危険があるからね。爆発力もあるし、引き際も覚えたとなると厄介だね」

 

 熊谷の言う通り、香取はその機動力を活かして乱戦に横から介入されるだけでも相当厄介だ。

 

 ROUND5の試合映像のように獲れる点を取って即座に離脱、という行動を繰り返されると試合が引っ掻き回される事は必至だろう。

 

 戦う上では、常に香取の動向に気を配る必要があるという事だ。

 

「それに、若村と三浦も香取の活かし方を心得ている動きだ。自分達はフォローに徹して、香取の乱入や離脱を援護している。この二人がいると、土壇場で香取を逃がしかねない。前回のような放置はなしの方がいいだろうな」

「そうね。あれは『香取隊』の隊としての未熟さを突いた策だったし、迂闊に同じ事をするのは危険だわ」

 

 那須が同意したように、若村も三浦もまた、放置するのは危険な相手となった。

 

 ROUND5の試合映像で二人は香取の乱入時に銃撃と旋空で援護し、撤退する時にも自らを半ば囮にする形で彼女の撤退を支援していた。

 

 彼等を放置すれば、ここぞという時に香取を仕留め損ねる恐れがある。

 

 前回のような、彼等二人を半ば放置する策は最早使えない。

 

 『香取隊』は、様々な意味で成長が著しい隊となった。

 

 確かに犬飼の言う通り、舐めてかかれば痛い目に遭うのはこちらだろう。

 

 心して、かからねばならない。

 

 それは、『那須隊』全員の共通認識であった。

 

「そして、『生駒隊』も当然要警戒だな。隊長の生駒さんは現実でも居合い抜きが出来て、それを活かした技術が俗に言う『生駒旋空』だ。俺は実際、その居合い抜きを見せて貰った事がある」

 

 

 

 

「そんでな。七海が俺の居合い見たい言うから見せたったんねん。えらい褒められたモンやから、色んな『型』も披露したんや」

「…………アンタなあ、迂闊に情報見せびらかしてどないすんねんっ!」

 

 『生駒隊』、作戦室。

 

 隊長の生駒も思わぬ暴露に、真織は呆れた様子で怒声をあげる。

 

 まさか、七海達『那須隊』と戦う当日になってそんな暴露話(カミングアウト)をされるとは思わなかっただけに、ぷるぷると拳を振るわせて怒りを露わにしている。

 

 真織はROUND4の時、実況として七海達の戦いを見ている。

 

 その脅威を直で感じたからこそ、生駒の軽率な行動に腹を立てたのだ。

 

「まあまあ、マリオちゃん落ち着いて」

「そやそや、見せた言うても生身の話やろ? それに半年も前の事みたいやさかい、試合にそんな影響はないんと違うか?」

 

 そんな真織を、隠岐と水上がフォローする。

 

 生駒がボケ、真織が突っ込み、他がフォローもしくは煽り立てる。

 

 それが、『生駒隊』の日常風景であった。

 

「イコさんイコさん、俺もイコさんの居合い抜き見たいっすっ!」

「お、ええでええで。今度見せたるわ。なんなら水滴切りもやったるで」

「マジっすかっ! 楽しみっすっ!」

 

 南沢は南沢で生駒の話を聞いてはしゃぎ、それを見ていた真織は溜め息をつく。

 

 そんな真織を隠岐がフォローしているが、彼もまたこの流れを楽しんでいる様子なので色々と確信犯である。

 

 真織の苦労性は、いつも変わらないようだった。

 

「そういや、ワイの好物ってナスカレーやん? これ、大丈夫かいな? 七海に那須さん好きと間違われて闇討ちされへんやろか? 那須さん、可愛えし」

「そもそも那須さんがあんさんを好きになる筈ないやろが阿呆」

「イコさんイコさん、此処はマリオちゃんの方が可愛いて言う場面ですよ」

「んなワケないやろ阿呆っ!」

 

 隠岐の茶々に真織が反応し、怒鳴り散らす。

 

 だがそこは関西人ばかりが集まった『生駒隊』。

 

 面白そうなネタには、全力で乗っかるのが彼等である。

 

「なんでや。マリオ可愛いやろ」

「そやそや、マリオちゃん可愛い」

「マリオちゃん可愛いっすっ!」

「きっもっ! うわきっもっ! って、この流れ前もやらんかったか……っ!?」

 

 そして始まる、「マリオちゃん可愛い」コール。

 

 真織は試合開始時間ギリギリまで、『生駒隊』の面々からの「可愛い」コールに晒されたのであった。

 

 

 

 

「────生駒さんの『旋空』の一番の脅威は、射程じゃない。その()()だ」

 

 打って変わって真面目な雰囲気の『那須隊』。

 

 神妙な顔をした七海が、説明を続ける。

 

「俗に『生駒旋空』と呼ばれる生駒さんの『旋空孤月』の射程は、およそ40メートル。これは確かに脅威であるし、対策は必須だろう。でも、一番気を付けなきゃいけないのはその()()なんだ」

「剣速、か」

 

 ああ、と七海は肯定する。

 

「生駒さんは、居合い抜きを現実の技術として納めている。『生駒旋空』は、その技術を応用して作りだしたものらしい。つまり────」

「────居合い抜きの速度で、『旋空』が襲って来るって事?」

「その通りだ」

 

 『居合い抜き』と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、凄まじい速度での()()()()だ。

 

 納刀した状態から一気に刃を抜き放ち、一閃で敵を斬り裂く。

 

 それが、居合い抜きである。

 

 そして、生駒はそれを()()()技術として納めている。

 

 それをトリオン体での戦闘に用いれば、冗談抜きで神速の抜刀術が実現するというワケだ。

 

「以前生駒さんと戦った時も、厄介だったのは『旋空』の射程よりもそのとんでもない()()だった。至近距離では、サイドエフェクトの反応速度を超えて来る可能性が高い。生駒さんとは、出来る限り中距離戦で戦うべきなんだが……」

「迂闊に距離を取ると今度は『生駒旋空』で薙ぎ払われる、って事か」

「そうだ。だから、生駒さんとは距離を取りつつ常に動向に注意を払う必要がある。障害物は盾にならないから、閉所に籠るのは却って危険だしな」

 

 近距離では神速の抜刀術が、遠距離では驚異的な射程の『生駒旋空』が襲い来る。

 

 攻撃手ランク上位の実力は、伊達ではない。

 

 生駒達人。

 

 彼もまた、七海達が越えなければならない大きな()であると言えるだろう。

 

「どちらの隊も、強敵だ。心してかかろう」

 

 

 

 

「さあ、やって来たよB級ランク戦ROUND6……っ! 実況はアタシ、宇佐美栞と解説の犬飼先輩、ゾエさんでお送りしまーす」

「よろしく」

「よろしくね~」

 

 B級ランク戦の会場にて、宇佐美の声がスピーカー越しに響き渡る。

 

 実況席に座った宇佐美、犬飼、北添が続いて挨拶し、会場の空気を温める。

 

 今期大注目の『那須隊』が戦う試合である事もあり、会場の熱気はかなりのものと言えた。

 

「さあ、時間も押してるし早速始めよっか。じゃあ行っくよ~。全部隊、転送開始……っ!」

 

 宇佐美の宣言と共に、三つの部隊がそれぞれ戦場たる仮想空間へと転送される。

 

 B級ランク戦、ROUND6。

 

 今期六度目の試合が、始まった。




 明日は更新できない日なので次の更新は明後日です。

 さて、ROUND6、香取ちゃんリベンジの始まりです。

 こうご期待


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香取隊⑤

『全部隊、転送完了』

 

 アナウンスが響き、三つの部隊全員が仮想空間に実体化する。

 

 広がるのは、無機質なパイプと煙突。

 

 聞こえるのは、鈍い機械の駆動音。

 

『MAP、『工業地帯』。時刻、『夜』』

 

 暗い夜闇に包まれた、入り組んだ人工物の空間。

 

 それが、ROUND6の戦場となる舞台であった。

 

「行くわよ」

『ああ』

『うん』

 

 自分達が設定したMAPに降り立った香取は、即座にバッグワームを起動。

 

 通信で隊員(チームメイト)に確認を入れ、夜闇の中を駆け出した。

 

 

 

 

「さあ、始まったねーROUND6……っ! 戦うのは今シーズン快進撃を続ける『那須隊』と、中位落ちを経験しながらも心機一転這い上がって来た『香取隊』……っ! そして安定の『生駒隊』だねー」

「どのチームも、強力なエースを他がサポートするって共通点があるね」

 

 実況席でノリノリで解説を始める宇佐美に、北添がそう補足する。

 

 確かに、今回戦うチームはどの隊もエースを中心に作戦を組み立てる隊が揃っている。

 

 エースであり点取り屋の香取を他二人がフォローして適時投入する、『香取隊』。

 

 那須と七海という二枚看板のエースが相手を切り崩し、隙を逃さず討ち取る『那須隊』。

 

 そして、類稀な剣術の冴えを持つ生駒を中心とする『生駒隊』。

 

 どの部隊も、()()()()()()()()()()()()()()()という方針は似通っている。

 

「確かに、『香取隊』はまさにそういうチームだし『那須隊』もエース中心のチームなのは変わらない。けど、『生駒隊』は()()という点で他の群を抜いていると見るべきだね」

「確かにねー。伊達に安定してB級上位にいるってワケじゃないし」

「基本的に()()()()が基本方針な隊だけど、それで一定の戦果を得られるあたり安定してるよね」

 

 だが、その中で『生駒隊』は()()の高さが印象的な部隊である。

 

 基本的にエースが落ちれば厳しい戦いを強いられる他二チームと違って、『生駒隊』はたとえエースが落ちた後でも勝ち筋が完全には消えない。

 

 隊長である生駒の実力は言うに及ばず。

 

 水上は射手の基本を忠実に守る手堅い戦い方が出来るし、隠岐も『グラスホッパー』持ちの狙撃手という点を活かして機敏に動いて隊をサポート出来る。

 

 南沢も一時はマスタークラスに至った事があり、少々前のめりになり過ぎる悪癖があるものの機動力や突破力は中々のものだ。

 

 一角が落とされたとしても、そう易々と崩れはしない頑強さが、『生駒隊』にはある。

 

 その安定感こそが、『生駒隊』の売りと言えるだろう。

 

「つまり、犬飼先輩は『生駒隊』がこの試合の台風の目になるって考えてるの?」

「台風の目というより、『生駒隊』をどうにかしなきゃ他の2チームに勝ちの芽はないって話だよ。暫定順位こそ『那須隊』が一番上だけど、だからといって『生駒隊』より実力が完全に上とはならないしね」

 

 1位:【二宮隊】29Pt→35Pt

 2位:【影浦隊】27Pt→33Pt

 3位:【那須隊】27Pt→33Pt

 4位:【生駒隊】25Pt→28Pt

 5位:【弓場隊】23Pt→25Pt 

 6位:【東隊】21Pt→24Pt

 7位:【香取隊】17Pt→23Pt

 

 宇佐美が気を回し、現在の各隊の暫定順位とポイントが画面に表示される。

 

 この一覧を見る限りでは、『那須隊』は今回戦う三つのチームの中で一番順位が高く、ポイントも二位の『影浦隊』と同値。

 

 これだけ見れば『那須隊』の実力が抜きん出ているように見えるが、現実はそうではない。

 

 この順位は、あくまでも()()なのだ。

 

 実際問題現状三位にランクインしている『那須隊』は以前の試合で『二宮隊』相手に手も足も出なかったし、影浦を落とす事は出来ていない。

 

 そしてチームランク戦で初めて戦う『生駒隊』相手にどう転ぶかは、まだ分からない。

 

 『香取隊』も以前の敗戦を経て強くなっており、何より今回のMAPは彼女達が選択したもの。

 

 そう易々と勝てる、とは思わない方が良いだろう。

 

「じゃあ犬飼くんは、順当に『生駒隊』が勝つって予想してるの?」

「ん~? それはどうかな~? 確かに『生駒隊』の地力は高いけど、番狂わせが起きないって保証はないし」

 

 それに、と犬飼はにやりと笑みを浮かべた。

 

「『香取隊(あの子)』達も、色々と準備してる筈だしね。今の『香取隊』を、舐めない方がいいかもよ?」

 

 

 

 

「なんや真っ暗やん? マリオちゃんマリオちゃん、暗視頼むわ」

『もうやっとるわ。それで見えるやろ?』

「おお、見える見える。ごっつ見えるで」

 

 生駒はオペレーターの真織といつものノリでやり取りしながら、周囲を見渡す。

 

 レーダーを見る限りチームメイトとは離れた場所に転送されたようだが、この『工業地帯』は元々狭いMAPである。

 

 合流自体は、そう難しくはない筈だ。

 

「なあなあ、今俺ぼっちなんやけどどないしよ?」

『俺が合流しますんで、こっち向かって貰えます? 流石に、七海や香取ちゃんとタイマンするのは勘弁願いたいモンやさかい』

「『そっち向かう』。了解」

 

 生駒は水上からの指示を受け取ると、即座に水上のいる方角へ向かって駆け出した。

 

 

 

 

「よし、なんとか合流出来そうやな」

 

 水上はレーダーに映る生駒の反応を見て、周囲を警戒しながら足を早める。

 

 今、生駒はバッグワームを使っていない。

 

 これは、水上の指示だ。

 

 七海だろうが香取だろうが、1対1の状況であれば生駒の方が有利である。

 

 反応を頼りに突っ込んで来るのであれば、自分と生駒で挟んで取れば良い。

 

 加えて言えば、バッグワームを着ないのは茜の狙撃対策でもある。

 

 茜の主武装は、『ライトニング』。

 

 弾速に特化し、威力が低い狙撃銃だ。

 

 バッグワームを着ていると片枠が塞がってしまい、バッグワームを解除してシールドを貼るまでに若干の時間遅延(タイム・ラグ)がある。

 

 そのタイムラグは、『ライトニング』の速度相手では致命的だ。

 

 特に、『ライトニング』を使いこなしその性質を熟知した茜相手では。

 

 威力が低いと言っても急所に一撃を叩き込まれれば、それがそのまま致命傷となる。

 

 最低限トリオン体を破壊出来るだけの威力は、どのトリガーにも備わっているのだから。

 

 故に、相手に狙撃手がいる場合攻撃手のバッグワーム使用はリスクを伴う。

 

 隠形に自信があるのであれば話は別だが、生憎生駒はそこまで隠密には向いていない。

 

 今の所『生駒隊』でバッグワームを使っているのは、狙撃手の隠岐と、もう一人の攻撃手の南沢だけだ。

 

 射手である水上は突破力のある香取や七海を正面から単独で相手をするのは厳しいが、幸い生駒との合流はそう遠くない。

 

 自分が狙われても、生駒の合流まで粘る事は出来る筈だ。

 

(けど、変やな。てっきり、香取ちゃんあたりが突っかかって来ると思うとったんやが……)

 

 水上は、レーダーを見る。

 

 相手チームの反応は、一つもない。

 

 『香取隊』も『那須隊』も、全員がバッグワームを使っている事の証左だった。

 

 七海はサイドエフェクトで不意打ちを察知出来るし、那須も持ち前の機動力で回避は得意な部類だ。

 

 狙撃手の茜がバッグワームを着るのは当然だし、熊谷は地味に隠密能力が高い。

 

 『那須隊』全員が開始直後からバッグワームを着るという選択は、ある意味妥当だ。

 

 『香取隊』もまた、適時香取を投入し獲れる点を取って即座に離脱、という前回の試合で見せた戦法を使う気であるなら、開始直後から全員がバッグワームを使うのはなんら不自然ではない。

 

 だが、香取はともかく三浦と若村には『カメレオン』がある。

 

 二人が敢えてバッグワームではなくカメレオンを使い、囮となって相手を誘き寄せて香取がそこを仕留める、という戦術も取れなくはないのだ。

 

(それをしないっちゅー事は、そんだけイコさんの『旋空』を警戒してるっちゅー事か? 前『香取隊』と戦った時なんかはそんな思慮とは無縁と思えた隊やけど、前回で色々化けたみたいやしなあ。ま、舐めてかからん方がええやろ)

 

 さて、と水上は周囲を警戒しつつ頭の中で何通りもの作戦を練る。

 

 自分の隊員の位置、『那須隊』と『香取隊』が取り得る動き、これまでの対戦ログから考えられる相手の思考傾向。

 

 それらを計算し、瞬時に適切な策を用意していく。

 

 『生駒隊』のブレイン、水上敏志は準備万端で相手チームを待ち構えていた。

 

 

 

 

「『香取隊』は、全員がバッグワームを使っているみたいだな。『生駒隊』は、狙撃手ともう一人が消えてるか……」

『『生駒隊』との距離が40メートルになったらお知らせします。いつ家越しに旋空が飛んで来るか分かりませんしね』

「ああ、頼む」

 

 七海は夜闇の中を駆けながら、周囲を油断なく見据えている。

 

 この『工業地帯』というMAPは、数あるMAPの中でも割と狭い部類のMAPとなる。

 

 それは即ち、チームメイトとの合流もし易ければ相手チームとのエンカウント率も同様に高いという事だ。

 

 前回のROUNDで戦った『市街地E』も狭いMAPではあったが、今回はそちらと違い屋外は射線が通り難く縦に広い。

 

 あの時のような窮屈な思いはしなくて済むだろうが、気になるのは『香取隊』がこのMAPを選んだ意図だ。

 

 三次元機動が得意なのは香取も一緒だが、七海や那須に()()を与えればどれだけ厄介な事になるのかは前回嫌というほど身に染みた筈だ。

 

 以前の彼女達であればいざ知らず、今の『香取隊』がそれを分かっていない筈がない。

 

 七海達に足場を与えるデメリットに目を瞑ってでも、このMAPを選択した意味。

 

 それを考えなければ、思わぬ陥穽に嵌まる事になるだろう。

 

 戦場に置いて迷いは足を引っ張るが、思考を止めた者は袋小路に向かっている事にさえ気付かない。

 

 思考し、推論を重ね、最善の選択肢を選び取る。

 

 これが出来なければ、戦場では死ぬだけだ。

 

 極めて優秀な指揮官の下で戦うのであればともかく、『那須隊』の作戦立案は七海と小夜子が担っている。

 

 その時その場の現場指揮であれば那須も中々の頭の冴えを見せるが、大局的な視点が優れているのは小夜子の方である。

 

 『那須隊』の作戦方針の殆どは、彼女が考えていると言っても過言ではない。

 

 七海はその小夜子の負担を少しでも軽減する為、共に頭を回すのが仕事だ。

 

 幾ら小夜子の能力が優秀とはいえ、四人部隊のオペレーターをやっている以上その負担はかなり大きい。

 

 B級に四人編成の部隊が少ないのは、隊員を三人だけしか集めなかったというパターンも多いが、四人分のオペレートが出来るオペレーターが中々いないという事情もある。

 

 一人分オペレートする人数が増えるだけで、オペレーターの負担は一気に増える。

 

 確かに数が揃えばそれだけ試合の手札(カード)が増えるものの、闇雲に増やして良いというワケでもない。

 

 部隊の人数を増やす場合は、オペレーターの負担との兼ね合いは必須なのだから。

 

 その点で言えば、小夜子が七海の入隊を受け入れるか否かはまさに『那須隊』にとっての重要事項だったのだ。

 

 小夜子は対人能力こそ壊滅的だが、そのオペレート能力は非常に優秀だ。

 

 そんな小夜子だからこそ、七海を受け入れた『那須隊』が部隊として十全に運用出来ているのだ。

 

 その動機が私情(恋心)だとしても、彼女の存在なくては『那須隊』の今は有り得ない。

 

 そんな彼女に報いる為にも、七海は全力を尽くす。

 

 彼女の想いを、努力を、無駄にしない為に。

 

 彼は、一試合一試合に全霊で挑むのだから。

 

「……っ!」

 

 そこで、七海のサイドエフェクトが攻撃を感知した。

 

 感知した攻撃の方向は、真横。

 

 そこには、突撃銃を構えた『香取隊』の銃手────────若村の姿があった。

 

 若村が引き金を引くと同時に、トリオンの弾丸が放たれる。

 

 だが、既に七海は回避行動を完了していた。

 

 最小限の動きで弾丸を避け、壁を足場に一気に若村へ肉薄する。

 

 どう見ても、釣り()

 

 それは、七海とて承知している。

 

 だが、七海にはサイドエフェクトによる感知と鍛え抜かれた体捌きがある。

 

 自惚れるワケではないが、中途半端な罠であれば七海は軽々とそれを食い破る。

 

 それだけの自負はあったし、多少負傷したところで『スコーピオン』を主武器とする七海であれば幾らでも補填は効く。

 

 そう、思っていた。

 

「な……っ!?」

 

 ────それこそが、『香取隊』の仕掛けた陥穽(わな)であると知りもせずに。

 

 若村に斬りかかろうとした七海の腕が、何かに絡め取られる。

 

 サイドエフェクトは、反応しなかった。

 

 ならば、ならばこれは、この()は何か。

 

 それを理解する前に、彼のサイドエフェクトが背後に攻撃の気配を感知した。

 

「……っ!」

「チッ……!」

 

 その攻撃を、『スコーピオン』の斬撃を、七海は体を捻って回避する。

 

 だが、空中でバランスを崩していた七海はその攻撃を回避し切れず、左肩を斬り裂かれる。

 

 七海はそのまま地面に着地し、その斬撃を放った相手を────バッグワームを着た香取を、見据える。

 

 そして、眼を凝らす。

 

 自身が踏み込んだ、罠の正体を見極める為に。

 

「あれは……っ!」

 

 七海は、気付いた。

 

 自分のかかった罠の、否────────()()()()の正体に。

 

 路地にかかる、無数の糸。

 

 黒で染め上げられ、夜闇に溶け込んだその()の名前を、七海は知識として知っていた。

 

 それは、使う者の殆どいないマイナーなトリガー。

 

 ()()()()()()()()()()、得点に直結しない為使用者の殆どいないそのトリガーではあるが、その特殊性は他の追随を許さない。

 

 地形に(ワイヤー)を張り、相手を絡め取る蜘蛛の糸の如きトリガー。

 

 ────その名を、『スパイダー』。

 

 それこそが、『香取隊』がこの試合に持ち込んだ新たな手札(ジョーカー)の名前であった。




 このネタは前からやってみたかった。

 原作で香取ちゃんがスパイダーを利用してオッサムを倒した描写見て、「あれ? 香取ちゃんスパイダーと相性良いんと違う?」と考えて温めていた戦術(ネタ)です。

 香取ちゃんリベンジ、はっじまるよー。


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香取隊⑥

「おーっと、此処で若村隊員に仕掛けた七海隊員だったが、そこにはワイヤートリガー『スパイダー』の罠が仕掛けられていた……っ! バランスを崩した七海隊員を、香取隊長が奇襲したぞお……っ!」

「上手く決まったようだね。『香取隊』の罠が」

 

 実況する宇佐美に対し、犬飼は冷静にそう告げる。

 

 予想外の『香取隊』の一手に誰もが驚く中、犬飼だけは驚愕を露わにしていない。

 

 当然だ。

 

 『香取隊』にこの戦術を伝授したのは、他ならぬ彼なのだから。

 

 

 

 

「『スパイダー』、ですか。確か、ワイヤーを張るトリガーでしたよね?」

 

 それはROUND5の終了直後、若村が犬飼に「『那須隊』への対抗策が欲しい」と相談した時の出来事だった。

 

 犬飼はしばし悩んだ末、ある一つのトリガーの使用を提案した。

 

 そのトリガーこそ、ワイヤーを張る特殊なトリガー、『スパイダー』だったのだ。

 

「うん。確かに()()()()()()()()()()けど、トリオン消費も少ないし相手にだけワイヤーを見え難くして味方にだけ見え易くしたりも出来るから、足止めや足場の構築として便利なトリガーだよ。きっと、君のチームにも合うと思う」

 

 香取ちゃんなら、上手く使いこなせるだろうしね、と犬飼は告げる。

 

 確かに、三次元機動を得意とする香取であれば空中に張られたワイヤーを足場にした軌道で相手を翻弄出来るだろう。

 

 『グラスホッパー』と組み合わせれば、動きの自由度は更に上がる筈だ。

 

「本当なら、狙撃手がいればより万全の布陣を敷けるんだけどね。けどまあ、そこは割り切るしかない。あくまで君が求めたのは()()()()()()()()だし、それ以上は自分達でなんとかしなくちゃね」

 

 今までのツケだと思いなよ、と犬飼は敢えて若村を突き放す。

 

 だが、若村は静かに「はい」と答え、頭を下げた。

 

「それでも、ありがとうございます。こんな俺の為に、色々と手間をかけさせてしまって」

「いいっていいって、これでも君の師匠だからね。言うべき事は言うけど、弟子が折角やる気になってくれたんだから、俺だってやれる事はやるさ。君の師匠を引き受けたのは、他ならぬ俺だからね」

 

 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる犬飼だが、彼が若村の成長を願っている事に偽りはない。

 

 最初は頼み込まれて興味本位で引き受けた師匠ではあったが、それでも自分の意思で引き受けた以上責任は果たすべき。

 

 犬飼は見た目は軽薄に見えるが、そういった責任感はしっかりした少年である。

 

 中途半端な事はしないし、やるからには徹底的に。

 

 敢えて棘のある言葉を選んでいるのも、若村がそれを望んでいるからだ。

 

 若村は、これまで足踏みを続けてきた自分自身への苛立ちを未だ消化しきれていない。

 

 自分の行動を顧みているのは良い事だが、少々自己嫌悪のきらいが強過ぎる。

 

 此処で犬飼が彼を励ます言葉()()を送っても、それを助長するだけだろう。

 

 だからこそ、敢えて犬飼は時折言葉に棘を混ぜる。

 

 こういう相手は、下手に腫れものを扱うように優しく接すると逆効果だ。

 

 叱責や発破こそを彼は求めているのだから、敢えて厳しい態度で接する事も時には必要だ。

 

 そのあたりの空気を、犬飼は読み間違えはしない。

 

 深刻になり過ぎる事がないように、敢えて軽い口調で言う心配りも忘れてはいない。

 

 それくらい出来なければ、()()二宮が隊長を務める隊のバランサーなどやってられない。

 

 隊での苦労に比べれば、若村など可愛いものだ。

 

 そう、強く思う犬飼なのであった。

 

「それに、この『スパイダー』には『那須隊』を相手にする場合のみ発揮される()()がある。それは、このトリガーで張ったワイヤーには()()()()()()()()()事だ」

「攻撃能力が、ない……? あ、そうか……っ! 七海先輩のサイドエフェクト……ッ!」

「その通り」

 

 若村の推察を笑顔で肯定し、犬飼はぱん、と手を叩く。

 

「七海くんのサイドエフェクトは、痛みが────つまり()()()()()()()()()()()()感知出来ない。要するに、『スパイダー』は七海くんでも察知出来ない本当の意味での()に成り得るって事さ」

 

 そう、七海のサイドエフェクト『感知痛覚体質』は痛み(ダメージ)が発生するものを感知するものであって、『鉛弾』のようにダメージが伴わないトリガーは感知出来ない。

 

 同様に、『スパイダー』は攻撃力が絶無である為七海のサイドエフェクトの感知対象外となる。

 

 更に『鉛弾』と違い()()()()()()必要もない為、接近しなければ使えないというワケでもない。

 

 こと七海相手に絞れば、『スパイダー』というトリガーはこの上なく有効な対策に成り得るのだ。

 

「け、けど七海には『メテオラ』があります。『スパイダー』を張っても、『メテオラ』で吹き飛ばされれば意味がないんじゃ……」

「そうはならないよ。少なくとも、()()()R()O()U()N()D()()()()()ね」

「それはどういう……」

 

 犬飼は人の悪い笑みを浮かべ、告げる。

 

「その為に、『工業地帯』っていう()()M()A()P()を選ぶのさ。七海くんに、『メテオラ』を使わせないようにね」

 

 

 

 

「おらあ……っ!」

「……っ!」

 

 若村は香取によって肩を斬られた七海に向け、突撃銃の引き金を引き銃撃を放つ。

 

 七海はシールドを貼ってそれを防御し、バックステップで距離を取る。

 

 普段であればサイドステップを用いて若村の背後を取ろうとする七海だが、この場には『スパイダー』が張り巡らされている。

 

 まずはこの蜘蛛の巣を出ない事には、七海は身動きが取れない。

 

 サイドエフェクトによる感知が効かない『スパイダー』は、七海にとって厄介極まりない()そのものだ。

 

 ワイヤーそのものは注意して見れば判別出来るものの、『夜』という条件も相俟って黒く染まったワイヤーは暗視を用いても見え難い事この上ない。

 

 故に、七海としては一刻も早くこの場を離脱したい所だが────。

 

「────」

「……っ!」

 

 ────それを許す程、今の『香取隊』は愚鈍ではない。

 

 七海をこの場から逃がすまいと、香取の追撃が放たれる。

 

 壁を伝い、七海の背後に回り込んだ香取の右腕から伸びた『スコーピオン』が七海の背に振るわれる。

 

 七海はそれを自らの『スコーピオン』で防御し、バックステップで距離を取ろうとする。

 

「……っ!?」

 

 だが、その背に当たるワイヤーがそれを阻む。

 

 離脱に失敗した七海に、香取が再び斬撃を放つ。

 

 七海は紙一重でそれを躱し、先程香取がいた場所へ────即ちワイヤーが張られていないであろう場所へ、駆ける。

 

「逃がさない」

 

 しかし、香取はその場で飛び上がると、何もない空中に着地。

 

 そのまま空を駆けるような軌道で疾駆し、七海の側面に着地する。

 

「く……っ!」

 

 ガキン、という硬質な音が響く。

 

 香取の『スコーピオン』と、七海の『スコーピオン』が鍔迫り合い火花を散らす。

 

 だが、『スコーピオン』は耐久力の低いトリガー。

 

 『スコーピオン』同士で打ち合えば、防御した側が不利になるのは通り。

 

 七海の『スコーピオン』は罅割れ、砕け散る。

 

 その隙を逃さず、香取が攻める。

 

「チッ……!」

「……っ!」

 

 しかし、七海は香取の斬撃を大きくしゃがむ事で回避。

 

 バックステップで距離を取り、体勢を立て直す。

 

「厄介だな」

 

 七海は一人、呟く。

 

 サイドエフェクトが通じない『スパイダー』を用いて、七海の動きを制限する。

 

 そして、香取は張られたワイヤーを利用した三次元軌道で機動力に磨きをかけ、こちらを追い詰める。

 

 回避主体の七海にとって、何処に糸が張ってあるか分からないこの空間は回避機動が制限されやり難い事この上ない。

 

 そして、守りに入った者を逃す程、香取は甘くはない。

 

 香取は『万能手』ながら、近接戦闘のセンスは上位の攻撃手並みに高い。

 

 彼女を倒す為には、その攻撃力を上回る攻撃力を以て正面から打ち倒すか、策を以て嵌め殺すのが得策だ。

 

 だが、このワイヤーの中では香取の脅威度は段違いに跳ね上がる。

 

 七海の基本となる回避機動を制限され、香取の機動力には明らかなブーストがかかっている。

 

 認めよう。

 

 香取は、『香取隊』は、強くなった。

 

 今度は七海への明確な対策を用意して、この試合に臨んで来ている。

 

 無論、策がないワケではない。

 

 『スパイダー』は確かに厄介なトリガーだが、強度はさほど高くはない。

 

 ブレードで斬っても良いし、射手トリガーで破壊しても良い。

 

 一番手っ取り早いのは、『メテオラ』を用いて建物ごと一掃する方法であるが……。

 

(そこまで、考えてたってワケか。()()()()()の、このMAPって事だな)

 

 

 

 

「香取隊長のワイヤーを使った攻勢に、七海隊員防戦一方……っ! 流石の七海隊員も、この蜘蛛の巣の中では身動きが取れないか……っ!」

 

 実況席で、宇佐美の声が響き渡る。

 

 映像の中では、ワイヤーを駆使した香取達の攻勢を紙一重で防ぐ七海の姿があった。

 

 ROUND4の時とはまるで違う、防戦一方の七海の姿。

 

 それは、誰の目にも香取隊の成長が明確に映る結果となっていた。

 

「ワイヤーを使った香取ちゃんの機動力が、思った以上に凄いね。七海くんも動き難そうだし、このままじゃ辛そうだね」

 

 でも、と北添は続ける。

 

「どうして七海くんは、『メテオラ』を使わないんだろう? ワイヤーも、『メテオラ』で吹き飛ばしちゃえば簡単なのに」

「それは簡単さ。七海くんは、明確な位置を知られる事を恐れているんだよ。他ならぬ、生駒さんにね」

 

 多分ゾエさんも分かって振ってくれたんだと思うけど、と前置きしながら犬飼は続ける。

 

「この『工業地帯』ってMAPは、結構狭い。それでいて射線が通り難くて視界も良いとは言えないけど、流石に『夜』って状況で『メテオラ』を使えば一発で居場所がバレるからね。七海くんとしても、それは避けたいって事さ」

 

 そう、この『工業地帯』というMAPは数あるMAPの中でもかなり狭い部類に入り、合流もし易いが相手チームとのエンカウント率も同様に高い。

 

 そして『夜』という状況下で爆音と派手な光を伴う『メテオラ』を使えば、遠目からでも居場所が丸わかりだ。

 

 それだけなら、なんとでもなる。

 

 元々、乱戦は七海が得意とするフィールドである。

 

 相手チームを惹き付けるのは、本来であれば願ってもない状態ではある。

 

「成程ね。下手に居場所がバレると、『生駒旋空』が飛んできかねないってワケか」

「そういう事だね」

 

 ────だが、この戦場には40メートルという驚異の射程を持つ『生駒旋空』を繰り出す生駒がいる。

 

 この狭いMAPでは、その脅威度は更に跳ね上がると言っても過言ではない。

 

 何せ、障害物など関係なしで防御不能の攻撃力と凄まじい速度を持つ『旋空弧月』がいきなり飛んで来るのだ。

 

 幾ら回避に特化したサイドエフェクトを持つ七海とて、早々避けられる代物ではない。

 

 特に、香取と交戦している最中では。

 

 故に、七海はこの場で『メテオラ』は使えない。

 

 少なくとも、生駒を誰かが抑えない限りは。

 

「つまり『香取隊』は敢えて生駒さんの脅威度が上がるMAPを選んで、七海くんの動きを封じてるって事か。でもさ、それって」

「うん、長くは続かないね。『生駒隊』は、この状況をただ眺めてる程甘い隊じゃない」

 

 それに、と犬飼は続ける。

 

「そろそろ、彼女達も動く筈だよ。あの子達は、見た目程お淑やかってワケでもないからね」

 

 

 

 

「どうやら、『那須隊』と『香取隊』とでバッグワーム着たまま戦り合うてるみたいですわ。イコさん、フォローは俺らでするんでここらで一発いっときます?」

「了解や」

 

 合流した水上と生駒は、レーダーから消えたままの『香取隊』と『那須隊』を見て決断を下していた。

 

 即ち、『生駒旋空』で障害物を切り払う、と。

 

 大体の相手の位置は予測出来ているが、当たれば儲けもの、といった程度である。

 

 本命は、邪魔な建造物を切り倒す事にある。

 

 三次元機動を得意とする香取や七海と戦り合うには、この入り組んだ地形は邪魔でしかない。

 

 特に『那須隊』は、障害物を利用した戦術をよく使う。

 

 水上と合流出来た今、『生駒旋空』使用を躊躇う理由は何もない。

 

 生駒は腰を低くして、居合い抜きの構えを取った。

 

「……っ! イコさん、上や……っ!」

「む……っ!」

 

 ────だが、それを許さぬ者がいた。

 

 上空から飛んで来る、無数の光弾。

 

 それが、流星のように彼等の下へ降り注いだ。

 

「ぐ……!」

「……っ!」

 

 二人はそれを、咄嗟の固定シールドでガード。

 

 ()()()()着弾と同時に爆発したその弾丸による攻撃を、二人は間一髪で凌ぎ切った。

 

「やっぱ、『トマホーク』かいな。こら、那須さんが近くにおるなあ」

「そやな」

 

 未だ姿は見えないが、間違いない。

 

 『合成弾』を使う射手は、相手チームでも一人だけ。

 

 ────那須玲。

 

 『バイパー』を自在に扱う魔弾の射手が、その姿を垣間見せた瞬間だった。




 こういう風に戦術を組み立てて披露するの、好きです。

 ランク戦は考える事も多いけど、コツを覚えると書くの楽しいですよ。

 尚、文体自体は菌糸類に汚染されている模様


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生駒隊①

「此処で那須隊長、生駒隊に仕掛けた……っ! さあ、こちらでも戦闘開始だ……っ!」

「そっち行くのか。ま、順当だね」

 

 犬飼は映像を見ながら、薄く笑みを浮かべる。

 

 その表情に、特に驚きはない。

 

 予想通りの展開、といった風情であった。

 

「てっきり七海くんを助けに行くと思ったけど、そうじゃないんだね」

「直接助けに行くと、今度は那須さんも『スパイダー』の網に絡め取られる危険があるからね。『香取隊』がワイヤーを張ったのがあの場所だけって保証がない以上、迂闊に飛び込むのは危険だし」

 

 それくらい、考えている筈だよ、と犬飼は告げる。

 

 確かに、七海と違い攻撃回避に活用できる副作用(サイドエフェクト)がなく近接戦闘が不得手な那須は、ワイヤー地帯に踏み込んでしまえばそのまま落とされる可能性が高い。

 

 ワイヤーによる罠は、機動力を主な武器とする七海や那須にとってかなり有効な武器である。

 

 それを『那須隊』の対策として持ち出してきた以上、『香取隊』側の準備は抜かりない筈だ。

 

 恐らく、この狭く複雑なMAPを選んだのはワイヤーを張り易くする為でもあるのだろう。

 

 開始直後からバッグワームで消えてから七海と接敵するまで、それなりの数のワイヤーを張っているだろう。

 

 現在七海が『香取隊』と戦っている場所の周囲に那須を絡め取る為のワイヤー地帯があっても、なんら不思議ではない。

 

 故にこそ、那須は『生駒隊』への対処を優先した。

 

 本心ではすぐにでも七海を助けに行きたいだろうが、今の那須は感情で合理性を失いはしない。

 

 自身の心情を押し殺してでも、的確な判断を取る筈である。

 

「この試合で『香取隊』や『那須隊』が一番警戒しなきゃいけないのは、建物越しの『生駒旋空』の不意打ちで落とされる事だからね。『香取隊』がその脅威を逆手に取って七海くんを追い込んでいる以上、『那須隊』としちゃ生駒さんを放置する事は出来ないワケだ」

「確かにこのMAPだと、『生駒旋空』を察知し難いからね。『那須隊』としては、生駒さんを抑えるのはむしろ当然の動きだね」

 

 犬飼の説明を、宇佐美がそう言って肯定する。

 

 この狭いMAPでは、『生駒旋空』の射程と威力はかなりの脅威となる。

 

 だからこそ『香取隊』は、その脅威を利用して七海の『メテオラ』使用による状況打破を封じる事が出来ているのだ。

 

 逆に言えば、『生駒旋空』さえ封じられれば七海は不利な状況を脱する事が出来る。

 

 那須は、その為に生駒を抑えにやって来たのだ。

 

「さて、問題は此処からだね。那須さんが生駒さんを抑えられるかどうかで、大分違って来る。どうなるかな?」

 

 

 

 

「来たで……っ!」

「俺、知ってるで。あれ流れ星言うんやろ? ほな、お願いすれば止めてくれるんとちゃうか?」

「んなワケあるかいな。あれ、流れ星やのうて流星言うんやで」

「それ同じと違うか?」

 

 漫才のようなやり取りをしながら、水上と生駒はシールドで建物を迂回して飛んで来た光弾の雨を防ぎ続ける。

 

 先程の『トマホーク』の着弾から、ひっきりなしに降り注ぐ『バイパー』の雨あられ。

 

 様々な場所から飛んで来る光弾の群れに、二人は防戦一方となっていた。

 

 相手の位置が分かれば、『生駒旋空』で薙ぎ払える。

 

 射撃が途切れれば、建物を斬り捨てて炙り出せる。

 

 だが、先程から那須はとにかく絶え間なく射撃を継続させており、『旋空』を放つ暇がない。

 

 厄介なのは、時間差で様々な方向から射撃が襲って来る事だ。

 

 射撃の来る方角も一定せず、地面を滑るように襲って来る時もあれば上空から雨のように降り注いでくる事もある。

 

 この『工業地区』の入り組んだ地形を最大限に活用した、那須の真骨頂とも言える立ち回りだった。

 

 その那須は、射撃を始めてから一度も姿を見せていない。

 

 機動戦を仕掛けて射程で有利を取りながら相手を翻弄するのが那須の基本のスタイルだが、『生駒旋空』という超射程の武器を持つ生駒相手に下手に姿を晒すのは自殺行為だ。

 

 それを分かっているからこそ、那須は徹底して姿を隠して自身の位置を誤魔化しながら射撃を続けている。

 

 自分の特性と相手との相性を理解した、堅実な立ち回りと言えた。

 

(けど、攻めっ気が見られへんな。()()()()()()()、そういうやり方や。つまり今『那須隊』は、イコさんを抑えとかなならん()()があるっちゅー事やな)

 

 …………それは逆に言えば、現状の那須の狙いを浮き彫りにする立ち回りでもあった。

 

 水上は現在の状況から、『那須隊』の狙いを推察する。

 

 未だ自分達以外の隊のメンバーは、レーダーから消えている。

 

 唯一両攻撃(フルアタック)での射撃を行う那須はレーダーに映っているのだが、那須は攻撃の瞬間()()バッグワームを解除している様子であり、更に機動力を活かして周囲を常に跳び回って移動しているらしく、中々現在位置を特定出来ない。

 

 先程何処からか聞こえてきた剣戟の音も、今や那須の射撃音に掻き消されて聞き取れない。

 

 何処かでバッグワームを使ったまま『香取隊』と『那須隊』が戦り合っているのは確実なのだが、その位置が特定出来ない。

 

(ん……? 『香取隊』が、『那須隊』と戦り合う……?)

 

 水上はその時、ふと気付く。

 

 『香取隊』は、エースの香取を中心としたチームだ。

 

 前回で隊の戦術の基礎部分は改善されたようだが、若村や三浦はお世辞にも単騎でマスタークラスの実力者とやり合える力を持っているとは言えない。

 

 二人共チームメイト、即ち香取の補助が本分であり、単独での戦闘は追い詰められでもしない限り選ばない筈だ。

 

 そして、那須が此処にいる以上『那須隊』で近接戦闘が出来るのは七海と熊谷の二名。

 

 熊谷は受け太刀を得意とする防御的な攻撃手であり、最近『ハウンド』を習得し中距離戦にも対応した。

 

 そして七海は言うまでもなくマスタークラスの実力者であり、回避機動と攪乱能力は他の追随を許さない。

 

 どちらであっても、若村や三浦が単騎で戦り合うとなれば分が悪い。

 

(熊谷さんは立ち回り上時間稼ぎは得意分野の筈やし、もしあの子が戦り合うてるなら那須さんはその援護に向かう筈。なのにこちらに来たっちゅー事は、イコさんさえ抑えれば()()()はどうとでもなるっちゅー事やな)

 

 つまり、と水上は結論を出す。

 

(────『香取隊』と、正確には香取ちゃんと戦り合うてるんは七海や。イコさんを抑えてるのは、そうせんと七海が自由に動けへんからやな。こりゃ、よっぽどイコさんの『旋空』を警戒しとるようやな)

 

 ならば話は簡単だ、と水上はすぐさま行動に移す。

 

 生駒に視線を向ければ、即座に首肯が返って来る。

 

 好きにやれ、という事だろう。

 

 生駒は、お世辞にも指揮が上手いとは言えない。

 

 だが、自分のやるべき事は弁えている男だ。

 

 色々とノリで動いているように見えて、決める時は決める男なのだ、彼は。

 

 ならば、水上は隊のブレインとしてチームを勝利に導くべく指揮を執るのみ。

 

 自分達の手札と、相手の手札。

 

 それを読み切り、最善の一手を指し示す。

 

 それこそが、彼の役割(ロール)

 

 水上は、その明晰な頭脳で次の一手を導き出す。

 

「隠岐、そっから那須さんは見えるかいな?」

『チラチラとは見えますけど、凄いスピードで移動してますさかい細かい居場所まではちょっと』

 

 ふむ、と水上は一瞬思案する。

 

「そんなら、大まかな場所は分かるんやな?」

『それならなんとか』

「充分や。その位置情報を共有すんで」

『分かりました』

 

 水上の指示で、オペレーターを通じて那須の大まかな位置情報と移動予測経路が示される。

 

 これまで那須は、攻撃の時のみバッグワームを解除している。

 

 攻撃後はすぐさまバッグワームを着て移動する為に居場所を特定出来ずにいたが、逆に言えば()()()()()()()()()()()()()()()という事でもある。

 

 これまで反応が出た箇所から移動経路を算出し、大まかな位置予測を立てる事は出来る。

 

 オペレーターとの密な連携がなければ出来ない芸当ではあるが、四人部隊を支えるオペレーターだけあって真織のオペレート能力は優秀だ。

 

 このくらい難なくこなせずして、B級上位の部隊オペレーターは務まらない。

 

 情報を得た水上は、すぐさまチームメイトへ指示を出す。

 

「海、今から那須さんを炙り出すさかい。見えたら追いかけーや」

『了解しましたっ!』

 

 出来るのか、とは問わない。

 

 水上がやると言った以上、それは最早確定事項だ。

 

 お互いの実力を信頼しているからこそ、その時その場で最善の選択が取れる。

 

 それが、『生駒隊』の強み。

 

 安定感という点では随一な、B級上位部隊の本領である。

 

「イコさん、そろそろ仕掛けるんで準備頼んます」

「了解。やったるで」

 

 

 

 

『葉子ちゃん、那須さんが生駒隊とやりあってる。七海くんの動きに注意して』

「分かった」

 

 香取は三浦からの報告を聞き、『スコーピオン』を廃棄して右手にハンドガンを出現させる。

 

 そして、上に跳躍しながら両手のハンドガンで『アステロイド』と『ハウンド』の斉射を開始した。

 

「……っ!」

 

 七海はその銃撃を、シールドを張って防ぐ。

 

 香取が近距離戦から中距離戦に切り替えたのは、七海に『メテオラ』を使う隙を与えないようにする為だ。

 

 『メテオラ』は、トリオンキューブの状態で衝撃が与えられればその場で起爆する。

 

 つまり、『メテオラ』を出す時にはトリオンキューブを狙われて爆発に巻き込まれるリスクが常に付き纏う。

 

 幾ら高い回避技術を持つ七海とて、至近距離で意図しないタイミングで爆弾が爆発すれば避ける事は難しい。

 

 だからこその、銃手トリガーによる両攻撃(フルアタック)

 

 香取はワイヤーを踏み、上へ横へと跳躍しながら、続け様に銃撃を見舞う。

 

 別の方向からも、若村が銃撃で援護する。

 

 この場からは、絶対に逃がさない。

 

 そんな強い意志の下での、迷いのない攻撃であった。

 

(こいつは、此処で仕留める……っ!)

 

 元より、香取達が第一に狙ったのは短期決戦。

 

 『生駒旋空』という特上の脅威を利用し、七海を蜘蛛の巣で絡め取り速やかに仕留める。

 

 それが、『香取隊』の作戦。

 

 無論持ち込んだ策はそれだけではないのだが、此処で七海を仕留める事が出来れば後々が大分楽になる。

 

 故に香取は、全力で七海を追い立てる。

 

 前回の雪辱を果たす為に、今度こそ。

 

『葉子。無理に攻めないで。下手に焦ると、相手の思う壺よ』

「……っ! 分かった」

 

 熱くなりかけた香取の耳に、染井(幼馴染)の静かな声が伝わる。

 

 それだけで、香取は冷静さを取り戻した。

 

 以前のように、文句を垂れる事もない。

 

 ただ、染井の忠告を聞き入れ立ち回りから粗が消えた。

 

「────」

 

 その変化を見ていた七海の顔が、僅かに歪む。

 

 香取から焦りが消えた事を、すぐさま察知したのだろう。

 

 攪乱を得意とする七海にとって、焦って攻めて来る相手は格好のカモでしかない。

 

 前回の戦いでの香取が、まさにそれだった。

 

 ROUND4の香取は七海に翻弄されて頭に血が上り、チームメイトはそんな香取の暴走を抑えきれていなかった。

 

 だが、今の香取はあの時とは違う。

 

 きちんとチームメイトを()()として認め、忠言を聞く潔さを身に着けた。

 

 それだけで、香取の立ち回りは別物になったと言って良い。

 

 挑発を受けても、仲間の声で立ち止まる事が出来るようになった。

 

 チームとして戦う意味を、今の香取はきちんと理解している。

 

 故に、無理はしない。

 

 獲れる点を、確実に獲る。

 

 その為に、これまで散々準備を重ねて来たのである。

 

 今更、しくじるワケにはいかない。

 

 その想いが、香取の心を奮い立たせる。

 

 焦らず、落ち着いて堅実に攻める。

 

 その姿勢が、香取には身に付きつつあった。

 

(どちらにしろ、逃がす気はないわ。時間をかけても良いから、必ず此処で仕留めてやる)

 

 香取は、銃撃を続ける。

 

 七海は未だ、蜘蛛の網から抜け出せずにいた。

 

 

 

 

『那須先輩、七海先輩は香取さんの妨害でワイヤー地帯から出る事が出来ていません。茜を使いますか?』

「いいえ、茜ちゃんはまだ使い時じゃないわ。いっその事、このまま生駒さんをそっちへ連れて行った方がいいかしら? 乱戦になれば、こっちが有利になるもの」

 

 小夜子からの報告を聞き、那須はそう返答する。

 

 当初の予定では那須が生駒を抑えているうちに七海が『メテオラ』を使ってワイヤー地帯から離脱する筈だったが、現時点でそれは困難だ。

 

 ならば、このまま生駒を七海達の所まで誘導し、乱戦に持ち込んだ方が良い。

 

 『生駒旋空』であれば、建物ごとワイヤーも両断出来る筈だ。

 

「一発『トマホーク』を撃って、削りを入れながら撤退するわ。小夜ちゃん、サポートお願い」

『了解です』

 

 那須はその場で『メテオラ』と『バイパー』のトリオンキューブを合成し、合成弾を作り上げる。

 

 分割は、最小限。

 

 高威力の『トマホーク』で、相手を浮き足立たせる事こそが彼女の狙い。

 

 那須は、迷う事なく『トマホーク』を発射した。

 

 

 

 

「来たで……っ! 頼んます、イコさん」

「おう」

 

 水上は、上空から飛来する無数の弾丸の正体を、その弾速から即座に看破。

 

 チームのブレインの指示を受けた生駒が、納刀した『弧月』の柄に手をかける。

 

 生駒の集中力が、一瞬にして極限まで高まった。

 

 腰を低くするその体勢は、間違いなく居合い抜きの立ち姿。

 

 鍔に、指が触れる。

 

 刀身が、僅かに垣間見える。

 

 標的、視認。

 

 方位角、固定。

 

「旋空──────」

 

 全ての集中を、一瞬に凝縮。

 

 そして、斬撃が放たれる。

 

「────────弧月」

 

 ────────弧月、一閃。

 

 生駒の尋常ではない剣速で振り抜かれた拡張ブレードが、弾数を絞った『トマホーク』を薙ぎ払う。

 

 『旋空』によって斬り裂かれた弾丸は、即座に起爆。

 

 周囲の『トマホーク』の弾丸を巻き込み、誘爆が連鎖。

 

 その弾丸の殆どが爆発に飲み込まれ、消える。

 

「────見つけたで」

 

 そして、一瞬遅れて建造物が斜めに斬り裂かれ倒壊。

 

 その、両断された建物の向こう。

 

 そこに、唖然とした表情の那須の姿があった。

 

 まさか、『トマホーク』を撃墜されるとは思いもしなかったのであろう。

 

 その眼は、驚愕に見開かれていた。




 イコさんって居合い抜き可能なんで、今回はそういう面をピックアップしていきます。

 リアル剣術家のイコさん、いいよね


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生駒隊②

「此処で『生駒旋空』が炸裂……っ! 『トマホーク』を切り払った上で、那須隊長を炙り出した……っ!」

「改めて見ると、ホント凄いね。イコさん」

 

 『旋空』で合成弾を撃ち落とすという見栄え抜群の展開に、会場が沸き立っている。

 

 確かにたった今撃墜された『トマホーク』は威力重視でキューブの分割も少なかったが、それを『旋空弧月』で切り払って迎撃するなど、誰が思おう。

 

 そもそも、弾速が遅めの合成弾とはいえ射手トリガーを狙って切り払うという芸当自体がまずおかしい。

 

 自分に向かって放たれた弾丸を刀身でガードするくらいならまだしも、空中の弾丸を剣による薙ぎ払いで迎撃するなど相当の反射神経と研ぎ澄まされた剣の技巧がなければ不可能だ。

 

 それを当然の如く成し遂げたのが、生駒達人。

 

 『旋空弧月』の達人にして、居合い抜きを収めているボーダーでも指折りの剣士である。

 

 仲間とのやり取りは冗談のようなノリの軽さだが、その実力は冗談では済まされない。

 

 生駒の攻撃手のランクは、NO6。

 

 村上よりは下ではあるが、それは決して彼の技量が村上に劣る事を意味しない。

 

 元より、村上には再戦を有利にするサイドエフェクト、『強化睡眠記憶』がある。

 

 村上はその性質上、他の攻撃手とは努力の()()が違う。

 

 それは歴とした彼の武器であり卑下するものではないが、生駒はそういった先天的な才能の後押しなしで実力者揃いの攻撃手界隈の中で6位という順位に上り詰めている。

 

 その技巧は、実力は、本物だ。

 

 彼の本当の脅威は、直に戦う事でしか理解出来ない。

 

 故に、『生駒旋空』を知る相手であっても()()()()が成立し得る。

 

 生駒の実力は、映像だけで理解しきれるものではないのだから。

 

「前回の村上くんもほとほと変態的な技巧を見せてくれたけど、生駒さんも負けてないねー。ホント、上位組はおっかないや」

 

 へらへらと笑う犬飼だが、その眼は油断なく映像の中の生駒を捉えている。

 

 よく見れば、その眼は全く笑っていない。

 

 改めて思い知る事となった生駒の実力を、彼は警戒しているのだろう。

 

 実際に戦った時、どう倒すか。どう戦うか。

 

 それを、思考している眼だ。

 

 無論、解説を疎かにする気は彼にはない。

 

 それはそれ、これはこれだ。

 

 だが、解説している裏で別の思考を同時に巡らせてはならないという決まりはない。

 

 折角の機会を、活かさない手はない。

 

 こういう抜かりのなさこそ、二宮隊のバランサーたる彼の立ち回りの巧さを支える要因であろう。

 

「でも、合成弾を撃ち落とすなんてよく出来たね。まあ、『生駒旋空』の射程あってのものだろうけど。そういえば『生駒旋空』って、どうしてあんな射程が伸びるのかな?」

 

 うち、『弧月』使いいないんだよね、と北添が漏らす。

 

 確かに影浦隊はスコーピオン使いの攻撃手と、銃手、狙撃手で構成される部隊だ。

 

 ならば、彼が旋空の仕組みについて知らないのも無理はない。

 

 極論、対処法さえ知っていれば仕組みまで知る必要はないからだ。

 

「それならバッチシ、予習して来たからね。任せて」

 

 だが、割と勤勉な性格の宇佐美は今回の解説で求められるであろう『生駒旋空』の仕組みについてしっかり調べを済ませていた。

 

 彼女は彼女で、抜かりはない。

 

「そもそも、『旋空』の射程ってのは効果時間と反比例しててね。普通の『旋空』は大体1秒くらい起動して15メートルくらいの射程なんだよ」

 

 踏み込んでも大体20メートルくらいが限度みたいだよ、と宇佐美が補足する。

 

「でも、生駒さんの『旋空』はその起動時間を0.2秒くらいに絞って射程を40メートルまで伸ばしてるの。リアルで居合い抜きを収めててとんでもない剣速を持ってる生駒さんだからこそ、出来た凄技と言えるね」

 

 

 

 

「今、なんか褒められた気がする」

「ホンマかもしれへんけど、今はこっちに集中せなあかんで」

 

 早くせんと逃げられるさかいな、と水上が告げる。

 

 視線の先には、両断された建物の向こう側に立つ那須の姿。

 

 工場のパイプの上に立つ那須は、驚愕冷めやらぬ目でこちらを見据えている。

 

 まさか、『トマホーク』を『旋空』で撃ち落とされるとは彼女も考えてはいなかっただろう。

 

 幾ら威力を重視する為に分割数を絞ったとはいえ、10個以上の数はあったのだ。

 

 それを一閃で全て撃ち落とされるなど、誰が思おう。

 

 無論、全ての弾丸が『旋空』で薙ぎ払われたワケではない。

 

 だが、撃ち漏らした弾丸は他の『トマホーク』の誘爆に巻き込まれる形で起爆した。

 

 結果として、生駒はシールドを用いる事なく那須の『トマホーク』を凌ぎ切り、建物を切り払って那須を建物の影から炙り出した。

 

 生駒の技量あっての、ごり押しの対応。

 

 しかしこの場面では、最適と言える対処でもあった。

 

「────」

 

 このままでは、落とされる。

 

 そう判断した那須は、目晦ましの為に両攻撃(フルアタック)で『バイパー』を撃ち放った。

 

 生駒の『旋空』相手に、シールドは無意味。

 

 故に、取るべき対処は弾数に任せた牽制。

 

 自らの十八番である『バイパー』を放ち、生駒達の動きを牽制する。

 

「海」

「了解っ!」

「……っ!」

 

 ────だが、その程度、『生駒隊』が見抜けない筈がない。

 

 那須の背後から、弧月を構えた小柄な少年────南沢が斬りかかる。

 

 その斬撃に対し、那須はパイプから飛び降りる事で対処。

 

 だが無論、攻撃の手は緩まない。

 

 南沢は迷わず那須の後を追い、空中に躍り出る。

 

 那須はそんな彼を迎撃しようと、トリオンキューブを展開し────。

 

『狙撃警戒……っ! 南です……っ!』

「……っ!」

 

 ────通信越しに聞こえた小夜子の警告により、即座にトリオンキューブを解除。

 

 両防御(フルガード)を用いて、遠方から飛来した狙撃を防御する。

 

「うりゃ……っ!」

「……っ!!」

 

 しかしそれは、南沢への対処を放棄した事と同義。

 

 そのまま弧月を振り下ろした南沢の斬撃により、那須の左腕が斬り飛ばされた。

 

「く……っ!」

 

 負傷した那須は、遠目に『アイビス』を構えた狙撃手、隠岐の姿を確認。

 

 狙撃手の位置を確認すると、即座にグラスホッパーを展開。

 

 そのまま反射台を踏み込み、射線の切れる場所へ退避する。

 

 前門には、生駒と水上。

 

 後門には、南沢と隠岐。

 

 那須は、結果として『生駒隊』に取り囲まれる立ち位置となった。

 

 

 

 

「ありゃりゃ、『アイビス』防がれてもうた。でもま、結果オーライやろ」

 

 建物の上でアイビスを構えていた隠岐は、那須を仕留め損なった事を確認し溜め息を吐く。

 

 絶好のタイミングだと思ったのだが、どうやら那須隊のオペレーターは思っていた以上に優秀らしい。

 

 だが、これで那須を取り囲む事が出来た。

 

 狙撃こそ防がれたものの、その隙を突いて南沢が那須の片腕を斬り落とす事に成功した。

 

 射手である那須は腕がなくとも戦えるが、ダメージを与えた事に変わりはない。

 

 今の一撃で、それなりの数のトリオンが漏出した筈である。

 

 後はこのまま削り殺すように追い詰めれば、どうとでもなる。

 

 那須と隠岐のいる場所は、それなりの距離がある。

 

 バイパーを射程重視に調整すれば届く可能性はあるが、そもそも今那須の眼前には南沢が、近くには生駒と水上がいるのだ。

 

 自分を構っている暇は、今の那須にはない筈である。

 

「まあでも、射線切られてもうたさかい。移動せなあかんな」

 

 今ので自分の位置は割れたやろし、と隠岐はぼやく。

 

 七海は香取と戦闘中らしいが、どうやら建物の影で戦っているらしく隠岐のいる場所から視認する事は出来ていない。

 

 しかし、まだ香取隊の三浦や那須隊の熊谷、茜の位置が不明だ。

 

 狙撃で居場所が割れた自分を、追い掛けて来てもおかしくはない。

 

 隠岐は狙撃手としては珍しく移動手段としてグラスホッパーを用いているが、それでも寄られないに越した事はない。

 

 基本的に、距離を詰められた狙撃手の末路というのは決まっているのだから。

 

『隠岐……っ! 近くに誰かおんで……っ!』

「げっ」

 

 そんな時、オペレーターの真織から敵襲警報(アラート)が飛んで来た。

 

 だが、見まわしても周囲に人影はない。

 

 これは、つまり。

 

『カメレオン使うとるみたいや……っ! 気ィ付けや……っ!』

「三浦くんかいな……っ!」

 

 反応があるのに、姿は無い。

 

 ならば、答えは一つ。

 

 隠密トリガー、『カメレオン』。

 

 それを使用した人物が、近くにいる。

 

 この試合で、カメレオンを基本セットしているのは『香取隊』の二人だけ。

 

 そして、未だ銃撃がないという事は若村ではない。

 

 三浦が、近くに潜んでいる。

 

 隠岐のいる場所は、建物の屋上。

 

 だが、トリオン体の跳躍力なら屋上まで跳んで来る事は容易だ。

 

 いつ攻撃が来ても、不思議ではない。

 

「マリオちゃん、反応は?」

『正面や……っ! 建物の近くにおんで……っ!』

「そらまた、けったいやなあ」

 

 だが、『カメレオン』には発動中他のトリガーを一切使えなくなるという欠点がある。

 

 更に発動しているだけでトリオンを消費し続ける為、長時間の使用には向かない。

 

 『カメレオン』を用いた奇襲を行う場合、攻撃の際には必ず透明化を解除しなければならない。

 

 故に、警戒さえ怠らなければどうとでもなる。

 

 だがそれは、近接戦闘に対応した攻撃手の場合の話である。

 

 狙撃手はそもそも、()()()()()()()()なのだ。

 

 相手が『カメレオン』を解除する時というのは、必然的に隠岐に肉薄した段階となる。

 

 そうなった段階で、狙撃手である隠岐としてはほぼ()()に等しい。

 

「逃げるが八卦やな」

 

 隠岐は、即座に撤退を選択。

 

 三浦と思しき反応から遠ざかるべく、反対側の路地に飛び降りる。

 

 そして即座に、グラスホッパーを起動。

 

 反射台トリガーを踏み込み、逃走を開始する。

 

「イコさん、三浦くんをそっちに連れてくんで頼んます」

『了解』

『三浦に気ぃ取られ過ぎて那須さんにやられんようにな』

「わかってますって」

 

 隠岐はチームメイトへの通信を終えながら、全速力で路地を駆ける。

 

 知っている限り、三浦はグラスホッパーを所持していない。

 

 ROUND4の時の那須のようにいきなりセットしている可能性はあるが、三浦の動きはお世辞にも機動戦に向いているとは言い難かった。

 

 グラスホッパーは、癖の強いトリガーである。

 

 展開位置や踏み込む強さや角度の調整、そして空中でのバランス感覚の保持が必須となる。

 

 使いこなすには、トリガーとの相性の良さやもしくは根気強い努力が要る。

 

 それが、グラスホッパーの持つ利便性の割に使用している隊員がそこまで多くない理由である。

 

 隠岐は元々身軽なタチであり、習得にはそこまで苦労はしなかった。

 

 だが恐らく、三浦は違う。

 

 三浦の立ち回りは、どちらかというと那須隊の熊谷や鈴鳴第一の村上と同じ、守備的なものに近い。

 

 そういったタイプは防御に比重を置いている分、機動力はそこまで高くはない。

 

 基本的に、グラスホッパーを使用する攻撃手というのは()()()()()()()()というのが基本のスピードアタッカーが多い。

 

 真逆のタイプの三浦とグラスホッパーは、相性が悪いのだ。

 

 故に、三浦がグラスホッパーを装備している可能性は限りなく低い。

 

 そして、素の機動力もそこまで高くはない。

 

 油断さえしなければ、このまま逃げ切る事が出来るだろう。

 

(むしろ注意せなならんのは、那須さんの方やな。前回の試合を見る限り、いざとなれば相打ち狙いで特攻してもおかしかない。捨て身で落とされるのはゴメンやな)

 

 隠岐の脳裏には、映像で見た前回のROUNDで自身が落ちる事さえ顧みず東隊に牙を剥いた那須の姿が過っている。

 

 彼女は、いざとなれば自らの身さえ顧みない怖さがある。

 

 追い詰められた獣は恐ろしい、というが彼女はまさにそれだ。

 

 捨て身の特攻ほど、怖いものはない。

 

 防御を捨てた攻撃というのは、かなり鋭い。

 

 生半可な防御では、容易に打ち崩してしまう程には。

 

 故に、手負いの相手こそ注意を払わなければならない。

 

 仮想空間での戦闘という性質上、落とされたとしても失うのはポイントだけだ。

 

 故に、いざとなれば捨て身で攻撃する、という選択肢が普通に有り得てしまう。

 

 隠岐自身、似たような事はしているのだ。

 

 相手がそうしない保証など、何処にもない。

 

 故に、隠岐は意識の比重を那須の方へと傾けた。

 

 傾けて、しまったのだ。

 

「うわ……っ!?」

 

 故に、網にかかる。

 

 ()()()()()()()何かに足を取られた隠岐は、その場でバランスを崩す。

 

 隠岐は咄嗟にグラスホッパーを展開し、地面との激突を回避しようとする。

 

「────旋空弧月」

 

 ────だが、その判断は遅きに失した。

 

「へ……?」

 

 隠岐は何が起きたか分からず、下を見る。

 

 そこには、両断され致命傷を負った自分の身体。

 

 振り向けば、そこには弧月を振り切った三浦の姿がある。

 

 ()()()()()()()()()、三浦の姿が。

 

 よくよく見れば、彼の足元には折り重なった無数の()が張り巡らされている。

 

 隠岐が足を取られたのも、あれと同種の代物だろう。

 

『戦闘体活動限界。『緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 その姿を捉えた、刹那。

 

 機械音声が隠岐の敗北を告げ、『生駒隊』の狙撃手は今試合最初の脱落者となった。




 グラスホッパー、あんだけ便利ならもっと使用者がいてもいいのにあんましいないのは、使いこなすのが難しいからだと思うんですよね。

 身軽さとバランス感覚がないと厳しいんで、使用者少ないってのはありそう。


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香取隊⑦

「ここで隠岐隊員、緊急脱出……っ! 落としたのは『香取隊』、三浦隊員だ……っ!」

「上手い事やったね。三浦くん」

 

 今試合初の緊急脱出に、会場が沸き立つ。

 

 その様子を、犬飼はニヤニヤと笑みを溢しながら眺めている。

 

 犬飼の人の悪そうな笑みに気付いた北添が、思わず苦笑した。

 

 先程から犬飼が『香取隊』贔屓の発言をしている事を、北添はなんとなく察していた。

 

 聞く所によると、『香取隊』の若村は犬飼の銃手としての弟子らしい。

 

 ならば、今回『香取隊』が使用した『スパイダー』を用いた戦術は彼が伝授したものだろう。

 

 なにせ、以前二宮隊には『スパイダー』を使う狙撃手がいたのだから。

 

 ペナルティでB級に降格される前のA級時代のランク戦で、張り巡らされた『スパイダー』を使って動き回る犬飼を相手にしたのは、一度や二度ではない。

 

 そんな北添からしてみれば、『香取隊』が誰から『スパイダー』の使い方を教わったのかは一目瞭然だ。

 

 犬飼は飄々としていて真意が掴み難いが、それでも弟子の成長は素直に嬉しいらしい。

 

 人を食ったような態度で知られる犬飼だが、別に冷血漢というワケではない。

 

 ただ、公私をきっちり分ける事が出来、合理的に物事を運ぶのが抜群に上手いだけだ。

 

 空気を読む力も群を抜いて高く、胸中で何を考えていようがその場の輪を取り持つ為に動く事が出来る。

 

 …………もっとも、言動と思考が一致せず人をからかう事も好きな為、感情をサイドエフェクトで感知できる影浦からは嫌われているのだが。

 

 犬飼は犬飼でそんな影浦の事を好ましく思っているようである為、実際は影浦の一人相撲で終わっている。

 

 まあ、嫌われている事を察しながらもぐいぐい話しかけてくる犬飼にも原因があるのだが。

 

「ん? どしたのゾエさん?」

「いや、なんでもないよ。それにしても、上手く『スパイダー』が作用したね。『スパイダー』は、『那須隊』に対してだけの対策じゃなかったワケか」

 

 そんな北添の思考を察したのか胡乱な眼を向けて来る犬飼に対し、北添は露骨な話題逸らしを行った。

 

 一瞬目を細めた犬飼だったが、それ以上追及する事はなく解説に戻る。

 

「そうだね。『香取隊』が『スパイダー』を使っている事は、今まで『生駒隊』にはバレてなかった。だからこそ、密かに張った網に隠岐くんがかかるのを待ってたってワケだ」

「待ってた、って事は『香取隊』は最初から隠岐くんを狙ってたって事?」

「そういう事だね」

 

 まず、と犬飼は前置きする。

 

「『香取隊』は確かに、『那須隊』に対する対策(メタ)として『スパイダー』を用意した。けど、それだけじゃ『生駒隊』はどうしようもないよね? 『生駒旋空』なら、遠距離から『スパイダー』を建物ごと斬れちゃうんだからさ」

 

 そう、この試合『香取隊』は『生駒旋空』の脅威をチラつかせる事で七海に不用意な『メテオラ』使用を封じる策を取った。

 

 だが、その『生駒旋空』は『スパイダー』に対する明確な回答と成り得るのだ。

 

 遠距離から建物ごと斬られてしまえば、『スパイダー』によるワイヤー地帯は瞬く間に失われる。

 

 つまり、位置を知られてはならなかったのは香取隊も同じなのだ。

 

「なら、話は簡単だ。簡単に位置を知られないように、対策を打てば良い。ねえゾエさん、それには()()()()()()良いと思う?」

 

 ニヤリ、と犬飼は意地の悪い笑みを浮かべる。

 

 そんな犬飼に、北添は苦笑しながら応対する。

 

「普通なら生駒さん、って言いたいけど生駒さんを落とすのはかなり苦労する筈だよね? 遠近両方に対応してるし、落とすのはかなり難しいよ」

 

 生存率も結構高いしね、と北添は告げる。

 

 確かに生駒は東や二宮ほどでないにしろ、それなりに生存率が高い隊員だ。

 

 『生駒旋空』ばかりがクローズアップされがちだが、本人の地力がまず高い。

 

 その上クレバーな判断や咄嗟の機転も効き、戦場での対応力は群を抜いている。

 

 正面からは、かなり落とし難い駒と言えるだろう。

 

「そう。生駒さんを落とせればベストだけど、真っ先に狙えるような相手じゃない。じゃあ、生駒さんの一番の武器────『生駒旋空』の脅威度を下げるには、誰を落とせばいいかって話だね」

「ああ、成る程。その解答が()()()()()()()()って事なんだね」

「そういう事だね」

 

 横から正解を口にした宇佐美に対し、犬飼はそう言って笑みを浮かべる。

 

 北添も正解は分かったようだが、敢えて解答を宇佐美に譲ったようだ。

 

 そのあたりの気配りが、北添が「ゾエさん」と呼ばれ親しまれている所以である。

 

「『生駒旋空』は遠距離の相手も障害物越しに斬ってるけど、レーダー頼りじゃ精度はたかが知れてる。だからこそ、狙撃手の()が必要になるのさ」

「そうだね。狙撃手が高台でスコープ越しに得た情報をフィードバックすれば、オペレーターはより精度の高いターゲッティングが出来るもんね」

 

 そう、『生駒旋空』はランク戦では遠距離の相手でも容赦なく斬り払う脅威として認識されているが、レーダー頼りのオペレートでは障害物を挟んだ遠距離の相手に狙って当てる事は早々出来ない。

 

 その精度を高めているのが、狙撃手の隠岐による観測結果のフィードバックだ。

 

 前回のROUND5で那須隊がやったように、実際に戦う隊員の観測情報があればより精度の高いオペレートが可能となる。

 

 『生駒隊』においてその観測情報の収集を行っているのが、狙撃手の隠岐なのだ。

 

 隠岐はグラスホッパー持ちの狙撃手という持ち味を存分に活かし、素早く高台を抑えて観測情報を部隊で共有する役目を担っている。

 

 彼の観測情報があるからこそ、『生駒旋空』はランク戦であそこまでの猛威を振るっているワケだ。

 

 無論観測情報なしでも『生駒旋空』を適当に振るうだけでも脅威である事に違いはないが、ターゲッティングの精度が高ければよりその脅威度は跳ね上がる。

 

 『生駒隊』において、隠岐は重要な役割を担う駒と言えるのだ。

 

「だからこそ、『香取隊』は最初から隠岐くんを標的に据えてたワケだ。スコープで遠距離を覗ける狙撃手がいなければワイヤー地帯が発見される可能性を低く出来るし、『生駒旋空』の照準も合わせ難くなる」

 

 だから、と犬飼は続ける。

 

「その為に、三浦くんはワイヤー地帯を広げながら隠岐くんが姿を晒すのを待ったワケだ。那須さんを、利用する形でね」

「つまり、那須さんが生駒隊を抑えに行くのも『香取隊』の思惑通りだったってワケかー」

 

 「やるねー、香取隊」と宇佐美は世辞ではない称賛を漏らす。

 

 『玉狛支部』に所属し七海との交流もそれなりにある宇佐美ではあるが、小南と違って私情を実況の場に持ち込む事はない。

 

 割と情深いタチの宇佐美ではあるが、解説の場でもきちんと私情を抑えて公平な立場で解説する事が出来る。

 

 戦場以外では隙だらけの小南とは、色々と違うのだ。

 

 これが自分のオペレートする隊であればまた違った結果になるかもしれないが、宇佐美にとって七海はあくまで『玉狛支部(仲間達)』の知り合いだ。

 

 小南や迅ほど深い交流がない事も、多分に影響しているのだろう。

 

 七海は黒い義手をまだ幼い陽太郎に見せるのはあまり良くないだろうと考え、陽太郎の前には姿を見せないようにしていた。

 

 必然的に、陽太郎の面倒を見ている宇佐美との交流も少なくなりがちとなる。

 

 宇佐美は「心配し過ぎだ」と言ったのだが、七海がその訴えを聞き入れた事はない。

 

 恐らく、七海の姉の葬式で大泣きしたという小南の事が頭に引っかかっているのだろう。

 

 自分が姿を見せる事で、幼い陽太郎に余計な疵を残す事を厭うている。

 

 あれは、そんな反応だった。

 

 宇佐美としてはなんとかしてやりたいが、中々その切っ掛けがなくて困っていた所だ。

 

 小南達の話ではROUND3での敗戦を経て色々変われたらしいし、今ならば宇佐美の訴えも聞いてくれるかもしれない。

 

 その為にも、この実況は全力でやり遂げる。

 

 少しでも会話の取っ掛かりを探す為に、公平な立場からビシバシ実況するつもりだ。

 

 取り合えず、この試合が終わったら那須隊の隊室に殴り込もう。

 

 そんな事を考えていた、宇佐美であった。

 

「でも、網を張っていたとはいえよく隠岐くんに追いつけたねー。グラスホッパーを持ってるワケじゃないのに、追いつけるものなんだ」

「きっと、同じ事を隠岐くんも思っただろうね。でも、意外に思うかもしれないけど三浦くんの機動力の評価って結構高いんだよ?」

 

 確か、『8』とかじゃなかったかな? と犬飼は補足する。

 

 機動力『8』は、評価としては香取と同程度。

 

 つまり、かなり高い評価と言える。

 

「けど、三浦くんってそこまで速いイメージはなかったんだけどなあ」

「まあ、それはこれまでの『香取隊』の立ち回りにも原因があるんだよね。三浦くんはこれまで、香取ちゃんの尻拭い()()をやってたようなものだから」

 

 確かに、これまでの三浦は香取のフォローに回っているイメージが強く、必然的に立ち回りは消極的なものになる。

 

 隠岐も、三浦に対しては()()()()()()()()というイメージを持っていた。

 

「けど、要所要所では割と機敏に動けてるんだよね、彼。いつもフォローに回ってるけど、逆に言えば機動力の高い香取ちゃんの補助に回れるくらいの立ち回りは出来るって事なんだよね」

 

 犬飼の言う通り、三浦はこれまでの香取隊の試合でも香取のフォローに終始しているが、銃手である若村と違って攻撃手である三浦が香取をフォローするには直接彼女に近付くしかない。

 

 つまり、香取に追い付ける程度の機動力は、三浦は持っていたという事になる。

 

 今までは単に、香取隊が隊としての機能を放棄していたに等しい為フォローで手一杯になりその機動力を活かす事が出来なかっただけなのだ。

 

「だから、三浦くんはワイヤーを使って隠岐くんに追い付いたワケだ。『スパイダー』は一度出してしまえば枠を消費しないから、『カメレオン』とも併用出来るからね」

 

 後は油断した隠岐くんを仕留めるだけって寸法さ、と犬飼は告げる。

 

 彼の言う通り、確かに隠岐は油断していたと言える。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()がグラスホッパーを使う自分に追い付ける筈がない、と。

 

 隠岐は、以前に戦った三浦の立ち回りを見て、彼の機動力を甘く見てしまった。

 

 それが、彼が真っ先に落ちてしまった要因と言える。

 

「初見殺しは、何も那須隊だけの専売特許じゃない。此処からだよ、本番は」

 

 

 

 

『すんません。落ちてもうた』

「何やってんねん」

「四人編成が売りのウチで隠岐が落ちてもうたら、もうワイ等売りになるモンあらへんやん。女にモテるちゅう看板はどないしたん?」

『いや、モテませんってホント』

 

 隠岐脱落の報は、すぐさま生駒隊に共有された。

 

 漫才のようなやり取りの後、水上はふぅ、と溜め息を吐く。

 

「で、香取隊が『スパイダー』使うとったんは間違いないんやな?」

『はい。ウチもそれに引っかかってやられましたし、イコさん達の近くにもきっとありまっせ』

 

 だが、ただでは落ちないのが『生駒隊』の隊員である。

 

 きっちり()()()()()()()()()()使()()という情報を持ち帰って来た隠岐は、三浦の位置情報と彼がスパイダーを張った可能性のある場所をオペレーターを通じて隊と共有した。

 

 油断して落とされはしたが、出来る事はきっちりこなす。

 

 そのあたり抜かりないのが、隠岐という男である。

 

「なら話は簡単やな。イコさんの『旋空』で、全部薙ぎ払えばええ。建物なくなれば那須さんも身動きとれんくなるし、一石二鳥やろ」

 

 そして、近くにワイヤーが張られているのではあれば取る対策は決まっている。

 

 『生駒旋空』を用いて、周囲の建物ごとワイヤーを薙ぎ払う。

 

 隠岐が落とされた為観測精度が下がりはしたが、建物ごとワイヤーを斬る事が目的である以上さしたる問題ではない。

 

 やるべき事は、明確になった。

 

 ならば、後は実行に移すのみ。

 

 生駒は腰を据え、弧月の柄に手をかけた。

 

『後ろや……っ!』

「……っ!」

 

 だが、そうは問屋が卸さない。

 

 オペレーターの声に振り向けば、そこには透明化を解除して弧月を構えた三浦の姿。

 

 それを視認した生駒は、そのまま弧月を抜き放ち三浦に斬撃を見舞った。

 

「く……っ!」

 

 三浦はそれを、バックステップで回避。

 

 そして、()()()()()()()()()()()、そのまま大きく飛び上がった。

 

「な……っ!? いつワイヤーを張ったんや……っ!?」

 

 まさか、と水上はある可能性に気付く。

 

 自分達は、最初からこの場にいたワケではない。

 

 合流場所としてこの場を選び、結果としてこの場所で那須と交戦を開始したに過ぎない。

 

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のならば、自分達が来るまでに『スパイダー』で網を張る事は可能だ。

 

 目を凝らせば、空中に無数に連なるワイヤーが見て取れる。

 

 最初から、この場所は三浦が張った()の中だったワケである。

 

「けど、それなら糸を斬ればええ。イコさん……っ!」

「おう」

 

 だが、それならそれで『生駒旋空』でワイヤーを薙ぎ払えばいい。

 

 やる事は、先程と変わらない。

 

 三浦も『旋空』をセットしているが、剣速は生駒の方が圧倒的に上である。

 

 今から『旋空』を抜いても、生駒の剣速には敵わない。

 

 生駒は再び弧月を鞘に戻し、居合い抜きの体勢を取る。

 

『イコさん、那須さんが……っ!』

「……っ!」

 

 だが、その抜刀は不発に終わる。

 

 通信越しに響いた海の声に従い振り向けば、上空から降り注ぐ無数の光弾が視界に映る。

 

 生駒は即座に旋空を取りやめ、シールドを展開。

 

 無数の光弾を、『バイパー』を防御する。

 

「アステロイド……ッ!」

 

 水上は此処で三浦を取り逃がしてなるものかと、光弾を放つ。

 

 三浦は空中のワイヤーを踏み込み、上空に退避する。

 

「……っ!」

 

 だが、放たれた光弾は三浦を()()()()

 

 光弾の正体は、通常弾(アステロイド)ではなく追尾弾(ハウンド)

 

 口頭で告げた弾丸とは別種の弾丸を撃ち放つ、水上の固有テクニックである。

 

 流石にこれは避けきれず、三浦はシールドで光弾を防御する。

 

「これも喰らいや……っ!」

 

 水上は更にトリオンキューブを展開し、照準を定める。

 

 更なる追撃を放とうとした、刹那。

 

「またかい……っ!」

 

 上空から、再度降り注ぐ光弾の雨。

 

 水上は仕方なくトリオンキューブを破棄し、生駒と共に全方位にシールドを展開。

 

 光弾の檻、『鳥籠』から身を守る。

 

「海、何やっとんねん。那須さんがフリーになっとるで」

 

 水上は那須を抑えている筈の南沢に通信を繋ぎ、問いかける。

 

 だが、通信から返って来たのは焦ったような南沢の声だった。

 

『大変なんですってっ! 那須さんが、ワイヤーを使って……っ!』

「は……?」

 

 予想外の言葉に、水上が固まる。

 

 一瞬後にはっとなり、空中に立つ三浦を凝視する。

 

 三浦は口元に、笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

「気に食わないけど。使えるものは、なんでも使わないとね」

 

 狭い路地の中、那須は何もない────────否、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 先程の路地の更に奥まった場所にあるそこには、先程までの夜闇に溶け込んだ黒いワイヤーではなく、目立つ色の赤いワイヤーが張り巡らされていた。

 

「うわちゃー、これマズイっしょ」

 

 路地の入口に立つ南沢は、ワイヤー機動を行う那須の動きに付いて行けず、結果的に那須をフリーにしてしまっていた。

 

 故に、那須が向こうの戦場に介入する隙を与えてしまったのだ。

 

 明らかな、那須の援護を目的としたワイヤー地帯。

 

 那須を利用して生駒隊を足止めする為の、香取隊の一手。

 

 それが、露わになった瞬間だった。




 ワートリのパラメーターって評価基準が曖昧な感じするけど、独自解釈入れてみました。

 まあ、分かんないトコは自力で補完するしかないよねってお話。

 三浦くん、原作じゃ香取ちゃんの鉛弾ガード間に合ったり要所要所で機敏に動けてたりするから、隊の動きが改善すればそれなりに動けるようになるかなって考えたワケ。

 おっきーは「前の香取隊」のイメージが強くて、油断しちゃった感じですね。


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生駒隊③

 これは厄介な事になった、と水上は内心で愚痴った。

 

 視界の先には、空中に張られたワイヤーの上に立つ三浦の姿。

 

「ハウンド……ッ!」

 

 水上は、ハウンド────と見せかけたアステロイドを放つ。

 

 口にした射撃トリガーと別種の弾丸を撃ち放つ、水上の固有テクニック。

 

 トリガーの口頭起動は、無発声の起動よりもほんの僅かに速い。

 

 なにより、口頭で起動するトリガーを選択出来る分脳内処理の負担が軽くなる。

 

 射撃トリガーは発射までに射撃トリガーの切り替え、威力・弾速・射程の調整を行い、トリオンキューブを生成。

 

 そこからキューブを分割し、標的を設定して射出するというプロセスを踏む。

 

 そのうち射撃トリガーの切り替えを、口頭発声で省略出来るのだ。

 

 処理が一つ少なくなる分、負担が軽くなるのは通りである。

 

 射撃トリガーをメインで扱う射手の場合、常に脳をフル回転させて戦っているようなものだ。

 

 加えて射手は隊のサポーターである事が多く、幅広い視野を持つ事が求められる。

 

 更にその場その場での迅速な判断力も必要な為、負担を少しでも軽くするに越した事はない。

 

 水上の固有技術は、その理論に真っ向から反するものだ。

 

 口頭で告げた弾丸とは別の弾丸を選択し、射出する。

 

 言うなればそれは、前を向いたまま足元のボールを拾い上げて投げるようなものだ。

 

 地味に見えるが、割と高等技術なのである。

 

 だが、ランク戦では有効な技術である事は確かだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事を知っていても、その場その場で耳にするトリガー名にはどうしても意識を散らしてしまう。

 

 結果として水上の弾丸に最大限の注意を払わざるを得ず、他への警戒が薄くなる。

 

 その隙を仲間に突かせるのが、水上の常套手段である。

 

 水上の手口を知っている相手もハメる事が出来るが、実の所この戦法には明確な対処法がある。

 

「────」

 

 ────そう、()()()()である。

 

 三浦は水上が弾丸を発射した時点で、迷う事なくワイヤーを足場に跳躍。

 

 空中機動を繰り返し、素早く水上の側面に回り込む。

 

 たとえ宣言通り誘導弾(ハウンド)だったとしても、回避出来る場所へと。

 

 ハウンドに偽装したアステロイドは当然追尾機能はなく、そのままあらぬ方向へ飛んでいく。

 

 その隙を突いて、三浦が弧月を振りかぶり水上に斬りかかる。

 

「────」

 

 だが、それを黙って見ている生駒ではない。

 

 三浦は水上と生駒の中間に位置しており、旋空を使えば水上を巻き込んでしまう。

 

 故に生駒は、旋空を使わず三浦に斬撃を振るう。

 

「……っ!」

 

 しかし、三浦は迷う事なくその場から飛び上がり、ワイヤーを足場に空中機動。

 

 水上の頭を飛び越え、その向こう側に着地する。

 

「アステロイド……ッ!」

 

 そこに、アステロイド────と、見せかけた炸裂弾(メテオラ)を放つ。

 

「させない……っ!」

 

 その直線状に、三浦は咄嗟にスパイダーを設置。

 

 メテオラはワイヤーに触れ、起爆。

 

 射出したトリオンキューブが次々と誘爆し、爆発で視界が塞がれる。

 

「どわ……っ!」

 

 爆発をシールドでガードし、後退する水上。

 

 幸い、メテオラのシールド突破力はそう高くはない。

 

 シールドを広げれば、充分に切り抜ける事は出来る。

 

「────」

 

 

 だが、()()()()()()()()()()

 

 爆煙を突っ切り、こちらに迫るのは弧月を構えた三浦。

 

 シールドでは、叩き斬られる危険がある。

 

 だが、後ろに逃げようにも何処にワイヤーが張ってあるか分からない。

 

「アステロイド……ッ!」

 

 故に、取れる手は一つ。

 

 射撃トリガーでの、迎撃である。

 

 今度は、偽装なしの正真正銘のアステロイド。

 

 だが、そんな事は三浦には分からない。

 

 ほんの少しでも、逡巡する筈だ。

 

 即ち、この弾丸が一体何であるかを。

 

 少しでも躊躇わせる事が出来れば、それで充分。

 

 時間さえ稼げば、生駒のフォローが間に合う。

 

 本来であれば隊のエースである生駒をフォローするのが自分の役目ではあるが、こうも身動きがとり難いワイヤー地帯では思わぬ機動力を見せた三浦を相手にするには生駒に頼るしかないのが事実である。

 

 その事を口惜しく思いつつも、水上はこの攻撃は凌げると考えていた。

 

 三浦の立ち回りは、時間稼ぎ目的であるのは明らかである。

 

 何を目的に時間稼ぎをしているのかは推察するしかないが、元々守備的な動きの多い三浦であれば此処では無難に回避を選択する筈だ。

 

 先程隠岐を落とした事には驚いたが、その目的は恐らく『生駒旋空』の精度を下げる為。

 

 つまり、()()()()()()()()()()()事が目的である為、守備的な三浦の立ち回りとは矛盾しない。

 

 以前よりも、()()()()()()が得意になったようだが、三浦の本質は自分と同じ隊のサポーターだ。

 

 今回は『スパイダー』なんてものを持ち出している事からも、それが分かる。

 

 サポーターならば、此処で無理してまで踏み込もうとはしない筈。

 

 水上は、そう考えていた。

 

「が……っ!?」

 

 …………その考えは、()()()()当たっていた。

 

 三浦は、確かにワイヤーを使った回避を選択した。

 

 だがそれは、水上の弾丸から逃げる為ではない。

 

 ────上空から降り注ぐ、無数の『バイパー』から逃れる為である。

 

 雨の如く降り注いだ変化弾(バイパー)は、水上の身体に無数の風穴を空ける。

 

 辛うじてシールドでのガードが間に合った為致命傷は免れたが、それでも少なくないトリオンが漏れ出ている。

 

 完全に、してやられた。

 

(しもうたわ。共闘のように見えてても、那須さんは()()()()()()()()()()()()()()()()()んや。だから今のように固まっとったら、容赦なく撃ち込んで来るに決まっとる……っ!)

 

 そう、那須と三浦は一見共闘しているように見えても、その本質は敵同士。

 

 那須は三浦の張ったワイヤーを利用出来ればそれでいいのだから、三浦が落ちても何の問題にもならない。

 

 いやむしろ、此処で纏めて落としておこうという心づもりだろう。

 

 機動力を封じるワイヤーを張る三浦は、足で相手を翻弄する那須や七海にとって天敵に等しい相手だ。

 

 故に、片手間で海の相手をしながら隙あらば水上達諸共片付けてしまおうという魂胆だろう。

 

(多分、それも三浦は計算づくやな。三浦は自分を囮にする事で、那須さんに俺等を狙わせとる。自分を狙った弾丸を、疑似的な援護として活用する為に)

 

 そして、それは三浦とて承知の上。

 

 三浦は自分を狙った那須の弾丸を、()()()()として利用しているのだ。

 

 立ち回りが、上手い。

 

 認めよう。

 

 今の香取隊は、以前の香取隊とは別物だ。

 

 以前のように、香取がやられれば脆く崩れるだけの不安定な部隊ではない。

 

 何より、目つきが違う。

 

 今の三浦には、貪欲に勝利を求める執念が見て取れる。

 

 以前の、隊のフォローで手一杯だった頃の彼ではない。

 

 香取隊は、良い意味で貪欲になった。

 

 この『スパイダー』も、恐らくは那須隊の対策として持ち込んで来たものだろう。

 

 機動力を主とする七海や那須には、このトリガーは()()筈だ。

 

 此処まで来れば、分かる。

 

 三浦は、香取が七海を落とすまでの時間を稼いでいるのだ。

 

 生駒隊に、その邪魔をさせない為に。

 

 このワイヤー地帯は、自分達にとっては見えない糸により()となるが、香取隊にとっては自由に使える()()となる。

 

 ワイヤー機動を得た香取は、かなりの脅威である事は予想出来る。

 

 相手が素の機動力で彼女を上回っている七海でなければ、とうにやられている事だろう。

 

 だが、未だに三浦が時間稼ぎに徹している所を見る限り、まだ香取は七海を追い込み切れていないらしい。

 

(ログを見る限り、防御や回避に徹したらA級並みの動きをしとったな。あれに粘られたら、中々骨やろな)

 

 水上は、七海が出た今期の那須隊の試合ログには全て目を通している。

 

 そこで垣間見た七海の回避能力は、A級の面々と比べてもなんら遜色ないものだった。

 

 防御や回避に徹すれば、七海の生存能力はかなり高い。

 

 自分で得点せずとも、仲間が相手を落とす隙を作れればそれで良い。

 

 あれは、そう割り切った動きだった。

 

 攻撃能力と爆発力は香取の方が上であるが、それでも機動力や回避能力、試合全体を俯瞰する能力は七海の方が上であると水上は見ている。

 

 ワイヤーの補助があっても、香取では生存に徹した七海を落とすのは相当な時間がかかるだろう。

 

 このままでは、千日手の状態に近い筈だ。

 

(けど、三浦にも向こうで海と戦り合うとる那須さんにも焦りが見えん。此処を早く片付けてあっちのフォローに回ろういう意思がまるで無いなあ)

 

 そこまで考えて、水上は那須隊の────正確には香取隊の思惑に気付く。

 

 そして舌打ちし、那須と戦闘している海に通信を繋いだ。

 

「海っ、那須さんは何とか出来へんのか……っ!? さっきからこっちに弾飛んできとるで……っ!」

 

 

 

 

「何とか出来るものならしてますよお~……っ!」

 

 赤いワイヤーが張り巡らされた路地の中、南沢は悲鳴のような声をあげていた。

 

 彼の視線の先には、ワイヤーを伝って空中を滑るように動く那須の姿。

 

 水上達の周囲に張り巡らされたワイヤーと違い、此処に張り巡らされた赤いワイヤーは那須にも南沢にもハッキリと見える。

 

 故に、ワイヤーを使った機動は南沢にも可能だ。

 

 南沢はワイヤーを足場に、那須に肉薄しようと駆ける。

 

 だが。

 

「────」

「うわわ……っ!」

 

 四方八方から迫り来るバイパーの雨に、南沢は防御に徹さざるを得ない。

 

 その間に那須は高速でワイヤー地帯を縦横無尽に駆け抜け、秒単位で位置を変えながら変化弾(バイパー)を撃ち続ける。

 

 確かに、ワイヤーを使えるのは那須も南沢も同様である。

 

 だが、空中戦の心得なら、那須の方が遥かに上だ。

 

 南沢も割と身軽なタチではあるが、グラスホッパーによって強化された那須の機動力の前では一歩譲る。

 

 何より、()()()()()がどうしようもなかった。

 

 遠距離攻撃の手段が旋空しかない南沢では、那須を射程に収める前に弾丸で押し返されてしまう。

 

 しかも那須のバイパーはワイヤーを避けて正確に南沢を狙う為、射撃を繰り返してもワイヤーが減る気配はない。

 

「旋空……っ!」

 

 ならばと、旋空でワイヤーを斬ろうとする南沢。

 

 だが。

 

「うわ……っ!」

 

 そんな隙を、那須が見せる筈もない。

 

 速度重視にチューニングされたバイパーが、南沢に襲い掛かる。

 

 南沢は止む無く旋空を中断し、両防御(フルガード)でシールドを使用。

 

 全方位から襲い来る『鳥籠』を、広げたシールドで防御する。

 

 那須の攻勢は、緩まない。

 

 再度、バイパーの雨が南沢に降り注ぐ。

 

 南沢は両防御を維持しながら、那須に少しでも肉薄しようと駆ける。

 

「あ……っ!」

 

 だが、南沢に迫っていた弾丸の半数が、上空へと進路を変えた。

 

 その先に何があるかは、言うまでもない。

 

「すいませんイコさんっ、また那須さんの弾がそっち行きました……っ!」

 

 

 

 

「那須さんの弾って、なんや花火みたいで綺麗やなあ」

「見惚れてる場合かい……っ!」

 

 上空から降り注ぐバイパーの雨を、生駒達は広げたシールドで防御する。

 

 そんな中、三浦はワイヤーを使い、いち早く那須の弾丸の射程外へ退避している。

 

 ワイヤーが張り巡らされたこの状況では、空中機動を自在に行える三浦の方が有利だ。

 

 このままでは、じり貧になる。

 

 だからこそ、手を打たなければならないが……。

 

(この様子じゃ、海が那須さんを仕留めんのは無理やな。那須さんの射程の有利が大き過ぎる。香取隊の狙いが分かった以上、このまま放置したらあかん事になるんは目に見えとる。点を毟り取られて終わるのはゴメンや)

 

 水上は状況を頭の中で整理し、的確な采配を思考する。

 

 自分が南沢の所に行って那須を落とす────却下。

 

 三浦がそれを見逃すとは思えないし、バイパーを自在に操る空中をハイスピードで動き回る那須相手に撃ち合うのは明らかに不利である。

 

 南沢を呼び戻して三人で三浦を落とす────却下。

 

 那須をフリーにすれば、今以上の弾丸が襲い掛かって来る。有り得ない。

 

 頭の中で次々と策が浮かんでは却下し、水上の頭脳がこの場での最適解を導き出していく。

 

 この場の状況、那須隊や香取隊の狙い、自分達の強み。

 

 それらを踏まえた上での、最善の選択。

 

「────これやな」

 

 ────水上は、それを選び取った。

 

 無数の選択肢の中の、唯一の()()

 

 不確定要素はあるものの、この時この場から組み立てられる情報ではこれが限界だ。

 

 だが、それで問題はない。

 

 多少の粗は、力押しで埋めれば良い。

 

 それが出来るだけの地力を、自分達は持っている。

 

 那須隊も、香取隊も、決して侮れる相手ではない。

 

 だが、最後に勝つのは自分達だ。

 

 水上はその自負の下、隊員に作戦を伝える。

 

 生駒隊が、動いた。




 水上のあれは地味に高等技術ってのをBBFかどっかで見たんで、そこからワートリの隊員達がトリガー名を言ってる場面を色々見てみたら、やっぱ射撃トリガーが大半なんですよね。

 だから発声認識で起動すると少しでも発動が速かったり処理が軽くなったりするのかなと考察してみました。

 そのあたり明言されてないけど、きっとこうかなというお話。

 もし今後明言されたり自分がどっか見落としてたりしてたらこの世界ではそういう設定だという事でひとつ。


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生駒隊④

「香取隊の三浦くんと共闘の構えを取った那須隊長、ワイヤーを使った機動とバイパーによる射撃で生駒隊を翻弄……っ! これは生駒隊苦しいか……っ!?」

「正確には共闘じゃなくて利用してるだけ、だけどね」

 

 犬飼は宇佐美の解説に、そっと付け加える。

 

 宇佐美がちらりと視線を寄越した事を察し、犬飼は補足説明を開始する。

 

「那須さんとしちゃ、利用出来るものは利用するついでに面倒な相手を削っておこう、くらいの認識だと思うよ。それが、三浦くんに誘導された結果だとしてもね」

「ホント、上手く立ち回ってるよね三浦くん。まさか、わざと見え易くしたワイヤー地帯を那須さんの為に用意して疑似的な共闘状態に持ち込むとか、流石に予想外だったよ」

 

 犬飼と北添は口々に、三浦の立ち回りを褒めそやす。

 

 この戦術を提案したのはとうの犬飼なのだが、それを実際にこなしているのは三浦だ。

 

 犬飼が香取隊に示したのは、あくまで大まかな作戦方針のみ。

 

 細かい立ち回りについては幾らかは指導したが、それをこの短期間でものにしたのは間違いなく香取隊の努力の成果である。

 

 それにしても、と犬飼は思案する。

 

(やっぱり、ワイヤー地帯を使っても七海くんを仕留めるのは香取ちゃんと若村くんには厳しかったか。まあ、ウチは二宮さんがいるから割とどうとでもなるんだけど、そうでなきゃどうやって倒すか頭を捻らなきゃいけない相手だしね)

 

 それもそうだよなあ、と犬飼は内心で溜め息を吐いた。

 

 七海は確かに個人戦であれば幾らかやりようはあるものの、集団戦となると途端に厄介極まりない駒に変貌する。

 

 個人戦と違って自ら踏み込まなければならない場面というのは集団戦ではそう多くはない為、七海は必要とあらば防御や攪乱に専念出来る。

 

 そして、攻撃を捨てた回避陣形を取った七海を落とすのは、並大抵の事では出来ない。

 

 ROUND5では鈴鳴が選んだMAPを活かした戦いで強制的に1対1に持ち込んでいたが、逆に言えばそうでもしなければ集団戦で七海を追い込むのは難しいのだ。

 

 香取の戦闘センスは確かにずば抜けて高いが、クレバーさという点で七海には一歩及ばない。

 

 隊全体が改善の兆しを見せ、香取自身も考えを改めたにせよ、どうしたって()()()()()()()()()()()()()()は簡単には払い切れない。

 

 努力をして技術を磨くのは、まず前提条件。

 

 以前の香取隊はその前提条件はおろか、具体的な指針すら定まっていない有り様であった為論外である。

 

 今の香取隊はその指針を定め、ようやく目標を持った鍛錬を開始した段階。

 

 ROUND5では香取を上手く使う事で勝利を獲得したが、それでも付け焼刃である事に違いはない。

 

(けど、逆に言えば付け焼刃でもあれだけのパフォーマンスは発揮出来るワケだ)

 

 才能って怖いねー、と犬飼は密かに香取のポテンシャルに畏怖を抱く。

 

 そう、今の香取隊は完全な付け焼刃の状態なのだ。

 

 それなのに形になっているのは、香取のポテンシャルがそれだけ高いからだ。

 

 更に言えば、三浦もまた捨てたものではない。

 

 元々、迷走を続けていた香取隊を実質一人でフォローしていたのが彼である。

 

 つまり、それだけの性能(スペック)は元々彼に備わっていたのだ。

 

 それまでのような過剰な負担から解放され彼自身も考え方を改めた以上、その性能を腐らせる筈もない。

 

 これまでのフォロー重視の立ち回りから()()()()()()()()()と誤認させて隠岐を油断させ、仕留めた立ち回りはその一環である。

 

 若村に関しては視野の広さも含めてまだまだな所が多いものの、香取と三浦と共に切磋琢磨していけば上達は出来る筈である。

 

(でも、七海くんを仕留めきれないのは当初の()()()()だ。だからこそ、()()()()()()()()()()()()を作戦方針にしたんだしね)

 

 でも、と犬飼は目を細めた。

 

(生駒隊は、中々曲者揃いだよ。特に水上くんは頭がキレるし、生駒さんもあれで中々クレバーだ。そろそろ動いてもおかしくないし、お手並み拝見かな)

 

 

 

 

「海、ホンマどうにかならんかこれ……っ!」

『そんな事言ったって、こっちも一杯一杯なんですってば~……っ!』

「気張れ、これじゃどうにもならんで……っ!」

 

 悲鳴のような声が通信越しに聞こえ、水上は敢えて大袈裟に慌てて見せる。

 

 その間にも上空からは無数の光弾が降り注いでおり、水上と生駒は防戦一方の立ち回りを強いられていた。

 

 解決策は、あるにはある。

 

 『生駒旋空』を自由に振るえさえすれば、ビルごと那須のいるワイヤー地帯を両断出来る。

 

 那須が視界に入りさえすれば、後はどうとでもなる。

 

 だが、それが出来ない。

 

「旋空……」

「────」

 

 生駒が旋空の構えを取ろうとするが、そこにやって来るのはワイヤーを伝った三浦の姿。

 

 弧月を振るい、生駒に受け太刀を強要する。

 

「アステロイド……ッ!」

 

 水上はそこに、アステロイドに偽装したハウンドを放つ。

 

「……っ!」

 

 だが、三浦は即座にワイヤーを足場に撤退。

 

 今度は水上の背後に降り立ち、弧月を振るう。

 

「あっちもかい……っ!」

 

 更に、直上からは無数の光弾────変化弾(バイパー)が降り注ぐ。

 

 それを見た三浦は、即座にワイヤーを伝って撤退。

 

 水上と生駒は、広げたシールドでのガードを余儀なくされる。

 

「────」

 

 バイパーの弾幕が過ぎ去った直後、弧月を構えた三浦が水上へと斬りかかる。

 

 それを見て、水上は口角を上げた。

 

(此処や)

 

 

 

 

 上手く行ってる、と三浦は思った。

 

 犬飼から教え込まれたワイヤートリガー、『スパイダー』。

 

 それを設置したワイヤー地帯に七海を誘い込む事に成功し、香取と若村による足止めにも成功している。

 

 未だ七海を追い込み切れてはいないようだが、元々集団戦での七海をそう簡単に倒せるとは思っていない。

 

 故に、あそこで七海を倒す事が香取隊の作戦────ではない。

 

 それは、駄目で元々。

 

 元より、不利な状況に追い込んだ()()で七海を倒せるとは考えていなかった。

 

 七海は攻撃能力こそ香取に一歩譲るが、その生存能力は群を抜いて高い。

 

 彼が今期のランク戦で落ちたのは、ROUND3での東によるスナイプとROUND5における捨て身の一撃の時のみ。

 

 どちらも、彼を落としたのは東というベテランの中のベテランである。

 

 同じ真似が自分達に出来るとは、どうしても思えなかった。

 

 故に、七海を落とす事は最優先目標ではない。

 

 むしろ、()()()()()()()()事自体が次の作戦への引き金となる。

 

 そして、その為には三浦が一人で生駒隊を足止めするという無理難題をこなさなければならなかった。

 

 だが、結果として三浦はそれを何とかやり遂げている。

 

 最優先目標だった隠岐は推測通り三浦の機動力を甘く見て、ワイヤー地帯で罠に嵌り落とされた。

 

 そして肝心の生駒と水上も、赤いワイヤー地帯を利用した那須の疑似的な援護射撃で封じ込める事が出来ている。

 

 僥倖と言うべきか、唯一の不安要素だった南沢も那須が事実上足止めしている状態であり、このままであれば生駒隊を順調に削っていく事が出来るだろう。

 

 最善は那須の弾幕によって削られた生駒隊を自分が仕留める事だが、そう上手くは行かないだろう。

 

 今はログで見た七海の真似をして回避と攪乱に徹する事でなんとか拮抗状態を保っているが、まともに斬り合えば数秒で生駒に斬り伏せられるビジョンしか見えない。

 

 此処は大人しく、攪乱に徹してチャンスを待つべきだろう。

 

 大事なのは、()()()()()()()()()()()である。

 

 極論、生駒隊をこれ以上自分の手で落とす必要はない。

 

 香取隊が狙っている()()は、あくまで那須隊である。

 

 生駒隊は、隠岐以外は()()()()()()()()と認識しておいた方が良い。

 

 元々、地力では生駒隊が上なのだ。

 

 まともに勝負しては、勝ち目はない。

 

 だからこそ、この膠着状態を作り上げた。

 

 後は、このまま機会を待つだけである。

 

 香取隊が得点する、唯一無二のチャンスを。

 

(最悪のケースはこの場に熊谷さんか日浦さんが介入して来る事だけど、多分それはない。下手に此処に介入するより、このまま生駒隊を抑える盤面を維持した方が得だって事は分かる筈だ)

 

 実際、この場では三浦と那須の二人だけで生駒隊全員を抑える事が出来ている。

 

 那須隊からしてみれば、下手に介入して落とされるリスクを負うよりこの盤面を維持する方がメリットが大きい。

 

 故に、この場に介入される事はないだろうと三浦は踏んでいた。

 

(那須さんも僕達に利用されてるのは分かってるだろうけど、乗らざるを得ない。実際に効果が出てる以上、那須さんはこの陣形を捨てない筈)

 

 そして、那須自身も大きく盤面を動かす事はないだろうと三浦は見ている。

 

 恐らくだが、那須は待っているのだ。

 

 向こうの、七海と香取達の戦いに決着を着く事を。

 

 七海さえ自由(フリー)になれば、この盤面に飛び込んで一気に状況を搔き乱す事が出来る。

 

 そして、その為の()も準備してある筈だ。

 

 それこそが、香取隊の狙いとも知らずに。

 

(もう少し、もう少しなんだ。きっと、長くはかからない。あと少し、生駒隊をこの場で足止め出来れば……っ!)

 

 三浦は那須の弾幕をワイヤーを伝って避けながら、再び水上へと斬りかかる。

 

 此処で距離を詰めなければ、生駒が旋空を使う隙を与えかねない。

 

 故に、多少の被弾は覚悟で接近する。

 

 生駒と自分の間には、水上がいる。

 

 このまま旋空を使えば水上を巻き込んでしまう以上、旋空は来ない。

 

 更に水上は片腕が斬り落とされている上、那須の弾幕で少なくないダメージを負っている。

 

 このまま、削り殺せば良い。

 

 あわよくば、此処で自分が落とす。

 

「アステロイド……ッ!」

 

 斬りかかられた水上が、射撃トリガーで迎撃する。

 

 水上は口に出したトリガーとは別種の弾丸を撃つ事が出来るので、この弾丸も恐らくアステロイドではない。

 

 だが、状況を考えればその正体を推察する事は可能だ。

 

 この場面で、アステロイドと誤認させた方が()なトリガーは何か。

 

 メテオラは、ない。

 

 メテオラを使うには距離が近過ぎるし、こちらがシールドを張れば自爆で終わる為リスクが高い。

 

 ならば、何か。

 

 アステロイドを防ぐ為に集中シールドを展開した場合、もしくは最低限の動きで回避した場合に()()()()()弾丸。

 

「────誘導弾(ハウンド)だ……っ!」

 

つまり、ハウンド。

 

 曲射軌道で三浦に迫る弾丸は、広げたシールドによって受け止められた。

 

 そして、回避を選ばなかった為三浦と水上の距離は離れていない。

 

 即ち、()()()()()()である。

 

 三浦はそのまま、弧月を水上に振り下ろす。

 

「く……っ!」

  

 水上は、身体を捻ってその斬撃を回避する。

 

 三浦の剣速は、そこまで速いワケではない。

 

 ワイヤーにさえ引っかからなければ、回避する事は可能だ。

 

「────『幻踊弧月』」

「が……っ!?」

 

 ────そのブレードが、形を変えさえしなければ。

 

 紙一重での回避を行った水上の身体が、陽炎のように形を変えたブレードによって斬り裂かれる。

 

 刀身の形を変え、接近戦での優位を掴むオプショントリガー。

 

 その名は、『幻踊』。

 

 使い手こそ少ないものの、()()()()()という事に限りなく特化したトリガー。

 

 幻惑の刃が、水上の身体に致命傷を与えた。

 

(獲った……っ!)

 

 その手応えに、三浦は水上を落とした事を確信する。

 

 間違いなく、致命傷。

 

 即死こそ免れたようだが、あのダメージであればもう反撃はない。

 

 三浦の頬が、僅かに緩む。

 

 それは、明確な気の緩み。

 

 これまで勝ち越せなかった生駒隊に一矢報いた故の、僅かな()()

 

 それが、彼の命取りとなった。

 

「が……っ!?」

 

 上空から降り注ぐ、無数の光弾。

 

 魔弾の射手の操る毒蛇は、容赦なく彼等に牙を剥いた。

 

 三浦の身体に、少なくない数の風穴が空く。

 

 致命傷まで、あと一歩。

 

 そのくらいの、痛手であった。

 

(しまった……っ! 踏み込み過ぎた……っ!)

 

 三浦は、自らの失策を悟る。

 

 水上に読み勝った事で生じたチャンス(誘惑)に、三浦は抗えなかった。

 

 彼を倒せるという気の逸りが、那須の弾幕への警戒を薄めてしまった。

 

 元より、那須にとっては三浦も生駒隊も倒すべき相手。

 

 それを一網打尽に出来る機会を、彼女が逃す筈がなかったのだ。

 

(けど、今ので生駒さん達もシールドを張らざるを得なかったから旋空は────っ!)

 

 そこで、気付く。

 

 水上は、()()()()()()()()()()()

 

 無防備に弾丸を受けた彼の身体は、最早原型を留めていなかった。

 

 だが、その口元は笑っていた。

 

 この状況こそ、彼が待ち望んでいたものであるのだと。

 

 そう、言外に主張しているかの如く。

 

旋空────」

「……っ!? まさか……っ!?」

 

 那須の弾丸で穴だらけになった、水上の身体の向こう。

 

 そこには、()()()()()()()()()()()が鞘に納められた弧月に手をかけていた。

 

(あのシールドは……っ!)

 

 三浦は、気付いた。

 

 水上は、シールドを張らなかったのではない。

 

 自分のシールドを、()()()()()()()()()()のだ。

 

 自身へのダメージを、顧みる事なく。

 

 全ては、生駒に旋空を撃たせる為に……!

 

「────弧月

 

 ────そして、遂にその刃が振り抜かれた。

 

 神速の抜刀術から成る、目にも止まらぬ弧月の一閃。

 

 生駒達人の伝家の宝刀が、『生駒旋空』が、戦場を席巻する。

 

 その速度、最早光の如く。

 

 目にも止まらぬ。目にも映らぬ。

 

 剣戟一閃。

 

 渾身の一撃が、神速で振るわれる。

 

 旋空による一閃が、ワイヤーを、建物を、その全てを斬り裂いた。

 

 その射線上にいた者もまた、同じく。

 

 三浦と、建物の向こう側にいた那須の身体もまた、その一撃により両断された。

 

 那須は何が起きたか分からずに唖然とした顔を見せ、胴体を斬られた自身の身体を見下ろしようやく事態を理解する。

 

『戦闘体活動限界────』

 

 それが、致命。

 

『────緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声と共に三浦と那須は光の柱となって消え去り、それを見届けた水上もまた、光の柱となって戦場から離脱した。




 香取隊も頑張ってるけど、負債はまだ返済しきれていないのである。

 格段に強くなってはいるけど、生駒隊の地力には届かなかった。

 安定感が違うのよね。安定感が。

 水上はやっぱり生駒隊の中で一番書き易い。ロジックで動くキャラの方が書き易いのよね。

 イコさんはこの作品では武人としての側面を強調してますです。

 イコさん節による面白さを引き出すには執筆適性が足りないので、別方面で頑張ってみましたの巻


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香取隊⑧

「こ、これは……っ! 水上隊員が捨て身でチャンスを作り、『生駒旋空』が炸裂……っ! 一気に三浦隊員と那須隊長を脱落させたぁ……っ!」

「…………流石、と言うべきだろうね」

 

 生駒隊が成し遂げた成果に、会場の面々は息を呑む。

 

 彼らがやった事は、言葉にすれば簡単だ。

 

 水上が捨て身で生駒をシールドで守り、その隙に生駒が旋空を使って相手を纏めて薙ぎ払う。

 

 だが、それは簡単に出来る事ではない。

 

 確かに水上は三浦から致命傷を負い、最早緊急脱出を待つだけの状態ではあった。

 

 故に残ったトリオンを搔き集めてシールドを張り、生駒を守る事自体はなんら不思議な事ではない。

 

 しかし、那須の弾幕は水上が致命傷を負った直後に飛来している。

 

 予めシールドを生駒の所に張らなければ、間に合わないタイミングだった。

 

 つまり、水上は最初からあの状況を狙っていたのだろう。

 

 恐らく、三浦の攻撃を受けた事も想定内。

 

 『幻踊』による一撃で致命傷を負ったのは想定外であっただろうが、どちらにせよやる事は最初から決まっていたのだ。

 

 即ち、自らが囮となって『生駒旋空』を放つ隙を作る事を。

 

「水上くんのアシストが上手い具合に刺さったね。三浦くんに彼を落とせるかもしれないという()を抱かせて、一歩先へと踏み込ませた。那須さんの弾幕の、被弾範囲内にね」

「イコさんと三浦くんの中間にいた位置取りも、わざとだろうね。水上くんが三浦くんの注意を惹き付ける事で、後ろの生駒さんに自分のシールドを展開した事を悟らせなかった。ホント、見事なモンだね」

「流石、生駒隊のブレインだねえ。頭脳派は伊達じゃない」

 

 あれで眼鏡かけてくれれば完璧なんだけどねー、と宇佐美は余計な事を口走りながらそれにしても、と思う。

 

 三浦を旋空で斬り払ったのは、まだ分かる。

 

 だが、建物の向こうの那須を同じ一撃で両断出来たのは、恐らく南沢の観測情報を元にオペレーターが情報支援を行った結果だろう。

 

 自隊の隊員の観測情報があれば、オペレートの精度は格段に上昇する。

 

 普段は隠岐の観測情報を元にオペレートしているのだろうが、今回はその役割を南沢が担った形だ。

 

 普段とは違う状態のオペレートを、それでも完璧にこなしてみせた。

 

 矢張り、B級上位のチームだけあってオペレート能力も突出している。

 

 様々な意味で、対応力が高い。

 

 これこそが、生駒隊の一番の強みである地力の高さによる安定感なのだ。

 

「でも、イコさんも凄いよねえ。観測情報からのオペレートがあったにせよ、三浦くんと建物の向こうにいた那須さんを同時に斬っちゃうなんて」

「那須さんも、何が起きたか分からなかった、って顔してたからねえ。生駒さんの剣速は、直に味遭わないとその凄さが分からないのが怖い所だよ」

 

 そして、当然ながら隊長である生駒の卓越した剣技は生駒隊の脅威の中でも最たるものだ。

 

 『生駒旋空』の射程と速度を()()()()()知っただけでは、その尋常ではない()()には対応し切れない。

 

 B級上位部隊として生駒隊と幾度も戦った事のある三浦だが、専ら生駒と直接戦っていたのは香取の方であり、三浦は生駒と戦り合う機会はあまりなかった。

 

 何より、三浦と生駒では剣速と近接戦闘での反射神経が大分異なっている。

 

 三浦が生駒と水上の二人を抑えられたのは、あくまでワイヤー地帯でブーストした機動力と那須の疑似的な援護射撃があったからだ。

 

 仮に最初から何の準備もなしで生駒とかち合った場合、成す術なく落とされていたであろう事は想像に難くない。

 

 故に、三浦は生駒の旋空の速度を知ってはいても反応し切れなかった。

 

 那須に至っては、実際に生駒旋空を見たのは今回が初めてである。

 

 一度『トマホーク』を『生駒旋空』で撃ち落とされた時も驚愕していたが、今回の一撃はあの時よりも更に剣速が上がっていた。

 

 その理由としては、今回は水上のシールドによるガードがあった為、完全な状態での居合い抜きが行えた事だろう。

 

 生駒は剣を抜いた状態からでも『生駒旋空』を放てるが、居合い抜きで放たれた『生駒旋空』の速度は抜刀状態のそれよりも更に速い。

 

 それに加えて、建物越しに放たれた旋空は気付いた時にはもう手遅れだ。

 

 建物が斬られた段階で察知しても、回避が間に合うワケがない。

 

 『生駒旋空』を避けるには、それこそ放たれる事そのものを予測する他無いのだから。

 

「これで生駒隊が二点、那須隊が一点獲得かー。香取隊が現在一点だから、生駒隊が一点リードだね」

「そうなるね。水上くんの点を那須さんに掻っ攫われたのが、香取隊としては痛いかなー。一撃で即死させてれば、また違ったんだろうけどね」

 

 犬飼の言う通り、三浦は確かに水上に大きなダメージを与えたが、致命傷となったのは那須の変化弾(バイパー)だ。

 

 一撃でトリオン供給器官を破壊出来ていれば三浦の得点になったであろうだけに、香取隊としては口惜しい筈だ。

 

 結果的に水上のトリオン供給器官を射抜いたのは那須のバイパーであり、三浦の弧月ではない。

 

 あのままトリオン漏出過多で緊急脱出となっていれば三浦の得点になっていただろう事を考えると、本当に惜しかったと言える。

 

「ともあれ、これで生駒隊がフリーになったね。こうなると、香取ちゃん達もゆっくりしちゃいられなくなった」

 

 でも、と犬飼は笑みを浮かべる。

 

「此処からが、見ものだね」

 

 

 

 

『ごめん、失敗した。生駒さんがフリーになっちゃったよ』

「いや、むしろ此処までよくやってくれた。無茶ぶりしたのはこっちだしな」

 

 緊急脱出した三浦からの通信に、若村は労いを返す。

 

 確かに生駒隊がフリーになったのは痛いが、あの生駒隊を相手に三浦一人で時間稼ぎをさせるなどという無茶を敷いたのはこちらなのだ。

 

 故に労いはすれど、罵倒などする筈がない。

 

「それより、生駒隊がフリーになったって事はもう時間ないんでしょ? このまま作戦通りでいいワケ? 生駒隊が来る前に、事を済ませなきゃならなかったんでしょ?」

 

 香取もまた、過ぎた事として三浦を叱責する言葉は吐かない。

 

 以前であれば愚痴の一つでも飛び出していた所だが、今の香取はやるべき事をきちんと弁えている。

 

 反省会は、後でも出来る。

 

 今は、試合中。

 

 ならば、()()()()()()()()よりも()()()()()()()()()に思考を回した方が建設的だ。

 

 この当たり前の思考が出来る程度には、香取隊は成長していた。

 

 以前は、それすら出来ていなかった事を考えれば大きな進歩と言える。

 

「────」

 

 今は、銃撃を継続しながら七海と睨み合っている状態だ。

 

 ワイヤー地帯で身動きが制限された七海は、即座に攻撃を捨てた防御機動に切り替えた。

 

 攻めっ気を捨て、回避と防御に徹する事で香取と若村の攻撃を捌く事に専念しだしたのだ。

 

 こうなると、香取と若村の二人がかりでも攻めきれない。

 

 元より、機動力では七海の方が上なのだ。

 

 特に回避・防御能力において、七海はボーダーの中でも群を抜いている。

 

 伸び悩んでいた所をようやく前を向き始めたばかりの香取と、銃手としての成長が頭打ちになっている若村では二人がかりでもキツイ相手だ。

 

 これが個人戦ならばまだ勝ちの芽も見えて来るのだが、生憎今やっているのは集団戦。

 

 つまり、七海の最も得意とする戦場(フィールド)である。

 

 ワイヤー地帯で動きを制限したとしても、攻めきれないのは通りであった。

 

『どうすんのよ? 七海を追い込んで()()()()()()()()()()()()()()()のが作戦だったでしょ? 結構時間経ったのに、誰も来ないじゃない』

 

 香取が七海に聞こえないよう、通信で相談を持ち掛ける。

 

 そう、それこそが、香取隊の作戦。

 

 七海をワイヤー地帯で追い込むのは、あくまで目的の為の()()

 

 本命は、七海を援護する為に現れるであろう()()()()()()()()()である。

 

 これまでのランク戦で、那須隊の戦術は基本的に一貫している。

 

 即ち、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()事である。

 

 那須隊は他の隊と比べて、合流をあまり優先しない。

 

 必要な時が来るまで隊員を徹底して隠れさせ、必殺の機会を待って逐次隊員を投入して得点を掻っ攫う。

 

 それが、今の那須隊の基本戦術だ。

 

 つまり、逆に言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()確率が高いという事だ。

 

 故に、香取隊はワイヤー地帯で七海の動きを封じ込め、そこに救援に来た熊谷なり茜なりを狙って落とす。

 

 これを、今回のROUNDの基本方針としたのである。

 

 現在、香取隊の得点は一点。

 

 熊谷と茜を落とす事さえ出来れば、三点。

 

 最低限、それだけは取っておきたい。

 

 欲を言えば七海や南沢も落としておきたいが、それは状況を見極めて判断する他ない。

 

 生駒に関しては、落とせれば儲けものという扱いだ。

 

 落とせそうな機会があれば狙うが、決して無理はしない。

 

 以前の香取であれば無策で突っ込む可能性もあったが、今の香取は自分を客観視する事が出来ている。

 

 正面からでは、まず生駒には勝てない。

 

 確かに香取は格上の相手に勝つ事を諦め、燻っていた。

 

 故に今は個人戦で格上の相手とも積極的にやり合い、経験を積んでいる。

 

 だが、今は個人戦ではなくチーム戦である。

 

 ROUND5の那須隊は格上を倒す経験を積む為にポイントを度外視してでも東を落とす、という方針を取ったが、あれは那須隊のポイントにある程度余裕があったからこそ出来た事だ。

 

 今の香取隊のポイントは、上位に残留するギリギリのものでしかない。

 

 ランク戦が戦闘訓練であり那須隊のような方針も間違ってはいないが、それはそれとして上位残留には執着がある。

 

 今回は最終ROUND終了時に上位残留したチーム全員にA級に昇格する機会があるというのだから、猶更だ。

 

 だからこそ、今回はクレバーにいく。

 

 それは、この試合の前に隊全員で決定した方針だった。

 

 自分達の隊が現時点でA級に相応しいかどうかはともかく、挑戦の機会をふいにするのは頂けない。

 

 やれる事は、やるだけやってやる。

 

 それが、今の香取隊の方針であった。

 

『葉子ちゃん。多分だけど、そろそろ来るよ。だって、時間がないのは那須隊も一緒だから』

 

 那須さんが落ちたからね、と三浦は通信で告げる。

 

 そう、生駒隊がフリーになって困るのは、自分達だけではない。

 

 那須隊もまた、『生駒旋空』を警戒せざるを得ない状況に陥った。

 

 お互いバッグワームを着て戦っている事もありまだこの場所は生駒隊には割れていないが、彼等がフリーになった以上もう時間の問題である。

 

 この状況で何の手も打たないのは、ただの馬鹿だ。

 

 確実に、何か仕掛けてくる。

 

 それが三浦の見解であり、染井もまたそれには同意していた。

 

『多分、すぐにでも来ると思う。恐らく熊谷さんが陽動を買って出てそこを日浦さんが狙う筈だから、狙撃に警戒して』

『日浦さんはライトニングしか使って来ないみたいだから、シールドさえ貼れれば防げると思うよ』

「そうだな。後はテレポーターにも注意、か」

 

 二人の見解に若村も同意し、香取はその言葉に顔を顰める。

 

 前回茜のテレポーターのセットを知らず、転移狙撃で仕留められたのは他ならぬ香取なのだ。

 

 あの敗戦は彼女としても苦い記憶であり、未だ忘れ難い。

 

 だが、今度はあんな失敗はしない。

 

 染井と三浦に言われ、今回の試合までに今シーズンの那須隊の試合ログは全て目を通した。

 

 それを見た結果、情報不足でどれだけ自分が墓穴を掘っていたのかを思い知った香取である。

 

 特に茜のテレポーター等、ログを見ていれば引っかかりはしなかった類の代物である。

 

 少なくとも、何が起きたか分からないまま頭を撃ち抜かれる結果にはならなかった筈だ。

 

(今回は、こっちが風穴空けてやる……っ!)

 

 故に香取は、七海以上に茜へのリベンジに内心燃えていた。

 

 今度こそ、あの小柄な少女狙撃手を落とす。

 

 雪辱を晴らす為、香取は気を引き締めた。

 

「やるわよ。今度こそ、あいつ等に目にもの見せてやるわ」

 

 

 

 

『ごめん。やられちゃった』

「状況を聞く限り仕方ない。生駒さんの旋空は、避けようと思って避けられるものじゃないからな」

 

 七海は飛んで来る銃撃を回避しながら香取と若村と睨み合いつつ、緊急脱出した那須と通信を繋いでいた。

 

 那須からの報告で、生駒隊がフリーになった事は理解した。

 

 恐らく、遠からず生駒隊と接敵する事になるだろう。

 

 問題は、それを先延ばしにするかどうかである。

 

『七海先輩、そこから抜けるのはきつそうですか?』

「ああ、二人共上手い具合に俺を逃がさないよう立ち回ってる。メテオラで路地ごと吹き飛ばそうにも、下手に撃てば誘爆させられかねない。()()()じゃ、やれる事は限界があるな」

 

 そう、ワイヤー地帯自体は、炸裂弾(メテオラ)を使用すれば吹き飛ばせる。

 

 問題は、絶え間なく銃撃が飛んで来る現状では迂闊にメテオラを使えば誘爆しかねない事だ。

 

 目は大分慣れてきたし、ワイヤーの位置もそれなりに把握出来てきている。

 

 だが、若村が逐一ワイヤーを追加するので、中々思うように動けないのだ。

 

 どうやら香取隊は、若村と三浦の双方に『スパイダー』をセットして来たらしい。

 

 生駒隊のいる方のワイヤーを三浦が、この場のワイヤーを若村が張ったのだろう。

 

 ワイヤーの追加がなければ一息に斬り飛ばす事も考えたが、これではじり貧である。

 

 若村はあくまで援護に徹しており、実際に七海と戦り合っているのは香取の方だ。

 

 どうやら今回はログをきちんと見てきたらしく、『マンティス』を警戒して迂闊に踏み込んでは来ない。

 

 八方塞がり、と言って差し支えない状況だった。

 

『────けど、この状況は逆に利用出来ますね。七海先輩、こんな作戦は如何でしょう?』

 

 ────だがそれは、あくで()()()()の話である。

 

 状況が変わった今だからこそ、打てる手もある。

 

 那須が届けてくれたのは、何も凶報だけではないのだから。

 

 七海は小夜子の()()を聞き、隊の全員が同意を示した。

 

 これまでは良いようにやられたが、大人しくしているのはもう終わりだ。

 

 盤面を、動かす。

 

 そう決意して、那須隊は行動を開始した。




 生駒さんの旋空の速度については独自解釈です。

 作中でも鞘から居合い抜きしてる場面とそうでない場面があるけど、居合い抜きの方が速そうだよね、というお話。

 武人度マシマシなのがうちのイコさんなのである。


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香取隊⑨

 香取は、継続する膠着状態に苛立ちを感じ始めていた。

 

 別に、作戦が大幅に破綻したワケではない。

 

 むしろ、七海をこの場に押し留めるのは想定通りの結果である。

 

 七海をワイヤー地帯で抑え込み、救援に来た熊谷もしくは茜を討ち取る。

 

 それが、今回の作戦方針なのだから。

 

 既に三浦が隠岐を落として一点を獲得しているので、熊谷と茜の両方を落とせば三点を獲得。

 

 ついでに七海か南沢を落とせれば四点と、悪くない結果となる。

 

 B級上位ギリギリのポイントである香取隊としては、此処で得られる得点は貴重だ。

 

 ランク戦においてはその試合で最も多くのポイントを獲るに越した事はないが、別に一番になれずともポイントさえ充分な量を獲得出来ればそれで構わない。

 

 想定する四得点という数字は、地力の高い生駒隊や以前完膚なきまでにぼろ負けした那須隊相手と考えれば、悪くない数字である。

 

 作戦通りに進めば、決して届かない得点ではないのだ。

 

 問題は、生駒隊がフリーとなって時間がないというのに一向に熊谷も茜も姿を見せない事だ。

 

 染井や三浦に窘められはしたが、元々香取は気の長い方ではない。

 

 前回の那須隊相手の惨敗で自分を見詰め直し心機一転する事は出来たが、人の性格というものは早々変わるものではない。

 

 短気で逸りがちな香取の性質は、あくまで意識的に押し込められただけ。

 

 ゴールの見えているマラソン(過程)であれば気力も沸いて来るが、ゴールが不確かな走り込み(単純作業)ではペース配分が難しく、モチベーションも安定しない。

 

 元来、()()という事が苦手な香取である。

 

 ROUND5ではチャンスまでの道程が明確であった為問題とはならなかったが、()()()()という点では香取は那須隊の面々に及ばない。

 

 理屈では、分かっているのだ。

 

 今は逸らず、じっとチャンスを待つべきであると。

 

 もう、足踏みばかりで燻り続ける事は出来ないと。

 

 香取の理性は、それを受け入れていた。

 

 だが、感情となると話は別だ。

 

 香取は感情と理屈どちらかに重きを置くかと言えば、当然感情の方となる。

 

 そも、香取は()()の経験が足りない。

 

 幼い頃から要領が良く、勉学でも運動でも苦労知らずだった香取は、努力のやり方そのものがそもそも分からなかった。

 

 今は努力のやり方を人伝に学び、なんとか形にしている状態である。

 

 効率としては、悪くはない。

 

 元より、要領が抜群に良かった香取である。

 

 実力者との積極的な手合わせの経験は、確実に彼女を強くしている。

 

 しかし、それでもまだ彼女が心機一転してから10日ほどしか経過していない。

 

 たった10日の鍛錬で、劇的な実力向上を実現するのは流石に無理がある。

 

 確かに強くなってはいるが、実力差をひっくり返す程の成長かと言われれば疑問が残る。

 

 だからこその、『スパイダー』によるワイヤー地帯を用いた作戦を用意したのだ。

 

 自らを鍛えるのは、まず最初の()()()()

 

 努力しました、でも結果が出ませんでした、ではお話にならない。

 

 当たり前の話ではあるが、ずっと前から努力を続けていた者と、後から努力を続けた者であれば当然後者の方が不利になる。

 

 それは何故か。

 

 努力を始めるのが遅かった者は、()()()()という点で先を行く者に勝てないからである。

 

 自分が努力している間も、当然相手も努力する。

 

 同じように努力をしているのであれば、先に始めた方を追い越すには単純に()()()()()()()

 

 気合いだけでどうにかなるほど、勝負の世界は甘くはないのだ。

 

 鍛錬し、努力するのは当然として、現状を打開する具体的な手段を提示しなければ部隊そのものの変革など望むべくもない。

 

 だからこそ、香取隊は犬飼から提示されたスパイダーを使った策を受け入れた。

 

 …………香取も、分かってはいるのだ。

 

 まともに当たっては、今の自分達では那須隊には勝てないのだと。

 

 地力も、作戦立案能力も悉く上を行かれている。

 

 唯一勝てる所があるとすれば単騎の突破能力だが、それも七海がその気になれば幾らでも封殺出来る。

 

 今はワイヤー地帯という地の利を使って辛うじて拮抗しているだけで、ワイヤーがなくなれば瞬く間に前回の二の舞になるだろう。

 

 七海は、集団戦において容易には崩せない厄介な駒だ。

 

 彼は、強い。

 

 それはまず、認めなければならなかった。

 

 癪ではあるが、自分より強い者がいる事などとうの昔に知っている。

 

 風間は暗殺者の如き立ち回りで的確に急所を貫いて来るし、太刀川は扱いの難しい旋空弧月を二刀流でぶん回して剣の檻でこちらを斬り裂いて来る。

 

 三輪はムラッ気はあるが自分より上位の万能手であるし、加古は変幻自在の立ち回りで近付く事すら容易ではない。

 

 A級の面々は、どいつもこいつも化け物ばかりだ。

 

 そして、B級にもランク詐欺としか思えない面々が何人もいる。

 

 二宮と影浦に至ってはA級の実力をそのままB級のランク戦に持ち込んで来る反則のような存在であるし、生駒は冗談のような射程と速度で旋空を飛ばして来る本物の剣の達人である。

 

 ただ、そのような面々の中に七海の名前が加わっただけ。

 

 そう考えれば納得出来なくもないが、癪に障るのは確かである。

 

 七海を此処で抑え込む事が今回の作戦方針だが、香取自身としては此処で彼を仕留めておきたかった。

 

 そしてそれは、決して不可能ではないように思える。

 

 先程から七海を囲んでワイヤー地帯で動きを封じた上で攻め立てているが、一向に落とせる気配はない。

 

 けれど、いつもより七海の動きが鈍っているのもまた確かである。

 

 ワイヤー地帯では、彼の機動力を大幅に上げるグラスホッパーを迂闊には使用出来ない。

 

 下手に跳躍すればワイヤーに絡め取られ、そのまま香取達に押し込まれる危険があるからだ。

 

 同様に、メテオラでの地形破壊も使えない。

 

 何処にワイヤーが張ってあるか分からない上、今香取と若村は全力の銃撃で七海に防御を強いている。

 

 下手にメテオラのトリオンキューブを出せば、銃撃によって誘爆する危険がある。

 

 そして一度でもメテオラを使えば、即座に生駒に位置を補足される。

 

 七海が八方塞がりの状況である事は、間違いがないのだ。

 

 この状況を脱するには、仲間からの支援以外に有り得ない。

 

 故に、待つ。

 

 たとえ心が焦れようが、逸る気持ちを抑えきれずとも。

 

 待つしか、ない。

 

 その状況は、香取に多大なストレスを齎していた。

 

(早く、早く来なさいよ……っ! モタモタしてると、生駒隊が来ちゃうってのに……っ!)

 

 香取が、焦れる。

 

 だが、此処で逸ればこれまでの全てが無駄に終わる。

 

 一人で生駒隊を抑えた三浦の頑張りも。

 

 自分を見詰め直し犬飼に頭を下げて戦術を授かった若村の機転も。

 

 ポイントを大幅に犠牲にしてまで格上に挑み続けた香取の努力も。

 

 此処で逸って無茶をすれば、全てが元の木阿弥となる。

 

 それは、我慢ならない。

 

 自分は、自分達は、変わると決めたのだ。

 

 あの誓いを、嘘にはしたくない。

 

 染井の期待を、裏切りたくはない。

 

(よし……っ!)

 

 だから、香取は待った。

 

 焦れて、しかし逸る事なく。

 

 焦る心を抑え込み、香取はひたすら銃撃を続ける。

 

 そして、七海に気付かれぬよう周囲を注意深く見回した。

 

 何か、異常はないか。

 

 那須隊が来る、前兆はないか。

 

 空気に、殺気が漂っていないか。

 

 探る。探る。探る。

 

 染井が()()()()()と言った以上、那須隊は間違いなく此処に来る。

 

 自分が幼馴染(かのじょ)の言葉を疑う事など、あろう筈がないのだから。

 

(……っ! あれは……っ!)

 

 そして、気付く。

 

 路地の向こう、その曲がり角から。

 

 ()()()()()()()が、こちらに迫って来ているのを。

 

 那須は、既に落ちた。

 

 生駒隊の射手である水上も、同様に落ちている。

 

 つまり、あの弾丸を、曲射軌道を描く射撃トリガーを撃つ可能性のある人物は一人。

 

「来た……っ! かかったわよ……っ!」

「おう……っ!」

 

 熊谷友子。

 

 那須隊の攻撃手にして、ハウンドを操る弧月使い。

 

 遂に、遂に、那須隊がこの盤面に介入して来た。

 

 これこそ、好機。

 

 彼女達が、待ち望んでいた展開。

 

 香取は若村にこの場を任せ、グラスホッパーを使い一気に誘導弾(ハウンド)が飛んで来た方角へと跳躍した。

 

 後は、スピード勝負。

 

 七海が若村を突破するまでの間に、熊谷を仕留める。

 

 更に、此処に茜が狙撃してくるならしめたものだ。

 

 既に、シールドを張る準備はしてある。

 

 威力の低いライトニングを主武装とする茜の狙撃は、シールドの展開が間に合えさえすれば防ぐ事が出来る。

 

 前回のような、醜態は晒さない。

 

 茜の奥の手であるテレポーター狙撃にも、充分に注意を払う。

 

 それで、詰み。

 

 少なくとも一人はこの場で香取が落とし、上手くいけば残る一人も炙り出せる。

 

 そう考えて、香取は迷いなく熊谷の下へ向かった。

 

 向かって、しまったのだ。

 

「────メテオラ」

 

 ────────それこそが、七海達が狙っていた展開だと気付かずに。

 

「はぁ……っ!?」

 

 香取は、信じ難い思いに駆られていた。

 

 熊谷の下へ向かおうと跳躍した直後の、後方での爆音と光。

 

 それは間違いなく、高いトリオンを持つ七海が炸裂弾(メテオラ)を使用した証であった。

 

 香取が七海のマークから外れた、一瞬の隙。

 

 その隙を(あやま)たず、七海は特大のメテオラをその場で起爆したのだ。

 

 爆発によって、建造物ごとワイヤーが千切れ飛ぶ。

 

 その爆発から逃れる為、香取も若村も防御姿勢を取らざるを得ない。

 

 信じられない、と目を丸くしながらも。

 

(馬鹿なのこいつ……っ!? メテオラなんて使っちゃったら……っ!)

 

 

 

 

「そこやな」

 

 そして、その爆発の光は当然の如く戦場にいる一人の武人の目に止まる。

 

 男は、生駒達人は、納刀した弧月に手をかけた。

 

旋空弧月

 

 神速の刃が、再び戦場を席巻する。

 

 

 

 

 建物が、斜めに両断された。

 

 遠方から飛来した斬撃が、建造物をバターのように斬り裂き崩す。

 

 半ばで両断された建物は、轟音と共に崩れ行く。

 

 土煙が舞い、瓦礫が周囲に散乱する。

 

 その直後、二度目の拡張斬撃が更なる破壊を齎した。

 

「くっ、どうすんのよこれ……っ!? あいつ馬鹿なの……っ!? こうなる事は分かってたでしょ……っ!?」

 

 香取は盛大に七海を詰りながら、崩れた瓦礫に巻き込まれぬよう駆け続ける。

 

 グラスホッパーは、使えない。

 

 この状況で上に飛べばどうなるかなど、火を見るより明らかだ。

 

 今のメテオラ(いちげき)で、生駒は完全に香取隊の居場所に勘付いた。

 

 このまま旋空で建物を切り崩しながら、こちらに近付く寸法だろう。

 

 生駒は旋空の射程ばかりに着目されがちだが、その真価は接近戦での常識外れの剣速にある。

 

 まともに正面からやり合えば、香取にも七海にも勝ち目はない。

 

 だからこそ、生駒の存在が七海にメテオラ使用を禁じていた。

 

 その、筈だったのだ。

 

 あろう事は七海は自らその禁を破り、生駒にわざと居場所を喧伝した。

 

 まるで、()()()()()()()()()()()()()ように。

 

(……っ!? あいつは、七海は何処……っ!?)

 

 香取は、そこで気付く。

 

 旋空による地形破壊の混乱で、七海の姿を見失ってしまっている事に。

 

「葉子……っ!」

「────」

「……っ!?」

 

 だが、気付いた時にはもう遅い。

 

 七海は、既に香取の背後に降り立っていた。

 

「く……っ!」

 

 香取は即座にスコーピオンを肘から伸ばし、七海を迎撃する。

 

 だが、咄嗟のスコーピオンとはいえ七海にとっては()()()()()()()に過ぎない。

 

 身体を捻るだけで回避され、その手のスコーピオンが煌めいた。

 

「この……っ!」

 

 しかし、香取はそれにも反応してみせた。

 

 神業的な反射速度で後方を向き、手から伸ばしたスコーピオンで七海のスコーピオンを弾き飛ばす。

 

 そしてそのまま、七海の身体にスコーピオンを振り下ろした。

 

(獲った……っ!)

 

 今度こそ、香取は勝利を確信する。

 

 このタイミングなら、ガードは僅差で間に合わない。

 

 生駒を警戒して上に飛べない以上、グラスホッパーは使えない。

 

 落とせる。

 

 あの七海を、前回手も足も出なかった相手を。

 

 その昂揚が、香取を支配した。

 

「……え……っ!?」

 

 ────その手が、糸に絡め取られるまでは。

 

 七海に振り下ろそうとした右腕が、不意に上へと引っ張られた。

 

 錯覚、ではない。

 

 物理的に、()()()()()()()()()()のだ。

 

 彼女の頭上には、()()()()()()()()()()()()()()()がある。

 

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()が。

 

 七海がした事は、単純明快。

 

 ワイヤーの繋がった瓦礫を蹴り上げ、糸で香取の腕を釣り上げる。

 

 これだけだ。

 

 だが、それが致命の隙へと成り果てた。

 

「が……っ!?」

 

 七海の腕のスコーピオンの刃先から、新たな刃が牙を剥く。

 

 その刃は、『マンティス』は、香取のガードを潜り抜け、彼女の胸を貫いた。

 

「嘘……」

『トリオン供給器官破損』

 

 機械音声を聞きながら、香取はその眼を驚愕に見開いた。

 

 勝てなかった。

 

 努力したのに。

 

 作戦も練ったのに。

 

 あと少しで、自分の刃が届いたのに。

 

 そんな口惜しさが、彼女の心を支配していく。

 

「今回は、強かったよ。次を楽しみにしている」

「……っ!」

 

 不意にかけられた七海の言葉に、香取は息を呑む。

 

 それは、香取の力を認める言葉だった。

 

 燻り続けていた彼女が願って止まなかった言葉だが、よりにもよって七海にそれを言われた事で彼女の心に火を点けた。

 

 落ち込んでいた気持ちは天元突破し、ただただ悔しさと奮起する闘志が燃え上がる。

 

「この、覚えてなさいよ……っ! 次は、絶対勝ってやるんだから……っ!!」

『────緊急脱出(ベイルアウト)

 

 最後にそんな捨てセリフを残して、香取は戦場から離脱した。

 

 その顔は悔し気ながら、何処か晴れやかな様子だった。




 香取ちゃんを折るのが一度と誰が言った?

 香取ちゃんリベンジ、と題してはいたけど、リベンジが成功するかどうかはまた別の話。

 そして。

 ────香取ちゃんの出番が今回で終わりだとは、言った覚えがないですねえ。


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生駒隊⑤

「此処で香取隊長、緊急脱出……っ! 善戦したものの、最後にはワイヤーを逆用されて落とされた……っ!」

「これは、見事だね。香取ちゃんも頑張ったけど、まだ七海くんには及ばなかったか」

 

 今回の試合で一つの流れを作っていた香取隊の隊長である香取が落ちた事で沸き立つ会場の中で、犬飼は静かに香取の健闘を労った。

 

 北添も、同意するように深く頷いた。

 

「そうだね。でも、しっかり作戦を立てて臨んだだけに、この結果は悔しいだろうねえ」

 

 それにしても、と北添は告げる。

 

「香取隊の狙いは、最初から熊谷さん…………もしくは日浦さんかな? どちらにせよ、七海くんを追い込んで残る那須隊の隊員を釣り出して仕留める事だったんだね」

 

 通りで攻めっ気が薄いと思った、と北添は呟く。

 

 今回香取隊が持ち込んだワイヤー戦術は、明確に那須隊をターゲッティングしたものだった。

 

 だが、最大の標的であった筈の七海を罠に誘い込んだ後も、七海を落とす為の()()()()を使う様子が全くなかった。

 

 ワイヤー地帯に追い込めば勝てると思っていたのかな、と北添は思案していたが、実際の香取隊の目的は北添の想像とは違っていたワケだ。

 

 香取隊はワイヤー地帯に誘い込み、七海を仕留める────────のではなく、ワイヤー地帯に追い込んだ七海を救援に来る那須隊のメンバーを、狙い撃ちにするつもりであったのだから。

 

 中々那須隊のメンバーの介入がなかった事で大分焦れていたようではあるが、それでも作戦目標をブレさせなかった点は評価出来る。

 

 問題があるとすれば、それは─────。

 

「けど、どうやら那須隊はそんな香取隊の狙いには気付いていたみたいだね。だからこそ、あの場面でメテオラを使ったワケだ」

「それは、つまり……」

「そう。七海くんは()()()()()()()()()()()、メテオラを使ってわざと自分の位置をバラしたのさ」

 

 ────その狙いを、那須隊に看破されてしまった事に気付けなかった事だろう。

 

「那須隊の基本戦術は、自分達の戦力を状況を見極めて適時投入する事で戦線を掻き回し、生み出した隙を狙って相手を落とす事だ。これまでも、那須隊は合流よりも隠密を徹底してたでしょ?」

「確かに。今までの試合でも那須隊は必要な時まで隊員を隠れさせて、チャンスを見つけ次第投入する形を取っていたね」

「だからこそ、香取隊は七海くんを追い込む事でその場所に他の隊員を逐次投入する状況を作ろうとしたのさ。最初から、七海くんを落とす事は考えていなかった────いや、チャンスがあれば程度に思っていただろうね」

 

 実際には犬飼がそういう作戦方針で指導したのだが、それは此処では言わないでおく。

 

 北添や宇佐美はなんとなくそのあたりは察しているようだったが、わざわざ実況の場で詮索するべき事でもない。

 

 犬飼も、別段弟子馬鹿をアピールしたいワケではないのだから。

 

 自ら買って出た解説にて無表情のままノリノリで弟子馬鹿っぷりを披露してしまった奈良坂達とは、違うのである。

 

「七海くんは、那須隊の強さを支える根幹であると言って良い。生存能力が抜群に高くて、機動力やクレバーさも群を抜いている。狙撃手や射手と組めば段違いにその脅威度が上がるし、最後の一人になっても仕事をこなせるだけの地力もある。那須隊の中で誰を真っ先に抑えるべきかと言われれば、彼になるだろうね」

 

 これは、犬飼の偽らざる本音であった。

 

 以前、二宮が七海を引き抜こうと圧迫面接した(動いた)事があったが、あれは決して二宮だけの独断ではなく、犬飼も()()()()()()()()()()()()()()()()()()同意を示していた。

 

 犬飼は、二宮とは違って人の感情の機微には敏感だ。

 

 故に、七海が那須(好きな相手)から離れるような選択はまずしないだろうと確信していた。

 

 …………まあ、そんな事は鈍感な天然(二宮)に言っても無駄だと分かっているので、口にはしなかったのであるが。

 

 しかし逆に言えば、実現可能かどうかを度外視すれば犬飼は七海が隊に入るような事があれば諸手を上げて歓迎する気ではいたのである。

 

 犬飼の七海への評価は、かなり高い。

 

 個人としての実力も然る事ながら、クレバーに徹する事が出来るその姿勢が何より犬飼と好みが合致していた。

 

 とうの七海本人はコミュニケーションは下手な方だと自任しているが、話題提供力ならともかく()()()()()()に関して言えばそれ程捨てたものではないと思っている。

 

 七海は、感情で相手の言葉を否定しない。

 

 相手の発言を客観的に捉え、それを吟味した上で自分の受けたイメージを的確に伝えている。

 

 身内の事となると少々私情が入り混じる事があるが、逆に言えばそうでなければ公平(フラット)な立ち位置でいられるという事だ。

 

 その人間関係の緩衝剤としての能力は、犬飼としては是非欲しい所である。

 

 空気を読んだりさりげなく場の雰囲気を整えるのは得意な犬飼だが、少しでも負担を軽減出来るものならしたいというのが本音である。

 

 七海が隊に入ってくれれば、二宮のフォローという重労働(気苦労)の度合いも大分減る筈なのだ。

 

 それに加えて戦場でも使い勝手が抜群に良く、状況判断能力も悪くないとなれば欲しがらない方がおかしい。

 

 メンタル面で弱点を抱えていたものの、あのROUND3での敗戦を契機にそちらもある程度は克服出来たらしい。

 

 単純な人材として見るならば、犬飼としても喉から手が出る程欲しい相手なのは確かだったのである。

 

 つまりそういった評価を下せる程、()()()()()()()()()()の脅威度も犬飼は正しく認識していた。

 

 七海を放置すれば、何処で戦闘に介入されて彼が得意な乱戦に持ち込まれるか分からない。

 

 全体を俯瞰する能力も高い為その場その場の勝利には欠片も執着せず、形勢不利となれば迷わず撤退する判断能力の高さも厄介だ。

 

 そんな七海を抑える事が出来るならば、隊員の一人二人を彼の張り付き(マンマーク)に割く事すら作戦方針として普通に有り得るだろう。

 

 問題は、素の機動力が高い上に狙撃や不意打ちが効かず、グラスホッパーまで使う七海を一か所に留めておくのは並大抵の労力では不可能な事である。

 

 今回、香取隊はそれをワイヤー地帯を用いる事で克服した。

 

 確かに七海を仕留めるまではいけなかったが、あれだけの時間彼を足止め出来たのは充分に誇れる成果と言える。

 

「けど、少し攻めっ気を見せなさ過ぎたね。焦れていたのに無理をしなかったのは褒めるべきだろうけど、もう少し工夫があっても良かったかな」

 

 …………だが、それは逆に香取隊の狙いが七海の()()()であると彼に気付かせる猶予を与えてしまったという事でもある。

 

 香取は、前回の敗戦が軽くトラウマになっている。

 

 もう二度とあんな失敗はしない、という想いが、彼女の独断専行を控えさせ慎重な姿勢を取らせる原因となっていた。

 

 それ自体は、評価するべき事柄だ。

 

 しかし逆に言えば、今回の香取は少々慎重に()()()()()ともいえるのだ。

 

 作戦方針に拘るあまり、その方針を隠す努力にまで頭が回っていなかった。

 

 故にこそ、七海は香取隊の狙いに気付いて手を打ったのだ。

 

「七海くんは香取隊の狙いに気付いた時点で、即座に盤面をひっくり返す方法を思いついた。それが、メテオラによって意図的に自分の位置を喧伝し生駒さんに介入の余地を与える事だった」

「そっか。あのまま膠着状態が続くよりは、生駒旋空で地形を破壊して貰った方が七海くんとしては動き易かったってワケだね」

 

 そういう事だね、と犬飼は北添の意見を肯定する。

 

「香取隊の狙いは、那須隊の面々を釣り出す事だった。多分、あそこで日浦さんを介入させても上手くは行かなかっただろうね。だからこそ、那須隊は熊谷さんを囮にして香取ちゃんを七海くんから引き離して、彼がメテオラを使う隙を作りだしたのさ」

 

 そう、熊谷があの時ハウンドを使ったのは、香取の注意を惹き付ける為。

 

 即ち、七海がメテオラによって生駒を呼び寄せる(トレインする)機会を作り出す事が狙いだったワケだ。

 

「土壇場の判断力というものは、どれだけ苦境に身を置いて感覚を研ぎ澄ます事が出来たかで決まる。確かに香取ちゃんもあの敗戦から成長したけど、経験という点ではまだ未熟と言わざるを得ない」

「つまり、咄嗟の機転がものを言う状況に持ち込んで、競り勝ったってワケか」

「そういう事。ま、七海くんはスパイダーを逆用する事についてはあの時点では既に目星は付けてただろうけどね」

 

 二人がかりで追い込まれてる時もワイヤーの位置とかは確認してたみたいだし、と犬飼は補足する。

 

 香取は、確かに強くなった。

 

 自分を見詰め直し、足りない部分をどうにかしようと足掻いてきた。

 

 だが、まだ負債を払い切るには時間が足りなかったのだ。

 

 それを埋める為の作戦が看破された以上、後は地力勝負になる。

 

 これまで格上の相手と戦い続けて鍛え上げられた七海と、格上相手の戦いを避け続けてきた香取。

 

 その差は、一週間かそこらで埋まるものでは決してない。

 

 地力勝負に持ち込まれた時点で、香取の負けは決まっていたと言って良いだろう。

 

「ま、香取ちゃんに関してはこんな所かな。さて、状況を整理しようか」

「そーだね。現時点でのポイントは、こうだね」

 

 宇佐美は機器を操作し、現在の獲得ポイントを表示する。

 

 那須隊:2Pt(水上・香取)

 生駒隊:2Pt(三浦・那須)

 香取隊:1Pt(隠岐)

 

「ポイントは那須隊と生駒隊が同率2点、香取隊が1点。残っているのは、那須隊が三人、生駒隊が二人、香取隊が一人だね」

「まだ、どうとでも転がる点差だね。一見、三人残ってる那須隊が有利に思えるけど……」

「那須さんが落ちたから、生駒さんをどう攻略するかが鍵となるね」

 

 そう、現在の生存人数こそ那須隊が最も多いが、生駒はそう簡単に落とせる相手ではない。

 

 生駒旋空の射程や威力も勿論だが、本人も割と機転が利き居合いを含めた剣技の腕も並外れている。

 

 東や二宮ほどではないが、生駒の生存率も割と高い方に位置するのだ。

 

 言動や行動こそ色々シュールな男ではあるが、その実力は冗談でもなんでもない。

 

 彼をどう攻略するかが、この試合の行く末を決める事になるだろう。

 

「さあて、此処からどうなるか。楽しみだね」

 

 

 

 

「お? 香取ちゃん落ちたか。俺の旋空が当たったんか?」

『ちゃいますよ。なんや、那須隊にやられたみたいですわ』

『漁夫の利掻っ攫われてますねー』

 

 生駒は脱落した仲間からの通信を聞き、むぅ、と小さく唸る。

 

 取り合えず相手を視認出来るようにしよう(見晴らしを良くしよう)と考えて打った旋空であったが、この様子だとまんまと利用されたらしい。

 

 生駒の旋空の射程は、40メートル。

 

 この尋常ではない射程距離があるからこそ、生駒は銃手や射手相手でも強気に出れる。

 

 射手は射程や威力をチューニング出来るが、それが出来ない銃手相手ならば場合によっては相手の射程の外から斬り払う事すら可能なのだ。

 

 故に、大事なのは相手が視認できるか否か。

 

 先程のようにチームメイトを疑似的な観測手にする形でもない限り、レーダー頼りの遠距離攻撃など早々命中するものではない。

 

 だが、実際に視認出来れば話は別だ。

 

 生駒の剣速は、尋常なものではない。

 

 そして、旋空を使用する以上ガードも不可能。

 

 更に、相手の移動経路を予測してその先に刃を()()ような芸当も出来る。

 

 故に、相手の視認の邪魔になる障害物があれば斬り払うのが生駒の常套手段だ。

 

 問題はその場合狙撃の為の射線が通ってしまう事だが、那須隊の狙撃手の茜が使用するのはライトニング。

 

 射程はイーグレット程ではなく、威力は狙撃銃の中では最も低い。

 

 片手を常に空けていつでもシールドを張れるようにしておけば、狙撃された瞬間にカウンタースナイプならぬカウンター旋空で迎撃出来る。

 

 だからこそ、障害物の両断に踏み切ったのだが────────今回は、それを逆用されてしまったようである。

 

「どないするん? 俺はこのまま七海んトコ向かうけど、海も連れてくか?」

『海には、ちょっと隠れてて貰いましょ。何処に日浦さんがいるかわからんさかい、用心の為や。迂闊に出てくんやないで』

 

 日浦ちゃんの位置が分かったらイコさんに教えるんやで、と通信で水上が告げる。

 

 それを受けた南沢は、にかっと笑みを浮かべる。

 

「おっけーですっ! 俺に任せて下さいっ!」

『出てったらあかんからな? わかっとるか?』

「大丈夫ですっ! やってやりますってっ!」

『あかんでっ!?』

 

 分かっているのか分かっていないのか微妙な南沢の返答に、真織の怒声が飛ぶ。

 

 まあこのやり取りはいつも通りなので、特に誰も気にしてはいない。

 

「じゃ、俺向こう行ってますねっ!」

「おう」

 

 南沢はバッグワームを起動し、路地の奥へと消えていく。

 

 生駒はそれを見届けると弧月の柄に手をかけたまま、ゆっくりと先へ進んでいく。

 

 向かうは、戦いの場。

 

 相手にとって、不足はなし。

 

 生駒は柄にもなく、熱くなっている己を自覚していた。

 

 急ぐ必要は、ない。

 

 何処から狙撃手()が狙っているか分からない以上、焦りは禁物だ。

 

 一歩一歩、着実に七海のいるであろう場所へ歩を進めていく。

 

 七海が撤退するとは、生駒は考えてはいなかった。

 

 この状況なら、間違いなく待ち構えている。

 

 影から不意打ちくらいなら普通にするだろうが、戦いを避ける事はしない筈だ。

 

 誇張抜きで、今残っている戦力で生駒と正面から戦り合えるとすれば、それは七海だけなのだから。

 

 個人戦では、勝ち越せていた相手。

 

 だが、だからと言って七海を侮るつもりは一切ない。

 

 集団戦で実際に戦り合うのは、これが初めてなのだから。

 

「勝たせて貰うで。七海」

 

 一人、呟く。

 

 風に溶けた呟きは、紛れもない闘志の色で染め上げられていた。




 犬飼に色々語らせたら結構な分量になっちまったZE。

 香取ちゃんは負けちゃったけど、残念ながらこれワートリなのよね。

 努力が報われるとは限らないし、気合いでどうこうなりもあんまりしない。

 何処かリアルで、でも熱い。

 それがワートリなのです。


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生駒隊⑥

『七海先輩。生駒先輩が真っ直ぐそっちに向かってます。バッグワームはもう使う気はないみたいです』

「そうか。了解」

 

 小夜子からの通信を聞き、七海は前を────生駒がいるであろう方向を、見据えた。

 

 この状況下で、生駒がバッグワームを使う意味はあまりない。

 

 強いて言えば生駒旋空の射程距離に入ったかどうかを誤魔化せるという利点があるが、この試合で未だ茜の位置は割れていない上に()()()()となった熊谷もいる。

 

 バッグワームを付けているとそれらへの対応が遅れる可能性がある為、この状況下で使用するのはリスクが高い。

 

 それにそもそも先程生駒旋空が飛んで来た事から、既に旋空の射程距離内にいるであろう事はバレている為使う意味もないのだ。

 

 この状況下でバッグワームを使わないのは、順当と言えるだろう。

 

「熊谷は、上手く隠れられたか?」

『ええ、大丈夫』

『ただ、南沢くんがバッグワームを使って(消えて)いるので注意して下さい。多分、熊谷先輩と茜を探してるんだと思います』

 

 了解、と通信越しに熊谷と茜の声が響く。

 

 熊谷は、既にこの場にはいない。

 

 ハウンドの射程ギリギリの場所に、隠れて貰っている。

 

 彼女に前線を張って貰って七海が後衛よりの位置に回る、という選択肢もあったが、相手はあの生駒だ。

 

 熊谷に前衛をやって貰うよりも、七海が突貫して彼女がハウンドで援護射撃をする方が有効だと判断した。

 

 七海が全力で回避主体で戦う以上、当然メテオラ殺法を組み込んだ戦いになる。

 

 そうなると熊谷が近くにいてはメテオラに巻き込んでしまう危険があるし、何より生駒相手には純粋に()()が欲しい。

 

 故に熊谷には、疑似的な射手としての立ち回りをして貰った方が都合が良い。

 

 以前であれば那須が落ちた時点で援護射撃は望めなかったが、熊谷がハウンドを習得した事でこうした応用も効くようになっている。

 

 隊の成長が伺える、嬉しい変化と言えた。

 

「…………来たか」

 

 視界の向こうに、ゴーグルをかけた男の姿が見える。

 

 男は、生駒はゴーグルの奥に覗く眼でしっかりと七海を見据え、薄く笑みを浮かべた。

 

「待ってたんか。意外やな」

「今回は、正面からやらせて貰います。そういう作戦方針(オーダー)が出ましたから」

 

 七海はそう告げ、不敵な笑みを浮かべて見せた。

 

 個人戦では、ついぞ勝ち越せなかった相手。

 

 攻撃手のランクこそ村上の方が上だが、それで生駒を侮る程七海は馬鹿ではない。

 

 居合いという技術を収めた剣術家としての腕と、クレバーな判断力。

 

 その実力を疑うような愚か者は、まずいない。

 

 前回の試合と違い、閉所という不利状況ではなく味方からの援護もあるが、それで確実に勝てると思う程七海は自惚れてはいない。

 

 攻撃手ランク6位、生駒達人。

 

 彼は、全霊を以て挑まなければ倒せない。

 

 そういう、相手だ。

 

「勝たせて貰うで、七海」

「それは、こちらの台詞です」

 

 生駒と、正面から対峙する。

 

 七海の身体が、低く沈む。

 

 生駒の手が、弧月の柄にかかる。

 

「────旋空弧月」

 

 旋空、一閃。

 

 それが、開戦の合図だった。

 

 

 

 

「生駒隊長と七海隊員が、正面からかち合った……っ! このROUND6、最後の大一番の始まりか……っ!?」

 

 七海と生駒の一騎打ちじみた戦いが始まり、会場が湧き上がる。

 

 それを見ていた犬飼は、へぇ、と目を細めた。

 

「奇襲じゃなくて、正面からか。不意打ちは通じないと見たのかな?」

「多分、そうだろうね。不意打ちを失敗して落とされるリスクより、旋空の斬線が見える位置にいた方が良いって判断かも」

「まあ、生駒さんは不意打ちへの対処能力も結構高いからね。ログを見ているなら、順当な判断かもしれない」

 

 それに、と犬飼は告げる。

 

「多分、七海くんが正面から戦う事にしたのは生駒旋空で隠れた熊谷さん達を炙り出されないようにする為だろうね。全員が隠れたら、きっと生駒さんは旋空で障害物を薙ぎ払うだろうし」

「確かにそうかも。二宮さんと同じで、障害物は物理的に排除出来るのが生駒さんの強みの一つだからね」

 

 犬飼の言葉に、宇佐美も同意する。

 

 もしも七海までバッグワームを使って隠れた場合、恐らく生駒は生駒旋空を用いて建物を斬り裂き彼等を炙り出しにかかっただろう。

 

 それを防ぐ為、敢えて七海は正面から生駒と対峙したのだ。

 

 七海の機動力相手では、余計な一手は命取りになる。

 

 故に七海は自ら姿を晒す事で、熊谷達を隠す事を優先したのだ。

 

 更に言えば、七海は射手や狙撃手とならともかく攻撃手との連携には致命的に向いていない。

 

 回避主体である為近くにいる味方へのフォローが難しく、メテオラを多用するので攻撃手との連携では味方を巻き込んでしまう恐れがある。

 

 攻撃手との連携では、七海の強みの幾つかを潰してしまいかねないのだ。

 

 そういった様々な要因から、七海は正面から迎え撃つ選択をしたと考えて良いだろう。

 

 少なくとも、ライバルと正面からやり合いたかった、などという理由だけでそういった選択をする事はまずない。

 

 それが、七海という攻撃手の性質なのだから。

 

「七海くん単独じゃ、生駒さんには勝てない。七海くんは回避能力や攪乱能力は一級品だけど、攻撃力となると上位の攻撃手には一歩譲るからね」

 

 だから、と犬飼は笑みを浮かべる。

 

「仲間のフォローを何処まで活かせるか。それが鍵になるね」

 

 

 

 

「────メテオラ」

 

 生駒の斬撃に対し、七海は予め起動しておいたグラスホッパーを踏み込み、上空に跳躍。

 

 神速の抜刀、『生駒旋空』を回避する。

 

 そして、そのまま空中にグラスホッパーを展開。

 

 生駒の背後に回り込み、メテオラを射出する。

 

「旋空弧月」

 

 それを生駒は、通常の旋空の連射で迎撃。

 

 空中で斬り裂かれたメテオラのトリオンキューブが、連鎖的に爆発する。

 

 しかし、その程度は七海も想定済み。

 

 爆煙に紛れ、姿を消した七海はグラスホッパーを起動。

 

 曲線の軌道で爆破を的確に回避しながら、生駒に向かって突貫する。

 

「────」

「────ッ!」

 

 だが、七海のスコーピオンは生駒の弧月で受け止められる。

 

 生駒はそのまま旋空を起動し、スコーピオンの刃ごと七海を斬り裂かんとする。

 

「……っ!」

 

 しかし、そこに上空から無数の光弾が飛来。

 

 その光弾は、『ハウンド』は、生駒を正確に狙い撃つ。

 

「────」

 

 それだけではない。

 

 七海はすぐさまグラスホッパーを用いてその場から飛び上がり、変わりと言わんばかりにメテオラを降り注がせた。

 

 ハウンドとメテオラの、集中砲火。

 

 光弾と爆撃の雨が、生駒に向かって降り注ぐ。

 

「────旋空、弧月」

 

 その流星雨に対する生駒の対処は、単純明快。

 

 即ち、旋空を用いての光弾の迎撃。

 

 生駒旋空が撃ち放たれ、七海のメテオラを斬り裂いた。

 

 切断された事で、メテオラが起爆。

 

 その誘爆にハウンドも幾らか巻き込まれ、結果的に生駒に着弾する光弾の数は少なくなる。

 

 生駒はシールドで的確にハウンドを防御し、ハウンドが放たれた方向へ切っ先を向ける。

 

「旋空────」

 

 腰を沈め、再び旋空の抜刀態勢に入る。

 

 熊谷の位置が分かった以上、それを放置する選択肢は有り得ない。

 

「────」

 

 そして当然、それを黙って見ている七海ではない。

 

 七海はスコーピオンを投擲し、生駒の斬撃を妨害する。

 

「────弧月」

「……っ!?」

 

 だが、その投擲はそのまま見もせずに(ノールックで)放たれた()()()()()で斬り落とされた。

 

 生駒旋空で熊谷を狙ったのは、フェイク。

 

 本命は、それを囮にした七海の釣り出し。

 

旋空弧月

 

 その罠に引っかかった七海へ、今度こそ生駒旋空が放たれる。

 

 神速の抜刀からの、目にも止まらぬ一閃。

 

 その一閃は、回避が間に合わなかった七海の脇腹を斬り裂いた。

 

「く……っ!」

 

 致命傷こそ免れたが、少なくないトリオンが傷口から漏れ出ている。

 

 一瞬でも回避するのが遅ければ、恐らくそのまま胴を両断されていただろう。

 

 矢張り、一筋縄で行く相手ではない。

 

 七海はグラスホッパーを用いた空中機動で、一瞬にして攻撃手の間合いから退避する事が出来る。

 

 だがそれは、生駒旋空という超射程を持つ生駒相手には通用しない。

 

 彼相手に安全な位置まで退避するとなれば、七海の攻撃範囲からも外れてしまう。

 

 ROUND1の時のように、射程外から一方的に爆撃を敢行して封殺する、という手はそもそも使えない。

 

 第一、生駒は弾丸すら旋空で迎撃してしまう。

 

 流石に全てのトリオンキューブを斬り裂く事は出来ない為、ハウンドやバイパーを迎撃するのは現実的ではない。

 

 けれど、衝撃を与えれば起爆するというメテオラの性質上、全てを斬れずとも幾つかのトリオンキューブを斬り裂き誘爆させればそれで事足りる。

 

 七海の豊富なトリオン量により、彼の扱うメテオラの爆破範囲はかなり大きい。

 

 その大きすぎる爆破範囲により、先程の那須のように弾数を絞った爆撃でなくとも誘爆に巻き込んでしまう範囲が大きい為に容易に旋空で迎撃されてしまうのだ。

 

「流石です。けれど……っ!」

 

 こちらも、負けるワケにはいかないと、七海は強く生駒の姿を見据えた。

 

 立ち止まれば、そのまま斬られて終わり。

 

 故に、止まるという選択肢は有り得ない。

 

 七海は壁面に着地し、そのまま滑走。

 

 そして、グラスホッパーを分割し大量に展開。

 

 壁面から跳躍した七海はグラスホッパーを連続して踏み込み、生駒の周囲を縦横無尽に疾駆する。

 

乱反射(ピンボール)か……っ!」

 

 グラスホッパーの分割展開による、高速攪乱機動術。

 

 乱反射(ピンボール)

 

 それが、七海の次なる一手だった。

 

 右へ左へ、前へ後ろへ。

 

 目にも止まらぬ速さで、七海が跳弾の如く跳ね回る。

 

「旋空弧月」

 

 生駒はそれに対し、旋空で薙ぎ払う事で対処。

 

 拡張斬撃が、跳弾と化した七海へ振るわれる。

 

「────」

 

 しかし、それは七海も予測済み。

 

 七海は旋空が放たれる直前に地面に着地し、スコーピオンをその手に獣のような低い姿勢で生駒へ斬りかかる。

 

「甘いで」

「……っ!」

 

 けれど、その攻撃は失敗に終わる。

 

 生駒は即座に旋空を解除すると、そのまま弧月を振り下ろす。

 

 弧月の一閃により、七海のスコーピオンは斬り砕かれる。

 

「旋空弧月」

 

 続け様の、旋空一閃。

 

 七海が回避するよりも早く、ブレードが七海の右手首を斬り落とした。

 

「く……っ!」

 

 七海は即座に跳躍し、建物の上へ退避。

 

 そのまま跳躍を繰り返しながら、生駒の姿を油断なく見据えた。

 

(生駒旋空と通常の旋空、更に旋空そのものをフェイクとする立ち回り。厄介だな)

 

 先程から、生駒は敢えて旋空を使用する都度音声認識を用いている。

 

 更に生駒旋空と通常の旋空を使い分け、旋空をフェイクとした攻撃や防御まで織り交ぜて来る。

 

 生駒旋空が来るのか、それとも通常の旋空か、はたまた旋空自体がフェイクなのか。

 

 こちらにその判断を強要する事で、この立ち合いを有利にしている。

 

 矢張り、強い。

 

 分かっていた事ではあるが、改めて思う。

 

 この男は、強敵だ。

 

 故に、全霊を以て排除する。

 

 あらゆる手段を用いて、勝利を。

 

 七海はスコーピオンを切断された右腕から展開し、再び生駒へ斬りかかった。

 

 

 

 

「さーて、熊谷さんは何処かなー」

 

 二人が戦っている主戦場の、すぐ傍。

 

 路地の裏を、バッグワームを着た南沢が駆けていた。

 

 目的は、位置の割れた熊谷の追撃。

 

 あのまま同じ場所に留まっているとは思わないが、それでも遠くには行っていない筈。

 

 だからこそ、位置が割れた瞬間彼が此処に急行したのだ。

 

 生駒が有利に戦えるよう、熊谷をこの場で抑える為に。

 

 仕留める必要はない。

 

 ただ、主戦場に介入出来ない状態に持ち込めればそれで良い。

 

 南沢はオペレーターの真織からそう言われていたが、隙あらば此処で仕留めてしまうつもりであった。

 

 チャンスがあれば、逃さない。

 

 それが、南沢の基本思考だった。

 

「おっ、発見……っ!」

 

 南沢の視線が、路地を駆ける熊谷の姿を捉えた。

 

 熊谷は南沢に気付くと、即座にハウンドを撃って来る。

 

「おわ……っ!」

 

 慌ててハウンドをシールドでガードし、南沢は即座にバッグワームを脱ぎ捨てる。

 

 そしてグラスホッパーを起動し、一気に熊谷へと肉薄した。

 

「……っ!」

「おっと」

 

 熊谷もまたバッグワームを解除し、弧月で南沢を迎撃。

 

 再度誘導弾(ハウンド)を撃ち放ち、無数の光弾が南沢へ迫る。

 

「そのくらい……っ!」

 

 南沢は慌てる事なく、シールドでハウンドをガード。

 

 そのままグラスホッパーを展開し、一旦上へ逃げようとする。

 

 

 

 

(今だ……っ!)

 

 それを、物陰から見ていた者がいた。

 

 その少年は、若村は、その手に突撃銃を構え、引き金を引いた。

 

 

 

 

「……っ!? や、やっちまったぁ……っ!?」

 

 物陰から放たれた、無数の銃弾。

 

 それは、ハウンドを受け止めた事で強度が下がった南沢のシールドを容易く貫通し、彼に致命傷を与えた。

 

 その弾丸が撃ち放たれた先には、バッグワームを着た若村の姿。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』」

 

 その姿を視界に収めながら、南沢は光の柱となって消え去り────。

 

「が……っ!?」

 

 ────若村の額に、一発の銃弾が撃ち込まれた。

 

 その閃光銃(ライトニング)の一撃を誰が放ったかは、言うまでもない。

 

 建物の屋上に佇むのは、愛銃のライトニングを構えた茜の姿。

 

 ようやく姿を見せた若村を仕留めたのは、此処に至るまで隠れ潜んでいた彼女に他ならない。

 

「ま、最低限の仕事は出来たな」

 

 若村はそう呟き、小さく笑う。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が若村の脱落を告げ、若村は笑みを浮かべながら戦場から離脱した。




 若村の事忘れてた人挙手。

 最後に一仕事やらせようとは前から決めてました。

 で、誰を落とすかというと南沢以外は返り討ちにされる未来しか見えなかったんでこういう結果に。

 多分次あたりでこのROUNDも終わりかなあ。


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生駒隊⑦

「此処で南沢隊員を若村隊員が、若村隊員を日浦隊員が落とした……っ! これで、残っているのは那須隊の三人と生駒隊長のみとなりました……っ!」

「上手くやったね、若村くん」

 

 犬飼は笑みを浮かべ、若村を称賛する。

 

 確かに落とされはしたが、此処で一点を追加で取れたのは大きい。

 

 これで獲得ポイントは那須隊が3Pt、生駒隊が2Pt、香取隊が2Ptとなった。

 

 香取隊の勝ちは既にないが、ランク戦は失点より得点が重要となる。

 

 この一点は、確実に香取隊に貢献出来るポイントとなるだろう。

 

「無理に生駒さんや七海くんを狙わず、熊谷さんとかち合った南沢くんを横から落としたっていうのもポイント高いね。無理な相手に特攻するより、確実に一点を取る。あの状況下じゃ、理想的な動きだと思うよ」

「そうだね。ROUND3の日浦さんみたいにそのまま逃げ切る事までは出来なかったけれど、此処で一点取れたのは大きいよ」

 

 二人の言う通り、もしも若村が七海や生駒などを狙っていれば、何も出来ずに落とされていた危険が高かった。

 

 しかし若村は自分の実力不足を冷静に認識し、交戦中の南沢を(ポイント)にした。

 

 自分の実力を正しく認識し、やれる事をやるのもまた、ランク戦では重要な要素だ。

 

 自らの実力を測れない者は、戦場に置いて適切な判断を下す事が出来ないからだ。

 

 自身の力を過小評価して臆するのは論外だし、過大評価して隙を晒すのも頂けない。

 

 自己の実力と自分が出来る事出来ない事の認識は、正確に行うべし。

 

 これが、戦場での鉄則である。

 

 若村は自身の力不足を認め、適切な選択を行った。

 

 その判断は、称賛されて然るべきものである事に間違いはない。

 

「海くんは、攻撃に集中すると防御が少し疎かになる悪癖がある。それはそれだけ攻撃にのめり込めるって利点でもあるけど、今回はその脇の甘さを突かれたワケだ」

「それ込みで、南沢くんを狙ったって事だね。いやー、中々考えてるねえ」

 

 にこにこと笑う宇佐美だが、彼女とて当然それくらいの事は承知している。

 

 場を盛り上げる話題提供を行うのも、実況としての務めだ。

 

 一度引き受けた以上、きちんと職務は遂行する。

 

 そんな所にも手を抜かない、生真面目な宇佐美であった。

 

「そんな若村くんも、日浦さんのスナイプで落とされたワケだけど、あそこで日浦さんを使った事に関してはどう思う?」

「俺はあれで正解だったと思うよ。下手に若村くんを落とすのが長引けば、あそこに生駒旋空が飛んで来ただろうし。若村くんを発見し次第即座に狙撃で落とした判断は、間違っていなかったと思う」

 

 けど、と犬飼は続けた。

 

「これで、那須隊全員の位置が生駒隊に割れた。もう、生駒さんが遠慮する必要はなくなったね」

 

 

 

 

旋空弧月

 

 南沢脱落の報が届いた瞬間、生駒は即座に動いた。

 

 七海が反応するよりも早く、弧月を抜刀。

 

 生駒旋空を用いて、周囲の建物を纏めて斬り裂いた。

 

「……っ!」

 

 両断され、崩れ落ちる建造物。

 

 ガラガラと大きな音を立てて建物が崩れ落ち、建物の向こうにいた熊谷の姿が露わとなる。

 

「くっ、ハウンド……ッ!」

 

 炙り出されてしまった熊谷は、逃走ではなくハウンド使用を選択。

 

 生駒に向け、無数の誘導弾(ハウンド)を撃ち放つ。

 

「────メテオラ」

 

 更に、それと合わせる形で七海も極小の立方体へ分割したメテオラを撃ち放つ。

 

 今度は威力重視ではなく、弾数重視。

 

 たとえ先程のように両断されても誘爆で纏めて起爆されないよう、調整を加えた結果である。

 

 これならば、そもそも斬撃を当てる事自体が難しいし目晦ましになればしめたものだ。

 

 隙を作り出せれば、後はこちらのもの。

 

 次の一手に、繋げる事が出来る。

 

「────旋空弧月」

 

 ────だが、生駒はその目論見の上を行く。

 

 生駒は通常の旋空を連射し、自分が切り倒した建造物を更に無数に断ち切った。

 

 その破片は斬撃の衝撃(インパクト)によって四つに分かたれ、ハウンドやメテオラの射線上に降り注ぐ。

 

 後は、言うまでもない。

 

 ハウンドもメテオラも、斬り分かたれた建物の瓦礫に直撃。

 

 生駒に届く事なく、空気中へと霧散した。

 

「く……っ!」

 

 此処に来て、威力を捨てて弾数を取った事が仇となった。

 

 分割数を増やし過ぎた為に、その分威力が著しく減衰してしまったのだ。

 

旋空弧月

 

 そして、そんな隙を生駒が見逃す筈もない。

 

「ぐ……っ!」

 

 生駒旋空が再度放たれ、崩落した残骸ごと熊谷の胴を両断。

 

 防御すら許さず、一撃で致命傷を与えた。

 

「ただじゃやられないよ……っ!」

 

 だが、熊谷は戦闘体が崩壊する前に有りっ丈のトリオンを搔き集め、再度ハウンドを射出。

 

 無数の光弾が、再び生駒に襲い掛かる。

 

「────メテオラ」

 

 更に、七海もまたメテオラを使用。

 

 ハウンドに対しシールドを張った生駒に対し、無数の炸裂弾が降り注ぐ。

 

「旋空弧月」

 

 それに対し、生駒は先程と同じく撃ち落とすつもりなのか旋空の発射態勢を取る。

 

「……っ!」

 

 それに気付いた七海は、即座に反転。

 

 大きく跳躍し、生駒の射線から逃れていく。

  

 生駒の旋空の起動時間は、0.2秒。

 

 抜刀から攻撃完了まで、僅か0.2秒しかないのだ。

 

 七海のサイドエフェクトは、攻撃が来る事が()()した段階で発動する。

 

 斬撃であれば攻撃意思を持って振り下ろした瞬間に感知するし、狙撃であれば引き金を引いた瞬間に感知出来る。

 

 つまり、七海のサイドエフェクトが彼の攻撃を感知するのは()()()()()()

 

 斬撃や狙撃であれば、攻撃が到達するまでに若干の時間遅延(タイム・ラグ)がある為相手の攻撃速度にもよるが不意打ちだろうと回避や防御が間に合うのが、七海のサイドエフェクトの利点である。

 

 だが、生駒旋空は攻撃開始から直撃までの時間が、恐ろしく短い。

 

 故に、サイドエフェクトが感知してからでは間に合わない可能性が高いのだ。

 

 だからこそ、七海は大幅な回避機動を選択した。

 

 メテオラ諸共、両断される事を防ぐ為に。

 

「────」

「な……っ!?」

 

 ────しかし、生駒はそれを利用した。

 

 旋空は、完全な偽装(フェイク)

 

 生駒が選択したのは、()()()()()()()()()

 

 固定シールドを張った生駒に、ハウンドが到達し少し遅れてメテオラも着弾。

 

 二種の弾丸がシールドに衝突し、爆発が辺りを包み込む。

 

「────」

 

 だが、シールドこそ罅割れているが生駒本人は無傷。

 

 固定シールドは、その場から移動出来ない代わりに防御力を上げるシールドの特殊な展開法。

 

 メテオラとハウンドの一斉掃射であろうと、一度であれば防ぎ切る。

 

 故に、七海が狙ったのは着弾後の追撃。

 

 爆破後に間髪入れずに追撃を行い、生駒を仕留めるハラだった。

 

 けれど、それは生駒の旋空を囮とした戦法によって防がれた。

 

 彼の狙いは、七海を即座の追撃が可能な位置から退避させる事。

 

 だからこそ、旋空を囮として七海に退避を選ばせた。

 

「く……」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 最後の一射すら凌ぎ切られた熊谷が、光の柱となって離脱する。

 

 彼女の足掻きを以てしても、生駒は仕留め切れなかった。

 

 矢張り、強い。

 

 生駒旋空の射程や、剣術の腕だけではない。

 

 こうしたクレバーさもまた、彼の強さを支える根幹なのだ。

 

 

 

 

「今ですね」

 

 だが、その瞬間を逃さぬ者がいた。

 

 彼女は、茜は、生駒の罅割れたシールドの穴に照準をセット。

 

 己の愛銃(ライトニング)の、引き金を引いた。

 

 

 

 

 閃光が、生駒の下へ放たれる。

 

 それは、極小の隙を狙った致死の一撃。

 

 たとえ威力の低いライトニングであろうと、急所を穿てばそれで終わる。

 

 ライトニングは、その弾速こそが武器となる。

 

 連射も可能なその手回しの良さは、彼女の適性と見事に合致した。

 

 故にこそ、彼女はその愛銃で数々の相手を葬って来た。

 

 チームメイトが作り出した隙を、逃さずに刈る無音の狙撃手。

 

 それが、日浦茜。

 

 那須隊の誇る、優秀な狙撃手である。

 

「────」

「え……っ!?」

 

 ────しかし、生駒はその思惑の上を行く。

 

 生駒はその場で咄嗟に大きくしゃがみ、ライトニングの一撃を回避。

 

 そしてその眼は、正確に屋上の(彼女)を捉えた。

 

「ヘッドショット、狙い過ぎやで」

「……っ!」

 

 そこで、気付く。

 

 確かに、彼女はこれまで頭部────即ちトリオン供給脳を射抜き、相手を仕留めてきた。

 

 けれどそれは裏を返せば、()()()()()()()()()()()()()()という事でもある。

 

 そも、威力に乏しいライトニングで相手を倒すには一撃で急所を穿つ他ない。

 

 故に、茜が狙うのは頭部か胸部。

 

 そして、これまでの試合では主に額を狙う事で相手を仕留めていた。

 

 逆に言えばそれは、頭部さえ守れれば茜の狙撃は防げるという事を意味している。

 

 今までは、チームメイトが作り出した隙を正確に狙う事でその弱点を補って来た。

 

 だが、今回はどうか。

 

 確かに、茜はハウンドとメテオラの着弾で脆くなったシールドの隙間を狙った。

 

 しかし、生駒の策によって七海は距離を取らされ、即座に追撃を放つ事が出来なかった。

 

 もし、七海が追撃を行う事が出来ていれば、茜の狙撃を回避する暇は与えなかっただろう。

 

 けれど、現実に追撃は放たれていない。

 

 だからこそ、生駒に茜の狙撃を回避するだけの()()を与えてしまったのだ。

 

旋空────」

「……っ!」

 

 茜は生駒の手が弧月の柄にかかった事に気付き、即座に横を向く。

 

 そして、一瞬後にその姿が消失した。

 

 瞬間移動のトリガー、テレポーター。

 

 茜が、それを使用した瞬間だった。

 

 これまでも、数々の場面でこの転移が彼女を支えて来た。

 

 茜の、もう一つの切り札と言える。

 

「────弧月

 

 ────だが、転移による回避は無駄に終わる。

 

 生駒の旋空は、()()()()()()()()()()()()()()

 

「テレポーターの移動先は、視線の先数十メートル。そのくらい知ってるで」

「……っ!」

 

 そう、テレポーターの最大の弱点────────それは、()()()()()()()()()()()()()事である。

 

 テレポーターの移動先は、自分が視線を向けた先でなければならない。

 

 そして、その最大移動距離は数十メートル程度。

 

 即ち、生駒旋空の()()()である。

 

 この時この場において、茜は転移からの再狙撃を狙っていた筈だ。

 

 故に、生駒旋空の射程内に────────ライトニング(射程が短い狙撃銃)の射程内に転移する他ない。

 

 生駒はそれを理解した上で、茜の視界の先を纏めて斬り払った。

 

 その結果、茜の胴体は斜めに両断される。

 

 少女の奮闘が、空しく散る。

 

「まだ……っ!!」

 

 だが、それで終わるような生易しい精神とは今の茜は無縁だった。

 

 ライトニングから、数発の弾丸が撃ち放たれる。

 

 脱落が決まった少女の、最期の足掻きか。

 

 否。

 

 それは違う。

 

 茜は、無為に胴体を両断されたのではない。

 

 逆だ。

 

 ()()()()()()()()()()()、敢えて致命傷を負ったのだ。

 

 つまり、()()()()()()()()()()

 

 そも、テレポーターの弱点を彼女が知らないワケがない。

 

 故に、転移して斬られる所までが彼女の想定内。

 

 彼女は最初から、捨て身を承知で狙撃を敢行したのだ。

 

「けど、甘いで」

 

 しかし、その程度は生駒とて想定していた。

 

 彼は、前回の試合のログを────────即ち、()()()()()()()()()()()の姿をしっかり見ている。

 

 故に、いざとなれば捨て身で狙撃をして来る事くらい、彼は想定していたのだ。

 

 シールドを張る事は間に合わずとも、発射地点が分かれば回避は可能。

 

 生駒は体を捻り、頭部を狙った一撃を回避した。

 

 足や腕を狙った弾丸は、紙一重の差で展開完了したシールドで防御。

 

 少女の奮闘は、無為に終わる。

 

「────ふふ」

「……っ!」

 

 だが、茜の顔に浮かんだ表情は悔恨ではない。

 

 それは綺麗な、しかし不敵な笑みだった。

 

 生駒は、そこで自らの勘が疼くのを察し振り向いた。

 

 茜が放ち、生駒が回避した弾丸の先。

 

 そこには、()()()()()()()()()()()()()()が置かれていた。

 

「置きメテオラ……っ!?」

 

 そう、生駒に回避される事など承知の上。

 

 茜が本当に狙っていたのは、このトリオンキューブ。

 

 狙い過たず弾丸はメテオラのトリオンキューブに着弾し、起爆。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 茜の緊急脱出が、奇しくもその時告げられる。

 

 瓦礫に隠されていた無数のトリオンキューブが誘爆し、連鎖的な爆発が周囲を包み込んだ。

 

「うおお……っ!? なんちゅう事すんねん……っ!」

 

 生駒は間一髪でシールドを張り直し、爆発から身を守る。

 

 最初から、これが狙いだったのだ。

 

 考えてみれば、七海は生駒が来るまでこの場で待ち続けていた。

 

 それは裏を返せば、()()()()()()()()()()()()()()()という事だ。

 

 熊谷のハウンドも、七海の動きも、茜のテレポーターも。

 

 その全ては、置きメテオラの存在を隠す為。

 

 この状況に追い込む事こそ、彼等の狙いだったのだ。

 

 固定シールドを再び展開した事で、シールドこそボロボロになったものの生駒は傷を負っていない。

 

(つまり、この瞬間の追撃こそあいつ等の狙いや……っ!)

 

 爆発に巻き込む、くらいで七海達が満足する筈がない。

 

 確実に、生駒が身動きが取れないこの瞬間を狙って来る筈だ。

 

 その時、横目に何かが映る。

 

 振り向けば、そこには爆煙に紛れるようにバッグワームがはためくのが見えた。

 

「そこやな」

 

 生駒は、即座に旋空を一閃。

 

 そのバッグワームを、一息で両断した。

 

「な……っ!?」

 

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()を。

 

 最初から、このバッグワームは囮。

 

 瓦礫を重石にして投擲した、七海の身代わり。

 

「が……っ!?」

 

 ────────それに気付いた時には、手遅れだった。

 

 度重なる攻防の末に生駒が見せた、一瞬の隙。

 

 その隙を、音もなく背後に忍び寄った七海が伸ばしたマンティスが突き穿つ。

 

 熊谷や茜の援護があったからこそ、辿り着けた一撃。

 

 その一撃が、生駒の胸を貫いた。

 

『トリオン供給器官破損』

 

 機械音声が、生駒の致命傷を告げる。

 

 生駒は振り向き、己にトドメを刺した少年を見据えた。

 

「完敗やな。けど、次は勝ったるで」

「それは、こちらの台詞ですね」

「それ、さっきも聞いたわ。けど、してやられたのは確かやな」

 

 生駒は自身の敗北を認め、笑う。

 

『戦闘体活動限界、緊急脱出(ベイルアウト)

 

 そして、終幕。

 

 機械音声と共に、生駒は光の柱となって消え失せる。

 

 B級ランク戦、ROUND6。

 

 その結末が、決定した瞬間だった。




 イコさん撃破。難産でしたが、なんとか終わりましたね。

 イコさんは剣術の達人である事や割とクレバーなトコをピックアップしたつもりです。

 次回は総評


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総評、第六戦

「此処で決着~……っ! 那須隊三人の連携により、生駒隊長を撃破……っ! 結果、那須隊に生存点が入り6:4:2で、那須隊の勝利ですっ!」

 

 宇佐美の声が響き渡り、会場が歓声に包まれる。

 

 三人相手に大立ち回りを演じた生駒も然る事ながら、その実力を如何なく発揮した生駒相手に勝利してみせた那須隊の戦いぶりも凄まじい。

 

 熱戦を直で観戦出来た者達は、大いに盛り上がっていた。

 

「いやあ、凄かったね。三人相手に圧倒してみせた生駒さんもそうだけど、犠牲を出しながらも生駒さんを打倒してのけた那須隊もね」

「そうだね。ROUND5での戦いでも思ったけど、那須隊の戦いにはかなりの気迫を感じたよ。多少の失点は恐れずに、相手を落としにかかるんだから。いざという時の思い切りは、群を抜いてるね」

 

 犬飼と北添は、口々に両者を褒めそやす。

 

 それだけの称賛を受けて然るべき試合であった事は、事実である。

 

 彼らは、それだけの戦いをしてのけたのだから。

 

「でも、イコさんとの一騎打ちに応じたと見せかけてしっかり罠を張ってたあたり、七海くんも抜け目ないというかクレバーというか。ホント、油断ならないよね」

「でも、俺七海くんのそういうトコ好きだぜ? 感情と実利を切り離して考えられるって、結構得難い技能だし。機転も効くし判断も的確、隊に欲しいくらいだよ」

 

 犬飼はぽろりと、七海に対する本音を溢す。

 

 こう見えて、七海の引き抜きに失敗した事を割と引きずっているらしい。

 

 …………まあ、引き抜き役をあの二宮に任せた時点で結果は決まってたな、と開き直りもしているのだが。

 

「犬飼くん、それ本気にする人いるから気を付けた方がいいよー?」

「はいはい、気を付けまーす」

 

 ぼそりと宇佐美に耳打ちされた犬飼は、冷や汗をかきつつ笑顔で返答した。

 

 こと七海に関しては感情のブレーキが壊れる少女の事は、犬飼も知っている。

 

 本気で七海を狙っていると思われて狙われるのはゴメンだ、と考えた犬飼は溜め息を吐いた。

 

 幸い、最後の一言は小さく溢しただけである為マイクには拾われていない。

 

 迂闊な事はこれ以上言わないようにしよう、と犬飼は固く誓うのであった。

 

「さて、それじゃあそろそろ総評に移ろうか。まずは香取隊からでいいかな?」

「了解。じゃ、始めよっか」

 

 宇佐美の話題転換に飛びついた犬飼は、背筋を伸ばしてマイクを握る。

 

 総評の、始まりだ。

 

「香取隊は、作戦は割と上手く嵌ってはいたと思うよ。初動も、割と良い感じだったし」

 

 香取隊の作戦は、七海をスパイダーによるワイヤー地帯に追い込み、足止め。

 

 生駒隊は隠岐を真っ先に落として生駒旋空の脅威度を減らしつつ、三浦がワイヤー地帯と那須との疑似的な共闘を以て足止め。

 

 そして、七海を救援に来た熊谷と茜を狙って刈る。

 

 それが、今回の香取隊の持ち込んで来た作戦だった。

 

 そのいずれも、最初の時点では上手く行っていたと言えるだろう。

 

「けど、香取隊にとって予想外だったのは那須隊が中々七海くんの戦場に介入しなかった点と、三浦くんが那須さんごと早期に落とされた点。ゾエさんは、この二点についてはどう思う?」

「そうだね。強いて反省点を挙げるとすれば、那須隊が香取隊の目的に気付いた後の対処が少し甘かったって事かな」

「ま、そうだよね」

 

 犬飼は北添の意見を肯定し、続ける。

 

「七海くんを足止めするのは予定通りだけど、相手が自分達の作戦目標に気付いた可能性が高いと察した時点で次の手を打たなくちゃならなかった。たとえば、あの場は香取ちゃんに任せて若村は敢えてあの場から一歩離れて周囲を索敵しても良かったかもだ」

「けど、それだと若村くんが各個撃破されちゃうんじゃない?」

「そうだね。けど、それは香取隊にとってはむしろ好都合なのさ」

 

 何故なら、と犬飼は笑みを浮かべる。

 

「あの状況で若村くんがやられる相手としたら、熊谷さんか日浦さんだよね。つまり、若村くんが落とされた時点で二人の位置が割れるワケだ。そうなったら、香取ちゃんがその場に急行して二人を落とせば最初の目標は達成出来るって寸法さ」

 

 そう、あの場面では単独行動を取って落とされるリスクを上げるデメリットよりも、標的を炙り出せるというメリットを優先すべきだった。

 

 若村が落とされたとしても、香取が熊谷と茜を落とせれば元は取れる。

 

 ランク戦では、失点より得点が重要。

 

 それを理解しているからこそ、那須隊は最後は捨て身の策に打って出たのだ。

 

 香取隊には、まだそのあたりの思い切りが足りなかったとも言える。

 

「後は香取ちゃんが身を隠して、生駒隊と那須隊の戦いに横から介入出来れば更に得点を重ねられる可能性もあった。あくまでたらればの話だから、本当の所はどれが正解かなんて断言は出来ないんだけどね」

 

 それでも、そういう()()()があったっていうのは覚えておいた方が良いよ、と犬飼は告げる。

 

 犬飼の指摘は、あくまで()()()()()()()()()()()という()()()()()()だ。

 

 それが本当に正しい選択だったかどうかは今となっては分からないし、既に結果が出ている以上意味のない話にも聞こえるかもしれない。

 

 だが、()()()()()()()()()()()と識る事は重要だ。

 

 手札の数は、そのまま隊の強さに直結する。

 

 切る事の出来る手札(カード)は、多い方が良い。

 

 犬飼は、そういう話をしたワケだ。

 

「ま、でも前よりずっと心構えや動きは良くなってるよ。今後には、充分期待出来るかな」

 

 

 

 

「好き放題言ってくれちゃって、もう」

「…………けど、犬飼先輩の言った事は的を射てる。まだまだ、改善の余地があったって事だな」

 

 香取隊の作戦室にて、犬飼の解説をむすっとした表情の香取と真剣な表情の若村が聞いていた。

 

 両者とも、悔しさが隠し切れていない。

 

 だが、不貞腐れる様子は一切見られなかった。

 

 二人は共に、犬飼の指摘を甘んじて受け入れている。

 

 否、積極的に拝聴しそれを自らの糧にしようとしている。

 

 それだけでも、彼女達があの敗戦からどの程度変わったかが見て取れる。

 

 勝てない、と自棄になる香取の姿も、彼女の粗を探すだけの若村の姿も、最早ない。

 

 此処にいるのは、あくまで共に戦うチームメイト。

 

 敵でもなければ、馴れ合うだけの関係でもない。

 

 共に戦い、上を目指す。

 

 そう決意した、ボーダーの一員なのである。

 

 そんな二人を、三浦は穏やかな顔で見詰めている。

 

 奥に座る染井も、何処か眼差しが優しかった。

 

 隊の変化を好意的に受け入れているのは、彼等だけではない。

 

 チームの全員が、変化を好ましく思っている。

 

 これまで足踏みし続けた分の負債は払い切れてはいないが、今は以前より毎日が充実しているように思う。

 

 それはきっと、本当の意味で彼らがチームとして一つになった証のようなものだろう。

 

「とにかく、今回の反省を活かして次に繋げよう。まだ、今期だって二試合残ってる。やり方次第で、充分挽回出来る筈だ。そうだよね? 華」

「ええ、まだ終わったワケじゃない。やれるトコまで、やってみても良いと思う」

 

 染井は、そう言ってじっと香取を見詰める。

 

 その視線に気付いた香取は、軽く笑みを浮かべてみせた。

 

「そうね。華がそう言うなら、やってみようかしら」

「そうだな。まだまだ、やれる事はたくさんある筈だ。諦めるにはまだ早い、って事だな」

 

 香取に続き、若村も力強くそう告げる。

 

 敗戦による落ち込んだ空気は、既に払拭されていた。

 

 彼女達は、これからも進み続けるだろう。

 

 まだ、その躍進は終わったワケではないのだから。

 

 

 

 

「じゃ、次は生駒隊だね」

「そうだね。いつも通りといえばいつも通りだけど、今回は特にイコさんのクレバーさが目立つ試合だったね」

 

 北添はまず、と前置きして話し始めた。

 

「隠岐くんが真っ先に落とされたのって、割と珍しいよね? これまでの試合じゃ、割と最後の方まで残ってるイメージだったし」

「そうだね~。あれで隠岐くん、割と隠密能力高いしね」

 

 いざとなればグラスホッパーもあるし、と宇佐美は補足する。

 

 実際、隠岐は大抵の試合では終盤まで生き残る事が多い。

 

 グラスホッパーを使いこなす身軽さも然る事ながら、隠岐のステルス性能は割と高い。

 

 その気になれば、幾らでも機を待って忍ぶ事が出来るのだ。

 

 故に生駒ほどではないが生存能力が高い方であり、最後に生駒と隠岐だけ残る、といった展開もこれまでの試合では見られている。

 

 それだけ、彼の立ち回りは()()のだ。

 

「けど、今回は香取隊にとってどうしても邪魔だった隠岐くんは真っ先に狙い落とされた。それが、流れを変えた一因である事は間違いないね」

 

 犬飼の言う通り、この試合で隠岐が早期に落ちた事は、大きな意味がある。

 

 隠岐という観測手が序盤で落ちた為に、生駒旋空の照準を定める為の()が足りなくなったからだ。

 

 それがなければ、遠距離からの生駒旋空で香取や七海を両断していた可能性は充分有り得る。

 

 香取隊の思惑通り、生駒隊は不自由を強いられた格好になったワケだ。

 

「けど、水上が捨て身で生駒旋空を使う隙を作って状況を動かしたのは流石だよね。あれがなきゃ、あのまま那須さんに削り殺されてただろーし」

「だね。那須さんを野放しにしたらどうなるかは、ROUND1やROUND4でしっかり証明されてる。あそこは、捨て身だろうと強引に落として正解だったと思うよ」

「そうだねー。那須さんがあのまま生きてたら、試合はもっと違った展開になったかもしれないしね」

 

 もし、あのまま生駒達が那須に足止めされ続けた場合、最悪香取や若村を片付けた七海達と合流される恐れがあった。

 

 そうなれば、幾ら生駒とて防戦一方を強いられる。

 

 自由自在に弾道を操る那須の援護を受けた七海であれば、場合によっては失点なしで生駒を仕留めた可能性すら有り得る。

 

 那須と七海を、合流させてはいけない。

 

 これは、那須隊と戦う上でのある種の鉄則である。

 

 合流を許した結果どうなったかは、ROUND1やROUND4が物語っているのだから。

 

「ホント今回は、生駒さん無双、って感じだったね。勿論、それをフォローした隊員のサポートあってのものだけど」

「生駒さんの()を作った水上も、熊谷さんと日浦さんを釣り出した南沢くんも、きちんと隊に貢献してる。色々策を弄されても、しっかり四点取れるあたりは生駒隊だよね」

 

 

 

 

「えー、此処に特に活躍出来んかった奴がいます。はい挙手」

「おれっす。すいません」

 

 水上に煽られ、隠岐がびしっと手を挙げる。

 

 言葉尻だけ見れば責めているように見えるが、なんてことはない。

 

 いつもの、じゃれあい(漫才)の一環である。

 

「隠岐は、罰として俺らに女の子紹介する事ー」

「いやいや、紹介出来るような子はおりませんって。それに、そんな事言うとマリオちゃんが怒りまっせ?」

「はぁっ!? なんでウチが怒らなアカンのやっ!? あほらし」

 

 突然話題を振られた真織が、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。

 

 それをチャンスと見た生駒隊の面々が、攻勢(悪ノリ)を開始した。

 

「すまんな。マリオちゃんを差し置いて可愛い子探すとか、俺らデリカシーちゅうもんがなかったわ」

「そうっすね。おれらにはマリオちゃんがいますもんね」

「そやそや、マリオは可愛いで」

「うわキッモ、キッモッ! ────って、このやり取り何度目や……っ!?」

 

 あははははは、と隊室が笑いに満ちる。

 

 勝とうが負けようが、彼らの空気は変わらない。

 

 勝ちも負けも、笑って流す。

 

 改めて、意思を確認し合う必要はない。

 

 最初から負けっぱなしで終わって満足する者など、この隊には誰もいないのだから。

 

「イコさん」

「なんや?」

「どやった?」

「楽しかったで。悔しいけどな」

 

 水上は生駒の返答にそか、と短く返す。

 

 それで充分。

 

 今回は負けてしまったが、次は勝つ。

 

 持てる知略を尽くして、勝ってみせる。

 

 それが、リベンジに闘志を燃やす生駒を支える隊のブレインとしての自分の役目だと信じて。

 

 

 

 

「最後は那須隊だね。最初は香取隊の作戦に嵌められたように見えたけど、そこからの立ち回りは地力の高さが見て取れたね」

「そうだね。七海くんは不利な状況に追い込まれたけど、即座に持久戦に切り替えて粘ってみせたし。そのあたり、流石だなあって」

 

 北添の言う通り、今回の那須隊は序盤で香取隊の作戦の発動を許してしまった。

 

 スパイダーという七海のサイドエフェクトの弱点を突くトリガーを戦術として持ち出され、隊の中でも重要度の高い七海を一か所に釘付けにされてしまった。

 

 七海は単騎でも出来る事が多い分、相手としては出来る事なら真っ先に補足しておきたい相手だ。

 

 それを一か所に留められた影響は、とても大きい。

 

 だが、その上で七海は一切焦る事なく持久戦に切り替えた。

 

 そうする事で逆に足止めを画策した香取隊を焦らし、思考の陥穽に落とす為に。

 

「七海くんは、多分早い段階で香取隊の作戦を見破っていたと思うよ。そうでなきゃ、早々に熊谷さんか日浦さんを介入させただろうし。つまり、那須隊は敢えて七海くんを放置する事で香取隊に焦りを生み出したってワケ」

「多分、香取隊が七海くんの足止めに固執しちゃったのもその影響だろうね。なまじ一度作戦が上手く行ってる最中だから、中々他の行動を取れなかった。きっと、それも那須隊の狙い通りだよね」

 

 香取隊は、これまでの経験から()()()()()()()というものがあまりない。

 

 最近は改善されてきているが、負けが込んだ経験もあって()()()を過剰に恐れる所があった。

 

 これが、最初から作戦が上手く行っていないのならば、香取隊も早期に作戦を切り替えただろう。

 

 しかし、実際には作戦は上手く嵌まり、狙い通り七海の足止めという()()を果たした状態となっていた。

 

 その()()()()()()()を捨てるには、香取隊の思い切りが足りなかった。

 

 これは明確な、経験不足故の陥穽と言える。

 

 那須隊は、それこそを狙ったのだ。

 

「ワイヤー地帯に捕まった段階で、七海くんは思考を切り替えて()()()()()()()に終始した。あの場で本当に足止めされていたのは、香取隊だったってワケだね」

「罠に嵌めたつもりが実は嵌められていたとか、流石というかなんというか。ホント、ただでは転ばないね」

「ま、簡単に言えば香取ちゃんと若村くんの実力不足も原因の一つだから、精進あるのみではあるけどね。一週間かそこらの急場で強くなれるほど、現実は甘くないって事」

 

 犬飼は解説を聞いている香取隊に敢えて聞かせるつもりで、発破をかける。

 

 香取隊に今回の作戦を伝授したのは犬飼なのである意味良い性格をしているが、それでも今の彼女達ならば悔しさを糧に出来るだろうと彼は考えていた。

 

 これでも、弟子が可愛いのは事実なのだ。

 

 ただ、方針が割とスパルタなだけで。

 

 甘やかすような余分など、犬飼にはないのである。

 

「後はそうだな。さっきも言ったけど那須さんが早期に落ちたのは確かに痛かったけど、それでもきちんと作戦を立てて生駒さんを迎え撃ったのは凄いよね」

「それで実際に倒しちゃってるしね。分かってはいた事だけど、本当に今期の那須隊はモノが違うよね」

 

 ゾエさんもうかうかしてやれないなー、と北添は軽く笑う。

 

 七海と親交の深い北添にとっても、彼の成長は喜ばしい。

 

 今回の結果を聞いて、影浦もきっと上機嫌の筈だ。

 

 好敵手の成長を喜ばない程、彼は薄情ではないのだから。

 

「ホントホント、B級中位の下の方から一気に駆け上がってるし、今期のダークホースと言っても過言じゃないよね」

「ダークホースというか、台風の目だよね。ホント、那須隊怖ぇー、としか言えないなあ」

 

 にやりと、犬飼が笑う。

 

 那須隊への称賛は本心だが、それはそれとして二宮隊(自分達)が彼らに負けるとは考えていない。

 

 否。

 

 今この瞬間も、那須隊を攻略する方策を試行錯誤している筈だ。

 

 犬飼は、決して相手を過小評価しない。

 

 ()()()()()()()()()()()と認識した以上、あらゆる策を以て叩き潰す。

 

 それが、二宮隊のバランサーである彼の役目なのだから。

 

「ま、今回の総評はこんな所かな」

「うん。そうだね」

 

 犬飼と北添が総評の終わりを告げ、宇佐美に目配せする。

 

 意図を汲み取った宇佐美は、マイクを握り声を張り上げた。

 

「これで、B級ランク戦ROUND6、昼の部を終了します……っ! みんな、お疲れさまー」

 

 宇佐美の宣言を以て、試合の閉幕が告げられる。

 

 B級ランク戦ROUND6は、これにて終了となった。




 ROUND6、終了。これはこれで楽しかった。

 香取ちゃんの次なる活躍をお楽しみに。


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戦い終わって

「皆、お疲れ様。今回は真っ先に落ちちゃってごめんね」

 

 那須は隊室で皆を労いつつ、そう言って頭を下げる。

 

 そんな那須の頭を、七海が優しく撫でた。

 

「いや、そんな事はない。玲は、きちんと自分の役割を果たしてくれた」

「そう、かな……?」

「ああ、あの戦闘データがあったからこそ生駒さんを倒す道筋を形に出来た。玲の奮闘は、決して無駄にはなっていない」

 

 那須はされるがままに七海に頭を撫でられながら労いの言葉をかけられ、擽ったそうに笑みを溢す。

 

 他のどんな妙薬よりも、七海の言葉が那須にとって一番の()になる。

 

 それは、この場にいる誰もが理解している事だった。

 

「そうですよ。那須先輩が真っ先に生駒さんと戦ってくれたから、あの勝ち筋に繋げられたんですし」

「そうよ。玲の戦いを笑う奴なんて、此処にはいやしないわ」

「有意義な戦闘データが取れたのは事実です。むしろ、あの生駒先輩相手によくやったと誇るべき所ですよ」

 

 他の面々も、口々に那須の健闘を称える。

 

 確かに那須は那須隊の中でも真っ先に落ちはしたが、生駒隊の足止めを行い、生駒の生の戦闘データを持ち帰るという大役をこなしてくれた。

 

 那須が獲得した戦闘データがなければ、あの最後の攻防に競り勝つ事は出来なかっただろう。

 

 点を取れずとも、部隊に貢献する方法は幾らでもある。

 

 そういう意味で、今回の那須の戦いは好例と言えた。

 

 情報は、戦いに置いて最大の武器。

 

 情報の有無や真偽次第で、戦況は幾らでもひっくり返る。

 

 その大事な情報を持ち帰った事こそが、今回の那須の()()と言えるだろう。

 

「ん……」

「七海先輩、なんか那須先輩がトリップしてるのでそのあたりで。続きは家でやって下さい」

「ん? あ、ああ」

 

 七海に好きに撫でさせていた那須の顔が赤みがかっているのを見て、小夜子がジト目で七海に進言する。

 

 言われて初めて気付いたといった風の七海は少々名残惜しそうにしながらも那須の頭から手を離し、撫で撫でタイムを中断された那須は多少頬を膨らませて小夜子を見て────固まった。

 

 小夜子はにこにこと笑みを浮かべているが、その眼は全く笑っていない。

 

 彼女の眼を見た那須は、「私への当てつけですか良いご身分ですねこのヤロウ」という幻聴が聞こえた気がしてぶんぶんと首を振った。

 

 恐る恐る小夜子の顔を見直すと、そこには普段通りの笑みを浮かべる小夜子の姿。

 

 杞憂だったか、と胸を撫で下ろす那須を見て小夜子はなんとも言えない目を向けていたが、幸いその事は那須は気付いていないらしい。

 

 代わりに、偶然その眼を見てしまった茜は言い知れない恐怖を感じて固まった。

 

「…………大丈夫大丈夫、舌打ちなんて聞こえてないです私は何も見なかったですよしそういう事にしよう私は何も見なかった……」

「…………茜? どうかした?」

「うぇっ!? い、いや、なんでもないですってははは……」

 

 ぼそぼそと何かを呟く茜を不審に思った熊谷が声をかけるが、それに気付いた茜は全力ですっとぼけた。

 

 何故小夜子にあんな恐怖を感じたかは定かではないが、これは踏み込んで良い事ではないと茜の直感が全力で訴えていた。

 

 触らぬ神に祟りなし。

 

 茜は今日、その言葉の意味を真の意味で知ったのだった。

 

「しっつれいしまーす……っ! 七海くん、いるー?」

「あ、宇佐美さん。こんにちは」

 

 そんな時、明るい調子で声をかけながら隊室に入って来た宇佐美に茜は心底感謝した。

 

 先程察知してしまった奇妙な空気が、その時霧散するのを感じたからだ。

 

 宇佐美は人知れず茜に感謝されている事など知る由もなく、満面の笑みで七海に語り掛けた。

 

「今日も凄かったねー、七海くん。あたしの解説聞いてたー?」

「試合終了後のものは聞かせて頂きました。試合中のものは後で内容を聞いてみようかと」

 

 そっかそっかー、と宇佐美は頷き、不意にポン、と手を叩いた。

 

「あ、そうだ。なら桜子ちゃんが試合解説の音声データ持ってるから、直接聞きたいなら頼んだげるよー? そっちの方が手っ取り早いでしょ?」

 

 通常、チームランク戦のデータで公的記録として残されるのは試合内容のみで、解説の音声はその対象外である。

 

 だが、その解説の生音声を毎回記録し、自室でそれを聞いて悦に浸るという趣味を持った変人が一人いる。

 

 ランク戦の実況解説システムの立役者、武富桜子である。

 

 彼女の部屋にはこれまでのランク戦の解説音声のデータが全て揃っており、ランク戦が開催される度にそのデータは増え続けている。

 

 宇佐美の言う通り、桜子が了承さえしてくれればそのデータを直に聴く事が出来るだろう。

 

 問題は、彼女が首を縦に振るかどうかである。

 

「大丈夫ですか?」

「大丈夫大丈夫。あたし、これでもオペレーターの中じゃ頼れる先輩で通ってるからねー。玉狛に来る前に割と話してたし、平気だって」

 

 にこりと笑う宇佐美は、確かに彼女の言うように玉狛支部に転属するまでは本部で風間隊のオペレーターをやっていた。

 

 割と交友関係は広かったらしいし、色んな意味で顔が効くのだろう。

 

 七海もどうせ解説を聞くなら直接の音声データを聞きたかった所なので、此処は素直に彼女の厚意に甘える事とした。

 

「なら、お願いします」

「おっけー。了解取れたら連絡するねー」

 

 宇佐美は携帯で即座にメッセージを送信すると、さて、と一言告げ改めて七海に向き直った。

 

「今回も大勝利、おめでとー。レイジさんが玉狛でお祝いしてくれるって言ってるけど、来て貰っていいかな? 勿論、皆一緒にさ」

 

 

 

 

「無事勝利、おめでとう~。好きに食べてね~」

 

 エプロンを付けた迅が料理の乗った皿を七海達の下に運びながら、そう言って笑みを浮かべた。

 

 玉狛支部に着いた七海達を待っていたのは、既に用意されていた湯気の立つ美味しそうな料理の数々と、玉狛の面々による歓待だった。

 

 那須隊の面々も来る事もあって今回は洋風な感じで纏めたらしく、野菜をふんだんに使ったポトフやクリームシチュー、フィッシュアンドチップスやシーザーサラダ等野菜中心のメニューが並んでいる。

 

 肉類が好きな熊谷向けにローストビーフやステーキなんかも揃えられており、七海用に味の濃さを調整した特製の料理も用意されている。

 

 色んな意味で、至れり尽くせりな食卓だった。

 

「あ、美味しい……」

 

 ムール貝のムニエルを食べた那須の口から、ぽろりとそんな感想が零れ出る。

 

 しっかりバターの風味が効いた貝の濃厚な旨味が口一杯に溢れ、魚介類特有の生臭さなんかも感じ取れない。

 

 玉狛支部の凄腕家政父、レイジの面目躍如である。

 

「そうやろそうやろ。レイジさんの料理は一級品やで」

「…………それで、何故生駒さんが此処にいるのかを聞いても?」

 

 …………問題は、そんな七海の隣でぱくぱく料理を食べている生駒の存在である。

 

 生駒は玉狛支部所属でも、那須隊の所属でもない。

 

 ランク戦を通じて交流があったりリアル居合い抜きを見せて貰った程度の付き合いはあるが、その程度。

 

 村上と違って、プライベートではそこまで仲が良い方ではない。

 

 あまりにも堂々と食卓に着いて食事をしていたものだから、七海としても突っ込むタイミングを失ってしまっていたのである。

 

「迅がな、誘ってくれたんねん。なんや一緒に料理を食べる未来が見えた言うて此処まで連れて来たんはこいつやで?」

「イコさんが君を労おうと、食事に誘う未来が見えたんでね~。折角だから一緒に呼んじゃえばいいじゃんと思って呼んじゃいました」

「そういうワケや」

 

 こいつのやる事にいちいち驚いてたらキリないでー、と妙に親し気に迅と肩を組む生駒。

 

 そういえば、と七海は気付く。

 

 迅も生駒も、共に歳は19歳。

 

 同じ19歳組の嵐山とも仲が良い事を考えれば、生駒はむしろ迅の友人として此処に来ているのかもしれない。

 

 ならば、余計な事を言うのは野暮だろう。

 

 問題があるとすれば、今日の食事会は七海達が生駒達に勝利した事を祝う席であるという事だが……。

 

「ん? ああ、別に負けた事は気にしてへんで。あ、いや、気にしてるけど別に悪う思ったりはしてへんで。悔しくはあったけど、恨んだりはしてへんからなホンマに」

「あ、いえ……」

 

 そんな七海の反応が気にかかったのか、生駒が慌ててフォローして来る。

 

 そんな二人を見て、迅は苦笑を浮かべた。

 

「イコさんは、一度負けたくらいで根に持つような性格じゃないよ。勝負は勝負、ってね」

「そやそや、別に反則使われて負けたワケでもなし、恨むなんて筋違いや。ま、次は負けへんけどな」

「はい、こちらこそ」

「お、言うよるなあ自分。でも、そんくらい気合い入った方がええやろ」

 

 その方がこっちも遣り甲斐がある、と生駒ははっはっは、と笑う。

 

 別段、今日の敗北を引きずる様子はない。

 

 色々な意味で、清々しい男であった。

 

「最初は、水上達も誘お思たんやけどな。全員揃って用事がある言うねん。なあ迅、酷いと思わへんか?」

「まあ、生駒隊の皆が此処に来る未来は視えなかったし、都合があるなら仕方ないんじゃない?」

「ま、そうやな。人間用事が重なる事の10回や20回普通にあるわな。俺が誘う度に用事があるちゅうのが多いから、てっきりハブられでもしてんのかと思たわ」

 

 実際は、違う。

 

 生駒がいつも生駒隊の面々を誘って断られているのは、決まって迅絡みの事だけだ。

 

 水上を初めとした生駒隊の面々にとって、迅は()()()()()でしかない。

 

 そこまで親しくもない自分達が付いて行って、友人同士の交流に水を差すのも気が退ける。

 

 そう考えた彼等は善意で生駒の誘いを断っているのだが、生駒はその意図を察する事なく事あるごとに生駒隊の面々を迅の誘いに同行させようとしてきた。

 

 生駒にとって迅は身内同然の相手であり、気心の知れた仲だ。

 

 黒トリガーを持つS級隊員、という仰々しい肩書きを持つ迅だが、生駒にとっては友人の一人でしかない。

 

 密かに迅の良さを他の連中にも喧伝出来ればな、と思っているのは生駒の中だけの秘密────────と、見せかけて迅は当然知っている。

 

 なんだかんだ、良い関係なのだ。この二人は。

 

「しっかし七海もそうやけど、日浦ちゃんも凄かったで。転移しながら狙撃とか、隠岐でも中々やれんで」

「あ、はい、ありがとうございます。えへへ」

 

 試合では自分を両断してのけた相手からの心からの称賛に、茜は頬を緩めた。

 

 生駒は那須隊の身内ではない為、極めて客観的に試合内容を吟味している。

 

 だからこそ、そこには気遣いや脚色の入る余地はない。

 

 ありのままの本心で、掛け値なしに言われた称賛。

 

 それが、嬉しくない筈がないのだ。

 

 にこにこと笑う茜を見て、生駒は動きを止めた。

 

「…………アカン、可愛過ぎやろこの子。大丈夫かこれ? 事案案件とはちゃうよな?」

「大丈夫大丈夫。間違っても事案なんかには成り得ないって」

「そか?ならええわ。俺の顔面で下手に女の子に近付いたら通報ものやさかいな」

 

 微妙にズレた事を言いながら、生駒は食事に戻った。

 

 一心不乱に料理を口にしているが、量の割には食事が減っていない。

 

 元々、生駒の食欲を考慮した上で作られたに違いない。

 

 その程度、迅にしてみれば朝飯前である。

 

「詳しい事は分かりませんが、心配はないと思います。生駒さんは話し易い方ですし、大丈夫ではないかと」

「お、おう……」

 

 七海のフォローに、何故か言葉を詰まらせる生駒。

 

 生駒は「迅、ちょお来い」と迅を引っ掴んで廊下まで来ると胡乱な眼を彼に向けた。

 

「のう迅、七海なんなん? 全自動キュン死発生器とかそんなやつかいな? なんで男のキュン死ポイントを的確に突いてくるの、あの子?」

「本人の自覚がないだけで割と気配り上手だからねえ、七海は。こっちの欲しい言葉を的確にくれるというか、フォローが上手いんだよねあの子」

 

 

 迅はふと、これまでの七海と自分のやり取りを想起する。

 

 あの屋上での懺悔の時も、七海は迅が本当に欲しかった言葉をくれた。

 

 人の心を的確に刺激する才能が、七海にはある。

 

 もし、那須がいなければそのスキルの所為で八方美人状態になっていた可能性もなくはない。

 

 それだけ、七海の何気ない一言というのは破壊力が高いのだから。

 

「ん……?」

「おや、次の組み合わせが決まったようだね」

 

 携帯端末に、メッセージが届く。

 

 時刻を見てみれば、確かにランク戦の夜の部が終了した時刻である。

 

 部屋に戻ってみると、それに気付いたのか七海達も携帯端末を凝視していた。

 

 B級ランク戦、ROUND7

 

 B級暫定二位:『那須隊』

 B級暫定五位:『弓場隊』

 B級暫定六位:『王子隊』

 

 上記の隊により、試合を行うものとする。

 

 携帯端末には、そう表示されていた。




 陽太郎も出そうと思ったけど出す時間がなかった。後に持ち越しかなあ。

 てなわけで次はこの組み合わせです。

 今回は前回と違って一週間も作中時間が空いてないんで幕間はそこまで長くはならない、筈。


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神田忠臣①

「お、聞いたでななみん。次は王子と弓場さんみたいやな。大変やろうけど頑張りや」

 

 部屋に戻って来るなり、開口一番生駒はそう告げた。

 

 丁度、七海達も対戦組み合わせを確認した所だったのだろう。

 

 携帯端末を見ていた姿勢から顔を上げ、生駒に向き直った。

 

「ななみんってなんですかななみんって」

「そらあだ名やで? 呼び易くてええやんか。フレンドリーやし」

 

 生駒は「王子のよりマシやろ」と笑い、七海もそれには内心同意する。

 

 王子は初対面の人間だろうが頓珍漢なあだ名を勝手に付けて呼ぶ、という困った癖がある。

 

 那須はナース、熊谷はベアトリス、茜はヒューラー、小夜子はセレナーデ。

 

 七海に至っては、シンドバットという何処をどうすればそうなるのか初見ではまず理解出来ないであろうあだ名で呼んでいる。

 

 それに比べれば、生駒の呼び方はまだマシな方だろう。

 

「ふふ、随分可愛らしいあだ名じゃない。ねえななみん」

「勘弁してくれ、玲。いつも通り呼び捨てで良い。調子が狂う」

「あら、ごめんなさい。そうよね、玲一は玲一よね」

 

 くすくすと笑いながらからかう那須に、七海は苦笑する。

 

 以前の、負い目で雁字搦めだった頃よりも那須は本当の笑顔を見せる事が多くなっている。

 

 以前の、能面じみた仮初の笑みではない。

 

 本当に心の底から、笑う事が多くなっている。

 

 自分も、那須に対して以前のような遠慮がなくなっている。

 

 どちらにせよ、良い変化だと思っている。

 

 まあ、少々ブレーキが壊れる事はあるがそれもまた愛嬌だ。

 

 愛が重い程度では、愛想を尽かす理由にはならない。

 

 こちらに対する好意で暴走しがちになるのなら、それごと受け止めてしまえば良い。

 

 少なくとも七海は、そう考えていた。

 

「あー、お二人さん。生駒っちが凄い顔してるからそのあたりでね」

「ちゃうねん、美少女とイチャついて羨ましいとか思ってへんで。ホンマやからなホンマ」

 

 そう言いつつも、生駒は七海と那須のやり取りを据わった目でガン見していた。

 

 両腕で頭を抱えており、恐らく仲睦まじい男女のやり取りを見て色々と悶々としてしまったのだろう。

 

 分かり易く悶絶している生駒を見て、七海は苦笑する。

 

 そして七海は那須に「今はこのへんで」と声をかけ、那須も笑顔で了承した。

 

 …………そのやり取りを見て生駒がカッと目を見開いた気がするが、まあ気の所為という事にしておこう。

 

 もしもこの場に小夜子がいればより場が混迷していたであろう事は想像に難くはないが、男性恐怖症の彼女は今回も留守番だ。

 

 代わりに小南が料理を携えて小夜子の元に突貫している筈なので、今頃は彼女に色んな意味で振り回されている事だろうが。

 

「そんで、今回は勝てそうなんか? 王子はあれで中々えぐい事しはるし、弓場さんは弓場さんやで?」

「少なくとも、負けるつもりで戦う気はありませんね」

「言うやないか。ええでええで、それでこそや」

 

 仮にも俺を倒したんやから強キャラぶって貰わんと困るでー、と生駒は軽く言うが、七海はその言葉を重く受け止めた。

 

 生駒自身は気にしていないようだが、正真正銘の上位攻撃手である生駒を撃破した以上、それに恥じぬ戦いをする義務が七海にはある。

 

 仲間の援護ありきでの一騎打ちではあったが、そもそも集団戦とはそういうものだ。

 

 今後は東を撃破した時のように、生駒を倒した男、としての認識も持たれる筈だ。

 

 故に、無様な戦いは出来ない。

 

 頑張りましたが出来ませんでした、ではお話にならないのだ。

 

 結果を求めて戦う以上、臨む結果を手繰り寄せられなかった時点で()()なのだ。

 

 無論敗戦の経験も改善点の洗い出しという点で意味はあるが、これはそういう実利の話ではない。

 

 要は、矜持(プライド)の問題。

 

 凄い相手に勝ったのだから、それに相応しい戦いをしたい。

 

 つまるところ、それだけなのだ。

 

 そして、そんなプライドに全霊を懸ける程度には、七海は()()()であった。

 

 どうせやるのなら、高い目標を立てて徹底的に。

 

 それが、七海のスタンスなのだから。

 

「ただ、王子はあれで中々の負けず嫌いやで。前してやられた分、リベンジに燃えとるやろうから注意せなあかんやろな」

 

 でないと、と生駒は告げる。

 

「奴さんの手に、乗せられてまうで」

 

 

 

 

「次の対戦相手が決まった。那須隊と弓場隊だ。これは中々に運が良い」

 

 王子隊の隊室で、王子が樫尾と蔵内相手に開口一番そう告げた。

 

 ランク戦が終わった後も隊室に残っていた彼等は、この場所で先程の通知を受けた。

 

 その通知を見た瞬間、王子の口元が盛大に歪んだ所を蔵内は目撃している。

 

 色々な意味で、今日の王子はノッているらしい。

 

「運が良いとは、どういう事ですか王子先輩っ! 前回の雪辱を晴らせる機会ではありますがっ!」

「そうだね。勿論それもある。けれど、僕が言ったのは()()()()()()()()という話だ」

 

 ところで、と王子は前置きする。

 

「樫尾くんは、僕がこの隊を結成する前に()()()()()()は知っているかな?」

「王子先輩の、以前の所属ですか。そういえば、確か前に……」

 

 聞いたような、と樫尾が記憶を探り、すぐさまハッとなって顔を上げた。

 

「そうですっ! 王子先輩は、()()()()()()()()()んですよねっ!?」

「その通り。僕と蔵内は、()()()()()の出身なんだよ」

 

 そう、王子の言う通り、彼等二人は元々弓場隊の出身。

 

 帯島や外岡が入る以前の、()()()()()()のメンバーだったのだ。

 

 つまり、それは。

 

「だから、弓場さんの実力も良く理解しているし、カンダタのやり口も知っている。弓場隊の動きは、文字通り身体に叩き込んであるからね」

 

 ────弓場隊の戦術や思考傾向を、熟知しているという事だ。

 

 隊員の能力や、好む戦略。

 

 隊の強みや、得意不得意。

 

 そういった情報が、王子の頭には詰まっている。

 

「勿論、僕らが抜けた後に入ったトノくんやオビ=ニャンについてのデータはまだ充分揃っているとは言えないけれど、弓場隊のエースである弓場さんの力や事実上の指揮官であるカンダタの戦術方針は良く知っている。これは、戦いを有利に運ぶ為には無視出来ないアドバンテージだ」

 

 ただし、と王子は付け加える。

 

「実力を知っていても、状況次第で容易に押し込まれるのが弓場さんの怖い所だ。戦術の傾向を知ってはいてもカンダタは中々の切れ者だから少しでも読み間違えば致命傷になるし、絶対的に優位が取れるってワケじゃない」

 

 けど、と王子は笑みを浮かべる。

 

「今回は、それに加えて無視出来ないメリットがある。カシオはそれが何か、分かるかい?」

「無視出来ないメリット、ですか……?」

 

 むむむ、と頭を捻る樫尾だが、中々答えには辿り着けない様子で難しい顔をしている。

 

 見かねた蔵内が、助け舟を出す事とした。

 

「今期まで、那須隊は上位に上がった事はなかった。つまり……」

「そうか……っ! 那須隊は、()()()()()()()()()()()()()()()()()んですね……っ!」

「そう、正解」

 

 王子は樫尾の解答に笑みを浮かべ、ポン、と手を叩く。

 

「那須隊は、今期のランク戦の台風の目と言って良い注目株だ。僅か一期で、下位落ち寸前の順位から上位まで駆け上がった手腕は驚嘆に値する。けれど、それは裏を返せば()()()()()()()()()()()()()()()という事を意味している」

 

 そう、王子の言う通り、那須隊がB級上位に上がったのは今期が初めてだ。

 

 故に、B級上位チームとの試合は今期が初めてとなる。

 

 ROUND3からROUND6までの相手に複数のチームと戦っているが、その中で弓場隊はまだ一度も当たっていない。

 

 つまり、那須隊は弓場隊のランク戦での動きを実際に見るのはこれが初めてなのだ。

 

 これは次の試合に置いて、無視出来ないポイントとなる。

 

「勿論シンドバット達も、弓場隊の過去の試合映像なんかは目を通しているだろう。けれど、映像で見た動きと実際の動きが全くの同一かと言われればそういうワケでもないんだ」

 

 百聞は一見に如かず、というやつだね、と王子は告げる。

 

「実際に、チームランク戦では初めて戦った生駒さん相手に今回の那須隊は苦戦を強いられた。シンドバットは個人ランク戦では生駒さんと戦っているにも関わらず、ね」

「そうだな。七海がその典型だが、個人ランク戦とチームランク戦では戦い方そのものが異なる隊員は多い。それに、七海以外の面々は生駒さんと戦うのはあれが初めてだっただろうからな」

 

 対応が難しかったのも無理はない、と蔵内は告げる。

 

 今回のROUND6では、那須隊は生駒一人にほぼ壊滅一歩手前まで追い込まれた。

 

 那須隊のメンバーを落としたのは、その悉くが生駒旋空による斬撃だ。

 

 実際に直で体感した生駒旋空の速度は、映像のそれとは最早別物だ。

 

 対応が間に合わず、斬られてしまったのも無理はない。

 

 今回生駒旋空の()()に成功したのは、実の所七海のみ。

 

 それも、サイドエフェクトによる回避ではなく発動の前兆を予測する形での回避機動である。

 

 感知してからでは間に合わない速度の生駒旋空を回避するには、そうする他なかったからだ。

 

 だからこそ、生駒旋空をフェイクとした生駒の戦法が強烈に効いたワケである。

 

 いずれにしても、()()()()()()()()()()()に苦しめられたと言っても過言ではないのだ。

 

「同じように、弓場さんの早撃ちも充分初見殺しとして機能する筈だ。あれは、実際に体験しなければその本当の脅威は理解出来ないからね」

「だが、七海は弓場さんとも個人ランク戦を行っているぞ? 既に視たものであれば、あいつは対応出来るんじゃないか?」

「確かに、シンドバットは対応出来るかもしれないね。けど、弓場さんの早撃ちという武器は確実に彼等の動きを鈍らせる筈だ」

 

 だから、と王子は笑う。

 

「僕達は、そこを突いていこう。丁度、今回のMAP選択権はうちにある。一つ、仕掛けてみようじゃないか」

 

 

 

 

「王子も色々あれやけど、弓場さんもヤバいで。あの早撃ちはヤバいやろ」

 

 生駒は弓場の真似なのか、両手に銃を抱えるようなポーズをして見せる。

 

 ばきゅんばきゅん、と口で呟いているが、見なかった事にしよう。

 

 彼の行動に逐一反応していては、突っ込みのボキャブラリーは瞬く間に切れてしまうだろうから。

 

「それに、弓場さんだけやないで。神田や外岡も割とえぐいし、帯島ちゃんは可愛いで」

 

 

 

 

「次の相手は、那須隊と王子隊だ。おめェーら、気張っていけよ」

「は、はいっ! 頑張りますっ!」

 

 弓場隊の隊室で、腕を組んで凄み(ドス)を聞かせた不良っぽい(シャバい)空気を醸し出す男、弓場の言葉に小柄な少年────────に見えるボーイッシュな少女、帯島が応じる。

 

 帯島は腕を背中で組み、所在なさげに視線を彷徨わせている。

 

「帯島ァ! 気合い入れろやァ! それでもタマァついてんのかぁ……っ!」

「つ、ついてないっす……っ!」

 

 途端、空気が凍った。

 

 おずおずと顔を赤くしながら答える帯島と、完全に動きが止まる弓場。

 

 言うまでもないが、帯島は中性的ではあるが歴とした女性────────それも女子中学生である。

 

 つまり、弓場の発言はセクハラと取られてもおかしくない。

 

 とうの本人は、完全に勢いだけで言っただけではあるのだが。

 

 弓場は自分のやらかしを察し、ギラリ、と眼鏡を光らせた。

 

「…………帯島ァ、おめェー確か前にケーキバイキング行きたいっつってたよなあ」

「は、はい」

「連れてく。そんで自腹(ハラ)ァ切るからよぉ、それで勘弁してくれや」

 

 瞬間、帯島の顔がぱぁっと華やいだ。

 

 よく男の子に間違われる帯島だが、その中身は年頃の女子中学生。

 

 当然甘いものは大好きだし、常々敬愛している弓場が連れて行ってくれるというのだから喜ばない筈がない。

 

 わざとでないのは分かっていた為元から気にしていなかったが、弓場の発言に関しては完全に水に流した帯島であった。

 

「良かったじゃん、帯島。存分に甘えておいで」

「はいっ!」

「神田ァ、そりゃどういう意味だ?」

「言葉通りですよ言葉通り。帯島がこんなに喜んでいるし、いいじゃないですか」

 

 そう告げるのは、黒髪の爽やかな少年であった。

 

 系統としては、嵐山に近い。

 

 ルックスはあそこまで突出してはいないが、充分に整ってはいる。

 

 話し方も気さくで、髪型も清潔感がある。

 

 イメージとしては、部活の先輩か。

 

 同じ先輩オーラを持つ荒船が剣道部の先輩だとすれば、こちらはバスケ部あたりにいそうな雰囲気がある。

 

「それより、対策を練るんでしょう? 王子隊も那須隊も、侮れない相手っすからね」

 

 だから、と少年は告げる。

 

「情報を、整理しましょう。まずは、七海くんについて、ですかね」

 

 少年の名は、神田忠臣(かんだただおみ)

 

 弓場隊のもう一人の銃手にして、隊の頭脳として弓場隊を支える少年だった。




 はい、遂に出ました。神田です。

 神田が弓場隊にいたのは、12月まで。つまりこの「前期ランク戦」はまだ彼がいたワケです。

 少ない情報からデザリングしたキャラなんで色々独自色入ると思いますが、私の世界の神田ということで一つ


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神田忠臣②

 

「ご馳走さん。上手かったでー、今日はあんがとな」

 

 玉狛支部の玄関前で、生駒が見送りの迅にひらひらと手を振る。

 

 対戦組み合わせが決まった事を知った七海達はこれから軽い打ち合わせ等を行うので、ランク戦に参加しない玉狛の面々はともかく、ランク戦で鎬を削る相手である生駒がいるのは少々都合が悪い。

 

 もとい、女子比率の高い上に隙あらばイチャつこうとする者が二人程いるので、少々座りが悪かった生駒がそれを口実に帰る意思を伝えたという流れである。

 

 元々適当に食べたらお暇する予定だった生駒は、充分な量を食べていた事もあってそのまま帰宅する事と相成った。

 

 その見送りとして、迅が付いて来たのである。

 

「いいっていいって、俺とイコさんの仲じゃん」

「…………お前がそう言うの、なんや気持ち悪いで? そういうんいいから、さっさと本題話せや」

「あれ? バレてた?」

「何年お前の友達やっとる思うとるんや阿呆」

 

 生駒ははぁ、と溜め息を吐いた。

 

 迅とは、それなりに長く親しい関係を続けている。

 

 流石に玉狛の面々程ではないが、ボーダーの中でも割と迅に近しい位置にいると生駒は自負している。

 

 そもそも、作戦会議をするなら那須隊の面々と生駒で別れて食事をすればいいだけの話で、わざわざ生駒が帰る必要はない。

 

 それでも生駒が自ら帰宅を言い出したのは、他ならぬ迅に目配せされたからだ。

 

 迅がそういう事をやる時は、決まって何か()()()がある。

 

 それを承知していた生駒は、敢えて迅の誘いに乗って迅と共に此処に来たのだ。

 

 その程度には、迅の事は理解しているのだから。

 

「そんで、お前が頼み事っちゅうとあれか? お前の予知したデカい戦いの事かいな?」

「察しが良くて助かるよ。実はその時、イコさんにはね……」

 

 迅は短く生駒に耳打ちし、生駒はそれを聞いてふんふん、と頷く。

 

「どう? 頼まれてくれるかな?」

 

 話を伝え終わると、迅はそう言って生駒に笑いかける。

 

 それを聞いた、生駒は。

 

「了解や。きちっとやったるさかい、安心せえ」

 

 ただ一言、了承の意を答えた。

 

 

 

 

『七海先輩、対戦組み合わせが決まりましたね。王子隊と、弓場隊ですか』

『やっほー、聞こえてるー? ボイチャってのも面白いわね』

『あ、あの、小南先輩押さないで下さい』

 

 玉狛支部のリビングで開いたノートパソコンから、小夜子と小南の声が聞こえてくる。

 

 現在小南は小夜子の所に食事を持って突貫している筈なので、パソコンの前で顔を突き合わせる形でボイスチャットを開いているのだろう。

 

 マイク越しにバタバタとした騒がしい音が聞こえるが、小南の事だからまあ心配はないだろう。

 

 精々、後でからかうネタが倍々ゲームで増える程度である。

 

『まず、なんといっても弓場ちゃんよねー? 弓場ちゃんは攻撃手キラーだから、迂闊に近付くのはアウトよ?』

「攻撃手キラー、ですか」

 

 小夜子を押しのけて会話を始めた小南だったが、その内容は七海達としても聞き逃すワケにはいかない内容だったので、傾聴の姿勢を取った。

 

 旧くからボーダーにいた小南の生きた情報は、貴重なものである事に間違いはないのだから。

 

『元々、弓場ちゃんの二丁拳銃スタイルは諏訪さんのダブルショットガンから着想を得て攻撃手相手に有利を取る為に習得したものなのよ。アンタ、旋空の射程距離は知ってる?』

「確か、踏み込みの旋空で20メートル程でしたよね?」

『そうそう。そんで、弓場ちゃんの射程ってのが22メートル。つまりこの距離を保ってさえいれば、弓場ちゃんは攻撃手を一方的にボコボコに出来るってワケ』

 

 成程、と七海は得心する。

 

 確かに、弓場はランク戦に置いて攻撃手相手のタイマンになった場合の勝率がかなり高い。

 

 入り組んだ場所で弓場と1対1で相対した場合、攻撃手は成す術なくやられる事が多い印象だ。

 

 そのカラクリが、攻撃手相手に有利を取れるギリギリまで射程を縮めた結果得た、威力と弾速。

 

 その全てが、綿密な計算の下で構築された戦術なのだ。

 

『アンタ等の中で直接斬った張ったするのは、七海とくまちゃんでしょ? 弓場ちゃんの拳銃は映像で見るよりかなり速いから、迂闊に射程に入んないようにしなさいよね?』

「つまり、生駒さんの旋空を相手にするつもりでやれって事ですか?」

『ま、そういう解釈でも問題ないわよ。元々、弓場ちゃんスタイルに対抗する為に編み出されたのが生駒旋空なんだし』

 

 へえ、と七海は頷く。

 

 生駒旋空の脅威は、ROUND6で散々骨身に染みている。

 

 確かにあれならば、弓場の射程の外から一方的に攻撃出来る上に攻撃速度が尋常ではない。

 

 弓場への対策として、この上ない代物である事は確かだ。

 

「なら、やる事は大体決まったようなものだよね?」

「ええ、射程の有利を活かす、って事ね」

「そういう事だな」

 

 熊谷と那須の言葉に、七海も同意する。

 

 弓場のスタイルへの対処法は、単純明快。

 

 即ち、()()()()()()()()()()()だ。

 

 弓場の射程は、旋空より少々長い程度。

 

 ならば、その射程の外から延々と攻撃を叩き込めれば良いワケだ。

 

 幸い、那須隊は全員が射程持ちだ。

 

 本職の射手ではない七海と熊谷はさほど距離は取れないが、那須はチューニング次第で遠距離から一方的に弓場を狙い撃てる。

 

 那須が射撃で固めた所を、茜が撃ち抜ければそれで勝てる。

 

 あくまで、()()()()()()()()()の話ではあるが。

 

『でも、気を付けなさいよ? 神田さんはしれっとこっちの行動読んで来るから、甘く見てると痛い目遭うわよ』

「神田さん、ですか」

 

 神田忠臣。

 

 弓場隊の銃手にして、事実上の指揮官としての役割も持っている少年である。

 

 個人ランク戦にはあまり熱心ではないのか七海は直接話した事はないが、ランク戦のログを見る限り堅実な戦術を好む人間に見えた。

 

『そうですね。神田さんはデータによれば……』

『そうそう、弓場ちゃんが好きに動いてその間神田さんが指揮を取ってフォローするっていうのが弓場隊の戦法だからね。弓場ちゃんがエースで、神田さんが指揮。役割分担がしっかりしてるから強いのよね』

『うぅ……』

 

 台詞を取られた小夜子が画面の向こうでいじけているが、自分の情報が役に立っていると実感して気分上々な小南はその事には一切気付いていない。

 

 話し始めると中々止まらないタイプなのだ、彼女だ。

 

 基本的に身内以外には押しが弱いコミュ障気味の小夜子と、初対面でもぐいぐい行くコミュニケーション強者の小南とでは、勝負になる筈もなかったのである。

 

 少なくとも小夜子が小南への遠慮を捨てない限り、彼女に勝機はないだろう。

 

 割と毒舌なケのある小夜子がその気になればどうなるかは、言わぬが華であるが。

 

『タイプとしちゃ、王子と似たようなもんね。個人戦なら王子の方が強いだろうけど、集団戦での立ち回りなら神田さんも負けちゃいないわ。とにかく、侮れる相手じゃないって事は覚えておきなさいよね』

 

 

 

 

「成程、これが七海くんの戦い方か……」

 

 弓場隊の作戦室で試合ログを見ていた神田は、ふぅ、と溜め息を吐いた。

 

 既に遅い時間の為帯島は弓場が付き添い、帰宅させている。

 

 ボーダー隊員とはいえ、まだ中学生の少女を遅い時間まで本部にいさせるのはあまり良い事ではない。

 

 特にそのあたりきっちり分別(ケジメ)をつける弓場が、帯島への配慮を忘れる筈もない。

 

 今日もまた、帯島を家まで送り届けて彼女の父母に歓待されている事だろう。

 

 帯島は農家の娘で、両親は割と牧歌的な人物だ。

 

 弓場は初対面こそ強面のインパクトが強いが、きちんと話せば礼儀正しく分別の弁えた男である事が分かる。

 

 帯島の送迎も毎回きっちりこなしている為、彼女の両親からの評価はすこぶる高い。

 

 断り切れずに帯島家で食事をする事になったのも、一度や二度ではないのだ。

 

 勿論最初のうちは弓場も遠慮していたのだが、いつも帯島がお世話になっているからと繰り返し懇願された結果、弓場が根負けする形で食事の招待を受け入れたのだ。

 

 とうの帯島も弓場が食卓に来るのが嬉しいようで、彼女をとても大事にしている弓場としては中々に断り難いのだ。

 

 今頃は帯島家で色々と引き留められている頃かなあ、と考え神田はくすりと笑みを溢した。

 

「景気良さそうっすね。どうすか? 一杯」

「ほうじ茶かい? じゃあ、頂こうかな」

 

 そんな神田に後ろから声をかけたのは、外岡一斗。

 

 弓場隊が誇る、隠密特化の狙撃手である。

 

 外岡は自身の好物であるほうじ茶をお盆の上に乗せており、神田は礼を言ってそれを受け取った。

 

「どうすか? なんとかなりそうっすかね?」

「なんとかするしかない、というのが正直な所だね。弓場さんの実力は疑ってないけど、七海くんが中々の曲者だ。あの回避能力と機動力は、ボーダーの中でも上位に位置すると言っても間違いないだろう」

 

 神田は、今回の試合で対策を欠かす事が出来ない相手として七海を要警戒していた。

 

 前回の試合ログを見る限り、サイドエフェクトがあると言っても身体の反応を超える速度の攻撃には対応し切れないようだ。

 

 もしも閉所で弓場と1対1になれば、充分に勝ち目はあるだろう。

 

 だが問題は、どうやってその状況に持ち込むかである。

 

 七海とて、弓場と距離を詰めればマズイのは理解している筈だ。

 

 工業地帯のような入り組んだ地形であればまだ良いが、開けた場所が多い地形ではグラスホッパーを駆使する七海を捉え切れない。

 

「問題は、王子が何処を選んで来るかだ。今回のMAP選択権は、王子達にあるからね。多分、複雑な地形は選んで来ないとは思うけど……」

「開けた地形だと、どうやって七海先輩を落とすかが課題になりますもんね」

「そういう事だね」

 

 閉所で尚且つ入り組んでいない地形となると、鈴鳴第一がROUND5で選んだ市街地Eがまず思い浮かぶ。

 

 あのMAPは那須隊にとっては明確な不利地形であり、事実七海達は苦戦を強いられた。

 

 だが、だからと言って王子達が『市街地E』を選ぶかと言われれば否だろう。

 

 何故ならば、閉所で弓場と出会ってしまった場合、逃げようがないからである。

 

 王子隊の持ち味は、全員が持つ優れた機動力。

 

 機動力を活かして、浮いた駒を狙うのが王子隊の常套手段だ。

 

 更に言えば、王子隊は誰を落とすかに頓着しない。

 

 ポイントであればなんでもいいとばかりに、良い意味で節操がないのだ。

 

 故に、王子隊は逃げ足もまた優れている。

 

 勝てない相手と無理に戦う程、王子は馬鹿ではないのだ。

 

 しかし、通路が狭く通り道が限定されている市街地Eでは、弓場と遭遇した時に逃げる()が無い。

 

 幾ら那須隊に有利を取れるとはいえ、王子の性格上そんなリスクを抱える事は有り得ない。

 

 リスクヘッジが優秀なのも、王子の持ち味なのだから。

 

「かと言って、縦に広く隠れる場所の多い市街地Dじゃ那須隊の独壇場だ。無難なのは、市街地Aだけど……」

「あの特に特徴のない、ベーシックMAPっすか。確かにあれなら、大幅な有利不利はつき難いっすけど」

「でも、那須隊に確実に勝てるかと言われれば、そういう事でもないんだよね」

 

 第一、と神田は続ける。

 

「那須隊は、個々の戦力がかなり強いんだ。七海くんや那須さんは勿論、最近ハウンドを習得した熊谷さんだって侮れる相手じゃないし、日浦さんに至っては一番の脅威と言っても過言じゃない」

 

 つまり、と神田は告げる。

 

「王子隊と今の那須隊だと、地力という点じゃ那須隊に軍配が上がるんだ。それを、王子が分かっていない筈がない。だから、王子は間違いなくなんらかの形で弓場隊(うち)との疑似的な共闘を狙う筈なんだ」

「うちと共闘して、那須隊を追い込もうとしてくるってワケすか」

「ああ、王子ならきっとそうするだろう。彼は、そういう男だからね」

 

 神田は何処か懐かしむように、笑みを溢す。

 

 王子隊の王子と蔵内は、帯島や外岡が入る前の弓場隊のメンバーだった。

 

 当然弓場だけでなく神田とも親しかったし、彼等との関係性は今でも良好だ。

 

 奇抜なネーミングセンスは正直面食らってしまうが、それでもあのユーモア溢れる少年が神田は割と好きだった。

 

 奇人変人の類である事は間違いないが、付き合ってみれば中々面白い男なのだ、彼は。

 

 まあ、「カンダタ」なんて名前で呼ばれた時はポカンとしてしまったが、それはそれ。

 

 次の試合では、那須隊の対策も大事だが、王子隊の事も忘れてはならない。

 

 王子は、弓場隊(こちら)の手の内を知っている。

 

 確実に、弓場隊を利用する策を考えて来る筈だ。

 

「そうなると、うち等が得意な市街地Bでも選んで来るんすかね? それならそれで、利用出来そうっすが」

「それはどうかな? 王子はあくまで俺達を利用したいんであって、俺達を勝たせたいワケじゃない。むしろ、俺達にとってやり難いMAPを選んで来ると思うよ」

 

 だから、と神田は続ける。

 

「色んなMAPのデータを検証して、王子が選びそうなMAPを出来るだけ絞りたい。悪いけど、時間があるなら手伝って貰ってもいいかな?」

「了解っす。そう言うと思って夜食も用意しましたんで、どぞ」

「お、ありがたい。いつも助かるよ、トノくん」

 

 二人はそう言って笑い合い、共に画面に向き直った。

 

 カタカタと、キーボードを叩く音が響く。

 

 画面が次々スクロールし、気付いた点をメモ書きしていく。

 

 労力の要る単純作業だが、二人の手は止まらない。

 

 ただひたすらに、自らの職務をこなしている。

 

「神田さん」

「なんだい?」

「勝って、終わりましょうね」

「ああ」

 

 それだけを告げ、二人は作業に戻る。

 

 静かな時間が、過ぎていく。

 

 暫くの間、隊室からはひっきりなしにキーボードを叩く音だけが響き渡っていた。





 神田ピックアップ2。折角なので今後も色々ピックアップする予定。

 前回の話のタイトルを変更しました。まあこっちの方がいいかなと。


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七海と玉狛支部③

「ん…………此処は……」

 

 眠りから意識が覚醒し、瞼を開けた七海は知らない天井を見て困惑するが、すぐに昨夜の事を想起する。

 

 昨夜は玉狛支部で作戦会議を続けていたら、もう遅いからとレイジに言われて支部に泊まる事となったのだ。

 

 小南はそのまま小夜子の所に泊まったらしく、小南直々に許可を出した事で那須は小南の部屋を使用。

 

 那須を置いて帰るワケにもいかない為、七海は適当に空いていた部屋で寝る事になったのだ。

 

 ちなみに、茜と熊谷は遅い時間になる前に帰している。

 

 七海関連で玉狛支部と交流のある那須の両親はともかく、熊谷と茜の家はそこまでボーダーとの縁は深くない。

 

 友人である那須の家であればともかく、流石に支部への外泊は許可が下りなかった可能性が高い。

 

 まあ、合宿のようなものと言えば話は別かもしれないが。

 

 ともあれ、目が覚めた以上はいつまでも寝ていても仕方ない。

 

 今頃、食事当番が朝食の準備をしている筈だ。

 

 無痛症で味覚が死んでいる為料理の手伝いは出来ないが、それでも皿運びくらいは出来る。

 

 お世話になったのだし、何か手伝った方がいいだろうと考えて七海は立ち上がる。

 

「お、七海。おきたのか」

 

 すると、部屋の扉が開いてカピパラに乗った幼い子供が現れる。

 

 雷神丸と名付けたその(カピパラ)に乗っているのは、林道陽太郎。

 

 玉狛支部の林道支部長の親類…………と、思われるが面と向かって聞いた事はない。

 

 ともかく、昔からこの玉狛支部で過ごしているお子様なのだ。

 

 年の割に妙にませた所があり、七海としてもどう対応していいか迷う相手だ。

 

 特に、この右腕(黒トリガー)の問題もある。

 

 七海の右腕は、見た目としては肩口から伸びる真っ黒な腕だ。

 

 見た目からして生身の腕でない事は分かる為、幼い子供にあまり見せるようなものではないと七海は考えている。

 

────なあ、なんで七海の腕はまっくろなんだ?────

 

 以前陽太郎と会った時、そう言われた事を七海は覚えている。

 

 その時は曖昧にはぐらかして誤魔化したが、あまり幼い子供にこの腕を見せるべきではないだろうと考え七海はなるべく陽太郎との接触を避けてきた。

 

 玉狛支部に来る時も、敢えて陽太郎が眠っていたりする時間を選んで来ている。

 

 以前に宇佐美には不要な気遣いだと言われたが、かと言って余計な事をして幼い陽太郎に疵を残すのも少々憚られる。

 

 だが、考えてみれば玉狛支部に泊まったのだから陽太郎とエンカウントする可能性が高い事は予測して然るべきであった。

 

「…………陽太郎か。ああ、おはよう」

「ああ、おはようだぞ。げんきだったか?」

「取り合えず、元気がないワケじゃないぞ」

 

 そうかそうか、と陽太郎は七海の返答を聞き満足気に笑った。

 

 どう反応していいか分からずにいると、陽太郎から声をかけてくる。

 

「ようやくあえたな、七海。中々あえなくてさびしかったぞ」

「…………そうか。悪い」

「いや、いいんだ。七海には七海のじじょうがあるだろう」

 

 陽太郎はいやいや、と手を出して気にする事はない、とアピールして来る。

 

 いまいち陽太郎との距離感を掴めずにいると、陽太郎がなあなあ、と七海の肩を揺さぶってくる。

 

「七海のうで、みせてもらってもいいか?」

「俺の腕を……? いや、それは……」

「七海がいやならいいんだ。けど、できればみせてほしいぞ」

 

 突然の申し出に、七海は困惑を極めた。

 

 幼い子供が興味の対象を見せるようねだるなら、分かる。

 

 だが今の陽太郎は、何処か切実な眼で七海に右腕を見せるよう訴えていた。

 

 少なくとも、興味本位の申し出ではない。

 

 恐らく、何か考えがあっての事だろう。

 

 陽太郎は、幼くとも聡い。

 

 彼にしか分からない何かが、あるのかもしれない。

 

「…………ああ、いいぞ」

 

 そう考えて、七海はシーツから右腕を────────黒トリガー(姉の形見)を見せた。

 

 陽太郎はじっと七海の右腕を凝視し、うんうんと頷く。

 

「さわっていいか?」

「あ、ああ」

 

 七海の許可を得て、陽太郎の小さな手が七海の右腕に触れる。

 

 起き抜けの今は日常生活用のトリオン体ではなく生身の為、振れられた感触は伝わって来ない。

 

 だが確かに、温かな手が右腕に触れた感触がした気がした。

 

「あたたかいな。七海のうでは」

「暖かい……?」

 

 不可思議な感想に七海が問い返すと、陽太郎はああ、と肯定する。

 

「まえはつめたかったが、いまはあたたかいぞ。きっと、このこえのひともあんしんできるようになったんだな」

「……っ!?」

 

 ────そんな、予想外の言葉を以て。

 

 陽太郎は、こえのひと…………つまり、()()()と言った。

 

 他ならぬ、七海の右腕を、()()()()()()()()()()を指して。

 

 …………陽太郎には、動物の言葉がわかるサイドエフェクトがある。

 

 そして、大人はともかく子供の(想い)は聞こえる事があるのだという。

 

 つまり陽太郎には、()()()()()()()()()()が聞こえる才能があるという事だ。

 

 陽太郎はその副作用を以て、七海の右腕から声を聞き取った。

 

 つまり、それは……。

 

「陽太郎、お前は……」

「…………レイジから、きいたんだ。くろいトリガーが、どうやってできるのか。それで、わかった。『風刃』からまえにきこえてたこえも、七海のみぎうでからきこえるこえも、たぶんそういうことなんだろうって」

 

 七海は、絶句する他なかった。

 

 陽太郎は、確かに黒トリガーの────────姉の声を、聴いていた。

 

 そして今の言葉からすれば、風刃の、即ち最上さんという人の声も聞こえていた。

 

 ()()()()()()()()()という事は今は聞こえないのかもしれないが、それにしても信じ難い話ではあった。

 

「…………姉さんは、なんて……?」

 

 気付けば、そんな事を尋ねてしまっていた。

 

 可能ならば、姉の声を、意思を知りたい。

 

 それは、あの時からの七海の切なる願いであったのだから。

 

 目の前に答えがあると知り、どうしてもそれを問いたくなってしまっても無理はない。

 

「いや、なにをいっているかまではわからないんだ。けど、まえはひたすらなにかをつぶやいてたけど、いまはわらっているかんじがするぞ。きっと、いいゆめをみてるんだなっ!」

「ゆめ、か……」

 

 期待していなかったと言えば嘘になるが、七海は落胆したりはしなかった。

 

 いや、むしろこの右腕に確かに姉の意思が残っていると知り、元気づけられた。

 

 これまで、幾度試しても起動しなかった黒トリガー。

 

 それはきっと、姉に自分の力を認めて貰えていないからだと思っていた。

 

 もしかすれば姉の期待していたくらいに強くなれたからこそ姉が微笑んでいたのかもしれないが、それは全てではない気がした。

 

 夢を見ている、と陽太郎は言った。

 

 それを真に受けるのであれば、姉は今眠っているような状態なのだろう。

 

 黒トリガーが起動しなかったのは、とうの姉の意識が眠っていたからなのか。

 

 それを聞こうとして、思い留まる。

 

 今、言ったではないか。

 

 何を言っているかまでは、分からないと。

 

 ならば、これ以上問い詰めるのは酷だろう。

 

 姉の意思を欠片でも知れたというだけでも、七海には充分過ぎる収穫だったのだから。

 

「お、わらったな。やっぱり七海はわらっていたほうがいいぞ」

「笑っている……? そうか、俺は今笑っているのか」

 

 無痛症故に表情筋が滅多な事では動かない自分が、今は笑っているらしい。

 

 手鏡なんかは手元にない為確かめる事は出来ないが、陽太郎が言うのだからきっと自分は笑っているのだろう。

 

 事実、悪くない気持ちなのは確かなのだから。

 

「七海、おれはだいじょうぶだぞ。七海のうでをみても、ぜんぜんへいきだ。だから、おれをさけるのはやめてくれ。おれだって、七海といっぱいはなしたいぞ」

「…………ああ、そうだな。今まですまなかった」

「ああ、よきにはからえ。これからは、ちゃんとあそんでほしいぞ」

 

 陽太郎の言葉に、ああ、と七海は頷いた。

 

 すると、陽太郎の顔がぱあっと華やいだ。

 

 きっと、これでも自分が避け続けた事で寂しい思いをさせてしまっていたのだろう。

 

 それは、反省しなければならなかった。

 

 自分は、勝手な思い込みで陽太郎の事を避けていた。

 

 陽太郎は、自分なんかよりずっとものを分かっていたにも関わらず。

 

 これからは、陽太郎にもきちんと向き合うようにしよう。

 

 それが、ドアの隙間からこちらを伺っている宇佐美の思惑通りだったにせよ、それくらいはしてもいいだろう。

 

 一先ず、勝手に覗き見した輩にはお灸を据えた方が良さそうだ。

 

 具体的には彼女の、昔のチームメイト(風間や菊地原)に「宇佐美さんに寝顔覗かれました」とメッセージを送る事で。

 

 案の定、見た目に反して茶目っ気に溢れた風間が菊地原共々宇佐美をからかうメッセージを送ったようで、それを見た宇佐美は慌てふためいていた。

 

 それを見ながら、陽太郎と二人で笑った七海だった。

 

 

 

 

「も~、風間さんに散々からかわれたじゃないっ! きくっちーも嫌味言って来るしさあ、してやられたよもうっ!」

「うさみ、のぞきみはいけないことだぞ」

「うぅ、こっちは純粋な善意で見守ってただけなのにぃ~」

 

 朝食の席で、顔を少々赤くさせた宇佐美がジト目で七海を睨んでいる。

 

 それを陽太郎に窘められ、宇佐美はぶーたれる。

 

 勿論、両者共にじゃれ合いの範疇だ。

 

 七海も陽太郎も怒ってはいないし、宇佐美のそれはややオーバーリアクションなだけである。

 

「────ねぇ、今玲一の寝顔を勝手に見たと聞こえたのだけど、聞き間違い?」

「……あ……」

 

 ────────もっとも、それを冗談では済ませない人物(瞳に修羅を宿した那須玲)が一人いる事を忘却していた時点でアウトだが。

 

 那須は絶対零度の視線で、宇佐美を睨みつけている。

 

 返答次第では、ただじゃおかない。

 

 言外に、そう語っているかのようだった。

 

「い、いやあ、寝顔は見てないって寝顔は。私は朝食が出来たから呼びに行っただけで……」

「本当? 玲一」

 

 冷や汗を流しながら答える宇佐美を見た後、那須が視線を七海に向ける。

 

 宇佐美は死刑執行を待つ囚人のような気分で、固唾を飲んで成り行きを見守った。

 

 此処で余計な事を言えば、即座にぶっちKILL。

 

 宇佐美の直感が、うるさいくらいそう訴えていた。

 

「ああ、寝顔は見られていない。大丈夫だ」

 

 七海の弁護が、その場に響く。

 

 那須はそんな七海の言葉を聞き、暫く七海の眼を覗き込む。

 

 そうしているうちに段々那須の表情が柔らかくなり、一度瞬きをした後は普段の笑顔に戻った。

 

「そう。ならいいわ。ごめんなさいね、ついつい感情的になってしまって」

「い、いや、私も配慮が足りなかったかなー、なんて」

「ふふ、大丈夫よ。寝顔を見ていないのなら、私は気にしないわ」

 

 逆に言えば、寝顔を見ていればアウト判定だったらしい。

 

 那須の中で、それは譲れない一線であるようだ。

 

 寝顔見てたらマジ殺すという幻聴(笑顔の那須の言外の脅し)を察知し、顔を青くする宇佐美であった。

 

 小南にも、迂闊に七海の寝ているトコには入らないように言っておかなきゃ、と硬く誓う宇佐美であった。

 

 先程の那須は、ガチで殺る目をしていた。

 

 あれは、マジだ。

 

 那須という少女は手弱女に見えて、実は地雷原だらけの危険な少女でもある。

 

 彼女が修羅と化す境界線は、七海のプライベートへの侵入の有無だと思われる。

 

 自分だけが知っている七海、というものを那須はかなり大事にしている。

 

 それを他人に侵される事は、相手が誰であろうと許さない。

 

 特に、小夜子以外の女子にそれをやられた場合は開戦のゴングが鳴らされる。

 

 女の嫉妬は、怖い。

 

 それを実感した、今日の宇佐美であった。

 

「玲一、今生身でしょう? 私が食べさせてあげる」

「いや、俺は……」

「もう、遠慮しないの。はい、あーん」

 

 そうこうしているうちに、有無を言わさず那須が七海に食事を食べさせ始めた。

 

 七海とて無痛症の身体との付き合いは慣れたので介助がなくとも食べられるのだが、那須は隙あらば七海に食事を食べさせようと虎視眈々と機会を伺っているのだ。

 

 彼女曰く、「雛に餌をあげる親鳥の気持ちってこんな感じかしら」とのこと。

 

 普段頼りになる玲一が自分に頼り切っている感覚がたまらないらしく、那須は事あるごとにチャンスをもぎ取ろうとして来る。

 

 七海としては人前で食べさせて貰うのは恥ずかしい為遠慮しているのだが、那須にとってこの場所はある程度素を晒しても問題ない場所として認識されたらしい。

 

 蜂蜜をたっぷりかけたような甘いやり取りを見せつけられ、「この子、恐ろしい子……っ!」と宇佐美が戦慄したのは言うまでもない。

 

 ありふれた、とは言えないかもしれないが、それは確かに日常の光景。

 

 七海達が守りたいと願う、景色の一つ。

 

 これはそんな、朝の一幕であった。




 陽太郎のサイドエフェクトについては独自解釈です。

 もしかすると、陽太郎が幻聴を聞いたという可能性もなきにしもあらず。

 そこらへんの解釈は、ご想像にお任せします。


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神田忠臣③

 

「やあ、シンドバット。奇遇だね、ランク戦かい?」

「王子先輩……」

 

 いきなり素っ頓狂なあだ名で本部の廊下を歩く七海を呼び止めたのは、明日ランク戦でぶつかる予定の王子隊の隊長────────王子一彰だった。

 

 耳慣れないあだ名で呼ばれた為、対応が一瞬遅れてしまった。

 

 とはいえ、常日頃から人に奇妙なあだ名を付けて呼んでいる王子にとって、この程度の反応は慣れたものなのだろう。

 

 王子はにこにこと人の好さそうな笑みを浮かべながら、七海にゆっくり近付いて来た。

 

「王子先輩は、どうして此処に?」

「勿論、明日の打ち合わせの為さ。明日は君達を狙い撃ちにする作戦を立てているから、覚悟しておきなよ。前回の雪辱は、きっちり晴らす予定だからさ」

 

 にこりと、人畜無害な笑顔のまま、王子はさらりと宣戦布告を言い切った。

 

 相変わらず、笑顔で容赦のない事を言う性格は変わりないらしい。

 

 王子は人当りも良く爽やかな好青年に見えるが、その実態は違う。

 

 その笑顔の裏には、計算高くそして好戦的な性質が隠れている。

 

 あのROUND4の直後、緊急隊長会議の後に王子と会った時、彼は七海に敵意にも近い感情を向けていた。

 

 否、正確に言えば敵意などではない────あれは、純粋な()()だ。

 

 自身の敗北を受け止め、その上で再戦の時にどう戦うかを冷徹に見極める、狩人の眼。

 

 七海は、王子の向けた視線から彼の本質をそう読み取った。

 

 油断ならない、自らも戦える策士。

 

 それが、王子一彰という少年なのだ。

 

「こちらも、負けるつもりはありません」

「ふふ、言ってくれるね。前回と違って、こちらには有利な条件が揃っている。それとも、何か秘策でもあるのかな?」

 

 じとりと、王子は七海に探るような眼を向けた。

 

 此処での返答次第では、王子は七海達の立てた作戦を看破してしまいかねない。

 

「…………」

 

 故に、七海が取った対応は沈黙。

 

 言葉を発さなければ、与える情報は最低限で済む。

 

 話す意思はないという事を態度で伝えると、王子は気を悪くするでもなくにこりと微笑んだ。

 

「覚えておくと良いよ。沈黙は、何よりも雄弁な()()なんだ。前にも言っただろう? 会話術を覚えた方が良い、って。そのあたりは、まだ勉強中なのかな?」

「…………」

 

 ハッタリと見るかカマかけと見るか、判断に困る所である。

 

 王子の性格であれば本気でそう言っている可能性も、カマをかけて情報を探ろうとしている可能性も、どちらも有り得る。

 

 どう反応すればいいか分からず、七海は沈黙する。

 

 それを見て、王子はくすり、と笑みを溢した。

 

「ごめん、少しからかい過ぎたね。ほんの挨拶代わりのつもりだったけど、気を悪くしたのなら謝るよ」

「いえ……」

「僕はそろそろお暇するよ。お詫びに後で菓子折りを持って行くから、よければ皆で食べて欲しいな」

 

 じゃあね、と王子は手を振ってその場を後にした。

 

 なんとも言えない面持ちでその後姿を見送り、七海は溜め息を吐く。

 

 どうにも、王子は苦手だ。

 

 初対面の相手だろうと渾名で呼ぶ変人ぶりもそうだが、彼の会話には常に裏があるように思えてならない胡散臭さのようなものがある。

 

 付き合いの長い者や彼と波長の合う者であれば愛嬌として映るのかもしれないが、七海にとってはやり難さの方が目立つ。

 

 王子はルックスの良い爽やかなイケメンだが、ボーダーの女性陣からの評価は揃いも揃って『変人』である。

 

 同じイケメンで有名な嵐山や鳥丸と違い、ファンクラブがあるという話も聞かない。

 

 容姿端麗で成績優秀眉目秀麗というモテそうな要素が揃っているにも関わらず、変人具合いがそれを台無しにしているから範囲外、との事だ。

 

 王子隊のオペレーターであり小夜子のゲーム仲間でもある橘高羽矢も、「隊長としては頼りになるけど異性としてはまず見れない」という評価を下しているらしい。

 

 …………ちなみに、その後に続く「出来の良い弟枠として色々仕込むのも面白そう。イケメンだし」という羽矢の台詞は小夜子が意図して伝えていない。

 

 その時の羽矢さんはちょっと怖かった、というのが小夜子の正直な感想であった。

 

 羽矢は容姿端麗な、美女と呼んで差し支えない美貌の持ち主であるが、実は隠れオタクというやつでその内面は色々とあれである。

 

 とは言っても、小夜子や国近と違って趣味をあまりオープンにしていない為にその内面のディープさを知る隊員はそう多くはない。

 

 七海も「羽矢さんはね。腐ってるのもそうでないのも大好物なの。色々と」という言葉を聞いた事があるだけで、その具体的な内容までは聞いていない。

 

 腐っているのが大好物、と聞いて思い浮かぶのがものによっては凄まじいカビ臭さのする一部のチーズだが、小夜子の言葉のニュアンスはどうにも違うような気がした。

 

 これに関しては深く追求したらマズイ気がしたので、そのまま放置している七海であった。

 

 七海玲一、そちら方面の知識は割と疎いのであった。

 

「おう七海ィ、ちィと面ァ貸して貰ってもいいか?」

「弓場さん。はい、特に問題はないですが」

 

 そんな時、七海に声をかけてきたのは長身オールバックの漢、弓場である。

 

 相変わらず腕を組んで仁王立ちするポーズはかなり凄み(ドス)が効いているが、その本質は紳士である事を知っている七海としては特に委縮する理由はない。

 

 王子と違い、七海としては弓場は付き合い易いタイプに当たる。

 

 曲がった事は嫌いで誠実さを重んじるという点で七海としては共感出来る部分が多く、彼の風体(ナリ)から感じる威圧感も特に気にした事はない。

 

 そういった度胸(タマ)の据わった所が気に入られたらしく、弓場とはたまに食事に行く程度には仲が良い。

 

 七海の味覚の件を知らずに食事に連れて行った時は自腹(ハラ)を切って謝罪し、それ以降は七海が味を感じる事が出来る料理を出せる影浦の所でお好み焼きを食べる事が多い。

 

 彼とよく一緒に行動している帯島とも面識があり、何度か個人戦をした事もある。

 

 正直、帯島を連れている時の弓場の保護者オーラは半端ないのだが、これは流石に揶揄したりはしない。

 

 というより一度「父親と娘みたいですね」とこぼした結果、弓場が固まり帯島が目に見えて喜んだので、弓場としても黙認せざるを得なかったという事情がある。

 

 なんだかんだ、弓場は帯島にはかなり甘いのだ。

 

 帯島は自己主張が強いタイプではないが、彼女が街を歩いて甘味などに目を奪われるのを見ると、即決でそれを買い与える程度には甘い。

 

 流石に女子が好む喫茶店等には同行しようとはしないが、帯島がその店に強い興味を惹かれて尚且つ連れて行く口実が出来た場合、弓場は割と簡単に腰を上げる。

 

 溺愛していると断言しても良い、甘やかしっぷりである。

 

 教育方針がスパルタに見えるのは、あくまで表面上の話。

 

 そういう配慮(ケジメ)を欠かさないから帯島も弓場にどんどん懐くし、基本的に女子供に甘い弓場がそんな彼女を無碍に出来る筈もない。

 

 だからこそ、弓場は後輩に慕われるのだから。

 

「そういやおめェー、今王子に絡まれてたよな? あいつの事だからカマかけでもして面白がってたんだろうが、まともに相手すると疲れるだけだからな」

 

 適当にいなすくらいで丁度良いんだあいつは、と弓場は付け加える。

 

 その言葉には何処か、身内に向けるような親愛の情が込められていた。

 

 言うなれば、悪戯好きの弟を持った兄の目線のような、そんな感じだ。

 

 ふと、思い出す。

 

 そういえば、弓場に以前聞いた事があったのだ。

 

 王子と蔵内は、()()()()()の所属であったのだと。

 

 ならば身内という表現は、あながち間違ってはいないのだろう。

 

 この様子だと、今でも関係は良好なようだ。

 

 あの王子と真っ当に付き合える時点で、七海としては尊敬の念を向ける他ない。

 

 弓場はそのままスタスタと七海を先導するように歩き、暫くすると弓場隊の隊室に辿り着く。

 

「ちィと待ってな、七海」

 

 弓場はそう告げるとドアが開いていた隊室の中に向け、声をかけた。

 

「神田ァ、連れて来たぞ」

「ありがとうございます。すみませんね、お手間をおかけして」

「このくらいは手間でもなんでもねぇ。七海の許可を取る前におめェーを連れてくのは、筋が通らねえだろうが」

 

 弓場の言葉にそうですね、と言いながら隊室から出てきたのは、黒髪の少年だった。

 

 七海は、彼の名を知っている。

 

 弓場隊のランク戦のログで何度も見た、弓場隊の銃手。

 

 神田忠臣。

 

 それが、七海と会いたいという相手だったのだ。

 

「こうして話すのは初めてだね。俺は、神田忠臣。知っているかもしれないが、弓場隊の銃手だよ」

「ええ、知っています。俺は七海玲一と言います。よろしくお願いします」

「こちらこそ、だね」

 

 神田は握手をする為に腕を差し出し、七海はその手を取って握手を交わす。

 

 爽やかさであれば王子も負けていないが、こちらはより体育会系に近い爽やかさだ。

 

 生粋のスポーツマンのような、誠実でストイックな雰囲気が漂っている。

 

 バスケ部の先輩だと言われても、おかしくなさそうな風体である。

 

「折角試合で当たるんだから、その前に一言挨拶をと思ってね。君にも勝たなきゃならない理由があるんだろうけど、こちらとしても負けるつもりはないからね。試合には、全力で当たらせて貰うよ」

「はい、こちらこそよろしくお願いします。ですが、負けるつもりはありません」

「ああ、良い試合をしよう」

 

 七海と神田はそう言って硬く握手を交わし合い、手を離す。

 

 そして、神田は真っ直ぐ七海の眼を見据えた。

 

「君の動きは、ログで見せて貰った。素晴らしい機動力と回避技術だ。噂では太刀川さんや出水に師事していると聞いたが、本当かい? 風間隊とも懇意だと聞いているが」

「全て事実です。太刀川さん達には、弟子としてお世話になっています。風間さんには、時々訓練の相手になって貰っていました」

「成る程。通りで強いワケだ」

 

 A級トップクラスの面々と戦っていればそうもなるか、と神田は納得する。

 

 事実として、太刀川や出水、風間といった面々はA級隊員の中でもトップクラスの実力者────────即ち、ボーダーでもトップランクの面々だ。

 

 そういった面子に日頃から稽古を付けて貰っていたのならば、強くならなければ嘘というものだ。

 

 実力と指導力が比例するとは限らないが、高い実力を持つ者との戦いは確実に自らの糧となる。

 

 実力者の技量を直で体験出来る経験は、貴重だ。

 

 相手が一人であればその相手の対策に終始してしまう可能性があるが、幸いにも七海は複数の師を確保する事に成功した。

 

 その戦闘経験があってこそ、今の七海の機動力と回避能力が実現出来たワケだ。

 

 納得の理由に、神田はうんうんと頷いた。

 

 これは手強いな、と。

 

 正直、才能()()に頼る相手であれば怖くもなんともない。

 

 怖いのは、その才能をたゆまぬ努力で伸ばし続けた相手だ。

 

 ボーダーのトップクラスの面々はその類であるし、七海も当然そういうタイプだ。

 

 サイドエフェクトという天性の才能を最大まで活用する形で、自身の戦闘スタイルを確立している。

 

 無論、ずるいとは思わない。

 

 サイドエフェクトを持つ事が良い事ばかりでない事は、それを持たない神田にも分かる。

 

 ボーダーが出来てサイドエフェクトという呼称が判明するまでは、サイドエフェクトを持つ者は他者と違う自分の性質に相当苦労した筈だ。

 

 サイドエフェクトは、()()()という意味なのだ。

 

 副作用は、普通はマイナスの意味で使われる。

 

 本人の意図と関係なく()()した、病。

 

 それが、サイドエフェクトなのだ。

 

 その副作用と付き合い、力を持つが故の苦しみを乗り越えたからこそ、七海はこうして強くなれているのだ。

 

 それは紛れもなく七海の努力の成果であるし、他人が推し量って良いものではない。

 

 故に神田は、純粋な称賛の念を七海に向けた。

 

 全力で叩き潰すに足る、好敵手として。

 

「俺は、今期のランク戦を最後にボーダーを辞める。受験に集中する為に、俺は弓場隊を抜ける事を決めたんだ」

 

 勿論、弓場さん達には伝えてある、と神田は告げる。

 

 突然のカミングアウトに、七海はどう反応して良いか困惑する。

 

 だが神田は、そのまま話を続けた。

 

「勿論、最後だから手加減して勝たせて欲しいなんて言わない────逆だ。君達には、全力で俺達と戦って欲しい。最後だからこそ、悔いのない戦いをしたいんだ」

「神田さん……」

「遠慮も容赦も要らない。君達なりの全力を、俺に見せて欲しい。その上で、君達に勝つ。俺なりの全力で、君達を迎え撃つよ」

 

 神田は背筋を伸ばし、ハッキリとそう口にした。

 

 最後だから勝たせてくれ、などという馬鹿な事は口にしない。

 

 神田は最後だからこそ、強敵との戦いを全力で楽しもうとしている。

 

 悔いのない、一戦とする為に。

 

 その決意に、その覚悟に、七海は応えたいと思った。

 

 故に、告げる。

 

 彼なりの、宣戦布告の返答を。

 

「────了解しました。俺達那須隊は全霊を以て、弓場隊を叩き潰します。加減なく容赦なく、貴方達を倒します」

 

 きっぱりと、そう言い切った。

 

 その声に、言葉に、神田だけでなく傍で聞いていた弓場の唇が吊り上がる。

 

 最大限の敬意を込めた七海の返礼に、弓場は自身の心がどうしようもなく熱くなるのを感じ取った。

 

「良い啖呵だ七海ィ。試合が楽しみになってきやがった」

「ええ、俺もです。これで熱くならないのは、どうかしてる」

 

 弓場も神田も、自分の心が燃え盛るのを感じていた。

 

 礼を尽くした強敵との戦いを前に、心が沸き立っている。

 

 有り体に言って、悪くない────────いや、最高の気分だった。

 

「では、俺はこれで失礼します。俺も、明日を楽しみにしています」

「ああ、お互い全力を尽くそう」

 

 七海と神田は再び握手を交わし、七海は一礼して弓場隊の隊室を後にした。

 

 二人はそれを見送りながら、硬く拳を握り締めた。

 

 必ず勝つ。

 

 その意思を、同じくして。





 神田回その3。次回からROUND7の章に移ります。こうご期待。

 ワートリ最新話。弓場さんの私服スタイルかっこよすぎかあれ


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B級ランク戦/ROUND7
第七戦、開始


「皆さんこんばんは。B級ランク戦ROUND7、実況の結束です。よろしくお願いします」

 

 10月30日、ROUND7当日。

 

 ランク戦の会場は、今日も観客でごった返していた。

 

 そんな中、実況席でマイクを握るのは小柄な金髪の少女、結束夏凛(ゆいつかかりん)

 

 A級部隊『片桐隊』のオペレーターであり、今回の実況担当は彼女となる。

 

「そして解説は嵐山隊隊長の嵐山さんと、ROUND6で那須隊と激戦を繰り広げた生駒隊長にお越し頂いています」

「「どうぞよろしく」」

 

 結束の紹介により、解説席に座った嵐山と生駒が揃って挨拶を行った。

 

 嵐山は広報部隊でもある『嵐山隊』の隊長であり、熱血ヒーローものの主人公のような性格をしている。

 

 ルックスも抜群で言動も行動も爽やかさが極まっており、キング・オブ・爽やかは彼であると言っても過言ではないだろう。

 

 当然そんな彼がモテない筈もなく、同じくイケメンで有名な鳥丸と同様にボーダー内にファンクラブじみたものまで出来てしまっている。

 

 今日の試合の観客席にいる女性陣は、嵐山目当ての者も少なくないだろう。

 

 観客席に目を向ければ熱の籠った視線で嵐山を見詰めるC級の女性隊員の姿がちらほら見られており、ミーハーな者が多そうだ。

 

「結束さんもイコさんも、今日はよろしく頼む」

「はい」

「おう、今日はしっかりやったるで」

「ああ、頼むぞ生駒」

 

 にっこりと爽やかな笑顔で二人に挨拶する嵐山に、夏凛は丁寧に会釈を返し、珍しくノーゴーグルな生駒はふんす、と気合いを入れて返答した。

 

 実はこの生駒、以前水上と共に解説に呼ばれた事があったのだが、その時に解説そっちのけで雑談に興じるという真似をしでかした為暫くの間解説出禁状態となっていた。

 

 だが今回、実況解説のオファーを一手に担う桜子が嵐山に誰と解説をしたいか尋ねた所、生駒の名前が挙がったのだ。

 

 以前の失態がある為最初は渋った桜子だったが、嵐山が生駒の事について一切の責任を持つと言うので彼を信頼して任せたという経緯がある。

 

 生駒に解説役をオファーしに行った時にも散々桜子から以前のような真似をしないよう釘を刺されており、チームメイト────────主にオペレーターの真織からも言い含められた事で、生駒は失敗しないように気合いを入れてこの場にやって来ている。

 

 ただし、以前生駒がやらかしたのは解説がヒートアップした末に雑談に盛大に逸れた結果であった為、この気合いの入れようが吉と出るか凶と出るかは分からない。

 

 全ては、嵐山が何処まで生駒を操縦出来るかにかかっているだろう。

 

「さて、まずは前回のROUND6の結果により暫定順位はこのように推移しております」

 

 結束がそう告げると、画面が切り替わりランク戦の順位一覧が表示される。

 

 1位:【二宮隊】35Pt→41Pt

 2位:【那須隊】33Pt→39Pt

 3位:【影浦隊】33Pt→38Pt

 4位:【生駒隊】28Pt→32Pt

 5位:【弓場隊】25Pt→27Pt 

 6位:【王子隊】21Pt→25Pt

 7位:【東隊】 24Pt→25Pt

 

「前回の試合結果により、なんと那須隊が一点差ではありますがこれまで崩れなかったTOP2の壁に食い込んでいます。影浦隊は、これで初めて二位から陥落した事になりますね」

「ええ、那須隊の成長の成果でしょう。今季の彼女達は、これまでとは一味も二味も違いますからね」

 

 結束の言葉に、嵐山がそう言って那須隊を素直に称賛する。

 

 これまで、B級ランク戦は二宮隊と影浦隊がA級から降格されて以降はこの2チームがTOP2を独占していた。

 

 2チーム共実力ではなくペナルティとして降格されている為、A級チームの力量を保ったままB級に殴り込んで来た形となる。

 

 他のチームからしてみれば、たまったものではない。

 

 実質A級のこの2チーム相手に勝つ事が出来なければ、A級昇格への道は永遠に開けないのだから。

 

 だが今回、那須隊がその牙城に食い込んだ。

 

 二宮隊と影浦隊を直接下したワケではないにせよ、ポイントで僅かに影浦隊を上回った。

 

 1点でも逃していれば、この結果は有り得なかっただろう。

 

 此処に来て、ROUND5で隊の全滅と引き換えにしてでも東を倒した成果が響いているのだ。

 

「そうやな。前回は俺らもやられてもうたし、ホンマ今の那須隊は強いで」

「前回は激戦だったとお聞きしています。では生駒隊長から見て、今回の那須隊の勝機はどの程度だとお考えでしょう?」

「勝機自体は、充分あると思うで」

 

 生駒は結束の問いに即答で答え、その反応に結束は目を丸くした。

 

「七海と那須さんはどっちも動きが速い上に弾をバンバン撃って来るんで、MAP次第じゃ一方的に押し込まれるんや。まず、二人に攻撃を当てられるかどうかで大分変わって来るやろ」

 

 そう言って、生駒は冷静に解説を行った。

 

 予想外に真面目な返答に面食らった結束だったが、元々生駒は判断力自体は高いしクレバーな部分も持っている。

 

 その気になれば、戦術の分析などもしっかり行えるのだ。

 

 普段はそのあたりを全て水上に任せているだけで、やろうと思えばやれるワケである。

 

「成る程、実際ROUND4で王子隊は二人の機動力に翻弄され続けていましたからね。王子隊では、今の那須隊の相手は厳しいという事ですか」

「いや、そういうワケやない。まともに戦えば確かにあれやけど、あの王子がまともに正面から戦うワケないやん」

「あー……」

 

 結束は、生駒の言葉に得心せざるを得なかった。

 

 王子は爽やかな顔をして割とえぐい事を考える、表も裏も清廉潔白な嵐山とは正反対の人物だ。

 

 嵐山も必要とあればクレバーになるが、王子とは戦術のベクトルが違う。

 

 無論隊の構成と地力の差もあるのだが、王子は良い意味で手段を選ばないのだ。

 

「那須隊とは一度当たっとるし、弓場隊は王子の古巣やからな。どっちも、まともに当たったら厳しいいうんは王子が一番わかっとる筈や。だから、なんか用意してはると思うで」

「そうですね。今回、MAP選択権は王子隊にあります。彼らがどのMAPを選んで来るかで、大分試合は違ったものになるでしょうね」

 

 

 

 

「今回のMAPは、予定通りあれで行こう。初動も、昨日言った通り何処に転送されてもバッグワームを使って隠れてくれ。今回は、他の部隊とまともに当たらない事が第一だからね」

 

 王子隊の隊室で、隊長の王子は教鞭を持ちながらチームメイト相手にミーティングを行っていた。

 

 王子の丁寧な語りもあり、雰囲気はまるで講義室のようである。

 

「王子先輩、では以前お話した通りバッグワームで隠れながら熊谷さんと日浦さんを探す、という方針でよろしいですねっ!?」

「ああ、その二人をまず探し出す事が肝要だ。那須さんや七海くんに出会った場合は、必ず逃げに徹してくれ。まず、他の二人を片付けないとあの二人の相手は無謀だからね」

 

 樫尾の質問に、王子は笑顔でそう答えた。

 

 そしてオペレーターの羽矢にアイコンタクトで指示すると、画面に無数のアイコンが現れる。

 

「まず、真っ先に落とすべきなのはヒューラーだ。以前の試合でも言ったが、彼女がいる限り不意打ちで落とされる危険がどうしても拭えなくなる。彼女を見つけたら、最優先で落とすべきだろう」

 

 王子はハンチング帽のアイコンを指さし、そう告げた。

 

「隠岐くんと被るけど、やっぱり日浦さんならこれだと思って」

 

 羽矢の、余計な一言も加えて。

 

 王子隊オペレーターの橘高羽矢は、隠れオタクである。

 

 そして、デザリング能力も高い。

 

 こういったデフォルメ絵の作成は、彼女の得意分野である。

 

 ちなみに、このアイコンのデザインは全て王子の注文通りに構築されている。

 

 王子隊では、ミーティングの時はこのアイコンを用いて説明を行う事が多い。

 

 中には素っ頓狂なデザインもあり、生駒などは完全にロボだし、水上はブロッコリーの絵だ。

 

 とうの王子本人に至っては少女漫画に出てきそうなキラキラした王子のデフォルメ絵という良く分からないものであり、王子のセンスの奇抜さが垣間見える。

 

 王子隊の面々はそんな王子の奇行には既に慣れ切ってしまい、余計な突っ込みは一切入らないのだが。

 

「けど、ヒューラーが落とされると不味いのは那須隊も分かっているだろう。だからきっと、ヒューラーを狙えば他の隊員がフォローに来る筈だ」

「だが、それで那須や七海が来てしまえば2対1でかなり不利になるんじゃないか? 日浦には、テレポーターがある。一度補足しても、地形次第じゃ逃げられかねない」

「それを避ける為の、このMAPさ。この地形なら、テレポーターの脅威は半減する。それに、彼女が動き難いように天候設定も弄るつもりだしね」

 

 だけど、と王子は付け加える。

 

「勿論、シンドバットやナースがヒューラーと合流したら危険である事に変わりはない。あの二人は、絶対に単騎で当たっちゃいけない駒だからね」

 

 王子はそう言うと、ターバンを巻いた蠍のアイコンとナースキャップのアイコンと指さした。

 

 ターバン蠍のアイコンが七海で、ナースキャップのアイコンが那須なのだろう。

 

 相変わらず、突っ込みどころ満載の絵面である。

 

「だからこそ、ベアトリスは先に落としておかなきゃいけない。彼女がヒューラーの護衛に入れば、ナースやシンドバットが合流するまでの時間を稼がれてしまうからね」

 

 王子はそう言って、何処かで見た事のある黄色い熊のアイコンを指さした。

 

 某所から訴えられそうな絵面ではあるが、作成者の羽矢は「我ながら可愛く仕上がったわ」とご満悦なので突っ込む者は誰もいない。

 

 まあ所詮はこの仲間内で共有するイメージ画像なので、変な真似さえしなければ大丈夫であろうが。

 

「そして、シンドバットとナースは上手い事弓場隊と食い合って貰おう。エース同士でぶつかっているうちに、僕等は他で点を取れば良い」

 

 王子はそう告げると、好戦的な笑みを浮かべた。

 

「無理にエースを倒す必要はない。僕らは獲れる点を確実に取って、しっかりポイントを稼ごうじゃないか」

 

 

 

 

「王子はきっと、那須さんや七海くんを俺達にぶつけてその隙に点を取る気でしょうね」

 

 弓場隊隊室で、神田が弓場の隣に立って説明をし始めた。

 

 隊長は弓場だが、指揮は専ら神田の仕事である為ミーティングの時はこうして弓場と神田が並んで戦術の周知を行っているのだ。

 

 弓場は黙って立っているだけだが、それでもその威圧(メンチ)の強さは隠せていない。

 

 彼もまた、充分に気合入ってる証拠であった。

 

「王子の奴、そんな舐め腐った真似するつもりなのかよ? 相変わらず、性根が真っ黒ぇ奴だぜったく」

 

 そう言って茶々を入れるのは、弓場隊オペレーター藤丸のの。

 

 色んな意味でデカい彼女は、そのデカい身長(タッパ)に見合うドデカい胸を張り、腰に手を当てる。

 

 青少年に刺激が強い絵面だが、弓場は微動だにせず神田も爽やかな笑みを浮かべ続け、外岡も平然としている。

 

 既にこの程度の事は慣れたものなので、反応も乏しい。

 

 …………まあ、藤丸は男女の性差の意識が薄いのか、遠慮なくボディタッチをしてくる上場合によってはそのドデカい胸をぐいぐい押し付けて来るので、弓場隊の男性陣は余計な接触がないよう割と気を張っている。

 

 弓場が座っていた時に上から藤丸が彼に寄りかかり、その胸をでん、と弓場の頭に乗せた時は流石に空気が凍ったのだが、彼女は別段その後も変わりなかった。

 

 色んな意味で豪胆な彼女らしい、ちょっと困ったエピソードの一つである。

 

「ま、王子は良い意味で現実的だからね。決して無理な手は打たず、堅実な策を使いこなせるのが彼の長所だ。ああいうクレバーさは、嫌いじゃないよ」

「でも、そうなるとどうするんですか? 王子隊の策に乗ったら、危険なんじゃ……」

「いや、今回は敢えて王子の策に乗る。その方が都合が良いからね」

 

 帯島の問いに、神田はきっぱりとそう答える。

 

 面食らった帯島は、慌てて神田に問いかけた。

 

「で、でも、それって王子隊の思う壺じゃ」

「勿論、されるがままってワケじゃない。ただ、王子隊が狙っている相手が予想通りだとすればこっちとしてもメリットがあるからね。利害が一致する間は、疑似的な共闘も吝かじゃあない」

「王子隊が、狙っている相手、ですか」

 

 ああ、と神田は続ける。

 

「王子隊が狙っているのは、十中八九熊谷さんと日浦さんだ。彼等はきっと、あの二人を最優先で落とそうとして来るだろう」

「どうしてですか?」

「あの二人が残ったままだと、那須隊全体の脅威度が跳ね上がるからだよ」

 

 神田は弓場隊の面々を見渡し、告げる。

 

「今の那須隊はエースの那須さんと七海くんが目立っているけど、その二人を支えているのは熊谷さんと日浦さんだ」

 

 まず、と神田は続けた。

 

「熊谷さんはハウンドでの中距離支援や近距離での防衛戦が出来るから要所要所で重宝するし、日浦さんは実質那須隊で一番のポイントゲッターと言って良い。あの二人がいるだけで、エース二人を相手にするのが格段に難しくなるワケだ」

「だから、王子隊に二人を落として貰った方が都合が良いって事っすね」

「ああ、そういう事だ」

 

 外岡の言葉を、神田はそう言って肯定する。

 

 確かに彼の言う通り、エース二人の活躍の影にはいつも熊谷と茜、二人の影がある。

 

 彼女達がいるからこそ、那須隊は此処まで上位に上がって来れたと言って良い。

 

 強いエースがいるだけで戦える程、B級上位という壁は薄くはないのだから。

 

「そして、王子達が二人を落としたら今度は俺達が王子を落としに行けば良い。王子隊と共闘して七海くんや那須さんを落とす手もあるけど、そうなるとどうしても漁夫の利を狙われる可能性が高くなる」

「確かに、それはちょっと避けたい所ですね」

 

 ああ、と神田は外岡の意見を肯定する。

 

 王子隊は、全員がハウンドを装備している。

 

 故に、閉所に追い込みさえすればその火力で七海を押し込める可能性がある。

 

 弓場隊がその状況に乗っかれば、七海を落とせる可能性は高まるだろう。

 

 だが、それを王子が黙って見ている筈もない。

 

 弓場隊に七海と那須の相手を押し付けて、背後から弓場隊を襲う可能性がある。

 

 それは、神田としては避けたいリスクだった。

 

「多分王子は、少なくとも七海くんは落とせなくても良いと考えている筈だ。前回は、無理に七海くんを落とそうとして全滅したからね。同じ轍を踏む事を、彼は避ける筈だ」

 

 つまり、と神田は告げる。

 

「今回の王子隊は、獲れる点を取った後は逃げ切って自発的な緊急脱出を狙う公算が高い。だからその前に、なんとしてでも王子達を仕留めておく必要がある」

「同感だな。王子ならそうする筈だ」

 

 弓場も神田の意見に同意を示し、隊としての方針が固まった。

 

 神田は隊の面々を見据え、強く拳を握り締めた。

 

「どちらも油断ならない相手だけど、俺達がやる事は一つだ。全力で、叩き潰す。それが、全霊を尽くして勝ちに来る彼等への最上の返礼だろう」

 

 だから、と神田は告げる。

 

「勝ちに行こう。俺達なら、きっと出来る筈だ」

 

 

 

 

「さあ、そろそろ時間です。全部隊、転送準備に入ります」

 

 ランク戦の会場で、結束が試合開始までの秒読みを告げる。

 

 対戦カードに皆の注目が集まる中、結束が機器の操作を完了する。

 

「全部隊、転送開始」

 

 そして、エンターキーが押し込まれる。

 

 B級ランク戦ROUND7、始まりの時だった。




 色々悩んだ結果嵐山とイコさんを解説に起用。

 イコさん、なんだかんだクレバーだから解説自体は出来る筈。

 嵐山のフォローに期待。


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弓場隊①

『全部隊、転送完了』

 

 オペレーターのアナウンスが響き渡ると同時、七海は周囲に広がる光景を視界に収めた。

 

 見渡す限りの、岩山の群れ。

 

 いつか写真で見たグランドキャニオンのような、広々とした荒涼地帯。

 

 それが、今彼が佇んでいる戦場だった。

 

『MAP、『渓谷地帯A』。天候、『砂嵐』』

 

 その戦場に、砂粒の嵐が吹き始める。

 

 砂嵐は瞬く間に荒野を覆い尽くし、一寸先も碌に見えない天然のカーテンと化す。

 

 それは言うなれば、砂の結界。

 

 砂嵐に包まれた、広大な渓谷。

 

 それが、ROUND7の戦いの舞台だった。

 

 

 

 

「ROUND7、試合が開始されました。渓谷地帯Aという珍しいMAPが選ばれたのも驚きですが、砂嵐という天候は初めて見ましたね」

「渓谷地帯Aは結構特殊なMAPだから選ばれ難いですし、砂嵐は幾つかのMAP限定で実装可能な天候ですからね。知らない人も多いでしょう」

 

 実況席で結束と嵐山が、王子隊の選択した今回のMAPについて言及する。

 

 通常、ランク戦では市街地MAPが選ばれ易い。

 

 防衛任務では街中で戦う為、市街地MAPが一番戦い易いというチームが多い事と、特殊なMAPだとどうしても戦術を尖らせる必要がある為だ。

 

 特殊なMAPで地形戦を仕掛けるのは、メリットも大きいがリスクもまた大きい。

 

 場合によっては地形そのものが自分達に牙を剥く、諸刃の剣なのだから。

 

「渓谷地帯Aは岩山が点在する荒野のMAPで、隠れる場所があまりない事が特徴です。岩山が無数にあるので高所自体は取り易いですが、建造物が存在しない為に狙撃手が隠れるには不利なMAPです」

「射線通りまくりやけど、狙撃手が隠れるトコもないからなあ。隠岐も、出来れば遠慮したい言うとったMAPやな」

 

 嵐山と生駒の言う通り、このMAPは荒野に岩山が点在するMAPであり、狙撃手が身を隠せる建造物は存在しない。

 

 その為、狙撃手はこのMAPでは狙撃した場合そのまま見つかって落とされる覚悟をしなければならないのだ。

 

 市街地MAPであれば建物の中に身を潜めて逃げられる可能性があるが、このMAPでは別の場所に移動する為には隠れる場所のない平地を抜けなければならない。

 

 そもそもさっさと狙撃位置を確保しなければ、狙撃場所を確保する前に補足されて落とされる事もある。

 

 そういう意味で、狙撃手にとっては出来れば敬遠したいMAPなのだ。

 

「しかも今回、天候は砂嵐に設定されています。視界を遮る天候というと暴風雨がありますが、あちらよりも更に視界が制限される天候です。狙撃手はこの天候では、殆ど機能しないと言っても過言ではないでしょう」

「徹底した狙撃手封じが狙い、という事ですか」

「ま、那須隊にも弓場隊にも狙撃手がおるかんな。そこを抑えるのは当然っちゃ当然やろ」

 

 生駒の言う通り、今回の試合で狙撃手が在籍しているのは那須隊と弓場隊の2チーム。

 

 茜はライトニングを使った精密射撃を得意とするポイントゲッターだし、外岡は隠密能力に優れた慎重派狙撃手。

 

 二人を封じるという意味で、このMAPと天候は大きな役割を持っている。

 

 いっそあからさまな程、二人の狙撃手を対策して来たと言っても過言ではないだろう。

 

「それにこのMAP、七海や那須さんもやり難いんとちゃうか? 立体起動する為の足場があんまないから、機動力を活かし難いで」

「グラスホッパーを足場にする事は出来ますが、どうしてもその場合片腕が塞がってしまいますからね。那須隊長と七海隊員の動きは、実質制限されたと言って良いでしょう」

 

 更に、このMAPは那須と七海への対策でもある。

 

 このMAPは、岩山が()()しているのだ。

 

 つまり、市街地MAPのように密集してはいない。

 

 そうなると、建物の壁面を足場とする三次元機動を十八番とする那須と七海にとっては足場が確保出来ず、機動力がダウンする事は避けられない。

 

 岩山が密集している場所もあるにはあるが、MAP選択権を持つ以上王子隊はそういった場所は大体把握している筈だ。

 

 わざわざ、自分達が不利になる場所に近付いたりはしないだろう。

 

「おまけにこの砂嵐や。バッグワームを使うたら、殆ど遭遇戦になるで。いきなり相手が目の前におった、いう事も普通にありそうや」

「天候で視界を塞ぐ策はROUND1で那須隊も行っていましたが、あの時の濃霧よりも更に視界条件が悪いですからね。遭遇戦になるのは避けられないと思います」

「この条件やと、皆バッグワーム使うやろからな」

 

 生駒の言う通り、この視界を極限まで制限された状況下ではレーダーの位置情報は何よりの武器となる。

 

 この砂嵐の中では、自分の位置を隠す事は何より重要だ。

 

 位置がバレてしまえば、砂嵐を隠れ蓑にして一方的な奇襲を行う事が出来てしまうのだから。

 

「そうですね。実際、全部隊がバッグワームを用いて…………あれ? 一人だけ、バッグワームを使ってませんね」

「なんやと?」

 

 予想外の言葉に、生駒が首を捻る。

 

 そして、そのバッグワームを使わずに姿を晒している人物の名前を見て、「あ」と間抜けな声をあげた。

 

「弓場ちゃん、何やってるん?」

 

 

 

 

「…………」

 

 弓場拓磨は、バッグワームを使わずに荒野のど真ん中で仁王立ちしていた。

 

 堂々としたその立ち姿(タッパ)から放たれるオーラは、暗にこう告げている。

 

 来るなら来い、と。

 

 隙だらけに見えるがその実弓場は周囲に警戒を張り巡らせており、いつ何が来ても対応出来るよう準備している。

 

 その意図は、言うまでもない。

 

 一騎打ちの、誘いである。

 

 漢、弓場拓磨。

 

 初っ端から、気合入りまくりの様子であった。

 

 

 

 

「こ、これは……っ!? 弓場隊長、バッグワームも使わずに仁王立ち……っ!? 一体、なんのつもりだぁ……っ!?」

「誘っていますね、これは」

 

 弓場のあまりにも堂々とした立ち姿を見た結束は、本心から驚きの声をあげる。

 

 そんな彼女の戸惑いに答えたのは、嵐山だった。

 

「そんなん見れば分かるで。けどなんで、弓場ちゃんはあんな事してんか?」

「王子隊に、余計な時間を与えない為でしょうね」

「王子達にか?」

 

 ああ、と嵐山は頷いた。

 

「王子隊は恐らく、このMAPと天候で全員がバッグワームで隠れて場が硬直すると想定していた筈です。そうなれば、MAP選択権を持つ隊の特権としてMAPの構図を予め調べ尽くしている彼等は悠々と標的を探す事が出来る。それが、王子隊の狙いだったのでしょう」

 

 ですが、と嵐山は続けた。

 

「それを見抜いた弓場隊は、試合を強引に動かす為に弓場隊長を囮としたワケです。本人の気性もあるでしょうが、王子隊が余計な事をする前に争いを激化させる狙いと見て間違いないでしょう」

「成る程、弓場ちゃんらしいわ」

 

 生駒は嵐山の説明に得心し、頷いた。

 

 確かにこのMAPと天候条件であれば、普通はバッグワームを着て隠れる事を選ぶ。

 

 そうなると、試合展開は一旦硬直せざるを得ない。

 

 王子隊は、MAP選択をした時点でこのMAPで狙撃手が隠れ易い場所などは検討を付けている筈だ。

 

 試合が硬直した隙を狙い、そういった場所を探っていくのが王子隊の目的。

 

 それに対する弓場隊の答え(アンサー)が、これ。

 

 弓場を囮にしての、強制的な開戦である。

 

 一度戦いが始まれば、王子隊はそれに巻き込まれないように動きを制限せざるを得なくなる。

 

 それが、弓場隊の狙いなのだろう。

 

「そして弓場がこういう手を取った以上、この状況下では那須隊としては乗らざるを得ない。そろそろ、始まる筈です」

 

 嵐山はそう言って笑みを浮かべ、告げる。

 

「来ますよ、彼が」

 

 

 

 

『弓場さん、まだ相手の姿は見えないですか?』

「ああ、今の所は来てねェなぁ」

 

 弓場は神田と通信を繋ぎながら、周囲を油断なく見据えている。

 

 彼がこの場にいるのは、無論弓場の独断ではなくチームとしての作戦方針だ。

 

 元々、弓場が好きに暴れている間に神田が他の隊員を指揮して盤面を捌くのが弓場隊の基本戦法。

 

 弓場を単独で送り出すのは、普段と何も変わってはいない。

 

 ただ今回は、王子隊の狙いを鑑みて敢えて堂々と姿を晒しているだけである。

 

『でも、来るんですかね? こんなの、あからさまな罠に見えますけど……』

「帯島ァ、心配はいらねぇよ。来るさ、七海は。来ねェ筈がねぇ」

 

 帯島の懸念を他所に弓場は不敵な笑みを浮かべ、真っ直ぐ視界の先を見据える。

 

 そして、口元を歪ませ腰のホルダーに収められた二丁拳銃に手をかけた。

 

「ほら、来たぜ」

「────」

 

 ────不意に、砂嵐の向こうで影が揺らめいた。

 

 瞬間、目にも止まらぬ早撃ちが炸裂する。

 

 その凄まじい速度の弾丸を、揺らめく影は紙一重で回避する。

 

 距離が充分あったが故に、間に合った回避。

 

 その回避機動を行った者が、近くの岩山の上に着地する。

 

 静かな着地音と共に降り立ったのは、右腕にスコーピオンを携えた暗殺者。

 

 那須隊攻撃手、七海玲一であった。

 

 

 

 

「此処で弓場隊長と七海隊員がエンカウント……ッ! 早くも激戦の始まりか……っ!」

「やっぱり来たね、七海くんは」

 

 二人の対峙する姿が映し出され、会場は大盛り上がりを見せる。

 

 最初は砂嵐だらけの画面で不満を漏らしていた観客も、早くも始まろうとしているタイマンに興奮が隠せない様子である。

 

 砂嵐の中で対峙する二人の姿はまるで西部劇のワンシーンのようで、片方が短剣、片方が拳銃という武器を使う事も相俟って異様に絵になる光景であった。

 

 こんなものを見せられて、興奮しない方がどうかしている。

 

「矢張り、とは?」

「この場で来るなら、十中八九七海くんだと思っていた、という事です。七海くんは機動力が高く、グラスホッパーを装備している。いざとなればいつでも戦場から離脱出来るから、リスクヘッジの面を考えてもこの場で弓場に挑むなら彼しかいないだろうと思っていました」

「成る程。確かに合理的ですね」

 

 嵐山の言う通り、七海には類稀なる機動力がある。

 

 いざとなればグラスホッパーを使った全力逃走が可能である為、この場に放り込む斥候としては彼が一番適任だ。

 

 時間が経てば経つ程王子隊に有利になるのだから、那須隊としても弓場隊の誘いに乗らざるを得なかったという事でもあるのだが。

 

「さて、早くも一騎打ちの様相となった今回の試合。序盤から波乱の展開で目が離せません。さあ、エース同士のタイマンはどちらに軍配が上がるのでしょうか」

 

 

 

 

「────メテオラ」

 

 七海は岩山の上から、メテオラを射出。

 

 無数に分割されたトリオンキューブが、弓場の下へと降り注ぐ。

 

「うらァ……ッ!」

 

 そのトリオンキューブを、弓場は銃撃の連射で迎撃。

 

 銃撃が着弾したトリオンキューブは、その場で起爆。

 

 七海のトリオン量で生成されたメテオラのトリオンキューブは、他の隊員のメテオラよりもかなり大きい。

 

 それ故に銃撃での迎撃が可能となり、弓場は当然の如くそれを撃ち抜いた。

 

 他のキューブを巻き込んで誘爆し、砂嵐を一時的に吹き飛ばす程の爆発が周囲を席巻する。

 

「────」

 

 その爆発に乗じて、七海はグラスホッパーを起動。

 

 弓場の背後に回り、スコーピオンを投擲する。

 

「……!!」

「……っ!」

 

 だが、弓場はその投擲にも対応。

 

 地面を蹴って跳躍し、ジャンプしながら早撃ち二連。

 

 避けきれなかった二撃目が、七海のシールドを抉る。

 

 七海はシールドが壊される一瞬前に、その場でグラスホッパーを起動。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み、その場から大きく後退する。

 

「────メテオラ」

 

 そして、今度はより細かく分割したメテオラを使用。

 

 42個に分割したトリオンキューブを、順次射出する。

 

 弓場の拳銃の弾丸の装填数は、一度につき6発ずつ。

 

 つまり両手合わせ、12発。

 

 それが、弓場の即時連射可能な弾数である。

 

 それ以上の数の弾丸となれば、先程のように撃ち落とす事は出来ない。

 

 一斉射出ではなく順次射出としたのは、誘爆による迎撃を防ぐ為。

 

 第一波が防がれても、第二波第三派が弓場に襲い掛かる。

 

 そう考えての、順次射出。

 

「────甘ェよ」

 

 だが、それは悪手だった。

 

 42個の弾丸を、14個ずつ三回に分けての掃射。

 

 弓場の両攻撃(フルアタック)でも落とせない、ギリギリの弾数を追い求めたその攻撃は、弓場の早撃ちで迎撃された。

 

 最初弓場が撃ち落としたのは、第一波の14弾のうち6弾。

 

 敢えて片腕だけの射撃で、それを撃ち抜き起爆。

 

 そして僅かな時間を置き、残り六発でメテオラ6弾を時間差起爆。

 

 その爆発に巻き込まれる形で、第二波は誘爆。

 

 弓場の下に届く事なく、その場で起爆した。

 

 そこまでやれば、それで充分。

 

 弓場はその場から退避し、第三派の爆撃を回避する。

 

 彼はまだ、傷一つ負ってはいない。

 

 七海は、敢えて時間差でメテオラを射出し波状攻撃を狙った。

 

 だがそれ故に、弓場が一度に捌かなければいけない弾数を減らしてしまった。

 

 時間差で弾丸を撃ち落とす事で第二波のメテオラの起爆を狙うなど、流石に予想外ではあったのだが。

 

「やりますね、弓場さん」

「おう、おめェーもな」

 

 両者は再び距離を取り、戦いを仕切り直す。

 

 ROUND7最初の戦いは、まだ始まったばかりである。




 七海はトリオン10なので、メテオラのキューブも結構大きいです。

 だから撃ち落とす事が可能なんで、トリオンが大きいのも良し悪しですね。

 まあ、単に銃撃で爆撃を落とす、っていう絵面が格好良かった、ってのもありますが。

 最新刊の犬飼見てやりたいと思いました。


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弓場隊②

『王子先輩、弓場さんと七海さんが戦闘開始しました。今のところどちらも撤退する様子はありません』

「OKカシオ、予定通りだ」

 

 王子は樫尾からの通信を受け、笑みを浮かべる。

 

 一寸先も碌に見えない砂嵐の只中で、王子一彰は不敵な笑みを浮かべていた。

 

『でも、本当に王子先輩が言った通りになりましたね。弓場さんが自分を囮に七海くんを釣り出す、って良く分かりましたね』

「伊達に、チームを組んでいたワケじゃないって事さ。これでも、他の人達よりはずっと弓場さんの事は知っているからね」

 

 そう言って、王子は笑った。

 

 その脳裏に、過去の記憶が回帰する。

 

 あれは、試合直前のミーティングでの出来事だった。

 

 

 

 

「弓場さんは自分を囮にシンドバットを釣り出して戦おうとする筈だ。だから僕達は、その戦いに巻き込まれないように注意しながらベアトリスやヒューラーを探す事としよう」

 

 王子は隊の面々に向け、自信満々にそう告げた。

 

 その内容に、樫尾は疑問符を浮かべる。

 

「王子先輩っ! 開始直後からバッグワームを着て全員が隠れるだろうとの事でしたが、そうだとしたら何故弓場さんがそんな行動を取ると分かるのでしょうかっ!?」

 

 確かに、樫尾の言う通りではある。

 

 全員がバッグワームで隠れる中、一人だけ隠れもせずに堂々と相手が来るのを待ち受けるという行動は、一歩間違えば袋叩きに遭いかねないリスクを孕む。

 

 確かに狙撃を警戒してバッグワームを着ないという選択肢ならば普通に有り得るが、今回設定する天候は『砂嵐』。

 

 遠距離の狙撃は、殆ど機能しないであろう状況だ。

 

 そんな中で敢えて身を晒す行動に至る理由が、樫尾には想像もつかなかったのである。

 

「確かに、幾らタイマンが大好きな弓場さんでも普通ならそんな真似はしないだろう。けれど、今回に限っては話が別だ。相手が、僕達だからね」

「それはどういう事ですかっ!?」

 

 それはね、と王子は続ける。

 

「さっき言ったように、僕達は初代弓場隊の出身だから弓場さんやカンダタの事は良く知っている。でも逆に言えば、弓場さんやカンダタも、僕等の事を良く知っているんだ」

「つまり、王子先輩の作戦は弓場隊にバレているとっ!?」

「十中八九、そうだろうね」

 

 王子は樫尾の言葉を、そう言って肯定した。

 

 確かに、王子は弓場や神田の事を良く知っている。

 

 かつては同じ隊で戦った仲間なのだから、その戦術や実力、思考傾向に至るまで熟知している。

 

 だがそれは同時に、弓場隊側にも同じ事が言える。

 

 王子が弓場や神田の事を良く知っているように、弓場や神田も王子や蔵内の事は良く知っている。

 

 王子が弓場の性格や神田の取るであろう戦術を予想したように、弓場隊もまた王子隊のやりそうな事は理解しているという事だ。

 

「ですがっ、それでは弓場隊はこちらの策には乗って来ないのではっ!?」

「逆だよ、カシオ。()()()()()()()()()、乗って来ざるを得ないのさ」

 

 え、と困惑する樫尾に、王子は指を立てて説明する。

 

「弓場隊は恐らく、僕らの狙いがシンドバットではなくベアトリスやヒューラーである事まで把握している筈だ。だからこそ、僕らの策に乗らざるを得ない。僕等と違って、弓場隊はシンドバットやナースも標的に含めているからね」

 

 つまり、と王子は告げる。

 

「シンドバットやナースを倒すには、ベアトリスやヒューラーの横槍がない事が前提条件として必要になる。だから、カンダタはきっと僕等にベアトリスとヒューラーを獲らせてシンドバットやナースを狙う策を取るだろう」

「ああ、神田は冷静な状況判断が出来る男だ。俺達に二点取られる事を加味しても、確実に七海や那須を追い込む策を打つ筈だ」

 

 そう、つまりは弓場隊は利害の一致故に王子隊の行動を黙認せざるを得ないのだ。

 

 王子隊としては、熊谷や茜を追う際に那須や七海の妨害には遭いたくない。

 

 故にこそ弓場は自らが囮となって七海を引きつけ、その隙に王子隊に熊谷と茜を探させる。

 

 王子は、そう分析していた。

 

 蔵内もまた、同意見である。

 

「きっと、カンダタは僕等が獲れる点を取った後緊急脱出するつもりなのも読んでいるだろうね。弓場隊と違って、僕等はナースはともかくシンドバットを落とすのは厳しいからね」

「ああ、それは同感だ。余程上手く条件が噛み合わない限り、七海を倒すのは無理がある」

「確かに七海先輩は強いですが、そこまでですか……」

 

 何処か納得していないような雰囲気の樫尾の言葉に、王子はぽん、と彼の肩を叩いた。

 

「前回の試合でぶつかって、理解した。集団戦でのシンドバットを倒すには、彼に匹敵するエースが部隊にいる事が最低条件だ。そして、僕等の隊にはそこまで突出したエースは存在しない。この時点で、シンドバットを倒すのはかなり厳しいと言わざるを得ないね」

 

 それが自分達と今まで七海を追い詰めた隊の違いだと、王子は言う。

 

 確かに過去に七海に苦戦を強いたチームには、それぞれ突出したエースが在籍している。

 

 鈴鳴にはNO4攻撃手である村上が、東隊には言わずと知れた東が、生駒隊には生駒という実力者がいた。

 

 少なくとも、七海とタイマンで拮抗出来る実力を持ったエース。

 

 それがいる事が、七海を倒す上での()()()()なのだ。

 

 勿論、タイマンであれば七海は上位の攻撃手には一歩譲る。

 

 だが、こと集団戦に限れば、七海は鬼のような生存力を発揮するのだ。

 

 集団戦は、必ずしも自分で点を取る必要はない。

 

 故に七海は、攻撃の為に一歩を踏み込む必要がない。

 

 極論、七海は相手の隙を作りさえすればそれで良い。

 

 その隙を仲間に突かせれば、そのまま得点に繋がるからだ。

 

 そして、七海はサイドエフェクトの影響もあり、回避や防御が抜群に巧い。

 

 多対一の乱戦はむしろ得意とするところであり、グラスホッパーを装備している事もあって大抵の状況からは離脱出来る。

 

 不利になれば即刻逃走を実現出来るという点で、七海の生存能力は非常に高い。

 

 そもそも、地力の面で七海に匹敵するものを持ち得なければ、そのままメテオラ殺法で押し込まれて終わりだ。

 

 それをさせない為には、最低限七海と正面から戦えるエースが必要不可欠となる。

 

「ROUND6で香取隊が善戦出来たのは、カトリーヌというエースがいたからだ。ROUND4で僕達は三人がかりのハウンドでシンドバットを押し込もうとしたが、全員がシンドバットにかかりきりにならざるを得なかった所為でナースやヒューラー、ベアトリスの介入を許して敗北してしまったからね」

 

 王子の言葉に、蔵内も頷いた。

 

「そうだな。七海一人に全員でかからなければまともに戦えない時点で、そもそも勝ち目がなかったとも言える」

「その点に関しては、完全に僕の判断ミスだ。前回僕はシンドバットとまともに戦り合う前に落ちてしまったから、シンドバットの脅威度の判定を正しく出来てはいなかった。同じミスは繰り返せないね」

 

 王子はそこまで言うとふぅ、と溜め息を吐いた。

 

 あの試合、那須隊は王子を真っ先に落とす事で王子隊の指揮系統を事実上の機能停止に追い込んだ。

 

 王子の適性は、状況を俯瞰する後方指揮官ではなく仲間と共に前線に立つ現場指揮官。

 

 状況を肌で感じ取り、逐一適切な指示を下す事で駒を正確に運用出来るタイプである。

 

 故に、王子がそのポテンシャルを最大限に発揮する為には現場で生き残る必要がある。

 

 それを分かっていたからこそ、前回那須隊は王子を真っ先に狙って落としたのだ。

 

 王子隊の指揮レベルを、削り落とす為に。

 

 その結果として王子は最善の判断が出来ず、チームは壊滅に追い込まれた。

 

 あの敗戦は、王子としても苦い記憶なのである。

 

「だから今回、シンドバットは狙わない。上手い事緊急脱出寸前のシンドバットを奇襲出来る状況が出来たのならまだしも、そんな事は早々有り得ないだろうからね。今回は無理をせず、獲れる点を取っていこう」

 

 王子はそう言って、笑みを浮かべる。

 

「弓場さんとシンドバットが戦い始めたら、そこに介入できる位置にベアトリスかヒューラーが来る可能性が高い。転送位置にもよるけど、彼女達を発見出来たら合流して囲んで落とす。決して無理をせず、確実にいこうじゃないか」

 

 

 

 

(まだ見つからないか……)

 

 樫尾は一人、バッグワームを着て砂嵐の中を進んでいた。

 

 その眼元には、焦げ茶色のゴーグルが装着されている。

 

 これは今回砂嵐の天候を設定するにあたり、砂嵐の影響を軽減して視界を確保する為のものである。

 

 トリオン体の服装や装飾品は、プログラムで自由に設定できる。

 

 特殊な機能を持った装飾品等は流石に追加出来ないが、目元を保護するゴーグルを追加する程度なら問題はない。

 

 砂嵐はROUND1で那須隊が設定した『濃霧』と違い、砂粒という透明度の低い物体が空間を埋め尽くしている。

 

 流石にトリオン体が砂粒に当たってダメージを受ける事はないが、顔、特に目元などに当たれば鬱陶しい事この上ない。

 

 普通の天候と比べれば、動きは鈍らざるを得ない筈だ。

 

 だからこそ、ゴーグルを用意してそういったロスの軽減を図ったワケである。

 

 実際、樫尾はそこまで不快感を覚える事なく砂嵐の中を移動出来ていた。

 

(焦っちゃダメだ。王子先輩の言う通り、弓場さんと七海さんの戦況は膠着してる。急がなくても、今すぐこっちには来れない筈)

 

 樫尾は自分に言い聞かせるようにそう考え、再び足を進ませた。

 

 その足は、速い。

 

 足音に気を遣わずとも、多少の物音は砂嵐が掻き消してくれる。

 

 王子隊の一番の強みは、全員に共通する高い機動力。

 

 その足を使って浮いた駒を探し当て、執拗に追い込んで落とすのが王子隊の得意とする戦術だ。

 

 今、樫尾がやるべきなのは地道に足を使って標的を探し当てる事。

 

 少々気が滅入る作業ではあるが、やらなければ点は取れない。

 

 その為には、多少の労力は支払って然るべきだ。

 

 たとえ時間がかかろうと、目的を果たせれば良い。

 

 そう、王子は言ったのだから。

 

(あれは……っ!?)

 

 そんな樫尾の視界の先で、影が一瞬揺らめいた。

 

 その影が手に持った長物らしきものを見て熊谷かと考えたが、違う。

 

(熊谷さんにしては小さ過ぎる……っ! もしかして……っ!)

 

 樫尾は脳裏に過った可能性に従い、即座に次の手を打った。

 

「ハウンドッ!」

 

 射撃トリガー、ハウンドによる牽制を。

 

 その影は、小柄な()()はシールドでハウンドを防ぎ、そのまま樫尾に向かって疾駆。

 

 少女は、帯島は弧月を横薙ぎに振り抜いた。

 

「く……っ!」

 

 帯島の斬撃を、樫尾は自身の弧月で受け止める。

 

「────」

 

 だが、帯島の攻撃は終わっていない。

 

 彼女が待機させていた無数のハウンドが、樫尾の身を狙い撃つ。

 

「……っ!」

 

 樫尾はそれを、シールドを用いてガード。

 

 帯島のハウンドは、全て樫尾のシールドに阻まれる。

 

 攻撃を凌がれた帯島は、バックステップでその場から退避。

 

 

 

 

「動きを止めたね」

 

 その瞬間を、狙っている者がいた。

 

 樫尾と帯島を挟んだ、反対方向。

 

 そこにバッグワームを着て隠れていた神田が、突撃銃の引き金を引いた。

 

 標的は、樫尾由多嘉。

 

 冷徹な銃撃が、王子隊の攻撃手を狙い撃つ。

 

 

 

 

 ────────だが、その銃撃が樫尾を貫く事はなかった。

 

 彼の前に躍り出た王子が、両防御(フルガード)でその攻撃を凌いだが故に。

 

「王子か。既に近くに潜んでいたとはね」

「カンダタなら、この状況で僕らを狙わない筈がないからね。当然、読んでいましたよ」

 

 王子は腰の鞘から弧月を抜刀しながら、にこやかに笑う。

 

「けど、いいのか? お前まで俺達にかかりきりじゃ、熊谷さんや日浦さんを狙えないだろ?」

「心配は無用ですよ。だって」

 

 にやりと、王子は不敵な笑みを浮かべた。

 

「────此処で戦り合う気は、最初からありませんから」

 

 ────瞬間、その場に爆撃が降り注いだ。

 

 使用された弾丸の名は、『誘導炸裂弾(サラマンダー)』。

 

 ハウンドとメテオラを組み合わせた、合成弾である。

 

 四つに分割された炸裂弾が着弾し、大きな爆風がその場を席巻する。

 

 神田と帯島は、シールドを張りその場で防御。

 

 幸い、反応が間に合った為に大したダメージはない。

 

 だが。

 

「…………参ったな。逃げられたか」

 

 目の前にいた筈の王子と樫尾の姿は、影も形も見られなかった。

 

 恐らく、爆破の隙を突いて樫尾のグラスホッパーで逃げたのだろう。

 

 いっそ鮮やかと言える、逃走の手並みだった。

 

 このまま追う事も考えたが、今の爆発でこちらの位置は那須隊にも露見した筈だ。

 

 此処に留まれば、七海や那須がこの場にやって来かねない。

 

 そも、機動力では自分達よりも王子達の方に分がある。

 

 此処で追うよりは、一時撤退して仕切り直した方が良い筈だ。

 

「帯島、退くぞ」

「了解です」

 

 神田は帯島に声をかけ、共に砂嵐の中を駆けていく。

 

 焦る事はない、と神田は自分に言い聞かせた。

 

 戦いはまだ、始まったばかりなのだから。




 七海を倒すには、最低限七海と正面からやり合えるエースが必要。

 七海一人に全員でかからなきゃならない隊だと、横から那須さん達にやられて終わる。

 それでいて七海ばっかりに構ってると那須さんが暴れまわって酷い事になる。

 割と分かり易いクソゲーだが、上位陣は大体対応可能という魔境。

 ランク詐欺も2チーム程いるしね。


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弓場隊③

「王子隊の王子・樫尾と弓場隊の神田・帯島両名が激突……っ! しかし蔵内隊員のサラマンダーによって生じた隙により、王子隊は撤退……っ! 仕切り直しとなりました」

「王子隊長は、あくまで那須隊を狙うつもりのようですね」

 

 結束の言葉に付け加えるように、嵐山は告げる。

 

 それを聞いた結束が、嵐山の方を向いた。

 

「では、王子隊は現時点では弓場隊とやりあうつもりはないという事ですか?」

「恐らくそうだ。もしもそのつもりがあるなら、3対2の有利を捨ててまで撤退はしない筈です。きっと王子隊は、本命を落とす前に余計なダメージを負いたくないのでしょう」

 

 まず、と嵐山は前置きして告げる。

 

「恐らく王子隊が狙っているのは、那須隊の熊谷隊員と日浦隊員でしょう。七海隊員と弓場隊長がぶつかっている間に、その二人を探して仕留めるのが王子隊の作戦方針だと思います」

「そやな。このMAPも天候も、多分その為のモンやろ。狙撃と七海達の機動力を封じて、落とせる相手を探して獲る。王子のやりそうなこっちゃで」

 

 嵐山の言葉に、生駒もそう言って同意する。

 

 伊達に、飽きる程王子隊と戦ってはいない。

 

 彼等のやり口は、生駒とて承知している。

 

 王子は、単体として見れば優秀ではあるが突出したエースとまでは呼べない。

 

 確かに地力は高いし状況適応能力も優れているが、単騎で場を搔き乱せるような実力者ではないのだ。

 

 その真骨頂は、頭脳戦。

 

 状況を的確に分析し、相手の嫌がる事をピンポイントで行い確実に点を取る。

 

 それが、王子の戦術であり持ち味だ。

 

 王子は、状況分析能力がかなり高い。

 

 実際に戦場を見て回るだけで、その場の状況を把握し最善の手を打てる。

 

 それが、王子の強み。

 

 突出したエースがおらずとも、B級上位で戦って来れた理由である。

 

「王子隊は、七海隊員の撃破をリスクヘッジの観点から難しいと考え、狙いを絞ったのでしょう。そして少しでも返り討ちにされる可能性を排除する為、余計なダメージは極力負いたくない。だからこそ、弓場隊との激突を避けたのだと思われます」

「神田も、王子の考えは分かっとるやろうからなー。多分あれ、適当に王子隊の戦力削って那須隊と食い合わせるつもりとちゃうか?」

「恐らく、そうでしょうね」

 

 生駒の意見を、嵐山は肯定する。

 

「弓場隊は、王子隊の戦略を見抜いた上で駒を動かしています。彼等としては王子隊が負傷した状態で那須隊と当たり、双方が消耗した所で漁夫の利を狙うというのが一番理想的な状況です。その為に、少しでも王子隊に傷を負わせておきたかったのだと思います」

「で、それを察知した王子が一目散に逃げたワケやな。あいつ、逃げ足速いかんな。逃げに徹されたら追い付けんで。この砂嵐やしな」

「成る程、お互い戦術を読み合った結果のエンカウントと撤退、という事ですか」

 

 二人の解説者の意見を纏め、結束は画面に視線を戻す。

 

 正直、あの生駒が解説に呼ばれたという事で若干不安ではあったのだが、今の所真っ当に解説役をこなしているように見える。

 

 普段は仲間と漫才じみたやり取りをしているか黙っておかし(シュール)な事をしているかのどちらかであるが、それでもB級上位部隊の隊長である。

 

 やる気があれば、きちんと解説もこなせるという事なのだろう。

 

 生駒の評価を、結束は密かに上方修正する。

 

 問題を起こさないのであれば、他の解説者と同じように接すれば良い。

 

 そう考えて、肩の力を抜いた。

 

「そういえば────」

「さて、今の蔵内隊員の爆撃で那須隊にも王子隊と弓場隊のいた場所が割れています。これを受けてどう反応するかが、今後の境目となりそうです」

 

 そんな時、結束の油断を察知したのか横道(雑談)に逸れようとした生駒を嵐山がさり気なく制した。

 

 生駒は発言が遮られてしょぼんとしているが、解説の場で雑談に興じようとしたのだから自業自得である。

 

 多少の雑談程度ならば良いだろうが、生駒の場合ノンストップで雑談を垂れ流す光景が容易に予想出来る。

 

 嵐山も割とノリは良いので一度雑談が始まると乗ってしまいかねない為、機先を制したというワケだ。

 

「那須隊が追っ手を出すかどうか、それで色々と変わって来ると思います。この選択は、重要ですよ」

 

 

 

 

『十中八九王子隊の釣り出しですね。今から向かっても王子隊に位置を知らせるだけだと思いますが』

「そうね。確かに、あからさまだわ」

 

 小夜子からの通信を受け、那須は静かに頷いた。

 

 今の誘導炸裂弾(サラマンダー)による爆撃の光は、那須達全員が確認している。

 

 問題は、わざわざバッグワームを一瞬解いてまで合成弾を使用した事だ。

 

 合成弾は確かに強力だが、合成中は強制的に両攻撃(フルアタック)の状態となり無防備となる為、融通が効かない部分がある。

 

 バッグワームを解除しなければ使えないので、レーダーからも丸見えとなってしまうのだ。

 

 そして、そんな事は王子隊とて百も承知の筈。

 

 つまり、蔵内は敢えて身を晒しているのだ。

 

 故に、その行動は那須隊に対する()()であると解釈出来る。

 

 此処で蔵内を追うか、否か。

 

 そこが、判断の分かれ目である。

 

 蔵内は、サポートを主眼とするオーソドックスな射手だ。

 

 二宮のような、反則的な制圧能力までは持ち合わせていない。

 

 一度合成弾を使って居場所を明かした以上、同じ場所に留まるような間抜けでもない。

 

 確実に、移動した後の筈だ。

 

 今から追っても、補足出来るかどうかは懸けだろう。

 

「けど、問題はあの爆撃のあった場所に誰がいたか、って事よね」

『当然、弓場隊の誰かでしょうね。私達でないなら、王子隊が狙うとすれば弓場隊しか有り得ません。バッグワームを着たままなので、そちらの位置は補足出来てはいませんが……』

 

 ふむ、と那須は思案する。

 

 此処で取るべき選択肢は、大きく分けて三つ。

 

 選択肢1、リスクを避けて傍観する事。

 

 選択肢2、リスクを承知で蔵内を追いかける事。

 

 選択肢3、あの場にいたであろう弓場隊を追う事。

 

 この、三つである。

 

 一つ目のメリットは、言うまでもなく奇襲でチームメイトが落とされる可能性が無い事である。

 

 一番の安全策であり、無難な選択肢である。

 

 しかし同時に、一番旨味の少ない選択とも言える。

 

 この選択肢のメリットは、折角見つけた王子隊の居場所の手がかりを失う事と、王子隊を野放しにする事だ。

 

 王子隊は、その機動力を用いて熊谷や茜を探している。

 

 彼等の狙いがあの二人である事は、最早疑う余地はない。

 

 このMAPと天候で狙撃と那須と七海、二人の機動力を削り、自分達は予め調べ上げたこのMAPで悠々と標的を探す。

 

 それが、王子隊の戦略だと小夜子は分析した。

 

 那須も七海も、それには同意見だった。

 

 先程の爆撃の後、そのまま戦闘を中断しているのがその証拠である。

 

 王子隊の狙いは、あくまで那須隊(自分達)

 

 余計な戦闘は回避している、と見るべきだ。

 

 そして、王子隊は脇目も振らずに熊谷や茜を探している。

 

 足を使った人海戦術は、時間こそかかるが確実な成果を齎す。

 

 時間が経てば経つ程、王子隊に有利な条件が整ってしまうのだ。

 

 そういう意味で、この選択肢1は最もリスキーな選択肢でもある。

 

 ならば、選択肢2────────蔵内を追いかける選択はというと、これは別の意味でのリスクを抱える事となる。

 

 蔵内を追うとすれば七海が弓場との戦闘にかかりきりになっている以上那須が適任だが、それをすると那須の位置まで王子隊に把握されてしまう事になる。

 

 そうなれば、王子隊は不意の射撃を警戒する事なく熊谷達を探す事が出来てしまうのだ。

 

 更に当然、不意打ちで那須が落とされるリスクも抱えている。

 

 準備万端で王子隊が待ち構えていると考えると、この選択肢は即時的なリスクが大きいように思える。

 

 そして、選択肢3。

 

 即ち、爆撃の場所にいたであろう弓場隊を追う事である。

 

 これは、ある意味博打だ。

 

 確かに王子隊に不意打ちされる事はないだろうが、そもそもこの時点で弓場隊を狙う意味があるのか、という問題がある。

 

 王子隊は、正面から当たれば那須隊の地力で封殺出来る相手だ。

 

 弓場隊と違って突出したエースがいない以上、那須と七海が組んで当たれば充分に対処可能だ。

 

 事実、ROUND4では地の利もあったもののほぼ完封に近い勝ち方が出来ていた。

 

 しかしその一方で、油断出来ない相手である事もまた明白だ。

 

 ROUND4で一方的に押し込める事が出来たのは、あくまで王子を真っ先に落とす事が出来たからである。

 

 王子は、現場指揮能力がかなり高い。

 

 状況認識能力と戦術分析能力、咄嗟の判断能力等に優れる現場指揮官。

 

 それが、王子一彰である。

 

 ROUND4ではその王子を最優先で落とす事で盤上から排除し、王子隊の指揮判断能力を削る事で勝利を収めている。

 

 現在、王子隊は誰一人として欠けていない。

 

 更に言えば、このMAPと天候は王子隊が設定したもの。

 

 準備万端で策を用意しているであろう事は、まず間違いない。

 

 故に、理想的な展開は王子隊を最優先で一網打尽にし、弓場隊との戦いに専念出来る土壌を整える事。

 

 これに尽きる。

 

 それを考えると、王子隊を放置して弓場隊を狙うのは上策ではないように思える。

 

 此処はリスクヘッジを考えて様子見に徹するべきか、と那須が判断を下そうとした、その時。

 

『玲、ちょっといいかな?』

「くまちゃん……?」

 

 不意に、熊谷から通信が届く。

 

 那須は何だろうと思いながら熊谷の()()を聞き、目を見開いた。

 

「くまちゃん、でもそれは……」

『頭の悪い事言ってるのは承知の上よ。けど、王子隊の好きにさせたらマズイような気がするんだ。それとも、玲はあたしを信じられない?』

「そんな事、ないけど……」

 

 那須は熊谷からの言葉を受け、悩む。

 

 確かに、熊谷の提案は大胆だが効果が見込める策だ。

 

 しかし、同時に大きなリスクを孕む策でもある。

 

 リスクとメリットの天秤が、那須の中で揺れ動く。

 

 理屈は、分かっている。

 

 此処で傍観を選ぶのは、愚策だろうと。

 

 だが、リスクの側の天秤には那須の感情も乗っている。

 

 仲間を危険に晒したくない、という想いは那須の中では完全に払拭出来たワケではない。

 

 以前と比べれば物分かりが良くなっているが、完全に戦術と感情を切り離せたワケではない。

 

 だから、合理的な言い訳があれば、どうしても仲間の安全を配慮した方針を取ってしまいそうになるのだ。

 

『那須先輩、その案でいきましょう。こうすれば、リスクは減らせる筈です』

 

 ────だが、そんな那須の葛藤など小夜子には既にお見通し。

 

 要は、合理的な作戦実行の理由さえ提示出来れば、那須の天秤は傾くのだ。

 

 ならばその根拠の提示(理由付け)は、オペレーター(じぶん)の仕事だ。

 

 小夜子は論拠となるデータを元に、那須を説得にかかる。

 

 那須が頷くまでに要した時間は、そう長くはかからなかった。

 

 

 

 

「トノ、王子達は見えるか?」

『駄目っすね。こうも視界が悪いと、肉眼じゃ何も見えないッす』

 

 神田は外岡と通信を繋ぎながら、荒野を歩いていた。

 

 隣には、油断なく弧月を構えた帯島が帯同している。

 

 神田は様々な要因を考慮した結果、王子達を探す事としたのだ。

 

 幸い、蔵内の位置は合成弾の使用時にレーダーに映っていたので把握している。

 

 当然移動はしているだろうが、王子ならば迷わず合流を選ぶ筈だ。

 

 つまり、王子隊の向かう方角は特定出来る。

 

 当然蔵内も移動しているだろうが、大体の範囲は絞り込める。

 

 ならば、こちらとしても追わない理由はない。

 

(ベストなのは、王子隊が見つけた熊谷さんと日浦さんを俺達が仕留める事。その為には、王子隊をマークするのが手っ取り早い)

 

 そう、神田の狙いはまさにそれ。

 

 王子達に索敵を任せ、漁夫の利を掻っ攫う事である。

 

(王子は獲れる点を取った後、自発的な緊急脱出を狙う筈だ。逃げに徹した王子を捉える事は、俺達じゃ難しい。なら、彼等が獲る予定のポイントをこちらで獲ってしまえばいいだけの事だ)

 

 最初から、神田はそのつもりで動いていた。

 

 王子達が先程撤退した時、すぐに追わなかったのは適度に彼等を泳がせる為。

 

 先程王子隊を襲撃したのは、王子達に索敵に専念して貰う為である。

 

 弓場隊(こちら)が彼等を狙っている事が分かれば、王子達は一刻も早く熊谷と茜を見つけ出そうと躍起になる筈だ。

 

 神田達が王子達を狙っていると思わせる事で、弓場隊を狙うという選択を失わせる。

 

 それが、神田の目論見である。

 

 王子は、獲れるポイントを確実に取る男だ。

 

 この試合で熊谷と茜を狙っているのはまず間違いないが、チャンスがあれば神田や帯島も狙おうと考えているに違いない。

 

 故に、王子隊を弓場隊が狙っていると錯覚させる事で、こちらを狙うよりも熊谷達の探索に徹した方が得だと思わせる。

 

 後は、王子隊を追跡して漁夫の利を掻っ攫えば良いだけだ。

 

「……っ!? あれは……っ!」

 

 そんな神田の下に、上空から光の弾が降り注ぐ。

 

 曲射軌道を描く、光の弾丸。

 

 間違いない。

 

 追尾弾、『ハウンド』である。

 

「ハウンド……っ! 王子隊か……っ!?」

 

 神田はシールドでハウンドをガードしながら王子隊の襲撃か、と構えるが、そこで気付く。

 

 確かに、王子隊は三人全員がハウンドを装備している。

 

 王子隊は今、合流している筈だ。

 

 ならば、ハウンドの数が()()()()()

 

 ハウンドは、一度に大量の弾丸を放った方が効果が高い場合が多い。

 

 三人がかりで撃てるのなら、一斉射撃で固めた後に合成弾でトドメを刺す、という戦法が使えるからだ。

 

 それを一人でこなしてしまう二宮という規格外がいるが、王子隊でも三人がかりであればその真似事程度は出来る。

 

 実際、ROUND4では三人がかりのハウンドで七海を抑え込もうとしていた。

 

 だが、このハウンドはどう見ても一人分。

 

 そもそも、王子隊がいるであろう場所はまだ離れている。

 

 ならば、このハウンドの使用者は────。

 

「熊谷さんか……っ!」

 

 彼女しか、有り得ない。

 

 神田はガードを帯島に任せ、突撃銃に取り付けられたスイッチを切り替え。

 

 アステロイドからハウンドへの弾種を変換し、銃撃を撃ち放つ。

 

 神田のハウンドは、上空を迂回して射撃の発射地点へ降り注ぐ。

 

 すると岩山の向こうから、長身の人影が躍り出た。

 

 その手に弧月を構えるその少女は、間違いない。

 

「王子でなくて悪かったわね。今度は、那須隊(あたし達)の相手をして貰うわよ」

 

 ────那須隊攻撃手、熊谷友子。

 

 王子隊の標的とされていた筈の彼女が、自ら姿を現した瞬間だった。




 さて、なんでくまちゃんは此処で出てきたんでしょーか?

 次で解説する事になると思うけど、予想出来るかな?


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王子隊⑤

「此処で熊谷隊員が、神田・帯島両名を襲撃……っ! これは一体、どういう意図なのか……っ!」

「成る程、そう来るか」

 

 実況している結束の隣で、嵐山がふむ、と納得した様子を見せる。

 

 当然それが気になった結束は、嵐山に話を振る。

 

「嵐山さんは、何故熊谷隊員がよりにもよって弓場隊を襲撃したとお考えですか? 自ら姿を晒しては、王子隊の思う壺だと思うのですが……」

「ところがそうでもないんだ。王子隊は、確かに熊谷隊員を標的として狙い、探し続けていました。ですがそれは、王子隊()()で熊谷隊員を仕留めたかったからなんです」

 

 つまり、と嵐山は続ける。

 

「今熊谷隊員を仕留めるには、弓場隊の二人がいる場所へ行く必要があります。そうなると当然熊谷隊員のポイントを弓場隊に横取りされる可能性が出て来る上、乱戦になれば自分達が落とされるリスクも高まります。王子隊としては、あの場へ飛び込むのは躊躇せざるを得ないでしょう」

「かと言って放っておけばそのまんま熊谷さんを神田達に獲られる可能性があるんで、王子としては判断が苦しいトコやと思うで」

 

 そう言って、生駒も嵐山の解説を補足する。

 

 王子隊としては、弓場隊から距離を置いた上で熊谷や茜を見つけるのがベストの状況だった筈だ。

 

 熊谷は確かに防御能力が優秀な攻撃手だが、三人がかりなら倒せなくはない。

 

 探し当てた熊谷を囲んで落とすのが、王子の理想とする展開だったワケだ。

 

 だが、熊谷が自ら弓場隊の下へ姿を現した事でその目論見は露と消えた。

 

 今熊谷を落とそうとすれば、必然的に弓場隊を巻き込んだ戦闘になる。

 

 つまり、熊谷を彼等に落とされる危険や自分達が落とされる危険を孕む戦場に飛び込む以外、熊谷を落とす方法はないのだ。

 

 だが、このまま放置すれば神田達が熊谷を落としてしまう、という展開も充分に有り得る。

 

 どちらにしろ、王子隊としては避けたい展開である。

 

 熊谷は自ら姿を晒す事で、王子隊にその苦渋の二択を迫っているワケだ。

 

「つまり、熊谷隊員は敢えて死地に飛び込む事で王子隊に揺さぶりをかけていると?」

「そういう事ですね。自分が落とされる事も、覚悟の上でしょう」

「けど、まるきり勝ち目がないいうワケでもないで。生き残るのは難し思うけど、ただではやられんと思うで」

 

 実際に熊谷の捨て身の攻撃を味遭った生駒は、実感を伴ってそう口にした。

 

 生駒は、個人戦で幾度か熊谷と戦った経験がある。

 

 無論生駒の方に軍配は上がったが、それでも熊谷には一定の評価を下しているのだ。

 

 彼女の守りの巧さは、NO6攻撃手である生駒からしても相応のものなのだから。

 

 最近では攻撃力にも磨きをかけており、決して油断出来る相手ではないというのが生駒の所感である。

 

「それに、あの隊が無策で熊谷ちゃんを死地に放り込むとは、俺にはどうしても思えんのや。何かあるで、きっと」

 

 

 

 

「ハウンドッ!」

 

 熊谷は帯島・神田の両名に対し、誘導を甘めに設定したハウンドを撃ち放つ。

 

 ダメージを与える事が目的ではなく、相手の足を止める事こそが狙い。

 

 大雑把に散らした弾丸を防御する為、神田達はシールドを広げる。

 

「旋空弧月ッ!」

 

 そして、熊谷は旋空を起動。

 

 拡張斬撃が、神田達に襲い掛かる。

 

「く……っ!」

 

 横薙ぎに振るわれた旋空を、帯島と神田は跳躍して回避。

 

 砂嵐の中、神田と帯島が空中に躍り出る。

 

「旋空──」

「ハウンド……ッ!」

 

 それを見て再び旋空の起動準備に入った熊谷に対し、帯島は彼女の注意を逸らす為敢えて音声認証でハウンドを起動。

 

 無数の弾丸が、熊谷に迫る。

 

「……っ!」

 

 熊谷は迫るハウンドを見て、即座に旋空を中断。

 

 シールドを張り弾丸を防御すると同時に、こちらもハウンドを起動。

 

 着地前の二人を、追尾弾で狙い撃つ。

 

 二人がシールドを張るなら、旋空で追撃する。

 

 被弾覚悟で突貫して来るなら、再びハウンドで迎撃する。

 

 熊谷は二人の出方を見極める為、油断なく弧月を構えた。

 

「シールドッ!」

「……っ!」

 

 だが、神田達が取った行動は熊谷の想定を外れていた。

 

 神田は両防御(フルガード)を用いて、自身と帯島の前にシールドを展開。

 

 熊谷のハウンドを、全弾防御する。

 

「帯島っ!」

「はいっ!」

 

 そして、帯島は敢えて姿勢を低くした()()()()()()()し、それを足場に跳躍。

 

 シールドを張りながら、一直線に熊谷に突っ込んで来た。

 

「く……っ!」

 

 突撃しながらの帯島の弧月の一閃を、熊谷は弧月にて受け太刀。

 

 そのまま重心をずらし、帯島の体勢を崩そうとする。

 

「……っ!」

 

 だが、そこで気付く。

 

 帯島の背後から、無数の弾丸が迫っている事に。

 

 自身の身体を目晦ましとした、時間差射撃。

 

 更に、その向こう側には突撃銃を構えた神田の姿。

 

 装填されているのは、恐らくアステロイド。

 

 此処でシールドによる防御を選択すれば、シールドごと貫かれるだろう。

 

「はぁ……ッ!」

「ぐ……っ!?」

 

 逡巡は、一瞬。

 

 熊谷は恵まれたその運動能力を活かし、右足で帯島の胴を蹴り穿つ。

 

 咄嗟に腕でガードした帯島だったが、そもそも長身の熊谷と小柄な帯島では大きな体格差がある。

 

 衝撃までは殺し切れず、そのまま後方へ吹き飛ばされる。

 

 自分が放った、ハウンドの射線上へと。

 

「帯島……ッ!」

 

 それを見た神田は、咄嗟に遠隔シールドを展開。

 

 帯島とハウンドが接触する前に、彼女の身体をガードする。

 

 ハウンドは、神田の展開したシールドに着弾。

 

 そのまま飛ばされて来た帯島を、神田は片腕で受け止める。

 

「旋空弧月ッ!」

 

 その隙を逃さず、熊谷は旋空を起動。

 

 帯島を受け止めて硬直した神田を狙い、拡張斬撃を撃ち放つ。

 

「く……っ!」

「わ……っ!」

 

 神田は、帯島を掴んだまま身を屈めて間一髪で旋空を回避。

 

 追撃のハウンドを放とうとしていた熊谷に、そのままの姿勢で銃撃を放つ。

 

「ち……っ!」

 

 その弾丸がアステロイドだろうと想定した熊谷は、防御ではなく回避を選択。

 

 サイドステップでその場から飛び退き、弾丸を回避した。

 

「やるね。流石だよ」

「生憎、大人しくやられるつもりはないからね。アンタ等は、ここであたしと遊んで貰うわ」

 

 熊谷は弧月を構え、不敵な笑みを浮かべた。

 

 神田と帯島は、それぞれの武器を携え彼女に対峙する。

 

 熊谷は、実質一人で神田達を足止めする事に成功していた。

 

 

 

 

「ウラァ……ッ!」

 

 一方、弓場と七海も互角の戦いを継続していた。

 

 七海が放つメテオラを、弓場が早撃ちの両攻撃(フルアタック)で迎撃。

 

 空中で誘爆したメテオラの爆発が、荒野を席巻する。

 

「────」

 

 だが、その爆発の隙間を縫うようにしてスコーピオンを携えた七海が急降下。

 

 弓場の下へ、一直線に迫る。

 

「見え見えだぜっ!」

 

 無論、そんな直線的な攻撃が弓場に通る筈もない。

 

 すぐさま拳銃を抜き、早撃ち六連。

 

 無謀にも突貫して来た七海を、6つの銃弾が狙い撃つ。

 

「────」

 

 しかし、それは七海とて想定済み。

 

 七海はその場でグラスホッパーを展開し、それを踏み込み真横に跳躍。

 

 弓場の弾丸を避け、彼の背後に回り込んだ。

 

「────!」

「……っ!」

 

 だが、弓場は背後に向けて目を向けず(ノールック)銃撃。

 

 それを感知した七海は、シールドを二重に展開し間一髪で銃弾をガード。

 

 そのままグラスホッパーを踏み込み、再び上空へ跳躍した。

 

(チッ、分かってた事だがやり難ぇな……っ!)

(流石弓場さん、そう簡単には行かないか……っ!)

 

 お互いがお互いを内心称賛し、二人は即座に次の手を打つ。

 

 再び降り注ぐ炸裂弾(メテオラ)を銃弾で迎撃しながら、弓場はそう遠くない場所で聞こえてくる射撃音を耳にする。

 

(あっちに加勢してぇトコだが、七海を野放しにするワケにゃあいかねェ。今はこいつを抑えるのが、俺のシゴトだ)

 

 弓場は自身をそう叱咤し、眼前の七海との戦いに注力した。

 

 確かに、自分があの場に行けば熊谷を落とす事は出来るだろう。

 

 だがその場合、一番警戒しなければならない七海がフリーになってしまう。

 

 七海は、その突出した機動力で戦場の何処へでもすぐさま駆け付けられる。

 

 しかも隠密能力も高いので、この視界条件が悪い中で彼を見失えばゲリラ戦で各個撃破されかねない。

 

 彼が自分との戦いに釘付けになっているこの状況こそが、今取れる手の中では最も望ましいのだ。

 

 間違っても、この場から七海を逃してはならない。

 

 七海は、逃げる事に抵抗がない。

 

 適材適所という言葉を良く知っている彼は、目の前の戦闘よりも優先すべき事があれば即座にその場から離脱出来る。

 

 今七海が弓場との戦闘を継続しているのは、あくまで王子隊の行動を誘導する為に過ぎない。

 

 その証拠に、七海からは攻めっ気がイマイチ見られないのだ。

 

 これは完全に、集団戦としての自身の役割に徹している時の七海だ。

 

 恐らくすぐに弓場を仕留める気も、この場から離れる気もない。

 

 七海がしているのは、時間稼ぎ。

 

 何かしらの仕込みを終える為の時間を稼ぐ事こそが、彼の目的。

 

 その目的の為に、彼は此処で弓場の足止めに徹しているのだ。

 

 だが、逆に言えば弓場がこの場で戦闘を放棄して別の場所に向かった場合、七海がどう動くのか予想がつかない。

 

 追って来るのならばまだ良いが、七海の場合一度雲隠れして弓場隊の各個撃破を狙う可能性が充分にある。

 

 残念ながら、弓場以外の隊の面々では七海の相手をするのは厳しいと言わざるを得ない。

 

 帯島は筋は悪くないが未だ発展途上であるし、神田はサポーター寄りの銃手だ。

 

 グラスホッパーを駆使する七海を仕留めるには、些か火力が足りない。

 

 狙撃が通じればまだ望みはあっただろうが、七海に狙撃は通用しない。

 

 そもそも、この天候ではまともな距離での狙撃は望めそうにない。

 

 七海の相手をタイマンで務められるのは、自分(テメェ)だけ。

 

 それを、履き違えてはならない。

 

(だが、王子は此処からどうするつもりだろうなァ? 七海達も、中々タチ悪ィ策を打つじゃあねぇか)

 

 

 

 

「王子先輩、どうしますか?」

「そうだね。難しい状況ではある」

 

 王子は樫尾、蔵内と共に立ち止まり、射撃音が飛び交う方角を見据える。

 

 正直、熊谷が一人で姿を見せるのは想定外であった。

 

 熊谷は、那須隊の中では一番落とし易い駒である。

 

 確かに弧月を用いた守りの技術は大したものだし、ハウンドで中距離戦も補えるようになった。

 

 だが、極論それだけだ。

 

 ハウンドの扱いについては王子隊(自分達)の方が一家言あるし、攻撃手相手に受け太刀の技術が有効であるならそもそも近付かなければ良い話だ。

 

 三人で囲んで射撃すれば、問題なく落とせる。

 

 そういった認識だからこそ、最優先で狙うターゲットとしていたのだ。

 

 しかし、熊谷はあろう事か自ら姿を見せ、弓場隊との戦闘に突入した。

 

 それに、2対1であるにも関わらず善戦しているらしい。

 

 此処で王子隊が取れる行動は、限られている。

 

 即ち、乱戦覚悟で熊谷を落としに行くか、このまま様子見を続けるかだ。

 

 彼等を放って茜を探すという選択肢は、まず有り得ない。

 

 茜は狙撃手である事もあり、隠密能力がかなり高い。

 

 隠れる場所の少ないこのMAPでも、上手く隠れている筈だ。

 

 それでも狙撃手が隠れそうな所を虱潰しに探せば見つかるかもしれないが、未だ那須の位置が不明だ。

 

 建造物がなく障害物といえば点在する岩山のみというこのMAPで機動力を制限しているとはいえ、彼女が得意とする複雑な地形が全く無いというワケではない。

 

 もしも茜を見つけようと躍起になった結果、彼女の有利な地形に誘い込まれては目も当てられない。

 

 前回の二の舞は、もうゴメンだった。

 

「ベアトリスが姿を現す事自体は、可能性としては低いと考えていたが想定していたんだ。けれどその場合、必ずナースが一緒に付いてくるものだと思っていたけど……」

「今はまだ、那須の姿は見えないな。熊谷一人で神田達を捌いているようだ」

「この読み違いは痛いな。彼女一人に戦局を任せるとは、流石に予想していなかったよ」

 

 王子は思わず、溜め息を吐く。

 

 どうやら自分は、知らず熊谷の戦力を低く見積もり読み逃しをしてしまったらしい。

 

 前回の試合では、不利な地形で完全に相手の策に嵌められた結果の惨敗だった。

 

 ROUND4でも熊谷とは戦っているのだが、あの時の彼女は完全な囮としての役割であり、那須が逐一フォローに入っていた。

 

 これまでの試合でも、熊谷は転送運で孤立した場合を除きチームメイトと共同で戦う事が多かった。

 

 自分は知らずそのイメージに騙され、彼女が一人で出て来る筈がない、と思い込んでいたのかもしれない。

 

 そう自省する王子だが、今は反省をしている場合ではない。

 

 今この場での最適解を、即座に導き出さなければならないのだから。

 

(どうする? ナースの位置が割れているならヒューラーを探すという選択も取れたけど、この状態じゃ余計なリスクを負うだけだ。かと言って、ベアトリスを落としに行けば必然的に乱戦になる。こちらもこちらでリスクが大きいな)

 

 最大の問題は、那須の位置が未だに割れていない事なのだ。

 

 那須は持ち前の機動力を、グラスホッパーで更に磨きをかけている。

 

 その手が及ぶ範囲は、かなりの広範囲に及ぶと言っても過言ではない。

 

 そんな彼女が姿を隠している現状、迂闊に動けば良い的になるだけだ。

 

 かといってこのままでは、獲れるポイントがなくなってしまいかねない。

 

 要は、どのリスクを許容するか。

 

 どれだけ、そのリスクを減らす事が出来るか。

 

 考えるべきは、その為の方策だ。

 

(重要なのは、確実にポイントを奪取する事。その為に狙うべきは……)

 

 王子の頭脳が、状況を把握し取るべき選択とそれに伴うメリットデメリットを算出していく。

 

 無数にある選択肢の中の一つを選び取り、それを選んだ結果をシミュレートし、発生が予想されるリスクポイントをピックアップ。

 

 草案に修正を加え、瞬時に作戦としての形を整える。

 

「二人共、行くよ。僕の言う通りにしてくれるかい?」

「ああ」

「はいっ!」

 

 そして、王子隊が動く。

 

 荒野の中を、三人の少年が駆けて行った。




 次回作のプロットが割と着々と組み上がっていく。

 まだこの作品は折り返し地点だけど、完結までには次回作のプロットを完成させたいな。

 香取隊の狙撃手の女主人公を予定。


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王子隊⑥

 ──────王子一彰は、昔から客観視が得意な人間だった。

 

 自分への他者からの評価、行動や言動が与える印象、周囲の人々が抱く感情。

 

 そういったものを客観的な視点で分析し、自分にとって都合の良い結果を掴み取れるよう振舞い一つ一つに気を付けて来たつもりだ。

 

 頭の回る策士を気取ってはいるが、戦術面では本気になった東に勝てるとは思っていないし、個人としての実力もそこまで突出しているとは考えていない。

 

 多少頭の回る優等生、それが自分なのだから。

 

 けれど、だからと言って勝てないと考えた事はない。

 

 確かに、自分のチームは他のB級上位チームと比較すると突き抜けた強みがない。

 

 他のB級上位チームと違い、明確なエースがいないというのがその最たる要因であった。

 

 チームランク戦は、個々の実力が高ければ勝てるという甘い世界ではない。

 

 だが、強力な個を最大限に活かす相手が厄介極まりないのも、また事実だった。

 

 その典型的な例が、二宮隊である。

 

 トリオン量の暴力と卓越した技巧を併せ持つ二宮匡貴というMAP兵器のようなエースを最大限に活かす二宮隊は、B級のTOPに君臨し続けている。

 

 二宮は、その気になれば個の力で集団を殲滅出来る規格外だ。

 

 それを優秀なサポーターである犬飼と辻が支えているのだから、その牙城を打ち崩すのは並大抵の事では出来ない。

 

 極論、犬飼と辻は相手の数を充分に減らすまで生き残れればそれで仕事は完了する。

 

 相手が少なくなれば二宮の暴威を押し付けるだけで勝てるのだから、突出したエースがランク戦に置いてどれほどの力を持つかという典型だろう。

 

 これまで燻り続けていた香取隊がB級上位に残存していられたのも、極論香取という点取り屋のエースがいたからだ。

 

 今期のROUND4までの香取隊はチームとしては怖くはない相手だったが、香取が優秀なポイントゲッターであるという事実は覆らない。

 

 チームとしての体を成していない状態でも香取がある程度点を稼ぐ事が出来ていたからこそ、香取隊はギリギリで上位に残留出来ていたのである。

 

 対して、王子隊(自分達)はその真逆だ。

 

 チームの連携と作戦立案能力なら、早々負けないという自負はある。

 

 だが、何かの拍子で相手と正面から当たってしまった場合、力負けしがちなのが自分達の弱みである事は理解していた。

 

 王子隊には、エースがいない。

 

 隊長である王子(じぶん)が個人戦の能力では一番強いのだが、他の実力者を圧倒するエースかと言われれば疑問が残る。

 

 王子は、自分の実力をきちんと客観視する事が出来ていた。

 

 成る程、確かに自分は弱くはない。

 

 機動力とそれを活かす判断能力もあるし、並みの相手なら競り勝てるだけの実力は持っていると自負している。

 

 だが、並みではない相手────生駒や弓場といったB級上位の相手チームのエースと1対1でぶつかれば、まず勝てないだろうと考えていた。

 

 無論、それは一人の場合だ。

 

 仲間と連携すれば勝ち筋は見えてくるが、1対1(タイマン)ではまず勝ち目はない。

 

 だからこそ、王子はあらゆる事に手を抜かない。

 

 対戦相手の試合ログは必要とあらばどれだけ遡っても調べ尽くすし、戦う相手個々人の人間性や実際に戦って見た所感等を聞いて回る労力も惜しまない。

 

 それらの情報を統合し、整理し、勝つ為の最適解を導き出す。

 

 それが、王子隊(じぶんたち)の戦い方なのだ。

 

 明確なエースがいないという不利は、中々厳しいものである事は事実だ。

 

 多少不利な盤面でも覆す事が出来る力を持ったエースがいるといないのとでは、イレギュラーな状況への対応力でどうしても差が出てしまう。

 

 もしも王子隊に七海を一人で抑えられるような力を持ったエースがいれば、もっと余裕を持った作戦を立てられていたかもしれない。

 

 だからどうした、と王子は思う。

 

 ないものねだりをしても、勝てる筈がないのだ。

 

 重要なのは、今ある手札を最大限に有効活用して勝利を手繰り寄せる事。

 

 その為には、作戦の見栄えなど気にしている場合ではない。

 

 たとえ臆病者(チキン)と罵られようが、勝負は結果が全てだ。

 

 勝てば官軍、負ければ賊軍、という言葉がある。

 

 どんなに正々堂々戦ったとしても負けてしまえば意味がないし、逆にどんな手を使おうが勝つ事さえ出来ればどんな汚名も意味をなくす。

 

 勝つ為にあらゆる手段を尽くす事の、何が悪い。

 

 嫌な奴に見られようが、胡散臭く思われようが、勝利を求める為に手を尽くす事が無意味である筈がない。

 

 試合前の七海とのやり取りも、少しでも彼の精神状態や作戦方針を探れれば良いと考えてやった事だ。

 

 そして、その結果分かった事もある。

 

 ────今の七海に、精神的な揺さぶりは通用しない。

 

 ROUND3までの七海であれば、まだ付け入る隙があったのだ。

 

 だが、その隙はROUND3で東が突き、その結果彼はその弱みを克服してしまった。

 

 それに気付けなかった事が、ROUND4の敗戦の最大の要因でもある。

 

 あの時、王子はこれまで通り過去の試合ログを見て、那須を狙えば七海はそれを庇うという情報を入手し、それを前提に作戦を構築した。

 

 その結果、まんまと那須隊の策に絡め取られ、惨敗を喫した。

 

 過去のデータを絶対視し、那須隊の面々のメンタルを軽く見たのが前回の敗因であったと王子は見ている。

 

 故に、今回は決して下手は打たない。

 

 認めよう。

 

 今の王子隊では、七海玲一は落とせない。

 

 三人がかりで挑めばある程度押し込む事は出来るだろうが、那須隊は彼一人ではないのだ。

 

 七海一人に全員でかかる必要がある時点で、チームとして勝ち目はない。

 

 彼一人にかかりきりになっている間に、那須や茜の横槍で落とされるのが関の山だろう。

 

 だからこそ、今回は七海を狙わず他の相手を狙って落とす方針で作戦を組み立てた。

 

 都合の良い事に、この試合には王子の良く知る相手である弓場が参戦している。

 

 弓場は、七海と1対1で正面からやり合える実力を持つエースだ。

 

 その実力も戦術も、王子は元チームメイトとして熟知している。

 

 彼に七海の相手をさせ、その隙に標的を狙う事は充分可能であると想定していた。

 

 …………だが、その想定はこちらの作戦を読んだ那須隊の一手によって覆された。

 

 標的として追っていた熊谷は自ら弓場隊の前に姿を現し、王子隊に誘いをかけてきた。

 

 自分を落としたいのなら、乱戦に飛び込んで来いと。

 

 正直、この一手は王子隊にとって最も好ましくない展開であった。

 

 確かに、王子隊全員であの場に飛び込めば熊谷は落ちるだろう。

 

 しかしそれは、王子隊得点に出来るかと言われれば疑問が残る。

 

 王子がそうであるように、神田もまた元チームメイトである王子のやり口や実力は熟知している。

 

 故にこそ、今回は神田に作戦方針を看破される前提で戦術を構築したのだ。

 

 神田であれば、乗って来るだろうと考えて。

 

 事実神田は初手で王子隊を狙うという強かな真似をしてきたものの、王子隊の作戦方針自体には乗っている。

 

 そしてこの状況であれば、神田は王子を利用して熊谷を落とすか、熊谷を落とさせてその隙に王子隊を潰すか、そのくらいはやってのける。

 

 一点を取る為に王子隊が全滅したのでは、割に合わないにも程がある。

 

 かと言って茜は狙撃手である上に隠密に長けている為、狙撃されるまでは位置を特定するのが困難である。

 

 那須が姿を隠したままなのも、王子隊にとっては悪い方向に働く。

 

 せめて彼女の位置さえ特定出来れば違った戦略も取れるのだが、熊谷が戦い始めて暫く時間が経過した今も一向に姿を見せる様子がない。

 

 那須は、那須隊のエースの一角である。

 

 バイパーのリアルタイム弾道制御と突出した機動力という二つの武器を持つ彼女は、七海と同じくらい放置してはならない駒だ。

 

 彼女の自由を許して良いように攪乱された結果、前回の惨敗に繋がったのだから。

 

 その彼女が未だに姿を隠したままであるという事実は、重い。

 

 迂闊な行動は、即座に敗北に繋がる。

 

 その前提で、作戦を組み立てなければならなかった。

 

(この作戦が、最もメリットが大きい。多少どころじゃないリスクはあるけど、安全策はむしろ逆効果だ。此処で攻めなければ今以上に戦況は悪化すると、僕の勘も訴えているからね)

 

 王子は、荒野を走りながら笑みを浮かべる。

 

 そして、射撃音の飛び交う戦場へと足を向ける。

 

(此処が、勝負所だ。危険な懸けだが、勝利して見せるとも。僕達の戦い方を、見せてあげよう)

 

 

 

 

「「ハウンドッ!」」

 

 熊谷と帯島、二人の少女が同時にハウンドを撃ち放つ。

 

 無数の誘導弾が、曲射軌道を描いてお互いの身体を目掛けて降り注ぐ。

 

 ハウンドを防ぐだけであれば、シールドを広げれば事足りる。

 

 だが、足を止めれば神田のアステロイドが、熊谷の旋空が襲い掛かって来る事は容易に想像出来る。

 

 故に、足は止めない。

 

 帯島はシールドを張りながら、バックステップで大きく移動。

 

 神田のフォローが必要な位置へと、後退する。

 

「────!」

 

 対して熊谷が取った方法は、全くの逆。

 

 シールドを、帯島のハウンドの射線上に広げて展開。

 

 ハウンドは熊谷に到達するより遥かに前の時点でシールドに防がれ、霧散。

 

 更に熊谷自身は弧月を手にし、そのまま駆け出す。

 

 後退した帯島を追撃する形で、一直線に疾駆する。

 

「帯島ッ!」

「はい……っ!」

 

 そんな熊谷に対し、神田はすぐさま帯島に呼びかけると同時に突撃銃の引き金を引く。

 

 無数の威力特化の弾丸(アステロイド)が、呼びかけに応じた帯島のアステロイドと共に撃ち放たれる。

 

 シールドを重ねようが、アステロイドの同時射撃であれば撃ち抜ける。

 

 その想定あってこその、弾種の選択。

 

 この距離ならばアステロイドの方が有効だろうという、帯島の判断でもある。

 

 仮に誘導弾(ハウンド)を選択した場合、ハウンドを広げたシールドでガードしアステロイドを集中シールドで防ぐ、といった立ち回りで防がれる可能性もあった。

 

 そう考えれば、帯島の判断は間違いとは言えない。

 

「────ッ!」

「え……!?」

「な……っ!?」

 

 ────ただ、その想定を熊谷が上回っただけだ。

 

 二人の斉射を見た熊谷は、姿勢を低くしてあろう事かスライディングを敢行。

 

 アステロイドの斉射の下を潜り抜ける形で、神田の下へ到達。

 

 その勢いのまま神田に突撃(タックル)をかまし、彼をその場から吹き飛ばす。

 

「旋空弧月ッ!」

 

 そして、すぐさま態勢を整えると旋空を使用。

 

 空中に吹き飛ばされた神田の右腕を、一息に切断した。

 

「くっ、外したか……っ!」

 

 熊谷としては、今の一撃で神田を両断するつもりでいたのだが、無理に姿勢を整えての一撃では狙いが定め切れなかったのだ。

 

 だが、痛打は痛打。

 

 どうせなら足を斬り落としておきたい所だったが、片腕を失うダメージは無視出来ない筈である。

 

「く……っ!」

「……っ!」

 

 だが、立ち止まっている暇はない。

 

 事態を一瞬遅れて把握した帯島が、神田をフォローすべく熊谷に斬りかかる。

 

 しかし、小柄故か帯島の剣は()()

 

 無論剛剣の使い手ではないが、彼女の体重の軽さもあって上段から振り下ろされようがそこまでの重圧は感じない。

 

(旋空弧月ッ!)

 

 だからこそ、帯島は無音声で旋空を起動。

 

 自身の斬撃を受け太刀しようとした熊谷を斬り裂く為、刀身を伸ばさず剣を振り下ろす。

 

「え……っ!?」

 

 けれど、それすらも対応された。

 

 熊谷は、自身の弧月で帯島の弧月の刀身の()()を受け止める。

 

 旋空は、先端に近付けば近付く程威力が増すトリガーである。

 

 だが逆に、先端から遠ざかれば遠ざかる程切断力は減少する。

 

 つまり、刀身の根本付近となればその威力は通常の弧月とそう変わらない。

 

 ピンポイントで刀身の根元を受け太刀出来れば、至近距離の旋空は止められる。

 

 理屈としては、そうだ。

 

 しかしそれを現実に実行するには、卓越した受けの技量が必要となる。

 

 受け太刀の名手である熊谷だからこそ、実行出来た技。

 

 それが、完全に帯島の虚を突いた。

 

「が……っ!?」

 

 隙を見せた帯島に、熊谷は肘鉄を見舞い空中へと打ち上げる。

 

「ハウンドッ!」

 

 そして、追撃のハウンドを撃ち放つ。

 

 更に、熊谷は弧月を構え直し旋空の起動準備に入る。

 

 ハウンドを防御した瞬間、旋空で斬り裂く。

 

 それで、詰み。

 

 神田は、たった今態勢を立て直したばかりであり、ハウンドはともかく旋空は遠隔シールドではガード出来ない。

 

(獲った……っ!)

 

 熊谷は、勝利を確信した。

 

 

 

 

『蔵内、今だよ』

「了解」

 

 だが、それに待ったをかける者がいた。

 

 蔵内は王子の指令を受け、手元で合成した弾丸を二分割して双方向に順次撃ち放つ。

 

誘導炸裂弾(サラマンダー)

 

 二つに分かたれた火蜥蜴が、別々の方向に射出された。

 

 

 

 

「ぐ……っ!」

「うわ……っ!」

「うお……っ!」

 

 先に着弾したのは、熊谷達のいる場所だった。

 

 突如飛来した爆撃は、熊谷のすぐ傍に着弾。

 

 咄嗟にシールドを広げた三者だったが、爆風に吹き飛ばされ体重の軽い帯島は空中へと投げ出された。

 

「……っ! 帯島……っ!」

「……っ!」

 

 その帯島へ、無数の光弾が殺到する。

 

 それを察知した神田は、遠隔シールドを展開。

 

 その光弾を、ハウンドを防御する。

 

 そして、気付く。

 

 今のハウンドは、熊谷によるものではない。

 

 熊谷のいる場所の向こう側、岩山の近く。

 

 その場所に、小柄な影があった。

 

「誰だっ!?」

 

 神田は迷わず、突撃銃で銃撃。

 

 放たれたハウンドが、小柄な影に殺到する。

 

「シールドッ!」

 

 だが、その銃撃はシールドによってガードされる。

 

 銃撃によって照らされたその姿は、生真面目そうな顔立ちの少年。

 

「…………」

 

 王子隊攻撃手、樫尾由多嘉だった。

 

 

 

 

「…………まさかおめェーがこっちに来るとはなァ、流石に予想してなかったぜ」

「…………」

「こうしないと、先がなさそうでしたからね。僕としても、苦渋の決断ってやつですよ」

 

 そして、一方。

 

 サラマンダーが着弾したもう一つの戦場でも、新たな乱入者が姿を見せていた。

 

 爆発の隙を突いてハウンドを従えて現れたその乱入者は、王子は、充分に七海と弓場から距離を取った上で、にこやかに笑う。

 

 王子隊が、二つの戦場に同時に参戦した瞬間であった。




 分割したキューブを待機させておく事は可能っぽいので、二つに分割した後片方を発射した後別方向に撃つ事は出来るかなと思いやりました。時間差射撃というか置き弾の要領ですかね。


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王子隊⑦

 

「蔵内隊員の誘導炸裂弾(サラマンダー)が炸裂……っ! それに乗じて樫尾隊員、王子隊長が二つの戦場に乱入しました……っ!」

「成る程、そう来るのか」

 

 会場は、王子隊の行動で沸き立っていた。

 

 今まで隠れて動くだけだった王子隊が、自ら主戦場へ突入した。

 

 しかも、部隊を分けて。

 

 基本的に合流して行動する事が多い王子隊がこの局面で隊を分ける選択をした意味は、大きい。

 

「なんやなんや、王子の奴どうするつもりなんや? なんでわざわざ、弓場さんトコに顔出しとるんや? そこは、神田達のトコに全員で突っ込むんちゃうんかいな」

 

 生駒は王子の意図が読めず、疑問符を浮かべる。

 

 確かに生駒は状況判断能力が高く、咄嗟の適応力も高い。

 

 だが、作戦立案能力が高いというワケではないのだ。

 

 専ら相手の作戦を看破するのは水上の仕事であり、彼はあくまでエースとしてその場その場に適応した動きをするのが基本である。

 

「どうなん嵐山? 王子は、何狙うてるん?」

 

 故に、この場で戦術眼に優れた者に説明を丸投げする事に何の躊躇いもない。

 

 適材適所、という言葉をよく知っている生駒であった。

 

「そうですね。生駒隊長が指摘した通り、これはリスクの高い行動です。隊の連携と機動力が持ち味の王子隊が自ら隊を分けた場合、当然連携は取り難くなり戦力的にも厳しくなるでしょう」

 

 ですが、と嵐山は続ける。

 

「MAPをよく見て下さい。実は、あの二つの戦場はそう離れてはいないんですよ」

「あ、ホンマやな」

 

 嵐山の言う通り、MAP上での弓場達が戦っている場所と神田達が戦っている場所は、そう離れているワケではない。

 

 そもそも、弓場は戦闘中神田達の射撃音を聞いている。

 

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()で戦っていたワケだ。

 

 砂嵐の所為で視界が塞がれて位置関係が分かり難いが、二つの戦場をその中間地点にいる蔵内が同時に視認出来る程度には近場なのだ。

 

「つまり王子隊は、いざとなればフォローが効く範囲で隊を分けたと見る事が出来るワケですね。王子隊は機動力が高い上に、樫尾隊員はグラスホッパーを持っています。状況に応じて、一ヵ所に集まるつもりの布陣と見て良いでしょう」

「成る程なあ、砂嵐の所為で分からんかったが、そんなに近い場所で戦うてたんか」

 

 生駒は嵐山の解説に、得心して頷いた。

 

 今回は、砂嵐という特殊な天候が適用されている。

 

 この天候は暴風雨や濃霧よりも更に視界条件が悪く、数十メートルも離れれば地形も朧気にしか視認出来ない。

 

 全速力で走ったら岩山にぶつかった、という事も普通に有り得る天候なのだ。

 

 近くで戦っていても、正確な位置が分かり難くても無理はない。

 

「王子隊は、このMAPと天候を自ら選んでいる利を最大限に活かすつもりでしょう。事前にMAP情報は調べ尽くしているでしょうから、地形把握という点で他の隊に明確なアドバンテージを取れる。それを利用した策と言えるでしょう」

 

 だが、それはMAPの事前調査が出来なかった場合の話だ。

 

 王子隊はMAPを決めた張本人であるが故、MAPの綿密な下調べが可能だった。

 

 故に、このMAPの地形を最も把握しているのは王子隊と言える。

 

 だからこそ、こんな大胆な布陣が可能であったのだ。

 

「けど、そこまでして隊を分けた理由は何や? 王子の事やから、何か考えがあるんやろ?」

「狙いとしては、恐らく那須隊長を誘い出す事でしょうね。那須隊長の位置が不明なままだと、王子隊は動きをかなり制限されますからね」

 

 成る程、と生駒は頷き、あ、と呟いて手をポンと叩いた。

 

「読めたで。那須さんが出てきたらそっから一目散に逃げて、もいっこの方に全員で向かうハラやな」

「そうですね。恐らく、それが狙いでしょう」

 

 嵐山はそう告げ、画面を見据える。

 

「王子隊は、基本的に各隊のエースとの交戦を避ける方針を取っています。だから、那須隊長、七海隊員、弓場隊長とは極力当たりたくはない。ですが、那須隊長が未だ姿を見せない事で迂闊な動きが出来ない状態です」

「那須さん、めっさ速いからなあ。バイパーの射程もえぐいし、まともにやり合いたくないんは分かるわ」

「だからこそ、自分達を囮にする策で那須隊長を釣り出す事にしたのでしょう。今度は王子隊が、那須隊に選択を突き付ける形ですね」

 

 恐らく、意趣返しという意味もあるのだろう。

 

 那須隊は、熊谷の姿を敢えて晒す事で王子隊に選択を迫った。

 

 その一手の所為で、王子隊はこれまでと同じ作戦を継続する事が難しくなってしまった。

 

 だからこその、この一手。

 

 自分達が敢えて姿を晒す事で、那須を挑発する策。

 

 出て来ないのか、という明確な誘い。

 

 今度は那須隊が、難しい選択を迫られる事になったのだ。

 

「けど、乱戦は七海の十八番やで? 王子があそこ行ったら、逆に利用されてまうんちゃうか?」

「確かに、普通であればそうでしょう。乱戦における七海隊員の立ち回りは、群を抜いています」

 

 ですが、と嵐山は続ける。

 

「それは、1対1対1であった場合です。王子隊長は最初から、()()にするつもりはないでしょうね」

 

 

 

 

「────ハウンド」

 

 戦端を切ったのは、王子の射撃だった。

 

 大きく広げたハウンドが、七海を包囲するように襲い掛かる。

 

 誘導弾(ハウンド)は、誘導設定の強弱を使い分ける事でその弾道を決定する。

 

 王子は敢えて誘導設定を限界まで弱く調整する事で、横に広がるハウンドを撃ち出したのだ。

 

 機動力と回避能力に長けた七海に対して、一ヵ所に集中した弾丸は愚策。

 

 威力がそう高くないハウンドでは、トリオン能力の優れた七海のシールドを貫く事は出来ない。

 

 だからこその、広範囲射撃。

 

 威力ではなくカバーする範囲を優先した射撃により、七海の行動を制限しにかかったのだ。

 

「……!」

 

 だが、当然それだけで落とせる程七海は甘くはない。

 

 弾丸を広げようと、七海にはサイドエフェクトで被弾しない場所を正確に読み取る事が出来る。

 

 ただ弾丸を広げただけでは、七海に対する対策としては不十分だ。

 

「────」

 

 ────しかしそれは、相手が()()()()だった場合の話である。

 

 この戦場にはもう一人。

 

 早撃ちを得意とする、弓場隊のエース。

 

 弓場拓磨が、いるのだから。

 

 広げたハウンドに対応する為回避機動を取る七海に対し、弓場は右腕でバイパーを放つ。

 

 王子のハウンドの隙間を埋める形で放たれたバイパーが、七海の逃げ場を封殺する。

 

「……っ!」

 

 対して七海は、グラスホッパーを展開。

 

 それを踏み込む事での、後方への退避を選択した。

 

「甘ぇ」

「……っ!?」

 

 早撃ち一閃。

 

 弓場は左手の拳銃から弾丸を放ち、七海の展開したグラスホッパーを撃ち抜いた。

 

 グラスホッパーは物質化したものであれば弾くが、トリオンの弾丸にぶつかれば相殺され消滅する。

 

 更に、七海本人ではなくグラスホッパーを狙えば七海のサイドエフェクトは反応しない。

 

 それを分かっていた弓場は、七海の逃走の為の常套手段であるグラスホッパーが展開される事を見越して、それを正確に狙い撃ったのだ。

 

 足場がなくなり、七海はバランスを崩す。

 

 そこに、四方八方からハウンドとバイパーの弾丸が降り注いだ。

 

「く……っ!」

 

 七海は咄嗟にシールドを展開し、ガード。

 

 幾ら弾数が増えようが、ハウンドもバイパーも威力自体は低い。

 

 更に、両攻撃(フルアタック)ではなく双方とも片腕ずつの射撃である為、シールドを広げれば防御するのはそう難しくない。

 

「……っ!!」

 

 ────だが、七海の動きを止める事さえ出来ればそれで充分。

 

 弓場は左手の拳銃に残された弾丸、五発を連射。

 

 咄嗟に身体を捻って回避した七海だが、避けきれなかった弾丸が脇腹を抉る。

 

 傷口からは少なくないトリオンが漏れ出ており、痛打である事は間違いない。

 

(どうやら、王子隊長は完全に弓場さんのサポートに回る気だな)

 

 此処に来て、七海は王子の意図を察した。

 

 王子は、この場に乱戦に来たのではない。

 

 弓場をサポートして七海を獲らせる為に、この場に現れたのだ。

 

 元々、王子は弓場隊の出身。

 

 故に、どう動けば弓場が戦い易いかは、文字通りその身に染み付いている。

 

 だからこそ、この場で王子は完全な弓場のサポーターとなる事を選択した。

 

 それが、一番七海(相手)の嫌がる事だと理解したが故に。

 

(やっぱり、曲者だな。俺の感じた苦手意識は、間違いじゃなかったか)

 

 七海はにこやかに笑う王子の姿を見て、思う。

 

 あの笑みは、決して人畜無害なそれではない。

 

 獲物を見定めた、狩人の笑みだ。

 

 その笑みに王子の持つ抜け目なさを感じて、七海は内心で舌打ちした。

 

 弓場は恐らく、今の攻防で王子の意図を理解した筈だ。

 

 好きなものと問われて1対1(タイマン)と言い切る漢である弓場だが、この場での最適解は彼とて理解している筈だ。

 

 神田の事がなければもしかすると別だったのかもしれないが、今弓場にとって最優先事項は()()事だ。

 

 チームメイトの最後の花道を彩る為、全霊を尽くす。

 

 それが、今の弓場なのだ。

 

 故に、内心どう思っていようが此処は王子の策に乗らざるを得ない。

 

 もしも王子が弓場の策に乗らなかった場合、王子は弓場に標的を切り替える事も充分考えられる。

 

 王子がこの場で完全な敵に回るだけで、弓場は相当苦しくなる。

 

 ただでさえ、チーム戦に置いて厄介極まりない能力を持つ七海を相手にしているのだ。

 

 七海はやろうと思えば、弾丸の雨の中にも平気で飛び込める。

 

 射手トリガーを使う者との連携も、充分以上に経験がある。

 

 王子のサポートを受けた七海を相手にした場合、弓場が勝てるかどうかはかなり微妙な所だ。

 

 そして七海は、試合では徹底的にクレバーになれる。

 

 必要とあらば、王子の策に乗る事にも躊躇わないだろう。

 

 だからこそ、この場では弓場は王子の策に乗らざるを得ない。

 

 状況次第で平気で敵に回る王子という存在は、この場を搔き乱す要因としては様々な意味で厄介極まりないのだから。

 

(解決策は、ある。だが恐らく、それこそが王子隊の狙い)

 

 この状況を脱する方法は、単純だ。

 

 那須を、この場に介入させれば良い。

 

 彼女の援護さえあれば、二人を相手にしても充分やり合える。

 

 リアルタイム弾道制御が可能な那須の操る変化弾(バイパー)は、それだけの力を持っている。

 

 だが、当然それは王子も気付いている。

 

 むしろ、それこそが王子の狙い。

 

 王子は最初から、那須を誘き寄せる為にこの場に現れたのだから。

 

(此処に玲を呼べば、恐らく王子隊長は即座に撤退を選ぶ。そして俺と玲が弓場さんと戦っている間に隊員と合流し、ポイントを稼ぎに行く筈だ)

 

 七海は、王子の魂胆を見抜いていた。

 

 王子は最初から、七海や那須とまともに戦うつもりがない。

 

 今回も弓場が七海と戦っている最中でなければ、決してこの場には現れなかった筈だ。

 

 エースとの戦いを避け、足を使って獲れる点を取る。

 

 その姿勢は、試合開始から一貫している。

 

 別にそれを卑怯と言う気はないし、自分の隊の強みを活かすのはむしろ当然だ。

 

 どんな策を使おうが、最終的に勝てれば良いのだ。

 

 卑怯だなどという言葉は、戦場では通用しない。

 

 よほど卑劣な方法でもなければ、取るべき最適解を選んだ人間を罵倒するような謂れはない。

 

 単純に、勝てなかった方が悪いのだから。

 

(考えろ。何が最適解か、導き出せ)

 

 七海は再び迫り来るハウンドとバイパーを前に、思考する。

 

 最適解を。

 

 この場を切り抜ける、最も優れた方法を。

 

 

 

 

『七海先輩が苦戦していますね。熊谷先輩も、少し苦しそうです。王子隊は、明確に那須先輩を誘っていますね』

「…………そう」

 

 小夜子と通信を繋ぎながら、那須は思案する。

 

 戦況は、理解している。

 

 熊谷は、自らを囮とする戦略を実行し神田・帯島、そしてたった今乱入した樫尾と戦っている。

 

 七海は、王子のサポートを受けた弓場相手に防戦一方だ。

 

 どちらも、このまま放っておけば落ちてしまう危険が高い。

 

 那須が、どう行動するか。

 

 それに、今後の展開が左右される局面だった。

 

 熊谷は最初から落ちる事さえ考慮してあの場に投入しているが、七海は別だ。

 

 七海が落ちてしまえば、この試合での勝利はかなり厳しくなってしまう。

 

 故に優先順位で言えば七海の救援の方が高いのだが、それは恐らく王子も想定済みである。

 

 むしろ、那須の介入をあからさまに誘っている。

 

 王子の狙いは、那須の位置を確認した上で戦闘を避けて獲れる点を取りに行く事。

 

 此処で七海の下に向かえば、王子の思う壺となる。

 

 それに、熊谷の方も放置して良い戦場ではない。

 

 あそこで熊谷が落ちれば、弓場隊の二人や樫尾は七海達の下へ向かいかねない。

 

 乱戦は七海の得意とするところだが、弓場というエースを相手にしている状況で横槍が入る状態は望ましくない。

 

 このまま座して待てば、確実に那須隊(自分達)の不利になる。

 

 故に、傍観する選択肢は有り得ない。

 

 だが、迂闊に動けばそれこそ相手へ利する結果となってしまう。

 

 どう、動くか。

 

 那須は、選択を迫られていた。





 このROUNDのテーマは「選択」です。

 各隊が策を打ち、相手に苦渋の選択を強要する。

 ROUND4は相手の裏をかく読み合いでしたが、こちらは意図を看破される事を前提でどれが最適解かを選んでいる形ですね。

 誘導弾(ハウンド)は最新話の設定は目から鱗でした。

 「バイパーより手軽に扱える射撃トリガー」っていうイメージを覆されましたからねえ。


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王子隊⑧

(これは、ちょっとマズイかもね……っ!)

 

 熊谷は自分に向かって迫り来る樫尾のハウンドをシールドでガードしながら、内心で舌打ちする。

 

 先程の爆撃と共に現れた樫尾は、決して接近しての白兵戦は行わず、ハウンドでの()()()()に徹している。

 

 そう、弓場隊への援護射撃(フォロー)として。

 

「やあ……っ!」

 

 帯島は、小柄な体躯を活かしてハウンドを防御する為に足を止めた熊谷の懐に潜り込む。

 

 そして弧月を横薙ぎに振るい、熊谷の胴を狙う。

 

「く……っ!」

「……っ!」

 

 熊谷は、帯島の弧月を自らの弧月で受け太刀。

 

 体格差を活かし、そのまま弧月を押し込み帯島を跳ね飛ばす。

 

「────」

 

 だが、跳ね飛ばされる直前に帯島はハウンドを放つ。

 

「ハウンドッ!」

 

 同時に、樫尾もまた誘導弾(ハウンド)を射出。

 

 二方向からのハウンドが、熊谷を狙い撃つ。

 

「く……っ!」

 

 熊谷に、このハウンドから避けきるような機動力はない。

 

 故に、シールドを広げてガードする以外の選択肢は存在しない。

 

 熊谷はシールドを広げ、全方位から迫り来るハウンドを防御する。

 

 どちらのハウンドも誘導の強弱は上手く調節してあり、熊谷が避けきれないギリギリのラインの弾道を描いている。

 

 ハウンドを習得して日の浅い熊谷には、そういった細かい調節はまだ出来ない。

 

 正確に言えば出来ないワケではないが、練度は王子隊のそれには及ばない。

 

 那須にレクチャーして貰って練習を続けてはいるが、熊谷の適性は本来攻撃手のそれ。

 

 射手トリガーは鍛錬の末に何とか会得したものであり、本職の射手の技術にはまず勝てない。

 

 だが、使い方と使い道に関しては那須や出水に丁寧なレクチャーを受けていた為、分かる事もある。

 

「────」

 

 樫尾は、時間を稼いでいる。

 

 動きこそ弓場隊へのフォローだが、ある程度熊谷を追い込み過ぎないように調整している向きが見られる。

 

 その証拠に、樫尾は分割したハウンドの一部を手元に残している。

 

 熊谷への時間差射撃、を狙ったものではない。

 

 隙を見て銃撃を撃ち込もうとする、神田への牽制の為だ。

 

 先程も、ハウンドで固まった熊谷を銃撃しようとした神田に対し、樫尾はハウンドで牽制している。

 

 そして、神田達が樫尾を狙おうとすれば、グラスホッパーを用いてすぐさま逃げに徹している。

 

 熊谷を追い込む傍ら、この場の戦闘が容易に終結しないよう気を配ってもいる。

 

 その動きはいっそあからさまに、時間稼ぎが狙いだと明言していたも同然だった。

 

(多分、王子隊はあたしに今すぐ落ちて貰っちゃ困るんだわ。あたしが落ちれば、自動的に弓場隊の狙いは樫尾くんに向かう。それを避けたいから、あたしを追い込みながら適度に弓場隊の邪魔をしてるんだろうけど……)

 

 狙いは何か、など聞くまでもない。

 

 恐らく王子隊は、那須を誘い出す事を目的として動いている。

 

 彼等としては、那須が出て来るのであれば七海の所と自分の所、そのどちらでも良いのだ。

 

 那須の位置さえ分かってしまえば、自分達が動き易くなる。

 

 そう考えて、敢えて熊谷を追い詰め過ぎない程度に追い込んで誘いをかけているのだろう。

 

(どうする? この場からの離脱は難しそうだし、そもそもそれじゃあ此処に出てきた意味がなくなる。あたしは此処で落ちる事を前提に出てきた。それは問題ない。問題は、()()()()()か)

 

 元より、この場に出てきた時点で熊谷は自分が落ちる覚悟を決めている。

 

 だが、ただ落ちたのでは意味がない。

 

 最低限、自分の仕事はきっちり果たしていかなければならない。

 

 王子隊を誘い出す、という目的は既に達している。

 

 だが、王子隊が那須を釣り出す方針に切り替えた以上、それだけでは不十分だ。

 

 少なくとも、此処で王子隊の戦力を削っておかなければ自分の役割を果たしたとは言えない。

 

 しかし、だからといって神田と帯島を無傷のままこの場から逃がす、というワケにもいかない。

 

 神田の左腕は既に削っているが、欲を言えばもう少しダメージを与えたい所である。

 

 弓場隊の二人も落とせれば理想的ではあるが、それは少々欲張り過ぎだろう。

 

(捨て身になるには、少し早いかな……? 七海のトコに行かれるのも面倒だし、もう少し王子隊の時間稼ぎに付き合うか……?)

 

 熊谷はハウンドをシールドで捌きながら、ちらりと樫尾の姿を見据える。

 

 先程から、樫尾は一貫して中距離射撃に徹している。

 

 あちらから踏み込んでくれればカウンターをお見舞いしてやる事も出来るのだが、それを分かっている為か一向に近付いては来ない。

 

 熊谷の持ち味は、受け太刀からの返り討ち(カウンター)だ。

 

 至近距離での鍔迫り合いであれば、熊谷の技量と手足の長さは明確な武器になる。

 

 そこまで大柄な体格ではない樫尾相手なら、受け太刀から態勢を崩す事での迎撃も充分可能だろう。

 

 それが分かっているだけに、今の状況は口惜しいものがあった。

 

(生駒さんや村上先輩と相対した時のような、威圧感は感じない。けど、単純に戦い方がうざったいな)

 

 樫尾や帯島は、今まで熊谷が戦った経験のある上位の攻撃手と比べれば近接戦闘の技量は劣る。

 

 だが、自分の役割をしっかり認識しており、余計な一歩を踏み込んで来ない。

 

 どちらも、自分だけで相手を倒す必要はないと割り切っている動きだ。

 

 ある意味、こういう相手の方がやり難いとさえ言える。

 

 自分一人で戦況を変えられるようなエースは、当然ポイントを稼ぐ為に一歩踏み込んでくる事が多い。

 

 その結果得点に繋げられるからこそのエースなのだが、逆に言えば彼等は明確に防御よりも攻撃を優先する。

 

 だからこそ、相打ち覚悟であればその攻撃に合わせる形で一矢報いる事も出来た。

 

 けれど、樫尾も帯島も明確なエースと言える力量がない分、引き際をきちんと見極めている。

 

 簡単に言えば、リスク管理が上手いのだ。

 

 エースではないからこそ、多少のリスクを前提とした攻撃ではなく、堅実な立ち回りを行って来る。

 

 帯島も樫尾も年齢的にまだ年少組である為か少々前のめりな所はあるものの、決して無理はしないように立ち回っている。

 

 無理に捨て身で踏み込めば、一方的にやられる可能性が高い。

 

 それ故に、熊谷は今の膠着状態を受け入れざるを得なかった。

 

『熊谷先輩。少し、やって貰いたい事があります』

「何?」

 

 そんな折、小夜子が通信を繋いで来た。

 

 熊谷は戦闘へ気を配りながらも、オペレーターの声に耳を傾ける。

 

 そして小夜子は、その一言を、告げた。

 

『ちょっと、死んできて貰えますかね?』

 

 

 

 

「まだ、ナースは現れないかい?」

『今の所、バッグワームを解いた形跡はないわ。樫尾くんの所や蔵内くんの所も、異常なしよ』

 

 王子はハウンドを七海に向かって放ちながら、オペレーターに確認を取っていた。

 

 この王子隊の布陣は、あくまで那須を誘い出す事が第一の目的である。

 

 那須の居場所が分かった瞬間、その場の戦闘を放棄して()()()()()()()()()()に集結。

 

 そのまま三人の連携で、取れる点を取る。

 

 それが、今の王子隊の戦略だ。

 

 幸い、地の利はこちらにある。

 

 一度姿を晦ます隙さえ作れれば、すぐさま合流を目指せるだろう。

 

 問題は王子がこの場から逃げ切れるかだが、最悪の場合此処で捨て駒になっても問題ないと王子は考えている。

 

 獲れる点を取った後は自発的な緊急脱出出来れば理想だが、七海も弓場も甘い相手ではない事は王子とて身を以て理解している。

 

 グラスホッパーを持っていない王子では、この二人から逃げ切れない可能性が高い。

 

 だが、グラスホッパーを持っている樫尾ではこの二人の相手は単純に荷が重い。

 

 王子がこの戦場をある程度コントロール出来ているのは、偏に弓場の事を良く知っているからだ。

 

 弓場の実力や立ち回り、思考傾向や好む戦術に至るまで、王子は理解している。

 

 だからこそ、弓場のサポートに徹する形でこの場の戦闘をコントロール出来ているのだ。

 

 王子は、自分の力を見誤らない。

 

 七海や弓場と比べれば、自分個人の実力は優秀止まりである事は理解している。

 

 だが、これは()()()ランク戦。

 

 個人の実力で劣っていようが、結果的にポイントさえ取れれば勝ちなのだ。

 

 その為なら、多少の失点には目を瞑ろう。

 

 獲れるポイントは容赦なく頂くが、取り難く危険なポイントまで無理をして取る必要はない。

 

 それが、王子のスタンスだった。

 

(上位では地力不足? エースがいない? だからどうした。僕達は、僕達なりのやり方で戦う。文句なんて、誰にも言わせない)

 

 王子は、自分の隊に不満を持った事など一切ない。

 

 樫尾はまだ発展途上ではあるが、センスは光るものを持ち合わせている。

 

 勤勉で真面目な性格も、王子としては好印象だ。

 

 たゆまぬ向上心に支えられた樫尾は、きっと将来良い攻撃手として花開くだろう。

 

 蔵内は、初代弓場隊時代からの付き合いでお互いの事は良く知っている。

 

 一見ロボットみたいな顔をしている割に涙もろく感動屋で、ちょっとした人情エピソードを話しただけで感涙する感情豊かな人物だ。

 

 そして、射手としては基本に忠実で、今も昔も頼れる相棒だ。

 

 彼がいたからこそ、今の王子隊があると言っても過言ではない。

 

 オペレーターの羽矢も、少々変わった所はあるがそれも愛嬌として受け取れる。

 

 彼女の正確無比なオペレートには、いつも助けられている。

 

 誰もが、頼れる素敵な仲間達だ。

 

 この面子で、A級を狙う。

 

 その想いは、昔から変わっていない。

 

 エースなどいなくとも、戦術次第で上は目指せるのだと、王子は証明したかった。

 

 今期は、その最大のチャンスなのだ。

 

 迅が布告した『合同戦闘訓練』は、A級への昇格試験を兼ねているという。

 

 そしてA級へ上がる為の最低条件は、ROUND8の終了時にB級上位に残留している事。

 

 つまり、最大の難所である二宮隊と影浦隊をポイントで越せずとも、A級に上がる機会はあるという事だ。

 

 勿論、そう簡単なものではない事は理解している。

 

 二宮隊と影浦隊はペナルティで降格されている為、たとえ試験が良い結果に終わったとしてもA級昇格の対象外になっている可能性がある。

 

 推測に過ぎないが、もしこれが当たっていれば狙うべきは()()()

 

 影浦隊に次ぐ功績を残せれば、A級に上がる目途は充分あると見ている。

 

 今までは、実力がA級のままB級に降格されてきた二宮隊と影浦隊がいた所為で、A級への道は閉ざされていたも同然だった。

 

 あの二部隊は、他とは明確に格が違う。

 

 特に、二宮など酷いものだ。

 

 単騎でも相手チームを圧倒出来る実力がある上に、名サポーターの辻と犬飼がそれを援護するのだ。

 

 相手をする方としてみれば、たまったものではない。

 

 だからこそ、その二部隊をポイントで越せずともA級に上がるチャンスのある今期は絶好の機会なのだ。

 

 このチャンスを、逃すワケにはいかない。

 

 なんとしてでも、残り二試合でB級上位に残留する。

 

 そう意気込んで、王子はこの場に立っている。

 

 上手くいくかどうかは、まだ分からない。

 

 だが、目の前に超えるべき山があり、道は既に示されているのだ。

 

 ならば、登る以外の選択肢は有り得ない。

 

 その為に、自分はこうして戦っているのだから。

 

『王子くんっ、那須さんの射撃よ……っ!』

「来たか……っ!」

 

 そして、遂にその時は訪れた。

 

 羽矢の言う通り、彼女に示された方角にはレーダーに那須のものらしき反応がある。

 

 その証拠に、こちらに向かう光弾────バイパーの群れが視認出来た。

 

「こっちに来たか。なら、逃げるとしよう」

 

 それを見て、王子はシールドを展開しながら即座に撤退を選択した。

 

「……っ!」

「余所見すんなよ、七海ィ」

 

 それに気付いた七海がこちらを追おうとするが、弓場の銃撃がそれを許さない。

 

 正直此処で弓場まで王子の追撃に参加すれば彼の脱落は確定的だったが、どうやら七海とのタイマンを優先したらしい。

 

 これ幸いと王子は脇目も振らずに駆け出すが、ふとある事に気付く。

 

(レーダーに映ったという事は、バッグワームを解除して両攻撃(フルアタック)をしている筈。けれど、その割にはバイパーの数が少なくないか?)

 

 レーダーには、那須の位置がしっかりと表示されている。

 

 それはつまり、那須がバッグワームを解除し両攻撃(フルアタック)の体勢を取っている事を意味している。

 

 だが、こちらに追い縋る変化弾(バイパー)の数は両攻撃にしては少なく感じる。

 

 狙撃手に警戒する為に敢えて片腕を空けているという可能性はあるが、王子の直感はそれはないと感じていた。

 

 何かある。

 

 王子の頭脳は瞬時に状況を解析し、一つの解決を導き出した。

 

「……っ! 蔵内……っ! 那須さんの狙いは、君だ……っ!」

 

 

 

 

「……っ! そう来るか……っ!」

 

 蔵内は王子の通信と同時に上空に出現した光弾の群れを見て、舌打ちした。

 

 サラマンダーを撃ち込んでから蔵内はバッグワームを着て移動していたが、どうやら弾道解析から居場所を割り出されたらしい。

 

 典型的な射手である蔵内と機動型射手である那須では、機動力に明確な差がある。

 

 彼女の機動力であれば、大体の居場所に当たりさえ付けられれば瞬時にこの場を補足する事は容易だっただろう。

 

 まずは、邪魔な射手を落とす。

 

 そのセオリー通りに、那須は蔵内を狙って来た。

 

「だが、それならそれでやりようはある」

 

 那須のバイパーから逃げ切る事は、まず不可能。

 

 四方八方から襲い来る光弾を無理に避けきろうとしても、追いつかれて撃ち抜かれるのが関の山。

 

 ならば、方法は一つ。

 

 シールドを広げ、防御する事だ。

 

 幸い、変化弾(バイパー)は威力自体はそう高くない。

 

 変化炸裂弾(トマホーク)に関しても、全方位にシールドを張れば問題なく防ぐ事が出来る。

 

 故に蔵内は下手に動かず、その場でシールドを張った。

 

 那須の弾丸を防御し、反撃に転じる為に。

 

「が……っ!?」

 

 ────だが、その目論見は脆くも崩れ去った。

 

 光弾が、蔵内のシールドを容易く()()したが故に。

 

 バイパーの威力では、決して有り得ない。

 

 かといって、アステロイドがあのような曲射軌道を描く筈もない。

 

 故に、答えは一つ。

 

変化貫通弾(コブラ)か……っ!」

 

 ────────バイパーとアステロイドの合成弾、『変化貫通弾(コブラ)』。

 

 それが、那須の使った弾丸の名であった。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、蔵内の脱落を告げる。

 

 ROUND7最初の脱落者は、光の柱となって消え去った。




 原作では名前だけ出ている合成弾を遠慮なく使用していくスタイル。

 トマホークが変化炸裂弾なので、コブラは変化貫通弾かな、と。

 那須さんのトリガーセットにアステロイドがあるのを忘れちゃ駄目だぞ。


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王子隊⑨

「此処で那須隊長の新技、『変化貫通弾(コブラ)』が炸裂……っ! ROUND7最初の緊急脱出は、王子隊蔵内隊員ですっ!」

 

 結束の実況に、会場は大盛り上がりを見せる。

 

 これまで誰も脱落者がいない状況での、新たな合成弾を使っての鮮やかな一手。

 

 その手並みを見て、解説の二人も息を呑んだ。

 

「これは驚きましたね。これまで那須隊長が使用した合成弾はバイパーとメテオラの合わせ技である変化炸裂弾(トマホーク)のみ。変化貫通弾(コブラ)を使用したのはこれが初めてです」

「せやな。蔵っちも、何が起こったか分からんかったやろ。多分シールド広げたんは、トマホーク対策やろしな」

 

 そう、那須がこれまでのランク戦で使用した合成弾はバイパーにメテオラの性質を付加した弾頭であるトマホークのみ。

 

 バイパーにアステロイドの性質を付加した合成弾、コブラを使うのはこれが初だ。

 

 いつから使用可能だったか、という問いに意味はない。

 

 その隠し札を此処で切った那須の判断をこそ、称賛されるべきだろう。

 

「合成弾といえば、ランク戦で良く目にするのは蔵内隊員や二宮隊長が時折使うサラマンダーですが、他の合成弾となると那須隊長のトマホークくらいしか見た覚えがないのですが」

「そらまあ、ランク戦で雑に使っても強いのは、メテオラを合成して爆撃出来るようにしたサラマンダーやトマホークやからな」

 

 生駒の言葉に、嵐山もそうですね、と言って補足する。

 

徹甲弾(ギムレット)はランク戦で使うには威力過多で旨味が少ないですし、強化追尾弾(ホーネット)は使いどころが限られていますからね。無理もありません」

「では、今回使用された変化貫通弾(コブラ)について解説をお願い出来ますでしょうか?」

 

 結束の言葉に嵐山はふむ、と首肯する。

 

「俺は本職の射手ではないのですが、弾の原理と性質については説明出来ます。それでも良ければお話しましょう」

「お願いします」

 

 分かりました、と嵐山は解説を引き受け、説明を開始した。

 

変化貫通弾(コブラ)は先程も言ったように、アステロイドとバイパーを合成させた弾丸です。その性質は、簡単に言えば()()()()()()()()()()()というのが一番分かり易いでしょう」

「そう聞くと中々便利な合成弾に聞こえますが、あまり多用されていないのは何故でしょう?」

「まず単純に、バイパーをトリガーセットしている射手がそう多くない事が挙げられます」

 

 嵐山は指を立て、続ける。

 

「バイパーは、扱いが難しいトリガーです。ハウンドと違って弾道が自由に設定出来る分、使用者には相応の弾道計算能力が必要となります。その中でも、リアルタイムで弾道を引けるのは那須隊長と太刀川隊の出水隊員のみ。他にも数人いますが、ハウンドと比べれば多くはないのが現状です」

 

 確かに嵐山の言う通り、バイパーをセットしている隊員は少ない。

 

 単純に、ハウンドの方が使い易いという事もある。

 

 ハウンドは使いこなす事を考えなければ、手軽に使えるトリガーである。

 

 バイパーの場合も予め幾つか弾道を設定しておいて射出するという簡略化手順が使えるが、()()使()()()()ならハウンドの方が難易度が低い。

 

 事実、本職の射手でなくとも王子隊のようにハウンドをセットしている隊員も多く、牽制としても有効である為ハウンドを重宝する者は多い。

 

 使いこなす事を考えれば誘導弾(ハウンド)は奥が深いが、射手トリガーを取り合えず使う事に慣れるにはこちらの方が手っ取り早い。

 

 それに、弾丸の処理に必要とする計算量が少なく済むというメリットもある。

 

 リアルタイムでバイパーの弾道制御が可能な那須と出水(規格外二人)は、例外中の例外なのだ。

 

「更に言えば、合成弾そのものも高等技術です。那須隊長は数秒で合成を完了させていますが、それでも合成中は隙を晒す以上、本来であれば容易に使えるものではないんです」

「那須さんや出水を基準に考えたらあかんで? あん二人は色々おかしいんやから」

 

 生駒の言う通り、那須が手軽に使っているように見える合成弾は、本来であれば高等技術の部類に入る。

 

 更に合成中は無防備になる関係上、味方の護衛がない状態では使い難い。

 

 合成弾をランク戦で見る機会があまり多くないのは、単純に使用が難しい状況の方が多いからなのだ。

 

 那須がぽんぽん使っているように見えるのは、彼女自身が機動力を武器にして障害物に身を隠し、たとえ一人だろうと比較的安全に合成が行えるからだ。

 

 それでも、居場所がバレた後はまず使わないのが定石だ。

 

 位置を知られた後も隙あらば合成弾を撃ち込めている那須の方が、普通に考えればおかしいのだから。

 

「コブラの話に戻りましょう。コブラはトマホークと比べ、使い勝手は悪いと言わざるを得ません。トマホークは大まかな相手の位置が分かれば適当に撃ち込むだけで広範囲を爆風でカバー出来ますが、コブラの場合はピンポイントで相手を狙う必要があるからです」

「シールドを避けて弾を当てるだけなら、バイパーで充分やからな。それに、爆発に巻き込めばええトマホークと違って的に当てる必要があるんやから、どっちが使い易いかは言わずもがなやな」

 

 二人の言う通り、コブラは確かに性能だけ聞けば強力に思えるが、単純に使いどころが限られてしまうのだ。

 

 シールドを避けて相手に弾丸を当てたいなら、バイパーで事足りる。

 

 相手を纏めて吹き飛ばしたいなら、トマホークを使えば良い。

 

 視認出来る程近距離であれば、アステロイドを使えば済む話だ。

 

 だからこそ、コブラが有効に使える場面は、割と限られているワケだ。

 

「今回の場合は、初見殺しとして機能したのも大きいでしょうね。蔵内隊員は恐らくトマホークか鳥籠が来ると見て、シールドを広げていました。その意識の陥穽を突く事で、コブラを通したワケです」

 

 しかし、今回の場合は最適な一手である事は疑いようがない。

 

 王子隊は、その全員が対戦相手の今までの試合のログを研究している。

 

 当然、那須が変化炸裂弾(トマホーク)を使う場面も何度も見ている筈だ。

 

 だからこそ、那須が使うとすればバイパーかトマホーク、という意識が彼等にはあった。

 

 那須がアステロイドを使用したのは相手が直接視認出来る近距離での事であり、候補からは除外していたであろうことは想像に難くない。

 

 曲射軌道を描く弾道を見た時点で、バイパーかトマホークであると決めつけていた筈だ。

 

 それこそが、那須の仕込んだ(わな)であるとも知らずに。

 

 那須の操る毒蛇が、蔵内を見事に噛み殺したワケである。

 

「これで王子隊は、唯一の射手を失いました。此処からは、少々苦しい展開になるでしょうね」

 

 

 

 

『すまん王子、やられた』

「過ぎた事を言っても仕方ない。問題は、次にナースがどう動くかだ」

 

 緊急脱出した蔵内から謝罪の言葉を聞いた王子は、今は反省よりも今後の事を考えるべきだと聡し、樫尾に通信を繋いだ。

 

「樫尾、蔵内がやられた以上那須さんがそっちに向かう可能性がある。そうなれば、刈られるのはこちらだ」

 

 だから、と王子は告げる。

 

「時間稼ぎはもう良い。仕留めてくれ」

『了解しましたっ!』

 

 

 

 

「ハウンドッ!」

 

 樫尾は王子の通信を受けた直後、中程度に広げたハウンドを射出する。

 

 誘導設定は、やや弱め。

 

 相手を削るよりも、動きを制限する事に主軸にした弾道である。

 

「帯島ッ!」

「はいっ!」

 

 それを好機と見た神田が帯島に指示を送り、帯島がハウンドを撃ち放つ。

 

 こちらは、誘導設定は強め。

 

 樫尾のハウンドの隙間を埋めるように、帯島のハウンドが熊谷に向かって牙を剥く。

 

 二人のハウンドを防御する為に足を止めれば、神田の銃撃が襲い来る。

 

 かといって、半端な広さのシールドでは二人分のハウンドを防ぎ切れる筈もない。

 

 先程と違い、樫尾と帯島のいる方向はほぼ正反対。

 

 前面にシールドを張っての突進では、被弾を防ぎ切れない。

 

 ならば、どうするか。

 

「ハァ……ッ!」

「え……っ!?」

「な……っ!?」

 

 選んだのは、シールドを張っての突撃(チャージ)

 

 違うのは、片手分のシールドを身体を覆うようにリング状に広げている事。

 

 身体全てを覆うように展開したのでは、固定シールドでもない限り二人分のハウンドは防ぎ切れない。

 

 固定シールドを張れば、そもそもその場から動けない。

 

 故に、熊谷が選んだのはある程度の被弾を許容しての特攻。

 

 致命傷だけをシールドでガードし、無数の光弾を喰らいながらも荒野の地面を疾駆する。

 

 一発。二発。三発。

 

 熊谷の身体を、次々と光弾が撃ち抜いていく。

 

 だが、足は止めない。

 

 最初から、熊谷にこの場で生き残るつもりはない。

 

 自身の脱落は、元より承知の上。

 

 犠牲を前提とした、捨て身の特攻。

 

 熊谷がやっているのは、まさにそれだ。

 

 那須隊は、既に充分と言えるポイントを保持している。

 

 故に、多少の失点はどうという事はない。

 

 重要なのは、如何に得点を重ねるか。

 

 その為には、捨て身になる程度どうという事はない。

 

 以前であれば、熊谷が落ちた時点で那須が暴走する為このような策は使えなかった。

 

 だが、あの敗戦を乗り越えた那須は以前のように感情で暴走する事はなくなった。

 

 激情は常に孕んでいるが、それを制御する術を覚えたのだ。

 

 ならば、熊谷が出来る事はただ一つ。

 

 あらゆる手段を以て、隊を勝利に導く事。

 

 所詮、これは仮想での戦い。

 

 手足を斬られても首を落とされても、現実の身体に影響はない。

 

 ならば、何を恐れる事があろう。

 

 捨て身、神風、大いに結構。

 

 別に、本当に死ぬワケではないのだ。

 

 ならば、仮想の肉体の生死など頓着すべき事柄ではない。

 

 ただひたすらに、勝利を追い求めればそれで良い。

 

 狙うは、帯島。

 

 少なくないダメージを負いながらも前傾姿勢で突進する熊谷が、帯島へ向かって弧月を振り上げる。

 

 そんな熊谷に向かって、神田は咄嗟に銃口を向けた。

 

 元より、捨て身の特攻。

 

 帯島が一度でも攻撃を防ぐ事が出来れば、熊谷だけを落とす事も可能である。

 

(マズイ、このままだと弓場隊の得点になる……っ!)

 

 それを見た樫尾が、焦る。

 

 元より、樫尾達王子隊が狙っていた標的は熊谷と茜。

 

 そのうち一人で此処で弓場隊に落とされるのは、明確な痛手だ。

 

 この場を王子に任された以上、戦果なしというワケにはいかなかった。

 

(間に合え……っ!)

 

 樫尾はすぐさま、グラスホッパーを起動。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、一気に神田に肉薄する。

 

 神田がこちらに気を取られ、銃撃を中止するならそれで良し。

 

 そのまま銃撃を続行するなら、神田を落として点にする。

 

 どちらによ、こちらの利となる結果となる。

 

 それで良いと、樫尾は判断した。

 

 帯島は、熊谷の相手に手一杯でこちらのフォローは不可能。

 

 これで決める。

 

 樫尾はそう意気込み、弧月を握り締めた。

 

「────旋空弧月」

 

 ────────だから、その一手は樫尾には予想出来なかった。

 

「え……?」

 

 熊谷は帯島に向かって振り上げていた弧月を、敢えて態勢を崩した状態で振り下ろす事で軌道を変更。

 

 帯島を狙っていた筈の弧月は、樫尾に向かって振り下ろされ。

 

 拡張されたブレードが、樫尾の胴を両断した。

 

 そう、最初から熊谷が狙っていたのは帯島ではない。

 

 帯島を狙ったのは、あくまでフェイク。

 

 本当の狙いは、樫尾をこの場で落とす事。

 

 そして、王子隊に得点させない事である。

 

「ぐ……っ!」

 

 樫尾の妨害がなくなった以上、神田の銃撃を阻むものは何も無い。

 

 神田の突撃銃から、無数のアステロイドが吐き出される。

 

 自ら態勢を崩していた熊谷に、それを避ける術はなく。

 

 全弾、命中。

 

 アステロイドはシールドを撃ち貫き、熊谷の身体に致命傷を与えた。

 

『警告。トリオン漏出過多』

 

 機械音声が、熊谷に戦闘体の限界を伝える。

 

 胴を両断された樫尾と同じように、熊谷の身体もまた罅割れていく。

 

「やられちゃったか。まあ、そのつもりではあったけど」

 

 でも、と熊谷は続ける。

 

「ただじゃ、やられてあげないわ」

「……っ!」

 

 瞬間、熊谷の身体の影から無数の光弾が放たれ、神田に襲い掛かる。

 

 熊谷の、最後の一撃。

 

 残るトリオンを搔き集めての、死に際の一手。

 

「残念。それはもう見てるんだ」

 

 だが、神田にとってそれは初見ではない。

 

 ROUND5における、村上と熊谷の戦い。

 

 その時もまた、熊谷は死に際の一撃で村上に一矢報いている。

 

 そしてそのログは、神田も見ていた。

 

 故に、警戒していた。

 

 熊谷は、ただでやられるような女ではないと。

 

 不意打ちは、手段を知られてしまえば既知の攻撃でしかない。

 

 神田は慌てず、予め準備していたシールドを広げて展開。

 

 熊谷のハウンドを、全弾防御する。

 

 これで、詰み。

 

 神田は、そう確信した。

 

「────ええ、だと思ったわ」

「が……っ!?」

 

 ────だが、熊谷はその想定の上を行く。

 

 砂煙に紛れるように地面スレスレを投擲された熊谷の弧月が、シールドの下を潜るようにして神田の右足を刺し貫いた。

 

 最初から、ハウンドは囮。

 

 防がれる前提でハウンドを放ち、その隙を突いて弧月の投擲により痛手を負わせる。

 

 既知の情報を使った、初見殺し。

 

 これまでも那須隊がこなして来た、必殺の手法である。

 

「これで仕事は終わりね。後は任せたわよ、皆」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が脱落を告げ、熊谷は既に致命傷を負った樫尾共々、光の柱となって消える。

 

 熊谷は晴れやかな顔で、戦場から離脱していった。




 くまちゃんはスポーツやってるからある程度アクロバティックな動きも出来ると思うの。

 くまちゃんの強みを活かすには体術方面しかねぇと舵を切った結果でもある。


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王子隊⑩

 

「此処で樫尾隊員、熊谷隊員が続けて緊急脱出(ベイルアウト)……っ! 熊谷隊員、散り際にしっかり仕事をこなしていった……っ!」

 

 結束の実況に、会場が湧き上がる。

 

 蔵内に続いて、王子隊二人目の脱落者。

 

 そしてそれを仕留めたのは、3対1で不利な状況だった熊谷。

 

 しかも帯島を狙うように見せかけての不意打ちであり、駆け引きの巧みさが見て取れた。

 

「最初から、熊谷隊員はあの場で樫尾隊員を落とすつもりで行動していたようですね。自身の脱落も、折り込み済みでしょう」

「けど、なんで熊谷ちゃんは帯島ちゃんより樫尾を優先して狙ったんや? そないに樫尾が厄介だったっちゅー事か?」

「理由は幾つか考えられますが、第一に王子隊の選択肢を削り取る為でしょうね」

 

 嵐山は試合映像を見ながら、話を続ける。

 

「このMAPと天候は、王子隊が設定したものです。つまり、王子隊には明確な()()()がある。そして、王子隊長にはそれを活かす戦略眼もある。故に、この試合における王子隊の脅威度は数段跳ね上がっていると見るべきです」

「成る程、MAP選択で有利になった王子隊をまず潰しとこいう判断か」

「概ねその解釈で問題ないと思います」

 

 嵐山の言う通り、このMAPを選択したのは王子隊だ。

 

 当然MAPを活かした戦術も用意してあったし、何より視界条件が最悪な砂嵐の中で王子隊だけは地の利を生かして自在に動く事が出来る。

 

 王子隊は確かにMAP選択で有利を取ったが、その分普段より狙われ易くなっていたというワケだ。

 

「王子隊の最大の強みは、その作戦立案能力と機動力を活かした連携です。つまり、連携こそが肝の部隊であり、隊員が複数生き残っているだけで王子隊は戦術上の選択肢を無数に追加する事が出来るワケです」

「けど逆に、隊員の数が減れば減る程不利になる、ちゅー事か」

「はい。王子隊は突出したエースを中心に戦術を組み立てる香取隊とは逆に、連携を前提とした作戦で詰め将棋のように相手を追い込んでいくチームです。そうなるとどうしても、人数が減った後のリカバリーが難しくなってしまうワケです」

 

 そう、王子隊には明確なエースがいない。

 

 隊長の王子の戦闘力は優秀な部類に入るが、一人で不利な戦局を覆す程の実力を持っているというワケではない。

 

 エース中心のチームはエースが落とされれば一気に崩される危険を孕んでいるが、その分爆発力がある。

 

 逆にエースがいない王子隊は、一人落とされてもリカバリーが効き易いが、一旦不利な状況に陥ってしまうとそこからの復帰が難しくなる。

 

 王子隊の獲れる点を取って余計なリスクは負わない、という行動方針はそういった隊の強み弱みを理解しているからこそ打ち出したものだろう。

 

 現在試合を行っている弓場隊には弓場、那須隊には那須と七海という明確なエースがいる。

 

 そして、七海以外の二人は明確なダメージは負っていない。

 

 当初王子隊が狙っていた熊谷は弓場隊によって落とされてしまい、茜は現在に至るまで発見出来ていない。

 

 この状態で茜を探し回るのはリスクが高過ぎる為、流石に出来ないだろう。

 

 王子隊が不利な局面になっているのは、まず間違いない。

 

「樫尾隊員が落ちた事で、王子隊は行動を大幅に制限されたと言っても過言ではありません。此処から王子隊長がどう動くかが、今後の展開の鍵となるでしょう」

 

 この状況で、王子が出来る事は限られている。

 

 弓場と七海の戦闘に再度介入したところで、自分が落とされるか七海が弓場に落とされるか、そのどちらかしかない。

 

 先程まで王子が二人の戦いに介入していたのは、あくまで時間稼ぎの為である。

 

 王子隊が王子一人しか残っていない現状、時間稼ぎなどしても意味はない。

 

 故に王子が取れる選択は、神田達を狙うか、那須を狙うか、リスクを承知で茜を探すか、そのいずれかになる。

 

 定石通りであれば神田達を狙うのがベターであるが、それは当然神田達も承知している。

 

 王子の襲撃は、当然警戒している筈だ。

 

 かといってグラスホッパーを装備した那須相手では、王子一人では分が悪い。

 

 茜を今から探すのは、そもそも現実的とは到底言えない。

 

 どの選択肢を選んでも、常にリスクは付き纏う。

 

 王子の、決断のしどころだった。

 

「王子隊長の選択が、注目されるところですね」

 

 

 

 

『王子くん、樫尾くんが落ちたわ。熊谷さんは弓場隊に仕留められたみたい』

「了解した。中々厳しくなってきたね」

 

 王子は羽矢からの報告を聞きながら、思わず溜め息を吐いた。

 

 作戦自体は、悪くはなかった筈だ。

 

 建造物のない岩山ばかりのMAPで那須や七海の動きを制限し、砂嵐で狙撃を対策。

 

 その隙に獲れる点を奪取するのが、王子隊の作戦方針だった。

 

 だが、予想以上に那須隊がMAPと天候に適応するのが早過ぎた。

 

 狙撃が殆ど機能しない事を利用し、那須は砂嵐を隠れ蓑として機会が来るまで隠密に徹し、変化貫通弾(コブラ)という予想外のカードを切って蔵内を仕留めた。

 

 那須隊の中では最も落とし易いと見た熊谷は、自分が狙われている事を知ると自ら弓場隊の前に姿を現し、更には彼女を仕留める為に派遣した樫尾をも落としてしまった。

 

 現在、王子隊の得点は0Pt。

 

 このまま何も戦果が出ずに王子が落とされれば、間違いなく中位落ちだ。

 

 確かに以前よりは善戦しているが、結果が出なければ意味はないのだ。

 

 頑張りましたが出来ませんでした、が通用する程甘い世界ではない。

 

 無論、ランク戦が戦闘訓練の一環である事は承知している。

 

 隊員同士が競い合い、レベルアップする為の機会。

 

 それを否定するつもりはないし、王子とてランク戦の意義は理解している。

 

 だが、やるからには勝ちたいと思って何が悪い。

 

 別段、A級になって固定給を得ようだとか、そういう事を考えているワケではない。

 

 けれど、競技として成立している以上貪欲に勝ちを狙いに行くのは当然だと、王子は思っている。

 

 ランク戦は、部活の大会と同じだ。

 

 勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。

 

 良い成績が残れば誇らしいし、逆に順位が落ちれば消沈する。

 

 勝ちたいから、戦う。

 

 それは競技を行う者である以上、共通する認識の筈だ。

 

 中には七海のように悲惨な過去を体験し、大切なものを守る為に強くなる、という者もいるだろう。

 

 それはとても立派だと思うし、そういった者達には敬意を表する。

 

 王子には、そう大層な理由は無い。

 

 四年前の大規模侵攻で家族や友人を失ったワケではないし、近界民を憎んでいるワケでもない。

 

 ただ、自分の力を活かせる場として面白そうだから入隊した。

 

 その程度の、理由である。

 

(けれど、想いに貴賤はない。想いの強さは、戦いには関係ないんだ)

 

 以前聞いた、太刀川の持論を思い出す。

 

 戦いに、気持ちの強さは関係ない。

 

 NO1攻撃手は、日頃からそう豪語している。

 

 その通りだと、王子は思う。

 

 勝負を決めるのは、戦術と個々の実力、そして運。

 

 それだけである。

 

 気迫が乗れば、確かに実力が伯仲している相手に押し勝てる事もあるだろう。

 

 だが、それはあくまで実力が近い者相手のみ。

 

 圧倒的な格上相手には、気持ちだけでは勝つ事は出来ない。

 

 それが、当然の理屈だ。

 

 合っている。

 

 間違ってはいない。

 

 頑張れば勝てる、などという言葉は幻想だ。

 

 勝つ為には必要な努力を重ねる事は、前提(当たり前)だ。

 

 それに加えて、明確な勝利の為の具体案と、それを運用する的確な判断が必要となる。

 

 確かに自分は、不利な戦況を一人で覆せるようなエースではない。

 

 しかし、このまま成す術がないとは欠片も思っていない。

 

 プランはある、それを実行する意思もある。

 

 あとは、機会を待つだけ。

 

「このままじゃ終われない。出来る事は、なんだってしようじゃないか」

 

 バッグワームをたなびかせ、王子は砂嵐の中を突き進む。

 

 王子隊の策士は、孤軍奮闘を開始した。

 

 

 

 

『テメェ等来るぞっ! 射撃だっ!』

「帯島っ!」

「はいっ!」

 

 オペレーターの藤丸から檄が飛び、神田と帯島の二人は上空を見上げる。

 

 そこには、砂嵐の中降り注ぐ無数の光弾。

 

 それを見た二人は一塊となり、固定シールドを展開した。

 

「……っ!」

「うわ……っ!」

 

 二人分の固定シールドが、降り注いだバイパーを防ぐ。

 

 だが、防ぎ切った直後、上空に第二波の光弾の雨が出現した。

 

「く……っ!」

 

 神田は、熊谷の最後の一撃によって足が削られている。

 

 故に、バイパーから逃げ切る事は最早不可能。

 

 これをどうにかするには、シールドで防ぐ以外道はない。

 

(けれど、それじゃあじり貧だ。熊谷さんは、こうなる事を見越して俺の足を削ったのか……っ!)

 

 此処に来て、熊谷が神田の足を削った事が響いてくる。

 

 神田は、小柄で身軽な帯島程ではないがそれなりに走れる隊員だ。

 

 足が無事であったのなら、バイパーを防ぎながら那須に肉薄する事も可能だったであろう。

 

 だが、足が削れてしまった以上神田はこの場から動けない。

 

 砂嵐に隠れ、那須の姿は未だに見えない。

 

 そう遠くにいないであろう事は分かるが、明確な位置までは掴み切れない。

 

「ののさん、那須さんの位置は分からないかな?」

『バッグワームを使ってるみてぇで、レーダーには映らねぇな。あんまし得意じゃねぇが、弾道解析で何とか割り出してみるわ』

「頼みました」

 

 神田は藤丸の返事を聞き、固定シールドで光弾を防ぎながら思案する。

 

 那須の位置が特定出来ても、神田が動けない以上防戦一方の状態を抜け出すのは難しい。

 

 恐らく那須は、突撃銃の射程の外からバイパーを撃ち込んでいる筈だ。

 

 両攻撃(フルアタック)じゃないとすれば弾丸の数が多いが、恐らく普段よりも多めに分割して撃ち込んでいるのだろう。

 

 当然一発一発の威力は落ちている筈だが、かといって固定シールドを解除すれば合成弾で落とされかねない。

 

 那須隊の狙撃手である茜は、未だ姿を見せていない。

 

 つまり、自分達の様子を何処かから伺っている可能性は充分考えられる。

 

 彼女を通じて神田達が固定シールドを解除した事が那須に伝われば、合成弾を撃ち込んで来るだろう。

 

(蔵内が落とされたのは、恐らく合成弾によるもの。しかし、種が割れているトマホークで落とされたとは考え難い。コブラが使われた可能性も見るべきだ)

 

 蔵内はレーダーに映っていなかった事から、バッグワームを着て移動している最中に落とされたと思われる。

 

 本職の射手である蔵内が、那須が使う事を知っているトマホーク相手にやられたとは考え難い。

 

 トマホークは見た目は派手だが、きちんとシールドを広げれば対処は出来る。

 

 要は遠隔操作出来るメテオラがトマホークなのだから、種さえ分かれば防御は可能だ。

 

 にも関わらず、蔵内は那須に1対1で落とされた。

 

 つまりそれは、那須が予想外の一手を使った事を意味している。

 

 そして那須のトリガーセットから考えられる可能性は、一つしかない。

 

 アステロイドとバイパーの合成弾、変化貫通弾(コブラ)

 

 それが使われた可能性が高い。

 

(元々、合成弾を使える程の射手なんだ。合成弾の手札が一つだけとは限らない以上、初見だからという理由で可能性を切るべきじゃない)

 

 元より、那須隊は初見殺しの使い方が非常に巧い。

 

 思いも依らぬ一手で戦況を覆すのは、那須隊の常套手段だ。

 

 ならば、あらゆる可能性を考察し、最大限に警戒するべきだろう。

 

「外岡、那須さんの姿は捉えられないか?」

『今の所駄目っすね。ちらちらは見えるんすけど、一度撃つ度にグラスホッパーまで使って移動してる上に、射撃中も常に跳び回ってるんで当てられる気がしないっす』

 

 合成弾でも使ってくれれば別なんすけどね、と外岡はぼやく。

 

 彼の言葉通りなら、那須はノンストップで移動しながらこの射撃を敢行しているらしい。

 

 恐らく、弓場隊の狙撃手である外岡を警戒しての事だろう。

 

 確かに外岡は優秀な狙撃手だが、高速機動中の那須を狙い撃つ事は容易ではない。

 

 それに隠れる場所がないこのMAPでは、狙撃手は一度見つかればそのまま落とされる。

 

 外岡が狙撃を行う為には、落とされる前提で撃つ必要があるワケだ。

 

 無駄撃ちは、出来ない。

 

 だが、このままでは時間経過と共に不利になっていくのは最早明白。

 

 もしも万が一、弓場が七海との一騎打ちに敗れるような事があれば七海がこちらに来てしまう可能性がある。

 

 そうなれば、もう詰みだ。

 

 那須一人相手でさえ、防戦一方を強いられているのだ。

 

 七海まで加わってしまえば、最早勝ち目はない。

 

 神田の足が削られていなければやりようはあったかもしれないが、過ぎた事を言っても意味はない。

 

 この状況で、何が最善か。

 

 神田は思案し、前を向く。

 

「帯島、外岡。聞いて欲しい。作戦を説明する」

 

 そして、決断を下した。

 

「勝つぞ」

 

 強い、想いを込めて。





 神田も王子も考えて動くタイプだから書き易い。

 でも他の作者の話を聞くとイコさんのが動かし易いって人もいるから、人それぞれで適性があるみたいね。

 此処でこの作品での神田のトリガーセットを公開します。

 メイン 突撃銃(アステロイド) 突撃銃(ハウンド) シールド FREE TRIGGER

 サブ FREE TRIGGER FREE TRIGGER シールド バッグワーム

 典型的な銃手の構築です。特殊なトリガーはセットされてません。

 犬飼タイプのサポーター系銃手だと考えての構築です。トリオンは6くらいの想定。


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弓場隊④

 

「中々動かないわね」

 

 那須は岩山の間を跳び回りバイパーを放ちながら、一人呟いた。

 

 先程から、彼女は一度たりとも足を止めていない。

 

 理由は無論、弓場隊の狙撃手である外岡を警戒しての事だ。

 

 外岡は、隠密能力に優れた狙撃手だ。

 

 この隠れる場所が少ないMAPの中でも、何処かに身を潜めこちらを狙っているに違いない。

 

 バッグワームを着て常に移動しているとはいえこれだけ何度も射撃を繰り返したのだから、既にこちらの姿は補足されていると見るべきだろう。

 

 本音を言えば合成弾で神田・帯島の両名を仕留めたい所だが、狙撃手にマークされている最中に合成弾を使う程那須は愚かではない。

 

 熊谷が神田の足を削ってくれたお陰で、こうして二人を釘付けにする事が出来ている。

 

 最初は熊谷を犠牲にする策を快く受け入れはしなかった那須だが、熊谷本人の嘆願もありこの作戦に乗る事を承諾した。

 

 以前のように即座に感情的になる事はなくなったものの、仲間を犠牲にする策を用いて完全に開き直れる程那須は達観していなかった。

 

 七海には「玲はそれでいい」と言われ、小夜子にも「まあ、完全に開き直っちゃったら那須先輩じゃないですしね」とフォローされている。

 

 要は、戦闘中に感情の儘に暴走しなければ良い。

 

 そのあたりの分別を、今の那須は可能としていた。

 

 犠牲を許容したのなら、それ以上の戦果を以て埋め合わせる。

 

 今の彼女は、そのくらいの開き直りは出来ていた。

 

(そろそろ、焦れて来る筈なんだけど……)

 

 那須はバイパーを放ち続けながら、思案する。

 

 小夜子の立てた作戦では、そろそろ動きがあっても良い頃だ。

 

 作戦立案能力に関しては、那須は小夜子を充分に信頼している。

 

 正直、自分よりも隊長向きではないか、と思う事がないワケでもない。

 

 しかし、小夜子曰く自分が戦闘体になっても秒殺される未来しか見えそうにない、とのこと。

 

 小夜子は引き籠りなだけあって、運動能力は壊滅的だ。

 

 以前に少しだけトリオン体で動いてみた事もあったらしいが、那須と違いトリオン体になっても運動能力は改善しなかったらしい。

 

 身体能力が底上げされても、それを上手く使いこなせないのだそうだ。

 

 なので自分はオペレーターが適役だと、小夜子は言う。

 

 まあ、小夜子には男性恐怖症というどうしようもない事情があるので戦闘員になるなど不可能ではあるのだが。

 

 ともあれ、そんな小夜子が立てた作戦だ。

 

 小夜子はオペレーターという役職故か、俯瞰して物事を見る術に長けている。

 

 その小夜子が、熊谷の犠牲を許容しても充分な戦果を挙げられる作戦だと、太鼓判を押したのだ。

 

 ならば、那須はその策を実行に移すのみ。

 

 今はただ、時を待つ。

 

 そう考えて、那須は弓場隊の二人に視線を向け────。

 

「あら? ようやく、動いたわね」

 

 ────笑みを、浮かべた。

 

 

 

 

「帯島、頼んだぞ……っ!」

「はいっ!」

 

 神田の掛け声と共に、帯島は固定シールドを解除して荒野の中を駆け出した。

 

 向かうは、那須が潜む岩山の方角。

 

 バイパーの雨が降り注ぐ中、彼女は一人砂嵐を突き進む。

 

「く……っ!」

 

 雨あられと降り注ぐバイパーが、帯島が広げたシールドを打ち据える。

 

 だが、耐える。

 

 先程まで一ヵ所を狙っていたバイパーは、帯島と神田の二人が離れた事で二つに分散している。

 

 分散し威力が低下したバイパーであるならば、帯島一人のシールドでも防ぎ切れる。

 

 そう判断しての、特攻。

 

 悪くはない。

 

 バイパーは、元より威力の乏しい弾丸。

 

 火力ではなく、応用性と自由度で戦う射撃トリガーだ。

 

 那須が片手分しかバイパーを使っていない以上、狙いを二つに分散した上で広げたシールドを突き破る程の威力は出ない。

 

 事実、帯島のシールドには罅すら入っていなかった。

 

 だが。

 

「あれは……っ!」

 

 ならば、狙いを一人に集中すれば良いだけの話。

 

 それまで二人を同時に狙っていたバイパーが、帯島一人へと降り注ぐ。

 

 固定シールドを張れば防げるだろうが、そうなると足を止めてしまう。

 

 一旦足を止めてしまえば、再び走り出せる保証はない。

 

「行け、帯島っ!」

「はいっ!」

 

 ならば、もう一人がガードに入れば良いだけの事。

 

 足が削られて動けないが為に、神田は実質戦力外。

 

 故にこそ那須が狙いを帯島一人に絞った為、神田は今フリーの状態となっている。

 

 何もしない筈はなく、神田は遠隔シールドを帯島の周囲に展開。

 

 那須のバイパーを、神田のシールドが防ぎ切る。

 

「が……っ!?」

「神田先輩っ!?」

 

 ────しかし、その程度那須とて想定の上。

 

 背後から忍び寄った光弾が、神田の両腕と左足を撃ち抜いた。

 

「くっ、一部だけバイパーを迂回させてたのか……っ!」

 

 那須は帯島を狙えば、神田が身を挺してそれを庇うだろう事を予測していた。

 

 故に、帯島に全ての弾丸を集中すると見せかけ、一部の弾丸を大きく迂回させて神田の背後を狙ったワケだ。

 

 腕や足を狙ったのは、頭や胸はシールドでガードされる可能性が高かった為だろう。

 

 未だに、那須隊の狙撃手である茜はその姿を見せていない。

 

 彼女の主武器は、ライトニング。

 

 弾速に特化し、威力そのものは低い狙撃銃だ。

 

 故に、シールドを張れば簡単に防ぐ事が出来る。

 

 だが逆に、シールドを張る隙も無く狙撃されれば対応は間に合わない。

 

 茜を警戒するなら、頭部と胸を守るのは当然の事だ。

 

 故に、警戒の薄い腕と足を狙ったワケである。

 

 これで両腕と両足が削られ、神田は名実共に全く身動きが取れなくなった。

 

 此処から移動する事は、もう出来ない。

 

「帯島っ、構うなっ! 進めっ!」

「……っ! はいっ!」

 

 故に、神田は帯島を進ませる。

 

 こうなった以上、後退は有り得ない。

 

 ただひたすら、前進あるのみ。

 

 賽は既に、投げられたのだ。

 

 ならば、止まる選択肢など有り得ない。

 

 神田は最早、実質戦闘不能だ。

 

 削られた両足からは少なくないトリオンが漏れ出ており、放っておけばトリオン漏れで脱落も有り得る。

 

 既に、自身の脱落は確定的。

 

 だからこそ、一点でも多く弓場隊が取る方に全力を傾ける。

 

 それしか、有り得ない。

 

 まだ、帯島は遠隔シールドを出せる範囲内にいる。

 

 次の射撃で神田はやられるかもしれないが、構うものか。

 

 既に戦闘不能となった自分が生き残るより、帯島を残す方を優先する。

 

 その選択は、間違ってはいないのだから。

 

 片腕のバイパーだけであれば、帯島のシールドだけでも防げなくはない。

 

 だが。

 

『帯島っ! 那須がバッグワームを解除したっ! 両攻撃(フルアタック)が来るぞ……っ!』

「はいっ!」

 

 それは、那須が片手しか使わない想定の話。

 

 オペレーターの警告と同時に、上空に夥しい数の光弾が出現する。

 

 光弾は二つに分かれ、帯島と神田、その両名を狙い撃つ。

 

 弾数は、帯島へ向かうものの方が圧倒的に多い。

 

 帯島を助けたければその身を晒せ、という那須の言外の挑発だろう。

 

「迷う事はないな」

 

 元より、この場で落ちる事は承服済み。

 

 実質戦闘不能である自分よりも、帯島を生き残らせた方が良いのは最早明白。

 

 神田は自身の防御は捨て、帯島の周囲にシールドを展開した。

 

 帯島へ降り注ぐバイパーは、神田のシールドによって防がれる。

 

 二つ分の枠を使わなければ厳しい所だったが、なんとか耐える事が出来た。

 

 だが、彼自身の守りはどうにもならない。

 

 数は少ないが、それでも彼を仕留めるには充分な弾数のバイパーが神田の下へ降り注ぐ。

 

 元より、負傷の所為でトリオンは殆ど空っ欠だ。

 

 これで自分は落ちる。

 

 そう覚悟して、神田は空を仰いだ。

 

「────残念だけど、それは僕のポイントだ」

「……っ!?」

 

 ────────だが、神田の周囲に展開されたシールドが、彼を貫く筈だったバイパーを防ぎ切った。

 

 無論、神田のシールドではない。

 

 帯島も、違う。

 

 外岡も弓場も、この場にはいない。

 

「が……っ!?」

 

 困惑する神田の胸を、背後から光る刃が刺し貫いた。

 

 間違いなく、致命傷。

 

 そして、それを成したのは────。

 

「貰ったよ、カンダタ」

「王子、か……っ!」

 

 ────王子隊隊長、王子一彰。

 

 神田も良く知る、古馴染みの少年だった。

 

「やられたな。此処で、お前にやられるなんてね」

 

 全身が罅割れ、神田は自らの致命傷を悟る。

 

 憎らしい程に爽やかな笑みを浮かべた旧友は、そんな神田を見て微笑んだ。

 

「此処で引導を渡すのも、僕の役目かと思ってね」

「言ってろ。ったく、嫌な奴だよな、お前」

「誉め言葉ですよね、それ」

 

 かつてのチームメイト同士の、気楽なやり取り。

 

 そうとしか見えない光景に、神田は内心苦笑する。

 

 まさか、此処で王子にやられるとは思わなかったが、それもいいだろう。

 

 まだ、弓場隊が負けたワケではない。

 

 自分が脱落しても、終わりではない。

 

 神田はチームメイトの勝利を信じ、笑みを浮かべた。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 そして、機械音声が神田の脱落を告げる。

 

 神田は光の柱となって、戦場から消え去った。

 

 

 

 

『那須先輩。神田さんは王子隊長に落とされました。どうやら、最初からこの機会を狙っていたみたいですね』

「そう。なら、帯島ちゃんはこっちで獲らなくちゃね」

 

 那須は小夜子からの報告を聞き、一瞬表情を曇らせたがすぐに好戦的な笑みを浮かべた。

 

 王子が何処かでちょっかいを出してくるであろう事は、最初から予想していた。

 

 故に神田に王子が落とされないよう、彼の手足をもいでおいたのだが、どうやらそれが裏目に出たらしい。

 

 削るのは足に留めて、腕は残しておけば良かったと今更ながら反省するが、どちらにせよ結果論だ。

 

 神田の手足を削ったのは、帯島への遠隔シールド以外の選択肢を奪う為だ。

 

 事実上の戦闘不能状態になれば、神田は自分ではなく帯島を守る。

 

 そういう風に思考誘導する為の削りだったのだから、結果だけ見て良し悪しを語っても意味はない。

 

 重要なのは、今帯島を守る者が誰もいなくなった事である。

 

 神田の援護がない以上、帯島が鳥籠から逃れる術はない。

 

 準備は、整った。

 

 後は、引き金を引くだけである。

 

「勝負どころね。やるわよ」

『はい。やっちゃって下さい』

 

 那須は近場の岩山の影に降り立ち、両手にキューブを生成する。

 

 彼女の手の中で二つのキューブは磁力のように引き合わされ、接触

 

 接触面から二つのキューブは粘土のように絡み合い、一つのキューブへと融合する。

 

「バイパー+アステロイド────『変化貫通弾(コブラ)』」

 

 二つの射撃トリガーを合成し、新たな弾丸を作り出す高等技術。

 

 合成弾。

 

 決め技であるそれを、那須が使用した瞬間だった。

 

 

 

 

「やっと、使ったっすね」

 

 それを、待ち望んでいた者がいた。

 

 合成弾は、合成中両攻撃(フルアタック)の状態となり実質無防備となる。

 

 今の那須はシールドを張る事も、グラスホッパーで逃げる事も出来ない。

 

 そして何より、足が止まっている。

 

 この千載一遇のチャンスこそ、神田が立案し引き出した作戦の真骨頂。

 

 那須に合成弾を使わせ、そこを外岡が狙い撃つ。

 

 神田も帯島も、あくまで囮。

 

 本命は、外岡の持つ一射。

 

 岩陰に隠れていた彼は、外岡は、イーグレットの引き金を振り絞った。

 

 

 

 

「残念ですが────」

 

 作戦室で熊谷と共に戦況を見守る小夜子が、ニヤリと笑う。

 

 それは、勝利の笑み。

 

「────想定済みです」

 

 最後まで準備を怠らない、策士の笑みだった。

 

 

 

 

「ありゃ……?」

 

 外岡は、起きた光景が呑み込めず困惑した。

 

 確かに、那須は合成弾を生成していた筈だ。

 

 両攻撃(フルアタック)の状態で、シールドを張れるワケがない。

 

 だが。

 

 だが。

 

 ならば何故、外岡の放った弾丸はシールドによって受け止められているのか。

 

「が……っ!?」

 

 ────その答えは、外岡を貫く一発の弾丸によって証明された。

 

 那須の立つ岩場の、上層。

 

 そこに、岩山の影に身を伏せる一人の少女がいた。

 

 ハンチング帽が特徴的なその少女は、間違いない。

 

 那須隊狙撃手、日浦茜。

 

 外岡の額を己の愛銃(ライトニング)で射抜いた彼女は、バッグワームを着ていない。

 

 レーダーは、相手の高低差までは表示しない。

 

 那須があの岩場で合成弾を生成したのは、他ならぬ茜が潜んでいたが為。

 

 わざと合成弾を生成する事で自身を無防備に見せかけて外岡を釣り出し、茜は遠隔シールドでその狙撃を防御。

 

 カウンタースナイプによって、見事に外岡を仕留めたのだ。

 

 最初から、那須そのものが囮。

 

 本命は、茜の援護による外岡の釣り出しと撃墜。

 

 それが、小夜子の立てた作戦であった。

 

 外岡が那須を狙っていた事など、想定内。

 

 むしろ、そうであってくれなくては困る。

 

 これは、那須というエースを囮とした狙撃手の迎撃作戦。

 

 茜という手札(カード)を最大限に活用した、小夜子の一手。

 

 その策は成就し、最も厄介だった狙撃手は沈む。

 

 那須隊の、完全な作戦勝ちと言えた。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、外岡の敗北を告げる。

 

 外岡は光の柱となり、戦場から脱落した。





 外岡はアイビスよりもイーグレットのイメージ。

 アイビスのイメージは東さんと絵馬が強い。

 神田が今後の合同戦闘訓練で出るかはまだ未定。

 基本那須隊が参加する試合しか描写しないのでね。


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王子隊⑪

「神田隊員、外岡隊員が緊急脱出……っ! 弓場隊は残り二名となり、少々厳しい展開となったか……っ!?」

 

 結束の実況で、会場が湧き上がる。

 

 神田を不意打ちで落とした王子の抜け目なさも、連携して外岡にカウンタースナイプを決めた茜の手並みも双方見事なものであった。

 

 特に茜は相手の狙撃手を一方的にやり込めた形になる為、映像的にもかなり映える。

 

 会場の歓声の半分以上は、彼女への称賛が込められているようであった。

 

「王子、上手くやりおったな。漁夫るのは、あいつの十八番やしな」

「実際、王子隊長は乱戦になった時に不意打ちで点を取るのが上手い隊員でもあります。状況が良く見えているが故の、彼の明確な強みでしょうね」

 

 生駒達の言う通り、実際王子は乱戦でどさくさ紛れに点を取るのが非常に巧い。

 

 防御の薄い箇所、意識の外側を突く術に長けているのだ。

 

 元より、王子隊の強みは隊長である王子の優れた観察力に裏打ちされた的確な采配にある。

 

 ROUND4では早々に落とされた為にその観察力を充分に発揮し切れなかったが、今回は逆に王子が最後まで残った事で充分に戦況を観察し考察する時間が出来た。

 

 不意打ちで神田のポイントを掻っ攫ったのは、まさに王子の面目躍如といった所だろう。

 

「那須隊としちゃ、悔しいやろな。土壇場で漁夫られるんは、結構堪えるもんや」

「ですが、その後できちんと外岡隊員を落としているのは流石と言えますね」

「あれなー。ワイもびっくらこいたわ。いや、考えてみればそう特別な事はしとらんのやけどな」

 

 そうですね、と嵐山は生駒の言葉を肯定する。

 

「合成弾を使う時は、無防備になる。これは広く知られている事であり、射手が合成弾を使う場合は位置が知られていない時に一発限定で行うか、チームメイトに護衛を任せて行うのが一般的です」

「二宮さんも、犬飼か辻が一緒にいる時しか基本的に使わんしなあ」

 

 合成弾は強力だが、反面合成には時間がかかり、使用中は両攻撃(フルアタック)の状態になってしまう欠点がある。

 

 両攻撃の状態になるという事はシールドを張る事が出来ず、相手に肉薄されても迎撃出来ない無防備を晒す事を意味している。

 

 故に、射手が合成弾を使う場合、護衛を配置するのが一般的だ。

 

 今回茜が行ったのは、何も特別な事ではない。

 

 ただ、合成弾を使用中の射手を護衛しただけ。

 

 言葉にしてみれば、それだけの話なのである。

 

「那須隊長は、これまで合成弾を使う際はその高い機動力で居場所を常に移動しながら障害物を盾にする形で使用してきました。機動力に特化した、那須隊長ならではの使い方と言えます」

「そやな。一人の状態でも合成弾を使い易いのが、那須さんの強みやで」

「そう、それが大方の隊員の認識でしたでしょう。事実、これまで那須さんは護衛を配置せずに合成弾を使う場面が多く見られました」

 

 嵐山の言う通り、那須が合成弾をお披露目したROUND2以降、彼女は仲間が傍にいない状態でも合成弾を使う場面が多々見られた。

 

 勿論狙撃なんかは警戒した上でやっていただろうが、那須は合成弾を一人の時でも使う、という認識が隊員の間で蔓延していたのは間違いない。

 

 機動力と隠密能力、空間把握能力を活かした那須ならではの立ち回りの結果である。

 

「ですが今回、那須隊長はその認識を逆手に取りました。敢えて合成弾を使う場面を見せる事で自身を囮にして狙撃手を釣り出し、それを日浦隊員が護衛しカウンタースナイプで仕留めた。自分自身への認識を利用した、彼女なりの初見殺しと言えるでしょうね」

 

 今回、那須と茜はその認識を利用した。

 

 那須は一人でも合成弾を使う、という認識を利用し、敢えて合成弾を使用する事で外岡を釣り出す事に成功した。

 

 外岡は、まさか狙撃が防がれるとは思ってもいなかっただろう。

 

 彼は、隠密に特化した狙撃手である。

 

 隠れている最中に居場所が暴かれた事は、これまで殆どない。

 

 事実、那須隊は彼の正確な位置を補足していたワケではない。

 

 だが、今回の『渓谷地帯』のMAPは狙撃に適した場所が非常に少ない。

 

 正確な位置を知らずとも、狙撃手がいそうな位置を絞り込む事は充分に可能であった筈だ。

 

 茜がこれまでひたすら隠密に徹していたのは、そうした場所に当たりをつける為でもあった。

 

 七海や那須が派手に戦っている裏で茜は地形把握に専念し、外岡を釣り出す為に最適な場所を導き出し、そこへ那須を呼び込んで作戦を決行した。

 

 与えられた仕事を正確にやり遂げる、狙撃手の模範とも言える姿だろう。

 

「ホンマ、那須隊はえっぐいわ。7試合もしといてまだ初見殺しの引き出しがあるとか、どうなってるん?」

「彼等四人は各々の能力が噛み合っている上に、使える手札も多いですからね。それに全員が射程持ちなので、戦術の幅が広いという事もあります。特殊な戦術を使う隊員も多いですしね」

 

 嵐山の言う通り、那須隊の四人はそれぞれの分野で突出した力を持つ。

 

 七海はサイドエフェクトと高い機動力を用いた回避主体の戦術と、メテオラ殺法という得意戦法が。

 

 那須は七海に匹敵する機動力と、バイパーのリアルタイム弾道制御という稀少技能が。

 

 熊谷は中距離での射撃戦と、近接での粘り強さと格闘能力が。

 

 茜は高い隠密技能に加え、正確に仕事をこなす精密射撃の能力とテレポーターが。

 

 それぞれの強みとして、存在する。

 

 そして、その能力をパズルのように組み合わせた結果こそ、那須隊が毎回のように使って来る新たな()()()()となるのだ。

 

 無数の引き出しを組み合わせる事により、戦術を発展させ常に相手の意表を突き続ける。

 

 それが那須隊の戦闘スタイルであり、彼女達が上位までやって来れた理由でもある。

 

 以前二宮が漏らした通り、B級中位のチームでは今の彼女達の相手は荷が重いだろう。

 

 だが、B級上位チームはそんな彼女達でも食われかねない実力者揃いである。

 

 だからこそ、那須隊(彼女達)は考える事を止めないのだ。

 

 必勝パターンだけに頼るという思考停止の末路は、良く自覚しているのだから。

 

 解説がひと段落したと判断した結束は、二人に確認を取り実況を再開する。

 

「現在の獲得ポイントは、3:1:1で那須隊有利。隊員が削られた弓場隊と残り一人になった王子隊はどう戦うか、此処からが正念場です」

 

 

 

 

『帯島っ、合成弾が来るぞ……っ!』

『多分変化貫通弾(コブラ)だ。シールドを重ねるんだっ!』

「はいっ!」

 

 通信で藤丸と神田から警告を受けた帯島は、上空に出現した無数の光弾を見てすぐさま弧月をオフにする。

 

 そして、その場にしゃがみ込んで限界まで姿勢を低く取る。

 

 丸くなってただでさえ小柄な身体の面積を更に小さくした帯島は、両防御(フルガード)で張ったシールドを身体を覆う最小限の面積で展開。

 

 雨あられと降り注いだ光弾を、1枚目のシールドを砕きながらもなんとか二枚目のシールドと引き換えに防ぎ切った。

 

『もう囮になる必要はない。身を隠すんだ』

「了解ですっ!」

 

 帯島は丸まった姿勢のまま、手を地面に置く形で────────陸上競技のクラウチングスタートのような体勢から地を蹴り、疾駆。

 

 帯島の小さな身体が、カタパルトのように一気に荒野を駆け抜ける。

 

 野生動物のようなしなやかな体躯が、最適な形で躍動。

 

 その小柄な身体と足のバネを存分に活かした走法で、瞬く間に岩場の影に潜り込む。

 

 一瞬遅れて着弾するバイパーを、帯島は岩場を背にする事で挟撃を防ぎ、再び両防御(フルガード)で防御する。

 

 そして光弾が収まった直後、バッグワームを起動して岩場の奥へ駆け出した。

 

 

 

 

「オビ=ニャンはバッグワームを使ったようだね。彼女も、隠れて奇襲を狙うつもりかな」

 

 王子はバッグワームを着て岩場の影に隠れながら、一人呟いた。

 

 神田を仕留めた後、王子はすぐさまその場から離れ身を隠す事を選択した。

 

 あのまま荒野の真ん中に留まっていれば、良い的になっていただけであった事は明白だ。

 

 神田を落とした以上、もうあの場所に用はない。

 

 王子が身を隠さない理由は、存在しなかった。

 

『帯島さんが向かった先は割と岩場が多くて隠れる場所も多いわ。けど』

「足場が多いという事は、ナースのホームグラウンドでもある、か」

 

 羽矢からの通信に、王子は思わず眉を潜めた。

 

 確かに、帯島が潜伏先に選んだ地形は岩山が多く、隠れる場所には事欠かない。

 

 だがそれは、那須の機動力が十全に活かされる場所である事も意味している。

 

 もしも見つかってしまえば、那須得意の機動戦に持ち込まれかねない。

 

 そうなれば、勝機はない。

 

 帯島は身軽で小柄な為にまだマシであるが、如何せん経験値が足りているとは言い難い。

 

 王子も機動力には自信があるが、流石に三次元機動で那須に勝てると思う程愚かではない。

 

 あの場に飛び込むのは、ハイリスクである事は間違いないだろう。

 

(だけど、このまま手をこまねいていればオビ=ニャンも那須隊の点にされかねない。狙える駒がもう殆ど残っていない以上、それは下策だな)

 

 かといって、傍観は有り得ない。

 

 このまま放置すれば、帯島は那須隊に落とされる可能性が高い。

 

 もしかすると那須を放置して弓場との合流を目指すかもしれないが、それはそれで問題だ。

 

 先程は弓場を援護する形で戦闘に介入した王子だが、二度目を許す程弓場も七海も甘くはない。

 

 姿を見せた瞬間に、狙い撃ちされるのがオチだろう。

 

 付き合いが長い分弓場は王子のやりそうな事には見当がついているだろうし、二度目の疑似的な共闘は受け入れないだろう。

 

 七海も漁夫の利を狙う王子を放置する理由はなく、そうなれば弓場と七海の二人に敵対する事になる。

 

 流石に、二部隊のエースに挟まれて勝てると思う程、王子は自惚れてはいなかった。

 

 ならば、どうするか。

 

 傍観は有り得ないが、迂闊に動けば的になる。

 

 既に狙撃手がいない以上、那須が合成弾の使用を躊躇う理由はない。

 

(さっき、トノくんが落とされている。彼が那須さんに見つかった、という可能性は低い。なら、那須さんを護衛していたヒューラーに落とされたと見るべきだろう)

 

 外岡は、隠密に特化した狙撃手である。

 

 その彼がやられた以上、那須に発見されて落とされたという可能性はまず切って良い。

 

 ならば、那須が自信を囮にして外岡を釣り出し、そこを茜が仕留めたという可能性の方がしっくり来る。

 

 つまり、今那須は茜と行動を共にしている。

 

 狙撃手は既に茜だけの状態であり、場合によっては合成弾使用中の護衛も可能。

 

 これまで以上に合成弾を積極的に使用してきても、なんら不思議ではない。

 

(トマホークはなんとかなる。問題は、コブラの方だ)

 

 変化炸裂弾(トマホーク)は、言うなれば遠隔操作できる炸裂弾(メテオラ)である。

 

 自在な軌道を描くミサイル、と考えれば中々に厄介だが、それでもきちんとシールドを広げれば防ぎ切れる。

 

 来る事さえ分かっていれば、防ぐ事自体は難しくはない。

 

 問題は、変化貫通弾(コブラ)の方である。

 

 こちらは遠隔操作出来る貫通力の高い弾丸(アステロイド)であり、トマホークとは性質が全く異なる。

 

 雑に爆撃しても強いトマホークと違って相手にこちらの位置を知られていなければ怖くはないが、もしも位置を特定されてしまえば防ぎ難い必殺の弾丸と化す。

 

 バイパーのような複雑な軌道を描く弾丸を防御するには、シールドを広げるしかない。

 

 だが、シールドは広げた分だけ強度が落ちるという欠点がある。

 

 広げたシールドでは、到底アステロイドの貫通力を持ったコブラを防ぎ切る事は不可能だ。

 

 先程帯島は自身の小柄な身体を利用してシールドの面積を最小限まで減らす事でなんとか凌げていたが、あれは帯島の体躯だからこそ出来た事であって長身の王子ではあんな真似は出来ない。

 

 固定シールドであれば第一射は防げるかもしれないが、一ヵ所に留まってしまえば那須の射撃包囲網に絡め取られてしまう。

 

 そうして固められてしまえば、落とされるのは時間の問題だ。

 

 つまり、今の王子は那須に見つかった時点で終わりと言っても過言ではない。

 

 だが、点にしたい帯島と茜を落とす為には那須に近付く必要がある。

 

 王子の頭に、幾つもの勝ち筋(ルート)が浮かんでは消え、焦る心を落ち着けながら頭を回す。

 

 この状況で、最善の行動は何か。

 

 リスクは。

 

 メリットは。

 

 それらを鑑みて、何がベストな選択肢か。

 

 選ばなければならない。

 

 既に、試合も終盤。

 

 此処で選択を間違えれば、即座に終わる。

 

 チームメイトは、既に全員脱落した。

 

 そしてまだ、王子隊は一点しか取れてはいない。

 

 此処で点を取れるか否かが、今後を決める分水嶺。

 

「…………よし。行こう」

 

 無数の選択肢という枝葉の中から、王子の頭脳が一つの解答を導き出す。

 

 王子は決意を胸に秘め、荒野の中を駆け出した。

 

 一つの、選択を抱いて。




 オビ=ニャンは陸上部っぽいと思うの。

 褐色だし健康的だし、何より似合う。

 それはそれとしてオビ=ニャンと名付ける王子のセンスよ。


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弓場隊⑤

『二人共、レーダーから消えましたね。バッグワームを使ったようです。王子隊長は多分帯島さんを落とす隙を狙ってると思いますが、帯島さんはもしかすると弓場隊長と合流する狙いかもしれません』

「そう」

 

 小夜子からの通信を受け、那須は眉を吊り上げた。

 

 帯島も王子も、岩山が密集した区域で反応が消失している。

 

 遮蔽物が多く隠れながら進むには適した場所だが、足場となる壁が無数にある以上、機動戦に持ち込めば那須の独壇場となる。

 

 この地形で相手を発見出来れば、一方的に押し込めるだろう。

 

 問題は、()()()()()()()である。

 

『王子先輩は恐らく、那須先輩を狙うつもりはありませんね。茜は狙うかもしれませんが、先輩相手に機動戦で勝とうなんて夢は見てくれないでしょう』

「そうね。前の試合みたいな事は、してくれなさそうだし」

 

 王子は前回の試合では複数人で那須や七海を狙い、その結果としてこちらの術中に嵌ってくれた。

 

 だが、あの時は香取隊の巻き添えを喰らったような状況下にあり、王子が真っ先に落ちていた事もあって適切な判断が出来ていたとは言い難かった。

 

 流石に、今回は同じ手は取ってくれないだろう。

 

 通用しなかった戦術を二度使ってくれる程、王子は甘い男ではない。

 

 今回は徹底して、獲れる駒を狙い撃って来る筈だ。

 

『この試合で王子隊長が点として狙っていたのは、熊谷先輩、茜、神田先輩、帯島さんの四人でしょう。熊谷先輩と神田先輩が既に落ち、茜が那須先輩と行動を共にしている以上、十中八九帯島さんを狙う筈です』

「けど、帯島さんはこっちに近付いているのよね? 彼女の狙いがまだ判然としないわ」

『落とされる前提で茜を狙う可能性はありますね。そうでなければ、弓場さんとの合流を狙うか、です』

 

 王子の動きを考えるにあたって、帯島の行動指針が重要になって来る。

 

 バッグワームを使って隠れた今、彼女が何を狙っているのか。

 

 それによって、那須達の取るべき行動は変わって来る。

 

 茜を狙っているのであれば、此処で待ち構えていればやって来るだろう。

 

 万全の態勢で迎え撃てば、早々負ける事は無い。

 

 帯島は射手トリガーを装備した万能手で出来る事は多いが、点取り屋よりはサポーターに近い。

 

 チームメイトとの連携でこそ活きる駒であり、単騎で暴れられる人材ではない。

 

 那須と茜が連携している現状、正面から迎え撃てばまず負けないだろう。

 

 だが、かといって油断して良い状況というワケでもない。

 

 帯島は恐らく、見つからないようにある程度迂回して進んでいる筈だ。

 

 王子の足ならば、ルート次第では帯島に追い付く事は充分有り得る。

 

 神田に続いて帯島まで王子に点にされる展開は、なるだけ避けたい。

 

 更に言えば、帯島を囮にして茜を狙って来る、という可能性も存在する。

 

 王子は、意識の間隙を突くやり口が巧い。

 

 小夜子の策が上手く行っているように見えるのは、単純に那須隊のチームとしての地力が高いからだ。

 

 基本的に、小夜子の考える策はある意味では隊員の能力に任せたごり押しに近い。

 

 個人技能頼りの戦法、と言い換えてもあながち間違ってはいない。

 

 小夜子の作戦立案能力は割と高いが、王子と比べれば一歩劣る。

 

 全く同じ条件での騙し合いになれば、恐らく王子に軍配が上がるだろう。

 

 それだけ、全ての距離に対応可能なチーム構成で且つエースの二枚看板というのは、強いのだ。

 

 手駒が強ければ、取れる手の数も強さも違って来る。

 

 ならばこちらは、その強みを存分に活かして点を取るだけだ。

 

『那須先輩、茜。私の指示に従って下さい』

 

 小夜子は画面の向こうでニヤリ、と笑みを浮かべる。

 

『あの二人を、誘い出しますよ』

 

 

 

 

「これは……っ!」

 

 バッグワームを着て岩山の中を進む帯島は、レーダーを見て目を見開いた。

 

 先程まで一ヵ所に留まっていた那須の反応が、徐々に移動し始めたのだ。

 

 そして、その方角には────────七海と弓場が戦っている、もう一つの戦場がある。

 

 帯島は放置して、七海との合流を狙う。

 

 一見そんな動きに見えるが、それならばバッグワームを着て移動すれば良い筈だ。

 

 それに、那須は本気になればすぐにでも七海の下へ辿り着ける。

 

 なのにそれをせず、バッグワームを着ずにレーダーに映ったまま、七海の下へ向かう意味。

 

 そんなもの、一つしかない。

 

『釣りだね。しかもあからさまな。意図を隠すつもりもないようだね』

「…………ですよね」

 

 那須を囮とした、釣り出し。

 

 間違いなく、これだろう。

 

『参ったな。これは流石に放置するワケにはいかなくなった』

『そうっすね。流石に弓場さんでも、那須さんと組んだ七海相手じゃ厳しいと思います』

『まだ日浦も生き残ってるしなあ』

 

 通信で口々に告げる弓場隊の面々の言う通り、那須と七海が組んだ時の脅威度は単独のそれの比ではない。

 

 幾ら弓場でも、正面から当たるには厳しい相手だ。

 

 弓場は今に至るまで七海相手に拮抗した戦いを続けているが、事此処に至るまで膠着状態が続いているのは、七海が時間稼ぎに徹して弓場の距離に近付いていないからだ。

 

 攻めっ気が欠片もない七海相手に、弓場も攻めあぐねているというのが現在の状況なのである。

 

 一騎打ちに乗ってこの立ち回りをしているあたり、七海も相当にタチが悪い。

 

 だが、弓場はそんな程度で文句を言うような小さい漢ではない。

 

 元より、これはチーム戦。

 

 勝つ為に最善を尽くすのは当然であり、自分の流儀を押し付けるなど間違っている。

 

 だからこそ、弓場は焦らず七海の時間稼ぎに付き合っているのだ。

 

 時間を稼げば味方と合流出来るという目算あっての事だが、此処に来て雲行きが怪しくなってきた。

 

 神田と外岡は既に脱落し、帯島が合流するには那須の存在が障害となる。

 

 そして那須隊は熊谷が落ちただけで那須も茜も健在であり、放っておけばこの二人が七海の援護に入る。

 

 そうなれば、間違いなく天秤は七海の側に傾く。

 

 それだけ、精密射撃を行う茜と自在に弾丸を操る那須の支援能力は凶悪なのだ。

 

 本来射手と狙撃手の頭を抑えるべき味方の狙撃手である外岡は、既に落とされてしまっている。

 

 那須と茜は何の気兼ねもなく、悠々と長距離の射撃援護に徹する事が出来るというワケだ。

 

 そうなってしまえば、流石に弓場とて厳しくなる。

 

 追うべきか、それとも弓場との合流を優先すべきか。

 

 帯島は、選択を迫られていた。

 

『帯島ァ』

「はいっ!?」

『おめェーは、どうしたいんだ?』

 

 そんな時、不意に弓場から通信が入る。

 

 七海との戦闘で余裕もない中、わざわざ声をかけてきた意味。

 

 その心意気を解しない程、帯島の弓場への理解は浅くはなかった。

 

「一人、落として来るっす! 後はよろしくお願いしますっ!」

『────あぁ、任せろ。やって来い、帯島ァ』

 

 帯島は弓場の激励を受け、前を向く。

 

 そして姿勢を低くして、全速力で駆け出した。

 

 

 

 

「成る程、そう来るか」

 

 同刻、那須の動きをレーダーで見た王子は口元を緩ませる。

 

 そして、薄い笑みを浮かべた。

 

「想定通りだよ、セレナーデ。僕の読みは、間違っていなかったようだ」

 

 さて、と王子は呟く。

 

「狩りに行こうか。彼女をね」

 

 

 

 

「此処でいいわね」

 

 那須は岩山の上に着地し、抱えていた茜を下ろした。

 

 茜ははふぅ、と漏らしながら岩場の上に降り立ち、狙撃体勢を取った。

 

 那須のような機動力を持ち合わせていない茜と行動を共にする為、那須は小脇に茜を抱えて岩山の中を移動していた。

 

 隙だらけに見える行動だが、狙撃手がいない今その隙を突かれる可能性は低い。

 

 茜だけテレポーターで移動させるという手もあったが、テレポーターは一度使用すると転移した距離に応じて次の使用までの時間遅延(タイム・ラグ)が発生してしまう。

 

 いざという時に使えなくなると茜としては致命傷になるので、安全な方法を選択したというワケだ。

 

 那須に抱えられて普段はやらないような機動で空中を跳び回る事になり、新鮮な体験に茜は割とご満悦だ。

 

 しかしライトニングを握ると即座に狙撃手としての顔に変わり、冷徹に周囲を観察している。

 

 この切り替えの早さは、間違いなく彼女の武器だ。

 

 茜は戦闘中、自身を一つの武器だと考えて運用している。

 

 それは(茜目線で)凄い人達ばかりの那須隊で彼女がやっていく為に鍛え上げた心得であり、これまでの戦いで茜が仕事をこなし続けられた要因でもある。

 

 これまで茜は、最初から落ちる前提で動いた時しか落ちていない。

 

 それは茜の高い隠密能力の証左であり、逆説的にいざとなれば捨て身で狙撃を実行出来るという狙撃手としてこれ以上ない適性の顕れでもあった。

 

 窮極的に、狙撃手は最後まで生き残る必要はない。

 

 要は、落ちるまでにどれだけの仕事をこなせたか。

 

 それによって狙撃手の価値が決まると言っても、過言ではない。

 

 冬島隊という特殊例はあるものの、大抵の狙撃手は自身の生存よりもポイントの奪取や隊の援護を優先する。

 

 そういう意味では、茜は既に狙撃手として必要な心構えをきちんと持っていると言えた。

 

「那須先輩、来ました」

「そのようね」

 

 故に、変化の兆候は見逃さない。

 

 眼下から迫る光弾の群れを、茜は那須と共に視認していた。

 

 曲射軌道を描いている為、弾種は間違いなくハウンド。

 

 茜はバッグワームを脱いでシールドを展開し、迫り来るハウンドをガードする。

 

 そして、ハウンドの発射元へ向けてライトニングを撃ち放つ。

 

 だが、帯島は壁を蹴り、その狙撃を回避する。

 

 しかしこの一発は、当てる為の狙撃ではない。

 

 これは、あくまで牽制。

 

「バイパー+メテオラ────トマホーク」

 

 那須が合成弾を準備する為の、時間稼ぎ。

 

 合成弾を作成し終えた那須は、容赦なくその弾丸の群れを解き放った。

 

 雨あられと降り注ぐ、無慈悲な爆撃。

 

 無数の弾丸が岩山や地面に着弾し、連鎖的に爆発を引き起こす。

 

 爆発の連鎖で、一瞬砂嵐が吹き飛ばされる。

 

 そしてその刹那の晴れた視界の先に、岩山を駆け上がる帯島の姿が見えた。

 

「そこね」

「……っ!」

 

 那須は跳躍しつつ、変化弾(バイパー)を発射。

 

 蛇のようにうねる弾丸が、四方八方から岩山を駆ける帯島へと襲い掛かる。

 

「くっ!」

 

 帯島はそのバイパーを、広げたシールドでガード。

 

 全てのバイパーをシールドで受け切り、そのまま岩山を駆け上がる。

 

「────」

 

 だが、それを許す那須ではない。

 

 再び弾丸を展開し、帯島へ向かって撃ち放つ。

 

 今回使用した弾種は、アステロイド。

 

 バイパーを防いだ時のように、広げたシールドでは防ぎ切れない。

 

 しかし、余計な回避機動を取れば追撃で追い落とすのみ。

 

 那須相手に受けに回った段階で、相手の取れる選択肢は限られてくる。

 

 一度固めてしまえば、後はどうとでも料理出来る。

 

「……っ!」

 

 故に、立ち止まるなど愚の骨頂。

 

 帯島は両防御(フルガード)で二枚重ねのシールドを展開し、アステロイドを防御した。

 

「ハウンドッ!」

 

 帯島は全ての弾丸を防ぎ切るとシールドを解除し、ハウンドを撃ち放つ。

 

 無数の光弾が放たれ、茜と那須はシールドでそれを防御する。

 

 そしてその隙に、帯島は弧月を抜き構えた。

 

 元より、ハウンドは牽制が狙い。

 

 本命は、旋空を用いた一撃。

 

 反撃で落とされるかもしれないが、元より帯島に生き残るつもりなど毛頭ない。

 

 落とされたとしても、目的を果たせれば良い。

 

 その覚悟で、彼女はこの場に臨んでいた。

 

「旋空────」

 

 全てを振り絞るつもりで、帯島は旋空を起動する。

 

 狙うは、日浦茜。

 

 那須隊の狙撃手を、この一閃で撃ち落とす。

 

「────隙を見せたね」

「が……っ!」

 

 ────そんな彼女の背を、無数の弾丸が打ち据えた。

 

 その先にいるのは、バッグワームを纏う少年。

 

 王子隊隊長、王子一彰であった。

 

 最初から、王子はこの時を待っていたのだ。

 

 帯島が、捨て身で那須達に挑むその時を。

 

 捨て身である最中は、防御へ向ける意識は薄れる。

 

 最低限目的を果たすまで生き残れば良いという割り切りが、背後への警戒を怠らせた。

 

 それこそが、王子の狙い。

 

 隙を見せたターゲットを、背中から刈り取る。

 

 その為に、彼はこの場に姿を見せたのだから。

 

「────弧月ッ!」

「……っ!?」

 

 ────だが、帯島はただではやられなかった。

 

 致命傷など構うものかと、彼女は旋空弧月を振り抜いた。

 

 体重を乗せ、途中で強引に軌道を変えた旋空が、反応が遅れた那須の右足を斬り落とす。

 

 そしてそのまま、背後の王子の胴を帯島の旋空が斬り裂いた。

 

「…………まさか君にやられるとはね、オビ=ニャン。流石にこれは、想定してなかったよ」

 

 王子はやれやれとかぶりを振り、帯島はそんな彼を見て溜め息を吐く。

 

 帯島が本当に狙っていたのは、自分を追って来た王子だった。

 

 隙を見せたのも、そう意図したもの。

 

 敢えて隙を晒して王子を誘い出し、そして仕留める為の策。

 

 王子が残っていては、何処までも漁夫の利を狙われる危険が捨てきれない。

 

 故に、此処で確実に獲る。

 

 それが、彼女が考案し神田が手を加えた策の全容。

 

 帯島は、弓場隊は、王子に読み勝ったのだ。

 

 ついでとばかりに那須の足を削るという大戦果を挙げる事が出来た為、帯島は役目を充分以上に果たしたと言える。

 

 自分の仕事を終えた帯島は、満足気な笑みを浮かべていた。

 

「これで、()()()()()()()っすね。後は任せました、弓場さん」

 

 ピシリ、と帯島の戦闘体に亀裂が走り、それが全身へ広がっていく。

 

 同様に王子の戦闘体も罅割れていき、やがて限界へ到達する。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 二人の姿が、光に包まれ、消える。

 

 帯島と王子の両名は、共に笑いながら戦場から離脱した。




 帯島ちゃん機転は悪くないと思うので、こういう形に。

 色々と点数調整で悩んだけど、なんだかんだ頑張ってくれたようでなにより。

 ROUND7もこれで佳境。

 あとは彼の活躍を描くだけですね。


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弓場隊⑥

「こ、此処で帯島隊員、王子隊長の両名が相打ちの形で緊急脱出(ベイルアウト)……っ! 那須隊は、目の前で点を掻っ攫われた形か……っ!」

「帯島ちゃん、ええ仕事したのう」

 

 生駒は試合映像を見ながら、しみじみと頷いている。

 

 確かに今回、帯島と王子の動きによって得られた結果は試合を動かすには充分なものであった。

 

 王子の動きにより、那須隊は帯島を仕留めて点にする事が出来ず。

 

 帯島によって王子が落とされた上、那須の足が削られるという明確な痛手を負ったのだから。

 

「そうですね。王子隊長の点を弓場隊が取った事もそうですが、何より那須隊長の足が削れたのが大きいです」

「そやな。那須さんの一番の武器は足を使った機動戦やさかい、それが出来んくなったのは痛いで」

 

 生駒の言う通り、那須隊としては目の前で戦果を掻っ攫われた以上に、那須の足が、機動力が削られたという点が問題になる。

 

 那須の強みは、バイパーのリアルタイム弾道制御を活かした中距離での制圧力と、容易には捉えられない三次元機動を可能とする機動力だ。

 

 射手としてもかなり高い実力を持つ那須であるが、その真骨頂は突出した機動力。

 

 ボーダー上位の攻撃手でも、彼女の動きに付いて行けるものはそうはいない。

 

 サイドエフェクトを持つ七海に匹敵しかねない回避能力を持つという点で、その凄まじさが分かるだろう。

 

 三次元機動を駆使した射撃戦の展開は、那須の持つ固有の強みだ。

 

 足が削れ、それが出来なくなった事はあまりにも痛い。

 

 それだけ、帯島の得た戦果は大きかったと言える。

 

「帯島隊員が使用した直前で旋空の軌道を強引に変えるあの技は、熊谷隊員が樫尾隊員を落とした際のものを参考にしたのだと思われます。あの時、帯島隊員はそれを直で見ていましたからね」

「ホンマモンの目の前で使われた技やからなあ。でも、あんだけで真似出来るとか天才の所業やわ」

「元々、帯島隊員は光るセンスを持っています。状況判断能力と対応力は、以前から評価されていました」

 

 そう、帯島は技量こそまだ発展途上ではあるが、弓場と神田の指導を直に受けた事により状況判断能力と咄嗟の対応力はかなり磨かれている。

 

 天性の頭の回転の速さもあり、帯島は集団戦での立ち回りはかなり高度なものを持っていると言って良い。

 

 元より、隊を去る事が決まった神田が後進を育てる為に己の持つ技術や戦術を帯島に叩き込んでいた、という事情もある。

 

 神田の意思と力は、確かに帯島に継承されている。

 

 今回の帯島が挙げた戦果は、それが形になったものだとも言える。

 

「熊谷隊員と帯島隊員は、共に恵まれた運動センスを持ち日頃の運動も欠かしていないと聞きます。我々の戦闘はトリオン体で行う為生身の能力は軽視されがちですが、現実で鍛えられた肉体の反応や動作は文字通り頭に叩き込まれています。鍛錬は、嘘をつかないという事ですね」

「そやな。俺もリアルで居合い抜きをやってたんで、その技術を使うとるしなあ。生身での運動や武術は、やっといて損はないで」

 

 俺がその証拠や、と言う生駒の姿は確かに説得力を感じるものだった。

 

 トリオン体は、生身では出せないような出力での動きを可能とする。

 

 生身では運動どころかまともに動くのも支障がある那須が、トリオン体では縦横無尽の機動戦をやってのけるのがその典型だ。

 

 だが、かといって現実での運動や鍛錬が無駄になる、といった事にはならない。

 

 トリオン体を動かすのは、あくまで使用者の意識────知識と経験を元にした、使用者自身の判断と反射行動である。

 

 故に、現実で叩き込まれた動きは、トリオン体でも可能となる。

 

 現実で身体の動かし方を学べば、それだけ咄嗟の対応力が増すワケだ。

 

 トリオン体で戦うからといって、生身の鍛錬を軽視するのは間違っている。

 

 これは、そういう話である。

 

「勿論、生身とトリオン体では動ける()()が違うのでそのズレに慣らす必要はあるでしょうが、生身での鍛錬が無駄になる、という事はありません。身体の弱い方であれば話は別ですが、強くなる為の方策として生身の身体を鍛錬するのは良い経験になると思います」

「レイジさんを見ぃや、レイジさんを。あの筋肉で強くないワケがないやろ? 筋肉やぞ」

「ええ、筋肉を鍛える事は無駄にはなりません。無理をしない程度に、鍛えてみる事をお勧めします」

 

 ふんす、と鼻息荒くレイジの筋肉話を始めようとした生駒を、嵐山がそつなく制す。

 

 生駒はナチュラル(無意識)に雑談の隙を狙っているが、そんな事は嵐山とて承知の上。

 

 このくらい出来なければ、生駒の解説の相方など務まらない。

 

 生駒とは、一朝一夕の付き合いではないのだ。

 

 友人として、このくらいの操縦は出来る。

 

 それが見込まれたからこそ、生駒隊の面々────────主に真織から、生駒を託されたのだから。

 

 今頃、真織は安堵の息を吐いている事だろう。

 

「あと、王子は帯島ちゃんにまんまとやられた形やな。割と素でびっくりしとったようやし」

「確かに、王子隊長は帯島隊員の策に絡め取られた形です。ですが、目的自体は果たしているのでそう悪い結果というワケでもないんです」

 

 まず、と前置きして嵐山は続ける。

 

「王子隊長の目的は、あの場で帯島隊員を落とす事です。そして恐らく、その後の自分の生存は考慮していなかったと考えられます」

「点さえ取れれば、後は落とされても構わんかった、いう話か。確かに王子ならそのくらいやるやろな」

「出来れば、那須隊に落とされた方が都合は良かった、くらいは考えていたかもしれません」

 

 その方が、まだ芽がありますから、と嵐山は言う。

 

 現在の得点は、那須隊が3Pt、弓場隊が2Pt、王子隊が2Ptである。

 

 そして、試合開始時の所持ポイントは王子隊25Pt、弓場隊が27Pt、那須隊が39Ptである。

 

 那須隊と王子隊のポイントは既に10Pt以上離れている為、那須隊がどれだけ得点しようが今更誤差の範囲でしかない。

 

 しかし、弓場隊と王子隊は2Ptしか点差が離れていない。

 

 つまり、王子隊としてはまだ追いつける範囲にいる弓場隊より、今更数ポイント取られたところで追いつける芽のない那須隊に点を取られた方がまだマシであったのだ。

 

 そういう意味では、帯島の一手は王子隊にとって明確な痛手だったと言える。

 

「やっぱ、熊谷さんのあの旋空を直接見たかどうかが大きかったんかな。この場合」

「そうでしょうね。樫尾隊員から落ちた状況の説明はあったでしょうが、情報だけの伝聞と実際に見た所感は異なりますから」

 

 二人の言う通り、今回二人の明暗を分けたのは熊谷の旋空の軌道変更という技を直接見たかどうかである。

 

 帯島は目の前で目撃しており、王子は樫尾から情報()()を聞いていた。

 

 その違いは、かなり大きい。

 

 王子は、その身を戦場に置く事で周囲の状況を把握し、適時素早い判断を下す事が出来る。

 

 綿密な分析と観察によって考え抜かれた作戦は型に嵌れば強いが、その分イレギュラーに弱いという弱点を内包している。

 

 今回の場合、帯島が熊谷と同じ芸当が出来ると考えていなかった為、してやられた形となっている。

 

 帯島は、ランク戦において弧月での近接戦を牽制として、射撃トリガーでダメージを与える戦法が多かった。

 

 彼女は小柄で身軽であるが、その分剣に重さを乗せ難い。

 

 故に弧月はあくまで牽制として用いて、射撃トリガーを本命とする戦法が適していたワケだ。

 

 それを知っていたからこそ、王子は帯島の射撃には充分以上に警戒していた事だろう。

 

 シールドもいつでも展開出来るよう準備しており、たとえアステロイドが来ようが防ぎ切る算段でいたに違いない。

 

 だが、旋空にシールドは通用しない。

 

 来るのであれば射撃トリガーであると考えていた王子は、まんまとシールドごと斬り裂かれたワケである。

 

 帯島は射撃トリガーを本命とする、という事前情報を優先し過ぎて、彼女が旋空の軌道変更という技を咄嗟に使って来る可能性を除外していた。

 

 王子の落ち度があるとすれば、そこになるだろう。

 

「けど、ともあれこれで王子隊は全滅やな。あとは弓場さんが那須隊の三人を相手する事になるけど、実際どうなん?」

「那須隊長が合流すれば明確に弓場隊長が不利ですが、此処に来て帯島隊員が那須隊長の足を削った、という事が活きてきます。正直に言って、合流までには相応の時間がかかるでしょう」

 

 帯島の戦果は、想定以上の結果を齎している。

 

 那須は片足が削れて機動力を失っている上に、現在彼女がいるのは複雑な岩山の密集地の真っただ中。

 

 神田達を安全に狙う為に移動した影響で、七海と合流するにはそれなりの時間がかかる。

 

 特に、足の削れた今の状態では猶更だ。

 

 那須の機動力が削れていなければ彼女が茜を抱えて移動する事も出来ただろうが、この状態ではそれも厳しい。

 

 茜はテレポーターを使えば移動自体は出来るが、そもそもテレポーターは長距離移動には向いていない。

 

 多くの距離を転移すれば距離に応じたインターバルが必要になるし、一度の移動も数十メートルが限界。

 

 合流さえ出来れば明確な有利を取れるのは間違いないが、帯島の与えた痛手がそれを阻んでいる。

 

 場合によっては、合流が間に合わない可能性も充分有り得るだろう。

 

「弓場隊長も、それは分かっている筈です。そろそろ、動くでしょう。味方が全員落ちた以上、弓場隊長が時間稼ぎに付き合う理由はもうありませんからね」

 

 

 

 

『帯島が王子を落として、那須さんの足を削った。大戦果だね』

「よォし、良くやった帯島ァ!」

『ッス!』

 

 通信で帯島の戦果を聞き、弓場は凄み(ドス)の効いた笑みを浮かべる。

 

 子供が見れば泣き出しそうな迫力であるが、その表情はよく見れば嬉しさが隠し切れていない。

 

 帯島がきっちり仕事をこなせた事が、余程嬉しいのだろう。

 

 その姿は、子煩悩の父親と言っても差し支えないものであった。

 

「なら、俺も覚悟(タマ)ァキメなきゃなんねェなァ。七海ィ!」

「……っ!」

 

 ギラリ、と弓場の眼鏡が光る。

 

 その眼鏡の奥に隠された視線は、明確に七海を捉えている。

 

 サイドエフェクトに、頼るまでもない。

 

 明確な闘志と殺気が、七海に降り注いでいた。

 

 漢弓場拓磨、部下(しゃてい)の活躍を聞いて奮い立たない筈もない。

 

 相手が実力を認めた戦友(ダチ)であれば、猶更である。

 

「行くぞオラァ!」

「……っ!」

 

 弓場は気合入った声をあげ、地を蹴り駆け出した。

 

 その視線は、真っ直ぐに七海を捉えている。

 

 現在の七海と弓場の距離は、おおよそ25メートル。

 

 少し踏み込めば、弓場の射程22メートルに到達する。

 

「く……っ!」

 

 七海は咄嗟にグラスホッパーを展開し、逃走準備に入る。

 

 メテオラを使いたい場面だが、弓場相手ではそうもいかない。

 

 射撃トリガーは、最初にキューブの状態で展開しそこから分割・射出という工程を挟まなければならない。

 

 そして、生成されるキューブは常に使用者のトリオンに応じた()()()()()で展開される。

 

 つまり、トリオン量の大きい者が敢えて小さいキューブを展開する事は出来ないのだ。

 

 七海のトリオン評価は、10。

 

 これは流石に二宮には及ばないものの攻撃手としては破格の数値であり、当然相応に生成されるトリオンキューブは大きくなる。

 

 メテオラの扱いは出水から叩きこまれている為七海のキューブ分割速度は相応に速いのだが、弓場の早撃ちはその速度を超えて来る。

 

 弓場の射程内で炸裂弾(メテオラ)を出せば、狙い撃ちされて誘爆される危険が非常に高いのだ。

 

 七海のサイドエフェクトがダメージの発生範囲を感知するのは、ダメージがその範囲に発生した事が確定した瞬間である為、キューブを狙われた場合は弾丸がキューブに着弾するまで彼のサイドエフェクトは発動しない。

 

 その場合、咄嗟にシールドを張る事は出来るだろうが、その隙を狙われて弓場に接近される事は七海としては避けたいのだ。

 

 弓場の有効射程は、22メートル。

 

 これは踏み込み旋空弧月が届かないギリギリの距離であり、故に弓場は攻撃手キラーと呼ばれる。

 

 旋空を持たない七海の射程は無論更に短く、マンティスを使えるにしても有効射程では弓場の方が圧倒的に上だ。

 

 メテオラを使えば射程は逆転するが、メテオラを弓場相手にこの距離で使うのはかなりリスキーだ。

 

 故に、此処は逃げの一手。

 

 グラスホッパーを使えば、弓場は大きく引き離せる。

 

 そのまま那須や茜のいる場所に向かえば、射撃援護で優位に立てる。

 

 そう目論んで、七海はグラスホッパーを踏もうとした。

 

「────甘ェな、七海ィ」

 

 ────だが、その一手は見抜かれていた。

 

 一歩踏み込んだ弓場は、早撃ちでグラスホッパーを銃撃。

 

 踏み込んだ先のジャンプ台を消し飛ばされた七海の足が、一瞬硬直する。

 

 それは、弓場相手に晒すには致命的過ぎる()であった。

 

「ぐ……っ!」

 

 銃撃、一閃。

 

 隙を逃さず放たれた弓場の一撃が、七海の右足を撃ち抜いた。

 

 咄嗟に態勢を立て直した七海が、止む無く地面に着地する。

 

 撃ち抜かれた七海の右足は膝から下が吹き飛ばされており、少なくないトリオンが漏れ出ている。

 

「逃がさねぇぜ。決着(ケリ)ィ付けようや、七海ィ」

 

 弓場はそう告げ、凄絶な笑みを浮かべた。

 

 それを見た七海は、此処から逃げられない事を悟る。

 

 七海は、覚悟を決めた。

 

 今の弓場相手に、生半可な手は通用しない。

 

 そう考えた七海は失った右足をスコーピオンで補填しながら、弓場と向かい合う。

 

 そして、駆ける。

 

 最後の一騎打ちが、始まった。




 グラスホッパーが銃撃や射撃で消せるという情報はやっぱりありがたい。

 便利トリガーグラスホッパーの攻略法が一つ加わったワケだから、ワートリは良く考えられている。

 グラホあると逃走も接近も自由自在だから弱点があるくらいで丁度良いのよね。


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弓場隊⑦

 

(…………失敗したな。まさか、あそこでグラスホッパーを撃ち抜かれるなんて)

 

 七海は撃ち抜かれた右足をスコーピオンで補填しながら、内心で舌打ちする。

 

 だが、と七海は思案する。

 

 あの時、自分と弓場の距離はおおよそ25メートル。

 

 弓場の射程である22メートル圏内には、入っていなかった筈だ。

 

 だからこそ、あそこで七海はグラスホッパーを使ったのだから。

 

 つまり、あの時弓場の銃弾が七海の展開したグラスホッパーに届く筈はなかったのだ。

 

 しかし、実際に弓場は当ててきた。

 

 射程内に入っていない筈の、グラスホッパーを。

 

(いや待て、射程22メートルというのは────あくまで()()()()()()()()()か……っ!)

 

 そう、それが答え。

 

 グラスホッパーは、トリオンの弾丸に当たれば相殺されて消滅する。

 

 故に、弾丸さえ当てる事ができればその()()は関係ない。

 

 恐らく、あの時グラスホッパーを射抜いたのはバイパー。

 

 弓場がアステロイドと同様にセットしている、もう一つの弾丸である。

 

 銃手トリガーの射程は、トリガーセットの段階で弾種ごとに決定される。

 

 射手トリガーのように戦闘中の細かなチューニングまでは出来ないが、弾種ごとに威力や弾速を切り詰めてある程度射程に割り振った可能性は充分考えられる。

 

 弾丸が直線軌道で飛んで来た為気付かなかったが、バイパーを直線軌道で撃つ事は勿論可能だ。

 

 あのグラスホッパーを射抜いた銃撃は、直線軌道で放ったバイパーによるもの。

 

 だからこそ、射程外に身を置いたつもりで安心していた七海の不意を突く事が出来たのだ。

 

 自分自身を狙った攻撃であれば七海はサイドエフェクトで察知出来るが、今回狙われたのはグラスホッパー。

 

 自分の弾丸や展開したトリガーはサイドエフェクトの対象外である為、七海は弓場の狙いに気付けなかった。

 

 その隙を突かれ、グラスホッパーを消し飛ばされた。

 

 そして、その結果バランスを崩した七海は格好の的となり、右足を撃ち抜かれた。

 

 七海はこれで、弓場と戦うにあたり重いハンデを背負った事になる。

 

 右足をスコーピオンで補填している以上、両防御(フルガード)も出来なければ迂闊にグラスホッパーで逃げる事も出来ない。

 

 下手に逃げを撃てば、弓場は容赦なくその隙を突いてくるだろう。

 

 此処で、迎え撃つしかない。

 

 そう決意し、七海は弓場に向かって駆け出した。

 

 

 

 

「弓場隊長の銃撃により右足を失った七海隊員、此処で迎撃する構えを取った……っ! これは苦しいか……っ!?」

「アカン。こらマズイわな」

 

 試合映像を見ながら、生駒が眉を吊り上げてぼそりと呟く。

 

 その声に、嵐山もこくりと頷いた。

 

「ええ、失った足をすぐさまスコーピオンで補填したあたりの対応力は流石ですが、これで七海隊員は片腕が常に塞がっている状態となりました。弓場隊長相手に、これは大きなハンデだと思われます」

「今まで七海が弓場ちゃんと拮抗出来てたのは、その機動力と硬いシールドの防御あってのものやからな。今の状態やと両防御(フルガード)も出来ひんから、弓場ちゃんの相手は厳しいで」

 

 嵐山も生駒も、揃ってこの状況は七海が不利だと口にした。

 

 それは、恐らく間違っていない。

 

 二人の言う通り、今の七海は両防御(フルガード)が出来ない。

 

 正確に言えば、両防御をするには右足を補填しているスコーピオンを解除する必用がある。

 

 そして、片腕だけのシールドでは弓場の銃撃を防ぐのは困難だ。

 

 数発程度なら耐えられるだろうが、両攻撃(フルアタック)で12発全て撃ち込まれれば流石に割れる。

 

 かといって両防御をするには右足の代わりとなっているスコーピオンを解除する必要がある為、機動力が死んでしまう。

 

 弓場相手に、一ヵ所に固まるのは自殺行為に等しい。

 

 迂闊に足を止めた瞬間、全弾叩き込まれて即死だろう。

 

「それに、メテオラを銃撃で誘爆させられる以上、七海隊員の得意とするメテオラ殺法も迂闊には使えません。そして、メテオラなしでは七海隊員の射程は弓場隊長に及びません」

「マンティスを使っても、射程そのものは旋空より短いしなあ。攻撃手キラーの弓場ちゃんの相手は骨が折れる思うで」

 

 更には、射程の問題もある。

 

 弓場のアステロイドの射程は、22メートル。

 

 バイパーの場合は、恐らく25メートルちょっとといったところか。

 

 どちらにせよ、七海の射程と弓場の射程では大きな開きがある。

 

 メテオラを使えば話は別だが、誘爆の危険がある以上迂闊には使えない。

 

 そういう意味でも、七海にとって厳しい展開と言えた。

 

「此処で七海隊員が落ちてしまった場合、那須隊には前衛を務められる人員がいなくなります。そうなれば、足が削れた那須隊長と日浦隊員が落とされる可能性が出てきますね」

「誇張なしで、この勝負が今回の大一番いうワケやな。七海が勝つか、弓場ちゃんが勝つか、見ものやで」

 

 

 

 

「来るか、七海ィ!」

 

 弓場は自分に向かって走り出す七海を見て、ニヤリと笑みを浮かべる。

 

 昔から、1対1(タイマン)は大好物だ。

 

 戦う相手だけを見て、自分の全てを相手を倒す為だけに注ぎ込む。

 

 その爽快感は、他では中々味遭えない。

 

 1対1の削り合い(ドンパチ)は、スリルがあって面白い。

 

 チームランク戦は嫌いではないが、矢張り大一番はタイマンに限る。

 

 正直、七海が1対1に応じる可能性は低いと思っていた。

 

 先程までの戦いは、あくまで時間稼ぎが目的だ。

 

 それ故に七海からは攻めっ気が全然見えなかったし、弓場としても正直意に沿う戦いだったとは言い難い。

 

 だが、それが彼の戦術である事は理解している。

 

 自分の流儀を他人に押し付ける根性なし(シャバい奴)には、弓場はなるつもりはなかった。

 

 弓場には弓場なりの流儀(タチ)があるように、七海にも七海なりの流儀というものがある。

 

 自分の流儀が絶対に正しい、とまでは弓場は思っていない。

 

 弓場は、他人の流儀を認められないような性根(タマ)ではない。

 

 根性(ヤキ)入れる必要があると見做さない限りは、弓場は相手の意思を尊重する。

 

 それがたとえ、自分の意に添わぬ結果だとしてもだ。

 

 だが、だからこそ七海がこうして一騎打ち(タイマン)に応じてくれたのは嬉しい限りだ。

 

 自分が認めた戦友(ダチ)と、正面からやり合える。

 

 これ程の、幸運はない。

 

 ならば、やる事は一つ。

 

 全力を以て、七海を叩き潰す。

 

 それが、弓場なりの筋の通し方。

 

 全霊でこちらを潰しに来る、七海達への礼儀だった。

 

『距離20』

「おゥ!」

 

 オペレーターから、相手が射程距離に入った事を知らされる。

 

 弓場は迷わず、リボルバーを抜き放つ。

 

 弾丸、六発。

 

 神速の早撃ちが、七海に襲い掛かる。

 

「……!」

 

 だが、既に攻撃が来るであろう事を察していた七海はサイドステップで銃撃を回避。

 

 身体を沈め、側面から弓場に斬りかかる。

 

「────」

 

 しかし、弓場は即座に対応。

 

 未だ撃っていなかった左手のリボルバーで、七海に向かって銃撃。

 

 七海はそれを、集中シールドでガード────否。

 

 シールドを広げ、全方位を防御する。

 

「……っ!」

 

 そして、弓場の弾丸は当たる直前で上下左右に広がり、放物線を描くように七海のシールドに着弾。

 

 全方位に広げたシールドにより、その弾丸────────バイパーは防がれた。

 

 もしも今の弾丸をアステロイドと誤認していれば、シールドをすり抜けた弾丸によって落とされていただろう。

 

 先程グラスホッパーを撃ち抜いたのがバイパーであると気付いていなければ、対応が遅れていた可能性もある。

 

 七海の観察眼の、賜物と言えた。

 

「ハッ、そうこなくっちゃなァ!」

 

 だが、弓場の戦意に衰えはない。

 

 必殺の一撃を躱された後も、変わらぬ笑みを浮かべている。

 

 そも、一度や二度の交錯で落ちる程容易い相手でない事は、弓場自身が知っている。

 

 一度で駄目なら、二度三度。

 

 それでも駄目なら、更に四度。

 

 攻撃を、繰り返すだけだ。

 

(だが、あまり悠長にゃあしてられねェなァ)

 

 しかし、今回はタイムリミットが存在する。

 

 即ち、那須が七海に合流するまでのタイムリミットが。

 

 もし此処で那須と合流されれば、弓場の勝利は確実に遠のく。

 

 足が削れているとはいえ、射手としては動けるのだ。

 

 援護射撃を得た七海の相手は、流石の弓場でも厳しいものがある。

 

 だが逆に、七海さえ落としてしまえば残る二人を落とせる芽も出て来る。

 

 あまり、時間はかけられない。

 

 だが、焦ればそこを付け込まれる。

 

 慎重に、そして迅速に。

 

 この勝負を、片付ける必要があった。

 

 もし七海が逃げに走っていれば、容易にその背中を撃ち抜く事が出来ただろう。

 

 けれど、七海はそうしなかった。

 

 そんな甘い手が通用する状況でない事くらいは、彼とて理解している。

 

 故に、此処で落とす。

 

 二人の意思は、この瞬間合致していた。

 

(行くぜ)

 

 弓場はホルスターに戻し再装填を終えた拳銃を再び引き抜き、引き金を引く。

 

 右手の拳銃から、六発の弾丸が撃ち出される。

 

 真っ直ぐに飛ぶその弾丸の正体は、バイパー。

 

 敢えて途中まで直線状の軌道を描かせる事で、アステロイドと誤認させるのが狙い。

 

 しかし、これに関しては看破されても問題ない。

 

 シールドを広げた瞬間、左手にセットしたアステロイドで撃ち抜けば良いだけだからだ。

 

 足スコーピオンで片腕が塞がっている今の七海は、両防御を使えない。

 

 片枠だけのシールドでは、バイパーとアステロイド、その両方を防ぐ事は不可能。

 

 弓場が放つ、第二の必殺の布陣。

 

 七海は、それを。

 

「────」

「な……っ!?」

 

 ────シールドを、バイパーの眼前に置く事で対応した。

 

 弓場は那須と違い、バイパーのリアルタイム弾道制御などという真似は出来ない。

 

 予め決められた幾つかの弾道を、逐一選択して撃っているだけだ。

 

 今回撃ったのは、先程と同じ相手の直前で曲がる弾道。

 

 ならば、話は簡単。

 

 バイパーが曲がる()の位置に、シールドを配置すれば良い。

 

 曲がる軌道を予め設定されていた弾丸は、突如出現したシールドの存在など考慮していない。

 

 結果、全ての弾丸はそのままシールドに着弾。

 

 威力に乏しいバイパーは、難なく全てが防がれた。

 

「チッ!」

 

 弓場はそれを見て、すぐさま右手の銃をホルスターに戻す。

 

 このままアステロイドを撃っても、シールドに防がれるのは目に見えている。

 

 七海のシールドは、トリオン強者故に硬く貫き難い。

 

 片腕だけのアステロイドでは、広がっていない彼のシールドを射抜く事は不可能だ。

 

 故に、仕切り直す。

 

 それが明確な隙であると、理解した上で。

 

「────」

 

 弓場が弾丸を再装填する、その瞬間。

 

 それこそ、七海が待ち望んでいた隙。

 

 七海は姿勢を低くして、滑空するように跳躍。

 

 一直線に、弓場の首を狙う。

 

「甘ェ!」

 

 しかし、弓場にはこの時の為に温存していた左腕がある。

 

 左のリボルバーを抜き放ち、弓場は七海を銃撃。

 

 七海の突貫速度は、相当なものだ。

 

 このままであれば、自ら弾丸に突っ込む事になる。

 

 シールドが間に合ったとしても、六発を受け止めるのが精々だろう。

 

 装填が完了した右手の六発を叩き込めば、それで終わる。

 

 これが、第三の必殺。

 

 弓場の銃技が、七海に牙を剥く。

 

「────」

「……っ!?」

 

 だが、七海はそれすら回避する。

 

 極小のグラスホッパーを展開した七海は、自らそれにぶつかる事で軌道を修正。

 

 弓場のアステロイドを、紙一重で回避する。

 

 間髪入れず足先にグラスホッパーを展開し、踏み込む。

 

 再加速を得た七海が、再度弓場へと突貫した。

 

「ウラァ!」

 

 しかし、それで怯む弓場ではない。

 

 右手の銃を抜き放ち、早撃ち一閃。

 

 迫る七海を、バイパーが迎え撃つ。

 

 今度は、先程のような防御は許さない。

 

 最初から放物線上に広げた弾丸が、四方八方から七海へ襲い掛かる。

 

 それを広げたシールドで防御した瞬間、今度こそ詰みだ。

 

 この距離ならば、グラスホッパーでの回避すら許さない。

 

 至近距離での弓場の銃撃は、反応出来る速度ではない。

 

 今まではある程度の距離があったからこそ防がれていたが、それも此処まで。

 

 弓場の距離に踏み込んで来た以上、生きて返す通りはない。

 

 そして七海は、弓場の想定通りシールドを広げた。

 

(シールドを広げたな……っ! よし、これで……っ!?)

 

 そこで、気付く。

 

 七海の、スコーピオンで補填された右足。

 

 それが、いつの間にかなくなっている。

 

 足の代わりになっていたスコーピオンが、解除されている。

 

 つまり。

 

 つまり。

 

 今の七海は、()()()()()()いる。

 

 この展開。

 

 この状況。

 

 これこそが、七海が待ち望んでいた機会(チャンス)

 

「────メテオラ」

 

 ────七海は、満を持して発動したそのトリガーの名を言い放つ。

 

 七海の()()に、巨大なトリオンキューブが発生する。

 

 キューブの名は、炸裂弾(メテオラ)

 

 弓場の弾丸が、分割すらしていない爆弾(メテオラ)へと叩き込まれる。

 

「……っ!」

 

 衝撃を与えられたメテオラのキューブが、起爆。

 

 周囲を飲み込む、大爆発を引き起こした。

 

「く……っ!」

 

 間一髪でシールドを展開した弓場は、なんとか爆心地から離脱する。

 

 当然、七海の姿は見失った。

 

 あの場では防御に徹する以外、弓場が生き残る方法はなかった。

 

 しかし、その代償として必殺の機会は失われ、七海は姿を晦ました。

 

 あの広げたシールドは、弓場のバイパーではなく自身の炸裂弾(メテオラ)から身を守る為。

 

 最初から、あの起爆こそを狙っていたのだ。

 

 弓場の直感は、あれで終わりではないと言っている。

 

 この状況、この瞬間。

 

 こんな好機を、七海が見逃す筈がないと。

 

「────」

 

 そして、それは間違ってはいなかった。

 

 爆風の向こうから飛び出した七海が、弓場を斬り裂かんとその右足を振るう。

 

 メテオラの起爆という不意打ちから繋ぐ、七海の一手。

 

 完全な、奇襲。

 

 だが。

 

 だが。

 

 それすら弓場は、対応してみせた。

 

「ぐ……っ!」

 

 弓場の銃撃が、七海の右腿を消し飛ばす。

 

 至近距離での弓場の銃撃は、回避も防御も許さない。

 

 次の一撃で、詰み。

 

 勝利を確信し、弓場は引き金に手をかけた。

 

「ぐ……っ!?」

 

 ────しかし、その銃撃は放たれなかった。

 

 銃を握る右手首が、一つの閃光によって撃ち抜かれたが故に。

 

 そして、気付く。

 

 近くの岩場の、その頂上。

 

 そこに、ハンチング帽を着た少女の姿がある事に。

 

 これまでの七海の戦いは、全てこの為。

 

 彼女が、茜が来るまでの時間を稼ぐ。

 

 それが、七海の本当の狙い。

 

(だが……っ!)

 

 まだ自分には、左腕がある。

 

 来る事さえ分かっていれば、ライトニングはシールドで防げる。

 

 居場所が知れた狙撃手など、恐るるに足りない。

 

 今度こそ七海を撃ち抜かんと、弓場は左のホルスターに手を伸ばす。

 

「が……っ!?」

 

 ────されど、その一撃が放たれる事は、ついぞなかった。

 

「な……にィ……?」

 

 撃ち抜かれ吹き飛ばされた七海の右足が、否────────()()()()()()が、弓場の胸に突き立ったが故に。

 

 何が起きたか理解出来ずにいる弓場の視界に、一つの光景が飛び込んできた。

 

 グラスホッパー。

 

 それが、先程まで七海の足のあった場所にその残滓を残していた。

 

「そういう事かよ、テメェ」

 

 弓場は、理解した。

 

 七海は、自分の足ごとスコーピオンをグラスホッパーで撃ち出したのだ。

 

 加速を得たスコーピオンが、両腕が塞がり無防備となった弓場の胸に叩き込まれた。

 

 それが、七海の持つ本当の必殺の一手。

 

 千切れた自分の身体すら利用するその執念と、勝利への渇望。

 

 それは弓場からすれば心地良く、称賛に値するものだった。

 

「ったく、テメェがそういう奴だったって事は知ってた筈なのによ。俺も、ヤキが回ったかね」

「いえ、紙一重でした。ですが、今回は勝たせて貰いましたよ」

「言ってろ。次は、負けねェからな」

 

 致命傷を負い、全身が罅割れていく弓場はそれでも尚笑みを浮かべる。

 

 その笑みは自分を下した七海への称賛であり、勝てなかった自分への戒めでもあった。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、弓場の敗北を告げる。

 

 こうして、ROUND7の試合は決着を迎えた。





 銃手トリガーは色々とブラックボックスなトコがあるけど、ワートリ創作仲間と相談の末、銃種ごとに射程は違っていいだろうと結論が出ました。

 しかしこうして那須さん以外のバイパーを書くと那須さんの規格外さが改めて分かる。

 今回の七海の手も、那須さん相手じゃ通用しないからねえ。

 リアルタイム弾道制御はそれだけの変態技術。

 二人も使い手がいる事自体がちょっとおかしいのよねこれ。

 しかも双方弟子でもなんでもなくただ才能と感覚でやってるというから恐ろしい。

 ボーダーには技術的な変態がたくさんいるなあ。


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総評、第七戦

 

「此処で決着……っ! 最後まで生き残った那須隊には生存点2Ptが加算され、6:2:2で那須隊の勝利です……っ!」

 

 結束の盛大な結果報告に、会場が一気に湧き上がる。

 

 最後の弓場と七海の戦いは、それだけ見応えのある代物だった。

 

 その決戦に花を添えた茜の活躍も、決して無関係ではないだろう。

 

「エース同士の戦いは、日浦隊員の支援を得た七海隊員が勝ち取りましたね。ギリギリの戦いでしたが、七海隊員の作戦勝ちと言えるでしょう」

「あれ、日浦ちゃんはなんで間に合うたん? さっきの説明やと、那須隊の二人は間に合わない可能性が高いいう話やなかったんか?」

「恐らく、那須隊長の援護を受けてあの場に駆け付けたのでしょうね」

 

 嵐山はそう告げると、説明を始める。

 

「那須隊長は、足が削られていた為あの場所からの移動は困難でした。グラスホッパーがあっても、機動力の大幅な低下は否めません。那須隊長が七海隊員の下へ向かうのは、間に合わない可能性が高かった」

「それは日浦ちゃんも同じやろ? 日浦ちゃんは足は削れておらんかったけど、そもそも機動力が低いワケやん? テレポーターにも限界がある言うたんは自分やで?」

「ええ、ですから那須隊の二人は二人一緒に七海隊員の下へ向かう事は諦めたんでしょう。その代わり、日浦隊員をあの場所に放り込む作戦を実行したんです」

 

 つまり、と嵐山は告げる。

 

「那須隊長は、グラスホッパーを使って日浦隊員を七海隊員の下へ送り込んだんです」

「あん? 日浦ちゃんはグラスホッパーは使えんからテレポーター使うとるんと違うんか?」

「ええ、ですから正確には那須隊長は日浦隊員を()()()()()んです。それこそ、砲弾のようにね」

 

 あ、と生駒は声を漏らす。

 

 此処まで来れば、生駒とて気付く。

 

 茜がグラスホッパーを使って七海の下に辿り着いた、のではない。

 

 那須がグラスホッパーを利用して、茜を七海の下へ()()()()()のだ。

 

 茜は、奈良坂との鍛錬でグラスホッパーを習得しようと試みた事がある。

 

 その時の結果は、惨憺たるものであった。

 

 着地に失敗するのは、まだマシな方。

 

 見当違いの方向に飛んだり、障害物に激突したりした事もあった。

 

 その有り様を見て奈良坂は、「茜がグラスホッパーを使うのは無理だ」と結論付けた。

 

 茜も同意見であり、だからこそテレポーターを使うようになったという経緯がある。

 

 色々と運動神経があれな茜では、グラスホッパーを使いこなす事は出来なかったのだ。

 

 だが今回行ったのは、あくまで茜を砲弾に見立て、目的地へ向かって後先を考えず送り込む手法。

 

 つまり、那須が弾道計算を行った上でグラスホッパーを展開し、ジャンプ台に茜を叩き込んで七海の下へと発射したのだ。

 

 そうして充分な飛距離を稼いだ後に、最後にテレポーターを用いて狙撃位置に付いた。

 

 これが、茜があの場に間に合ったカラクリである。

 

「幸い、あの時既に弓場隊長以外の対戦相手は全員落ちていました。着地に失敗して隙を晒してもそれを狙う相手がいない以上、リスクはなかったも同然でしょう。もしも外岡隊員が生きていれば、まず取れなかった手でしょうね」

「こういう状況も見越して、トノを落としておいたんか。相変わらず、抜け目ないんやな」

「相手の狙撃手がいなくなった事で、格段に動き易くなったのは確かでしょうね」

 

 この試合に参加していた狙撃手は、茜と外岡の二人。

 

 狙撃手がいる限り、対戦相手は常にその存在を意識しながら立ち回らざるを得ない。

 

 狙撃手が生き残っている、という事実自体が一種のアドバンテージに成り得るのだ。

 

 そういう意味では、外岡が落とされたのは弓場隊にとってこの上ない痛手であった。

 

 彼が生き残ってさえいれば、また違った結果になったかもしれない。

 

 イフの話をしても仕方ないが、外岡の生死が明暗を分けたと言っても過言ではないだろう。

 

「しかし、攻撃手キラーの弓場ちゃんを日浦ちゃんの援護があったとはいえ、ブレードで正面から倒すとは恐れ入ったわ。何気に快挙とちゃう? あれ」

「そうですね。弓場隊長は正面から攻撃手と相対した場合、かなりの勝率を誇っていました。それを打ち破ったのですから、称賛されるべき偉業である事は間違いないでしょう」

 

 七海は様々な手を駆使し、攻撃手に対して圧倒的に有利な戦術(スタイル)を持つ弓場を正面から打倒した。

 

 至近距離での弓場の早撃ちは、防御も回避も不可能な代物だ。

 

 事実、至近まで接近した七海は成す術なく右足を吹き飛ばされている。

 

 だが、七海はその吹き飛ばされた右足すら利用し、勝利を収めた。

 

 その執念は、驚嘆する他ない。

 

「ROUND5の時も思うとったけど、七海の執念マジヤバやな。千切れた腕を武器にするとか、何処の修羅やねん」

 

 ま、ああいうのも俺好きやけど、と生駒は漏らす。

 

 七海の今回のフィニッシュブローは絵面こそえぐいものがあるが、その姿から垣間見える勝利への執念は生駒からしても好ましいものだった。

 

 なり振りかまわず勝利を目指す、それの何が悪いというのか。

 

 少なくとも、生駒はそんな七海を心から称賛している。

 

 そしてそれは、この試合を見ていた実力者の面々も同様であったであろう。

 

 勝負は、極論結果こそが全て。

 

 勝利の為にあらゆる方策を尽くすのは、むしろ当然。

 

 故に、勝利者には相応の称賛が与えられて然るべき。

 

 それが、ボーダー上位陣の共通認識であった。

 

「さて、そろそろ総評をお願いします。よろしいですか?」

「ああ、構わないよ」

「構へんよ」

 

 解説がひと段落したと判断した結束は、総評の開始を打診する。

 

 それを受けた二人が頷き、総評へ入った。

 

「まずは、王子隊ですね。王子隊は特殊なMAPと天候を活かし、地形戦を仕掛けていました。その作戦自体は、悪くなかったと言えるでしょう」

「結果として点は取れてたし、いつもの王子隊いう感じやったな」

「ええ、獲得した2点は決して小さくありません。試合には負けた形ではありましたが、得るものがなかったというワケではないでしょう」

 

 ですが、と嵐山は続ける。

 

「強いて言えば、少々安全策に寄り過ぎていたように思えますね。確かにリスクヘッジも大事ですが、時としてリスクを前提とした行動を取らなければならない場合もあります。欲を言えば、あと一点くらいは欲しかったところですね」

 

 王子隊は、作戦自体はそう間違ったものではなかった。

 

 地形で相手の動きを制限し、自分達は獲れる点を取りに行く。

 

 その方針自体は、悪いものではない。

 

 だが、最善の動きだったかと言われれば少々の疑問が残る。

 

 王子隊は今回、徹底的にリスクを排除する方針を取った。

 

 前回の敗北が色濃く記憶に残る王子隊は、七海や弓場といったエース級とかち合う事を意識的に避けていた。

 

 だが、その危険を避けるあまり動きが鈍っていた面がある事は、どうしても否定出来なかった。

 

「たとえばの話になりますが、王子隊が三人全員で熊谷隊員と弓場隊のいる戦場に向かった場合、展開によっては三人全員を落とす事が出来た可能性もあったでしょう」

 

 勿論那須隊長の介入がなければの話ですので、推測の域を出ませんが、と嵐山は続ける。

 

 それは確かにたられば(if)の話ではあるが、有り得ない話ではない。

 

 リスクヘッジは重要であるが、今回の王子隊はそれに囚われ過ぎていた面があった事は事実である。

 

「事前情報ばかりを重視するのではなく、相手の成長の可能性まで考慮に入れられるようになれば、王子隊はもっと上を目指せると思います。戦場は、数値化出来る事柄が全てじゃありませんからね」

 

 

 

 

「全く以てその通りだ。ぐうの音も出ないね」

 

 王子隊の作戦室で、普段着に戻った王子がふぅ、と息を吐いた。

 

 全て、嵐山の言う通りである。

 

 自分達はROUND4での敗戦の記憶を引きずるあまり、過度に慎重になり過ぎていた。

 

 虎穴に入らずんば虎子を得ず、という言葉通り、危険を恐れていては欲しいものは手に入らない。

 

 もしかすると、一度中位に落ちて焦りがあったのかもしれない。

 

 その焦りが、彼等の行動や思考を鈍らせた。

 

 そういう面があった事は、否定しきれなかった。

 

「成長の可能性、か。確かに、僕は今までそれを軽視していたかもしれない。人は、成長するものだ。特に、戦場という特異な環境下ではね。上を目指して頑張っていたいたつもりが、とんだ視野狭窄に陥っていたワケだ」

「王子……」

「王子先輩……」

 

 らしくもなく弱気な発言をする王子を、蔵内と樫尾は心配そうに見詰める。

 

 だが王子は、そんな二人の視線を受けてにこやかに笑みを浮かべてみせた。

 

「大丈夫。課題は見えたんだ。なら、後は足りない所を補っていくだけさ。協力してくれるよね? カシオ、クラウチ」

「はいっ!」

「ああ、勿論だ」

 

 力強い返答に、王子は穏やかな笑みを漏らす。

 

 今回は至らなかったが、指針はこれで定まった。

 

 一度や二度の失敗で挫ける程、やわな精神は持ち合わせていない。

 

 最後には、必ず勝つ。

 

 そう意気込んで、王子隊は上を見上げるのだった。

 

 

 

 

「次は弓場隊ですね。弓場隊はMAPと天候で動きを制限されながら、上手く立ち回っていたと言えます」

「そやな。ま、最初の弓場ちゃん仁王立ちはびっくらこいたけどなあ」

 

 王子隊への総評が終わり、二人の解説は弓場隊へ移る。

 

 まず口にしたのは、弓場隊長の思いも依らぬ初動であった。

 

「自分自身を囮にして相手を釣り出すあの戦法は、あの場面では最適解の一つだったと思われます。もしもあそこで隠れる事を選んでいた場合、王子隊に試合をコントロールされていた可能性は否定出来ません」

「七海を一人で抑えてたんも、ポイント高いで。あいつを自由にしたら、何するか分からんしな」

 

 あの釣り出しを行わなければ、王子隊は悠々と標的を探し、七海がゲリラ戦に徹して各個撃破されていた可能性は否定出来ない。

 

 一番最悪なのは、那須と七海が合流して連携して暴れ回る展開だ。

 

 それを許せばどうなるかは、ROUND1の諏訪隊と鈴鳴第一が証明している。

 

 故に、狙撃手が生存しており那須が迂闊に動けなかった段階で七海を誘い出し抑え込めた戦果は、決して小さいものではない。

 

 そういう意味で、弓場の選択は間違ってなかったと言える。

 

「その後の対応も、特に問題があったようには感じませんでした。強いて指摘するとすれば、那須隊長に介入された後の対処でしょうか」

「帯島ちゃんと神田が囮になってトノが仕留めに行った、あれかいな」

「ええ、それですね」

 

 嵐山はもしもの話ですが、と前置きして続けた。

 

「あの場面で全員がバッグワームで隠れて奇襲を狙っていれば、もしかすると那須隊長か日浦隊員のどちらかは落とせていた可能性はあった。これもたらればの話ですが、上手くいけば外岡隊員を温存した上で優位に立てていた可能性はありました」

「そうなったら、弓場ちゃんの独壇場やな。それもちょびっと見たかった気がすんで」

 

 今回、外岡の生死は非常に重要な立ち位置にあった。

 

 場合によっては彼を温存していた方が、有利な展開になった可能性はある。

 

 所詮はたらればの話ではあるが、可能性がある以上切り捨てるべきではない。

 

 そういう意味では、弓場隊は試行錯誤の余地があったと言える。

 

「とはいえ、弓場隊の選択が完全な間違いだったとも言い切れません。もしも那須隊長に奇襲されれば、一網打尽にされていた可能性はあるのですから」

「そやな。那須さん怖いし」

「弓場隊は、色々と惜しかった、と言えるでしょう。今回の結果を受け入れ、今後も精進して頂ければ幸いです」

 

 

 

 

「…………ふぅ」

 

 髪を下した弓場が、深く溜め息を吐いた。

 

 戦闘体とはガラリと雰囲気が変わった姿ではあるが、身に纏う威圧感は些かの陰りもない。

 

 隠し切れない凄み(ドス)を滲ませながら、弓場は告げる。

 

「悪ィな、負けちまった。だが、次は負けねえ。最終戦、気張ってこうや」

「「「はいっ!」」」

 

 弓場の言葉に、隊員の皆が勢いよく返答する。

 

 それで充分。

 

 多くの言葉は要らない。

 

 そんなものなどなくとも、隊の心は一つ。

 

 たとえ離別がすぐ近くに待っていたとしても。

 

 隊の絆は、不滅なのだから。

 

 

 

 

「最後は那須隊ですね。那須隊は不利な条件の中、限られた勝ち筋を的確に見つけていきました。全面的な作戦勝ち、と言えるでしょうね」

 

 そして総評は、那須隊に移る。

 

 嵐山はにこやかな笑みを浮かべ、続ける。

 

「一番のターニングポイントは、熊谷隊員が神田・帯島両隊員に自ら仕掛けた所でしょうね。あれで、試合の流れが明確に変わりました。その結果として、王子隊の作戦に亀裂を入れ、試合の主導権を握りました」

「そやな。大胆な作戦やけど、成果は大きかったで」

 

 二人の言う通り、あそこで熊谷が自ら姿を晒して戦場に躍り出た影響は大きい。

 

 あれがなければ試合の主導権は王子隊が握ったままであった可能性があり、那須隊の勝ち筋は細く頼りないものになっていただろう。

 

 熊谷が残した戦果も踏まえて、あの選択は重要なものであった事は間違いない。

 

「結果として熊谷隊員はきっちり成果を持ち帰り、那須隊が試合の流れを掴む切っ掛けを得ました。全ての隊員が、任された仕事をきっちりこなしきった印象です」

「那須隊の怖い所は、それよな。自分の仕事がどんなものであれ、全力でやりきるんやから。覚悟決まり過ぎと違うか」

 

 今回の勝利は、那須隊の誰もが欠けては得られなかったものである。

 

 全員が全員、自分の仕事をこなしたからこその勝利。

 

 喜びも達成感も、ひとしおだろう。

 

 総評が終わった事を感じ取り、結束が二人に確認を取る。

 

 嵐山と生駒はこくりと頷き、結束は纏めに入った。

 

「総評、ありがとうございました。さて、今回の結果により、暫定順位が変更されます」

 

 結束はそう告げると機器を操作し、暫定順位の一覧を表示した。

 

 1位:【二宮隊】41Pt→47Pt

 2位:【那須隊】39Pt→45Pt

 3位:【影浦隊】38Pt→43Pt

 4位:【生駒隊】32Pt→35Pt

 5位:【弓場隊】27Pt→29Pt 

 6位:【香取隊】25Pt→28Pt

 7位:【王子隊】25Pt→27Pt

 

「香取隊が上位に復帰し、東隊が中位落ちとなりました。王子隊は辛くも上位残留という結果になりましたね」

 

 そして、と結束は続ける。

 

「只今、次の対戦組み合わせが発表されました。最終ROUNDの組み合わせは、二宮隊、影浦隊、生駒隊、那須隊の四つ巴となります」

 

 お、と結束が告げた組み合わせに、生駒の眉が吊り上がる。

 

 実力者揃いの、四つ巴。

 

 しかも、B級上位に君臨し続けていたTOP2チームを含む組み合わせ。

 

 最終ROUNDに相応しい、激戦が予想されるマッチングであった。

 

「それではこれにてB級ランク戦、ROUND7を終了致します。皆さん、お疲れさまでした」

 

 結束が、ROUND7の終了宣告を告げる。

 

 それで、幕。

 

 ROUND7は、滞りなく終了した。

 

 波乱の予感を、残して。





 ROUND7もこれで終了。最終ROUND前の幕間をちょこちょこやっていきます。

 神田の件も含め難産でしたが、なんとかやり遂げました。

 


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休息と決意表明と

 

「お疲れ様、皆。ひとまず今日はゆっくり休みましょう」

 

 那須はそう言って、隊員達を労った。

 

 総評が終わり、それを聞き届けた那須隊の面々は様々な面持ちでいた。

 

 試合が無事終わって一息つく者、試合内容を振り返り思案する者、次の対戦相手の事を考える者など、様々だ。

 

 確かに、考える事は多い。

 

 次の相手は、最終ROUNDの対戦相手は、一筋縄ではいかない面々ばかりなのだ。

 

 言うまでもなく最高クラスの実力を持つ二宮隊に、七海の師である影浦が率いる影浦隊。

 

 生駒隊も一度は下した相手とはいえ、決して油断出来るような相手ではない。

 

 特に隊長の生駒は、前回の試合では三人がかりでようやく勝てたような相手だ。

 

 次の試合では、超級のエースがそれぞれの部隊に在籍している。

 

 その実力は、B級でもトップクラス。

 

 個人の実力であれば、A級隊員とも遜色はない。

 

 というよりも、二宮隊と影浦隊は元々A級であり実力的にもA級のままだ。

 

 最終ラウンドにおける、最後の関門に相応しい相手と言えた。

 

 そんな相手と戦うのだから、色々と考えてしまうのも無理はない。

 

 だからこそ、那須は「休め」と声をかけたのだ。

 

 すぐにでも次回の対策を練りに行きそうな七海を、引き留める為に。

 

「そうですね。最終ROUNDは確かに色々ときついかもしれませんが、今は試合が終わったばかりです。下手な考え休むに似たりと言いますからね」

「そうだね。休息は大事だよ」

「私もつかれましたぁ」

 

 そんな那須の意図をすぐさま組んだ小夜子(恋敵)が即座に賛同の声をあげ、フォローが生態と化している熊谷がそれに同調。

 

 例のグラスホッパーロケットで精神的にへとへとになっていた茜は、自然とその声に乗っかった。

 

「…………そうだな。少し休むか」

 

 流石に自分以外の全員が休息に賛成しているのに、無理をして我を通そうとする程七海が空気が読めないワケではない。

 

 他ならぬ那須から言われたという事もあり、七海は頭の中で組み立てていた最終ラウンドの対策スケジュールに一旦鍵をかけて仕舞い込んだ。

 

 対策すべき事は幾らでもあるが、小夜子の協力があれば少しくらいの遅れは取り戻せるだろう。

 

 そうやって自分を後で頼る事が分かっていた為、小夜子は那須の言葉に賛同したという面がある。

 

 口では色々言いつつも、想い人と二人きりになれる展開を逃す程小夜子は無欲ではない。

 

 そして、ランク戦の対策となれば那須とて妨害する事は出来ない。

 

 割と強かな、小夜子らしい立ち回りであった。

 

「しかし、さっきの茜の姿は見ものでしたね。悲鳴をあげながらロケットのようにカッ跳んでいきましたし。七海先輩のメテオラとタイミングを合わせてなければ、あれで気付かれてましたよ?」

「しょうがないじゃないですかぁ。あんな距離をぽーんと打ち出されて、悲鳴あげない方がおかしいですってぇ」

 

 ふぇぇぇん、と泣き言を言う茜。

 

 実際、那須によってグラスホッパーに打ち出された時には「どぅわあああああああ!」なんて悲鳴をあげながら空中をカッ跳んでいた茜である。

 

 那須はグラスホッパーを直線状に展開して段階的に加速させ、凄まじいスピードで茜を発射している。

 

 その時の速度は相当なものであり、高速機動に慣れていない茜が悲鳴をあげたのも無理からぬ事だろう。

 

 地面に激突する前にテレポーターで転移しての着地が成功したのは、運が良かったとしか言いようがない。

 

 長距離の無理やりな移動で素の状態に戻った茜が、七海のメテオラの大爆発を見て思考を戦闘モードに切り替え直す事が出来たからこそ成功した策と言える。

 

 茜はトリガーを握っている時に限り、思考を戦闘用に鋭敏化させ自分の役割に徹する事が出来る。

 

 前期までの茜の成績がパッとしていなかったのは、日常と戦闘中における意識の切り替えが上手くいっていなかったからだ。

 

 常在戦場の心構えが出来れば戦争には有利だが、それは人間性を捨てるのと同義だ。

 

 一度それをしてしまえば、日常に戻ってもストレスを解消する事が出来なくなり、精神的に不衛生である。

 

 一部そういった者達がいない事もないのだが、三輪(典型例)を見ている奈良坂がそんな指導方針を取る筈もない。

 

 茜は三輪や奈良坂と違い、過去の大規模侵攻で何かを喪った、というワケではない。

 

 ならば意図的にその精神を歪ませる事はないだろうと、奈良坂は考えたのだ。

 

 だからこそ、茜の精神を歪ませずに彼女の努力を結実させる為の指導方針を策定した。

 

 必要なのは、意識の切り替え。

 

 戦闘中とそれ以外を区別し、思考を先鋭化させる事で戦闘に最適な精神状態を構築する。

 

 この切り替えには、段階がある。

 

 第一に、戦闘体への換装。

 

 生身から戦闘用の身体へ切り替わる事で、ある程度の緊張感を持った状態へ意識的に切り替える。

 

 そして第二に、トリガーの使用。

 

 バッグワームを纏った時に、自己を殺し隠密に徹する為の精神状態を構築する。

 

 そして己の愛銃を握る事を最後の引き金として、冷徹に仕事をやり遂げる為の精神状態へ切り替わる。

 

 幸い茜には自己暗示にかかり易い性質があった為、この意識切り替えの習得は奈良坂の想定よりも容易に行えた。

 

 この技術を習得出来たからこそ、今の茜の活躍がある。

 

 なので、今回の試合で素に戻った時は普通に危なかったのだ。

 

 普段やっていない事を急にやったものだから、緊張の糸が切れるようにして一瞬素に戻ってしまったワケである。

 

 目的地への到達までに再度の切り替えに成功出来たのは、僥倖と言える。

 

「那須先輩達はよく、いつもあんな風にぴょんぴょん跳べますよねえ。怖くないんですか?」

「怖いと思った事はないわね。それよりも、全力で身体を動かせる爽快感の方が遥かに上だもの。私にとってはね」

 

 那須は何処か、感慨深げにそう告げる。

 

 病弱な那須にとって、自由に動き回れる上に他の追随を許さない機動力で駆け回れるトリオン体は、夢のような存在なのだ。

 

 今の那須にとって、七海以外で何が重要かと問われれば恐らく「トリオン体での運動」と答えるだろう。

 

「自由に跳び回って相手を蜂の巣にする感覚は、たまらないわ。嗚呼、私生きてるんだ、って実感出来るもの」

「そ、そうですか……」

 

 いつもと変わらない顔で告げられた那須の割と猟奇的とも思える発言に、茜は若干引きながらも相槌を打った。

 

 那須としては当たり前の感想を言っただけなので、茜の反応に訝し気な視線を向ける。

 

 美人が笑顔で怖い事を言うと、結構ガチで恐ろしい。

 

 自分の笑顔の威力はある程度自覚している那須であったが、意識的に殺気を宿していない時のそれには無頓着だ。

 

 別段威圧するつもりも怖がらせるつもりもないのに茜が冷や汗をかいていた事に、首を傾げる那須であった。

 

 二人のやり取りを見ていた熊谷は双方の気持ちを理解出来てしまったので頭を抱え、小夜子はにこにこと笑いながら傍観者に徹している。

 

 七海には那須の発言に惚れた弱み(フィルター)がかかっている為、茜が何故怯えているのか理解出来ていない。

 

 那須が天然ぶりを見せ、七海はそれを見守り、茜がリアクションをして、熊谷が頭を抱え、小夜子が裏でそれを楽しむ。

 

 それが、那須隊のいつもの光景(通常運転)であった。

 

「あれ? 弓場さんからだ」

 

 そんな折、七海の携帯に弓場からのメッセージが入る。

 

 何だろうと思い中身を確認して、七海はふむ、と頷いた。

 

「弓場さんから、カゲさん家で夕飯食べようって誘いが来てるんだけど。どうする?」

 

 

 

 

「おし、今日は俺が奢るからよ。どんどん食え」

「はい、ご馳走になります」

「よし」

 

 お好み焼き屋、『かげうら』。

 

 その一角で、凄み(ドス)の効いた目つきのままお好み焼きを淡々とひっくり返す漢の姿があった。

 

 戦闘体のツーブロックリーゼントではなく髪を下ろした状態の弓場は鋭い目つきを覗けば真面目な学生にしか見えず、オフの時の弓場を初めて目にした茜達はそのギャップに驚いていた。

 

 戦闘体も生身もどちらも長身(タッパ)のある頼り甲斐のある男性である事に変わりはないが、髪を下ろした弓場は独特の男の色気がある。

 

 此処に来る最中、街行く女性がちらちらと弓場の姿を見ていた事は決して気の所為ではないだろう。

 

 帯島と並ぶと歳の離れた兄妹のように見えて、弓場の保護者オーラが半端ない。

 

 最初は自分がお好み焼きを作ろうとしていた帯島だったが、試合で活躍した彼女を労いたい弓場が「帯島ァ」と一喝すると素直に着席し、弓場の振舞うお好み焼きを笑顔で賞味していた。

 

 ちなみに神田は笑顔でその光景を見守っており、藤丸はお好み焼きの焼き加減や味付けについて弓場と積極的に意見を交わし(カチ合って)いる。

 

 外岡はその横で黙々とお好み焼きを食べ続けているが、話を振られれば流暢に返す為に仲間外れ感は微塵もない。

 

 伊達に、本部住まいとして泊まり組の話し相手になっているワケではないのだ。

 

 一人の時間を好む一匹狼気質だが、それはそれとしてコミュ力自体は高い外岡であった。

 

「今日はお招き頂きありがとうございます。玲一だけじゃなく、私達も誘って下さいましたし」

 

 那須は弓場に対し、そう言って一礼する。

 

 なんだかんだで、前から七海が世話になっている相手の一人だ。

 

 今回は奢りでご馳走になっているのだし、この程度は当然の礼儀である。

 

「気にすんな。俺が労いてェのは七海だけじゃねぇし、七海(ダチ)の仲間なら誘わねぇワケにゃあ行かねぇだろう」

 

 ま、素直に楽しめや、と弓場は告げる。

 

 本来であれば高い飯屋に連れて行きたい所だった弓場であるが、彼は七海の性質を────────無痛症故に味覚が死んでいる事を、知っている。

 

 日常用のトリオン体でどうにか薄くは味が分かるが、普通の店屋物では七海は殆ど味を感じ取る事が出来ない。

 

 故に、七海を労うには彼の事情に精通し七海専用メニューまで用意しているこの場所でなければならなかったのだ。

 

 七海が味をしっかり感じる事の出来る料理を提供出来るのは、此処以外ではレイジだけだ。

 

 那須も色々と工夫してはいるのだが、残念ながら料理と言う一点では家庭的な筋肉(レイジ)には及ばない。

 

 戦闘面だけではなく、生活面も隙が無い完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)であった。

 

「豚玉お待ちぃ! おう、よく食ってんじゃねぇか七海」

 

 お好み焼きの追加を持って、影浦が七海達の席へとやって来た。

 

 エプロンをしている為か普段の威圧感はなりを潜めており、傍目から見ると完全に手伝いの学生だった。

 

 無論、そんな生暖かい視線(かんじょう)に影浦が気付かない筈もなく、しっかりと青筋を立てながらも店員根性を発揮していたのは流石と言えるが。

 

「カゲさん。ええ、頂かせて貰っています」

「どんどん食え。出来れば高いの頼んでくれよ」

 

 カカッ、と影浦は笑う。

 

 なんだかんだ、暫く七海が此処に来ていなかったので内心寂しがっていた影浦である。

 

 表面上はいつも通りに見えるが、その実結構上機嫌な影浦であった。

 

 影浦は七海の為に専用メニューを作成してしまう程には七海の事が大好きであるが、表向きはそれを認めようとはしない。

 

 傍から見ると奈良坂や出水(弟子馬鹿連中)とどっこいどっこいなのだが、本人にその自覚はない。

 

 まあ、基本的にボーダーの師匠陣は弟子に甘いのが通例なので、何も彼に限った話ではないのだが。

 

「しっかし、七海おめぇ弓場さんを正面からぶっ殺すたぁ中々やるじゃねぇか。強くなったな、お前」

 

 ニヤリと、影浦は挑発的に笑う。

 

 今回の弓場との戦いの顛末は、当然影浦も知っている。

 

 なんだかんだ、七海の試合映像は全てチェックしている影浦である。

 

 弟子の成果を褒めるのは、最早反射的な行動でもあった。

 

「おう、そいつは俺が太鼓判を押してやる。次はお前の番かもしんねぇぞ、影浦ァ」

「ハッ、上等じゃねぇか。それでこそ、遊び甲斐があるってモンだ」

 

 ジロリ、と影浦は好戦的な笑みを七海に向ける。

 

 そこに、悪感情はない。

 

 ただ、成長した弟子の力を確かめたい。

 

 そんな想いが、影浦の中で渦巻いていた。

 

 そして、それは七海も同じ。

 

 ただ背中を追っていた影浦(師匠)の背に、手が届く所まで来ている。

 

 それは七海にとって何よりの朗報であり、彼の戦意を燃え上がらせるには充分であった。

 

「今度こそ遊ぼうや、七海。楽しみにしてっぞ」

「はい。今度こそ、失望なんてさせません。必ず、カゲさんを超えてみせます」

「カカッ、言うようになったじゃねぇか七海。いいぜ、かかって来いよ。全力で、叩き潰してやらぁ」

 

 バチバチと、互いの戦意が交差する。

 

 それは、師匠と弟子(彼らなり)の宣戦布告。

 

 遂に正面から相見える事になる二人の、意思確認。

 

 無様は、もう晒さない。

 

 情けない姿も、見せはしない。

 

 全力で、勝つ(超える)

 

 その想いが、確かに影浦に届いていた。

 

「てめーら、飯食ってっトコで睨み合ってんじゃねえっ! さっさと次寄越せ次ぃ!」

「ぐっ!」

「うわっ!」

 

 …………テーブルの前で視線を交錯していた二人が、その結果として藤丸にヘッドロックをかけられる事になったのだが、それはまた、別のお話。

 

 ヘッドロックをかけられた結果、藤丸の巨大な胸に埋もれた七海を見て自分の胸をふにふにと触る那須の姿があったとか、なかったとか。





 茜のグラスホッパーロケットのシーンは描写するかどうか迷ったけど、テンポ悪くなりそうだったんで削ったというオチ。

 どぅわあああああって叫ぶ茜の姿が容易に想像できる。

 ヘッドロックは小南ぱいせんもよくかけるけど、胸部装甲が違うから最早凶器。

 色んな意味で。

 Iカップってなんだよ、Iカップって。

 ちなみに私は貧乳党です。


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師匠と友人と

 

「そういやぁ、おめェー次は中々厳ちィ相手とばかり戦り合うよな。どうなんだ? そこらへんはよぉ」

 

 お好み焼きを取り分け、各人に配り終えた弓場は七海の隣に座り、開口一番そう告げた。

 

 ちなみに影浦は、既に仕事に戻っている。

 

 今日はどうやら客がかなり多いようで、影浦は忙しなく厨房と客席を行き来していた。

 

 せっせと仕事に励む様子は普段の影浦とはまた違った印象を受け、もしもボーダーでの彼しか知らない者が今の姿を見ればそのギャップに大層驚いた事だろう。

 

 ともあれ、それなりの数のお好み焼きを賞味し皆の腹がある程度膨れたこのタイミング。

 

 弓場としては、ほんの雑談────もしくは可能な範囲でアドバイスするつもりでの、話題転換かもしれない。

 

 特に答えない理由はないので、七海は正直に返答した。

 

「全くない、とは思っていません。詳しくは話せませんが、最大の問題である二宮さんに関しても対策は立てているつもりです」

 

 ほぅ、と弓場は七海の答えを聞いて息を呑む。

 

「そりゃ大きく出たな。あの二宮サンに対して、策があるたぁな。だがそりゃあ、『二宮隊』に対して有効な策なのか?」

「…………それはつまり、犬飼先輩がその策に対応してくるかもしれない、と?」

「それもあるが、二宮サンはただの火力馬鹿じゃねェ。生半可な策は、きっちり対応してくるぞ」

 

 弓場の言う通り、二宮はそのトリオン量にものを言わせた圧倒的な火力が目立つが、戦術家としても東の教導を受けており相応のものを持っている。

 

 二宮隊は、力押し()()出来ない隊ではない。

 

 力押しが最も効率良く相手を倒せるからこそ、力押しを多用しているのだ。

 

 特に、副官的ポジションにいる犬飼の対応力、咄嗟のフォロー力は相当なものだ。

 

 二宮自身も戦術に関して造詣が深く、生半可な策は看破されて終わりだ。

 

 そもそも二宮隊に勝つ為には、彼らが最も得意とする力押しというステージに立ってはいけないのだ。

 

 二宮隊の戦術は、如何に二宮というMAP兵器を相手に正面からぶつけられるか、という点が重視されている。

 

 そも、1対1になった時点で二宮に勝てる相手はまずいない。

 

 目の前の弓場でさえ、よほど好条件が整わない限り勝つ事は難しいだろう。

 

 七海に関してはトリオンはかなり高い部類に入るが、そもそも本職の射手である二宮相手に撃ち合いで勝てる筈もない。

 

 それに、トリオン自体も二宮の方が大きいのだ。

 

 七海得意の回避技術も、そもそも回避する()()がなければ意味を為さない。

 

 二宮の間合いに入って防御をしてしまった瞬間、詰むと言っても過言ではないだろう。

 

 それに、犬飼がいる限り二宮の隙を作る事は難しい。

 

 多少二宮の策に粗があったとしても、犬飼は即座にそれを埋めてしまう。

 

 犬飼は気配りが非常に巧いが、それはつまり周囲の状況把握とどう動けば良いかの判断が早く的確である事を意味している。

 

 彼が脇を固めている限り、二宮を攻略する事は不可能と言っても過言ではない。

 

 事実、彼が早々に二宮と合流したROUND3では二宮隊には手も足も出ず、結果として二宮隊は全員生存。

 

 それまでとは逆に、完封に近い形で勝利を掻っ攫われた。

 

 あの敗北は那須や七海の精神的な隙という要素があった事も大きいが、単純に二宮隊が強かった、という事でもある。

 

 ラウンド3の時点で那須隊は、二宮隊とまともに戦う事すら出来ていなかった。

 

 そんな相手に、勝てるのか。

 

 それは、あの敗北からずっと七海が考えていた事だった。

 

 那須隊はポイント自体は、充分なものを獲得している。

 

 次のROUNDの結果がたとえ奮わなかったとしても、上位残留は硬いだろう。

 

 だが、上位に残留した()()でA級に上がれるとは、七海は楽観していなかった。

 

 最終ラウンドの後に行われる『合同戦闘訓練』は、事実上のA級昇格試験でもある。

 

 その受験資格はROUND8終了時点でB級上位に残留している事だが、その合否を判定するのはあくまでA級部隊の隊長陣だ。

 

 特に、自他共に厳しい事で知られる風間がその合否判定で甘い判断を下す筈がない。

 

 恐らく、風間は従来通りB級上位TOP2のみを合否判定に含んで来るだろう。

 

 つまり、風間から合格判定を貰うには最低でもTOP2に食い込まなければならない。

 

 今現在、那須隊の順位は暫定二位。

 

 影浦隊をポイント上は追い越しているが、最終ラウンドの結果次第では幾らでも覆りかねないポイント差でもある。

 

 A級に上がりたければ、最終ROUNDできちんとポイントを獲得する必要がある。

 

 風間一人の判断で全ての合否が決まるワケではないが、それでもA級トップチームの隊長の判断は重く見られる筈だ。

 

 それに、今まではB級二位以内という明確な判断基準があったのだ。

 

 他の隊長陣もその判断基準を参考にする事は、充分に有り得る。

 

 確実にA級に上がりたいのであれば、これまで上位に君臨し続けてきた2チーム────────二宮隊と影浦隊を上回る事は、必須だ。

 

 むしろ、この二部隊を超えるくらいでなければA級は務まらない。

 

 そう考える者は、きっと多い筈だ。

 

 理不尽、と思う者もあるだろう。

 

 だが、A級隊員という看板の意味は軽くはない。

 

 その判断基準が厳しい事は、むしろ当然。

 

 軽い気持ちでなれるものではないのだ。

 

 ボーダーの、A級隊員はというものは。

 

 事実、軽い気持ちで親のコネを使ってA級になった唯我という男は属する太刀川隊では散々な扱いを受けている。

 

 良くも悪くも、チームのマスコットのような扱いらしい。

 

 実力がないままA級になっても、キツイだけ。

 

 それは以前、烏丸が言っていた事であり、七海もそれは同感だ。

 

 立場には、相応の力が求められる。

 

 自分の能力にそぐわない立場に付いても、すぐにボロが出る。

 

 A級隊員は、その隊長陣は、それを良く理解している。

 

 故に、甘い判断は下さない。

 

 A級に上がるには、二宮隊と影浦隊の攻略が必須。

 

 現在、二宮隊は47Pt、那須隊は45Pt、影浦隊は43Ptを保持している。

 

 攻撃力に特化した部隊である影浦隊が低得点で終わるとは、少々考え難い。

 

 所持ポイントが同じである場合、シーズン開始時に順位が高かった方が順位は上になる。

 

 つまり、影浦隊と同点では意味がないのだ。

 

 影浦隊よりも多く、得点を稼ぐ必要がある。

 

 それには、生存点の2Ptは何がなんでも取っておきたいところだ。

 

 その為の最大の壁こそが、二宮隊。

 

 落とされる事が殆どない東ほどではないが二宮もまた、シーズン中の生存率はずば抜けて高い。

 

 東は落とされる事こそないが不利を悟れば撤退したり、時間切れに持ち込んだりするケースが多い。

 

 だが、二宮は単純に強いからこそ、落とされる事が殆どない。

 

 今期も影浦の奇襲で相打ちになった時と東に狙撃で落とされた時以外、彼は全ての試合で最後まで生き残っている。

 

 特にROUND4からの二宮の勢いは留まる所を知らず、東でさえ撤退に追い込まれている。

 

 今期で東隊が繰り返し中位に落ちてしまったのも、上位二部隊の攻勢が激し過ぎたという面が少なからずある。

 

 二宮隊も影浦隊も、ROUND4からの得点能力はいっそ異常と言っても良い。

 

 生存点の殆どを二宮隊が獲得している為一位の座は揺らいでいないが、相手を落として得た得点は影浦隊の方が多かった試合すらある。

 

 那須隊が破竹の勢いで得点を重ねながらも、中々TOP2に食い込めなかった理由もそこにある。

 

 そして今回は、その二部隊を相手に得点を稼ぎ、尚且つ生き残らなければならない。

 

 その難易度は、これまでの試合と比べてもトップクラスと言っても過言ではないだろう。

 

「それでも、負けるつもりはありません。考えた作戦が絶対だと過信するつもりもありませんし、思考を停止するつもりもありません。幸い、勝利に必要なピースは揃っています。前回生駒さんと戦った事で、その確信を得ました」

「ほぅ、そりゃ……」

「おん? 今俺の事呼んだか?」

 

 どういう事だ、と弓場が続けようとした瞬間、何故か後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。

 

 振り向けば、そこには私服を着た生駒の姿。

 

 その近くには、生駒隊の面々が並んでいる。

 

 どうやら来店したばかりらしい彼等の視線が、生駒につられて一斉にこちらに向いていた。

 

「お、あんさん等も来てたんか。おおきに」

「あーっ、那須隊と弓場隊だっ。こんばんは~」

「どうもおおきに」

 

 生駒の挙動でこちらに気付いた生駒隊の面々が、口々に挨拶をして来る。

 

 那須はそれに会釈で返し、七海も同様に会釈する。

 

「こんばんは。生駒さんも来ていたんですね」

「今来たばっかやけどな。そんでどや? 折角やから一緒に食わへんか? こんな機会中々ないさかいな」

「俺は構わねェよ。七海達さえよけりゃあな」

 

 弓場はそう言っておめェーはどうだ、と七海に聞いてくる。

 

 七海は那須とアイコンタクトを交わして彼女の了承を確認すると、こくりと頷いた。

 

「俺も特に拒否する理由はありません。大丈夫です」

「じゃあ問題ねぇな。おし、おめェーらそっち座れ。生駒以外は俺が持つ」

「ゴチになります」

 

 弓場の奢り宣言に生駒隊の面々は沸き立ち、うきうき笑顔で席に座る。

 

 そんな中、一人だけ自腹を切れと言われた生駒はしょぼんとうなだれる。

 

「そんなー、弓場ちゃんなんで俺だけ」

「おめェーは俺と同年(タメ)だろうが。後輩にゃあ奢るのも吝かじゃねェが、おめェーに奢る必要はねぇ」

 

 そう言って、弓場は生駒の主張を切って捨てる。

 

 どうやら、後輩かそうでないかは弓場にとって明確な線引きの対象らしい。

 

 これ以上の交渉は無駄だと悟った生駒は、しょんぼりしながら席に着く。

 

 そんな姿を見ていた弓場はチッ、と舌打ちしながらポン、と生駒の肩を叩いた。

 

「…………今回だけだからな」

「よっしゃっ! 弓場ちゃんこれやから大好きやでっ!」

「ぬかせ」

 

 弓場の奢り宣言に生駒はあからさまに感涙し、隊員達に「良かったですね」と口々に声をかけられている。

 

 そんな様子を見ながら弓場は頭をかきながら席に座り直し、溜め息を吐く。

 

 弓場は口では厳しい事を言いつつも、案外身内には甘い。

 

 彼にとっての身内は弓場隊の面々は勿論、生駒等の同い年の面々も含まれる。

 

 仲の良い面々と親しい者達に関しても寛容な姿勢を見せる事で知られており、なんだかんだ面倒見が良いのだ。

 

 だからこそ帯島はあそこまで弓場に懐いているのだし、彼の周りに自然と人が集まるのも弓場の人柄故と言える。

 

 初対面のインパクトは厳ついが、付き合ってみればその面倒見の良さが自然と滲み出て来る為、彼を慕う者は多い。

 

 弓場隊の面々は、そんな弓場の人柄に惹かれて集まった者達だ。

 

 隊を抜けた王子達も、弓場を慕う心は変わっていない。

 

 面倒見の鬼、とまで言わないが、それに近い性質を持っているのは確かだった。

 

「生駒ァ、どうやらきっちり解説をやり切ったみてぇだな。やればできるたぁ思ってたが、心配は要らなかったみてぇだな」

「俺はやる時はやる男やからなっ!」

「やる時はじゃなくていつもやれ。おめェーは」

 

 ひどいなあ弓場ちゃん、と生駒は言うが、その口元には笑みが浮かんでおり、それは弓場も同様である。

 

 同い年で付き合いも相応に長いだけに、この二人の関係は気安いのだ。

 

 七海と村上の関係と、似たようなものだろう。

 

 この二人は同い年なだけに、距離感も近い。

 

 遠慮のない関係、と言い換えても良い。

 

 一見厳しい事を言っていても、その根底には互いへの理解がある。

 

 きっとこのやり取りも、彼等の中ではじゃれ合いに近いものなのだろう。

 

 その関係は少し羨ましくもあり、微笑ましくもあった。

 

 七海と村上の関係に近い、とは言ったが村上は七海の一つ上の年齢だ。

 

 荒船や影浦も同様であり、親しいとは言っても七海の側からはある程度年上への敬意と遠慮がある。

 

 同い年の出水も師匠と弟子という意識が強く、本当の意味で気安いとは言い難い。

 

 太刀川は年上ながら私生活は駄目過ぎる為年上としての敬意は抱き難いが、それでもその実力には敬意を表している。

 

 菊地原は逆に年下である為、少し勝手が違う。

 

 思えば、七海には同年代で親しい友達というものが少ない。

 

 米屋は個人戦をちょくちょくやり合う事があるが、そこまで親しい間柄ではない。

 

 三輪は言わずもがなであり、奈良坂は茜の師匠と那須の従兄弟という意識が強く、七海個人とはそこまで親しいワケではない。

 

 七海と親しい面々は揃って年上であり、気安い関係か、と言われると疑問が残る。

 

 少なくとも、目の前の弓場と生駒のような関係性ではない。

 

 それが少し、ほんの少し羨ましかった。

 

「あー、なにしょんぼりしてんだてめぇは。飯が不味くなるだろコラ」

「カゲさん……」

 

 ────七海のそんな感情(おもい)に、影浦が気付かない筈がない。

 

 影浦はすぐさま七海の所にやってきて、がしり、と七海の肩に腕を回した。

 

「おめぇはいっつも遠慮し過ぎなんだよ。前にも言ったけどな、歳の差なんて一つしかねぇだろうが。んな事よりおめぇがどうしたいかだろーが」

「俺が、どうしたいか……」

 

 言葉に詰まる七海を見て、ったく、と影浦は舌打ちする。

 

「おめぇが俺等と遠慮なく付き合いたいなら、そーすりゃいいじゃねぇか。俺も鋼も荒船も、んな小せぇ事を気にするようなタマじゃねぇよ。それともなにか? おめぇの中じゃ俺等はそんな小せぇ奴等って事かよオイ」

「…………いえ、そんな事はないです。でも……」

「うだうだ言うんじゃねぇ。俺がいいっつってんだ。その通りにしやがれコラ」

 

 バシン、と影浦が七海の背中を叩く。

 

 強い力で叩かれた為少し揺らいだ七海の肩を、影浦が再びがっしりと掴む。

 

「あのな、おめぇの感情筒抜けだってわかってっか? 俺のこのクソサイドエフェクトがおめぇの寂しい、っつう感情をいちいち教えてくんだよ。このままじゃうざってぇから、さっさと言う通りにしやがれ」

「カゲさん……」

「カゲの言う通りだぜ、七海ィ」

 

 不意に、そのやり取りを見ていた弓場が口を挟む。

 

 弓場は腕を組んだまま、七海をジロリと見据えた。

 

「年上を尊重するっつうおめェーの心意気自体は立派なモンだ。けどな、相手が良いっつってんのにそれを尊重しねぇのはそれはそれでどうかと思うぜ」

「弓場さん……」

「師匠で、友人(ダチ)。それでいいじゃねぇか。むしろ何の問題もねぇだろ」

 

 弓場はそう告げるとどかりと座り、言いたいことを言われた影浦は頭をかきながら口を開く。

 

「いいからてめぇはやりたいようにやりゃあいいんだ。文句言う奴がいたら俺がぶっ飛ば────は、駄目だな。俺が話つけに行ってやっから、気にすんな」

 

 ぶっ飛ばす、と言おうとした時点で弓場の眼鏡がギラリと輝いた為、影浦は慌てて訂正を入れる。

 

 弓場が怖いワケではないが、以前上層部の根付を殴って降格を喰らった後、弓場から「事情は分かったがそれはそれとして暴力は駄目だ」と説教を喰らっていた為、筋として弓場の顔を立てたのだ。

 

 影浦は確かに粗暴な面が目立ちはするものの、筋は通す人間だ。

 

 その姿を見て立ち上がりかけた弓場が座り直した事を確認すると、影浦は再度口を開く。

 

「礼儀どうこうより、おめぇに変な我慢をされる方がうざってぇんだよ。弟子なら弟子らしく師匠の言う事に従っとけコラ」

「…………はい。ではお言葉に甘えますね、カゲさん」

「それでいーんだよそれで」

 

 七海の返答を聞き、影浦は照れ臭そうに微笑んだ。

 

 それを見て、七海は思う。

 

 自分は、恵まれていると。

 

 こんなにも自分の事を理解してくれる師匠がいるのに、勝手に寂しさを感じていたなんて馬鹿みたいだ。

 

 彼の言う通り、自分は少し遠慮をし過ぎていたのかもしれない。

 

 これからは、少しやりたいようにやってみようか。

 

 そんな事を考えながら、七海は別の店員(母親)に首根っこを引っ掴まれて厨房の中に連れ戻されていく影浦を見送るのであった。





 生駒さん回と思いきやカゲさんコミュ。

 なんだかんだこの二人って面倒見良いんですよね。カゲさんは口下手だけどユズルの事きっちり考えてるし、弓場さんは言わずもがなだし。

 イコさん、思った以上に日常回では使い易いな。

 一回本格登場してからちょくちょく顔出てるしなあ。


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神田忠臣③

 

「今日はご馳走様でした。弓場さん」

「ゴチになったで~。あんがとなー弓場ちゃん」

「おう、良い食いっぷりだったぜ」

 

 お好み焼き屋『かげうら』から出た所で、七海と生駒が揃って弓場に礼を告げると、弓場は笑みを浮かべそう答えた。

 

 生駒隊の面々は口々に弓場に礼を言いながら、各々で帰路に就く。

 

 今此処に残っているのは、弓場隊と那須隊のメンバー、そして生駒だけだ。

 

「そんで、何の話があるんや弓場ちゃん? さっきの目配せ、俺だけ残れいう事やろ」

 

 生駒隊のメンバーが帰ったのを見送るなり、生駒はそんな事を言い出した。

 

 それを聞いた弓場はニヤリ、と口元に笑みを浮かべる。

 

「察しが良いな生駒ァ。ちと相談してぇ事があんだがよ。お前と、七海にな」

「俺に……?」

 

 ああ、と弓場は七海の言葉を肯定し続ける。

 

「正確にゃあ、俺じゃなくて神田が、なんだがよ。ちィと話聞いてやってくれや」

 

 弓場はそう告げると一歩下がり、代わりに神田が前に出る。

 

「ごめんね。少し、悩んでいた事があったんだ。良ければ、聞いて貰えるかな?」

「構へんで」

「構いません」

 

 即答する二人に神田はありがとう、と礼を告げ、真剣な表情で口を開いた。

 

「忍田本部長────いや、迅さんから通達があった『合同戦闘訓練』の事なんだけど。俺はそれに、参加するべきかどうか迷っている」

「おん? なんでや?」

「俺が、今期を以て弓場隊を抜けるからだ」

 

 神田の発言に生駒はキョトンとなり、言葉の内容を理解するとあんぐりと口を開けて驚愕を露わにした。

 

「なんやそれっ!? 聞いてへんでっ!? 自分、なんでそないな事になっとるんやっ!?」

「簡単に言えば、大学受験の為なんだ。俺が目指す職種に就く為には、どうしても県外の大学に受からなければならない。その為に、今期終了と同時にボーダーを辞める事にしたんだ」

 

 驚く生駒に、神田は丁寧にそう説明した。

 

 ボーダー隊員はボーダーと提携している学校であれば推薦等が受けられるようになっており、他ならぬあの太刀川はこの推薦枠で大学に入学を果たしている。

 

 学業と任務を両立出来るように、ボーダーは可能な範囲で学生の隊員への援助を行っている。

 

 ボーダー提携校であれば任務のシフト等にも理解があり、公休もスムーズに取る事が出来る。

 

 だが、ボーダーの力が及ぶのはあくまで三門市内での話。

 

 県外の大学等には当然推薦等は出来ず、そちらへ進む場合はボーダーの助力は期待出来ない。

 

 故に大学受験を期にボーダーを辞める隊員は、一定数いるのだ。

 

 生駒や弓場は市内の大学に通っているが、神田はその道を選ばなかった。

 

 これはただ、それだけの話なのだ。

 

「成る程なぁ。びっくらこいたけど、そういう事なら仕方ないわな。そんで、なんでそれが合同戦闘訓練に参加せん、って話になるん?」

「今回の合同戦闘訓練は、事実上のA級昇格試験だ。そして、近い将来起こる大規模な侵攻への対抗措置でもある。そして俺は、その時にはもうボーダーにいないんだ」

 

 そう、迅の予知によれば大規模侵攻の時期は年が明けて暫くした後。

 

 その時には既に、神田はボーダーを除隊している。

 

 今回、神田が引っかかっていたのはそこなのだ。

 

「来るべき時に戦場にいない俺が訓練にだけ参加していては、逆に不義理なんじゃないか。俺は、そう考えている。本番にいないのに練習にだけ参加すれば、本番の時のシミュレーションが充分に出来ない可能性もある」

 

 大規模侵攻が起こった時、弓場隊は神田を除く三人になっている。

 

 ならば、神田がいたまま合同戦闘訓練に参加しては、神田がいない場合の戦術シミュレーションが出来ないのではないか。

 

 神田は、それを危惧しているのだ。

 

「それに俺の除隊の事は、既に上層部には話を通してある。その俺が昇格試験に参加していては、弓場隊は減点を受けかねない」

 

 そして、本番の時に神田が既にいないのであれば、弓場隊の評価内容は相応の減点を受ける可能性がある。

 

 神田がいなくても、A級に相応しい部隊であるかどうか。

 

 そのあたりは、厳しくチェックされる筈だ。

 

 場合によっては、大幅な減点を行って尚A級に上がれるかどうかを判断されかねない。

 

 様々な意味で、自分が参加する事はデメリットが大きいのではないか。

 

 神田は、そう考えていたのだ。

 

「そうなると俺が弓場隊の為に取るべき最善は、次の最終ROUND終了を以て一足先に除隊する事なんじゃないか。そう考えているんだ。けれど────」

「…………そいつがおめェーの意思なら、止めはしねぇよ。けどな。此処に来る前に言った通り他の連中の意見も聞いておけや。結論を出すのは、そっからでも遅くはねェーだろうが」

 

 ふむ、と七海は思案する。

 

 今回弓場が自分達を食事に誘ったのは、これが本題かもしれない。

 

 見れば、帯島が何か言いたげな眼でこちらを見据えている。

 

 外岡は無関心を装っているが、ちらちらとこちらを見て来るあたり、気になって仕方ない事が分かる。

 

 隠密特化の狙撃手も、苦楽を共にした戦友の一大事とあれば取り繕う事は出来ないらしい。

 

 きちんと考えて、答えなければ。

 

 七海は、そう決意した。

 

「うん? そんなん、どっちでもええんと違うか?」

「……は……?」

 

 ────────だから、生駒のその発言には度肝を抜かれた。

 

 考えた末の結論なら、まだ分かる。

 

 だが生駒は、明らかにノータイムで今の答えを即答していた。

 

 流石の弓場も生駒のそんな発言には額に青筋を────。

 

「え……?」

 

 ────浮かべては、いなかった。

 

 弓場はただ黙って、生駒の様子を見守っている。

 

 そんな弓場の様子を知ってか知らずか、生駒は話を続ける。

 

「問題は、神田がどうしたいかやろ? 残るのが心苦しいなら自分の言う通り辞めるのもええし、参加したいならすればええ。神田は、どうしたいんや?」

「俺は…………弓場隊の為に……」

「ちゃうちゃう、んな事聞いてるんやあらへんで。俺が聞いとんのは、()()()()()()()()()や。色々うっちゃって、正直に話せばええんや」

 

 生駒はそう告げ、じっと神田の眼を見据えた。

 

 神田は言葉に詰まり、立ち止まる。

 

 それだけ、生駒の問いかけは神田にとって想定外のものであったらしい。

 

 そんな神田の様子を見て、生駒は更に話を続ける。

 

「あんな、俺は知っての通りボーダー隊員やっとるんは何も高尚な理由があるワケやあらへん。ただ、ガチで斬り合い出来るいうからやっとるだけや」

 

 だから、と生駒は告げる。

 

「七海みたいに立派な理由があるワケやないし、弓場ちゃんみたいに色々としっかりしとるワケやあらへん。ただ、()()()()()()やっとるだけや」

「やりたいから、やっているだけ……」

 

 そや、と生駒は神田の呟きを肯定する。

 

「勿論A級は目指しとるけど、それもやるなら上を目指したいだけで、大層な信念があるワケでもないんや。神田はどや? なんでボーダー隊員やってたん?」

「俺は、自分の力を活かす場があればと。それから……」

「────()()()()()から、じゃないんですか?」

 

 ふと、帯島が会話に割り込んで来た。

 

 神田と生駒の視線がそちらに向き、弓場は成り行きを見守った。

 

「弓場隊として戦っている神田先輩はいつも笑顔で、楽しそうでした。私に指導してくれてる時も、ランク戦で戦ってる時もいつも全力で、楽しんでいました」

 

 少なくとも、私にはそう見えたんです、と帯島は告げる。

 

 それを聞いていた外岡が、口を挟む。

 

「そうっすね。俺から見ても、神田さんは楽しそうに見えたっす」

「自惚れでなければ、弓場隊は神田先輩の大切な居場所だと、そう信じてます。だから先輩が辞めるって聞いた時は寂しかったですけど、それでも将来の夢の為だから、って事で納得しました」

 

 でも、と帯島は続ける。

 

「それなら、ギリギリまで弓場隊の一員として最後までやりたい事をやってからお見送りしたいです。私も、私達も、最後まで神田先輩と一緒に戦いたいです。先輩は、どうですか? 私達と一緒に、最後まで戦うのは嫌ですか……?」

 

 上目遣いで、帯島が告げる。

 

 それは、彼女なりの懇願だった。

 

 大好きな先輩と、一秒でも長く共に駆け抜けたい。

 

 そう願う少女の、切なる願いだった。

 

 神田は、揺れている。

 

 あと一歩だと、七海は感じた。

 

 ならばその一歩を押すのは自分の役目だと、七海は悟る。

 

「神田さん。違う部隊の俺が言うのもなんですが、弓場さんは神田さんの思う通りにやって欲しいと思うんです。迷惑をかけるとか足枷になるとか、そういう事じゃなくて。単に神田さんがどうしたいか、を聞きたいんだと思います」

「でも、それだと……」

「親友からの受け売りですけど、迷惑なんて幾らでもかければいいんです。仲間ってのは、迷惑をかけあって生きていくものです。むしろ気を遣って身を引く方が、仲間としてはきついものですよ」

 

 俺も最近まで、気付いてなかったんですけどね、と七海は告げる。

 

 七海は、長年の負い目から自分の価値を過剰に低く見る傾向があり、それがどれだけ仲間に負担をかけていたか、あの敗戦の後に思い知った。

 

 だからこそ、七海は言うのだ。

 

 迷惑をかける事など、気にする必要はないと。

 

 真に心の通じ合った仲間同士なら、迷惑をかけあう事など気にしない。

 

 むしろ、悩みを相談せずに一人で抱え込まれる方が、余程心労が溜まる。

 

 それを実感させられた七海だからこそ、その言葉は説得力を持つ。

 

 他ならぬ七海自身がやらかした、明確な失敗談なのだから。

 

「俺は、戦う理由に貴賤はないと思っています。楽しいから、って理由でも全然問題ありません。だって、他ならぬ攻撃手一位(太刀川さん)もそうですしね」

 

 流石にあれは行き過ぎですが、と七海は補足する。

 

 太刀川は常日頃から「気持ちの強さは関係ない」と言い切っており、勝負を決めるのはあくまで実力であるとも言っている。

 

 戦う理由に、貴賤はない。

 

 それは、七海も同意するところだった。

 

 確かに七海は、過去の大規模侵攻で多くのものを失い、守る為の力を得る為ボーダーに入った。

 

 しかし、自分が悲惨な境遇にいるからと言って、そうでない人々を軽く見て良いという事にはならない。

 

 たとえ崇高な意思があったとしても、結果を残せなければ何の意味もないからだ。

 

 理由よりも、結果。

 

 それが、七海がこのボーダーの中で学んだ事だった。

 

 どんな理由であろうと、結果を出す者は評価され、そうでない者は評価されない。

 

 それはこの世の真理であり、気持ちの介在する余地はない。

 

 頑張ったけど出来ませんでした、よりもやってみたら出来ました、の方が評価される。

 

 此処は、そういう組織だ。

 

 全ては、結果次第。

 

 極論、結果さえ伴っていれば、その過程はどうでもいい。

 

 だから、楽しいから、という理由で戦っても、問題など何も無いのだ。

 

 きちんと結果さえ残せれば、誰も文句は言わない。

 

 それに、気持ちに強さは関係ないが、モチベーション、というものがある。

 

 やりたい事をやっている時ほど、人は気負わず自然に結果を残せるものだ。

 

 無理やりやった勉強よりも、趣味で読んだ小説の内容の方を覚えている事が多いのも、同じ理屈だ。

 

 人は、興味を持てなければ効率的には学習出来ない。

 

 ならば、興味を持った事に全力で打ち込むのはなんら間違った事ではない。

 

 中途半端に終われば、しこりが残る可能性すらあるのだから。

 

「それに、やりたい事をやってから勉強に移った方が、きちんと頭の切り替えも出来て効率も良くなると思いますよ。後悔があると、そちらに意識を裂かれるのはどうしたって避けられませんから」

 

 よく、ゲームを取り上げれば子供は勉強すると勘違いする親がいるが、それは違う。

 

 ゲームを取り上げた場合、子供の思考は「じゃあ勉強しよう」ではなく「次はどうやってうまく遊ぶか」になる。

 

 興味のあるものを強制的に取り上げられれば、無理強いされた事への反発は勿論あるが、より強く取り上げられた興味対象を意識する。

 

 やりたい事をやらせた後に勉強に移らせた方が、能率は上がるものなのだ。

 

 我慢は体に毒、と言うがまさにその通りである。

 

 無理にやりたい事を抑えつけるより、やり切らせた方が作業効率はぐっと上がる。

 

 ストレスが溜まった状態で興味の薄い事をやった所で、上手く行く筈がないのだから、

 

「だから、俺は神田さんがやりたいようにやればいいと、そう思います」

 

 生駒や帯島が感情に訴えかけたのとは逆に、七海はそういった理論で神田を促した。

 

 事の成り行きを、全員が見守っている。

 

 神田は暫く考え込んでいたが、帯島に服の裾を引かれ────────困ったような、笑みを浮かべた。

 

「…………そうだね。確かにそうだ。弓場隊での日々は俺の生き甲斐だし、出来るならばギリギリまで一緒に戦いたい。それが、偽らざる俺の本音だ」

「じゃ、じゃあ」

 

 ああ、と神田は頷く。

 

「合同戦闘訓練に、俺は出るよ。無責任かもしれないけど、最後まで弓場さん達と戦いたい。前言を翻すようで申し訳ありませんが、最後までやらせて下さい」

 

 お願いします、と神田は弓場に頭を下げる。

 

 そんな神田を見据え、弓場は笑みを浮かべた。

 

「最初から、そう言やァいいんだよ。最後まできっちり面倒見てやっから、おめェーも手ぇ抜くなよ」

「はいっ! ありがとうございますっ!」

 

 二人にやり取りを見ていた帯島が、感極まって神田に抱き着いた。

 

 それを弓場と外岡が微笑まし気に見守っており、一部始終を見ていた生駒は満足気にうんうんと頷いている。

 

 成り行きを見守っていた那須達も、温かい目でそのやり取りを静観していた。

 

 尚、その直後神田は帯島ごと上機嫌な藤丸に抱き締められ、「ぎぶぎぶ」と言いながら彼女の巨大な胸に埋もれる事になるのであった。





 ちと神田というキャラを考察した時、こういう事気にするかなー、と思って今回の話を書きました。

 割と責任感強そうなイメージですし、除隊してまで県外の大学受けるくらいだから意識も高いと思いますしね。

 将来の事もしっかり考えてそう。髭と違って。


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七海と那須⑤

 

「……ふぅ……」

 

 七海は自室に入り扉を閉めると、ベッドの上に腰かけ息を吐いた。

 

 弓場隊の面々と別れた後、七海は熊谷と茜を家に送り届けた上で那須と共に帰宅した。

 

 現在時刻は、21:00。

 

 茜と熊谷の家は那須邸から少々離れている為、二人を送っていたらこんな時間になってしまった。

 

 最初は那須を先に帰らせようとしたのだが、どうせなら一緒に送りたいと那須が話した為それに従った形となる。

 

 生身であれば絶対に許可しなかったが、幸い那須は日常用のトリオン体で外出していた。

 

 故に特に断る理由はなく、那須の同行の下で二人を送迎したのだ。

 

 二人を送っている最中那須は茜や熊谷と他愛もない話に花を咲かせており、単に二人と別れるのが名残惜しかったのだろうと七海は判断した。

 

 もしかすると、神田の一件を見ていて何か感じ入るものがあったのかもしれない。

 

 道中二人と話す那須は、何処か無理に元気に振舞っているような、言うなれば空元気のような印象を受けた。

 

 茜は気付いていなかったが熊谷は薄っすらとその事に気付いていたらしく、「玲を頼むわ」と別れ際に七海に耳打ちしている。

 

 七海としても、那須の事となれば他人事ではない。

 

 何か思い悩んでいるならば、それを解消するのは自分の役目だ。

 

 そのくらいの自負は、七海にはある。

 

 故に、一休みしたら那須の部屋へ向かおうと思っていたのだが────────どうやら、その必要はないらしかった。

 

「……玲一」

 

 部屋の扉が開き、寝間着に着替えた那須がその姿を見せていた。

 

「玲」

「うん」

 

 そんな彼女を見て、七海は小さく名前を呼ぶ。

 

 それだけで、充分。

 

 那須はこくりと頷いて、七海の隣にすっと座った。

 

 既に日常用のトリオン体は解除して生身に戻っている為、近くにいるのに彼女の匂いは感じ取れない。

 

 けれど、そこに那須がいるというだけで、七海は自分の心が穏やかになるのを感じ取った。

 

 自分にとってなくてはならない大切な存在こそが、彼女だ。

 

 比翼連理とまでは言わないが、お互いが生きていく為に互いの存在が必要不可欠である事は、二人共理解している。

 

 故に、那須の憂いを取る事に何の躊躇いもない。

 

 以前のような妄信的な追従は止めているが、それでもこの身が彼女の為に在る事に違いはないのだから。

 

「…………さっきの、事か?」

「…………うん。神田さんの話を聞いてたら、その…………将来の事を、考えてしまったの」

 

 七海の問いかけにこくりと頷き、那須はそう言って訥々と、自分の想いを語り出す。

 

「神田さんは、凄いと思う。自分の将来の事をしっかり考えて、ボーダーを辞める決意をした。きっと、あの人にとって弓場隊は私達にとっての那須隊と同じように、掛け替えのないものだった筈なのに」

「そうだな。俺もそう思う」

 

 それは、偽らざる七海の本心だった。

 

 神田は自分の理由なんて大した事はない、などといったニュアンスで語っていたが、ボーダーの部隊は時として単なる同僚や友人以上の絆を持つ集まりとなる。

 

 那須隊(自分達)も、弓場隊(彼等)も、それは同じの筈だ。

 

 戦いの中だからこそ育まれる絆、というものは確かにある。

 

 チーム一丸となって上を目指す連帯感は、全国を目指して日々努力する部活と似たようなものだし、部活よりも少人数で強者と直接戦い鎬を削り合っている為、必要となる連帯感は上であるとさえ言える。

 

 故に、隊員を家族同然と考える者は少なくない。

 

 神田は、その家族同然の者達と別れる決断を下した。

 

 その決意は、とてつもなく重い筈だ。

 

 確かに彼は、七海のように過去の侵攻で何かを喪ったワケではない。

 

 だが、戦う理由に貴賤などないというのが、七海の持論だ。

 

 それは少なからず太刀川(師匠)の思想に影響されているが、七海もこれについては同感である。

 

 神田は、戦いから逃げたワケではない。

 

 単に、戦うステージを変えただけだ。

 

 弓場隊と言う居場所を後にして、自分の将来の夢の為に邁進する。

 

 それが、神田の決断。

 

 誰に乏しめられる事もない、崇高な生き方だろう。

 

 時期が時期である為、逃げたと言う者もいるかもしれない。

 

 けれど、七海はそうは思わないし、そんな低俗な考えを持つ者はそもそも正隊員になどなれはしない。

 

 他人を貶める暇があるなら、自己の研鑽に注力しひたすら上を目指し続ける。

 

 その程度の基本的な事が出来るか否かが、B級に上がれるかどうかの境目なのだ。

 

 個々人の資質の違いもあるだろうが、自分の意思をしっかりと持ち、研鑽を続ける者には必ずチャンスがやって来る。

 

 そのチャンスを活かせるかどうかは、その人次第。

 

 そしてこれは、単に正隊員になれるかどうかだけの話ではない。

 

 考える事を止めた者に、未来はない。

 

 それは戦いでも、人生でも同じ事だ。

 

 神田は自分の意思で未来を選択し、一歩を踏み出そうとしている。

 

 その姿が、その意思が、那須に何らかの感銘を与えたのだろう。

 

 那須は、不安を抱えがちな少女だ。

 

 極度の悲観的(ネガティブ)思考、と言い換えても良い。

 

 基本的に彼女は、物事を悪い方悪い方に考えてしまいがちなのだ。

 

 七海の姉が死んだ事を自分の原因だとして数年間も自責の念に苛まれ続けていたのが、その証左である。

 

 そしてそれは、七海にも当て嵌まる。

 

 七海も那須も、揃って自罰的な傾向があるのだ。

 

 他人に責任を求めない、と言えば聞こえはいいが、それは自分の荷物を中々他者に預けない、という事でもある。

 

 抱えきれない程の荷物を持っているのに、誰にも助けを求めないその姿は、周りからすればさぞ心臓に悪かった事だろう。

 

 もしあの敗戦の後、村上がそれを諭してくれなかったら、七海は今でもその事に気付けなかったに違いない。

 

 人は、助け合える。

 

 人は、支え合える。

 

 だから、仲間が寄りかかってきたのなら、それを受け止め手を差し伸べる。

 

 それが大切な人であれば、想いを寄せる相手であれば、猶更だ。

 

 今までは悩みがあっても抱え込みがちだった那須も、こうして自ら悩みを相談しに来てくれている。

 

 それは小さな、しかし明確な成長と言えた。

 

 那須は何処か絞り出すように、その悩み(おもい)を打ち明けた。

 

「私には、無理。那須隊を辞める事なんて、考えられない。玲一も、くまちゃんも、茜ちゃんも、小夜ちゃんも、みんなみんな一緒にいたい。本当なら、いつまでも」

 

 でも、と那須は告げる。

 

「いつまでもなんて、永遠に同じだなんて事はないんだって、神田さんを見て思い知った。これからどうなるかは分からないけれど、きっといつか、那須隊(みんな)と離れ離れになる時が来る。その時に私は耐えられるのか、なんて考えたら、怖くなったの」

「玲……」

 

 那須の身体は、震えていた。

 

 恐らく、神田の将来を見据えた発言を聞いて、彼女は想像してしまったのだろう。

 

 この先、いつになるかは分からないが────那須隊が解散する、未来を。

 

 当然の事だが、那須や七海は勿論、茜や熊谷だって自分の人生がある。

 

 今でこそボーダー隊員として任務(しごと)をこなしているが、将来選んだ職種によっては隊員を辞めなければならないケースもあるだろう。

 

 自分達は、まだ子供だ。

 

 子供だからこそ、こうして猶予期間(モラトリアム)が許されている。

 

 社会に出れば、そうはいかない。

 

 自分の生き方は、自分で決めなければならない。

 

 生活する為には仕事をする必要があって、今のように学業の傍らボーダーの職務に従事していれば良い、というワケではない。

 

 勿論、ボーダーに就職するという道は存在する。

 

 だが戦闘員であればともかく後方支援に回るとなれば戦闘力とは別種の能力が必要とされるし、ただ強ければなれるというものでもない。

 

「その、玲一は決めてるの? 将来の、仕事の事とか……」

「俺か? 俺は、ボーダーの開発室に行こうかと思っている」

「開発室に?」

 

 那須は意外そうな声で、首を傾げた。

 

 確かに、理由を話さなければ何故七海が開発部に就職するつもりなのか分からないかもしれない。

 

 なので、七海は今まで話した事がなかったその理由を話す事にした。

 

「今の俺がまともに生活出来ているのも、玲が動ける身体を手に入れられたのも、全部ボーダーの技術あってのものだ。だから俺は、同じような問題を抱える人達の力になる為に、将来は開発室に入ってそういう研究を手伝いたい」

 

 それは、前々から七海が考えていた事だった。

 

 今の七海が日常用に使っている身体も、那須が外出時に使っている身体も、開発室の努力で設計されたトリオン体だ。

 

 扱いとしては治験患者である為二人のデータは開発部に有効活用されているだろうが、それでもその技術によって大いに救われている事に変わりはない。

 

 那須はボーダーに入るまで、まともに出歩く事すらままならない身体だった。

 

 話し相手と言えば両親か七海、それに玲奈だけで、学校では常に他者に対して壁を作っていた為、那須に友人と呼べる相手は殆どいなかった。

 

 だからこそ今でさえ那須が身内としてカウントしているのは、那須隊の面々と、他は小南くらいである。

 

 色々と頼りになっている加古の場合は身内というよりも何かあった時に頼る大人というイメージが強く、距離としては少々遠い。

 

 だが、ボーダーに入らなければ、その最低限の友人関係すら結べなかった可能性が高いのだ。

 

 そして、那須や七海がボーダーに入って戦闘員として活躍する事が出来ているのは、開発部が彼等が動けるような身体を作ってくれたからに他ならない。

 

 だから七海は、その恩返しがしたかった。

 

 開発室長の鬼怒田には既にこの事は伝えており、可能な限り協力するとの言質も貰っている。

 

 しかし無理はしなくて良いとも言われており、本格的な技術習得は大学に入って時間が出来てから、という事になっている。

 

 鬼怒田からは「ずっと戦闘員でいる、なんて言われたらどうしようかと思ってたわい」などと愚痴を溢されているのもご愛敬だ。

 

 口が悪い為色々と勘違いされがちな人物であるが、彼の努力がなければ七海や那須がこうして自由に動く身体を手に入れられなかった事を考えれば、二人の大恩人に当たる。

 

 鬼怒田は、良識ある立派な人物だ。

 

 奥さんと離婚したのも、どうやら家族を危険に晒さない為に無理やり三門市の外へ移させたからだと聞く。

 

 子供を戦わせている現状に、思う所があるのかもしれない。

 

 立場上厳しい事を言いがちな彼であるが、基本的には善良な人間なのだ。

 

 そんな彼が室長を務めるからこそ、七海は開発部を志したと言っても過言ではない。

 

 そのあたりの事を説明すると、那須は驚きつつも理解を示してくれた。

 

「そう。玲一はちゃんと、将来の事を考えてるんだ。私は駄目だね。将来どうするかよりも、今をずっと続けたい、なんて考えちゃってるし」

「まだ、時間はあるさ。俺はたまたまやりたい事が見つかっただけで、玲もきっとそのうち見つかるさ。そういう事を考える時間があるのも、子供の特権だろう?」

「そうね。そうかもしれないわ」

 

 でも、私に出来る事なんてあるかしら、と那須は呟く。

 

 那須も七海もボーダーの技術によって日常生活が可能な身体を手に入れている以上、メンテナンスの事も鑑みて三門市から離れるという選択肢は有り得ない。

 

 可能であれば、ボーダーに関係する職務に就くのが理想ではある。

 

 そう考えて、七海は一つの可能性に思い至った。

 

「やれるだけ戦闘員をやって、将来は本部付きのオペレーターになる、なんてのはどうだ? 沢村さんの例もあるしな」

「私が、オペレーターを?」

 

 ああ、と七海は頷く。

 

 本部付きオペレーターの沢村響子は、元々攻撃手だった人物だ。

 

 しかし年齢を重ねる事でトリオン能力の衰えが見られ始めた為、オペレーターに転向したという経緯を持つ。

 

 トリオン能力は個人差はあるが、使い続けなければ成人後を境に徐々に衰えていくのが通例だ。

 

 中にはノーマルトリガー最強の男(忍田本部長)のような年齢を重ねても戦闘力を維持し続ける例外もいるが、それも一握りだ。

 

 そして、そういう人物の就職先として、オペレーターになるという選択肢は充分有り得るものだ。

 

「玲は空間把握能力が高いし、応用力や計算力も高いだろ? なら、志岐からコツを教われば充分オペレーターになれる資質はあると思うが」

「…………そうね。考えてみてもいいかもしれないわ」

 

 那須はふぅ、と息を吐き、呼吸を整えた。

 

 どうやら七海の提案は彼女にとっても悪くない代物であったらしく、真剣に考えこんでいるのが見て分かる。

 

「あ……」

 

 だが、その思案も長くは続かなかったらしい。

 

 また新たな悩みに行き着いたのか、那須の表情が曇り始めた。

 

「どうした?」

「その、皆も同じように色んな道を行くんだろうな、って思ったら、茜ちゃんの事が気にかかってしまって……」

「…………ああ、そういう事か」

 

 那須の言葉に、七海は得心したように頷いた。

 

 茜の事、となると茜が今後もボーダー隊員でいられるのか、という事だろう。

 

 そもそも、戦闘が主任務であるボーダーの職務に従事するには隊員の家族の理解は必須事項と言って良い

 

 特に、茜の場合は両親がそもそも彼女がボーダー隊員である事に否定的だ。

 

 事あるごとに隊員を辞めるよう促しているらしく、茜からは愚痴という形でその話を漏れ聞いている。

 

 もし、この先近界民の侵攻で大きな被害が出る事があれば、茜の両親は有無を言わさず茜を除隊させるに違いない。

 

 街が壊れるくらいであればまだ明確な理由にはならないかもしれないが、多くの隊員が連れ去られた、という事になればきっと危うい。

 

 年始に訪れるという大規模侵攻で、もしもそんな事態になってしまえば、茜はいち早く自分達の下を去ってしまう。

 

 その事に思い至ってしまい、那須は表情を曇らせたのだろう。

 

「確かに、今度起きる大規模侵攻で大きな被害が出ればその可能性は高いだろうな。日浦の両親は、茜の安全を第一に考えている。無理にでもボーダーを辞めさせようとするのは、想像がつく」

「そう、よね。きっと、そうなっちゃうわよね……」

 

 那須の心に浮かぶのは、きっと四年前のあの光景。

 

 もしも、もしもあのような光景が繰り返されたとすれば、茜は間違いなく自分達の下を去ってしまう。

 

 最悪の事態を考えれば、茜が連れ去られてしまう可能性すらあるのだ。

 

 それを考えると、悪い想像が止まらないのだろう。

 

 もしも、仲間が連れ去られてしまったら。

 

 もしも、仲間が死んでしまったら。

 

 もしも、自分が死んでしまうような事があれば。

 

 そんな想像が、彼女の頭の中で駆け巡る。

 

 悪い想像は更に悪い方向に向かい、歯止めが効かない。

 

 その悪循環を繰り返し、那須の身体がガタガタと震えだす。

 

「……あ……」

 

 ────だが、七海が那須の手を握った瞬間、その震えは収まった。

 

 生身の七海に、那須の手の感触は伝わって来ない。

 

 だがしかし、確かにその心は今、繋がっていた。

 

「大丈夫だ、玲。それなら、俺達がそうならないよう戦って守れば良い。四年前の、あの時とは違うんだ。俺達には、戦う力が、守る為の力がある。あの時のようには、ならないさ」

 

 それに、と七海は告げる。

 

「────姉さんにも、誓っただろう? 未来を、守ってみせるって。守ろう、俺達で。皆の、未来を」

「うんっ! そうね。そうだわ。玲奈さんに、そう誓ったんだもの。今度は、私達がこの街を、未来を守る」

「ああ、必ずな」

 

 二人は手を、硬く握り合う。

 

 そしてふわりと、那須は七海の身体に手を回し、その温かさを確かめるように抱き締めた。

 

 そうしているうちに二人はいつの間にか眠ってしまい、朝になって二人仲良く布団の上で寝こけている姿をやってきた茜にばっちり見られ、キャーキャー騒がれる事になったのであった。





 上層部が本格的に出て来るのは黒鳥争奪編のあたりですが、ちょくちょくこうして名前は出てきます。

 鬼怒田さんの離婚エピソードといい、所々にエモい設定差し込んであるよねえワートリは。


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志岐小夜子④

 

「…………そうですか、那須先輩がそんな事を……」

「ああ、今すぐじゃないだろうけど相談してきた時は頼む。正直、俺はオペレーターの事については何も分からないからな」

 

 真剣な顔で話を聞く小夜子に対し、七海はそう告げる。

 

 那須隊の作戦室にて、七海は小夜子と共に次回のランク戦対策の為の情報収集がてら、昨夜の那須との話の内容について相談を行っていた。

 

 那須に将来オペレーターになる、という道を提示したのは自分であるし、もしも彼女が本当にその道を志す場合、頼りにするのは小夜子だろうとの事でこうして話を通しておく事としたのだ。

 

 少々過保護と思われるかもしれないが、七海としては別に何から何までこちらで決めているワケではないので多めに見て貰いたい所だろう。

 

 以前と違い病的な程ではないが、那須の世話を焼くのは最早七海の習性のようなものだ。

 

 止めろと言われた所で、中々頷く事は出来ないだろう。

 

「分かりました。もしも那須先輩からそういう相談をして来た場合は、きちんと対応させて頂きます。その場合、七海先輩からこの話を聞いた事は黙っていた方がいいですかね?」

「そこは任せる。志岐の思う通りにやってくれ」

「了解しました」

 

 そう言って頷く小夜子であるが、彼女としては想い人が自分を頼ってくれるのは嬉しい事である反面、その内容が恋敵に関する事なので内心正直複雑である。

 

 だが、小夜子とて那須の事は大好きなのだ。

 

 その彼女が自分を頼って来るのであれば、これを受けないという選択肢はない。

 

 密かに正妻公認の愛人の座を狙っている小夜子としてみれば、双方の好感度を稼げるチャンスであるという打算もある。

 

 恋する乙女は、執念深いのだ。

 

 愛の重さという観点から見れば、小夜子は自分が那須に負けているとは思っていない。

 

 重さのベクトルは少々違うが、普通の人からして見れば自分も那須も相当に()()女であろう事は自覚している。

 

 那須も小夜子も、七海以外の男性に生涯振り向くつもりが欠片もないのは同じなのだから。

 

 既に一生分の愛情を一人にしか向けない事を決めている時点で、自分も那須も相当重い。

 

 愛に永遠はない、などと言われるが小夜子にとってこの恋は永劫変わる事など無いと思っている。

 

 そも、男性恐怖症の小夜子(じぶん)が他の男性と恋に落ちる事など、まず以て考えられなかった。

 

 那須も当然、七海以外の男性は一切眼中にない筈だ。

 

 どちらも特殊な背景事情がある為に、彼を諦めて他の男に靡くという選択肢が一切ない。

 

 那須の場合は、七海と結ばれる以外に幸せになる可能性がどうしても思い浮かばない。

 

 それは小夜子も同じであるが、小夜子の場合は那須と違ってある程度の自制が効く為七海の傍にいる事さえ出来ればその手段は問わない。

 

 加古から発破をかけられて愛人という道も魅力的だと考えてはいるが、最悪大人になっても同じ居場所に居続けられればそれで構わない。

 

 幸い七海も那須もボーダーに就職するつもりのようであるし、小夜子としてもボーダー以外に自分の居場所があるとは考えていない。

 

 男性恐怖症である小夜子が働ける職場となると、自然と限られてくる。

 

 そんな中、自分の事情を把握しながらも厚遇してくれるボーダーという職場は魅力的だ。

 

 他の職場を探すよりも、よほど融通は効き易いだろう。

 

(それに、那須先輩が戦場から退くってのも当分は想像出来ませんしね)

 

 それに、那須のトリオン体への適性はかなり高く、それは七海も同様である。

 

 今聞いた話によれば、那須はあくまで戦闘員を退いた後の道としてオペレーターという選択肢が出た段階であり、七海のように明確に目的を決めているワケではない。

 

 トリオン器官は使わなければ20歳を境に衰えていくものだが、逆に言えば使い続けさえすればある程度は維持出来るという事でもある。

 

 トリオン体での運動が生き甲斐となっている那須は、成人した後でも普通に戦闘員としてぴょんぴょん飛び回っていそうだ。

 

 七海も那須が戦闘員を止めるまでは付き合いそうな雰囲気があり、少なくともこの二人のオペレートは長く続けられそうではある。

 

(でも、茜と熊谷先輩はそうはいかないでしょうね……)

 

 自分達とは違って、茜や熊谷は職がボーダーでなければならない、という理由はない。

 

 違う道を選び、普通の職に就く事も充分有り得る。

 

 隊員がボーダーを辞める場合、機密事項を漏らしそうな人間の場合は記憶処理をかけられるケースもあるが、幸い茜も熊谷もそういったタイプではない。

 

 鈴鳴の太一などは割とうっかり機密事項を喋りそうなので記憶処理の対象になるかもしれないが、逆に言えばあそこまで迂闊そうでなければ記憶処理の対象にはならない。

 

 自分達との思い出は、彼女たちがボーダーを辞めた後でも維持されるだろう。

 

(それはそれとして、茜を手放すワケにはいきませんね。大規模侵攻は、全力で被害を減らさなければ)

 

 那須や七海が危惧している通り、来るべき大規模侵攻で相応の人的被害が出れば、茜の安全を第一とする彼女の両親は茜を除隊させようとするだろう。

 

 茜は、那須隊にとってなくてはならない人材である。

 

 狙撃手としての優秀さは勿論であるが、何より彼女の明るさには隊の面々は大きく助けられている。

 

 奥手な人間が揃っている那須隊の中で、あの明るさは貴重だ。

 

 那須隊の面々は頭が回り過ぎるきらいがあり、物事を悲観的に捉えてしまいがちだ。

 

 そんな中で彼女のような人間が一人でもいれば、大分空気は変わって来る。

 

 誰一人欠けようが、今の那須隊は有り得ない。

 

 そして当然、隊の仲間として、友達として大切な存在だ。

 

 そんな彼女を手放す気など、七海達は勿論小夜子にも一切ない。

 

 たとえ時が来れば別れは必定であるとしても、今の関係を出来るだけ長く維持していたいと思うのは当然だ。

 

 その為にも、大規模侵攻での人的被害を減らす事は必須事項だ。

 

 極端な話、物的被害ならなんとかなる。

 

 しかし、人的被害となるとどうにもならない。

 

 もしも数十人規模で隊員が攫われるような事があれば、親の立場としては「もしかしたら自分の子供も」と思ってしまうのは無理からぬ事と言える。

 

 元々、子供がボーダーの仕事をやっている事に否定的な親なら猶更である。

 

 故に、大規模侵攻での被害を減らすしか道はない。

 

 逆にそれだけの侵攻を経ても被害を軽重に出来たとなれば、茜が隊員を続けていく上での明確な説得材料となる。

 

 手を抜く理由は、何処にもなかった。

 

「悪いな。普段から色々頑張ってくれてるのに、こんな事まで頼んで。志岐には、いつも助けられている」

「いえ、私は当然の事をしただけですよ。那須隊が、七海先輩がいなければ私はただの役立たずのヒキニートでしたからね」

 

 自虐するように言う小夜子のその言葉は、本心である。

 

 熊谷が那須隊に誘ってくれなければ今も自分は家に閉じこもるだけの毎日を送っていただろうし、那須や茜がいなければ自分の人間関係は閉じたままだった筈だ。

 

 友達と遊ぶ楽しみさえ、見失っていたかもしれない。

 

 そして七海と出会わなければ、恋する心を知る事もなかっただろう。

 

 「何もしない」というのは、相当にストレスが溜まるのだ。

 

 何かしなければならないのに心の問題で何も出来ない、となれば最初は良くてもいずれは自己嫌悪の悪循環に苛まれる。

 

 あのまま引き籠りを続けていても、碌な未来は訪れなかっただろう。

 

 けれど、那須隊という居場所が、そんな小夜子を変えてくれた。

 

 男性恐怖症こそ治りそうにはないが、小夜子にもう一度人を信じる気持ちを芽生えさせてくれたのは間違いない。

 

 国近や羽矢といったゲーム仲間も、オペレーターをやっていなかったら出来なかったに違いあるまい。

 

 自分もまた、ボーダーの存在に救われた一人。

 

 小夜子は心から、そう思っていた。

 

「そんな事はない、と言える程俺は志岐の事を知れてはいない。けれど、俺達にとって志岐がなくてはならない存在である事は確かだ。色々と迷惑をかけると思うが、どうか愛想をつかさずに付き合って貰えるとありがたい」

「愛想をつかすなんて、あるワケないじゃないですか。私の居場所は、那須隊(ここ)なんです。それは未来永劫、変わる事はありません」

 

 そう言って、小夜子は前髪をかきあげ、普段隠している右目で七海を見上げた。

 

 突然の小夜子の仕草に当惑する七海であるが、小夜子はそんな七海にそっと近付きもたれかかる。

 

「し、志岐……?」

「そんなに心配なら、ちゃんと捕まえておけばいいんですよ。私は、何処にも逃げませんから。ずっと、ずっと先輩達の傍にいます。先輩たちがいなくなったら、私に生きてる意味なんてないんですから」

 

 くすり、と小夜子は笑う。

 

 七海はそんな小夜子にただならぬ気配を感じたのは、突き放す事も抱き締める事もせず、されるがままとなっている。

 

 それを好機と見た小夜子は七海の腕の中に納まるように身体を預け、ゆっくりと体重をかけた。

 

「私はですね、知っての通り男性恐怖症です。七海先輩以外の男性は視界に入れるだけで苦痛ですし、声を聴くのもかなりのストレスになります。そんな女が、此処から出てやっていけると思いますか?」

「それは……」

 

 どう答えるべきか困る問いかけに、七海は言葉に詰まる。

 

 そんな生真面目な七海の姿を見て、小夜子は思わず苦笑した。

 

「…………意地悪な質問でしたね。けどまあ、気を遣わなくても自分の事は自分が一番分かってます。ハッキリ言って、ボーダーに、那須隊に居場所がなくなったら、私は野垂れ死ぬしかない人間です。私の価値なんて、そんなものなんですよ」

 

 だから、此処しか居場所はないんです、と小夜子は言う。

 

 小夜子は、能力自体は決して低くはない。

 

 情報機器に関する能力は図抜けているし、頭の回転が速く要領も悪くはない為、力仕事でなければ大抵の事は出来るだろう。

 

 だが、人付き合いという面に致命的な欠陥を抱えている以上、普通の企業で就職するのは不可能に近い。

 

 社会は、コミュニケーションが取れない人間が生きていける程甘くはない。

 

 小夜子のような事情があったとしても、それを()()()()()()()()()と断じる悪しき風潮が蔓延っているのは事実なのだ。

 

 幾ら能力が高くとも、小夜子の事情を理解してくれる職場などごくごく限られているだろう。

 

 しかし、ボーダーに関してはそのあたりは心配ない。

 

 ボーダーは、小夜子のような優秀な人材をたかがハンデが一つある程度で遊ばせるような余裕はない。

 

 その能力を活かせるよう徹底的に支援し、彼女が支障なく業務に従事出来るよう全力を尽くすだろう。

 

 だからこそ、小夜子にとって最も都合の良い居場所こそがボーダーなのだ。

 

 その居場所を守る為に、全霊を懸ける。

 

 それは彼女にとって当然の事で、私情も絡むのであれば猶更だった。

 

「だから先輩、捨てないで下さい。私にずっと、先輩達の傍で力にならせて下さい。そうしないと私、駄目なんです。そうしないと私、生きてられないんです。そうしないと私、生きてる意味がないんです」

 

 まるで脅迫のように、小夜子は懇願する。

 

 彼女の瞳の奥で揺れるのは、打算と情欲。

 

 想いを寄せる男を絡め取る、()の眼だった。

 

「これまでもこれからも、私、精一杯サポートします。私に出来る事なら、なんだってやってあげます。こう見えて私、色々出来るんです。やろうと思えば、ハッキングや情報操作も出来たりします。私、頑張って色々勉強したんですから」

 

 にこりと、小夜子は笑う。

 

 茶化しているように見えるが、彼女は本気だ。

 

 七海への恋慕を自覚したその日から、小夜子は全力で必要な知識を頭に叩き込んだ。

 

 合法非合法問わず、詰め込めるだけの知識が彼女の脳には刻み込まれている。

 

 身体が貧弱でコミュニケーションに欠陥がある以上、純粋な知識と能力しか自分を役立てる機会はない。

 

 小夜子は自分の価値を、そのように考えていた。

 

 声に出せばきっと、熊谷や茜は口々に「小夜子にも良い所はある」とフォローしてくれるだろう。

 

 だが、小夜子が欲しい言葉はそれではないのだ。

 

 彼女が欲しいのは、自分が此処にいても大丈夫だと思える明確な()()

 

 形のない慰めの言葉など、最初から求めてはいないのだ。

 

「だからですね七海先輩。困った事があったら、なんでも私に言って下さい。私が、全部全部何とかしてあげますから。

「志岐。俺は……」

「ふふ、お礼なんていいですよ。もしも先輩の気が咎めると言うのであれば、そうですね。一つ、お願いを聞いて貰えますか?」

 

 くすくすと笑いながら、小夜子は当惑する七海を見上げる。

 

 その視線に込められた熱に七海は何も言えず、「ああ」と短い肯定の言葉だけを返した。

 

「私の事、志岐、じゃなくて小夜子、って呼んでください。仲間なのに名字呼びだなんて、他人行儀じゃないですか」

 

 他のオペレーターが聞けば「それ違うんじゃない?」と言われそうな内容であったが、生憎此処にオペレーターはいない。

 

 隊員から名字呼びされるオペレーターなど幾らでもいるし、むしろその方が多いくらいである。

 

 だが、他の部隊のそういった事情に七海は疎いし、オペレーターの小夜子が言うからそうなのだろう、と七海は考えている。

 

「そのくらいで良ければ、構わない。小夜子、これからもよろしく頼む」

「────ええ、こちらこそ。末永く、よろしくお願いしますね」

 

 ────だからこそ、小夜子の要求はあっさり通った。

 

 七海との知識差を利用した駆け引きではあったが、小夜子としてはこれ以上ない程満足である。

 

 普通に挑めば惨敗するだけの戦争(たたかい)に、絡め手を用いない程小夜子の頭は悪くはない。

 

 無論、ただ呼び方が変わっただけであるが、それでも小夜子にとってはこの変化こそが重要なのだ。

 

 七海が那須に一途なのは知っているし実感もしているが、自分が何のアクションも起こさないとは小夜子は一切言っていない。

 

 恋愛(たたかい)は、一度負けてからが勝負なのだ。

 

 不和を起こすつもりも、彼女を蹴落とすつもりもない。

 

 だが、戦争には講和という解決手段があるのだ。

 

 これは、交渉の場に立った時にどれだけ譲歩を引き出せるか。

 

 要は、そういう戦いなのである。

 

 そんな彼女の意図など知る由もない七海を見上げ、小夜子は以前と同じように即効で自分のやった事に気付くであろう那須への対応を考え、頬を緩ませるのであった。





 小夜子ちゃん回。ただ悲恋のヒロインで終わるワケじゃないのよ女ってのは、という回。

 当方、愛が重い子以外は書きませんのでね。


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七海玲一⑦

 

「おー、来た来た。時間通りだな七海」

「こちらからお願いした事ですから。お待たせするワケにはいきませんからね」

 

 七海はそう言って、陽気に手を振る出水に笑いかける。

 

 此処は、太刀川隊の作戦室。

 

 太刀川と出水の弟子になって以降七海が頻繁に出入りしていた場所だが、今回来ているのは七海だけではない。

 

「今日はよろしく。出水くん」

「よろしく頼むわね」

 

 そう言って頭を下げるのは、隊服姿の那須と熊谷。

 

 戦闘時であればいざ知らず身体の線が出ている那須隊の隊服を戦場以外で纏っていると余計な視線に晒される為上着を羽織ってはいる。

 

 戦っている時は特に気にはならないが、那須隊の隊服は身体の線がモロに出ている為異性の興味を惹き易い。

 

 故に、戦闘時以外はこうして飾り気のない上着を羽織っている事が多い。

 

 ボーダー隊員は人格者が多いが、それでも男性として反射的に目を向けてしまう事は避けられない。

 

 元々は戦闘体に換装しっぱなしになる事がないよう、あまり外を出歩くには不向きな服として考案された那須隊の隊服だが、ぶっちゃけ男性陣にとっては目に毒なのである。

 

 勿論あからさまに喜ぶ者もいるが、理性的な男性陣────────主に荒船や村上等に指摘され、こうして上着を羽織る事にしているワケである。

 

 七海としてもみだりに彼女達を好奇の視線に晒すつもりはない為、その方針には同意している。

 

 ちなみに熊谷が小夜子にこの隊服をデザインした本当の理由を尋ねた際、それは良い笑顔で「趣味です」と答えたそうな。

 

 小夜子としては、折角整った容姿を持つ少女たちが集まったのだからコスプレみたいな恰好をさせて眼福にしたいという目論見があり、無駄に要領の良い手回しでそれを実現させたワケだ。

 

 彼女は百合というワケではないが、それはそれとして可愛い女の子を見るのが割と好きであると公言している。

 

 特に浮世離れした美貌を持つ那須の隊服姿が一番好きらしく、彼女の許可を得た上で撮影した写真────────男性隊員が喉から手が出る程欲しがりそうなものを、何枚か所持している。

 

 小夜子にとって那須は恋敵であるが、それはそれ、これはこれらしい。

 

 那須としても自分の容姿を手放しで褒めそやして喜んでくれる小夜子に悪い気はしていない為、特に問題なく撮影の許可を下ろしている。

 

 お嬢様学校に通っている為か、そのあたりのノリにはある程度理解があるらしい。

 

 那須が通っている星輪女学院は彼女の他に小南や照屋、嵐山隊の木虎等が通っており、警戒区域からは距離が遠い為近界民の脅威は対岸の火事扱いする者が多い。

 

 その為、ボーダー隊員は一種のヒーロー、タレントのような扱いをされており、那須は色々な意味で有名である為学院では真実高嶺の花だ。

 

 故に可愛いと言われて女子にキャーキャー騒がれる事には慣れており、小夜子くらいのノリでは物怖じする事は無い。

 

 そもそも、特に問題がなければ身内には甘い那須である。

 

 小夜子の希望は可能な範囲で最大限叶えるつもりでいるし、ただ写真を撮られる程度ならどうという事はないと考えている。

 

 勿論、小夜子であれば写真を転売して利益を得ようなどという裏切り行為を働かないであろうという信頼もある。

 

 ともあれ、そんなこんなで那須隊の隊服自体に否があるワケではないが、不特定多数に不躾な視線を向けられるのは那須とて御免被る。

 

 しかしそのあたり那須は少々鈍い為、熊谷の助言を受けてから上着を着る対応策を実施したワケである。

 

 勿論、気軽にあの隊服を見られると考えていた男性隊員達が落胆の声をあげたのは言うまでもない。

 

 無論、七海や熊谷の威圧によって黙殺されるまでがワンセットである。

 

 ちなみに、太刀川隊でそういった視線を向ける輩は精々唯我くらいである。

 

 太刀川や出水はそういった事柄よりも戦う事に脳のリソースの大部分を割いており、那須達の事も良くも悪くも実力面しか見ていない。

 

「そういえば、太刀川さんは……」

「例の如く補修。大学の単位がヤバいらしくて、忍田さんと風間さんの監視付きで課題に取り組んでる」

「いつも通りですね」

 

 …………まあ、そうやって戦闘面にリソースを全振りした結果、日常生活面が壊滅的な(死んだ)のが太刀川という男の残念極まりない部分である。

 

 彼の保護者的立ち位置である忍田本部長も「何で戦闘面での頭の切れを普段でも活かせないのか」と頭を抱えている程だ。

 

 彼が大学の単位を落としそうになって風間や忍田が修羅になるのは、幾度も見た光景である。

 

 その光景を繰り返し目にする度、太刀川への敬意の念は加速度的に薄れていった。

 

 実力は確かで指揮能力も悪くはないのだが、それ以外の評価項目がオールEマイナスとなればそうもなる。

 

 大学をボーダーの推薦で入った事は知っているが、そもそも良くあの頭の出来で高校を無事卒業出来たものだとは思う。

 

 …………案外、居座られても面倒だったと卒業の体で放り出された可能性も無きにしも非ずであるが。

 

「おー、来た来た。そういや日浦ちゃんが見えないけど?」

 

 そう言いながら部屋の奥から出てきたのは、米屋陽介。

 

 三輪隊の攻撃手であり、槍型の弧月を使う技巧派だ。

 

 加えて言えば出水とは同級生であり、成績最悪な戦闘馬鹿(太刀川の同類)でもある。

 

「奈良坂さんから聞いていないんですか? 日浦は奈良坂さんと一緒に別の訓練をやってます。今回は、日浦の狙撃なしでも戦える前提の訓練なので」

「へーえ、それならそれでいいや。俺としちゃ、楽しめるならなんでもいいぜ」

 

 彼は、用もなしに此処にいるワケではない。

 

 今回、七海達が此処に来たのは仮想・二宮隊の訓練をする為だ。

 

 二宮『役』自体は出水がやれるが、そもそも出水の弾幕を避ける訓練であれば七海は過去に充分行っている。

 

 今回は、七海を含めた那須隊が二宮と遭遇してしまった場合に()()()()訓練を行う事が主目的だ。

 

 最終ROUNDの二宮の『攻略法』自体は既に考案してあるが、それには最低限二宮相手に()()()()が出来なければ話にならない。

 

 両攻撃(フルアタック)状態の二宮の弾幕は、一度捕まったらそれで終わりだと言っても過言ではない。

 

 ハウンドで固められて、アステロイドで仕留められる。

 

 一度でも二宮の弾幕の檻に捕まれば、このコンボで終わりだ。

 

 二宮から逃れる為には、彼の射程外まで一目散に逃亡する他ない。

 

 少なくとも、()()()の状態では。

 

 流石の二宮も、狙撃手が残っている場合や仲間が傍にいない場合は迂闊に両攻撃(フルアタック)を使う事はない。

 

 どれだけのトリオン差があろうとトリオン体の強度自体は変わらない以上、一発でも狙撃を喰らえば致命傷になる事は変わらないからだ。

 

 故に、二宮が両攻撃を使うシュチュエーションは既に狙撃手が一人もいなくなった状態か、もしくは仲間に護衛されている時に限られる。

 

 ROUND3では早々に犬飼と合流されてしまった為、常に両攻撃を撃てる状態になってしまった為にあそこまで一方的な展開になったと言っても良い。

 

 故に、二宮隊への対策は、どれだけ()()()()()()()()()()()()()()()にかかっている。

 

 特に、犬飼が生き残っている限り勝ち目は皆無と言っても過言ではない。

 

 犬飼はその技量も然る事ながら、とにかく場を見渡す視界の広さと判断力が図抜けている。

 

 最低限、彼が落ちるか二宮と合流出来ない状態にしない限りは、二宮隊の牙城を崩す事は不可能だと考えた方が良いだろう。

 

 戦闘員のタイプとしてはサポーターの銃手という事で神田と同じであるが、犬飼はより()()()()()()()()()()のが巧い。

 

 対戦相手が取って欲しくない手を、的確に差し込む。

 

 そういった判断力と実行力に優れているのが、犬飼の怖い所である。

 

 伊達に、元A級部隊の銃手というワケではないのだ。

 

 どんな部隊に入れてもオールマイティに活躍する、気配り上手の銃手。

 

 それが、犬飼澄晴である。

 

 もし彼がフリーであれば、どれほど多くの部隊が欲しがったかは分からない。

 

 それだけの有能さを持つ相手を、攻略しなければならないのだ。

 

「そんで俺が呼ばれたワケっすか。でも、本職の銃手じゃないから犬飼先輩ほどの動きは見せられないかもしれないぞ?」

 

 そういうワケで、『犬飼役』として呼んだのがこの烏丸京介である。

 

 丁度今日はバイトの予定がない日であった為、都合を付けて来て貰ったワケである。

 

「構いません。京介さんは周りを見る才能が図抜けてますし、充分に犬飼先輩役を務められる筈です」

「…………そこまで言うなら仕方ない。可能な限りやらせて貰う」

 

 いつも通りの無表情だが、付き合いの長い人間からして見るとやる気が瞳に灯っているのが分かる。

 

 烏丸は小南達旧ボーダー組と比べると七海との親交は薄いが、それでも何度も玉狛支部に出入りする内に仲良くなった相手だ。

 

 こういう訓練の申し出をして即座に受理される程度には、仲が良い。

 

 普段バイト三昧で会える事こそ少ないが、それでも七海の大切な友人の一人である事に変わりはないのだから。

 

 ちなみに、米屋は『辻役』として呼んである。

 

 サポータータイプの辻と最前線でポイントゲッターをする米屋では明確にタイプが違うが、マスタークラスの辻並みの技量となると彼の他には村上、生駒、太刀川くらいしか七海が交渉できる相手はいない。

 

 しかし生駒は次の試合で当たる対戦相手であるし、村上も最終ROUNDの調整で忙しい筈である為手を借りるワケにはいかない。

 

 太刀川が課題漬け(自業自得)で死んでいる以上、他に攻撃手の心当たりとなると米屋くらいしかいなかったのだ。

 

 七海自身はそこまで仲が良いワケではないが、他ならぬ出水が気を利かせて引っ張って来てくれたのだ。

 

 米屋も七海や那須と戦える機会となれば断る理由もない為、目を爛々と輝かせてやって来た次第である。

 

 流石は、三度の飯よりランク戦が大好きな槍馬鹿。

 

 骨の髄まで、太刀川の同類(戦闘民族)である。

 

 それに、あながち間違った配役というワケでもない。

 

 米屋は普段の言動から脳筋のお調子者に見えるが、その実戦いにおいては自分の役目に徹する事が出来る狡猾な面を持っている。

 

 技巧派の名は伊達ではなく、メインの点取り屋から隊のサポーターまで一通りこなせる、かなりの戦上手である。

 

 指揮官向きではないものの、戦いにおいての汎用性はかなり高い。

 

 言うなれば、攻撃手版の犬飼と言っても過言ではない程だ。

 

 勿論射程の有無はある為犬飼と全く同じ動きは出来ないが、状況に応じた臨機応変な動きを的確に出来るのは間違いない。

 

 とうの出水は根っからのサポータータイプである為、実質自己判断が的確な駒が三人も揃っている事になる。

 

 この三人の相手は、生半可な事では務まらない筈だ。

 

「さて、時間もないし早速やっちまうか。言われた通りトリガーセットは二宮さんのそれと同じにして来たし、トリオンも同じにしてある。米屋と京介は、まあそのまんまでいいか」

「いえ、一応犬飼先輩と同じトリガーセットにしてきました。スコーピオンやハウンドを扱った経験はあんましないんで、付け焼刃っすけど」

「気が回るねえ。ま、そっちの方がいいか」

 

 やるからには徹底的に、という声が聞こえてきそうな京介の準備万端ぶりに、出水は舌を巻く。

 

 まあ、あの七海に頼られたのだ。

 

 気持ちは分かる。

 

 七海は口では「いつも頼ってます」と言う割に、いざ困った時には声をあげない困った性質を持っていた。

 

 あの敗戦の後のあれこれで大分改善されて来たのは知っているが、それでも彼が那須隊の面々を連れて来て「訓練に付き合って欲しい」などと言うのは初めてである。

 

 前々から「もっと頼れ」と言っても聞かなかった事を考えれば、随分な進歩と言える。

 

 なんだかんだ、弟子には甘い性格の出水である。

 

 そんな弟子の成長が嬉しくて仕方ないらしい事は、にやけた表情からも察する事が出来る。

 

「じゃ、始めるか。MAPは一応市街地Aで、設定は俺と七海以外はランダム転送でいいよな?」

「はい、問題ありません」

 

 尚、その心情は傍で見ていた米屋には筒抜けであり、これまでの付き合いからからかわれる事を察した出水はそそくさと模擬戦の準備に移る。

 

 米屋は後でからかえば良いか、と開き直って訓練室に向かい、京介と出水がそれに続く。

 

「行くか」

「ええ」

「うん」

 

 そうして、七海達もそれに続いて訓練室へ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 目の前に、市街地が広がっている。

 

 そして、七海が経つ道路の先には太刀川隊の象徴である黒コート────ではなく、フォーマルなスーツのような服を纏った出水がいた。

 

「少しでも雰囲気出るかと思って、柚子さんに頼んで隊服弄って貰ったぜ。これも結構イカすだろ?」

「ええ、似合ってますよ」

「淡白だなあ。ま、てなワケで────」

 

 ギラリ、と出水が眼光鋭く七海を睨みつけ、両手にトリオンキューブを出現させる。

 

「────折角だから、派手にやらせて貰うぜ。七海」

 

 そして、普段の出水より更に大きなトリオンキューブが無数に分裂。

 

 数多の弾丸となって、七海へと降り注いだ。





 にのまるならぬにのみず、もしくはでみや? まあ、元が黒コートなんで割と似合いそうだなーという出来心ですはい。

 ちなみに、前回の後始末は那須さんと一晩添い寝の刑で許して貰いました。

 七海が無痛症で性欲死んでるからこその荒業だね!


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七海玲一⑧

 

 無数の光弾────誘導弾(ハウンド)が、七海に向かって降り注ぐ。

 

 出水を相手に射撃を回避する訓練はこれまでに飽きる程やっているが、この弾丸の雨はその時よりも更に密度が高い。

 

 当然だ。

 

 今の出水は、トリガーセットどころかトリオン量すらも二宮と同じ設定にしてある。

 

 そして、出水はその二宮の師でもあるのだ。

 

 対二宮の仮想敵として、これ以上の配役はいないだろう。

 

「……っ!」

 

 その弾丸の雨に対し、防御は────無論、しない。

 

 一度でも弾丸の檻に囚われてしまった瞬間、敗北する。

 

 これは、そういう戦いだ。

 

 故に、取った手段は逃走。

 

 グラスホッパーを展開し、それを踏み込む。

 

 そして、ジャンプ台トリガーの加速によって一気に出水の射程圏内から抜ける。

 

「来たな」

 

 だが、今戦っているのは出水だけではない。

 

 七海が離脱した、その先の路地。

 

 近くの家屋の屋根の上から、槍型の弧月を構えた米屋が飛び降りる。

 

「────メテオラ」

「うおっと……っ!」

 

 奇襲して来た米屋に対し、七海はメテオラを射出。

 

 無数に散らした炸裂弾が、米屋に襲い掛かる。

 

 米屋のトリオン量は、戦闘員としては低い方に位置する。

 

 故に、シールドの強度も左程高いワケではない。

 

 無論、一発のメテオラで割れる事はないだろうが、叩き込み続ければ耐えられはしない。

 

 今、米屋は空中。

 

 シールドで防ぐ以外メテオラを回避する方法がない以上、七海にとっては格好の獲物だ。

 

 まずは一人────。

 

「────と、思うじゃん?」

 

 否。

 

 米屋は、トリオン弱者ながらその技量と戦運びの巧みさでA級にまでのし上がった男。

 

 単なる力押しなど、通用する筈もない。

 

 米屋は落下途中に槍を家屋の壁に突き刺し、それを足場に跳躍。

 

 メテオラは突き刺さったままの弧月に触れ、起爆。

 

 その爆風を利用し、米屋は七海の側面に着地する。

 

「────旋空弧月」

 

 そして、弧月を再構築しそのまま旋空を起動。

 

 槍弧月の拡張斬撃が、七海へ襲い掛かる。

 

「────」

 

 それに対し、七海は即座にグラスホッパーを展開。

 

 ジャンプ台を蹴り飛ばし、斜め上へと跳ねるように退避する。

 

 そのまま米屋へ突撃────は、しない。

 

 何故ならば。

 

「そのまま抑えろ槍バカ」

「任せろ弾バカ」

 

 ────この場にはもう一人、光弾を従えた出水がいるのだから。

 

 無数に降り注ぐ、弾丸の雨。

 

 最初から、これが米屋の狙い。

 

 出水が再び七海を射程内に捉える為の、時間稼ぎ。

 

 それが、米屋の目的だった。

 

 この雨に、打たれるワケにはいかない。

 

 故に、七海は即座に離脱を選択する。

 

「行かせねえよ」

「……っ!」

 

 それを、米屋が許す筈もないが。

 

 米屋は弾丸の雨を気にする素振りすらなく、七海の下へ突っ込んでくる。

 

 今七海は、米屋と出水の中間地点にいる。

 

 そして、此処は住宅地の路地のど真ん中。

 

 左右が家屋で囲まれている以上、横へ逃げる事は出来ない。

 

 だが、前へ進めば米屋と打ち合う事になり。

 

 後退すれば、出水の射程圏内へ深く入り込んでしまう。

 

 八方塞がり。

 

 逃げ場は、ない。

 

「────メテオラ」

 

 否。

 

 逃げ場がないなら、()()()良い。

 

 七海へ弾丸の雨の斜線上に、分割なしのメテオラのトリオンキューブを展開。

 

 トリオンキューブは弾丸と接触し、起爆。

 

「うお……っ!」

「……っ!」

 

 大爆発が、周囲を席捲した。

 

 七海は広げたシールドでその爆発から身を守り、即座に撤退を選択。

 

 不意こそ突いたが、今のでダメージを貰う程出水や米屋は鈍くはない。

 

 そして、七海のメテオラの起爆によって周囲の家屋は吹き飛び移動を制限するものはなくなった。

 

 即座にグラスホッパーを展開し、この場から離れようとする。

 

「────」

「く……っ!」

 

 しかし、七海の展開したグラスホッパーは即座に撃ち抜かれた。

 

 出水、ではない。

 

 直前に聞こえた()()は、出水の射撃トリガーでは有り得ない。

 

 瓦礫となった家屋の、向こう。

 

 そこに、突撃銃を構えた鳥丸の姿があった。

 

「……っ!」

 

 七海の副作用(サイドエフェクト)が、自身へ向けられた攻撃を感知する。

 

 それも、二方向。

 

 タイミング的に、回避は不可能。

 

 グラスホッパーを撃ち抜かれた時点で、この場から離れる事は不可能だ。

 

(なら……っ!)

 

 一撃。

 

 一撃さえ防げば、後は何とかなる。

 

 再びメテオラを爆破して、隙を作れば良い。

 

 固められる前に、撤退を。

 

 そう覚悟して、七海はシールドを展開した。

 

「が……っ!?」

 

 ────だが、その選択は間違いだった。

 

 否、最後に残されたその選択も、摘み取られた。

 

 万全を期して両防御(フルガード)で展開した、七海のシールド。

 

 大抵の攻撃を防ぎきるその防御が、呆気なく打ち砕かれて七海に致命傷を与えていた。

 

 それを放ったのは、出水。

 

 彼が放った、その弾丸の名は────。

 

「悪りーな。通常弾(アステロイド)じゃなくて、徹甲弾(ギムレット)なんだわ」

 

 ────『徹甲弾(ギムレット)」』。

 

 アステロイド二つを合成した、()()()()()()()()()合成弾。

 

 突破力であれば射撃トリガーの中でも最上級であるそれが七海の防御を打ち砕き、致命傷を与えたのだ。

 

『戦闘体活動現界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 そして、機械音声が七海の敗北を宣言し、七海の身体は戦場から離脱した。

 

 

 

 

「やっぱり一人で仮想・二宮隊を相手にするのは無理がありますね。最低限、犬飼先輩を────今回の場合は京介さんを引き離す事が第一ですね」

 

 数回の訓練を重ねた後、七海はそう口にした。

 

 今彼等がしていた訓練は、「一人で二宮隊に囲まれた」という考え得る限り最悪の想定の上で行われたものだ。

 

 七海だけではなく熊谷や那須も個々で行っていたが、最も長く生き残れたのはガン逃げに徹した場合の七海で、那須は次点。

 

 熊谷の場合は、二宮役の出水と接敵した時点で成す術なくやられていた。

 

「そうね。玲でさえ逃げ切れなかったんだもの。あたしなんて散々だったし」

「まー、熊谷さんの場合は単純に相性がな。一度二宮さんと出会っちまったら基本逃げるしかねーけど、それも七海や那須さん並みの機動力があって初めて実現する方法だからなあ」

 

 米屋の言葉に出水もそーだな、と言って同意する。

 

「基本、1対1になっちまった時点で勝ち目がないってのが二宮さんの最大の強みだからな。ぶっちゃけ、逃げられる七海や那須さんがおかしいんであって、大抵の奴は見つかった時点で終わりだよ」

 

 二宮は、ボーダーでも随一のトリオン量を誇り、火力も相応に高い。

 

 射撃トリガーは、使用者のトリオンが多ければ多い程威力が増し、弾速や射程もトリオンに応じて向上する。

 

 トリオンに優れた者程、射手になる傾向が多いのはその為だ。

 

 高いトリオンを最も直接的に活かせるのが、射手というポジションなのだから。

 

 トリオンが高いというのは、それだけで大きな武器となる。

 

 射手は弾速や威力、射程に至るまでチューニングで逐次変更出来る強みがあるが、トリオンが多ければ威力を保ったまま射程や弾速を上げる事が出来るのだ。

 

 つまり、高トリオン持ちの射撃は()()()()()()()のだ。

 

 高トリオンの射手は、そのトリオン量にまかせた強力な弾丸を撃ち続けるだけで大抵の相手を殲滅出来る。

 

 二宮の一番の強さは、まさにこれだ。

 

 防御する、という言葉そのものが間違い。

 

 避けて逃げる以外、彼の攻撃をどうにかする方法は無いのだ。

 

 だが、二宮の射程範囲は相当に広い。

 

 二宮程のトリオンがない那須でさえ、チューニングを駆使すれば相当量の射程を維持出来るのだ。

 

 高いトリオンを持つ二宮は、威力や弾速を維持したまま広い射程をカバー出来る。

 

 故に、一度二宮とエンカウントしてしまった時点で大抵は()()なのだ。

 

「だから二宮さんとランク戦で運悪く追っかけられちゃった場合は、ガン逃げで時間稼ぐか、相打ちを狙うか、死ぬ事前提で仕事するしかねー、ってのが大体の隊員の見解だ。実際、俺もそりゃあ間違っちゃいねーと思うしな」

 

 実際、大抵の場合は出水の言う通りにするしか無いだろう。

 

 二宮さんと正面から戦う事自体が、愚策。

 

 それは七海も、充分に理解していた。

 

「そーだな。流石に俺も、正面からは二宮さんとはやり合いたくねーし。二宮さんと撃ち合いが出来るのなんて、この弾バカくらいだしな」

「そうだぜ。もっと崇めろ槍バカ」

「誰が崇めっかよ、弾バカ」

 

 米屋と出水は、軽快な調子で言い合い笑い合う。

 

 そんな様子を見て少し微笑まし気な気分になりながらも、七海は出水に話しかけた。

 

「しかし、あれが徹甲弾(ギムレット)ですか。俺も見たのは初めてです。やられましたよ」

「まーな。合成弾使える奴自体少ねーし、ギムレットの場合は大抵の場合ランク戦じゃ火力過多だからな」

 

 まず、と出水は前置きして続ける。

 

「ギムレットは知っての通り、アステロイド二つを合成して貫通力を上げた弾丸だ。けど、シールドを破るだけならアステロイドを叩き込み続けた方が効率的だし、何より両攻撃(フルアタック)の隙を晒す事もないからな」

「ぶっちゃけ、殆ど防御の堅いトリオン兵用の弾丸って言ってもいいくれーだもんな。ハウンドみてーな誘導性能も、メテオラみてーな派手な攻撃範囲もねーし」

「使いどころが中々ねー、ってのはその通りだな」

 

 確かに、二人の言うように徹甲弾(ギムレット)は合成弾というリスクの高い弾丸にしては、ランク戦で使用するメリットが小さいのだ。

 

 シールドを突破するだけなら、アステロイドを叩き込み続ければどうにかなる。

 

 遠隔地を爆撃したいのであれば、誘導性能のあるトマホークやサラマンダーの方が効率的だ。

 

 広げさせたシールドを貫きたいのであれば、変化貫通弾(コブラ)という手段もある。

 

 総じて、威力特化のギムレットはリスクの割に汎用性が低いと言わざるを得ないのがランク戦でギムレットの使用者を見ない最大の理由でもある。

 

「けど、そういう手札があるってのは知っといて損はねーぜ。二宮さんもギムレットは使えるし、七海くれー硬いシールドを破る為に使ってくる可能性はあっからな」

「はい、ありがとうございます」

 

 だが、使いどころが()()()のであって皆無というワケではない。

 

 トリオン量の多い七海のシールドは、相当な硬さを持っている。

 

 回避能力ばかりが取り沙汰される七海だが、その防御力も相応に高い。

 

 流石に旋空のような防御不可能の攻撃は避けるしかないが、アステロイドであれば何とか防御が可能なくらいには硬い。

 

 もっとも、撃ち込まれ続ければ割れる事は変わりないし、二宮程の高トリオンのアステロイドとなれば防御が可能かどうかは少々怪しい。

 

 その防御を確実に突破する為に、七海相手に徹甲弾(ギムレット)を使ってくる可能性は0ではないのだ。

 

「けど、七海にゃサイドエフェクトがあっからな。さっきみてーな状況に追い込まれねー限り、ギムレットはそこまで脅威じゃねーと思うぜ」

「逆に言やあ、さっきみてーな状況に追い込まれたら詰み、ってこったな。チームメイトと連携した二宮さんは、基本相手にすんなってこった」

「ええ、やっぱりどうやって二宮隊を分断するか、もしくは合流させないかにかかっていますね」

 

 米屋達の言うように、ギムレット単体ならそこまで脅威というワケではない。

 

 直線状にしか飛ばない弾丸であれば、七海のサイドエフェクトによる感知で容易に避けられる。

 

 だからこそ、チームメイトと連携してこちらを追い込んでくる二宮の相手は厄介極まりないのだ。

 

 極論、二宮隊の面々は時間稼ぎをしていればそれで勝てるのだ。

 

 特に犬飼は、そのあたりの立ち回りが抜群に上手い。

 

 場合によっては、自分ごと相手を撃たせるなんて真似も躊躇なくやって来る筈だ。

 

 連携された時点で、殆ど勝ち目はないと言っても過言ではないだろう。

 

「って事は、この訓練は二宮隊を分断する訓練ってトコか。けど、仮に分断出来たとしても二宮さんをどう落とす気なんだ? 連携しなくても、あの人はつえーぞ」

「勿論、ちゃんと策は考えてあります。でもその策を成功させる為にはただ分断するだけじゃなくて、二宮さん相手に一定時間生き残らなきゃならないんです。だから、その為の耐久訓練でもありますね」

「ほー、マジで作戦があんのか。けど、それ大分きちー条件だな」

 

 そうですね、と七海は告げる。

 

 実際、米屋の言う通りではある。

 

 連携した二宮隊を崩す事は殆ど不可能に近いが、二宮は単独でも強い。

 

 両攻撃(フルアタック)を使えない状況であっても、大抵の相手は1対1になった時点で勝ち目がない。

 

 高トリオンの射手という存在は、それ程に厄介なのだ。

 

 しかも二宮は、ただトリオン量の高さに任せただけの男ではない。

 

 相応の技術と経験を持ち、戦術に関しては東の教導を受けている。

 

 猪武者ならまだやりようがあるが、圧倒的な力を理性で統御し適切に行使する相手となると最早手が付けられない。

 

(でも、もしかすると……)

 

 ふと、七海は東を倒したROUND5の直後、二宮に呼び出された際の会話を思い出す。

 

 あの時の二宮は、普段の冷徹なイメージよりも、()()()()イメージを抱いた。

 

────俺には、遠征を目指す理由がある。お前が隊に入れば、遠征部隊に選ばれる条件は充分揃う。だからこうして、お前の意思を聞いている────

 

 こう告げた時の二宮の目には、抑えきれない情熱のような、感情の色がなかったか。

 

 思い返してみれば、あの時の二宮は何処か焦っているようにも思えた。

 

 彼が、遠征を目指す理由。

 

 それがなんなのかは、分からない。

 

 けれど。

 

 けれどもし、それが七海の想いと同じく、譲れないものであるのならば。

 

 それを元に、彼が行動しているのならば。

 

 二宮は、七海が考えているよりもずっと感情的な人間なのかもしれない。

 

 加古がたまに話す彼の人物像とも、七海の推測は一致する。

 

 ならば。

 

(そこが、突破口になるかもしれない)

 

 ────弱み(それ)を突かないという選択肢は、有り得ない。

 

 崩れないと思われた二宮隊の牙城を崩す、僅かな綻び。

 

 それがもし七海の想像通りだとすれば、やりようはある。

 

 二宮が理屈よりも感情を優先する人間であれば、取れる策の()()が現実味を帯びてくる。

 

「続けましょう。次は、三人でお願いします」

「おう、じゃあ再開すっか」

 

 その為にも、この訓練で作戦の精度を上げるのは必須事項だ。

 

 二宮隊相手に、生き残る事。

 

 それこそが、この訓練の主眼であるのだから。

 

 最終ROUNDまで、もう日数は殆ど残されていない。

 

 だが、やる意味はある。

 

 あらゆるパターンを想定し、本番に備える。

 

 その基本を忘れなかったからこそ、那須隊は此処まで駆け上がって来れたのだから。

 

 七海達は更なる訓練を行う為、再び仮想空間へと足を踏み入れた。





 ワートリ最新話、素晴らしすぎて感動した。

 犬飼の株、前々から高かったけどあんなん爆上がり待ったなしやん。

 あいつあんな表情も出来たんだなあって。


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日浦茜①

 

「────」

 

 標的確認(ターゲット)

 

 照準(ロック)引き金を引く(トリガー)

 

 自身の持つ狙撃銃から、武骨な発射音と共にトリオンの弾丸が射出される。

 

 弾丸は一直線に標的へ向かい、窓硝子を突き破り、着弾。

 

 設置されたヒトガタの額を、寸分違わず撃ち貫いた。

 

「茜」

「あ、はい」

 

 少年の、奈良坂の声によって極限の集中状態にあった少女の、茜の意識が日常のそれに引き戻される。

 

 意識の切り替えによって、消えていた瞳のハイライトが戻り、年頃の少女らしい可愛らしい笑顔が露になる。

 

 狙撃手から、ただの少女へ。

 

 見るからに明らかな、自己暗示じみた意識転換であった。

 

「あの距離でも、きちんと当てられるようになって来たな。テレポーターを併用した、転移狙撃の成功率はどうだ?」

「そちらはまだ、完璧とは言えないです。これまでとは、勝手が違いますし」

「そうか。だが、現段階でも形になっているだけ明確な成果と言える。曲芸じみた動きを求めなければ、充分、奇襲として通用するレベルだろう」

 

 奈良坂がそう言って褒めると、茜はにこりと満面の笑みを浮かべた。

 

 その顔を見て強烈な庇護欲が沸き、奈良坂はそんな茜の頭をくしゃりと撫でた。

 

 茜は気持ち良さそうにされるがままとなっており、その姿からは奈良坂に対する全幅の信頼が見て取れる。

 

 奈良坂にとって茜は、言うなれば妹のようなものだ。

 

 恋愛感情のようなものはないが、単純に可愛がりたいという庇護欲が自然と沸いてくる存在である。

 

 弟子が可愛いのは師匠の常であるが、茜はここ最近で目覚ましい成長を遂げ、A級昇格に手を伸ばせる段階までやって来ている。

 

 前期までは伸び悩んでいた分、その成長は師匠として素直に嬉しい。

 

 那須の紹介で彼女の師匠をやる事になった奈良坂だが、今では従兄弟の那須よりも茜と話す機会の方がずっと多い。

 

 ボーダーの実力者達からも今や一目置かれる存在となった弟子に、奈良坂も内心鼻高々であった。

 

 特に、当真の事実上の弟子(本人は否定)のユズルを撃ち取った時は、内心で盛大に歓声をあげた程だ。

 

 感覚派で独立独歩の当真と、理論派で全体の連帯感を重視する奈良坂は、その方針の違いにより馬が合わない。

 

 勿論狙撃手としての腕は認めているが、性格的に受け入れ難い相手なのは確かである。

 

 無論、防衛任務とあらばそんな些事は捨て置くが、それはそれとしてその当真に弟子が目にものを見せた事は素直に嬉しかった。

 

 その時解説席にいた当真の悔しそうな声もきちんと聴いており、そのROUNDの結果により起きた那須隊の混乱の事がなければ、すぐにでも称賛の言葉をかけてやりたかったというのが本音である。

 

 ROUND3の敗戦の影響────というよりも、那須隊が抱えていた膿が露呈し隊が機能停止状態に陥った時、何とかしよう、という気持ちが無かったと言えば嘘になる。

 

 可愛い弟子の心労は減らしてやりたいし、那須も従兄弟として交流がある。

 

 七海としても、那須を任せるには相応しい男だと考えている。

 

 だが、だからこそ自分は手を出すべきではない、と奈良坂は考えた。

 

 あれは極論、七海と那須の二人だけの問題だった。

 

 それを外野の自分がどうこうするなど、却って逆効果だろう。

 

 所詮自分は、那須(彼女)の壁を壊せなかった程度の男だ。

 

 従兄弟として良好な関係を築けていると自負しているが、それでも彼女の心の壁を破った七海とは比較にすらならない。

 

 男女の問題で相談相手になるべきなのは、同性の友人であるべきだ。

 

 異性の友人が介入すれば、余計な軋轢を招きかねない。

 

 だからこそ、奈良坂は逸る心を抑えて静観を選択した。

 

 幸い、彼女へ手を差し伸べる相手には心当たりがあった。

 

 というよりも、その加古(本人)から話があった。

 

 那須の件は、自分に任せて欲しいと。

 

 恐らく、自分が手を出そうにも出せずに悶々としている事に気が付いていたのだろう。

 

 敢えて言葉にする事で、奈良坂が不干渉を貫く切っ掛けをくれたのだ。

 

 そんな気遣いをして貰った加古には、感謝する他ない。

 

 茜がそれまでと変わらず自分の訓練に出てきてくれた事も、奈良坂にとっては僥倖であった。

 

 隊の皆と一緒にいなくて良いのか、と尋ねた事もある。

 

 ────いいえ。私は、信じて待つだけです。それが、私の役目ですから────

 

 しかし茜は、笑顔でそう言ってのけた。

 

 その言葉を紡ぐのに、どれだけの葛藤があっただろう。

 

 だが、茜は敢えて()()事を選んだ。

 

 その選択は、尊重されるべきだ。

 

 故に奈良坂は、それまでと変わらず茜の訓練を続行した。

 

 那須隊(かのじょたち)が、再起すると信じて。

 

 ────────結果として、那須隊は無事立ち直った。

 

 茜が笑顔で「もう大丈夫です!」と報告してくれた時には、思わず顔が綻んだものだ。

 

 後に那須からも「心配をかけて御免なさい」と電話があり、その声を聞いて本当に解決したのだな、と実感した。

 

 それまでの那須は、何処か空回っているような、無理をしているような気配があった。

 

 笑顔を見せてはいるがそれは形だけであり、何処かその笑みは歪ですらあった。

 

 声も、不自然な程平坦であり、かと思えばいきなり激情を露にする時もある。

 

 だが、その時の那須の声は、何処か憑き物が落ちたような印象を受けた。

 

 その印象が間違いでなかった事は、後日那須隊の面々と笑い合う彼女の姿を見て、確信した。

 

 彼女は、掛け違えたボタンを掛け直す事が出来たのだろうと、そう思った。

 

 今の那須に、以前のような歪さはない。

 

 七海も、ようやく本当の意味で前を向けた事が分かった。

 

 茜もまた、そんな二人の変化を歓迎していた。

 

 それが嬉しい反面、何処かモヤモヤする感情が奈良坂の心に渦巻いていた。

 

 本当に、自分が手を出さずとも良かったのか、と考える事はある。

 

 しかし、考えれば考える程、あれが最良の選択だったと分かる。

 

 もしあの時の那須に手を差し伸べようとすれば、決定的な亀裂の引き金になった可能性もある。

 

 奈良坂は、自分が感情を何から何まで制御できるような人間だとは考えていない。

 

 むしろ、感情的な人間だと思っている。

 

 当真は気に食わないし、茜はよく出来た妹のようで凄く可愛い。

 

 那須にはもっと頼って欲しかったし、七海も同様だ。

 

 自分は、頼られる事に生き甲斐を感じる人間なのだろうと、奈良坂は自分の事をそう判断した。

 

 個人技ではなく、チームの連携を重視するのは、チームの一員として頼りにされたいからだ。

 

 当真が気に食わないのは、自分より上の技量を持っていて、孤高を貫く強さを持っているからだ。

 

 茜が可愛いのは、自分を全面的に信頼し、頼りにしてくれているからだ。

 

 自分の対人関係で最も重視されるのは、恐らく庇護欲なのだろう。

 

 誰かの世話を焼きたい。

 

 面倒を見て感謝されたい。

 

 上を目指す者の手を、引っ張り上げてやりたい。

 

 それは、何処までも()()()()()()庇護欲だ。

 

 自分より下の者の世話を焼く事に、快感を覚えている。

 

 そう評しても、決して間違いではないだろう。

 

 もし、弟子の茜がユズルのようなあまり愛想を見せない者であれば、奈良坂はもっと事務的に接していたかもしれない。

 

 だが、茜は良くも悪くも裏表がない。

 

 好きな事は好きと言い、嫌いな事は嫌いと言う。

 

 年上の事は無条件で慕い、師匠である奈良坂への感謝を常に忘れない。

 

 そんな茜を弟子に取った事で、ある意味毒気が抜かれたのかもしれない。

 

 もし、茜との出会いがなければ自分は今も尚、孤独な狙撃手だっただろう。

 

 茜を紹介してくれた那須には、今でも感謝している。

 

 そして、そんな茜のやる気の原動力となり、今も那須を支えてくれている七海には幾ら礼をしてもし尽せない。

 

(まさか、東さんを茜が撃ち取れる程になるとは思わなかったが……)

 

 東を茜が仕留めてのけた事は、奈良坂は素直に驚いた。

 

 チームの連携ありきの狙撃ではあったが、それでもあの始まりの狙撃手を他ならぬ狙撃で仕留めたのはどう控えめに言っても凄まじい偉業である事に違いはない。

 

 ROUND5で東と再び戦うと知った時、奈良坂は良くて撤退させるまでが精々だろう、と厳しい評価を下していた。

 

 東という駒の恐ろしさは、奈良坂も良く知っている。

 

 今でこそ狙撃手の一位は当真が勝ち取っているが、それは東が教導の側に回ったからであると奈良坂は見ている。

 

 狙撃の腕一本であれば当真もボーダー内でもトップクラスなのは間違いないが、戦術や立ち回り、何より生存能力で言えば東に勝てる者などまずいない。

 

 東隊がB級にいるのは、あくまで東が自身を駒として扱い、作戦方針は奥寺達に任せているからだ。

 

 東の目的はあくまで隊員の教導であり、上を目指す事ではない。

 

 もしも彼が全面的に指揮を執ったのならば、東隊がA級に上がる事はそう難しくはないだろう。

 

 だが、それがなくとも東の立ち回りの巧さは群を抜いている。

 

 彼が参加した試合では撤退か、時間稼ぎによるタイムオーバーが殆どであった。

 

 東が落とされる事など、転送位置が悪く尚且つ全部隊に同時に狙われた時くらいである。

 

 それもMAP条件や味方の位置次第で容易く覆してのけるあたり、東という駒の厄介さを物語っている。

 

 以前のランク戦で影浦と弓場に挟まれたにも関わらず二人を上手く食い合わせて生き残ったのは、何の冗談だと思った程だ。

 

 普通、狙撃手は攻撃手に肉薄されれば打つ手がない。

 

 狙撃手は隠密こそを重視すべきであり、見つかったら諦めろ、というのは東が常々言っていた事でもある。

 

 だが、その言葉を真っ向から反証しているのが東だとも言える。

 

 東は、攻撃手に見つかってもその場の地形やチームメイトの援護、更には対戦相手さえ利用して生き残っている。

 

 普通なら落ちるだろう、という状況でも、東であれば生還可能。

 

 そんな、数々の伝説を持つ東である。

 

 それがまさか、残っていた隊員全員が捨て身になったとはいえ一つの隊相手に落とされるとは、考慮すらしていなかった。

 

 その光景を見た時は柄にもなく思考停止して口を開け、米屋の声で我に返った。

 

 柄にもない失態を見せて米屋に散々揶揄されてしまったが、茜が成し遂げた偉業と比べれば些事である。

 

 些事と言ったら些事である。

 

 ともあれ、その茜が最終ROUNDを前に最後の調整を行っているのだ。

 

 前々から取り組んでいた訓練ではあるが、今日の茜はいつもより更に気合いが入っていると、奈良坂はそう感じていた。

 

「玲達は、今出水達の所か」

「はい、先輩達三人はそっちで頑張っています。だから、私も負けずに頑張らないと」

「ああ、だが根を詰め過ぎるなよ。無理をしても、効率が悪くなるだけだ」

 

 はい、気を付けます!と元気よく告げる茜に、奈良坂は顔を綻ばせる。

 

 今茜を除く那須隊の面々は、出水・米屋・鳥丸の三人を相手に仮想・二宮隊の訓練を行っている。

 

 狙撃手の援護を前提としない訓練であるとは聞いているが、流石に詳細までは聞いていない。

 

 何やら二宮隊に対する策があるらしいが、どんなものかまでは分からない。

 

 何をどう考えても、今の那須隊の戦力で二宮を落とすのは無理がある、というのが奈良坂の見解であった。

 

 那須隊は制圧力こそ高いが、反面攻撃力は二宮隊や影浦隊には及ばない。

 

 MAP次第では無双出来る部隊でもあるが、今回MAP選択権があるのは生駒隊だ。

 

 ROUND1の時のように、圧倒的な地形の有利を押し付ける事も出来ない。

 

 更に、今回戦う部隊にはそれぞれ1対1で七海を抑えられるエースが在籍している。

 

 転送運も関わるが、ROUND7のように七海が相手のエースを抑えて他の隊員が得点する、という戦法は使えないだろう。

 

 生半可な真似をすれば、容赦なく三人のエースに刈り取られるのが関の山だ。

 

 攪乱して狙撃での得点を狙うのかと思いきや、二宮隊対策の訓練に茜の援護は要らないのだと言う。

 

 それだけ茜の力量を信頼しているのかもしれないが、どうにも腑に落ちない奈良坂であった。

 

(まあ、他の部隊の方針に口出しするのも野暮だな。俺はやれる事をやるだけだ)

 

 だが、隊の作戦方針はあくまでその隊内で決める事。

 

 部外者の自分が、口を出すべきではない。

 

 それに、あの東を討ち取った那須隊の戦術眼は素晴らしいものがある。

 

 オペレーターと七海が大まかな作戦方針を立てているらしいが、その戦術レベルはかなりのものだと言える。

 

 もしかしたら、自分には思いも依らない方法で二宮を討ち取る算段があるのかもしれない。

 

 そう考えると、俄然最終ROUNDが楽しみになってきた奈良坂であった。

 

「まだいけるか? 疲れたなら休憩を入れるが」

「いえっ! やらせて下さいっ! 私、まだまだ頑張れますからっ!」

「そうか。けど、疲れたなら遠慮なく言うんだぞ。俺は別に、スパルタがしたいワケじゃないからな」

 

 はいっ、よろしくお願いしますっ! と元気の良い返事を聞き、奈良坂は笑みを浮かべて次の訓練の指示に取り掛かった。

 

 狙撃銃を持つとすぐさま茜の瞳からハイライトが消え、標的を穿つ為の戦闘意識へ切り替わる。

 

 茜はその後黙々と、狙撃の訓練を続けていった。





 茜と奈良坂の訓練回、と見せかけて奈良坂による茜ちゃん(俺の弟子は)可愛い回。

 可愛い弟子を持てて割と満足な奈良坂。

 弟子バカMAXでお送りしています。


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それぞれのキモチ

 

「おし。取り敢えず形にゃなったか。っても、基本的に七海以外は当たらねー方がいい事は変わりねーけどな」

 

 訓練を終え、米屋と京介と並んだ出水はそう言って七海達を労った。

 

 日付は既に、11月2日。

 

 ランク戦最終ROUNDは、明日11月3日となる。

 

 既に時刻は19:00を過ぎており、これ以上は明日に差し支える可能性がある。

 

 事実上、これで訓練は終了と見て良いだろう。

 

「はい、俺もそのつもりでいますから。あくまでこれは、保険のようなものです」

「そっか。ならいいけどさ。で? 手応えとしちゃどうだ? 七海」

 

 出水の問いに、七海はそうですね、と前置きして告げる。

 

「きっと、ご期待には添えるかと」

「ほー、大きく出たな。ま、楽しみにしてるぜ」

「はい、勝ってきます」

 

 そう言うと、七海はぺこりと出水達に頭を下げる。

 

「今回は急な訓練に付き合って頂き、ありがとうございました。出水さんも、米屋さんと京介さんも」

「いーって事よ。俺も充分楽しめたしな」

 

 そうですね、と京介も米屋に続いて告げる。

 

「七海さんから頼ってくれる事は少ないんで、嬉しかったです。今後も都合が合えば付き合いますよ」

「助かります。迅さん達にもよろしくお伝え下さい」

「迅さんは最近忙しそうで、あんまし帰ってきてくれないっすけどね。でも、分かりました。会えたらそう伝えておきます」

 

 あの人はきっと、言葉にした方が嬉しいでしょうから、と京介は呟く。

 

 確かに、未来が視える迅にとって誰かが自分の感謝の念を伝える事は既に識っている事となる。

 

 だが、予知で視たものと実際に体験するものは別物だ。

 

 どれだけリアリティのある予知の映像だろうと、それはあくまで未来を()()()()だけだ。

 

 直接言葉を交わす温かみは、そこには存在しない。

 

 だから、迅相手にはきちんと言葉にして直接伝える、といった工程がこの上なく重要なのだ。

 

 今京介が言った通り、最近迅は以前より更に忙しなく駆け回っている。

 

 恐らく、起こる事が予知された大規模侵攻に備え、逐次情報収集(未来視)や根回しに奔走しているのだろう。

 

 以前から、変わらない。

 

 このボーダーという組織は、この世界の平和は、迅の尽力によって守られていると言っても過言ではない。

 

 彼の予知がなければ、どれだけ被害が広がるかは最早想像の外だ。

 

 迅の予知があるからこそ、未知のトリガーを使ってくる近界民相手でも、事前に策を講じる事が出来る。

 

 ずっと前から、迅はこの世界の防衛の要なのだ。

 

 その彼が背負う重荷は、想像の埒外だろう。

 

 だから、他の者に出来るのはその重荷を下ろす事ではなく、彼を支え、きちんと労ってやる事だ。

 

 迅の未来視(重荷)は、彼にしか背負えない代物だ。

 

 だが、その荷物を支える手伝いならする事が出来る。

 

 今の迅は、差し伸べられた手をきちんと取ってくれる。

 

 飄々とした態度で敢えて孤高を貫いていた、これまでの迅はもういない。

 

 彼は、変わった。

 

 勿論、良い方向にだ。

 

 迅は断じて、都合の良い神様なんかじゃない。

 

 普通に笑って、普通に泣く。

 

 一人の、人間だ。

 

 迅には、多大な恩がある。

 

 七海が今こうして此処にいる事さえ、彼のお陰と言っても過言ではない。

 

 あの時、迅がボーダーに誘ってくれなければ。

 

 明確な指針を、示してくれなければ。

 

 七海は今でもきっと、顔を上げてはいなかった。

 

 そんな迅に対する最も手っ取り早い恩返しは、強くなる事だ。

 

 自分が、ではない。

 

 ボーダーの、仲間達が、である。

 

 自分たちが強くなればなる程、迅が抱える負担は減ってくる。

 

 それに、A級隊員になればこれまでよりもやれる事が増えてくる。

 

 A級隊員というのは、一種のブランドだ。

 

 実際、強さだけならばB級隊員の中でもA級に匹敵する猛者はいる。

 

 だが、(ブランド)というものは非常時にこそ役に立つ。

 

 B級のままでは出来なかった、ある程度の独自裁量も認められて来る筈だ。

 

 相応に責任も付いて回るが、それについては覚悟の上だ。

 

 A級となり、迅の支えとなる。

 

 それが、七海なりの一種の恩返しの形だった。

 

 その為にも、この試合で勝たなければならない。

 

 A級昇格試験の本番は合同戦闘訓練だが、此処でB級の上位2チームを蹴散らせないようであれば先は見えている。

 

 無論、地力では完全に二宮隊と影浦隊(あちら)が上だろう。

 

 あの二部隊は、元々A級だ。

 

 実力が一切落ちないままB級に罰則によって降格されたのだから、事実上のA級部隊と言っても差し支えない。

 

 だが、付け入る隙が全く無い、とは七海は考えていない。

 

 二宮隊に関しては()()()()の良さもあり、どうにかする為の作戦は考案出来た。

 

 影浦隊に関しては、七海の意地の見せどころだろう。

 

 七海(弟子)が、影浦(師匠)を超えられるか。

 

 これは、そういう戦いである。

 

 今度こそ、全霊を懸けて影浦に勝つ。

 

 影浦を、超える。

 

 その意気込みで、七海は最終ROUNDに臨むつもりだ。

 

 無論、生駒隊の事も忘れてはいない。

 

 一度下した相手とはいえ、生駒が脅威である事に変わりはない。

 

 だが、前回の戦いで生駒旋空の速度を隊員全員が直に見る事が出来たのは大きな収穫だ。

 

 前回は生駒一人に那須隊の殆どがやられてしまう辛勝とも言うべき状況であったが、隊全員が生駒旋空を体感出来た事で取れる手はまた変わってくる。

 

 少なくとも、ROUND6よりは良い条件下で戦える筈だ。

 

 七海は三人を前に、顔を上げて笑みを浮かべる。

 

「勝ってきます。必ず。その為に、此処まで準備を重ねたんですから」

 

 

 

 

「生駒。遂に明日が最終ROUNDだな。どうだ? 調子は」

「おう、ばっちりやで」

 

 生駒がボーダー本部の廊下を歩いていると、後ろから爽やかな声がかけられた。

 

 誰あろう、広報部隊『嵐山隊』の隊長である嵐山だ。

 

 嵐山はいつも通り爽やかな笑みを浮かべながら、気さくに生駒に手を振っていた。

 

「それ言う為に待ってたんか自分? 忙しいんとちゃうんか?」

 

 そうだな、と嵐山は苦笑する。

 

「忙しいが、雑談が出来ない程じゃない。それに、待っていたワケじゃなくて此処に来たのは偶然だ。友達に声をかけるのに、理由なんか要らないだろう?」

「相変わらず、自然にそういう台詞が出てくるんやなあ。ナチュラルボーンヒーローか自分?」

「別にヒーローなんてつもりはないさ。それを言うなら、街の平和の為に戦う皆がヒーローであるべきだろう?」

 

 臆面どころか欠片の躊躇すらなくそう言い切った嵐山の瞳は、何処かキラキラと輝いて見えた。

 

 これが生まれついてのヒーローというものか、と生駒は感心しつつ内心でちょっと引いていた。

 

 嵐山とは歳が同じである事もあって仲の良い友人関係を続けているが、こういう青臭い台詞を平然と言い放って尚且つサマになってしまう光景を繰り返し見ているとどうにも距離を掴み難い所があった。

 

 それでも、嵐山は生駒の友人である事に変わりはない。

 

 少し変わった奴だからといって、態度を変える気は欠片もない。

 

 なんだかんだ、情に厚いのが生駒という男なのだから。

 

「けど、ななみんの応援せんでええの? 自分、ああいう子好きやろ?」

「ああ! ああやってひたむきに努力する人は、好感が持てるなっ! けど、生駒も俺の大事な友達だ! どっちかなんて比べられないから、俺はどっちも応援するぞっ!」

「自分のそういうトコ、俺も好きやで」

「ああ、ありがとう!」

 

 嵐山は生駒の言葉にノータイムでそう答え、イケメンポイントが更に上昇した。

 

 これ以上上げてどないするん?と思わないでもない生駒であったが、特に問題はないと考えてスルーした。

 

 細かい理屈を考える必要はない。

 

 感じろ。

 

 ただそれだけである。

 

「ま、俺も負ける気はあらへんで。やるからにはキッチリ、全力で叩き斬ったるわ」

「ああ、それでこそ生駒だ!」

「なあ自分、そろそろ褒められ過ぎて落ち着かんくなってきたんやけど」

「大丈夫だ! 生駒は凄い奴だからな!」

 

 話聞いとるー? と生駒がぼやくが、嵐山は尚も爽やかな笑みで褒め殺しを継続していたのであった。

 

 

 

 

「また那須隊と当たりますね。二宮さん。あちらさん、何処まで食い下がって来るでしょうね?」

「愚問だな」

 

 二宮隊、作戦室。

 

 そこでソファーに座る犬飼が、二宮と向かい合っていた。

 

 二宮は犬飼の問いに対し、軽く鼻を鳴らした。

 

「お前は、どう思っているんだ?」

「そうっすねー。仮に、ROUND3の時のまんまなら敵じゃない、って答えてた所ですけど────────今は、中々面白い事になりそうですね」

「だろうな。そういう事だ」

 

 そう言って、二宮は椅子に深く腰掛けた。

 

 その視線が、犬飼ではなく部屋の隅に置かれた段ボールに向けられた事を、犬飼は見逃さなかった。

 

(あれは……)

 

 あの段ボールの中身は、()()()に消えた元二宮隊の隊員、鳩原未来の私物だ。

 

 犬飼や辻といった面々は自分たちなりに彼女の喪失に折り合いを付けているが、唯一二宮だけは未だに彼女の事を諦めてはいない事を犬飼は知っている。

 

 だからだろう。

 

 以前、二宮が「本気で遠征部隊を目指す」と言ったのは。

 

 きっと、鳩原を探したいんだろうな、と犬飼は考えている。

 

 これまで決して埋めようとしなかった二宮隊の四人目として、七海を誘ったのもきっとそれが原因だ。

 

 だが、その件は断られたと聞いている。

 

 理由は、那須隊を抜けるつもりがない事と、七海自身遠征に耐えられる身体ではないから、との事だった。

 

 つまり、那須隊はA級に上がっても遠征部隊は目指さない。

 

 その事自体はどうでも良いが、それはそれとして素直にA級への門を開けてやるのも癪だ。

 

 それはきっと、二宮も同じだろう。

 

 二宮は恐らく、最終ROUNDでは試験官のつもりで七海の事を見定める心胆だろう。

 

 ならば、自分が手を抜く理由もない。

 

 全力で相手の隙を突き(いやがらせをして)、思いっきり攪乱してやろう。

 

 その上で自分たちを超えるのであれば、認める他ないだろう。

 

「勝ちましょうね。今回も」

「無論だ」

 

 二宮はそう言って、頷く。

 

 多くは語らない。

 

 語るべき事は、既に告げた。

 

 故に後は、本番に臨むだけである。

 

 

 

 

「良い調子だったじゃねえか。こりゃ、最終ラウンドもばっちりだな」

「肩組まないでよ、もう」

 

 馴れ馴れしく肩を組んでくる当真に辟易しながら、ユズルはため息を吐いた。

 

 だがそんなユズルに、上機嫌な当真はニヤニヤしながら話しかけた。

 

「でも、意外だったぜー? あんだけ俺を師匠として認めたがらなかったお前が、鍛えて下さい、なんて言ってきたのは」

「言っとくけど、師匠として認めた覚えはないからね? そこは忘れないでよ」

 

 そう言ってぷい、とそっぽを向くユズルに対し、当真はむむ、と言葉に詰まる。

 

「いーじゃねえかそんくらい。練習にも、結構付き合ってやったんだからよー」

「…………そこは、素直に感謝してる…………ありがと

「おっ、今なんか言ったか?」

「言ってない」

 

 ユズルは更に構おうとする当真の腕の中からするりと抜けると、そのまま駆け足で外へ出ようとする。

 

「あっ」

「わっ」

 

 だが、外に直後に誰かとぶつかりそうになって慌てて足を止める。

 

 向こうもいきなり飛び出してきたユズルに驚いているようで、目を丸くしていた。

 

「ごめ……っ!? あれ? 日浦さん」

「あ、ユズルくんだー。こんばんは」

「こ、こんばんは」

 

 ぶつかりそうになった少女、茜はにこやかに挨拶してきて、ユズルは少々戸惑いながらも挨拶を返す。

 

 ユズルの不注意でぶつかりそうになったにも関わらず、それを責める言葉は彼女からは出てくる様子がない。

 

 いつも通りの満面の笑みで、ユズルを見つめていた。

 

「あっ、次のROUNDではよろしくねっ! 今度も、負けないよっ!」

「…………ああ、俺も負けない。前回はしてやられたけど、今度は俺が勝つ」

「私も、負けないからっ! お互い頑張ろうねっ!」

 

 茜はがしりとユズルの手を握り、ぶんぶんと振り回すように握手を交わして来た。

 

 困惑するユズルはされるがままになっており、茜が満足するまで腕を振り回されるのであった。

 

 ひとしきりやると満足したのか、茜は「じゃあねー」と言いながら小走りで廊下を駆けていった。

 

「おっ、終わったみてーだな」

「カゲさん」

 

 それと入れ替わりに、通路の先から影浦が現れた。

 

 影浦はユズルに近付くと、ぽんぽんとその肩を叩く。

 

「景気づけだ。ウチ来い。上手いモン食わせてやっからよ」

「うん。分かった」

「おし行くぞ」

 

 ユズルの答えを聞くなり、影浦はそう言ってスタスタと歩き始めた。

 

 足の長さがまるで違う為ユズルが影浦に追いつくのは難しいように思えるが、そのあたりは影浦が配慮しているらしくきちんとユズルが付いてこれる速度を維持している。

 

 ユズルは思い切って影浦の横に並び、抱えていた言葉を口にする。

 

「カゲさん」

「ん?」

「勝とうね」

「たりめーだバカ」

 

 影浦はそう言って、ニィ、と好戦的な笑みを浮かべた。

 

 ユズルの表情もまた、それに近いものとなっている。

 

 最終戦に燃えているのは、何もユズルだけではない。

 

 影浦もまた、七海と雌雄を決する舞台に高揚感が抑えられないらしい。

 

 生駒の闘志が。

 

 二宮の決意が。

 

 影浦の矜持が。

 

 ぶつかりあう。

 

 B級ランク戦、ROUND8

 

 様々な願い、想いを内包し。

 

 最終ROUNDが、始まろうとしていた。





 次回、遂に最終ROUNDが開幕します。

 原作に恥じない熱さを提供できるよう頑張りますので、よろしくお願いします。


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B級ランク戦/ROUND8
集う想い、高まる闘志


 

 ────11月3日、夜。

 

 ランク戦の会場には、多くの隊員が詰めかけていた。

 

 観覧席はほぼ満員で、全員が期待に満ちた眼差しで試合開始時刻を今か今かと待ち望んでいる。

 

 上部に設置されている特別観覧席にも、また、無数の人影があった。

 

「お前が此処に来るなんて珍しいじゃないか、迅」

「ああ、俺も今回の試合は気になるしね。この試合で視える未来は無数にあるし、どうせなら直で見たかったんだよ」

 

 太刀川に声をかけられた迅は、「単純に七海の応援に来たってのもあるけど」と苦笑する。

 

 そんな迅を見て、太刀川がへー、と感心するかのように目を丸くした。

 

「驚いたな、迅。お前が、そんなに大っぴらに誰かに肩入れするなんてな」

 

 いつもなら、傍観者目線を崩さないじゃないか、と太刀川は言う。

 

 実際、その通りだ。

 

 迅はその類稀なるサイドエフェクトの所為なのか、人の輪に入る事を拒む傾向があった。

 

 より良い未来に進む為の暗躍(努力)は惜しまないが、その功績は基本的に一部の必要と思った相手が察するに留まり、自らそれを吹聴する事はない。

 

 そのスタンスの一環なのか、迅は特定個人に大っぴらに肩入れするのは避けていた。

 

 予知の内容すら、迅がどうしても必要だと判断した時と人以外早々明かす事はない。

 

 しかし今、迅は明確に七海を()()しに来たと口にした。

 

 これは今までの迅には、見られなかった傾向である。

 

「どうやら、七海のお陰でお前も変わったってのはマジなようだな。あいつ、よくお前みたいな堅物をどうこう出来たな?」

「堅物って、そんなつもりはないんだが」

「堅物だろ? 責任やら資格やら、つまんない事を言って誰にも頼ろうとしなかったじゃねえか」

 

 はぁ、と太刀川は溜息を吐く。

 

 迅は自分で思っているよりはいい加減ではないし、むしろ生真面目な部類に入ると太刀川は考えている。

 

 太刀川の頭は色々な意味で残念だが、戦闘とこの友人の事に関してはきちんと考えているつもりだ。

 

 なにせ、太刀川にとって迅はなくてはならない戦友(ライバル)なのだ。

 

 迅の背負う重荷はそれなりに理解しているつもりだが、いつもその重荷を口実にして人と距離を置く迅の悪癖についてはどうにかならないかと前々から思っていた。

 

 しかし人間関係の問題に不得手な太刀川では効果的な手立てなど思いつく筈もなく、ただ心の片隅に留め置くに留まっていた。

 

 その迅が、太刀川でも分かる程明確に他人に入れ込むようになった。

 

 確かに迅は太刀川を師匠として七海に紹介するなどの手回しは行っていたが、彼個人が七海に歩み寄る姿勢を見せた事はなかった。

 

 それが今は、明確に七海の側を応援していると口にした。

 

 その意味は、大きい。

 

「…………まあ、七海に感化されたってのもあるけど、その時の会話をレイジさんと小南に聞かれちゃってね。二人にさんざ説教されちゃったから、俺も心を入れ替えたワケ」

「へー、そりゃ俺も見たかったな。なんで呼んでくんなかったんだよ?」

「いや無理言わないでよ。あれ見られるとか、ホント無理だから」

 

 色々醜態晒しちゃったしねー、と苦笑する迅に、太刀川は「それ気になる。詳しく話せ」と詰め寄る。

 

 珍しく見られた友人のからかいどころにテンションが上がる太刀川の肩に、ぽん、とほっそりとした手が置かれた。

 

「ん……?」

「随分楽しそうだな、太刀川。人を徹夜に付き合わせておいて、それだけの元気があるとはな」

「げっ、風間さん……っ!?」

 

 太刀川は背後を振り向き、そこにいつも通りの無表情で立つ風間を見てびくりと震えた。

 

 何を隠そう、太刀川は先日留年回避の為に課題を終わらせる為に風間に三日三晩殆ど付きっ切りで監視され、渋々課題に取り組んでいた。

 

 トリオン体になって無理やり徹夜を乗り切るという荒業でなんとか課題を終わらせた太刀川だったが、当然ながら換装を解除した瞬間寝不足でぶっ倒れた。

 

 太刀川は半日寝るとけろっと起きていたが、風間はほぼ丸一日眠ったままとなっていた。

 

 日頃のストレスの蓄積量と、心臓にどれだけ毛が生えているかの違いだろう。

 

 三上の看病でなんとか持ち直した風間であったが、太刀川へは言いたい事が山ほどある。

 

「…………まあいい、説教は後にしてやる。折角の七海の大一番だ。此処でうだうだ言って盛り下がるのは避けたい」

「お、なんだかんだ言いつつも風間さんも七海には甘いよなー」

「聞こえているぞ太刀川。後回しにすると言っただけで、お前を見逃すつもりは毛頭ないからな」

 

 後で忍田本部長と二人でこってり絞ってやる、という風間の無慈悲な宣告に、太刀川はひー、と悲鳴をあげるが部屋の入口には凄まじい形相で彼を睨む菊地原と困惑気味の歌川の姿があり、どうやら逃がすつもりは欠片もないらしい。

 

 菊地原は敬愛する風間が寝込む原因となった太刀川にかなりの悪感情を向けており、それを隠そうともしていない。

 

 太刀川の面倒を風間が見ている事自体は既に慣れたものだが、流石に一日中寝込んだとなると話は別らしい。

 

 風間の事となると菊地原はただでさえ低い沸点が異様に低くなるので、無理もない。

 

 まあ、須らく太刀川の自業自得なのであるが。

 

「しかし、太刀川じゃないがお前も変わったな、迅。前より、他人を頼るようになった」

 

 良い傾向だ、と風間は口にする。

 

 迅としては色々と自覚した後である為反論出来ず、笑って誤魔化した。

 

 そんな迅に意味深な視線を向けた風間であったが、それ以上追及する気はないのか軽く笑って会話を切った。

 

 これ以上此処で何を問い詰めても蛇足にしかならず、特に意味はないと判断したのだろう。

 

 菊地原も迅に何か言いたげな視線を向けていたが、風間がそう言うなら、と迅から視線を外した。

 

 そして、その視線は会場の方へ向かう。

 

 未だ試合は開始前である為試合映像は中継されていないが、会場の盛り上がりは見れば分かる。

 

 今回の試合は、この最終戦の後行われる合同戦闘訓練のA級昇格試験枠を争うものでもある。

 

 最低限B級上位に残れば良いが、それだけでA級に上がれるなどと考えている者はいないだろう。

 

 例年通り、B級二位以上を狙っている筈だ。

 

 暫定四位の生駒隊は獲得ポイント的に二位以上は無理があるが、上位3チームは違う。

 

 二宮隊、影浦隊、那須隊の三部隊は、その全てがこの試合次第でどう転んでもおかしくないポイント差である。

 

「…………此処まで来たんだから、ヘマはしないでよね、ホント。大事なトコでミスったら、全部台無しなんだし」

 

 ぼそりと、菊地原は彼なりのエールを七海に送る。

 

 ちなみにその言葉は隣にいた歌川にはばっちり聞かれており、歌川は微笑まし気な表情でそんな菊地原を見守っていた。

 

 

 

 

「予定通り、俺は二宮さんを釣り出しに動く。皆は、他の二宮隊────特に犬飼先輩を狙ってくれ」

 

 那須隊、作戦室。

 

 七海が改めて説明した作戦方針を聞き、那須達はこくりと頷いた。

 

「もしもくまちゃんや私が二宮さんに見つかっちゃったら、最優先で撤退、でいいのよね?」

「ああ、まだMAPも分からないが、出水さんとの訓練内容を鑑みれば俺が一番やり易いし、玲には犬飼先輩を、熊谷さんには辻先輩を相手にして欲しいんだ。適材適所、ってやつだな」

 

 ただし、と七海は付け加える。

 

「仕留める事よりも、二宮さんとの合流を阻む事を優先してくれ。特に犬飼先輩に合流されたら、ほぼ勝ち目がないと言っても良い。一人でも合流された時点で、二宮さんの両攻撃(フルアタック)が解禁されてしまうからな」

「ですね。前回の試合の二の舞になりかねません」

 

 あの時は、それ以前に勝負になってませんでしたが、と小夜子は補足する。

 

 ROUND3では当時の那須隊の弱点を東に突かれたのが最大の敗因ではあるが、同時に犬飼が二宮に早期に合流してしまったのがあまりにも痛過ぎた。

 

 護衛となる仲間がいた所為で二宮は遠慮なく両攻撃を継続出来てしまい、七海達は戦いのステージに登る事すら出来ない有様となってしまった。

 

 それを避ける為には、なんとかして合流を阻むが、分断するしかない。

 

 今回の試合の肝は、そこにあると言っても過言ではなかった。

 

「けど、これはあくまで基本方針だ。転送位置次第で色々と変わってくるし、場合によってはすぐにサブプランに切り替えるからそのつもりでいて欲しい」

 

 そうですね、と小夜子は口を開く。

 

「今回、指揮は私に一任して下さい。思考リソースをフルに戦闘に使わないと、色々と厳しそうですからね」

「ええ、任せるわ。指揮も、小夜ちゃんの方が巧いしね」

「任されました。やり切ってみせます」

 

 ふんす、と気合いを入れる小夜子を、那須隊の面々が微笑まし気に見守っている。

 

 緊張が適度に解れた為、小夜子は結果的にファインプレーをしたと言える。

 

 ふぅ、と息を吐き、小夜子は顔を上げた。

 

「後は、生駒隊がどのMAPを選んでくるか、影浦隊がどう動くか、ですね。生駒隊はあまりMAP選択権を得た事がないので、市街地系のMAPを選ぶだろうという推測しかありませんが……」

 

 

 

 

「MAPは『市街地A』でいくで。地力で真っ向勝負や」

 

 生駒隊、作戦室。

 

 普段緩い空気で駄弁っているその部屋の中で、水上は神妙な顔でそう口にした。

 

「王子隊が割と選ぶ事が多いMAPっすよね。特徴のない、典型的な市街地っすね」

「そや。とにかく、七海や那須さんに迂闊に足場を与えたらあかん事は前回でよう分かったからの。高いビルの少な目なこのMAPがええやろ」

 

 ええな? と水上は生駒に確認し、生駒はそれを聞いて頷き────。

 

「そんでええわ。ところで、こないだ迅に誘われて七海と一緒に玉狛行った時の話って、ワイもうしてたかわからん?」

「聞いてないっす!」

「ほな、話したるわ。あれはな────」

 

 ────────関係ない話を、し始めた。

 

 元より、真面目な話題を継続するなどこの生駒隊の面々では土台無理な話。

 

 何せ、隊長の生駒が率先して脱線させるのだ。

 

 既に水上も諦めの境地に達しており、隊室には「ちゃんとせえ阿呆!」と一人声をあげる真織の声が周囲の喧騒に押し流されていった。

 

 

 

 

「遂に来たな。楽しみだぜ」

 

 影浦隊の隊室で、影浦が好戦的な笑みを浮かべる。

 

 既に全員が換装を終えており、意気軒高な様子が直に伝わってくる。

 

「おっし、腕が鳴るぜ。やって貰いてー事は遠慮なく言うんだぞ。アタシが全部、世話したげっからな」

「頼もしいねー、光ちゃん」

「おう、何せ今度こそ七海と真っ向から戦り合うんだろ? ユズルもリベンジに燃えてっし、これで気合い入らなきゃ嘘だろー?」

 

 光は上機嫌で笑いながら、そう言ってがしがしと北添の肩を叩く。

 

 北添も光の好きにさせており、そんな二人を見て影浦は溜息を吐いた。

 

 光のテンションが、いつもより数段上がっている。

 

 何故そうなっているかはなんとなく分かるものの、これはこれで鬱陶しいな、と影浦は密かに思っていた。

 

「ユズルもなー。壁抜きでもなんでもやりたい事あったら言えよー? アタシがきちっとオペレートしたげっから」

「うん。お願いするよ。俺も、やれる事は全部やるつもりだからさ」

 

 ユズルは静かに、だが闘志に満ちた声でそう告げた。

 

 そんな彼を見て、北添はにこりと微笑む。

 

「ゾエさんも頑張るよ~。悔いの残らない試合にしようねー」

「違うよ」

 

 ユズルはそう言って、好戦的な笑みを浮かべ────。

 

「勝つんだ。那須隊だけじゃない。二宮隊にも、生駒隊にもね」

 

 ────堂々と、そう言い放った。

 

 そのユズルの宣言を聞き、影浦はニヤリと笑う。

 

「カカ、分かってんじゃねえか。七海も二宮も、当然生駒も。全員、ぶっ潰してやろうぜ」

「うん。やろう」

「おーおー、派手にぶっ殺して来いっ!」

「皆気合い入ってるなあ……」

 

 影浦隊はそう言って皆で笑い合い、必勝を誓う。

 

 全員、負けるつもりなど微塵もない。

 

 この大舞台で、必ず勝つ。

 

 影浦隊はその意思の下、ベストコンディションで試合に臨む。

 

 

 

 

「時間だ」

 

 そして、それはこちらも同じ。

 

 二宮隊の隊室で、その場に揃ったチームの面々を前に二宮は告げる。

 

「行くぞ」

「ええ」

「はい」

 

 長々とした確認は要らない。

 

 気合いを改めて入れる必要も、意思を統一する手間もない。

 

 ただ、隊長の意思の下に普段通りに勝利を掴む。

 

 それが、二宮隊。

 

 B級最高位に位置する、トップチーム。

 

 二宮自身の思惑はどうあれ、隊としてやる事に変わりはない。

 

 常勝。

 

 それこそが、二宮隊なのだから。

 

 ────────役者は揃った。

 

 意思も、決意も固まっている。

 

 敢闘賞など、誰も望んではいない。

 

 勝利を。

 

 ただそれだけを求め、四つの部隊が戦場へ向かう。

 

 最終戦が、始まろうとしていた。





 最終ROUNDだ!

 最終戦なんでちょいと気合い入れて各々の描写を。

 丁度本誌も最終ROUNDが最高の結末で終わったので、それに負けない盛り上がりを見せられるよう頑張ります。

 オッサムみたいな自分の弱さを利用する真似はうちでは出来ないので、うちはうちなりのやり方で挑ませます。

 こうご期待。


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最終戦、開始

 

「さあ、皆さん。遂にこの時がやって来ました。今、B級ランク戦の最終戦が始まろうとしています」

 

 実況席でマイクを握るのは、武富桜子。

 

 ランク戦実況というシステムを提唱した張本人であり、オペレーター(本業)よりも実況に全てを注ぎ込んでいるんじゃないかという噂の女傑。

 

 その彼女が、緊張と興奮の入り混じった表情で会場を見回した。

 

 ランク戦の会場は、超満員。

 

 観客席には所狭しと隊員達が詰めかけており、普段よりも正隊員の数が多い。

 

 それもB級隊員だけではなく、A級隊員の姿もそれなりの数見られている。

 

 この観客の数と質は、この試合に対する期待の表れだ。

 

 これまでB級上位のトップに君臨し続けてきた二宮隊と、それに追随する順位をキープし続けてきた影浦隊。

 

 生駒旋空という必殺技を持つ生駒率いる生駒隊に、今期凄まじい勢いで駆け上がってきた台風の目である那須隊。

 

 どのチームもこれまでにハイレベルな試合を展開しており、今期は今までとは違うと専らの噂だ。

 

 特に、那須隊の注目度は尋常ではない。

 

 今期入隊した七海を除き女子で構成された元ガールズチームという事でそこそこ名が知れていた隊ではあるが、あくまでそれは女子が集まった華やかな部隊として。

 

 前期までは、彼女達が上位のトップ争いをするまでになるとは誰も思わなかったであろう。

 

 七海というピースがかちりと噛み合った那須隊は、強い。

 

 彼の入隊を契機に、那須隊の面々は変わった。

 

 変化を恐れず新たな戦術を試行し、それを己のものとしてB級上位に相応しい安定感のあるチームへと変貌した。

 

 その那須隊が戦う、最終戦の実況。

 

 これで気合いが入らなければ、嘘というものだ。

 

「実況は私、武富桜子が。そして解説は、昼に激戦を終えたばかりの王子隊の王子隊長と蔵内隊員────」

「よろしく」

「よろしく頼む」

 

 桜子に紹介を受けた王子と蔵内が短く挨拶をして、更に桜子は最後の一人に声をかける。

 

「────玉狛第一の、木崎隊長にお越し頂きました」

「今日はよろしく頼む」

 

 玉狛第一の隊長にして、ボーダー唯一の『完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)』。

 

 木崎レイジ。

 

 その彼が、椅子に座って堂々と腕を組んでいた。

 

 他二人の開設者が割と線の細い王子達である事もあり、レイジの筋肉の威圧感が半端ない事になっている。

 

 そんなレイジと共にいるのが学生服っぽい隊服の王子と蔵内である為、何処か学校の応援団じみた印象を受ける。

 

 レイジが学ランを着れば、パーフェクトだろう。

 

 何がとは言わないが。

 

「さて、昼に弓場隊及び香取隊と激戦を繰り広げた王子隊ですが、そちらの試合は如何だったでしょう?」

「うーん、そうだなあ。弓場隊の強さは勿論だけど、香取隊の成長ぶりにも驚いたね」

 

 王子は桜子から話を向けられると、指をピン、と立てて説明を始める。

 

「今回もMAP選択権を貰えたから、僕達は『市街地C』を選んだんだ」

「『市街地C』というと、高低差のある市街地のMAPで狙撃手有利とされる地形ですよね? 王子隊には狙撃手がいないのに、何故そこを選んだんでしょう?」

「唯一の狙撃手であるトノくんの、動きを制限する為だよ」

 

 まず、と前置きして王子は告げる。

 

「僕達と香取隊、弓場隊の中で狙撃手がいるのは弓場隊だけだ。そしてトノくんは、隠密に優れた狙撃手だ」

「普通なら、隠密に徹した外岡を発見するのは難しい。だが」

「敢えて高低差のハッキリしたステージを選ぶ事で、トノくんの潜伏場所を限定したというワケさ」

 

 言うなれば、逆転の発想だ。

 

 狙撃手は、隊に在籍しているだけで一種のアドバンテージだと言われる程にランク戦では重宝される。

 

 点を取らなくてもただ狙撃手が潜んでいるというだけで、相手に常に狙撃を意識させて動きを鈍らせる事が出来るからだ。

 

 更に高所に陣取ればスコープ越しにMAPを見回して対戦相手の位置なども掴めてしまう為、隠れる事に徹した狙撃手ほど厄介なものはない。

 

 だが、『市街地C』は高低差のハッキリしたMAPであり、上を取れれば狙撃手が有利になる。

 

 しかし逆に言えば、狙撃手を上を()()()()()()()()為、外岡の潜伏場所は大分限定されるのだ。

 

 王子は狙撃手に有利なMAPを敢えて選ぶ事で、外岡の位置特定をし易くしたワケだ。

 

「まあ、その作戦は弓場さん────というかカンダタにはバレバレだったけどね」

 

 僕もその上で作戦を立てたし、と王子は告げる。

 

「開き直って上を取ればそこを獲りに行くつもりだったし、トノくんが位置を特定されるのを嫌って上を取らなければその分追い立て易くなる。どちらに転んでも良い作戦、だったんだけど────」

「────上から狙撃して来る外岡を仕留めに来た俺達を、弓場さんが待ち構えていたんだ」

 

 蔵内はそう言い、簡単に説明する。

 

「俺は奇襲に繋げる為、サラマンダーを使ったんだ。けど、弓場さんは俺のサラマンダーをバイパーで迎撃してしまったんだ」

「爆破の威力を取る為にそこまで細かくは分割しなかったのが、仇となった形だね。これは単純に僕の指示ミスだよ」

 

 狙撃手を炙り出す為にサラマンダーを使用した蔵内であったが、爆破の威力を優先しそこまで多くは分割していなかった為、弓場のバイパーで迎撃されてしまったのだ。

 

 ある程度の反撃は覚悟していたつもりだったが、まさか全弾落とされるとは思っていなかった蔵内である。

 

 隙が出来たのも、無理からぬ事と言えるだろう。

 

「いや俺が────────まあ、この話は後だ。ともかく、弓場さんに迎撃されて奇襲は失敗した。しかも、帯島と神田も近くで待ち構えていたんだ」

「カシオが裏を周って挟撃の形に出来なかったら、あのまま全滅していただろうね。策を仕掛けたつもりが、逆に利用されてしまったんだ」

「成る程。ではその後はどうなったんですか?」

 

 桜子に問われ、王子は顔に手を当て答える。

 

「全員で、バッグワームで隠れたんだ。まともに戦うと分が悪そうだったから、乱戦が起きたら介入して点を掻っ攫う為にね」

「弓場隊と香取隊がぶつかった時に介入してなんとか若村と神田は落とせたんだが、香取隊の仕掛けたワイヤーにはまってしまってな。俺が香取に、王子が弓場さんにやられてしまった」

「残ったカシオは様子を見て撤退を決めて、後は弓場隊と香取隊の戦いになったんだけど、なんとミューラーがトノくんを倒しちゃってね。香取ちゃんはオビ=ニャンを倒して、弓場さんに落とされた。それが試合の顛末かな」

 

 最終ポイントは、弓場隊に生存点が入り弓場隊が5点、香取隊が3点、王子隊が2点。

 

 勝者は弓場隊となったが、香取隊が三点をもぎ取ったのは大きかった。

 

「実際に相対すると、ワイヤーがあそこまで厄介だとは思わなかったね。ワイヤー機動を得たカトリーヌの動きは、別物だったよ」

「次戦う時があれば、とにかくワイヤー地帯を作られる前に落とすか、ワイヤーをメテオラで吹き飛ばしたいところだな」

「成る程成る程、ありがとうございました。そちらもまた、激戦だったようですね。直接見れなかった事が悔やまれます」

 

 桜子はそう言って王子達の話を締め括り、コホン、と咳ばらいをした。

 

「では王子隊長は、この試合をどう見ますか? ぶっちゃけ、何処が勝つでしょう?」

「普通に考えれば、二宮隊だろうね。二宮さんは色々と規格外だし、隊としての完成度も図抜けている。普通に考えれば、よほど良い条件でもない限りは二宮さんを落とせる筈がない」

 

 二宮は、生きるMAP兵器に等しい存在だ。

 

 ただトリオンの暴威を振りまくだけで相手は叩き潰され、反撃すら許さない。

 

 圧倒的なトリオンにかまけた絶え間ない射撃の雨は、大抵の相手を鏖殺して余りある。

 

 しかも犬飼と辻が脇を固める所為で、隙らしい隙も皆無。

 

 普通に考えて、成す術がない。

 

「しかし、二宮とて完全無欠というワケではない。逆に圧倒的な脅威だからこそ、明確な対策が取られている筈だ」

 

 それに反論したのは、誰あろうレイジである。

 

 レイジは表情を変えぬまま、淡々と呟く。

 

「二宮の暴威を、那須隊は身を以て知った筈だ。ならば、その対策を用意していないとは考え難い」

「ふむ、レイジさんはシンドバット達に明確な二宮さんメタがあると考えているんですね。それは、身内だから?」

「ノーコメントとさせて貰おう」

 

 だが、とレイジは続ける。

 

「此処数日、隊員複数名の協力を経て何らかの訓練を行っていた事は確かだ。対策パターンは幾つか考える事が出来るが、今言うのは野暮だろう」

「成る程、確かにね」

 

 王子はレイジの返答に満足し、にこりと笑いかけた。

 

 正直な話、二宮対策となるとまず「出会わないようにする」か「徹底的に逃げ回る」くらいしか思いつかないのだが、どうやらレイジはそれ以外に何らかの心当たりがあるらしい。

 

 しかし彼の言う通り、此処でその内容を言っては興ざめも良いところなので、自粛したというワケだ。

 

「ふむふむ、当然の事ながら二宮隊と那須隊の動向には要注目、という事ですね。影浦隊と生駒隊はどうでしょう?」

「影浦隊はいつも通り、と言いたい所だけれど────────最近の影浦隊は、これまでに輪をかけて厄介になったと言って良い」

「ただ暴れるだけだったのが、ある程度戦術的な行動も視野に入れて動いていますからね。やられる方としてはたまったものではないでしょう」

 

 影浦隊もまた、ROUND3で那須隊が勝てなかった部隊であるが、二宮隊とは異なり茜がユズルを落とす事で一矢報いる事が出来ていた。

 

 それ以降、影浦隊の動きは明確に変わってきている。

 

 影浦の強みである攻撃力を殺さない範囲で、戦術的行動を取るようになってきたのだ。

 

 北添が開幕適当メテオラをして彼を狙いに来た隊員を影浦が返り討ちにしたり、狙撃手の位置を炙り出して影浦がそれを落としに行く、なんて戦術も見られた。

 

 影浦の強みである自由な動きを阻害せず、そしてチームにきちんと貢献出来る戦術。

 

 今の影浦隊は、それを取り入れている。

 

 しかも毎回使ってくるワケではなく、場合によっては今までのように好きに暴れたりもしている為、予測がし難く対策が難しい。

 

 妙な肩肘を張らず、無理なく影浦を活かすその戦術の恩恵もあってか、二宮隊に負けないペースで得点を重ね続けた。

 

 ただでさえ凶悪だった影浦隊の攻撃力は、更に磨きをかけられていると言って良いだろう。

 

「生駒隊は、まあいつも通りじゃないかな」

「だな」

「えーと、その……」

「ああ、ごめんごめん。いつも通りというか、臨機応変と言うべきだね」

 

 数秒でざっくばらんな解説をした王子は、その内容に怪訝な顔を向ける桜子を見て素直に謝罪した。

 

 幾らなんでも、色々と端折り過ぎであった。

 

「言うまでもなく、生駒隊は部隊全員が満遍なく能力が高い。エースの生駒さんは勿論、みずかみんぐやおっきーも中々侮れない相手だ」

「南沢も、近接戦闘能力は結構高いしな。マスタークラス寸前まで行ったらしいし、油断は出来ないぞ」

 

 二人の言う通り、生駒隊はとにかく()()が高い。

 

 生駒隊で最も有名なのは隊長の生駒が放つ『生駒旋空』であるが。隊員も粒揃いが揃っている。

 

 水上はエースの生駒に代わって指揮を執り、的確な采配でチームを勝利に導くバランサーだ。

 

 隠岐は居場所特定を辞さない強気な狙撃と冷静な判断力が武器であり、グラスホッパーを使う変わり種の狙撃手として大いに活躍している。

 

 色々と迂闊な所があるにせよ、南沢もまた近接の攻撃力は結構高い。

 

 大抵の攻撃手相手なら、それなりに圧倒出来るだろう。

 

 抜けている所が目立つだけで、実力自体は相当に高いのだから。

 

「さて、そろそろだな」

「ええ、そろそろですね」

 

 桜子とレイジが、口々にそう告げる。

 

 それは、ゴングを鳴らす合図。

 

 この最終戦を始めるにあたっての、最後の確認。

 

「始まるね」

「ああ」

 

 王子と蔵内も、そう言ってごくりと息を呑む。

 

 泣いても笑っても、これが最後。

 

 今期のランク戦を締め括る、ラストゲーム。

 

 …………今まで、たくさんの戦いがあった。

 

 落とし、落とされ。

 

 勝ち、そして負け。

 

 数々の戦いを経て、遂に此処まで辿り着いた。

 

 感慨もあるだろう。

 

 感傷もあるかもしれない。

 

 だが。

 

 だが。

 

 既に、この地は戦場。

 

 夢が叶うかどうかは、全てその実力次第。

 

 この戦いに、敢闘賞はない。

 

 あるのはただ、純然たる力と結果のみ。

 

 故に、全霊を尽くす。

 

 後悔のない、一つの結果を残す為に。

 

「さあ、B級ランク戦第八────最終ROUNDッ! 全部隊、転送開始ですっ!」

 

 桜子が高らかに開始の合図を告げ、機器を操作する。

 

 四つの部隊全ての隊員が今、戦場へと送り込まれた。





 色々悩みましたが、解説はこのキャラ達でやります。

 頭の中で色々噛み合ったのでね。

 焦らしにじらした最終ROUND、開始です。


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二宮隊①

 

『全部隊、転送完了』

 

 アナウンスと共に、各隊員が戦場となる仮想空間に出現する。

 

『────MAP、『市街地A』』

 

 目の前に広がるは、閑静な住宅街。

 

 一見争いとは無縁に見えるその街こそ、最終戦の舞台であった。

 

「行くぞ」

『ええ』

『うん』

『はいっ!』

 

 住宅地の真ん中に転送された七海はすぐさまバッグワームを着込み、仲間に通信で声をかける。

 

 そして、戦いに赴くべく駆け出した。

 

 

 

 

「さあ始まりましたB級ランク戦最終ROUND……ッ! 各隊員はランダムに転送され、各々動き出していますっ!」

 

 実況席で桜子が実況を始め、観客席の面々は期待に満ちた眼差しで試合映像を見据えている。

 

 まだ始まったばかりだが、それでも注目する要素が満載の試合だ。

 

 観客の期待感も、相応に高い。

 

「割と皆、バラけて転送されたね。強いて言えば、影浦隊と生駒隊が少し固まり気味な感じかな」

 

 王子がMAPの位置表示を見ながらそう呟き、蔵内もそれに同意した。

 

「そうだな。だが……」

「ああ、そうだろうな」

 

 蔵内とレイジがそう言って頷くと、王子も笑みを浮かべて同様に頷いた。

 

「開けたMAPで、影浦隊が参戦している以上────────ゾエさんのあれが、火を噴かない筈がないからね」

 

 

 

 

「おー、来た来た……っ!」

 

 近くの建物に爆撃が着弾し、家屋が吹き飛ばされる。

 

 それも、一つや二つではない。

 

 続けざまに襲い掛かる爆撃が、周囲を瞬く間に更地にしていく。

 

 北添の代名詞、『適当メテオラ』。

 

 広範囲に爆撃を無差別に振りまくその戦術が、火を噴いた瞬間だった。

 

 しかし、至近距離で爆撃を目にしながらも犬飼に慌てた様子はない。

 

 爆撃を軽快なステップで避けながら、仲間との通信を開く。

 

「辻ちゃーん、そっちよろしくー」

『了解しました』

 

 

 

 

『おい全然当たってねーぞ。もっとちゃんと狙えー』

「えー、レーダー頼りの適当撃ちじゃこんなもんでしょ。いつも通りいつも通り」

 

 建物の屋上に陣取り、各所に爆撃をばら撒く北添は光と普段通りのやり取りをしながら、次々に次弾を撃ち出していく。

 

 爆撃を用いて場を攪乱し、乱戦に持ち込むいつもの戦法。

 

 だが。

 

「それで光ちゃん、()()()?」

『おー、来てる来てる。建物の真下だっ!』

「了解っ!」

 

 北添は光からの報告を聞くと、グレネードランチャーの片方を突撃銃に変更。

 

 屋上から地面に向かって、アステロイドを撃ち出した。

 

「……っ!」

 

 その銃撃を回避し、向かいの建物の屋上に飛び上がる影がある。

 

 スーツの裾を翻し、屋上へ降り立った細身の少年。

 

 二宮隊攻撃手、辻新之助が弧月を構えこちらを見据えていた。

 

「辻くんか。そういや前もそうだったよねー」

「はい。爆撃は止めさせて貰います」

 

 辻は弧月を手にかけ、旋空起動の構えを取る。

 

 一撃で仕留められるとは思わないが、とにかく北添に爆撃を止めさせる事が肝要。

 

 そう考え、斬撃を繰り出そうとして────。

 

「────────ハッ、甘ぇんだよ」

「……っ!?」

 

 ────────背後からの奇襲に気付き、咄嗟にその場を飛び退いた。

 

 振り返れば、そこに立つのは北添と同じミリタリージャケット風の隊服を纏った長身の少年。

 

 影浦隊隊長、影浦雅人がスコーピオンをその手に構え彼を睨みつけていた。

 

「影浦先輩か……」

「よう────遊ぼうぜえ。辻」

 

 その眼光、餓狼の如し。

 

 二宮隊と双璧を成すB級上位部隊TOP2のエースが、戦意を剥き出しにして刃を取っている。

 

 後は、言うまでもない。

 

 影浦は凶悪な笑みを浮かべ、スコーピオンを手に辻へ斬りかかった。

 

 

 

 

「おおっとぉ……っ!? 北添隊員の恒例の適当メテオラを潰しに来た辻隊員が、近くに潜んでいた影浦隊長と接敵……っ! まさかの伏兵に、足止めされた形か……っ!?」

「…………これは、驚いたね。まさか、カゲさんがゾエさんを囮にした待ち伏せ戦法を使うなんてね」

 

 王子は試合映像を見ながら、感嘆の声をあげる。

 

 北添が適当メテオラでわざと目立ち、それを止めに来た相手を影浦が迎撃する。

 

 言葉にすればそれだけだが、あの影浦隊がそれを成したというのがまず驚きである。

 

 これまでの影浦隊は、北添が場を荒らして捨て駒になっている間に影浦とユズルが各々好き勝手に動いて点を取る、というスタイルだった。

 

 場合によっては北添のフォローに入る事はあるものの、影浦が自分から獲物を探しに行かずに待ち伏せる、という行動はこれまでになかったものだ。

 

 ROUND3以降影浦とユズルが連携して相手を追い込むなど、戦術的行動を取るようになってきた影浦隊であったが、この囮戦法は初お披露目である。

 

 王子が驚くのも、無理はないだろう。

 

「…………影浦隊は、そもそもの隊員個々人のスペックが非常に高い隊だ。だからこそ今まで好き勝手に動いていたにも関わらず、B級二位を維持出来ていたワケだ」

 

 だが、とレイジは続ける。

 

「だからと言って、無理に色々考えて動けば影浦の最大の強みである遊撃性が薄れてしまう。綿密な戦略よりも、大雑把に指針を立ててある程度の自由度を持たせた作戦の方が、影浦隊には()()()()()だろう」

「成る程、生駒隊と似たような感じですか」

「そうなるな」

 

 レイジの言うように、影浦隊はこれまでは確かに隊員が個々人好き勝手に動いていたが、それでも「北添がメテオラで攪乱して乱戦に持ち込む」といういわば()()()()()()のようなものは存在していた。

 

 攪乱して、乱戦に持ち込む。

 

 これも立派な、一つの戦術である。

 

 現に七海の場合も攪乱しつつ乱戦に持ち込む術に長けており、戦術としては決して悪い方針ではない。

 

 重要なのは、影浦隊に()()()()()が出来た事だ。

 

 一つの戦術に捉われず、柔軟な発想で臨機応変に立ち回る。

 

 影浦隊の得意としているのは、まさにこれだ。

 

 そこに普段とは違った『戦術パターン』を組み込む事でより自由度が上がり、対応力が増している。

 

 無理のない、最適解とも言える成長であろう。

 

「ともかく、これで影浦と北添は辻相手に二対一で仕掛ける事に成功したワケだ。だが────」

 

 うん、と王子が頷く。

 

「────爆撃が止んだ事に、変わりはない。動くよ、状況が」

 

 

 

 

「なんとか爆撃が止んだか……」

 

 熊谷はふぅ、と溜め息を吐いた。

 

 何とか避けていたとはいえ、至近距離で爆撃が炸裂するのは中々に心臓に悪い。

 

 爆撃が止んだ所を見ると、他の隊の誰かが北添の所に行ったのだろう。

 

 となると、爆撃から隠れていた面々が動き出す筈だ。

 

 もしも見つかっていなければ、このままバッグワームを着て潜伏するところではあるが────。

 

「熊谷さん、見ーっけ」

 

 ────その希望は、儚く崩れ去る。

 

 奇妙な既視感(デジャヴ)

 

 この光景は、前にもあった。

 

 他ならぬ、あのROUND3で。

 

「……っ! 犬飼先輩か……」

「そ。また会うなんて、奇遇だねえ」

 

 二宮隊銃手、犬飼澄晴。

 

 その少年の笑みと共に、かつての苦い敗戦の記憶が、熊谷の脳裏に蘇った。

 

 

 

 

「此処で熊谷隊員、犬飼隊員とエンカウント……ッ! 爆撃の混乱による、思わぬ遭遇戦ですっ!」

「これは……」

 

 その光景に、会場にいる多くの面々がROUND3の記憶を想起する。

 

 あの時もまた、今と同じように爆撃後の混乱時に熊谷と犬飼が接敵し、その結果として熊谷は落とされた。

 

 那須隊にとって、熊谷にとって苦い記憶を想起せざるを得ない盤面であろう。

 

「ベアトリスも運がないね。また、澄晴(スミ)くんと出会っちゃうなんて」

「こればかりは仕方ないだろう。転送運が悪かった、と思うしかない」

「いや、まだ決めつけるのは早いぞ」

 

 熊谷に同情する王子達に対し、レイジはそう言って反論する。

 

 蔵内は疑問符を、王子は興味津々といった感情を浮かべ、レイジを見た。

 

 レイジは、いつもの無表情のまま努めて淡々と説明する。

 

「あの時と今とじゃ、状況が全く違う。二宮は犬飼から遠く離れた位置にいるし、熊谷はメテオラじゃなくハウンドを習得している。屋外での射撃戦にも充分対応出来る以上、以前のように防戦一方にはならない筈だ」

 

 ROUND3の時は、熊谷は中距離の攻撃手段を使い勝手の悪いメテオラしか持っておらず、屋内に誘い込んで仕留めるつもりが逆にやられてしまった。

 

 だが、今は違う。

 

 熊谷はメテオラをより扱い易いハウンドに切り替え、中距離戦の手札を確立させた。

 

 それに、以前は那須の精神上の問題で出来なかった捨て身戦法も、今では解禁されている。

 

 犬飼と二宮がタッグで現れたならばともかく、犬飼単独なら前のような一方的な展開にはならない筈である。

 

「確かに、ベアトリスは強くなった。澄晴くん相手にも、充分善戦出来るだろう」

 

 けど、と王子は続ける。

 

「────善戦()()じゃ、足りないんだ。澄晴くんは、そんなに甘くはないよ」

 

 

 

 

「ハウンドッ!」

 

 先手必勝とばかりに、熊谷はハウンドを放つ。

 

 誘導性能を弱めにして散らした弾丸が、犬飼へと襲い掛かる。

 

「喰らうワケにはいかないね、っと」

 

 だが、犬飼は広げたシールドで冷静にハウンドを対処。

 

 同時に銃身の部分だけに穴を空けたシールドの隙間から覗く突撃銃が、熊谷に向かって火を噴いた。

 

「……っ!」

 

 熊谷は咄嗟にシールドで銃撃をガードするが、連射性能に特化した犬飼の突撃銃は尚も銃弾を吐き出し続ける。

 

 度重なる銃撃に、熊谷のシールドが罅割れていく。

 

 元々、熊谷のトリオンはそう多くない。

 

 射撃トリガーにリソースを割いている分、持久力自体は以前より低下している事は否めない。

 

 このままでは、割れる。

 

 熊谷はそう直感し、両防御(フルガード)で防御するかある程度の被弾を覚悟して反撃するかの二択を迫られた。

 

 両防御であれば、弾丸自体は防ぎきれる。

 

 だが、一旦守りに入ってしまえば犬飼は即座にこちらを固めて来るだろう。

 

 迂闊な防御行動は、自分の首を絞める事になる。

 

 しかし、かといって捨て身の行動が正解かと言われると疑問が残る。

 

 捨て身になった結果犬飼を落とせるなら別だが、此処で反撃しても精々が牽制止まり。

 

 ダメージを受ける前提での行動にしては、()()が殆どないのだ。

 

 確かに、熊谷はハウンドを習得し中距離戦に対応出来るようになった。

 

 しかし、あくまでそれは対応であり、()()しているワケではない。

 

 言わば、発展途上。

 

 中距離戦を覚えたばかりの熊谷では、百戦錬磨の実力者を相手にするのは厳しいものがある。

 

 特に、犬飼のような戦上手が相手では。

 

 犬飼はランク戦に置いて、最も厄介な部類の駒と言える。

 

 戦況を瞬時に把握し、その場その場で適切な対応を速やかに実行する。

 

 思考のタイムラグが殆どなく、単騎でも十分立ち回る事が出来、補助に回った時の手際も際立っている。

 

 どんな状況にも対応出来る、オールマイティ。

 

 それが、犬飼の最大の強みである。

 

 二宮がいるのでそう目立つ事はないが、二宮隊の影の功労者は間違いなく彼であろう。

 

 そんな犬飼の相手は、熊谷では少々荷が重い。

 

 前回のROUNDでは神田と帯島相手に大立ち回りを演じた熊谷であったが、あの時と違って突っ込んでくる攻撃手がいない為、斬り合う攻撃手を盾にする戦法は使えない。

 

 それに、技術面で言えば犬飼は神田の上を行く。

 

 神田はどちらかと言えば指揮官向きのサポーターであり、単騎での制圧力はそう高くはないが、犬飼は攻撃も補助もどちらもそつなくこなせてしまう。

 

 更に、犬飼は相手の思考を読み、的確に隙を突く手管が抜群に上手い。

 

 相手の嫌がる事、やって欲しくない事を即座に察して実行する。

 

 味方へのフォロー力とは真逆の、しかし同系統の技術による妨害能力。

 

 それが、犬飼のもう一つの強みである。

 

 先ほどから弾丸を適度に散らして集中シールドだけで防ぐ、という手を封殺しており、その立ち回りの巧さは一級品だ。

 

「くっ、背に腹は代えられないか……っ!」

 

 シールドは、既に割れる寸前。

 

 熊谷は仕方なく、両防御(フルガード)へ切り替えた。

 

「────両防御、したね。なら、後は追い込むだけだ」

「……っ!」

 

 犬飼は熊谷が両防御に切り替えたのを見届けると、銃撃の勢いを引き上げた。

 

 弾は適度に散らし、一点集中での防御は許さない。

 

 かと思えば、銃撃を一点に収束させシールドを割らんとする。

 

 なんとか対応していた熊谷だったが、シールドが割れるのは最早時間の問題。

 

 このままでは、やられる。

 

 誇張なしに、熊谷はそう覚悟した。

 

「────メテオラ」

 

 ────────だが、その窮地を救った者がいた。

 

 降り注ぐのは、四つに分割された炸裂弾(メテオラ)

 

 メテオラは地面に着弾すると、同時に爆発。

 

 爆発の光と風圧が、その場を席捲した。

 

 犬飼は攻撃を中断しシールドを広げ、その爆発から身を守る。

 

 銃撃が途切れた隙を狙い、熊谷は家屋の影に後退した。

 

「へえ、君が来るんだ」

 

 犬飼は爆煙向こう、家屋の上に立つ人影を見て笑みを深める。

 

 そして煙が晴れ、その人物の姿が露になる。

 

「ええ、前回は間に合いませんでしたが────────今回は、やらせはしません」

 

 那須隊攻撃手、七海玲一。

 

 前回の雪辱を晴らすべく、隊のエースが戦地に降り立った瞬間であった。





 始まりました最終ROUND。

 マッチアップは色々考えましたが、まずはこれで。
 
 カゲさんは変に頭使うより、大雑把に方針決めて動いて貰った方が単純に強い気がする。

 原作だとユズルの事を気にして少し硬くなっちゃってたっぽいしねー。これくらいで丁度良いのかも。


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二宮隊②

 

「おーっと、犬飼隊員に追い詰められた熊谷隊員の下に、七海隊員が到着……っ! 犬飼隊員は一転、2対1の不利を強いられた……っ!」

 

 桜子の実況と共に、会場が沸き上がる。

 

 絶体絶命の熊谷のピンチに駆けつける七海という構図は、傍から見るととてもヒロイックだ。

 

 相手がある意味因縁の相手である犬飼である事もあり、盛り上がる要素としては充分だろう。

 

「成る程、そういう事か。確かにこれは、()()に意味があったね」

 

 王子はそう言うとちらり、とレイジを見て笑みを浮かべる。

 

「前回は逃げの一手、防戦一方だったのが、ベアトリスが善戦して粘れるようになった事でシンドバットが来るまでの時間を稼ぐ事が出来た。これはまさしく、成長の成果と言うに相応しいだろう」

「そういう事だ。これは個人戦じゃない、チーム戦だ。極論、1対1で相手に勝つ必要はない。如何にして()()()()()を作り出せるか。それが肝要だ。だからこそお前は、前回の試合で七海以外の点を狙った筈だが」

「耳が痛いね。確かに、少々先入観が過ぎたようだ。前回も前々回も、それでやられたと言うのにね」

 

 王子はそう言って、思わず苦笑する。

 

 1対1で勝つ必要はなく、必要な点が取れれば良い。

 

 自分一人で勝てなくても、勝てる状況を作り出せば良い。

 

 それは常日頃から、王子自身が言っている事だ。

 

 ROUND7で今の那須隊の地力の高さを散々見せつけられた所為か、「熊谷が犬飼に勝てるかどうか」だけで論じてしまった。

 

 前回の熊谷の大立ち回りを後から試合ログで見た影響もあるかもしれないが、またもや余計な先入観を持っていたらしい。

 

 それだけ那須隊の心理誘導が巧みだとも言えるが、策士を称するからにはこの思い込み癖は直した方が良いだろう。

 

 データを分析するのは重要だが、戦場とは生ものだ。

 

 イレギュラーなど、起きて当たり前。

 

 重要なのは、先入観を持たず、臨機応変に立ち回る事。

 

 それこそが、肝要である。

 

(僕とした事が、二度も負けて意地になっていたのかもしれない。負けず嫌いではあると自覚しているけど、これ以上那須隊(かのじょたち)の術中に嵌る事は避けなければね)

 

 王子はそう自省し、それを確認したレイジも試合映像に目を向け直す。

 

 今やるべきは、解説と実況。

 

 引き受けたからには、最後までやり抜くだけだ。

 

「でもこれは、もしかすると影浦隊同様那須隊も相手を釣り出す目的でいたのかな? 丁度、二宮隊の二人がそれぞれ釘付けになっているし」

「その可能性は高いだろう。那須隊は、今までも釣りの戦術を幾度か用いている。一見狙い易そうな熊谷を囮にする作戦も、用意していてもおかしくはない」

 

 確かに、これは那須隊どころか影浦隊や生駒隊にとっても都合の良い展開だ。

 

 この試合で一番警戒しなければならないのは、二宮隊の合流。

 

 二宮隊は個人個人がマスタークラスの到達者という実力派揃いで、個々に動いても勿論強いがその真価は合流した後にこそある。

 

 一人が二宮の護衛を担当し、もう一人が露払いをすれば、二宮は何の憂いもなく両攻撃(フルアタック)を連射出来る。

 

 そうなってしまえば、試合は二宮が全てを蹂躙し尽す殺戮劇(ジェノサイド)になる。

 

 全部隊が避けなければならない、最悪の展開と言える。

 

 ROUND3も、結局二宮隊の合流を許してしまったが故に彼等に勝利を掻っ攫われてしまったようなものなのだから。

 

 だが、今犬飼と辻はそれぞれ那須隊と影浦隊相手に釘付けにされている。

 

 しかも、2対1という不利を背負って。

 

 片や七海と熊谷、片や影浦と北添。

 

 どちらも、一筋縄で行く相手ではない。

 

 第三者の介入がない限り、犬飼達の不利は否めないだろう。

 

「では、この展開は二宮隊が劣勢、と見て良いのでしょうか? 矢張りトップチームなだけあって、警戒度も相応に高かったようですね」

「ああ、確かにしてやられた事は事実だ。二宮隊としては、あまり好ましくない展開ではあるだろう」

 

 けど、と王子は告げる。

 

「────警戒して対策した程度で崩せるような部隊が、B級のトップに君臨し続けていられると思うかい? 二宮隊が怖いのは、此処からだよ」

 

 

 

 

「────メテオラ」

 

 大きく跳躍した七海の掌に、巨大なトリオンキューブが出現する。

 

 七海はそれを27個に分割し、射出。

 

 地上にいる犬飼に、爆撃の雨が降り注ぐ。

 

「おっと」

 

 しかし、犬飼はそれを冷静に対処。

 

 シールドを張る────────のではなく、銃撃でメテオラを迎撃するという形で。

 

 27個に分割され狙い難くはなっているが、それでも元の大きさが元の大きさだ。

 

 犬飼程の銃手が、早々撃ち漏らしなどする筈もない。

 

 結果、27個のメテオラは全て撃墜され、その爆破が地上に届く事はなかった。

 

「ハウンドッ!」

 

 だが、此処にいるのは七海だけではない。

 

 熊谷もまた、ハウンドを生成し射出する。

 

「甘いよ、誘導設定」

「……っ!」

 

 弾道からそのハウンドの誘導の強弱を見切った犬飼は、集中シールドでそれを防御。

 

 誘導設定を強めていた熊谷のハウンドは、全てシールドに吸い込まれるようにして受け止められる。

 

 そして犬飼は、あろう事かそのまま熊谷へ接近。

 

 至近距離で、犬飼の銃撃が炸裂する。

 

「く……っ!」

 

 まさか接近して来るとは思わなかった熊谷だが、すぐに気付く。

 

 この距離では、七海がメテオラを撃ち込めない。

 

 七海の高トリオンのメテオラでは、今犬飼を狙えば熊谷を巻き込んでしまう。

 

 犬飼はそれを狙って、敢えて攻撃手相手に接近するという大胆な手を取った。

 

 言葉にしてみれば合理的な、しかし銃手が攻撃手に接近するという不合理。

 

 しかし、それをやってのけるからこそB級一位部隊の銃手なのである。

 

 改めて目の前の少年の厄介さを噛み締めた熊谷は、即座にシールドを展開。

 

 シールドで銃撃を受け止め、そのまま弧月一閃。

 

 犬飼の、首を狙う。

 

「危ないな、もう」

 

 だが、犬飼はそれをしゃがみ込む事で回避。

 

 そして、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。

 

「────ハウンドは、こう使うんだよ」

「……っ!」

 

 そして、しゃがみ込んだ犬飼の背後には無数のトリオンキューブが浮遊している。

 

 その正体に気付いた熊谷はシールドを張り直すが、一歩遅い。

 

 犬飼のハウンドが、その牙を突き立てる。

 

「おっと」

「────」

 

 ────────しかし、その牙が熊谷に突き立てられる事はなかった。

 

 熊谷の前に降り立つ、一つの影。

 

 上空から降下した七海が、シールドでそれを防御したからだ。

 

 確かに、接近戦を行えば七海によるハウンドの援護射撃は使えなくなる。

 

 けれど、接近戦(それ)は元々攻撃手の領分。

 

 銃手が本職の犬飼にとっては、得手とする距離とは言えない。

 

 奇策は、相手の意表を突くからこそ意味がある。

 

 相手に知られた奇策など、ただの愚策と変わらない。

 

 犬飼はその飄々とした見た目や言動とは裏腹に、戦いに置いては堅実を旨とする男である。

 

 その男が、明確なリターンもない賭けになど乗る筈もない。

 

「ま、いっか。割ときついけど、取り敢えず時間は稼がせて貰うよ」

 

 犬飼はニヤリと笑みを浮かべ、突撃銃を構え直す。

 

 窮地の筈の状況を楽しむかのようなその言動は、常と変わらず。

 

 しかし明確な戦意に満ちた、凄みを醸し出していた。

 

 

 

 

「おらぁ!」

 

 影浦は咆哮と共に、腕を一閃。

 

 その腕から延びるスコーピオンが────────マンティスが、獲物を斬り裂かんと鞭のように踊り狂う。

 

「────」

 

 辻はその不規則な起動の斬撃を、弧月で叩き斬る事によって破却。

 

 そのまま旋空を撃ち出し、影浦の銅を狙う。

 

「ハッ、見え見えだっつのっ!」

 

 しかし、攻撃が来る事を()()()いた影浦はジャンプで旋空を回避。

 

 そのまま家屋の壁に向けてマンティスを撃ち込み、ワイヤー機動の要領でそれを引き寄せ跳躍。

 

 辻の背後を取り、再びマンティスを振るう。

 

 そして、この場にいるのは影浦だけではない。

 

 北添もまた、突撃銃の引き金を引く。

 

 影浦が辻の背後に回った為彼を誤射してしまいそうな位置取りではあるが、影浦に限って誤射の心配はない。

 

 その副作用(サイドエフェクト)の影響により、影浦は七海同様何処に攻撃が来るか事前に()()出来る。

 

 故に、七海同様乱戦に飛び込んでも流れ弾で落ちる可能性は非常に低い。

 

 前門の銃撃、後門の斬撃。

 

 その両方を凌がなければ、辻は此処で落ちる。

 

 だが。

 

 だが。

 

 果たして、この程度で落ちるような相手がB級トップ部隊でやっていけるのか。

 

 答えは否。

 

 確かに、二宮や犬飼と比べれば辻は目立たないだろう。

 

 自己主張も少ない為、その実力の程は実際に戦うまで分からない事が多い。

 

 しかし、辻は仮にもB級トップチーム二宮隊唯一の前衛。

 

 この程度の苦境は、跳ね除けて然るべき。

 

 コンマ数秒の、逡巡の後。

 

 辻は、意を決して迎撃を放つ。

 

「────────旋空弧月」

 

 旋空、一閃。

 

 その一撃により、影浦のマンティスは両断され破砕。

 

 北添の突撃銃も、その銃身が真っ二つに斬り裂かれる。

 

 銃撃は、銃身が壊れた事で不発。

 

 斬撃も、刃が破断された事で停止。

 

 旋空一つで、辻は二人がかりの同時攻撃を凌ぎ切った。

 

「あらら」

「チッ」

 

 北添は突撃銃を再構成し、影浦はマンティスを再展開しながら辻と対峙する。

 

 こちらもまた、すぐには決着が付く様子は見られなかった。

 

 

 

 

「こ、これはっ! 犬飼・辻両隊員、2対1の苦境を機転によって凌ぎ切る……っ! B級トップチームの高い実力を見せつけた……っ!」

「ま、彼等ならこれくらいはやるだろうね」

 

 王子はそう言って、笑みを深めた。

 

 会場内は犬飼や辻の予想以上の戦いぶりを見て、大盛況である。

 

 王子の隣に座る蔵内も、目を丸くして映像に見入っていた。

 

「犬飼もそうですが、辻も相当ですね。銃手の援護付きの影浦と戦っているにも関わらず、一歩も退く様子がない。流石、マスタークラス攻撃手といったところでしょうか」

「それだけ、二宮隊の地力が高いって事さ。二宮隊は、全員がマスタークラス。この事実は、想像しているよりずっと重い。実力者を含む2対1とはいえ、簡単に倒せる相手でない事は確かだ」

 

 そう、何も二宮隊は二宮だけのチームではない。

 

 隊全員がマスタークラスという事は、個々人の練度もまたトップクラスという事。

 

 二宮と合流している時はサポートに徹する二人ではあるが、マスタークラスの隊員なのだから単騎でも強いのは当たり前だ。

 

 しかも機転の利き具合も図抜けており、その場その場での対応がとても巧い。

 

 地形や自分の手札を最大限に活用し、2対1の劣勢でも互角に立ち回っている。

 

 これが、トップチームの力。

 

 戦術だけではなく、個々人でも高い戦闘力を併せ持つハイレベルチーム。

 

 それが、二宮隊。

 

 B級トップに君臨し続ける、王者のチームだ。

 

「それに、時間は充分稼げた。レイジさんの言う通り、ランク戦は自分で相手を倒す必要はない────」

 

 王子はそう告げ、意味深な笑みを浮かべる。

 

「────倒せる状況を作れば、それで勝ちだ」

 

 

 

 

「……っ! 熊谷っ!」

「わっ!?」

 

 ────────()()を察知した七海は、即座に熊谷を抱えて跳躍。

 

 横抱きにした熊谷を抱きかかえながら、上空へと退避する。

 

 そして、その直後に空から無数の光弾が降り注ぐ。

 

「あれは……っ!」

「ハウンドか。なら……っ!」

 

 それをハウンドだと判断した七海は、グラスホッパーを連続展開。

 

 ジグザグな軌道で空中を駆け、ハウンドの追跡を振り切らんとする。

 

「な……っ!? 違う、あれは……っ!」

「合成弾……っ!?」

 

 だが、通常ならば振り切れる筈のそれは、尚も二人を追い縋る。

 

 その光景は、まるで群れを成して獲物に襲い掛かる蜂のようであった。

 

 そう、これは誘導弾(ハウンド)ではない。

 

 正確には、ただのハウンドではない。

 

 ハウンドを二つ掛け合わせる事で生まれる、合成弾の一種。

 

 ────────強化追尾弾(ホーネット)

 

 それが、今七海達を追い立てる弾丸の名。

 

 (Hornet)の名を与えられたその弾丸は、執拗に二人を追い回す。

 

「く……っ!」

 

 七海は咄嗟に近くの家の窓を突き破り、その中へ転がり込む。

 

 ホーネットはその大部分が家屋に着弾し、その外壁を粉砕する。

 

 そのまま家の中を駆け抜け反対側の窓を突き破った七海は、熊谷と共にその先の路地へ着地する。

 

 なんとか弾の追跡を振り切った二人であったが、その顔色は優れない。

 

 あの弾数、あの威力の合成弾を扱う者など、一人しかいない。

 

 二宮匡貴。

 

 難攻不落の、二宮隊の不動のエースにして射手の王。

 

 今のホーネットが、その存在を雄弁に語っている。

 

 即ちそれは、この場が彼の射程内に収まっている事を意味していた。





 二宮隊、全員がマスタークラスって改めて考えると凄まじい。

 個々人の技量や判断能力が総じて高く、二宮に至ってはMAP兵器同然。

 B級上位、レベル高過ぎ。

 いやまあ、二宮隊は元々A級なんだけどね。ランク詐欺此処に極まれり。


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二宮隊③

 

「此処で二宮隊長の合成弾、ホーネットが炸裂……っ! 七海・熊谷両隊員は一時撤退を余儀なくされた……っ!」

 

 桜子の実況が響き渡り、歓声が響く。

 

 隣に座る王子は意味深な笑みを浮かべており、蔵内は目を丸くしていた。

 

「これは、個人的にも驚きですね。二宮隊長がホーネットを使った事もそうですが、護衛のいない状態で合成弾を使うなんて」

「二宮さんは、合成弾を使う時は大体味方が傍で護衛してたからね。まだ狙撃手も三人残ってるっていうのに、流石の胆力と言うべきか」

 

 王子達の言うように、二宮はランク戦で合成弾を使う場合、必ず隊員に護衛を任せていた。

 

 理由は簡単で、そうしなければリスクが高過ぎるからだ。

 

 確かに二宮はトリオン強者であり、シールドの強度もボーダートップクラスだ。

 

 だが、どんなにトリオンが多くとも、トリオン体それ自体の()()()は同一。

 

 どんな低威力の攻撃だろうが、シールドも張らずに直撃すればただでは済まない。

 

 そして、合成弾を使う場合は強制的に両攻撃(フルアタック)になってしまう為、シールドを張る事は出来ない。

 

 その隙を突かれてしまえば、二宮でさえあっさり落とされる事も充分有り得る。

 

 合成弾は確かに強力だが、その分デメリットも大きい。

 

 特に、狙撃手が三人も生存し尚且つ居場所が割れていない現状ではそのリスクはかなり高いのだ。

 

 那須の場合は気軽に合成弾を使っているように見えるが、彼女の場合はその突出した機動力により常に回避機動を取り相手を攪乱しながら使用している。

 

 つまり、合成中無防備になるという弱点に対する彼女なりの解答を出しているという事だ。

 

 二宮の場合、その解答は「味方に護衛させる」という無難で堅実なものであるのだが、今回はそれを逆手に取って意表を突いた形となる。

 

「弾丸が見えた時点で、シンドバット達はそれを二宮さんのハウンドだと考えた筈だ。となれば、取れる手は逃げの一手。一度二宮さんの弾幕に捕まれば、固められてお終いだからね」

 

 けど、と王子は続ける。

 

「その思考を逆手に取り、二宮さんはホーネットを使用した。予想外の合成弾の使用でシンドバットはあの場から大きく動かざるを得なくなり、結果として澄晴くんのマークが外れた」

「十中八九、それが二宮の狙いだろうな。あのホーネットは相手を仕留める為ではなく、犬飼をあの場から離脱させ自身と合流させる為のものだろう」

 

 そう、それこそがあの場面で二宮がリスクを冒してまでホーネットを使用した理由。

 

 全ては、犬飼を七海達から逃がし自分と合流させる為。

 

 確かに犬飼は七海達相手に善戦していたが、あの状況が続けば最後には落とされていた筈だ。

 

 二宮隊としては、犬飼が落ちる展開は可能な限り避けたい所。

 

 だからこそ、二宮は合成弾という手札を切ってまで犬飼をレスキューしたのだ。

 

 何せ、犬飼と合流するだけで二宮隊の勝率が一気に跳ね上がるのだ。

 

 ROUND3の時のように犬飼が付きっ切りで二宮を護衛し、二宮が両攻撃(フルアタック)を連射するだけで大抵の相手は鏖殺出来る。

 

 一度その陣形が出来上がってしまうと、形勢を覆すのは一気に難しくなる。

 

 それこそ、二宮以上のトリオン量の暴威でも持ってくれば話は別だが、今現在そんな隊員は存在しない。

 

 ボーダートップクラスのトリオン量を持つ二宮の二倍以上のトリオン量を持つ者など、それこそ黒トリガーのブーストでも受けなければまず有り得ないのだから。

 

「ともかく、ホーネットを撒く為に結構な距離を空けてしまったのは確かだ。シンドバットなら追いつけるかもしれないが、それは二宮さんの射程内に入る事と同義だ」

「だが、放置すれば犬飼と二宮の合流を許してしまう。悩ましい所だな」

 

 追えば、二宮の弾幕が雨あられと襲ってくる。

 

 留まれば、犬飼と二宮が合流し圧倒的な不利に立たされてしまう。

 

 どちらにしろ、リスクが大きい。

 

 今後の劣勢を度外視して放置するか、リスクを覚悟で突撃するか。

 

 二つに一つ。

 

 悩む時間はない。

 

 追うのであれば、すぐにでも動かなければ手遅れになる。

 

 決断の、時だ。

 

「この選択で、今後の展開がかなり違ってくるだろう。だが、恐らく────」

 

 

 

 

『────七海は必ず追ってくる。合流まで生き残れ』

「犬飼了解」

 

 二宮からの通信を受け、犬飼はそう即答した。

 

 その間も足は止めず、二宮との合流地点まで全速力で疾走している。

 

 七海が追って来ると、確信しているが故に。

 

 この状況、犬飼が二宮と合流する事を、那須隊は何としてでも防ごうとするだろう。

 

 何せ、前回戦ったROUND3では犬飼と二宮の合流を許してしまったが為にあそこまでのワンサイドゲームになってしまったのだから。

 

 前回の二の舞は、何が何でも防ぎたい筈だ。

 

『俺も適宜援護しながらそちらへ向かう。七海達の姿が見えたら教えろ。だが』

「ええ、出来るだけ自力で捌きます」

『ならいい』

 

 そして、この状況下では実は二宮の援護を全面的に当てにするワケにはいかない。

 

 実のところ、二宮のいる位置は此処から結構離れている。

 

 射程をチューニングして届かせただけで、割と限界ギリギリの距離で撃っていたのだ。

 

 更に、先ほどと違って合成弾や両攻撃は使えない。

 

 先ほどはまだ二宮の位置が把握されなかったから出来た事であり、あのホーネットによって二宮の位置は既に割れている。

 

 位置が割れている以上、両攻撃を使った瞬間を狙撃手が見逃す筈もない。

 

 那須隊の茜、生駒隊の隠岐、影浦隊のユズル。

 

 誰も彼も、高い技量と判断力を備えた狙撃手だ。

 

 茜は戦術方面は拙いが、その場その場の咄嗟の判断力や機転はかなり高い。

 

 戦術に関しては、オペレーターの指揮があれば事足りる。

 

 任された仕事をやり遂げるという狙撃手にとって重要な資質を、茜は持っているのだ。

 

 隠岐は見た目に反して中々にクレバーな視点を持っており、チャンスを逃すような性格でもない。

 

 ユズルの狙撃の腕は言わずもがなであり、ある意味最も警戒しなければならない相手だ。

 

 そんな三人が、二宮の隙を狙わない筈がない。

 

 幾ら二宮でも、無防備な状態で急所を射抜かれれば一発で落ちる。

 

 故に、今の二宮は常に片手を空けなければならない。

 

 二宮の暴威の象徴である両攻撃は、今は使えないのである。

 

 だからこそ、犬飼はある程度自力で七海達の追撃を凌ぎ切らなければならない。

 

(けど、逆に言えば凌ぐ事さえ出来れば二宮さんと合流出来る。割と離れてはいるけど、俺はともかく二宮さんの足止めなんて出来っこないし、俺が頑張ればギリギリ行ける筈)

 

 腕とかもげるかもしんないけどねー、と犬飼は心の中で呟いた。

 

 確かにきつい状況ではあるが、凌ぎさえすれば二宮と合流して必勝陣形が完成するのだ。

 

 それさえ出来れば、極論犬飼は致命傷さえ追わなければそれで良い。

 

 二宮の傍でシールドを張る役目に徹する事さえ出来れば、後は二宮の両攻撃で鏖殺出来るのだから。

 

「お、来た……っ! 二宮さん、七海です」

『了解した』

 

 そして案の定、空から無数のトリオンキューブが降り注いできた。

 

 あの大きさからして、まず間違いなく七海のメテオラ。

 

 先ほどと同じように銃撃で撃ち落とそうとして、気付く。

 

 視界の端。

 

 上空を飛ぶように跳躍する七海の元から、一つの影が降下した事に。

 

「あ、やべ」

 

 降下して来る影の正体に気付き、犬飼は目を見開いた。

 

 その影は、熊谷友子は。

 

 大上段に弧月を振りかぶり、勢いよくそれを振り下ろす。

 

「……っ!」

 

 それに気付き、犬飼は迫りくるメテオラに向けてハウンドを放ち、同時に熊谷へ銃口を向け引き金を引く。

 

「────旋空弧月」

 

 ────────旋空、一閃。

 

 上空でのメテオラの起爆と同時に振り下ろされた旋空の一撃は、犬飼の右手首と右足を叩き斬った。

 

 熊谷へ向けられた銃撃は、シールドによって防がれた。

 

 シールドこそボロボロになったが、熊谷本人は無傷。

 

 右手に携えていた突撃銃が、手首と共に宙を舞う。

 

 だが。

 

 だが。

 

 あの犬飼が、こんな痛手を受けてただで終わらせる筈もない。

 

 犬飼は宙を舞う突撃銃を、左手で曲芸のようにキャッチ。

 

 そのまま、熊谷に向けて銃弾を叩き込んだ。

 

「ぐ……っ!」

 

 度重なるアステロイドの連射で、熊谷のシールドは破砕。

 

 貫通した弾丸が、熊谷の右足を蜂の巣にする。

 

 致命傷となる胸部や頭部ではなく、足を狙ったのはそちらの方が急所よりも警戒が薄く、機動力を確実に削れるからである。

 

 一撃で致命傷となるトリオン供給脳とトリオン供給機関は、最も攻撃を警戒しなければならない箇所である。

 

 急所さえ守れば行動可能なトリオン体において、そこを重点的に守るのは間違っていない。

 

 しかし、だからこそ犬飼の足狙いを気付けなかった。

 

 正確には、気付くのが一歩遅れた。

 

 今の攻防で両者は、互いに()()()()()()()()()()()という思考が存在していた。

 

 だが、その思考に捉われていた熊谷と違い、犬飼はいち早く今後の展開を鑑みて足狙いに切り替えた。

 

 被弾を前提としていたのは両者共に同じであるが、思考の切り替えが早かったのは犬飼である。

 

 だからこそ、こうして熊谷にも足を削るという痛打を与える事が出来たワケである。

 

 経験と、機転の差。

 

 それが、顕著に表れた結果と言えた。

 

「ま、いいか。最低限の目的は果たしたしね」

 

 けれど、それをどう感じるかについては話は別である。

 

 元より、熊谷はある程度の損耗を前提で犬飼に仕掛けたのだ。

 

 致命傷にならなかっただけマシと考えれば、悪くない結果ではある。

 

 最初から、熊谷の目的は犬飼の足止め。

 

 それが叶った以上、予想外のダメージを受けようが構わない。

 

 反省は後として、熊谷は即座に思考を切り替えた。

 

「やってくれるじゃないの。前回のお返しかな?」

「まあ、意趣返しを考えなかったかと言われれば嘘になるけどね。前回無様を晒しちゃった分、きっちりやるつもりよ」

「成る程、随分逞しくなったね」

 

 逞しいは誉め言葉じゃないでしょ? とぼやく熊谷を見ながら、犬飼は周囲を見回した。

 

 そして、疑問符を浮かべる。

 

 七海が、仕掛けてこない。

 

 メテオラも、グラスホッパーによる三次元機動も、何もない。

 

 てっきり、熊谷がダメージを与えた犬飼相手に追い打ちを仕掛けてくるものとばかり考えていたが、一向に七海が姿を見せる様子はない。

 

「……っ!? もしかして……っ!」

 

 犬飼は、気付く。

 

 先ほど、熊谷を上空から降下させた後、とうの七海は()()()向かっていたのかを。

 

 あの時、七海はかなりのスピードで空を駆けていた。

 

 一度も、止まる事なく。

 

 迂回して奇襲して来るのかと考えたが、違う。

 

 七海が向かった先、それは────。

 

「二宮さん、七海がそっち向かいました……っ!」

 

 ────────他ならぬ、自分の隊の隊長(二宮匡貴)の所であった。

 

 

 

 

「来たか」

 

 家屋の上に立つ二宮は、こちらに近付く人影を既に視認していた。

 

 その人影は、七海はトリオンキューブを生成し、分割して射出。

 

 無数のメテオラが、二宮へと降り注ぐ。

 

「────ハウンド」

 

 だが、それに対する二宮の解答は単純。

 

 誘導弾(ハウンド)で、炸裂弾(メテオラ)を撃ち落とす。

 

 威力は最小限。

 

 しかして数は普段以上。

 

 七海のそれより更に小さく分割した二宮の弾丸が、メテオラへ接近。

 

 次々と着弾し、空中で爆破の嵐が巻き起こる。

 

 轟音が鳴り響き、上空を無数の爆発が席捲する。

 

 無論、それだけでは終わらない。

 

 二宮はすぐさま、次の弾丸を生成。

 

 無数のハウンドが、七海のトリオンを探知し襲い掛かる。

 

「────」

 

 それに対し、七海はグラスホッパーを連続起動。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込んだ加速により、ハウンドを回避。

 

 そのまま跳躍を繰り返し、家屋の屋根に着地した。

 

 二人の距離は、相応に離れている。

 

 今の二宮に迂闊に近付けば、その弾幕の餌食だ。

 

 しかし、七海にそれを恐れる様子はない。

 

 そんな七海に、二宮が目を細めて声をかけた。

 

「まさか、お前一人で来るとはな。自殺志願のつもりか?」

「いえ、勿論二宮さんに落ちて貰う為ですよ。貴方に犬飼先輩と合流させるワケには、いきませんから」

 

 なんてことのないように言う七海だが、此処からが本番だ。

 

 勝利条件は、二宮相手に生き残る事。

 

 単純だが、それ故に難しい。

 

 けれど、やらなければ勝ち目はない。

 

 この為に、出水に相手に訓練に勤しんできたのだから。

 

「今回は落ちて貰いますよ、二宮さん。」

 

 七海はそう言って、二宮相手に啖呵を切った。

 

 言葉にすれば短く、なんということもない台詞。

 

 だが、それに込められた想いは、本物だった。

 

「そうか」

 

 対する二宮の返答は、単純明快。

 

 何かを納得したように頷き、トリオンキューブを生成する。

 

「やってみせろ」

 

 そしてそれを分割し、無数のハウンドが七海へと襲い掛かった。





 犬飼はクレバーで判断が速く、機転も利く。

 隊に一人は欲しくなる逸材ですね。

 マジ二宮隊レベルたけーわ


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二宮隊④

 

「へー、二宮と1対1か。こりゃあ面白くなってきたな」

 

 上層部の観覧席で、試合映像を見ていた太刀川がにやけながらそう呟く。

 

 映像には、数十メートルの間合いで睨み合う二宮と七海の姿がある。

 

 その光景に、太刀川としてはわくわくが止まらないらしい。

 

「でもよ、二宮さん相手に1対1は厳しくねえか? ROUND3の時だって、逃げっぱなしだっただろーがよ」

 

 観戦席にいた当真は頭の後ろで腕を組みながら、そう告げる。

 

 確かに、ROUND3で七海が二宮相手に逃げ回る事しか出来なかったのは事実である。

 

 幾ら七海が攻撃を察知出来るとはいえ、そもそも()()()()()()状態に追い込まれてしまえば詰みだからだ。

 

 故に七海は、逃げに徹する他道はなかった。

 

 その光景を当時の解説として直に見ている当真は、その印象が強く残っているのだろう。

 

「そうとも限らないわ。あの時の二宮くんは、犬飼くんに守られてていつでも両攻撃(フルアタック)が使える状態だった。けど、今はどうかしら?」

 

 だが、それに待ったをかけたのは加古である。

 

 そんな加古の言葉に、当真は分かっているとばかりに笑みを浮かべた。

 

「ま、確かにそうだわな。この状況で両攻撃するとか、殺して下さい、って言ってるようなモンだろ。何せ、護衛がいない上に狙撃手は三人丸々残ってんだからよ」

「ええ、幾ら二宮くんでも、この状況で迂闊に両攻撃をするような真似はしないでしょうね」

 

 そう、二宮の最大の脅威である両攻撃ハウンドは、護衛がいない場合狙撃手がいない状態かもしくは位置がある程度特定出来ている状態でしか使えない。

 

 正確には使えはするが、リスクが大き過ぎる。

 

 初撃のホーネットはまだ二宮の位置が知られる前であった為に撃てはしたが、既に二宮の位置が割れた以上合成弾は使えない。

 

 つまりROUND3で散々那須隊を苦しめた、両攻撃ハウンドは今は使えないという事だ。

 

「けど、だからって七海単独で二宮さんをやれんのか? 確かに最近の七海は生駒や弓場を撃破しちゃいるが、それだって仲間の援護ありきだったろーがよ」

「結論から言えば、無理だ。少なくとも、七海単独ではな」

 

 当真の疑問に答えたのは、風間だった。

 

 風間は試合映像を見据え、目を細めた。

 

「七海は確かに機動力を軸とした攪乱能力はずば抜けて高いが、それでも単騎で二宮の弾幕を抜けて攻撃を届かせるには無理がある。少なくとも、二宮が万全の状態ではな」

「ああ、幾ら両攻撃出来ないとは言っても、近付けば近付く程弾幕の密度は上がって来る。メテオラも撃墜されるだろうし、ガードが出来なくなる以上マンティスも論外だ。あれはただのスコーピオンよりは伸びるが、それでも旋空なんかの射程と比べりゃ近接攻撃の延長でしかねえよ」

 

 そう、七海が二宮を相手にする場合最大の問題は、その()()()()の違いがある。

 

 二宮は射手として広い射程を持つだけではなく、豊富なトリオンによる弾幕を生成し近付く者を鏖殺出来る。

 

 当然、攻撃手は自分の間合いに入る事すら難しいし、銃手の場合も同一射程の火力なら射手より上、という利点が二宮のトリオン量という暴威で潰される以上まず勝ち目はない。

 

 かといって狙撃は当然警戒されているであろうし、射手も相当な練度でなければ二宮の相手は務まらない。

 

 そして、大抵の攻撃は防いでしまう二宮のシールドの強度の問題もある。

 

 完全に不意を打つくらいの事をしなければ、二宮は隙などまず見せないのだから。

 

「仮に二宮を仕留めるなら、最低でもマスタークラスの到達した奴複数で連携するのがまだ可能性が高い。実現出来るかどうかは別としてな」

「二宮は1対1を挑まれればそれを受ける傾向があるが、それはあいつに勝つ自信があるからだ。横槍の入らない一騎打ちなら、大抵の場合二宮に軍配が上がるだろう」

「悔しいけど、同意見ね。二宮くんをどうにかしたいなら、チームの連携は必須だわ」

 

 太刀川、風間、加古が次々に告げる。

 

 確かに、二宮の牙城を崩すのは並大抵の事ではない。

 

 犬飼に護衛された状態の二宮を相手にするよりはまだマシではあるが、それでもトリオン量の暴力に加え戦術まで用いてくる二宮を相手に勝つ事は、相当に難しい。

 

 少なくとも、一人でやって勝てる相手でない事は確かである。

 

「じゃあなんで、七海の奴はわざわざ前に出てきたんだ? 犬飼と合流させたくねーのはわかっけど、それでもリスク高過ぎだろ」

「────いや、そーとも限んないっすよ。少なくとも、あのまま犬飼先輩を二人がかりで追い詰めるのが最善ってワケじゃないですしね」

 

 当真の疑問に答えたのは、出水。

 

 出水は何処か笑みを隠し切れない様子で、試合映像を眺めている。

 

「あのまま二人がかりで犬飼先輩を追い詰めても、凌ぎ切られる公算は結構高いからな。それよりは、犬飼の相手を熊谷さんに任せて七海が二宮さんを足止めした方がずっと良い」

「そうね。結果として、最初の奇襲で犬飼くんの足は削れた。七海くんと熊谷さんの二人が頑張っている限り、二宮くんと犬飼くんの合流は難しくなったわ」

 

 加古の言う通り、上空からの奇襲により犬飼は片腕片足が削れている。

 

 機動力が削がれた以上、犬飼が二宮と合流するのは難しくなった筈である。

 

「けど、熊谷が犬飼の足止め出来んのか? 足が削れたっても、それは熊谷も同じだろ?」

 

 そう、足が削れたからと言って犬飼は易々と落ちるような相手ではない。

 

 更に言えば、犬飼の足を削った代償として熊谷もまた足が削られている。

 

 逃げという選択肢がほぼ無い以上あの場で戦り合うしかないが、中距離戦では矢張り犬飼に分がある。

 

 中距離戦に対応して間もない熊谷と違い、犬飼は中距離戦のエキスパートだ。

 

 本人の資質はサポーターに寄っているが、単騎でも相応の実力を発揮出来るのが犬飼という男の厄介な点である。

 

 あの足では、熊谷が自ら接近戦を挑むのは無貌だ。

 

 中距離戦しか選択肢にない以上、有利なのは犬飼の方なのである。

 

「確かに、くまだけじゃ厳しいだろうな。中距離戦の練度が違い過ぎる」

 

 だが、と太刀川は続けた。

 

「────それはあくまで、くま()()の話だ。犬飼を早く殺したいのは、何も那須隊だけじゃないって事さ」

 

 

 

 

「やってくれたね。けど、これならこれでやりようはあるんだよ」

 

 犬飼は片腕片足を失いながらも不敵な笑みを浮かべ、熊谷に銃口を向ける。

 

 腕は片方残っていれば銃は握れるのでまだ良いが、此処で足が削れたのはかなり痛かった。

 

 犬飼の強みの一つである機動力の高さは、実質封じられた。

 

 だが、逆に言えばそれだけだ。

 

 足を削ってくれたお返しに、熊谷の足も同様に削っておいた。

 

 あの足ならば、接近戦は望めまい。

 

 ならば中距離戦を行うしかないが、中距離での戦闘ならば犬飼に分がある。

 

 旋空にさえ気を付ければ、問題なく処理出来る筈だ。

 

「────なんて、油断すると思った?」

「いっ……!?」

 

 ────────しかし、そこで思考を止めるようであれば三流。

 

 犬飼は熊谷に向けていた銃口を即座に背後に向け、ノータイムでアステロイドを撃ち放った。

 

 背後から犬飼に斬りかかろうとしていた南沢は慌ててグラスホッパーを使用し、シールドで弾丸を防ぎながら回避を選択。

 

 家の屋根の上に、慌ただしく着地した。

 

 そんな南沢を見て、犬飼は不敵な笑みを浮かべる。

 

「最初から、これが狙いだったんでしょ? 七海くんがメテオラを使ったのは、俺を狙う為じゃない。此処に俺がいるって、喧伝する為だよね? 二宮さんがあっちにいて俺が孤立してるなら、他の隊が動かない筈がないからね」

「…………」

 

 熊谷は犬飼の問いかけを、無言の沈黙で肯定した。

 

 最初から熊谷は、犬飼と1対1で戦り合う気はない。

 

 熊谷の目的は、最初から犬飼を乱戦に巻き込む事。

 

 何が何でも、此処から逃がさない事である。

 

「それに、熊谷さん自身も標的として美味しい状態だからね。自分も餌に使うとか、恐れ入ったよ」

 

 更に、この場には足が削れた熊谷もいる。

 

 犬飼と同様、逃げる事が難しい熊谷が。

 

 最初に疑似的な共闘で犬飼を潰し、その後に熊谷を仕留めれば良い。

 

 他の隊にそう思考させる為に、熊谷は敢えて最初から捨て身の攻撃を敢行したのだ。

 

 無論あの奇襲は犬飼の足を削る為の一撃であったが、同時に熊谷自身も負傷し自ら逃げ道を塞ぐ為の一手でもあった。

 

 ただ乱戦に巻き込んだのでは、意味がない。

 

 確実に犬飼を此処から逃がさない為に、この場に誘引する決め手が必要だった。

 

 犬飼だけが負傷していたのであれば、熊谷と潰し合わせた後に漁夫の利を掻っ攫った方が良いと判断するかもしれない。

 

 だが、熊谷も同様に負傷している状態であればどうか。

 

 生駒隊は、熊谷の捨て身の戦法を過去に目にしている。

 

 いざとなれば犬飼を道連れにするかもしれない、くらいのイメージは持っている筈だ。

 

 故に、そこを突いた。

 

 犬飼も熊谷も足が削れ、逃げられない状況となれば、それだけ熊谷が捨て身戦法を敢行する確率が上がる。

 

 二人に相打ちになられてポイントを取られるより、最初はより厄介な犬飼を囲んで潰し、その後で熊谷を落とせば良いと考える筈だ。

 

 いわば、熊谷は自分自身も()()()()()()として見せる事でこの場に生駒隊を誘引して見せたのである。

 

「いるんでしょ? 南沢くんだけに任せるとは、ちょっと思えないしね」

「…………バレてたんならしゃーないわな」

 

 犬飼の呼び掛けと共に、家屋の屋根の上に水上が姿を現した。

 

 その手にはトリオンキューブが生成されており、既に発射準備を整えている。

 

「確かに南沢くんは強いけど、攻撃にのめり込み過ぎる悪癖がある。こんな重要な局面を、彼一人に任せるとは思えなかったからね」

「全部お見通し、っちゅー事か。そんなんやからカゲさんに嫌われるんやでー」

「ふふ、誉め言葉として受け取っておくよ。それでどうする? 君達、那須隊の思い通りに動かされちゃってるけど」

 

 犬飼はそう言って、目を細めた。

 

 わざわざ言葉に出して()()()()()をしたのは、それを生駒隊に聞かせる為。

 

 七海達に主導権を奪われる危険を提示して、あわよくばこの場から撤退させられないかという試みである。

 

「そんなん、どうするかなんて決まってるやん? 単に利害が一致しただけやし、俺らとしてはあんた等二人分の得点を取れればそれでいいんやからな」

 

 しかし、水上は揺らがない。

 

 たとえこの展開が誘導されたものだとしても、負傷した犬飼と熊谷いう魅力的に過ぎる標的が目の前にいるのだ。

 

 誘導に乗るリスクよりも、此処で点を取るメリットの方が大きい。

 

 水上は、そう判断した。

 

「ま、そうだろうね。俺でも同じ判断を下したよ」

 

 その選択を、犬飼は素直に称賛した。

 

 確かに那須隊の思惑に乗るのは怖いが、犬飼が二宮と合流してしまえばそれで実質ゲームセットの可能性がある。

 

 二宮の両攻撃や合成弾が解禁されてしまった場合、止められる者などは早々いない。

 

 ならば、その危険を一刻も早く排除しようというのが当然の思考だ。

 

 元々揺さぶりが通じるとは思っていなかったので、犬飼に気落ちはない。

 

 しかし、その眼光の鋭さはより輝きを増したように思える。

 

 覚悟を、決めたのだろう。

 

 此処で落ちる覚悟と、自分の仕事をやり遂げる覚悟を。

 

 何せ、今の犬飼は足が削れている。

 

 熊谷だけならば逃げ切れる可能性があったが、グラスホッパーをセットしている南沢と中距離戦に対応した射手である水上がやって来た以上、逃げの選択肢は潰れたも同然だ。

 

 更に言えば、狙撃手三人の位置が未だ一切割れていない。

 

 つまり犬飼は、この場で三人を相手にしつつ、狙撃も警戒しなければならない。

 

 中々のハードモードだが、やり遂げる以外に道はないのも確かである。

 

「してやられた、と言うべきだろうね。けど、素直にポイントになってあげる程、俺は優しくないんだ」

 

 恐らく、どう足掻いてもこの場で落ちるだろう、と犬飼は確信している。

 

 だが、ただ大人しくやられてやるつもりはない。

 

 やるからには、徹底的に。

 

 相打ちだろうがなんだろうが、この場の面々に痛打を与える。

 

 まんまと自分を罠にかけた那須隊への称賛として、全力でこの場をかき回す。

 

 滅多にない感覚に、犬飼の頬が薄っすらと紅潮する。

 

「さあ、付き合って貰うよ。出来れば、最後までね」

「んな悠長な事はせえへんよ。確実に、獲っちゃるからな」

 

 その言葉が、開戦の合図。

 

 犬飼と水上は同時にアステロイドを生成し、弾丸を射出。

 

 それと同時に熊谷はハウンドを掲げ、南沢はいつでも動けるように腰を低くする。

 

「────」

「────」

 

 そして、斉射。

 

 それを合図として、三つ巴の乱戦が開始された。





 今日はくまちゃんの誕生日。ツイッターやってると公式からそういうお知らせ流れてくるのよね。

 犬飼の頭の良さをアピールする為にこういう展開と相成りました。

 実際、トップクラスに機転が利くタイプだしね犬飼は。

 伊達に元A級ではない。


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二宮隊⑤

『すみません、二宮さん。こっから抜けるの無理そうなんで、落ちる前に仕事しときます』

「…………分かった」

 

 犬飼からの通信を受け、二宮は静かにそれを承諾する。

 

 諦めるな、などという無駄な言葉をかけるつもりはない。

 

 こういう時の状況判断で、犬飼が間違いを冒した事はない。

 

 その犬飼が、脱出は「無理だ」と判断したのだ。

 

 すぐに七海を振り切って二宮が犬飼の元に急行すればなんとかなるかもしれないが、そんな隙を今の七海が見逃すだろうか?

 

 答えは否。

 

 そんな隙を晒せば、あの少年は確実にそこを突いてくる。

 

 仲間を助けようと無理に動き、隙を晒して落とされる。

 

 そのような、ROUND3の時の那須隊が冒したような過ちを起こすワケにはいかなかった。

 

 ならば、今自分がやらなければならない事は何か。

 

 言うまでもない。

 

 勝利を。

 

 目の前の挑戦者を正面から叩き潰し、小癪な策ごと鏖殺する。

 

 それだけだ。

 

 辻が動ければそれなりのやり方もあったが、今辻は影浦隊に捕まっている。

 

 あの二人を相手に離脱するのは、そう簡単な事ではない。

 

 故に、二宮は辻と犬飼を援護し合流する、という選択肢を一先ず放棄した。

 

 力には力で、策には策で応じるのが二宮のスタイルだが、策とは基本的に手足の如く動かせる仲間がいて初めて成立するもの。

 

 こんな序盤に犬飼達が二人共捕まるなど、想定外も良い所だ。

 

 仲間二人が共に身動きが取れない現状、二宮単独で動く他ない。

 

 その為にも、七海をどうにかしなければ話にならない。

 

「やってくれたな。良い手だ」

 

 だが、と二宮は告げる。

 

「────あまり、二宮隊(俺たち)を舐めるな。俺も、あいつ等も、このまま終わる程甘くはないぞ」

 

 宣告と共に放たれる、二宮の威圧。

 

 空気が震え、その場を張り詰めた空気が満たす。

 

「……っ!」

 

 一瞬、気圧される。

 

 しかし七海は歯を食い縛り、二宮を睨み返す。

 

 それを見た二宮は微かな笑みを浮かべ、次の瞬間にはハウンドを生成。

 

 号砲代わりに、七海に弾幕の雨が降り注いだ。

 

 

 

 

「熊谷隊員と対峙する犬飼隊員の下へ、生駒隊の二人が乱入……っ! 二宮隊長もまた、七海隊員との戦闘を開始した……っ!」

「やるね、ベアトリス。シンドバットもだ」

 

 桜子の実況で盛り上がる会場の喧騒を尻目に、王子はそう言って笑みを浮かべた。

 

 その表情から読み取れるのは、純粋な称賛。

 

 彼は今この時、本気で那須隊の戦術を称賛していた。

 

 見事だ、と。

 

「ふむ、この状況は那須隊の想定通りという事でしょうか?」

「十中八九、そうだね。この状況を作り出したのは、ベアトリスだ」

 

 誰それ、とは言わない。

 

 桜子はこの実況が始まる前に、蔵内から「王子のニックネームリスト」なるものを渡されている。

 

 そこにはこの試合に参加する隊員に王子が付けた素っ頓狂なあだ名一覧が乗っており、ベアトリスだのシンドバットだのなんでそうなった? と言わんばかりのあだ名を連呼されても桜子が混乱する事はない。

 

 実況に必要ならば、どんな知識でも習得する。

 

 それが、武富桜子という少女なのだから。

 

「ベアトリスは、敢えて捨て身で攻撃する事で澄晴くんの足を削ると同時に、自分自身に痛打を与えた。これは澄晴くんにダメージを与える為の必要な犠牲であると同時に、あの場に生駒隊を呼び込む為の策でもあった」

 

 まず、と王子は前置きして続ける。

 

「もしもあの時澄晴くんだけがダメージを負った場合、生駒隊は澄晴くんとベアトリスを食い合わせて弱った所を一網打尽にする、という選択肢があった。そっちの方が、漁夫の利を得易いからね」

「その場合、生駒隊に犬飼の相手を押し付けて自分は逃げるという手も使えるからな。生駒隊としては、それは避けたいだろう」

 

 そう、もしも熊谷が無傷でいた場合、生駒隊は下手に乱入すれば犬飼の相手を押し付けられ、熊谷の離脱を許す恐れがあった。

 

 生駒隊としても、あそこで犬飼を逃がすのは避けたい所だが、熊谷を逃がしてしまうのも上手くない。

 

 ならば、二人が消耗した所を狙った方が良い。

 

 そう考えて、暫く静観に回る恐れがあった。

 

「だが、実際には犬飼も熊谷も双方共に足を削られている。つまり────」

「────そう。どちらもあの場からは容易に逃げられない。だからこそ、生駒隊はあそこで乱入に踏み切ったんだ」

 

 しかし、熊谷もまた足が削れているのならば話は別だ。

 

 足が削れている二人は、生駒隊からすれば格好の標的。

 

 むしろ、あそこで乱入しなければ最悪二人が相打ちになり、ポイントを二宮隊と那須隊に持って行かれる恐れもあった。

 

 それこそが、熊谷の狙い。

 

 自分を()()()()()とする事で生駒隊を釣り出し、犬飼を決して逃がさないようにする一手。

 

 それが、那須隊が今回用いた策の全貌であった。

 

「熊谷は、那須隊の中では最も狙い易い駒だ。技量というよりも、その性質的にな」

 

 二人が説明に補足しようと、レイジが語り出す。

 

 王子達は口を閉じ、清聴の構えを取った。

 

「那須と七海はその機動力から捉えるのが難しく、下手に深追いすれば攪乱され仕留められる。日浦も隠密能力が相当高いし、ここぞという時まで潜伏に徹するからそもそも見つける事が容易じゃない」

 

 だが、とレイジは続ける。

 

「熊谷だけは、そういった()()()()()()()()()要素がない。隠密も得意なようだが本職の狙撃手には及ばないし、射撃トリガーが使えると言っても練度は射手には及ばない。機動力も、そこまで高いワケじゃないしな」

 

 そう、熊谷は他の那須隊の面々と違い、()()()()()という特徴がある。

 

 レイジの言う通り、那須隊の他の三人はそれぞれの理由で狙う事が躊躇われる要素を持つ。

 

 七海はサイドエフェクトによって狙撃や奇襲が通じず、機動力も高い為下手に挑めばメテオラ殺法に封殺される。

 

 那須はその尋常ではない機動力と自由自在な弾道のバイパーを操る為、一度目を付けられると抜け出すのは容易ではない。

 

 茜は狙撃手としてかなり隠密に長けている上、ここぞという大一番以外では基本的に出て来ない。

 

 そういった理由で、那須隊の他の面々は迂闊に手を出せば痛い目を見る可能性が非常に高いのだ。

 

 しかし、熊谷はそうではない。

 

 ハウンドを習得し中距離戦に対応出来るようになったが、あくまでそれは()()が出来るだけだ。

 

 中距離戦の練度自体は、射手や銃手には及ばない。

 

 先ほどの犬飼がそうであったように、一定以上の技量があれば中距離戦で押し返す事は左程難しくはない。

 

 それに何より、熊谷には那須や七海のような桁外れの機動力は備わっていない。

 

 故に、隙を突いて逃げられる、という事が那須達と違って起こり難いのだ。

 

 だからこそ、ROUND7では王子も熊谷を第一目標に定めたのだから。

 

「だが今回、熊谷はそこを逆手に取った。自分が狙われ易い駒である事を自覚した上で、それを利用して生駒隊を誘導して見せた。自分の弱みを強みに変えた、良い策だと言えるだろう」

「そうだね。相変わらず、自分を囮にする戦法が巧いな。ベアトリスは」

 

 思えば、ROUND7の時もそうだった。

 

 熊谷は自ら姿を晒す事で王子隊の動きを誘導し、試合の主導権を那須隊に傾けてみせた。

 

 弱みも、使い方次第で強みに代わる。

 

 弱さは、役立たずとイコールではない。

 

 熊谷の動きは、まさにそれを体現していた。

 

「しかしこうなると、犬飼隊員が落ちるのも時間の問題でしょうか?」

「そうだね。ベアトリスだけならともかく、みずかみんぐ達まで来たからね。あの足じゃ、逃げるのは難しいだろう」

 

 けど、と王子は告げる。

 

「────ただでやられる程、澄晴くんは甘くない。彼を策に嵌めたのは見事だけど、油断すると手痛いしっぺ返しを貰うかもね」

 

 

 

 

「アステー、ロイドッ!」

 

 水上がトリオンキューブを生成し、犬飼に放つ。

 

 それと同時に、南沢が側面から斬りかかる。

 

 アステロイドは、威力特化の弾丸。

 

 集中シールドでなければ、基本的には防げない。

 

「────ハウンドだね」

 

 しかしそれは、その弾丸が本当にアステロイドであった場合の話。

 

 犬飼はシールドを集中するのではなく広げ、曲射軌道に変わった弾丸────────ハウンドを、防御する。

 

 同時に、斬りかかってきた南沢にアステロイドで銃撃。

 

「うわっとっ!」

 

 南沢は咄嗟にグラスホッパーを展開してそれを踏み、弾丸を回避。

 

 姿勢を低くして、再度犬飼に斬りかかる。

 

 同時に、熊谷は旋空の起動準備に入る。

 

 あわよくば、犬飼を南沢ごと斬り捨てる算段だ。

 

「そらあかんよ、熊谷さん」

「……っ!」

 

 その魂胆を、水上が見抜けない筈もない。

 

「アステロイド」

 

 故に水上は、今度は本当のアステロイドをばら撒いた。

 

 弾を散らし、犬飼と熊谷、その両方が射程に入る形で。

 

 熊谷は仕方なく、旋空の起動を中断。

 

 集中シールドで、水上のアステロイドを防御する。

 

 同様に犬飼も集中シールドでアステロイドを防御するが、南沢の攻撃は止まらない。

 

 シールドでは、ブレードを受けきる事は不可能。

 

 それは、隊員の間では最早常識となった、ボーダートリガーの仕様である。

 

 ブレードトリガーと射手トリガーでは、威力に注ぎ込んでいるトリオンの量が違う。

 

 射手トリガーは射程を保証する為のカバーや推進剤などにトリオンを使っている為、必然的に威力に用いられるトリオンは少なくなる。

 

 けれどブレードトリガーは、そのトリオンの殆どを威力と強度に振り分けてある。

 

 故に、アステロイドさえ防ぎ得るシールドも、ブレードの一撃は防げない。

 

 体重が乗ったブレードトリガーの斬撃は、基本的に同じブレードでしか受けられない。

 

 銃手や射手が、攻撃手に近付かれてはならないという理由がこれだ。

 

 攻撃手に接近を許せば、如何に熟達した射手や銃手であれそのまま押し切られる。

 

 だからこそ、銃手や射手は()()()()()()()()()()()()を念頭に置いて戦うのだ。

 

「おっと」

「うえっ!?」

 

 ────────だがそれは、銃手(犬飼)がブレードを持っていないという前提の下で成立する話である。

 

 南沢の斬撃が、犬飼の腕から延びたブレードに受け止められる。

 

 そのブレードの名は、スコーピオン。

 

 スピードアタッカーが多用する、出現自在の刃である。

 

 ブレードでしか受けられないなら、ブレードで受ければ良い。

 

 単純明快な犬飼の解答が、そこにあった。

 

 スコーピオンの刀身は、その軽さや応用性の代償に弧月と比べれば脆い。

 

 だが、ブレードを受ける機能に置いては、シールドよりも適役なのは間違いない。

 

 現に、犬飼の展開したスコーピオンは弧月を受けた事で罅割れているが、きちんと受け太刀としての役割を果たしている。

 

「隙だらけだよ」

「まず……っ!?」

 

 そして、予想外の攻撃失敗に動揺する南沢は、犬飼の恰好の的だった。

 

 左手に握った突撃銃の銃口を、南沢に向ける。

 

 南沢はグラスホッパーを展開して逃げようとするが、一歩遅い。

 

 犬飼が突撃銃の引き金を引く方が、早い。

 

「させんで」

 

 だが、それを黙って見ている水上ではない。

 

 遠隔シールドを展開し、南沢の前面を守る。

 

 アステロイドだろうが、これならば防ぎ切れる。

 

 だが。

 

「かかったね」

「ぐっ……!?」

「な……っ!?」

 

 ────────それは、突撃銃からアステロイドが放たれた場合の話である。

 

 犬飼の持つ突撃銃からは、弾丸は撃ち出されなかった。

 

 代わりに放たれたのは、犬飼が自分の身体の影に密かに展開していたハウンド。

 

 地を滑るような挙動で放たれた誘導弾(ハウンド)は、シールドをすり抜け南沢の左足に直撃する。

 

 そう、銃撃すると見せかけたのは、ハッタリ(ブラフ)

 

 犬飼はあの時、突撃銃(アステロイド)をオフにしていたのだ。

 

 銃手トリガーは自由に出し入れする事が出来ない代わりに、弧月と同じように銃本体を出したままオフの状態にする事が出来る。

 

 犬飼はその仕様を利用し、銃撃すると見せかけてハウンドでの奇襲を狙ったのだ。

 

 それも致命傷を狙うのではなく、あくまで足を削る目的で。

 

 犬飼の目的は、この場で少しでも多く相手の戦力を削る事。

 

 その為には、相手の戦力を少しずつ削ぎ落す事こそが肝要である。

 

 南沢のようなスピードアタッカーにとって、足を削られるのは致命打に近い。

 

 重さのある弧月を使う関係上、四肢の欠損はダイレクトに戦力低下に響いてくる。

 

 間一髪でグラスホッパーを踏み込む事に成功し、南沢は上に逃げて致命傷だけは避けている。

 

 しかし、その左足は穴だらけで最早使い物にならない。

 

 なんとか屋根の上に着地した南沢だが、これでもう先ほどのような機敏な動きは望めないだろう。

 

「ホンマ、厄介やな。流石B級一位、いうことか」

「ま、確かに形勢は不利だけど、ただでやられてあげるつもりはないよ。マスタークラスである以前に、俺は二宮隊の銃手だから」

 

 そう言って、ニィ、と犬飼は不敵な笑みを浮かべた。

 

「かかっておいで。分かってると思うけど────────俺の命は、安くはないよ」

 

 それは、称賛にして宣戦布告。

 

 自分を追い込んだ者に対する敬意と、B級一位(二宮隊)としてのプライド。

 

 その二つが込められた、この上なく好戦的な挑発であった。




 犬飼は折角スコピとハウンドがあるんで、活用させてみました。

 原作では少ししか出なかったけど、トリガーセットにあるなら使わなきゃ損だよね。

 ワートリのトリガーセットを見るとこういう想像が色々膨らむのである。


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二宮隊⑥

 

「犬飼隊員、実質3対1の不利の中、ハウンドを用いて反撃……っ! 南沢隊員の足を削ったぁ!」

「流石と言うべきだね」

 

 王子は薄く笑みを浮かべ、告げる。

 

「あまり知られていないけど、澄晴くんはトリガーセットにハウンドとスコーピオンを装備している。以前聞いてみたところ、色々な事が出来るように、との解答だったけど────」

「────練度が高いな。とてもじゃないが、初めて使ったようには見えない」

 

 蔵内の言う通り、犬飼のハウンドやスコーピオンの取り扱いは初心者のそれではなかった。

 

 それなりの数の経験を経て、自分のものにしている。

 

 そういった空気があった。

 

 犬飼の本職は、銃手である。

 

 それもサポーター重視の、基本にして最も立ち回りが難しいタイプだ。

 

 銃手故に当然接近戦は苦手な筈だし、射手トリガーも普段扱う事はない。

 

 しかしそれでは、あのハウンドとスコーピオンの練度が説明出来ないのだ。

 

 あれはどう見ても、相当な修練を重ねているだろう。

 

誘導弾(ハウンド)の誘導設定の扱いも慣れた様子であったし、スコーピオンでの受け太刀も難なくこなしていたしね。特に射手トリガーは銃手トリガーとは使い心地が違うというのにね」

 

 銃手トリガーは細かいチューニングや応用性が低い分、引き金を引くだけで弾丸を発射出来る取り回しのし易さがある。

 

 射手トリガーは銃手トリガーとは違い、発射に際し射程や弾速、威力などをチューニングした上でキューブを分割し、弾道を決めて発射するプロセスがある。

 

 処理しなければならないタスクが多く、人によっては扱い易さは大分変わって来る。

 

 要は、適性の問題だ。

 

 NO1銃手の里見なども、「俺には射手は無理だね」と言い切っている。

 

 にも関わらず、犬飼はハウンドをしっかり使いこなしていた。

 

 しかもそれを利用して銃撃すると見せかけて南沢の足を削ったのだから、大したものである。

 

「澄晴くんが厳しい状況なのは違いないけど、場合によってはあの場の全員を道連れに出来るかもだ。やっぱり、油断出来る相手じゃないね」

 

 

 

 

「ほー、やるなあ犬飼。片手片足削れてんのに、よくやるもんだ」

 

 試合映像を見ながら、太刀川が呟く。

 

 その周囲の者達も、同じように感心する素振りを見せた。

 

 犬飼の立ち回りは、それだけ巧みであったのだから無理もない。

 

「年季の差、と言うより経験の差、と言うべきだろーな。犬飼にゃあ那須隊や生駒隊と違って、A級隊員として戦った経験がある。レベルのたけー戦いにゃあ慣れてんだ。少し劣勢になったくらいじゃ、崩れないだろーさ」

「ま、そーだろーな。色んな状況に対応出来るようにセットしてたっぽいスコーピオンやハウンドを、あそこまで使いこなすんだ。ありゃ、裏で相当練習重ねてたっぽいぞ」

 

 当真の言葉に、出水も追随する。

 

 確かに、犬飼のスコーピオンやハウンドの扱い方は、一朝一夕で出来るものではない。

 

 彼の本職は、あくまで銃手。

 

 だというのに、専門外である筈のブレードトリガーや射手トリガーをあそこまで巧く扱えているのだ。

 

 恐らく、裏で相当な努力を重ねたに違いない。

 

 犬飼は天才タイプではない。

 

 どちらかといえば、秀才タイプ。

 

 それも、人に努力を悟らせないタイプの秀才だ。

 

 普段の飄々とした態度は、あくまでポーズ。

 

 その裏では、必要な事を習得する為に修練を欠かしてはいない。

 

 スコーピオンやハウンドをセットしているのも、その一環だろう。

 

 二宮隊の副官として、あらゆる状況に対応出来るよう努力する。

 

 それは犬飼にとって当たり前の事で、その当たり前(やるべきこと)をやっているからこそ、犬飼は強いのだ。

 

 努力だけで全てが解決するワケではないが、努力を重ねなければそもそも何も出来ない。

 

 日々の積み重ねは、地道な作業ではあるが確かにその身に恩恵を齎しているのだ。

 

 犬飼は割と要領が良く、努力を苦にしないタイプの人間だった。

 

 向上心が強く、自己のモチベーションのコントロールにも気を配れる。

 

 だからこそ、二宮隊のバランサーとしてその名を轟かせているのだから。

 

「しかしこりゃあ、上手く行けばあそこから離脱出来んじゃねえのか犬飼。もしそうなりゃ、大分変わって来るだろーが」

「いや、それはない」

 

 当真の言葉を、風間が制す。

 

 風間は鋭い視線で試合映像を見据え、口を開く。

 

「確かに、犬飼の練度やその立ち回りは相当なものだ。あのままただで落ちる事はないだろうが────」

 

 だが、と風間は告げる。

 

「────B級上位は、そう甘い連中ではない。たとえ元A級隊員だろうが、あの状況からの離脱を許す筈がない。だからこそ、犬飼もああして覚悟を決めているんだからな」

 

 

 

 

『てなワケで辻ちゃん。俺そのうち死ぬから、そっちはそっちで頑張って。可能な限り、引っ掻き回してから退場するからさ』

「了解しました」

 

 犬飼からの通信を受け、辻は短くそう答えた。

 

 余計な説明、余分な言葉は必要ない。

 

 ただそれだけのやり取りで、辻は全てを了解した。

 

 犬飼の判断能力は、辻も全面的に信頼を置いている。

 

 その犬飼が、「自分は落ちる」と断言したのだ。

 

 この試合、もう犬飼の援護は望めない。

 

 その前提で、動く。

 

 そう覚悟を決めた辻は、対峙する影浦と北添を静かな闘志を以て睨みつけた。

 

「ほー、良い眼じゃねえか。嫌いじゃねえぜ、そういうのはよぉっ!」

「……っ!」

 

 影浦はそんな辻の眼を見ると好戦的な笑みを浮かべ、マンティスで辻に斬りかかった。

 

 旋空未使用の弧月とマンティスでは、マンティスの射程の方が長い。

 

 弧月の攻撃範囲の外から、狩人の鎌が振るわれる。

 

 空気を裂き、首を断つ不吉の一撃。

 

 辻は、それを。

 

「────」

 

 弧月、一閃。

 

 バギン、という音と共に影浦が伸ばしたマンティスが、弧月の一撃によって砕かれた。

 

 それを見て、影浦はニィ、と唇を吊り上げ、笑う。

 

 影浦はその瞬間、一歩横へ跳んだ。

 

 その身体の向こうには、突撃銃を構えた北添の姿。

 

 そう、この場にいるのは影浦と辻だけではない。

 

 影浦隊の銃手、北添もまた此処にいる。

 

 北添の指は既に引き金にかかっており、影浦が飛び退くと同時に突撃銃が火を噴いた。

 

「……っ!」

 

 辻は影浦と同じように横に飛び、間一髪で弾丸を回避。

 

 今の影浦の動きの意図に気付かなければ、まともに喰らっていただろう。

 影浦にはサイドエフェクト、『感情受信体質』がある。

 

 これは自分に刺さる感情を肌感覚で理解出来るという代物であり、七海と同様攻撃察知に使える代物だ。

 

 違うのは、その察知の()()()()()

 

 七海は攻撃による被弾範囲が確定した瞬間、つまり攻撃開始の瞬間に感知される。

 

 対して影浦のサイドエフェクトは、攻撃意思を持った瞬間、つまり攻撃の直前に感知される。

 

 要は、攻撃感知のタイミングは影浦の方が一歩速いのだ。

 

 その分無差別攻撃や偶発的要素によるダメージ発生は感知出来ず、東のように殺気を消して攻撃すれば感知の網を掻い潜る事が出来るものの、そのタイミングの違いは大きい。

 

 今のは恐らく、北添の攻撃意思を影浦が感知し、自身が被弾しないように飛び退いたのだろう。

 

 ギリギリまで影浦の身体で北添の姿を隠し、銃撃の察知を遅らせる。

 

 そういう意図もあった筈だ。

 

 北添は結構な大柄だが、影浦も割と長身の部類に入る。

 

 目の前で長身の影浦が襲い掛かって来ていれば、自然と視線はそちらへ向く。

 

 別に、北添の身体が隠しきれていなくても問題はない。

 

 要は、少しでも意識の隙を作れればいいのだ。

 

 気付かなければ、逃げるのを遅らせて銃撃で固められる。

 

 もし気付いたのなら、そちらに意識を割かせて影浦の攻撃で仕留めれば良い。

 

 今のは、そういう連携だった。

 

 だからこそ、辻は影浦のサイドエフェクトを考慮した上で彼の動きの意図を察知し、回避行動を選んだ。

 

 だが、北添の攻撃はまだ終わっていない。

 

 その銃口が、辻が跳んだ先へ向けられる。

 

 響く銃声。

 

 重銃手(ヘビーガンナー)の銃撃が、再び火を噴いた。

 

「────」

 

 その銃撃に対し、辻が取った行動は再度の回避────ではない。

 

 シールドを張り、前傾姿勢で被弾面積を低くしての突貫。

 

 狙うは、北添の首。

 

 北添は攻防共に高い能力を持つ銃手だが、足が遅いという弱みがある。

 

 影浦や辻と違い、跳んで逃げるという方法が使えない。

 

 トリオンは割と高い方だが、至近距離からの旋空を叩き込めばシールドは割れる。

 

 このまま攻撃を受け続ければ辻のシールドも割れるだろうが、要は割れる前に北添の下へ到達出来ればそれで良い。

 

 疾駆する辻の身体が、北添へと肉薄する。

 

「させねぇよ」

「……っ!」

 

 だが、それを影浦が許す筈もない。

 

 素早い身のこなしによって一瞬で距離を詰めてきた影浦は、そのままマンティスを一閃。

 

 察知のタイミングが遅れた辻は撤退を余儀なくされ、横に跳んでそれを避ける。

 

 その間に北添と辻の間に影浦が立ち塞がり、辻から北添を庇う陣形を取った。

 

 こうなると、迂闊には近寄れない。

 

 影浦のマンティスの射程は、通常の弧月よりも長い。

 

 旋空を使えば話は別だろうが、機動力の高い影浦を前に迂闊に重さ(ウェイト)を加算する拡張斬撃など使えばその隙を突かれるだろう。

 

 影浦は、とにかく身のこなしが軽い。

 

 七海や那須のように縦横無尽に空中を飛び回るようなタイプではないが、とにかくその動きが()()()のだ。

 

 反射神経が図抜けて高い、と言っても良い。

 

 特に近接戦闘での立ち回りは、ボーダー内でもトップクラスのレベルにある。

 

 影浦が開発した固有技、マンティスはその性質上使用中の防御が出来ない。

 

 スコーピオンを二つ同時に起動する事で連結している性質上、両攻撃の状態となり両腕の枠が埋まってしまうからだ。

 

 にも関わらず影浦が容易にこれを使えるのは、攻撃を感知出来るサイドエフェクトとその身のこなしがあるからだ。

 

 いわば、那須と同じだ。

 

 那須は機動力を以て相手を攪乱する事で、両攻撃バイパーの運用に置けるリスクを低下させている。

 

 それと同じで、影浦も副作用(サイドエフェクト)による攻撃感知と素早い身のこなしによる回避機動で、マンティス使用における隙を潰している。

 

 伊達に、元A級部隊の隊長をやっているワケではない。

 

 ポイントこそ隊務規定違反で削られている為攻撃手ランキング上位には名を連ねてこそいないが、影浦の戦闘能力は攻撃手の中でも群を抜いて高い。

 

 故に、此処は迂闊に動けない。

 

 踏み込んだ瞬間、影浦の迎撃に遭う可能性が高いからだ。

 

 更に北添の援護射撃がいつ飛んでくるか分からない為、足を止めるのもまた愚策。

 

 北添の銃撃はブレードよりは当然威力は低いが、無視出来るレベルでもない。

 

 銃撃によって動きを固められれば、容赦なくその隙を影浦に狩られるだろう。

 

 故にこその、一瞬の膠着。

 

 刹那にも満たない、停滞。

 

 

 

 

『イコさん。OKっす』

 

 その機会(タイミング)を、待っていた者がいた。

 

 その男は、生駒は、仲間からの通信を受け、己が秘奥を解き放つ。

 

「────旋空弧月

 

 

 

 

「……っ!?」

 

 それに真っ先に気付いたのは、影浦だった。

 

 影浦は目を見開いて北添に駆け寄り、その身体を叩きつけるようにして地面に引き倒す。

 

「わっ……!?」

「……っ!」

 

 突然の行動に北添はそのまま地面へ激突し、影浦も同様に身を屈める。

 

 その行動の意図に気付いた辻もまた、その場から跳躍。

 

 影浦の行動に端を発した、一瞬の回避機動。

 

 家屋を斬り裂き、旋空の一撃が飛来したのはその直後だった。

 

 障害物など関係ないとばかりに全てを斬り裂く拡張斬撃が、影浦達のいた場所を薙ぎ払う。

 

 この場に攻撃を感知出来る影浦がいなければ、全員がその刃に斬り裂かれ手いただろう。

 

 故に、この場に彼がいた事こそが生駒の不幸だった。

 

「ぐ……っ!?」

「な……っ!?」

 

 ────────否。その程度は想定内。

 

 引き倒された北添の身体に、彼方より飛来した弾丸が直撃する。

 

 この場に影浦がいて、生駒旋空を察知される事など承知の上。

 

 そも、影浦達の位置を正確に生駒へと伝達したのは誰なのか。

 

 そんなもの、一つしかない。

 

 生駒隊狙撃手、隠岐孝二。

 

 それが、北添を穿つ弾丸を放った者の名であった。

 

『戦闘体活動限界、緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、北添の脱落を告げる。

 

 北添の身体は一筋の光となり、戦場から離脱した。

 

 

 

 

「よし、仕留めたで」

 

 その光景を、マンションの屋上でスコープ越しに眺める影があった。

 

 無論、北添を仕留めた張本人、隠岐である。

 

 最初から、生駒旋空は囮。

 

 隠岐による狙撃を成功させる為の、見せ札。

 

 作戦通り、隠岐の狙撃により北添は仕留められた。

 

「そんじゃ、とんずらしましょか」

 

 しかし、今ので隠岐の位置は割れた。

 

 見た限り周囲の建物の屋上に狙撃手の影はないが、このまま此処に居続けるのは上手くない。

 

 更に、未だ那須の位置が不明のままなのだ。

 

 幾らグラスホッパーを持つ隠岐とはいえ、那須に追われたら流石に詰む。

 

 最低限の仕事はしたものの、此処で那須に来られるのは上手くない。

 

 そう考え、隠岐はその場から動く事を決めてグラスホッパーを展開した。

 

 無論、バッグワームを着たままで。

 

 

 

 

「そこか」

 

 しかし、その隙を見逃さない者がいた。

 

 家屋の中、窓越しに外を伺う小柄な影が、標的を睨む。

 

 そしてその少年は、ユズルは、アイビスの引き金を引いた。

 

 

 

 

「えっ……?」

 

 ────────そしてその弾丸は、屋上の床を突き破り隠岐の胸を貫いた。

 

 高所ではなく、低所から放たれたアイビスの一撃。

 

 まさか下から狙撃される、などとは思っておらず、バッグワームとグラスホッパーの同時展開でシールドを張れなかった隠岐に、その一撃を防ぐ術はなかった。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 それが、致命。

 

 機械音声が彼の離脱を告げ、隠岐は光の柱となって戦場から消え去った。





 ユズルといえば壁抜き狙撃のイメージがある。

 今回の場合は天井抜きだが。

 アイビスの威力あってのものだろうけどね。


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二宮隊⑦

 

「おーっと、此処で大きく動いたっ! 生駒旋空と連動しての隠岐隊員の狙撃により、北添隊員が緊急脱出……っ! 更にその隠岐隊員を、絵馬隊員の狙撃が撃ち抜いた……っ!」

 

 B級ランク戦、最終ROUND。

 

 その最初の脱落所が決まり、会場が沸き上がる。

 

 生駒と隠岐の連携も、隠岐をカウンター狙撃したユズルの手並みも、どちらも見応えのあるものであった。

 

 この盛り上がりは、むしろ自然な反応だろう。

 

「どちらも流石だね。特別な事をやったワケじゃないけど、その場その場での最適解ではある」

「そうだな。特に、北添を狙った所がなんだかんだ堅実な生駒さんらしい」

 

 そうだね、と王子は蔵内の言葉に同意する。

 

「あの場で自由にしたら一番面倒なのは誰か、ってなるとやっぱりゾエさんになるからね。それでいて、あの場で一番倒し易い駒でもあった。狙わない理由がないよね」

「ふむ、一番面倒で狙い易い、ですか」

「ああ、強さと言うよりも、その性質がね」

 

 王子はそう告げると指をピン、と立てて説明した。

 

「まず、ゾエさんがフリーになっちゃうとまたあの適当メテオラが襲ってくるワケだ。あれをやられると誰かがゾエさんを抑えるまでまともに行動出来なくなるし、折角バッグワームで隠れていても炙り出される危険がある」

「無差別攻撃に見えて、自分の隊には被害が及ばないのもポイントだな。レーダーを見て絵馬がいる所は避ければ良いし、影浦はサイドエフェクトで攻撃を察知できるから多少巻き込んでも問題はない。むしろ、混乱に付け込んで乱戦に持ち込めるから願ったり叶ったりだろう」

 

 そう、北添の適当メテオラの厄介な点は、彼が所属する影浦隊との相性の良さだ。

 

 適当メテオラはその名の通り適当に撃っているように見えるが、その実レーダーを見て何処に爆撃を落とすかを判断して放っている。

 

 ユズルを巻き込みそうな爆撃は放っていないし、影浦はそもそも副作用(サイドエフェクト)で察知出来るから近くに落としても支障はない。

 

 蔵内の言う通り、乱戦に持ち込み易くなる為好都合でもあるのだ。

 

 つまり、無差別に見えて無差別ではない。

 

 指向性のある援護爆撃、と言うべきだろう。

 

 後は爆撃で炙り出された相手に影浦が突貫したり、チャンスがあれば絵馬の狙撃で仕留めても良い。

 

 伊達に影浦隊の戦術の中核にはなっていない、という事だ。

 

「そして、ゾエさんの唯一の欠点は足が遅い────────つまり、機動力に難がある事だ。更に言えば、あの時位置的にゾエさんは生駒旋空を回避する為に引き倒されて身動きが取れない状況下にあった。もう、狙わない理由を探す方が難しいね」

 

 そして、北添は生駒旋空から逃れる為に影浦が引き倒した事で回避が出来ない状態にあった。

 

 取り逃がすと厄介な相手が、隙を晒している。

 

 そうなると確かに、狙わない方がおかしい。

 

 あの場で北添が狙われたのは、順当と言える。

 

「それから、狙撃を成功させたおっきーを正確に狙い打ったエマール(絵馬)の手腕も褒めるべきだろうね。まさか高所ではなく家屋の中に潜んでいたとは、盲点だったよ」

 

 いや、と王子は自分の発言を思い返し訂正する。

 

「考えてみれば、合理的なやり方ではあったワケだ。この市街地Aの性質を考えればね」

「そうだな」

 

 王子の言葉を、レイジがそう言って肯定した。

 

「市街地Aは特徴のない住宅密集地が多く、狙撃手が布陣するに最適な高所は数える程しかない。そして当然、そういった場所は狙撃手にとっては一目瞭然だ。絵馬も恐らくそのいずれかに狙撃手がいると、当たりを付けていただろう」

 

 そう、この市街地AというMAPは他の市街地MAPよりも圧倒的に住宅地の面積が多く、病院やマンションのような高い建物はそう多くはない。

 

 基本的に、狙撃手は高所を取った方が有利になる。

 

 高所を抑えられれば戦場全体を俯瞰して見る事が出来るし、相手がバッグワームを着ていても直接視認する事で捉える事が出来る。

 

 狙撃手にとって素早く高所を抑える事は、試合における最重要項目と言っても良い。

 

 しかし逆に言えば、狙撃に適した高所が少ないMAPであれば、狙撃手が陣取っていそうな場所にある程度()()()を付ける事が可能である事を意味している。

 

 ユズルは当然狙撃に適したポイントをチェック済であった筈であり、あそこまで迅速に隠岐を狙えたのはその為でもあるのだろう。

 

「隠岐はグラスホッパーを装備した変わり種の狙撃手だ。その為か他の狙撃手と比べると自分の位置が知られる事を恐れない傾向があり、だからこそ迷いなく高所を抑えたんだろう。見つかっても、グラスホッパーがあれば逃げられると踏んでな」

「周辺で一番高い建物ではなく、中程度の建物の屋上を選んだのは相手チームの狙撃の斜線を限定させる為でしょうか?」

「十中八九、そうだと見てる」

 

 レイジはそう言うと、狙撃にも精通した完璧万能手として説明を始める。

 

「この試合には、隠岐を含め三人の狙撃手がいる。当然隠岐もカウンター狙撃は警戒していただろうし、だからこそ敢えて中程度の高さの建物の屋上に陣取る事で、狙撃が来る方向を限定していた」

 

 この市街地Aには、狙撃に適した高所は少ない。

 

 故に狙撃手である隠岐は当然そうした場所はチェックしている筈であり、敢えて一番高い場所ではなく中程度の高さの場所に陣取る事で狙撃が来る方向を限定する策を取っていた。

 

 狙撃は数か所の高所のうちいずれかから来ると分かっていれば、狙撃されても集中シールドで防げるからだ。

 

「バッグワームを着たままでもイーグレットは片枠のシールドを集中させれば防げるし、アイビスはそもそも三つの狙撃銃の中で最も弾速が遅いから場合によっては回避が間に合う。ライトニングに至っては広げたシールドで難なく弾けるから、いずれも来る方向さえ分かっていれば問題なく防げただろう」

 

 だが、とレイジは続ける。

 

「絵馬は、その意識を逆手に取った。狙撃が来るなら高所から、という隠岐の思い込みを利用する形で低所に陣取り、壁抜き狙撃ならぬ天井抜き狙撃で隠岐を仕留めた。まさか隠岐も、ほぼ真下から狙い撃たれるとは思ってなかっただろうからな」

 

 そう、ユズルは狙撃手の思考を読み、その意識の陥穽を突く形で隠岐を仕留めたのだ。

 

 隠岐の目論見としては、敢えて中程度の位置の建物の上に陣取る事で狙撃手の斜線を限定し、いざとなれば狙撃は集中シールドで対処するかグラスホッパーで回避するつもりでいた。

 

 しかしユズルはその目論見を利用し、低所の住宅街────────しかもその家屋の中に陣取る事で、隠岐の隙を突いた。

 

 高所からの狙撃や、同程度の高さの建物からの狙撃であれば隠岐は難なく凌いだだろう。

 

 だが、低所の家屋の内部に狙撃手が潜んでいるとは、流石の隠岐も読めなかったという事だ。

 

 ユズルらしい、機転を利かせた上手い点の取り方だったと言える。

 

「ともあれ、これで二人が落ちて流れが変わった。生駒の動き次第だが、此処から荒れるぞ」

 

 

 

 

『やったなユズル! 一点ゲットだっ!』

「喜んでばかりもいられないよ。逃げなくちゃ」

 

 ユズルは隠岐を仕留めた事を確認すると、すぐさま撤収準備に入っていた。

 

 隠岐を、他のチームの狙撃手を落とせた事は大きいが、今のでユズルの位置は知られた。

 

 モタモタしていれば、距離を詰められて終わりだろう。

 

 ユズルは狙撃手として天賦の才を持っているが、流石に距離を詰められてはどうしようもない。

 

 特殊なMAPであればいざ知らず、今回のMAPはベーシックな市街地MAP。

 

 肉薄された時点で、基本的にユズルの負けだ。

 

 ユズルには隠岐のようなグラスホッパーを用いた機動力も、茜のようなテレポーターを用いた咄嗟の緊急回避能力もない。

 

 特殊な戦術は用いず、あくまで技量一本で勝負する、スタンダードな狙撃手だ。

 

 距離を詰められる可能性は、極力排除するに越した事はない。

 

「…………まあ、あまり心配はしてないけどね。少なくとも今の時点では、おれは狙われないだろうし」

 

 

 

 

「…………何あれ? なんで位置がバレた狙撃手がいるのに、誰も追おうとしないワケ?」

 

 上層部観覧席で、太刀川を逃がさない為入口に陣取っていた菊地原がぼそりと呟く。

 

 試合映像に映し出されたMAPには場所を移動するユズルの反応があり、周囲にはそれを追おうとする反応はない。

 

 狙撃手の位置が割れたというのに、それを追おうとする者が誰もいない。

 

 ユズルのチームメイトである影浦の居場所が割れている以上待ち伏せを警戒する必要は無い筈なので、その行動は菊地原にとって奇異に映ったのだ。

 

「そりゃ、今の状況でユズルに脱落されちゃ困るからさ。生駒隊にとっても、那須隊にとってもな」

「なにそれ?」

「二宮への牽制の為だろうな」

 

 当真の発言に疑問符を浮かべた菊地原に、風間がそう答える。

 

 菊地原の視線が風間に向き、次の言葉を待った。

 

「二宮は今でこそ七海一人であの場に抑えられているが、それは二宮が狙撃手を警戒して両攻撃(フルアタック)をしていないからだ。狙撃手全員の位置が割れるか脱落すれば、二宮は両攻撃を使って七海の排除にかかるだろう。那須隊としては、それは避けたい筈だ」

 

 今、七海が二宮の相手が曲がりなりにも出来ているのは、二宮が両攻撃を使って来ないから、という要因が最も大きい。

 

 流石に七海といえど、両攻撃を使う二宮相手に時間稼ぎをするのは厳しいものがある。

 

 その為に、二宮の両攻撃を制限させられる狙撃手に落ちて貰っては困るワケだ。

 

「生駒隊としても、二宮さんがフリーになるのは避けてぇ筈だかんな。今の状況で、二宮さんの抑止力になるユズルが落ちて貰っちゃ困るワケだ。狙撃手なら、まだ日浦ちゃんがいるが────」

「────日浦の主武装は、ライトニングだ。確かに相手の隙を突く技術は突出しているが、二宮は良くも悪くも今の那須隊を評価している。迂闊に落とされる隙を晒すとも思えん」

 

 風間の言う通り、二宮が那須隊をノーマークの状態であったならば、茜がライトニングを差し込む隙もあっただろう。

 

 だが、二宮は今の那須隊の戦力を適正に評価している。

 

 つまり、警戒しているのだ。

 

 そんな相手に、ライトニングしか攻撃手段のない茜一人では抑止力として不安が残る。

 

 だからこそ、ユズルが此処で落ちて貰っては困るワケだ。

 

「しかしマジで今回、二宮隊マンマークって感じだな。全部隊が、二宮隊に狙いを定めてるしよ」

「順当な結果ではある。今回の試合で最大の脅威は、言うまでもなく二宮隊だ。それを抑えようとするのは、むしろ自然な流れだろう」

 

 太刀川の言に、風間がそう答える。

 

 そんな風間の言葉に、太刀川がでもよ、と食い下がる。

 

「二宮隊が一番厄介ってのは、今までも周知の事実だったろ? けど、これまでこんな感じでマンマークされる事はなかっただろ?」

「これまでは、二宮を単独で抑えられる奴がいなかったからな。今までの試合で二宮を仕留めた事がある影浦や東さんも、奇襲、不意打ちが基本だ。二宮相手に()()()()が出来る奴は、そう多くはない」

 

 だが、と風間は続ける。

 

「今回は、違う。七海は派手に立ち回って二宮の相手を引き受ける事で、この流れを作り出した。あれを見て、全員が思った筈だ。()()()()()()()()()()()()()とな」

「…………そういう事か」

 

 そう、全ては七海のあの行動が引き金なのだ。

 

 七海は敢えて派手に立ち回り、二宮の相手が出来る事をアピールした。

 

 あの瞬間、生駒隊や影浦隊の者達は感じただろう。

 

 今なら、二宮隊を抑え込めると。

 

 あの難攻不落のトップチームを、押し込めると。

 

 そんなチャンスを、曲者揃いの上位陣が逃す筈もない。

 

 二宮隊がA級に上がる為の最大の壁である事は、周知の事実だ。

 

 だが、これまではその圧倒的な強さを前に、膝を屈する事が多かった。

 

 B級上位陣といえど、二宮を落とすのはそう簡単ではないからだ。

 

 今までの香取隊のようにエースだけが強いチームならば付け入る隙もあったが、二宮隊は全員がマスタークラスという高いレベルで安定したチームだ。

 

 副官の犬飼の立ち回りの巧さもあって、付け入る隙など初めから皆無だった。

 

 どれだけ上手く立ち回ったとしても、二宮の暴威を押しのけるのはそう簡単な事ではないからである。

 

 しかし今回、その二宮が七海一人で抑え込む事に成功している。

 

 そんな僥倖を逃す程、B級上位陣は甘くはない。

 

 あの時点で、この試合の流れは決まったと言っても過言ではない。

 

 即ち、全部隊で二宮隊を囲んで叩く。

 

 それが、那須隊の仕込んだ本当の筋書き。

 

 一番危険な二宮の相手を自ら引き受ける事で、全ての部隊の標的を二宮隊に絞らせた。

 

 それが今回の作戦の、最大の肝である。

 

「二宮隊は、強い。だが、だからこそ狙われた。この流れを作った時点で、那須隊の作戦はほぼ成功していると言っても良い」

 

 だが、と風間は続ける。

 

「────────二宮隊は、不利に追い込んだ程度で崩れる程甘くはない。作戦が成功したからと言って、必ず勝てるというワケでもない。この流れをどう活かすか。肝心なのは、そこだろうな」

 

 風間はそう告げ、試合映像に目を向ける。

 

 そこには、距離を取って対峙する二宮と七海の姿が映し出されていた。





 夜勤プラス寝落ちで二日間も更新が滞ってしまった。不覚。

 今回はあんまし状況は動いてないけど、説明は必須だと思ったので一応こんな形に。

 次回もお楽しみに。


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二宮隊⑧

 

『イコさんすいません、やられました』

「しゃーないわ。前と違って一人は落としたし、許したる」

『まあ、あれは仕方ないよね』

 

 生駒は隠岐からの通信を受け、溜め息を吐く。

 

 正直、此処で隠岐が落ちたのはかなり痛い。

 

 先ほど正確に影浦達のいた場所を生駒旋空で狙えたのは、隠岐の観測情報あっての事だ。

 

 狙撃銃のスコープで戦場を俯瞰出来る隠岐の存在は、生駒隊にとってかなり大きい。

 

 生駒旋空の射程を最大限に活かすには、隠岐には生きていて貰わなければ困るのだ。

 

 だが、真織の言う通り隠岐を責めるのも酷だろう。

 

 隠岐は北添を仕留めるという自分の仕事をこなした上で、まさかの天井抜き狙撃で落とされた。

 

 ユズルの並々ならぬ技量の事は知っていたつもりだったが、家屋の中から天井抜きで隠岐を落とすなど誰が思おう。

 

 あの時、ユズルには隠岐の姿は見えていなかった筈である。

 

 チームメイトは辻と戦闘中であった為、観測情報を頼りにしたワケでもない。

 

 ただ、北添を落とした狙撃の弾道を解析し、隠岐の位置を計測して撃ち抜いたのだ。

 

 オペレーターの高い解析能力と、ユズルの技量。

 

 その二つが合わさって初めて可能となる、高難度狙撃。

 

 外れる可能性も充分ある懸けのような狙撃ではあったが、ユズルはきっちり当ててみせた。

 

 その技量と胆力には、舌を巻く他ない。

 

「それより、こっからはもっかい隠れる、でええんやな?」

『そや。辻は影浦に任せればええ。それよかイコさんには遊撃に回って貰った方が得やからな』

「遊撃に回る。了解」

 

 生駒は再びバッグワームを纏い、路地を駆け出した。

 

 家屋の中に飛び込み、中を通って別の路地に抜ける。

 

 それを幾度も繰り返し、身を隠しながら疾駆する。

 

「そんで、そっちは大丈夫なん? 実質3人がかりで苦戦しとるらしいやんか」

『大丈夫ってワケやないけど、踏ん張るしかないやろ。イコさんは予定通り、よろしゅうな』

「予定通り。了解」

 

 生駒は水上との通信を終え、路地を駆ける。

 

 ユズルのいるであろう方向に注意を向けながら、生駒は住宅街を疾駆していった。

 

 

 

 

(…………生駒さんは来ないか。バッグワームで隠れてもう一度奇襲を狙うつもりかな)

 

 辻は警戒していた二度目の生駒旋空が来ない事を確認し、視界の先に立つ影浦を見据えた。

 

 チームメイトを落とされた影浦であったが、その闘志に陰りはない。

 

 北添を落とした隠岐は、即座にユズルによって撃ち抜かれた。

 

 流石は、攻撃特化のチーム。

 

 油断すれば、一気に食い破られる。

 

 獣は、追い込んでからの方が怖い。

 

 まさに、それを体現するチームと言えた。

 

「あっちは来ねぇみてぇだし、こっちはこっちでやるとしようや。言っとくが、ゾエがいなくなったからって舐めんじゃねぇぞ」

「そんな余裕、ありませんよ。俺はただ、自分の仕事を全うするだけです」

「ハッ、スカしてんな。てか舐めてんな。確かにテメェらは強ぇがよ、俺らだって負けちゃいねぇよ」

 

 影浦は獰猛な笑みと共にそう告げると、右腕を振り上げた。

 

「手始めに、まずはテメェをぶった斬る……っ! ユズルがきちっと決めたんだ。俺も、気合い入れねぇとなぁ……っ!」

「……っ!」

 

 咆哮一閃。

 

 影浦の右腕が振り下ろされると同時に、鞭のようにしなる刃────────マンティスが、処刑鎌の如く振り下ろされる。

 

 辻は即座に対応し、バックステップでマンティスの射程外に退避。

 

 マンティスの刃が辻のスーツを浅く斬り裂くが、本体へのダメージはない。

 

「おらおらおらぁっ!」

「……っ!」

 

 だが、影浦の攻撃は止まらない。

 

 続けざまのマンティスの猛攻が、辻へと襲い掛かった。

 

 

 

 

「北添隊員を落とされた影浦隊長、そのまま辻隊員との戦闘を続行……っ! 一方、生駒隊長は再びバッグワームを使用し姿を隠す……っ! 再度の奇襲が狙いか……っ!?」

「ふむ、成る程ね」

 

 王子は試合映像を見ながら、得心したように頷いた。

 

「生駒さんは恐らく、おっきーの代わりの疑似的な狙撃手のような立ち回りをするつもりだろうね。生駒旋空は、狙撃ほどの射程はないけどそれでも40メートルの射程を持つ旋空はかなりの脅威だ。どうやらこちらも、徹底して二宮隊の動きを封鎖する狙いのようだね」

「そうだろうな。生駒の旋空は狙撃ほどの射程はないが、シールドでは防御出来ない。生駒が姿を隠している限り、他の隊は常にその動向に気を配る必要があるだろう」

 

 二人の言うように、生駒旋空はその射程と速度から疑似的な狙撃のような効果を持っている。

 

 無論射程では狙撃手に遠く及ばないが、それでも40メートルという射程は破格だ。

 

 しかも狙撃と違い、シールドでの防御が出来ないという点は見逃せない。

 

 基本的に、旋空は()()()()()()()()()()()攻撃である。

 

 シールドだろうとエスクードだろうと斬り裂き、遠くまで斬撃を飛ばす旋空は、ノーマルトリガーの中でも屈指の威力を持つ防御不可攻撃だ。

 

 通常の旋空の射程は踏み込みを加えても20メートル程度である為基本的に視認出来る距離の相手からしか飛んで来ないが、生駒旋空は別だ。

 

 その40メートルという射程は、攻撃手どころか銃手すらその射程内に収められる。

 

 そして何より、その剣速は異様に速い。

 

 居合抜きの技術を応用した技である生駒旋空は、起動時間を極端に短くする事で射程と剣速を上昇させた代物である。

 

 見てからの回避では、間に合わないと思った方が良い。

 

 そんな旋空の使い手が、バッグワームを用いて潜伏している。

 

 これほど、やり難い状況はないだろう。

 

「隠岐が脱落した事で生駒旋空の精度そのものは下がったが、それでもやりようは幾らでもある。生駒がこの先どう動くかで、試合の流れも決まって来るだろうな」

 

 

 

 

『生駒さんがバッグワームで隠れました。もしかしたらそっち行くかもしれません』

「了解了解っと。厄介な事になったねえ」

 

 犬飼は辻からの通信を受け、突撃銃で熊谷達の動きを牽制する。

 

 左足を削った南沢は水上の指示なのか障害物の影に隠れ、何かを待っているように見える。

 

 恐らく、機動力が死んだ南沢を状況に応じて旋空の砲台にするつもりだろう。

 

 南沢にはグラスホッパーがあるが、片足の状態ではグラスホッパーの補助があっても機動力はたかが知れている。

 

 迂闊に踏み込めば、先ほどのように返り討ちに遭うだけだろう。

 

 それが分かっているからこそ、水上は南沢を後ろに下げたのだ。

 

 これが熊谷のようにハウンドでも装備していれば話は別だっただろうが、南沢の攻撃手段は弧月オンリーだ。

 

 機動力が死んだ以上、あとは旋空を撃つくらいしか選択肢はない。

 

 少なくとも、犬飼相手に無謀な突貫が通用するとは思えない。

 

 彼我の状況を理解した、的確な采配と言えた。

 

(さて、どうするかな。モタモタしてると、此処に生駒旋空が撃ち込まれかねない。生駒隊の狙撃手は死んだみたいだけど、此処には生駒隊が二人もいる。観測情報を頼りにすれば、容易に撃ち込める筈だ)

 

 現状は、実のところ犬飼に不利である。

 

 此処の三人だけであれば何とか時間稼ぎを続ける事も可能だろうが、そもそも時間稼ぎに意味があるかは疑問が残る。

 

 何せ、此処には生駒隊が二人もいるのだ。

 

 先ほど北添を仕留めた時のように、隊員同士で連携して生駒旋空を撃ち込んで来る展開は充分有り得る。

 

 そして、足が削れた犬飼では生駒旋空を回避する事は難しい。

 

 他の部隊が二宮隊(じぶんたち)に狙いを定めている事くらい、既に承知している。

 

 那須隊には見事にしてやられた形となるが、過ぎた事を言っても始まらない。

 

(生駒さんには辻ちゃんの方に行って貰えた方が楽だったけど、それはそれで上手くないか。辻ちゃん一人でカゲの相手は中々にきついだろうし、俺も他人の心配をしてる場合じゃない。こんな時、鳩原ちゃんがいればな…………っと、何考えてんだか)

 

 犬飼はふともういない狙撃手の少女の顔を思い浮かべて、即座にその思考を中断する。

 

 それは、やってはいけない、考えてはいけない事だ。

 

 今は、戦闘に集中する時。

 

 余計な感傷に浸っている暇は、ないのだから。

 

(此処で時間を浪費するのは上手くない。かと言って、何も出来ずに落とされたんじゃ大損だ。少なくとも、一人か二人は道連れにしておきたい。流石に、此処から俺が生き残る芽はなさそうだしね)

 

 犬飼は現在、右腕と右足が削られている。

 

 南沢と違って銃手である為なんとか応戦出来ているが、機動力が死んでいるのはあまりにも痛い。

 

 今はなんとか障害物を盾にする形で牽制し、生き永らえているが、それも長くは続くまい。

 

 先ほどから水上と熊谷の両名から誘導弾(ハウンド)が撃ち込まれており、いい加減家屋を盾にゲリラ戦をするのも限界が近付いて来ている。

 

「────メテオラ」

「……っ!」

 

 犬飼が隠れている家屋に向かって、分割なしのメテオラがまるごと一発撃ち込まれる。

 

 それを察知した犬飼は即座にシールドを展開し、その家屋から脱出する。

 

「「ハウンドッ!」」

 

 無論、それを逃す水上達ではない。

 

 水上と熊谷が同時にハウンドを射出し、二重のハウンドが犬飼に迫る。

 

 此処でシールドを用いてガードをすれば、一先ずは防ぎ切れるだろう。

 

 だが、その()が続かない。

 

 近くに南沢を控えさせている水上は、遠慮なく両攻撃(フルアタック)を行使出来る。

 

 熊谷も、その本職は攻撃手だ。

 

 隙を見せた瞬間、旋空を叩き込んでくるだろう。

 

 即ち、ハウンドを防御してしまった時点で()()なのだ。

 

 その攻撃理論は、二宮のそれと同じだ。

 

 誘導弾(ハウンド)で固め、通常弾(アステロイド)でトドメを刺す。

 

 それを彼等は、複数人で行っている。

 

 犬飼が万全の状態であれば、その機動力で回避に徹する事が出来ただろう。

 

 だが、今の犬飼は片足が削れている。

 

 普段のような、機敏な立ち回りは望めない。

 

 二宮も依然として逃げ回る七海を仕留め切れず、即時の合流など叶いそうにない。

 

 打つ手なし。

 

 有り体に言って、そう断言して然るべき状況であった。

 

(崩せる)

 

 熊谷が、確信する。

 

 この時この場で、犬飼を仕留められると。

 

(行けるっ!)

 

 南沢が、意気込む。

 

 このまま、犬飼を追い込めると。

 

(終わりや)

 

 水上が、詰め(チェック)をかける。

 

 目の前の強敵。

 

 二宮隊銃手、犬飼澄晴を仕留める為に。

 

 三者三様、しかし意図は同じ。

 

 二宮隊を崩す為に必要不可欠な要素、犬飼落とし。

 

 それが、此処に結実する。

 

 誰もが、そう考えた。

 

 熊谷も。

 

 南沢も。

 

 水上も。

 

 同様に、犬飼を此処で落とせると確信した。

 

 だが。

 

 だが。

 

 忘れては、いないだろうか。

 

 犬飼は。

 

 犬飼澄晴という男は。

 

 こんな所で大人しくやられる程、素直な人間ではない事を。

 

「────あは」

 

 犬飼が、笑った。

 

 その笑みは、決して。

 

 勝負を諦めた者の、する顔ではない。

 

 逆だ。

 

 犬飼は自分がそのまま落とされるなどと、これっぽっちも考えてはいなかったのだから。

 

「……っ!?」

 

 故の、油断。

 

 片足を失い、既に碌に動けないと踏んでいた犬飼が────────動く。

 

 それまでの、這う這うの体で逃げ回るような挙動ではない。

 

 逆だ。

 

 普段通りの機敏な動きで、家屋の壁を駆け上がる。

 

 その動きに仰天したのは、その場の全員。

 

 まさか。

 

 まさか、片足が削れた状態で。

 

 そんな機敏な動きが出来るなど、誰が思おう。

 

「く……っ!」

 

 水上は慌てて、待機させていたアステロイドを発射する。

 

 だが、先ほどまでの犬飼であればいざ知らず。

 

 ()()()()()()今の犬飼に、単発の射撃など通じるものか。

 

 犬飼は素早くサイドステップを踏み、アステロイドを回避。

 

 そしてそのまま、突撃銃の引き金を引く。

 

 放たれる、アステロイドの弾丸。

 

 それが、水上に向かって降り注ぐ。

 

「危なっ!」

 

 それを見ていた南沢が、シールドを展開。

 

 遠隔シールドが、犬飼の弾丸を受け止める。

 

 威力特化の弾丸(アステロイド)とはいえ、集中シールドであれば一度は凌ぎ切れる。

 

 そもそも、犬飼の突撃銃は弓場のそれとは違い威力に特化させた構造ではない。

 

 あくまでも、本分は味方のサポート。

 

 単独での決定力は、弓場に大きく劣る。

 

 だが。

 

 だが。

 

 犬飼には、まだ切るべき手札があった。

 

 アステロイドを防がれた犬飼は、即座にサイドステップで水上の側面に回り込む。

 

 南沢は水上の身体が邪魔となり、旋空を放てない。

 

「アステロイドッ!」

 

 このままではやられる。

 

 そう悟った水上は、両攻撃アステロイドを展開。

 

 弾数に任せ、犬飼を押し返そうと狙う。

 

「甘いね」

 

 しかし、それこそ好機。

 

 犬飼は即座に路地に飛び込み、アステロイドを回避。

 

 そのまま壁を駆け上がり、水上の背後に出現。

 

 そしてそのまま、()()()()()()()()

 

「が……っ!?」

 

 水上の銅が、犬飼の刃によって両断される。

 

 刃の名は、スコーピオン。

 

 犬飼が失った右足の代替物として装着した、脚部のスコーピオン。

 

「足スコーピオンか……っ!」

 

 俗称、足スコーピオン。

 

 七海が使用した事で知られるその技を、犬飼は披露していた。

 

 それこそが、犬飼があの機動力を出せたカラクリ。

 

 犬飼は足スコーピオンを使用する事で失われた機動力を復活させ、今の奇襲を成功させたのだ。

 

「時間はかかったけどね、なんとか習得出来たんだ。お手本を見せてくれた七海くんには、感謝しなくちゃね」

 

 犬飼が、笑う。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 同時に、機械音声が水上の脱落を告げる。

 

 犬飼の刃で裂かれた水上は、光の柱となって戦場から消え去った。





 犬飼は射手トリガーのハウンド装備してたりスコピ装備してたりで、新しい事には貪欲にチャレンジしてくみたいなので、原作と違ってランク戦で七海が堂々と披露した技術なら、習得しようとすると思い実行しました。

 割と高等技術だと思うので、最終ROUNDまでかかったワケですが。


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二宮隊⑨

 

「3人がかりで囲まれていた犬飼隊員、まさかの足スコーピオンで水上隊員を仕留めた……っ! これは分からなくなってきました……っ!」

「流石だね。澄晴くん」

 

 王子はそう言って、素直な称賛を口にする。

 

 事実、犬飼の動きは文句の付けようがなかった。

 

 事実上の3対1でありながら攻撃手二人の機動力を奪い、厄介な射手を足スコーピオンという隠し札を使って仕留めてみせた。

 

 その鮮やかな手並みは、流石のB級一位チームのメンバーと言えるだろう。

 

「しかし驚きました。七海隊員の専売特許だった足スコーピオンを、まさか犬飼隊員が用いるとは」

「専売特許と言っても、所詮は技術だからね。センスが必要な類いの技術ではあるけど、習得は決して不可能じゃない。澄晴くんは勤勉なタチだし、密かに練習してても驚かないよ」

 

 王子は表面上はそう告げるが、内心では驚愕していた。

 

 七海の用いた足スコーピオンは、見た目ほど簡単な技術ではない。

 

 スコーピオンを足替わりにする、とだけ言えば如何にも簡単そうに思えるが、単なる攻撃手段として用いるスコーピオンと違い、形状や強度をきちんと調節する必要がある。

 

 基本的にスコーピオンは直接攻撃用のトリガーであり、それ以外の運用は想定されていない。

 

 ただ足にスコーピオンを生やしただけでは、地面にブレードが突き刺さって躓くのが関の山だ。

 

 足スコーピオンを正確に運用するには、自重を的確に支える重さと硬度を保ち、尚且つ不用意に地面に刺さって移動を阻害しない形状を構築しなければならない。

 

 七海が以前使用したそれはインラインスケーターのような形状であるが、今回犬飼が使用したものは鳥の爪のような形状であった。

 

 犬飼は敢えて地面に突き刺さる部分を作る事で、壁走りの精度を上げているのだ。

 

 これは本人の資質もあるが、その戦い方の違いでもある。

 

 七海の場合、壁から壁へと飛び移る三次元機動が基本の戦術である。

 

 性質上、七海が壁に接地するのは一瞬だ。

 

 その為壁に突き刺さる部位などあっては邪魔でしかなく、スケート靴のような形状に落ち着いたのだろう。

 

 対して犬飼は、壁から壁へ移る三次元機動よりも、壁を足場とした瞬間的な高速機動をこそ得意とする。

 

 グラスホッパーを持たない犬飼にとって、迂闊な跳躍は隙でしかない。

 

 その為いつでも回避行動に移れるように、基本的に接地している状態で犬飼は戦闘を行う。

 

 壁に刺さる部位を構築したのは、壁面移動時に狙われた際に即座に方向転換を行う為であろう。

 

 犬飼は、無駄な事はしない。

 

 試行錯誤を繰り返した結果得たのが、あの形状の足スコーピオンなのだ。

 

 恐らく、ROUND2で七海が足スコーピオンを披露した時から、習得の為の鍛錬を重ねていたのだろう。

 

 その熱意と実行力には、驚嘆する他ない。

 

「足を斬られてすぐには使わず此処まで温存していたのは、みずかみんぐを仕留める為だろうね。みずかみんぐが生きてちゃ、足スコーピオンを使っても大した成果は得られないし」

「それは、どういう……?」

「足スコーピオンの弱点は、しっかりあるという事だよ」

 

 そう告げると、王子は指を立てて説明を開始した。

 

「ハッキリ言ってしまうけれど、足スコーピオンはあくまで()()()()なんだ。失った部位を、トリガーで強引に埋めた代物に過ぎない。当然、無理をしたからには代償がある。以前の解説でも言っていただろう? トリガーの片枠を占有し続けるのは、明確なデメリットだって」

 

 王子の言う通り、以前七海が足スコーピオンを披露したROUND2の解説でも、その()()については触れられていた。

 

 足スコーピオンは、スコーピオンを用いた技術の一つであり、当然使用中は枠を食い潰す。

 

 つまり、足スコーピオンを使っている間は、一つきりしか他のトリガーを使えないのだ。

 

 片枠をスコーピオンに割いている以上、もしももう片方の枠でシールドを使ってしまえば攻撃手段がほぼなくなる。

 

 事実上、この状態では攻撃と回避、どちらかしか行えないのだ。

 

 両防御すら出来ない以上、防御にリソースを割くのは少々まずい。

 

 つまるところ、今の犬飼は、そういう防御面の脆さを抱えているワケだ。

 

「今の澄晴くんは、防御面に問題を抱えている。幾ら機動力を補填しても、その欠落は無視出来ない。けど────」

 

 王子は酷薄な笑みを浮かべ、告げる。

 

「────────今の澄晴くんを取り逃がしてしまえば、全ては元の木阿弥だ。此処で澄晴くんを仕留められるかどうか、それに全てがかかっているね」

 

 

 

 

「ハウンドッ!」

 

 犬飼がスコーピオンで機動力を補填し、水上を仕留めた直後。

 

 熊谷はその光景を見た瞬間、ノータイムでハウンドを発射した。

 

 すぐに攻撃しなければ手遅れになる。

 

 そんな心中の警鐘が、熊谷を行動に移させた。

 

「おっと」

 

 しかし、犬飼はあくまでも冷静であった。

 

 熊谷がハウンドを撃ち出したと見るや否や、屋根から飛び降りてそれを回避。

 

 ハウンドは家屋に当たり、その壁面を削るに留まる。

 

「旋空弧月ッ!」

 

 だが、動いたのは熊谷だけではない。

 

 南沢もまた、犬飼に────────正確に言えば、犬飼が飛び降りた路地に向け旋空を撃ち出していた。

 

 旋空が炸裂し、家屋が斬り裂かれる。

 

 しかし、その旋空が犬飼を捉える事はなかった。

 

 犬飼は旋空が直撃する寸前に路地から飛び出し、旋空を回避。

 

 そのまま突撃銃の引き金を引き、熊谷と南沢に向けて弾丸をばら撒いた。

 

「くっ!」

「うわっ!」

 

 熊谷も南沢も、共に足が削れている。

 

 故に回避は叶わず、シールドで防御する他ない。

 

 攻撃こそ最大の防御、とはこういった状況の事を言うのだ。

 

 熊谷と南沢は機動力が死んでいるが、それでも2対1である事に変わりはない。

 

 二人分の攻撃を凌ぎ続けるのは、幾ら犬飼とはいえ限度がある。

 

 ならば、話は簡単。

 

 凌ぐのではなく、攻撃をさせなければ良い。

 

 相手の中距離火力は、ハウンドと旋空。

 

 ハウンドは威力こそ乏しいが動きを制限するのに最適であり、防御不可の威力を持つ旋空と組み合わせる事で有効活用する事が出来る。

 

 つまるところ、弧月使いとハウンドの組み合わせというのは思った以上に相性が良いのだ。

 

 ハウンドで相手を固め、旋空で叩き斬る。

 

 この連携は、シンプルながら強力だ。

 

 射手や銃手の決め弾であるアステロイドと異なり、旋空は点ではなく線の攻撃。

 

 より広範囲を攻撃範囲に収める事が出来る為、ハウンドと上手く組み合わせれば的確に相手を追い込む事が出来る。

 

 しかも今回は、旋空使いが二人いるのだ。

 

 流石の犬飼も、旋空を立て続けに撃ち込まれれば凌ぐのは難しくなる。

 

 だからこそ、守りに入るのではなく攻勢を強める。

 

 そもそも、足スコーピオンで機動力を補っている関係上、今の犬飼の防御は酷く脆い。

 

 一度でも守勢に回れば、そのまま押し切られるだろう。

 

 故に、攻勢を強め相手の攻撃回数自体を減らす。

 

 幸い、相手の機動力はほぼ死んでいる。

 

 攻撃をすれば防御する他ない以上、少なくとも両攻撃は封じる事が出来る。

 

(もっとも、この二人()()が相手なら、だけど)

 

 犬飼は二人を銃撃で牽制しながら、油断なく周囲を見回している。

 

 攻勢を強めれば、機動力の死んだ二人は防御する他ない。

 

 故に、この二人相手であればどうにかなる。

 

 しかしそれは、この場に()()()()()()()という前提条件あってのものだ。

 

 当然ながら、そんな事は有り得ない。

 

 生駒はバッグワームを着て潜伏中だし、ユズルや茜も位置は不明。

 

 何より、試合が始まってから一度も那須の姿を見かけていない。

 

 那須はこの局面に置いて、ある意味狙撃手よりも厄介な駒だ。

 

 狙撃手はその性質上細心の注意を払って狙撃を行う必要があるが、類稀な機動力を備えた那須は居場所が知れた所で即座に逃走を選びそれを高確率で成功させる事が可能だ。

 

 しかも、彼女の操るメイントリガーは変化弾(バイパー)

 

 狙撃と違い、何処から飛んで来るか知れたものではない。

 

 更に那須には、合成弾という手札がある。

 

 戦線を混乱させ、あわよくば甚大な被害を齎す事の出来る変化炸裂弾(トマホーク)

 

 扱いは難しいが、一度狙われたら回避も防御も困難である変化貫通弾(コブラ)

 

 どちらも、充分以上の脅威である事は間違いない。

 

 特に厄介なのは、コブラだ。

 

 コブラはいわば二宮の必勝戦法であるハウンドとアステロイドの組み合わせによる崩しを単体で行う事が出来る合成弾であり、シールドを広げただけでは防げず、回避も困難であるという性質を持つ。

 

 トマホークと違って相手の位置をきちんと確認しなければ有効には使えないが、一度ターゲットとして照準されれば避ける事も防ぐ事も難しいというクソゲーもかくやという合成弾であるのだ。

 

 有効な対処方法が両防御(フルガード)か、グラスホッパー等を用いたガン逃げくらいしかなく、当然ながらどちらも今の犬飼には不可能に近い。

 

 今の犬飼は、足を止めた時点で詰みに等しいのだ。

 

 機動力を補っているように見えるが、それもあくまでその場凌ぎに過ぎない。

 

 つまり、那須が介入して来た時点で犬飼は落ちる。

 

 生駒やユズルが介入した場合も、また同様である。

 

 辻に言った「そのうち死ぬ」とは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という意味である。

 

 それが熊谷達の現行の戦力や地形状況、不確定要素すら鑑みて、犬飼が出した結論であった。

 

(けどまあ、那須さんを引きずり出せればそれで充分。ついでにこの二人のどちらかでも落とせば、お釣りが来るよね)

 

 だが、裏を返せば第三者の介入がなければ、犬飼が落ちる可能性は低いという事でもある。

 

 水上が生きていれば分からなかったが、先ほどの奇襲で彼を落とせたのは僥倖だった。

 

 あの一瞬の隙を作り出す為に、敢えてギリギリまで足スコーピオンは使わずに温存していたのだ。

 

 あの場に置いて、水上の存在だけが犬飼にとってはネックだった。

 

 水上は本職の射手であり、生駒隊のブレインだけあって頭も切れる。

 

 自分が出し抜かれるなら水上だろうと、犬飼は予測していた。

 

 水上であれば、南沢や熊谷を上手く使って自分を追い込み仕留める事が出来るだろう、と。

 

 故に犬飼は、最初から水上を確実に仕留める為に敢えて不利な状況で戦闘を行っていたのだ。

 

 全ては、あの奇襲で水上を仕留める為に。

 

 そして奇襲は成功し、水上は落ちた。

 

 後はこのまま時間を稼ぎ、那須や生駒を誘い出せればそれで充分。

 

 無論チャンスがあれば熊谷達を仕留めるが、それよりは那須の位置を割り出せた方が得になる。

 

 二宮と合流出来ないのは痛いが、適度に相手の戦力を削り二宮が動き易い盤面を作れれば、それでどうにかなる。

 

 現在二宮が両攻撃を使えないのは、狙撃手や那須の位置が割れていないからだ。

 

 特に、初撃で合成弾を撃ち込んで来るであろう那須の大まかな位置は、二宮としては是非とも知っておきたい情報の筈だ。

 

 ならば、熊谷達を仕留める事よりも那須の居場所を割り出す事を優先する。

 

 それが、犬飼の出した結論であった。

 

(さあ、来なよ。早くしないと、また熊谷さんがやられちゃうよ?)

 

 声に出さない挑発を、その行動を以て主張する。

 

 那須が来れば、それで良し。

 

 来ないのであれば、このまま二人を仕留めるだけ。

 

 これは、そういう盤面だと犬飼は考えている。

 

 犬飼は銃撃を続けながら、ジリジリと距離を取る。

 

 恐らく、このまま此処を離脱し二宮との合流を図る算段だろうと熊谷は予想した。

 

「させないっ!」

 

 それを許せば、此処までの奮闘が無に帰する。

 

 それだけは、看過出来ない。

 

 そう判断した────────否、させられた熊谷は、即座に行動に移る。

 

 熊谷はシールドを張りながら、再度ハウンドを展開。

 

 犬飼へ向け、ハウンドを射出する。

 

「────片手、使ったね?」

「……っ!」

 

 だが、それこそが犬飼の罠。

 

 犬飼は熊谷が射出したハウンドの目の前にシールドを展開し、これを弾く。

 

 ハウンドは、誘導性能の強弱でその軌道を決定する性質を持つ。

 

 誘導性能を弱くすれば弾を散らす事が出来、逆に誘導性能を強くすれば弾を集中出来る。

 

 その性質があるからこそ、バイパーと見紛うような曲射軌道が行えるのだ。

 

 しかし、その発射点をシールドで抑えられてしまえば弾が散る前に防がれるのは通りである。

 

 ハウンドは、あくまでその応用性の高さが武器。

 

 規格外のトリオンでも持っていない限り、威力には欠ける。

 

 吸い込まれるようにシールドに直撃したハウンドは、その全てがその場で受け止められた。

 

 その隙を、逃す犬飼ではない。

 

 犬飼はそのまま家屋の壁を駆け、一気に熊谷へと肉薄する。

 

「舐めないで……っ!」

 

 しかし、幾ら犬飼といえど相手は受け太刀の達人である熊谷。

 

 水上にやったような、スコーピオンによる奇襲は通用しない。

 

 そう判断した熊谷は、弧月を用いて犬飼を迎撃しようと刃を振るう。

 

「────それは、こっちの台詞だね。俺が素直に、攻撃手相手に接近戦すると思った?」

「……っ!?」

 

 だが、そんな事は犬飼とて百も承知。

 

 接近戦を仕掛けようとしたのは、ブラフ。

 

 犬飼は熊谷へ肉薄する寸前、その進路を反転。

 

 熊谷の側面へと跳躍し、彼女目掛けて銃撃を撃ち込んだ。

 

「く……っ!」

 

 咄嗟にシールドで防御した熊谷であったが、犬飼は瞬時に照準を変更し、シールドの外側から熊谷の左腕を撃ち抜いた。

 

 無論、深追いする事はなく犬飼は即座に転身。

 

 地を駆け壁を走り、熊谷と距離を取った。

 

 一瞬後に、犬飼がいた場所を旋空が薙ぎ払う。

 

「くっそー」

 

 南沢の放った旋空をやり過ごし、攻撃が不発に終わって悔し気な顔を見せる彼を視界に収めた。

 

 本来であれば南沢の機動力を頼みとした攻勢は銃手にとって厄介な代物だが、その最大の持ち味である機動力が死んでいる以上そこまで大きな脅威には成り得ない。

 

 今のように、旋空さえ躱してしまえばどうとでもなる。

 

 流石に、グラスホッパーだけを頼りに接近戦を仕掛けて来る程無謀ではないだろう。

 

 熊谷も、手の内や思考傾向は把握出来ている。

 

 既に、形勢は逆転した。

 

 後は、予定調和だ。

 

 熊谷達を、犬飼が仕留めるか。

 

 犬飼を仕留める代わりに、那須が姿を晒すか。

 

 その、どちらかだろうと犬飼はほくそ笑む。

 

「さあ、その程度じゃ俺は倒せないよ。それとも、前回の焼き直しがお好みかい?」

 

 熊谷へ向け、犬飼は挑発をかける。

 

 それはとても、追い込まれた獲物の見せる顔ではない。

 

 追い込まれたと見せかけて標的を狙う、狩人の眼であった。





 色々とシミュレーションした結果、四面楚歌の不利対面でも無双じみた活躍をする犬飼。

 マジこいつ有能過ぎる。原作でも結局これといった失態はしてないし、能力高くて頭も切れて万能とか、マジでえぐいよなあ。


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二宮隊⑩

 

「大苦戦じゃないか、くま。流石に犬飼の相手は荷が重かったか?」

「まあ、戦闘経験の質や性格的な相性がありますからね。むしろ、よくやってる方だと思いますよ」

 

 太刀川の言葉に、出水がそう答える。

 

 その反応に、太刀川はおっ、と目を丸くした。

 

「お前、確かくまの師匠みたいな事してたろ? 弟子を応援してやんねーのか?」

「じゃあ聞きますけど、太刀川さん。七海がもし同じ状況だったら、どうします? 応援しますか?」

「するワケないだろ。観客として楽しむだけだ」

「ま、そういう事ですよ」

 

 出水はそう言い、苦笑した。

 

「結局、師匠(俺ら)に出来るのってそんなもんです。事前準備の段階でみっちりしごいて、後は結果を待つ。それだけです」

 

 まあ、と出水は続ける。

 

「結果が出なかったら俺らの指導力不足と判断して訓練メニューを考え直したりもするかもですが、本番の時に出来る事なんて見守る事だけっすからね。太刀川さん、いつも言ってるでしょ? 気持ちの強さは関係ない、って」

「ああ、事実だからな」

 

 太刀川はそう言い、自分の顎に手を当てた。

 

「勝負の結果を決めるのは、本人の実力と戦術、あとは運だ。そりゃあ実力が相当近い奴同士なら気迫で勝つ事もあるだろうが、実力差がひっくり返るなんて事はまずない。弱い奴が強い奴に勝てるとしたら、相当良い条件が重ならなきゃまず無理だ」

 

 そうじゃなきゃ、勝てなかったのは気持ちの強さが足りなかったから、なんて事になるだろ? と太刀川は言う。

 

 出水は無言で頷き、太刀川の言葉に同意する。

 

 太刀川はいつも、「気持ちの強さは関係ない」と繰り返し言っている。

 

 多くの者に向けて言っているこの太刀川の持論は、少々誤解され易いものでもある。

 

 別に太刀川は、戦う者の気持ちを軽視しているワケではない。

 

 むしろ逆だ。

 

 戦う者の抱える想いを大事にしているからこそ、彼は言うのだ。

 

 お前が負けたのは、気持ちが弱かったからじゃない、と。

 

 むしろこの持論は、太刀川なりのエールなのだ。

 

 気持ちの強さで負けたんじゃない。

 

 努力の方向性や戦術の選択、それらが少々間違っていただけなのだと。

 

 間違っていたのなら、そこを直せば良い。

 

 それでも足りないのであれば、誰かに相談して指導を受ければ良い。

 

 立ち止まるな。

 

 我武者羅に、けれど考えて進め。

 

 そして、自分を楽しませるような戦いを見せてくれ。

 

 太刀川の真意は、そんな所だ。

 

 私生活では残念を通り越して頭痛を覚える有り様である太刀川であるが、こと戦闘の事となれば真摯なのだ。

 

 どうして戦闘に関しては此処まで真剣になれるのに他は全部駄目なのか、と思うくらい太刀川は戦闘に対しては真摯に向き合っている。

 

 だからこそ出水は、この男に付いていくと、太刀川隊の射手としての務めを全うすると誓っているのだ。

 

 まあ、本人に言ったら調子に乗るだろうから口には出さないのだが。

 

「で、そこんトコどうなんだ? そんな顔するって事は、なんか仕込んでんだろ?」

「別に大した事はしちゃいないですよ。単に、色々と()()を教えただけですから」

 

 出水はそう告げ、最終ROUNDの前に行った那須隊との訓練を想起した。

 

 

 

 

「犬飼先輩に勝つ方法?」

「うん。あるんだったら、聞いておきたくて」

 

 出水は熊谷の「犬飼先輩に勝つにはどうすればいいかな?」という突然の問いに、ふむ、と思案し彼女を見据えた。

 

 熊谷の目は、真剣そのものだ。

 

 口調こそ穏やかだが、その眼からは鬼気迫る気迫を感じる。

 

 これは相当真剣な問いかけだな、と出水は至極真面目に答える事にした。

 

「まず、ぶっちゃけるとまともに戦えば犬飼先輩が勝つ。これは良いよな?」

「うん。悔しいけど、事実だからね」

「ま、俺も出来ればまともにはやりあいたくない手合いだしな」

 

 出水はそう言って、苦笑する。

 

「犬飼先輩は殆どの能力が高いレベルで維持されてる上に、頭もかなり切れる。それに何より、相手の嫌がる事を的確に行うセンスがずば抜けてる。俺もそれなりに出来る奴だとは自負してるけど、犬飼先輩の()()()ってのはまたベクトルが違うからなあ」

「うざさ、か」

 

 ああ、と出水は肯定する。

 

「この場合のうざさってのは、相手の思考傾向や出来る事を的確に見抜く観察眼と、その場で適切な対応を行う優れた判断力の事だ。犬飼先輩は、このレベルが滅茶苦茶高い。あそこまで嫌がらせが巧い人は、早々いない」

 

 A級時代も散々してやられたからなあ、と出水は言う。

 

 出水から見ても、犬飼の相手のペースを乱す能力は一級品だ。

 

 相手の出来る事や思考傾向を把握し、その時その場で()()()()()()()()()()()()()()を的確に行う能力がずば抜けている。

 

 サポートが得意という事は、相手が何をやって欲しいのか、逆に何をやって欲しくない事が瞬時に把握出来る、という事でもある。

 

 優秀なサポーターは、その能力の活用の仕方次第では悪辣な妨害者と成り得るのだ。

 

 犬飼は、その典型と言える。

 

「そりゃあ近距離で斬り合えば熊谷さんが勝つだろーけど、犬飼先輩は銃手だ。熊谷さんの間合いには、まず入ってくれないだろうな」

「まあ、そうだよね……」

「意表を突いて突っ込んでくる事もあるかもしれないけど、その場合は何か思惑があっての事に間違いねーからな。誘いに乗って踏み込み過ぎたらアウトだ」

 

 そんな状況はあんましないだろうけど、と出水は告げる。

 

 犬飼は確かにブレードトリガーであるスコーピオンを装備してはいるが、その立ち回りは堅実な銃手そのものだ。

 

 奇襲目的で接近して来る事はあるだろうが、基本は中距離での立ち回りに終始するハズである。

 

 その裏をかいて何か仕掛けてくる可能性もあるが、そこまでは状況次第としか言いようがない。

 

 その時何が最適な判断か、なんてのは状況次第なのだから。

 

「犬飼先輩はとにかく、状況判断と対応の速さが群を抜いて高い。それに熊谷さんより、レベルの高い相手(A級隊員)との戦闘経験が多い。このあたりはもう、仕方ないと割り切るしかない」

 

 それに、と出水は続ける。

 

「多分、生半可な策はすぐに看破されるだろーな。これまでの戦いで使った戦術パターンは、大体把握されてる筈だしな」

 

 ログはきちんと見ているだろうし、と出水は告げる。

 

 犬飼は、相手を格下と考えて侮る、などという事はしない。

 

 むしろ窮鼠猫を噛む可能性を排除する為に、相手のデータは徹底的に調べ上げる。

 

 獅子白兎、という言葉があるが犬飼はまさにそれだ。

 

 どんな相手だろうと、決して手は抜かない。

 

 番狂わせ、というものが状況次第で幾らでも起こる事を、犬飼は良く知っている。

 

 だからこそ、油断はしない。

 

 むしろこれまで戦った経験が殆どない相手だからこそ、準備は綿密に行う。

 

 それが、犬飼澄晴という男のスタンス。

 

 強者故の驕りや慢心が一切ない、ある意味では格下殺しさえ言える人間。

 

 強者殺し(ジャイアントキリング)を狙う者からしてみれば、天敵のような相手である。

 

「それに、犬飼先輩はいざとなれば躊躇なく自分を捨て駒に出来る。自分が死んでも目的が果たせるならそれで良い、って考えるタイプだからな。場合によっては、自分から落とし易い状況に持っていく事すら有り得る」

 

 そして、犬飼は自分の生存に必ずしも拘らない。

 

 自分が落とされても尚メリットのある状況となれば、彼は躊躇なく捨て駒になる。

 

 そのあたりの決断力も、犬飼の厄介な点である。

 

「たとえば、潜伏してる相手を炙り出す為にわざと捨て駒になる可能性もあるかもだな。特に那須隊は隊員を潜伏させて奇襲を狙う事が多いし、有り得ない話じゃない」

 

 出水の言うように、今の那須隊の基本戦略は隊員を潜伏させ、逐次投入する事による攪乱と奇襲だ。

 

 奇襲する予定の駒が犬飼の犠牲を以て炙り出されれば、後が続かない可能性が出て来る。

 

 位置が割れていない、というのは大きなメリットだ。

 

 犬飼はそのメリットを捨てさせる為なら、自分が捨て駒になる事も躊躇しない。

 

 彼は、そういう男だ。

 

「そういう状況になったら、落とせたとしても実質負けだな。そこらへん、犬飼先輩は躊躇しないぞ」

「…………仕事をさせずに落とす事が必要って事ね」

「そういう事だな」

 

 とはいえ、これは言う程簡単な話でもない。

 

 以前のように熊谷が窮地になった際に後先考えずに助けに行く那須の悪癖はなくなっているが、それでも熊谷だけで犬飼を落とせないと判断された場合、小夜子が那須の投入にゴーサインを出す可能性は充分有り得る。

 

 那須の位置が知られるのは痛手だが、何よりも犬飼と二宮の合流を防ぐ事こそが最優先事項。

 

 その為なら、多少のリスクは仕方ないと割り切る可能性は高い。

 

 つまり、それをさせない為には、矢張り熊谷が独力で犬飼を倒すしかないのだ。

 

「けど、そんな簡単な話じゃねーぞ。たとえば、これまでの試合で熊谷さんが何度か使った捨て身戦法は、まず通用しないと思った方が良い」

「それは何故?」

「捨て身は、そうと知られた段階で強みを失うからだよ」

 

 出水は指をピンと立て、説明する。

 

「捨て身戦法の利点は、相手の意表を突ける事だ。()()()()()()()()()()()()()()、っていう意識の陥穽を利用する戦法だからな。だから捨て身と来ると悟られた時点で、それはただの無謀な突撃以外の何物でもねーんだ」

 

 そう、捨て身の利点とは、防御を度外視したが故の攻撃力────────ではない。

 

 まさかそんな真似をする筈がない、という相手の意識の空白を突ける事こそ、捨て身戦法の最大のメリットなのだ。

 

「熊谷さんは、これまでの試合で何度も捨て身戦法を使ってる。当然犬飼先輩はそれを知ってるだろーし、下手に捨て身で行ってもきっちり防がれてただやられるだけだろーな」

「成る程…………流石に何度も、捨て身戦法をやり過ぎたか。でも、そのくらいやんないとあたしは────」

「いやいや、何言ってんの。逆だよ逆。それをやったお陰で、勝ちの芽が出てきたんだから」

 

 え、と熊谷は出水の予想外の発言にキョトンとした顔を見せる。

 

 そんな熊谷に、出水は苦笑しつつ説明した。

 

「熊谷さんはここ最近の試合で、繰り返し捨て身戦法を使ってる。犬飼先輩は当然今回も捨て身戦法は警戒しているだろうし、ここぞという時は捨て身を躊躇しないと考えているだろーな。そう、()()()()()

 

 つまり、と出水は続ける。

 

「────────発想を変えればいい。犬飼先輩の意表を突くんじゃなくて、やろうとしている事とは別の可能性が最も高いと思わせる。それが出来れば、きっと勝てるさ」

 

 

 

 

(来ないな、那須さん。もしかして、生駒さんに俺を獲らせる気かな?)

 

 犬飼は路地を忙しなく移動しながら銃撃を敢行し、思案する。

 

 熊谷を大分追い詰めたが、依然として那須が介入する気配はない。

 

 事此処に至り、犬飼は那須が────────というよりも那須隊が、犬飼を生駒に落とさせる方針なのではないかと疑い始めた。

 

 無論自分の隊の得点にはしたい筈だが、それよりも那須の潜伏を優先したと考えれば辻褄が合う。

 

 極論、犬飼が落ちれば方法はなんでもいい、と考えても不思議ではないのだ。

 

(なら、時間稼ぎに付き合う必要はないな。手早く終わらせよう)

 

 現状を鑑みてその可能性が最も高いと結論付けた犬飼は、方針を適度に追い詰めての炙り出しから熊谷を落とす方向へとシフトする。

 

 南沢もまだ生き残っているが、最大の持ち味である機動力の死んだ南沢はさして脅威にはならない。

 

 旋空による攻撃さえ注意していれば、後はどうとでもなる筈だ。

 

 事実、先ほどまでは散発的に撃ってきた旋空も今は鳴りを潜めている。

 

 闇雲に撃っても犬飼は仕留められない、と判断し静観を選んだ可能性もある。

 

 実際は線の攻撃である旋空は撃たれると鬱陶しいし、壁となる障害物が薙ぎ払われる為犬飼にとってはあまり使って欲しくはない攻撃なのだが、熊谷と犬飼を食い合わせる為に敢えて使用を控えた可能性もある。

 

 生駒隊のブレインである水上は、そのくらいの判断は普通にこなせる。

 

 それが良い判断かどうかはさておき、結果として今の南沢の脅威度は低いと考えて良いだろう。

 

(敢えて正面から向かえば、熊谷さんはきっと捨て身で俺を仕留めようとして来るだろうね。なら、捨て身を誘発してそこをきっちり仕留めれば良い)

 

 犬飼はこれまでの熊谷の行動やROUND7までのログの内容を鑑みて、そう結論した。

 

 熊谷はROUND5からROUND7まで、捨て身の戦法を用いて戦果をもぎ取っている。

 

 格上や不利な状況下でもきっちり戦果を持ち帰ったその手腕は大したものだが、それは単に熊谷の捨て身戦法への警戒が足りなかっただけに過ぎない。

 

 来ると分かっている捨て身は、ただの無謀な突撃に過ぎない。

 

 きっちり攻撃を防げば、後は無防備なその身体に攻撃を叩き込んでやればそれで終わりだ。

 

(さあ、やろうか)

 

 犬飼はタイミングを見計らい、銃口を上に向け弾種切り替えのスイッチを押す。

 

 そして、上空へ向けて銃口からハウンドが飛び出し、山なりに熊谷へと向かっていった。

 

「……っ!」

 

 此処は、特に複雑なワケでもない住宅街の一角。

 

 当然上へ射出したハウンドは熊谷からも丸見えであり、このままでは奇襲にもなりはしない。

 

 だがそれは、撃ったのが誘導弾(ハウンド)だけであればの話だ。

 

 犬飼は即座に路地の角を曲がり、熊谷の前へ姿を見せた。

 

 そして既に弾種を切り替えた突撃銃から、通常弾(アステロイド)を銃撃。

 

 これを防ぐには集中シールドを用いる他なく、上空へ撃ち放ったハウンドを防ぐ為にはシールドを広げるしかない。

 

 つまり両防御(フルガード)でしかこの攻撃は凌げないワケだが、熊谷であればこの状況────────間違いなく、捨て身で倒しに来ると犬飼は判断していた。

 

「旋空────」

(来た……っ!)

 

 案の定、熊谷はシールドも張らずに旋空の発射態勢を取った。

 

 恐らく、防御を捨てて旋空とハウンドの二段構えの攻撃で犬飼を仕留めるハラだろう。

 

 だが、そうはならない。

 

 熊谷の足が削れて移動がままならない以上、旋空もハウンドも発射地点は動かない。

 

 発射地点さえ分かれば、躱すのも防ぐのも造作もない。

 

 それで、詰みだ。

 

 熊谷の攻撃は犬飼には届かず、防御を捨てた熊谷の身体は蜂の巣になって脱落する。

 

 それが、予定調和。

 

 犬飼が思い描いた、未来予測。

 

 熊谷の戦術レベルは、先ほどの接近で不用意に攻撃して来た時点で底が知れた。

 

 あそこで攻撃を選んでしまう程度の戦術レベルであれば、この予測を覆す事など出来はしない。

 

 犬飼は、そう結論付けた。

 

(終わりだよ。熊谷さん)

 

 そして犬飼は何処か冷ややかな視線で、熊谷を見据え────。

 

 

 

 

「いや、違うね」

 

 ────────そんな犬飼の思考を追跡(トレース)した観客席の出水が、不敵な笑みを浮かべた。

 

 そして、笑みと共に、告げる。

 

「それは、熊谷さん(こっち)の台詞だ」

 

 

 

 

「な……っ!?」

 

 その光景に、犬飼の眼が見開かれる。

 

 この試合が始まってからおおよそ初めて見せた、犬飼の驚愕。

 

 その、視線の先には────。

 

両防御(フルガード)……っ!?」

 

 ────────攻撃(捨て身)ではなく、両防御(ぼうぎょ)を選んだ熊谷の姿があった。

 

 旋空は、フェイク。

 

 集中シールドと広げたシールドの二重の防御を行った熊谷は、犬飼の二重の銃撃を見事に防ぎ切った。

 

 予想外の光景を見た事による、刹那の思考の空白。

 

 その陥穽をこそ、熊谷は待ち望んでいた。

 

「旋空弧月ッ!」

 

 今度こそ放たれた、旋空一閃。

 

 犬飼は間一髪で思考の空白から立ち直り、跳躍してそれを躱す。

 

 そして今度こそ熊谷を仕留める為、突撃銃の引き金に手をかけた。

 

 射撃トリガーには、キューブを生成しそれを分割、射出するという発射までのタイムラグがある。

 

 今ならば、熊谷がハウンドを発射するよりも犬飼が引き金を引く方が早い。

 

 今の両防御には驚かされたが、これで結果は変わらない。

 

 熊谷は落ち、犬飼は生き残る。

 

 そう、結論した。

 

「が……っ!?」

 

 ────────故に、その一撃は正真正銘犬飼の意識の外だった。

 

 犬飼の直下、家屋の影から放たれた無数の弾丸────────追尾弾(ハウンド)

 

 それが、攻撃が来る筈がないと考えていた犬飼の背に直撃し、致命の一撃となった。

 

「置き弾か……っ!」

 

 その発射スピードは、今しがた生成したものでは断じてない。

 

 弾丸を予め生成しておき、一旦コントロールを手放して待機。

 

 然るべきタイミングで再度コントロールを戻し、発射する射手の技術の一つ。

 

 置き弾による、奇襲であった。

 

(此処まで計算してたのか……っ! さっきの接近の時、不用意に迎撃したのは俺に戦術レベルを誤認させる為か……っ!) 

 

 犬飼は熊谷の思惑を理解し、内心溜め息を吐いた。

 

 先ほどの迂闊な迎撃を見た時、犬飼は熊谷の戦術レベルを相応に低く見積もった。

 

 有り体に言えば、失望していたのだ。

 

 この程度の判断も出来ない、戦術レベルが低い相手であると。

 

 だが、それこそが熊谷の狙い。

 

 犬飼に自分を侮らせる為の、その為だけの一手。

 

 全ては、今のこの状況に繋げる為。

 

 その為に仕組まれた、熊谷の罠だったのだ。

 

「ナイスキル」

 

 犬飼は混じり気なしの称賛を込めて、晴れやかな顔でそう告げる。

 

 そんな犬飼の賛辞に面食らったのか、熊谷は困ったような笑みを浮かべた。

 

「どうも。前回の借りは返せたわね」

「そうだね。してやられたよ」

『警告。トリオン漏出過多』

 

 機械音声が、犬飼の致命傷を告げる。

 

 ハウンドによる損傷によって犬飼のトリオン体は罅割れ、崩れ始めている。

 

 あと数秒で戦闘体は崩壊し、犬飼は脱落する。

 

「────────けど残念。俺、割と負けず嫌いなんだ」

「ぐ……っ!?」

 

 ────────その刹那、無数の弾丸が熊谷の身体を撃ち抜いた。

 

 その弾丸の名は、ハウンド。

 

 犬飼が旋空を回避する直前、地面スレスレに仕込んでいた置き弾である。

 

 万が一銃撃が防がれた時の為に、犬飼は置き弾を設置していたのだ。

 

 最低限、熊谷は確実に仕留められるように。

 

『トリオン供給機関破損』

 

 機械音声が、熊谷の致命傷を告げる。

 

 それを耳にして、熊谷ははぁ、と溜め息を吐いた。

 

「全く、勝ち逃げはさせちゃくれないか。本当、食えないわね」

「誉め言葉として受け取っておくよ。次は、負けないからね」

『『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 奇しくも、同時。

 

 二つの光の柱が立ち上り、熊谷と犬飼は共に戦場から離脱した。





 やっとこさ犬飼脱落。でも仕事はしていくよ。

 最近ちょくちょく更新のない日があるけど、ペースは基本的に維持するからご心配なく。

 ちょっと諸事情で更新出来ない日がぶつ切りであるだけなのです。


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二宮隊⑪

 

「これは大番狂わせ……っ! 熊谷隊員が置き弾を用いた戦術で犬飼隊員を撃破……っ! 犬飼隊員の反撃で落とされはしましたが、大金星ですっ!」

「お見事」

 

 王子は素直に、混じり気なしの称賛を口にする。

 

 それだけ熊谷が成し遂げた成果は、偉業は、称賛して然るべき代物だったからだ。

 

「よく澄晴くんに仕事をさせずに落としたね。これは大きいよ」

「仕事、ですか」

 

 ああ、と王子は頷く。

 

「あの場面、澄晴くんに一番させちゃいけなかったのは逃げ切られての二宮さんとの合流だけど、次点でさせちゃいけなかった事はなんだと思う?」

「それは……」

「隠れている隊員の位置割り出し、だな」

 

 言葉に詰まる桜子の代わりに、蔵内が答える。

 

 王子はその事は気にせず、こくりと頷いた。

 

「その通り。あの場で澄晴くんは自分を囮にしてナース、次点でヒューラーかな。いずれにせよ、隠れている隊員の位置を割り出したかった筈なんだよ」

 

 そうじゃなきゃ、もっと早くに熊谷さんを仕留めにかかった筈だからね、と王子は続ける。

 

「あの状況に陥った時点で、澄晴くんは自分の脱落は当然のものとして割り切った筈だ。なら、問題は自分の命をどう使うか。これに尽きる」

「それが、那須隊長の炙り出しだったと?」

「そういう事だね」

 

 王子は桜子の言葉を肯定し、笑みを浮かべる。

 

「二宮さんがシンドバット相手に膠着状態に陥っているのは、狙撃手やナースの位置が分からなくて両攻撃が使えないから、っていう理由が大きい。逆に言えば、ナースの位置さえ分かれば両攻撃を使うという選択肢が出て来るんだ」

「その為には、那須の位置は何としてでも割り出しておきたかった。だから熊谷を敢えて泳がせ、那須を炙り出しにかかったんだろう」

 

 そう、水上を倒した時点で犬飼にとって熊谷は、いつでも倒せる駒、でしかなかった。

 

 どの道、削れた足をスコーピオンで補填するしかなかったあの状況の犬飼では、第三者が介入して来た時点で落ちる事は確定。

 

 ならばいつでも落とせる熊谷をさっさと落とすのではなく、餌として用いて隠れている隊員を炙り出す。

 

 それが、犬飼の思惑だった。

 

「けど、待てどもナースが来る気配はなかった。多分澄晴くんは、那須隊は生駒さんに自分の処理を任せたと判断しただろうね」

「生駒隊長に、ですか」

 

 ああ、と王子は桜子の言葉を肯定する。

 

「あの場には熊谷さんだけじゃなく、カイくんもいた。なら、カイくんの観測情報を元に澄晴くんを生駒旋空で狙う事は充分可能だっただろう。流石にそれをされると、澄晴くんとしては困るからね」

「犬飼はどうせなら、那須の方を引きずり出したかった筈だからな」

「ナースには、合成弾があるからね」

 

 王子はそう言い、ピンと人差し指を立てた。

 

「ナースの強みは、その機動力を活かす事で比較的ローリスクで合成弾を使える点だ。特に潜伏状態から放つ初撃の合成弾の脅威は、かなりのものだと言って良い」

「特に変化貫通弾(コブラ)は回避も防御もし難い、厄介な合成弾ですからね。それを使われる可能性が高い以上、位置を割り出したかったのは納得出来る所です」

「そうだな」

 

 レイジもまた、二人の意見を肯定した。

 

「犬飼の強みは、リスクヘッジを疎かにしない事だ。その時その場で何が隊にとって最も利益が大きいかという判断を瞬時に選び取り、実行する。これが出来るのが、犬飼だ」

 

 だが、とレイジは続ける。

 

「今回は、それを逆手に取られた形だ。まさか犬飼も、熊谷に単独で落とされるとは思っていなかっただろうからな」

「だからこそ、今回は驚かされましたね」

「ああ、王子の言うように、大金星と呼ぶべき代物には違いないだろう」

 

 思えば、とレイジはぼそりと付け加える。

 

「熊谷はROUND5からROUND7まで、捨て身の戦法を用いて戦果を挙げていた。それ自体は別にどうこう言うつもりはない。捨て身もまた、ランク戦では立派な戦術の一つだ」

 

 だが、とレイジは続ける。

 

「当然、犬飼は熊谷の捨て身戦法も考慮に入れて動いていた筈だ。捨て身は、そうと知られた時点で強みを失う。もしも熊谷が捨て身で仕掛けていれば、一方的に落とされて終わりだっただろう」

「実際、澄晴くんはベアトリスが捨て身を仕掛けて来るように誘導してましたからね。あの時、きっと澄晴くんはシールドを用いた防御ではなく捨て身の攻撃を選んでくると考えていた筈だからね」

 

 王子が言っているのは、無論犬飼がハウンドとアステロイドの波状攻撃を仕掛けた時の事だ。

 

 あの場面は普通であれば防御を優先する場面だが、熊谷なら捨て身で突っ込んでくると、犬飼はそう考えていた筈である。

 

 でなければ、熊谷が両防御(フルガード)を選んだ時にあそこまで驚いていた筈がないからだ。

 

「澄晴くんはベアトリスを、自分と同じで隊の勝利の為なら躊躇なく捨て身になれる相手だと認識していた筈だからね。そういう意味では、少し先を読み過ぎたとも言える」

「頭を回し過ぎた、という事か」

「そうなるね」

 

 でも、と王子は続ける。

 

「多分ベアトリスは、澄晴くんのその認識こそを利用したんだ。ROUND7までの捨て身の多用が意図的なものかどうかまでは言及しないけど、今回はその経緯を逆手にとって澄晴くんの思考を誘導したワケだね」

「捨て身で来るという思い込みを利用した、というワケだな」

「そうだね」

 

 王子はそう言って肯定するが、少し納得出来ていない部分もあった。

 

 彼の目から見て熊谷は、そこまで知略が回るタイプには見えない。

 

 ならば小夜子の采配か、とも考えたが、小夜子が得意としているのは王子の見たところ自分達の強みを押し付ける戦略であり、相手の思考を読むという点に置いては犬飼には及ばない。

 

 誰かの入れ知恵でもあったかな、と気を回すが、余計な思考だと打ち切った。

 

 この際、過程はどうでも良い。

 

 熊谷が最高の形で犬飼を落とした。

 

 今は、それが全てなのだから。

 

「まあ、お返しとばかりに置き弾を使ってベアトリスを仕留めたあたりは流石だと思ったけどね。澄晴くんらしいよ」

「二宮隊にとって、充分な痛手ではあったしな。熊谷を生き残らせるのは不味いと思ったんだろう」

「それをきちんと実行出来るあたりが、澄晴くんが澄晴くんたる所以だね」

 

 言うは易し、行うは難し。

 

 実戦に置いて、有言実行というのは中々に難しい。

 

 戦場は生き物のようなものであり、常にイレギュラーが起こり得るものだ。

 

 戦況をコントロールする、というのは言う程簡単なものではない。

 

 状況を正確に認識する俯瞰能力とこれから起こり得る事態を推測する観察眼、そしてあらゆる事態に即応する能力が求められる。

 

 その能力が高水準で纏まっているのが犬飼という男であり、その最大の強みでもあった。

 

 予想外の一手で驚きはしても、リカバリーはきっちり行う。

 

 それが、犬飼という男なのだった。

 

「しかしそれでは、この状況は二宮隊にとって不測の事態、と考えてよろしいんでしょうか? 二宮隊は、不利な状況に陥ったと」

「確かに、理想的な展開とは言えない。けれど、致命的、という程でもないんだ」

 

 だって、と王子は告げる。

 

「相手は、あの二宮さんだ。そもそも多少の不利を押し返す力があるからこそ、あの人はB級のトップに君臨し続けていられるのさ。普通にやるだけじゃ、まず落とせないだろうね」

 

 

 

 

『二宮さんすいません。那須さんの居場所は割り出せませんでした』

「そうか」

 

 二宮は脱落した犬飼からの連絡を受け、ただ静かにそう告げた。

 

 犬飼の脱落それ自体に、驚きはない。

 

 他ならぬ犬飼が自分は落ちると考えていたし、二宮も両攻撃を封じられた状態で七海を振り切って犬飼を助けに向かうのは現実的ではないと考えていた。

 

 故に犬飼が落ちた事自体は予定調和であるが、那須の位置が分からなかったのは正直痛い。

 

 回避も防御も難しい変化貫通弾(コブラ)を操る那須の位置は、出来れば特定しておきたかったのだ。

 

 狙撃の方は、近くの建物はあらかたメテオラで破壊している為、ライトニングを至近距離で撃たれでもしない限りは着弾までには反応出来るだろう。

 

 そのライトニングも、シールドを広げていればそれで事足りる。

 

 最も警戒しなければならないのは、矢張り那須のコブラである。

 

 以前のように変化炸裂弾(トマホーク)を撃ち込んでくるだけなら、どうとでも対応出来た。

 

 メテオラの性質を持つトマホークは撃墜してやれば誘爆するし、攻撃範囲は広いが威力そのものはそう高いワケではない為通常のメテオラと同じくシールドを広げれば耐え切れる。

 

 しかし、コブラはそうはいかない。

 

 広げたシールドだけでは対応出来ず、かと言って集中シールドでは漏れが大き過ぎる。

 

 両防御(フルガード)で対応するのが手っ取り早くはあるのだが、それをするとそのまま固められる危険がある。

 

 ボーダーの中でもトップクラスのトリオン量を誇る二宮だが、トリオン体の強度自体は他の隊員と変わらない。

 

 どんな攻撃であろうと、急所を射抜かれれば終わりなのだ。

 

 だが、来る()()さえ分かればそれなりにやりようがある。

 

 だからこそ、那須の位置は特定しておきたかったのだが……。

 

(構わん。それならそれで、やりようはある)

 

 二宮は周囲を飛び回る七海を視界に収めながら、手元にトリオンキューブを生成する。

 

 七海は先ほどから一度も休まずに跳躍を繰り返し、時には炸裂弾(メテオラ)をばら撒く事で二宮の攻撃をいなしていた。

 

 一度でも捕まれば終わり、という事を七海は良く理解している。

 

 二宮の誘導弾(ハウンド)は、相手を固めて殺す為の()だ。

 

 その檻に囚われたが最後、後は弾幕の雨によって削り殺されるしかない。

 

 故に七海は、常に動き回りハウンドを振り切る、という方向に舵を切った。

 

 無論、攻撃の意思は全くない。

 

 七海は現在、二宮の相手は時間稼ぎで充分、と考え戦っている。

 

 仕留めるつもりであれば踏み込んで来た所を迎撃すれば良いのだが、それは七海とて理解している。

 

 まともに1対1で戦えば、間違いなく二宮が勝つ。

 

 少なくとも、ノーダメージの二宮相手に七海が単独で落としにかかるのは無謀というものだ。

 

 だからこそ、攻めはしない。

 

 此処に二宮を釘付けにする事こそ、七海の狙いなのだから。

 

「熊谷が犬飼を単独で落としたらしいな。以前はどうしようもないと感じていたが、少しはマシになったらしいな」

「……?」

 

 突然話しかけてきた二宮に対し、七海は足を止めずに疑問符を浮かべる。

 

 会話でこちらの動きを止める事が狙いか、などと考えつつ、二宮の一挙手一投足を注視する。

 

 その様子に、会話に応じる気はないと悟ったのだろう。

 

 フン、と鼻を鳴らした二宮はじろりと七海を見据えた。

 

「答える気はないか。まあ良い。ただ、これだけは言っておく」

 

 そう言いながら、二宮は手元のトリオンキューブを分割する。

 

 来るか、と身構えた七海を見て、二宮は再び鼻を鳴らした。

 

「────────お前は、俺が墜とす」

 

 ────────言葉が、重くのしかかる。

 

 否。

 

 これは、闘志だ。

 

 二宮の、混じり気のない純粋な闘志。

 

 それが重さを伴う重圧のように、七海に降りかかっている。

 

 無論、実際に重くなったワケではない。

 

 B級一位に君臨し続けた男の、闘志の籠もった一言。

 

 それが空気を震わせ、七海の四肢に心の重石を載せる。

 

 だからだろうか。

 

 七海は、二宮の次の一手に、反応出来なかった。

 

「────メテオラ」

「……っ!?」

 

 二宮は、分割したトリオンキューブを────────否、炸裂弾(メテオラ)を、()()()()()()射出。

 

 二宮の周囲を覆うように、無数の爆発が連鎖した。

 

「く……っ!」

 

 爆発が、二宮の姿を覆い隠す。

 

 ご丁寧に、七海はその爆破範囲から外れている為、副作用(サイドエフェクト)を以てしても反応出来なかった。

 

 七海のサイドエフェクトは、自身がそのダメージ発生範囲の内部にいる状態でなければ反応出来ない。

 

 それを分かっているからこそ、七海を爆発に巻き込もうという()を出さず、自分の周囲だけを爆破したのだろう。

 

 自分の姿を、射線から隠す為に。

 

(となれば……っ!)

 

 次に起こる事を予想し、七海は身構える。

 

 そして案の定、()()は起こった。

 

 爆心地の中央から上空に向かって放たれる、無数の光弾。

 

 それも、一つや二つではない。

 

 まさしく豪雨のような、凄まじい数の光弾が空へと撃ち出された。

 

「両攻撃か……っ!」

 

 あの数からして、片手撃ちでは有り得ない。

 

 間違いなく、両攻撃(フルアタック)

 

 先ほどまでとは、弾幕の密度も、範囲も違う。

 

 これこそが、二宮の狙い。

 

 爆破で視界を潰す事で射線を途切れさせ、その隙に両攻撃を敢行する。

 

 その一手により、先ほどから出す事自体を防いでいた両攻撃が解禁されてしまった。

 

「間に合うか……っ!」

 

 七海は通常の回避機動では避けきれないと即断し、グラスホッパーを展開。

 

 それを踏み込む事で、二宮のハウンドからの逃げ切りを狙う。

 

「く……っ!」

 

 高いトリオンを持つ二宮の射程は、相当に長い。

 

 しかも、量が量である為家屋に隠れた程度では貫通される。

 

 二宮の両攻撃ハウンドから逃げ切るには、それこそガン逃げで射程外へ出るか、複数の建物を経由して凌ぎ切るくらいしか手段はない。

 

 何せ、一度でも弾幕の檻に捕まれば終わりなのだ。

 

 余計な事など、している暇はないのだ。

 

「……っ!」

 

 七海は近くの家屋の部屋の中に飛び込み、そのまま硝子を破って外へ出る。

 

 その七海を追跡するハウンドの群れは七海が飛び込んだ家屋を穴だらけにして、尚も七海に追い縋る。

 

 当然数は減っているが、絶対量が多過ぎる。

 

 同じように家屋を通り抜ける事で数を減らしてはいるが、それもいつまでもは続かない。

 

 追撃が来れば、それで終わりだ。

 

「────ハウンド」

 

 二宮は追撃の為、手元にトリオンキューブを展開。

 

 再度、両攻撃の態勢を取った。

 

 

 

 

「ガードを、捨てたか」

 

 その状況を、見張っている者がいた。

 

 彼は、ユズルは、その手にイーグレットを構えて告げる。

 

「迂闊だったね」

 

 そして、その一言と共に引き金を引いた。

 

 

 

 

 銃弾が、二宮の元に飛来する。

 

 二宮が両攻撃を行う隙を付いた、必殺の一撃。

 

 これが、ユズルの狙い。

 

 相手が両攻撃を使用したタイミングに合わせ、狙撃で射抜く。

 

 シンプルイズベスト。

 

 余計な思惑の入り込みようがない、単純な作戦。

 

 だが。

 

 だが。

 

「────迂闊だな」

 

 ────────だからこそ、罠の可能性を警戒しなければならなかった。

 

 二宮はいつの間にかトリオンキューブを解除しており、強固なシールドが全面に展開されている。

 

 イーグレットの弾丸はシールドによって弾かれ、消え去った。

 

「そこにいたか、絵馬」

 

 二宮は狙撃地点を割り出し、その眼を彼方へ向ける。

 

 影浦隊の狙撃手、ユズルが炙り出された瞬間であった。





 王子のこの試合におけるあだ名一覧

 『那須隊』

 那須→ナース
 七海→シンドバット
 熊谷→ベアトリス
 茜→ヒューラー
 小夜子→セレナーデ

 ナース、ベアトリス、ヒューラーはティガーズさんからアイディアを頂いたものです。シンドバットはカンさんから。セレナーデだけ自前です。

 王子のあだ名センスは独特だから結構迷ったけど、こんな名前がすぐ出て来るって凄い。


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二宮隊⑫

 

「あちゃー、やっちまったか。でもあれはしゃーねーよな」

 

 上層観戦席にて、当真が額を抑えて派手な反応を見せる。

 

 その視線は、二宮に居場所を暴かれたユズルの映像を見据えていた。

 

「あれは二宮さんがうめーな。両攻撃をすると見せかけて、狙撃手を釣った。単純だけど、効果的な手だぜ」

「狙撃手としちゃ、あんな姿見せられちゃ撃ちたくもならーな。ユズルの気持ちも分かるぜー、俺」

 

 ありゃ撃ちたくなるもんなー、と当真はぼやく。

 

 狙撃手である当真からして見ても、あの時の二宮は絶好の獲物に見えたのだ。

 

 引き金が軽くなっても仕方ないと、当真は言う。

 

 こればかりは、狙撃手でなければ分からない感覚なのかもしれない。

 

 もっとも、当真のユズル(弟子)贔屓が入っている可能性も否定出来ないが。

 

「だが、結果として絵馬は狙撃に失敗し、二宮に居場所を暴かれた。それは事実だ」

「そりゃ、結果論じゃねーか? なら風間さんは、何が正解だったって言うんだ?」

「お前の言う結果論で語るなら、静観だな。少なくとも、絵馬はあそこで二宮に手を出すべきじゃなかった」

 

 風間は太刀川に対し、ぴしゃりとそう告げる。

 

 その言葉には、風間なりの見解が含まれていた。

 

「二宮は、考えなしに無防備になるような馬鹿じゃない。その二宮が明確な隙を見せたのなら、罠の可能性を疑って然るべきだ。二宮の戦術レベルを考慮するなら、あれが釣りだと推測する事は不可能じゃなかった筈だ」

 

 つまり、と風間は続ける。

 

「絵馬は、二宮の戦術レベルの分析が足りなかった。もしくは、理想的に近い展開に気を緩めたか。そのどちらかだろう」

 

 遠慮容赦なく、風間はそう締め括った。

 

 言葉は厳しいが、風間は事実しか言わない。

 

 おためごかしや、その場凌ぎの慰めを風間は嫌う。

 

 厳しい言い方をしても、改善点があるなら積極的に指摘するべき。

 

 それが、風間の基本思考だ。

 

 故に厳しい人、というのが風間が受ける一般的な評価であるが、その厳しさは面倒見の良さに直結する。

 

 風間は何も、絵馬が嫌いなワケではない。

 

 逆だ。

 

 ユズルほどの才能を燻ぶらせる事を、風間は良しとしない。

 

 今この場でここまで厳しい物言いをするのは、偏にユズルの師匠である当真を通じて彼のレベルアップを図りたいからだ。

 

 当真は太刀川と同じ低学力組だが、戦闘に関しては機転が効く。

 

 感覚派を謳ってはいるが、彼の言う感覚とは狙撃手としての状況把握とその場その場の適切な判断能力を含めたフィーリングだ。

 

 要は、狙撃手としての理論(メソッド)を言語化しないまま行使しているのが当真なのだ。

 

 その為、案外師匠としての適性は高い。

 

 狙撃手として必要な理論を自分なりに噛み砕いて用いているので、同じタイプのユズルの師匠としては割と的確ではあるのだ。

 

 だが、タイプが近過ぎるが故に当真とユズルはお世辞にも仲が良いとは言えない。

 

 常日頃から「おれの師匠は鳩原先輩だけ」と言って頑なな態度を取るユズルにも原因があるのだが、当真は当真で一貫してフレンドリーに構い倒している為に、その影響は確かにユズルに及んでいる。

 

 ROUND3で茜に落とされて以降、火が付いたユズルが自ら教えを乞うようになった為その影響力は以前よりも強い。

 

 故に、ユズルを育てたいなら当真を通すのが手っ取り早いのだ。

 

「まあ、ユズルはホラ、二宮さんとは色々あるしよ」

「それがどうした。感情で失態を演じるようなら、ROUND3の時の那須や七海と変わらない。それはあの時解説をしていたお前も分かっているだろう」

「ま、そりゃそうだ」

 

 当真はあっさりと、風間の意見に同意した。

 

 確かにユズルは当真にとって可愛い弟子だが、この場合どちらに理があるかは明らかだ。

 

 ユズルが狙撃を敢行してしまった理由の中には、師匠の鳩原を巡る二宮への複雑な想いが少なからず絡んでいるだろうとは、当真は考えていた。

 

 ハッキリ言ってしまえば、ユズルはかなり感情的な人間だ。

 

 理屈よりも、感情を優先する。

 

 そこは二宮と同じだが、ユズルは二宮と違い自分の感情を理性で制御しきれていない部分がある。

 

 有り体に言えば、青臭いのだ、ユズルは。

 

 思春期の男子中学生としてはむしろ年相応と言えるが、それでもやってしまった事に変わりはない。

 

「高い技術も、それを適切に運用出来なければ宝の持ち腐れだ。お前も師匠を名乗るなら、務めを果たせ」

「了解了解。ちとやってみらーな」

 

 当真は敢えて軽くそう口にするが、別に真剣に聞いていないというワケではない。

 

 むしろ、真剣に聞いていたからこそだ。

 

 当真は口であーだこーだ言うよりも、まずは行動あるのみだと思っている。

 

 少なくとも、ROUND3での茜の活躍を見て以降は強くそう考えていた。

 

 あの時、茜は当真の想定を超えて見事にユズルを落としてのけた。

 

 しかも、そこからの逃げ切りまで完遂している。

 

 あれには、正直度肝を抜かれた。

 

 当真なりに意識している奈良坂の弟子という事もあり、それなりに気にかけていた狙撃手ではあった。

 

 しかしまさか、あんな芸当が出来るとは夢にも思わなかったのだ。

 

 あれ以来、当真はそれまで以上にユズルの指導に熱を入れるようになった。

 

 ユズルもまた、あの敗北には感じ入るものがあったのだろう。

 

 色々言いつつも、当真の指導を受け入れていた。

 

 狙撃技術に関してはユズルは天性のものを持っており、当真が指導したのはそれを活かす戦術と戦闘経験の伝達だ。

 

 ユズルは天才、と言っても過言ではない狙撃手だが、戦術的な経験の少なさもあり詰めが甘い部分がある。

 

 それを補う為に、当真なりに自分の経験を踏まえた動き方を教えていた。

 

 先程の隠岐を仕留めたカウンタースナイプも、その一つだ。

 

 狙撃手にとって最大の敵は、狙撃手である。

 

 攻撃手や銃手相手には射程の優位を持つ狙撃手だが、唯一同じ狙撃手に対しては、その優位は通用しない。

 

 自分の攻撃が届く、という事は相手の狙撃も届く、という事なのだから。

 

 故にあの時、ユズルは辻を狙わず、隠岐が撃つのを待った。

 

 あの状況なら、生駒旋空()()で終わる筈がないだろうと、理解していたからである。

 

 生駒旋空は確かに強力だが、それだけ相手も警戒している。

 

 それに、ROUND6の那須の時とは違い、影浦も辻も生駒旋空は散々試合で見て来ている。

 

 単発の生駒旋空だけでは、余程工夫しない限り致命打にはならないだろう。

 

 だからこそ、()()()があるとユズルは確信していた。

 

 辻を狙ってくれればベストではあったが、結果として隠岐は釣り出せたのだから問題はない。

 

 同じ射程を持つ隠岐を落とせた事で、ユズルは大分動き易くなったのだから。

 

 恐らく奈良坂であればチームへの貢献を優先し辻を狙っただろうが、隊の気質の違いもあり一概にどちらが正解とは言えない。

 

 チームの一員としての動きを最優先する奈良坂と違い、当真もユズルも隊のポイントゲッターとしての意識が強い。

 

 サポーターとしてではなく、フィニッシャーとしての狙撃。

 

 それが、当真とユズルの狙撃に対するスタンスだ。

 

 「当たらない弾なんか撃てるかよ」と豪語する当真ほど極端ではないにしろ、ユズルにとっての狙撃は()()()()()()()()である事に違いはない。

 

 そもそもの当真が同じ方針である以上、ここは変えようがない。

 

 故に当真は相手を効率良く仕留める方法を伝授していたワケなのだが、その中には両攻撃を行った相手を狙う方法、なんてものもあった。

 

 ある意味、ユズルは当真の教えを忠実に履行して失敗してしまったワケでもある。

 

 それについては、思う所がない事もない当真であった。

 

「しかし、こりゃユズル死んだかね。二宮さんに狙われたら、早々生きてられねーだろーし」

「何を言っている。まだそうと決まったワケではないだろう」

「あん?」

 

 どういうこった、と眉を顰める当真に対し、風間はあくまで淡々と、告げる。

 

「確かに二宮がフリーの状態で接敵したのなら時間の問題だっただろうが、今二宮の傍には七海がいる。それを利用しない程、絵馬は鈍くはないだろう」

 

 

 

 

「…………不味いな。位置を知られた」

 

 ユズルは狙撃場所であるアパートの一室からスコープ越しに二宮に弾丸が防がれた事を確認し、己の失態を悟った。

 

 あの二宮を落とすチャンス、という考えで引き金が軽くなった可能性は、否定出来ない。

 

 ユズルは、チームメイトでありながら彼の師匠である鳩原を見捨てた(ように見える)二宮に対し、隔意を抱いている。

 

 ハッキリ言ってしまうなら、嫌いだった。

 

 隠岐を落とした後、すぐさま二宮を狙える位置に向かったのも、戦術的な利もあるが、そうした意識故の事でもある。

 

 一矢報いてやりたい。

 

 目にもの見せてやりたい。

 

 そんな想いが、ユズルの引き金を後押ししたのだ。

 

 だが結果は失敗し、ユズルはまんまと釣り出された。

 

 二宮の、思惑通りに。

 

(どうする? 逃げるか? けど、ただ逃げただけじゃ追いつかれる。この市街地Aは、姿を晦ますには不向き過ぎる)

 

 ユズルは思考する。

 

 複雑なMAPであれば地形を利用して二宮を撒く事も出来たが、今戦っているMAPは良くも悪くもベーシックな市街地A。

 

 地形を利用した逃げ方は、かなり難しい。

 

 それに、相手は二宮だ。

 

 多少の障害物は、物理的に吹き飛ばして終わりだろう。

 

 それに、逃げたところで生き残っているチームメイトはもう影浦だけだ。

 

 影浦は単騎で充分運用可能な駒であるし、何よりサイドエフェクトもあって生存能力がかなり高い。

 

 逃げて時間稼ぎをする意味は、さほど感じられなかった。

 

 しかし、何もせずに座して落とされるのを待つのもごめんだった。

 

 逃走は困難。

 

 時間稼ぎの意義も薄い。

 

 ならば答えは、一つしかなかった。

 

 

 

 

「────メテオラ」

 

 最初に動いたのは、七海だった。

 

 七海は二宮がユズルの位置を特定した事を知ると、即座にメテオラを生成。

 

 二宮へ向け、ノータイムで射出した。

 

 分割数、27。

 

 27のキューブに分かたれたメテオラが、二宮に向かって降り注ぐ。

 

「────」

 

 対し、二宮は同じくメテオラで応戦。

 

 二宮特有の菱形のキューブを構築し、七海のメテオラを迎撃した。

 

 空中で、二人のトリオン強者(二宮と七海)のメテオラが誘爆する。

 

 こうなってしまえば、分割数に意味はない。

 

 範囲内にいた全てのメテオラキューブが起爆し、連鎖的に爆発が起こる。

 

 閃光。

 

 爆音。

 

 それが、周囲を席捲した。

 

 七海のトリオンは10、二宮は14。

 

 どちらも、ボーダー内という括りであればトップクラスの数値である。

 

 当然、そんなトリオンの持ち主の生み出したメテオラの爆発は大きい。

 

 連鎖爆発により、視界が白一色に染め上げられる。

 

 爆破の起点は七海とも二宮とも離れていたが、豊富なトリオンに後押しされた二人のメテオラの爆発は容易にその範囲を拡大する。

 

 七海は、跳躍して回避。

 

 敢えて近付くメリットもない以上、当然の選択である。

 

 七海の真骨頂は、サイドエフェクトを活かした回避能力と機動力を用いた攪乱能力。

 

 足を止めればその強みが失われる為、当然の帰結である。

 

 対して、二宮は防御一択。

 

 七海と違い、二宮の機動力そのものは平均の域を出ない。

 

 鈍いワケではないが、速いというワケでもない。

 

 当然、メテオラの爆発から咄嗟に逃げ切るだけの機動力は持ち合わせてはいない。

 

 故に、二宮が取った選択は単純明快。

 

 シールドを広げ、爆破を防ぎ切る。

 

 これだけである。

 

 シールドの強度は、持ち主のトリオン量に比例して上昇する。

 

 二宮ほどのトリオンになれば、相当な強度を誇る。

 

 迷いなく防御を選択した理由も、まさにそれだ。

 

 一度シールドを展開すれば、容易く貫けはしない。

 

 その自負があるからこその、即断。

 

 

 

 

「──────────悪いけど、付き合って貰うよ」

 

 しかし、そんな事は彼もまた承知の上。

 

 けれど、否。

 

 だからこそ彼は、引き金に指をかける。

 

 彼は、ユズルは、スコープに二宮を捉えアイビスの引き金を引いた。

 

 

 

 

「……っ!」

 

 二宮はそれを察知し、即座に集中シールドを展開。

 

 遠方からの狙撃を、アイビスの一撃を防ぎ切った。

 

 狙撃銃の中でも最大の威力を持つアイビスだが、その弾速は三種類の狙撃銃の中でも最も遅く、そして今回に限って言えば発射地点が見抜かれている。

 

 狙撃は、何処から来るか分からないからこそ必殺の脅威足り得るのだ。

 

 発射地点が見抜かれた狙撃で落とされるほど、二宮は鈍くはない。

 

 だが、それで充分。

 

 少なくとも、()()()()()()()()という効果は実証出来たのだから。

 

 逃げても、追いつかれる。

 

 時間稼ぎは、無意味。

 

 ならば狙うは、二宮と対峙している七海の援護。

 

 二宮といえど、アイビスの狙撃ともなれば意識を向けざるを得ない。

 

 故にユズルは、逃走ではなく抗戦を選んだ。

 

 これが、最善の選択だと信じて。

 

 してやられたのは確かでも、ただでは起きはしない。

 

 そんなユズルの矜持が見せた、一射だった。





 今日は寝落ちせずに更新出来たぞー。

 最近寝落ちが多過ぎて困る。

 絶え間ない更新が私の持ち味なのでね。これからもなるべくペースは落とさずいこう。


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二宮隊⑬

 

「二宮隊長が位置を割り出した絵馬隊員、逃走ではなく再度の狙撃を選択……っ! あくまでも徹底抗戦の構えか……っ!」

「成る程、そう来るか」

 

 王子は映像の中のユズルを見据えながら、したり顔で頷く。

 

 その言葉には少なからず、感心の意図が含まれていた。

 

「これはどうなんでしょうか、王子隊長。位置が知られた狙撃手は、一刻も早くその場を離脱するべきというのが通説ですが」

「普通はね。けど、この状況だと話は違って来る」

 

 まず、と王子は前置きして話し始めた。

 

「大前提として、二宮さんから逃げ切るのは容易じゃない。位置が知られていない状態であれば狙撃手の存在は牽制として有効だけど、エマールは既に居場所が割れている」

「居場所が割れた狙撃手は、さして脅威じゃないからな」

 

 そう、狙撃手の最大の利点は、長距離から不意打ちで高威力の一撃を叩き込める点だ。

 

 狙撃手のトリガーは、通常の銃手トリガーと比べて射程が長いのは勿論だが、威力も高めに構成されている。

 

 遠距離攻撃系のノーマルトリガーの中では、合成弾を除けばアイビスの威力は他の追随を許さない。

 

 イーグレットもよほどのトリオン強者でもなければ集中シールドを用いなければ防ぐ事は出来ず、ライトニングは威力と引き換えに突出した弾速がある。

 

 隠れ潜む狙撃手が放った初撃を回避する事は難しく、防ぐ事もまた容易ではない。

 

 だからこそ、狙撃手は存在するだけで相手チームへの牽制に成り得るのだ。

 

 だが、これはあくまで狙撃手の位置が知られていない場合の話である。

 

 弾丸の()()()()が知られた時点で、ハウンドやバイパーと違って直線状に飛ぶしかない狙撃トリガーの対処は容易になる。

 

 確かに狙撃トリガーは威力が高いが、イーグレットは集中シールドを用いれば防げるし、アイビスは威力と引き換えに弾速は三種の狙撃トリガーの中で最も遅い為、回避が間に合ってしまうケースがある。

 

 いずれにせよ、位置が知られた狙撃手はさして怖くはない。

 

 …………そう、()()()()()()

 

「今回、二宮さんにはシンドバットが張り付いている。そしてシンドバットは、片手しか使っていないとはいえ二宮さん相手に拮抗状態を作り出す事に曲がりなりにも成功しているんだ」

 

 現在、二宮は七海と対峙している状態にある。

 

 七海は一切の攻撃を捨て、回避と攪乱に専念する事で二宮相手の時間稼ぎを成功させている。

 

 彼の奮闘がなければ、二宮隊包囲網は完成し得なかっただろう。

 

「けど、それにも限度はある。二宮さんの射撃は、数を重ねるごとに精度を増していく。あのままならいずれ限界が来て、シンドバットは落とされていた筈だ」

 

 だが、限界はある。

 

 今の七海の奮闘は、二宮の()()()()使()()()()という制限に付け込み、騙し騙し行っているものに過ぎない。

 

 二宮は射撃を重ねるごとに地形条件や七海の動きの法則を計算に組み込み、徐々にその精度を上げていく。

 

 そも、二宮は片手だけの射撃であろうとその制圧力はかなりのものがある。

 

 流石に両攻撃(フルアタック)のそれには及ばないが、決して侮れる代物ではない。

 

 何しろ、トリオン量が直に強さに直結し易いのが射手というポジションだ。

 

 二宮はその豊富なトリオンによって、高い威力と射程を両立させている上、技術も相当に高い。

 

 例の出水との特訓がなければ、七海はとうに落とされていた筈だ。

 

 出水はあの二宮が師事しただけあって、ボーダーでもトップクラスの射手としての技量を有している。

 

 戦況のコントロール技術もかなり高く、二宮と犬飼を足して2で割ったような男なのだ。

 

 伊達に、A級一位部隊のサポーターを務めてはいない。

 

 その出水との訓練があったからこそ、七海は二宮に喰らいつけている。

 

 あの訓練は、無駄にはならなかったワケだ。

 

「でも、ここにエマールの狙撃援護があると話は変わってくる。攻撃範囲に特化した()の攻撃であるシンドバットのメテオラと、威力特化の()の攻撃であるエマールの狙撃は、相性が抜群に良いんだ」

「二つの攻撃を凌ぐには、広げたシールドと集中シールド、その両方が必要になって来ますからね。そのプレッシャーは大きいでしょう」

 

 蔵内の言うように、炸裂弾(メテオラ)と狙撃、二つを同時に凌ぐ為には両防御が必要となる。

 

 そうなると、幾ら二宮といえど迂闊に攻撃に出るワケにはいかなくなる。

 

 しかし、守りに入ってもジリ貧になるのは事実。

 

 絵馬が抗戦を選んだ事で、二宮に心理的なプレッシャーを与える事が出来たというワケである。

 

「そもそも、二宮さんはエマールに逃げて欲しかった筈だからね。そうすれば今度は二宮さんが追う側となって、ナースへの牽制にもなる」

「ふむ、というと……?」

「鍵は、二宮さんがさっきやったフェイク両攻撃さ。あれはエマールを釣り出すだけじゃなく、ナースに見せる狙いもあったんだ」

 

 つまりだね、と王子は説明を行った。

 

「二宮さんは両攻撃をすると見せかけて両防御を行う事で、エマールを釣り出した。あれをナースが見ていたとしたら、どうだろう? 仮に再び二宮さんが両攻撃を使おうとしても、攻撃を躊躇すると思わないかい?」

「あ……っ!」

 

 桜子は王子の説明に、ハッとなって頷く。

 

 そう、ユズルを釣り出す時に見せたあのフェイクの両攻撃(フルアタック)は、那須に攻撃を躊躇させる狙いもあったのだ。

 

 あのフェイク両攻撃に釣られてしまったユズルの姿は、同じく隠れて二宮を狙う者に同様の感情を抱かせただろう。

 

 即ち、()()()()()()()()()()()()()()()という心境を。

 

 普通であれば、両攻撃に移ろうとしている射手は狙撃手等の不意打ちを狙う者達にとっては格好の的である。

 

 だが、二宮はその心理を逆手に取りユズル相手の釣り出しを成功させた。

 

 そのインパクトは、不意打ちを狙う者達にとってはかなり大きい。

 

 何せ、二宮が両攻撃という隙を見せたとしても、その隙が本当の隙なのかそれとも罠なのか、判断がつかないからだ。

 

 特に射手である那須は、トリオン量の関係もあって彼女の攻撃可能な射程は即ち二宮の射程内である事も意味している。

 

 二宮は、那須の倍のトリオンを有している。

 

 射程や威力に割りふれるトリオンの絶対量に差がある以上、純粋な射手としては那須は正面からでは二宮にはまず勝てない。

 

 機動力に長ける那須でも、あの二宮の弾幕から逃れ続けるのは無理がある。

 

 七海が回避し続けていられたのは、グラスホッパーの両装備に加え、サイドエフェクトがあったからだ。

 

 回避する隙間もない二宮の両攻撃ハウンドと違い、片手のハウンドであれば辛うじて回避する()はある。

 

 ハウンドは、発射した時点でその軌道が決定される。

 

 つまり、サイドエフェクトでダメージ発生範囲を感知出来る七海にとっては、回避する為の()さえあればハウンド単体であればどうにかなるのだ。

 

 しかし、那須にはそれがない。

 

 加えて、七海と違い装備しているグラスホッパーも一つきりだ。

 

 そうなると、度々七海が二宮からの攻撃を逃れる際に使用しているグラスホッパーの二重展開による多段加速による離脱が使えないのだ。

 

 以上の点から、那須は二宮に発見された時点で不利を強いられるのだ。

 

 だからこそ、先ほどのフェイク両攻撃が那須に対する大きな牽制に成り得る、というワケである。

 

「けれど、今の状況はどうだろう? エマールが継続的に狙撃を敢行しているから、二宮さんは本当に両防御を使うしかない」

「二宮隊長を守りに入らせる事が出来ている、という事ですね」

 

 そうだね、と王子は桜子の言葉を肯定する。

 

「こうなると、逆にナースが攻撃を躊躇する理由がなくなる。防御に入って身動きが取れない相手なら、変化貫通弾(コブラ)はこの上なく有効に働くからね」

 

 変化貫通弾(コブラ)は、通常弾(アステロイド)の貫通力を備えた変化弾(バイパー)である。

 

 その最大の利点は、真っすぐ飛ぶしかないアステロイドを多角的に、しかも独自の軌道で撃ち込める、という点である。

 

 通常のバイパーであればシールドを全方位に広げればそれで凌げるが、アステロイド並みの貫通力を持ったコブラではそうはいかない。

 

 それを、両防御を強要され身動きが出来ない相手に使えばどうなるか。

 

 そんなものは、自明の理である。

 

「このままであれば、二宮さんは落とされるだろう。那須隊も影浦隊も、見事に作戦が功を成して二宮さんを追い込む事に成功している」

 

 けれど、と王子は目を細めた。

 

「────────それはあくまで、()()()()()()()()の話だ。相手は、あの二宮さんだ。少しでも綻びがあれば、躊躇なく食い破って来るだろうね」

 

 

 

 

(よし、行ける。このまま、二宮さんを追い込める……っ!)

 

 ユズルはアイビスの引き金を引きながら、内心でガッツポーズを決めていた。

 

 先程から二宮はユズルの狙撃と七海のメテオラの波状攻撃を凌ぐ為、両防御(フルガード)を用いて防戦一方。

 

 ユズルを追う事も、七海を追い込む事も出来ていない。

 

 これを続ければ、いける。

 

 あの二宮を、落とせる。

 

 そんな確信が、ユズルの中にはあった。

 

 B級上位のトップ2の部隊員として、二宮とは腐るほど戦っている。

 

 しかし、二宮を落とすのはそう簡単な話ではない。

 

 そもそもの地力がずば抜けて高い上に、あのトリオン量だ。

 

 しかも力押しだけではなく戦術まできちんと用いて来るのだから、手に負えない。

 

 危機回避能力も尋常ではなく、追い込んだのに切り抜けられた回数も一度や二度ではなかった。

 

 影浦と共同で仕留めた事こそあったが、それもほぼ相打ちのような形であった。

 

 だからこそ、今は千載一遇の好機なのだ。

 

 二宮を落とす上での最大の障害であった犬飼は落ち、辻もまた影浦が釘付けにしている。

 

 そして何より、現在二宮は七海によって抑え込まれている。

 

 これ以上の好機は、まず有り得ない。

 

 確かに、先ほどは有利な状況による気の逸りと個人的な感情に流される形で、まんまと居場所を晒す結果となってしまった。

 

 あの一射は、ユズルからしてみても悔やみ切れない一射である。

 

 狙撃手は、居場所が割れていない時の初撃こそが肝要。

 

 居場所が割れた時点で狙撃手の強みの大半が失われるに等しいのだから、可能であれば初撃で仕留めておくべきだった。

 

 だが、今の状況は悪くない。

 

 先程のユズルの英断が、思った以上の効果を発揮している。

 

 ユズルとしては、落ちる前に嫌がらせが出来ればそれで良いくらいの感覚であったのだが、これが予想外に効いたものだから気分が良くない筈がない。

 

 自分の一手が、二宮を追い詰めている。

 

 あの、自分の師匠(鳩原)を見殺しにした二宮を。

 

 感情の波が、うねる。

 

 元々、ユズルは二宮が好きではなかった。

 

 敬愛する師匠を顎で使い、傍若無人な態度を崩さない。

 

 師匠(鳩原)が評価されないのは二宮のあんな態度が原因ではないか、と邪推した事もある。

 

 …………まあ、実際のところは自分の師匠が入れ込んでいる二宮が気に食わなかったというそれだけの話でもあるのだが。

 

 鳩原は、ユズルと話をする時事あるごとに二宮の話題を口にした。

 

 お世辞にも、コミュニケーションが得意とは言えなかった鳩原である。

 

 総合二位として有名な射手であり、自分の隊の隊長の話をする事で少しでも話題を提供しようとしたのかもしれない。

 

 ただユズルは、それが鳩原が二宮の事ばかり気にかけているように見えて面白くはなかったのだが。

 

 だからこそ、その悪感情は鳩原の失踪によって確定的となった。

 

 鳩原は、いきなり姿を消した。

 

 弟子であるユズルに、何も言わずに。

 

 そして、その原因について上層部は固く口を閉ざしていた。

 

 影浦と共に直談判に行った事もあったのだが、上層部は「鳩原未来は隊務規定違反で除隊となった」の一点張りで、何も情報を教えようとはしなかった。

 

 しかも、その場にいた根付が鳩原の事を悪く言ったものだから、ユズルはついカッとなって手が出そうになってしまった。

 

 結局は、そんなユズルの感情を察した影浦が代わりに根付を殴り飛ばし、影浦隊降格の原因を作る結果に終わってしまった。

 

 自分の所為で影浦に泥を被せてしまった責任を感じたユズルであったが、影浦は「俺がムカついたから殴っただけだ」とユズルに告げ、北添や光はそれで全てを察して彼を咎めようとはしなかった。

 

 ……………………自分の所為で、部隊が降格になったというのに。

 

 その時だ。

 

 その時に、ユズルは本当の意味で影浦に、影浦隊について行こうと決意したのだ。

 

 こんな自分の為に泥すら被ってしまえる、優しい先輩達。

 

 常にフォローを欠かさず、相談すれば親身になって聞いてくれる北添も。

 

 姉貴風を吹かせながら、何かと世話を焼いてくる光も。

 

 何も言わず、黙って全てを背負ってくれた影浦も。

 

 みんな、みんな大好きだった。

 

 だからこそ、勝つ。

 

 自分が、影浦隊を再びA級へと返り咲かせる。

 

 今はまだ降格ペナルティの影響で無理かもしれないが、それは手を抜く理由にはならない。

 

 結果を出し続ければ、きっといつかは届く。

 

 今季で遂にB級二位の地位から落ちたものの、この最終ROUNDの結果次第で幾らでも挽回出来る。

 

 いつもは追われる側であったが、今の自分達は追う側だ。

 

 故に、本来であれば那須隊にはなるべく得点をさせたくはないのだが、二宮の排除という一点であればどの部隊に得点が入ろうが構わない。

 

 自分が仕留められれば理想だが、そうでなくとも二宮さえいなくなれば生存力の高い影浦が生き残り生存点を稼ぐ可能性は高まって来る。

 

 点を取られても、それ以上の点を稼げば問題はない。

 

 試合開始時点の那須隊との点差は、2点。

 

 そして、現在の影浦隊の得点は1点、那須隊もまた1点。

 

 二宮の点を取られても、充分巻き返しは可能だ。

 

 故に自分は、七海の援護に徹して二宮を獲らせる。

 

 立場としては対戦相手ではあるが、今この場に置いては疑似的な共闘関係が成立している。

 

 どさくさ紛れに七海を狙おう、などという思考は一切ない。

 

 そもそも、サイドエフェクトで狙撃を感知出来る七海相手にそんな無駄な事はしない。

 

 自分はただ、二宮を狙い続けて動きを封じれば良い。

 

 そう考えて、ユズルは再びアイビスの引き金を引いた。

 

 

 

 

「ふん」

 

 二宮は、前方から迫る弾丸の存在を認識していた。

 

 七海のメテオラを広げたシールドで防御した二宮は、遠方から迫り来る弾丸を見て、吐き捨てた。

 

「いつまでも、同じ手が通用すると思うな」

 

 そして二宮は、半歩横へスライドするように移動。

 

 ユズルの狙撃を躱しつつ、ハウンドを生成し狙撃手に向かって射出した。

 





 如何なる想いを抱えていようと、それだけで勝てないのがワートリ。

 たまに例外もあるけど、割とシビアな世界なのよね。


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二宮隊⑭

 

「…………やっちゃったか」

 

 ユズルは飛来するハウンドの群れを見て、舌打ちしつつすぐさま反転。

 

 狙撃場所としていたアパートの一室を出て、直後ハウンドが到達。

 

 ユズルがいた部屋は、弾丸の雨によって穴だらけとなった。

 

(調子に乗ってたか、おれ。そりゃ大まかな発射位置が分かれば、回避もされるよな。二宮さん相手に、迂闊だった)

 

 アパートの廊下を駆け抜け、非常階段を駆け下りながらユズルは思案する。

 

 逃げずに抗戦の意思を示したのはともかくとして、あのまま撃ち続けるのではなく多少のタイムラグがあっても移動しながら撃つべきであった。

 

 そうすれば、さっきの一発のように容易な回避を許す事はなかっただろう。

 

 二宮のシールド相手ではイーグレットでは片手分でさえ貫通出来ない可能性が高い為、アイビスを使っていた事も仇となった。

 

 アイビスは、三種の狙撃銃の中では最も弾速が遅い。

 

 それでも狙撃銃には違いない為相当な速度は出るが、矢張りライトニングやイーグレットと比べるとその弾速はどうしても劣る。

 

 発射位置が割れていた現状では、むしろ対処されない方がおかしいのだ。

 

 にも関わらず、ユズルは発射の間隔を考慮して同じ場所で続けて撃ってしまった。

 

 これは、明確な失態と言える。

 

「く……っ!」

 

 そうしている間にも、ハウンドの攻撃は続く。

 

 向こう側から、無数の光弾の雨が再び降り注ぐ。

 

 そして、着弾。

 

 ハウンドの群れが、アパートを食い荒らすように瓦礫に変えていく。

 

 ユズルはその破壊に巻き込まれぬよう全速力で駆け抜けているが、地上までは未だ遠い。

 

 飛び降りても良いが、その最中を狙われれば命はない。

 

 しかしこのままでは、ジリ貧になるのは目に見えている。

 

 どうするべきか。

 

 再びユズルは、選択の時を迎えていた。

 

(くそ、このままじゃいいようにやられるだけだ。このアパートもいずれハウンドで────────待て)

 

 そこで、気付く。

 

 足は止めず、されど思考は加速する。

 

(なんで、()()()()()()()? メテオラじゃなく)

 

 そう、それが疑問だった。

 

 自分を炙り出して仕留めたいのであれば、ハウンドではなくメテオラでこのアパートを吹き飛ばせば良い。

 

 二宮のトリオン量ならば、こんなアパートなど一撃で瓦礫に代わるだろう。

 

 しかし、それがない。

 

 二宮は継続的に射撃を続けているが、ハウンドばかりで炸裂弾(メテオラ)を撃ってくる様子がない。

 

 効率の面から言っても、メテオラでまずアパートを吹き飛ばしてからハウンドで追い込んだ方が効率が良い筈だ。

 

 それに気付かない、二宮ではない筈だが……。

 

(考えろ。なんで、二宮さんは炸裂弾(メテオラ)を撃って来ない? おれを追い込むなら、メテオラで建物を吹き飛ばした方が効率が良い筈だ。なのにそれをしないって事は、多分────)

 

 二宮は、無駄な事はしない。

 

 ユズルにとって些か以上に気に食わない相手ではあるが、二宮の戦術能力の高さは勿論知っている。

 

 最も効率的に思えるメテオラでの炙り出しを行わない以上、そこには明確な理由がある筈だ。

 

 これまでの経緯。

 

 各部隊の動き。

 

 那須隊が取った戦略と、それに対する対応。

 

 足を止めずにそれらを脳内でシミュレートし直し、二宮の行動理由を分析する。

 

 正直、あまり得意な分野ではない。

 

 ユズルは天性のセンスと咄嗟の機転を武器とする狙撃手だが、自身の直感を何より優先する為に考えて行動する事はどちらかと言うと苦手だ。

 

 ────そりゃあ違うぜユズル。お前は考えてないんじゃなく、考えてる内容をいちいち口にしないだけだ。戦場を分析して動く能力に関しちゃ、俺より上かもしんねーぜ────

 

 …………ふと、いつか当真に言われた事を思い出す。

 

 当真が言うには、自分は単に思考を言語化していないだけで、戦場を把握して動く能力に関しては間違いなく備わっているのだと言う。

 

 言われてみれば確かに誰がどのように動くかを見極めて狙撃を敢行する事はあったし、後から考えればあれは戦場を分析して行動経路を予測していたのだろう。

 

 つまり、なんとなく行っていただけで戦況を見極める能力自体は既に備わっている筈なのだ。

 

 故に、ユズルは思考する。

 

 現状の、最適解を。

 

 この状況の、突破口を。

 

 現在、ユズルのいるアパートには二宮のハウンドが絶え間なく撃ち込まれ続けている。

 

 今も尚、ハウンドだけが。

 

 メテオラを使う様子は、一向に見られない。

 

 何故、メテオラではなくハウンドなのか。

 

 一見不可解な、その行動の意味。

 

「もしかして……っ!」

 

 ユズルは咄嗟に近くの壁をアイビスで殴って穴を空け、そこからスコープ越しに二宮のいる方角を見据えた。

 

 そのスコープの、先。

 

 そこに、答えがあった。

 

「やっぱりそうか……っ!」

 

 ユズルは、得心する。

 

 スコープで見えた、その向こう。

 

 そこには、()()()()()()()()()()()()()()()()二宮の姿があった。

 

 

 

 

「────ハウンド」

 

 二宮はキューブを菱形に分割し、射出。

 

 七海とユズル、その二者のいる方向に向けてそれぞれ撃ち放った。

 

「……っ!」

 

 両攻撃(フルアタック)にも見えるが、違う。

 

 二宮は、片手分のハウンドを二方向に向けて射出していた。

 

 メテオラを使わないのは、当然といえば当然である。

 

 直線軌道しか出来ないメテオラでは、七海への牽制には成り得ないからだ。

 

 両攻撃(フルアタック)を使わないのは、未だ位置が特定出来ていない那須や茜への警戒の為。

 

 二宮の狙いは、単純明快。

 

 時間を稼ぎ、那須や茜を釣り出す事だ。

 

 当然、その狙いには七海も気付いている。

 

 だからと言って、迂闊な事は出来ない。

 

 那須や茜の位置が特定されてしまえば、二宮にかかる制限は大分軽くなってしまう。

 

 かといって、七海一人では攻めあぐねている事も事実だ。

 

 繰り返すが、七海が二宮と抗戦出来ているのは、七海が攻めを捨てているからだ。

 

 あくまで回避を主体に立ち回り、決して深く踏み込みはしない。

 

 だからこそ、あの二宮相手に時間稼ぎが行えているワケだ。

 

 それを理解している為、二宮も七海を深追いしようとはしない。

 

 あくまで時間稼ぎに付き合う体で、七海との戦闘を行っている。

 

 この状況を変えるには第三者が介入するしかないワケだが、それをするには先ほどの二宮のフェイク両攻撃(フルアタック)がネックとなる。

 

 二宮は先ほどから時折両攻撃を行っているが、かといってその両攻撃がフェイクではない確証がない以上、迂闊に手は出せなかった。

 

 たった一度。

 

 たった一度のフェイク両攻撃で、二宮は七海達の動きを縛っていた。

 

 あのフェイク両攻撃の真の狙いは、ユズルを炙り出す事ではない。

 

 それを那須達に見せる事で、攻撃を躊躇させる為だ。

 

 そして、その目論見は見事に成功している。

 

 戦術の一つに、相手に()()()()()()()()()()と思わせるという手法がある。

 

 二宮がやったのは、まさにこれだ。

 

 一度、両攻撃に見せかけた両防御を披露した事で、()()()()()()()()()()()()()()と思わせる事に成功したワケだ。

 

 実際、二宮の行動の一部始終を見ていた那須隊は、迂闊に攻撃を仕掛けられずにいた。

 

 いっその事開き直って全員で集中攻撃する、という手がなくもないが、確実性が欠ける上にリスクが高い。

 

 少なくともまだ、条件は全て整ってはいないのだから。

 

(まだか。まだ、条件は整わないか。このままだと、下手をすれば二宮さんと辻さんが合流してしまう)

 

 更に、二宮は徐々にではあるが辻のいる方向へ足を向けている。

 

 茜の報告によれば、辻もまた戦場を少しずつこちらに近付けているらしい。

 

 迂闊に攻撃は出来ず、手をこまねき続ければ二宮隊の合流、という最悪の事態に発展する。

 

 此処まで優位な状況に立って尚、二宮隊の壁は厚い。

 

 幾ら有利な条件を用意しても、幾ら綿密に作戦を立てても。

 

 B級一位の牙城は、そう簡単には崩せない。

 

 二宮隊は、元々A級。

 

 それも、実力ではなく何らかのペナルティによって降格された部隊だ。

 

 その実力は、A級のまま。

 

 ならば、B級の自分達が勝てなくても仕方ない────────などというのは、甘えだ。

 

 そもそも、戦場において圧倒的に格上の敵と相見える事など幾らでもある。

 

 B級ランク戦に置いても、どの部隊も決して侮れる相手ではなかった。

 

 連携による近接火力に特化した諏訪隊は、各個撃破が出来なければ思わぬ奇襲で落とされる危険があった。

 

 狙撃手三人組という特殊な構成の荒船隊は、七海に対策を集中してくれなければ点取りゲームで負けていた可能性もあった。

 

 連携力に特化した柿崎隊は、当初から部隊を分けていれば思わぬ攪乱を受けていただろう。

 

 そして、東隊や二宮隊、影浦隊には一度、完膚なきまでに敗北した。

 

 香取隊や王子隊も、再戦では予想以上の成長を見せており、采配を間違えれば負けていた可能性もあった。

 

 二度戦った鈴鳴第一は、あそこで村上に勝てなければ、そのまま押し負けていた可能性が高かった。

 

 二度目の東隊との戦いは、最後の最後まで紙一重だった。

 

 もう一度同じ条件でやっても、まず勝てないだろうという確信が七海にはあった。

 

 東は、一度見せた戦術が通用するほど、甘い相手ではないのだから。

 

 弓場隊もまた、強敵だった。

 

 うまく地形条件を逆利用し、有利な条件に持ち込む事が出来なければ危なかっただろう。

 

 一度は下した生駒隊もまた、決して油断出来る相手ではない。

 

 生駒旋空の恐ろしさは、生駒隊の練度の高さは、身を以て思い知っているのだから。

 

 そして今再び挑む、影浦隊と二宮隊。

 

 これまで、B級TOP2を独占してきた紛うことなき最強クラスの2チーム。

 

 今回、自分たちはその最強達を撃破しなければならない。

 

 最初にしてある意味最大の難関であった『犬飼落とし』は、熊谷が見事成し遂げてくれた。

 

 正直、犬飼が生きているだけで作戦の成功確率は半分以下、それこそ限りなく0に近くなっていただろう。

 

 その戦果に報いる為にも、迂闊な行動は絶対に出来なかった。

 

 小夜子が提唱した作戦、『二宮落とし』には多くの条件を達成する必要がある。

 

 その一つ、『二宮を孤立させる』というファーストステップは既に成功している。

 

 そして二つ目、()()()()()()()()()()()()()()()()という段階も、ユズルの行動によって達成された。

 

 那須と茜は、既にその準備を終えている。

 

 後はユズルが二宮の()に気付けば、残る条件は一つのみ。

 

 それを達成する為の、この時間稼ぎだ。

 

 しかしそれも、長くは保たない。

 

 もしもこの場面で誰か一人でも落とされてしまえば、作戦は水泡に帰する。

 

 時間がない。

 

 されど、時間を稼がなければならない。

 

 その矛盾(アノニマス)の中で揺れる中、一つの通信が入る。

 

『七海先輩、今茜から報告がありました。()()()()()()です』

「そうか」

 

 その報告に、ただ一言、七海はそう返した。

 

 その言葉に、どれだけの想いが込められていただろう。

 

 遂に。

 

 遂に。

 

 あの二宮に、牙を突き立てる時が来たのだ。

 

 ROUND3での雪辱を。

 

 あの敗戦を、七海は、那須隊は忘れていない。

 

 東隊へのリベンジは、果たした。

 

 後は、あの時手も足も出なかった二宮隊を下し、今度こそ、影浦という最初にして最大の壁を乗り越える。

 

 今度こそ、胸を張って影浦と戦う。

 

 その為には、二宮を必ず倒さなければならない。

 

 此処で落とせなければ、試合は二宮の独壇場になる。

 

 それだけは、させない。

 

 その為に、試合開始直後から動き、二宮隊包囲網を作り上げたのだ。

 

 これ以上の好機は、後にも先にも有り得ない。

 

 二宮隊は、ただ対策をしただけで落とせるほど、甘い部隊ではない。

 

 隊員全員がマスタークラスという事は、全員が最高峰の技量を持っているという証明に他ならない。

 

 生駒隊以上に、隊の地力がとにかく高いのだ。

 

 事実、圧倒的不利な状況に追い込んだにも関わらず、犬飼を仕留めるには相当に時間がかかり、尚且つ水上と熊谷は落とされ、南沢も足を削られた。

 

 不利な状況に持ち込んでも、ただではやられないし場合によっては状況を覆してみせる。

 

 それが、二宮隊の怖さなのだ。

 

 だからこそ、万全を期して尚足りない。

 

 やれる事は全てやるが、それでも絶対倒せるとは言い切れないのが二宮という男なのだ。

 

 一つでも要素(パーツ)が抜け落ちれば、打倒などとても望めない。

 

 条件は整った。

 

 準備も、問題はない。

 

 作戦実行要員も、余計な負傷は見当たらない。

 

 あとは、作戦開始の引き金(トリガー)を引くだけだ。

 

 すぅ、と息を吸い込み、七海は告げる。

 

「行くぞ。準備は良いか、小夜子」

『はい……っ! 皆さん、条件はクリアされました。作戦名(オーダー)、『二宮落とし』────────開始ですっ!』

「『『了解』』」

 

 小夜子の号令と共に、七海が、那須が、茜が動き出す。

 

 今試合最大の難関、その大一番が始まった。





 ようやくここまで来ました。
 
 次回、打倒二宮戦です。


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二宮隊⑮

「いよいよですか」

 

 小夜子は手元の映像を見ながら、一人呟く。

 

 隣にいる熊谷もまた、固唾を飲んで見守っている。

 

 この時、この局面こそ最終ROUNDにおける大一番。

 

 この作戦の成否に、試合の趨勢が懸かっていると言っても過言ではないだろう。

 

 二宮を落とせるか、否か。

 

 それが、全てである。

 

 二宮が生きている限り、真の意味でこの試合の主導権は握れない。

 

 彼は、単騎で状況を覆す事が出来るジョーカーだ。

 

 いわば、一種のMAP兵器。

 

 放置すれば、どれだけの被害を生むか知れない。

 

 だからこそ、対策を立て、彼を倒す為の作戦を構築した。

 

 それが、『二宮落とし』。

 

 無論、そう簡単なものではない。

 

 様々な条件が噛み合い、各々が自らのポテンシャルを最大限に発揮する必要がある。

 

(ですが、既に条件はクリアされました。あとは、実行あるのみです)

 

 小夜子は心の中で好きなアニメの台詞を引用しながら、鋭い視線で画面を見据える。

 

 第一の条件である作戦実行者のほぼ無傷での生存、は達せされている。

 

 それに加えて、必要な人員の居場所の隠蔽も成功している。

 

 ある種の不確定要素も絡む作戦である為そこが懸念要素ではあったが、事態はそれなり以上に理想的な形で推移している。

 

 犬飼が思った以上の動きを見せた時には焦ったが、見事それを討ち果たした熊谷は大したものだ。

 

 落ちはしたが、自分の仕事はきっちりやり遂げたのだから。

 

(失敗は、出来ませんね)

 

 小夜子の心臓が、高鳴る。

 

 作戦実行者たる七海達は勿論のこと、それをオペレートする小夜子にも失敗は許されない。

 

 少しの綻びが、全てを台無しにする。

 

 そういう事も、得てしてあるのだから。

 

 ────オペレートする時は、リアルな戦略ゲーをやってると思えばいいよー。あんまり気負い過ぎてもダメだしね────

 

 不意に、脳裏にゲーム仲間にしてオペレートの師匠筋でもある国近の言葉が蘇る。

 

 あれは、七海の入隊に関する一件の後にオペレーターとして部隊に貢献しなければ、と意気込んで国近に指導を願った時の事だったか。

 

 自分の為に心を砕いてくれた七海に報いる為にも頑張らなければ、と自分が知る中でも有数のオペレート能力を持つ国近に技術向上の為の指導を頼んだのだ。

 

 国近は最初こそ渋っていたものの、事情を話すと一転して「いいよー」と笑顔で承諾してくれた。

 

 今の言葉は、その時に開口一番彼女が言った台詞である。

 

 どうやら国近は小夜子が必要以上に気負っているのを察していたらしく、自然体でオペレートする為のアドバイスをしてくれたのだ。

 

 確かに、ゲームに慣れ親しんだ小夜子にとって最も分かりやすい形の助言と言える。

 

 手駒を配置し、随時指示を与えながら戦場をコントロールする。

 

 そう考えれば、ランク戦は戦略ゲームと通じる部分がある。

 

 違いがあるとすれば、その内実。

 

 駒は生きた人間であり、これは遊びではないという事だ。

 

(これはゲームであっても遊びではない、か)

 

 ふと、とあるアニメの台詞を思い出す。

 

 状況はともかく、言葉だけなら今の状況に相応しい。

 

 仮想空間で戦うランク戦は、本質的には失うものがないゲームと同じだ。

 

 無論、やるからには勝ちたいし、ランク戦に臨む者達の想いも分かっている。

 

 だが、ランク戦は極論結果を出せればその過程は問われない。

 

 どんな心境で臨もうと、それは個々人の自由であるのだから。

 

 必要以上に気負わない為に、ある種の割り切りや見立ては有効な手段である。

 

 だからこそ、小夜子は手を抜かない。

 

 如何なる時でも、全力で仲間をサポートする。

 

 それが、自分の役割。

 

 仲間の為、そして恋の為に奮起した、志岐小夜子の生き様なのだから。

 

「さあ、やってやりましょう。射手の王、必ず落としてみせますよ」

 

 

 

 

『まずは一発、お願いします』

「了解した」

 

 七海は小夜子の指示を受け、即座に跳躍。

 

 上空にて、メテオラのトリオンキューブを生成。

 

 二宮に向け、9つに分割したそれを撃ち放った。

 

「馬鹿の一つ覚えか。いや────」

 

 9つ程度であれば、二宮の射撃で充分撃ち落とせる。

 

 そもそも、七海のトリオンは二宮ほどではないがボーダーの中でもかなり多い部類に入る。

 

 当然、射撃トリガーのトリオンキューブもそれに応じた大きさとなる。

 

 細かく分割したのであればともかく、9つ程度の分割であればそれを狙い撃ちする事はあまりにも容易い。

 

「チッ」

 

 ()()()()()、二宮はそれを射撃トリガーで迎撃しなかった。

 

 そんな当たり前の事を、七海が分かっていない筈がない。

 

 二宮は、七海の事を高く評価している。

 

 ROUND3の時であればいざ知らず、今の七海は────────否、那須隊は、東さえ仕留めてみせた相手だ。

 

 油断も慢心も、決して出来る相手ではない。

 

 故に、直感したのだ。

 

 この七海の行動には、何らかの意味があると。

 

 今、攻撃にトリオンを割くべきではない。

 

 そう判断した二宮は、両防御(フルガード)を選択。

 

 七海のメテオラを、シールドで受けた。

 

 

 

 

「成る程、そう来ますか」

 

 画面の中で炸裂するメテオラの爆発を見据えながら、小夜子は微笑む。

 

 迎撃してくれれば話は早かったが、どうやら二宮は想像以上に七海を、そして自分達を高く評価してくれているらしい。

 

 そうでなければ、あそこで両防御(フルガード)という選択は選ばないだろう。

 

「けど、それならそれで構いません。那須さん、行っちゃって下さい」

『了解したわ』

 

 

 

 

「あれは……っ!?」

 

 辻は影浦と斬り合いながら、それを見た。

 

 二宮が七海と戦っている戦場の、ほど近く。

 

 ビルの隙間から、無数の弾幕の雨が上空に撃ち上がる光景を。

 

 今、生き残っている射手は、あれだけの数の弾を撃てる者は、二宮の他にただ一人。

 

「二宮さん、那須さんの射撃です……っ!」

 

 那須玲。

 

 魔弾の射手が、遂にその牙を見せた瞬間だった。

 

 

 

 

「那須か」

 

 二宮はメテオラで整地された瓦礫の上で、辻の報告を聴いて得心していた。

 

 恐らく、二宮に射撃トリガーを使わせた隙に変化貫通弾(コブラ)を撃ち込む算段だったのだろうが、二宮が両防御(フルガード)を選んだ事でその目論見が崩れたのだろう。

 

 いや、作戦を切り替えたと言うべきか。

 

 今のメテオラは恐らく、()()()が目的だった筈だ。

 

 即ち、那須のいる場所────────弾丸の発射地点を、二宮から隠す為に。

 

 位置が知られてしまえば、最早那須は合成弾を使えない。

 

 合成弾を使った以上レーダーには映っているだろうが、目視出来なければその()()は分からない。

 

 レーダーは確かに便利ではあるが、高低差までは映らないという欠点があるのだから。

 

 そして、那須は持ち前の機動力で幾らでも高さを調整出来る。

 

 ビルに潜んでいる事が分かったとしても、一階にいるのか上層にいるのか分からなければ、狙いを定められない。

 

 だからこそ、七海はメテオラを用いて二宮の視界を塞いだのだ。

 

 二宮がメテオラを迎撃し、防御の隙を見せれば必殺のコブラで仕留め────。

 

 ────二宮が防御を選択すれば、()()()の猶予を持った状態で那須の合成弾を使用出来る。

 

 これはそういった、二段構えの策。

 

 どう転んでも那須隊に有利な、不自由な二択を強制する作戦である。

 

 そも、コブラは防御も回避も難しい性質を持つ。

 

 アステロイドの性質を帯びたバイパーであるコブラは、通常弾(アステロイド)には有効である集中シールドだけでは防御し切れず、かといって変化弾(バイパー)に対する有効手段であるシールドを広げるという方法では、容易く貫通されてしまう。

 

 だからこそ、両防御(フルガード)を使うしか凌ぐ選択肢は無いと言っても過言ではない。

 

 しかしそうなれば両腕が塞がってしまい、反撃の選択肢が失われる。

 

 トマホークと違ってきちんと狙いを定める必要はあるが、標的にされれば厄介極まりない合成弾。

 

 それが、変化貫通弾(コブラ)なのだ。

 

 那須の弾丸は、十中八九これであると断言出来る。

 

 否、初撃でそれ以外を選択する意味がない。

 

 那須のいる場所から二宮が直接見えているかは不明だが、そのチームメイトの七海がこの場にいる以上、その観測情報から狙いを定める事は充分に可能だ。

 

 事実、ROUND5では部隊の観測情報を用いて地下街をマッピングし、地下街の広範囲を射程範囲に収めるという荒業まで披露している。

 

 照準は、既に定められていると考えた方が良いだろう。

 

 両防御(フルガード)であれば、コブラ自体は防ぎ切れる。

 

 だが、その後が続かない。

 

 ユズルも恐らく、那須ではなく二宮を狙う事を優先するだろう。

 

 位置が割れていない以上、二度目のコブラを使って来る事は充分有り得る。

 

 流石に何度もコブラを撃ち込まれてしまえば、二宮のシールドとて割れかねない。

 

 更に言えば、そんな隙をユズルが逃す筈もない。

 

 他への対処で手一杯だと知られれば、ユズルは容赦なくアイビスを撃ち込んで来る筈だ。

 

 二宮はユズルに絶え間ない射撃を撃ち込み、追い立てているように見せていたが、あれはブラフ。

 

 あくまで那須を釣り出す為の陽動であり、全力で仕留めようとしているワケではなかった。

 

 その事にユズルが気付いてしまえば、恐らく彼は一転して攻勢に出る筈だ。

 

 此処で両防御(フルガード)を維持して攻撃を停止すれば、ユズルは嫌でもその事に気付く。

 

 或いは、既に気付いている可能性もある。

 

 どちらにせよ、ユズルへの攻撃を止めれば一気に押し込まれてしまう事は間違いない。

 

 故に。

 

 二宮は、()()()()()()()()

 

 そして、シールドを片手で貼り直す。

 

 ただしそれは、普通のシールドではない。

 

 クリスタルを思わせる、特殊な形状のシールド。

 

 その場への固定と引き換えに、強固な防御力を得る特殊なシールドの展開法。

 

 固定シールド。

 

 二宮はそれを展開し、変化貫通弾(コブラ)の雨をガードした。

 

「────」

 

 着弾した光弾は、コブラは確かに強力な貫通力を備えた弾丸だ。

 

 だが、その貫通力はあくまでアステロイドと同程度。

 

 ただでさえ固い二宮のシールドを、しかもそれを更に強固にした固定シールドを貫ける筈もない。

 

 必殺の毒蛇は、二宮の防御の前に沈黙した。

 

 

 

 

「今だ」

 

 ────しかし、その瞬間を待ち望んでいた者がいた。

 

 崩れた家屋の中に潜んでいた少年は、弧月を腰だめに構え、振るう。

 

「旋空孤月ッ!」

 

 少年の刃が、旋空が、固定シールドを使ったが為に身動きの出来ない二宮へと放たれた。

 

 

 

 

「────」

 

 されど、二宮はそれすら予測していた。

 

 固定シールドは、確かに使用中はその場から身動きが取れなくなる。

 

 だが、()()が崩れた場合は別だ。

 

 二宮は固定シールドを展開したまま、メテオラを生成し即座に地面に────────否、瓦礫の山に向けて射出。

 

 足場となっていた瓦礫が吹き飛び、二宮の身体は固定シールドに包まれたまま落下。

 

 旋空は、寸での所で二宮の頭上を掠めていった。

 

 恐らく、二宮が固定シールドの解除が間に合った場合に備えて高めの場所に旋空を撃ったのだろう。

 

 今回は、それが仇となった。

 

 そのままであれば二宮の首を刈り取っていた筈の旋空は、虚しく空を切る。

 

「そこか」

 

 二宮はすぐさま、旋空の発射元へ向けメテオラを発射。

 

 一つの家屋に狙いを定めたメテオラは、着弾と同時に爆破。

 

 家屋の中から、シールドに包まれた南沢の姿が曝け出される結果となった。

 

「が……っ!?」

 

 無論、それを見逃す二宮ではない。

 

 メテオラを防ぐ為に広げたシールドを貫き、二宮のアステロイドが南沢の身体を穿つ。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が南沢の脱落を告げ、戦闘体が光の柱となって消え失せた。

 

 元より、片足を失っていた南沢に回避など叶う筈もない。

 

 頼みの旋空も凌がれ、その奮闘は無為に終わる。

 

 

 

 

「充分や。よくやったで海」

 

 ────だが、此処に否を唱える者がいる。

 

 彼は、生駒は仲間の犠牲を無駄にはしない。

 

 南沢の役割は、二宮を()()出来た段階で終わっている。

 

 その奮闘は、その犠牲は、全てこの一撃に託す為。

 

 腰が沈む。

 

 弧月に、手がかけられた。

 

 伝家の宝刀が今、抜かれる。

 

旋空弧月

 

 旋空が、否────────生駒旋空が、放たれた。

 

 

 

 

()()()()()()

 

 ────────しかし、その一閃すら、二宮には届かなかった。

 

 二宮は即座にその場から跳躍し、生駒旋空の斬線を回避。

 

 生駒の秘奥は、南沢と同じく空を切る。

 

 そも、南沢が最初に旋空を使ってきた時点で、二宮はこの展開を予測していた。

 

 南沢の旋空は、あくまでこの本命を通す為のフェイク。

 

 あの旋空を回避する為に二宮が跳んでいれば、空中で回避の出来ない二宮を生駒旋空で狙い撃ちにするハラだったのだろう。

 

 だが結果として二宮は跳躍を用いずに南沢の旋空を回避し、予測していた生駒旋空もこうして回避する事に成功した。

 

 生駒旋空は、凄まじい剣速と常識外の射程を誇るが、その代償として()()が出来ない。

 

 通常の旋空であれば連射も可能ではあるが、この生駒旋空は起動時間を極限まで短縮した代わりに射程を伸ばした代物である。

 

 故に、一撃の射程や速度は圧倒的であるものの、連射は不可能という性質を持っているのだ。

 

 今の生駒旋空を見る限り、生駒のいる位置は此処から30メートル程。

 

 通常の旋空の、射程外である。

 

 故に、通常の旋空に切り替えての連射も不可能。

 

 今この瞬間において、生駒の追撃は有り得ない。

 

 故に。

 

「那須か」

 

 此処で追撃が来るのであれば、那須以外に有り得ない。

 

 二宮は上空より飛来する無数の弾丸を見据え、全方位にシールドを展開。

 

 発射時間を考えれば、合成弾は有り得ない。

 

 如何に那須が優秀な射手とはいえ、合成弾の生成には相応の時間がかかる。

 

 数秒もあれば合成出来るだろうが、戦場での数秒はあまりにも長過ぎるのだ。

 

 故に、このタイミングでの射撃であればコブラではない。

 

 恐らく、彼女の十八番であるバイパーだろう。

 

 ならば、シールドを広げれば事足りる。

 

 そう考え、二宮はシールドを展開した。

 

 

 

 

「そこだ」

 

 ────────それを、見逃さぬ者がいた。

 

 二宮は現在空中にいて、回避行動は取れない。

 

 故に、今の二宮は攻撃に対し防御以外の選択肢を取れないのだ。

 

 彼は、ユズルは、その隙を逃さない。

 

 スコープで照準を定め、引き金に手をかける。

 

 アイビスが、致命の一撃が、放たれた。




 更新が二日も滞ってしまい不覚。

 皆、健康管理はしっかりしようね。

 VS二宮、次で決着だよ。


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二宮隊⑯

「まず、二宮さんを落とすにあたって極論どの隊の得点になっても構いません。何よりも、戦場から消えて貰う事を優先します」

 

 最終ROUNDの組み合わせが決まった翌日、小夜子は開口一番そう言った。

 

 その宣言に対する那須隊の反応は、様々だ。

 

 ただ納得する者。

 

 得心して頷く者。

 

 訝し気に首を捻る者。

 

 目を細めて何かを考えている者。

 

 その誰もが、小夜子の次なる言葉を聞き逃さないよう傾聴していた。

 

「言うまでもありませんが、次の試合における最大の脅威は二宮隊です。なので、全部隊が二宮隊に狙いを定めるよう試合の流れを誘導します」

「そこで、俺が二宮さんを抑えに回るワケか」

 

 はい、と小夜子は首肯する。

 

「実際に二宮さんを七海先輩単独で抑えられれば、必然的に他の駒が浮きます。その隙に熊谷先輩は、他の部隊────────そうですね、生駒隊あたりと共同で犬飼先輩を追い詰めて貰います」

「あたしが、犬飼先輩を、か」

 

 熊谷の脳裏に過るのは、ROUND3での出来事。

 

 あの時、熊谷は犬飼の術中に嵌まり序盤で敗退を余儀なくされた。

 

 だからどうだというワケではないが、それでもあの時の雪辱を晴らせるチャンスである。

 

「いいわ、やってやろうじゃない。リベンジ、ってのも悪くないわ」

「ええ、お任せします。それから那須先輩は────」

「くまちゃんの援護よね?」

「違います」

 

 いきなり発言を否定された事でしょぼんとなる那須だが、そんな彼女を小夜子はジト目で見据えた。

 

「那須先輩は、二宮さんを固めるという大事な役割があるんですから、それ以外の戦場に干渉してる暇なんかありません。作戦決行までは、絶対に見つからないようにして下さい。いいですね?」

「分かってるわ。言ってみただけよ」

「ならいいです」

 

 ジト目での念押しが効いたのか、那須は後ろ髪を引かれながらも小夜子の方針を受け入れた。

 

 確かにあのROUND3での敗戦を経て那須はそれまでのような仲間に対する極端な過保護ぶりはなりを潜めているが、全くなくなったワケではない。

 

 こうして念押しをしておかないと、いつ暴発するか知れたものではない。

 

 それが、小夜子が抱いている今の那須への正直な感想だった。

 

「心配せずとも、状況を整えれば生駒隊は必ず熊谷先輩の動きに同調する筈です。どの部隊にとっても、二宮さんが最大の障害である事に変わりはないんですから」

「でも、他の部隊には二宮さんを放置して他で点を取る、という道筋もあるわ。そう上手くいくかしら?」

「だからこそ、七海先輩の抑え(アピール)が重要になって来るんです」

 

 小夜子はそう告げ、七海を見据えた。

 

「七海先輩には、目に見える形で二宮さんを抑えて貰います。そうすれば、他の部隊はこう思うでしょう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()と」

「そうやって、他の部隊の動きを誘導するワケだな」

 

 ええ、と小夜子は七海の言葉を肯定する。

 

「二宮さんを七海先輩単独で抑える事に成功すれば、犬飼先輩を浮かせて狙い易くする事が出来ます。二宮さんが犬飼先輩と合流するのは他の部隊としても何が何でも避けたい筈ですから、恐らく乗って来るでしょう」

「確かに、生駒隊ならそういうチャンスは逃さない筈だ。小夜子の推測は正しいだろう」

 

 ぴくり、と那須が小夜子を名前呼びした事に反応する那須であったが、今はその時ではないと判断しぐっと堪えた。

 

 以前までであれば分からなかったが、今の那須はTPOを弁えている。

 

 それはそれとして、後で追及するのは変わりないのだが。

 

「犬飼先輩に関しても、理想は熊谷先輩が仕留めるケースですが、とにかく落ちて貰う事が最優先です。繰り返しますが、二宮隊は全員誰の得点になっても構わない、くらいの感覚で行きましょう」

「なるべく危険な橋は渡るな、って事?」

「優先事項を見失わないで下さい、って事ですね。結果が伴えば、過程は問いません」

 

 そう、と熊谷は静かに呟く。

 

 熊谷としても、因縁のある犬飼は自分の手で仕留めておきたいが、我を通してチームが負けては話にならない。

 

 とはいえ、チャンスがあれば仕留めに行こうと考えているのも、事実ではあったのだが。

 

「二宮さんを落とすにあたっては、複数の条件が重なる必要があります。那須先輩の変化貫通弾(コブラ)で仕留められれば一番ですが、恐らく凌がれるでしょうからね」

 

 ですから、と小夜子は続ける。

 

「その条件としては那須先輩や茜が一度も発見されずに所定の位置に付く事は勿論ですが、生駒さんの動きも重要になります」

「生駒旋空を利用する、という事だな?」

 

 そうです、と小夜子は頷く。

 

「あの旋空は、二宮隊長を仕留めるにあたって必要不可欠です。旋空で致命傷を与えられればそれで良し。そうでなくとも、避ける為のジャンプを強要すればその後の回避行動が取れなくなります」

 

 そして小夜子は笑みを浮かべ、告げる。

 

「そこを、まずは絵馬くんに狙って貰いましょう。利用出来るものは、なんでも利用しませんとね」

 

 

 

 

 絵馬の銃口が、火を噴いた。

 

 狙うは、B級一位部隊隊長。

 

 射手の王、二宮匡貴。

 

 二宮は今、空中にいる。

 

 そして、那須のバイパーを防御する為にシールドを広げている状態だ。

 

 アイビスは、ノーマルトリガーの中でも随一の威力を持つ。

 

 幾らトリオンが多くシールドが強固な二宮とはいえ、集中シールド二枚重ねでもしなければアイビスの狙撃は防げない。

 

 アイビスは本来、硬い装甲を持つトリオン兵を仕留める為のパワー偏重型の狙撃銃だ。

 

 ランク戦で使用するには火力過多な部分があり、狙撃手の中でも使用者はそう多くはない。

 

 それには狙撃手の中でも最多の使用数を誇るイーグレットの汎用性が高過ぎる、という要因もある。

 

 イーグレットはトリオンに応じて射程が伸びるタイプの狙撃銃だが、その真骨頂はなんと言ってもその汎用性にある。

 

 弾速もそれなりにあり、威力も集中シールドを用いなければ防げない程には高い。

 

 その上遠方から相手を仕留める狙撃手にとって最も重要な射程にも特化しているのだから、これで人気が出ない筈がない。

 

 狙撃手の中でもセットしている狙撃銃がイーグレットのみ、という者はかなり多い。

 

 NO1狙撃手である当真も、そのタイプだ。

 

 実際、狙撃手に求められる仕事の殆どをこなせるイーグレットの利便性はずば抜けて高い。

 

 対して、アイビスはその取り回しのし難さから狙撃手の中でも割と敬遠される傾向にある。

 

 だが、アイビス独自の利点はしっかりと存在する。

 

 狙撃トリガーは、通常の銃手トリガーと比べて威力も射程もずば抜けて高い。

 

 その中でも、アイビスの威力は最高峰の代物だ。

 

 安易な防御を許さない攻撃、という点では旋空と似た側面があるが、それを遠距離から放てる、という利点は唯一無二だ。

 

 両防御(フルガード)でなければ防げないアイビスは、相手が回避出来ない、回避が難しい状況ではこの上ない切り札(ジョーカー)となる。

 

 今、二宮はバイパーの対処の為にシールドを広げている為、両防御は不可能。

 

 空中にいる為、回避は困難。

 

 やれる。

 

 落とせる。

 

 あの、二宮を。

 

 ユズル(じぶん)の弾が、届く。

 

 B級一位に。

 

 これまで崩せなかった、射手の王に。

 

 届く。

 

 届かせる。

 

「届け……っ!」

 

 知らず、言葉が漏れる。

 

 それは、祈りにも似ていた。

 

 願いを成就せんとする、少年の願い(いのり)

 

 

 

 

「一つ、勘違いしてるね」

 

 二宮隊、作戦室。

 

 戦場から脱落し、普段着に戻った犬飼がオペレーターの氷見の隣で意味深な笑みを浮かべていた。

 

「確かに、二宮さんはそこまで機動力が高いワケじゃない。けど────」

 

 犬飼は口元を歪め、呟く。

 

「────それは、動けない事とイコールじゃない。普段回避をしないのは、単にする必要がなかっただけなんだしね」

 

 

 

 

「────」

 

 身体を、反らす。

 

 二宮がした事は、それだけだった。

 

 それだけ。

 

 たったそれだけの動作で、二宮は防げない筈のアイビスの弾丸を回避してみせた。

 

 シールドを突き破り、二宮を穿つ筈だった弾丸は、虚しく空を切る。

 

 それに一瞬遅れて飛来したバイパーも、広げたシールドを破る事は叶わず霧散する。

 

 全て、全て承知の上だった。

 

 那須の射撃が、囮である事も。

 

 生駒旋空が、自分を動かす為のものである事も。

 

 跳躍中に、ユズルが狙って来るであろう事も。

 

 二宮はその全てを見抜き、冷静に対処して見せた。

 

 これが、B級一位。

 

 降格の憂き目に遭っても尚衰えぬ、射手の王の実力。

 

 徹底した対策も。

 

 それに伴う想いも。

 

 その全てを上回り、力を以て駆逐する。

 

 それが、二宮匡貴。

 

 天高く聳える峰のような、高い城の男。

 

 その牙城、崩す事能わず。

 

 今の光景を見ていた誰もが、そう理解した。

 

 

 

 

『今です、茜』

「────」

 

 ────否。

 

 誰もが、ではない。

 

 彼女は、彼女達は、まだ諦めてはいない。

 

 元より、ユズルの狙撃が失敗に終わる事は織り込み済み。

 

 確かに、普通であればあそこで終わっていただろう。

 

 されど、小夜子は徹底して二宮の戦力評価を高く見積もっていた。

 

 その算出の結果、此処までやっても落とせないだろうと、彼女の計算は告げていた。

 

 故にこその、最後の一手。

 

 返答はない。

 

 否、その時間さえ惜しい。

 

 茜は、小夜子の指示が聞こえた瞬間引き金を引いていた。

 

 決して失敗出来ない、最後の一射(ラストシューティング)

 

 その一射が今、放たれた。

 

 

 

 

「────」

 

 ────────だが、それすらも二宮は予測していた。

 

 確かに今、二宮のシールドはアイビスによって罅割れ穴が空いている。

 

 弾丸が通るには、充分な大きさの穴が。

 

 茜の技巧であれば、この穴を通して二宮を射抜く事も可能だろう。

 

 ことライトニングを繰る技巧において、彼女は既に最高峰(ハイエンド)の領域に到達しているのだから。

 

 だが、二宮は知っている。

 

 茜は、ライトニングしか使()()()()

 

 正確に言えば、B級上位で使用に耐えるレベルの技巧を持っているのはライトニングだけなのだ。

 

 その証拠に、他の狙撃銃を用いれば点が取れたであろう場面であっても、彼女はライトニングを用いていた。

 

 ライトニングの弾速を利用した茜の技巧は、確かに脅威である。

 

 だが、タネが割れればその脅威度は低下する。

 

 これまでのランク戦で、茜は手の内を見せ過ぎた。

 

 ライトニングをメインとする茜の戦い方は、確かに最初のうちは初見殺しとして機能しただろう。

 

 戦いを重ねるごとに対策されても、それを加味した上で立ち回り、自分の仕事をこなすその姿は見事と言う他ない。

 

 けれど、そのライトニングしか扱えないという点は、ある決定的な弱点を内包している。

 

 それは、威力不足。

 

 本来狙撃銃の優位性を確保している大きな要因である火力が、ライトニングには存在しない。

 

 ライトニングは、あくまで弾速重視のトリガー。

 

 威力も、射程も、汎用狙撃銃(イーグレット)には遠く及ばない。

 

 故に、対処方法は単純明快。

 

 シールドを、広げれば良い。

 

 二宮は、アイビスによって割られたシールドの内側に、広げたシールドを展開する。

 

 これで、詰み。

 

 威力の低いライトニングでは、広げたシールドすら貫通する事は叶わない。

 

 最後の一射は、無常なる盾に阻まれ地に落ちる。

 

 地に足が付いてしまえば、もう二宮を崩す事は出来ない。

 

 防御と、回避。

 

 その双方が自由に出来るようになった二宮に、隙などない。

 

 同じ手は、二度も通用しないだろう。

 

 最早、これまで。

 

 今度こそはと、誰もがそう思った。

 

 

 

 

「────ええ、対応するでしょうね」

 

 ────されど、小夜子はそれを見て、不敵な笑みを浮かべていた。

 

「分かっていました。二宮さんなら、此処までやると。此処までやっても、届かないと」

 

 最後の攻撃は、失敗した。

 

 その筈。

 

 その筈なのだ。

 

 だというのに、小夜子の顔には、変わらぬ笑みが浮かんでいる。

 

「想定していました。私の当初の想定を、二宮さんが上回る事を」

 

 ですが、と小夜子は続ける。

 

「だからこそ、茜の成長が鍵でした。そして、茜は私の要求(オーダー)をきちんとこなして来た」

 

 くすり、と笑みを浮かべる。

 

 それは、諦観の笑みではない。

 

 勝利を確信した者が浮かべる、心からの笑みだった。

 

 そして小夜子は、告げる。

 

 

 

 

「そうだ。日浦は、諦めなかった。文句一つ言わず、ただひたすらに訓練を続けてきた」

 

 観客席の奈良坂が、呟く。

 

 その視線は、画面の中の茜に向けられている。

 

 そして、奈良坂は告げる。

 

 

 

 

「「「勝った」」」

 

 小夜子が、奈良坂が、そして茜が。

 

 奇しくも同時に、勝利宣言を口にした。

 

 

 

 

「な……?」

 

 ────────最初、二宮は何が起きたか理解出来なかった。

 

 二宮のシールドに阻まれ、霧散する筈だった弾丸。

 

 それは広げたシールドを貫通し、二宮の胸を貫いた。

 

 弾速特化の狙撃銃(ライトニング)では、有り得ない。

 

 これは、この威力は。

 

「イーグレット、だと……?」

 

 弾速、威力から考えても、間違いない。

 

 イーグレット。

 

 それが今回、茜が用いた狙撃銃の正体だった。

 

(ライトニング以外の、習熟度の低さを逆手に……っ!)

 

 茜は今期の試合、その全てでライトニングだけを用いて戦って来た。

 

 それは茜が最も戦いやすい戦闘スタイルであると同時に、イーグレットやアイビスの習熟度が足りないが故の苦肉の策でもあった。

 

 だが、だからこそ茜は鍛錬を怠らなかった。

 

 ライトニングの精度を高める訓練と同時に、イーグレットについても師である奈良坂の元で鍛錬を積み重ねていたのだ。

 

『トリオン供給機関破損』

 

 機械音声が、二宮の致命傷を告げる。

 

 全身が罅割れ、トリオンの粒子が漏れていく。

 

「俺の負けか」

 

 二宮は、自身の敗北を、認めた。

 

 全て、想定通りであった筈だ。

 

 手抜かりなどないと、そう考えていた。

 

 だが、違った。

 

 彼の想定の更に上を、成長という要素を以て行かれてしまった。

 

 これはもう、負けを認める以外にないだろう。

 

 二宮は、引き際が分からない程愚かではないのだから。

 

 ふと、顔を上げる。

 

 その視線の先には、未だに油断なくこちらを見据える七海の姿があった。

 

「…………フン」

 

 気の利いた、言葉などない。

 

 だが、それで充分。

 

 射手の王を、二宮を倒せた。

 

 その事実を、他ならぬ二宮が認めている。

 

 それ以上の称賛など、あろう筈もなかったのだから。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声と共に、二宮の身体が光の柱となって消え失せる。

 

 B級一位部隊『二宮隊』隊長、二宮匡貴。

 

 高過ぎる牙城が、たった今音を立てて崩れ去った。




 ようやくVS二宮終了。

 色々総動員しての戦闘でした。

 原作指折りの実力者の戦闘は「此処までやれば落ちるだろう」ってトコに持っていくのが大変。

 東さん並みに苦労したけど遣り甲斐もありました。


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影浦隊①

 

「おいおい、マジかよ」

 

 上層観客席で、当真が呟く。

 

 その視線の先には、たった今緊急脱出した二宮の姿があった。

 

 その場にいた誰もが、目を奪われていた。

 

 あの二宮を。

 

 射手の王を。

 

 遂に。

 

 遂に、那須隊が落とす事に成功したのだから。

 

「やりやがったな」

「ええ、やりましたね」

 

 太刀川と出水は、その光景を満足気に眺めている。

 

 二人とも、驚いた様子はない。

 

 彼女達ならやり遂げるだろうと、そう確信していたが故に。

 

 

 

 

「…………やったな。日浦」

 

 そして、奈良坂もまた、弟子()の戦果を見て満足気に頷いていた。

 

 茜がこの日の為にどれだけ努力を積み重ねて来たのかは、他でもない奈良坂が良く知っている。

 

 だからこそ、嬉しかった。

 

 己の弟子が、「強くなりたい」と必死に腕を磨いてきた茜が。

 

 遂に、その努力を結実させたのだから。

 

 これで嬉しくない、師などいるであろうか?

 

 否。

 

 これで喜ばない師など、どうかしている。

 

 故に奈良坂は、飾り気なしの称賛を口にした。

 

 お前はやり遂げたのだと、万感の想いを込めて。

 

 

 

 

「べ、緊急脱出(ベイルアウト)……っ!! 二宮隊長、度重なる攻防の末、日浦隊員のスナイプによってまさかまさかの緊急脱出……っ! 射手の王が、遂に陥落したぁ……っ!」

 

 一瞬言葉を失った桜子だったが、すぐに我に返りあらん限りの音量で二宮脱落を宣言した。

 

 同様に画面の向こうの光景に目を奪われていた観客が、一斉に大歓声を挙げる。

 

 誰もが。

 

 誰もが、今の攻防に瞠目していた。

 

 B級一位部隊、二宮隊隊長。

 

 二宮匡貴。

 

 難攻不落なる射手の王が、遂に落とされたのだから。

 

「…………参ったね。まさか、二宮さんを落としてしまうなんて。どうやらぼくの君に対する評価は、まだまだ不足だったようだ。ヒューラー。そして、セレナーデ」

 

 いや、那須隊全員がか、と王子はぼやく。

 

 王子は、二宮がアイビスを防御した後にシールドを広げた時点で、()()だと考えていた。

 

 茜の脅威は、シールドの隙間や意識の陥穽を突く事での不意打ちによる精密射撃にこそある。

 

 故に、シールドを広げてしまえば茜の攻撃は脅威には成り得ない。

 

 そう考えていたからこその、驚愕。

 

 まさか、この日この時の為にイーグレットの鍛錬を積み重ねており、更にその切り札を此処に至るまで隠し通すなど、夢にも思わなかったのだ。

 

 思えば、これまでの試合でライトニングだけを使い続けてきたのは、この最終ROUNDに置けるこの一射を成功させる為の目論見であったのだろう。

 

 それが茜の判断なのか、それとも隊全体の指針だったのかは分からない。

 

 どちらにせよ、してやられたのは確かである。

 

「見事だな。全ての状況を、あの一射の為に使ったのか。生駒隊の動きも、絵馬の動きも、全てが那須隊の想定通りだったというワケか」

「どうやら、そう考える他ないようですね。個人的にも驚きでした。まさか、他部隊の動きまで完璧に作戦に組み込んでみせるなんて」

 

 レイジと蔵内が、口々に称賛する。

 

 そう、那須隊にとっては、全てが想定通り。

 

 生駒隊が仕掛けて来るのも、ユズルが跳躍中の二宮を狙う事も。

 

 そして、その全てを二宮が凌ぎ切る事も。

 

 全て全て、那須隊の計略の内であったのだ。

 

 自分の隊のみならず、他の部隊の動きまでコントロールし切った那須隊の采配は、見事なものだったと言えるだろう。

 

「恐らく、七海が時間稼ぎに徹していたのは那須や日浦が配置に付く時間だけでなく、生駒が二宮を狙える位置まで来る為のものだな」

「それは、生駒旋空を撃たせる為ですか?」

「そうだ。生駒旋空がなければ、二宮を空中に追いやる事は不可能だっただろうからな」

 

 まず、とレイジは前置きして話し始めた。

 

「二宮は、言うまでもなくシールドが固い。那須の両攻撃(フルアタック)バイパーや七海のメテオラでは、シールドを貫く事は出来なかっただろう」

「けど、イコさんの旋空なら話は別だ。生駒旋空は射程も速度も一級品で、尚且つ防御不能という旋空の特性上相手は回避を選択するしかない。そして、横薙ぎに振るわれた旋空を回避するには、上下に移動する他ないんだ」

 

 そう、旋空の威力は、ボーダーのノーマルトリガーの中でも別格だ。

 

 アイビスさえ防ぐ両防御(フルガード)の集中シールドさえ、旋空の前では無意味と化す。

 

 一度放たれたが最後、回避する以外に凌ぐ手段を持たない致死の攻撃手段。

 

 それこそが、旋空弧月なのだから。

 

 上段に振るわれたそれならばまだ横に逃げる余地があるが、横薙ぎに振るわれた場合はジャンプして躱す以外の選択肢はまず有り得ない。

 

 二宮が見せた足場を崩す事での下への回避などという手段は、早々使えるものではないのだ。

 

 更に、生駒旋空の射程は40メートル。

 

 横へ跳んでの回避などまず不可能である為、これを躱すにはジャンプでの回避をするしかない。

 

 そしてそれこそが、那須隊の狙っていた状況であった。

 

「グラスホッパーやテレポーターをセットしていない以上、跳躍した時点でシールドでの防御以外の選択肢は封じられる。絵馬の狙撃を身のこなしだけで躱した二宮は大したものだが、あれは何度も使える手じゃあない」

「足場がない以上、取れる挙動には限界があるからね。幾ら二宮さんといえど、空中で出来る事は大分限られていたワケだ」

「そうだ。だからこそ、二宮は日浦の射撃に対し、シールドを広げるという対処を取ったんだ」

 

 レイジはそう告げ、続ける。

 

「あの場には、七海がいた。流石に自分で突っ込んで来るような真似はしないと踏んでいただろうが、スコーピオンを投擲するくらいであれば普通にやる可能性があった」

 

 そう、あの時二宮の最も近くにいたのは七海である。

 

 メテオラを防がれて以降の攻防には手出ししなかったものの、その気になればスコーピオンを投げるくらいの事は出来たのだ。

 

「だからこそ二宮は、シールドに空いた穴を集中シールドで塞ぐのではなく、シールド内部に広げたシールドを展開するという方法を取ったんだ。いざという時、集中シールドで七海のスコーピオン投擲を防ぐ為にな」

 

 スコーピオンの投擲は、流石に広げたシールドでは防げない。

 

 故に、二宮は片手を空けてそれに備えていた。

 

 外側のシールドを解除しつつ、その内側に新たなシールドを張る事で。

 

「ライトニングの弾速と日浦の高速精密射撃の事を考えれば、外側にシールドを張っている余裕はない。だから二宮は、シールドの内側にシールドを再展開する事にしたワケだ」

「ヒューラーは、少しでも通り抜けられる穴があれば的確にそこを突いて来るからね。前回はバッグワームを着た(両手が塞がった)トノくんが狙撃した瞬間を狙って落とす、なんて真似もしてたワケだし。当然の警戒だったと思うよ」

 

 でも、と王子は告げる。

 

「今回は、それを逆手に取られたワケだ。これまで隠し通してきたイーグレットという切り札(ジョーカー)を用いて、ライトニングの狙撃を想定していた二宮さんを見事に撃ち抜いた。二宮さんも、まさかあそこでイーグレットが来るとは思ってなかっただろうからね」

 

 それに、と王子は続ける。

 

「エマールの狙撃を身のこなしで強引に躱しただけじゃなく、シールドの内部にシールドを再展開して身動きが殆ど取れなくなっていたから、実質回避の選択肢が潰されていたのも大きいね。そうでなければ、あれすら躱されていた可能性があったんだし」

 

 そう、王子の言う通り、あの一撃が通ったのは直前にユズルの狙撃があったというポイントが非常に大きい。

 

 二宮はユズルの狙撃を難なく躱しているように見えたが、そもそも空中で出来る事はごく限られている。

 

 数瞬のうちに何度も身体を捻るような動作は、流石の二宮といえど困難だ。

 

 そしてシールドの範囲を自ら狭めてしまった以上、取れる動きは更に限定されていた。

 

 アイビスでシールドに穴が空かなければ、シールドの再展開など行う筈もない。

 

 ユズルの一射は、決して無駄ではなかったのである。

 

「シンドバットが不用意に近付かず、メテオラでの援護に終始したのは無理に踏み込んで迎撃される可能性を潰す為だったんだろうね。残っているのが二宮さんだけならまだしも、カゲさんやイコさんも残ってるし、此処で彼を使い潰すワケにはいかなかったんだろう」

「そうですね。確かに二宮隊長撃破は快挙ですが、まだ試合が終わったワケではありません」

 

 そう、二人の言う通り、試合はまだ終わっていない。

 

 二宮を倒しても、まだ倒すべき相手は残っているのだ。

 

「残っているのは、二宮隊の辻隊員、生駒隊の生駒隊長、影浦隊の影浦隊長と絵馬隊員、そして那須隊の那須隊長と日浦隊員、七海隊員ですね」

「そして、得点は二宮隊が3ポイント、那須隊が2ポイント、影浦隊が1ポイント、生駒隊が1ポイントか。これは、この先の展開次第で幾らでもひっくり返りそうだね」

「ポイントの内約は、こうですね」

 

 桜子が機器を操作し、画面にそれぞれの得点が表示される。

 

 二宮隊:3Pt(水上・熊谷・南沢)

 那須隊:2Pt(犬飼・二宮)

 影浦隊:1Pt(隠岐)

 生駒隊:1Pt(北添)

 

「現状では、二宮隊が3Ptでトップ。二宮隊長は落ちましたが、辻隊員の動き次第では追加点も充分有り得ますね」

「影浦隊もカゲさんとエマールが残ってるし、生駒隊長は一人だけどそれでも何人落とすか分からない怖さがある。那須隊は言わずもがなだし、これはまだまだどんでん返しがありそうだ」

 

 そう、二宮隊は最大戦力である二宮を失ったものの、辻がまだ残っている。

 

 現在影浦とタイマンを張っている以上追加点は難しそうだが、それでも絶対ではない。

 

 影浦隊は最大戦力である影浦と、狙撃手であるユズルが残っている。

 

 ユズルの位置がバレているのが非常に痛いが、それでもやってやれない事はないだろう。

 

 生駒隊もまた、最大の脅威である生駒が生存している。

 

 家越し旋空は不意打ちとして最高峰の威力を誇り、早々侮れるものではない。

 

 本人の白兵戦能力も極めて高く、クレバーな思考も出来る。

 

 那須隊の勝利には、まだまだ壁を乗り越える必要があるのだ。

 

「さあ、二宮隊長が落ちて波乱の最終ROUND……っ! これからどう転ぶか、最早予測の外……っ! 盛り上がって参りました……っ!」

 

 

 

 

「二宮さんが、やられた……っ!?」

「へっ、余所見してんじゃねぇ……っ!」

 

 二宮の脱落で一瞬動揺を見せた辻を、影浦のマンティスが襲い掛かる。

 

 鞭のようにしなる刃が、横合いから辻の首に狙いを定めた。

 

「く……っ!」

 

 間一髪、辻は弧月を逆手持ちにしてその斬撃をガード。

 

 そのままバックステップで距離を取り、影浦と対峙した。

 

「どうやら、二宮は七海達がやったようだなあ。残るはテメーだけだぜ、辻」

「…………そのようですね。となれば、悠長にはしていられない。獲れる点を、取りに行かせて貰います」

「……!」

 

 辻が腰だめに弧月を構え、旋空の発射態勢を取る。

 

 マンティスで仕留めるには、少々距離が離れ過ぎている。

 

 故に影浦は回避行動に移ろうとして、気付く。

 

(こりゃあ……っ!)

 

 敵意は自分に向いていた為反応が遅れたが、間違いない。

 

 辻は、自分を狙っていない。

 

 自分のサイドエフェクト(感情受信体質)は、この攻撃範囲に自分の身体がない事を確信している。

 

 ならば、辻の攻撃対象は何処か。

 

「────旋空弧月」

 

 考えるまでもない。

 

 周りの、家屋。

 

 丁度傍に立っていた、テレビ塔である。

 

「うお……っ!?」

 

 テレビ塔が両断され、巨大質量が落下する。

 

 生き埋めにされてはたまらないと、影浦は即座に退避した。

 

 瓦礫が地面に叩きつけられ、轟音と共に砕け散る。

 

 影浦はそれを間一髪で避けながら、周囲を見回す。

 

 そして、気付く。

 

 既に、辻の姿が何処にもない事に。

 

「あの野郎……っ!」

 

 そう、最初から、これが狙い。

 

 辻は、影浦とこれ以上戦う意思は毛頭なかった。

 

 彼の狙いは、最初から隙を突いてこの場から逃走する事だったのだ。

 

 

 

 

「上手く逃げられたか。でも、余計な事をしている時間はないな」

 

 逃走に成功した辻は、一直線に目的地に向け駆けながら呟く。

 

 正直、二宮が落ちた事は驚きだが、同時に納得もある。

 

 これまでの試合ログを見て、那須隊の成長には驚かされた。

 

 故に、思う。

 

 彼女達であれば、やり遂げるだろうと。

 

 女性が苦手な辻なので直視出来なかった部分も多いが、そこはそれ。

 

 認めなければならないだろう。

 

 那須隊は、成長した。

 

 自分達に、その刃を届かせる程に。

 

「なら、俺も遊んではいられない。二宮隊の一員として、やれる事はやってやろう」

 

 辻は瓦礫の向こうから聞こえる影浦の足音を耳にしながら、辻は駆ける。

 

 目指すは、この先にある住宅街。

 

 那須隊射手、那須玲の潜む場所であった。





 ちなみに現在のポイントはこうなります。

 ROUND開始時 現状のポイント

 二宮隊:47Pt→50Pt
 那須隊:45Pt→47Pt
 影浦隊:43Pt→44Pt

 いやあ、ポイント管理は強敵でしたね。


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影浦隊②

 

『那須先輩。そっちに辻先輩と影浦先輩が向かっています。明確に、那須先輩狙いですね』

「そう」

 

 那須は小夜子からの通信を受け、思案する。

 

 二宮隊唯一の生き残りである辻は、出来れば那須隊(自分達)で獲っておきたい駒だ。

 

 現在、那須隊の獲得点は2ポイント、影浦隊の獲得点は1ポイント。

 

 ROUND開始時の得点にこれを加算すれば、那須隊が47ポイント、影浦隊が44ポイントとなる。

 

 一見3ポイントリードしていて充分な点差に思えるが、これは簡単にひっくり返り得る点差でもある。

 

 何せ、生存点の2ポイントというのは非常に大きい。

 

 そして、影浦は二宮ほどではないにしろ、ランク戦での生存率はかなり高い。

 

 何せ、ある意味七海の同種の攻撃察知を可能とする副作用(サイドエフェクト)を持っているのだ。

 

 それを十全に使いこなしている影浦は、狙撃も不意打ちも基本的には通用しない。

 

 七海曰く東のように殺気を完全に消した攻撃は察知出来ないらしいが、那須は勿論七海でさえそんな芸当は不可能だ。

 

 その東がいない以上、影浦がこの試合で最後まで生き残る確率は非常に高いと言わざるを得ない。

 

 そうなれば、影浦隊に一点でも取られてしまえば生存点を含め得点が那須隊と並ぶ。

 

 そして、得点が同一の場合、シーズン開始時に順位が上だった方が上の順位となる。

 

 同点は、イコール敗北に他ならない。

 

 故に、此処で影浦を落とす、もしくは痛手を負わせたいというのが本音だが、その難易度はかなり高い。

 

 確かに那須の両攻撃バイパーと持ち前の機動力の合わせ技は強力ではあるが、如何せんこのMAPには高低差が少な過ぎる。

 

 高い建物もなくはないが、それもアパートや病院といった施設が点在する程度で、那須が三次元機動の()()に出来るような高い建造物の密集地帯が存在しないのだ。

 

 グラスホッパーを用いた空中機動を行うという選択肢もあるにはあるが、ユズルが生きている現状でそんな真似をすれば良い的でしかない。

 

 必然的に、この場で那須が得意とする空中機動とバイパーの合わせ技による攪乱は非常にやり難い。

 

 那須の三次元機動も、リアルタイム弾同制御を用いたバイパーも、いずれも複雑で入り組んだ地形でこそ真価を発揮する代物だ。

 

 残念ながら、このMAPは那須にとって非常に戦い難い地形と言わざるを得ないのである。

 

 だからこそ、那須は作戦決行までひたすら隠密に徹していたのだ。

 

 この場では、彼女の戦闘力は著しく減衰しているに等しいが故に。

 

 そんな状態で影浦と戦うのは、那須としては出来れば避けたいところである。

 

(けれど、玲一の所に行くにはあの瓦礫の山を通り抜けなきゃいけないのよね)

 

 だが、かといって七海に合流しようにも、七海のいる場所の近辺は度重なるメテオラの爆発で家屋が吹き飛ばされ、身を隠すものが何もない。

 

 これは二宮が空中で足場を確保出来ないようにする為に行った破壊痕だが、今はそれがネックになっている。

 

 あんな開けた場所に向かうのは、正直言って自殺行為だ。

 

 射線が通りまくるのでユズルの狙撃の脅威度も上がる上に、生駒がすぐ近くにいるのだ。

 

 隠れる場所や足場さえない場所で生駒旋空を回避するのは、那須としても厳しいものがある。

 

 かといって、ユズルを狙おうにも彼がいる場所は七海の周辺に存在する瓦礫地帯の向こう側である。

 

 瓦礫地帯を避けてユズルを追うとなると遠回りになる為、辻や影浦に追いつかれてしまう可能性が高い。

 

 更に言えば、それだけの時間をかけてしまえばユズルはさっさと雲隠れしてしまう事だろう。

 

 だが、狙撃手の位置が割れているというメリットは出来れば最大限に活かしたい。

 

 折角見つけた狙撃手をみすみす逃がすのは、那須としても避けたい所である。

 

(危険を承知であそこを突っ切る……? いえ、駄目ね。レーダーの位置から考えて、あそこはもう生駒旋空の射程内。みすみす飛び込むのは、自殺と同じだわ)

 

 あまり、考えている時間はない。

 

 判断の遅れは即ち戦況の悪化に繋がり、そのまま敗北に直結しかねない。

 

 折角、二宮打倒という大目標を達成出来たのだ。

 

 此処までやって負けるなど、那須としても受け入れ難い。

 

 茜が、あれだけの活躍を見せたのだ。

 

 隊長である自分も、きちんと隊に貢献しなければならない。

 

 それが自分の隊長としての、否────────皆と想いを共有する者としての、責務である。

 

 今此処で、自分がやるべき事は何か。

 

 小夜子に作戦を丸投げするのは簡単だが、此処に来てそれは有り得ない。

 

 適材適所、という言葉もあるが、必要な仕事を割り振るのと全てを丸投げにするのは全く違う。

 

 それに、小夜子と自分では、見えているものに違いがあるのだ。

 

 小夜子は確かに優秀な作戦立案能力を持っているが、それでも戦場の空気を直に知っているワケではない。

 

 戦場に立っているからこそ見えるものも、それなりにあるのだ。

 

 そうでなければ、ROUND4で早期に王子を戦場から排除し、指揮の即応力を落とす、なんて真似も出来なかった筈なのだから。

 

 故に、那須は思考を止めない。

 

 各隊員の位置や、これまでの行動。

 

 各々の部隊の方針と、その動きから分かる作戦方針。

 

 そして、実際に戦場を見て感じた、所感。

 

 それらを複合し、那須は現状を正確にシミュレートする。

 

 作戦立案能力こそ小夜子に及ばない那須だが、その空間認識能力の高さは本物だ。

 

 そもそも、リアルタイム弾道制御なんて真似は、戦場を立体的に俯瞰して見る視野の広さがなければ成立し得ない技術だ。

 

 それを軽々とこなす那須が、状況把握能力が低い筈がない。

 

 そも、彼女は曲がりなりにも隊長だ。

 

 七海が入隊出来ていなかった時期の那須隊を一人で切り盛りしていた手腕は、決して伊達ではない。

 

 感情に押し流される傾向があったとはいえ、部隊の隊長として求められる役割を彼女はきちんとこなしていた。

 

 そんな彼女が、土壇場の決断で二の足を踏む筈もない。

 

 那須は顔を上げ、小夜子に向かって語り掛けた。

 

「小夜ちゃん、あの二人を迎撃しつつこの場所まで誘導するわ。ナビゲート、頼める?」

『勿論です。絵馬くんは茜に追わせますが、構いませんか?』

「問題ないわ。むしろ、そっちを優先してくれて構わないわ」

 

 ユズルは、一筋縄で行く相手ではない。

 

 前回は茜に落とされ、今回も上手く利用出来たものの、その狙撃技術と機転の鋭さは本物だ。

 

 甘く見れば、一瞬で食い破られるだろう。

 

 そんな相手を追う茜には、小夜子のナビゲートが必要不可欠だ。

 

 自分に割くリソースも、そっちに割り振った方が良いのではないか、と考えた那須だったが、小夜子がそれに否を唱えた。

 

『大丈夫です。どっちのオペレートも、十全にこなしてみせます。あまり、甘く見ないで下さい』

「分かったわ。任せる」

『ええ、大船に乗ったつもりでいて下さい。やり遂げてみせますよ』

 

 小夜子の力強い返事を聞き、那須は顔を上げる。

 

 見据えるは、こちらに近付いてくる辻と影浦(ふたり)の姿。

 

 窓越しにそれを視認した那須は、手元にキューブを展開。

 

 迎撃準備を、整えた。

 

 

 

 

「追いついたぜ、オラァ!」

 

 逃げる辻の背に、影浦のマンティスが牙を剥く。

 

 一度は逃走に成功した辻だったが、影浦は持ち前の見の軽さを活かして追い縋り、遂に辻の背が見える位置にまで到達した。

 

 何せ、狙撃を警戒し入り組んだ路地を進まなければならなかった辻に対し、影浦はそんな事は関係ないとばかりに屋根を伝って追って来たのだ。

 

 現在、狙撃手はユズルの他に茜が生き残っている。

 

 ユズルの脅威は言うに及ばずだが、二宮から得た情報によれば茜はイーグレットまで持ち込んで来ているのだという。

 

 つまり、ライトニング相手には通用したシールドを広げるという対処方法が、今の茜には通用しない。

 

 かといって、集中シールドを張ればライトニングの高速精密射撃をシールドの脇から撃ち込まれ、それで終わりだ。

 

 茜のイーグレット実装は、ただ手札が増えたというだけではない。

 

 持ち前のライトニングによる精密射撃能力と組み合わせる事によって、相手の防御の難易度を限りなく引き上げる事に成功しているのだ。

 

 シールドを広げれば、イーグレットで撃ち抜かれる。

 

 集中シールドを用いれば、ライトニングで隙を突かれる。

 

 故に、今の茜の狙撃を防御するには両防御以外は不安が残る。

 

 不自由な二択を押し付けられるという点で、茜は厄介極まりない狙撃手と化しているのだ。

 

 切り札は、隠しておくだけが使い道ではない。

 

 時にはそれを見せつける事で、相手の行動を制限する事も出来る。

 

 イーグレットの習得という茜の成長は、確実に彼女の脅威度を跳ね上げた。

 

 最早、単純な対策が通じる相手ではなくなっている。

 

 天才肌のユズルに加え、そんな成長を遂げた茜までもが控えているのだ。

 

 大まかな位置は知れているとはいえ、迂闊に屋根の上に出ればたちまち狙撃の的となって終わりだろう。

 

 だが、攻撃察知が可能なサイドエフェクトを持つ影浦にとって、そんな事は関係ない。

 

 どんな攻撃だろうが、影浦にとっては()()()()()攻撃だ。

 

 イーグレットだろうとライトニングだろうと、はたまたアイビスだろうとそれは変わらない。

 

 影浦はサイドエフェクトを用いて、最小限の動きで狙撃を回避する事が可能なのだ。

 

 故に、辻には不可能だった屋根を伝ってのショートカットを躊躇いなく実行し、こうして追いついてきたワケである。

 

「……っ!」

 

 辻は、弧月を用いて自身に迫る影浦の刃を叩き切る。

 

 マンティスは、その射程と独特の軌道以外はスコーピオンと変わらない。

 

 つまり、ブレードとしては脆いのだ。

 

 当然、横合いからの弧月の斬撃に耐えきれる筈もなく、両断される。

 

「ハッ、まだまだぁ!」

 

 だが、影浦の攻撃は終わらない。

 

 マンティスは、スコーピオンの派生技。

 

 つまり、スコーピオン同様に、一度破壊された程度であれば大した痛手ではない。

 

 影浦はすぐさま、左手にマンティスを再生成。

 

 鞭のような動きで、辻の首を狙う。

 

「く……っ!」

 

 辻は弧月を用いて、その斬撃をガードする。

 

 変幻自在の軌道を描くマンティス相手に、紙一重の回避は愚策だ。

 

 間一髪で避けた程度では、そのまま刃に追い縋られ斬られる可能性が高い。

 

 故に、影浦のマンティス相手には斬撃自体をガードするか、大振りの回避を行う他ない。

 

 相打ち覚悟で懐に飛び込むというのもありだが、接近戦の身軽さでは影浦の方に分がある。

 

 迂闊に仕掛ければ、刈られるのは辻の方だろう。

 

 だが。

 

「何笑ってやがる、てめぇ……っ!」

 

 辻は、笑っていた。

 

 ほんの微かな、笑みとも取れない動きだが、その感情を受け取ってしまう影浦には彼がどんな心境かは丸見えだった。

 

 影浦には、分かる。

 

 辻のそれは、勝負を諦めた者の笑みではない。

 

 自分の策が嵌まったと、確信した者の笑みだった。

 

「────悪いけど、相手は俺だけじゃない」

「……っ!」

 

 辻の言葉の、直後。

 

 影浦のサイドエフェクトが、警鐘を鳴らした。

 

 それは無論、辻による攻撃ではない。

 

 四方八方より出現した、無数の光弾。

 

 その変幻自在の軌道はまさしく、バイパーに他ならない。

 

 一足先に離脱した辻と同様、影浦はサイドエフェクトで弾幕の隙間を縫うように動き、近くの家屋に飛び込む。

 

 そして家屋の壁を盾にして、影浦はバイパーの射撃を凌ぎ切った。

 

「那須か」

 

 影浦が、呟く。

 

 この試合でバイパーを使う者は、ただ一人。

 

 那須玲。

 

 姿は見えないが、今の攻撃は間違いなく彼女によるもの。

 

 辻と影浦の戦場に、那須が介入した瞬間であった。

 

 

 

 

「…………やられたな」

 

 ユズルは拠点にしていたアパートを降りるのではなく、上階を目指して駆け上がりながら呟く。

 

 二宮打破において、ユズルは完璧に那須隊によって利用されていた。

 

 彼の狙撃が失敗に終わる事は、彼女達にとっては織り込み済み。

 

 本命である茜の狙撃を通す為の、ただ二宮から回避の余地を奪う為に成された一射。

 

 それが、ユズルの行った狙撃であったのだ。

 

 悔しい、と思った。

 

 今度こそ、茜に目にものを見せると息巻いていたのに、このザマだ。

 

 認めよう。

 

 日浦茜は、優秀な狙撃手だ。

 

 少なくとも、ユズルの見て来た狙撃手の中でも最上位に位置するのは間違いない。

 

 前期までは特段成績も伸びず、大して興味を惹かれなかった相手であるが、今は違う。

 

 茜は、成長した。

 

 それこそ、ユズルに敗北感を味遭わせる程に。

 

「けど、まだ終わりじゃない。やれる事はある」

 

 だが、だからと言って此処で諦めて良いワケがない。

 

 正直ユズルは遠征になど興味はないが、ただ単純に負けたくなかった。

 

 あの、驚異的な戦果を挙げてのけた少女に。

 

 勝ちたい。

 

 その想いが、ユズルの身体を動かした。

 

「カゲさん。好きにやっていい?」

『ああ、好きにしな』

 

 ただ、それだけ。

 

 影浦は何も詳しい事は聞かず、ユズルの願いを受け入れた。

 

 ただの確認ではあったが、その言葉に秘められた影浦なりの応援(エール)は、確かにユズルに届いていた。

 

 アイビスを背負い、ユズルは戦場と定めたアパートの内部を駆ける。

 

 その眼には、爛々と輝く闘志が漲っていた。

 

「さあ、やろうか。日浦さん。どっちが上か、勝負だよ」

 

 ユズルは、少女を待ち構える。

 

 レーダーからは消えているが、来る筈だ。

 

 七海がこちらに構う暇がない以上、茜以外に彼を追える者はいない。

 

 感覚派狙撃手にして天賦の才を持つ少年、絵馬ユズル。

 

 精密射撃の名手にしてその才能を開花させた少女、日浦茜。

 

 二人が行うのは、正々堂々とした立ち合いではない。

 

 互いの裏をかき、相手を陥れる奇襲戦闘。

 

 ────────ゲリラ戦である。





 というわけで乱戦と狙撃手対決開始。

 まだまだ盛り上げていくよー。


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影浦隊③

 

『七海先輩、那須先輩は影浦先輩と辻先輩の二人と戦闘を開始しました。茜は絵馬くんと戦り合うようです』

「了解した。生駒さんは?」

『もう来ます。どうやら、今回も正面から来るようですね』

 

 小夜子の報告を聞き、七海は先ほど旋空が飛んできた地点────────斬り裂かれた、家屋の向こうを見据える。

 

 横薙ぎに両断された、家屋のがれきの向こう側。

 

 そこに、バッグワームを脱ぎ捨て佇む生駒の姿があった。

 

 既にその手は弧月の柄にかけられており、旋空の発射態勢を整えているのは一目瞭然だった。

 

 生駒は戦闘態勢を整えたまま、じろりと七海を見据えた。

 

「二宮さん獲るとか、けったいな事しおるな自分ら。けど、まだ俺は負けてへんで」

「ええ、今回も勝たせて貰います」

「言うやないか。ま、その方がおもろいけどな」

 

 生駒の声には、明確な闘志が宿っていた。

 

 前回一度下したとはいえ、あれは三人がかりの総力でやっとという紙一重の戦いだった。

 

 無論、あの時とは駒の状態も周囲の戦況もまるで違うが、それでも難敵である事に変わりはない。

 

 策なしで勝てるような、甘い相手ではないだろう。

 

 だが、此処で退くという選択肢は有り得ない。

 

 生駒を自由にしてしまえば、何処に生駒旋空が叩き込まれるか分かったものではないのだ。

 

 故に、此処で生駒を七海が抑える必要がある。

 

 周囲は瓦礫の山と化し、隠れる場所や足場となるものは殆どない。

 

 そんな圧倒的不利な状況下での戦いは、厳しいものになるだろう。

 

 だが、不利だからと言って投げ出すワケにはいかない。

 

 両手にセットしたグラスホッパーの存在もあるし、何より七海には副作用(サイドエフェクト)による攻撃感知がある。

 

 問題はそのサイドエフェクトを以てしても、生駒旋空の前では不安要素が残る事だが、構わない。

 

 生駒旋空の実際の速度は、ROUND6で直に体感している。

 

 経験は、力だ。

 

 百聞は一見に如かず、一見は一闘に及ばず。

 

 実際に戦って得た経験値は、何よりも代え難い武器となる。

 

 無論、生駒とて鍛錬は欠かしていないだろう。

 

 七海がそうであるように、ボーダーの上位の実力者達は向上心を決して捨てない。

 

 今の実力で満足するような輩は、上には上がれないのだから。

 

 だが、鍛錬したからといって劇的に強くなるワケがない。

 

 よく漫画などで修業して格段に強くなるキャラがいるが、現実はそう上手くはいかない。

 

 日々の鍛錬を行うのは当然であり、その過程にショートカットなど存在しない。

 

 鍛錬を前提とした上で、問題に対して具体的な解決手段を模索する。

 

 それが出来て初めて、ボーダーの戦闘員という役職を本当の意味で担う事が出来るのだ。

 

 鍛錬を続けているのは、皆同じ。

 

 自分が強くなった分、相手も強くなっている。

 

 その事を前提とした上で、思考を決して止めずにあらゆる手段を模索する。

 

 それが、ランク戦で鎬を削り合うボーダー隊員のあるべき姿なのだ。

 

 以前より強くなっているのは、どちらも同じ。

 

 故に、迷いはない。

 

 無論、躊躇いもない。

 

 普段言葉を交わし親交を結んでいる相手であろうと、ランク戦で相対した以上は落とすべき相手。

 

 そこに、遠慮容赦が介在する余地は微塵もない。

 

 仲が良いからと言って手加減するような愚者は、正隊員には存在しない。

 

 あの一件から距離が縮まった生駒と七海だが、こうして対峙する以上は互いに全霊で戦うのみ。

 

「…………」

 

 生駒が、剣を握る。

 

「────」

 

 七海が、足に力を込める。

 

旋空弧月

 

 生駒旋空、一閃。

 

 横薙ぎに振るわれたそれを、七海は跳躍し回避する。

 

 それが、合図。

 

 開戦の狼煙を上げた二人が、戦闘を開始した。

 

 

 

 

「各所で戦闘勃発……っ! 辻隊員は影浦隊長と共に那須隊長とエンカウント……っ! 絵馬隊員はアパートに立て籠もって日浦隊員を待ち構え、七海隊員は生駒隊長と戦闘を開始したぁ……っ!」

「一気に動いたね」

 

 実況席で桜子は早口でそこまで言い切ると、お疲れ様とでも言うかのように王子が一言添えた。

 

 何せほぼ同時に三つの戦場で戦闘が開始したのだから、実況を行う側としても大変である。

 

 解説の王子達は極論合いの手を打つだけで良いが、桜子は逐次戦況を実況しなければならない。

 

 その負担はかなり大きい筈だが、桜子は割とけろっとしている。

 

 もしかすると、興奮が疲労を上回っているのかもしれない。

 

 これまで、この最終ROUNDは熱い展開の連続だった。

 

 二宮隊の孤立からの犬飼無双や、それを打ち倒した熊谷。

 

 綿密な作戦の元に実行された、『二宮落とし』。

 

 更に今起きている、三方面の戦場での戦いである。

 

 戦闘の内容もかなり高度なものであり、こんな戦いを実況出来るなんて実況者冥利に尽きる、とでも思っているのかもしれない。

 

 いや、目のキラキラ具合からして間違いなくそうだろう。

 

 海老名隊オペレーター、武富桜子。

 

 本業より実況の方がよほど生き生きしている、という前評判はどうやら偽りではなかったらしい。

 

 この分なら、心配する必要はなさそうだ。

 

 何せ、既に桜子は完全に実況モードにのめり込んで(トランス)しているのだから。

 

「しかし、二宮隊で唯一生き残った辻隊員ですが、矢張りこの動きは影浦隊長と那須隊長を食い合わせる狙いでしょうか?」

「間違いなくそうだろうね。今、二宮隊は三点取ってリードしている。まだ辻ちゃんが生き残ってるから追加点も狙えると言えば狙えるけど、それには今の戦場での位置関係がネックになるんだ」

「今辻が狙うべき相手は狙撃手の二人だろうが、二人がいる場所まで辿り着くには那須だけでなく七海や生駒がいる場所を通り抜ける必要がある。とても現実的とは言えないな」

 

 そう、今生き残っている中で辻が狙うとすれば狙撃手の茜とユズルだが、二人を仕留めに行くには那須、七海、そして生駒を潜り抜ける必要がある。

 

 流石にその三人が素通しさせてくれるとは思えないので、無理に通ろうとすれば背中を狙われ終わりだろう。

 

「だからこそ、辻ちゃんはカゲさんをあそこまで引っ張っていったワケだ。あわよくば、カゲさんにナースを獲って貰う為にね」

「点差を考えても、その解釈で間違いない筈だ。辻としては、那須は出来れば影浦隊に獲って貰いたいだろうしな」

 

 レイジの言うように、現状追加点が難しい以上、辻が出来る事と言えば那須隊に介入してポイントの調整を図る事くらいだ。

 

 現在二宮隊は試合中の得点を合わせて50Ptを所持しており、それに続く形で那須隊の47Pt、影浦隊の44Ptと続く。

 

 辻の理想としては、那須隊にこれ以上の点を与える事なく試合を運びたいが、その為の解答の一つが影浦に那須を撃破させる事だ。

 

 そのケースの場合は影浦隊の得点が合計45ポイントとなり、生存点を含めれば那須隊を上回る可能性が出て来る。

 

 そういう可能性を垣間見せる事が出来れば、那須隊に焦りを生む事が出来る。

 

 今辻が出来る仕事としては、それで充分だろう。

 

 元より、今の辻は状況的にも詰みに近い。

 

 仲間は全員脱落し、生き残っているのは厄介な駒ばかり。

 

 生駒旋空という唯一無二の技を持ち、クレバーな思考を有する戦上手、生駒達人。

 

 若き天才狙撃手としてその名を馳せている、絵馬ユズル。

 

 戦闘に適したサイドエフェクトを持ち、身のこなしの軽さと鋭い攻撃力を併せ持つ影浦雅人。

 

 高い機動力と変幻自在なバイパーを駆使する射手、那須玲。

 

 高速精密射撃とテレポーター、そして新たにイーグレットという武器を引っ提げて来た転移系狙撃手日浦茜。

 

 影浦と同様戦闘適応力の高いサイドエフェクトを持ち、圧倒的な機動力と攪乱能力を持つ七海玲一。

 

 その誰もが、B級上位に相応しい力と機転を備えた実力者達だ。

 

 幾らマスタークラスの攻撃手であり名サポーターである辻とはいえ、出来る事には限度というものがある。

 

 此処で必要なのは、無理に点を取りに行く事ではない。

 

 逆だ。

 

 自分が出来る事を冷静に判断し、戦況をコントロールする立ち回りだ。

 

 犬飼には及ばないが、辻もまたそういった機転はかなり利く方である。

 

 彼の本職は、部隊のサポーター。

 

 己のすべき事を、見失いはしない筈である。

 

「それから、イコさんはシンドバットとタイマンか。これは、シンドバットが時間稼ぎに徹しそうだね」

「ふむ、七海隊員一人では生駒隊長の相手は厳しいと?」

「厳しいね」

 

 王子はそう断言し、説明を行う。

 

「シンドバットの本領は、回避と攪乱。攻撃能力も低いワケじゃないけど、流石にイコさん相手じゃ分が悪い」

 

 それに、と王子は告げる。

 

「何より、今シンドバットがいる場所の地形が問題だ。彼の周辺は、シンドバットと二宮さんがメテオラで徹底的に吹き飛ばした所為で殆ど障害物が消し飛んでいる。つまり、三次元機動を行う為の()()がないんだ」

 

 そう、今七海の周辺は、度重なるメテオラの爆発で障害物が根こそぎ破壊されている。

 

 文字通り爆撃を受け続けて破壊し尽くされた市街地は、破壊された家屋の残骸が積み重なっており、建物など一つたりとも見当たらない。

 

 これでは、三次元機動を行う為の足場の確保すらままならない。

 

 グラスホッパーを用いる手はあるが、それでも固定された足場があるとないのとでは大違いだ。

 

 兎にも角にも、普通の場所よりやり難いのは間違いないだろう。

 

「これは二宮さんに空中での足場を与えない為にやった事だろうけど、この環境ではシンドバットの行動はかなり制限される。そんな状況でイコさんを単騎撃破するのは、中々骨が折れると思うよ」

「無理だ、とは言わないんだな」

「…………そうだね。そう言いたいところだけど、何故だろうね。彼ならば、と思ってしまう自分がいるのは事実だ」

 

 蔵内の発言に、王子は神妙な顔で呟くそうにそう告げた。

 

 王子の知識は、知見は、七海の生駒単騎撃破は無理だと言っている。

 

 だが、これまで王子はその知見に基いた思考を、悉く那須隊によって覆されてきた。

 

 だから、こう思うのだ。

 

 既知の知識では無理と思えても、彼らならば或いは未知の方法で道を切り開けるのかもしれない。

 

 自分らしくない思考だとは苦笑しながらも、そんな考えを捨てられない王子であった。

 

「あとは、ヒューラーとエマールか。どうやらエマールは、あのアパートでヒューラーを迎え撃つつもりらしいね」

 

 王子がそう言って視線を向けるのは、ユズルが狙撃場所として確保していたが為に二宮の射撃でボロボロになった一棟のアパートの映像。

 

 ユズルは現在、このアパートの上階に陣取っている。

 

 そして別の画面では、このアパートに向かって走る茜の姿があった。

 

「ヒューラーもエマールも、お互いの大体の位置は掴んでいる。そして現在、二人に仕掛ける相手は他にいない。此処からどうなるか、見ものだね」

 

 

 

 

「志岐先輩、絵馬くんはアパートから出てませんか?」

 

 茜は移動しつつ、通信で小夜子に問いかける。

 

 狙撃銃は、今は出してはいない。

 

 バッグワームを着て移動しているのだから、狙撃トリガーを出せば両腕が塞がってしまう。

 

 狙撃位置に付いてもいないのに狙撃銃を出す意味は、基本的にないのだから当たり前ではあるが。

 

『バッグワームを使っているので中にいるかまでは断言は出来ませんが、時間的にもアパート近辺にいるのは間違いないかと。茜はどう思ってますか?』

「多分、中で待ってるかなって」

 

 茜は小夜子の問いかけに、そう即答した。

 

 ふむ、と小夜子は画面の向こうで目を細めた。

 

 狙撃手の事を一番理解しているのは、同じ狙撃手だ。

 

 その狙撃手である茜がこう断言するからには、相応の理由があるのだろう。

 

 幾つか理由の候補は考えられるが、今さら迷っている時間はない。

 

 アパートの中にいるものと考えて、立ち回りを決めるべきだ。

 

『それで、このままアパートに向かうんですよね?』

「うん。多分絵馬くんはバッグワームは脱がないと思うから、志岐先輩は他の人達が近くに来ないかどうかの方を教えて欲しい。それから、あのアパートの構造も」

『了解です。大まかな構造を元に、茜の観測情報を元に逐次組み直します』

 

 小夜子はそう告げるや否や、すぐさま茜の下にアパートの予測構造図を転送する。

 

 外観から予測できる構造が、かなり詳細に表示されていた。

 

 相変わらずの手腕に舌を巻く茜だったが、今は余計な事に思考を割いている暇はない。

 

 早々起こり得ない、狙撃手同士の1対1。

 

 相手は自分より年少ながらもその天賦の才で名を馳せる、絵馬ユズル。

 

 ROUND3では仕留めてみせた相手だが、あの時とは状況も互いの認識も違う今回はそう簡単には行かないだろう。

 

 前回は、ユズルの油断を突いて一本取った形なのだ。

 

 今のユズルに、油断などあろう筈もない。

 

 その才覚を十全に用いて、茜を仕留めに来る筈だ。

 

(負けない。今度も勝ってみせるよ。絵馬くん)

 

 心の中で宣戦布告し、茜はアパートに向かって射線を避けて地を駆ける。

 

 二人の中学生狙撃手が、今再びぶつかろうとしていた。





 ユズルくん14歳、茜ちゃん15歳。実は茜ちゃんの方が年上なのだ。

 あんまし年上感ないけど。


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影浦隊④

 

「お、ユズルの奴日浦ちゃんとやり合うつもりか。こりゃ面白い事になったな」

 

 画面の中で油断なく周囲を警戒するユズルとアパートに向かう茜の姿を見て、当真はにやつきながらそう口にした。

 

 まがりなりにも自分の弟子であるユズルと、そのユズルを一度は下した茜との対戦だ。

 

 当真としては、かなり興味深いマッチアップだろう。

 

「けど、狙撃手同士のタイマンか。こんなの中々ねーんじゃねーの?」

「そーだな。ま、普通ならナシだ。狙撃手は、基本的に位置がバレたら何がなんでも逃げるのがフツーだしな」

 

 狙撃手は、一度撃ったら移動するのが基本。

 

 これは、B級以上の隊員であれば誰もが知っている大前提である。

 

 確かに狙撃手は、相手にすれば厄介極まりないポジションだ。

 

 狙撃手用のトリガーは、銃手のそれと比べても威力が段違いに高い。

 

 しかも銃手では届きようがない遠距離から、不意打ちでその高威力を叩き込んで来るのだ。

 

 相手チームに狙撃手が一人いるだけで、普段以上に慎重な立ち回りを求められるのだ。

 

 ランク戦に置いて、狙撃手を擁する意味はかなり大きい。

 

 何せ狙撃手がいる、というだけでチームにとっては一種のアドバンテージであると言っても過言ではないのだ。

 

 それだけ狙撃手は戦場への影響力が高く、何処であっても重宝されるポジションなのである。

 

 しかし、狙撃手は誰でもなれるようなポジションではなく、更に特有の弱点を抱えている。

 

 優秀な狙撃手になる為には攻撃手や銃手とはまた違った適正が必要となり、その修練の難易度を考えれば他のトリガーの鍛錬に費やす時間は早々ない。

 

 そして、狙撃手用トリガーはライトニングを除いて連射が不可能であり、何より単発でしか弾を撃てないという致命的な弱点がある。

 

 銃手トリガーのように弾幕を張る事が出来ず、また連射が出来ないどころか一度撃てば再装填(リロード)が必要な性質上、近距離では殆ど役に立たないと言っても過言ではない。

 

 更に言えばハウンドのような曲射は出来ず、銃口を視認された時点で回避も容易。

 

 つまり、狙撃手は近付かれた時点で相手を押し返す事がまず出来なくなる。

 

 位置が知られた時点で、狙撃手の有するメリットの大半がなくなると言っても過言ではないのだ。

 

 故に、狙撃手は一度狙撃を行った時点で即座に移動するのが常である。

 

 単純に、そうしなければ狙撃手として死んだも同然だからである。

 

 狙撃手は、その位置が知られていないからこそ抑止力として機能する。

 

 位置が知られた時点で、狙撃手の脅威は失われる。

 

 ライトニングであれば撃ち合いそのものは出来るが、そもそも近距離での撃ち合いになった時点で狙撃手が射手や銃手に敵う筈もない。

 

 遠距離では強力な反面、近距離では著しく戦力が低下するのが狙撃手の弱みなのだから。

 

 故に、アパートから移動せず茜を待ち構えるユズルの行動は、狙撃手のセオリーから外れていると言える。

 

 普通の状況であれば、まず有り得ないと言って良いだろう。

 

「けど、見ての通り他の連中は目の前の相手で手一杯でユズルのトコに行ける奴は誰もいねえ。つまり、今ユズルが相手をしなきゃなんねえのは日浦ちゃんだけってこった」

 

 しかし、それはあくまで普通の状況での話。

 

 今この時においては、また話は違って来る。

 

 現在、ユズルと茜以外のメンバーはその全てが戦闘中。

 

 しかも、ユズルのいるアパートからはかなり離れた場所での戦闘だ。

 

 つまり、ユズルに接近して仕留める事が可能な面々は、軒並み干渉出来ないという事である。

 

 今、ユズルが相手をすれば良いのは茜のみ。

 

 そして、その茜もまた狙撃手である。

 

 まず、狙撃手同士の戦いは、他のポジションとの戦いとは若干異なる。

 

 狙撃手にとって、相手に接近するメリットなどは何もない。

 

 それは、狙撃手にとって当たり前の常識だ。

 

 そもそも狙撃手は近付かれては何も出来ないのだから、わざわざ近付く意味などない。

 

 故に、狙撃手同士の戦闘に置いて重要なのは、如何にして相手の意表を突くか、どれだけ自分を冷静に保てるか、という事だ。

 

 狙撃手は、地形の影響を最も大きく受けるポジションだ。

 

 隠れての狙撃が基本である以上、隠れ場所が多いに越した事はない。

 

 だが、地形が入り組み過ぎていてはそもそも射線が通らず、狙撃手は仕事がやり難くなる。

 

 地形把握とその活用も、狙撃手としては当たり前の技術なのである。

 

 その点、今ユズルが陣取っているアパートは環境としては悪くない。

 

 二宮の射撃で至る所に穴が空いてはいるが、障害物としては充分機能する。

 

 少なくとも、大きな建物がまばらにしかないこの市街地Aでは狙撃手が戦場とするしては上等な部類であると言えた。

 

「他の奴等がちょっかい出せねえ以上、純粋な技術と機転の勝負になる。その点で、ユズルが日浦の嬢ちゃんに負けるとはちと思えねえな。あいつは、天才だからよ」

 

 

 

 

「ヒカリ、一応聞くけど日浦さんはレーダーに映ってる?」

 

 ユズルはオペレーターである光に通信を繋ぎ、駄目元でそう問いかける。

 

 間違いなくバッグワームを使っているだろうが、万が一という事もある。

 

 バッグワームを解除しているなら、転移後の直接狙撃を狙っている可能性があるからだ。

 

 茜の十八番は、ライトニングを用いた高速精密射撃。

 

 バッグワームを解除する手間を厭うて予め脱ぎ捨てている可能性は、相応に有り得る。

 

 故に、この確認は必要なのだ。

 

『あー、駄目だな。やっぱバッグワーム使ってるみてーだ。けど多分、そろそろそのアパートに着く頃だろ。一応移動予測経路表示すっから、見とけよー』

「うん」

 

 案の定の解答に、ユズルはふぅ、と息を吐く。

 

 まずないと思ってはいたが、茜相手ではこういう()()()()()()が肝要である。

 

 茜は、意識の陥穽を突く事が非常に巧みだ。

 

 後から考えれば分かる筈の手段を隠し通し、相手に悟らせない。

 

 正確にその意識の警戒の隙間を潜り抜け、致命の一撃を差し込む。

 

 それが、茜の戦い方。

 

 これまでライトニング一本という特殊な戦闘法で戦い抜いた、茜の真骨頂である。

 

 故に、警戒してし過ぎるという事はない。

 

 狙撃手は、神経を使うポジションだ。

 

 余計な情報の取得は、極力排除するべきである。

 

 狙う相手の動向や、それまでの動きから考えられる行動予測。

 

 居場所がバレていないかの警戒と、周囲の索敵。

 

 それらの情報を最短最速で収集し、的確な判断に繋げる。

 

 だからこそ、余計な情報はノイズでしかない。

 

 狙撃は、時間とタイミングが肝要だ。

 

 必殺の狙撃を敢行する為の隙を見つけ出す眼力と、素早くそれを判断する為の高速思考。

 

 必要な情報を取捨選択し、即座に判断を下せないようではとても狙撃手としてはやってはいけない。

 

 狙撃は基本的に相手から離れて行うものであるから、相手の攻撃動作などを警戒する必要はない。

 

 必要なのは、相手がその狙撃に対応可能な状態にあるか否か。

 

 これに尽きる。

 

 だが、狙撃手同士であればこの前提条件は変わって来る。

 

 自分の狙撃が届くという事は、相手の狙撃もまた届くという事。

 

 故に、相手の攻撃動作もまた警戒する必要が出て来る。

 

 それだけではない。

 

 狙撃手の基本は、隠密。

 

 即ち、双方共に隠れながらの戦闘が基本となるのだ。

 

 狙撃手はバッグワームを常時着ている事が多く、レーダーは基本的に役に立たない。

 

 故に、必要なのはそれまでの経緯を鑑みての行動予測。

 

 要は、相手の動きを読み切る為の洞察力だ。

 

 読み合いこそが、狙撃手の戦い。

 

 その為の材料は、少しでも欲しい。

 

 ユズルは光の示した行動予測経路に目を通し、その中で最も可能性の高そうなルートを検索する。

 

(このアパートは、七階建てのオーソドックスなタイプ。上に上がる為の階段は、左右に二ヵ所。おれのいる所に来る為には、そのどちらかに向かう必要がある)

 

 ユズルは、眼下の地面に目を向ける。

 

 このアパートは、正面に駐車場が存在し建物に入るにはそこを通り抜けなければならない。

 

 駐車場はそう広いワケではないが、アパート前は開けた道路であり、そこに誰かが来ればすぐ分かる。

 

 だからこそ、ユズルは最上階のベランダに陣取って茜が来るのを待ち構えているのだ。

 

(日浦さんには、テレポーターがある。多分、おれの狙撃をテレポーターで躱して乗り込んで来ようとする筈。初撃は、まず回避されると思った方が良いだろうな)

 

 茜の最も特徴的な武器は、テレポーターによる転移である。

 

 彼女はこのトリガーを駆使して、これまでも様々な形で相手の意表を突き、仕留めて来た。

 

 転移を用いた回避からの不意打ちや、単純なショートカットとして用いての狙撃。

 

 いずれも、彼女の高い技術力が為せる技だ。

 

 テレポーターというトリガーの特殊性も、その一助となっている。

 

(けど、テレポーターは万能じゃない。連続使用は出来ないし、転移距離に応じて次に使えるまでのタイムラグが生まれる。そして、転移は視線を向けた先にしか出来ない)

 

 転移という特殊な効力を持つテレポーターではあるが、言うほど万能というワケでもない。

 

 一度転移を使用すれば、その距離に応じたクールタイムが必要になる。

 

 これは距離が遠ければ遠い程長くなり、最大射程の数十メートルの転移を実行すれば次に使用可能になるまでかなりの時間がかかる。

 

 そして、転移は視線を向けた先にしか実行出来ない。

 

 つまり、相手の動向をしっかりと見ていれば、転移先を割り出してその場所を狙う事も可能なのだ。

 

 茜はハンチング帽を被っている為上からは目元は見えないかもしれないが、顔の向きを見れば大体の行き先はわかる。

 

 それさえ見逃さなければ、転移先を狙う事は充分に可能だ。

 

(そろそろ、来る頃だな)

 

 ユズルは手元のイーグレットを握り締めながら、茜の到来を待ち伏せる。

 

 茜がイーグレットを持ち込んでいる事は、先ほどの二宮を落とした時に把握している。

 

 ただでさえ高速精密射撃によりシールドを広げての防御を強要されるというのに、此処に来て集中シールドでしか防げないイーグレットという武器の追加はかなりの脅威と言って良い。

 

 何せ、二宮が行っていたハウンドでシールドを広げさせ、アステロイドで仕留めるという基本戦法とやっている事は同じなのだ。

 

 威力は低いが驚異的な弾速を誇るライトニングでシールドを広げる事を強要した上で、シールド貫通力の高いイーグレットで仕留める。

 

 茜はこれを、トリガーセットを見せつける事で実行している。

 

 二宮は茜がイーグレットをセットしている事を見抜けずに落とされたが、その初見殺し以外にも彼女のイーグレット装備は()()()としても機能する。

 

 それを持っているだけで、相手に理不尽な二択を迫る。

 

 そういう心理的な効果が、茜のイーグレットには存在する。

 

 これまでの試合で散々その高速精密射撃の脅威を知らしめているからこそ、イーグレットという切り札が最大限に機能している。

 

 今の茜は、相手にするには厄介極まりない。

 

 何せ、これまでの茜の対策としては安牌だったシールドを広げての対処だけでは通用しないのだ。

 

 これまでの茜はシールドをすり抜ける形で狙撃を決めていたが、今の彼女はそのシールドを貫く事も出来る。

 

 完全に対策するには両防御(フルガード)で守りを固めるしかないが、それをすれば両腕が塞がり他の行動が出来なくなってしまう。

 

 ユズルや東とは別のベクトルで、厄介な狙撃手であると言えるだろう。

 

(けど、イーグレットじゃ壁抜き狙撃は出来ない。発射地点さえ分かれば、シールドを張るのも間に合う筈だ)

 

 だが、そのあたりはこちらの立ち回り次第でどうとでもなる。

 

 イーグレットは確かに威力の高い狙撃銃だが、その火力はアイビスと比べれば劣る。

 

 狙撃銃は、障害物を貫通した場合相応の威力減衰が起こる。

 

 アイビスは壁抜きをして尚シールドを貫通する程の威力を誇るが、イーグレットは壁抜き自体は出来るが、それをすればシールド貫通する威力までは残せない。

 

 障害物を盾にすれば、イーグレットは防げるというワケだ。

 

 ライトニングに至っては、そもそも壁抜きを出来るような威力はない。

 

 広げたシールドでさえ防げるのだから、その威力の程はお察しである。

 

 故に、茜が地上からの狙撃を狙って来ようと、ユズルは充分に対抗する用意がある。

 

 狙撃後の再装填のタイムラグも、とある手段で解決済みだ。

 

 来るなら来い。

 

 その想いで、ユズルは茜を待ち侘びていた。

 

(来た……っ!)

 

 そのユズルの視界に、茜の姿が飛び込んでくる。

 

 あの特徴的なハンチング帽と小柄な体躯は、間違いない。

 

 日浦茜。

 

 以前ユズルに辛酸を嘗めさせた、那須隊の狙撃手である。

 

 茜は道路を渡り、駐車場に足を踏み入れた。

 

 目元は伺えないが、その顔の動きからしてユズルの存在には気付いているようだ。

 

「────」

 

 ユズルは、迷う事なくイーグレットを構え、引き金を引いた。

 

 発射された弾丸が、少女の頭部を狙う。

 

 普通であれば致死の一撃であるが、茜にはテレポーターがある。

 

 この一撃は、恐らく凌がれるだろう。

 

 だが、それで構わない。

 

 本命は、この後の第二撃。

 

 茜が転移を実行した瞬間、()()()()()()()で仕留める。

 

 そう、ユズルは今回、イーグレットとアイビスをメインとサブに分けてトリガーセットしている。

 

 故に、イーグレットで狙撃した後にノータイムでアイビスを叩き込む事が可能なのだ。

 

 それは、嵐山隊の佐鳥が得意とする特異技法、ツイン狙撃とほぼ同じ。

 

 当真は散々酷評していた佐鳥のツイン狙撃だが、ユズルはその戦法に対して一定の理解を示していた。

 

 確かに実行するにはバッグワームを脱がなければならない都合上、位置を知られてしまうという決定的な弱点を内包しているが、要は使い方次第である。

 

 その第二撃さえ通せば良いのなら、攻撃手段としてはこの上なく有効だ。

 

 何せ、高威力の狙撃が二連続で襲って来るのだ。

 

 そのメリットは、確かに大きい。

 

 狙撃手にとって必殺である筈の一撃目を凌がれる事が前提であるという点を除けば、理に叶った戦術である。

 

 ユズルはいつでもアイビスを放てるよう、狙撃と同時にバッグワームを脱ぐ。

 

 後は茜の転移を待って、そこにアイビスを撃ち込めば良い。

 

 そう考えて、ユズルは茜の行動を待った。

 

 何処に転移しても、すぐさま二撃目を放てるように。

 

「え……っ!?」

 

 ────────だが、その目論見は潰える事になる。

 

 茜が、()()()()()()()()()()ユズルの狙撃を防御した事で。

 

 それ自体は、なんらおかしな事ではない。

 

 イーグレットは確かに威力が高いが、ピンポイントで集中シールドを用いれば防げるのだから。

 

 問題は。

 

 これまでアイビスを繰り返し使用して来たユズルの狙撃を、アイビスではなくイーグレットと()()して集中シールドでの防御を敢行した事だ。

 

 この試合、ユズルはアイビスのみを用いて狙撃を行って来た。

 

 それは無論二宮の硬いシールドを貫く為でもあったが、同時にアイビスを自分の持ち札として強調する為でもあった。

 

 アイビスは、集中シールドを張ったところで防げない。

 

 これを防ぐには、集中シールドを両防御で使う必要があるのだ。

 

 故に、茜は自分の狙撃を防ぐにあたり、シールドでの防御ではなくテレポーターでの回避を選ぶ筈。

 

 ユズルは、そう考えていたのだ。

 

 だが、茜はそのユズルの目論見を見破った。

 

 第一射をアイビスではなくイーグレットであるとあたりをつけ、迷う事なくシールドでの防御を選択した。

 

 ユズルはアイビスでの第二撃を実行するか逡巡したが、取りやめた。

 

 恐らく、茜は予測している。

 

 ユズルが、狙撃銃をメインとサブに分けてセットしている事に。

 

 だが、それはあくまで予測だ。

 

 テレポーターでの回避を強要出来なかった以上、二撃目でアイビスを使っても転移で回避されて終わりだ。

 

 予測を確信に変えるような行動は、極力避けたいところである。

 

 どちらにせよ、最初の攻防はユズルの負けだ。

 

 読み合いの第一手は、茜に上をいかれたのだから。

 

「いいよ。それならそれで、やりようはある。今度こそ、仕留めてみせるさ」

 

 ユズルは我知らず笑みを浮かべ、アパートの中に突入する茜の姿を見届けながら、身を翻し自身も中へと移動する。

 

 狙撃手同士の変則戦闘(ゲリラ戦)の幕が今、上がったのだ。





 ツイン狙撃は強力。だけど普通はやらない。

 やれないのではなく、やらない。

 けどまあ、メリットがないワケではないのである。


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影浦隊⑤

 

「日浦隊員、絵馬隊員の狙撃を集中シールドで凌ぐ……っ! 日浦隊員はそのままアパートに突入し、屋内戦を行う模様……っ!」

「流石だね、ヒューラー」

 

 王子は試合映像を見ながら、静かに頷く。

 

 今の攻防がどれだけハイレベルなものだったか、それを理解したが故の称賛であった。

 

「あそこでエマールの狙撃がアイビスじゃなく、イーグレットだと見抜いて集中シールドを展開したという機転が素晴らしいね。この試合、エマールはアイビスだけを使っていたっていうのに」

「確かにそうですね。今試合が始まってから、絵馬隊員はアイビスしか使っていませんでした。ですが」

「うん。アイビスなら、集中シールド1枚じゃ防げない。つまりヒューラーは、あの時来るのがイーグレットだと当たりを付けていたのさ」

 

 王子の言う通り、あの時ユズルが使ったトリガーがイーグレットではなくアイビスであれば、集中シールド1枚ではそのまま貫通されて仕留められていただろう。

 

 アイビスに対する解答は、回避するか集中シールドを二枚重ねにするかのどちらかだ。

 

 しかし、茜の解答は明らかに対イーグレットを想定したもの。

 

 つまり、茜はあの時撃ってきたトリガーがイーグレットだという予測を立てていたという事になるのだ。

 

「しかし、何故絵馬隊員はアイビスではなくイーグレットを使ったのでしょう? 絵馬隊員の技量であれば、アイビスでも普通にいけたのでは?」

「それについても推測は出来るけど、今はまだ開帳する段階じゃないね。大人しく試合を見守ろうじゃないか」

 

 まだ見せていない戦術に関して言及し過ぎるのもどうかと思うし、と王子は説明を締め括った。

 

 桜子としては不完全燃焼感があるものの、どうやら蔵内やレイジもそれについて説明するつもりはなさそうである。

 

 まあ後で聞けるだろうと思考を切り替え、桜子は実況に戻った。

 

「さあ、以前は日浦隊員に軍配が上がった狙撃手対決ですが、今回はどうなるのか……っ!? 日浦隊員も絵馬隊員も、どちらも目が離せません……っ!」

 

 

 

 

「…………思った以上にボロボロになってますね、このアパート」

 

 茜はアパートの階段を駆け上がりながら、その内部を見て呟いた。

 

 ユズルが陣取っていたこのアパートは、二宮の射撃を繰り返し受けた事で至る所に穴が空いている。

 

 壁どころか床や天井も穴だらけであり、廃墟と言われても納得しそうな荒れ具合である。

 

 外側から見た時もそれは瞭然であったが、こうして直に見るとその酷さが分かる。

 

 あのまま撃たれ続けていれば、そのまま崩落した可能性も0ではないだろう。

 

『言うまでもないけど、気を付けなさいよ茜。絵馬くんは壁抜き狙撃が出来るって事、忘れないようにね』

「分かってます。油断はしません」

 

 小夜子の忠告に、茜はそう静かに答えた。

 

 ユズルは、アイビスを主武装とする珍しい狙撃手だ。

 

 これまでの茜のようにライトニング一本という偏った運用ほどではないが、ランク戦におけるユズルはアイビスの多用が目に付く。

 

 アイビスは、狙撃銃の中でも扱いの難しいトリガーである。

 

 確かに、威力はある。

 

 集中シールドさえ貫通するその威力は、旋空を除けばノーマルトリガーの中でも最高峰だ。

 

 だが反面、アイビス独自の強みはランク戦では活かし難いのだ。

 

 まず、狙撃銃の中でも最も大型である為、扱いそのものが難しい。

 

 そして、射程と威力であればイーグレットでも充分確保出来るのだ。

 

 弾速も、イーグレットの方が上。

 

 そしてイーグレットも、集中シールドでなければ防げない貫通力を持っている。

 

 つまるところ、アイビスでなければならない場面というものは早々にない。

 

 大抵の場合、イーグレットがあれば事足りるのだ。

 

 射程や弾速を削ってまでわざわざアイビスを使うメリットは、そこまで多くはないのだから。

 

 だが逆に言えば、アイビス独自のメリットも明確に存在する。

 

 その一つが、壁抜き狙撃。

 

 これは、アイビスでしか成し得ない代物である。

 

 ユズルの得意とするこの壁抜き狙撃は、文字通り壁越しに相手に弾を当てる高等技術である。

 

 アイビスに限らず、狙撃トリガーの弾丸は障害物を貫通すればその分威力が減衰する。

 

 ライトニングはそもそも壁に穴を穿つ程の威力は出ず、イーグレットは貫通自体は出来るがシールドを射抜く程の突破力は残らない。

 

 壁を破壊して尚、シールドを貫く破壊力を保てるのはアイビスだけなのだ。

 

 そしてそのアイビスを用いた壁抜き狙撃には、相応の利点がある。

 

 相手の意表を突けるのは勿論だが、強引に射線を確保する事が出来るというのもポイントだ。

 

 一見射線が通っていないような場所でも、壁抜き狙撃を用いれば力づくで射線を通す事が出来る。

 

 そのメリットは、正直計り知れない。

 

 勿論、そう簡単に出来る技術ではない。

 

 壁越しの相手の位置を捉えるにはオペレーターとの連携が必須であるし、位置が分かっていても目視出来ない相手を撃ち抜くのは至難の業だ。

 

 東やユズルが平然と行っている為感覚が麻痺しがちではあるが、早々出来る技術ではない。

 

 むしろ、出来る方がおかしい技術と言っても過言ではない。

 

 そして、それを成し遂げてしまうのが東であり、ユズルである。

 

 彼等の前では、一見射線が通っていない場所でも安心は出来ない。

 

 いつ何時、壁越しに狙撃されるか分かったものではないからである。

 

 そういう意味では、屋内戦はユズルのステージだ。

 

 相手の狙撃手の射線を封じた上で、自分は一方的に射線を無視した狙撃が出来る。

 

 故に、現状はいつユズルの壁抜き狙撃が来ても不思議ではない状態にある。

 

「志岐先輩、絵馬くんの大まかな居場所は分かりますか?」

『さっき一瞬だけどバッグワームを脱いだし、弾道計測であの時いた位置は掴めてます。だからきっと、この範囲内にいる筈です。けど、レーダーじゃ高低差までは分からないから過度に信用しないようにね』

 

 小夜子はそう言って、茜にユズルがいるであろう範囲の全体図を送る。

 

 その移動範囲予測図は、大体アパートの5階から7階の右半分の範囲が含まれていた。

 

 現在茜が駆け上がっているのは、アパートの左側の階段である。

 

 階は、今は3階に上がったところだ。

 

 小夜子の予測では、ユズルのいる階層は5F以上。

 

 まだ直接接敵するワケではないが、油断は出来ない。

 

 何故なら、距離的に言えば既にユズルの射程内だからである。

 

 だからこそ、茜はバッグワームを脱いでいない。

 

 レーダーでは高低差は分からないが、大まかな居場所は分かる。

 

 そして、高低差が分からずともその居場所さえ分かれば問題はない。

 

 何故なら────。

 

『茜……っ! 真上です……っ!』

「……っ!」

 

 ────────大まかな場所さえ分かれば、その真上から壁抜きで狙撃すれば良いのだから。

 

 天井を、否────階段を貫く弾丸が、茜に襲い掛かる。

 

 茜は、咄嗟に三階の廊下に飛び込みそれを回避。

 

 彼女を狙った弾丸は、そのまま階段を貫き地面に着弾。

 

 間一髪、茜には傷一つ付いていない。

 

『まだです……っ! 次が来ますよ……っ!』

「!」

 

 そこで、気付く。

 

 何故、バッグワームを脱いでいないにも関わらず、茜の居場所が分かったのか。

 

 二宮の射撃でボロボロになった、天井。

 

 その先に、光るものがある。

 

 茜は即座にその光の正体を察し、その場から飛び退いた。

 

 そして次の瞬間、天井の穴を通り抜けた弾丸が飛来。

 

 茜のいた場所を、射抜いた。

 

 

 

 

「失敗したか」

 

 床にアイビスを置き、右手にイーグレットを構えたユズルは、狙撃の失敗を悟りぼそりと呟く。

 

 その視線は、床に空いた穴の先へと向けられていた。

 

 そう、これがユズルが茜の場所を察知したカラクリ。

 

 何の事はない。

 

 ただユズルは、この穴から、茜を直接視認しただけだったのだ。

 

 この穴は、二宮の射撃で空いたものだ。

 

 二宮はユズルを抑え込む為に、アパートの全域にハウンドを撃ち込んでいた。

 

 故に、このアパートは至る所に風穴が空いている。

 

 ユズルはその穴を茜が来る前に拡張し、覗き穴にしたワケである。

 

 後は茜の姿が穴から見えた瞬間、狙撃を敢行するのみ。

 

 運動能力の低い茜であれば、シールドを用いるかテレポーターを使用して回避すると踏んでいたのだが、まさか身のこなしだけで回避されるとは考えていなかった。

 

 テレポーターを使わせる目論見は、またしても失敗に終わったワケである。

 

(日浦さんは回避にテレポーターを使う、っていう先入観はもう捨てなくちゃ駄目だな。おれと同じで、日浦さんも日々鍛錬は欠かしていないんだ。回避技術が上達していたとしても、何の不思議もない)

 

 ユズルは自らに言い聞かせるように、心の中でそう呟く。

 

 先入観。

 

 それこそが、茜が数々の相手を仕留める為に用いた()である。

 

 相手の常識や、それまでの立ち回りで見せた()()()()()()

 

 それらを利用する事で、彼女は常に相手の裏をかいてきた。

 

 先入観を抱いているようでは、彼女には勝てない。

 

 ただ試合を分析しただけでは、その立ち回りを利用した先入観を植え付けられ、その隙を突かれる。

 

 彼女の手札や、戦術思考。

 

 それらを包括的に考慮した上で、次の彼女の立ち回りを予測する必要があった。

 

(待て、今何か引っかかったな。試合の分析……? これは、既視感か……? この状況、何処かで……っ!?)

 

 そこで、気付く。

 

 壁の穴越しに、相手を視認したユズル。

 

 これと似た状況が、過去のログにもあった。

 

 あれは、ROUND4の那須隊の戦闘記録。

 

 その中で、茜は────。

 

「────」

「く……っ!」

 

 ────────壁の穴越しにテレポーターを発動し、転移を敢行していたのだ。

 

 咄嗟に張ったシールドに、弾丸が着弾する。

 

 ユズルが振り向いた先に、彼女はいた。

 

 ライトニングを構えてこちらに狙いを定めた、日浦茜の姿が。

 

 ユズルが視認出来たという事は、茜もまたユズルを視認出来る距離にいたという事に他ならない。

 

 既に彼女は三階まで来ていた為、ユズルのいる5階は既にテレポーターの射程内となっていた。

 

 天井がそう高くないこのアパートでの数階差くらいであれば、テレポーターは容易に飛び越える。

 

 テレポーターは、行き先が視認出来ていればその間の障害物は無視出来る。

 

 ROUND4の時と同じく、彼女は壁の穴越しに移動先を視認し、此処に転移して狙撃を実行したのだ。

 

 ライトニングを用いたのは、ユズルがその事に気付く前に狙撃を成功させたかったからだろう。

 

 事実、ほんの数秒反応が遅れていれば、ユズルは彼女に射抜かれていた筈だ。

 

 だが、ライトニングを使ったからこそ、ユズルは広げたシールドでの防御に成功出来た。

 

 この場面なら、弾速重視でライトニングを使う筈。

 

 そのユズルの判断が、功を奏した形である。

 

「この距離なら……っ!」

 

 余計な思考に割く、時間はない。

 

 ユズルはすぐさまイーグレットを消し、ライトニングを生成。

 

 通路の先の茜に向け、弾丸を撃ち放った。

 

「……!」

 

 茜はそれを広げたシールドで防御し、横に突進。

 

 体当たりで部屋のドアを突き破り、その中へと転がり込んだ。

 

「く……っ! ライトニングの性質は、熟知してるよねそりゃ」

 

 ライトニングに、壁越しに相手を貫くような威力はない。

 

 そもそも、壁を破壊する事すら難しい。

 

 障害物が盾となった時点で、ライトニングは撃ったところで意味を為さない。

 

 そのあたりの性質を、ライトニングを愛用する茜が知らない筈もない。

 

 ライトニングでの追撃は、断念せざるを得ない。

 

「けど、それならこっちで狙うだけだ」

 

 だが、ユズルにはアイビスがある。

 

 アイビスならば、壁を破壊してその先にいる茜を狙う事が可能だ。

 

 仮に当たらずとも、穴が空けば直接茜を狙う事が出来る。

 

 ユズルはそう考え、アイビスの銃口を茜が飛び込んだ部屋に向け────。

 

(────待て。その程度の事を、日浦さんが気付かない筈がないだろ)

 

 ────────引き金を引こうとした指を、止めた。

 

(こっちにアイビスがある事は、百も承知の筈。あの日浦さんが、壁抜き狙撃を警戒してない筈がない。わざわざ部屋に入ったのは、オレの壁抜きを誘発させる為か……?)

 

 ユズルの壁抜き狙撃を、既に茜は目にしている。

 

 これまでの試合でもそれなりに用いていた戦法である為、ログを見られた時点で警戒もされている筈だ。

 

 その彼女が、部屋に入った程度で安心する?

 

 否。

 

 断じて有り得ない。

 

 茜は、自分に土を付けたあの狙撃手は、そんな甘い相手ではない。

 

 故に、これは明らかな誘い。

 

 ユズルに壁抜き狙撃を行わせ、隙を作る為の一手。

 

(なら、何処から来る……? ベランダ越しに他の部屋に移動して、こっちの意表を突くつもり……? いや、オレがいるのは廊下の端。部屋を移動したくらいじゃ、奇襲の効果は薄い)

 

 現在、ユズルがいるのはアパート右側の階段前。

 

 そして、茜が飛び込んだ部屋は左側の階段の手前の部屋である。

 

 部屋を移動したところで、ユズルの背後を取れるワケではない。

 

 ならば、何処か。

 

 同じ部屋にいるという線は、まず有り得ない。

 

 ベランダ越しの移動も、可能性は低い。

 

 つまり、それ以外。

 

 横移動をしていないのであれば、茜は────。

 

「上か……っ!」

 

 ────────テレポーターを用いて、上階へと転移したのだ。

 

 ユズルがそれに気付いた、直後、

 

 天井の穴から、ユズルに向けて数発の弾丸が放たれた。

 

 ユズルはそれを、広げたシールドで防御。

 

 数発の閃光は、シールドに着弾し霧散した。

 

 同時に、階上から駆け出す足音が響く。

 

 今の狙撃失敗を見て、即座に転進したのだろう。

 

 相変わらず、判断が早い。

 

 矢張り、一筋縄では行きそうにない。

 

「だけど、負ける気はないよ。今度こそ、オレが勝つんだから」

 

 ユズルは再びバッグワームを纏い、移動を開始した。

 

 二人の狙撃手の戦いは、続く。

 

 既に、他の戦場は眼中にない。

 

 此処で、狙撃手として決着を着ける。

 

 それが、ユズルが選んだ道。

 

 茜との直接対決を選んだ、少年の意地だった。





 ユズルくんは生来女子を絡むスキル持ち。

 今作では茜ちゃんと絡んでるけど、どっちも矢印は立ってないのだ。

 あくまで狙撃手として意識してるだけだからねえ。


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影浦隊⑥

 

「来やがったな」

 

 影浦は迫り来る光弾────────バイパーを見据え、回避機動に移る。

 

 肌に突き刺さる、無数の敵意。

 

 それが彼に弾道を直に伝達し、その軌道から身体をずらす。

 

 すると、まるで弾が自ら避けたかのように影浦の身体を横切った。

 

 感情受信体質。

 

 影浦のサイドエフェクトにより、彼は相手の攻撃の軌道が文字通り肌で分かる。

 

 故に、生半可な攻撃では彼に触れる事すら出来はしない。

 

 まだ、バイパーの主────────那須の位置は、遠い。

 

 だが、決して届かない程離れてはいない。

 

 向こうで隠れて様子を伺っている辻も、動くタイミングを見計らっている筈だ。

 

 女性が苦手、という噂は聴いているが、影浦としてはどちらでも良い。

 

 噂を鵜呑みにするのもどうかと思う反面、ユズルの師匠であった鳩原のように人を撃つ事に生理的な忌避感を抱く人間もいる事を影浦は知っている。

 

 女を斬れない剣士、というものがいたところで、さほど驚きはしない。

 

 どちらにせよ、邪魔なら叩き切れば良い。

 

 辻は影浦と那須、その双方に注意を向けている事をサイドエフェクトは感じ取っている。

 

 那須に向かう感情の強さまでは不明だが、影浦に向けられる敵意はランク戦の対戦相手としては充分な強さである。

 

 影浦と那須、どちらであろうと隙を見せた方から倒す心づもりであると考えた方が良いだろう。

 

 どちらにせよ、辻も那須も倒すべき相手である事に変わりはないのだから。

 

(それに、ユズルの邪魔をさせるワケにゃあいかねぇからなぁ)

 

 影浦はふと、今まさに因縁の相手である茜と戦っているユズルに意識を向けた。

 

 此処でもし那須を自由にしてしまえば、ユズルの戦いに水を差しに行く事は充分考えられる。

 

 これがランク戦である以上、何処にどう介入しようが咎められる謂れはないが、今回ばかりはユズルに自分の戦いに専念させてやりたい、というのが影浦の本音だった。

 

 ユズルも、影浦(じぶん)も、この試合の最大の目的はこれまで待ち望んでいた対戦組み合わせ(マッチメイク)を実現させる事だ。

 

 自分がやりたい事をやろうとしているのに、ユズルのそれを邪魔するなどあってはならない。

 

 少なくとも、影浦はそんな格好悪い真似をするつもりはなかった。

 

 影浦は、これまで好きに生きて来たつもりだ。

 

 死ぬほど厭わしいこの副作用(ちから)の所為もあって、影浦の生は常にストレスとの戦いだった。

 

 何せ、他人の感情が、心が直に伝わってくるのだ。

 

 そして、その感情が負のベクトルであればある程、影浦の感じるそれは不快なものとなる。

 

 だが、ユズルは、影浦に対して意識して負の感情を出さないように努めていた。

 

 影浦が感じているその感覚が不快なものであると知って以降、ユズルは影浦に対して意識して感情を抑えるようになっていた。

 

 無論そんな事はしなくて良いと伝えた影浦だが、ユズルの不器用な気遣いを感じて暖かな気持ちになったのは確かだった。

 

 自分の容姿があまり他人に良い印象を与えない事は、影浦とて承知している。

 

 だが、四六時中自分に対する怯えや侮りの感情をぶつけられては、堪忍袋の緒も容易く切れようというもの。

 

 そんな経緯もあり、影浦のボーダー内での評判も、あまり良いものではない。

 

 例の根付アッパー事件の事は、それなりに広まっている。

 

 何せ、影浦隊がA級からB級に降格した原因となった事件なのだ。

 

 影浦が目立てば必然、その話題が多くもなる。

 

 そんな中でも、ユズルの影浦に対する態度は変わらなかった。

 

 ユズルはどうやら自分の代わりに根付を殴ってくれた影浦に恩義を感じているようだが、何の事はない。

 

 影浦は単に、根付の物言いが気に食わなかっただけだ。

 

 ユズルの気持ちも考えず、鳩原を悪しように言った事は、影浦から見ても到底看過出来るものでもなかった。

 

 だから、殴った。

 

 ユズルが可哀そうだとか、そういう感情でやったものではない。

 

 少なくとも影浦自身は、そう考えていた。

 

 今もユズルはあの事件は自分の為にやってくれたものだと考えているが、影浦がそれを肯定する事はないだろう。

 

 それを正面から認めるほど、素直な性根ではないのだから。

 

 ともあれ、影浦の中でユズルの立ち位置は結構なウェイトを占めている。

 

 一番弟子の七海は当然気にかけているが、彼とユズルでは矢張り立ち位置が違う。

 

 七海は曲がりなりにも弟子である為教え導く対象であるが、ユズルはチームメイトであり、守るべき対象でもある。

 

 ユズルが繊細で傷付き易い少年である事は、とうに知っている。

 

 同時に、何もかも抱え込みがちな彼の性根も理解している。

 

 そんな彼が、師匠である鳩原がいなくなってから、何に対しても打ち込めない無気力に近い状態になっていた。

 

 どうにかしてやりたかったが、影浦はお世辞にもカウンセリングに向いているとは言えない。

 

 発破をかけようにも、ユズルの心の疵は深く、迂闊には踏み込めなかった。

 

 ランク戦ではそれまで通りその類稀な技術で部隊に貢献しているが、試合に臨む時のスタンスからはやや投げやりな様子が見受けられた。

 

 手を抜いているワケではないだろうが、試合にのめり込む熱はお世辞にも高いとは言えなかったのである。

 

 それに対して、苛立ちがなかったといえば嘘になる。

 

 ユズルに何も告げずに突然いなくなった鳩原に対して、言いたい事がないというワケでもない。

 

 しかし、忘れてしまえ、とは言えなかった。

 

 普段から、嬉しそうに鳩原の話をしていたユズルに、彼女を忘れろ、なんて言う気にはなれなかったのだ。

 

 だが、あのままの状態が続けてユズルの精神は緩やかに腐ってしまう。

 

 普段であれば怒鳴りつけてでも性根を叩き直してやるところだが、果たしてそれが正解なのかは分からなかった。

 

 そんな時だった。

 

 ユズルが、茜に負けたのは。

 

 あの時は、誰もが驚いた。

 

 東のような、百戦錬磨のベテランに負けたならまだ理解出来る。

 

 だが、今回ユズルが負けた相手はそうではない。

 

 お世辞にも高いとは言えない地位の部隊に所属していた、一人の少女。

 

 日浦茜だったのだ。

 

 茜は、それまでは精々正確な狙撃を行うが技術はまだ拙い部分がある、という評価を受けていた。

 

 ライトニングは軽さもあって問題なく扱えるが、イーグレットは少々怪しく、アイビスに至っては使用に堪えるレベルではなかった。

 

 そんな少女が、七海の加入という要素があったとはいえ上位入りを果たした直後に、ユズルを仕留めるなど誰が思おう。

 

 ユズルは、チームメイトの贔屓目抜きでも天才と呼ぶに相応しい腕前の持ち主だ。

 

 狙撃技術だけではなく、機転も相当に効くのだ。

 

 そのユズルが、やられた。

 

 今期が始まるまで碌な戦果もなかった、一人の少女に。

 

 正直、那須隊が上位まで上がって来れたのは、七海と那須のエースの二枚看板が強力だったからだと思っていた。

 

 だが、それは違う。

 

 茜もまた、那須隊の躍進には一役買っていた。

 

 実際、あの時までに最も多く得点を挙げていたのは彼女なのである。

 

 日々鍛錬を欠かさず、向上心を持って技術の研鑽に努めていた成果が出たというワケだ。

 

 経験のない負け方に更に落ち込んでしまうのではないかと危惧したが、結果だけ言えばそれは杞憂に終わる。

 

 少年(ユズル)に、火が点いた事で。

 

 あの時、緊急脱出用ベッドに転送されたユズルは「負けちゃったな」と言って笑っていた。

 

 しかし、その笑みはそれまでのユズルとは違っていた。

 

 次は負けない。

 

 言外にそう告げていた、力強い闘志を秘めた笑みだった。

 

 それからのユズルは、それまでとは別物だった。

 

 これまでやってきたような場当たり的な単独行動ではなく、チームとして相手を仕留める為に動くようになった。

 

 影浦の強みである遊撃性を損なう事なく、チームの歯車として動き、影浦隊としての全体の練度を引き上げた。

 

 話によれば、どうやらそれまで邪険にし続けていた自称師匠である当真にも積極的に教えを請い、日々鍛錬を欠かしていないらしい。

 

 火が付いた、という表現が最も的確であった。

 

 ユズルのそんな姿を見せられて、影浦達が奮起しない筈もない。

 

 無論、あーだこーだと言って干渉したワケではない。

 

 誠意を伝えるのなら言葉ではなく、行動で。

 

 その意識が染みついている影浦隊の面々は、文字通り言葉ではなく行動で、そして結果で示した。

 

 それが、彼等なりの信頼の返し方であるが故に。

 

 ユズルは今、かねてからの念願であった茜との一騎打ちに臨んでいる。

 

 狙撃手同士の戦いであるが故に影浦のような攻撃手同士の戦闘とはまた勝手が違うのだろうが、ROUND3のリベンジマッチであるという点には変わりはない。

 

 ROUND3では那須隊は隊としては大敗を喫したが、唯一茜だけは自分の仕事を────────即ち点を取り、そのまま離脱するという真似をやってみせた。

 

 あの状況から那須隊が得点を獲得するとは思っていなかった影浦も、これには驚いた。

 

 影浦は、ユズルの実力を高く評価していた。

 

 狙撃技術も然ることながら、その機転の利かせ方も抜群に上手い。

 

 贔屓目に見ても、ユズル以上の狙撃手など早々いない。

 

 B級という括りで見るならば、ユズルを上回る狙撃手は東くらいだろうと考えていた。

 

 そのユズルが、やられた。

 

 日浦茜という、それまでパッとしなかった狙撃手に。

 

 あの時の影浦は七海の事ばかりに気を向けていたが、それでも尚()()()()()()()()()()にはそれなりの興味を抱いていた。

 

 影浦にとって、狙撃手は東という例外を除き脅威足り得ない。

 

 サイドエフェクトによって狙撃を感知出来る影浦にとって、狙撃はいつ何処から来るか分からない攻撃ではなく、単発の直線攻撃に過ぎない。

 

 狙撃の持つメリットの殆どを封殺出来る影浦にとって、殺気を消して攻撃が可能である東(ちょっとおかしい相手)以外の狙撃手は、注意を向ける相手としては力不足であった。

 

 だが、当たり前の事ではあるが、狙撃が効かないのは影浦だけであり、他の隊員はそうではない。

 

 影浦にとって脅威ではないからと言って、隊にとって脅威でないとは言えないのだ。

 

 特に、狙撃手としての腕を信頼しているユズルが好敵手と定めたからには、その脅威度は察して知るべしである。

 

 現状、茜の位置は把握している。

 

 ユズルが戦闘中なのだから、此処を切り抜ければ影浦が直接狩りに行く事も出来るだろう。

 

 狙撃が効かない影浦は、狙撃手にとっての死神のようなものだ。

 

 彼らが頼みにする狙撃は牽制にすらならず、影浦の歩みを止める事は出来ない。

 

 この場から離れられるかという問題はさておいて、影浦が行けば問題なく茜は落とせる筈だ。

 

 だが、それはユズルの望む展開ではない。

 

 ユズルはあくまで、一人の狙撃手として茜に勝つ事を望んでいる。

 

 ならば、そこに自分が手を出すのは違うだろう、と影浦は考えている。

 

 隊としての勝利も大事だが、ぶっちゃければユズルの気持ちの方が影浦にとっては重要である。

 

 ユズルがやりたい事をやる為なら、隊としての選択は別段不正解でも構わない。

 

 最初に仕掛けた辻の釣り出しも、結局のところ二宮隊を抑えてユズルや自分が存分に目当ての相手と戦う舞台を整える為だ。

 

 既に、最大の障害であった二宮は落ちている。

 

 影浦が狙っている七海はどうやら生駒と戦闘中のようだが、簡単に負ける事はないだろうと彼は考えていた。

 

 それは理屈ではなく勘のようなものだったが、影浦のこういった直感は割と当たるのだ。

 

 そも、成長して此処までやって来た七海が、あの生駒相手だろうと簡単にやられるような事はないだろうという信頼もある。

 

 ならば今やるべき事は、此処で那須と辻の二人を片付けて、盤面をすっきりさせる事だ。

 

 那須も辻も、七海と戦り合う時には邪魔になる。

 

 辻はどうやら自分に那須を獲って貰いたいという思惑があるようだが、知った事か。

 

 自分は、自分のやりたいようにやる。

 

 それが影浦のポリシーであり、未来永劫変わる事のないスタンスである。

 

 その「やりたいように」という言葉の中に「ユズルの為に」「七海の為に」なんて言葉が入ってはいるが、それも含めて自分のやりたい事だと影浦は考えている。

 

 気遣いも、余計なお節介も、自分の欲望である事に変わりはないのだから。

 

「ヒカリ」

『あん?』

「手ぇ抜くなよ。ユズルにゃあ存分にやらせろ」

『おうっ! 当たり前じゃねぇか! 全部あたしに任せとけっ!』

 

 まったくお前らはあたしがいないと何もできねえなー、と上機嫌で呟く光の声を聴き、影浦はこれなら心配ないだろう、と遠くに見える光弾の発射地点────────那須がいるであろう場所を、見据える。

 

「ユズルが気合い入れてんだ。とっとと片付けて、余計な事をさせねーようにしねーとな」

 

 影浦は獰猛に笑い、躊躇なく物陰から飛び出して駆け出した。

 

 同時に、彼の動向を伺っていた辻もまた、動き出す。

 

 こちらの戦場でも、事態が動こうとしていた。





 寝落ちを連続でキメちゃったデスイーターです。面目ない。三日も更新を空けちゃうとは不覚。勿論更新は続けていくのでどうぞお楽しみに


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影浦隊⑦

 

『防がれました。上がって来ますよ』

「わかってるっ!」

 

 小夜子の声よりも先に、茜は駆け出していた。

 

 上階に転移しての狙撃は、シールドによって凌がれた。

 

 ライトニングは、茜が最も信頼する武器だ。

 

 だが、このトリガーには威力の欠如という致命的な欠点がある。

 

 トリオン体の強度がどんな相手だろうが変わらない以上、急所を狙えばライトニングでも相手を落とす事は可能だ。

 

 しかし、ライトニングは狙撃銃の中でも最も威力が低い。

 

 狙撃銃の中で連射が出来るという特徴はあるが、その連射性能は銃手トリガーと比べれば雲泥の差だ。

 

 シールドを広げられた時点で、ライトニングは確実に防がれる。

 

 茜は、その欠点を立ち回りによって潰してきた。

 

 シールドによって防がれるのならば、それを張る隙を与えなければ良い。

 

 たとえば、相手が両攻撃(フルアタック)を実行した時。

 

 たとえば、バッグワームを着た狙撃手が狙撃を行った時。

 

 そういった隙を狙い、茜は相手に弾丸を叩き込んで来た。

 

 けれど、それにも限度はある。

 

 茜は手を変え品を変え、ライトニングを最大限に活用した戦術で戦果を挙げて来た。

 

 即ちそれは、対戦相手にそれだけ手の内を知られている事を意味している。

 

 手の内を知れば、対策される。

 

 それはランク戦では当然の事であり、対策された()の事こそが肝要だ。

 

 別の手段を用意するか。

 

 それとも、対策の対策を行うか、である。

 

 茜は、その両方を行った。

 

 ライトニングの狙撃を警戒されているのなら、そもそも相手を狙わなければ良い。

 

 狙撃する対象は、何も相手のトリオン体に限らない。

 

 チームメイトが設置した、置きメテオラのトリオンキューブ。

 

 それを狙撃して起爆する事で、茜は戦況の突破口を作り出していた。

 

 置きメテオラは、文字通りキューブの状態のメテオラを設置して罠として活用する手法の事だ。

 

 その場に置いた時点で遠隔のコントロールは出来なくなるが、代わりに枠を埋める事もない。

 

 無論、ただ置くだけでは意味がない。

 

 置きメテオラは、何らかの衝撃を与える事で起爆する。

 

 ブレードで突き刺しても、弾丸を叩き込んでも良い。

 

 とにかくキューブに衝撃(ダメージ)を与えさえすれば、置きメテオラは爆弾としての役割を全うする。

 

 その方法として、茜のライトニングは適役だった。

 

 その速射性故に相手の意表を突く事が出来、何よりキューブを狙うだけなのだからシールドに邪魔される恐れもない。

 

 キューブの位置がバレてしまえば流石に警戒されるが、そのあたりはチームメイトが配慮してくれていた。

 

 主に戦場に置きメテオラを設置するのは七海の役目であったが、彼はとにかくキューブを隠すのが上手い。

 

 ある時は自分の身体の影に、ある時は瓦礫の隙間へと。

 

 様々な手法で相手の眼を欺き、爆弾を戦場に設置して行った。

 

 爆弾の起爆など、普通の狙撃手の役割からは些か外れてはいるものの、別段茜は勝つ為であれば狙撃手としての立ち回りに拘るつもりはなかった。

 

 大事なのはチームを勝利に導く事であり、茜が得点を重ねる事ではない。

 

 そのあたりの割り切りは、茜の得意とするところだった。

 

 そも、前期まではぱっとしない戦績しか挙げられていなかった茜である。

 

 今期ギリギリまで修練を重ね、ライトニング一本に絞って鍛錬する事で今の戦闘スタイルを確立したが、そうなる前は自分は狙撃手の中でもうだつの上がらない方であると考えていた。

 

 狙撃手のトップに君臨する当真のような()()()()()()弾を撃てるワケでもなく、東のような戦術眼があるワケでもない。

 

 奈良坂のような高水準で纏まった能力はなく、かといって佐鳥のような独自性もない。

 

 そんな、特に誇るべき箇所のない狙撃手。

 

 それが自分だと、茜は考えていた。

 

 ────それは違う。日浦は、日浦にしかない強みがあるじゃないか────

 

 そんな茜が変わる切っ掛けとなったのは、とある日の七海の言葉だった。

 

 七海は中々上達しない茜が思い悩む姿を見て、開口一番そう告げたのだ。

 

 ────俺には、狙撃手の事は分からない。けれど、透さんから精密射撃の腕は随一だって聞いている。なら、そこを伸ばせばいいんじゃないか?────

 

 どうやら七海は奈良坂からも茜に関する相談を受け、事情を聴いていたらしい。

 

 奈良坂はその時、茜の指導方針について葛藤していたそうだ。

 

 茜はアイビスやイーグレットを扱う適性は高いとは言えないが、ライトニングに関しては図抜けた適性を持っている。

 

 故に、そこを重点的に伸ばせば成長する見込みはあると、そう考えていた。

 

 しかし、狙撃手にとってライトニングはあくまで()()()のトリガーである。

 

 アイビスやイーグレットと違い、ライトニングにシールドを貫通するだけの威力はない。

 

 確かにその速射性は驚異的だが、よほど上手いタイミングで撃たなければまずシールドで防がれる。

 

 そんなトリガーに絞って訓練して、本当に茜の為になるのか。

 

 奈良坂は、そう思い悩んでいた。

 

 だからこそ、奈良坂は七海経由で茜の意思を確認しようとしたのだ。

 

 師匠である奈良坂が促せば、茜はまず断らない。

 

 それは最早指導ではなく強制だと、奈良坂は考えていた。

 

 故に彼は七海に茜の意思を確認する事で、茜自身がどう判断するかを見極めたかったのだ。

 

 結果として、茜は自分自身でライトニングに絞って鍛錬する事を選び、更にはテレポーターを習得する事で、独自の立ち回りを行う狙撃手となった。

 

 七海の助言が奈良坂の気遣いがあったからこそ、茜はこうしてB級上位でも通用する狙撃手として成長出来た。

 

 以前のように、狙撃銃を無理やり三種全て使いこなそうとしていたのならば、その成長は有り得なかっただろう。

 

 隠し玉のイーグレットをこの最終ROUNDまで使わなかったのは、なんの事はない。

 

 ただ、形になったのがつい前日であっただけである。

 

 無論の事、茜はライトニングしか使わない、と印象付ける目的もあったが、それはあくまで後付けの理由だ。

 

 茜がイーグレットを扱う腕を使い物になるまで鍛錬するまで、相応の時間が必要だった。

 

 そも、イーグレットも扱えるよう鍛錬を始めたのは、ROUND3以降である。

 

 あの戦いでチームとして惨敗を喫した事を茜は重く受け止め、ライトニングだけでは足りないと、強く考えるようになった。

 

 確かに、茜のライトニングの腕前は最上級(ハイエンド)の域に達している。

 

 並み居る狙撃手の中でも、ライトニングの扱いに限れば早々負けはしない。

 

 その程度の自負は、茜にもあった。

 

 だが、ライトニングが威力不足という致命的な欠点を抱えている事実は変わらない。

 

 それを補う為の最も手っ取り早い手段として、茜はイーグレットの修練に着手した。

 

 アイビスという選択肢は、最初からない。

 

 確かに威力不足という問題を解決するには最上の武器ではあるが、汎用性という事を考えればイーグレットが最も的確だ。

 

 そも、茜にはそれまでのランク戦で対戦相手に叩き込んだライトニングによる不意打ちの脅威がある。

 

 故に相手は茜を警戒する時はシールドを広げる筈であり、広げたシールド1枚を割るならイーグレットで事足りる。

 

 広げたシールドと集中シールドの二枚重ねで防御される可能性はあるものの、その時点で相手の両手は塞がっている。

 

 そこまで追い込めれば、後はチームメイトがカタを付けてくれるだろう。

 

 ランク戦は、何も自分一人で点を取る必要はないのだから。

 

 そういった経緯で、茜はイーグレットの修練を重ね、最終ROUNDで遂にその隠し玉を披露した。

 

 結果は、最上。

 

 最大の脅威であった二宮は、茜の銃弾で沈んだ。

 

 入念な準備を重ねた末の、渾身の一射。

 

 流石に、通って貰わなければ困る。

 

 茜は、そうしてこの試合最大の難所を乗り越えた。

 

 だが、戦いはまだ終わっていない。

 

 彼女が雌雄を決するべき相手は、他にいる。

 

 絵馬ユズル。

 

 ROUND3ではどさくさ紛れに仕留めた、天才中学生狙撃手。

 

 歳は茜の一つ下だが、その高い技量と優れた機転は噂として耳にしていた。

 

 そもそも、所属部隊が所属部隊だ。

 

 ユズルが在籍しているのは、B級二位の影浦隊。

 

 かつてはA級部隊として君臨していた、掛け値なしのトップチームである。

 

 影浦の隊務規定違反で降格の憂き目に遭ったものの、その実力自体に変化はない。

 

 二宮隊共々、A級への登竜門として君臨するチームの片割れだ。

 

 そのチームで、狙撃手を任されているのだ。

 

 実力の高さは、疑いようがない。

 

 実際、あのROUND3で彼を仕留められたのは運の要素も多分に絡んでいた。

 

 あの時とは違い、茜のテレポーターについても最大限の警戒が敷かれている筈だ。

 

 同じたたらを、ユズルが踏む筈もない。

 

 それに、彼ならば気付いている筈だ。

 

 茜が用いた、隠し玉。

 

 イーグレットの、()に。

 

 

 

 

(…………多分、日浦さんが転移直後の狙撃に使えるのはライトニングだけ。イーグレットは、転移とは併用出来ない)

 

 ユズルは階段を駆け上がりながら、心中でそう断定した。

 

 そもそも、先ほどの狙撃でユズルを確実に仕留める為には、イーグレットが的確なのだ。

 

 確かに、ライトニングの弾速は脅威だ。

 

 だが、来ると分かっているのならば、シールドを広げればどうとでもなる。

 

 その事を、茜が承知していないとは思えない。

 

 なのに、イーグレットではなくライトニングを用いたのは何故なのか。

 

 答えは一つ。

 

 茜はあの時、イーグレットを使わなかったのではない。

 

 使()()()()()()のである。

 

 そも、転移直後の狙撃は相当な難易度を誇る。

 

 当然だ。

 

 狙撃とは、スコープ越しに標的を見据え、弾道を規定し、相手の動きを考慮に入れて引き金を引く。

 

 そういった、複数の工程(プロセス)から成り立っている。

 

 そして、転移直後の狙撃は、その工程を一瞬で組み上げなければならない。

 

 そうなると、最早頭で理解しているだけではどうにもならない。

 

 繰り返し使用し手に馴染んだ愛銃を携え、考えるよりも先に引き金を引く。

 

 そのくらいの芸当が出来なければ、転移直後のタイムラグなしの狙撃など不可能だ。

 

 茜は、それが出来る。

 

 射線がない場所であろうと、転移を用いた移動により即座に射線を確保し、ライトニングの速射性を活用して正確無比な狙撃を一瞬の内に敢行する。

 

 それが、茜の最大の強み。

 

 何処から来るか分からない、閃光の一撃。

 

 それこそが、茜の最大の武器。

 

 だからこそ、彼女は唯一無二の脅威を持つ狙撃手としての立ち位置を確保しているのだ。

 

 しかしそれは、あくまでライトニングを用いた狙撃という前提を元としたもの。

 

 イーグレットは、そんな彼女にとって()()に近い。

 

 いや、正確に言うならば、まだ彼女に馴染み切っていないと言うべきか。

 

 転移直後の狙撃には、慣れ親しんだ武器が必要不可欠。

 

 そして茜にとってイーグレットは、()()()()()()()()とはまだ言えない。

 

 故に、茜が転移を実行した場合は、ライトニングだけを警戒すれば事足りる。

 

 ユズルの頭脳は、そう判断を下していた。

 

(なら、バッグワーム(これ)は邪魔だな)

 

 決断を下した後の、判断は速い。

 

 ユズルはバッグワームを脱ぎ捨て、いつでもシールドを張れるように身構えながら先へと進む。

 

 どうせ、レーダーには高低差は表示されない。

 

 ならば、大まかな位置がバレてしまっている現在、バッグワームを使い続ける意味などない。

 

 レーダーに映っていない様子を見るに茜はどうやらバッグワームを脱いではいないようだが、彼女とユズルでは前提条件が違う。

 

 ユズルの主武装は、アイビス。

 

 たとえ集中シールドを張ったところで、アイビスの矛は容易くその守りを打ち砕く。

 

 集中シールドを二枚重ねにすれば防げない事はないが、そこまでするのであれば茜の場合、テレポーターを使った方が手っ取り早い。

 

 そも、茜は素の機動力こそ難はあるが、咄嗟の回避行動はそこまで悪いものではない。

 

 シールドを張るよりは、回避した方が手っ取り早いとでも思ったのかもしれない。

 

 どちらにせよ、やる事は変わらない。

 

 相手の裏をかき、その脳天に弾丸を叩き込む。

 

 狙撃手同士の1対1(タイマン)など初めての経験だが、問題はない。

 

(勝つのは、オレだ。今度こそ、仕留める)

 

 拳を握り締め、ユズルはそう硬く誓った。

 

 あの時の雪辱は、必ず晴らす。

 

 その為に、これまで牙を研いで来たのだ。

 

 二度、同じ轍は踏まない。

 

 ユズルの培った経験と、戦闘センス。

 

 その全てを用いて、日浦茜を打ち倒す。

 

 それが、ユズルの意思。

 

 一度敗北を喫したが故の、再戦を望む渇望である。

 

 ユズルが初めて訴えた、我が儘(男の意地)である。





 昨日は異能バトル杯書いてて更新できませんでしたが、今日は更新したぜ。なにせ昨日は2万字も書いたからのう。

 明日は夜勤なんで更新は出来ませぬ。明後日を待て。


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影浦隊⑧

「旋空弧月」

 

 弧月一閃。

 

 生駒達人の拡張斬撃が、旋空が放たれる。

 

 射線の先にいるのは、七海玲一。

 

 遮るもののない瓦礫の上で、七海は生駒の一撃を回避する。

 

 回避手段は、跳躍。

 

 七海の胴を狙って放たれた旋空は、七海が上空へ退避した事により空を切る。

 

「────」

 

 だが、それで終わりではない。

 

 旋空の、二撃目。

 

 上へ跳んだ七海に向け、二発目の旋空が放たれる。

 

 間隙入れぬ、高速の連撃。

 

 ボーダーでも随一の旋空使いである生駒の、第二撃。

 

「……!」

 

 それを、七海は。

 

 グラスホッパーを踏み、回避した。

 

 足場となるもののないこの場所で、七海が唯一頼れる回避手段。

 

 それこそが、グラスホッパー。

 

 ジャンプ台トリガーを用いた二段跳躍で、二撃目の旋空を回避する。

 

 七海は三撃目が放たれる前に、更にグラスホッパーを展開。

 

 グラスホッパーを用いた加速で、一気に生駒との距離を離した。

 

 距離としては、おおよそ22メートル。

 

 先程のような通常の旋空では、ギリギリ届かない距離。

 

 生駒旋空の射程内ではあるが、生駒旋空は通常の旋空と違い連射が出来ない。

 

 剣速こそ凄まじいが、単発の攻撃であればギリギリで回避は可能だ。

 

 とはいえ、それも絶対ではない。

 

 確かに七海のサイドエフェクトと動体視力の合わせ技であれば回避自体は可能だが、そもそも生駒旋空自体の速度が尋常ではないのだ。

 

 攻撃開始から攻撃終了までが極端に短い生駒旋空と、七海のサイドエフェクトの相性は悪い。

 

 生駒旋空の攻撃を感知してから直撃までの時間が、短過ぎるのだ。

 

 今はまだ七海が攻撃を完全に捨てているからこそなんとか回避出来ているだけで、この障害物のない場所で生駒に肉薄するのは厳しいものがある。

 

 少なくとも、このままでは。

 

(けど、玲や日浦も頑張っているんだ。俺だけ弱音を吐くワケにはいかないな)

 

 七海は、他の場所で戦っているチームメイトに想いを馳せる。

 

 那須は影浦と辻の二人と、茜はユズルと戦闘を繰り広げている。

 

 どちらも、一筋縄ではいかない相手だ。

 

 確かに厄介さで言えば生駒も負けてはいないが、そもそもこの戦場に厄介ではない駒など一つもない。

 

 B級上位とは、そういうレベルなのだから。

 

(機会は、必ず来る。俺がやるべきは、仲間を信じて自分の仕事を全うする事────────大丈夫だ。玲は、日浦は、必ず仕事を成し遂げてくれる。俺は、俺の仕事をすればいい)

 

 頑張れなどと、祈るまでもない。

 

 七海は、信じている。

 

 仲間が、やるべき事を成し遂げる事を。

 

 チームを、勝利に導く事を。

 

 故に。

 

 今はただ、仲間を信じて戦うだけだ。

 

「まだまだ付き合って貰いますよ。生駒さん」

 

 七海は不敵な笑みを浮かべ、生駒を見据え、告げる。

 

 生駒はその返礼とでも言うかのように生駒旋空を放ち、戦闘を続行した。

 

 

 

 

『茜、止まらないで下さい。止まれば、狙われます』

「わかってますっ!」

 

 茜は小夜子の指示を聞きつつ、アパートの廊下を駆け抜ける。

 

 下の階からはユズルの足音が聞こえており、バッグワームを脱いでいるユズルの位置はレーダーでも確認済みだ。

 

 どうやら、ユズルは徹底的に茜のライトニングの対策を行う腹積もりらしい。

 

 ライトニングは、シールド貫通能力が無い。

 

 皆無、と言っても過言ではない。

 

 極論ただシールドを広げるだけで、ライトニングは防げるのだ。

 

 片手が塞がってしまうというデメリットはあるものの、相手の攻撃手段がライトニングしかないと断定しているのならば、悪い判断ではない。

 

 ユズルはバッグワームを脱いで居場所が晒されるデメリットと片手が塞がるデメリットを天秤に乗せた結果、後者が重いと判断したようだ。

 

 確かに、狙撃手が生き残っている状態でバッグワームを使用するのはリスクがある。

 

 バッグワームはレーダーから姿を隠す便利なトリガーであり、ランク戦では必須レベルの代物だが、反面使用中は常に片手が塞がる上、使用中は微量ながらトリオンを消費し続ける。

 

 特に片手が塞がるデメリットは非常に痛く、攻撃手はそれを嫌ってバッグワームを着ない選択を行う事は多い。

 

 狙撃手、特にイーグレットやアイビスを使う相手の場合、バッグワームを着たままでは両防御(フルガード)が出来ずに防御の上から貫かれる事態もあり得る。

 

 それだけではない。

 

 バッグワームに片手を使ってしまえば、残る片手は攻撃か防御、どちらかしか使えなくなる。

 

 ライトニングの狙撃を防いで撃ち返すつもり満々なユズルからしてみれば、シールドを張りながらの狙撃が出来なくなるバッグワームは、この場に置いては非常に邪魔になる。

 

 だからこそ、バッグワームを脱ぐ選択を行ったのだろう。

 

 互いの位置が大方バレている段階で、バッグワームをする意味は限りなく薄い。

 

 それに、今いるのはアパートの上階。

 

 レーダーには高低差までは映らない以上、バッグワームを脱いでいても細かい位置を見失う可能性は有り得る。

 

 そこまで考えて、ユズルはバッグワームを破棄したワケだ。

 

 一方茜は、常にシールドを構えている相手には、迂闊にライトニングは使えない。

 

 相手がバッグワームを着たままであれば牽制の為に撃つという選択肢もあったが、この状態で撃っても容易に凌がれるだけで足止めにすらなりはしない。

 

 狙撃手は射手や銃手と違い、攻撃は片手があれば事足りる。

 

 それ以外に選択肢がない、と言うべきか。

 

 一番最悪のパターンは、シールドで攻撃を防がれた直後にカウンター狙撃を喰らう事だ。

 

 イーグレットならまだいいが、アイビスの場合集中シールドを用いたところで1枚では貫通される。

 

 ユズルがその場面で、狙撃銃の選択を誤るとは思えない。

 

 そして────。

 

『茜、来ますっ!』

「……っ!」

 

 小夜子の怒声と共に、茜は咄嗟にその場所から飛び退いた。

 

 次の瞬間、床を突き破った弾丸が茜のいた場所を通過する。

 

 アイビスによる、壁抜き狙撃。

 

 正確には、天井抜きか。

 

 ユズルが下の階から、それを仕掛けて来たのである。

 

 壁抜き狙撃は、見た目ほど便利なものではない。

 

 相手が見えない状態で狙撃するのだから精度は落ちるし、壁を貫通する以上その分だけ威力も下がる。

 

 だが、今の状況では話は変わる。

 

 このアパートは二宮のハウンドで壁や床がボロボロになっており、至る所に穴が空いている。

 

 穴が空いているという事は、天井越しに相手の姿が見えるということ。

 

 つまり、壁抜き狙撃の難点である()()()姿()()()()()()()()()()()()()()という点に関しては、この場所では何の問題にもならないのだ。

 

 天井の穴越しに見えた相手に向かって、壁を抜けば良いだけの話なのだから。

 

 茜が階段を使ってすぐに最上階まで上がらず、廊下に出た理由も此処にある。

 

 階段では、先ほどのように壁抜きで狙撃された場合、逃げ場が殆どない。

 

 アイビスとイーグレットの二連撃でも叩き込まれれば、テレポーターを使用せざるを得ない状態に陥ってしまうだろう。

 

 傍目から見ると便利なテレポーターではあるが、隊員の中でも使用者はそう多くはない。

 

 その理由として挙げられるのが、テレポーターを使う上での制限である。

 

 テレポーターは一度使えば次回使用までに使用距離に応じたタイムラグが発生し、移動先は視界の先数十メートルに限定される。

 

 つまり、何処を見ているかさえ分かれば、移動先を推測して攻撃を叩き込む事が可能であるのだ。

 

 それを最も得意とするのが、狙撃手である。

 

 狙撃手は常に相手の動きを計算に入れて動く癖が付いている為、相手の行動予測はむしろ必須技能に入る。

 

 故に、視線さえ見逃さなければ転移先の捕捉は容易い。

 

 連続転移が出来ない事も相俟って、狙撃手の前での迂闊なテレポーター使用は死に直結するのだ。

 

 ユズルが今回、アイビスとイーグレットを左右に分けてセットして来ているのはその為だ。

 

 あのトリガーセットは、明確に茜を意識した構成の筈だ。

 

 先程ユズルが見せた、アイビスとイーグレットによるツイン狙撃。

 

 あれは間違いなく、対茜の為に用意して来た戦法であろう。

 

 ツイン狙撃は、嵐山隊の狙撃手である佐鳥が得意とする特殊な狙撃術の事だ。

 

 その内容は、一言で言えば狙撃銃による両攻撃(フルアタック)である。

 

 それだけ、と思うかもしれないが、これは誰でも真似出来る事ではない。

 

 何せ、狙撃銃を二丁扱うという事は、片方はスコープを視ずに扱う必要が出て来るという事なのだから。

 

 スコープを使用しないという事は、狙いを付けられない事と同義である。

 

 そんな状態で標的に当てるなど、普通の狙撃手ではまず無理だ。

 

 そもそも、狙撃銃は両腕を使って撃つものである。

 

 それを片手で一丁ずつ装備するとなると、狙撃の精度は格段に落ちる。

 

 見当違いな所に当たるか、下手をすると誤射すら有り得る。

 

 軽く見られがちな佐鳥であるが、その狙撃の腕は間違いなく変態的(トップクラス)だ。

 

 彼だからこそ可能とした技術、と見るべき面もある。

 

 そして何よりも、両攻撃(フルアタック)を行う関係上狙撃に必須となるバッグワームを着る事が出来なくなる。

 

 居場所の割れた狙撃手の脅威度は、格段に下がる。

 

 そんなリスクを冒してまで行うほどのメリットを、ツイン狙撃は見出されなかった。

 

 だが、それも時と場合によりけりである。

 

 この状況下であれば、ツイン狙撃はかなり有効な手段と成り得る。

 

 バッグワームはそもそも相手に大まかな位置がバレている以上無用の長物であるし、何よりテレポーター持ちの茜を相手にする為には二段攻撃の方法はあった方が良い。

 

 狙撃の精度についても、ユズルは元々高い技量を備えている。

 

 ポリシー上当真がツイン狙撃を教えるとは思えないので、ユズルが独学で学んだか、佐鳥に頭を下げた可能性もある。

 

 どちらにせよ、ユズルは実戦で使うには十分なレベルでツイン狙撃を会得していた。

 

「とにかく、今のうちに動かないと。再装填(リロード)の前に、場所を移動しなきゃ」

 

 

 

 

「…………駄目だな、今撃っても。多分、外れる」

 

 ユズルは敢えて追撃はせず、アイビスの再装填を行いながら動き出した。

 

 今の一撃をテレポーターで回避してくれれば御の字であったが、流石にそう簡単にはやらせてくれないらしい。

 

 バッグワームを着ていない為、今のユズルの位置はレーダーには丸見えだ。

 

 もしかすると、ユズルの位置から狙撃のタイミングを推測したオペレーターが、茜に警告したのかもしれない。

 

 どちらにせよ、今二撃目を撃ったところで普通に躱されるだけだ。

 

 此処でテレポーターを使わせる事が出来たとしても、ユズルには追撃の方法がない。

 

 ライトニングは別として、アイビスとイーグレットは一度撃てば再装填を終えるまで使用出来なくなる。

 

 その為、テレポーターを使わせる事に成功したとしても、撃てる弾がないのでは意味がないのだ。

 

 狙撃手の弱点の一つに、この追撃の難しさがある。

 

 一度撃てば再装填というクールタイムを挟まなければならない関係上、狙撃手は近距離線には全く向いていない。

 

 だからこそ、東は狙撃手を指導する際「近付かれた時点で終わりだ」と口を酸っぱくして告げているのだ。

 

 そして、その弱点を克服する方法としてユズルが会得したのが、ツイン狙撃である。

 

 ツイン狙撃は、茜の相手をするにも絶好の条件が揃っていた。

 

 茜という狙撃手を語る上で精密射撃と並ぶ最大の特徴は、テレポーターを使った転移狙撃。

 

 たとえ射線に捉えたとしても、茜はそれが初撃であればほぼ確実に躱して来る。

 

 それが、テレポーターの強み。

 

 視線の先さえ隠す事が出来れば、一度目の狙撃ではまず仕留められない。

 

 そんな彼女を仕留める為の、ツイン狙撃である。

 

 ユズルは、この選択が間違っているとは思っていない。

 

 観客席で見ている当真は渋い顔をしているだろうが、ユズルにとっては知った事ではない。

 

 確かに当真には色々と世話になったが、彼のポリシーにまで同調したつもりはない。

 

 使えるものは使う。

 

 それだけだ。

 

 ユズルは茜を侮るつもりも、軽く見るつもりも一切なかった。

 

 自分以上の強敵だと考え、万全を尽くして戦いに臨む。

 

 そうあるべき相手だと、それに相応しい相手であると、ユズルは認めている

 

 彼女に勝つ為に必要なら、なんだってやろう。

 

 そう考えたからこそ、ユズルは佐鳥に頭を下げてツイン狙撃の教えを乞うた。

 

 佐鳥は、喜んで教えてくれた。

 

 元より、ツイン狙撃の力をアピールしたい佐鳥にとっては、絶好の機会であったのだろう。

 

 ユズルの注目度は、かなり高い。

 

 毎度のように壁抜き狙撃等の高い技量を惜しげもなく披露するユズルは、冗談抜きで画面映えするのだ。

 

 そのユズルがツイン狙撃を積極的に使えば、この上ない宣伝になる。

 

 ツイン狙撃を教えてくれた時も、その条件として「ランク戦で活躍して」としか言わなかった。

 

 正確には、言う必要がなかったのである。

 

 言うまでもなく、ユズルは得た技術を死蔵する気はない。

 

 技術は、使ってこそ意味がある。

 

 故にユズルがツイン狙撃を披露したのはその約束の為ではなく、必要に応じてというだけの話だ。

 

 それでも仕留められなかったのはユズルとしては未熟と言う他ないが、これまでのやり取りで確信した。

 

 この勝負、ユズルに分があると。

 

 転移直後の狙撃は確かに脅威だが、来るのがライトニング一本だと分かっていればどうとでもなる。

 

 それに見たところ、茜が新たに持ち込んで来た狙撃銃はイーグレットのみで、アイビスはセットしていないように見える。

 

 イーグレットであれば集中シールドを使えば防御出来るし、そもそも回避すればいいだけの話だ。

 

 何より、このアパートの構造は先に来ていたユズルの方が詳しい。

 

 準備は、既に終わっている。

 

 後は、仕留めに行くのみ。

 

 そう意気込んで、アイビスを片手に廊下を駆けだした。

 

 向かうは、最上階のその先。

 

 屋上。

 

 そこが決戦の舞台になると、ユズルの勘が告げていた。




 VSユズル継続中。

 中々進まないけど、それはそれ。

 狙撃手同士だと結構読み合いが中心だから、自然と長くなるのよね。


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影浦隊⑨

「日浦隊員、絵馬隊員の壁抜き狙撃を間一髪で回避……っ! 狙撃手同士、一進一退の攻防を魅せていますっ!」

「見応えのある戦いだね。これは」

 

 桜子の実況に、王子がそう追随する。

 

 王子は顎に手を当て、興味深そうな目で映像を眺めている。

 

「基本的に、狙撃手は位置が知られた時点で逃げ隠れするのが普通なのに、狙撃手同士が屋内戦で撃ち合うなんてケースは中々ないからね。色々とフットワークの軽い、ヒューラーとエマールの組み合わせならではだね」

「絵馬は、咄嗟の機転が利く上に動きも悪くない。日浦もオペレーターとの連携で、テレポーターを上手く活用している。狙撃手としてのレベルの高い二人だからこそ、こういった戦いになっているのだろう」

 

 二人の言う通り、この戦いの形式はユズルと茜の組み合わせの影響が大きい。

 

 ユズルは茜や隠岐のように移動用のトリガー自体はセットしていないが、とにかく機転が利き頭の回転が速い。

 

 こういった屋内戦にも、充分対応出来る程に。

 

 一方、茜はテレポーターという独自の強みを地形条件やオペレーターとの連携で十全に活かしている。

 

 その性質上、屋内戦には非常に強い。

 

 無論、正面切って近距離で銃手や攻撃手とやり合えるワケではないが、相手は自分と同じ狙撃手。

 

 同条件であれば、テレポーターという明確なアドバンテージがある分屋内戦は優位に戦えるのだ。

 

「二宮さんの射撃でボロボロになったアパートっていう地形条件を、上手く活用してるね。ぼくたちと初めて戦った時のように、壁の穴越しの転移なんて芸当もこなしてる」

「それは絵馬隊員も同じですね。壁の穴越しに視認した日浦隊員を、壁抜き狙撃で狙っています。狙撃手同士のゲリラ戦なんてものは初めて見ましたが、確かに王子の言う通り見応えがありますね」

 

 王子隊の二人にとって、茜とユズルの戦いは非常に見応えのあるものであった。

 

 特に、読み合いを得意とする王子にとって、これほど面白い戦いはない。

 

 知らず、王子の顔に笑みが浮かんでいた。

 

「二人共、一歩も譲らない読み合いだね。相手の動きを先読みして射線を置き、避けられたケースまで想定して立ち回る。狙撃手同士だからこそ生まれた、心理戦の応酬だね」

 

 そう、狙撃手同士の戦いは、その全てが心理戦なのだ。

 

 攻撃手や銃手と違い、狙撃手は真っ向から相手を倒すようなポジションではない。

 

 地形条件を把握し、相手の行動を先読みし、弾丸を当てられる状況を作り出す。

 

 如何にして相手の裏をかくか。

 

 それが、狙撃手同士の戦いである。

 

 ただ地形を把握しただけでも、相手の行動を読んだだけでも意味はない。

 

 重要なのは、全ての条件を考慮した上で相手に弾丸を当てる状況を組み上げる思考力と機転。

 

 そして、咄嗟の判断の速さと正確さだ。

 

 今のところ、二人のそれはほぼ互角。

 

 一進一退の攻防とは、比喩ではないのだ。

 

「今はまだ、お互いの反応を見極めて相手の行動パターンのシミュレートに修正を加えている段階なんだ。そして、そろそろそれも終わる。此処までの戦闘、その全てが二人にとって予定調和と言って良い」

 

 だから、と王子は笑みを浮かべる。

 

「そろそろ、決めにかかる筈だよ。多分、逃げ場のない屋上でね」

 

 

 

 

「…………」

 

 扉を開け、ユズルは屋上へと足を踏み入れた。

 

 視界内に、茜の姿はない。

 

 屋上にあるのは、ユズルの出た扉の上にある給水タンクのみ。

 

 他には、何も存在しない。

 

「……ふぅん」

 

 ユズルは、その給水タンクの下の隙間の向こうに、風にたなびくバッグワームを見た。

 

 茜は、ユズルと違いずっとバッグワームを纏っていた。

 

 レーダー頼りに撃たれる事を嫌ったのか、それとも違う意図があるのか。

 

 ともあれ、バッグワームが見えるという事は、そこに茜がいるという事だ。

 

 ユズルは、無言でアイビスを構えた。

 

 狙うは、給水タンクの裏側────。

 

「なんてね」

「……っ!」

 

 ────────ではない。

 

 確かに、屋上に存在する()()は給水タンクだけだが、()()()()()場所はもう一つある。

 

 即ち、ユズルが出て来た扉の反対側。

 

 給水タンクの設置されている、その向こう側だ。

 

 あの給水タンクの隙間から見えるバッグワームは、ブラフ。

 

 恐らく、給水タンクにバッグワームを括り付けて囮に使ったのだろう。

 

 そうする事でユズルの銃口を給水タンクに向けさせ、その隙を突くハラである筈だ。

 

 ならば、取るべき手段は一つ。

 

 給水タンクを狙う振りをして、隙を突いたつもりの茜を迎撃する。

 

 ユズルの銃口が狙ったのは、建物の影。

 

 その銃口の先には、バッグワームを脱いだ茜がイーグレットを構えていた。

 

 茜の瞳が、驚愕に見開かれる。

 

 まさか、囮を即座に見抜かれるとは思っていなかったのだろう。

 

 ユズルはそんな茜に、容赦なくアイビスの引き金を引いた。

 

 狙撃体勢に入っていた茜では、この一撃は回避出来ない。

 

 アイビス相手では、集中シールド1枚では防ぎ切れない。

 

 ならば、どうするか。

 

「……っ!」

 

 答えは一つ。

 

 テレポーターの、使用。

 

 茜の姿が、その場から掻き消える。

 

 アイビスの弾丸は、文字通り空を切った。

 

 ユズルの渾身の一射は、転移によって回避された。

 

「だろうね。けど、()()がバレバレだよ」

「……!」

 

 くるりと、ユズルが身体を翻す。

 

 そこには、転移を終えイーグレットを構えた茜の姿。

 

 そんな茜に、ユズルはイーグレットの銃口を向ける。

 

 恐らく、ライトニングであれば振り向く暇もなく撃たれていただろう。

 

 だが、茜は恐らく此処でライトニングを使っては来ないだろうと、ユズルは考えていた。

 

 ユズルは、バッグワームを脱いであからさまにライトニングを警戒する姿勢を見せていた。

 

 そんな相手に、転移を用いて隙を突いたとはいえシールド貫通力のないライトニングを使うだろうか?

 

 答えは否。

 

 茜の脳裏には、ライトニングを撃った後にシールドによって防がれる想像が浮かんでいた筈だ。

 

 だから、ライトニングは使わない。

 

 機転が利く相手は、頭の回転が速い。

 

 故に凡庸な手は全て読まれてしまい、思考の裏を突かれて負ける。

 

 だが、そんな相手にも弱点というべきものがある。

 

 それは、()()()だ。

 

 相手の思考を読み、行動予測(シミュレート)を重ねるからこそ、()()()()()判断を誤る事がある。

 

 今の茜が、まさにそれだ。

 

 茜はユズルの行動から、シールドでの防御を警戒し過ぎるあまり使い慣れたライトニングではなく、まだ使いこなすには至っていない威力の高い狙撃銃(イーグレット)を選んだ。

 

 まだ茜はイーグレットをなんとか使えるだけで、その習熟度はライトニングより低いとユズルは見ている。

 

 これまでライトニング一本で戦って来た茜がイーグレットを使うというのは、かなり強烈な初見殺しになる。

 

 実際、その初見殺しによって二宮は落とされたようなものなのだから。

 

 だが奇策は、その内容がバレた時点で効果を下げる。

 

 奇策とは、普通なら取らない手段を用いて相手の隙を突く事を言う。

 

 つまり、()()()()()()()()()使()()()()()()であるからこそ、奇襲は奇襲足り得るのだ。

 

 決して、その手段そのものが強力なのではない。

 

 相手の裏をかけるからこそ、奇襲は強い一手に成り得るのだ。

 

 手の内がバレた奇策は、最早奇策でもなんでもない。

 

 ただの、使い難い一手に過ぎない。

 

 茜のイーグレットという手札は、成る程ライトニングと組み合わせる事で相手に理不尽な二択を迫る強力な武器だろう。

 

 だがそれはあくまで、相手に茜の位置がバレていない状態で使ってこそ意味がある二択だ。

 

 大まかな位置が割れている時点で、その強みは失われていると言っても過言ではない。

 

 事実、使い慣れていないイーグレットを用いた事で、茜はユズルに迎撃の時間を与えてしまった。

 

 今撃ったところで、ユズルに凌がれて終わりだろう。

 

 茜は、狙撃を断念して後退する。

 

 そう。

 

 後退、()()()()()()

 

「え……っ!?」

 

 茜の足が、何かに引っかかった。

 

 バランスを崩し、茜の身体が倒れていく。

 

 その刹那、茜は自分の足にかかった障害物の正体を見た。

 

「ワイヤー……ッ!? まさか……っ!」

「そう。『スパイダー』だよ」

 

 ワイヤートリガー、『スパイダー』。

 

 ROUND6で香取隊が用いた、ワイヤーを張り巡らせる特殊なトリガー。

 

 それが、茜の足を取った罠の正体であった。

 

 驚いている暇は、ない。

 

 ユズルは容赦なく、イーグレットの引き金を引いた。

 

「……!」

 

 茜は間一髪で集中シールドの展開に成功し、イーグレットの弾丸を止める。

 

 だが、体勢を立て直す事は、出来なかった。

 

 屋上の淵に立っていた茜は、そのまま下へと落下する。

 

 ユズルは即座に屋上の淵まで駆け寄ると、茜に向かってアイビスを構えた。

 

鳩原先輩(あの人)に、一度だけ教えて貰った。使ったのは、初めてだけれど」

 

 ユズルの脳裏に、今はもういない狙撃の師匠の顔が想起される。

 

 教わっていながら、使う機会に恵まれずセットしていなかったユズルの隠し玉。

 

 自分に何も告げずにいなくなった、鳩原(師匠)への反発もあったのかもしれない。

 

 けれど。

 

 彼女になら。

 

 茜相手ならば、使う事に躊躇いなどない。

 

 彼女は、日浦茜は。

 

 自分の師匠の置き土産(とっておき)を使うに相応しい。

 

 強く、乗り越え甲斐のある好敵手だ。

 

「これでもう、逃がさない」

 

 故に、此処で決める。

 

 そう決意して、アイビスの引き金に指をかけた。

 

 トリオン体は地面に叩き付けられた程度では砕けはしないが、空中では身動きは取れない。

 

 頼みの綱のテレポーターも、既に使ってしまっている。

 

 大した距離は移動していないものの、もう一度使うまではあと数秒はかかる筈だ。

 

 そして、アイビスの一撃は集中シールド二枚重ねでなければ防げない。

 

 仮に一度目を防げたとしても、茜が地面に落ちる前にはイーグレットの再装填(リロード)は完了する。

 

 このアパートは、七階建て。

 

 屋上の高さも、相応のものだ。

 

 アイビス(一撃目)を防げても、イーグレット(二撃目)までは防げない。

 

 これで、詰み。

 

 そう考えて、ユズルは引き金に力を込めた。

 

 この一射は回避を許さぬ、致命の一撃。

 

 防ごうが防ぐまいが、結果は何も変わらない。

 

 ただ、倒れる時間が早まるか、遅くなるか。

 

 それだけである。

 

 ユズルは、勝利を確信した。

 

 勝った。

 

 以前自分に劇的な敗北を叩き付けた相手を、下せた。

 

 それは、一瞬の気の緩み。

 

 隙とも言えない、刹那の歓喜。

 

 だからこそ、気付けなかった。

 

 茜が右手に構えたライトニングで、()()を狙っていたのかを。

 

 ライトニングが、放たれる。

 

 それは、ユズルを狙った一射ではない。

 

 その弾丸の行き先は、ユズルの真下。

 

 七階のベランダに放り込まれた、小さなトリオンキューブ。

 

 そのキューブの名は、()()()()

 

 茜がこの試合に持ち込んだ、もう一つの隠し玉。

 

 そのキューブに、炸裂弾(メテオラ)に。

 

 ライトニングが、着弾する。

 

「な……っ!?」

 

 突然の、爆発。

 

 その爆発は、七海のそれより規模は小さい。

 

 だが。

 

 だが。

 

 屋上から身を乗り出して狙撃体勢を取っていたユズルにとって、バランスを崩すに充分な衝撃であった。

 

 バランスを崩したユズルは、当然の如く屋上から落下する。

 

 突然の事態に、ユズルは混乱する。

 

 全て、上手く行っていた筈であった。

 

 あと一歩。

 

 あと一歩で、茜を確実に仕留められた。

 

 だというのに、メテオラという予想外の一手で覆された。

 

 否。

 

 それは本当に、予想外だっただろうか?

 

 そもそも、ライトニングによるメテオラの起爆という手は、茜がこれまで何度も用いて来た戦術だった。

 

 だが、それはあくまで七海や那須の設置したメテオラの起爆である。

 

 彼女自身がメテオラを使うなどという想定は、出来ていなかった。

 

 いや、そう誘導されたのだ。

 

 この一手。

 

 状況を覆す、最後の一手を隠し通す為に。

 

「く……っ! でも……っ!」

 

 けれど、まだ負けたワケではない。

 

 空中で身動きが取れないのは、茜も同じ。

 

 イーグレットで狙撃して来ようと、集中シールドで防げば良いだけ。

 

 ライトニングであっても、発射地点が横に動かないのであればシールドで防ぐ事などワケはない。

 

 幸か不幸か、ユズルはアイビスの発射前に屋上から落下した。

 

 まだ、アイビスは放たれていない。

 

 茜も、落下は止められない。

 

 状況は、変わらない。

 

 このままアイビスを放ってシールドを貫き、イーグレットで仕留めれば良い。

 

「これで……っ!」

 

 そう考えて、ユズルは落下しながらアイビスを構え、落ち行く茜に向かって引き金を引いた。

 

 放たれる、アイビスの弾丸。

 

 今度こそ終わりだと、ユズルは思った。

 

 焦る心を無理やり落ちつけながら、ユズルはそう考えた。

 

 思えば、動転していたのだろう。

 

 ユズルは一つ、忘れている。

 

 先程とは、明確に違うものがある事を。

 

 それは、時間。

 

 ユズルはメテオラの爆発により屋上から落下し、狙撃体勢に移るまで数秒を要している。

 

 時間経過。

 

 その要素が、ユズルの頭からは抜け落ちていた。

 

 そして、その()()は。

 

 茜にとって、何よりも欲して止まなかったものだったのだ。

 

「え……っ!?」

 

 ユズルは、眼を疑った。

 

 茜の姿が、消える。

 

 あの消え方は、間違いない。

 

 テレポーター。

 

 転移トリガーによる、瞬間移動。

 

 そう、茜が稼ぎたかったのは、テレポーターを再使用出来るまでの冷却期間(クールタイム)

 

 メテオラの爆発は、その為の仕込み。

 

 テレポーターを使う事が出来るようにする為の、時間稼ぎを兼ねた一手。

 

 ユズルは、それに気付けなかった。

 

 故に。

 

「────この距離なら、外さない」

 

 自分の懐に。

 

 ユズルの身体に密着する形で転移した茜を、察知出来なかった。

 

 胸に突き付けられる、狙撃銃の銃口。

 

 咄嗟にシールドを張ったが、意味はない。

 

 茜の狙撃銃の、()()()()の引き金が、引かれた。

 

「が……っ!?」

 

 放たれる、致死の一撃。

 

 集中シールドすら貫き、アイビスの弾丸はユズルの胸を貫いた。

 

 アイビスの、ゼロ距離狙撃。

 

 それが、ユズルのトリオン供給機関を、跡形もなく消し飛ばした。

 

 確かに、茜はアイビスの扱いは習熟していない。

 

 イーグレットのように、なんとか扱えるというレベルにも達していない。

 

 だが。

 

 だが。

 

 密着して放つ、ゼロ距離狙撃なら話は別だ。

 

 腕も何も、関係がない。

 

 ただ引き金を引くだけで当たるのだから、技量を無視して使用出来る。

 

 これが、茜の渾身の一手。

 

 ユズルを仕留める為に選んだ、最後の最後の隠し玉。

 

 相手の対策をしていたのは、ユズルだけではなかったのだ。

 

 ユズルが、茜を仕留める為にスパイダーを持ち込んで来たように。

 

 茜も、ユズルを仕留める為にアイビスを隠していた。

 

 狙撃手同士の読み合いは、ゲリラ戦の勝敗は。

 

 茜に、軍配が上がった。

 

『警告。トリオン供給機関破損』

 

 機械音声が、ユズルの致命傷を告げる。

 

 ああ、負けたんだなと、ユズルは遅れて理解した。

 

 目の前にある茜の顔に浮かんだ笑みを見て、ユズルは肩の力が抜けるのを感じた。

 

 負けた。

 

 今度は、あの時のような予想外の不意打ちではない。

 

 対策を尽くし、全霊を懸けた一騎打ちの果て。

 

 その結果として、負けたのだ。

 

 至近にある、茜の顔を見る。

 

 まるで抱き着くような体勢で自分の胸を吹っ飛ばしてくれた彼女は、晴れやかな晴天のような笑みを浮かべていた。

 

「次は、負けない」

「うん。私も、負けないよ」

 

 二人の少年少女は、敗者と勝者は、そう言って笑い合った。

 

 それは、お互いに納得づくの戦いに結果が出た故の笑みであり。

 

 自分を上回られた/相手を上回った事を認めた、笑みでもあった。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声と共に、ユズルの身体が光となって消え失せる。

 

 その光景を見上げながら、茜は地面に落下して行った。




 この試合の茜ちゃんのトリガーセットはこちらになります。

 メイントリガー イーグレット アイビス シールド ライトニング
 サブトリガー バッグワーム テレポーター シールド メテオラ

 要するに、原作ROUND3での茜ちゃんとほぼ一緒です。

 狙ったワケではありませんが、結果的にこうなりました。


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影浦隊⑩

 

「一進一退の攻防の末、日浦隊員のゼロ距離狙撃が炸裂……っ! 狙撃手同士の一騎打ちは、日浦隊員に軍配が上がった……っ!」

「お見事」

 

 桜子の実況音声が響き渡り、会場が一気に盛り上がる。

 

 茜とユズル。

 

 双方共に高い実力を備えた狙撃手であり、特に茜は今季で一気にその成長を見せつけた有望株。

 

 その二人の戦いは、実に見応えのあるものであった。

 

 王子でなくとも、称賛の言葉が出るのは致し方ないと思う程に。

 

「バッグワームのブラフを見破り、まさかの『スパイダー』で罠を仕掛けた絵馬隊員の立ち回りも見事でしたが、それを打ち破った日浦隊員も凄かったですね」

「そうだね。お互いに機転が利く狙撃手同士ならではの、見応えのある頭脳戦だったよ」

 

 ユズルと茜は、どちらも頭の回転が速い。

 

 そして、狙撃手というポジション同士の対決は、相手の裏をかききった方が勝つ。

 

 その高度な読み合いは、王子の目から見ても満足の行くものであった。

 

 まあ、それはそれとして次に戦う時に参考にしようと色々と考えを巡らせる王子なのであった。

 

「しかし、絵馬隊員は何故スパイダーを屋内ではなく屋上に設置したのでしょう? スパイダーは、屋内の方が有効に使えるのでは?」

「確かに、スパイダーは障害物の多い屋内の方が有効ではある。けどそれはあくまで、普通のケースだ。この場合は、屋内にスパイダーを設置する旨味は少ないんだよ」

 

 まず、と前置きして王子は説明する。

 

「スパイダーが屋内で有効な理由は、狭い屋内でワイヤーを張った方が相手の動きを制限出来るからだ。ワイヤーは味方にだけ見え易く出来るから、攻撃手なら相手の動きを鈍らせた隙に仕留める、なんて真似も出来る」

 

 でも、と王子は続ける。

 

「エマールは、狙撃手だ。そして、ヒューラーにはいざとなればテレポーターがあった。だから、エマールとしては動きを()()するんじゃなく、確実に仕留められる()を作りたかったワケさ」

「だから、屋上に仕掛けたと?」

「そうだね。屋上でワイヤーに引っ掛ける事が出来れば、そのまま落下を狙える。落下中は当然身動きが取れなくなるから、テレポーターの使用直後に罠にかける事が出来れば千載一遇の好機になるって寸法さ」

 

 実際、そうなったしね、と王子は告げる。

 

 王子の言う通り、絵馬としてはワイヤーで動きを制限するだけでは何の意味もない。

 

 アパートの廊下は狭いし、幾らユズルにはワイヤーが見え易くなっているとはいえ、そこかしこにワイヤーを張っては単純に移動の邪魔になる。

 

 それに、一度ワイヤーの存在を勘付かれれば、罠にかける事は出来なくなる。

 

 故にこそ、ユズルは屋上で茜を仕留める為の罠を張る為に、屋内でのスパイダーの使用を控えたのだ。

 

 必殺の好機を、作り出す為に。

 

「ヒューラーは、テレポーター以外に空中で使える移動手段はない。一度落下させる事が出来れば、アイビスとイーグレットの二段狙撃で防御の上から仕留める事が出来る。エマールはそう踏んで、実行に移したワケだけれど」

「そこに、まさかの日浦隊員のメテオラでしたね」

「ああ、あれには僕も驚いたね。まさかヒューラー自身がメテオラを使うなんて、想定していなかったよ」

 

 そしてそのユズルの思惑を覆す最大の要因となったのが、茜が密かにセットしていた炸裂弾(メテオラ)だ。

 

 茜はこれまでの試合で、七海や那須の設置した置きメテオラを狙撃する事で起爆させ、突破口を開いて来た。

 

 故に、七海や那須が通過した可能性のある場所であれば、ユズルは置きメテオラを警戒しただろう。

 

 だが、あのアパートに立ち入ったのはユズルが初めてであり、後にも先にも他に足を踏み入れたのは茜だけだ。

 

 だからこそ、ユズルの想定に置きメテオラの存在はなかった。

 

 七海と那須の現在位置から考えても、このアパートに置きメテオラを設置した可能性はまずないだろうと、そう考えていたが故に。

 

 茜は、そこを突いた。

 

 七海も那須も、立ち寄った筈のない場所。

 

 そんな所に、置きメテオラなどある筈がない。

 

 その心理を、利用したのだ。

 

 自身のトリガーセットに、メテオラを仕込んで置く事によって。

 

「ヒューラーは恐らく、メテオラを通常の射手トリガーのように扱う事は出来ないだろう」

 

 射手トリガーの扱いは、相応のセンスと修練が必要だからね、と王子は言う。

 

 確かに、ライトニングだけではなくイーグレットの訓練までしていた茜に、射手トリガーの扱いを覚える余裕などある筈もない。

 

 精々キューブを出すくらいが関の山だと、そう考えて差し支えないだろう。

 

「けど、ただキューブを展開し、それを置くだけなら話は別だ。狙いを付ける必要も、各種設定をチューニングする必要もない。ただ()()だけであれば、誰でも出来るからね」

「そして日浦は、キューブさえ出せればそれで良かった。後は、ライトニングで起爆させればいいんだからな」

 

 王子達の言う通り、ただキューブを出すだけならば特別な鍛練は必要ない。

 

 文字通りただそこに()()だけであれば、訓練する時間がなくても充分に可能である。

 

 そして、キューブを展開出来れば後は狙撃で起爆すれば良い。

 

 置きメテオラの狙撃自体は、これまでも散々やっている。

 

 これを仕損じる事など、ある筈もなかった。

 

「ヒューラーのメテオラによって屋上から落下した時点で、エマールの命運は既に尽きていたと言って良い」

 

 なにせ、と王子は続ける。

 

「エマールはヒューラーと違って移動系のトリガーを持っていないし、何よりテレポーターの再使用の時間を稼がれてしまったからね。もう少しスパイダーの扱いに習熟していれば、ワイヤーを足場に体勢を立て直す事が出来たかもしれないけど」

「恐らく、絵馬はスパイダーを完全に罠としてのみ扱う心づもりだっただろうからな。ワイヤーを足場にする訓練は、していなかった筈だ」

 

 この試合でユズルは、屋上で茜を罠にかける為だけにワイヤーを使用した。

 

 狙撃手であるユズルがワイヤーを使った三次元機動を行うメリットはないし、そもそもその適正も高くはない。

 

 あの様子では実戦で使ったのは今回が初めての筈であるし、足場としてワイヤーを使う訓練まで手が回らなかったとしても不思議ではない。

 

「そもそも、あの状態でワイヤーを展開して足場にするのはまず無理だ。ビルとビルの間ならまだしも、周囲に高い建物が他に存在しない場所だとワイヤーを設置する為の基点が足りない」

 

 前提として、とレイジは続ける。

 

「スパイダーを設置するには、左右にワイヤーを埋め込む為の()()が必要になる。障害物同士、壁同士を繋ぐ形でしか、ワイヤーは設置出来ない。だから、片方にしか壁がない場所ではスパイダーはほぼ使えない」

「ほぼ、と言うと?」

「壁にワイヤーを埋め込んで、即座にそれを掴んで命綱にするという方法があるにはある。まあ、どちらにせよ大きな隙を晒す事になる事は変わらないがな」

 

 そう、レイジの言う通り、基本的にスパイダーは()()()()()に設置するものだ。

 

 故に、今回のように左右の片方にしか壁がない場合は、ワイヤーを設置する事は出来ない。

 

 フックの要領で命綱にするにしても、成功難易度以前にどちらにせよ空中で静止してしまう事に変わりはない。

 

 あの状態でそれを実行したとしても、結果は変わらなかった可能性は高いのだ。

 

「成る程。そういう駆け引きがあったワケですね。では、最後のアイビスのゼロ距離狙撃についてはどう思いますか?」

「あれには俺も驚いた。日浦は最後まで、アイビスだけは使わないと思っていたからな」

 

 そう、茜は元々、ライトニング特化型という狙撃手としては異例の戦闘スタイルの持ち主であった。

 

 その彼女がイーグレットを用いて二宮を仕留めた時、その認識は塗り替わった。

 

 茜はただ、それしか手がないからライトニングを使い続けたワケではない。

 

 日浦茜といえばライトニング、という意識を植え付ける目的も、あったというワケだ。

 

 それを何処まで茜本人が自覚しているかはさておき、師匠の奈良坂には当然そういった意図があった筈だ。

 

 無論、『二宮落とし』の作戦を組み上げた小夜子も同様である。

 

 茜は認識の誘導、先入観の植え付けを駆使してイーグレットという鬼札を導入した。

 

 それは同時に、()()()()()()()()()()()という言外のアピールにもなったワケだ。

 

 転移直後の狙撃でイーグレットを使う際に手間取っていた事から、ユズルは茜はライトニング以外の習熟度はそう高くないと判断した筈だ。

 

 だからこそ、アイビスを持ち込んで来る事は有り得ないと、思った筈だ。

 

 それが、茜の仕掛けた最後の罠。

 

 ()()()()()と思わせた上で、その思考の隙を突く本当の隠し札。

 

 それが、アイビス。

 

 威力特化の狙撃銃による、ゼロ距離狙撃。

 

 茜は最後まで隠していたその札を切り、見事ユズルを仕留めたワケだ。

 

「思えば、イーグレットを使った時点で想定はしておくべきだったのかもしれないな。足りない習熟度を補える方法があるなら、狙撃銃の種類は増やして損はない」

 

 もっとも、とレイジは続ける。

 

「同じ方法は、二度は使えないだろうがな。あれは、初見だからこそ通用した戦術だ。一度あれを見せた後では、まず通じないだろう」

 

 そう、普通に考えて、あの転移からのゼロ距離狙撃はリスクが高過ぎる。

 

 今回通用したのは、相手が茜と同じ狙撃手であったからだ。

 

 狙撃手は基本的に、懐に入り込まれれば対抗手段はない。

 

 精々がシールドを張るか、狙撃銃で殴打するか。

 

 出来る事など、それくらいである。

 

 狙撃銃は、普通の銃と比べると矢張り銃身が長い。

 

 その長い銃身は、近距離での撃ち合いではハッキリ言って邪魔だ。

 

 最初から銃口を突き付けるつもりで準備していたならばともかく、咄嗟に肉薄して来た相手を撃つなどという芸当はまず出来ない。

 

 ユズルが茜の転移狙撃を想定に織り込んでいたならばともかく、あの時の彼は若干冷静さを失っていた。

 

 そんな状態で、突如懐に転移した茜の迎撃など出来る筈もない。

 

 結果として、茜の作戦は見事に嵌まり、ユズルは敗北を喫した。

 

 使えるものを全て使い切り盤面を整えた、茜の完全勝利である。

 

「ただ、その作戦の為にヒューラーはセット数限界までトリガーを詰め込んだ。トリガーは、ただセットしているだけでトリオンを消費するからね。元々トリオンが多い方じゃないヒューラーには、かなりの負担になった筈だ」

 

 だが、その勝利は何の代償もなしに、とはいかなかった。

 

 茜のトリオン評価値は、『5』。

 

 致命的に低いという程ではないが、高いとは決して言えない数値である。

 

 その茜が、トリガーをフルセットで詰め込んでいた。

 

 当然、相応の負担が彼女を苛んでいる筈である。

 

 トリガーは合計8個までセット出来るが、セット数を増やせばそれだけかかる負担は大きくなる。

 

 トリオンがそこまで多くない者は、トリガーセットを5、6個程度で抑えておくのが普通である。

 

 トリガーは、ただ増やせば強くなれるというものではない。

 

 必要のないものは即座に抜くべきであるし、何の目的もなしにトリガーを増やすべきではない。

 

 その分の負担は、決して無視出来るものではないのだから。

 

「特に、メテオラは消費が大きいからね。トリガーフルセットの上燃費が良いとは言えないメテオラまで使ったんだから、ガス欠になるのはむしろ当然。ヒューラーは多分、撃ててあと1,2発くらいが限度じゃないかな」

「だろうな」

 

 そして、その負担は確実に茜を消耗させている。

 

 思えば、茜はこの試合で無駄弾は一切撃たなかった。

 

 本来は牽制用であるライトニングも、必要最低限の使用に収まっている。

 

 あれは隙を晒さない為でもあるが、消耗を抑える意図もあったというワケだ。

 

「成る程、勝ちはしたものの日浦隊員は戦闘不能までそう遠くないというワケですか」

「まあ、逆に言えばあと1、2発は撃てるワケだからね。此処から何かを仕掛ける可能性も、決してゼロじゃない。まだまだ、何かを見せてくれるかもしれないよ」

 

 そう告げる王子の顔は、期待故かにこやかに笑っていた。

 

 普通に考えればこのまま自発的な緊急脱出も有りとすべき場面ではあるが、まだ何かをやるつもりである可能性はゼロではない。

 

 それを期待して、王子は目を輝かせているというワケだ。

 

「さあ、日浦隊員はまだ何かを魅せてくれるのか、楽しみな展開となってきました。他の戦場でも、戦闘は継続中ッ! 最終戦も、佳境に入って参りましたっ!」

 

 

 

 

「うー、トリオン体でもちょっと痛かった気がします」

『我慢して下さい。着地の衝撃でバラバラにならなかった時点で御の字です』

 

 地面に座り込んでいた茜は、小夜子と通信を行いながら埃を払い立ち上がった。

 

 そして、ふと前方に視線を向ける。

 

 その視線の先には、周囲が瓦礫だけになっている七海と生駒の戦闘区域が見える。

 

 その更に向こう側には、那須のものと思しき光弾の群れが確認出来た。

 

「…………志岐先輩、MAPと他の人達の大まかな位置をお願いします。最後の仕事、やって来ますね」

『ええ、任せなさい。最後までコキ使ってあげますからね、茜』

「望むところです」

 

 茜は小夜子の言葉を笑って肯定しながら、バッグワームを纏い駆け出した。

 

 まだ、やる事が残っている。

 

 そう判断した少女狙撃手は、再び戦場へと向かって行った。





 ほぼ解説に一話使ってしまった。まーこういう事もあらーな。

 茜はトリオンが少ないのにフルセットなんてしたんで、トリオン既にカツカツに近いです。

 トリオン5なんですよね彼女。少なすぎるワケではないけど、多くはない。

 まあ、平均的なトリオンなんでしょうな。


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影浦隊⑪

 

『ユズルがやられたー……っ! カゲ、絶対点取り返せよなっ!』

「ったりめーだろ」

 

 オペレーターの悔し気な声を聴き、影浦は改めて遠目に見える那須の姿を見据えた。

 

 ユズルが負けたのは、まあ良い。

 

 あれは彼自身が望んだ戦いであるし、真剣勝負の末に負けたのならばそれも一つの結果だろう。

 

 ランク戦は戦闘訓練であると同時に、互いの研鑽の結果をぶつけ合う競い合いの場でもある。

 

 影浦にとっては、日頃のストレスを戦闘行為で発散する場所でもあるのだが。

 

 戦いは好きだ。

 

 普段から影浦を苛む忌々しいサイドエフェクトも、この時ばかりは悪くないと思えるのだから。

 

 戦闘は、互いの敵意のぶつけ合いだ。

 

 敵意、殺気。

 

 時折感じる粘着質な敵意や隔意のそれよりも、戦闘中のそれは非常に分かり易く、影浦の戦闘欲求を刺激してくれる。

 

 普段彼が感じている「怖そう」「近寄りたくない」等の影浦の本質を知らない者達からのやっかみは、正直言って不快だ。

 

 直接言う度胸もない癖に、その感情だけが影浦の肌に突き刺さる。

 

 その感覚は、影浦にしか分からない。

 

 分からないからこそ、影浦の評判は悪くなるばかり。

 

 あまりにも酷い時やあからさまであった時は、直々に思い知らせてやった事もある。

 

 それが悪評を広める結果になったとしても、影浦としては知った事ではなかった。

 

 ボーダーのB級以上のまともな隊員であれば影浦のサイドエフェクトの事を知っている為、ある程度の理解は示してくれる。

 

 だが、C級隊員はそうではない。

 

 彼のサイドエフェクトの事情など知る由もないC級隊員にとって影浦は、「すぐに手が出る野蛮な男」であり、「暴力事件を起こして降格を喰らった馬鹿」という認識なのである。

 

 いつまでもB級に上がれないような、向上心のないタイプのC級隊員は総じて精神が幼い。

 

 大人の思考を持つ者が大半を占めるB級隊員と違い、彼らは良くも悪くも「学生気分」が抜けていないのだ。

 

 そんな面々だからこそ、影浦に遠慮のない感情を浴びせて来る。

 

 それを受けた影浦がどう感じるのか、知りもせずに。

 

 そういう連中から受ける感情は粘着質で、熱した泥をかけられているかのような不快感を煽ってくる。

 

 けれど、戦闘中に感じる敵意や殺意は違う。

 

 ぴりぴりと肌を刺すそれは、「お前を殺す」と直接叫ばれているかのような臨場感がある。

 

 喉元にナイフを突き付けられるような、そんな感覚。

 

 確かに、不快なものではある。

 

 だが、戦闘中に限れば、その感覚は悪くない。

 

 自分が戦場にいるという事を自覚させてくれるし、何より相手が本気で殺しに来ている事が文字通り直に伝わって来るのだ。

 

 戦闘を盛り上げるスパイスとして、この感覚は中々に得難いものである。

 

 だから影浦は戦闘が、そしてランク戦が好きだし、チームでの戦いも口には出さないが悪くないと思っている。

 

 北添はこんな自分に色々小言を言いながらもなんだかんだで付き合ってくれる悪友であるし、光はお節介焼き過ぎるのが玉に瑕だがそれでも隊の一員としてなくてはならない人材である。

 

 そしてユズルは、良くも悪くも癖の強い人間が集まっている影浦隊の中で、皆の弟分のような存在だ。

 

 困っているなら助けてやりたいし、もっと笑顔を見せて欲しいとも考えている。

 

 ユズルはまだ、14歳なのだ。

 

 まだ、子供だ。

 

 なのに、ユズルは色々と考え過ぎなのだ。

 

 考えなしのC級隊員のようになれとは言わないが、もう少し肩の力を抜いても良いだろう、と思っている。

 

 そのユズルが、茜へのリベンジを口にする時は年相応の、子供らしい笑みを浮かべていたのだ。

 

 茜に負けた事は、ユズルにとって大きな転換点だったのだろう。

 

 今回の敗北も、ユズルに良い影響を齎す筈だ。

 

「けど、落とし前は付けなくっちゃなあ」

 

 だが、それはそれとして仲間をやられた事に変わりはない。

 

 確かに敗北で学ぶ事は多いが、それでも負けて悔しい、という気持ちが消えるワケではない。

 

 ならば。

 

 隊長として、出来る事があるとすれば。

 

 此処で点を取り返して、少しでもユズルの留飲を下げてやる事くらいだ。

 

 ニヤリと、影浦は笑みを浮かべる。

 

 家の影に隠れている辻が、こちらの様子を伺っているのは分かっている。

 

 恐らく、辻自身も気付いているだろう。

 

 気付いていて、影浦に誘いをかけている。

 

 同調して、那須を仕留めろと。

 

 サイドエフェクト越しに辻から感じる感情は、影浦にそう訴えかけていた。

 

 悪くない、と思った。

 

 他人の尻馬に乗るのは尺ではあるが、機動力が高くバイパーをばら撒いてくる那須を単独で仕留めるのは少々骨だ。

 

 辻がそれを手助けしてくれると言うのなら、利用してやるのも悪くはない。

 

 何せ、七海(本命)との戦いが控えているのだ。

 

 此処で足踏みするのは、影浦としても面白くない。

 

 辻の策に乗るのが、手っ取り早いだろう。

 

 それはそれとして、辻を逃すつもりも欠片たりとも無いのだが。

 

「行くか」

 

 辻が仕掛ける気配を、感じ取る。

 

 影浦は機会に乗り遅れないよう、その場から動き出した。

 

 

 

 

「小夜ちゃん、二人の動きは?」

『影浦先輩が動き出しました。辻先輩はまだ動いていませんが、注意して下さい』

「分かったわ」

 

 那須は小夜子の報告を聞き、トリオンキューブを展開する。

 

 合成弾は、使わない。

 

 影浦相手では、合成弾を使ったところで回避される恐れがあるからだ。

 

 サイドエフェクト、感情受信体質。

 

 ある意味七海のそれと似た効力を持つそれは、しかして七海の感知痛覚体質(サイドエフェクト)とは決定的に違う部分がある。

 

 それは、こちらの抱く感情の種類や強さが分かるという事。

 

 つまり、七海に対しては有効である牽制やブラフは、影浦相手には通用しない。

 

 七海の場合はサイドエフェクトが感知するのはあくまで痛み(ダメージ)のみであり、その強さや込められた感情までは把握出来ない。

 

 東のような殺気を持たずに攻撃して来る相手には七海の副作用の方が有効ではあるが、応用性という一点に置いては影浦の方に軍配が上がる。

 

 感知痛覚体質(七海の能力)は攻撃行動に移って初めて感知が可能になるが、感情受信体質(影浦の能力)は攻撃意思を抱いた段階での感知が可能となる。

 

 影浦の能力の精度までは分からないが、合成弾を使えばその分だけ必殺の意識は強くなる。

 

 敵意の強さを感じ取り、影浦が合成弾を回避してしまう可能性はゼロではないのだ。

 

 ならば、単純に弾数を増やし、避ける隙間をなくしてやった方が効率が良い。

 

 そう判断し、那須はバイパーの両攻撃(フルアタック)を敢行する為キューブを分割し、サークル状に展開した。

 

 この場にはもう一人、二宮隊最後の生き残りである辻もいる。

 

 無論油断出来る相手ではないが、脅威度であれば影浦の方が上であると那須は見ていた。

 

 辻は攻撃手ながら、サポート能力の高さが光る隊員である。

 

 通常、攻撃手は隊のメインポイントゲッターであり、射手や銃手の援護を受けて相手を仕留めるのが役割だ。

 

 だが、辻は違う。

 

 辻は攻撃手でありながら仲間のサポートを行う能力が非常に高く、自分で点を取りに行く事は少ない。

 

 無論チャンスがあれば落としに行くものの、その基本的な役割はポイントゲッターである二宮の援護だ。

 

 二宮隊は隊長の二宮の制圧力と得点力が強力極まりない為、犬飼と辻は二宮のサポートに回りその暴威を押し付ける補助に徹する事が多い。

 

 単純に、それが一番簡単で、そして強力であるが故に。

 

 勿論、辻個人の戦闘力が低いかと言えば、そんな事はない。

 

 マスタークラスの腕前は伊達ではなく、大抵の攻撃手と互角以上に斬り合えるだろう。

 

 だが、何事にも相性というものは存在する。

 

 那須にとっては、サイドエフェクトで攻撃を感知し素早い身のこなしで接近して来る影浦よりも、()()()()()()()()()()()()である辻の方が与しやすいというだけの話だ。

 

 射程距離の長い旋空は確かに気を付けなければならないが、旋空の射程は踏み込みを含めればおおよそ20メートル。

 

 そして、今の那須と辻の相対距離はおおよそ23メートル。

 

 ギリギリではあるが、辻の旋空の射程外にあたる。

 

 周囲が背の低い家屋しかない住宅地という地形条件は那須にとっては分が悪いが、唯一の懸念であった狙撃手のユズルはたった今茜が仕留めたという連絡が入った。

 

 狙撃手がいなければ、上に逃げるという選択肢も出て来る。

 

 幸い、今の那須にはグラスホッパーがある。

 

 戦況が不利になれば、グラスホッパーを用いた撤退も考慮に入れる事が出来るだろう。

 

 ただし。

 

 それは、逃げて意味がある場合に限る。

 

 逃げたところで、向かう先は生駒と戦っている七海の所しかない。

 

 そして、七海の周囲には家屋どころか建物一つ存在しない。

 

 二宮との戦いで、周囲の建物は全て瓦礫に変わっているが故に。

 

 相手は、あの生駒だ。

 

 隠れる場所のない地形で生駒を相手にするのは、幾ら那須とて厳しいものがある。

 

 前回は、障害物を盾にした状態であっても一刀両断されたのだから。

 

 隠れるものがない場所で生駒の相手をするくらいなら、まだこちらの二人の方がやり易いし戦う意味がある。

 

 茜はまだ生きているが、影浦に狙撃は通用しない。

 

 辻相手ならば通用するかもしれないが、位置がバレれば影浦に追撃される。

 

 既に茜のトリオンは枯渇寸前であるという話なのだから、その使いどころは慎重に考えなければならなかった。

 

 茜は現在位置こそ割れているが、他の隊員は全員が戦闘中。

 

 今、彼女を仕留めに行ける隊員はいない。

 

 だが、此処で那須が戦闘を放棄すれば、狙撃の効かない影浦が茜を仕留めに行くという、最悪の事態に陥ってしまう。

 

 それだけは、避けなければならなかった。

 

 少なくとも、茜が姿を隠し切るまでは彼等を此処に押し留めなければならない。

 

 茜にはまだ、やるべき仕事が残っているのだから。

 

 隊長として、仲間として、自分の仕事はきっちりやり遂げる。

 

 それが、那須の思い描く自らの役割(タスク)

 

 意地と執念を懸けた、彼女なりの決意である。

 

『那須先輩っ、辻先輩が接近して来ました……っ! 踏み込み旋空の射程内に入りますっ!』

「……! 了解」

 

 小夜子からの、敵襲警報(アラート)

 

 それを聞き届けた那須は、即座に反転。その場から飛び退き、路地の先へと駆け出した。

 

 次の瞬間。

 

 家越しに放たれた旋空が、那須が盾としていた家屋を斬り払った。

 

 

 

 

「此処で旋空炸裂……っ! 半ば膠着状態に陥っていた中、辻隊員が仕掛けました……っ!」

「まあ、そろそろだと思っていたよ」

 

 王子はふむ、と呟き、見解を口にする。

 

「そもそもの前提として、背の高い建物の少ないこのMAPは障害物を盾にした三次元機動が主戦法のナースとはとにかく相性が悪い。加えて、カゲさんはバイパーが何処から来るかを感知出来る。普通なら、撤退を選んでもおかしくない場面だ」

 

 そう、大前提として、このMAPの性質と対峙している相手自体が、那須にとって都合の悪いものであるのだ。

 

 那須の真骨頂は、障害物を盾として三次元機動からのバイパーによる多角攻撃だ。

 

 その真価は、MAPの構造が複雑であればある程発揮される。

 

 つまり、特徴のない住宅地が並ぶこのMAPは、那須にとって相性の悪いMAPと言えるのだ。

 

 彼女が得意とするのはROUND1で選んだ森林Aのような障害物だらけのMAPや、ROUND2の摩天楼のような高低差のあるMAP。

 

 次点で、市街地Dや展示場のような上下左右に足場があるMAPである。

 

 この市街地Aは、その真逆のMAPと言える。

 

 ROUND7で戦った渓谷地帯ほど極端ではないが、とにかく背の高い建物が少ない。

 

 あったとしてもアパートや学校などが単独で建っているだけで、足場とするには心もとない。

 

 だからこそ、苦肉の策として住宅街の家屋を盾として用いているのだから。

 

 此処まで条件が悪ければ、普通は撤退する。

 

 それが出来ないのは、明確な理由があるからだ。

 

「けれど、此処で撤退しても行く所と言えばイコさんとシンドバットの戦っている場所しかない。周囲に何もないあそこじゃ、ナースの能力を活かし難い。相手が、他ならぬイコさんだしね」

 

 王子の言う通り、那須はあの場で撤退しても行く所がない。

 

 40メートルという驚異的な射程を持つ生駒旋空相手に、盾となる障害物や足場のない場所へ赴くなど自殺行為だ。

 

 故に、那須が今出来るのは。

 

 影浦と辻、この二人の相手。

 

 それだけなのである。

 

「ナースとしては、これ以上影浦隊に得点されるのは避けたい筈だ。二人を放置すれば、イコさんとシンドバットの所に向かって乱戦になる可能性が高い。そうなれば、乱戦の得意なカゲさんとシンドバットが有利になる」

「それならそれで、問題は無いように思えますが……」

「それが、あるんだ。同じく乱戦が得意とは言っても、シンドバットとカゲさんじゃその性質が異なるからね」

 

 まず、と前置きして王子は続ける。

 

「シンドバットが乱戦に置いて有利なのは、戦場のコントロール能力の高さだ。要所要所で戦闘に介入する事で乱戦を長引かせ、意図的に隙を作る事が出来る。そしてその隙をチームメイトに突かせるのが、彼の乱戦における基本的な立ち回りだ」

 

 けれど、と王子は告げる。

 

「カゲさんの場合は、単純に乱戦に飛び込んで混乱の最中で点を取る能力が非常に高いんだ。つまり、乱戦における()()()()得点能力という点に限れば、カゲさんに軍配が上がる」

「七海隊員が乱戦の中で()()()()事に長けているのに対し、影浦隊長は乱戦の中で()()()()事に長けている、という事ですね」

 

 言うなれば、二人のスタンスの違いである。

 

 七海は、乱戦を()()()()()()()()()()として利用している事に対し、影浦は乱戦を()()()()()()()()()()として利用している。

 

 チームの連携を重視するか、単騎での得点力を重視するか。

 

 要は、その違いである。

 

「そうだ。つまり、乱戦になれば、カゲさんに得点を荒稼ぎされる可能性が出て来るんだ。それを避けたいからこそ、ナースは撤退出来ない。不利を承知で、挑むしかないワケだね」

 

 だからこそ、下手に乱戦になれば影浦隊に大量点を許しかねない。

 

 故に、那須は戦うのだ。

 

 不利を承知で、隊の勝利を引き寄せる為に。

 

「多分、そう長くはかからないでしょう。此処から、動きますよ」

 

 王子は冷静な声でそう告げ、画面を見据えた。

 

 その画面の中では、三者三様の思惑を以て、那須達が対峙していた。

 

 戦況が、動く。

 

 誰もが、それを感じ取っていた。





 最近ちょくちょく高評価が入ってランキングに載る事がある。

 10評価くれた人はありがとー。これからも頑張るね。


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二宮隊⑰

 

「────」

 

 弧月、一閃。

 

 辻の放った旋空弧月が、家屋を一刀両断する。

 

 断面から崩れ落ち、崩壊する家屋。

 

「まだだ」

 

 だが、それで終わりではない。

 

 旋空弧月。

 

 更に、二連撃。

 

 二度放たれた拡張斬撃が、更に家屋を両断する。

 

 生駒旋空ほどの射程はないものの、通常の旋空であっても踏み込んで放てば家の一つや二つは両断出来る。

 

 これは、那須本人を狙った攻撃ではない。

 

 彼女本体ではなく、彼女が盾とする障害物を排除する。

 

 その為の、旋空弧月。

 

 無論、これで終わらせるつもりはない。

 

 このあたりには高い建物は存在しないが、それでも家屋が無数に存在している。

 

 全てを斬り払う事は出来ないが、それでもこう動けば無視は出来ない筈だ。

 

 辻は、女性を斬る事は出来ない。

 

 有り体に言えば、女性に対する免疫がない。

 

 女性を前にすると何も言う事が出来ず、身体がガチガチに固まってしまう。

 

 彼がまともに話せる女性は同じ部隊のオペレーターの氷見や、かつて二宮隊にいた狙撃手、鳩原くらいである。

 

 それ以外の女性とは、コミュニケーションそのものをまともに取る事が出来ない。

 

 特に、那須のように並外れて整った容姿を持つ相手はお手上げだ。

 

 那須の美貌は、辻にとっては一種の凶器だ。

 

 恐らく、目の前に那須がいれば剣を振るう事も出来ず落とされているだろう。

 

 だが。

 

 今、辻が斬っているのは那須ではない。

 

 那須の姿は、丁度建物が隠してくれている。

 

 とうの那須本人も、わざわざ攻撃手である辻の前に姿を現す事はすまい。

 

 辻の女性恐怖症は、さほど広くは知られていない。

 

 幸い、と言うべきか。

 

 那須隊との交流は精々二宮が七海にコンタクトを取った程度なので、辻のこの症状については知られていない筈だ。

 

 犬飼も二宮も、徒に隊員のプライベートを喋るような人物ではない。

 

 現場を見られた場合はそのまま説明するかもしれないが、積極的に話しはしない筈だ。

 

 辻にとって、隊員の過半数が女性である那須隊はある種の鬼門だった。

 

 今までB級上位にいた女性隊員は香取くらいで、その香取とも上手い具合に犬飼が辻とのエンカウントを避けるように立ち回っていた為、問題にはならなかった。

 

 だが、那須隊は七海以外の全員が女性隊員。

 

 辻が那須隊とぶつかった場合、正面から相手に出来るのは七海だけという有り様である。

 

 そして、その七海は現在生駒と戦闘中。

 

 位置的に辻が相手を出来るのは、那須と影浦の二択である。

 

 犬飼か二宮が生き残っていればフォローに徹するだけで良かったが、二人は既に落ちてしまった。

 

 二宮隊の獲得点は現在3Ptであり、総合点は50Pt

 

 影浦隊は現状1Pt獲得の44Ptであり、那須隊はたった今茜がユズルを落とした事で3Ptを獲得し48Pt。

 

 この点差では今後の趨勢次第で、二宮隊の獲得点を上回られかねない。

 

 辻は、二宮隊の隊員である事に誇りを持っている。

 

 女性が斬れない、という致命的な欠点を抱えているにも関わらず、二宮は「俺はお前の才能を買っているんだ」とそのまま部隊に置いてくれた。

 

 犬飼は少々悪戯心が過ぎる事があるものの、姉二人に叩き込まれたという類稀なるコミュニケーション能力で至らぬ所を常々カバーしてくれている。

 

 オペレーターの氷見は今では辻が唯一まともに話せる女性であるし、色々と頼りにする事も多い。

 

 鳩原の一件でB級に降格された後も、二宮隊でいる事を止めようと思った事は一度もなかった。

 

 あの一件は詳細が伏せられている為、心ない者がB級降格に対して根も葉もない流言を言って来た事もある。

 

 だが、そんな者達も二宮が睨みを効かせ、犬飼が話をつけると何も言わなくなった。

 

 二宮は「有象無象を気にする事はない」と言って彼を励まし、犬飼は「ああいうのは俺に任せといてよ」と辻を安心させてくれた。

 

 色々と近寄り難いイメージを持たれがちな二宮隊だが、辻にとっては掛け替えのない居場所であり、守るべき仲間達だ。

 

 辻は、そんな二宮隊の一員として恥ずかしくない攻撃手でいたいと、常に願っている。

 

 二宮は射手の王と呼ばれるに相応しい実力の持ち主だし、クレバーさに置いて犬飼の右に出る者はいない。

 

 辻はそんな彼等を、実力を含め大いに信頼し、力にならんと努めて来た。

 

 その二人が、負けた。

 

 一度は完勝した、那須隊相手に。

 

 最初は、何が起きたのか分からなかった。

 

 あの二宮が、落とされるなど。

 

 相手が影浦や生駒であれば、まだ分かる。

 

 だが、二宮を最終的に落としたのは、影浦でも生駒でもない。

 

 日浦茜。

 

 那須隊の、狙撃手。

 

 彼女が、落としたのだという。

 

 前期までは目に見える戦果を出していたワケではない、平凡であった筈の狙撃手。

 

 その彼女が、二宮を落とせるまでに成長していた。

 

 素直に、凄いと思った。

 

 幾ら狙撃手でも、二宮を落とす事は難しい。

 

 シールドが硬い上に、二宮自身も相当に慎重な性格だ。

 

 生半可な手では、隙を突く事など出来なかったであろう。

 

 確かに、二宮とて無敵ではない。

 

 これまでのランク戦でも、生駒や影浦に落とされた事はある。

 

 東の狙撃で、落とされた事も。

 

 だが。

 

 これまでノーマークだった狙撃手に落とされるという想定は、終ぞ考えた事がなかった。

 

 勿論、自分や犬飼が分断されたという要因もあるだろう。

 

 しかしそれにしたって、そう誘導したのは他ならぬ那須隊である。

 

 多分、この日の為に作戦を練り、鍛錬を重ねて来たのだろう。

 

 その熱意は、執念の厚みは、想像する他ない。

 

 どれほどの策を、どれほどの鍛錬を繰り返せば、二宮落としという偉業を成し遂げられるのか。

 

 それを考えて、辻はある種の羨望を覚えた。

 

 鍛錬を欠かした事など、一度もない。

 

 マスタークラスという高みに至って尚、まだ先はあると己を鍛え続けた辻にとって鍛錬は日常であり、当たり前にやるべき事だ。

 

 けれど、二宮隊というトップチームにいた事で、降格以降辻は明確な格上と戦う機会に欠けていた事は事実だった。

 

 彼女たちは、那須隊は、二宮隊(自分達)という格上の相手を倒す為、全霊を懸けて挑み、それを成し遂げた。

 

 その姿には、正直な称賛と、憧れを覚えた。

 

 称えるべき偉業であるし、その成果は素晴らしいものだ。

 

 だが。

 

 辻にも、矜持というものがある。

 

 ────てなワケで辻ちゃん。俺そのうち死ぬから、そっちはそっちで頑張って。可能な限り、引っ掻き回してから退場するからさ────

 

 犬飼は、そう言って仕事を成し遂げ、そして落ちた。

 

 足を削られ、数的不利を押し付けられたにも関わらず、犬飼は南沢の足を削り、水上と熊谷を落としてみせた。

 

 有言実行の権化たる、犬飼らしい仕事ぶりであった。

 

 その犬飼に、「頑張れ」とエールを送られたのだ。

 

 二宮は落とされた直後、辻にこう告げた。

 

 「お前の好きにしろ」、と。

 

 自ら緊急脱出して撤退しても良いし、このまま戦いを続行しても構わない。

 

 恐らく、二宮本人が負けを認めている事もあるのだろうが、辻の苦手とする女性隊員が何人も残っている為に、そう言ってくれたのだろう。

 

 無理をする必要はない、と。

 

 あの時残っていた者に、厄介でない者はいない。

 

 影浦と生駒の戦闘力は驚異的だし、七海の機動力はまともに相手になどしていられない。

 

 既に落ちたとはいえユズルは鳩原譲りの狙撃の腕を持っていたし、茜は二宮を落とすまでに成長した狙撃手だ。

 

 そして那須の機動力とバイパーの弾幕の合わせ技は、この上ない脅威だ。

 

 今回のMAPが高低差のあまりない市街地MAPだからまだ良かったが、これが摩天楼や展示場などの複雑なMAPであった場合は手の付けられない相手となっていた事だろう。

 

 だが、辻が此処で撤退すれば、那須を無傷のまま放置する事になる。

 

 二宮を落とした事は素直に関心したし、称賛もしよう。

 

 けれど、B級一位の座をむざむざ譲れるかと言われれば話は別だ。

 

 那須隊がB級一位となるには、誰か一人を落とした上で生存点を取ればそれで事足りる。

 

 故に、何がなんでも那須隊には全滅して貰わなければならない。

 

 その為には、影浦に那須を落として貰うのが手っ取り早い。

 

 勿論茜も気を付けなければいけない相手ではあるが、那須は目に見える脅威だ。

 

 彼女と七海が組んだ場合、那須隊を全滅させる事は著しく困難になるだろう。

 

 那須は、圧倒的な機動力を持っている。

 

 逃げに徹した彼女を追う事は、不可能に近い。

 

 その彼女が何故、この場から撤退して七海に合流しようとしていないのか。

 

 その答えは単純で、七海のいる場所が問題だからだ。

 

 七海がいる場所は、二宮との戦いで殆ど荒野と言って良い瓦礫の山と化している。

 

 そんな障害物のない所に出て行って相手が出来る程、生駒という男は甘くはない。

 

 だからこそ、いわば消去法として那須は自分達を相手取っているのだ。

 

 七海と生駒の戦いに、想定外の邪魔が入らないように。

 

 那須の狙いは、恐らく影浦を削る事だろう。

 

 落とせれば御の字。

 

 そうでなくとも、手足を欠損させて戦闘力を削いでおきたい。

 

 那須の思惑は、こんなところだろう。

 

 けれど、それでは困るのだ。

 

 七海を落とす為にも、影浦にはなるべく無傷で那須を落として貰わなければならない。

 

 生駒が七海を落とすという可能性も考えられるが、形勢不利を悟った七海がこちらを巻き込んだ乱戦に持ち込んで来る危険もある。

 

 それに生駒が乗るかどうかはともかくとして、やるべき事をやらない理由はない。

 

 辻の狙いは、影浦をサポートし最小限の消耗で那須を倒させる事。

 

 その狙いは、恐らく影浦に伝わっている。

 

 敢えて辻は影浦に敵意を向けず、歩み寄りの感情を示した。

 

 感情を感知する影浦のサイドエフェクトによって、辻の意図は彼に伝わっている筈である。

 

 恐らく乗って来るだろうと、辻は考えている。

 

 影浦の最大の目的は恐らく、自分の弟子である七海との一騎打ちだ。

 

 それを邪魔しようというのならともかく、その展開に至る為の障害を排除する手伝いをしようというのだから、断る理由はない。

 

 その後に自分を狙って来る可能性はあるが、それならそれで問題は無い。

 

 影浦隊の総合ポイントは、現在44Pt。

 

 50Ptの二宮隊の上の順位になる為には、現在生き残っている5人全員を落として生存点を取る必要がある。

 

 故に出来るならば仕事を終えたら即座に離脱するのが理想ではあるが、あくまで理想だ。

 

 無理をせず、出来る事をやる。

 

 それが、この場での自分が出来る最善。

 

 故に、迷いはない。

 

 自分を。

 

 女を斬れない、半端者の自分を。

 

 部隊の一員として重宝し、仲間としてくれた二宮隊に報いる為にも。

 

 この仕事は、必ずやり遂げる。

 

 そう意気込んで、辻は再び旋空を振るった。

 

 

 

 

「なーんて、意気込んでるんだろうなー。どう思います? 二宮さん」

「だろうな。あいつの考えそうな事だ」

 

 二宮隊、作戦室。

 

 緊急脱出し、生身の肉体に戻った二宮は、画面に向かう氷見の後ろで椅子に座り、犬飼の言葉を肯定した。

 

 辻が、相当な恩義を自分達に感じている事などとうに気付いている。

 

 この状況ならば、その恩義を理由に最善を尽くそうとする事も。

 

 犬飼はそんな辻の献身がいじらしくて笑みを浮かべ、二宮は普段通りの無表情で溜め息を吐いた。

 

 分かっているのだろうか、あの少年は。

 

 辻は女を斬れない事を気にしており、それを知っていて尚重宝している自分達に感謝している。

 

 だが、犬飼や二宮としては当然の事だ。

 

 確かに女が斬れない、と初めて聴いた時は面食らったが、それを差し置いても尚、辻の能力は優秀だった。

 

 女を斬れないという一点を除けば、あれほどの逸材は今後手に入るか怪しいものだ。

 

 二宮は、同情や憐憫で部隊に誘う事などしない。

 

 純然たる実力を評価して、辻を部隊に引き入れたのだ。

 

 それをあの少年は、全く以て分かっていない。

 

 だからこれは良い機会だと、犬飼は思った。

 

 自分も二宮も落ちた今、辻はある意味隊という枠組みから解き放たれた状態にある。

 

 その状態で自分の仕事をやり遂げられれば、きっと今後の自信に繋がる筈だ。

 

 女が斬れない(些細な欠点)など気にする必要はないと、胸を張って言ってやる事が出来るだろう。

 

 そういう意味では、この状況を作ってくれた那須隊には感謝すべきなのかもしれない。

 

 それはそれとしてB級一位の座を明け渡すのは癪なので、辻や影浦には是非頑張って欲しいところであるのだが。

 

(今のところは那須さんの姿を直接見ない事でどうにかやれてるけど、もし辻ちゃんの女が斬れない事(じゃくてん)が知られてたらどうしようもないね。まあ、多分そんな事はないだろうけども)

 

 辻の弱点に関しては、それなりに知る者はいるものの、徒に広まってはいない筈である。

 

 犬飼自身がそのあたりは根回ししていたし、その事を知っている隊員と七海が仲良くしていたという話も聞かない。

 

 もしそれを知られていた場合、那須が敢えて前に出てきて辻を牽制する、という展開も有り得る。

 

 そうなると、もうお手上げではあるのだが……。

 

(ん? 待てよ? もしかして────)

 

 そこで犬飼は、一つの可能性に思い至った。

 

 確証のない、合っているかどうかさえ確かめようのないその可能性。

 

 だが。

 

(────成る程。そういう事ね。辻ちゃん)

 

 犬飼は、知らず笑みを浮かべる。

 

 そして、氷見の後ろに立ち画面を見据えた。

 

 画面の中には、ひたすらに旋空を撃ち続ける辻と、崩れる家屋の向こうにちらりと見える那須の姿が映し出されていた。





 そろそろスクエアの発売日。

 那須隊を描く者として、茜ちゃんの活躍が楽しみである。


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二宮隊⑱

 

「辻くんが、女性恐怖症……?」

「私の男性恐怖症のようなレベルかどうかまでは分かりませんが、少なくとも女性が苦手である事は確かなようですね」

 

 それは最終ROUNDの直前、那須隊の作戦室にて。

 

 小夜子が切り出した、とある情報についての話である。

 

 曰く、「二宮隊の辻新之助は女性が苦手である」、という事だ。

 

「二宮隊のログを追っていく中で分かったんですが、辻先輩は殆ど女性隊員との戦闘を行っていません。いえ、そうならないように犬飼先輩が調整している節さえありますね」

「それ、本当?」

「はい。実際に、香取隊長とエンカウントしそうになった時は犬飼先輩にその場を任せて別の場所に行っています。香取隊長は手負いだった上に、2対1の状況に持ち込む事が出来たにも関わらず、です」

 

 それは、確かにおかしい。

 

 香取の戦闘力は驚異的ではあるが、手傷を負い更に数的有利を取れる状況で、辻が退くのは不自然だ。

 

 犬飼は近距離戦にも対応出来るが、どうせなら本職がやった方が良いに決まっている。

 

 他に抑えるべき盤面があったならばともかく、小夜子の言い方ではそういうワケでもないようだ。

 

「実際に、辻先輩はランク戦で一度も女性隊員を落としていません。二宮隊のポイントゲッターは言うまでもなく二宮さんですが、犬飼先輩や辻先輩も状況に応じてチャンスがあれば相手を落としています」

 

 辻は確かに二宮隊での役割はサポーターだが、マスタークラスである以上正面戦闘も充分こなせる。

 

 機会があれば点を取りに行くのは、むしろ当たり前の事だろう。

 

 にも関わらず、女性隊員を落とした経験がない。

 

 これは、少々おかしい。

 

 辻ほどの力量なら、女性隊員を落とした経験の一つや二つ、あって当然の筈だが。

 

「この記録は、A級時代のものも含まれます。B級上位にいる女性隊員は香取隊長だけですが、A級の場合であっても加古隊と戦った時のログを見る限り辻先輩が女性隊員と戦う映像は一つもありませんでした」

 

 ですので、と小夜子は前置きして告げる。

 

「念の為に小南先輩に確認を取ったら、ビンゴでした。辻先輩は、女性を前にすると固まってしまい身動きも会話も碌に出来なくなるそうです」

「そっか、桐絵ちゃんが」

「あの子、交友関係広いわよね」

 

 小夜子の言葉に、那須と熊谷が得心する。

 

 状況証拠だけならばともかく、小南のお墨付きまであるのだから勘違いなどではないだろう。

 

 小南は騙され易い事で有名だが、ニュアンスからしてどうやらこの話は彼女自身の体験談でもあるようである。

 

 誰かに騙されてそう思い込んでいる、という線はないと考えて良いだろう。

 

 ちなみに、最初から「小南にそう聞いた」と言わなかったのは、この説に説得力を持たせる為である。

 

 最初からそう言っていれば、「小南の勘違いではないか?」という意識が拭い切れない。

 

 しかし小夜子は客観的なデータを提出する事で、そういった疑問を封殺したワケである。

 

 そして、この話を切り出したのは当然、この情報を利用する為だ。

 

「辻先輩を見かけたら、接近すれば多分そのまま落とせます。加古さんからもそう聞いていますし、これを利用しない手はありません」

「でも、そう上手く行くかしら? 幾ら女性が苦手とはいえ、ただ姿を見ただけで行動不能になるなんて事、あるのかしら?」

 

 だが、此処まで聴いても那須は未だ半信半疑であった。

 

 幾ら女性が苦手とはいえ、ランク戦の最中に男女の違いなど気にする余裕があるだろうか?

 

 那須の抱く辻のイメージといえば、表情を崩さない整った顔の男性、というものだ。

 

 直接話した事はないが、周囲の声を鑑みてもその評価は間違っていないように思える。

 

 その彼が、女子を前にしただけで動けなくなるとは、ちょっと想像がつかなかったのである。

 

「ええ、あると思います。だって、辻先輩の行動パターンは、私と良く似ていますから」

「小夜ちゃんの……? あ、そっか」

 

 そこで那須は一つの事実に行き当たり、ポン、と手を叩いた。

 

 小夜子は、男性恐怖症である。

 

 故に、異性に対して恐怖症を患っている者の行動は、小夜子自身の行動を鑑みればおのずと分かる。

 

 その小夜子のセンサーが、告げているのだ。

 

「────間違いなく、辻先輩は女性恐怖症の類です。あの人は、私の同類ですよ」

 

 辻は、女性恐怖症である、と。

 

 小夜子のような手合いの勘は、時として法則(ロジック)を超越する。

 

 その小夜子が言うのだから、ほぼ間違いないと考えて良いだろう。

 

「ですので、いざとなったら接近して動きを封じて下さい。無理に狙う必要はありませんが、チャンスがあれば利用していきましょう」

 

 

 

 

「辻隊員、旋空弧月を連打……っ! 障害物を斬り払いに回ったか……っ!」

「まあ、そう来るだろうね」

 

 王子はふむ、と呟き画面を見据えた。

 

「ナースを落とすには、どうしたって障害物が邪魔になる。まずはそれを排除しようというのは、当然の事だ」

 

 幸い、近くに大きな建物はないしね、と王子は告げる。

 

 王子の言う通り、那須は障害物が多ければ多い程その厄介さを増していく。

 

 故に、その障害物を排除しようというのは、ごく自然な発想だ。

 

 少なくともこうすれば、那須としては黙っているワケにはいかないのだから。

 

「このまま障害物が除去され続ければ、ナースは隠れ場所を失う。そうなれば勝ち目はないから、動かざるを得ない筈だ」

 

 それに、と王子は口に出さず思案した。

 

(辻ちゃんの()()を知っているか否かで、此処からの展開は大分変わる。問題は、()()()()()()知っているか、だね)

 

 

 

 

(大分家は斬ったけど、那須さんが出て来る気配がないな)

 

 辻は旋空を放ち終えた後、周囲の様子を注意深く伺った。

 

 彼が旋空を連打し、家屋を斬り裂き始めてから何故か那須の弾幕は成りを潜めている。

 

 恐らくではあるが、辻を迎撃するよりも距離を取る事を優先したのかもしれない。

 

 家屋を斬り崩せば、那須が隠れる場所は少なくなる。

 

 貴重な障害物を次々と壊す辻の行動を、放置する事は出来ない。

 

 此処で那須に取れる手段は、二つ。

 

 辻を攻撃して家斬りを止めさせるか、この場から移動するか、である。

 

 そして那須は、後者を取った。

 

 辻は、そう判断した。

 

(────いや、違う。此処で那須さんが、退く筈がない)

 

 ────────この、今の状況でなければの話だが。

 

 確かに、通常であればこの戦場を放棄し、七海との合流に向かったという話も筋が通る。

 

 だが、今回に限って言えばその行動に意味はない。

 

 より明確に言えば、リスクとリターンが釣り合っていない。

 

 この周辺と違い、七海が生駒と戦っている場所は隠れる場所が何一つない。

 

 確かに、チューニングして射程を強化すれば瓦礫地帯の外から援護する事は出来るだろう。

 

 だがそうなると、肝心の威力が足りなくなる上に、バイパーの強みを殺してしまう。

 

 変化弾(バイパー)はその性質上、障害物が多い場所でこそ、その真価を発揮する。

 

 障害物を迂回し、弾道や弾種を見切らせずに相手の不意を突く。

 

 それが、バイパー使いの真骨頂である。

 

 一方、障害物のない広い場所では、バイパーの強みはその多くが失われる。

 

 障害物で弾道を隠す事が出来ず、ただ走れば避ける事が可能であるからだ。

 

 見渡す限りの荒野のような状況と化している七海達の戦場に向けて撃っても、簡単に避けられるのがオチなのである。

 

 七海のメテオラで強引に弾道を隠すという手法も取るには取れるが、今回彼は二宮を単独で抑える為にかなりの回数炸裂弾(メテオラ)を連発している。

 

 幾らトリオン強者の七海とはいえ、流石に限度というものはある。

 

 すぐさまトリオン切れに陥る事はないだろうが、普段と比べれば余裕が少ないのは事実である。

 

 そんな状況で、那須が七海との合流を目指すだろうか。

 

 答えは否。

 

 以前までの彼女であればいざ知らず、自らを縛り付けていた殻を破った今の那須がそんなミスを冒す筈もない。

 

 故に。

 

 弾幕を張るのを止めたのは、退いたと思わせる為のブラフ。

 

 辻の意識を旋空で家を壊す事から、自分を追って来させる事にシフトさせる為の作戦。

 

 ならば、その狙いは何処にあるのか。

 

「────」

「……っ!」

 

 ────────答えは、目の前にあった。

 

 即ち、距離を詰めての強襲。

 

 家屋の瓦礫の影から、那須がキューブサークルを引き連れ現れた。

 

 バッグワームを脱ぎ捨てた彼女の肢体が、身体の線の出る隊服越しに辻の網膜に焼き付けられる。

 

 途端、辻の動きは止まった。

 

 頬が紅潮する。

 

 心臓の鼓動が高鳴る。

 

 身体が、痺れたように言う事を聞かない。

 

 半ば女性恐怖症一歩手前に近いその症状が、マスタークラスの攻撃手の動きを止める。

 

 その隙を、那須が逃す筈もなかった。

 

「────」

 

 キューブサークルが、弾丸として放たれる。

 

 その弾幕は、辻の四方を覆うように弾丸の檻を形成する。

 

 那須の得意とする包囲射撃、『鳥籠』。

 

 毒蛇の檻が、辻の身体を閉じ込める。

 

 自らの危機に、ようやく辻の身体が動き出す。

 

 けれど、前に出る事は出来ない。

 

 これ以上近付けば、防御手段すら取れなくなる。

 

 故に。

 

 彼が選んだのは、後退。

 

 後方に跳躍し、シールドを広げて身を守った。

 

 だが。

 

「甘いわ」

「ぐ……っ!」

 

 そんな苦し紛れの防御など、那須(かのじょ)に通じる筈もない。

 

 鳥籠は、ブラフ。

 

 毒蛇の檻は、一本の大蛇へと形を変え、広げた辻のシールドを食い破った。

 

 包囲射撃と見せかけての、一点集中射撃。

 

 幻惑の毒が、辻の身体に牙を突き立てる。

 

 シールドを破られた辻の右腕が、弾丸によって吹き飛ばされた。

 

 当然、右手に握っていた弧月も腕と共に身体を離れる。

 

 武器を失い、少なくない痛手を受けた。

 

 あと一歩。

 

 あと一歩で、辻は落ちる。

 

 那須隊には追加点が入り、B級一位の座に近付くだろう。

 

 二宮隊の、完全敗北。

 

 その未来が、実現してしまう。

 

 女を斬れない、という弱点を抱えていた所為で。

 

 二宮隊の威光を、地に落としてしまう。

 

 それを、許してしまうのか。

 

「え……?」

 

 ────────有り得ない。

 

 たとえ、弱点を克服出来ずとも。

 

 辻は、誇りある二宮隊の攻撃手。

 

 故に。

 

 自分の出来る仕事は、全てやり遂げて然るべき。

 

 その証拠が。

 

 辻の身体を食い破るようにして那須の胸に突き立った、一つの刃となって表れた。

 

 刃の名は、スコーピオン。

 

 否。

 

 その刃の真の名は、『マンティス』。

 

 影浦隊攻撃手。

 

 影浦雅人の操る、スコーピオンの発展型。

 

 それが、辻を串刺しにする形で貫通し、那須の胸に突き立てられていた。

 

「────やっと、隙を見せたな」

 

 辻の身体の影から、彼の背中に手を押し付けた影浦が姿を見せる。

 

 その瞬間、那須は全てを理解した。

 

 辻は、咄嗟に後ろに逃げたのではない。

 

 その行動は、()()の為のものではない。

 

 逆だ。

 

 自分の身体で、影浦の身体を隠す為の()()()()

 

 辻は、影浦を自分の身体で隠す事で。

 

 影浦に、自分ごと那須を攻撃させたのだ。

 

 その意図を、影浦の感情受信体質(サイドエフェクト)越しに伝える事で。

 

 恐らく、辻が影浦に向けた感情は「期待」か「信頼」。

 

 その類の感情を影浦に向ける事で、彼に自分諸共那須を仕留める行動に踏み切らせたのだ。

 

 影浦は、辻の意図を正確に理解していた。

 

 だから望み通り、纏めて串刺しにしてやった。

 

 彼がやった事は、それだけである。

 

 完全に辻に利用された形だが、それでも悪くないと影浦は思っていた。

 

 辻は、自暴自棄になって自分に丸投げしたのではない。

 

 逆だ。

 

 自分の仕事をやり遂げる為に、その身を犠牲に那須を仕留める駒となった。

 

 そういう割り切りは、影浦としても嫌いではない。

 

 むしろ、その心意気を汲んだからこそ、辻の作戦に乗ったのだ。

 

 彼の決意に、敬意を表して。

 

 辻は最初から、自分の弱点を利用して那須を釣り出すつもりであった。

 

 彼の弱点を知る小南や加古は、那須隊のメンバーと繋がりがある。

 

 そして那須隊は、相手の弱点を放置するような甘い部隊ではない。

 

 突ける隙は、容赦なく突く。

 

 それが、今の那須隊のスタンス。

 

 辻は、それを利用した。

 

 情報収集を怠らなければ、辻の弱点はおのずと知れる。

 

 その事は、辻自身も良く理解していた。

 

 だからこそ、その弱点を逆手に取った。

 

 那須に、辻の動きを止める為に、前に出て来させる目的で。

 

 家屋の破壊も、撤退の偽装も、その全てが本当の狙いを隠す為のブラフ。

 

 辻の目的は最初から、自分の弱みを利用して、影浦に那須を仕留めさせる。

 

 それのみであった。

 

『『警告。トリオン供給機関破損』』

 

 辻と那須の身体に刃が突き立った胸部から罅割れが広がっていき、機械音声が二人の致命傷を告げる。

 

 辻は笑顔で、那須は悔し気な顔で。

 

 己の脱落を、受け入れた。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、二人の脱落を告げる。

 

 辻と那須は光の柱と化し、戦場から消えていった。





 言いたい事はいっぱいあるけど、とりあえず一つ。

 ラフの香取ちゃん、美人過ぎない?


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生駒隊⑧

 

「辻隊員、那須隊長の両名が緊急脱出(ベイルアウト)……っ! ここで影浦隊に、2点追加ですっ!」

「流石だね。辻ちゃんも、カゲさんも」

 

 会場の面々が瞠目する中、王子は一人笑みを浮かべてそう告げる。

 

 今の攻防、その真意。

 

 それを、理解しているが故に。

 

「辻ちゃんは、自分の仕事をこなしきった。自分自身を囮にする事で、今の結果を引き寄せたんだ」

「では、最初から自分ごと那須隊長を影浦隊長に仕留めさせる事が辻隊員の狙いであったと?」

「間違いなくね」

 

 まず、と前置きして王子は続ける。

 

「辻ちゃんの目的は、きっと那須隊に得点をさせない事。より詳しく言えば、この試合で那須隊の合計点が二宮隊を上回らないようにする事だった」

「現在の二宮隊はこの試合で獲得した3Ptを含め合計50Pt、そして那須隊はこの試合での獲得点3Ptを加えて48Pt。那須隊が誰か一人でも落とした上で生存点を獲得すれば、二宮隊の得点を上回りますね」

 

 蔵内の言う通り、那須隊はあと一人でも落としたうえで生存点を得られれば二宮隊の総合点を上回る。

 

 辻としては、それだけは避けたかった筈だ。

 

 B級一位。

 

 たとえ鳩原(なかま)の隊務規定違反で降格を受けたとしても、二宮隊の────────二宮の強さは、威光に、疵を付けたくはなかった。

 

 とうの二宮が落とされたとしても、一位の看板までは譲らない。

 

 そんな、執念を感じる立ち回りであったと言える。

 

「その為には、高い制圧力を持つ那須を落とし、尚且つ影浦に可能な限り無傷で生き残って貰う必要があった。だから、自分を犠牲に那須を落とす作戦を実行したんだろう」

「辻ちゃんの本分は、サポーターだからね。マスタークラスの攻撃手としての腕前は確かなものだけど、流石に相手が悪い。誰も彼も、一筋縄ではいかない面々ばかりだからね」

 

 特に那須隊長(ナース)は辻ちゃんにとって天敵だしね、とまでは言わない。

 

 流石に辻の女性恐怖症(プライベート)までこの場で話す事は憚られるし、自分に求められている役割はそこではない。

 

 その程度の気遣いはきちんと出来る、王子なのであった。

 

「だから、確実に仕事を成し遂げられる手段として自己犠牲の手に打って出た。ここらへんの判断のクレバーさは、流石と言えるね」

「影浦なら、チャンスを逃しはしないだろうからな」

 

 状況も、辻に味方していたと言える。

 

 影浦はサイドエフェクトで、相手の感情を感知出来る。

 

 それを利用する事で、別部隊であり通信の手段など無い影浦との疑似的な意思疎通が可能となっていた。

 

 その上で自らが囮となってチャンスを作り出し、影浦が那須を仕留める機会を用意して見せた。

 

 サポーターの攻撃手という異色の立ち位置を持つ辻の強みを、十全に活かし切った仕事ぶりと言えるだろう。

 

「これでカゲさんは、晴れて自由(フリー)になった。シンドバットやイコさんのいる場所は離れているから到着までには少し時間がかかるだろうけど、妨害がない以上一直線で向かうだろうね」

 

 ヒューラーもカゲさんを狙うとは思えないし、と王子は言う。

 

 確かに、狙撃が効かない影浦を茜が狙っても、返り討ちにされるだけなのでデメリットしかない。

 

 大して時間も稼げず、駒を無為に失うだけの結果で終わるだろう。

 

 そもそも、茜のいる場所は七海の戦う場所を挟んだ向こう側。

 

 物理的にも、狙いに行ける位置取りではない。

 

 影浦の行動を阻害するものは、何も無いと言って良いだろう。

 

「乱戦になれば、カゲさんが一番有利だ。イコさんとしてもシンドバッドとしても、カゲさんが来る前に決着を付けたい筈だからね」

 

 だから、と王子は笑みを浮かべる。

 

「狙うのはきっと、短期決戦。イコさんもシンドバットも、勝負を長引かせるつもりはない筈だよ」

 

 

 

 

『七海先輩、那須先輩と辻先輩が落ちました。直に影浦先輩がやって来ます』

「了解した」

 

 七海は生駒と対峙しながら、小夜子の報告を聞いていた。

 

 影浦が生き残った事に、驚きはない。

 

 那須が落とされてしまった事は少々想定外ではあったが、この状況ならばその可能性は有り得ると踏んでいた。

 

 この市街地Aは、高い建物がそう多くはない。

 

 入り組んだ場所も少なく、三次元機動を戦術の根幹に組み込んでいる那須とは相性が悪い。

 

 故に、状況次第で那須はあっさり落とされかねないと、七海は考えていた。

 

 だが、今は終わった事に割く思考のリソースの余裕はない。

 

 生駒達人。

 

 ボーダーでも随一の旋空使いと、対峙している真っ最中なのだから。

 

 戦闘では、余計な雑念(しこう)を抱くのはどうしようもない無駄であり、決定的な隙に成り得る。

 

 自分の失敗を悔いて動きが鈍る、取るべき得点ばかりを気にして足元が疎かになる。

 

 その他様々な、その時その場で危急に考慮する必要のない思考。

 

 戦闘に慣れた者は、真っ先にそういった無駄な思考を排除する。

 

 一分一秒の重みが勝敗を左右する戦場では、雑念を抱いた者から負けるのだ。

 

 決意も、覚悟も、本来であれば試合開始前の時点で固めておくべきものである。

 

 よっぽどの意識改革があったのであれば仕方ない面はあるが、基本的に戦闘中な余計な思考にリソースを割くべきではない。

 

 戦闘中と、普段の生活。

 

 その意識の切り替えを意図して出来ていなければ、到底一流の戦闘者とは呼べない。

 

 故に、余計な思考は全て排除(カット)

 

 必要な情報のみを取捨選択し、先へ進む道標とする。

 

 今必要な情報は、影浦の動きと生駒の出方。

 

 そして、戦場全体の配置図である。

 

 影浦の戦う場所と此処はかなり離れてはいるが、彼の足ならば到着まではそう長くはかからない筈だ。

 

 狙撃や奇襲を警戒しているのならばまだしも、ただ直線距離を走れば良いだけなのだから。

 

 つまり、時間制限(タイムリミット)は近い。

 

 乱戦での得点能力は、七海よりも影浦の方に分がある。

 

 基本的に味方の援護を前提とする七海と違い、影浦はチャンスがあれば単騎特攻すら全く辞さない。

 

 そして、攻撃能力自体も影浦の方が上だ。

 

 機動力に重きを置く攪乱重視の七海と違い、影浦は機動力よりも攻撃力に特化させている。

 

 サイドエフェクトによる攻撃感知という特性をフル活用し、リソースの全てを攻撃に注ぎ込んでいるのが影浦だ。

 

 同じ土俵で戦った場合、影浦に得点を荒稼ぎされてしまう恐れがある。

 

 B級二位以内を目指している那須隊からしてみれば、その展開は可能な限り避けたいところである。

 

 故に、すべき事はもう決まっている。

 

 影浦の到着前に、生駒を倒す。

 

 時間稼ぎは、むしろ状況を悪化させるだけ。

 

 此処で決める。

 

 七海は、真っすぐ生駒を見据えた。

 

 生駒は納刀した刀の柄に手をかけており、旋空の発射体勢に突入している。

 

 恐らく、生駒の方も考える事は同じだ。

 

 影浦の介入が無いうちに、目の前の相手を仕留め切る。

 

 故に。

 

「────旋空弧月」

 

 旋空が、放たれる。

 

 生駒旋空ではない。

 

 連射可能な、通常の旋空。

 

 その牽制目的で放たれた旋空を皮切りに、次々と旋空の刃が放たれた。

 

 

 

 

 ────────生駒達人にとって、七海玲一の第一印象は「線の細い少年」であった。

 

 七海と初めて会ったのは、およそ一年前。

 

 影浦に、弟子がいると聞いて会いに行った時の事だった。

 

 正直、驚いた。

 

 とうの影浦とはランク戦で何度も戦り合って来た仲だが、とてもではないが弟子を取る人物には見えなかったからだ。

 

 影浦は、ボーダー内での評判はあまり良いとは言えない。

 

 その時はまだ例の「根付さんアッパー事件」を起こす前ではあったものの、常に苛ついているように見える上に素行自体も決して良いとは言えない影浦を敬遠する者は多かった。

 

 しかし彼のサイドエフェクトの事情を知る者にとってはその理由も周知の事実である為、生駒にとって影浦は手応えのあるとても強い対戦相手、という認識が強い。

 

 その生駒をしても、影浦が弟子を取るような性格にはとても見えなかったのだ。

 

 影浦は見た目に反してとても繊細で、警戒心が強い。

 

 人間不信の気がある、と言っても良い。

 

 彼は己が持つ副作用(サイドエフェクト)の影響で、幼い頃から人の感情というものに敏感にならざるを得なかった。

 

 故に、影浦は中々他人に心を許そうとはしない。

 

 影浦隊は、そんな彼の厳しい審美眼に叶った者達の集まりだ。

 

 中々他人を懐に入れない分、一度身内認定した相手には甘いのが影浦という少年である。

 

 だから隊の人間に対して寛容なのは理解出来るし、不思議ともなんとも思わない。

 

 だが、とうの弟子は隊の人間ではないという。

 

 それどころか、現在どの隊にも入隊していないフリーの隊員なのだそうだ。

 

 するとゆくゆくは影浦隊に入隊させるつもりなのだろうか、とも思ったがとうの影浦本人は「そんなつもりはねぇ」と一蹴している。

 

 しかし、周囲からの話を聞けば影浦とその弟子の関係は良好だという。

 

 正直に言って、興味が湧いた。

 

 あの影浦を、隊の仲間でないにも関わらず身内認定させた相手。

 

 こんなもの、興味を抱かない方がおかしい。

 

 なので、実際に会ってみた。

 

 というか、戦ってみた。

 

 結果は、7:3での生駒の勝利。

 

 ぶっちゃけ、想像以上だった。

 

 生駒が勝利したとはいえ、初見殺し性能が高い生駒旋空を使ったにも関わらず、10セット中三本も取られている。

 

 その機動力にも瞠目したが、何より目立つのはその回避技術だった。

 

 まるで何処に攻撃が来るか分かっているように動く七海の立ち回りは、何処か影浦と同種のものを感じさせた。

 

 実際、その通りだった。

 

 七海は、サイドエフェクト『感知痛覚体質』というものを有していた。

 

 これは痛み(ダメージ)が発生する範囲を感知出来るという代物であり、七海はこの能力を用いて驚異的な回避技術を発揮していた。

 

 流石に初見の生駒旋空は回避されなかったものの、二度、三度と繰り返す事で慣れたのか、後半では生駒に追い縋る動きを見せた。

 

 その戦いぶりに、生駒はすっかり七海の事を気に入ってしまった。

 

 人柄も少々真面目過ぎるきらいはあるが充分好感の持てる性格だし、攻撃手同士話せる話題も多い。

 

 何より影浦や村上という共通の友人がいるので、親しくなるまでにはそこまで時間は要しなかった。

 

 流石に親友、という枠組みの村上と七海の間に割って入れるとは思えないが、それでも生駒なりに親しい関係を築く事が出来たと自負している。

 

 彼を苛む無痛症についても教えて貰ったし、感触としては悪くない筈であると。

 

 当時の七海は、能力的には粗削りながらも、光るものを持っていた。

 

 チームを組み、ランク戦に参加すれば必ず活躍出来るだろうと確信する程に。

 

 事実、七海はランク戦を駆け上がって来た。

 

 元々ガールズチームだった、那須隊の一員として。

 

 七海の入った隊が華やかなイメージのある那須隊であった為少々過剰に反応した生駒ではあったが、そこはそれ。

 

 すぐに頭を切り替えて、次々に順位を上げる那須隊の動向を見守っていた。

 

 那須隊がROUND3で上位陣相手に大敗を喫した時は少々気を揉んだものの、ROUND4での動きを見て悟る。

 

 もう、大丈夫だと。

 

 七海はこのまま、自分の所まで上がって来ると。

 

 そして迎えたROUND6。

 

 生駒は、七海と戦い、そして負けた。

 

 実質3対1という数的不利はあったが、ランク戦である以上仲間の援護を得て戦うのは当然の事だ。

 

 これは、個人戦ではないのだ。

 

 どんな手段で勝利しようと、結果を残せるか否かが全てなのだ。

 

 そういった立ち回りも含めての、ランク戦なのだから。

 

 どちらにせよ、生駒が負けたという事実は覆らない。

 

 不思議と、嫌な気分ではなかった。

 

 むしろ、誇らしかった。

 

 自分が目を付けた少年は、正しくダイヤの原石であったのだと。

 

 だからこそ、この最終ROUNDで七海と戦える時を心待ちにしていた。

 

 今度は、負けはしない。

 

 そう意気込んで、この試合を迎えた。

 

 そして今、七海は自分と対峙している。

 

 この試合は、驚く事が多かった。

 

 その最たるものが、那須隊による『二宮落とし』である。

 

 二宮を実質一人で抑えてみせた七海の奮闘も素晴らしかったが、その二宮を仕留めてみせた茜の手腕にも瞠目せざるを得なかった。

 

 そして、実感した。

 

 七海は、那須隊は強くなったのだと。

 

 1対1の戦いであれば自分に分があると生駒は考えているが、その前提も時間をかければ影浦の介入を許し、無意味となる。

 

 今生き残っているのは生駒と影浦、そして七海と茜の四人。

 

 影浦は那須と辻を下してこちらに向かってる最中であるし、茜は間違いなくこの戦場に介入して来る。

 

 時間をかければ、不利になるのは自明。

 

 故に。

 

 狙うは、短期決戦。

 

 それは、七海も同じ筈だ。

 

 影浦を介入させれば、乱戦になり七海と影浦の独壇場になる。

 

 そうなれば一気に生駒が不利になるが、同時に七海にとっては生駒の得点を影浦に取られてしまう結果になりかねない。

 

 だから、乗って来る筈だ。

 

 決闘の、誘いに。

 

 そう信じて、生駒は旋空を放つ。

 

 七海と生駒。

 

 二人の戦いが、本当の意味で幕を開けた。





 単行本で明かされたとりまるの情報に驚愕。

 そうだろうなとは予想していたけど、これで確定。

 とりまるショックの反響はでかいなとツイッターを見ながら思う私であった。


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生駒隊⑨

 

「イコさん、頑張って下さいっ!」

『おう、任せとき』

 

 通信越しに生駒の声を聴き、南沢は目に見えて喜色を露わにする。

 

 既に生駒隊は隊長の生駒を除いて全滅し、その全員が作戦室に集まっている。

 

 オペレートする相手が一人だけで尚且つ複雑な盤面でもない為、落ちたメンバーが補助に回らずとも真織であれば問題なくこなせる。

 

 それでも彼らが此処にいるのは、生駒の戦いを見届ける為だ。

 

 口には出さないものの、生駒は七海との再戦を楽しみにしていた。

 

 それが今、叶っている。

 

 彼以外が全滅してしまった事には思う所があるものの、結果的に生駒はほぼ無傷で七海と対峙する事に成功している。

 

 最大の脅威であった二宮が退場した今、彼らの戦いを邪魔をする者はいない。

 

 正確には、影浦があの場に辿り着くまでは。

 

 故に、この戦いはそう長引く事はない。

 

 短期決戦。

 

 生駒も、七海も、それを念頭に置いて戦う筈だ。

 

 生駒隊(かれら)に出来る事は、見守る事だけ。

 

 だが、それで充分。

 

 一喜一憂しながら画面を見つめる南沢も。

 

 目を細めて様子を伺う隠岐も。

 

 真剣な表情でオペレートする真織も。

 

 そして、じっと画面を見据える水上も。

 

 誰もが、生駒の勝利を願っていた。

 

 南沢以外の言葉は無い。

 

 けれど、信じている。

 

 生駒の、勝利を。

 

 皆が慕う、隊長の凱旋を。

 

「楽しそうやな。イコさん」

 

 水上が、ぽつりと呟く。

 

 彼が、視線を向ける先。

 

 そこには、口元に笑みを浮かべながら剣を振るう生駒の姿が映し出されていた。

 

 

 

 

「旋空弧月」

 

 旋空、一閃。

 

 通常の旋空の二連撃が、七海に襲い掛かる。

 

「……!」

 

 七海は、体捌きだけでそれを回避。

 

 前傾姿勢で、生駒に向けてロケットスタートを切る。

 

 積み上がった瓦礫の上を滑るように駆けるその姿は、躍動感に満ちた獣のよう。

 

 最短最速。

 

 余計な労力は使わず、全速力で生駒との距離を詰めにかかる。

 

 生駒は、旋空の名手だ。

 

 数ある弧月使いの中でも、彼ほどに旋空を使いこなしている攻撃手はそうはいない。

 

 旋空は、非常に扱い難いトリガーだ。

 

 「飛ぶ斬撃」のように認識されがちな旋空であるが、その実態はブレードの伸縮機能を実装したものだ。

 

 言うなれば旋空は、一瞬で伸縮するブレードなのである。

 

 たとえるなら、『西遊記』の孫悟空の扱う『如意棒』に近い。

 

 自在に伸び縮みするブレードに、防御不能の切断力を付与したもの。

 

 それが、旋空弧月。

 

 確かに威力も射程も攻撃手としては破格のものがあるものの、真の意味で使いこなすには相応のセンスと修練が必要だ。

 

 旋空の起動時間、即ちブレードを伸ばしている時間は凡そ一秒。

 

 生駒旋空の場合は、0.2秒である。

 

 短いように思えるかもしれないが、逆だ。

 

 可能な限り調整した結果が、この起動時間なのである。

 

 それだけ起動時間が短い理由は、何故か。

 

 単純に、そうでなければ扱いきれないからである。

 

 ブレードが伸びるという事は、当然その分重量も上がる。

 

 15メートルもの長さに拡張されたブレードを振り回すには、当然相応の労力が必要となる。

 

 だからこそ、旋空は弧月を振り下ろす瞬間にのみ起動して用いるのだ。

 

 巨大化したブレードは、単純に重石(デッドウェイト)になる。

 

 攻撃手の本領が近接戦闘である以上、そんなものを持ったままでは動きが阻害される恐れがある。

 

 それに、剣速の問題もある。

 

 旋空が最大の剣速を発揮する為には、ベストなタイミングで旋空を起動し、剣速を殺さずに斬撃を繰り出す技術が必要になる。

 

 生駒は、そのタイミングの調整が抜群に巧い。

 

 彼は、居合抜きの技術を収めている。

 

 だからこそ、その技術(ノウハウ)を応用する事で完璧なタイミングでの旋空起動が可能となっているのだ。

 

 生駒旋空という秘奥も、そういった下地があってこそ完成した絶技と言える。

 

 旋空弧月を使いこなす生駒の射程距離は、通常の攻撃手よりも長い。

 

 大抵の弧月使いがセットしている旋空だが、ただ使えるだけの者と、使いこなしている者との間ではその練度に大きな差がある。

 

 故に、大抵の攻撃手にとって旋空は、()()使()()()()()()()()()()()()でしかない。

 

 しかし、生駒のように旋空を使いこなしている者にとっては話が別だ。

 

 生駒は文字通り、手足のように旋空を扱える。

 

 だからこそ、旋空の射程それそのものが生駒の斬撃空間の内側となる。

 

 旋空の射程内に入った瞬間、凄まじい剣速で拡張斬撃が飛んでくるのだ。

 

 故に、中距離は、生駒の距離だ。

 

 通常であれば、中距離を制するのは銃手や射手だ。

 

 ブレードトリガーのような高い攻撃力は持たないが、攻撃手の射程の外から一方的に攻撃を加えるそのスタイルは立ち回り次第で幾らでも有利を取れる。

 

 上手く距離を調整出来れば、攻撃手相手に優位に立てる。

 

 それが、銃手や射手の利点である。

 

 だが、生駒相手ではその前提がひっくり返る。

 

 少し距離を取っただけでは旋空がすぐさま飛んでくるし、通常旋空の射程の外である22メートル以上の距離を離れていても、生駒旋空が飛んでくる。

 

 一方的に優位に立てる距離である筈なのに、平然と攻撃が飛んでくる脅威。

 

 それが、生駒という男の強みでもある。

 

 旋空の防御不能という特性も、その厄介さを後押ししている。

 

 アステロイドやアイビスのような高威力のトリガーであっても、集中シールドの重ね掛けなどを行えば受け止める事は出来る。

 

 けれど、旋空であれば話は別だ。

 

 守りを固めたところで、その上から叩き斬られる防御不能の切断力。

 

 それこそが、旋空の最大のアドバンテージ。

 

 扱い難さの代償とも言うべき、絶対の攻撃力。

 

 その唯一無二の利点を、生駒は活かし切る。

 

 故に、生駒相手では銃手や射手は距離を取っても安心出来ない。

 

 そして攻撃手の場合、射程の有利を取られてしまう相手と成り得る。

 

 弧月使いであっても、旋空の練度で上を行かれている以上中距離線は上手くない。

 

 スコーピオン使いでは、基本的に射程が足りない。

 

 たとえマンティスが使える七海であっても、そもそもマンティスの射程は旋空には及ばない。

 

 だからこそ、生駒を落とす為には接近する必要がある。

 

 故に、七海は駆ける。

 

 生駒の下へ。

 

 他でもない、自らの刃を叩き込む為に。

 

「旋空弧月」

 

 無論、そう易々と近付けはしない。

 

 旋空弧月、三連。

 

 生駒からの距離、凡そ10メートル。

 

 その地点で、向かって来る七海を迎撃する為三連撃の拡張斬撃が襲い掛かる。

 

 今度は、下へ回避する隙間はない。

 

 故に。

 

 七海は、グラスホッパーを展開。

 

 上へ、跳躍する。

 

 グラスホッパーの加速力を得て跳躍した七海が、一気に上空へと躍り出た。

 

「旋空弧月」

 

 生駒が再び、旋空の発射体勢を取る。

 

 七海はそれに対し、再びグラスホッパーを展開。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、今度は下方へ降下する。

 

「甘いで」

「……っ!」

 

 だが、生駒はコンマ一秒、旋空の発射タイミングをずらす。

 

 そして、ずらしたのは発射タイミングだけではない。

 

 その、斬線。

 

 七海の移動先を予測して経路を変えた斬撃が、下へ向かった七海へ襲い来る。

 

 先程から、生駒は敢えて発声認証で旋空の起動を行っていた。

 

 今回は、それを利用した。

 

 発声のタイミングと本当の発射タイミングをずらす事での、不意打ち。

 

 単純ながら効果的な、揺さぶりの策。

 

「────」

 

 だが、七海はそう簡単にやられはしない。

 

 生駒が発声認証を利用した策を打つであろう事は、七海も理解していた。

 

 故に、生駒の発声は全て無視。

 

 己の感知痛覚体質(かんかく)のみを頼りに、回避機動を実行する。

 

 七海は、空中で身体を捻る事で紙一重で旋空による斬撃を回避。

 

 そのままグラスホッパーを踏み込み、一気に生駒と距離を詰める。

 

 最早、後退する余裕はない。

 

 時間をかけていれば、影浦がこの場にやって来る。

 

 三つ巴になった時点で、この盤面は様相を一変させる。

 

 そうなれば最終的に不利になるのは自分だと、七海は理解している。

 

 基本的に乱戦が得意とされる七海だが、それはあくまで仲間の援護を前提としたもの。

 

 単騎での乱戦の得点力そのものは、影浦に軍配が上がる。

 

 乱戦になった時点で、生駒の得点を影浦に取られてしまう可能性が高まるのだ。

 

 故に、そうなる前に決着を着ける必要がある。

 

 既に、後退という選択肢はない。

 

 前へ。

 

 ひたすらに前へ。

 

 それが、今出来る最善。

 

 加速を得た七海が、一気に生駒と距離を詰める。

 

「旋空弧月」

 

 だが、それを易々と許しはしない。

 

 旋空弧月、四連。

 

 四つの斬撃が、七海に向けて放たれた。

 

 斬線は、四つ。

 

 下手に上に逃げれば、上方に向けて放たれた斬撃に触れてしまう。

 

 かと言って、下に回避出来る隙間は無い。

 

 ならばどうするか。

 

 答えは一つ。

 

 最小限の動きで、斬撃の隙間を縫う。

 

 七海は、極小のグラスホッパーを展開。

 

 それを踏み込む事で、ほんの少し上へと位置を変える。

 

 身体を丸めるようにして、旋空の斬撃の僅かな隙間へ入り込む。

 

 それは、己のサイドエフェクトを最大限に活かした回避機動。

 

 何処に攻撃が来るか分かっているというアドバンテージを利用した、彼ならではの回避技術。

 

 だが、この均衡も長くは続かない。

 

 次の斬撃まで、回避し切れる保証はない。

 

 故に。

 

「────メテオラ」

「……っ!」

 

 此処で、炸裂弾(メテオラ)を投入する。

 

 生駒に向けて放たれた、四つのトリオンキューブ。

 

 四分割された弾丸が、生駒に襲い来る。

 

「旋空弧月」

 

 当然、それを見過ごす生駒ではない。

 

 トリオンキューブを迎撃するべく、旋空を撃ち放つ。

 

「────」

 

 無論、そんな事は承知の上。

 

 中央のトリオンキューブに、刃が突き立った。

 

 刃の名は、スコーピオン。

 

 七海が投擲した、ブレードトリガー。

 

 弾体のカバーに穴が穿たれ、メテオラが起爆。

 

 連鎖的に四つのトリオンキューブが誘爆し、周囲を爆風が席捲した。

 

「……っ!」

 

 生駒は咄嗟にシールドを広げ、爆風をガード。

 

 爆風で移動こそ封じられたものの、生駒は無傷。

 

 そも、メテオラは攻撃範囲こそ広いがシールドの突破力は低いトリガー。

 

 不意を突かない限り、メテオラで相手を落とすのは難しい。

 

 

 

 

『茜』

「了解」

 

 故に、その爆発は相手を直接落とす為のものではない。

 

 視界を塞ぎ、彼女の狙撃を実行する。

 

 そのタイミングを待ち望んでいた茜は、イーグレットの引き金を引いた。

 

 

 

 

「────読んでたで」

「……っ!」

 

 ────────だが、それすら生駒は予測していた。

 

 爆風の隙間を縫って飛来した弾丸が、生駒のシールドに受け止められる。

 

 そのシールドは、通常のそれではない。

 

 クリスタルのような角張りを持ったそれは、固定シールド。

 

 その場から移動出来なくなる代わりに、防御力が向上するシールドの発展技術。

 

 それを用いて、生駒はイーグレットの狙撃を受け止めていた。

 

「来るなら、そろそろやと思っとったで」

「……!」

 

 生駒は、気付いていた。

 

 七海が、一騎打ちという形に拘る筈がない事を。

 

 確かに、生駒は一騎打ちを所望していた。

 

 七海と二人きりでやり合いたいと、熱望していた。

 

 だが、それはあくまで生駒の事情。

 

 あの七海が、そんな事情に縛られる筈もない。

 

 一騎打ちを受け入れたのは、形だけ。

 

 七海の頭には、常に隊の勝利が描かれている。

 

 そもそも、これはチームランク戦。

 

 一騎打ちに拘る意味もなければ、意義もない。

 

 どんな過程を経ようと、最終的に勝つ事こそが肝要。

 

 その前提を、七海は決して間違えない。

 

 だからこそ、茜の介入があるとすれば此処しかないと考えていた。

 

 茜がイーグレットを持ち込んでいるのは、二宮落としの時に目にしている。

 

 故に当然、ここぞという時に用いて来ると予想していた。

 

 だからこその、固定シールド。

 

 裏を突いてライトニングを撃ち込んで来ようが、イーグレットで突破を狙って来ようが、どちらでも対応できる一手。

 

 それを用いて、生駒は茜の狙撃を凌いで見せた。

 

 渾身の一射は、無駄に終わる。

 

 その光景を見ていた誰もが、そう思った事だろう。

 

「────」

「……っ!?」

 

 ────────他ならぬ、茜以外は。

 

 生駒の眼前。

 

 殆ど密着するような距離に、いきなり茜が現れた。

 

 テレポーター。

 

 それを用いた、転移狙撃。

 

 彼女はそれを、あろう事か生駒の目の前に来る形で使用した。

 

 その手に持つのは、イーグレットではない。

 

 アイビス。

 

 威力特化のそのトリガーを、ゼロ距離射撃で撃ち放つ。

 

 彼女がアイビスを使える事を、生駒は知らない。

 

 彼女とユズルの戦いを、生駒は目撃していないのだから。

 

 故にこそ成立する、奇襲。

 

 茜は千載一遇の好機を活かす為、決死の転移狙撃を敢行した。

 

「────旋空弧月

 

 ────────だが、生駒はその上を行く。

 

 旋空、一閃。

 

 茜が引き金を引くよりも速く、生駒旋空が放たれた。

 

 長距離転移を敢行した茜に、テレポーターによる回避は不可能。

 

 生駒旋空により、茜の胴が両断される。

 

 神速の抜刀斬撃が、アイビスの銃身ごと少女の身体を斬り裂いた。

 

 生駒は、予測していた。

 

 茜が、一度の狙撃程度で終わる筈がないと。

 

 彼女なら、更なる追撃を仕掛けて来る筈だと。

 

 そう、理解していた。

 

 故にこそ、いつでも旋空を撃てるように準備していた。

 

 そして、予想通り飛び込んで来た茜を、斬り捨てた。

 

 生駒らしい、クレバーな立ち回り。

 

 それが、茜の奇襲を読み切った。

 

「────」

「な……っ!?」

 

 だが、生駒は気付かなかった。

 

 斬り裂いた茜の身体の、その向こう。

 

 そこに、旋空によって斬り裂かれたトリオンキューブがある事に。

 

 そのキューブの名は、メテオラ。

 

 七海のメテオラではない。

 

 茜が転移と共に展開していた、彼女のメテオラ。

 

 彼女の身体の影に隠す形で展開されていた、茜の撃破と共に発動する誘爆装置。

 

 それを、準備していた。

 

 最初から、茜は狙撃が通用するとは思っていなかった。

 

 故にこその、地雷(メテオラ)

 

 旋空によって両断されたメテオラが、至近距離で起爆する。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

「く……っ!」

 

 茜の緊急脱出と同時に、メテオラが爆発。

 

 光の柱と重なるように爆風が発生し、生駒へと襲い掛かる。

 

 至近距離での爆風を、生駒はシールドで防御。

 

 咄嗟のシールド展開が間に合い、生駒は無傷で凌ぎ切る。

 

 少女の決死の一撃も、生駒には届かない。

 

 これで終わり────────などと、思う筈がない。

 

 このメテオラは、どう考えても()に繋げる為の視界封鎖を目的としたもの。

 

 故に、来る筈だ。

 

 この爆風に乗じて、七海の奇襲が。

 

(来た……っ!)

 

 そして案の定、爆風の向こうに影が見えた。

 

 その形状からして、恐らくはスコーピオン。

 

 スコーピオンを投擲し、続いて七海自身が飛び込んで生駒を仕留めるハラだろう。

 

旋空弧月

 

 故に、スコーピオンごと七海を叩き斬る。

 

 生駒旋空、一閃。

 

 飛来して来た影を、拡張斬撃が撃ち落とす。

 

 だが。

 

「な……っ!?」

 

 生駒が斬ったのは、スコーピオン────────ではない。

 

 その正体は、単なる瓦礫。

 

 剥きだしの鉄骨、それに過ぎなかった。

 

 生駒の脳裏に、以前の戦いが蘇る。

 

 あの時もまた、瓦礫を包んだバッグワームを七海本人と誤認し、その隙を突かれて敗北した。

 

 故に、この瞬間。

 

 七海は、生駒を落とす為に斬りかかって来る筈だ。

 

 そう考え、生駒は周囲に目を向けた。

 

 何処から来る。

 

 神経を研ぎ澄まらせ、上方や前後左右に目を配る。

 

 何処から来ても、対応出来るように。

 

 だが。

 

「が……っ!?」

 

 ────────唯一、()だけは警戒していなかった。

 

 生駒の胸を貫くのは、地面から伸びた刃。

 

 それは、地面や壁を通してスコーピオンを伸ばす技術。

 

 もぐら爪(モールクロー)

 

 使用中はその場から動けない為、七海は殆ど使って来なかったスコーピオンの発展技術。

 

 それが、背後から生駒の胸を貫いていた。

 

 貫いたのは、胸だけではない。

 

 胸を貫通した刃が()()()、弧月を握る生駒の手首を斬り落としていた。

 

 そして、爆風が晴れる。

 

 生駒は、目にする。

 

 凡そ、10メートル近く離れた場所にいる七海の姿を。

 

 間違いなく、スコーピオンの届く距離ではない。

 

 そう、これはただのもぐら爪ではない。

 

 マンティス。

 

 それを用いた、もぐら爪マンティスとも言うべき代物。

 

 普通に使えば隙が大き過ぎて使い物にならない筈のそれを的確に用いた、最後の一手。

 

 それが、生駒にトドメを刺した一撃であった。

 

『警告。トリオン供給機関破損』

「あちゃー、やってもうたな。また負けかいな」

 

 既に致命傷を負い、弧月も手首ごと落とされた生駒に反撃の芽はない。

 

 彼は素直に敗北を受け入れ、笑って七海を見据えた。

 

「絶対、リベンジしたるからな」

「ええ、待っています」

「ほな、頑張れや」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声により、生駒の敗北が告げられる。

 

 生駒は最後に七海にエールを送りながら、戦場から離脱した。





 もぐら爪マンティスは普通なら

 ・その場から動けない。

 ・両攻撃(フルアタック)だから防御も出来ない。

 というクソ使用なんで、普通はまず使えません。

 今回は他に狙撃手や射手がおらず、爆風で視界封鎖したからこそ使えたというワケですね。


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影浦雅人①

 

「生駒隊長、緊急脱出(ベイルアウト)……っ! 日浦隊員と七海隊員の連携が、勝利をもぎ取りました……っ!」

「流石だね。ヒューラーも、シンドバットも」

 

 王子は素直な称賛な言葉を口にして、蔵内もそれに頷く。

 

 生駒と七海。

 

 二人の戦いは、最終ROUNDに相応しい代物であった。

 

 称賛の言葉の一つも、出ようというものだ。

 

「今回、シンドバットとイコさんには双方共にアドバンテージがあった。シンドバットの側は、ランク戦での生駒旋空を一度体感している事。イコさんの側は、那須隊の戦術傾向を身を以て知っていた事だ」

「確かに、生駒旋空は映像で見るのと実際に体感するのとでは剣速がまるで違いますからね。それを実際に相手取った事は、無視出来ない要素でしょう」

 

 そう、生駒旋空の最大の脅威は、その初見殺し性能にある。

 

 生駒隊と戦り合う前に、映像で生駒旋空を確認するのは当然の対策だ。

 

 だが、映像と直に経験した場合とでは、生駒旋空の体感速度はまるで異なる。

 

 映像の剣速を見ているからこそ、実際の剣速との体感誤差によって斬られてしまう、というのは生駒旋空を相手にしたかなりの数の隊員が経験した事だ。

 

 那須でさえ、前回生駒と戦った時にはその剣速を見誤り、落とされている。

 

 機動力に長けた那須でさえその有り様なのだから、生駒旋空を一度直に体験したかどうか、という点はかなり大きい。

 

 七海は個人戦では生駒旋空を体感しているが、チームランク戦における生駒旋空を経験したのはあれが初めてであった。

 

 チームランク戦と個人戦では、個々の立ち回りは大分異なる。

 

 当然生駒も生駒旋空をチームランク戦向けの使い方をして来る事は自明であり、チーム戦での生駒と戦えた経験は決して無駄にはならない。

 

 同様の事が、生駒の側にも言える。

 

 那須隊は、各々尖った分野で実力を発揮する隊員が集まっており、戦術的な初見殺し性能が非常に高い。

 

 特に七海は個人戦とチーム戦では立ち回りが全く異なっており、一度個人戦で彼と戦った相手はその差異に翻弄されて落とされるケースが多かった。

 

 ROUND1での村上などは、その最たるものだ。

 

 生駒も個人戦では七海と戦っていたが、チームランク戦で戦うのはあのROUND6が初であった。

 

 そこでの生駒の敗因は、那須隊の連携とその練度を見誤った事だ。

 

 ROUND6の最終局面では、生駒は七海・熊谷・茜の連携によって敗れている。

 

 熊谷が囮となり、茜がトドメの一撃と見せかけて攪乱し、七海がラストアタックを決めた。

 

 その連携の仕込みと練度は、生駒の想像を上回っていた。

 

 故に、紙一重の差で生駒は敗北を喫した。

 

「イコさんは、那須隊の戦術をその身で味わった。だから、那須隊がどういう手管を用いて来るかを、ある程度予想出来ていたんだ」

 

 そう。

 

 それ故に、生駒は那須隊の手管をその身を以て知っていた。

 

 彼は、あの局面で茜の存在を忘れてはいなかった。

 

 七海は、仲間が生き残っている状態で大人しく一騎打ちに興じるタマではない。

 

 必ず、連携による撃破を狙って来る。

 

 そう確信していた生駒は、警戒を怠らなかった。

 

 二宮を仕留めた茜のイーグレットも、彼はしっかりとその眼に焼き付けていた。

 

 だからこそ、ここぞという時には茜のイーグレットが飛んでくると、生駒は予想していた。

 

 そして、一度の失敗程度では茜は諦めないであろう事も、理解していた。

 

 二撃目は、必ず来ると。

 

 そう信じて、迎え撃った。

 

「けど、ヒューラーのメテオラという特大の初見殺しがその前提を覆したんだ。あれだけは、イコさんも予想出来ていなかっただろうからね」

 

 だが、その直後。

 

 茜が自分の脱落を引き金として起爆するメテオラを用意していた事で、生駒の前提がひっくり返った。

 

 確かに、生駒は茜のイーグレット()目にしていた。

 

 されど、茜が自らメテオラを使用した場面は目撃していない。

 

 メテオラの炸裂音こそ響いていたが、その時は那須が辻や影浦を相手に戦っている真っ最中であり、距離の関係もあってその戦闘音によって爆発音は生駒の耳に届く前にかき消されてしまっていた。

 

 茜とユズルが戦っていたアパートは生駒の後方に位置していた為、爆発も目に出来ていなかったのだ。

 

 那須隊は、茜は、そこを突いた。

 

 生駒がまだ得ていない情報を、茜が用いるメテオラを使用して、彼の不意を突いた。

 

「ですが、生駒隊長はそれにも対応して見せました。その後への奇襲への警戒も、怠りませんでしたしね」

 

 だが、それだけでは倒れないのも、生駒という男のクレバーさである。

 

 生駒は茜の炸裂弾(メテオラ)という極大の不意打ちに対し、咄嗟にシールドで対処して見せた。

 

 その後の七海の追撃も予想して、生駒旋空で迎え撃った。

 

 それがブラフであった事に一瞬動揺したものの、追撃への警戒は怠らなかった。

 

「けど、流石のイコさんも想定外の状況が重なり過ぎた。那須隊は、シンドバットとヒューラーは幾つも()()()()()()を重ねる事で、イコさんの処理能力を圧迫し続けた。それこそが、彼等の狙いだった」

 

 されど、度重なる予想外(イレギュラー)に、生駒の処理能力には相当な負担がかかっていた。

 

 故に、気付けなかった。

 

 もぐら爪マンティスという、特大の隠し玉に。

 

「直前に瓦礫でのブラフを用いたのは、恐らくイコさんにROUND6の状況を思い出させる為だね。敢えて前回と似た状況を用意する事で、イコさんに()()()()()()()()()()()()という無意識の先入観を抱かせた。シンドバットは、そこを見事に突いたワケだ」

「これまで、七海隊員がもぐら爪を使う事は殆どなかったですからね。そういう意味でも、初見殺しの性能は高いでしょう」

 

 そうだね、と王子は蔵内の意見を肯定する。

 

「更に言えば、もぐら爪マンティスは一見強そうに見えるけど、その実隙が多過ぎてまずまともには使えない代物なんだ。もぐら爪のデメリットであるその場から動けない事と、マンティスのデメリットである両攻撃(フルアタック)故にシールドを張れない事。その二重苦があるからね」

「動けない上に、シールドも張れないとなると、普通に使えば格好の的になりますからね」

 

 そう、今回七海が用いたもぐら爪マンティスは、とてもではないが普通に使える代物ではない。

 

 何せ、もぐら爪を使用している所為でその場から身動きが出来ない────────即ち、回避が出来ず。

 

 更に両攻撃である為、シールドを張る事すら出来ない。

 

 普通に使えば、狙撃手や銃手にカモにされて終わりだ。

 

 だが今回、生き残っている相手は生駒の他には影浦しかいなかった。

 

 その影浦も、七海達は開けた場所で戦っている為いきなり奇襲を受ける心配はない。

 

 そして、とうの生駒もメテオラによる視界封鎖で七海を直接視認する事が出来ていなかった。

 

 他者の介入が来ない事を確信出来たからこそ使えた、局所的な状況故の切り札と言える。

 

 手の内を知られている事を逆手に取った、七海らしいラストアタックと言えた。

 

「さて、それでは」

「ああ、始まるね」

 

 一通りの解説を終え、桜子や王子、蔵内とレイジ。

 

 そして、会場に集まる観衆が、映像を見据えた。

 

「正真正銘、最後の戦い。カゲさんとシンドバットの、一騎打ちだ」

 

 

 

 

 ────────影浦雅人にとって、七海は弟子であり、庇護すべき対象であり、そして掛け替えのない友人だった。

 

 思えば、似たような副作用(サイドエフェクト)を持っている事もあって、何処かしら共感を感じていたのかもしれない。

 

 こいつなら、自分の痛みを分かってくれる。

 

 そんな意識があった事は、否定出来ない。

 

 けれど、実際に七海と触れ合って、影浦は「こいつは放っておけない」という意識を強く持つようになった。

 

 七海の時間は、四年前の大規模侵攻の時点で止まっていた。

 

 取り繕っていたのは、外聞だけ。

 

 その中身は、過去の悲劇から何一つ前に進んではいなかった。

 

 これでも、努力はしたのだ。

 

 荒船や村上と共に、戦う楽しさを教えた。

 

 それだけではなく、何気ない日常や、友人のありがたみも教えた。

 

 当初はただ必死なだけで余裕がなかった七海も、ある程度付き合いが良くなり、当初のような息苦しさは消えていたように見えた。

 

 だが、それが錯覚だったと実感したのはあのROUND3での戦いだった。

 

 自分の意思を押し殺し、那須の我が儘に唯々諾々と従うその姿を見て、ああ、こいつは変わってないんだな、と影浦は確信した。

 

 このままでは駄目だと、そう思った。

 

 だから、ユズルに那須を狙うように指示した。

 

 あの戦いには、東がいた。

 

 彼ならば、七海の膿を表に出す機会は逃さないだろうと、確信していた。

 

 結果は、予想通り。

 

 ユズルと東の狙撃により、七海は那須共々己の内に蓋をして閉じ込めていた膿を白日の下に晒した。

 

 その後の彼らの腑抜け具合は、酷いものであった。

 

 何度、直接殴り込みに行こう、と思ったかは知れない。

 

 だが、村上が言ったのだ。

 

 此処は、自分に任せて欲しいと。

 

 影浦の下を訪ねて、そう言って頭を下げたのだ。

 

 そして影浦は、その意を汲んだ。

 

 七海を叱咤する役目を村上に任せ、彼が立ち直るのを待った。

 

 結果として、その選択は間違ってはいなかった。

 

 後日、影浦の下を訪れて頭を下げた七海は、それまでにない晴れやかな顔をしていた。

 

 その顔を見て、思った。

 

 ああ、こいつはようやく、過去の悲劇に折り合いを付けられたんだな、と。

 

 それを為したのが自分でない事に多少思う所がないでもなかったが、そもそもあれこれと世話を焼くのはどうにも性に合わない。

 

 らしくない事をするくらいなら、村上に任せて待っていた自分の判断は間違ってはいない。

 

 そう自分に言い聞かせ、影浦は過去を呑み込んだ七海を受け入れた。

 

 それからの七海達那須隊の快進撃は、影浦も目にしていた。

 

 それまで碌に試合ログを見ていなかった影浦であったが、七海達が出る試合は必ずチェックするようになった。

 

 自分が見せたマンティスをモノにして村上を仕留めたシーンを見た時は、我知らず喝采をあげたものだ。

 

 その状況を偶然やって来たユズルに見られて生暖かい視線を送られたりもしたが、そこはそれ。

 

 ともあれ、七海の戦いぶりは影浦の満足するものであった。

 

 これなら、楽しめそうだ。

 

 掛け値なしの本音で、影浦はそう感じた。

 

 今の七海なら、()()相手として相応しい。

 

 影浦は、その確信を抱いて戦場へと繰り出した。

 

 

 

 

「────よぉ、七海」

「カゲさん」

 

 茜と生駒が緊急脱出し、一人瓦礫の上に立つ七海。

 

 その彼の下に、一人の少年が姿を見せた。

 

 少年の名は、影浦雅人。

 

 影浦隊の攻撃手にして、スコーピオンの名手。

 

 七海の師匠にして、恩人。

 

 以前、最悪の形で失態を見せてしまった相手。

 

 七海の胸に、あの時果たせなかった約束が蘇る。

 

 影浦を、超える。

 

 その約束(誓い)を果たす為、七海は、影浦は、今この場に立っている。

 

 既に、他に生き残りはいない。

 

 正真正銘、七海と影浦の一騎打ち。

 

 その状況が、遂に整った。

 

 想起される、影浦との思い出。

 

 影浦は、自分を追い込む事しか出来なかった七海を、人並みの日常へ引っ張り上げてくれた恩人である。

 

 荒船は最初の師匠として尊敬しているし、村上も大切な親友だ。

 

 そして影浦は、最も慕う先達であり、七海にとって兄のような存在だった。

 

 言葉は乱暴ながらも気遣いを忘れない彼の心配りに、どれだけ助けられて来たかは知れない。

 

 彼がいなければ、今の自分はいなかっただろうと、そう確信している。

 

 故に、想う。

 

 今度こそ、無様な姿は見せはしない。

 

 全身全霊。

 

 自分の持てる全てで、師匠(かれ)を超える。

 

 それが自分に出来る影浦への恩返しであり、最大の返礼。

 

 思えば、長かった。

 

 自分が正式に那須隊に入隊し、上位まで駆け上がった今期。

 

 都合八回の戦いは、その何れもが激戦であった。

 

 ROUND1は、地形戦と初見殺しがなければ危なかった。

 

 そうでなければ、この時の七海では村上に負けていただろう。

 

 ROUND2は、自分の事を良く理解していた荒船に、一杯食わされた。

 

 荒船が自分との戦いに拘っていなければ、違う展開もあっただろう。

 

 ROUND3は、完膚なきまでに敗北して己の間違いに気付かされた。

 

 この時の敗北が、那須隊が先へ進む切っ掛けとなった。

 

 ROUND4は、香取がこちらを舐めていなければ、ROUND3で七海が自分の間違いに気付いていなければ、危うかっただろう。

 

 ROUND5は、紙一重だった。

 

 地下と閉所という組み合わせのMAPに行動を制限され、危うい場面が何度もあった。

 

 だが、総力を以て(格上)を仕留めた経験は、決して無駄にはならなかった。

 

 ROUND6は、香取隊の成長が著しかった。

 

 ROUND4の時のような未熟さから脱却し、きちんと戦術を以て戦いに臨んでいた。

 

 生駒隊も安定した強さであり、MAPの優位がなければ厳しかっただろう。

 

 ROUND7は、王子隊が地形戦を仕掛けて来た。

 

 開けた地形と砂嵐という二重苦を以て、那須隊と弓場隊を食い合わせようとするその戦術眼は流石と言える。

 

 弓場隊も、決して侮れる相手ではなかった。

 

 帯島は粗削りながらも光るところを見せ、弓場の近接火力と立ち回りは流石の一言だった。

 

 茜が生き残れていなければ、那須の機転がなければ、危なかっただろう。

 

 そして、最終ROUND。

 

 最大の脅威である二宮隊は勿論の事、生駒隊や影浦隊も強敵揃いだった。

 

 上手く二宮隊を分断し孤立させる事に成功出来ていなければ、試合展開は全く違うものになっていただろう。

 

 先程下した生駒との戦いも、また紙一重であった。

 

 そんな強敵(ライバル)達との戦いの末に、今がある。

 

 今、念願であった影浦との戦いが本当の意味で叶う。

 

「さあ」

 

 影浦が地面を踏みしめ、その手にスコーピオンを構えた。

 

「行きます。カゲさん」

 

 七海が腰を沈め、その手にスコーピオンを手にした。

 

「────────遊ぼうぜ、七海」

「はい……っ!」

 

 両者が刃を構え、激突する。

 

 最終ROUND、ラストバトル。

 

 七海と影浦の一騎打ちが、遂に幕を開けた。





 ようやく、此処まで来ました。

 このランク戦編は、此処に辿り着く為のもの。

 七海と影浦の一騎打ち、どうかご照覧あれ


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影浦雅人②

 

 戦端を切ったのは、影浦の方だった。

 

 スコーピオンを繋げた派生形、マンティス。

 

 そのリーチを用いて、首狩り鎌が七海に向かって振るわれる。

 

「────」

 

 無論、それを素直に受ける七海ではない。

 

 七海は身体を沈め、首を狙ったマンティスを回避。

 

 同時に、右手に持っていた短刀型スコーピオンを投擲。

 

 飛び道具と化した刃が、影浦の胸を狙う。

 

「おらぁ……っ!」

 

 影浦は、身体を捻る事で最小限の動きでその投擲を回避。

 

 下から抉り込むように、再びマンティスの刃を振るう。

 

「……!」

 

 七海はそれを、サイドステップで回避。

 

 そのまま軸足で地面を蹴り、影浦の下へ接近する。

 

 その手に携えるは、スコーピオン。

 

 短刀型のそれを握り、影浦へと斬りかかる。

 

「ハッ……!」 

 

 だが、影浦はその刃の振り下ろした先に三日月形のスコーピオンを展開。

 

 七海の刃を受け止め、そのまま右腕を振るう。

 

 影浦と七海は、双方共にスコーピオンをメインとする攻撃手だ。

 

 スコーピオンの最大の利点は、その応用性。

 

 身体の何処からでも生やせるブレードという特性を利用する事で、使い手次第で幾らでも用途を広げられるのだ。

 

 そして、スコーピオン使いとは迂闊に接近してはならない。

 

 身体の何処から刃が出て来るか分からない以上、下手な接近を許せば突如展開されたブレードに貫かれる可能性が高い。

 

 その証拠に、影浦も身体のギリギリではなくブレードが懐に入る前に防御している。

 

 サイドエフェクト、感情受信体質。

 

 影浦のそれは攻撃を察知出来るという点では七海の感知痛覚体質と同種のサイドエフェクトと言えるが、その仕組みは異なる。

 

 まず、七海の感知痛覚体質の場合はダメージが発生する範囲そのものを直接知覚し、無差別攻撃や偶発的な事故であっても感知出来る。

 

 感情受信体質の場合は相手の敵意や殺気を感知し、それによって結果的に相手の行動を予測、攻撃位置を感知する。

 

 故に殺気の籠もらない攻撃や偶発的な事故は感知出来ないが、代わりに相手の心理状態をある程度感知出来るという利点もある。

 

 更に言えば、七海の副作用の場合はダメージの大小やそれが陽動か本命かまでは感知出来ないが、影浦の能力の場合はそれを感知する事が出来る。

 

 共通するのは、どちらも狙撃も不意打ちも()()()()()効かないという点だ。

 

 双方共に攻撃を感知する事は出来るが、それは攻撃を避けられる事とイコールというワケではない。

 

 影浦の場合は殺気の籠もらない攻撃や人の意思が関わらない事故は感知出来ず、七海は鉛弾のようなダメージ判定の発生しない攻撃は感知出来ないし、牽制や陽動が有効である。

 

 だが、だからと言ってこの二人に攻撃を当てるのは並大抵の労力ではない。

 

 基本的に攻撃は全て感知されるし、不意打ちもよほど巧くやらない限りは決まらない。

 

 彼等はいわば第六感を所持しているワケであり、視える世界がそもそも違う。

 

 サイドエフェクトを持つ者の感覚は、同じサイドエフェクト持ちにしか分からない。

 

 影浦と七海が見ている世界は同じではないが、限りなく酷似しているものではある。

 

 故に、二人の戦いは、他の者のそれとは一線を画す。

 

 彼らの攻防は、打ち合わせの末に行う舞踏に近い。

 

 お互いに、いつ何処を攻撃するのかが理解出来る者同士の戦い。

 

 通常の戦いとは、前提条件が違う。

 

 単発の攻撃は、回避されて当たり前。

 

 身を潜めても、攻撃のタイミングが察知される以上意味はない。

 

 故に、彼等の戦いを決定づけるのは、攻撃力ではなく制圧力。

 

 如何に相手の攻撃をやり過ごし、相手の隙を生成し、それを突くか。

 

 これは、そういう戦いなのだ。

 

 双方、そう簡単にダメージは通らない。

 

 だからこそ、最初の一撃を当てた方が優位になる。

 

 それも、ただ当てるだけでは意味がない。

 

 互いに攻撃を感知出来る為、急所狙いの攻撃が通る確率は非常に低い。

 

 一撃で相手を仕留める難易度が非常に高い以上、どの部位に攻撃を当てられるかが勝敗に直結する。

 

 理想は足を削って機動力を削ぐ事だが、片腕を削ればそれだけ攻撃の連続性が失われる。

 

 つまり、狙うのであれば手足。

 

 四肢を削り、戦力を削いだところに本命の一撃を叩き込む。

 

 それが、この戦闘での最適解。

 

 だからこそ、影浦の右腕も恐らくは腕か足を狙って来るだろう。

 

 影浦相手に機動力を削がれればそれだけで敗色濃厚となる上、腕をやられても攻撃の手数に影響して非常に不利になる。

 

 故に、取るべき選択肢は明白。

 

「何……っ!」

 

 影浦が、七海の挙動を見て舌打ちする。

 

 選んだ行動は、その場からの一時的撤退。

 

 七海はグラスホッパーを踏み込み、影浦の腕が振るわれる前にその場から離脱した。

 

「────」

「ち……っ!」

 

 そして再び、七海はスコーピオンを投擲。

 

 先程と同じ、投擲攻撃。

 

 だが、全くの同じではない。

 

 今度の投擲は、一発では終わらない。

 

 二発目。

 

 左腕に展開したスコーピオンを、七海は更に投擲した。

 

「ハッ、効くかよ……っ!」

 

 されど、たかが二発。

 

 その程度の直線軌道、影浦に躱せない筈もない。

 

 影浦はその場から動くまでもなく、体捌きだけで投擲されたスコーピオンを躱す。

 

「あぁ……っ!?」

 

 だが、その直後。

 

 影浦が回避したスコーピオンが、即座でその場で砕け散った。

 

 無論、影浦は何もしていない。

 

 そして、スコーピオンが空中で自動的に破砕される筈もない。

 

 ならば、答えは一つ。

 

 使用者が、自ら破棄したのだ。

 

 次弾の装填を、行う為に。

 

「────」

「ちぃ……っ!」

 

 当然の如く、七海はその手に再びスコーピオンを生成し、再び投擲する。

 

 更に、投擲されたスコーピオンは狙いから外れた、もしくは防御された時点で破棄。

 

 即座に枠を空ける事で、次弾のスコーピオンを生成する。

 

 その結果。

 

 スコーピオン二刀による、連続投擲攻撃が実現する。

 

「ハッ、随分な手品を覚えやがったな……っ!」

「……!」

 

 連鎖する、スコーピオンの弾丸。

 

 それを丁寧に捌きながら、影浦は距離を詰めて来る。

 

 投擲を躱し、刃を弾き、横薙ぎの斬撃で打ち砕く。

 

 幾度もそれを繰り返し、前へ前へと進み続ける。

 

 現在、七海はマンティスが届かないギリギリの位置で戦っている。

 

 マンティスであれば七海も使用出来るが、影浦のそれとは練度が違う。

 

 仮に同じ射程でやり合った場合、軍配が上がるのは影浦の方だろう。

 

 故に、まともな中距離戦には付き合わない。

 

 適時位置を調整し、牽制を仕掛け、隙を見つけ次第そこを突く。

 

 様々な手練手管を用いて、何が何でも影浦の隙を捻出する。

 

 この連続投擲も、その一つ。

 

 無論、これ一つで影浦を仕留められるとは思っていない。

 

 そも、影浦は、七海の師匠は、そんな甘い相手ではない。

 

 故に。

 

 この身の持てる全てを用いて、難攻不落の壁に亀裂を撃ち込み穿つ。

 

 既に、邪魔をする者は誰もいない。

 

 故に、後先考えず、この一戦に全霊を注ぎ込める。

 

 もう、仲間からの援護は望めない。

 

 だがそれで良いと、七海は考えていた。

 

 これは、この戦いだけは、七海の独力でやり遂げたい。

 

 そんな想いが、彼の中で渦巻いていた。

 

 こんな事は、初めてだった。

 

 村上や生駒と戦った時でさえ、七海は隊の勝利を最優先に考えていた。

 

 確かに、村上や生駒と尋常に勝負をしたいと思っていたのは本当だ。

 

 けれど七海は、そんな個人の願望より、より確実なチームの勝利を優先する。

 

 事実、生駒との戦いでは茜という手札(カード)を躊躇いなく使用した。

 

 たとえ個人の欲が出ようと、隊の勝利の為と割り切ればそれを押し殺す事が出来る。

 

 それが、七海という少年の特徴だった。

 

 だが、今この場に置いて、七海のチームメイトはその全員が脱落している。

 

 そして、戦うべき相手は、影浦一人だけ。

 

 他者の介入の恐れはなく、味方の援護は望めない。

 

 故に、今この瞬間、七海は自由となっていた。

 

 チームの為だとか、効率重視の策だとか、そういった軛から今の七海は解き放たれている。

 

 その眼に映るのは、目の前の影浦(師匠)のみ。

 

 だからこそ、全身全霊をこの戦いで燃やし尽くせる。

 

 本当の意味で、今舞台は整っているのだ。

 

 那須隊の七海ではなく、ただの七海玲一として。

 

 影浦隊の隊長ではなく、ただの影浦雅人として。

 

 二人は、この場に立っていた。

 

 互いに、考えているのはこの戦いの事のみ。

 

 余計な雑念は、今の彼等には有り得ない。

 

 持てる全てのリソースを、この戦闘に注ぎ込んでいる。

 

 刃を投擲する七海と、それを避け鞭刃を振るう二人の動きは、まるで舞踏。

 

 影浦は止まらない七海の攻撃を捌き続け、七海も常に動き続けながら投擲を継続する。

 

 今この場に、余計な障害物は存在しない。

 

 それは七海の三次元機動がほぼ封じられている、という意味でもあったが、同時に建物を壁にすることは出来ない事をも意味している。

 

 影浦の機動力は、高い。

 

 三次元機動を得意分野とする七海とは違い、影浦はひたすらに身体の使い方が巧いのだ。

 

 動作が機敏で、その反射神経はまさに獣の如し。

 

 恐らくは、マンティスを使いこなす為に鍛え上げた回避技術。

 

 だが、回避技術ならば七海とて負けてはいない。

 

 七海はこれまで、太刀川に斬られまくり、出水に撃たれまくり、強引に回避技術を高めていった。

 

 彼の成長が軌道に乗るまでに、何百回やられ続けたかは知れない。

 

 それに加えて、七海は時間さえあれば様々な手札を学習し続ける。

 

 そう易々と、捉えられたりはしない。

 

 二人は依然、戦いの舞踏を踊り続けている。

 

 

 

 

「おーおー、器用なこって」

 

 上層観覧席。

 

 そこでは、当真を始めとした面々が七海と影浦の戦闘画像を食い入るように見つめていた。

 

 当真はそんな中、興味深げに試合映像を眺めて顎に手を当てていた。

 

 映像の中では、繰り返しスコーピオンを投擲する七海と、それを捌く影浦の姿が映し出されている。

 

 無論、それを見ていたのは当真だけではなかった。

 

「投擲と破棄を繰り返す事でのスコーピオンの連続投擲か。面白い事を考えるな」

「だろー? だからあいつ、面白いんだよ」

 

 風間と太刀川は、感心するような声を漏らす。

 

 事実、今七海が行っている技術は見た目ほど簡単なものではない。

 

 投擲したスコーピオンを適切なタイミングで破棄しなければ次弾を装弾する事は出来ず、攻撃の連続性が失われる。

 

 早過ぎれば回避する手間をなくしてしまい、遅過ぎれば相手に余裕を与えてしまう。

 

 そう考えれば、かなりシビアなタイミングを要求される高等技術であった。

 

 七海の技術の高さが伺える一幕であると言える。

 

「けど、なんでわざわざあんな真似してんだ? 遠距離攻撃なら、七海にはメテオラがあんだろ」

 

 だが、同時にやる意義が分からない技術でもある。

 

 ただ遠距離攻撃をしたいだけなら、当真の言う通り七海にはメテオラがある。

 

 わざわざ、両攻撃(フルアタック)のリスクを背負ってまでスコーピオンの投擲を繰り返す戦術的な意味が、出水には理解し難かった。

 

「恐らく、マンティスの習熟度による射程の差をカバーする為だろうな」

「射程の差、か」

 

 ああ、と風間は続ける。

 

「七海も影浦もマンティスを使用出来るが、当然習熟度で言えば影浦の方が圧倒的に上だ。ただでさえ近距離での両攻撃のリスクを背負うマンティスをその本家である影浦相手に使うのは、少々以上に危険だ」

 

 そう、七海も影浦も、双方共にマンティスは使用出来る。

 

 だが、影浦はその技術の本家本元。

 

 当然、習熟度やマンティスを用いた戦闘でも影浦の方に一日の長がある。

 

 マンティスを用いて影浦と戦り合うのは、分の悪い賭けと言っても過言ではない。

 

「かと言って、マンティスを掻い潜って影浦の懐に飛び込むのも容易ではない。牽制の為の中距離攻撃の手段は、どうしたって必要になる。そこであいつが選んだのが、あのスコーピオンの投擲だ」

「けど、それなら猶更メテオラでもいい筈だろ? なんであんな面倒な真似してんだ?」

「節約と、メテオラを使った場合のデメリットを考慮しての事だろうな」

 

 まず、と風間は前置きして続ける。

 

「この試合、七海は二宮を足止めするにあたってメテオラを大量に用いていた。二宮の足場を消す、という目的上仕方ない事だったが、当然その分の負担は無視出来ない」

「メテオラは、射撃トリガーの中でも一番燃費がきついからなー。幾ら七海のトリオンが多いからって、限度ってモンはあんのさ」

 

 七海はこの試合で、二宮の足止めをしつつ彼の足場となる場所を破壊する為、大量のメテオラを使用していた。

 

 彼の豊富なトリオンを以てしても、此処までの大破壊を齎すには相応の時間とリソースを必要とする。

 

 そして、メテオラのトリオン消費は射撃トリガーの中でも著しく高い。

 

 当然それだけ多くのトリオンを使えば、トリオン強者である七海とて消耗するのは当然であった。

 

「対して、スコーピオンの消費トリオンはかなり低い部類に入る。少なくとも、メテオラを使うよりは高効率な筈だ」

「そうですね。正直、雲泥の差でしょう」

 

 万能手としてスコーピオンと射撃トリガーの両方を使う歌川が、風間の説明を肯定した。

 

 確かに、メテオラとスコーピオンでは正直トリオン消費の差が歴然に過ぎる。

 

 どちらを使った方がトリオンを節約出来るかは、一目瞭然だ。

 

「更に、影浦はサイドエフェクトでメテオラの爆破範囲を感知出来る。あいつの体捌きなら、爆破範囲を見切った上でメテオラの影から七海を不意打ち出来てもなんらおかしくはないだろう」

 

 そう、七海が得意とするメテオラ殺法は彼がメテオラの爆破範囲を正確に感知出来る事を前提とした戦術だが、今回に限って言えばそのアドバンテージは七海一人のものではない。

 

 影浦もまた、メテオラの爆破範囲を正確に感知出来るのだ。

 

 無論、感知する対象が違う為に七海ほど正確ではないだろうが、大まかな位置さえ分かれば後はどうとでもなるのだ。

 

 故に、影浦相手にメテオラ殺法は効果が薄い。

 

 逆に、メテオラを目晦ましに利用され接近される危険性の方が高いとさえ言える。

 

「だから、あいつは射程の差をカバーする方法としてスコーピオンの投擲を選んだというワケだ。あの技術は使えるな。今度レクチャーを頼んでみるか」

「全くもう。あんなのがあるんだったら早く教えて欲しいよね」

 

 ぶつくさと呟きながら、菊地原は画面の中で戦う七海を見据える。

 

 スコーピオンの投擲を用いて影浦と戦う七海の顔は、当然ながら必死さが前面に出ている。

 

 だが。

 

「…………ホント、楽しそうだよね」

 

 ぼそりと、菊地原が呟く。

 

 彼の耳には、届いていた。

 

 微かな、しかし確かに漏れ出た七海の笑い声が。

 

 今の七海に、ROUND3の時のような陰りはない。

 

 慕う師匠と二人きりで、全力で一騎打ちに興じている。

 

 七海にあんな声を出させたのが自分ではなく彼である事に思うところがありながらも、菊地原は一人、想う。

 

「…………思う存分やってよね、もう。それが、やりたかった事なんでしょ」

 

 菊地原の呟きが空気に溶けて、消える。

 

 七海と影浦。

 

 弟子と師匠。

 

 その二人が、全霊の闘志を以て今尚ぶつかり合っていた。

 

 けれど、長くは続かないだろう。

 

 誰もが、感じている。

 

 今回も、また。

 

 短期決戦に、なるだろうという事を。





 異能バトル杯お疲れ様でした。

 わたしも『イーターイーター』という作品で参加していました。

 昔考えたアイディアの没案の蔵出しです。

 異能バトル杯、中々に楽しかったです。


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影浦雅人③

 

「おーおー、戦り合ってやがるな」

「ええ、そうですね」

 

 観客席の一角。

 

 そこでは荒船と村上が、並んで試合を観戦していた。

 

 チームメイトは予定が合わずにこの場にはいないが、それでも二人はこの試合を見逃すワケにはいかなかった。

 

 他ならぬ、七海と影浦の大一番。

 

 彼らが切望していた、ランク戦での真剣勝負。

 

 それが今、叶っているのだから。

 

 荒船は、七海の最初の師匠として。

 

 村上は、七海の親友として。

 

 そして、影浦の友人として。

 

 この試合を見届ける義務があると、そう思ったからだ。

 

 ROUND3の時は叶わなかった、二人だけの真剣勝負。

 

 それに興じている二人を見て、浮かぶ感情は様々だ。

 

 荒船も村上も、ランク戦で七海相手に一騎打ちで敗北している。

 

 他者の介入こそあったが、そもそもチームランク戦をしている以上本当の意味での一騎打ちなど有り得ない。

 

 その形に近くなったとしても、その本質は集団戦。

 

 仲間がいるのなら、必要に応じて連携するのは当たり前だ。

 

 想いだけでは勝てない、というのはよく太刀川が言っている言葉だ。

 

 相手に勝ちたい、と渇望して鍛錬するのはあくまで大前提に過ぎない。

 

 戦術を構築し、相手チームを研究し、様々な状況に対応出来るように幾つもプランを走らせる。

 

 そうした事前準備があって初めて、本当の意味での集団戦に臨めるのだ。

 

 鍛錬するのはむしろ常識。

 

 その上で、どれだけ具体的な策を用意しそれを実行出来るか。

 

 それが、ランク戦を勝ち残る上での肝と言える。

 

 七海はただ、この原則に忠実なだけだ。

 

 相手が一騎打ちを望んでいたとしても、たとえその相手が旧知の親しい相手だったとしても。

 

 七海は、()()()()()としてチームの勝利を第一に考える。

 

 それが七海の強みであり、此処まで那須隊を引っ張り上げられた理由でもある。

 

 荒船は、そんな七海に一騎打ちに応じたと錯覚させられて敗北した。

 

 村上は、強引に1対1の状況を作りながらも東の介入を許し結果として敗北してしまった。

 

 しかし、その事に後悔はない。

 

 一騎打ちに興じたのは、あくまで荒船達の都合。

 

 結果として負けたとはいえ、その事に変わりなどない。

 

 相手が一騎打ちに付き合わなかったとはいえ、その事を責めるのはお門違いだ。

 

 故に、荒船達の脳裏に飛来するのは純粋な悔しさと、昂揚。

 

 影浦は、村上も荒船も、そして七海も勝ち越せていない相手。

 

 そして七海は、荒船と村上を直接対決で下している。

 

 そんな二人が戦えば、どうなるのか。

 

 普段行っている個人戦ではない。

 

 本番の、チームランク戦。

 

 その、最終ROUND。

 

 一世一代の大舞台で、二人がどのように戦い、どのように決着するのか。

 

 それが見たい。

 

 だからこそ二人は、此処にいる。

 

 二人の戦いを。

 

 師匠と弟子の一騎打ちを、友人同士の果し合いを。

 

 直に、見届ける為に。

 

「楽しそうだな、カゲ」

 

 村上は、笑みを浮かべてそう溢す。

 

 彼の、その視線の先。

 

 そこには、不敵な笑みを浮かべながら戦う二人の姿が画面に映し出されていた。

 

 

 

 

「いい加減、うざってえな……っ!」

 

 七海のスコーピオン投擲に対し、影浦は身体を捻る事で最小限の動きで回避。

 

 そのまま先へ進もうとするが、それは七海が許さない。

 

 今度は影浦の足に向かって、二発目のスコーピオンが飛来。

 

 影浦は舌打ちと共に、一歩下がって回避する。

 

 先程から、この繰り返し。

 

 七海は、影浦が動く先を予測し、その先にスコーピオンを投げつける事で動きを縛っている。

 

 影浦の、マンティスの射程に入らないようにする為に。

 

 マンティスは七海も使えるが、習熟度で言えば影浦が圧倒的に上。

 

 そも、マンティスは影浦が独自に編み出した発展技術である。

 

 本家本元に、模倣である七海が熟練度で勝てる通りはない。

 

 そもそも、七海と影浦とでは戦闘スタイルが違う。

 

 七海は障害物やグラスホッパーを活用した三次元機動で相手を翻弄し、隙を作り出す戦術。

 

 対して、影浦はその身のこなしだけで相手に接近し、マンティスを鞭のように用いてその射程と変則的で軌道で不意を突く。

 

 七海が機動力と回避能力での攪乱に特化した戦術なら、影浦のそれはひたすらに攻撃に特化した戦術だ。

 

 チーム単位での運用を基本とする七海と戦術に対し、影浦は完全に単騎での運用を前提としている。

 

 それは、チームの構成上の違いもある。

 

 那須隊は七海が機動力を用いた攪乱を行い、那須を中核とした中距離の射撃戦で相手を制圧し隙を突いて得点するのが基本戦術である。

 

 対して影浦隊は、北添が落ちる事すら前提とした立ち回りで隙を作り、影浦というエースを乱戦に放り込んで得点を重ねるスタイルである。

 

 その為、立ち回りの方向性それ自体が違う。

 

 相手を単騎で落とす為の動きの精度であれば、影浦の方が上なのだ。

 

 無論、七海とてチャンスがあれば得点するし、自分が相手を仕留めなければならない場合は躊躇しない。

 

 だが、どうしたって経験の方向性の違いは出て来る。

 

 七海は機動力こそが命である為被弾は可能な限り避けなければならないが、影浦は七海ほど被弾に関して頓着してはいない。

 

 自分が落とされる前に、一人でも多く相手を落とせればそれで良い。

 

 そういった割り切りが、影浦にはある。

 

 更に、近距離での細かな立ち回りも、また影浦に分がある。

 

 七海は地形による有利不利がかなり如実に反映されるが、影浦は地形による有利が七海ほど顕著ではない分、どんな場所だろうと安定して立ち回れる。

 

 強いて言えば障害物だらけの閉所が影浦の得意とするフィールドだが、こういった開けた場所でも充分以上に戦える。

 

 むしろ、足場とする障害物がない分、影浦が有利とも取れるだろう。

 

 トリオンに余裕があればグラスホッパーで上空に上がって一方的にメテオラを落とし続ける、という策も実行可能だったが、現状それをしたところでさしたる意味はない。

 

 影浦の動きを止める事は出来るだろうが、メテオラの連打だけでは彼を仕留める事は出来ないだろう。

 

 ()()()()に繋がらない限り、メテオラの不用意な使用は悪手だ。

 

 七海は二宮を抑える時、この場の建造物を破壊し尽くす為に相当量のメテオラを使用している。

 

 幾ら七海の高威力のメテオラとはいえ、この周辺一帯から足場を破壊し尽くす為には、それだけの数が必要になったという事だ。

 

 故に、今すぐに落ちる程ではないが、普段のようなメテオラの濫用が出来ない程度には消耗している。

 

 明確な決め時でない限り、メテオラの使用は控えるべきだろう。

 

 かと言って、このままの状態が続くのもそれはそれでよろしくない。

 

 スコーピオンの投擲は確かに影浦の動きを制限する事は出来ているが、両攻撃(フルアタック)を前提とした動きである以上、追撃に繋げる事は困難だ。

 

 ならば何故、こんな挙動を続けているのか。

 

 それは────。

 

「ハッ、しゃらくせえんだよっ!」

「……!」

 

 不意に、影浦が動いた。

 

 七海のスコーピオンを避けるのではなく、マンティスを用いて叩き落としたのだ。

 

 鞭のようにしなるマンティスが、二撃連続で投擲されたスコーピオンを纏めて薙ぎ払う。

 

 当然、次の一撃までの間隙が出来る。

 

 そこを、影浦が見逃す筈がなかった。

 

「そら、行くぜっ!」

「……っ!」

 

 影浦はその隙を突き、こちらに向かって駆け出した。

 

 そのスピードは、速い。

 

 野生の獣の如きしなやかな動きで、影浦は一気に七海に肉薄する。

 

 既に、マンティスの射程圏内。

 

 攻撃を躊躇う理由はなく、影浦は腕から伸ばした首狩り鎌を振るう。

 

 文字通り獲物を仕留める蟷螂のような動きで、しなる刃が七海に斬りかかる。

 

 七海はそれを、バックステップで回避。

 

 当然影浦は、その後を追う。

 

「……!」

 

 七海は後退するのではなく、力強くその場の瓦礫に足を叩き付けた。

 

 飛び散る瓦礫が、影浦の視界を塞ぐ。

 

 震脚とまではいかないが、トリオン体の膂力を以て巻き上げられた瓦礫が障害物として立ちはだかる。

 

「邪魔だ……っ!」

 

 無論、トリオン体にとってそれはただの障害物。

 

 影浦の腕の一振りで、飛び散った瓦礫は薙ぎ払われる。

 

 だが、その瞬間。

 

 影浦の動きは、一瞬止まる。

 

 そう。

 

 この瞬間をこそ、七海は待っていた。

 

「……っ!」

 

 影浦のサイドエフェクトが、警鐘を鳴らす。

 

 突き刺さる敵意は、背後。

 

 影浦の真後ろの、地面。

 

 そこから、瓦礫の合間を縫って伸びたブレードが付きだされる。

 

もぐら爪(モールクロー)か……っ!」

 

 地面を通過して遠隔で刃を叩き込むスコーピオンの技法の一つ、もぐら爪。

 

 それが、迫っていた敵意の正体。

 

 七海は、ただ闇雲にスコーピオンを投げ続けていたワケではない。

 

 全ては、影浦に()()()()()()()()為。

 

 投擲を続ける事で七海が距離を取りたがっていると錯覚させ、自ら距離を詰めるよう誘導する。

 

 それが、スコーピオン連続投擲を行った目的の一つ。

 

 射程の不利をなくす為の、七海の一手。

 

 だが、これで易々とやられる程影浦も甘くはない。

 

 敵意の正体を看破した影浦は、身体を捻って難なくそれを回避する。

 

「甘ぇんだよ……っ!」

 

 そして同時に、マンティスを用いて七海の足を狙う。

 

 もぐら爪には一つ、決定的な弱点がある。

 

 それは、使用中はその場から動けなくなる、という事だ。

 

 もぐら爪は自身の足から地面に直接スコーピオンを突き刺し、地面や壁を経由して相手を狙う。

 

 故に、使っている最中は使用者はスコーピオンによってその場に縫い留められてしまうのだ。

 

 これは、接近戦に置いてかなり致命的な欠点と言える。

 

 もぐら爪はその性質上、相手の不意を突く形で使われる。

 

 つまり、相手の側面や背後からブレードを伸ばす形が基本となる。

 

 故に、もぐら爪で伸ばしたブレードは位置的に防御に使えない。

 

 そして、大抵のブレードトリガーは、シールドの1枚程度であれば叩き割れる。

 

 回避も防御も不可能な状態を自ら作り出してしまうデメリットは、決して無視出来るものではない。

 

 だからこそ、もぐら爪を使用する際は慎重にならなければならないのだ。

 

 特に、七海のようなスピードアタッカーにとっては。

 

 スピードアタッカーは、基本的に足を止める事それそのものがリスクとなる。

 

 つまり、もぐら爪との戦術的な相性は最悪に近い。

 

 七海がこれまで殆どもぐら爪を用いて来なかった理由も、それだ。

 

 サイドエフェクトを用いた回避を戦術の主眼に置く七海にとって、もぐら爪の足を止める、というデメリットは致命的だ。

 

 幾ら攻撃が来る事が分かっていても、それを避けられないのなら意味はない。

 

 故に、今この時こそ影浦にとって絶好の好機。

 

「喰らいやがれ……っ!」

 

 足が止まった七海など、羽のない鳥と同じ。

 

 此処で、仕留める。

 

 その意思を以て、影浦は右腕のマンティスを振るった。

 

「────かかりましたね」

「……っ!?」

 

 必殺の意思の下、振り抜かれた影浦のブレード。

 

 七海はそれを、()()()()躱して見せた。

 

 有り得ない。

 

 もぐら爪の使用中は、その場から足を動かせない筈だ。

 

 なのに、七海は動いた。

 

 それは、どういう理屈か。

 

 その答えは、七海の足元に在った。

 

 七海が踏み砕き、空洞を覗かせた瓦礫の地面という形で。

 

「チッ……! そういう事かよ……っ!」

 

 そう、七海が使ったのは、()()()()()()()()

 

 ただ、瓦礫の隙間を通してスコーピオンを伸ばしただけだ。

 

 今彼らが立っている場所は、厳密に言えば地面ではない。

 

 地面の上に積み重なった、瓦礫の山。

 

 つまり、瓦礫同士の間には当然ながら空洞がある。

 

 七海が最初に地面を踏み砕いたのは、ただ瓦礫を巻き上げる為だけのものではない。

 

 その本当の目的は、空洞に繋がる()を空ける為。

 

 自分がもぐら爪を使ったと、影浦に誤認させる為である。

 

 事実、影浦は七海がもぐら爪を使ったと思い込み、こうして踏み込んで来た。

 

 必殺を意識した時こそ、人は隙を晒す。

 

 この時、この瞬間こそ七海が作り出した影浦の隙。

 

 このチャンスを、逃すワケにはいかない。

 

 狙うは、影浦の右腕。

 

 マンティスを振るう為に伸び切った直後の、その長腕。

 

 まずは腕を斬り落とし、あわよくばそのまま致命傷を狙う。

 

 一閃。

 

 七海は右腕に握ったスコーピオンを、勢い良く振り下ろした。

 

「ち……っ!」

 

 影浦はその斬撃に対し、咄嗟に腕を引っ込める事で対処した。

 

 だが、一歩遅い。

 

 七海のブレードは、影浦の右手首を斬り落とした。

 

(浅いか……っ!)

 

 本当なら腕そのものを落とすつもりであったが、そう上手くは行かなかった。

 

 けれど、取り合えず痛手を与える事は出来た。

 

 そう考え、七海は追撃の一手を繰り出そうとする。

 

「オラァ!」

「……!」

 

 だが、影浦の動きの方が、速い。

 

 影浦は斬り落とされた右腕の断面から即座にマンティスを生やし、七海を斬りつけた。

 

 咄嗟に右に跳躍し、七海はそれを回避する。

 

 コンマ一秒。

 

 間に合わなければ、七海の腕は斬り落とされていただろう。

 

 けれど、間に合った。

 

 七海のサイドエフェクトが反応し、脊髄反射で身体が回避行動を取った。

 

 だからこそ、間に合った。

 

「甘ぇよ」

「が……っ!?」

 

 ────────だが、次の瞬間その結果は覆った。

 

 影浦は、右足を用いて七海を横へ蹴り飛ばした。

 

 トリオン体は、基本的にトリガーを用いなければ傷付かない。

 

 故に蹴りや殴打をされたとしても、それにトリガーが伴わない以上痛み(ダメージ)は発生しない。

 

 だが、影浦の狙いはそこではない。

 

 蹴られても確かにダメージは発生しないが、吹き飛ばす事、相手を押し込む事は出来る。

 

 即ち、影浦が振るったマンティスの、刃先の位置へ。

 

 当然の如くブレードに押し込まれた七海の右腕は、肘から先が切断される。

 

 痛み分けとしては痛過ぎる欠損(ダメージ)を負い、七海はその場から飛び退いた。

 

「もっと斬り合おうぜぇ、七海。まだ、遊び足りねぇんだからよ」

「…………望むところです」

 

 凶暴な笑みを浮かべる影浦に、七海も不敵な笑みを浮かべて返す。

 

 お互いにダメージはあれど、致命傷には遠い。

 

 故に、戦いはまだ終わらない。

 

 二人は再びブレードを持ち、斬り合いを再開した。





 ようやく評価が赤バーへと戻りました。

 高評価をくれた方々、ありがとうございます。

 これからも応援よろしくお願いします。


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影浦雅人④

 

「おーっと、此処で影浦隊長と七海隊員、共にダメージ……ッ! 影浦隊長は右手首を、七海隊員は右腕を失ったぁ……っ!」

「これは痛いね」

 

 王子は息もつかせぬ戦いを見て爛々と目を輝かせながらも、努めて冷静な口調でそう告げる。

 

 その言葉に、レイジも同意するように頷いた。

 

「そうだな。確かにダメージを受けたのはどちらもだが、七海の方が不利だ」

「ふむ、矢張り右手首と右肘では欠損による縛りが違うという事ですか」

「全然違うね」

 

 王子はそうだね、と指を立てて説明する。

 

「カゲさんもシンドバットも、共にスコーピオンの使い手だ。トミー、スコーピオンの利点はなんだと思う?」

「奇襲性と応用性、でしょうか。身体の何処からでも出せる、というのが一番のの利点では?」

 

 ふむ、と桜子の答えを聞いた王子は顎に手を当てる。

 

「そうだね。けど、ぼくはスコーピオンの最大の利点は、その汎用性にあると思っている」

「汎用性、ですか」

 

 ああ、と王子は続ける。

 

「スコーピオンは、弧月に比べて軽い上に()()()()というプロセスを極論必要としない。つまり、四肢のいずれかが欠損しても尚戦闘続行が可能だという利点がある」

「だが、欠損そのものが不利にならないというワケじゃない。手首が落とされれば当然ブレードの可動範囲に制限が出るし、先ほどのような投擲も出来なくなる。そして七海の場合、肘から先が斬り落とされているのが大きい」

 

 レイジの言葉に、王子も首肯し同意する。

 

「手首が無いのと、肘から先がないのとでは()()()に差が出るからね。ただでさえマンティスの習熟度で先を行かれている以上、この痛手は無視出来ないんだ」

「特に、これから起こるであろう戦闘に関してはな」

「ふむ、詳細を伺っても?」

 

 桜子の質問に構わないよ、と王子が答え解説する。

 

「まず、此処に来て撤退は有り得ない。何せ、シンドバットはようやくカゲさんに接近して射程の不利を消す事が出来たんだ。此処で退けば、またさっきの状況に逆戻りしてしまう」

「流石に、二度も接近を許す程影浦は甘くありませんからね。撤退が千日手に繋がる以上、距離を離す事はしないでしょうね」

 

 そう、今現在、七海と影浦の距離は近い。

 

 七海の誘いに乗り、影浦が自ら近付いて来たからだ。

 

 だが、一度離れてしまえば恐らく次は中距離からマンティスを連打して来るだろう。

 

 影浦の形成する鞭刃の結界を能動的に突破するのが困難である以上、此処で撤退はない。

 

 故に。

 

 此処から起こるであろう展開は、一つ。

 

「始まるよ。超近距離(ショートレンジ)での、削り合いがね」

 

 

 

 

「うらぁ!」

「……!」

 

 七海と影浦が、同時に腕を振るう。

 

 振るうのは、共に右腕。

 

 それぞれ腕の断面から伸ばしたスコーピオンを、相手に向かって叩き付ける。

 

 ガキン、と鈍い音が鳴った。

 

 スコーピオンの刃同士がぶつかり合い、鍔迫り合いになる。

 

 弧月であればこのまま力比べという選択もあるが、彼らが使用しているのはスコーピオン。

 

 軽く、脆く、そして何処からでも生やせる刃である。

 

「ハッ!」

 

 影浦の右肘から、新たなスコーピオンが出現。

 

 狙うは、七海の脇腹。

 

 更なるダメージを与えんと、影浦のブレードが迫る。

 

「……!」

 

 七海はそれを、脇腹から生やした三日月型のスコーピオンで防御。

 

 影浦の追撃を、同じ刃で受け止める。

 

「────」

「……っ!」

 

 しかし、影浦の攻勢は終わらない。

 

 すぐさま蹴りにより、七海の足払いを狙う。

 

(いや、違う……っ!)

 

 だが、七海は影浦の狙いをただの足払いではないと直感。

 

 蹴りが直撃する直前、七海は己の予感に従い足から三日月型のブレードを展開。

 

 影浦のつま先から出現したスコーピオンを、その刃で受け止める。

 

 七海のサイドエフェクト、感知痛覚体質はダメージ発生が確定した瞬間にそれを察知する。

 

 逆に言えば、スコーピオンの場合はブレードを展開してからでなければ感知出来ない。

 

 影浦はそれを知った上で、ブレードの展開をギリギリまで遅らせる事で七海の不意を突こうとしたのだ。

 

「成る程な」

「……!」

 

 この技術は、影浦も恐らく初めて試した代物。

 

 今の一撃は、七海の反応を図る為の試金石。

 

 そして、このやり方が有効であると察した以上、影浦の取る手段は一つ。

 

「行くぜ」

「……っ!」

 

 即ち、ギリギリまでブレードの展開を遅らせた上での徒手空拳。

 

 影浦はブレードを展開しないまま、右腕を七海に向かって突き出した。

 

 当然、今の攻防を記憶する七海はそれを避けるしかない。

 

 身体を捻り、影浦の掌打を回避する。

 

「────」

「……!」

 

 されど、それだけでは不足な事は影浦も、そして七海も知っている。

 

 突きだした腕の側面から出現したスコーピオンが、七海の首を狙い撃つ。

 

 回避が間に合わないと察した七海は、肩からスコーピオンを展開。

 

 防御用の三日月形の刃が、影浦のブレードを迎え撃つ。

 

「甘ぇ」

「……っ!」

 

 だが、刃を受け止める筈だった湾曲刃は、空を切る。

 

 影浦は、ブレードが七海の刃に触れる直前に、腕をしならせた。

 

 同時に、影浦の展開していたスコーピオンはその刀身を拡張。

 

 処刑鎌(マンティス)へと変化したブレードが、七海の脇腹を抉る。

 

「けど……っ!」

「ぐ……っ!」

 

 されど、ただダメージを貰って終わる七海ではない。

 

 両攻撃(マンティス)を使用した隙を狙い、左腕で即座にスコーピオンを投擲。

 

 それを身体を捻って回避した影浦の左腕を、右手から生やしたスコーピオンで斬り裂いた。

 

「ハ……ッ!」

「……!」

 

 左腕の肘から先を落とされた影浦は、笑っていた。

 

 獰猛な笑みを浮かべ、そんな事は関係ないとばかりに斬り落とされた肘から生やしたスコーピオンで七海を狙う。

 

「ハハ……ッ!」

「っ!」

 

 七海は身体を捻ってそれを回避し、すぐさま反撃。

 

 左腕でスコーピオンを振るい、影浦に刃を突き出した。

 

「ハハハハハハハハハハ……ッ!!」

「────!!」

 

 哄笑。

 

 それと共に、影浦は遠慮のない殺気と共に次々と両腕を振り下ろす。

 

 一度。二度。三度。

 

 七海と影浦。

 

 二人の刃の交錯する鈍い音が、戦場に鳴り響く。

 

 最早、多少のダメージなどお互いに全く気にしていない。

 

 ただ、斬り合う。

 

 それだけの為に、二人は刃を振るっていた。

 

 交わし合うのは、殺意の刃。

 

 されど、その想いは一つ。

 

 刃に殺意と親愛を込め、ただひたすらに斬り合い削り合う。

 

 それは、刃踊る輪舞(ロンド)

 

 何に憂う事もなく、ただお互いの全霊を尽くしてぶつかり合う友誼の舞踏。

 

 師匠と弟子。

 

 その垣根を超えた交錯を、今二人は実現していた。

 

 心臓が高鳴る。

 

 興奮剤(アドレナリン)が、戦意のアクセルを踏み鳴らす。

 

 此処に来て、二人は既にお互い以外見えてはいない。

 

 最終ROUNDの、大舞台。

 

 そこで実現した、師弟対決。

 

 その瞬間を。

 

 その一時を。

 

 ただ噛み締め、味遭い尽くす。

 

 難しい理屈は、何もない。

 

 影浦に聞けば、「楽しいから」と。

 

 七海に聞けば、「嬉しいから」と。

 

 そう答えて、二人は斬り合い(たたかい)を継続するだろう。

 

 最早、邪魔は入らない。

 

 余計な言葉も、必要ない。

 

 お互いの想いは、刃に込めて。

 

 ただ、ぶつけ合う。

 

 一合。二合。三合。

 

 否、何度でも。

 

 その想いを、交わし合う。

 

 嗚呼、叶うなら。

 

 いつまでも、この一瞬(とき)を続けていたい。

 

 そんな事さえ、思っていた。

 

 仮に、これまでで一番楽しい時間は何時かと聞かれれば、二人は揃って「今この瞬間」と答えるだろう。

 

 戦いを、楽しむ。

 

 その考えは影浦や村上が七海に教えたものだが、此処に来て七海は本当の意味で戦いそのものを楽しんでいた。

 

 これまでの七海は、自分が得点する事よりもチームの勝ちを優先し、己を歯車と成す事で勝利に貢献して来た。

 

 だが、今この時だけは、彼はその(くびき)から解き放たれていた。

 

 既に、彼等の他に生き残りはいない。

 

 得点も、既に充分なものを獲得している。

 

 仮にこの戦いに負けても、大きな不利とはならないだろう。

 

 だからこそ、この戦いを全力で楽しむ事が出来ている。

 

 だが。

 

 当然、七海も影浦も、負けるつもりは一切ない。

 

 この戦いの勝敗次第では、これまでの順位がひっくり返る。

 

 故に、楽しんではいるが、手は抜かない。

 

 全力で、勝ちに行く。

 

 それでこそ、この戦いに漕ぎ着けた甲斐があるというもの。

 

 これまでの全てを、この一戦に。

 

 影浦()を、超える。

 

 それこそが、何よりの恩返しだと信じて。

 

 

 

 

「玲一……」

「七海先輩……」

 

 その光景を、那須達は作戦室で固唾を飲んで見守っていた。

 

 既に、オペレートでどうこうなる次元ではない。

 

 正真正銘、二人の一騎打ち。

 

 故に彼女達はただ、見守っていた。

 

 チームメイトの。

 

 好いた少年の、戦いの行く末を。

 

 言葉が、出て来ない。

 

 初めて見たのだ。

 

 あんな、心の底から楽しそうに戦う七海の姿は。

 

 言いたい事は、色々ある。

 

 けれど、余計な言葉でこの戦いに水を差したくはない。

 

 だから、ただ一言。

 

 那須は、告げた。

 

「勝って、玲一」

 

 那須(しょうじょ)の声が、響く。

 

 それは確かに、七海(しょうねん)の心に届いていた。

 

 

 

 

「────」

「────」

 

 戦いは、佳境。

 

 既に、お互いが満身創痍。

 

 幾度もの斬り合いの果てに、七海は左足首を失い切り傷だらけ。

 

 影浦も左足を大きく斬り裂かれ、機動力を損なっている。

 

 二人のトリオンは、最早残り僅か。

 

 お互いに、既に当初のような機敏な動きは望めない。

 

 故に、次で決まる。

 

 この戦いの。

 

 そして、この最終ROUNDの、勝敗が。

 

 七海と影浦は、不敵な笑みと共に腕を構えた。

 

 身体が、沈む。

 

 足に、力が籠もる。

 

 それが、合図だった。

 

「……!」

「……ッ!」

 

 七海が、左腕でスコーピオンを投擲する。

 

 同時に、グラスホッパーを展開。

 

 それを踏み込み、投擲した刃に追い縋る形で七海の身体が射出された。

 

 投擲された刃は、影浦の首を狙い。

 

 七海自身は、影浦の足を狙う。

 

 上下同時の、波状攻撃。

 

 それが、七海の選んだ最後の一撃(ラストアタック)

 

 足を裂かれ、機動力を失った影浦には受けて立つ以外の選択肢はない。

 

 故に。

 

「────!」

 

 彼が選んだのは、マンティスによる迎撃。

 

 右腕から伸びたマンティスが投擲されたスコーピオンを叩き落とし、そのまま突貫する七海へと振り下ろされる。

 

 空中では、回避は不可能。

 

 グラスホッパーで逃げれば、その分だけ影浦との距離が遠ざかる。

 

 中距離になった時点で、今の七海に勝ち目はない。

 

 千日手に突入すれば、先にトリオンが尽きるのはダメージ量の関係で七海になる。

 

 脇腹の傷がなければ違ったかもしれないが、そんなもしも(if)に意味はない。

 

 だからこそ、七海もこれは避けられない。

 

 避ければ、負けだ。

 

「……!」

 

 故に、七海は受けた。

 

 マンティスを。

 

 極限まで圧縮した、集中シールドによって。

 

 スコーピオンは、弧月と比べればシールドの突破力は低い。

 

 重さがあり、強度も高い弧月と違って、スコーピオンはよほど勢いが付いていない限り集中シールドまでは突破出来ない。

 

 今回影浦の刃を受け止めたのは、トリオン強者である七海のシールドだ。

 

 シールドは、使用者のトリオンが高ければ高い程強度を増す。

 

 無論、七海のシールドの硬度も相応のものであり、当然の帰結として影浦のマンティスは彼のシールドに弾かれた。

 

 七海の勢いは、止まらない。

 

 邪魔なブレードを弾いた七海は、一度オフにしていたスコーピオンを再び展開し、そのまま影浦に肉薄する。

 

 更なる加速を得る為、七海は地面を蹴り飛ばす。

 

 既に、距離は至近。

 

 あと一歩。

 

 あと一歩で、影浦へと刃が届く。

 

 その、刹那。

 

「…………っ!?」

 

 ────────地面から伸びた刃が、七海の背に突き立っていた。

 

 背後から伸びた刃に縫い留められるように、七海の動きが停止する。

 

 全ては、影浦の思惑通りだった。

 

 七海がマンティスを弾き、接近して来るまで。

 

 影浦は、七海ならば辿り着くだろうと、そう考えていた。

 

 だからこそ、罠を張った。

 

 もぐら爪(モールクロー)という、罠を。

 

 影浦は、サイドエフェクトにより相手の意思が、攻撃の軌跡が感知出来る。

 

 故に、影浦は七海が来るであろう場所目掛けて、もぐら爪を放ったのだ。

 

 サイドエフェクトの感知を利用した、罠を。

 

 トリオン供給機関(きゅうしょ)を、狙って。

 

 そして刃は、七海の胸へと穿たれた。

 

 これで、終わり。

 

 影浦は、そう思った。

 

 否。

 

 そう思って、いた。

 

(……っ!? 違う……っ! こいつは、まだ死んでねえ……っ!)

 

 影浦は、気付いた。

 

 七海の背を刺し貫いた、もぐら爪の刃。

 

 その傷口は、左胸から僅かにズレていた。

 

 そして七海の側面には、小さなグラスホッパーの残滓があった。

 

 七海は、影浦の罠を見越していた。

 

 だからこそ、わざと刃を受ける事で影浦の油断を誘った。

 

 極小のグラスホッパーで、数センチだけ急所を外すように動いた上で。

 

 既に影浦は、もぐら爪を使ってしまっている。

 

 つまり、この場から一切身動きが取れない。

 

 回避は、出来ない。

 

 七海の右腕が、スコーピオンの生えた腕が、動く。

 

 影浦のサイドエフェクトが、彼の攻撃を感知した。

 

(来る……っ!)

 

 スコーピオンで受け止めようとすれば、先ほど影浦がやったようにマンティスで不意を突かれる可能性がある。

 

 故に、影浦は集中シールドを展開。

 

 攻撃の軌道に置く形で、中空に盾を出現させた。

 

 今度こそ、終わる。

 

 この一撃さえ受け止めれば、迎撃で確実に殺せる。

 

 そう考えて、影浦は七海を迎え撃った。

 

 攻撃を、受け止めたのだ。

 

「が……っ!?」

 

 ────────そして、その一撃はその壁を、シールドを、ぶち破った。

 

 ただの刺突であれば、集中シールドで防がれていただろう。

 

 投擲したとしても、結果は同じだ。

 

 ならば、どうするか。

 

 答えは一つ。

 

 攻撃に、()()を加えれば良い。

 

 その手段として選んだのが、グラスホッパー。

 

 七海は、グラスホッパーを用いて右腕を()()()()()のだ。

 

 結果、グラスホッパーの加速を得たスコーピオンはシールドを貫き、狙い過たず影浦の胸を貫いた。

 

 その一発こそ、七海の本当の最後の一撃(ラストアタック)

 

 勝負を決める、最後の一手であった。

 

 …………攻撃の軌道自体は、感知していた。

 

 その一撃こそ渾身のそれであると、理解していた。

 

 だが、その()()だけは影浦の想定を上回った。

 

 それが、敗因。

 

 七海(弟子)が、影浦()を上回る事が出来た、その理由だった。

 

『警告。トリオン供給機関破損』

「ったく、負けちまったか。まだまだ、負けてやるつもりはなかったんだがな」

「カゲさん……」

 

 機械音声で敗北を告げられながら、影浦は愚痴るようにそう呟いた。

 

 けれど、その顔は何処か晴れやかで。

 

 七海を見据える目は、温かみに満ちていた。

 

「お前の勝ちだ、七海。楽しかったぜ」

「ええ、俺も。楽しかったですよ、カゲさん」

 

 七海の返答に、影浦はもう一度、笑みを浮かべた。

 

 その笑みはこれまでの中でも一番の、親愛と、称賛が込められていたように思えた。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 そして、終わりを告げる音声(こえ)が鳴り響く。

 

 影浦のトリオン体が崩壊し、光の柱となって消える。

 

 B級ランク戦、最終ROUND。

 

 その最後の戦いが、遂に幕を閉じた。

 

 その、瞬間だった。





 最後の一撃はブーストアッパーの要領ですね。グラホをブースター代わりに使った感じ。

 スコピは原作でも度々集中シールドに止められてるのでこの解釈に。相当勢いがつかないと突破は厳しいみたいですからね。

 さて、長かった最終ROUNDもこれで終わりとなります。あとは総評だけ。最後までお付き合い願います。


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総評、最終戦

部隊得点生存点合計
那須隊527
二宮隊3 3
影浦隊3 3
生駒隊2 2

 

「け、決着……っ!! 決着です……っ! 七海隊員が、影浦隊長を撃破……っ! ここで試合終了……っ! B級ランク戦ROUND8、上位・夜の部は────────那須隊の、勝利です……っ!」

 

 モニターに得点が表示され、桜子の勝利宣言と共に歓声が沸き上がる。

 

 B級ランク戦、今シーズンの最終ROUND。

 

 長かった激戦が、遂に決着した。

 

 その瞬間を見守っていた者達の、反応は様々だ。

 

 ライバルの勝利に、称賛と自分の至らなさを噛み締めながら拳を握り締める攻撃手達(村上と荒船)

 

 弟子の結末に、燻ぶらせていた戦意を燃え上がらせるA級一位(太刀川)と七海の成功に満足気に笑みを浮かべる天才射手(出水)

 

 可愛い弟子の活躍をかぶりつきで見ていたが故にあからさまにテンションがおかしくなり、チームメイトに胡乱な目を向けられていた美形狙撃手(奈良坂)

 

 一足先に試合を終えて作戦室で那須隊勝利の報を聞き、盛大にもぎゃった停滞を止めた少女(香取)

 

 素直な称賛と共に拍手を送る、解説の二人(王子と蔵内)

 

 その横で黙って頷く、寡黙な完璧万能手(レイジ)

 

 支部で大歓声をあげて喜びを露わにする、玉狛の面々(小南たち)

 

 ぴょんぴょん跳ねながら大袈裟に喜ぶ少女狙撃手()と、それを見守り苦笑を浮かべる苦労人(熊谷)

 

 そして、勝利の瞬間を目に焼き付けた結果感極まって涙を流す恋する少女達(那須と小夜子)

 

 誰もが、七海の、そして那須隊の勝利を称えていた。

 

 それは、戦っていた者達も例外ではない。

 

 生駒隊も、二宮隊も。

 

 そして、最後に負けた影浦隊でさえ、この勝利を称賛しない者はいない。

 

 安定して高い地力を誇る生駒隊だけではなく、B級上位の最大の壁である、影浦隊と二宮隊を正面から打ち破ったのだ。

 

 これを称賛するなと言う方が、おかしな話である。

 

「まさしく激戦に次ぐ激戦……っ! 試合開始直後から怒涛の展開が続き、最終ROUNDに相応しい試合であったと言えるでしょう……っ!」

「色々、驚かされた事も多いしね。折角だから、最初から試合を振り返ってみたいな」

「では、さっそく振り返ってみましょう!」

 

 王子のパスを桜子が即座に受け取り、試合の復習を開始する。

 

 この激戦を語り合いたいのは、桜子とて同じなのだ。

 

 むしろ、受け取らない理由がないのである。

 

「まずは試合開始直後、北添隊員の適当メテオラが各所に炸裂しましたね」

「開けたMAPなら、やらない理由はないからね。けど、それを囮にカゲさんが待ち構えていた、ってのは予想外だったんじゃないかな」

 

 試合開始直後の適当メテオラの乱発自体は、北添が参加するランク戦では見慣れたものである。

 

 ただ一点。

 

 影浦が、北添を囮にして釣り出した辻を待ち構えていた事を除いては。

 

「今期の影浦隊はROUND4以降戦術的な行動がそれなりに見られていたけど、適当メテオラが活かし難いMAPばっかりだったからね。これには流石に辻ちゃんも面食らったんじゃないかな」

「影浦隊としては誰が釣れても良かったんだろうが、考え得る限りで最適な相手を引き込んだと見るべきだな」

「ええ、此処で辻隊員が影浦隊に釘付けにされた事で、二宮隊の合流が阻まれた形になりますからね」

 

 そう、この試合、二宮隊の三人はそれぞれが割と離れた位置に転送されていた。

 

 そして、適当メテオラが始まった以上、それを放置するという選択肢は有り得ない。

 

 必然的に、一番近い位置にいた辻を向かわせざるを得ず、辻の孤立という事態を招いてしまったワケだ。

 

「勿論、二宮隊が采配を誤った、とまでは言えない。結局のところ、二宮隊は一人でも二宮さんと合流出来れば勝率が跳ね上がるからね。辻ちゃんが合流出来なくても、澄晴くんさえ合流出来れば良い。きっと、そういう判断だったんだと思うよ」

「だがそこで、那須隊の策が発動したワケだ」

 

 そうですね、と王子はレイジの言葉に同意する。

 

「適当メテオラの混乱の直後、澄晴くんとベアトリスがエンカウントした。当然だけど、両者共に相手を見逃す理由はない。当然戦闘に突入したワケだけど」

「そこに、七海が割り込んだ。流石に犬飼といえど、七海と熊谷の二人がかりは厳しい。だからこそ」

「二宮隊長が介入した、というワケですね」

 

 そう、たとえ犬飼といえど一人では流石に回避と機動力に特化した七海を含む二人がかりでは、明らかに不利だ。

 

 故に、二宮がその場に介入した。

 

 犬飼を援護し、あわよくばそのまま合流に繋げる為に。

 

「だが、恐らくこれも那須隊の想定通りだったんだろうな。七海は二宮が仕掛けて来るや否や、即座に二宮を抑えに回った。犬飼相手に2対1の状況を演出したのは、二宮の位置を知る為だったワケだ」

「まあ、二宮さんは基本的に位置が知られてもそこまで不利にはならないからね。1対1になった時点でほぼ負けないし、トリオン量の関係で射程もかなり長いからそもそも近付けない。けど」

「ええ、七海隊員はグラスホッパーを用いて一気に肉薄し、二宮隊長に挑みました。個人的に、そう来るか、と驚きましたね」

 

 まず、と前置きして蔵内は続ける。

 

「大前提として、ランク戦において二宮さんは基本的に()()()()()として扱う事が多いです。二宮隊が参加する試合では二宮さんに捕捉される前に一点でも多く点を取る、というのがポピュラーな戦術です」

「だが、今回那須隊は明確に二宮を落とすつもりで作戦を立てていた。そもそもの前提条件が違ったワケだ」

 

 二宮は、ランク戦ではその理不尽なまでの暴威を撒き散らす、一種のMAP兵器のような扱いだ。

 

 射程は長く、弾の密度も尋常ではない。

 

 それでいて戦術も高いレベルのものを保有しており、犬飼が傍に控えれば隙も殆ど生まれない。

 

 基本的に、獲れない前提で他の点を狙いに行く、というのが彼が参加する試合での常套手段であった。

 

 けれど、那須隊はその手段を択ばなかった。

 

 最初から、二宮落としを敢行するつもりでいたが故に。

 

「その時点で、他の部隊も那須隊の狙いを察した筈だ。だからこそ、生駒隊の二人が熊谷に合流する形で犬飼を孤立させにかかったワケだ。これで全部隊による、二宮隊包囲網が形成された。那須隊の、思惑通りにな」

 

 那須隊は、七海は、最初からこの構図を実現する為に動いていた。

 

 影浦隊が既に辻を抑えていた事も、那須隊にとっては嬉しい誤算であった事だろう。

 

 基本的に、二宮隊は一人でもフリーの状態になればその脅威度が跳ね上がる。

 

 無論合流すれば強いのは事実ではあるが、二宮隊はその全員がマスタークラス。

 

 当然、単騎運用に堪えるだけの実力は備えている。

 

 それに一人抑える事が成功したとしても、自由に動ける駒がいれば合流して盤面を調整し直される。

 

 時間さえ稼いでしまえば、二宮が合流してチェックメイト。

 

 だが、辻が動けず、二宮も七海によって抑えられている状態であるならば。

 

 孤立した犬飼に戦力を向ける事に、躊躇いなどある筈もないだろう。

 

「これまでの七海の戦績があったからこそ、成立した策とも言える。七海はこれまで、村上や生駒、弓場といった強敵を正面から撃破している。そんな七海だからこそ、他の部隊も信じる事が出来たのだろう。()()()、二宮を抑えられると」

 

 七海はこれまで、仲間の援護があったとはいえ村上を始めとした錚々たるメンバーを下している。

 

 そして、その戦いぶりはこの戦いに参加した全員が知っている。

 

 だからこそ、信じる事が出来たのだ。

 

 彼なら、仕事をやり遂げられるだろうと。

 

 そういう考えがあったからこそ、生駒隊は犬飼を抑える為に二人も戦力を送り込んだ。

 

 七海の力を、信じていたが故に。

 

 ある意味、これまでの積み重ねがあったからこそ、成立した策と言える。

 

「その後の二宮を落とした攻防も、その信頼があったからこそ成し得たものと言える。あそこで生駒隊や絵馬が動かなければ、二宮は落とせなかっただろうからな」

「他の部隊との、疑似的な共闘。相手への信頼を前提とした策、か。いやはや、参ったね。これは流石に予想していなかったよ」

 

 王子はやられた、とばかりに両手を上げてみせる。

 

 ランク戦における、他の部隊との疑似的な共闘。

 

 それ自体は、王子とて経験はある。

 

 だが、今回那須隊が取った策は、相手への信頼が前提にある。

 

 対戦相手に、背中を預ける。

 

 目的意識を共有し、一つの到達点に向け突き進む。

 

 それを実行に移した大胆さも然る事ながら、見事手綱を掴んでみせたその手腕も驚嘆に値する。

 

 戦術家として、大いに学ぶところがある策であったと王子は認めていた。

 

「流石だね、セレナーデ。そして、イコさんもナイスアシストだったよ」

 

 

 

 

「褒められてもなんや嬉しくないのはなんでやろな。俺、良い様に利用されたって言われてへん?」

「ま、そういう意味じゃ俺等全員利用されたんやろなあ」

 

 生駒隊、作戦室。

 

 そこでは生駒と水上が、早速王子の発言に突っ込みを入れていた。

 

 そうやな、と水上は続ける。

 

「まあ、そういうの承知の上で那須隊の策に乗ったんやけどな。ただ、その途中で受けた被害が大き過ぎた、ってのも覚えとかなアカンやろなあ」

「完全に、美味しいトコだけ掻っ攫われましたしねえ」

 

 この試合、確かに生駒隊は那須隊の策に乗り、二宮隊の包囲網完成に一役買った。

 

 それ自体は良い。

 

 だが、その過程で発生した隊の被害に比べ、得られたリターンが少な過ぎた。

 

 ある意味、それが今回の敗因だったとも言える。

 

 王子の発言はある意味、それを含めた皮肉とも言える。

 

「でもでもっ、二宮隊に一泡吹かせられた、って考えれば悪くなくないじゃないですかっ! あんだけ強い二宮さんを倒す手伝いが出来たんだから、これはこれで良い経験ですってっ!」

「…………そやな。その通りや」

 

 南沢の言葉に、水上は毒気を抜かれたように頷く。

 

「確かに、これで二宮さんもやりようによっては倒せる事が証明されたとも取れるんやから、ある意味普通の勝ちよりも意味あるで。二宮さんを倒す、っていう選択肢が挙げられるようになるんは、どう考えてもプラスやしな」

 

 二宮は強いが、無敵ではない。

 

 その事実を証明する一助となれたのなら、この敗北にも意味はある。

 

 水上はそう思い直し、隊のメンバーも頷いた。

 

 ランク戦は、今回が最後ではないのだ。

 

 格上の相手を被害を覚悟で倒す経験は、必ず糧になる。

 

 倒すという選択肢が、最初から存在するかどうかはそれだけで大分違うのだから。

 

「せやんな。俺も七海とまたタイマン出来たし、特に思い残す事はあらへんで」

「いや、思い残さなきゃ駄目やろ。次に繋げるいう話やったんやから」

 

 真織は呆れたように溜め息を吐き、生駒隊の面々に笑みが浮かぶ。

 

 負けはしたが、有意義な戦いだった。

 

 それを実感し、生駒隊の意思は統一された。

 

 その直後、雑談からの漫才じみたやり取りへ発展したのは、ご愛敬である。

 

 

 

 

「それからはもう、怒涛の展開だったね。ヒューラーとエマールの狙撃手対決に、辻ちゃん、カゲさん、ナースの三つ巴。誰一人として無駄な動きがないんだから、大したものだよ」

 

 王子の言う通り、あの盤面で誰もが無駄な動きをしなかった。

 

 茜とユズルは狙撃手同士の一騎打ちに専念し、勝利した茜が味方の援護に向かった。

 

 辻は、自らを囮とする策で那須を釣り出し、影浦を無傷で生かしながら那須を落とさせる事に成功した。

 

 誰もが全力を尽くし、全霊を懸けた。

 

 最終ROUNDに相応しい、レベルの高い攻防だったと言える。

 

「その後の七海隊員と生駒隊長の一騎打ちは、日浦隊員の援護が光りましたね。絵馬隊員を仕留めた時に見せた転移によるゼロ距離を敢行したかと思えば、それさえ囮で自分ごとメテオラを斬らせての起爆。最後まで自分の仕事をやり切った、見事な立ち回りと言えるでしょう」

「あの機転は流石だったね。これまで以上に、ヒューラーの評価を高める必要がありそうだ」

 

 そして、と王子は顔を上げる。

 

「最後のシンドバットとカゲさんの戦いは、言葉を尽くす方が無粋だよね。一騎打ちで、シンドバットがカゲさんに勝った。それだけの事なんだから」

「お互いに、特別な事をしたワケではないですからね。自分の持つ技術をぶつけ合って、その結果として勝利した。それで良いと思います」

 

 

 

 

「だってよ、カゲ。まあ、言う必要もなさそうだけど」

「うっせ」

 

 影浦隊、作戦室。

 

 影浦はソファーに座りながら、ふぅ、と息を吐いた。

 

 口調こそ普段通りの荒いものだが、その顔には隠し切れない笑みが浮かんでいる。

 

 未だ、七海との戦いの余韻を噛み締めているのがまるわかりだ。

 

 だからこそ、チームメイトの面々もまた、遠慮せずに絡んでいるのだが。

 

「ユズル」

「なに?」

 

 不意に、影浦がユズルに声をかける。

 

 ユズルは席を立ち、影浦に近付いた。

 

「悔しいか?」

「うん。でも、次は勝つよ。必ずね」

「そうか。やってやれ」

「……うん……っ!」

 

 影浦はくしゃりとユズルの頭を撫で、ユズルはそれに身を任せる。

 

 そのまま影浦は顔を上げ、再び溜め息を吐いた。

 

「強くなりやがったな、どいつもこいつも」

 

 それと、と影浦は笑みを浮かべる。

 

「楽しかったぜ、七海」

 

 

 

 

「さて、これで今期ランク戦の全試合が終了致しました……っ! 最終的な順位は、こちらになりますっ!」

 

部隊得点順位
那須隊 52pt1位 
二宮隊 50pt2位 
影浦隊 46pt3位 
生駒隊 37pt4位 
弓場隊 33pt5位 
香取隊 32pt6位 
王子隊 30pt7位 

 

東隊30pt8位
鈴鳴第一30pt9位
柿崎隊26pt10位
荒船隊24pt11位
諏訪隊22pt12位
漆間隊16pt13位
早川隊12pt14位

 

 桜子の宣言と共に、画面に順位の一覧が表示される。

 

 その結果を改めて見て、多くの者から感嘆の声が漏れる。

 

 B級一位。

 

 今まで二宮隊が君臨し続けていたその地位を、那須隊が取って代わったのだから。

 

「合同戦闘訓練については、後程ご説明があるとの事ですっ! こちらについても実況解説出来るよう調整中ですので、どうぞご期待下さいっ!」

 

 さりげなく今後の予定を確定事項のように公言しながら、桜子は満面の笑みを浮かべ、告げる。

 

「これにて今期のB級ランク戦、その全行程を終了しますっ! 皆さん、お疲れ様でしたっ!」

 

 桜子の宣言と共に、B級ランク戦の閉会が告げられる。

 

 激戦に続く激戦を潜り抜け、その果てに得た結果。

 

 それを誰もが噛み締めながら、ランク戦は閉幕した。

 

 だが、これで終わりではない。

 

 まだ、先がある。

 

 合同戦闘訓練という、A級部隊と共に切磋琢磨する舞台が。

 

 気を抜くのは、まだ早い。

 

 本番はまだ、始まってすらいないのだから。




 B級ランク戦編、これにて終了~! まあ後日談めいたものはありますが、そこはそれ。それが終わり次第、合同戦闘訓練編へ続くのじゃ。まあ、ランク戦編ほど長くはならない予定ではある。

 表形式は初めて導入してみましたが、これはこれで良いですね。見栄えが良い。

 ちなみに、昨日のワートリ二次創作者の朝5:00の一斉更新は狙ってやりました。中々に圧巻の光景でしたね。


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戦い終わり、そして

 

「いやー、見応えのある良い試合だったな。な? 古寺」

「あ、ああ」

 

 米屋のわざとらしい呼びかけに、古寺はおろおろしながらも答えた。

 

 古寺はあからさまに落ち着かない様子であり、動揺しているのは明らかだ。

 

「…………よくやった茜。素晴らしいぞ茜。よし、盛大にお祝いしてやらないとな。何がいいだろうか。茜の喜ぶ顔が見たい。前に行きたがっていたケーキバイキングにでも連れて行ってやるか。嗚呼、うちの弟子が今日も可愛い。茜は可愛い。目に入れても痛くないくらい可愛い。悪い虫が付いたら大変だ。そんな奴は俺が排除してやるからな、茜…………」

 

 …………その視線は、椅子に座りながらひたすら小声でぶつぶつと何かを呟いている奈良坂に向けられている。

 

 奈良坂は、この試合が始まってからちょっと様子がおかしかった。

 

 顕著になったのは茜が二宮の狙撃を成功させた所で、ガッツポーズを取りながらにまにまとあからさまに笑みを浮かべ出した事が契機だ。

 

 ユズルと茜の一騎打ちの時などは手に汗握って観戦し、茜がユズルを下した瞬間には「よし、よし、よし」と呟きながら再び盛大なガッツポーズを取っていた。

 

 このあたりで、もう奈良坂の奇行に関しては見て見ぬ振りをしようと決めた米屋であった。

 

 古寺はチームメイトであり尚且つ狙撃の師匠でもある奈良坂の豹変ぶりを気にかけてはいるものの、ぶっちゃけ今の奈良坂には話しかけたくない。

 

 顔立ちが整っている少年が薄笑いを浮かべながら独り言を延々と呟いている光景は、正直言って不気味である。

 

 普段礼儀正しく品行方正な奈良坂だからこそ、そのギャップも大きい。

 

 美形が壊れると、元が元だけに残念感が半端ない。

 

 今の奈良坂は、正しく残念な美形と化していた。

 

「…………まあ、弟子があれだけ活躍したんだから気持ちは分かるんだけどな。まさか、二宮さん倒しちゃうとはなー」

「米屋くん……」

 

 俺もあれは予想出来なかったぜー、と米屋は軽くぼやくが、その眼は笑っていない。

 

 チームメイトとして付き合って来た古寺だからこそ、分かる。

 

 あれは、獣の眼だ。

 

 戦い甲斐のある相手を見つけた時の、戦闘狂の笑みである。

 

 恐らく、その対象は那須隊そのもの。

 

 米屋は成長した那須隊と戦いたくて、うずうずしているのだろう。

 

 おあつらえ向きの舞台が直近にある事も、それに拍車をかけている。

 

 合同戦闘訓練。

 

 A級とB級の技術交流を謳った代物だが、B級上位陣にとってはA級昇格試験としての側面も持つ。

 

 自分達A級部隊は、いわば試験官。

 

 B級上位に勝ち残ったチームが、A級部隊とチームを組んで戦う実戦形式の昇格試験。

 

 詳細はまだ知らされていないが、昇格試験である以上試験官であるA級部隊には相応の振る舞いが求められる。

 

 米屋は勉強は出来ないが、太刀川と同じく戦闘に関しては非常に頭が回る切れ者だ。

 

 その為実は試験官としての適性自体は悪くないのだが、熱くなって本分を忘れないかという懸念はある。

 

(…………まあ、うちの隊長がなんとか…………いや、あっちはあっちで色々あるんだった)

 

 隊長の三輪にストッパーになって貰おうと思った古寺だが、冷静に考えると三輪は割と感情のままにアクセルを踏み込むタイプだ。

 

 普段が冷静な分、感情的になった時は制御が効かなくなる。

 

 そして、米屋はそんな三輪を止めるような事はしない。

 

 フォローはするから好きにしな、というのが米屋のスタイルだ。

 

 三輪よりも俯瞰的な物の見方は出来るものの、暴走を止める気は基本的になさそうである。

 

(…………胃薬、飲もうかなあ…………)

 

 感情任せの復讐者に、戦闘狂、弟子馬鹿。

 

 アクの強い面子が揃う部隊の中での唯一の常識人(まともな性格)の少年は、胃を痛める覚悟を固めるのであった。

 

 

 

 

「…………やればできるじゃん」

 

 ぼそりと、菊地原は最終順位の一覧を見ながら呟いた。

 

 それは、彼なりの称賛の声。

 

 決して直接伝える事はしないだろうが、後日彼なりの罵倒(ことば)で七海を労いに行く事だろう。

 

 …………まあ、隣にいた歌川にはばっちり聞こえてはいたのだが。

 

「かーっ、まさか那須隊が二宮隊を超えてB級一位になるとはなあ。とんだダークホースだぜ、ったく」

 

 やれやれと、菊地原の言葉は幸いにも聞こえていなかった当真は、ぽりぽりと頭をかいた。

 

 彼の予想では、那須隊は健闘するが流石に二宮隊を玉座から引きずり下ろす事までは無理だろう、と考えていた。

 

 だが、結果は見事二宮隊を下し、B級一位の座を獲得してみせた。

 

 当真が弟子と標榜しているユズルも、茜との一騎打ちで敗北した。

 

 ぶっちゃけ、面子丸潰れな当真であった。

 

「俺は分かってたけどな。あいつなら、やれるだろってな」

「太刀川さん、試合前はそんな事言ってなかったじゃないすか」

「言わないだけで思ってはいたんだよ。俺は強いから、まだらに口に出したりしないんだよ」

 

 それまだらじゃなくみだりにじゃ、とは突っ込まず、出水は溜め息をー吐いた。

 

「まあ、俺としちゃあちょい複雑っすけどね。七海も二宮さんも俺の弟子なのは変わらねーし。ぶっちゃけどっちも応援してたんすけど。いざこうなると、色々となー」

「気にする事ないだろ。俺らがやったのはただ戦いを教えただけなんだし、本番になりゃあいつらの自己責任だろ。そこまで気を回す必要はないと思うがな」

「それは分かってますけどね。ま、そこらへんは性分なんで」

 

 色々おちゃらけた雰囲気を出してはいるが根は世話焼きな出水としては、二人にどう声をかければ良いか悩んでいるところもあるのだろう。

 

 共に自分が技術を伝えた相手で、彼らはその技術を用いて戦い、七海が勝利した。

 

 となると、声をかけるべきは二宮ではなく、七海の方だろう。

 

 二宮なら、既にチームメイトと共にこの試合の反省を行っている事だろう。

 

 今更、自分の言葉など不要な筈だ。

 

「後でお祝いに行くかー。多分この後カゲさんのトコ行くだろうし、そこに混ざってみっか」

 

 けど、と出水は思案する。

 

「二宮さん、あれで結構ナイーブだからなー。やっぱあっちもフォローしに行った方がいいか……?」

「大丈夫だ。問題ない」

「なんでですか?」

 

 不意の太刀川の発言に、出水は嫌な予感を覚える。

 

 太刀川は不敵な笑みを浮かべているが、間違いない。

 

 これは絶対に、碌でもない事を考えている時の目だ……!

 

「これから二宮を煽って来る。うまくやりゃそのままランク戦に持ち込────────ま、戦えばスッキリするだろ」

「それ駄目なやつですからー……っ!!」

 

 案の定碌でもない事を考えていた太刀川を、出水は慌てて止めに入る。

 

 当然、それを見ていた風間は菊地原と歌川を動員してチャンスとばかりに太刀川を制圧し、包巻きにして連行した。

 

 道中「見逃してくれー」「課題はいやだー」「戦わせろー」なんて悲鳴が聞こえてきたが、出水は無視した。

 

 少しくらい、お灸を据えて貰った方が良いだろう。

 

 そう考えて、出水はあっさりと隊長のドナドナを見送ったのであった。

 

 

 

 

「あちゃー、二位陥落かー。まあ、取られたのが那須隊だったのが救いかな」

 

 二宮隊、作戦室。

 

 そこで試合結果を見ていた犬飼が、軽い調子でそう呟いた。

 

 表情こそいつもの薄笑いだが、その顔は何処か晴れやかだ。

 

 負けて、一位の座から陥落したのは事実である。

 

 だが、この試合で那須隊は目覚ましい成長を見せてくれた。

 

 その事を思えば、むしろ一位の座を奪われた事など必要経費である。

 

 犬飼は、そう割り切っていた。

 

「…………すみません。俺がもう少し上手くやれていれば……」

「まーまー、辻ちゃんに女の子斬れって言うのも酷な話だしねー。むしろ、あの状況から良くやったよホント。あの時出来る中じゃ、あれが最善だったんじゃないかなー」

 

 反対に、割り切れなかったのは辻である。

 

 辻には、負い目がある。

 

 女性を斬れない、という負い目が。

 

 もし、あの時。

 

 辻が那須を斬る事が出来ていたならば、無理に自分を囮にして影浦に那須を獲らせる必要もなかった。

 

 自分の未熟さ故に、あんな選択しか出来なかった。

 

 辻は、それを悔いているのである。

 

 目論見通り影浦が七海を落としてくれていればまた違ったのだろうが、結果は二位への陥落。

 

 責任感が強過ぎる辻に、負い目を感じるな、と言う方が無理があるだろう。

 

「何を言っている。犬飼も言っているだろう。お前は出来る事をやっただけだ、と」

「二宮さん……」

 

 そんな辻に声をかけたのは、二宮だった。

 

 二宮は下手な慰めは言わず、直球で辻に告げる。

 

「大体、お前が女を斬れたところで那須を倒せた保証はないだろう。有り得ない可能性を論じる事に意味はない。今ある手札で最善の結果を出す事こそが、戦いにおいては重要になる」

 

 ないものねだりをしても仕方がないからな、と二宮は告げる。

 

「そもそも、お前が女を苦手なのはとうの昔に承知している。その上でお前を部隊に入れたんだ。お前は役に立つからな」

 

 それとも、と二宮は続ける。

 

「お前は、お前を評価した俺の目が節穴だとでも言うつもりか? 謙遜も、過ぎれば侮辱になる事を覚えておけ」

「…………分かりました。すみません」

「謝る必要はない。犬飼も言ったが、お前は良くやったからな」

 

 二宮はそう言ってソファーに座り直し、ちらりと犬飼に視線を向けた。

 

 その意味は、「あとはお前がなんとかしろ」という命令。

 

 要は、これ以上の言葉が出て来なかった為に犬飼に丸投げしただけである。

 

「そうそう、辻ちゃんは確かに一人も落としてないけど、仕事はきっちりやったんだから謝る必要ないって。それでも納得出来ないなら、次頑張ればいいじゃん。何も、ランク戦はこれが最後ってワケじゃないんだしね」

「…………そう、ですね。分かりました。次はもっと精進し、必ず隊に貢献すると誓いましょう」

「重いなー。けどまあ、それでこそ辻ちゃんだよね」

 

 よしよし、と犬飼が辻の頭を撫で、なにするんですか、と辻がむくれる。

 

 そんな光景を見ながら、二宮はふぅ、と溜め息を吐いた。

 

 ────次戦う事があれば、負けません。前回は無様な姿を見せましたが、今度は仕留めてみせます────

 

 二宮の脳裏に、いつぞや七海に告げられた言葉が蘇る。

 

 良い啖呵だと思った。

 

 だが、実現させる気はないと、そう考えていた。

 

 けれど、七海は実際に成し遂げた。

 

 自分を、下してみせた。

 

 完全に、してやられた。

 

 茜が援護に来る事までは、想定していた。

 

 だが、茜はライトニングしか使えないという前提条件に、拘り過ぎた。

 

 結果、茜があの時まで隠し持っていたイーグレットにより、二宮は撃ち抜かれた。

 

 大した隠密能力と、作戦の綿密さである。

 

 そして、評価すべきは茜だけではない。

 

 七海もまた、二宮を1対1で抑えるという大役を見事こなしてみせた。

 

 周囲をメテオラで破壊しながらグラスホッパーで飛び回る七海を、二宮は仕留め切れなかった。

 

 あの時の七海は、攻撃を完全に捨てて回避と攪乱に専念していた。

 

 当然相応のトリオンは消費した筈だが、あの七海の粘りがなければ自分が落とされる事はなかった筈だ。

 

 那須の変化貫通弾(コブラ)

 

 七海の炸裂弾(メテオラ)

 

 生駒隊の旋空弧月。

 

 ユズルの狙撃。

 

 そして、茜のイーグレットによる狙撃。

 

 そのいずれかが欠けても、あの結果には繋がらなかった。

 

 対戦相手さえ思うが儘に動かし、流れを掴み取った。

 

 その手腕は、二宮としても認めざるを得ないものであった。

 

「フン……」

 

 二宮は、何も言わない。

 

 自分は七海の友人でも、師匠でもない。

 

 ならば、自分からの言葉など不要な筈だ。

 

 否、言葉など必要あるまい。

 

 必要な言葉をかける相手なら、七海には山ほど要る。

 

 自分がでしゃばらずとも、問題は無い。

 

 そう考えて、二宮は溜め息を吐いた。

 

 今頃隊室で沸き立っているであろう、七海の姿を脳裏に浮かべながら。

 

 

 

 

「玲一……っ! 勝った、勝ったね……っ!」

「ええ、大勝利ですっ! やりましたね、七海先輩……っ!」

「ああ、勝ったぞ」

 

 七海が隊室に戻るなり、那須と小夜子が左右から感極まった様子で抱き着いて来た。

 

 やれやれと苦笑しながら二人を受け止める七海と、それを甘受する二人。

 

 その光景を見て目を輝かせる茜と、対照的に青褪める熊谷。

 

「…………え、待って。もしかして小夜子って。え、ちょっと待って。そういう事? 嘘でしょ? ねえ、嘘だと言ってよ誰か。いや、でも、そういえば前から兆候はあったような…………」

 

 思いも依らぬ不発弾を発見し、熊谷は遠い目でぶつくさと独り言をつぶやいている。

 

 事態を全く理解してない茜だけが、暢気に笑みを浮かべていた。

 

「ねえ、玲一」

「なんだ、玲」

 

 不意に、腕の中の那須が声をかける。

 

 そして真っすぐに七海を見上げ、笑みを浮かべた。

 

「────────やったね。やり遂げたんだね。私達」

「ああ、そうだ。やった、やり遂げたんだ。これも皆のお陰だ、ありがとう」

 

 七海がそう言ってほほ笑むと、那須隊の面々は全員が顔を上げた。

 

 そして、口々に告げる。

 

「はいっ! これからも頑張りますねっ!」

「…………ま、悪くない気分ね。でも、これで終わりじゃないからね」

「そうです。どうせなら、このままA級に駆け上がっちゃいましょう……っ! まだまだ、全速前進です……っ!」

 

 喜びと決意を。

 

 歓喜と現状把握を。

 

 決断と、歓声を。

 

 パァン、とハイタッチが交わされる。

 

 茜が。

 

 熊谷が。

 

 小夜子が。

 

 那須が。

 

 そして、玲一が。

 

 勝利を祝い、笑みを交わす。

 

 此処まで辿り着いたのだと、その喜びを甘受した。

 

 まだ、終わりではない。

 

 けれど、一つの区切りではある。

 

 此処までの軌跡は、決しては無駄ではなかったと。

 

 それを、証明出来たのだから。





 試合後の諸々の回でした。

 一斉更新の甲斐もあってか、日刊ランキングにこの作品が載ってましたね。

 これからもペースを落とさず更新していきますので、どうぞご贔屓に。

 ツイッターでポイント一覧表やオリジナルMAPなんかを公開する予定なので、お楽しみに。


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パーティ①

「やったー……っ!! 見た見たっ!? 七海達、勝ったわよっ!?」

「見てましたよ、ちゃんと」

「ああ、やりとげたんだな。ななみは」

 

 ぴょんぴょん跳ねながら盛大に喜ぶ小南に対し、烏丸と陽太郎は努めて冷静に彼女の言葉を肯定する。

 

 喜んでいないワケではない。

 

 ただ、目の前でこうもあからさまに歓喜を露わにしている相手がいるので、反面教師的な意味で声が小さくなっているだけだ。

 

 ふと、烏丸は思った。

 

 もし、小南がこの最終ROUNDで解説にでも呼ばれていた場合。

 

 どうなっていたか。

 

 まず、間違いなく公平な解説では終わらない。

 

 思いっきり身内贔屓をして、ただの応援になる結末が目に見えている。

 

 小南は裏表のない少女ではあるが、身内とそれ以外をハッキリ区別する傾向がある。

 

 社交性のある明るい性格に見えるが、彼女は幼少期から戦場に身を置いていた。

 

 まだ小学校に通うような年齢から旧ボーダーの一員として戦争に参加し、多くの仲間を失った。

 

 仲間を失う辛さを、身を以て知っているのだ。

 

 だからこそと言うべきか。

 

 小南は、身内、仲間を非常に大切にする。

 

 特別重要視する、と言っても過言ではない。

 

 口では厳しい事を言う反面、一度身内認定した相手にはあからさまに入れ込む。

 

 ピンチになれば慌てるし、今回のように活躍したのならば我が事のように歓喜する。

 

 請われれば助力は惜しまないし、矢面に立つ事も吝かではない。

 

 そういう、仲間を本気で気遣える少女なのだ。

 

 口に出すと調子に乗るので言わないが、そこがまたこの少女の美点だと、烏丸は感じていた。

 

 絶対に、口には出さないが。

 

 からかって遊んだ方が、面白いのだから。

 

「こりゃあお祝いしないとね……っ! じゃあ、早速七海達を呼んで────」

「いえ、今日は止めといた方がいいでしょうね」

「なんでよ?」

 

 七海達を呼んで派手に騒ごうと考えていた小南は烏丸に水を差され、胡乱な目を向ける。

 

 そんな小南の態度に内心苦笑しつつ、烏丸はその答えを告げた。

 

「今日は、流石に攻撃手達(あっち)が優先ですよ。きっと、あそこに呼ばれてる筈っすからね」

 

 

 

 

「食え。奢りだ。遠慮しねーでいいから食ってけ」

「ご馳走になります」

 

 お好み焼き家、『かげうら』。

 

 その名の通り影浦の実家であるこの店に、七海達那須隊を中心とした隊員達が集まっていた。

 

 最終ROUNDが終了した直後、影浦が七海の下を訪れてこう告げたのだ。

 

 「自分の家で打ち上げをやるぞ」、と。

 

 特に断る理由のなかった七海は快く承諾し、那須達もそこに付いて行く事になった。

 

 そして、那須隊メンバーは全部自分の奢りだという通達があり、七海は遠慮しようとしたが、影浦は一位になった勝者の特権という事でそのまま押し通した。

 

 周囲からも特に不満の声はなく、あの二宮隊を超えた部隊には当然の報酬だ、という声もあり七海達は素直に影浦の厚意を受け入れる事にしたのだった。

 

「ありがとうございます。私達まで」

「気にすんな。七海もその方が嬉しいだろーしな」

 

 例を言って頭を下げる那須を、影浦はなんでもないかのように受け入れる。

 

 今夜は影浦が押し切って店をボーダー隊員貸し切りにしており、その為那須は日常用のトリオン体こそ使用しているが、変装機能までは使っていない。

 

 故に儚げな見た目の美少女がお好み焼き家に降臨する事態となっており、絵面の違和感は結構凄い。

 

 まあ、那須本人は気にしていないし、影浦も特にあーだこーだ言うつもりもないので、スルーされているのだが。

 

「そーだぞー。折角来たんだから、ゆっくりしてけよなっ!」

「なんでお前がそんな偉そうなんだよ」

 

 むすー、と頬を膨らませる光に、影浦は溜め息と共にそう愚痴る。

 

 無駄な事は分かっているが、それでも放っておくのもそれはそれで癇に障る。

 

 なので思わず返したのだが、光は更に頬を膨らませて矢継ぎ早に言い出した。

 

「あたしもオペレート、結構頑張っただろー? 堅い事言うなってカゲー」

「うざってぇ。纏わりつくんじゃねぇよ」

 

 あたしももっと褒めろー、と後ろから押しかかる光を、影浦は面倒臭そうに払いのける。

 

 そして光をそのまま椅子に放り込み、「さっさと注文しろ」とメモ帳を取り出した。

 

 完全に店員モードになった影浦に、光はぶーたれながらも「豚玉とイカ玉なー」と注文を告げる。

 

 それを契機に次々に注文が飛び交い、影浦はさらさらとその注文をメモ帳に纏めていく。

 

 一通り注文を書き留め終わると、「待ってろ、すぐ持ってくる」と告げて影浦は厨房に消えた。

 

 曲がりなりにも客商売である為普段は店員としての口調で応対する影浦だが、今この場にいるのはボーダー隊員のみ。

 

 一般客の目もない事から、影浦も口調で気を遣うのは止めている。

 

 これは偏に、七海達に遠慮をして欲しくない為だ。

 

 影浦は店員として此処にいるが、一番に七海を祝福したいのは彼なのだ。

 

 一通り注文が落ち着いたら一緒に楽しんでも良いと、両親から許可はもぎ取ってある。

 

 今回は事情を知るボーダー隊員しかいないが為の、特別対応である。

 

 まあ、普段からちょくちょく似たような事はやっているのだが、ボーダー入隊前は碌に友達が出来なかった影浦に出来た繋がりを大事にしたい、という両親の意向もあるので度が過ぎなければ文句を言われる事はない。

 

 ともあれ、影浦が厨房に消えると、七海の両隣を陣取った荒船と村上がぐい、と顔を突き出して来た。

 

「ったく、遂にB級一位か。中位の下の方から、よくワンシーズンで此処まで来れたもんだ。大したモンだぜ」

「ああ、おめでとう。本当に、七海は強くなった。俺も、うかうかしていられないな」

「ありがとうございます。俺が此処まで来れたのも、二人のお陰です。本当に、お世話になりました」

 

 二人の激励に、七海はぺこりと頭を下げる。

 

 そんな七海に、荒船はったくよぉ、と溜め息を吐いた。

 

「一丁前になりやがって、この野郎。ROUND3の時はどうなる事かと思ったが、結局雨降って地固まって何よりだぜ」

「…………その節は、ご心配をおかけしました」

 

 ROUND3での醜態の事を言及され、七海は真摯に謝罪する。

 

 あの後一度荒船には「もう大丈夫です」と報告はしたが、多大な心配をかけた事は事実なのだ。

 

 そんな風にしゅんとなった七海の姿に苦笑しながら、荒船はがしがしと彼の頭を撫でた。

 

「わっ、とっ……!」

「ったく、その事はもういいっての。言ったろ? 雨降って地固まって何よりだって。今も引きずってるならともかく、なんとかなったならそれでいいじゃねぇか」

「荒船さん……」

 

 顔を上げた七海の肩を、荒船はポン、と叩いた。

 

 未だ煩悶する七海に、荒船は告げる。

 

「後ろを振り返るのも大事だけどよ、自分の荷物をあんまし重荷にし過ぎちまうと、潰れるぜ? お前はもうちょい、肩の力を抜いても良いだろ」

「ああ、責任感が強いのは七海の美点だが、少し度が過ぎるところがあるからな」

 

 それに、と村上は続けた。

 

「前にも言ったが、頼れる時はどんどん頼ってくれていいんだ。俺も荒船も、カゲだってそれを重荷には思わないし、お前に頼られるのは嬉しいんだ。お前は一人じゃない。それは覚えておいてくれ」

「そうだな。お前の荷物くらい、いつでも背負ってやるよ。少しくらい荷が増えたところで、潰れる程ヤワじゃねぇつもりだからな」

「鋼さん、荒船さん…………ありがとう、ございます」

 

 二人の気遣いに、七海は改めて頭を下げた。

 

 前に、言われた通りだ。

 

 他人をあてにする事と、他人に全く頼らず自分だけで全てをやろうとするのは、全く違う。

 

 責任を放棄するのは論外だが、自分一人でやろうとして荷物の重荷で潰れてしまえば本末転倒だ。

 

 七海には、頼もしい仲間がいる。

 

 チームメイトは勿論のこと、目の前の村上と荒船もそうだし、影浦だって口には出さないが内心頼りにして欲しいのだろう。

 

 いざという時に、どれだけ助けに駆け付けてくれるか。

 

 七海の場合、その助けに来てくれる人数は、かなりのものになる筈だ。

 

 影浦達攻撃手メンバーは当然として、出水や太刀川もなんだかんだ言いながらも付き合ってくれる筈だ。

 

 弓場隊の面々ともROUND7の時の交流を契機に仲良くなれたし、生駒とも強い繋がりを持つ事が出来た。

 

 そして旧知の玉狛の面々も、必ず力になってくれる事だろう。

 

 自分は、一人ではない。

 

 その事を、改めて噛み締めた七海であった。

 

「豚玉イカ玉、チーズに餅玉、一丁お待ちィ! おら、焼け焼け! んでもって食え!」

 

 そんなしんみりした空気の中、影浦が陽気な掛け声と共に容器にお好み焼きのたねの入ったボールを次々にテーブルに置いた。

 

 呆気に取られる七海達を見て、ったく、と影浦は舌打ちする。

 

「祝いの席でしみったれてんじゃねぇよ。いいから黙って食え、上手いモン食って騒げ。ここはそういう場所だからな」

「…………はい、ご馳走になります」

「おしおし。いつも通りお前のは俺が焼いてやる。待ってろ」

 

 七海が素直に頷いたのを確認すると、影浦は後ろのカートに乗っていたボールを取り出し、鉄板にたねを敷いた。

 

 ジュゥ、と生地が焼ける香ばしい匂いが漂い、熱せられた鉄板の上でたねが焼き上がっていく。

 

 影浦が後から取り出した七海用のそれは、他のお好み焼きよりも少々色が濃いように思える。

 

 これは七海の為に影浦が用意した彼専用のたねであり、色んな意味で血反吐を吐きながら完成させた一品である。

 

 その事を良く知っている七海は、影浦の心遣いに感謝しながら焼き上がるのを待っていた。

 

「おし、出来たぜ」

「ありがとうございます」

 

 影浦は焼き上がったお好み焼きをへらで用いて、七海の皿へ移した。

 

 それにさっとかつおぶしとソース、マヨネーズをかけ、お好み焼きの熱でその風味が巻き上がる。

 

 かつおとソースの良い香りが鼻を擽り、食欲をそそる。

 

 日常用のトリオン体を使用しているとはいえ嗅覚も薄い七海ではあるが、その風味はしっかりと彼に届いていた。

 

 よく見れば、七海のお好み焼きに使用したマヨネーズやソース、かつおぶしに至るまでどうやら専用のものを用いているらしい。

 

 当然、用意したのは影浦だ。

 

 七海でも味が分かる料理を提供する為、自分自身が実験台となって影浦は七海専用のレシピを作り上げたのだ。

 

 通常はまずやらない分量で味付けを行い、思いっきり味を濃くする事で七海の舌でも味が分かるように調整したのである。

 

 無論、普通の人にはまず食べられない味である事は言うまでもない。

 

 影浦はそれを自ら味見するという苦行を行いながら、なんとか完成に漕ぎ着けたのだ。

 

 興味本位でそれを食した堤は、「まさかあの炒飯に匹敵するものを口にする事になるとは」と涙ながらに感想を残している。

 

 思いっきり味を濃くしなければそもそも味覚を感じ取れない七海用に調整されたレシピなのだから、当然の話なのだが。

 

 勿論、影浦とて飲食店の息子としては自分が食えない料理を出すのは不本意である。

 

 だが、それ以上に七海が味を感じられずに食事を楽しめないのは我慢ならない。

 

 故に、影浦はこのレシピを作り上げた。

 

 流石にレイジレベルの料理スキルは持ち合わせていない為力技にはなったものの、なんとか七海に味を感じさせる事が出来る料理を出せるようになったのだ。

 

 初めて七海の「味が、味が分かりますっ! カゲさんっ!」と喜んだ声を耳にした夜には、一人男泣きしたものである。

 

 なんだかんだ、影浦は七海(弟子)が可愛くてたまらないのだ。

 

 七海の為なら、あらゆる労力を惜しまない。

 

 それが、影浦という男なのである。

 

「美味しい」

 

 一口、お好み焼きを口に運ぶ。

 

 口の中で生地がとろける感触が伝わり、その柔らかさに快の感情が溢れ出す。

 

 普段感じる事のない『辛味』が、口の中に広がっていく。

 

 七海にとって、普段の食事は目で楽しむ栄養補給の意味合いが強い。

 

 那須はなんとか見た目だけでも楽しめるように色々と食事を工夫してくれているが、日常用とはいえ流石に常時トリオン体でいるワケにはいかない以上、影浦の作るお好み焼きのような真似は出来ない。

 

 トリオン体の食物の吸収効率は、100%。

 

 七海の扱う日常用トリオン体はその比率を極度に抑えてはいるが、それでも生身の身体よりは吸収効率は上なのだ。

 

 更に言えば、影浦の作ったこの七海専用お好み焼きは栄養バランスを半ば度外視して作った代物だ。

 

 流石に、これを毎日食べるというワケにはいかない。

 

 だが、七海にとってこのお好み焼きは、数少ない()を感じる事の出来る食事なのだ。

 

 その意味は、大きい。

 

 七海はこの影浦のお好み焼きを食べる事が、密かな楽しみになっていた。

 

 それを以前影浦に直接告げたところ、「そうか」とだけ言ってその場を去り、その夜に目一杯のお好み焼きを奢ってくれた。

 

 どうやら、七海に直接礼を言われた事が相当嬉しかったらしい。

 

 それ以来、七海が此処に来る時は大抵影浦の奢りである。

 

 流石に遠慮しようとしたのだが、「こんなもん出しといて金なんか取れるかよ」と押し切られ、今に至る。

 

 影浦としては、あくまでこれは自分が勝手に作ったものであり、残飯処理のついでに七海にくれてやっている、という建前を押し通すつもりのようだった。

 

 その事を言及したユズルはヘッドロックの刑に処されていたが、それはさておき。

 

 段々と、店に来る人数が増えつつあった。

 

 最初は那須隊や影浦隊の面々や村上達くらいしかいなかったのが、徐々にテーブルが埋まりつつある。

 

「ゴチになりに来たでー」

「お、うまそな匂いやな」

 

 生駒が連れて来た、陽気な生駒隊の面々。

 

「おゥ、邪魔するぜ」

「お、お邪魔しますっ!」

 

 弓場を先頭に入って来た、放課後の部員感満載の弓場隊の5人。

 

「おう、やってんな」

「美味しそうな匂いですね」

「はい、楽しみです」

 

 遊びに来た感たっぷりの、諏訪率いる諏訪隊のメンバー。

 

「邪魔するぜ」

「お邪魔します」

「失礼します」

 

 リア充オーラ満載の、柿崎隊の面々。

 

 様々な部隊の隊員達が、この店に集まっていた。

 

「おっじゃましまーすっ!」

「おっ、もう始めてるじゃねーか。ちと出遅れたか?」

「みたいだな。ま、今からでも食いまくればいいじゃないか」

 

 その最後に、入って来たのは。

 

 七海の師匠の一人である出水に、オペレーターの国近。

 

 そして、太刀川慶。

 

 A級一位部隊、太刀川隊の隊長にして、七海の師匠。

 

「あん? 太刀川じゃねーか」

「よう影浦、食いに来たぜ」

 

 かつて影浦隊がA級にいた時、散々やり合ったであろう、好敵手。

 

 ぶっちゃけ、七海の事とかどうでもいいからとにかくお好み焼き食いたさに出水に付いて来た、戦闘馬鹿(ろくでなし)である。




 寝落ちが続いて更新空けてしまった。不覚。

 主人公が味覚死んでるから色々食事描写カットしてきたツケかこれが。

 まだお好み焼き家回は続くのです。


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パーティ②

 

 じゅぅ、とお好み焼きが焼ける音が店のあちこちから響く。

 

 貸し切りである事もあって閑散としていた店内は、あっという間に賑わいで満ちた。

 

 影浦はこの打ち上げをするにあたって、那須隊の面々が選んだ部隊を呼び寄せた。

 

 正確には、「来るなら勝手にしろ」と号令をかけただけだが。

 

 鈴鳴と荒船隊は、それぞれ村上と荒船が連れて来た。

 

 生駒隊、弓場隊は以前の縁もあり、七海が呼び寄せた。

 

 太刀川隊は、出水が七海に交渉し、影浦を怖がる唯我を抜いた三人でやって来た。

 

 柿崎隊は熊谷が柿崎とスポーツ仲間という縁もあって、隊ごとやって来た。

 

 諏訪隊は堤と加古を通じた繋がりがあり、その縁もあって来たのである。

 

 七海としては加古も呼びたかったのだが、どうやら外せない用事があるらしく此処にはいない。

 

 その事に若干名、安堵の息を漏らした者がいたのは内緒である。

 

 流石にお好み焼きで加古炒飯の悲劇が再現されるとは考え難いが、そもそも加古と料理の組み合わせがまずアウトである。

 

 加古といえば、加古炒飯。

 

 これは、彼女を良く知るボーダー隊員の大半が抱いているイメージである。

 

 ちなみに、七海は味覚が殆ど死んでいる為加古炒飯の威力を知らない。

 

 それ故、加古炒飯の脅威についての理解があるとは言い難い。

 

 加古は料理の腕そのものは悪くないが、興味本位でどうしてそうなったと言わんばかりの謎具材をぶち込む悪癖がある。

 

 食材には、食い合わせというものがある。

 

 幾ら美味しい食材とはいえ、甘いものと辛い物を一緒にすればどうなるかは明々白々。

 

 だが、加古はその常識を無視(スルー)する。

 

 いくらと鮭だけの組み合わせなら、まだ分かる。

 

 しかし加古は、そこに生クリームやらカスタードやらを投入してしまうのだ。

 

 魚介類と、お菓子類。

 

 普通に考えて最悪な組み合わせを、彼女は遠慮なく行ってしまうのだ。

 

 結果、一口食べるだけで抱腹絶倒確実な致死性炒飯が出来上がるのだ。

 

 無論、毎回ではない。

 

 その()()()炒飯に当たる確率は、二割。

 

 10回中8回は、普通の極旨炒飯を食べられる。

 

 だが。

 

 だが。

 

 これは、あくまで()()である。

 

 中には、10回中10回はずれ炒飯を引く超絶アンラッキーな者もいる。

 

 まあ、その者の名は堤と言うのだが。

 

 ともあれ、繰り返し加古炒飯を味わって来た堤は加古がこの場にいない事を密かに安堵していた。

 

 もっとも。

 

 後日、「七海くんの勝利祝いにいっぱい炒飯作ってみたの♪」とうきうきな加古に連行される堤の姿があったという。

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 合計36名。

 

 そんな人数が、このお好み焼き屋『かげうら』に集結していた。

 

 影浦は注文を取る為忙しなく駆け回り、暫くは戻って来そうにない。

 

 となると当然、今回のメインである七海達の下へ人が集まって来るのは必然であった。

 

「おう七海、二宮に勝つたぁやるじゃねぇか」

「ええ、最後の影浦との一騎打ちも見応えがありましたしね」

「凄かったです。俺も負けてられないですね」

「ありがとうございます。それも、皆のお陰ですよ」

 

 最初に来たのは、諏訪隊だった。

 

 諏訪と堤、笹森は口々に七海を称賛する。

 

 七海はそれを受け、軽く返礼した。

 

 この試合のMVPは、間違いなく七海だろう。

 

 あれだけの時間、二宮を抑え続けた手腕は称賛されて然るべきものだ。

 

 その後の生駒や影浦の一騎打ちを制した事もあり、彼が最大の功労者である事を疑う者はいないだろう。

 

「驚いたぞ。あれにはな」

「そうっすね。凄かったっす」

「えへへ、ありがとうございます」

 

 そして、もう一人の功労者もまた、荒船隊の二人から称賛の言葉をかけられていた。

 

 七海が表の功労者なら、茜は影の功労者だ。

 

 二宮を仕留めてみせた、イーグレットの狙撃は言うに及ばず。

 

 その後のユズルとの狙撃手同士の一騎打ちでの勝利や、生駒戦での好アシスト。

 

 どれを取っても、那須隊の勝利には欠かせなかった人物だ。

 

 茜は狙撃手の二人からの称賛を、素直に笑顔で受け入れた。

 

 何処かできのこ頭の美形が「茜に悪い虫が……?」と妙な電波を受け取っていたようだが、そこはそれ。

 

 用事があって来れなかった残念な美形(奈良坂)の殺気を感じ、狙撃手二人が寒気を覚えたのは内緒である。

 

「見てたぞ。頑張ったな、熊谷」

「ええ、感動しました」

「凄かったですっ!」

「あはは、ありがとうね」

 

 そして、熊谷は柿崎隊の面々から労いの言葉をかけられていた。

 

 熊谷はプライベートで、柿崎達とは共にスポーツに興じる仲だ。

 

 元来身体を動かす事が好きな熊谷は、趣味が合う仲間として柿崎達と休みの日にバスケなどを行っていた。

 

 どちらかというと、個人ランク戦を重ねるよりもそちらの方が熊谷の好みではある。

 

 個人ランク戦も嫌いではないが、太刀川のようにのめり込んでいるかと言われれば疑問が残る。

 

 無論鍛錬は欠かさないが、それでも本当の意味でリフレッシュ出来るのは休日にスポーツをやっている時である。

 

 こればかりは残念ながら、隊の仲間とするワケにはいかない。

 

 生身での運動などまず無理な那須と、生身ではそもそも日常生活に支障が出る七海。

 

 そして引きこもりの小夜子に、運動音痴の茜。

 

 このように見事にスポーツ適性のない者達ばかりが揃っている為、休日の日中は那須隊の面々といるよりも柿崎達といる時間の方が多い傾向にある熊谷である。

 

 この機会に那須隊のメンバーとも親交を深めさせたいと考えて連れて来た為、丁度良いタイミングで紹介しよう、と思案していた熊谷であった。

 

「今日は誘ってくれてありがとうね。七海くん」

「いえ、いつもお世話になっていますし」

「太一、絶対に余計な事しちゃ駄目だからね」

 

 鈴鳴の面々は、七海に話しかけながらも太一(真の悪)の動向に注意していた。

 

 悪意の欠片もなく、善意で様々なハプニングを引き起こす事で評判の太一である。

 

 祝いの席を台無しにされたくない村上達、特に今は注意深く太一の様子を観察していた。

 

「大丈夫ですって……っ! 俺、折角だから焼くのやってみま────」

「やめておこうか」

「うん。俺がやろう」

「やめなさい……っ!」

「…………なんでぇ……?」

 

 自分のとんでもないうっかり具合をいまいち自覚していない太一が凶行に走ろうとする前に、それを止める鈴鳴第一。

 

 太一が善意で動けば、何が起こるか。

 

 それを把握しているが故の、全力制止であった。

 

 全員から止められ、しょぼんとする太一。

 

 しかし今までの前科を考えれば、自業自得としか言えない有り様ではあった。

 

「おう七海ィ、やったじゃねぇか。俺もブルっちまったぜェ」

「ありがとうございます。弓場さん」

 

 そんな鈴鳴の面々の横で、労いの言葉をかける弓場とそれに返礼する七海の姿があった。

 

 弓場は髪を下ろした私服姿で、普段の凄み(ドス)は若干抑えられている。

 

 真面目なインテリ大学生。

 

 それが、今の弓場から受ける正直な印象だった。

 

「凄かったっす……っ! 感動したっす……っ!」

「ああ、やったな。まさか、一位の座をもぎ取るなんてな」

「真面目に凄いと思う。いやホント」

「おう、やるなあお前ら……っ!」

 

 そして弓場隊の面々は、素直な称賛を口にしていた。

 

 七海は一人一人に丁寧に返礼し、神田や藤丸からばしばし肩を叩かれていた。

 

 完全に体育会系の部活のノリだが、こうした雰囲気も嫌いではない。

 

 攻撃手の面々との交流を通じて、こういう空気にも慣れているからだ。

 

 それに、今の七海には昔と違って余裕がある。

 

 那須と掛け違えていたボタンをかけ直した今の七海は、張り詰めていた空気が薄れている。

 

 前より取っ付き易くなったと、口々に噂される程度には。

 

 七海は無痛症の影響で、どうしても反応が淡泊になってしまう。

 

 情動が削られている為致し方ない事だが、外から見ると何処か浮世離れしていて、近付き難い雰囲気があったのも確かなのだ。

 

 今は、それがない。

 

 確かに反応が淡泊なのは変わらないが、それでも地に足が付いているイメージがある。

 

 少なくとも、今は雰囲気だけで敬遠される事はない。

 

 それは良い変化だと、七海の周りの者達は思っていた。

 

 七海が、他人を受け入れる余裕が出来た、という事なのだから。

 

「今回はやられたで、七海。次は負けへんからな」

「ええ、こちらこそ。次も、負けませんから」

 

 そんな七海の下へ、生駒がチームメイトを引き連れやって来た。

 

 軽く挨拶を交わすと、生駒は部隊の面々を手招きで呼び寄せた。

 

「おーい、お前らもなんか言うんやで」

「ほな、漫才でもしよか」

「それ、ウチら見てるだけになりまへん?」

「俺、漫才やってみたいですっ! えーと」

「やらんでいいわ阿呆……っ!」

 

 正式に七海に紹介しようと思って呼んだ生駒と、別に自分達がでしゃばらなくていいんじゃ、と遠慮していた生駒隊の面々。

 

 その認識の差は如何ともし難く、即座に普段通りの漫才(さわぎ)に発展。

 

 結局、その様子を茫然と眺める羽目になった七海であった。

 

「…………日浦さん」

「うん。なにかな?」

「次は、負けないから。オレも、頑張るよ」

「うんっ! 私も、負けないからねっ!」

 

 その近くでは、ユズルが茜相手に、微笑ましい宣戦布告を行っていた。

 

 どちらも、互いの実力を認め合った好敵手。

 

 これからも、共に研鑽を重ね更に高みに登って行く事だろう。

 

 狙撃手界の将来は、明るそうである。

 

「はふはふっ、ほふほふ」

「太刀川さん、ひたすら食べてますね……」

「まー、それ目当てで来たみたいだしねー。あ、私にもそれちょーだい」

 

 そんな者達を尻目に、ひたすら餅入りのお好み焼きを食べ続ける者がいる。

 

 戦闘馬鹿(太刀川慶)

 

 彼は周りの事情など知った事かとばかりに、一心不乱にお好み焼きを食べ続けていた。

 

 太刀川は、餅が大好物である。

 

 また、お好み焼きも割と好きだ。

 

 その二つが、同時に味わえるのだ。

 

 餅入りのお好み焼きはどちらかというと変わり種のメニューではあるが、太刀川にとってはベストヒットなメニューであった。

 

 食べる。

 

 ひたすらに食べる。

 

 この集まりが何の為のものかも忘れて、ひたすら食べる。

 

 そんな食い意地の張りまくった師匠の姿を、溜め息と共にスルーする七海であった。

 

「しかし、まさかホントに二宮さんを倒しちまうとはな。もうさ、免許皆伝みたいな扱いでいいんじゃねーか?」

 

 そう告げるのは、もう太刀川の行動は無視する事に決めた出水である。

 

 出水は七海を穏やかな顔で見据え、冗談半分でそう口にした。

 

 本音を言えば、師匠を降りる気など欠片もない。

 

 まだ教えられる事はあると考えている事もあるが、なんだかんだで出水は世話焼きなのだ。

 

 愛着が湧いた弟子を、今さら手放す筈もない。

 

 直接対決で負けたのならば、少しは考えるかもしれないが。

 

「いえ、出来ればこれからもご指導頂ければ。俺はまだ、強くなれると思いますから」

「言うねー。けど、特に断る理由もないかな。おし、今度また色々小技を教えてやる。覚悟してろよー?」

「はいっ!」

 

 気前の良い七海の返事に、こりゃあまだまだ師弟関係は終わらねーな、と出水は苦笑した。

 

 元より、意欲的にこちらの技術を吸収しようとする七海の姿勢は、教える側である出水にとって好ましいものである。

 

 かつての弟子である二宮を現在の弟子である七海が超えたという事実は中々に感慨深いものはあるが、それはそれとして七海はもっと面白いものを見せてくれるんじゃないか、という期待もあった。

 

 丁度、それを見るに丁度良い舞台が近いうちにあるのだ。

 

 合同戦闘訓練という、事実上のA級昇格試験が。

 

 その詳細は、まだ知らされてはいない。

 

 これは、試験官となるA級部隊が懇意にしているチームに情報を横流し出来ないようにする為の処置である。

 

 そんな真似をするチームがいるとは思ってはいないが、こればかりは規則なので仕方がない。

 

 それに今回は、不測の事態(イレギュラー)に対応する為の能力も見ておきたい、という理由もある。

 

 想定されている第二次大規模侵攻は、相当大きな戦いになると予想される。

 

 その戦いへの備えは、あるだけあって損はない。

 

 この合同戦闘訓練は、格上と戦う為の訓練の一環という意味合いもある。

 

 普段出て来るバムスターやモールモッドのような雑魚なら、数がいても処理自体は出来るだろう。

 

 だが、出て来るだろうと予想される人型近界民────────近界の人間は、近界製の高性能(ワンオフ)トリガーを使って来る。

 

 そんな相手に対抗するには、格上との戦いの経験は必須だ。

 

 その経験を積む為の、A級B級が入り混じった合同戦闘訓練である。

 

 A級との連携を想定しての訓練という題目も嘘ではないが、そういう意味合いもあるというだけの話だ。

 

「む、なくなったか。おーい、餅玉三つ頼む」

「ったく、一体どれだけ食やあ気が済むんだよお前はよ」

 

 焼き上がった餅入りのお好み焼きを全て平らげた太刀川は、懲りずに追加を注文する。

 

 既にかなりの数の餅入りお好み焼きを食べているにも関わらず、一向にその食欲が止まる様子はない。

 

 影浦は注文を受けて渋々、厨房へと消えていった。

 

「うーむ、手持無沙汰だな。七海、ちょいとそっちも食わせてくれ」

「え、あ……っ!」

 

 七海が答える間もなく、太刀川は七海の皿からお好み焼きを一切れ掴み、ぱくりと口に放り込んだ。

 

 そう、()()()()()()()()()()をである。

 

「ん……?」

 

 一息に噛み砕き、呑み込んでから気付く。

 

 口の中に沸き上がる、凄まじい辛味に。

 

 否、辛味だけではない。

 

 このお好み焼きは、影浦が微量の味覚しか感じ取れない七海の為にバランス度外視で味付けした特注品である。

 

 ハッキリ言って、普通の味覚の人間が食べる事は一切想定されていない。

 

 辛味を付ける為に使用した、タバスコに唐辛子。

 

 更に、紅しょうがの代わりに使用されている鷹の爪。

 

 それに加え、これでもかとたれを染み込ませた肉に、有りっ丈の調味料で濃い味付けをしたキャベツ。

 

 それらの味が、一気に太刀川の口内を支配する。

 

dさk、djfsけdxx!!??

 

 ────────太刀川、絶叫。

 

 声にならない悲鳴をあげ、大の男がのたうち回る。

 

 それは、食い意地の張った者の末路。

 

 戦闘以外能無し(ろくでなし)に相応しい、オチの付き方であった。





 連想ゲームで太刀川がこうなるシーンが浮かんだのでやった。悔いはない。


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パーティ③

 

「……ふぅ……」

 

 那須は一人、溜め息を吐いた。

 

 店内は賑やかで喧騒に包まれており、何処もかしこも楽しそうに笑い合っている。

 

 ふと、目を向ける。

 

 その先には、柿崎隊の面々と楽しそうに話している熊谷の姿があった。

 

 

 

 

「熊谷先輩、あの時の話をもっと聞かせて貰えますか? 犬飼先輩相手の立ち回りでどう考えて動いたのか、聞いてみたいです」

 

 照屋はそう言って、熊谷に対して話を求めた。

 

 これまでは普段のスポーツについて雑談していた彼女だったが、どうせだから、と聞きたかった事を聞きに行ったらしい。

 

 熊谷は照屋に請われ、困ったような顔をする。

 

「あー、いや、参ったわね。あの時は無我夢中だったから……」

「けど、考えなしでやったワケじゃないだろ? どういう考えで戦ったのかっていう方針とか、そのあたりを聞かせてやってくれないか?」

「…………そっか、そこまで言うならなら話すけど。あの時はね……」

 

 柿崎のフォローを聞き、それならばと最終ROUNDの犬飼戦について熊谷は言葉を選びながら話していく。

 

 それを熱心に聞いているのは、照屋だ。

 

 恐らく、今後の立ち回りの参考にしたいと考え、熊谷に話を聞きに来たのだろう。

 

 犬飼を倒した時の熊谷の動きは、彼女本人がどう思っているにしろ、あの時出来る最善だったと言って良い。

 

 自身の持つ手札を適切に使い、犬飼の思考を推察し、出来る最善をやり尽くした。

 

 だからこそ、犬飼にその牙が届いたのだ。

 

 犬飼は、付け焼刃で倒せるような甘い相手ではない。

 

 それまでに培った剣術と立ち回り。

 

 出水から習い直した射撃トリガーと、その扱い。

 

 そして、それらを上手く組み合わせる戦術眼と相手の動きを読む洞察力。

 

 そのいずれかが欠けていれば、あの勝利はなかっただろう。

 

 故に、照屋は教えを乞うたのだ。

 

 柿崎隊は、今まで一度もB級上位に上がれてはいない。

 

 それは即ち、明確な格上とチームとして戦った経験がない事を意味している。

 

 格上との戦いは、格下や同格相手のそれよりも上質な経験値と成り得る。

 

 ましてや、その相手に勝った経験であれば猶更だ。

 

 照屋は、それが知りたい。

 

 彼女だけではない。

 

 柿崎も、虎太郎もまた、それを聞いて上へ登る足掛かりにしたいのだ。

 

 お世辞にも、前期の熊谷はそこまで突出した実力者とは言えなかった。

 

 その彼女が、B級一位に上り詰めるチームの一員としての成長を見せたのだ。

 

 そんな彼女から少しでも何かを学び取りたいと考えるのは、自然な事だ。

 

 ボーダーの正隊員に、向上心のない者などいない。

 

 少なくともB級中位以上のメンバーは、誰も彼も上を目指して日々己を磨き続け、試行錯誤を繰り返している。

 

 そんな姿勢は、熊谷からしても好ましいものだ。

 

 此処まで頼って来られて、悪い気などする筈もない。

 

 そんなこんなで、自身の体験を伝えていく熊谷であった。

 

 

 

 

「むぅ……」

 

 柿崎達と話している熊谷を見て、那須は何処か呆けた声をあげた。

 

 那須は、独占欲の強い人間である。

 

 異性として好意を抱く七海は言わずもがな、特に仲の良い────────否、唯一の身内であるチームメイトに関しても、自分以外の人とあまり仲良くして欲しくないという想いが少なからずある。

 

 あのROUND3の時の一件を経て多少は自制出来るようにはなっているが、それでも現在進行形で熊谷が自分よりも他の人を優先しているように見える光景は正直面白くない。

 

 同時に、そんな自分に対する自己嫌悪も沸いていた。

 

 人は、他者と繋がるものだ。

 

 一人きりで出来る事など、たかが知れている。

 

 けれどこれまでの那須は、七海とチームメイトさえいればそれでいいと、半ば本気で考えていた。

 

 彼女の世界は、今まで閉じてしまっていた。

 

 那須の世界で色彩を持っているのは、七海と那須隊のチームメイトだけ。

 

 他の人間は、正直有象無象にしか見えていない。

 

 学友の小南でさえ、七海達と比べれば那須の世界の中での色は薄い。

 

 彼女は、チームメイト以外の人間を本当の意味では一切視界に入れていなかった。

 

 しかし、それはあくまでこれまでの話。

 

 今の那須の世界は、チームメイト以外の人間にもしっかり()が付いている。

 

 チームメイトと比べれば薄いけれど、確かに浮き上がる色がある。

 

 それは、彼女が閉じた世界を脱した証拠でもあった。

 

 だが、それはそれとして今更どう他人と関わって良いのか判断が出来ない。

 

 なにせ、これまで彼女が興味を持って接していたのは七海を含むチームメイトのみ。

 

 他の人間に関しては戦力的な意味ではともかく性質的な意味では碌に情報を集めようとしていなかった為、殆ど顔は知っているがどんな人かは知らない、という状態に近い。

 

 極端な表現かもしれないが、那須の認識としてはそのようなものであった。

 

 誰と、どんな事を話せばいいのか、分からない。

 

 事務的な会話や社交辞令なら、どうとでもなる。

 

 けれど、いざ雑談に興じようと思っても、どう話しかければ良いかが分からない。

 

 それに、話しかけたところで受け入れられるのか、という想いもある。

 

 那須は、ROUND3の失態で盛大にその内に秘めたものを晒してしまった。

 

 あれを見ていた者は、一様に察しただろう。

 

 那須は、自分は、少々、普通ではないのだと。

 

 一度だけ例の試合のログを見た事があるが、正直自分でももう二度と見たくないと思う程度にはあの時の自分は酷い有り様だった。

 

 あれを見た者達がどういった感想を抱いたのかは、想像に難くない。

 

 あまり近付きたくない人物、という評価をされていてもなんらおかしくないのだ。

 

 一つの事実として、このお好み焼き屋に来てからチームメイト以外では社交辞令以外で那須に声をかけた者は一人もいない。

 

 その経緯が、那須に自分から声をかける切っ掛けを失わせていた。

 

 全て那須の妄想である、と切って捨てるには状況証拠が揃い過ぎている。

 

 あれから変わったとある程度の自負はあるが、他の者がどう考えているかは不明なのだ。

 

 全くの的外れな推察、とは確かに言えないだろう。

 

 だからこそ、那須は声をかける勇気が持てないでいた。

 

 戦闘では華麗な活躍を見せる那須だが、プライベートとなると自発的なコミュニケーションが苦手な内向的な少女としての面が強く出る。

 

 基本的に、那須の対人関係は受け身なのだ。

 

 自分から人間関係を広げよう、という視点をそもそも彼女は持っていなかった。

 

 今のチームメイトと知り合ったのも、熊谷が彼女に話しかけたのが切っ掛けだ。

 

 那須はその美貌と病弱な少女という特性もあり、一般人が話しかけるのは少々ハードルが高い。

 

 以前の那須は他人への興味がほぼ皆無に近かった為、彼女自身も関わりを作る事を避けていたのも孤立に拍車をかけていた。

 

 一つの契機となったのは、ボーダーへの入隊である。

 

 七海と共に身体的なハンディキャップを補う可能性を求めてボーダーへ入隊した那須は、そこで自分でも普通に動く事が出来るトリオン体という新たな身体を手に入れた。

 

 文字通り羽根が生えたかのような軽い身体を手にした彼女は、それを使う事に夢中になった。

 

 建物の間を跳び回り、相手を翻弄して蜂の巣にする爽快感。

 

 それは、それまで味わった事のない快感であった。

 

 B級に上がったばかりの頃は、その感覚を味わいたくて一時期個人ランク戦にのめり込んでいた。

 

 熊谷と出会ったのは、そんな時だった。

 

 適当に選んだ、個人戦の相手。

 

 最初は、その程度の認識だった。

 

 けれど、試合が終わった後、負けたにも関わらず「凄いね」と笑顔で言って来た熊谷に、興味を惹かれた。

 

 熊谷は負けた事を愚痴るのではなく、那須の美貌についても言及する事なく、ただその実力を評価してくれた。

 

 そして、チームを組もうと、誘ってくれたのだ。

 

 熊谷には、感謝しかない。

 

 チームを組んで、戦う。

 

 その時の那須にとって、それは単に熊谷や七海とボーダーで一緒にいる為の口実に過ぎなかったかもしれない。

 

 だが、今は違う。

 

 チームメイトは掛け替えのない仲間であり、戦友だ。

 

 那須は、共に戦い、高め合う楽しさを知った。

 

 かつてのような、一方的な蹂躙を楽しむ為だけの戦いではない。

 

 戦略を考え、チームを的確に運用し、勝利に繋げていく。

 

 その詰将棋のような感覚を、那須は好ましく思っていた。

 

 戦略は未だに小夜子や七海を頼る事が多いが、以前の独りよがりな戦いよりも充実した戦闘が行えた事は事実である。

 

 その果てに、B級二位(影浦隊)B級一位(二宮隊)にすら勝利出来た。

 

 この集まりも、それを祝っての事である。

 

 けれど、那須は何処か自分が場違いではないか、という想いを払拭出来ずにいた。

 

 熊谷は柿崎隊と。

 

 茜はユズルを始めとした狙撃手の面々と。

 

 そして七海は村上や荒船を始めとしたたくさんの人々と。

 

 楽しそうに、笑顔で会話を交わしていた。

 

 それが少しだけ妬ましく、ちょっとだけ羨ましい。

 

 自分は、あの輪の中には入れない。

 

 そう、考えていた。

 

「あれ? 電話……?」

 

 不意に電話が鳴ったのは、そんな時だった。

 

 周囲に一言断り、席を離れて携帯を見る。

 

 そこには、小夜子からの着信が表示されていた。

 

 男性恐怖症で迂闊な外出が出来ない小夜子は、当然この集まりには不参加だ。

 

 今はその埋め合わせにと那須達が置いて行った菓子折りを手に、ゲーム仲間の羽矢と趣味に興じている筈である。

 

 そんな小夜子が何故、と思ったが、何か緊急の用事かもしれない、と考えた那須は電話を取った。

 

『あ、通じました。那須先輩、今一人ですか?』

「え、ええ、席を離れているけれど」

 

 それがどうかしたの? と問う那須に、小夜子は電話の向こうではぁ、と溜め息を吐いた。

 

『そういう意味じゃないです。那須先輩、一人だけチームメイト以外に話す相手がいなくて困ってたんじゃないですか?』

「……!」

 

 図星を突かれ、那須は絶句する。

 

 なんで、どうして、という疑問を口にする前に、小夜子が言葉を続けた。

 

『なんで分かったのか、なんて言うまでもないじゃないですか。那須先輩、友達いませんもんね。コミュ力も低いし』

「あぅ……」

 

 事実なので言い返す事も出来ず、那須は可愛い悲鳴をあげた。

 

 予想通りの那須の有り様に、小夜子は再び溜め息を吐いた。

 

『那須先輩、今まで意識的に友達を作ろう、とか全くして来なかったですものね。私と同じで、仲が良い数人さえいればそれで良いや、ってタイプですもん。プライベートで話す相手、チームメイト(わたしたち)だけですもんね』

「……うぅ……」

 

 これまた事実なので、返す言葉もない。

 

 那須が言葉に詰まっていると、小夜子がようやく本題に入った。

 

『予想通りの反応、ありがとうございます。ですので、朗報です。今回はそんな情けない那須先輩に、アドバイスを送る為に連絡した次第です』

「え……?」

 

 予想していなかった話題の転換に、那須は目を白黒させる。

 

 無論、小夜子は気にせず続きを口にした。

 

『取り合えず、周りからどう見られてるかどうかってのは一旦横に置いて下さい。手遅れなところを気にしたってどうしようもありませんから。それより、重要なのは自分からコミュニケーションを取る意思を示す事です』

「コミュニケーションの、意思……?」

 

 そうです、と小夜子は肯定する。

 

『多分無意識でやってるんでしょうけど、那須先輩って他人に対して壁がありますよね? 他の人と取っておきたい距離(パーソナルスペース)がやけに広いというか、話しかけないで、ってオーラが出てるんですよ』

 

 そりゃあ他の人も気後れしますよね、とずばずば言ってのける小夜子に那須はストレートに沈む。

 

 ある程度自覚はあったものの、こうして言葉にされるとそれはそれでクルものがある。

 

 しかし小夜子は、構わず話を続けた。

 

『ですので、自分から話しかける事でそのパーソナルスペースをある程度取っ払いちゃいましょう。意思表示、ってのは大事ですからね。ゲームでも選択肢を選ぶ事で先に進みますし、似たようなものですよ』

 

 でも、と小夜子は続けた。

 

『いきなり色んな人に話しかけてみましょう、ってのもぼっちの那須先輩には難易度高いでしょうから、手始めに照屋さんなんかどうですか? 一応同じ学校って聞いてますし、女性同士だからまだ話し易いと思いますけど』

「照屋さんか……」

 

 確かに、照屋は那須と同じ星輪女学院の生徒である。

 

 当然学内で顔を合わせた事もあるし、学年こそ違うが他の学校の面々よりは関わる機会は多い。

 

 だが、コミュニケーションに不自由していないリア充集団のただ中にいる照屋と、対人関係がそもそも苦手な那須とでは水と油も良いところだ。

 

 正直に言って、上手く話せる気がしない。

 

 自信ないな、と那須の口から弱音が零れる。

 

 当然、それを無視する小夜子ではない。

 

『何言ってるんですか。それでも、同じ学校────────それも星輪なんてお嬢様学校の所属なんですから、他の人に声かけるよりはマシでしょう? 丁度、熊谷先輩っていう共通の友人もいるんですしね』

「あ、そっか。くまちゃんがお世話になってるから……」

『ええ、会話の取っ掛かりは掴めると思います』

 

 出汁にする事を既に前提とされている熊谷には悪いが、確かに小夜子の言う通りである。

 

 最初は熊谷がお世話になっているから、という体で話し始めれば、あちらとしても無碍にはしないだろう。

 

 柿崎隊は善人揃いなので、拒否される可能性もまずない。

 

 加えて、柿崎が傍にいる為出来る限りのフォローはしてくれるだろう。

 

 小夜子なりに色々考えた末の人選である事は、間違いなかった。

 

『ともかく、あーだこーだ言うより行動あるのみです。ここらで根暗で陰キャなヤバイ女のイメージは払拭して、少しでも陽キャに近付いてみましょう。私と違って外を出歩けるんですから、やっておいて損はない筈ですよ』

「…………ありがとう、小夜ちゃん」

 

 ヤバイ女、という発言は取り合えずスルーして、那須は小夜子に礼を言った。

 

 そんな小夜子は「あれ? 突っ込まないんだ」と小さく呟きながら、電話口の向こうで苦笑した。

 

『いえいえ、単に七海先輩の好感度を稼ぎたいだけですからお礼には及びませんよ。それでもくれるって言うなら七海先輩貸して下さい』

「それは駄目」

『そこは、良いわ、って言いましょうよぉ。私なりに受け売────────知恵を絞ったんですからぁ』

「………………………………………………………………………………………………………………………………考えては、みる」

 

 長い長い逡巡の後、那須は絞り出すようにそう口にした。

 

 色々思うところはあるが、助かったのは事実なのだ。

 

 条件によっては妥協しても良いかもしれない、と思うくらいには那須は小夜子を信頼してもいた。

 

 これが他の女性だった場合、ノータイムで粛清決定(ギルティ)であるが。

 

『言質取りましたからね? ともあれ、騙されたと思ってやってみて下さい。まずは動かないと、何も始まりませんからね』

「うん。やってみる────────ありがと、小夜ちゃん」

『どういたしまして』

 

 そうして二人の会話は終わり、電話は切れた。

 

 那須はぱしん、と自分の頬を叩いて踵を返す。

 

 向かう先は、熊谷が座っている────────照屋達のいる、テーブル。

 

 コミュ障が忌避するリア充オーラ(高い壁)が見えるが、既に後退の意思はない。

 

 いざ、戦場へ。

 

 そんな意気込みで友達になりに(決戦に)向かう、那須の姿がそこにはあったのだった。





 うちの那須さんは基本、チキンなので後押しがないと何も出来ません。

 ROUND3で色々改善はしたんですが、それでも性根までは変わってません。

 ぼっちだからね。仕方ないね。


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パーティ④

 

「随分気にかけてるのね」

「ま、うちの隊長ですし。それに、愛しい恋敵でもありますからね」

 

 スレンダーな長髪の美女、と呼ぶべき容姿の少女、橘高羽矢。

 

 ゲーム仲間である彼女の言葉に、小夜子は苦笑ながら答えた。

 

 現在、小夜子と羽矢は小夜子の自室でゲームに興じていた。

 

 小夜子は男性恐怖症を患っている為、迂闊な外出は出来ない。

 

 故に、大勢が集まる飲食店に行くなど以ての外である。

 

 ボーダー隊員を信用していないワケではないが、彼女のそれは最早生理的な反射行動に近い。

 

 那須達の信頼を集め、尚且つ自分に対して真摯に向き合ってくれた七海だからこそ例外になっているのであり、他の男性に関しては変わらず拒否反応が出てしまう。

 

 心の病は、気の持ちようでどうこう出来る類のものでは断じてない。

 

 本人が無意識に設定したボーダーラインを踏み越えた瞬間、反射的に拒否反応が出てしまうのだ。

 

 故に、精神的な疾患を抱える者に「度胸が足りない」だの「努力が足りない」だのといった偏見は的外れにも程がある。

 

 だからこそ、そういった疾患を抱える者達に対して重要なのは見守り、向き合う事だ。

 

 相手の主張を否定せず、受け入れ、決して意見の押し付けはしない。

 

 七海は、それが出来たからこそ小夜子に受け入れられたのだ。

 

 そして、恋されたのだ。

 

 誰が相手でも同じ対応をされれば惚れるかと言われれば、否である。

 

 小夜子は、七海だからこそ恋したのだ。

 

 慕っている那須のパートナーであり、熊谷と茜も全幅の信頼を置いている存在。

 

 また、これもまた重要な事だが七海は飛び抜けた美形ではないが顔立ちは整っている。

 

 そして、話し上手ではないが話を聞くのは上手い部類に入る。

 

 決して意見を押し付けず、相手の話を聞き、自分の意思は明示する。

 

 何より、その誠実さは那須隊の皆が知るところだ。

 

 そんな七海だからこそ、小夜子は受け入れる事が出来た。

 

 しかしそれは、男性恐怖症が治った事を意味しない。

 

 相変わらず、七海以外の男性と同じ空間にいると日常生活が困難なレベルの状態に陥ってしまう事は変わらない。

 

 ただ、七海と言う例外が出来ただけなのだから。

 

 そのような状態であった為、彼女の交友関係はかなり狭い。

 

 しかし、那須と違ってチームメイト以外との交流が皆無というワケではないのだ。

 

 同じオペレーター仲間とはそれなりに話はするし、中でもゲーム仲間である羽矢と国近の二人とは特に仲が良い。

 

 今日もまた、一人だけパーティーに行けない小夜子を気遣ってこうして羽矢がやって来たワケである。

 

 国近は太刀川達に付いて行ったが、羽矢がオペレーターを務める王子隊はあの場に招待されてはいない為、彼女は特に憂いなくこの場に来れたという理由もある。

 

 あの場に招待された部隊はいずれも那須隊のメンバーと個人的な繋がりがある者達ばかりだが、残念ながら王子隊の場合は小夜子と羽矢が友人関係なだけで、王子隊の戦闘員の面々とは顔合わせすらしていない。

 

 というか、羽矢と小夜子がゲーム仲間である事自体、王子達は知らないのだ。

 

 察しているかどうかまでは分からないが、少なくとも羽矢からそれを暴露した事はない。

 

 故に、王子隊は那須隊とのコネクションを得るには至らず、誘われなかったというワケである。

 

 ともあれ、羽矢がこの場にいるのはそういった経緯だ。

 

 羽矢は小夜子の返答を聞き、ふぅん、と呟き目を細めた。

 

「恋敵かぁ。割と根暗だと思ってたのに、そういうのはハッキリ言っちゃうのね」

「根暗なのは言い訳しませんが、それはそれとして恋してるのは事実ですから。あ、言っちゃ駄目ですよ? この事は那須先輩しか知らないんですから」

「言わないわ。友達の秘密を晒すほど、落ちぶれちゃいないつもりだもの」

 

 分かり切った返答を聞き、小夜子は苦笑した。

 

 羽矢は、見た目は垢抜けた美人である。

 

 那須のような浮世離れした美貌ではないが、それでも美人、と断言して良いレベルの容姿を持っていた。

 

 まあ、その中身は隠れオタクであり、二次元にしか興味がなく三次元の男に欠片も興味を持てなかったという、喪女属性全開の少女なのであるが。

 

 七海しか目に入っていない那須と同じで、モテはするが、本人は別にモテなくても良いと割り切っているタイプである。

 

 那須は七海以外の男が眼中にないからこそモテなくても良いと思っているタイプだが、羽矢の場合はそもそも自分自身の恋愛にリソースを割くという思考そのものがないのだ。

 

 仕事をこなし、お金を稼ぎ、趣味の時間を作りながら安定した生活を送る。

 

 それが、羽矢の持つ将来設計である。

 

 正直、結婚したら趣味の時間がなくなるからいいやと考えているタイプに近い。

 

 彼女からしてみれば、同じ趣味を持ちながら恋愛に全力を注ぐ小夜子のスタンスは少々理解し難い。

 

 けれど、否定はしない。

 

 小夜子が本気なのは見れば分かるし、友達の真剣な想いを無碍にするほど屑ではないつもりである。

 

 正直、失恋が決まっているにも関わらず想いを捨てないのはどうなのかとも思うが、こればかりは友人の羽矢にも口出しする権利はない。

 

 恋は、不用意に他人が関わって良いものではないのだから。

 

「でも、よく分からないわね。恋敵なんて邪魔なだけだと思うのに、そんなに楽しそうに話すなんて」

 

 しかし、分からない事はある。

 

 小夜子は那須の事を「恋敵」とハッキリ言っているが、それにしては嫉妬などの負の感情が殆ど見受けられない。

 

 むしろ楽し気にその事を語っているのが、羽矢には不思議だった。

 

 ゲームや漫画では媒体にもよるが、大抵恋敵同士というものは険悪になるものである。

 

 それは、現実でも同じ。

 

 自分と同じ相手を好きになった相手など、恋する乙女にとっては敵でしかない。

 

 なのに小夜子は、その那須(恋敵)の事をまるで好きな人の事を語るかのように話している。

 

 それは少々、羽矢には理解が及ばない感性であった。

 

「単純な話ですよ。私は七海先輩に恋してますけど、那須先輩の事も大好きですから。あ、別に百合的な意味ではなく」

「それは分かってるわ」

「ならいいです」

 

 私、ノーマルですから、と小夜子は捕捉する。

 

 そんな事は、羽矢とて言われるまでもなく分かっている。

 

 小夜子は確かに男性恐怖症だが、別に女性を恋愛対象として見ているワケではない。

 

 良く男性嫌いのキャラは百合性癖があったりするが、男性嫌いだからと言って安易に同性愛に走るような人物はむしろ稀だ。

 

 小夜子も羽矢もオタク趣味にどっぷり浸かっているが、そのあたりの分別は出来ている。

 

 別段同性愛を差別するワケではないが、少なくとも彼女達にはそんな趣味はないのである。

 

「でも、友情よりも愛情を取るのが恋する乙女ってやつじゃないの?」

「考え方の違いですね。私は、友愛も恋愛も、どっちも捨てる気がないだけです。七海先輩は好きですし隙あらば掻っ攫う事も吝かではありませんが、それはそれとして那須先輩にも嫌われたくないんです」

 

 だったら、と小夜子は続ける。

 

「正妻を諦めて、那須先輩公認の愛人にでもなった方が色々お得なんですよ。正直、那須先輩は七海先輩以外の人とくっつくのは有り得ませんからね」

「まあそうよね。けど、愛人とは中々えぐい事考えるわね」

「道は険しいですけどね。ですが、険しいからと言って登らない理由にはなりませんからね」

 

 ハッピーエンドの為に頑張りますよ、と小夜子は奮起する。

 

 小夜子が恋を諦めるのが一番角が立たないのではないか、と思わなくもなかったが、口には出さない。

 

 何よりも、彼女自身が今の状態に納得しているのだ。

 

 ならば、安易な口出しはするべきではない。

 

 こういう気遣いが出来るからこそ、羽矢は小夜子のゲーム仲間になれたのだから。

 

 今更、友情が壊れかねない口出しをして彼女に嫌われたくはない。

 

「ま、頑張って。骨は拾ってあげるから」

「大丈夫ですよ。私、愛は重いタイプですから」

「それは知ってる」

 

 既に一生ものの恋愛だと腹を括っている以上、小夜子の愛の重さは嫌でも分かる。

 

 一歩間違えればメンヘラになりかねないレベルだが、どちらにせよ今後一切七海以外に恋する気がないのは変わらない。

 

 新しい幸せを見つけた方が良い、なんて言葉は戯言だ。

 

 それは、恋の重さを知らないからこそ吐ける言葉である。

 

 恋は、愛とは違う。

 

 愛は理性と打算で動くが、恋は徹頭徹尾感情なのだ。

 

 燃え上がった恋心は、そう簡単に鎮火しない。

 

 特に、心の壁が分厚い小夜子のような少女ならば猶更だ。

 

 恋は尊ぶべきもの、愛は妥協するもの。

 

 愛を知るのは、大人になってからで良い。

 

 少女のうちは、見つけた恋に全力であれ。

 

 それが、若者の特権、というものなのだから。

 

「でも、アドバイスはあれで良かったの? 聞く限り、那須さんって自発的なコミュニケーション苦手でしょ?」

「だからこそですよ。柿崎隊は、ぶっちゃけ善人の集まりです。ランク戦ではそこが付け入る隙になったんですが、日常生活においてあれくらい盤石な部隊は中々ないです」

 

 ですので、と小夜子は続ける。

 

「那須先輩がおっかなびっくり話しかけにいけば、十中八九世話を焼いてくれます。熊谷先輩から聞いた柿崎隊の人となりなら、まず間違いなくそうなるでしょう」

「まあ、確かにあそこはお人よしの集まりだしねえ」

 

 二人の言う通り、柿崎隊はその全員が人が良い。

 

 柿崎は善性が凝り固まったような性格をしているし、虎太郎も困った人は放っておけないタイプだ。

 

 照屋も二人と比べれば現実主義だが面倒見は良く、フォローも上手い。

 

 那須が突貫してしどろもどろになったとしても、上手に捌いてくれるだろう。

 

 まあ、二、三、小言が付くかもしれないが、それは必要経費だと思って貰うしかないだろう。

 

「那須先輩はですね、もっと交友関係を広めるべきです。私と違って日常用のトリオン体さえ使えば出歩けはするんですから、隊の外の人とも関わっていかなきゃいざという時頼れる人がいなくなりますからね」

 

 その典型例が、ROUND3の時の惨状である。

 

 那須は隊の外に交友関係が一切なく、負い目から隊の者を避けて引き籠もった。

 

 恐らく、あそこで加古に発破をかけられた小夜子が殴り込みに行かなければ、ずっと一人でうじうじしていただろう。

 

 だからこそ、那須には自分の世界を広げて欲しい。

 

 これまで隊のメンバーだけで完結していた那須の世界を、もっと広いものにして欲しい。

 

 そうでもしなければ、いざという時頼れる人が限られ過ぎる。

 

 万が一那須の一大事に隊の全員が手を離せなかった場合、そこをフォローする人間は必要である。

 

 そうした打算が含まれてはいるが、そもそも人間関係は大抵打算から始まるものだ。

 

 とにかく切っ掛けがなければ人の輪は広がらないのだから、最初の理由は別に打算でも構わない。

 

 信頼関係は、知り合ってから深めるものだ。

 

 気心知れた同僚とて、最初は同じ苦楽を共にする打算から関係が始まるものなのだから。

 

 今の那須には、その最初の一歩が足りていない。

 

 だからああして、多少の失敗はフォローしてくれるであろう柿崎隊に突貫するよう仕向けたのだ。

 

 那須は臆病(チキン)だが、頭は悪くない。

 

 後になって行動を振り返れば、何が必要で何が大事な事なのかは理解出来る筈だ。

 

(…………まあ、私の事は完全に棚にあげてますけどねえ)

 

 小夜子は密かに、心の中でそう愚痴る。

 

 偉そうな事を言っているが、結局のところ自分の出来ない事を那須にやれと言っているのだから、あまり胸を張れる立場ではない。

 

 仕方のない事、と割り切るには彼女はまだ若かった。

 

 ある種の達観を得ているとはいえ、小夜子もまた16歳の少女に過ぎない。

 

 割り切り、受け入れきれないものはどうしてもある。

 

 それでも、小夜子は那須にもっと外に目を向けて欲しかった。

 

 チームメイトとして、友人として。

 

 そして、恋敵として。

 

 以前は照れ隠しで那須の事はどうでも良い、なんて言ってはいるが、なんだかんだで小夜子は七海と那須、その両者に幸せになって欲しいと願っている。

 

 そうでなければ、わざわざ身を退く選択などしないだろう。

 

 本当であれば、那須がボタンをかけ違え覚悟を決め切れていなかった時に七海を掻っ攫う事も小夜子には出来た。

 

 七海が応じるかどうかはともかくとして、そういう選択肢自体は提示されていた。

 

 けれど、小夜子はやらなかった。

 

 七海が幸せになるには、那須と結ばれるしかないと理解していたが故に。

 

 だからこそ、あの時は捨て身の覚悟で那須にぶつかったのだ。

 

 あの説得(ケンカ)が、那須にとって必要不可欠なものであったと確信していたが故に。

 

 那須は頭の回転が速い分、余計な事を考え過ぎてしまう傾向がある。

 

 故に、小夜子は女のエゴを全開にして那須にぶつかったのだ。

 

 それが、那須の本音を引き出す最適解であると信じて。

 

 結果としては上々で、那須は掛け違えたボタンをかけ直す事が出来た。

 

 だが、ボタンを掛け違え続けていた事実が消えるワケでもない。

 

 その負債(ツケ)の一つが、那須のコミュ障だ。

 

 彼女と向き合い、性根を叩き直した張本人として、小夜子には那須の負債の清算に付き合う義務と権利がある。

 

 だからこそ、こうして那須にアドバイスを送ったのだ。

 

 那須があのような場に行けば自然と孤立するだろう事は、嫌でも理解出来た。

 

 腐っても恋敵。

 

 相手の考えくらい、手に取るように分かる。

 

 後は適当なタイミングで連絡を入れ、那須に知恵を吹き込むだけだ。

 

 こうして小夜子の目論見は成功し、那須に適切な助言を送る事が出来た。

 

 流石に、彼女に出来る事は此処までである。

 

 現場にいない以上フォローは出来ず、そもそも対人関係は小夜子自身も素人同然である為、事前に加古や国近の知恵を借りたのは間違いないが。

 

「まあ、私はどうでも良いけどね。ぶっちゃけると、趣味持ってるなら彼氏とか友達とか面倒じゃない?」

「あながち間違いではないでしょうが、ノーコメントとさせて頂きます」

「ノリ悪いなあ」

 

 くすくすと、少女達は笑い合う。

 

 狭い部屋で共にゲームに興じながらも、その意識はこの場にいない面々へと向けられている。

 

 賽は投げた。

 

 天命を尽くした。

 

 後は、野となれ山となれ。

 

 そんな話をしながら、小夜子は青い服を着た牧師のキャラで羽矢が操る隻眼の軍人キャラを蹂躙していたのだった。





 少しだけ書くつもりが一話まるごと小夜子と羽矢さんのお話に。

 勢いって怖いね。


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パーティ⑤

「あ、あの、こんばんは」

 

 那須は、柿崎隊の座るテーブルに近付くと、躊躇いがちにそう声をかけた。

 

 本人としては何気なく挨拶したつもりなのだが、部隊の人間以外に特に用もなく話しかけた経験は初めてである為、緊張で頬が引き攣っている。

 

 一番近くの席にいた柿崎の前に立って話しかけてはいるのだが、落ち着かない様子でキョロキョロと目移りしており、ちらちらと助けを乞うような視線を同じテーブルに座っている熊谷へと向けていた。

 

「おう、那須か。何か用か?」

 

 そんな、どう見ても緊張でガチガチになっている那須を見て、柿崎は却って冷静になり持ち前の面倒見の良さからそう返した。

 

 熊谷に用があって迎えに来たのならば問題は無いが、どうにも今の那須は自分達に用があるように見える。

 

 那須が()()()()()()()()のはROUND3の映像を見て知っているし、熊谷から内容はぼかされたがある程度の事情は聴いて察している。

 

 故に、どう見ても困っている那須を放置する選択肢は柿崎にはない。

 

 こういう相手は、まず話を聞く事が肝要だ。

 

 努めて自然に応対し、柿崎は那須の返答を待った。

 

「あの、えっと、折角なのでご挨拶しておこうと思いまして」

「そうか。わざわざ悪いな」

 

 ふむ、と柿崎は依然として緊張しっぱなしの那須を見て思案する。

 

 那須は、あまり社交的な人物ではない。

 

 少なくとも、こういう場であまり積極的に挨拶回りをするタイプの人間ではない筈だ。

 

 そもそも、那須のいたテーブルと自分たちのテーブルは割と距離が離れている。

 

 挨拶回りをするなら、近くのテーブルにいた影浦隊や荒船隊の方を先にやるのが普通だろう。

 

(いや、そうとも限らねぇか)

 

 ちらりと、柿崎は隣の席に座る照屋へと目を向けた。

 

 照屋は、那須と同じ星輪女学院の生徒である。

 

 学年こそ違うが、同じお嬢様学校に通う学友である事は間違いない。

 

 もしかすると、同じ学校の彼女がいるから話しかけ易いと踏んで、自分たちの所に来たのかもしれない。

 

 という推測も出来るが、あくまで現状から推察した内容に過ぎない。

 

 正直なところは聞かなければ何も分からない為、此処は話し易い空気を作ってやる方が重要だろう。

 

 そう判断した柿崎は、虎太郎と照屋に目を向ける。

 

 照屋は頷き、虎太郎もまた柿崎の意図を察して口を開いた。

 

「こんばんはっ! 以前の試合ではお世話になりましたっ!」

「え、ええ」

「────────こんばんは。こうして話すのは、初めてですね」

 

 虎太郎の元気な挨拶に面食らった那須はしどろもどろになり、言葉に詰まる。

 

 そんな彼女に助け船を出したのは、照屋だった。

 

 照屋はにこりと笑い、那須に話しかけた。

 

「あ、うん。そう、よね」

「けど、少し驚きました。失礼なんですけど、あんまり那須先輩ってこういう所で積極的に話しかけるイメージがなかったものですから」

 

 照屋の言葉に図星を突かれびくり、と震える那須だが、なんとか絞り出すように言葉を選んで返答した。

 

「う、うん…………えっと、ね。こういう場だし、折角だから、あの、色々な人とその、話そうと思って……」

「そういうことなら大歓迎です。ですよね、柿崎さん?」

 

 取り合えず用件を察した照屋は、そう言って柿崎に確認────────という名の、意思統一を図る。

 

 柿崎もまた、照屋の意を汲み頷いた。

 

「ああ、俺は構わないぞ────────あ、俺がいない方がいいなら席を外すが」

「い、いえそんなことは……っ!」

 

 思わず大声をあげてしまった那須に、その場の注目が集まった。

 

 幸い店内は相応に騒がしかった為他のテーブルの面々にまでは気付かれていないが、柿崎達にはばっちり狼狽したところを見られてしまい、那須の頬が赤く染まる。

 

「…………あ、すいません。いきなり大声で……」

 

 しょぼん、と肩を落とす那須を見て、照屋は確信する。

 

 彼女は何か、必要以上に気負ってこの場に立っている。

 

 これはちゃんと話を聞いた方が良いだろうと、照屋は覚悟を決めて口を開いた。

 

「…………なにかありましたか? 私が力になれる事なら、ぜひ話してみてください。これでも、学友ですしね」

 

 

 

 

「…………成る程。そういう事でしたか」

 

 半ばパニック状態になりながらもしどろもどろに事情を説明した那須の話を聞き、照屋は得心したように頷いた。

 

 那須の説明が中々要領を得なかった為に時間は要したが、どうやら彼女は自分の隊のオペレーターに「コミュしてきなさい」と送り出されて自分達の所に来たらしい。

 

 正直に言って、色々段階すっ飛ばし過ぎだろうと思う。

 

 まあ、百歩譲ってランク戦の打ち上げという場を使って交友関係を広めようとする事自体は間違いではない。

 

 だが、この見るからにコミュ障な少女を何のフォローもなしに放り出す時点で割とどうかと思う。

 

 後押ししたのは那須隊のオペレーターである小夜子らしいが、話によれば彼女は男性恐怖症でそもそも外に出てコミュニケーションを取る機会自体が皆無だと聞く。

 

 だからこそ、判断を誤ったのだろう。

 

 大方、コミュニケーション能力の高そうなところにぶつければ流れでなんとかなるだろうと楽観していたのだと思われる。

 

 ハッキリ言って、考えなしにも程がある。

 

 恐らく、小夜子は自分の閉じた交友関係における経験だけでコミュニケーションについて理解した気になっているのだろう。

 

 しかし、コミュニケーションとはそう単純なものではない。

 

 相手が違えば、対応が違うのは当然だ。

 

 良く「誰に対しても分け隔てなく」なんて言葉を聞くが、言い換えればそれは誰に対しても事務的な対応を行っている状態に近い。

 

 人間には個性があるし、物事の好き嫌いも個々人によって異なるのが当たり前だ。

 

 たとえば、コミュニケーション上手で陽気な相手ならば一発目からテンションを上げた調子の良い会話で切り込むのも有りだが、口下手な相手に同じことをすれば会話が続かなくなって気まずい想いをするだけだ。

 

 だというのに、「相手はコミュニケーションが巧いからなんとかなるだろう」というのは些か楽観が過ぎる。

 

 時には荒療治が必要になる時もあるが、それが全てではない。

 

 まともなコミュニケーションの経験が少なく、尚且つそのやり方で()()()()()()体験があったのだろう。

 

 故に身の着のまま那須を放り出す暴挙に出れたのだろうが、少しやり方が乱暴に過ぎる。

 

 オペレーターの宇井経由で小夜子に()()()されていなければ、文句の一つでも言っていたかもしれない。

 

 実はこの打ち上げが始まる前、宇井を経由して小夜子から連絡を受け、「那須先輩をお願いします」と打診を受けていたのだ。

 

 その時にはそこまでする必要があるか半信半疑ではあったものの、目の前の那須を見るとその判断が間違っているとは言い切れなかった。

 

 那須はどうやらこの場でどう振舞って良いかまるで分からないらしく、視線を右往左往させながら挙動不審になっている。

 

 自分から話しかけて来てこの有り様というのはコミュ障が極まっていると言っても過言ではなく、確かにこれは荒療治が必要なレベルだ。

 

(…………まあ、引き受けた以上はやらなくちゃね。これは確かに、放っておくのは危ういし)

 

 別段そこまで面倒を見る義理はないのだが、そもそも照屋は他人の世話を焼く事に遣り甲斐を感じるタイプである。

 

 ちなみに頼りない男を支えてあげたいという性癖からも見てわかる通り、本気度によってはスパルタも辞さない。

 

 柿崎の場合は強引にやるのは乙女心的に憚られたが、那須相手であればそういった遠慮は必要ない。

 

 個人的に、思う所もあったのだ。

 

 幸い小夜子からも「遠慮なくやって貰って結構です」と言質を取っている。

 

 やるならば、徹底的に。

 

 そうでなければ意味がない。

 

 折角、自分を頼ってくれたのだ。

 

 その期待ぐらいは、応えてあげたい。

 

 だから柿崎を始めとした面々に「ここは任せて下さい」と告げ、照屋はさりげなくお辞儀をする熊谷を横目に那須と向かい合った。

 

「那須先輩、一ついいですか?」

「な、何……?」

「那須先輩は、()()()()()んですか?」

 

 まずは、一番最初の確認。

 

 即ち、那須の意思は()()にあるのか。

 

 オペレーター(ともだち)に言われたからやっているのか。

 

 友達に見損なわれたくなくてやっているのか。

 

 それとも、本当に変わりたいと思っているのか。

 

 まず、それを確認しない事には話にならない。

 

 基本的に、人間が何らかの自己変革を行う場合、やる気────────モチベーションの有無は大きい。

 

 親に「勉強しろ」と言われれば逆に勉強する気が失せるように、やりたくもない事を他者から強要された場合のモチベーションは最悪になる。

 

 反対に、何か明確な目的があって自発的に取り組む事に対しては、基本的にモチベーションは保証されている。

 

 誰かから強要されてやるのではなく、自分が必要だからと考えて行う努力は、効率が段違いに上がる。

 

 何せ、「やりたくてやっている」のだ。

 

 「嫌々やらされる」事よりも、やる気が出るのは当然である。

 

 那須は、本当に交友関係を広げたいと思っているのか。

 

 この返答次第では、この話はこれで終わりだと照屋は考えていた。

 

 後押しされて決心が付いて実行したのか、それとも流されるままにやって来たのか。

 

 話は、それからだ。

 

 正直に言って、照屋は那須に対してそこまで良い印象を抱いてはいなかった。

 

 確かに浮世離れして綺麗な人だけれども、その視線は空虚で誰も見ていない。

 

 以前、星輪の中庭で学友と話している彼女を見た事がある。

 

 確かに、その時那須は笑っていた。

 

 ()()()は。

 

 その視線は、話をする級友を見てもいない。

 

 何処か遠くを見て、目の前にいる同級生の事なんか欠片も気にしていない。

 

 そんな風に、視えたのだ。

 

 そして事実として、彼女はROUND3でその異常性を露わにした。

 

 あの時の血を吐くような慟哭は、今でも耳に残っている。

 

 あれは、女の情念の叫びだ。

 

 自分が閉じ込めた男を害された女の、憎悪の声だ。

 

 あんなものを抱えていた那須が、本当に()()()()()()()なんて思っているのか。

 

 照屋は、それが気がかりだった。

 

 ただ、チームメイトに促されて嫌々やっているだけではないのか。

 

 形式だけでも、整えようとしているのではないのか。

 

 それが、気になっていた。

 

 果たして、どちらなのか。

 

 そんな照屋の思惑を知ってか知らずか、問いを向けられた那須は一度深呼吸をして息を整え、顔を上げる。

 

 そして、その()()を話し出した。

 

「…………そうね。良い機会かな、って思ったの」

「どういう事でしょうか?」

 

 えっとね、と那須はおずおずと話し始める。

 

「あのROUND3、見たわよね? 多分、かなりみっともない姿を晒しちゃったと思うんだけど……」

「ええ、見ていましたから」

「……ガフッ……!」

 

 あっさりと肯定された那須は、少女として出してはいけない悲鳴を押し殺しながらもなんとか顔を上げ、話し続ける。

 

「…………えっと、あれを見て分かったと思うんだけど、私って玲一の事以外────────ううん、自分の事以外、何も考えていなかったの」

「…………」

 

 真剣な声色に照屋は無言で頷き、那須に続きを促した。

 

「玲一と一緒に戦える、玲一と一緒にいられる、ってだけで舞い上がって、他の事なんて何も考えてなかった」

 

 だって、と那須は告げる。

 

「私の事を心配してくれたくまちゃんの事も、一人で頑張ってた茜ちゃんの事も、全部知ってて見守ってくれてた小夜子ちゃんの事も、そして────────私の傍にいてくれた、玲一の事も。私は自分の事ばかり考えて、大切な人たちの気持ちを何も考えていなかったの」

 

 その言葉は、那須の本心だ。

 

 あのROUND3での敗北から立ち直るまで、那須は本当の意味ではチームの事を考えてなどいなかった。

 

 ただ、居心地の良い空間にいたい。

 

 臭いものに蓋をして、見た目だけでも綺麗なままで居続けたい。

 

 そんな()()が、彼女を腐らせていた。

 

「でも、小夜子ちゃんの────────皆のお陰で、気付いたの。私は、一人なんかじゃないって」

 

 那須は頬を上気させ、興奮したように言葉を捲し立てる。

 

「見捨てられるんじゃないかって怯えなくても、遠くに行っちゃうんじゃないかって心配しなくても、見放されるんじゃないかって気にしなくても、いなくなっちゃうんじゃないかって不安にならなくても、いいんだって」

 

 だから、と那須は告げる。

 

「それは全部私の下らない妄想で、世界は私が思うより────────ずっと、優しいんだって。分かったんだ」

 

 世界は、優しい。

 

 この言葉を彼女が言うのは、重い。

 

 彼女にとって世界は、残酷で厳しいものだった筈だ。

 

 四年前の悲劇で、彼女はそれを思い知った。

 

 掛け替えのないものでも、どんなに大切にしていたものでも。

 

 ふとした拍子に、それは簡単に手のひらから零れ落ちていくのだと。

 

 彼女は、知ってしまった。

 

 だから、怯えた。

 

 だから、恐れた。

 

 ()()、自分の手のひらから大事なものが零れて消えてしまうのではないかと。

 

 那須の依存癖の悪化や、玲一への歪んだ独占欲の発露も。

 

 全ては、それが原因だ。

 

 故に彼女は、自分の世界を狭めてしまった。

 

 大切なものを増やせば、()()()()()()しまうから。

 

 そんな強迫観念が、彼女を対人関係について臆病にさせてしまった。

 

 昔と違って日常用のトリオン体を得て外を出歩けるようになったにも関わらず、彼女の世界は閉じたままで、友達を得る事に、浅く広い付き合いをする事を、敬遠させてしまっていた。

 

 その事を、あの一件を経て彼女はようやく自覚したのだ。

 

「だから、良い機会だと思ったの。今までは照屋さんは同じ学校なのに碌に話した事もなかったけれど、それじゃあ()()()()なって」

 

 だって、と那須は続ける。

 

「同じボーダー隊員で、学校だって一緒なのに、世間話の一つもしてないなんて変でしょう? 折角外を出歩ける身体を手に入れる事が出来たんだから、それを活かさないのはどうかと思ったの」

 

 私ね、と那須は苦笑する。

 

「小さい頃は碌に出歩けなくて、一年の殆どがベッドの上、って事も珍しくなかったの。だからそんな私に外の話を聞かせてくれた七海は私にとって、手を引いてくれる王子様みたいだと思ったの」

 

 容赦なく惚気をぶちまけ、場の空気を固まらせた後那須は告げる。

 

「だから、私の世界はそれだけでいいと思った。それだけでいいんだって、思い込んでた────────けど、それは違ったの。私はただ、()が怖かっただけだった」

 

 那須はそう言うと、前髪を弄りながら少し俯いた。

 

「玲一は外の話を楽しそうにしてくれたけれど、私にとってそれは未知の世界である事に変わりはなかった。だから私は外に憧れると同時に、恐れていた。そして────」

 

 ────────四年前のあの日、自分の不安は現実になったのだ。

 

 あの日の事は、今でも夢に見る。

 

 段々と体温が失われていく、愛しい少年。

 

 そして、そんな幼馴染を助ける為に全てを捧げ、砂となって消えた彼女。

 

 世界は、厳しい。

 

 そんな認識が、あの日那須の心の中に深く深く刻まれた。

 

 だから、彼女は自分の世界を閉ざした。

 

 余計なものを、抱え込まないように。

 

 もう二度と、自分の手のひらから幸せが零れ落ちてしまわぬように。

 

「けれど、それは間違いだった。いえ、間違いではないけれど、全てではなかったのね」

 

 那須はそう言ってくるりと、店内を見回した。

 

 テーブルというテーブルがボーダー隊員によって埋め尽くされ、各々が楽し気に会話に興じている。

 

 特に七海のテーブルにはひっきりなしに人が訪れ、次々に笑顔で声をかけていく。

 

 それは間違いなく、此処までの彼女たちの歩みが齎した()()であった。

 

 自分を見つめ直し、掛け違えていたボタンをかけ直し、ようやく周りに目を向ける余裕が出来た。

 

 だからこそ、那須は世界の素晴らしさに、優しさに気付いた。

 

 この景色は、その証左。

 

 その光景を眺めながら、那須は微笑んだ。

 

「世界は、確かに厳しいけれど────────でも、本当は同じくらい、優しい面もあるんだって。私は、そう思えたの。だから────」

 

 そう言って、那須は照屋に向かって手を差し出す。

 

 その声はもう、震えてなどいなかった。

 

「────私と、友達になって下さい」

 

 ────────そして、思い切って、そう口にした。

 

 まるで一世一代の告白のような、そんな嘆願。

 

 そんなものを受けてしまえば、照屋の答えなど一つしかない。

 

「ええ、私でよければ。喜んで」

 

 照屋は躊躇いなくその手を握り、笑みを浮かべる。

 

 その光景を見て、近くで見ていた熊谷はほっと胸を撫で下ろし、柿崎や虎太郎もそれを歓迎するように笑いかけた。

 

 心配は、ただの杞憂だった。

 

 昔はどうだか知らないが、今の那須はただの年頃の女の子だ。

 

 普通に生きて、普通に恋をする。

 

 そんな、何処にでもいる少女に過ぎない。

 

 だから、友達になる事に否などない。

 

 むしろ、自分からお願いしたいくらいだ。

 

 こんな素敵な先輩と、少しでも懇意になれるのだから。

 

 ────────少女の世界は、広がった。

 

 閉じていた世界の鍵は、開け放たれた。

 

 自分は、一人じゃない。

 

 那須はその言葉の意味を今、本当の意味で理解したのだった。

 

 ────────尚、後日照屋が(重い)恋をする乙女の先輩として那須を慕うようになるのだが、それはまた、別のお話。




 数日間が空いたけど更新です。

 その間に日刊総合ランキングにも載ってました。評価して下さった方はありがとうございます。

 本当はもっと色々柿崎隊と話させようとしたんですが、つい筆が滑っていつもの調子になりました。

 パーティは、もう少しだけ続くのじゃ


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パーティ⑥

 

「……ふぅ……」

 

 七海はお好み焼き屋の喧騒の中、一人静かに息を吐いた。

 

 先程までひっきりなしに七海の下を訪れて話しかけて来た隊員達もひと段落し、各々仲の良い者達で思い思いに話をしている。

 

 そして、その中には柿崎隊と楽しそうに会話する那須の姿もあった。

 

「私、桃缶が結構好きなの。そのまま食べるのもいいけど、少し手間を加えるとそれだけで結構凝ったものも作れるようになるわ」

「あ、いいですね。よければレシピ、教えて頂けますか?」

「構わないわ」

 

 那須は照屋と年頃の少女らしい会話に興じており、楽し気に笑い合っていた。

 

 あれは、今までの那須では有り得なかった光景だ。

 

 彼女はこれまで、七海に依存し、他に目を向けず、完全に自分の世界に閉じ籠もっていた。

 

 チームメイトはきちんと身内として扱い大切にしているが、他の人間に興味を抱く事に意義を持てなかった。

 

 その那須が、普通の少女のように学友と会話に興じている。

 

 その光景を見る事が出来ただけでも、此処まで頑張ってきた甲斐があったというものだ。

 

 あのROUND3の敗戦後、部屋に引き籠っていた那須がどうやって立ち直ったのか、詳しい話は聞いていない。

 

 ただ、小夜子がどうにかしてくれた、という事だけは知っていた。

 

 その小夜子が、「詮索は無用でお願いします」と言ったのだ。

 

 気にはなるが、敢えて根掘り葉掘り聞く事ではないと七海はそれ以上は何も聞こうとはしなかった。

 

 過程がどうあれ、小夜子が那須の為に尽力してくれたのだ。

 

 結果は出ているのだから、過程にあれこれ言うのは無粋というものだ。

 

 …………まあ、その「説得」の内容が小夜子の恋慕に深く関わっていた為、詮索を避けたという面もあるのだが。

 

 小夜子は今のところ、自分の想いを七海に告げるつもりはない。

 

 場合によっては考えるかもしれないが、那須が盛大に道を間違えでもしない限りは告白(先手)は那須に譲るつもりなのである。

 

 那須公認の愛人になる、という野望は今のところ、小夜子の妄想の域を出ない。

 

 機会があれば狙いはするが、那須と七海の関係性をぶち壊すつもりは彼女にはない。

 

 将来に渡って二人の傍にいれれば、極論その関係性はある程度妥協出来るつもりでいる。

 

 まあ、那須と結ばれた後の七海に想いを告げて困った顔が見たいという欲求も、ないワケではないのだが。

 

 ともあれ、その内実を知らないまでも小夜子が那須の変革に大きく関わった事は事実だ。

 

 七海としては、本当に頭が下がる思いである。

 

(ああやって笑っている玲も、可愛いな)

 

 唐突に、心の中で惚気る七海。

 

 ちなみにとうの那須はその時乙女的直感で「今何か嬉しい事が起きた」と察し、笑顔に知らず艶が出ていた。

 

 会話していた照屋は急に色気を醸し出した彼女を怪訝に思いもしたが、まあ些細な事だろうと気には留めなかった。

 

 同刻、自分の家で羽矢とゲームに興じていた小夜子が「今、悔しい事があった気がする」と唐突に呟き、羽矢に「電波でも受信した?」と突っ込まれている事など、七海には知る由もなかった。

 

 妙な電波の混線が起きたが、閑話休題(それはさておき)

 

 それなりに食べて満足した七海は、小休止を取っていた。

 

 七海の特注の日常用トリオン体は、通常のトリオン体とは幾つか異なる部分がある。

 

 まず、日常生活で不便にならないよう、トリオン体特有の膂力などは廃してある。

 

 戦闘で使うのならばともかく、日常では過剰な膂力など不便なだけだ。

 

 特に七海は無痛症故に加減が苦手な為、通常のトリオン体と同じ力があっては何が起こるか分かったものではない。

 

 その為、肉体の性能(スペック)としては可能な限り一般人の肉体に近付けてはある。

 

 トリオン体である為転倒や衝突などで怪我をしたりはしないが、あくまでその程度。

 

 少なくとも、そのまま戦闘転用出来るほどのものではない。

 

 第二に、トリオン体のエネルギー吸収効率も調整がかけられている。

 

 七海はこの日常用トリオン体があって初めて、濃い味付けの食べ物をごく薄くではあるがなんとか味を感知出来るようになる。

 

 生身の肉体では、何を食べても一切味は感じない。

 

 トリオン体でもその程度までしか味覚が回復しなかった事に開発部の鬼怒田は「本当にそれはただの無痛症なのか?」と首を傾げてはいたが、未だ根本的解決には至っていない。

 

 そこで問題になるのが、トリオン体のエネルギー吸収効率だ。

 

 トリオン体は普通の肉体と同じく飲食も可能だが、その場合エネルギーは100%身体に還元される。

 

 つまり、トリオン体のまま食べ続ければあっという間に体脂肪率が上昇し下手をすれば肥満になる。

 

 開発部の寺島も、トリオン体で飲食を続けた結果太ってしまったらしい。

 

 一度だけ戦闘用トリオン体のスマートな寺島を見た時は、あまりの変わりように言葉を失ったものだ。

 

 そういった弊害がある為、七海の使用するトリオン体にはエネルギーの吸収効率を可能な限り抑える仕掛けが施されている。

 

 それでも生身の肉体よりは吸収効率は上ではあるが、暴飲暴食を日常的にしていなければ問題のないレベルに調整されている。

 

 しかし通常のトリオン体同様満腹感を感じ難いのは事実である為、七海は意識して食べ物の摂取量を抑えるようにしていた。

 

 だが、食事を楽しんでいないかと問われればそんな事はない。

 

 影浦の用意してくれる七海専用のお好み焼きは彼が味を感じる事の出来る数少ない食べ物であり、カロリーの関係上頻繁に食べるワケにはいかないが、七海の密かな楽しみの一つである事は事実なのだ。

 

 無痛症を患って以降、七海は食事を楽しむ事に関しては半ば諦めていたのだ。

 

 けれど話を聞いた影浦は諦めず、七海の為に試行錯誤を繰り返し、七海が味を感じる事が出来るお好み焼きを作り上げてくれた。

 

 彼の心遣いには、感謝の言葉しかない。

 

「おう七海、疲れたか?」

「カゲさん。いえ、大丈夫です。カゲさんは……?」

 

 そんな時、タイミングを見計らっていたのかエプロンを外した影浦がそこに立っていた。

 

 影浦はああ、と答えニヤリと笑った。

 

「こっちの注文も、ひと段落したからよ。ここ、座らせて貰うぜ」

「どうぞ」

 

 七海の返答を聞いた影浦は七海の向かいに座り、ふぅ、と溜め息を吐いた。

 

 なんだかんだ、この打ち上げが始まってから注文を取ったり料理を運んだりなど、働き詰めだったのだ。

 

 流石の影浦にも、疲労の色が見える。

 

 ぼそりと聞こえた「風間さんがいなくて良かったぜ」という言葉は、恐らく聞き間違いではない。

 

 風間は身体は小さいが、健啖家として有名だ。

 

 山盛りのカツカレーを、次から次へと平らげていく光景は初めて見た時は目を疑ったものである。

 

 今回は何やら用事があるとの事で風間隊は不参加だったが、風間は表情は変えずとも若干不機嫌になっており、菊地原はあからさまに舌打ちを繰り返していたという。

 

 風間も菊地原も、言葉は厳しいが七海の事をかなり気にかけていた面々だ。

 

 菊地原も「この用事さえなければ……っ!」と地団太を踏むほど、悔しがっていたらしい。

 

 後日、その埋め合わせに駆り出された事は言うまでもない。

 

 風間は大人なのでそこらへんの分別は付くが、菊地原は一度拗ねるとかなり根に持つタイプだ。

 

 早めに対処しておかないと、加速度的に拗ね具合が増していくので注意が必要なのである。

 

 現在進行形でそんな状態の二人を宥める役割を担っている歌川は、ご愁傷様と言う他ない。

 

 後日彼曰く、「三上さんがいなかったら保ちませんでしたね」とのこと。

 

 尚、次の日には太刀川が課題をやり終えないうちに個人ランク戦に向かおうとした為、いつもより大きめの風間の雷が落ちた事は言うまでもない。

 

 戦闘馬鹿(太刀川)は遠慮をしなくても構わないカテゴリーの人間である為、彼に関しては自業自得ではある。

 

 機嫌が悪い時は、堪忍袋の緒は切れ易いものなのだから。

 

「けど、してやられちまったな。ったく、負けるつもりなんざなかったっつうのによ」

 

 影浦はポリポリと頭をかきながら、苦笑する。

 

 何処まで本気かは分からないが、あの戦いで手など抜いていなかった事は相対した七海が一番良く理解している。

 

 七海は影浦にとっては大切な弟子であるし、彼の成長は我が事のように嬉しい。

 

 だが同時に、戦闘者としての矜持も影浦は捨ててはいない。

 

 相手が誰であろうが、戦り合うのならば全力で。

 

 そうでなければ、相手にも、そして自分自身にも失礼である。

 

 故に、手加減など有り得ない。

 

 あの戦いは、単純に七海が影浦を上回った。

 

 ただ、それだけの話なのだから。

 

「流石に、あれだけ背中を押されて立ち止まるワケにはいきませんでしたからね」

「ハッ、言うようになったじゃねぇか。ま、きちっと勝ったんだからその通りなんだろうがな」

 

 影浦は笑いながら、くしゃりと七海の頭を撫でた。

 

 わしゃわしゃと力任せに頭を撫でる影浦に、七海はされるがままになっていた。

 

 七海にとって、影浦は師であると同時に、良い兄貴分であった。

 

 自分に兄がいたらこんな感じなのだろうか、と夢想した事もある。

 

 歳は一つしか違わないが、それでも七海にとって影浦は、敬愛に値する大切な人だった。

 

 あまり声を大にしては言えないが、影浦がもし他に弟子を取ったりしたら嫉妬してしまう自信がある。

 

 それくらい、七海にとって影浦の存在は大きなものだった。

 

 ────────七海の時間は、四年前のあの時から止まっていた。

 

 凍り付いた七海の心の時計は、下手をすれば那須と同じように自分の世界を狭めたまま外へ目を向ける事すらさせなかっただろう。

 

 けれど、凍り付いた時計の針の氷を少しずつ溶かした者達がいるのだ。

 

 それが荒船であり、村上であり、影浦だ。

 

 荒船からは、ボーダー隊員として生き抜く為の基礎を叩き込まれ、人を交わる楽しさを教え込まれた。

 

 村上からは、共に切磋琢磨し愚直に上を目指す遣り甲斐を伝えられた。

 

 そして影浦からは、自分は一人ではないと、こんな自分に心を砕いてくれる者がいるのだと、本当の意味で教えて貰えた。

 

 彼が、彼等がいなければ、今の自分は此処にはいない。

 

 本当に、自分には勿体ない、恩師()である。

 

 七海は心からそう思い、感謝した。

 

 言葉は少ないけれど、影浦からは自分を慮る意思が感じ取れる。

 

 思えば、此処まで心配をかけてばかりだった。

 

 影浦は、無痛症故に他の人と感覚が違う自分が皆に溶け込めるよう、いつも気を遣ってくれていた。

 

 積極的に個人ランク戦に誘うのも、戦いの楽しさを通じて交流を深めさせる為のものだろう。

 

 勿論、影浦自身が戦い好きであるのは確かだ。

 

 だが、粗雑に見えて実は面倒見の良い影浦は、それを口実にして七海の動向に常に気を配っていたのである。

 

 以前それを北添が指摘したところ、照れ隠しなのか訓練室まで追い立てられトリオン体で殴り合う事になったという経緯もある。

 

 あの時は、笑いながら殴り合う北添と影浦の姿が印象的だったと、一部始終を見ていたユズルは語っていた。

 

 まあ、北添と影浦は馴れ初めが殴り合い(ケンカ)だったらしいので、ある意味平常運転なのかもしれない。

 

 ぶっちゃけると、夕暮れの河原で喧嘩して仲良くなるタイプの面々なのだ。

 

 影浦は言わずもがな手が早いし、北添も穏やかな風貌に反してなんだかんだ腕力があって喧嘩慣れしている。

 

 共に肉体言語で語り合う方が手っ取り早いと思っているタイプであり、ある意味似た者同士なのだ。

 

 そして七海も、若干ながらその影響を受けている。

 

 七海は聞き上手ではあるが、話はあまり得意な方ではない。

 

 だが、自分の全霊を込めて相手と交錯する戦いは、千の言葉よりも実直に互いの想いをぶつけ合える。

 

 だからこそ、七海は戦いにおいて余計な言葉は発しない。

 

 戦闘中に喋っている暇があったらさっさと斬れというごく当たり前の事実もあるが、そもそも言葉で語れる程度の事は刃を交わせばそれで済む。

 

 戦いの中で交わし合う刃は、何よりも雄弁に互いの想いを伝え合えるのだから。

 

「カゲさん」

「なんだ?」

 

 故に、今さら言うべき言葉はない。

 

 伝えるべき言葉は、あの時に全て刃に乗せて告げたのだから。

 

「今まで、ありがとうございました。これからも、よろしくお願いします」

 

 だから、これは宣誓。

 

 これまでは、手を引っ張って貰ってばかりだったけれど。

 

 これからは、隣に立って歩み続ける。

 

 上を、果てしない上を目指して。

 

 師と弟子というだけではなく、共に戦う、戦友として。

 

 七海は改めて、それを影浦に伝えたのだ。

 

「おう、よろしくな」

 

 それを、影浦は十全に理解する。

 

 この時ばかりは、彼は己の副作用(サイドエフェクト)に感謝した。

 

 己を慕う七海の意思を、これ以上なく正確に、自分に届けてくれたのだから。

 

 この副作用(ちから)を厭う気持ちは消えないけれど。

 

 それでも、こんな役得があるのならば悪くはないと。

 

 そう、思えたのだから。

 

「なんだなんだ、何の話だ?」

「俺も仲間に入れてくれよ、カゲ」

 

 そんな二人の下へ、笑いながら荒船と村上がやって来る。

 

「おっ、なんやなんや? おもろそうな事なら混ぜてーな」

「空気読んでたってのに、余計な事すんな生駒ァ。まあ、話に決着(ケリ)はついたみてぇだからいいけどよォ」

 

 その動きを察知した生駒がスタコラやって来て、友人の付き添い(保護者)として弓場も付いて来た。

 

「なんだ? ランク戦の話か? なら混ぜろ」

「そっちばっかりずりーぞ。俺も七海の師匠なんだから、混ぜてくれよー」

 

 そして、太刀川隊の師二人もその輪に入る。

 

 それを契機に続々と隊員達が集まりだし、いつの間にか多くの人々が七海の周りに集まっていた。

 

 各人が思い思いに騒ぎ出し、瞬く間に喧騒が満ちる。

 

 その有り様に苛立ちながら声を張り上げる影浦と、それを苦笑しながら眺める七海。

 

 那須隊の面々もその様子を見て笑い、店内には軽やかな笑い声が響く。

 

 人の輪が、繋がる。

 

 (パーティ)で深まる、仲間(パーティー)の絆。

 

 その光景こそが、七海達が歩んで来た道の。

 

 何よりの、報酬と言えた。





 今日は茜ちゃんの誕生日らしいで。

 ツイッターやってるとキャラの誕生日報告が流れて来るのが楽しいのう。


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七海と那須⑥

 

「ふぅ……」

「お疲れ様。今日は色々大変だったわね」

 

 溜め息を吐いてベッドに腰かける七海に当然のように付き添い、那須もまたベッドの上に座る。

 

 大勢を巻き込んだ大盛り上がりとなった影浦の(みせ)での打ち上げは、21:00を迎えた事でお開きになった。

 

 流石に茜達中学生組は遅くなる前に送迎付きで帰らせているが、高校生以上の面子は時間ギリギリまで残った者が殆どであった。

 

 那須は基本的に七海が帰らない限りは帰ろうとはしない為、必然的に遅くまで残る面子に付き合った形になる。

 

「それでも、嬉しかったし楽しかったよ。玲はどうかな?」

「私も、楽しかったわ。友達も、出来たし」

 

 そう言って、那須は静かに微笑んだ。

 

 あまりああいった大勢で集まる事を好むタイプではなかった那須だが、今回ばかりは特別だ。

 

 自分たちの勝利を祝いたい気持ちもあったし、今回は小夜子の後押しもあって()()が出来たという収穫もあった。

 

 あの後照屋とは連絡先を交換し、学校でももっと話をしよう、という事で落ち着いた。

 

 チームメンバー以外は碌に連絡先を登録していなかった那須であるが、これから先は徐々に増えていく事だろう。

 

 切っ掛けは、掴めた。

 

 もう、彼女の世界は閉じてはいない。

 

 だから、もう大丈夫だ。

 

 自分だけが彼女の救いであった時期は、もう終わったのだから。

 

「……むぅ……」

 

 じとりと、那須が据わった目つきで七海を睨む。

 

 心を読んだワケではない。

 

 ただなんとなく(女の勘で)、七海が気に入らない事を考えていそうな気配があったから、反応しただけだ。

 

 女の勘は、別段第六感の類というワケではない。

 

 ただ相手を観察し、その仕草や挙動から次の行動や思考内容を察する洞察力の別名だ。

 

 今の那須は、七海の胸の内を知っている。

 

 あのROUND3の敗戦の後、お互いに内に秘めていた想いを言葉にして伝えたからだ。

 

 七海は、那須が何に悩んでいたのかを既に知っているし。

 

 那須は、七海が本当に自分(那須)の事だけを考えて動いていた事を思い知った。

 

 その暴露合戦で、那須はある程度七海の思考傾向を理解する事が出来た。

 

 だからこそ、七海のあまり動かない表情や仕草、発言内容を鑑みて、余計な思考を巡らせている、という推察に思い至ったワケである。

 

「ねぇ、玲一」

「なんだ?」

「余計な事、考えてるでしょ?」

「それは……」

 

 故に、七海は突然の那須の詰問に、言葉を詰まらせた。

 

 その様子に図星ね、とあたりを付けた那須は溜め息を吐いた。

 

「あのね、念の為に言っておくけれど、友達が出来ても優先順位は変わらず玲一の方が上よ? 交友関係はきちんと広げるつもりはあるけれど、私が一番大事にするのが誰かなんて決まってるじゃない」

 

 だから、と那須は七海の手をぎゅっ、と握り締めた。

 

「私の中じゃ、一番はいつでも変わらないの。私は玲一がいなきゃ生きていけないし、玲一のいない世界で生きるつもりもない。何がどれだけ変わっても、これだけは変える気はないし変わるワケがないのよ」

「玲……」

 

 那須の言葉は彼女が変わっていないという証明にも見えたが、違う。

 

 彼女は、確かに変わっている。

 

 那須の世界はもう閉じてはいないし、外に目を向ける余裕も出来た。

 

 だが、その根本は────────七海を最優先とする価値観自体は、一切ブレていない。

 

 外の世界にも、目を向けるようになった。

 

 友達を作る、意義や楽しみも覚えた。

 

 だが、その根底は変わらない。

 

 人の輪に入る事に抵抗はなくなったが、彼女の芯である七海への想いはより強固に凝縮されている。

 

 有り体に言えば、吹っ切れたのだ。

 

 互いの負い目から解放され、本当の意味で男女として七海と向き合う事が出来るようになった。

 

 だからもう、那須は遠慮をする必要がない。

 

 これまでは秘め続けていた女の情念を、ある程度表に出すようになってしまったのだ。

 

 情念を見せても、七海に嫌われる事などないと確信したが故に。

 

 これまでは、()()()()()()()()()()()()()という強迫観念が、ある意味彼女のブレーキとして作用していた。

 

 だが、今の彼女にはそれがない。

 

 他ならぬ七海自身がなにがあっても那須を嫌う事などないと、証明してしまったが故に。

 

「だから安心して。友達が出来ても、一番は玲一だから。私はずっとあなただけの私でいるし、玲一も────────以外には、触れさせないから」

「…………そうか」

 

 一部聞き取れない箇所があったが、那須の宣言を聞いて七海は小さく首肯した。

 

 考えてみれば、特に憂慮する事はない。

 

 那須が外に目を向ける事が出来るようになったのは事実であるし、友達を蔑ろにするとも言っていない。

 

 ただ、それらを考慮した上で最優先事項は七海である事に変わりはない、と言っただけだ。

 

 だからきっと、友達からの誘いがあったとしても、七海との用事があれば迷わずそちらを優先する。

 

 彼女にとって、七海との時間以上に優先されるものは何もないのだから。

 

 ただ、それだけだ。

 

 それだけならば、問題は無い。

 

 だって、七海も同じなのだ。

 

 那須ほど露骨ではないものの、七海の世界もまた、彼女を中心に回っている。

 

 だから那須の一番は自分でありたいと思うし、那須が自分より他の誰かを優先したら嫉妬もする。

 

 七海は別に、聖人君子でもなんでもない。

 

 好きな子と一緒にいたい、自分だけを見て欲しい、と願うのは至極当然の事だ。

 

 大切な人と共に生きる為の苦労なら、幾らでもやってやる。

 

 だから、これで良い。

 

 その為の力は、今まで培ってきたつもりだ。

 

 それに。

 

 ────────困った事があるなら、いつでも相談に乗るくらいはしてやれる。だから、もっと頼れ────────

 

 村上から聞かされた言葉が、蘇る。

 

 何も、一人で何もかもを抱え込む必要はない。

 

 それを自分は、村上達に教えて貰った。

 

 潰れそうな時は、頼れば良い。

 

 そんな当たり前を、今の七海は出来るようになった。

 

 周りの人々の、暖かな心を知って。

 

 七海はようやく、人を頼る事を覚えたのだ。

 

 だから、問題ない。

 

 もしも自分達が間違った道を進もうとしても、それを引っ張り上げてくれる人達がいる。

 

 独りではないという事がこれ程までに気持ちを楽にさせるとは、考えてもみなかった。

 

 重責は、誰かに支えて貰う事が出来る。

 

 その事実に、七海はようやく気が付いたのだ。

 

「玲、その気持ちは正直に嬉しい。確かに俺は、柄にもなく嫉妬してたみたいだ。偉そうな事を言っておいて、返す言葉もないな」

「いいえ、私も嬉しかったわ。だって、それだけ玲一が私の事を想ってくれていたという事でしょう? なら、私はそれを嬉しく思う事はあっても、軽蔑する理由にはならないわ」

 

 私も、同じ気持ちだもの、と那須は告げる。

 

「私も、私より影浦先輩や村上先輩を頼る貴方を見て、何も思わなかったワケじゃないのよ? でも、流石にそこに口出しするのはどうかと思って抑えていただけ。私も同じだったんだから、お相子よ」

「そうか」

 

 なら、仕方ないな、と七海は苦笑した。

 

 見当違いにも思える嫉妬を抱いていたのは、別段七海だけではない。

 

 那須も、それは同じだった。

 

 それがどうにも可笑しくて、安心した。

 

 この想いは、自分の独りよがりではないのだと。

 

 そう、確信出来たのだから。

 

「ふふ」

「ははは」

 

 楽しい気持ちになって、二人から笑いが漏れる。

 

 笑顔を向け合い、笑い合う。

 

 肩の力を抜いた、本当に自然に出た笑み。

 

 そんな笑みを、二人は交わし合っていた。

 

「ねえ」

「なんだ」

「此処まで来れたね、玲一」

「そうだな」

 

 何が、とは言うまでもない。

 

 前期まではB級中位の最下位に位置していた那須隊が、今期で一気に駆け上がりB級一位にまで上り詰めた。

 

 A級昇格試験も、受験資格は獲得出来ている。

 

 B級一位というランクは、必ず昇格試験で有利に働く筈だ。

 

 そう、此処まで来たのだ。

 

 底辺から、頂点へ。

 

 文字通り、駆け上ったのだから。

 

「ROUND3の時までは、私、自分の事しか考えてなかった。あの時の私は、()()なんかじゃあなかった」

「……………」

 

 那須の懺悔に、七海は何も言えない。

 

 何を言ったところで、那須を傷つけてしまうだろうから。

 

 過ぎた事だ、と言っても彼女の中での清算が終わらない限り、戯言にしか聞こえない。

 

 何より、今は那須が決意を以て告解しようとしているのだ。

 

 それを邪魔するのは、無粋というものだろう。

 

「けど、小夜子ちゃんに言われて気付いたの。私は、皆の事をきちんと考えるべきだったんだって。折角玲一が入ってくれたのに、どうしたら勝てるか、っていう思考を、私は放棄しちゃってた」

 

 だから、と那須は続ける。

 

「私は、考える事にしたの。戦術なんかじゃ、小夜ちゃんや玲一の方が上。だけど、だからと言って私が思考を放棄して良い理由なんかないんだって。戦術を理解出来れば、それだけ咄嗟の判断が巧くなれる。戦術に関して任せきりな分、私は私なりに出来る事を精一杯やるつもり」

 

 それが、私の最善だから、と那須は告げる。

 

 確かに、戦術理解を深めるのは悪い事ではない。

 

 戦術を理解するには、大局的な視点が不可欠だ。

 

 俯瞰的に戦場を見て、その場その場の利益だけに捉われず、最終的な損得を計算して最適な行動を導き出す。

 

 それが、戦術思考というものだ。

 

 那須はそれを、よくやれていると思う。

 

 ROUND7の時のグラスホッパーで茜を送り込んだ判断も、そういった思考を用いて導き出したものだ。

 

 以前の那須であれば、無理に合流しようとして結局間に合わなかった、という事になっていた可能性も否定出来ない。

 

 戦術的思考に理解が及ぶようになっている、その証左と言うべき成長だろう。

 

「私、上手くやれてたかな? ちゃんと、皆の力になれてたかな?」

「ああ、当然だ。玲なしで、此処まで来れたりは出来なかった。玲は、隊長としてしっかりやれてると思うぞ」

「そっか。そうなんだ」

 

 良かった、と那須はふぅ、と息を吐いた。

 

 他ならぬ七海に自分の貢献を認められた事で、多少なりとも満足出来たのかもしれない。

 

 もしかすると、最終ROUNDで辻の策に嵌まり落ちた事を気にかけていたのかもしれない。

 

 七海としては影浦との戦いに辻の介入を防ぐ事が出来てそこまで痛手というワケではなかったが、それでも落ちた事自体を気にしていた可能性はある。

 

 だがそれは、見当違いというものだ。

 

 あの試合での那須の最大の役目は、対二宮における射撃援護だ。

 

 二宮落としは、あの場の誰が欠けても成し得なかった偉業である。

 

 その一角を担った時点で、那須は充分隊に貢献している。

 

 派手な活躍ではなかったものの、それでも彼女が隊に貢献していないとは、口が裂けても言えはしない。

 

 彼女なくして、此処までの隊の躍進は有り得なかったのだから。

 

「次は、昇格試験か。上がれるかな、A級に」

「上がれるさ、きっと。俺達は、此処まで来れたんだ。なら、行けるトコまで行くのも悪くないんじゃないか?」

「そっか。そうだよね」

 

 悪くないわね、と那須は呟く。

 

 那須は、戦闘自体は嫌いではない。

 

 というか、トリオン体での運動は彼女の好きな事の一つだ。

 

 生身の肉体では到底成し得ない機動力で跳び回り、相手を蜂の巣にする快感。

 

 B級に上がったばかりの中毒状態ほどではないが、那須が戦闘状態の解放感を感じていたのは間違いない。

 

 どうせならば上を目指したい、という想い自体は元々那須の中にあったのだ。

 

 実を言うと相手を蹂躙し何もさせずに圧殺する戦術の方が好みである那須だが、格上食いの快感というものも此処に至るまでの戦いで味わっている。

 

 結論から言って、悪くはなかった。

 

 試行錯誤の末に格上の相手に牙を突き立て、弑逆する達成感。

 

 あれは、格下の蹂躙とはまた別種の快美感がある。

 

 あの感覚を、もう一度。

 

 そういった想いは、那須の中に確かに渦巻いていた。

 

「行きましょう、玲一。もっと、上に。私達なら、きっと出来るわ」

「ああ、俺達なら、きっと出来る。俺も、玲も、熊谷も、日浦も、志岐も。もっと、上を目指したって良い筈だ」

「…………ええ、上がりましょう。A級(うえ)へ。絶対に、那須隊(わたしたち)でA級になって見せるわ」

 

 それは、宣誓。

 

 今の地位で胡坐をかいたりせず、ひたすらに上を目指すという宣戦布告。

 

 この気持ちは、那須隊(みんな)の総意だ。

 

 言葉にせずとも、既に想いは一つ。

 

 必ず、A級に上がる。

 

 その覚悟なくしては、二宮隊の玉座を奪った意味がない。

 

 B級一位という座は、決して軽いものではないのだ。

 

 此処で歩みを止めるようでは、どう考えても先はない。

 

 停滞を、足踏みを選んだ人間が成長できる程、此処は甘い環境ではないのだから。

 

 だから、進む。

 

 だから、足を止めない。

 

 だから、今はやるべき事を全力で。

 

 故に。

 

 今は、休むべきだ。

 

 もう、夜も遅い。

 

 休む事もまた、必要な事柄の一つだ。

 

 最終戦と、その後の打ち上げ。

 

 疲労もそれなりに溜まっている為、夜更かしなどは論外だ。

 

 だから、二人の意識が落ちるまで、そう長くはかからなかった。

 

「玲……」

「玲一……」

 

 寝言で互いの名を呼び合い、二人はベッドに横になり寝息を立て始めた。

 

 穏やかな顔で、那須と七海は眠っている。

 

 窓から差し込む月明かりが、並んで眠る二人の姿を照らし出していた。

 

 ちなみに翌朝、二人の下を訪れた熊谷に一緒のベッドで眠る姿を目撃され、気まずい想いをする事になる。

 

 那須は完全に開き直ってしまい、一人居たたまれない気持ちになった七海であった。





 腹痛で執筆出来なかったけど回復出来たんで更新です。

 さて、そろそろ合同戦闘訓練の説明に移ろうと思います。

 合同戦闘訓練編、始まるよ。


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合同戦闘訓練/STAGE1
合同戦闘訓練開催


「皆、揃っているようだな。ではこれより、『合同戦闘訓練』────────即ち、今期のA級昇格試験についての説明を行う」

 

 会議室に響くのは、忍田本部長の声。

 

 最終ROUNDが終わった後の、月曜の昼。

 

 今この場には、今期のランク戦でB級上位に残留した七チームの面々が顔を揃えていた。

 

「…………さて、一先ずこの舞台には立てたか」

「ああ、そうだな」

「はい、頑張りましょう」

 

 一番奥の椅子に座るのは、B級七位、『王子隊』。

 

 王子一彰、蔵内和樹、樫尾由多嘉の三人が席に座り、事の成り行きを見守っていた。

 

 幾度か中位落ちを経験しながらも、手練手管を駆使して上位に舞い戻った彼等は、侮れない相手として今後もその手腕を発揮するであろう。

 

「…………」

「き、緊張するね」

「ば、馬鹿、言うなっての」

 

 その右隣に座るのは、B級六位、『香取隊』。

 

 王子隊と同じく中位落ちを繰り返しながらも、ようやく部隊としての形を整え上位に復帰した。

 

 未だ手が届かないと思っていたA級への昇格チャンスの思いも依らぬ到来に、三浦と若村は委縮してしまっている。

 

 ただ一人、香取だけは鋭い視線で周囲を見回し、毅然とした態度でその場に佇んでいた。

 

「静かに聞いてろよ、おめェら」

「は、はいっ!」

「うす」

「ああ、勿論だ」

 

 そして、王子隊の左隣に座るのはB級5位、『弓場隊』。

 

 隊長の弓場拓磨によって統率された四人は、姿勢を正して椅子に座っている。

 

 弓場本人はどうやら立っていたいらしいが、流石にこの場で立つのは自粛したらしい。

 

 彼は、TPOは弁える漢なのだから。

 

「楽しみやなー。そう思うやろ?」

「ま、俺らは俺らなりにやるだけやな」

「そうっすね」

「俺、頑張りますっ!」

 

 香取隊の手前に座る、B級四位『生駒隊』。

 

 安定した地力の部隊であり、今回もまたその力を存分に振るって来る事だろう。

 

「ったく、どうせ俺らはペナルティで上がれねえだろうがよ」

「まあまあ、取り合えず呼ばれたんだしちゃんと来ないとね」

「そうだよ。それに、何かの間違いで上がるチャンスがあるかもしれないじゃない?」

 

 弓場隊の手前に座るのは、B級三位『影浦隊』。

 

 これまでの経緯を考えればペナルティの所為でA級には上がれない筈の部隊だが、彼等もこの場に呼ばれていた。

 

 その真意は、未だ告げられていない。

 

「フン……」

「さてさて、どうなりますかね」

「どんな形式だろうと、全力を尽くすだけです」

 

 B級二位、『二宮隊』。

 

 王座を奪われたばかりの彼等も、この場に集っていた。

 

 相変わらず仏頂面で座る二宮に、飄々とした様子で腰かける犬飼。

 

 辻はそんな二人に挟まれながら、淡々とした態度を貫いていた。

 

 尚、辻が真ん中なのは他の部隊の女子と迂闊に接触させない為の二人の気遣いである事は言うまでもない。

 

「遂に来たわね」

「ああ、そうだな」

「どうなる事やら」

「ちょっとだけ、ワクワクしますね」

 

 そしてB級一位、『那須隊』。

 

 今期のダークホースであり、二宮隊から王座を掻っ攫った張本人である彼女達は、二宮隊と向かい合う形で席に付いていた。

 

 誰も彼も、下を向いている者はいない。

 

 正しく王者の貫禄で、彼女たちは己の勝ち取った席に座っていた。

 

 忍田は、集まった者達を一瞥する。

 

 その胸に去来する感情は、如何ほどのものか。

 

 その想いを押し殺し、忍田は口を開いた。

 

「まず、今期のランク戦を勝ち抜いた君たちに敬意を表したい。過程は様々ではあったが、君たちが勝ち取ったその席は、紛れもなく君達の努力の成果に他ならない。よく、研鑽を怠らず此処まで戦い抜いてくれた。私は、君達の奮闘を誇りに思う」

 

 だが、と忍田は続ける。

 

「以前も説明したが、これから行われる『合同戦闘訓練』は即ち、A級昇格試験と同義である。そして試験である以上、当然合否は別れる。つまり、君達にはもう一度A級の資格を懸けて戦って貰う事になる」

「…………1つ、いいすか?」

「構わない。質問はいつでも受け付ける」

 

 忍田は突然の影浦の問いにも動じず、即座にそう答えた。

 

 それを受け、影浦はその疑問を口にした。

 

「これがA級昇格試験の説明ってやつなら、俺らはどうなる? 前に受けた説明だと、俺らはペナルティで暫くA級には戻れないって話だったが?」

「…………そうだな。確かに、以前君にはそう説明した。如何なる理由があっても、君のやった事を看過する事は出来ない。だが、私としては未来ある若者のチャンスを奪い続けるのは決して本意ではないのだ」

 

 だから、と忍田は続ける。

 

「幸いと言うべきか、あれ以来君は目立った問題行動は起こしていない。更に後進の育成にも熱心に取り組んでいる、という話も聞いている。以上の状況を鑑みて、君達は条件付きでA級に上がる資格を与えても良いと考えている」

「条件……?」

 

 そうだ、と忍田は影浦の言葉を肯定する。

 

「今後、以前と同じような問題行動を起こさないと誓う事。そして、困った時は実力行使ではなく私に話を通す事。これが条件だ」

「……は……? それだけ、か……?」

 

 ああ、と忍田は頷く。

 

「…………君が例の件に至った理由は、私も聞き及んでいる。確かに君のした行為は許される事ではないが、根付さんの対応にも多少の問題があった事は事実だ。君が知りたかった事に関して教える事は出来ないが、この恩赦を以てどうか目を瞑って欲しい」

「…………成る程、本当の条件はそっちかよ」

 

 此処に来て、ようやく影浦は得心した。

 

 影浦隊がA級に上がる為の、本当の条件。

 

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 鳩原の件は、上層部としても非常にデリケートな問題だ。

 

 例の根付アッパー事件は、影浦がユズルの意を汲んで根付に鳩原の件を問い質し、根付がその要請をにべもなく拒否した上に鳩原を侮辱するような発言をした事が原因だ。

 

 根付の発言で完全に頭に血が上ったユズルは、下手をすればそのまま根付に殴りかかっていただろう。

 

 だから、影浦が代わりに殴ったのだ。

 

 ユズルの評判を落とすくらいなら、自分が泥を被った方がずっとマシだと考えて。

 

 忍田は、その経緯を聞いていた。

 

 影浦を一方的に悪者にするには少々気の毒な案件だが、それはそれとして根付が殴られて何もなしでは彼の面目が立たない。

 

 彼の担当するメディア対策室がなければ、ボーダーアンチが蔓延り自分達はもっと苦しい立場に置かれていても不思議ではないのだ。

 

 だから、その顔役の彼の存在を蔑ろにするワケにはいかない。

 

 汚れ役は、いつだって必要なのだから。

 

 だが、それはそれとして鳩原の件をもう一度追求されても困る。

 

 もし、あの時の真実がユズルの耳に入ってしまえば、彼が鳩原と同じ()()をしないとは言い切れない。

 

 鳩原もまた、連れ去られた弟を助ける為に、密航などという違法行為に手を染めたのだから。

 

 だからこその、妥協点。

 

 今後鳩原の件について詮索しないのなら、ペナルティを解除しA級へ戻る道を開く。

 

 これは、そういう取引だ。

 

 全てを理解した影浦は、じろりと忍田を睨みつけた。

 

「…………そういう事なら、答えは決まってる。俺は────」

「────待って、カゲさん」

「ユズル……?」

 

 断る、と言いかけた影浦に、ユズルが待ったをかけた。

 

 影浦は訝し気にユズルを見据え、その視線を受けたユズルはゆっくりと口を開いた。

 

「大丈夫だから。オレ、その条件で良いよ」

「……! けど、おめぇは……っ!」

「いいんだ。これ以上、カゲさんに迷惑かけるワケにはいかないからね」

 

 そう言うと、ユズルはその場で立ち上がり、忍田と向かい合った。

 

「忍田本部長。その件に関して、情報を開示して貰う為の条件はありませんか?」

「…………そうだな。もし、君達が遠征部隊に選ばれたのならば、考慮しても良い。城戸司令からは、そう言質を取っている」

「分かりました。ありがとうございます」

 

 ユズルはそう言って一礼し、席に着くと影浦に笑いかけた。

 

「だってさ。遠征部隊に選ばれれば、師匠の事は分かるんだ。だったら、やるしかないよね?」

「…………ったく、参ったな。そこまで言われちゃ、やるしかねーだろーが」

 

 ユズルに言い包められた影浦は頭をぽりぽりとかきながら、再び忍田に向き直った。

 

「忍田さん、その条件で良いぜ。誓ってやる。こいつ等が害されたりしねぇ限りは、ああいう真似は控える。これでいいか?」

「ああ、充分だ。私も目を光らせておくから、安心すると良い」

「ならいい。言質は取ったしな」

 

 影浦はそう告げると話を切り上げ、椅子に腰かけた。

 

 そしてちらりと、隣に座る二宮隊の面々を見据える。

 

(こいつ等がこうして此処にいるってこたぁ、似たような()()でも飲まされたか? ってぇと、二宮も鳩原の件に関しちゃ思う所があるよーだな)

 

 利用出来るか? と一瞬頭に過った考えを、影浦は即座に棄却した。

 

(止めだ止め。そういうのは俺のガラじゃねぇ。陰謀やら策謀やらは真っ平だ。やりてぇ奴が勝手にやってろ)

 

 影浦は鳩原の除隊に関して、きな臭いものを感じていた。

 

 根付は確かに鳩原の事を悪し様に言い過ぎではあったが、上層部としても鳩原の件は持て余しているように見えた。

 

 それだけの厄ネタなのだから、下手に頭を働かせて探ろうとするのは藪蛇だろう。

 

 折角、遠征に選ばれれば情報を開示する、という言質を取ったのだ。

 

 今は、それで満足しておく方が得策だろう。

 

「他に質問がなければ、説明に移らせて貰う。まず、試験の形式について説明しよう」

 

 話が終わったと判断した忍田は、早速試験内容について説明を開始した。

 

 忍田の指示で沢村が機器を操作すると、画面に『A』と印字されたアイコンと『B』と印字されたアイコンが三つずつ並んだ。

 

「以前の説明にあった通り、この合同戦闘訓練はB級部隊とA級部隊での技術交流、連携の練習が主目的だ。よって、このように君達B級部隊は試験の際はランダムなA級部隊とタッグを組んで挑んで貰う事になる」

 

 その説明と共に、画面の中の『A』のアイコン三つと『B』のアイコン三つが一つの輪の中に入り、チームの体裁を取った。

 

 文字通り、B級とA級の混合部隊による試合。

 

 そういう形式だという、説明だろう。

 

「試験は、一週間に一度のペースで合計四度行われる。最初の試験は、今週の土曜日────────つまり、11月9日に実施される。試験は毎週土曜日に行い、11月30日が最終試験日となる」

 

 即ち試験日は、11/9、11/16、11/23、11/30の計四回。

 

 それぞれの試験までには、一週間の猶予がある事になる。

 

「その週の試験の形式と、どのA級部隊と組むかの発表は、毎週月曜日に発表される。11月9日の試験については、今この場で発表を行う予定だ」

 

 その前に、と忍田は続ける。

 

「試験の、基本的なルールを説明しよう。まず、これを見てくれ」

 

 忍田がそう言うと、画面に一つの表が表示される。

 

 

部隊順位得点
那須隊 1位7Pt 
二宮隊 2位6Pt 
影浦隊 3位5Pt 
生駒隊 4位4Pt 
弓場隊 5位3Pt 
香取隊 6位2Pt 
王子隊 7位1Pt 

 

「君達には、今期のランク戦の最終結果に応じて上記の『初期ポイント』が与えられる。これは通常のランク戦の初期ポイントと同じようなものと考えて差し支えない。君たちの頑張りが、そのまま内申点になったようなものと思えば良い」

「…………成る程ね。流石にこの程度のハンデは付くか」

 

 王子は一人、小さな声でぼやいた。

 

 一位の那須隊と、七位の王子隊とでは6ポイントもの開きがある。

 

 王子隊が一位を目指すのならば、このポイント差を覆さなければならない。

 

 一筋縄で行かない事は、目に見えていた。

 

「試験でも、得点方式は通常のランク戦と同じだ。相手チームを一人緊急脱出させれば一点が加算され、最後まで生き残れば生存点が加算される」

 

 ただし、と忍田は付け加えた。

 

「試合中に一方のB級部隊が全員脱落した場合、その部隊と組んでいたA級隊員は全員が強制的に緊急脱出(ベイルアウト)となる。つまり、B級部隊(君達)が全滅した時点で、試験は終了という事だ」

「ま、そうなるわな」

 

 忍田の説明に、水上は得心して頷く。

 

 試験の形式を取っている以上、B級部隊が全員脱落した時点で試験が終了するのは当然だ。

 

 A級だけが残って戦って勝ったとしても、B級部隊の評価基準には成り得ないのだから。

 

「この緊急脱出は自発的な緊急脱出と同じように扱われる為、相手チームに得点が入る事はない。あくまで試験の終了処置である為、相手チームとの距離に関係なくこの緊急脱出は実行される事も付け加えておく」

 

 此処までは良いな、と確認し、忍田は説明を続ける。

 

「また、最終試験終了までに得点が15ポイントに満たなかった場合は、自動的に失格扱いになる。注意してくれ」

「最低、15点取らなきゃいけないワケか……」

 

 厳しいな、と三浦は呟く。

 

 香取隊の初期得点は、2ポイント。

 

 四試合で、合計13点を最低稼がなければならない。

 

 この面子相手にそれだけの得点を得られるのか、正直言って自信はない三浦であった。

 

「…………」

 

 その説明を聞いていた香取は、黙って何かしらを考え込んでいた。

 

 彼女の目に、諦観はない。

 

 何か、目的を見つけた。

 

 そんな、鋭い目つきであった。

 

「そして、特別ルールとしてB級隊員がA級隊員を落とした場合、一点ではなく二点がチームに加算される。これも踏まえて、作戦を立ててみてくれ」

 

 格上を倒したボーナスポイントだ、と忍田は言うが、これはそんな甘いものではない。

 

 このボーナスポイントの()()に気付いた隊員は、揃って険しい表情を浮かべていた。

 

「また、通常のランク戦では最もポイントの低いチームがMAPの選択権を持っていたが、今回の試験では全ての試合でMAPと天候はランダムに決定される。また、試合形式も一試合ごとに多少違って来るから説明を聞き逃さないようにして欲しい」

 

 地形と天候の、ランダム決定。

 

 つまり、予め準備した上で地形戦を仕掛ける事は不可能という事だ。

 

 下手をすれば相性の悪いMAPで戦う事態も有り得る為、運次第では厳しい戦いを強いられる事になるだろう。

 

「では、一試合目の組み合わせを発表する。9日の第一試験、昼の部は────」

 

 忍田の宣言と共に、画面にチーム名が表示される。

 

「────────B級一位『那須隊』・A級7位『三輪隊』VS B級六位『香取隊』・A級二位『冬島隊』だ」

「「……!」」

 

 香取と那須が、思わず互いを凝視する。

 

 三浦と若村はあからさまに顔を顰め、七海は静かに頷き、熊谷は那須に寄り添い────────茜は、何故か喜色を浮かべていた。

 

 彼女の視線は、自分達と組むチーム名に────────即ち、自分の師匠がいる三輪隊へと向けられていた。

 

 次なる相手は、香取隊。

 

 早くも波乱の予感渦巻く、マッチングとなった。




 合同戦闘訓練編スタートです。説明したように計四試合なのでランク戦編ほどには長くならない筈。

 腹痛で苦しんでいましたが、なんとか回復傾向にあります。食べ物には気を付けようね。


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彼女たちの意思

 

「奈良坂先輩、今回は一緒に戦えますねっ!」

「ああ、そうだな…………よくやった、よくやった茜。これで堂々と茜と肩を並べて戦えるぞ。こんな機会はもうないかと思っていたが、これは運命というものに感謝しなければならないな。ふふふ…………

「…………先輩、漏れてる。漏れてますって……」

 

 合同戦闘訓練の第一試合、七海達那須隊は三輪隊と共闘する事になり、早速顔合わせを行った。

 

 こちらから行くのが筋だろうと小夜子を除いた那須隊の全員で三輪隊の隊室を訪れたのだが、隊長の三輪は米屋と共に席を外しており、代わりに茜の師匠でもある奈良坂が七海達を出迎えた。

 

 そうなると当然、彼の弟子である茜が真っ先に歩み寄ってはしゃぐのは想定出来た自体である。

 

 奈良坂はいつも通りの爽やかな笑顔で茜を出迎えているように見えるが、何故かその隣にいる古寺は青い顔をしている。

 

 何か、視てはいけないものを見てしまったかのような、そんな表情である。

 

 耳をすませば何か聞こえそうな気がしなくもないが、精神衛生上それはしない方が良さそうだと、七海の直感は訴えている。

 

 七海自身は特に不穏な気配は感じない為、その直感に従う事にしたのであった。

 

 …………まあ、耳を澄ませていた場合、奈良坂に対する印象が180度変わる事になっただろうが、結果的に回避されたので良しとするべきだろう。

 

 尚、奈良坂は茜との共闘が決まった瞬間、狂喜乱舞した事は言うまでもない。

 

 正直、七海達がこの隊室を訪れる直前までは、不気味な笑みと浮かべる奈良坂と二人きりという苦行を古寺は味わっていたのだ。

 

 ぶっちゃけ、怖かった。

 

 奈良坂は顔が整っているだけに、奇行に走ると妖怪じみた雰囲気を醸し出す。

 

 美人が怒ると怖いのと一緒で、顔面偏差値が高い奴が変な真似をすると違和感が物凄いのだ。

 

 尊敬する狙撃の師匠の知らなかった一面を垣間見て、どうしたらいいか分からず右往左往する古寺であった。

 

 言い訳をすると、奈良坂は最初から此処まであからさまな弟子馬鹿だったワケではない。

 

 最初は、常識の範疇で弟子として茜を指導していただけだ。

 

 変わったのは、今期で那須隊が勝ち進んでからである。

 

 前期とは比べ物にならない手腕を見せてチームに貢献する茜を見て、奈良坂は弟子の活躍が嬉しくなり────────そして、弾けた。

 

 それまでは抑え気味だった弟子への可愛がり(うちの子可愛い)が表に出始め、あからさまに茜を贔屓するようになったのである。

 

 最近では茜の行きたがっていたケーキバイキングにも自腹を切って連れて行っており、事あるごとに彼女に好物のソフトクリームをご馳走してもいた。

 

 また、例のチョコ菓子のたけのこの方も、度々茜に渡していたりもする。

 

 きのこ頭なのにたけのこ派である奈良坂としては、ちょっとした布教活動なのかもしれない。

 

 まあ、甘いものは特に区別なく好きな茜なので、師匠から振舞われたお菓子は喜んで食べていたので問題はないのだが。

 

「ふふ…………茜も透も、嬉しそうね」

 

 那須は、その光景を見て意味深な笑みを浮かべる。

 

 奈良坂の従兄弟でありそれなりの交流もある那須にとっては、彼の頭の中などとうにお見通しだ。

 

 以前の余裕がなかった頃ならいざ知らず、今の彼女には周囲に目を配るだけの思慮があるのだから。

 

 奈良坂が弟子が可愛くて仕方なくて暴走気味な事も、しっかり把握済みである。

 

 まあ、彼ならば悪いようにはしないだろうという信頼もあるので口出しはしない。

 

 茜も随分懐いているようだし、特に問題はないと那須は判断した。

 

 弟子のいない那須にとって師匠と弟子の関係性は理解の外だが、影浦と七海の関係性を見る限りまあ悪いものではないのだろうという事は分かる。

 

 害にならない限りは放置で構わない、というのが那須の結論であった。

 

 那須隊の一員(うちの子)を悲しませるなら容赦しないが、そうでなければ干渉する程ではない。

 

 そう考えて、微笑まし気にその様子を見守る那須であった。

 

「お、来てる来てる。悪いねー、ちと用事があってね」

「お前の課題を終わらせる手伝いが用事と言えば、そうなんだろうな。全く、今度からは貯め込んでも手伝わないからな」

 

 そんな時、不意に隊室に米屋と三輪が帰ってきた。

 

 どうやら米屋の課題に付き合った帰りのようである三輪はあからさまに疲れた顔をしており、米屋は反省の気配もなく「なはは」と笑っている。

 

 三輪はそんな米屋をジト目で睨みつけながら、七海達に向き直った。

 

「すぐに対応出来なくてすまなかった。話は聞いている。次の試合の打ち合わせの為に来たんだろう? こちらからも説明があるから、少し時間をくれないか」

「分かったわ」

 

 極めて礼儀正しく、公人としての態度で那須達に応対した三輪を見て、那須は以前の邂逅との差異に首を傾げたものの、一先ず拒否する理由もない為そう言って頷いた。

 

 それを確認した三輪は那須達の対面に腰かけ、七海に視線を移した。

 

「…………その前に、以前は失礼な態度を取ってしまってすまなかった。お前の意見を全面的に肯定する事は出来ないが、そういう人間もいるのだろうという事で納得する事にした。理解までは出来ないがな」

 

 以前の感情を剥きだしにした様相とは打って変わった態度に七海は面食らうが、今の三輪からは真摯な謝罪の姿勢を感じる。

 

 何があったのかは不明だが、心底反省しているのは間違いないらしい。

 

 ならばこちらも、相応の誠意で返さねば失礼というものだろう。

 

「構いません。俺も、貴方の全てを否定したいワケじゃありませんから」

「そうか」

 

 それに、と七海は続ける。

 

「あの時は憎んでいない、と言いましたが、近界民(ネイバー)に関して何も思っていないワケじゃありませんからね。貴方の気持ちが分かる、とまでは言いませんが、ある程度理解は出来るつもりです」

「…………そうか」

 

 三輪は、七海の返答を噛み締めるように聞き届け、頷く。

 

 確かにあの時、七海は三輪に対し「近界民は憎んでいない」と話したが、一から十までそれが本心というワケではない。

 

 七海が一番憎んだのは無力な自分自身ではあるが、「近界民さえいなければ」という想いが湧かなかったのかと問われれば、否定は出来ない。

 

 三輪のように激情を露わにしなかっただけで、暗い感情は確かにそこにあったのだ。

 

 恐らく、無痛症となり感情が鈍化した影響もあったのだろう。

 

 それがなければ、三輪のように復讐をアイデンティティにしていた可能性も0ではない。

 

 まあ、所詮はもしも(if)の話だ。

 

 今更言っても意味はないだろうが、それでもその言葉は、三輪に何かを考えさせるには充分な代物であったのだろう。

 

 七海を見る彼の視線の温度が、少しだけ上がった。

 

 そんな、気配がしたのだから。

 

「ですから、あの時の事は水に流す。余計な干渉はしない、という事で手打ちにしたいと思いますが、どうですか?」

「…………そうだな。俺も、それで構わない」

 

 三輪は深く、そう言って頷いた。

 

 その意思を確認し、七海は首肯する。

 

「なら、この話は終わりです。試験の話に移りましょう」

「ああ、そうだな。その方が、どちらにとっても良いだろう」

 

 話に区切りが付いたと判断し、三輪と七海は一度会話を打ち切った。

 

 全てとは行かないが、互いの間にあった蟠りは解消された。

 

 内実はともかく、そういう形にしたのだからこれ以上の言及はなし。

 

 そういう協定が、今交わされたのだった。

 

「試験の基本概要については、既に忍田本部長から聞いていると思う。俺から説明するのは、まず第一に俺達A級隊員の立場だ」

 

 前提として、と前置きして三輪は続ける。

 

「これから始まる『合同戦闘訓練』はA級とB級の技術交流の場であると同時に、お前達B級上位チームのA級昇格試験の場でもある。そして、俺達A級部隊はお前達と共闘もしくは対戦する相手であり、昇格試験の試験官でもある」

 

 つまりだな、と三輪は続ける。

 

「試験の時には、俺達はお前達の指示で動く。そして、基本的に()()()()()()A級部隊(おれたち)という戦力を、お前達がどう扱うか。そういう側面を見る試験でもあるからな」

「成る程な」

 

 三輪の説明に、もっともだ、と七海は納得する。

 

 A級への昇格試験である以上、部隊の総合力そのものを問われるのは通りだ。

 

 個々人の力量だけではなく、臨機応変な判断力や、引き際を見極める洞察力。

 

 更に戦力を的確に運用する指揮能力などが、その評価基準となる。

 

 A級部隊の指揮能力は、基本的にB級のそれよりも上だ。

 

 だが、その指揮能力に安易に頼るようでは、A級の資格なしと見做されてもなんら不思議ではない。

 

 そういう意味で、三輪の説明は理にかなっていた。

 

「お前達からの要請があれば献策や直接指揮する事も可能ではあるが、基本的にそういった行為はマイナス評価の対象になる。本気でA級を狙うのであれば、避けた方が良いだろうな」

「分かった。肝に銘じておく」

 

 ちなみに、と七海は少々気になった事を問いかけた。

 

「一応聞いてみるが、説明のあったポイントだけで合否が決まる、というワケじゃないんだな?」

「ああ、あのポイントはあくまで基礎的な項目だ。基本的に最終試験終了時に最もポイントが高かったチームが合格対象となるが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そこで響いて来るのが、試験官(おれたち)の付ける内申点だ」

 

 つまり、ポイントでトップを取るだけでは合格は出来ない。

 

 場合によっては「合格者なし」も充分有り得るのだと、三輪は説明した。

 

「お前達と組んだA級部隊は試験終了後、毎回その試験における評価項目を纏めてレポートとして提出する事になっている。これが、試験の合否に大きく関わって来るんだ」

 

 第一に、と三輪は続けた。

 

「このレポートは、試験官となるA級部隊長全員が目を通す。そして、最終試験終了時にそれらの情報を元に部隊長全員が合否の判断を下し、過半数────────つまり、本部所属じゃない玉狛を除いたA級部隊長8人中、6人が合格の判定を下す事で、そのチームの合格が決まるんだ」

「8人中、6人か……」

 

 順当な数だ、と七海は感じていた。

 

 今回のA級昇格試験は、通常のそれよりも受験資格が()()

 

 本来であればB級二位以上が受験資格となるA級昇格試験であるが、今回はB級上位────────即ちB級七位以上のチーム全員に、受験資格が与えられている。

 

 故に、合格基準が厳しくなるのは、むしろ当たり前だ。

 

 例の初期ポイントも、本来であれば受験資格を有しない筈のチームのふるい落としを狙っている面もあるのだろう。

 

 A級の名と地位は、決して甘いものではない。

 

 生半可な実力では、A級としてはやっていけない。

 

 だからこそ、三輪達は手を抜かないだろう。

 

 共闘相手としても、そして試験官としても。

 

「以上が簡単な説明だ。質問は受け付けるが、内容によっては評価点に関わる可能性もあるから注意してくれ。こうして俺達と顔を合わせた時点で、ある意味試験は始まっているからな」

 

 

 

 

「────────だから今回、アタシ達はアンタの指示に従うわ。これは、アタシ達の総意と思って貰って結構よ」

「……へぇ……」

 

 冬島隊、作戦室。

 

 そこで言い放たれた香取の発言に、冬島は目を見開き当真は面白そうに口元を歪めていた。

 

 発言を咀嚼した冬島は、コホン、と咳ばらいをして香取に問いかける。

 

「…………今の説明を聞いた上でそう言うって事は、減点は覚悟の上って取っても構わないって事か? 香取隊員」

「ええ、そうよ。流石に、聞いたばかりの事を忘れる程鳥頭じゃないわ」

 

 香取は、迷いなくそう断言した。

 

 冬島がこの場で説明した内容は、同時刻三輪が七海達に説明した内容とほぼ同じだ。

 

 それを踏まえた上で、香取は()()()()()()()と言った。

 

 つまりそれは、()()()()()()()()()()()()()()()と告げているに等しい。

 

 香取隊の初期ポイントは、2点。

 

 王子隊と同じくより多くのポイントが必要であるにも関わらず、減点を甘受する。

 

 香取は、そう言っているのだ。

 

「理由を聞こう、香取隊員。君は、この試験に合格したくないのか?」

「したくないワケじゃないじゃない。A級になるのは、アタシの目標よ」

 

 でもね、と香取は続ける。

 

「今のままじゃ、到底A級にはなれないって事は、アタシが一番分かってんのよ」

「ふむ」

 

 香取の真剣な声色に、冬島は傾聴の姿勢を取る。

 

 A級部隊(試験官)と顔を合わせた時点で、既に試験は始まっている。

 

 いわば、これは面接。

 

 実技試験の前の、思考調査。

 

 此処での発言が、ある意味今後を左右する。

 

 その大事な場での発言である事を理解しつつも、香取は躊躇いなく口を開く。

 

「悔しいけど、アタシ達はまだ弱い。これまでチームとしての連携訓練を碌に詰んでなかったから何もかも付け焼刃だし、格上を食う為の手札も足りない。ないない尽くしで、嫌になるくらいよ」

 

 まず、と香取は続ける。

 

「アタシ達には、()()()()()()()()()。今までそういうのは華に頼ってたけど、オペレーターの華にばっか負担かけちゃ勝てる試合も勝てなくなる」

 

 だから、と香取は真剣な声色で口にする。

 

「────────1回、体験したいの。巧い指揮で動く、っていう()()をね。どういう状況でどう動けばいいか、予想外の状況にどう対処すればいいか。そういう経験が、何が何でも欲しいワケ」

「だから、俺達に指揮を委ねると? 減点を覚悟してまで」

「そうよ。そう言ったわ」

 

 けど、と香取は告げる。

 

「アタシは別に、試験に合格するのを諦めたワケじゃない。この一戦の経験を糧にして、絶対に得点を稼いで合格してやるつもり。自慢するけど、アタシ割と要領は良い方なの。感覚さえ掴めれば、後はなんとかしてやるわ」

「だが、それはあくまでお前の場合だろう? チームメイトはどう考えているんだ? 一回きりの経験で、果たしてそう巧く成長出来るのか?」

 

 これは、冬島なりの分水嶺のつもりだった。

 

 もし、香取が「自分さえよければそれで良い」と考えているようなら、一顧だにも値しない。

 

 チームを大切にしない者に、A級たる資格はないからだ。

 

 指揮を引き受けるかどうかはともかく、レポートには「不合格」の印を押すだけだ。

 

 香取はその問いを受け、迷いなく答えを口にした。

 

「大丈夫よ。だって、この件に関しちゃ此処に来る前に相談したもの」

「ほう」

「言った筈よ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って。あれは、そういう意味なの」

 

 そうでしょ、と香取は若村達に話を振った。

 

 話を振られた若村は、顔を上げて重い口を開いた。

 

「…………はい、そうです。オレ達は最初から、貴方達に指揮権を委ねるつもりで来ました。理由は、葉子が言った内容が全てです」

「そうしなきゃ、どうしようもないって思ったもんね」

 

 ああ、と若村は三浦の言葉に同意する。

 

「葉子が言った通り、今のままじゃオレ達は弱過ぎる。特にオレは、チームの動かし方を何一つ分かっちゃいなかった。今まで文句ばかり垂れて何もしなかったツケが、このザマです」

 

 だけど、と若村は顔を上げる。

 

「ROUND4での大敗から、試行錯誤しながら何とかやって来ました。けど、独力じゃもう限界なんです。此処から上に上がるには、レベルの高い指揮を直に体験するくらいしかもう手がない」

「だから、決めたんです。たとえペナルティがあっても、今回は指揮権を委ねる、って。葉子ちゃんも、賛成してくれました」

「ええ、アタシもそれっきゃないと思ったしね。それで、どうなの? 指揮は、引き受けてくれるの?」

 

 三者三葉、自分の意思を口にする。

 

 言葉は違えど、その根本の意思は統一されている。

 

 以前の香取隊にはなかった、意思の一致。

 

 それが、今の彼女達には見えていた。

 

 その全てを聞き、冬島はその回答を告げる。

 

「────────ああ、構わない。そういう事であれば、喜んで引き受けるさ。指揮のなんたるかを、実践を通して叩き込んでやるよ」

 

 合格だ、と内心で笑みを浮かべながら。

 

 香取達の答えは、冬島としても満足の行くものだった。

 

 決して香取の独り善がりではなく、隊全員が意思を同じくして真剣に試験に向き合っている。

 

 これならば、結果次第ではA級としての資格ありと判断しても構わない。

 

 厳しい道のりではあるが、チャンスは0ではない。

 

 先が楽しみだな、と冬島は不敵な笑みを浮かべる香取達を見ながら口元を歪めた。

 

 当真もまた、その光景を見て喜色を露わにする。

 

「こりゃ、面白い事になりそうだな」

 

 香取隊は過去に二度、那須隊に敗北している。

 

 だが、この試験。

 

 一筋縄では、行かないだろう。

 

(さあて、油断してると足元掬われっぞ。こいつ等、一皮剥けたよーだしな)

 

 トップ狙撃手は、笑う。

 

 この先の、戦い。

 

 そこで起こるであろう、波乱を予感して。

 

 二度の敗北を経て、尚も前を剥き続けた香取隊。

 

 その蕾が、花開こうとしていた。





 二回叩き折ってようやく覚醒みたいな感じ。

 香取隊は徹底的に叩き折らないと成長は難しいからね。

 まあその分、爆発力は凄いワケですが。


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思惑と期待と波乱と

 

「ふふふ、まさかこんな事になるなんてねえ。ちゃあんと評価下してあげるから、頑張ってね二宮くん」

「ふん、俺はいつも通りやるだけだ」

 

 加古隊、作戦室。

 

 その部屋の中央で楽し気な声をあげる加古と、普段より更に険しい表情をした二宮。

 

 何が起きているかは、言うまでもない。

 

 今回の第一試験で、加古隊と二宮隊が組む事になったのだ。

 

 二宮と加古の仲の悪さは、正隊員の中では周知の事実だ。

 

 彼等は旧東隊時代の同僚であり、旧知の仲でもある。

 

 しかし性格的な相性が最悪なのか、顔を突き合わせれば大抵険悪な空気になる。

 

 だが試験である以上、顔合わせはしなければならない。

 

 二宮はそう割り切り、隊員と共にこの場にやって来たのである。

 

 隊室にいたのは、加古と双葉の二人。

 

 双葉は仲の良い犬飼の姿を見るなり、快く迎え入れて談笑────────否、すぐさま起きるであろう加古と二宮の衝突からさっさと逃げたのである。

 

 同じ隊である双葉は、理由までは知らないまでも加古と二宮の仲が悪い事は理解している。

 

 その二人が揃った時点で、空気が重くなるのは最早どうしようもない。

 

 何せ、加古の方から執拗に二宮にあれこれと絡んでいくのだ。

 

 基本的に必要な事以外は喋ろうとしない二宮だが、降りかかる火の粉を放置する程寛容でもない。

 

 特に、加古相手の場合は二宮の沸点は普段より格段に低くなる。

 

「あらあら、やっぱり敗北を経験すると殊勝になるのかしらね? 一位の座から陥落した気分って、どんなものなのかしら?」

「下らん。挑発のつもりか」

「ふふ、別にそんなつもりはないわよ? 貴方が狭量なだけじゃないかしらね?」

 

 更に言えば、今は加古の側に二宮を弄るネタがあるのだ。

 

 これで衝突が起きないと思う程、双葉は間抜けではなかった。

 

(…………普段は頼りになる人なのに、なんで二宮さんと一緒にいる時だけ意地悪になるんだろう? 変なの)

 

 双葉は犬飼とお喋り(現実逃避)しつつ、横目で加古と二宮の対峙を眺めていた。

 

 正直な話、双葉は加古の二宮限定の態度の変化を常々訝しく思っていた。

 

 聞いた話では元チームメイトという事なので仲良くしてもおかしくない関係性の筈だが、実態はその真逆。

 

 顔を合わせれば、罵り合いの応酬ばかり。

 

 チームメイトと良好な関係を築いている双葉には、二人の関係性の理由がちっとも理解出来ないのだ。

 

 彼女はまだ幼く、経験に乏しい。

 

 だから、人間関係の妙に関して熟達しているとはとても言えない。

 

 猪突猛進癖は以前七海に叩きのめされた事である程度矯正されているが、思考が幼い事に変わりはない。

 

 年齢を考えれば致し方ないが、ボーダーには珍しい()()()()()()()()を持つ少女と言える。

 

 ついでに言えば、割と背伸び気味のませた子でもあるのだが。

 

 その彼女に加古達の関係を理解しろというのは、流石に酷というものだろう。

 

「見てたわよー、最終ROUND。茜ちゃんに見事にスナイプされちゃって、随分驚いてたみたいだけど?」

「言い訳はしない。あれは間違いなく、俺の敗北だった」

「…………へぇ、素直じゃない。どうしたのよ?」

 

 最終ROUNDの敗北を揶揄した加古だが、二宮があっさりそれを受け流した様子を見て、訝し気な顔を────────否、何かを察したような顔をした。

 

 伊達に、長い付き合いではない。

 

 二宮の内心など、とうにお見通しなのだから。

 

「二度も言わせるな。あれは、俺の負けだ。那須隊の戦略が、俺の予想を上回った。それだけだ」

 

 だから、と二宮は告げる。

 

「その事実は否定しない。奴らの実力も認めている。俺は、勝者を乏しめる趣味はないからな」

 

 那須隊は自分に、実力で勝った。

 

 二宮はハッキリと、そう宣言した。

 

 確かに二宮はプライドの高い男だが、相手の実力を頑として認めない程狭量ではない。

 

 あの戦いで那須隊は、真っ向から自分を打ち破った。

 

 ならばその事実を認めない事は彼等への侮辱となるし、何より自身の価値を貶める事になる。

 

 最終ROUNDで那須隊は、全霊を以て二宮隊を打倒した。

 

 その事実を否定する気はないし、誰にも否定させはしない。

 

 それが、強者の矜持。

 

 玉座を降りた射手の王の、誇りの証明だった。

 

「…………本当、変な所で律儀よね。二宮くんは」

 

 その宣言を聞き、加古は思わず苦笑した。

 

 何の事はない。

 

 加古が二宮を執拗に煽っていたのは、この言葉を引き出したいが為だったのだから。

 

 二宮があの敗北を肯定的に受け入れている事など、加古はとうに理解している。

 

 だから、聞きたかったのだ。

 

 他ならぬ二宮の口から、那須隊への労いの言葉を。

 

 なんだかんだ、加古も那須隊には随分入れ込んでいるのだ。

 

 可愛い後輩達の頑張りを認める発言を、この気難しい男から引き出したかった。

 

 ただ、それだけだったのである。

 

(二宮くんの事だから、「俺からの労いなど余分だろう」なんて思って何も言ってないんだろうけど、そうじゃないのよねぇ。二宮くんがあの子達を認めた、ってのはそれだけで意味があるのに。本当、昔から気が利かないにも程があるわ)

 

 加古は誰知らず、溜め息を吐いた。

 

 今の発言は、一字一句記憶している。

 

 実を言うと、ポケットに隠し持ったボイスレコーダーにも録音している。

 

 無論、後で七海達に聞かせる為だ。

 

 どうせ二宮は何の労いも口にしていないだろうと考えた加古の、迂遠な応援のようなものだ。

 

 あの調子なら自分の後押しなど不要かもしれないが、何の切っ掛けで調子を崩すかはその時になってみないと分からないものだ。

 

 那須と七海の関係性は正しく修正されたようだが、綻びがないワケではないのだから。

 

 元気づける材料は、一つでもあった方が良い。

 

 そう考えた結果の、加古の手回しであった。

 

(七海くん達は、三輪くんの所とだったわね。ちゃんと、仲良くやれてると良いんだけど)

 

 

 

 

「行くぞ」

「……!」

 

 MAP、市街地B。

 

 その路地裏に当たる箇所で、二人の少年が戦っていた。

 

 三輪はその手に拳銃を携え、七海に向かって引き金を引く。

 

 放たれる弾丸は、誘導弾(ハウンド)

 

 無数に放たれた弾丸が、七海に向かって追い縋る。

 

 七海はそれに対し、グラスホッパーを展開。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、右へ大きく跳躍した。

 

「まだだ」

「……っ!」

 

 だが、三輪の攻撃は終わらない。

 

 三輪は、足元に四角形のフィールド────────()()()()()()()を展開。

 

 それを踏み込み、一気に七海へ肉薄する。

 

 その手に持つのは弧月────────ではなく、()()()()()()

 

 長刀型に形成した刃を、七海に向かって叩き付ける。

 

「……!」

 

 七海はその攻撃を受けるのではなく、回避にて対応。

 

 サイドステップで斬撃を回避し、更に三輪と距離を取る。

 

「────!」

 

 そこに、飛来する一発の弾丸。

 

 遠方より飛来した弾丸が、七海の胸を狙い撃つ。

 

 完全な、不意打ち。

 

 だが。

 

 それは、七海以外が相手であった場合の話である。

 

 サイドエフェクト、感知痛覚体質。

 

 この能力により、七海は突然の狙撃だろうといつ何処から撃って来るのか感知出来る。

 

 つまり、不意の狙撃だろうとそれは七海にとって()()()()()攻撃に過ぎない。

 

 故に。

 

 七海は、最小限の動きで狙撃を回避。

 

 ただ一歩、右へ傾く。

 

 それだけで、飛来した銃弾は空を切る。

 

「隙だぞ」

「……っ!」

 

 だが、そんな事は狙撃手とて承知の上。

 

 今の一撃は、七海を仕留める為の狙撃ではない。

 

 七海の動きを、誘導する為の攻撃である。

 

 つまり。

 

 これは、三輪がグラスホッパーを用いて、七海に再び肉薄するまでの時間稼ぎ。

 

 すぐさま後退しようとする七海だが、気付く。

 

 七海のサイドエフェクトが、背後からの攻撃を感知している事に。

 

 下がれば、やられる。

 

 そう理解した七海は、即座に次の手を選択。

 

 即ち。

 

「────メテオラ」

「「!」」

 

 至近距離での、炸裂弾(メテオラ)の爆破。

 

 シールドを張りながらメテオラを生成した七海は、それを地面に当てて起爆。

 

 周囲を、爆発が呑み込んだ。

 

「────」

 

 その隙を突いて、七海はその場から離脱。

 

 体勢を立て直し、距離を取る為動き出す。

 

「逃がすか」

「……っ!」

 

 だが、それを見逃す程三輪は愚鈍ではない。

 

 いつの間にか背後までやって来た三輪は、右手に携えたスコーピオンを七海目掛けて振り下ろす。

 

 それを回避し撤退する為、七海はグラスホッパーを展開。

 

 それを踏み込み、離脱を図る。

 

「な……っ!?」

 

 否、図ろうとした。

 

 七海の踏み込もうとしたグラスホッパーは、狙撃によって霧散。

 

 当然、ジャンプ台トリガーを踏み込む筈だった七海の足は空を切り、体勢が崩れる。

 

 無論、三輪の攻撃は止まらない。

 

 振り下ろされたスコーピオンを、七海のスコーピオンが受け止める。

 

 響く、鈍い剣打音。

 

 三輪の斬撃は、辛くも七海に防御された。

 

「────」

「……!」

 

 攻撃はまだ、終わっていない。

 

 七海の背後。

 

 そこから、駆け寄る影がある。

 

 迫って来たのは、弧月を携えた米屋。

 

 三輪と鍔迫り合い、動きの止まった七海に向けて彼は背後から弧月を振り下ろす。

 

「く……っ!」

 

 七海はそれを、紙一重の動きで回避。

 

 サイドエフェクトが察知した攻撃範囲から、強引に身体をズラす。

 

「────幻踊弧月」

「……っ!」

 

 瞬間、弧月の刀身が()()た。

 

 弧月の刀身を変形させ、変化した形状で不意を打つ為のオプショントリガー。

 

 その名は、『幻踊』。

 

 変幻の刃の一撃が、七海の右足を斬り裂いた。

 

「ぐ……っ!」

 

 片足を失い、バランスを失う七海。

 

 それは、今この場では致命的な隙だった。

 

「終わりだ」

 

 一閃。

 

 三輪のスコーピオンが、七海の胸を貫いた。

 

 回避は、出来なかった。

 

 咄嗟の回避の為に展開したグラスホッパーは、即座に狙撃によって撃ち抜かれていたが故に。

 

 これで、致命。

 

『戦闘体活動限界』

 

 機械音声が、七海の敗北を告げる。

 

 その宣言を以て、この()()()は終了した。

 

 

 

 

「確かにお前のサイドエフェクトは有用だが、弱点が無いワケじゃない。さっきのような閉所での多対一になれば、隙を作る方法など幾らでもある。特に、相手はあの冬島隊だしな」

 

 模擬戦終了後、三輪は隊室でそう切り出した。

 

 先程の模擬戦は、第一試験の訓練として三輪が提案したものである。

 

 わざわざ三輪自身のトリガーセットを香取のそれに変更した上で、七海相手に三輪・米屋・奈良坂の三人がかりで戦ったのだ。

 

 古寺まで動員しなかったのは、本番で戦う狙撃手(スナイパー)が一人である為だ。

 

 奈良坂は「不本意ですが二人がかりでやった方がレベルとしては妥当かと」と提言したが、それは後でも出来ると言って三輪はまず3対1の訓練を開始した。

 

 結果は、七海の敗北。

 

 流石にA級三人がかりで味方のカバーもなしでは、七海とて厳しかったようだ。

 

「香取隊は、前回の試合でスパイダーを使っている。あれは、明確にお前を対策したものだろう。今回も十中八九、ワイヤー陣を用いて来る筈だ」

 

 なにせ、と三輪は続ける。

 

「あのトリガーは俺の鉛弾と同じで、ダメージが発生しない。お前のサイドエフェクトの、穴を突けるというワケだ。ある一点からあの試合では十全に活かし切れたとは言い難いが、それでも無視できない要素である事は確かだ」

「ある一点?」

 

 そうだ、と三輪は頷く。

 

「香取隊には、狙撃手がいなかった。あの戦術は、狙撃手がいて初めて完成に至るものだからな」

 

 香取隊のメンバー構成は、万能手・銃手・攻撃手の三人体勢。

 

 チームの中に、狙撃手は含まれていない。

 

 そこがあの戦術の欠陥だったと、三輪は指摘する。

 

「ただワイヤー陣を張っただけなら、そこを避けて戦えばそれで済む。だが、狙撃手がいるなら話は別だ。ワイヤー陣を攻略しなければ狙撃手が倒せない、という状況を作る事が出来れば、圧倒的に優位な陣形として機能するからな」

 

 そう、ワイヤー陣はあくまで罠、()()()()()為の仕掛けである。

 

 狭いMAPであればある程度効果的に使えるものの、広いMAPならば罠を仕掛けた場所を避けて戦えばどうとでもなるのだ。

 

 あの時は初見だったからこそ罠にかかってしまったが、既に七海はスパイダーを香取隊が使う事を知っている。

 

 前と同じ方法では、通用しないだろう。

 

 だが、今回は決定的な違いとして相手に()()()()()()

 

 遠距離攻撃手段のなかった香取隊に、狙撃手という新たな手札(カード)が加わった。

 

 この事実は、決して無視出来るものではない。

 

「そして、今回戦うのはNO1狙撃手の当真さんだ。あの人は、一筋縄じゃいかないぞ」

 

 

 

 

「なーんて、今頃俺の事でも話してるのかねえ」

 

 当真は一人、ビルの上に座りながら笑みを浮かべていた。

 

 眼下では、冬島が香取隊相手に自分のトリガーについて実践と共に説明を行っていた。

 

 冬島のポジションは、特殊工作兵(トラッパー)

 

 ボーダー内でも一握りしか存在しない、特殊な役職である。

 

 彼の戦い方に慣れるには、実際に体感してみるのが手っ取り早い。

 

 香取達は初めて見るトラッパー用トリガーの効果を確かめて、一喜一憂している最中であった。

 

 その様子がふと気になって、当真は香取に通信を繋ぐ。

 

「どーだ? 大体理解出来たか?」

『当然じゃない。それと、アンタも口だけじゃないってトコ見せなさいよね。足引っ張ったら承知しないんだから』

「おいおい、ちょっと丸くなったって聞いてたけど、全然そんなことねーじゃねーの。ま、その調子で敵にも噛みついてくれよ」

 

 ふぅ、と当真は溜め息と共に苦笑した。

 

 まだ粗削りな所はあるが、空回りはしていない。

 

 これなら、期待出来そうだ。

 

 そう思い、当真はニヤリと口元を歪めた。

 

(ユズルをやられた借りもあるし、いっちょ派手にやりますかね。()()()()()()()って看板、俺が撃ち落とすのも悪くねーわな)

 

 NO1狙撃手(当真勇)は、不敵な笑みを浮かべる。

 

 『合同戦闘訓練』、第一試合。

 

 波乱尽くしの戦いの時が、間近に迫っていた。





 久々に二日続けて投稿出来た。

 そろそろ始まります、合同戦闘訓練。

 トラッパーに関しては色々初の試みですがやっていきます。

 ランク戦での冬島隊の動きは想像するしかないんで、現状分かる情報から推測した動きでやっていく予定です。


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第一試験、開始

「遂に、来たか……」

「そうだね。緊張するなあ」

 

 若村と三浦はカレンダーを見て、呟く。

 

 今日は、11月9日。

 

 合同戦闘訓練(A級昇格試験)、その第一試合当日である。

 

 これまで、若村達は冬島の指導の下この日に備えて様々な準備を行って来た。

 

 試験官である冬島隊が受験者の指導を行う事については、そもそもそれ自体が試験の一環である為問題ない。

 

 この試験は、何も本番の成績だけを見て合否を決められる類のものではない。

 

 むしろ、それ以外の内申点────────A級に相応しい精神性があるかどうかという点も、重要視される。

 

 精神性を見るには、鍛錬風景を見るのが手っ取り早い。

 

 訓練に真面目に取り組んでいるのか、はたまた感覚で効率化して要領良くやっているのか。

 

 そして、チームメイトとの関係性に不具合は無いか。

 

 それらを見る為に、試験官としてB級部隊と組んだA級部隊は彼等の訓練の手伝いを請け負っているのだ。

 

 最初に「自分達に頼ればその分減点される可能性が高い」と言ってはいるが、あれは半分ほどハッタリだ。

 

 あれはあくまで試験当日の事を指しているのであり、それまでの期間頼ってならないとは一言も言っていない。

 

 そこを見極めて訓練の手伝いを頼みに来られるかどうかというのも、一つの評価指針となる。

 

 いざという時、きちんと他人の手を借りる事に抵抗があるかどうか。

 

 そういう面もまた、実戦では重要となる。

 

 最初から職務を放棄するならともかく、自分達だけで荷が重いと感じた場合は他者を頼るのも立派な戦術行動だ。

 

 無理をして失敗するくらいなら、誰かを頼って事態を解決した方が良い。

 

 それが、戦場の常識というものだ。

 

 無論、無茶を通さなければならない場面は存在する。

 

 だが、それが全てではない。

 

 兵士の損失は、後々の組織の運用にすら関わって来る。

 

 正隊員には緊急脱出(ベイルアウト)機能が存在する為戦場で死亡する可能性は低いが、万が一という事もある。

 

 更に言えば、一部隊が無茶を通して無駄死にするよりも、きちんと生き残って他部隊と連携した方が全体の利となるという事情もある。

 

 つまり、訓練に付き合って貰う行為は減点どころか加点対象になるのだ。

 

 無論、訓練でだらしない姿を晒せば容赦なく減点されるだろうが、B級上位になってまでそんな無様を晒す輩はいない。

 

 そもそも、自身を鍛える事にストイックでなければ万年C級止まりなのが世の常だ。

 

 正隊員になった時点で、その程度の事は当然出来る。

 

 以前の停滞していた香取隊であれば危なかったかもしれないが、今はきちんと前を向いて真摯に訓練に取り組んでいる。

 

 その様子を見ていた冬島がレポート用のメモに『訓練態度:A』と記した事を、香取達は知らない。

 

 ともあれ、月曜からの5日間、香取隊は冬島隊指導の下試験当日に向けて様々な意味で鍛え直した。

 

 無論、この短期間で実力が劇的に上達するのは香取といえど不可能だ。

 

 彼等がこなしていたのは、冬島隊を組み込んだ連携の練習。

 

 狙撃手という香取隊に足りない要素と、特殊工作兵(トラッパー)という未知の要素を組み入れた香取隊としての動き方の訓練である。

 

 若村と三浦はまず、徹底的に基礎を鍛え上げた。

 

 無論、戦術としての基礎的な部分が甘過ぎたが故である。

 

 香取隊は香取の並外れた才覚に任せて碌な挫折を知らないまま上位まで駆け上がってしまった部隊であり、若村と三浦は本来中位時代に経験すべきであった()()()()()()()()体験を出来ていなかった。

 

 上位にまでなれば、苦境に陥れば香取以外上位レベルとは言い難い香取隊では、押し返す事は非常に難しい。

 

 結果、その場凌ぎの連携しか出来ていなかった香取隊は、香取が得点して勝つか、戦術で押し込まれて負けるか、その二択の部隊となってしまった。

 

 実質、香取一人で戦っているのとなんら変わらない部隊。

 

 それが、これまでの香取隊の評価であった。

 

 ROUND4の大敗以降若村が意識改革出来た為、ある程度マシにはなっているが、所詮は付け焼刃だ。

 

 百戦錬磨のB級上位の面々と比べれば、どうしても戦術面で数段劣る事は否定出来ない。

 

 故に、冬島は戦術の基礎を若村達に徹底的に教え込んだ。

 

 自分の策が失敗に終わった時の次善の策の用意、戦場の動きから相手の狙いを掴む方法論、敵に囲まれた時にやるべき事等々。

 

 つまり、()()()()()()()()()()()である。

 

 戦場では、最初に立てた作戦が全て上手く行く事はむしろ稀だ。

 

 故に、作戦を立てる時はその策を破られた場合にどう対応するか、まで考えなければ意味がない。

 

 作戦が失敗してそのまま負ける、ではお話にならないからだ。

 

 若村には、これまでそれが全く足りていなかった。

 

 作戦を立てる事は出来る。

 

 だが、失敗した時の対処がお粗末に過ぎた。

 

 イレギュラー(予想外)が起こる事が当然である戦場では、それは明確な命取りだ。

 

 ROUND6では一人だけ生き残った時、捨て身の銃撃で1点稼ぐ事に成功しているが、それもその場で出来る事をなんとかこなしたに過ぎない。

 

 以前の「香取が落ちればそれで終わり」な状態よりは遥かにマシであるが、まだなんとか及第点、といったレベルだ。

 

 そういう詰めの甘さを、冬島は徹底的に矯正した。

 

 香取隊は、この一戦で戦術のノウハウを自分達から学ぶつもりであるという。

 

 ならば、自分達の指揮がない状態でも部隊を十全に動かせるようにならなければお話にならない。

 

 意気込みは買うが、それだけでは意味がない。

 

 想いだけでは、勝敗がひっくり返ったりはしないのだから。

 

「香取隊員、()()()を使った動きについては問題ないか」

「ええ、()()()わ」

 

 香取は冬島からの確認に、不敵な笑みで応える。

 

 それを見て、冬島は軽い笑みを浮かべた。

 

「ならいい。お前さんのセンスなら問題ないと思うが、本番で失敗しないようにしろよ」

「誰に言ってるのよ。これだけ練習して、失敗するワケがないでしょう」

「その意気だ。楽しみにしてるぞ」

 

 冬島は苦笑しながらそう告げ、仮想空間から離脱した。

 

 若村と三浦は一人になった香取に近付き、声をかける。

 

「葉子」

「葉子ちゃん……」

 

 不安を押し殺すような表情をしている若村と三浦を見て、香取は舌打ちしながらパンッ、と二人の肩を叩いた。

 

「痛っ!」

「わっ!」

「何情けない顔してんのよ。やる事はやったんだから、もっと堂々としなさいよ。そんな顔で、那須隊(あいつら)の前に立つつもり?」

 

 ジロリと若村達を睨みつけた香取は、不敵な笑みを浮かべる。

 

「勝つわよ、今度こそ。あいつらに、吠え面かかせてやろうじゃないの」

「……! ああ……っ!」

「うん。頑張ろうね」

 

 香取の発破に、二人は顔を上げる。

 

 そしてこつん、と三人は拳を合わせ、共に笑みを浮かべる。

 

 隊としての体裁すら成していなかった香取隊(かれら)は、もういない。

 

 此処にいるのは、真実チームメイトとなったB級上位部隊、『香取隊』の面々だ。

 

 これまでとは、違う。

 

 そんな空気が、彼等からは醸し出されていた。

 

『時間よ。三人とも』

「はい」

「うん」

「ええ」

 

 オペレーターの染井からの通信で、三人は試合に向かう為仮想空間を後にする。

 

 その流れは、以前と同じ。

 

 けれど、顔つきは違う。

 

 本当の意味でチームになった三人は、晴れやかな顔で試合会場へと向かっていった。

 

 

 

 

「さあ、前代未聞! B級とA級がタッグを組んでの特殊な形式のランク戦、A級昇格試験を兼ねた『合同戦闘訓練』の時間がやって参りました……っ!」

 

 ランク戦のブースで、普段通りの実況席に座るのは実況席の主、武富桜子。

 

 上層部との粘り強い交渉の結果、この合同戦闘訓練の解説を行う権利を勝ち取った女傑である。

 

 無論、最大の注目株である那須隊の初試合の実況は何が何でもやってやる、と意気込んでスケジュールを調整したのは言うまでもない。

 

 普段のランク戦と違い、C級隊員の姿はない。

 

 代わりに、観戦席には正隊員の面々がそこかしこに座っていた。

 

 協議の結果、解説と実況は許可するが、C級隊員の観戦は認めない、という結論に達した。

 

 というのも、この時期C級隊員は大規模侵攻に向けた研修を行う予定があり、そちらを優先したという事情もある。

 

 今のC級隊員は、B級に上がる芽すらなく燻ぶっている者が大半だ。

 

 つまり、大規模侵攻当日、正隊員の権利である緊急脱出機能の恩恵を、彼らは享受する事が出来ない。

 

 緊急脱出機能は画期的な機能ではあるが、作成コストがやや高い。

 

 際限なく提供できる資源、というワケでは決してないのだ。

 

 その為、緊急脱出機能は戦力として運用出来る者────────即ち正隊員に限定して実装している、というのが現状である。

 

 故に、C級隊員には自分で自分の身を護る為の最低限の心構えを身に着けて貰わなければならない。

 

 トリガーを一つしか持っていないC級隊員は戦力としてはカウント出来ない為、基本的に必要な知識を叩き込む形になる。

 

 緊急時の対応と必要な施設の使い方、状況に応じた動き方。

 

 それらを仮想空間でのシミュレーションを交えて教えるのが、今回の研修の目的である。

 

 尚、1月の新規入隊者にもまた同様の研修を実施する予定である。

 

 こういった理由で、C級隊員は今この場にはいない。

 

 故に、会場を包む空気は普段の熱気とは性質が異なる。

 

 観覧席に座る正隊員達は皆、一様に鋭い視線で試合が始まるのを今か今かと待ち望んでいる。

 

 心地良い緊張感が、会場を満たしていた。

 

「今回の解説には、風間隊の風間隊長と、嵐山隊の佐鳥隊員にお越し頂きましたっ!」

「「どうぞよろしく」」

 

 解説席に座るのは、風間と佐鳥。

 

 どちらも、A級として相応しい実力と知見を持つ熟練者である。

 

 佐鳥は広報部隊の嵐山隊出身である為多忙だが、この試合の為に何とかスケジュールを調整してやって来たのだ。

 

 何せ、この試合にはNO1狙撃手である当真やそれに次ぐ存在である奈良坂。

 

 更には、今期で目覚ましい活躍をした茜までいるのだ。

 

 狙撃手の初期組の一人としては、見逃す手はない。

 

 そう考えて、やって来た佐鳥であった。

 

「さて、今回の試合、お二人はどう見ますか?」

「そうだな。もしも那須隊と香取隊の一騎打ちであれば基本的に那須隊が勝つが、今回はA級部隊とのタッグ戦だ。お互い、組んだチームを上手く運用出来るかが鍵となるだろう」

「そうっすね。どっちも、厄介な部隊と組んでるしなー」

 

 佐鳥はそう言うと、まず、と話し始めた。

 

「那須隊が組んだ三輪隊は、狙撃手が二人いるからねえ。茜ちゃんと合わせれば、狙撃手が三人。丁度、荒船隊をそっくりそのままチーム内で抱えてるようなモンだからな。こりゃ相手にとってはキツイでしょう」

「そうだな。狙撃手三人の圧は、決して無視は出来ないだろう」

 

 そう、佐鳥の言う通り、今回那須隊の側には狙撃手が三人存在する。

 

 狙撃手複数人が狙撃位置に付いた場合の圧力の大きさは、荒船隊と戦った者であれば誰もが知るところだ。

 

 しかも、今回はそれに近接戦闘が可能な駒が複数追加されるのだ。

 

 更に、その駒の性質も厄介極まりない。

 

 単騎で戦場を攪乱出来る七海と那須、類稀なる連携能力で近接戦闘を制する三輪と米屋。

 

 この四人のエースに加え、要所要所で脇を固める射程持ちの熊谷もいる。

 

 有り体に言って、相手にとっては悪夢のような布陣と呼んでも差し支えないだろう。

 

「だが、香取隊と組んだ冬島隊も曲者だ。冬島隊は元々、狙撃手と特殊工作兵の二人チームでA級二位という地位を維持している異色のチームだ。当然、その脅威度は人数が少ないからと言って侮れるものではない」

「冬島隊長のスイッチボックスは、厄介っすからねー。まあ、試合が始まればその内分かると思いますけど」

 

 だが、冬島隊も厄介さでは負けてはいない。

 

 ボーダーでも数少ない特殊工作兵、冬島慎次。

 

 彼がいるという事は、戦場の前提そのものが異なるという事でもある。

 

 戦場そのものに、罠が仕掛けられる。

 

 その脅威は、実際に体感してみなければ実感は出来ない。

 

 そういう意味で、この上なく厄介なチームなのだ。

 

 そして、香取もまた爆発力という点では他の追随を許さない。

 

 粗削りな部分はあるが、その戦闘センスと得点能力は本物だ。

 

 彼女を十全に活かし切る事が出来れば、この上ない脅威となるだろう。

 

 確かに、狙撃手三人体勢の那須隊・三輪隊のチームは強力だ。

 

 されど、香取隊・冬島隊もまた、それに抗するに充分なものを持っている。

 

 この試合、一筋縄ではいかない。

 

 誰もが、そう予感していた。

 

「さあ、そろそろ時間ですっ! 全部隊、転送開始っ!」

 

 桜子の宣言で、二組二チームの部隊の転送が開始される。

 

 A級昇格試験、第一試合。

 

 その火蓋が、切られようとしていた。




 というワケで第一試験、開幕です。

 最近は連日更新出来て調子が出て来た。

 可能な範囲で更新速度は維持していきますね。


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香取隊・冬島隊①

 

『全部隊、転送完了』

 

 アナウンスが響き、四つのチームが戦場となる仮想空間へ転送される。

 

『MAP、『河川敷A』。時刻、『夜』』

 

 広がるのは、夜闇に包まれた河原。

 

 中央に大きな川を挟んだ、広い市街地。

 

 それが、今回の舞台であった。

 

 香取は目の前に広がる光景を見て、無言で拳を握り締める。

 

「行くわよ」

『ああ』

『うん、手筈通りにね』

 

 チームメイトの返答を聞き、香取はバッグワームを纏い走り出す。

 

 A級昇格試験、その第一試合。

 

 それが、遂に始まったのだ。

 

 

 

 

「さあ始まりました合同戦闘訓練STAGE1……ッ! MAPは河川敷A、天候は夜となりましたがこの状況はどう見ますか?」

「河川敷Aは、前期のランク戦で那須隊が好んで使用していたMAPだな。川を挟んで二つに分かれた地形は、唯一の橋さえ落としてしまえば相手を分断出来る。射撃メインの部隊にとっては、有利な場所と言える」

 

 だが、と風間は続ける。

 

「それは、あくまで()()の那須隊の話だ。今期からの那須隊は以前とは別物だし、戦術の方向性も若干異なる。那須隊の側が有利、とは言い切れないだろう」

「そうっすね。しかも今回の場合は、別の意味で那須隊側が割を食ったMAPかもしれないですね」

 

 佐鳥はそう言うと、一つの画面に視線を向ける。

 

 そこには、MAPの各隊員の配置図が示されていた。

 

西側東側
七海、米屋、熊谷、三浦、茜、奈良坂那須、香取、冬島、当真、若村、三輪、古寺

 

「西側に那須隊の、東側に香取隊の戦力が集中してるな。まあ、元々の人数差を考えれば妥当といったところだが」

 

 風間の言う通り、今回の試合はそもそも互いの人数差が大きい。

 

 那須隊と三輪隊は、共に四人チーム。

 

 合計すれば、8名。

 

 この形式の試合では、最大の人数となる。

 

 対して、香取隊は三人、冬島隊に至っては二人チームだ。

 

 合計しても、5名。

 

 更に戦闘員はそのうちの四名だけであり、冬島は直接戦闘は行えない。

 

 このような配置の偏りが生まれるのは、むしろ必然と言えた。

 

「那須隊側は、狙撃手が三人いる。その利を活かす形で荒船隊のような包囲射撃を展開すれば高い制圧力を持つが、狙撃手が一人対岸にいる現状ではそれは望めない」

「まあ、それも考え方次第ではありますけどね。両方の土手を狙撃で狙える、って事を考えれば案外悪くない配置かもです」

「だが、このMAPでは狙撃手は橋を渡り難い。これは後々響いて来るかもしれないぞ」

 

 風間の言う通り、このMAPは川で二つに分かたれた地形である為、対岸に渡る為には一つしかない橋を通るしかない。

 

 川の深さは腰程度である為強引に渡れなくはないが、何の準備もなく川に入れば動きの鈍った所を狙われて終わりだ。

 

 そして橋を渡るにしても、橋の状況は両方の土手から丸見えだ。

 

 身を隠すような場所もない以上、狙撃手が橋を渡る、という行動自体が自殺行為だ。

 

 しかも今回は、両方のチームにグラスホッパーを持った高い動能力を備えたエースが在籍している。

 

 つまり狙撃手は、場所が割れ次第速攻で落とされる危険があるという事だ。

 

 基本的にこの試合、狙撃手は対岸には渡れない、と考えた方が良いだろう。

 

 そうなると、当初想定されていた狙撃手三人がかりの包囲狙撃、といった手は使えなくなる。

 

 そういう意味では、那須隊に不利なMAPと言えなくもない。

 

「だが、那須隊には複数の射程持ちがいるしいざとなればグラスホッパーで川を渡る事も出来る。一概に、不利と決めつける事は出来ないだろう」

「そうっすね。有利不利なんてのは戦術次第で幾らでもひっくり返りますし」

 

 けど、と佐鳥は画面を見て目を細めた。

 

「────ちょいと、()が悪いかもっすね。もう、見つかっちゃったみたいだし」

 

 

 

 

「────見つけた」

「……っ!」

 

 東側、河原からやや離れた住宅地。

 

 そこで、那須は香取に捕捉されていた。

 

 何が悪いかと言えば、転送位置が悪かった、としか言えない。

 

 那須は香取と試合開始時に近い場所に転送されており、尚且つ彼女の周囲は身を隠す場所が少なかった。

 

 結果、転送場所の感覚から相手チームの居場所を探り当てたオペレーターの援護により、香取は那須を発見する事に成功したのだ。

 

 初期のランダム転送は、一定の間隔を空けて敵味方問わずに転送される。

 

 つまり、逆に言えば()()()()()()()()()()()を計測し、転送された誰かがいて然るべき場所に反応がなければ、そこにはバッグワームを使った敵チームの誰かがいる、という事になる。

 

 これはこの試合までに叩き込まれた戦術理論の一つであり、座学は昔から得意としていた染井が会得した技術でもある。

 

 指揮の負担から解放された染井はその能力をフルに用いて相手チームの人員がいるであろう場所を計測、割り出した場所を香取に伝え突貫。

 

 見事、那須を捕捉したワケである。

 

 ────────そこにいたのが七海以外の相手だったら、速攻で突っかかれ。仕留めるつもりでやっていい。ただし、場所を間違えるなよ────────

 

 無論、これは香取の独断専行というワケではない。

 

 冬島の指示を受け、双方共に納得づくで行われた作戦行動だ。

 

 香取はもう、以前の彼女ではない。

 

 この経験を己の血肉とする為。

 

 そして、何よりも因縁の(勝ちたい)相手に勝つ為に、全力でその刃を研ぎ澄ましている。

 

 香取(天才)の刃が、煌めく。

 

 その輝きは洗練され、より鋭いものへと昇華していた。

 

 

 

 

「ここで香取隊長、那須隊長に仕掛けた……っ! 転送位置が悪かったか、早くも隊長同士のガチンコだぁ……っ!」

「こりゃ、マズイかもっすね」

 

 桜子の実況を横で聞いていた佐鳥は、そう言って目を細めた。

 

 隣に座る風間も、そうだな、と佐鳥の意見を肯定した。

 

「那須は、確かに厄介な駒だ。あの機動力と自由自在に軌道を作れる変化弾(バイパー)は、集団戦ではこの上ない脅威だ」

 

 だが、と風間は続ける。

 

「那須本人は、決して1対1(タイマン)向けの駒じゃない。あいつの真価は、仲間との連携でこそ発揮されるものだ。1対1に特化した性能を持つ香取相手で仲間の援護なしの状況だと、正直キツいだろう」

 

 そう、確かに那須はランク戦に置いて厄介極まりない駒である事は言うまでもない。

 

 その機動力は他の追随を許さず、変幻自在のバイパーの脅威は言うまでもない。

 

 だが決して、1対1での戦いに適した駒とは言えない。

 

 那須の真骨頂は、その攪乱能力を活かした仲間との連携にある。

 

 縦横無尽に戦場を駆ける機動力と、あらゆる場所で活用できるバイパーは、仲間の援護にはこの上なく最適だ。

 

 されど、香取のようなエース級を相手に1対1で確実に勝てるかと言われれば、それは違う。

 

 B級中位までは村上という例外を除けばなんとかなったかもしれないが、生憎B級上位チームのエースはそこまで甘くはない。

 

 そして香取は、そのセンスと実力だけで香取隊を上位まで引っ張り上げてしまった傑物だ。

 

 戦術面はともかく、戦闘面での才能について香取は群を抜いている。

 

 これまではその才覚を燻ぶらせ続けていたが、その停滞は最早過去の事。

 

 今の香取は、単騎での戦力だけで言えば充分にA級へと上がる資格を持っている。

 

 決して、侮れる相手ではないのだから。

 

「同じく東側にいる三輪と古寺も、少し位置が遠い。このままだと、落ちるぞ」

 

 

 

 

「────」

「……っ!」

 

 香取が、スコーピオンを手に斬りかかる。

 

 狙うは、那須の首。

 

 短刀型に形成した刃を手に、住宅地を駆ける那須を追跡する。

 

「く……っ!」

 

 那須は、咄嗟に変化弾(バイパー)を射出。

 

 四方に分かたれた弾丸が、一斉に香取に襲い掛かる。

 

「うざい」

「……!」

 

 だが、香取はその包囲が完成する直前、グラスホッパーを展開。

 

 それを踏み込み、曲芸のような身のこなしで那須の弾幕の檻を抜ける。

 

 抜け出る時、香取の頬を弾丸が掠るが、有効打は一つもない。

 

 弾丸の檻を抜けた香取は、更にグラスホッパーを踏み込み那須に追い縋る。

 

「────!」

「ち……っ!」

 

 それを見た那須は、その場でメテオラを地面に叩き付け起爆。

 

 爆風で、香取の視界を塞ぐ。

 

「逃がすか……っ!」

 

 その隙に逃走を図った那須を、香取は迷わず追撃する。

 

 以前の、ROUND4の時とは違う。

 

 あの時は、那須に近付けもせず翻弄されるだけだった。

 

 けれど、今は那須は一人。

 

 援護する味方はなく、あの時のように豊富な足場があるワケでもない。

 

 何より、今の那須は迂闊には跳べない。

 

 あの時と違い、今は香取隊の側に狙撃手がいる。

 

 その狙撃手の位置が分からないまま迂闊に跳躍すれば、格好の的に成り下がる。

 

 幾ら機動力に長けた那須とはいえ、跳躍中の隙を消し切る事は出来ない。

 

 特にこの住宅街は、()()()()()()()()いる。

 

 結果、那須はあれだけの機動力を十全に活かし切る事が出来ず、香取を振り切れずにいる。

 

 このチャンスを置いて、那須を仕留める機会はない。

 

 香取は、そう結論付けた。

 

 故に、追う。

 

 但し。

 

 冬島の、()()()()にである。

 

「麓郎、準備は?」

『大丈夫だ。ある程度は()()()

「そう。じゃあ、手筈通りにね」

『了解だ』

 

 香取は若村の返答を聞き、那須に追い立てる為グラスホッパーを踏み込んだ。

 

 勿論、片手は空けた上でだ。

 

 まだ、どちらの土手にどのくらい那須隊側の狙撃手がいるか分からない。

 

 警戒するのは、当然の事だ。

 

 必要な警戒は怠らず、堅実に相手を追い詰める。

 

 今の香取は、一人の狩人。

 

 己の役割を理解した、天性の狩猟者。

 

 その刃が、全霊で那須を仕留めようと動いていた。

 

 

 

 

(マズイわね。このままだと、落とされるわ)

 

 那須は牽制のバイパーを撃ちながら、必死に逃走を図っていた。

 

 彼女は、誰よりも自分の弱みを理解している。

 

 即ち、彼女は攻撃手に寄られれば脆い、という事を。

 

 香取は万能手だが、その立ち回りは近接特化。

 

 懐に入られれば、那須に抵抗の術はない。

 

 那須の真骨頂は、中距離での射撃戦。

 

 それも、仲間との連携が前提となる。

 

 1対1で、しかもこの背の低い建物ばかりの地形では、真価を発揮出来ない。

 

 那須は攪乱を得意としているが、反面火力はそこまで高くはない。

 

 変化弾(バイパー)は、その応用力こそが武器。

 

 火力が乏しい以上、初見殺し以外の決定打に欠けるという弱点がある。

 

 もう少し複雑な地形なら幾らでもやりようがあるのだが、この隠れる場所の少ない住宅街ではやれる事にも限度がある。

 

 狙撃手さえいなければ空中機動でどうとでも出来たのだが、こればかりは仕方ない。

 

 狙撃手は、チームに存在するだけで相手の動きを縛る効果が期待出来る。

 

 七海のような狙撃が効かない特例はともかく、狙撃の圧がある以上迂闊に上に出れば狙い撃ちにされるだけなのだから。

 

 ちらりと、香取の姿を見据える。

 

 一度爆発で撒いたにも関わらず、彼女は那須に負けない速度で追って来ている。

 

 牽制の弾幕も、徐々に対処に慣れ始めていた。

 

 このままでは、香取に落とされるのも時間の問題だろう。

 

(この先の地形なら、何とか撒く事が出来るか)

 

 故に、有利な地形で戦う。

 

 それしか、この状況を脱する手段はない。

 

 幸い、この先には背の高い建物が立ち並んでいる。

 

 そこで射線を切り、一気に香取を引き離す。

 

 それが、この状況での最善手。

 

『那須先輩、もうすぐ例のエリアに入ります』

「分かった。ナビゲートお願い」

『了解しました』

 

 那須は小夜子の情報支援を受け、目的の場所に足を踏み入れる。

 

 此処なら、建物で射線を切る事が出来る。

 

 待ち望んでいた、有利地形。

 

「……っ! これは……っ!」

 

 だがそれは、相手にとっても容易に予測出来る事でもあった。

 

 那須が従えるキューブサークルの光に一瞬照らされた、建物の間に張り巡らされた()()()

 

 ワイヤートリガー、『スパイダー』。

 

 それが、那須の飛び込んだ路地に展開されていた。

 

(誘い込まれたのね……っ!)

 

 そう、香取は最初から、この場所に那須を追い込む気でいたのだ。

 

 チームメイトが張った、罠の巣に放り込む為に。

 

 これでは、空中機動どころではない。

 

 夜の闇の中、真っ黒に塗装されたワイヤーを見分けるのは難しい。

 

 この状態での機動戦など、以ての外だ。

 

 故に。

 

「────メテオラ」

 

 判断は、一瞬。

 

 那須は、即座にその場でメテオラを展開。

 

 ワイヤーを、建物ごと吹き飛ばしにかかった。

 

 確かに、スパイダーは厄介なトリガーだ。

 

 見え難いワイヤーを閉所に張り巡らせれば、それだけでこちらの動きが大部分封じられる。

 

 そして、味方にだけ見え易く出来るというスパイダーの性質上、敵にとっては妨害となり、逆に味方にとっては空中機動の為の()()として活用する事が可能だ。

 

 十中八九、香取はその為の訓練を行っている。

 

 身動きが碌に取れない中、ワイヤー機動を行う香取を相手にするなど御免被る。

 

 だからこそ、那須はワイヤーを吹き飛ばしにかかったのだ。

 

 迂闊に射出すれば、思いも依らぬ場所でワイヤーに当たり起爆する恐れがある。

 

 故に。

 

 那須はシールドを張り、その場でメテオラを起爆した。

 

 まずは周囲のワイヤーを吹き飛ばし、再度メテオラを撃ち込んで纏めてワイヤーを排除する。

 

 既に、香取は目の鼻の先まで迫っている。

 

 迷っている時間はない。

 

 即断即決。

 

 ノータイムで、起爆を実行した。

 

 

 

 

「よしよし、上出来だ」

 

 それを、待っていた者がいた。

 

 当たる弾しか、撃たない。

 

 そのポリシーは、逆に言えばその状況に至るまで幾らでも潜み待ち続ける事が出来る事を意味している。

 

 彼は、当真は、ビルの屋上から下に向かってイーグレットを構え、その引き金を引いた。

 

 

 

 

『……っ! 那須先輩、上です……っ!』

「……っ!?」

 

 それに気付いたのは、小夜子。

 

 この場で、シールドを張りその場に留まった状態で両手を塞ぐ危険性。

 

 それに気付いた小夜子の声により、那須は咄嗟に身を捻った。

 

 結果、頭上から彼女の頭を狙った弾丸は狙いが僅かに逸れ、彼女の右足を貫いた。

 

 吹き飛ばされる、那須の右足。

 

 致命は、防いだ。

 

 だが、彼女の最大の武器である機動力は、この一撃で失われた。

 

「…………失敗したわね」

 

 路地の入口に、香取の姿が見える。

 

 そして、ビルの屋上には未だ当真がイーグレットを構えてこちらに狙いを定めている。

 

 メテオラの起爆で近くのワイヤーこそ吹き飛んだが、機動力が失われた以上最早那須には逃げる足がない。

 

 万事休す。

 

 試合の序盤で、早くも那須は追い詰められていた。





 戦術行動が出来る香取はヤバイ。

 この試合は、それを実感して貰おうと思います。

 二回叩き折られてようやく本番、という所ですね。


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香取隊・冬島隊②

 

「当真隊員のスナイプが炸裂……っ! 香取隊長がワイヤー地帯に追い込んだ那須隊長の足を、狙撃で吹き飛ばしたぁ……っ!」

「機動力が死んだな」

 

 風間は状況を見て、淡々とそう口にした。

 

 鋭い視線で、画面に映る片足を失った那須の姿を見据えている。

 

「那須の持ち味は、その機動力とバイパーのリアルタイム弾道制御の合わせ技による回避・攪乱能力だ。足が死んだ以上、那須の脅威は著しく減衰したと言っても過言じゃない」

「味方が近くにいるならともかく、孤立無援っすからね。正直、此処から立て直すどころか生き延びるのも厳しそうっすよね」

 

 無情だが、事実でもある。

 

 現在、那須は地上では香取に追い込まれ、頭上からは当真に狙われている。

 

 その上、彼女の最大の武器である機動力(あし)が死んでいる。

 

 加えて、今の彼女は孤立無援。

 

 仲間の援護が期待出来ない以上、香取と当真の二人相手に生き延びる事はほぼ不可能だ。

 

 彼等の見立ては、まず間違っていないだろう。

 

 この配置ばかりは、転送運が悪かった、という他ない。

 

「しっかし、那須さんも運がないっすね。転送運が悪過ぎたってどこじゃないっすよ」

「いや、それだけとも言い切れない」

 

 だが、風間の意見は違う。

 

 風間は鋭い視線で、画面の中の那須を見据えた。

 

「確かに、転送運が悪かった事もあるだろう。だが今回、那須は明確なミスを冒している」

「ミス、ですか?」

 

 ああ、と風間は頷く。

 

「安易に、自分が有利となる地形に向かった事だ」

 

 それが那須の失敗だったと、風間は語る。

 

「以前までの香取隊ならばともかく、今回の香取隊はきちんと戦術行動が出来ている。ならば、()()()()()()()()()()に罠を張るのは当然の事だとは思わないか?」

「…………ま、確かにね」

 

 風間の意見を、佐鳥もそう言って肯定した。

 

「那須さんは、割と地形によって戦闘力が左右される駒だ。だから、那須さんが有利に戦える複雑な地形で戦おうとするのは当然と言えば当然っすけど、それは()()()()()()()()()()()()でもある」

「そうだ。厄介な駒が向かう場所が分かっているなら、そこに罠を張れば良い。そして今回、香取隊は以前同様スパイダーを持ち込んでいる。これも、前回の戦いを思い起こせば容易に分かる筈だ」

 

 そう、前回香取隊が那須隊と戦ったROUND6で、彼らはワイヤートリガー『スパイダー』を既に使用している。

 

 スパイダーは、那須や七海の妨害としてこの上なく有効に働くトリガーだ。

 

 それを今回も使用して来るであろう事は、簡単に予想出来た筈なのだ。

 

「結果、那須は炸裂弾(メテオラ)でワイヤーを吹き飛ばそうとして隙を突かれた。些か、軽挙ではあったな」

「ま、いきなり香取隊長に見つけられて焦ってたのかもしれないっすからあんまし責められないっすけどね」

「イレギュラーは、戦場では日常茶飯事だ。そういった状況に対処する事も、必要な技能である事に違いはない」

 

 風間はそう言って、辛辣な言葉で締め括る。

 

 彼から見ても、今回の那須の対処は転送運が絡んだとはいえお粗末なものに映った。

 

 この程度の酷評は、当然と言える。

 

(だが、あの二宮まで倒した那須隊が、こんな軽挙を今更するのか? 今俺が言った事程度は、那須とて理解している筈。以前の未熟さも、今は払拭されている筈だ)

 

 けれど同時に、風間はこの展開に違和感をも感じていた。

 

 なんというか、あまりに対処が()()()()()()のだ。

 

 以前の、ROUND3の時までの那須なら、充分有り得ただろう。

 

 だが今の彼女は、二宮隊すら上回った那須隊の、立派なエースである。

 

 その彼女が、此処まであからさまな罠に引っかかるだろうか?

 

(当真の狙撃が来た事自体は、恐らく予想外だった筈だ。だが、ワイヤー地帯に踏み込んだ時の対処に()()()()()()()()。あの動きは、初めから決めていた行動を取る時のそれに見えたな)

 

 そして、疑問はまだある。

 

 那須はワイヤー地帯に踏み込んだ時、ほぼノータイムでメテオラを使用している。

 

 結果的にそれが仇となったが、あの迷いのなさはまるで予め決められていた行動を条件反射で行ったように見えた。

 

 それこそ、()()()()だと言わんばかりに。

 

(それに、あの時の那須は狙撃に気付いた直後もメテオラの起爆を()()()()()()。まるで、それこそが最優先事項であるかと言わんばかりに)

 

 まさか、と風間は思案する。

 

(この展開は、ある程度()()()だったのか? だとすると、あいつらの狙いは────)

 

 

 

 

「もしも七海先輩以外の人が孤立した状態で相手に捕捉された場合、そのまま罠に敢えて突っ込んで下さい。理想で言えば、那須先輩か熊谷先輩が望ましいですね」

 

 それは、この試合が始まる直前。

 

 小夜子が皆に示した、序盤の行動方針だった。

 

 三輪隊の面々は献策はしないという条件で此処にいる為、頷くのみ。

 

 ちなみに、三輪隊(男性)の面々の顔が見えないように小夜子は物陰から語り掛けていた。

 

 小夜子の男性恐怖症は相手の姿を見るか声を聴くと症状が出る為、こうしておけば辛うじて発症はしない。

 

 七海以外の男性と共闘する為の、小夜子なりの苦肉の策であった。

 

 そして名前を挙げられた那須は、動揺するでもなく確認として小夜子に尋ねた。

 

「…………それは、ワイヤーを張る相手を炙り出す為?」

「そうです。ぶっちゃけ、それが出来れば囮になった人は死んでも構いません。いえ、出来ればその相手を道連れに出来ればベストですね」

 

 何せ、と小夜子は続ける。

 

「スパイダーは、私達にとって明確な特攻トリガーに成り得ます。七海先輩や那須先輩は機動力が制限されますし、茜も転移先でワイヤーに引っかかった、なんて事になったら目も当てられません」

 

 ですので、と小夜子は続ける。

 

「多分、相手は那須先輩が向かいそうな所にワイヤーを張って待ち構えている筈です。そして序盤であれば、その場所以外にワイヤーを仕掛けている可能性はかなり低い」

 

 そして、と小夜子は顔を上げた。

 

()()()()()()は、十中八九その近くにいる筈です。だから、何が何でもその相手を炙り出して仕留めて下さい。適度にピンチになって、適度に粘るのがベストですかね」

 

 

 

 

(…………なんて、小夜ちゃんは言ってくれたけど、これはキツいわね)

 

 那須は路地の入口に立つ香取と、ビルの上に陣取る当真を見据えながら、思わず顔を顰めた。

 

 罠に自ら飛び込むのは、当初の予定通り。

 

 だが、足を失うのは少々予定外ではあった。

 

 まさか、既に狙撃手まで配置が完了しているというのは、予想していた中ではかなり悪い展開に当たる。

 

 メテオラの起爆を強硬する為に()()()()()()()()事になったのも、それに拍車をかけていた。

 

 那須はあの瞬間、直感したのだ。

 

 此処で起爆しなければ、もうメテオラを爆破する余裕はないと。

 

 後の事を考えれば、この場でのメテオラ起爆は必須事項。

 

 何が何でも起爆させなければならない、そういう展開だった。

 

 だからこそ、足を捨ててでもあの場での起爆を強硬した。

 

 そうしなければ、()()()()()()()()()と悟ったが故に。

 

 数瞬の膠着状態の後、那須は立ち上がる。

 

「行って」

 

 立ち上がった彼女の周囲に、キューブサークルが展開。

 

 そして、即座にそれが分割され、香取と当真に向けて一斉に射出された。

 

「……っ!」

「うお……っ!」

 

 その数は、どう見ても片手分で足りるものではない。

 

 両攻撃(フルアタック)

 

 防御すら捨てた、全力攻撃。

 

 それを、二方向に向けて撃ち放った。

 

 今の那須は、回避も防御も碌に出来ない。

 

 故に、守勢に回った瞬間押し込まれて負ける。

 

 ならば、取れる手段は一つ。

 

 徹底的な、波状攻撃。

 

 それしか、今の那須が延命する手段はなかった。

 

 香取は、シールドを張って路地から撤退。

 

 そして当真は、シールドを張りながらその場から後退した。

 

 無論、これで終わりはしない。

 

 那須は即座に次のキューブサークルを展開し、再び二方向に向けて射出。

 

 香取と当真に、追撃をかけた。

 

 これが、最適解。

 

 少なくとも、当真からの狙撃はこれで防げる。

 

 牽制まで入れて来ればまだ分からないが、「それはない」と奈良坂から断言されていた。

 

 ────────当真さんは、()()()()()()()()()()()()。当たる弾しか撃たないなんてポリシーを、あの人は有言実行してるからな────────

 

 奈良坂にしては珍しく、感情的に断言していた。

 

 当真は、牽制の弾は絶対に撃たないと。

 

 ────────あの人は、当たる弾────────いや、弾が当たる状況じゃなければ、絶対に引き金を引かない。言うなれば、そういう状況が来るまで待つのがあの人のスタイルなんだ────────

 

 当たる弾しか撃たないという事は、弾が当たる状況までは幾らでも待つ、という事を意味している。

 

 奈良坂の話では、当真は自分の狙撃で相手を仕留める事に、強い執着を持っているらしい。

 

 故に、牽制の弾というものを軽視────────というか、蔑視しているらしい。

 

 そのあたりがチームワーク重視の奈良坂とは噛み合わないらしいが、そこはそれ。

 

 ともあれ、牽制の弾を撃って来ないというのならば、それを利用するだけだ。

 

 既に、当真の居場所は捕捉している。

 

 位置の知れた狙撃手は、さほど恐くはない。

 

 弾が飛んでくる方向が分かり、尚且つ牽制の弾を撃って来ないというのならば。

 

 対処は、容易だ。

 

 攻撃を続けて、狙撃体勢に入らせなければ良い。

 

 既に、小夜子によってこの場の地形解析は終わっている。

 

 当真が屋上にいる限り、波状攻撃を止める手段はない。

 

 もしも屋上から飛び降りて来るようなら、狙い撃ちにするだけだ。

 

「────」

「く……っ!」

 

 そして、香取に対しての対処も単純だ。

 

 幸い、この路地は狭い。

 

 故に、路地に入れば、容易に集中砲火が可能となる。

 

 適時バイパーとアステロイドを撃ち分けていけば、香取は容易には接近出来ない。

 

 香取も拳銃型のトリガーを持っているが、射程はこちらが上だ。

 

 ならば、香取が拳銃を撃つ暇がないように、攻撃を続ければ良い。

 

 那須はじりじりと路地の奥へ後退しながら、両攻撃(フルアタック)を続ける。

 

 今のところ、当真からの狙撃も、香取からの銃撃もない。

 

 延命は、現状上手くいっていると言えた。

 

(まあ、あくまで()()に過ぎないんだけど)

 

 そう、これはあくまで()()

 

 今の那須には、逃げる為の機動力(あし)がない。

 

 そして、この東側には相手チームの戦力が集中している。

 

 今は膠着状態を作る事に成功しているが、増援の一人でも来ればあっという間に崩れ去る脆い均衡でもある。

 

 ()()()()()、この防戦を演出しているのであるが。

 

 誰か一人でも、追加の戦力を投入すれば那須は落ちる。

 

 そう思わせる為に、この状況を作り上げたのだ。

 

 香取隊の、増援。

 

 それこそを、那須は狙っていた。

 

 この場合、増援として来るのであれば誰か。

 

 間違いなく、この場にワイヤーを張った若村か三浦である。

 

 香取はトリガーをフルセットしている為、それを崩してまでスパイダーをセットするとは思えない。

 

 スパイダーは、サポーターの二人がセットしていると考えた方が自然だろう。

 

 そして試合開始からの経過時間から考えて、そのワイヤーをセットした隊員は必ずこの近くに潜んでいる。

 

 那須という、厄介極まりない駒を速攻で排除できる可能性があるこの局面。

 

 そこに戦力を集中させない理由は、皆無だ。

 

 十中八九、その相手はこの近くにいる。

 

 ここぞという時に、那須を追い込み仕留める為に。

 

 那須は、それが出て来るのを待っている。

 

 たとえ此処で落ちたとしても、ワイヤーの仕掛け人(若村か三浦)を倒す為に。

 

「うざったい……っ!」

 

 そんな折、業を煮やした香取が、シールドを張りながら路地に踏み込んだ。

 

 当然、那須は香取へ攻撃を集中。

 

 屋上へ向ける変化弾(バイパー)は最低限の数に絞り、残る全てを香取に向けて叩き込む。

 

「無駄だってのっ!」

「……っ!?」

 

 その射撃に対し、香取は近くの壁を蹴り跳躍。

 

 更にグラスホッパーを展開し、踏み込み屋上近くまで跳び上がる。

 

 そして、中空を蹴り────────否、残っていたワイヤーを足場に、ジグザグな軌道で那須に対し肉薄。

 

 スコーピオンを手に、那須に斬りかかる。

 

「く……っ!」

 

 香取の急襲に対し、那須はその場でグラスホッパーを展開。

 

 残っていた左足で踏み込み、大きく後ろに跳んだ。

 

「しゃらくさいっ!」

「……!」

 

 だが、香取の追撃は止まらない。

 

 那須と同じようにグラスホッパーを起動した香取は、ジャンプ台トリガーの加速を用いて追撃。

 

 一瞬で距離を詰め、空中で身動きの取れない那須に向かってスコーピオンを振り下ろした。

 

「────!」

「ちっ……!」

 

 那須は咄嗟に身体を捻り、回避を試みた。

 

 結果、香取のスコーピオンは那須の左腕を斬り落とす。

 

 だがそれは、致命傷ではない。

 

 致命傷ではないなら、反撃は可能。

 

 那須は即座にキューブを展開し、狙いを定める。

 

 香取は空中で腕を振り切った体勢であり、ほぼ密着状態である為シールドを張るには近過ぎる。

 

 返しの一撃で那須は落とされるだろうが、香取も痛打は避けきれない。

 

 必中。

 

 それが、確約された状況だった。

 

「ふん」

「え……っ!?」

 

 だが、香取のセンスはその状況すら覆す。

 

 香取は自分の腕の先にグラスホッパーを展開し、それを殴りつけた。

 

 結果、その反動によって香取の身体は吹き飛ばされ、那須のバイパーは一瞬遅れて香取のいた場所に着弾。

 

 弾丸は空を切り、地面を荒らすだけに留まった。

 

「ぐ……っ!」

 

 そして、路地に銃声が響き渡った。

 

 香取ではない。

 

 彼女は無理なグラスホッパーの移動の影響により、即座に攻撃に移る事は出来なかった。

 

 ならば、誰か。

 

 無論、路地の奥に潜んでいた()()の銃撃である。

 

 待ち望んでいたチャンスに、飛び出した若村。

 

 成る程、確かに那須は致命傷を負った。

 

 だが────。

 

「────やっと、出て来たわね」

 

 ────────この瞬間を、那須は待っていた。

 

 那須は若村を視認すると、身体の影に隠していた数発の弾丸を射出。

 

 若村に、那須の捨て身の弾丸が迫る。

 

「麓郎……っ!」

「うお……っ!」

 

 されど、それすら香取は対応する。

 

 いつの間にか接近していた香取が、グラスホッパーを遠隔設置。

 

 若村の足元に設置されたジャンプ台トリガーが、彼を強制的に頭上に向かって弾き飛ばした。

 

 結果、那須の最期の一撃は空を切る。

 

 間一髪、若村は那須の魔弾から逃れられた。

 

「馬鹿野郎っ、上だ……っ!」

「え……?」

 

 屋上から響く、当真の声。

 

 それにつられて頭上を見て、若村は顔を青冷めさせた。

 

 上空に、こちらに迫る無数の弾丸が見える。

 

 その弾丸の名は、変化弾(バイパー)

 

 那須が当真を狙うと見せかけて撃った、本命の弾。

 

 その弾丸は当真を狙わず、時間差で路地に落ちて来るように弾道を計算されていた。

 

 降り注ぐ、最後の魔弾。

 

 それが、若村を蜂の巣にせんと牙を剥く。

 

「「シールド!!」」

 

 されど、それを黙って見ている程、香取も当真も鈍くはない。

 

 二人がかりで遠隔シールドを展開し、若村へ降り注ぐ弾丸を防ぎ切った。

 

「…………仕留め切れなかったか」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声と共に、那須のトリオン体が崩壊し、光の柱となって消え失せる。

 

 それを確認した若村は安堵の息を吐き、自由落下に身を任せ────────。

 

「────────いいや、充分だ。よくやった、那須」

「え……っ!?」

 

 ────────その胴に弾丸を撃ち込まれ、黒い鉛のようなものを埋め込まれてその重みで地面に落下した。

 

「が……っ!」

 

 地面に落下した若村の首を、その銃撃の主が斬り落とす。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声と共に、若村の身体が吹き飛び光の柱となって消えた。

 

 そして、その光が晴れる。

 

 そこには、右手に弧月、左手に拳銃を構えた少年────────三輪が、鋭い視線で香取達を見据え佇んでいた。





 頑張ったなあ、工夫したなあ、いっぱい練習したんだろうなあ。

 だが残念、現実は無情。

 それだけで勝てるほど、ワートリは甘くないのです。

 特に今回、那須隊&三輪隊という分かり易いクソゲーだからね。

 それはそれとして、冬島隊も充分クソゲーの類だという事を忘れてはならない。


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香取隊・冬島隊③

 

「おーっと、これは大きく動いた……っ! 那須隊長が香取隊の連携攻撃により緊急脱出……っ! だが、撃破に貢献した若村隊員は三輪隊長の急襲により落とされた……っ!」

「成る程、これが狙いだったか」

 

 風間は桜子の実況を聞きながら、おもむろに頷いた。

 

「どうやら、那須が罠に飛び込んだのはわざとだったようだな。那須は最初から、()()()()()()()()だけに動いていた」

「ふむ、若村隊員をですか」

 

 そうだ、と風間は桜子の言葉を肯定する。

 

「那須は運悪く、敵に囲まれる状態で転送された。だが、そもそもその事自体を予想していたとしたらどうだ?」

「転送運が悪くなると予想していたって事ですか」

「ああ、予想、というより推測だな。那須とは限らないが、那須隊側は誰かが孤立する展開はある程度予測していた筈だ」

 

 何故なら、と風間は説明する。

 

()()()がある。那須隊の側は8人、香取隊の側は5人。この人数差ならば、ある程度偏った転送結果になる可能性が高い。まだ相手チームに見つかってはいないが、三浦も那須と同じく孤立無援の状態になっているしな」

 

 そう、那須隊・三輪隊と香取隊・冬島隊ではそもそも人数に差がある。

 

 故に、MAPによっては偏った配置────────即ち、敵陣の真っただ中で孤立するなどの可能性が充分考えられる。

 

 そう考えれば、チームメイトの孤立は予測可能な展開だったワケだ。

 

「だから、その前提で策を用意していた。それが、敢えて罠に飛び込む事で落としたい駒を引きずり出す、というものだ」

「落としたい駒、ですか。それは、若村隊員であれば落とし易いから、という意味でしょうか?」

「それもあるが、一番はこの試合で若村が那須隊にとって厄介な存在であったからだ」

 

 え? と疑問符を浮かべる桜子に対し、風間は説明を続ける。

 

「確かに、若村は一個人としての戦闘能力はそう高くない。視野もそこまで広くはなく、援護能力にも粗が目立つ。1対1で戦えば、那須隊にとっては苦も無く倒せる類の相手だろうな」

 

 だが、と風間は続ける。

 

「戦闘能力が低いからといって、部隊に貢献出来ないという事にはならない。今回の試合、若村は重要な役割を担っていた。()()()()()()()()、という役割をな」

「あ……っ!」

 

 そう、この試合に置ける、スパイダーの設置係。

 

 それが、若村だ。

 

 風間の言う通り、若村はB級上位の他の面々と比べれば単体では脅威となる駒ではない。

 

 だが、ワイヤーの設置という役割に徹するならば、無視出来ない相手に変貌するのだ。

 

 ワイヤーを設置するのに、戦闘能力の多可は関係がない。

 

 どれだけ弱かろうと、たとえトリオンが低かろうと、適切な場所にワイヤーを設置する事が出来ればそれで良いのだから。

 

「那須隊にとって、スパイダーはこの上なく厄介なトリガーだ。七海と那須は機動力が制限されるし、ただでさえ攻撃に特化した香取の動きが飛躍的に向上する。ワイヤーの広域な設置は、なんとしてでも避けたかった筈だ」

「だから、エースである那須さんが囮になってでも若村を釣り出した、って事っすね。今の若村には、それだけの価値があったって事です」

 

 故に、今回の試合で若村を落とす事には、重要な意味があった。

 

 曲がりなりにもエースの一人である那須を、使い潰しても構わないと判断する程に。

 

 戦いは、強い方が勝つのではない。

 

 戦略だろうが、戦術だろうが、()()()()()()()()()()()()()()が勝つのだ。

 

 個人の実力程度、戦術で幾らでもひっくり返る。

 

 重要なのは最終的に勝利を掴む事であり、高い実力の者がいるかどうかではない。

 

 無論、強力なエースを擁するチームが強い事に変わりはない。

 

 だが、()()()()()()では戦いは勝てはしない。

 

 それは、以前の香取隊が証明している。

 

 幾ら強いエースがいたとしても、まともな戦術一つ取れないようでは安定した勝利など望める筈もない。

 

 以前の若村であれば、香取のついでとして落とされていただけだろう。

 

 けれど、今は違う。

 

 若村はチームの一員として、しっかりと貢献している。

 

 だからこそ、最優先で狙われたのだ。

 

 結果として落とされはしたが、逆に言えばその存在を以て那須に捨て駒になる事を強いる事が出来たとも言える。

 

 その戦果は、無駄ではない。

 

 少なくとも、以前の彼には出来なかった事なのだから。

 

「だが、那須も流石だな。あそこまで粘った事で、三輪の到着するまでの時間を稼ぐ事が出来た」

 

 それに、と風間は告げる。

 

「最後のバイパーの二段攻撃も、三輪の奇襲を察知させない為の隠れ蓑として機能した。あれがなければ、あそこまでスムーズに若村を落とす事は出来なかっただろう」

「そうっすね。成功すればそれで良し、そうでなくても目晦ましになる。いやあ、考えられてるっすねえ」

 

 二人の言う通り、あの上空からのバイパーの攻撃は、三輪が攻め込む為の攪乱として機能した。

 

 捨て身の弾丸を囮にした上での、本命の一撃。

 

 そう思わせる事が出来たからこそ、その次にやって来る本当の真打ち────────三輪による奇襲を、隠し通す事が出来た。

 

 那須は、三輪が近くまで来ていた事に気付いていた。

 

 だからこそ、上空からの射撃という目立つ方法を取ったのだ。

 

 三輪と、攻撃のタイミングを合わせる為に。

 

 人は、危機を脱したと思った瞬間こそ最も油断する。

 

 その隙を突く形で、三輪は若村を仕留めたのだ。

 

 三輪の扱う鉛弾(レッドバレット)は、シールドをすり抜ける。

 

 幾らシールドを広げようが、逆に集中しようが、鉛弾は防げない。

 

 更に、三輪の鉛弾はA級特権で改造した特注品だ。

 

 通常の鉛弾と違い、()()()()()事が出来る。

 

 つまり、バッグワームを着たまま撃ち込む事も可能なのだ。

 

 自分の手札を有効活用した、鮮やかな奇襲と言えるだろう。

 

「これで、香取隊側の主戦力が集った東側からスパイダーを設置する者がいなくなった。那須隊側は、格段に動き易くなったと言えるだろう」

 

 それに、と風間は告げる。

 

「東側のもう一人も、配置に付いたようだ。あの二人を相手にするのは、骨だぞ」

 

 

 

 

「おっと」

 

 当真は軽く顔を逸らし、飛来した弾丸を回避する。

 

 スコープ越しにその方角を見れば、離れたビルの屋上でこちらを狙う古寺の姿がある。

 

 どうやら、今の一発は牽制。

 

 三輪と香取の戦いに介入させない為の、脅しのつもりだろう。

 

「やれやれ、当たらない弾を撃つとか理解出来んが、このままじゃ撃てねぇのも確かだな」

 

 当真は軽くおどけると姿勢を低くさせ、スコープ越しに古寺と睨み合う。

 

 この場を離れたいところだが、残念ながら当真はさほど運動センスが良いとは言えない。

 

 トリオン体なので膂力は上がっているが、生来の運動センスはトリオン体の動きにも影響を及ぼす。

 

 ぶっちゃけると、弾丸を回避しながら自在に移動するような曲芸は、当真には出来ない。

 

 それに、此処で当真が逃げ出せば、古寺に狙撃場所を変える時間を与える事になる。

 

 折角見つけた狙撃手の居場所を見失う事態は、出来れば避けたいところだ。

 

 故に、当真と古寺はスコープ越しに睨み合う。

 

 「そこから動くな」と、言外のメッセージを伝え合ったが故に。

 

 狙撃手同士が、睨み合う。

 

 古寺は、冷や汗をかきながら。

 

 当真は、不敵な笑みを浮かべながら。

 

 無言の冷戦が、屋上では始まっていた。

 

 

 

 

「ちっ」

 

 香取は、対峙する三輪を見て思わず舌打ちする。

 

 難敵の出現に、香取は警戒を高めた。

 

 三輪とは、個人戦で一度だけやり合った事がある。

 

 その時は、あろう事か接近戦で手も足も出ずに負けた事を覚えている。

 

 三輪は、弧月(カタナ)と銃の二刀流だ。

 

 そして、その拳銃からは片手撃ち可能な鉛弾が発射される。

 

 鉛弾はシールドでの防御が不可能であり、一つでも撃ち込まれればその重石で碌に身動きが取れなくなる。

 

 とりわけ、スピードアタッカーに属する機動力重視の香取にとっては致命的だ。

 

 もしも先程の若村のように胴に撃ち込まれれば、その時点で香取は戦闘不能になる。

 

 機動力を失ったスピードアタッカーなど、ただの的でしかないからだ。

 

「けど、やるしかないか。()()、此処から逃げるワケにはいかないし」

 

 香取は左手に拳銃を構え、右手にスコーピオンを携えた。

 

 三輪も同様に左手に拳銃、右手に弧月を握った。

 

 香取の拳銃から、誘導弾(ハウンド)が射出される。

 

 それが、合図。

 

 近接万能手。

 

 ボーダーでも随一の格闘能力を持つ二人の戦いが、始まった。

 

 

 

 

「お、香取と三輪がぶつかったか。こりゃ見ものだな」

 

 観戦席に座る太刀川が、試合映像を見て面白気に笑みを浮かべる。

 

 最初から彼の好む熱い戦いを垣間見て、既にテンションが上がっているようだ。

 

 常々「想いの強さは関係ない」と言いながら、「熱い勝負は大好物」と嬉々として言う太刀川だ。

 

 那須の必死の粘りも、三輪の鮮やかな手並みも、香取と三輪のぶつかり合いも、彼にとっては楽しみの一つ。

 

 一進一退の攻防を行っている二人の戦いに、思わず上機嫌になっても不思議ではない。

 

「そっすね。でもぶっちゃけ、太刀川さんはあの二人のタイマンならどっちが勝つと思います?」

「順当に考えれば、三輪だな」

 

 出水の問いに、太刀川は平然とそう答えた。

 

「当真の援護があるなら話は別だが、今当真は古寺と睨み合いの真っ最中だ。そうなりゃ当然、三輪と香取の単純な地力勝負になる。香取も随分成長したが、三輪とは積み重ねた経験の()が違い過ぎるからな」

 

 三輪と香取は同じ近接万能手であり、潜在能力でいえば香取は充分A級クラスの素質を持っている。

 

 だが、その素質が磨かれ始めたのはつい最近だ。

 

 香取は、燻ぶっている期間が長過ぎた。

 

 確かに、ここぞという時の爆発力は驚異的だ。

 

 されどそれは逆に言えば、ここぞという時()()そのポテンシャルを発揮出来ない。

 

 安定して高い実力を発揮する三輪と比べると、どうしても分が悪い事は否めない。

 

 自身の実力を、必要な時に自分の意思で引き出せるか。

 

 これが、高位の実力者とそうでない者を隔てる壁でもある。

 

 香取が言う「上級者の壁」というものがあるとしたら、まさにこれだ。

 

 彼女は未だ、自在に自分のポテンシャルを発揮出来る領域にまでは至っていない。

 

 数多くの戦いを経験し、自分自身に最適な戦闘方法を磨き抜いた三輪相手には、その差は致命的となる。

 

 特に、仲間の援護が望めない場合に置いては。

 

「此処に来て、那須がメテオラの起爆を強硬したのが響いて来る。ワイヤーを吹き飛ばされた以上、香取に地形的な有利はない。若村が落とされて三浦が西側にいる以上、ワイヤーの即時の追加も出来ないしな」

 

 そして、那須がメテオラの爆破を強硬した意味が此処で出て来る。

 

 那須が自分の身を省みず起爆を強硬した結果、あの場のワイヤーはほぼ吹き飛ばされた。

 

 つまり、三輪の移動を遮るものはなく、香取もまた三次元機動に使える足場はない。

 

 地形的な有利が、一つもなくなってしまったのだ。

 

 若村が生きていれば話は変わってたが、彼は三輪によって落とされた。

 

 狙撃手の当真も古寺によって抑えられている以上、香取は仲間が近くにいながら孤立無援の状態。

 

 那須は自らの犠牲を以て、逆に香取を追い込んで見せたワケだ。

 

「それに、そろそろ七海が橋に到着する。西端に転送されたから大分時間がかかったが、橋さえ渡れば七海が三輪に合流する。そうなりゃ、詰みだろうな」

 

 けど、と太刀川はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「果たしてあいつ等が、そこまで大人しくやられるタマかは疑問だがな」

 

 何せ、と太刀川は告げる。

 

「────────今の香取隊は、強くなった。ありゃあ以前までとは、別物だぞ」

 

 

 

 

「これは……」

 

 七海は、目の前に広がる光景に言葉を失った。

 

 彼の前には、このMAPを東西に隔てる川にかかった鉄橋がある。

 

 この橋さえ渡れば、東側へと合流出来る。

 

 そうなれば、三輪と二人がかりで香取を追い詰める事が可能となる。

 

 香取隊側の戦力は、若村が落ちた現在香取・三浦・当真・冬島の四人。

 

 その中でポイントゲッターになれるのは、当真と香取だけだ。

 

 つまり、当真と香取の二人が落とせれば、香取隊側は得点能力を失う。

 

 それで、詰みだ。

 

 当真を落とせるかどうかは分からないが、最低限香取隊を全滅させればそれで勝負はつく。

 

 B級隊員(じぶんたち)がA級隊員を落とした時のボーナスポイントは惜しいが、場合によってはそういう手も有りだろう。

 

 もっとも。

 

 それは全て、東側に()()()()の話だが。

 

「ワイヤー、という事は、三浦か」

 

 ────────鉄橋には、無数のワイヤーが絡まっていた。

 

 ワイヤートリガー、スパイダー。

 

 その網が、鉄橋を塞ぐように所狭しと雁字搦めに張り巡らされている。

 

 しかも、それだけではない。

 

 そのワイヤーの先、橋の上にはこれみよがしに無数のトリオンキューブ────────十中八九メテオラが、等間隔で置かれていた。

 

 スパイダーは、置きメテオラと組み合わせる事で地雷としても機能する。

 

 恐らく、このワイヤーを考えなしに切断すれば、その瞬間メテオラの起爆により橋は落ちるだろう。

 

 橋を落とされたくなければ、此処を通るな。

 

 これは、そういう類の敢えて露わにしている罠だ。

 

 何が何でも、此処は通さない。

 

 そういう硬い意思が、この光景からは伝わってきた。

 

「やってくれるな、三浦────────いや、香取隊」

「────」

 

 七海は、視線を橋に向ける。

 

 そこには、橋を背にして弧月を構えた三浦が、冷や汗を流しながらも毅然とその場に立ち塞がっていた。





 てなワケで香取隊もやられてばかりじゃないのです、という事だね。

 二回折れた分、強度はそれなりに上がっている。

 成長したのは、香取だけではないのです。


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香取隊・冬島隊④

 

「すぐにそっちに行くのは難しい。すまないが、そちらを頼む」

『了解した』

 

 七海は三輪との通信を終え、視界の先に立ち塞がる三浦を見据える。

 

 三浦はワイヤーで雁字搦めにした鉄橋を背にするように立っており、その手に弧月を構えて七海と対峙している。

 

 睨み合ったのは、一瞬。

 

 七海は即座に、三浦に向かって駆け出した。

 

「旋空弧月ッ!」

 

 その凄まじい速度に辟易しながらも、三浦は回避ではなく迎撃を選択。

 

 旋空を起動し、弧月を振りかぶった。

 

 拡張斬撃、旋空弧月。

 

 長大化したブレードが、七海に向かって横薙ぎに振り抜かれる。

 

「────」

 

 旋空は、防御不能の切断力を持つ、ノーマルトリガーの中でも威力という点では他の追随を許さないトリガーである。

 

 シールドはおろか頑強なエスクードでさえ、旋空弧月の前には紙切れのように斬り裂かれる。

 

 故に、対処は回避一択。

 

 七海はその場で跳躍し、横薙ぎの旋空を回避した。

 

 連撃であればともかく、単発の旋空程度に当たるほど、七海は鈍くはない。

 

 そも、七海には感知痛覚体質(サイドエフェクト)がある。

 

 通常の速度の旋空であれば、感知して避ける事は造作もない。

 

 彼に旋空を当てるのならば、極論生駒旋空並みの凄まじい剣速か、太刀川クラスの連撃が必要となる。

 

「……!」

 

 だが、それは三浦とて承知の上。

 

 彼もまた、この旋空が当たるとは思っていなかった。

 

 三浦の目的は、一瞬の()()()()

 

 横薙ぎに振るった旋空に対処するには、跳ぶしかない。

 

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()を相手に強いる事が出来るワケだ。

 

 その隙に、三浦は跳び上がる。

 

 上空へ。

 

 否。

 

 己が張った、蜘蛛の巣(スパイダー)の上へ。

 

 即座に追撃をかけようとしていた七海の動きが、止まる。

 

 機動力が命である七海にとって、ワイヤー地帯は明確な死地だ。

 

 ワイヤーは見え難く、一度でも足を取られればそれが明確な隙になる。

 

 しかも、今回の時刻設定は『夜』。

 

 当然ワイヤーは黒塗りにされており、闇夜でそれを見分けるのは困難だ。

 

 グラスホッパーも、踏み込んだ先にワイヤーがあれば目も当てられない。

 

 以前の試合でも、香取と若村相手にワイヤー地帯で長時間の拘束を強いられたのだ。

 

 三浦がその中に入った以上、迂闊に飛び込むワケにはいかないのだ。

 

 なにより、どのワイヤーがメテオラの()()()()()()になっているか分からないのだ。

 

 雁字搦めにワイヤーを張られた鉄橋の中央に並ぶ、4つのトリオンキューブ。

 

 そのキューブには、ワイヤーの先端が突き刺さっていた。

 

 これは、スパイダーのもう一つの使い方────────ワイヤーを利用した、()()()()()()付きの置きメテオラである。

 

 置きメテオラは、メテオラをトリオンキューブの状態で設置し、外部刺激によって起爆して使う特殊な置き弾の一種だ。

 

 一定の範囲外になれば置き弾は遠隔制御する事は出来なくなるが、メテオラにはそもそも()()()()()()()()()()()という性質がある。

 

 より正確に言うならば、弾丸を覆うカバーが外れ大気と接触する事でメテオラは起爆する。

 

 言うなれば、今メテオラのキューブに突き刺さっているワイヤーは、()の役割を成しているのだ。

 

 蓋が外れる事で弾丸が大気と反応し、爆破条件が整う。

 

 つまりこのワイヤーが引き抜かれた瞬間、並べられた置きメテオラは起爆する。

 

 無論、等間隔に並べられた他のメテオラと()()しながら。

 

 置きメテオラは、複数個所に別れて設置されている。

 

 ご丁寧に、離れた場所の置きメテオラ同士はワイヤーに繋がっている。

 

 一つでも起爆すれば、確実に全ての炸裂弾(メテオラ)が爆破されるように。

 

 どれか一つ。

 

 あのワイヤーのうちメテオラに繋がっているワイヤーに衝撃を与えてしまえば、橋が落ちる。

 

 東側へ渡る事が、出来なくなる。

 

 香取隊の、思惑通りに。

 

「これは厄介だな……」

 

 七海は、思わず顔を顰めた。

 

 完全に、先手を打たれた。

 

 今の香取隊は、以前とは違う。

 

 その事を、七海は改めて思い知った。

 

 

 

 

「七海隊員、橋を渡ろうとするもそこには三浦隊員がワイヤーを仕掛けて待ち構えていた……っ! このままでは、橋を渡れないぞ……っ!?」

「良い手だな」

 

 風間は素直に香取隊の戦術に感心し、笑みを漏らす。

 

「那須隊の戦力の半分ほどが西側に偏っている現状、あの橋を抑える事は大いに意味がある。三浦が橋の近くに転送された事も幸いしたが、チャンスをしっかり活かした形だな」

 

 そう、三浦は試合開始時の転送の際、橋のすぐ傍に転送されていた。

 

 その有利を活かし、三浦は鉄橋にワイヤーを張る事を即断したのだ。

 

 よほど、練習を積み重ねたのだろう。

 

 三浦が鉄橋にワイヤーとメテオラを設置し終えるまで、さほど時間はかかっていなかった。

 

 そして三浦は、七海が到着するまでにワイヤー陣を完成させる事に成功したワケである。

 

「でも、何故三浦隊員はすぐに橋を破壊しなかったんでしょう? 那須隊側を西側に閉じ込めるついもりなら、すぐに破壊しても良かった筈では?」

「ところがそうでもない。確かに傍目から見ればそうかもしれないが、下手にもやりようがあるんだ」

 

 何故なら、と風間は続ける。

 

「七海には、グラスホッパーがある上にサイドエフェクトで狙撃も感知出来る。だから、七海に限定して言うなら橋の有無はあまり関係がないんだ」

「橋が落ちても、七海先輩なら渡れちゃいますからねえ。橋の瓦礫の位置によっては、グラスホッパーなしで移動出来ても不思議じゃありませんし、七海先輩に限って言うなら橋の破壊はあまり意味がないんです」

 

 でも、と佐鳥は続ける。

 

「七海先輩()()の人達にとっては、全然違います。橋が落ちれば狙撃手がいる中動きが鈍る川の中を渡るしかなくなりますし、奈良坂先輩や日浦さんに至っては狙撃手なので姿を晒すような真似は出来ません」

「橋が落ちれば那須隊側が困るのは、事実というワケだ」

「それなら、やっぱり橋を落とした方が良かったんじゃ……」

 

 違うな、と風間は桜子の言葉を否定する。

 

「そうなったらなったで、()()()()はあるんだ。狙撃が察知出来る七海に護衛させて川を渡る、という方法がな」

「あ……」

 

 そこで、桜子は気付く。

 

 確かに、動きが鈍る川を渡るのは難しい。

 

 だがそれは難しいだけであって、()()()というワケではないという事に。

 

「狙撃手の当真がいるのは、東側だ。そちらからの狙撃を感知出来るよう、七海を先頭にしてほぼ密着状態にでもなれば狙撃は七海が対処出来る。多少時間はかかるだろうが、川を渡る事は可能だろう」

 

 その難易度を大幅に下げるのが、七海の存在だ。

 

 七海はサイドエフェクトにより、狙撃を察知出来る。

 

 性質上味方への狙撃を直接感知出来るワケではないが、それならば味方への射線の間に七海を割り込ませれば良いだけの話だ。

 

 自分に当たる射線であれば、七海は感知する事が出来る。

 

 七海の背中にぴたりとくっつくように密着すれば、強行軍で川を渡る事が出来るだろう。

 

「やり方を変えれば、川を渡る事は出来る。それしかないとなれば、あいつ等は躊躇しないだろう」

 

 だが、と風間は続ける。

 

「橋が壊されていないなら、そちらを渡った方が良いのは当たり前だ。川を渡るよりデメリットは少なくなるし、何より機動力の高い七海を自由に動かせる────────だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という心理誘導をかける事が出来るワケだ」

「橋を渡れるなら、渡った方が手っ取り早いのは事実ですからね」

 

 それが、三浦の────────香取隊の、目的。

 

 確かに、橋がなければないでやりようはある。

 

 けれど、まだ橋が無事であるなら、出来る限り壊したくはないと考えるのが普通だ。

 

 彼等は、その心理を逆手に取った。

 

 ワイヤーと置きメテオラを設置し、まだ壊れていない橋を見せる事で、見事に橋を盾にする事に成功したのだ。

 

 三浦は若村同様、単体ではそこまで脅威となる駒ではない。

 

 若村よりも機転は利くし咄嗟の判断力も悪くはないが、エース級を相手にどうこう出来る実力を持っているかと問われれば否だ。

 

 彼の本分はサポートであり、正面切っての一騎打ちではない。

 

 七海とまともにぶつかれば、多少の時間稼ぎが出来るかどうかだろう。

 

 故に、まともではない状況を作り上げた。

 

 スパイダーを活かし、新たに加えた武器であるメテオラを持ち込む事によって。

 

 結果として、三浦は七海相手に時間稼ぎを行う事に成功している。

 

 画面の中では、ワイヤーの上から旋空を繰り出す三浦の姿と、回避に専念する七海の姿がある。

 

 流石の七海も、橋を盾にされた事で動きが鈍っているようだ。

 

 香取隊の作戦勝ち、と言っても過言ではないだろう。

 

「だが、埒が明かないようであれば七海が腹を決めて突っ込む可能性もある。此処でどれだけ時間を稼げるかが、今後の分水嶺になりそうだな」

 

 

 

 

「旋空弧月ッ!」

 

 三浦は中空に張ったワイヤーを足場としながら、旋空を放つ。

 

 狙いは、地上にいる七海の胴体。

 

 拡張されたブレードが、七海に向かって振り下ろされる。

 

 七海は、それを横に跳んで回避。

 

 その足に、力が込められる。

 

 次の瞬間、七海の身体は地を蹴り跳躍。

 

 三浦の下へ、一直線に跳び上がる。

 

「……っ!」

 

 三浦はすかさずワイヤーを蹴り、背後へと退避。

 

 ワイヤー陣の奥へと、その身体を飛び込ませた。

 

 このワイヤー陣の中にさえ入ってしまえば、七海は迂闊な攻撃は行えなくなる。

 

 どのワイヤーがメテオラに繋がっているか分からない以上、闇雲にワイヤーを切断するワケにはいかない。

 

 スパイダー単体ならば、幾らでも対処法がある。

 

 那須のようにメテオラで吹き飛ばすなり、弧月等のブレードで切断すれば良い。

 

 ワイヤーは攻撃に対しては脆弱であり、攻撃用のトリガーに触れるだけで簡単に千切る事が出来る。

 

 だから、ワイヤー地帯を作ったところで、メテオラで吹き飛ばせば何の意味もないのだ。

 

 そういう意味で、前回の試合────────B級ランク戦のROUND6のワイヤー戦術は、不完全だった。

 

 初見殺しの形でワイヤー地帯に誘い込めた事と、生駒旋空という超射程の技を持つ生駒が同じ戦場にいた事で、不用意なメテオラの使用を抑える事が出来た。

 

 そうでもしなければ、七海は躊躇なく周囲をメテオラで吹き飛ばしワイヤーを排除していただろう。

 

 メテオラの起爆範囲を完全に把握出来る七海にとって、至近距離でのメテオラの爆破を躊躇う理由はないのだから。

 

 だが、味方に狙撃手がいるこの試合では話が変わる。

 

 スパイダーの天敵は、メテオラだ。

 

 ワイヤー地帯を爆破されれば、折角張ったワイヤーは無為に終わる。

 

 されど、炸裂弾(メテオラ)を使えば()()()()()

 

 建物を破壊すれば、それだけ狙撃を通す為の道────────射線が、広がってしまうのだ。

 

 ワイヤー陣という不利な地形で戦うか、射線を広げて狙撃手の脅威と戦うか。

 

 その理不尽な二択を迫る事が出来る事こそ、ワイヤー陣の真骨頂と言える。

 

 ただし、この戦術は唯一七海にだけは通用しない。

 

 この試合に出ていない者も含まれば、影浦もであるが。

 

 七海と影浦のサイドエフェクトは、かなり似通っている。

 

 感情(敵意)痛み(ダメージ)

 

 それらを感知出来る彼等には、狙撃も不意打ちも通用しない。

 

 故に、彼等は狙撃を恐れる必要がない。

 

 射線が広がる事すら、彼等にとっては意味がない。

 

 その上、七海は基本のトリガーセットにメテオラを装備している。

 

 ワイヤーを張ったところで、躊躇なく吹き飛ばされて終わりだろう。

 

 だがそれは、あくまで()()()()であった場合の話である。

 

 この鉄橋に構築したワイヤー地雷陣は、人質の傍に爆弾を置く戦術に近い。

 

 此処を爆破されたくなければ、手を出すな。

 

 これは、そういう脅しを組み込んだ陣形である。

 

 爆破を防ぐのではなく、爆破を躊躇させる。

 

 発想の転換により、相手チームである意味最も厄介な駒である七海の足止めを可能にする。

 

 それが、この陣形のコンセプト。

 

 冬島から授けられた、渾身の戦術である。

 

 三浦は周囲のワイヤーの中から置きメテオラ(起爆スイッチ)に繋がるワイヤーを避けて移動する為、ちらりと後方を向いた。

 

 失敗出来ない。

 

 そんな不安から来る、一瞬の確認。

 

 されどそれは。

 

 至近に迫った七海(エース)相手に隙を晒す、愚行に他ならなかった。

 

「────」

「……っ!?」

 

 ────────悪寒を感じて咄嗟に身体を捻った三浦の右腕を、伸びたブレードが貫き裂いた。

 

 七海の姿は、未だワイヤー陣の外。

 

 だが、その腕から鞭のように伸びる刃が、ワイヤーを避けるように曲線を描きながら三浦の右腕に突き立っていた。

 

 その名は、マンティス。

 

 七海の師である影浦が得意とする、スコーピオンの発展形である。

 

 身体を捻るのが一瞬でも遅れていれば、間違いなく首を斬り落とされていただろう。

 

 ワイヤー陣(安全地帯)に逃げ込めば、攻撃されない。

 

 そんな思い込みを、七海(エース)は容易く食い破る。

 

(そうか、僕が通った場所にはワイヤーがないから……っ!)

 

 三浦は、すぐにそのカラクリを理解した。

 

 七海は、三浦が通った場所を通して彼にブレードを突き立てたのだ。

 

 ワイヤーは黒塗りして夜闇に紛れ、そう簡単には位置を見抜かれはしない。

 

 だが、確実にワイヤーがない場所はある。

 

 他ならぬ、三浦の()()()()だ。

 

 スパイダーは、味方にだけ見え易くする事が出来る。

 

 故に七海にとっては見え難い黒塗りのワイヤーだろうと、三浦にとっては可視のワイヤーでしかない。

 

 そして、自分の網に引っかかる間抜けはいない。

 

 故に三浦の身体が通った場所は、当然ワイヤーは存在しない。

 

 当然真っすぐ逃げるような愚は冒さなかった三浦だが、七海はその動きを観察し、移動経路を見抜いていた。

 

 だからこそ、七海はワイヤーに触れる事なく三浦にマンティスを叩き込む事が出来たのだ。

 

 これが、純粋なセンスと練度の差。

 

 凡人とエースとを分ける、境界線である。

 

 確かに、香取隊は強くなっただろう。

 

 以前と比べれば、別物と言って良い。

 

 されど、彼等が停滞している間にも、戦友達は己を磨く事を忘れなかった。

 

 その()()()()は、付け焼刃で覆るものでは決してない。

 

 積み重ねは、日々の鍛錬は、平等に嘘をつかないのだから。

 

「でも……っ!」

 

 失った右腕を庇うように、三浦はワイヤー陣の奥へと退避する。

 

 その眼は、諦観には塗れていない。

 

(諦める事は、もう止めたんだ。何が何でも、勝ってやる)

 

 三浦は、顔を上げる。

 

 そして、七海(強敵)を睨みつけた。

 

 力が足りない事は、承知の上。

 

 されど、諦めはしない。

 

 弱者が強者に勝てない通りなど、何処にもないのだから。





 三浦くん頑張るの回。

 スパイダーにメテオラを組み合わせた地雷は、原作ではレイジさんが使ってます。

 ランク戦でも相当有用なんで、使ってみました。

 メテオラは色々と悪用出来て楽しい。


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香取隊・冬島隊⑤

 

「油断したな」

 

 風間は開口一番、そう呟いた。

 

 鋭い切り口の言及に、桜子達は自然と耳を傾ける。

 

「ワイヤー陣の中に引き籠れば大丈夫、そんな意識が透けて見える。戦術自体は悪くなかったが、地力が戦術レベルに追いついていない。矢張り、付け焼刃は否めないようだな」

「それは単純に、三浦隊員の実力不足という事でしょうか?」

「違う。意識の問題だ」

 

 まず、と風間は前置きして続ける。

 

「さっきも言ったように、弱いからと言って部隊に貢献出来ないワケじゃない。若村も三浦も、この試合ではそのつもりで犠牲覚悟で自分の役割を引き受けていたんだろうからな」

「実際、那須隊長を早期に撃破するっていう快挙をやり遂げてますからねえ」

「ああ、そこは当然、評価すべきだろう」

 

 だが、と風間は告げる。

 

「それで自分達が強くなったと勘違いするのは、断じて違う。自分の実力を現実より高く見積もった者の末路は、決まって悲惨だからな」

「ま、自分の実力をきちんと正確に測る能力も必要って事っすね」

 

 そういう事だ、と風間は佐鳥の言葉を肯定する。

 

 自分の実力は、正確に把握しておくべし。

 

 これは、戦いにおける鉄則だ。

 

 自分に出来る事は何か、そして自分の実力を考慮して退くべきタイミングは何処か。

 

 これを正確に測れるようでなければ、兵士としては欠陥品だ。

 

 自分なんて、と自身を卑下してモチベーションを落とすのは論外だが、自分の実力を見栄や虚勢で高く見積もれば、待っているのは敗北の結末しか有り得ない。

 

 適材適所、という言葉がある。

 

 戦場は、ただ実力者が暴れればそれで良い、というワケではない。

 

 たとえ雑兵であろうと、きちんとした戦術の下運用すれば格上だろうと食い破れる。

 

 生の戦場とは、そういう場所だ。

 

 故に、戦場の趨勢を決めるのは実力者の働きではない。

 

 数の多い、雑兵の質と練度なのだ。

 

 無論、実力者がいればそれだけ目に見える戦果を獲得出来る。

 

 だが、実力者であろうと、サポート体勢が万全でなければ十全の力は発揮出来ない。

 

 そのサポートを行う者こそ、主戦力に成り得ない者────────即ち、雑兵の面々なのだ。

 

 与えられた役割をこなし、決して()()()()()()者。

 

 それが、エースをサポートするサポーターのあるべき姿なのだ。

 

 窮地に死に物狂いで抵抗する、それ自体は良いだろう。

 

 されど、決して目的を履き違えてはならない。

 

 彼等の本分はあくまでサポートであり、正面切っての戦闘でエースに敵わない事は純然たる事実なのだから。

 

 太刀川が、普段から散々言っている通りだ。

 

 想いだけで勝てるほど、勝負は甘くはない。

 

 それが、現実というものだ。

 

 今回は、香取隊の作戦が上手く嵌まっていた。

 

 犠牲は出たものの、概ね予定通りに戦況は推移していると言って良い。

 

 だからこそ、油断した。

 

 七海(エース)の対応力を、軽く見てしまった。

 

 失った右腕は、その正当な代価である。

 

「────────だが、今の一撃でどうやら目が覚めたらしい。此処からは、面白いものが見れそうだ」

 

 

 

 

『雄太、大丈夫かっ!?』

「大丈夫とは言い難いけど、なんとかするよ。そうでなくちゃ、葉子ちゃんにも申し訳が立たないしね」

 

 三浦は片腕を失った状態でワイヤー陣の中を移動しながら、若村にそう答えた。

 

 今のは、明確な己の失態だった。

 

 作戦が上手く嵌まっている事で良い気になり、あんな隙を晒してしまった。

 

 以前の香取隊であれば、香取に罵倒され、若村はパニックになり、染井はそれを傍観していただろう。

 

 だが、今は違う。

 

 反省は、後でも出来る。

 

 試合中に自己嫌悪に浸るのは、()()だ。

 

 何が悪かった、を考えるのではない。

 

 此処からどうすべきか、を常に考え続ける事が必要なのだ。

 

 それに気付いたのは、若村という反面教師がいたからでもある。

 

 若村は、香取と同じく直情傾向で、本人は認めないだろうが香取(天才)に対する劣等感がある。

 

 あれだけ香取に突っかかってばかりいたのは、自分の行けない高みにいる彼女への嫉妬心があった事は否定出来ないだろう。

 

 結果として試合中すら「誰が悪かったのか」という反省会をしてしまい、改善策の提案や現状の把握すらしないまま、ただ苛立ちを重ねて試合に臨んでしまっていた。

 

 何が悪かったのか、という気付きは重要だ。

 

 だがそれを元に改善策を提示出来ないようでは、何の意味もない。

 

 悪いところが分かっても、()()()()()()()()()()()()()()を考えなければただの罵り合いで終わってしまうのだから。

 

 これでは、幾ら香取が孤軍奮闘したところで勝てるワケがない。

 

 チームの足を引っ張っていたのは、自分達の方だった。

 

 その事を、あのROUND4の大敗で彼等は痛感したのだ。

 

 だから、努力した。

 

 もう手遅れと言う程に停滞していた自分達ではあるけれど、それでも出来る事はあると信じて。

 

 そうして迎えたROUND6の再戦では、以前よりはマシな戦いにはなった。

 

 けれど、勝てなかった。

 

 自分達には、何が足りないのか。

 

 足りないものだらけだけれど、その中でも最も足りないものは何か。

 

 その答えを真っ先に出したのは、当然のように香取だった。

 

 自分達には指揮が、戦術の練度が足りない。

 

 逆境に陥っても、それを立て直す対応力。

 

 それが、自分達には全く足りていなかった。

 

 そう結論付けた香取は、減点を覚悟で冬島に頭を下げた。

 

 自分達を指揮して欲しい、戦術を教えて欲しいと。

 

 あの事を香取から提案された時、目が覚める思いだった。

 

 悩んでいるのは、決して自分達だけではない。

 

 香取もまた、自分なりに葛藤し、我武者羅に上を目指し続けている。

 

 足掻いているのは、自分達だけではない。

 

 香取隊は、香取がいてこそのチームではあるが、決して彼女一人だけのチームでもない。

 

 香取がいて、染井がいて、三浦がいて、若村がいる。

 

 それが、香取隊。

 

 香取を中心に構築された、B級上位に在籍するチーム。

 

 果てのない上を目指し続けると誓った、掛け替えのない仲間達である。

 

 仲間の力になる為の努力は、惜しむつもりはない。

 

 失態は把握した。

 

 気を付けるべき事も理解した。

 

 後は、挑むのみ。

 

 あの七海(エース)に。

 

 自分一人では決して届かないであろう、高みに。

 

 弱者は弱者なりの勝ち方があるのだと、強者に示す。

 

 故に。

 

(全力で、足止めさせて貰うよ……っ!)

 

 目的は、変わらない。

 

 ただ全力で、此処で七海を足止めする。

 

 出来るだけ長く、こちらの仕込みが終わるまで。

 

 何が何でも、此処で凌ぐ。

 

 三浦はそう意気込んで、残った左腕で弧月を構える。

 

 弧月は基本的に、両手で構えて使った方が安定する。

 

 片腕しかないという状況は、重心が大きくズレる。

 

 故に、これまでのような機敏な動作は望めないだろう。

 

 だが、ないよりはマシだ。

 

 使えるものは、なんだって使う。

 

 そのくらいでなければ、七海には食らいつく事すら出来はしない。

 

「行くぞっ!」

 

 意気込み、跳躍する。

 

 三浦は弧月片手に、七海相手の時間稼ぎを再開した。

 

 

 

 

「ハッ!」

 

 三輪は拳銃から弾丸を放つと同時に、疾駆。

 

 弾丸を追いかけるようにして、香取に肉薄する。

 

 振るうは、右手の弧月。

 

 下段から振り上げるような形で、香取に刃を叩き込む。

 

「く……っ!」

 

 香取はその場でバックステップを行い、三輪の斬撃を回避。

 

 すぐさま右手のスコーピオンで、反撃を目論む。

 

「遅い」

「……っ!」

 

 だが、三輪は振り抜いた弧月を瞬時に逆手に持ち直し、逆向きに薙いだ。

 

 結果、刀身を横から斬り付けられたスコーピオンは破損。

 

 香取の攻撃は、失敗に終わった。

 

「……!」

 

 しかし、三輪の攻撃はまだ終わってはいない。

 

 いつの間にか向けられていた、左手の拳銃。

 

 そこから、香取の身体目掛けて至近距離で弾丸が放たれる。

 

 香取はそれを見て、グラスホッパーでの回避を選択。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、後方へと退避する。

 

「逃がすか」

 

 三輪はすぐさま、その場から疾駆。

 

 瞬く間に、香取へと接近する。

 

「しゃらくさい……っ!」

 

 香取は接近する三輪に向け、右手のスコーピオンを投擲した。

 

 されど、この程度で三輪の防御は崩れない。

 

 不意打ちのつもりで放ったそれは、三輪がほんの僅かに身体を捻るだけで回避された。

 

「今……っ!」

 

 だが充分。

 

 今の刹那ならば、三輪の動きは止まっている。

 

 後は、この弾丸(アステロイド)を叩き込むだけ。

 

 そう考え、香取は引き金に指をかける。

 

「甘い」

「……っ!?」

 

 ────────だがその引き金が引かれる前に、三輪の膝蹴りが香取の左手首を強打。

 

 握っていた拳銃は跳ね飛ばされ、銃撃は失敗に終わった。

 

「ち……っ!」

 

 悪寒を感じた香取は、すぐさまグラスホッパーを連続起動。

 

 三輪から距離を取って、路地の入口に着地する。

 

 見れば、香取が一瞬前までいた場所には鉄の塊のような重石────────鉛弾が、撃ち込まれていた。

 

 もしも距離を取るのが遅れていれば、あの重石を付けられてそのまま落とされていただろう。

 

 香取の天性の直感(戦闘センス)が、窮地を救ったと言える。

 

(ったく、ホント強いんだから。まだまだ、アタシが()か)

 

 油断なくこちらを見据える三輪を睨みながら、香取は心の中で愚痴る。

 

 弱気を口に出すような無駄は、今更しない。

 

 その程度の常識は、既に学んでいる。

 

 今対峙している相手は、そんな甘えが許されるような相手ではない。

 

 三輪秀次。

 

 彼は、香取にとって()()()()()を感じたうちの一人である。

 

 香取がB級に上がってからそのセンスに任せてポイントを荒稼ぎしていた頃、偶然ブースにやって来ていた三輪相手に挑んだ事がある。

 

 とうの香取は知る由もないが、その時の三輪は迅と出会った直後で気分がささくれ立っていた。

 

 故に、香取の幼稚な誘いに敢えて乗り、結果として香取を容赦なくボコボコにした。

 

 三輪は、特に派手な戦術を使ったワケではない。

 

 鉛弾もその時は使わなかったし、生駒旋空のような固有の技があるワケでもない。

 

 ただ、立ち回りがとにかく巧いのだ。

 

 戦闘が、洗練されている。

 

 ただ、そう感じた。

 

 相手の動きを視る力と、行動を予測する洞察力。

 

 不意打ちへの対応力と、正確な迎撃能力。

 

 安定した機動力と、優れた体幹バランス。

 

 そして、必要な一歩を踏み込む度胸。

 

 それら全てが、高いバランスで維持されていた。

 

 お手本のような上級者。

 

 それが、香取から見た三輪のイメージだった。

 

 ────────この程度か。無駄な時間だった────────

 

 対戦が終わった時、香取は確かにその呟きを聞いた。

 

 その時の、三輪の言葉を香取は忘れていない。

 

 三輪は恐らく、本当にただの独り言としてそれを言ったのだろう。

 

 相手を侮辱する意図はなく、ただ自分の思考を形にしただけ。

 

 本心が零れ落ちた、そんな呟きであった。

 

 当然、香取のプライドは大きく傷付けられた。

 

 隊に戻った香取は見るからに不機嫌で、いつもであれば香取に食って掛かる若村も、その時ばかりは沈黙を選んでいた。

 

 三輪とこうしてまともに顔を会わせるのは、その時以来になる。

 

 恐らく、三輪の側は香取の事など碌に覚えていないだろう。

 

 それが、香取は悔しかった。

 

 だから、対戦相手が那須隊と三輪隊のタッグだと聞いた時、香取はチャンスだと思った。

 

 以前の雪辱。

 

 それを果たす為の、絶好の機会であると。

 

 香取が減点覚悟の指揮権移譲に踏み切った理由の幾分かは、そういった事情もある。

 

 無論隊の事を考えた提案なのは確かだが、それはそれとして香取自身の私情も含まれていた。

 

 だから、こうして三輪と戦う事自体は香取の目論見通りではある。

 

(参ったわね。このままじゃ勝てないわ)

 

 けれど、改めて知る。

 

 三輪の実力を。

 

 A級の、高みを。

 

 正直、此処までとは思わなかった。

 

 香取は、今の自分ならそれなりに三輪に拮抗出来るのではないか、という期待があった。

 

 期待というより、願望と言っても良いのかもしれない。

 

 ともあれ、条件さえ整えばなんとかなると思っていた。

 

 だが、その期待は粉微塵に砕け散る。

 

 ハッキリ言おう。

 

 このままこの場で戦い続ければ、負けるのは香取の方であると。

 

 戦闘センス自体は、香取はボーダーでも随一のものを持っている。

 

 潜在能力(ポテンシャル)自体は、充分にA級クラスのそれを持っていると言っても過言ではないだろう。

 

 だが、その身に宿した経験の密度が違い過ぎる。

 

 努力を知らず、停滞から抜け出したばかりの香取。

 

 狂気すら感じるひたむきさで、片時も努力を怠らなかった三輪。

 

 同じ条件で二人が戦えば、()()()()の差で三輪が勝つ。

 

 それは、純然たる事実であった。

 

 停滞から脱した香取の力は、凄まじいスピードで向上している。

 

 実力だけを言えば、充分三輪に食いつく事が可能だろう。

 

 されど、経験の差までは覆せない。

 

 あと一歩の距離(しょうり)に踏み込む力。

 

 香取には、それが足りない。

 

 たかが一歩。

 

 だが、その一歩はあまりにも遠い。

 

 少なくとも、真っ当な手段で埋める事は不可能だ。

 

『────────香取隊員、準備は終わった。()()

「……! 了解……っ!」

 

 ────────ならば、真っ当ではない手段を取るだけの話。

 

 香取隊側の全員に届いた通信を聞き届け、香取はその場から跳躍する。

 

「……!」

 

 上から攻め込むつもりだと考えた三輪は身構えるが、香取は近くの室外機の上に着地し、その手を壁面に叩き付けた。

 

「ち……っ!」

 

 ()()()()()()()を見た三輪は即座に拳銃から弾丸を放つが、一歩遅い。

 

 壁面から光が溢れ、香取の姿はその場から消え去った。

 

「時間をかけ過ぎたか……」

 

 香取を逃がし、舌打ちする三輪。

 

 今の光景は、知っている。

 

 A級ランク戦では、幾度も苦渋を飲まされた冬島隊の真骨頂。

 

 特定の場所に設置し、()()()の起動を可能とする特殊工作兵(トラッパー)の専用トリガー。

 

 『スイッチボックス』。

 

 それが、今目の前から香取が消えたカラクリだった。





 さて、これで準備期間は終わりました。

 次回から本格的に、トラッパーの戦いを描写したいと思います。

 色々想像で補ってますが、頑張ります。


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香取隊・冬島隊⑥

 

『古寺、時間切れだ……っ! 撤退しろ……っ!』

「……っ! 了解……っ!」

 

 通信から響く三輪の指示に、古寺は迷いなく従った。

 

 ()()()()

 

 この言葉の意味するところは、一つしかない。

 

 冬島の、トラッパーの準備が整ってしまった。

 

 つまり。

 

「遅い」

「が……っ!?」

 

 ────────地形の支配権を、掌握された事を意味する。

 

 古寺が陣取っていたビルの真下から現れた香取が、彼の背後を取り速やかにその胸部を貫いた。

 

 香取が先程までいた場所と古寺がいる場所は、かなり距離がある。

 

 だが、そんなものは冬島の前では関係がない。

 

 ()()さえ終えてしまえば、自在に転移を行える特殊なトリガー。

 

 スイッチボックス。

 

 その脅威を、十全に利用されただけなのだから。

 

『トリオン供給機関破損。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、古寺の脱落を告げる。

 

 古寺は光の柱となり、戦場から消え去った。

 

 

 

 

「此処で古寺隊員、緊急脱出(ベイルアウト)……ッ! B級隊員である香取隊長がA級隊員である古寺隊員を倒した事で、香取隊側には2ポイントが加算されます……っ!」

「時間をかけ過ぎたな。どうやら、此処まで香取隊の────────いや、冬島隊の思い通りに事が進んでいたようだな」

 

 戦果を挙げた香取隊に対し、風間は淡々と冷静な見解を口にする。

 

 公平さを求められる時は、誰が相手でもフラットな意見を貫き通す。

 

 それが風間の年長者としての矜持であり、揺るぎのない信念だ。

 

 だからこそ、彼は多くの者に慕われているのだから。

 

「香取の襲撃も、ワイヤー地帯での立ち回りも、鉄橋での戦闘も、その全てが()()()()()()()こそが目的だったというワケだ。冬島さんの、トラッパーの準備が終わるまでのな」

「ふむ、不勉強で申し訳ないのですが、トラッパーという役職に付いて簡単にご教授願えますか? きっと、B級隊員の面々は初めて目にする方も多いでしょうし」

「そうだな。そのくらいはいいだろう」

 

 風間は桜子の訴えを承諾し、説明を開始した。

 

特殊工作兵(トラッパー)は、文字通り戦場に罠を設置しそれを扱うポジションだ。その特徴として、直接の戦闘能力が皆無である事が挙げられる」

「皆無、ですか? 狙撃手のように、近付かれたら終わり、というワケではなく?」

「文字通り()()だ。もしも戦場で見つかれば、抵抗する間もなく倒される。何せ、純粋な攻撃用トリガーを一つも持っていないのだからな」

 

 第一に、と風間は説明する。

 

「トラッパー用トリガーは、他のトリガーと比べトリオンを多く消費する。当然、攻撃用トリガーなどに振り分けるトリオンなど余分だ。そもそも、その性質上使えるトリガーに制限があるのだから余計なトリガーを入れる隙間などない」

「トラッパーは、バッグワームタグの所為で片方のスロットが埋まっちゃいますからね。だから両防御(フルガード)も出来ないし、そもそも近接戦闘の訓練に時間を使うくらいなら特殊工作兵(トラッパー)としての技能を磨いた方が良いって聞きますしね」

 

 そう、特殊工作兵(トラッパー)の場合、万能手のように状況に応じて遠近の武器の切り替え、などという器用な真似はまず出来ないし何より()()だ。

 

 万能職の者と専門職の者を比較した場合、一つの分野に置いて後者が前者より優れている事は当たり前だ。

 

 何せ、訓練に使える時間が違う。

 

 ポジションでいえば、万能手(オールラウンダー)の場合は距離に応じた複数の訓練をこなさなければならないが、攻撃手の場合はブレードの扱いと立ち回りの訓練をこなし続ければ良い。

 

 故に、一つの分野に関する習熟度は当然攻撃手の方が上だ。

 

 事実、攻撃手から狙撃手に転向した荒船は攻撃手としての能力で他の攻撃手に一歩譲る結果となっている。

 

 付け焼刃に意味がないのは勿論だが、万能という言葉は、決して優位性を確保出来る立場を意味しない。

 

 手広くやれば、当然その範囲に応じて一つ一つの習熟度は下がっていく。

 

 鍛錬に使える時間に限りがある以上、これは当然の事だ。

 

 だから狙撃手は近付かれた時の対処法を学ぶくらいなら狙撃の訓練に集中するし、攻撃手が遠距離攻撃手段を持ちたければ機動力を磨いて回避力を上げるか旋空の扱いに熟達するよう訓練するのが手っ取り早い。

 

 不意打ちでそれまで使っていなかったトリガーを使うという手は有効ではあるが、それが通用するのは初見殺し(一回目)だけだ。

 

 所詮付け焼刃である以上、()()と知られれば通用しない。

 

 そういう手はそれを使わなければ勝てないという状況下で、初見の有利を活かし切るしか使い道はない。

 

 素人は安易にトリガーを増やせば強くなると思いがちだが、断じて違う。

 

 狙撃手に、荒船のように近接攻撃手段を持てば良いと思う者はいるだろう。

 

 射手や銃手に、犬飼のように近接武器を学べば良いと思う者もいるだろう。

 

 攻撃手に、王子隊のように誘導弾(ハウンド)を持てば良いと思う者もいるだろう。

 

 だが、それは単なる浅慮というものだ。

 

 彼等には、それぞれ相応の理由があってそのトリガーを選んでいるのだから。

 

 荒船は、完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)を量産するという目的の為に攻撃手と狙撃手の両方を経験しているに過ぎず、攻撃手としての練度が落ちる事は承知の上で行っている。

 

 そもそもの目的が違う以上、荒船がやっているからと言って、万人にとってそれが最善の選択とは限らないのだ。

 

 犬飼は、サポーター型の銃手としての腕は既に最上級(ハイエンド)に達しており、いざという時の手札としてスコーピオンや射撃トリガーのハウンドを選択しているだけだ。

 

 犬飼は基礎能力と判断能力が鬼のように高いからこそ、そんな真似が出来ているのだ。

 

 当然本職の射手や攻撃手と比べれば練度は落ちるし、近接で攻撃手と真っ向から斬り合うなど以ての外だ。

 

 付け焼刃を切り札にするのではなく、あくまで手札の一つ(緊急手段)として認識して適宜活用する。

 

 それが出来るのは、犬飼だからこそである。

 

 そして、攻撃手のハウンド使用に関しては、その運用目的を明確にしていれば有効である事自体は事実だ。

 

 王子隊は隊のコンセプトとして全員が射程を確保し、連携して仕留めるイメージで誘導弾(ハウンド)採用に踏み切っている。

 

 ハウンドは確かに射手トリガーの中では扱い易い部類に入るが、それは決して練習もなしで扱える、という意味ではない。

 

 キューブの生成や分割、誘導設定等を行う以上、どうしても脳のリソースをその処理に割かざるを得ない。

 

 センスの無い者であれば見当違いの方向に飛んで行ったり、そもそも時間がかかり過ぎて使い物にならないといった場合もある。

 

 特に攻撃手がハウンドを使う場合、大抵は目の前に対戦相手がいる状態で使用される。

 

 弾丸の処理に手間取って眼前の相手との斬り合いを疎かにすれば、当然その隙を突かれる。

 

 決して、手軽に扱える万能トリガー、というワケではないのだ。

 

 例としては、B級下位に間宮隊という三人全員が射手という勝つ気があるのか分からないチームがいるが、彼等の唯一得意とする三人がかりのハウンド────────彼等曰く誘導弾嵐(ハウンドストーム)は、決まれば相手をその場に固められる優秀な戦法だ。

 

 間宮隊の場合その()がない為宝の持ち腐れだが、王子隊には王子と樫尾という攻撃手がいる。

 

 ハウンドで固めたところを斬り込み、トドメを刺す。

 

 或いは、斬撃を囮にして横からハウンドを撃ち込む。

 

 そうした運用を想定しているからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()ハウンドをセットしているのだ。

 

 同じように誘導弾(ハウンド)を装備している熊谷も、その運用には明確なコンセプトがある。

 

 彼女は受け太刀を軸とする守りの技術はボーダー内でも高い評価を受けているが、反面攻撃に関しては苦手な部類に入る。

 

 これは前期までは那須の護衛ばかりをしていた弊害であり、本人の適性の問題でもある。

 

 弧月一本では、限界がある。

 

 そう感じたからこそ、熊谷はハウンドを習得したのだ。

 

 彼女の幸運は、ボーダー随一の射手である出水から、直接手解きを受けられた事だろう。

 

 優れた指導者に、やる気と自分を客観視出来る視野の広さを持った者が師事すれば、当然上達は早くなる。

 

 更に言えば、出水は二宮、七海等を指導した経験がある。

 

 指導に慣れているかそうでないかは、実はかなり違う。

 

 名選手が名監督に必ずしもなれるワケではない、という事だ。

 

 たとえば香取は選手としてはかなりレベルが高いものの、指導には全く向いていない。

 

 感覚を最優先する天才肌である為、指導能力は皆無と言って良い。

 

 言葉ではなく感覚で物事を理解する為、それを万人向けに言語化する、という能力に欠けているのだ。

 

 反面、出水は感覚派ではあるものの、その内容を噛み砕いて相手に伝える能力も持っているという稀少な存在だ。

 

 天才にして秀才、とは正にこの事だ。

 

 そんな彼の指導を受けられた事こそ、熊谷の大きな転機と言えた。

 

 熊谷はハウンドの習得により、弧月で防御を、誘導弾(ハウンド)で攻撃と牽制を、という独自のスタイルを獲得した。

 

 連携を肝とする王子隊とはまた違った、ハウンド持ちの攻撃手。

 

 それが、熊谷なのである。

 

 このように、普段使用しない武器を使うのならば、明確な理由が必要となる。

 

 ただ近接が弱いから、と楽観的に考えてトリガーを追加したところで、意味がないどころか却って致命的な弱点と成り得る。

 

 ()()()()()()()()()などと慢心してしまえば、無意識のうちに警戒が疎かになってしまう可能性があるからだ。

 

 それならば、最初から余分なものは無い方が良い。

 

 浅知恵は、自分の首を絞めるだけなのだから。

 

「話を戻そう。ともかく、特殊工作兵(トラッパー)の動きは実を言うと単純明快だ。()()()()()()()()。これだけだ」

「それだけ、ですか……?」

 

 ああ、と風間は桜子の言葉を肯定する。

 

「言葉にすれば簡単だが、これが特殊工作兵(トラッパー)の肝にして最大の弱点でもある。何故か分かるか?」

「えっと……」

「罠を張ってる間に見つかる可能性があるから、ですね」

 

 言葉に詰まる桜子に代わり、佐鳥が解説を請け負う。

 

 地味な気遣いが出来る奴なのだ、彼は。

 

「スイッチボックスは、文字通りその場に()()するトリガーっす。当然色んな場所に多く設置出来ればそれだけ有利になれますけど、その為には特殊工作兵(トラッパー)本人があちこちを歩き回る必要がある」

「そうなれば当然、罠を設置している最中に相手に見つかる恐れがあるワケだ。無論、バッグワームタグやカメレオンを駆使して隠れながらやっているだろうが、万が一見つかればその時点で終わりだ。トラッパーに、直接戦闘能力はないんだからな」

 

 そう、罠を多く設置すればする程有利になるという事は、設置している最中に狙われればひとたまりもないという意味でもある。

 

 自衛能力が皆無である以上、近距離で攻撃手と遭遇(エンカウント)すればそれだけで終わりだ。

 

 戦闘支援に特化している以上、自衛能力などというものを磨く暇はないのだから。

 

「だから特殊工作兵(トラッパー)がいる試合は、如何に手早くトラッパーを発見して殺せるかに懸かっている。バッグワームを着たまま動き回っている米屋や熊谷は、そういう目的で単独行動しているんだろうからな」

「まあ、西側に冬島さんはいないんで、文字通り徒労になっちゃったっすけどね」

「こればかりは仕方ないだろう。全員の位置が見えているのは、観戦者(俺達)だけなんだからな」

 

 それに、と風間は続ける。

 

「香取が開始直後に那須に突っかかったのは、敢えて目立つ事で冬島を探させないようにする狙いもあったんだろう。そしてその後のワイヤー陣を強調する事で、本当の目的を隠したというワケだ」

「陽動を兼ねた強襲だった、って事っすね。いやあ、香取ちゃんも成長したなあ」

 

 ま、冬島さんの入れ知恵だろうけど、と佐鳥は心中で呟く。

 

 香取隊が指揮を冬島に任せたというくだりは、既に冬島の口から通達されている。

 

 冬島自身は香取隊の姿勢に感心はしたが、試験である以上公平でなければならない。

 

 減点を覚悟しての行動だったのだから、当然ペナルティは受けて貰う。

 

 香取隊を勝たせてやりたいという感情と、試験の公平性は完全に別の話なのだから。

 

 ルールは守る。

 

 然るべきペナルティは課す。

 

 その上で勝つのならば、それを見せてくれ。

 

 それが、A級隊員達の下した香取隊への評価。

 

 どれだけ、香取隊がその力を引き出せるか。

 

 この試合は、その試金石でもあった。

 

「ともあれ、スイッチボックスの設置が完了した以上地の利は完全に香取隊が掌握した。盤面がひっくり返る。文字通りに、な」

 

 風間はそう告げ、画面を見据える。

 

 そこには、何処かの一室で不敵な笑みを浮かべる冬島の姿が映し出されていた。





 トラッパー描写開始なので、ちとその動きについての説明を挟んでおきました。

 原作で「ランク戦での特殊工作兵(トラッパー)」を描写されてないので悩みましたが、創作仲間と相談の上こういう動きだろうと相成りました。

 あとは、付け焼刃が通用する程甘くないのがワートリです。

 こういう現実的な所が好きなんですよね。


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香取隊・冬島隊⑦

「よしよし、これでこっち側の狙撃手は仕留めたな。多分、残る狙撃手はどっちも西側だろ」

 

 とある薄暗い部屋の中、冬島は手元のノートパソコンのような機器を操作していた。

 

 機器の画面では目まぐるしく様々な数値が動いており、キーボードを叩く彼の手は止まる様子がない。

 

 視界に投射されたMAPを見据えながら、冬島は不敵な笑みを浮かべる。

 

「時間を稼いでくれたお陰で、スイッチボックスは充分な数を仕掛け終えた。あとは、西側の連中が合流しないうちに三輪を仕留められればベストだな。場合によっちゃ、速攻で鉄橋を爆破しても良いが……」

 

 そこまで呟くと、冬島はふぅ、と溜め息を吐いた。

 

「ま、堅実に行こうや。無茶して失点するより、確実に点取る方がお得だろ」

 

 

 

 

『古寺がやられた。今、当真さんはフリーだ』

 

 三輪からの報告で、七海の顔が曇る。

 

 彼の報告通りなら、東側には此処にいる三浦以外の相手チーム全員が集結しており、三輪はその中で孤立無援の状態にある。

 

 無論、簡単にやられるとは思っていない。

 

 彼の、A級隊員の練度の高さは、この一週間身を以て知ったのだから。

 

 だが、それはそれとしてマズイ状況なのは確かである。

 

 スイッチボックス。

 

 転移(ワープ)攻性機構(トラップ)の機能を持つ、特殊工作兵専用のトリガー。

 

 その展開が完了した以上、東側は既に香取隊側の有利陣地と言っても差し支えない。

 

 三輪に聞いたスイッチボックスの情報は、以下の通りだ。

 

 スイッチボックスは設置者の操作により設置場所からブレードを突き出して罠として機能するタイプと、設置場所同士でワープを行う転移型のものがある。

 

 起動自体は設置者────────即ち冬島の方が行う為、設置場所が分かっても冬島の許可がない限り起動する事は出来ない。

 

 また、罠なのか転移なのかは傍目からは分からない為、迂闊に近付く事も危険である。

 

 このスイッチボックスへの明確な対処方法は、一つ。

 

 即ち、()()()()()()()()()()()()事である。

 

 スイッチボックスは特殊工作兵(トラッパー)の操作により起動する為、逆に言えば特殊工作兵さえ仕留めてしまえば使用される事はない。

 

 故に米屋が冬島の捜索を行っていたのだが、今回のMAPは河川敷A。

 

 ()()()西()()()()()()()、特殊な地形である。

 

 正直、ランダム選択のMAPは完全に香取隊側に味方したと言って良い。

 

 鉄橋を渡らなければ向こう岸に行く事は出来ないのだから、橋を抑えれば厄介な相手を分断する事が出来る。

 

 丁度、今七海を西側に押し留めているように。

 

「なら、さっき言ったプランで行く。暫くそちらは任せる」

『了解した』

 

 このままでは、負ける。

 

 そう判断した七海は、三輪に方針を伝え対峙する三浦を見据える。

 

 大分時間は稼がれてしまったが、それはこちらとて同じである。

 

 西側(こちら)に三浦以外の相手チームの隊員がいない事は、既に察している。

 

 そもそも、今回の相手はこちらと比べ人数が明確に少ない。

 

 こちらが合計8人の2チームにおける最大数なのに対し、相手は5人。

 

 転送された時、ある程度偏りが出るのは当然の事だ。

 

 普通であれば人数が少ない側が不利になりがちなケースであるが、今回は場合は完全にMAPが香取隊側に味方した。

 

 香取隊は川を挟んで二つに分かれているという河川敷の構造を巧く利用し、こちらの主力を西側と東側に分断して見せた。

 

 今、香取隊側の主力二名は東側にいる。

 

 しかも、冬島のスイッチボックスの援護付きでだ。

 

 普通であれば、この時点で三輪に生き残る芽はない。

 

 紛うことなきエースの香取とやり合いながら、何処から飛んでくるかも分からない当真の狙撃を防ぐ。

 

 そんな真似は、常人では不可能だ。

 

 

 

 

「フン」

「……!」

 

 ────────だが三輪が常人であるかと問われれば、否だ。

 

 三輪は物陰から飛び出した香取の銃撃を、シールドで危なげなく防御する。

 

 即座に反撃の鉛弾を放ち、香取は仕方なく障害物を盾にしながら撤退する。

 

 三輪の鉛弾は、通常のそれとは違い片手で撃つ事が出来る。

 

 そして、発射された時点では通常弾と鉛弾は見分けがつかない。

 

 鉛弾は、シールドでは防御出来ないという特異な性質を持つ。

 

 エネルギーを透過してしまう鉛弾は、物理的な障害物で防ぐか、避けるかしか対処の方法はない。

 

 一瞬の隙が生死を分ける高速戦闘では、鉛弾を一度でも喰らって動きが鈍ればそれで終わりだ。

 

 まして、目の前にいるのはA級隊員(三輪)である。

 

 ポジションは、香取と同じ近接万能手(クロスレンジオールラウンダー)

 

 練度では、当然三輪の方が上だ。

 

 つまり、このまま正面から戦っても負けるのは香取の方だ。

 

 故に。

 

「────!」

 

 正面から、戦わなければ良い。

 

 香取はスイッチボックスを起動し、三輪の上方の壁に転移する。

 

 そして、上空から無造作にスコーピオンを投擲した。

 

「……!」

 

 だが、当然の如く三輪はそれを最小限の動きで回避。

 

 流れるような動作で、香取に銃口を向ける。

 

「ち……っ!」

 

 それを見て、香取は即座にグラスホッパーを起動。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、即座に反転。

 

 スイッチボックスの転移を使い、再び姿を消し去った。

 

 

 

 

『ちょっとっ、少しは援護しなさいよっ!』

「いや駄目だろ。ありゃあ撃ったところで、避けられて終わりだ」

 

 当真は香取からの罵声を受けながらも、飄々とした調子でそう返す。

 

 ()()()()()()()()()()と豪語する彼にとって、避けられる事が分かり切っている弾などたとえ援護という名目があろうが撃つ筈がないのだ。

 

 奈良坂を始めとした狙撃手の面々の中にはそんな当真の独自のスタイルを快く思わない者もいるが、彼にとってそんなものはただの雑音だ。

 

 彼には、プライドがある。

 

 一位の頂に上り詰めた、狙撃手としての矜持(プライド)が。

 

 故に、不真面目と言われようが、独り善がりと言われようが、自分のやり方を曲げるつもりはなかった。

 

 単純に、それが最も効果的に相手を仕留められるが故に。

 

 奈良坂は味方を援護する為に牽制するのも狙撃手の仕事だと言うが、当真に言わせれば見当違いにも程がある。

 

 狙撃手の仕事は、文字通り敵を仕留める事だ。

 

 その為には、無駄弾を撃つ為などに姿を晒しては意味がない。

 

 位置のバレた狙撃手の脅威は、著しく減衰する。

 

 狙撃手の強みは何処から飛んでくるか分からない高威力の弾丸で不意打ち出来る事であり、位置がバレた瞬間狙撃はただの予測可能な攻撃(テレフォンパンチ)に過ぎなくなる。

 

 故に、確実に敵を仕留める為には、その瞬間まで身を潜めている必要がある。

 

 確実に勝利に繋がる一手を差し込む隙が出来るまで、どれだけかかろうと待ち続ける。

 

 それが狙撃手のあるべき姿だと、当真は考えている。 

 

 牽制など、射手や銃手がやれば良い。

 

 狙撃手の仕事は、別にある。

 

 それが、当真の価値観。

 

 些か突き抜けてはいるものの、決して間違っているとも言い難い戦闘論理である。

 

 まあ、傍から見ると不真面目な態度そのものに見える為、香取のような沸点の低い相手にとっては気に障る男である事に違いはないのだが。

 

(さぁて、この分だと東側(こっち)にいるのはもう三輪だけか? 場合によっちゃ、三輪を落としたら撤退するのもアリだな)

 

 当真はそんな香取の態度をさらりと聞き流し、思案する。

 

 バッグワームで隠れている相手がどちらにいるかまでは分からない為、彼からは本当に三輪が東側で孤立したかは分からない。

 

 だが、十中八九そうだろうとも考えていた。

 

 もしも他に東側に那須隊の戦力がいたなら、香取と三輪が戦っていた時に介入していた筈だからである。

 

 それがなかった以上、東側には既に三輪以外の那須隊側の戦力はいない可能性が高い。

 

 そう判断して構わないだろうというのが、当真の見解だった。

 

(理想は香取が三輪を倒して二点、これまでの得点と合わせて五点を獲得する事だ。そのまま香取達が緊急脱出すりゃあ、那須隊の得点を一点に抑えたまま勝ち逃げする事が出来る)

 

 まあ、と当真は苦笑する。

 

(流石に、そこらの判断は香取達に決めて貰うけどな。指揮を引き受けたとはいえ、これはあくまで、あいつ等の試験なんだからよ)

 

 これは、冬島と当真の共通見解だ。

 

 確かに減点と引き換えに香取隊の指揮を引き受けたのは事実だが、それはそれとして撤退などの重要な判断は香取達が行う。

 

 試験官が、不正もなく制限時間にも達していないのに、自分の判断で試験を終了させるワケにはいかないのだから。

 

 

 

 

『というワケだ。三輪を仕留めて撤退するか、他の連中も狙うか。決めてくれるか?』

 

 冬島からそう問われ、香取は思案する。

 

 三浦は七海の相手で手一杯で応答する余裕はない為、香取が代表して話を聞いていた。

 

 無論緊急脱出済の若村も聞いているが、今回の試験に関する判断は香取に一任する、というのが隊の総意であった。

 

「獲れる点取って逃げるか、それともリスク承知で続けるか、ね」

『そういう事だ。こればかりはお前さんが判断しなきゃならん。その答え次第で、こちらも指揮を変える。出来ればすぐに判断してくれ』

 

 出来れば、と言いつつも此処で判断に迷うようなら減点対象になる、という事は香取にもすぐ理解出来た。

 

 こういった判断は、一分一秒の遅れが致命的となる。

 

 戦場での判断は、即決が基本。

 

 それが出来ない指揮官は、無能の誹りを避けられない。

 

 これは、考えなしが良いという話では断じてない。

 

 状況を瞬時に把握し、その場その場で即座に適切な判断を下す。

 

 これが、優秀な指揮官に必要な性質だ。

 

 そういった者は大抵、戦場に赴く前に幾通りもの戦術を考えておくものだ。

 

 生駒隊のように隊員全員の練度が高ければ割と即興の判断でもどうにかなるが、隊員の練度にバラつきがある場合、相応に指揮官に求められるレベルも上がって来る。

 

 そういう場合、何の策も考えずに戦場に来た時点で負け同然である。

 

 戦場にイレギュラーは付き物だが、だからと言って何も策を用意せずに挑むのは愚策としか言いようがない。

 

 予想外(イレギュラー)の存在を想定した上で、持ち得る情報から考えられる実行可能な策を用意して、適時それを()()()()

 

 要は、()()()()()()()()()()()()()というのを予め幾つも考えておき、必要に応じてそれを引っ張り出す。

 

 これが、指揮官の即断即決に必要なプロセスである。

 

 無論、全くの未知の要素────────たとえば近界の黒トリガー等が絡んだ場合などは、その場で集められる情報で対策を組み立てる必要がある。

 

 だが、既知の要素だけで組まれた状況でそれをやっていては、幾らなんでも時間が足りなくなる。

 

 普段からの入念な準備が、本番の機転を左右する。

 

 戦場とは、戦いとは、そういうものだ。

 

 ぶっつけ本番で出来る事は、そう多くはない。

 

 実力が伯仲しているなら、準備をしっかりした者が勝つ。

 

 当然の事であり、真理でもある。

 

 そしてこの事は、今の香取は理解出来ている。

 

 今回の試合、香取が最も戦いたい相手が誰かと問われれば────────当然、七海である。

 

 香取は前回、七海と正面からぶつかり敗北している。

 

 完膚なきまでの、敗北。

 

 ROUND4の敗戦で学び、強くなった。

 

 そう思っていたのに、負けた。

 

 彼に勝つ事が作戦目標ではなかったとはいえ、軽々と上を行かれた。

 

 少なくとも、香取にはそう見えた。

 

 だから欲を言うのであれば、七海をこの手で倒したい。

 

 それが、香取の願いであった。

 

 …………だが、七海をまともに相手にするのは厳しいという事は、香取は分かっていた。

 

 七海には、狙撃も不意打ちも通用しない。

 

 故に、当真の狙撃も、スイッチボックスを用いた香取の奇襲も、七海にだけは通用しない。

 

 如何なる奇襲であっても、自身に対する攻撃をサイドエフェクトで感知出来る七海にとっては、全て視えている攻撃でしかないからだ。

 

 スイッチボックスを活用しようが、それは同じ。

 

 攻撃行動に移った瞬間、七海はそれを感知する。

 

 しかも、今回は前回と違い生駒旋空を警戒する必要はなく、七海が建物の破壊を躊躇う理由はない。

 

 つまり、七海が東側に踏み込んだ瞬間、メテオラによる爆撃で仕掛けを吹き飛ばされていく可能性があるのだ。

 

 一番マズイのは、七海が三輪と合流する事だ。

 

 三輪の地力に、七海の感知能力が加わる。

 

 有り体に言えば、そうなった時点で敗色濃厚である事は否定出来ない。

 

 だから、七海が来る前に自発的に緊急脱出で逃げる、という手は充分検討に値するのだ。

 

 七海と戦り合っている三浦は、最初から捨て駒になるつもりで動いている。

 

 若村と三浦を捨て駒にしてでも、香取と当真が十全に動ける戦場を構築する。

 

 それが、今回の策の骨子となる。

 

 というより、そうでもしないと勝ちの芽がないのだ。

 

 今回の試合は、B級部隊が全滅した時点でゲームセットとなる。

 

 つまり、当真だけが生き残っても香取隊が全滅すればそれで終わりなのだ。

 

 言うなれば、今回A級隊員はB級隊員という足枷を付けられている状態にある。

 

 普段は当真の生存能力と得点力、冬島のトリッキーな戦術との合わせ技でA級二位という地位まで上り詰めている冬島隊も、香取隊との共闘という要素は無視出来ない。

 

 当真がゲリラ戦に徹しても、香取達が倒されればそれで終わりなのだから。

 

 故に、戦術的に考えれば七海が来る前に点の取り逃げをした方が良いという話も一理ある。

 

 現在の得点は、那須隊が若村を落とした事で1Pt、香取隊が那須とA級隊員である古寺を落とした事で合計3Pt。

 

 これに加え香取がA級隊員である三輪を落とせば、5Ptが獲得出来る。

 

 その時点で撤退すれば、生存点が入ったとしても3:5で香取隊の勝利。

 

 完全勝利とは言い難いが、それでも勝ちは勝ちだ。

 

 だが────────。

 

「いいえ、続けるわ。だって、それだけじゃポイントが足りないもの」

『ほう』

 

 ────────現在の香取隊の置かれた状況を鑑みれば、それでは不足なのは事実なのだ。

 

 香取隊の初期のポイントは、僅か2Pt。

 

 初期に7Ptを得ている那須隊とは、大きな点差がある。

 

 此処で5Ptを獲得しても、合計7Pt。

 

 那須隊の、初期Ptに届くのが精々だ。

 

 そも、今の香取隊は指揮を移譲した事で内申点の減点を喰らっている。

 

 ならば、少しでも点を取っておきたい、と思うのが当然の思考である。

 

「それに、今回指揮を預けた目的は巧い指揮で動く経験を積む事。なら、強敵との戦いを避けて通る道はない。多少の失点を覚悟しても、この機会を逃す手はないわ」

 

 そして、今回の目的は高レベルの指揮官の下で経験を積む事。

 

 その為に、ペナルティ覚悟で指揮を移譲したのだ。

 

 ならば、()()()()()との戦闘を避ける意味はない。

 

 むしろ、それこそが本命。

 

 どうやって、格上を殺すのか。

 

 それを学ぶ為にこそ、彼女達はこうしているのだから。

 

『そうか。一応聞くが、お前さん達もそれでいいか?』

『ああ』

『僕も、そのつもり、だよっ!』

 

 冬島の確認に、若村は静かに、三浦は必死に動きながらもそう返答する。

 

 それを聞いて、香取の顔に笑みが浮かぶ。

 

 チームが、一丸になっている。

 

 昔の彼女達であれば、有り得ない光景。

 

 それが出来ている事が、妙に嬉しかった。

 

 二度の敗北は、無駄ではない。

 

 その事を、今香取は実感する事が出来たのだから。

 

『よし、ならその方針で行くぞ。全員、指示に従え。今期のダークホースに、目にものを見せてやろうじゃないか』

 

 冬島の声に、全員が頷く。

 

 狩人の、眼が輝く。

 

 これ以上ない覇気を以て、香取隊が動き出した。




 ワートリ最新話、最高でしたね。

 あのトリガーの新しい使い方が見えた感じです。

 それはそうと、香取ちゃんの美人度が半端なかったなあ。

 茜ちゃんもマジ美少女。


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香取隊・冬島隊⑧

 

『────ってワケだ。やれるか?』

「やります」

『ああ、良い返事だ。頑張れよ』

「はいっ!」

 

 三浦は冬島からの指示を受け、力強くそう答えた。

 

 今三浦はワイヤーを足場にしながら、七海と睨み合っている。

 

 無論、常に位置を移動しながらである。

 

 先程の攻防で、理解した。

 

 一ヵ所に留まれば、七海はマンティスの刃を確実に差し込んで来るであろう事を。

 

 七海は、観察力が高い。

 

 状況を瞬時に把握し、適切な判断を即座に下せる。

 

 そういう素養を、彼は持っている。

 

 影浦や村上といった攻撃手の面々と仲が良い事は、知っている。

 

 個人ランク戦も、それなりに楽しんでいるのだろう。

 

 だが、ことチームでの試合────────しかもこのような試験となれば、七海は基本的に()()()()()()()()

 

 正々堂々の一騎打ちだとか、以前の雪辱戦だとか、そういった事を一切無視して確実に殺しに来る。

 

 要は、徹底的にクレバーなのだ、七海は。

 

 恐らく、その戦闘方針には(本人は認めないかもしれないが)太刀川の信念が強く影響している。

 

 太刀川は、普段から言っていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 気迫や根性で勝敗を覆す事が出来るのは、相当実力が近い者同士のみ。

 

 明らかな格上相手では、根性論ではどうにもならない。

 

 格上を倒すのなら、明確な計略(プラン)が必要となる。

 

 そういった現実主義者(リアリスト)としての一面を、太刀川は持っていた。

 

 そんな太刀川の指導を受けていた七海はまた、別のベクトルでリアリストだった。

 

 勝つ為なら、ルールの中であらゆる手段を模索する。

 

 そうしなければ勝てないと、七海は冷静に判断していた。

 

 故に、彼は手段を択ばない。

 

 否。

 

 選べる選択肢を、無数に用意するのだ。

 

 戦場では、思考停止に陥った者から死んでいく。

 

 ()()()()()などというものは存在しない。

 

 どんなに完璧に見える戦術、戦略であろうと必ず()があり、その穴を突かれた程度で負けていてはお話にならない。

 

 三浦達は、冬島からそう教わった。

 

 ──────根性論じゃ実力差は覆らない。これは、俺も太刀川と同意見だ。けど、逆に言えば戦術次第で実力差に関係なく格上を倒す事も出来るって事だ────────

 

 先日、冬島から告げられた言葉が脳裏に蘇る。

 

 個人の実力差は、そう簡単には覆らない。

 

 だが、チームとしての勝敗と個人の実力は、そのままイコールではない。

 

 実力差があったとしても、戦術次第では勝敗は逆転する。

 

 勝ちの芽はちゃんとあると、冬島は断言していた。

 

 ────────とはいえ、七海は落とす為に多大な労力と犠牲が必要になる、厄介極まりない駒だ。だから無理には狙わない。狙うのは────────

 

 

 

 

「なので、狙って来るのは七海先輩以外の人達────────熊谷先輩か、米屋先輩だと思うんですよね」

 

 前日昼、那須隊作戦室。

 

 そこで、小夜子は開口一番そう告げていた。

 

 その場に集った全員が傾聴しているのを確認すると、小夜子は話を続ける。

 

「正直、私が同じ手駒で指揮をしたなら七海先輩は基本的に無理に狙いはせず、時間稼ぎを徹底させます」

 

 理由としては、と前置きして小夜子は続ける。

 

「七海先輩は放置すれば戦場をかき回しますし、狙撃も不意打ちも効かないので奇襲が無意味になるっていう、相手からすれば頭を抱えたくなるような駒なんです」

 

 そう、七海は狙撃も不意打ちも効かない上に機動力があり、場合によってはメテオラで混乱を巻き起こす事も出来る。

 

 狙おうとすれば簡単に逃げられ、放置すれば被害が広がる。

 

 対抗できるのは、特級のエースのみ。

 

 そういったタチの悪さを持った、厄介な(ユニット)なのだ。

 

 狙っても、放置してもかき回される。

 

 ならば、取れる手段は一つ。

 

 即ち、時間稼ぎだ。

 

「七海先輩相手に、ひたすら時間稼ぎに付き合わせてタイムロスを狙う。間違いなく、相手はこの戦略を取って来る筈です」

 

 落とす事を半ば放棄して、徹底的に遅滞行為に専念する。

 

 それが、凡庸な駒(三浦)が行える七海に対する最適解。

 

「今回、こちらにはエースが複数人いるというアドバンテージがあります。そして、その全員が香取隊長でもなければまともに相手は出来ません。人数差もあって、向こうは圧倒的に前衛が不足していますからね」

 

 そう、今回那須隊側は射手一人に攻撃手三人、万能手一人に狙撃手が三人。

 

 遠近両方に対応出来る、万全のチームと言える。

 

 一方、香取隊側は万能手一人に攻撃手一人、銃手一人に狙撃手一人。

 

 そして、直接戦闘能力のない特殊工作兵が一人の合計5名。

 

 前衛を務められるのは香取と三浦だけであり、エース級とぶつかり合えるのはその中でも香取だけだ。

 

 那須隊側には、三人のエースがいる。

 

 そのうち一人でも先に落とす事が出来たとしても、香取が相手を出来るのはどちらか一人のみ。

 

 片方のエースをフリーにするか、2対1で圧殺されるか。

 

 その理不尽な二択を香取にさせない為に、時間稼ぎ役────────恐らくは三浦が、出張って来るだろうと小夜子は推測していた。

 

「三浦さんは、動きも判断力もそう悪くありません。少々思い切りが弱い面があるものの、時間稼ぎに徹すれば厄介な相手になる筈です」

「だから、さっきの話が出て来るワケか。こちらが焦れて仲間を強行突破させようとすれば、そこを狙って来ると」

「そういうワケです」

 

 膠着状態に陥れば、それを打ち破る為の一手を考えるのは当然だ。

 

 そしてこの場合、考えられる手段は二つ。

 

 二人がかりで突破するか、一人を囮に他を進ませるかである。

 

 七海には、高い機動力がある。

 

 たとえ分断を強要するような地形でも、グラスホッパーを駆使すれば移動自体は可能だ。

 

 故に、七海を囮にして他の仲間を先へと進ませる。

 

 これが、常道ではある。

 

 だが、それこそが相手の狙い。

 

 無理に移動させようとした駒を、相手は狙って来ると小夜子は告げた。

 

「先日お聞きしたスイッチボックスの性質を鑑みれば、この試合で向こうの狙撃手は極論()()()()を気にする必要がない。適宜ワープで移動すればいいんですから、位置がバレた所ですぐに姿を晦ませます」

「一発撃っても、すぐに雲隠れする狙撃手か。有り体に言って、悪夢ね」

 

 狙撃手の最大の脅威は、初撃の回避・防御の難しさにある。

 

 狙撃銃は、ライトニングを除いて威力が高い。

 

 アイビスは言うに及ばず、イーグレットも集中シールドでもなければ容易く貫通する。

 

 そんな攻撃が、突然何処からともなく襲って来るのだ。

 

 相当集中していなければ、あっさりとやられてしまいかねない。

 

 されど、狙撃手にも弱点がある。

 

 それは、位置がバレた後の脅威度の低下だ。

 

 狙撃は、()()()()()()()()()()()()()()()からこそ最大の効力を発揮する。

 

 何処から撃って来るかさえ分かれば、回避も防御もそこまで難しくはないからだ。

 

 敢えて位置を晒して牽制し、仲間の援護をするという戦略もあるが、狙撃自体の脅威は下がる戦略である事は否定出来ない。

 

 位置が割れた狙撃手は、数少ない例外(東春秋)を除いて命運は尽きたも同然なのだから。

 

 だが、当真はそれをスイッチボックスのワープを用いる事によって補っている。

 

 当真に限れば、狙撃を行って位置が割れても即座にスイッチボックスで転移出来る。

 

 故に、撃った後でも、位置を変えて()()()()()()を放つ事が可能なのだ。

 

「ならどうする? 俺が護衛した上で強行突破するか?」

「いえ、そんな真似をすれば今度は七海先輩の手足を狙いかねません。機動力が死んだらマズイんですから、それはなしです」

 

 ですので、と小夜子は笑みを浮かべた。

 

「此処は、少々奇策を使いましょう。多分、これは効く筈ですよ」

 

 

 

 

 三浦は、ワイヤーの上を動き出した。

 

 止まっている暇は、無い。

 

 動く。

 

 動く。動く。動く。

 

 ワイヤーの上を、縦横無尽に。

 

 されど、警戒は怠らず。七海の姿を見据え、奇襲に警戒しながら空の糸を駆け抜ける。

 

 現在、三浦が立つ場所はそれなりの高度にある。

 

 故に、七海はグラスホッパーを足場とする事で、それに追い縋っていた。

 

 七海は付かず離れず、こちらとの距離を見定めている。

 

 隙あらば、再びマンティスを叩き込む。

 

 そんな言外の脅しが、七海の殺気には込められていた。

 

(多分、時間をかければこっちのワイヤーの場所は全て見抜かれる。余裕を与えちゃ駄目だ。少しでも、七海くんの処理能力を削らないと……っ!)

 

 三浦は注意深く七海を観察しつつ、その手に両面に鏃のようなものが付いた小さなキューブを展開した。

 

 キューブの名は、スパイダー。

 

 このワイヤー地帯を形成する、設置型のトリガーである。

 

「……!」

 

 三浦はそれを、七海のいる方へ向かって放り投げた。

 

 瞬間、キューブの両面の鏃が射出され、その場にワイヤーが展開される。

 

 そのワイヤーに巻き込まれる事態を間一髪避けた七海を見据えながら、三浦は次なるスパイダーを投擲。

 

 徐々に、ワイヤー地帯を広げていく。

 

 七海は、このワイヤー地帯では行動を制限される。

 

 下手に吹き飛ばせば橋に設置したメテオラが起爆してしまいかねず、強硬手段に出る事は出来ない。

 

 だが、放置すれば放置しただけワイヤー地帯は広がっていく。

 

 そうなれば、七海は一気に追い込まれてしまう事になる。

 

「……っ!」

 

 故に、七海はそれを妨害するしかない。

 

 片っ端からワイヤーを切断する作業に入ってしまえば、最早こちらのワイヤーの位置を探るどころではない。

 

 延々とワイヤーを追加し続ければ、それの対処をするしかなくなる。

 

 痺れを切らして他の仲間を突貫させるのであれば、むしろ好都合。

 

 すぐさまスイッチボックスで狙撃位置に付いた当真が、それを仕留めるだけだ。

 

 どちらにせよ、こちらの有利。

 

 どう転んでも損はない、堅実な戦略。

 

「────メテオラ」

 

 ────────故に、その常道は奇策によって破られる。

 

 七海が起爆したトリガーの名は、メテオラ。

 

 至近距離で起爆させた炸裂弾(メテオラ)の爆風が、()()()()()()()()()()()のみを吹き飛ばした。

 

「な……っ!? これまで張ったワイヤーを破壊せず、正確に追加されたワイヤーだけを吹き飛ばした……っ!?」

 

 三浦が驚愕するが、無理もない。

 

 七海は、最初から張られていたワイヤーは一本たりとも切断せず、新たに追加されたワイヤーのみを爆風で吹き飛ばす、という離れ業を披露したのだ。

 

 無論、これにはタネがある。

 

 七海のサイドエフェクト、感知痛覚体質だ。

 

 この力により、七海は痛み(ダメージ)の発生範囲────────この場合は爆風が威力を発揮する圏内を感知出来る。

 

 今回はそれを利用して、新しく追加されたワイヤーだけを爆破出来る範囲を感知し、既存のワイヤーを切断しないよう調整した上で爆破に踏み切ったのだ。

 

 いわば、メテオラ殺法の応用技術。

 

 ダメージの発生範囲を知覚できるという体質を利用した、埒外の一手。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()事を看破され、最善手を叩き込まれた。

 

 曲芸じみた一手。

 

 けれど、七海にとっては自分の能力をフルに活用しただけの結果。

 

 地力の差。

 

 それが、浮き彫りになった結果とも言える。

 

(くっ、爆風で七海くんの姿が見えない……っ!? 何処に……っ!?)

 

 メテオラの爆発により、三浦の視界は塞がれている。

 

 レーダーを頼りに探そうとするが、近辺には何の反応もない。

 

 恐らく、バッグワームを付けている。

 

 この隙に、橋を突破するつもりか。

 

 そう考え周囲を見回し──────────眼下で動く影を()()、見つけた。

 

(この隙に、橋を突破するつもりか……っ!)

 

 人影は、二つ。

 

 双方共にバッグワームを目深に被っており、顔は伺えない。

 

 どちらかが七海である事は分かるが、もう一方は誰なのか。

 

 候補は二人。

 

 熊谷か、米屋である。

 

 狙撃手ならば、あんな風に姿を晒す筈もない。

 

 加えて言えば、これまでの相手の動きから、熊谷と米屋は西(こちら)側に残っている可能性が極めて高い。

 

 橋を突破しようとするなら、この二人のいずれかだ。

 

(どっちだ……っ!? どっちが七海くんなんだ……っ!?)

 

 三浦は、相手の狙いに気付き唇を噛んだ。

 

 どちらが七海なのかが分かれば、話は簡単だ。

 

 七海ではない方を、当真に狙って貰えば良い。

 

 今の当真は、スイッチボックスの援護により瞬時に狙撃位置に付く事が出来る。

 

 狙撃を感知出来る七海はともかく、彼以外の相手ならば当真が仕留めてくれるだろう。

 

 だが、今は眼下の二人のどちらが七海なのかが分からない。

 

 七海の方を撃ってしまえば、無駄弾になるどころかその隙にもう一人が橋を突破してしまいかねない。

 

(もう、橋を爆破するしか……っ!)

 

 判断は、出来ない。

 

 ならばと、三浦は橋の爆破(最終手段)に踏み切る為弧月を握り締める。

 

 橋さえ落としてしまえば、向こう岸に渡る事は難しくなる。

 

 安易にやれば開き直られてしまう可能性がある為手を出していなかったものの、此処で橋を突破されてしまえばこれまでの苦労が水の泡だ。

 

 背に腹は代えられない。

 

 そう考え、三浦は炸裂弾(メテオラ)を起爆する為弧月を振りかぶり────────。

 

『馬鹿、上だ……っ!』

「……っ!?」

 

 ────────通信越しの当真の叫びで、気付く。

 

 自分の真上。

 

 そこに、刃を振り下ろす死神の姿がある事に。

 

 夜闇の中、空を滑るスコーピオン。

 

「────」

 

 使い手の名は、七海玲一。

 

 爆発と、()()()()()すら囮として上空からの奇襲を仕掛けて来た攻撃手。

 

 その刃が、三浦に向かって振り下ろされた。

 

「ぐ……っ!」

「……!」

 

 弧月での迎撃は間に合わないと判断した三浦は、ワイヤーを手繰り強引に身体を捻って回避する。

 

 結果、七海の一撃は三浦の右足を斬り落とすだけで終わる。

 

 間一髪。

 

 痛手には違いないが、まだ自分は戦える。

 

 

 

 

「残念だが」

 

 そんな勘違いを、正す者がいた。

 

 スコープ越しにワイヤー地帯のただ中にいる三浦を視認した奈良坂は、淡々とその事実を告げる。

 

「その程度では、防御の内には入らない」

 

 そして、イーグレットの引き金が、引かれた。

 

 

 

 

「が……っ!?」

 

 致命の一撃が、着弾した。

 

 無数に張り巡らされたワイヤーには一本たりとも掠る事なく、正確に三浦の胸部を狙った一撃。

 

 それが、彼の身体に風穴を空けていた。

 

 それは、どれ程の絶技か。

 

 この暗闇の中、一つでも掠ればメテオラの起爆に繋がりかねない筈だというのに、それを恐れる事なく引き金を引く胆力と、自身の実力への自負。

 

 これが、A級隊員。

 

 頂点に限りなく近い狙撃手の、絶死の一撃。

 

 駄目なのか。

 

 これだけ努力しても、上に這い上がる事は出来ないのか。

 

「けど……っ!」

 

 否。

 

 自分の脱落は、確定した。

 

 けれど、出来る事はある。

 

 最後の力。

 

 それを振り絞り、弧月を後ろに向かって投擲した。

 

 狙うは、メテオラのトリオンキューブ。

 

 投擲した弧月を正確にワイヤーに当てる技術は、三浦にはない。

 

 故に、確実性を取る。

 

 無数のワイヤーを巻き込む軌道でキューブを狙えば、ワイヤーを当てられずとも確実に起爆出来る。

 

「────────と、思うじゃん?」

 

 次の瞬間。

 

 ワイヤーを足場に跳び上がり、フードが露わになった米屋が、三浦の弧月を叩き落としていなければ。

 

 米屋は、見ていた。

 

 三浦が動き、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を確認する為に。

 

 最後の足掻きで起爆を実行しようとする三浦の思考を読み、その思惑を潰す為に。

 

「く……」

『トリオン供給機関破損。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 最期の足掻きすら防がれてしまった三浦は、失意の内に脱落する。

 

 光の柱となり、三浦の姿が戦場から焼失する。

 

 

 

 

「いーや、良くやった」

 

 それを、見届けた者がいる。

 

 橋が見下ろせる建物の屋上。

 

 そこに、姿勢を低くして狙撃銃を構えた男の姿がある。

 

 彼は、スコープ越しに三浦の勇姿を見届けていた当真は、標的に向けて引き金を引いた。





 ワートリ最新話ショック色々。

 1:香取ちゃん可愛い。

 2:小夜子ちゃん私服センス良い。

 3:神田のポジション

 完全に銃手として描いちゃったんだよなあ。予想外。


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香取隊・冬島隊⑨

 

 弾丸は、放たれた。

 

 狙いは────────米屋。

 

 三浦のメテオラ起爆を阻止する為、上空へと跳び上がった彼目掛けてイーグレットの弾丸が飛来する。

 

 現在、米屋は自由落下中。

 

 周囲にワイヤーはあるものの腕や足はギリギリ届かず、ワイヤーを用いた機動は出来ない。

 

 ワイヤーに触れる事が出来る場所まで落ちた時には、既に弾丸は着弾している。

 

 これは、そういう一撃だ。

 

 「当たらない弾は撃たない」と豪語する当真が三浦の作り出した機会に放った、渾身の一射。

 

 今のままでは、米屋がそれを回避する事は不可能。

 

「────────と、思うじゃん?」

 

 否。

 

 米屋は、この程度の状況で諦めはしない。

 

 その手に持つ、槍型の弧月。

 

 米屋は、それをワイヤーに向かって叩き付けた。

 

 普通であれば、意味はない。

 

 この状況でワイヤー1本切断しても、何の効果もない。

 

 だが。

 

 米屋の槍型の弧月は、()()()()()()()

 

 彼の弧月は、A級のトリガー改造特権を用いて作成された特注品。

 

 普通であれば大部分が刀身である通常の弧月に対して、この槍型弧月の刀身部分は先端のみ。

 

 他の部分は、全て柄である。

 

 弧月は、刀身部分が長ければ長い程作成時にトリオンを消費する。

 

 旋空は、トリオンを消費して刀身を長くするトリガー。

 

 この槍弧月は逆に、トリオン消費を抑えながらリーチを確保する為に刀身部分を可能な限り短縮している。

 

 故に。

 

 米屋が振るった弧月は、ワイヤーを切断せずに()()()()

 

 つまり。

 

 その反動を利用して、体勢を立て直す事が可能。

 

 結果。

 

 米屋の身体は僅かに逸れ、弾丸は空を切る。

 

 渾身の一射は、米屋の機転により躱された。

 

 三浦の奮闘は、無為に帰する。

 

 

 

 

「甘ぇな」

 

 その光景を見ていた当真は、呟く。

 

 己の技巧を用いて回避を実行した米屋を、嘲笑うように。

 

 彼は、己の自負を堂々と口にする。

 

「俺は、()()()()()()()()()()()けどよ────────米屋(お前)を直接狙ったとは、一言も言ってねーんだぜ」

 

 

 

 

 着弾した。

 

 無論、米屋にではない。

 

 彼は、己の技巧により弾丸を回避した。

 

 されど。

 

 回避された弾丸は、そのまま直進する。

 

 一見、その弾の進行方向には何もない。

 

 このまま進めば、ただ橋に弾痕を穿ち終わる。

 

 そういう軌道である。

 

 流石に、イーグレットの火力では橋は壊せない。

 

 シールド貫通力はあるものの、アイビスのような分かり易い破壊を齎す事は出来ない。

 

 そのアイビスとて、常識外のトリオンの持ち主でもなければ狙撃一発で橋を崩壊させる事は不可能だ。

 

 だが。

 

 だが。

 

 その破壊の()()()を引く事なら、出来る。

 

 当真の弾丸の先には、何もない。

 

 果たして、本当にそうか?

 

「……っ! まさか……っ!」

 

 その事に気付いたのは、七海だ。

 

 米屋の後方に位置する場所にいたからこそ、気付けた。

 

 当真の弾丸。

 

 その向かう先に、眼を凝らす。

 

 有った。

 

 夜闇の中、弾丸の光に照らされたそれは、一本のワイヤー。

 

 米屋が利用したものと変わらない、スパイダーの一つ。

 

 だが。

 

 だが。

 

 その糸の先には、()()()()()()()()()いた。

 

「起爆するぞ……っ!」

「……っ!」

 

 もう遅い。

 

 当真の弾丸は、狙い(あやま)たずワイヤーに着弾。

 

 導火線(ワイヤー)が弾丸によって切断された事により、メテオラに埋め込まれた糸が引き抜かれる。

 

 それが、契機。

 

 カバーが外され、外気に触れたメテオラが、起爆。

 

 その爆破は、メテオラ同士を繋ぐワイヤーを伝って全てのメテオラに連鎖。

 

 都合15箇所。

 

 橋を破壊する為に仕掛けられた全ての炸裂弾(メテオラ)が、一斉に起爆した。

 

「く……!」

「ちぃ……っ!」

 

 鳴り響く轟音。

 

 それと共に、崩れ落ちる鉄橋。

 

 爆煙と共に、鉄橋全体が崩落し、瓦礫と化して行く。

 

 鉄橋の上にいた米屋は、その崩落と共に落下する。

 

 爆破は全て鉄橋の上で起こった為、直接爆発に巻き込まれてはいない。

 

 だが、爆風の煽りは受けている。

 

 米屋が、空中に放り出される。

 

 七海は、助けに向かうには少し遠い。

 

 故に。

 

 そんな状況を、()()が見逃す筈もなかった。

 

「────」

「来やがったか……!」

 

 崩落する鉄橋の上。

 

 その上を、落ちる瓦礫を伝って接近して来る影がある。

 

 しなやかな動きで米屋に近付くのは、香取葉子。

 

 橋の手前までスイッチボックスのワープで移動して来た彼女は、宙に放り出され身動きの取れない米屋を狩る為襲来した。

 

 三浦と当真の作り出した、千載一遇の機会(チャンス)

 

 それを逃さずモノにする為、香取はやって来た。

 

「けど、素直にやられちゃやらねーよ……っ!」

 

 無論、それを黙って見ている米屋ではない。

 

 米屋はすぐさま弧月を構え、振るう。

 

 放たれる、旋空弧月。

 

 最早周囲に何の気兼ねもなくなったその場所で、拡張斬撃が襲い掛かる。

 

 その数は、二つ。

 

 旋空弧月の二連撃が、香取に向かって振るわれる。

 

 防御不能の、拡張斬撃。

 

 それが、旋空弧月の特性だ。

 

 加えて、米屋は香取の跳躍中の隙を狙った。

 

 香取はグラスホッパーを持っているが、周囲には瓦礫が舞っている。

 

 下手にグラスホッパーを踏めば、瓦礫に激突しかねない。

 

 無論、香取ならば瓦礫を避ける軌道で跳躍する事も可能だろう。

 

 だがそれは、米屋から遠ざかる事を意味している。

 

 米屋は今、自分の狭い範囲を二つの軌道で両断する形で旋空弧月を振るった。

 

 グラスホッパーを用いてこれを回避するならば、ある程度米屋への進行ルートを迂回せざるを得ない。

 

 それだけの時間があれば、充分。

 

 七海の救援が、間に合う計算だ。

 

 ただ相手を仕留めるだけが、旋空の使い方ではない。

 

 こういった心理戦こそ、米屋の得意とするところである。

 

「舐めるな」

「……っ!?」

 

 恐らく、以前の香取であれば通用していただろう。

 

 舌打ちをしながら、迂回を選んでいた筈だ。

 

 だが。

 

 だが。

 

 今の香取は、以前の彼女ではない。

 

 心構えだけの話ではない。

 

 香取は、この一戦の為に準備を怠らなかった。

 

 それは、()()()()()()()()()()()()()である。

 

 香取は一点、この試合に臨むに至り変更したトリガーがある。

 

 外したのは、通常弾(アステロイド)の拳銃。

 

 そして、新たに装備したトリガーの名は────────。

 

「スパイダー、だと……っ!?」

 

 ────────ワイヤートリガー、スパイダー。

 

 若村と三浦だけが持っていたと考えられていたそれを、香取もまた所持していた。

 

 香取の手から、放り投げられる無数のキューブ。

 

 そこから展開されたワイヤーが、降り注ぐ瓦礫同士を繋ぐ。

 

 そして香取は、たった今繋いだばかりのワイヤーを足場に、跳躍。

 

 最小限の動きで旋空弧月を回避し、米屋へ向かって肉薄する。

 

「ハウンド……ッ!」

 

 その光景に唖然となりながらも、米屋と共に橋を渡ろうとしていた熊谷はバッグワームを解除し、香取の気を引く為敢えて音声認証でハウンドを撃ち放つ。

 

 リアルタイムでワイヤーを張り、それを足場にするという香取の離れ業には言葉を失ったが、此処で米屋を獲られるワケにはいかない。

 

 B級隊員の香取がA級隊員の米屋を落とせば、香取隊に更に二点が加算される。

 

 そうなれば、これまでの得点と合わせて合計5Pt。

 

 三浦を倒した分を合わせても2Ptしか獲得していない那須隊は、大きく差を空けられる事になる。

 

 現在の香取隊側の残り人数は、三人。

 

 七海・熊谷・茜の何れかがA級隊員である当真・冬島を落とせば四点が入るものの、彼等はその性質上落とす事が非常に難しい。

 

 特に直接戦闘をする必要のない冬島は、最後まで生き残る可能性が高いのだ。

 

 この試験のルール上、最後のB級隊員である香取を倒せば残るA級隊員は全員緊急脱出(ベイルアウト)扱いとなる。

 

 だがそれは自発的な緊急脱出として扱われる為、チームに得点は入らない。

 

 故に、此処で米屋を獲られてしまえば、挽回はかなり難しくなる。

 

 人数で勝っている事は、何もメリットだけとは限らない。

 

 相手の人数が少ないという事は、即ちそれだけ得られる得点も少ないという事を意味している。

 

 だからこそ、此処での失点は致命的になる。

 

 防がなければならない。

 

 その一心で放った、ハウンド。

 

「邪魔」

「……っ!?」

 

 だがそれは、香取の技巧により覆される。

 

 香取は無造作にスパイダーを放り投げ、崩落する無数の瓦礫同士を繋ぐ。

 

 そして、近くにあったその瓦礫を、思い切り殴り飛ばした。

 

 結果、殴り飛ばされた瓦礫に引き寄せられ無数の瓦礫が集中。

 

 咄嗟の事で誘導設定をやや強めにしていた熊谷のハウンドは、ワイヤーによって引き寄せられた瓦礫に着弾。

 

 香取には届く事なく、瓦礫を打ち砕くだけの結果に終わった。

 

 最早、香取を遮るものは何もない。

 

 狙い通り、米屋(標的)に向かって香取は突き進む。

 

 あと一歩。

 

 それだけで米屋に到達する。

 

「────メテオラ」

 

 だが、終わらない。

 

 七海もまた、敢えて音声認証でメテオラを生成。

 

 それを、米屋を巻き込む事を承知の上で射出した。

 

 香取だけを狙うには、彼女と米屋の位置が近過ぎる。

 

 必然、メテオラの効果範囲に米屋を巻き込んでしまうだろう。

 

 だが、メテオラはシールドを広げれば防ぐ事が出来る。

 

 事前の打ち合わせなど何もないが、米屋であれば対応出来る。

 

 そう信じて、七海は躊躇なくメテオラを撃ち放った。

 

 無論、キューブは可能な限り分割してある。

 

 そうでなければ、当真に撃ち落とされる恐れがあるからだ。

 

 以前、ROUND7で弓場にメテオラを撃ち落とされた事を七海は忘れてはいない。

 

 大きい炸裂弾(メテオラ)キューブは、当然それだけ狙い易い的になり得る。

 

 その事を、七海は身を以て理解していた。

 

 分割前のキューブを狙われてはどうしようもないが、そこは自分の背後にキューブを展開する事で対応した。

 

 これで向こう側を撃てば、七海の身体が射線に入る。

 

 つまり、キューブを狙えば七海のサイドエフェクト(感知痛覚体質)がその狙撃を感知する。

 

 以前のような失敗は、しない。

 

 数々の激戦は、確実に七海を強くしていた。

 

「へへ……っ!」

「ち……っ!」

 

 その射撃に、米屋は笑みで、香取は舌打ちで応じた。

 

 そして当然、双方共に攻撃を中断しシールドを展開。

 

 降り注ぐ炸裂弾(メテオラ)を、シールドで受ける。

 

 着弾する、無数のメテオラ。

 

 その爆破は連鎖し、爆発が二人を呑み込んでいく。

 

 視界が、爆煙で塞がれる。

 

 シールドにより爆破自体は防ぎ切ったが、既にシールドはボロボロだ。

 

 高いトリオンを持つ七海の爆撃の爪痕は、大きい。

 

「────」

 

 そして無論、これで終わるとは思っていない。

 

 爆破を凌ぎ切った香取が、スコーピオンを手に米屋へと斬り込んで来る。

 

 向こうも見えてはいない筈だが、米屋は空中に放り出された状態だ。

 

 故に、姿が見えずとも大まかな位置は予想出来る。

 

 香取はそれを天性のセンスで感じ取り、迷いなく攻め込んだ。

 

 既に、香取の位置は米屋の目と鼻の先。

 

 柄が長い槍弧月は、懐に入られれば脆い。

 

 長いリーチが、仇となった。

 

「そうでもないんだよな、これが」

 

 そんな目論見は、米屋とて重々承知である。

 

 槍は、そのリーチの分懐に入られれば成す術がないという弱点がある。

 

 刃を交わす距離ならばともかく、至近距離での鍔迫り合いには不向き。

 

 槍の本領は、そのリーチを生かした中距離戦にある。

 

 故に、この至近距離では槍は不利。

 

 だからこそ、その弱点の対策を怠る筈もない。

 

 米屋の弧月の柄が、縮む。

 

 これもまた、彼がA級特権のトリガーカスタムで加えた機能。

 

 柄の、伸縮機能である。

 

 リーチを縮め、至近距離での戦闘に対応した米屋の弧月が、香取のスコーピオンを受け止める。

 

 渾身の一撃を、防いだ。

 

 そう、確信した。

 

 

 

 

「そこだな」

 

 だが、それを視ていた者がいた。

 

 男の名は、当真勇。

 

 ()()()()()()()()()()()と豪語する、NO1狙撃手。

 

 彼は、香取の視界を通じた米屋の正確な位置情報を取得した当真は、迷う事なく引き金を引いた。

 

 

 

 

 放たれる、二度目の弾丸。

 

 先程より違う場所より飛来した、第二の狙撃。

 

 スイッチボックスのワープを用いて、既に居場所を移動していた当真による必殺の一射。

 

「へっ、やっぱ来たな……っ!」

 

 だが、それすら米屋は予測していた。

 

 米屋は、顔を覆う形で集中シールドを展開する。

 

 トリオン体の急所は、胸部のトリオン供給機関と、頭部のトリオン供給脳。

 

 そのうち胸部のトリオン供給機関は、至近距離にいる香取の身体が邪魔となって狙えない。

 

 来るのであれば、頭部。

 

 米屋はそう予測し、頭部を守るべく集中シールドを展開した。

 

 

 

 

「だろうな。お前なら対応する」

 

 けどな、と当真はスコープの先の米屋を見据えて溜め息を吐く。

 

「その程度、分からねぇワケねーだろ。だから、こう言ってやる」

 

 当真はニヤリと笑い、告げる。

 

「────────と、思うじゃん? ってな」

 

 

 

 

「な……?」

 

 米屋は、眼を見開いた。

 

 頭部を狙ったと思われた、当真の弾丸。

 

 それは、米屋の()()()()()し、抉り抜いた。

 

 急所狙いだと思われた弾丸の、本当の目的。

 

 それは、米屋から反撃の手段を奪う事。

 

 鍔迫り合いを支えていた右腕が死に、香取のスコーピオンを受け止めていた弧月が弾き飛ばされる。

 

 そしてそのまま、スコーピオンが降り抜かれる。

 

 咄嗟に弧月を破棄し、米屋は集中シールドでスコーピオンを受け止める。

 

「が……っ!?」

 

 だが、そこまでだ。

 

 香取の振り上げた右膝から突き出したスコーピオンが、米屋の胸部を正確に貫いた。

 

 それが、致命。

 

「ちっ、やられたな」

『トリオン供給機関破損。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、米屋の脱落を告げる。

 

 米屋の身体は罅割れ、光の柱となって消え去った。





 香取ちゃんスパイダー殺法解禁。

 あそこまで綺麗なものを見せられちゃ、やんない筈がないという。

 崩れ落ちる鉄橋のイメージからこの回は思いつきました。

 崩壊する建築物の中での戦闘は映える。


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香取隊・冬島隊⑩

 

「ここで米屋隊員、緊急脱出(ベイルアウト)……っ! A級隊員である米屋隊員をB級隊員である香取隊長が撃破した事で、香取隊側に2Ptが加算されます……っ!」

「大金星だな」

 

 風間は桜子の実況に合わせ、ただ一言称賛する。

 

 その顔には、感心したような笑みが浮かんでいた。

 

「香取がスパイダーをセットしていた事にも驚かされたが、その活用法にも驚いたな。使って間もないだろうに、良くあそこまで使いこなせるものだ」

「スパイダーは罠として使う、っていう固定観念を完全に打ち破りましたからねえ」

 

 風間も佐鳥も、そう言ってしきりに香取を称賛している。

 

 実際、香取の立ち回りは見事なものだった。

 

 メテオラ起爆による橋の崩落を目晦ましとして接近し、スパイダーを用いて最小限の動きで米屋に接近。

 

 続く妨害さえ凌ぎ切り、米屋を仕留めてみせた。

 

 その手腕は、確かなセンスを感じさせるものであった。

 

「元々、香取には戦闘員としての高い素養はあった。今まではそれを持て余して腐らせていたが、どうやら今期の那須隊相手の試合で目が覚めたらしい。予想以上の上達ぶりだな」

「そうっすねー。これだから天才ってのは怖いなあ」

 

 そういえば、と佐鳥は呟く。

 

「意外と言えば、当真さんがアシストの狙撃をした事も意外だったっすね。あの人、割と自分の手で相手を仕留める事に拘ってたみたいですし」

「そうでもない。口では色々言っているが、当真が自分で点を取る事に拘っているのは、それしか勝ち筋がないからだ」

 

 第一、と風間は続ける。

 

「普段の冬島隊は、特殊工作兵(トラッパー)の冬島さんと狙撃手の当真の二人部隊だ。当然、得点を得る為には冬島さんのスイッチボックスで相手を罠にかけるか、当真が狙撃で仕留めるかの二択になる」

「そっすね。ま、それでA級二位になってるあたり大したもんですけど」

「ああ、あいつ等には幾度となく辛酸を嘗めさせられた。初見の相手には、かなりきつい相手だろうな」

 

 まあ、それはそれとしてそのうち順位を覆してみせるが、と風間は不敵に笑う。

 

 風間が隊長を務める風間隊は、A級三位。

 

 冬島隊の、一つ下の順位にあたる。

 

 A級ランク戦では、何度も鎬を削り合った仲だ。

 

 当然、それなりに対抗心も持っているだろう。

 

 風間はクールな外見と言動をしているが、割と負けず嫌いな所がある。

 

 表にはあまり出さないが、これでも相応に熱い闘志は持っているのだから。

 

「冬島隊がこの特殊な構成でやって来れたのは、当真の狙撃技術もあるがスイッチボックスによるワープの影響も大きい。一度狙撃を行った後でも、瞬時に位置を変えられるんだ。この転移がなければ、点取り屋が狙撃手だけなんていう尖り過ぎたチームで勝ち続けるのは難しいだろう」

「ま、位置バレ気にしなくていいってのは大きいですからね」

「ああ、狙撃手の弱点をほぼ打ち消せるのは強い。だからこそ、スイッチボックスはランク戦では罠としての機能を使う事は殆どないんだ」

 

 まず、と前置きして風間は説明する。

 

「スイッチボックスは、罠と転移を同時に使う事は出来ない。無論切り替える事は出来るが、それなりにタイムラグがある。自然、どちらかをメインに使う事になるが」

「確かに、ランク戦でスイッチボックスを罠として使うのはあんまし見ないですね」

「ああ、転移が出来ない状態は狙撃手の当真にとっては逃げ足がないのも同然だからな。迂闊に罠に切り替えれば、唯一のポイントゲッターを危険に晒す事になるというワケだ」

 

 だが、と風間は続ける。

 

「今回は、当真以外にポイントゲッター(香取)がいる。当真が無理に点を取らなくても香取が点を取れる以上、あいつがサポートに回るのはなんらおかしくはない。普段の冬島隊とは、そこが違う」

「ま、なんだかんだ言いつつクレバーっすからね当真さんは。()()()()()()()()()()()()()()って縛りは守るつもりみたいっすけど、今回は必ずしも直接得点を狙うワケじゃないって事ですか」

 

 そりゃ厄介だなー、と佐鳥は呟く。

 

 当真の唯一の弱点と言えるのは、()()()()()()()()()という事だ。

 

 彼が撃つのは、確実に相手に弾を叩き込めると確信した時のみ。

 

 奈良坂のように、チームの援護として牽制の弾を撃つのは狙撃手としては邪道だと、常々公言していた。

 

 けれど、今回はその縛りが幾らか緩和されている。

 

 必ずしも自分の手で仕留めずとも点を取れる状況であるとなれば、先ほどのように急所ではなく部位狙いをやって来る。

 

 これは、相手にとって相当にキツイ筈だ。

 

「これで、香取隊は5Pt。対する那須隊は、2Ptだ。もしこのまま香取を橋から逃がせば、自発的な緊急脱出で試合は終了。生存点を含めても、4:5で香取隊の勝ちになる」

 

 つまり、と風間は告げる。

 

「此処が、正念場だ。橋から香取を逃がさず、その上で当真か冬島さんを何がなんでも仕留める。これが出来なければ、詰みだ」

 

 

 

 

『葉子、東側に戻って。そうすれば、こっちの勝ちよ』

「そう簡単に行けばいいんだけどね……っ!」

 

 香取は米屋を撃破した事を確認すると、即座に踵を返して撤退に移る。

 

 確かに七海を直接倒してやりたいのは山々だが、それはそれとしてチームとしての勝利は欲しい。

 

 既にポイントは、5Pt獲得した。

 

 初戦としては、まずまずの出来。

 

 最底辺に近い位置からの脱却には、一先ず目途が立ったと言って良いだろう。

 

 確かに、この試合で経験は積んでおきたかった。

 

 だが、それはチームとしての勝利を放棄して良い事とイコールにはならない。

 

 現在、香取は東側に残る三輪を放置する形で此処にやって来ている。

 

 時間をかければ、三輪と七海の挟み撃ちという悪夢のような状況が発生する。

 

 流石に、三輪と七海の二人相手に勝てると思うほど、香取は己惚れてはいなかった。

 

 故に、此処は逃げの一手。

 

 この崩壊した鉄橋からの脱出を、第一とする。

 

 スイッチボックスが設置されているのは、橋の入口近くの家屋の裏手。

 

 流石に、対岸から丸見えの鉄橋にはスイッチボックスは仕込んでいない。

 

 そして当然、西側にスイッチボックスは存在しない。

 

 香取の勝利条件は、スイッチボックスの設置場所まで辿り着く事。

 

 そうすれば、自発的緊急脱出の条件である相手チームの隊員が60メートル以内に存在しない位置へと転移出来る。

 

 香取さえ自発的に緊急脱出出来れば、自動的に当真と冬島も緊急脱出扱いとなる。

 

 それで、詰みだ。

 

 但し。

 

「────」

「ち……っ!」

 

 ────────それを見逃す程、七海玲一(この少年)は甘くはない。

 

 七海は崩落した橋の瓦礫を足場として、香取に接近。

 

 追撃を予想していた香取は、七海のブレードを腕から生やしたスコーピオンで受け止める。

 

 鈍い音と共に、交差する刃。

 

 それを皮切りに、二人はスコーピオンによる斬り合いを開始した。

 

「────」

「……!」

 

 香取は残った左腕からスコーピオンを生やし、七海に斬りかかる。

 

 七海はそれを、肘から生やしたスコーピオンで防御。

 

 それと同時に、滑るような動きで香取の横を抜けようとする。

 

「させるか……っ!」

「……!」

 

 七海の動きを見越していた香取は、その場に極小のキューブ────────スパイダーを放り投げる。

 

 それを見た七海は、即座にバックステップで後退。

 

 その直後、スパイダーが展開しワイヤーが七海のいた場所に突き出し空を切る。

 

 もし回避が遅れていれば、このワイヤーで七海は瓦礫に縛り付けられていただろう。

 

 感知痛覚体質(サイドエフェクト)で察知していなければ、危ないところであった。

 

 スパイダーは、確かにワイヤーそのものにダメージ判定はない。

 

 だが、ワイヤーを展開する際────────先端の鏃をトリオン体に突き刺す場合、極小ではあるがダメージ判定が発生する。

 

 無論、大したものではない。

 

 たとえるなら皮が切れた程度のものだが、痛み(ダメージ)である事に変わりはない。

 

 掠り傷だろうが、致命傷だろうが、七海のサイドエフェクトはそれらを一律に察知する。

 

 それは牽制と本命の見分けが付かないという影浦のサイドエフェクトには無い弱点と言えるが、逆に言えば極小のダメージであろうと七海のサイドエフェクトはそれを察知出来る。

 

 だからこそ、七海本人を直接狙ったワイヤーを察知する事が出来たのだ。

 

「ち……っ!」

 

 半ば、それを予想していたのだろう。

 

 舌打ちしつつも、香取は七海と睨み合う。

 

 彼女は最初から、今ので七海を拘束出来るとは思っていなかった。

 

 重要なのは、七海に東側に回り込まれない事だ。

 

 今は七海の身体が盾となって西側の土手にいる熊谷や奥に控えている奈良坂等の介入を躊躇わせる事が出来ているが、七海に進行方向側に回られてしまえばその縛りも消失する。

 

 だからこその、この一手。

 

 何がなんでも、この位置取りは死守する。

 

 そう即断したが故の、スパイダーの使用であった。

 

 可能ならば逃走を続けたいものの、下手に七海から距離を取れば狙撃が飛んでくる危険がある。

 

 故に、今は七海と距離を離さないまま隙を見て離脱するしか────────。

 

(────────待ちなさい。こいつ、もしかして……っ!)

 

 ────────ない、と考えていた香取は、脳裏に浮かんだとある()()()に思い至り、その直感に従い即座に後退。

 

 その直後、七海が首を軽く捻った。

 

 瞬間、七海の向こう側から一筋の弾丸が飛来。

 

 直前まで香取のいた場所に、閃光が着弾した。

 

(今の速度、ライトニングね……っ! って事は、日浦か……っ!)

 

 たった今弾丸が放たれた場所は、先ほど奈良坂が撃った場所とは微妙にズレている。

 

 先程撃ってきた場所は鉄橋から見て左側の位置だったが、今の弾丸は鉄橋の右側から放たれている。

 

 目算すれば、ライトニングが届くギリギリの距離。

 

 今の正確無比な狙撃は、以前香取にヘッドショットを撃ち込んだあの少女に違いあるまい。

 

(それに今のは、やっぱりこいつを射線に巻き込む形で撃ってきた……っ! こいつは自分に来る狙撃が分かるから、ギリギリで避ければ弾丸を隠したままこっちに狙撃を叩き込める……っ! ったく、なんて面倒な真似してくれてんのよ……っ!)

 

 そして、香取の読み(直感)は当たっていた。

 

 七海のサイドエフェクト、感知痛覚体質は自分を対象としたダメージの発生を感知出来る。

 

 今回はそれを悪用し、自分を敢えて射線に巻き込ませる形で狙撃を実行させ、直前で身体を捻る事でギリギリまで弾丸を隠してみせた。

 

 チームメイトへの信頼、そして自身の回避力への自負がなければ出来ない芸当だろう。

 

 直前で気付いていなければ、今の一発でやられていたに違いあるまい。

 

 これならば、七海と近付いても離れていても大差はない。

 

 いや、弾丸がいつでも見えるようにしておく為には、むしろ離れた方が良いだろう。

 

 勿論大人しく逃がしはしないだろうが、今やられたように弾丸を隠されて不意打ちをされるよりはマシだ。

 

 どうせ狙撃されるのなら、視界は空けておいた方が良い。

 

 そう判断した香取は、七海と距離を取った。

 

「ハウンド……ッ!」

 

 だが無論、それにも相応のリスクはある。

 

 七海から距離を取ったという事は、待機していた熊谷が遠慮なく香取を狙えるという事でもある。

 

 西側の土手でこちらを見ていた熊谷が、香取を狙ってハウンドを放つ。

 

 熊谷は、七海と比べれば機動力に優れているとは言い難い。

 

 彼のように、瓦礫の上を跳び回りながら香取と互角に斬り合う事は不可能だ。

 

 故に、この場は射程持ちとしての役割に徹する。

 

 適材適所。

 

 それが出来るからこそ、那須隊(彼女達)は此処まで上がって来たのだから。

 

 今度は、誘導設定を弱めに設定しているのだろう。

 

 上空から曲射軌道を描き、香取を包み込むような弾道で誘導弾(ハウンド)は展開している。

 

 無論、これだけで香取を仕留められるとは思っていない。

 

 このハウンドは、あくまで陽動。

 

 目的は、香取に足を止めさせる事だ。

 

 この数のハウンドを捌くには、シールドを広げる必要がある。

 

 そうなれば当然、シールドを使う為に()()()()()()

 

 片腕が塞がれば、あと一つしか同時にはトリガーは使えない。

 

 相打ち覚悟で攻撃トリガーを使うか、それとも逃げる為にグラスホッパーを使うか。

 

 そのどちらであっても、隙は出来る。

 

 あとは、その隙を叩けば良い。

 

 熊谷は、そう考えていた。

 

「────」

「……!」

 

 だが、香取はその思惑を食い破る。

 

 香取が選んだのは、相打ち覚悟の特攻でも、逃走でもない。

 

 ()()

 

 敢えて七海と距離を詰め、強制的に七海をハウンドの効果圏内へ入らせたのだ。

 

 となれば当然、七海もまた防御の為にシールドを張らざるを得ない。

 

 これで、条件は同じ(イーブン)

 

 少なくとも、一方的に攻め落とされる事はなくなった。

 

「────メテオラ」

「……は……?」

 

 ──────────されど、七海もまたこの程度で攻め手を緩める程甘くはない。

 

 七海が取った行動は、自分の直上へのメテオラの展開。

 

 分割なし、まるごと一つの巨大なトリオンキューブを生成した。

 

「────」

「……っ!!??」

 

 出現したメテオラのキューブに、ハウンドが着弾。

 

 メテオラが起爆し、周囲は轟音と共に爆発に呑み込まれた。





 スイッチボックスは原作のガロプラ編で小南が「罠通じなさそうだからワープに変えて貰っとけばいいんじゃね?」みたいな事を言ってたので、罠と転移はどちらか片方の切り替え式なのかと考察しました。

 少なくとも、変更にはなんらかの作業が必要であり、一手間がかかると考えればいいんじゃないかな、と。

 文字通りブラックボックスが多いトリガーなので、あくまで予想ではありますが。


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香取隊・冬島隊⑪

 爆発が、鉄橋の残骸の上を席捲する。

 

 高いトリオンを保持した七海の、分割なしのメテオラの起爆である。

 

 当然その威力と範囲は、凄まじいものになる。

 

 とはいえ、メテオラの性質である範囲は広いがシールドの突破力は低いという性質自体は変わらない。

 

 シールドを広げさえすれば、防げる。

 

 回避する隙がなかった以上、対処は防御一択。

 

 七海と香取は、それぞれシールドを張ってメテオラの爆風へのシェルターとする。

 

 全身を覆う形でシールドを展開している為、お互いに攻撃は出来ないしそもそも爆風で相手の姿は視認出来ない。

 

 

 

 

「そこだ」

 

 だが、相手の大まかな位置は理解できる。

 

 そして、互いに攻撃は出来ずとも、第三者がそこに介入する事は出来る。

 

 だからこそ彼は、奈良坂は、迷いなく引き金を引いた。

 

 

 

 

 飛来する、一発の弾丸。

 

 その軌道は、明確に香取を狙っている。

 

 感知痛覚体質(サイドエフェクト)により、既に七海はその弾丸の存在を察知している。

 

 さり気なく身体を捻り、奈良坂の射線を確保する。

 

 自分ごと撃たせても良いが、香取が回避する可能性を考えれば余計なダメージは負わない方が良い。

 

 今の香取を評価しているが故の、その判断。

 

「……な……っ!?」

 

 ────────だがそれが、裏目に出る事になる。

 

 奈良坂の放った弾丸が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()事によって。

 

 

 

 

「おっし、当たった当たった。ユズルに練習に付き合わせた甲斐があったってモンだ」

 

 その光景を見ていた狙撃手は、当真は不敵な笑みを浮かべる。

 

 ()()()()()()()()などという離れ業を披露した男は、ニヤリとスコープの先に映る奈良坂を見据える。

 

「前に東さんがやってんの見て、面白そうだと思ったからよ。NO1狙撃手として、これくらいは出来ねーとな」

 

 さて、と当真は再装填(リロード)を終えた狙撃銃を握り締める。

 

「お返しだ」

 

 そして彼は、スイッチボックスを起動し転移を実行。

 

 ワープ完了と同時に、イーグレットの引き金を引いた。

 

 

 

 

 その弾丸は、奈良坂の額目掛けて正確な軌道を描いていた。

 

 既にスイッチボックスによって移動している為、奈良坂は恐らく弾丸の発射元を感知出来てはいない。

 

 転移を利用した、必殺の一射。

 

 回避も防御も許さない、渾身の一撃。

 

「甘いな」

 

 ────────だがその狙撃は、空を切る。

 

 その場から、奈良坂が()()()()()姿()()()()()事によって。

 

 

 

 

「な……っ!? おいおい、まさか今のは……っ!」

 

 その光景は、スコープ越しで当真も目撃していた。

 

 一瞬にして掻き消え、当真の放った弾丸は空を切る。

 

 当たらない弾を撃ってしまった、という衝撃はある。

 

 だが。

 

 だが。

 

 今の光景は、一体何だ。

 

 否。

 

 この光景を、自分は以前にも目にしている。

 

 使()()()は奈良坂ではなかったものの、こんな芸当が出来るトリガーは一つしかない。

 

 スイッチボックスと違い制限が多いが、その代わりに事前準備なしで発動出来る特殊なオプショントリガー。

 

「テレポーターか……っ!」

 

 オプショントリガー、テレポーター。

 

 奈良坂の弟子(日浦茜)が得意とする、()()のトリガーである。

 

 

 

 

弟子()に出来て、俺に出来ないなんてのは格好がつかないからな。茜ほどの適性はなかったが、それでもある程度は使いこなせている」

 

 奈良坂はスコープ越しにNO1狙撃手(当真勇)の驚愕の表情を見て留飲を下げながら、彼に向けて照準を定める。

 

「今度は、こっちの番だ。そろそろ、終わりにしよう」

 

 薄く笑みを浮かべ、奈良坂は当真に向けて反撃の一射を撃ち放った。

 

 

 

 

「ちぃ……っ!」

 

 当真は今起きた出来事の正体を看破すると、奈良坂の狙撃を確認する前に即座にワープを決断した。

 

 今の一撃で、既に自分の居場所は把握されている。

 

 そして、転移を実行した奈良坂の居場所は現在不明。

 

 この状況なら、間違いなく奈良坂は撃って来る。

 

 彼に、当真のような必中の縛り(こだわり)は存在しない。

 

 牽制でも、それがチームとして有効な手ならば間違いなく撃って来る。

 

 狙撃手の最大の脅威である、何処から来るか分からない狙撃。

 

 それが、自分を狙っている。

 

 距離はある。

 

 対応自体は、出来るだろう。

 

 だが、狙撃手にとって位置を知られている事こそが最大のリスク。

 

 位置バレした以上、そこに留まるのは愚策でしかない。

 

 少なくとも、現在仲間の援護を期待出来ない当真にとっては。

 

 この狙撃を防ぐ事が出来たとしても、次の一手が来ればそれで終わりだ。

 

 今出来る最善は、一刻も早くこの場から離れる事。

 

 それ以外に、存在しない。

 

 故に、当真は即決した。

 

 スイッチボックス(転移)を用いて、この場から移動する事を。

 

 この手でスイッチボックスの仕込んだ地面に触れれば、それでワープは発動する。

 

 再び姿を晦ませば、こちらのものだ。

 

 幸い、テレポーターには転移距離に応じたタイムラグがある。

 

 スイッチボックスのような下準備が必要ない分、制約は多いのだ。

 

 ならば、今度はワープした先で、改めて奈良坂に狙撃を叩き込めば良い。

 

 今度は、躱させない。

 

 そう決意して、当真はその手を振り下ろす。

 

 

 

 

「成る程、確かにそうする他ない」

 

 だが、と奈良坂はスコープ越しに当真の行動を見据えながら告げる。

 

 その顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「俺がテレポーターを持っていた()()。それを、考えるべきだったな」

 

 

 

 

「な……?」

 

 当真は茫然と、胸部に空いた穴を見下ろす。

 

 何が起きたのか、理解出来ない。

 

 そう思ったのは、一瞬。

 

 当真は転移を実行する為、スイッチボックスに触れようとした。

 

 だがその瞬間、地面に触れようとした左手と胸部に、同時に弾丸が叩き込まれたのだ。

 

 結果として、転移は失敗。

 

 トリオン供給機関をピンポイントで貫かれ、当真は致命傷を負った。

 

 奈良坂の弾丸では、ない。

 

 今の弾丸は、明らかに()()()()()()()()いた。

 

 そして、今の弾速はライトニングでしか有り得ない。

 

「おいおい、まさか……」

 

 先程の、奈良坂がいた場所以外から放たれた狙撃。

 

 弾速からライトニングと断定し、自分達はそれを茜の狙撃であると判断していた。

 

 だが。

 

 だが。

 

 奈良坂がテレポーター(転移トリガー)を持っていた事で、その前提はひっくり返る。

 

 何故ならば、あの時ライトニングが撃たれた場所は奈良坂のいた場所から数十メートルの圏内────────即ち、()()()()()()()()()()()()なのである。

 

 つまり、あの狙撃を行ったのは茜ではない。

 

 奈良坂がテレポーターを用いて転移し、狙撃を実行したのだ。

 

 そこに、茜がいるのだと誤認させる為に。

 

 とうの茜本人は、何らかの手段で東側(こちら)に渡って来ていたのである。

 

 他ならぬ当真(自分)を、仕留める為に。

 

「あーあ、ったく。俺もヤキが回ったかね。日浦の嬢ちゃんに、やられちまうとはなあ」

 

 ま、と当真は不敵な笑みを浮かべる。

 

 そしてスコープ越しに水に濡れたバッグワームを纏う茜を見据えながら、溜め息を吐いた。

 

「次がありゃあ負けねぇからよ。覚悟しとけ」

『トリオン供給機関破損。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、当真の敗北を告げる。

 

 当真の身体は奈良坂の弾丸が着弾する前に光の柱となり、戦場から消え去った。

 

 

 

 

「ちっ、やられてんじゃないのよ……っ!?」

 

 当真脱落の報は、すぐさま香取にも伝わった。

 

 しかも、仕留めたのは茜だという。

 

 B級隊員である茜がA級隊員である当真を落とした事により、那須隊には2Ptが加算される。

 

 つまり、現在那須隊の獲得点は4Pt。

 

 此処で香取が逃げ切って緊急脱出(ベイルアウト)を選んでも、生存点と合わせれば那須隊は6Ptの獲得。

 

 僅差ではあるが、自分達の負けとなる。

 

 完全に、予定が狂った。

 

 この試合では、冬島は当然として当真も落とされない前提で戦っていた。

 

 自分達が落とされる可能性があるとしたらスイッチボックスを仕込めていない序盤で見つかった時だけ、と豪語していたのでそれを信じていたのだが、どうやらそんな彼らの想定を那須隊は上回ったらしい。

 

 情けない、とは思わない。

 

 他ならぬ自分も、あの少女()には以前してやられたのだから。

 

 以前の自分ならここで悪態をついて隙を晒していたが、そんな事をしている場合ではないのは分かっている。

 

 こうなった以上、最早撤退などという悠長な事は言っていられない。

 

 たとえ自分が落ちても、一点でも多く点を取る。

 

 それしか、自分達が勝つ芽はない。

 

 七海は、勿論狙わない。

 

 自分の心情としては叩き潰しておきたいが、現状を把握出来ないほど香取は馬鹿ではない。

 

 此処で七海を狙えば、間違いなく時間を稼がれて袋叩きにされて終わりだ。

 

 ならば、狙う相手は決まっている。

 

 熊谷友子。

 

 西側の土手でこちらを見上げる彼女を、此処で仕留める。

 

 そしてあわよくば、西側に残る狙撃手(奈良坂)を落とす。

 

 少なくとも、熊谷さえ落とせば生存点を合わせても6:6で那須隊と並ぶ。

 

 自分が落とされれば6:7で負けだが、とにかく今は一点でも多く点が欲しい。

 

 そもそも、撤退の判断自体それで那須隊に勝てるなら、という妥協の下で納得していたのだ。

 

 その前提が崩れた今、自分の意地を優先しない理由は香取にはない。

 

 加えて、今東側には茜が潜んでいる。

 

 向こうに撤退して緊急脱出しようとしたら茜に狙撃されて落とされる、という可能性も0ではない。

 

 それならば、今は点を取る可能性に懸ける方がマシだ。

 

 即断即決で香取は自らの行動を決め、グラスホッパーを起動。

 

 それを踏み込み、西側の土手に立つ熊谷に向けて突貫する。

 

「……!」

 

 自分に迫る香取を視認した熊谷は、反撃の為ハウンドを放つ。

 

 だが、その程度で香取の攻撃は止まらない。

 

 前面に広げたシールドを展開し、それを盾に突き進む。

 

 旋空を使う暇は、与えない。

 

 このまま肉薄し、至近距離でスコーピオンを叩き込む。

 

 今ならばギリギリ、七海が追いつく前にカタがつく。

 

 追い付かれて落とされるかもしれないが、その前に自分の刃は熊谷に届く。

 

 それでも構わない。

 

 やられた分は、やり返す。

 

 それが出来たならば、少しでも留飲は下がるのだから。

 

(獲った……っ!)

 

 香取は、勝利を確信する。

 

 彼女の直感が、告げていた。

 

 このまま行けば、熊谷は確実に落とせる。

 

 七海は、ギリギリ間に合わない。

 

 奈良坂も、今は再装填(リロード)の最中だろう。

 

 熊谷の反撃は、問題なくいなせる。

 

 ならばもう、迷いはない。

 

 ただ、この刃を届かせる。

 

 その想いのまま、進む。

 

 そして、香取は────────。

 

「え……?」

 

 ────────その足に重石を撃ち込まれ、失速した。

 

 一瞬の忘我。

 

 何が起きたのか、理解出来ない。

 

 否、理解したくない。

 

 そんな想いが、彼女の心を支配する。

 

「────────そこまでだ。これ以上、好きにはさせん」

 

 その声で、彼女は現実を理解する。

 

 東側の土手。

 

 そこに、こちらに向けて拳銃を構えた三輪がいた。

 

 香取は、三輪を東側に放置する形でこの橋へとやって来た。

 

 すぐには辿り着けない距離だからと、そう判断して。

 

 だが、三輪の機動力は香取の想像を上回っていた。

 

 否、それだけではない。

 

 恐らく、彼の部隊のオペレーターの功績だろう。

 

 三輪が最短でこの場に辿り着けるルートを計測し、彼はそのデータを信じて此処まで来た。

 

 侮っていたつもりはなかった。

 

 ただ、想定の上を行かれた。

 

 これがA級。

 

 自分達が目指す、高みの頂。

 

 自分は、また届かないのか。

 

 そんな想いが、香取の胸に去来する。

 

「まだ……っ!」

 

 否と、香取はそんな弱気(自分の本音)を否定した。

 

 香取は左腿から生やしたスコーピオンで、鉛弾が撃ち込まれた右足を切断。

 

 そのまま熊谷を狙う────────筈がない。

 

 今の失速で、熊谷へと辿り着く前に七海が追いつく事は確定した。

 

 ならば、クロスカウンター狙いで彼を迎撃する他ない。

 

 どう足掻いてもその後には落とされるが、相打ち覚悟なら一矢報いる事は出来る。

 

 この時ばかりは、七海の機動力(はやさ)に感謝した。

 

 彼の機動力ならば、他の面々の介入より先に自分の下へと辿り着く。

 

 ならば、その時に捨て身で一撃を叩き込んでやれば良い。

 

 一秒後に自分が落ちようが、その前に致命打を与えればそれで勝ちだ。

 

 そう考えて、香取は背後に迫る七海へと、身体を翻した。

 

 頭上から迫る、七海とその手に持つスコーピオン。

 

 七海は、香取に向けてスコーピオンを投擲した。

 

「……!」

 

 香取は、その投擲に即座に反応。

 

 投げられたブレードを防御する為、香取はその軌道上に集中シールドを展開する。

 

 スコーピオンの投擲は中距離の攻撃手段の選択肢としては悪くはないが、一度使用者の手から離れた時点で変形機能は失われる。

 

 そしてブレードの投擲は、集中シールドを使えば一度限りは止められる。

 

 恐らく、この一撃は牽制。

 

 本命は、この後に来る。

 

 大方、側面からマンティスを用いて奇襲をかけるつもりだろう。

 

 故に、注意すべきは二撃目の軌道。

 

 変幻自在のマンティスの刃は、確かに脅威だ。

 

 だが、マンティスを使うには両攻撃(フルアタック)の状態になる必要がある。

 

 つまり、その瞬間だけは七海はシールドを展開出来ない。

 

 故に、そこを狙う。

 

 たとえ致命打を受けようが、捨て身で一撃を叩き込めればなんとかなる。

 

 だからこそ、香取は左右への警戒は怠らなかった。

 

 マンティスこそが、この局面での最大の脅威だろうと考えて。

 

「が……っ!?」

 

 ────────だからこそ、気付かなかった。

 

 最初に投擲したスコーピオンこそ、本命の一撃であるという事に。

 

 七海は、マンティスを使わなかった。

 

 使ったのは、()()()()()()()

 

 彼はジャンプ台トリガーで自分の足を跳ね飛ばし、シールドに突き立ったスコーピオンを蹴り出した。

 

 七海の蹴撃によって加速を得たスコーピオンは、香取のシールドを突破。

 

 そのまま、香取の胸へと突き立った。

 

「ちく、しょう……っ!」

 

 香取は、舌打ちする。

 

 今の七海の位置は、スコーピオンの射程外。

 

 マンティスを使えない香取では、届かない位置。

 

 これでは、捨て身の反撃すら許されない。

 

 負けた。

 

 これだけやったのに、負けた。

 

 今度こそは、と思ったのに。

 

 今回も、駄目だった。

 

 そんな想いが、香取の心を支配する。

 

「次も負けない」

「……!」

 

 不意に、七海が呟くようにそう口にした。

 

 その言葉に、香取は目を見開いた。

 

 「よくやった」でも「頑張ったな」でもない。

 

 ただ、「負けない」と、自分の強さを認めてくれた上で、対抗心を露わにされた。

 

 恐らく、七海は無意識だろう。

 

 だがこれこそが、香取が欲しかった言葉でもあった。

 

()()()()、次は負けないから」

「ああ、楽しみにしている」

 

 七海の返答を聞き、香取は微笑む。

 

 それは不敵な笑みでもありながら、何処か晴れやかな笑みでもあった。

 

 憑き物が落ちたような、という言葉こそ相応しい。

 

 香取の顔を見ていた七海は、そう思った。

 

「フン、待ってなさいよ。次は、吠え面かかせてやるんだから」

『トリオン供給機関破損。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 香取のトリオン体が崩壊し、光となって消え失せる。

 

 同時に、それが引き金となって東側の一角から同じ光が立ち上る。

 

 試合終了。

 

 第一試験は、那須隊の勝利で幕を閉じた。




 茜ちゃんが東側に辿り着いたカラクリの解説は次回で。

 まあ、一応ヒントは仕込んでありますが。


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第一試験、総評

部隊得点生存点合計
那須隊527
香取隊 5

 

「決着……っ! 七海隊員の一撃により、香取隊長が緊急脱出(ベイルアウト)……っ! 本試験のルールによりこれにて試合終了……っ! 生存点2点の加算により、7:5で那須隊の勝利ですっ!」

 

 桜子の試合終了宣言により、会場が沸き上がる。

 

 此処にいるのはB級以上の隊員に限定される為B級ランク戦の時ほどの過密度はないが、それでも一連の攻防に息を呑んだ者は多かった。

 

 それだけ、彼等の戦いは見応えのあるものだったのだから。

 

「いやあ、どっちも凄かったっすね。那須隊もそうだけど、香取隊の動きも良かった」

「ああ、結果的に負けはしたが、以前の香取隊から考えれば飛躍的に成長したと言えるだろう。それを上回った那須隊の地力の高さは、言わずもがなだがな」

 

 佐鳥と風間は、口々に双方の部隊を称賛する。

 

 彼等の言葉を否定する者は、この会場にはいないだろう。

 

 那須隊も、香取隊も、共に全霊でぶつかり合った。

 

 勝ち負けという結果はあれど、どちらもA級昇格試験の場に相応しい戦いをした事は確かなのだから。

 

「けど、日浦さんにはびっくりしましたね。いつの間にか、東側に渡ってましたし。あれ、どういうカラクリなんですかね?」

「MAPを見ていたなら分かるだろう。日浦はただ、川を渡っただけだ。テレポーターを使ってな」

 

 風間はなんともなしに、茜があの場に移動出来た理由を説明する。

 

「んー、でも、テレポーターで一息に移動出来る広さじゃなかったですよねあの川。かと言って橋の上に転移すれば見つかっちゃうし、無理じゃないですか?」

「可能だ。日浦は橋の上に転移したんじゃなく、橋の下────────川の中に転移したんだからな」

 

 佐鳥が敢えて分かっていない振りをしているのを察しつつ、風間は桜子に指示して壊れる前の鉄橋の映像を画面に映し出させた。

 

「テレポーターは、移動先を目視出来さえすれば転移が可能だ。だから日浦は西側から橋の下まで転移して、川の中に潜ったんだろう。そうすれば、橋が邪魔になって東側からは見えないだろうからな」

「成る程、時刻も夜だったっすから猶更っすね」

 

 佐鳥の言う通り、夜の川や海というのは視界が利き難い。

 

 水は黒く、目立つ色彩でもなければ川の中に何かがあっても中々気付かないだろう。

 

 更に言えば茜は小柄で、目立たない柄のバッグワームを纏っていた。

 

 橋の下に潜ってしまえば、見つかる危険は殆どなかった筈である。

 

「あとは当真が撃つのを待って、位置を特定したら近くまで転移して狙撃で仕留めれば良いだけの話だ。あの場には、七海と熊谷もいた。三人分の観測情報とオペレーターの支援があれば、当真の狙撃位置は即座に特定出来ただろう」

「それまでひたすら川の中で()()ってワケっすね。で、それを隠す為に奈良坂先輩はテレポーターまで用意した、と。いやあ、手が込んでるっすねえ」

 

 そして茜は、然るべき時まで川の中で潜伏していたというワケだ。

 

 トリオン体とはいえずっと水の中に潜る事は不可能だが、幸いこのMAPの川は大人の腰程度の深さだ。

 

 低身長の茜では立てるかどうかギリギリといったところだが、要は視界が確保出来る状態でいればいいのだから何とかなる。

 

 最悪、頭だけ出して浮いていれば良い。

 

 多少の物音は、戦闘音で掻き消えてくれる。

 

 強化聴覚持ち(菊地原)でもいない限り、気付かれる事はない筈だ。

 

 更に、奈良坂はテレポーターを用意して二ヵ所からの狙撃を実行。

 

 あたかも西側に茜がいると思い込ませる事に成功し、当真の意表を突く事に成功したワケである。

 

「つくづく、日浦はテレポーターの扱い方が巧いな。A級にもテレポーターの使い手は何人かいるが、狙撃手でテレポーターを使っている例は他にはない。だというのに、独自の戦術を構築出来ているのだから大したものだ」

「扱いが難しくて使用者があんまいないトリガーっすからね。うちの嵐山さんとかも使ってるっすけど、日浦ちゃんのは完全に別種の使い方だからなあ」

 

 確かに佐鳥の言う通り、嵐山と茜ではテレポーターの扱い方は明確に違う。

 

 嵐山の場合は乱戦で不意を突いたりする時に使う事が多いが、茜の場合は不意を突く事以上に()()()()としての使用目的が強い。

 

 自身に足りない機動力を、工夫と機転でカバーする為のトリガー。

 

 それが、茜にとってのテレポーターなのである。

 

 その戦い方は、当真のそれに似通っている。

 

 当真の場合は準備こそ必要だが時間遅延(タイム・ラグ)なしで移動を繰り返せるのに対し、茜は準備は不要だが連続での転移は不可能であり移動距離の制限もある。

 

 だが、彼女はそれを創意工夫で見事に補っている。

 

 テレポーター(切り札)の切り時を間違えず、最適に用いて戦果を獲得する。

 

 それが、茜という狙撃手の戦闘技法(スタイル)

 

 他に例を見ない、独自の強みを構築した狙撃手と言える。

 

「しかし、日浦ちゃんのお陰でなんとかなりましたけど、今回は那須隊も危なかったんじゃないすか? あのまま香取ちゃんに逃げ切られてたら、生存点入っても負けだったんだし」

「いや、一概にそうとも言い切れない。恐らく那須隊は、最初から当真を釣り出して仕留めるつもりで戦っていただろうからな」

 

 まず、と風間は順序立てて説明を始めた。

 

「言うまでもないが、冬島隊と戦うにあたって真っ先にやる事はなんだ?」

「そりゃ、冬島さんがスイッチボックスを設置し終えて雲隠れする前に見つける事ですね。一度仕事を終えたら、冬島さんはまず見つからないですし」

「そうだ。スイッチボックスを仕掛ける時しか、冬島さんを落とせる機会(チャンス)はない。だから、冬島隊と戦う時は序盤が勝負の分かれ目になる」

 

 風間の言う通り、冬島は基本的に前線に出る必要がない。

 

 準備さえ終えてしまえば、後は適当な場所に引き籠ってスイッチボックスの操作に終始する。

 

 そんな彼が唯一身を晒して動き回らなければいけないのが、スイッチボックスの設置段階である。

 

 スイッチボックスを仕掛けるには、実際にその場に赴いてセットする必要がある。

 

 その為、冬島がランク戦が始まってまずやる事は隠れながらスイッチボックスを設置して回る作業になる。

 

 この時ばかりは様々な場所を巡らなければならない為、当然途中で相手チームと遭遇(エンカウント)する可能性が存在する。

 

 故に、冬島隊との戦いは時間と運の勝負になる。

 

 スイッチボックスの設置完了の前に冬島を捕捉出来るか否かが、文字通り勝負の分かれ目となるからだ。

 

「だが、那須隊は積極的に冬島さんを探そうとはしなかった。今までの傾向から考えてあの隊がそういった下調べを怠るとは思えない以上、そこには明確な理由がある」

「それが、当真さんの釣り出しって事ですか」

 

 そうだ、と風間は佐鳥の言葉を肯定する。

 

「言うまでもないが、狙撃手は基本的に位置がバレれば脅威度が著しく下がる。加えて、今回は狙撃手殺しとも言える特性を持つ七海がいた。この状況下では、スイッチボックスの下準備が完了するまで決して当真は姿を見せないだろう」

「ま、当然といえば当然っすね。狙撃手は最初の一発を当てる事が仕事ですから、普通はそうなります」

「ああ、だが逆に言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事でもある。実際、今までのA級ランク戦でも基本的にあいつはそういう行動を取っていた」

 

 風間の言う通り、狙撃手は最初の一発を当てる事こそが仕事と言えるが、反面一度位置がバレれば一気にその脅威度は下がる。

 

 当真がそれを理解していない筈もなく、ランク戦では基本的にスイッチボックスの準備が終わるまではひたすらに潜伏を続けていた。

 

 狙撃を実行するのは、スイッチボックスの設置終了後。

 

 それが、冬島隊の行動パターンの鉄板であった。

 

「だからこそ、敢えて那須隊は冬島さんの行動を放置した。スイッチボックスを設置させ、当真に表に出て来させる為にな」

 

 故にこそ、それを利用した。

 

 相手に有利な条件を整えさせる事で、当真に()()()()()()()()()()()()()()ように仕向けた。

 

 最後のカウンタースナイプに、繋げる為に。

 

「有利な条件を整えさせる事で、引き金が軽くなるよう誘導したって事っすか。でもそれ、冬島さんを探して落とすんじゃ駄目だったんですかね?」

「単純に、成功率が低い。冬島さんの隠密能力は相当なものである上に、派手に捜索すればその隙に当真に撃たれる危険もある。完全に設置が終わる前でも、逃げ道となるスイッチボックス(移動手段)くらいは確保しているだろうからな」

 

 冬島を直接狙わなかったのは、単純に成功率が低かったから。

 

 序盤に狙われるのは冬島にとっては慣れた事であり、当然対策も用意している。

 

 追い詰めたと思った相手の前からスイッチボックスを用いて逃走し、その隙に当真に撃たせる、なんて戦法も過去のランク戦では行っていた。

 

 だからこそ、那須隊は冬島を放置する事を決断した。

 

 冬島を落とすという選択肢を捨て、表に出て来るであろう当真を狙い撃ちにする為に。

 

「無論、スイッチボックスの設置を見過ごす事で相応の被害が出るのも予想の範疇ではあっただろう。ただでさえ得点力の高い香取に、狙撃とワープの援護が加わるんだ。無傷で済むと思うほど、楽観的ではないだろう」

「香取ちゃん、今回キレッキレでしたからねー。十全なサポートを得た上で動くと、あそこまでおっかないとは」

「実際、被害の規模は那須隊の想定以上だったろうからな」

 

 恐らく、と風間は前置きして告げる。

 

「那須隊が想定していた被害は、那須と古寺の二人だった筈だ。米屋は落とされるとしても、当真が相手だと考えていただろうな」

「実際は、当真さんがサポートして香取ちゃんが獲っちゃいましたからねー。あの二点は大きかった」

「転送運も絡んでいただろうがな」

 

 風間はそう話すと、桜子に指示して各隊員の初期転送位置を画面に表示させた。

 

「最初の転送で古寺が香取と当真のいる東側に転送された時点で、古寺の生存は半ば切っていた筈だ。冬島さんが逆側にいれば可能性はあったかもしれないが、結果的に東側に香取隊側の戦力の過半数が集中する結果となっていた。あの状況で孤立した狙撃手が生存する芽は、ほぼなかっただろうからな」

 

 そう、スイッチボックスという逃走手段のある当真と違い、古寺には位置がバレれば逃げる術はない。

 

 何せ、相手はワープを用いて瞬時に移動出来るのだ。

 

 位置が割れれば、その時点で命運は尽きる。

 

 かと言って、那須は香取と戦闘中。

 

 三輪も、戦闘の場へ向かう事が急務だった以上、古寺のフォローは出来ない。

 

 高確率で古寺は落ちると、那須隊側は予想していた筈である。

 

「だが、古寺が当真を抑えていなければ那須はもっと早くに落とされていただろう。そういう意味で、あれは必要な犠牲だったと言える」

「そういうケースって結構ありますもんね。リスク管理って重要ですし」

「ああ、仲間を助けるだけがチームワークじゃない。時には仲間を切る判断も、戦場では重要になる。那須隊は、それを良く分かっているな」

 

 ROUND3の失態は無駄ではなかったようだ、と風間は内心で呟いた。

 

 あの敗戦を経て成長していなければ、那須隊は仲間を捨て駒にする戦略を取る事は今でも出来なかっただろう。

 

 戦場では、仲間を見捨てなければ勝利出来ない場面は往々にして出て来る。

 

 そしてトリオン体ならば死んでも緊急脱出出来る以上、必要以上に仲間の生存に拘るべきではない。

 

 それを学べた事こそ、あの敗戦の意義であったとも言える。

 

「米屋の場合は、香取の成長と当真に対する読みを見誤った結果と言える。香取が送り込まれる事は予想していただろうが、点を取るのはあくまで当真、という思い込みに引きずられたな」

「実際、あれは俺も驚きましたからねー。当真さんがサポートに回るってのは、完全に予想外でした」

 

 香取隊が那須隊の思惑を上回ったと言えるのが、米屋を落とした戦闘だろう。

 

 もしも米屋を落とすとすれば、当真の狙撃だろうと那須隊は予想していた。

 

 香取は確かに爆発力がある点取り屋だが、単純な技量では米屋に分がある。

 

 少なくとも、1対1の状況であれば負けはない。

 

 そう考えていたからこそ、当真がサポートに回るという意表を突かれ、落とされた。

 

 あの失点は、那須隊にとっても予想の外だった筈だ。

 

「それも含めて、香取隊は大いに健闘したと言えるだろう。結果的に負けはしたが、この不利な状況下で5点も取れれば大したものだ。充分、今後に期待出来る部隊と言えるな」

 

 

 

 

『俺も同感だな。お前達はよくやったと思うぞ』

 

 冬島は、通信越しに香取隊に向けてそう告げた。

 

 その称賛の言葉に三浦は安堵の息を吐き、若村は顔をほころばせる。

 

 そして香取は、盛大に溜め息を吐いた。

 

「まだまだだわ。今回は、指揮を全面的に任せたから此処までやれた。その減点分を考えると、この程度で満足しちゃいられないわ」

『貪欲だねー。でも、そういうの好きだぜ。向上心があるうちは、幾らでも上達はするだろーからな』

「余計なお世話よ。あと、上から目線がムカつく」

 

 俺はA級だからなー、と当真は事もなげに呟く。

 

 それを聞いて香取は一瞬苛ついたようだが、なんとか抑えたようだ。

 

 当真の実力は、この試合で嫌というほど思い知った。

 

 人間的には好きになれそうもない相手だが、その強さは本物だ。

 

 ならば此処で喚いても格好悪いだけだと、香取のプライドは判断した。

 

 そんな香取の内なる想いを間近で察していた三浦にとっては、大変心臓に悪い一幕であった。

 

『ともあれ、前にも言ったが得点だけが全てじゃない。今回の試合は充分、高評価に繋がる出来だった。俺だけじゃなく、他の隊長達もそう判断するだろう』

『ああ、自信を持っていーだろーぜ。この調子でやってけば、合格も夢じゃないかもな』

「ええ、言うまでもないわ。最初から、諦めるつもりはないもの。今回は負けたけど、まだ試験は三回ある。絶対に、挽回してみせるんだから」

 

 香取は強い意思を込めてそう宣言し、三浦達も頷いた。

 

「…………」

 

 その光景を、染井は何処か眩しそうに見詰めていた。

 

 今の香取隊は、以前とは違う。

 

 その事に対し複雑な想いを抱えながらも、嬉しいと感じる自分がいる事を、改めて自覚した染井であった。

 

 香取隊は、まだ強くなれる。

 

 それだけは、彼女達全員が感じていた総意であった。

 

 

 

 

「那須隊に関しては、流石と言う他ないな。細かい指摘は幾つか出来るが、B級一位になっただけはある」

「そっすね。失点も那須隊のミスって言うより、香取隊が巧くやった、って印象の方が強いですし」

 

 流石、二宮さんを落としただけはあるなー、と佐鳥は呟く。

 

 今回、那須隊は転送運という逆風がありながら可能な限り最善の選択が出来ていたと言える。

 

 被害が予想より大きくなったものの、明確な失態は演じていない。

 

 徹底した試合運びは、攪乱と大胆な不意打ちに特化した那須隊の面目躍如と言える。

 

「一方で、危ない面があった事もまた事実だ。香取隊の経験不足という要素がなければ、場面場面でどう転がってもおかしくない試合ではあった。結果的に上手く行ったが、これからは少しの油断が命取りになるだろう。そういう意味で、課題がないワケじゃない」

 

 だが、と風間は笑みを浮かべる。

 

「それを踏まえても、良い試合だった。これからも慢心する事なく、常に上を目指して貰いたいものだな」

 

 その言葉に、隣に座る佐鳥はくすりと笑みを漏らした。

 

 厳しい言葉を言いがちな風間ではあるが、見込んだ人間に対してなんだかんだ面倒見が良い。

 

 試験官の一人である以上公平さを心掛けているようではあるが、根底にある面倒見の良さは隠せていない。

 

 もっとも、それで判断を鈍らせるほど甘い男ではない事も充分に承知している。

 

 身内かどうかは関係なく、これからも公平な視点で判断を下していく事だろう。

 

 それが多くのボーダー隊員から人望を集める、風間蒼也という少年の在り方なのだから。

 

「総評はこれで終わりだ。第二試験の詳細については、後程通達がある筈だ。今日行われる全ての試験が終わり次第、連絡が入る。チェックを欠かさないようにしてくれ」

 

 風間はそう告げると発言を終え、桜子に視線を向けた。

 

 その視線の意味を汲んだ桜子は、すぅ、と息を吸い込んでマイクを握る。

 

「ありがとうございましたっ! ではこれにて、合同戦闘訓練第一試験を終了致しますっ! 皆さん、お疲れ様でしたっ!」

 

 風間の総評が終わり、桜子が試験の終了を告げる。

 

 A級昇格試験、その第一試験はこうして幕を閉じた。

 




 数日更新が滞ってしまいました。疲れとか色々ありましたので。

 てなワケで第一試験終了です。

 トラッパーという未知の部分が多い要素を孕んだ戦闘だったので難産でしたが、自分なりの解釈でやり遂げたつもりです。

 A級ランク戦が原作で描写される事はもうないでしょうし、多分ランク戦で冬島さんが戦う事はないんだろうという楽観の下で組み立てた試合でありました。

 まあこれはこれで楽しかったですけどね。特殊ギミックとか割と好き。


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それぞれの矜持

『お疲れ様。これで第一試験は終了だ』

 

 通信声に奈良坂の声が響き、それを聞いた茜は「頑張りましたー」と朗らかに笑っている。

 

 その様子を見て、七海達もまた笑みを浮かべる。

 

 実際、今回のMVPは彼女であると言っても差し支えはない。

 

 茜が当真を狙撃で仕留めていなければ、負けていたのは自分達だった。

 

 彼女の力なくして、この勝利は有り得なかった。

 

 それは、この場の全員が実感している事である。

 

「途中でひやりとした事はあったけど、なんとか勝てて良かったわ。香取さんの力を、甘く見ていた」

『いやあ、面目ない。俺もあそこで当真さんじゃなく香取に落とされるとは思ってなかったからなー。ったく、まんまとしてやられたぜ』

『ああ、あれはどちらかというと陽介の落ち度だ。そこまでの減点対象にはならないだろう』

 

 ひっでぇなー、と米屋は三輪の言葉にぶーたれるが、それでもその声には若干の悔しさと隠し切れない闘争心が滲み出ていた。

 

 彼自身、あの敗北には思うところがあったのだろう。

 

 それで腐るのではなく奮い立つあたり、戦闘狂(バトルマニア)の面目躍如といったところか。

 

『第二試験の内容や詳細については、今日の全試験が終わり次第通達される筈だ。連絡は欠かさずチェックするようにしていてくれ』

「ええ、分かったわ」

『以上だ。健闘を祈る』

 

 三輪はそう言って締め括ると、通信を切った。

 

 ファーストコンタクトの時のような危うさは、今の彼からは感じ取れない。

 

 大人になった、と言うべきだろうか。

 

 初対面の印象と経緯で三輪の事をあまり良くは思っていなかった七海ではあるが、今の彼ならば付き合って行く上で問題はないだろう。

 

 そう思えるほど、三輪の変化は顕著であった。

 

 もっとも、根底にある近界民(ネイバー)への憎悪は消えていない為、近界民が関わる事柄では冷静さを失う可能性はある。

 

 近界民への憎悪は、三輪のアイデンティティそのものだ。

 

 七海のように那須の存在(心の支え)がなかった彼は、その憎悪だけを拠り所にして生きて来たに違いない。

 

 話によれば東を始めとする旧東隊の面々からは気にかけて貰っているようだが、それでも姉を失った時期に支えとなるものがなかった、というのは大きい。

 

 那須と七海の以前の関係は歪ではあったが、それでも最低限心の安寧を守る役には立っていた。

 

 傷の舐め合いのような関係でも、応急処置としては悪くはない。

 

 問題はそれをずるずると続けていた事だったので、今はもう大丈夫だ。

 

 互いの存在が不可欠である事に変わりはないが、それでも自分の足で立つ事が出来るようになっている。

 

 三輪の場合、憎悪を杖替わりにして無理やり立っていたような状態だったのだ。

 

 それを捨てる事は、身体を支えるものをなくすのと一緒だ。

 

 彼の根底を変える事は、容易ではないだろう。

 

 もっとも、無理に彼を変えようとは思ってはいない。

 

 冷たい言い方にはなるが、そこまでの義理も義務も七海にはない。

 

 迅に頼まれでもすればまた違うが、現時点で彼の問題に無理に介入するつもりはない。

 

 恐らく、その役目は自分ではないのだろうから。

 

 人には、適材適所というものがある。

 

 村上が、自分の変わる切っ掛けとなってくれたように。

 

 きっと三輪にも、変わる切っ掛けとなる人がいる筈だ。

 

 七海(自分)では、三輪と境遇が近過ぎる。

 

 共に近界民の大規模侵攻で肉親を失い、七海は那須の存在で、三輪は憎悪を依り代として、立ち上がる事が出来ていた。

 

 頼りにしたものこそ違えど、喪失の痛みを共に識る者である事は共通だ。

 

 三輪に変革を齎すのならば、きっと彼とは全く違う者の存在が不可欠だろう。

 

 たとえば、非力ながらも自分の意思一つで立ち上がるような、そんな存在が。

 

 そんな常軌を逸した精神の持ち主など早々いる筈もないが、もしかしたら今後現れないとは言い切れない。

 

 願わくば、良い出会いがありますように。

 

 そう想うくらいは、良いかもしれない。

 

 

 

 

よくやった茜。素晴らしかったぞ茜。初の共同作業だな茜。あの当真さんを仕留めるなんて、流石だぞ茜。最高だな茜。あの時の茜の映像は、永久保存してやるからな。ああそうだ、技術部に依頼すれば茜のフィギュアなんかも作ってくれるんじゃないか? いや、それよりもそういうのが得意な隊員に頼んでみるのもいいかもな。いやしかし、茜の似姿を他人にあれこれされるのは…………

 

 一方、通信を切った三輪隊の隊室では奈良坂が盛大に壊れていた。

 

 故障したスピーカーのように弟子への愛を垂れ流している奈良坂は、部屋の中で盛大に浮いていた。

 

「…………なあ、うちのイケメンが怖いんだが」

「知るか。放っておけ」

 

 米屋の訴えを、三輪はにべもなくそう切り捨てる。

 

 弟子を持たない三輪には奈良坂の気持ちなど理解出来ないし、ぶっちゃけしたくない。

 

 弟子を大事にするのは結構だが、それはそうとして今の奈良坂の姿は彼の隠れファンにでも見られればどう思われるか想像もしたくない。

 

 奈良坂は那須の従兄弟だけあって、稀にすら見ないレベルの美形だ。

 

 当然、学校にも彼のファンは多い。

 

 物腰柔らかな普段の態度と相俟って、相当数の女性ファンがいる事を米屋は知っている。

 

 幾度となく告白されてもそれらを次々と断ってきたという武勇伝も知っている為、一時期は女性に興味がないのではないかと疑った事もある。

 

 奈良坂曰く、「そんな事はないさ。でも、今は恋愛をしている暇はないだろう?」との事だったのでその時は納得したものだが、今の奈良坂を見ると少し怪しくなって来る。

 

(まさか、ロリコンだったから同級生に興味なかった、とか……? いやいや、ちょいと小さいだけで日浦さんは中3だしロリってワケじゃ…………駄目だな、絵面が悪過ぎる)

 

 茜は中学三年、奈良坂は高校二年で二歳しか違わないが、茜は同年代と比べても割と小柄で童顔だ。

 

 普段であれば奈良坂を慕う茜の姿は年上の少年に憧れる少女という風で微笑ましいものだったが、今の彼からは邪念のようなものが溢れ出ている。

 

 容姿が整い過ぎている事も相俟って、胡散臭い不審者にしか見えない。

 

(ま、いいや。奈良坂の性癖がどうであろうと実害はねぇし、案外相思相愛かもしれねぇからな。余計な事を言うのは野暮か)

 

 色々考えたが、これ以上藪を突いて蛇を出したくない米屋はあっさり思考を打ち切った。

 

 弟子可愛さで不審な行動を繰り返す奈良坂だが、今のところ実害があるワケでもない。

 

 精々、師匠の豹変に古寺があたふたする程度だ。

 

 三輪は特に干渉するつもりはないようだし、米屋も積極的に他人の事情にちょっかいを出す気はない。

 

 三輪隊の狙撃手としての仕事を全うしてくれるのなら、プライベートまであれこれ口を出す野暮はしないつもりである。

 

(しっかし、香取も七海も、随分育ってるじゃねぇか。また今度、戦ってみてぇモンだな。今度は七海の相手側のチームと組むのも面白そうだが、こればっかりは俺が決められる事じゃねぇしなー)

 

 はぁ、と米屋は溜め息を吐く。

 

 今回の試合もそれなりに楽しめたが、それ故に戦意を燻ぶらせる結果ともなっていた。

 

 香取との戦いも負けはしたが良い戦いであったし、負けた事は悔しいが割り切る事は出来ている。

 

 だがそれはそれとして、ああも良い戦いを間近で見せつけられては闘志が疼くのも至極当然。

 

 戦闘狂としての(サガ)は、一刻も早くあの強者達と戦いたいと訴えている。

 

 されど、今は大事なA級昇格試験の期間中。

 

 試験官の一人である米屋は、また次のチームとの打ち合わせをしなくてはならない。

 

 最終的な判断を下すのは隊長である三輪だが、米屋達の意見もまた無意味ではない。

 

 隊長の三輪は己だけの判断ではなく、隊員全員の意見を吸収してそれを纏めた結果として最終評価を決めるのだ。

 

 三輪のように細かくレポートを提出する必要こそないものの、必要に応じて自分の所感を話さなければならない。

 

 どうやら三輪はこの後それをやるつもりでいるようで、その作業が終わっても次の試験の準備がある。

 

 残念ながら、七海との戦いは暫くおあずけである。

 

(それはそうと、そろそろ夜の部の試合も終わるよな。さて、他のチームはどういう結果になったかねぇ)

 

 

 

 

「やられたね。ここまでか」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 胸を刃で貫かれた王子が、光の柱となって消えていく。

 

 それを見届け、彼を倒した少年────────影浦は、表示された獲得ポイントに目を向けた。

 

部隊得点生存点合計
影浦隊
王子隊

 

「ちっ、まだあいつ等には追い付けてねえな」

 

 結果は、8:4で影浦隊の勝利。

 

 倍の点差での勝利だが、影浦の顔はどうにも浮かない。

 

 草壁隊と組んだ王子隊の面々は全員影浦が叩き斬り、ユズルもA級隊員を狙撃で仕留めて見せた。

 

 だがそれでも、初期ポイントと合計で13点。

 

 那須隊の14点には、僅かに届いていない。

 

 加えて、影浦隊と組んだ片桐隊の隊員を一人は草壁隊に落とされている他、王子隊には北添と片桐隊の隊員一人が倒されている。

 

 勝利の形に拘らず、取れる点を確実に取る王子隊らしい采配の試合であったと言える。

 

「けど、待ってろ七海。すぐにでも、追いついてやっからよ」

 

 影浦はそう呟き、不敵な笑みを浮かべる。

 

 彼自身はA級への復帰や遠征になど興味はないが、ユズルの願いが絡んでいるとなれば話は別だ。

 

 A級復帰も全力でやり遂げる気でいるし、全霊を懸けて遠征部隊の選抜試験にも挑むつもりだ。

 

 やるのならば、徹底的に。

 

 一度は弟子に負けた身とはいえ、リベンジをしないとは一言も言っていない。

 

 今回その巡り合わせがなくとも、弟子(七海)が頑張っている以上こちらも全力でやらなければ嘘というものだ。

 

 敗者には、敗者なりの矜持がある。

 

 弟子は、七海は、影浦(じぶん)を超えた。

 

 その事は悔しくもあるが、嬉しくもある。

 

 色々気を揉む事もあったが、今の七海は立派に自分の足で立っている。

 

 だから、自分はそんな七海に恥じない師であり続けなければならない。

 

 彼と出会う前の影浦であったなら考えもしなかった事だろうが、これはこれで悪くないと思っている。

 

(そろそろあっちも試合終わったか。二宮の野郎、どのくらい点取りやがったんだ……?)

 

 

 

 

『決着……! 生存点が加算され、10:2で二宮隊の勝利です……っ!』

 

部隊得点生存点合計
二宮隊10
生駒隊

 

 実況の綾辻の宣言と共に、画面に互いのチームの得点が表示される。

 

 二宮隊の得点は、まさかの10点。

 

 滅多に見る事のない、二桁台の数字である。

 

 その圧倒的な戦果に、会場にいる者達は言葉を失っていた。

 

 最初は、誰もがこのような結果になるとは想像もしていなかった。

 

 二宮隊が勝つだろう、と考えていた者は多いだろう。

 

 圧勝かもしれない、と思った者もいた筈だ。

 

 だがまさか、此処までの戦果を挙げる事になると想像していた者はいなかった。

 

 二宮隊は、早期に二宮と犬飼が合流する事に成功した。

 

 更に彼等は斥候をチームを組んだ加古隊に任せ、その間に辻との合流にも成功。

 

 そして、相手の大まかな位置が分かった段階で、二宮が誘導炸裂弾(サラマンダー)を用いた連続爆撃を敢行。

 

 生駒隊の四名と、風間隊の歌川、菊地原を順次撃破し8点を獲得した。

 

 風間だけは生き残ったが、生駒が撃破された時点でルールにより試合は終了。

 

 生存点を獲得し、10点をものにしたというワケだ。

 

 対応力の高い生駒隊の面々や、隠密(ステルス)戦闘に特化した風間隊といえど、トリオン能力の高い二宮に不意打ちでごり押しされれば流石にきつい。

 

 一発逆転を懸けた生駒旋空も、時間差で撃ち出していた誘導弾(ハウンド)によって防がれ撃破。

 

 そうして、この10得点という結果に繋がったワケである。

 

 これで二宮隊のポイントは、初期ポイントと合計して16。

 

 那須隊の14ポイントを超え、トップに躍り出た。

 

 毎回此処までのポイント獲得は流石にないだろうが、これで那須隊はポイントの大量獲得が急務となった。

 

 獲得ポイントだけが選考基準ではないとはいえ、出来る事なら一位通過の方が可能性が高いに決まっている。

 

「フン……」

 

 試合を終え、表示された獲得ポイントを見ていた二宮は空を仰ぐ。

 

 その両手は、ポケットには入っていなかった。

 

 先日の敗北は認めているが、彼もまた、このままで終わるつもりはない。

 

 直接対決だけが、勝負を決めるワケではない。

 

 ただひたすらにポイント獲得に専念し、成果を積み上げ圧倒する。

 

 それが、今の彼等の戦い方。

 

 玉座から陥落した王にも、矜持というものがある。

 

 勝ちたい理由があるのは、彼もまた、同じなのだから。




 ここ数日疲れで寝落ちで更新出来てなかったけど今日は更新。

 取り合えず、ただ勝つだけでは駄目だよというお話。

 そう簡単にはいかないのだ。


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旗持ち

 

 

部隊順位得点
二宮隊 1位16Pt 
那須隊 2位14Pt 
影浦隊 3位13Pt 
弓場隊 4位7Pt 
香取隊 5位7Pt 
生駒隊 6位6Pt 
王子隊 7位5Pt 

 

「予想は出来てた事だけど、もう抜かれちゃったか……」

 

 熊谷は画面に表示された現在の順位の一覧を見て、溜め息を吐いた。

 

 分かってはいた事だ。

 

 ランク戦では四位以下に相応のポイント差を付けていた那須隊だが、B級ランク戦が終了した事でポイントの優位は一度リセットされている。

 

 初期ポイントで優遇こそされているが、決して覆り得ない数字ではない。

 

 事実上A級部隊と同格である二宮隊と影浦隊に関しては、1、2点程度の点差など容易く覆るだろうと考えていた。

 

 だからこそなるべく香取を最後の方まで生き残らせて点を取りに行ったのだが、此処に来て相手の部隊との人数差が裏目に出た形になる。

 

 二宮隊は四人部隊の生駒隊を全滅させ、更にA級隊員も二人撃破した事であれだけの得点を獲得したらしい。

 

 対して、こちらは対戦相手の人数は5人。

 

 合理性を取った結果冬島を倒す事は諦めざるを得なかったとはいえ、得られる得点が少なかったのはどうしようもない。

 

 そういう意味では、初戦は運がなかったと言える。

 

「今回は仕方ない。それよりも、これからどう得点を稼ぐかが重要だ」

「そうね。香取隊にも予想より点を取られてしまったし、次もなるべく多くポイントを取りたいわ。もう、冬島隊の相手は勘弁願いたいけどね」

 

 流石に、二度続けて同じ部隊と当たる事はないでしょうけど、と那須は物憂げに口にした。

 

 冬島隊の厄介さは、この一戦でしみじみと痛感した那須である。

 

 作戦の為だったとはいえ、自分が捨て駒にならざるを得なかった事に何も感じていないワケではない。

 

 冬島隊は人数が少ない為得点を重ねるには不向きな相手であり、尚且つ当真の狙撃と冬島のスイッチボックスのコンボが死ぬほど厄介だ。

 

 更に冬島は基本的に雲隠れし続け、当真もスイッチボックスの準備が完了すれば忙しなく位置を変える為、仕留める事は容易ではない。

 

 あちらは着々と得点を重ねるのに、こちらは相手の姿を捉える事すらままならない。

 

 この厄介な性質が、A級二位という地位を得るにあたって有利に働いている事は言うまでもない。

 

 東隊といい、狙撃手メインのチームが如何に面倒な相手かが分かるというものである。

 

「そういえば、今回昇格試験を受けるのは七部隊ですけど、二部隊ずつぶつかるとしても一部隊余りますよね? 残った1チームはどうなるんですか?」

「説明によれば、残ったチームはA級部隊と1対1で戦うらしい。ハンデとして最初から2ポイントを得た状態で始まるらしいが、厳しい試合である事は言うまでもないだろうな」

 

 七海は茜の疑問にそう返答し、画面に表示された順位表の一部分に目を向ける。

 

 今回、この残った1チームというのは弓場隊だ。

 

 弓場隊の今回の得点は、4Pt。

 

 説明通り2点が最初から獲得出来ていたという事であれば、彼等が獲得したポイントは実質2Pt。

 

 そして、第一試合で誰とも組んでいないA級部隊は────────A級一位、太刀川隊である。

 

 故に、弓場隊はあの太刀川隊の隊員を一人倒した事になる。

 

 A級部隊である太刀川隊に親のコネで入った唯我は本人の実力がB級下位レベルなので試験官としては不適切として試合には参加していない為、太刀川か出水のどちらかを倒す事に成功したという事だ。

 

 NO1攻撃手である太刀川慶と、合成弾の開発者である天才射手出水公平。

 

 そのいずれかを、弓場隊は下した。

 

 恐らく、この事実は見た目の得点よりもずっと重い。

 

 A級部隊の助力なしでA級部隊(格上)を相手にしなければならない形式のこの試合は一見外れくじに見えるが、場合によっては千載一遇のチャンスと成り得る。

 

 三輪は言っていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 この試験は、得点だけで合否が決まるという事はない。

 

 獲得ポイントでの競い合いが実技試験ならば、その後の各隊長から下される評価は面接試験のようなものだ。

 

 A級に至るに相応しいという評価を下されなければ、たとえ一位通過しても合格とはならない。

 

 そういう意味で、A級部隊とタイマンで戦い勝ち取った得点は、実数以上の重みがある。

 

 故に、対戦組み合わせで余った部隊は必ずしも不利であるとは言い切れない。

 

 リスクの分、リターンも相応に大きいのだから。

 

(ポイントでは弓場隊は大きく突き放す事は出来ているが、油断は出来ないな。いや、それは何処も同じだな。香取隊にも、ひやりとさせられたしな)

 

 七海は第一試験での香取の戦いを思い出し、薄く笑みを浮かべた。

 

 二宮隊を追い抜かなければならないのは勿論だが、他の部隊も決して侮って良い相手ではない。

 

 影浦隊もまたポイントは僅差であり、そもそも得点力の高い部隊だ。

 

 油断していると、すぐにでも順位を逆転されるだろう。

 

 弓場隊も第一試験での『内申点』は大きいだろうし、香取隊とはまた違った爆発力のあるチームだ。

 

 香取隊と違い突破力と安定した連携力を兼ね備えており、バランスの良い実力者チームだ。

 

 生駒隊は第一試験では二宮隊に惨敗したようだが、それでもあの地力の高さは脅威だ。

 

 得点力も低くはないし、すぐに巻き返してきても不思議ではない。

 

 香取隊は今回の試合で予想以上の成長を見せつけられたし、王子隊もA級部隊と組む事によって()()()()()()()()()()()()()()()()が補強されればどうなるか分からない。

 

 総じて、舐めてかかれる相手など一人もいないのだから。

 

「けど、次の試験も中々厄介みたいだね」

「ええ、まさかこんな特別なルールが組み込まれるなんてね」

 

 熊谷と那須がそう言って目を向けるのは、手元の通信端末だ。

 

 そこには、次に行われる試験────────その試合で適応される、()()()()()についての説明が記されていた。

 

 『旗持ち(フラッグ)ルール』

 

 ①両チームのB級隊員の中から一名ずつを選び、旗持ち(フラッグ)とする。

 

 ②旗持ちが落とされた場合、通常の獲得ポイントとは別に落としたチームには2Ptが加算され、その時点で試合終了となる。

 

 ③誰が旗持ちなのかは、その隊員を視認した時点で自動的に視界情報に表示される。

 

 ④旗持ちは、試合開始後変更する事は出来ない。

 

 以上が、今回の試験における特殊ルール────────旗持ち(フラッグ)ルールである。

 

「これ、誰を旗持ちにするかも重要になりそうですね」

「ああ、落とされたら相手チームに二点、しかもその時点で試合終了だ。慎重に選ぶ必要があるだろうな」

 

 何故なら、と七海は続ける。

 

「旗持ちは、視認されれば正体が露見する。つまり攻撃手が旗持ちになった場合、誰がそうなのかを隠すのはほぼ不可能だ」

「近接しない攻撃手、なんてのはまずいないからね。旋空にしても、射程距離は最大でも20メートルちょい。あの生駒旋空でもない限り、視認を避けられる距離じゃあないわね」

 

 そう、このルールでは、可能な限り『旗持ち』が誰なのかを隠した方が有利となる。

 

 旗持ちを落とせば通常の得点と合計して三得点が入り、その時点で試合終了となる。

 

 更に言えば、この試合終了ではB級部隊全滅時のA級部隊強制緊急脱出によるものと異なり、戦場の人員は変化しない。

 

 つまり、このルールでは、()()()()()()()()()()のだ。

 

 相手チームと組んだA級部隊を先に全滅させ、旗持ちを最後の一人として落とせば生存点も手に入るものの、流石にそれは現実的ではない。

 

 いわば、旗持ちを落とした時の得点が生存点の代わりと言える。

 

 その時の得点が2点というのも、生存点と同じポイントだ。

 

 明らかに、試験内容を決めた側にはそういう意図があるのが分かる。

 

 そう考えれば、この高く見える配点にも理解が出来るというものだ。

 

 故に、旗持ちが特定されれば相手は()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 場合によっては、失点覚悟で旗持ちを狙って逃げ切る、という戦略も採れるだろう。

 

 また、得点を稼ぐ前に旗持ちを倒してしまう、という事態を防ぐ事にも繋がる。

 

 だからこそ、旗持ちが誰なのかはなるべく早く知っておいて損はなく、また自陣の旗持ちの特定を避けるに越した事はないのだ。

 

 その点において、攻撃手を旗持ちにするのは少々リスキーだ。

 

 攻撃手が仕事をするには、必然相手に近付く必要がある。

 

 そうなると当然ながら相手に視認される事になり、旗持ちである事が露見する。

 

 旗持ちの所在を隠しておいた方が良いこのルールでは、あまり得策とは言えないだろう。

 

「じゃあ、私がやるのがいいかしら? それとも、茜ちゃんにする?」

「いや、まだ決めるのは早計だろう。対戦の組み合わせ次第で、戦略を考え直す必要もあるだろうからな。月曜の発表を待って、それから決めれば良い」

 

 那須の提案を、七海はそう言って押し留めた。

 

 相手がどのチームになるかも分からない現状、旗持ちを安易に決めてしまうのは得策ではない。

 

 相手に合わせて戦術を変えるのは、当然の思考だ。

 

 ()()()()()などという思考停止に陥った者の末路は、言うまでもない。

 

 どんなに優れた戦術であろうと絶対はなく、どれだけ完璧に見えても崩し方は必ずある。

 

 だからこそ、一つの戦術に拘るようでは上へは進めない。

 

 得意戦術があったとしてもそれだけに拘らず、相手に合わせて対応を変える。

 

 最低限これが出来なければ、勝ち続けるなど不可能だ。

 

 戦場は、生き物だ。

 

 想定外(イレギュラー)が起きる事が当たり前の場所で思考を固定する事がどれだけ愚かしいかは、言うまでもない。

 

 それを理解出来ていたからこそ、那須隊は此処までやって来れた。

 

 たとえば、七海がメテオラ殺法を使う事に拘っていたら。

 

 たとえば、那須が七海と組む事に拘っていたら。

 

 たとえば、熊谷が仲間の援護をする事にだけ拘っていたら。

 

 たとえば、茜がライトニングを使う事にだけ拘っていたら。

 

 那須隊は、B級一位の座を奪う事は出来なかっただろう。

 

 相手に応じて対応を変え、綻びを見つけて突き崩す。

 

 それを徹底して来たからこそ、今の那須隊がある。

 

 全員が思考を縛らず、柔軟に対応出来て来たからこそ、此処まで勝ち残る事が出来たのだ。

 

 故に、判断を下すにはまだ早い。

 

 情報が出揃ってからで十分だと、七海は思考した。

 

「そうね。それからでも遅くはないわね」

「まあ、少なくともあたしは止めといた方が良さそうね。役柄的にも合わないし」

「いや、選択肢は狭めるべきじゃない。場合によっては熊谷にやって貰う事も有り得る、そう考えておいてくれ」

 

 七海は自嘲気味に嘯く熊谷に、努めて冷静にそう返した。

 

 ()()()()()

 

 そう思わせた時点で勝ち、という場面は幾らでもある。

 

 選択肢を、自分から狭めるべきではない。

 

 七海の言葉を受け、熊谷は苦笑した。

 

「そっか。それならそれで構わないわ。やれって言うならやるし、そうでなくても自分の仕事は全うするわ。どちらにせよ、あたしはやれる事をやるだけよ」

「ああ、そうしてくれ。俺と小夜子で色々と考えてみるから、今は身体を休めてくれ。我武者羅に鍛えるだけが、鍛錬じゃないからな」

「…………むぅ…………」

 

 熊谷と七海のやり取りを聞いて、那須は気付かれないようにひっそりと頬を膨らませた。

 

 那須隊の隊長は言うまでもなく那須であるが、作戦立案に関しては小夜子と七海がメインとなって行っている。

 

 残念ながら那須は現場指揮はある程度こなせるものの、作戦立案能力に関してはこの二人には及ばない。

 

 というより、二人の作戦立案能力が高過ぎるのだ。

 

 小夜子がオペレーターとして俯瞰的な視点から作戦をシミュレートし、七海が戦闘員としての視点で現場で起こり得る状況を想定し修正をかけていく。

 

 そういう意味で、小夜子と七海の二人は抜群の相性であると言えるのだ。

 

 ……………………それが少々、那須には面白くない。

 

 とうの七海に他意など無い事は分かっているが、那須は小夜子の秘めたる想いを知っている。

 

 七海と小夜子が一緒に作業する事に何も感じないかと言われれば、嘘になる。

 

 だがこれは必要な事である事は理解しているので、文句を言う事も出来ない。

 

 そんな葛藤(ジレンマ)が、那須の中で渦巻いていた。

 

「あ、それなら射手としての視点も欲しいですね。那須先輩の意見も聞きたいです」

「そうだな。頼めるか、玲」

「え……? あ、うん。分かったわ」

 

 ────────だが、そんな那須の内心は、小夜子にはお見通しである。

 

 小夜子とて、自分が原因で那須のモチベーションが下がるのは望むところではない。

 

 乙女心的に惜しい面はあるが、それよりも那須への気遣いの方が優先事項であると小夜子の理性(ほんのう)は判断した。

 

 なんだかんだ、小夜子は滅私奉公の女なのである。

 

 損な性分である事は分かっているが、今更これを曲げるつもりもない。

 

 恋する人(七海)尊敬する先輩(那須)も、仲間達(那須隊)も、その全てが大事なのだ。

 

 欲張りな性分だと、小夜子は思う。

 

 けれど、これで良い。

 

 小夜子は那須のあからさまに華やいだ笑顔を見て、改めてそう思った。

 

「中々厄介なルールだが、やりようは幾らでもある。誰が相手でも、勝ち筋は必ず見つけて見せる。これまでと、同じようにな」

 

 七海の言葉に、その場の全員が頷く。

 

 厄介なルールの開帳に、不安はある。

 

 けれど、それでも勝つ。

 

 それが、那須隊の総意である事に、間違いはないのだから。





 第二試験のルール開帳です。

 思いついたので導入してみました。最初に「基本的なルールは~」って言ったからね。

 「基本的な」って事は「それ以外」もあるって事だよ。

 詳細は作中で言及した通りですが、このルールの使い方については本番でお見せ出来るかと思います。

 最近疲れ諸々で更新出来ない日も多いですが、これ以上ペースを落とすつもりも更新を止めるつもりもないのでご心配なく。

 更新速度が武器の一つですしね、私の場合は。


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少女二人

 

 

「あ……」

「アンタ等……」

 

 それは、思いも依らぬ遭遇だった。

 

 翌日の日曜日。

 

 那須と七海が本部の廊下を歩いていると、曲がり角から歩いて来た香取と染井に出会ったのだ。

 

 お互い、今回の試合で戦った者同士。

 

 思うところも、それなりにあるだろう。

 

 身内以外とのコミュニケーションな不得手な那須はどうすべきか迷っており、七海も染井も積極的に話しかけるタイプではない。

 

 当然の流れとして、会話の口火を切ったのは香取だった。

 

「今回も、やってくれたわね。これで三回目の負けか。ほんっと、苛つくくらい強いわねアンタたち」

「そう言って貰えるなら光栄だ。次があるとしても、負けるつもりはないが」

「上等。次こそ吠え面かかせてやるから、覚悟しなさい」

 

 香取は特に気負う事もなく、堂々とそう宣言した。

 

 その姿に、那須は何処か眩しさを感じていた。

 

 戦闘中こそイケイケモードになる那須だが、本来の性根は控えめで奥手な少女だ。

 

 彼女のように、堂々とモノを言うタイプに憧憬がないと言われれば嘘になる。

 

「あら、私の事も忘れて貰っては困るわ。今回は負けたけど、次はああはいかないわ」

 

 それはそれとして七海と他の女が話しているのはなんだか気に入らなかったので、当然の流れとして香取の興味を自分に引き付けるように促すのだが。

 

 香取にそんな気がないと分かっていても、七海が身内以外の少女と仲睦まじい(那須視点)様子なのは気に食わない。

 

 たとえ奥手であろうと、言うべき事はきちんと言う。

 

 そんな自分の性質に、那須本人の認識は若干足りない。

 

 精々彼女としては()()()()()()()()()()という認識なのだろうが、多少棘があっても積極性がないワケではないという証左である。

 

 自分の事は、自分が一番分からない。

 

 ありふれてはいるが、この言葉も真実の一端を示しているのかもしれなかった。

 

「フン、次も勝ってやるわよ。お望みなら、今からでもいいけど? アタシは別に構わないわ」

「あら、面白そう。じゃあ、行きましょうか。鬱憤晴らしに丁度良いわ」

「上等。付いて来なさい」

 

 あれよあれよと話は進み、那須と香取は個人ランク戦で決着を着ける事となった。

 

 一連の流れを見ていた七海は溜め息を吐き、染井は仕方ないとばかりに肩を竦めた。

 

 ふと、そんなお互いの様子に気付く。

 

 「お互い苦労するね」と、二人の意思がアイコンタクトで交わされた。

 

 

 

 

「行って」

 

 摩天楼A。

 

 巨大なビル群が立ち並ぶそのMAPで、ビルの壁面を跳躍する那須の周囲から無数の光弾が発射される。

 

 光弾────────変化弾(バイパー)は複雑な軌道を描き、ビルを迂回する形で標的に向かう。

 

 四方八方からのバイパーの包囲攻撃、通称『鳥籠』。

 

 必殺の弾丸の檻が、香取に向かって牙を剥く。

 

「しゃらくさい」

 

 香取はそれを見て、即座にグラスホッパーを展開。

 

 シールドを展開しつつ、ジャンプ台トリガーを用いた空中機動で鳥籠からの脱出を図る。

 

 結果、最小限の被弾で檻から抜け出せるルートを導き出し、シールドを用いて弾丸を防御。

 

 鮮やかな動きで、無傷でその場を離脱した。

 

「────」

 

 無論、それで終わりではない。

 

 那須はビルの壁面を足場として跳躍し、香取から距離を取りつつ再度弾幕を展開。

 

 無数の光弾が、香取を再び檻に捕えようと迫り来る。

 

「ったく、うざったい……っ!」

 

 今回の弾幕は、密度が高い。

 

 よって、先ほどのようにシールドを頼りに弾幕の隙間を潜り抜けようとすればシールドが割られてしまう可能性がある。

 

 故に、無理な突破は愚策。

 

 となれば、取れる行動は決まって来る。

 

 飛来する弾丸に対し、香取は即座にグラスホッパーを展開。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、全速力でその場を離脱する。

 

「……!」

 

 当然、それを見過ごす那須ではない。

 

 建物の向こうから様子を見ていた那須は、獲物を狩りだすべく動き出す。

 

 香取からは死角になる位置で、那須は二つのキューブを合成。

 

 瞬時に合成弾を生成した那須は、それを香取に向かって撃ち放つ。

 

 先程のバイパーは、これを撃つ為の布石。

 

 香取が退避を選択したのも、那須の想定通り。

 

 全ては、この合成弾を作る為の伏線。

 

 必殺の弾丸が、香取に向かって飛来する。

 

「ち……っ!」

 

 香取は()()、それが合成弾である事に気付いていた。

 

 那須の持つ手札や性格を考慮すれば、此処で逃げれば間違いなく那須は合成弾を使って来る。

 

 これは、チームランク戦ではないのだ。

 

 第三者の介入が存在しない以上、対戦相手(香取)の動向にだけ注意すれば合成弾を生成する事は容易い。

 

 合成弾を使用するには、両攻撃(フルアタック)の状態になる必要がある。

 

 しかも、合成中は攻撃も防御も行えない。

 

 故に、相手と対面しながら合成弾を使用するのは自殺行為に他ならない。

 

 だが、那須はその隙を自らの機動力で埋めている。

 

 更に言えば、この摩天楼ステージは彼女の得意とする障害物が多く、上下に広いMAP。

 

 少しでも隙を見せれば、一気に押し込まれて終わりだろう。

 

 売り言葉に買い言葉でMAPの選択権を譲ってしまった香取だが、その浅慮が自らの首を絞める結果となった。

 

(────────なんて、あいつは思ってるんでしょうね)

 

 ────────などという、事はない。

 

 MAP選択権を渡せば、こういうステージを選んでくるだろう事は承知の上。

 

 昔ならばいざ知らず、その程度の事が分からないほど、今の香取は馬鹿ではない。

 

 そも、こういった複雑な地形は香取も得意とするところだ。

 

 グラスホッパーを用いた三次元機動ならば、香取の十八番だ。

 

 問題は。

 

 那須の機動力が自分と同格かそれ以上な上に、向こうもジャンプ台トリガー(グラスホッパー)を装備している事だ。

 

 今の香取は、相手の戦力を見誤まらない。

 

 先日の試合で彼女を落とせたのは、あくまで地形の有利を得た上で複数で囲めたからだと理解している。

 

 これは、個人ランク戦。

 

 厄介極まりないあの日浦茜(狙撃手)の横槍を心配する必要はないが、同時に自分も味方の支援は受けられない。

 

 されど、条件は相手も同じ。

 

 故に、香取は現状を正確に理解した上で、独力でこの場を切り抜けられると、そう断じた。

 

(問題は、あの合成弾が()()()()()()って事。変化炸裂弾(トマホーク)か、変化貫通弾(コブラ)か。それを見極められなきゃ、負けるわね)

 

 香取は、迫り来る弾丸を見据え思考を回す。

 

 那須の厄介な点は、使って来る()()が判別し難い事だ。

 

 変化弾(バイパー)通常弾(アステロイド)であれば軌道で判別出来るが、共にバイパーと同じ性質を帯びた二種の合成弾を見分けるのは至難の業だ。

 

 範囲攻撃手段となり、あまり状況を択ばず活用できるバイパーとメテオラの合成弾、変化炸裂弾(トマホーク)か。

 

 それとも、使いどころは限られるがアステロイドの突破力とバイパーの自由度を兼ね備えた変化貫通弾(コブラ)か。

 

 この二つは、それぞれで対処法が異なる。

 

 トマホークの場合は、シールドを広げる事で対処が可能。

 

 メテオラの性質を付加したバイパーである為、シールド突破力はそこまで高くはないからだ。

 

 遠距離から炸裂弾(メテオラ)を撃ち込まれるというだけで厄介だが、そうと分かれば対処出来る。

 

 厄介なのは、どちらかといえば変化貫通弾(コブラ)の方だ。

 

 コブラは、アステロイドのシールド突破力を兼ね備えたバイパーだ。

 

 つまり、シールドを広げるだけでは貫通されて撃ち殺される。

 

 故に、この弾丸から逃れる為には単純に射程範囲から逃げ切るか、両防御(フルガード)で防ぎ切るしかない。

 

 トマホークと違って攻撃範囲は狭いものの、こちらの位置を照準(ロック)された状態で撃たれればこの上ない脅威である。

 

 那須は、この二つを両方共使いこなす。

 

 だからこそ、厄介なのだ。

 

 合成弾の正体を見誤れば、その時点で終わりかねない。

 

 一番は合成弾を撃たせない事だが、既に発射されている以上意味はない。

 

 だから。

 

 香取は、その手に持つ拳銃で、光弾に向かってハウンドを撃ち放った。

 

 トリガーの弾丸は、ぶつかり合えば対消滅する。

 

 だが、大きく広がった全ての弾丸を、ハウンドで撃ち落とす事は出来ない。

 

 されど、その程度は香取も承知の上。

 

 彼女の狙いは、合成弾の正体を見極める事。

 

(動きの速いアタシを仕留めるには、狙いを定める必要のあるコブラじゃ不確実。裏を読んでそっちを使って来るかもしれないけど、多分この女はそういう博打は選ばない)

 

 だって、と香取は内心で呟く。

 

(この女は、ここぞという時では大抵堅実な手を選ぶ。だから、この合成弾の正体は────────)

 

 香取の笑みと共に、ハウンドが合成弾に着弾する。

 

 そして、着弾と同時に、その弾丸は()()した。

 

「────────変化炸裂弾(トマホーク)、当たりね……っ!」

「……っ!」

 

 バイパーとメテオラの合成弾、変化炸裂弾(トマホーク)

 

 メテオラと同じく、衝撃と同時に起爆する性質を備えたその弾丸は、ハウンドの着弾によって起爆。

 

 香取に届く事なく、その過半数が失われた。

 

(今……っ!)

 

 香取は、シールドを展開しつつ爆煙に突貫。

 

 その先にいる那須に、最短距離で肉薄する。

 

 必殺の合成弾を撃ち破った今こそ、最大の好機。

 

 そう踏んだ香取は、迷いなく那須へと接近する。

 

(見えた……っ!)

 

 爆煙の先に、香取は那須の姿を視認する。

 

 その手には既に、スコーピオンを携えている。

 

 たとえ反撃されようが、相手の攻撃が届く前に仕留めてしまえばそれで終わりだ。

 

 そう考えて、香取は爆煙を抜ける。

 

「え……?」

 

 ────────その先に待っていたのは、既に弾丸の展開を完了していた那須だった。

 

 香取の周囲には、彼女を取り囲む形で無数の光弾がセットされている。

 

 置き弾。

 

 そうと理解した瞬間、四方八方から無数の光弾が香取に襲い掛かった。

 

 相手の逃げ場を封じ、囲い殺す那須の得意技。

 

 鳥籠。

 

 その包囲が、香取の身に牙を剥く。

 

「舐める、なぁ……っ!」

 

 香取はそれをシールドで防ぎながら、強引に那須へと距離を詰める。

 

 グラスホッパーも用いて、自分の身が削り切られるよりも、速く。

 

 その速度は、那須の想定を超えていた。

 

 単純な機動力では那須が上だが、ここぞという時の突破力は香取が凌駕する。

 

 その差が表れた、結果。

 

 香取の切っ先が、届く。

 

「甘いわ」

「……っ!? が……っ!」

 

 ────────その、刹那。

 

 那須の背後にセットされていたアステロイドが、シールドを穿ち香取の身体を貫いた。

 

 最初から、二段構え。

 

 鳥籠を抜けて来た相手を、アステロイド(貫通力特化の弾丸)で仕留める。

 

 それが、那須の用いた作戦。

 

 術中に嵌まった香取は、成す術なく敗北する。

 

「え……?」

 

 そんなワケが、なかった。

 

 香取に致命傷を負わせた、那須の胸元。

 

 そこに、()()()()()()()()()()()()が突き立っていた。

 

 その形状、その技術は紛れもない。

 

 影浦が開発し、弟子である七海が習得したスコーピオンの発展技。

 

 マンティス。

 

 それを、香取葉子が使っていた。

 

「その技、玲一の……っ!」

「こっちも、ただでやられたワケじゃないのよ。ま、あの試合じゃ抱え落ちしちゃったけどね」

 

 その光景を見て那須は目の色を変え、香取はしてやったりと笑みを浮かべる。

 

『『トリオン供給機関破損。緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 同時に、二人分の機械音声が響き渡る。

 

 那須と香取は、同時に光の柱となって戦場から消え失せた。

 

 

 

 

「凄いな、見様見真似でマンティスを習得するなんて」

 

 その光景を、七海はしっかりと目撃していた。

 

 ランク戦ブースで戦う事になった那須達に付いて来た七海と染井は、当然のようにその試合を観戦していた。

 

 七海は那須と香取が妙なトラブルにならないか心配だったし、染井もまた香取の性質は熟知している為懸念事項払拭の為に付いて来た。

 

 結果として、二人並んでパートナーの試合を観戦する事と相成った。

 

 双方、相方には苦労するね、という無言のアイコンタクトがあった事は黙秘事項だ。

 

 ともあれ、七海は香取を素直に称賛していた。

 

 七海もまたマンティスを習得しているが、彼の場合はその使い手である影浦の指導を受けた事が大きい。

 

 だが香取は、そういった指導なしで、自力でマンティスを習得してみせた。

 

 前々から戦闘センスは光るものがあると感じていたが、七海でさえ習得に一年以上かかったマンティスを、独力で会得するとは思っていなかった。

 

 天才、という言葉が脳裏に浮かぶ。

 

 香取は、間違いなくそういう類の逸材だった。

 

「昔から、要領が良いの。でも、そのお陰で努力なしでも大抵の事がなんとか出来たから、努力のやり方を知らなくて」

「それで、あんな停滞をしていたワケか。成る程、文字通り才能を持て余していた、って事か」

 

 成る程、と七海は納得した。

 

 香取ほどの才能の持ち主が何故あそこまで燻ぶり続けていたのか理解出来ていなかった七海だが、そういう事であれば納得だ。

 

 才能は、良くも悪くも人の人生を一変させる。

 

 才能が足りず苦しむ者もいれば、才能があるが故に苦悩する者もいる。

 

 香取は、後者だ。

 

 類稀なる才能を持っていて苦労を知らなかったが故に、いざ壁にぶつかった時にどうすれば良いか分からなかった。

 

 その結果が、あの停滞なのだろう。

 

 つくづく、ままならないものなんだな、と七海は思う。

 

 自分には、彼女のような才能はなかった。

 

 何の因果か感知痛覚体質(こんなもの)を持って生まれたが、それ以外の素質は平々凡々。

 

 今の戦闘能力は、あくまで努力の積み重ねによって得たものでしかない。

 

 自分の幸運は、正しく指導してくれる師匠達に出会えた事だと、七海は考えていた。

 

「だから、葉子が変わる機会をくれた貴方達には感謝してる。ありがとう。貴方達に負けたお陰で、葉子は────────ううん、私達は、前に進む事が出来たから」

 

 そんな七海に、染井はそう言って頭を下げる。

 

 七海としては、ただ対戦相手として戦い、下したという意識しかない。

 

 だからこそ彼女の感謝は筋違いというものだが、こうして頭を下げた相手の面子を無視するワケにはいかない。

 

 七海は染井に顔を上げるよう伝え、苦笑しながら告げた。

 

「俺はただ、自分のやるべき事をやっただけだ。その結果として貴方達が変わったと言うなら、それは単に貴方達の()()()()()()だけだ。少なくとも、俺はそう考えている」

「運が、良かった……?」

 

 そうだ、と七海は染井の言葉を肯定する。

 

「俺だって、師匠と、カゲさん達に出会えなければ、此処まで強くはなれなかった。だから、カゲさん達に出会えた事こそ、俺の最大の幸運だと思っている。それと一緒だ」

 

 自分は運が良かっただけだ、と七海は言う。

 

 基礎を教えてくれた荒船や、良きライバルとなってくれた村上。

 

 そして、サイドエフェクトの使い方を叩き込んでくれた影浦がいなければ、自分は強くはなれなかっただろう。

 

 自分には師匠がいて、香取にはいなかった。

 

 案外、自分と彼女の違いはそんなものかもしれないと、七海は思っていた。

 

「だから、気にする事はない。同じボーダー隊員同士、争う事もあるが、いざという時は肩を並べる戦友なんだから」

 

 戦友が強くなる事は、俺も大歓迎だしな、と七海は言う。

 

 染井はポカンとしながらその言葉を聞いていて、くすり、と微かに笑みを浮かべた。

 

「…………そうね。そうなのかも。じゃあ、お互い様、という事なのかな」

「ああ、そうだな。俺も君達も、どちらも得をした。それでいいと思うぞ」

「そうね。そう思う事にする」

 

 二人はその言葉を最後に会話が途切れ、二回戦目に突入した那須と香取の試合を見た。

 

 その後は、特筆すべき事はない。

 

 結局5:5で引き分けとなった二人が戻ってきて、それぞれの相方と共に帰っただけだ。

 

 もっとも、七海と染井が二人で何を話していたのか、と那須に聞かれはしたが。

 

 見えていなくても、分かるものは色々ある。

 

 その事を、つくづく実感した七海なのであった。



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日浦茜と狙撃手たち

 

 昇格試験の一試合目が終わった翌日。

 

 茜は、狙撃手の合同訓練に参加していた。

 

 狙撃手の合同訓練は、相手に弾が当たるとマーキングが付くマーカー弾を用いて行われる。

 

 時間内に一人でも多くの相手を狙撃し、尚且つなるべく自分は被弾しない。

 

 そういった形式の、訓練である。

 

 これは狙撃手であれば誰もがやっている事であり、茜も奈良坂と共に度々利用している。

 

 今は試験期間中ではあるが、適度な訓練は良い反復練習となる。

 

 故に今日も、こうして訓練の場に赴いた茜であった。

 

(そこ)

 

 ビルの窓付近に隠れている茜は、スコープ越しに他の隊員を視認。

 

 即座に引き金を引き、標的となった隊員─────太一の額に、マーカーが付く。

 

 茜はその着弾を確認する事なく、即座に身を翻し撤退。

 

 次なる狙撃場所へ、速やかに移動する。

 

 マーカーが増えた事であちゃー、とぼやく太一を尻目に、茜は迷いのない足取りで建物を進む。

 

 狙撃手は、一度撃ったら基本的に位置を変える。

 

 実際は動く前に対戦相手に捕捉される事が多いのだが、この場にいるのは狙撃手のみ。

 

 不意の狙撃さえ警戒すれば、移動はそこまでリスキーではない。

 

 よく荒船などは狙撃後にビルの上から飛び降りて逃げる事が多いが、狙撃手だらけのこの場でそんな真似をすればどうなるかは言わずもがなである。

 

 普通のチームランク戦と違い、此処では狙撃手が隠密に徹し過ぎる理由はない。

 

 荒船隊などの例外を除き、部隊に所属する狙撃手は大抵一名。

 

 そして、その一名に脱落されれば、相手チームは狙撃の圧力から解放されて自由に動く事が出来てしまう。

 

 故に、ランク戦での狙撃手の引き金は相応に重い。

 

 狙撃手が仕事を出来ているかどうかは、ランク戦の勝敗に直結しかねない重要な事柄だ。

 

 故に、リスクとリターンが釣り合うと判断しなければ射線に標的がいても早々狙撃手は引き金を引かない。

 

 だが、この訓練では話は変わる。

 

 この訓練で重要視されるのは、どれだけ得点を重ねられるか、どれだけ被弾を少なくできるか、の二つ。

 

 無論、大量に得点を重ね、被弾を最小限にするのがベストではある。

 

 しかし中には、被弾してもいいから大量得点を狙おう、という者もいる。

 

 無論、そんな真似は当真や奈良坂といった上位の狙撃手からしてみれば邪道もいいところであり狙撃手の訓練としては本末転倒もいいところだが、そういった面々がいる事自体は事実である。

 

 狙撃手は目的をやり遂げるまで生き残る事も仕事なのだが、即物的な得点を狙う面々はそういった事にまでは頭が回らないらしい。

 

 だからこそ、移動には慎重にならざるを得ない。

 

 かといって、一ヵ所に留まればただのカモになる。

 

 この狙撃手の合同訓練は、見た目以上に駆け引きが必要とされるものなのだ。

 

 奈良坂は当然のように被弾を1発か2発程度に抑えた上に得点を重ねるし、当真はこれまで奈良坂の無傷での突破を防ぎ続けている。

 

 ユズルも多少脇が甘い部分はあるが、最小限の被弾で多くの得点を重ねる事に変わりはない。

 

 それらの面々に対して、茜の成績はそこまで派手なものではない。

 

 得点は奈良坂ほど突出していないし、被弾をしないワケではない。

 

「……!」

 

 ────だが、カウンター狙撃の精度が恐ろしく高い。

 

 茜は自身に向けられた狙撃を察知すると、すぐさま物陰に身を隠す。

 

 それと同時に、狙撃銃を構え自らを狙った相手を狙撃。

 

「うげ」

 

 その相手、半崎は額に付いたマーカーを見て驚愕していた。

 

 このカウンタースナイプの精度の高さには、理由がある。

 

 それは、狙撃までの準備時間の異様な()()だ。

 

 茜は、狙撃銃を構えて狙撃に移るまでの時間がかなり短い。

 

 上位の狙撃手には大体備わっている技術ではあるが、茜のそれは他の狙撃手と比べても群を抜いている。

 

 これは、テレポーターを最大限に活用する為に茜が集中的に鍛えたスキルだ。

 

 テレポーターからの転移狙撃は、転移後即座に実行に移せなければ意味がない。

 

 それ故に、茜は狙撃の早撃ちについての訓練を、徹底的に行った。

 

 その結果、茜は狙撃実行までの速さと正確性については、奈良坂からも太鼓判を押されるレベルに至っている。

 

 総合力ではまだ他の上位狙撃手の方が上かもしれないが、那須隊の狙撃手として最適化された独自の狙撃スタイルは彼女の明確な強みだ。

 

 何処であっても同じパフォーマンスを発揮出来る駒とはいえないが、那須隊の強みを活かす狙撃手として彼女以上の存在はいない。

 

 かつて、那須隊は良い意味でも悪い意味でも()()()()()()()()()()部隊だった。

 

 それ故に仲間を捨て札とする戦術を取る事が出来ず、機動力に長けて容易に獲られる筈がない那須であっても、仲間を助けようと無理をして落とされる事が多かった。

 

 だが、今の那須隊は違う。

 

 各々が己の役目を理解し、必要とあらば捨て身になる事も辞さない決断力がある。

 

 その中で、茜が果たした役割は非常に大きい。

 

 それだけの成長を、彼女はしたのだ。

 

 そんな彼女にとって、狙撃が()()()()()半崎は正直やり易い相手だ。

 

 半崎は狙撃の腕自体は悪くないが、少し正直過ぎる部分がある。

 

 駆け引きと言う分野において、まだ彼は成長途中。

 

 そういった立ち回りについては、今後の成長に期待といったところだ。

 

「あ……」

 

 だが、そんな茜の額に、狙撃着弾を知らせるマーカーが付着した。

 

 目視出来る範囲に、狙撃手はいない。

 

 今の狙撃が可能だとしたら、相当な距離から放たれたものだ。

 

 イーグレットを使えば射程距離自体は届くだろうが、弾丸が届くとしてもそれを常識外れの遠方の相手に正確に当てられるかどうかは別の話だ。

 

 けれど。

 

 それが出来る狙撃手を、一人知っている。

 

 昨日の試合では、()()()()()()()()などといった離れ業を披露した男。

 

「当真先輩かあ……」

 

 NO1狙撃手、当真勇である。

 

 

 

 

「やっぱり、さっきのは当真先輩だったんですね」

「おう、試合じゃあしてやられたからなー。お返しってやつだ」

 

 合同訓練終了後。

 

 ユズルと話していた茜は、やって来た当真から先程の狙撃が彼のものであったと確認を取っていた。

 

 当真は普段通りの飄々とした様子で、笑いながらそう答えた。

 

 その言葉に気負いはないが、何処か茜を見る目に妙な熱気がある。

 

 勿論、茜の可愛さに目が眩んだとかそういうワケではない。

 

 これは、狩人の目だ。

 

 上質な好敵手(えもの)を見つけた、ハンターの眼光。

 

 そんな視線を、茜は当真から感じていた。

 

「実際、見事に仕留められたよね。少しは良い薬になったんじゃない?」

「そりゃおめーもだろーがよ。けどま、ありゃ俺の完敗だわ。まさか俺が、カウンター狙撃(スナイプ)で落とされるとはなあ」

 

 当真はそう言って、からからと笑う。

 

 矢張り、あの試合の一件で当真は茜の実力を改めて認めたようだ。

 

 その眼光は、単なる狙撃手の後輩を見る目ではない。

 

 対等の、好敵手足り得る相手を見つけた、歓喜の眼だ。

 

 あの敗北で、当真の狙撃手としての魂に火が点いたらしい。

 

 「次は負けない」と、口ではなくその眼が語っていた。

 

 そんな頂点狙撃手の視線を受けて、茜はにこりと微笑む。

 

「みんなのお陰です。私は、自分の仕事をしただけですから」

「それが出来るのが良い狙撃手ってやつだぜ、嬢ちゃん。奈良坂の奴も、随分立派に育てたモンだな」

「はいっ! 奈良坂先輩がいなきゃ、きっと私は此処まで成長出来なかったと思います」

 

 満面の笑みで、茜は告げる。

 

 特に裏の無い正直な言葉と茜の純真さに、当真はどう答えるべきか一瞬悩む。

 

「いや、茜の努力あってこそだ。俺は、その手助けをしたに過ぎない」

 

 丁度そのタイミングで、まるで出待ちしていたかのように奈良坂が割り込んで来た。

 

 そして自然な流れで茜の隣を陣取ると、イケメンスマイル全開で口を開いた。

 

「確かに切っ掛けは与えたが、それだって茜の努力と発想の自由さがなければ出来なかった事だ。安心しろ。茜はもう、立派な狙撃手に成長しているぞ」

「えへへ」

 

 奈良坂から手放しの称賛を受け、茜は思わずはにかんだ。

 

 にこにこと笑うその様子は大変可愛らしく、至近距離でそれを見ていたユズル(純情少年)は思わず赤面する。

 

「茜可愛いうちの子可愛いああ可愛い最高だぞ茜素晴らしいぞ茜永久保存ものだぞ茜。ああ、こんなに可愛いんだから変な虫がつかないか心配だな茜。大丈夫だ、俺がきちんと守ってやるからな。今日もうちの子が可愛すぎてつらい」

 

 …………その横でイケメンにあるまじき顔を晒している残念な美少年(奈良坂)の事は、見なかった事にしたユズルであった。

 

 何を言っているかは聞き取れないが、とにかくオーラがヤバイ。

 

 特に身に覚えはない筈なのに、第六感的なもので悪感を感じ取って思わず身体を震わせたユズルであった。

 

(…………見なかった事にしよう。俺は何も見ていない。うん…………)

 

 触らぬナニカに面倒なし。

 

 取り合えず、厄ネタは避けて通るべし。

 

 そんな天啓を聞き届け、素直にそれに従ったユズルなのであった。

 

「そういえば、嬢ちゃんがテレポーターを使うようになった切っ掛けってなんだったんだ? 話の流れからすると奈良坂が教えたみたいだけどよ、お前さんがテレポーターを使えたって話は聞かないぜ?」

 

 現実逃避をするユズルを尻目に、当真はそう話を切り出した。

 

 その内容に興味を持ったのか、ユズルも視線を戻し茜に注目する。

 

 茜は自分に注目が集まった事を自覚して少々もじもじしていたが、すぐに顔を上げて話し出した。

 

「えっと、最初の切っ掛けはですね。チームのみんなの為にがんばらなきゃ、って思って色々やってみようと考えてた時に、隠岐先輩の試合ログを見た事なんですよね」

「おん? 俺か?」

 

 自分の名前が出た事を偶然聞きつけたのか、近くにいた隠岐が興味津々でその場にやって来た。

 

 そんな隠岐に茜は軽く挨拶し、話を続けた。

 

「隠岐先輩って、グラスホッパーを使うじゃないですか。私もあんな風に速く移動出来たな便利だな、って思ってグラスホッパーを練習してみたんですけど……」

「駄目だったワケか」

「はい……」

 

 茜は心なしかしょぼんとしており、そんな茜を見て奈良坂が慌てだすが、大丈夫です、という彼女の言葉を聞き一先ず引き下がった。

 

「私、体感バランスとか運動神経とか全然駄目で。グラスホッパーを使っても、狙った場所には行けないし、着地も失敗するしで散々だったんですよねえ」

「あー、まあ、グラスホッパーって色々と合う合わないあるかんなー」

 

 隠岐は茜の言葉に思い当たる所があるのか、そう捕捉した。

 

 グラスホッパーは確かに空中機動の助けとなる便利なトリガーだが、誰にでも使いこなせる類のものではない。

 

 空中機動には相応のセンスが必要になるし、体感バランスが優れていなければ単に隙を晒すだけの結果に終わる。

 

 見た目はお手軽な便利トリガーに見えるが、決して誰にでも気軽に扱えるものではないのだ。

 

 隠岐にはそのセンスがあり、茜にはなかった。

 

 これは、それだけの話なのだ。

 

「それで、グラスホッパーを使う事は諦めたんですけど、方向性は悪くないかな、って思ったんです。だから狙撃手としての腕がまだまだな分、何か別の要素で補う事は出来ないかって色々考えたんですけど……」

 

 そんな時にですね、と茜は続ける。

 

「加古先輩の、試合ログを見たんです」

「へえ、加古さんのか」

 

 はい、と茜は当真の言葉を肯定する。

 

「加古先輩、志岐先輩が色々お世話になってるんですけど、前に志岐先輩の家で三人でお茶する機会があって、その時に相談してみたんです。何か、私に使えるようなトリガーはありませんか、って」

「そこで、テレポーターを紹介されたワケやな」

「そうです」

 

 茜はそう言って、こくりと頷いた。

 

「加古先輩は私の悩みを聞いて、テレポーターを使ってみないか、って言ってくれたんです。そこで一通り使い方を説明されて、奈良坂先輩にもアドバイスを貰ってなんとか習得したんです」

「グハッ!」

 

 お二人には感謝です、と茜は満面の笑みを浮かべる。

 

 その笑顔の破壊力に残念なイケメンの嬉しい悲鳴が聞こえた気がしたが、気にしてはいけない。

 

「だから俺はあくまで、その手伝いをしただけだ。強くなろうという意思は茜のものだし、アイディアをくれたのは加古さんだ。俺はただ、その後押しをしたに過ぎない」

 

 弟子を擁護するように奈良坂はそう捕捉するが、顔がにやついているのは隠せていない。

 

 そんなイケメンの残念ムーブは全員がスルーし、茜に話の続きを促した。

 

「そういう経緯で、私はテレポーターを使えるようになったんです。思えば、隠岐先輩のログを見なきゃこうはならなかったんですし。隠岐先輩も感謝です」

「かまへんかまへん、日浦さんの為になったんなら万々歳や」

「えへへ、ありがとうございます」

 

 可愛えなあ、と隠岐は茜の頭を撫で────────たりは、しない。

 

 流石に、奈良坂の逆鱗(見えている地雷)を踏むほど隠岐は愚かではないのである。

 

 茜を中心に、狙撃手同士の話が盛り上がっていく。

 

 はにかむ茜に、赤面するユズル。

 

 不気味なオーラを漂わせる奈良坂に、ただただ面白がる当真。

 

 距離を置いて楽しむ隠岐に、喧騒を聞きつけてやって来た荒船達。

 

 偶然通りがかった東や佐鳥も加わり、狙撃手同士の座談会にまで発展。

 

 色々と狙撃の在り方(物騒な話題)で盛り上がり、和やかに談笑する狙撃手達であった。





 原作最新話、色々ぶっこんできましたね。

 しかし、やっぱ国名ってギリシャ語なのね。

 左、中央、右、かあ。


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それぞれの闘志

 

 ────合同戦闘訓練、第二試合の組み合わせを発表します。

 

 ────那須隊・風間隊VS王子隊・太刀川隊。

 

 ────以上の組み合わせを以て、11/16日の昇格試験を執り行うものとする。

 

「太刀川隊と、か……」

 

 七海は携帯端末に表示された文面を見て、ふぅ、と息を吐く。

 

 表示された対戦相手は、太刀川隊。

 

 そして、今回組む事となるチームは、風間隊。

 

 どちらも、七海と深い縁のある部隊である。

 

 太刀川は言うまでもなく七海の師匠の一人であり、出水も同じく師匠筋にあたる。

 

 風間は正式な師匠でこそないが、連携と戦術の基礎を実戦形式で叩き込んでくれたのは彼だ。

 

 七海の中では、太刀川と並ぶ師匠筋の人間である事に変わりはない。

 

 風間はあくまで「自分の隊の練習に付き合って貰っただけだ」と言い張るが、なんだかんだで面倒見の良い彼の真意を測れない程今の七海は鈍くはない。

 

 どちらにせよ、今回は敵味方双方に縁故ある相手が揃っている。

 

 唯一王子隊とだけは繋がりが薄いが、侮って良い相手ではない事に変わりはない。

 

 過去二回の対戦では勝利を収めているが、そのどちらも良い条件が揃っていた事を忘れてはならない。

 

 ラウンド4では、未熟だった香取隊を思い通りに動かせたからこそ、王子隊に不利な状況を終始作り続ける事が出来た。

 

 ラウンド7では、王子隊が那須隊を警戒するあまり最悪を()()()()()()が故に、被害を最小限に抑えられた。

 

 だが、王子隊の作戦立案能力と、隊長の王子が持つ観察眼と戦術眼はかなり厄介だ。

 

 これまでは地力で押し潰す事で王子隊の弱みである()()()()()()()()()()()という点を突く事が出来たからこそ、さしたる損害もなく勝利出来た。

 

 けれど、今回は違う。

 

 今回王子隊が組むのは、太刀川隊。

 

 あのNO1攻撃手、太刀川慶が率いる部隊だ。

 

 太刀川相手には、七海といえど勝てるかどうかは分からない。

 

 いや、負ける可能性の方が大きいだろう。

 

 A級一位という看板は、NO1攻撃手という称号は、伊達ではないのだから。

 

 そんな彼を、確かな戦術眼を持つ王子が運用して来る。

 

 これほど、厄介な事はないだろう。

 

 この試験の形式上出水や太刀川が指揮を執るという最悪の事態は避けられるだろうが、それでもあの二人が敵に回るという点が大き過ぎる。

 

 太刀川は文字通り、一騎当千の実力を持った駒だ。

 

 正直、彼一人にこちらが全滅させられてもなんら不思議ではない。

 

 そんな彼に、出水という屈指の天才サポーターが付くのだ。

 

 これが、悪夢と言わずなんと言おう。

 

「けど、避けては通れない道だ。太刀川さん、胸を借りる────────とは、言いません。必ず、勝ってみせます」

 

 七海は顔を上げ、不敵な笑みを浮かべる。

 

「それが、俺から貴方に出来る。最上の恩返しでしょうから」

 

 

 

 

「なーんて、今頃気合い入れてるんじゃないですかね。七海の奴は」

「あー、確かにありそうだなあ」

 

 もぐもぐと、煎餅を齧りながら太刀川は出水の言葉にそう返した。

 

 太刀川隊の隊室のソファーで横になりながらお菓子を頬張る様は、ザ・駄目人間の典型といったところ。

 

 戦闘に特化し過ぎた所為で戦闘以外は能無し(バカ)な、太刀川らしい姿であった。

 

「あいつ、変なところで真面目だからなあ。俺はただ、面白そうだから相手してやっただけだってのにな」

「まあ、俺もなんだかんだであいつに教えるのは楽しかったですしね。物覚えは割と良かったし、本気で慕われて悪い気はしなかったっすよ」

 

 からからと、出水は笑う。

 

 戦闘脳の太刀川と違い、出水は色々と気配り上手なサポーターらしい性格をしている。

 

 つまるところ、面倒見が良いのだ。

 

 彼にとって、七海は大切な弟子の一人だ。

 

 愛着もあるし、彼の活躍を見る度に胸が躍る。

 

「────ま、()()()()()()()()()()()()()()()。師匠の意地っての、見せてやるよ」

「ああ、迅の予知とはまた違う機会みたいだが────────それでも、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だが、それとこれとは別の話。

 

 否。

 

 大切な弟子相手だからこそ、手抜きはしない。

 

 太刀川もまた、強者との戦いで手を抜けるほど器用ではない。

 

 故に。

 

「指揮は王子がやるだろうし、俺は戦闘員としての役割に専念するかね。サポーターの恐ろしさ、もっかい叩き込んでやるか」

「ああ、王子なら変な指揮はしないだろうし、こっちは戦闘に専念するか。全力で、叩き潰してやろーぜ」

 

 強者として、全力で七海(弟子)を叩き潰す。

 

 出水は、師匠の意地とプライドで。

 

 太刀川は、ただ戦闘欲を満たす為に。

 

 A級一位、太刀川隊の二人は。

 

 早くも、心躍る戦いに期待を膨らませていた。

 

 

 

 

「七海達と組む、か。想定はしていたが、案外早かったな」

 

 風間隊、隊室。

 

 第二試験の組み合わせ発表を見て、風間は一人溜め息を漏らした。

 

 特に動揺も昂揚も見られないが、その心音が高鳴っている事を菊地原は己のサイドエフェクトで察知していた。

 

(風間さん、七海の事気に入ってるからなあ。もう)

 

 菊地原は、心の中で一人愚痴った。

 

 風間は言動に棘が多く、オブラートにも包まない為厳しい人物に見られがちだが、実際はかなり面倒見の良い人間だ。

 

 厳しい言葉は相手の為を想うからこそ出るものであり、年長だけあって気遣いも巧い。

 

 口では「弟子ではない」と言いつつも、七海にそれなりの愛着を持っている事は菊地原からしてみれば一目瞭然ならぬ一聴瞭然であった。

 

 ……………………まあ、その菊地原も七海相手には(本人に自覚はないが)かなり甘々な態度である為、人の事を言えたものではないのだが。

 

「しかし、相手は太刀川か。丁度良い。この前のランク戦の借りを返す、良い機会だ。日頃の鬱憤晴らしも兼ねて、全力で叩き潰す」

 

 そして今度こそ課題はきちんとやって貰う、と風間はぼそりと呟いた。

 

 勿論菊地原には丸聞こえだった為、風間の心中を察した彼から同情の視線が寄せられた。

 

(風間さん、この間も太刀川さんの課題に付き合って徹夜したって言うからなあ。うん、100パー太刀川さんが悪いよね。潰す時は僕も協力しよっかな)

 

 菊地原からしてみても、太刀川の戦闘面以外での駄目っぷりは目に余る。

 

 ただし、持ち前の面倒見の良さで文句を言いながらも太刀川を見捨てられない風間に対し、菊地原は面倒なら見捨てていいんじゃないかなあ、と思っている。

 

 基本、七海を始めとした例外を除けば菊地原の優先順位は風間が最優先であり、その他は有象無象に過ぎない。

 

 その風間に心労をかける太刀川の事はぶっちゃけ良く思ってはいないし、個人的にも戦闘以外駄目駄目なNO1攻撃手はどうかと思う。

 

 戦闘力は隔絶しているが、人間的には何一つ尊敬出来ない二十歳の男。

 

 それが、菊地原の太刀川に対する評価である。

 

 ちなみにこれは彼一人のものではなく、太刀川の実態を知る者からの認識は大体こんな感じだ。

 

 課題はサボる、勉強は出来ない、ランク戦に入り浸り過ぎて単位がヤバイ。

 

 その他諸々。ダメ人間の要素をこれでもかと凝縮させたのが、太刀川慶という男なのだ。

 

 伊達に、月見の性癖(駄目男好き)に合致してはいない。

 

 何処に出しても恥ずかしい駄目人間、それが太刀川なのである。

 

 苦言の一つや二つ、出て当然と言えるだろう。

 

「けど、なんだかんだ七海と組むのは久々ですね。練習相手なら幾らでもしましたけど、七海と僕たちの1対多が殆どでしたし」

「そうだな。あいつはチームの連携を試すには丁度良い相手だったから、自然とそうなっていた面はある」

 

 だが、と風間は続ける。

 

「一度、あいつの指揮で動くのも面白そうではある。七海が俺達をどう動かすのか、興味はないか?」

「別に。ただ、あいつなら変な指揮はしないと思いますけどね」

「そうだな。それは俺も同意見だ」

 

 予想通りの返答に内心苦笑しつつ、風間はそう言って菊地原の意見を肯定する。

 

 今の那須隊の司令塔を七海と小夜子の二人が担っている事は、既に察している。

 

 別に、珍しい事ではない。

 

 隊長といえども必ずしも指揮を執る必要はなく、適材適所の人間が司令塔を務めれば問題は無い。

 

 たとえば生駒隊などは隊長の生駒を完全にエースとしてのみ運用し、指揮そのものは主に水上が行っている。

 

 同じように、今の那須隊は那須の役割をサポーター兼任のエースとして割り振り、要所要所の現場指揮を七海が、全体の俯瞰を小夜子が担っている。

 

 場合によっては那須が号令をかける事があるが、チーム全体の意思決定は小夜子と七海が連携して行っている。

 

 故に、七海の指揮で動く、という言葉は決して誇張ではない。

 

 試験の形式上風間が指揮を執るといった事が無い以上、彼等を動かすのは七海と小夜子だ。

 

 そして、七海の指揮に関して風間も菊地原も一定の信頼を置いている。

 

 実際にその指揮下で戦った事はないが、これまでの試合を見ればその内実は知れるというもの。

 

 無機質な詰将棋のようでいてところどころ()()の余地を設けたその指揮は、風間達から見ても相応のレベルに達している。

 

 故に、彼の指揮で動く事に不満はない。

 

 それだけの信頼は、しているつもりなのだから。

 

「だが、王子の指揮で動く太刀川も見ものではある。あいつも、中々に曲者だからな」

 

 

 

 

「僕らはどうやら運が良いらしい。最善とまでは行かないが、最高クラスのカードを引き当てたんだからね」

 

 王子隊、作戦室。

 

 そこで対戦組み合わせを見た王子は、開口一番そう告げた。

 

 変わらぬハニーフェイスでそう口にした王子に対し、樫尾が早速疑問をぶつける。

 

「それは、太刀川隊と組めた事が、でしょうか?」

「そうだ。彼等と戦うにあたり、太刀川隊はベストに近いパートナーだ。実力的にも、()()()にもね」

「人数、ですか……?」

 

 そうだよ、と王子は樫尾の問いを肯定する。

 

「今回、那須隊は大量点が欲しい筈だ。前回の試合で、ポイントを二宮隊に上回られたからね。その遅れを取り戻す為にも、此処で得点を重ねていきたい筈だからね」

 

 けど、と王子は続ける。

 

「今回の試合では、僕等と太刀川隊の合計人数は5名のみ。僕らが全滅した上で太刀川隊の二人が那須隊のメンバーに落とされれば7点が奪われる事になるけど────────」

「────────太刀川さんと出水が、早々やられる筈もない、か。確かに、そう考えると最適な相手だな」

 

 そう、蔵内の言う通り、那須隊は今回の試合でより多くの得点が欲しい。

 

 二宮隊の大量得点があれで止まる保証がない以上、こちらはこちらでより多くの得点を重ねる以外に対抗手段はない。

 

 だが、一試合目がそうだったように、対戦相手の人数が少なければ、それだけ得られる得点は少なくなる。

 

 そして、今回組む相手の出水と太刀川の実力はボーダー内でもトップクラスのそれである。

 

 文字通り一騎当千の実力を持つ太刀川と、神業的なサポート能力を持つ出水。

 

 この二人を味方に付けられたのは、この上ない幸運と言える。

 

 王子は、そう言っているのだ。

 

(それに、これで()()()()()()()()()()()という僕らの弱点を補う事が出来る)

 

 更に言えば、これまで悩みの種であった王子隊には突出したエースがいない、という点を太刀川の参戦によってカバーする事が出来る。

 

 そういう意味でも、この一戦は千載一遇の好機である。

 

 王子の気合いも、入るというものだろう。

 

「太刀川さんは単独でシンドバットとナース、そのどちらでも抑える事が出来る貴重な駒だ。今回の試合、太刀川さんをどう使うかで勝敗が決まると言っても過言じゃない」

 

 だから、と王子は笑みを浮かべる。

 

「今度こそ、勝つのは僕等だ。この好機を無駄にせず、確実に勝ちに行こうじゃないか」

 

 

 

 

(気合い入ってるわねえ。まあ、無理もないけれど)

 

 そんな王子の姿を見ながら、羽矢は人知れず溜め息を吐いた。

 

 顔を見なくても、分かる。

 

 今の王子は、戦意で爛々と瞳を輝かせている筈だ。

 

 一般女子に人気のありそうなハニーフェイスの癖に、勝負ごとが大好きで好戦的な王子の事だ。

 

 今の彼の脳内は、次の試合の事で一杯だろう。

 

 王子はかなりクレバーな人間ではあるが、負けて悔しい、と思う事がないワケではない。

 

 むしろ、かなり負けず嫌いな性格と言えるだろう。

 

 そしてそれは、羽矢とて人の事を言えた立場ではない。

 

(今回は国近さんと組んで、小夜子ちゃんのチームと当たるのか。これまた、数奇な組み合わせになったもんだわ)

 

 羽矢は一人、こういう事もあるのね、とぼやく。

 

 国近と小夜子は、羽矢の大事なゲーム仲間だ。

 

 あの二人と違ってオタク趣味を隠している羽矢にとって、趣味と仕事を共有出来る相手は貴重だ。

 

 同じボーダー隊員のオペレーター同士で仲が良く、共にボーダーに属しているから価値観の相違で戸惑う事もない。

 

 小夜子の男性恐怖症の影響で色々不便を感じる事もあるが、友達の為になると思えば些細な事だ。

 

(けど、だからこそ手は抜かないわ。今度こそ、小夜子ちゃんに土を付けてやるんだから)

 

 羽矢は普段の彼女が見せないような戦意に溢れた瞳を輝かせ、ニヤリと笑みを浮かべる。

 

 戦いの昂揚は、何も戦闘員だけのものではない。

 

 オペレーターもまた、戦場の空気に燃え上がる事もあるのだ。

 

 これが、三度目のリベンジマッチになるのだから尚の事。

 

 必ず、勝つ。

 

 その想いは、誰しもが同じなのだから。



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七海と太刀川隊

「はっはっは、まさかこうも早く僕のチームと当たる事になるとは君も運がないねぇ。幾ら君とはいえ、手加減はしないから頑張ってくれたまえよ」

 

 ボーダー本部の廊下に、調子の良い声が響く。

 

 開口一番、嫌味な口調でそんな事を宣うのはザ・お坊ちゃまといった風貌の少年、唯我尊。

 

 第二試験で戦う事になるA級一位部隊、太刀川隊の隊員である────────のだが、彼自身は試験には参加しない。

 

 何故ならば、彼はA級どころかB級の面々と比べても最弱と言って良いほどの弱さを誇るからである。

 

 率直に言って、実力的にはB級下位クラスの方がまだマシ。

 

 そんな彼がどうしてA級一位部隊に所属しているかと言われれば、コネの力である。

 

 目立ちたがり屋で自尊心の強い彼は、ボーダー上層部に直接「自分をA級部隊に入れろ」と要求したのである。

 

 彼の親はボーダーのスポンサーの一人である為、上層部としても彼の意見は無碍には出来ない。

 

 しかしどう見ても足手纏いになる事が確定である彼を入れたがる部隊などあるワケもなく、諸々の判断の結果、現在は玉狛支部に属する烏丸が抜けて戦闘員が二名となった太刀川隊に入隊する事になったのだ。

 

 この入隊は、太刀川隊の三人が特に大きな拒否をしなかった事も大きい。

 

 太刀川は「好きにすればいい」と話し、国近は「縛りプレイも面白そうだね~」と笑い、出水は「入りたきゃ入れば?」と笑いながら唯我を受け入れた。

 

「お前は試験に出ないけどなー。弱過ぎて」

「おぅふ……っ! 出水先輩、そんな無体な……っ!」

「事実だろー。お前は半人前以下なんだから、偉そうな態度取るのは百光年早いぞー」

 

 ……………………まあ、入隊後はこんな感じである種の弄られ系マスコットキャラとして出水達に遊ばれているのだが。

 

 唯我が望んだ形とは違ったかもしれないが、こんな扱いをされながらも除隊する気配がない以上、なんだかんだで馴染んでいるのだろう。

 

 その様子を見ていた七海は「マゾかな?」と思いもしたのだが、流石に口に出すのは憚られた。

 

 太刀川と出水に師事している以上当然同じ隊の彼とも顔を会わせる機会は多々あったのだが、唯我は最初は七海が訪れる事に難色を示していた。

 

 無駄にプライドだけは高い唯我はその身勝手な独自理論で七海を追い返そうとして出水にどつかれ、渋々ながら七海の訪問を受け入れた。

 

 尚、その後七海の境遇を聞くと号泣しながら「嗚呼、まさか君がそんな悲しい過去を持っていたなんて……っ! 困った事があればなんでも言ってくれ、僕でよければ力になろう……っ!」と力説したあたり、本人の性根は善性のようだが。

 

 嫌味で自分の親の脛を全力で齧っている唯我だが、何処か憎めないキャラなのだ。

 

 自分の実力も弁えずにコネでA級部隊に入った彼の事を努力家の木虎や元太刀川隊の烏丸は快く思っていないものの、大抵の人間からは太刀川隊のマスコットのように認識されているのが唯我だ。

 

 ストイックな人間には良く思われていない唯我ではあるが、七海自身はそこまで彼の事を嫌ってはいない。

 

 根が良い奴だというのは分かったし、不器用ながらもこちらを気遣おうとする姿勢には好感が持てる。

 

 ……………………まあ、先ほどのように嫌味のような台詞を宣う事はあるが、そこは愛嬌というやつだ。

 

 彼のナチュラルな嫌味を愛嬌と取るか否か、そこが彼を許容出来るかどうかの別れ目なのだろう。

 

 ちなみに、那須を始めとする那須隊の面々には「生理的に無理」と毛嫌いされているのは内緒である。

 

 まあ、家柄の事を鼻にかけたり嫌味から会話が始まるなど、女子に嫌われる要素をこれでもかと詰め込んでいるのは事実なので、因果応報ではあるのだが。

 

 ちなみに、七海に対して何気なく嫌味っぽい事を言った際に偶然那須が通りがかり、良い笑顔のまま唯我をランク戦ブースに誘い込んでボコボコにするという事件(じこ)もあった。

 

 その件以来、「女の子怖い、女の子怖い」と暫く女性不信になった唯我だったが、一週間後にはケロリとしていたあたり図太いと言うべきか。

 

 ただし、那須を見かける度に身体を竦ませているので、しっかりトラウマは出来ていた模様。

 

 まあ、基本的に唯我の自業自得なので、同情する者は誰もいなかったと言う。

 

 経緯を聞いた出水も「那須さんの前で七海を悪く言うとか、自殺志願以外の何物でもねえよなー」と呆れていた。

 

 太刀川も「まあ当然だな」と笑い、国近も「女は怖いんだよー」とニコニコしていたあたり、那須に関しての認識は太刀川隊内では一致しているようだ。

 

 基本的に、七海に対する侮辱を聞いた場合、那須の沸点は容易く限界突破する。

 

 しかもタチの悪い事に、那須は本気で怒った時にはそれを隠し笑顔のまま相手を死地へと誘い込むのだ。

 

 まあ、冷静に見ていれば彼女が纏う殺気(オーラ)の質で分かるのだが、那須には持って生まれた美貌がある。

 

 美人に弱い男ほど、那須の容姿に目が眩んで正しい判断が出来なくなる。

 

 唯我もまた、那須に笑顔でランク戦に誘われ、ホイホイ付いて行ってしまったクチである。

 

 笑顔の下に毒塗りの刃が仕込まれていた事を、彼は試合が始まるまで気付けなかった。

 

 それが、その時の彼の死因(しっぱい)であった。

 

 そんな事があった為、唯我は七海に話しかける時は、必ず周囲に那須がいないか確認している。

 

 先程も、七海が一人で歩いていたからこそ、意気揚々と声をかけたのだ。

 

 もしも那須が行動を共にしていれば、唯我はその場でUターンしてスタコラサッサと逃げ出していた事だろう。

 

 美人が怒ると怖い、という事をその身で体験しまったが故の、本能的な防衛行動である。

 

 尚、それでもタマに那須が近くにいる事に気付かずに普段通りに話し、彼女の逆鱗に触れる事もあるのだが。

 

 徹頭徹尾自業自得なので、そうなったら誰も助けてはくれないあたり諸行無常である。

 

 七海も戦いや鍛錬を避けたがる唯我には良い薬かと考えて見過ごしており、出水や太刀川も放置の構えである。

 

 決して、怒れる鬼子母神に近付きたくないからではない。

 

 ないったらないのである。

 

「けど、面白い事になったよなー。唯我(こいつ)じゃねぇけど、手加減はしねーから覚悟しろよー」

「はい、胸をお借りするつもりで────────いえ、勝つつもりで、頑張ります」

「おうおう、言うねぇ。期待して待ってるぜー」

 

 弟子からの宣戦布告を笑って受け止め、出水はばしばしと七海の肩を叩く。

 

 訓練では散々戦った間柄ではあるが、公式試合で戦うのは思えばこれが初めてだ。

 

 そういう意味で、出水や太刀川にとってもこの試合は特別な意味を持つ。

 

 太刀川はどれだけ七海が自分を楽しませてくれるか興味が尽きず、出水も七海の成長を肌で感じたいと考えている。

 

 そういう意味で、二人の思惑は合致していた。

 

 廊下で七海を見つけて歩み寄って行った唯我を止めなかったのも、こうして面と向かって話す機会を作る為だ。

 

 試合の前に、一度話しておきたい。

 

 そんな想いが、出水にはあったのだから。

 

「正直、二宮さんを倒すまでになるとは思わなかったからなー。あれには度肝を抜かれたぜー」

 

 ま、と出水は笑う。

 

「どっちも俺の弟子だから色々複雑だけどよ。お前と戦えるのは、正直楽しみだ。射手の神髄、存分に見せてやるよ」

「ええ、全力で打倒してみせます」

「ああ、その意気だ。頑張りな」

 

 そう言ってひらひらと手を振り、出水は踵を返す。

 

 そして、そんな出水と入れ替わりに、太刀川が七海の前に出た。

 

「七海。楽しみにしてるぞ」

「はい」

「お前の戦い、存分に見せてくれよな」

「勿論です。太刀川さん(ししょう)

 

 七海の返答を聞き、太刀川はニヤリと笑うと出水と同じように踵を返す。

 

 そして、ぎゃあぎゃあと喚く唯我を引きずりながら、出水共々廊下の奥へと消えていった。

 

 その後姿を見据え、七海はぐっと拳を握り締める。

 

 遂に、太刀川隊と、師匠達と正面から戦う時が来た。

 

 その事実に、七海の身体は震えていた。

 

 恐いから、ではない。

 

 ()()()()()()、である。

 

 太刀川達と同じだ。

 

 自分の力を、試してみたい。

 

 斬られ、撃たれ続けて鍛え抜いたあの日々。

 

 自分が此処まで強くなれたのは、あの二人の力添えあってこそである。

 

 影浦や荒船と同じように、自分の成長になくてはならなかった人々。

 

 それが、太刀川と出水である。

 

 彼等なくして、今の七海はいない。

 

 だからこそ、全力で立ち向かう。

 

 それが、何よりの恩返しだと信じて。

 

 

 

 

「あれで良かったんですか? 出水先輩」

「あん?」

 

 七海達と別れた後、ようやく拘束から解放された唯我の言葉を聞き、出水は怪訝な表情を浮かべる。

 

 そんな出水に、唯我は更に言葉を重ねた。

 

「だって、前から言ってたじゃないですか。七海くんには、自分達の所まで来て欲しい、って。あれって、七海くんにA級になって欲しいって意味じゃなかったんですか?」

「全然違うぞ」

「うぇ?」

 

 ポカンとする唯我に、出水は溜め息を吐いた。

 

「あのなあ。確かに七海がA級になれればめでたいけどよ、あいつのそもそもの目的はなんだった?」

「えっと、強くなる事、でしたか……?」

 

 そうだ、と出水は頷く。

 

「あいつが強さを求めるのは、一種の代替行為ってか、強迫観念に近いんだよ。あいつは今でも、四年前に自分の姉を死なせちまった事を悔やんでっからなー。大方、()()()()()()()()()()()()()()とでも思ってるんだろーぜ」

「でも、それは……」

「ああ、あいつの思い込みだ。大体、少し強くなった程度で子供に何が出来るってんだよ」

 

 あの時はトリガーもなかったんだし、と出水はぼやく。

 

 出水は七海から大体の事情を聴き、彼が一種の生還罪悪症(サバイバーズギルト)に陥っていると推測している。

 

 サバイバーズギルトとは、何らかの事故や事件から生還した人間が、「自分だけ生き残ってしまって申し訳ない」という強迫観念を抱く症状の事だ。

 

 この病を抱える者は極度に自罰的になり、生きている事それ自体を苦痛に思うようになる。

 

 無気力になるか自己犠牲に走るかは個々人で差があるが、七海の場合は後者にあたる。

 

 彼がひたすらに己を鍛え上げようとしたのは、生き残った自分にはあの悲劇を繰り返さないよう強くなる()()があるという、強迫観念の類が根底にあるのだろう。

 

 こればかりは、他人がどうこう言ってなんとかなるものではない。

 

 極論七海の意識の問題であり、彼自身が自分を許せない限り、この症状は続く。

 

 なまじ責任感が強い性格なだけに、愚直に前に進む以外に自分を納得させる事が出来ないのだろう。

 

 あのラウンド3で全ての膿が白日の下に曝け出されるまで那須との関係が捻じれていたのも、無理からぬ事と言える。

 

 だからこそ、出水は手加減抜きで七海を鍛え上げた。

 

 そうしなければ、きっと七海は折れてしまっていただろうから。

 

 鍛錬という代替行為で自罰的感情を一時的にでも誤魔化していたからこそ、七海は此処まで歩んで来れた。

 

 本音を言えば出水自身がなんとかしてやりたかったが、それは自分の役目ではないと割り切った。

 

 デリケートな問題だけに、自分が下手に踏み込んでは悪化させる可能性があったからだ。

 

 結果として、その選択は正しかったと言える。

 

 七海と那須の関係はまともなものになり、七海のサバイバーズギルトの症状も緩和された。

 

 その事については、思うところはあるが割り切っている。

 

 自分が解決したかったというのはあくまで出水の願望であり、結果的になんとかなったのだから良いじゃないか、と強引に自分を納得させたのだ。

 

 適材適所。

 

 あの時はただ、自分が適任ではなかった。

 

 ただ、それだけなのだからと。

 

「だから、俺が出来る事はあいつに自信を付けさせてやる事だけだ。それにゃあ、本気でぶつからなきゃ意味がねぇ。手加減されて俺に勝っても、あいつは納得しねぇだろうからな」

 

 故に、今の出水が出来る事があるとすれば、公正に七海と戦う事だけだ。

 

 今までの鍛錬、その集大成として。

 

 出水と太刀川(じぶんたち)に、何処まで肉薄出来るか。

 

 彼の壁となる事こそが、今の自分の役割なのだと。

 

 そう、信じて。

 

「ま、その為に唯我(おまえ)は外したんだけどなー。ボーナスポイントが、試験にあっちゃ駄目っしょ」

「そんなヒドイ……ッ! 良い話だと思ったのにぃ~~!!」

 

 はっはっは、と出水は笑い、唯我は涙目になってそんな彼に縋りつく。

 

 涙と鼻水で酷い顔をしている唯我を引き剥がしながら、出水はニィ、と笑みを浮かべた。

 

「楽しみっすね。太刀川さん」

「ああ、そうだな」

 

 そして太刀川はその瞳に戦意を滾らせ、腰の弧月の鯉口を鳴らした。

 

「────────本当に、楽しみだ」

 

 頂点の剣士は、笑う。

 

 普段の冴えない風貌は鳴りを潜め、纏う空気が軋みを上げる。

 

 そこにいるのはただ、剣に全てを捧げた一人の剣士。

 

 まごう事なき、剣鬼の貌であった。



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質疑応答、協議

 

「では、早速だがお前達の今回の試合での方針を聞かせて貰おうか」

 

 開口一番、風間はそう告げた。

 

 此処は風間隊の隊室。

 

 第二試験で風間隊と組む事になった七海達那須隊の面々は、打ち合わせを行うべく彼等の隊室を訪れたのだ。

 

 そこで風間は挨拶もそこそこに、いきなり本題に斬り込んで来たワケである。

 

 即断即決、実直な風間らしいとも言えるのだが。

 

「まだ詳細を詰めてはいませんが、それでもよろしいでしょうか?」

「構わん。俺達は今回、お前達の指揮下に入る。そして、敢えて言うがこの時点でどの程度の考えを持てているかも、評価内容に含まれる。その事も踏まえて意見を言ってみろ」

 

 言っておくが、俺は採点を甘くする気はないからな、と風間は告げる。

 

 その厳しい物言いに熊谷は若干冷や汗を流しているが、風間と付き合いの長い七海は慣れたものだ。

 

 風間は言葉こそ厳しいが、常に相手の為を考えて立ち回る思慮深さを持つ大人の男性だ。

 

 見た目はどうあれ、多くの人望を集める人格者である事に間違いは無い。

 

 今の厳しい物言いも、本人からしてみれば発破のつもりなのだろう。

 

 無論それで折れる程度の相手を風間が評価する事はないが、期待に応えれば相応の評価はしてくれる。

 

 そんな風間の思惑を察した七海は、予め決めておいた作戦方針を話し始めた。

 

「まず、基本的に風間さん達には隠密に徹して貰って、状況を見て戦闘に介入して貰おうと思います。カメレオンとバッグワームの切り替えの判断は、そちらにお任せします」

「ほう、お前たちが指示するのではないのか?」

 

 風間は試すような視線をこちらに向けるが、七海は毅然とした態度で返答する。

 

「これに関しては、風間さん達の方が専門です。なら、いちいち指示するよりそちらに任せた方が効率的です。よろしいでしょうか?」

「フ、構わん。指揮下に入ると言った以上、指示には十全に従おう。それがお前達の選択ならばな」

 

 回りくどい言い方をしているものの、このやり取りは風間が満足する結果であった。

 

 此処でもしも「カメレオンとバッグワームの切り替えの判断はこちらで指示します」などと言っていれば、評価を下げていたところである。

 

 理由は七海の言う通り、()()()()()()()()()()()()だ。

 

 割と当たり前の事なのだが、部下を指揮する事と何もかも口出しする事は、全く違う。

 

 任せるべきところは任せ、その能力を最大限に引き出せるように采配するのが指揮官の器というものだ。

 

 当然ながら、指揮官とそれ以外の行うべき役割は異なる。

 

 そして、個々人によって得意分野に差がある事も当たり前の事だ。

 

 故に、指揮官は戦場で各々に適材適所の役割を割り振り、能力の無駄遣いを廃し効率的に戦闘を進める義務がある。

 

 適材を適所に配置し、適切な仕事を()()()

 

 それが、有能な指揮官の条件の一つである。

 

 過小評価も、過大評価もしてはならない。

 

 持ち得る駒の能力は適切に評価し、その能力に見合った役割を割り振る。

 

 それこそが、指揮官の仕事なのだから。

 

 そういう意味で、七海の返答は合格だ。

 

 言うまでもなく風間隊はカメレオンによる隠密(ステルス)戦闘を得意とする、一種のプロフェッショナル部隊だ。

 

 当然カメレオンとバッグワームの切り替えに関しては他の部隊よりも抜きんでて優れており、切り時を間違える事はないだろう。

 

 カメレオンに対する理解の浅い七海達があれこれ指示するよりも、突入のタイミングだけを指示して判断自体は風間隊に任せる方が、彼等の能力を十全に活かせる。

 

 その考えは、何も間違ってはいない。

 

 風間隊(みかた)の能力を正確に把握した上で、余計な口出しはせずに適切な配置を行い仕事を任せる。

 

 風間の問いに対する答えとしては、ベストのものと言えるだろう。

 

「それから、今回はメテオラに関しては使用をなるだけ控えるようにする。何故なら────────」

 

 

 

 

「────────メテオラを使えば、風間さん達の位置がバレる危険がある。だから今回、シンドバット達はメテオラの使用を控えると見ていいだろう」

 

 王子は隊室に集まった面々に対し、そう告げた。

 

 この王子隊の隊室には、普段の王子隊の面々の他に、太刀川隊の面子も集まっている。

 

 最初は王子達が太刀川隊の隊室に赴くつもりだったのだが、先んじて出水が太刀川と国近を連れて来た為此処で打ち合わせをする事になったのだ。

 

 尚、その理由が太刀川隊の隊室の散らかりぶり(さんじょう)にある事は言うまでもない。

 

 太刀川隊の面子は悉くが整理整頓が苦手な為、月に一度、ボーダー隊員による大掃除が行われるまで散らかり放題となっている。

 

 まあ、太刀川(戦闘狂)出水(弾バカ)国近(ゲーム廃人)唯我(お坊ちゃま)の組み合わせでは、片付けが出来る筈もない。

 

 以前は烏丸が片付けをしていたのだが、彼が抜けてからはこの有り様だ。

 

 隊は自然と隊長の色に染まるというが、太刀川の日常生活での駄目っぷりが隊全体に広まっている気がしてならない。

 

 なので彼等の隊室が悲惨な事になっているのは周知の事実なのだが、一応の見栄がある出水としてはその惨状を他者に直接見られる事は避けたかった為、わざわざ足を運んだのだ。

 

 太刀川も国近も共に面倒くさがりな為、連れて来る際には骨が折れたのだがそれは別のお話である。

 

「王子先輩っ、確かにメテオラは広範囲を巻き込む射撃トリガーですが、それならそれで風間さん達がいない場所に撃てば良いだけなのではっ!?」

()()()()()、だよ。カシオ、風間さん達が得意とする戦術はなんだい?」

「はいっ、カメレオンによる隠密戦術ですっ! 隊員全員がカメレオンを装備し、姿を隠しての奇襲が本領だと聞いていますっ!」

 

 そうだね、と王子は樫尾の答えを肯定し、頷く。

 

「じゃあ、考えてみようか。そんな風間さん達を相手する時、一番やられたくない事は何かな?」

「えっと、乱戦の中で奇襲される事、ですか……?」

「正解。それが一番厄介だね」

 

 なら、と王子は指を立てて説明する。

 

「カメレオンは、他のトリガーと併用出来ない。だから必然的に使う時はバッグワームを解除しなきゃいけないんだけど、そうなるとレーダーに映るよね。だからギリギリまでバッグワームは解除せず、接近の時だけに絞ってカメレオンを使うワケだけど」

 

 それなら、と王子は続ける。

 

「その時に那須隊がメテオラを撃った場合、()()()()()()()()()()()()()()()()()って事になるよね?」

「あ……っ!」

 

 そう、それが王子の指摘したメテオラの使用を控えるだろうという推測の根拠。

 

 当然ながら、味方を巻き込むような軌道でメテオラを使うワケがない。

 

 そして、那須はともかく七海のメテオラの威力はトリオン能力相応に高い。

 

 つまり、七海が派手にメテオラを撃てば、その場所には風間隊はいない事が確定する。

 

 一発ならともかく、何発も撃ってしまえばそれだけ風間隊の()()()()()が知られてしまう。

 

 そうなると、地形によっては風間隊が近くにいるかいないか、察知されてしまう危険があるのだ。

 

 風間隊の得意戦術は、バッグワームからカメレオンに切り替えての奇襲攻撃。

 

 故に下手にメテオラを使えば、風間隊の位置を喧伝してしまう結果になりかねない。

 

 だからこそ、王子は()()()()()()()()()()とあたりをつけたワケだ。

 

「勿論、絶対に撃って来ないってワケじゃないだろうけど、それでも多用はして来ない筈だ。だから今回、メテオラによる炙り出しを恐れる必要はない。地形にもよるだろうけど、チャンスが来るまでは()()の姿勢で良いと思うよ」

「成る程、分かりましたっ!」

 

 樫尾の素直な返事に王子は出来の良い生徒を見る教師のように笑みを浮かべ、蔵内の方を向いた。

 

「でも、こっちはメテオラ使用を躊躇う理由はないからね。風間隊の位置を炙り出す為にも、どんどん使っていこう────────」

 

 

 

 

「────────なんて真似は、恐らくして来ないだろう。王子先輩は、そこまで短絡的じゃない」

 

 七海はそう断言し、それにすかさず風間が反応した。

 

「何故そう言い切れる? 実際、カメレオンを使う俺達を炙り出すにはメテオラやハウンドは有効な手だろう?」

「そんな事、風間さん達が対策をしていないワケがないでしょう? 分かり易い弱点だからこそ、そういう手合いに対する解答は用意している。違いますか?」

「フン、確かにな」

 

 風間は七海の問いを、笑みを以て肯定した。

 

 確かに、カメレオンに対する対策としてはメテオラやハウンドを使うのが手っ取り早い。

 

 だが、そんな事は風間隊とて熟知している。

 

 これまで幾らでも取られて来た手だからこそ、逆に()()()()

 

 そんな安易な手だけで落ちるほど、A級三位の看板は甘くはないのだから。

 

「だから、要所要所では使って来るでしょうけど、乱発はして来ないと思います。ですが射手を残しておくのも厄介なので、射手の位置が判明し次第俺か風間さん達が急行して仕留める方針で行きたいと思います」

 

 それはそれとして、メテオラやハウンドを気軽に使われては風間隊が動き難くなる事は確かなのもまた事実。

 

 故にその排除に動く事は当然であり、七海や風間に狙われれば大抵の射手は防ぎ切れない。

 

「ですが────────」

 

 

 

 

「────────こっちには、最高クラスの射手のイズイズ(出水)と、NO1攻撃手(太刀川さん)がいる。射手を囮にしても、素直に釣れてくれる可能性は低いだろうね」

 

 だが、出水は断じて()()()なんて言葉で収まるようなレベルの射手ではない。

 

 射手の王(二宮)ほどの個人戦闘力はないが、それでも高いトリオンと精密なコントロール、狡猾な立ち回りを兼ね備えた戦闘巧者である。

 

 彼を落とす事は一筋縄ではいかず、下手に手を出せば彼の策に絡め取られる。

 

 出水の弟子である七海は、彼の脅威を十全に理解している。

 

 そして、言うまでもなく太刀川はボーダートップの戦闘員。

 

 彼のカバー出来る位置に迂闊に踏み込むのは、自殺行為だ。

 

 だからこそ軽々な襲撃には来ないだろうと、王子は判断したのだ。

 

「蔵内、君は基本的に僕達と行動を共にして貰う。少なくとも、単独行動は絶対に避ける事。その代わり、イズイズと太刀川さんには積極的に攻め込んで行って欲しいんです」

「へー、つまり俺達を主戦力にするってワケか?」

「ええ、そうでもしないと、勝ち筋がありませんから」

 

 王子は淡々とした表情で、薄く笑みを浮かべる。

 

「認めるのは少々癪ではありますが、僕たちの部隊は地力という点で那須隊に負けています。正面から僕等と那須隊がぶつかれば、確実に那須隊が勝利するでしょう。これは、純然たる事実です」

 

 そう、そこが王子隊の泣き所。

 

 王子隊の面子は総じて優秀ではあるが、突出したエースの域にいるというワケではない。

 

 対して、那須隊には七海と那須というエースの二枚看板がある。

 

 更に、射程持ちの熊谷は攻撃手ながらハウンドを持ち、全員がハウンドを持つ王子隊とも射撃戦を行える。

 

 茜の持つ精密射撃能力と転移による奇襲狙撃の脅威は、言わずもがな。

 

 手札の質と量で、王子隊は今の那須隊に負けているのだ。

 

 だからこそ前回は正面対決を徹底して避け、弱い所を狙うように動いたが、今回はその手は使えない。

 

 ただでさえ地力で負けている那須隊に、A級の風間隊まで加わるのだ。

 

 これで正面対決を強硬しようとするほど、王子は馬鹿ではない。

 

「そんな僕らが彼等に勝つには、太刀川隊(あなたたち)の力を最大限に活用する他ありません。なので主戦力を太刀川隊に絞り、僕達は援護と妨害に徹します。よろしいでしょうか?」

「おう、構わん構わん。そっちの方が面白そうだしなー」

 

 王子の要請に、太刀川は笑ってそう答える。

 

 これで王子隊が自分達で強引に点を取るとでも言いだせば落胆していたが、これなら判断としては上々だ。

 

 現実問題として、王子隊は那須隊に正面からは勝てない。

 

 他の部隊を叩こうにも、那須隊と組んでいるのはA級の風間隊。

 

 王子隊にとって、厳しい相手である事に変わりはない。

 

 だからこその、逆転の発想。

 

 正面から戦うのが厳しいならば、戦わなければ良い。

 

 適材適所。

 

 太刀川隊を主戦力に据え、王子隊はいやがらせと援護に終始する。

 

 王子隊(かれら)の役目は、あくまで露払い。

 

 A級一位部隊という極大戦力を、思う存分暴れさせる為の噴射剤。

 

 王子は、それで良いと断言した。

 

 プライドもあるだろう、見栄もあっただろう。

 

 しかし王子は、勝利の為にそれら全てを投げ捨てた。

 

 自分達の力量不足を認め、素直に上位者の力を借りると宣言した。

 

 その決意は、減点を覚悟して指揮を預けた香取隊のそれに勝るとも劣らない。

 

 太刀川は、その意気を汲んだ。

 

 こと戦闘に関して、太刀川は真摯だ。

 

 王子がそこまでの決意を固めているというのなら、それを汲むのが上位者たる自分達の役目。

 

 彼等の駒となるに不足はないと、A級一位は宣言した。

 

 太刀川の返答を聞き、王子は不敵な笑みを浮かべる。

 

「そして、今回の旗持ち(フラッグ)ルールにおける旗持ちに関してだけど────」

 

 にぃ、と王子は笑みを浮かべ、告げる。

 

「────────僕が、旗持ちをやろう。盛大に、喧伝するようにね」

 

 己が戦略の、要を。



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ゲーマーズレディ

 

「ってな感じで、ウチの子達はやる気満々よ。勿論作戦とかは教えないけど、打倒・那須隊って感じで燃え上がってるわ」

「そうだねー。私から見ても、すっごいはりきってたよ~」

 

 ゲームをする為に集まった小夜子の部屋で、羽矢と国近は口々にそう言って王子隊の奮起ぶりを話している。

 

 流石に作戦内容に繋がる事まで口を滑らせはしていないが、それでも彼らが並々ならぬ熱意を以て次の試合に臨んでいる事は分かった。

 

 小夜子としては、その事実が分かっただけでも価値はある。

 

(勝つ気でやるって事は、前のようにセコセコ取れる点だけを取って離脱、なんて方針じゃありませんね。となると、考えられるのは────)

 

 純然たる事実として、地力では那須隊の方が王子隊よりも上だ。

 

 前期ではその力関係は逆であったが、今期七海が加入してから────────否、正確にはラウンド3で隊の膿を消し去ってから、那須隊の力は飛躍的に成長した。

 

 それこそ、二宮隊を打ち倒し、その玉座を奪取するまでに。

 

 だからこそ、小夜子はこうして二人を集めた。

 

 ゲームをする為という目的も、勿論ある。

 

 だが、それ以上に────────二人から少しでも情報を引き出せないか、という狙いもあった。

 

 三人はゲーム仲間であり親しい友人と呼んで差し支えない間柄ではあるが、試験に置いては敵同士。

 

 友好を確かめながら、相手の内実を探る。

 

 それは裏切りでも冒涜でも、なんでもない。

 

 ただの、戦場(いくさ)作法(ならい)だ。

 

 試験と言う形式上競い合うようにはなっているが、それぞれの隊は本質的には敵ではない。

 

 有事の際には、手を取り合って街を守る友軍なのだ。

 

 故に、試験(もぎせん)でぶつかり合ったとしてもそれは敵意故のものではなく、ただ互いを高め合う為のもの。

 

 情報収集という番外戦略もまた、その為の手段の一つに過ぎない。

 

 そもそも、戦う相手である以上、ハメられる方が悪いのだ。

 

 真剣勝負の場では、手加減こそが最もしてはならない冒涜となる。

 

 ルールの決められた試合であっても、真正面から戦わなければいけないという通りはない。

 

 相手の裏をかき、弱点を探し、隙を突く。

 

 それは、戦いにおいて当たり前に行われる駆け引きだ。

 

 戦場は、ただ力の強さだけで勝敗が決まるワケではない。

 

 力だけが強くとも、戦略次第で幾らでも実力差はひっくり返る。

 

 それが、本物の戦場というものだ。

 

 格上殺し(ジャイアントキリング)は困難ではあるが、不可能ではないのだ。

 

 それは、二宮を打ち倒した那須隊が証明している。

 

 故に、探り合い、腹の読み合い、大いに結構。

 

 そう言える程度には、この三人の少女達は戦場の作法を知っていた。

 

 友達だからと言って、手加減する理由も、弱みを探らない理由にはならない。

 

 その程度で壊れる程、安い友情ではないのだから。

 

 腹の中で色々と黒い事を考えていようが、彼女達が友人同士である事に変わりはない。

 

 好敵手と友人という概念は、共存出来る。

 

 それを知るからこそ、彼女達はこうして共に楽しみながら競い合うという、スポーツ選手のような関係を築く事が出来たのだ。

 

(思えば、最初はこうして集まって遊ぶ、なんて事が出来る関係になるとは思いませんでしたね。昔の私は、那須先輩の事が言えないくらい関係が閉じていましたし)

 

 小夜子は笑いながら腹の探り合いをする羽矢と国近を見て、思う。

 

 何もこの二人とは、最初からこういう関係だったワケではない。

 

 小夜子は、男性恐怖症だ。

 

 それ故に外出もままならず、友人関係も酷く狭い。

 

 学校のクラスだけならば実は香取と同級生に当たるのだが、引き籠っている小夜子に彼女と関わる機会などあろう筈もない。

 

 小夜子の人間関係は、那須隊に誘ってくれた熊谷と、那須隊の面々。

 

 そして保護者のような立ち位置にいる加古と、那須を通じて知り合った小南。

 

 精々がこの程度であり、国近とも羽矢とも、同じオペレーターとはいえそこまで親しいワケではなかった。

 

 切っ掛けとなったのは、国近だ。

 

 とあるオンラインゲームで偶然国近とアバターを通して交流する機会があり、小夜子の腕前に興味を持った彼女がオフ会を提案したのだ。

 

 小夜子は最初断ろうとしたのだが、彼女がボーダーのオペレーターであると勘づいた国近が押し切ったのだ。

 

 無論男性恐怖症(小夜子の事情)を知った国近は彼女を連れ出すような真似はせず、最初はボイスチャットから始めようと声をかけたのだ。

 

 代わりに、オペレートの事で聞きたい事があるならなんでも答える、と条件を提示して。

 

 隊の皆の為にも腕前を磨きたい、と考えていた小夜子にとってその誘いはひどく魅力的に映り、それなら、と国近の提案に同意したのだ。

 

 そこから先は、あっという間だった。

 

 小夜子は国近の指導でオペレート能力が高まり、更にモチベーションが高まる出来事(七海への恋慕の自覚)があったが為に、彼女の成長は留まる所を知らなかった。

 

 その間に国近との距離はぐっと縮まり、家に呼んで一緒にゲームをやるようになるまで、そう時間はかからなかった。

 

 暫くしてから国近に紹介された羽矢もその輪の中に入り、隠れオタクであった羽矢は自分の趣味をオープンにして付き合える友人が出来た事を大層喜び、小夜子もまた羽矢の心情は共感出来た為、快く受け入れた。

 

 ある意味オタクに関する世間の風聞に苦しめられた小夜子だからこそ、その趣味を隠していた羽矢の苦悩は理解出来る。

 

 羽矢は、美人という形容が似合うスマートな少女だ。

 

 加古のような派手さはないが、その整った容姿から異性には大層モテたであろう事が推測出来る。

 

 まあ、彼女自身は二次元にしか興味がない為、多くの男が玉砕する結果となったのであるが。

 

 ぶっちゃけると、羽矢は現実世界(三次元)に大して希望を抱いていない。

 

 自分の容姿目当てに寄って来る男は鬱陶しいし、そんな自分をやっかむ同姓も煩わしかった。

 

 独りで趣味に没頭出来ればそれで満足な羽矢にとって、現実の男も女も興味の対象とは成り得なかったのだ。

 

 ボーダーに入ったのも、そのあたりに理由がある。

 

 ある程度誤差はあるが、ボーダーの正隊員の面々は、総じて人格が出来ているものばかりだ。

 

 過度に言い寄って来る男もいなければ、妙なやっかみを向けて来る女もいない。

 

 王子隊のオペレーターになったのも、王子達が自分にさして女としての興味を持たないタイプだったからである。

 

 割とイケメンの部類である王子だが、彼自身の浮いた話は聞いた事がない。

 

 異性に興味がないワケではないのだろうが、羽矢が思うに優先順位が低いのだろう。

 

 女性と二人きりで過ごすよりも、友達とワイワイ騒いだ方が楽しい。

 

 王子は、恐らくそのタイプだ。

 

 羽矢は、自分の容姿が異性に好まれる事を実体験として知っている。

 

 だが、王子からその手の視線を向けられた事は一度もない。

 

 故に、羽矢は王子が女性の趣味が特殊か、交際願望の薄いタイプだと推察している。

 

 面と向かって尋ねた事はないが、ほぼ間違いない筈だ。

 

 だからこそ羽矢としても付き合い易く、一緒に過ごしてもストレスを感じないのだ。

 

 樫尾は典型的な真面目人間であり女性への興味を持つくらいなら勉強に時間を費やすというタイプであり、蔵内は大人の視点で一歩引いた立ち位置を確立しているので、過度な干渉を心配する必要はない。

 

 そういった意味でも、王子隊は羽矢の居場所なのだ。

 

 隊の全員が和気藹々とした友人同士である那須隊とは雰囲気が違うものの、一種の真面目な運動部めいた独特の空気感があり、羽矢はそれが嫌いではなかった。

 

 ちなみに、王子のネーミングセンスに関しては羽矢は特におかしいとは思っていない。

 

 初対面からあだ名呼びはどうかと思う事はあるが、そのネーミングに関しては別にいいんじゃないかと思っている。

 

 多少変わった風な名前でも、あだ名というのは呼び易さが全てだ。

 

 なら一風変わった呼び名でも良いじゃないかというのが、羽矢の所感であった。

 

 ……………………まあ、当初はネーミングそれ自体に違和感を持てず、他者の反応でようやく王子の変人っぷりを自覚したのであるが。

 

「…………そういえば、小夜子ちゃんの事はセレナーデ、って呼んでたわね。小夜子だから小夜曲(セレナーデ)って、王子くんらしいといえばらしいというか……」

「ああ、王子隊長のあだ名ですか。相変わらずセンスがカッとんでるというか、何で七海先輩がシンドバットになるんだか」

 

 意味不明ですよ、とぼやく小夜子を見て、羽矢は溜め息を吐きつつ答える。

 

「七つの海をかける、って事でシンドバットらしいわ。王子くん曰く」

「なんでそう繋げるのか理解不能ですねえ」

 

 まったくね、と羽矢は小夜子に同意する。

 

 王子のネーミングは分かり易い時と分かり難い時があり、七海に付けたあだ名であるシンドバットは理解不能な部類に入る。

 

 割とズレている感性を持っている羽矢でも、最初に聞いた時は内心ポカンとしたものだ。

 

 …………まあ、その後なんだかんだでノリノリで那須隊全員のアイコンを作成したあたり、どっちもどっちだが。

 

「そういえば、ウチについての対策とか考えてる? それとも、二回ものしたから楽勝とか?」

「馬鹿な事言わないで下さいよ。これまで安定して上位にいた王子隊を、舐めてかかれるワケじゃないじゃないですか」

 

 羽矢の探りに、小夜子はジト目でそう返す。

 

 何を当たり前の事を言っているんだ、と言わんばかりだが、羽矢とてそれは承知している。

 

 ただ、小夜子の反応から王子隊に対する警戒度の段階を探ろうとしただけだ。

 

 それを承知の上で、小夜子は答える。

 

「確かにラウンド4では圧倒出来ましたし、ラウンド7でも被害は最小限に抑えられましたけど、あれはどちらも好条件が揃ったから、っていう理由があった事は事実ですからね。油断していい相手とは思ってませんよ」

「あら、割と正直に答えるのね」

「そうですね。このくらいは、話しても支障はないと判断しました」

 

 まず、と前置きして小夜子は続ける。

 

「七海先輩達の話を聞く限り、腹芸では王子先輩の方が上手です。これまでは地力で圧倒出来ただけで、駒の強さの有利がなくなれば読み合いでは分が悪いと、私は考えています」

 

 ですので、と小夜子はちらりと隣の国近に目を向ける。

 

「太刀川隊がそちらと組んだ今、条件的には同等(イーブン)────────いえ、私たちが不利だと、そう見ています」

 

 そう、小夜子の言う通り、王子隊に今まで優位に立ち回れたのは、エース二枚看板をメインとした地力の強さで圧倒出来たという理由が大きい。

 

 だが今回は、A級一位の太刀川隊が王子隊と組んでいる。

 

 一騎で戦況を一変させかねない実力を持つ太刀川が敵に回った今、地力でのごり押しは却って不利になる。

 

 だからこそ侮る事はしないと、小夜子は告げた。

 

「それに、王子隊は安定感があって、決して無理をしない部隊です。その堅実さは、地味ながら厄介です。太刀川隊は、言わずもがなですね」

「えへん、もっと褒めていいのだよ~」

 

 説明を聞いてにへらと笑う国近を見て、小夜子は溜め息を吐いた。

 

 何処かとぼけた雰囲気を醸し出しているが、国近は小夜子のオペレートの実質的な師匠筋に当たる。

 

 今の小夜子の技術は、元々国近から指導を受けて上達したものだ。

 

 つまり、単純なオペレート技術であれば国近は小夜子の上位互換にあたる。

 

 決して敵わないとまでは思わないが、厳しい戦いになる事は確かだろう。

 

「ですが、今回は色々と特殊な条件ですからね。楽に勝てるなんて口が裂けても言えませんが、勝てないとも思ってはいませんよ」

「お、言うね~。やっぱり、恋する乙女は無敵とかそんな感じ~?」

「ええ、そうですね」

 

 からかうつもりで軽口を叩いた国近だが、即答で返されて目を見開く。

 

 あまりに堂々とした振る舞いに、三次元の恋愛など未経験な羽矢も目を丸くした。

 

「私は七海先輩を愛しています。だからこそ、此処まで頑張って来れたんです。たとえ報われぬ恋路であっても、あの人の為ならば私はなんでもやれる。そう開き直っていますから」

「…………相変わらず、何度聞いても凄まじい覚悟ね。結ばれないと思ってるなら、普通諦めるものじゃないの?」

 

 その凄絶な覚悟に、羽矢はたじろきながらもそう尋ねる。

 

 そんな友人に苦笑しながら、小夜子は続ける。

 

「私が七海先輩と結ばれるかどうかと、私が彼の為に頑張るか否かは、関係ありません。私は先輩の幸せこそが至上ですし、同じくらい那須先輩にも幸せになって欲しいと思っています」

 

 だから、と小夜子は笑みを浮かべ、告げる。

 

「────────あの二人に誇れる、私でいたい。だから、私は頑張れるんです。それが私の幸せだって、信じていますから」

 

 その言葉に、覚悟に、二人はただ、黙る他なかった。

 

 羽矢も、国近も、彼女の覚悟に異を唱える資格はない。

 

 彼女と違い、恋を知らない自分達が、その決意にどうこう言うのは間違っている。

 

「…………そう。でも、手は抜かないわ。全力で潰すつもりで行くから、覚悟してね」

「そうだね~。私も、久々に本気でやろうかな~。楽しみにしててね」

 

 だから、せめてもの発破として、宣戦布告する。

 

 彼女は、既に意思を固めている。

 

 ならば、友人として、好敵手として、全霊でその相手を務める。

 

 それが、叶う事のない恋に全てを捧げた掛け替えのない友人への、せめてもの手向け。

 

 これで勝てたら一言物申してやろうという、友人としての配慮(お節介)であった。

 

「ええ、望むところです。七海先輩への恋慕に懸けて、絶対に勝ってみせますよ」

 

 そんな二人に、小夜子はそう言って不敵な笑みを浮かべる。

 

 自分の決意に思うところがあるのは、分かっている。

 

 だが、こればかりは断じて譲るつもりはない。

 

 七海への恋慕も、試合の勝利も、一切妥協しない。

 

 この大切な友人達のチームと競い合い、勝利する。

 

 それが、自分達なりの友愛の示し方なのだから。

 

「「「負けないから」」」

 

 三人の声が、重なる。

 

 少女三人は、互いの決意を示し、試合に臨む。

 

 ゲームを通じて知り合った少女三人が雌雄を決する舞台は、間もなく。



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合同戦闘訓練/STAGE2
第二試験、開始


 

11月16日、土曜日。

 

 合同戦闘訓練兼、A級昇格試験第二試験当日。

 

 七海達は、那須隊の隊室で試験開始前最後のミーティングを行っていた。

 

「────────作戦は以上だ。第一プランが駄目なら第二プランに移行するが、状況によって適宜指示を出す。何か意見があれば言ってくれ」

「特にないわ。作戦に関しては、玲一と小夜ちゃんの方針を優先する。それでいいでしょう?」

「ええ、それで構わないわ」

「私も仕事をこなすだけですしねー」

 

 那須を皮切りに、那須隊の面々は七海の意思に同意する姿勢を見せる。

 

 作戦の詳細は既に那須邸で詰めている為、意見が出ない事も想定済みではある。

 

 これはあくまで、最終確認。

 

 土壇場での閃きや、追加情報がないかという意思統一の場。

 

 基本的に那須邸で行ったミーティングの再確認的な意味合いが強いが、那須隊では毎回こういう形式を取っている。

 

 傍から見れば二度手間かもしれないが、この直前のミーティングでの土壇場の閃きに助けられた事も多い故にこれを止めるつもりは今のところはない。

 

 戦場における閃きは、何が切っ掛けになるかは分かったものではない。

 

 だからこそ、こうやって話し合う機会を重ねる事でそれが起きる可能性をより高くする。

 

 小さな積み重ねこそが、着実な勝利への欠片(ピース)となる。

 

 多少の手間で僅かでも勝率が上がるのであれば、やらない理由は無い。

 

 戦いは、努力を怠った者だから脱落していくのが必定なのだから。

 

「じゃあ、予定通り今回の試合では────────」

 

 

 

 

「今回の試合では、シンドバット達は恐らく太刀川さんを()()()()ように動く筈だ。それが、最も勝率が高いからね」

 

 王子隊作戦室で、王子は開口一番そう告げた。

 

 太刀川隊はこの場にはいないが、通信越しに話は聞いている。

 

 それを承知の上で、王子は話を続ける。

 

「言うまでもなく、太刀川さんは今回の試合で最強の駒だ。1対1なら基本的に誰にも負けないし、一騎で戦況を一変させる力を持っている。これを正面から相対するっていうのは、出来ればしたくない筈だ」

「だから、那須隊は太刀川さんを浮かせる────────いや、()()()()()()()()()()って事か?」

「ああ、ぼくはそう見ている。常識的に考えれば、那須隊にとって太刀川さんを相手にするのは損以外の何物でもないからね」

 

 太刀川は、ボーダーNO1攻撃手である。

 

 当然その地位に相応しい実力を持っているし、1対1で負けた事など数少ない例外(好敵手である迅)を除けば殆どない。

 

 ランク戦でも、1対多の状況から相手を全滅させた事すらある。

 

 太刀川というのは、それだけの事が出来る規格外の駒なのだ。

 

 伊達に、他の全てのリソースを戦闘に注ぎ込んではいない。

 

 太刀川は勉強は出来ないが、戦闘に限れば頭は回る。

 

 超級の戦闘能力と、クレバーな判断能力。

 

 シンプルにそれを極めたのが太刀川であり、単純故に付け入る隙が殆どない。

 

 香取のような機動戦特化型ではなく、()()()()()()()

 

 ただ単純に高い実力を持っているからこそ、対処法が限られる。

 

 太刀川のようなタイプを相手にする場合は、大勢で囲んで潰すか、捨て駒前提で特化戦力(エース)が抑えの回るかのどちらかだ。

 

「だから、那須(ナース)あたりに抑えに回らせるんじゃないかな。熊谷(ベアトリス)だと太刀川さんの相手は少し厳しいだろうし、シンドバットは遊撃に回った方が活きる駒だ」

 

 だから、と王子は続ける。

 

「恐らく、高確率でナースが太刀川さんを抑えに来る。だから僕らは、イズイズと連携して抑えに出て来た彼女を仕留めれば良い」

 

 

 

 

「なーんて、考えてるんでしょうね。所感だと、そのくらいは頭を回してる気はします」

 

 小夜子はややジト目になりながらそう告げ、那須の方を見据えた。

 

「那須先輩、仮に王子隊三人と出水先輩に囲まれた場合、生存確率はどれほどですか?」

「地形に依るとしか言えないけど、少なくとも出水くんが来るのは厳しいわね。あの人は────────」

「────────ええ、那須さんと同じく、変化弾(バイパー)をリアルタイム弾道制御出来る天才(へんたい)ですからね」

 

 那須の十八番である彼女唯()の技能、バイパーのリアルタイム弾道制御。

 

 圧倒的な環境俯瞰能力と視野の広さによって成立するそれは、那須固有の技能ではない。

 

 出水もまた、この技能の保有者なのである。

 

 故に出水は那須並────────否、彼女以上にバイパーを自由自在に使いこなす。

 

 つまり、那須の得意とする複雑な地形は、イコール出水の狩場であるという事だ。

 

 建造物を盾にしようが、出水の弾丸は那須同様あらゆる障害を迂回出来る。

 

 故に、那須がこれまで他の隊員に大して優位に立つ事の出来た最大の要因である()()()()()()()()()()()()()()()()は今回に限り彼女の専売特許ではない。

 

 出水にもまた、同様の事をやられる可能性があるのだ。

 

 無論、機動力という点で那須は出水に大してアドバンテージがある。

 

 だが、純粋な射手としての練度は、彼の方が上だ。

 

 1対1ならば機動力で攪乱出来るかもしれないが、そこに王子隊の援護が加わると流石に厳しい。

 

 那須は自身の見立てとして、正直にそう感じていた。

 

「分かりました。では、出水先輩をフリーにした場合、どれほどの被害が出ると予想されますか?」

「────────間違いなく、致命的な損害を被る。確実にな」

 

 小夜子の質問に、七海はそう即答した。

 

 迷いのない断言に、小夜子は目尻に皺を寄せる。

 

()()()()ですか?」

「ああ、出水さんはチームサポートのエキスパートだ。あの人をフリーにするって事は、一番されたくないタイミングで横槍を入れられる可能性に常に晒される事を意味する。そうなれば、まともに戦えなくなるのは目に見えている」

 

 なにせ、と七海は難しい顔で、告げる。

 

「今回は、太刀川さんがいるからな」

「…………そういう事ですか」

 

 七海の言葉に、小夜子は得心する。

 

 現在の太刀川隊は攻撃手の太刀川、射手の出水、銃手の唯我の三人チームだが、唯我がまともな戦力として換算出来ない以上攻撃手と射手の二人チームという事になる。

 

 そんな状態で、彼等はA級一位の座に留まり続けているのだ。

 

 その理由としては太刀川の実力もそうだが、出水のサポート能力に依るところも大きい。

 

 確かに太刀川はNO1攻撃手に相応しい実力を有しているが、個人の実力だけで勝てるほどランク戦は甘くはない。

 

 彼等が頂点に君臨し続けていられるのは、太刀川と出水の二人がチームとしての練度が高過ぎるからだ。

 

 1対1どころか多対1でも大抵の相手に押し勝てる太刀川というエースを、出水が完璧なサポートで盛り立てる。

 

 互いが互いの隙を埋め、チームとして連動し、その圧倒的な地力で相手部隊を押し潰す。

 

 それが、太刀川隊。

 

 ボーダートップに君臨する、NO1チームである。

 

 七海は、その二人の弟子である。

 

 当然二人の強さは骨身に染みて学んでいるし、二人が組んだ時の恐ろしさも直に体感している。

 

 その七海の経験と直感が、告げていた。

 

 出水と太刀川、この二人のいずれかを自由(フリー)にした時点で、こちらは負けると。

 

 その言葉の重さを噛み締めて、小夜子は息を呑む。

 

「分かってはいましたが、矢張りそれほどの相手ですか。流石はA級一位部隊、と言うべきでしょうね」

「間違っても、舐めてかかれる相手じゃない。太刀川隊の地力は、間違いなく俺達より上だ。ごり押しは通じない。力じゃ押し負ける。そういう相手だ」

 

 でしょうね、と小夜子は溜め息を吐く。

 

 これは、あくまで確認だ。

 

 今日に至るまで、小夜子は太刀川隊の戦闘ログをかなりの数調べ尽くしている。

 

 その結果至った見解と、七海の答えは概ね一致する。

 

「では、()()()()()()()()()()()()()。転送位置によって微調整しますので、その場合は追加の指示に従って下さい」

 

 想定よりも更に最悪な相手だった事だけが誤算だが、それでも小夜子の意思は揺るがない。

 

 相手の地力が自分達より上である事など、承知の上。

 

 小夜子は、自分達の力を見誤らない。

 

 今の那須隊の地力は、おおよそB級上位レベルであり、A級には僅かに届いていない。

 

 少なくとも、B級ランク戦の時のように地力で圧倒出来る部隊は、A級には存在しない。

 

 それがA級一位ともなれば、尚の事だ。

 

 A級という地位の重みは、決して低くはないのだ。

 

 第一試験で当真を落とせたのは、巧く状況が噛み合っただけに過ぎない。

 

 少なくとも、何も考えずに勝てるほど、A級部隊は甘くはない。

 

 だからこそ、小夜子は一切の手を抜かない。

 

 情報は徹底的に収集し、少しでも有利になる条件を考察し、現場で動く七海の意見を聞いて実行段階まで練り上げる。

 

 それが、チームのブレインとしての一面も併せ持つ自分の役割だと、小夜子は自負している。

 

 その上で、オペレーターととしても羽矢と国近(友達二人)に負けたくはない。

 

 だから、全霊を尽くす。

 

 己の持てる手札を繰り尽くし、如何なる状況でも思考を止めない。

 

 それが、全力でぶつかってくれる友への礼節。

 

 己のオペレート技術の師である国近への、最大の恩返し。

 

 七海は、影浦()を超えた。

 

 ならば今度は自分の番だと、小夜子は気を引き締めた。

 

「勝ちましょう。A級一位の看板に、盛大に牙を突き立ててやろうじゃありませんか」

 

 

 

 

「さあ、A級昇格試験、『合同戦闘訓練』第二試合がやってきたぜ」

 

 第二試験、会場。

 

 そこには、多くの隊員が集まっていた。

 

 B級ランク戦と違ってC級隊員はいないが、B級は勿論A級隊員も多くが詰めかけている。

 

 それだけ、今回の試合の注目度は高い。

 

 何せ、今シーズンで二宮隊を打ち破り、B級一位の座に新たに君臨した那須隊の試合である。

 

 第一試験での確かな戦果も合わせて、相応の注目が集まるのは当然であった。

 

「実況はアタシ、仁礼光と、解説の烏丸、二宮さんでお送りするぜっ!」

「「よろしく頼む」」

 

 光のアナウンスにより、鉄面皮の男二人が淡々と挨拶をこなす。

 

 その様子に、会場ではどよめきが起こっていた。

 

 片や、その整った容姿でボーダー内でも女子人気が高くファンも多い烏丸(イケメン)

 

 片や、知らぬ者などいない射手の王であり、整った顔ながらもその容赦のなさと割とズレた感覚から色々と距離を置かれている二宮(てんねん)

 

 顔面偏差値の高さは言うに及ばず。

 

 寡黙なイメージのあるこの二人に果たして解説が務まるのか、という大変失礼(真っ当)な疑念もあって会場は密かな盛り上がりを見せていた。

 

 ちなみに、この二人の組み合わせは実況するオペレーターにとっては地雷そのものだ。

 

 鳥丸ファンの女性隊員が実況となれば緊張で巧く喋れない事請け合いであり、そもそも二宮の圧倒的威圧感(A.Tフィールド)を突破出来る者もそう多くはない。

 

 ぶっちゃけ、実況に仁礼が選ばれたのも特に鳥丸に異性としての興味がなく、二宮相手にも物怖じしない強心臓の持ち主だから、という理由が大きい。

 

 伊達に強面の影浦と四六時中つるんでたりはしない、という事だ。

 

 色んな意味で彼女が今回の実況を務めてくれた事に感謝するオペレーターは、多い。

 

 同時に、鳥丸と一緒に実況するなんて羨ましい、という想いを抱く者もいるにはいる。

 

 まあ当然、この場に放り込まれたいか(二宮と実況したいか)、と言われて頷く者は殆どおらず、結果的に異を唱える者はいなかったのであるが。

 

 そんな駆け引きがあったとは露知らず、あくまでマイペースに光は実況を進める。

 

「今回は事前の通達通り、旗持ち(フラッグ)ルールっつう特殊なルールを採用してるぜ。簡単に言やあ、旗持ちになった奴が落とされたら試合終了、追加点が入るってルールだな」

 

 どう思う? と光は隣の二宮に躊躇なく尋ねる。

 

 二宮は光の問いかけに若干眉を潜めたが、それでも責務はこなすつもりのようで大人しく口を開いた。

 

「誰を旗持ちにするかが重要なのは言うまでもないだろう。それをどう使うかも、チームの方針次第だ。今此処でうだうだ言う事じゃない」

「ほー、じゃあ二宮さんはどういう風にこのルールを利用して来ると思ってんだ?」

 

 光の質問に、二宮は簡単な話だ、と続ける。

 

「旗持ちを()()()()()()()、だ。見ていれば分かる。すぐにでもな」

「…………そうっすね。そろそろ、試合時間ですし」

 

 烏丸はぼそりとそう告げ、光に時刻の確認を促した。

 

 自分の時計を見て現在時刻を確認した光は「それもそーだな」とぼやき、マイクを握った。

 

「おっし、そろそろ時間だ。全部隊、転送開始っ!」

 

 光の号令と共に、四部隊が戦場へと送り込まれる。

 

 A級昇格試験、第二試合。

 

 その舞台が、幕を開けた。



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王子隊・太刀川隊①

 

『全部隊、転送完了』

 

 アナウンスが響き渡り、戦場へ隊員達が転送される。

 

『MAP、『市街地C』。天候、『霧雨』』

 

 そこは、段々畑のような形状の住宅地。

 

 高低差のあるフィールドに、薄くかかる雨雲。

 

 霧雨が降る街並みを前に、王子は上を見上げた。

 

「これはラッキーだね。風向きはどうやら、悪くなさそうだ」

 

 周囲の状況を確認しつつ、王子は笑みを浮かべ、告げる。

 

「さあ、行こうか。これまでやられて来た分を、ここできっちり返すとしよう」

『『了解』』

 

 チームメイトの心強い声と共に、バッグワームを纏った王子は霧雨の街を駆けだした。

 

 

 

 

「おーし、試合開始だ。MAPは市街地Cで、天候は霧雨かー。これ、どう見るよ?」

 

 光は物怖じせず隣の二宮に話を振り、二宮は淡々と答える。

 

「少なくとも、どちらのチームにも極端に有利なフィールドとは言えないな。広いMAPは全員が走れる王子隊に有利に見えるが、この市街地Cは高低差がある。多少は走り難さを覚える筈だ」

「高低差のあるMAPって事で那須隊が有利にも思えますけど、射手の那須さんが下の方に転送されちゃいましたからね。これで上を取れれば、優位に立てたんでしょうけど」

 

 そうだな、と二宮は烏丸の言葉を肯定する。

 

「この市街地Cは高低差があり、上に上がる為には道路に出なければいけない地形上、上を狙撃手や射手が取れれば優位に戦える。特に、今回は狙撃手が日浦一人しかいない都合上日浦が上を取れれば相当な有利が取れていた筈だ」

「茜ちゃんにはウチのユズルもやられたかんなー。可愛い顔して中々おっかないぜ」

 

 二宮さんを狙撃で倒すくらいだしなー、と光はなんともなしに呟き、二宮はぴくりと頬を引き攣らせたが特に反論はせず黙る。

 

 色々思うところはあるものの、あれは自分の負けであると二宮自身が認めている。

 

 故に事実を言われただけで激昂はしない────────しないが、完全にスルー出来るかと言われれば微妙なところだ。

 

 怒るべきかどうか迷う二宮を尻目に、光はいつも通りの調子でにかり、と笑って話を続けた。

 

「けど、その茜ちゃんも割と下の方に転送されちゃったしなー。これだとちっと厳しいか?」

「ああ、転送位置だけで考えれば、那須隊側が不利と言えるだろう」

 

 何故なら、と二宮は告げる。

 

「出水が、上を取っているからだ」

 

 

 

 

「おしおし、良い転送位置だな」

 

 出水は高台の上から市街地を見下ろし、不敵な笑みを浮かべる。

 

 彼がいるのは、この市街地MAPでも最も高い位置に当たる民家の上。

 

 狙撃対策で姿勢を低くしながらも、戦場全体を俯瞰出来るその位置で出水は油断なく眼下を見下ろしている。

 

「さあて、こっちは準備OKだ。始めようぜ、王子先輩」

 

 

 

 

「出水くんはあそこか……」

 

 そんな出水の姿を、熊谷は建物の影から見上げていた。

 

 彼女がいるのは出水により近い高台の一角、住宅地の庭の中。

 

 出水のいる場所からは見えない、死角に当たる位置である。

 

(けど、隠れる気ゼロだよねあれ。全力で()()に来てる。ホント、嫌な位置に陣取られたわね)

 

 熊谷が出水を発見出来たのは、偶然ではない。

 

 何故なら、出水はバッグワームを着ておらず、姿勢を低くはしているが身を隠す素振りは一切ない。

 

 つまり、全力で自分の居場所をアピールしているに等しい。

 

 見るからに、罠。

 

 出水は正面きっての戦闘よりも、他者のサポートでこそ輝く駒だ。

 

 その彼があからさまに自分の存在をアピールしているという事は、当然そこに狙いがある。

 

 即ち、自分自身を囮として敵チームの()()()()である。

 

(今後の事を考えれば、出水くんは落としておきたい。でも、あそこに近付くには道路を突っ切らなきゃいけないから当然こっちの居場所がバレる。そうなったら多分、近くに潜んでる伏兵が襲って来る)

 

 そして、と熊谷は高所に陣取る出水を見据え、舌打ちする。

 

(問題は、()()伏兵として潜んでいるかよね)

 

 当然ながら、太刀川であった場合は完全にアウト。

 

 出水の支援を受けた太刀川相手では、幾ら守りに長けた熊谷とはいえ長くは保たない。

 

 王子や樫尾であった場合も、出水の支援を受けた状態で接敵すれば厳しい。

 

 流石にこの最序盤で王子隊が合流しているケースは殆ど有り得ないだろうが、逆に言えば万が一には有り得る。

 

 転送運が完全に味方していた場合、序盤に合流に成功する可能性は0ではないのだ。

 

(となると、此処は七海か玲との合流を待つのがベター? いや、時間をかければかけるだけ王子隊が合流する可能性が上がる以上、悪手か)

 

 王子隊は、三人が合流した状態が一番厄介だ。

 

 三人全員がハウンドを装備している都合上、全員揃った場合の射撃圧はかなりのものだ。

 

 今回の相手は、射程持ちが出水を含め四人もいる。

 

 熊谷もハウンドは装備しているが、練度でいえば明らかに向こうが上だ。

 

 何せ、ハウンドを使ってきた年季が違う。

 

 熊谷がハウンドを使用し始めたのは、今回のB級ランク戦、それもラウンド4からだ。

 

 以前からハウンドを使い続けて来た王子隊や、本職の射手である出水には当然練度は及ばない。

 

 それにそもそも、熊谷にハウンドを教えてくれたのは出水本人だ。

 

 つまり、熊谷のハウンドの技術は出水の劣化でしかない。

 

 そもそも本職が攻撃手である熊谷にとって、ハウンドはあくまで牽制を含めたサブウェポンに過ぎない。

 

 場合によっては射程持ちとして仕事をこなすが、当然練度でいえば出水の方が圧倒的に上である。

 

 そんな相手と射撃戦をして勝てると思うほど、熊谷は己惚れていない。

 

 だが、此処で留まっていても状況が悪化するのは確実。

 

 しかし、だからと言って闇雲に出ていけば良いというワケでもない。

 

(玲と茜は、下の方に転送されたからすぐには援護は望めない。七海も、迂闊に動かすワケにはいかない。今の状況で風間隊を使うのも、悪手。となると────────)

 

 熊谷は身を隠しながら、再度出水を見据える。

 

(あたしの位置がバレてないうちに、速攻で奇襲をかける。それで伏兵を釣り出して、相打ちでも良いから仕留める。それでいくか)

 

 

 

 

「甘い、甘いよー。バッグワームを使えば位置がバレないとか、甘過ぎだよー」

 

 太刀川隊、作戦室。

 

 そこに座す国近は、鼻歌交じりに画面を見て、呟く。

 

「ランダム転送って言ってもねー、最初は大体みんな同じ間隔でスタートするから、味方の位置を把握すれば相手がどのあたりにいるかはなんとなーくわかるんだー」

 

 それにね、と国近は画面に視線を走らせる。

 

「こういう隠れる場所が限定されがちなMAPなら、相手が隠れてそうなトコは割とすぐにピックアップ出来るんだ~。ということは~」

 

 にぃ、と国近は笑みを浮かべ、告げる。

 

「当たりを付けたところを順番に見てって貰えば、どうなるかな~?」

 

 

 

 

「────────見つけたよ、ベアトリス」

「……っ!?」

 

 それは、無数の光弾と共に舞い降りた。

 

 家屋の屋根の上から飛び降りて弧月を振り下ろすのは、王子一彰。

 

 己の従えるハウンドと共に、彼は熊谷へ奇襲をかけた。

 

「く……っ!」

 

 熊谷は咄嗟にシールドを展開し、ハウンドを防御。

 

 すぐさま弧月を抜き放ち、王子の斬撃を受け止めた。

 

「運がなかったね。君は此処で仕留めさせて貰うよ、ベアトリス」

「それはこっちのせり────────っ!」

 

 そこで、熊谷は目を見開いた。

 

 熊谷の視界に映る、王子の姿。

 

 その彼の顔の横に、『flag』と記された旗のマークが浮かんでいる。

 

 間違いない。

 

 これは────────。

 

「アンタが、旗持ち(フラッグ)か……っ!」

「ご名答。さあ、仕留めてみせなよ」

 

 但し、と王子は口元を歪めた。

 

「僕を仕留めた瞬間、この試合は終わっちゃうけどね」

 

 

 

 

「おおっと、ここで王子が熊谷に奇襲……っ! そんでもって、王子隊の旗持ちが王子である事が明かされたぞーっ!」

 

 光は元気一杯に、戦況を報告する。

 

 会場は想像以上に早期の旗持ち発覚に、困惑の色が浮かんでいた。

 

「成る程、こういう事っすね」

「ああ、その通りだ」

「おいおい、アタシにもちゃんと説明しろよなー」

 

 その光景を見て得心する寡黙な解説二人組に対し、光は不満を露わにする。

 

 ぶーたれる光を見て溜め息を吐きつつ、二宮は説明する。

 

「この旗持ち(フラッグ)ルールでは、旗持ちがやられた瞬間に強制的に試合が終了する。だから旗持ちは基本的に、落ちないように立ち回る事が要求される」

「てーことは、旗持ちが誰かわかんない方が有利って事だよな? なんで王子はその有利をこんな序盤で捨ててんだ?」

「言っただろう。()()()()()落ちないように立ち回るだろうが、それを逆手に取る事も出来るんだ」

 

 となれば、と前置きして二宮は続ける。

 

「此処で王子を落とせば旗持ちルールの特殊採点と合わせて3Ptが獲得出来るが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ワケだ」

「要するに、ポイントがもっと欲しければ、此処で王子先輩を落とすワケにはいかないって事っすね。そして、王子先輩はそれを承知で出てきている」

 

 つまり、と烏丸は画面の中の王子を見て、告げる。

 

「王子先輩は、自分から旗持ちである事をアピールする事で、自分自身を人質にしたワケです。試合を続けたければ、自分を落とすな、っていう縛りを熊谷さんに突き付けたんですよ」

 

 

 

 

「ほらほら、攻めて来なくて良いのかい?」

「くっ、性格悪いわねアンタ……ッ!」

 

 王子の斬撃を熊谷は弧月で受け止め、その反動を利用して距離を取る。

 

 同時に、王子は背後で待機させていたハウンドを射出。

 

 熊谷に向け、追撃を仕掛ける。

 

「ち……っ!」

 

 熊谷はそれを、シールドを広げてガード。

 

 反撃の為、ハウンドを形成する。

 

「いいのかな? 撃っちゃって」

「……っ!」

 

 王子は、それに構わず前進。

 

 シールドすら張らず、見せつけるように弧月ではなくスコーピオンを振りかぶりながらハウンドを形成する。

 

 あからさまな、両攻撃(フルアタック)の状態。

 

 今ハウンドを叩き込めば、王子は落とせる。

 

 そう、()()()()()()()のだ。

 

「このお……っ!」

 

 熊谷はハウンドを王子ではなく家屋に向けて射出し、着弾。

 

 家屋を撃った事で発生した土煙に紛れ、撤退を図る。

 

「逃がさないよ」

 

 王子は逃げる熊谷に向け、ハウンドを掃射。

 

 トリオン誘導により、熊谷を狙い撃つ。

 

「旋空弧月ッ!」

 

 だが、熊谷は咄嗟に旋空弧月を撃ち放ち、家屋を両断。

 

 横滑りした家屋の残骸が、王子のハウンドを防ぐ盾となり、散らばる。

 

「…………逃がしたか」

 

 その隙を逃す、熊谷ではない。

 

 土煙が晴れた時には、既に熊谷はその場から消え失せていた。

 

 しかし、王子の顔に焦りはない。

 

 それどころか、してやったりという笑みすら浮かべていた。

 

「けれど、充分()()()()は出来た。後は頼みますよ────────さん」

 

 

 

 

(なんとか逃げられたか……)

 

 熊谷は市街地を駆けながら、背後を確認する。

 

 全速力で逃げて来た為道路を横断せざるを得なかったが、今更だ。

 

 王子に位置がバレたという事は、出水にも自分の位置が捕捉されたということ。

 

 出水の追撃がなかった事が気がかりではあるが、今は一刻も早くこの場を離れる他ない。

 

 今の戦闘で、王子が旗持ちである事は判明した。

 

 だが、それは自分達の有利を意味しない。

 

 王子はあろう事か、自分が旗持ちである事を逆手に取って、こちらからの攻撃に縛りを入れて来たのである。

 

 他の隊員を落とす前に王子を落としてしまえば、その時点で試験は終了。

 

 最悪、3Ptだけを獲得してこの試合が終わってしまう。

 

 二宮隊を追い越さなければいけない都合上、3Ptのみの得点で終わる事などあってはならない。

 

 王子はその事情を把握した上で、自分自身を人質にして来たワケである。

 

 戦略家の王子らしい、えげつのない戦法。

 

 これでは、王子と接敵したが最後、防戦一方にならざるを得なくなる。

 

 そして、防戦一方で凌ぎ続けられるほど、王子は弱い駒ではない。

 

 あのまま戦っていれば、確実に熊谷は落とされていただろう。

 

 こちらと違い、あちらは熊谷が旗持ちではない事を把握している。

 

 つまり、()()()()()()()()()()()である事はバレているのだ。

 

 幾ら熊谷が受け太刀の名手とはいえ、そんな縛りを受けたままの戦いでは限界がある。

 

 故に此処は、逃げの一手しかない。

 

 だからこそ、遮二無二の逃走を選んだ。

 

 それだけが、あの場で出来た最善だった。

 

「よう、くま」

「……っ!!??」

 

 ────────それが、誘導された最善だとは知らずに。

 

 道路の先に、一つの影がある。

 

 霧雨の振る中で堂々たる立ち姿を晒すのは、黒コートの男。

 

 腰に()()()()()を携えたその男は、熊谷を見てニヤリと笑う。

 

 A級一位部隊隊長、太刀川慶。

 

 ボーダー最強の戦士が、明確な脅威となって熊谷の前にその姿を現した。



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王子隊・太刀川隊②

 

「おっとぉ、王子の襲撃から撤退した熊谷と、太刀川さんがエンカウント……ッ! 泣きっ面に蜂、いや髭かぁ……っ!」

「髭って…………いやまあ、太刀川さんだからいいか」

 

 掛け合い(コント)をやりつつも、烏丸は画面の中で対峙する太刀川と熊谷の姿を見据える。

 

 ハッキリ言って、この状況は熊谷にとって最悪に近い。

 

 何故なら────────。

 

「不味いっすね。あそこ、ギリで出水先輩の射程範囲内です」

「そうだな。しかも王子もそう遠くないうちに追いつく。その必要があればだが」

 

 そう、熊谷のいる場所は、出水の射程の内側。

 

 つまり、今の彼女の状況は出水の援護を受けた太刀川という事実上の太刀川隊の最大戦力を相手にしている事を意味している。

 

 ただでさえ、太刀川はタイマンでは最強クラスなのだ。

 

 それに出水の射撃援護が加わったとなれば、熊谷の勝率は0に近いどころか時間稼ぎが出来れば良いところだ。

 

 しかも、時間を稼いだところで王子の追撃が来るというおまけ付きである。

 

 正直に言って、太刀川と遭遇した瞬間に熊谷の命運は尽きたと言って良いレベルだろう。

 

 故に、この場で考えるべきは熊谷の生存の有無ではない。

 

 どれだけ、彼女の犠牲を意味あるものに出来るか。

 

 これに尽きる。

 

(正直、熊谷さんを落とすだけなら出水先輩の援護を受けた太刀川さんで事足りる。そうなると今後の分かれ目になるのは、王子先輩の動きだ)

 

 烏丸はちらりと、別の画面に映る王子の姿を見据える。

 

(落とすだけなら、太刀川さんだけで良い。問題は、その落とす時間を短縮する為に王子先輩を動かすか、それとも王子先輩を()()()()再び隠密させるか。そのどちらか)

 

 そう、熊谷を落とすだけであれば、出水の支援を受けた太刀川だけで事足りる。

 

 そこに王子を加える意味があるとすれば、逃げ場を塞ぐ事での熊谷撃破の時間短縮。

 

 熊谷を追い詰める事での、捨て身強要による自爆狙いだ。

 

 今の那須隊は、捨て身の戦法を躊躇わない。

 

 現に熊谷は、これまでに幾度も捨て身戦法で戦果をもぎ取っている。

 

 無論それだけが彼女の持ち味ではないが、()()()()()()()()()()()()()()()()()事は確かだ。

 

 故に、逃げ場のない追い詰め方をすれば、捨て身になって強引に戦果を得ようとする可能性は低くない。

 

 そして、そうと分かっていれば太刀川クラスの実力者ならばその捨て身を空かして落とす事も可能だ。

 

 捨て身戦法は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 来ると分かっている捨て身は、ただの無謀な突撃でしかない。

 

 捨て身になるという事は、防御を捨てるという事。

 

 ならば、その攻撃に合わせて防御を全開にし、二の手で仕留めればあっさり落ちる。

 

 太刀川ならばその程度、鼻歌交じりにやってのけるだろう。

 

(けど、最終ラウンドで犬飼先輩はそれを狙って負けた。つまり、考えなしの捨て身をやるほど熊谷さんは短慮じゃない)

 

 だが、それを狙った事を逆手に取られて落とされたのが最終ラウンドの犬飼だ。

 

 それまでに捨て身戦法を散々印象付けた上での、相手の性格の悪さを信頼した戦術。

 

 あの戦上手の犬飼の、読みの深さを利用して得た勝利と言える。

 

(王子先輩はあの試合を、解説者として見ていた。当然あのシーンは印象付けられただろうし、考えに入れている筈だ)

 

 つまり、と烏丸は王子の姿を再び見据えた。

 

(詰めに行って、逆に王子先輩が仕留められる展開。その程度は、警戒しているだろう。けど────────)

 

 

 

 

「今、僕を仕留めるワケにはいかない。だから、遠慮なくベアトリスを追い詰めていこうじゃないか」

 

 王子は変わらぬ笑みで、そう断言する。

 

 バッグワームを纏った王子は、市街地を足早に駆けていた。

 

『だが、太刀川さんを相手にして余裕がない中でお前が行けば、流れ弾でお前が落ちる可能性もあるんじゃないか? 確かに那須隊にとって3点だけ取って終わるのは避けたい展開の筈だが、それで終わればマズイのは俺達も同じだぞ』

 

 蔵内の言う通り、確かにこの序盤で王子を落として試合を終わらせる事は那須隊にとってなるべく避けたい展開だろう。

 

 だがそれは、王子隊にとって良い展開かと言われればそうではない。

 

 点が欲しいのは、王子隊も同じなのだ。

 

 仮に誰も落とせないまま王子が落とされて試合が終われば、王子隊としては大損も良いところだ。

 

 先程王子が自分を人質にする形で熊谷を追い詰める事が出来たのは、半ば以上ハッタリが効いていた以上に、あの場で必要以上に熊谷を追い詰め過ぎなかったからに過ぎない。

 

 王子は熊谷に敢えて逃げる余地を残した上で、捨て身に見えてその実余裕のある攻撃しか行っていない。

 

 防御を捨てて攻撃を仕掛けたように見えたのも、熊谷が充分その事に気付ける距離でやっていた時点で、捨て身攻撃の利点である一瞬の隙を突く理念からは程遠い。

 

 捨て身は、相手の意表を突くからこそ意味がある。

 

 あのような()()()()()()()()()()()()()()でやったところで、ただの隙の多い攻撃でしかない。

 

 あの場での王子の目的は、熊谷を敢えて逃がし太刀川の下へ誘導する事。

 

 つまり、あの場の王子の行動は全てがハッタリ(ブラフ)

 

 もしも熊谷が構わず攻撃して来るようであれば、すぐさまシールドを張る用意はしていたのだ。

 

 結果として熊谷が慎重だったお陰でそのブラフは露見せずに済んだが、綱渡りの戦法だった事は否めない。

 

「勿論、その可能性はあるだろう。けれど、リスクを恐れていては何も出来ない事を、僕達は二回の敗戦で学んだんだ。今更、二の足を踏むワケにはいかないよ」

 

 それに、と王子は続けた。

 

「彼女達には、僕がリスクを恐れない奇策好きの策士だと()()()()()貰う必要がある。その為には、此処で足を止める選択肢はないね」

 

 王子はそう言って、不敵な笑みを浮かべる。

 

「万が一にも、ベアトリスに生き残らせるワケにはいかない。その為に、太刀川さんとイズイズっていう最大戦力を序盤に投入したんだからね」

 

 だから、と王子は告げる。

 

「何がなんでも、君には此処で落ちて貰う。覚悟して貰うよ、ベアトリス」

 

 

 

 

「────────旋空弧月」

 

 挨拶代わりの、上段からの旋空弧月。

 

 太刀川はそれを躊躇なく放ち、熊谷はそれをサイドステップで回避する。

 

 そして、旋空の斬撃が地面に斬撃痕を残し、後ろの家屋を両断する。

 

 旋空弧月は、防御不能の拡張斬撃。

 

 先端に行けば行くほど切れ味の増すその斬撃は、シールドだろうがエスクードだろうが容易く両断する。

 

 故に、旋空相手に許されるのは回避一択。

 

 熊谷は大袈裟に思えるほどの挙動で、その斬撃を回避した。

 

「く……っ!」

 

 その回避挙動には、当然理由がある。

 

 太刀川の斬撃の一瞬後、熊谷が回避を終えたタイミングで。

 

 上空から、無数の光弾が飛来した。

 

 その発射地点にいるのは、出水公平。

 

 一切の油断なく戦場を俯瞰する、太刀川隊の射手である。

 

 この場で熊谷を狙うのは、目の前の太刀川だけではない。

 

 出水もまた、優位な位置を確保した上でこちらに狙いを定めている。

 

 だからこそ、大振りな回避が必須であった。

 

 紙一重程度の回避では、弾幕で固められて逃げ場を失う可能性があったからだ。

 

 その程度は出水は────────太刀川隊は、やってのける。

 

 故に、行動に迷いはなかった。

 

 熊谷は迫る光弾────────変化弾(バイパー)を、広げたシールドで防御。

 

 自身は素早く駆け出し、太刀川の側面に回り込む。

 

「おっと」

 

 それを見咎めた太刀川が、無造作に旋空を放つ。

 

 今度は上段からの振り下ろしではなく、横薙ぎ。

 

 しかもかなり低い位置を狙っている為、回避するにはジャンプする他ない。

 

(けど、それをしたらきっと変化貫通弾(コブラ)で狙って来るわよね)

 

 だが、上空では文字通り逃げ場がない。

 

 合成弾の開発者にして名手である出水であれば、即座に合成弾を用いて狙い撃ちするくらいの事はやって来る。

 

 そうなれば、その時点で詰みだ。

 

 変化貫通弾(コブラ)の厄介さは、チームメイトの那須が散々証明しているのだから。

 

 合成弾、コブラは那須の持つ手札の中でも最高クラスの()()()だ。

 

 回避すれば意味がないという通常弾(アステロイド)の弱点をリアルタイム弾道制御で克服したその弾丸は、放たれれば防御に専念する以外防ぎようのない致死の固め技になる。

 

 意表を突く事が出来れば、一発で即死。

 

 たとえ防御に成功しても、一度固めてしまえば後は逃げ場を奪って封殺するのみ。

 

 撃てば勝てるとまでは言わないが、圧倒的な優位を確立出来るであろう事は確かである。

 

 今までは味方の決め技として頼って来たそれが、今度は敵に回っている。

 

 正直に言って、悪夢以外の何物でもない。

 

 故に。

 

(此処で取るべき道は、一つ……っ!)

 

 熊谷が選んだのは、跳躍。

 

 それも、ただ跳ぶのではない。

 

 太刀川に向かって、旋空の薙ぎ払い範囲ギリギリを低空で跳躍したのだ。

 

 結果、熊谷は太刀川に肉薄。

 

 旋空を振るう太刀川に対し、斬撃を放つ。

 

「へえ」

 

 だが、太刀川は左の太刀を抜きその斬撃を防御。

 

 二振り目の弧月で、熊谷の刃を受け止めた。

 

「距離を詰めたか」

「それしかないからね」

 

 熊谷は冷や汗を浮かべながら、精一杯の不敵な笑みでそう告げる。

 

 旋空が最も威力を発揮するのは、中距離での薙ぎ払い。

 

 近距離、それも鍔迫り合うような密着状態では、旋空の強みを活かし切れない。

 

 旋空は、先端に近ければ近いほど威力が上がる。

 

 となれば、逆に先端から遠ざかれば遠ざかるほど、威力が下がる。

 

 先端はあらゆる防御を切断するほどの威力を持つ旋空でも、()()となれば通常の弧月となんら変わりはない。

 

 そして、中距離での旋空の撃ち合いでは、()()()()()()()という変態スタイルの太刀川には圧倒的に及ばない。

 

 故に、少しでも勝機があるとすれば接近戦。

 

 それも射撃トリガーを撃てばお互いを巻き込むほどの密着距離であるならば、出水の妨害も抑制出来る。

 

 今の熊谷に残された、唯一の勝ち筋。

 

 それが、この鍔迫り合いの近接距離である。

 

()()()? 旋空なしの斬り合いなら俺に勝てるって?」

「いいえ、生憎そこまで驕っちゃいないわ。これでようやく、時間を稼げる程度でしょうね」

 

 けど、と熊谷は不敵な笑みを浮かべる。

 

「こうなったら、徹底的によ。思いつく限りの全力で、食い下がってあげるわ。防御戦術(受け太刀)は割と評価してる、って言ってたのはアンタよね」

 

 だから、と熊谷は告げる。

 

「その評価に報いれるよう、精一杯抗戦するわ。アンタの評価は正しかったって、改めて見せつけてやろうじゃないの」

「おう、望むところだ。そういうの、俺は大好きだぜ」

 

 太刀川は熊谷の宣戦布告を受け、笑みを浮かべて斬撃を放つ。

 

 NO1攻撃手と女剣士の鍔迫り合いが、始まった。

 

 

 

 

「うわ凄い。太刀川くんとやり合えてるや」

 

 観戦席で、その戦いを見ていた来間は目を見開いた。

 

 画面の中では、密着するような距離で太刀川と熊谷が斬り合っている。

 

 銃手というポジション上、熊谷の斬り合いを間近で見た事のなかった来間であるが、彼女が防御が巧いという話は聞いていた。

 

 だがそれも、太刀川と斬り合えるレベルだったとは、流石に予想していなかったのだが。

 

「熊谷さんの受け太刀は、かなり巧いですよ。元々、那須隊の防御は彼女一人で成り立っていたんですし」

「そういえばそうだったね。七海くんが入る前は、前衛は彼女だけだったし」

 

 そう、前シーズンまでは七海がいなかった為、那須隊の前衛────────即ち防御役は、熊谷一人で受け持っていた。

 

 故に、彼女が崩れた途端戦線が崩壊するという致命的な弱点を背負っていたのだが────────逆に言えば、それだけの防御技術を彼女が修めていたという事でもある。

 

「それに、俺が知る防御技術を幾つか仕込みましたし、前よりも防御技術は上がっている筈です」

「鋼の技術を取り入れたなら、強くなるのも頷けるね。彼女は勤勉だし」

 

 そうですね、と肯定する村上に対し、横で聞いていた太一がひょこりと顔を上げた。

 

「じゃあじゃあ、もしかして熊谷さんが太刀川さんを倒しちゃったり?」

「いえ、残念ながらそれはないでしょうね」

「ありゃ?」

 

 出鼻を挫かれた太一を見て苦笑しながら、村上は説明する。

 

「確かに防御技術は上がりましたが、それだけで倒せるほど太刀川さんは甘くありません。現に、俺も太刀川さんには負け越してますしね」

「あー、鋼さんが駄目ならそうだよなあ」

 

 そうだな、と村上は苦笑する。

 

「己惚れるつもりはありませんが、俺の持つ技術を総動員しても太刀川さんを確実に倒せる自信はありません。それに、今は隙を見せれば出水さんが撃って来るでしょうから1対1に集中し切れるワケでもないですしね」

 

 村上の言う通り、これは個人戦ではなく集団戦。

 

 現在は疑似的な1対1に持ち込む事に成功しているが、出水が油断なく弾を撃ち込む隙を狙っている上、時間をかければ王子も追撃して来る可能性がある。

 

 個人の技量そのものの差もあるが、死地を脱する事が出来たワケではないのだ。

 

「ですから、他の隊員の動きが鍵になるでしょうね。熊谷さんを囮にするか助けに来るかは分かりませんが、その為の時間くらいは稼ぐでしょう」

 

 なにせ、と村上は告げる。

 

「彼女は、那須隊を支える優秀な攻撃手ですから」

 

 そう言って、村上は笑みを浮かべて見せた。

 

 画面の中で戦う、熊谷を見据えながら。



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王子隊・太刀川隊③

「ハァ……ッ!」

 

 熊谷は腰を入れ、力を込めて上段から弧月を振り下ろす。

 

 下段からの突き上げではなく、上段からの振り下ろしを選んだのは少しでも相手に圧力をかける為。

 

 女性にしては長身の熊谷ではあるが、太刀川の上背は彼女のそれを軽く上回る。

 

 熊谷の身長171㎝に対し、太刀川は180㎝。

 

 それだけの差が、二人にはある。

 

 トリオン体となって膂力が増しているとはいえ、斬撃の()()は決して無視出来る要素ではない。

 

 下から突き上げるよりも、上から体重をかけて振り下ろした方が力が込め易いのは当然といえば当然である。

 

 故に、熊谷は少しでも拮抗出来るよう振り下ろしを選択した。

 

「ふん」

 

 無論、その程度で押し勝てるほど、太刀川は甘くはない。

 

 太刀川は二振りの弧月をクロスさせ、熊谷の斬撃を防御。

 

 そのまま、腕を広げるようにして熊谷を弾き飛ばした。

 

「く……っ!」

 

 熊谷はそのまま弾き飛ばされ────────は、しない。

 

 即座に弧月を地面に突き立て、その場に留まった。

 

 理由は単純。

 

 距離を離せば、即座に出水の追撃がやって来るからだ。

 

 この場は、出水の射程圏内。

 

 太刀川を巻き込まない位置に追いやられてしまえば、すぐにでも出水の弾幕が降り注ぐ。

 

 この場で太刀川と疑似的な1対1を演じる為には、至近距離での戦闘を継続する事が不可欠。

 

「……っ!」

 

 だが、それは言うは易し行うは難し。

 

 太刀川は、A級一位は、甘くはない。

 

 その場に踏み留まった熊谷に対し、太刀川は即座に追撃。

 

 右腕の弧月を、意趣返しのように上段から振り下ろす。

 

 熊谷はそれを、自らの弧月で受ける。

 

 ガキン、と鈍い金属音が鳴り響く。

 

 旋空を発動していない以上、弧月同士の耐久力に差はない。

 

 スコーピオンと違い、斬り合っても早々に刃が欠ける事は有り得ない。

 

 故に、シールドでは防げない弧月の斬撃も、同じ弧月を用いれば防ぐ事は出来る。

 

「────」

 

 されど、太刀川は()()

 

 一本を防いでも、もう一本が残っている。

 

 太刀川は熊谷に斬撃が防がれたと同時に、左腕の弧月を振るう。

 

 一撃目とは逆の、下段からの突き上げ。

 

 上段からの斬撃を弧月を用いて防いでいる熊谷に、それを防御する手段はない。

 

「……!」

 

 彼女が、受け太刀の名手でなければ。

 

 熊谷は太刀川の弧月を受け止めていた腕から、僅かに力を抜く。

 

 それも、ただ脱力したのではない。

 

 角度を付けて、太刀川の刃を引き込むように刃を下げた。

 

「ほう……!」

 

 結果、太刀川の右腕の弧月は熊谷の刃から滑車のように滑り落ちる。

 

 そこを逃さず、熊谷は自らの弧月を太刀川の弧月二本に纏めて叩き付けた。

 

「……っ!」

 

 別々の軌道を描いていた二振りの刃が、熊谷の技巧によって一纏めにされ地面へと縫い付けられる。

 

 これが、彼女の持つ受け太刀の技術。

 

 剛剣ではなく、柔剣。

 

 しなやかな太刀筋で相手の力をいなす、柔の剣。

 

 鍔迫り合いでのみその真価を発揮する、彼女の得意技である。

 

 これは那須隊の力となる為、ひたすらに修練を重ねて磨いた彼女の努力の結晶。

 

 守りの専門家たる村上に教えを請い、その技術さえ取り入れた紛れもない彼女の武器。

 

 その真価を発揮するのは、同じ弧月使いとの鍔迫り合い。

 

 射撃や狙撃相手には言うに及ばず、スコーピオン相手では基本的にヒット&アウェイの戦い方をして来る為、有効に使える事は早々にない。

 

 そもそも、スコーピオンの使い手相手に距離を詰める事そのものが下策だ。

 

 スコーピオンは、身体の何処からでも刃を出す事が出来る。

 

 下手に鍔迫り合うような至近距離で斬り合えば、不意打ちでブレードを展開して来るのが目に見えている。

 

 至近距離ではなく近距離で戦うのが、スコーピオンの使い手に対する正しい対処法だ。

 

 故に、この受け太刀の技術の使いどころは実際のところかなり少ない。

 

 同じ弧月使い、しかも至近距離での戦闘に持ち込まなければまず使い道がないのだ。

 

 だからこそ、熊谷のこの技巧はボーダー内でも限られた層にしか知られていない。

 

 射手や銃手はそもそも弧月の届かない位置から撃てばいいし、スコーピオン使いはそもそも鍔迫り合いになど付き合わない。

 

 彼女のこの技術の高さを実感するのは、同じ弧月使いのみ。

 

 それも、村上や太刀川のような、正面から斬り合うタイプに限られる。

 

 他の面々は、精々知識として熊谷は受け太刀が得意()()()と知っている程度。

 

 自分で実感していない以上、その評価はあくまで伝聞の情報(フレーバー)でしかない。

 

 その為、彼女の稀有な防御技術を正しく評価する者はそう多くはない。

 

「やるな」

 

 無論、太刀川(この男)はそれを()()()だ。

 

 太刀川は即座に左腕の弧月を放棄し、両腕で右の弧月を掴む。

 

 そして、両手持ちの弧月を以て熊谷の剣を押し返した。

 

「く……っ!」

 

 弾かれ、たたらを踏む熊谷。

 

 そこに容赦なく、遠方から出水の光弾が突き刺さる。

 

「……っ!」

 

 咄嗟に身体を捻り射撃を回避する熊谷だが、躱し損ねた光弾が脇腹を抉る。

 

 少なくないトリオンを傷口から漏出させながら、熊谷は即断で太刀川に斬りかかった。

 

 このまま此処にいては、出水によって蜂の巣にされる。

 

 こなすべき仕事も果たせずに退場する事だけは、あってはならない。

 

 故に、熊谷は敢えて死地へと踏み込んだ。

 

 彼女の受け太刀の技術は、以前よりも向上している。

 

 ほぼ独学だったその技術を村上の指導によって矯正し、より精度の高い防御技術を獲得した。

 

 だが、その程度で覆せるほど、NO1攻撃手の格は低くはない。

 

 全てのリソースを戦闘にのみ注ぎ込んだ太刀川の脅威は、言葉だけでは語り切れない。

 

 太刀川自身は、特別な力など何もない。

 

 生駒のように居合いの技術を収めているワケでも、七海のように戦闘に有利なサイドエフェクトを持っているワケでもない。

 

 単純に、適性があった。

 

 単純な能力の高さや、副次的な第六感ではない。

 

 ただ、戦闘が()()()()()

 

 それだけなのである。

 

 太刀川の性根は、根っからの戦闘者だ。

 

 平和な時代では爪弾きにされ、忌み嫌われる戦狂い。

 

 常の人間が持つ戦闘への忌避感を持たず、純粋に命のやり取りを楽しめる外れた感性。

 

 別に彼は、殺しがしたいワケでも、サイコパスというワケでもない。

 

 ただ、戦いを日常の()()として取り込んでいる修羅。

 

 それが、太刀川慶。

 

 戦闘にこそ重きを置き、それ以外に興味を持てない逸脱者。

 

 本来であればただの社会不適合者として終わる筈だった、生まれる時代を間違えていた男の本性である。

 

「おう、来い。もっと楽しもうぜ、くま」

「その余裕、絶対かき消してやる……っ!」

 

 斬りかかる熊谷を、太刀川は笑みを以て迎撃する。

 

 剣戟の音が響き渡り、二人の剣士の影が交錯した。

 

 

 

 

「おーおー、楽しそうだなあ。熊谷さん相手に、笑いながら斬りかかってるや」

 

 出水は家屋の上に陣取り、油断なく戦場を俯瞰しながら笑みを浮かべる。

 

 彼は初期転送位置から動かず、またバッグワームも纏わずにその場に佇んでいた。

 

 無論、眼下で起きる戦闘に逐次介入する為に。

 

 この市街地CというMAPにおいて、最も厄介な場所にあろう事か一番高所を取られてはならない人物が転送されてしまった。

 

 こればかりは、転送運の妙と言うべきか。

 

 出水は自身の位置を確認した時「ラッキー」と呟きつつ、その優位をどう活かすかを考え────────即座に、決断を下した。

 

 即ち、身を隠さず大々的に支援を行う囮兼支援砲台になる事を。

 

 このMAPは高低差のあるMAPであり、高所に陣取れば当然目立つ。

 

 建物が邪魔になって上の方は見え難いが、逆に言えば家屋の上などに立てば当然視認される。

 

 それをせずに下方から見え難い場所に陣取る事も考えられたが、それでは高所の有利を活かし切れない。

 

 出水の場合、那須と同じく変化弾(バイパー)のリアルタイム弾道制御が行える為、障害物は一切関係ない────────とは、いかない。

 

 那須の場合はその並外れた機動力があるからこそ()()()()を常に変えながら相手を幻惑出来るが、生憎出水には彼女のような真似は出来ない。

 

 それに、隠れていては、()()()()()()()()()()()()()

 

 出水がこのような目立つ立ち回りをしているのは、自身を狙う相手を誘い出す為。

 

 その為に、こうして移動もせず高所に陣取り続けているのだ。

 

 当然ながら、彼がこの場所にいる限り、相手チームの動きは著しく制限される。

 

 狙撃手と違い、射手である出水の弾丸はただシールドを張れば防げる類のものではない。

 

 バイパーを駆使して死角から撃って来る事もあれば、合成弾を用いて強引に突破して来る可能性も、メテオラで爆撃を仕掛けて来る可能性もある。

 

 そして、狙撃手とは異なり、近付かれたとしても弾幕を張って迎撃する事が出来る。

 

 接近を許せば数少ない例外(東や荒船)を除き、抵抗の余地がない狙撃手と違って、絶対に位置を隠さなければならないというものではないのだ。

 

 無論、実力の高い攻撃手に接近を許せば、押し込まれて負ける可能性はある。

 

 旋空ならば、シールドも容易く両断出来る。

 

 攻撃手、とりわけ弧月使いの接近は、出水にとって防がなければならない警戒事項だ。

 

(けど、唯一の弧月使いの熊谷さんは太刀川さんが抑えてる。少なくとも、防御無視攻撃でやられる事はなくなった)

 

 だが、那須隊側唯一の弧月使いである熊谷は、現在太刀川と戦闘中。

 

 更に、熊谷の位置からでは旋空は出水まで届かない。

 

 旋空の射程は、おおよそ20メートル。

 

 そして、現在熊谷の位置と出水の位置は30メートル以上離れている。

 

 たとえ捨て身になろうが、旋空で出水を落とす事は不可能。

 

 唯一の懸念事項は、これでなくなった。

 

「さて、そろそろ頃合いかな」

 

 出水は戦況を見据えながら、ニヤリと笑みを浮かべる。

 

 そして、彼の両脇に二つのトリオンキューブが生成される。

 

 まごう事なき、両攻撃(フルアタック)の構え。

 

 依然、太刀川と熊谷の戦闘は続いている。

 

 二人が至近距離で斬り合っている今撃てば、太刀川を巻き込む事になるだろう。

 

 だが、太刀川ならば出水の射撃に応じて熊谷を突き飛ばすなり、自分だけ避けるなりは可能だろう。

 

 そういう信頼が、二人の間にはある。

 

 故に、出水はトリオンキューブを分割────────。

 

「おっと」

 

 ────────せず、キューブを破棄し、両防御(フルガード)を用いて下方からの弾丸を防御した。

 

 両攻撃に見せかけての、両防御。

 

 それは、出水が用いた誘いの一手(ブラフ)

 

 自分を狙う相手を誘き出す、故意に作り出した隙であった。

 

『弾道計測完了~。今撃った子は此処にいるよ~』

「どうもっす。割と近くにいたんすね、日浦さん」

 

 国近から相手の位置予測を受け取り、その場所を見て出水はふむ、と頷く。

 

 今出水に向けて撃たれた弾丸の発射地点は、彼のいる場所からそう離れてはいない。

 

 先程熊谷のいた場所から、一段下の場所にある家屋。

 

 その、内部である。

 

 恐らく、窓を突き破る形で弾丸を撃ち放ったのだろう。

 

 遠くに見えるその家屋の窓には、その際に空けられたと思われる穴がある。

 

 窓の近辺に人影は見えないが、撃ったのが茜だとすればテレポーターで転移した可能性がある。

 

 居場所が割れて、慌てて退避した可能性は高い。

 

「なら、炙り出すだけだな」

 

 出水は右手側に、トリオンキューブを生成。

 

 それを二つに分割し、狙いを定めて撃ち放った。

 

「────メテオラ」

 

 発射したのは、炸裂弾(メテオラ)

 

 着弾地点を薙ぎ払う、爆撃用の射撃トリガー。

 

 それが、眼下に向けて放たれた。

 

 出水のトリオンは、二宮ほどではないがかなり高い。

 

 当然、メテオラの威力はそれに準じたものとなる。

 

 テレポーターの射程は、視界の先数十メートル。

 

 そして家屋の中から転移したのであれば、そう遠くへは行っていない。

 

 この爆撃で炙り出されればそれで良し。

 

 爆撃した周辺にいなければ、それは逆に出水の近辺へ向かって転移したという証明になる。

 

 窓越しに狙撃したのであれば、転移先は家屋の中か視線の先────────即ち、出水のいる方角となる。

 

 中距離に自らやって来たのであれば、良いカモだ。

 

 テレポーターは、連続使用は出来ない。

 

 位置が割れ、射手の射程内に収まった狙撃手など、恐るるに足りない。

 

 そう考えて、出水は爆撃を敢行した。

 

 

 

 

「────────かかったわね」

 

 家屋の中で、少女は笑う。

 

 弾丸の主は、家屋から出てはいなかった。

 

 単に、発射後瞬時に駆け出し、別の部屋に入っただけだ。

 

 ()()の機動力ならば、一階から即座に二階に駆け上がるなどお手の物。

 

 そして彼女は、その手に()()()()()()()()()()()()()()

 

「これを、待っていたわ」

 

 そして少女は、トリオンキューブを展開。

 

 窓越しに、迫り来る弾丸に向かって射撃を敢行した。

 

 

 

 

「な……っ!?」

 

 爆音。

 

 それは、メテオラの着弾音────────ではない。

 

 メテオラが、空中で()()()()()()起爆した音である。

 

 発射予測地点であった家屋から放たれた、二発の曲射弾丸。

 

 それが二分割されたメテオラに着弾し、弾丸のカバーを破壊して起爆させたのだ。

 

「……っ!」

 

 その時点で自分の相手が()なのかを思い知った出水は、即座に両防御を展開。

 

 爆発を隠れ蓑に、四方八方から襲い掛かる無数の弾幕────────『鳥籠』を、二重の防御で防ぎ切った。

 

「流石に、これでやられてはくれないわよね」

 

 声が、聞こえる。

 

 同時に、眼下の屋根に降り立つ靴音が鳴った。

 

 爆煙が晴れ、その射撃手の姿が露わになる。

 

 細身の身体に、端正な顔。

 

 浮世離れしている、と呼ぶに相応しい美貌を持つ射手の少女が、那須玲が、屋根の上に佇んでいた。

 

「那須さんか……」

 

 出水は少女の存在感(プレッシャー)を感じ、不敵な笑みを浮かべる。

 

 二人の天才、魔弾の射手の双翼は、戦場にて邂逅を果たした。




 ワートリ最新話、中々の情報が詰め込まれてましたね。

 今後も楽しみ。


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王子隊・太刀川隊④

 

「おーっと、此処で出水と那須さんがエンカウント……ッ! 射手対決が始まったぜぇ……っ!」

 

 光の実況と共に、会場が沸き上がる。

 

 それもその筈。

 

 那須玲と、出水公平。

 

 この二人は、共にバイパーのリアルタイム弾道制御を可能とする天才。

 

 以前から、話題になってはいたのだ。

 

 那須と出水(弾バカ二名)がぶつかれば、どちらが勝つのか。

 

 今、その状況がこれ以上ないお膳立てと共に構築されている。

 

 これで盛り上がらなければ、嘘というものだろう。

 

「こりゃどう見る? やっぱ、動ける分那須さんが有利か?」

「フン、一騎打ちなら那須の方に適性があるが、生憎これは個人戦ではない。お互いの戦略と()()()()だろう」

 

 そもそも、と二宮は続ける。

 

「出水はあらかさまに自分を囮にしていたんだ。なら、自分を狙って来る相手を横から仕留める伏兵を仕込んでいない筈がない。その程度、簡単に分かるだろう」

「そうですね。それは俺も同感です」

 

 ただ、と烏丸は画面の中で笑みを浮かべる出水を見据え、笑う。

 

「出水先輩は、割と馬鹿な所もあるんですよね。色んな意味で」

 

 

 

 

「行って」

 

 口火を切ったのは、那須の方だった。

 

 那須は自らの周囲にキューブサークルを展開し、跳躍。

 

 空中に躍り出ながら、複雑な軌道を描く変化弾(バイパー)を射出する。

 

「おっと」

 

 だが、ただそれを見ている出水ではない。

 

 出水もまた、即座にトリオンキューブを展開。

 

 那須のそれと全く同じ個数にキューブを分割し、射出。

 

 そして、那須のバイパーに己のバイパーをぶち当て、その()()()()()()()()

 

「……!」

 

 その曲芸のような神業に、那須は目を見開く。

 

 複雑な軌道を描く那須のバイパーを、同じ個数のバイパーを以て撃ち落とす。

 

 それがどれ程の絶技かは、言うまでもない。

 

 那須のバイパーの軌道を計測し、予測し、その弾道に重なるように射線を引かなければならない。

 

 リアルタイム弾道制御という唯二の技能を成し得る空間把握能力があってこそ成立した、射手の妙技。

 

 A級一位部隊の格というものを正面から叩き付けたその手腕は、驚嘆に値する。

 

「今度は、こっちからだ」

 

 出水は今が好機と見たのか、トリオンキューブを展開。

 

 再び変化弾(バイパー)を構築し、空中の那須に向かって撃ち放った。

 

 四方八方から降り注ぐ、バイパーの檻。

 

 それは、那須の得意技である『鳥籠』と同種の技術。

 

 普段自らが頼りとする技が、今は彼女を襲う牙となって迫り来る。

 

 グラスホッパーでの離脱は、一歩遅い。

 

 空中故に、障害物は盾に出来ない。

 

 シールドを張れば防げるだろうが、二の手が続かない。

 

 対処を誤れば、その時点で()()

 

 これは、そういう類の一手だ。

 

「────」

 

 しかし、那須の顔に焦りはない。

 

 彼女は表情一つ変えず、怜悧な美貌を称えたまま。

 

 キューブサークルを、展開した。

 

 そして、射出。

 

 那須は、迫り来るバイパーを────────己のバイパーで、()()()()()()()()

 

 先程の意趣返しと言わんばかりの、絶技による迎撃。

 

 那須は、それをさも当たり前のように、実行した。

 

「一回、やってみたかったの。相手の弾を撃ち落とすの」

「やっぱ、考える事は一緒だな……っ!」

 

 出水はその光景を見て、特に驚くでもなく不敵な笑みを浮かべる。

 

 半ば、確信していた。

 

 彼女なら、やれるだろうと。

 

 何故なら、立場や性別の違いはあれど、同じ射撃狂い(弾バカ)

 

 思考や嗜好が、同じような場所に行き着くのはむしろ当然。

 

 二人がこの迎撃技術を習得していたのは、なんの事はない。

 

 ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 単純な、興味本位。

 

 普通ならば机上の空論で終わるところを、有り余る才能がそれを成し遂げてしまった規格外。

 

 まさに、変態の所業と言うべきだろう。

 

 頬が、紅潮する。

 

 鼓動が、高鳴る。

 

 戦意が、とめどなく溢れていく。

 

 同時に、二人は笑みを浮かべた。

 

「「蜂の巣に、してあげる(やる)」」

 

 そして、二人の天才(へんたい)が、弾幕勝負を開始した(あそびはじめた)

 

 

 

 

「あいつ等、馬鹿なのか……?」

 

 観戦席で見ていた三輪は、思わずそう呟いた。

 

 画面の中では、お互いのバイパーを()()()()()()()という常軌を逸した戦闘が繰り広げられている。

 

 その常識外れの光景に、普段クールを装っている三輪も、思わず目を見開いて頭を抱えている。

 

「まあ、どっちも弾バカだしなー。出水は勿論、那須さんも同じ穴の狢だったって事だな」

「同じ技術を修めているからと言って、こんな所まで似なくても良いだろうに……」

 

 米屋の言葉に、はぁ、と三輪は溜め息を吐いた。

 

 ぶっちゃけ、二人のやっている事は無駄の極みだ。

 

 常道ならば、距離を取り、睨み合いながら出方を探るように撃ち合うのが通りだ。

 

 だが、あの二人はそんなセオリーなど無視して、真正面から撃ち合っている。

 

 その光景に、自信満々に「伏兵と戦略次第だ」と解説した二宮は呆気に取られたように固まっていた。

 

 なお、元同部隊出身の関係上出水のプライベートを良く知る烏丸は、「やっぱりこうなったか」と言わんばかりの苦笑(えみ)を浮かべている。

 

 師匠と弟子として公私を弁えて付き合っていたか、チームメイトとして駄弁っていたか。

 

 その経験の差と言えよう。

 

「けどまあ、考えなしに撃ち合ってるワケじゃないと思うぜ。あいつは、どうしようもない弾バカだけどよ」

 

 ニヤリ、と米屋は笑い、告げる。

 

「楽しみながら、策を巡らせる。その程度の事は、普通に出来る奴なんだからな」

 

 

 

 

「ナースが此処で出て来たか。そして、イズイズを抑えている。()()()()だね」

 

 王子は遠目で二人の撃ち合いを見ながら、笑みを浮かべる。

 

 あの二人の予想外の超絶技巧(へんたいぎじゅつ)には驚かされたが、展開自体は予想の範疇である。

 

 出水を抑えに来るならば、それに匹敵する技術を持つ射手である那須を使う。

 

 それ自体は、王子も出水も予見出来ていた。

 

 あの狙撃に見せかけた速度重視のチューニングを施した通常弾(アステロイド)には騙されかけたが、結果的に即座に那須が出て来た事で下手に手駒を動かさずに済んだのは行幸と言えるだろう。

 

 王子は戦況を把握し、チームメイトに通信を繋ぐ。

 

「蔵内、準備はいいかい?」

『ああ、いつでもいけるぞ』

 

 そうか、と王子は頷き、続けて出水に通信を繋ぐ。

 

「イズイズ、そっちはどうかな?」

『今のところ、あっちが動く様子はねぇな。どうする? そろそろ仕掛けるか?』

「そうだね。あまり時間を与え過ぎても、却って逆効果か」

 

 王子は顔を上げ、不敵な笑みを浮かべる。

 

 そして、告げた。

 

「始めよう。仕掛け時だ」

 

 

 

 

「さて、やるか」

 

 那須と弾の撃ち落とし合い(変態同士の遊戯)を継続していた出水は、笑みと共にトリオンキューブを生成。

 

 それを、分割もせずに自分と那須の中間地点に向かって叩き込んだ。

 

「……!」

 

 弾丸の挙動からその弾の正体を看破した那須は、屋根を蹴って距離を取る。

 

 その一瞬後、弾丸が────────メテオラが、着弾。

 

 周囲を、爆風が薙ぎ払った。

 

「……っ!」

 

 爆風が住宅地を席捲し、家屋が薙ぎ払われる。

 

 那須はシールドを張りながら油断なくその爆風の向こう側を見据え、気付く。

 

 無数の光弾が、こちらに向かって飛来して来た事に。

 

(また変化弾(バイパー)を撃ってきた……? いや、それならこのメテオラ(目隠し)の意味がない。十中八九、合成弾……っ!)

 

 今のメテオラは、明らかにこちらに対する視界封鎖が目的。

 

 ならば、稼いだ時間を用いて出水が何をするかは明白だ。

 

 即ち、合成弾の作成。

 

 合成弾の開発者でもある彼は、ボーダー内でも屈指の合成弾の生成速度を誇る。

 

 今の一瞬で合成を実行する事など、苦も無く行えるに違いない。

 

 ならば、この弾丸は間違いなく合成弾。

 

 変化炸裂弾(トマホーク)か、変化貫通弾(コブラ)のいずれかだ。

 

(どちらにせよ、撃ち落とすだけね)

 

 どちらの合成弾にせよ、厄介な事に変わりはないが、那須には対抗策があった。

 

 即ち、合成弾を全て撃ち落とす。

 

 合成弾は両攻撃(フルアタック)の弾丸を二つに混ぜる構成上、通常の両攻撃よりも弾丸の()()自体は少なくなる。

 

 更に言えば速度等の調整も難しくなり、挙動の違いから合成弾である事を看破される事も有り得る。

 

 無論、あの出水が制御をしくじるとは思っていない。

 

 だが、処理能力自体が圧迫されるのは確かなのだ。

 

 那須も合成弾を使うからこそ、分かる。

 

 合成弾(これ)は、天才であろうとも通常の弾丸よりも処理能力を用いざるを得ないと。

 

 とは言っても、その差は出水や那須であればコンマ数秒程度のものだろう。

 

 しかし、その数秒が、明暗を分ける事もある。

 

 故に、先ほどのようにバイパーを用いれば撃墜は可能。

 

 那須の頭脳(カン)は、そう判断を下した。

 

(────────いえ、待って。変化弾(バイパー)系統の弾丸にしては、()()()()()()()()いる?)

 

 されど、その瞬間違和感に気付く。

 

 降り注ぐ弾丸の軌道が、()()()()()いるのだ。

 

 バイパー(Viper)はその名の通り、蛇のように複雑な軌道を描く事が出来る。

 

 だからこそ、障害物をすり抜けるようにして標的を狙う事が可能なのだ。

 

 だが、あの空から迫る弾丸は、弾幕全体の挙動がある程度統一されている。

 

 それは、バイパーを使いこなす那須だからこそ気付いた差異。

 

 故に、違和感を持った。

 

 あれは本当に、()()()()()()()()()という事を。

 

「そういう事か……っ!」

 

 気付く。

 

 その違和感の、正体に。

 

 判断は、一瞬だった。

 

 那須は即座に、その場でトリオンキューブを展開。

 

 迫り来る弾丸と同数になるように分割し、射出した。

 

「……!」

 

 そして、その軌跡を追うように、横合いから()()()()()()()()()()が現れた。

 

 その弾丸、バイパーは那須の放った弾丸全てに着弾し、()()

 

 那須の弾丸────────メテオラが爆発し、その爆破に巻き込まれた合成弾が誘爆。

 

 誘導炸裂弾(サラマンダー)は、連鎖誘爆によってその全てが中空で爆発した。

 

 そう、那須を狙った合成弾を放ったのは、出水ではない。

 

 その近辺に姿を隠していた、蔵内だ。

 

 那須が出水の弾丸をこれまで通りに迎撃しようとしていれば、それを出水がバイパーで撃墜。

 

 遮るものがなくなったサラマンダーが着弾し、那須に致命打を与えるという作戦。

 

 那須が弾丸の正体に────────否、その作戦に気付かなければ、彼女は無防備なまま爆撃を受け落ちていただろう。

 

 出水と同じく変化弾(バイパー)を使いこなす彼女でなければ、その違和感に気付けず落ちていただろう。

 

「────────だよな。那須さんなら、気付くと思ってたぜ」

 

 ────────だが、その程度、出水が考えつかない筈がない。

 

 彼は、信頼していた。

 

 那須の、才覚を。

 

 彼女ならば、この()()()()気付けるだろうと。

 

 故に。

 

「────」

 

 ()()の一撃を、放つ事が出来た。

 

 那須の背後に現れたのは、弧月を構えた樫尾。

 

 隠れていたのは、蔵内だけではない。

 

 樫尾もまた、出水の近くでずっと息を潜めていたのだ。

 

 迎撃するには、近過ぎる。

 

 射手が攻撃を行うには、キューブを展開し、それを分割。

 

 各種調整(チューニング)を行い、発射するという手順(プロセス)がある。

 

 銃手と違い、引き金を引くだけで撃てるワケではない。

 

 つまり、攻撃までに数瞬のタイムラグが発生するのだ。

 

 この距離ならば、那須が攻撃するよりも樫尾の刃が届く方が早い。

 

 詰み。

 

 そう言える、状況だった。

 

「え……?」

 

 彼女、()()だったならば。

 

 樫尾の腕が降り抜かれる事は、なかった。

 

 右腕の肘から先が、その瞬間斬り落とされたのだから。

 

「バレバレなんだよね、隠れてたの。()()()()()し」

「……っ!」

 

 咄嗟に振り向くが、一歩遅い。

 

 樫尾は更なる斬撃によって左腕も両断され、腕の両方を失った。

 

 これでもう、彼は剣を振るえない。

 

 襲撃者の、菊地原の攻撃を受けきれない。

 

 そう、最初から、那須は一人で来ていたワケではなかった。

 

 菊地原を伏兵として潜ませ、隙を見せた相手の背中を刺す刃として用意していたのだ。

 

 強化聴覚のサイドエフェクトを持つ菊地原は、()で相手の位置や挙動を判断出来る。

 

 幾らバッグワームを纏いレーダーから隠れていようが、彼の聴覚からは逃れられない。

 

 結果、襲撃を察知された樫尾は、その無防備な背を菊地原に突かれたというワケである。

 

「バイバイ」

 

 抵抗手段を失った樫尾に、菊地原は追撃を放つ。

 

 捨て身での特攻が出来ないように両腕を奪ってからの、トドメの一撃。

 

 那須を仕留める為に跳躍し、空中に躍り出ていた樫尾にそれを回避する手段はない。

 

 逃げるには、菊地原との距離が近過ぎる。

 

 至近距離まで迫った菊地原から逃げる事は、最早不可能。

 

 ハウンドで迎撃しようにも、この距離では間に合わない。

 

 詰み。

 

 正真正銘、樫尾に此処から生き残る手段はない。

 

 

 

 

「そうだね」

 

 目的地に向かって駆けながら、笑う影がある。

 

 彼は、王子は、不敵な笑みを浮かべ、告げる。

 

「そう来ると、思ってたよ」

 

 

 

 

「え……?」

 

 菊地原の刃は、確かに樫尾を貫いた。

 

 樫尾が自身の胸の前に展開した、()()()()()()()()()()

 

 その光景に、一瞬菊地原は理解出来なかった。

 

 ハウンドのトリオンキューブを咄嗟に展開したところで、意味はない。

 

 分割し、射出する時間がないのだから出したところで間に合わない。

 

 故に。

 

 これは、()()()()()()()()()()()

 

「……っ!?」

 

 スコーピオンに貫かれたキューブが、()()

 

 その爆発に巻き込まれ、菊地原は樫尾諸共吹き飛ばされた。



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王子隊・太刀川隊⑤

 

「今回の試合、きくっちーの排除を最優先目標にしよう。彼に残られると、とても厄介な事になるからね」

 

 それは試合開始前、王子隊の隊室でのミーティング。

 

 王子は集まった面々に対して、開口一番そう口にした。

 

 無論、真っ先に反応したのは勉強熱心な樫尾である。

 

「はいっ、それは何故でしょうかっ!? 矢張り、彼のサイドエフェクトに理由がっ!?」

「正解だよ、樫尾。きくっちーのサイドエフェクトは、この試合に置いて最大の脅威と言っても差し支えない。彼がいる限り勝てない、と言い切ってもいいくらいさ」

 

 王子はそう告げると、後ろで成り行きを見守っていた出水に視線を向けた。

 

「イズイズ、確認するけれど、きくっちーのサイドエフェクトは相手の位置情報や動向等を正確に判別出来る、って事でいいんだよね?」

「ああ、そーだぜ。菊地原の強化聴覚は、()()()()の精度が半端じゃねーんだ。バッグワームで隠れようが、菊地原がいる限りこっちの位置は丸見えも同然だ」

 

 だからA級ランク戦では真っ先に落としにかかるのがフツーだぜ、と出水は告げる。

 

 菊地原のサイドエフェクト、強化聴覚は地味に思えるが戦闘ではかなり有用な能力である。

 

 戦闘中、物音を立てずに移動する事は基本的に不可能だ。

 

 暗殺の訓練を受けたプロフェッショナルでもあるまいし、現代日本の学生にそのようなスキルなど備わっている筈がない。

 

 限りなく足音を抑える事は出来るだろうが、決して0にはならない。

 

 更に言えば、菊地原は相手の心音で位置を確認する事も出来る。

 

 故にたとえ足音を完全に消せたとしても、彼相手に位置を隠し通す事は不可能である。

 

「ありがとう。矢張り、僕の見立ては正しかったようだね」

 

 王子は実際に菊地原とランク戦で相対した事のある出水の話を聞き、己の考えが間違っていなかった事を確信し笑みを浮かべる。

 

 確かに、これでは菊地原がいる限りこちらの動向が筒抜けになるも同然だ。

 

 彼の聴覚の正確なカバー範囲までは分からないが、彼の近辺では隠密は不可能と考えて良いだろう。

 

 ただ身を潜めるだけの奇襲は、通用しない。

 

 菊地原を倒すには、正面から圧倒する以外の道はないのだ。

 

「悪いけれど、きくっちーを落とす為に手段を選ぶつもりはない。何を犠牲にしてでも、彼には必ず落ちて貰う」

 

 だから、と王子は樫尾を見据え、告げる。

 

「君には、爆弾になって貰うよ、カシオ。その為に、今回はハウンドではなく────────メテオラを、セットしてくれるかい?」

 

 

 

 

「く……っ!」

 

 間一髪、爆発からの退避が間に合った那須は爆破のあった箇所を見据える。

 

 爆煙に包まれた箇所から、光の柱が立ち上る。

 

 捨て身でメテオラの起爆を実行した、樫尾の緊急脱出(ベイルアウト)である。

 

 シールドすら張らずに至近距離でメテオラの爆発に飲まれた彼は、当然の如く消し飛ばされた。

 

 そして、爆発に巻き込まれた菊地原は────────。

 

「ったく、やってくれたね……っ!」

 

 ────────右腕と右足を失い、満身創痍の状態で爆煙の中から現れた。

 

 咄嗟にシールドを張ったのだろう。

 

 なんとか致命傷となる部位だけはガードしたようだが、全てを防御するには爆発の位置が近過ぎた。

 

 即死こそ免れたものの、トリオン漏出で緊急脱出するのも時間の問題だろう。

 

 咄嗟の防御が間に合ったあたり流石A級と言うべきだが、この有り様では菊地原はもう()()としては運用出来ない。

 

 樫尾は、己の役割を充分果たしたと言える。

 

「……!」

 

 だが、死んでいない以上、此処で追撃の手を緩める事は有り得ない。

 

 出水のいる方角から、夥しい数の光弾が、菊地原目掛けて迫って来た。

 

 最早隠す事もないと開帳した蔵内と、出水の二人による一斉掃射。

 

 まともに受ければ、菊地原と那須は纏めて吹き飛ぶ。

 

 そういう類の、力押しの弾幕である。

 

 確かに、一度は那須の弾幕で迎撃出来るだろう。

 

 されど、那須と出水の間にはトリオン量の差という明確な優劣がある。

 

 那須のトリオン評価値は7、対する出水は12。

 

 およそ、倍近くの差があるのだ。

 

 那須のトリオン量は決して低くはないが、出水は二宮にこそ及ばないがボーダー内でも上位のトリオン量を誇る。

 

 故に、弾幕勝負を続ければスタミナの差で出水が勝つ。

 

 こればかりは、努力や工夫でもどうにもならない。

 

 純然たる、持って生まれた()()()()なのだから。

 

 故に、那須の取り得る手段は二つ。

 

 菊地原を庇うか、見捨てるか。

 

 どちらもメリットがあり、双方共にリスクがある。

 

 まず、菊地原を庇った場合。

 

 言うまでもなく、菊地原のサイドエフェクトは有用だ。

 

 彼の強化聴覚(サイドエフェクト)があったからこそ樫尾の奇襲に気付く事が出来たし、相手の動きを予測する事が出来た。

 

 菊地原が生存するだけで、得られるリターンは計り知れない。

 

 だが、問題はある。

 

 菊地原は即死こそ免れたものの大量のトリオンを失っており、遠くないうちに確実にトリオン漏出で緊急脱出(ベイルアウト)するという事だ。

 

 此処で菊地原を守っても、リターンを得られる()()は少ない。

 

 その少ない時間を得る為に、那須自身を犠牲にしかねない行動を取るか否か。

 

 那須は、選択の岐路に立たされていた。

 

 助けるか、見捨てるか。

 

 どちらを取るかの、取捨選択(トリアージ)

 

 時間は無い。

 

 弾幕は、すぐにでも着弾する。

 

 即断しなければ、最悪の結果に繋がり得る。

 

 故に。

 

「菊地原さん、()()()()()()()()……っ!」

「いいよ、了解」

 

 那須は、()()()()()()()()()()()()()()

 

 菊地原は反論する事なくその指示を受け入れ、固定シールドを展開。

 

 降り注ぐ、弾丸の雨。

 

 那須はその光の雨の中、キューブサークルを従え駆け出した。

 

 その直後、弾幕の雨が菊地原に着弾。

 

 固定シールドを破らんと、無数の弾丸が続け様に降り注ぐ。

 

 バイパーとハウンドの、複合弾幕。

 

 一発一発の威力は低くとも、二人分の両攻撃(フルアタック)の圧力は尋常ではない。

 

 遠からずシールドは破られ、菊地原を貫くだろう。

 

「────」

 

 那須はそれを承知で、出水に向かって駆けていく。

 

 確かに、菊地原を生存させる事によって得られるメリットは大きい。

 

 されど、その為に那須を使い潰すのは、リスクが大き過ぎる。

 

 故に、彼女は決断した。

 

 菊地原を捨て石とし、出水に肉薄する事を。

 

 那須が出水に対し優位な点は、その機動力だ。

 

 ボーダーでもトップクラスの機動力を持つ彼女は、常に発射位置を変えながら弾幕を放つ事が出来る。

 

 シールドを張らずに攻撃を仕掛け続ける事が出来るというメリットは、決して小さくはない。

 

 出水も蔵内も、機動力は那須程ではない。

 

 蔵内は比較的()()()が、流石に那須のような自由自在な三次元機動は不可能だ。

 

 そして今二人は、菊地原を落とす為にその全力を注いでいる。

 

 即ち、付け入る隙があるという事だ。

 

 死に体の菊地原を捨て石にする価値は、充分にある。

 

 彼を失うのは痛いが、此処で出水を仕留める事が出来さえすれば損失分は補填出来る。

 

 何より、今は相手チームほぼ全員の位置が割れている。

 

 太刀川は熊谷と戦闘中。

 

 出水と蔵内は此処で撃ち合っているし、樫尾は脱落した。

 

 王子の動向だけは気がかりだが、大まかな位置は把握出来ている。

 

 少なくとも、この場に介入する事はない筈だ。

 

 故に、此処は菊地原を使い潰し、出水を落とす。

 

 それが最善。

 

 菊地原という優秀な()を失う代わりに、相手の戦術中核を仕留める。

 

 逆に言えば、此処で出水を仕留められなければ、こちらの不利になる。

 

 先程の弾幕合戦も、実のところ菊地原のサポートを受けて行っていたのだ。

 

 彼の耳があったからこそ、障害物をすり抜けて飛来する変化弾(バイパー)を、完璧に補足出来ていた。

 

 確かに、那須の空間把握能力は高い。

 

 彼女にかかれば、後ろに目があるかのように360度全方位の情報をカバー出来る。

 

 そういう意味で、那須にほぼ死角というものはない。

 

 だが。

 

 余裕の有無というものは、戦場に置いて非常に重要な要素(ファクター)になる。

 

 その気になれば、確かに那須は全方位の情報をカバー出来る。

 

 しかし、そこに菊地原の支援が加われば、その分の()()が生まれるのだ。

 

 他のポジションに比べて処理する情報が膨大な射手にとって、一手分の余裕というものは非常に重要だ。

 

 脳の処理能力を一つでも空ける事が出来れば、その分だけ使える手札が増える。

 

 もしくは、手札の質を洗練する事が出来る。

 

 射手としての一つの到達地点(ハイエンド)である出水に那須が拮抗出来ていたのは、その一手分の余裕があったからだ。

 

 此処で菊地原が落ちてしまえば、勝負の趨勢は出水の側に傾く。

 

 那須としては、なんとしてもその前に、状況を変える必要があるのだ。

 

 だから、菊地原には悪いが、彼には捨て石になって貰う。

 

 落ちるまでの時間を、那須の為に使って貰う。

 

 そう決意し、那須は空中に躍り出ながら従えていた光弾を一斉に射出した。

 

「……!」

 

 出水はそれを見て、弾丸の軌道を切り替えた。

 

 菊地原を固めるのは後方の蔵内に任せ、出水自身は那須の迎撃に乗り出した。

 

 菊地原は右腕と右足を失い、最早移動もままならない。

 

 遠距離からの射撃で固め続けていれば、いずれトリオン切れで脱落する。

 

 それに、万が一出水の射撃で菊地原に致命傷を与えてしまうのは、王子隊側にとっては好ましくない。

 

 トリオン漏出で緊急脱出した場合、それまでに最も大きなダメージを与えた隊員が撃破した事となる。

 

 この場合は、メテオラを用いた樫尾である。

 

 B級隊員の樫尾が菊地原を仕留めた事になれば、王子隊にはPtが加算される。

 

 だが、出水が致命傷を与えてしまえば、得られるポイントは1Pt。

 

 折角のボーナスポイントを、みすみす手放す事になる。

 

 だからこそ、那須は出水が蔵内に菊地原の相手を任せるだろうと考えていた。

 

 この状況では、それが最善手なのだから。

 

 それを証明するように、中空で出水と那須の弾幕がぶつかり合う。

 

 先程と同じ、弾幕の撃ち落とし合い。

 

 それが、再び始まった。

 

 

 

 

(おかしい)

 

 状況を聞き、王子は疑念を抱いた。

 

 菊地原を囮に那須が特攻をかけて来る事は、菊地原が即死しなかった時点で予想していた。

 

 あわよくばあの時点で始末しておきたかったのだが、流石はA級と言うべきだろう。

 

 これは樫尾の不手際ではなく、菊地原の機転をこそ褒めるべきだ。

 

 それは良い。

 

 だが、その後の那須の行動は不可解だった。

 

 那須は、菊地原を囮にして出水に突貫した。

 

 此処までは良い。

 

 けれど、そのまま出水と先程と同じ弾幕の撃ち落とし合いを再開した事が解せなかった。

 

 那須がどう判断しているかは知らないが、王子は二人の射手としての技量は互角だと考えている。

 

 無論得意分野に幾らか差異はあるだろうが、那須は十二分に出水に拮抗出来る実力だと認識している。

 

 そう、()()だ。

 

 つまり、押し負けはしないが、圧倒も出来ない。

 

 このままでは、徒に時間を使うだけ。

 

 菊地原のトリオン漏出による緊急脱出まで時間がないというのに、時間をみすみす浪費するような行動を彼女が取るだろうか?

 

 てっきり王子は、此処で伏せていた七海なり風間なりを差し向けるとばかり考えていたのだが────────。

 

「……っ! しまった……っ! 那須さんの本当の狙いは……っ!」

 

 

 

 

『蔵内、逃げろ……っ! 狙いは、君だ……っ!』

「……!」

 

 王子の切羽詰まった声を聴き、蔵内は咄嗟に周囲に目を向けた。

 

 彼がいるのは、住宅街の一角。

 

 出水が陣取る場所からやや後方に位置する、家屋の庭だ。

 

 周囲の家屋によって上でも取られない限り外からは見えないこの場所で、彼は出水からの観測情報を頼りに射撃を行っていた。

 

(何処から、いや、誰が来る……っ!? カメレオンに警戒しないと……っ!)

 

 王子の警告で真っ先に頭に過ったのは、姿無き暗殺者、風間蒼也。

 

 カメレオンを駆使して敵を仕留める、風間隊の隊長。

 

 彼のカメレオンの切り替えスピードは、尋常なものではない。

 

 それは、散々ログを見て理解している。

 

 故に、蔵内は何処から奇襲が来ても良いように家屋の壁を背に待ち構え────────。

 

「が……っ!?」

 

 ────────地面から伸びた刃によって、その胸を貫かれた。

 

 困惑は、一瞬。

 

 蔵内は即座に自分の失態を悟り、眼を見開く。

 

もぐら爪(モールクロー)……っ! しまった……っ!」

 

 地面や障害物を通してスコーピオンを生やす技、もぐら爪。

 

 それが、蔵内を貫いた刃の名。

 

 カメレオンを警戒するあまり、上や左右ばかりに目を向けて、()への注意を怠ってしまった。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、蔵内の敗北を告げる。

 

 蔵内の身体は罅割れ崩壊し、光の柱となって消え失せた。



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王子隊・太刀川隊⑥

 

「おー、蔵内が此処で緊急脱出……っ! 太刀川隊は無傷だが、王子隊はこれで王子だけになったぞ……っ!」

「菊地原に固執し過ぎたな」

 

 会場の盛り上がりを他所に、二宮はあくまで淡々と所感を告げる。

 

「確かに菊地原は、風間隊の中でも最優先で落とすべき対象ではある。だが、樫尾が致命打を既に与えていたのだから、手勢を割いてまで追撃すべきではなかったな」

「確かにそれも一理ありますが、菊地原が落ちるまでの間に何かをされるのを嫌ったのでは?」

「その結果が蔵内の脱落だろが。死に損ないを追い込む為に自分が死んでいては本末転倒だ」

 

 それに、と二宮は続ける。

 

「よく太刀川が槍玉にあげる結果論だが、そもそも結果を出せなければ過程に意味はない。頑張ったが出来ませんでした、じゃ意味がないからな」

「そっすね」

 

 烏丸は二宮の理屈を聞き、静かに頷いた。

 

 彼の言う事は極論ではあるが、間違っているワケではない。

 

 戦場では、取り返しのつかない事など幾らでもある。

 

 目標を掲げて頑張る事は大事だが、ある程度の成果がなければ意義はない。

 

 この場合の成果とは、戦闘の結果────────だけではない。

 

 その()()()()そのものが、成果物と言えるのだ。

 

 勝った経験だろうが負けた経験だろうが、経験は経験だ。

 

 十全な結果を出せた経験は今後のステップアップの礎になるし、結果を出せなかった戦いも改善点を洗い出せば良い教訓になる。

 

 二宮はその事を、充分理解している。

 

 ただ、言葉選びが少々独特なだけだ。

 

 彼にしてみれば、今の辛辣な感想もアドバイスのつもりなのだろう。

 

 様々な意味で、二宮は言葉にオブラートを重ねる事はない。

 

 思った事をそのまま言うとまでは言わないが、相手を気遣って言葉を選ぶような配慮は彼にはない。

 

 いや、彼なりに気遣ってはいるのだが、それを理解される事はまずない。

 

 発言の棘が強過ぎて、言葉の裏を察するにしても彼の持つ威圧感(オーラ)がその理解を許さない。

 

 まあ、会話のドッジボールしかしない二宮の自業自得ではあるのだが。

 

「今ので王子の頭も冷えただろう。此処からは軽挙は控える筈だ」

「そっすね。もう二点取ってますから、王子を落として試合を終わりにするという選択肢も那須隊に出てきましたからね」

 

 此処で王子を落とせば合計三点が加わり、那須隊の各得点は5Pt。

 

 大量点とまではいかないが、最低限のポイントは獲得出来る事になる。

 

 ちなみに、王子を落とせば王子隊は全滅となるが、この場合、旗持ち(フラッグ)ルールが優先される為太刀川隊の二名が生存した状態で試合終了の処理を行う。

 

 B級部隊が全滅した時点で残るA級部隊は全員が緊急脱出扱いとなるのがA級昇格試験のルールだが、今回は違う。

 

 正確に言えばそのルールは残っているが、旗持ちルールと競合出来ないのだ。

 

 旗持ちはB級部隊から選ぶ以上、A級部隊の緊急脱出条件であるB級部隊の全滅より後に落とされる事はない。

 

 故に、今回生存点を稼ごうとするなら、A級部隊を先に全滅させた上で旗持ちを最後に倒す必要がある。

 

 より多くの点が欲しいのならば、旗持ちには最後まで生きていて貰う他はない。

 

 そういう意味では、王子の今後は那須隊が取りたい点次第とも言える。

 

 より多くの点が欲しいのならばすぐには倒そうとしないであろうし、今のままで充分だと判断されれば速攻で落としにかかられる可能性もある。

 

 それをどう利用するか、全ては王子の機転にかかっている。

 

 この予想外(イレギュラー)にどう対処するか。

 

 王子の手腕が、問われる場面である。

 

「蔵内がいなくなった事で、王子隊側の余裕はなくなった。此処でどう動くかが、今後を左右するだろうな」

 

 

 

 

『すまん、王子。やられてしまった』

「いや、これは僕のミスだ。まんまと裏をかかれたよ」

 

 王子はやや表情を歪め、そう告げる。

 

 あの場面、王子は自分が初期目的に拘り過ぎていた事を自覚していた。

 

 確かに、菊地原の排除は自分達の勝利する為に必須な事柄である。

 

 だが、わざわざ蔵内を使ってまで追撃する必要はなかった。

 

 既に致命傷は与えていたのだから、後はトリオン漏出による緊急脱出を待てば良かった。

 

 それをしなかったのは、那須隊に()()()()()()()()()()()からである。

 

 これまで、王子隊は二度那須隊とぶつかっている。

 

 その二戦に置いて、那須隊は与えられた時間を使って試合を優位に進めていた。

 

 故に、王子の頭には常に一つの危惧が付き纏っていた。

 

 即ち、那須隊に時間を与えれば()()()()()()()()()()()という強迫観念が。

 

 ある意味において、それは間違っていない。

 

 那須隊は、どちらかというと()()の姿勢────────迎撃戦闘の方が、得意な部隊だ。

 

 準備万端で敵を待ち構え、仕込みをフル活用して葬り去る。

 

 下手に時間を与えれば、碌でもない事になるのは目に見えている。

 

 そう考えて、那須隊に高精度の情報をリアルタイムで提供する菊地原は、一刻も早く排除しなければならない。

 

 王子は、そう判断していた(思い込んだ)

 

 しかし、それこそが罠。

 

 那須隊は、那須は、樫尾が捨て身の自爆という手段を取った事から、この試合における王子隊の菊地原に対する脅威度認識がかなり高い事を理解した。

 

 だからこそ、網を張った。

 

 菊地原を囮にする事で蔵内を雲隠れさせないように誘導し、那須自身は出水へ突貫した。

 

 出水に余計な介入をさせず、彼こそがあの場での狙いであると誤認させる為に。

 

 本当の狙いは、蔵内の撃破。

 

 可能であれば出水を落としたかったのは確かだが、彼はそう簡単に落とせるようなタマではない。

 

 ならば、狙う先は決まっている。

 

 出水と連携して弾幕を振らせて来る、射手の蔵内。

 

 まずは、彼を黙らせる。

 

 そうすれば、巧くいけば出水を孤立させられる。

 

 その思惑を成功させる為に、熊谷は単独で太刀川を相手にしているのだ。

 

 熊谷は、太刀川相手に思った以上に戦えている。

 

 相性、というものもあるのだろう。

 

 熊谷はハウンドの装備によって射程持ちとなったが、本職は弧月使いだ。

 

 そして、彼女は受け太刀の名手。

 

 その技術は、あの太刀川が称賛する程に高い。

 

 だからこそ、太刀川相手に抗戦出来ている。

 

 もしこれが他の隊員であったならば、その場で斬り捨てられていた可能性もある。

 

 太刀川を相手に時間を稼ぐには、防御が得意な弧月使いが当たるのが手っ取り早い。

 

 無論、それを実際にこなせているのは熊谷の防御技術の練度に依るものだ。

 

 これまでの積み重ねが、あの太刀川を相手に防戦を維持する事が出来ている。

 

 成長、と呼んで差し支えない成果だろう。

 

(やられたね。てっきり、太刀川さんは避けて他の点を取ろうとすると思っていたんだけど────────どうやら、彼女達の度胸は僕の想像の遥か上のようだ)

 

 王子は己の想定の甘さに気付き、溜め息を吐く。

 

 此処まで来れば、那須隊の狙いは理解出来る。

 

 即ち、太刀川と出水を孤立させた上での、()()()()

 

 それが、那須隊の狙いだろう。

 

(合理性自体はある。太刀川さんとイズイズに他からの援護を受けられない状態に追い込んだ上で、数の力で抑え込み、仕留める。確かに、理屈だけならそれで良いだろう)

 

 けれど、と王子は思う。

 

(相手は、()()太刀川さんだ。僕が彼等の立場ならば、間違いなく他から点を取る事だけに終始するだろう。けど、彼女達は挑戦を選んだ)

 

 このあたりが、自分と那須隊の違いか、と王子は自嘲気味に呟いた。

 

 王子の戦術は、堅実だ。

 

 効率を第一とし、自分達の実力を弁えた上で取れる点を取り逃げする。

 

 それが、王子の基本戦略。

 

 自分達の身の程を知るが故の、無難な戦術(安全策)である。

 

 けれど、那須隊は違う。

 

 彼女達は、格上に挑む事を、恐れない。

 

 リスクは承知の上だろう。

 

 その程度理解出来ない程、彼女達は愚かではない。

 

 だが。

 

 だが。

 

 負ける可能性が高いにも関わらず、僅かな光明に懸ける事が出来る。

 

 いっそ大胆な程、自分達の力を信じている。

 

 それは、王子が出来なかった事だ。

 

 堅実な戦術、無難な戦略。

 

 そんな方法を取った、無意識の真意。

 

 慎重さと臆病さの、違い。

 

 それを、本当の意味で王子は理解していなかった。

 

 否、眼を背けていた。

 

 だから思う、()()()、と。

 

 太刀川という最大戦力を得ておきながら、この期に及んで王子の中にはまだ()()があった。

 

 これまでの二度の敗北で、王子は那須隊の脅威をその身を以て理解している。

 

 だから、意地になっている部分もあったのかもしれない。

 

 何が何でも、一泡吹かせてやる。

 

 そんな想いが、なかったとは言えない。

 

 それと同時に、()()()()()()()()()()()()()()()という弱音も、少なからずあった。

 

 だからこそ、王子は自分の部隊を分け、裏方に徹しさせた。

 

 決して、那須隊と正面から1対1で戦う事がないように。

 

 確かに、太刀川隊という大戦力を運用する上で、間違った選択ではないのだろう。

 

 だが、それはある意味逃避に他ならない。

 

 間違った選択ではないし、一定以上の効果が見込めた事も確かだろう。

 

 けれど、その選択は、王子隊の強みを自ら捨て去る代物だ。

 

 王子隊の一番の強みは、三人が合流しての連携攻撃。

 

 単独でも動けない事はないが、いざ事を構える段になれば王子隊は三人揃っていた方が強い。

 

 樫尾が斬り込み、蔵内が援護し、王子がフォローとトドメを担う。

 

 それが、王子隊の基本陣形。

 

 だというのに、王子はその陣形を自ら捨てる策を選んでしまった。

 

 ただ、那須隊の力を恐れるが故に。

 

(つくづく、失態だね。大口叩いた割にこれってのは、情けないな)

 

 王子は自嘲し、溜め息を吐く。

 

 思えば、提示した作戦内容を鑑みても自分の弱気が透けて見える。

 

 樫尾にわざわざ自爆を命じたのは、そうでもしないと勝てないと思ったから。

 

 戦略上仕方ない犠牲と言えるが、本当にそうだったのか。

 

 樫尾一人に任せるのではなく、三人で畳みかければ、彼を捨て駒にする必要はなかったのではないか。

 

 そんな()()が、思わず心に染み出していた。

 

(いや、そんな事を考えたら僕の作戦に従ってくれた樫尾に申し訳が立たない。反省は後でも出来る。今は、此処からどうするか、だ)

 

 己の弱気を叱咤し、王子は顔を上げる。

 

 此処は戦場だ。

 

 つまらない後悔で浪費する時間は、一秒たりともありはしない。

 

 頭を回せ。

 

 思考を止めるな。

 

 最強の剣士が味方しているからといって、チームとして勝てなければお話にならない。

 

 決めた筈だ。

 

 今度こそ、那須隊を上回るのだと。

 

 王子隊(じぶんたち)は格上にも勝てるのだと、証明する為に。

 

「クラウチ、確認するけど君を仕留めたのは誰か見てはいないんだね?」

『ああ、申し訳ないが、姿を確認する事は出来なかった。レーダーにも映っていなかったから、バッグワームを使っていたんだろうな』

 

 ふむ、と王子は蔵内の答えを受け眉を潜めた。

 

 蔵内は、もぐら爪によって仕留められた。

 

 そして、彼は自分を落とした相手を視認出来ていない。

 

 これが、中々に問題だ。

 

 ()()蔵内を落としたのか、それによって今後の動きが変わるからだ。

 

(まず、歌川(うってぃー)は無い。射撃トリガーも使える彼を、万が一にでも反撃で落とされる可能性が高い役割には就かせない筈だ)

 

 つまり、と王子は考えを巡らせる。

 

(クラウチを仕留めたのは、シンドバットか風間さんのどちらかだ。加えて言えば、那須さんが旗持ち(フラッグ)でなかった以上、生存能力の高いシンドバットがそうである可能性が高いが……)

 

 そう考えれば、姿を現さずに蔵内を仕留めた事にも説明がつく。

 

 旗持ちがあるか否かは、相手を()()しなければ分からない。

 

 王子はそれを逆手に取って敢えて自分が旗持ちである事を喧伝したが、此処までの動きを見る限りどうやら那須隊は旗持ちが誰かを隠す方向で戦術を練ったようだ。

 

 熊谷も、那須も、旗持ちではなかった。

 

 となれば、残る選択肢は二人。

 

 七海か、茜のどちらかだ。

 

(それを絞らせない為にわざわざ隙を晒す可能性のあるもぐら爪を用いたのだとしたら、蔵内を落としたのはシンドバットである可能性が高い。だが、そう思わせる為のブラフという事も有り得る)

 

 旗持ちが誰かを隠す事によるメリットは幾つか考えられるが、茜が旗持ちであった場合、()()()()()()()()()()()()()()()という事態が発生する。

 

 狙撃手の茜が旗持ちであった場合、充分なポイントを得る前に仕留めてしまえば、そこで試合が終わってしまう。

 

 まもなくトリオン切れで落ちる筈の菊地原が緊急脱出する前にそうなってしまえば、折角のポイントを取り損ねる事になる。

 

 だからこそ、茜が旗持ちである可能性が消えないうちは大規模な攻撃で狙撃手を炙り出す事は出来ない。

 

 旗持ちは果たしてどちらなのか、それを知る事も急務と言えた。

 

 故にこそ、読めない。

 

 蔵内を落としたのが、いや────────()()()()()()()()()()()()()()()()()()が。

 

 ハッキリ言ってしまえば、どちらであっても近付かれた時点で出水は終わる。

 

 七海はサイドエフェクトによって弾幕を潜り抜ける事が出来るし、風間はカメレオンによる暗殺が可能だ。

 

 ただし、少しでも足止めが出来れば、話は変わって来る。

 

 相手の姿さえ捉えてしまえば、出水が射撃で時間を稼ぎ、太刀川の援軍を待つ事が出来る。

 

 現在、王子は出水と太刀川の中間地点にいる。

 

 太刀川の方が距離が近いが、ハウンドが届く位置まで戻る事はギリギリで可能だ。

 

 熊谷は太刀川の攻勢をなんとか凌いでいるが、押し負けるのも時間の問題だろう。

 

 出水は那須と1対1であればトリオン量の差で最終的には勝てるが、横槍が入ればどうなるか分からない。

 

 どちらに、王子(じぶん)が介入するか。

 

 それで、今後の趨勢が決まる。

 

「────────行こうか」

 

 逡巡は、一瞬。

 

 王子は覚悟を決め、目的地に向かって駆け出した。



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王子隊・太刀川隊⑦

 

(此処までは、順調ですね)

 

 小夜子は作戦室で盤面の状況を逐次解析しながら、思考を回す。

 

 熊谷────────太刀川と交戦中。落とされるのは時間の問題だが、充分時間は稼げている/問題なし

 

 那須────────出水と交戦中。単独で戦闘を継続すればトリオン切れで落ちるが、手は用意している/問題なし

 

 菊地原────────トリオン漏出による緊急脱出まで秒読みであり、戦力としては使用不可能。但しサイドエフェクトは活きている/使用用途あり。無為に消費するべきではない。

 

 七海・茜・風間・歌川────────現時点で居場所は割れていない。■■は目標地点までもうすぐ到達する/移動中に発見される恐れあり。要警戒。

 

 備考:王子の位置が不明。動向に警戒せよ。

 

 戦闘状況、概ね問題なし(オールグリーン)

 

 作戦行動、継続可。

 

(菊地原さんが即死しなかったのが本当に助かりましたね。結果として何が何でも彼を落としておきたい王子隊を焦られ、蔵内先輩を仕留める事が出来ました)

 

 今回の試合の分水嶺は、なんと言っても菊地原が樫尾の特攻で即死しなかった事だろう。

 

 王子隊が真っ先に菊地原を狙うであろう事は、小夜子も予測が付いていた。

 

 何せ、菊地原がいる限り、奇襲が全て察知されるのだ。

 

 つまり、何を仕掛けるとしても、菊地原が生きている限りその行動は筒抜けに等しい。

 

 故に、最優先で菊地原を仕留めに来る。

 

 そのくらいは、小夜子は予想していた。

 

(てっきり王子隊三人がかりで来ると思ってたんですが、樫尾さんを特攻させるとは。お陰で焦りましたね)

 

 だが、樫尾の()()は、小夜子にとって予想外だった。

 

 菊地原を仕留めに来るのであれば、王子隊全員、もしくは二人がかりで仕留めに来るだろうと考えていたからだ。

 

 故に、樫尾が出て来た時、彼が一人で仕掛けて来た事に驚愕し、反応が遅れた。

 

 何せ、王子隊が三人がかりで攻めて来た場合は、()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

 三人がかりで攻め込んで来るのではなく、爆弾を抱えて特攻するというのは、小夜子の予測の外だったのだ。

 

 失策だったかもしれないと王子が後悔した樫尾の特攻は、その実あの場面ではきちんと那須隊の意表を突く事に成功していたのである。

 

 結果的にとはいえ、王子の作戦は間違ってはいなかった。

 

 問題は。

 

 その特攻で、菊地原が()()しなかった事である。

 

 確かに、致命打は与えた。

 

 菊地原は既に戦闘行動を行える状態ではなく、トリオン漏出で脱落する。

 

 仕留め損ねた菊地原をどう扱うか、王子が失敗したとすれば此処だ。

 

 確かに、菊地原が生きている限り奇襲は通じないし、相手の位置も捕捉される。

 

 だが、それならば、菊地原がトリオン漏出で緊急脱出するまで、()()()()()()()()()()()()なのだ。

 

 太刀川も、出水も、そのくらいは出来る。

 

 むしろ、時間をかければ有利になるのは、太刀川達である。

 

 熊谷は善戦しているとはいえ徐々に追い込まれているし、那須もトリオン量という絶対の差がある以上単独では出水には勝てない。

 

 時間が味方をするのは、王子隊側の方だったのだ。

 

 しかし、王子は一刻も早く菊地原を落とすべく蔵内を動かした。

 

 何故か。

 

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 那須隊はこれまで、罠や仕込みを用いて相手を嵌め、勝利して来た。

 

 試合に置いて、那須隊に時間を与えてはならない。

 

 それは、彼女達と戦った部隊の持つ、共通認識だ。

 

 だからこそ、王子は菊地原のトリオン切れを待つという悠長な手を撃たず、一刻も早く始末する為に盤面を動かした。

 

 小夜子の、()()()()()

 

(王子先輩の戦術の()は、これまでの試合とログの確認で読み取りました。二日ほど徹夜する羽目になりましたが、お陰で彼の思考傾向は解析(アナライズ)出来ました)

 

 目元に残る隈の後をこすりながら、小夜子は顔を上げる。

 

(王子先輩は、どんな時でも()()()()()()()()()。脅威対象に好き勝手される前に、それを片付けようとする。色々戦術は練っていますが、これだけは共通しています)

 

 つまり、と小夜子は笑みを浮かべる。

 

那須隊(わたしたち)という脅威を放置出来ない以上、必ず王子先輩は勝負を急ぐ。菊地原さんという分かり易く厄介な駒がいる以上、猶更です)

 

 それが、小夜子の解答。

 

 これまでの試合と、ログを幾度も解析した結果至った答え。

 

 王子は、確かに戦略家として優秀だ。

 

 前線指揮官の素質は充分あるし、柔軟さも持ち合わせている。

 

 しかし、不確定要素を嫌う、という側面がある。

 

 彼は相手チームの戦術解析やログの確認を怠らないし、勤勉で頭の巡りも早い。

 

 だが、一度立てた考察(イメージ)に縛られがちなのだ。

 

 予想外(イレギュラー)に弱いというより、自身の予測出来る範囲で物事を考えようとする節がある。

 

 ラウンド4では、那須隊の成長という不確定要素を見抜けず、敗北した。

 

 ラウンド7では、それまでの激戦を駆け抜けた那須隊の戦力を甘く見積もり、敗北した。

 

 だから今回は、いっそ過剰な程に那須隊の戦力を()()()()()()()

 

 二宮隊を倒した那須隊という、前代未聞の存在に対する畏怖と共に。

 

 結果として、王子は自らが作った()()()()()()()()()()()()()という幻影に踊らされ、判断を誤った。

 

 小夜子の、予測通りに。

 

(確かに、戦術家としての才能は王子先輩(あなた)の方が上です。私は所詮、戦場に立てない第三者。リアルタイムで戦場の空気を知り得る事が出来る貴方とは、視点も視野も違います)

 

 ですが、と小夜子は口元に笑みを浮かべる。

 

(才能は、努力である程度補えるものなんですよ。こちとら、単純作業と反復行動(ルーチンワーク)なんてゲームでやり慣れてます。三徹してゲームしてた事だって、私にはあるんですからね)

 

 尚、その時は流石に寝不足でぶっ倒れ、那須や熊谷から雷が落ちたのはご愛敬である。

 

 今回も小夜子が徹夜してまで王子の研究を行う事に那須隊の面々は難色を示したが、そこは小夜子が押し切った。

 

 「相手には太刀川隊がいるんですよ? なら、少しでも勝率を上げる為に王子先輩の思考傾向を解析するのは必須事項です」と告げ、後は屁理屈を捏ねて強引に認めさせたのである。

 

 代わりに小夜子が無理をし過ぎないよう彼女の徹夜にチームメイトが付き合う事になり、そこに名乗りを挙げたのが七海だ。

 

 最初は那須が付き合おうとしたのだが、身体の弱い彼女が徹夜に付き合うなど論外という事で七海が認めなかった。

 

 まだ中学生の茜も勿論そんな事はさせられないし、熊谷も無理はさせられない。

 

 そこで、日常用のトリオン体を持ち、ある程度無理が効く身体の七海が手を挙げたのだ。

 

 その際那須が複雑な表情をしたものの、結局何も言わず七海の意見が通ったのである。

 

 勿論那須の心情を理解している小夜子は七海にさり気なく手回しし、きちんと埋め合わせが出来るよう取り計らった。

 

 そのあたりの気遣いは、抜かりないのである。

 

(…………あれはあれで良い想いをさせて貰いましたからね。七海先輩と二人きりで一夜を過ごすって、ただのご褒美ですし)

 

 表面上は取り繕っていても、小夜子は恋する乙女。

 

 好きな男性と二人きりで過ごす事に、幸福以外の感情など抱く筈もない。

 

 たとえ激務をしながらであろうと、七海がすぐ傍で見守ってくれていたのである。

 

 これで燃えなければ、嘘というものだろう。

 

(おっと、思考が脇道に逸れましたね。ともあれ、此処までは順調です。懸念があるとするならば────────)

 

 小夜子は雑念を振り払い、真剣な表情で画面を見据えた。

 

(────────王子先輩がどう動くか、ですか)

 

 

 

 

「おらよっと」

「く……!」

 

 熊谷は太刀川の斬撃を受け止め、一歩後退する。

 

 先程と違い、出水は那須が抑えてくれている。

 

 ならば、無理に太刀川と距離を詰める必要はない。

 

 離れ過ぎるのも危険だが、常に至近距離で戦わなければならないワケではない。

 

「────」

 

 何よりも。

 

 鍔迫り合いでの粘りが、効かなくなって来たのだ。

 

 太刀川は一刀目の斬撃が防がれたと見るや、即座に二刀目を抜刀。

 

 横合いから、熊谷に向かって振り抜いた。

 

「……っ!」

 

 熊谷はそれを、弧月の角度を変える事で受け止める。

 

 一刀目を滑車の要領で滑り落とし、二刀目を防ぐ軌道に剣を置く。

 

 ガキン、と鈍い音が鳴り、弧月同士がぶつかり合う。

 

「甘いぞ」

「……!」

 

 太刀川は何を思ったか、その場で弧月の柄から手を放し、両手をクロスさせる形で二振りの刀をキャッチし握り直す。

 

 そして、交差させた二つの弧月で熊谷の剣を挟み込み、押し飛ばす。

 

 結果、弾かれた熊谷がつんのめり、強制的に後退させられる。

 

「────────旋空弧月」

 

 距離を稼いだところで、旋空を起動。

 

 二刀の拡張斬撃が、熊谷に迫る。

 

「この……っ!」

 

 熊谷はそれを、姿勢を低くする────────だけではなく、地面を滑るようにして回避。

 

 スライディングの要領で二振りの旋空を潜り抜け、太刀川へと肉薄する。

 

(旋空弧月)

 

 そして、熊谷は無音声で旋空を起動。

 

 刃は伸ばさず、ただ旋空の切れ味だけを宿し。

 

 太刀川に、一刀を振り下ろした。

 

 防御不能の斬撃、旋空弧月。

 

 それをブレードの拡張を行わず、ただ切断力だけを用いる攻撃。

 

 中距離で真価を発揮する旋空の、至近距離用の特殊運用。

 

 このまま太刀川が防御の姿勢を取るようであれば、その上から叩き斬る。

 

 回避するのであれば、今度こそブレードを拡張して追撃する。

 

 そういった、理不尽な二択を押し付ける攻撃。

 

 千載一遇の、機会(チャンス)

 

「おっと」

「……っ!?」

 

 とは、成り得ない。

 

 旋空を起動し、振り下ろした弧月の一刀。

 

 その斬撃は、弧月の柄同士をぶつけ合う事で、防がれた。

 

 旋空によって切断力を得るのは、あくまでも()()()()()()

 

 当然柄は切断力など持っていないし、問題なく受け止められる。

 

 そして、熊谷の弧月には、()()()()()いた。

 

 通常、弧月に鍔は付いていない。

 

 熊谷のそれは、受け太刀に特化する為の回良品だ。

 

 大きな改造、オリジナルのトリガーとなるとA級にならなければ無理だが、この程度の調整であればB級の身であっても叶えられる。

 

 故に、熊谷の弧月は通常のそれとは形状が異なる。

 

 だからこそ。

 

 鍔をかち上げる形で、太刀川は熊谷の手から弧月を弾き飛ばした。

 

 完全なる、失態。

 

 だが、それも無理からぬ事。

 

 熊谷は太刀川という剣士の頂点(ハイエンド)を相手に、防戦一方でありながらも時間を稼ぎ続けた。

 

 その集中力は、如何ほどのものか。

 

 されど、集中は無限に続けていられるワケではない。

 

 生身の肉体よりも無理の利くトリオン体とはいえ、精神的な限界は存在する。

 

 格上相手に一歩も退かない死闘を演じ続けたのであれば、尚の事。

 

 たとえ短時間の戦闘とはいえ、その密度の濃さは熊谷の精神の余裕を奪って余りある。

 

 その結果の、致命的な一手。

 

 彼女の、限界だった。

 

 熊谷の手から抜け、宙に放り出される弧月。

 

 この瞬間。熊谷は武器を失い、無防備となる。

 

 そんな隙を、太刀川が逃す筈もない。

 

 くるりと、太刀川は右手に持つ弧月を逆手持ちに切り替える。

 

 そして、間髪入れずに抜刀。

 

 防ぐ手段を失った熊谷へ、その刃を斬り上げた。

 

「ハウンド……ッ!」

 

 熊谷は、その斬撃を躱し切れないと判断。

 

 一矢報いる為、迷いなく射撃トリガーを撃ち放った。

 

 放たれる、無数の弾丸。

 

 それが、太刀川に向かって襲い掛かる。

 

 最短最速。

 

 避ける間を与えぬ弾道で、ハウンドが迫り来る。

 

 この一撃で熊谷は落とされるだろうが、太刀川にも手痛いダメージを与えられる。

 

 脱落が避け得ないならば、少しでも戦果を獲得する。

 

 それが、熊谷の思考。

 

「────」

 

 だが。

 

 だが。

 

 その程度、太刀川(最強の剣士)に見抜けぬ筈もない。

 

 太刀川は、迷いなくグラスホッパーを展開。

 

 それを踏み込み、上空へと跳躍した。

 

「な……っ!?」

 

 空を切る、無数のハウンド。

 

 太刀川に防御の隙を与えない為、誘導設定を強めにしたのが仇となった。

 

 猟犬の牙を潜り抜けた太刀川は、落下しながら刃を振り下ろす。

 

 同時、熊谷が宙に投げ出された己の愛刀に手を伸ばす。

 

 斬撃の到達までに掴み直せば、防御が間に合う。

 

 故にこそ、手を伸ばす。

 

 伸ばして、しまった。

 

「え……?」

 

 伸ばした手が、手首が、斬り落とされた。

 

 斬撃はまだ、到達していない。

 

 ならば何故か。

 

 それは。

 

 太刀川が、二振りの刀の一本を、投擲したからだ。

 

 投擲された弧月は正確に熊谷の手首を斬り落とし、掴む掌を失った右腕を空を切る。

 

「が……っ!」

 

 そして、刃なき少女はに刀を防ぐ術はなく。

 

 太刀川の斬撃は、一刀の下で熊谷の身体を切り伏せた。

 

「ここまでか……」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 一撃で致命傷を喰らってしまった熊谷は、最期の足掻きすら許されずに脱落。

 

 光の柱となって、消え失せた。

 

 

 

 

「いいえ」

 

 作戦室でそれを見届けた小夜子は、笑みを浮かべる。

 

 それは紛れもなく健闘を称える笑みであり。

 

 勝利の、笑みだった。

 

「間に合いましたよ、熊谷先輩」

 

 

 

 

「────」

 

 空間が、揺らめく。

 

 霧雨が降り続く街の中。

 

 何もなかった場所に、人影が現れる。

 

 隠密(ステルス)トリガー、カメレオン。

 

 それを解除した男は、風間は。

 

 太刀川の背に向けて、己の刃を振り下ろした。



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王子隊・太刀川隊⑧

 風間は、太刀川を仕留める好機を狙う為、タイミングを計っていた。

 

 正面戦闘で太刀川に勝つのは、無理とは言わないが少し厳しい。

 

 勝ち目は精々五分五分といったところだが、太刀川には土壇場の勝負強さがある。

 

 五分五分の勝負であるならば、分が悪いのは風間の方である。

 

 積み重ねた経験や技術云々の話ではない。

 

 単に、太刀川はここぞという時の機運が凄まじいのだ。

 

 流れを引き寄せる力とでも言おうか。

 

 そういうものを、太刀川は持っている。

 

 故に。

 

 太刀川を確実に仕留めるならば、必殺の好機に仕掛ける他ない。

 

 元より、風間の戦闘スタイルは背中刺す刃の如し。

 

 姿を晦まし、相手の虚を突き、抵抗を許さず急所を穿つ。

 

 その暗殺者そのものと言える戦法こそ、風間の最も得意とするものだ。

 

 幸い、今回は太刀川の注意を惹く熊谷(前衛)が思った以上に頑張ってくれている。

 

 以前の熊谷であれば此処までは粘れなかった筈だが、成長した、という事なのだろう。

 

 伊達にB級一位(二宮隊)を破ってはいない、という事だろう。

 

 その成果は、素直に誇るべきだろう。

 

 お陰で、風間がこうして間に合ったのだから。

 

 七海は風間に、細かいやり方は任せる、と言った。

 

 故に、熊谷を助ける為に跳び出さず、虎視眈々と必殺の機会を狙い続けたのは、風間自身の判断だ。

 

 恐らく、七海はそういった判断込みでああ言ったのだろうと風間は考えている。

 

 その程度には、七海の事は理解していた。

 

 まがりなりにも、師弟関係の真似事までしていたのだ。

 

 元より気が回る風間にとって、その程度の洞察は造作もない。

 

 風間が七海の実力を見知っているように、七海もまた風間の能力を信頼している。

 

 その信頼に応えずして、何が師か。

 

 面と向かって言った事はないが、風間の中では七海は立派な弟子である。

 

 ぶっちゃけ、太刀川が得意満面で師匠面していたのが気に食わない、という感情もあった。

 

 元より太刀川を通じて知り合った間柄だが、それでも風間にとって七海は身内換算する程度には付き合いが長い。

 

 その彼から全霊の期待をかけられておいて、奮起しない風間ではない。

 

 故に、風間は油断なく太刀川の隙を探し、今こそ必殺の時と決断し動いた。

 

 太刀川はたった今、熊谷を斬り捨てる為に刀を振り抜いた直後。

 

 この残心の最中であれば、殺れる。

 

 風間はそう判断し、隠密トリガー(カメレオン)を解除し攻撃に移った。

 

「ハウンド……ッ!」

「……!」

 

 ────────その瞬間を、待ち望んでいた者がいた。

 

 敢えて声をあげ、光弾を放った者の名は────────王子。

 

 バッグワームを解除した彼の号令と共に、無数の光弾が真っ直ぐに風間へ放たれた。

 

 敢えて存在を声高に叫んだのは、当然理由がある。

 

 風間の注意を惹き、太刀川に反射的な迎撃行動を取らせる為だ。

 

 王子の介入で風間に一瞬でも隙が出来れば、儲けもの。

 

 そうでなくとも、風間に回避行動を取らせれば、その一手で太刀川が態勢を整えられる。

 

 その一瞬さえ稼げれば、構わない。

 

 そう考えての、王子の一手。

 

「シールド……ッ!」

 

 だがそれは。

 

 歌川の張ったシールドによって、阻まれる。

 

 菊地原がまだ生きている以上、王子の位置は把握済み。

 

 彼が介入して来る事は、予想の範疇でしかなかった。

 

 故に、此処に歌川を配置した。

 

 王子の介入を、失敗に終わらせる為に。

 

 最短で弾丸を到達させる為だろう。

 

 王子の放ったハウンドは、散らばる事なく真っ直ぐ風間に向かっている。

 

 故に、広げたシールドで防ぐ事も容易い。

 

 そう考え、歌川はシールドを張った。

 

 ハウンドを、威力の低い弾丸を防御する為に。

 

「かかったね」

 

 ────────王子の、思惑通りに。

 

 王子の弾丸は、歌川の張ったシールドを()()()()()

 

 その貫通力は、断じてハウンドでは有り得ない。

 

 たとえ弾丸を集中させていても、こうもあっさりシールドを突破するような威力はハウンドにはない。

 

 故に。

 

 この弾丸は、()()()()()()()()

 

 無論、合成弾では有り得ない。

 

 答えは一つ。

 

 通常弾(アステロイド)

 

 それが、王子の撃った弾丸の名であった。

 

 元より、王子はこの奇襲がバレている事を承知していた。

 

 虫の息とはいえ、菊地原がまだ戦場に残っているのだ。

 

 こちらの位置が把握されている事など、分かり切っていた。

 

 だからこそ、王子はこれまで奇襲をかけようにもかけられなかったのだから。

 

 故に、王子はバレている事が承知の上で、それでも尚裏をかく手段を取った。

 

 それこそが、ハウンドに偽装してのアステロイド。

 

 王子は、今回の試合に臨むにあたりトリガーセットを入れ替えていた。

 

 スコーピオンの代わりに、アステロイドをセットしていたのである。

 

 菊地原のサイドエフェクトは、確かに相手の精密な位置や攻撃を知覚出来る。

 

 だが、それはあくまで相手の動きが分かるだけで、相手の心を読めるワケではないのだ。

 

 弾を撃った、という事は分かるだろう。

 

 けれど、その弾丸の種別までは判別出来ない。

 

 故にこそ、この奇襲は成立した。

 

 菊地原のサイドエフェクトの性質を読み、それを利用した。

 

 わざわざ口頭で「ハウンド」と叫んだ事で、弾丸の種別を印象付けさせて。

 

 本来、口頭で告げたトリガーと別種の射撃トリガーを撃つ事は、高等技術だ。

 

 誰にでも出来る真似ではなく、王子が元から習得していたスキルではない。

 

(みずかみんぐに、教えて貰った甲斐があったね)

 

 王子はそのコツを、その技術の習得者である水上に頭を下げて教授して貰ったのだ。

 

 今回の試合の最大の脅威である、菊地原の裏をかく為に。

 

 既に、弾丸は風間に肉薄している。

 

 風間は防御を歌川に任せていた為、シールドを張ってはいない。

 

 仮にシールドが間に合ったとしても、太刀川の反撃が来る。

 

 それで、詰み。

 

 王子の奇策が、風間を追い込んだ。

 

「メテオラ……ッ!」

 

 無論、それを黙って見ている歌川ではない。

 

 歌川は速度重視にチューニングしたメテオラを放ち、王子のアステロイドを巻き込んで起爆。

 

 太刀川と風間に、メテオラの爆風が襲い掛かった。

 

 シールドを張り、爆発を防御する二人。

 

 爆風の中でシールドを解除するワケにはいかない以上、これで互いに手を出す事は出来なくなった。

 

「旋空弧月」

「……っ!」

 

 しかし、その代償として歌川は風間の援護が望めない位置で、王子の攻撃に晒される事になった。

 

 爆発に紛れるようにして放たれた、旋空弧月。

 

 拡張斬撃の刃が、歌川へと襲い掛かる。

 

「く……っ!」

 

 歌川は止むを得ず、跳躍して回避。

 

 伸びたブレードを、間一髪で回避する。

 

「ハウンド」

「……!」

 

 カメレオンを、発動する暇もない。

 

 間髪入れずに放たれた王子のハウンドにより、カメレオンによって姿を晦ますという選択肢は失われた。

 

 こうなっては、取れる手段は一つだけ。

 

 シールドを広げての、ハウンドの防御。

 

 今回は弾丸が曲射軌道を描いている為、アステロイドの偽装である心配はない。

 

 だが此処でシールドでの防御を選択してしまえば、王子の追撃で詰みだ。

 

 身動きの取れなくなった相手を放置するほど、王子は甘くはないのだから。

 

「く……!」

 

 故に、歌川はメテオラでの目晦ましを選択。

 

 先程のように王子の弾丸を巻き込む事で強引に防御を成立させ、一手を稼ぐ。

 

 最早分割する手間すら惜しいと、歌川は即座にメテオラのキューブを展開する。

 

「そこだ」

 

 ────────そして、そのキューブに、投擲された弧月が突き刺さった。

 

「え……?」

 

 弧月を投げたのは、王子ではない。

 

 爆風の晴れた先。

 

 風間と対峙していた太刀川が、己の持つ二振りの刀の片割れを投擲したのだ。

 

 ピンポイントに、歌川のメテオラキューブを狙い撃って。

 

 それを成し得たのは、国近の正確なオペレートあってこそ。

 

 瞬時に戦況を解析した国近は、王子の指示を受けて太刀川に攻撃目標の位置を伝えたのだ。

 

 そして太刀川は、その情報通りの場所に正確に弧月を投擲してのけた。

 

 国近のオペレート能力と、太刀川の技術。

 

 それが王子の指示によって運用され、この一撃へと繋げたのだ。

 

「……!」

 

 弧月が突き立ったメテオラのキューブは当然の如く、起爆する。

 

 咄嗟にシールドを張り、己の弾丸の誘爆から身を守る歌川。

 

「が……っ!」

 

 しかし、その次の一手までは、防げなかった。

 

 放たれた、旋空弧月。

 

 王子の弧月による撃たれたその斬撃は、一息で歌川の首を斬り落とした。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が歌川の脱落を告げ、彼の身体は光の柱となって消え失せる。

 

 王子の、狙い通りに。

 

 元々、最初の奇襲で風間が落とせるとは思っていなかった。

 

 王子は風間を、風間隊を、舐めてはいない。

 

 だからこそ、風間ではなく、歌川をターゲットにした。

 

 国近は試合開始時の転送位置予測から解析とシミュレートを重ね、風間の近くに控えているとすれば歌川だろう、という予測を立てた。

 

 その根拠となったのは、蔵内が落とされた位置である。

 

 蔵内は出水の後方に陣取っていた為、この場所からは若干距離がある。

 

 風間がこの場にいる以上、蔵内を仕留めたのは十中八九七海で間違いない。

 

 そうなれば、風間をフォローする為に控えている者がいるとすれば、それは歌川以外に有り得ない。

 

 故に、王子は歌川を仕留める為に風間を狙ったのだ。

 

 風間も歌川も、A級隊員であるという事実に変わりはない。

 

 どちらを倒しても、同じく二点。

 

 ならば、落とし易い方を狙うのは自明の理。

 

 控えていたのが歌川ではなく茜であったならば成立しなかった作戦だが、賭けには勝った。

 

 やられっぱなしで、終わるワケにはいかない。

 

 王子はその意地を、功績を以て証明してみせたのだ。

 

 

 

 

「…………やられた。まったく、やってくれるよ」

 

 歌川脱落の報を聞いた菊地原は、溜め息を吐く。

 

 まさか、己のサイドエフェクトが利用されるとは、思ってもみなかった。

 

 これまで優位に進めていた、油断もあったかもしれない。

 

 先程は、その油断を突かれて手痛い一撃を喰らったばかりだというのに。

 

「…………ここまでか。七海、負けたら承知しないよ」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 菊地原のトリオン体は限界を迎え、崩壊。

 

 機械音声のアナウンスと共に、彼の身体は光の柱となって消え去った。

 

 

 

 

「ここで歌川と菊地原が緊急脱出……っ! こりゃあ、わかんなくなってきたかぁ……っ!?」

 

 光の実況と共に、会場がどよめいた。

 

 もう後がないかと思われた王子の、思わぬ反撃。

 

 此処に来ての、追加の四点。

 

 この得点は、決して小さくはない。

 

「なんとか持ち直したか。これで、少しは楽しめそうになったな」

「これで、勝負は分からなくなりましたね」

 

 二宮に続いて、烏丸も頷く。

 

 あの二人の脱落は、決して小さくない影響を齎しているのだから。

 

「今、風間さんは太刀川さんと王子先輩の二人に挟まれている状況ですからね。ハウンドを使える王子先輩が援護出来る状況だと、風間さんは厳しいと思います」

「王子に出水の代わりが務まるとまでは言わないが、多少の援護は出来るだろう。それだけでもかなり違う筈だ」

 

 二人の言う通り、ハウンドはカメレオンを使う風間にとっては厄介なトリガーだ。

 

 カメレオンは姿は隠せるが、トリオン反応までは隠せない。

 

 使用中は他のトリガーが一切使えなくなるというカメレオンの性質上、トリオン誘導でハウンドを放てば、隠れた相手を炙り出す事が可能なのだ。

 

 無論、その程度の対策は風間は腐る程見て来ている。

 

 ただ闇雲にハウンドを撃ったところで、風間を仕留める事は出来ないだろう。

 

 だが、太刀川と対峙しているとなれば話は変わる。

 

 太刀川は、正面対決に置いて最強と言って良いだけの実力を持っている。

 

 そして、隠れてもハウンドを撃たれる以上、風間は太刀川と正面対決をせざるを得ない。

 

 そうなると、不利になるのは風間の方だ。

 

 元より、スコーピオンは正面からの斬り合いに向いた武器ではない。

 

 奇襲、不意打ち、それこそがスコーピオンの真骨頂。

 

 それが出来なくなるとなれば、天秤がどちらに傾くかは明らかだ。

 

「出水と那須は、時間をかければトリオン量の差で出水が勝つ。だから当然、そこに七海か日浦を介入させる予定だろうが」

「そうなると、風間さんのフォローに迎える人員をそっちに割く事になりますからね。その間に風間さんが落とされてしまう可能性も、0じゃない」

 

 だから、と烏丸は続ける。

 

「七海さんと、日浦さん。この二人をどう使うかが、勝負の分かれ目になりそうですね」

 

 生存者は、7名。

 

 王子隊側は、王子、太刀川、出水。

 

 那須隊側は、那須、七海、茜、風間。

 

 戦いは、佳境へ入り込んでいた。



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王子隊・太刀川隊⑨

 

「なんとか盛り返したねー。王子くんやるぅ~」

『貴方の解析と太刀川さんの腕前あってのものだけどね。私もそれなりに出来るつもりでいたけれど、やっぱ貴方のそれは半端ないわ』

「それほどでも、あるかなー」

 

 ニコニコと笑いながら国近は羽矢と通信越しに会話し、その間にも彼女の指は忙しなくキーボードを叩いている。

 

 無数のウインドウ上で様々なデータが目まぐるしく行き交い、それを随時チームメイトに送信している。

 

 会話をしながらも、国近の手は一瞬たりとも止まっていない。

 

 勉強は苦手な彼女だが、ことオペレート能力に関しては非凡なものを持っている。

 

 友人の今などには「なんでそんな真似が出来て勉強が出来ないの?」と疑問符を浮かべられているが、要は興味の問題だろう。

 

 国近は根っからの趣味人であり、物事への興味の有無でモチベーションや作業効率が著しく異なるタイプだ。

 

 勉強は本人がやる意義を感じられない為に全く集中出来ないし、すぐに投げ出してしまう。

 

 逆に、オペレートは肌に合ったのか幾らでものめり込む事が出来るのだ。

 

 元から機械操作が得意だった国近は、オペレーターになる事でその才能を開花させた。

 

 小夜子も国近も、その趣味嗜好が長じてオペレート能力が伸びたという点では同一だ。

 

 ゲームでの単純作業を行う中での慣れや、効率化の徹底。

 

 それらを元として彼女達の才能は日の目を見る事になり、今ではボーダーでもトップクラスのオペレート能力を獲得している。

 

 そういう意味で、国近にとって小夜子は教え易い生徒だった。

 

 自分と趣味嗜好が似通っている為、どうすれば言いたい事が伝わるかが、なんとなく分かるからである。

 

 共感出来ないのは未体験故に想像するしかない小夜子の恋心くらいであり、日常生活における通常思考(ルーチン)などは大分近いのだ。

 

 故にこそ、国近の的確な指導で小夜子の技術がメキメキと上がって行ったワケである。

 

 そして、だからこそ、国近は小夜子の思考をある程度読める。

 

 正しくは、()()()()()のだ。

 

(小夜子ちゃんは、基本的に自分の駒の性能を信じてるからねー。普段はそれでいいかもだけど、今回は一度も組んだ事がない人も運用しなきゃいけないから、微妙に計算が狂うよね?)

 

 チームメイトみたく、何もかも承知している間柄でもないし、と国近は思う。

 

 小夜子の基本戦術は、チームメイトの能力を十全に活かした地力勝負だ。

 

 適材適所に駒を配置し、期待した通りの戦果を挙げる。

 

 それが、小夜子の戦術思考の根幹にはある。

 

 小夜子は、那須隊の面々の実力については過不足なく熟知している。

 

 誰が何を何処まで出来るか、それを個人個人との面談ですり合わせ、正確にチームメイトの能力を図った上で采配を行っている。

 

 それは、今まで彼女が欠かした事のないルーチンワーク。

 

 結束力の強いチームだからこそ出来る、信頼を前提とした作戦立案だ。

 

 仲間の能力の上限と下限をしっかりと理解しているからこそ、小夜子は采配を間違えない。

 

 彼女は、決して無茶な指示は出さない。

 

 その人物なら()()()と判断するからこそ、彼女は適材適所の采配が行えるのだ。

 

 無論、それは仲間に対する絶対の信頼から来るものだ。

 

 七海に生駒や弓場とのタイマンを指示した時も、勝つ為の策の用意は欠かさなかった。

 

 敢えて言えば最終ラウンドの七海と影浦の一騎打ちは賭けではあったが、彼女は七海が勝つと信じていた。

 

 惚れた弱みだけではなく、七海ならやってくれると、不可能ではないと、彼の実力を信頼していたからだ。

 

 だが、今回は、この試験では、今までと違う要素が介在していた。

 

 それは、チームメイト以外の()()の存在である。

 

 今回の試験では、A級部隊との合同チームで試合に臨む。

 

 つまり、普段と違い、実力を知り尽くしているワケではない相手を手駒として運用する必要性に駆られたワケだ。

 

 チームメイトと違い、風間隊一人一人と面談で戦力を正確に分析する事は、男性恐怖症の少女(小夜子)には出来ない。

 

 故に、細かい采配については風間隊に任せる決断を下した。

 

 いや、せざるを得なかった。

 

 小夜子は風間隊の実力を、データ上でしか知らない。

 

 どの隊員がどの程度の対応力を持ち、どれほどの戦果を挙げられるかという情報が足りていないのだ。

 

 無論、風間隊のログを腐る程見て研究はしている。

 

 だが、絶対的に時間が足りなかった。

 

 菊地原のサイドエフェクトがどれだけ驚異的なのかはデータでは知っていたが、実際のところは小夜子の予想を超えて凶悪だった。

 

 何せ、彼が生きている限り相手の奇襲を殆ど封じ切る事が出来るのだ。

 

 最初は七海のサイドエフェクトの亜種のようなものと考えていた小夜子だったが、()()()で有用なのは断然菊地原の能力だ。

 

 七海の能力は自分が攻撃範囲にいなければ感知出来ないが、菊地原の場合はバッグワームすらぶち抜いて情報を取得出来る。

 

 個人戦闘に対する適正に関しては七海の力の方が上ではあるが、菊地原のそれは集団戦闘に対する有用性がずば抜けて高い。

 

 生きているだけで集団戦の勝率が跳ね上がる切り札(ジョーカー)、それが菊地原だ。

 

 実際、試験開始後から菊地原を通じて入って来る情報の量と精度にはぶっちゃけ小夜子もびびった。

 

 想定より遥かに上の精度の情報が、湯水のように流れ込んで来るのだ。

 

 これを普段から捌き切るなんて、と小夜子は密かに三上の手腕に感服したものだ。

 

 正直に言えば、その情報量に手を焼いた面があるのは否定出来ないだろう。

 

 菊地原の能力の凶悪さを見て、風間隊の評価を極端に上方修正したのは言うまでもない。

 

 だから、過信した。

 

 彼の能力さえあれば、どんな奇襲も怖くないと。

 

 故に、王子の偽装通常弾(アステロイド)を、見抜けなかった。

 

 王子が潜んでいるのは分かっているし、ハウンドを撃てば菊地原が察知出来る。

 

 そう、信じ込んでしまった。

 

 そして、ハウンドに偽装されたアステロイドという一手で当初の想定は崩された。

 

 結果として歌川は無理をする事になり、その隙を突かれて王子に落とされた。

 

 これは、ある意味小夜子の失態と言えるだろう。

 

 風間のフォローを歌川に任せきりにするのではなく、もう1枚手札を切っていれば。

 

 もしかすれば、歌川を落とされる事態は防げたかもしれない。

 

 仮定しても意味のないもしも(if)ではあるが、小夜子に手落ちが無いとは言い切れない部分はある。

 

 少なくとも、小夜子自身は自分の失態だ、と言うだろう。

 

 彼女は、そういう子だ。

 

(ふふふ、今回はきっちり小夜子ちゃんの()として立ちはだかるからねー。七海くんも出来たんだし、小夜子ちゃんも師匠越え、やってみよっか)

 

 出来ればだけどねー、と国近は人知れず笑う。

 

 彼女とて、弟子は可愛い。

 

 だが、だからといって手を抜くかどうかは全く別の話である。

 

 向かって来るなら、受けて立つ。

 

 全霊を以て、叩き潰す。

 

 国近の勘はこれが最後の機会ではないと告げているが、まずはこの一戦でやってみて欲しいと、切に願う。

 

 叶うならば、見せて欲しい。

 

 彼女が、自分の想定を超えるところを。

 

 師匠超えは、確かな浪漫があるのだから。

 

 

 

 

(なーんて、作戦室でニヤニヤ笑ってるんでしょうねちくしょう)

 

 小夜子はそんな風に己のオペレートの師の考えていた事をナチュラルに言い当て、唇を噛んだ。

 

 国近の考える通り、これは小夜子の失態だ。

 

 菊地原の能力を過信した事もあるが、何より小夜子と風間隊との情報伝達のタイムラグが致命的だった。

 

 小夜子は、男性恐怖症だ。

 

 それは男性を視界に入れるのは勿論、会話も不可能なレベルだ。

 

 唯一七海だけは惚れた弱みで例外的に普通に話せるし同じ空間にいられるが、他の男性隊員はそうはいかない。

 

 ボーダーの隊員を、信じていないワケではない。

 

 ただ、()()()()()男性の存在を拒絶してしまうのだ。 

 

 七海の場合は彼女が信頼するチームメイトが最初から深い信を置いていた事と、彼女に対する的確な対応。

 

 そして、彼自身の過去を知り、共感を抱いた事が大きい。

 

 ハッキリ言って、小夜子の男性恐怖症は依然として治っていない。

 

 恋心が心的外傷(トラウマ)を凌駕した七海という例外を除き、彼女にとって男性は須らく恐怖の対象だ。

 

 故に、小夜子は通信機越しでも男性隊員と会話を行う事が出来ない。

 

 出来ても通信越しの一方的な伝達が限界であり、男性側から答えを返されると途端に小夜子の精神は硬直してしまう。

 

 しかし、現場の人間からの生の情報を活かせないようでは、戦場では生き残れない。

 

 故に小夜子は、風間隊からの連絡を七海や那須越しに受ける事で対応していた。

 

 風間隊としても小夜子の症状は七海から聞いて知っていた為、否はなかった。

 

 だが、結果として情報伝達に幾許かのタイムラグを挟む事になり、王子の行動への対処が遅れてしまったのは否定出来ない。

 

 那須隊が、小夜子が抱える大きな瑕疵(ハンデ)

 

 それが、この合同戦闘訓練によって明確化したとも言える。

 

(なんとか通信越しだけでも、って思ったんですけど。駄目だったんですよね……)

 

 実を言えば、小夜子は己の症状が気合いでどうにか出来ないかと、三輪隊と組んだ時に試みていた。

 

 通信越しでならば、なんとか会話が出来るようにならないか、という実験を。

 

 結果は、失敗。

 

 通信越しに伝達をするだけでも精神に相当な負荷がかかり、相手からの返答があった時点で思考が停止してしまった。

 

 どうやら小夜子は男性と会話すると()()()()だけで例の記憶を想起してしまい、更に男の声を聴く事でトラウマの引き金が引かれてしまうようなのだ。

 

 そんな状態で冷静なオペレートなど出来る筈もなく、三輪隊との話し合いの結果今の七海や那須を通じた間接的な情報伝達の形に落ち着いたのだ。

 

 そして、国近は当然小夜子のそういった状態を知っている。

 

 いや、察していた、と言うべきだろうか。

 

 国近は小夜子が男性恐怖症を負う事になった経緯と、現在の状態を彼女自身から聞いて知っている。

 

 それに、彼女自身の現状がどのようなものかも、普段の付き合いで理解出来ていた。

 

 だからこそ、小夜子の情報伝達には遅れが出ると、()()()()()

 

 その上で、王子の作戦にGOサインを出したのである。

 

 あの作戦であれば、小夜子の対応完了までに遂行可能であると。

 

 卑怯とは、思わない。

 

 親しい間柄であればある程度事情を知り合うのは当然で、真剣勝負の場で利用出来るものがあれば利用する。

 

 その程度、誰でもやっている事だ。

 

 不正行為を働くならばともかく、その程度の盤外戦術は対応出来ない方が悪い。

 

(ともあれ、これで伏兵の数も残り少なくなってきました。問題は、どの手札をいつ切るか、ですね)

 

 故に小夜子は余計な考えをその場で切り捨て、思考を回す。

 

 現在、那須隊が切れる手札(カード)は2枚。

 

 七海と、茜だ。

 

 そして、盤面は風間と太刀川・王子、那須と出水が戦闘中。

 

 風間は太刀川との1対1ならばともかく、ハウンドを持つ王子も相手にしている為厳しい戦いである事は明白だ。、

 

 那須と出水の場合に至っては、放っておけば確実に出水が勝つ。

 

 他でもない、トリオン量の差によって。

 

 技術は互角で、個人戦闘への適性は那須の方が上だが、駆け引きでは出水の方が勝っている。

 

 ならば順当に拮抗状態が続き、トリオン切れで那須の負けだ。

 

 どちらの戦場も、放置すれば負けが確定しているに等しい。

 

 故に、此処でどちらの戦場に誰を介入させるか。

 

 そこが、勝負の分かれ目になる。

 

 ケース1/出水との戦闘に七海を、太刀川の戦闘に茜を介入させた場合。

 

 メリット────────①那須と七海が連携すれば、ほぼ確実に出水を落とせる/②遠距離から風間を援護し、王子を牽制出来る。

 

 デメリット────────①出水が足止めに徹し、時間を稼がれてしまう可能性がある/②カメレオンを使用している風間に狙撃を当ててしまう恐れがあり、居場所を察知されて王子に襲われる可能性がある。

 

 ケース2/太刀川との戦闘に七海を、出水との戦闘に茜を介入させた場合。

 

 メリット────────①2対2の状態になる事で、不利な戦況を変えられる/②遠距離から出水に一方的に攻撃出来る。

 

 デメリット────────①どちらかが落とされれば、一気に窮地に陥る/②狙撃を察知されて迎撃される恐れがある。

 

 どちらのケースも、メリットとデメリット、その両方が存在している。

 

 両方の戦場に介入しなければいけない以上、二人を同じ場所に向かわせる事は出来ない。

 

 二つの手札を、どちらに使うか。

 

 小夜子は逡巡の後決断し、通信越しに指示を送った。



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王子隊・太刀川隊⑩

 

「行くぜ」

「チッ……!」

 

 剣を握り直す太刀川を見て────────否。

 

 当然の如く戦闘態勢は継続させていた風間が、すぐさまその場から跳躍し後退する。

 

 熊谷は敢えて至近距離で戦う事で他者の妨害を防いだが、それは彼女が受け太刀の名手であり、弧月使いだからこそ出来た事だ。

 

 風間が彼女のように受け太刀をやろうとすれば、単純なトリガーの強度差で押し込まれるだろう。

 

 弧月とスコーピオンは、その硬度に明確な差が存在する。

 

 日本刀型のトリガー、弧月は突出した能力を持つとは言い難いが、癖のない汎用性が特徴のトリガーだ。

 

 レイガストほどの防御能力もスコーピオンほどの軽さと応用性もないが、適度な重量・強度・剣速を兼ね備えた傑作トリガーである。

 

 取り分け、目立っているのはその強度と攻撃力だ。

 

 攻撃力だけならばスコーピオンも負けてはいないが、こと強度となれば弧月に軍配が上がる。

 

 スコーピオンはその軽さと応用性の代償に、弧月と比べてかなり()()

 

 まともに打ち合えば、瞬く間に欠け、砕け散る事になる。

 

 無論、至近距離での鍔迫り合いなど論外だ。

 

 そもそも至近まで接近出来たのなら、鍔迫り合いなどに付き合わず、奇襲で一撃を叩き込むのが一番だ。

 

 だが、旋空という中距離攻撃の手段を持つ弧月と違い、スコーピオンは近付かなければ何も出来ない。

 

 投擲して投げナイフのように扱う事は出来るが、絶対の切断力を持つ旋空と比べ決定打にはなり難い。

 

 だからこそ風間は姿を消す迷彩能力を持つトリガー、カメレオンを極める事での隠密戦闘という一つの答えを編み出した。

 

 近付かなければどうしようもないのであれば、近付いた事に気付かれなければ良い。

 

 カメレオンなら、それが出来る。

 

 特に、風間のカメレオンの切り替えスピードは他の追随を許さない。

 

 隠密トリガー(カメレオン)のエキスパートと言って差し支えないチームメイトの菊地原や歌川でさえ、その扱いの練度は風間には及ばない。

 

 カメレオンを駆使する、姿なき暗殺者。

 

 それが、風間蒼也なのである。

 

 故に、風間が太刀川に勝つ為には、カメレオンを十全に用いて奇襲を仕掛ける他ない。

 

 だが、今それは出来ない。

 

 何故か。

 

 この場にいるのは、太刀川だけではないからである。

 

「ハウンド」

 

 わざわざ音声認識でハウンドを展開し、風間に向かって放つ王子。

 

 ほどよく散らされた弾幕が、風間を捉えようと迫り来る。

 

「……っ!」

 

 風間はシールドを張り弾幕を防御しながら、太刀川との距離を稼ぐ。

 

 その眼光は、忌々し気に王子を見据えていた。

 

 カメレオンの最大の弱点。

 

 それは、使用中、()()()()()()()()()使()()()()()()()()という点である。

 

 カメレオンを使っている最中はシールドはおろか、バッグワームすら使えなくなる。

 

 そして、カメレオンは姿を隠しはするが、トリオン反応までは隠せない。

 

 故に、ハウンドをトリオン誘導で放たれれば、カメレオンを解除しない限りまともに弾丸を防げなくなるのである。

 

 無論、その程度の弱点は風間も承知の上。

 

 これまで経験した戦いでも、それを狙って来る相手など腐るほどいた。

 

 その為対策は幾つも用意してあるし、ただハウンドを使われただけで負けるほど風間の実力と自負は浅くはない。

 

 ただし、それは相手が凡庸な相手の場合である。

 

 今風間が相対しているのは、NO1攻撃手の太刀川慶。

 

 NO2攻撃手の風間よりも数字上は格上の、最強の剣士である。

 

 ただでさえ、風間にとって太刀川は難敵だ。

 

 1対1なら五分五分くらいだと自負しているが、太刀川に援護が加わる状況だと流石に厳しい。

 

 複雑な地形であればそれを利用してハウンドを掻い潜る事は可能だが、今この場は生憎開けた道路の上。

 

 隠れる場所が少ない以上、太刀川と対峙した状態でハウンドを撃たれれば防御に徹する他ない。

 

「────────旋空弧月」

 

 無論、それをただ黙って見ている太刀川ではない。

 

 ハウンドを防ぐ風間に対し、旋空を撃ち放つ。

 

 旋空弧月、()()

 

 十字にクロスした拡張斬撃が、風間へと襲い掛かる。

 

「……!」

 

 風間はその斬撃を、身を低くしてスライディングの要領で回避。

 

 その小柄な身体を十全に活かした立ち回りにより、二振りの斬撃を躱す。

 

「チビで良かったなあ、風間さん……っ!」

「ぬかせ」

 

 太刀川の挑発にも動じず、風間は身を沈め疾駆。

 

 狙いは太刀川────────ではない。

 

 風間は王子に向かって、刃を構え肉薄する。

 

「ハウンド」

 

 またもや弾種の宣言と共に、王子が弾丸を撃ち放つ。

 

 二つの弾群に分けられた弾幕が、交差するような軌道で風間へと迫る。

 

 風間の逃げ道を塞ぐように撃たれている為、これを凌ぎ接近する為には何処かでシールドを張る他ない。

 

 だがそこで懸念(ネック)となるのは、先ほど王子が見せた偽装技術。

 

 ハウンドに見せかけた通常弾(アステロイド)、という可能性だ。

 

 宣言通りハウンドであれば途中で弾道が曲がって襲い掛かって来る為、シールドを広げて対処する他ない。

 

 しかし、もしも宣言が偽装で弾丸の正体がアステロイドであった場合、広げたシールドでは貫通されてしまう。

 

 初見殺しは、何も最初の一発だけが勝負ではない。

 

 むしろ、()()()()()()()()()と見せつける事で、相手の行動を縛る効果が見込めるのだ。

 

 事実、風間はこの厄介な二択に動きを縛られている。

 

 故に。

 

 風間は、即座に後退を決断した。

 

 王子を仕留めるつもりであるならばともかく、精々足を斬って行動不能にする程度に留める予定の風間からすれば、此処は無理をするべき場面ではない。

 

 先程と違い、今すぐ王子を仕留めるワケにはいかなくなったのだ。

 

 王子隊は菊地原と歌川、そして熊谷を倒した事で5Ptを獲得している。

 

 対して、那須隊の得点は樫尾と蔵内を倒した事による2Ptのみ。

 

 此処で王子を落としても、旗持ち(フラッグ)の得点込みでも合計5Pt。

 

 王子隊と、同点で終わってしまう。

 

 せめて出水か太刀川、そのいずれかを倒さなければ、収支が合わない。

 

 最低でも、7点。

 

 そこは譲れない。

 

 それが、那須隊の────────いや、小夜子の判断であった。

 

 風間はそれを、七海を通じて聴いている。

 

 今の彼は那須隊の共闘相手ではあるが、その前にこの試験の試験官でもある。

 

 試験中は那須隊の指示に従う事が役割として求められている以上、七海達から聞かれない限り彼が献策を行う事はない。

 

 故に、那須隊の方針に否を唱える事はない。

 

 最終的にそれをどう評価するかは、風間次第ではあるが。

 

 ともあれ、此処で王子をすぐに仕留めない事が決定事項である以上、無理に進んでも迎撃で痛手を負う可能性がある。

 

 足を斬っただけでは即座に緊急脱出はしない上に、射撃トリガーでの反撃が充分有り得るからだ。

 

 太刀川と戦り合う以上、四肢のいずれかが欠損した時点で勝率は著しく下がる。

 

 戦闘者として、何より太刀川の好敵手として、そんな見返り(リターン)の少ないリスクは冒せなかった。

 

 風間は後方に向かって駆け出し、すぐさまサイドステップを刻む。

 

 大きく横へ回避し、弾丸の射線の外へと退避した。

 

「……!」

 

 ハウンドは確かに曲射軌道を描く事の出来る弾丸ではあるが、バイパーほどの自由度はない。

 

 誘導設定の強弱で軌道を調整する事は出来るが、それにも限界はある。

 

 故に、ハウンドへの対策は障害物を盾とした複雑な機動か、純粋にシールドを広げての防御となる。

 

 今回は障害物が少ない為前者の方法は取れない為、必然的に後者の方法を取る事になる。

 

 先程の風間の位置であればアステロイドとハウンドの二択により、単純にシールドを広げるのはリスクが高かった。

 

 だが、この位置────────()()()()()()()()()()()()に移動してしまえば、どちらにせよ対処は出来る。

 

 宣言通りハウンドであったならばシールドを広げれば良いだけであるし、アステロイドだった場合はそもそも既に射線の外にいる為被弾する事はない。

 

「ハウンドか」

 

 王子の弾丸は、曲射軌道を描いて風間を追った。

 

 弾丸の正体は、宣言通り誘導弾(ハウンド)

 

 ならば、対処は決まっている。

 

 シールドを広げ、防御。

 

 それだけで、王子の弾丸は凌ぎ切られた。

 

「────」

「……!」

 

 だが、王子は最初から自分だけで風間を仕留めようなどというつもりはない。

 

 太刀川のサポートこそ、今の王子の担う役割。

 

 その彼の働きを、太刀川が無為にする筈もない。

 

 太刀川は無言のまま旋空を起動。

 

 ハウンドを凌ぐ風間に向かって、拡張斬撃を繰り出した。

 

「チッ」

 

 風間は再びスライディングの要領で回避行動を行い、道路脇の家屋の庭へ飛び込んだ。

 

 同時にカメレオンを起動し、その姿を晦ました。

 

「旋空弧月」

 

 それを見た太刀川は、即座に旋空を連射。

 

 両腕の二刀から放つ拡張斬撃が、風間の消えた家屋を両断した。

 

「ハウンドッ!」

 

 そこへすかさず、王子がトリオン誘導でハウンドを発射。

 

 カメレオンを解除しなければ、シールドを張る事は出来ない。

 

 故に、このまま姿を晦まし続ける事は不可能。

 

 少なくとも、王子はそう考えた。

 

「え……っ!?」

 

 だから、次の瞬間王子は目を疑った。

 

 太刀川に斬り崩された、家屋の残骸。

 

 その一つが、何かに蹴り飛ばされるように弾け飛び、ハウンドに命中。

 

 障害物に着弾したハウンドは、その場で霧散した。

 

 そして、それは一回限りでは終わらない。

 

 無数の残骸が、次々と指向性を持って弾き飛ばされる。

 

 連射された残骸の盾に阻まれ、ハウンドが目に見えてその数を減らしていく。

 

 百発百中とまではいかないが、王子の弾丸が悉く瓦礫によって防がれていた。

 

 何が起きているかは、明らか。

 

 風間が、()()()()()()()()()()()()残骸を蹴り飛ばし、ハウンドを迎撃しているのだ。

 

 確かに、射撃トリガーは障害物に当たればその場で霧散する。

 

 無論、着弾した障害物は破壊されるが、貫通力の高い弾丸でもなければその時点で終わりだ。

 

 理屈は分かる。

 

 だが、即座に実行する発想と判断力。

 

 ものが違う。

 

 カメレオンのエキスパートは、A級三位部隊隊長は、伊達ではない。

 

 起きている事態を理解し、息を呑む王子。

 

 されど、やる事は変わらないと開き直る。

 

 こんな曲芸のような真似は、長くは続かない。

 

 ハウンドを撃ち込み続ければ、いずれはカメレオンを解除せざるを得なくなる。

 

 それに、姿こそ見えないが、瓦礫の飛んでくる軌道から風間の大まかな場所は把握出来る。

 

 故に。

 

 王子がハウンドで風間を炙り出し、そこを狙って太刀川が仕留める。

 

 この基本方針に、なんら変わりはない。

 

 それを伝えるまでもなく理解した太刀川が、抜刀の構えを取った。

 

 風間の姿が見えた瞬間、旋空で斬り捨てる。

 

 そう目論み、動いた。

 

 だからこそ。

 

 王子は、突如目の前に現れた風間に反応出来なかった。

 

「……っ!?」

 

 空間から溶け出すように、姿を現した風間。

 

 王子が気付いた時には、既に彼は自分の眼前に出現していた。

 

 なんの事はない。

 

 風間は、瓦礫を飛ばすと同時に自らも跳躍し、弾幕の隙間を縫って此処まで辿り着いたのだ。

 

 自らの小柄な体躯を活かし、瓦礫の影に隠れるように。

 

 風間の蹴り飛ばした瓦礫は、その全てがハウンドに着弾したワケではない。

 

 風間はそのうちの一つを追随する形で跳躍し、王子への肉薄に成功したのだ。

 

 完全な、虚を突いた一手。

 

「おっと」

 

 だがそれは。

 

 王子にとって、の話である。

 

 割り込むように風間の斬撃を受け止めたのは、グラスホッパーで跳んで来た太刀川だった。

 

 彼が間に合った理由は二つ。

 

 一つは、風間が王子の急所(くび)ではなく、足を狙っていた事。

 

 現段階で王子を殺すのは尚早である以上、此処で彼を即死させるワケにはいかなかった。

 

 故に、放置すればトリオン漏出で緊急脱出するであろう両足の切断を、風間は狙ったのである。

 

 狙う場所が分かっていれば、そこへ刃を差し込む事が出来る。

 

 太刀川は最初から風間が足狙いだと検討を付け、防御を間に合わせたのだ。

 

 そして、もう一つの理由は、言うなれば彼の()()である。

 

 あの風間が、このまま何も出来ずに押し込まれて負ける筈はない。

 

 そう感じたからこそ、太刀川は考えるよりも速く反射的に動いた。

 

 好敵手(ライバル)の実力を信じていたが故の、即断。

 

 風間の目論見は、彼の力を良く知る太刀川(しゅくてき)によって阻まれた。

 

 

 

 

「今です」

 

 それを見ていた小夜子は、隣で固唾を飲んで見守る熊谷を背に、告げる。

 

「撃って下さい」

 

 機会を伺い続けていた、攻撃の指示を。

 

『了解』

 

 

 

 

 その弾丸は、家屋の向こうから飛来した。

 

 千載一遇の好機を逃し、窮地に陥った風間。

 

 彼を斬り捨てんとする太刀川、その頭部に向かって。

 

 一発の弾丸が、撃ち放たれた。



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王子隊・太刀川隊⑪

 

 放たれた、一発の弾丸。

 

 それは家屋の隙間を縫うようにして、正確に太刀川の頭部を狙い撃つ。

 

 戦闘に置いて、最も気を付けなければいけないのは()()()()()()()である。

 

 相手を仕留めるつもりの一撃を放つ場合、確実に落とせるように全霊を込める。

 

 手加減した攻撃で仕留められる相手はそう多くはないのだから、当然の事ではある。

 

 だが、その一撃に集中すればするほど、周囲への警戒が疎かになる。

 

 どんな実力者であろうと、真の意味で攻撃と防御を同時には行えない。

 

 攻撃にリソースの多くを注ぎ込めば注ぎ込むほど、防御へ向けるリソースは少なくなる。

 

 高い実力を持つ者は、攻撃と防御を同時に行っているのではない。

 

 攻撃と防御を、的確に()()()()()戦っているのだ。

 

 だからこそ、先ほど風間は太刀川が熊谷を落とした瞬間を狙った。

 

 攻撃直後の隙を、その手で突く為に。

 

 王子の妨害さえなければ、あの一手で仕留める事が出来ただろう。

 

 故に、この一撃は致死のそれに成り得る。

 

 太刀川は既に攻撃態勢に移っており、王子は太刀川の身体に遮られて弾丸が見えていない。

 

 仮に太刀川が弾丸に気付いて回避機動を取れば、その隙を風間が突く。

 

 二段構えの、必殺。

 

「甘ぇよ」

 

 ────────だが。

 

 その目論見は、太刀川が集中シールドを用いて弾丸を受け止めた事で崩れ去った。

 

 太刀川は、攻撃の姿勢を保ちながらも、防御への意識を捨ててはいなかった。

 

 ある意味那須隊で最も厄介な二名の居場所が、まだ割れていなかったのだ。

 

 七海の実力は良く知っているし、茜が侮れない事も知っている。

 

 だからこそ、太刀川は警戒を解かなかった。

 

 なにせ、此処で介入しなければ、順当にこちらが勝つのだ。

 

 介入が無い、と思う方がどうかしている。

 

 王子は七海が来る確立の方が高いと踏んでいたようだが、太刀川は茜が介入して来る可能性も捨ててはいなかった。

 

 故に、防御が間に合った。

 

 思い込みで行動すれば、負ける。

 

 それが、那須隊相手の鉄則なのだから。

 

「国近、相手の位置は?」

『解析完了だよー? マーク付けるね』

「ああ」

 

 すぐさま発射位置を特定した国近は、そう言ってその場所を王子にも共有する。

 

 王子はそれを確認すると、すっと顔を上げた。

 

「ヒューラーが来ていたか。太刀川さん、ぼくは彼女を追うよ」

「おう、行って来い。やられんなよ」

「ああ」

 

 そう言い残し、王子はその場から駆け出した。

 

 風間は追おうとするものの、その前に太刀川が立ちはだかる。

 

 太刀川はニヤリと笑みを浮かべ、風間に剣を向けた。

 

「さあ、続けようか風間さん。王子が日浦を仕留めるまで、俺と遊んで貰うぜ」

 

 

 

 

『こっちにはヒューラーが来た。多分そっちにはシンドバットが来ると思うから、可能な範囲で足止めをして欲しい』

「おう、任されたぜ」

 

 王子からの連絡を受け、出水は笑みを浮かべる。

 

 正直に言って、那須と相対しているこの場で七海に襲われれば厳しいものがある。

 

 なにせ、七海には不意打ちが通用しない。

 

 たとえ置き弾やバイパーを用いても、最終的に七海に被弾する軌道であれば彼のサイドエフェクトで察知されてしまう。

 

 故に、射手が七海相手に取れる手段は二つ。

 

 圧倒的な質量で回避する隙間を無くすか、相手を射線に押し込むか、である。

 

 そして、この場で有効なのは────────前者。

 

 豊富なトリオンを用いた、面制圧である。

 

「行くぜ」

 

 出水は両脇に、バイパーのトリオンキューブを展開。

 

 即座に分割し、それらを順次射出した。

 

「……!」

 

 放たれる、両攻撃(フルアタック)のバイパー。

 

 通常のトリガーセットであれば出来ない筈のそれを、出水は行使していた。

 

 彼はこの試合に臨むにあたって、トリガーセットを変更している。

 

 メイントリガーのアステロイドを、バイパーに変えていたのだ。

 

 那須を相手にする可能性があると決まった時点で、彼女と()()()()事になるのは見えていた。

 

 だからこそ、那須の両攻撃(フルアタック)バイパーに対抗出来るように、トリガーセットを変えたのだ。

 

 彼女ならば、自分と撃ち合う事が出来ると信じて。

 

 射撃トリガー同士がぶつかれば弾種に関係なく相殺する以上、バイパーを両攻撃で撃てるようにしておいた方が良いと判断したのだ。

 

 降り注ぐ、バイパーの雨。

 

 那須はそれを見て、これまでと同じようにバイパーを生成。

 

 四方八方へと散らしながら、出水の弾幕を迎撃した。

 

「く……!」

 

 だが、那須は先ほどからずっとこの弾幕戦を繰り返している。

 

 トリオン量が少ないワケではない彼女だが、出水はその彼女の倍ほどのトリオンがある。

 

 このままでは、押し込まれるのは時間の問題。

 

 故に。

 

 数発のバイパーを、出水の背後に迂回させた。

 

 これまでの撃ち合いにより、出水が足場としている家屋も含め、多くの家屋が穴だらけになっている。

 

 小夜子のナビゲートでその家屋の穴をを通過するルートを算出し、出水の死角になる位置から背中を狙った。

 

 弾幕の撃ち合いを隠れ蓑にしての、本命の弾丸。

 

 それが、背後から出水へ襲い掛かる。

 

 ずっと機会を伺い続けた、致命の一撃。

 

 出水は両攻撃を用いている為、シールドを張る事は出来ない。

 

 これで、詰み。

 

「おっと」

 

 彼が、まるで見えていたかのようにその場から飛び退かなければ。

 

 弾丸は、出水に直撃せずに空を切る。

 

 必殺の一射。

 

 それが、失敗に終わった。

 

 最早、同じ手は通用しない。

 

 七海が来たとしても、彼の師である出水は彼の動きを熟知している。

 

 ある程度の足止めは、普通にこなせるだろう。

 

 A級一位部隊の射手の力は、伊達ではないのだから。

 

 

 

 

(恐らく、旗持ち(フラッグ)はシンドバットだろう。彼がイズイズの方に向かった以上、それは確定だ)

 

 王子は目標地点に向かって、周囲を警戒しながら駆けていた。

 

 周囲を油断なく見回し、常に両手を空けている。

 

 不意の狙撃が来ても、問題なく対処出来るように。

 

(唯一太刀川さんとやり合える前衛であるシンドバットではなくヒューラーをこっちに寄越したという事は、シンドバットが落ちては困る理由があるという事だ。そんなもの、一つしかない)

 

 そう考え、王子は旗持ちがどちらなのか見当を付けていた。

 

 最初は七海が太刀川の所に来ると考えていた王子だが、そうでなかった以上そこには明確な理由がある。

 

 彼が、旗持ちであるという確信の根拠がそこだ。

 

 この試合、那須隊は一度も七海を表に出していない。

 

 こうまで隠密に徹させるという事は、彼の姿を見られては困る理由があるという事だ。

 

 これまでその理由を思案し続けて来たが、こうなれば最早確定だ。

 

 旗持ちは、七海。

 

 それが、王子の出した解答だった。

 

(だから、ヒューラーはこのまま仕留めて問題は無い。後は太刀川さんと合流し直して、あわよくば風間さんを仕留めれば良い。その後は状況次第で、撤退か継戦かを判断すれば良い)

 

 茜を仕留めれば、6点。

 

 更に風間を仕留めれば、7点もしくは8点となる。

 

 理想を言えば七海を仕留めて旗持ちの得点も狙いたいが、彼の生存能力の高さは群を抜いている上に判断もクレバーだ。

 

 戦り合うならば、那須が落ちるか、最低でも出水と相打ちになる。

 

 その上で、太刀川が万全の状態ならばなんとかなるだろう。

 

 無理をするつもりはないが、取れそうならば狙いに行く。

 

 それが王子の、王子隊のやり方なのだから。

 

(まだヒューラーは、ぼくを仕留めるワケにはいかない。だから足狙いの弾丸を撃って来る筈。来る場所さえ分かっていれば、防御は容易い)

 

 那須隊としては出水か太刀川のいずれかが落とされない限り、王子を即死させるワケにはいかない。

 

 故に狙って来るならば脚部であり、そして狙われる場所が分かっていれば防御は可能。

 

 テレポーターは警戒しなければならないが、一度転移させればすぐには再使用は出来ない。

 

 そのタイムラグの間に仕留める事は、そう難しくはない。

 

 幸い、茜は運動能力自体は低い。

 

 転移先を見失わなければ、どうとでもなる筈だ。

 

「……!」

 

 不意に、視界の端で光が迸った。

 

 路地の向こうから放たれた、一発の弾丸。

 

 それが、王子の足目掛けて飛来する。

 

「おっと」

 

 王子は咄嗟に集中シールドを張り、その弾丸を防御する。

 

 弾丸はシールドに罅を入れたが、王子の身体には届いていない。

 

 更に身体を覆うように広げたシールドにより、ライトニングの穿つ隙間も潰す。

 

 狙撃銃は、再装填まで時間がかかる。

 

 連射可能なライトニングは、広げたシールドで対処可能。

 

 後は、追い込むだけ。

 

 王子は、そう考えた。

 

「え……?」

 

 ────────その足が、()()されるまでは。

 

 足を失い、その場に転げ落ちる王子。

 

 理解出来ない。

 

 そんな表情を、彼は浮かべていた。

 

 そう。

 

 彼は、相手を()()()()のだ。

 

 一瞬遅れて事態を理解した王子は、叫ぶ。

 

「イズイズ……ッ! そっちに行ったのは────────」

 

 

 

 

『────────ヒューラーだ……ッ!』

「……!」

 

 その王子の怒声に、出水は即座に攻撃を中止しシールドを展開した。

 

 薄く広げたシールドと、頭部を守る形で展開した集中シールドを。

 

 一瞬で対処を完了したその手並みは、流石と言えよう。

 

「がっ……!?」

 

 だが。

 

 その防御を嘲笑うかのように、()()から屋根を突き破って放たれた弾丸が出水の胸部を吹き飛ばした。

 

 穴の開いた屋根の隙間から見える、家屋の内部。

 

 そこには、アイビスを構えた茜の姿があった。

 

 これまで隠密に徹し、必殺の機会を待ち続けた狙撃手は。

 

 今この時、その役割を果たしてみせたのだ。

 

「テレポーターか……っ!」

 

 そこで、気付いた。

 

 出水の足場としていた家屋は、撃ち合いの結果穴だらけになっていた。

 

 そして、テレポーターは転移先を()()する事が発動条件となる。

 

 茜は家屋に空いた穴越しに内部を視認し、出水の足元への転移を実行したのだ。

 

 ラウンド4で、壁越しの転移でモールに侵入したように。

 

「けど……っ!」

 

 しかし、ただでやられるつもりはない。

 

 出水は残ったトリオンを振り絞り、眼下の茜に向けて弾丸を撃ち放った。

 

 テレポーターは、連続使用は出来ない。

 

 今ならば、彼女に逃げ場はない。

 

「……っ!」

 

 そこに、那須が助けに入らなければ。

 

 那須は駆け付けるのが間に合わないと見るや遠隔のシールドを展開し、両防御(フルガード)で茜を守る。

 

 二重に重ねられたシールドは、出水の弾丸を凌ぎ切る。

 

「え……?」

 

 ────────()()()()()()()、弾丸は。

 

 那須の胸に空いた、一つの風穴。

 

 それは、出水が一発だけ家屋の穴越しに迂回させた、バイパーだった。

 

 出水の最後の一射は、アステロイドとバイパーによる両攻撃(フルアタック)

 

 故に、それを凌ぎ切るには遠隔で両防御(フルガード)を発動させる他なかった。

 

 茜はバッグワームをアイビスを起動させた状態であり、出水の攻撃までにトリガー切り替えは間に合わなかった。

 

 防御を考えない一射は、茜の反応速度を上回っていたのである。

 

 だからこそ、那須は意表を突かれた。

 

 出水の本当の狙いが茜ではなく、彼女であるという事に気付けなかった。

 

「ま、那須さんにだけは負けたくなかったからね。これでも、プライドあるもんで」

 

 朗らかに笑う出水を見て、那須は毒気が抜かれたように溜め息を吐く。

 

「…………しくじったわね。次は、負けないわ」

「ああ、俺もそのつもりだ」

『『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 那須と出水は同時に限界を迎え、トリオン体が崩壊。

 

 二人の射手は共に光の柱となり、戦場から消え去った。

 

 

 

 

「参ったね。完全にしてやられたよ」

 

 王子は路地に倒れ伏しながら、溜め息を吐いた。

 

 既に、彼を倒した人物は────────七海は、この場から立ち去った。

 

 王子は既に両足を失い、移動は不可能。

 

 いずれはトリオン漏出で緊急脱出に至るだろうが、急所を射抜かれたワケではないので即死はしていない。

 

 旗持ちである彼が落ちればその時点で試合終了である以上、当然の処置ではあるのだが────────地べたに這いつくばらざるを得ないこの状況は、流石に思うところがあった。

 

「あの弾丸は、アステロイドだったのか。まさか、シンドバットがトリガーを入れ替えていたとは盲点だったよ」

 

 先程、太刀川を狙った弾丸。

 

 王子達が狙撃と勘違いしたあの弾丸は、七海の撃ったアステロイドだったのだ。

 

 七海のトリオン量であれば、アステロイドの威力は相応のものになる。

 

 それこそ、イーグレットと見分けがつかないくらいに。

 

 恐らく、入れ替えたのはメテオラとだろう。

 

 風間隊との連携で邪魔になるメテオラならば、入れ替えても損失は少ない。

 

 代わりに七海得意のメテオラ殺法が封じられる事になるが、その程度は承知の上だろう。

 

 結果は変わらない。

 

 今回も、王子は戦略において那須隊に敗北したのである。

 

 王子は何処か晴れやかな、しかし悔しそうな顔で、呟く。

 

「仕方ない。後は任せました、太刀川さん」

 

 

 

 

「────」

「……!」

 

 その襲撃は、音もなくやって来た。

 

 路地から飛び出した、一つの影。

 

 バッグワームを解除した七海が、背後から太刀川に斬り付けた。

 

「ようやく来たなぁ、七海……っ!!」

 

 太刀川は、それを待ち望んでいたかのように────────否。

 

 ずっと待ち望んでいた弟子との開戦を、刃を以て歓迎した。



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王子隊・太刀川隊⑫

 

「出水と那須が、同時に緊急脱出(ベイルアウト)……っ! 王子も足斬られて動けない今、残るは太刀川だけだ……っ!」

「フン、こうなったか」

 

 光の実況と共に盛り上がる会場を尻目に、二宮は淡々とした表情で画面を見据えている。

 

 彼は何処か複雑そうな表情で舌打ちし、口を開く。

 

「那須は欲を張り過ぎたな。あそこで日浦を見捨てていればあいつがやられる事はなかった。甘さは捨てたと思ったが、まだ残っていたようだな」

「まあ、気持ちは分かりますよ。あの太刀川さんを相手にする以上、可能な限り勝率を上げておくに越した事はありませんからね。そういう意味では、完全に間違った選択ってワケじゃないです」

「だが、結果として那須は落とされた。過程がどうあれ、結果が失敗だった以上何も変わらん。また同じ間違いをするようなら、救いようがないがな」

 

 ばっさりと吐き捨てるように告げる二宮だが、これはこれで彼なりの気遣いのつもりなのだ。

 

 要するに、こういう考えもあるから注意しておけ、という二宮なりの助言である。

 

 言葉が足りない上に言葉選びそのものが刺々しい為誤解されがちだが、彼なりにきちんと解説を務めようという気概はあるのだ。

 

 出水や犬飼(つうやく)がこの場にいない以上、それが伝わるかどうかは甚だ怪しいワケであるが。

 

「しかし、まんまと騙されましたね。まさか、七海が自分を狙撃手(日浦さん)に偽装してたなんて」

「同じ事を、一度那須もやっているだろう。ヒントがあったのだから、警戒はするべきだった筈だ」

「思い込みに騙されましたね。アステロイドをセットしているのは、那須さんだけ。だから那須さんと離れた位置にいる以上、同じ手は使って来ない。そういう風に、印象付けられてしまった」

 

 そう、那須は一度、アステロイドを狙撃を見せかける策を使っている。

 

 貫通力特化のアステロイドであれば、速度や射程をチューニングすれば狙撃の弾丸に偽装する事は可能だ。

 

 それは王子達も目撃している為、那須の近くであれば、偽装に警戒しただろう。

 

 だからこそ、七海が同じ手を使って来ると考える事が出来なかった。

 

「トリガーの入れ替えなら、王子もやっていただろう。自分がやっていた事を相手にされないと思い込むのは、短慮でしかない」

 

 それに、と二宮は続ける。

 

「七海は、出水に師事を受けていた。他の射撃トリガーの扱いを学ぶ機会は、幾らでもあった筈だ」

「那須さんに教わる、という手もありますからね。射撃トリガーの基礎は出水先輩から習っていたでしょうから、今回それに那須さんが手を加えたんでしょう。対戦相手に指導して貰うワケにはいきませんしね」

 

 七海は、太刀川と出水の弟子である。

 

 彼等に付けて貰った指導は回避技術の上達が主な目的だが、七海にメテオラの扱い方を叩き込んだのは他ならぬ出水である。

 

 その時に、射撃トリガーの基礎は当然指導されている筈だ。

 

 基礎さえ出来ているなら、応用は幾らでも出来る。

 

 幸い、その道のエキスパートである那須が傍にいたのだ。

 

 教わる機会は、幾らでもあった事だろう。

 

「日々鍛錬を重ね、成長する。これは当然の事であり、誰もがやっている事だ。その上で相手の手を読む為には、相手の成長の方向性をそれまでの過程から推察するのが手っ取り早い。今回のそれは、予測可能な範疇だった筈だ」

「相手の戦力は、多少高く見積もるくらいで丁度良いって事っすね。そういう意味では、那須隊が王子隊の予想を上回ったと言えますが」

「だろうな。太刀川は気付いていただろうが、口出しはしなかったようだ。試験官としての自覚は一応あるようだな」

 

 二宮の言う通り、今回太刀川と出水はあくまで()に徹している。

 

 試験官という立場上、王子隊側から求められない限り彼等が献策をする事はない。

 

 香取隊のように減点覚悟で献策を願えば話は別だっただろうが、選択したのはあくまで王子隊だ。

 

 どちらが正解だったかまでは、分からない。

 

 一つ言えるのは、この試合では王子の戦略の想定が、那須隊に届かなかった。

 

 それだけである。

 

「それでどーなんだ? 七海と風間の二人がかりな上に時間をかければ日浦も来るだろーけどよ、どっちが勝つと思う?」

「フン、確かに盤面の上では太刀川が不利だ」

 

 だがな、と二宮は告げる。

 

「多少不利な程度で負けるようなら、あいつは一位になってはいない。太刀川は、戦闘だけは一流だからな」

 

 

 

 

「旋空弧月」

 

 太刀川は七海への挨拶代わりか、旋空を撃ち放つ。

 

 七海と風間は即座に反応し、跳躍。

 

 旋空弧月、その一撃目を回避した。

 

「────」

 

 無論、それだけで終わる筈もない。

 

 今度は音声認証を伴わず、太刀川は二撃目の旋空を放つ。

 

 回避の為に空中に跳躍した二人に、この攻撃は躱せない。

 

「……!」

「────」

 

 しかし、その程度は想定内。

 

 七海は自分と風間の足元に、グラスホッパーを展開。

 

 二人はジャンプ台トリガーを踏み込み、二撃目の旋空を回避した。

 

「────」

 

 すかさず、七海は手元に生成したスコーピオンを投擲。

 

 三撃目を放とうとした太刀川を、牽制する。

 

「……!」

 

 太刀川は放たれたスコーピオンを右の弧月で薙ぎ払い、同時に左の弧月を抜刀。

 

 更なる旋空を、撃ち放った。

 

 息もつかせぬ、旋空の連打。

 

 扱い難いとされる旋空を此処まで使いこなしているのは、ボーダー内でもごく僅かだ。

 

 独自の射程と剣速を持つ生駒旋空という伝家の宝刀を持つ生駒とは、また別ベクトルの使い手。

 

 生駒が唯一無二の技を用いて相手の虚を突く使い手ならば、太刀川は旋空の強みを最大限に押し付ける形で相手を圧倒する剣士だ。

 

 旋空の強みは、二つ。

 

 射程距離と、その切断力だ。

 

 拡張ブレードである旋空は、攻撃範囲という点でスコーピオンやレイガストの追随を許さない。

 

 その射程は、凡そ20メートルほど。

 

 流石に銃手の射程には届かないが、それでも攻撃手としては破格の攻撃範囲である事に違いはない。

 

 風間も七海も、共にスコーピオンの使い手。

 

 太刀川と戦う場合、リーチという一点に置いて二人は不利を強いられている事になるワケだ。

 

 そして当然、旋空の切断力も無視出来ない。

 

 旋空の威力はノーマルトリガーの中でも群を抜いており、シールドではまず防げない。

 

 防御不能、というその特性は線の攻撃である旋空にとって、決して無視出来ないメリットだ。

 

 基本的に旋空は、横薙ぎに払った方が強い。

 

 それは何故か。

 

 無論、相手に無理な姿勢での回避を強要出来るからだ。

 

 跳躍して躱すにせよしゃがんで回避するにせよ、横薙ぎの旋空を回避する為には無理な姿勢を取らざるを得ない。

 

 そこに二撃目を叩き込む事が出来れば、それで終わる。

 

 だからこそ、風間は太刀川に対し防戦一方にならざるを得なかった。

 

「────」

「……!」

 

 だが、七海が加わった事で条件は切り替わった。

 

 七海には、グラスホッパーがある。

 

 空中機動を可能とするジャンプ台トリガーだが、このトリガーは使用者以外が踏んでもその効力を発揮する。

 

 つまり、七海が傍にいる限り、風間もまたグラスホッパーの恩恵を受ける事が出来るのだ。

 

 七海は再びグラスホッパーを展開し、風間と共にそれを踏む。

 

 ジャンプ台トリガーの加速により、二人は共に旋空を回避する。

 

「────」

 

 そして、風間はカメレオンを起動。

 

 その姿を、空気に溶け込ませた。

 

「ちっ」

 

 先程と違い、王子のハウンドによる援護はない。

 

 このまま放置すれば、風間は隠密戦闘によって攪乱して来るだろう。

 

 故に、太刀川は旋空弧月を連射し風間を炙り出す────────などという軽挙はしない。

 

 闇雲に放った旋空など、風間は難なく回避するだろう。

 

 それに、そんな隙を七海が見逃すとも思えない。

 

 七海は、彼の弟子は、そこまで甘くはないのだから。

 

 故に、太刀川は左の弧月を納刀し、右の弧月を構えた。

 

 七海に意識を向けながらも、風間への警戒を怠らない。

 

 待ちの、迎撃(カウンター)狙いの構えだ。

 

 来るなら来い。

 

 そんな挑発を含んだ誘いに、七海は乗った。

 

 無論、様子を見て膠着状態を続けるという手もあるだろう。

 

 だが、そんな後ろ向きな考えで倒せるほど、太刀川は甘くはない。

 

 逃げの思考に陥った瞬間、容赦なく喉笛を食い千切って来るだろう。

 

 那須隊の旗持ち(フラッグ)は、七海である。

 

 既に太刀川の視界には、その事を示す表示が出ているだろう。

 

 つまりこの戦いは、七海が落とされた時点で終わりなのだ。

 

 もしも王子がトリオン漏出で落ちるよりも前に七海が落とされれば、那須隊の負けだ。

 

 現在、王子隊は6Pt、那須隊は4Ptを獲得している。

 

 この場で七海が太刀川を倒し、王子がトリオン漏出で緊急脱出すれば那須隊が追加で5点を獲得し9Ptとなり勝利。

 

 だが、王子が落ちる前に七海が落とされれば王子隊が3Ptを獲得し9Ptとなり勝利する。

 

 この戦闘が、この試合の趨勢を分けるのだ。

 

 最後に七海が太刀川を相手するという事は、最初から決めていた。

 

 故に本来であれば旗持ちは他の者に任せたかったのだが、他の者もまた落とされる可能性が多い役割故に、彼に振らざるを得なかったのである。

 

 熊谷は前衛となって時間を稼ぐ前提でいた為、最初に候補から外れた。

 

 那須もまた、相手に出水がいるという事で抑えに回らざるを得ず、落ちる危険はどうしても伴う為除外された。

 

 最後に残った候補は七海と茜の二人であったが、茜は出水の至近距離に転移して仕留める、という役割があった。

 

 ただ遠距離から狙撃するだけでは、出水の隙を突く事は出来ない。

 

 七海は、そう判断した。

 

 そして、出水はただで落ちるほど甘い相手ではない。

 

 必ず最後に何かして来るだろうと、七海は確信していた。

 

 だからこそ、反撃で落とされる危険の高い茜に旗持ちを任せるワケにはいかなかったのである。

 

 結果として生き残りはしたが、代わりに那須を落とされるという手痛い損害を被った。

 

 そういう意味で、この判断は間違っていなかったと言える。

 

 無論、七海も自分が絶対に太刀川に勝てるなどという己惚れは抱いていない。

 

 地力は、間違いなく太刀川が上。

 

 個人戦力でも駆け引きでも、七海が太刀川に勝るところなど無い。

 

 だが。

 

 だからと言って、七海が太刀川に(弟子が師に)勝てないとは限らない。

 

 そして、七海はこの場において一人ではない。

 

 風間が共に戦い、茜もまた生き残っている。

 

 なにも、一騎打ちに拘るつもりなどない。

 

 これは個人戦ではなく、チーム戦。

 

 使えるものは全て使い、相手の裏をかいた方が勝つ容赦なき戦場。

 

 むしろ、手段を選んでいては失礼にあたる。

 

 その程度の心意気(じょうしき)は、当然知っていた。

 

「────」

 

 しかし。

 

 師である太刀川に、同じく師である風間と共に挑む。

 

 その状況に、心躍っていないワケではない。

 

 自分が旗持ちを担うと告げた時に、私情は絡めなかった────────100%そうだとは、言い切れない。

 

 後がない状況で太刀川と戦い、自分を鼓舞したかった。

 

 そういう計算(きもち)がなかったと言えば、嘘だ。

 

 表面上は冷淡に見えがちな七海であるが、その心には師匠達から継いだ熱い想いが宿っている。

 

 戦闘狂(バトルジャンキー)とまでは言わないが、戦いに楽しみを見出していないワケではない。

 

 競い合い、高め合う。

 

 その楽しさは、太刀川や影浦(ししょう)達から教わっていたのだから。

 

「行きます」

「おう、来い」

 

 七海はスコーピオンを構え、駆け出す。

 

 太刀川はそんな七海の挑戦を、満面の笑みで受け取った。

 

 

 

 

「楽しそうやなあ、七海の奴。迅もそう思うやろ?」

「そうだねー。ホント、楽しそうだ」

 

 観戦席でぽんち揚げを頬張りながら、迅は生駒に相槌を打つ。

 

 生駒は試合中「そこや」「あかん」「マジか」などと逐一声をあげていたが、迅は笑みを浮かべたままそんな生駒を尻目に試合を眺めていた。

 

 表面上盛り上がっていたのは生駒の方だが、迅も何も感じていないワケではない。

 

 その証拠に、彼自身の顔は何処か緩んでいるように見えた。

 

「そんで迅。お前はどっちが勝つと思うんや? 人数は有利やけど、太刀川さんはそれだけで勝てるほど甘くないやろ?」

「そうだねえ。戦争は基本的に数が多い方が有利だけど、太刀川さんはその数をひっくり返せるだけの武勇がある。一騎当千、って言葉は太刀川さんみたいな人の事を言うんだろうね」

 

 けど、と迅は続ける。

 

「それでも、太刀川さんと同格の風間さんが一緒に戦っているし、七海も太刀川さんの手の内はある程度知ってる。まあ、それ込みでも太刀川さんを崩すのは半端じゃなく大変だけど────────」

 

 そう言って、迅は楽し気な笑みを浮かべた。

 

「────────それでも、未来は決まってない。俺は、七海に賭けるよ」

 

 迅はそう告げ、画面を見上げる。

 

 戦いは、最終局面を迎えていた。



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王子隊・太刀川隊⑬

「俺とお前が組んで、太刀川を倒す、か」

「ええ、可能な限りその状態に持ち込もうと考えています」

 

 それは第二試験、前日。

 

 風間隊の作戦室での事だった。

 

 試行錯誤の末、改めて風間隊との最終打ち合わせを行っていた。

 

 既に作戦概要は伝えてあり、今回はその確認作業が主だ。

 

 試合の最終目的である()()()()()()に関するプランについて、今一度確かめておきたい事があったのである。

 

「風間さんから見て、どうですか? 俺達の勝率は、どの程度でしょうか?」

「フン、いいだろう。俺の見解を言ってやる」

 

 ここで「勝ち目があるのか」と聞いてきたら答えるつもりはなかったがな、と風間は呟く。

 

 勝ち目の有無を聞く時点で、及び腰になっている事は明白。

 

 そのような弱音を吐くようでは、気持ちの時点で負けている。

 

 だが、七海達は違う。

 

 既に那須隊は作戦計画を立案し、準備を整え、本気で太刀川隊を打倒する気でいる。

 

 故に、問うべきは勝ち目の有無ではない。

 

 勝率の、多寡だ。

 

 取るべき作戦は、既に温めてある。

 

 後はその作戦がどの程度有効であり、実行するにあたってどのようなリスクが考えられるのか。

 

 その詰めを、七海は聞いているのだ。

 

 これはあくまで風間の()()を聞くだけであり、グレーゾーンではあるがギリギリ()()には当たらない。

 

 あくまで風間に求めるのは純粋な()()であり、そこからどう判断するかは七海達の仕事になるからだ。

 

 取り合えず、七海の問いは風間のお眼鏡に叶ったというワケである。

 

「まず、俺とお前が組んで太刀川と戦った場合、何の援護もなしでの勝率は五分五分────────いや、四割といったところだろう」

「そこまで、ですか……」

 

 ああ、と風間は七海の問いを肯定する。

 

「太刀川には、並外れた勝負強さがある。地形次第でこちらの有利には持っていけるが、MAP選択がランダムである時点で高望みはすべきではないだろう。だから、これは障害物のない平野で戦った場合の話になる」

「複雑な地形なら、ある程度はマシになると」

「そうだな。四割の勝率が、五分五分になるくらいにはな」

 

 地形の有利が取れても、五分五分。

 

 その数字は、決して無視出来るものではない。

 

 風間は、太刀川に次ぐ攻撃手だ。

 

 その風間をして、七海と二人がかりでも確殺は出来ないと言っているのだ。

 

 この事実は、重い。

 

「これはお前の実力を低く見ているワケでも、俺自身の力を謙遜しているワケでもない。単純に、太刀川の地力がそれだけ厄介なだけだ」

 

 風間はそう告げると、険しい表情のまま顔を上げた。

 

「太刀川は以前に何度か、気迫で勝負が決まるのは実力が相当近い時だけだ、と言っていた事を覚えているか?」

「ええ、あの人の持論の一つですよね」

「そうだ。そしてこれは、奴自身の実体験でもある」

 

 つまりだな、と風間は続ける。

 

「あいつは、ここぞという時の踏ん張りが────────気迫が、凄まじいんだ。純粋な剣の技量や駆け引きの強さは勿論だが、そういった拮抗状態で流れを引き寄せる機運のようなものを持っている」

 

 だから、と風間は告げた。

 

「────────ハッキリ言って、2対1になったところであいつを確実に落とせるとは断言出来ん。あいつは、総合一位は、そこまで安くはない」

 

 戦闘以外の頭は空っぽだがな、と風間は愚痴るように呟く。

 

 それは偽らざる、風間の本音だった。

 

 太刀川は拮抗状態を作ったところで、それをひっくり返せるだけの引きの強さを持っている。

 

 故に、有利になった程度では、落とせるとは断言出来ない。

 

 それが、A級一位部隊隊長。

 

 太刀川慶という男の、脅威なのだ。

 

「だがそれは、あくまでも何の外的要因も作戦もなく、正面からぶつかった場合の話だ」

 

 しかし、風間はそう続けた。

 

 その眼に、不敵な笑みを浮かべながら。

 

「お前等の作戦ならば、勝ちの()はある。後はそれを、どうやって育てていくかだ。指示には従ってやる。やってみせろ」

 

 

 

 

「────」

 

 七海は無言でスコーピオンを構え、太刀川に向かって投擲する。

 

 同時に、グラスホッパーを展開。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、側面に回り込むように跳躍する。

 

「ハッ」

 

 太刀川は肩を竦めるような動作で投擲されたスコーピオンを躱し、弧月を握り締める。

 

 旋空弧月。

 

 その、発射体勢に入った。

 

「……!」

 

 それが放たれる前に、七海は再度グラスホッパーを展開。

 

 複数展開されたジャンプ台トリガーを踏み込み、一気に太刀川から距離を離す。

 

 旋空の射程は、凡そ15メートル。

 

 踏み込んで撃てば20メートルほどまで飛距離を伸ばす事が可能だが、それ以上の距離には届かない。

 

 例外は生駒旋空のみであり、太刀川はそれを習得してはいない。

 

 生駒旋空は通常の旋空とは別の技術が必要な秘奥であり、そもそも旋空弧月の完全な上位互換というワケではない。

 

 その剣速と射程距離が厄介極まりない生駒旋空であるが、通常の旋空とは違い()()()()()()()という欠点がある。

 

 故に生駒は通常の旋空と生駒旋空を使い分けていたのであり、その欠点自体は彼自身も認めるところだ。

 

 故に、通常の旋空しか使えない太刀川が旋空使いとして生駒に劣るという事は有り得ない。

 

 太刀川の旋空の脅威は、その使い方の巧みさと手数だ。

 

 通常の弧月使いとは違い、太刀川は弧月を二本装備している。

 

 しかも、ただでさえ扱いが難しい旋空弧月を二刀流で使いこなすという天才だ。

 

 旋空弧月は通常の弧月よりも重量とサイズが増す為、使った際はどうしても動作が重くなる。

 

 しかし、太刀川は旋空弧月を使用しても殆ど動きに変化はない。

 

 無論コンマ数秒程度の誤差はあるだろうが、あくまでもその程度。

 

 故に。

 

 太刀川が旋空を使おうとした場合は、その射程外に退避するのが手っ取り早い。

 

「────────旋空弧月」

 

 だが。

 

 それならば、()()を切り替えるだけの話だ。

 

 太刀川はグラスホッパーで逃走した七海ではなく、近くにいた風間へ向けて旋空を発射。

 

 拡張ブレードが、風間に襲い掛かる。

 

「……!」

 

 無論、それを素直に喰らう風間ではない。

 

 風間は姿勢を低くして、旋空を回避。

 

 そのまま自身の小柄な体躯を活かした動きで、太刀川へ向かって距離を詰める。

 

 体格差というものは、鍔迫り合いなどではどうしても影響が出る。

 

 正面からの力比べであるならば、当然体格が良い方が有利だ。

 

 だが。

 

 こと小回りの利き具合で言うならば、小柄な体躯は明確なアドバンテージと成り得る。

 

 体格が小柄という事は、それだけ()()()()()()()()という事になる。

 

 つまり、回避能力だけを考えるのであれば、小柄な方が有利なのだ。

 

 現に、かなり小柄な体躯の緑川などは、その機動力と攪乱能力で一目置かれている。

 

 そして、風間の年齢不相応な小柄さは、立派な武器となるのだ。

 

「────────来ると思ってたぜ」

 

 無論。

 

 その程度の事は、太刀川とて承知の上だ。

 

 太刀川と風間は同じA級上位部隊同士、何度もランク戦でやり合っている。

 

 故に風間は太刀川の手の内は知っているし、太刀川もまた風間の実力の程は充分に知っている。

 

 故に。

 

 この程度は、不意打ちにすらならない。

 

 太刀川は即座に、残しておいた左腕の弧月を抜刀。

 

 旋空を起動し、地面スレスレを駆けて来る風間に向かって撃ち放つ。

 

「────────ああ、そう来るだろうと思っていた」

 

 当然。

 

 その程度、風間とて承知していた。

 

 風間は即座に地を蹴り、旋空の一撃を回避。

 

 しかし、その代償として逃げ場のない空中に躍り出た。

 

 ()()()()()

 

「……!」

 

 空中に跳んだ風間の足元に、グラスホッパーが展開される。

 

 それを使用したのは、風間ではない。

 

 いつの間にか近くまで戻って来ていた、七海である。

 

 そう。

 

 風間が太刀川に接近したのは、その場で彼を仕留める為ではない。

 

 七海がグラスホッパーの展開範囲に、自らを滑り込ませる為だ。

 

 太刀川が対応するよりも早く、風間はグラスホッパーを踏み抜き跳躍。

 

 1枚、2枚、3枚。

 

 三段階の加速を得て、一気に太刀川の旋空の射程外へと飛び出した。

 

「────」

 

 そして、それと同時。

 

 風間の姿が、虚空に溶けるように消え去った。

 

 隠密トリガー、カメレオン。

 

 風間の真骨頂であるそれが、遂に起動したのだ。

 

「ちっ……!」

 

 先程までは、王子のハウンドがあった為カメレオンを迂闊に起動する事は出来なかった。

 

 王子がいなくなった後でも、旋空の射程内で起動するのはリスクが高い。

 

 故に。

 

 七海と風間は、ずっとこの時を狙っていたのだ。

 

 風間を旋空の射程外に退避させ、カメレオンを起動する隙を。

 

 回避能力がずば抜けて高い七海が攪乱し、姿を消した風間が仕留める。

 

 この陣形に、持っていく為に。

 

 風間と太刀川の個人戦ならば、カメレオンを巧く発動出来たかどうかが勝敗の分かれ目となる事が多い。

 

 如何に太刀川の攻撃を掻い潜り、姿を、痕跡を消して肉薄するか。

 

 それに尽きる。

 

 その第一条件は、たった今クリアされた。

 

 後は。

 

 致命の一撃を、どうやって叩き込むか。

 

 それに懸かっている。

 

 太刀川は風間を炙り出す為、無作為に旋空を連射────────は、しない。

 

 そんな隙を晒すような真似をすれば、どうなるかは目に見えている。

 

 故に。

 

 太刀川の取る手段は、一つ。

 

 迎撃(カウンター)

 

 先程と同じ。

 

 しかし、明確に違うのは、次の攻防で勝負を決めるつもりであるという事だ。

 

 流石に、太刀川相手に二度目のカメレオン発動が可能だとは七海達も考えてはいない。

 

 狙いがバレた以上、次はこう巧くはいかないだろう。

 

 だからこそ、此処しかないのだ。

 

 あまり時間をかけ過ぎれば、王子のトリオン漏出による緊急脱出で試合が終わってしまう。

 

 これ以上、時間をかける事は出来ない。

 

 次の攻撃が、全て。

 

 それは、全員が自覚していた。

 

「────」

「────」

 

 一瞬の沈黙。

 

 太刀川は七海の出方を、風間の気配を伺い。

 

 七海は、太刀川の呼吸を見定める。

 

「……!」

「……!」

 

 動いたのは、七海。

 

 七海は地を蹴り、太刀川に向かって肉薄する。

 

「────旋空弧月」

 

 太刀川は右腕の弧月を用いて、旋空を起動。

 

 正面を、拡張ブレードで薙ぎ払う。

 

「────!」

 

 七海はそれを、極小のグラスホッパーを踏み込み回避。

 

 更に、太刀川の周囲に無数のグラスホッパーを展開。

 

 それらを足場に、目にも止まらぬ空中機動を連続させた。

 

 乱反射(ピンボール)

 

 緑川の得意とする、グラスホッパーを用いた空中殺法である。

 

「甘いな」

 

 しかし、太刀川は一切動揺せず、冷静に次の手を打った。

 

 即ち、旋空弧月を。

 

 乱反射は確かに有用な技術だが、弱点も多い。

 

 その一つに、範囲攻撃への脆弱さが挙げられる。

 

 ハウンドや、バイパー。

 

 グラスホッパーを両手で展開している都合上、これらを使われれば乱反射は中止せざるを得なくなる。

 

 その場合、相手の至近で隙を晒す羽目になってしまうワケだ。

 

 そして、太刀川の旋空弧月は、この範囲攻撃に該当する。

 

 無論、他の相手ならば有効だろう。

 

 旋空を使う際は、どうしても動作が重くなる。

 

 だが。

 

 太刀川に、旋空を使う時の動作のブレは無いも同然。

 

 自分の周りを飛び回る相手を斬り伏せるなど、造作もない。

 

「旋空────」

 

 太刀川は七海を斬り捨てるべく、旋空の発射体勢を取る。

 

 右腕は振るったばかりだが、まだ左腕がある。

 

 左腕の弧月が、旋空が、その手によって振るわれる。

 

「────」

 

 七海達の、想定通りに。

 

 太刀川の背後。

 

 その至近の空気が、ブレた。

 

 姿を現したのは、風間蒼也。

 

 その手に刃を持った、暗殺の名手。

 

 風間は無言のまま、太刀川の心臓に刃を突き立てるべく腕を振るう。

 

 既に、太刀川は旋空の発射体勢に入っている。

 

 右腕は振り切られ、左腕も七海を狙っていた。

 

 この状態で風間を迎撃する事は、不可能。

 

「────────なんて、思ってたか?」

 

 ────────七海に向けた筈の刃が、風間の右腕を両断しなければ。

 

「……っ!」

 

 風間の右手首が切断され、握られていたスコーピオンが地に落ちる。

 

 奇襲は、失敗した。

 

 太刀川は、読んでいたのだ。

 

 七海の乱反射は、あくまで囮。

 

 本命は、姿を消した風間による奇襲であると。

 

「アステロイド……ッ!」

 

 そして、それが防がれた以上、最早七海が動く他ない。

 

 七海はグラスホッパーを解除し、乱反射を中断。

 

 敢えて音声認証を用いて、アステロイドを発射。

 

 追撃を放とうとする太刀川に、弾丸を見舞った。

 

「おっと」

 

 しかし、その弾丸も太刀川のシールドに難なく受け止められる。

 

 既に太刀川は片方の弧月をオフにしており、シールドへの切り替えを完了していた。

 

 如何にトリオンの多い七海のアステロイドでも、本職の射手と比べればそもそも弾の精度が甘い。

 

 普段使用しているメテオラとは、使い勝手は当然違うのだ。

 

 故に、ある程度集中したシールドを用いれば、防げてしまう。

 

 そして、一瞬を稼げれば、次の手を打つ事が可能。

 

「旋空────」

 

 太刀川は、旋空の発射体勢に入った。

 

 

 

 

『茜。今です』

「了解」

 

 しかし、その瞬間を待ち望んでいた者がいた。

 

 七海のアステロイドが防がれる事は、折り込み積み。

 

 まだ、追撃の一射はある。

 

 彼女は、茜は、アイビスの引き金を、振り絞った。

 

 

 

 

 太刀川の側面から飛来する、一発の弾丸。

 

 それは、彼が展開したシールドの範囲の外側から放たれていた。

 

 今シールドを解除すれば、七海のアステロイドが直撃する。

 

 更に、茜が使用した狙撃銃はアイビス。

 

 二重のシールドを用いなければ防げない、威力重視の弾丸。

 

 回避する事は可能かもしれない。

 

 しかし、今そんな隙を見せれば、左腕が残った風間が食らいつく。

 

 これで、詰み。

 

「まだだ」

 

 だが、太刀川はそれすら凌ぐ。

 

 太刀川は前面のシールドを解除し、両防御(フルガード)を展開。

 

 集中シールドの二重防御で、茜のアイビスを凌ぎ切った。

 

 無論、そんな事をすれば七海のアステロイドが被弾する。

 

 しかし、弾の集中が甘かった事もあり、太刀川は最小限のダメージでその被弾を乗り切った。

 

 最初から、無傷で勝つつもりなどない。

 

 死ななければそれで良いという、割り切り。

 

 一歩間違えれば蜂の巣になっていたであろう選択すら、迷いなく取ってしまう。

 

 それが、太刀川の強さ。

 

 総合一位の、実力。

 

 最大の脅威であった茜の狙撃を凌ぎながら、太刀川は一切の油断をしていない。

 

 風間にはもうカメレオンを使う隙など与えないし、彼が姿を消すよりも太刀川が斬り捨てる方が早い。

 

 そして、再装填の事を考えれば次の狙撃が来る前に充分トドメは刺せる。

 

 だから。

 

 七海の姿を()()()()事に、太刀川は目を見開いた。

 

 今の一瞬、太刀川は狙撃に対応する為僅かではあるが七海への注意力を下げた。

 

 更に言えば、アステロイドによる致命傷を避け、風間の挙動に対応する為に神経を使っていた。

 

 有り体に言えば、太刀川の処理能力は限界近くまで使われていたのだ。

 

 幾ら太刀川が実力者であると言っても、一度に注意を向けられる数には限度がある。

 

 それが、同格もしくはそれに匹敵する相手ならば猶更だ。

 

 ほんの一瞬。

 

 コンマ数秒程度の意識の隙。

 

 それを、突かれた。

 

「上か……っ!?」

 

 しかし、太刀川は冷静だった。

 

 今の一瞬で、視界の外に行けるような大幅な移動が出来る筈がない。

 

 有り得るとすれば、真上。

 

 人体の死角であるそこに跳び上がったとしか、考えられない。

 

 故に、太刀川は上方を警戒し────────。

 

「な────っ!?」

 

 ────────懐に姿を現した七海によって、その胸を貫かれた。

 

 有り得ない。

 

 とは、考えなかった。

 

 太刀川はこの現象の正体を、一発で看破する。

 

「カメレオン、か……っ!」

 

 隠密トリガー、カメレオン。

 

 それが、七海の使用した最大の隠し札だった。

 

 七海の弾丸も、風間の奇襲も、茜の狙撃も、全てはこの一撃に繋げる為。

 

 太刀川の処理能力を限界まで逼迫させた上で、予想外の一撃を叩き込む。

 

 そうでもしなければ、勝てない。

 

 そう判断したが故の、渾身の策。

 

 アステロイドをメテオラと取り換えたのも、わざわざ乱反射を使ったのも、もう他に隠し札はないと錯覚させる為の一手。

 

 スコーピオン二枚と、グラスホッパー二枚。

 

 シールドと、バッグワーム。

 

 そして、メテオラの代わりに起用したアステロイド。

 

 この試合で、七海はその殆どを使っている。

 

 カメレオンを入れる枠など、無い筈なのだ。

 

 そう。

 

 ()()()()()()()()以外は。

 

 通常、シールドを1枚にするのは自殺行為だ。

 

 両防御が出来なければ、いざという時に詰む可能性が高くなる。

 

 しかし、だからこそ七海はその博打を打った。

 

 そこまでしなければ、勝てない。

 

 そう、信じたが故に。

 

「ちっ、負けちまったか。次は負けねえからな、七海」

「ええ、何度でも、挑ませて貰います。太刀川さん(ししょう)

 

 苦笑する太刀川の身体が、瞬く間に罅割れる。

 

 敗北を認めながらも、太刀川は不敵な笑みを浮かべた。

 

「ああ、何度でも受けて立ってやるよ。お前は、俺の弟子だからな」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 太刀川の姿はその言葉を最後に光の柱となり、消える。

 

 同時に、離れた場所でもう一つ、光の柱が立ち上った。

 

 王子の、旗持ちのトリオン漏出による緊急脱出。

 

 王子隊と太刀川隊、その全滅を以て第二試験は終了した。



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第二試験、総評

 

部隊得点旗持ち点生存点合計
那須隊72211
王子隊6 6

 

 

「決着ぅ……っ!! 七海が太刀川を撃破して、王子もトリオン切れで緊急脱出……っ! 11:6で那須隊の勝利だぁ……っ!」

 

 画面に結果が表示され、光のアナウンスと共に会場が沸き上がった。

 

 王子の奮闘も然ることながら、最後の勝負を決めた太刀川との戦闘は見事としか言いようがなかった。

 

 何より、影浦の時のように1対1ではなかったとはいえ弟子である七海が師匠である太刀川を下したのだ。

 

 これで何も感じないほど、此処に来ている者達は冷めてはいない。

 

 会場のそこかしこから、健闘を称える声があがっていた。

 

「フン……」

 

 二宮はその様子を、いつも通りの仏頂面で眺めていた。

 

 総合一位である太刀川が負けた事に思うところはあるが、それを成し遂げたのが自分達を打ち破った那須隊である、という事に関してある程度納得している部分もあるのだ。

 

 二宮は、自分を破った那須隊を認めている。

 

 しかしそれを素直に言うほど、二宮の捻くれ具合は軽くはなかったというだけである。

 

「最後は三人の連携でどうにか仕留めましたけれど、あの戦術についてはどう思いますか? 二宮さん」

「恐らく、最初から本命は七海だったんだろうな。そうでなくては説明がつかない」

 

 烏丸に解説を振られ、二宮はそう言って切り出した。

 

「太刀川は基本的に、戦闘において隙らしい隙は一切見せない。あいつはああ見えて戦闘中の視野は広いし、攻め一辺倒というワケでもない。二刀流を使っているから派手に見えるが、戦い方そのものは堅実だ」

「そっすね。基本に忠実な事をとんでもなく高いレベルでやってるから、あの人は強いんですし」

 

 二人の言うように、太刀川の強さはその安定した地力と危なげない試合運びにある。

 

 旋空弧月二刀流というゲテモノにも程があるスタイルではあるが、この試合で見せたように彼は常に二刀流で戦うワケではない。

 

 場面場面で必要な選択を瞬時に行い、常に最適解を導き出して戦うのが太刀川の戦闘スタイルだ。

 

 生駒旋空のような一芸こそないが、戦闘方法に拘りがないオールラウンダーだからこそ、相性の有利不利に関係なくその地力を押し付ける事が出来る。

 

 だからこその、総合一位。

 

 隙らしい隙など、まず見せるワケがないのだ。

 

「だから、太刀川を仕留めるにはあいつの処理能力を限界まで使わせた上で、予想外の一手を打つ必要がある。ごり押しだけでは、まず勝てない相手だ」

「ええ、ただのごり押しなら、太刀川さんが負ける通りはありません」

「同様に、付け焼刃の浅知恵も意味を為さない。戦闘中のあいつは、普段とは頭の出来が違うからな」

 

 ごり押しも、ただの小細工も通じない。

 

 それはA級時代に鎬を削り合った二宮はよく理解しているし、太刀川隊として共に戦った烏丸も同様だ。

 

 ごり押しだけなら、太刀川の地力で押し返せる。

 

 小細工だけでも、すぐに看破されて返り討ちにされる。

 

 故に。

 

 太刀川に勝つには、文字通り()()を賭す必要があったワケだ。

 

「七海は最初、風間さんがカメレオンを使う隙を作る事に全力を注いでいた。あれは、風間さんが()()()であると相手に印象付ける為だろうな」

「実際、風間さんに姿を消されちゃ射撃トリガーなしじゃきついっすからね。カメレオンの切り替え速度と隠密技能が半端じゃないっすから」

「ああ、そういう意味では出水を先んじて仕留めた判断は正解だったな。あいつが生き残っていたら、そもそも作戦が成り立たなかった筈だ」

 

 カメレオンは、射撃トリガー────────特に、ハウンドで対策が出来る。

 

 無論、その程度風間にとっては慣れた事だが、相手が太刀川となると射撃トリガーの対応に割くリソースの差が致命的になる恐れがある。

 

 そして、出水はサポートのエキスパート。

 

 彼が太刀川の援護に回っていたなら、結果は全く違うものになっていただろう。

 

「それから、那須さんが日浦さんを身を挺して守った理由も分かりましたね。あの状況なら、射撃より狙撃の方が援護になる」

「そうだな。那須の射撃で援護すれば、弾丸の軌道からカメレオンを使用した隊員の位置が割れてしまいかねない。那須の腕が、逆に命取りになるワケだからな」

 

 那須の技術ならば、正確に七海と風間を避けて弾丸を撃ち込む事は出来る。

 

 だがそれをすれば、弾丸の通らない空白地帯を解析すれば、カメレオンを使用した者の居場所がバレてしまう可能性があった。

 

 少なくとも、国近なら出来る。

 

 その程度の解析は、あの少女は当たり前のようにこなすのだから。

 

「もしかして、那須さんは最初からあの場面で落ちるつもりでいたんですかね? だから、わざわざ両防御(フルガード)を日浦さんに使ったとか」

「可能性はあるだろな。生き残ったなら、那須が七海達を援護しないのは不自然だ。自然な形で落ちる事が出来るように、わざと隙を見せたとしても不思議じゃない」

 

 だが、と二宮は続ける。

 

「それ以上に、日浦に落ちて貰うワケにはいかなかったんだろうな。最後の連携に、アイビスを使える日浦は必要不可欠だった」

 

 そう、あの場面では、茜のアイビスでの援護は必須だった。

 

 アイビスは、ノーマルトリガーでは最強クラスの威力を誇るトリガーだ。

 

 両防御の集中シールドでなければ防げないその弾丸は、人間相手に使うには些か過剰火力ではある。

 

 だが、だからこそ、太刀川の意識をそちらに向けさせる事が出来た。

 

 これがライトニングならば広げたシールドで難なく対処していただろうし、イーグレットも集中シールド一つで防げる。

 

 両防御でなければ防げない狙撃を行ったが故に、アイビスとアステロイド、その両方の対処に集中させる事が出来た。

 

 大威力のアイビスだからこそ、太刀川の処理能力に負担をかける事が出来たのだ。

 

 あの場面では、単発で、尚且つ高い威力を持つアイビスこそが最適解だったというワケだ。

 

「この試合、那須隊は七海の切り札────────カメレオンの存在を隠す事に、全霊を費やしていた。あれが露見してしまえば、勝つ事は出来なかっただろうからな」

「太刀川さんの意表を突く、とっておきの()()()。まさしく、切り札と呼ぶに相応しいですね」

 

 風間さん、鼻高々だろうなあ、と烏丸はふと心の内で呟いた。

 

 七海がぶっつけ本番でカメレオンを使った────────などとは、烏丸は考えていない。

 

 風間は、七海の師匠筋なのだ。

 

 訓練の中で、自分が得意とするカメレオンの扱い方を教えていたとしても、なんら不思議ではない。

 

 自らの得意分野を用いて七海が太刀川を下した事に、風間はまんざらでもない感情を抱いている筈だ。

 

「七海は恐らく、シールドの片方を抜いてカメレオンをセットしていたのだろう。熊谷の那須の援護に向かわなかったのも、両防御が使えない事を隠す為だったんだろうな」

「七海さんという駒を温存する事を、何よりも徹底していたワケですね。両防御を捨てた七海さんといい、今回は中々大胆な手を使いましたね」

那須隊(あいつら)が大胆な手を使うのは今に始まった事じゃない。勝つための工夫は、幾らあっても足りないんだからな」

 

 そっすね、と烏丸は二宮の言葉に同意する。

 

 那須隊は、これまで様々な戦術を用いて勝ち上がって来た。

 

 相手チームを研究し、自分達の強みを押し付け、的確に相手の意表を突く。

 

 だからこそ、格上殺しを成し遂げる事が出来たのだ。

 

 那須隊は個々人の戦力は、そこまで突出しているワケではない。

 

 高い機動力を持つ七海と那須のエース二人は個人戦でもそれなりに優秀ではあるが、太刀川などのトップメンバーと比べれば見劣りする。

 

 今回太刀川に勝てたのも、しっかりと作戦を練って複数人で仕掛けたからだ。

 

 決して、七海一人の実力というワケではないのだから。

 

「その工夫の一環として、七海が旗持ち(フラッグ)をしていたんだろう。最終局面まで温存しても、不自然でないようにな」

「そっすね。旗持ちなら、隠れててもなんら不思議じゃないですからね」

「ああ、そうでなければ、あの作戦が巧く行っていたとは考え難いからな」

 

 二宮はそう告げ、画面を見据える。

 

「太刀川を仕留めた作戦の肝は、七海のカメレオンだ。こいつが露見するかどうかで、作戦の成否は違って来る。だからこそ、七海という貴重な戦力を徹底して温存するという賭けに出たワケだ」

「シールドを片方削ってるのがバレたら、何か新しいトリガーをセットしてるってのが知られちゃいますからね。だから、射手が生き残っている間は隠密に徹してたんでしょう」

 

 そう、この試合で七海が姿を現したのは、王子に致命傷を負わせた時だ。

 

 それまでは蔵内を仕留める時にももぐら爪を使い、自身の姿を見せないように気を配っていた。

 

 幾ら七海でも、練度の高い射手相手に回避だけで全弾を凌ぎ切るのは流石に厳しい。

 

 いざという時両防御(フルガード)出来ないという状況は、どう考えても射手相手にはリスクが高い。

 

 だからこそ、七海は射手や射程持ち相手が片付くまで、戦闘への介入を控えていたのだ。

 

 全ては、カメレオンという切り札を隠し通す為に。

 

 七海が両防御出来ないと知られれば、太刀川ならその違和感から正答に辿り着きかねない。

 

 そうなれば、勝機はなくなる。

 

 その展開を防ぐ為に、ある程度の犠牲を容認して七海を温存したのだろう。

 

 太刀川を倒す。

 

 ただ、それだけの為に。

 

「どれだけ立派な講釈を垂れようが、具体的なプランがなければ無意味だ。あいつらは、それが分からない程馬鹿じゃない。勝つべくして勝った戦い、と言えるだろう」

「それでも、太刀川さんを落とせたのは凄いと思いますけどね。まあ、落とせなきゃ負けてたんですけど」

「お粗末な展開もあったが、それだけ王子隊が奮闘したという事だろう。もっとも、それが最初から出来ていれば結果は違ったかもしれんがな」

 

 王子隊は今回、那須隊の作戦に振り回されていた側面があった。

 

 隊長の王子の、事前情報を重要視し過ぎるという点を突かれ、動きを誘導された。

 

 後半は王子の奮闘で五分五分の所にまで持ち直す事が出来たものの、結果として王子隊・太刀川隊は全滅。

 

 11:6という大差で、敗北してしまう事になった。

 

 前半のやりようが違っていれば、また違った結果になったかもしれない。

 

 あくまで、もしも(if)の話ではあるのだが。

 

「ともあれ、これで改めて改善点が分かった筈ですから、これからですよ。少なくとも、出水先輩ならそう言う筈です」

 

 

 

 

『おうおう、俺の言いてえ事大体言ってくれたなー、京介。俺の出番がねえじゃねえか』

「イズイズ……」

 

 王子隊、作戦室。

 

 通信を繋いだその場所で、画面越しに出水はそう言って苦笑した。

 

 画面の向こうには太刀川や国近の姿もあり、その誰もが王子達の健闘を称えていた。

 

「おう、途中で気になったトコはいくつかあったけど、全く芽がねぇってワケじゃない。戦術レベルは、割とそれなりだしな」

「一つ言うとすりゃ、そーだな。相手の動きを()()()()んじゃなくて、予想外の一手に対する()()をしておいた方が役に立つぜ。100%動きを読み切るなんてのは無理ゲーに近いんだから、ある程度余裕を持って迎撃の準備をしといた方が無難だぜ」

 

 多分だけどさ、と前置きして出水は続ける。

 

「王子はさ、那須隊に一泡吹かせてやりたい、って想いが強過ぎたんじゃないか? 奇策にばっか意識が向いて、足元が少し覚束なかったしな」

「返す言葉もありませんね。仰る通りです」

 

 王子は出水の言葉を受け止め、頷く。

 

 確かに、今回の試合にそういった私情がなかったとは言い切れない。

 

 王子自身がどう考えていたとしても、傍目から見ればそう見えても不思議ではなかった。

 

 そこは、王子も認めるところである。

 

「ま、これで次の展望は出来たろ。立場上贔屓は出来ねーが、応援してるぜ」

「はい、ありがとうございました」

 

 王子は礼を言って、頭を下げた。

 

 その様子を出水達は暖かく見守り、蔵内達は決意を新たにする。

 

 負けはしたが、意味のある負けだった。

 

 王子隊は、まだまだこれからなのだから。

 

 

 

 

「那須隊は、風間隊の使い方が少し雑だったな。菊地原はある程度は仕方ないが、歌川は落とさなくても良い駒だっただろが」

「まあ、そこは仕方ない面もありますが」

 

 烏丸の言う通り、風間隊を使いこなせなかった要因の何割かは小夜子の事情にある。

 

 小夜子が風間隊に情報や指示を伝達する為の、幾分かのタイムラグ。

 

 これは、無視出来ない要素だったと言える。

 

「問題がハッキリしているなら、その対策を練るのも戦術の一環だ。事情があるから負けました、なんて言い訳は戦場では通じないからな」

 

 戦場では、言い訳は通用しない。

 

 勝つか負けるか。

 

 生き残るか、死ぬか。

 

 二つに一つだ。

 

 それを分かっているからこそ、二宮は厳しく告げる。

 

「欠点を改善出来ない理由があるのなら、その補填くらいはしっかりやれ。俺が言えるのはこれくらいだ」

「作戦事態は、見事なモンだったっすからね。最終的には勝てたし、結果論としちゃ悪くないでしょ」

「フン……」

 

 試合中何度か告げた「結果論」という言葉を引用した烏丸に対し二宮は目を細めるが、それだけだ。

 

 二宮も那須隊の活躍自体は認めている為、それ以上の言及はない。

 

 公の場では流石に空気を読んだ、とも言えるが。

 

「おっし、二人ともごくろー。良い総評だったぜ」

「────」

「ども」

 

 総評が終わりと見るや、最後の仕上げをやるべく光が口を出す。

 

 意気揚々とマイクを握り締め、光は高らかに声を張り上げた。

 

「そんじゃあ、A級昇格試験第二試合、昼の部はこれで終わりだっ! おつかれさんっ!」

 

 光の口から、試験の終了が告げられる。

 

 A級昇格試験、その二つ目の試合は、こうして幕を閉じた。



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労いと薫陶と

 

『これで第二試験は終了だ。ご苦労だったな』

 

 通信越しに、風間の声が響く。

 

 実質的な試験官からの終了宣告に、七海達はほっと息を漏らした。

 

 結果こそ大勝ではあったが、危ない場面は何度もあった。

 

 特に太刀川との戦いは、その最たるものだったと言えよう。

 

 何せ、あそこで七海が落とされてしまえば結果が全てひっくり返される事になっていたのだ。

 

 最終的に勝利はしたが、それはあくまで結果論だ。

 

 間違っても、楽勝だったなどとは言えないだろう。

 

 ともあれ、そんな激戦を潜り抜けたのだ。

 

 溜め息の一つも、漏れるというものであろう。

 

「はい、ありがとうございました。風間さんの協力なくして、太刀川さんは倒せませんでした」

『作戦を立てたのはお前達で、俺はそれに乗っただけだ。自己評価が低いのは知っているが、謙遜のし過ぎは却って失礼になるぞ』

「それでも、お礼は言わせて下さい。太刀川さんを倒す事は、俺の目標の一つでしたから」

 

 七海の言葉にそうか、と風間は小さく笑った。

 

 師匠筋の一人として、思うところも色々あるのだろう。

 

 風間は言っている事は辛辣ではあるが、それは面倒見の良さの裏返しでもある。

 

 苛烈に見えて、認めた相手にはかなり甘いのが風間だ。

 

 言葉には出さないが、弟子の成長を嬉しく思っている事は事実だろう。

 

 その事を強化聴覚(サイドエフェクト)で察していた菊地原が小さく溜め息を吐くと、それを聞き咎めた風間がジロリと睨む。

 

 部下の心の機微くらい、風間にはお見通しなのであった。

 

『まあ良い。では軽くではあるが、今回の俺からの評価を伝えよう』

 

 風間は気を取り直し、今回の評価説明に移った。

 

 七海達は居住まいを正し、風間の言葉を待つ。

 

 通信越しにその雰囲気を感じ取り、風間は息を整え口を開いた。

 

『一先ず、全体的に作戦は悪くなかったと言える。あまり転送運に恵まれていなかったにも関わらず、動きは悪くなかった』

 

 まず、と前置きして風間は続ける。

 

『最初に王子に追い込まれて太刀川と戦う事になった熊谷は、予想以上に奮闘した。まさか、太刀川相手に単独であそこまで粘れるとは思っていなかった。落とされはしたが、それまでに稼いだ時間はチームに大きく貢献した。誇って良い戦果だろう』

「あ、ありがとうございます」

 

 ストレートな称賛を口にされ、熊谷は照れながら頷く。

 

 風間の苛烈さを知っている為に、そんな相手からの高評価がこそばゆいのだろう。

 

 七海も経験のある事な為、共感は出来る。

 

 普段厳しい事を言う相手からの称賛は、他とは違う達成感のようなものがあるのだから。

 

『自分が落とされても、最終的にチームに貢献出来たのであればそれは間違いなくプラスの成果だ。目に見える戦果だけが全てじゃない。こういった縁の下の力持ちこそ、チーム戦では重宝されるべきだと俺は考えている』

『まあ、実際太刀川さん相手の時間稼ぎが出来た時点で大戦果と言って良いでしょう。結果として、太刀川さんを一定時間浮かせる事が出来たんですから』

 

 風間に追随するように、歌川も熊谷の戦果を称賛する。

 

 それだけ、熊谷が齎した時間稼ぎの影響は大きいのだ。

 

 菊地原も口には出さないものの、それは認めている。

 

 言うべき事は既に二人が言っているので、余計な口を出さないだけだ。

 

『それから、出水を実質那須一人で抑えられたのも大きい。大きいが────────まさか、二人揃ってあそこまでの弾バカとは思わなかったぞ』

『まあ、普通にドン引きだよね』

 

 通信越しに、二人分の呆れた溜め息が聞こえて来る。

 

 無理もない。

 

 何せ、()()()()()()()()()()()()()()()という所業をよりにもよってバイパーでやらかしたのだ。

 

 これがアステロイド等の軌道が直線的な弾丸であれば、まだ分かる。

 

 だが、複雑怪奇な軌道を描くバイパー相手にそれをやるとは、些か常軌を逸している。

 

 作戦としては()()()()()()()()()という事を決めてはいたが、まさかあんな方法を取るとは思っていなかったというのが実情だ。

 

 射撃トリガーを扱う万能手の歌川の眼から見ても、あれと同じ真似をしろと言われては首を横に振るしかない。

 

 それだけ、あの二人の技術は常識の外にあったワケだ。

 

 普段あまり軽口を言わない風間をして、弾バカという揶揄が飛び出すくらいには。

 

『…………まあ、仕事自体はこなしていたしその事に文句はない。正気を疑いはしたが』

「出来ると思ったからやりました。無理をしたとは思っていないわ」

『そうか』

 

 そう言われては、風間も黙るしかない。

 

 戦場に身を置く者として、那須の言い分も理解出来るからだ。

 

 熟練の戦闘者は、それまでの経験や状況把握から感覚的にその場で自分に出来る事と出来ない事が判別出来る。

 

 その感覚を言語化出来る者も中にはいるが、那須は生憎そういうタイプではない。

 

 ()()()()()()()()()()()()というのは、まさに文字通りの意味に過ぎないのだから。

 

 俗に天才と呼ばれる者は、こういった独自の感覚を元に行動を決定する。

 

 そして多くの場合、それは才能を持たない者の眼には突拍子もない思い付き故の行動に映る。

 

 香取の独断専行が、まさにそれだ。

 

 彼女のような天才タイプの行動は、凡人からすれば考えなしの行動に見えてしまうワケだ。

 

 幸い、那須にはリアルタイム弾道制御という目に見えて特別な技能を持っている。

 

 故に、突飛な行動も、その天才性故のものと理解され易いのだ。

 

 加えて無暗矢鱈に喧嘩を売るタイプでもない為、周囲との軋轢も生じ難い。

 

 まあ、コミュ障気味な為衝突の機会自体なかった、とも言えるのだが。

 

『ただ、日浦を助けに行った時は少し露骨過ぎたな。那須が落ちる事によるメリットもあったが、残ったならば残ったでやりようはあった筈だ。作戦を重視するのは良いが、選択肢は多く持っているに越した事はない』

「…………わかりました」

 

 風間の指摘に、那須は素直に頷いた。

 

 あの場面で、那須は日浦をほぼ捨て身と言える行動で助け出した。

 

 結果として茜の生き残りは勝利に貢献したが、その所為で那須が落ちた事は事実である。

 

 王子隊には追加点を与える事になったし、那須とて生き残ったならば生き残ったでやりようはあった。

 

 見方によっては、那須は作戦を重視し過ぎるあまり柔軟性を失っていたとも取れる。

 

 今回はそれが良い方向に転がったが、それでも()()()()()()()()()()を自ら捨ててしまった事に変わりはない。

 

 失策とまでは言わないが、()()()()()()()()()()という事は知っておいて損はない。

 

 だからこそ、敢えて風間はそこを指摘したワケである。

 

 那須も、それが分からないほど察しが悪いワケではない。

 

 故に、素直に受け入れた。

 

 かつての頑なさは、既にやわらいでいるのだから。

 

『それはそれとして、結果として那須の行動が勝利に貢献したのは事実だ。そこはしっかり評価している』

「ありがとうございます」

 

 助言を素直に聞き届けた那須に、風間はさりげなくフォローを入れる。

 

 此処で食い下がるようであれば別だが、アドバイスを素直に聞き入れたかどうかは見れば分かる。

 

 勤勉な者は、風間は決して嫌いではないのだ。

 

『次に、日浦だが────────特に言うべき事はないな。完璧な仕事だったと言える』

「は、はい。ありがとうございますっ!」

 

 そして、仕事をきっちりこなした茜に対しては、手放しの賛辞を口にする。

 

 その表情は何処か穏やかで、茜も褒められてまんざらでもなさそうだ。

 

『作戦決行時まで隠密に徹し、きちんと仕事をこなしている。お手本のような狙撃手の立ち回りだ。敢えて言うなら、もう少し素の運動神経をどうにかして欲しいところだが』

「す、すいません」

『生身の身体を鍛えれば、それだけトリオン体の動きも良くなって来る筈だ。トリオン体になれば膂力等は強化されるが、身体の動かし方は覚えておいて損はない。興味があるなら、木崎に口を効いてやる』

 

 他に当てがあるなら別だが、と風間は続ける。

 

 突然の申し出に茜は目を白黒させるが、おずおずと口を開いた。

 

「あの、すみません。実は奈良坂先輩から、生身の身体の鍛え方については徐々にやっていく予定だって……」

『…………成る程。師匠の奈良坂にプランがあるなら、俺が口出しするべきではないな。出過ぎた真似をしたようだ』

「い、いえっ、わざわざ考えてくださって嬉しかったですっ!」

 

 茜は恐縮しながらぺこぺこ頭を下げ、そんな彼女を見て風間は溜め息を吐いた。

 

『そうか。それなら、この話はこれで終わりだ。時間を取らせたな』

 

 いえ、大丈夫ですから、と茜は風間に笑いかける。

 

 そんな茜を何処か微笑まし気に見詰めた後、風間は七海に視線を向けた。

 

『最後に、七海だが────────どうにもならない事情があるなら、フォローはきちんとやっておけ。これは、お前の仕事だろう』

「はい、勿論です」

『分かっているならいい』

 

 何の事を言っているかは、瞭然だった。

 

 今回の試合では、小夜子の男性恐怖症があるが故に、風間隊の力を十全に発揮する事は出来なかった。

 

 連結の密度もそうだし、何より菊地原の強化聴覚の()()()()までは手が回らなかった。

 

 風間隊は有事の際、菊地原のサイドエフェクト────────強化聴覚を、隊員全員に共有出来る。

 

 風間と歌川はその恩恵を受けてはいたものの、直接菊地原と会話が出来ない小夜子では、調整など不可能だったのである。

 

 出来たのは菊地原からの報告を七海や那須に届ける程度であり、全ての情報を完全なリアルタイムで共有する事までは出来なかった。

 

 それが歌川や菊地原の脱落に繋がった事は、今更言うまでもない。

 

 無論、風間とて小夜子の事情は承知している。

 

 彼女の男性恐怖症が根性論ではどうしようもないものであり、改善の見込みも無い事も知っている。

 

 故に風間は、小夜子のスタイル自体を改善させようとは思っていない。

 

 それはぶどうアレルギーの人間に無理やりぶどうを食べさせるような暴挙であり、逆効果でしかない事を察しているからだ。

 

 だからこそ、風間は言ったのだ。

 

 ()()()()()()()、と。

 

 小夜子の男性恐怖症を治すのではなく、それを受け入れた上で対処を考えろ。

 

 彼は、そう言っているのだ。

 

 その事は、七海も充分に承知していた。

 

 那須隊がA級に上がるにあたり、ネックとなるのはそこであろう事も理解している。

 

 風間は、身内だからといって評価を緩める事はしない。

 

 今回の試合の評価にも、きっちりその事は記されている筈だ。

 

 即ち、複数チームでの作戦行動時の()()()()()()()()

 

 次回でそれが改善されたと見做されなければ、風間は容赦なく評価を落として来るだろう。

 

 風間は面倒見は良いが、甘くはない。

 

 本気で相手の事を考えるからこそ、評価は厳しく言葉も苛烈になる。

 

 口の悪さから誤解されがちではあるが、それが風間なりの気遣いであった。

 

『だが────────太刀川を倒したのは、見事だった。師として、誇りに思うぞ』

「ありがとう、ございます」

 

 故に、称賛すべき所は外さない。

 

 正直な話、七海が太刀川を数人がかりとはいえ倒した事に、風間は小躍りしたくなるほど嬉しかったのだ。

 

 表面上は鉄面皮を装っているが、心音を聴き分けている菊地原には丸わかりである。

 

 口に出さないのは、さっきの二の舞になるのが目に見えているからである。

 

 今回は、空気を読んだ菊地原であった。

 

(でも、これで師匠筋の人は大体倒した事になるよね。荒船さんに、影浦さんに、太刀川さん。残ってるのは、風間さんくらいかな? 風間さんが負けるワケないけど)

 

 そんな益体もない事を考えていた菊地原だったが、ふと画面越しに七海を見据える。

 

 七海は普段通りの表情に見えるが、口元が僅かに綻んでいる事を菊地原は見逃さなかった。

 

(嬉しそうにしちゃってもう。まあ、太刀川さんを倒したんだし、嬉しいのは分かるけどさ)

 

 はぁ、と菊地原は溜め息を吐く。

 

 友人の成長を喜んでいるのは勿論だが、それはそれとして風間に称賛されている事に対し思うところがないワケでもない。

 

 まあ、多少の嫉妬よりも友情が勝ったので、こうして何も言わずにいるのだが。

 

 風間以上に口は悪いが、それ以上に友人思いなのが菊地原なのである。

 

 彼にとってまともに会話を交わす相手は大体友人判定なので、自分から進んで話しかける七海は親友枠と言っても差し支えない。

 

 彼もまた、村上や影浦と同じく七海に何かあれば真っ先に駆け付ける人間の一人である事に変わりはないのだから。

 

『以上だ。第三試験の詳細も、今夜伝えられる筈だ。まずは英気を養い、次の試験に備えるんだな』

「はい、ありがとうございました」

 

 そうして風間との通信は切れ、室内に静寂が満ちる。

 

 そして、部屋の奥から一人の少女が進み出た。

 

 片眼を隠す長髪が、揺れる。

 

 少女は、小夜子は、何処か不安そうな目で、七海を見詰めていた。





 体調不良諸々で更新を滞らせていました。今後もなるべく更新を空けないようにしていきます。


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志岐小夜子⑤

 

「…………少し、冷えますね」

 

 夜風を浴びながら、小夜子は呟く。

 

 此処は、ボーダー本部の屋上。

 

 街を一望出来るその場所で、小夜子はほぅ、と溜め息を吐いた。

 

「ああ。小夜子は大丈夫か?」

「ええ、それなりに厚着していますので」

 

 気遣う七海に対し、小夜子はくすり、と笑みを浮かべる。

 

 あの後、七海に「付いてきて、くれますか?」と話し、小夜子は此処にやって来た。

 

 七海は特に何も問わず、小夜子に言われるがままこうしてこの場にやって来たのだ。

 

 作戦室を出る直前、那須からは「小夜ちゃんを、お願い」と言われている。

 

 無論、言うまでもない。

 

 小夜子は、七海にとっても大切なチームの一員だ。

 

 何か悩んでいる事があるなら、吐き出したい事があるなら、その意を汲む事くらいやってみせる。

 

 そういう気概で、七海は此処にいる。

 

 最初から、投げ出すなどという選択肢は有り得ない。

 

 それが七海と言う人間の性であり、魅力の一つでもあるのだから。

 

「さて、と。ぼかすのもなんですし、早速本題に入りますかね」

 

 小夜子は街を見下ろしながら溜め息を吐き、くるりと七海の方を向いた。

 

 その表情にはある種の気負いはあれど、捨て鉢な様子は見えない。

 

 七海はそんな彼女の言葉を、静かに待っていた。

 

 促す事も、制止する事もしない。

 

 あくまで彼女のペースで、話をさせる為に。

 

「今回、私の所為で余計な失点を背負う事になりました。これに関しては、本当に申し訳なく思っています。私がきちんと風間隊と直接連携を取れていれば、もっと巧く立ち回れた筈ですから」

「小夜子、それは……」

「違いません。確かにたらればの話ですが、私の()()がなければより良い結果になっていた事は間違いないんですから」

 

 小夜子は七海の言葉を遮り、そう断言した。

 

 確かに、ある種それは事実だ。

 

 彼女が直接風間隊とやり取りをして、連携を密にしていれば────────菊地原と歌川の脱落は、防げていた可能性はあるのだ。

 

 無論それはたらればの予測に過ぎないが、可能性として確かに存在する事実なのである。

 

 故に、今回小夜子に一切非が無い────────とは、言い切れないだろう。

 

「第一試験の時も、そうでした。私が三輪隊と直接やり取りが出来ていれば、伝達のタイムラグがなければ、米屋先輩が落とされていた事はなかったかもしれません。チームをサポートするオペレーターの私が、チームの足を引っ張っている────────本当、度し難いですよね」

 

 何処か自嘲するように、小夜子は呟く。

 

 違う、と言う事自体は簡単だ。

 

 けれど、彼女はまだ話を終えていない────────想いを、吐き出し切っていない。

 

 ならば、一度気が済むまで喋らせるべきだろう。

 

 七海は理屈ではなく直感でそう感じ、口を閉じていた。

 

「それもこれも、私の男性恐怖症の所為です。これがなければ、きちんと男性と向き合える事が出来ていれば、こんな事にはならなかった────────そのくらい、私が一番分かってます」

 

 けど、と小夜子は両腕で自分の身体を抱き締めた。

 

「…………男の人が、怖いんです。幾ら自分に言い聞かせても、頭が、身体が受け付けてくれないんです」

 

 小夜子はそのまま、身体を抱き締める腕の力を強め、続けた。

 

「────────また、騙されたらどうしよう? また、裏切られたらどうしよう? また、酷い事を言われたらどうしよう? って。どうしても、どうしても、男性への拒否感情が抜けないんです。相手が男の人というだけで、あの時の事を想起してしまう────────だから、男の人と話す、という行為自体を身体が受け付けないんです」

 

 それは、彼女に刻まれた心的外傷(トラウマ)

 

 過去に慕っていた先輩に手酷く裏切られ、それ以来男性が恐怖の対象となってしまった。

 

 男が怖い。

 

 彼女のそれは、生理的な反射行動として精神に刻み込まれてしまっている。

 

 それだけ彼女の心の疵は深く、重い。

 

 たかがそれだけの事で、と彼女の事を揶揄する人はいるかもしれない。

 

 だがそれは、小夜子の事を知らないからこそ言える台詞である。

 

 小夜子は過去の一件で男の醜さを知り、裏切られる怖さを知った。

 

 故に、男性と会う、会話する、というだけで、過去の想起(フラッシュバック)が起きてしまう。

 

 遠目から男性の姿を見たり、男が映っている映像を見る事自体は問題ない。

 

 けれど、直接生身で会ったり、男性の声を直で聞く等の行為は、どうしても過去の想起を誘発してしまう。

 

 男性と会う、男性と会話する。

 

 それが、彼女のトラウマを掘り起こす引き金となるのだ。

 

 特に、男性の声を────────自分に向けられた言葉を聞く、という行為は最大のタブーだ。

 

 それが自分に向けられた言葉でないのなら、まだ我慢は出来る。

 

 だが、明確に自分という存在に意を伝える為に放たれた言葉は、意思疎通の意思を持った言葉を聞いた瞬間、小夜子の心的外傷は再発する。

 

 これは最早、生理的な反射行動なのだ。

 

 ただ勇気が足りない、という精神論の話ではない。

 

 埃を吸ったらくしゃみをする、というものと同レベルで、条件反射として精神(こころ)に刻まれた疵なのだ。

 

 自分の意思でどうこう出来る範疇では、決して無い。

 

(────────七海先輩だけは、大丈夫なんですけれどね)

 

 ────────それこそ、恋心がそれを凌駕した七海という例外を除けば。

 

 彼女が七海を受け入れる事が出来たのは、彼に恋したが故だ。

 

 七海を他の男性と明確に()()し、恋慕を向ける相手という唯一無二の存在へと分類化(カテゴライズ)したが故の()()()()

 

 この世で唯一、七海に対してのみ使える安全弁。

 

 それが、男性恐怖症という疾患を欺いた抜け道なのだ。

 

 極論すれば、小夜子は七海を男性として見ていない。

 

 他の男性とは別種の存在として、ある種神聖視しているとも言えなくはない。

 

 だからこそ、ただ一つの例外として彼女は七海を受け入れる事が出来た。

 

 故に、この分類に他の例外は有り得ない。

 

 たとえ、相手がどれだけの人格者であろうとも。

 

 たとえ、相手がどれだけの人望や能力を持つ者であろうとも。

 

 ()()()()()()()()という一点だけで、小夜子はその存在を拒絶する。

 

 例外処理は、唯一無二足り得るからこそ成立し得るのだから。

 

 故に、問題は白紙に戻るしかない。

 

 小夜子が直接七海以外の男性との会話を全う出来る可能性など、万に一つも有り得ないのだから。

 

「…………七海先輩、言っていいんですよ? なんで、自分は大丈夫で他は駄目なのか、って」

「いや、小夜子が言いたくないんだろう? だったら、聞かない。小夜子が話したい、って言うなら別だけれど」

 

 そうですか、と小夜子は七海の答えに苦笑する。

 

 此処は、詰め寄っても良い場面なのに、と小夜子は思う。

 

 我が儘を言っているのは、自分の方だ。

 

 少なくとも小夜子は、そう思っている。

 

 男性恐怖症故に他チームとの連携の密度が足らず、チームの足を引っ張った。

 

 明確に、自分の存在が部隊の足枷となっている。

 

 ならば、その解決を求めるのは、当然の事だ。

 

 少なくとも、今期那須隊を此処まで引っ張り上げた七海には、その権利がある。

 

 だというのに、こと此処に至っても七海は小夜子の事情を優先してくれている。

 

 それが、酷く申し訳なかった。

 

 問うて良い筈なのだ。

 

 何故、自分と話すのは大丈夫で他は駄目なのか、と。

 

 無論、問われたところでその答えを返す事は小夜子には出来ない。

 

 少なくとも今は、いや────────これからも、自分の恋心を表に出すつもりはないのだから。

 

 那須相手には色々言ったが、小夜子は二人の幸せを邪魔するつもりなどサラサラない。

 

 二人から離れて生きていけるとは思えないが、傍にいる方法は何も男女の関係になるだけが全てではない。

 

 仕事上のパートナーとして、或いは個人的な友人として、二人の傍にいられれば、小夜子はそれで充分なのだ。

 

 幸い、七海はこれまでの経験や無痛症が影響しているのか、自分に向けられた好意を察知する能力は酷く鈍い。

 

 明確に言葉にして伝えない限り、自分の想いがバレる事はそうないだろう。

 

 だからこそ、此処で七海に彼だけを特別扱いする理由を問われても、それに応える言葉を小夜子は持たない。

 

 彼女の決意は、献身は、それだけ固いのだから。

 

 だから、この場はその厚意に甘える他ない。

 

 もっとも。

 

「ありがとうございます。なら、そのご厚意に報いる事が出来るよう────────全力を、尽くします」

 

 ただ、甘えるばかりで終わるほど、小夜子の矜持は小さくはなかった。

 

「小夜子、それは……」

「ええ、次の試合からは、きちんと組んだチームと連携を取れるようにします。流石に直接通話だと私が思考停止に陥ってしまって本末転倒なので、別の手段を模索する事になりますが」

 

 小夜子は何も、虚勢や見栄でこう言っているのではない。

 

 彼女の男性恐怖症は生理現象の域に踏み込んでいる為、気合いや根性でどうにかなるものではない。

 

 つまり、必要なのだ。

 

 彼女が十全に他のチームと連携を密にする為には、明確な()()()が。

 

 まず、第一の前提として、小夜子は()()()()()()()()()()()()を聞いた時点で男性恐怖症の症状が発症する。

 

 電話等で声を聴いた場合もそれが明確に自分へ向けられたものであれば思考停止に陥り、目の前の異性から声をかけられた場合は下手をすればその場で失神する。

 

 故に、他のメンバーと行っているように直接通話を繋ぐ形での連絡はアウト。

 

 その為これまでの二試合では那須や七海に組んだチームからの報告を中継して貰って連携を行っていたが、その所為で二人の処理能力を圧迫していたという側面は否定出来ない。

 

 オペレーターが援護を行う為に戦闘の要であるエース二人に負担をかけるのは、正直に言って本末転倒だ。

 

 サポートを行う為に戦闘員に余分な負担を強いる、なんて事は本来あってはならないのだから。

 

「ですので、一手間を省いてみようと思います。先輩達に報告を受けて貰って、私がそれを拾う形で受け取ります。これならなんとかいける筈、ですから」

 

 要は、これまでは七海達に組んだチームからの報告を受けて貰い、それを言葉で小夜子に伝えていたが、それを今度からは七海達への報告を盗み聞く形で拾っていく、という事だ。

 

 報告を中継して貰う事に変わりはないが、七海の口から報告を聞く、という途中経過(プロセス)を省く事による手間の削減は小さくはない。

 

 精々が数秒程度のタイムラグであろうが、戦場におけるコンマ一秒というものは生死に直結する死活問題だ。

 

 一秒でも連携のタイムラグを減らす、という事はそれだけ勝利に貢献出来る事なのである。

 

「────────大丈夫なのか? その方法だと、小夜子の耳に直接男性の声が聞こえてしまう事になるが」

 

 懸念はある。

 

 果たして、その方法で小夜子が本当に男性恐怖症を発しないか、という事である。

 

 確かに、直接小夜子に向けられた言葉ではないだろう。

 

 だが、オペレーターである小夜子はイヤホンで連絡を受け取っている。

 

 イヤホンから流れ込む音声は、すぐ傍に相手がいるような錯覚を与えるには充分な()()がある。

 

 果たして、耳元で発せられる男性の声に小夜子が平常心を保てるか否か。

 

 こればかりは、実際にやってみる他ないだろう。

 

 実戦に勝る訓練は、無いのだから。

 

「ええ、やってみせますよ。そうでなきゃ、私は────────」

「────────はいストップ。無理はいけないよ~」

 

 ────────その贖罪(かくご)に、待ったをかけた者がいた。

 

 朗らかな、それでいて優しい女性の声。

 

 ふと、振り返る。

 

 そこには、二人の女性が立っていた。

 

「無茶と無謀は違うわ。下手に無理をしても、迷惑をかけるだけだと思うわ」

 

 一人は、橘高羽矢。

 

 小夜子のゲーム仲間にして、王子隊のオペレーター。

 

「そうだよ~。献身は美徳って言うけどさー、小夜ちゃんのそれはちょっと行き過ぎだよ~?」

 

 もう一人は、国近柚宇。

 

 同じく小夜子のゲーム仲間の一人で、太刀川隊のオペレーター。

 

 そして、小夜子のオペレートの師。

 

 小夜子の親友と言える少女達が、揃ってこの場にやって来ていた。

 

「え、羽矢さんに、柚宇さん……? なんで、ここに……?」

「なんでって、そりゃ私達を舐めてるね~? 小夜ちゃんの行動パターンくらい、見抜けないと思うてか」

 

 少しだけ本気のトーンを混ぜ、国近は告げる。

 

 その声に含まれた真摯な想いに、小夜子は思わず押し黙る。

 

 そんな彼女を見て、国近は溜め息を吐いた。

 

「小夜ちゃんの事だから、迷惑をかけたから無茶でもなんでもして報いよう、なんて思っただろうけど、考えが甘いんだよ~? 小夜ちゃんは自分が思う程強くもないし、出来る事には限度があるんだから」

「でも、私は────」

 

 それでも、やらないと、と小夜子が言いかける前に、国近はにへり、と笑って口を開いた。

 

「────────だから、代案を用意したよ~。小夜ちゃんが無理をせずどうにか出来る、とっておきをね~」

 

 思いも依らない、一言を告げて。



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志岐小夜子⑥

 

「一体、何をやろうってんです?」

「まあ、ここは私達を信じて貰える?」

「構いませんが……」

 

 小夜子は自分を此処に連れて来た羽矢に怪訝な目を向けつつも、一先ずは言う通りにする。

 

 既に那須達は帰宅しているので、此処には彼女と二人だけ。

 

 国近は七海と連れ添い、別の場所へ向かっていた。

 

 正直に言うと折角の七海との逢瀬をもう少し味遭いたかったという心境がないでもないので内心複雑な小夜子だが、そこはそれ。

 

 この友人二人が、何の考えもなしにこのような行動に出る事はない事くらい分かっている。

 

 その程度には信頼しているし、信用している。

 

 ゲームとオペレートを通じて培った友情は、伊達ではないのだ。

 

「ところで、柚宇さん達は何処へ向かったんです? そのくらい、教えてくれたっていいでしょう?」

「サプライズもいいけど、まあ教えとくのが筋よね。ま、とは言っても何の捻りもないわよ?」

 

 だって、と羽矢は続ける。

 

「────────向かったのは、技術開発室よ。流石に、男所帯のあそこに小夜子(あなた)を連れていくワケにはいかないからね」

 

 

 

 

「おう、よく来たな。日常用トリオン体(その身体)の調子は問題ないか?」

「はい、お陰様で。鬼怒田さん」

 

 七海がそう挨拶したのは、鬼怒田本吉(きぬたほんきち)

 

 この技術開発室のトップであり、七海の日常用トリオン体を作り出した張本人である。

 

 無痛症を患い日常生活を送る事が困難になった七海の為に微弱ながらも痛みを感じる事が出来る設定のトリオン体を試行錯誤の末開発し、提供してくれたのは誰あろうこの人物だ。

 

 七海にとっては、正真正銘恩人に当たる。

 

 彼が戦闘員を引退したら技術開発室に行く、などという未来展望を話す切っ掛けになったのも、鬼怒田の影響が大きい。

 

「フン、お前のそれは貴重なデータが得られるからな。くれぐれも無茶をして駄目になるなよ」

「肝に銘じておきます」

 

 鬼怒田は今のやり取りからも分かる通り、口は悪いが基本的には気遣いの人だ。

 

 露悪的に振舞う傾向があるが、その性根は善人そのもの。

 

 何せ、彼の離婚した原因というのが彼の妻と子供を強引に三門市の外に引っ越させた、というものだ。

 

 この三門市は、近界民(ネイバー)()()()()の侵攻が最も激しい都市である。

 

 不定期に開く門からトリオン兵が現れ、人々を拉致せんと襲い掛かる。

 

 ボーダーがなければ、今も尚この都市は悲劇で溢れかえっていたであろう事は言うまでもない。

 

 そして、ボーダーはこれまで巧く侵攻を防いでいるが、それでも()()は無い。

 

 この都市にいる限り、近界民に大切な人々を害される可能性は消せないのだ。

 

 鬼怒田は、その可能性を無視出来なかった。

 

 だからこそ敢えて妻子を突き放し、都市の外へと移動させた。

 

 離婚したのも、万が一自分に何かあった時を考えての事だろう。

 

 鬼怒田は戦闘員ではないが、その程度で危険から遠ざかっていると考える程馬鹿ではない。

 

 何せ、このボーダー本部は警戒区域のど真ん中に建造しているのだ。

 

 万が一の時に近界民の被害を受ける可能性は、0ではない。

 

 もしも()()()()()時、家族に負担をかけたくない。

 

 そんな想いが、鬼怒田にはあるのだろう。

 

 …………まあ、とうの元妻からは復縁を打診されているらしいという話を耳にしたりもしているので、意地になっている部分がある事は否定出来ないのだが。

 

 閑話休題(それはともかく)

 

 彼が人格者であり、頼りになる人物である事は間違いない。

 

 ならば当然、国近がこの場に七海を連れて来た事にも必ず意味がある。

 

 自身の考えを確かめるべく、七海は改めて国近の方を振り向いた。

 

「それで、国近さん。今から何をやろうって言うんですか?」

「勿論、さっき言った通り小夜子ちゃんの悩み解決だよ~。鬼怒田さんにも手伝って貰ったというか、ぶっちゃけいないとどうにもならなかったんだけどねー」

 

 そう言って国近はちらりと視線を向け、それを受けた鬼怒田はフン、と溜め息を吐いた。

 

「意義があるから手伝ったまでだ。A級になるやもしれん部隊付きオペレーターに作戦上の不都合があるといかんからな」

「素直じゃないね~」

「フン、なんの事だか」

 

 鬼怒田はあくまで口悪く吐き捨て、そっぽを向いた。

 

 しかし話を進める為か、国近の方に向き直る。

 

「さっさと始めるぞ。時間は有限なんだからな」

 

 

 

 

『はろはろ~、小夜ちゃん聞こえてる~?』

「聞こえてますけど、一体なんです? 技術開発室にいる、ってのは聞いてますけど」

 

 いきなり繋がった通信に怪訝な顔をしつつも、小夜子は国近の声に耳を傾ける。

 

 小夜子への配慮の為か技術開発室の男性職員を映さないように音声のみの通信をして来た国近の声は、心なしか弾んでいる。

 

 それなりの付き合いのある小夜子には分かる。

 

 あれは、何か悪巧みをしている時の声に似ている。

 

 悪巧みと言っても、サプライズとかそういう類のものであるが。

 

 具体例を出すならば、誕生日の時に絶版のレアモノゲームソフトをプレゼントしてくれたり、さりげなく七海と二人きりの時間を作れるよう誘導してくれた時等が当たる。

 

 ともあれ、何かしらの善意に基いたサプライズイベントを企画しているであろう事に疑いはない。

 

 先程の会話から小夜子のオペレートに関する弱点を補強する方策があるようだが、現時点では見当もつかない。

 

聞こえていますか、志岐(聞こえておるか、志岐)

「え……?」

 

 だから、通信越しに聞こえて来たその()()()()に目を丸くした。

 

 声質自体は耳慣れた、緊急脱出の時等に聞こえる機械音声だ。

 

 しかし何処か人間的なニュアンスも感じられ、それと全く同じとも思えない。

 

 目を点にしている小夜子を見て、通信越しに笑い声が聞こえた。

 

『さて、今のは誰からの通信でしょーか?』

「え、今のが通信だったんですか? 機械音声(アナウンス)ではなく?」

『そうだよー? 今のはねー、鬼怒田さんからの通信だったんだー』

「え……?」

 

 今度こそ、小夜子は目を見開いた。

 

 鬼怒田の、紛れもない男性からの通信。

 

 なのに、小夜子の男性恐怖症は欠片も反応しなかった。

 

 いや、そもそも今の声は何だったのか、という問題がある。

 

 疑問符を浮かべる小夜子に対し、国近はにこやかに解説する。

 

『小夜ちゃんのそれはきっと、男の人と話すっていう状況自体が引き金になってるっぽいからねー。男との会話自体が怖いんだから、面と向かっての話はまず無理でしょー?』

「でも、考えてみれば小夜子はゲームに出て来る男性ボイスとかを怖がる様子はないわよね? それはなんで?」

「え? それはまあ、ゲームの中のキャラは、私に向かって話しかけているワケではないですし」

 

 国近と羽矢の問いに、小夜子は逡巡しながらもそう答えた。

 

 サブカルチャーが趣味の小夜子は数々のゲームで遊んでいるが、男性キャラが出て来るゲームも普通にこなしている。

 

 時々遊んでいる格闘ゲームでも、メインの持ちキャラは男性キャラだ。

 

 その事から、男性の存在自体が怖いというよりは、男性との会話と言う()()()()()()()()()()()()()()()があると言った方が正しい。

 

 要するに、()()()()()()()()()()()という意識が問題になる、という事だ。

 

『だから、考えたんだー。通信を機械音声に変換すれば、男の人と会話してるっていう意識からは外れるんじゃないかな、って』

「あ……」

 

 此処に来て、小夜子はようやく理解した。

 

 何の事はない。

 

 国近達がやった事は、単純明快。

 

 ボイスチェンジャーの要領で、男性の声を機械音声(無機物)の声に変換した。

 

 言葉にしてみれば簡単な。

 

 しかし、盲点でもあった解決策である。

 

 この解決策は、国近達でなければ思いつかなかったであろう。

 

 七海達は小夜子の影響で多少ゲームを嗜んでいるものの、彼女ほどどっぷり浸かっているワケではない。

 

 サブカルチャーへの造詣が深い国近達だからこそ思いついた、乾坤一擲の策と言えよう。

 

 男と会話しているという意識が駄目なら、その意識自体が外れるよう誘導してしまえば良い。

 

 その手段として用いたのが、機械音声(アナウンス)

 

 人との会話ではなく、機械からの情報提供という形式。

 

 それに見立てる事によって、小夜子の心的外傷(トラウマ)発症を防ぐ。

 

 満を持して開帳した、国近達渾身のサプライズイベントであった。

 

『これでも、苦労したんだよー? ただ声を変えるだけじゃなくて、口調とかを変えてもニュアンスが伝わるように私達も色々協力したんだしねー』

「手間はかかったけど、なんだか声優にでもなったみたいで楽しかったわ。良い経験だったわね」

 

 あっけらかんと告げる友人達の言葉に、小夜子はポカンと口を空けていた。

 

 事態を理解するのに、数秒。

 

 そして現状全ての理解を終えた小夜子の瞳に、涙が滲んだ。

 

「ふ、二人とも…………ありがとう、ございます……っ!」

『良いって良いって。友達だもんねー』

「ええ、このくらいお安い御用よ。むしろ、もっと早くに思いついていれば良かったわ」

 

 感極まった小夜子の謝意を、国近達は笑って受け入れた。

 

 つい先ほどまで部隊同士相争う好敵手(ライバル)同士であったが、そこはそれ。

 

 試合では戦う相手でも、彼女達が友人同士である事実は揺るがない。

 

 むしろ、全力でぶつかり合ったからこそ、繋がりが深まったと言っても過言ではない。

 

 好敵手ではあっても、()ではないのだから。

 

 

 

 

「…………敵わないな。これは、俺では出来なかった方法だ」

 

 通信越しに涙ぐむ小夜子の声を聞いて、七海は思わず溜め息を漏らす。

 

 この解決方法は、七海には想像する事すら出来なかったやり方だ。

 

 オペレーターとしての技術や、柔軟な発想力。

 

 それがあったからこそ出来た、彼女達ならではの方法と言える。

 

 小夜子が今回の試験のオペレートに関して悩んでいた事は、七海も承知していた。

 

 これまでは、問題はなかった。

 

 那須隊は七海という黒一点の例外を除いて全員が女性のチームであり、小夜子が男性と会話する必要性はまるで無かった。

 

 しかし、A級部隊との共闘となれば、相手のチームとこちらのオペレーターが直接会話が出来ないというのは紛れもなく大きなデメリットである。

 

 それを理解して、しかしどうしようもなかったからこそ、小夜子は一人罪悪感を抱えていた。

 

 七海に出来た事と言えば、「それでも構わない」とフォローした程度である。

 

 だが、国近達は問題そのものに具体的な解決策を示し、それを成し遂げてしまった。

 

 喜ばしいのは勿論だが、チームメイトである自分が何も出来なかった事に関しては、思うところがないワケではないのである。

 

「まあまあ、しょげないしょげない。適材適所、ってやつだねー。私も頑張ったのだよー」

「普通の勉強も、その調子でやってくれれば良いのだがな」

「あ、あははー」

 

 鬼怒田の苦言に乾いた笑いを漏らす国近だが、すぐに真剣な表情になって七海に向き直る。

 

「ともかく、こういうハード面をなんとかするのは私達の仕事って事で納得しといてよ。精神(ソフト)の方は、七海くんが一番適任なんだしねー」

「俺に、カウンセリングの才能はないと思いますが」

「そういう事じゃないの。()()()()()()()、適任なの」

 

 有無を言わさぬ口調で、国近は告げる。

 

 常にほわほわしている雰囲気の彼女がするにしては珍しい語気の強さに、七海は思わず面食らった。

 

「何も言わずに一緒にいて、話してあげて。多分、それが一番小夜ちゃんには効くからね。こればっかりは、七海くんの仕事だから。出来るよね?」

「ええ、当然です」

「言質取ったよー? 破ったら怖いんだからねー」

 

 にへら、と普段の笑みを見せながら、国近はポンポン、と七海の肩を叩いた。

 

「小夜ちゃんのメンタルは、良くも悪くも君次第だからねー。コミュを欠かすと、グッドエンドのフラグを取り損ねちゃうんだから」

「一体、何の話です……?」

「良いの良いの。取り合えず納得しといてー」

 

 そうですか、と七海は深く考えずに頷いた。

 

 サブカル関係の俗語(スラング)である事は分かるが、意味までは分からない。

 

 しかし念押しされている事は伝わったので、七海としては否は無い。

 

 小夜子は、大切なチームの一員だ。

 

 気にかける事は当然だし、何かあればフォローする。

 

 それが、今までチームに貢献して来た小夜子に対する、精一杯の報い方なのだから。

 

「じゃ、小夜ちゃんは頼んだよー。ちゃんと男を見せてよねー」

「はい。今日は本当に、ありがとうございました」

 

 そう言って、七海は国近へ、鬼怒田へ頭を下げた。

 

 それを見て国近は笑みを浮かべ、鬼怒田は溜め息を吐いた。

 

 こうして、小夜子の抱える問題は、解決の日の目を見たのであった。





 うちの小夜子ちゃんの男性恐怖症は原作より深刻なものになっています。

 明確に過去のトラウマエピソードを挿入してあるので、原作では可能だった「あの場」への参加とかもまず無理です。

 過去が違えば、色々と差異は出るものですからね。


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七海と那須⑦

「構って、玲一。今度は私の番だから」

「別に構わないけど、いきなりどうしたんだ?」

 

 那須邸、七海の部屋。

 

 帰宅した七海を待っていたのは、自分の部屋で仁王立ちしていた那須の姿だった。

 

 彼女は普段通りに見えて、いつもとは何処かが違っていた。

 

 有り体に言えば、どうにも不安定に見えたのだ。

 

 美しい(かんばせ)は緊張の為か引き締まり、眼は逸らさないようにしているようだが時折忙しなく揺れている。

 

 たとえるならそれは、あのROUND3の出来事以前の彼女によく似ていた。

 

 理由は分からないが、今の彼女が何らかの()()を抱えている事は確かだろう。

 

 故に、七海は動けなかった。

 

 彼女は有無を言わさずそんな七海をベッドに座らせると、当然の如くその隣に寄り添った。

 

「いいから、構って。理由は言えないけど、そういう気分なの」

「まあ、それは構わないけど」

「それでいいわ」

 

 七海の返答に満足したのか、那須はそっとその頭をこつん、と七海の肩に乗せた。

 

 華奢な少女の身体が七海に寄り添い、柔らかな肢体が密着する。

 

 那須はそのまま七海の感触を堪能するように目を閉じ、猫のようにその身体を擦り付けた。

 

 ふわりと、感覚の鈍った七海の嗅覚に甘い少女の体臭が香る。

 

 無痛症の影響で性欲が減衰している七海はそれに興奮こそしないが、愛しい少女の匂いはハーブのように彼の心を安らげる。

 

 自分の場所は此処にある、大切なものは傍にいるのだと、安心出来る。

 

 彼女は、那須玲は。

 

 七海玲一にとって。

 

 なくてはならない、比翼連理の片割れなのだと。

 

 そう、心が。

 

 魂が、感じている。

 

 突然の行動に面食らいはしたが、彼女が寄り添いたいと願うのであれば元より七海に否は無い。

 

 今の七海は、以前のような盲目的なイエスマンではないけれど。

 

 それでも、愛しい少女の想い(ねがい)は、可能な限り叶えてやりたいと考えているのだから。

 

「ん…………ありがと。何も言わずに、思う通りにしてくれて」

 

 暫く七海と密着していた那須は、そう言って漸く顔を上げた。

 

 その表情に先程のような憂いはなく、普段の彼女そのものに見える。

 

 七海と触れ合い、その存在を確かめた事で、精神が安定したのだろう。

 

 その顔は、何処か晴れやかだった。

 

「構わない。何が原因かは分からないが、この程度で玲が元気になるなら願ってもない」

「…………聞かないの?」

 

 なんでこんな事をしたかを、と続けようとする那須を制し、七海は口を開いた。

 

「聞かない。玲が言わないって事は、その方が良いって判断してるって事だろう? なら、俺から根掘り葉掘り聞く必要は感じられないな」

「そう……」

 

 那須は七海の返答に嘆息し、苦笑した。

 

 本当ならば、七海は聞く権利がある筈だ。

 

 何故、急にこんな行動をしたのか。

 

 そして、その理由を話さないのかを。

 

 幾ら女心が繊細で複雑怪奇なものとはいえ、那須が先程明確に不安を抱いていたのは確か。

 

 ならば、その切っ掛けとなった出来事があって然るべき。

 

 少なくとも、ROUND3以前はともかく、今の彼女は理由もなしに情緒不安定になるほど脆くはないのだから。

 

 それを分かっていながら、七海はその理由を問い質そうとはしない。

 

 以前のような、盲目的な従属ではない。

 

 ただ、那須を、彼女を信じているから。

 

 信頼しているからこそ、無理に聞き出そうとはしない。

 

 それだけの事なのだ。

 

(…………これまで、そんな玲一に甘えて来たけれど────────本当に、このままでいいの? 玲一に()()()を見せる事すらなく、小夜ちゃんを蔑ろにし続けていいの?)

 

 七海に存分に甘え、心が満たされた。

 

 有り体に言えば、冷静になった。

 

 だからこそ、自分の置かれた状況を、()()()してしまった。

 

 これまで無意識に目を背けていた問題に、意識を向けてしまった。

 

 果たして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事に。

 

 小夜子は、七海を異性として好いている。

 

 ROUND3の後、塞ぎ込んでいた那須の下へ殴り込んで来た時に告げられた想いは、彼女の本心そのものだ。

 

 七海を愛している。

 

 女性として、身を捧げても良いと本気で思っている。

 

 しかし、小夜子はそれを七海に告げる気は無いのだという。

 

 ────────私、七海先輩に恋してますけど、那須先輩の事も大好きなんです。私が諦めるだけで、二人が幸せになれるなら────ホラ、迷う必要なんてないじゃないですか────────

 

 小夜子はあの時、こう言っていた。

 

 七海が好きなのは、本当だ。

 

 けれど、七海と那須の幸せの為に、自分は身を引くのだと。

 

 そう、告げていた。

 

(小夜ちゃん……)

 

 那須は、想起する。

 

 自分が、部屋から立ち去った直後。

 

 室内に残った小夜子が、一人呟いた言葉を。

 

 ────────勝てないなあ、ホント────────

 

 恐らくそれは、彼女の本心の吐露。

 

 小夜子自身、誰に聞かせるつもりもなかったであろう呟き。

 

 しかし、那須はその告解(ことば)を、しっかりと記憶してしまっていた。

 

 いや、脳裏に刻まれた、と言っても良いだろう。

 

 小夜子は七海と那須の幸せの為に諦める、と言っていたが、それだけが全てではない。

 

 ────────あのですね。私も同じ人を好きになった女ですから、分かるんですよ。自分の好きな人の想いが、()()()()()()()()くらいは────────

 

 小夜子はあの時、そう言っていた。

 

 七海が誰を好いているか。

 

 その想いが、何処に向いているか。

 

 理解している、と。

 

 那須は、知っている。

 

 七海が、自分を女性として見てくれている事を。

 

 己惚れでもなんでもなく。

 

 ただの事実として、それを知っている。

 

 負い目で雁字搦めになっていたあの時とは、違う。

 

 今の那須は、正しく自分と七海の関係性を理解出来ている。

 

 そして、小夜子が諦めた最大の原因は、それだろう。

 

 たとえ告白したところで、七海が彼女を受け入れる事は無い。

 

 それが分かっているからこそ、小夜子は身を引く決意をした。

 

 そうに違いないと、那須は思った。

 

 だって、自分なら耐えられない。

 

 振られる事が分かっているのに、想いを告げる事なんて。

 

 自分の想いを砕く為だけに、告白する事なんて。

 

 那須(じぶん)なら、無理だ。

 

 そんな事をするくらいなら、居心地の良い関係に甘んじる。

 

 その方が、ずっとマシだ。

 

 だって、そうすれば少なくとも想い人の傍にいる事くらいは許される。

 

 恋に恋して。

 

 恋に焦がれて。

 

 幸せな夢想に、現実逃避でしかないと知っていても────────浸っている事が、出来るのだから。

 

 ────────その夢を砕けば、玲一は私一人のものよね────────

 

「……っ!!??」

 

 瞬間、那須は脳裏に過った自らの思考に戦慄した。

 

 それは、悪魔の囁き。

 

 七海に小夜子の想いを伝えて、ハッキリと断るよう誘導すれば。

 

 真実、七海は那須だけのモノになる。

 

 そんな想いを、魔が差したとはいえ────────ほんのひと欠片でも、抱いてしまったのだから。

 

(何を、私は今、何を考えたの……っ!? そんな、そんな小夜ちゃんを裏切るような真似を、私は……っ!!)

 

 那須は、自らが抱いてしまった想いを自覚し、嫌悪した。

 

 自分の、浅ましさを。

 

 自分の、醜さを。

 

 自分の、女としての性を。

 

 何故、そんな考えを抱いてしまったかは分かっている。

 

 もしも、七海に何のしがらみもなしに自分と小夜子のどちらを選ぶか問うた時。

 

 ほんの少しでも。

 

 万に一つの可能性でも。

 

 小夜子が、選ばれる事があるかもしれない。

 

 そんな考えが、心の何処かにあったのだ。

 

 那須は七海と同じく、自己評価がとても低い。

 

 自分の容姿が優れている事はある程度自覚はしているが、自分が立派な人間だとは欠片も考えていない。

 

 小夜子が尽力したあの一件のお陰で大分マシになったとはいえ、彼女の思考は基本的に悲観的(ネガティブ)だ。

 

 自分自身の価値を、信じる事が出来ない。

 

 あの一件以来少しでも自立しようと努力はしているが、性根の卑屈さというものは中々変えられるものではない。

 

 幼少期に七海と言う依存対象に出会っていなければまた違った精神性を獲得していたのだろうが、少なくとも今の那須の心の支柱は七海を芯に据えている。

 

 だから、七海が前に立つ分には幾らでも強気になれるが────────逆に、自分自身()()の価値を問われた時、自らに自信を持つ事が出来ない。

 

 七海が自分を好いてくれているのも、ただ自分の方が出会うのが早かったから、という思い込みを未だに抱いている。

 

(こんな私なんかより、小夜ちゃんの方が玲一には相応しいのかな。こんなんじゃ、玲一と一緒にいる資格なんて────────)

 

 ネガティブな思考を錯綜させ、悪循環に陥っていく。

 

 那須は自分自身への評価が低い反面、身内への評価は相当に高い。

 

 特に、公私共に自分達を支えてくれた小夜子に関しては、絶大な信頼を寄せている。

 

 だから、女性としても、人間としても、小夜子の方が自分より()だと考えてしまっているのだ。

 

 無論、それは彼女の思い込みだ。

 

 二人の間に優劣はなく、どちらが上という事も無い。

 

 しかし、那須はその自罰的な思考傾向からどんどん悪い方へ考えを巡らせてしまっている。

 

 自己嫌悪の、堂々巡り(スパイラル)

 

 今那須は、それに陥っていた。

 

(…………やっぱり、言おう。そして、小夜ちゃんを────────)

 

 選んで貰おう、そんな最悪の思考を口にする。

 

 その覚悟を決めて、那須は────────。

 

「────────い、玲……っ!」

「え……?」

 

 ────────七海の声で、顔を上げた。

 

 見ると、七海が何処か心配そうな表情で那須の顔を覗き込んでいた。

 

 どうやら、思考の迷路に嵌まってしまい彼の言葉が何も聞こえていなかったようだ。

 

「大丈夫か? 電話、鳴ってるけど」

「え……? あ、ホントだ」

 

 聞こえていなかったのは、どうやら七海の声だけではないらしい。

 

 気付けば、那須の携帯がバイブレーションと共に着信音を鳴らしていた。

 

 慌てて部屋から出て携帯を取ると、そこに表示されていた名前を見て那須は目を見開いた。

 

 志岐小夜子。

 

 携帯の着信画面には、たった今考えを巡らせていた友人の名が映っていたのだから。

 

「もしもし」

『あ、やっと出ましたね。血迷う前に間に合いましたか?』

 

 開口一番、あっけらかんとそう告げる小夜子の声に、那須は困惑する。

 

 その声は、言葉は、まるで彼女の思考を読んでいたかのような鋭さがあったからだ。

 

「え、なんで……」

『なんでも何も、那須先輩は相当分かり易い性格してますからね。今頃、血迷って馬鹿な事をしでかそうとしてるんじゃないかなー、って予想しただけですよ』

 

 その様子ですと、図星みたいですね、と小夜子は電話の向こうで苦笑した。

 

 思いも依らぬ言葉に、那須は絶句するしかない。

 

 まさか、自分の行動をこうまで予測して動いて来るとは、流石に予想外だったからだ。

 

『ちょっとは学習しましょうよ、那須先輩。先輩の行動を言い当てたのは、これが初めてじゃないでしょうに』

「そういえば……」

 

 確かに、以前にも似たような事はあった。

 

 あれは、七海が小夜子の匂いを付けて来た日。

 

 那須がそれに気付いて問い詰めた際、狙っていたとしか思えないタイミングで小夜子がこうして電話をかけて来て状況説明を行ったのだ。

 

 言われてみれば、その時と今の状況はそっくりだった。

 

『今回は、七海先輩には随分お世話になりましたからね。甘えちゃったのは事実ですし、そこは釈明しません。まあ、七海先輩が帰るなり那須先輩も埋め合わせとして甘えてたんでしょうしね』

「そこまで、分かるんだ……」

『分かりますよ。大好きな先輩達の事ですからね』

 

 伊達に恋する乙女してません、と小夜子は苦笑する。

 

 那須はなんと言って良いか分からず困惑するが、小夜子は構わず話を続けた。

 

『それで、一通り甘えた後で冷静になって、馬鹿な事考えたんじゃないですか? 私に報いる為に身を引こうとか、そんな感じで』

「だって、私は────────」

『────────怒りますよ? その先を言ったら。私の言った事、もう忘れちゃったんですか?』

「……っ!」

 

 本気のトーンで告げられた小夜子の声に、那須は押し黙った。

 

 迫力に押されたのもある。

 

 しかし何より、その声には本気の怒りが感じられたからだ。

 

『言った筈ですよ。私は、七海先輩と那須先輩、お二方の幸せこそが第一だって。お二人が相思相愛なのは、今更確認するまでもないでしょう?

 だったら、私は単なるお邪魔虫です。本当なら、金輪際近付くな、くらいの事は言っても良い筈なんです』

 

 でも、と小夜子は続ける。

 

『だから、私は七海先輩の傍にいる代わりに、自分の想いを押し込める事にしたんです。そうでなきゃ、先輩達と共にいる事なんて出来ない。これは、私なりの妥協案なんですよ』

「でも、小夜ちゃんはこんなに頑張ってくれているのに、私は────────」

『黙って下さい。今は、私の話す番(ターン)です』

 

 尚も言い募ろうとする那須に対し、小夜子はぴしゃりとそう告げた。

 

 割と引っ込み思案な那須としては、こうなると押し黙る他ない。

 

 那須が無言になった事を確認し、小夜子は続けた。

 

『折角、長年のしがらみがどうにかなったんです。先輩達にはこのまま、幸せな結末(ハッピーエンド)に向かって突き進んで欲しいんですよ。これまで散々苦労したんですから、そうじゃなきゃ嘘ってもんです』

 

 ですから、と小夜子は告げた。

 

『私の事は気にせず、幸せになる事だけ考えて下さい。それが、私の一番の望みなんですから』

 

 ────────その言葉は、確かな重みを感じられた。

 

 強がりは、あるだろう。

 

 虚勢も、あるかもしれない。

 

 けれど。

 

 けれど。

 

 那須や七海の幸せを願うその想いは、紛れもなく本物だった。

 

 その想いを、覚悟を。

 

 こうまで示されては、那須は受け入れるしかない。

 

 それが、この後輩への。

 

 大切な友人への、一番の報い方だと、理解してしまったのだから。

 

「ごめんね、小夜ちゃん。私、幸せになる。小夜ちゃんの想いは、このまま墓まで持っていく」

『それでいいんですよ。悪いと思うなら、これまで通り少しのおいたは目溢しして下さい。私は、それだけで良いですから』

 

 あ、ちなみに、と小夜子は続けた。

 

『────────もしも変な気を起こして七海先輩に私の気持ちを告げた場合、速攻で寝取りに行きますから。くれぐれも馬鹿な真似はしないで下さいね』

「う、うん。分かった。しない」

『よろしい』

 

 これで安心ですね、と小夜子は笑ったが、那須としては全く笑えなかった。

 

 何故なら。

 

 今の言葉は、一字一句。

 

 何の誇張もない、本気のトーンで告げられていたのだから。

 

 女は怖い。

 

 那須は改めて、女の情念の底知れなさというものを、思い知ったのであった。



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ビッグトリオンルール

部隊順位得点
二宮隊 1位26Pt 
那須隊 2位25Pt 
影浦隊 3位21Pt 
香取隊 4位16Pt 
弓場隊 5位15Pt 
生駒隊 6位12Pt 
王子隊 7位11Pt 

 

「僅かだけど、二宮隊の上は取れなかったか……」

 

 七海は表示されたポイント表を見て、軽く溜め息を吐いた。

 

 結局部屋にやって来た那須とそのまま添い寝をした七海は、今朝方携帯端末に通達されていた昨日の試験結果を反映させた各隊の順位を確認していた。

 

 結果として、二宮隊には僅か1ポイント及ばなかった。

 

 今回那須隊は11ポイントという大量得点を獲得していたが、二宮隊も同等の大量点を得ている。

 

 流石は、元A級部隊と言えるだろう。

 

 困難な筈のA級隊員撃破も、難なくこなしている。

 

 このまま、僅差であっても二宮隊のポイントを上回れないままではマズイ。

 

 試験の説明では「順位だけで全てが決まるワケではない」との事だったが、各隊の順位が結果に大きく繋がっているであろう事は明白だ。

 

 思うに、風間がそう告げたのは「ただ強いだけでA級になれるワケではない」という事を伝えたかったのだろう。

 

 A級隊員は、B級隊員とは一線を画する存在だ。

 

 トリガーの改造を本格的に行う事が出来たり、B級と比較して組織の中での立ち位置も大分変わって来る。

 

 組織からの信頼度の大きさ、それが違う。

 

 たとえば、C級隊員は普通の職場で言えばアルバイト、どころか研修生、もしくは見学のような扱いだ。

 

 組織の機密に触れる機会などまず無いし、大きな仕事を任される事もない。

 

 B級は、いわば正職員だ。

 

 本格的にボーダーの業務に関わる事が許され、いち戦闘員としての扱いを受ける。

 

 トリガーの制限も解除され、ボーダー隊員としての職務を全う出来るようになるのだ。

 

 そして、A級隊員は幹部、もしくは経験を積んだ上席職員といったところだろう。

 

 場合によっては組織の機密に触れる事もあり、重要な役割を任される事もある。

 

 更に、出張────────即ち近界への遠征が行えるようになるのも、A級隊員からだ。

 

 遠征の選抜がA級隊員のみからというのは遠征艇の大きさの問題もあるが、何よりボーダーの庇護の届かない近界という異世界に向かうにあたり、相当の実力と信頼性が必要となるからだ。

 

 力の足りない者を遠征に連れて行くのは自殺行為そのものだし、その者だけではなく他の人員も危険に晒す。

 

 更に、人間的に信頼がおける人物かどうかというのも重要だ。

 

 この場合、必要なのは作戦行動の徹底と職業倫理の順守である。

 

 基本的に、遠征は何らかの目的があって行われる。

 

 それは近界に拉致された人員の救助であったり、未知のトリガーを鹵獲・解析する事であったりする。

 

 その作戦目標の為に行動するのは当然だし、作戦外の行動は危急を要する場合を除き行うべきではない。

 

 遠征先で好き勝手に動いて余計な危険を呼び込むなど、当然論外だ。

 

 また、遠征はあくまで近界へ向かい何らかの利益を取得する為に行うものであり、まかり間違っても近界の惑星国家に喧嘩を売る為ではない。

 

 その為、近界民への憎悪を制御出来ていない者は、当然選考から外される。

 

 独断専行をしかねない危険因子を、遠征に連れて行くワケにはいかないからだ。

 

 これは公式見解ではないが、恐らく事実であろう。

 

 他ならぬ風間が、遠征に関する話題でそう口にしていたからだ。

 

 そして今回、その風間は試験官の一人である。

 

 少なくとも、実力だけではなく人間性も鑑みて結果を出すであろう事は言うまでもない。

 

 これは七海の私見だが、遠征選抜は個人的な目的を持って参加しようとする者ほど、選考から漏れ易いのではないかと考えている。

 

 個人的な目的があるという事は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事でもあるからだ。

 

 故に、明確に救出したい人員が要る等の目的を持った人物ほど、遠征から弾かれる可能性が高いのではないかと考える。

 

 遠征目的とその個人の目的が合致している場合でもない限り、そういった人物が遠征に参加する事は難しいのではないか。

 

 そういう意味で、二宮が今回の試験を通るか否かは微妙なところだ。

 

 二宮は、個人的な目的を持ってA級に復帰しようとしているらしいからだ。

 

 以前二宮は、七海に対して直接自分の隊への引き抜きを打診した。

 

 それも隊長である那須を通さず、七海をいきなり呼び出して、である。

 

 今にして思えば、少々どころではなく非常識だ。

 

 故にそれだけ、二宮はA級へ戻る事を熱望しているという事になる。

 

 そこまでしてA級に戻ろうとする理由など、遠征以外に考えられない。

 

 確かな証拠────────いや、()()もある。

 

 あの勧誘の時、二宮は言っていた。

 

 「自分には、遠征を目指す理由がある」と。

 

 つまり、いるのだろう。

 

 近界から連れ戻したい、()()が。

 

 それが誰か、そしてどんな事情を抱えているかは、七海には知る由もない。

 

 もしかすると犬飼あたりに聞けば以前の件の迷惑料代わりに教えてくれるかもしれないが、そもそも七海にそこまで踏み込む理由はない。

 

 影浦等と違って、二宮個人とはそう親しくはないし、プライベートに干渉するような間柄でもないからだ。

 

 七海個人の手に抱えられるものには、限りがある。

 

 だからこそ不用意に他人の事情に手を出そうとは思わないし、自分が動いただけで全てがどうにかなると思うほど己惚れてもいない。

 

 人間一人で出来る事など、たかが知れている。

 

 荷物の取捨選択は、生きていく上で必須なのだ。

 

 ともあれ、二宮がA級に戻りたがっている事情は、恐らく上層部も把握している。

 

 もしかすると上層部に近い風間なども知っているかもしれないが、ともあれ二宮に危うい面がある事を彼等は知っているワケだ。

 

 故に二宮隊がどんなにポイントを稼ごうと、A級入りの座を奪われる心配はない────────とは、決して言えない。

 

 何故ならば、とうの二宮が言っていたからだ。

 

 「試験をパスすれば、条件付きでA級に戻る事が出来る」と。

 

 あの時の文脈から、忍田本部長と何らかの取引があった事は窺い知れる。

 

 そして試験さえ通ればA級に戻れると断言している以上、二宮隊を軽視する事は明確な悪手だ。

 

 A級を目指すにあたっての最大のライバルとして、警戒しなければいけないだろう。

 

「出来れば次は、点数的には四人部隊と当たりたいな。此処で二宮隊の上を取るには、それが一番手っ取り早い」

 

 試験を行うにあたって、相手の人数が多ければ多いほど当然取得可能な得点は多くなる。

 

 このA級昇格試験に参加しているB級部隊の中で、四人部隊は那須隊を除けば二チームのみ。

 

 生駒隊と、弓場隊である。

 

 無論、人数が多ければその分取れる戦略も多様になり、苦戦は必至だ。

 

 しかし、状況はそんな事を言っている場合ではない。

 

 このままいけば、二宮隊は次の試合でも大量得点を取りかねない。

 

 二宮隊は、ただでさえ二宮という歩くMAP兵器がいるのだ。

 

 つまるところ、二宮隊の最も強力な戦術は、足場を整えた上で二宮を自由に暴れさせる事である。

 

 ただでさえ、二宮隊には犬飼という反則的なサポート能力を誇る人物がいるのだ。

 

 そこにA級部隊の補助が加わり、二宮が十全なパフォーマンスを発揮出来るようになれば。

 

 大量得点など、容易く取れても不思議ではない。

 

 個人総合二位の実力は、伊達ではないのだ。

 

 だからこそ、次の試合でも一点でも多く点を取る必要がある。

 

 その為には、相対する相手は四人チームの方が都合が良い。

 

 多少のリスクを引き換えにしてでも、一点でも多く得点を稼ぐ。

 

 そのくらいの心意気がなければ、二宮隊には勝てないだろう。

 

「今回は、ルールがルールだしな」

 

 七海は一人呟くと、手元の端末に表示された第三試合の()()()()()に目を向けた。

 

 『ビッグトリオンルール』

 

 ①試合開始前に参加するB級部隊員の中から一人を選び、試合中その隊員のトリオン量を評価値14相当に設定する。

 

 ②この方法で選んだ隊員が落とされた場合、落としたチームは追加点一点を得る。

 

 ③試合中一度のみ、この方法で選んだ隊員が同じ部隊の隊員の半径5メートル以内で緊急脱出した場合、その隊員のトリオン量を評価値14相当に設定する。

 

 ④③の方法でトリオン評価値14相当になった隊員が緊急脱出した場合、落としたチームは一点の追加点を獲得し、その時点で試合終了となる。

 

「また、癖のあるルールになったな」

 

 改めて表示されたルールを見て、七海は溜め息を吐いた。

 

 隊員を一人選択し、評価値14相当────────即ち、あの二宮級のトリオンとする。

 

 つまり、自部隊の中から一人、トリオン強者を作り出すルールである。

 

 言うまでもなく、ランク戦においてトリオン量というものは重要だ。

 

 ブレードトリガーメインの攻撃手となるとそうでもないが、射手や銃手等はトリオン量が多ければ多い程有利なのは言うまでもない。

 

 何せ、トリオンが多ければ弾丸の威力が上がり、強力な弾幕を張る事が出来る。

 

 また、狙撃手トリガー等は明確にトリオン量によって性能が向上する。

 

 ライトニングはまさに閃光そのものの一撃と化し、アイビスは防御不能の攻撃同然となる。

 

 そしてなにより、トリオン切れでの緊急脱出の危険もトリオン量が多ければさほど心配する必要はなくなる。

 

 トリオン量さえ多ければ勝てるというものではないが、少なくとも多ければ多い程優位に立てるのは事実である。

 

 二宮の場合はその恵まれたトリオン量と本人の高い技量が両立した、一番厄介なタイプだ。

 

 ただの力押しではなく、その技術も一流で策を用いる事すらある。

 

 持って生まれた力に頼るだけではなく、自己研鑽を欠かさなかった傑物である。

 

 ともあれ、その二宮級のトリオンが得られるというのは、大きなメリットだ。

 

 第三試合では、誰にその恩恵を与えるかが勝負の分かれ目になりそうである。

 

(順当に考えれば、玲のトリオン量を上げるのが一番手っ取り早い。玲は射手だから、上がったトリオンを充分以上に有効活用出来るだろう。だけど、逆に言えばそれは相手からも推測が容易という事になる)

 

 那須隊の中でトリオン量を上げて明確に強さが増すのは、言うまでもなく那須である。

 

 射手である那須はトリオン量が明確に実力に直結する為、ある意味一番分かり易く強くなるのだ。

 

 つまり、それだけ相手からしても()()()()()()()()という事になる。

 

 このルールは、実際に戦闘を見るまで誰がトリオン量を上げたか判別が出来ない。

 

 故に本来トリオン量が少ない隊員のトリオンを上げての不意打ちは有効な奇襲と成り得るが、那須の場合は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()である為相手から見ても奇襲の察知は容易なのだ。

 

 分かり易く強くなるからこそ、一番の警戒対象に成り得る。

 

 そういうデメリットを、那須は抱えているのだ。

 

(けど、このルールを玲に適用出来ないのは惜しいといえば惜しい。選択肢からの排除は早計か。そのあたりも含めて、後で志岐と相談するか)

 

 とはいえ、那須のトリオンが増えれば有利なのは言うまでもない。

 

 奇襲性は薄れるかもしれないが、有効な手段である事は間違い無い。

 

 那須のトリオン評価値は、『7』。

 

 それが倍になるとなれば、相当な強化になる。

 

 弾丸の威力も上がるし、残弾を気にする必要もなくなる。

 

 現時点では、選択肢から外すべきではないだろう。

 

 後で、作戦担当(小夜子)と話し合って決めれば良いだけの話だ。

 

「ん………」

 

 他の女性の事(そんな事)を考えていたからか、隣で寝ていた那須が目を覚ます。

 

 寝ぼけ眼で身体を起こした那須は、目をこすりながらぼーっと七海を見詰めた。

 

「……おはよう、玲一」

「ああ、おはよう。良く眠れたか?」

「うん。安心して眠れたよ」

 

 那須はそう言って、にこりと笑みを浮かべた。

 

 無防備な、相手を信頼しきった笑み。

 

 この世界で七海だけが堪能出来る、彼女の極上の笑顔である。

 

 そんな顔を見せられて、自然と七海の頬が綻ぶ。

 

 無痛症の為情動が薄れた彼だが、相手を想う心はきちんと残っている。

 

 笑顔を向けた那須に笑い返し、七海は肩の力を抜いた。

 

 今はただ、この一時を大切にする為に。

 

 

 

 

 翌日。

 

 七海達の端末に、次なる試合の組み合わせが表示された。

 

 ────────A級昇格試験、第三試合────────

 

 ────────那須隊・嵐山隊VS弓場隊・風間隊────────

 

 ────────上記の組み合わせにより、第三試験を執り行う────────



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神田忠臣④

 

「こうして話すのは初めてかな。嵐山隊隊長、嵐山准だ。よろしく頼む」

 

 そう言って爽やかな挨拶をしたのは、好青年という概念が形になったようなイケメン────────嵐山だ。

 

 此処は嵐山隊の隊室。

 

 七海達は今回、組む事になった嵐山隊と打ち合わせの為にこうしてやって来たのだ。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。那須隊隊長、那須玲です」

「ああ、よろしく。そう固くならなくて良い。短い間だが、共に戦う仲間なんだ。遠慮はなしで構わない」

 

 那須の挨拶にナチュラルに男前な返答を告げ、その爽やかオーラに那須は若干たじろいた。

 

 若干────────いや、かなり人見知りで陰キャの気がある那須にとって、正反対とも言える陽キャの極致たる嵐山の態度は新鮮過ぎて却って毒だ。

 

 誰に対しても分け隔てなく接する嵐山のスタンスは、狭く深くを極めてしまった那須の対人コミュニケーションの在り方からしてみれば理解不能の域だろう。

 

 まともに話したのは初めてではあるが、既に嵐山に苦手意識を抱いた那須であった。

 

 普通の女性隊員なら嵐山のイケメン度でそのあたり仲裁される筈なのだが、生憎那須にとって七海以外の男性はぶっちゃけ興味の対象外だ。

 

 結果として、一方的に嵐山に壁を作る那須という構図が出来上がったワケであった。

 

「それから、迅に色々話は聞いている。今回、君と共に戦う事が出来て嬉しく思う。一緒に頑張ろう」

「ええ、こちらこそよろしくお願いします」

 

 そんな那須の他所に、嵐山は早速七海とのコミュニケーションを図っていた。

 

 迅の親友でもある嵐山にとって、友が目をかけている七海はなるだけ仲良くなっておきたい相手なのだろう。

 

 これまでは嵐山自身の多忙さもありそういった機会がなかったが、今回は公然と七海達とやり取りが行える。

 

 何せ、彼等嵐山隊は広報部隊として多忙を極めている。

 

 プライベートに使える時間など、たかが知れている。

 

 それに、有名税と言うべきか、嵐山隊には心ない人間が絡む事も珍しくはない。

 

 下手に接触を持てば、そういった連中の矛先が向かわないとも限らない。

 

 だからこそ軽々な行動は控えていたが、今回は共に試合に臨むという口実がある。

 

 嵐山はこれを、得難い機会であると考えていた。

 

 流石に色々と根掘り葉掘り聞くような真似はしないが、それでも親友が気にかけている相手である。

 

 一度面と向かって話しておきたいと思うのは、当然の感情だろう。

 

「おっと、俺ばかり話すのは良くないな。充」

「はい。時枝です。どうぞよろしく」

 

 しかし、だからといって自分の感情だけを優先するほど嵐山は自分勝手ではない。

 

 流れるように隣にいたチームメイトに話を振り、時枝がそう言って会釈した。

 

「それからこっちがうちの佐鳥と、木虎です」

「佐鳥です。よろしくー」

「…………よろしくお願いします」

 

 時枝に紹介された二人が、続けて挨拶を行った。

 

 佐鳥は普段通りの軽い感じの笑みで、木虎は何処か含みのあるような顔でそう告げた。

 

「ええ、よろしくお願いします。木虎は、あの時の個人戦以来か」

「…………そうですね」

 

 七海の言葉に、木虎は短くそう答える。

 

 木虎とは、これがファーストコンタクトというワケではない。

 

 以前、彼女は七海に対し個人戦を挑んだ事がある。

 

 その時は七海のメテオラ殺法に面食らった木虎の敗北で決着したが、その時の対面は決して和やかなものだったとは言えない。

 

 個人戦をやっている最中は特に問題なく、精々負けた木虎が悔しがる程度ではあった。

 

 問題は、個人戦を終えた直後に七海を迎えに来た那須である。

 

 那須は仮にも学友である木虎を半ば無視するような形で七海に呼びかけ、彼女そっちのけで会話を始めたのである。

 

 悪意があって無視をした、というワケではない。

 

 本気でその時の那須は、木虎の事が()()()()()()()()()()のだ。

 

 当時の那須は七海との関係性の歪さから情緒不安定であり、常日頃から余裕のない状態だった。

 

 それこそ、少し七海と離れただけでも焦燥に駆られる程度には。

 

 その時七海はきちんと那須に個人ランク戦を行うから遅くなる、という旨の連絡をしていたのだが、その日の彼女は女子特有の事情も相俟って精神的に不安定になっていた。

 

 故に七海の帰りを待ちきれず、ランク戦のブースに飛び込んで来たワケである。

 

 当然、その時の彼女の最優先事項は七海と会う事であり、他の人間は文字通り眼中になかった。

 

 その後、七海に促されて木虎の事にようやく気付いたのだが、適当に謝罪の言葉を述べただけですぐに会話を打ち切ってしまったのである。

 

 幾ら表面上謝罪されたところで、心の籠もっていない言葉など侮辱でしかない。

 

 少なくとも、木虎はそう受け取った。

 

 流石にカチンと来た彼女は那須に物申そうとしたのだが、それをやる前に慌てて七海が頭を下げたのだ。

 

 目上の人間に頭を下げられては、木虎もそれ以上追求するワケにはいかない。

 

 故にその場は矛を収めたのだが、彼女は見逃さなかった。

 

 七海が、那須に対して必要以上の干渉を避けている事に。

 

 ハッキリ言って、その時の那須には常識が欠けていた。

 

 知識として知ってはいるのだろうが、それよりも何よりも自分の感情を優先する。

 

 そして、七海はそんな彼女の傾向を是正しようとしていない。

 

 場当たり的な対処をするのみで、基本は那須の言うが侭。

 

 当時の七海のスタンスは、そういったものだったのだ。

 

 木虎は、そんな二人の様子を見て見切りを付けた。

 

 有り体に言えば、関わるのが馬鹿らしくなったのだ。

 

 常識すら弁えない少女と、そんな彼女の言いなりの少年。

 

 それが、木虎が下した二人への評価であった。

 

 確かに、実力はある。

 

 だが、それを台無しにする程の爆弾が、二人の中に埋め込まれていた。

 

 幾ら実力があろうと、そんなものを抱えたまま勝てるほどランク戦は甘くはない。

 

 遠からず爆発するだろうと思っていた木虎だったが、予想通りランク戦の最中その爆弾は起爆した。

 

 ROUND3、四つ巴の戦いの中で。

 

 チームを巻き込んだ那須の愚行と、七海が落ちた時の彼女の狂乱。

 

 木虎はそれを、しっかりと目にしていた。

 

 その光景を目にして、最初に浮かんだのは納得だった。

 

 ああ、やっぱりこうなったか、としか彼女は思えなかった。

 

 もう彼女達は終わりだろうと、その時は考えていた。

 

 二人の関係のどうしようもなさを目にしていたからこそ、あそこから那須隊が再起するビジョンが思い浮かばなかったのだ。

 

(まさか、あそこから盛り返して二宮隊まで下すなんてね)

 

 だから、その後の那須隊の快進撃を木虎は信じられない面持ちで見ていたのだ。

 

 あそこで終わると思っていた那須隊が、A級昇格への王手をかける。

 

 そんな展開を、どうして予想出来よう。

 

(どうやら那須先輩もマシになったみたいだし、七海先輩との関係も少しはまともなものになったのかしら。まあ、私には関係ないけどね)

 

 ふぅ、と木虎は内心で溜め息を吐いた。

 

 確かに、那須は常識を弁えるようになったようだし、七海も彼女の言いなりではなくなっている。

 

 だが、極論それはどうでもいい。

 

 今更那須と仲良くなれるかと言われれば首を傾げるしかないし、七海とも別段馴れ合いたいワケではない。

 

 普通の先輩後輩としての関係で充分だろう、と木虎は判断した。

 

 …………まあ、下手に七海に近付いて那須に睨まれるような展開は御免被る、といった感情が無いワケではなかったが。

 

 だって、那須はどう見ても色々と抱え込むタイプだ。

 

 変な誤解をされて妙な事になる可能性は、0ではない。

 

 確かにあの時の印象もあって那須に良い感情は抱いていないが、好き好んで他人の関係を拗れさせようなどという気はないのだ。

 

 適度な距離感を保って付き合えば、それで充分。

 

 誰だって、虎の尾は踏みたくないのだから。

 

「任された仕事はやり遂げますので、作戦はお任せします。これは私達の総意と思って貰って結構です」

「そうだな。聞かれた事には答えるけど、俺達から作戦を指示する事はない。これは試験だから、そこらへんはしっかりしないとな」

 

 けど、と嵐山は続ける。

 

「これまで勝ち進んで来た君達なら、やってやれない事はない筈だ。これまでの戦いは、きちんと糧になっているだろうからね」

 

 だから頑張って欲しい、と嵐山は告げる。

 

 純粋な、混じりけなしの激励(エール)

 

 それを爽やかな笑顔で言われ、七海達はむず痒い感覚を覚えた。

 

 流石は、広報部隊のリーダー。

 

 割と青臭い台詞でも、この上なく似合っていて違和感が無い。

 

 いつだか生駒が口にしていた「戦隊ものならレッドやな」という言葉も納得出来るイケメンぶりである。

 

「さあ、早速打ち合わせを始めよう。さしあたっては、誰をビッグトリオンルールの対象にするか、考えていこうか」

 

 

 

 

「まず、七海くんが対象になる事は無いと思いますね。メリットが少な過ぎるんで」

 

 風間隊、作戦室。

 

 そこで風間隊との打ち合わせに訪れていた弓場隊の面々の中で、神田はそう告げた。

 

 その後ろには弓場が仁王立ちしており、それに倣うように帯島と外岡も突っ立っている。

 

 四人が並んで立つその光景には、異様な威圧感があった。

 

 弓場隊お馴染みの、仁王立ち作戦会議(ツッパリスタイル)である。

 

 まあ、威圧感の大半が中央に陣取る弓場の気迫(ドス)である事は言うまでもないが。

 

「何故そう思う?」

「七海くんは元からトリオン量が多いから、対象にしても劇的な強化は望めない。それなら、他の隊員を対象にした方が効率的な戦力アップに繋がりますからね」

 

 風間の質問に、神田はそう淀みなく答えた。

 

 確かに彼の言う通り、七海のトリオン評価値は『10』。

 

 既に充分なトリオン量を持っており、トリオンを増やしても旨味が少ない。

 

 勿論無意味というワケではないが、戦術的な価値を考えれば彼を選ぶのはメリットが少な過ぎる。

 

 少なくとも、那須隊の四人の中で最も対象に選ばれる可能性が低いのは事実だろう。

 

「確かに、理に叶っているな」

「ま、そうだよね」

 

 その答えに、風間は納得し菊地原も当然のように追随する。

 

 七海と付き合いは、風間隊の面々の方が深いのだ。

 

 当然、その程度の事は理解している。

 

 敢えて質問したのは、風間なりの面接試験のようなものだ。

 

 神田の答えは、そんな風間にとっても満足の行くものだったというだけである。

 

「なら、お前達は那須隊の中の誰がルールの対象に選ばれると考えている?」

「本命が那須さん、次点で日浦さんですかね」

 

 ふむ、と風間は神田の答えを聞き、目を細めた。

 

「そう考えた理由はなんだ?」

「単純に、それが強いからですね」

 

 つまりですね、と神田は続ける。

 

「那須隊の中でトリオンが増えてストレートに強くなるのは、間違いなく那須さんです。ただでさえとんでもない技術を持っているのにそれにトリオン量の暴力まで加わったら、正直手がつけられません」

「確かに、二宮さんに機動力が加わるようなもんだからなあ。そりゃおっかねえわ」

 

 神田の説明に、藤丸も同意する。

 

 那須は、機動力を武器にする技巧派の射手だ。

 

 リアルタイム弾道制御された変化弾(バイパー)が動き回る相手から飛んで来るのだから、厄介極まりない。

 

 加えて合成弾も会得しており、放置すればどんな形で不意を打たれるか分かったものではないのが那須という少女の怖さだ。

 

 彼女のトリオン評価値は、『7』。

 

 もしそれが二宮級のトリオン量になれば、当然射程や弾速、威力などが跳ね上がる。

 

 トリオン量が増えて純粋に戦力強化に直結するのが那須である事は、間違いないのだ。

 

「次点ですが、日浦さんって可能性もあります。狙撃トリガーはトリオン量が性能に直結するんで、こっちで来る可能性も充分あります」

 

 神田の言う通り、狙撃トリガーはそれぞれトリオン量によって性能が上がる。

 

 イーグレットは射程が。

 

 アイビスは威力が。

 

 そして茜が得意とするライトニングは、弾速が。

 

 それぞれ、トリオン量に応じてアップする。

 

 ただでさえ高い弾速を持つライトニングは文字通り閃光の一撃と化し、アイビスは集中シールドすら容易く穿つ矛となる。

 

 イーグレットもより広範囲をカバーする事が出来るようになり、どの狙撃銃を使うにせよ戦力アップは間違いない。

 

「ただ、やっぱり狙撃手なので使いどころが限られますからね。那須さんほど可能性は高くないと思います。テレポーターでの逃走にも限度はありますしね」

 

 ただ、と神田は続ける。

 

「那須さん以外有り得ない、とは考えない方がいいでしょうね。()()()()()()()と考えた時点で、彼等の思うツボです。可能性を捨てる事は、しない方がいいでしょうね」

「成る程。お前の意見は分かった。那須隊に関しては、それでいいだろう」

 

 だが、と風間は告げる。

 

「お前達の方は、どうするつもりだ? 一体誰を、ルールの対象とする?」

「それについて、ですけどね」

 

 神田はそう言うと顔を上げ、チームメイトに目を向けた。

 

「────────ちょっと、考えがあるんです。皆、聞いて貰えますか?」

 

 そう問われ、弓場隊の面々は迷う事なく頷いた。



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神田忠臣⑤

 

「成る程な」

 

 神田の話を聞いた風間は、ただ一言そう呟いた。

 

 菊地原と歌川は事の成り行きを見守っており、帯島と外岡は目を丸くしている。

 

 そして弓場は、真剣な目で神田を見据えていた。

 

「確かに、理論上は可能だろう。()()は、応用性がかなり広いトリガーだ。お前の思う通りの戦略を実現させる事は、不可能じゃない」

 

 だが、と風間は続ける。

 

「俺達の中に、あのトリガーを使った経験のある者はいない。まさか、ぶっつけ本番で使いこなせると思ってはいないだろうな」

「ええ、そんな事は百も承知です。自己鍛錬にも限界がありますし、誰か使い方を知っている人に教えを乞う必要があるでしょう」

 

 そこで、と神田は弓場の方を振り向いた。

 

「ここは、弓場さんのコネを頼ろうかと思いまして。頼めますか? 弓場さん」

「────────そういう事か。考えなしじゃなかったみてぇだな、神田ァ」

 

 ニヤリ、と弓場は眼鏡の奥の眼光をギラつかせ、笑った。

 

「いいぜ、あいつに頭下げてどうにかしたらぁ。あの野郎も、断りゃしねぇだろ」

「むしろ、隊室に帰ったらそこで出待ちしてそうですよね」

「…………あいつなら有り得そうだなあオイ」

 

 弓場はその光景を想像したのか苦笑いを浮かべ、ふぅ、と大きく息を吐いた。

 

 そんな彼を見て、神田も苦笑する。

 

 同じように、その光景がありありと脳裏に浮かんでしまったからだ。

 

 ()なら、それくらいのお茶目はするだろうと。

 

 弓場を通じて知っているだけではあるが、伝え聞く人柄からして有り得なくはない。

 

 弓場に言わせれば、そんなスタンス自体が演技のようなものらしいが。

 

「まあいい。その件に関しちゃ任せろ。だからおめェーもやれる事をやれ、いいな?」

「ええ、勿論です。一世一代の大舞台ですから、精一杯やらせて貰いますよ」

 

 そう言って神田は歯を見せながらニカリと笑い、隣でポカンとしていた帯島の肩をポンポンと叩いた。

 

 帯島は「うひゃあ」と気の抜けた声をあげ、目をぱちくりさせながら神田を見上げた。

 

「か、神田さん……?」

「色々不安なのは分かるが、緊張し過ぎだ。心配すんな。色々考えるのは、俺らの仕事だ。帯島は、自分の仕事をこなしてくれれば良い」

 

 それに、と神田は続ける。

 

「今後の為に、俺から色々学ぶんだろ? 余計な事は考えず、やるべき事をやれば良い。あんま肩肘ばっか張ってると、疲れるだけだからな」

「…………はいっ! 分かりましたっ! 頑張りますっ!」

 

 ニコニコと、溌剌とした笑顔でそう言ってのける帯島に、神田は苦笑する。

 

「適度に力抜けって言ってんだがなあ。まあいいや、そこらへんの塩梅は弓場(パパ)さんの仕事だろうしな。あんまし干渉し過ぎもいけないか」

「誰がパパだ、誰が」

 

 「あはは」と軽口にジロリと睨む弓場を笑顔でいなしながら、神田は風間の方に向き直った。

 

「というワケです。問題はないでしょうか?」

「ああ、試験期間中の鍛錬に関する決まりは無い。誰に師事しようが、それは俺達の関知するところではないな。勿論、連携の訓練も並行して行って貰うが」

「そっちも疎かにするつもりはありません。急場の連携とはいえ、ある程度お互いの事を知る事は必要不可欠ですからね」

 

 そうしなきゃ勝てる試合も勝てなくなります、と神田は告げる。

 

 確かに、そうだろう。

 

 戦う相手の、那須隊の強さは、良く知っている。

 

 縦横無尽に戦場を駆ける機動力を持つ技巧派射手、那須玲。

 

 鉄壁の防御力と高い補助能力を持った攻撃手、熊谷友子。

 

 テレポーターを使いこなす精密狙撃手、日浦茜。

 

 そして、戦闘特化のサイドエフェクトを持ち高い機動力と回避能力を併せ持つもう一人のエース、七海玲一。

 

 いずれも、一筋縄ではいかない相手ばかりだ。

 

 無論、その那須隊と組む嵐山隊も侮れる相手ではない。

 

 嵐山隊は四人中三人が万能手という、地力の高い部隊だ。

 

 万能手を多く揃えている為対応力の幅が広く、中でも点取り屋の木虎の機動力は驚嘆に値する。

 

 そして何かと不遇なイメージが付き纏う狙撃手の佐鳥だが、その実力は伊達でも何でもない。

 

 いつの間にか意識から消えている隠密能力と、曲芸の域に達した狙撃能力は厄介極まりない。

 

 彼が好んで使うツイン狙撃は問題を指摘すれば幾らでも上げ連ねる事が出来るが、実用性が皆無かと言われればそんな事はない。

 

 高い威力を持つイーグレットを二発同時に叩き込む攻撃が、弱い筈がないからだ。

 

 バッグワームを解除して行う必要がある為多くの狙撃手から邪道扱いされる佐鳥のツイン狙撃だが、侮って良い相手では断じて無い。

 

 実力ある狙撃手の脅威は、身に染みて知っているのだから。

 

「そうだな。一週間程度で出来る連携などたかが知れているが、だからと言ってやるとやらないとでは雲泥の差だ。鍛錬の成果は一夕一朝で出るものではないが、そもそも始めなければ何も変わりはしないからな」

 

 故に、連携の訓練は必須だと風間は語る。

 

 付け焼刃で勝てる程実戦は甘くはないが、だからと言って努力が全て無駄になる、というワケでもない。

 

 一週間。

 

 鍛錬期間としてはあまりに短いが、かと言って無為に時を過ごして良い筈がない。

 

 鍛錬はすぐに実を結ぶ事はまずないが、鍛えなければその足掛かりさえ掴めない。

 

 0は何をかけても0だが、1であればそこから伸ばす事が出来るのだから。

 

「やるこたぁ決まったな。風間さん、俺達はこれからあいつに頼んで例のトリガーの扱いを教えて貰う。連携訓練はその後にして貰いてぇ」

「構わん。俺達はあくまで試験官だ。試験のルールに抵触しない限り、お前たちの行動を制限するつもりはない」

 

 あくまでも自身は試験官である、という立場を崩さず風間はそう告げる。

 

 肩入れも贔屓もせず、私情を捨ててただ己の役割を全うする。

 

 そんな風間だからこそ、こういった決断が即座に下せるのだろう。

 

 風間は情深い人間ではあるが、感情によって判断を鈍らせる事は決してない。

 

 自身の情と()()()()()は全くの別。

 

 そう考え、それを実行して来た。

 

 故に、迷う事はない。

 

 ブレないその精神こそ、風間の最大の武器なのだから。

 

 弓場隊の面々はそんな風間の姿勢に改めて感嘆し、無言で頭を下げた。

 

 そして弓場は顔を上げ、踵を返した。

 

「そんじゃあ、行って来るか。迅の奴にも、頭下げねェといけねぇからな」

 

 

 

 

「やあやあ皆さんお揃いで。誰かをお探しかな?」

「…………本当に、いましたね」

 

 弓場隊が風間隊室を出てすぐ、廊下を曲がった先に彼はいた。

 

 彼は、迅悠一はにこやかな笑みを浮かべながら、弓場達を見据えている。

 

 間違いなく、待ち伏せていたのだろう。

 

 いつも通り、己の未来視(ちから)を使って。

 

 サイドエフェクト、未来視。

 

 先を視る事が出来るその異能で、弓場達の行動を読み取って。

 

「ったく、暇なのかオメーは」

「いやいや、実力派エリートはいつも大忙しだよ? でも、他ならぬ弓場ちゃんから頼み事があるって視えたんで急いで飛んで来たんだ。友達の頼み事くらい、しっかり聞いてあげたいしね」

 

 にこにこと笑いながら迅はそう告げ、弓場は溜め息を吐いた。

 

 この飄々とした友人にペースを握らせていては、話が進まない。

 

 そう考え、早速本題を切り出した。

 

「分かってんなら話は早ェ。お前んトコの烏丸、ちィと貸してくれねぇか? 理由は────────」

「分かってる、()()()()()()の使い方を教わりたいんでしょ? それなら、俺が教えられるけど?」

「なに?」

 

 弓場は迅の予想外の言葉に疑問符を浮かべ、首を傾げた。

 

 そんな弓場に、迅はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「あのトリガー、元々作ったのはウチだしね。試運転はそれなりにしてるし、それに────────今後、俺が使う()()もありそうだしね。ちょっと時間貰って、使いこなしておいたのさ」

「ちょいと待て、それは……」

「まだ不確定だけどね。けど、保険はあって困るものじゃないから。念の為、準備はしておいたってだけさ」

 

 だから気にするな、と迅は言外に告げる。

 

 帯島などは会話の意味が理解出来ずに首を傾げているが、迅とそれなりに付き合いの長い弓場には、ハッキリと迅の意図が伝わっていた。

 

 黒トリガーの使用者(S級隊員)である迅が、ノーマルトリガーを使う()()がある。

 

 そんな状況に成り得る原因など、一つしか思い当たらない。

 

 それは、即ち────────。

 

「おっと、それは言わないでくれよ。弓場ちゃん」

「……!」

 

 黒トリガーを、風刃を手放す。

 

 そうとしか、考えられなかった。

 

「だが迅、あれは────」

「だから可能性だって、可能性。絶対そうなるってワケじゃないし────────それに、命がなくなるワケじゃない。俺なりに、覚悟あっての事さ」

 

 それにさ、と迅は続ける。

 

「あいつが、七海が頑張っているんだ。だったら、あいつの身内としちゃあ踏ん張るしかないでしょーよ。あんな事も、言われちゃったしね」

 

────────もう少し迅さんは、自分の気持ちを周りに伝えるべきです。言わなきゃ、何も伝わりません。それは俺も今回、強く感じた事ですから────────

 

 

 迅の脳裏に、あの時に七海に玉狛支部の屋上で言われた言葉が蘇る。

 

 七海は、言った。

 

 自分の気持ちは、きちんと伝えるべきだと。

 

 何も言わなければ、何も変わらないのだと。

 

「レイジさんや小南にも、言われちゃったしね」

 

────────もっと仲間を頼りなさいよ。アンタとあたし等の付き合いは、そんなに浅いモンだったとでも言うワケ? 弱音くらい、いつでも聞いてあげるわよ────────

 

 

────────お前と七海は、似た者同士だ。どっちも、何もかも自分で背負い込み過ぎる。繰り返すが、少しは頼れ。お前等二人の重荷くらい、幾らでも支えてやる────────

 

 

 小南も、レイジも、同じ事を告げた。

 

 少しは頼れと。

 

 自分一人だけで、何もかも背負い込む必要はないのだと。

 

 本心から、そう告げた。

 

 確かに、迅はボーダーにおいてなくてはならない人材だ。

 

 これまでの近界からの侵攻も、彼の未来予知がなければもっと被害は大きくなっていただろう。

 

 近く控えている第二次大規模侵攻も、彼の予知なくして察知は不可能だった筈だ。

 

 迅が責務を放り出せば、数多くの人々が犠牲になる。

 

 だからこそ、彼は己の役目に徹する()()()()であろうとした。

 

 けれど、幾ら強力な能力(ちから)を持とうが同じ人間である事に変わりはない。

 

 信じられないほどの重責は、確実に彼の精神を蝕んでいた。

 

 こんな重荷を、他の誰かに背負わせるワケにはいかない。

 

 彼はそんな生来の優しさから、組織の中にあってたった一人で行動して来た。

 

 説明は碌にせず、指示や誘導だけを行い暗躍する。

 

 そんな迅のスタイルは、彼の度の過ぎた自己犠牲心から端を発している。

 

 責任感が強過ぎるから、誰も頼れない。

 

 否、頼ってはいけない。

 

 そう、自分自身に強く強く言い聞かせて来た。

 

 けれど、その考えに否を唱えた者達がいた。

 

 それは七海であり、レイジであり、小南でもある。

 

 一人きりで背負わず、重荷を分け与える。

 

 それでいいのだと、彼等は言った。

 

 重荷に潰されるほど自分達は、弱くはないのだと。

 

 だからこそ、迅は気付いた。

 

 仲間を頼らない。

 

 それこそが、彼等に対する最大の裏切りであったのだと。

 

 下手に未来(さき)の情報を伝えれば未来が揺らぎ、結果が予想出来なくなる。

 

 そんな言い訳は、彼の本心を隠す為の誤魔化しだった。

 

 それはただ、信じていなかっただけだ。

 

 仲間の、強さを。

 

 そして、自分を慮る彼等の優しさを。

 

 迅本人にそんなつもりはなくとも、彼の行動は真実仲間を裏切っていた────────否、侮っていた、と言えるだろう。

 

 強過ぎる責任感が生んだ傲慢、と言い換える事も出来る。

 

 自分一人で何でも出来る、そんな全能感がなかったと言えば、嘘になる。

 

 故にもう、迷いはしない。

 

 だからこそ、今回の特殊なA級昇格試験────────合同戦闘訓練を、開催したのだ。

 

 来る脅威を、皆の力で振り払う為に。

 

 その為の力を、付けさせる為に。

 

「だから、正直に言うよ。弓場ちゃん達には、七海達が強くなる為の踏み台になって欲しい。だから教えるし、だから鍛える。それが、一番あいつの為になるって信じてるから」

 

 迅は躊躇う事なく、そう言い切った。

 

 協力するのは、弓場隊を七海達の当て馬とする為。

 

 より強くなった彼等との戦闘で、七海達に良質な経験値を積ませる為。

 

 そんな、喧嘩を売っているとしか思えない本心を、迷う事なく口にした。

 

「構わねぇよ。俺達に負けるつもりはねェし、あっちも勝って当然なんて思っちゃいねェだろう。やるこたぁ変わらねぇ。そうだろう? 神田」

「ええ、その通りです。どんな思惑があろうが、全力で勝ちに行く。それだけです」

 

 弓場の発破に、神田はそう力強く答えた。

 

 拳を握り締め、神田は迅に訴えかける。

 

「だから、俺達を鍛えて下さい。彼等の障害足り得るように、彼等を叩き潰す事が出来るように、全力で」

「ああ、遠慮はいらねぇよ。それとも、お前の未来視(それ)で結果はもう見えてるとでも言うつもりか?」

「さあてね。詳しい事には答えかねるけど」

 

 でも、と迅は笑みを浮かべ、告げる。

 

「────────どっちが勝つ確率も、100%にはなっていない。誰が勝者になっても、不思議じゃないんだ」

 

 だから、と迅は再び笑みを浮かべた。

 

「全力で、やってくれ。俺も、全霊でお前らを鍛える。その成果、本番でしっかり活かしてくれ」

「当然だ。頼んだぜ、迅」

 

 迅と弓場は、そうやって笑みを交わし合った。

 

 その光景を見ながら、神田は笑みを浮かべた。

 

 これなら、行けると。

 

 否、やってみせると。

 

 その覚悟を、新たにした。



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嵐山准①

 

『戦闘体活動限界』

「お見事」

 

 トリオン体を穴だらけにしながら、時枝は称賛の声をあげる。

 

 彼を下したのは、那須の弾丸。

 

 トリオン評価値14相当に()()した、彼女の弾幕である。

 

 二宮級のトリオンを得た那須の弾丸の暴威は瞬く間に時枝を追い詰め、蜂の巣にした。

 

 予め彼女に有利な地形を選んでいた事もあるが、そうであってもA級隊員である時枝を追い込んだ手腕は大したものだ。

 

 ただでさえ高い技量を持つ那須にトリオン量の暴力まで加われば、こうなるのはある意味自明の理ではあるのだが。

 

「これで一先ず全員が高トリオンでの戦闘を経験したね。どうかな? 感想としては」

 

 それを見届けていた嵐山が、にこやかに笑いながらそう尋ねた。

 

 今回、七海達は物は試しと隊全員のトリオンを14にした状態での戦闘訓練を行った。

 

 最初は高トリオンに慣れている七海から行い、次に茜、熊谷、そして最後に那須の順番でトリオン評価値14相当出の戦闘を体験させたのだ。

 

 七海は慣れた様子でメテオラを連打して建造物を破壊し尽くし、茜は文字通り閃光の如きライトニングを操り、熊谷はハウンドを雨あられと撃ちまくった。

 

 そして那須は────────まるで水を得た魚のように、思う存分に暴れていた。

 

 射撃トリガーは弾速・威力・射程をチューニングし、その都度状況に応じた弾丸を繰り出す事が出来るというメリットがある。

 

 これにより少ないトリオンでも調整次第で様々な用途の弾丸を操る事が出来るのだが、当然トリオンが多ければ多いほどチューニングの()は広がる。

 

 絶対量が多ければ多いほど、威力や射程に割けるトリオンは多くなる。

 

 トリオン量が文字通り倍化した彼女の弾幕は、威力も射程も何もかもが違っていた。

 

 どうやら存分に弾幕を撃ちまくる感覚は相当に快感だったらしく、那須の顔は心なしか紅潮している。

 

 普段は怜悧な美貌を称えて戦う彼女だが、今回は笑みを溢しながらノリノリで時枝を追い込んでいた。

 

 ぶっちゃけ、獲物を追う狩人の表情であった。

 

 試合を観戦していた佐鳥は思わず頬をひくつかせたが、余計な事を言う程命知らずではなかった。

 

 誰だって、笑いながら相手を蜂の巣にする美少女を敵に回したくなど無いのである。

 

 尚、もしこの場に出水がいたらノリノリで撃ち合いに参加したであろう事は言うまでもない。

 

 ボーダーきっての弾バカの称号は、伊達ではないのである。

 

「普段とは、まるで()()()が違ったわ。トリオンが豊富にあると、此処までの事が出来るのね」

「ええ、まさかあそこまで変わるなんてね」

「ホント、びっくりです」

 

 那須達は口々に感嘆の言葉を吐き、七海もこくりと頷いた。

 

 トリオン評価値が元々10相当であった七海はともかく、那須は7、茜と熊谷に至っては5。

 

 文字通り、倍以上にトリオンが増えたのだ。

 

 普段使いしているトリガーの使用感も、まるで違って当然である。

 

 トリオン量だけで勝負が決まるワケではないが、大きな要素(ファクター)である事は否定出来ない。

 

 豊富なトリオンがあればそれだけ射撃の威力は上がり、シールドの防御も堅くなる。

 

 何より、()()()の心配が遠のくのは非常に大きい。

 

 各々、高トリオンの恩恵がどれ程のものか、文字通りその身で味遭ったのだ。

 

 驚嘆も、当然と言えよう。

 

「こればかりは、実際にやってみないと分からない感覚だろうからね。知識として知っているのと、実践で理解出来るものは大きく異なる。身体で感じた事を覚えておくのも、重要な事だからね」

「まあ、実戦で急にトリオンが増えるなんて事は黒トリガーを持つ機会でもない限りないだろうから、この試験くらいでしか使えない訓練かもしれないけど、やっておいて損はないと思うよ。色々とね」

 

 嵐山の言葉に、時枝がそう言って捕捉する。

 

 彼の言う通り、実戦でいきなりトリオンが増える、なんて事はまず有り得ない。

 

 トリオン量は生来決められているものであり、先天的なものだ。

 

 余程の事が無い限り、それが急激に増える、という事は無い。

 

 ────────黒トリガーの発動(ただ一つの例外)を除いて。

 

 黒トリガーは、発動者のトリオンをブーストする効果がある。

 

 それも、ちょっとやそっとではない。

 

 評価値にして、凡そ30前後。

 

 それだけの莫大なトリオンを、黒トリガーは発動者に付加するのだ。

 

 文字通り、出力の桁が違う。

 

 だからこそ黒トリガーというものは、()()なのだ。

 

 その使()()()がS級という特別な階級の隊員になるのも、ある意味当然と言えよう。

 

 玉狛のトリガーとはまた別の意味で、()()が異なるのだから。

 

「ともかく、これである程度の感覚は掴めた筈だ。訓練なら幾らでも付き合うし、尋ねたい事があれば応えよう。遠慮はしなくていい」

 

 嵐山はにこやかにそう告げ、手を差し出した。

 

「今回俺達は試験官ではあるが、同時に共闘相手でもある。俺達に出来る事があれば、なんでも言ってくれ。時間の許す限り、君達の力になろう」

 

 

 

 

「ありがとうございました」

 

 七海は嵐山隊の面々に向かって那須と共に一礼し、隊室を後にした。

 

 あれから高トリオンでの訓練を続け、気付けば夜になっていた。

 

 流石に中学生の茜を遅くまで拘束するのはまずかろうという事で、彼女は熊谷共々一足早く家に帰している。

 

 那須隊の隊室に待機していた小夜子は加古が送迎をしてくれる事になっており、今回は七海達もそれに同乗しないかと誘われている。

 

 どちらにしろ今日は加古の用事が終わるまで本部で待たないといけないのだが、小夜子は一人暮らしだし、那須の両親は今日は仕事で不在なので多少遅くなったところで問題は無い。

 

 故に七海達は隊室で時間を潰してから、加古と合流する心づもりであった。

 

「七海くん、今時間はあるかな?」

「え……?」

 

 だがそこで、嵐山が不意に七海を呼び止めた。

 

 予想外の行動に、七海の頭に疑問符が浮かぶ。

 

「時間はまあ、あるといえばありますが……」

「それなら、もしよければ少し話をしないかい? 無理にとは言わないが……」

 

 嵐山はあくまで無理強いはせず、自然体でそう尋ねた。

 

 真意は分からないが、あくまで真摯にお願いしているという事は充分に伝わって来る。

 

 しばし返答に窮した七海だったが、顔を上げて那須の方へ振り向いた。

 

「玲」

「いいわ。私は小夜ちゃんと一緒に待ってるから」

「ありがとう」

 

 那須は駄々をこねる事もなく、努めて冷静にそう告げて一人隊室へと向かって行った。

 

 以前の彼女であれば七海との時間を邪魔する者は誰であろうと許容しなかった筈だが、今の那須にはその程度の事が出来るだけの()()がある。

 

 七海との関係を改善した事で、以前にはなかった精神的な寛容さを身に着けたのだ。

 

 良く知らない女性相手であればどうなったかは分からないが、目上の男性が七海に用があるという程度であれば、目くじらを立てる理由はない。

 

 少なくともそう判断するだけの理性を、今の那須は持っていた。

 

 …………まあ、此処で素直に引いておけば後で()()()()()をして貰えるだろうという打算が働いていたのは確かではあるが。

 

「悪いね。気を遣わせちゃったかな」

「いいえ、大丈夫です。取り立てて用があったワケじゃありませんし」

「それでもだ。無理を言ったのはこっちの方だからね。後で何かしらお礼はさせてくれ。そうでなきゃ俺の気が済まない」

 

 あくまで真摯に告げる嵐山に、七海は少し頭を捻った。

 

 別にそこまで気に病む必要はないのだが、此処で厚意を突っぱねるのも気が引ける。

 

 しかし、かと言ってすぐに対価を思いつくワケでもなかった。

 

「じゃあ、後々困った事があれば頼らせて下さい。勿論、常識的な範疇でですが」

「分かった。困った事があればいつでも言うと良い。必ず君達の力になろう」

 

 嵐山は満足気にそう告げると、「さて」と笑みを浮かべた。

 

「立ち話もなんだし、場所を変えたいんだが────────少し、付きあってくれるかい?」

 

 

 

 

「少し冷えるが、平気かい? すまないね、此処くらいしか思いつかなくて」

「いえ、トリオン体ですし大丈夫です」

 

 嵐山が七海を連れて来たのは、本部の屋上だった。

 

 内密の話であれば嵐山隊の隊室でも良かったのだろうが、まだあの中には綾辻や佐鳥が残っていた。

 

 つまり、嵐山の話というのは彼等にもあまり聞かれたくない内容なのだろう。

 

 そのくらいの推察は、七海にも付いていた。

 

 別段、彼等を信頼していないワケではないだろう。

 

 恐らく、話の内容というのが割とデリケートな為、気を遣った、というあたりだろう。

 

 誠実を絵に描いたようなこの好青年そのものといった風情の嵐山なら、ありそうな話である。

 

 嵐山は「そうか」と頷くと、そのまま七海に向かって頭を下げた。

 

「さて、まずはお礼を言っておきたいんだ。ありがとう。迅の荷物を、軽くしてくれて。これは、俺には出来なかった事だからね」

「い、いえ…………俺は別に、大した事はしていませんが……」

「事実、君のお陰で迅が変われた事は確かなんだ。やった事の大小なんて、些細な事さ。大事なのは、やったか、やれなかったか。それだけなんだから」

 

 迅はさ、と嵐山は話し始める。

 

「自分の荷物を、決して他人に持たせようとしなかったんだ。幾らこっちが持つって言っても、煙に巻いてはぐらかす。今までは、ずっとそうだった」

 

 けど、と嵐山は続ける。

 

「あの、ROUND3の少し後だったかな。迅の様子が、変わったんだ。自分の重責(にもつ)を、少しではあるけれど────────他の人に、渡してくれるようになったんだ。あれはきっと、七海くんのお陰だろう?」

「それは……」

「言わなくても良い。俺は、君のプライベートを詮索したいワケじゃないからね」

 

 ただお礼が言いたかっただけさ、と嵐山は笑みを浮かべた。

 

 聞けば、嵐山は迅の親友であるという。

 

 ならば、迅の過去を────────七海の姉を、玲奈を亡くした事も知っているかもしれない。

 

 故に、七海の境遇に関してもある程度察している筈だ。

 

 何せ、七海には目立つ右腕の義手がある。

 

 それだけでも何かしらの悲劇が過去にあった事は明白である上、七海自身も過去の出来事を取り立てて隠しているというワケでもない。

 

 知っている人間は知っているのだから、情報に敏い嵐山なら当然既知である筈だ。

 

 その上で詮索はしないと、彼は言った。

 

 自分の目的は、そんな事ではないのだから、と。

 

「俺はこれでも、迅の親友のつもりでいる。あいつが困っていたら助けてやりたいし、辛い時は一緒にいてやりたいと思う。けど、今まであいつはそれすらさせてくれなかったんだ」

 

 君も知っているだろうが、と前置きし嵐山は続けた。

 

「あいつは悲劇を未然に防ぐ為に、大学進学すら蹴って街の巡回を続けている。聞いたところによるとあいつの未来視は直接相手を見ないと効果がないらしいから、時間が拘束される学生でいるのは都合が悪いかららしい」

 

 嵐山の言う通り、迅は学校に通っていない。

 

 正確には、高校を出た後進学も就職もせずに街をぶらついている。

 

 しかしそれは決して、彼の気まぐれなどではない。

 

 ただ、未来を見て平和を守る為。

 

 その為だけに、迅は進学という選択肢を自ら閉ざしたのだ。

 

 未来を視て、事前に危険を察知する。

 

 その役目は、自分しか出来ないと知っているから。

 

「勿論、説得はしたさ。大学に通いながらでも、それは出来るだろうと────────けど、駄目だった。あいつは、自分が進学を選んだ結果不幸な未来を避け得なくなる可能性を、何より恐れていたんだ」

 

 

────────俺は、もう誰も────────失いたく、ないんだ────────

 

 嵐山の脳裏に、過去迅が溢した言葉が蘇る。

 

 それは、滅多に本心を見せない迅の、本気の感情の吐露だった。

 

 もう誰も、失いたくない。

 

 過去、玲奈を失った事により生まれた心的外傷(トラウマ)

 

 それが今も尚、迅を苛んでいたのだと、嵐山は理解した。

 

「俺はあの言葉を聞いた時、俺じゃ駄目だ、って思った。何も失った事のない俺じゃあ、あいつは止められない。止めちゃいけないって────────そう、思っちゃったんだよ」

「嵐山さん……」

 

 それは、嵐山の本心の発露。

 

 親友の心さえ碌に守れなかった、自分自身への苛立ちだった。

 

「だから、君のお陰で迅が変われたと知った時は、嬉しかったと同時に────────少し、悔しかったんだ。俺には、出来なかった事だから」

「でも、それは……」

「ああ、立場の違いだろう。君と迅は、同じ痛みを識っている。だからこそ、君の言葉はあいつに届いた。そんな事は百も承知さ」

 

 けど、と嵐山は顔を上げた。

 

「それならせめて、俺はあいつに寄り添うべきだった。君が迅の心の棘を抜いてくれたように、傍で支え続けていれば、少しはあいつの助けになったんじゃないか────────そんな事を、考えずにはいられなかった」

 

 嵐山は何処か寂し気に、そう告げた。

 

 悔しかっただろう。

 

 親友である自分が駄目だったのに、七海が迅の心を救ってみせたのは。

 

 だが、嵐山はそんな七海への嫉妬より、自分の不甲斐なさを恥じた。

 

 たとえ客観的に見れば非がなかろうと、出来たかもしれない事を怠ったのは自分の罪であると。

 

 嵐山は、そう考えていた。

 

「けれど、後悔は何も生まない。そんな事は分かっている。だからこそ、俺はこれからも君や皆と共に迅を支えていきたいんだ。頑張った奴が報われないなんて、俺は嫌だからね」

「そう、ですね……」

 

 彼の言う通り、迅はこれまで頑張り過ぎていた。

 

 そして、その努力を本当の意味で理解している者は、どれだけいるだろうか。

 

 迅の献身に報いるだけの事を、どれだけ出来ていただろうか。

 

 だからこそ、嵐山は求めた。

 

 共に迅を支える、同胞を。

 

「勿論、迅を特別扱いしろなんて言うつもりはない。ただ、あいつを気にかけてくれていればそれで良い。知っての通り、無理ばかりする奴だからな。見ている人間は、一人でも多い方が良い」

 

 だから、と嵐山は続ける。

 

「勝手なお願いですまないが、迅は君には特別心を許している。俺には言えない事も、君には言えるのかもしれない。だから頼む。俺と一緒に、あいつの荷物を背負ってくれ」

 

 そう告げると嵐山は、深々と頭を下げた。

 

 その行動に面食らった七海だが、動揺は一瞬。

 

 答えなど、最初から決まっているのだから。

 

「大丈夫です、嵐山さん。そんなの、もうとっくに背負う覚悟は決めています」

「七海くん……」

 

 それに、と七海は続ける。

 

「俺だけじゃありません。小南さんやレイジさん、それに何より嵐山さんが、迅さんの荷物を背負おうとしてくれています。あの人の味方は、俺達だけじゃないんですから」

 

 そう、あの日の夜、小南やレイジは言った。

 

 その荷物を、自分達にも背負わせろと。

 

 迅は、決して一人ではない。

 

 本人は遠ざけていたつもりでも、彼を慕う者達は────────決して、一人ではないのだ。

 

「きっと、俺達が知らないだけで、他にもいる筈です。あの人は、自分が思う程────────孤高でも、孤独でもないんですから」

「────────ああ、そうだな。忘れていた。俺達だけじゃ、なかったな」

 

 嵐山の脳裏に浮かぶのは、弓場や生駒といった同い年の仲間達。

 

 それぞれのスタンスは違えど、迅の為に動く事を厭わない者達は、確かにいる。

 

 そんな当たり前の事を指摘され、嵐山は己を恥じた。

 

 分かっていなかったのは、自分の方だと。

 

 自分が何を言わずとも、彼を支える者は無数にいたのだと。

 

「だから、一緒に頑張りましょう。出来る事をやり切って、迅さんの視る未来が少しでも明るくなるように」

「ああ、その通りだ。共に頑張ろう、七海くん」

 

 嵐山はそう言って七海と固い握手を交わし、微笑んだ。

 

 何も、特別な事をする必要はない。

 

 友の一人として、彼を支える。

 

 そんな当たり前を、これからも。

 

 それが最善であると、理解出来たのだから。

 

 夜風に当たる二人の顔は、晴れやかな表情で彩られていた。



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神田忠臣⑥

 

「今日も、お世話になりましたァ!」

「ああ、明日もよろしく頼むぞ」

「うす」

 

 弓場は風間に深々と一礼し、それに続いて弓場隊の面々も「ありがとうございました」と会釈する。

 

 時刻は夕方の6時、11月も後半に差し掛かったとあって既に外は暗くなっている。

 

 彼等は今まで、風間隊と共に連携訓練に勤しんでいたのである。

 

 今は丁度訓練が終わり、弓場が別れの挨拶を終えたところだ。

 

 最初は弓場と共に大声で挨拶していたのだが、風間がそこまで大仰にしなくて良いと言った為、この形になった。

 

 弓場は如何にもな強面だが、目上の人間にはきちんと敬意を払うし通りも弁えている。

 

 彼としてはきっちり挨拶をキメる事で筋を通したかったのだが、先方が大仰な挨拶を望まないとなれば否はない。

 

 自分の我を目上の人間相手に押し付けないだけのTPO(スジ)は、きちんと備えているのだ。

 

「では、失礼します」

 

 弓場は風間に再度頭を下げると、隊を引き連れその場を後にした。

 

 一足先に隊室に戻った藤丸を除いた弓場隊の4人組は、スタスタと本部の廊下を進む。

 

 そうして階段近くまでやって来た時、弓場がふと足を止めて後ろを────────帯島の方を、振り返った。

 

「帯島ァ、今日は兄貴が迎えに来てるんだったな?」

「うす。多分もう待ってると思うっす」

 

 そうか、と弓場は頷くと、外岡へと目を向けた。

 

「外岡ァ、兄貴のトコまで送り届けてやれ」

「了解しました」

「悪ィな。俺ぁまだ用事があるからよ」

 

 いえ、大丈夫ですと外岡は笑顔で答え、帯島を連れて階段を下りて行った。

 

 姿が見えなくなるまで二人を見送った弓場はふぅ、と溜め息を吐くと唯一残った神田の方に視線を向ける。

 

 神田はそんな弓場に対し、困ったような笑みを浮かべた。

 

「すみませんね。帯島ちゃんの送迎を断らせちゃって」

「なぁに、外岡に付いてんなら大丈夫だ。あいつもそこまでガキじゃねぇ」

 

 はぁ、と弓場は再び溜め息を吐いた。

 

 帯島の兄貴分(保護者役)としては色々気になる事もあるのだろうが、彼女の一家全員に気に入られている弓場が迂闊に家族に会えば、そのまま家までご招待される事請け合いである。

 

 なんだかんだで面倒見の良くお人好しな弓場はそうなると断り切れず、これまでも幾度となく帯島の家にお邪魔する事となっていた。

 

 帯島自身も弓場が家に来るととても喜ぶので、彼としても許容する他ないのである。

 

 今の溜め息は、今日はそういった事態を回避出来た事への安堵だろうか。

 

 弓場自身嫌というワケではないのだろうが、微妙に気まずい思いをしているようなので内心複雑なのだろう。

 

 まあ、誘われたら断れないあたり娘のおねだりに弱い父親のようだな、と神田は内心呟いた。

 

 もっとも、口に出すと凄み(ドス)の効いた睨みが待っている為あくまで思うだけではあるが。

 

 弓場は再度溜め息を吐き、神田の肩を叩いた。

 

「話があんだろ? じゃあ、屋上行くか神田ァ」

「はい」

 

 

 

 

「おや、弓場じゃないか。どうしたんだい?」

「嵐山か」

 

 ボーダー本部、屋上入口。

 

 そこで弓場達は、屋上から下りて来た嵐山と鉢合わせた。

 

 誰かと話していたのかと考えた神田だったが、ドアの向こうの屋上に人の影は無い。

 

 嵐山の待ち人は、既に此処を立ち去った後のようだった。

 

「ちィとこいつと話があっからな。おめェーが都合悪いんなら場所変えるけどよ」

「いや、俺の用事はもう終わったんだ。遠慮する必要はないよ」

 

 そうか、と弓場は頷きつつ嵐山の顔を見た。

 

 嵐山は何処か晴れやかな表情をしており、たとえるならば憑き物が落ちたような顔をしている。

 

 何か、彼にとって転機となる出来事があった。

 

 そう考えるに、充分な様子だった。

 

「引き留めて悪かったな。忙しいってのによ」

「いや、構わない。少しくらい友達と語り合う時間くらい、確保しているつもりだ。俺の意思で広報部隊(しごと)を引き受けた以上、半端な事はしないさ」

 

 嵐山は迷う事なく、清々しさすら感じる声でそう言い切った。

 

 口では簡単に言っているが、メディアに露出する広報部隊の仕事がハードなのは言うまでもない。

 

 テレビ等で顔を晒している以上、謂れのない批難中傷(パッシング)を受ける事も多々あるだろう。

 

 人は、集団になれば思考力の低下する生き物だ。

 

 傍から見ればどうでも良い事でも、何かしら口実を見つけて難癖を付けようとする。

 

 そこには有名人への嫉妬や羨望、暗い感情の発露が絡んでいる事は言うまでもない。

 

 特に、彼等はボーダーの宣伝係のようなものだ。

 

 ただでさえ子供を戦わせている、という点や政府非公認の軍事力を保有している等叩かれる要素が多いボーダーの顔役である以上、普通の芸能人以上にパッシングが集まり易いであろう事は言うまでもない。

 

 そんな形のない悪意に常に晒されるような仕事が、簡単である筈がない。

 

 しかしそれでも尚こう言い切ってしまえる少年だからこそ、嵐山は広報部隊のリーダーを務めていられるのだとも言える。

 

 好青年そのものといった風情の嵐山だが、平然とそういった職務に従事する姿はハッキリ言って普通とは言い難い。

 

 嵐山も嵐山で、ある意味で外れているのだろう。

 

 だからといって、彼に対する友情を掌返すような弓場達ではないのだが。

 

 そういった一面を理解して尚、嵐山準という少年の友人をやっているのだから。

 

「今回は戦う相手になったが、遠慮は要らない。お互い、全霊で戦おう」

「おう、勝ちを譲る気はねぇからなァ。全力(ガチ)で来いよ、嵐山ァ」

「ああ、勿論だ」

 

 嵐山は最後まで爽やかな笑みを崩さず、そう言い残してその場を去った。

 

 彼のファンが見たら感涙間違いなしの笑顔であったが、弓場は知っている。

 

 ああ見えて、嵐山は決して戦いを厭うてはいないと。

 

 今の発言は、決して社交辞令などではない。

 

 やるからには、本気で叩き潰す。

 

 そういう意味を込めた、宣戦布告だ。

 

 戦いが好きというワケではないだろうが、やるからには全力で。

 

 特に、相手が友人(弓場)であるならば。

 

 手抜きは、最大の侮辱に当たるだろうと。

 

 そう、信じているからだ。

 

 故に、弓場は笑みを浮かべる。

 

 久々に、あの友人と雌雄を決する事が出来る。

 

 嵐山隊がA級になって以降はご無沙汰であったが、折角戦う機会に恵まれたのだ。

 

 やるからには、全力で。

 

 何もそれは、嵐山に限った話ではないのだから。

 

「ちょっとー、弓場さーん? 熱くなるのはいいですけど、俺の事忘れてませんよねぇ?」

「当たり前だろうが。(ブル)ったのは事実だが、おめェーを忘れるほど抜けてはいねぇよ」

 

 弓場は訝し気な神田の問いに、即座にそう返した。

 

 嵐山の発言で奮起したのは事実だが、何をしにこの場所まで来たかを忘れるほど弓場は抜けてはいない。

 

 まあ、若干頭に血が上りかけたのは確かではあるのだが。

 

「それは何よりですね。じゃあ、早速本題に入らせて貰います」

「おう」

 

 なんでも話せ、と告げる弓場に、神田はこくりと頷いた。

 

「俺が万能手から銃手になった時の事、覚えてますよね」

「忘れるワケねぇだろうが」

 

 ですよね、と神田は苦笑いを浮かべつつ、話を続けた。

 

「俺は、今期を以てボーダーを────────弓場隊を、辞めます」

「…………ああ」

「だから帯島には、俺のいない弓場隊に────────()()()()()()()()()()()()()の状態に早く慣れて欲しかったから、俺は万能手から銃手になりました」

 

 そう、それが以前万能手だった神田が銃手となっている理由。

 

 神田が抜ければ、弓場隊は銃手である弓場と万能手である帯島、狙撃手である外岡の三人のみの部隊となる。

 

 必然的に、前衛として動けるのは帯島だけとなる。

 

 弓場は通常の銃手よりも攻撃手に近い立ち回りをするが、その本質はあくまでも銃手。

 

 ブレードトリガーを所持していない以上、攻撃手に懐に入り込まれればそれで詰みだ。

 

 故に、隊で唯一のブレードトリガー持ちである帯島が前衛を張る事になる。

 

 彼女は射撃トリガーのハウンドを持つ万能手である為中距離にも対応出来るが、どちらにせよ近接戦闘が出来る駒である事に変わりはない。

 

 神田が抜ければ、前衛としての役割は必然的に多くなる。

 

 だからこそ、神田は自らが抜けた後の弓場隊の弱体化を少しでも抑える為、帯島に()()()()()()という状況に慣れて欲しかった。

 

 故に、隊の力が減衰する事をある程度承知の上でブレードトリガーを捨て、銃手に転向した。

 

 全ては、隊の今後の為に。

 

 自分が一人抜けてしまう、その責任を果たす為に。

 

「あの時は、それが正しいと信じていました。隊を勝手に抜けてしまう責任を果たすには、それしかないと思った。そのくらいしか、弓場隊(みんな)へケジメを付ける方法はないと思ったんです」

 

 けれど、と神田は続ける。

 

「あの時の七海くんの言葉で、思い直したんです。俺は本当に、それで()()()()()()()()()()()()()って」

 

────────親友からの受け売りですけど、迷惑なんて幾らでもかければいいんです。仲間ってのは、迷惑をかけあって生きていくものです。むしろ気を遣って身を引く方が、仲間としてはきついものですよ────────

 

 七海は、言った。

 

 迷惑など、幾らでもかければ良いと。

 

 仲間として、気を遣われる方がキツいのだと。

 

 そう、告げていた。

 

「責任を果たす、隊の為を思って。俺はそんなお題目を掲げて、逃げてたのかもしれません。自分一人だけが隊から抜ける、後ろめたさから」

 

────────だから、俺は神田さんがやりたいようにやればいいと、そう思います────────

 

 七海の言葉が、脳裏に蘇る。

 

 やりたいように、やれば良い。

 

 言葉尻だけを捉えれば無責任にも聞こえる発言だが、その真意は違う。

 

 何事も、後悔しない方法を選べ。

 

 その言葉には、そんなメッセージが込められていた。

 

 少なくとも、神田はそう受け取ったのだ。

 

「だから、最後の機会には好きにやりたい。そう、思ったんです。やりたい事をやりたいようにやって、有終の美を飾る。そんな引退試合があっても良いんじゃないか、って」

「…………」

 

 弓場は黙って神田の言葉を聞き、彼の話を傾聴していた。

 

 神田の決意を、聞き逃さないように。

 

「弓場さん」

「おう」

「俺、好きなようにやって────────いいですか?」

 

 そして弓場は、神田の言葉を聞き────────笑みを、浮かべた。

 

「ああ、存分にやれ。悔いは残さねぇようにしろ、神田ァ」

「はい……!」

 

 神田は顔に喜色を浮かべ、弓場に深々と頭を下げた。

 

 そんな彼の背をバン、と叩くと、弓場は神田の顔を上げさせた。

 

「辛気臭ェ面してんじゃねぇよ。勝って終わるんだろ? だったらシャキっとしろ、シャキっと。折角、素直になれたんだからよ」

「弓場さん……」

 

 弓場はフン、と鼻を鳴らし神田をジロリと睨みつけた。

 

「おめェーは勝手に隊を抜ける責任だなんだと抜かしてたが、んな事気にする必要ねぇんだよ。適当な理由ならともかく、将来を見据えての事だろうが」

 

 そもそも、と弓場は続ける。

 

「将来の就職を考えて県外の大学を選んで、その為に弓場隊(ウチ)を辞める。それの何処に、非があんだよ。むしろ、立派な事じゃねぇか。キチンと今後を考えてるって意味じゃあよ」

 

 少なくとも進学しなかった迅の百倍マシだ、と弓場は告げる。

 

 その事に関しては弓場も色々思うところはあるのだろうが、それ以上蒸し返す気配はない。

 

 今のはほんの少し、心の底の本音が漏れただけだったのだろう。

 

 彼は今でも、迅の選択を納得してはいないのだと。

 

 この件に関して、神田は踏み込むべきではないと判断している。

 

 迅と付き合いの浅い自分が、軽々に干渉して良い事ではないだろうから。

 

「ともかく、おめェーが非を感じる理由が一切ねぇ。好きにやれる最後の機会なんだから、逃すな。俺から言えるのはそれだけだ」

「…………ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えさせて貰うとしますか」

 

 神田は弓場の心意気に感謝しながら、顔を上げた。

 

 これまで余り触れずにいた迅の事を話題に出したのは、神田の迷いを振り払う為だろう。

 

 「あいつの真似はしなくても良い」と、そう伝える為に。

 

 迅の生き方は、自縄自縛の雁字搦めだ。

 

 自身の境遇故に責任を放り出す事も出来ず、延々と()()()()()のみに注力する。

 

 律儀ではあるのだろう。

 

 誠実ではあるのだろう。

 

 だがそれは、まともな生き方では無い。

 

 最近はマシになっているが、それでも彼の双肩にかかる責務(ねがい)は重い。

 

 その重荷がどれだけ彼の負担になるか知っているからこそ、弓場は思うのだろう。

 

 余計な重荷は背負うな、と。

 

 不器用な彼の、後輩への精一杯の激励(エール)

 

 それを受け取り、何も感じない程神田は恩知らずではない。

 

「────────勝ちましょう、弓場さん。快進撃を続ける那須隊(かれら)に、勝ち星を挙げてやりましょう」

「ったりめぇだ。全力でやっぞ、神田ァ」

「はい!」

 

 男二人、夜空の下で誓いを立てる。

 

 それは、必勝の誓い。

 

 最後の思い出作り(ドンパチ)を成功させる為の、仲間としての宣誓だった。



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合同戦闘訓練/STAGE3
第三試験、開始


 

「じゃあ、打ち合わせを始めようか」

 

 11月23日、A級昇格試験第三試験当日。

 

 七海が音頭を取り、最終ミーティングが開始された。

 

 隊長は那須だが、こういった纏めを行うのは七海の方が適している。

 

 那須自身も彼の手腕は知っている為、敢えて前に出たりはしない。

 

 適材適所、というワケだ。

 

「まず、何においてもやらなきゃいけないのは菊地原を落とす事だ。あいつがいる限り、向こうに情報アドバンテージで上を行かれてしまう。その脅威がどれ程のものか、俺たちは前回の試合で体感した筈だ」

「そうね。あの感知力はかなり厄介だわ」

「同感。あれは真っ先に落としておきたいわ」

 

 那須や熊谷が同意したように、この試合である意味最大の脅威と言えるのが菊地原だ。

 

 本人の戦闘能力自体は一線級のエースと比べれば一歩譲るものの、そのサイドエフェクトを用いた感知能力は凶悪の一言だ。

 

 流石に戦場全域をカバーするまでは至らないだろうが、それでも菊地原の近辺の情報は全て抜かれてしまうと考えて差し支えない。

 

 つまり、彼が生きている限りこちらの位置や挙動は全てあちらの知るところとなり、奇襲も逃走も困難になる。

 

 最優先で撃破するべき相手なのは、まず間違いないだろう。

 

「けれど、菊地原が生きている限りアドバンテージを得られるなんて事は向こうも承知しているだろう。だから恐らく、菊地原はギリギリまで前線には出さず、サイドエフェクトを活かした情報収集に徹させる方針で来る可能性が高い」

「戦力としてではなく、生きたレーダーとしての運用か。確かに、それをやられるとキツいわね」

 

 だが無論、それは弓場隊側としても当然承知している筈だ。

 

 故に菊地原を戦力として扱うのではなく、レーダーとしての役割に徹させる。

 

 確かに、一刻も早く菊地原を排除したいこちら側としてはその方法を取られると苦しくなる。

 

「今回の試合では、菊地原の生死が勝敗に直結すると言っても過言じゃない。そういう方策を取る確率は、決して低くないだろう」

 

 

 

 

「────────と、そんな事を考えているだろうから、場合によっては自己判断で戦って貰って構いません。その方が、不意が突けますから」

 

 神田は弓場隊の隊室で、笑みを浮かべながらそう告げた。

 

 通信越しの風間が、微かに笑った気配がする。

 

『良いのか? 菊地原の生存が最優先だ、と言ったのはお前だろう?』

「確かに菊地原の能力は俺達に莫大なアドバンテージを齎しますが、そこに拘泥してチャンスを逃すようでは彼らには勝てません。安全策(逃げ)に走った相手を見過ごす程、甘い相手じゃありませんしね」

 

 王子達はそれで失敗しましたしね、と神田は続ける。

 

 第二試験、王子は那須隊の戦力を過大評価するあまり、動きを鈍らせてしまった。

 

 強引に攻めれば勝てたという話でもないが、戦場でそういった躊躇いは相手に付け入る隙を与える。

 

 慎重策を取るのは悪い事ではないが、時にはリスクを承知で思い切る事も必要だ。

 

 リスクを恐れていては、大きなリターンは望めないのだから。

 

「それに、こと奇襲に関しては風間隊(あなたがた)の方に一日の長があります。俺達がタイミングを計るより、そちらに任せた方が得策だと判断しました」

『成る程な。了解した。菊地原は基本的には隠密に徹させるが、場合によってはこちらの判断で戦線に投入する。無論、その時には一報を入れるがな』

「はい、構いません」

 

 そうか、と風間は笑みを堪えながら頷いた。

 

 その脳裏に浮かぶのは、前回の試合前のミーティング。

 

 七海は奇しくも、今の神田と同じく戦場でのある程度の判断を風間隊に委ねて来た。

 

 これは、悪くない選択だ。

 

 神田自身の言う通り、隠密(ステルス)戦闘を専門とする風間隊はいわば奇襲のエキスパートだ。

 

 奇襲のタイミングやリスクヘッジ、その後の撤退に至るまでその技術や観察眼は熟練の域にある。

 

 下手に弓場隊で指示を出すよりも、風間隊の判断で動いた方が戦果を獲得出来る確率が上がる。

 

 更にこれは、ルールに抵触しない範囲で風間隊の指揮能力を一時的に借り受ける事が出来る手段でもある。

 

 この試合は、あくまでも()()

 

 表立って献策を頼んだり指揮を預けるような真似をすれば、減点は避けられない。

 

 だがこれは、作戦の一環として風間隊にある程度の自由行動を認可する事で、その高い指揮能力、判断能力を運用()()()()事が出来るのだ。

 

 いわばルールの穴を突いた、グレーゾーンの行為。

 

 しかし表立って禁止されていない以上、風間がそれを咎める理由などある筈もない。

 

 法則(ルール)の抜け穴を探すのも、一つの才能なのだから。

 

「それから、条件が合致するMAPだった場合は以前お話した通りに()()()()()()を軸に作戦を開始します。オーソドックスな市街地MAPやROUND7のような開けたMAPであれば、第二プランで行きます」

『第一プランほど有利は取れないだろうが、こればかりはMAP次第だからな。次善の策を忘れないのは当然だな』

 

 この合同戦闘訓練では、MAPは毎試合ごとにランダムに決定される。

 

 通常のランク戦と異なり、どの部隊もMAPの決定権を持たず、試合が開始されて初めてどのMAPで戦うかが明かされる。

 

 故に、MAP選択権を行使した地形戦が行えない。

 

 少なくとも、ROUND5で鈴鳴がやったような特殊なMAPを前提とした作戦を取る事はまず不可能だ。

 

 故に神田は、複数の戦術(プラン)を用意した。

 

 前提条件に合致したMAPが選ばれれば第一プランを実行し、そうでなければ第二プランを採用する。

 

 最初から一つに絞った作戦を立てるのではなく、複数の戦術を予め用意しておきMAPに応じたものを採用する。

 

 それが、神田の方策。

 

 博打にも見えるが、それは違う。

 

 戦場では、元々戦う場所を指定出来る方が稀なのだ。

 

 ならば、どんな場所であろうと動く事の出来るよう万全の準備を行うべし。

 

 神田はただ、それを実行しているに過ぎない。

 

 確かに、試合開始までMAPが公開されないというルールは厄介だ。

 

 しかし、それは無策で臨んで良いという理由にはならない。

 

 どのMAPで戦うか分からないならば、どんな地形でも戦えるようしっかりと準備を整えておく。

 

 その程度の事が出来ずして、A級に上がる事など出来ない。

 

 多少不利な地形になった程度であっさり負けるようでは、()に上がる事など夢のまた夢なのだから。

 

「それから、基本的に転送されたら全員すぐにバッグワームを使ってくれ。相手に狙撃手が二人いるけれど、菊地原の位置を推測する材料を残したくはない。今回の試合は、菊地原の使い方次第で大きく転がり得るから隠蔽最優先だ」

 

 基本は隠れて、後は臨機応変にね、と神田は続ける。

 

 いざとなれば菊地原の戦線投入は躊躇わないが、それはそれとして基本は彼の位置を相手に知られる事は避けるべきだ。

 

 慎重過ぎるのも問題だが、考えなしに切って良いカードでないのは確かなのだから。

 

 そして、バッグワームを全員で使用する理由は簡単だ。

 

 バッグワームの使用の有無で、菊地原の位置を逆算される事を防ぐ為だ。

 

 試合では、全員が()()()()()を置いてランダムに転送される。

 

 そしてこの試合形式では最初から2チームしかいない為、空白地帯────────即ち自部隊の隊員から一定の距離にある場所には必ず対戦相手が転送されている事になる。

 

 そこで数人のみがバッグワームを纏わずに反応を示せば、残りの空白地帯の何れかに残りの対戦相手が転送されている、と推測出来るのだ。

 

 故に、狙撃の危険を承知の上で全員がバッグワームを纏うようにする、というワケである。

 

「後は、MAPと転送位置を見て随時俺が指示を出します。一応、それぞれのMAPに応じた大まかなプランは考えて来ましたので」

「おう、頼んだぜ」

「はい、頑張りましょうっ!」

 

 神田の言葉に弓場と帯島が追随し、外岡もこくりと頷いた。

 

 意気軒昂、気合充分。

 

 モチベーションは、この上なく高まっているようだ。

 

『例のトリガーの扱いは、問題ないな?』

「ええ、迅さんにみっちり鍛えて貰いましたから。なんとか、付け焼刃の状態は脱したつもりです」

『なら良い。それから、大事な事だが───────ビッグトリオンルールの適用者は、以前話した通りで大丈夫か?』

 

 風間の問いに、神田は笑い、答えた。

 

「ええ、予定通りで行きます。それが、俺達に出来る最善ですから」

 

 

 

 

「ビッグトリオンルールの適用者は、以前話した通りだ。作戦に変更はない」

 

 七海の言葉に、那須隊の面々はこくりと頷いた。

 

 既に、大まかな作戦内容は決まっている。

 

 今行っているのは、あくまで最終確認。

 

 此処に来て大幅な計画変更は、まず有り得ないと言って良い。

 

『本当にそれで良いんですか? 最初に出た案の方が、効力は高いと思いますが』

 

 故に、疑問を呈してきたのは木虎だ。

 

 七海の選んだビッグトリオンの適用者は、木虎の予想と外れていた。

 

 だからこそ、木虎としては気にせずにはいられない。

 

 何故、その選択をしたのかという理由にこそ、彼女は興味を示しているのだから。

 

「ああ、構わない。確かに目に見える効果は最初の案の方が上だろうけど、その程度向こうも充分警戒している筈だ。見た目ほどの戦果を挙げられるかは、正直賭けになる」

 

 けれど、と七海は続ける。

 

「この選択なら、色々と応用が利く上に相手に見透かされている可能性は低い。だから俺は、こっちの方が良いと判断した」

『そうか。君がそう思うなら構わない。これは、あくまで君達の試験だ。七海くん達が選択したのならば、俺達にそれを止める権利はない』

 

 嵐山は迷いなくそう断言し、それを横で聞いていた木虎が少々気落ちしながらも顔を上げる。

 

『…………そうですね。すみません、余計な時間を使わせました』

「いや、構わない。疑問に思うのも当然の事だし、試験官である以上質問する権利はあるからね」

 

 唐突な質問に思えたものの、今回の木虎は試験官の一人だ。

 

 いわばこれは面接の一環のようなものであり、聞くべき事を聞くのは当然の事でもある。

 

 まあ、今の質問は多少私情が混じっていたかもしれないが、そこはそれだ。

 

 特段不自然な質問というワケでもないので、問題があるという事でもないのだから。

 

 さて、と七海は顔を上げ、告げる。

 

「行こうか。そろそろ、時間だ」

 

 

 

 

「お待たせしました。A級昇格試験、第三試合。実況は私、橘高羽矢が務めさせて頂きます」

 

 昇格試験、会場。

 

 実況席でマイクを握るのは、王子隊のオペレーター、羽矢だ。

 

 クールな美貌を称えた彼女が、今回の実況担当である。

 

「そして、解説は諏訪隊長と村上隊員にお越し頂いております」

「おう、よろしくな」

「よろしくお願いします」

 

 その隣に座るのは、諏訪と村上。

 

 諏訪は快活な笑みで、村上は普段通りの無表情ながら何処か柔らかな雰囲気で、それぞれ声をあげた。

 

 解説に座るのはどちらも珍しい人物ではあるが、諏訪は弓場と繋がりがあるし、村上は七海の親友にして鎬を削り合うライバルだ。

 

 二人の戦いを間近で感じたいという思いを抱いていても、不思議ではない。

 

 加えて言えば、実況の羽矢も小夜子の友人である。

 

 あまり目立つ事が好きではない彼女が実況という大役を引き受けた背景には、そのあたりの事も絡んでいそうではある。

 

 見た目からは分かり難いが、中々に情に厚い女性なのだから。

 

「今回はビッグトリオンルールという特殊ルールが採用されていますが、これについてお二方はどう思われますか?」

「どっちのチームにも一人ずつ、二宮みてぇなトリオンの奴がいる事になんだろ? 派手な事になるんじゃねぇか?」

「どのポジションの隊員がビッグトリオンを得るかで、そのあたりは変わりそうですね。射手がそうなれば、二宮さんのような力押しも可能になりますし」

 

 今回のルールでは、双方のチームに一人ずつ、トリオン量を14相当に設定した隊員がいる事になっている。

 

 二宮クラスのトリオンというのは、当然ならば大きな戦力になる。

 

 射手であれば破壊力と弾速を兼ね備えた弾幕が放たれる上、シールドも相当に硬くなる。

 

 技術が追いつくかはともかく、理論上は二宮と同じ事が出来るようになるのだから、相当な脅威となる事は間違いない。

 

 この戦いでは、ビッグトリオン持ちの隊員をどう扱うかも、重要なファクターとなるだろう。

 

「ただ、当然それだけで勝てるほど甘くはありません。お互いの得意な戦略を、何処まで押し通せるか。そのあたりも、勝敗の分かれ目となって来るでしょう」

「ありがとうございます。では、時間も押していますのでそろそろ始めましょう」

 

 そして羽矢は顔を上げ、高らかに告げる。

 

「これより、A級昇格試験第三試合を開始します。全部隊、転送開始します」

 

 羽矢の宣言と共に、四部隊が仮想空間へ転送される。

 

 合同戦闘訓練、第三試験。

 

 その幕が、上がった。





 ワートリアニメ始まりましたね。

 狙ったワケじゃありませんが、こっちも第三試験開始です。

 こうご期待。


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弓場隊・風間隊①

 

『全部隊、転送完了』

 

 仮想の大地に、隊員達が転送される。

 

 第三の試験、その戦場へ四つの部隊が降り立った。

 

『MAP、『市街地D』。天候、『暴風雨』』

 

 そして、仮想空間へ降り立った者達が目にしたのは、吹き荒れる風と雨。

 

 立っているだけで吹き飛ばされそうな、嵐。

 

 数ある環境設定の中でも指折りの悪天候のフィールドが、試合の舞台であった。

 

「────────よし、条件はクリアだ」

 

 その光景を見て、神田は笑みを浮かべる。

 

 視線の先にあるのは、巨大なショッピングモール。

 

 この市街地Dの象徴とも言うべき、主戦場だ。

 

「第一プランで行く。皆、勝ちに行くぞ」

『おう』

『はいっ!』

『了解』

 

 チームメイトの返答を聞きながら、神田はバッグワームに身を包む。

 

 そして、目の前にあるショッピングモールへと駆け出した。

 

 

 

 

「さあ、始まりました第三試合。選ばれる事が珍しい市街地DのMAPと暴風雨という特大の悪天候のコンボですが、これについてお二方はどう思われますか?」

「マジでクソMAPじゃねぇか、こりゃあ」

 

 最悪の組み合わせだろ、と諏訪はぼやく。

 

 確かに、この光景を見れば彼でなくともそう思うのは仕方ない。

 

 何せ、ショッピングモールが主戦場となる市街地Dという特殊なMAPに、動きや視界が大幅に制限される暴風雨という天候の組み合わせだ。

 

 部隊の性質によっては、一方的に不利になってもおかしくはないのだから。

 

「ええ、確かに相当特殊な環境に当たりますね。外が嵐というこの環境下なら、否応なくモールの中に入らざるを得ない。今回の試験ではMAPと環境設定はランダムに選ばれると聞いていますが、図ったかのような組み合わせですね」

「まあ、逆に言えばモール()ん中にいりゃあ嵐の影響は受けねーけどよ。そうなっと、狙撃手が死ぬ事になんじゃねーか?」

「確かに狙撃手にとっては厳しい環境である事は、間違いないでしょうね」

 

 この市街地DというMAPでは、その大部分を占める大型ショッピングモールが大抵の場合主戦場になる。

 

 屋内戦闘になるという事は、必然的に狙撃手が活躍出来る機会は少なくなる。

 

 何せ、場所が限られた屋内での戦闘だ。

 

 通常のMAPであれば離れた場所から一方的に攻撃出来るのが狙撃手の利点であるが、この市街地Dでは構造上距離を取るにも限界がある。

 

 故に一度狙撃で場所が割れてしまえば、逃げる事はかなり困難となるだろう。

 

 そして、外は暴風雨。

 

 視界も制限される以上、あまり離れては狙撃もままならない。

 

 結果として、狙撃手を活用し難い環境下にあるのは確かである。

 

「ですが、このMAPは両部隊にとってメリットもあります。縦に広いMAPなので七海や那須さんは三次元機動が取り易いですし、閉所で不意を撃てれば弓場さんの早撃ちから逃げるのは困難です」

「確かに、狭ぇトコで弓場とかち合うのは勘弁願いてぇな。でもよ」

 

 ええ、と村上は頷き、肯定した。

 

「この状況下であいつが動かない理由が、ありませんね」

 

 

 

 

「────────炸裂弾(メテオラ)

 

 ショッピングモール、最上階。

 

 バッグワームを解除しそこに陣取った七海が、吹き抜けを見下ろしながらトリオンキューブを生成する。

 

 そして、作り出したキューブを分割し、射出。

 

 吹き抜けを通って降り注いだ爆撃は、モールの各所に風穴を空けた。

 

 

 

 

「ここで七海隊員のメテオラが炸裂……っ! モール内部に、爆撃の嵐が吹き荒れる……っ!」

「やっぱりこうなりましたか」

 

 村上はモニターの映像にさして驚く事なく、淡々と告げた。

 

 彼にとっては、予想通りの光景であったが故に。

 

「那須隊は、どちらかといえば閉所での戦闘は苦手な部類に入ります。そして、逆に弓場隊と風間隊は閉所での戦闘こそが真骨頂。となれば」

「メテオラで炙り出しをやんねぇ理由がねぇっつう話だよなあ。七海が目立っちまうが、あいつに不意打ちは効かねぇから関係ねぇしよ」

 

 そう、確かに縦に広い吹き抜け近辺では那須や七海の独壇場だが、逆に店舗内などの閉所では弓場隊の方が有利となる。

 

 那須隊は全員が射程持ちだが、その手札は全員が射撃トリガー。

 

 狭い場所での戦闘では、射出までのタイムラグが存在しない銃手が複数在籍する弓場隊の方が優位に立てるのだ。

 

 特に、弓場の早撃ちは至近距離ではまず躱せない。

 

 そして、隠密戦闘を専門とする風間隊も閉所での戦闘を得意としている。

 

 以上の理由により、那須隊が閉所での戦闘に応じる理由は存在しない。

 

 逃げ場のない閉所での戦闘は、那須隊としては避けたいところなのだから。

 

 だからこその、無差別爆撃。

 

 逃げ場がないのであれば、作ってしまえば良い。

 

 メテオラを用いてモール内を破壊して、強引に閉所を取り除いてしまおう、という作戦である。

 

 滅茶苦茶な力押しではあるが、理には適っている。

 

 メテオラの連射も七海のトリオン量ならば問題にならないし、何も最終ラウンドの時のように街の一区画をまるごと吹き飛ばそうというワケでもないのだ。

 

 爆撃にトリオンを注ぎ込んでも、さして問題はないだろう。

 

「さて、これを放置すれば弓場隊は折角の得意地形を崩される事になります。此処は、動かざるを得ないでしょうね」

「問題は、だれがやるか、だな。ここで弓場っつうカードを切っちまうのはちと勿体ねぇが、他に適任がいるようにも────────あん?」

 

 ふと、諏訪がモニターの映像を見て固まった。

 

 そこには、予想外の人物の姿が映し出されていたのである。

 

「あいつ、本気(マジ)か」

 

 

 

 

 上階から、無数の光弾が降り注ぐ。

 

 落ちる星の名は、メテオラ。

 

 七海によって繰り出された、爆破の弾幕である。

 

 爆撃の雨は、正確に下階を狙い撃っている。

 

 このままでは、更にモール内に破壊が広がるだろう。

 

 故に。

 

 吹き抜けの一階部分に飛び出した少年────────神田が、アサルトライフルを上方に向け、撃ち放った。

 

 放たれる、無数の弾丸。

 

 それは七海の発射したメテオラに誘爆し、空中で無数の爆発が連鎖する。

 

 間一髪、更なる破壊を撒き散らす前に爆撃を止める事に成功した。

 

 此処で七海の爆撃を止める事は、間違いではない。

 

 むしろ、そうしなければ一気に不利になる可能性すら有り得た。

 

 だが────。

 

「────」

 

 そんな神田の背後に、一人の少女が忍び寄った。

 

 少女の名は、熊谷友子。

 

 那須隊の攻撃手が、その手に弧月を構えて斬りかかる。

 

「……!」

 

 神田は熊谷の接近に気付くが、距離が近過ぎる。

 

 熊谷は丁度、神田の飛び出した場所の近くの柱の陰に隠れていた。

 

 標的が自ら近くに飛び込んでくれたのは僥倖であり、このチャンスを逃す手はない。

 

 故に熊谷は隠密を優先して旋空ではなく、自らが飛び込んでの奇襲を敢行したのだ。

 

 そう、あれだけ派手にやった以上、妨害の手が来ることなど七海には────────いや、那須隊には承知の上。

 

 つまり、必ず()()が潜んでいる。

 

 その状況下で、連携でこそ力を発揮する神田が単独で出て来るのは危険過ぎる。

 

 だから、諏訪は驚いたのだ。

 

 あの神田が、そんな軽挙をするのかと。

 

 銃手である神田では、此処まで接近された攻撃手相手に打つ手はない。

 

 弓場という例外を除き銃手の役割とは、中距離から銃撃で牽制を加え、場をコントロールする事。

 

 至近距離では、引き金を引くよりも刃を振り抜く方が速い。

 

 決まった。

 

 誰もが、そう思った。

 

「────────甘いよ」

「……っ!?」

 

 ────────とうの本人(神田)、以外は。

 

 熊谷の斬撃は、硬質な音と共に受け止められた。

 

 その音は熊谷にとっても慣れ親しんだものであり、普段聞く機会の多いもの。

 

 それでいて、この状況では有り得ない、と断じたものでもあった。

 

「これでも、元万能手なんだ。()()()使()()()()()()()()()()()()だろう?」

 

 そう、結果は言ってみれば単純明快。

 

 神田が、弧月を用いて熊谷の攻撃をガードした。

 

 ただ、それだけの事であった。

 

「さあ、続けようか。悪いけど、容赦しないよ」

 

 

 

 

「熊谷隊員の弧月を、神田隊員の弧月が止めた……っ! 神田隊員、まさかのブレードトリガーで窮地を脱した……っ!」

「これは、予想していませんでしたね」

 

 羽矢は目を見開き、村上も感心したように頷く。

 

 しかし、その意味は異なる。

 

 羽矢はリアクションとは異なり納得をしているようであり、村上は瞬時に状況を理解しての得心である。

 

 その差異の理由は、簡単だ。

 

 ()()()ランク戦で上位にいたかどうか、である。

 

「データによれば、神田さんは前期までは万能手だったんですよね? それを考えれば、元のスタイルに戻っただけとも言えますが……」

 

 そう、神田は前期のランク戦まで、銃手ではなく万能手として戦っていた。

 

 彼が銃手となったのは今期から────────弓場隊脱退を隊のメンバーに告げた後、である。

 

 当然、前期までB級上位にいた経験がなかった諏訪や村上は伝聞、もしくはランク戦の映像でしかその事を知らない。

 

 知るのはただ一人、王子隊のオペレーターとして以前から上位にいた羽矢だけである。

 

「神田隊員は前期まで万能手として、状況に応じて銃手トリガーとブレードトリガーを使い分けて戦っていました。私の知る限り弧月はマスターランクまでは至っていませんが、申し分ない技量だったとうちの隊長からは聞いています」

「成る程、近接戦闘のスキルは元々持っていた、というワケですね」

「みてーだな。俺もこうして直で見んのは初めてだけどよ」

 

 諏訪は神田と熊谷の鍔迫り合いの映像を見ながら、ほぅ、と息を吐いた。

 

 神田の剣の技量は一流のそれには届いていないが、近接戦闘を得手とする熊谷に対し充分に食らいついていけている。

 

 熊谷が防御重視のスタイルであるという理由もあるのだろうが、少なくともその技量は付け焼刃のそれではない。

 

 きちんと鍛錬を積み重ね、その結果得た正当な成長の産物である。

 

弧月(これ)があるから、あそこで七海を止めに出て来たってワケか。けど────」

「────────ええ、だからといって連携が真骨頂である神田さんが単独で出て来る理由としては()()。まだ、何かある筈ですね。単騎でやって来た、理由が」

 

 

 

 

「はぁ……っ!」

 

 熊谷は弧月を構え、神田へ斬りかかる。

 

「……!」

 

 神田はそれを己の弧月で迎撃。

 

 振り下ろされた熊谷の弧月を、神田のブレードが受け止める。

 

 攻撃を止められて一歩後ろに下がった熊谷は、再度同じように斬りかかる。

 

 そして、止める。

 

 これが、先ほどから幾度も繰り返されて来た。

 

 まだ数合程度の打ち合いであるが、その理由は明白だ。

 

 神田は先ほどから、積極的に移動しようとする気配がない。

 

 ただ攻撃を受け、凌ぐだけ。

 

 今の神田には、決定的に()()の意思が欠けていた。

 

 神田には、この場で熊谷を無理に仕留めようとは思っていない。

 

 故に熊谷が引けば追わないし、自分から攻め込む事もない。

 

 熊谷と似た系統の、防御的な弧月使い。

 

 それが、神田のブレードトリガーを用いたバトルスタイルだった。

 

 熊谷との距離が近過ぎる為、七海も迂闊にメテオラを落とす事が出来ない。

 

 まさか、神田が熊谷との接近戦を選択するとは、思いもしなかったのである。

 

 もしも彼が銃手のままだったのであれば、距離を取ったところにメテオラを落として爆殺する事が出来ただろう。

 

 ブレードトリガーを手にした事こそ、この状況を覆す一助となる手。

 

 それがなければ、熊谷の最初の奇襲で落とされていた可能性も有り得た。

 

 万能手に戻る。

 

 そう神田が決意したからこそ、この膠着状態が生まれているのだ。

 

「ハウンド……ッ!」

 

 だが、それも長くは続かない。

 

 熊谷には神田とは異なり、射撃トリガーとしてのハウンドがある。

 

 弧月からアサルトライフルに切り替えなければならない神田と違い、弧月を構えたままでも弾を撃ち出せる。

 

 ()を使わずに手数を増やせる事が、射撃トリガーの利点である。

 

 構えた状態での撃ち合いならばともかく、応用性が広いのは間違いなく射撃トリガーの方である。

 

 故に、熊谷がハウンド使用を選択した事はなんらおかしい事ではない。

 

 問題は。

 

(大きい……っ!)

 

 その、展開したキューブの大きさ(サイズ)

 

 普段のそれの、数倍。

 

 そんなトリオンキューブが、熊谷の背後に展開されていた。

 

 射撃トリガーを使用するには、トリオンキューブを展開し、それを分割して撃ち出すという工程(プロセス)が必要になる。

 

 そして、展開したトリオンキューブの大きさは持ち主のトリオン量に比例する。

 

 重要なのは、この時出るキューブの大きさは調整が出来ないという事。

 

 トリオンの少ない者であればそれこそ手のひらサイズという事も有り得るが、トリオン強者のキューブは目に見えて巨大になる。

 

 今の熊谷の出したトリオンキューブは、どう見てもトリオン強者(二宮級)のそれだった。

 

「君が、ビッグトリオンか……っ!」

 

 こうまで見せつけられては、疑う余地はない。

 

 ビッグトリオンルール。

 

 その那須隊側の適用者が、熊谷なのだ。

 

 二宮級のトリオンで放たれる、ハウンド。

 

 それはまさしく、文字通りの凶器だ。

 

 シールドで防ぐ事は出来ようが、足を止めればそのまま集中砲火で息絶える。

 

 これは、そういう種類の脅威である。

 

 現在神田達がいるのは一階の吹き抜け近辺であり、隠れる場所は殆ど無い。

 

 万事休す。

 

 誰もが、そう思った。

 

「甘いよ」

「え……っ!?」

 

 ────────神田本人、以外は。

 

 神田が迫り来る弾幕に対し打った手段は、一つ。

 

 その手を地面に置き、目前に複数の(バリケード)を形成した。

 

「エスクード、ですって……?」

 

 そのトリガーの名は、エスクード。

 

 燃費の悪さから使用者は少ないが、その硬度は防御系トリガーの中でも屈指。

 

 任意の場所に壁を発生させる、オプショントリガーである。



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弓場隊・風間隊②

 

「エスクードか」

 

 七海は眼下に見える壁トリガーを見据え、目を細めた。

 

 エスクードは、オプショントリガーの一種である。

 

 その性質の中でも目を惹くのは、その硬度。

 

 並みのシールドとは比較にならないその強度は、防御不能の刃である旋空弧月や勢いの付けたレイガストのスラスター斬りクラスの攻撃でなければ突破不可能。

 

 更に、エスクードは一度出現させれば維持にトリオンがかからない、という特徴がある。

 

 つまり、使用者が消さない限りは破壊されない限りずっとその場に残り続けるのだ。

 

 故に、ROUND5で太一が行ったように通路の封鎖等、地形そのものに手を加える事が出来るトリガーでもあるのだ。

 

 その硬度も相俟って、このエスクードによる地形封鎖の影響力は高い。

 

 但し。

 

 便利に思えるエスクードではあるが、ボーダーの中でも使用者はそう多くないどころか珍しい部類に入る。

 

 それは何故か。

 

 単純に、()()()()()()()からだ。

 

 エスクードは、確かに一度出せば維持にトリオンを消費しない。

 

 だが、そもそも使用時にかかるトリオンが他のトリガーの比ではないのだ。

 

 少なくとも、平均的なトリオンの持ち主では乱発など出来る筈もない。

 

 ROUND5でこれを繰り返し使用した太一は、戦闘に必要なトリオンすら碌に残っていない有り様となっていた。

 

 そして、幾ら便利であろうともあくまでオプション(補助)トリガーである以上エスクード単体だけで勝負が決するワケではない。

 

 そういった理由もあり、エスクードを基本トリガーセットに入れているのは七海が知る相手の中では玉狛支部の烏丸くらいである。

 

 本部所属の隊員となるとA級の佐伯という人物が使っているそうだが、こちらは七海と交流が無いのでよくわからない。

 

 ともあれ、燃費の悪さというものはそれだけ致命的な欠点なのだ。

 

 そして神田は太一と違い、隠れるのではなく表に出て戦っている。

 

 これの示す意味は、即ち────。

 

「神田が、ビッグトリオン適用者か……?」

 

 ────────神田忠臣が、弓場隊側のビッグトリオン適用者である可能性が高い、という事だ。

 

 

 

 

「旋空弧月ッ!」

 

 神田が出現させたエスクードを見て、熊谷は即座に行動に移った。

 

 それは、旋空弧月の使用。

 

 熊谷も、エスクードに関する知識はある。

 

 実際に使われた事はないが、ROUND5で太一が使用したと聞き、後学の為に七海経由で烏丸に聞いて貰ったのだ。

 

 故に、その()()()()も既知であった。

 

 エスクードは確かに強固な壁であるが、旋空弧月を用いれば切断出来る。

 

 那須隊の中でもエスクードを破壊可能な旋空を持つのは、熊谷(じぶん)だけ。

 

 ならば、下手に壁を増やされる前に此処で叩き切る。

 

 そう判断しての、瞬時の攻撃。

 

 熊谷の旋空が、横薙ぎに振り払われ神田の出現させたエスクードを纏めて叩き切った。

 

「いない……っ!?」

 

 だが、その壁の向こうに神田はいなかった。

 

 熊谷は、横薙ぎに旋空を振るった。

 

 今の一瞬でその射程外へ走って逃げる事は、不可能な筈。

 

 つまり。

 

「上か……っ!」

 

 熊谷は、神田が残した()()を見逃さなかった。

 

 彼女が破断した、エスクードの残骸。

 

 その向こう側に────────即ち、神田がいた場所にもう一つ、斬られたエスクードが残っていた。

 

 エスクードは、熊谷の見た限りその出現速度はかなり速い。

 

 即ち。

 

 その()()()()にいたならば、グラスホッパーのようにジャンプ台として利用する事が可能……!

 

「見つけた……っ!」

 

 熊谷は、見た。

 

 エスクードによる加速を得た神田が、吹き抜けを通って四階の通路へ着地する瞬間を。

 

「ハウンド……ッ!」

 

 判断は、瞬時。

 

 熊谷は間髪入れず、ハウンドを展開し射出。

 

 14ものトリオンによって威力や射程が上昇した追尾弾が、四階の神田へと襲い掛かる。

 

「……!」

 

 しかし、そのハウンドは、神田の周囲に出現したエスクードによって受け止められた。

 

 幾らトリオンが上がり威力が上昇したとはいえ、ハウンドはそこまで威力の高い弾丸ではない。

 

 撃ち続ければエスクードも破壊出来るかもしれないが、ハッキリ言ってトリオンと時間の無駄だ。

 

 それに。

 

 次の手を撃つ前に、熊谷を予想外の事態が襲ったのだ。

 

「な……っ!?」

 

 下腹部への衝撃の後、熊谷の身体が宙に跳ね上げられる。

 

 エスクード。

 

 神田がジャンプ台として使用したそれが、熊谷の足元から突如として出現したのだ。

 

 不意打ちで強制的に跳躍させられた熊谷の身体は、吹き抜けを通って上階へと飛ばされる。

 

 そこで、見た。

 

 吹き抜け傍の通路の、三階。

 

 そこに、バッグワームを解除した弓場が、二丁のリボルバーをこちらに向けている姿を。

 

「……っ!」

 

 熊谷には、グラスホッパーやテレポーター等の都合の良い移動用トリガーはない。

 

 最上階にいる七海が救援に来るには、刹那の時間が足りない。

 

 弓場の早撃ちは、他の銃手の比ではない。

 

 確実に、七海が助けに入る前にその銃弾は熊谷に届く。

 

 咄嗟に、熊谷は集中シールドを展開した。

 

 トリオン14のシールドは、かなりの硬度を持つ。

 

 だが、弓場のリボルバーの弾丸を撃ち続けられれば、突破されるのは必定。

 

 弓場の銃は、射程と弾数を切り詰めて威力と弾速を徹底的に上げている。

 

 幾ら強固なシールドとて、その硬度には限度がある。

 

 そして、空中にいる以上逃げ場はない。

 

 詰み。

 

 一瞬の油断が招いた、この上ない窮地だった。

 

「────」

 

 弓場の弾丸が、放たれる。

 

 目にも止まらぬ早撃ちが、熊谷のシールドに叩き込まれる。

 

 その弾数、()()

 

 つまり、片手のリボルバーの分だけが、集中シールドに叩き込まれた。

 

 熊谷の集中シールドは、なんとか弓場の弾丸に耐え切った。

 

 だが。

 

 だが。

 

 まだ、もう片方のリボルバーの弾丸が残っている。

 

 そしてそれは、集中シールドを避けて()()()()で飛来した。

 

 そう。

 

 弓場のリボルバーは、()()()ではない。

 

 通常弾(アステロイド)と、変化弾(バイパー)

 

 その二種の弾丸を、弓場は所持している。

 

 たった今弓場が撃ったのは、左手のアステロイドと右のバイパー。

 

 弓場の拳銃の威力を知るが故に集中シールドの二枚重ねという選択をした熊谷の虚を、毒蛇の弾丸が撃ち貫く。

 

「────」

「え……?」

 

 その、筈だった。

 

 熊谷の前に、不意に人影が現れる。

 

 それは、バッグワームを解除して吹き抜けから飛び降りた、時枝の姿だった。

 

 時枝はシールドを張り、弓場のバイパーを防御。

 

 それと同時に熊谷の腕を掴み、二階の通路目掛けて放り投げた。

 

 熊谷はそのまま二階の通路へと着地し、空中には無防備な時枝が残された。

 

「────」

 

 逃がさない。

 

 眼光でそう訴える弓場のリボルバーが、再装填(リロード)を完了する。

 

 そして、弓場の早撃ちが、逃げ場のない時枝へと放たれた。

 

「……!」

 

 だが、時枝の姿はそこから一瞬で消え去った。

 

 その光景を、その現象を。

 

 起こす事の出来るトリガーを、弓場は知っている。

 

「テレポーターか……っ!」

 

 テレポーター。

 

 那須隊では茜が愛用する、転移トリガー。

 

 その移動先は、視線の先数十メートル。

 

 弓場は、見た。

 

 二階の吹き抜け側の通路。

 

 そこに出現し、上階へ────────弓場に向けてアサルトライフルを構えた時枝の姿を。

 

「ち……っ!」

 

 時枝のアサルトライフが、火を噴いた。

 

 放たれたのは、メテオラ。

 

 弓場の立っていた通路、その足元を炸裂弾が吹き飛ばした。

 

 だが、弓場の行動の方が一瞬速かった。

 

 弓場は即座にその場から飛び退きつつ、通路奥へ退避。

 

 すかさずそこへ時枝が通常弾(アステロイド)を叩き込むが、それを遮る形でエスクードが展開された。

 

 見れば、四階の吹き抜けにいる神田が地面に手を置いている。

 

 あそこから、弓場の援護の為にエスクードを展開したのだろう。

 

 エスクードは、展開する距離に応じてトリオンを消費する。

 

 基本射程は25メートルほどだが、トリオンを使えば更に遠くまで展開する事が出来る。

 

 あそこまで離れた場所に展開するには、相当なトリオンを食う筈だ。

 

 此処まで来れば、もう疑う余地はない。

 

 弓場隊のビッグトリオン適用者は、神田だ。

 

 そのトリオンを活かす為にセットしたトリガーが、エスクードというワケである。

 

 神田らしい、合理的で効果的な戦術だ。

 

「助かったわ。ありがとう」

「いえ、無事なら何よりです」

 

 時枝は礼を言う熊谷にそう返しつつ、弓場の消えた先を見据えた。

 

 恐らく、既に弓場はこちらの射程外へと退避している筈だ。

 

 テレポーターを使用した直後でなければ追いつけたかもしれないが、生憎このトリガーは連続使用は出来ない。

 

 かといってあそこで使わなければ時枝が弓場に仕留められていただろうから、仕方ないとも言える。

 

 そもそも、熊谷の救助に時枝が出て来たのは彼がテレポーターという移動手段を持っていたからだ。

 

 一度空中に投げ出されれば、基本的に回避行動は取れない。

 

 だが、グラスホッパーやテレポーター等の移動手段があれば、空中での緊急回避が可能となる。

 

 だからこそ、熊谷を助けつつ自身も逃走可能な手段を持つ時枝がフォローに回ったのだ。

 

 あそこで熊谷をやられては、予定が狂う事は間違いないのだから。

 

『熊谷先輩、先輩はこのまま時枝さんと一緒に神田さんを追いかけて下さい。相手の狙撃手の位置が分からないので、バッグワームは着ない方が良いでしょう』

「分かったわ。でも、神田さんは四階にいるから追いつくまで時間がかかるわよ?」

 

 熊谷は通信越しの小夜子の指示に、そう尋ねた。

 

 今、熊谷達がいるのは二階。

 

 四階にいる神田へ追いつくのは、少々骨が折れる。

 

『問題ありません』

 

 それなら、と小夜子は続けた。

 

『────────()から、追い立てれば良いだけですから』

 

 

 

 

「────メテオラ」

 

 七海は再びメテオラのトリオンキューブを生成し、分割。

 

 無数に分かたれた弾丸が、吹き抜けを通って5階の通路へ直撃する。

 

 轟音と共に、吹き飛ばされる床面。

 

 5階の通路に穴が空き、四階を走る神田の後ろ姿が七海の視界に捉えられた。

 

「そこか」

 

 神田の姿を視認した七海は、再度メテオラを展開する。

 

 このまま七海が直接神田を追っても、エスクードで通路を塞がれ逃げ切られる可能性がある。

 

 ならば、此処は建物内の破壊を徹底する。

 

 幾ら潤沢がトリオンがあろうば、エスクードを展開するには何らかの()()が必須になる。

 

 グラスホッパーと異なり、空中に直接出す事は出来ないのだ。

 

 故に、その足場を攻撃する。

 

 徹底的にモール内を破壊すれば、エスクードでの封鎖も難しくなる。

 

 無論────。

 

「……!」

「そう来ると、思っていたよ」

 

 ────────それを妨害しに出て来る者がいる事も、承知の上だ。

 

 七海はメテオラのキューブを解除しつつ、シールドを展開。

 

 自身に向けて放たれた帯島のハウンドを、広げたシールドによって防御した。

 

 七海が爆撃を続ければ、弓場隊は折角の有利な地形を手放す事になる。

 

 だが、あの状況では神田が反撃をする事は難しいし、弓場も三階にいて七海を射程に収めるのは時間がかかる。

 

 だからこそ、近くに弓場隊もしくは風間隊が潜んでいれば此処で出て来ざるを得ないと踏んで、七海は爆撃を敢行したのだ。

 

 それを妨害しに来た相手を、釣り出す為に。

 

 七海は弧月を構えて戦闘態勢を取る帯島を見据え、告げる。

 

「あまり、時間をかけるつもりはない。君には此処で、落ちて貰うよ」

 

 

 

 

「取り合えず、悪くはない展開ですね。先ほどは、一瞬ヒヤリとしましたが」

 

 作戦室でデスクに向かいながら、小夜子は呟いた。

 

 市街地Dと暴風雨という組み合わせには試合当初盛大に愚痴りそうになったが、運ばかりはどうにもならないので仕方ないと口を噤んだ。

 

 一応どんなMAPでも対応可能なように準備はしていたが、何も最悪のケースを引き当てるなんて、と心の中で悪態をつくに留めただけだが。

 

 ともあれ、ランダム決定されるMAPと天候という事前予想のしようがない要素に出足を挫かれはしたが、元々そういった場合の作戦も用意していた。

 

 丁度七海の転送位置が最上階だった事もあり、メテオラによる爆撃を敢行。

 

 それを止めに来た神田を、近くにいた熊谷が奇襲。

 

 神田が弧月を使った事とエスクードを使った事は、素直に驚いた。

 

 小夜子が伝え聞いた神田のイメージは、とにかく堅実な男だ。

 

 博打は打たず、基本に忠実。

 

 手堅い戦術でチームの力を最大限に引き出し、勝利する。

 

 高い地力を持つ、現場指揮官。

 

 王子の相互互換のような相手だと、認識していた。

 

 だから、今になって新しいトリガーを付け焼刃で使う可能性は低いと考えていたのだが、どうやら神田に対する理解はまだまだだったらしい。

 

 神田が万能手だったという情報自体は知っていたが、銃手に転向した理由までは分からなかった。

 

 これについては神田自身親しい相手にしか話していない為、小夜子がリサーチ出来なかったのも無理からぬ事だろう。

 

 止むを得ない理由があって転向したのだろう、というくらいの認識だった為、今更万能手に戻るというのは盲点であった。

 

 もしも那須隊の誰かが万能手時代の神田と一度でも戦った事があれば警戒したかもしれないが、神田はあまり個人戦を積極的にやるタイプではない。

 

 前期まで上位に上がった事のない那須隊の面々では、神田についての情報は直接戦ったあのROUND7の時の経験のみ。

 

 ()()()()()()()()が強く印象づいていた為に、見逃した可能性であった。

 

 尚、エスクードについては可能性としては考えていた。

 

 増えたトリオンを有効活用する手段としては、射撃トリガーと同様効果が高いからである。

 

 故に当然、対策も用意してある。

 

 エスクードに関する情報不足で熊谷が虚を突かれはしたが、時枝のお陰で最悪の事態は免れた。

 

 此処からだ。

 

 まずは囮を使い、本命を炙り出す。

 

「そっちが地形を変えるなら、こっちは壊して狩り出すだけです。やるからには、徹底的にやっていきましょうか」

 

 小夜子は隊員からの観測情報を処理しつつ、笑みを浮かべる。

 

 試合は、まだ始まったばかり。

 

 第三試合は、既に波乱の様相を呈していた。



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弓場隊・風間隊③

 

「爆撃を敢行する七海隊員を、帯島隊員が急襲……っ! 最上階にて、1対1の戦闘が開始されました……っ!」

「まあ、そうするしかねーわな」

 

 諏訪はふぅ、と息を吐きつつ頷いた。

 

「あのまま七海の好きにさせてりゃあ、折角の屋内戦の利点がなくなっちまう。たとえ失敗すると分かっていても、近くにいる隊員を向かわせるしかなかったろ」

「そうですね。神田さんが迎撃に向かうという手もありましたが、足を止めれば熊谷さん達に追いつかれる可能性があります。七海のフォローが届く位置でビッグトリオンの相手と戦り合うのは、避けたいところでしょう」

 

 確かに村上の言う通り、神田はあそこから直接七海の迎撃に出る事は出来た。

 

 しかしその場合、必然的に足を止めざるを得ない。

 

 そうなると、上を目指している熊谷や時枝に追いつかれ、挟撃の形を取られてしまう危険がある。

 

 七海の想定通り神田がビッグトリオンだったとしても、同じビッグトリオンを持つ熊谷とフォローの達人の時枝、更にエースの七海に挟まれれば分が悪い。

 

 見たところ、神田はこの試合ではエスクードを用いたサポーターとして動く心づもりのようだ。

 

 銃撃の威力も上がってはいるが、その主な役割はエスクードによる妨害と攪乱だろう。

 

 故に、連携の取れない状態で複数の相手に囲まれる事は避けようとする筈だ。

 

 そして三階にいた弓場は、単純に射程が足りなかった。

 

 弓場のリボルバーは、装弾数と射程を切り詰めて威力と弾速を向上させている。

 

 つまり、普通の銃手には届く距離が、弓場にとっては()()()にあたるのだ。

 

 だからこそ、あの場に向かえるのは最上階付近にいた帯島しかいなかった。

 

 無論、攻撃が防がれるのは承知の上で、である。

 

 諏訪の言う通り、あのまま七海に爆撃を続けられればモール内は穴だらけになり、エスクードの活用が難しくなる。

 

 それだけではなく、閉所での戦闘が真骨頂である弓場の強みも、失われてしまう。

 

 故に、あそこで誰かが七海を止めなければならなかった。

 

 奇襲も不意打ちも、効かないという前提の上で。

 

 帯島は確かに筋は良いが、その真骨頂はチームメイトとの連携にある。

 

 単騎でも動ける駒ではあるが、どちらかといえば帯島はサポーター向きの性能(スペック)をしている。

 

 その彼女が、七海と1対1で対峙させられているのだ。

 

 正直、厳しいと言わざるを得ないだろう。

 

 七海はトップ攻撃手(アタッカー)の面々と比べれば確かにタイマン性能は一歩譲るが、他から見れば充分な力量を持っている。

 

 サポーター型の帯島が援護なしでタイマンを張るのは、難しい筈だ。

 

「風間隊の連中は、そもそも此処で切るには勿体ねー手札だしな。消去法で、帯島くらいしか七海の相手が務まる奴がいなかったってこった」

 

 転送位置も関係してただろーがな、と諏訪は続ける。

 

 諏訪の言う通り、帯島が七海に挑んだのは彼女しかあの場面で切って良い手札がなかった為だろう。

 

 転送運ばかりはどうしようもない為、そこは割り切った筈だ。

 

 神田を無理に迎撃に出させるリスクと、帯島が七海に落とされるリスク。

 

 それを考慮して、前者の方がより重いと判断したのだろう。

 

 二人のうち落とされた後の影響が高いのは、神田の方だ。

 

 七海の想定通りビッグトリオンだとしたら落とされた場合追加点を与えてしまうし、何よりトリオン14という戦力を失うのは痛過ぎる。

 

 帯島も優秀なサポーターではあるが、流石にトリオン14のベテラン銃手を失うリスクとは天秤にかけられない。

 

 故に落とされる危険を承知で帯島を出したのだろう、と諏訪は考えていた。

 

 そちらの方が、リスクは小さいのだから。

 

「いえ、そうとも限りませんよ」

 

 だが、それに村上が待ったをかけた。

 

 諏訪が彼の意外な言葉に目を向け、視線を受けた村上は笑みを浮かべた。

 

「帯島さんは、確かに個人としての能力はそこまで高くはありません。粗削りなところもあって、隙があるのも事実です」

 

 ですが、と村上は告げる。

 

「自分の役割は、しっかりと弁えています。ただ落とされるという事は、ないと思いますよ」

 

 

 

 

「旋空弧月ッ!」

 

 帯島は旋空を起動し、七海に向かって振るう。

 

 防御不能の斬撃。

 

 しかし、ならば避ければ良いだけの事。

 

 七海は床面を蹴って跳躍し、旋空の一撃を回避する。

 

「……!」

 

 そこへ叩き込まれる、帯島のハウンド。

 

 旋空が避けられる事を見越して、待機させていた弾丸の群れ。

 

 それが、一斉に七海に向かって襲い掛かる。

 

「────」

 

 だが、そんなものは七海にとっては奇襲ですらない。

 

 既に識っていた攻撃を、当然のように回避する。

 

 グラスホッパーを踏み、回避と共に帯島へと肉薄。

 

 右手に握った短刀型のスコーピオンで、斬りかかる。

 

「く……!」

 

 帯島はそれを弧月で防御し、即座にバックステップ。

 

 距離を取り、牽制の為に再びハウンドを撃ち出した。

 

 スコーピオン使い相手に、迂闊に距離を詰め過ぎるのは愚策。

 

 確かに、弧月とスコーピオンでは耐久力に差がある。

 

 まともに打ち合えば、スコーピオンは数合で砕け散る。

 

 しかし相当勢いが突いていなければ一合で折れる事はまずないし、何よりスコーピオンには身体の()()()()()()生やせるという特性がある。

 

 相手の斬撃を片方のスコーピオンで止め、もう片枠のスコーピオンを生やして不意を打つ、といった真似も出来るのだ。

 

 加えて、七海と帯島では体格が────────手足の長さが、まず違う。

 

 男女の性差もあるが、帯島は同年代と比べても割と小柄な方だ。

 

 七海との身長差は、およそ20㎝ほど。

 

 当然、手足の長さ(リーチ)も相応に異なる。

 

 スコーピオンが身体の何処からでも生やせる以上、手足が長ければ長いほど射程は大きくなる。

 

 前のめりに戦う攻撃手(アタッカー)ならば勢いで押し勝つ事も出来るだろうが、帯島の戦闘スタイルはどちらかといえば防御的。

 

 結果として体格差がある以上、帯島が七海の懐に飛び込むのはリスクが高過ぎるのだ。

 

「────」

 

 実力差がある以上、1対1で勝つには不意を打つ他ないが、今回の場合は相手が悪い。

 

 七海にはサイドエフェクト、感知痛覚体質がある。

 

 攻撃を感知出来る以上、七海にとって奇襲や不意打ちは()()()()()でしかない。

 

 彼に攻撃を当てるには、来ると分かっていても防げない攻撃をするか、何らかの方法でサイドエフェクトの感知を潜り抜けるしかない。

 

 どちらの方法も難易度が高く、帯島一人では困難だ。

 

 たった今撃ち放ったハウンドも、七海に難なく避けられている。

 

 これで防御を選択するようであれば通常弾(アステロイド)で突破する方法もあるのだが、七海は決して足を止めない。

 

 七海は、帯島がアステロイドをセットしている事など承知の上だ。

 

 下手に防御を選んでハウンドとアステロイドの二択を迫られるよりは、単純に回避した方がリスクが少なく効果的だ。

 

 トリオンが多くシールドが硬いからと、そこに胡坐をかいて愚策を選ぶほど七海は甘くはない。

 

 帯島の基本トリガーセットは、メイントリガーがアステロイド・ハウンド・シールド・バッグワーム。

 

 サブトリガーが、弧月・旋空・シールド。

 

 射撃トリガーは、片方にしかセットされていない。

 

 故に、射撃トリガーの両攻撃(フルアタック)は来ない。

 

 ────────などという幻想は、抱いていない。

 

 確率としては低いが、七海対策の為に両腕に射撃トリガーをセットしている可能性はある。

 

 帯島のサブトリガーは、枠が一つ空いている。

 

 多少無理をすれば、そこに新たなトリガーを入れる事は不可能ではない筈だ。

 

 そして、七海の直感は────。

 

「……!」

 

 ────────見事、正解を引き当てた。

 

 帯島の()()に出現する、二つのトリオンキューブ。

 

 それが一瞬で分割され、七海に向かって殺到した。

 

 どうやら誘導設定も各々変えているようであり、回避だけで凌ぎ切るのは難しい。

 

 故に七海は、グラスホッパーを展開。

 

 加速を得て、ハウンドの射程外へと跳躍した。

 

「まだ……っ!」

 

 帯島は再び、ハウンドの両攻撃(フルアタック)を選択。

 

 数多くの弾丸が、再び七海を追い立てる。

 

 帯島(じぶん)一人で七海に勝てない事など、承知の上。

 

 未熟を事実として受け止める強さが、帯島にはある。

 

 ならば、此処で自分がするべき事は七海を無理して落とそうとする事ではない。

 

 即ち、徹底した時間稼ぎ。

 

 倒せなくとも良い。

 

 攻撃を当てられなくても良い。

 

 ただ、時間を稼げ。

 

 それが、帯島がこの局面で自らに課した役割(タスク)

 

 サポーターである帯島がエースの七海の足止めを出来た時点で、十分な戦果となる。

 

 故に、多少トリオンを派手に消費したとしても七海を此処に縫い留める。

 

 彼を自由にすれば、たちまち戦場は滅茶苦茶になる。

 

 広い市街地ならばいざ知らず、このモールは閉じられた戦場。

 

 七海の火力を以てすれば、地形を変える事など造作もない。

 

 だからこそ、待ちの姿勢でいては駄目だ。

 

 守りに入った瞬間、七海はそれを隙と見做しこちらの防御を食い破る。

 

 そもそも、此処で帯島との戦いに拘泥する理由が、七海には無いのだ。

 

 確かに貴重な一点ではあるし、相手の戦力を削る事は悪い事ではない。

 

 しかし、最優先で落とすべき神田と比べれば、どちらを取るかは瞭然だ。

 

 帯島が逃げに入ってしまえば、七海は他の戦闘へ介入してしまう。

 

 それだけは、避けなければならない。

 

 七海は那須隊のエース攻撃手(アタッカー)であるが、同時にサポート能力もかなり高い。

 

 通常目の前の相手を倒す事に注力しがちな攻撃手でいながら、七海は視野がかなり広い。

 

 そして、一回一回の戦闘結果には拘泥しない。

 

 最終的にチームが勝利出来るのなら、彼は手段を択ばない。

 

 闘争も、逃走も、七海の中では等価の選択肢。

 

 彼が一騎打ちに応じたのは、それが必要であった場合か、勝つ為の算段が整っていた場合のみ。

 

 最終ラウンドにおける影浦との戦いでさえ、もしも味方が生き残っていたら躊躇なく連携して来たであろう。

 

 拘りよりも、勝利を。

 

 それが、七海の基本となる行動方針である。

 

 今回も、それは変わらない。

 

 落とせるチャンスがあれば帯島を落としにかかるだろうが、無理をしてまで実行に移す事はない。

 

 帯島を狙うよりも他の場所に向かう方が有益であると判断すれば、彼は躊躇いなくそちらを選ぶ。

 

 故に。

 

 帯島に、此処で攻撃を止める選択肢は存在しない。

 

 彼女が少しでも、攻め手を緩めれば。

 

 もしくは、少しでも引き気味に────────保身を優先させて、戦えば。

 

 七海は、この場からの離脱を選ぶ。

 

 だからこそ、この局面での彼女の選択は()()以外有り得ない。

 

 たとえ勝てずとも。

 

 たとえ自身が消耗するだけだとしても。

 

 此処で彼を足止めする事こそが、自身の役割だと自覚しているのだから。

 

 両攻撃の、連続行使。

 

 それは不意打ちや狙撃に対して無防備になる選択だが、此処で狙撃手を釣り出す事が出来れば自分一人が犠牲になっても益がある、と彼女は判断している。

 

 屋内戦がメインであるこのMAPでは、狙撃手は一度撃てば離脱は難しい。

 

 故に、基本的に狙撃手は、狙撃を敢行した時点で落ちる覚悟をしなければならない。

 

 そんな環境でサポーター1人の犠牲で厄介な狙撃手を釣り出せれば安いもの、と帯島は見ている。

 

 無論むざむざとやられるつもりはないが、相手の狙撃手はいずれも手練れ。

 

 こちらも相応の備えはしてあるが、想定を超えて来る可能性は常に存在する。

 

 最悪の事態を想定するのは、むしろ当然と言えるだろう。

 

「────」

 

 七海は、そんな帯島の目論見を、正しく理解していた。

 

 故に。

 

「……!」

 

 選んだのは、強引な突破。

 

 帯島の放った弾幕の中を、グラスホッパーを足場に駆け抜ける。

 

 弾幕は七海目掛けて襲い掛かるが、彼はサイドエフェクトによりその弾丸の軌道を察知出来る。

 

 だからこそ、最短最速で被弾の少ないルートを選出する事など造作もない。

 

 無論、両攻撃のハウンドの弾幕を全て回避し切る事は難しいが、自分に当たりそうな弾丸だけ瞬間的にシールドを張り防御すれば問題はない。

 

「く……!」

 

 帯島はハウンドに紛れ、アステロイドを撃ち放つ。

 

 ハウンドを防御する為にシールドを広げれば、アステロイドがそれを穿つ。

 

 陽動のハウンドに、本命のアステロイド。

 

 二宮も用いていた、効果的な二択。

 

「え……?」

 

 だがそれは。

 

 二宮級のトリオンがなければ、絶対の必殺とは成り得ない。

 

 七海は帯島がアステロイドを撃って来た事を弾丸の軌道から見抜き、グラスホッパーを用いて横方向に跳躍。

 

 迫り来るハウンドをシールドで凌ぎながら、アステロイドの射程外へと退避した。

 

「────」

 

 七海は再び、グラスホッパーを踏み込む。

 

 そして、最短最速で帯島へと肉薄する。

 

 射撃トリガーは、撃ち出すまでにタイムラグがある。

 

 この距離では、ハウンドやアステロイドの再射出は間に合わない。

 

 懐に飛び込まれた時点で、ほぼ()()だ。

 

「……っ!」

 

 その、(エスクード)が出現するまでは。

 

 七海と帯島の間に出現した、数枚のエスクード。

 

 それを確認した瞬間、七海はグラスホッパーを展開。

 

 即座に、()()へと跳躍した。

 

「ち……っ!」

 

 次の瞬間。

 

 七海の眼前にあったエスクードが自ら消滅し、その向こうから二丁拳銃を構えた弓場が現れた。

 

 早撃ち、12連。

 

 伝家の宝刀が炸裂し、七海に向かって砲火が放たれる。

 

「……!」

 

 間一髪、七海はその弾丸を回避する。

 

 あと一歩。

 

 あと一歩でも前に踏み込んでいたら、間に合わなかったであろう。

 

 目の前に出現したエスクードと、弓場のいた場所と此処までの距離。

 

 それらを総合的に考えた結果、弓場隊の作戦に気付く事が出来たのだ。

 

「おし、良く保ったな。こっから詰めてくぞ、帯島ァ」

「はいっ!」

 

 消えたエスクードの向こう側で、弓場と帯島が隣り合うように並び立つ。

 

 帯島の目的は、弓場との合流は、今此処に果たされた。





 アニメのぱいせんのニヤリとした笑み可愛い。


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弓場隊・風間隊④

 

「帯島隊員に、弓場隊長が合流……っ! 奇襲は凌がれましたが、これで2対1です……っ!」

「粘りが功を奏しましたね」

 

 村上は画面で並び立つ弓場と帯島を見据え、笑みを浮かべる。

 

 隣にいる諏訪も、同じく笑みを浮かべていた。

 

「帯島隊員は、最初から単独で七海を倒そうとは考えていなかった。ただ、弓場さんが来るまでの間の時間を稼げれば良かったんです」

「帯島と違って、弓場にゃああの早撃ちがあるからな。七海でも警戒せざるを得ない()()がある以上、さっきまでのようなごり押しは出来ねー筈だぜ」

 

 そう、先ほど七海が回避技術とシールド強度に任せて強引に押し込みに行ったのは、それをしても帯島には彼の隙を突くだけの()()()がなかったからだ。

 

 流石に旋空はシールドでは防御出来ないが、生駒のような神速の抜刀術は帯島には無い。

 

 相手の姿が見えている状態で旋空を撃たれても、単発なら回避はそう難しくはない。

 

 故に、多少強引に攻め込んでも、帯島相手ならリスクは微々たるものだった。

 

 だが、弓場がいるとなると話は全く変わって来る。

 

 弓場の早撃ちは、七海のシールドすら貫く。

 

 そして、至近距離では回避という選択肢すら許されない。

 

 弓場の持つリボルバーは、射程と装弾数をギリギリまで削り、威力と弾速に特化した代物だ。

 

 その射程は、22メートルほど。

 

 銃手としてはかなり短いのだが、その代価として銃弾の威力と弾速は他の追随を許さない。

 

 生半可な防御や回避は意味を為さない、伝家の宝刀。

 

 それが、弓場の早撃ちである。

 

 その射程と威力によって、弓場は攻撃手キラーの異名を持つ。

 

 弧月を使う攻撃手は、中距離攻撃手段を旋空のみに頼っている事は少なくない。

 

 その旋空の射程は、凡そ20メートルほど。

 

 つまり弓場は、22メートルという射程を活かす事で一方的に攻撃手に銃撃を行えるのだ。

 

 加えて、スコーピオン使いである七海の射程は更に短い。

 

 マンティスを用いたとしても、その射程は旋空のそれにすら及ばない。

 

 そもそも、マンティスはスコーピオンを二枠使う────────即ち、両攻撃(フルアタック)の状態にならなければ使えない諸刃の剣だ。

 

 迂闊に使えば、徒に隙を晒すだけである。

 

 そして、そんな隙を見せて無事で済むほど、弓場琢磨という漢は甘くはない。

 

 容赦なく、その隙を突いて来る筈だ。

 

 七海にはメテオラという中距離攻撃手段があるが、彼のそれはトリオン量もあって相応に大きい。

 

 ROUND7で戦った時のように、迂闊に使えば銃撃で誘爆させられて終わりだ。

 

 かといって、下手に接近すれば防御不能・回避不能の早撃ちが飛んでくる。

 

 少なくとも、七海といえど簡単に戦える相手では無いのだ。

 

「七海は乱戦に強いですが、風間さんの位置が不明なのがネックですね。実力を良く知っている以上、思い切った手は取り難い筈です」

「いつの間にか背後にいやがるからな、風間は。七海はあいつの弟子みてーなモンだし、警戒するのも無理はねーわな」

 

 そして、風間という姿なき暗殺者の位置が分からない、というのも七海の枷となる。

 

 風間は、カメレオンを用いた隠密戦闘のエキスパートだ。

 

 彼はトリガー切り替えの速度が尋常ではなく、攻撃態勢に移る直前までその姿を捉えられない。

 

 その隠形は、カメレオン使いの中でも随一だ。

 

 以前の訓練では、七海の感知を潜り抜けて彼を仕留めた実績もある。

 

 七海が警戒するのは、当然と言えよう。

 

「で、この状況なら伏兵を投入して場をかき乱すのが那須隊のいつもの手だが……」

「まだ、菊地原隊員が生きていますからね。位置次第ではありますが、奇襲が成功する確率は低いと見た方が良いでしょう」

 

 そう、この試合で最大のネックは、菊地原の存在だ。

 

 サイドエフェクト、強化聴覚。

 

 この能力の最大の特徴は、その()()()()の精度にある。

 

 菊地原は様々な音を正確に聞き取り、そこから相手の位置を探ったり、攻撃を感知する事が出来る。

 

 その最大有効範囲は不明だが、少なくとも彼の周囲一帯の音は全て拾われると見て良い筈だ。

 

 彼が何処に潜んでいるかは分からないが、その感知範囲に引っかかってしまえば奇襲は既知の攻撃と化す。

 

 いわば、相手チーム全員に七海のような攻撃感知能力が備わったようなものだ。

 

 無論感知範囲外になれば察知は出来ないだろうが、その詳細な範囲が不明であり、尚且つ菊地原の位置が分からない以上、彼が生きている状態で行う奇襲は完全な博打となる。

 

 菊地原が近くにいないだろうという楽観で仕掛けるには、リスクが高過ぎるのだ。

 

「此処での選択が、今後の戦況を左右します。お互い、どう動くかですね」

 

 

 

 

「旋空弧月ッ!」

 

 帯島は七海に向かって、旋空を起動。

 

 通路の上に立っていた七海に、横薙ぎに斬りかかった。

 

「……!」

 

 七海は、その攻撃を回避。

 

 跳躍し、中空へ躍り出た。

 

「────」

 

 無論、回避される事など承知の上。

 

 既に弓場は、装弾を終えたリボルバー二丁を七海に照準していた。

 

 装弾、発射(トリガー)

 

 12発の弾丸が、七海に向けて襲い掛かった。

 

「……っ!」

 

 七海は瞬時に、グラスホッパーを展開。

 

 上空へ────────否、右方向へと跳躍する。

 

 七海のいる場所は、モールの最上階。

 

 上へ行ける高さには、限りがある。

 

 故に、グラスホッパーの使用を最小限にする為、七海は横へと跳んだのだ。

 

 以前の戦いでは、グラスホッパーを銃撃で撃ち抜かれ、バランスを崩したところを撃たれている。

 

 弓場の早撃ち相手に、射程内で下手にグラスホッパーを濫用する事は避けるべきだ。

 

 安易な逃げの策を打てば、弓場はそこを容赦なく突いて来る。

 

 逃げ腰で凌げる程、彼の攻撃は緩くはないのだから。

 

「ハウンドッ!」

 

 しかし、この場にいるのは弓場だけではない。

 

 帯島もまた、追撃のハウンドを射出する。

 

 今度は、両攻撃(フルアタック)ではない。

 

 恐らく、狙撃を警戒しての事だろう。

 

 先ほどと違い、今は隣に弓場がいる。

 

 帯島だけであれば狙撃手を釣り出せれば儲けものであったが、流石にエースの弓場が落とされれば被害はそちらの方がデカくなる。

 

 弓場も自分の身は自分で守れるだろうが、それでも下手に無防備になってしまえば攻撃を凌ぎ切れる保証はない。

 

 幸いなのは、まだ菊地原が生存しており、不意打ちは察知可能である事。

 

 警戒すべきは第一に、感知範囲外からの狙撃。

 

 第二に、ビッグトリオンを持った熊谷の射撃。

 

 それらへの警戒を怠れば、どういった結果を招くかは想像に難くない。

 

 那須隊は、伏兵を用いての不意打ちを最も得意としている。

 

 合流し、波状攻撃で叩きかける事をコンセプトとした柿崎隊とは真逆の、戦力の逐次投入によって要所要所で間隙を突き得点を掻っ攫う戦術スタイル。

 

 それが、今の那須隊の在り方である。

 

 その戦術方針(スタイル)に対し、菊地原の存在は明確なカウンターと成り得る。

 

 何せ、彼がいる限り不意打ちが成立しないのだ。

 

 奇襲をメインとする那須隊にとって、これ程厄介な駒はあるまい。

 

 加えて、菊地原は七海と親しい。

 

 その手の内や思考傾向も、当然知っている。

 

 無論、逆も然りだ。

 

 菊地原の厄介さを友人として理解している以上、七海はその存在を無視出来ない。

 

 風間隊の中核を成す、鍵となる存在(キーパーソン)が彼なのだから。

 

 A級三位部隊の名は、伊達ではないのだ。

 

「ち……っ!」

 

 七海は通路を駆け、ハウンドからの逃走を図る。

 

 無論、ハウンドはシールドを広げれば防御出来る。

 

 だが、弓場相手に足を止める事は、死と同義だ。

 

 七海は、撤退を躊躇わない。

 

 状況に応じて逃げを選べるだけのクレバーさが、七海にはある。

 

 無理に不利な状態で戦闘を継続する程、七海は短慮ではない。

 

 そうした方が良い、もしくはそうせざるを得ないならばともかく、撤退を選ぶべき場面で意地を張る程感情任せではないのだ。

 

 まずは雲隠れし、菊地原を探し出して仕留める。

 

 そこからはMAPの特性を最大限活用し、不意打ちで各個撃破を狙う。

 

 それが最善(ベター)

 

「────────だろうな。そう来ると思っていた」

「……!」

 

 ────────故にこそ、最善(こうどう)はお見通しだった。

 

 わざわざ声をかけ、七海に存在を意識させたのは他でもない。

 

 小柄な体躯の、青い隊服を着た子供のような青年。

 

 風間蒼也。

 

 A級三位部隊風間隊、その隊長。

 

 音なしの暗殺者が、七海の行く手を塞がんと待ち構えていた。

 

 カメレオンによる奇襲が持ち味である彼が敢えて声をかけ、姿を現したのは七海の足を止める為。

 

 元より、サイドエフェクトにより七海に奇襲は通じ難い。

 

 以前の訓練で用いた抜け穴も、相応の対策が取られていると予想出来る。

 

 故にこその、存在の暴露。

 

 風間という人物を意識させる事で、七海の足を止めさせる心理誘導。

 

 七海を倒すには、複数人の実力者で囲んで叩くのが手っ取り早い。

 

 幾ら乱戦に強いとは言っても、限度はあるのだ。

 

 風間としては、此処で弓場と帯島を含めた三人がかりで七海を叩ければそれで良し。

 

 わざわざ、リスキーな不意打ちを狙う場面ではない。

 

 無論────────。

 

「それも、予想通りだ」

「く……!」

 

 その背後から現れた、木虎の奇襲も風間は難なく対処する。

 

 元より、伏兵も潜ませず七海が単騎で暴れているなどという楽観は抱いていない。

 

 木虎がいつから此処にいたかは不明だが、誰かしらいるだろうとは推測していた。

 

 風間は、七海の師匠筋の一人として彼の用意周到さを知っている。

 

 彼ならば、そういった()()()は欠かさないだろうという信頼。

 

 そこから、木虎の奇襲を読み切り対応したのだ。

 

 少なくとも、()()()()()そう見える。

 

 風間ならそのくらい読めてもおかしくはないし、菊地原がこの近辺にいて木虎の動きを感知していた、という可能性もある。

 

 或いは、その両方という可能性も。

 

 もしも後者であれば此処でメテオラを用いて菊地原を炙り出す、という手も使えなくはない。

 

 相手の戦術の肝である菊地原の位置を割り出す事が出来るのであれば、多少のリスクは呑み込める。

 

 だが、本当に菊地原がこの近くにいるという()()は無い。

 

 その可能性に懸けて炙り出しを行うか、否か。

 

 近くにいたのであれば、それで良い。

 

 多少損害を被ったとしても彼を落とせれば、お釣りが来る。

 

 しかし、木虎の行動を読み切ったのはあくまで風間の推察であり、菊地原が近くにいなかった場合。

 

 七海はただ隙を晒しただけの結果になり、最悪そのまま落とされる。

 

 かと言って、木虎が合流したとはいえエース二人相手と同時に戦うのは聊か厳しいものがある。

 

 故に。

 

「木虎」

「了解」

 

 選んだのは、撤退。

 

 二人は吹き抜けに向かって飛び降り、七海はグラスホッパーを、木虎は拳銃式スパイダーを用いて下の階層へ跳躍した。

 

「逃がすか」

 

 無論、ただでそれを見逃す弓場ではない。

 

 12発。

 

 二丁拳銃に装填された弾丸、その全弾を撃ち出し中空に躍り出た二人を狙う。

 

「「シールド」」

 

 しかし、その弾丸は二重に展開されたシールドによって阻まれる。

 

 跳躍の間の刹那の隙は、展開された遠隔シールドによって防がれた。

 

「来たか」

 

 それを張ったのは、下の階層にいた二人組。

 

 熊谷と、時枝だった。

 

 七海達は何も、考えなしに下に飛び降りたワケではない。

 

 二人が下の階層まで上がっていた事を知っていたからこそ、そちらへ合流したのだ。

 

 これで、最上階には弓場・帯島・風間が。

 

 その下の階層には七海・木虎・熊谷・時枝が揃った。

 

 数の上では、4対3。

 

 だが、決定的に違う事が一つ。

 

「「メテオラ」」

 

 こちらには、豊富なトリオンを持つ者が二人、存在しているのだ。

 

 メテオラで爆撃を敢行する、七海と熊谷。

 

 天井に遮られた状態で弾丸を撃ち落とす事は叶わず、二人のメテオラは最上階の通路に下から着弾。

 

 弓場達が立つ()()を、纏めて吹き飛ばした。

 

「うわ……っ!」

「ちィ……ッ!」

「……!」

 

 足場の崩落により、宙に放り出される三人。

 

 この三人には、七海のグラスホッパーのような空中での移動を可能とするトリガーは積まれていない。

 

 故に、この好機を見逃す手は無い。

 

 空中で身動きが取れずにいる、エース二人を含めた三人。

 

 この機会に落とさずして、いつ落とすのか。

 

 そう考え、熊谷はハウンドを、時枝は銃口を、七海は自身の刃を、墜落する三人へ向けた。

 

 逃げられない。

 

 詰み。

 

「甘ェ」

 

 ────────弓場が、グラスホッパーを展開していなければ。

 

「な……っ!?」

 

 その光景に、熊谷は絶句した。

 

 弓場達三人の足元に出現した、グラスホッパー。

 

 それを踏み込み、三人は熊谷達の射線から回避。

 

 同じ階層へと、無傷で降り立った。

 

 新しいトリガーを積んでいたのは、神田だけではない。

 

 弓場もまた、この決戦に備えて準備していたのだ。

 

 空中戦闘を可能とするジャンプ台トリガー、グラスホッパー。

 

 七海が普段頼りにしているそのトリガーを、引っ提げる形で。



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弓場隊・風間隊⑤

 

(少し不味いな。今ので、腕か足の一本でも取っておきたかったんだが)

 

 七海は同じ階層に降り立った弓場達の姿を見据え、顔を顰めた。

 

 今の足場崩しで、三人が討ち獲れる────────と、までは思っていなかった。

 

 精々腕か足の部位破壊に成功すれば御の字、くらいの考えであった。

 

 確かに、足場崩しは有効な戦法だ。

 

 移動用のトリガーがなければ空中では身動きが取れず、回避という選択肢が消滅する。

 

 故に、防御するだけでは凌げない攻撃を以て、明確な痛打を叩き込む気でいた。

 

 だがその想定は、弓場のグラスホッパーによって全て覆ってしまった。

 

 グラスホッパーは、少なくとも一朝一夕で使える類のトリガーではない。

 

 必要な個所に正確にジャンプ台を設置する計算が必要になるし、加速を得た後で隙を晒さず空中機動が行えるセンスも必須である。

 

 那須はその類稀なトリオン体の駆動力を駆使して短期間でものにしたが、逆に言えば彼女でさえある程度の期間の鍛錬は必須だった。

 

 弓場は確かに悪くない機動力を持っているし、運動センスもかなり高い。

 

 グラスホッパーを使いこなす下地自体は、あってもなんらおかしくはない。

 

 しかし、このA級昇格試験で自分たちと戦う事が決まってから練習したのでは、間に合う筈がない。

 

 となれば────。

 

(前々から、鍛錬を重ねてたって事か。この試験に、勝つ為に)

 

 ────────単純な戦力強化として、以前より鍛えていたとしか考えられない。

 

 弓場も流石に、このタイミングで自分たちと当たる事までは分からなかった筈だ。

 

 しかし。

 

 当たった時の事を、考えていなかったとは思えない。

 

 弓場は今期のROUND7で、七海と戦い敗北を喫している。

 

 そのリベンジの方策の一つとして、グラスホッパーを選んだのだろう。

 

 空中を自由自在に跳び回る七海を、その銃口に捉える為に。

 

 奇しくも、その努力は実を結んだ。

 

 これ以上ない、効果的な局面で。

 

 足場崩しという悪辣な不意打ちを、被害を出さずに乗り切ってみせた。

 

 この事実は、決して軽くはない。

 

 グラスホッパーの活用。

 

 その一手で、弓場は那須隊の目論見を一つ、崩す事に成功したのだから。

 

 取り返しのつかない失態ではない。

 

 だが。

 

 この一手で、流れが弓場隊に傾いたであろう事は否定出来ない。

 

 此処で臆せば、押し込まれる。

 

 七海は、そう強く感じていた。

 

 気迫だけで勝負は決まらないが、実力が伯仲しているのならば、想いが僅かな差を覆す事は充分に有り得る。

 

 弓場も、風間も、ボーダーの中でも上位に位置する実力者だ。

 

 特に、風間に至っては明確な格上。

 

 ただでさえ地力や経験で負けているのに、気持ちの面でも臆せば勝てる戦いも勝てなくなる。

 

 第二試合で、七海は太刀川を撃破している。

 

 だがそれが自分一人の力で為し得たものだとは、断じて考えていない。

 

 茜と、風間の援護。

 

 加えて、太刀川を支援するサポーターを予め排除出来ていたからこそ、あの一撃に繋げられた。

 

 今回は、あの時味方だった風間が敵に回っている。

 

 そして、何より彼は一人ではない。

 

 菊地原の位置は依然として不明であるし、狙撃手の外岡や射手の歌川の位置も分かっていない。

 

 帯島も、弓場と連携すれば相応の脅威となるし、神田も何処で仕掛けて来るかはわからない。

 

 勿論弓場に関しては、最優先で警戒しなければならない相手である。

 

 あの早撃ちを軽視する事など、出来よう筈もない。

 

 そんな状況で風間と相対している現状は、決して好ましい状態とは言えないだろう。

 

(けど、この状況は好機でもある。風間さんの位置が分かっているというアドバンテージを、みすみす逃したくはない)

 

 だが、こちらに損ばかりというワケでもない。

 

 あの風間が、目の前に姿を見せている。

 

 この状況を、逃す手は無い。

 

 風間の隠密能力は、かなりのものだ。

 

 カメレオンは使用中レーダーに映るとは言っても、あくまで分かるのは大まかな位置だ。

 

 風間の身体は、かなり小柄だ。

 

 その体格は、隠密戦闘との相性がこの上なく良いのだ。

 

 何せ、小柄だという事は、被弾面積が小さい、という事でもある。

 

 カメレオンは、使用中他のトリガーを一切併用出来ない。

 

 同時にバッグワームもシールドも張る事が出来ず、無防備な状態となる。

 

 故に、トリオン探知で追尾して来るハウンドは、天敵中の天敵だ。

 

 だが風間は、その身体の小ささを活かして弾丸の隙間を縫って移動する事が出来る。

 

 流石に二宮並みの密度の弾幕はシールドなしではどうしようもないが、ただのハウンドであれば彼は難なく切り抜ける。

 

 それだけの技量が、風間にはあるのだ。

 

 しかしそれでも、風間がいる範囲にハウンドを撃ちこむ、という事は彼の動きを制限する事に繋がる。

 

 だからこそ、風間の姿が見えている現状を、利用しない手は無い。

 

 此処で風間に手傷の一つでも負わせられれば、ある程度の犠牲を出しても釣り合いは取れる。

 

 風間蒼也という名には、それだけの意味があるのだから。

 

「熊谷」

「分かった」

 

 意思疎通は、それで充分。

 

 熊谷もまた、この場ですべき事を間違えない。

 

「ハウンドッ!」

 

 放つのは、ハウンド。

 

 標的は、風間。

 

 トリオン誘導で放たれた弾丸が、風間に向かって襲い掛かる。

 

「────」

 

 風間は迫り来るハウンドに対し、突貫。

 

 弾幕の薄い部分を的確に駆け抜け、最小限のシールドで要所要所で被弾を防御。

 

 それを撃ち放った熊谷へ向け、肉薄する。

 

「……!」

 

 当然、そこへ時枝のフォローが入る。

 

 時枝はアサルトライフルを構え、銃撃。

 

 迫る風間へ、アステロイドを斉射する。

 

「────」

 

 風間は即座に、右へ跳ぶ。

 

 アステロイドは、威力特化の弾丸。

 

 まともにシールドで受ければ、いずれ割れる。

 

 ただでさえ、トリオン14となった熊谷のハウンドを凌いでいるのだ。

 

 それ以上の負荷をシールドにかけるのは、自殺行為だろう。

 

 無論、時枝は銃口を向け直し、追撃をかけようとする。

 

「ハウンドッ!」

 

 だが、そこで帯島のハウンドが炸裂。

 

 風間への追撃を中断させる為、援護射撃が放たれる。

 

「……!」

 

 時枝はそれをシールドで防御────────しようとして中断し、その場から跳び退いた。

 

 その、直後。

 

 時枝のいた場所に、無数の弾丸が撃ち込まれた。

 

 銃撃の主は、弓場琢磨。

 

 その手に持つ二丁のリボルバーが、標的へ向け火を噴いていた。

 

 もしも、今シールドでの防御を選択していた場合。

 

 弓場の銃撃でシールドは割られ、為す術なく時枝は落ちていただろう。

 

 瞬時に状況を把握し、行動に反映させる判断力。

 

 フォローの鬼たる時枝の、視野の広さが成せる業である。

 

 しかし、その結果。

 

 風間は、安全圏まで退避する事に成功していた。

 

 そして、こうなった以上風間の取る手段は一つ。

 

 カメレオンによる、透明化である。

 

 この乱戦と化した戦場で、姿を消して奇襲する。

 

 そうなれば、更に場をかき回される事は必至だ。

 

 一度風間にペースを握られてしまえば、それを取り戻すのは並大抵の事ではない。

 

 故に。

 

「させない」

「させません」

「────」

 

 熊谷は、ハウンドを。

 

 時枝は、アサルトライフルによる銃撃を。

 

 七海は、疾駆による突貫を。

 

 それぞれ、敢行した。

 

 熊谷のハウンドは、広範囲に射出されている。

 

 まずはこれで逃げ場をなくし、アステロイドを斉射。

 

 その弾幕の雨を無傷で突っ切る事の出来る七海が追撃する、という寸法だ。

 

 なんとしてでも、此処で風間にカメレオンを使わせるワケにはいかない。

 

 それ故の、一斉攻撃。

 

「な……っ!」

 

 だがそれは。

 

 風間の眼前に出現した、無数のエスクードによって阻まれた。

 

 曲射軌道を描くハウンドはエスクードの向こう側にまで着弾するが、時枝の銃撃と大部分のハウンドは壁トリガーによって防がれた。

 

 当然、進路を妨害された七海の疾駆も止まる。

 

 恐らく、このエスクードは何処かで戦場を見ていた神田が仕掛けたものだろう。

 

 七海の機動力であれば、エスクードを跳び越える事自体は容易だ。

 

 しかし。

 

 それは、あの風間に対し至近距離で迂闊に隙を晒す事と同義。

 

 勝てるのならば落ちても構わないとはいえ、無為にリスクを冒すのは得策ではない。

 

 七海は此処で無理をして得るリターンよりも、その結果起きるリスクの方が重いと判断した。

 

 故に。

 

「旋空弧月ッ!」

 

 動いたのは、熊谷。

 

 防御不能の拡張斬撃により、エスクードを斬り払う。

 

 最高クラスの硬度を持っていようが、旋空弧月の前には無意味。

 

 出現した無数の壁は、飛ぶ斬撃により斬り裂かれた。

 

 だが、その斬られた壁の向こうに風間の姿は無い。

 

 既に、カメレオンを用いて姿を消しているのだろう。

 

 しかし、まだ遠くには行っていない筈。

 

 ハウンドやメテオラによる炙り出しは、可能な筈だ。

 

「余所見たあ余裕だな、コラ」

「……!」

 

 もっとも。

 

 それを弓場が悠長に見ているだけならば、であるが。

 

 こちらに銃口を向けた弓場が、引き金を引く。

 

 サイドエフェクトによりその銃撃を感知した七海は、即座に反転。

 

 弓場の射程から、その身を退かせた。

 

「ハウンドッ!」

 

 そして、残る人員の対処も忘れてはいない。

 

 帯島はハウンドを両攻撃(フルアタック)で射出し、熊谷と時枝に撃ち放つ。

 

 二人は共に、シールドでの防御を選択。

 

 弓場の射程に入らないよう後方に退避しながら、ハウンドを防ぐ。

 

 結果として、こちらは全員無傷で生き残った。

 

 しかし。

 

 その代償として、風間の位置は完全に見失った。

 

 カメレオンは、バッグワームを併用出来ない。

 

 それ故にレーダーには映っているが、その反応は忙しなく移動しており、詳しい位置までは映り込まない。

 

 更に時々反応が消えている事から、バッグワームと適時切り替えて移動している事が分かる。

 

 恐らく、柱の陰や壁の向こうなどの死角に入り、都度バッグワームに変えて移動しているのだろう。

 

 トリガー切り替えの練度は、風間の持ち味の一つだ。

 

 こうなってしまえば、風間を補足する事は難しい。

 

 今度は、先ほどのようにわざわざ存在を喧伝する必要は無い。

 

 正真正銘、音無しの暗殺者がその刃を突き立てて来る筈だ。

 

(何処に来る?)

 

 では、誰を狙うのか。

 

 まず、七海は有り得ない。

 

 七海は、サイドエフェクトにより攻撃を感知出来る。

 

 以前の訓練ではそれを潜り抜ける形で落とされたが、種が分かれば対策のしようがある。

 

 それは、風間自身承知の上の筈。

 

 彼ならば、無駄なリスクは避ける筈だ。

 

 ならば、熊谷か。

 

 ビッグトリオンである彼女は落とせば那須隊の戦力を削るだけではなく弓場隊側に追加点が入り、落とせれば最善である事は間違いない。

 

 だが、それはこちらとて承知の事。

 

 熊谷とて、今の自分にどれだけの価値があるかは理解している。

 

 警戒を怠る程、彼女は愚かではない。

 

 故に。

 

「時枝さん……っ!」

 

 答えは一つ。

 

 狙われるのは、時枝。

 

 何故ならば。

 

 今、時枝はその手にアサルトライフルを持っている。

 

 つまり、()()()()()()()()

 

 彼はスコーピオンもセットしているが、腕が塞がっている以上動きに制限がかかる。

 

 中距離武器を持ったまま至近距離の奇襲を防ぐ事は、難しい筈だ。

 

 そして。

 

 七海の判断は、正解だった。

 

 時枝の背後。

 

 そこに、空間から染み出すようにして風間が現れた。

 

 その手に持つは、スコーピオン。

 

 暗殺者の刃が、時枝の首に振るわれる。

 

「……!」

 

 回避は、間に合わない。

 

 距離が、近過ぎる。

 

 防げない。

 

「────」

 

 その、筈だった。

 

 その刃を防いだのは、木虎。

 

 唯一攻撃に参加せず、風間の攻撃に備えていた彼女だった。

 

 七海は風間達が同じ階層に降りて来た時点で、カメレオンを使われる可能性を想定していた。

 

 ハウンドを使えば確かに動きは制限出来るが、そもそもそういったカメレオンへの対策は風間にとって慣れたものだ。

 

 カメレオンを使う相手との戦闘に慣れている七海はともかく、熊谷はそもそも風間と戦った経験がないし、A級ランク戦で交戦経験があるであろう時枝だけでは対処に限度がある。

 

 故に、風間を見失可能性を最初から前提に入れて、木虎だけは攻撃に参加させず護衛に徹して貰っていたのだ。

 

「……!」

 

 そして、ただ防御の為だけに彼女を配置したワケではない。

 

 木虎は右手のスコーピオンで風間の刃を防ぎながら、左手で拳銃を発射。

 

 但し、銃口から射出されたのはトリオンの弾丸ではない。

 

 ワイヤートリガー、スパイダー。

 

 それを拳銃から発射出来るようにした、A級特権の改造トリガー。

 

 木虎はそのワイヤー銃を用いて、風間の足をワイヤーで地面に縫い付けた。

 

 風間の足が、止まった。

 

 この千載一遇の好機を、逃す手は無い。

 

 木虎と時枝が、風間に銃撃を放つ。

 

 熊谷は弓場と帯島が介入しないよう、ハウンドを射出。

 

 そして七海は、グラスホッパーを用いて突貫する。

 

 身動きの取れない風間への、集中攻撃。

 

 これで、落とす。

 

 そう、決意して。

 

「まだだ」

 

 しかし。

 

 相手の対応速度は、彼等の予測を超えていた。

 

 風間は足の側面からスコーピオンを出し、自身を縫い留めているワイヤーを切断。

 

 同時に、彼の足元からエスクードが出現。

 

 上空に向かって、風間の身体が撃ち出される。

 

「逃がさないっ!」

 

 跳躍した風間に向かって、熊谷はハウンドを射出。

 

 空中で身動きの取れない風間に、これを避ける術はない。

 

「────」

 

 無論。

 

 彼一人であれば、の話であるが。

 

 弓場は風間の近くに向け、グラスホッパーを展開。

 

 瞬時にそれを踏み込んだ風間は、最上階へと跳躍。

 

 熊谷の追撃を振り切り、上の階へと着地した。

 

「流石に、そう易々と獲らせてはくれないか」

 

 七海は上階に立つ風間を見据え、表情を硬くさせた。

 

 その実力の程は、承知していた筈だった。

 

 戦闘の癖も、戦術の方向性も、知っていたつもりだった。

 

 しかし、こうして公的な舞台で刃を交わすのは、これが初めてなのだ。

 

 今の風間は、A級三位部隊隊長として此処にいる。

 

 隊長である、風間の戦闘。

 

 その本質を、七海は改めて感じ取っていた。

 

「────」

 

 風間の姿が、薄れていく。

 

 音なしの暗殺者は、再びその姿を消し去った。





 アニメの那須さんのスパイラルバイパーふつくしかった。

 風間さんの戦闘も凄かった。スコーピオンであの防御して割れないのは巧過ぎる。


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弓場隊・風間隊⑥

 

「那須隊が波状攻撃で風間隊長を追い込みましたが、弓場隊のサポートにより離脱に成功……っ! 再びカメレオンで姿を隠しました……っ!」

「流石ですね。風間さんも、弓場隊も」

 

 村上は感嘆の息を吐き、頷いた。

 

 今の那須隊の攻撃は、悪くはなかった。

 

 一度は見失った風間の動きを予測し、木虎がカバー。

 

 そのままスパイダー銃で風間を拘束し、波状攻撃で畳みかける。

 

 戦術としては、この上なく理想的だ。

 

 しかし。

 

 風間の対応の速さと弓場の機転が、那須隊の想定を上回った。

 

 結果、風間は無傷で離脱に成功し、カメレオンで姿を消す事に成功した。

 

 一連の攻防は、弓場隊の側に軍配が上がったと言って良いだろう。

 

「今のでノーダメージは痛ぇな。木虎のスパイダー銃も、流石に二度目は警戒されるだろーしよ」

「ええ、一度使った手は風間さんには早々効かないでしょう。逆に言えばスパイダーを警戒させて動きを縛る、という手はありますが……」

「風間にゃ通用しねーだろーな」

 

 そして何より痛いのは、今の奇襲に使った木虎のスパイダーという手を風間に一度見せてしまった事。

 

 今の攻防で見せたように迎撃からの拘束戦法は、既に風間にとっては既知の戦術に過ぎない。

 

 熟練の戦士たる風間に対し、一度()()()()()()()どうかというのはかなり大きい。

 

 同じ手を使っても、課す事の出来る動きの縛りは微々たるものであるだろう。

 

 風間は鍛錬も、経験も、人一倍積んでいる。

 

 百戦錬磨、と言っても差し支えがない戦歴。

 

 経験(それ)は、何にも替え難い強みと成り得る。

 

 その極端な例が、村上だ。

 

 村上はサイドエフェクトにより、得た経験を即座にフィードバックする事が出来る。

 

 成長速度、という点で彼に追随する者はそうはいないだろう。

 

 しかし、風間にはサイドエフェクトなどなくとも、近界遠征を含む数多の戦闘経験がある。

 

 A級として積み重ねた戦歴は、確実の彼の糧となっている。

 

 個人戦闘の戦歴は太刀川に一歩譲るものの、それは風間が太刀川に劣るという事を意味しない。

 

 風間が最も強みを発揮するのは、チーム戦。

 

 部隊を率い、戦術を以て任務を遂行する時なのだ。

 

 今回は試験である為風間が全ての指揮を担当しているワケではないが、要所要所の判断力や機転が群を抜いているのは既に証明されている。

 

 隠密戦闘の名手にして、確かな実績を持った指揮官。

 

 それが、風間蒼也という青年なのだから。

 

「けど、あれだけ(バト)っといてどいつもこいつもまだ目立ったダメージがねぇってのも凄ぇな」

「どの部隊も、それだけ機転も判断力も優れていますし己の役割も分かっています。いずれの隊員も、無理をして負傷すれば不利になる事は理解しているでしょうからね」

 

 ですが、と村上は続ける。

 

「逆に言えば、一人でも落ちればそこから一気に形勢は傾きます。何処でどうリスクを冒すか、それが鍵ですね」

 

 

 

 

「熊谷」

「了解」

 

 風間が姿を消した後、七海は即座に熊谷に指示を出す。

 

 それを受けた熊谷は、すぐさまハウンドを生成。

 

 トリオン探知で、風間が消えた上階に向かって射出する。

 

「……!」

 

 だが、それを見越していたかのように上階の通路にエスクードが無数に出現。

 

 ハウンドの行く手を阻む(バリケード)として、立ちはだかる。

 

「────」

 

 しかし、その程度は想定済み。

 

 時枝はアサルトライフルの弾丸をメテオラに切り替え、銃撃。

 

 エスクードの出現した上階の床を、爆撃した。

 

 高い硬度を誇るエスクードは、メテオラでは破壊出来ない。

 

 弾丸で破壊するならば、高威力のアステロイドを連続で叩き込まなければまず無理だ。

 

 されど、その()()は別だ。

 

 エスクードは、展開するには相応の面積を持った足場が要る。

 

 そして当然、足場となる場所にはエスクードほどの強度はない。

 

 だからといって、地面そのものを破壊するのは相当に骨だ。

 

 そこに労力を使うくらいならば、エスクードを迂回して攻撃した方が手っ取り早い。

 

 だが。

 

 此処は、屋内。

 

 しかも、吹き抜け側の通路の床はそこまでの強度を持たず、破壊も容易。

 

 ならば、床そのものを吹き飛ばしてしまえば、エスクードは足場ごと落下せざるを得ない。

 

 その事に瞬時に気付き、時枝は熊谷のアシストとしてメテオラの爆撃を敢行したのだ。

 

「失敗か」

 

 されど。

 

 その行動は、失敗に終わる。

 

 時枝の爆撃は、上階に到達してはいなかった。

 

 その直前。

 

 遠隔で張られたシールドに、阻まれた事によって。

 

「────」

 

 シールドを張ったのは、帯島。

 

 時枝の行動を見抜き、咄嗟に遠隔シールドを展開したのだ。

 

 建造物の破壊には向いていても、シールドの突破力はそう高くないのがメテオラの特徴である。

 

 結果として時枝のメテオラは防ぎ切られ、熊谷のハウンドもまた、エスクードに阻まれた。

 

 

 

 

「OKOK、流石とっきー」

 

 だがそれは、帯島が自分の防御を放棄している事を意味している。

 

 その事実を見逃さず、引き金に手をかける少年が一人。

 

 少年は、佐鳥は、迷う事なく引き金を引いた。

 

 

 

 

「が……っ!?」

「帯島ァ……ッ!」

 

 帯島は狙撃に気付き、なんとかシールドを貼り直す事に成功した。

 

 頭部と胸部を守るように、展開した集中シールド。

 

 されど。

 

 されど。

 

 急所を守る事など、佐鳥は読み切っていた。

 

 トリオン体の急所は、トリオン供給脳がある頭部と、トリオン供給期間が存在する胸部。

 

 此処を破壊されれば、トリオン体を維持する事は出来ず崩壊する。

 

 当たれば終わりな、文字通りの弱点部位(ウィークポイント)

 

 イーグレットが集中シールドでなければ防ぎ切れない以上、そこを守るのはなんらおかしな事では無い。

 

 故に。

 

 佐鳥はその思考の裏をかき、帯島の右肩と脇腹を撃ち抜いた。

 

 狙撃手は、一度見つかれば高確率で逃げ切れずに落とされる。

 

 だからこそ、一度の狙撃で相手を仕留めようとする事が多い。

 

 だが。

 

 そればかりに拘って、仕事が果たせないようでは本末転倒だ。

 

 佐鳥は、それをきちんと理解している。

 

 狙撃手は、チームの後方()()役だ。

 

 そして、隊に貢献するならば、何も自分の手で標的を仕留める必要は無い。

 

 部隊に明確な()()を提供出来るのであれば、たとえ致命傷を狙えずとも構わない。

 

 佐鳥はその言動から目立ちたがり屋に見えるが、その実かなりのクレバーさを持っている。

 

 伊達に、狙撃手というポジションが出来て間もなくの黎明期からその役割を担ってはいない。

 

 チャンスは逃さず、取れる戦果をもぎ取り出来る仕事を遂行する。

 

 だからこそ、佐鳥は帯島がシールドの再展開を完了する可能性すら見越して、狙撃を敢行したのだ。

 

 佐鳥の得意とする────────否、彼しかやらない独自技術、ツイン狙撃(スナイプ)

 

 バッグワームを解除しなければならないという狙撃手として致命的な欠陥があるその派手な同時狙撃は、同時に彼の変態じみた技術の証明でもある。

 

 何せ、狙撃銃を両腕で撃つという事は────────スコープを見ずに、感覚だけで標的を狙う事と同義なのだから。

 

 まず間違っても、常人に出来る所業ではない。

 

 というか、まずやらない。

 

 バッグワームを解除するという都合上、狙撃の直前で気付かれてしまう可能性が付き纏う。

 

 そうなれば、防御や回避が間に合ってしまう事も充分に考えられる。

 

 どう考えても、実戦には向かない曲芸。

 

 しかし佐鳥は、それを己の技術力と機転で実際に運用可能なレベルにまで引き上げている。

 

 気付かれるのであれば、気付かれても防げない弾を撃てば良い。

 

 狙撃を読まれるのであれば、それを前提に行動すれば良い。

 

 失敗しても、機転を利かせて次の機会を待てば良い。

 

 そう割り切り、佐鳥はツイン狙撃を己の技として昇華させているのだ。

 

 そして、そのツイン狙撃は、この試合初めての痛打をもぎ取った。

 

 形勢が、傾く。

 

 佐鳥の狙撃が、戦況を変えた。

 

 

 

 

「ここですね」

 

 小夜子は画面に向かい、冷淡に呟く。

 

 薄く笑みを浮かべ、彼女は告げる。

 

「お願いします。嵐山さん」

『了解』

 

 

 

 

 帯島は、油断をしていたつもりはなかった。

 

 そういう事も、狙撃が来る事もあるだろうと、警戒はしていた。

 

 だが。

 

 だが。

 

 そんな彼女の目論見は、佐鳥の狙撃でぶち破られた。

 

 急所を守ればどうにかなる。

 

 その思考自体は、間違ってはいない。

 

 狙撃を警戒するならば誰もが考える、最善(ベター)な選択。

 

 されど。

 

 最善であるが故、その思考を読み切られた。

 

 これが、A級。

 

 これが、先達の強さ。

 

 レベルが違う。

 

 視点が違う。

 

 何より、経験(キャリア)が違う。

 

 後悔は遅い。

 

 帯島の右腕は肩を撃ち抜かれた事で吹き飛ばされ、脇腹にも大きな傷を負った。

 

 致命傷とまではいかないが、このままではトリオン漏出で緊急脱出するのもそう遠くはない。

 

 既に、脱落までのカウントダウンは始まってしまった。

 

 時間制限。

 

 此処に来て、その足枷(ハンデ)はあまりにも重い。

 

 この状態で役立てる事は、そう多くはないだろう。

 

 故に。

 

『右から来るよ』

「了解……っ!」

 

 その通信を受けた帯島の判断は、迅速だった。

 

 帯島はハウンドを生成し、右側に向かって射出。

 

 すると、その射線の先。

 

 そこには、アサルトライフルを構えた嵐山がその姿を晒していた。

 

 攻撃前にハウンドを向けられた嵐山の表情は────────驚愕、してはいない。

 

 分かっていたのだ。

 

 この奇襲は、()()()()いると。

 

 現在、主戦場はこの5階である。

 

 相手チームの主力も、その全員がこの場にいる。

 

 故に。

 

 奇襲を警戒するならば、菊地原をこの近辺に配置しておくのは至極当然の帰結である。

 

 というよりも、そうする他無い。

 

 菊地原という生きたソナーを有効活用する為には、戦場の傍に置くのが最善だ。

 

 生存ばかりを考えて戦場から遠ざけていたのでは、そもそも仕事が出来ない。

 

 故に、嵐山は────────那須隊側は、この近くに菊地原が潜んでいるとあたりを付けていた。

 

 ()()()()()、此処で嵐山を投入したのだ。

 

 菊地原がこの近辺にいるという、()()を得る為に。

 

「「メテオラ」」

 

 嵐山の姿が補足された、その直後。

 

 七海と熊谷は、同時にメテオラを生成していた。

 

 そして、そのキューブを四分割。

 

 最低限の分割に留め、爆撃を敢行した。

 

「……!」

 

 轟音が、周囲に響き渡った。

 

 壁や床に着弾したメテオラは、使用者の膨大なトリオン相応の破壊をモール内に齎した。

 

 無差別爆撃。

 

 テロか何かと見紛うその光景は、那須隊の攻撃開始の合図だった。

 

 これまで本格的な爆撃を控えていたのは、偏に菊地原の居場所が不明であったからだ。

 

 爆撃は、相応の隙を晒す。

 

 人ではなく建物を狙う以上、その最中を狙われてしまうリスクは常に存在する。

 

 爆撃で視界が塞がれる以上、不意打ちの危険度も相応に上がるのだから。

 

 だが。

 

 こと此処に至れば、そのリスクは充分に冒す価値あるものとなる。

 

 元より、菊地原がいる限りこちらの奇襲は通用しない。

 

 ならば。

 

 聴こえていようが関係ない力押しで、彼を炙り出してしまえば良い。

 

 嵐山は元より、その為に投入した駒だ。

 

 彼の奇襲が成功すればそれはそれで構わない。

 

 されど、その奇襲が失敗したという事は、菊地原の位置が半ば判明した事を意味している。

 

 ビッグトリオンルールによりトリオン14となった熊谷と、元より10ものトリオンを持っていた七海の爆撃。

 

 その暴威は、生半可な策ごと食い破る。

 

 このまま爆撃を続ければ、菊地原だけではなくカメレオンで姿を隠した風間すらも姿を現さざるを得なくなる。

 

 カメレオンは、使用したままではシールドすら張れないのだから。

 

「旋空弧月」

 

 故に。

 

 彼が出て来るのは、必然であった。

 

 弓場と帯島は、時枝と嵐山が銃撃で牽制している。

 

 風間は、安易に姿を現すのはリスクが高い。

 

 だからこそ、彼が、神田が出て来た。

 

 その手に持つは、弧月。

 

 拡張斬撃、旋空弧月を以て爆撃を続ける二人を止めんが為剣を振るう。

 

「「……!」」

 

 如何に強大なトリオンがあっても、旋空弧月の前にシールドは無意味。

 

 必然として二人は爆撃を中断し、その場から跳躍。

 

 旋空弧月の斬撃を、回避した。

 

 しかしそれは、逃げ場のない空中で躍り出た事と同義。

 

 そして、七海はともかくとして、熊谷には移動用のトリガーはない。

 

 此処までの戦闘で、既に熊谷の今回のトリガーセットはほぼ明かされている。

 

 メイントリガー、弧月・旋空・シールド・メテオラ。

 

 サブトリガー、ハウンド、シールド、バッグワーム。

 

 上記の中でサブトリガーの残り一枠が不明だが、大方アステロイドだろうと予想される。

 

 14ものトリオンを活かすには、それを入れない手はないからだ。

 

 確かに、トリオン14のハウンドは脅威だ。

 

 しかし、ハウンドでは相手を固める事は出来ても、シールドを突破するには時間がかかる。

 

 一ヵ所に弾丸を集中させれば可能ではあるが、そうなると弾幕の範囲を狭めてしまう。

 

 だからこそ、相手を固めた後のトドメを担うアステロイドが有効なのだ。

 

 実際に、二宮などはそれが必勝パターンとなっている。

 

 故に。

 

「────」

 

 カメレオンを解除した歌川が、空中にいる熊谷を、ハウンドを以て狙い撃つ。

 

 同時に、弓場も銃口を熊谷へと向ける。

 

 二人の攻撃が、熊谷へと放たれた。



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弓場隊・風間隊⑦

 空中の熊谷を、歌川のハウンドと弓場のリボルバーが狙う。

 

 シールドを広げればハウンドは対処は可能だが、弓場のリボルバーを全弾同一箇所に叩き込まれれば割れる可能性がある。

 

 それに、熊谷はビッグトリオン適用者。

 

 相手からすれば、何がなんでも落としておきたい相手の筈だ。

 

 つまり、これ以上の追撃がないとは限らない。

 

 故に、防御は下策。

 

 だからこそ、彼は迷わなかった。

 

「熊谷……!」

「ええ」

 

 七海は、自身と熊谷の足元にグラスホッパーを展開。

 

 空中で回避を行う為の、()()を作り出した。

 

 グラスホッパーは、ある程度の範囲なら遠隔で展開する事が出来る。

 

 幸い、七海と熊谷の距離はそれなりに近い。

 

 だからこそ、間に合った。

 

「そうすると、思いました……っ!」

「……!」

 

 だからこそ、()()()()

 

 七海が展開した、二つのグラスホッパー。

 

 それが、光弾によって打ち消された。

 

 光弾を、ハウンドを放ったのは、帯島。

 

 彼女は最初から、七海のグラスホッパーに狙いを定めていたのだ。

 

 前回弓場隊が那須隊と戦った、ROUND7。

 

 その戦いで、弓場は七海のグラスホッパーを弾丸で撃ち抜くという手段を用いた。

 

 それは当然、帯島も聞き及んでいた。

 

 そして、七海と戦う以上、その手段を用いる事はなんらおかしな事ではない。

 

 七海はサイドエフェクトにより、不意打ちも狙撃も通用しない。

 

 だが、彼の感知能力が及ぶのはあくまで七海()()を対象とした攻撃だ。

 

 故にグラスホッパーが狙われてもそれを察知する事は出来ないし、味方が狙われた場合も同様だ。

 

 その弱点を、帯島はしっかりと認識していた。

 

 勤勉な彼女の性格もあるが、この試合はROUND7のリベンジマッチであり、敬愛する神田の引退試合という側面もある。

 

 試験はあと一回残っているが、どうせなら今期でB級一位をもぎ取った那須隊と雌雄を決する舞台で勝ちたい、と思うのは当然の事。

 

 事前準備も、状況に応じた戦略の用意も、帯島は怠らなかった。

 

「ええ、そうするわよね。分かってたわ」

 

 故に。

 

 その程度の事は、那須隊(こちら)も考慮していた。

 

「え……?」

 

 熊谷と七海は、何もない空中を()()()()()()

 

 その勢いを以て、二人は跳躍し、ハウンドの射程から逃れる。

 

 彼等がやった事の種は、至極単純。

 

 スパイダー。

 

 木虎が咄嗟に撃ち出したワイヤーを、足場としただけである。

 

 ROUND7の経験から、七海のグラスホッパーの対策が取られている事は予想していた。

 

 だからこそ、グラスホッパーを対処された時の緊急避難として、木虎が待機していたのだ。

 

 相手の意表を、これ以上ない形で突く為に。

 

 これで、七海と熊谷の二人は上を取る事に成功した。

 

 あとは、このまま最上階から爆撃を敢行すれば良い。

 

 神田がエスクードで妨害するかもしれないが、それならそれで壁を作る為の足場を破壊し尽くせば良いだけの事だ。

 

 障害物がなくなって、有利になるのは那須隊(こちら)の方だ。

 

 少なくとも、エスクードの妨害を受け続けるよりは、足場を破壊して相手の行動に制限をかけた方が良い。

 

 帯島はトリオン漏出での緊急脱出が秒読みに入っているし、このままごり押せば優位をもぎ取れる筈だ。

 

 故に────。

 

「……!」

「来ると、思っていました……っ!」

 

 最上階で待ち構えていた風間の奇襲を、七海はスコーピオンで受け止めた。

 

 確信があったワケではない。

 

 だが、予感があった。

 

 このまま、自分達に素直に上を取らせるほど、彼は甘い男ではないと。

 

 だからこそ、間に合った。

 

 風間が、熊谷へその刃を突き立てる前に。

 

 七海のスコーピオンが、彼の刃を止めていた。

 

 狙われるのは、十中八九熊谷。

 

 その程度、承知していた。

 

 単純に、サイドエフェクトで攻撃を感知出来る七海(じぶん)より、そういった手段を持たない熊谷を狙った方が獲れる確率が高い。

 

 そして、ビッグトリオン適用者である熊谷を落とせば、大幅な戦力ダウンに繋がる。

 

 此処で熊谷を狙わない理由は、風間にはなかった筈だ。

 

「え……?」

 

 されど。

 

「────────これは、読めなかったんじゃない?」

 

 その熊谷の胸は、正面から刃に貫かれていた。

 

 彼女を射抜いた刃の持ち主は、菊地原。

 

 たった今カメレオンを解除した少年が、熊谷の急所を射抜いていた。

 

 油断をしていた、つもりはなかった。

 

 最上階にトリオン反応がある事は、分かっていた。

 

 されど、その反応は、カメレオンを使用していた風間であると、考えていた。

 

 気付いたのは最上階へ到達する直前ではあったが、反応があった時点で風間による奇襲は警戒していた。

 

 だが。

 

 だが。

 

 考えてみれば、最上階に辿り着いた時、誰も風間がカメレオンを解除した瞬間を見ていない。

 

(風間さんは、カメレオンじゃなく────────()()()()()()を、使っていたのか……っ!)

 

 そう、種明かしをすれば単純な話だ。

 

 最上階のトリオン反応は、カメレオンを使用していた()()()()()だったのである。

 

 とうの風間は、バッグワームを用いてトリオン反応を消し、七海達が最上階に到達する直前にそれを解除。

 

 物陰から、奇襲したに過ぎない。

 

 それを七海達は風間がカメレオンを用いて奇襲したと思い込み、菊地原の存在を見逃してしまったのだ。

 

 菊地原が何処かで攻撃を仕掛けて来る事自体は、想定出来ていた。

 

 風間が一筋縄でいく相手ではない事も、承知していた。

 

 だが。

 

 だが。

 

 それでも尚、想定が足りなかった。

 

 A級三位部隊、風間隊。

 

 その地力を。

 

 その戦術眼を。

 

 その高みを。

 

 見誤って、しまった。

 

 これが、風間蒼也。

 

 これが、菊地原士郎。

 

 これが、風間隊。

 

 A級三位の名は、伊達ではない。

 

 その事を、まざまざと見せつけられた。

 

「なら……っ!」

 

 熊谷は、自身の致命を悟った。

 

 だが、()()()()()()()()

 

 菊地原の一撃は、確かに熊谷の胸を貫いた。

 

 トリオン供給機関も、大きく傷を付けられた。

 

 しかし、熊谷は咄嗟に身体を捻った事で、僅かに刃の軌道がズレていた。

 

 何も、攻撃を察知出来たワケではない。

 

 ただ、これまでの経験。

 

 潜った数々の修羅場により備わった、直感。

 

 それが、彼女の身体を動かした。

 

 経験不足により、完全に回避する事も、致命傷を避ける事も出来なかった。

 

 されど。

 

 最後の足掻き(ワンアクション)をする時間だけは、稼げた。

 

 故に熊谷は、迷う事なく最上階からその身を投げ出した。

 

「旋空────」

 

 その手に構えるは、弧月。

 

 此処から、最後の旋空弧月を撃ち放つ。

 

 最後の足掻きを、やり遂げる。

 

「させません……っ!」

 

 しかし、それを許す程風間隊は甘くはない。

 

 5階に残っていた歌川は、弾速重視でアステロイドを射出。

 

 空中で身動きの取れない熊谷へ、弾丸を撃ち放つ。

 

 熊谷は、あと数秒で緊急脱出する。

 

 それは避けられないし、そんな事は熊谷も承知している。

 

 だからこそ、此処で確実に仕留めておく。

 

 旋空は、防御不能の攻撃だ。

 

 しかも、今の熊谷は文字通りの捨て身。

 

 ならば、多少の損傷では止まらない。

 

 故に、狙うのは彼女の右腕。

 

 弧月を持つその手を吹き飛ばす事で、攻撃を妨害する。

 

 最後の足掻きなど、させはしない。

 

 その為の、詰めの一手。

 

 そして、それは────。

 

「────────弧月」

「な……っ!?」

 

 熊谷が()()()()()()()()()事で、失敗に終わった。

 

 どころの、話ではない。

 

 歌川の傍に現れた熊谷の放った旋空弧月は、彼の身体を両断した。

 

 この現象は、知っている。

 

 見た事さえ、ある。

 

 されど。

 

 されど。

 

 彼女が()()をトリガーセットに入れていたとは、誰が思おう。

 

 瞬間移動を可能とするオプショントリガー、テレポーター。

 

 嵐山や時枝、そして茜が得意とする、転移トリガー。

 

 それが、熊谷の最後の一枠にセットされていた、トリガーの正体。

 

 これまで隠し通していた、彼女の奥の手。

 

 それが今、最高の形で解禁された瞬間だった。

 

『『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 熊谷と歌川、二人のトリオン体が同時に限界を迎える。

 

 片や満足そうに、片や唇を噛み締めながら、双方は光の柱となって消え去った。

 

 

 

 

「ここで熊谷隊員と歌川隊員、同時に緊急脱出……っ! 熊谷隊員の最後の足掻きが、得点を掻っ攫った……っ!」

「まさかあそこでテレポーターとは。流石に予想外でした」

 

 熊谷の派手な活躍を前に会場がざわめく中、村上はその顔を綻ばせ彼女を称賛していた。

 

 純粋な、混じりけなしの敬意。

 

 今の村上からは、そんな感情が感じられた。

 

「確かにな。風間と菊地原の奇襲で致命傷食らったってのに、即死しねぇで仕事をやり切りやがったんだからよ」

「ええ、あそこで即死していれば歌川隊員は落とせなかったでしょう。咄嗟の機転も、随分上達していますね」

 

 それは、村上なりの賛辞だった。

 

 彼女と村上が直接戦った、ROUND5。

 

 あの戦いで、熊谷は自身の脱落と引き換えに村上に痛打を与えた。

 

 今回も、あの時と状況は似ている。

 

 しかし、幾らでも活用方法のあるテレポーターをあの局面まで隠し通し、最大限に有効活用した手段は称賛されて然るべきだ。

 

 テレポーターは、確かに不意打ちには最適なトリガーだ。

 

 だがそれは、あくまで種が割れていない事が前提である。

 

 相手がテレポーターを所持していると分かっていれば、幾らでもやりようはあるのだ。

 

 テレポーターには、幾つもの制約がある。

 

 転移出来るのは視線の先数十メートルであり、移動距離に応じて次の使用まで時間経過(インターバル)が必要になる。

 

 故に視線が何処を向いているか分かっていれば転移先に攻撃を()()事も可能であるし、一度転移した後は連続使用出来ない為そこを狙っても良い。

 

 ただ闇雲に使って戦果を挙げられる、という便利なトリガーではないのだ。

 

 このトリガーが最大の()()を発揮するのは、正真正銘最初の()()

 

 その隊員が、テレポーターを所持している事を知られていない場合である。

 

 この試合で、熊谷がテレポーターを有効利用出来る局面は何度もあった。

 

 しかし、熊谷はいずれも使い時ではないと判断し、最後の最後まで温存した。

 

 一歩間違えれば抱え落ちになっていた可能性もあったものの、結果的にその選択は正解だったと言える。

 

 ビッグトリオンである熊谷が落とされた事で弓場隊には追加点が加算されたが、B級隊員である熊谷がA級隊員である歌川を落とした事で那須隊にも二点が加わっている。

 

 それに何より、熊谷を落とす為に遂に菊地原がその姿を見せたのだ。

 

 この功績は、ある意味熊谷が落とされた事よりも大きい。

 

 此処で菊地原を落とせれば、ようやくまともに奇襲が通用するようになる。

 

 無論、その程度のリスクを彼らが分かっていない筈はない。

 

 それを承知で、熊谷を落とす為に菊地原が出て来たのだ。

 

 風間が共に出て来たのは、そのリスクをカバーする為でもあるのだろう。

 

 歌川は落とされたが、風間と菊地原は同じ場所で七海と対峙している。

 

 どちらも、七海とは戦い慣れた間柄だ。

 

 そして、風間隊の真骨頂はその連携にある。

 

 一角は欠けたが、戦術の要である菊地原とエースの風間は未だ健在。

 

 油断などしていたら、あっという間に落とされてしまうだろう。

 

「これで、互いの均衡は崩れました。後は、何処でどう押し込むか。互いの地力の見せどころです」

 

 

 

 

「痛み分けか」

 

 風間は短くそう呟くと、バックステップで七海と距離を取った。

 

 同時に、それに続くように菊地原も距離を取る。

 

 その様子を見て、七海は警戒を強めた。

 

 現在、この最上階には七海と風間、そして菊地原の三人がいる。

 

 そして下の階には、木虎と時枝、弓場と帯島、そして嵐山と神田が残っている。

 

 ちなみに、狙撃を敢行した佐鳥がいるのはこの最上階。

 

 戦力を考慮すれば七海も5階に戻りたいところだが、此処で風間と菊地原を見逃す選択は断じて有り得ない。

 

 風間は一度見失えば探すのは困難であるし、菊地原も此処で逃せば熊谷が落とされた意味が薄れてしまう。

 

 何が何でも、此処で落としておかなければならない相手。

 

 それが、菊地原だ。

 

 だからこそ、彼は出て来たのであろう。

 

 七海を、この場に留める為に。

 

 自分が狙われている事など、菊地原は当然承知している。

 

 故に、自身を餌にする事で、七海から逃走という選択肢を封じたのだ。

 

 それに、もし此処で二人を逃せば、間違いなく居場所が判明した佐鳥が落とされる。

 

 既に移動は開始しているが、大まかな位置を知られた以上この狭いモールでは逃走にも限界がある。

 

 此処で、戦うしかない。

 

 七海はそう覚悟し、(スコーピオン)を手に取った。

 

「行きます」

「来い、七海」

「今日は、落としてやるから」

 

 その手にスコーピオンを持ち、三者が同時に動き出した。

 

 蠍の毒の刺し合いが、始まる。



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弓場隊・風間隊⑧

 

『────────そういうワケで。木虎さん、お願いします』

「了解したわ」

 

 木虎は小夜子からの通信を受け、頷いた。

 

 現在の状況は、少々複雑だ。

 

 まず、現在木虎がいる5階にいる味方戦力は木虎自身を含め、三名。

 

 木虎・時枝・嵐山の嵐山隊の三人だ。

 

 同じ隊の面々が揃っている為連携の面では何の問題もないが、懸念があるとすればこの階層に残っている相手チームの戦力だ。

 

 この5階にいる敵戦力は、弓場・神田・帯島の三名。

 

 そして、神田は推定ビッグトリオン適用者。

 

 互いの損耗状況は、嵐山隊側は目立った損傷は無い。

 

 対して、弓場隊側は帯島は大ダメージを受けており、そう遠くないうちにトリオン漏出で緊急脱出が確定している。

 

 つまり、時間経過で確実にこちらが有利になる。

 

 とはいえ、ただ時間稼ぎをして凌げるほど、弓場隊は甘くはない。

 

 こちらはA級、向こうはB級。

 

 階級でいえば、こちらが上。

 

 されど。

 

 弓場の早撃ちと、神田のビッグトリオンの恩恵を受けたエスクードは、決して無視出来ない脅威である。

 

 加えて、先ほどは広範囲の爆撃手段を持った熊谷と七海がこの階層で暴れていたが、熊谷は脱落し、七海は最上階で風間隊の二人と対峙している。

 

 最上階には嵐山隊の最後の一人である狙撃手の佐鳥もいるが、現在は逃走中。

 

 強引に援護を頼む事は可能だが、未だ弓場隊の狙撃手である外岡の所在が分かっていない。

 

 狙撃手の介入は、先ほど佐鳥がやってのけたように、戦況を変える強力な一手に成り得る。

 

 その狙撃(カード)を先に切ったのは、こちらだ。

 

 一撃で即死を狙わず、トリオン漏出による時間制限を付けてみせた佐鳥の判断は悪くない。

 

 帯島は、射撃トリガーも扱う万能手。

 

 トリオン漏出は、徐々に彼女の首を絞めていく筈だ。

 

 加えて、時間制限という縛りは弓場隊に対し()()の戦術を選ばせない枷と成り得る。

 

 エスクードを所持している弓場隊は、待ちの戦法を非常に得意としている。

 

 しかし、帯島に与えたトリオン切れ(タイムリミット)が、その選択肢を封じている。

 

 これは、大きい。

 

 敢えて致命傷を狙わず、トリオン漏出を目論んだ佐鳥の慧眼は、大したものだと言える。

 

(その上で、あの指示か。那須隊は、相当優秀なブレーンを持ってるみたいね)

 

 木虎はたった今小夜子に聞かされた指令を思い返し、感心していた。

 

 大戦力であったビッグトリオンが落ちたにも関わらず、指揮にブレが見えない。

 

 どころか、仲間の脱落すら作戦に考慮して盤面を進めている。

 

 そして、作戦内容も良く考え抜かれている。

 

 木虎は負けず嫌いの意地っ張りだが、優秀な相手を感情論で認めないほど視野狭窄ではない。

 

 認めるべきところは認めるし、たとえ気に入らない相手であったとしても評価を違える事は無い。

 

 まあ、色々と繊細なお年頃なので、完全に感情を隠しきれているかと聞かれれば返答に窮するのであるが。

 

 ともあれ、作戦の妥当性は理解した。

 

 既に、仲間への指示は伝達済み。

 

 ならば、動くだけ。

 

 この試合では自分たちは試験官ではあるが、同時に彼等の共闘相手でもある。

 

 A級の名に恥じない戦いを、十全にこなす。

 

 自分達になら、それが出来る。

 

 そう、信じているのだから。

 

「私は指示通りに動きます。嵐山さん、お願いします」

「ああ、行って来い」

「後は任せて」

 

 木虎は嵐山と時枝に見送られ、通路を駆け出した。

 

 それには当然、弓場隊も気付く。

 

「弓場さん。追います」

 

 帯島は、弓場にそう上申する。

 

 明らかな釣り。

 

 されど、木虎を此処で見失うのは、少々厄介ではある。

 

 虱潰しに探されれば、隠れている外岡が見つかる可能性も万に一つは存在する。

 

 かと言って、エースの弓場やビッグトリオンの神田をみすみす罠に飛び込ませるのはリスクが高い。

 

 逆に、トリオン漏出で遠くないうちに落ちる事が確定している帯島であれば、()()を考慮する必要はない。

 

 それらを考慮して、帯島は木虎を追う事を提案したのだ。

 

 時間は無い。

 

 無駄に悩めば、木虎を見失ってしまう。

 

 弓場は刹那の間逡巡し、真剣な目で帯島を見据えた。

 

「行けんのか?」

「はいっ!」

「よし、行って来い帯島ァ!」

 

 押忍、と短く返事をして、帯島は木虎の後を追う。

 

 木虎と帯島。

 

 二人の少女が、主戦場から離脱した。

 

 

 

 

「おっと、此処で木虎隊員が吹き抜け側のフロアを抜け、帯島隊員がそれを追う……っ! 果たして、これは吉と出るか凶と出るか……っ!」

「完璧に釣りに見えるけどよ。どうなんだ、あれ」

 

 諏訪は画面を見ながら、神妙な顔で首を傾げた。

 

「まあ、木虎を見失うのが怖ぇーってのは分かるがよ。あんな見え見えの釣り、追うか?」

「これに関しては、なんとも言えませんね。ですが、一概に浅慮とも言えないかと」

 

 まず、と村上は前置きして続ける。

 

「木虎隊員は、非常に機動力が高く、隠密にも向いています。加えてトリガーセットの関係上、開けた場所よりも閉所の方が力を発揮する隊員でもあります」

「確かにな。狭ぇトコであいつと戦り合うのは、ちと勘弁願いてーや」

 

 二人の言う通り、木虎の性質は閉所での格闘戦向きだ。

 

 彼女は遠近両方に対応した万能手ではあるが、その性質は近距離での格闘戦向け────────分類としては三輪や香取と同じ、近距離万能手(クロスレンジオールラウンダー)にあたる。

 

 その性質上、彼女が得意とするのは閉所での格闘戦。

 

 今まで主戦場となっていた吹き抜け傍の通路よりも、店内や奥まった通路のような閉所の方が十全に力を発揮出来る。

 

「ですので、嵐山隊の狙いとしては木虎隊員が得意な場所に相手を釣り出し、そこでその相手を迎え撃つ、といったところが妥当でしょう。そして、これは当然弓場隊側も分かっている筈です」

「まあ、弓場がその程度わかんねー筈ねーしな」

 

 ええ、と村上は諏訪の言葉に同意する。

 

 そう、先ほど諏訪も言ったように、これは()()()()()()()なのだ。

 

 釣りである事を、隠そうともしていない。

 

 来るなら来い、と言わんばかりの構え。

 

 その程度、弓場が理解していない筈もないのだ。

 

「けど、なんで弓場の奴は帯島に追わせたんだ? 釣りだって事が分かってんなら、放置するもんじゃねーのか?」

「確かに、ただの釣りであればそうでしょう。ですが、これはあまりにも()()()()()()()()。それ以外の狙いもあると考えた方が、自然です」

 

 だが。

 

 村上の言う通り、木虎の行動はあまりにも露骨過ぎるのだ。

 

 あんなもの、誰がどう見たって釣りに見える。

 

 そのくらい、彼女の行動はあからさまだった。

 

「ですので、それ以外の()()があると考えた方が自然です。勿論、そう思わせる事が狙いである可能性も考えられますが」

「弓場は、前者であると考えたワケだ。確かに、ありゃ露骨過ぎっからな」

 

 故に、木虎の行動は釣りではなく、そう思わせる事が目的の行動である可能性があるのだ。

 

 釣りではなく、別の目的を持ってあの場から離脱した可能性が。

 

「此処で厄介なのは、木虎隊員を追わなかった場合、実際にリスクが生じる事です。彼女を放置した結果生じる危険は、幾らでも思いつきますから」

 

 釣りであると思わせて追う事を躊躇させ、その隙に外岡を探し出して仕留める。

 

 もしくは、一度姿を隠してからの奇襲を狙う。

 

 木虎を放置するリスクは、無数に考えられる。

 

 釣りにかかれば、それで良し。

 

 そうでなければ、姿を隠し別の目的を遂行する。

 

 二者択一の、強要。

 

 追えば罠にかかる危険を冒す事になり、追わなければ別のリスクが発生する。

 

 どちらにせよ相手に不利を強要する、苦渋の選択。

 

 木虎の行動は、それを相手に強いたのだ。

 

 弓場隊側で居場所の分かっていない隊員は、狙撃手の外岡のみ。

 

 無論、外岡の方から木虎を探すという選択肢は有り得ない。

 

 故に、弓場隊はあの場から誰かを木虎に追わせる他、なかったというワケである。

 

「最善とは言えないかもしれませんが、次善の策ではあるでしょうね。あの中で、帯島隊員だけはトリオン漏出という時間制限があった。それならば逆に、落ちる事を恐れず相手を追えるという心理的メリットがあるとも言えますから」

「まあ、釣りにかかるなら落ちる事が確定してる奴に追わせれば良いってか? そんな作戦、弓場が取るか?」

「弓場さんではなく、帯島さんがやると言ったのかもしれません。それならば、弓場さんは彼女の意思を無碍にはしない筈です」

 

 成る程な、と諏訪は得心する。

 

 弓場は、自ら隊員に向かって「捨て駒になれ」と命令するようなタイプでは無い。

 

 犠牲前提の戦術よりも、連携して堅実な攻めを選ぶ。

 

 彼は、そういう漢だ。

 

 無論、勝負の世界に甘さが無い事は知っている。

 

 無理をしてまで仲間を庇うような事までは、しないだろう。

 

 単純に、彼が博打を打つよりも堅実な戦法を好む、というだけの話だ。

 

 しかし、部下からの上申があったのならば、彼はそれを無碍にはしない。

 

 帯島が自分の意思で「やる」と言い出したならば、それを止める事はしないだろう。

 

 弓場琢磨とは、そういう漢なのだから。

 

「まだ、この選択がどう転ぶかは分かりません。帯島隊員が木虎隊員に何処まで食らいつけるか、それで変わって来るでしょうね」

 

 

 

 

「…………追って来たか」

 

 木虎は自身を追う帯島の姿を見て、ホルスターから拳銃を引き抜いた。

 

 帯島もまた、アステロイドのキューブを生成。

 

 木虎は引き金を────。

 

 帯島はトリオンキューブの分割を行い────。

 

 ────────同時に、弾丸を撃ち放った。

 

 交差する、二人のアステロイド。

 

 幾つかの弾丸は対消滅し、残った光弾が双方に向かいシールドによって弾かれる。

 

 二人のいる場所は、モールの吹き抜けから離れた通路。

 

 狭い通路である為、ハウンドを選ぶ必要性は薄い。

 

 だからこその、威力特化の弾丸(アステロイド)の使用。

 

 閉所であるが故、碌に狙いを付けずともアステロイドの半数程度はぶつかり合い、霧散した。

 

 射撃トリガーは、射手用のものでも銃手用のものでも、基本的な構造は同じである。

 

 違うのは発射までの工程(プロセス)や細かい調整の有無であり、弾丸の性質は変わらない。

 

 アステロイドを始めとする弾丸は、その周囲をカバーで覆われている。

 

 そして、このカバーは何らかの衝撃が加われば破損し、弾丸の中身である弾体が外気に触れる。

 

 弾体は外気に触れた段階────────つまり、何処かに()()した時点で炸裂し、ダメージを齎す。

 

 トリオン体に当たればそれを貫き、建物に当たればそれを破壊する。

 

 ただし。

 

 例外的に、同じトリオンの弾丸にぶつかれば、その時点で相殺────────消滅する。

 

 メテオラだけは()()という結果を引き起こすが、他の弾丸の場合は例外なく相殺される。

 

 トリオンの弾丸の威力を決めるのは、弾丸の中身である弾体である。

 

 これにどれだけのトリオンを込めたかで、弾丸の威力が増減するのだ。

 

 しかし、同じ弾体同士が触れ合った場合、その威力に関係なくその場で相殺されるワケだ。

 

 アステロイドだろうが、ハウンドだろうが、バイパーであろうが。

 

 トリオン強者の弾丸であろうが、トリオン弱者の弾丸であろうが。

 

 全て、例外は無い。

 

 木虎のトリオン量は、『4』。

 

 これは、戦闘員として動けるほぼ最低値に等しい。

 

 当然七海のようにメテオラを連発するような馬鹿でかい消費を伴う戦闘は出来ないし、アステロイドを使用した場合の威力もたかが知れている。

 

 しかし、前述の理由によりトリオン量の差によってどちらかのアステロイドだけが一方的に消滅するといった事は無い。

 

「ハウンドッ!」

 

 だが。

 

 木虎の持つ銃トリガーの形状は、拳銃型。

 

 連射自体は可能だが、一度に吐き出せる弾丸の数には限りがある。

 

 対して、帯島の持つ弾丸は射手用のそれ。

 

 つまり、威力や射程、分割数────────つまり、弾数を自在に設定出来る。

 

 どんな威力の弾丸であろうと、ぶつかれば相殺される。

 

 ならば。

 

 対処出来ないだけの数を、並べてしまえば良い。

 

 威力を絞り、弾数を増やす。

 

 これが出来るのは、射手トリガーの特権である。

 

 帯島はすぐさまそれを行動に移し、ハウンドを射出。

 

 通路一杯に広がったハウンドが、木虎に襲い掛かった。

 

 拳銃での相殺は、無謀。

 

 あまりにも、弾数が違い過ぎる。

 

 ベターなのは、シールドを広げての防御。

 

 しかし、守りに入ってしまえば帯島が戦闘の主導権を握る事になる。

 

 帯島は、既に自身の生存について割り切っている。

 

 役目を果たせば、代わりに落ちても構わない。

 

 その心構えで、木虎を追って来ている。

 

 下手な守勢は、一気に形勢を不利に傾けるだろう。

 

 故に。

 

「……!」

 

 木虎が取った手段は、逃走。 

 

 拳銃からワイヤーを、スパイダーを射出。

 

 それを通路の先に打ち込み、拳銃の特殊機構を作動。

 

 ワイヤーを巻き取り、木虎の身体を通路の先へと引っ張り上げる。

 

 木虎の身体は、曲がり角の向こうへと消えた。

 

「なら、もう一度……っ!」

 

 帯島は、即座に疾駆し木虎を追跡。

 

 曲がり角を超えた時点でキューブを生成し、追撃を放とうと────────。

 

「え……?」

 

 ────────した瞬間、足が何かに引っ掛かり、躓いた。

 

 バランスを崩す、帯島の身体。

 

 そして、気付く。

 

 自身の足元。

 

 そこに、細いワイヤーが張られている事に。

 

 ワイヤーの発射音は、聞こえなかった。

 

 故に、このスパイダーはたった今張られたものでは無い。

 

 ならば、答えは一つ。

 

 此処に来る前。

 

 木虎が風間に奇襲を仕掛ける為に姿を現す前に、予めこの場に設置していたのだ。

 

「────」

 

 帯島は今この瞬間、姿勢を崩し無防備となった。

 

 その隙を、木虎が逃す筈も無い。

 

 一瞬にして距離を詰めた木虎は、帯島の首目掛けてスコーピオンを振り下ろした。



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弓場隊・風間隊⑨

 

 この人たちの役に立ちたい。

 

 ずっと、そう思って来た。

 

 帯島にとって弓場隊は、ある意味家族と同等、もしくはそれ以上の繋がりを持つ大切な人たちだ。

 

 ボーダーに入り、右も左も分からなかった頃。

 

 弓場に初めて声をかけられた時は、正直その強面に硬直してしまった。

 

 けれど話してみれば面倒見が良く、帯島の質問にも丁寧に答えてくれる優しい人だった。

 

 弓場としては年下の隊員が困っていた為世話を焼いただけだったようだが、その場面をオペレーターの藤丸に見られた事が、思えば切っ掛けだった。

 

 藤丸は帯島を一発で気に入り、隊室に招いて弓場隊の面々に紹介した。

 

 それが、帯島と弓場隊の皆とのファーストコンタクトである。

 

 当時は弓場隊に在籍していた王子や蔵内は丁寧な物腰で好感が持てたし、神田は気さくに話しかけて帯島の緊張をやわらげてくれた。

 

 外岡は自分からはあまり話さないが聞き上手で何かと相談にも乗ってくれるし、藤丸はその豪快な気質で隊の雰囲気を盛り上げていた。

 

 弓場は口数が多い方では無いが、自分の意思はハッキリと示すその裏表のない硬派な態度に憧れを抱いた。

 

 だから、王子と蔵内が隊を抜けて独立した後、弓場隊への入隊の誘いが来た時は一も二もなく頷いた。

 

 王子達が抜けたのは寂しいけれど、それでも自分は隊の雰囲気が好きだった。

 

 たとえるならば、比較的真面目な運動部、といったところか。

 

 やるべき事には手を抜かないし、ただの仲良しの集まりといった風情でもない。

 

 けれど隊員の間にはしっかりとした絆があり、暖かな繋がりがある。

 

 有事とオフのケジメはしっかりと付けて、その上で活動に尽力する。

 

 そんな弓場隊の姿が好きだからこそ、帯島は王子達の後釜を引き受けたのだ。

 

 このまま、いつまでも皆と一緒に弓場隊を続ける。

 

 そんな淡い期待を抱いていなかったと言えば、嘘になる。

 

 けれど、同時に帯島は知っていた。

 

 王子達が隊を抜けたように────────物事には、永遠など無いという事を。

 

 神田が隊を、ボーダーを辞める。

 

 その事を始めて告げられた時は、心臓が止まるかと思った。

 

 神田は、帯島にとって尊敬する先輩だ。

 

 物腰は軽く見えるが、その実しっかり物事を考え、先達として帯島を導いてくれた優しい先輩。

 

 その彼が、隊から抜ける。

 

 いなくなる。

 

 当時の帯島には、到底受け入れられるものではなかった。

 

 人知れず泣いた。

 

 調子を崩して、足を引っ張った。

 

 その時の自分は、今思い返しても酷いものだったと思う。

 

 どれだけ皆に心配をかけたか、知れない。

 

 そんな状態の自分を、神田が見過ごす筈もなかった。

 

 神田はとある日、一人で帯島の所に来た。

 

 そして、語った。

 

 自分の、胸の内を。

 

 神田も、好き好んで隊を抜けたいワケではなかった。

 

 彼もまた、弓場隊という居場所を愛していたから。

 

 叶うならば、ずっと続けたいという想いは、神田も同じだった。

 

 けれど。

 

 神田は、高校三年生。

 

 自分の進路を、考える時に来ていた。

 

 彼の就職希望は、建設関係。

 

 その為に、九州の大学に行く必要があるのだという。

 

 そちらには親の知り合いで建築関係の仕事をしている人がおり、その事務所でバイトをしつつ仕事を覚えていきたいのだという。

 

 まだ中学生である帯島には少々ピンと来ない話ではあったが、それでも進路の事が大事である事は理解出来た。

 

 子供は、いつまでも子供のままではいられない。

 

 いつか、少年時代をを終えて社会に出る時が来る。

 

 だから、神田は決断した。

 

 自分の望む進路に進む為に。

 

 弓場隊という猶予期間(モラトリアム)を、卒業する事を。

 

 帯島はそこに、一人の大人の姿を見た。

 

 神田は、自分の行くべき道を選んだ。

 

 ならば、自分がするべき事は別れを嘆き悲しむ事じゃない。

 

 彼が、胸を張って弓場隊(ここ)を発てるよう、悔いのない戦いをする事だ。

 

 そこからは、我武者羅だった。

 

 神田がいなくなっても隊を回せるように、様々な事を彼に教わった。

 

 基本的な立ち回りから、戦術の組み方。

 

 万能手としての心構えや、経験から来るアドバイス。

 

 前にも増して意欲的になった帯島は、スポンジのようにどんどん神田の知識を吸収していった。

 

 その姿を見て、弓場隊の面々は安堵していた。

 

 これならば、大丈夫そうだと。

 

 神田がいなくなっても、彼女はちゃんとやっていけると。

 

 完全に、心の整理が付いたワケではない。

 

 いざ別れの時が来れば、その時は大泣きするだろう確信がある。

 

 けれど。

 

 それでも、安心して神田がこの隊を最高の思い出に出来るように。

 

 全力で。

 

 全霊で。

 

 彼に恥じない、戦いをする。

 

 それが、自分の決意。

 

 それが、自分の想い。

 

 だから────。

 

「やあああぁぁぁ……っ!!」

「……!」

 

 自身の首筋に迫る、木虎のスコーピオン。

 

 帯島の首を刈り取る、致死の刃。

 

 その斬撃を、弧月の鞘で彼女の手首をかち上げる事で制止させた。

 

 今は帯島がバランスを崩して倒れ込みかけている状態であり、木虎は体重を乗せた斬撃を放っていた。

 

 木虎の身長は、161㎝。

 

 153㎝の帯島よりも、若干体格で優れている。

 

 その木虎に上から攻められているのだから、まともに力比べをすれば負ける。

 

 だから、彼女の虚を突く為に手首を狙った。

 

 これが弧月のブレードでの返しであれば、危機感から反射的な対応が間に合う可能性があった。

 

 だからこそ、帯島は弧月の鞘を用いた打撃で応戦した。

 

 スコーピオンは、身体の何処からでも出す事が出来る。

 

 素手で応戦すれば、反撃を食らう可能性が高かった。

 

 なればこそ、咄嗟に鞘を使う決断を下したのだ。

 

 木虎の攻撃を、無傷で凌ぎ切る為に。

 

「────」

「え……?」

 

 しかし。

 

 帯島は自身の斬り落とされた左手首を見て、目を見開いた。

 

 木虎のスコーピオンは、A級特権で改造した特注型だ。

 

 持ち手を中心に両端に刃があり、風車のように回転する機能がある。

 

 故に。

 

 木虎は、帯島に腕をかち上げられると同時に手首を捻り、スコーピオンを回転させて彼女の手首を斬り落とした。

 

「ぐ……っ!」

 

 そして、間髪入れず脚部に生やしたスコーピオンで、帯島の胸を一撃。

 

 トリオン供給機関を、正確に刺し貫いた。

 

「悪いわね。私も、簡単に負けるワケにはいかないの」

 

 木虎はあくまで淡々と、致命傷を負った帯島に告げる。

 

 単純な、技量と経験の差。

 

 これまでの積み重ねも。

 

 咄嗟の機転も。

 

 ただ、戦歴の()()で圧し潰された。

 

 B級隊員の帯島と、A級隊員の木虎では、戦闘経験の質が違う。

 

 より多くの、実力者との戦闘経験。

 

 それが、明暗を分けた。

 

 成る程、帯島は確固たる決意を以てこの戦いに臨んだのだろう。

 

 準備も怠らなかった。

 

 判断も間違えなかった。

 

 されど。

 

 されど。

 

 ────────想いだけでは、実力差は覆らない。

 

 加えて言えば、今の帯島は手負いの状態。

 

 万全の状態で何とか勝負になるかもしれない、といった格上に、1対1で勝つには経験が足りなかった。

 

 

 

 

「ののさん」

『あいよ』

 

 だが。

 

 その想いを、汲み取る者がいた。

 

「やります」

『おう、ぶちかませ』

 

 彼は、外岡は、少女の想いをその手に宿し、引き金を引いた。

 

 

 

 

「……!」

 

 その狙撃に、木虎は間一髪で勘付いた。

 

 七海達が破壊した壁の隙間から飛来した、一発の弾丸。

 

 それは、正確に木虎の身体に狙いを定めていた。

 

 無論、木虎は回避を選択しようとした。

 

「……!」

 

 だが、出来なかった。

 

 脚部のスコーピオンによって、木虎が致命傷を与えた帯島。

 

 彼女が、木虎の足を抱え込んで拘束していたからである。

 

 帯島に、既に戦闘能力は無い。

 

 あと数秒で、彼女は緊急脱出する。

 

 けれど。

 

 けれど。

 

 その意地だけは、健在だった。

 

 一騎打ちに負けた、彼女の最後の足掻き。

 

 それが、木虎の動きを封じていた。

 

 あの局面で帯島を仕留めるには、腕ではなく足を使う必要があった。

 

 しかし、その代償として、その足を帯島に抱え込まれ身動きを封じられた。

 

 そう、確かに帯島単独では木虎には勝てないだろう。

 

 だが、これは試合。

 

 1対1の、決闘(タイマン)では無いのだ。

 

 自分が落ちても、チームが勝てればそれで良い。

 

 結果さえ出せば、過程は問わない。

 

 これは、そういう戦いなのだ。

 

 だからこそ、帯島は最期まで役割に準じた。

 

 自身の脱落と引き換えに、木虎を仕留める為に。

 

「けど……っ!」

 

 彼女がこうまでして木虎の動きを封じる以上、あの弾丸には必殺の意思がある。

 

 故に、イーグレットでは有り得ない。

 

 アイビス。

 

 狙撃銃の中でも、最高の威力を誇るトリガー。

 

 ランク戦では威力過多とされるその銃の弾丸は、集中シールドすら容易く打ち破る。

 

 されど。

 

 ならば、それを二枚重ねにすれば良い。

 

 木虎は、弾丸に対し二重の集中シールドを展開した。

 

 確かに、集中シールド1枚ではアイビスの狙撃は防げない。

 

 けれど、二枚あれば話は別だ。

 

 シールドは、展開した面積が小さければ小さい程その硬度を上昇させる。

 

 木虎の乏しいトリオン量でも、徹底的に面積を狭めた集中シールドであれば二枚重ねで防御は足りる。

 

 そう────。

 

「がっ……!?」

 

 ────────それが、普通のトリオンの持ち主の放ったアイビスであれば。

 

 結果として、アイビスの弾丸は木虎の二枚重ねのシールドを貫き、彼女の胸を撃ち抜いた。

 

 有り得ない。

 

 幾ら木虎のトリオンが乏しいとはいえ、集中シールドの二枚重ねである。

 

 大抵の単発攻撃は、これで凌ぎ切れる。

 

 そうでなければ、おかしい。

 

「まさか……っ!」

 

 そこで、気付いた。

 

 アイビスは、使用者の()()()()()()()()()()()()()()

 

 即ち。

 

 大量のトリオンの持ち主が撃てば、木虎クラスの集中シールド二枚であれば貫通出来る可能性が出て来る。

 

 しかし、この狙撃手が、外岡が特別トリオン量に優れているという話は聞かない。

 

 だが。

 

 だが。

 

 今この試合には、その前提を覆す()()を齎すルールがある。

 

 ビッグトリオン。

 

 隊員のうち一人を選択し、試合中そのトリオン量を評価値14相当に設定して戦う特別ルール。

 

 弓場隊がこのルールを適用したのは、エスクードを大量展開した神田であると考えていた。

 

 しかし。

 

 考えてみれば、神田が()()エスクードを展開したところを見たのは数回程度。

 

 そして。

 

 果たして、あの大量のエスクードは、本当に神田()()が展開したものだったのか。

 

 思い返せば、不自然な点はあった。

 

 この試合で神田は、最初に七海のメテオラを撃ち落として以来、アサルトライフルを使用していない。

 

 増えたトリオンを有効活用するのであれば積極的に使用するべき銃手トリガーを、()()()()()()()()()()()

 

 銃手トリガーは、キューブのサイズという分かりやすい判断材料がある射手トリガーと違い、目に見える形で使用者のトリオンの多寡は分からない。

 

 流石にシールドや建物を撃てばその威力でどの程度のトリオンの持ち主かは分かるが、逆に言えば()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この試合中、神田が撃ったのは七海のメテオラのみ。

 

 誘爆に巻き込まれた以上、神田の銃撃の()()は見た目からでは判別出来なかった。

 

 神田が人相手には銃を使わず、弧月のみで戦った理由。

 

 この試合で銃手から万能手に立ち戻った、本当の意味。

 

 それは、彼が万能手に戻ったというインパクトを利用して、そのトリオン量を()()させる事。

 

 エスクードは、ノーマルトリガーの中でも燃費が悪い。

 

 大量に展開するには、膨大なトリオンが必要になる。

 

 だからこそ、弓場隊はエスクードを使用した。

 

 ビッグトリオンを有効活用する手段として、この上ないトリガーであったからだ。

 

 ただし。

 

 この試合で展開されたエスクードの大部分は、()()()()()()()()()()()()()が遠隔展開していたのだ。

 

 神田が直接展開したエスクードは、恐らく数本のみ。

 

 他のエスクード、特に一度神田が姿を隠した後に展開されたそれは、全て本当のビッグトリオン適用者────────外岡が、出したものだ。

 

 弓場隊の作戦は、こうだ。

 

 神田が熊谷に目立つ形で戦いを挑み、こよみよがしにエスクードを使用する。

 

 大量展開したエスクードを見せつけ、神田がビッグトリオン適用者であると誤認させる。

 

 そして、その認識を利用し、本当のビッグトリオン適用者である外岡がそのトリオンを利用した一撃を決める。

 

 神田が単独で熊谷に挑んだ事も。

 

 その後姿を隠した事も。

 

 万能手に戻った事も。

 

 頑なに弧月を使い続けた事も。

 

 全てはこの為。

 

 ここぞという時、外岡のアイビスという切り札(ジョーカー)を最大限に活用する為。

 

 これが、神田の本当の策。

 

 弓場隊を支え続けた、指揮官の一手。

 

 木虎(エース)を撃ち抜いた、妙手。

 

 してやられた。

 

 それ以外、木虎に言葉はなかった。

 

『『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 奇しくも、同時。

 

 木虎と帯島は、共にトリオン体が崩壊し、光の柱となって消え失せた。



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弓場隊・風間隊⑩

「外岡隊員の狙撃により、木虎隊員緊急脱出……っ! 帯島隊員の意地が、得点に繋がりました……っ!」

「驚きましたね。これは」

 

 村上は心からの感嘆と称賛を込め、頷いた。

 

「ありゃあ、見事と言うしかねーよな」

「ええ、ビッグトリオン適用者を誤認させるという弓場隊の作戦も、それを隠し通した神田隊員や外岡隊員、そして最期までチームの為に意地を見せた帯島隊員。全員、称賛されて然るべきでしょう」

 

 そう、あの作戦は、弓場隊が一丸とならなければ決して成功しなかった。

 

 まず、神田が熊谷と接敵した後、早々に逃走に成功しなければ弧月のみに拘る姿勢を不審に思われ、作戦がバレていた可能性がある。

 

 自然な流れで逃走に漕ぎ着け、その後も下手な反撃をせずに時が来るまで姿を隠し続けられたのは、紛れもなく神田の戦術眼が齎した功績だ。

 

 チームメイトの観測情報やオペレーターの支援を頼りに隠れてエスクードを展開していた外岡も、難しい仕事を見事にこなしたと言える。

 

 隠密行動に特化し、待ちを苦としない精神性を持つ忍耐力の優れた彼だからこそ、出来た役割だろう。

 

 そして勿論、帯島の戦果も忘れてはならない。

 

 あそこで木虎の回避を封じ、アイビスでの撃破に繋げられたのは間違いなく彼女の功績だ。

 

 もしも帯島がスパイダーに引っ掛かった時点で諦めていれば、あの結果には繋がらなかった。

 

 彼女が最初の一撃を凌ぐ事が出来たからこそ、木虎に足を使用した攻撃に踏み切らせる事が出来たのだ。

 

 スコーピオンは、全身の何処からでも出す事が出来る。

 

 それはどの部位からでも攻撃を繰り出す事の出来るメリットであるが、同時にその部位を相手に近付けなければならない、というリスクを抱える事を意味している。

 

 相手に近ければ近い程、スコーピオンによる攻撃は成功率が上がる。

 

 そして、スコーピオンを使用する者は基本的に機動力に優れたスピードタイプが多い。

 

 そういった者は得てして、相手の懐に飛び込んでの攻撃を得意とする。

 

 香取ほど前のめりではないものの、木虎も明確にこのタイプである。

 

 木虎は帯島の反撃を間に合わせないよう、最短最速で膝を使用して帯島の胸部を蹴り上げる形でスコーピオンを叩き込んだ。

 

 その判断自体は、間違っていない。

 

 あの場で躊躇すれば、帯島の反撃を受けていた可能性は高いからだ。

 

 しかし。

 

 帯島は、その木虎の躊躇のなさを逆手に取った。

 

 致命傷を負った後も諦めず、緊急脱出までの僅かな間、自分にトドメを刺した木虎の足を咄嗟に抱え込んだ。

 

 それが、功を奏した。

 

 これがなければ、木虎は間違いなく回避を選択していた筈であろうからだ。

 

 機動力を最大の武器とする木虎は、足を止める事を嫌う。

 

 自分が防御に向いていないのは、彼女自身自覚しているからだ。

 

 トリオンの少ない木虎が守勢に回れば、そのまま押し切られかねない。

 

 それを理解しているからこそ、木虎は足を止めない。

 

 受け止めるのではなく、動き回って被弾回数そのものを減らす。

 

 それが、木虎の戦い方。

 

 典型的な、スピードタイプの戦法である。

 

 彼女がシールドを用いて防御を行うのは、あくまで最終手段。

 

 それしか手がない時にのみ扱う、保険のようなものである。

 

 帯島は、その粘りを以て木虎の最終手段を引き出した。

 

 ある意味、彼女こそが今回のMVPと言っても差し支えないであろう。

 

「しかし、現時点でそれぞれ二人ずつ脱落し、数の上では五分(イーブン)ですが、今後の展開としてはどう見ますか?」

「そうですね。まず、それぞれの隊の優位な点に着目していきましょうか」

 

 村上はそう言って、人差し指を立てた。

 

「まず、那須隊にとって優位な点は相手チーム全員の位置が判明した事です。特に、狙撃手の外岡隊員の位置があの狙撃で割れました。これは大きい」

「外岡の隠れ上手っぷりは中々のモンだからなあ。最初の一発を確実に当てる野郎が、見つかってんのは大きいと思うぜ」

 

 まあ、仕事を終えた後だから当然だけどな、と諏訪は続ける。

 

 確かに、狙撃手の外岡の位置が割れているのはこの上ないメリットだ。

 

 外岡は、狙撃手の中でも特に隠密に優れた隊員だ。

 

 彼の隠形の技術はボーダー内でも随一のものであり、潜伏中の彼を発見するのは至難の業だ。

 

 状況判断能力や戦術眼も優れており、相手からすれば真っ先に落としておきたい隊員であると言える。

 

 この試合においては、菊地原の次に那須隊が探し当てたかった相手の筈である。

 

「ですが、懸念材料もあります。外岡隊員のトリガーセットが、現時点で判明していない事です」

「ああ、普段通りのトリガーセットなら残ってんのは一つくれーだろーが、裏をかいてライトニングやイーグレットを抜いてる、なんて事もあるかもしれねーしな」

 

 まず無ぇと思うけどよ、と諏訪は付け加えた。

 

 確かに、彼等の言う通りだ。

 

 外岡は、弓場隊のビッグトリオン適用者だ。

 

 ならば、トリガーはまず間違いなくフルセットで積んでいる。

 

 普段の外岡のトリガーセットは、メインがイーグレット・アイビス・シールド・ライトニング。

 

 サブがバッグワーム・シールドであり、今回は此処にエスクードが加わっている。

 

 このままであっても、残り一つ、最後の枠が空いているのだ。

 

 そこに、一体何のトリガーをセットしているのか。

 

 これが、今後の戦況を分ける可能性があるのだ。

 

 とは言っても、外岡のポジションは狙撃手。

 

 彼が荒船のように近接戦に通じているという話は聞かないし、射手のノウハウも無い筈だ。

 

 基本的に、狙撃手は己の役柄のみを鍛え上げ、余計なトリガーには手を出さない。

 

 そうでなければ、習熟度が足りなくなるからだ。

 

 狙撃手の面々は、総じてストイックな者が多い。

 

 チャンスが来るまでどれだけの時間であろうと待ち続け、機会を逃さず仕事を遂行する。

 

 それが狙撃手の役目である以上、ある程度のプロ意識は必須である。

 

 だからこそ、狙撃手は余計な寄り道を嫌う傾向にある。

 

 他のトリガーに手を伸ばすくらいならば、狙撃の技術を鍛えた方が効率的。

 

 これが、ボーダーの狙撃手の基本思考である。

 

 狙撃手の到達点(ハイエンド)である東春秋も、これは同じだ。

 

 彼の場合は並外れた戦術眼も複合しての評価ではあるが、そもそも上位の狙撃手は相応の戦術能力を持ち併せているものだ。

 

 狙撃手は、全体を俯瞰する視点がなければならない。

 

 戦場全体の動きを観察し、ここぞという時に引き金を引いて仕事を遂行する。

 

 だからこそ、外岡が安易に他のポジションのトリガーに手を出す事は無いだろうと推測出来る。

 

 故に、可能性が高いのはオプショントリガー。

 

 エスクードのような、味方の支援が出来るタイプのトリガーである。

 

 隠岐のようにグラスホッパーを積んでいる可能性もあるし、かつての鳩原のようにスパイダーをセットしているというパターンも考えられるだろう。

 

 候補はある程度絞られはするが、完全には特定出来ない。

 

 この未知は、外岡の有利に働く筈だ。

 

「次に、弓場隊側が有利なポイントを挙げていきましょう。まず、相手のエースの木虎が落ちた事。これは大きな優位点です」

「補助から切り込み役まで出来る前衛が、落ちちまったからな。これは嵐山隊としては痛ぇだろーぜ」

 

 木虎の脱落。

 

 これが齎す影響は、大きい。

 

 木虎は、嵐山隊の中では唯一と言って良い前衛だ。

 

 嵐山や時枝は万能手であり、スコーピオンで近接戦も対応可能だ。

 

 だが、基本は銃手としての立ち回りに近く、中距離戦が彼等の本領だ。

 

 木虎もまた万能手ではあるが、その分類は至近距離での格闘戦を得意とする近距離万能手(クロスレンジオールラウンダー)

 

 近接戦への適正が、そもそもズバ抜けて高い。

 

 相手のエース攻撃手とも、真っ向からやり合えるポテンシャルを持つ前衛。

 

 それが、木虎なのだ。

 

 その木虎が落ちた以上、嵐山隊の近接戦への適性が大きく下がる事は避けられない。

 

 嵐山隊は、木虎の加入から順位を急激に上げてA級にまで上り詰めた部隊である。

 

 つまりそれだけ、木虎が隊に齎した影響は大きいのだ。

 

 その木虎の脱落は、単純な数以上に重い意味がある。

 

「恐らくですが、那須隊側の作戦では木虎隊員が帯島隊員を仕留めた上で主戦場に戻り、三人がかりで弓場隊の二人を潰すつもりだったのでしょう。ですが、木虎隊員が落ちた以上この戦法は使えません」

「あいつがいるといないとじゃ、かなり差があっからな。こいつは痛ぇだろーぜ」

 

 現在、5階の吹き抜け付近で戦っているのは四名。

 

 嵐山・時枝、そして弓場・神田である。

 

 此処に帯島を下した上で木虎が戻れば、確かに弓場隊の二人に押し勝てる可能性はあった。

 

 だが、木虎が落ちた今となっては無意味な仮定だ。

 

 ビッグトリオンでは無い事が判明した神田だが、それは同時にアサルトライフルの使用に制限がなくなった事を意味している。

 

 これまではビッグトリオン使用者を誤認させる為に人や建物に向けて銃撃を撃てなかったが、それも此処まで。

 

 真のビッグトリオン適用者を解禁した以上、その縛りを続ける意味は無い。

 

 此処からは、万能手らしく遠近両方に対応したスタイルで来る筈だ。

 

 四人の中で最も射程が短いのは弓場であり、それをどう神田がカバーしていくかが5階の戦闘のポイントとなる筈だ。

 

 木虎がいなくても、どちらかが圧倒的に不利、というワケではない。

 

 彼女がいない事で、優位に立てるチャンスを失ったのは確かであるが。

 

(だが、この作戦は木虎の個人戦力に依存し過ぎている。外岡がまだ隠れていたのに、木虎が落ちる可能性を考えなかったとは思えない)

 

 しかし、村上は解説をしながら、心中で疑問符を浮かべていた。

 

 解説慣れしていない為何処まで自分の客観視点を話して良いか判断出来ておらず、口には出さない。

 

 だが、七海を良く知る者として、違和感があるのは確かだった。

 

 即ち、本当に木虎任せの作戦を立てていたのか、という事だ。

 

 木虎は、確かに強い。

 

 個人の戦いで彼女に勝てる者は、そこまで多くは無い筈だ。

 

 されど。

 

 彼女より強い者はそれなりにいるし、尚且つこれはチーム戦。

 

 加えて、警戒しなければならない狙撃手の位置が、あの時点ではまだ割れていなかった。

 

 だというのに、木虎が一人で帯島を倒し、無傷で戻る、という想定は。

 

 どうにも、七海らしくない。

 

 木虎の実力を信用するしない、以前の前提として。

 

 七海であるなら、ある程度作戦に()()を持たせる筈なのだ。

 

 多少失敗しても、リカバリーが利くような臨機応変さ。

 

 それが、七海の戦術傾向だ。

 

 つまり、成功しようが失敗しようが、ある程度のリターンを得られる戦術。

 

 それを用意していたと考える方が、しっくり来る。

 

(……! 成る程、そういう事か……!)

 

 そこで、気付く。

 

 MAPに映る、とある反応。

 

 それを見て、村上は那須隊の真意を知った。

 

 

 

 

「那須先輩。条件はクリアされました」

 

 小夜子は作戦室で、熊谷に見守られる中通信を送る。

 

 彼女は、そして熊谷は。

 

 不敵な笑みを、浮かべていた。

 

()()()下さい」

『了解』

 

 

 

 

 合図は、響き渡る轟音だった。

 

 爆音と共に、モールの壁が吹き飛ばされる。

 

 外壁が破壊され、暴風雨が内部へ向かって雪崩れ込む。

 

 雨風が吹き荒れ、物が飛び、視界が悪化する。

 

 だが、本当の異変は、そこからだった。

 

 モールの外から、無数の光弾が降り注ぐ。

 

 その弾丸は複雑な軌道を描き、標的に向けて殺到する。

 

 ターゲットは、外岡。

 

 木虎を仕留めたばかりの彼を、夥しい数の弾丸が狙い撃つ。

 

「……!」

 

 外岡はその光弾の雨を見て、即座にエスクードを起動。

 

 咄嗟に展開したエスクードを、弾除けのバリケードとして利用する。

 

「な……っ!?」

 

 だが。

 

 外岡は、瞠目した。

 

 降り注いだ弾丸は、あろう事か強固な硬度を持つエスクードを、突き破った。

 

 その時点で外岡はこの弾丸が変化弾(バイパー)ではなく合成弾(コブラ)であると把握したが、それにしたって威力が()()()()

 

 即座に次のエスクードを展開する外岡だが、それもまた数秒で突破される。

 

 展開。破損。展開。貫通。

 

 それを、幾度も繰り返す。

 

 毒蛇の牙が、止まらない。

 

「く……!」

 

 最早エスクードでの防御は限界だと判断した外岡は、不意に背後を振り向いた。

 

 そして次の瞬間、外岡の姿が掻き消える。

 

 一瞬後に、彼の姿は通路の反対側へ出現していた。

 

 転移トリガー、テレポーター。

 

 彼がこの試合に臨むにあたってセットしていた隠し玉を、早々に使わされての退避だった。

 

 彼が先ほどまでいた場所は、無残に破壊し尽くされている。

 

 あのままあそこに留まっていれば、彼の身体は吹き飛んでいた事だろう。

 

「……!」

 

 そこで、気付いた。

 

 破壊された、外壁の淵。

 

 そこに、一人の少女が立っていた。

 

 浮世離れした美貌を雨風に晒し、濡れる髪をたなびかせてこちらを見据える少女の名は、那須玲。

 

 那須隊の隊長にして、高い技術を持った変化弾(バイパー)の繰り手。

 

 彼女はその周囲に普段のそれより明らかに大きなトリオンキューブを浮遊させ、闘志に満ちた視線で戦場を睥睨していた。



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弓場隊・風間隊⑪

 

『那須先輩。テレポーターで逃げられました。外岡さんは無傷です』

「そう。分かった」

 

 那須は小夜子の通信に短くそう返答すると、眼下のモールを睥睨する。

 

 視界の先には、吹き抜け付近で対峙する嵐山隊と弓場隊の姿。

 

 そして、上階には七海と風間隊が。

 

 奥の通路には、テレポーターで間一髪逃げ切った外岡の姿がちらりと見える。

 

 それら全てを見据え、那須は澄んだ声で言の葉を紡ぐ。

 

「じゃあ、彼は私が倒す。それが済んだら、他の相手も」

 

 だから、と那須は告げる。

 

「玲一も、そっちで点を取って。こっちは、任せて良いから」

『ああ、頼んだ。玲』

 

 短いやり取り。

 

 だが、それで充分。

 

 那須は闘気を漲らせ、自身の標的をその目に捉えた。

 

「始めましょうか」

 

 一言、宣戦布告を告げ。

 

 美貌の狩人は、無数の光弾を従え跳躍した。

 

 

 

 

「ここで那須隊長が戦線に投入……っ! 初手の変化貫通弾(コブラ)で、開戦の狼煙を上げた……っ!」

 

 羽矢の実況に、会場がどよめいた。

 

 那須の戦線投入。

 

 それ自体は、予測されていた事だ。

 

 那須隊は、戦況を見極めて戦力を逐次投入する事で戦局を変えるやり方を基本戦術としている。

 

 故に、これまで音沙汰がなかった那須の参戦そのものは、予定調和でしかない。

 

 しかし。

 

 那須が見せた、弾丸の威力。

 

 これは、どうあっても見過ごせなかった。

 

 那須の使用した合成弾、コブラ。

 

 バイパーとアステロイドを合成したその弾丸は、シールド突破力を付加した変化弾、と説明するのが手っ取り早い。

 

 その威力は高く、広げたシールド程度は容易く食い破る。

 

 だが、エスクードを容易に破壊出来る威力かと言われれば疑問が残る。

 

 確かに、不可能ではないだろう。

 

 エスクードは頑強ではあるが、決して突破出来ない無敵の壁というワケではない。

 

 耐久力を超える負荷をかければ、破壊自体は可能だ。

 

 しかし、先ほどのコブラはあまりにも容易くエスクードを破壊していた。

 

 かなりの硬度を持つエスクードを、まるで紙屑のように貫いていた。

 

 これは、どう考えてもおかしい。

 

「こりゃあ、そういう事か?」

「間違いないでしょう。それ以外には有り得ない」

 

 しかし、何事にも例外がある。

 

 傍から見ればおかしい、那須の弾丸の威力。

 

 それを説明出来る理由が、()()()()()()()()ならば存在する。

 

 ビッグトリオンルール。

 

 特別ルール、内約の三つ目。

 

 ────────③試合中一度のみ、この方法で選んだ隊員が同じ部隊の隊員の半径5メートル以内で緊急脱出した場合、その隊員のトリオン量を評価値14相当に設定する────────

 

 ビッグトリオン適用者が緊急脱出した場合。

 

 一度のみ、その権利を味方に()()()()事が出来るルール。

 

 その条件は、ビッグトリオン適用者が脱落した()に半径5メートル以内にいる事。

 

 つまり────。

 

()()んだな? 熊谷が落ちた時、近くに那須が」

「そうとしか考えられません。近くにバッグワームで隠れていたのか、外壁の傍にいたのかは不明ですが、熊谷隊員が落ちた時に近くにいて、ビッグトリオンの権利を受け取ったのでしょう」

 

 あの時、いたのだ。

 

 熊谷がテレポーターで転移し、歌川を落としたと同時に緊急脱出した際。

 

 近くに、那須は潜んでいたのだ。

 

 あの時、熊谷が落ちた場所は外壁のすぐ傍。

 

 加えて言えば、七海や熊谷のメテオラで瓦礫はたくさん転がっており、身を隠す場所は幾らでもあった。

 

 その時内側にいたか外側にいたかは分からないが、どうあれそういう事であれば那須の弾丸の威力の説明もつく。

 

 射手トリガーは、使用者のトリオンを射程・弾速・威力に振り分ける形でチューニングを行い、射出する。

 

 そして、当然の理屈として絶対量が多ければ多いほど威力や射程に割くトリオンは増える。

 

 つまり、トリオンが増えたのならば、弾丸の威力が上がるのはむしろ当然。

 

 その最たる例が、二宮だ。

 

 二宮は、ボーダー内でもトップクラスのトリオンを持つ。

 

 故にその弾丸は射程・弾速・威力、その全てが高水準である。

 

 今、那須はその二宮クラスのトリオンを所持している。

 

 彼に匹敵する威力の弾丸を撃てたとしても、なんらおかしくはない。

 

「ようやく、熊谷隊員の動きが腑に落ちました。ビッグトリオン適用者は、いわば切り札。早々に切るのも手ではありますが、弓場隊がやったようにここぞという時の決め手として開帳した方が効果は高い」

「確かに、これまでの那須隊の戦術を見りゃあそっちの方が()()()よな? 初手ぶっぱは、どうにもあいつ等らしくねえ」

「ええ、俺もそこは疑問に思っていました。抱え落ちを恐れるような人達じゃありませんし、序盤でいきなり手札を切るのは意外だなと」

 

 村上の言う通り、那須隊は派手な陽動を最初から仕掛ける事こそあるが、ここぞという切り札の切り時は慎重に見極めていた。

 

 しかし、ビッグトリオン適用者という強力な手札(カード)を、この試合では最初に切ってきた。

 

 前例の無い特別ルールだからこそ、それに応じた戦術を取った。

 

 そういう解釈も出来る。

 

 実際、村上はそう考えていた。

 

「ですが、本当の狙いはこれだったんです。序盤の攪乱役として熊谷隊員が敢えて目立つように戦い、密かに那須隊長にビッグトリオンを引き継ぐ。本当の切り札として、彼女を運用する為に」

 

 だが、それは違った。

 

 最初から、熊谷は試合で落とされる事を前提に出て来ていたのだ。

 

 後先を考えない、初手の過ちではない。

 

 戦術の想定、そのものが違ったのだ。

 

「弓場隊とは逆の発想です。弓場隊はビッグトリオン適用者を誤認させて決め手を狙いましたが、那須隊はビッグトリオン適用者を表に出した上で、その恩恵を最大限に利用した。本当の切り札を、この局面で出す為に」

 

 弓場隊は、エスクードの大量展開という手段でビッグトリオン使用者を誤認させ、決定打となる一撃を狙った。

 

 那須隊はビッグトリオン使用者という大戦力を最初から表に出す事で序盤の流れを掴み、後にそれを那須に継承する事を狙った。

 

 この局面。

 

 互いに相応に消耗した状態で、万全の那須を戦場へ投入する為に。

 

「ビッグトリオン適用者が継承された場合、その継承者が落とされた時点で試合は終了。相手チームには追加点が入ります。だからこそ、ビッグトリオン継承者は万が一にも迂闊に落ちる事があってはなりません」

「だから、外岡の位置が分かるまでは隠れてたんだな」

「ええ、ビッグトリオンを継承した相手を狙撃手が狙わない理由はありませんから」

 

 ビッグトリオンルールには、もう一つのルールがある。

 

 即ち、ビッグトリオンを継承した隊員が落とされた場合、相手チームに追加点が加わり、その時点で試合が強制終了されるというルールが。

 

 つまり、ビッグトリオンを継承した那須が落とされれば、その時点で試合は終了。

 

 他がどれほど優勢であろうと、試合が終わってしまえば意味がない。

 

 故に、ビッグトリオン継承者は慎重な立ち回りが求められる。

 

 ビッグトリオンという強大な力を手にする事は出来るが、その代償として落とされた場合のリスクを背負う。

 

 まさに、諸刃の剣なのである。

 

 そして、そんな相手であれば、不意打ちこそが真骨頂である狙撃手が狙わない理由は無い。

 

 特に、外岡は隠密に特化した狙撃手だ。

 

 一度姿を現す────────即ち、狙撃を敢行するまでに位置を補足する事は難しい。

 

 そして、彼が本当のビッグトリオン適用者であった事実から、彼が姿を見せる前に那須が出ていれば、仕留められていた確率は低くない。

 

 トリオン14のアイビスという手札は、それだけ強力なのだから。

 

「けど、外岡が出た以上憂いがなくなったってんで出て来たってワケか。相変わらずえぐい手使うなぁ、那須隊はよお」

「まあ、本当ならあそこで外岡隊員を落としておきたいところだったのでしょうが、テレポーターで逃げ切ったのは流石でしたね」

「逆に言やあ、奥の手を早々に切らされた、って事でもあるけどな」

 

 そう、外岡の最後のトリガーセットであろう、テレポーター。

 

 あれは、この試合で裏をかく為に用意した切り札であった筈だ。

 

 しかし、その手札を那須の変化貫通弾(コブラ)から逃げ切る為に使ってしまった。

 

 そうしなければ、あの弾幕から無傷で逃げ切る事は不可能であっただろう。

 

 だが、テレポーターという隠し札を見せてしまった事実は覆らない。

 

 テレポーターの扱いに関しては、茜を擁する那須隊に一日の長がある。

 

 その運用や、弱点。

 

 対処方法等も、既に頭に入っている筈だ。

 

 テレポーターは確かに便利ではあるが、制約も多いトリガーだ。

 

 初見殺しとしての性質は凶悪なものの、種が割れてしまえば幾らでも対策のしようはある。

 

 加えて、幾らトリオンが増えても外岡は狙撃手。

 

 隠れての狙撃がその役割であり、正面きっての戦いには向いていない────────どころか、まず出来ない。

 

 近付かれても平然と生還する、なんて所業は特級の例外(東春秋)を除いて早々に出来る事ではない。

 

 ライトニング以外の狙撃銃には一度撃った後再装填(インターバル)が必要な以上、中距離戦で射手に勝てる芽はほぼ無い。

 

 それを補う為の手札がエスクードであり、テレポーターだったのだろうが、既に初見殺しの利は失われた。

 

 この情報アドバンテージの損失は、決して軽くはない。

 

 那須の初撃の最大の戦果は、この情報取得にあるだろう。

 

「こうなった以上、弓場隊側は外岡隊員のフォローに動かざるを得ないでしょう。そこをどう対処するかで、今後の展開が変わって来るでしょうね」

 

 

 

 

「ちっ……!」

 

 弓場は那須の姿を見据え、即座に彼女を狙う動きを見せた。

 

 那須はこちらを一瞥したのみで跳躍し、真っ直ぐ外岡のいる方角へ向かっている。

 

 このまま彼女を放置すれば、遠からず外岡は落とされるだろう。

 

 エスクードでの妨害にも限度があるし、テレポーターという切り札は既に見せてしまった。

 

 この状態で狙撃手を見逃す程、那須玲という射手は甘くはない。

 

 一度引き離されれば、機動力に長けた那須を追う事は非常に困難だ。

 

 故に、此処で追うしかない。

 

「……!」

 

 だが。

 

 その程度、嵐山隊(かれら)も理解している。

 

 嵐山と時枝は、同時にアサルトライフルで銃撃。

 

 二方向から同時に銃撃を向けられ、弓場はグラスホッパーを展開。

 

 ジャンプ台トリガーを踏み込み、同時に嵐山達二人にバイパーを見舞う。

 

 二人は共にシールドを広げ、バイパーを防御する。

 

 弓場はその隙に二人の射線から逃れ、那須の方へと駆け出した。

 

「────」

「……!」

 

 だが。

 

 そんな弓場の側面に、いきなり時枝が現れた。

 

 今の距離を、一瞬で駆け抜ける事は不可能。

 

 ならば、答えは一つ。

 

 テレポーター。

 

 先ほど外岡も使用したそれを用いて、時枝は弓場の近くに転移していた。

 

 放たれる、銃撃。

 

 回避は、間に合わない。

 

 弓場は迫るアステロイドに対し、シールドを展開。

 

 全てを防ぎ切る事は出来ないかもしれないが、回避の時間を間に合わせるには充分。

 

 故に、弓場はグラスホッパーを展開し────。

 

「弓場さん……っ!」

「……!」

 

 神田の叫びでそれを中断し、それと同時に弓場の背後にエスクードが出現。

 

 ()()からの嵐山の銃撃は、エスクードによって防がれた。

 

 嵐山もまた、先ほどの位置から移動していた。

 

 その移動距離から考えて、間違いなくテレポーターを使用している。

 

 もしもあのまま弓場がグラスホッパーで上に跳んでいれば、エスクードでの防御が出来ず、撃たれていただろう。

 

 エスクードは確かに強固な防御手段と成り得るが、展開には相応の面積を持った足場が必要になる。

 

 つまり、空中に出ればエスクードによる守りは期待出来ない。

 

 単なるシールドの上位互換、というワケではないのだ。

 

 それぞれに優位な点と不利な点があり、扱い方にも差異がある。

 

 その事を理解していた神田はいち早く嵐山に気付き、弓場の跳躍を防いだ。

 

 あのままであれば弓場が落とされていた可能性もあったのだから、お手柄と言えよう。

 

「…………逃がしちまったな」

 

 しかし、その代償として那須は既に弓場や神田の射程外へと逃れていた。

 

 幸い、モール自体がそこまで広くない為絶対に追いつけないというワケではない。

 

 だが、嵐山達の妨害がある中で、外岡が落とされる前に那須に追いつけるか。

 

 その点に関しては、分からないとしか言いようがない。

 

 外岡がどの程度、那須相手に粘れるか。

 

 そこが、分かれ目になるであろう。

 

 もし、那須が外岡の撃破に成功した場合。

 

 トリオン14の射手が、機動力を持った二宮と言える相手の脅威が、こちらに向く。

 

 狙撃手を片付ければ、合成弾を解禁して来るであろう事は想像に難くない。

 

 何せ、弓場隊側の位置は全てバレているのだ。

 

 射程外で合成弾を生成し、撃ち込む事など那須にとっては朝飯前だ。

 

 流石に、そうなれば完全に詰みだ。

 

 風間隊が生き残っていても、弓場隊が全滅すればルール上その時点で試合は終了。

 

 こちらの負けとなる。

 

 故に、一刻も早く外岡のカバーに向かい、共同で那須の相手をする必要がある。

 

 幸い、七海は最上階で風間達と戦闘中であり、こちらに来る事は無い筈だ。

 

 あの風間と菊地原のコンビ相手に、戦闘を離脱する隙があるとは思えない。

 

 無論、懸念事項は二つほど残っているが、こうなった以上はやるしかない。

 

 ビッグトリオンの継承という手札を切られた以上、分が悪いのは事実。

 

 されど、諦める理由にはならない。

 

 不利は承知。

 

 困難は当然。

 

 けれど、膝を折るには早過ぎる。

 

 まだ、自分たちは負けてはいない。

 

 分が悪い、程度で諦めていては、上を目指す事など出来はしないのだから。

 

「気張んぞ、神田ァ!」

「はい……っ!」

 

 二人は共に銃を構え、嵐山隊と対峙する。

 

 文字通り嵐が吹き荒れた戦場は、佳境へ至ろうとしていた。



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弓場隊・風間隊⑫

 

「成る程」

 

 風間は菊地原と共に七海と対峙しながら、ちらりと5階を一瞥した。

 

 二人は油断なく構えており、隙は一切見当たらない。

 

 故に、七海も迂闊な踏み込みは出来ないでいた。

 

「外岡の狙撃を待ち、ビッグトリオンになった那須を戦線に投入。一気にカタをつける。これがお前たちの作戦か」

「…………」

 

 七海は風間の問いに、否定も肯定もせず押し黙る。

 

 戦闘中の会話は好む者と好まない者がおり、その理由は様々だ。

 

 よくある漫画の戦闘シーン等では喋りながら戦う姿を良く見かけるが、ことボーダーの者達に限れば基本的にその理由は実利一辺倒だ。

 

 会話を好む者はそれを糸口として相手の心理状態や戦術を見抜き、判断材料に加える為という者が多い。

 

 あとは単純に時間稼ぎがしたい場合、といったケースもある。

 

 ただ話したいから話す、といった者はむしろ稀だ。

 

 戦闘狂(バトルジャンキー)の太刀川や米屋等も、口で語るくらいなら剣で語るクチだ。

 

 むしろ、戦闘にのめり込む者ほど戦闘中は余計な会話(コト)はしないのだ。

 

 口を動かす暇があるなら、手を動かして斬りかかる。

 

 それが、ボーダーの擁する戦闘狂達の理屈(じょうしき)である。

 

 風間の場合は、むしろ理由が一定でない場合が多い。

 

 相手の心理状態や作戦を見抜く為に話しかける事もあれば、時間稼ぎの為に会話をする場合もある。

 

 そしてごく稀に、単純な興味から話しかけるといったケースも存在する。

 

 ずっと喋り続けているならともかく、一言二言程度であればそういった理由で話しかける者はそれなりにいる。

 

 無論それは一呼吸置く為(インターバル)を兼ねている場合が殆どだが、それでも皆無ではない。

 

 風間はむしろ、どんな理由でも会話を試みるからこそ、真意の特定がやり難い。

 

 七海のサイドエフェクトは、あくまで被弾範囲を識れるだけ。

 

 影浦のように、相手の感情を推し量る事は出来ない。

 

 故にこそ、迂闊な返答は躊躇われた。

 

 風間であれば、たった一言からこちらの思惑を見抜いてもなんらおかしくはないのだから。

 

「無言は肯定と同義だぞ、七海。王子あたりにも言われなかったか」

「……!」

 

 広がる、一瞬の動揺。

 

 そこを見逃さず、風間は一息に距離を詰めて斬り込んできた。

 

 七海は間一髪、それをスコーピオンで防御。

 

 そして、側面に迫る菊地原をもう一方のスコーピオンで凌ぎ、バックステップでその場から跳び退いた。

 

「お前が口下手なのは承知しているが、口頭での駆け引きそのものを放棄すれば思わぬ隙を生む可能性がある。自覚があるのなら、むしろ会話を打ち切って斬りかかるべきだったな」

「…………ええ、すみません。不甲斐ないところを見せました」

「構わん。お前の唯一と言って良い弱点だ。これに関しては、そういった系統の指導を疎かにした俺達にも非がある」

 

 他にも鍛えるべきところは山ほどあったからな、と風間は軽く笑いながら告げる。

 

 無論、此処で笑い返そうものなら返礼を刃で叩き返されるのは想像に難くない。

 

 幾ら弟子のような相手とはいえ、目の前で出来た隙を見逃すほど風間は甘くはないからだ。

 

「今のお前の目的は分かっている。俺達二人を相手にした時間稼ぎ、だろう? 時間さえ稼げれば、後は那須が全てに始末をつける。そういう算段で動いているであろう事は予測済みだ」

「今の彼女、おっかないからね。あの機動力に二宮さん並みのトリオンが加わったとか、控えめに言っても悪夢だし」

 

 菊地原の追随に、七海は那須の評価を誇りたい気持ちになんとか蓋をしながら、油断なく二人と対峙する。

 

 風間達の言う通り、今の那須の脅威度は普段の比ではない。

 

 ただでさえ那須は、機動力に優れた天才的射手という、得難い個性を持っていたのだ。

 

 それにトリオン量の暴力まで加われば、どうなるかは想像に難くない。

 

 その結果が、下の階層で起きている()()()だ。

 

 風間は下層の惨状を見据え、険しい顔で七海に向き直る。

 

「あまり、時間をかけてはいられないようだ。本気で、潰しに行くぞ」

 

 

 

 

「逃がさない」

 

 那須はモールの中を駆けながら、変化弾(バイパー)を射出。

 

 逃げる外岡に対し、包囲射撃を仕掛ける。

 

「く……!」

 

 外岡は即座にエスクードを展開し、壁を作ると共に再び疾駆。

 

 少しでも距離を離そうと、モール内を駆ける。

 

「無駄」

 

 しかし、展開したエスクードはそう長くは保たなかった。

 

 先ほどと違い、那須の繰る弾は合成弾ではなく通常のバイパー。

 

 初手の時のように紙屑のようにエスクードが破壊される、といった事はないものの、弾丸の一点集中でさほど時を経ずに突破される事に変わりはない。

 

 だが、それでも数瞬の時間が稼げている事は事実。

 

 その隙に外岡はひたすらに走り、那須との距離を稼ぎ、あわよくば雲隠れせんと狙う。

 

「────メテオラ」

「……!」

 

 だが、そんな目論見は那須とて承知の上。

 

 那須はその場で壁を蹴って跳躍すると、外岡の進行方向にメテオラを射出。

 

 轟音と共に着弾した爆撃が、外岡の進路を物理的に破壊した。

 

「く……っ!」

 

 仕方なく、外岡は当初の予定とは別の進路を進む。

 

 今向かおうとした進路とは違い、吹き抜けに近い────────即ちある程度開けている通路ではあるが、此処で立ち止まればそれこそその時点で終わってしまう。

 

 外岡は、今の那須と同じビッグトリオン適用者。

 

 しかし、狙撃手が射手と同じ距離での撃ち合いなど出来るワケがない。

 

 狙撃手の役割は隠れ潜み、影から味方を援護し、チームを勝利に導く事。

 

 間違っても、怪物的な技量の射手と正面から渡り合う事ではない。

 

 これが、普段の那須であればまだ芽はあった。

 

 那須は技術こそ天才的だが、トリオン量は特筆するほど高くはない。

 

 射手としては充分やれる数値ではあるが、驚異的、という程ではなかった。

 

 しかし今の那須には、二宮並みのトリオンが備わっている。

 

 それはつまり、技量だけでこれまでの戦闘を乗り切って来た少女に、力押しという手段が加わった事を意味する。

 

 力に任せたごり押しは、単純だからこそ強力だ。

 

 シンプルイズベストという言葉があるように、単純だからこそ生半可な抵抗では凌げない怖さがある。

 

 事実、その極地である二宮は、ハウンドとアステロイドという二つの手札を使うだけで、1対1で戦う相手はほぼ鏖殺してしまえる。

 

 単純という事は、それだけ付け入る隙が少なく、同等の力を以て立ち向かう他に有効な手がないという事でもある。

 

 加えて言えば、二宮も那須も、射手として相当な技量を誇る。

 

 力押ししか出来ないのではなく、敢えて力押しを選ぶ。

 

 この違いは、大きい。

 

 ごり押しも搦め手も同じように習熟しているのであれば、これはこの上ない脅威となる。

 

 何せ、力押しだけしか出来ない相手とは違い、策を弄して相手を潰す、という択が取れるという事は、単純に力で対抗するだけでは勝てない、という事を意味している。

 

 格上だろうが格下だろうが、脳筋だろうが堅実だろうが、常に勝てる可能性を0に出来ない存在。

 

 これが脅威でなくて、なんだと言うのか。

 

 力押しだけが能ならば、格上相手に勝つ芽は無い。

 

 しかし、それだけではなく搦め手も扱えるとなれば、格上と対峙した場合にも勝つ可能性が生まれて来る。

 

 那須は元々、格上殺し(ジャイアントキリング)を可能とするだけのポテンシャルがあった。

 

 機動力を駆使した彼女の立ち回りは、見た目は派手だが射手の基本戦術に即している。

 

 味方の援護を行いながら、隙あらば自分でも得点を狙う。

 

 本来得点をし難い射手というポジションでありながら、隊のエースを担って来た経験は伊達ではない。

 

 その彼女が、トリオン量の暴力というこの上ない武器を得たのだ。

 

 幾らトリオンが増えたからといって、狙撃手の外岡が単独で相手に出来る存在ではない。

 

 むしろ、瞬殺されないだけ良くやれていると言える。

 

(東さんじゃねーんだから、このまま逃げ切りとか無理だよな。さて、どうすっかね)

 

 このまま逃げていても、いずれは補足されるのは自明の理。

 

 切り札としていたテレポーターも、早々に見せてしまった。

 

 今の那須の射程ならば、テレポーターの転移先に弾を()()ことなど朝飯前だろう。

 

 トリオン14という圧倒的な力を得た那須の射撃トリガーは、威力・射程・弾速、そのいずれもが普段と比較にならない。

 

 高いトリオンを持つという事は、それだけ各々に振れる数値が大きいという事でもある。

 

 多少距離を稼いだ程度では、逃げ切る事など出来ないであろう。

 

 外に出る、という選択肢もあるが、このMAPはモールの外が開けており、格好の狙撃の的になり易い地形だ。

 

 つまり、外に出れば文字通り逃げ場がなくなる。

 

 那須の機動力を以てすれば、一瞬で補足されて終わりだろう。

 

 テレポーターを見せる前であればどうにかなったかもしれないが、既に初見殺しの利は失われた。

 

 故に、外岡にはモール内で戦う以外の選択肢は残されていない。

 

 場所的に狭く、瓦礫や障害物が多いモール内の方が、まだどうにかなる可能性がある。

 

 もっとも、それは外よりはマシ、という程度でしかないのだが。

 

(このまま俺が落とされたら、那須さんはきっと弓場さん達のトコに向かうよな。風間さん達の方に行くかもしれないけど、上には佐鳥がいるしなあ)

 

 外岡が落とされた場合、那須隊はビッグトリオン適用者を落とした報酬として追加点が加算される。

 

 現在の得点は、弓場隊が熊谷・木虎を落とした事で4Pt。

 

 那須隊は、歌川、帯島を落とした事で3Pt。

 

 ここで外岡を落とせば、合計5Ptとなる。

 

 此処から狙える那須隊としての理想的な流れは、七海が風間・菊地原の両名を倒し、B級隊員がA級隊員を倒した事でのボーナスを含めた四得点を獲得。

 

 更に弓場隊を全滅させれば、外岡のボーナスを含め8得点。

 

 生存店を含めれば、10得点が得られる。

 

 無論、これはあくまで理想的な流れだ。

 

 風間隊を七海ではなく嵐山隊の誰かが落とせばA級撃破ボーナスを得られない為得点は下がるし、弓場隊を先に全滅させれば自動的に試合終了となり、それ以上の得点は得られない。

 

 しかしどちらにせよ言える事は、那須を野放しにすれば戦況が一変する、という事だ。

 

 今の那須の相手は外岡は勿論、弓場や神田にも厳しい。

 

 何せ、射程は圧倒的に那須が上なのだ。

 

 しかも機動力でも勝っており、距離を取られて延々と弾幕を貼り続けられれば一方的な展開に成り兼ねない。

 

 そうしないのは、偏に外岡がいるからだ。

 

 今の外岡はビッグトリオン適用者であり、狙撃銃の性能そのものが格段に上がっている。

 

 アイビスの威力は先ほど見せた通りであるし、イーグレットの射程も大幅に伸びている。

 

 ライトニングに関しても、文字通り閃光並みの速射が可能となっている。

 

 もしも雲隠れを許せば、那須を打ち倒す切り札(ジョーカー)に成り兼ねない。

 

 そもそも、狙撃手は影に潜んでのゲリラ戦こそが真骨頂。

 

 位置を補足されているが故に防戦一方の撤退戦の様相を呈しているが、こんなものはそもそも狙撃手の戦い方ではない。

 

 東ではないのだ。

 

 距離を詰められてからの逆転勝ちなど、そう簡単に出来るワケがない。

 

 しかし、逆に言えば位置が割れていない状態となれば、有利不利は裏返る。

 

 一度姿を晦ましさえすれば、優位は狙撃手の方にあるのだ。

 

 故に、那須は外岡の存在を無視出来ない。

 

 弓場や神田を放置してまで、即断で外岡を潰す選択をしたのはその為だ。

 

 万が一にでも見逃す事が出来ない相手。

 

 それが、今の外岡なのだから。

 

(那須さんは、俺を放置出来ない。だから俺が逃げ回っている間は弓場さん達は安全だけれど、それでも俺が落ちたらそっちに向かう。これは時間の問題でしかない)

 

 わざわざ口に出していたしな、と外岡は想起する。

 

 先ほど、那須はわざわざこちらに聞こえるように「外岡を落としたら他の相手も落としに行く」と告げた。

 

 これは、外岡に対する牽制だ。

 

 お前が姿を晦ませば、他の隊員を狙う。

 

 そういう意味を含めた、脅しである。

 

 無論、那須の最優先事項が外岡を潰す事である事などこちらも承知している。

 

 しかし、その上で外岡は下手に姿を隠す事が出来ない。

 

 何せ、今の那須にはトリオン量の暴威がある。

 

 もしも外岡が姿を晦ませば、無差別爆撃を敢行してもおかしくはない。

 

 そしてそれは当然、弓場や神田も爆撃の脅威に晒されるという事でもある。

 

 無論それは外岡の側からしても那須を仕留めるチャンスではあるのだが、爆撃に巻き込まれて落ちない保証は何処にもない。

 

 だからこそ、那須の脅しは真実味を持ってしまうのだ。

 

 意図が分かっていながら、乗るしかない。

 

 これは、そういう類の脅迫なのだから。

 

(けど、いつまでも逃げ続けられるワケがない。このままじゃ、俺は落ちる。これは確定事項だ)

 

 外岡は、ただの事実としてそれを受け入れる。

 

 狙撃手は、初撃を撃つまでが仕事。

 

 初撃を撃ち、役目を果たした後は、多くの場合そのまま落とされる。

 

 無論条件によっては再び雲隠れする事も可能だが、今回はそれが最悪に過ぎた。

 

 市街地Dは、狙撃手にとって天敵のようなMAPである。

 

 外の通路は狙撃の射線が通り易く、それ故に誰も外での戦いを選ばない。

 

 そして、モール内の戦いとなれば基本的に狙撃手は逃げ場がない。

 

 相手との取れる距離に限度があるのだから、当然逃げる事は難しい。

 

 隠れる場所が多いという利点はあるが、それでも一度見つかった狙撃手が簡単に逃げ切れる地形ではない。

 

 まず間違いなく、このままであれば時を置かず外岡は落とされるだろう。

 

 今の那須は、それだけの力があるのだから。

 

(…………一応、手が無い事は無い。けど、それは────)

 

 万策尽きた、というワケではない。

 

 一応、今の状況からでも取れる手自体はある。

 

 だがそれは、リスクを孕んだ────────否、自ら嵐を呼び込むような文字通りの大博打だ。

 

 下手をすれば、一気に状況が悪化する事も有り得る。

 

 果たして、この局面でその選択を取って良いものか。

 

 外岡は、葛藤した。

 

 自分の選択一つで、チームの今後が左右される。

 

 重い、重い決断だ。

 

(…………けど、此処で躊躇ってるようじゃ神田さんを笑って送り出せねーよな。帯島があれだけ意地を見せたんだ。俺も、覚悟を決めますかね)

 

 外岡は顔を上げ、自らの隊長へと通信を繋いだ。

 

「弓場さん」

『おう』

「作戦が────────いえ、提案があります。聞いて貰えますか?」

 

 逡巡は、一瞬。

 

 弓場の答えは、決まっていた。

 

『当たり前だ。話せ』

「了解」

 

 そして、外岡は弓場に己の選択を告げた。

 

 答えは、言うまでもなかった。



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弓場隊・風間隊⑬

 

「こりゃまた、面白い事になってるねえ」

 

 観覧席に付くなり、犬飼は試合映像を見ておどけたような────────それでいて全く隙のない笑みを浮かべた。

 

 一度は部隊として、負けた相手。

 

 王座を譲り渡した、その張本人なのだ。

 

 今後ぶつかる可能性があるかは分からないが、それでも情報収集は怠らない。

 

 それが、犬飼という男である。

 

 今も、自分たちの試合が終わったその足でこの会場にやって来たのだ。

 

 偏に、那須隊の戦いを直に見る為に。

 

「那須さんに二宮さん並みのトリオンが加わったら、そりゃ強いわ。技術も凄いしね」

「だろうな。分かり切っていた事だ」

 

 そして、この場に来たのは犬飼だけではない。

 

 二宮もまた、辻共々この場に足を向けていた。

 

 彼もまた、気になるのだろう。

 

 那須隊の、行く末が。

 

 犬飼のそれは打算が多々含まれているが、二宮の場合は本当に興味の割合が強い。

 

 理屈で動くように見えて、感情最優先で動くのが二宮だ。

 

 だからこそ、前回の試合では慣れない解説などを引き受けたのだろう。

 

 那須隊が、七海が気になっているから。

 

 興味の対象から目を逸らす事が出来る程、器用ではないのだ。

 

「那須隊は勝ちを考えるなら、那須にビッグトリオンの権利を使わせるのが順当だ。だから、結果だけを見れば当たり前のそれに過ぎない」

「熊谷さんを捨て駒前提で使い潰してラストに那須さんに持ってくる、ってのも良いですね。これなら、万全のエースが何の憂いもなく暴れられる。合理的だね」

「トリオンが増えてもトリオン体の耐久力は変わらないし、万が一は常にあるからね。それを考えれば良く出来た戦術だ」

 

 言い方は様々だが、二宮隊の三人は口々に那須隊を称賛する。

 

 今回の那須隊の作戦は、あのROUND3までの彼女たちでは決して取れなかった戦術だ。

 

 味方の犠牲を許容出来ない。

 

 あの時の那須隊には、そんな弱さがあった。

 

 しかし、既にそれは克服し、自分たちを下すまでの成長を見せた。

 

 強くなっている事は分かっていたが、此処までとは。

 

 犬飼は特に、その想いを強くした。

 

「こうなると、弓場隊はキツイかな~。外岡くんが落とされれば、そのままなし崩しになりかねない」

「そうですね。狙撃手の脅威がなくなれば、那須さんも自由に動けるでしょうし。そうなると詰み、ですかね」

 

 彼等の言う通り、弓場隊の戦況は悪い。

 

 外岡は那須相手に命からがら逃げている状態だし、弓場と神田の二人も嵐山隊の二人にマークされて抜け出す事が出来ない。

 

 風間隊は、七海と戦っている真っ最中。

 

 下層への援軍は、期待出来ない。

 

 このままの状態が続くのであれば、外岡の撃墜を以てチェックがかかる。

 

 これは、そういう状況だった。

 

「このままであれば、そうだろうな」

「あれ? 二宮さん。その言い方だと、二宮さんはこれで終わらないと思ってる感じですか?」

 

 犬飼は二宮の言葉の微妙なニュアンスに気付き、問いを発する。

 

 それをいつも通り聞き流しながら、二宮は自身の意見を告げる。

 

「お前等、弓場隊を舐め過ぎだ。逃げてどうにもならないなら、もう答えは一つだろが」

 

 

 

 

「…………」

 

 5階の吹き抜け付近の戦闘は、膠着状態に陥っていた。

 

 銃撃と回避を繰り返し、互いに牽制しながら撃ち合いを続ける。

 

 そんな戦闘が、先ほどから継続されていた。

 

 戦闘が長引いているのは、偏に嵐山隊の二人のスタンスの影響である。

 

 嵐山も時枝も、深く踏み込もうとはして来ない。

 

 弓場の射程を理解している彼等は、決してリボルバーの射程には入らない。

 

 戦いの中の位置取りが、巧みなのだ。

 

 弓場の弾は届かず、自分たちの弾は届く。

 

 その距離を常に保ち、つかず離れず応戦する。

 

 そして何より、決して無理をしない。

 

 堅実な手を選び取り、とにかくリスクを排除する戦い方。

 

 完全に、時間稼ぎの構えだった。

 

 だが、二人の方針はこの上なく合理的である。

 

 このまま時間を稼ぎ、外岡を倒して那須が戻ってくればその時点でほぼ勝ちなのだ。

 

 此処で無理をする理由が、嵐山達には存在しない。

 

 嵐山も時枝も、万能手ではあるがその適正はどちらかというとサポーター寄りだ。

 

 それは当然個人の戦闘力が低い事を意味しないが、木虎のように相手に突っ込むよりも後方から味方を援護する立ち回りの方が性に合っている。

 

 こればかりは、適性の問題だ。

 

 木虎や香取のように点取り屋のエースとして最適な攻撃特化型もいるし、嵐山や時枝のようにサポーターとして縁の下の力持ちをする方がやり易い、という者もいる。

 

 そして弓場は当然前者であるが、神田は後者。

 

 この場で最も得点能力が高いのは、弓場だ。

 

 故に必然、神田の仕事は如何に弓場というエースを運用するか、という点にかかってくる。

 

 更にサポーター型である以上、積極的に攻撃に出る事は慣れていない。

 

 この場で突破力が高いのは当然弓場であるが、流石にA級二人の厚みを前に出来る事は限られている。

 

 結果として、嵐山隊は弓場と神田の足止めに成功し、此処から無理に戦況を変えるつもりがない。

 

 であるからこその、膠着状態。

 

 分かっていてもどうしようもない、一種の陥穽である。

 

『相変わらず、攻めて来る気配がないですね。案の定、時間稼ぎに徹する腹積もりのようです』

『だろうなァ。ったく、つまんねぇ手を打ちやがって────────たぁ、言えねぇな』

『そうですね。そうするだけの価値がありますから、むしろ当然でしょう』

 

 そう、二人は理解している。

 

 このまま徒に時間が経過すれば、自分達は詰むのだと。

 

 外岡の援護がない状態で彼女と相対すれば、生き残れる確率は殆どゼロに近い。

 

 だからこそ、嵐山隊は迷いなく時間稼ぎに徹しているのだ。

 

 そうすれば勝てるのだから、当然の結果ではある。

 

 面白くない事は確かだが、文句を言える筋合いはなかった。

 

 嵐山達は、勝つ為に当然の戦術を執っているに過ぎない。

 

 それを臆病だ卑怯だと罵るのは、お門違いというものだ。

 

 戦いは、勝った者が正義である。

 

 どれだけ努力しようが、どれだけ正々堂々戦おうが。

 

 負ければ、意味はないのだ。

 

 それが分かっているからこそ、むしろ手段を選ぶのは侮辱にあたる。

 

 選び過ぎないのも問題だが、妙なところで潔癖になっていては勝てる戦いも勝てなくなる。

 

 感情と合理性、その妥協が必要なワケだ。

 

 弓場は19歳でまだ未成年だが、自分の事を責任ある大人として認識している。

 

 その大人が、自分の好む戦法を取らなかった程度で癇癪を起こしては情けない。

 

 そういった分別(ケジメ)は出来るからこそ、もどかしいのであるが。

 

『だが、もう少しの辛抱だ。気張るぞ、神田ァ』

『押忍』

 

 神田は弓場の指示と共に、アサルトライフルを嵐山に向ける。

 

 アサルトライフルを持つ神田は、弓場と違い嵐山隊とほぼ同じ射程で勝負が出来る。

 

 嵐山達が弓場の拳銃を警戒し射程に入って来ない以上、射程を使って牽制するのは神田の役目だ。

 

 神田は引き金を引き、アステロイドで銃撃する。

 

 響く銃声、飛来する光弾。

 

 それを、嵐山は防御ではなく、回避で凌ぐ。

 

 弓場相手に一ヵ所に留まる愚は、嵐山は当然承知している。

 

 更に言えば、今の弓場にはグラスホッパーがある。

 

 一息で距離を詰められて、早撃ちで仕留められる可能性は常に存在するのだ。

 

 故に、どうしようもなくなった場合を除き、攻撃は回避一択。

 

 一度固められてしまえば、そこに弓場の銃撃が叩き込まれるのは目に見えているからだ。

 

 神田が固め、弓場が貫く。

 

 それが、これまでの弓場隊の必勝パターンなのだから。

 

 それを分かっているからこそ、足は止めない。

 

 友人相手でも────────否、友人相手だからこそ、手は抜かない。

 

 嵐山は弾丸を回避すると、すぐさま銃撃を開始。

 

 弓場と神田、その両名に向かって弾丸を撃ち放つ。

 

 二人は、当然回避。

 

 足を止めてはならないのは、弓場隊も同じなのだ。

 

 嵐山隊の二人が使用する弾丸は、アステロイドとメテオラの二種類。

 

 単純にシールドが割れるまで銃撃を続けられるのも脅威ではあるし、いざとなればメテオラで地形を変えられる。

 

 流石に七海達のように派手な爆撃は出来ないが、それでも相手を固めるには充分。

 

 固めた先から追い込んでいけば、それで得点出来るのだ。

 

 故に、四人の戦いは、如何に足を止めずに撃ち続けられるかに終始する。

 

 嵐山隊の二人にはテレポーターがあるが、これは濫用出来るものではない。

 

 何せ、視線の先を見逃さなければ転移先は予測出来る上、連続使用は不可能。

 

 予め転移先に攻撃を()()事が出来れば、防御が間に合わず被弾する。

 

 特に、弓場の早撃ちは撃ってから反応しても手遅れだ。

 

 それが分かっていながら、迂闊にテレポーターを使う事はないだろう。

 

 しかし、警戒すべき手札である事に変わりはない。

 

 一瞬にして距離を移動出来るというのは、矢張り便利なのだ。

 

 それに、視線で転移先が分かるのであれば、顔を隠してしまえばそれで済む。

 

 油断をすれば、テレポーターを駆使して不意打ちを仕掛けて来る可能性もある。

 

 故に、嵐山と時枝の二人から目を離す事が出来ないのだ。

 

 目を離せば、先ほどのようにテレポーターを利用した銃撃が来る。

 

 最初に危険を冒してテレポーターを使用したのは、その事を意識づける狙いもある筈だ。

 

 テレポーターを利用すれば先回りも可能となる以上、弓場と神田は嵐山達を放置出来ない。

 

 故に、時間稼ぎに付き合わざるを得ない。

 

 どちらも、()()()がないのだから。

 

 距離を詰める事が出来れば弓場の早撃ちでカタがつくが、二人の銃撃を掻い潜るのは少々厳しい。

 

 撃ち合いに応じているのが射程の関係上神田のみである事から、銃撃の()は嵐山隊の方が上となる。

 

 事実上2対1の形になっているから、致し方ない事ではあるのだが。

 

(だが、そろそろだ。きっと────────いや、必ず来る。あいつは、そういう奴だからな)

 

 

 

 

「バイパー」

 

 那須は普段よりサイズが増したトリオンキューブを展開し、射出。

 

 逃げる外岡に、再び弾幕を見舞う。

 

「……!」

 

 外岡は再び、エスクードを用いてバイパーを防御。

 

 だが、一転に集中したバイパーの群れが、展開されたエスクードを破壊する。

 

 壊れた先から再びエスクードが乱立するが、それもまた多少の時間稼ぎにしかなっていない。

 

 今の那須相手では、シールドでの防御はあってないようなものだ。

 

 バイパーそのものの威力が向上している上、射程や弾速も格段に上がっている。

 

 故に、シールドを広げても容易く食い破られ、集中シールドではそもそも全てのバイパーをカバーする事は出来ない。

 

 シールドでは、時間稼ぎにすらならないのだ。

 

 故にこその、エスクードの連続展開。

 

 エスクードは、シールドより遥かに頑強だ。

 

 今の那須のバイパーでも、数発程度は耐えられる。

 

 一点集中すれば容易く壊れると言っても、通常のシールドよりは保つのだ。

 

 稼げる時間は、数秒程度。

 

 しかし、その数秒がなければ、外岡はとっくに那須に捕まっていた筈だ。

 

 那須と外岡では、機動力に圧倒的な差がある。

 

 その上、那須は射程持ち。

 

 この条件で、普通に逃げ切れる筈がない。

 

 今以て外岡が落とされていないのは、モールという狭い戦場でエスクードを展開しまくり、余計な通路を物理的に封鎖しているからだ。

 

 封鎖した先から強引に破壊されてはいるが、それでもなんとかこれまでは生き残る事が出来た。

 

 エスクードがなければとっくに落とされていたであろう事は、想像に難くない。

 

 つくづく、この選択は最適だったと外岡は考えた。

 

(さて、そろそろっすね)

 

 外岡はオペレーターの藤丸から送信されたMAP情報を確認しながら、ちらりと後ろを見やる。

 

 その視線の先には、キューブサークルを従えた那須がこちらを追随していた。

 

 無理に距離を詰めないのは、万が一にも自分が落ちてしまう事態を警戒しているが故であろうか。

 

 今の那須はビッグトリオンという強大な力を得た代償に、存在そのものが文字通り試合を終わらせる爆弾と化している。

 

 彼女が仕留められる事は、イコール那須隊の敗北を意味する。

 

 故に、慎重に動くのはむしろ当然。

 

 だからこそ、そこを突いた。

 

「……!」

 

 外岡は、那須に向けて狙撃銃の銃口を向けた。

 

 その手に持つ銃は、ライトニング。

 

 那須隊の狙撃手である茜が愛用する狙撃銃であり、その特徴はトリオン量に応じた弾速の強化。

 

 ただでさえ、速射に優れた銃だ。

 

 今の、トリオン14となった外岡が撃てばどれほどのスピードになるかなど、想像する他無い。

 

 故に、それを無視するワケにはいかなかった。

 

 那須は展開していたキューブサークルを破棄し、新たなキューブを生成。

 

 それを、分割せずに叩きつけた。

 

 吹き荒れる、轟音と爆発。

 

 メテオラ。

 

 高トリオンの暴威が、モール内を席捲する。

 

 狙撃が危険なのであれば、撃たせなければ良い。

 

 だからこそ、手っ取り早い手段として爆撃を選択したのだ。

 

 あの爆発では、狙撃も中断せざるを得ない。

 

 ただでさえ、今のモールは破壊された外壁から外の暴風雨が入り込んでいるのだ。

 

 視界条件も悪く、しかも爆撃の直後。

 

 迂闊な反撃をするとは、思えなかった。

 

(居たわね)

 

 那須はレーダーを頼りに、外岡の位置を特定した。

 

 今の外岡は、エスクードを貼りながら逃走する為にバッグワームを解除している。

 

 まあ、既に姿を補足されている状態でバッグワームを使う意味がないので、当たり前ではあるのだが。

 

「え……?」

 

 そして、気付く。

 

 その外岡の反応が、一瞬にして別の場所に移動した事に。

 

「まさか……っ!」

 

 那須は、その可能性にすぐ思い至り、絶句する。

 

 まさか。

 

 まさか、そんな()()を打つとは、考えてもみなかったのだから。

 

 

 

 

「おし、来たな外岡ァ」

 

 那須が視線を向けた、その先。

 

 そこには弓場と、神田。

 

 そして、二人の背後に現れた、外岡。

 

 三人の弓場隊。

 

 それが、一堂に会していた。

 

 逃走ではなく、合流しての()()

 

 それを、外岡が選んだ結果であった。



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弓場隊・風間隊⑭

 

「おっと、此処で外岡隊員、テレポーターを用いて他の隊員と合流……っ! 迎撃の構えを取った……っ!」

「思い切りましたね。これは」

「だな」

 

 村上と諏訪は、そう言って神妙に頷いた。

 

 何故、外岡が合流を選んだか。

 

 その意図を、すぐに察したが故に。

 

「あのまま逃げ続けていても、いずれ那須隊長に補足され落とされる。他からの援護が期待出来ない状況では、これは確定事項だったと言って良いでしょう」

「風間達は七海とバトってるし、弓場と神田は嵐山隊を振り切れなかったしな」

 

 二人の言う通り、あのままでは外岡が落ちるのは時間の問題だった。

 

 エスクードがあるとはいえ、文字通りの時間稼ぎにしかなっておらず、狙撃手の外岡では幾らビッグトリオンの権利を持っていても逃げながらの迎撃は無理がある。

 

 同じくビッグトリオンの権利を持っている那須の弾幕相手では、攻撃手段が狙撃しかない外岡とでは()()が違い過ぎる。

 

 狙撃は、狙撃手の位置を知られていない状態でこそ最大の効果を発揮出来る。

 

 ビッグトリオンを得た外岡の狙撃は確かに脅威ではあるが、彼自身の位置が割れている状態であれば対処法は幾らでもある。

 

 強化されたアイビスやイーグレットの狙撃はまともに受ける事は難しいが、幾ら威力が強化されようと()()の攻撃である事に変わりはない。

 

 回避能力に優れた那須であれば、ただ避ければ良いだけの攻撃だ。

 

 ライトニングはビッグトリオンで強化された速射は防ぎ難いものがあるが、こちらは威力はそこまで上がってはいない。

 

 そして、幾ら連射可能と言っても一度に一発ずつしか撃てない事に変わりはない。

 

 那須の弾幕相手では、文字通り弾数が足りないワケだ。

 

 奥の手であったテレポーターを見せる前であれば一度限りの奇襲が通じた可能性もあるが、その手札は最初に逃走の為に切ってしまっている。

 

 どの道外岡()()では、結果は見えていたのだ。

 

「外岡隊員は弓場隊長や神田隊員と合流する事で、ようやく狙撃を行うだけの時間を埋める()()を得る事が出来ました。この状態であれば、まともな勝負になる芽はあるでしょう」

「今の外岡にゃあエスクードがあっからな。サポート能力は申し分ねぇし、チームとの連携のお手のモンだろ」

 

 二人の言う通り、弓場と神田と合流した今であれば状況は変わって来る。

 

 外岡一人で攻撃を捌く必要がなくなった以上、その強化された狙撃能力が活きて来る。

 

 これまでは弾幕で圧倒して反撃の隙を与えなかった那須であるが、前衛が出来た以上先ほどまでのようにはいかないだろう。

 

「けど、代わりに弓場隊は今の那須と正面から戦り合わなきゃいけなくなったけどな。幾ら数が揃っても、あれの相手はかなりきちぃぞ」

 

 しかし、今の那須の戦力が驚異的である事に変わりはない。

 

 一方的な殲滅ではなくなっただけで、那須の弾幕は現実の脅威としてそこにある。

 

 あの弾幕の圧を、正面から浴びる事になる。

 

 これは、並大抵のプレッシャーでは無い筈だ。

 

「加えて、嵐山隊の二人も健在ですからね。那須隊長と連携して来れば、厳しい展開になるでしょうね」

 

 そして、嵐山と時枝も未だ無傷で生き残っている。

 

 前衛を得る事が出来たのは、何も外岡の側だけでは無い。

 

 嵐山隊の二人に前衛を任せ、那須が距離を取って弾幕を張るだけで、かなりの脅威となるだろう。

 

「ですが、先ほどと違って()()にはなっていますし、勝ちの芽が無いというワケでもありません。まだまだ、結果は分かりませんよ」

 

 それに、と村上は画面に映る那須に目を向ける。

 

(那須隊長が、果たして嵐山さん達ときちんとした()()が出来るか。それも問題になって来る)

 

 村上は、これまでの那須隊の試合ログは一通り目を通している。

 

 そして、七海の事は良く知っている、という自負もある。

 

 だからこそ、この状況に置ける懸念事項が浮かび上がるのだ。

 

(那須さんは確かに身内との連携の精度はとんでもなく高いけど、逆に言えば身内以外の連携には慣れていない。それに、連携する相手の性質も今回は違う)

 

 そう、それが現在の状況に置ける陥穽と成り得る点だ。

 

 那須は、那須隊の面々との連携は慣れたものだし、その精度もぴか一だ。

 

 しかし、逆に言えば身内以外との連携がしっかり出来るか、という疑問がある。

 

 これまでの二試合でも、那須が主に連携したのは同じ那須隊の相手。

 

 組んだA級部隊とは、そこまで連携する機会がなかった。

 

 加えて、那須が普段連携する相手と嵐山隊の二人では少々性質が異なる。

 

 まず、七海は言うまでもなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 七海はそのサイドエフェクトにより、たとえ弾幕の中にあっても被弾しないルートを自動的に導き出せる。

 

 故に、七海が前衛にいる時は、巻き添えを気にする必要が全く無いのだ。

 

 打ち合わせをしなくとも、こちらの弾道を自動的に察知して避けてくれるのだから、後衛としてこれ以上やり易い前衛はいない。

 

 故に、七海が前衛にいる時は何の憂いもなく弾幕をばら撒ける、という利点があるのだ。

 

 当然、これは七海だからこそ通じる論法だ。

 

 もしも別の相手に七海が前衛の時と同じように弾幕をばら撒けば、巻き添えの危険は当然跳ね上がる。

 

 最も連携する機会の多い七海と組む時と同じ調子でやれば、確実に失敗する。

 

 更に、熊谷の場合はそもそも大きく動く事が少ない攻撃手である。

 

 最低限彼女の立ち位置に気を配っていれば、巻き添えにする心配はない。

 

 茜に関してはそもそも狙撃手なので、前に出る事自体が有り得ない。

 

 故に、懸念事項は一つ。

 

 果たして、嵐山隊の二人を巻き添えにせずに後衛に徹する事が出来るか。

 

 この一点である。

 

 基本的には、問題ないだろう。

 

 那須は、優れた射手だ。

 

 味方を巻き込まないように弾道を調整する程度、どうとでもなる。

 

 しかし、此処で問題となるのは嵐山隊の二人が持つ鬼札、テレポーターである。

 

 テレポーターを使用すれば、一瞬にして別の位置へと転移出来る。

 

 そして当然、その移動先は本人にしか分からない。

 

 視線の向く先に注視していれば、確かに転移先を予測する事は可能だ。

 

 転移先を予測し、そこに攻撃を置く事で対処する事は出来る。

 

 しかし、味方からすれば、いきなり前衛が別の場所に移動するのだ。

 

 その移動先に、那須が張った弾幕があればどうなるか。

 

 そんなものは、自明の理である。

 

 無論、移動先を伝える事でそういった事態は回避出来る。

 

 だが、一分一秒どころか刹那のタイミングが生死を分けるのが戦場だ。

 

 そんな中で、悠長に連絡を取ってから動けば、チャンスを逃す可能性が高い。

 

 これが互いの動きや性質を熟知しているチームメイト同士であれば、何の問題もない。

 

 細かい連絡などなくとも、ある程度は臨機応変にフィーリングでどうにか出来る。

 

 されど、那須と嵐山隊の間にはそこまでの繋がりは無い。

 

 当然この一週間で連携訓練は行っただろうが、逆に言えばそれだけの間柄でしかない。

 

 同じ部隊の仲間のように、阿吽の呼吸、とはいかない筈だ。

 

 無論、テレポーターを使わなければそんな危険性は排除出来る。

 

 しかしそれは、嵐山隊から手札を一つ奪う事を意味している。

 

 安全策を取るのであれば、それでも構わない。

 

 だが、相手は弓場隊。

 

 そんな甘えを、果たして彼等が見逃すのか。

 

 勝敗を左右する陥穽があるとすればそこだろう、と村上は考えていた。

 

(那須隊長と、嵐山隊がどう連携して来るか。付け入る隙があるとすれば、そこだろうね)

 

 

 

 

「私は後衛に徹します。前衛、お願いします」

「了解した」

「分かった」

 

 那須からの申し出を受け、嵐山と時枝は二つ返事で承諾する。

 

 そんな三人と対峙しながら、弓場隊の面々は真剣な表情で各々の武器を構えた。

 

「さて、今の那須は大分厳ちィが、最初(ハナ)から(ブル)ってたんじゃ話にならねぇ。要は、良く動く二宮サンだ。気張ってくぞ」

「割と最悪な相手なのは変わりませんが、やってやれない事は無いでしょうからね。外岡、援護は頼むよ」

「了解したっす」

 

 弓場はリボルバーを、神田はアサルトライフルを、外岡はアイビスを携え、油断なく那須達と相対する。

 

「「「────!」」」

 

 緊迫による硬直は、一瞬。

 

 開戦の狼煙は、三つの銃声と降り注ぐ弾幕によって告げられた。

 

 

 

 

「────」

「……!」

 

 風間と七海、二人のスコーピオンが交差する。

 

 側面から攻めて来た風間の一刀を、左腕のスコーピオンで迎撃。

 

 同時に、右のスコーピオンで反撃を狙う。

 

「甘い」

「……っ!」

 

 風間はその攻撃に、右腕から伸ばしたスコーピオンで対処。

 

 七海の攻撃を、難なく弾き飛ばす。

 

「僕も忘れないでよ」

 

 そこに、菊地原が敢えて声をかけ存在を強調してから斬りかかる。

 

 サイドエフェクトで攻撃を察知出来る七海相手に、奇襲は無意味。

 

 ならば、自身の攻撃を強調する事で少しでも意識を散らして風間のサポートを行う。

 

 七海の実力や性質を良く知るが故の、当然の連携であった。

 

 そんな意図など承知している七海は、すぐさまグラスホッパーを展開。

 

 ジャンプ台トリガーを用いて、その場から退避する。

 

「いいの? 距離取って」

「……!」

 

 だが、あまり大きく距離は取れない。

 

 菊地原の指摘は、言われるまでもなく理解している。

 

 距離を取れば、風間と菊地原の二人はカメレオンを使う隙が生まれてしまう。

 

 そしてそれは、七海を放置して佐鳥を獲りに行く、という脅しにもなる。

 

 菊地原は、サイドエフェクトで佐鳥の位置を補足している。

 

 流石にモール内全ての音を拾う事は出来ないが、逆に言えば同じ階層の音であれば充分に感知圏内だ。

 

 佐鳥は現在、この最上階に潜伏している。

 

 しかしその位置は、菊地原にとって既知のものだ。

 

 だからこそ二人から距離を取ってはいるが、同じ階層にいる以上その気になれば充分に補足出来る。

 

 機動力は、攻撃手の二人に分があるのだ。

 

 狙撃手の佐鳥は、まともに狙われれば一たまりもないだろう。

 

 だからこそ、七海は距離を取っての爆撃、という手段が取れない。

 

 風間達が爆撃の隙を突いて離脱し、佐鳥を落としに行かれる危険があるからだ。

 

 佐鳥を下層に退避させる、という手もあるが、現在5階は激戦地となっている。

 

 安全にそこを通り抜けられるか、というのは懸けになる。

 

 選択肢の一つとしては有りだろうが、リスクを伴う手である事は否定出来ない。

 

 それに、相手の戦力がこの最上階と5階に集中している以上、援護出来ない位置に行っても意味は無い。

 

 しかし、風間隊の二人相手に佐鳥が活きるか、と言われれば疑問が残る。

 

 サイドエフェクト、強化聴覚。

 

 菊地原が保有するその能力の真骨頂は、音の()()()()にある。

 

 彼の能力の有効範囲はそこまで広いワケではないが、その効果圏内の音に関しての感知精度は相当なものだ。

 

 雑多な音の中から、特定の音を聞き分ける。

 

 この能力を用いて、菊地原は相手の位置はおろか、その攻撃の詳細やある程度の精神状態まで看破出来る。

 

 故に、いざ佐鳥が狙撃を敢行したところで、菊地原が健在である限り察知されて躱されるのがオチである。

 

 狙うのであれば、直接音を感知出来ない風間の方が確率はあるだろう。

 

「やるぞ、菊地原」

「はいはい、分かりましたよっと」

 

 だがそれは、このままであればの話。

 

 菊地原は風間の指示を受け、髪を後ろで纏め上げた。

 

 下ろしていた髪を纏め、耳を露出させる。

 

 これは、菊地原が本気でサイドエフェクトを活用する時の姿勢だ。

 

 菊地原は、幼少期より()()()()()()自身の体質と向き合っていた。

 

 だからこそ、余計な音を聴かない為に髪を伸ばし、普段は耳を隠している。

 

 たとえ気休め程度であっても、菊地原の心の安寧を保つ為には必要な処置だった。

 

 その髪を纏め、耳を裸の状態にする。

 

 それは、菊地原なりの自己暗示(マインドセット)だ。

 

 耳を露出させる事で、より深く、より繊細に音を聴き取り感知精度を引き上げる。

 

 あくまで気持ちの問題であるが、その効果は馬鹿にならない。

 

 心の有り様(モチベーション)というものは、当人のパフォーマンスに大きく影響するのだ。

 

 サイドエフェクトの意味は、()()()

 

 一見便利に見えるそれは、同時に発現者に独自の瑕疵を齎す。

 

 菊地原も、望んでもいない声まで聴こえるこの能力を疎んだ事は、一度や二度では無いだろう。

 

 この姿は、そんな菊地原が自身の能力と正面から向き合った証でもある。

 

 疎んだ能力を、正面から認めてくれた相手に、風間に報いる為に。

 

 彼自身が定めた、覚悟の姿だ。

 

 その意思を、その決意を知る七海は、菊地原のその姿を見て気を引き締める。

 

 此処からが、本番。

 

 その事を、誰よりも識っているが故に。

 

『聴覚情報、共有します』

 

 そして、菊地原がこの姿を取ったという事は。

 

 風間隊全員が、その能力の恩恵を活用する状態になったという意味でもある。

 

 通信を介して、菊地原の得る聴覚情報を部隊全員が共有する。

 

 いわば、全員が疑似的に強化聴覚を得た状態となる。

 

 長く続ければ菊地原に負担をかける為ここぞという時しか使えないが、風間隊がA級に辿り着いた根本である戦術の肝。

 

 それを使って来たという事は、ここで決めるという意思を表明したも同義。

 

 下層の戦闘も、佳境。

 

 どちらも、そう長くは続かない。

 

 ここが、勝負どころ。

 

 誰もが、それを理解していた。

 

「行くぞ」

 

 風間がスコーピオンを携え、駆け出す。

 

 同じように菊地原も刃を構え、床を蹴った。

 

 最上階の戦闘もまた、佳境を迎えようとしていた。



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弓場隊・風間隊⑮

 那須の操る弾丸、バイパー。

 

 遠慮なしの両攻撃(フルアタック)で放たれたそれが、四方八方から弓場隊へと襲い掛かる。

 

 同時に、嵐山と時枝もアサルトライフルを掃射。

 

 三人分の弾幕が、弓場隊へと迫る。

 

 これだけ弾幕が多ければ互いにぶつかり合って弾数が減りそうなものだが、那須の放つバイパーは嵐山隊の二人の弾には掠りもしない。

 

 弾丸の速度や軌道、発射タイミング等を計算し、互いの弾が干渉しないような弾道でバイパーを飛ばしているのだ。

 

 那須の高い技術力によって実現された、絶技。

 

 当然、それを黙って見ているような鈍間はいない。

 

 外岡が地面に手を付け、エスクードを展開。

 

 複数のエスクードにより、嵐山隊の掃射を妨害。

 

 更に、那須のバイパーに対してはエスクードを出した上で、神田と弓場がハウンドとバイパーを斉射。

 

 弾丸同士の相殺によりある程度弾数を削り、残りは展開したエスクードで防ぐ。

 

 そして、二人には第二試合で那須と出水がやらかしたような互いの弾幕を全て相殺するような変態(とんでも)技術は無い。

 

 故に、相殺されなかった弾丸が、嵐山隊へと降り注ぐ。

 

「「……!」」

 

 嵐山と時枝は、広げたシールドで弾丸を防御。

 

 同時に、再びアサルトライフルを斉射。

 

 無数の弾丸が、再度弓場隊へと向かう。

 

「────」

 

 外岡は、その弾幕に対しエスクードを展開。

 

 今度は、床と天井から通路を塞ぐ形でエスクードが出現する。

 

「無駄よ」

 

 だが、そのエスクードは一瞬にして吹き飛ばされた。

 

 アステロイドとバイパーの、一点集中砲火。

 

 那須が弾速と威力に振った弾丸を以て、弓場隊の守りを打ち崩す。

 

「……!」

 

 そこで、気付く。

 

 弓場隊の位置が、先ほどよりも遠くに離れている。

 

 グラスホッパー。

 

 恐らくは弓場が展開したそれを、三人が使用したのだろう。

 

 グラスホッパーは、分割すればするほど反発力は落ち、得られる加速も小さくなる。

 

 だが、三つ程度の分割であれば取り合えずその場からの離脱は可能だ。

 

 此処に来て、速やかにエスクードを突破する為に威力と弾速に振り射程をギリギリまで削った事が仇となった。

 

 那須の弾丸は、弓場隊の下へは届かない。

 

「バイパー+メテオラ────────|変化炸裂弾(トマホーク)

 

 ならば、離れた事を後悔させてやるだけだ。

 

 弓場隊が離れた事によって、那須に合成弾を行うだけの時間が与えられた。

 

 トリオン14のトマホークの爆撃で、一切合切吹き飛ばす。

 

 エスクードだけでは防ぎ切れないよう、全方位からの爆破で仕留める。

 

「吹き飛びなさい」 

 

 全方位から飛来する、爆撃の雨。

 

 容赦のない絨毯爆撃が、弓場隊へと降り注いだ。

 

 轟音。

 

 無数のトマホークが着弾し、大爆発を引き起こす。

 

 エスクードだけでは、凌ぎ切れない全方位爆破。

 

 その爆発は、弓場隊を────────全滅へは、至らせなかった。

 

 爆煙から間一髪で離脱する、三つの影。

 

 それを見た時、那須は察した。

 

 弓場隊が、エスクードによる射出によって脱出したのだと。

 

 那須の合成弾を見て、防御では間に合わないと判断したのだろう。

 

 だからこその、回避の選択。

 

「読めていたわ」

 

 故にこそ、那須はそれを読んでいた。

 

 跳躍中の弓場隊の三人に迫る、無数の弾丸。

 

 それは、最初から最上階へ照準させたトマホークの一部だった。

 

 那須は弓場隊がエスクードで上へ退避する事を予測し、その避難先へ着弾するよう一部の弾道を調整していたのだ。

 

 エスクードによるジャンプは、これが初見では無い。

 

 故に、充分可能性としては考慮していたのだ。

 

 彼らが、最上階へと逃げるであろう事を。

 

 迫り来る、無数のトマホーク。

 

 空中では、エスクードによる防御は不可能。

 

 これで、詰み。

 

 那須は、そう確信した。

 

「え……っ!?」

 

 そこで、気付いた。

 

 トマホークが着弾した、三つの影。

 

 その正体は、()()()()()だ。

 

 那須は、爆煙から飛び出た影を弓場隊の三人であると考えた。

 

 壊れた外壁から流れ込む暴風雨によって視界は悪く、極めつけに那須の爆破によって生じた煙がそれを助長していた。

 

 だからこそ、勘違いをしたのだ。

 

 あれが、上に逃げた弓場隊の三人であると。

 

 それは、奇しくもROUND6で七海が生駒相手に使った戦術と同じ。

 

 瓦礫を囮にした、()()

 

「……!」

 

 事態を理解し、那須は瞬時にグラスホッパーで背後に跳んだ。

 

 だが、一瞬遅い。

 

 煙の向こうから飛来した弾丸が、那須の左足を吹き飛ばした。

 

 弾速からして、ライトニング。

 

 放ったのは当然、外岡。

 

 彼は、那須に生じた一瞬の隙を見逃さず、正確に脚部を狙い撃ったのだ。

 

 急所ではなく足を狙ったのは、防がれる確率を下げる為。

 

 ランク戦に臨む者は、咄嗟の狙撃に対して急所を守る癖が付いている者が多い。

 

 特に、那須のような回避主体の者であれば猶更だ。

 

 だからこそ、足を狙った。

 

 那須の最大の武器である、その機動力を殺す為に。

 

「────」

 

 そして、攻守は逆転する。

 

 那須の機動力は、今の一撃で失われた。

 

 故に、これまでのように周囲を跳び回りながら気兼ねなく両攻撃(フルアタック)を敢行する事はもう出来ない。

 

 これまで両攻撃を継続出来たのは、その機動力あってのもの。

 

 回避が出来なくなった以上、防御にも枠を割かざるを得なくなる。

 

 那須の脅威は、半減した。

 

 その好機を、弓場隊が逃す筈もない。

 

 エスクードによって射出され、弓場が那須へと突貫する。

 

 無論、嵐山と時枝がアサルトライフルで迎撃するが、弓場はそれをグラスホッパーで回避。

 

 そして遂に、弓場が那須を射程圏内に捉えた。

 

 

 

 

「────」

 

 その光景を、上階から見詰める者が一人。

 

 彼は、佐鳥は、イーグレットの引き金を引いた。

 

 

 

 

「読んでたよ」

 

 佐鳥が放った、二発のイーグレットの弾丸。

 

 それは、神田の展開した二枚の集中シールドによって防がれた。

 

 神田は、分かっていたのだ。

 

 このタイミングであれば、佐鳥が差し込んでくるであろうと。

 

 故に、遠隔シールドを貼れる位置までエスクードで跳び、弓場を狙撃から守った。

 

「ぐ……っ!」

 

 無論。

 

 自身が無防備になる事を、承知の上で。

 

 吹き抜けを通って放たれた、一発の弾丸。

 

 それが、神田の胸を撃ち抜いていた。

 

 放ったのは当然、もう一人の狙撃手、日浦茜。

 

 四階に潜んでいた彼女は、神田が無防備になる瞬間を狙い、ライトニングで速やかに仕留めた。

 

 だが、これは神田にとっては必要経費。

 

 たとえ自分が犠牲になろうと、弓場が那須を仕留める事が出来ればそれで充分。

 

「吹き飛べ」

 

 今度こそ妨害のなくなった弓場の指が、その引き金を引いた。

 

「……!」

 

 放たれる、弓場の弾丸。

 

 だがそれは、那須へ当たる事はなかった。

 

 テレポーターで転移した時枝が、彼女の腕を引っ張り、集中シールドで弾丸を防いだが故に。

 

 周囲に常に気を配り、サポートこそが本領の彼だからこそ、行えた救助(レスキュー)

 

「あ……!」

 

 だがそれは。

 

 彼自身を、無防備にする結果となった。

 

 再び飛来した、一発の弾丸。

 

 それは時枝の張ったシールドを突き破り、彼の頭を撃ち抜いた。

 

 撃ったのは、当然外岡。

 

 彼のアイビスが、時枝の急所を貫いた。

 

「すみません嵐山さん。先に落ちます」

 

『『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 二人のトリオン体が、同時に限界を迎える。

 

 神田と時枝は光の柱となり、戦場から消え失せた。

 

 

 

 

「────」

 

 風間が、正面から斬りかかる。

 

 菊地原は、側面から。

 

 七海を挟み込むように、二人の攻撃手が迫る。

 

 乱戦は七海の得意とするところだが、この二人は七海の戦闘の癖を知り尽くしている。

 

 チーム単位で七海との戦闘訓練を積み重ねている風間隊は、当然彼の対集団の動きを熟知している。

 

 加えて、第二試合では共闘の為にチーム同士での訓練も行っている。

 

 七海の取れる手は、大体把握されていると思って良いだろう。

 

 故に、七海の取った手はマンティスによる迎撃。

 

 その射程を活かして、風間と菊地原を薙ぎ払う。

 

「……!」

 

 当然、その程度で倒れる程甘い相手ではない。

 

 風間と菊地原は同時に跳躍し、マンティスの斬撃を回避する。

 

 そして、二人は同時にスコーピオンを投擲。

 

 二振りのスコーピオンが、七海へ飛来する。

 

「────!」

 

 七海はすぐさまマンティスを破棄し、スコーピオンを両腕に展開。

 

 投擲された二振りのスコーピオンを、それで叩き落とす。

 

 しかし、その間に風間と菊地原はカメレオンを展開。

 

 空気に溶けるように、その姿を消し去った。

 

「メテオラ……ッ!」

 

 七海は即座に、メテオラを射出。

 

 カメレオンで消えた二人を炙り出す為爆撃を敢行する。

 

 着弾し、吹き荒れる爆風。

 

 カメレオンを使用している限り、他のトリガーは一切併用出来ない。

 

 故に、爆撃から身を守る為にはカメレオンを解除してシールドを貼るしかない。

 

 そう、通常であれば。

 

「……!?」

 

 爆撃の着弾した付近に、突如二つのエスクードが出現する。

 

 その意味を瞬時に察し、七海は上空を見上げる。

 

 確かに、カメレオンを使用している間は他のトリガーは使えない。

 

 だが、他の人間が使ったトリガーの()()に関しては話は別だ。

 

 このエスクードは、間違いなく外岡が展開したもの。

 

 風間や菊地原のトリガーの枠を使っていない以上、カメレオンを解除する事なくエスクードを用いた跳躍が可能となる。

 

 エスクードジャンプの跳躍力は、かなりのものだ。

 

 こと跳躍距離に限って言えば、グラスホッパーすら凌ぐ。

 

 だが、此処は最上階。

 

 跳躍したとしても、高さには()()がある。

 

 そして、展開されたエスクードは真上を向いていたワケではない。

 

 斜め上。

 

 それも、吹き抜けの反対方向へとその角度を向けていた。

 

「佐鳥……っ!」

 

 こうなれば、狙いは明白。

 

 佐鳥を、狙撃手を落とす事。

 

 幾ら菊地原のサイドエフェクトで狙撃を察知出来るとはいえ、狙撃手の存在が邪魔である事に変わりはない。

 

 だからこそ、先んじて落としておく。

 

 それは、当然の思考だ。

 

 故に。

 

「違う……っ!」

 

 佐鳥の叫びで、気付いた。

 

 たった今。

 

 七海のサイドエフェクトが、警鐘を鳴らした事に。

 

 振り返れば、そこには。

 

 カメレオンを解除し、スコーピオンを振りかぶった風間がいた。

 

 七海は咄嗟に身体を捻り、跳躍。

 

 風間の刃から、その身を躱した。

 

 だが。

 

「ぐ……っ!」

 

 風間の刃は、更に一段階()()()七海の左腕を斬り落としていた。

 

 これは、知っている。

 

 知らない筈がない。

 

 スコーピオン二つを連結させ、射程を伸ばす発展技。

 

 マンティス。

 

 七海が影浦から継承したそれを、風間が己の刃として用いていた。

 

「悪いが、盗ませて貰った。お前や影浦ほど巧くは扱えないが、このくらいは出来たのでな」

 

 影浦が独自に開発した技術を、たとえ不完全であっても習得してしまうその技術。

 

 矢張り、風間は只者ではない。

 

 今の攻撃も、回避が一瞬遅れれば、七海の心臓は貫かれていただろう。

 

 七海はそう考えつつも、菊地原の攻撃に備えて警戒を強めた。

 

 先ほどのエスクードは、偽装(ブラフ)

 

 エスクードを展開し、佐鳥の下に向かったと見せかけて七海を奇襲する。

 

 カメレオンで姿を消しているからこそ可能となった、大胆な戦術。

 

 故に、次は菊地原の攻撃が来る筈。

 

 七海は、そう考えた。

 

 だが、一向にサイドエフェクトが反応する気配がない。

 

 それは、何故か。

 

「……! 佐鳥、そっちにも()()、行ってる……っ!」

 

 

 

 

「遅いよ」

 

 佐鳥の背後に、カメレオンを解除した菊地原が姿を現した。

 

 先ほどのエスクードは完全なブラフではない。

 

 ただ一人。

 

 菊地原だけは、あのエスクードを利用して佐鳥の下へ跳んでいたのだ。

 

 風間に七海を任せ、狙撃手を此処で落とす為に。

 

 菊地原はスコーピオンを振りかぶり、佐鳥の首を狙う。

 

 この狙撃手は、此処で落としておかなければ絶対に足元を掬って来る。

 

 飄々とした態度とは裏腹に、中々の曲者なのは知っている。

 

 笑いながら馬鹿話をしている時も、心音は平坦そのものである事を、菊地原は知っていた。

 

 普段のあの態度は、演技だ。

 

 本当の彼は思慮深く、東並みに食えない相手だ。

 

 だからこそ、此処で落とす。

 

 そう決意し、菊地原はスコーピオンを振り下ろそうとして────────その場から、跳び退いた。

 

「……!」

 

 彼が跳び退いた、その場所。

 

 そこから、エスクードが展開されていた。

 

 外岡のそれでは、有り得ない。

 

 何せ、メリットが無い。

 

 故に。

 

 これは、佐鳥のエスクードだ。

 

 恐らくは、この局面。

 

 自身を狙う相手を返り討ちにする為に、追加したトリガーセット。

 

 あのまま攻撃を続けていれば、菊地原は上に跳ね上げられ、仕留められていただろう。

 

「でも残念。聴こえてたよ」

 

 だが、菊地原のサイドエフェクトはエスクード展開時に発する()を見逃さなかった。

 

 佐鳥の策は、失敗に終わる。

 

 菊地原は、勝ちを確信した。

 

「え……?」

 

 だからこそ、起こった事が理解出来なかった。

 

 彼の、背中。

 

 その間近で生じた()を確認した瞬間、菊地原の胸に風穴が空いていた。

 

 振り返れば、そこにいたのは佐鳥。

 

 彼がイーグレットを構え、いつの間にか菊地原と密着する形で出現していた。

 

 この現象を可能とするトリガーを、菊地原は知っている。

 

 嵐山隊や日浦茜を主な使用者とし、この試合では繰り返し使われたトリガー。

 

 テレポーター。

 

 それこそが、佐鳥の本当の切り札だったのだ。

 

 迎撃のためのエスクードが菊地原に察知される事は、想定済み。

 

 エスクードを使用した本当の目的は、()()()()()()

 

 菊地原に、テレポーターを使用した事を察知されない為のブラフであった。

 

「ぐ……っ!」

 

 だが当然。

 

 スコーピオンの使い手と密着している以上、その刃を防ぐ手段は存在しない。

 

 菊地原の背中から伸びたスコーピオンにより、佐鳥の急所も貫かれる。

 

 されど、これは必要経費。

 

 強化聴覚という厄介極まりないサイドエフェクトを持つ菊地原を出し抜くには、相打ちの形を取ってでも零距離狙撃を敢行する必要があった。

 

 最初から、捨て身を計算に入れた策。

 

 相打ちではあるが、双方一矢報いた形となった。

 

「ちぇ、やられたよ。やっぱ君、相当腹黒いでしょ」

「佐鳥は自分の仕事をしただけですよ~。てなワケで、一緒に死んでね」

 

 はぁ、と何処か悔し気な溜息をつき、菊地原は自身の脱落を受け入れる。

 

 佐鳥はそんな菊地原を見て、普段通りの笑みを浮かべた。

 

『『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 奇しくも、同時。

 

 二人のトリオン体が崩壊し、光の柱となって消え去った。



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弓場隊・風間隊⑯

 

「時枝隊員、神田隊員が互いにエースを庇う形で緊急脱出……っ! 時を同じくして菊地原隊員・佐鳥隊員も相打ちとなりました……っ!」

「どちらも、見事でしたね」

 

 村上は感嘆の息を漏らし、画面を見据えた。

 

 諏訪もまた、息を飲んで画面を見据えている。

 

「時枝も一番大事な那須を守ったし、神田も弓場の奴をカバーしたからな。どっちも、自分が脱落する事まで織り込み済みだったろありゃ」

「でしょうね。あの局面で誰を生かすべきか、というのを分かっていました。加えて、神田は日浦隊員の位置を割り出すという置き土産も残していますからね」

「確かにな。日浦の位置が割れたのはデケェぞ」

 

 だが、と諏訪は言葉を続けた。

 

「その代わり、菊地原は佐鳥がきっちり仕留めていきやがったけどな。ったく、つくづく食えねえ野郎だぜ」

「あのエスクードとテレポーターは、簡単に菊地原隊員を仕留める為だけにセットしていたものでしょうね。今回の試合であまり動かなかったのも、この時の為だったのでしょう」

「確かにな。佐鳥にしちゃあ妙に大人しいと思ってたが、最初から菊地原だけ狙ってたろありゃ」

 

 そう、二人の言う通り、この試合での佐鳥は普段と比べ大人しい────────普通の狙撃手のような動きを、していたのだ。

 

 佐鳥は言うまでもなく、凄腕の狙撃手だ。

 

 狙撃の技術は言うに及ばず、その隠密能力や戦場を俯瞰する能力も総じて高い。

 

 だが、ツイン狙撃という後先を考えない必殺技を持っている為か、他の狙撃手と比べてもその割り切りは尋常では無いのだ。

 

 その立ち回りは、実を言うと東に近い。

 

 チャンスがあれば躊躇わず引き金を引くし、戦場を俯瞰する能力も高い為一度撃った後に姿を隠す技術もかなり高い。

 

 流石に東ほどの出鱈目な生存能力は持っていないが、仕事を果たせるならば見つかる事をそこまで恐れないタイプの狙撃手だ。

 

 その佐鳥が今回の試合では帯島を狙撃して以降は妙に静かだったのだが、何の事は無い。

 

 今回、彼は最初から菊地原を仕留める事を最優先に動いていたのだ。

 

「エスクードもテレポーターも、初見殺しの要素が強いトリガーです。ですが逆に言えば、その隊員がセットしていると判明すれば幾らでもやりようはある。テレポーターは、特に癖が強いですしね」

「だろうな。流石に一度使ってりゃあ、菊地原も引っ掛かりはしなかったろ。エスクードを()()()にするなんて、佐鳥も大胆な手を使ったな」

「恐らく、七海の仕込みでしょう。初見殺しは、彼の得意技ですから」

 

 村上の言う通り、那須隊側の隊員で誰が菊地原を一番良く知っているかと言われれば、七海である事は間違いない。

 

 単純に親しい友人であるし、互いのサイドエフェクトの特性も熟知している。

 

 伊達に、繰り返し訓練相手になっていたワケでは無い。

 

 菊地原の強みも、その能力の穴も、七海は知っていた筈だ。

 

「エスクードは、地面から出現するという一瞬のタイムラグがあります。そして、菊地原隊員であれば出現の兆候を聴き取って反応してもおかしくはない」

「実際、きっちり反応してやがったしな」

 

 この場には観客含め正隊員しかいない事もあり、二人は菊地原のサイドエフェクトに言及する。

 

 菊地原のサイドエフェクトは、風間隊の主軸なだけあって多くの隊員が周知している。

 

 だが、その精度に関しては、実際に戦った者にしか脅威を実感し難いだろう。

 

 派手な能力ではないが、それを十全に活かしているのが風間隊だ。

 

 その凶悪さは、直に味遭えば嫌でも分かるのだから。

 

「だからこそ、本命の切り札であるテレポーターを用意していたんです。それも、菊地原隊員が反応しても回避出来ないように捨て身で零距離狙撃を敢行しました」

「ったく、度胸据わり過ぎだろ。狙撃手がわざわざ、密着して狙撃とかよ。そんな真似────────ああ、日浦も最終ラウンドでやってたか」

「そこが着想点だったのかもしれませんね。あれが最初からの指示だったのか佐鳥隊員の判断だったのかは分かりませんが、そうしなければ仕留められないと考えたのでしょう」

 

 想起するのは、最終ラウンドの一幕。

 

 茜がユズルを仕留めた、テレポーターからの零距離狙撃だ。

 

 この戦術は実行した後の生存が絶望的という点を除けば、相手を確実に仕留めるには理に叶った戦術ではある。

 

 何せ、大きな威力を持つ狙撃を零距離で行うのだ。

 

 当然回避は出来ないし、シールドもほぼ無意味。

 

 茜は相手が狙撃手であるユズルだからこそ一方的に討ち取れたが、スコーピオンの使い手である菊地原の場合は当然の如く相打ちになった。

 

 自身の生存を度外視しなければ取れない、後先を考えない致死の一撃。

 

 それが、あの佐鳥の狙撃であったのだ。

 

 実際、それだけの価値があると考えたのだろう。

 

 相手チームの()を担う、菊地原を排除する事は。

 

「菊地原隊員がいなくなった事で、ようやく不意打ちが不意打ちとして機能するようになりました。人数も減って、どちらも余裕の無い状態」

 

 村上は顔を上げ、告げる。

 

「最終局面ですね」

 

 

 

 

「やられたな。最初から、あれが狙いだったワケか」

 

 風間は七海と相対しながら、何処か嬉しそうに呟く。

 

 実際、今の風間はとても楽しそうだ。

 

 米屋や太刀川と違い戦闘狂(バトルジャンキー)ではない彼ではあるが、成長した弟子との戦いは矢張り心躍るのだろう。

 

 口では厳しい事を言いつつも、身内に激甘な風間である。

 

 戦闘中にも関わらず笑っている姿は、本当に珍しい。

 

 だがそれは、油断しているというワケでは無い。

 

 弟子の成長は嬉しい。

 

 しかし、それはそれとして全力で叩き潰す。

 

 その顔は、言外にそう語っていた。

 

「日浦の位置は大体分かった。那須もあの足なら動けん。有利とまでは言わないが、易々勝てるとは思わない事だ」

「ええ、それは分かっています。ですが」

 

 七海は顔を上げ、笑みを浮かべた。

 

「勝ちます。その為に、此処まで来たんですから」

 

 その言葉と共に、七海は、風間は、スコーピオンを手に斬り結んだ。

 

 

 

 

「────」

 

 弓場は、目の前の光景を静かに受け入れた。

 

 那須は仕留め損ねた。

 

 けれど、代わりに時枝を落とす事に成功した。

 

 既に、那須は彼の射程内にいる。

 

 再装填(リロード)が終われば、即座に撃ち抜ける。

 

 だが。

 

 それを待ってくれる程、那須は甘くは無い。

 

 那須は、瞬時にグラスホッパーを展開。

 

 残った右足でそれを踏み抜き、背後へと跳躍する。

 

「逃がすか」

 

 されど、弓場も此処で彼女を逃がすつもりは無い。

 

 元々、射程では大きく負けているのだ。

 

 幾ら足を殺したとはいえ、ビッグトリオンは健在。

 

 距離を取られれば、弾幕に圧殺されるだろう。

 

 もう、カバーを行える神田はいないのだ。

 

 故に。

 

 弓場は、同じくグラスホッパーで加速。

 

 那須を、再び射程圏内に捉えた。

 

「……!」

 

 跳躍と共に、再装填は済ませた。

 

 後は、リボルバーで撃ち抜くのみ。

 

「そっちをな」

「……っ!」

 

 ()()()

 

 弓場は、嵐山の動きを見逃してはいなかった。

 

 嵐山は、弓場に銃口を向けていた。

 

 恐らく、那須を狙った彼を後ろから撃ち抜くつもりだったのだろう。

 

 それを読んでいた弓場は背後に振り替えると同時に、リボルバーの引き金を引く。

 

 前面後面、双方へと。

 

 弾丸は、両面共にアステロイド。

 

 那須と嵐山は、それを集中シールドで防御。

 

 なんとか那須は防ぎ切ったが、嵐山の左足に弾丸が一発直撃。

 

 嵐山も那須同様、片足が失われた。

 

 どちらか片方に銃撃を絞れば嵐山は落とせたかもしれないが、そうなると那須がフリーになる。

 

 故に、此処はこれが最善。

 

「────」

 

 何故ならば。

 

 既に、外岡がアイビスの銃口をこちらに向けていたのだから。

 

 嵐山は、既に足を片方失っている。

 

 回避は、不可能。

 

 外岡は、迷いなく引き金を引いた。

 

「……!」

 

 那須はすぐさまバイパーで外岡を狙うが、一歩遅い。

 

 嵐山を囲うように、無数のエスクードが出現。

 

 左右への逃げ場は失われ、嵐山と外岡の姿がエスクードによって隠された。

 

 これでもう、嵐山が逃げるにはテレポーターを切る他無い。

 

 だが、この状況で逃げ場があるとすれば、前後か上しか無い。

 

 上に逃げれば、弓場の銃撃が待っている。

 

 前に逃げようにも、嵐山には那須の射線が分からない。

 

 万が一射線の中に転移してしまえば、味方の弾で自滅する。

 

 故に。

 

(そう、嵐山さんは後ろに逃げるしかない。那須さんの射線が不明な以上、そうするしか────────いや)

 

 そこで、外岡は気付く。

 

 思い込み。

 

 前回那須隊と戦ったROUND7では、それの所為で負けたのだ。

 

 そして、今回の嵐山隊は佐鳥の動きを見る限り那須隊から個々人に特別な指示が与えられている。

 

 ならば。

 

「……!」

「当たり、っすね」

 

 前に。

 

 那須の射線のど真ん中に、嵐山は転移した。

 

 それと同時に、外岡はその周囲のエスクードを解除。

 

 壁がなくなり、無数のバイパーが味方である嵐山へと降り注ぐ。

 

「危なかったっす。けど、これで終わりです」

 

 テレポーターは、連続使用出来ない。

 

 一度使ってしまった以上、もう切り札は使えない。

 

 故に、此処で詰み。

 

 嵐山は、那須の弾丸によって弾け飛ぶ。

 

 恐らく、あそこで外岡がテレポーターの転移先を読めなければ彼の方が終わっていただろう。

 

 幾らトリオンが増えたからと言って、同じくトリオンが増えた那須の射撃と嵐山の銃撃を同時に浴びせられれば、シールドが保たない。

 

 過去の敗戦から学んだ経験が、活きた。

 

 此処で嵐山を落とせれば、得点としては充分。

 

 トドメが那須の弾だろうと、彼の足を吹き飛ばし痛打を与えたのは弓場である。

 

 後は那須を落とせれば言う事なしだが、嵐山を落とせればその時点で9Pt。

 

 那須隊は現在5Ptである為、弓場隊側は二人以上生き残れば勝てる計算になる。

 

 そう。

 

 嵐山が、()()()()

 

「え……っ!?」

 

 外岡は、目を疑った。

 

 嵐山に向かった、那須の弾丸。

 

 それは直前で軌道を変更し、外岡へと牙を剥いた。

 

 エスクードは、間に合わない。

 

 故に。

 

 外岡の姿は、その場から掻き消えた。

 

 テレポーター。

 

 本当の意味での最後の手を、外岡が切ったのだ。

 

 いや、正しくは切らされた。

 

 あそこで一瞬でも躊躇えば、外岡は落ちていただろう。

 

 最初から。

 

 外岡が嵐山の転移先を見破るまで、計算の内。

 

 那須は最初から、嵐山の転移先を見越した上でバイパーの軌道を設定していたのだ。

 

 連携は、出来ていたのだ。

 

 嵐山との信頼関係ではなく。

 

 単純な、読みと技術によって。

 

 連携には信頼関係があって損はないが、理屈の上では仲間の動きが読めれば信頼関係などなくとも連携は出来る。

 

 無論、それは那須の技術とオペレーターの小夜子の支援あってのものだ。

 

 絆の有無は、技術と計算で補える。

 

 想いではなく、技巧で。

 

 結果が変わらないのであれば、どちらであっても構わない。

 

 その割り切りが生んだ、彼女なりの連携。

 

 それが、外岡の計算を上回ったのだ。

 

 咄嗟に最上階へ転移した、外岡。

 

 当然、転移と同時にシールドは広げてある。

 

 前回のように、ライトニングを撃ち込まれてはたまらないからだ。

 

(きっと、此処で日浦さんの狙撃が来る。ライトニングは、これで防げる。アイビスかイーグレットが来るなら、集中シールドで防ぐだけ。落ちて、たまるか……っ!)

 

 恐らく、この転移は読まれている。

 

 既に、テレポーターという手札は晒した後だ。

 

 此処に、追撃が来ない筈がない。

 

 そして、来るとすれば茜しかない。

 

 茜は下の階にいるが、テレポーターを使えば狙撃位置に付くのはワケはない。

 

 だからこそ、テレポーターを使わなければ狙撃が届かない最上階へと転移したのだ。

 

 テレポーターを使い切らせれば、後は弓場が仕留められる。

 

 だからこそ。

 

「え……?」

 

 降り注ぐ弾丸によってシールドごと穿たれた時、外岡は驚嘆する他なかった。

 

 外岡は、那須のバイパーから逃走した。

 

 その、つもりだった。

 

 だが、彼女の弾幕は最初から、外岡の転移先へと置かれていた。

 

 確かに、視線を隠す暇はなかった。

 

 されど、バイパーはあくまで()()()()弾道を決定する。

 

 自由自在に弾幕を操っているように見える那須だが、あくまでその場で弾道を引けるだけで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 つまり。

 

 最初から転移先が分かっていなければ、この弾道を引く事は不可能。

 

 そうとしか、考えられないのだ。

 

「当たって良かったわ。きっと、そこに来ると思ってた。だって、茜ちゃんを釣り出すにはそこしかないものね」

「そういう、事か……っ!」

 

 それが、答え。

 

 那須なのか小夜子なのかは、分からないが。

 

 外岡の目論見は、読まれていた。

 

 彼がテレポーターを使うなら、茜を釣り出せる位置に転移する。

 

 故に。

 

 彼が向かいそうな転移先に、バイパーの弾道を引いたのだ。

 

 建物の構造。

 

 瓦礫の位置。

 

 自身と外岡の位置と、彼が狙う茜の場所。

 

 それらを鑑みた上で候補を絞り、狙い撃った。

 

 前回出水と正面からやり合って向上した那須の技術と小夜子のオペレートが組み合わさって初めて可能となった、絶技。

 

 視点が違う。

 

 そうとしか思えない、絶技だった。

 

「すいません、弓場さん。神田さん。力、及ばなかったです」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、敗北を告げる。

 

 外岡は悔し気に唇を噛みながら、光の柱となって消えていった。



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弓場隊・風間隊⑰

 

「倒したか」

 

 那須は緊急脱出した外岡の姿を見て、気を引き締め直す。

 

 ビッグトリオンの適用者である、外岡はたった今倒した。

 

 作戦は成功。

 

 だが。

 

「────」

 

 目の前の男は。

 

 弓場は、未だ健在。

 

 彼が嵐山を狙った隙にギリギリリボルバーの射程外へは避難出来たが、その気になればいつでも詰められる距離でしかない。

 

 そして、現在那須の足は片方削れている。

 

 常のような圧倒的な機動力を失っている以上、頼りは己の技術とビッグトリオンを継承して得た膨大なトリオンしか無い。

 

 外岡を落とした事で優位には立ったが、依然として那須が落とされればルールにより試合が終わる事に変わりは無いのだ。

 

 捨て身は許されない。

 

 勝つのであれば、生き残る必要がある。

 

「行きましょう。最後の詰めよ」

 

 那須はそう告げ、キューブサークルを展開。

 

 それを合図として弓場が駆け出し、二人の一騎打ちが開始された。

 

 

 

 

「────メテオラ」

 

 七海はメテオラのキューブを生成し、無数に分割して射出。

 

 四方に、爆撃をばら撒いた。

 

 そして、その爆撃の中を縫うように迷いない足取りで疾駆する。

 

 メテオラ殺法。

 

 これまで七海が敢えて使わなかった、彼の得意戦法である。

 

 今になって使用を解禁したのは、外岡が落ちた為だ。

 

 ビッグトリオンを得た彼の狙撃は、メテオラのキューブを狙い撃ちにされる可能性があった。

 

 加えて、七海本人を狙われた場合も危険がある。

 

 多大なトリオンの後押しを受けたライトニングの狙撃は、文字通りの閃光。

 

 下手をすれば、七海のサイドエフェクトが反応してからでは対処が遅れる可能性もあった。

 

 だが、その外岡は落ちた。

 

 相手の駒は、エースにして隊長である風間と弓場の二人のみ。

 

 予想外の場所から奇襲が来る可能性は、なくなった。

 

 故に。

 

 風間に対して有利に立てる()()()()()()を活かさない理由は、何処にもなかった。

 

 隠密(ステルス)トリガー、カメレオン。

 

 その熟練者である風間相手には、射撃トリガーによる牽制が有効だ。

 

 無論、そんな事は風間自身も承知しているし、対策も用意している。

 

 だが、相手に対策を取らせる、という時点で処理能力を圧迫している事に変わりは無い。

 

 特に、七海のメテオラは強烈だ。

 

 豊富なトリオンから放たれるメテオラは、文字通りの爆撃の嵐。

 

 迂闊に動けば爆破に巻き込まれる以上、相手は慎重な立ち回りが求められる。

 

 七海のメテオラ殺法の最大の武器。

 

 それは、相手の行動に()()を与える事である。

 

 派手な爆撃の中では、闇雲に動く事を控えようとするのが当然だ。

 

 そして、消極的な動きは、自然と相手を守りに入らせる。

 

 そうなればしめたものだ。

 

 一度守勢に傾いた相手を押し込めば、心理的にも優位に立てる。

 

 人は、一方的に攻められていれば不快感を感じるものだ。

 

 それがスポーツであれゲームであれなんであれ、一方的にやり込められる、という状態はストレスを誘発する。

 

 ストレスは、焦りを生む。

 

 極限状態の戦いの中、そういった焦りは積み重なればミスへ繋がる。

 

 並みの相手であれば、そのまま攻めるだけで押し勝てるだろう。

 

 無論、風間相手にそんな事は期待していない。

 

 尋常でない実力者相手の戦闘にも、充分に慣れている風間だ。

 

 遠征経験もある彼にとって、不利な状況での戦い、というのは珍しくもない。

 

 頼れる者が少ない近界での戦いを潜り抜けるには、相当な覚悟が必要だ。

 

 風間は、その覚悟を有している。

 

 故に、心理的な圧力で押し勝つ事は不可能。

 

 だが、心理的に押し勝てずとも、風間の動きを制限するだけで大きな意味がある。

 

 風間の機動力は、七海と比較しても遜色ない。

 

 どころか、七海より鋭い動きを見せる事もそう珍しくは無い。

 

 攻撃・防御。回避・指揮。

 

 そのいずれもが、総じて高いレベルで揃っている。

 

 それが、風間蒼也。

 

 A級三位部隊隊長にして、隠密戦闘の名手。

 

 見た目不相応の経験値を持つ、ボーダーでも指折りの実力者だ。

 

 七海としても、師匠筋の一人にあたる。

 

 容易に勝てる相手だとは、間違っても考えていない。

 

 全ての手札を解禁し、ようやく追い縋れる。

 

 そういう相手だと、七海は認識している。

 

 だが、風間の最大の脅威であるチームとしての連携は菊地原が落ちた事で失われた。

 

 現在、弓場が生き残ってはいるが、那須を放置して此処に来る事は無いだろう。

 

 今の那須は足が削れているが、そのトリオンは健在。

 

 距離を取れば押し負ける事は、充分に理解しているだろう。

 

 故に、数の不利を承知で那須と嵐山を相手取る他ない。

 

 那須も嵐山も足が削れているという不安要素はあるが、双方の実力は欠片も心配していない。

 

 片や自身の隊長にして、エース。

 

 片や、A級部隊を率いる隊長。

 

 どちらも、実力に不足はない。

 

 連携の練度も、先ほどの一幕で心配ないと確信出来た。

 

 それだけが懸念事項ではあったが、上手くやれているようだ。

 

 故に。

 

 今は、目の前の相手に集中する。

 

「────」

 

 風間は、無手。

 

 茜の狙撃を警戒しているのだろうが、流石にこの爆撃の中カメレオンを使う気はないだろう。

 

「……!」

 

 と、考えていた。

 

 だが。

 

 風間は、迷いなくカメレオンを起動。

 

 爆撃の雨の中、シールドすら張れない状態で隠密状態に移行した。

 

 そして、七海のサイドエフェクトが反応。

 

 側面から姿を現した風間の斬撃を、スコーピオンでガードしながら後退する。

 

「この爆撃の中、余裕ですね……っ!」

「被弾しない場所はお前が教えてくれる。動きを見ていれば、容易い事だ」

 

 平然と言っているが、冗談ではない。

 

 確かに、七海は自身の放った爆撃の中をサイドエフェクトによる感知を利用して爆破の巻き添えを食らわないルートを算出して移動している。

 

 その七海の動きを見ていれば、理論上は被弾しない場所が分かるだろう。

 

 だが、理論と実践は別だ。

 

 言うまでもなく、七海の機動力は相当高い。

 

 そして、被弾しないルートが分かっている以上、爆撃の雨の中でも速度を緩める理由は無い。

 

 高い機動力を持つ七海の動きをリアルタイムで観察しながら、爆撃を食らわないルートを読み取り移動する。

 

 それは果たして、どれほどの高等技術と胆力の為せる業であろうか。

 

 分かってはいたが、並大抵の精神力ではない。

 

 理屈では被弾しないルートが分かっても、爆撃の雨の視覚的威圧感は相当に大きい。

 

 目と鼻の先で爆発が連鎖する中、シールドすら張れない状態で突き進む。

 

 クソ度胸、と表現してもなんら遜色の無い勇猛さである。

 

 メテオラ殺法では、風間の動きを止めきれない。

 

 それは今、充分に理解した。

 

 下手をすれば、自分のメテオラで首を絞める可能性すら有り得る。

 

 だが、メテオラは風間には無い自分のアドバンテージである事は事実。

 

 そして。

 

 七海だけのアドバンテージは、他にも存在する。

 

 故に。

 

 判断は一瞬。

 

「────メテオラ」

 

 七海は、再びメテオラを展開。

 

 それを。

 

「……!」

 

 分割なし。

 

 最大威力を保持した状態で、足場に向かって叩き込んだ。

 

 

 

 

「……!」

 

 その爆発は、弓場の眼にも見えていた。

 

 那須と追走劇を繰り返す中、突如最上階の床が爆発と共に崩落。

 

 その上から、二つの影が躍り出た。

 

「七海と、風間サンか……っ!」

 

 当然それは、最上階で戦っていた七海と風間。

 

 エース二人が、自由落下に任せて落ちて来る。

 

 否。

 

 二人は、空中で戦いながら落下していた。

 

 七海は、グラスホッパーを。

 

 風間は、あろう事か落下中の瓦礫を。

 

 足場として、幾度も交差を重ねていた。

 

 グラスホッパーを踏み込み、斬り込む七海。

 

 風間は落下する瓦礫を蹴り飛ばしながら、その勢いで跳躍。

 

 七海の攻撃を、真っ向から受け止める。

 

 風間は、続けてもう片方の腕でスコーピオンを構えた。

 

 今の七海には、左腕が存在しない。

 

 故に、正面からの鍔迫り合いは不利。

 

 だからこそ、七海はグラスホッパーを踏み込み、後退。

 

 そして、最大限に分割したグラスホッパーを風間の周囲に展開した。

 

「……!」

 

 跳躍。

 

 跳躍。

 

 跳躍。

 

 その、連鎖。

 

 乱反射(ピンボール)

 

 グラスホッパーを最大限に活用した、相手を攪乱する奇襲戦法。

 

 七海は、それを空中の風間相手に発動した。

 

 空中では、風間は大きな身動きは取れない。

 

 七海にこうも纏わりつかれては、先ほどのような瓦礫を使った移動も出来ない。

 

「ちぃ……っ!」

 

 風間を侮るワケではないが、このままではやられるのは時間の問題。

 

 そう考えた弓場は、七海のグラスホッパーを消し去るべく拳銃を構えようとして────────銃口を、那須に向け直した。

 

 風間の眼が、語っていた。

 

 こちらは任せろと。

 

 ならば。

 

 目の前の那須(エース)と、決着を着けるのみ。

 

 漢、弓場琢磨。

 

 此処で覚悟を決めない程、廃れてはいない。

 

 眼鏡越しに、那須を睨み付けた。

 

 那須は、怜悧な美貌を称えた顔で、ただ闘志をこちらにぶつけていた。

 

 足が削れ、不安もあるだろう。

 

 チームを文字通り背負う、重責もあるだろう。

 

 だが、臆する様子は微塵も無い。

 

 形こそ弓場から逃げているが、そもそも射手は逃げながら戦うものだ。

 

 距離を取りながらチャンスを探り、搦め手を駆使して攻め込んでいく。

 

 それが、射手の戦い方。

 

 戦い方と闘志の有無は、別のものだ。

 

 弓場もまた、そんな那須が臆病などとは微塵も思わない。

 

 彼には彼の戦い方があるように、彼女には彼女の戦い方があるのだ。

 

 それが違ったところで、気にする方がどうかしている。

 

 攻撃手に、接近戦を挑む射手はまずいないし。

 

 逆に、射手から距離を取る攻撃手も普通はいないのだから。

 

「────」

 

 弓場が、地を蹴った。

 

 那須は、後退しながらバイパーを放った。

 

『距離20』

 

 オペレーターの声が、聞こえる。

 

 それは、那須を射程圏内に捉えた、合図。

 

 弓場は、迷いなくその引き金を、引いた。

 

 

 

 

「……!」

 

 七海は、瞠目していた。

 

 必殺の意思を以て仕掛けた、落下しながらの乱反射(ピンボール)

 

 身動きの取れない風間を、一方的に削り殺す。

 

 そのつもりで仕掛けたそれを、風間は。

 

 七海のグラスホッパーの一つを踏み込み跳躍する事で、離脱した。

 

 確かに、グラスホッパーは展開後は誰であろうと使用出来る。

 

 たとえそれが、対戦相手であっても、である。

 

 だが。

 

 乱反射は、秒単位でグラスホッパーの展開と消費を繰り返す。

 

 ただでさえ機動力に特化した七海のそれを、大幅に引き上げている状態なのだ。

 

 そんな中で、七海の攻撃を躱しながら的確に展開されたグラスホッパーを利用し、離脱する。

 

 それがどれ程の難度かは、言うまでもない。

 

 このまま地に足が付いてしまえば、再び風間が優位に立つ。

 

 それに、五階に降りた風間が那須を狙わないという保証は無い。

 

 奇襲には慣れた風間だ。

 

 足の削れた那須では、逃げ切れない可能性が高い。

 

 故に、なんとしてでもこの落下中に決着を着ける必要がある。

 

 射程外からのマンティスの一撃。

 

 などでは、風間は倒せないだろう。

 

 七海のマンティスは、影浦のそれと比べれば練度は低い。

 

 使用機会の頻度と戦術の関係上、それは仕方のない事だ。

 

 初見であれば先ほどの風間がやったように不意を打てるかもしれないが、七海がマンティスを使える事は当然知られている。

 

 ならば、マンティスだけでは倒せないだろう。

 

 故に。

 

「メテオラ」

 

 再度、メテオラを使用。

 

 空中にいる風間に向けて、無数に分割した爆撃を撃ち放った。

 

「……!」

 

 流石にこれは、ガードする他ない。

 

 風間はシールドを広げ、爆撃を防御する。

 

 そこを。

 

 七海は、グラスホッパーを用いて風間の背後を取る。

 

 そして、渾身のスコーピオンを、振り下ろした。

 

「させん」

 

 だが。

 

 風間は、それを当然の如く受け止めた。

 

 穴の開いた、軽量化されたスコーピオン。

 

 風間はその刃の穴に七海のスコーピオンを引っ掛け、右腕ごとかち上げた。

 

 そして、同時に二の腕から伸ばしたスコーピオンで七海の右腕を切断。

 

 七海は遂に、残った右腕までも失った。

 

 だが。

 

 間髪入れず、七海は右足で風間を蹴りつけた。

 

 当然、その足先にはスコーピオンが伸びている。

 

 スコーピオンは、身体の何処からでも生やす事が出来る。

 

 故に、腕を失ったとしても、足さえあれば攻撃は可能。

 

 だがそれは。

 

 風間とて、当然承知の事。

 

 七海の攻撃は、既に読んでいた。

 

 だからこそ。

 

 風間は、足に生やしたスコーピオンの一振りで、七海の両足を斬り裂いた。

 

 ガードではなく、迎撃を。

 

 七海はサイドエフェクトで攻撃を感知していたが、間に合わなかった。

 

 彼がサイドエフェクトで攻撃を感知出来るのは、攻撃の発生が()()した瞬間。

 

 故に。

 

 攻撃から直撃までの()()が短ければ、七海の反応が間に合わない可能性は、有り得るのだ。

 

 風間はその性質を利用し、足が七海に触れるその瞬間にスコーピオンを展開。

 

 ほぼ零距離でスコーピオンを展開する事で七海に防御の時間を与えず、その足を斬り裂いた。

 

 丁度、以前の訓練で七海の首を掴むと同時にスコーピオンを展開して不意を突いた時のように。

 

 サイドエフェクトの性質を知るからこそ出来た、風間の経験値と即応力故の攻撃。

 

 これで、七海は両手両足を失い達磨状態。

 

 雌雄は決した。

 

「……!」

 

 とは、どちらも思っていなかった。

 

 七海はグラスホッパーで自身の胴体を跳ね飛ばし、風間に突貫した。

 

 当然、その胸からスコーピオンを生やして。

 

 四肢を失っても、未だ彼の闘志は折れていない。

 

 その証明たる、最後の一撃。

 

「お前なら、やるだろうと思っていた」

 

 だが。

 

 風間は、それすら承知の上だった。

 

 彼もまた、胸からスコーピオンを生やして、七海の刃を受け止めていた。

 

 七海なら、やると。

 

 四肢を失おうが、闘志が折れる事は無いと。

 

 理解していた、それ故に。

 

「ぐ……っ!」

 

 トドメは、忘れない。

 

 風間は刃を受け止めた場所の近くからもう一つのスコーピオンを生やし、七海の胸を貫いていた。

 

 枝刃(ブランチブレード)

 

 本来であれば腕で行うそれを、風間は胴体の、胸の部分で行っていた。

 

 腕での斬撃は、防御が間に合う恐れがある。

 

 故にこその、最短最速。

 

 風間の一撃は、七海の急所を貫いていた。

 

『トリオン供給機関破損』

「勝負あったな」

「ええ」

 

 七海は笑って、告げた。

 

「俺()の、勝ちです」

 

 瞬間。

 

 七海の向こう側から、一発の弾丸が飛来した。

 

 それは、七海ごと風間を貫く、必殺の弾丸。

 

 撃ったのは、茜。

 

 いつの間にか七海の背後に転移していた茜が、七海諸共風間を穿たんと、狙撃を敢行した。

 

 七海の犠牲を前提とした、致死の一撃。

 

「それは、もう見た」

 

 しかし。

 

 風間は、七海の背に集中シールド2枚を展開し、その攻撃に対する解答とした。

 

 那須隊は以前にも、確かにこの戦術を披露していた。

 

 ROUND5。

 

 東相手に七海と茜は、捨て身の狙撃を敢行する事で始まりの狙撃手を仕留めるに至った。

 

 そして、風間はその光景を収めたログをしっかりと目にしていた。

 

 風間は、七海を侮らない。

 

 彼であれば、必要とあれば自分を犠牲にする策も躊躇なく取って来るであろうと。

 

 信じていた。

 

 故にこその、対処。

 

「ええ、そうだろうと、思っていました」

「────!」

 

 されど。

 

 そのシールドのうち一枚は、下方から飛来した弾丸によって砕かれた。

 

 その弾丸の正体は、那須の変化弾(バイパー)

 

 七海は、分かっていた。

 

 風間であれば、茜の狙撃にも対応するだろうと。

 

 だからこそ、那須に頼んだのだ。

 

 指定の場所を、撃って欲しいと。

 

 那須は指示(オーダー)に応え、風間のシールドを破壊出来る弾道をセットした。

 

 わざわざバイパーを上空に打ち上げたのも、この為だ。

 

 そして、一枚になったシールドを貫き、茜のアイビスが七海ごと風間を撃ち抜いた。

 

「やられたな。確かに、これは俺の負けのようだ」

 

 風間は苦笑し、笑みを浮かべた。

 

 確かに、七海との一騎打ちには勝利した。

 

 だが、これは個人戦では無い。

 

 風間は、七海にではなく、那須隊に、敗北した。

 

 それを認め、風間は敗北を受け入れた。

 

『『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 風間と七海は、同時にトリオン体が崩壊。

 

 共に、光の柱となって消え失せた。

 

 

 

 

「……!」

 

 その光景は、弓場も目にしていた。

 

 まさか、この局面でバイパーを弓場相手ではなく、七海の援護の為に使うとは。

 

 悔やむ気持ちもあるが、此処が正念場だ。

 

 嵐山は、距離的に援護は出来ない。

 

 だが、それもこの瞬間だけの事。

 

 数秒あれば、すぐにでもこちらに駆けつけるだろう。

 

 故に、その前に決着を着ける。

 

 弓場は、グラスホッパーを踏み込み、シールドを張りながら跳躍した。

 

 既に弓場の射程には入っているが、ギリギリだ。

 

 もっと距離を詰めなければ、グラスホッパーで逃げられる可能性がある。

 

 故に、詰める。

 

 虎穴に入らずんば虎子を得ずの言葉通り、リスクを恐れてはリターンは取れない。

 

 那須は、逃げる素振りは無い。

 

 どうやら此処で、迎え撃つ腹積もりらしかった。

 

 彼女の弾丸は、上空へ打ち上げられたものと弓場の正面のもの、その二つが存在する。

 

 上空へ打ち上げたものの幾つかは七海の援護の為に消費したが、まだ充分弾数は残っている。

 

 正面の弾丸をガードさせた隙に、上空の弾を落とすつもりだろう。

 

 故に。

 

 弓場は、正面と頭上、双方にシールドを展開した。

 

 正面の弾は、恐らくバイパーに偽装したアステロイドだ。

 

 上空へ打ち上げたバイパーは、恐らく魅せ札。

 

 本命は、この正面の弾丸。

 

 シールドを広げたところを、アステロイドで割る計算なのだろう。

 

 故に、正面のシールドは広げず、頭上のシールドを広げた。

 

 全てを防ぎ切る事は出来ないだろうが、要は致命傷さえ貰わなければ良い。

 

 最悪、相打ちでも構わない。

 

 勝ちが消えたとしても、諦める理由にはならないのだから。

 

 今はただ、何が何でも目の前のエースを獲る。

 

 故にこその、決断。

 

 グラスホッパーでの突貫は、先ほどの外岡のように移動先を割り出されて討ち取られる可能性がある。

 

 故に、此処は防御一択。

 

 ガードに成功し次第、早撃ちで那須を仕留める。

 

 正真正銘、最後の攻防。

 

 それは。

 

「が……っ!?」

 

 那須の、勝利で終わった。

 

 正面からのアステロイドは、ガードした。

 

 幾らかは貫通したが、致命傷には至らない。

 

 上空のバイパーも、防御した。

 

 こちらもある程度は被弾したが、急所は貫かれていない。

 

 だが。

 

 だが。

 

 ()()から飛来した一発の弾丸が、弓場の胸を貫いていた。

 

「そういう、事か……っ!」

 

 弓場は、気付いた。

 

 那須が上空へと打ち上げた、バイパー。

 

 その一部を、迂回させて下へ回り込ませていたのだ。

 

 そして、これまでの戦闘で空いた床の穴を通り、弓場の胸を正確に貫いた。

 

 那須が上空へ打ち上げたバイパーの目的は、三つ。

 

 一つは、七海の援護。

 

 二つ目は、弓場が推測した通り上空からの攻撃。

 

 そして三つめが、この本命の一撃であった。

 

「強ェな、おめェーら」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 弓場は何処か晴れやかな顔で笑い、同時にトリオン体が崩壊。

 

 その身体が光となって消え、第三試験の決着となった。



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未来を識るもの

部隊得点追加点生存点合計
那須隊81211
弓場隊71 8

 

「試合終了……っ! 弓場隊長を那須隊長が撃破し、那須隊には生存点が加算。11:8で、那須隊の勝利です……っ!」

 

 羽矢の宣言と共に、会場が沸き上がる。

 

 互いのエース同士がぶつかった、最終局面。

 

 高度な駆け引きの末の、決着。

 

 今の攻防がどれだけのレベルか、此処にいる正隊員達は理解しているだろう。

 

 だからこそ歓声よりも、感嘆が先に来る。

 

 ただ、高いレベルの戦闘に沸くだけではない。

 

 いつか、あそこに。

 

 そんな想いを、此処にいる誰もが抱いているのだから。

 

「凄まじい攻防でしたね。個人的には、風間さんが落ちた事が何より驚きです。見せて頂いたA級ランク戦のログでも、中々落ちた姿を見ていませんし」

「あいつも落ちる時は落ちる、ってこった。それに俺ぁ、七海が落ちたのも驚きだぜ? 確か今期のランク戦じゃ、東さん相手にしか落ちてなかっただろ」

 

 風間と七海。

 

 この二人は、どちらも試合で落ちる事は早々ない。

 

 風間は積み重ねた経験と、その観察眼故に。

 

 七海は、そのサイドエフェクトを活かした回避能力故に。

 

 彼等が落ちる、という事は滅多に無い。

 

 無論、東レベルとまではいかないが、それでも充分に驚嘆すべき生存能力を持っている。

 

 七海が今期のランク戦で落ちた回数は、僅かに二度。

 

 ROUND3で東に狙撃された時と、ROUND5で東に捨て身で挑んだ時のみだ。

 

 そして今回はROUND5と同じく、捨て身の策。

 

 つまり、そこまでしなければ獲れない、と七海が判断したという事でもある。

 

「犠牲なしでは落とせない、と踏んだのでしょうね。風間さんは、生存能力が高いですから」

 

 生存能力の高い駒、という性質はランク戦ではこの上なく厄介だ。

 

 何せ、相手を全滅させなければ生存点を取れないランク戦で、追加点を得る為の最大の障害と成り得るのだから。

 

 しかも、そういった駒は往々にして厄介な能力を持ち確かな実力を誇る。

 

 東であれば、他に比類しない戦術能力に変態的な狙撃技術が。

 

 二宮であれば、圧倒的なトリオンによる弾幕の暴威が。

 

 七海であれば、非常に高い機動力とえげつない攪乱能力が。

 

 それぞれ確かな脅威として、存在している。

 

 相手からすれば無視出来ないが、かといって易々と落とせる相手では無い。

 

 ただ単純に強い相手よりも、ある種厄介な相手でもあるのだ。

 

 風間の場合は、ただただ()()()()()

 

 近界遠征を含めた、長年の戦闘経験。

 

 状況を俯瞰する観察能力と、それを活かす判断能力。

 

 情報収集を怠らない貪欲な姿勢と、常に冷静さを失わない精神力。

 

 そしてそれらを下敷きとした、高い戦闘能力。

 

 自らの力に驕る事もなく、あらゆる状況に冷徹に対処する。

 

 それが、風間の強さ。

 

 倒すには七海がその身を犠牲にする他無いと判断した、傑物なのである。

 

「今回、風間さんを倒す為に那須隊は隊の力を結集しました。七海隊員が捨て身で特攻し、日浦隊員が転移狙撃を敢行。そしてシールドを那須隊員が破壊して勝負を決めた。見事な戦術ですが、逆に言えばこれだけやってようやく倒せた相手、という意味でもあります」

「だな。誰か一人でも欠けてりゃ、風間の野郎は落とせなかっただろーぜ」

 

 諏訪は苦笑いしつつも、そう告げた。

 

 風間とは同い年で腐れ縁な諏訪であり言葉も乱暴だが、その実力は当然認めている。

 

 気の置けない間柄だからこそ、その圧倒的な実力は他よりも良く知っている。

 

 だからこそ内心、その風間が落ちた事に誰より驚いていたのが彼である。

 

 先ほど口には出さなかったが、風間の実力を知るからこそ、諏訪は彼の攻略を成し遂げた那須隊に感心していた。

 

 前期まで奮わなかった部隊とは、とても思えない。

 

 今期での那須隊の成長度は、矢張り桁が一つは違う。

 

 何処か眩しいものを見るような目で、那須隊を見ていた諏訪であった。

 

「しかし、七海も凄ぇが那須もやべぇな。相手の移動先とか完璧に読み切って、キッチリ嵌め殺してるじゃねぇか」

 

 どんな頭してんだありゃ、と諏訪が溢した。

 

 確かに、最終局面における那須の所業は、驚愕するしかなかった。

 

 連携の拙さを技術力で強引にカバーし、外岡の転移先まで読み切り仕留めた手腕。

 

 そして、仲間の援護を行いながらも弓場に理不尽な二択を迫ったと見せかけ、隠れた本命の一発で仕留める強かさ。

 

 オペレーターの支援ありきとはいえ、空間把握能力や行動予測の精度が半端ではない。

 

 改めて、那須の脅威を実感した諏訪であった。

 

「那須隊長は、バイパーの特性を十全に活かした立ち回りをしていましたね。真の性能を引き出している、と言っても過言では無いでしょう」

「まあな。バイパーといえば那須、ってくらいにゃ知られてるしよ」

「いずれにしても、那須隊長の技術と空間把握能力、そしてオペレーターの高い解析能力あってこその結果です。射手の中でも、個人戦闘能力はトップクラスと言っても過言ではないでしょう」

 

 サポーターとしても優秀ですしね、と村上は語る。

 

 確かに那須はその派手な機動力と弾幕のインパクトが強いが、サポーターとしても非常に優秀だ。

 

 今回も最後に七海と茜の支援を完璧に成し遂げてみせたし、そもそも前衛がいてこそ輝くのが那須である。

 

 高い実力を持つ者を前衛に出来れば、那須は相手の攻撃を気にする事なく弾撃ちに専念出来る。

 

 今回は足が削れた為に嵐山との連携で凌いだのが、良い証拠だろう。

 

 無理に自分で点を取る必要はなくなったが、いざとなれば点取り屋にもなれる。

 

 その柔軟性が、ある意味最大の武器と言えよう。

 

「さて、では総評に移って頂きます。お二人とも、お願いします」

「了解しました。では、最初からおさらいしていきましょうか」

 

 村上はそう告げると、顔を上げた。

 

「まず序盤。市街地Dという特殊MAPと暴風雨という天候になりましたが、これが図らずもある程度試合の方向性を決定づけましたね」

「モールに入っての屋内戦、だな」

 

 そうです、と村上は諏訪の言葉を肯定した。

 

「屋外では、天候の所為で視界も悪く、射程持ちが多い那須隊と戦うには環境が悪い。だからこそ、弓場隊は迷うことなく屋内戦を選びました」

「那須隊も、点が取れなきゃ意味がねーからな。結果としてモールに全員が集まったワケだ」

「モール内も、那須隊からしてみれば上下に広く障害物が多い為に悪くない戦闘環境でしたからね。そこまで抵抗感もなかったでしょう」

 

 それに、と村上は続ける。

 

「七海隊員が、最上階へ転送されていた事が最も大きかったように思えます。開幕爆撃開始で、主導権を取れましたからね」

「結果的に、神田を釣り出せたしな。まあそれも弓場隊(あいつら)の作戦のうちじゃあったが、最初にイニシアチブを取れた、ってのはデカイな」

 

 二人の言う通り、七海が最上階へ転送されていた事は大きなアドバンテージであった。

 

 吹き抜けを通じて爆撃を広範囲に仕掛けられる為、弓場隊としては即座に対処する以外の選択肢は無い。

 

 ビッグトリオン偽装の為の思惑もあって神田が出て行く事に迷いはなかっただろうが、それでも釣り出された、という事実は消えない。

 

 最初の流れを掴めるか否か、というのは結構尾を引く場合が多いのだから。

 

「その後は熊谷隊員がビッグトリオンであると早々に判明して、神田隊員はそれに乗じてエスクードを展開し自身がビッグトリオンであると偽装する事に成功しました。熊谷隊員相手だった、というのも大きかったですね」

「熊谷がビッグトリオンだったから、同じように派手にやらかしたから神田もそうだ、って思い込んじまったしな。まんまと騙されたぜ」

 

 直前に熊谷が隠す事なく自身がビッグトリオンであると喧伝する行動を取っていた為、神田の偽装が巧くいった、という面は確かにある。

 

 要は、既視感によるものだ。

 

 直前に熊谷が派手に弾をばら撒いてビッグトリオンであると証明した為、同じようにエスクード大量展開という目立つ真似をした神田も同じ状況である、と誤認し易い状況だったというワケだ。

 

 実際は大部分のエスクードは隠れていた外岡が出したものだが、状況を巧く利用してそれを気付かせなかった、というのは大きいだろう。

 

「その後神田隊員が離脱して、最上階と五階での戦闘が始まりましたね」

「あれで主戦場が決まったみてぇなモンだったな。まあ、下手に下にいっと爆撃が降って来る危険もあったから当然っちゃ当然だがよ」

 

 そう、七海が最上階に陣取った時点で、下層にいるリスクはかなり高まっていた。

 

 事実、七海は爆撃連打で下層にいる神田を炙り出そうとしていたし、主戦場が移動した以上下層に留まり続ける意味は無い。

 

 上層が戦場になったのは、当然の結果と言えるだろう。

 

「そんで佐鳥が帯島を撃って、木虎が離脱して帯島が追ったな」

「あそこで帯島隊員が重傷を負ったのは、どちらにとっても影響が大きかったですね。そうでなければ、他の隊員が追っていた可能性もあったでしょう」

「まあ、結果としちゃ木虎と帯島が相打ちみたくなったんだが。てか、今回相打ち多かったよな。大体相打ちで落ちてるしよ」

 

 確かに諏訪の言う通り、今回の試合は相打ちのような形で落ちる事が多かった。

 

 最初に落ちた熊谷と歌川。

 

 次に落ちた木虎と帯島。

 

 最上階で相打った佐鳥と菊地原。

 

 五階の戦闘で落ちた時枝と神田。

 

 そして、風間と相打ちとなった七海。

 

 殆どの隊員が、相打ちの形で落ちている。

 

 一度や二度ならまだしも、合計5回。

 

 確かにこれは、いくら何でも多過ぎるというものだ。

 

「恐らく、お互いの隊の事情が重なった結果でしょうね。今回は、どちらもより多くの得点が欲しかった。それこそ、失点よりも優先して」

「あー、そういう事か。確かに、どっちも失点より得点を取るわな」

 

 諏訪は村上の言葉に得心したように頷き、顔を上げた。

 

「今回那須隊と弓場隊にゃあ、10点の点差があった。だから那須隊としちゃあ弓場隊がある程度得点しても追いつかれる心配はそうねぇし、何より二宮隊を上回る得点が欲しかっただろうしな」

「弓場隊も、今回は相手が四人部隊が2チームという巧くやれば大量得点が狙える相手でしたからね。少しでも得点が欲しい身としては、前のめりになるのも頷けます」

 

 そう、今回の試合開始時のお互いの得点は弓場隊が15Ptで那須隊が25Pt。

 

 弓場隊は少しでも多く点が欲しい状況であり、那須隊もまた二宮隊がどれだけ得点するか分からない以上より多くの点が欲しい。

 

 だからこそ、多少の失点には目を瞑り多くの得点を重ねる方針としたのだろう。

 

 そういった事情が重なった結果、相打ちが多く発生する事になったワケだ。

 

「いずれにせよ、今回は総じてレベルの高い戦いでした。互いの戦略の読み合いと、高い地力のぶつかり合い。かなり見応えのある試合でしたね」

「だな。これまで見た中でも、屈指の名勝負と言って良いかもだ」

 

 二人は口々に双方を称賛し、顔を上げた。

 

「弓場隊は、戦術は見事と言う他無いですね。ビッグトリオン偽装の戦略は、かなり効果的でした」

「ああ、木虎をあそこで落とせたのはでかかったしな。全体的に、巧く嵌まってたと思うぜ」

 

 強いて言うなら、と諏訪は続ける。

 

「この戦略が巧く嵌まったのは、市街地Dっつう特殊な地形だった、ってのも大きかったかもしんねーな。まあ、運も実力のうち、って事かもしんねーがよ」

「その場合は、また別のプランがあったのではないでしょうか。MAP選択がランダムである以上、どんな地形でも戦えるよう戦略は練っていたでしょうし」

「ま、それもそうか。ならホントに言う事はねーな。巧くやったが、読み負けちまった、くらいしか言いようがねーしよ」

 

 

 

 

「確かに、諏訪さんの言う通りですね。あそこで読み負けたのは俺の責任っす」

 

 外岡は解説を聞きながら、そう言って陳謝する。

 

 そんな外岡に弓場はギラリと眼鏡を輝かせ、ポン、と肩に手を置いた。

 

「外岡ァ、んな事誰も思ってねぇよ。読み負けたのは俺も同じだ。おめェー1人に責任おっ被せるとでも思ってんのか、コラ」

「そうですよ。それを言うなら、俺も那須さんの戦術能力の想定が甘かった。充分高い評価を下していたつもりですが、更にその上を行かれましたしね」

 

 そう、今回は誰一人として那須隊を、那須を甘く見た者はいない。

 

 その能力の高さと技術力は、誰もが実感している。

 

 だが。

 

 かなり高めに考えていた想定すら、那須は軽々と超えて来た。

 

 オペレーターの支援ありきであったとはいえ、あそこまで行動を読み切られるとは考えていなかった。

 

 戦術自体が悪くなかった分、口惜しい、と感じているのは誰もが同じだろう。

 

『そうだな。那須の成長は俺の想定以上だった。それに、こちらも非が無いとは言い切れない』

 

 菊地原も佐鳥に嵌められたしな、と風間は通信越しに告げる。

 

 通信の先で菊地原がむぅ、と唸っているのが聞こえるが、それは聞かなかった事にした。

 

 此処で絡めばどう返して来るか予想出来る以上、藪は突かないに限る。

 

『戦術は悪くなかった。目立ったミスもなかった。ただ、想定の上を行かれた。今回の敗因は、それに尽きる。今回はそれを踏まえて、次に活かせるよう努力する事だ』

「うす。ありがとうございましたっ!」

 

 弓場が大声で一礼し、他の者もそれに続く。

 

 風間はそれを聞き、通信越しに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

「那須隊は、かなり大胆な戦術を取っていましたね。ビッグトリオン継承のルールを最大限に活かした、と言って良いでしょう」

「確かに、後半は那須がかなりやばかったからな」

 

 二人の総評は、那須隊へと移る。

 

 そして矢張り、話題になったのは那須のビッグトリオン継承であった。

 

「最初から那須隊長がビッグトリオンとして前線に出ていたなら、何処かで痛打を負っていた可能性は高かったでしょう。それこそ、外岡隊員が狙う相手が彼女に変わっていた可能性もありました」

「結果的に、終盤になってから万全の状態で那須が暴れられたのは大きかったな。あれがなきゃ、外岡は雲隠れに成功しててもおかしくなかったしよ」

 

 もしも那須が最初からビッグトリオン適用者として暴れていた場合、弓場隊は動きを大きく変えていた可能性が高い。

 

 それこそ、外岡の狙撃対象を木虎から那須に変えていた可能性もある。

 

 幾らトリオンが多くなっても、無敵になるというワケではない。

 

 事実、那須は足を削られるという痛打を負った。

 

 もしも最初から前線に出ていた場合、もっと早い段階で負傷していてもおかしくはなかっただろう。

 

「それから、今回の試合ではテレポーターの脅威が改めて伝わって来ましたね。熊谷隊員も佐鳥隊員も、これ以上なく有効に使っていましたし」

「癖は強ぇが、初見殺しとしちゃあ凶悪だからな。だからこそ、使い手なのが知られててもあの手この手で使いこなしてる日浦はやべーが」

「テレポーターは、戦術の幅をかなり広げられるトリガーである事は確かですからね。ただ弱点もハッキリしているので、使ったからと言ってお手軽に強くなれる、というものでもありませんが」

 

 なので矢張り、しっかり考えて使う必要があるでしょうね、と村上は告げる。

 

 テレポーターの最大の脅威は、その初見殺し性能の高さだ。

 

 故にこそ、使用者である事が知られているのに毎回有効活用して来る茜の発想力は驚嘆に値する。

 

 今回も、きっちりと転移狙撃で勝利に貢献したのだから。

 

「今回の那須隊は矢張り、その場その場の判断能力がとにかく際立っていましたね。部隊としても、非常に高いレベルで戦えていたと言えるでしょう」

「那須なんざ、まるで未来でも見えてるかのように動いてたしな。ったく、末恐ろしい奴らだぜ」

 

 互いに那須隊を称賛し、二人は総評を締め括った。

 

 それを確認し、羽矢はマイクを取る。

 

「総評。お疲れ様でした。これでA級昇格試験第三試験を終了致します。そして、この試合を以て第三試験夜の部の全工程が終了致しました。暫定順位は、こちらになります」

 

 

部隊順位得点
那須隊 1位36Pt 
二宮隊 2位35Pt 
影浦隊 3位33Pt 
弓場隊 4位24Pt 
香取隊 5位23Pt 
生駒隊 6位20Pt 
王子隊 7位17Pt 

 

 画面に映し出された順位を見て、会場がどよめく。

 

 那須隊は、遂に二宮隊を得点で上回り一位に躍り出た。

 

 一点でも逃していれば、この逆転は有り得なかっただろう。

 

「那須隊が単独一位に躍り出る結果となりました。残るは、最終試験ですが」

『────────それについて、諸君に話しておくべき事がある。突然で悪いが、傾聴して欲しい』

 

 羽矢が意味ありげに画面に目を向けると同時、スクリーンに一人の男の姿が映し出された。

 

 顔に大きな傷のある、壮年の男性。

 

 城戸正宗。

 

 このボーダーの本部司令にして、最高司令官。

 

 名実共に、ボーダーのトップに位置するこの組織の長である。

 

『最終試験の形式は、これまでの試験とは全く異なる。最終試験はA級部隊とは組まず、各々の部隊単独で行って貰う』

 

 城戸の突然の宣言に会場で困惑の声があがり、諏訪もまた解説席に座ったまま思案する。

 

(どういうこった? A級部隊との連携を深めるのが、今回の趣旨の一つっつう話じゃなかったのかよ)

 

 そう、A級部隊と組んで試合を行う事で、普段組まない相手との連携が出来るようにする。

 

 これが、今回の試験の大まかな指針の一つであった筈だ。

 

 なのに何故、最終試験ではそれを覆すような真似をするのか。

 

「まあまあ、最後まで聞きなよ。ちゃんと意味はあるからさ」

「……!」

 

 その疑問に答えるように、声をあげたのは────────迅。

 

 いつの間にか城戸の映るスクリーンの近くに立っていた彼が、意味深な笑みを浮かべていた。

 

『…………迅の言う通り、無論意味もなくこんな事をするつもりはない。だが、敢えて結論から先に言わせて貰おう』

 

 城戸は画面越しに迅を見据え、その宣告を告げる。

 

『最終試験は、迅と。いや────────』

 

 そして迅は、それに応えるように腰のトリガーを、一振りの剣を、掲げた。

 

『────────(ブラック)トリガーと、戦って貰う』

 

 迅が掲げた、一振りの刀。

 

 その名は、『風刃』。

 

 彼が持つ、黒トリガーであった。



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迅悠一①

「迅さんと、戦う……?」

 

 那須隊、作戦室。

 

 そこで城戸の発表を聞いていた七海は、目を見開いて驚いていた。

 

 寝耳に水。

 

 まさに、その言葉通りの状況だ。

 

 だが。

 

 不思議と、疑問はなかった。

 

 確かに、驚きはした。

 

 けれどそれは、この情報がいきなり開示された事に対するもの。

 

 迅と戦う。

 

 この点に関しては、何処かで納得する自分がいた。

 

 何故、と問われても即答は出来ない。

 

 ただ。

 

 なんとなく、()()()()()()()のだから。

 

「…………玲一」

「大丈夫だ。驚いたけど、迅さん達にはきっと何か考えがあるんだろう。今は、説明を聞こうじゃないか」

 

 那須の言葉にそう応え、七海は画面に映る城戸や迅の姿を見据える。

 

 その真意を、確かめる為に。

 

(迅さんと、黒トリガーと戦う意味。つまり、それは……)

 

 

 

 

(例の「大きな戦い」ってやつで、黒トリガーと戦り合う事になる可能性がある、ってぇ事か?)

 

 諏訪は実況席に座ったまま、じっと迅を見据えていた。

 

 迅の未来視については、正隊員にとっては既知の事柄だ。

 

 玉狛支部という親近界民派の所属故に普段本部と離れている迅が、城戸と共に姿を見せた事には、必ず何かの意味がある。

 

 最終試験において、迅と戦う。

 

 この件に関しては、間違いなく迅本人の思惑が絡んでいる。

 

 それを察している者は、少なくは無い筈だ。

 

 そして、この合同戦闘訓練の趣旨は説明通りであれば迅が予知した大きな戦いに備える為。

 

 A級とB級の連携訓練を兼ねたのも、その戦いを想定しての事だ。

 

 だからこそ、此処で迅と戦うという試験を行う意味は推測出来る。

 

 黒トリガーへの、対策。

 

 それが、最も可能性が高いと言える。

 

『…………既に、察している者もいるようだな。君達が予想した通り、最終試験に迅を配置した理由は黒トリガーを使用する人型近界民への対策の為だ。迅、説明しろ』

「はいはいっと。ま、と言っても言葉の通りなんだよね。此処にいる何人かが、黒トリガーとしか思えない、強い相手と戦う未来が視えた。だから、黒トリガー(こいつ)に慣れて貰おうと思って、俺が相手をする事になったワケだ」

 

 突然で悪いと思うけどね、と迅は語る。

 

 会場がどよめく中、迅は周囲を見回しながら話し続けた。

 

「ハッキリ言って、黒トリガーは初見殺しの塊と言って良い。君達が普段使っているノーマルトリガーとは、文字通り出力の桁が違う。普通のトリガーと同じと考えていたら、認識の違いでやられかねない」

 

 たとえば、と迅は続ける。

 

「俺の本来のトリオン評価値は、『7』なんだけどね。黒トリガーを起動すれば、トリオンは『37』まで跳ね上がる。これがどれだけの規格外かは、今回の試合でビッグトリオンを経験した皆なら分かると思う」

 

 トリオン値、37。

 

 今回のビッグトリオンで上昇した数値の、2倍以上。

 

 トリオン評価値14相当でも、あれだけの事が出来たのだ。

 

 それが2倍以上となると、最早想像の埒外である。

 

 迅の取り出した黒トリガーの形状は、剣。

 

 見た限りでは近接専用の武器に思えるが、弧月に旋空という中距離攻撃手段があるように、あれもまた見た目通りの射程とは限らない。

 

 37という莫大なトリオンを使用した規格外の攻撃能力を備えていても、なんら不思議ではない。

 

「だから、実際に黒トリガーの力を体感して貰おうって事さ。ただ、出来ればその上で対抗出来る力を見せて欲しい、っていうのが本音でもある。勿論、試験としての形式は守るけどね」

『試験内容についての説明も、今此処で行う。静粛に願う』

 

 城戸はそう告げると会場を見渡し、一呼吸置いて話し始めた。

 

『まず、受験者は自分達の部隊単独で迅に挑んで貰う。この試験に、A級部隊は関与しない』

 

 城戸の話す内容に、周囲がざわめいた。

 

 実質、迅相手の多対一。

 

 普通であれば、たった一人で部隊を相手にする事は困難だろう。

 

 だが。

 

 相手は、黒トリガー。

 

 普通では考えられない出力を持った、文字通りの規格外。

 

 加えて、迅には未来視がある。

 

 どんな策も、不意打ちも、迅にとっては既知のものとなる。

 

 戦術も、戦略も、全てが知られた状態で戦う。

 

 それがどれ程困難なものであるかは、言わずもがなである。

 

「得点方式も、これまでとは異なる。試合時間は、30分。これが経過した段階で残っていた隊員の人数分、ポイントが加算される。3人であれば3Pt、二人なら2Ptといった具合だ」

「当然、全滅したら0Ptだから注意してねー」

 

 制限時間内に、生き残った人数による加点。

 

 となると、迅を倒さずとも得点自体は得られる、という事になる。

 

 黒トリガー相手に、30分という試合時間が短いかどうかは別として。

 

「そして当然、迅を倒した場合はボーナスポイントとして4点が加算される。これは生存点も込みのものであるから、留意して欲しい」

 

 加えて、迅を倒した場合の得点を()()()()()()()()と表現した。

 

 つまり、迅を倒せる事はそもそも想定していない、もしくはかなり低い確率であると見られている。

 

 たった今聞いた黒トリガーの出力と、迅の未来視を勘案すればなんらおかしくは無いのだが。

 

『試験は予定通り、一週間後に執り行う。但し、本来黒トリガーについての情報は機密事項にあたる。よって、今回の試験までのような実況や解説、観客の動員はなしとする。そして、参加した者も基本的に風刃についての情報は口外禁止とする』

「まあ、とは言っても対策を相談する相手とかもいるだろうからね。そういう時は構わないよ。まずいようならこっちで動くし」

 

 つまり、迅の未来視で不都合な事になる相手に喋ろうとする時は止める、という事である。

 

 観客の正隊員の一部からは不満の声も出たが、これはある意味仕方のない事だ。

 

 迅の持つ黒トリガー、風刃。

 

 これは、ボーダーにとって文字通りの()()()だ。

 

 そして黒トリガーが強力な初見殺しの要素を持つ以上、()に対して情報を秘匿しておきたいと考えるのは当然である。

 

 流石に責任感をしっかりと持った正隊員が軽々しく情報を漏らす事はないだろうが、人の口に戸は立てられない。

 

 知っている者が多ければ多い程、漏出の危険性が高まるのが情報というものだ。

 

 ならば、知る者の人数を絞っておくのは当然の事。

 

 それに、これはA級昇格試験に残った者達への()()とも取れる。

 

 普段目にする機会すらない黒トリガーの力を、その身を以て識る。

 

 その価値は、計り知れないものがある。

 

「あと、どうしても観客として招きたい相手がいるなら、俺に相談してくれれば考慮するよ。流石に、観客の一人もなしじゃ寂しいかもしれないからね」

 

 迅はそう告げると共に、彼を映すカメラを見詰める。

 

 作戦室でそれを聞いていた七海は、なぜか迅が自分に何かを訴えているような感覚を覚えた。

 

 明確なサインがあったワケでは無い。

 

 しかし、直感がそう断じた。

 

 今の言葉は、七海(じぶん)へ向けたものなのだろうという事が。

 

『試験は忍田本部長が監督し、許可が無い限り認められた者以外が試験場に来る事は禁じる。これはA級隊員であっても例外ではない』

 

 城戸はそんな迅の言動を聞きながらも、別段口を出す様子はない。

 

 恐らく、事前にある程度打ち合わせをしてあったのだろう。

 

 迅の言動は、城戸司令の黙認済みというワケだ。

 

 どんな取引があったかは分からないが、この場に置いて二人の利害は一致している、と見て良いだろう。

 

 二人の関係性はあまり良いものではなかった筈だが、城戸とて防衛施設であるボーダーの長。

 

 侵攻の被害が少なくなる可能性があるのならば、それに越した事はないだろう。

 

 以前の大規模侵攻の爪痕は、人々の心に未だに残り続けている。

 

 今度こそ、守り切る。

 

 城戸は感情面と実利の両方で、そう決意している筈だ。

 

 故に、普段の関係がどうあれ協力できる部分は協力する。

 

 それが出来るのが、城戸正宗という男なのだから。

 

『そして、試験は一週間後の11月30日の午前9:00を開始時刻としてこちらのスケジュールで執り行う』

 

 

 

部隊試験時刻
王子隊  9:00~ 9:30 
生駒隊 10:00~10:30 
香取隊11:00~11:30 
弓場隊 13:00~13:30 
影浦隊 14:00~14:30 
二宮隊 15:00~15:30 
那須隊 16:00~16:30 

 

 城戸の宣言と共に、スクリーンに試験時刻が表示される。

 

 朝9:00を開始時刻として、一試験ごとに30分のインターバル。

 

 午前の部と午後の部に分けて行い、16:30で最終試験が終了。

 

 そして、その試験の()()を見て、そこにいた誰もが気が付いた。

 

 この試験順は、昇格試験のポイントが低い順である、と。

 

『見ての通り、試験の順番はこれまで各隊が獲得したポイント順となっている。これはいわば、獲得した得点に応じた報酬、と考えて貰えれば良い』

 

 よって、と城戸は続ける。

 

『今回の試験は、他の試験参加者も()()()()()()()()()()だ。つまり、後に試験を行う部隊は、それまでの試験の情報を踏まえて試合に臨む事が出来るという事だ』

 

 城戸の宣言に、会場がどよめいた。

 

 これは、かなり大きな差だ。

 

 何せ、ほぼ知識のない状態の黒トリガー相手の戦いを、予め見た上で迅に挑戦出来るのだ。

 

 初見殺しの要素が大きい黒トリガー相手に、このアドバンテージがどれ程のものかは言うまでもない。

 

 もっとも。

 

 そういったアドバンテージを得て尚、易々と届かない高み。

 

 そこにいるのが、迅悠一という男だ。

 

 サイドエフェクト、未来視。

 

 この能力を十全に活かす少年が、どれ程の脅威か。

 

 少し他より優位になった程度で、油断など出来よう筈もない。

 

 故に、出来る準備は可能な限り万全にしておくべきだろう。

 

 どの部隊の試合を見るかという事も、重要になる筈だ。

 

『だが、このままでは試験の公平性を欠くだろうという意見もある。これまでの試験の結果、と言えばそれまでだが、全く情報の無い状態で黒トリガーに挑めば試験にすらならない可能性はある』

 

 そこで、と城戸は続ける。

 

『これより30分後、この会場で暫定順位一位の那須隊が迅と戦う機会を与える。そして、この試合に限り、試験参加部隊全員が観覧可能なものとする。尚、試合結果は試験の合否には一切関わらないものとする事を付け加えておく』

 

 

 

 

「大変な事になりましたね」

「ああ、だがやるしかない。これがチャンスである事に変わりはないんだから」

 

 小夜子の言葉に、七海はそう返答する。

 

 城戸の指示は、七海達にとっても渡りに船だった。

 

 何せ、黒トリガーの戦いを見るだけではなく、実際に体感出来るのだ。

 

 ただ試合を見ただけとは、得られる経験値があからさまに違う。

 

 明言はしなかったが、これは暫定一位を取った那須隊への報酬という意味も含まれているのだろう。

 

 試合そのものは他の受験者にも見られてしまうが、どの道次が最終試験。

 

 今回のA級昇格試験ではもう他のB級部隊と戦う事は無いのだから、見られてもなんら問題は無い。

 

 故に、全力を尽くす事に、なんら躊躇いはなかった。

 

 むしろ、そこまでしてやっと、一つか二つ情報を持ち帰れるか否か、というところだろう。

 

 黒トリガーとは、そこまで軽いものではないのだから。

 

「基本的に、無理をしない範囲で全員で攻撃を仕掛け続ける。恐らく、守りに入れば黒トリガーの出力に押し負けるからな。情報を得る為には、攻めるしかない」

「同感ね。あの黒トリガーにもし旋空のような攻撃手段があれば、守りに入るのは下策だわ。むしろ、そうなったら終わり、と考えて良いかも」

 

 七海と那須の意見は、一致している。

 

 この試合結果は、試験には反映されない。

 

 つまり情報収集の為の戦いであるのだが、だからと言って守りに入ればどうなるかは目に見えている。

 

 即ち、出力差による蹂躙だ。

 

 トリオン量の差は、明確な出力の差となって現れる。

 

 風刃がどんな攻撃方法を持つにせよ、37という莫大なトリオン相手に守勢に入ればどうなるか。

 

 故に、攻撃一択。

 

 前のめりになり過ぎない程度に、攻撃を仕掛け続ける。

 

 風刃についての情報が一切不明な現状、そうするしかないだろう。

 

「やろう。少しでも多く、情報を持ち帰るんだ」

 

 

 

 

『全隊員、転送完了』

 

 アナウンスが響き、全員が仮想空間に転送される。

 

『MAP、『工業地帯』。天候、『快晴』』

 

 ランダム選択されたMAPに、七海達が姿を見せる。

 

 選ばれたMAPは、工業地帯。

 

 複雑に入り組んだ、狭い区域の地形である。

 

 MAP中央に転送された那須は、レーダーに映し出された迅の位置を確認した。

 

「迅さんは、MAPの東端か。結構距離があるわね」

『どうしますか? 七海先輩は、割と近くに転送されていますが』

 

 那須は小夜子の連絡に一瞬だけ思案し、かぶりを振った。

 

「いえ、それよりも置きメテオラ(わな)を各所に仕掛けていきましょう。未来視相手には通じない可能性は高いけれど、無駄になったらなったで情報は取れるわ」

『了解しました。MAP情報をお送りしますね』

 

 小夜子の連絡を待つ間、那須は周囲を油断なく警戒していた。

 

 もしかすると、黒トリガーの能力がグラスホッパーのような移動力をブーストするタイプである可能性もある。

 

 故に、迅の位置はレーダーで常に確認しており、いつ動きがあっても良いようにしていた。

 

 もしくは遠距離から狙撃のような真似をされても良いように、射線の通る箇所への警戒は怠らなかった。

 

「え……?」

 

 ────────だが、()()()()の警戒など。

 

 黒トリガーは、容易く食い破る。

 

 那須は、相手のトリオン出力を鑑みて狙撃でなければ届かない距離であっても射程圏内に入る可能性も考慮していた。

 

 故に、轟音や建物の変化などには、常に気を配っていた。

 

 だが。

 

 だが。

 

 その()は、他に一切の変化を齎さず、壁を()()()飛来した。

 

 反応出来たのは、直撃の寸前。

 

 回避は間に合わないと判断し咄嗟に張ったシールドを、その刃はすり抜けた。

 

 正しくは、シールドの隙間を縫うような形で那須に斬撃を到達させた。

 

 まるで、何処にシールドを張るか分かっていたような────────いや、事実識っていたからこそ、出来た攻撃。

 

 迅の、風刃の遠隔斬撃が、一撃で那須に致命傷を与えた瞬間だった。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 足と胴を両断された那須の身体が崩れ、消え去る。

 

 撃破記録(キルスコア)、1。

 

 風の刃は、いとも容易く那須(エース)一人を斬り捨てた。



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迅悠一②

「あれが、風刃。迅の黒トリガーか」

 

 観戦席で、二宮は静かに呟く。

 

 開始早々に炸裂した、迅の遠隔斬撃による那須の撃破。

 

 その光景は、観覧していた者達に多くの衝撃を与えていた。

 

「嘘でしょ。どんだけ距離あったと思ってんのよ」

「確実に、狙撃銃クラスの射程はあるな」

「しかも旋空より速いよね、あれ」

 

 香取隊の面々は、初めて見る黒トリガーの出力にただ驚く。

 

 迅の位置は、那須のいる位置から遠く離れていた。

 

 少なくとも、旋空や通常の銃撃で届くような範囲の距離では無い。

 

 狙撃手クラスの射程は、持っていると考えて然るべきだろう。

 

「まあ、黒トリガーやしなあ。37もトリオンあったら射程も広いやろ」

「そやな。それに、あれが限界射程ゆう保証もないしな。下手すると、もっと遠くからでも撃てる可能性もあんで」

 

 生駒と水上は、淡々と風刃の性能についての所見を述べていた。

 

 性能(スペック)そのものには驚いたが、考えてみれば37というトリオンがあるのだ。

 

 普通では考えられないクラスの射程や速度を持っていても、なんら不思議では無い。

 

 そも、黒トリガーはノーマルトリガーとは明確に区別される圧倒的な規格外。

 

 普通のトリガーと同じ感覚で考えていれば、足元を掬われるだろう。

 

 埒外の武器に、何処まで想像力を巡らせられるか。

 

 そのあたりも、黒トリガー相手の戦闘では必須なのだ。

 

「迅……」

 

 周囲がざわめく中、弓場はじっと画面の中で風刃を構える迅を見据える。

 

 その視線は、黒トリガーの性能に驚くだけのものには見えない。

 

 不敵な笑みを浮かべる迅を、何処か痛ましいものを見るような目で、弓場は見ていた。

 

 

 

 

「まずは一人、と」

 

 迅は建物の屋上で風刃を携えながら那須が落ちた方向を見詰めていた。

 

 今のは、黒トリガーの持つ初見殺しの性質を十全に発揮した結果だった。

 

 風刃は、斬撃を地面に伝播させ、()()()()()()()()に攻撃を放てる。

 

 旋空と違って斬撃を地面から伸ばすまで建物を破壊したりする事もなく、障害物だらけの場所でも自由自在に斬撃を飛ばせる。

 

 むしろ、そういった場所こそ風刃の真骨頂だ。

 

 故に、この工場地帯というMAPは迅にとって有利に働く。

 

 奇しくも、ランダム選択された地形が迅に利する結果となった。

 

 ────────否。

 

 迅は、このMAPが選択される事を()()()いた。

 

 サイドエフェクト、未来視。

 

 それにより、このMAPが選択される未来は予見出来ていた。

 

 だからこそ、開幕早々の那須撃破を敢行したのだ。

 

 彼女があの地点から、合成弾を使う未来が視えたが故に。

 

 那須はメテオラを仕掛け終えた後、あの場で合成弾を生成し、迅に攻撃を仕掛けるつもりであった。

 

 変化炸裂弾(トマホーク)を使って、迅の反応を見るつもりだったのだろう。

 

 それ自体は、なんらおかしな事ではない。

 

 迅の黒トリガーの形状がブレードである以上、近接戦闘を得意とするであろうと予想するのは自然な流れではある。

 

 旋空のような攻撃が来る可能性までは予測していただろうし、未知の能力への警戒もしていただろう。

 

 だが、風刃の最大の脅威は、迅本人との相性の良さだ。

 

 迅のサイドエフェクト、未来視。

 

 これにより、迅は目視した相手の未来を視る事が出来る。

 

 つまり、相手がこれからどう動くか、という事を予め識る事が出来るのだ。

 

 当然狙撃や不意打ちは通用しないし、戦術そのものも見透かされる。

 

 戦闘において、これ程厄介な能力は類を見ない。

 

 そして当然、迅はそれを十全に使いこなしている。

 

 迅は那須の動きを未来視で読み取り、回避出来ない軌道で風の刃を叩き込んだ。

 

 言葉にしてみれば、ただそれだけ。

 

 しかし、開始早々に生きているだけで厄介な駒である那須を瞬殺した事は事実。

 

 これが、黒トリガー。

 

 これが、迅悠一。

 

 未来視のサイドエフェクトを持つ、S級隊員である。

 

「さて、()()ね」

 

 迅が、上空へ目を向けた。

 

 その、視線の先。

 

 建物の屋上から、一つの影が飛び出した。

 

 同時、無数に分割されたトリオンキューブが、迅に向かって降り注ぐ。

 

「よっと」

 

 着弾し、爆発するメテオラ。

 

 だが迅は慌てる事なく、一歩下がるだけで爆発を回避した。

 

 まるで爆発に巻き込まれない場所が分かっているようなその回避は、七海のそれを思わせる。

 

 しかし、それも当然。

 

 迅は、未来の()()が視えている。

 

 よって、どう動けば被弾しないかを、予め識る事が出来る。 

 

 故に。

 

「────!」

 

 上空から短刀型スコーピオンを構えて斬りかかった七海の斬撃も、難なくブレードで受け止めた。

 

「那須さんから情報は貰ったのかな。風刃の特性を、早くも理解したと見える」

「やっぱり、その黒トリガーの能力は……っ!」

「多分お察しの通り、と言っておくよ。詳しい説明はしないけどね」

 

 そこは頑張って解明してみてくれ、と言いつつ、迅はブレードで七海を押し返した。

 

 七海はその勢いに抵抗せず、バックステップで後退。

 

 再びスコーピオンを構え、迅に斬りかかった。

 

(風刃の能力は、さっき玲を落とした遠隔斬撃……っ! つまりあれは、遠距離攻撃を最も得意とするタイプの黒トリガー……っ!)

 

 那須が落ちた経緯については、既に情報を共有してある。

 

 試合開始直後、那須は自身の射程外からの一撃で落とされた。

 

 この工業地帯は狭いMAPではあるが、それを踏まえても風刃の射程はとんでもなく広い。

 

 そして、その剣速も半端ではない。

 

 地面を伝播するという察知し難い性質を持っていたとはいえ、あの那須が回避をする暇を与えられなかったのだ。

 

 視認した段階ではもう手遅れ、と思った方が良いだろう。

 

 七海は風刃の性質を、スコーピオンの規格外発展版のようなもの、と判断した。

 

 射程や速度がとんでもないもぐら爪(モールクロー)を、何処にでも生やせるようなものだ。

 

 つまり、何処から攻撃が飛んでくるか分からない怖さがある。

 

 スコーピオン使い相手であれば接近しなければ早々不意を打たれる事はないが、風刃の場合は違う。

 

 いわば、地面や壁の全てが斬撃の足場となっている。

 

 しかも、迅は相手が回避や防御が出来ないタイミングを的確に狙えるのだ。

 

 これを防ぐ為には、そもそも撃たせない、という事が肝要だ。

 

 故にこその、接近戦。

 

 迅に鍔迫り合いに集中させ、遠隔斬撃を撃つ隙を与えない。

 

 今はこれが最適解だと、七海は結論した。

 

 風刃がブレードの形状を取っている以上、斬撃を放つには剣を振る等のモーションが必要な筈だ。

 

 ならば、鍔迫り合いを続け、発射モーションを取らせない。

 

 これに尽きる。

 

「妥当な判断だ。けど、少し甘いよ」

「……!」

 

 だが。

 

 迅はそのブレードの一振りで、七海のスコーピオンを右手首ごと断ち切った。

 

 起こった事は、言葉にすれば単純だ。

 

 お互いがブレードを構えてぶつけ合い、その結果としてあっさりと七海のスコーピオンが砕かれた。

 

 確かに、スコーピオンは弧月等と比べれば刀身は脆い。

 

 今回の場合は速度とリーチを出す為に軽量化して刀身を伸ばしていた事もあり、壊れ易かった事自体は事実だ。

 

 しかし、それでも弧月とぶつかって一合では折れない程度の耐久力はあった筈だ。

 

 けれど、風刃の前では一発で砕かれた。

 

 これは、つまり────────。

 

「悪いけど、風刃のブレード本体の性能も結構高いんだ。切れ味と耐久力は弧月以上、軽さはスコーピオン以上、といった感じでね」

「……!」

 

 ────────風刃の刀身そのものの性能(スペック)もまた、黒トリガーに相応しいそれであったというワケだ。

 

 考えてみれば、当然である。

 

 37という、莫大なトリオン。

 

 それが使われているのが遠隔斬撃の射程距離()()だなどという考え方自体、間違っていたのだ。

 

 その刀身自体にも、膨大なトリオンの恩恵が備わっていて当然。

 

 風刃の脅威が遠隔斬撃特化であると考えたが故の、陥穽。

 

 右手首を失った七海に対し、迅は容赦なく追撃を放つ。

 

 ブレード、一閃。

 

 下から突き上げる刃の一撃は、咄嗟に展開したスコーピオンによって受け止められた。

 

 同じ愚は冒さない。

 

 刀身を可能な限り凝縮し、強度を引き上げた刃で七海は迅の斬撃を受け止めていた。

 

 間一髪。

 

 七海の首を狙ったブレードの一撃は、凌ぐ事が出来た。

 

 そう。

 

「はい、予測確定」

「が……っ!?」

 

 ブレードの一撃、()()は。

 

 地面から伸びる、四本の斬撃。

 

 それは七海が広げたシールドの一点を狙って突き破り、彼の胸を斬り裂いていた。

 

 七海の感知痛覚体質(サイドエフェクト)自体は、反応はしていた。

 

 何処に攻撃が来るかまでは、察知出来ていた。

 

 だが。

 

 だが。

 

 その攻撃の()()までは、七海のサイドエフェクトは判別しない。

 

 分かるのは、その()()()()のみ。

 

 攻撃の強弱や殺気の有無までは、感知出来ない。

 

 七海のサイドエフェクトを識るからこそ、放った一撃。

 

 未来計測、その真価。

 

 七海の未来(うごき)を読み切った、致死の一撃であった。

 

「……!」

「おっと」

 

 しかし。

 

 七海は、致命傷を負いながらも風刃のブレードに向かって、自らの身体を押し込んだ。

 

 必然、ブレードは七海の腹に突き刺さる。

 

 だが、怯む様子は微塵もない。

 

 既に、七海は致死の一撃を受けている。

 

 ならば、多少傷が増えたところで、些細な事でしかない。

 

 それよりも。

 

 迅のブレードを一瞬であっても拘束している、という事実だけが重要だ。

 

「────」

 

 この瞬間。

 

 物陰に隠れていた熊谷が、旋空の発射態勢に入っていた。

 

 自身が捨て石になる事など、承知の上。

 

 現在、風刃のブレードは七海の身体に埋め込まれた状態にある。

 

 ブレードを引き抜くにせよ破棄するにせよ、一手間がかかる事に違いはない。

 

 そして、その一瞬が稼げれば充分。

 

 旋空の一撃で、七海諸共薙ぎ払う。

 

 未来が視えるというのであれば、見えても防げない攻撃を放てば良い。

 

 そう考えたからこその、捨て身の策。

 

 そのくらいしなければ勝てないだろうという、一種の確信。

 

 迅という少年を評価するが故の、決断だった。

 

「残念だけど。()()、遅いよ」

「え……?」

 

 されど。

 

 その評価は、まだまだ甘過ぎた。

 

 旋空を放とうとしていた、熊谷。

 

 その身体が、地面から伸びた二振りの斬撃によって斬り裂かれていた。

 

 そこで、気付く。

 

 風刃に纏わりついていた、8本の光の帯。

 

 それが、()()()()()()()()いた。

 

 七海に使用した風の刃は、()()

 

 そのうち二本を、七海に撃った時と同じタイミングで熊谷に向かって放っていたのだ。

 

 そして。

 

「日浦……っ!」

 

 

 

 

「……っ!?」

 

 通信越しに届いた、七海の叫び。

 

 それを聞いた瞬間、茜は即座にテレポーターを起動。

 

 そして、その一瞬後には地面を伝った一振りの斬撃が茜のいた場所へと伸びていた。

 

 身を潜めていた屋上から、別の屋上へ。

 

 普通にしていたのでは回避は間に合わないし、防御も無意味。

 

 ならば、テレポーターを切る他道はなかった。

 

 茜は、熊谷が失敗した時の為に狙撃準備を整えていた。

 

 たった今。

 

 七海の声が届いたのは、引き金を引く直前であった。

 

 現在茜は、バッグワームを使っていた。

 

 もしも引き金を引いてしまっていたならば、テレポーター起動が間に合わずあのまま落ちていただろう。

 

 だが、間一髪でテレポーターの起動は成功した。

 

 離れた場所に転移し、茜がその姿を現出させる。

 

「え……?」

 

 しかし。

 

 茜が転移を完了させた、その瞬間。

 

 床から伸びた斬撃が、彼女の胸を貫いていた。

 

 そう、先ほど茜を狙って伸びた斬撃は、()()

 

 残る一つの斬撃は、茜が転移するこの場所へと()()()()いた。

 

 何が起きたかなど、言うまでもない。

 

 迅は未来を視て、茜の転移先の情報を取得。

 

 後は、その場所へと攻撃をセットしただけ。

 

 茜は、まんまと自ら刃へと飛び込んでしまったワケである。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 少女の身体が、光となって消える。

 

 茜は自らの失策を悟り、戦場から脱落した。

 

 

 

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 七海と熊谷。

 

 二人の身体もまた、光となって消え失せる。

 

 迅はその光景を見据えながら、風刃をおもむろに掲げてみせた。

 

「初見殺しも甚だしいけど、リハーサルでやられるワケにはいかないからね。これも経験、って事で」

 

 迅はふぅ、とため息をつき、笑みを浮かべる。

 

 そして、ゆっくりとその続きを口にした。

 

「悪いね。風刃と俺のサイドエフェクトは、相性が良過ぎるんだ」

 

 ただの純然たる事実として、彼は告げる。

 

 己の力を。

 

 師の形見(風刃)の、性質を。

 

「確かに、風刃(これ)自体は幾らでも穴がある。だけど、俺の未来視(ちから)があれば、その穴は幾らでも埋められるんだ」

 

 風刃だけが、強いのでは無い。

 

 未来視を持つ迅と、望む場所に攻撃を届かせる風刃。

 

 この組み合わせがひたすらに、凶悪なのだ。

 

 何処に逃げようと、何処に隠れようと、迅の前では全てが無意味。

 

 風の刃は、迅速に過たず標的を斬り裂く。

 

 これこそが、風刃。

 

 これこそが、迅悠一。

 

 評価規格外、S級隊員の脅威(ちから)なのだから。



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迅悠一③

 

「…………完敗だな」

 

 七海は放り出された緊急脱出用のベッドの上で拳を握り、悔し気に内心を吐露する。

 

 情報収集に徹し、勝てるとまでは考えていなかったとはいえ────────真逆、あそこまで一方的にやられるとまでは思っていなかった。

 

 黒トリガー、風刃。

 

 その出力や特性を見誤っていた事は、事実だ。

 

 だが。

 

 何よりも、迅自身の実力。

 

 未来予知を戦闘転用した時の、脅威度の上限。

 

 それを、見誤っていた。

 

 七海は自身が回避に有用なサイドエフェクトを持っている為、迅の能力の戦闘転用のレベルをある程度想定していた。

 

 結果として、想定が甘過ぎたとしか言いようがない。

 

 攻撃だけではなく、こちらの思惑まで見透かされる。

 

 それは戦術能力であるとか、機転の良さであるとか、そういったものとはまるで違う。

 

 ただ、先の展望を知られているという理不尽。

 

 そうとしか、言いようのない。

 

 文字通り、()()が違う。

 

 七海や影浦のそれは、いわば人間型のレーダーだ。

 

 周囲に張り巡らせたレーダーによって攻撃を自動感知し、対処する。

 

 そういった、感覚器の延長線上の能力に過ぎない。

 

 だが。

 

 迅の未来視(それ)は、この世界をゲームに見立てた管理者────────即ち、神の視点だ。

 

 世界そのものを俯瞰し、起きる事象を時間軸を超越して読み取り、己の動きにフィードバックさせる。

 

 普通の人間では持ちようのない、超越者の瞳。

 

 それが、迅が視ている景色なのだ。

 

 遠い。

 

 視ている景色が、遠過ぎる。

 

 強くなったと、思っていた。

 

 仲間達も、充分背中を預け遭える間柄となっている。

 

 されど。

 

 それでも。

 

 迅のいる高みは、まだ遠い。

 

「けど、絶対に届かない、とは思わない。今回得たものは、確かにある」

 

 だが。

 

 その背中が見えない程遠い、とは思わない。

 

 たとえ神様の如き眼を持っていたとしても。

 

 迅自身は、人間なのだ。

 

 人間である以上一人で出来る事には限界があるし、彼は全能の神などでは断じて無い。

 

 ただの、少しだけ変わった力を持った、責任感が強過ぎるだけの人間なのだ。

 

 聞けば、太刀川は風刃を持つ前の迅と個人戦を繰り返し、五分五分の戦績であったのだという。

 

 つまり。

 

 迅は、無敵ではない。

 

 太刀川の個人戦力が突出しているのは事実だが、未来視は何も万能の力では無い。

 

 詳細までは分からないが、負ける事がある以上、何処かに穴がある筈だ。

 

 少なくとも、一切勝ち目のない相手、というワケではない。

 

 それに。

 

 今の試合、迅はシールドもバッグワームも用いる素振りを見せなかった。

 

 黒トリガーがノーマルトリガーと併用出来ない、という事は知っている。

 

 そのあたりの基本的な知識は、この黒トリガー(うで)の事を説明された時に聞かされている。

 

 黒トリガーにも様々な種類があり、中にはシールド等に類似した機能が付いている場合もあるそうだが、先ほどの試合では少なくとも迅がシールドを使う素振りはなかった。

 

 使うまでもなかった、という可能性もあるが、今回の試合は最終試験に臨む者への黒トリガーの実地説明、という側面もある。

 

 それを考慮すれば、少なくとも風刃にはシールドや隠密機能はない、と考えて良いだろう。

 

(あとは、玲達からも色々話を聞かないとな。一週間しかないんだ。やれる事は、全部やっておこう)

 

 七海はベッドから降り、立ち上がる。

 

 その瞳には、確たる決意が燃え盛っていた。

 

 

 

 

「…………あの那須隊が、こうもあっさり全滅するなんてね」

 

 試合映像を見ていた王子は、息を飲んでそう呟いた。

 

 那須隊の強さは、その身を以て知っている。

 

 B級一位という順位に相応しい強さを、彼等は持っている。

 

 前期までとは、別物。

 

 A級に手を伸ばす資格は、充分にあるだろう。

 

 だが。

 

 迅は、黒トリガーは、その彼等でさえ一蹴した。

 

 彼らが無謀だったワケでも、考えなしであったワケでもない。

 

 ほぼ一切の情報が無い中、可能な限りの策を以て当たった筈だ。

 

 されど。

 

 その全てが、迅の前には無意味だった。

 

 那須は即座に場所を見抜かれて瞬殺され。

 

 七海は鍔迫り合いの結果、落とされた。

 

 彼を囮に攻め込んだ熊谷も行動前に撃破され。

 

 茜は、テレポーターの転移先すら読まれて落とされた。

 

 彼らが弱かったワケではない。

 

 迅が、強過ぎるのだ。

 

 正直、勝ち筋が見当たらない。

 

 少なくとも、現時点では。

 

(でも、そんな泣き言を言っている暇は無い。誰に頭を下げる事になっても、構うものか。必ず、糸口を見つけてやる)

 

 王子はそう決意すると、近くで観戦していた香取に近付いた。

 

「カトリーヌ」

「何よ」

「君と、君の部隊に話がある。この後、付き合ってくれないか?」

 

 香取は突然の王子の申し出に眉を顰めながらも、その意図を察して頷いた。

 

「いいわよ。癪だけど、あたし達だけじゃどうしようもないもの」

 

 行くわよ、と部隊の人間に発破をかけ、若村の尻を蹴飛ばしながら香取は王子達に付いてその場を後にした。

 

 香取は王子と違い他の部隊の試合を観戦する権利があるが、それだけでは迅相手には心もとない事は理解したのだろう。

 

 彼女は王子にあまり良い感情は抱いていないのだが、他のコネも思い至らない以上、仕方ないと割り切ったらしい。

 

 最終試験は、迅が相手となる。

 

 つまり、他の部隊との争いという側面よりも、ひたすらに自部隊の地力や戦術が重要になる。

 

 今更、戦術や実力を隠し立てするメリットは無い。

 

 ならば、腹の内を明かしてでも共に対策を練るべき。

 

 プライドを投げ捨ててでも、そうする価値がある。

 

 今の香取は、そう判断したのだ。

 

 香取達に足りない戦術思考を持っている王子との協力は、そう考えれば悪くない。

 

 性格的な相性というものを度外視すれば、有益な協力相手と言える。

 

 王子は那須隊には繰り返ししてやられているが、それは彼が意地を張った結果、と言えなくもない。

 

 元々、戦術能力や咄嗟の機転は、かなりのものを持っているのだ。

 

 戦術そのものがまだ学び始めたばかりと言える香取隊にとっては、足りないものを埋めてくれる間柄と言って差し支えない。

 

 性格的な相性が最悪なので長期的な協力には難があるだろうが、一週間程度の協力関係なら問題は無い筈だ。

 

 こうして、香取隊と王子隊は一足先にこの場を後にした。

 

 既に試験に関する説明は終わっており、退席してもなんら問題は無い。

 

 事実、同席していた忍田は何も言わない。

 

 彼が此処にいるのは、あくまでも関係のない者が来ないかという監視の為だ。

 

 試合が始まる前に、終了後は自由解散で良い、という旨は既に告げてあるのだから。

 

「ふん。行くぞ」

「あ、待って下さいよ二宮さん」

 

 二宮はそれだけ言うと、隊員を引き連れて部屋を後にした。

 

 黒トリガーの性能や迅の実力に関して思うところはあるだろうが、此処に留まるメリットは無いと見たようだ。

 

「ちっ、行くぜ」

 

 影浦もまた同様のようで、「あ、待ってよー」と追いかける北添達と共に退室した。

 

 残っているのは、弓場隊と生駒隊だけである。

 

「お、お疲れさーん。まだ残ってたんだ、弓場ちゃん。生駒っち」

「迅……」

 

 そこに、何食わぬ顔をして迅が姿を見せた。

 

 迅を見た弓場は険しい顔をしながら、隣にいた隊員達に声をかけた。

 

「おめェー等、先に帰ってろ。俺ァちとやる事がある」

「分かりました」

 

 神田達はその言葉に従い、弓場を残してその場を後にする。

 

 それを見届けると、弓場は生駒の方を振り向いた。

 

「生駒ァ、おめェーも付き合え」

「かまへんよ。てなワケで俺は残るわ。後は帰ってーな」

「おう、ほなら先帰るで」

 

 水上は生駒の言葉通り隊員を連れ、部屋を出た。

 

 これで部屋の中には忍田を除けば迅、弓場、生駒の三人だけとなる。

 

 そして弓場は、迅を見据えて告げた。

 

「迅、面ァ貸せ。屋上(うえ)行くぞコラ」

 

 

 

 

「それで、話って何かな?」

 

 迅は本部の屋上に出て、振り返りながらそう告げた。

 

 既に時刻は夜。

 

 警戒区域に包まれたこの場所からは、待ちの明かりは遠い。

 

 周囲は闇の帳が降り切り、星々の明かりだけが彼等を照らしていた。

 

「単刀直入に言うぜ。迅、おめェーやっぱり風刃(そいつ)を手放す気だな?」

 

 弓場は迅の腰にあるトリガー────────風刃を指さし、そう告げた。

 

 迅はそんな弓場に対し、苦笑しながら息を吐いた。

 

「そう思った理由は?」

「とぼけんじゃねぇ。あん時はまだ半信半疑だったが、最終試験の相手がおめェーで、しかも黒トリガー(そいつ)を使うって時点で確信した」

 

 弓場は厳しい表情で迅を見据え、告げる。

 

「────────今回の試験と最終試験。その両方、風刃(そいつ)の扱い方を教える為にやったんじゃねぇのか?」

 

 元々、弓場は今回の試験の特別ルールに疑問を抱いていた。

 

 第二試験、旗持ち(フラッグ)ルールに関してはまだ分かる。

 

 あれは戦略上重要な駒や、もしくは被救助者を守る為の訓練だろう。

 

 ()()()()()()()()()()を配置する事で、それを守る訓練を行わせる。

 

 大方、第二試験の狙いはそんなところだろう。

 

 だが、第三試験。

 

 ビッグトリオンルールを採用した意味が、分からなかった。

 

 通常、トリオンの保有量は生まれつき決まる先天的なものだ。

 

 訓練次第で多少は増える事もあるかもしれないが、それでも劇的に増えたりなどはしない。

 

 だからこそ、トリオンが増えた状態で行うルールは()()()()()()()()()

 

 それが、分からなかった。

 

 だが。

 

 最終試験。

 

 黒トリガーを使う迅と戦う、という試験内容が公表された時。

 

 弓場は、確信した。

 

 トリオンは、()()()()大きく向上する事はない。

 

 ただ一つ。

 

 ()()()()()()使()()()()()()という例外を除いて。

 

 黒トリガーを使用すれば、トリオン数値は文字通り跳ね上がる。

 

 そして当然、段違いの出力になったトリガーの使用感は、通常のトリガーとは全く違う。

 

 膨大なトリオンの扱い方や、有効な活用方法。

 

 それらを体感する為には、実際に多量のトリオンを得た経験をするのが手っ取り早い。

 

 ビッグトリオンルールは、その為に採用したルールであると考えれば辻褄が合う。

 

「増えたトリオンを扱う感覚を覚えさせる為にビッグトリオンルールを採用して、最終試験で実際に風刃を使うところを見せる。そうやって、風刃(そいつ)の使い方を学ばせるのがおめェーの狙いだったんじゃねぇのか?」

「…………参ったね。そこまで見抜かれてるか」

「たりめーだ。何年、おめェーの友達(ダチ)やってっと思ってやがる。見縊んなコラ」

 

 弓場は眼鏡をギラつかせ、迅を睨み付けた。

 

 迫力ある絵面だが、迅はその視線を正面から受け止めている。

 

 そして、苦笑しながら口を開いた。

 

「まだ、確定はしていない。けれど、一つの可能性として有り得るんだ。俺が、風刃(こいつ)を手放す未来がさ」

 

 だから、と迅は続ける。

 

「どうせ手放すなら、有効に使って欲しいだろう? 今回のは、その為の保険のようなものさ。何も、手放すのが決まったワケじゃない。心配しなくても、大丈夫だよ」

「馬鹿野郎、おめェーそいつァ師匠の形見っつってただろうが。んなモン手放すのを見過ごして、大丈夫なワケあっかコラ」

 

 ジロリ、と弓場は迅を見据える。

 

 詳しい話までは聞いていないが、風刃が迅の大切な人────────彼の師にあたる人物が()()()ものである事は知っている。

 

 弓場は、覚えている。

 

 風刃の所有者を決める為の戦いで、鬼気迫る勢いで他の候補者を倒し尽くした迅の顔を。

 

 淡々と作業のように対戦相手を薙ぎ倒していった迅の顔は、まるで能面のように無表情で────────弓場にはそれが、泣いているように見えた。

 

 それ程まで風刃(かたみ)に拘った迅が、それを手放す事を許容する。

 

 友人として、心配にならない筈がなかった。

 

 迅は、昔から無理をし過ぎるきらいがある。

 

 最近はマシになってはいるが、根本の自罰的な所はそのままだ。

 

 大義の為に、個人の心情を押し殺す。

 

 成る程、それはある種の正義なのだろう。

 

 正しい行いではある筈だ。

 

 だが、敢えて言おう。

 

 ────────クソ食らえだと。

 

 (とも)の幸福を犠牲にして成り立つ平和などに、価値があるものか。

 

 故に、弓場は迅の返答次第では、何が何でもそれを止めさせるつもりだった。

 

 彼が頑固なのは、知っている。

 

 しかし、それでも退く気はなかった。

 

 故に、返答を待った。

 

「ええやん。好きにさせたっても」

「────────あん?」

 

 だが。

 

 そこに待ったをかけたのは、それまで黙って同席していた生駒だった。

 

 弓場は青筋を立てながら、何のつもりだ、と生駒を視線で威圧した。

 

「生駒ァ、おめェーどういう了見だコラ」

「どうも何も、連れて来たの弓場ちゃんやん。やから、俺も口出しする権利くらいあると思わん?」

「おめェーを連れて来たのは、迅から何か聞いてるかもしんねェと思ったからだ。昔から、なんだかんだ口は堅ェからな。何か言い含められてる事でもあんだったら、言ってみろ」

 

 ジロリと睨みつけながら、弓場は生駒に返答を迫った。

 

 横槍を入れた以上、生半可な理由では許さない。

 

 威圧(ドス)の効いた詰問に対し、生駒は────────。

 

「知っとったで。迅が、風刃(それ)手放すかもって」

 

 ────────あっけらかんと、そう答えた。

 

「前に、玉狛行った時に聞いたんや。そういう可能性があるから、協力してくれってな」

「おめェー、なんでそれを黙って────」

「俺が、黙っておくように頼んだんだよ。広めて良い情報じゃないからね」

 

 迅はそう告げると、ポンポン、と弓場の肩を叩いた。

 

 そして、話を続けた。

 

「風刃を手放す可能性がある、って情報は、口外しないよう頼みたいんだ。今後の事を考えれば、その方が良いみたいだからね。それに」

「迅は、色々考えた上でやっとんねん。だったら、余計な事すんのは野暮とちゃうか?」

「だが、それじゃあ……っ!」

 

 迅の気持ちはどうなる、と続けようとした弓場だが、ゴーグルを外した生駒の表情を見て押し黙る。

 

 生駒は、これまでに見た事のないほど真剣な顔で、弓場を見据えていた。

 

「迅が皆の為に色々すんのを止めろ言うても、無理やろ。こいつ、責任感の擬人化みたいな奴やで? どっち道、きっつい事は変わらんわ」

 

 けどな、と生駒は続ける。

 

「だったら、こっちで支えて少しでも歩き易くしたらええやろ。んな当たり前の事、弓場ちゃんやったら分かってたんと違う?」

「……!」

 

 弓場は、押し黙る他なかった。

 

 迅は、見て見ぬ振りが出来る程器用ではない。

 

 時には露悪的な振る舞いをする彼だが、その性根は繊細であると知っている。

 

 ただ、彼は我慢が出来なかっただけなのだ。

 

 なまじ人とは違うものが視える眼を持ってしまった為に、悲劇の可能性を無視出来ない。

 

 無論、未来が視えたからと言って、一人で出来る事など限界がある。

 

 ボーダーという組織の助けを借りてやっと、救える人の数を増やす事が出来た。

 

 逆に言えば。

 

 彼は、自分が頑張れば救う人数を増やせるのだと、知ってしまった。

 

 自分の未来視(ちから)を酷使すれば、それだけ救える数を増やせるのだと、理解してしまった。

 

 ならばもう、止まれない。

 

 此処で止まる事は、救える筈だった人を見捨てる事と同義。

 

 そんな真似を、迅が出来る筈もなかった。

 

 迅は、彼は、優し過ぎるのだから。

 

 故に、生駒は迅を止めても無駄だと理解した。

 

 ならば、と考えを変えたのだ。

 

 止められないなら、手伝うしかないと。

 

 少しでも動いて、迅の負担を減らす。

 

 時には愚痴を聞いて、迅を労う。

 

 それが友達として出来る事なのだと、生駒は考えた。

 

 普段飄々としていても、生駒は情に厚い男だ。

 

 迅を見捨てる選択肢など、傍から無い。

 

 付き合うと決めたならば、何があろうと最後まで付き合う。

 

 それが、浪花人情というものなのだから。

 

「…………俺もヤキが回ったな。まさか、おめェーに説教されるたぁよ。情けねえ」

「お? それ褒めてる? 俺の事褒めてるん?」

「褒めてねぇよ。ただ、感心しただけだコラ」

 

 弓場はふぅ、とため息を吐いて、迅に向き直った。

 

 そして、告げる。

 

「分かった。これ以上は何も言わねェ。けどな、なんかあったら頼れ。友達(ダチ)の頼みくらい、いつでも聞いてやっからよ」

「ありがとう、弓場ちゃん。その時は、遠慮なく頼らせて貰うよ」

「そやそや、困った時はお互い様やで」

 

 そう言って、三人は笑い合う。

 

 それは、星空の下での誓い。

 

 友達同士の、ささやかな約束。

 

 未来を見据えた、三人の絆の証左であった。



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太刀川慶①

 

「まず、各々の感想を聞こう。迅さんと、黒トリガーと相対して、どう思った?」

 

 開口一番、七海はそう口にした。

 

 迅との試合────────彼曰く()()()()()が終わり、七海達は作戦室で顔を突き合わせている。

 

 普段であればミーティングは翌日改めてやるところだが、今回ばかりは話が違う。

 

 何せ、迅の未来視も、黒トリガーも、相対するのはこれが初。

 

 しかも、聞くところによれば風刃を持った迅と戦った経験のある者は、誰もいないのだという。

 

 あの太刀川でさえ、風刃を手にしてS級隊員になって以降の迅とは戦闘経験がないのだ。

 

 まあ、風刃の、黒トリガーの性質を考えれば無理もないが。

 

 黒トリガーは、高いトリオン能力を持つ者が自身の生命と引き換えに遺すいわば()()だ。

 

 そして当然、託された者にとって黒トリガーは単なる強力な武器以上の存在価値がある。

 

 少なくとも、軽々しく力を誇示する為に使って良いものでは無い。

 

 迅の黒トリガーは、彼の師────────最上宗一という人物が遺したものらしい。

 

 旧ボーダーの、恐らくは七海の姉とも面識のあった相手。

 

 かつて姉が所属していた頃のボーダーの話は、小南やレイジ、そして勿論迅でさえ、あまり口にする事は無い。

 

 日常の中でぽろりと当時の情景が口から零れる事があるだけで、積極的に話そうとする者は誰もいない。

 

 だから、知らないのだ。

 

 迅にとって、最上宗一という人物が、どれだけの存在であったかは。

 

 だが、伝え聞く話だけでも、迅にとって風刃はただの武器以上の価値があると断言出来る。

 

 だからこそ、迅は軽々とその武器を振るわないのだ。

 

 故に、今回がどれだけ異例の事態なのかは推察出来る。

 

 まるで力を誇示するように七海達を一蹴した迅だが、あれは恐らく彼が必要だと考えたからこそ行ったのだろう。

 

 一度、風刃の力を思い知らせる必要がある。

 

 そう思わせる何かを、迅は視たのだろう。

 

 それならそれで、構わない。

 

 今の迅なら聞けば教えてくれる可能性もあるが、今すべき事はそれでは無いと、七海は感じていた。

 

 迅は、あくまで七海達なりの方法で自分を超えて欲しいのだろう。

 

 故にこそ、七海達には追加説明も、個人的な助言も行わず、ただ戦う相手として立ち塞がった。

 

 七海達を、那須隊を、信じて。

 

 ならば、応えるだけだ。

 

 その想いに。

 

 その信頼に。

 

 七海の決意は、皆に伝わっている。

 

 だからこそ、彼女たちは集まった。

 

 まだ身体が戦いの感覚を覚えているうちに、それを言葉としてフィードバックする為に。

 

「ハッキリ言って、気付いたのは直前だったわ。視界の端から何かが飛び出すのが見えて、咄嗟にシールドを張ったのだけれど────────シールドをすり抜けるように、斬られてしまったわ」

 

 最初に口を開いたのは、那須。

 

 彼女は当時の情景を思い返しながら、そう告げた。

 

 那須の空間把握能力は、常人のそれでは無い。

 

 360度全ての空間情報を瞬時に処理し、即座に行動にフィードバックさせる。

 

 それが可能だからこそ、変化弾(バイパー)のリアルタイム弾道制御なんて離れ業が出来るのだ。

 

 那須の視界は、全方位に目があると言って良いレベルにある。

 

 だからこそ、気付いたのだろう。

 

 自身に迫る、風の刃に。

 

「前兆は、何もなかったと思うわ。いきなり壁から斬撃が飛んできた、っていう感覚ね」

「なら、周囲の建物には何も変化がなかったって事か」

「ええ、少なくとももぐら爪(モールクロー)みたいに地面や壁に穿孔させているのではないみたい。地面をなぞっていた、そんな感じがしたわ」

 

 那須はそう言って、自分なりの所見を口にした。

 

 先ほどは真っ先に落とされた那須だが、何も情報を持ち帰れなかったワケではない。

 

 落とされたのは一瞬だが、高い空間把握能力を持つ彼女はその刹那の間に様々な情報を拾っていた。

 

 転んでも、ただでは起きない。

 

 そんな、彼女の執念の賜物である。

 

 那須は自分が弱いとは思っていないが、同時に誰よりも強い、なんて自惚れてもいない。

 

 自分より単騎の能力が強い者など幾らでもいるし、総合力で勝る者も何人かいる。

 

 だからこそ、ただでは落ちない。

 

 たとえ自身を犠牲にせざるを得ない状況であろうと、きっちり情報は持ち帰り次の糧とする。

 

 それが、B級上位という環境で那須が上を目指す為に学んだ訓戒である。

 

 今回の相手は、これまでの相手とは文字通り次元の違う存在だ。

 

 サイドエフェクト、未来視。

 

 戦闘転用可能な副作用の恩恵がどれ程のものかは、七海の件で知っている。

 

 今回は、菊地原の持つ強化聴覚というサイドエフェクトの厄介さを身を以て味遭った。

 

 攻撃や行動を察知される、というものがどれ程の枷となるのか。

 

 菊地原との戦いは、それを充分以上に実感させた。

 

 戦力の逐次投入からの不意打ちを基本戦術とする今の那須隊にとっては、これ以上なく厄介な相手だったのだ。

 

 だからこそ、今回の第三試合は正面切っての衝突を選択せざるを得ず、同士討ちの多発という事態を招いた。

 

 何も、好き好んで相打ちを多発させたワケではないのだ。

 

 ただ、そうする他なかったからこそ、あのような結果となった。

 

 菊地原の存在がなければ、もう少し違った展開も有り得たかもしれない。

 

 何せ、不意打ちが効かないのだ。

 

 この時点で、那須隊の選択はかなり狭まっていたと言って良い。

 

 戦闘転用可能なサイドエフェクトというのは、それだけ脅威なのだ。

 

 そして、迅の副作用(サイドエフェクト)は数あるそれの中でも最上級のものと言って良い。

 

 未来視。

 

 文字通り、未来を視る力。

 

 戦闘においてこれほど有用で、尚且つ厄介な能力はそうないだろう。

 

 そんな相手と、戦うのだ。

 

 拾える情報は、幾らあっても困る事はないだろう。

 

「それから、斬撃の速度も尋常じゃなかったわ。体感的に、例の生駒旋空並みだったとしてもおかしくないわね」

「問題は、それがトップスピードか否かだな。出力が調整可能となれば、更に速くなる可能性は充分有り得る」

「そうなると、もう反応出来るかどうかすら不明ね」

 

 迅は今の試合で手は抜かなかった筈だが、全てを出し切ったかと言われれば疑問符がつく。

 

 思えば迅はある程度余裕を持って戦っていたように見えるし、お世辞にも死力を尽くしていた、とは言い難い。

 

 あの性能が風刃の全力である保証は、何処にもないのだ。

 

 だが、これは水掛け論にしかならない。

 

 速度が上がるのならば、それに対応していくしかないのだから。

 

「そういえば、あたしが旋空を使おうとした時踏み込んだんだけどさ。どうにも踏み込んだ先を正確に読まれて斬撃を撃ち込まれたっぽいんだよね」

「私も、テレポーターの転移先を読まれて攻撃を置かれました」

「ああ、迅さんなら、熊谷や日浦がどう動くかも視えていただろうからな。それ自体は、何もおかしくはない」

 

 平然と言っているが、普通に考えれば明らかにおかしい。

 

 熊谷は、まだ分かる。

 

 踏み込んだとはいえ、精々数歩程度。

 

 それまでの動きを見ていれば、どう動くかは大体想像がつく。

 

 動く先に攻撃を当てる事は、そう難しくはないだろう。

 

 だが、茜の場合は違う。

 

 茜は、テレポーターの転移先を正確に読まれて攻撃を()()()()のだ。

 

 迅のいる位置からは茜の姿自体は見えたかもしれないが、その視線は帽子に隠されて見えなかった筈だ。

 

 テレポーターは、視線の向かう先さえ分かれば攻撃を置いて対応する事自体は容易い。

 

 しかし、逆に言えば視線さえ隠せれば移動先は隠蔽出来る。

 

 帽子を目深に被り、可能な限り目元を隠していた茜の判断自体は間違っていない。

 

 されど、迅相手にはその根本が覆る。

 

 未来を読んでいるのだから、視線の先など関係がない。

 

 ただ、視えた未来の映像通りに攻撃を放ち、仕留めるのみ。

 

 通常の対策では、どうにもならないのである。

 

「玲一、何か、迅さんから聞いていないの? たとえば、未来視の()()()()とか」

 

 そこで、那須が七海に尋ねた。

 

 未来視の、そもそもの発動条件。

 

 それが、何なのかという事を。

 

 七海のサイドエフェクトがそうであるように、便利に見える能力にも制限や制約は存在する。

 

 たとえば、七海の場合はあくまで感知出来るのは自分の肉体を対象にした攻撃のみで、武器や仲間を狙われた場合は発動せず、ダメージが発生しない拘束攻撃等には反応しない。

 

 果たして、迅の副作用にはそういった制約や発動条件があるのか。

 

 それ次第で、大分変わって来るのだから。

 

「俺が聞いた話じゃ、発動条件は対象の人物の肉眼での()()だ。会った事のない相手や、写真で見ただけの相手じゃあ能力は発動しないらしい」

 

 肉眼での、視認。

 

 それが、迅の未来視の発動条件。

 

 これは、かなりの収穫と言える。

 

 発動条件も何も分からない状態よりは、雲泥の差だ。

 

「それじゃあ、身を隠し続ければ居場所を察知される事はないって事なのかしら? でも、その発動条件だと狙撃なんかは防げないんじゃない?」

「いや、そうでもない。狙撃をやるって事は、基本的に仲間と連携するから、そのチームメイトの未来を視れば連鎖的に狙撃は感知出来る」

 

 それに、と七海は続ける。

 

「この肉眼での視認、っていうのは、正直いつでもいいんだ。だから正確には、迅さんに肉眼で視認()()()()()()()相手の未来が視える。だから、こっちの全員の未来は視られてるものとして考えた方が良い」

「…………成る程。そう巧くはいかないか」

 

 那須は溜め息を吐き、難易度を上方修正し直した。

 

 こちらの未来は全て視られている。

 

 その前提で戦うとなると、かなり厳しい戦いを強いられる事は必須だ。

 

 矢張り、情報が足りない。

 

 一度未来視相手の戦いを経験したが、まだまだ知識が足りていない。

 

 手持ちの情報だけでは、もう頭打ちだ。

 

「俺達だけで得られる情報は、一先ずこのくらいか。やっぱり、行かなきゃダメだな」

 

 七海はさて、と言いながら立ち上がり、告げた。

 

「ちょっと、太刀川さんの所に行ってくる。あの人なら、迅さん相手の立ち回りも知っている筈だからな」

 

 

 

 

「聞いたぜ。お前、風刃持った迅と戦うんだろ?」

「話が早いですね、太刀川さん」

 

 太刀川隊、作戦室。

 

 そこを訪れるなり、開口一番七海を待ち構えていた太刀川は意気揚々とそう告げた。

 

 その目は爛々と輝いており、ぶっちゃけちょっと怖い。

 

 完全に、戦闘狂(バトルジャンキー)としてのスイッチが入っている。

 

 正直回れ右をして帰りたいところだが、そうもいかない。

 

 太刀川が乗り気なのは、願ってもない事なのだから。

 

「ああ、どうせ迅相手の戦い方なんかを聞きに来たんだろ? いいぜいいぜ、色々教えてやるよ」

 

 その代わり後で付き合えよな、と嘯く太刀川にはい、と七海は肯定の返事を返す。

 

 代価はどうせ、ランク戦の誘いか、もしくは太刀川が望みの相手を個人ランク戦に引っ張って来るかのどちらかだろう。

 

 前者ならいつでも構わないし、後者なら村上や影浦に頭を下げるだけだ。

 

 とは言っても、両者共ランク戦には積極的な性質(タチ)だ。

 

 誘いをかければ、快く受けてくれるだろう。

 

 七海はそのあたりの皮算用をしながら、太刀川に対して向き合った。

 

「まず、未来視は基本的に戦闘に適した能力じゃない。単純に戦闘に使うなら、お前や影浦のサイドエフェクトの方がよっぽど向いてる」

「え? でも……」

「まあ言いたい事は分かるさ。けど、最後まで聞けって」

 

 いきなり()()()()()()()()()()()()などと言われて困惑する七海に対し、太刀川はそう言って疑問を遮る。

 

 どうやら、伊達や酔狂で言っているワケではないらしい。

 

 七海は話を聞く事にして、続きを促した。

 

「はい、それはどういう事なんですか?」

「あいつの未来視はな、見たい未来を視るんじゃなくて、可能性の高い()()()()未来が視えるらしい。そして、戦闘じゃ対戦する相手全員分の未来が視えるんだ」

 

 つまりな、と太刀川は続ける。

 

「乱戦になると、情報量が多くてあいつでも処理しきれなくなるんだよ。だから、あいつを倒すには囲んで叩くか、攻撃を延々と続けて行くのが手っ取り早い。俺の二刀流だって、あいつの予知を上回る手数が欲しいから始めたんだしな」

「成る程。そういう事でしたか」

 

 そう、考えてみれば、単純な話。

 

 七海や影浦のサイドエフェクトは感知圏内に入ればたとえ見えていなくても自動で察知するが、迅のそれは視覚を介して映像という形で彼自身に情報を伝える。

 

 つまり、情報を噛み砕き、動きにフィードバックするまでの間に僅かな時間遅延(タイムラグ)が発生するのだ。

 

 そう考えれば、確かに太刀川の言っている事も分かる。

 

 攻撃を感知し反撃に繋げるという目的で使うのであれば、七海や影浦のサイドエフェクトの方が遥かに有用だ。

 

 何せ、ダイレクトで脳に感知した情報が伝わるのだから、情報の取捨選択をする必要もない。

 

 攻撃範囲という明確な情報が直接手に入るのだから、いわば自動で情報処理をかけているようなものだ。

 

 その場その場の対応に限れば、確かに七海達の能力の方が有用であると言える。

 

「だから、それより注意するべきは戦術を読まれる事だな。囲んで叩けば良いとは言ったが、あいつは1対多の戦いもかなり慣れてる。普通に囲むだけじゃ、まず無理だろうな」

「そう簡単にはいかないか……」

 

 まあ当然といえば当然か、と七海は呟く。

 

 そう、未来視の真の脅威は、その情報の俯瞰能力にある。

 

 文字通り、普通の人間とは違う視点から戦場を俯瞰する事が出来るのが、迅の能力の強みである。

 

 下手な動きをすれば戦術を読み切られ、たちまち王手にかけられるだろう。

 

「ま、そこは色々試していくしかないだろうな。俺が協力してやるのも勿論構わないが、お前にゃもっと適任のパートナーがいるだろ」

「え……?」

 

 七海はいきなりの言葉にキョトンとしており、そんな彼に対して太刀川は溜め息を吐いた。

 

「影浦に協力して貰えよ。お前と同じで、攻撃を察知出来るだろ。あいつ」

 

 そんな事を、当たり前のように告げながら。



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影浦雅人⑤

「来たか、七海」

 

 影浦は隊室に赴いた七海達を見て、開口一番そう告げた。

 

 七海が入り口に立ち、その後ろに那須が。

 

 更に後ろに茜と熊谷が、それぞれ並んでいた。

 

 今回は隊としての要請を伝える為に来たので、男性と会えない小夜子以外の那須隊のメンバーは全員揃っている。

 

 茜は隊室の中にユズルの姿を見つけると、「ユズルくんこんばんはー!」と元気に挨拶している。

 

 ユズルはいきなりの大声に戸惑いつつも、「こ、こんばんは」と返している。

 

 狙撃手同士で通じ合うものがあるのか、割とこの二人は親しい部類に入る。

 

 廊下等で会った時に挨拶するのは勿論、ラウンジで食事を取っているユズルの所に茜が突撃した事もある。

 

 茜としては類稀なる狙撃の腕を持つユズルと交流し、共に技術を高めていきたいのだろう。

 

 基本、二人の会話は狙撃に関する事に終始する。

 

 年頃の中学生二人としては些か物騒な会話内容ではあるが、ボーダーでは割と普通の事ではある。

 

 ただ、年の近い二人が和気藹々と話している姿は何処か微笑ましく見えるのは事実だ。

 

 そこに居合わせた当真から見ても茜とユズルの距離は妙に近く、余計な邪推をしてからかった事もある。

 

 結果、一週間ほどユズルと口を聞いて貰えなくなったのはご愛敬だが。

 

 そんな様子だからして、二人は付き合っているのではないか、などといった噂がまことしやかに流れた事もある。

 

 それを聞きつけた某キノコヘッドの師匠が怖い眼をしていたという話もあるが、真偽は定かではない。

 

 ともあれ、そういった話題を出されるくらいには仲の良い二人である。

 

 基本内向的なユズルが天真爛漫な茜に押される事が多いものの、良好な関係と言える。

 

 ユズルもまんざらではないのか、「今日も凄かったね。日浦さん」「あ、見てたの? ユズルくん、今回はね」等と早速狙撃の話題に興じている。

 

 北添はそれをニコニコしながら見守っており、光はニヤニヤしながらその様子を見ていた。

 

 概ね、歓迎ムードと言って良いだろう。

 

「すみません影浦さん、突然押しかけて」

「あー? 構わねえよそんなん。別に用事があったワケでもねーし、あれの後だしな」

 

 影浦は頭をポリポリとかきながらそう話し、ソファーにどかりと座り込んだ。

 

「ホラ、立ってねーで座れよ。話、あんだろ?」

 

 

 

 

「なるほどな」

 

 影浦は一通り話を聞き、ふぅ、と息を吐いた。

 

 そして、ジロリと七海を睨み付けた。

 

「迅さん対策の為に、副作用持ち(おれ)の協力が欲しい、って事か。話は分かった」

 

 けどな、と影浦は続ける。

 

「なんで、真っ先に俺んトコに来ねーんだよ。そんなん、すぐ思いつくだろコラ」

「すみません。ぶっちゃけ、未来視の情報を得る事で頭が一杯でした」

 

 それならそれですぐ思いつけよなー、と影浦は悪態をつく。

 

 どうにも微妙に機嫌が悪いらしく、言葉の端々に棘がある。

 

 というか、拗ねている。

 

 それには七海も気付いていたが、此処で突っ込むほど彼は図太くはない。

 

「こらこら、真っ先に自分を頼らなかったからって拗ねないの。七海くんが可哀そうでしょ?」

「拗ねてねーよコラ」

「あ、あはは」

 

 だが、勝手知ったる北添(あいぼう)としては慣れたもの。

 

 絶妙なタイミングで水を差し、影浦の毒気を抜いた。

 

 正確には、光が「そうだぞー、優しくしろよなー」と絡んで来るのがうざったかったので矛を収めただけだが。

 

 こういう時は、折れた方が手っ取り早い。

 

 数々の経験で、影浦は学んでいた。

 

 ウザ絡みをして来る時の光は、適当に受け流すのが一番であると。

 

「ったく、まあいい。で、協力すっかどうかか」

「はい、どうでしょうか?」

 

 七海は恐る恐るといった体で影浦に尋ね、返答を待った。

 

 影浦は「あー」と呟きながら頭をかき、ふぅ、と溜め息を吐いた。

 

「その前によ、七海。聞きてえ事があんだが」

「なんですか、カゲさん」

「おめー、本音じゃどう思ってんだ? いきなり当てつけみたいに迅さんの相手をさせられて、悔しくはねーのかよ」

 

 ソファーに腰かけたまま、影浦は真剣な表情で七海を見据え、そう問いかけた。

 

 確かに、七海達の状況は傍から見ればいきなり無茶ぶりをやらされたように見えなくもない。

 

 黒トリガーと、迅と戦うという通達自体も突然だし、事前準備も何もない状態で那須隊は戦いの場に放り込まれた。

 

 ハッキリ言って負けイベント以外の何物でもない試合を、昇格試験で鎬を削り合った相手に見られている。

 

 普通であれば、不満の一つでも覚えても不思議ではない。

 

 それについて、どう思うか。

 

 影浦は、そう問い質しているのだ。

 

「それは────」

「言っとくが、恩人だからとか、迅さんなら考えがあるだろうからとか、そういう理屈を聞きてーんじゃねーぞ。おめーがどう思ったか、正直に答えろっつってんだ。間違えんなよ」

「……!」

 

 まさに今から話そうとした事を言い当てられ、七海は押し黙った。

 

 考えてみれば、影浦相手に本音を隠すなど無理な話だ。

 

 サイドエフェクト、感情受信体質。

 

 この副作用によって、影浦は人の感情には殊更敏感だ。

 

 だから、相手の表情や仕草、思考傾向を理解していれば、読心のような真似も容易い。

 

 特に、七海のように親しい間柄の相手であれば猶更だ。

 

 七海の言いそうな事など、とうにお見通しなのである。

 

「で? どうなんだ? 答えてみろよ」

 

 影浦はそう言って、七海に答えを急かした。

 

 いきなりの尋問じみた真似に那須が何か言いたげにしていたが、熊谷に制止されて思い留まる。

 

 後ろで状況を見守っている北添からも「大丈夫だから」とアイコンタクトで示され、一先ず那須はこの場を見守る事にした。

 

 そして七海は、しばし考えた後────────顔を、上げた。

 

「正直に言えば、悔しいです。何も出来ずに、一方的に落とされた事が」

 

 それが、七海の本音。

 

 確かに、情報収集の為の負け試合である事は理解していた。

 

 落とされる事も、織り込み済みではあった。

 

 だが。

 

 だが。

 

 傷一つ与えられず、あしらわれるように落とされたのは、正直ショックだった。

 

 力の差は、分かっていたつもりだった。

 

 初見ではどうしようもない事も、理解していた筈だった。

 

 けれど。

 

 けれど。

 

 それで全てを納得するほど、七海は闘志を捨てていない。

 

 常であれば場の空気や流れを優先してそういった私情は押し込む七海であるが、他ならぬ影浦から真に迫った問いかけを受けたのだ。

 

 本心を明かす以外、道はなかったと言えるだろう。

 

「黒トリガーには、色々と思うところがあります。俺が使えないそれを十全に使いこなす迅さんを見て、嫉妬しなかったと言えば嘘になるでしょうね」

「玲一……」

 

 七海はふと、自分の右腕の義手を────────姉の遺した、黒トリガーに眼を向けた。

 

 未だ、一度も起動に成功していない黒トリガー。

 

 名称すら定められておらず、ただ彼の右腕の置換として存在するトリガー。

 

 これを使う事が出来れば、と思わなかった日は無い。

 

 姉が、文字通り命に替えて遺してくれたもの。

 

 それを十全に使いこなし、姉の遺志を継ぎたい。

 

 それは、あの頃より抱き続けて来た七海の正直な想いだ。

 

 自分が使えない黒トリガーを、十全に使いこなす迅の姿。

 

 それを見て、妬ましい、という感情が湧いて来なかったと言えば嘘になる。

 

 自分は使えないのに、何故。

 

 そういった想いが生じた事は、事実だ。

 

 無論、七海と迅とでは事情が違う事は承知している。

 

 彼の場合は相当に特殊な例である事も、理解している。

 

 されど。

 

 それで納得出来るほど、七海の姉への想いは軽くはない。

 

 迅には迅の事情があり、今回も深慮の上の行動だと理解している。

 

 けれど。

 

 彼の行動で、心がざわついたのは事実なのだ。

 

 だが、七海は迅に多大な恩がある。

 

 四年前の大規模侵攻で姉を亡くした後の彼に色々と便座を図ってくれたのは他ならぬ迅であるし、起動不能の黒トリガーという厄介な事情を抱えた彼が今こうしていられるのも迅が根回しに奔走したからという事も理解している。

 

 だからこそ、七海は自身の想いに蓋をした。

 

 迅に、恩人にそんな感情を向ける事など、あってはならないと。

 

 いつもそうしているように、自分自身を納得させようとしていた。

 

 しかし。

 

 影浦からしてみれば、焦れったいにも程がある。

 

 迅に対して思うところがあるのは視れば分かるのに、恩だの立場だのを考えてそれを押し込もうとしている。

 

 そんな七海の姿を、見ていられなかったのである。

 

「だから、見返してやりたい、自分にもちゃんと力があるって、迅さんに証明したい。そのあたりが、正直な気持ちですね」

「ったく、最初からそうしてろよ。おめーはいっつも、我慢のし過ぎなんだよ」

 

 影浦はそう言って、再び大きくため息を吐いた。

 

 我慢出来ずに根付アッパー事件を起こした影浦が言うと、何処か真実味がある。

 

 無論、例の事件は影浦なりの理由があった。

 

 誰にも話してはいないが、あの件は先に手が出そうになったユズルに汚名を被らせない為に、敢えてやった事だ。

 

 しかし、そこでユズルを制止するのではなく自分が代わりにやる、という選択肢が出る時点で彼自身も相当根付の態度が頭に来ていたのだろう。

 

 サイドエフェクトによって好悪問わず様々な人間の感情に常時晒されている影浦は、日常的にストレスを抱えている状態に等しい。

 

 ぶっちゃけると、煽り耐性がかなり低いのだ。

 

 常日頃から精神的な拷問を受けているに等しい彼は、ちょっとした事で手が出る事が多い。

 

 ボーダーに入ってからは個人ランク戦である程度発散出来ているので以前よりはマシになったが、そうなる前はガラの悪い不良以外の何物でもなかったのだ。

 

 精神的に成熟した者が多いボーダーとはいえ、軽い気持ちで入隊したC級隊員等はガラの悪い影浦に対し悪感情を向ける事が多い。

 

 以前より遥かにマシな環境とはいえ、選択肢に暴力が即座に挙がる程度には、影浦の手は早い。

 

 そんな影浦からしてみれば、我慢する事が当然のように振舞う七海のスタイルは、常々焦れったいと思っていたのだ。

 

 自分のようになれとは言わないが、七海の我慢は明らかに行き過ぎであった。

 

 不満を伝えても良いであろう場面でも何も言わない彼を見て、荒船や村上と共に()()を教え込み、ある程度の矯正には成功したのだが、七海の根本の自罰的な体質はそのままだ。

 

 だから、影浦は思ったのだ。

 

 七海が余計な我慢をしているようなら、自分が悪者になってでも正直にならせてやろうと。

 

 要は、お節介である。

 

 彼自身認めはしないが、影浦は相当に世話焼きな面がある。

 

 だから鳩原の件で落ち込んでいたユズルが茜に負けて奮起した時には隊ぐるみでバックアップしたし、七海も事情を知ってからは進んで世話を焼くようになった。

 

 やりたい事を、全力でやらせてやる。

 

 それが、影浦の身内に対するスタンスである。

 

 その為の努力は惜しまないし、必要なら汚名を被る事すら厭わない。

 

 それが、影浦雅人。

 

 行動が粗暴に見えるだけで、性根そのものは決して悪いものではないのだ。

 

「やられてムカついたからやり返す、それでいーじゃねーか。俺も協力してやっから、目にもの見せてやろーぜ」

「はいっ! ありがとうございます」

 

 七海はそう言って、影浦に深々と頭を下げた。

 

 真っ正直な感謝の念に、影浦は何処かバツの悪そうな顔をする。

 

 そんな彼を見て、北添はくすりと笑みを溢した。

 

「あ? 笑ったなてめー」

「ごめんごめん。素直じゃない────────いや、割と正直だよね、カゲは。最初からそう言えばいいのに」

 

 北添の言葉に、「けっ」と影浦は鼻で笑うが、それ以上の反論はない。

 

 こんなやり取りが出来るのは、北添だからこそである。

 

 付き合いが長いからこそ、どの程度まで踏み込めば大丈夫かは、感覚で理解している。

 

 そうでなければ、影浦が相棒として傍にいる事を許容する筈もない。

 

 なんだかんだで、影浦隊(かれら)は影浦のお眼鏡に叶った者達なのだ。

 

 人付き合いが不自由な影浦が傍に置くからには、それなりの意味がある。

 

 個人主義者の集まりながらも、強い絆で結ばれた者達。

 

 それが、影浦隊。

 

 七海が慕う影浦が率いる、粗野ながらも心暖かな者達であった。

 

「私からも、お礼を言います。ありがとうございました。影浦先輩が玲一の師匠で、良かったと思う」

「別に、感謝される事でもねーよ。俺は俺の好きにやってるだけだ」

 

 まあ、と影浦は那須を見て顔を上げた。

 

 そして、しばし逡巡しつつも口を開く。

 

「おめーはおめーで、あんま七海(こいつ)には遠慮すんなよ。そうやって、遠慮して拗れまくった結果があの醜態なんだしな」

「そう言われると、言葉もありませんね。あの件じゃ、迷惑をかけましたし」

「七海からは詫び入れられてるし、構わねーよ。おめーの面倒を見るのは、こいつのシゴトだ。あん時きゃ、それに失敗しただけだろ」

 

 だからよ、と影浦は続ける。

 

「きちっとこいつを頼れ。自分の女(おめー)一人の面倒くれえ、七海(こいつ)はちゃんと見れるからよ」

「ありがとう、ございます」

 

 いきなりの言葉に面食らいつつも、那須はそう言って深々と頭を下げた。

 

 七海も続けて礼を言い、影浦は容姿端麗な少年少女に頭を下げられ、困惑する。

 

 北添や光はそんな影浦の姿が面白いのか助け舟を出す気配はなく、ユズルは茜との談笑に夢中だ。

 

 ふぅ、と溜め息を吐いて、影浦はダンッ、と机を叩いて立ち上がった。

 

「────────そろそろ腹ぁ減ったろ。奢ってやっから、ウチ行くぞウチ」

 

 さっさとしろよ、と影浦はそそくさと帰り支度を始める。

 

 影浦の実家()で夕食を食べられると分かり、影浦隊の面々は慣れた様子で準備を始めた。

 

 七海達もそれに倣い、隊室に荷物を取りに行く。

 

 図らずも、今夜の夕食はお好み焼きに決定したようだった。



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七海玲一⑨

 

「今日は、色々とありがとうございました」

 

 此処は、嵐山隊の作戦室。

 

 一人隊室を訪れた七海は、そう言って頭を下げた。

 

 試合後の簡単な労いは、通信越しに済ませてある。

 

 だが、例の最終試験に関する発表や迅との模擬戦もあった為、碌な挨拶も出来ていなかったのは確かだ。

 

 だからこそ、七海がこうして単身で嵐山隊の下を訪れ、改めて謝意を示しているワケである。

 

 本来であれば隊長である那須が来るのが筋であろうが、嵐山とは迅という共通の知り合いがいる七海の方が近い位置にいる。

 

 嵐山もどうやら七海と話したかった様子だったので、彼が自らこの役目を買って出た、という塩梅であった。

 

「いや、俺達は自分の仕事をしただけだ。勝利を引き寄せたのは、紛れもなく君たちの実力だよ。誇って良い」

 

 嵐山はそう言って、頭を下げる七海を軽く労った。

 

 その称賛は、紛れもなく嵐山の本心だろう。

 

 彼は、本当の意味で裏表の無い人間だ。

 

 というより、()()()()()人間と言える。

 

 普通であれば言葉にするのを躊躇うような台詞でも、何の呵責もなく口にしてしまう。

 

 それが建前や理屈をこねるつもりで言った言葉ならば、まだ分かる。

 

 だが。

 

 嵐山の場合、それは混じりけなしの()()なのである。

 

 数年前に彼がボーダーに入隊した時のインタビューが、良い例だ。

 

 あの時、嵐山はボーダーに批判的な記者から「家族と街、どっちを優先して助けるのか」という意地の悪い質問をされていた。

 

 どう答えても角の立つ質問であり、実際記者はそれを狙っていたのだろう。

 

 何とかして失言を引き出し、ボーダーを攻撃する材料にする。

 

 そういった、悪意に塗れた質問だ。

 

 一緒にインタビューを受けていた柿崎は、どう答えて良いか分からなかった。

 

 それが普通だろう。

 

 それまで一般人として学生生活を送っていた者が、マスコミに対する正しい対処など経験する機会など無い。

 

 一般人の感性としては、柿崎が正しいのだ。

 

 だが。

 

 嵐山は、「家族を守る」と即答した。

 

 当然、会場のあちこちから批難めいた言葉が沸き上がった。

 

 けれど。

 

 嵐山は、そんな記者達に対して一切臆する事なく、「家族を守れれば、安心して街を守れますから」と言い切った。

 

 流石にこれは記者側としても閉口せざるを得ず、続いて飛び出した選手宣誓のような宣伝文句に会場は別の意味で沸き上がった。

 

 メディア対策室の根付が嵐山に目を付けたのは、この時だろう。

 

 嵐山は、紛れもない逸材だった。

 

 天性の才能、表舞台に立つ適性。

 

 嵐山は、隊が広報部隊となって以降、その才覚を存分に振るった。

 

 メディアに度々露出し、各種イベントも難なくこなし、ボーダーの顔役を務める。

 

 それらの激務を、さも当然のようにこなす。

 

 こなしきってしまった。

 

 今では三門市では嵐山の顔を知らない者の方が珍しく、下手なアイドルよりも人気のある芸能人のような扱いを受けるに至った。

 

 正直に言って、異常である。

 

 迅とはまた違う意味で、覚悟が決まり切ってしまっている。

 

 決断に躊躇しない。

 

 自分の発言に伴う意味を理解し、常に最適な答えを出し続ける。

 

 無理をしているとか、虚勢を張っているとか、そういう事ではない。

 

 ただの自然体として、結果的にそうなっているに過ぎない。

 

 それが、嵐山准。

 

 天性の芸能センスを持つ、ボーダーの麒麟児である。

 

 そんな嵐山だからこそ、迅の親友という立ち位置に収まっているのかもしれない。

 

 未来視という理外の力を持つ迅と寄り添うには、或いはそれくらいの異常性が必要になるのだろう。

 

 もっとも、七海にとっては恩人である迅の近しい人、という印象以上のものは持てていない。

 

 そもそもまともに交流したのも今回が初めてであるし、連携訓練を通じてある程度親密にはなれたものの、身内感覚には程遠い。

 

 むしろ、こちらに含むところのあった木虎や狙撃手繋がりで茜と親交のある佐鳥の方が、よっぽど距離が近いように感じられた。

 

 誰に対しても平等な、品行方正な優等生。

 

 それを自然体でこなしているが故に、嵐山は他人に対し一定の線引きをしている節がある。

 

 無論、それとて無意識だろう。

 

 嵐山が()()()()()行動した結果、他人とある程度の距離を取る。

 

 故に、交流を持てたとしても、あくまでそこまで。

 

 彼のプライベートな部分に踏み込める者は、限られているのだ。

 

 それこそ迅や弓場といった友人たち、もしくは従姉妹だという小南。

 

 そのくらいだろう。

 

「そう言って頂けると、嬉しいです。今後も機会があれば、ご指導ご鞭撻のほどをお願いします」

「ああ、俺はいつでも歓迎するぞ。勿論、スケジュールが空いていたら、だけどな」

 

 ともあれ、七海としては迅の親友である以上、邪険にする理由は何処にもない。

 

 無理に踏み込むつもりはないが、迅と付き合いを続けていく以上、嵐山と関わる機会も出て来るだろう。

 

 性格的にも文句を付ける方が間違っているので、良好な関係が築ける筈だ。

 

 まあ、広報部隊として顔が売れているのでオフでのプライベートな付き合いまでは難しいだろうが、ボーダー内であればどうとでもなる。

 

「これが俺の連絡先だ。何か困った事があったら、遠慮なく頼ってくれ」

 

 勿論、どんな事でもよいぞ、と言って連絡先のメモを渡して来る嵐山。

 

 七海は「ありがとうございます」と言って、そのメモを受け取った。

 

 気分としては、芸能人の電話番号を手に入れたようなもの、だろうか。

 

 あっさり連絡先を渡した嵐山を見て木虎は少し渋い顔をしていたが、特に追及するつもりはないらしい。

 

 無暗にこの繋がりを利用しない、と思われるくらいの信頼は、結べたようである。

 

 そんな、生暖かい視線に気付いたのだろう。

 

 木虎がずい、と身体を乗り出してこちらに近付いて来た。

 

「分かっていると思いますが、広報部隊(わたしたち)は忙しいんです。連絡するなとまでは言いませんが、節度は保って下さいね」

「ああ、勿論だ」

「大丈夫だ。七海くんは、信頼出来るからな」

 

 釘を刺した木虎に対し、七海はすぐさま了承の意を伝え、嵐山はそう言って太鼓判を押した。

 

 根拠など無い筈だが、妙に説得力がある。

 

 これが、天性の芸能人の成せるカリスマなのだろうか。

 

 そんな二人の反応に毒気を抜かれた木虎ははぁ、と溜め息を吐いて七海の方に向き直った。

 

「今回は、不甲斐ない姿を見せました。次があれば、A級らしい活躍をご覧に入れましょう」

「そうか。楽しみにしてる」

「ええ、分かったのであれば良いです」

 

 そう言ってふふん、と年齢にしては豊かな胸を張る木虎。

 

 「自分の仕事はきちんとこなしたじゃないか」と言いたかった七海だが、此処でその返答は何か違う気がしたのだ。

 

 強いて言えば、直感だろう。

 

 此処は思ったままではなく、ある程度木虎の意を立てるべき。

 

 そんな天啓が、何処からともなく降りて来たのだ。

 

 脳裏に何故か、「女の子は褒めておいて損はないよ」という迅の声が聞こえた気がしたが、詳細は不明である。

 

 まあ、結果として木虎が満足したようなので、万々歳である。

 

「もし良ければ今からカゲさんの家でお好み焼きを食べに行くので、一緒にどうでしょうか?」

「いや、ありがたいお誘いだが、遠慮させて貰う。俺が行って、騒がせてしまうのも悪いしな」

 

 嵐山はそう言って、やんわりと七海の誘いを断った。

 

 まあ、言っている事は分かる。

 

 確かに、有名人である嵐山がお好み焼き家に現れれば、那須の襲来時に負けず劣らずの騒ぎになるだろう。

 

 七海としてもそこは理解しているので、あっさりと引き下がった。

 

「けど、木虎や賢たちが行きたいなら無理には止めないぞ。少し変装すれば、どうにかなるんじゃないか?」

「別に、行きませんよ。特に親しくない私が行っても、迷惑でしょうし」

「佐鳥も、今回は仕事があるのでー」

「そうか。それなら無理強いするのも良くないな」

 

 すまない、と嵐山は謝意を示すが、七海は笑って受け入れた。

 

 まあ、広報部隊という目立つ役割をこなしているのだから、そういった不自由もあるのだろう。

 

 改めて、嵐山隊の特殊性に向き合った七海であった。

 

「俺達に遠慮せず、楽しんで来てくれ。きっと、影浦もそれを望んでいるだろうからな」

 

 

 

 

「おし、出来たぞ。食え食え」

「頂きます」

 

 影浦が自ら焼き上げたお好み焼きを、皿に乗せて七海に手渡す。

 

 七海が受け取ったお好み焼きは、肉をふんだんに使った豚マヨ。

 

 但し、使用されている香辛料の量が尋常ではなく、匂いも普通のそれとは違っていた。

 

 これは影浦が試行錯誤の末に開発した七海専用のお好み焼き、通称七海スペシャル(命名:当真)である。

 

 ごく薄い味しか感じられず、普通の食事では無味無臭のものを食べているに等しい七海が「美味しい」と言えるものを作る為、影浦はそれはもう頑張った。

 

 一人で試行錯誤するも中々良い出来のものが作れず、村上や荒船に頭を下げて知恵を出して貰ったり試食に付き合って貰ったりしながら、とにかく味を濃くする方向で改良を続けた。

 

 勿論、味を薄くしか感じ取れない七海がきちんと()()()()ものと作るとなると、常人にとってとても食べられたものではない物凄く濃い味付けにする他ない。

 

 故に、開発過程で三人の舌が一時的に馬鹿になったという経緯もある。

 

 行き詰まりかけていた中、「トリオン体でやればいいじゃないか」と何処からか話を聞きつけて来た鬼怒田の助言により、光明が出来た。

 

 鬼怒田は七海と同じ程度の味覚のトリオン体を三人に用意し、それを用いて影浦はようやく七海が味をきちんと感じられるお好み焼きを作る事に成功したのだ。

 

 根付アッパー事件や普段の素行もあってあまり影浦の事は好きではなかった鬼怒田だが、ことが七海の為となれば話は変わる。

 

 七海にとって影浦が良い師であるという事は聞いていたし、なんだかんだで入れ込んでいる彼の為になるというのであれば協力するのは吝かではない。

 

 自分が関わった事は言わないように、と鬼怒田は影浦に念を押したのだが、七海にはしっかりバレていた。

 

 何故なら、七海が日常用トリオン体のメンテナンスの為に開発室に来た時に味覚を調整したトリオン体の記録を()()()()机に置きっぱなしにしていた職員がいた為に、彼の知るところとなったワケである。

 

 その後、七海が理由はぼかして鬼怒田に礼を告げた事は言うまでもない。

 

 ともあれ、そんな経緯もあって、七海専用のお好み焼きは完成を見た。

 

 七海にとっては、数少ない食事で味を感じられるひと時であり、影浦にとっては自分の成果がきちんと反映されている事を確かめられる時間でもある。

 

 出来た経緯が経緯なので健康に良いとは間違っても言えないのであまり頻繁に食べられるものではないのだが、七海の数少ない楽しみである事は否定出来ない。

 

 基本的に趣味と言えるのがランク戦と那須達との交流くらいしか無い七海である。

 

 味が感じられない以上基本的に食べ物関連を娯楽に出来ない為、どうしても趣味の範囲は狭くなる。

 

 だからこそ、このお好み焼き家「かげうら」での一時は七海にとって貴重なものだ。

 

 普段殆ど動かない表情筋も、この時ばかりは仕事をしていた。

 

「玲、出来たよ」

「ありがとう。あ、美味しい」

 

 そんな七海を微笑ましく見守りながら、那須も熊谷に焼いて貰ったシーフードのお好み焼きを口にする。

 

 肉類があまり好きでは無い那須は、専らシーフードや野菜類、もしくはそば玉のような種類を選んでいた。

 

 ちなみに、今那須は日常用トリオン体の変装機能をオンにしてやって来ている。

 

 流石に急な話だったので貸し切りというワケにはいかず、ボーダー関係者以外の客もいる為だ。

 

 那須の美貌は他では早々お目にかかれるレベルではなく、街を歩くだけでも相当目立つ。

 

 トリオン体関連の研究の為にボーダーに入隊した那須の顔は、その整った容姿もあってそれなりに知られている。

 

 そんな彼女が素顔のままお好み焼き屋に現れれば、騒ぎにもなろうというものだ。

 

 一度騒ぎを起こしてしまった前科もあり、貸し切りの時以外はこうして特注の日常用トリオン体に備えて貰った変装機能を使っている。

 

 この変装機能は予め登録しておいた数種類の容姿の中から一つを選択し、その姿になれるというものである。

 

 今の那須は、片目を髪で隠した黒髪の少女、といった見た目をしている。

 

 ぶっちゃけ、この姿のモデルは小夜子だ。

 

 外に出られない小夜子に代わり、外出が出来るようになった自分が様々な体験を代替する。

 

 そういう名目で、小夜子に許可は取ってある。

 

 ちなみに、とうの小夜子本人が許可を下した理由については「あの那須先輩が私と同じ顔になってると思うと────────なんか、クるものがありません?」と溢していたらしいが、真相は定かではない。

 

 それを聞いてしまった熊谷は幻聴だったという事にして、その発言を忘れる事にした。

 

 「あの子、割と拗らせてるわね」と一人漏らした熊谷を見かけ、何も知らない茜は疑問符を浮かべていた。

 

 仲間同士が割と重い(ヘヴィな)感情を抱いている事を知り、全力で見なかった事にした熊谷である。

 

 放置しても問題はなさそうだった事もあるが、ぶっちゃけ「目を背けろ」と彼女の本能が警鐘を鳴らした為でもある。

 

 過去の経験からして歪まなかった方がおかしい小夜子であるが、その感性の一部が実は常人とはズレている。

 

 彼女に百合のケはないが、それはそれとして那須に対し歪んだ同化願望がある事は否定し難い。

 

 小夜子の()()は、色々と重いのである。

 

「お、やっぱり来てるな。お邪魔してるぞ」

「鋼さん」

 

 そんな時、七海達の席に見覚えのある顔がやって来た。

 

 誰あろう、村上鋼である。

 

 村上は七海に気付いて手を振ると通路向かいのテーブルに行き、一緒に来た荒船と共に席に着いた。

 

 荒船や村上は此処の常連なので、此処で会う事自体はなんら不思議ではない。

 

 影浦も慣れた様子で、「おう、来たな」と歓迎している。

 

 ボーダーの一員である影浦が店員をやっているだけあって、この店では隊員と良くエンカウントする。

 

 その中でも、この二人の遭遇率はかなり高い部類に入るだろう。

 

 けれど。

 

 今回は、どうやら七海達がいるだろうと、当たりを付けていたようだ。

 

「ホラな、言った通りだろ? カゲなら、あのまま七海を放っておかないだろうってな」

「ええ、荒船さんの言う通りでしたね」

「…………ったく、いーからさっさと注文しろ。くだらねぇ事言ってんじゃねぇ」

 

 図星を刺された為か顔を背けつつ、影浦は店員根性を出してメモを取り出した。

 

 そんな影浦に慣れている二人はメニュー表を広げて各々の好きなものを頼み、影浦はそれをメモ書きすると店の奥へと引っ込んでいった。

 

 それを見送り、村上は七海に話しかけた。

 

「まずは、第三試験お疲れ様。特殊なルールで、色々と大変だっただろう。トリオンが普段と違うと、持て余しがちになるからな」

「ええ、と言っても俺はビッグトリオンにはなりませんでしたが」

「でも、訓練では試しただろ? 一応、隊の全員が一通りやるからな、あれは」

 

 え? と七海は予想外の言葉に目を見開く。

 

 村上の言葉には、確かな()()があった。

 

 これは、ただ試験内容を知っただけの人間が告げる内容としては不自然だ。

 

 そんな七海の怪訝な様子に、気付いたのだろう。

 

 村上は成る程、と納得しつつその答えを口にした。

 

「俺達B級中位の部隊も、同じ内容で訓練をやったんだよ。もっともこっちは試験じゃないから、()()()()()()()()()()()()()()()()()って内容になったけどな」

 

 中々得難い体験だったぞ、と告げる村上。

 

 どうやら、村上は村上でビッグトリオンを訓練を通じて体験していたようだ。

 

 それ自体は、別に良い。

 

 だが。

 

 ────────あと、どうしても観客として招きたい相手がいるなら、俺に相談してくれれば考慮するよ。流石に、観客の一人もなしじゃ寂しいかもしれないからね────────

 

 何故か。

 

 あの時の迅の言葉が、脳裏に過った。

 

 これは、直感に過ぎない。

 

 だけど。

 

「鋼さん」

「なんだ?」

「────────最終試験。俺達の試合を、見に来ませんか?」

 

 迷いなく。

 

 自分の勘に従って、七海は村上にそう告げた。



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迅悠一④

「ふむ。少し、話を聞いてもいいか?」

 

 村上は七海の突然の誘いに困惑するよりもまず、その真意を聞きに来た。

 

 二人とも、それなりの付き合いである。

 

 七海が何の意味もなくこんな事を言う筈もない事は、村上が一番承知している。

 

 親しい相手だから、というのは勿論あるだろう。

 

 だが。

 

 今回の場合は、少々意味が異なる。

 

 迅悠一。

 

 七海の恩師にして、サイドエフェクト未来視の持ち主。

 

 そして、黒トリガーの所有者。

 

 ボーダーの機密の塊のような彼との試合を、観戦させる。

 

 その意味は、言うほど軽くはない。

 

 たとえば、口が軽い者を観戦に招こうとしても、迅か上層部からストップがかかるだろう。

 

 村上と同じ鈴鳴支部の太一などは、その典型である。

 

 太一の場合は、うっかり口を滑らせる可能性が高いからだ。

 

 そういう意味では、村上は招く相手としては悪くない。

 

 口は堅く、人格面でも信頼出来る。

 

 だが、それだけではやや弱い。

 

 それはあくまで招いても構わない理由であり、積極的に招く理由ではないからだ。

 

 村上は、それを聞いている。

 

 きっと、七海なりの考えがある筈だと、信じて。

 

「ええ。とは言っても、話せる事は多くないんですが」

 

 もっとも、今回の場合は七海にしても根拠を持って話せる事は多くない。

 

 なにせ、一番の切っ掛けが、自身の直感なのだから。

 

「今回の最終試験は、あの迅さんが黒トリガーを────────師匠の形見を持ち出して来てまで、舞台に上がって来ました。少なくとも、城戸さんが語った事が全てというワケではない筈です」

「黒トリガーの使い手が敵として出て来た場合の予行演習、という事だったが、それだけじゃないと?」

「ええ。城戸さんの思惑はそうなのかもしれませんが、きっと迅さんには別の考えがあるんだと思います。何故か、と言われればそう思ったから、としか言えないんですが」

 

 そうか、と村上は七海の話を否定せずに受け入れた。

 

 根拠は曖昧極まりないが、七海が口下手なのは村上も承知している。

 

 それと同時に、第六感的な勘の良さもまた実感している。

 

 虫のしらせ、とでも言おうか。

 

 七海はサイドエフェクトの関係もあるのか、そういったものを感じる能力が優れている。

 

 幼少期から、七海はどう動けば痛みを負わずに済むかを、感覚的に理解していた。

 

 故にこそ、七海は自然と行動予測の真似事が出来るようになっていた。

 

 この場合はこう動くだろう、というサンプルケースを自分自身で山ほど体験しているからこそ、彼は人の動きがある程度予測出来るのである。

 

 そんな経験によって直感が鍛えられた為か、七海は異様に勘が良い。

 

 彼が理論ではなく直感で行動した場合、正解に繋がる事が多いのだ。

 

 それを、間近で見ていた村上は誰より知っている。

 

 親友として、好敵手として、共に切磋琢磨して来た間柄なのだから。

 

 その七海が、直感で迅に別の思惑がある、と感じたのだ。

 

 村上としては、無視は出来ないだろう。

 

「それに、迅さんが説明の時に観客として招きたい相手がいるなら相談して欲しいって言ったじゃないですか。あれ、自意識過剰かもしれませんが俺に向かって言ってた気がするんですよね」

「成る程。お前と迅さんの関係を考えれば、有り得なくはないか」

「ええ。もっとも、何故、という部分までは分かりませんでしたが」

 

 迅の観客云々の発言に関しては城戸が何も言わなかった事から、上層部────────少なくとも、城戸本人は了承済みの事柄である事が分かる。

 

 つまり、あの発言は最初からあそこで言う事を迅が計画していた事になる。

 

 観客を招いても良いという迅の発言は、機密である黒トリガーの情報をバラす相手を増やすと言っているに等しい。

 

 少なくとも、誰であれ許可を下ろすつもりはないだろう。

 

 迅本人が特別信頼しているか、それとも止むを得ない事情があるか。

 

 そのどちらかでない限り、許可は下りない可能性が高い。

 

 迅が個人的に親しい相手となると玉狛の面々に加え、嵐山等の同期組だが、弓場と生駒はそもそも今回の試験の参加者であり、わざわざ招く意味はない。

 

 嵐山が相手であればまた違ったアプローチになるだろうし、柿崎はそもそも呼ぶ理由が思い至らない。

 

 つまり、少なくとも迅があの発言を行ったのは、そういった彼の身内を招く為では無い。

 

 そうなると、答えは限られて来る。

 

 迅本人とはあまり親交がなく、代わりに迅に近しい位置にいる人間の関係者を呼びたい場合。

 

 そう考えれば、あの発言も不自然ではない。

 

 そして、その条件に当て嵌まるのは、村上なのだ。

 

 七海が近しい相手となると那須隊の面々以外では影浦、荒船、村上が真っ先に浮かび、次点で太刀川隊・風間隊の面々となる。

 

 だが、太刀川隊と風間隊相手であれば迅から直接告げれば良い話だ。

 

 わざわざ、七海を通す理由が無い。

 

 更に影浦は試験参加者であり除外される為、残った選択肢は村上か荒船の二択となる。

 

 そこから村上を選んだのは、いわば直感だ。

 

 強引に理由付けをするのならば、村上は特殊な能力────────サイドエフェクトを、所持しているからだ。

 

 サイドエフェクト、強化睡眠記憶。

 

 村上は一度体験した事柄を、睡眠を挟む事で100%フィードバックする事が出来る。

 

 身体の動かし方を、睡眠という工程(プロセス)を経る事により肉体に瞬間記憶させる。

 

 それが、村上のサイドエフェクトだ。

 

 もしかすると、迅は何かしらのものを村上に()()()貰いたいのかもしれない。

 

 そう考えると、辻褄自体は合う。

 

 残念ながら、何を覚えて欲しいのかまでは、分からないが。

 

「曖昧な説明で申し訳ありませんが、俺から言えるのはこのくらいです。鋼さんがどういう返答でも、俺は受け入れますから」

 

 七海はそう言って、村上の返答を待った。

 

 正直、七海自身こんな説明で納得して貰えるとは思っていない。

 

 だから、後は誠意の問題。

 

 真摯に頼み、良い返事が貰えるよう祈るしかない。

 

 もっとも────。

 

「答えは決まっているよ。俺で良ければ、見に行かせて貰うさ。他ならぬ、七海の頼みだしな」

 

 ────────村上(しんゆう)の返答など、決まり切っていたのだが。

 

 そも、村上が七海からの頼みを断るなど、よっぽどの事情がない限りは有り得ない。

 

 ラウンド3の一件があるまでは七海は人を頼る事を無意識に避けており、もっと頼って欲しいと考えていた村上達は忸怩たる想いを抱えていたのだ。

 

 その七海が、正面から村上達を頼るようになった。

 

 親友として、これ程嬉しい事は無い。

 

 今の七海は自ら胸襟を開き、村上を友として頼っている。

 

 であるならば、断る理由など万に一つも有り得ない。

 

 表情筋が死んでいると言われる村上であるが、内心は小躍りする程嬉しいのを抑えている状態だ。

 

 友達として、戦友として、七海を支え共に歩く。

 

 部隊こそ違えど、その想いは誰にも負けないと自負している。

 

 迅が自分に何を求めているかは分からないが、七海が望むのであれば応えるだけだ。

 

 正直迅の事は良く知らない村上だが、七海が全幅の信頼を置いている事は知っている。

 

 色々な噂が飛び交う人物だが、七海が此処まで慕っている以上根は善性の人物なのだろう。

 

 彼の予知がボーダーにどれだけの貢献をして来たか、知らないワケでもない。

 

 求められるならば、応えるのみ。

 

 それが、隊員として、武人としての村上が出した結論。

 

 彼の戦闘スタイルのモチーフである騎士のような、正道を歩む者としての答えである。

 

「ありがとうございます、鋼さん」

「むしろ、礼を言うのはこっちの方だよ。折角、黒トリガーの戦闘を直で見れる貴重な機会をくれたんだ。こんな経験は、早々得られないだろうしね」

「ああ、むしろ羨ましいぞこのヤロー」

 

 傍で黙って話を聞いていた荒船が、そう言って会話に入って来た。

 

 二人の会話は聞いていたが、割って入って良い話題ではないと今まで傍観者に徹していたのだ。

 

 話がひと段落したのだから、もう良いだろうとの判断である。

 

「荒船さん。その……」

「ああ、分かってるよ。きっと、許可が出るのは鋼だけだろ。俺は、副作用(サイドエフェクト)なんてモンは持ってねぇし、個人の実力はそこまで突出してねぇしな」

 

 荒船は、理解している。

 

 七海が村上にだけ話を持って行ったのは、その場へ向かう資格があるのは彼だけだからであろうと。

 

 自分を卑下するつもりは微塵もないが、同時に過大評価をするつもりもない。

 

 荒船は近接では村上に劣るし、狙撃手としても東やユズルのような突出した才能は持っていない。

 

 ただ、手札がそこそこ多いだけの凡人だ。

 

 無論、そんな自分だからこそ出来る事があると理解はしている。

 

 最終的に完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)を量産するという計画は、そんな荒船だからこそ見つけられた目的だ。

 

 村上には村上の、荒船には荒船の、やるべき(できる)事がある。

 

 今回の件も、副作用(サイドエフェクト)と実力が噛み合った村上だからこそ、選ばれたのだろう。

 

 何も思わないワケではないが、此処で駄々をこねるほど荒船は子供ではない。

 

「守秘義務とかあるだろうから詳しい事は話せないかもしれねぇがよ、とにかく気張って来な。ある意味、これまでで最大の正念場だろうからな」

「荒船さん────────いえ、分かりました」

 

 七海は顔を上げ、荒船を真正面から見据えた。

 

「勝って来ます。吉報を期待していて下さい」

「おう。A級の昇格、勝ち取って来な。そうすりゃ、こっちも良い宣伝になっからよ」

 

 俺の鍛えた弟子がA級になったとなれば、今後の計画にも有利だしな、と荒船は笑って嘯いた。

 

 それが何処まで本気かは分からないが、七海を全力で応援しているのは伝わって来た。

 

 影浦もそうだが、荒船もまた相当な弟子馬鹿である。

 

 七海と村上(弟子二人)に転機に訪れているのだから、後押しする以外の選択肢は有り得ない。

 

 頼られて嬉しいのは、決して村上だけではないのだから。

 

「ったく、勝手に盛り上がってんじゃねぇよ。ウダウダ言わねぇでも、こいつはやる時はやるだろが」

 

 心配するだけ損だ損、とお好み焼きのたねを持ってきた影浦が吐き捨てるように告げる。

 

 ちなみに上記の台詞を解釈すると、「七海は大丈夫だ。心配すんな」となる。

 

 口が悪いだけで、言っている事は荒船とそう大差はない。

 

 弟子馬鹿は、彼もまた同じなのである。

 

「カゲも応援してるってよ、七海」

「るせぇ。とっとと食え」

 

 照れてるなこいつ、と影浦をおちょくりながら、荒船はお好み焼きを焼き始めた。

 

 影浦はそんな荒船に青筋を立てながらも、どかりと七海の隣に座り込む。

 

 そして、黙ってお好み焼きを焼き始めた。

 

「おら、焼いてやっから七海も食え。奢りなんだから遠慮すんじゃねぇよ」

「ありがとうございます。ご馳走になりますね、カゲさん」

「おう」

 

 そうして、七海達攻撃手組は共にテーブルを囲み雑談に興じて行く。

 

 師弟としての、戦友としての絆が、話に花を咲かせていた。

 

 

 

 

「で? どういうつもりよ、迅」

 

 玉狛支部。

 

 その屋上。

 

 そこに、空を仰ぎ黄昏れる迅と、彼を呼び出した張本人である小南が立っていた。

 

 迅は小南の方に振り向くと、薄く笑みを浮かべた。

 

「どういうつもりって、何がだい?」

「とぼけんじゃないわよ。アンタが、風刃を持ち出してまで試験官になった理由を言えっつってんのよ」

 

 誤魔化しは許さない、とばかりに小南は青筋を立てながら迅を睨み付ける。

 

 風刃の、黒トリガーの()()は、小南も理解している。

 

 最上宗一は、小南もまた旧知の仲だ。

 

 そして、迅がどれだけ彼を慕っていたかも、彼を失ってどれだけ傷付いたのかも、知っている。

 

 誰よりも近くで、それを見て来ているのだから。

 

 故に、今回の迅の行動の理由を問い質しに来たのだ。

 

 迅が、風刃をまるで見世物のように持ち出した理由。

 

 それを、知る為に。

 

「あんた、風刃を持ち出して七海達相手に暴れたそうじゃない? 色々建前は並べたみたいだけど、あんなのただの理屈付けでしょ。あたしが、それに気付かない筈ないでしょうが」

 

 どうやら、小南はあの場にいた誰かから迅の説明を聞いたらしい。

 

 これ以上の誤魔化しは不可能。

 

 そう観念して、迅は口を開いた。

 

「そうだな。確かにあれは嘘じゃあない。けれど、建前であった事は事実だ」

「で? 今度はどんな未来を視たのよ? どうせ、それ絡みでしょうが」

「ああ、実はね────────」

 

 迅は小南に近付き、耳元で自分が視た未来を告げた。

 

 そして。

 

 それを聞いた瞬間、小南は目を見開いて、迅の胸倉を掴み上げた。

 

「……っ! あんた、それ本気で言ってんの……っ!?」

「ああ、本気だ。弓場ちゃんには誤魔化したけど、多分高確率でそうなる。そして俺は、より良い未来になるからその選択肢もありだと思ってる」

 

 迅が平然とそう答えると、小南は迅に至近まで迫り声を張り上げた。

 

 己の、怒りを示す為に。

 

「あんたね……っ! 独りで背負い込むなっつったの、もう忘れたワケ……っ!? あったま来た……っ! その根性、絶対叩き直して────」

 

 やるんだから、と告げようとした。

 

 だが、出来なかった。

 

「────────きっと、玲奈が望んだ未来に、それで辿り着ける筈だから」

「────っ!?」

 

 迅が。

 

 玲奈の名前を、口にしたのだから。

 

「あんた……」

「小南が納得出来ないのは分かる。けど、この未来はあの人が望んだ最善の未来に繋がる筈なんだ。少なくとも、俺はそう確信してる」

 

 だから、と迅は告げる。

 

 祈るように。

 

 救いを、求めるように。

 

「頼む。俺の、やりたいようにやらせてくれ。これが、今の俺の一番の望みなんだ」

 

 それは、普段本心を口にしない迅が、小南相手だからこそ告げた願い。

 

 七海にも、友人にも、明かしていない。

 

 けれど、かつての、旧ボーダー時代に共に戦場を生き延びた小南相手だからこそ。

 

 嘘は、つきたくなかった。

 

 それを、感じ取ったのだろう。

 

 小南は、聡い少女である。

 

 騙され易いと評判の小南であるが、それは彼女が人を誰よりも信じているからだ。

 

 彼女は人の強さを、営みの尊さを知っている。

 

 故に、迅が虚勢ではなく本心で言っているのだと、理解出来た。

 

「────────しょーがないわね。特別よ。けど、次からはちゃんとあたしに話しなさいよね」

「助かる。すまないな、小南」

「別に。玲奈さんの名前まで出されちゃ、どうしようもないわ」

 

 あんたがどれだけあの人の事を慕ってたか、知らないワケじゃないもの、と小南は告げる。

 

 迅は、ふと空を仰いだ。

 

 もう、届かないものを見上げるように。

 

「玲奈……」

 

 かつての、仲間。

 

 本当に、大切だった人。

 

 その人物の名を、口にしながら。



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HIDDEN MEMORY/七海玲奈
七海玲奈①


 

 彼女、七海玲奈と最初に出会ったのは今から6年前、迅が13歳の頃だった。

 

 当時、彼女は1つ上の14歳。

 

 少数精鋭だった旧ボーダーの中でも年若いメンバーだった二人は、何かと絡む機会が多かった。

 

 とは言っても、厭世的で人嫌いな迅を、世話焼きな玲奈が一方的に構い倒す、というのが主であったが。

 

「あ、また此処にいたんだ。好きだね、屋上」

 

 黒髪をセミロングにした利発そうな少女、七海玲奈は屋上に座り込む俯き気味の細見の少年────────迅を見て、朗らかにそう告げた。

 

 迅は如何にも面倒臭そうに、けれど何処か諦観の籠った眼でそんな玲奈を見返した。

 

「…………別に。ただ、ここなら一人になれるし」

「まあ、それはいいけどね。迅くんがそうしたいなら、そうすればいいし」

 

 玲奈の言葉に迅はふぅんと視線の温度を変え、思わず口を開いた。

 

「他の人と交流しろ、とか言わないんだ」

「迅くんの事情は、私も知ってるからね。無理をしてまで人付き合いをしろ、とはちょっと言えないかな」

 

 副作用(サイドエフェクト)、未来視。

 

 それが、少年にかかった能力(のろい)であった。

 

 直接見た人間の、少し先の未来が視える。

 

 これだけ聞けば、便利な能力とも思うだろう。

 

 実際、使い道は多い。

 

 この力を使えば、普通は助けられない相手であっても、助ける事が可能になる。

 

 ()()()()()()()()()のだ。

 

 そして当然、人間である以上限界はある。

 

 救う人間の、取捨選択。

 

 それを当たり前のように出来るほど、迅はまだ達観していない。

 

 むしろ、それが嫌で人付き合いを嫌っているのだ。

 

 人と付き合えば、否応なく相手の未来が視えてしまう。

 

 故に、迅は人を遠ざける。

 

 彼の見る未来は、良くないものの方が多い。

 

 無論迅自身の体感的な感覚だが、悲惨な光景は、より強く記憶に残ってしまうのだ。

 

 迅の未来視は、相手の未来を()()として彼の眼に焼き付ける。

 

 つまり、最悪の場合は相手の末路を、死に様を、直視してしまうのだ。

 

 そして、人の死など、いつ何処で転がっているか分からない。

 

 極論、交通事故に遭えば健康な人間でも死ぬ時は死ぬのだ。

 

 迅は、ただ街を歩くだけでそういった()()()()()()が映像として視えてしまう。

 

 彼が望む、望まざるに関わらず。

 

 だから迅は、人を厭う。

 

 人が、簡単に死んでしまう事を識っているから。

 

 彼が人を遠ざける事も致し方ないのだと、玲奈は理解している。

 

 故にこそ、無理強いはしない。

 

 迅の見ている景色(ぜつぼう)は、彼にしか分からないものなのだからと。

 

「なら、放っておいてよ。人と会う事自体、嫌なんだし」

「大丈夫。私、死なないから」

「知ってる? 死なないって思ってる人ほど、あっけなく死んじゃうんだよ」

 

 意地悪だなあ、と玲奈は嘯くが、今のところ彼女の未来に死の影は無い。

 

 確定した未来であれば数年先まで見通せる迅の未来視ではあるが、そうでなければそこまで先の未来は視えない。

 

 少なくとも、この時点では。

 

 玲奈が死ぬという未来は、無かったのだ。

 

「とにかく、同じボーダーの仲間なんだし、色々と交流深めておいて損はないんじゃない? あまり多くの人と関わりたくないなら、私に絞るのも手だよ?」

「それでも、玲奈に交流先を絞る理由がないよ」

「そんな事ないって。まずはお試しでさ、やってみない?」

 

 損はさせないよ~、と玲奈は朗らかに笑う。

 

 勝手にしてよ、と迅は吐き捨てるが、それ以上の拒絶はしない。

 

 なんだかんだ、このしつこく絡んでくる少女の事が、嫌いではなかったからだ。

 

 玲奈は確かに押しが強いし、世話焼きな面が前面に出ている。

 

 けれど、踏み込むべきではない一線はしっかりと守っているし、相手への気遣いは忘れない。

 

 その適度な距離感が、迅には心地良かった。

 

 迅とて、好きで独りになりたいワケではない。

 

 人の温もりは知っているし、それが尊いものである事も理解している。

 

 けれど、迅はかつて母親を近界民絡みの事情で亡くしている。

 

 彼は、その未来を識っていて────────だけど、何も出来なかった。

 

 当時の迅は無力な子供に過ぎず。

 

 肉親の死を覆せるだけの力は、なかったのだ。

 

 それ以来、迅はあからさまに人付き合いを避けるようになった。

 

 もう、人の死など視たくはないから。

 

 もう、識っていたのに失う命を見たくはないから。

 

 当時の迅は、絶望の只中にいた。

 

 希望が視えず、視えてしまうのは暗い未来だけ。

 

 そんな迅が未だ自らの命を手放していないのは、ボーダーへの誘いがあったからだ。

 

 独りでは出来なかった事でも、組織の力があれば違う。

 

 今度は、救える。

 

 今度は、見殺しにしなくても済む。

 

 そう思ったからこそ、迅はボーダーへの誘いに乗った。

 

 自分の能力(ちから)で、人を助ける為に。

 

 ただ、そう決意はしていても、矢張り人の死を視るのは怖い。

 

 未来を視る事が、怖い。

 

 けれど、この力を活かすのであれば、そんな事は言っていられない。

 

 未来を視なければ、救えるものも救えないのだから。

 

 そういう意味で、玲奈の存在は有難かった。

 

 玲奈は自分と同じく、戦う力を持つ者である。

 

 戦場に出るという事は死に近しくなるという事でもあるが、それでも無力なまま死を受け入れるだけの弱者ではない。

 

 今のところ彼女に死の未来は視えていないし、その人間性も好ましいものである。

 

 何より、玲奈と話していると何処か心が温かい。

 

 その感情の名をまだ知らなかった迅は、言葉には出さずとも玲奈の存在を受け入れていた。

 

「あ、玲奈おねえちゃん。こんなところにいたのね……っ!」

「あら、小南ちゃん」

 

 そんな二人の時間に割って入って来るのは、いつも彼女────────小南だったが。

 

 ショートカットの栗色の髪を揺らした幼い小南は玲奈の姿を見て駆け寄り、迅の存在を認識するとあからさまに顔を顰めた。

 

「もう、迅はまたこんなところにいたのねっ! なんでいつもふらっといなくなるのよっ!」

「いいだろ別に。俺がどこにいてもさ」

「よくないっ! 迅みたいなのでもボーダーの仲間なんだし、勝手にいなくなったらダメなんだから……っ!」

 

 ぷんすか、と怒りを全身で表す小南。

 

 迅はそんな小南に面倒臭そうに応対し、ふと玲奈を見上げた。

 

 玲奈は女子にしては身長が高い方であり、迅が猫背な事を考慮しても顔の位置は彼女の方が上になる。

 

 盗み見たその横顔はとても綺麗で、同年代の少女を見渡しても彼女ほど顔立ちが整った人間はいない。

 

 小南は美少女の片鱗が見え隠れしているが、流石にまだ幼過ぎる。

 

 これまで会った中で誰が一番綺麗か、と聞かれれば玲奈の名を挙げるほどには、迅は彼女に気を向けていた。

 

 自覚はしていなかったものの、その感情の名は知識としては知っていた。

 

 ついぞ、その想いを口にする事はなかったけれど。

 

「ほら、そろそろ昼ご飯なんだから、行くわよっ!」

「分かったよ。だから引っ張るな」

「こうしないと、またどっか行っちゃうでしょっ! お姉ちゃんも、行こっ!」

「うん、今行くね」

 

 迅は小南に引っ張られながら屋上を後にし、玲奈もそれに続く。

 

 それは、掛け替えのない迅の幸せな記憶。

 

 まだ、幸せだった頃の────────本当の悲劇を経験する前の、出来事だった。

 

 

 

 

「最上さん、なんで……」

 

 迅は一人、屋上で空を見上げていた。

 

 その手には、黒い筒のようなものが────────黒トリガーが、握られていた。

 

 黒トリガー(これ)は、先日の戦争(たたかい)で彼の師である最上宗一が遺したもの。

 

 彼が命を替えて作り出した、一つの武器だった。

 

 今迅がそれを持っているのは、悼む時間が必要だろうという、ボーダーの面々の配慮である。

 

 最上が死んでしまう未来は、既に視ていた。

 

 だから、迅は言った。

 

 戦いに、行かないでくれと。

 

 けれど。

 

 最上は、行ってしまった。

 

 必要だからと。

 

 それが、自分の役目だからと。

 

 ならばせめてと、迅は最上に同行した。

 

 自分の力で、未来を変える為に。

 

 だけど。

 

 結局は、最上の()()()が変わっただけだった。

 

 胸を貫かれて死ぬ筈だった最上は、迅を敵の手から助ける為に己が命を武器(トリガー)に替えた。

 

 最後は砂になって崩れ落ちる最上の姿は、今も尚迅の網膜に焼き付いて離れてくれない。

 

 自分の為に。

 

 自分の所為で。

 

 自分がいたから。

 

 最上()は、死んでしまった。

 

 その自責が。

 

 その自罰が。

 

 迅を、彼の心を、苛んでいた。

 

「迅くん……」

 

 屋上に、玲奈が姿を見せた。

 

 玲奈の顔には、涙の痕があった。

 

 無理もない。

 

 彼女もまた、最上を慕っていた一人だったのだから。

 

 泣いたのだろう。

 

 悼んだのだろう。

 

 それでも、彼女は此処に来た。

 

 迅を。

 

 最上の死を一番悲しんでいる者の傍に、寄り添う為に。

 

「玲奈……」

「いいよ、何も言わなくて。放っておいて欲しいのも、分かってるつもり」

 

 けどね、と玲奈は続ける。

 

「一人でいたら、辛いでしょ? だから、一緒にいよう? 今くらい、誰も文句なんて言わないからさ」

「……っ!!」

 

 もう、それ以上言葉は紡げなかった。

 

 迅は腕を広げて彼を招き寄せた玲奈の腕の中で、ただ、泣いた。

 

 それが。

 

 記憶にある限り、迅が流した最後の涙だった。

 

 

 

 

「迅くんはさ、もう辞めちゃいたいとか思わないの?」

 

 最上の死から一年後。

 

 迅が予知した、近界民(ネイバー)の大規模侵攻の直前。

 

 玲奈は、屋上で迅に向かってそんな事を口にした。

 

 本人にとっては、たわいのない雑談だったのかもしれない。

 

 けれど。

 

 その会話は迅にとって、生涯忘れ得ないものとなったのだ。

 

「俺が辞めたら、皆が困るでしょ? そんな事は、出来ないさ」

 

 迅は首に最上が遺したサングラスを揺らしながら、そう答える。

 

 仕方のない事だ。

 

 彼の未来視がなければ、被害の規模はきっと桁が一つ違うだけでは済まなくなる。

 

 過日の近界での戦争で、ボーダーの戦力は激減した。

 

 同盟国であるアリステラを救う為に出兵した結果、多くの者が犠牲になった。

 

 無論、それが意味の無いものであったとは思わない。

 

 アリステラの王女と王子を無事保護する事に成功したし、そのお陰で(マザー)トリガーも確保出来た。

 

 戦力の過半数を失ったに等しい被害を受けたボーダーにとって、母トリガーの存在は決して無視出来ない。

 

 だから、彼らの、最上達の死が無意味なものであったなど、断じて認めない。

 

 そして、その犠牲を無意味なものにしない為にも、近々起こる大規模侵攻での立ち回りが重要になる。

 

 戦力が激減した今のボーダーでは、想定される規模の侵攻の被害を全て抑える事は不可能だ。

 

 ある程度────────いや、かなりの規模の被害を、許容しなければならないだろう。

 

 近界の存在を公的に証明する手段が確立出来ていない以上、事前の警告も行えない。

 

 今の日本で、未来視で視たから、という理屈は通用しないのだ。

 

 トリオン能力に関しても、知っているのはボーダーの面々のみ。

 

 そして、近界の存在がトリオンを用いた攻撃でなければ倒せないという性質を持つ以上、近代兵器は何の役にも立ちはしない。

 

 故に。

 

 この三門市に、近く地獄が顕現する。

 

 建物は、壊されるだろう。

 

 人も、大勢死ぬだろう。

 

 一体何人、連れ攫われるかも分からない。

 

 それを、見過ごす。

 

 来る事が、分かっていながら。

 

 今後を見据えて。

 

 敢えて、犠牲を受け入れる。

 

 それがどれ程の咎であるか、迅は理解している。

 

 否。

 

 迅は、それが自分の罪であると考えている。

 

 力不足も。

 

 仲間の死も。

 

 自分の無力が招いた結果だと、自分を責め続けている。

 

 以前と違うのは。

 

 それを取り繕う事を、覚えた事だ。

 

 迅は、良く笑うようになった。

 

 迅は、泣かなくなった。

 

 迅は、感情を表に出さなくなった。

 

 最上の一件で、彼は理解してしまった。

 

 力があっても。

 

 組織に属しても。

 

 救えない相手は、いるのだと。

 

 その現実を。

 

 その真実を理解した時、迅は観念した。

 

 自分は、もう誰かの死(みらい)から逃れられはしないのだと。

 

 だから迅は、笑うようになった。

 

 仲間を、安心させる為に。

 

 自分を、ただの駒として扱う為に。

 

 張りぼての笑顔で、仮面を被るようになった。

 

 勿論、周囲はそれを察していた。

 

 小南は、そんな気持ち悪い笑いは止めろと言った。

 

 林道は、何かあったら頼れ、と言った。

 

 城戸は、何も言わなかった。

 

 そして、玲奈は。

 

「────────辛いなら、辞めてもいいと思うよ。だって、迅くんの人生を好きにする権利は、君自身にしかないんだからさ」

「え……?」

 

 何を、と思った。

 

 迅が未来視を使わなければ。

 

 ボーダーへの助力を辞めれば、甚大な被害が出る。

 

 その程度、分からない筈がないのに。

 

 玲奈は、辞めても良いと言った。

 

 何故。

 

 疑問が、迅の脳裏を埋め尽くす。

 

 そんな。

 

 心底ワケが分からない、といった風情の迅に、玲奈は優しく微笑みかけた。

 

「だってそうでしょう? 迅くんはただ、厄介な力を持って生まれてしまっただけ。力には義務が伴うとか言うけどさ。それを悪用するならともかく、力を使()()()()()()もあると思うんだ」

「けど、俺が辞めたら、皆が────」

「その皆って、誰の事? 正直さ、誰も彼も救おうと思っても無理なのは、分かってるでしょう?」

「────っ!」

 

 迅は、絶句する他なかった。

 

 その諦観は。

 

 その現実(しんじつ)は。

 

 迅の内心の吐露、そのものだったのだから。

 

「幾ら迅くんが頑張ったって、どうしても取り溢しは出ちゃうんだよ。そしてそれは、絶対に迅くんの所為なんかじゃない。ただ、そういうものだから。仕方ないんだよ」

「でも、それでも俺が頑張ればその分だけ助けられるんだ。なら────」

「それでもも何も無いよ。キリがないじゃない、それじゃあ。そんな事してたら、迅くんが何人いても足りないよ」

 

 だからさ、と玲奈は迅に微笑みかけた。

 

「嫌なら、逃げちゃおう? 何もかも放ってさ、二人で何処か行っちゃおうよ。誰にも文句は言わせないし、きっと誰も文句なんて言わないよ。迅くんには、そうする権利があるんだからさ」

「────」

 

 玲奈は、本気だ。

 

 本気で、迅が頷けば、その考えを実行する気でいる。

 

 これが、最後の分水嶺。

 

 迅が自分の力と訣別出来る、最後の機会。

 

 彼女の誘いに乗れば、きっと楽だろう。

 

 三門市の被害は増えるだろうが、ボーダーはやっていけるだろう。

 

 そうなるように、今まで散々準備して来たのだから。

 

 だから、もういいじゃないか。

 

 そんな誘惑が、迅の中にもたげたのは確かだ。

 

 逃げたい、と思った事が無いなんて言えば嘘になる。

 

 もう嫌だ。

 

 もう何も、視たくはない。

 

 それは、生まれてから何千回も、迅が抱いてきた切なる想い。

 

 玲奈の誘いは、まさにそんな地獄(げんじつ)に垂らされた蜘蛛の糸のよう。

 

 だけど。

 

「それは、出来ないよ。俺は、決めたんだ。最上さんの遺志を、必ず継ぐって。だから、もう立ち止まれない。此処で逃げたら、俺は自分を許せないから」

 

 けど、と迅は玲奈を見据え、告げる。

 

「────────ありがとう。こんな俺に、逃げる機会を与えてくれて。本当に、嬉しかった」

「……ううん、こっちこそごめんね。急に、こんな話をしちゃってさ」

 

 あはは、と敢えて軽く笑う玲奈。

 

 けれど、それも数瞬。

 

 玲奈は真剣な表情で、迅の瞳を見据えた。

 

 何かを、伝える為に。

 

「ならさ、一つ頼んでもいいかな」

「ああ、なんだい?」

 

 えっとね、と玲奈は言葉を選ぶように逡巡し、口を開いた。

 

「迅くんは、言っても止まらないみたいだしさ。どうせなら、一番皆が幸せになれる未来に行こうよ。誰も彼もが笑って終わる、ハッピーエンド。きっと、迅くん達ならやれると思うんだ。私」

「玲奈……」

「皆もきっと、協力してくれるよ。小南ちゃんも、林道さんも、忍田さんも、城戸さんだって。皆、幸せな未来の為に戦ってるんだからさ」

 

 だからね、と玲奈は続ける。

 

「立ち止まってもいいし、後ろを振り返ってもいい────────でも、希望(みらい)だけは、捨てないで。この世界はきっと、そこまで意地悪じゃないって思うから」

「────────分かった。誓うよ。俺は決して、未来(きぼう)を捨てない。必ず、幸せな結末に辿り着いてみせるよ」

 

 それは、誓い。

 

 玲奈の願いを形にした、迅の決意(きぼう)

 

 彼の心に刻み込まれた、ただ一つの夢。

 

 そして。

 

 その翌日。

 

 大規模侵攻(四年前の悪夢)の日が、訪れた。





 


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七海玲奈②

 その日、三門市に暮らす人々は普段通りの生活を送っていた。

 

 いつも通りの、日曜日。

 

 家でゆっくりしていた者達もいた。

 

 街に家族で出かけていた者達もいた。

 

 友達と遊びに出ていた者も。

 

 恋人と逢瀬を楽しむ者もいただろう。

 

 だが。

 

 そのいつも通りの日常は。

 

 空に空いた黒い穴によって、唐突に終わりを迎える事となった。

 

 

 

 

「なにあれ!?」

「逃げろ!?」

「どけ! 俺が先だ!」

「待って、うちの子供が……っ!」

 

 阿鼻叫喚。

 

 三門市には、この世の地獄が顕現していた。

 

 突如として上空に出現した、黒い穴。

 

 そこから溢れ出て来た、白い化け物たち。

 

 化け物は街を壊し、人を呑み込み、逃げ遅れた者達を容赦なく踏み潰して行った。

 

 鳴り止まない轟音、かき消されて尚途切れない悲鳴の嵐。

 

 逃げ惑う人々、倒壊する建築物。

 

 非日常が、日常を圧し潰す。

 

 それまで、当たり前のように日常を謳歌していた人々は。

 

 一瞬にして、地獄の底へと突き落とされた。

 

 大規模侵攻。

 

 後にそう呼ばれる事になる悪夢の日は、こうして幕を開けた。

 

 

 

 

「思っていたより、早く来たな」

 

 迅はその手にトリガーを持ち、高台から化け物────────トリオン兵に蹂躙される街を、見下ろしていた。

 

 一般市民への顔見せは済ませており、既にボーダーの面々は各所に散ってトリオン兵の迎撃に回っている。

 

 しかし、未だにトリオン兵は街に溢れ返っている。

 

 出て来ているトリオン兵、バムスターはその巨大質量のみが武器となる捕獲用の雑魚だが、あまりにも数が多過ぎる。

 

 このかつてない規模の近界民(ネイバー)の侵攻を抑え切るには、文字通り手数が足りないのだ。

 

 彼等の総力を以て奮闘しているが、完全に駆逐するには至っていない。

 

 迅がこんな所に立っているのは、彼の未来視によって不測の事態に対処する為だ。

 

 彼の副作用(サイドエフェクト)は、対象の人間を視認する事でその未来を映像として取得する。

 

 故に、その能力を最大効率で使用する為には見晴らしの良い高台に陣取るのが一番なのだ。

 

 そして。

 

 特例として一時的に彼が所有する事になった黒トリガー、風刃。

 

 その力を活かす為にも、この地形条件は最適なのだ。

 

 風刃は、視えている範囲であれば何処にでも攻撃を飛ばす事が出来る。

 

 こと迅に限れば、いちいち街を跳び回るよりも高台から斬撃を逐次飛ばして行く方が効率的なのだ。

 

「あそこがやばいな」

 

 迅は眼下の街を俯瞰しながら戦力が手薄な所を割り出し、風刃の遠隔斬撃でバムスターを撃墜する。

 

 的確に核を斬り裂かれたバムスターは沈黙し、崩れ落ちる。

 

 幾度、これを繰り返しただろう。

 

 彼によって斃されたトリオン兵が、街の各所に転がっている。

 

 だが。

 

 それでも。

 

 まだ、トリオン兵は街を蹂躙している。

 

 当時のボーダーには、遠距離攻撃の手段が風刃の他に存在しなかった。

 

 あったのは、弧月の原型となるブレードトリガー1種類のみ。

 

 つまり。

 

 迅以外の面々は、直接トリオン兵の下へ行って斬り捨てるしかなかったのだ。

 

 幾ら一体一体が雑魚とはいえ、僅か10名にも満たない人員では、圧倒的に手が足りない。

 

 それでも徐々にトリオン兵の数を減らしているが、依然として脅威は残ったままだった。

 

 そして。

 

「返事をしてよ! ねえお願い! 返事をしてよお!」

「いたい、いたいよぉ。おかあさん、どこ……?」

「待ってくれ! あの瓦礫の下に、俺の家族が……っ!」

「返せよぉ! 俺の女房を返せよぉ、化け物……っ!」

 

 街を彩る悲鳴も、未だ止んではいない。

 

 各所に目を向ければ、様々な悲劇が転がっていた。

 

 トリオン機関を抜き取られ致命傷を負った恋人を抱き起こし、泣き喚く女性。

 

 瓦礫に挟まれ、足が潰れた子供。

 

 倒壊した家屋に残る家族を案じる、傷だらけの父親。

 

 トリオン兵に妻を呑まれ、悲嘆に暮れる男性。

 

 悲劇が、溢れている。

 

 一つ。二つ。三つ。四つ。

 

 否、それこそ数えきれない。

 

 ボーダーの人員不足は、そのまま被害規模の拡大へと直結していた。

 

 迅は、それを見ていた。

 

 救えなかった人々を、手遅れになってしまった者達を。

 

 ただ、視ていた。

 

 助けに向かえた、人々もいた。

 

 間に合う可能性のある者達も、いた。

 

 けれど。

 

 それをすれば、他の場所の被害が広がってしまう未来を、迅は視ていた。

 

 だから。

 

 より多くの人を救う為に。

 

 少数を、切り捨てた。

 

 人の命は、数に替えてはならない。

 

 そんな当たり前の道徳など、此処では何の意味もない。

 

 そうしなければ、今の何倍もの人が死ぬのだ。

 

 故に、見捨てた。

 

 故に、見殺しにした。

 

 一人でも多く。

 

 一より十を。

 

 十より百を。

 

 百より千を。

 

 より多くを、救う為に。

 

 秤にかけて、切り捨てた。

 

「…………」

 

 それを、何も思わないワケがない。

 

 分かってはいた。

 

 理解してはいた。

 

 そうするべきと、決断はした。

 

 だが。

 

 それで全てに納得出来るほど、迅の人間性は枯れてはいなかった。

 

 表面上は、飄々とした笑みを張りつけながら。

 

 ただ作業のように、命の取捨選択を行っていた。

 

「────」

 

 トリオン兵を斬り捨てた。

 

 狙われていた子供が、助かった。

 

 けれど。

 

 別の場所で、逃げ遅れた少女が圧し潰された。

 

 崩れる瓦礫を砕き、下敷きになりそうだった夫婦が助かった。

 

 だけど。

 

 その近くで、二人の男女がトリオン兵に殺された。

 

 助けた。

 

 死んだ。

 

 救った。

 

 救えなかった。

 

 その、繰り返し。

 

 一つ命を取り溢す度に、迅の心が軋んでいく。

 

 罅割れ、朽ちる。

 

 心の悲鳴が、聞こえていた。

 

 けれど。

 

 止まるワケには、いかなかった。

 

 決めたのだ。

 

 あそこで、玲奈の手を取らなかった以上。

 

 最上()の遺志を、受け継ぐのだと。

 

 この未来視(ちから)で、人を救うのだと。

 

 だから、軋む心は無視をして。

 

 ひたすらに、人を救った/見捨てた。

 

 盲目に、人を助けた/見殺した。

 

 何度も。何度も。

 

 心が軋んでも。

 

 良心が悲鳴をあげても。

 

 ただ、ただ、心を殺して、己の仕事を遂行した。

 

 繰り返し。繰り返し。

 

 ひたすらに。

 

 迅は、命を選び続けた。

 

 

 

 

「…………次、は……」

 

 一体、幾度それを繰り返しただろう。

 

 迅の心は、何の反応も示さなくなっていた。

 

 もう、心の悲鳴も聞こえて来ない。

 

 もう、人の死に反応出来ない。

 

 それはまるで、壊れた機械のよう。

 

 ただ、作業のように。

 

 命の、取捨選択を続けていた。

 

 悲鳴をあげていた心は、擦り切れて何も言わなくなった。

 

 一人死ぬ度に震えていた身体は、ただ己の職務のままに動く機械と化していた。

 

 もう、何も感じない。

 

 もう、何も悲しくなどない。

 

 もう────。

 

「え……?」

 

 ────────何も、動じない。

 

 その筈、だった。

 

 迅は、見てしまったのだ。

 

 街の一角。

 

 そこで、家屋に圧し潰されている子供がいた。

 

 それだけならば、既にこの街ではあり触れてしまった光景に過ぎない。

 

 けれど。

 

 迅は、その子供を知っていた。

 

 七海玲一。

 

 玲奈の、弟。

 

 以前彼女から紹介されたその少年が。

 

 瓦礫の下敷きになり、右腕を潰されていた。

 

「……!」

 

 少年の傍には、泣き叫ぶ幼い少女がいた。

 

 そういえば、聞いた事がある。

 

 玲奈の弟には、玲一には、親しくしている少女がいるのだと。

 

 確か名前は、那須玲。

 

 迅本人は会った事はないが、そんな名前だった筈だ。

 

 恐らく、あの少女がその那須なのだろう。

 

 直感的に、そう思った。

 

 だが。

 

 迅が目を見開いたのは、その光景そのものではない。

 

 視えたのだ。

 

 少年の、七海玲一の未来が。

 

「嘘、だろ……?」

 

 迅が視えた、少年の未来。

 

 それは、

 

 玲奈(かのじょ)が黒トリガーとなり、玲一(かれ)の命を救い出し────。

 

 そして、彼が、七海玲一が。

 

 ────────最善の結末に、辿り着く光景だった。

 

 迅の視ていた未来は、いずれも何処かで閉じていた。

 

 袋小路。

 

 そう言っても差し支えがないほど、迅の視た未来には()がなかった。

 

 近界民の侵攻は、この一度では終わらない。

 

 これから先何度も起き、今回に匹敵する規模のものも出て来るだろう。

 

 そして。

 

 迅の視たどの未来でも、いずれ甚大な被害を避ける事は確定していた。

 

 だが。

 

 あの少年を、七海玲一を視た時、その前提は覆された。

 

 細く、頼りない道筋ではある。

 

 けれど。

 

 確かに、彼の歩む先に、輝かしい未来が視えたのだ。

 

 勿論、彼だけでは足りない。

 

 まだ足りない欠片(パーツ)があるのだと、迅の直感は告げていた。

 

 だけど。

 

 それでも。

 

 彼が、玲奈の望む未来へ繋がる欠片である事は、紛れもない事実なのだ。

 

「でも、それじゃあ……っ!」

 

 そう、彼の可能性については疑いようがない。

 

 何せ、自分自身の力だ。

 

 その精度は、彼本人が良く分かっている。

 

 だからこそ。

 

 この未来に進む為には。

 

 彼女の。

 

 玲奈の犠牲が必要なのだと、理解してしまった。

 

「なんで、なんでだ……っ!? なんで、よりにもよって玲奈が犠牲にならなくちゃいけないんだ……っ!?」

 

 迅は思わず、己の想いを吐き出した。

 

 何故。

 

 何故、彼女が。

 

 玲奈が、犠牲にならなきゃいけない。

 

 理屈は、分かっている。

 

 玲一のあの怪我をどうにかするには、通常の手段ではもう無理だ。

 

 それこそ、条理の外。

 

 黒トリガーの力でもなければ、不可能だ。

 

 その性質上、黒トリガーの力は()()()の意図が反映される場合が多い。

 

 やりようによっては失われた腕を補完し、命を救う事も可能だろう。

 

 しかし。

 

 その代価。

 

 製作者の命を使うという点は、何があろうと覆らない。

 

 黒トリガーを作る為には、優れたトリオン能力が必要であり、副作用(サイドエフェクト)があればその成功率は跳ね上がる。

 

 そして。

 

 玲奈は、その両方を満たしていた。

 

 彼女のトリオンは、評価値換算で10。

 

 更に、サイドエフェクトも所持していた。

 

 心象視認体質。

 

 相手の感情が、表情として視える能力。

 

 彼女はこの力によって、相手の抱く感情を正確に把握する事が出来る。

 

 だから自然と空気を読むようになったのだと、彼女は笑って言っていた。

 

 そうせざるを得なかったであろう事は、察していたが。

 

 この力を持つ彼女の前では、虚飾は何の意味もない。

 

 こちらがどれだけポーカーフェイスを貫こうが、彼女にはその本当の表情(かお)が視えている。

 

 だから、今迅と出会えば玲奈は全てを察してしまう。

 

 今視えた未来が、彼女に伝わってしまう。

 

 だからこそ────。

 

「迅くん」

「玲、奈……!?」

 

 ────────今だけは、彼女に会いたくはなかったのに。

 

 いつの間にか、彼女はそこにいた。

 

 トリガーである剣を手に。

 

 迅の背後に、降り立っていた。

 

「玲奈、俺は……っ!」

「ごめんね。今の、聞いちゃった。何か、視えたんでしょ? 私に関する、未来が」

「……っ!」

 

 もう、誤魔化しは出来ない。

 

 玲奈は先ほどの、迅の叫びを、聞いてしまっている。

 

 察した筈だ。

 

 理解した筈だ。

 

 最善の未来の為に、自分の犠牲が必要なのだと。

 

「本当は、此処に来るつもりはなかったんだよ? でも、視えちゃったんだ。迅くんが、泣いてる顔がさ。私の副作用(サイドエフェクト)、知ってるでしょう?」

「……っ!」

 

 彼女のサイドエフェクト、心象視認体質。

 

 その力は、対象との距離が離れていても相手の姿さえ視認してしまえば発動する。

 

 彼女は、視たのだろう。

 

 遠目に迅の姿を確認した時に、彼の泣いた顔を。

 

 だから、此処に来た。

 

 悲しむ迅に、声をかける為に。

 

 そして。

 

 その結果として、彼女は識ってしまった。

 

 迅が、彼女の犠牲を前提とした最善の未来を視た事を。

 

「教えて、迅くん。私は、何をすればいいの?」

「玲奈、でも……っ!」

「ごめんね。問い詰めたくなんかないんだけど、迅くんさ────────私の家の方、見てたでしょ?」

「……っ!?」

 

 迅が止める間もなく、玲奈はある方角を────────彼女の家があった場所を、見詰めた。

 

 そして、彼女の眼が見開かれる。

 

 当然、その先には。

 

 瓦礫の下敷きとなった、玲一の姿があったのだから。

 

「…………そういう事か。叔父さんの所にいてって言ったのに。あそこはやっぱり、居心地が悪かったみたいだね」

 

 普段あんまり交流のない人だったからなあ、と玲奈は嘯き、大きくため息を吐いた。

 

 玲奈はこの大規模侵攻が予知されてから、玲一を隣町の蓮乃辺市に住む叔父に預けていた。

 

 しかし、亡き父を通じて顔を会わせただけの相手の家は、彼も居心地が悪かったのだろう。

 

 叔父もまた体面を気にして預かっていたに過ぎず、聞いた限り素行もあまり良くない様子であった。

 

 玲奈としてもあまり頼りたくない相手ではあったのだが、彼女達に他に親類はいない。

 

 だからこそ苦肉の策として預け先に選んだのだが、どうやら玲一は勝手に抜け出して自分の家に戻ってしまったらしい。

 

 そうして戻って来た後で那須が会いに来て、そのタイミングでこの大規模侵攻が始まってしまったのだ。

 

 間が悪いと言えばそれまでだが、これは誰を責めるべき問題でもない。

 

 何も聞かされずに叔父の家に預けられ、玲一も窮屈な想いをしていたのだろう。

 

 その不満を察せなかったのは、玲奈の失策ではある。

 

 しかし、何が正解だったかなんてものは結果でしか分からない。

 

 それに、玲一には玲奈と同じように副作用(サイドエフェクト)が発現していた。

 

 サイドエフェクト、感知痛覚体質。

 

 これがあれば、玲一は本来瓦礫の下敷きになる事はなかった筈なのだ。

 

 なのにそうなっているという事は、那須を庇った結果なのだろう。

 

 迅は、那須と一度も顔を会わせていない。

 

 だから、彼女が絡んだ未来を視る事が出来なかった。

 

 それが、この結果に繋がったのである。

 

「うん、状況は理解出来たよ。じゃあ、行ってくるね」

「行って来るって、まさか……っ!」

 

 まるで軽い散歩でも行くような口ぶりの玲奈の決断を察し、迅は彼女の腕を掴んだ。

 

 けれど。

 

 玲奈は優しく、そんな迅の腕を引き剥がした。

 

「迅くんが視た未来は、きっと私が黒トリガーになる未来だよね? 今の玲一を救う為には、そうするくらいしか方法がないもの」

「けど、それじゃあ玲奈が……っ!」

「うん、死んじゃうね。でも、このままだと玲一が死んじゃうんだもの。仕方ないよ」

 

 それにね、と玲奈は迅の顔を見上げた。

 

「迅くんが視たのは、それだけじゃないんでしょう? 分かるよ。だって、表情(かお)に書いてあるもの」

「それ、は……」

 

 言葉に詰まる迅を見て、玲奈は迅の手を引き、抱きしめた。

 

 強く、強く。

 

 己の温もりを、想いを、彼に伝える為に。

 

「私が助けた玲一が、君の視た未来に、ハッピーエンドに連れて行ってくれるんでしょう? だったら、私は行かなきゃ。約束、忘れてないでしょ?」

「あ……」

 

────────どうせなら、一番皆が幸せになれる未来に行こうよ。誰も彼もが笑って終わる、ハッピーエンド。きっと、迅くん達ならやれると思うんだ。私────────

 

 それは、昨日交わしたばかりの約束。

 

 迅が止まれない事を悟った、玲奈との誓い。

 

 必ず、最善の未来に辿り着く。

 

 少女が(こいねが)った、一つの祈り。

 

 それを守れと、玲奈は言う。

 

 たとえ。

 

 彼女を、犠牲にしてでも。

 

「無茶苦茶言ってる事は、分かってるよ。その約束だって、ただの口実。私はね」

 

 玲奈は迅を抱きしめる力を強め、耳元に口を寄せ────。

 

「────────ただ、弟を死なせたくない。だから、行かせて欲しいんだ。迅くんなら、ちゃんと後を任せられると思うから」

 

 ────────己の本心を、口にした。

 

 最早彼女を止める事は出来ないと、迅は理解した。

 

 何故ならば。

 

 肉親を救いたいと告げる彼女の願いは。

 

 迅がかつて抱いたそれと、同じものだったのだから。

 

「あ……」

 

 玲奈が、離れて行く。

 

 温もりが、去って行く。

 

 きっと、もう戻って来ない。

 

 大切な人が。

 

 愛しい人が、逝ってしまう。

 

 遠くへ。

 

 もう、届かない場所へ。

 

 行くな。

 

 行かないでくれ。

 

 そう叫ぶ事は。

 

 ついぞ、出来なかった。

 

「後はよろしくね、迅くん。出来れば、玲一の事も気にかけてくれると嬉しいな」

 

 玲奈はそう言って笑みを浮かべ、後ろを向いた。

 

 弟が死に瀕している場所へ。

 

 自身の死に場所へ、向かう為に。

 

「────────約束、破っちゃってごめんね。さよなら、迅くん。大好きだったよ」

 

 その言葉を最後に、玲奈は迅に背を向け、跳び出した。

 

 そして。

 

 ────────大丈夫。私、死なないから────────

 

「あ……」

 

 彼女の告げた()()があの日のその言葉だったと理解し、迅は崩れ落ちた。

 

 自分の死を、受け入れて。

 

 玲奈は、行ってしまった。

 

 それが、一つの裏切りであると理解して。

 

 尚、彼女は弟を救う事を選んだ。

 

 既に、彼女の姿は見えない。

 

 そしてもう、二度と見る事もない。

 

 あの温もりが、永遠に戻って来ないのだと。

 

 そう察して、けれど。

 

「玲奈……」

 

 迅は、泣けなかった。

 

 涙はもう、とうに枯れてしまっていたのだから。

 

「……っ!」

 

 そして、視た。

 

 玲奈があの場所へ向かう最中。

 

 トリオン兵の妨害で、間に合わなくなる未来を。

 

 見過ごせば、玲奈は命を投げ出さずに済むかもしれない。

 

 けれど。

 

 それは、彼女の望みを踏み躙る事になる。

 

 だから。

 

 迅は、黒トリガー(風刃)を手に取った。

 

 彼女の障害を、斬り捨てる為に。

 

 そして。

 

 迅は、玲奈(かのじょ)の死出の旅路を助ける為、風刃を使った。

 

 その先に、何が待つのか。

 

 全てを、理解した上で。

 

 悲劇(じごく)への道は、善意で舗装されている。

 

 そんな言葉を、思い出しながら。




 七海玲奈

 ポジション:攻撃手(アタッカー)

 年齢:16歳(享年)

 誕生日:2月14日

 身長:169cm

 血液型:O型

 星座:かえる座

 職業:高校生

 好きなもの ボーダーの皆、弟、頑張ってる人、優しい世界

〔FAMILY〕

 父、母、弟 

〔RELATION〕

 七海玲一←たった一人の愛しい弟。

 迅悠一←大切な人。いつか自分自身を好きになって欲しい。

 小南桐絵←可愛い後輩。幸せになって欲しい。

 那須玲←玲一の大切な子。幸せになってね。

 最上宗一←慕っていた人。もう少し会うのは先だと思ってたのにな。

 城戸正宗←後はお願いします。ごめんなさい。

〔PARAMETR〕

 トリオン:10 

 攻撃:9 

 防御・援護:8 

 機動:9 

 技術:8 

 射程:2 

 指揮:4 

 特殊戦術:2 

 TOTAL 52

 『副作用(サイドエフェクト)

 『心象視認体質』

 相手の抱いている感情に応じた「表情」が視える。怒っているのか、泣いているのか、笑っているのか。

 それが、彼女にだけ視える表情になって現れる。

 彼女の前では虚飾は何の意味も為さない。


 七海玲一の姉であり、四年前の大規模侵攻で己が身を黒トリガーに替え、命を落としている。

 おおらかで社交的、一線はしっかりと弁える良識を持った善人。

 懐の深さが半端ではなく、共感能力が高い。

 副作用によって相手の感情が視えてしまう為、空気を読む能力に長けざるを得なかった。

 そういう意味でも迅の悩みは他人事ではなく、親身になって話しているうちに情が湧いていた。

 相手の意思を最大限尊重し、止められないと分かれば妥協案も出せる柔軟性もある。

 玲一の事は勿論大切であり、その為に命を投げ出す事に躊躇はなかった。

 彼女の遺志は、今でも玲一や迅の中に息づいている。


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七海玲奈③

 風の刃が、私の邪魔をする筈だったトリオン兵(やつら)を斬り裂いていく。

 

 誰がやったか、なんてすぐ分かる。

 

 迅くん。

 

 未来視なんて厄介な副作用(もの)を持って生まれてしまって、いつも苦しんでいる子。

 

 きっと、あいつらと戦っていれば私は間に合わなかったのだろう。

 

 だから、代わりに倒してくれた。

 

 私の願いを、叶える為に。

 

 ごめんなさい。

 

 私は、酷い女です。

 

 ああ言えば君は断れないって分かっていて、あの言葉を選んだの。

 

 君は自分の事を人でなしって言うけれど。

 

 本当の人でなしは、私みたいな人間なのかもしれないね。

 

 でも。

 

 それでも。

 

 私は、弟を助けたかったんだ。

 

 この選択が。

 

 君をどうしようもなく傷付けると、分かっていても。

 

 私は、弟を、玲一を、死なせたくはなかったの。

 

 恨んでくれて構わない。

 

 忘れてくれ、なんて言っても無理だよね。

 

 だけど。

 

 それでも。

 

 私の命が、君が自分を好きになれる未来に繋がってくれるんだったら。

 

 それはきっと、嬉しいなって。

 

 玲一の姿が、視えた。

 

 泣きじゃくる玲ちゃんも、傍にいる。

 

 玲一は、酷い状態だった

 

 腕が潰されて、血がたくさん出て

 

 とっても痛そう/痛み(きず)をなくしたい

 

 その光景を見て、私は思った。

 

 嗚呼、此処で私は死ぬんだなって。

 

 玲一の状態は、そうするしかない程手遅れに近かったから

 

 後悔はない、なんてそれこそ死んでも言えない。

 

 けれど。

 

 弟の。

 

 玲一のあんな姿を見せられたら、もう止まる事なんて出来ない。

 

 泣きじゃくる玲ちゃんを安心させるように笑って、玲一の傍へ行く。

 

 そして、願った。

 

 どうか、玲一が助かりますように。

 

 この命が、玲一の力になりますように。

 

 願いは、聞き届けられた。

 

 身体から、力が抜けて行く。

 

 視界が霞み、肉体が世界に溶けて行く。

 

 私の全てが、別のものに変わろうとしている。

 

 これで良い。

 

 これで、玲一は助かる。

 

 これで、迅くんが望んだ未来へ行ける。

 

 ごめんなさい。

 

 玲一/酷いお姉ちゃんで、ごめんね。

 

 迅くん/酷い女で、ごねんね。

 

 でも。

 

 皆を助けられて、良かった。

 

 幸せな世界に、なりますように。

 

 最期にそう願って、私の意識(いのち)は沈んでいった

 

 

 

 

「────」

 

 迅は、予想していた筈の光景を前に固まっていた。

 

 意識を失った、玲一の姿。

 

 そして。

 

 失われた右腕を補完するように存在する、黒い義手。

 

 形は違えど、それが何なのかはすぐに分かった。

 

 黒トリガー。

 

 玲奈がその命を対価として作り出した、彼女の遺産。

 

 ふと、黒い腕に触れる。

 

 冷たい。

 

 そこにあったのは、無機質な義手。

 

 その感触に、理解した。

 

 もう。

 

 あの温もりは、永遠に失われてしまったのだと。

 

「……っ!」

 

 迅は叫びそうになる己を抑えて、七海を抱き起こした。

 

 出血は止まっているが、相当量の血液を失った事に変わりは無い。

 

 このまま放置すれば、死んでしまってもおかしくはない。

 

 それは。

 

 それだけは、断じて許容出来なかった。

 

 彼は、七海玲一は、玲奈が文字通りその命を賭して救い出した人間だ。

 

 そんな相手を見殺しにしては、玲奈の遺志が無為に終わる。

 

 彼女の遺志を受け取った者として、そんな結末だけは認めるワケにはいかなかった。

 

「あ、あの……っ!」

 

 そこでようやく、迅は背後から必死に声をかける少女の存在に気が付いた。

 

 幼くも、整った容姿を持つ少女。

 

 那須玲。

 

 七海を案じて泣きじゃくっていた少女は、突然現れた迅を不安そうに見詰めていた。

 

「…………ああ、大丈夫だよ。俺は、玲奈の知り合いだ」

「……っ! おねえ、ちゃん……」

 

 那須は、玲奈の名を聞いた瞬間、悲痛な表情をして押し黙った。

 

 恐らく、彼女は全てを見ていたのだろう。

 

 玲一が、自分を庇って瓦礫に潰されたところも。

 

 玲奈が、黒トリガーに変わったところも。

 

 全て、全て、見ていたのだろう。

 

 目の前で起きた常識外の光景に、混乱はしている筈だ。

 

 けれど。

 

 迅は、理解した。

 

 この少女は、本能的に何が起きたか察している。

 

 玲奈が、何をしたのか。

 

 彼女が、どうなってしまったのか。

 

 だから、何も言わない。

 

 何故、彼女がああなったのか。

 

 薄々と、察してしまっているが故に。

 

 その姿は、既視感があった。

 

 何故なら。

 

 己の罪悪感に潰されそうになるその姿は。

 

 いつも、鏡で見ていた己の姿そのものだったのだから。

 

「この子は、俺が病院まで連れて行く。君も、一緒に行こう。もうあいつらはいないけど、瓦礫だらけで危ないからね」

「うん…………お願い、します」

 

 これ以上会話を続けてもお互いの為にはならないと判断し、迅はそう言って那須に付いて来るよう促した。

 

 那須は泣き腫らして真っ赤になった顔をさすりながら、黙って迅の後を付いて行こうとする。

 

 そして。

 

「迅」

「…………小南」

 

 その時。

 

 幼い小南が、険しい表情で迅の前に姿を現した。

 

 見れば分かる。

 

 今の小南は、泣き出す寸前だ。

 

「玲奈おねえちゃんは、どこ?」

 

 その言葉も、疑念ではなく、確認だった。

 

 彼女もまた、察している。

 

 察していながら、間違いであってくれと願っている。

 

 何故なら。

 

「玲奈なら、()()にいるよ」

「……っ!!」

 

 仲間が、黒トリガーになる。

 

 それは。

 

 これまでの戦争で何度も、経験してしまっていた事柄だったのだから。

 

 迅がそう言って七海の右腕を指さした時、全てを理解した小南はくずおれた。

 

 そして。

 

 那須を押しのけて、迅に詰め寄った。

 

「…………なんでよ」

「そうしないと、この子が死んでいたからだ」

 

 迅は、そう答えた。

 

 ただ事実だけを。

 

 淡々と、平静を装って。

 

「…………どうしてよ」

「俺が、玲奈に未来を伝えたからだ」

 

 恨むのならば、どうか己を。

 

 そう、願って。

 

「…………なんで、止めなかったのよ」

「それが、玲奈の望みだったからだ」

 

 けれど。

 

 小南が迅に向けた眼は。

 

 迅を心配するが故の、怒りに満ちていた。

 

「なんで、あんたは泣こうとしないのよ……っ!」

未来視(おれ)が、泣くわけにはいかないからだ」

 

 迅はただ、そう告げる。

 

 玲奈の遺志を継いだ以上、もう泣く事など許されない。

 

 彼女は、願った。

 

 幸せな、未来を。

 

 ならば、それを聞き届けた己は。

 

 願いを叶える神様のように、ただ己の役目を遂行する装置であれば良い。

 

 日常は要らない/彼女のいない日常など意味がない

 

 幸福も望まない/彼女がいない幸福など有り得ない

 

 ただ、最善の未来に辿り着く為。

 

 どんな事でも、やってやろう。

 

 迅の、その決意を聞いて。

 

 小南は、彼に縋り付いて泣き出した。

 

「なんでよ……っ!? 泣きたいなら、泣けばいいでしょ……っ!? あんたが泣いちゃいけない理由が、何処にあるって言うのよ……っ!?」

「小南」

「ふざけないでよ……っ! 玲奈おねえちゃんは、そんな事の為に命を投げ出したんじゃない……っ! だって、だって……っ!」

「小南……っ!」

「────────おねえちゃんは、誰よりもあんたに、幸せになって欲しかったんでしょうが……っ!!」

 

 小南の慟哭が、響き渡る。

 

 人目も憚らず、その場で小南は泣き出した。

 

 迅は、そんな小南を置き去りに。

 

 七海を抱え、那須を連れ。

 

 その場を、立ち去った。

 

 そんな事、言われなくても分かっている。

 

 けれど。

 

 誰よりも彼自身が、自身が幸福になる事を許せなかった。

 

 自分は、玲奈を死なせた。

 

 死ぬと分かっていて、止める事が出来なかった。

 

 それどころか、彼女がこの場に向かう事を助けさえした。

 

 たとえ、それが彼女の願いであったとしても。

 

 迅が、自分の意思で彼女を死なせた事に違いはない。

 

 自分は、人でなしだ。

 

 たとえ好意を抱いた相手であっても。

 

 愛していた相手であろうとも。

 

 未来の為に、その死すら許容してしまう。

 

 そんな、ろくでなしだと。

 

 だから。

 

 もう自分に、幸福になる権利など有りはしない。

 

 この身はただ、最善の未来の為に。

 

 それは、迅がこの日定めた誓い(のろい)

 

 彼のこれからを決定づける、悲壮な決意(ねがい)だった。

 

 

 

 

 

 迅は七海と那須を病院に送り届け、再び瓦礫の街に舞い戻った。

 

 応急処置程度ならともかく、本格的な治療に関しては迅は門外漢。

 

 病院に送り届けた以上、出来る事は何もない。

 

 故に。

 

 一人でも多く。

 

 この崩壊した街に取り残された人々を助ける為に。

 

 トリオン兵は大方片付けてあるが、まだ残敵がいないとも限らない。

 

 大型のバムスターは全て駆逐した後だが、小型のトリオン兵が残っている可能性はある。

 

 その掃討の為、迅は再び街へと繰り出していた。

 

「…………」

 

 街には、死体が溢れていた。

 

 瓦礫で潰されたもの。

 

 トリオン機関を抜き取られ、致命傷を負ったもの。

 

 火災に巻き込まれ、焼け死んだもの。

 

 様々な死因で命を落としたヒトであったものが、街の至る所に転がっていた。

 

「姉さん、姉さん……っ!」

 

 そんな、地獄のような光景の中。

 

 あり触れた、けれど見過ごせない姿があった。

 

 胸に穴の空いた女性を抱え、泣き叫ぶ少年。

 

 恐らく、抱えている女性は彼の姉なのだろう。

 

 既に致命傷を負い、傍目から見ても手遅れと分かるその女性に。

 

 少年は、縋り付いていた。

 

「……! あなた、は……」

 

 そこで、少年が迅に気付いた。

 

 手に持っている剣から、トリオン兵を倒した一団────────ボーダーの一員である事を察したのだろう。

 

 縋るような眼で、少年は助けを乞うて来た。

 

「助けて……っ! 姉さんが、姉さんが死んじゃう……っ!」

 

 けれど。

 

 もう、彼の姉の未来は視えない。

 

 未来が視えないという事は。

 

 彼女の未来(いのち)は、此処で尽きる。

 

 それを理解した迅は、踵を返した。

 

 他の。

 

 まだ、手遅れになっていない者を救う為に。

 

「待って、待ってよ……っ! お願いだから、助けてよ……っ!」

 

 しかし。

 

 そんな事は、目の前の少年には分からない。

 

 少年には、ただ迅が。

 

 自分たちを見捨てようとしているようにしか、見えなかった。

 

「姉さんを、助けてよ……っ!」

 

 迅は、止まらなかった。

 

 背後で、少年の慟哭が響き渡る。

 

 彼の姉の未来は、視えなかった。

 

 けれど。

 

 彼の、三輪の未来は、視えていた。

 

 三輪は近い未来、近界民(ネイバー)への憎悪を糧とし、優秀な戦力としてボーダーに貢献するようになる。

 

 ならば、此処で彼を見捨てたように振る舞えば。

 

 その憎悪を、(じぶん)に向ける事が出来る。

 

 自分が、彼の憎む対象となれば。

 

 彼の進む方向性は、ある程度誘導出来る。

 

 無軌道に憎悪を燻ぶらせるよりもそれが最善に繋がると、今の迅は判断した。

 

 そう、敢えて恨みを買うように振る舞ったのはその為だ。

 

 けれど。

 

 心の何処かで。

 

 自分を心底恨んでくれる人がいればいいと。

 

 望まなかったとは、言えなかった。

 

 

 

 

「迅は、泣かないのですね」

 

 玉狛支部。

 

 かつてはボーダー本部であったそこで、迅にそう声をかけた少女の名は忍田瑠花。

 

 同盟国、アリステラの王女であり。

 

 今は、ボーダーの(マザー)トリガーを動かす大役を担った亡国の生き残りである。

 

「突然どうしたんだい、瑠花ちゃん。俺が泣かない事が、そんなに不思議かい?」

「ええ、不思議ですね。私は玲奈のような副作用(サイドエフェクト)は持っていませんが、今のあなたが無理をしている事くらいは分かります」

 

 だって、と瑠花は続ける。

 

「あなた、玲奈が好きだったのでしょう? 好きな人が死んだのに悲しみを覚えないほど、あなたは非人間ではありません」

「…………さて、ね。どうかな? 俺は割と、ひとでなしですよ」

 

 現に、今泣いてなんかいないでしょう? と迅は告げる。

 

 そんな迅を、まるで瑠花は痛ましいものを見るかのような眼で、見据えた。

 

「一度しか言わないから、良く聞きなさい。あなたは確かに人間としては最低かもしれませんが、それでも私や陽太郎がこうして生きているのは、紛れもなくあなたの尽力のお陰なのです」

 

 あなたがアリステラの戦争で予知を駆使したからこそ、こうして亡命出来たのですからね、と瑠花は続けた。

 

 瑠花は年齢不相応に落ち着いた振る舞いを見せながら、同時に年頃の少女らしい笑みを浮かべ、告げた。

 

「今すぐわかれとは言いません。けれど、あなたが動いたからこそ助かった人間がいる事を、忘れないように」

 

 瑠花はそう言って、話を打ち切った。

 

 迅はその言葉に、頷けなかった。

 

 彼の自責は、自分自身を許せるようになるには大き過ぎた。

 

 故に、彼女の話は受け入れられない。

 

 今は、まだ。

 

 

 

 

 三門総合病院。

 

 その一室で、迅は少年と────────七海と向き合っていた。

 

 先日ようやく意識が戻った彼を視て、迅は己の未来視(ちから)を再確認した。

 

 細い。

 

 けれど確かな最善への道が、彼の辿る未来(さき)にあった。

 

 話によれば、今の彼は無痛症を患っているのだという。

 

 しかし、どうにも医学的な症例としては不可解な点が多い。

 

 玲奈の黒トリガーが何らかの影響を与えた結果である可能性も、充分考えられる。

 

 無論、それは口にしない。

 

 ただでさえ一杯一杯な今の彼にそれを話したところで、受け入れられるワケがないからだ。

 

 それに。

 

 玲奈が命を賭して彼を救ったのに。

 

 その結果として痛覚を失うなど、信じたくなかったという想いもあった。

 

 だから。

 

「混乱するのも分かる。だけどその上で、こう提案させて欲しい」

 

 迅は、己の職務を。

 

 誓いを果たす為。

 

 七海に、問いかけた。

 

「君、ボーダーに来る気はないかな?」

「え……?」

 

 それが、始まり。

 

 七海玲一という少年がボーダーに関わる事になる、最初の一歩となった。

 

 

 

 

「────────見つけた」

 

 そして現在。

 

 秋口のある日。

 

 迅は、ボーダーの入隊試験を受けに来た人々を視ていた。

 

 新入隊員候補の中に、ボーダーに貢献大きく出来る人物がいないかどうか。

 

 それを、探る為に。

 

 無論、これは彼の独断だ。

 

 今の迅は、本部とは距離を置いている。

 

 彼一人の判断で試験の結果を左右する事までは出来ない。

 

 けれど。

 

 もし此処で最善の未来に繋がる者を見つける事が出来れば、相応の便宜を図る事が出来る。

 

 そう考えて、迅はこの日もやって来て。

 

 一人の受験者を、視た。

 

 お世辞にもトリオンは多いどころか、確実に落とされるであろう量しかない。

 

 戦闘に適しているようにも見えず、戦いの心得があるようにも見えない。

 

 されど。

 

 眼鏡をかけたその少年の、辿る未来。

 

 その未来(さき)には確かに、光があった。

 

 最善の未来へと、繋がる光が。

 

 まだ、最後の欠片(ピース)は嵌まっていない。

 

 けれど。

 

 彼が、二つ目の希望(かけら)である事は、間違いなかった。

 

 恐らく、彼は試験に落とされるだろう。

 

 トリオン量が、戦闘員として適正な基準に足りていない。

 

 彼を入隊させるには、相当な裏技を使うしかないだろう。

 

 だが、問題はない。

 

 既に迅の眼には、彼が無断で警戒区域に侵入する未来が視えている。

 

 あとはその場に偶然を装って居合わせ、そのまま流れでスカウトすれば良い。

 

(玲奈、待っていてくれ。必ず、最善の未来に辿り着く。その為に、やれる事はやってやる。誰を利用する事になろうと、きっと)

 

 

 

 

「よう。無事かメガネくん」

 

 迅は、眼下でへたり込む少年を見下ろしながら、そう告げた。

 

 突然の事態に驚く少年は、固まっている。

 

 けれど。

 

 その眼には。

 

 確かな、強い意志の光が宿っていた。

 

 少年の名は、三雲修。

 

 物語(みらい)における、重要人物(キーパーソン)

 

 迅が最善の未来に辿り着く為に選んだ、二人目の人間であった。




 迅悠一

 ポジション:攻撃手(アタッカー)

 年齢:19歳

 誕生日:4月9日

 身長:179cm

 血液型:O型

 星座:はやぶさ座

 職業:不明

 好きなもの 七海玲奈、ボーダーの皆、優しい世界

〔FAMILY〕

 母

〔RELATION〕

 七海玲奈←大切な人。君との誓いは、忘れない。

 七海玲一←大切な人の忘れ形見。君のお陰で、大切な事に気付けたよ。

 小南桐絵←旧友にして戦友。ここぞという時、欲しい言葉をくれる。

 木島レイジ←旧友にして戦友。頼りにしているよ。

 忍田瑠花←あの時はありがとう。今度は、自分を許せる気がするよ。

 城戸正宗←道は違えたけど、大事な仲間である事に変わりは無い。玲奈の遺志を慮ってくれて、ありがとう。

〔PARAMETR〕

 トリオン:7(37)

 攻撃:10(24) 

 防御・援護:15(18)

 機動:7 

 技術:9 

 射程:1(10) 

 指揮:7 

 特殊戦術:3 

 TOTAL 59(120)

 『副作用(サイドエフェクト)

 『未来視』

 目の前の人間の少し先を視る事が出来る。

 一度視認しさえすれば未来が変わる度にその映像を見られるが、定期的に会っていなければ未来は更新されない。

 幾つもの並列した未来を同時に映像として視認する為、あまり多くの人間の未来を一度に視ようとすると処理が追い付かなくなる場合がある。

 彼は幼少期からこの異能があるが故に助けられない人間を見殺しにする罪悪感に耐え切れず、精神が擦り切れていた。

 笑顔の仮面は、七海の成長によって取り払われた。

 
 未来視を持つ少年。副作用の被害者。

 玲奈の死によって「最善の未来へ至る」という強迫観念に取り憑かれ、その為に自らを省みなくなっていた。

 誰に何を言われようと止まる気はなかったが、成長した七海に玲奈の声を代弁され、ようやく後ろを振り返る事が出来た。

 今の彼は玲奈の遺志を正しく理解し、その為に腹の内を前より打ち明けるようになった。

 未来は続いている。

 希望は、視えたのだから。


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三雲修①

 三雲修は、意思の強い少年だ。

 

 飛び抜けて頭が良いワケでも、運動が得意なワケでもない。

 

 けれど。

 

 ただ一点。

 

 自らの意思を決して曲げないという点は、この上なく強固だった。

 

 親しい少女の兄や友達を探す為に、ボーダーに入る。

 

 その決意に至った理由は様々だが、一度決めてしまった以上彼に退くという選択肢は存在しない。

 

 だから。

 

 トリオン量という良く分からない基準で試験に落とされた後、上層部に直談判するつもりで警戒区域に無断で入ったのは。

 

 彼からしてみれば、当然の事であった。

 

 あの人事担当の水沼という人も、嘘を言ったワケではないのだろう。

 

 むしろ、対応としては相当に丁寧だったと言える。

 

 なにせ、「試験の結果に不満がある」と言って直談判に来た修に、言葉を尽くして説明して別の道を提示したりもしてくれたのだから。

 

 けれど。

 

 修の目的を達する為には、戦闘員として入隊しなければ意味がない。

 

 ならば、多少問題がある手段であっても、取らない理由はなかった。

 

 そして。

 

 警戒区域に侵入した修は。

 

 当然の帰結として、門から現れた近界民(ネイバー)に襲われた。

 

 大型トリオン兵、バムスター。

 

 ボーダー隊員にとっては雑魚同然であるそれも、一般人であった修にとっては対処不能の脅威でしかない。

 

 見上げるほどの巨体に、近代兵器が効かない装甲。

 

 ただの学生であった修は、哀れな被害者の仲間入りをする他ない。

 

 普通であれば、そのまま諦めても良い場面であろう。

 

(これで、終わりなのか……っ!? また、何も出来ずに……っ!)

 

 しかし。

 

 修は、諦めてはいなかった。

 

 少しでも時間を稼ごうと、修は逃走を選んだ。

 

 全て考えての行動ではない。

 

 ここは、ボーダー本部の基地の近辺。

 

 ならば、時間さえ稼げれば隊員が助けに来てくれる可能性はあった。

 

 だが。

 

 修とトリオン兵とでは、()()が違い過ぎた。

 

 バムスターは、動き自体はトリオン兵の中でも鈍重だ。

 

 しかし、その巨体故に踏み出す()()の距離が半端ではない。

 

 運動神経が特別良いワケではない修では、最初から勝負になる筈もなかった。

 

 稼げた時間は、僅か一瞬。

 

 それだけで、バムスターは修に追い付いた。

 

 トリオン兵の口が、獲物を呑み込もうと大きく開かれる。

 

 暗い口内が、犠牲者を招き入れようと迫って来る。

 

(やばい、食われる……っ!)

  

 バムスターの顎が、修を呑み込む。

 

 その、刹那。

 

「え……?」

 

 空から降って来た人影による斬撃で、一瞬にして怪物(バムスター)は斬り裂かれ沈黙した。

 

 修が手も足も出ず、やられるしかなかった脅威。

 

 それを。

 

 その人物は、さも当然のように。

 

 まるで作業のように、斬って捨てた。

 

 煙が晴れ、倒されたバムスターの上に乗る人影の姿が露になる。

 

 背の高い、茶髪の少年。

 

 成人ではないだろうが、高校生にも見えない。

 

 纏う空気は、少なくとも義務教育を終えていない学生のそれではなかった。

 

 青いサングラスをかけ、その手に剣を持った少年は。

 

 修の姿を、その眼に捉えた。

 

「よう。無事か? メガネくん」

 

 そう言って、修を導くように手を差し出した彼の瞳は。

 

 何故か、修には。

 

 泣いているように、視えたのだった。

 

 

 

 

 修は、その時彼を助けた少年────────迅悠一の手引きにより、ボーダーへの入隊を許された。

 

 隊員がトリオン兵から助け出した一般人を保護してそのままスカウトする事自体は、ままある事なのだという。

 

 だが、それはその助けた相手が戦闘員として必要なトリオン量を満たしている事が前提条件となる。

 

 修のトリオン評価値は、『2』。

 

 間違いなく、ボーダー内でも最低クラス。

 

 普通であれば、オペレーターかエンジニアに進むしかない低数値であった。

 

 それでも入隊出来たのは、迅の一声があったからという事が大きい。

 

 迅は本部とは距離を置いているが、影響力そのものは強い。

 

 それに今回は、玉狛支部の力も用いている。

 

 具体的には、支部長の林道に頼んで一筆書いて貰ったのだ。

 

 だが。

 

 それでも尚、今回の件は強引に過ぎた。

 

 当然の帰結として、迅は城戸の詰問を受ける事となったのだ。

 

「迅。今回の件は、どういう事だ?」

「単に、隊員を一人スカウトしただけですよ。何が問題ですか?」

「全てだ。このトリオン量では、戦闘員に向いているとはとても言えん。お前は、この少年をわざわざ無駄死にさせる為に引き入れたのか?」

 

 じろり、と城戸は迅を睨み付ける。

 

 彼とは、旧ボーダー時代からの付き合いだ。

 

 何の理由もなくこんな真似をする事はないであろう事くらい、当然理解している。

 

 だから、問うているのだ。

 

 これは、どういう意図があるのかと。

 

「そんなワケないじゃないですか。彼はきっと、今後ボーダー(おれたち)にとって替えの効かない存在になる。だって────」

 

 迅はサングラスを外し、城戸の眼を真正面から見据え。

 

「────────俺の副作用(サイドエフェクト)が、そう言ってるからね」

 

 その一言を、告げた。

 

 城戸も、確信を持たざるを得なかった。

 

 迅が、この台詞を用いるという事は。

 

 彼が視た予知を下に、行動している事の証左なのだから。

 

「…………一体、彼が具体的にどう我々に貢献すると言うのだ? 木虎隊員のように、トリオンが低くとも戦闘能力が図抜けているというワケでもないのだろう」

「そうだね。彼は戦闘員として見れば、弱い。素質も才能も、突出したものは何も持っていないよ」

 

 けどね、と迅は続ける。

 

「彼の価値は、そんな所じゃないんだ。まだ出会えていない最後の欠片(ピース)は、彼がいないと嵌まらない。彼じゃなきゃ、いけないんだ」

 

 だって、それが、と迅は顔を上げる。

 

 そして。

 

 仮初の笑顔を脱ぎ捨てて。

 

 ただ真摯な眼で、城戸に告げた。

 

「────────玲奈の望んだ未来に行く為には、そうするしかないからね」

「……!」

 

 城戸は、言葉を失った。

 

 七海玲奈。

 

 その名前を、他ならぬ迅が出した意味。

 

 城戸は、彼の本気を、認めざるを得なかった。

 

 玲奈は、城戸にとっても旧知の相手だ。

 

 旧ボーダー時代には、彼女の明るさに救われた部分も多い。

 

 だからこそ。

 

 彼女の忘れ形見である七海の事は常に気にかけていたし、建前はどうあれ本心では力になりたい気持ちも強い。

 

 そして。

 

 そんな玲奈と一番親しかった相手が、目の前にいる迅なのだ。

 

 迅は、その玲奈の遺言というべきものを受け取っている。

 

 彼女の死後、姿を見せた迅は。

 

 最上の死の時よりも尚、深い絶望に沈んでいた。

 

 傍目には、迅の事を良く知らない人間からは、平気そうに見えたかもしれない。

 

 だが。

 

 かつての迅を知る城戸たちからしてみれば、常に仮初の笑顔の仮面を被り続ける迅の姿は、痛々しいものとしか映らなかった。

 

 最上の死を経て泣く事を無理やり我慢するようになった迅は、玲奈の死によって人前で感情を露にする事自体を忌避するようになってしまった。

 

 城戸も、玲奈の遺言(のぞみ)は迅本人から聞いている。

 

 最善の未来。

 

 そこに辿り着いて欲しいと、玲奈は願ったのだという。

 

 それを聞いた時、城戸は迅に対して深い憐憫を抱いてしまった。

 

 迅が玲奈を好いていた事は、見れば分かった。

 

 そして迅は、その最愛の少女から、()()を望まれた。

 

 これが、悲劇でなくてなんだという。

 

 彼の、迅にとっての()()は。

 

 玲奈と共に歩く未来。

 

 それしか、なかったというのに。

 

 勿論、それは玲奈も分かっていたのだろう。

 

 しかし。

 

 玲奈は、弟が死にかけている時に、それを見過ごせるような人間ではなかった。

 

 彼女の慈愛は、愛の深さは、皆が承知していたのだから。

 

 迅はきっと、家族を助けに向かう玲奈の姿を、かつて母親(かぞく)を救えなかった自分と重ねてしまったのだろう。

 

 だから、止められなかった。

 

 口にはしないが、何故自分がその場に居合わせる事が出来なかったのか。

 

 あの日から、城戸がそれを悔やまなかった日はない。

 

 自分がそこにいて、何が出来たのか。

 

 そんな事は分からない。

 

 けれど。

 

 感傷として、そう想うことは。

 

 城戸には、止められなかった。

 

 玲奈の忘れ形見である七海に様々な便宜を図っているのは、その後悔があるが故だ。

 

 己の命を投げ捨ててまで、玲奈は七海を救う事を望んだ。

 

 だからこそ、玲奈の遺志を尊重する為にも、七海を放置するという選択肢は有り得ない。

 

 城戸は立場上表立って支援は出来ないが、裏から手を回して何かあった時には力になれるよう取り計らって来た。

 

 七海が唯一の親類である叔父ではなく、那須の家に住まう事が出来たのも、城戸の根回しが関係している。

 

 唐沢に色々と頑張って貰い、叔父は快く()()に応じてくれた。

 

 その事は七海には隠しているが、薄々察してはいるだろう。

 

 本当であれば城戸本人が引き取りたいくらいだったのだが、立場がそれを許さなかった。

 

 城戸は、林道たちと袂を分かち今のボーダーを作り上げた。

 

 四年前の大規模侵攻で被害があそこまで拡大したのは、偏にボーダーの戦力が不足していたからである。

 

 絶対的な、人員の数。

 

 それが、まるで足りていなかった。

 

 だからこそ、近界民への敵対を表明するという宣伝効果(プロパガンダ)が必要となったのだ。

 

 城戸自身、近界民(ネイバー)に関しての憎悪はある。

 

 しかしそれ以上に、隊員の確保と組織力の拡大は急務であった。

 

 近界民を倒す防衛機関、という体裁を作れば、多くの隊員が集まる。

 

 それを、理解していたが故に。

 

 あの大規模侵攻で家族や家、友人を失った者は多い。

 

 故にこそ、手っ取り早く隊員を集める為にはその憎悪を煽る方法が最適だったのだ。

 

 無論、この方法は近界民との橋渡しを目的としていた旧ボーダーの理念に反する。

 

 故に、旧ボーダーの思想と距離を取る必要があった。

 

 林道たち玉狛支部の面々と袂を分かったのは、その為だ。

 

 城戸自身は、玉狛とはそこまで隔意はない。

 

 ただ、立場上歩み寄るワケにはいかないからこそ、今の状況が出来上がっているのだ。

 

 玉狛支部と派閥争いをしているように見えるのは、ボーダーに多く在籍している近界民を憎む隊員の居場所を確保する為である。

 

 結果としてボーダーには多くの隊員が集まり、大きな組織となった。

 

 城戸は、己のやり方が間違いだったとは思っていない。

 

 現実を見て、今のやり方を選んだ城戸(じぶん)

 

 理想を目指し、今も尚独自の行動を取る(かれ)

 

 どちらが悪いワケでもない。

 

 ただ、仕方がなかった。

 

 そうとでも思わなければ、やってはいけないのだ。

 

 世界は、人が思うよりもずっと、厳しいのだから。

 

 そして、それを知る迅が玲奈の名前を出した以上。

 

 城戸にはもう、彼を止める為の言葉を紡ぐ事は出来なかった。

 

「…………いいだろう。隊員、三雲修の入隊を認める。だが、これ以上の特例は認めん。正当な理由がない限り、同隊員は他の隊員と同様に扱う。構わんな?」

「ああ、充分だ。ありがとう、城戸さん」

 

 迅はそう言って頭を下げ、城戸に背を向けた。

 

 目的は達した。

 

 これ以上、此処に留まる理由はない。

 

 そう考えて、迅は扉に向かい────。

 

「迅」

 

 城戸は。

 

「お前は、大丈夫なのか?」

 

 ────────その言葉を、告げた。

 

「────」

 

 迅は、城戸の言葉に。

 

 目を見開き。

 

 けれど。

 

 振り向く事は、なかった。

 

「…………大丈夫だよ。俺は、頼れる実力派エリートだからね」

 

 迅はそう言い残して、部屋を去った。

 

 これ以上、何も言う事はないと。

 

 言外に、拒絶を叩きつけて。

 

 城戸はそんな迅を見送り、近くに誰もいない事を確認し大きくため息を吐いた。

 

「…………ままならんな。子供(かれら)を支えるどころか、その力に縋る始末か。玲奈(おまえ)が視ていたら、なんと言っただろうな」

 

 

 

 

「てなワケで、無事メガネくんは入隊出来た。感謝するよ、ボス」

 

 迅は玉狛支部に戻り、支部長の林道に事の顛末を報告していた。

 

 林道は黙って話を聞き、そうか、と頷いた。

 

「どうだ? これで、お前の目的は達せられそうか?」

「まだ、最後の欠片(ピース)が見つかってない。けれど、これで多分、残るは一つだ。必ず、見つけてみせるさ」

 

 そうでなきゃ、皆に申し訳が立たないからね、と迅は告げる。

 

 飄々とした笑みを、浮かべてはいる。

 

 しかし。

 

 林道から見ても、明らかに無理をしているのが丸わかりだった。

 

「迅。お前、城戸さんに何か言われたな?」

「…………いや、別に何も────」

「大丈夫かって、心配されたんじゃないのか?」

「────!」

 

 迅は、その言葉に固まった。

 

 目を見開き。

 

 身体が固まり。

 

 何の反論も、出来なかった。

 

「図星だな。おまえ、分かり易いんだよ。他の連中はともかく、俺や城戸さんを騙せると思うな。一体、何年の付き合いだと思ってる」

 

 そうやって強がるとこ、玲奈とそっくりだぞ、と林道は告げる。

 

 何も言い返さない迅を見て、林道は深いため息を吐いた。

 

「玲奈との約束がお前の支えになってる以上、止めろとは言わん。けどな」

 

 林道は真っ直ぐ迅の眼を見据え、告げる。

 

「────────お前を心配する人間は、お前が思ってるよりずっと多い。そこんとこ、ちゃんと承知しとけ」

 

 そう言って、林道は迅の肩を叩いて部屋を後にした。

 

 返事は聞かない。

 

 今はまだ、答えられないと分かっているから。

 

 強迫観念に取り憑かれている今の彼を変えられるのは。

 

 きっと、ただ一人を除いて存在しないだろうから。

 

「ったく。なんで大人(おれら)が生き延びて、子供(あいつら)から死んでくかね。普通、逆だろうが」

 

 林道は思わず拳を握り締め、虚空を仰いだ。

 

 どうにもならない世界(げんじつ)を知るが故に。

 

 彼は、理想(ねがい)を抱える迅を救えない。

 

 手を、差し伸べられない。

 

 その心を。

 

 知るが故に。

 

責任(おもに)を背負うのは、大人(おれら)の役目だろうがよ」

 

 言葉が、空に消える。

 

 想いは、届かない。

 

 今は、まだ。



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三雲修②

 

 修は、迅の手回しによってボーダーへの入隊に成功した。

 

 何故、偶然出会った自分にそこまでしてくれたのかは分からない。

 

 だが。

 

 相手にどんな意図があったとしても、彼の協力がなければ入隊出来なかったのは事実なのだ。

 

 もしも何らかの思惑があって────────否、無い方がおかしいだろう。

 

 そうでもなければ、自分をわざわざ個人的に入隊させたりなどしない。

 

 自分の戦闘員としての価値の無さは、C級隊員になって修自身が誰より強く実感していたのだから。

 

 トリガーを扱う才能、トリオン。

 

 厳密には体内のトリオン機関から供給されるそのエネルギーこそが、人事担当が言っていた()()()()()()()()()だ。

 

 修は、そのトリオン量がこの上なく低かった。

 

 評価値、2。

 

 それが、修に下された才能(ちから)の評価だった。

 

 戦闘員のトリオン平均は、5程度だという。

 

 修はその、半分以下。

 

 事実、トリオン切れになるのも圧倒的に早いし、弾トリガーの威力も呆れるほどに低い。

 

 かといって格闘戦の経験が皆無であり運動音痴の部類である修が近接戦闘に適応出来る筈もなく、C級同士の個人ランク戦の結果は散々だった。

 

 現在はランク戦に見切りを付けて訓練でポイントを稼いでいる最中だが、個人ランク戦と比べて訓練によるポイント取得量は雀の涙に等しい。

 

 普通はランク戦を繰り返してポイントを貯めてB級になるのが普通なのだから、当然とも言えるが。

 

 ボーダーは、近界民から街を守る為の防衛機関だ。

 

 当然、B級(正隊員)は有事の際街を守る義務がある。

 

 故に、求められるのは即戦力。

 

 ある程度自力で戦える能力がなければ、そもそも戦闘員としては扱って貰えない。

 

 C級隊員は、言うなればアルバイトのようなものだ。

 

 特別な義務はないが、代わりに戦闘員として扱われる事もない。

 

 B級隊員になって初めて、ボーダーの戦力としてカウントされるのである。

 

 事実、隊務規定によってC級隊員は有事の際であっても許可の無いトリガーの使用は禁じられている。

 

 故にC級隊員の殆どは途中でモチベーションを失い、ボーダーという立場だけに拘り惰性で隊員を続ける事が多い。

 

 B級隊員になれるか否かが、ふるい落とされる側かそうでないかを見極める試金石なのだろう。

 

 きちんとやる気のある者であれば、コツコツとポイントを積み重ねてB級隊員になる事が出来る。

 

 それ以前に実力が伴わなければ話にならないので、ランク戦による取得ポイントを多めに設定しているのである。

 

 即戦力はさっさと正隊員になれ、という事だ。

 

 今のままでは、修が正隊員になれるのはいつになるか分かったものではない。

 

 トリオン機関は、使用していなければ20歳を境に衰退していくのだという。

 

 ただでさえトリオンの少ない修がそうなれば、戦闘員を続ける事は不可能だろう。

 

 そもそも、そこまで悠長に待ってはいられない。

 

 修の目的は、近界から妹分の兄と友人を連れ帰る事。

 

 何年もかけていては、ただでさえ少ない可能性が皆無になってしまう。

 

 だから、修は一先ずの目的であるB級に上がる為にはなんでもやる所存だった。

 

 しかし、戦いなどこれまで無縁だった修にはどうやって鍛えれば良いかすら分からない。

 

 修のトリオンでもある程度の強度が保証されるからという理由で選んだトリガーであるレイガストも、彼の格闘能力ではまともに攻撃に移れないまま終わるのが精々だ。

 

 何か指標が、教えを乞う相手が要る。

 

 だが、そんな相手に心当たりなどない。

 

 修のボーダー関係のコネクションは、あの時自分を助けてくれた男性────────迅悠一ただ一人。

 

 そして迅本人は、いつも忙しく飛び回っているようで会おうと思っても会える相手ではない。

 

 けれど彼以外に頼れる心当たりがいない以上、迅を見つけて話をする以外に良い考えは浮かばない。

 

 迅の所属は玉狛という支部らしいが、本部にも時折出入りするらしい。

 

 流石に支部に直接行くような伝手もなく場所も分からない為、本部にいる時間を使って探し回る他ない。

 

 そう簡単には、見つからないだろう。

 

 少なくとも修は、そう思っていた。

 

「やあ、メガネくん。元気にしてたかい?」

 

 だが。

 

 修の探し求めていた相手は。

 

 まるで彼の思惑を読み取ったかのようなタイミングで、再び修の前に現れた。

 

「迅さん……っ! えと、入隊の件は、ありがとうございました……っ!」

「いいっていいって、察してるようにこっちも理由あっての事だからさ。むしろ、お礼を言うのはこっちの方なんだけどね

 

 え? と修は意味の分からない迅の言葉に困惑するが、どうやら答えるつもりはないらしい。

 

 気にならないと言えば、嘘になる。

 

 だが。

 

 一瞬見せた迅の哀し気な眼が、それ以上の追及を止めさせた。

 

 何か、事情があるのだろう。

 

 それを察せられる程度には、修は聡い少年だった。

 

「それより、何か俺に用があったんじゃないのかな?」

「あ、そ、そうですっ! あの、正隊員になりたいんですけど、ランク戦じゃポイントを稼げなくて────」

「困っている、と。まあ、最初は誰だってそうさ。中には数日でB級になった子たちもいるけど、むしろそういうのは例外だしね」

「え、そんな、どうやって……?」

「普通に、ランク戦で勝ちまくったのさ。そういう即戦力になれる子たちは、大抵最初から高いポイントを持たされているしね」

 

 聞けば、仮入隊時に高い成績を残した者はそれに応じた初期ポイントが与えられているらしい。

 

 最初から才覚を現した者は、さっさとポイントを稼いでB級に上がる。

 

 それが、ボーダーのシステムである。

 

 即戦力とそうでない者をふるい分ける、効率重視の方法だ。

 

 ボーダーではどこまでも、実践力が試される。

 

 それを聞いて、修は己の置かれた立場の厳しさを改めて実感した。

 

 このままでは、まずB級には上がれない。

 

 そう、危惧してしまう程に。

 

「大丈夫だよ。少し時間はかかるかもしれないけれど、メガネくんはちゃんと正隊員に上がれるさ。俺の副作用(サイドエフェクト)が、そう言っているからね」

「サイドエフェクト……」

 

 副作用(サイドエフェクト)

 

 それについての説明は、既に受けている。

 

 優秀なトリオン能力を持つ者に稀に発現する、特殊な力。

 

 発現する力は個々人によって様々で、五感を強化するものや第六感のようなものが芽生える等多岐に渡る。

 

 そして、迅の、彼の能力は────。

 

「俺は、未来が視えるんだ。未来視、それが俺の、副作用(サイドエフェクト)さ」

「未来が、視える……っ!?」

 

 まるで、フィクションの世界だ、と修は思った。

 

 未来視。

 

 文字通り、未来を見通す能力。

 

 まるで神の如き、常識外れの力。

 

 そんなものを、一個人が持っている。

 

 その凄まじさに、息を呑んだ。

 

「…………」

 

 けれど。

 

 己の能力を語る迅の姿は。

 

 傍目からすれば、力を誇示しているように見えたかもしれない。

 

 けれど。

 

 修の脳裏には、初めて会った時の彼の悲しみを堪えたような瞳が、思い浮かんでいた。

 

 事情は分からない。

 

 だが、容易に踏み込んで良い事ではない事くらいは、理解出来た。

 

 だから、それ以上は何も言わない。

 

 それはきっと、自分の役目では無いのであろうから。

 

「だから、そんな俺からアドバイスだ。メガネくん、チームランク戦の事は知ってるかい?」

「え、ええ。B級部隊同士が戦う、チーム単位の試合の事ですよね?」

「その通り。そろそろその時期になるからさ、見て来ると良いよ。模擬戦とはいえ、実際の戦いを見れば何かヒントを掴めるかもしれないぜ」

 

 迅の言葉に、その手があったか、と修は理解する。

 

 これまで修は、ただ自己鍛錬を繰り返すのみで、戦術の勉強は何もして来なかった。

 

 今の修の状態は、目的地も決めずに風景を見る余裕もなくただひたすらに山を登っているようなものだ。

 

 そんな状態で、上達など望むべくもない。

 

 実際の戦い、試合となればその動きから戦闘に必要な理論を学ぶ事も出来る。

 

 実際、ランク戦の意義の一つはそれだ。

 

 戦闘を映像として見る事で実際の戦場での動きを学び、知見を深めて己の成長する糧とする。

 

 ただ盲目に「強くなりたい」と願うばかりで、具体的な方法は何も思いついてはいなかった。

 

 そんな修にとって、迅の提案は目から鱗とも言えた。

 

「そうそう、どうせならランク戦を追いかけて行く隊を絞って見てみるのもいいかもね。一試合ごとにどんな動きをするか、比較し易い方がいいでしょ」

 

 そう話すと、迅は懐から数枚の資料を取り出し、修に手渡した。

 

 資料には、数名の写真と名前。

 

 ボーダーのホームページに載っている、各隊の紹介ページの一つを印刷したもののようだ。

 

 映っているのは、三名の少女と、一名の少年。

 

「────────那須隊。このチームなんか、良いんじゃないかな」

 

 

 

 

「これで、下準備は終わりか」

 

 迅はランク戦の観戦席に座る修の姿を視て、ふぅ、と溜め息を吐いた。

 

 修にはああ言ったが、彼の実力ではまともな手段でB級隊員に昇格するのはまず無理だ。

 

 それこそ、城戸でも認めるしかない確かな実績。

 

 そういった()()を使って正隊員に昇格させるしか、方法は無いだろう。

 

 那須隊のランク戦を観戦するよう誘導したのは、単純に戦術の勉強になるという理由もある。

 

 だが本当の目的は、那須隊に────────正確には七海に、興味を持って貰う為だ。

 

 七海と三雲は、戦闘能力こそ比較にすらならないが、最善の未来に辿り着く為の欠片(ピース)であるという共通点がある。

 

 そして、迅のサイドエフェクトは、彼等の交流がその一助になると告げていた。

 

 恐らく、今期のランク戦中はそれどころではないだろう。

 

 ラウンド3あたりで、七海達那須隊に最大の転機が訪れる。

 

 その後も、上へ上がる為にやるべき事は幾らでもある。

 

 修と交流を持たせるとしたら、ランク戦や()()()が全て終わった後。

 

 A級昇格試験の終了後、そのあたりのタイミングが適切だろう。

 

 勿論、未来が悪い方へ転がればそもそも那須隊が再帰出来ずに終わるケースもある。

 

 それだけ、彼等を縛る()()は大きい。

 

 自分たちの関係を見詰め直す事が出来なければ、燻ぶったまま終わる可能性は充分に有り得る。

 

 だが、その件に関しては迅は何も手出し出来ない。

 

 むしろ彼が関わった方が悪い方向に転がると、迅のサイドエフェクトは訴えていた。

 

 だから、祈るしかない。

 

 七海が、那須隊が、立ち直ってくれる事を。

 

 迅が出来る事は、その程度。

 

 未来を視えるが故に、彼は手を差し伸べる事が出来ない立場にいるのだった。

 

「…………本当、なんでかな。どうして、玲奈(きみ)の忘れ形見の一大事に、俺は何も出来ないんだろう? これも、罰なのかな」

 

 玲奈を、見殺しにした事の。

 

 その言葉は、口にはしなかった。

 

 あの結末は、玲奈が望んだ事だ。

 

 正しい事だ。

 

 最善に繋がる道だ。

 

 だから、否定しちゃいけない。

 

 自分が、どれだけ悲しもうが/悲しむ資格なんて、ないのに

 

 自分が、どれだけ擦り切れようが/生きているだけで、辛いのに。

 

 最善の未来に、辿り着く/本当は、玲奈に生きていて欲しかった。

 

 本当の想いを押し殺し、迅は進み続ける。

 

 玲奈の想いに/自らの罪に。

 

 応える為に/目を背ける為に。

 

「そろそろ、始まるか」

 

 10月2日。

 

 B級ランク戦、今期最初の試合。

 

 対戦組み合わせは、那須隊/鈴鳴第一/諏訪隊。

 

 七海の、本当の意味での初陣である。

 

 迅は、上層の観覧場所でブースを見下ろしていた。

 

 修の姿は、観戦席にある。

 

 七海もまた、試合開始を待っている頃だろう。

 

 この試合は、何の問題も無い。

 

 今回は、高確率で七海達が勝つ試合だ。

 

 憂慮していたのは、男性恐怖症の小夜子が男性(七海)を受け入れられるかという事くらいだ。

 

 それもまた、理由は不明だがなんとかなったようだ。

 

 加えて、両者の関係も悪いものではないらしい。

 

 人前に出ない小夜子の姿を目視する事は出来なかったので彼女の未来は視えないが、七海がなんとかしたらしい事は彼の未来を視て分かった。

 

 迅が視た未来の中では小夜子が七海を受け入れきれずにチームがガタガタになる可能性もあったのだが、どうやら杞憂で済んだらしい。

 

『それでは皆さん、お待たせ致しました。B級ランク戦ROUND1昼の部、これより開始したいと思います……っ!』

 

 実況の桜子の声が響き、ランク戦の開始が告げられる。

 

 各部隊が転送され、仮想空間へ────────鬱蒼とした森の中へと、姿を見せる。

 

 そして。

 

 七海が。

 

 迅の希望(つみ)の欠片が戦場へと降り立った。

 

「頑張れよ、七海」

 

 それを見届け、迅は踵を返した。

 

 もうこの場にいる意味はないと、そう判断して。

 

「迅」

「……太刀川さんか」

 

 それを。

 

 観覧席にやって来た、太刀川が呼び止めた。

 

 太刀川は迅の行く手を遮るように立ち、怪訝な表情で迅を見据えた。

 

「なにやってんだ? 七海の試合、見て行くんじゃないのかよ」

「もう、用は済んだからね。実力派エリートは、中々に忙しいのさ」

「嘘言うなよ。どうせ、万が一にも七海に会いたくないとか、そんなとこだろ」

「────!」

 

 その、太刀川の言葉を聞いて。

 

 迅は、言葉を失った。

 

 そんな迅の反応に確信を得た太刀川は、ずい、と彼に詰め寄った。

 

「俺に七海を頼んでおいて、お前だけとんずらするとか、ちょいと通りが通らないんじゃないか? あいつが大事なら、きちんと向き合ってやれよ」

「…………俺は、必要だから頼んだだけだよ。だって、それが────」

「最善の未来に繋がるから、か? いい加減、その建前に頼るの止めたらどうだ?」

 

 無理してるの、俺でも分かるぞと。

 

 太刀川は、あっさりと迅に告げた。

 

 まるで、ただの世間話をするように。

 

 迅の急所へ、踏み込んだ。

 

「お前がなんで七海(あいつ)に拘ってるのかは知らないし、興味もない。けど、お前があいつを理由にして色々逃げてる事は分かる」

 

 太刀川はそう話し、そして────。

 

「だってお前、全然楽しそうじゃねえじゃん」

 

 ────────その一言を、口にした。

 

 迅は何も言えず、黙りこくる。

 

 そんな彼に、太刀川は容赦しなかった。

 

「少なくとも、風刃(そいつ)を手にする前に俺と戦り合ってた頃のお前はもうちょい楽しそうだったぞ。戦った後に関しちゃ、心ここにあらず、って感じだったけどな」

 

 けどな、と太刀川は続ける。

 

「最近のお前、全然楽しそうじゃねえんだよ。お前が昔から、色々面倒な事考えてるのは知ってるけどよ。もうちょい、頭空っぽになってもいいんじゃねぇか?」

「太刀川さんに、それを言われたくはないかなー」

「誤魔化すなよ。図星だろ?」

「……っ!」

 

 煙に巻こうとするも、今回ばかりは太刀川も引き下がるつもりはないらしい。

 

 大きくため息を吐き、太刀川は迅の肩を叩いた。

 

「お前と七海の関係がどうこうってのは、俺は知らん。何を思ってあいつに肩入れしてるかってのも、ぶっちゃけ興味はない」

 

 けど、と太刀川は告げる。

 

「────────今でなくていいから、ちゃんと七海と話してやれよ。あいつがしょげて戦れなくなったら、つまんないだろ」

「…………分かった」

 

 太刀川は迅が頷いたのを確認すると、そのまま観覧席へと入って行った。

 

 迅はそれを見送りながら、ため息を吐いた。

 

「太刀川さんに言われちゃ、しょうがないな。約束は、守らないといけないしね」

 

 想いは未だ、届いていない。

 

 けれど。

 

 その下地は、確かに積み重なっていた。





 色々考えた結果、今章の章題を変更し、最終試験の章とは別個とします。そちらの方がすっきりするので。


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小南桐絵①

「凄い」

 

 ランク戦、ラウンド1。

 

 試合組み合わせは那須隊/鈴鳴第一/諏訪隊。

 

 その戦いを見ていた修は、自然とそんな感想が口から出ていた。

 

 エースである七海の動きもさること事ながら、濃霧の森と言う地形条件を活かした戦い方が見事の一言に尽きる。

 

 機動力に優れる七海が突貫し、その攻防で出来た隙を狙撃手の茜が突く。

 

 そして、那須が合流した後の展開はまさに蹂躙であった。

 

 七海という前衛が相手を押し留め、更に那須がバイパーの檻で封殺する。

 

 茜へ差し向けられた笹森という刺客も熊谷がきっちり迎撃し、最後は鈴鳴の二人を変化弾(バイパー)による炸裂弾(メテオラ)起爆で一網打尽。

 

 地形条件を完全に計算に入れた、完璧な戦略。

 

 目の前の事ばかりにしか頭がいかなかった修にとっては、まさに目から鱗とも言える知見を得た気分だった。

 

 迅が見せたかったのは、これなのだろう。

 

 鈴鳴も諏訪隊も、決して弱いチームではない。

 

 それは、事前に見せて貰った試合のログを見れば分かる。

 

 諏訪隊は、散弾銃の両攻撃(フルアタック)による面制圧能力が。

 

 鈴鳴は、エースの村上の地力によるごり押しが。

 

 それぞれ、脅威となる部隊だった。

 

 だが。

 

 那須隊は、地形を利用した戦略でその二部隊の強みを完全に封殺して見せた。

 

 障害物だらけで視界の効かない地形で散弾銃を使い難くした上で、早々に堤を撃破。

 

 残る諏訪を、鈴鳴と食い合わせながら仕留めて行った。

 

 鈴鳴は、村上の距離の外から射撃トリガーを駆使した動きで近接戦に付き合わない、というスタイルを徹底。

 

 更に来馬を狙い続ける事で村上の動きを封じ、最後は罠に嵌めて仕留めた。

 

 二部隊の強みを完全に殺し、自分達の強みを押し付ける。

 

 那須隊が行ったのは、まさにこれだ。

 

 無論MAP選択権を得ていたという要因もあったであろうが、那須隊の戦略は修に新たな知見を開かせた。

 

 即ち、実力で上回らずとも戦略次第でそれは覆す事が出来るのだと。

 

 那須隊が、明確に二部隊より劣っていたとは言わない。

 

 だが、少なくとも村上という攻撃手は単騎でまともにやり合えば相当な脅威となった筈だ。

 

 しかし、那須隊は村上の得意分野(フィールド)である近接戦闘に付き合わず、終始距離を図りながら彼を封殺した。

 

 自分が、あれと同じ事が出来るとは言わない。

 

 けれど。

 

 個人単位ではなく、部隊として動くのなら。

 

 こんな自分にも、やりようはあるのではないか。

 

 修がそう思うには、充分な切っ掛けだったと言える。

 

 どうやってB級になるかという問題は、依然として残っている。

 

 だけど。

 

 一つの光明が見えたのは、確かだった。

 

「でも、凄いな。あの七海って人、チームをきちんと引っ張ってる。隊長じゃないみたいだけど、一度話を聞いてみたいな」

 

 修はこの試合の中でも特に印象に残った七海の姿を映した映像を見て、呟く。

 

 それは、一つの転機。

 

 三雲修という少年が、七海玲一という存在(最初の希望の欠片)に興味を示した、一幕だった。

 

 

 

 

(ROUND2も無事終了か。少しヒヤリとした場面もあったけれど、此処までは未来(みた)通り問題はないみたいだ)

 

 迅は本部の一室でROUND2のログを見ながら、ふぅ、と溜め息を吐いた。

 

 このROUND2も迅が視た未来では、問題なく那須隊が勝利していた。

 

 荒船隊の策によって七海が鉛弾を撃ち込まれるという出来事もあったが、創意工夫でハンデを補い戦闘を続行。

 

 半崎・穂刈の両名は茜の狙撃と熊谷のバッグワーム奇襲で撃破。

 

 荒船は一騎打ちの末、茜が起爆させた炸裂弾(メテオラ)を利用してビルから落として空中戦で勝利。

 

 柿崎隊は奇襲をかけてきた虎太郎を那須が返り討ちにし、照屋は茜と七海の連携で撃破。

 

 最後に残った柿崎は、那須の合成弾で仕留めた。

 

 結果として荒船隊、柿崎隊共に全滅。

 

 ラウンド1に引き続き、那須隊の完全試合(コールドゲーム)となった。

 

 二試合で、合計16ポイントを獲得。

 

 那須隊は、一気にB級上位へと足を踏み入れた。

 

 そう。

 

 地力や戦術レベルが高い部隊がひしめく、B級上位へ。

 

(問題の試合は、次だな。二宮隊と影浦隊、そして東隊。俺が視た通りなら、この試合で那須隊の()が表面化する。彼等にとって、最大の転換点(ターニングポイント)だ)

 

 これまで二試合連続の完全試合を達成した那須隊だが、見る人が見ればその問題点は浮き彫りになる。

 

 特にあからさまだったのは、七海と那須が合流を選ばなかった事。

 

 柿崎を仕留める為に、合成弾という隠し札の一つを切った事である。

 

 那須隊はあの時点で足を失った七海以外、まともなダメージを負っていなかった。

 

 柿崎は完全に那須に翻弄されていたし、反撃の糸口すら見つけられてはいなかった。

 

 一矢報いる為に奇襲に行かせた虎太郎と照屋も、それぞれ緊急脱出済み。

 

 この状況で七海と那須が合流すれば、何の問題もなく柿崎は倒せていた筈なのだ。

 

 故に。

 

 あそこで七海が那須との合流を選ばなかった合理的な理由が、見当たらないのである。

 

 それどころか、那須は合成弾を使用してまで早期の決着を狙った。

 

 試合終了時刻が迫っていたというならまだ分かるが、MAPが広い摩天楼Aであった為残り時間には充分余裕があった。

 

 那須が合成弾を使えるというのは、今まで割れていなかった手札────────隠し札である。

 

 その初見殺し性能は高く、ここぞという時に使うべき代物だ。

 

 しかし。

 

 那須はそれを、時間をかければそのまま倒せた筈の柿崎相手に使用した。

 

 つまり。

 

 那須は、いや────────那須隊は、あそこで決着を急ぐ()()があった事になる。

 

 そして。

 

 迅にはその()()に、心当たりがあった。

 

 あの時、七海は片足を失いスコーピオンでそれを補っていた。

 

 それ自体は、なんらおかしな事ではない。

 

 失った部位をスコーピオンで補完する七海の発想に皆が驚きはしたが、それだけだ。

 

 ランク戦をやっていれば、部位欠損など毎回のようにあるのだから。

 

 しかし。

 

 部位欠損は。

 

 那須隊に────────否。

 

 那須にとっては、別の意味がある。

 

 四年前の、大規模侵攻。

 

 そこで、七海は右腕を瓦礫に潰されて失っている。

 

 そして、那須はそれを直に目撃している。

 

 好いていた少年が腕を失い、血だらけになって倒れている。

 

 幼い少女の心に心的外傷(トラウマ)が刻まれるには、充分過ぎる出来事だろう。

 

 更に言えば、那須はその後の一部始終(玲奈の死)も全て目にしている。

 

 つまり。

 

 七海の身体の部位が欠損する事は。

 

 那須にとっての、トラウマの反射的想起(フラッシュバック)の引き金に成り得るのだ。

 

 足を欠損した七海を目撃した場合、那須がどういう反応を示すか予想がつかない。

 

 それを危惧した誰か────────恐らくはオペレーターあたりが、提案したのだろう。

 

 合成弾を使ってでも、早々に決着を着ける事を。

 

 その目論見自体は、成功しただろう。

 

 那須は部位欠損した七海と出会う事なく、穏やかなまま試合を終える事が出来た。

 

 だが。

 

 その行動の違和感は、目敏い者には丸わかりだ。

 

 特に。

 

 次の対戦相手の一人。

 

 始まりの狙撃手、東春秋。

 

 彼には、全てが見通せたに違いない。

 

 そして。

 

 目に見える弱点を放置するほど、東は甘くはない。

 

 次の試合で、容赦なくそこを突く筈だ。

 

 問題点を物理的に指摘し、改善に繋げる為に。

 

「迅か」

「東さん」

 

 そう、考えていたからだろうか。

 

 迅のいた部屋に、とうの東本人が入って来た。

 

 東は迅が何を見ていたかを悟ると、ふぅ、と息を吐いた。

 

「その様子だと、俺の推測は当たりみたいだな。というか、それを俺に教える為に此処にいたのか?」

「いえ、たまたまですよ。俺はただ、七海の様子を見ていただけですから」

「そうか。それなら、そういう事にしておこう」

 

 深くは聞かず、東はそう言って話を切り上げた。

 

 迅に事情がある事は、東も承知している。

 

 だが、此処で踏み込むのは自分の役割ではない事もまた、理解していた。

 

 故に、最低限。

 

 東は、確認を取る事にした。

 

「なら、次の試合では遠慮なく行かせて貰うとしようか。構わないか?」

「ええ、俺はランク戦に干渉する気はありませんよ。どうぞ、思うようにやって下さい」

「了解した。なら、その通りにやってみよう」

 

 迅から許可を得た東は、そう言って踵を返した。

 

 何の為に此処に来たのかは分からないが、呼び止めるような用はない。

 

 そう。

 

「────────だから、後は小南に任せるとしよう。部外者の役目は、此処までだ」

「────」

「え……?」

 

 用があるのは、東ではない。

 

 東の退室と同時にずい、と部屋に入って来た少女。

 

 青筋を立てて迅を睨み付けている、小南の方だ。

 

 小南は後ろ手でドアを閉め、鍵をかけてこちらに近付いてくる。

 

 絶対に逃がさない。

 

 そんな無言の宣言が、垣間見えていた。

 

「……読み逃したか」

 

 思えば、細かい追及を避ける為にここ暫く小南とは顔を会わせていなかった。

 

 頻繁に会っていなければ、更新される未来の情報を読み逃してしまう可能性はある。

 

 それは分かっていたのだが、小南に危険が訪れる未来はこの時期には全く無かった。

 

 だからこそ、七海同様に会わないようにしていたのだが、それが裏目に出たようだ。

 

 どうやら、東の用とは小南を此処へ案内する事だったらしい。

 

 そういえば、視るまでも無いと考えて東とも最近会ってはいなかった。

 

 今のやり取りの中でも、東がROUND3でどうするかという映像(みらい)ばかりを見て、他の細かい違いしかない細分化された未来(ルート)に関してはあまり注視してはいなかった。

 

 もしくは、それに気付かない程迅の心労が重なっていたかである。

 

 小南は、明らかに怒髪天を突いている。

 

 本気で怒っている、というのは目を見れば分かる。

 

 あれは、あの時と同じだ。

 

 あの時、玲奈の死の直後。

 

 瓦礫の街で迅に怒鳴った時の小南と、同じ眼だった。

 

「話は聞いたわよ。あんた、次の試合で七海をボロ負けさせるつもりでしょ」

「結果としてはね。けれど、これは最善の未来に辿り着く為に必要な工程で────」

「最善、最善、聞き飽きたっての……っ! あんたは、それしか言えないの……っ!?」

「────!」

 

 小南はそう叫び、がっ、と迅の胸倉を掴み上げる。

 

 そして、迅の顔を引き寄せて顔面同士を突き合わせて思いの丈を口にした。

 

「あんた、太刀川の話じゃ前の試合も碌に見ずに帰ったそうじゃない? かと思えば東さんにあんな話して、あんたは七海をどうしたいのよ……っ!?」

「だから、七海は────」

「最善の未来がどうこう、とかじゃない……っ! あんたにとって、七海は何なのっ!? 建前ばっか繕ってないで、本音を言いなさいよ……っ!」

 

 小南は、本気で怒りを露にしていた。

 

 迅が七海を東に落とさせようとしている、その事ではない。

 

 七海への対応が、明らかに誠実さに欠けているからだ。

 

 最善の未来へ辿り着く為、駒としてだけ七海を見ている────────とは、断じて思わない。

 

 迅は、少なくとも小南の知る迅は、そんな人でなしではないからだ。

 

 彼本人に聞けばそう答えるかもしれないが、そんな虚勢で誤魔化されるような関係ではない。

 

 迅の事は、昔からずっと見て来たのだから。

 

 何を考えているかくらいは、分かるのだ。

 

「言えないなら、言ってあげましょうか……っ!? あんたはただ、玲奈お姉ちゃんの面影がある七海と接するのが辛いだけでしょっ!?」

「そんな、事は────」

「あるに決まってんじゃないっ! あんたね、七海を見る時の眼が────────玲奈お姉ちゃんを見ていた時の眼に、そっくりなのよ……っ!」

 

 違う。そんな事は無い。

 

 とは、言えなかった。

 

 気付いていなかった、ワケではなかった。

 

 自覚はあった。

 

 ただ。

 

 それを、認めようとしなかっただけで。

 

「あんたは、七海に玲奈お姉ちゃんの事を重ねて見てるのよ……っ! 玲奈お姉ちゃんの代わりに、七海に生きてて欲しいとか、そんな事思ってんでしょうが……っ! それを最善の未来の為だとか言って、誤魔化してるだけでしょ……っ!」

 

 それが、真実。

 

 迅は、玲奈から託された七海を生かす事で、彼女の死から目を逸らしていた。

 

 四年前のあの時から、心の時計が止まっている七海や那須のように。

 

 迅の心の秒針もまた、玲奈の死から微塵も動いていないのだ。

 

 彼は未だに、玲奈の死を受け入れ切れていない。

 

 だからこそ、七海を生かし、最善の未来を目指す事で。

 

 玲奈の意思と、寄り添い続けていたかった。

 

 そうすれば。

 

 玲奈がまだ、傍にいてくれているように思えるから。

 

「玲奈お姉ちゃんは死んだの、もういないの……っ! いい加減、あんたもそれを認めなさいよ……っ!」

 

 小南はそう叫び、迅を掴む力をより強めた。

 

「あたしは認めたわ。支部長(ボス)だって、忍田さんだって、城戸さんだって、皆がそれを認めてる……っ! 認めてないのはあんただけなのよ、迅……っ!」

 

 大切な人の死を、認めたくない。

 

 なんのことはない。

 

 迅の心にあったのは、そんな想いだった。

 

 玲奈の遺志を受け取り、最善の未来を目指す。

 

 その行動目的自体に、嘘偽りはない。

 

 けれど。

 

 同時に迅は、その目的に依存していた。

 

 玲奈の遺志を、我武者羅に遂行する事で。

 

 その意思を、間近に感じていたかった。

 

 それだけが。

 

 迅の折れそうな心を支えている、歪な支柱だったのだから。

 

 たとえ、神様の如き力を持っていたとしても。

 

 迅は、神などではない。

 

 彼は、人間なのだ。

 

 悲しみ、傷付き、折れそうになる。

 

 ただの、人間なのだから。

 

 小南は、誰よりもそれを知っていた。

 

 旧ボーダー時代から、彼女は。

 

 ずっと、迅の事を見ていたのだから。

 

「弱音を吐きなさいよ、辛いって言いなさいよ……っ! そしたら、きっと────」

「────────ダメだよ。未来視(おれ)は、人らしく在ってはいけないんだから」

「────っ!」

 

 けれど。

 

 それでも。

 

 迅の乾いてしまった心には。

 

 小南の想いは、届かなかった。

 

「俺は、人でなしだ。玲奈の忘れ形見の七海も、未来の為の駒として扱うようなろくでなしだ。そんな俺が、弱音なんて吐いちゃいけない。折れちゃ、いけないんだよ」

「あんたは────!」

 

 そんな奴じゃない、そう叫ぼうとした。

 

 だけど。

 

「────────だって、俺がまともな人間なら。あの時、玲奈を見殺しにしたりする筈、ないじゃないか」

「────!!」

 

 深い。

 

 深い後悔が滲んだその言葉を聞いた瞬間。

 

 小南は、二の句を継げなくなってしまった。

 

 迅を苛む、最大の後悔(つみ)

 

 その苦しみは、葛藤は。

 

 彼本人にしか、分からないのだ。

 

 だから、小南には。

 

 後から玲奈の死を知っただけの、小南には。

 

 今の迅に、何を言って良いのか。

 

 見当が、まるでつかなかったのである。

 

 黙りこくってしまった小南とすれ違い、迅は部屋から出て行く。

 

 もう、話す事はない。

 

 そう、言外に訴えて。

 

「ごめん」

 

 ただ、一言。

 

 そう言い残して、迅は去った。

 

「────何がごめん、よ。馬鹿」

 

 小南は、そう呟き拳を握り締める。

 

 想いは、届かず。

 

 少女の苦悩は、一筋の涙となって流れ落ちた。




 小南桐絵

 ポジション:攻撃手(アタッカー)

 年齢:17歳

 誕生日:7月28日

 身長:157cm

 血液型:B型

 星座:ぺんぎん座

 職業:高校生

 好きなもの 七海玲奈、迅悠一、お菓子、フルーツ、赤いもの

〔FAMILY〕

 祖母、父、母

〔RELATION〕

 迅悠一←大事な仲間。少しは弱音吐きなさいよ。馬鹿なんだから。

 七海玲奈←大好きだったお姉ちゃん。辛いけど、頑張るね。

 七海玲一←お姉ちゃんの弟。家族同然の相手。何かあったら頼りなさいよ。

 木島レイジ←頼れる仲間。料理美味しい。

 烏丸京介←よく騙して来る後輩。もっと敬いなさいよ。

 那須玲←学友。七海の大切な人。絶対七海と幸せになりなさいよ。協力するから。

 志岐小夜子←友人。なんか放っとけないのよね。

 城戸正宗←玉狛(わたしたち)を裏切ったのは許さない。けど、七海の事はありがと。

〔PARAMETR〕

 トリオン:6 

 攻撃:13 

 防御・援護:7 

 機動:10 

 技術:9 

 射程:3 

 指揮:4 

 特殊戦術:3 

 TOTAL 55


 玉狛支部のエース攻撃手(アタッカー)

 迅とは旧ボーダー時代からの付き合いであり、玲奈の事はお姉ちゃんと呼び強く慕っていた。

 情が強く、苦しむ仲間を見捨てられない。

 泣けなかった迅の代わりに、玲奈の葬式では大泣きした。

 暫くは玲奈の面影のある七海と面と向かって話せなかったが、自力で葛藤に決着(ケリ)を付けて普通に接するようになった。

 玲奈の一件から迅が無理をし続けているのは察しているがどうやって止めさせれば良いか分からず、ずっと悩んでいた。

 紆余屈折の末迅が自分ではなく七海に弱音を吐いて心中を吐露した事は結果的に喜んではいるが、何故自分じゃいけなかったのかと複雑な模様。

 その後は迅が変わった事を前向きに捉えつつ、また無理をしないか目を光らせている。

 彼女の想いは、ようやく届いた。


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小南桐絵②

 

 初めて小南が迅と会った時、まず思った事は「なにこの根暗そうな子」である。

 

 旧ボーダーに来たばかりの迅は有り体に言って覇気がなく、死んだ魚のような目をしていた。

 

 二つ年上との事だったが、雰囲気が子供のそれではない。

 

 まるで、人生に草臥れ切った老人のよう。

 

 小南は、迅に関してそんな所感を抱いていた。

 

 そして、彼の()()を聞いてその感覚が間違っていなかった事を悟る。

 

 副作用(サイドエフェクト)、未来視。

 

 目の前の人間の未来が視えてしまう、規格外の力。

 

 人生に草臥れ切っている、という印象は間違いではない。

 

 迅はその眼で、文字通り腐る程の人生(みらい)を視て来たのだ。

 

 そして、彼の様子からその多くがろくでもないものであった事が分かる。

 

 普通に生活しているだけでも、街で出会った人の未来が視えてしまう。

 

 たとえば、その相手が事故で死ぬ未来があったとすれば、その光景を直接映像として視てしまう。

 

 それはどんな、苦行なんだろう。

 

 人の死は、直に見てしまえば大きな影響を受ける。

 

 それが悲惨な死であればある程、当人の精神に与える影響は大きい。

 

 加えて言えば、自分たちは実際の戦場に赴き戦う事もある。

 

 当然、そこには()()という末路が付いて回る。

 

 視たくもない未来を視てしまう頻度は、当然上がる筈だ。

 

 だというのに。

 

 迅は、師匠である最上に誘われたとはいえ自分の意思でボーダーに来た。

 

 その先に何が待っているか、分からない筈はないのに。

 

 だから。

 

 その時の小南は、迅の事を進んで自分自身を追い込む良く分からない奴として映った。

 

 ────────俺の力で救える人がいるなら、救いたいんだ。ボーダーにいれば、組織にいれば、きっと救える人の数は多くなると思うから────────

 

 ────────迅の、その言葉を聞くまでは。

 

 小南はその時、何気ない話題として何故ボーダーに来たのかを迅に問うた。

 

 きっと、最上(師匠)と一緒にいたいからとか、そういった類の答えが返って来ると予想して。

 

 だが。

 

 違った。

 

 迅の精神性は、小南の予想を超えていたのだ。

 

 迅が語った理由は、あくまで自分がそうするべきという()()としての観点からの答え。

 

 強迫観念のような義務感と、自分自身の願望が、混在してしまっている。

 

 その結果、出来上がった姿が、これだ。

 

 徹底的な、利他主義者。

 

 それが、迅悠一という少年が作り上げてしまった自身の存在証明(レゾンテートル)であった。

 

 こいつは馬鹿だ、と小南は思った。

 

 だって、そんな生き方、つまらないに決まっている。

 

 自分自身をとことんまで追い込んで、その報酬が他者の平穏。

 

 それの何処に、彼自身に還元される幸福があるのか。

 

 他人の荷物を黙って背負って、その重みに潰れそうになりながらも無理をし続けてボロボロになる未来という名の呪いに縛られた奴隷。

 

 迅の生き方は、まさにそれであった。

 

 ふざけるな、と思った。

 

 実際に言って、殴ってやった。

 

 一部始終を見ていた玲奈に諫められたが、後悔はしていない。

 

 だってこいつは、殴られたのにただ納得しかしていないこいつは。

 

 自分が幸福になる気が、欠片もない。

 

 そんな生き方が、そんな人生があるなんて。

 

 断じて、認めるワケにはいかなかった。

 

 だから事あるごとに絡んだし、腹が立ったら怒鳴ったりもした。

 

 なのに迅は、ただ子供をあやすように曖昧に笑いながら頭を撫でるだけで、ちっとも懲りた様子がない。

 

 そうしている内に彼の根底にある優しさに惹かれもしたが、とにかく文字通り性根を叩き直さない事にはどうにもならない。

 

 そして、小南に言わせて貰えば玲奈もまた迅の同類であった。

 

 玲奈の事は家族同然に慕っているし、仲間の中で一番大好きなのは彼女である事も間違いない。

 

 だが。

 

 彼女には、迅と共通した欠点があった。

 

 迅ほど極端ではないが、玲奈もまた自身より他者を優先しがちな気質がある。

 

 というより、自分自身の評価が低過ぎるのだ。

 

 自分なんて、という諦観。

 

 それが、二人の根っこにはある。

 

 だから、いざという時何の躊躇もなく自分自身を犠牲にする決断を下せてしまう。

 

 自分がやれば、他の人が楽になるから。

 

 たったそれだけの理由で、何の躊躇いもなく他人の荷物を背負ってしまう。

 

 そして、何事もなかったかのような顔で言うのだ。

 

 「あなたが笑えて良かった」と。

 

 他人の幸福の為に、自分の幸せを投げ捨ててしまえる。

 

 それが、玲奈と迅の異常性。

 

 行き過ぎた、利他主義の極みである。

 

 玲奈と迅の関係が深いように見えるのは、二人が同じ穴の狢だからだ。

 

 どちらも、自分自身を置く位置が低過ぎる。

 

 視点が似通っているからこそ、傷の舐め合いのような関係が成立しているのだ。

 

 迅は「玲奈が幸せなら」と言い、玲奈は「迅くんが幸せなら」と言う。

 

 どちらもまともな振りをしているが、小南から言わせて貰えば五十歩百歩だ。

 

 両者共、自分の幸福を投げ捨てている大馬鹿者に違いはないのだから。

 

 その傾向は、最上の死により更に酷くなった。

 

 最上が死んで、迅は落ち込んでいた。

 

 目に見えるくらいに落ち込む迅を見て、小南はまた自身も悲しみに暮れながらも何処か安心していた。

 

 嗚呼、こいつもちゃんと悲しむ事が出来るんだと。

 

 だが。

 

 その数日後から、迅は薄っぺらい笑顔を張り付けるようになった。

 

 泣くのを我慢している、どころではない。

 

 ただ、楽しくもないのに無理やり笑顔を作っている。

 

 そんな、顔だった。

 

 小南は、あれほど見ていて痛々しい笑顔を目にした事はない。

 

 だから、言ってやったのだ。

 

 「そんな気持ち悪い笑顔は止めてよ」と。

 

 けれど、迅は曖昧に笑って誤魔化すだけで、その後も笑顔の仮面を取り払う事はなかった。

 

 きっと、迅は玲奈によって立ち直った。

 

 あくまでも、表面上は。

 

 玲奈は、迅の悲しみを受け止めたのだろう。

 

 彼女の前で、大泣きでもしたのかもしれない。

 

 だが。

 

 迅はそれを最後の涙にすると心に決めて、笑顔の仮面を被ってしまった。

 

 それから、目に見えて迅の利他的な傾向は強くなった。

 

 まるで、何かから目を背けるように。

 

 必死に、未来を視続けていた。

 

 小南に言わせれば、玲奈は寄り添うのではなく、強引に手を引っ張るべきだった。

 

 迅の悲しみに寄り添い、受け止めた為に彼は自分の運命(みらい)を悪い方向に自覚してしまった。

 

 そしてきっと、玲奈自身もそれは同じだ。

 

 寄り添い、迅の傷を受け止める事で。

 

 玲奈もまた、最上の死を経て覚悟を決めてしまった。

 

 いざという時は、自分を捨ててでも人を助けると。

 

 最上が、そうしたように。

 

 自分の犠牲の上に、より良い結果(みらい)に繋がるのであれば。

 

 何を捨てる事も、厭わないと。

 

 だから。

 

 四年前の大規模侵攻。

 

 そこで玲奈が黒トリガーになったと聞いた時も、最初に出て来たのは「ああやっぱり」という納得だった。

 

 玲奈との連絡が途絶えた時点で、嫌な予感はあった。

 

 迅とも連絡がつかなくなっていた事で、その予感は確信に変わった。

 

 そして。

 

 小南が現場に着いた時、全ては終わった後だった。

 

 迅が抱いていた子供は、見覚えがある。

 

 玲奈の弟、確か────────名前は、玲一。

 

 彼の腕は黒い無機物に変わっており、その義手が発する雰囲気には見覚えがあった。

 

 風刃の、黒トリガーの気配だ。

 

 迅に言われるまでもなく、全てを悟っていた。

 

 玲奈は、自分の命を捧げて黒トリガーとなったのだと。

 

 その末路は、既に何度も見ていた。

 

 仲間だった者が砂となって崩れ落ち、代わりに黒く小さな棺を残す。

 

 近界の戦争で何度も立ち会った、大切な仲間達の末期。

 

 その戦争で生き延びた玲奈も、彼等と同じ末路を辿ってしまった。

 

 理由など、聞くまでもない。

 

 彼女の弟を。

 

 七海玲一を、救う為だ。

 

 玲奈は、自分の弟を救う為なら。

 

 躊躇なく、その命を投げ出せる。

 

 そういう、人間だった。

 

 そんな事は、分かっていた。

 

 分かっていた、のに。

 

 いざ目の前でそれを見せつけられてしまうと、もう涙が止まらなかった。

 

 だというのに。

 

 迅は、彼女を一番大切に想っていたであろう彼は。

 

 誰より辛い筈なのに、泣こうとはしなかった。

 

 悲しんでいる事は分かる。

 

 迅の眼は、悲嘆に暮れていた。

 

 けれど。

 

 その頬に、涙は流れていない。

 

 小南は、怒りのままに迅に怒鳴った。

 

 何故、泣こうとしないのかと。

 

 悲しみを、露にしないのかと。

 

 そして。

 

 ────────未来視(おれ)が、泣くワケにはいかないからだ────────

 

 その言葉を、口にした。

 

 小南は、理解した。

 

 嗚呼。

 

 迅の涙は。

 

 もう、枯れ果ててしまったのだと。

 

 最上の死で枯れた涙は、最愛の人の死に立ち会っても、流れる事はなかった。

 

 自分には、もう涙を流す資格すらない。

 

 彼を苛む罪の意識が、涙を流す事を許さなかったのだ。

 

 迅はそのまま、小南を置き去りに遠ざかっていく。

 

 小南はその場で、声をあげて泣いた。

 

 彼を救えない、己の無力さを。

 

 ただ、噛み締めて。

 

 

 

 

 それからの迅は、もう見れたものではなかった。

 

 少しでも悲劇を減らす為に、あれだけ嫌がっていた街の人との交流を積極的に行うようになり、傍目から見れば社交的になった。

 

 だが、小南には分かった。

 

 あれはきっと、十字架を背負う苦行なのだと。

 

 人の未来を視続ける事は、迅にとって相当なストレスになる。

 

 視たくもない未来を視る度に、彼の心は悲鳴をあげていく。

 

 しかし、それを承知で迅は街の人々の未来を視続けた。

 

 一人でも多く、より効率的に。

 

 多くの人を、救う為に。

 

 その活動を見ていた街の人々は、迅の事を親しみやすいボーダーのお兄さんとして、快く受け入れていた。

 

 それはきっと、彼が随所で街の人を助け続けた事と無関係ではないのだろう。

 

 横断歩道を歩く老婆の手を引き、車に跳ねられる事を防いだ。

 

 道行くサラリーマンの男性に声をかけた事で、彼は落ちて来る鉄骨から逃れられた。

 

 車道に跳び出した子供を抱え、迫るトラックから助け出した。

 

 迅は未来視を駆使して、善行を積み重ねていた。

 

 たとえ、それが。

 

 自らを苛む罪の意識から目を逸らす為の、代償行為だとしても。

 

 どれだけ彼の名が知られたとしても。

 

 どれだけ彼が称賛されたとしても。

 

 迅の心は、罅割れたまま。

 

 目を逸らしたまま、足だけは進み続ける。

 

 それはまるで、糸に繰られた操り人形。

 

 玲奈の望む未来の為、というお題目を守る為。

 

 心の悲鳴に耳を塞いで、ただただ前へと進み続ける。

 

 そんな迅の姿が、小南はとても嫌だった。

 

 けれど、迅になんて声をかけていいか分からなくて。

 

 その代償のように、玲奈の弟に────────七海に、構うようになった。

 

 七海は、玲奈の犠牲で生き延びた少年だ。

 

 その事に思うところはあれど、それを気にする段階は既に過ぎ去った。

 

 流石に玲奈の死の直後は彼女の面影が残る七海との接触を避けていたが、それではいけないと奮起した小南は自力で葛藤を乗り越え、彼と向き合うようになった。

 

 迅が心配なのは、確かだ。

 

 けれど。

 

 七海もまた、不安要素の塊だった。

 

 彼は、玲奈の悪癖である利他主義をしっかり受け継いでしまっている。

 

 矢張り姉弟、という事だろうか。

 

 自分より他人を優先する玲奈の姿を間近で見続けていた七海は、それに倣うかのように他者を優先する傾向があった。

 

 違いは一点。

 

 七海には、那須という少女(恋する相手)がいた事である。

 

 何に置いても最優先する相手がいる事で、玲奈ほど無節操に他人を助けようとする事はなかった。

 

 だが、その那須との関係もまた歪なものであった。

 

 七海が腕を失う事になったのは、落ちて来る瓦礫から那須を庇った為だ。

 

 副作用(サイドエフェクト)、感知痛覚体質。

 

 この力によって那須の危機を察知した七海は、躊躇なく彼女の身代わりになった。

 

 その結果どうなるか、全てを察した上で。

 

 他人の為に躊躇なく自分を犠牲にする行動を取れる七海は、異常だ。

 

 咄嗟の反射的な行動ならば、まだ良い。

 

 だが、七海は結果として自分が瓦礫の下敷きになる事を承知した上で、那須の身代わりになる事を()()()

 

 完全に、自分を他人の────────那須の下に置いてしまっている。

 

 身を挺して助ける、という言葉がある。

 

 自分の身を省みず、誰かの為に行動する。

 

 そういった行いは、世間一般的には称賛されるべき美談として映るだろう。

 

 だが。

 

 それはその結果()()()()人間が被る心の傷を、全く考慮していない。

 

 助けた方は、満足だろう。

 

 自分勝手に身を投げて、称賛を受けるのだから。

 

 けれど。

 

 その行為の結果助かった者の気持ちは、どうなる。

 

 事実、助けられた側の那須はその事に非常に強い罪悪感を覚え、まるで従者かメイドの如く七海の傍に寄り添った。

 

 そして七海は、自分の行為の結果那須を自分に縛ってしまっている、という自責から彼女の言う事に唯々諾々と従うようになった。

 

 意見を交わさず、双方が双方のイエスマンとなっている現状は、不健全極まりない。

 

 無意識にではあるが、那須は七海の意思を無視している。

 

 七海が那須の行動を一切否定しないが為に、彼女は疑似的な全能感を得てしまっている。

 

 自分の意思は、七海の意思。

 

 そんな事を、無意識のうちに考えてしまっている。

 

 だから。

 

 七海が本格的に那須隊としてランク戦に参戦する、と聞いた時、小南には不安があった。

 

 今の歪な関係性が、何かの切っ掛けで致命的な失敗に繋がるのではないかと。

 

 ラウンド1は、危なげなく勝利した。

 

 七海というエースを得た那須隊であれば、当然の勝利だったと言える。

 

 杞憂だったか、と小南は胸を撫で下ろした。

 

 だが。

 

 ラウンド2の最終局面。

 

 そこでの違和感を見逃さなかった小南は、自身の危惧が正しい事を察した。

 

 そして、決定的だったのは迅と東の会話を聞いた事だ。

 

 その日、小南は七海についての懸念事項を相談する為に迅を探していた。

 

 彼ならばきっと、玲奈の弟である七海を邪険にはしないだろうと考えて。

 

 けれど。

 

 迅は七海の状況を理解した上で、敢えて黙認するつもりのようだった。

 

 しかも東に、七海を追い込むゴーサインを出した上で。

 

 小南の堪忍袋の緒が保ったのは、そこまでだった。

 

 迅は、七海を玲奈の死から目を背ける為の言い訳に使っている。

 

 その事を理解し、小南は激怒した。

 

 玲奈の死は、辛かった。

 

 でも。

 

 小南は、それを受け止めた。

 

 現実を見て、前に進もうと思った。

 

 だけど。

 

 迅の時間は、四年前のあの日で止まっている。

 

 玲奈の死を、未だに受け入れられずにいる。

 

 その事が、どうしても許せなかった。

 

 だから、燻ぶっていた想いを、声に乗せてぶつけた。

 

 そうすれば。

 

 そうすればきっと、迅に届くと思っていたから。

 

 だけど。

 

 ────────だって、俺がまともな人間なら。あの時、玲奈を見殺しにしたりする筈、ないじゃないか────────

 

 その言葉(ほんね)を聞いた瞬間、何も言えなくなった。

 

 改めて、理解してしまった。

 

 矢張り、迅の心はあの日から一歩も前に進んではいない。

 

 進んだ振りをして、強がっていただけだ。

 

 そして、理解した。

 

 今の自分の言葉では、迅に届く事はないのだと。

 

 悔しかった。

 

 許せなかった。

 

 現実を受け入れようとしない、迅が。

 

 彼に苦行を強いる、世界が。

 

 そして何より。

 

 そんな彼を救えない自分が、許せなかった。

 

 けれど。

 

 それでも。

 

 小南は、諦めるつもりは毛頭なかった。

 

 迅の本音は理解した。

 

 七海の現状も把握した。

 

 ならば。

 

 自分はただ、信じるだけだ。

 

 七海が、過去の傷と向き合える事を。

 

 彼が、迅を救ってくれる事を。

 

 自分では駄目だった。

 

 けれど。

 

 七海であれば。

 

 他ならぬ玲奈の弟であり、彼女の希望を継いだ彼ならば。

 

 自らの傷を、受け入れる事が出来たのならば。

 

 きっと、その言葉は迅に届く。

 

 その時こそ、積年の想いをぶつける時だ。

 

 七海が、迅の殻を破ったならば。

 

 今度は、自分の番だ。

 

 これまで言えなかった事を。

 

 これまで届かなかった想いを。

 

 きっと、彼に伝えるのだと。

 

 そう、決意した。

 

 そして、10月12日。

 

 那須隊の転機となる日が。

 

 B級ランク戦、ラウンド3。

 

 その開幕の日が、やって来た。





 カバー裏風紹介

 『れいな』

 「色々あった人」

 物語冒頭から存在だけは語られていた謎の人。

 今回の過去編というか迅さん視点サイドストーリーでようやく本人が喋る描写が成された。

 基本的に七海と一緒で内罰的で自己評価が低い。

 七海フィルターや那須フィルター超しでは聖人君子みたく見えていたが、実際は等身大の女の子だった。

 快活に見えたのは実際は記憶が美化されていた為。

 実はそこまでコミュ強者というワケではない。

 那須さん似た傾向の儚げ系美少女であり、生きていればきっと美人になったはず。

 最早言うまでもないが迅さんの初恋の相手。

 その美少女ぶりは七海が立派なシスコンに至るほど。

 彼の女性のタイプはイコール姉みたいな女の子である。


 『じん』

 「実力派エリート(曇天)」

 玲奈の事があった為、原作より曇り具合がマジでヤバイ系エリート。

 今作では多分殆どの人がクローズアップしなかった旧ボーダー時代にメスを入れた。

 初恋の人を助けられなかったどころか彼視点では見殺しにした為、致し方ない結果ではある。

 原作者の言う「割と厳しめな世界」を全力で体現している。

 悲劇はその方向性が作者の性癖と合致した事。

 実はこの世界線での彼は女の子のお尻が好きなものから削除されている。

 理由は玲奈に操を立ててるとかそんなん。


 『こなみ』

 「切な系少女戦士」

 迅と同様玲奈の事があったのでシリアス成分120%増量している戦士系少女。

 色々と悶々とした想いを抱えているけど、根本的な精神の健全さが七海や迅の比ではないので原作と同じく割とサバサバしている。

 迅は色んな意味で気にせざるを得ない相手で、七海は気分的に実の弟のようなもの。

 同い年だけど自分が姉と言って譲らないようだ。

 基本ツンデレなのでよく悪態をつく相手ほど好感度が高い傾向にある。

 
 『きど』

 「仏頂面系上司人情派」

 見た目や外面は原作通りだが、玲奈の事があったので実は色んな相手への態度が内心軟化している。

 迅の事も実は結構気にかけており、玉狛への隔意も割と対外向けのポーズに過ぎない。

 気分は親戚の子供を気に掛けるおじさん。

 正宗叔父さんと呼ばれたいなあと正直思っている。


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日浦茜②

 

「これで予測確定、か……」

 

 迅は上層の観覧席から映像を見詰め、ため息を吐いた。

 

 B級ランク戦、ラウンド3。

 

 その終盤。

 

 画面には、迅の予知していた通りの光景が広がっていた。

 

 思えば、この試合は最初から那須隊には暗雲が広がっていた。

 

 熊谷は早々に犬飼とエンカウントし、二宮との連携で呆気なく落とされた。

 

 その後はあろう事か那須は七海と組んで二宮隊に突っ込み、二宮の弾幕の前に撤退を余儀なくされる。

 

 七海は北添を逃がして適当メテオラを利用しようとするが、北添は二宮に補足され脱落。

 

 更に七海は影浦に捕まり、那須の介入で撤退を開始した。

 

 だが。

 

 そこで、二人の狙撃手が、動いた。

 

 最初に動いたのは影浦隊狙撃手、絵馬ユズル。

 

 彼は那須を狙う事で、それを七海に庇わせて命中させるつもりだった。

 

 その狙撃自体は、七海が両防御(フルガード)を用いた事で防ぎ切った。

 

 しかし。

 

 その好機を、東は見逃さなかった。

 

 東もまた、那須を狙う事で七海のカバーを誘発。

 

 彼の右腕を、狙撃によって吹き飛ばした。

 

 それが、契機だった。

 

 その瞬間、那須は正気を失ったかのような絶叫を発し東を狙うべく駆け出した。

 

 そして、当然の如くその瞬間を狙った東が狙撃を敢行。

 

 那須を庇い、七海が脱落。

 

 それを見た那須は棒立ちになり、ユズルの狙撃により緊急脱出。

 

 七海は、那須隊は、惨敗を喫した。

 

 それは、既に迅が視ていた光景。

 

 どう足掻いても逃れられなかった、確定した未来である。

 

 何が原因となったか、それは明らかだ。

 

 那須と七海。

 

 その関係の歪さを、そのままにしていたからだ。

 

 二人の関係が捻じれたのは、四年前のあの日。

 

 大規模侵攻の日に、七海が那須を庇って右腕を失い、その結果として玲奈が死んだからだ。

 

 那須は、自分の所為で七海の腕と玲奈を失わせてしまった自責の念から彼に強く依存し、執着した。

 

 日常生活から何から全て七海を中心に動くようになり、まるで従者かメイドの如く接するようになった。

 

 そして、七海の意思と自分の意思を同一視するようになり、結果として無自覚なまま彼の自由意思を無視していた。

 

 七海は、そんな那須の行動を自分の所為だと強く思い込み、自責の念に溺れていた。

 

 彼女の行動が変わった事に責任を感じて、彼女に意見が言えなくなっていた。

 

 二人はボタンを致命的に掛け違えたまま、此処まで来てしまった。

 

 だから。

 

 当然の帰結として七海は反射的に那須を守り、結果として二人揃って脱落するという醜態を晒した。

 

 全てが自業自得、と言えばそうなのだろう。

 

 たとえどんな理由があろうと、二人がランク戦の意義を蔑ろにし、私情を優先した事に変わりは無い。

 

 けれど。

 

 迅はそんな二人の姿を、痛々しい、としか思う事が出来なかった。

 

 四年前のあの日を引きずっているのは、迅も同じだ。

 

 那須は、七海に尽くす事で彼だけは自分から離れないよう縛った。

 

 七海は、那須を変えてしまった贖罪として彼女の縛りを受け入れた。

 

 迅は、玲奈の望みを目指す事で四年前の悪夢から目を逸らし続けた。

 

 共通点は、一つ。

 

 それぞれが、自分の歪みを自覚していない事である。

 

 那須は、色々なものを失ってしまった七海の為に彼に全てを捧げているだけだ。

 

 結果として彼の自由を縛ってしまっている事自体には、気付いていない。

 

 否、気付こうとしていない。

 

 そうしなければ、七海が離れてしまう。

 

 そんな恐れが、那須を献身に駆り立てた。

 

 目の前で七海を失いかけ、慕っていた玲奈を亡くした那須は()()事を酷く恐れている。

 

 だからこそ七海の()()を狙撃で吹き飛ばされた時、その心的外傷(トラウマ)がフラッシュバックした。

 

 そして正気を失い、結果として討たれたのだ。

 

 七海は、那須の態度の変化から罪悪感で彼女を縛ってしまっていると思い込み、彼女の言葉を()()()()聞くようになった。

 

 元より彼女を好いていたからこそその献身を突き放す事が出来ず、けれど罪悪感から自分の想いに正直になる事も出来なかった。

 

 そして、四年前の悪夢を引きずっている事は七海も同じである。

 

 彼もまた喪失を恐れるからこそ、那須を守るという行動以外を選択出来ない。

 

 彼女が狙われた時点で、その状況を問わずに彼女を庇ってしまう。

 

 そこを、狙われた。

 

 那須のイエスマンで在り続けてしまった彼は、彼女の暴走に巻き込まれる形で脱落した。

 

 そして、迅は。

 

 そんな二人の姿を、無意識に自分に重ねていた。

 

 四年前のあの日から、迅は一歩も進んでいない。

 

 玲奈の死を受け入れる事が出来なかった彼は、彼女の望みに沿う事で、その存在を自身の中に留めようとしていた。

 

 本能では、理解している。

 

 彼女は、玲奈は死んだのだと。

 

 だが。

 

 感情が、それを納得させてはくれない。

 

 だから、最善の未来(彼女の望み)に固執する。

 

 だから、目的以外を省みない(自分を蔑ろにし続ける)

 

 だから、彼は未来だけしか視えていない(玲奈の死を受け入れられない)

 

 三人全員が、あの日を境に歯車が狂った。

 

 誰も彼も、あの日から前には進めていない。

 

 一人は、居心地の良い関係に縋った。

 

 一人は、歪さを理解しながらも現状を壊せなかった。

 

 一人は、ただ悲しみから目を逸らす為に目的だけに固執した。

 

 誰が悪いワケではない。

 

 ただ、間が悪かった。

 

 そうとしか、言えないのだ。

 

 どんな言葉を尽くしたところで、喪った者の痛みは当人にしか分からない。

 

 その想いに共感出来るのは、同じ想いを抱える者だけ。

 

 同じ悲しみを有する者だけが、そこに手を伸ばす資格がある。

 

「え……?」

 

 そんな甘い戯れ言(無自覚な弱音)を考えていた迅は。

 

 予想していなかった光景に、目を見開く事になる。

 

 

 

 

 日浦茜は、自分自身が割と恵まれた境遇である事を理解していた。

 

 そこそこ裕福な家庭に、それなりに優しい両親。

 

 いじめに遭った事もないし、友達も多い。

 

 ボーダーでは狙撃技術が中々向上しない事を悩んでいたが、師匠の奈良坂は丁寧に教えてくれている。

 

 那須隊の仲間も皆優しい人たちで、このチームにいて良かったと思っている。

 

 だから。

 

 七海と那須の、過去を。

 

 彼等を苛む悲劇を聞いた時の衝撃は、忘れ難かった。

 

 何故、七海の腕が黒いのか疑問に思ってはいた。

 

 トリオン体のデザインか何かかな、としか思ってはいなかったが、彼は日常生活でも腕は黒いままだった。

 

 だから、聞いてみたのだ。

 

 その腕は、なんで黒いんですか、と。

 

 途端、空気が凍る気配がした。

 

 空気を読む能力はさほど高くない茜でさえ、自分が踏んではならない地雷を踏んでしまったのだと理解した。

 

 そして。

 

 七海の口から、彼の過去が明かされた。

 

 四年前の、大規模侵攻。

 

 そこで起きた、悲劇。

 

 七海は右腕を失い、彼の姉は自分の命を無機物に────────黒トリガーと呼ばれるものに替えて、命を落とした。

 

 五体満足であり、大切なものを何も喪った事のない彼女には、その悲しみや痛みがどれほどのものかは想像するしかない。

 

 だから、その時は大泣きした。

 

 ごめんなさいと。

 

 辛い事を思い出させて、すみませんでしたと。

 

 泣きながら、謝った。

 

 その様子に慌てた七海と那須は二人で彼女を宥めすかし、熊谷と小夜子のとりなしでようやく茜は落ち着いた。

 

 そして、その時に誓ったのだ。

 

 もし、二人が何かあった時は、自分が頑張ろうと。

 

 自分が何が出来るかは、その時になってみないと分からないけれど。

 

 それでも。

 

 慕う二人の先輩が大変な時に、動かない理由なんてない。

 

 難しい事は分からない。

 

 二人の気持ちが分かるなんて言えないし、自分と七海達とでは立ち位置が違うのも理解している。

 

 けれど。

 

 それと、全力を尽くさないかどうかはまた別の話だ。

 

 那須隊は、A級を目指して頑張っている。

 

 今期からは七海が加入し、上へ行くモチベーションも高まった。

 

 二人の悲しみを癒したり、悩みをどうにかする事が出来ない以上。

 

 茜が出来る事は、狙撃手としての仕事を全うする事だけだ。

 

 偉そうな事は言わないし、言う気もない。

 

 自分に大層な事が出来るとは思っていないし、出来ない事を出来ると言うつもりもない。

 

 だから、那須と七海が揃って落ちたと聞いた時。

 

 茜は、その時が来たのだと理解した。

 

 戦況は、最悪。

 

 ライトニングしか攻撃用トリガーを持ち込んでいない自分では、味方の援護なしに点を取るのは難しい。

 

 けれど。

 

 難しいからと言って、此処で逃げてしまえば後に続かない。

 

 幸い、自分の位置は悪くないし小夜子もすぐ仕事をしてくれた。

 

 後は、自分が動くだけ。

 

 そう考えて、茜は動いた。

 

 戦果を持ち帰る。

 

 ただ、それだけを考えて。

 

 そうして彼女は、仕事をこなしきったのだ。

 

 

 

 

 まさか。

 

 迅は、そんな想いで一杯だった。

 

 こんな事が起こるなんて、考えていなかった。

 

 この試合は、七海と那須が脱落した時点で結果は視えていた。

 

 一人残された茜は自主的な緊急脱出を行うか、得点を狙い東に落とされるか。

 

 そのどちらかしか、なかった筈なのだ。

 

 だが。

 

 茜は、仕事をやり遂げた。

 

 ユズルを狙撃で落とし、そのまま自主的な緊急脱出を敢行。

 

 一人逃げ切り、得点を持ち帰った。

 

 この試合は、那須隊の惨敗で終わる。

 

 その未来自体は、変わっていない。

 

 けれど、茜の行動は、迅の想定の外であった。

 

 たかが一点。

 

 されど、一点である。

 

 支援が主であるライトニングの使い手たる茜が、味方が全員落ちた中で戦果を持ち帰り逃げ切る。

 

 この結果は、誰にとっても予想外であった。

 

(これは……)

 

 そして。

 

 迅には、見逃せない結果(みらい)が視えていた。

 

 この後、迅の視た幾つかの未来では影浦が早々に七海の所に訪れ、事態が更に拗れるパターンもあった。

 

 だが。

 

 今この瞬間、影浦が事態解決前に七海の下を訪れる未来が、軒並み消え去った。

 

 少なくとも、那須隊の問題が解決するまで影浦が七海と会う事はない。

 

 その未来が、たった今決定した。

 

 恐らく、今の茜の奮闘の結果によって。

 

(未来が、姿を変えた)

 

 悪い方向へ転がりかねなかった未来が、変わった。

 

 この先、七海の件が拗れるとしたらその最大の要因は何の心構えも出来ていない段階で影浦と会ってしまう事だった。

 

 口下手な影浦では七海の心を解きほぐす事が出来ず、彼の苦悩は更に深刻になるだけで終わる。

 

 そういう未来が、確かにあった。

 

 それも、少なくない確率で。

 

 だが。

 

 その未来(ルート)は、茜の活躍によって叩き潰された。

 

 彼女が、茜が。

 

 何も喪失も背負っていない筈の彼女が、変えたのだ。

 

 未来を。

 

 より良い方向へと、推し進めた。

 

 ほんの少し、未来を良い方向へと変えただけ。

 

 茜がしたのは、それだけだ。

 

 だが。

 

 迅は、知っている。

 

 その、ほんの少しの積み重ねこそ、より良い未来へと繋がる事を。

 

 そういう意味で、彼女は立派に未来の礎となったのだと言える。

 

 たとえ、彼女自身がそれに無自覚であろうとも。

 

 重要な一手を繰り出せた事は、間違いないのだ。

 

「…………」

 

 迅は、茜の成し遂げた()()の意味を理解し、複雑な想いを抱いた。

 

 未来が良い方向に転がったのは、喜ばしい。

 

 けれど。

 

 まさか、その一手を。

 

 何の背景もない、ただの少女である茜が。

 

 成し遂げるとは、思ってもみなかった。

 

「よう、迅。ひでぇ顔してんな」

「太刀川さん……」

 

 あまりにも、驚愕が大きかった為だろう。

 

 迅は、観覧席にやって来た太刀川の存在を、声をかけられようやく認知した。

 

「下にいた筈じゃ、なかったのかな」

「なんとなくお前がいる気がしたから、来たんだよ。お前の事だから、この結果も視えてたんだろ」

 

 小南が散々愚痴ってたからな、と太刀川は続ける。

 

 どうやら、迅の思惑に関しての情報を小南は太刀川に告げていたらしい。

 

 この試合で、七海達が大負けすると。

 

 それを知りながら、傍観するつもりである事を。

 

 その情報を元に、太刀川はやって来たのだ。

 

 迅に会って、言いたい事を告げる為に。

 

「けど、日浦の活躍までは読めなかったみたいだな。でも、別に驚く事じゃないだろ」

 

 だってよ、と太刀川は続ける。

 

「想いの強さは関係ない。日浦はただ、やるべき事をやっただけなんだから」

「────!」

 

 迅は、目を見開いた。

 

 想いの強さは関係ない。

 

 それは、前々から太刀川が口にしていた言葉だ。

 

 思えば、それは想いに拘って生き方を自ら縛る迅への皮肉でもあったのだろう。

 

 どんな想いを抱いていようが、戦いの結果には関係がない。

 

 ただ現実を見据え、やるべき事をやった者が勝つのだと。

 

 そう、伝える為に。

 

「お前が、どれだけ重い願いを抱えているかは知らん。聞こうとも思わないし、そこまで興味もない」

 

 けどな、と太刀川は続ける。

 

 自身の、想いを。

 

 迅の好敵手として、悪友として。

 

 伝える為に。

 

「前にも言ったが、ちゃんと七海とは話せよ。あいつはきっと、立ち上がる。そんできっと、お前にも言いたい事がある筈だ」

 

 だから、と太刀川は迅を見据え、告げる。

 

「────────逃げるなよ。ちゃんと受け止めろ。お前がそんなんじゃ、七海も報われないだろ」

 

 それが、太刀川の真意。

 

 迅に、七海の想いをきちんと受け止めさせる。

 

 その為に、この日この場に足を運んだ。

 

 口では、色々言っていようが。

 

 師匠の一人として、七海に抱く想いは強い。

 

 太刀川は頭は悪いが、ただの馬鹿ではない。

 

 人を見る眼は、想いを汲み取る度量は。

 

 きちんと、備わっているのだから。

 

「分かったよ。もう逃げない。七海が立ち直ったその時には、きちんと話を聞くと誓うよ」

 

 もし、太刀川が迅を慮ってそう言ったのなら、彼は受け入れなかったかもしれない。

 

 此処にいたのが弓場や嵐山であれば、きっと迅への配慮が先に来る。

 

 だが。

 

 自分自身を慮って言われた言葉では、今の迅には届かないのだ。

 

 ただ一人の、例外を除いて。

 

 けれど。

 

 太刀川はあくまでも七海の事を想って話し、迅に対して自分なりの理屈を説いた。

 

 自身を慮る言葉ではないからこそ、今の迅が受け入れる余地があった。

 

 弓場や嵐山は、友人としての線を越えられなかった。

 

 小南は、近過ぎるが故に届かなかった。

 

 彼自身、自覚していたワケではないけれど。

 

 太刀川は、今の迅に対する最適解を引き寄せたのである。

 

「じゃあな。約束、忘れるなよ」

「ああ、約束は守るよ。太刀川さんも、師匠が板について来たみたいだね」

「何言ってんだ。お前の所為だよ、お前の」

 

 そう言い残し、太刀川は背を向けた。

 

 未来は、ほんの少し変わった。

 

 そして、本当に変わるのはこれからだ。

 

 七海玲一と、那須玲。

 

 この二人が、前に踏み出せるかどうか。

 

 その正念場が、訪れていた。






『あかね』

「覚悟完了転移系狙撃手」

 色々あって成長した那須隊の狙撃手。

 那須隊の中で唯一、悩みらしい悩みがない天真爛漫系少女狙撃手。

 色々と重い過去を背負ったエース二人に挟まれながらも一切ブレず、自分の仕事をやり切った傑物。

 彼女の活躍がなければ、実は事態は割と悪い方向に転がっていた。
 
 そういう意味でもグッジョブだった後輩少女。

 最近はユズルくんとも仲が良く、青春を謳歌している。

 那須隊の中で気苦労が先行している熊谷を除いて一番健全な精神をしているのもこの子。

 比較対象が酷いだけとも言う。


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Re:七海玲一⑤

 

「そろそろかな」

 

 玉狛支部の屋上で、迅は七海を待っていた。

 

 彼と那須の問題が上手くいった事は、既に視ている。

 

 関係改善のキーポイントであった小夜子の未来は視れなかったが、幸い彼女に発破をかける加古の姿は視ている。

 

 そして、那須と七海が穏やかな顔で抱きしめ合う光景も。

 

 詳細は、まだ聞いていない。

 

 迅が視れるのはあくまで未来の()()の断片であり、全てを詳細に知り得るワケではない。

 

 だが。

 

 あの光景を視て、二人の関係が改善されていないとは、流石に思えなかった。

 

 だから、覚悟を決めた。

 

 ────────前にも言ったが、ちゃんと七海とは話せよ。あいつはきっと、立ち上がる。そんできっと、お前にも言いたい事がある筈だ────────

 

 太刀川の言葉を、想起する。

 

 確かに、自分にはその義務がある。

 

 迅は、七海が今回陥る問題を知りながら、敢えて傍観する事を選んだ。

 

 自分が介入すれば悪い方向に転がるであろう事が視えたから、という理由はある。

 

 だが。

 

 そんなものは、苦しんだ当人にとっては言い訳にしかならない。

 

 迅は、七海が苦しむ事を承知で見過ごした。

 

 四年前のあの時玲奈にしたのと同じように、見捨てた。

 

 ただ、最善の未来の為に。

 

 そんなお題目(いいわけ)を掲げて、何もしなかった。

 

 紛れもなくそれは、迅の罪だ。

 

 誰がなんと言おうと、それは彼自身が清算するべき罪科なのだ。

 

 玲奈に七海の事を任されておきながら、自分の都合で苦しませる。

 

 そんな自分が、許されるワケがない。

 

 元より、許されるつもりもない/本当は、許して欲しい。

 

 自分は、人でなしだ/こんな、自分でも。

 

 ただ息をするだけで、罪深い/生きてて良いって、言って欲しい。

 

 罵倒されるのが、お似合いだ/君の声が、聞きたいよ。

 

「────」

 

 バタン、と。

 

 屋上の扉が、開いた。

 

 そこには、穏やかな表情の七海がいた。

 

 迅が、これまで避け続けて来た相手。

 

 玲奈の忘れ形見であり、彼女が望む未来の欠片(きぼう)

 

 その右腕は、忘れもしない黒い義手。

 

 玲奈の、黒トリガー。

 

 これまで、目を背け続けていた現実が。

 

 そこに、形を持って存在していた。

 

「よう七海。悪いな」

「迅さん……」

 

 迅は、努めて冷静に七海に声をかけた。

 

 七海は、そんな迅を。

 

 痛ましい眼で、見詰めていた。

 

 その視線に、心当たりが無いと言えば嘘になる。

 

 自分と玲奈が親しかった事は、七海も知っている。

 

 だからこそ、その忘れ形見である自分に複雑な感情を抱いている事も、察されている筈だ。

 

 七海は、玲奈と似ている。

 

 玲奈と同じように人の痛みに寄り添い、可能であれば手を差し伸べる。

 

 そんな優しさを、彼は持っていた。

 

 自分のような、罪人とは違う。

 

 苦しむなどあってはならない、善性の人間。

 

 それが、七海玲一。

 

 玲奈が命を賭して遺した、喪ってはならない人物。

 

 そして。

 

 迅の、罪の象徴でもあった。

 

 ────────言えないなら、言ってあげましょうか……っ!? あんたはただ、玲奈お姉ちゃんの面影がある七海と接するのが辛いだけでしょっ!?────────

 

 小南の言葉が、蘇る。

 

 彼女の糾弾は、的を得ている。

 

 迅が、七海を避け続けた本当の理由。

 

 それは。

 

 彼を見ていると、その面影から玲奈を思い出してしまうから。

 

 彼女の最期が、脳裏に浮かんでしまうから。

 

────────あんたは、七海に玲奈お姉ちゃんの事を重ねて見てるのよ……っ! 玲奈お姉ちゃんの代わりに、七海に生きてて欲しいとか、そんな事思ってんでしょうが……っ! それを最善の未来の為だとか言って、誤魔化してるだけでしょ……っ!────────

 

 小南の言葉は、迅に届かなかったワケではない。

 

 ただ、それを受け入れる心の余裕が、迅になかっただけだ。

 

 小南の言葉は覚えているし、記憶している。

 

 だが。

 

 それを噛み砕くだけの余裕が、迅にはなかった。

 

 迅は。

 

 未だに、玲奈の死を受け入れられてはいないのだから。

 

 七海は、少々困惑しているようだ。

 

 それはそうだろう。

 

 今まで自分を避け続けていた人間が、急に会うと言い出したのだ。

 

 その真意を、知りたくなって当然だろう。

 

「…………詳しい事情は、説明するまでもありませんか……?」

「そうでもないよ。俺が視る事が出来るのは、あくまで未来の()()だ。人の心なんかは勿論直接見えないし、色んな材料から状況を推察する事は出来てもそれはあくまで()()だ。だから、話してくれるって言うなら聞くよ」

 

 嘘だ。

 

 迅は、垣間見えた未来の映像から、大体の事情を特定している。

 

 わざわざ七海の口を介さずとも、事態は把握出来ている。

 

 けれど。

 

 それに伴う七海の心の動きまでは、推し量る事しか出来ない。

 

 だから、聞きたかった。

 

 今の七海が、何を想うのかを。

 

 そして、自分をどう思っているのかを。

 

 彼の口から、聞きたかった。

 

「そうですね。じゃあ、少々長くなりますが……」

 

 それはきっと、七海も察しているだろう。

 

 しかし七海は何も言わず、ただこれまでの事態の推移を説明し始めた。

 

 那須の言葉を拒否出来ず、巻き添えにする形で共に落ちてしまった事を。

 

 その後、那須が部屋に閉じ籠もってしまった事を。

 

 沈んでいた自分の所に村上がやって来て、諭してくれた事を。

 

 自分を心配する熊谷や菊地原が、声をかけてくれた事を。

 

 そして。

 

 那須と話し合い、関係を見詰め直す事が出来た事を。

 

 全て。

 

 全て、話してくれた。

 

 それを聞きながら、迅は思った。

 

 嗚呼、良かった、と。

 

 七海には、彼自身を支えてくれる人々がいる。

 

 彼に喝を入れる為、わざわざ戦った村上も。

 

 自分も戦えるのだと証明し、背中を叩いてくれた熊谷も。

 

 七海を案じ、忠告を繰り返してくれた菊地原も。

 

 皆が皆、七海の為に心を尽くしてくれていた。

 

 迅は何故か、我が事のように嬉しかった。

 

 玲奈の意思は、その優しさは、確かに七海の中に息づいている。

 

 そう、思えたから。

 

「…………以上です。傾聴、ありがとうございました」

 

 七海はそう言って、話を終えた。

 

 どうやら、迅の反応を待っているらしい。

 

 だから迅はまず、七海を労った。

 

 それがたとえ、自分が言える事ではないのだとしても。

 

「そうか。大変な時に、傍にいてやれずに悪いな。なんて、俺が言っても虚しいだけか」

「…………いえ、迅さんには迅さんの事情があったでしょうし……」

 

 七海はそう言って、じっと迅の眼を見据えた。

 

 彼は、察している。

 

 迅の本題は、此処からだと。

 

 何か、七海に話したい事があったからこそ、この場に呼んだのだと。

 

 そう、理解していた。

 

 此処で、言葉を濁す事も出来た。

 

 これまでのように、煙に巻く事も。

 

 けれど。

 

 今この場においてそんな真似は出来ないと、迅の魂が訴えていた。

 

────────逃げるなよ。ちゃんと受け止めろ。お前がそんなんじゃ、七海も報われないだろ────────

 

 太刀川にそう言われたというのも、ある。

 

 だけど。

 

 七海は、向き合ったのだ。

 

 己の過去と。

 

 悲しみの、象徴と。

 

 そして、玲奈の死と。

 

 ならば。

 

 自分が、そこから目を背けるワケにはいかない。

 

 だから、全てを明かそう。

 

 あの日、何があったのか。

 

 自分が、如何に罪深い人間か。

 

 それを、知って貰う為に。

 

「…………全く、察しが良過ぎるな。これでも、色々と工夫したんだけど」

「いえ、これでも迅さんの事は昔から知ってますので。レイジさん達にも話は聞いていますし」

「そっか。ま、なら仕方ないかな」

 

 仕方ない。

 

 これまで繰り返し用いて来た言葉だが、何処かその声には安堵があった。

 

 やっと、自らの罪を懺悔する事が出来る。

 

 そんな、彼なりの安堵があったのだ。

 

「…………実は、七海に伝えなきゃいけない事があるんだ。七海は、お姉さんが────玲奈が死んだ事を、自分の所為だと思っているだろう?」

「それは……」

 

 その通りですから、と七海は思っている事だろう。

 

 だが、違うのだ。

 

 そうではないのだ。

 

 本当に責めを負うべきは、本当の咎人は。

 

 彼では、ないのだから。

 

「違うんだ。それは違うんだよ、七海。玲奈が死んだのは、俺の所為なんだ」

「え……?」

 

 そう、それが迅から見た真実(こたえ)

 

 本当の罪科の、在り処。

 

 これまで、迅が心の中で、抱え続けた、悲鳴(つみ)

 

「少しは、聞いてるんじゃないか? 俺は、玲奈が君の元へ行けるように協力した。いいか、()()()()()()んだ。そこで起きる()()を、識りながらな」

「……っ!」

 

 七海が、息を呑む音が聞こえた。

 

 本当に責められるべきは、彼ではない/どうか、聞いて欲しい。

 

 罪人は、自分なのだと/そして、話して欲しい

 

 君は、何も悪くはないのだと/君の、想いを。

 

 真実(ざんげ)を、口にした/自分を、許すのかを。

 

「俺はあの時、幾つかの未来を視ていた。その中にさ、あったんだよ。君が生き残る事で、玲奈が黒トリガーになる事で、より多くの人が救われる未来が。だから俺は、()()()()()()()()()()────俺が、玲奈を殺したようなモンだ」

 

 玲奈の死の責任は、自分にある。

 

 だからこそ、これまで七海と向き合う事が出来なかった。

 

 怖かったから。

 

 玲奈の面影を残す彼に、憎まれる事が。

 

 どうしようもなく、怖かったのだ。

 

「君は、俺を恨んで良い。憎んで良い。玲奈の死の責任は君じゃない、俺にあるんだ。君はこれ以上、自分を責める必要はないんだよ」

「……迅さん……」

 

 けれど、それも此処までだ。

 

 きっと、彼は恨むだろう。

 

 口では、否定するかもしれない。

 

 だけど、許せる筈がないのだ。

 

 玲奈が、彼の姉が死んだのは、迅が見殺しにしたからだ。

 

 彼女を殺したのが自分であると言われても、なんら否定は出来ない。

 

 だから、此処まで。

 

 泡沫の夢は、此処までだ。

 

 きっと、七海は自分から離れて行くだろう。

 

 表立って責める事はなくとも、姉を死に追いやった人間と一緒になんていれる筈がない。

 

 以前に視た未来でも、七海はこの日を機に迅との距離を取っていた。

 

 だから、甘い夢は此処で終わる。

 

「────そうですか。教えて下さって、ありがとうございました。でも、俺は貴方を恨みません」

「七海……」

「迅さんの事だから、俺がこう言う事も()()()()()んじゃないですか?」

 

 そう答える事も、視えていた。

 

 確かに、それはその通りだ。

 

 けれど。

 

 そう答える七海の眼だけは。

 

 予想していたものと、違っていた。

 

「…………ああ、君がそう答える未来は視えていた。けど、俺を気遣う必要は────」

「いいえ、これは俺の本心です。そもそも、何で俺が迅さんを恨む必要があるんですか?」

「え……?」

 

 だから。

 

 七海のその言葉には、本当に驚いた。

 

 以前に視た未来であれば、七海はこの後すぐに立ち去っていた筈なのだ。

 

 けれど、違った。

 

 七海の眼は、何の憂いもなく迅の姿を見据えていたのだから。

 

「迅さんは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言いました。けど、姉さんがその事を察せなかったと思いますか?」

「……それは……」

 

 分かってはいた、筈だ。

 

 そもそも、迅は自分が見殺しにしたとは言ったが。

 

 実際は、家族を救う為に向かった玲奈を止められなかっただけだ。

 

 そして、七海の下に向かう玲奈を援護する為にトリオン兵を片付けただけだ。

 

 ただ、それだけ。

 

 本当は、行かせたくなどなかった。

 

 けれど。

 

 あそこで玲奈を止めていれば、七海を死なせていれば。

 

 きっと、玲奈の心は死んでいた。

 

 だから、止められなかったのだ。

 

 玲奈の命ではなく、願い(こころ)を、守る為に。

 

「姉さんは、むしろ迅さんに感謝していました。迅さんのお陰で、俺を助けに来れたんだと。迅さんは、俺と姉さんの()()なんです」

「玲奈が、俺に……?」

 

 それは、初めて聞く玲奈の遺言。

 

 聞く事の出来なかった、最期の言葉。

 

 それが。

 

 七海の口を介して、ようやく、迅へと届いたのだ。

 

 きっと、許されないと思っていた。

 

 どう理由を取り繕っても、迅が玲奈を見殺しにしてしまった事実は変わらない。

 

 けれど。

 

 玲奈が最期に、そう言い残したのであれば。

 

 迅に、感謝してくれたのであれば。

 

 自分を許しても、良いのではないか。

 

 そんな言葉が、心の内から沸き上がった。

 

「迅さん、迅さんこそ、これ以上自分を責めないで下さい。きっと、姉もそう言う筈です。それとも────迅さんが知る姉は、貴方を責めるような人でしたか?」

「────参ったな。そう言われちゃうと、返す言葉がないや」

 

 それが、トドメだった。

 

 確かに、玲奈ならそう言うだろう。

 

 これ以上、自分を責めないでと。

 

 彼女なら、言う筈だ。

 

 迅が、恋した彼女なら。

 

 笑って、そう言ってくれるだろう。

 

 他の人の言葉であれば、届かなかった。

 

 けれど。

 

 他ならぬ玲奈の弟(七海)が言うのであれば、それは彼女の言葉も同義だ。

 

 ────困った事があったら、迅君が力になってくれると思うから。ボーダーの皆も、良い人達ばっかりだから────

 

 ふと、そんな言葉が聞こえた気がした。

 

 迅には、聞き覚えがない。

 

 けれど、それは確かに。

 

 玲奈本人の言葉だと、思えたのだ。

 

 四年越しに玲奈が七海の口を借りて、迅に感謝を伝えている。

 

 錯覚だろう。

 

 頭がおかしい、そう思うかもしれない。

 

 だけど。

 

 迅には、そうとしか思えなかったのだ。

 

 憑き物が落ちた。

 

 ようやく、彼女の死を受け入れられた。

 

 この時ようやく、迅の時計の針は。

 

 ようやく、前に進んだのだ。

 

「…………本当はさ、気付いてたんだ。玲奈が、君が、俺の事を恨む筈がないって。けど、那須さんと同じだよ。俺は、それを確認するのが、今まで怖くて出来なかった」

「迅さん……」

「…………本当、馬鹿だよ。玲奈にもよく、呆れられたもんさ」

 

 そして、迅は話した。

 

 これまで、抱えて来たものを。

 

 停滞を続けていた、彼の心を。

 

「…………玲奈はさ、昔こう言ってくれたんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って。ぶっちゃけると、嬉しかった。そんな風に、俺を気遣ってくれた事がさ」

 

 玲奈が、迅に言ってくれた事を話した。

 

「小南も、レイジさんも、最上さんも…………皆、俺の事を気遣ってくれた。でも皆、俺の力が必要なものだと理解していたから、俺に()()()()()()()()とは言えなかった」

 

 仲間とのすれ違いも、話した。

 

「俺は皆の為に自分の幸せを捨てる事を当然だと思ってたし、皆もそんな俺に何も言えなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()って言ったら、誰もが押し黙ったよ」

 

 どうしようもなかった、現実も。

 

「最上さんにも、似たような事は言われたけどね。でもそれは、大人としての意見でもあったから、俺は素直に受け入れる事が出来なかった」

 

 師への、懺悔も。

 

「俺は、そんな玲奈さえ、未来の為に見殺しにしてしまった。あの時程、自分の事を人でなしと思った事はない。自分は、自分の幸福どころか、他人の、大切な人の命さえ、未来の為なら平気で犠牲に出来るんだって、そんな風に自覚した」

 

 自分の、後悔も。

 

 その全てを、話した。

 

 初めてだった。

 

 此処まで、自分の事を話すのは。

 

 だって、それは。

 

 自分を、省みる事は。

 

 あの日に、止めてしまっていたのだから。

 

 七海はただ、迅の話を聞いていた。

 

 そして。

 

「…………けど、辛かったのは迅さんも同じでしょう?」

 

 ────────その言葉(おもい)を、口にした。

 

 七海は、迅を真っ直ぐに見据え。

 

 己の想いを、ただ告げた。

 

 自縄自縛の罪悪感で苦しむ彼に。

 

 自分なりの答えを、伝える為に。

 

「大切な人が死ぬ痛みは、俺も良く識っています。だから、迅さんが自分だけを責める必要はないんです。姉だって、そんな事は望んでいない筈です」

「…………そうだな。やっぱり、君は玲奈の弟だよ。そんな風に気遣う所まで、そっくりだ」

 

 その姿に、迅は玲奈を彼に重ねた。

 

 申し訳ないとは思っているけれど。

 

 それでも。

 

 他人を気遣うその優しさは、玲奈譲りのものであると分かったから。

 

「参ったな…………君を気遣うつもりが、俺が気遣われちゃうなんて。これじゃあ、面目が立たないや」

「迅さんは少し、気を張り過ぎなんですよ。少し気を抜いても、バチが当たらないと思いますよ」

 

 その優しさが、迅の心に触れた。

 

 既に、彼の心を縛る氷は溶けている。

 

 七海が、それを溶かしてくれた。

 

 玲奈の弟としてではなく。

 

 彼自身の、言葉で。

 

「もう少し迅さんは、自分の気持ちを周りに伝えるべきです。言わなきゃ、何も伝わりません。それは俺も今回、強く感じた事ですから」

「…………そうだな。本当、その通りだよ……」

 

 迅は深いため息を吐き、夜空を見据えた。

 

 星々が瞬き、ちっぽけな自分たちを見下ろしている。

 

 流れ星が、落ちる。

 

 迅はそれを見て、目を細めた。

 

 流れ星が落ちる時は、誰かの命が消える時。

 

 そんな、悲観的な話もあるけれど。

 

 でも、どうせなら。

 

 流れ星に願えば、願いが叶う。

 

 そんな噂話の方を、信じてみたかった。

 

 迅は、願う。

 

 最善の、未来を。

 

 そして。

 

 玲奈の魂の、安らぎを。

 

 迅は今、正しく彼女の死を受け入れた。

 

 時計の針は、動き出した。

 

 彼の時間は今、ようやく進み始めたのだから。





 『ななみ』

 「想いを識るもの」

 色々あって成長した背負う系主人公。

 右腕義手・姉死亡済・無痛症と作者の趣味がフル投入された過酷な境遇にいたが、愛する少女とのあれこれを乗り越えて関係の正常化に成功した。

 精神的なイケメンであり、顔立ちも整っているので実はモテる。

 しかし那須という絶対の障壁がある為異性的な意味で彼に近付ける女性はただ一人の例外を除いて存在しない。

 学校ではぼっちだが、ボーダーで出来た友人関係に割と満足しているので別にそれでいいと思っている。

 ボーダーがなければ割と社会不適合者になっていた可能性が微レ存。

 迅に関しては前々から恩返しをしたいと思っており、思いもよらぬところで彼の苦悩を聞けた事は幸いだと思っていた。

 一通り聞いて「あ、この人自分と同じタイプだ」と察した七海は全力で言葉を選んで説得した。

 村上の言葉がなければ、説得の文言を思いつけなかった可能性もあったようだ。

 色んな意味で人の輪に恵まれている。

 那須という重い少女の想いを独り占めしている事に関しては役得だと思っている。

 尚、小夜子の想いには気付いていないし基本的に気付く予定も今のところはない。


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小南桐絵③

『君は、俺を恨んで良い。憎んで良い。玲奈の死の責任は君じゃない、俺にあるんだ。君はこれ以上、自分を責める必要はないんだよ』

「迅……」

「あいつ……っ!」

 

 電話越しに聞こえる迅の言葉にレイジが沈痛な面持ちで拳を握り締め、小南は怒りを露にした。

 

 今彼等が耳にしているのは、七海に頼んで通話状態にしておいた彼の携帯電話越しの音声である。

 

 つい先ほど、七海がこの玉狛支部を訪れた。

 

 事前連絡もなしに来るのは珍しいと思ったものの、特に拒否する理由もない。

 

 那須との一件も気になっていたが、彼の表情からして解決はしたらしい。

 

 色々聞きたい事がないでもないが、そう急ぐものでもない。

 

 故に二人は七海を歓迎したのだが、どうやら彼は迅に呼ばれて此処に来たらしかった。

 

 そこで、ピンときた。

 

 迅は彼に、あの時の────────四年前の事を、話すつもりだと。

 

 小南は、太刀川から彼が迅に発破をかけた事を聞いていた。

 

 曰く、「多分、後で七海と話をするだろうからフォローよろしく」とのことだ。

 

 自分の役目は終わったとばかりに傍観する気満々の太刀川だが、それに関して小南に異論はない。

 

 これは、旧ボーダー(じぶんたち)の問題だ。

 

 太刀川はあくまで第三者であり、こうして協力してくれただけでもありがたい。

 

 あとは、自分たちでケリを着けるべきだ。

 

 だからこそ、七海に頼んだのだ。

 

 携帯を通話状態にして、迅との話が聞こえるようにして欲しいと。

 

 後から七海に話を聞く、という手段もあった。

 

 けれど。

 

 小南はどうしても、迅の声で、言葉で、直接その想いを聞きたかった。

 

 伝え聞くだけでは、その真意は分からない。

 

 電話越しであろうと生の声を聴いて、その言葉を噛み砕いて。

 

 ようやく、迅の本心を知る事が出来る。

 

 そう思ったからこそ、小南は頼んだのだ。

 

 迅の声を、聞かせて欲しいと。

 

 最初は難色を示した七海だったが、小南が頭を下げて頼み込む事でようやく折れた。

 

 小南にはこれまで様々な所でお世話になっていた恩があるので、無碍にもし難い。

 

 なにより。

 

 その小南の真摯な想いが、伝わって来たから。

 

 だからこそ、七海は応じた。

 

 ポケットに通話状態にした携帯電話を忍ばせ、迅の下へ向かった。

 

 そして、迅から語られた話は予想通りで────────だからこそ、小南は唇を噛み締めた。

 

 矢張り迅は、四年前のあの日から時が止まってしまっている。

 

 玲奈を見殺しにしたという罪悪感が、今も彼を縛り続けている。

 

 それが、許せなかった。

 

 あの時、玲奈を助けられなかったのは小南も同じだ。

 

 その場にいなかった、というのは些細な事だ。

 

 だって、あの玲奈が「弟を助けたい」と懇願したのであれば。

 

 果たして、自分にそれを止める事が出来ただろうか。

 

 そして、その結果の未来を視ていた迅に、その願いを断る事が出来たのか。

 

 出来るワケがない。

 

 家族を失う辛さを、迅はその身を以て知っている。

 

 そんな迅相手に、「家族を助けたい」という願いを告げればどうなるか。

 

 最初から、分かり切っていたのである。

 

 だというのに、迅はその事を今でも悔いて、罪に縛られている。

 

 それを今、改めて理解した。

 

 小南は、今にも部屋を飛び出して迅の下に向かいそうな勢いだ。

 

 レイジがそれに気付き、制止の声をあげようとした。

 

『────そうですか。教えて下さって、ありがとうございました。でも、俺は貴方を恨みません』

「え……?」

 

 だが。

 

 電話越しに聞こえて来た七海の声に、小南の動きは停止した。

 

 表立って七海が迅を罵倒する事はない、とは考えてはいた。

 

 七海の性格からして、事情を聴いても「気にする事はないです」と告げる事は充分予想出来た。

 

 けれど。

 

 七海は「ありがとう」と、そう言った。

 

 そしてハッキリ、「恨まない」とも。

 

 場を取り繕う為の虚勢、という事も考えられた。

 

 しかし。

 

 七海の声は、全く震えておらず。

 

 その言葉は、本心である気がした。

 

『…………ああ、君がそう答える未来は視えていた。けど、俺を気遣う必要は────』

『いいえ、これは俺の本心です。そもそも、何で俺が迅さんを恨む必要があるんですか?』

 

 え、という迅の困惑の声が聞こえた。

 

 流石の迅もこの返しは予想外だったのか、固まっているようだ。

 

 そして。

 

 七海はただ、普段通りの真摯な声でその続きを口にした。

 

『迅さんは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言いました。けど、姉さんがその事を察せなかったと思いますか?』

 

 彼の言葉通り、察していないワケがない。

 

 そもそも、迅の説明ではまるで彼が玲奈をあの場に向かわせたようなニュアンスであったが、実際は逆だ。

 

 玲奈があの場に向かう事を懇願し、迅はそれを止められなかった。

 

 そして、止められなかった責任を果たす為に道行く玲奈の援護をしたのだ。

 

 迅からしてみれば、どちらにせよ玲奈を死なせてしまった事に変わりは無いという認識なのだろう。

 

 だが。

 

 七海は、玲奈の事を弟として誰より知っている。

 

 だからこそ。

 

 その真意を、行動を、正確に推察する事が出来ていたのだ。

 

『姉さんは、むしろ迅さんに感謝していました。迅さんのお陰で、俺を助けに来れたんだと。迅さんは、俺と姉さんの()()なんです』

 

 何より。

 

 玲奈は、その想いを、ちゃんと七海に伝えていた。

 

 自分を送り出してくれた、迅への感謝を。

 

 そして。

 

 その、間際の願いを。

 

 迅が、息を呑む音がした。

 

 考えても、いなかったのだろう。

 

 玲奈が遺した言葉があるならば、謝罪であろうと迅は考えていた。

 

 実際に、迅に遺した言葉は謝罪だった。

 

 「ごめん」と言いながら、彼女は去った。

 

 迅の前から、永遠に。

 

 故に。

 

 迅が見た彼女の最期の姿は、己に謝る玲奈の背中なのだ。

 

 だから。

 

 彼女が最期に迅に向けて遺した言葉が感謝であると、識る機会はなかった。

 

 今まで迅が、七海を避け続けていたが故に。

 

 だが。

 

 四年越しの遺言は、今ようやく彼に届いた。

 

『迅さん。迅さんこそ、これ以上自分を責めないで下さい。きっと、姉もそう言う筈です。それとも────────迅さんが知る姉は、貴方を責めるような人でしたか?』

『────────参ったな。そう言われちゃうと、返す言葉がないや』

 

 心の氷が、溶ける音がした。

 

 七海の言葉が、玲奈の遺志が。

 

 今ようやく、迅の心の時を進ませた。

 

 小南には、それが分かった。

 

 だって、電話越しに聞こえる迅の声は。

 

 昔の、笑顔の仮面を被る前の。

 

 彼女の好きだった、本来の迅のものだったのだから。

 

「迅……」

 

 涙が、落ちる。

 

 あの声を、言葉を引き出すのは、自分でありたかった。

 

 彼の苦悩は、知っていた。

 

 その想いも、理解していた。

 

 だからこそ、自分が助けてやりたかった。

 

 けれど。

 

 自分の言葉は、届かなかった。

 

 迅の心の壁は、崩せなかった。

 

 だけど。

 

 その壁を、七海が取り払ってくれた。

 

 小南の、期待した通りに。

 

 矢張り、彼でなければ駄目だったのだ。

 

 彼女の弟である、彼しか。

 

 玲奈の遺志を、直に聞いた七海でしか。

 

 迅の心の氷を、溶かす事は出来なかった。

 

 その事に、思うところはある。

 

 だが。

 

 今は、喜ぼう。

 

 彼の時間が、進んだ事を。

 

 そして。

 

 ようやく、自分達の時間を始められる事を。

 

「レイジさん」

「ああ、分かっている。戻ってきたら、尋問だな」

「勿論! 容赦なんか、してあげないんだから」

 

 小南は涙を拭き、そう言って不敵な笑みを浮かべる。

 

 そんな彼女を見て、レイジは穏やかな笑みを浮かべた。

 

 彼もまた、迅の事を案じていた一人。

 

 旧ボーダーの仲間である事には、違いないのだから。

 

 

 

 

「迅、そこに座れ」

「え、なん…………はい」

 

 レイジは有無を言わさず、迅を着席させた。

 

 煙に巻くのが巧い彼に話を聞かせるには、こうするのが一番。

 

 それを、経験則から彼は理解していた。

 

 そして、レイジは話した。

 

 七海に頼んで、迅と彼の会話を電話越しに聞いていた事を。

 

 話を全て聞かれていたと知り、迅はどうやら観念したようだ。

 

 煙に巻く事は、許さない。

 

 そんなオーラを、レイジが出していた事もある。

 

 そして押し黙った迅を見て、レイジは溜め息を吐いた。

 

 己の想いを、正直に告げる為に。

 

「…………お前が色々なものを抱え過ぎてる事は、知っている。だが、お前もこれまでの七海と同じで人を頼らな過ぎる。七海にも言ったが、お前はもっと人を頼る事を覚えるべきだ」

「いやあ、もう色々頼ってるよ? ボーダーの皆には、これまでだって……」

「────────それは皆の未来を守る為の()()であって、お前個人が誰かを頼ったワケではないだろうが」

 

 そう。

 

 迅は確かに、最善の未来の為に人を動かしている。

 

 自分で暗躍し、大勢を視ながら駒を配置している。

 

 だが。

 

 それはあくまで未来の為の()()であり、彼自身が助けを求めたワケではない。

 

 迅はこれまで本心を隠し、ただ目的の為に動いていた。

 

 だから。

 

 弱音を吐く事も、誰かを本当の意味で頼る事もなかった。

 

 ────────俺は皆の為に自分の幸せを捨てる事を当然だと思ってたし、皆もそんな俺に何も言えなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()って言ったら、誰もが押し黙ったよ────────

 

 先ほど、迅が七海に告げた言葉が蘇る。

 

 レイジはかつて、迅がその言葉を告げた時────────何も、言えなかった。

 

 何を言えばいいか、分からなかったからだ。

 

 迅の力が貴重で、それがなければどれだけ悲惨な事態が引き起こされるのかは言うまでもない。

 

 これまでも、迅の協力がなければ被害が青天井に広がって行った筈だ。

 

 だからこそ、言えなかった。

 

 迅に、それを止めて良いのだと。

 

 誰かからの強制でそうしていたのならば、告げる言葉もあっただろう。

 

 だが。

 

 迅のそれは、自発的なものだ。

 

 自分から、敢えて地獄に身を置いている。

 

 苦しむと分かっていながら、進んで苦行を為している。

 

 そんな仲間に、自分を傷付けながら歩む友人に。

 

 どう声をかければ正解なのか、分からなかったのだ。

 

 だから、これはレイジの懺悔でもある。

 

 これまで、迅に本当の意味で手を差し伸べられなかった彼の。

 

 贖罪なのだ。

 

「お前は皆の為に自分が奔走する事を当然だと思っているのだろうが、それは違う。俺達は、これまでずっとお前の力に助けられて来た。お前がいなければ、今の平和は存在しないだろう」

「そうよ……っ! アンタは当然のように皆を守る為に動くけど、別に辞めたくなったらいつでも辞めていいんだから……っ! 文句言う奴は、あたしが黙らせるわ……っ!」

 

 レイジの言葉に、小南も追随する。

 

 今ならば、届く。

 

 そう確信して、二人は踏み込んだ。

 

 それは出来ない、と迅は告げる。

 

 だが、こと此処に至れば彼がなんと言おうと関係ない。

 

 小南も、レイジも。

 

 自分の想いを、伝えるだけだ。

 

「なら、もっと仲間を頼りなさいよ。アンタとあたし等の付き合いは、そんなに浅いモンだったとでも言うワケ? 弱音くらい、いつでも聞いてあげるわよ」

「そうだな。他の場所ならともかく、此処でなら誰かに話が漏れる心配はない。お前が一人で抱え込む淀みを吐き出すには、絶好の場所の筈だ」

「レイジさん、小南……」

 

 ようやく、届いた。

 

 頼れと。

 

 弱音を吐いても、良いのだと。

 

 二人の想いが、迅に通じた。

 

 それは、彼の震えた声を聴けば分かる。

 

 迅は今、本当の意味で。

 

 二人の想いを、受け入れたのだ。

 

「お前と七海は、似た者同士だ。どっちも、何もかも自分で背負い込み過ぎる。繰り返すが、少しは頼れ。お前等二人の重荷くらい、幾らでも支えてやる」

「言っとくけど、これだけ言って理解出来ないようなら理解出来るまで身体に叩き込むからね……っ! 分かった……っ!?」

 

 だから、ついでとばかりに七海も巻き込む。

 

 小南は本気を示す為か、その手にトリガーを握り締めている。

 

 もしも二人が意に沿わない返答をした場合、問答無用でブースへ叩き込むつもりだろう。

 

 だが、どうやら。

 

 その心配は、無用のようだった。

 

「…………大丈夫。分かりましたから」

「ああ、七海にも言われたしな。これからは、時々寄りかからせて貰うよ」

「なら良し……っ! ホント、約束破ったら酷いんだからね」

 

 がるるる、と威嚇する小南を迅は分かったからね、と宥めている。

 

 その様子を見て、レイジは安堵した表情を浮かべた。

 

 これなら、大丈夫そうだと。

 

 迅の心は、前に進んだ。

 

 それは、彼の笑顔が、証明していた。

 

 

 

 

「………………何しに来たの? 小南」

「いいからそっち詰めなさい。寝れないでしょうが」

 

 その夜。

 

 何をトチ狂ったのか、小南は迅の寝室に寝間着姿で突撃していた。

 

 既に横になって寝るだけだった迅は身体を起こし、目をぱちくりさせている。

 

 困惑する迅を前に、どすどすと枕持参で部屋の中に入り込んだ小南はそのまま迅をベッドの奥に押し込むとそのまま横になった。

 

 ぴとりと、迅に背中をくっつける形で。

 

「あのー、小南さん?」

「うるさい。いいからさっさと布団かけなさい。寒いでしょ」

「いやあ、それより女の子がこんな事しちゃいかんでしょ。俺男、小南女。わかる?」

「分かってるわよ何言ってんのよこの馬鹿」

 

 ふん、と鼻息を荒くする小南だが、どうやら此処から動くつもりはないらしい。

 

 それを悟った迅はやれやれ、と溜め息を吐いた。

 

「分かってるなら、なんでさ。間違いが起きても知らないよ?」

「そんな度胸ない癖に、何言ってんのよ。そもそも、一緒に寝た事くらい幾らでもあったでしょうが」

「昔の話をされてもなあ」

「つべこべ言わない。ようやくあんたが素直になれたんだし、今日くらい良いでしょ」

 

 そこまで言うと、小南はくるりと身体の向きを変えた。

 

 迅と、真正面から向き合う形に。

 

 小南は迅の眼を真っ直ぐ見て、告げた。

 

「この四年間、あたしがどんな想いでいたか分かってんの? 気持ち悪い笑顔ばっかりで、弱音の一つも吐かない。何度、ぶっ飛ばしてやろうと思ったか」

「実際、何回かぶっ飛ばされた記憶があるんだが」

「当然でしょ。そのくらい、今までのあんたは見てられなかったんだから」

 

 けど、と小南は続ける。

 

「今のあんたは、ちゃんと見れるようになったから。あんたも、ようやくあたし達を見てくれたみたいだしね」

「…………ごめん。それに関しては、謝るしかないよ」

 

 迅は申し訳なさそうに、そう告げる。

 

 どれだけ建前を並べようが、彼がこの四年間小南達の心を蔑ろにしていた事実は消えない。

 

 致し方ない事情があるとはいえ、小南達の苦悩を思えば幾ら謝罪しても足りないだろう。

 

「馬鹿。あたしは、あんたに謝って欲しいワケじゃないの。ただでさえ辛気臭い顔してるんだから、どうせならちゃんと笑いなさい。今までの、胡散臭い笑顔なんかじゃなくてね」

 

 なにより、と小南は告げた。

 

「とにかく、あんたがきちんと前を向けた事は確かだしね。今なら、ちゃんと玲奈お姉ちゃんを悼めるでしょ?」

「ああ、もう言い訳はしない。俺は玲奈の死を受け止めて、前に進む。それは、誓うよ」

 

 なら良いわ、と小南は笑みを溢した。

 

 ようやく。

 

 ようやく、迅の時計の針が動き出した。

 

 それを、実感して。

 

 笑みを浮かべたまま、嬉し涙が頬に落ちた。

 

「馬鹿、ほんと馬鹿なんだから……っ! これからは、ちゃんと助けるから、きちんと頼りなさいよ……っ! あんたは、あたしの大切な、仲間なんだから……っ!」

「ああ、大丈夫だ。あの時も言っただろ? これからは、時々寄りかからせて貰うって。だから、安心してくれ。未来は、いや────────俺は、ちゃんと前に進めたからさ」

 

 迅の胸に顔を埋めながらぽかぽか殴って来る小南をあやしながら、迅は優しくそう告げた。

 

 その声に、言葉に、嘘はない。

 

 霧は晴れた。

 

 強がりの時間は、終わった。

 

 今の彼は、本当の意味で。

 

 仲間を。

 

 未来(じぶん)を。

 

 その眼で、見る事が出来たのだから。

 

 やがて泣き疲れた小南は寝息を立てて眠りだし、迅もまたそれを見守りながら眠りに落ちた。

 

 静かな夜が、過ぎる。

 

 二人は、昔のように並んで眠る。

 

 その顔に、穏やかな笑みを浮かべながら。




 『れいじ』
 
 「家庭的で優しい筋肉」

 家事スキルEXを持つ主夫系完璧万能手。

 一家に一台欲しいレベルの家事スキルを持ち、その料理は絶品。

 今作では七海が味が判別出来る料理を作れる数少ない人物の一人。

 風間はちょくちょく彼にカツカレーを作って貰い、食いまくっているという噂がある。

 彼曰く、「レイジのカレーが美味しいのが悪い」とのこと。

 気配り上手だが口下手なので、コミュ力は微妙。

 しかしその溢れ出るお父さんオーラは隠しきれない為、彼を慕う者は多い。

 迅の事は昔から気にかけてはいたが、前述の通り口下手なのでなんと声をかければ良いか分からなかった。

 今回の件では何かあればフォローしようと思っていたが、七海が全て持って行った為胸を撫で下ろしている。

 なお、翌朝迅と小南が一緒に寝ていたのを見た第一発見者。

 二人が並んで眠る事自体は実は昔はよくあったので、そこまで驚いてはいなかった。

 それはそれとして、二人には軽く説教をかましたのであるが。

 林道はそれを笑って見ていたとのこと。


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城戸正宗①

「さて、迅。話を聞こうか」

 

 ボーダー本部、司令室。

 

 迅がやって来たそこには、ボーダーを運営する上層部の面々が揃っていた。

 

「例の試験について話がある、という事ですが」

 

 ボーダーのメディア対策室室長、根付栄蔵。

 

 組織の評判を守る為に日々奔走する彼は、溜め息を吐きながら胡乱な眼で迅を見ていた。

 

「この忙しい時に、余計な事をして欲しくはないんだがね。まあ、聞くだけは聞いておこうか」

 

 技術開発室室長、鬼怒田本吉。

 

 彼は口では悪態をつきつつも、他ならぬ迅が持ち込んだ話という事で関心を持って話を聞く態勢だった。

 

「迅くんがこうして我々に頼みに来るのは珍しいですし、別に構わないのでは? 彼は文字通り、先見の明がありますから」

 

 外務・営業部長、唐沢克己。

 

 普段通りの飄々とした笑みを浮かべた彼は、興味津々といった風に迅を見ていた。

 

「ああ、迅ならきっと皆の為を想っての行動の筈だ。何を判断するにしても、まずは話を聞いてからだろう」

 

 ボーダー本部長、忍田真史。

 

 街を平和を第一とする彼は、その為に行動する迅に全幅の信頼を置いている。

 

 だからこそ、その声は穏やかだ。

 

 表面上は鉄面被を保っている、城戸と同じように。

 

 迅は何も言わずに座っている林道に笑いかけながらその全員を一通り視ると、本題を切り出した。

 

「ああ、俺からの用件は二つ。まず一つ目は、今度開催するA級昇格試験────────合同戦闘訓練の第二試験と第三試験に、特別ルールを加えて欲しい」

「特別ルール? A級とB級が組んで戦う、以外のルールを追加するというワケか?」

「その通り。一応資料に纏めて来たけど、まずは口頭で説明するよ」

 

 迅は鬼怒田にそう答えると、資料を配りながらそのルールについて話を始めた。

 

「まず、第二試験では旗持ち(フラッグ)ルールという形式を採用して欲しい。簡単に言えばこれはB級隊員のうち一人を旗持ちにして、その隊員が落とされたら試合終了になる」

「そして旗持ちを落とされたら追加点、というワケか。一応、このルールの意図を聞いても良いか?」

 

 忍田の問いに迅はええ、勿論、と答え説明する。

 

「これは、大規模侵攻で特定の隊員、もしくは市民を守る状況となった時の予行訓練のようなものです。戦術的目的か救助目的かはさておいて、そういった状況が発生する確率は低くないみたいだからね」

「成る程、いざという時仲間を優先的に守る訓練を兼ねるというワケか。私としては構わないと思うが」

「ふむ。市民への被害が減ると思えば、そう悪い提案ではなさそうですねえ」

 

 一つ目の提案、旗持ち(フラッグ)ルールに関してはどうやら好意的に受け入れられたようだ。

 

 特に、メディアからの突き上げを気にする根付にとっては()()()()()()()()というのは無視出来ない文言だったらしい。

 

 勿論、それを考慮した上で言葉を選んだのであるが。

 

 これでも、たった一人で最善の未来の為に暗躍を続けて来たのだ。

 

 この程度の腹芸は、難なくこなせるのである。

 

「わしも特に反対する理由はないな。参加者への説明も今ので充分だろう」

「ええ、私も賛成です。特にデメリットは見受けられません。どうですか? 城戸司令」

 

 唐沢はそう言って、城戸に水を向ける。

 

 城戸は普段通りの鉄面皮のまま、そうだな、と頷いた。

 

「いいだろう。旗持ち(フラッグ)ルールに関して、私からも異論はない。採用に関しても問題はないだろう」

 

 だが、と城戸は迅をじろりと睨み付けた。

 

「この第三試験のルール────────ビッグトリオンルールについては、どういうつもりだ? 隊員のトリオンを意図的に強化して戦わせる事に、何のメリットがある?」

 

 そう、問題は旗持ち(フラッグ)ルールの方ではない。

 

 第三試験。

 

 そこでの採用を提案している形式、ビッグトリオンルール。

 

 B級隊員のうち一人を選択し、トリオン評価値14相当の状態で戦闘を行わせる。

 

 このルールを採用する意図が、文面からは掴めなかったのだ。

 

 旗持ち(フラッグ)ルールは、まだ分かる。

 

 特定個人を守る為の訓練であれば、大規模侵攻でも必ず役に立つだろう。

 

 だが。

 

 このビッグトリオンルールは、どういう状況を想定しているかが一切不明だ。

 

 そして。

 

 城戸は、このルールに不穏なものを覚えていた。

 

 通常、トリオンが急激に上昇する事は有り得ない。

 

 けれど。

 

 ただ一つ、例外がある。

 

 それが、黒トリガー。

 

 人間一人の命を代価に生み出される、特殊なトリガー。

 

 この黒トリガーを起動すれば、使用者のトリオンは爆発的に跳ね上がる。

 

 上昇値は黒トリガーによって個人差があるが、迅の風刃に関して言えば評価値換算でおおよそ30。

 

 それだけの、強大な力を得られるのだ。

 

 そして。

 

 この、ビッグトリオンルールは。

 

 大規模侵攻の中で、黒トリガーを手にした時の事を想定しているのではないか。

 

 城戸は、そう勘ぐったのだ。

 

 今度起こるという第二次大規模侵攻で、また誰かが黒トリガーになる。

 

 そんな未来を、視たのではないかと。

 

「多分、城戸さんの懸念は外れているよ。端的に言えば、このビッグトリオンルールは────────黒トリガーと、戦う為の訓練だ」

「……!」

「黒トリガーと、戦う……っ!?」

 

 その言葉に反応したのは、城戸と忍田の二人。

 

 かつての戦争を、命を懸けた戦いを経験した二人だからこそ。

 

 黒トリガーの力を知るからこそ、その言葉には目の色を変えざるを得なかった。

 

「詳細は分からないけれど、隊員のほぼ全員に落とされる未来の可能性が視えた。B級だろうとA級だろうと、それこそ風間さんや太刀川さんであってもだ。そんな事が有り得るとしたら、敵には黒トリガーの使い手がいると見るべきだろうね」

「…………そうか。慶や風間さえ、倒し得る敵か。確かにそれなら、辻褄は合う」

 

 太刀川も風間も、ボーダーの中でも指折りの実力者だ。

 

 通常のトリオン兵相手にやられる事はまず有り得ないし、人型近界民と相対しても早々落とされはしないだろう。

 

 だが、黒トリガーとなれば話は別だ。

 

 黒トリガーの力は、払う代価が命そのものである為か、強大極まりない。

 

 出力そのものが違う他、固有の強力な能力を発揮する。

 

 通常のトリガーとは、規格がそもそも違うのだ。

 

 ブラックボックスだらけの、未知の超兵器。

 

 それが、黒トリガーなのだから。

 

「だから、トリオン強者との戦いに慣れて欲しいんだよ。そうすれば、幾らか落とされる可能性(みらい)は少なくなるからね」

「全ての部隊にトリオン強者を所属させた状態にするのは、効率化の為かい?」

「ええ、流石に二宮さんに全員と戦って貰うのはどうかと思いますからね。こっちの方が手っ取り早いでしょう?」

 

 成る程、と唐沢は頷くが、迅を見る城戸の視線は厳しい。

 

 確かに、嘘ではないのだろう。

 

 黒トリガー相手の予行演習、と考えればそうおかしな話ではない。

 

 だが。

 

 城戸は、迅の意図がそれだけではないと直感していた。

 

 伊達に、旧ボーダー時代からの付き合いではない。

 

 嘘は言っていないが、全てを語ってもいない。

 

 城戸は、迅の態度からそう感じていた。

 

「だが、たとえトリオン強者との戦いを経てもノーマルトリガーと黒トリガーの性能は別物だ。それだけでは、黒トリガーの対策にはならないのではないか?」

 

 しかし、此処でそれを追求するべきではない。

 

 そう悟った城戸は、敢えて迅の話に乗る事にした。

 

 この後彼が何を言うか、予想した上で。

 

「ああ、それもしっかり考えてある。というより、それが二つ目の提案だ」

 

 迅はそんな城戸の配慮を受け取り、笑みを浮かべてこう告げた。

 

「第四試験。そこで、俺が、黒トリガーを────────風刃を使って、試験官を務めさせて欲しいんだ」

「な……っ!?」

「黒トリガーを使って試験、ですと……っ!?」

 

 鬼怒田と根付は、同様に驚愕を露にする。

 

 唐沢も目を見開き、忍田も驚きを露にしている。

 

 ただ一人。

 

 城戸だけは、そんな迅の提案を矢張りか、と無言で受け止めていた。

 

「迅。黒トリガーの性能はボーダーの中でも機密事項にあたる。それは理解しているな?」

「ええ、だからこの第四試験に関しては観客は基本的に無し。関係者以外の立ち入りも当然禁止する。まあ、そのあたりの条件はおいおい詰めさせて貰うよ」

 

 でも、と迅は続ける。

 

「黒トリガーの対策をするなら、実際に黒トリガーを体感して貰うしかない。これは、同意して貰えると思うけどな」

 

 そう、彼の言う通り、黒トリガーの対策をするのであれば実際にそれと戦う他ない。

 

 話で聞いていても、詳細な説明を受けていても、百聞は一見に如かずなのだ。

 

 実際にその力を、脅威を体感しなければ正確な情報は手に入らない。

 

 初見殺しの塊とも言えるのが、黒トリガーだ。

 

 その出力や性質を知ると知らないのとでは、文字通り雲泥の差があるのだから。

 

「迅。だが、良いのか? 風刃は、お前にとって────」

「忍田さん、今はそういう感情論を話す場じゃない。話は後で、幾らでも聞くからさ」

「…………分かった。水を差してすまなかったな」

 

 迅の真摯な眼を見て、忍田は引き下がった。

 

 彼にとって、風刃の、黒トリガーの持つ意味は重い。

 

 それを、こんな形で使っても良いのか。

 

 忍田は、そう言っているのだ。

 

 無論、その気遣いは嬉しい。

 

 だが、この場は迅と上層部の交渉の場だ。

 

 そういった私情は、控えるべき。

 

 忍田も分かってはいただろうが、思わず口に出てしまったようだ。

 

 それだけ、彼もまた無理をし続ける迅を見て来たのだから。

 

「まだ敵の姿が視えていないからどういう相手かまではいまいち分からないけれど、それでもただA級を出すだけでどうにかなる相手でない事だけは確かだ。俺は、可能な限り今度の戦いの被害を減らしたいと思っている」

 

 だから、と迅は続ける。

 

「ここは一つ、俺を信じてくれないかな。責任は、必ず果たすからさ」

 

 己の想いを言葉に乗せて、迅はそう告げた。

 

 既に、理屈は、理由は証明してある。

 

 あとは、それを信じるかどうか。

 

 それに尽きる。

 

 城戸は、迅の眼を見据えた。

 

 その眼に、少しでもこれまでの自己犠牲的な────────言い換えれば捨て鉢な感情が宿っていれば、城戸は彼の提案を蹴っただろう。

 

 けれど。

 

「────────良いだろう。お前の提案を、全面的に受け入れる。忍田本部長、この後詳細を詰める。迅も同席して貰うぞ」

「了解しました」

「ありがとうございます」

 

 その眼にあったのは、希望。

 

 それも、これまでの盲目的なそれではない。

 

 確かな、地に足の付いた展望。

 

 それが、今の迅の瞳に宿っていた。

 

 ならば、信じてみても良いだろう、と城戸は判断した。

 

 何があったかまだ詳細は聞いていないが、迅に先日までの憂いはない。

 

 今の彼は何処か晴れやかで、憑き物が落ちたような顔をしていた。

 

 顔には出さない。

 

 勿論、言葉にも。

 

 だが、それでも。

 

 迅の事を案じていたのは、城戸もまた同じなのだから。

 

「城戸司令がそう言うなら、私としても反対はしませんがねぇ。情報統制は、徹底して下さいよ?」

「フン、あまり迷惑をかけてくれるでないぞ。記憶処置まで使うのは、出来れば控えたいからな」

 

 根付と鬼怒田はそう言って、今後の苦労を考えて頭をかいた。

 

 本部司令である城戸が認めた以上、否はない。

 

 理屈は通っているし、合理的でもあった。

 

 だが、懸念点は山のようにある。

 

 それを今から、対策を練りに行くのだろう。

 

 口は悪いが、二人の専門分野における手腕は確かなのだから。

 

「では、私も此処からは門外漢のようですからね。失礼させて貰いますよ」

 

 唐沢はそう言って席を立ち、迅とすれ違うように歩き、その肩をポン、と叩いた。

 

「何があったかは分かりませんが、頑張って下さいね。一人の大人として、応援していますよ」

「ええ、ありがとうございます。唐沢さん」

 

 いえ、ただのお節介ですよと言って唐沢は部屋を隊室した。

 

 そして、部屋に残ったのは迅と林道、そして城戸と忍田の四人。

 

 旧ボーダーに所属していた四人だけが、この場に残った。

 

「さて、迅。本題に入る前に、話すべき事があるだろう」

「と言うより、こちらが本題かな。根掘り葉掘り聞くつもりはなかったけど、表情が今までとは別物だ。今回の提案もあるし、出来れば君の口から聞かせて欲しい」

 

 城戸と忍田は、そう言って迅の返答を待った。

 

 その二人に対して、迅は頷く。

 

「ええ、お二人には、話しておくべきでしょうね。きっと、その権利はある筈だから」

 

 そして、彼は。

 

 これまでの経緯を、己の想いを、話し始めた。

 

 

 

 

「…………そうか」

 

 城戸は重く、そう告げた。

 

 分かってはいた、つもりだった。

 

 あの日から。

 

 玲奈の死から、迅の時間が止まっていた事は。

 

 だが。

 

 その抱える苦悩は、自罰は、彼の想像をすら超えていた。

 

 忍田もまた、後悔していた。

 

 これだけ、迅が苦しんでいたのに。

 

 何も気付けていなかった────────否。

 

 気付いていながら何も出来なかった、自分自身に。

 

 林道もまた、同じだ。

 

 迅の心の霧は、他ならぬ七海が晴らしてくれた。

 

 自分では、自分達では、駄目だった。

 

 昔を、悲劇を知り過ぎてしまった自分達では、駄目だったのだ。

 

 あの悲惨な過去を知るからこそ、どうしても感情よりも実利を優先してしまう。

 

 そうしなければ、多くの人が死ぬと、実感(りかい)していたから。

 

 だから、必要だったのだ。

 

 ただ、感情だけで迅を諭してくれる者が。

 

 迅が、その言葉を受け入れられる者が。

 

 七海の言葉が、必要だったのだ。

 

 迅が救われた事には、感謝している。

 

 だが。

 

 それはそれとして、自分が何も出来なかったという事実は、消えないのだから。

 

「先ほどはああ言ったが、今のお前の提案であるならば異論はない。お前が必要だと思う情報だけ開示すれば構わん。後はどうにかしてやる」

「ああ、私も協力は惜しまない。困った事があったら、いつでも言って欲しい」

「一応派閥の長同士なんだが、まあ些細な事だわな。俺に関しちゃ、今まで通りだ。好きにやれ。責任(ケツ)は持ってやるからよ」

 

 城戸は、忍田は、林道は。

 

 口々にそう言って、迅に笑いかけた。

 

 城戸だけは笑い方を忘れてしまったのか、ぎこちない笑顔ではあったが。

 

 それでも、あの日から笑う事を忘れてしまった彼が、笑ったのだ。

 

「迅。今はもう、大丈夫か?」

 

 それは、いつかの問い。

 

 あの時は、純粋に迅を案じていた。

 

 このままで、大丈夫なのかと。

 

 しかし、今回は。

 

「────────ああ、大丈夫だよ。未来(おれ)はもう、先へ進めるから」

 

 ただの、その言葉を聞きたかった。

 

 それだけの、問い。

 

 迅の返答を聞き、城戸は満足気に頷いた。

 

 心の氷は、溶けた。

 

 それを待ち望んでいた者達との関係も、また。

 

 今ようやく、旧ボーダー(かれら)の時間は進み始めたのだから。




 『しのだ』

 「車斬り男情熱系」

 昔は色々やんちゃしていたらしいボーダー本部長。

 城戸さんの新車ぶった斬り事件は当然この世界線でも経験済み。

 武勇伝に「森で玲奈と模擬戦をしていたら不審者と間違われ追いかけられた」が加わっている。

 昔馴染みの迅の事は気にかけていたが、本心を話さない彼にどう接すればいいか分からず悶々としていた。

 玲奈とは昔模擬戦でばちばち戦り合っていた戦友。

 その為、彼女の弟の七海の事も非常に気にかけている。

 しかし割とさりげなく裏からちょくちょく贔屓する城戸さんと違い、色々不器用なので表立っての支援は出来ていなかった。

 城戸派、忍田派、玉狛派などと呼ばれているが、実はトップ同士の中はそこまで悪くはない。

 全員が全員玲奈の事もあって迅を気にかけているので、迅悠一を支える同盟を密かに結成している。

 しかし対外的、というか近界民に恨みを持つ多くの隊員の居場所を守る為に派閥があった方が良いのは確かなので実態は秘密。

 
 『りんどう』

 「謎多き眼鏡支部長」

 某漫画の中佐と似ていると評判の眼鏡支部長。

 現役時代はぶいぶい言わせていたらしいが、今では専ら裏方がメイン。

 責任持つから好きにやれ、の方針で迅を自由にさせている。

 自分が何を言っても迅が変わる事はないと察していたので何も言わなかったが、どうにかしてやりたいとは常々思っていた。

 玲奈とも親しく、最上に続いて彼女まで亡くなった事で落ち込んでいたが、自分以上に落ち込んで悪い方向に開き直ってしまった迅を見てこりゃいかんと現役を退き玉狛支部の支部長に収まった。

 今は何も出来ないなら、せめて帰る場所を守る。

 そう、決意して。

 今回の一件が解決し翌朝迅と小南が並んで寝ていたのを知った時はほくほく顔だった。

 なお、昔を知っているので間違いがあったとは欠片も思っていない。

 ようやく昔のようになったなあ、と思っている。

 その後、味を占めた小南がちょくちょく迅の寝室に突撃しているのは内緒。

 なんだかんだ、温もりに飢えていたらしい。


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Re:未来を識るもの

 

 それからのルール決めは、スムーズに進んだ。

 

 明確な目的意識を持ってアイディアを出す迅と、組織人の観点から改善点を指摘する忍田。

 

 不測の事態を想定した保険を用意する林道に、それら全てを総括して纏め上げた城戸。

 

 勝手知ったる仲である四人が揃えば、多少の決め事などすぐ終わる。

 

 こればかりは、付き合いの年月が違う。

 

 結果として、迅の提案はほぼ全面的に通る事になった。

 

 忍田が追加したのは審査員となるA級隊員の審査基準の要綱、そして求めるべき役割の明確化である。

 

 試験の形式を取る以上、そこはきっちりと決めなければならない。

 

 流石にそういった運営側の視点は忍田に一日の長があり、特に問題も見当たらなかったので迅としても異論はなかった。

 

 林道はリスクマネジメント能力が高く、想定可能なトラブルを列挙してそれに対する腹案を話し、城戸がそれを纏め上げた。

 

 組織人としての能力が最も高いのは、言うまでもなくこれまでボーダーという組織を統括して来た城戸である。

 

 目的が最優先となり他がおざなりになりがちな迅と、時として感情を優先してしまう忍田と林道では、城戸ほどスムーズに意見を纏める事は出来なかったであろう。

 

 無論、これは四人が良好な関係を築いているという前提の下で成立する作業スピードではあるが。

 

 ともあれ、これで準備は整った。

 

 後は予定通りROUND4の終了時に告知し、実施まで準備を進めるのみ。

 

 ふと、迅は七海達の事に想いを馳せる。

 

 ラウンド4の那須隊の相手は、香取隊と王子隊。

 

 どちらもそれぞれ香取のピーキーさとエース不在という難点はあるものの、B級上位としての実力をきちんと持った部隊だ。

 

 以前のままの那須隊では、負けてしまう可能性も充分に有り得ただろう。

 

 だが。

 

 今の那須隊は、今までとは違う。

 

 きっとそれは、すぐに見せてくれる事だろう。

 

 次の試合、迅は解説役を引き受けている。

 

 小南のようなあからさまな応援はしないが、今回ばかりはどうしても那須隊の復帰戦を見ておきたかった。

 

 ちゃんと、七海が立ち上がれた事を目にする為に。

 

 迅は、ランク戦のブースへと向かっていった。

 

 

 

 

 ────────ROUND4。

 

  圧勝。

 

 そう言って差し支えない、結果となった。

 

 弱みの消えた那須隊は、その弱点を計算に入れて作戦を立てた王子隊を圧倒し、香取隊を巧く動かして両部隊を蹂躙した。

 

 今の那須隊は、これまでとは違う。

 

 その事をしっかりと皆の眼に焼き付けた、素晴らしい復帰戦と言えた。

 

 負けた二部隊はご愁傷様だが、ランク戦は負けて学ぶ事も意義の一つ。

 

 きっと、この敗北を糧に更なる戦力の向上に努めてくれるだろう。

 

 特に、迅の視た香取の未来の変わり具合は著しい。

 

 これまでの予知では、香取は件の第二次大規模侵攻においてさしたる役割を持てなかった。

 

 重要な局面には何一つ貢献出来ず、落とされる。

 

 そういう、未来だった。

 

 だが。

 

 このROUND4が終わった瞬間、ほんの僅かではあるが香取の未来に変化が生じた。

 

 大規模侵攻で、重要な局面を動かす未来が。

 

 今の時点では、細い道筋に過ぎない。

 

 けれど、その可能性が生じたのは確かなのだ。

 

 未来は今も、少しずつ、最善へと近付いている。

 

 香取の変化もまた、その一つ。

 

 迅は変わる未来に想いを馳せながら、件の合同戦闘訓練に関する告知を開始した。

 

 

 

 

 ────────ROUND5。

 

 今度ばかりは、本当に驚いた。

 

 東を。

 

 あの始まりの狙撃手たる東を、那須隊が緊急脱出させた。

 

 確かに、僅かにそういう可能性は視えていた。

 

 しかし、それは本当に小さな道筋だった筈なのだ。

 

 今まで、単独の部隊だけで東を落とせた部隊はいなかった。

 

 複数の部隊が総力を以て追い込み、ようやく落とせる芽が微かに視える。

 

 東は、そういう性質を持った駒だというのに。

 

 それを捨て身の作戦とはいえ、単独の部隊で成し遂げたのだから大したものだ。

 

 偉業。

 

 そう言っても、差し支えないだろう。

 

 迅でさえ難しい事を、七海達は成し遂げた。

 

 それが。

 

 七海たちの成長が。

 

 本当に、嬉しかった。

 

 

 

 

 ────────ROUND6。

 

 今回は、香取隊の成長が著しかった。

 

 ワイヤートリガー、スパイダーを用いた那須隊へのメタ戦術。

 

 この僅かな期間で、香取隊は部隊としての動きを確立させた。

 

 それは、香取の類稀なるセンスと三浦のサポート力の高さに所以するものだ。

 

 唯一パッとしなかった若村も、最後に自分の仕事を出来たのだから大したものだ。

 

 しかし、覚悟を決め直したからと言って結果が付いてくるとは限らない。

 

 香取隊は善戦したが、結果は敗北。

 

 二度目の苦い敗北を、味遭う事になった。

 

 だが。

 

 今回の試合を経て、香取が大規模侵攻で貢献する未来がより強まった。

 

 矢張り、逸材と言って差し支えないだろう。

 

 生駒隊のような安定感はないが、代わりに他に類を見ない爆発力を持っている。

 

 今後の台風の目に成り得る可能性も、充分に秘めた少女である。

 

 そして。

 

 生駒に関しても、気になる未来が視えた。

 

 後で個人的に話をしよう、と迅は思い立った。

 

 他人を頼る事は、悪い事ではない。

 

 それを今は、分かっているのだから。

 

 

 

 

 ────────ROUND7。

 

 今回は、地形戦を仕掛けた王子隊とそれを迎え撃った弓場隊、そしてそれらを相手に盤面を動かした那須隊、といった形になった。

 

 弓場の荒野仁王立ちを視た時には変な声が出たものだが、それはそれ。

 

 那須隊は随所で的確な判断を行い、決してペースを譲らなかった。

 

 特に、熊谷の活躍は大きい。

 

 那須隊の中で最も狙われやすい駒であるという立場でありながら、敢えてそれを利用した立ち回りは大したものだ。

 

 彼女自身はそこまで派手に活躍するタイプの駒ではないが、こういった縁の下の力持ちタイプはいるといないのとでは大きな差がある。

 

 きっと、今後も那須隊を屋台骨から支えてくれる事だろう。

 

 

 

 

 ────────ROUND8。

 

 最終ラウンドは、激戦だった。

 

 対戦組み合わせは那須隊/影浦隊/二宮隊/生駒隊。

 

 どの部隊も強力なエースを擁し、高い地力を備えている。

 

 だからこそ、要所要所のエースの活躍が戦局を左右した。

 

 七海と二宮は派手な戦闘を継続し、台風の目であり続けた。

 

 生駒は隠密からの生駒旋空で、随所に奇襲を差し込んだ。

 

 影浦は戦術行動を取る事を覚え、より効率的にその暴威を押し付けて行った。

 

 見どころはたくさんあった最終ラウンドだが、何より七海があの二宮を倒した事は驚いた。

 

 正確にはトドメを刺したのは茜であるが、あの作戦は誰が欠けても成功しなかっただろう。

 

 敵味方問わず全てを計算に入れ、最終的に二宮に届かせた一発の弾丸。

 

 あの一射は、何より重い。

 

 あれに繋げられたのは、ラウンド5で東を、格上を倒す予行演習を済ませていた事が大きい。

 

 今までの積み重ねが、結実した。

 

 そんな、一撃だった。

 

 七海と影浦の一騎打ちに関しては、語る事すら無粋だろう。

 

 お互いが全力を出し切り、その上で七海が影浦を超えた。

 

 あの戦いを説明する言葉は、それだけで充分なのだから。

 

 そして。

 

 遂に、最終ラウンドが終了した。

 

 結果、七海達那須隊は二宮隊を抑えB級一位の地位に就いた。

 

 此処まで長かった、と思うのは迅の感傷だろうか。

 

 今回のA級昇格試験はB級上位チーム全員にその受験資格があるが、当然この最終順位が高ければ高い程有利である。

 

 よく頑張った、と労いたいのは山々だが、今回は先約がある。

 

 流石に、弟子の頑張りを褒める師匠の横から入るような真似はしない。

 

 お疲れ様。

 

 迅は後でお祝いだな、と考えながら今後の準備に入って行った。

 

 

 

 

 ────────A級昇格試験、第一試合。

 

 遂に始まった、今回限りのA級昇格試験。

 

 AB合同の、戦闘訓練。

 

 この試合もまた、香取隊の成長が著しかった。

 

 香取隊は自分たちの指揮能力不足に気付き、減点を覚悟で組んだ冬島隊に指揮を丸投げした。

 

 その思い切りの良さは、明確な武器となる。

 

 後に冬島が絶賛しており、負けはしたが高い内申点を点けていた。

 

 それだけ、彼女の覚悟と機転に感じ入ったのだろう。

 

 この試合を経て、香取が大規模侵攻で何らかの貢献をするのは確定事項となった。

 

 どういった形になるかはまだ不明なところが多いが、どちらにせよ良い方向に未来が動いた事に違いはない。

 

 彼女の成長に、称賛を。

 

 香取の未来を視た迅は、思わずそう念じていた。

 

 

 

 ────────A級昇格試験、第二試合。

 

 実装された特別規定、旗持ち(フラッグ)ルール。

 

 その目的は、充分果たされたと言えるだろう。

 

 王子の使い方も、七海の使い方も。

 

 奇しくも、双方が迅の望んだ通りの動きをしてくれた。

 

 特定の駒を守り、秘匿もしくは陽動とする。

 

 その経験は、今此処で積めたのだから。

 

 王子にとっては悔しい結果となったが、今回の試合で彼等の未来にも変化が生じた。

 

 香取のような、劇的な変化ではない。

 

 だが。

 

 第二次大規模侵攻。

 

 そこで、彼等がただで落とされる事はなくなった。

 

 派手な活躍はしないだろう。

 

 日の目を見る事もないかもしれない。

 

 けれど。

 

 その道筋は、未来をより良い方向に進ませる一歩に違いないのだから。

 

 

 

 

 

 ────────A級昇格試験、第三試合。

 

 ビッグトリオンルールを採用した、第三試験。

 

 そこでは、死力を尽くした戦いが随所で展開されていた。

 

 相打ちが多発し、一進一退の攻防を続ける四つの部隊。

 

 三つの試験の中でも、かなりの激戦であった事に間違いはない。

 

 そして。

 

 このルールを採用した目的も、きちんと果たされていた。

 

 少なくとも、迅が目論んだ未来の景色は、視えたのだから。

 

 

 

 

 

(ようやく、此処まで来た。那須隊(きみたち)の健闘を、俺は覚えている)

 

 迅は城戸がスクリーンに映った隙を見計らい、試合会場へ足を踏み入れた。

 

 何も言わずに中央に向かう迅に、会場にいた柿崎は怪訝な顔をした。

 

 同じように迅に気付いた三輪は、目を細めた。

 

 最初から知っていた太刀川は、笑みを浮かべた。

 

 城戸が、説明を始める。

 

 皆はそれに聞き入り、迅に気付いていたのは彼と関係の深い数人のみ。

 

 舞台は、整っていた。

 

 この舞台は、迅が一人で築き上げたものではない。

 

 七海に諭され、城戸に頼り、その結果として結実したものだ。

 

 これまで止まっていた彼の時間は、既に進み始めている。

 

 玲奈の死を受け入れ、しかし忘れず。

 

 本当の意味でその遺志を背負い、歩む。

 

 それが、出来るようになったのだから。

 

 七海には、感謝した。

 

 彼の言葉があったから、迅は現実を見据える事が出来た。

 

 あの言葉がなければ、きっと迅の時間は停まったままであっただろう。

 

 玲奈に彼の事を頼まれたのに、迅はこれまで七海の事を碌に見ようとして来なかった。

 

 だから、これからはきちんと彼を見よう。

 

 玲奈の弟ではなく、七海玲一として。

 

 彼を、支える為に。

 

 太刀川は、礼を言いたかった。

 

 敢えてこちらの事情に踏み込み、彼を慮るのではなく現実を見せつける事で迅の行動を促した。

 

 彼のお陰で、迅は七海や小南と歩み寄る切っ掛けを作れたのだから。

 

 以前風刃の所持者となる前は、彼とのランク戦だけが迅の息抜きだった。

 

 あの思い出があったから、自分は此処まで生きて来れた。

 

 その意味でも、感謝しかない。

 

 彼は、得難いライバルなのだから。

 

 小南には、申し訳なかった。

 

 これまで、自分は彼女の想いを蔑ろにし続けた。

 

 自分を案じる彼女を避け続け、その言葉を受け入れなかった。

 

 七海の言葉を聞き届け、ようやく迅は彼女にどれだけの不義理をしていたのかを自覚した。

 

 小南に言われるまでもなく、どれだけ彼女に心配をかけたか知れない。

 

 かつての、戦友を。

 

 大事な、仲間を。

 

 蔑ろにし続けた罪は、重い。

 

 けれど、その罪を背負う事を小南は望まないだろう。

 

 だから。

 

 これからは、彼女の言う通り。

 

 きちんと、小南と向き合ってみる事にした。

 

 それがきっと。

 

 この恩知らずで最低な自分に出来る。

 

 小南への、一番の恩返しだろうから。

 

 そして、玲奈に誓う。

 

 君の、望みを。

 

 最善の未来を。

 

 誰かを送り届けるのではなく。

 

 迅悠一(じぶん)と、皆で。

 

 共に、築き上げて行く事を。

 

(だから、俺は障害になろう。試練になろう。この試験、最後の壁が俺だ)

 

 迅は自分の存在をアピールするように歩み出て、口を開いた。

 

 その言葉を聞き、会場中の者が、そして。

 

 これを通信越しに聞いている七海達が、息を呑んだのを視た。

 

(来い、七海。今度は、俺が────────いや)

 

 迅は腰のトリガーを、風刃を手にする。

 

 師の命を替えた、黒い棺。

 

 それを、高々と掲げて、起動させた。

 

 共に戦う。

 

 その意思を、示す為に。

 

(────────俺と、最上さんが。相手だ)

 

 誓いは此処に。

 

 迅悠一は、一人の男として。

 

 七海(きぼう)の試練となる事を、選んだ。



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LAST TRIAL/迅悠一
影浦雅人⑥


「…………」

 

 影浦は市街地の真ん中で、臨戦態勢を維持しながら佇んでいた。

 

 そして。

 

 その背に刺さった殺気に反応し、当然の如くスコーピオンを────────否、マンティスを振り抜いた。

 

 マンティスの一撃を察知し、跳び退くのは七海。

 

 だが。

 

「────!」

 

 射程外に跳び退いた筈のマンティスは、七海の頬を掠めて行った。

 

 その長さは、これまでの比ではない。

 

 それも当然。

 

 今の影浦は、トリオン数値の設定をを黒トリガー使用時の迅と同じ数値まで引き上げている。

 

 スコーピオンは広げれば広がるほどその強度が下がっていくが、莫大なトリオンがあればその問題は無視出来る。

 

 大量のトリオンの持ち主が、スコーピオンを使えばどうなるか。

 

 結果は、この通り。

 

 超射程のスコーピオンという、普通ではまずお目にかかれない代物が現出した。

 

 故に。

 

「そこかぁ!」

 

 僅かに刺さった殺気に反応し、影浦はマンティスを振るう。

 

 鞭のような軌道で伸びたマンティスが、建物を迂回し路地にいた標的に突き刺さる。

 

「く……っ!」

 

 挟撃する為に、七海とは反対方向にいたのが裏目に出た。

 

 感情受信体質。

 

 その副作用(サイドエフェクト)の効果によって居場所を割り出された熊谷は、マンティスの一撃で左腕を斬り裂かれた。

 

 変幻自在の軌道を持つマンティスは、熊谷の防御をすり抜ける。

 

 幾ら受け太刀の名手とはいえ、マンティスは軌道が通常の斬撃とは違い過ぎる。

 

 そも、熊谷の防御技術は主に弧月相手の立ち回りを想定したもの。

 

 スコーピオンの使い手と迂闊に接近するのは自殺行為である為、そういった相手には旋空や誘導弾(ハウンド)を用いるのが常道だ。

 

 だが。

 

 それを加味しても、影浦のマンティスの軌道の読み難さはこれまでのどんな攻撃よりも上であった。

 

 マンティスであれば七海も使用するが、本家本元の影浦とではその練度に雲泥の差がある。

 

 そも、マンティスはスコーピオンを両攻撃(フルアタック)の状態にしなければ使用出来ない諸刃の剣だ。

 

 使用中はシールドも張れない以上、そこに狙撃でも受ければ一たまりもない。

 

 しかし。

 

 その問題を解決するのが影浦のサイドエフェクト、感情受信体質である。

 

 自分に刺さる感情を感知出来る影浦相手に、東という例外を除いて狙撃は通用しない。

 

 そもそも、狙撃対象として視認した時点で影浦はその存在を察知するのだ。

 

 狙撃手にとって影浦は、視界に捉えただけで自分を殺しに来る死神のようなもの。

 

 そんな影浦だからこそ、マンティスを気兼ねなく使いこなす事が出来るのだ。

 

 そして今、その影浦に莫大なトリオンを用いた超射程のマンティスという武器まで備わっている。

 

 その脅威度は、段違いに上がっている。

 

 だからこそ。

 

「────」

 

 那須は、遠方で合成弾を生成し、仲間の観測情報によりその場で瞬時に影浦の居場所を特定。

 

 変化炸裂弾(トマホーク)を、影浦に向かって射出した。

 

 不意を打てるとは、思っていない。

 

 影浦は副作用(サイドエフェクト)により、狙撃や不意打ちの一切を感知出来る。

 

 相手の攻撃を感知出来る厄介さは、共に戦う七海の頼もしさを知るからこそ理解出来る。

 

 故に選ぶのは、分かっていても避け得ない波状攻撃。

 

 七海と熊谷が注意を惹きつけ、その隙に那須が攻撃準備を終える。

 

 トマホークでシールドの展開を強要し、動きが止まったところを茜が仕留める。

 

 それが、今回の目論見だった。

 

 最終ラウンドではまんまと影浦にしてやられた那須としては、一種の意趣返しの意味もある。

 

 今回は影浦のトリオン量増加という要素があるとはいえ、那須隊全員と影浦の多対1。

 

 勝機は、充分にあると思われた。

 

 実際、それは正しいのだろう。

 

 幾ら影浦が乱戦に強いとはいえ、一人で対応出来る範囲には限度がある。

 

 敵味方入り乱れての乱戦であればその思惑の違いを利用して強引に点を取ったり離脱する事も可能であるが、今回は影浦以外の全員が同じチーム。

 

 呉越同舟を利用した潰し合いの誘発は、通用しない。

 

 だが。

 

「ハッ!」

 

 強化されたトリオンという要素は、その前提を容易く覆す。

 

 影浦は規格外の長さに伸ばしたマンティスを、横薙ぎに振るう。

 

 その一薙ぎで七海と熊谷を牽制しつつ、迫り来る変化炸裂弾(トマホーク)の弾丸を切断。

 

 那須の放った合成弾は、空中でその全てが撃墜され誘爆。

 

 爆破の閃光が、フィールドを席捲した。

 

「────!」

「ま、当然来るよなお前ならよぉ……っ!」

 

 その一瞬の隙を突いた七海の、グラスホッパーを用いた特攻。

 

 それもまた、影浦が展開し直したスコーピオンによって防がれた。

 

「おら、まだまだ出来っだろ。行くぜ」

「ええ、付き合って貰いますよ。カゲさん」

 

 影浦は楽し気な笑みを浮かべ、マンティスを振り翳す。

 

 七海もまた、同様に笑みを浮かべ斬り合いを始めた。

 

 その後も響く爆音を背に、二人の師弟は心底楽し気に戦いを楽しんでいた。

 

 無論、この戦いの意義を。

 

 忘れる事なく。

 

 

 

 

「やっぱりあの射程は厄介ですね。迅さんの風刃を可能な限り再現する為に影浦先輩にお願いしましたが、予想以上でした」

 

 戦闘後。

 

 那須隊の作戦室にて、小夜子はそう言ってミーティングを開始した。

 

 先ほどの試合は、最終試験の迅との戦いを想定し、影浦に頼んで行ったものだ。

 

 トリオン値、37。

 

 それが、風刃を起動した迅のトリオン数値だ。

 

 当然、その数値は風刃の威力や射程、速度に変換される。

 

 その射程や速度は、あの生駒旋空すら上回る。

 

 しかも地面や壁に斬撃が伝播するというスコーピオンと似た要素を持つ為に、奇襲性能がべらぼうに高い。

 

 それに加えて、迅の未来視もある。

 

 風刃に防御の為のシールドやバッグワームに類する機能は無いと考察しているが、それを加味しても迅に攻撃を当てる事そのものが困難だ。

 

 何せ、迅は未来を視る。

 

 どんな奇襲も、不意打ちも、狙撃でさえ。

 

 迅の前には、等しく()()()()()でしかないのだ。

 

 ────────悪いね。風刃と俺のサイドエフェクトは、相性が良過ぎるんだ────────

 

 七海の脳裏に、あの戦いの時の迅の言葉が蘇る。

 

 そう、視界内なら何処でも自由自在に斬撃を撃ち出せる風刃と、未来を読む迅のサイドエフェクトは、()()()()()()()のだ。

 

 那須がやられたようにサイドエフェクトで居場所を視て、遠隔斬撃で仕留められる危険もある。

 

 熊谷がそうされたように、奇襲に対するカウンターで斬撃を撃つ事も出来る。

 

 茜がされたように、移動先を視てそこに斬撃を()()事も出来る。

 

 そして、七海がされたように、行動を視られて的確な攻撃を繰り出す事も出来る。

 

 ────────確かに、風刃(これ)自体は幾らでも穴がある。だけど、俺の未来視(ちから)があれば、その穴は幾らでも埋められるんだ────────

 

 迅が告げたように、風刃の能力それ自体には穴がある。

 

 まず、射程こそ長大だが、遠隔斬撃を撃ち出す場合には相手の場所を視認する必要がある。

 

 隠れ潜んで位置を誤魔化せば、その優位は封じられる。

 

 更に、前述したように防御的な機能を一切持たない。

 

 故に狙撃に対しては避ける以外の選択肢がなく、射撃トリガーの物量で押された場合はどうしようもない。

 

 そして、残弾の問題もある。

 

 風刃を起動した時に見えた、11本の帯。

 

 恐らくあれが、風刃の残弾だ。

 

 一発撃つごとにあの帯がその数に応じて消えて行ったのだから、これはまず間違いない。

 

 11発を撃ち切れば、恐らく再装填(リロード)の隙が出来る。

 

 これらの欠点を考慮すれば、風刃それ自体は攻略不能な脅威、とまでは言わない。

 

 だが。

 

 迅がこれを使用した場合、全ての前提が覆る。

 

 隠れ潜んでも、攻撃に移らなければ勝てない以上自発的に動く必要が出て来る。

 

 そして迅は、その行動を未来を視る事で把握し、遠隔斬撃で仕留められる。

 

 狙撃に関しては未来視によって完全に察知出来るし、射撃トリガーは撃たれる前に行動を視て潰せば良い。

 

 そして11発という弾数は、迅にとっては充分な数となる。

 

 何せ未来視を持つ迅が運用する以上、牽制の為の無駄弾を撃つ必要がない。

 

 11発という弾数を、迅は可能な限り効率的に、無駄なく使って来る筈だ。

 

 少なくとも、牽制狙いで撃って来る、という事はまず有り得ない。

 

 故に、残弾を使い切らせる、という方針も非常に難しいのだ。

 

 だからこそ、攻撃を感知出来る副作用(サイドエフェクト)を持ち、更にトリオン設定の調整によってトリオン量を増大させた影浦に模擬戦の相手を頼んだのだ。

 

 迅を倒す為の仮想敵として、訓練相手になって貰う為に。

 

 影浦は、二つ返事で了承した。

 

 七海達に協力する事は、先日に約束済みだ。

 

 トリオン量増加の件は面食らいはしたが、協力を告げた以上前言を撤回する気はない。

 

 何より、あの七海が自分を頼って来たのだ。

 

 たとえどんな事であろうが、応じてやりたいというのが人情というもの。

 

 結果として、このような訓練が成立したのである。

 

「あの反応からすると、合成弾を生成した時点で私の攻撃に気付いていたわね。迅さんも、多分同じ事が出来ると思うわ」

「そうだね。あたしの位置もバレバレだったし、隠密が通じないのは厄介ね」

「私も、撃っても当たる気がしませんでした。何も出来ずにごめんなさい~」

「日浦がそう判断したなら、構わない。撃つ隙が見当たらなかった、というのも一つの発見だ」

 

 那須隊の面々は、思い思いに実際にトリオンを強化した影浦との戦いの感想を口にする。

 

 結果として、ある程度迅に近い状態の相手と戦う事が出来たと言えるだろう。

 

 それぞれの感想は、迅と戦った時のそれとかなり近い。

 

 特に、茜は迅に完全に行動を読み切られ、敗北を喫している。

 

 その経験があったからこそ、茜は今回の訓練で撃つ事が出来なかった。

 

 何せ、影浦の位置を視認した状態で狙撃しよう、と思い立った時点で居場所がバレるのだ。

 

 故に茜は七海と小夜子に狙撃の実行のタイミングを半ば委任して隠密に徹していたが、ついぞ動く機会には恵まれなかった。

 

 その結果として影浦に位置がバレる事はなかったのだから、決して無意味な結果というワケではない。

 

 迅と戦った時は、狙撃を実行しようとしていたからこそ居場所を視られたのだ。

 

 逆に言えば、狙撃態勢に入らない限り居場所がバレる事は早々に無い。

 

 この情報は、値千金のそれと言えるだろう。

 

「ともあれ、方向性は分かったんだ。この後もカゲさんに頼んで、色々やってみよう。勿論、向こうからの依頼があったら可能な限り応える方針で」

「ええ」

「そうね」

「了解です」

 

 那須隊の面々は、そう言って更に議論を積み重ねる。

 

 それを見て、小夜子もまた最終試験に対して推察を繰り返していた。

 

 

 

 

「あん?」

 

 ボーダーの屋上に出た影浦は、そこで意外な人物を見つけた。

 

 迅悠一。

 

 件の最終試験の相手である、S級隊員。

 

 そして。

 

 七海の、弟子の恩人でもあるという。

 

 迅は、屋上に来た影浦に気付くと────────否。

 

 最初から来るのが分かっていたかのように、彼を笑顔で迎え入れた。

 

「どうしたのかな? こんな所で」

「別にどーもしねーよ。それより、何の用だ? 妙な感情刺しやがって」

「ごめんね。けど、一度おまえとは話しておきたかったからさ」

 

 迅はそう言って「ぽんち揚げ食う?」と菓子袋を差し出し、影浦は無言で払いのけようとしたが何かに気付いた様子で舌打ちし、袋を受け取った。

 

 流石にその場で食べる事はせず、懐にしまった影浦だが、迅はそれで満足したらしい。

 

 その様子に影浦は再度舌打ちし、迅に話を向けた。

 

「で? その妙な感情はなんだよ。用があるならさっさと言いやがれ」

 

 影浦は迅から自分に向けられる感情に戸惑い、そう尋ねた。

 

 迅から向けられてくる感情は、決して負のそれではない。

 

 むしろ、普段七海から向けられている敬愛や感謝に近い────────だが、どうにもぎこちない様子が伺えた。

 

 たとえるならば、何かを伝えようとして言葉が決まらず困っている状態、とでも言おうか。

 

 そんな煮え切られない感情を、迅は発していた。

 

 影浦としては、迅に対して色々思うところはある。

 

 これまで七海の事を避けていた事は聞いているし、あのROUND3以降それが改善されたのだとしてもその件で七海が悩んでいた事も知っている。

 

 それに加えて、今回の一件だ。

 

 試験の為とはいえまるで七海を見世物のように蹂躙した事に関して、何も思うところがないと言えば嘘になる。

 

 だが、それに関しては他ならぬ七海自身が納得しているのだ。

 

 影浦がどうこう言う事ではない事くらいは、分かっている。

 

 けれど。

 

 それはそれとして、気に入らないのは確かだ。

 

 七海は彼を慕っているが、影浦にしてみれば関係の薄い相手だ。

 

 碌に話した事もない為、その評価は保留にしていた。

 

 だからこそ。

 

 今、迅から感じる感情に、戸惑っていた。

 

 自分と彼は、七海を通じた関係くらいしか無いというのに。

 

「まず、お礼を言うべきかな。俺が不甲斐ない間も、七海の事を見てくれてさ。本当に、ありがとう」

「そう思うなら、きちんと七海に構ってやれ。あんたの話をしてる時のあいつは、寂しがってたようだしよ」

「それについては、返す言葉もないね。今は忙しいから難しいけど、ひと段落したら可能な限り七海との時間を作る事を約束するよ」

 

 迅はあくまで真摯な声で、そう告げた。

 

 伝わって来る感情から影浦は嘘ではないと判断し、息を吐いた。

 

「で? 用はそれだけか?」

「まあ、それだけと言えばそれだけだけどね。これまでは、こういう事はして来なかったからさ。大義名分の為とはいえ、少し人の心ってやつを蔑ろにし過ぎてたのに気付いたから。その反省も兼ねて、ではあるけど」

 

 今までは、ちょっと未来(まえ)しか視えてなくてね、と迅は笑った。

 

 その意図を掴み切れなかった影浦だが、迅なりの事情があるのだろう。

 

 伝え聞く未来視という副作用(サイドエフェクト)がどういった類の症状(ちから)なのかは察する他ないが、碌でもないのは分かる。

 

 何せ、サイドエフェクトという副作用(のろい)を持っているのは、自分も同じなのだから。

 

 彼なりの苦労が、苦悩があったのだろう。

 

 だが。

 

 そこに踏み込むべきは、自分ではない。

 

 そのあたりは、彼に所縁ある者達がやっているだろう。

 

 もしかすると、迅がこうして直接感謝を告げに来たのも、その影響があったからかもしれない。

 

 七海が変わったように、きっと迅も変わったのだ。

 

 多分、あの弟子(かれ)が変えたのだろう。

 

 影浦自身は、迅にさしたる興味はない。

 

 けれど。

 

 七海が慕う相手が良い方向に変わったのなら、それは良い事の筈だ。

 

 少なくとも、悪い事ではないだろうと、影浦は思った。

 

「とにかく、今後も七海をよろしくね。是非とも、俺を超えられるよう鍛えて欲しい」

「言われなくてもそのつもりだぜ。俺も、本番じゃ容赦しねーからな。キッチリ、その首落としてやるよ」

「楽しみにしているよ」

 

 迅はそう告げて、屋上を後にした。

 

 影浦はその後姿を見ながら、溜め息を吐く。

 

 彼に、どんな事情があるかは知らない。

 

 だけど。

 

 向けられた感情は、悪いものではなかった。

 

 それに。

 

 きちんと七海の事を慮っている事も、伝わって来た。

 

 だから、一先ず先日の事は水に流す。

 

 あれはきっと、七海自身が向き合うべき相手だから。

 

 そう考え、影浦は握った拳を引っ込めた。

 

「…………未来か。面倒臭ぇモン、見てやがんな」

 

 影浦は今後の事を想い、空を仰いだ。

 

 空は曇り、星は見えないけれど。

 

 それでも。

 

 その彼方には、光が瞬いている気がした。




 原作のアンケートをもしうちの作品の面々が書いたらという結果。

 七海を一緒に行きたいと書いた人

 影浦雅人
 一番一緒に戦いやすいから。

 村上鋼
 様々な局面で頼りになり、状況判断能力も高い。

 荒船哲次
 頼りになる奴だから。

 生駒達人
 強いし頼りになる。あといい奴だから。

 北添尋
 頼りになるし、空気を読めるから。

 太刀川慶
 弟子だから。あと強い。

 出水公平
 色々な局面に対応出来るから。あと弟子だし。

 風間蒼也
 対応能力が非常に高く、斥候としての能力も図抜けている。

 二宮匡貴
 様々な局面に対応可能な能力を持ち、精神面も今は安定している。

 犬飼澄晴
 一緒にいてくれると色々と負担が少なくなるから。むしろ隊に来て。

 七海を一緒に行きたくないと書いた人

 ・香取葉子
 なんかムカつくから

 ・三輪秀次
 長時間一緒にいると余計な事を言いそうだから

 ・木虎藍
 遠征先でも那須さんとイチャつきそうだから

 以上。


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現在(いま)を識るもの

 

「まず、どの部隊の試合を見るかも結構重要だと思うんですよね」

 

 那須隊、作戦室。

 

 そこで小夜子は、那須隊の皆にそう告げた。

 

 議題は、最終試験について。

 

 果たして、どの部隊の試合の観戦券を使用するか。

 

 その、相談だった。

 

 最終試験は王子隊から始まり、ポイントが低い順に試合を行っていく。

 

 そして、どの部隊も二試合まで他のチームの試験を見る権利が与えられている。

 

 今は、それをどこで使うかを話し合っているワケだ。

 

「まず、影浦隊は確定で良いよね。カゲさんと迅さんの戦いは、きっと見ていた方が良いと思うし」

「私も同感ね。影浦隊なら、七海と同じく回避に適した副作用(サイドエフェクト)を持つ影浦先輩の戦いが見れるし、チーム自体の戦術も参考になるもの」

「メテオラも、狙撃も使いますからね。私も異論ありません」

「同じく」

 

 七海の提案を受け、満場一致で影浦隊の試合でチケットの一つを使う事は確定した。

 

 彼等の言う通り、影浦隊が迅とどう戦うかは非常に参考になるだろう。

 

 何せ、七海と同じく回避能力に優れた影浦がいるのだ。

 

 武器も同じスコーピオンという事もあり、その戦いから得られるものは多いだろう。

 

 加えて言えば、炸裂弾(メテオラ)での攪乱やここぞという時の狙撃等、那須隊と似通った戦術を使う部隊でもある。

 

 部隊全体として見ても、影浦隊の試合は外せないというのが那須隊全員の見解だった。

 

「ええ、私もそれは同意見です。では、一つ目は影浦隊で決まりですね」

「問題は、もう一試合ね。何処を見るべきかしら」

「生駒隊はどうですか? 狙撃手がどう動くか気になりますし」

 

 茜は、そう提案する。

 

 確かに、今回の参加部隊の中で狙撃手がいるのは那須隊を除けば影浦隊と生駒隊、弓場隊だ。

 

 そして、生駒隊にはグラスホッパーを用いる隠岐がいる。

 

 狙撃を感知出来る迅相手に、狙撃手をどう運用するのか。

 

 加えて、グラスホッパーを用いる隠岐がどう動くのか。

 

 茜としては、そこに興味があったのだ。

 

「生駒隊か。悪くはないが、あそこは弧月使いの生駒さんを中心に戦術を組み立てるだろうな。というより、生駒旋空を中心にしない理由がない」

「確かに。あの射程と速度は厄介よね」

 

 那須は以前の試合で生駒旋空に斬られた事を思い出し、無意識にお腹をさすった。

 

 あの時は、何が起こったのか斬られて初めて理解した。

 

 それだけ、生駒旋空の速度は驚異的だったのだ。

 

 生駒自身は二試合とも七海が仕留めているが、それはそれとして真っ二つにされた事自体は忘れていない。

 

 影浦の時と同じく、那須は割と根に持つタイプであった。

 

 というより、根に持たない理由がない。

 

 七海は敗北も結果は結果として受け入れるが、那須はそこまで武人気質ではない。

 

 負ければ悔しいし、当然の如くリベンジにも燃える。

 

 とは言っても、私情で隊をどうこうする気はもうないので、後で個人戦でも挑もうか、と考える那須であった。

 

「生駒隊は、十中八九生駒旋空を中心に戦術を組み立てる。旋空使いが熊谷しかいない那須隊(うち)から見ると、参考に出来るかどうかは微妙だな」

「けど、そこまで悪い選択じゃないとも思うわ。茜の言う通り、狙撃手の動向は気になるし」

「隠岐先輩は、グラスホッパーを使いますしね。迅さん相手にどう動くのかは、やっぱり気になります」

「まあ、不正解と言い切る程じゃないかしらね」

 

 生駒隊に関しては、少々意見が割れているようだ。

 

 七海はそこまで賛成というワケではないが、熊谷と茜は乗り気。

 

 那須に関しては、私情を抜きにすれば消極的な賛成、といった具合のようだ。

 

 矢張り、ポジションの違いもあって個々人で見方が異なるらしい。

 

 生駒隊、という選択自体はそう悪いものではない。

 

 生駒旋空中心の戦略を取る可能性が高いとはいえ、生駒隊は隊全体の地力が高い。

 

 加えて、生駒は迅の友人だ。

 

 その思考傾向や癖も、ある程度分かっているだろう。

 

 流石に風刃を使用したところを見たのは先日の那須隊との戦闘が初めてだろうが、ノーマルトリガーを使う迅と戦った事くらいはある筈だ。

 

 そういう意味でも、生駒隊という選択は悪くはない。

 

 迅の友人というなら弓場も同じだが、弓場隊の場合は主力となるのが銃手二人だ。

 

 帯島はサポーターとしての側面が強く、主戦力になるのは弓場と神田の二名。

 

 銃手が一人もいない那須隊としては、参考に出来るかどうかは微妙と言わざるを得ない。

 

「あと、二宮隊はどうかしら? 練度の高い部隊だし、参考になる部分もあると思うけれど」

「確かにそうだが、恐らく二宮隊は二宮さんを戦術の中心にする筈だ。そうなると、トリオン量でごり押す展開が予想される。悪いとは言わないが、参考になるかは分からないな」

 

 二宮隊の場合、まず間違いなく二宮を中心に戦術を組んで来る。

 

 というか、それが一番勝率が高いのだからやらない理由がない。

 

 二宮隊は、二宮という大駒を如何に巧く動かせるかで展開が大きく異なって来る。

 

 高いトリオンを持つ二宮が十全に暴れられれば大抵の相手には勝てるのだから、むしろやらない理由がないのだ。

 

 トリオン量に関しては今回は迅の37という数値が圧倒的ではあるが、二宮のように弾幕を張れるワケではないのだからやりようはある。

 

 というよりも、正攻法で最も勝率が高いのが二宮隊と言えるだろう。

 

 その戦術は参考にはなるだろうが、他の隊ほど参考になるかと言われれば不安が残る。

 

 無論選択として間違いとは言えないだろうが、即断する程ではないのだ。

 

「意見を纏めましょう。候補に挙がっているのは、生駒隊と二宮隊の二部隊。それぞれの理由としては、前者は隠岐先輩の存在。後者は、隊全体の地力と練度の高さ。あと、他に意見はありませんか?」

 

 小夜子はそう告げ、皆に意見を求めた。

 

 このまま何も意見がなければ、この二部隊で多数決を取るつもりだ。

 

 だが。

 

「ちょっといいかな。俺としては一つ、推しておきたい部隊があるんだが」

 

 七海は、そう話して。

 

 ある一つの部隊の名と、その理由を告げた。

 

 

 

 

「迅、聞きましたよ。あなたが最後の試験の試験官をするそうですね」

 

 玉狛支部。

 

 その、客間。

 

 部屋に備え付けられたソファーに優雅に腰かける忍田瑠花は、迅に向かってそう告げた。

 

 普段は本部で(マザー)トリガーを動かしている瑠花であるが、週に一度くらいのペースで弟の陽太郎に会いにこの玉狛支部にやって来る。

 

 今日は丁度その訪問日であり、林道が用事で遅れているので迅が出迎えをしていたワケだ。

 

 とは言っても、彼女の目的は陽太郎と会う事だ。

 

 なので陽太郎と引き合わせたらそのまま引っ込もう、と考えていた迅であったが、瑠花は彼をこの場に引き留めた。

 

 他ならぬ瑠花の頼みなので、迅も無碍にはし難い。

 

 それに、迅もまた瑠花には言っておきたい事があったのだ。

 

 良い機会だ、と考え迅は瑠花と向き合った。

 

「ああ、耳が早いね。確かに、俺が最終試験の試験官になったよ」

「それだけではありません。風刃を持ち出した事も、当然耳に入っていますよ」

 

 忍田が教えてくれましたからね、と瑠花は告げる。

 

 情報源は忍田さんか、とぼやく迅だが、そうおかしな事ではない。

 

 元より、迅が最終試験の試験官を務める事は告知済みだ。

 

 都合により他者との交流が制限されている瑠花ではあるが、ボーダー上層部に深いコネがある。

 

 忍田経由で情報を聞き出すくらい、ワケはないだろう。

 

「これでも、あなたの事は気にかけていたのです。この四年間、見れたものではない姿を晒していましたからね」

「耳が痛いな。返す言葉もないよ」

「ええ、反論していたら捻り上げるところでした」

 

 些か本気のトーンで告げた瑠花は、居住まいを正して迅を見た。

 

 そして、迅の眼をしっかりと見つめて口を開いた。

 

「どうやら、あのふざけた笑顔は止めたようですね。今のあなたは、きちんと笑えています」

「ああ、七海のお陰でね。少し長くなるけど、聞いてくれるかな?」

「ええ、構いません。話しなさい」

 

 迅は瑠花に促されるまま、これまでの経緯を話した。

 

 玲奈の死を受け入れられず、彼女の望みに縋る事で現実から目を背け続けていた事を。

 

 七海から玲奈の遺言を聞き、自分の間違いに知った事を。

 

 今は本当の意味で、自分を心配する者達の声が聞こえた事を。

 

 弱音を吐く事は、他人を頼る事は、悪い事ではないと、気付いた事を。

 

 その全てを、瑠花に話した。

 

 瑠花は最後まで迅の話を傾聴し、そして。

 

 にこりと、笑みを浮かべた。

 

「よく話してくれました。迅もようやく、強がりは止めたのですね」

「ああ、強がりだけじゃ先へは進めない事は、分かったからね。今まで散々皆に心配かけちゃったし、反省してるよ」

「まったくです。それに気付くのに四年もかかるあたり、あなたも相当ですね」

 

 そうだね、と迅は苦笑する。

 

 瑠花の言う通り、本当に今更だ。

 

 昔から、迅の周りには。

 

 彼を心配する人が、たくさんいたというのに。

 

 迅は、その全てに背を向けていた。

 

 罪悪感に苛まれ、如何なる言葉も彼には届かず。

 

 四年間。

 

 己の殻に、閉じ籠もり続けていた。

 

 だが、今の迅はきちんと前を、現実を直視出来ている。

 

 これまで届かなかった声も、今の彼には届いている。

 

 瑠花は、それを確認したかったからこそ。

 

 今この時、迅と向き合ったのだから。

 

「遅くなったけど、あの時はありがとう。そして、ごめん。瑠花ちゃんが心配してくれたのに、何も答えられなくて」

「ええ、猛省しなさい。この私の言葉を蔑ろにしたのですから、本来なら極刑ものです。今後は同じ事がないよう、気を付けるように」

「勿論。もう、約束は違えませんよ」

 

 よろしい、と瑠花は満足気に頷いた。

 

 そして、ソファーから立ち上がってつかつかと歩み寄り、迅の腕をがしっ、と掴んだ。

 

「良いですか。これからは、きちんと他人を頼るのですよ。あなたはこれまで、充分ボーダーに、そして私たちに貢献してくれました。だから、弱音を吐くのはあなたの正当な権利です」

 

 瑠花はそう言って、迅の腕を握る力を強めた。

 

 痕が、残るくらいに。

 

 その温もりを、刻み付けるように。

 

「今の私は、亡国の王女に過ぎません。過去のような権力も、身を守る術もない、ただの小娘です」

 

 ですが、と瑠花は告げた。

 

「この身に出来る事であれば、力になりましょう。少なくとも、弱音を聞いてあげる事くらいは出来ます。それを、忘れないように」

 

 瑠花は一息にそう告げ、迅は深く頷いた。

 

 彼女の声は、確かな決意に満ちていた。

 

 この四年間、迅の姿を見て遣る瀬無い想いを抱えていたのは。

 

 彼女も、同じなのだ。

 

 滅んだ同盟国の王女であった彼女にとって、迅は数少ないかつての自分を知る仲間。

 

 その仲間を案じる事は、彼女にとって当然の事。

 

 そんな事も気付いていなかったんだな、と迅は改めて彼女に謝意を告げた。

 

「ああ、いざという時は、頼らせて貰うよ」

「ええ、そうしなさい。あなたは、ボーダーの柱。何かあって困るのは、私だけではないのですから」

 

 瑠花はそう告げるとぷいっとそっぽを向き、それを見て迅は笑った。

 

 その後すぐに陽太郎がやって来て、部屋の中は喧騒に包まれる。

 

 こういう時間も、悪くない。

 

 迅はそう思いながら、瑠花とじゃれる陽太郎を眺めていた。

 

 

 

 

「迅。最終試験、あたしも観戦するからね」

 

 小南は開口一番、迅に向かってそう告げた。

 

 此処は玉狛支部の迅の部屋。

 

 彼がこの部屋に帰って来た時、部屋の中で待ち構えていた小南がいたという寸法だ。

 

 特に鍵をかけているワケでもなかったので、中に入る事自体は難しくない。

 

 小南もまた、今の迅相手に遠慮なんてする筈もない。

 

 そんな小南に、迅はやれやれ、と溜め息を吐いた。

 

「…………まあ、そう言うと思って席は確保しておいたよ。今回は、小南も見る権利があるからね」

「そこでサイドエフェクトで視たからじゃなくて、あんたの判断だったって言った事に免じて許してあげるわ。感謝しなさい」

「はいはい、感謝してますよっと」

 

 分かればよろしい、と小南は満足気にふんすっ、と胸を張る。

 

 迅は返答こそ適当ではあったが、そこに嘘の色はない。

 

 騙されやすいと定評のある小南だが、色々あって迅の言葉の真偽に関しては割と敏感だ。

 

 日常の中の些細な嘘であればともかく、ここぞという時は外さない。

 

 それは、単に直感云々の話ではない。

 

 この四年間、迅は嘘をつき過ぎた。

 

 正確に言えば、自分を誤魔化し続けて来たあまり、虚勢(うそ)が常態化してしまっていた。

 

 そんな迅を、小南は四年もの間見続けて来たのだ。

 

 彼が本当の事を言っているかどうかは、すぐに分かる。

 

 迅が真実を告げる時は、張り付けたような笑みではなく。

 

 昔と同じ、優しい目をしていたのだから。

 

「それで、あんたは七海達をどうしたいの? A級になって欲しい?」

「可能なら、なって欲しいな。けど、だからと言って手を抜く気はないよ。ここで俺が全力を以て立ち塞がらなきゃ、最善の未来へは進めない。俺のサイドエフェクトが、そう言っているから」

 

 けど、と迅は続ける。

 

「これは、俺自身の意思だ。他の誰でもない、俺が自分で決めた未来だ。だからこそ、最上さんの力を借りてまで、七海達の前に立ち塞がる事を選んだんだから」

 

 迅はそう告げ、腰の風刃に手を当てる。

 

 黒い棺は、沈黙したまま。

 

 けれど。

 

 その感触は、何処か暖かな気がした。

 

「だから、見ていて欲しい。七海達の、そして────────俺と最上さんの、戦いを」

 

 迅は、真摯な眼で小南を見据えそう告げた。

 

 小南は、その言葉を噛み砕き。

 

 笑みを、浮かべた。

 

「あったり前じゃない。ちゃんと、見ててあげるわよ。だから、しっかりやりなさいよね。後悔だけは、するんじゃないわよ」

「ああ、勿論だ。誓うよ。どんな結果になっても、後悔だけはしないってさ」

 

 二人の誓いが、告げられる。

 

 機は熟した。

 

 少年は、ようやく現実(まえ)を向き。

 

 少女の忘れ形見は、今も未来(まえ)を見据えている。

 

 故に少年は、彼の障害となる事を選んだ。

 

 七海の、最大最後の壁。

 

 迅悠一。

 

 未来視を持つ、黒トリガーの所有者。

 

 二人が戦う日が今、遂に訪れた。

 

 11月30日。

 

 最終試験が、幕を開ける。





 今回は那須さんに関するアンケートのイフとなります。

 那須を一緒に行きたいと書いた人

 王子一彰
 対応力が高く、色々と面白いから。

 出水公平
 技術力が高いから。


 那須を一緒に行きたくないと書いた人

 香取葉子
 うざいから。

 木虎藍
 あまり一緒にいたい相手ではないから。

 別役太一
 那須さんおっかないから。

 若村麓郎
 空気が重くなりそう。

 辻新之助
 色々と目に毒だし、正直苦手。

 諏訪洸太郎
 七海がいると空気がピンク色になりそうだから。

 二宮匡貴
 精神が安定しているとは言い難い。マシにはなったが、不安要素が多い。

 以上。


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選ぶのは

 

「では、これより最終試験について再度の説明を行う。疑問があれば随時質問を受け付けるので、遠慮なく言って欲しい」

 

 11月30日、朝8:00。

 

 昇格試験の参加部隊の面々は、本部内の大講堂で忍田からの説明(オリリエンテーション)を受けていた。

 

 広い講堂の中、最前列右側に小夜子を除いた那須隊の面々が着席し、左側に二宮隊が並ぶ。

 

 次列に影浦隊、弓場隊。

 

 その次に生駒隊、香取隊。

 

 最後に王子隊、といった風に現時点でのポイント順に席が振り分けられていた。

 

 試験開始は9:00からだが、規定により試験前に説明が入る。

 

 内容に関しての説明は既に受けているが、形式というものはこういった場では重要なのだ。

 

 それに、この場は何か疑問があればそれを問う最後の機会と言える。

 

 全員が参加を義務付けられているが、決して無意味な時間というワケではないのだ。

 

 現に、参加者はその全員が真摯に説明を聞いている。

 

 この場の重要性は、皆理解しているのだから。

 

「今回の試験は、迅が試験官となって君達受験者の相手をする。ルールに関しては基本的には通常のランク戦に準ずるが、幾つか異なる点もあるので注意して欲しい」

 

 まず、と前置きして忍田は続ける。

 

「この試験では、30分という試験時間を設け、終了時刻まで緊急脱出せずに生存した隊員の人数分、ポイントが加算される。そして迅を緊急脱出させた場合は、更に4点が加わる。この四点は生存点も込みの点数である為、更に生存点が加算されたりはしないから注意してくれ」

「生存点も込み、って事は最後の一人が相打ちになった場合はどうなりますか?」

「その場合は、迅を倒した分のポイントである四点のみが加算される。生き残りがいなかったからといってこの四点を減点する事はないから、安心して欲しい」

 

 神田の疑問に、忍田は淀みなくそう答えた。

 

 つまり、四人チームの場合であれば最大得点数は全員生存の四点+迅を倒した時のポイントの四点で合計8ポイント。

 

 最後の一人が迅と相打ちになった場合はその得点である4ポイントのみが加わる、という事だ。

 

 四点は生存点も込み、という事だがそれはあくまで追加で生存点は入らない、と言い換えても良い。

 

 むしろ、実質的な生存点は試験終了時の生き残りの人数で加算されるポイントの方であると言える。

 

「そして、MAP選択に関しては昨夜通達した通り変更点がある。当初はこれまでの試験と同様ランダム選択の予定だったが、迅本人よりそれではフェアではないと申し入れがあり、協議の結果選択権を受験者側に与える事に決定した。急な変更で申し訳ないが、了承して欲しい」

 

 この変更は、ある意味妥当ではある。

 

 何せ、ランダム選択では未来を視る事が出来る迅だけが一方的に選ばれるMAPを知る事が出来てしまうのだ。

 

 未来視を持つ迅を相手にする事が今回の試験の意義の一つではあるが、これではあまりにも受験者側に不利である為、MAP選択権を試験を受けるチーム側に選択させる事とした。

 

 というのが、表向きの理由である。

 

 そんな事は、試験内容を決めた段階で想定して然るべきだ。

 

 少なくとも、林道や迅本人が気付かない筈はない。

 

 それでもこのタイミングで通知したという事は、恐らく咄嗟の地形選択の判断を見たいという事だろう。

 

 実戦では、地形の有利を活かせるかどうかはかなり大きい。

 

 得意な地形に誘い込み、戦術で封殺する。

 

 それもまた、一つの戦略である。

 

 だが、実際の戦闘では地形を選べる事はさほど多くはない。

 

 突発的に戦闘が開始され、その場で戦う事も多い為だ。

 

 しかし、それでも戦闘を()()()()側はある程度地形を選ぶ事が出来る。

 

 今回の試験では短い時間の中で、どれだけ自分達に有利な地形を選べるか。

 

 それも、テストされているのだろう。

 

 ランク戦にもそういう意義はあるが、その場合選べるのはポイントが一番下の部隊のみ。

 

 B級上位の面々はその順位から地形を選ぶ機会はさほど多くはない為、そこを見たいという思惑もあるのだろう。

 

 もしくは、この期間の間に迅が何かを()()が故の変更、という事も充分考えられる。

 

 試験内容から考えて、この最終試験は迅の意向が大いに絡んでいる。

 

 自分の都合を捻じ込むだけの便宜も、当然のように図られているように思う。

 

 小南に観戦権利を与えているのも、一つの例だ。

 

 本来ならば彼女はこの試験に関係の無い部外者の筈だが、それはあくまで形式上の話だ。

 

 この試験には風刃が、迅の黒トリガーが用いられている。

 

 その意味を知る彼女が観戦を望むのは、ある意味当然と言えた。

 

 小南の場合、風刃の性能は既知である為隠す意味も薄いという判断もあるのだろう。

 

 ちなみに、七海は小南当人から「見に行くから頑張りなさいよ」と発破をかけられている。

 

 その時に「迅に頼んで観戦権利貰ったから」と言っていたので、この推測もあながち間違ってはいない筈だ。

 

「では、次の説明に移る。事前通達の通り、君達にはそれぞれ二試合まで、他の試験を観戦する権利が与えられる。これについて、質問はあるかね?」

「一つ、よろしいですか?」

 

 そう言って手を挙げたのは、王子だ。

 

 忍田が「構わない」と承諾の返事を告げると、王子は礼を言って質問を投げかけた。

 

「僕たちのチームは一番最初に試験に臨む事になりますが、自分の試験の後の試合を観戦する事は可能でしょうか?」

「観戦権利に関しては、どの試験であろうと二試合までなら許可する。特に制限は設けない。これでいいかな?」

「ありがとうございます」

 

 王子は納得し、席に着いた。

 

 つまり、一番最初に試験を受ける王子隊と、次に試験を受ける生駒隊は、その権利を自分の試験の後に使う事も出来るというワケだ。

 

 無論自分の試験の参考には出来ないが、今後の事を思えば風刃相手の戦闘を見ておく事は必ずプラスになる。

 

 特に、大規模侵攻では黒トリガーの相手まで想定されているのだ。

 

 黒トリガーの戦いを少しでも多く目にしようと思っても、なんら不自然ではないのだから。

 

 実戦を見る事での気付き、というのは確かにある。

 

 第三者の視点からしか分からないものも、存在はするのだから。

 

「では、観戦する試合について今此処で告げて欲しい。少し時間が欲しいという部隊はあるかな?」

 

 忍田の問いかけに、手を挙げる部隊はいない。

 

 どの試験を観戦するか、それに関しては各々で既に決めてあるのだろう。

 

 むしろ、この段階まで決めていないようであれば話にならない。

 

 どの試合を観戦するかは、試験の結果に大きく影響する。

 

 事前情報の重要さは、この試験ではかなり大きいのだから。

 

「良いだろう。では、王子隊からだ。どのMAPを選ぶか言ってくれ」

「僕らは、那須隊と────────香取隊の試合を、観戦します」

「うげ」

 

 王子の言葉に眉を顰めたのは、他ならぬ香取だ。

 

 如何にも鬱陶しいといった感情を隠さず、香取は王子を睨み付ける。

 

「なんでアンタがアタシたちの試合を見ようとすんのよ」

「これでも共に特訓に励んだ仲じゃないか、カトリーヌ。切磋琢磨した同志の試合を見たいと思うのは、当然の事だと思うよ」

 

 勝手に仲間意識持つんじゃないわよ、と香取は悪態をつくがそれ以上は何も言わない。

 

 香取としては王子は生理的に受け付けない相手ではあるが、それでも今回の件に関しては彼は自分の権利を使用しただけだ。

 

 流石の香取も、此処でこれ以上文句を言うほど考えなしではないらしい。

 

 尚、彼女が王子を嫌う理由は「特に親しくもないのにいきなり変なあだ名で呼んで来るとかマジ有り得ない。あと笑顔が胡散臭い」とのこと。

 

 まあ、王子は癖の強い人物なので好き嫌いが分かれるのは当然と言えば当然であるが。

 

「王子隊は香取隊と那須隊の試合か、了解した。では次、生駒隊はどうかな」

「俺らは王子隊と、那須隊や」

「了解した」

 

 生駒隊は唯一自分の前に試合を行う王子隊と、それに加えて那須隊。

 

 自分の隊の名前が挙がった事で生駒に目を向けた七海だが、ばっちり彼と目が合った。

 

 ついでにサムズアップもされた。

 

 別にこれは、不思議でもなんでもない。

 

 いつ如何なる時も視線を間違わない(カメラ目線の)男。

 

 それが、生駒達人なのだから。

 

「では次に移る。香取隊はどうする?」

「当然、生駒隊と王子隊よ。それしか選択肢ないしね」

「おや、君だって僕らの事が気になるみたいじゃないか。カトリーヌ」

「うっさい。他に選択肢ないんだっての」

 

 香取隊が選んだのは、当然の如く自分の隊より早く試験を行う二部隊。

 

 彼女の言うように、事実上他に選択肢はないだろう。

 

 王子の絡みを鼻で笑い、香取は席についた。

 

「いいだろう。では、弓場隊」

「生駒隊と、王子隊です」

「了解した」

 

 弓場隊は、生駒隊と王子隊の二部隊。

 

 それぞれ、友人の生駒と元チームメイトの王子・蔵内が所属する部隊の試験である。

 

 無論それだけが理由ではないだろうが、どうせ見るのであれば良く知っている相手の戦いを観戦した方が効率的。

 

 恐らく、そういった判断だろう。

 

「では、影浦隊。どの試合を観戦する?」

「香取隊と────────那須隊だ」

 

 影浦の言葉に、会場がざわついた。

 

 香取隊は、まだ分かる。

 

 彼等の他にメインでスコーピオンを使う隊員がいるのは、王子隊・香取隊・那須隊の三部隊。

 

 王子もスコーピオンは使うが、練度で言えば香取の方が高い。

 

 もしかすると、七海を通じて香取がマンティスを習得した事を聞いていたから、という可能性もある。

 

 そういう意味で、香取隊を選ぶのはなんら不思議ではない。

 

 だが。

 

 那須隊は、影浦隊の後で試合を行うチームだ。

 

 無論、観戦したとしてもその情報を自分の試合にフィードバックする事は出来ない。

 

 この試験に関してのみ言えば、影浦隊の選択は自身の勝率を下げるに等しいものと言える。

 

「まさか、駄目とは言わねぇよな? さっき聞いたルールの通りじゃ、問題はねぇ筈だぜ」

「いや、ルール的には問題ない。君たちが良いと言うのであれば、それで構わない」

「ああ、当然このままでいいぜ。変えるつもりはねぇ」

 

 了解した、と忍田は影浦の選択を受け入れた。

 

 そんなやり取りをした影浦を、七海は何処かむず痒い表情で見ていた。

 

 この試験の前日、影浦は言ったのだ。

 

 「見に行くから頑張れよ」と。

 

 つまり影浦は、師として七海の試合を見る為に躊躇なく観戦権利の一枠を使用したのだ。

 

 そして当然、これは影浦隊全員が賛成している。

 

 北添や光は言うまでもなく人情優先であり、ユズルも茜の試合が気になっていた事は隊の全員が知っている。

 

 七海の事が気になるのは隊全員の総意なので、否など出よう筈もない。

 

 その事を思い出し、ほっこりとする七海であった。

 

「では、二宮隊」

「影浦隊と、弓場隊だ」

「了解した」

 

 二宮隊は当然の如く、ポイント順に二部隊。

 

 どちらの部隊も、隊員の平均練度が高い。

 

 部隊としても纏まりがあり、B級上位に相応しい実力のチームである。

 

 二宮隊らしい、実直な選択と言えるだろう。

 

 そしてようやく、那須隊の番がやって来る。

 

「では最後に、那須隊。どの試合を観戦するか、聞かせてくれ」

「影浦隊と────────香取隊です」

「え……?」

 

 困惑の声をあげたのは、香取だ。

 

 それはそうだろう。

 

 那須隊と香取隊の関わりは、そう深いとは言えない。

 

 香取側が一方的に敵愾心を抱いてはいるが、仲の良い隊員もいない。

 

 なのに何故、と思うのは当然と言えるだろう。

 

 しかし、それは些か香取の自己評価が低いと言わざるを得ない。

 

 以前の香取隊と、今の香取隊は別物だ。

 

 ラウンド4とROUND6の敗戦を経て、香取隊は確かに成長した。

 

 それも、信じられないくらいのスピードで。

 

 それまで燻ぶり続けていたのが嘘のように、香取隊は急激に成長している。

 

 想いの強さは勝負の結果には関係ない。

 

 たとえ敗戦によって心機一転したとしても、いきなり強くなったりはしない。

 

 だが。

 

 香取隊は、それまでの負債を跳ね除けるかのような勢いで成長を続けている。

 

 変わったのは、心構え一つ。

 

 されど。

 

 その一つが、香取を変えた。

 

 燻ぶらせ続けていた才能を、開花させた。

 

 見様見真似でマンティスを習得したというのも、香取の天才性が成せる業だ。

 

 その成長性を、才覚を、七海は正当に評価していた。

 

 それは、那須も同様だ。

 

 彼女は今回の試験と個人戦、その両方で香取にしてやられている。

 

 個人的な感情はともかく、その才能に関しては認めざるを得ない。

 

 他に類を見ないレベルの、天賦の才がある事を。

 

 故に、彼女たちが迅相手にどう戦うかは、必ず有益な情報となる。

 

 だからこそ、七海が推した香取隊という選択肢を那須は受け入れた。

 

 それが、最善の選択であると信じて。

 

「了解した。以上で、試験前のオリエンテーションを終了する。各部隊は自隊の試験、及び観戦する試験の開始10分前には会場に入ってくれ。各々、健闘を祈る」

 

 忍田はそう告げ、説明を締め括った。

 

 遂に、始まる。

 

 S級隊員、迅悠一。

 

 風刃との。

 

 黒トリガーとの戦いが、開始される。





 アンケート内容:七海が書いたら

 一緒に行きたい相手

 ・影浦雅人
  理由:一緒に戦いたいから

 ・村上鋼
  理由:防御能力が信頼出来、ここぞという時頼りになるから。

 ・荒船哲次
  理由:遠近両方で頼る事が出来、臨機応変に戦術を組める為。

 ・東春秋
  理由:戦術能力が非常に高く、狙撃手としてもトップレベルである為。

 ・北添尋
  理由:メテオラを用いた攪乱能力が有用であり、閉所でも火力面で頼りになる為。


 一緒に行きたくない相手

 ・香取葉子
 理由:協調性に若干の難があり、チームワークに不安がある為。


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香取葉子①

 

「ふぅ……」

 

 香取は作戦室で一人、息を吐いた。

 

 時刻は、10:40。

 

 もうすぐ、香取達の試合が始まる。

 

 彼女は、緊張────────は、していなかった。

 

 今から戦う相手は、S級隊員。

 

 黒トリガーの、使い手。

 

 最初に聞いた時は、マジふざけんなと思った。

 

 トリオン37とか想像の遥か上だし、実際に那須隊を叩きのめしている姿を見て唖然としたものだ。

 

 那須隊は、今の香取の標的────────目標だ。

 

 自分達とは違い、隊全員が結束し、戦略をきちんと組み上げて、貪欲に勝利を求めた部隊。

 

 結果として、B級一位の座すら奪ってみせた部隊。

 

 憧れ────────と呼ぶには香取の精神は些か捻くれているので無理だが、まあそのようなものだ。

 

 その那須隊が、迅相手にはまるで相手にならずに蹂躙された。

 

 何してくれてんの、というのが正直な感想である。

 

 香取は無意識のうちに、今の那須隊は誰にも負けないと思っていた。

 

 その那須隊が、やられた。

 

 あまりにも、一方的に。

 

 そんな相手と、戦う。

 

 無茶だ、と正直思った。

 

 自分達の先を行く那須隊でさえ、迅と黒トリガーの前では一蹴された。

 

 なのに、その後塵を拝する自分達が彼に勝つ?

 

 やってらんない────────と、以前であれば言っていた事だろう。

 

 だが。

 

 そもそも、そんな風に捨て鉢になったのであれば王子隊との合同訓練など受ける筈もない。

 

 香取は、諦めなかった。

 

 勝ち目が少ない────────どころか限りなく0に近い事は、分かっている。

 

 何せ、黒トリガーという未知の脅威に加えて未来視という規格外のサイドエフェクトまで持っているのだ。

 

 勝てる、と思う方がおかしいだろう。

 

 けれど。

 

 同時に、やってやる、という闘志に火が付いたのも確かである。

 

 未知のトリガー、反則のような副作用(サイドエフェクト)

 

 相手とするに、不足はない。

 

 自分たちが、何処まで跳べるか。

 

 それを確かめる、良い機会だ。

 

 そう思ったからこそ、いけ好かないあだ名野郎(王子)の誘いにも乗ったのだ。

 

 自分たちに足りないものは戦術と、指揮能力。

 

 王子は性格こそ論外だが、その二つに関しては申し分ないものを持っている。

 

 指揮の基本は第一試験で冬島から学ぶ事が出来たが、まだまだ充分とは言えない。

 

 その点、王子は自分達とレベルが近い。

 

 冬島の指揮はレベルが高過ぎて理解しきれない部分もあったが、王子のそれであればまだ噛み砕き易い。

 

 いきなりA級クラスの指揮を模倣する事が出来ずとも、同じB級の指揮であれば────────相応に、糧にする事が出来る。

 

 そういう意味で、王子隊との訓練は得難いものだったと言える。

 

 彼のアドバイスで、戦術を組み上げたのは事実だ。

 

 王子自身は好きになれないが、有用か否かに相手の人格は関係ない。

 

 想いの強さは関係ない。

 

 以前、何処かで聞いた言葉だ。

 

 今までの香取であれば、ふざけんな、と切って捨てていた事だろう。

 

 だって、想いの強さを否定したら。

 

 家族を見捨ててまで自分を助けてくれた華の想いも。

 

 彼女に応えたいと刃を手に取った自分の想いも。

 

 全部、意味のないものに思えてしまうから。

 

 けれど、今ならそれは違う、と言える。

 

 その想いだけで戦っていた自分は、結果を出せなかった。

 

 否。

 

 想いを理由にして、努力を止めた自分だからこそ、停滞を続けていたのだ。

 

 今なら、この言葉の本当の意味が分かる。

 

 現実は、非情だ。

 

 想いの有無に関係なく、強い奴が勝つ。

 

 勝つ為に必要なのは、日々の鍛錬と具体的な戦術。

 

 そして工夫と、運だ。

 

 自分には、自分達には。

 

 それが、全く足りていなかった。

 

 文句ばかりで何も具体案を示さなかった若村も。

 

 フォローだけして現状を変えようとしなかった三浦も。

 

 格上との差に絶望して歩みを止めた自分も。

 

 全員が、やるべき事をやっていなかった。

 

 故に、結果が出ないのは当然。

 

 やるべき事をやっていなかったのだから、勝てる筈もなかったのだ。

 

 今は違う。

 

 若村は、戦術を勉強するようになった。

 

 三浦は、効率的なサポートの方法を模索し始めた。

 

 香取は、出来る事はなんでもやった。

 

 そして華は、そんな自分達を支えてくれた。

 

 これまでも、これからも。

 

 華なしでは、自分達は戦えない。

 

 彼女だからこそ、この三人が集まった。

 

 彼女だからこそ、香取がやろうと思えたのだ。

 

 友情に永遠はない、なんて言葉を聞いた事があるが────────クソ食らえだ。

 

 自分と華には、切っても切れない繋がりがある。

 

 だから、それで充分。

 

 自分が戦う理由は、それで充分。

 

 頑張る理由は、シンプルで良い。

 

 ごちゃごちゃ考えるのは、もう止めた。

 

 ただ、出来る事をやって、上を目指す。

 

 あの日の誓いを果たす為に。

 

 黒トリガー(高みの相手)を、超える。

 

 そう、決意した。

 

「葉子。時間よ」

「ええ、今行くわ」

 

 香取は華の声と共にトリオン体に換装し、部屋を出る。

 

 そして、戦場へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

「やあシンドバット。調子はどうかな?」

 

 開口一番、いつもの調子でそう声をかけて来たのは王子だ。

 

 此処は、試験を行うブースの観戦席。

 

 そこに足を踏み入れた七海達那須隊を、王子はそう言って出迎えた。

 

「もう来ていたんですね」

「ああ、何せ彼女達とは共に訓練に励んだ仲だ。だから、応援してあげたくてね」

 

 王子は何食わぬ顔でそう告げるが、その眼には確かな打算がある。

 

 今回の試験が駄目でも、黒トリガーの戦いを目にする貴重な機会を逃す手はない。

 

 なにも、今後一切昇格の機会がない、というワケでもない。

 

 得られる情報は、積極的に集めて行くべき。

 

 それが、彼のスタンスなのだから。

 

「ちなみに、王子先輩達の結果はどうだったんですか?」

「一点止まりさ。流石に、迅さんを倒すには至らなかったよ」

 

 一点。

 

 それはつまり、迅相手に一人生き残ったという事を意味する。

 

 あの風刃相手に、一人であろうと生き残る。

 

 これは、かなりの快挙と言って良いだろう。

 

「一体、どうやって……」

「あまり、褒められた手ではないよ。単に、樫尾を最初から最後まで動かさずに隠れさせて生存させた。それだけさ」

「成る程」

 

 王子は保険が利いただけさ、と嘯くが、この情報は重要だ。

 

 迅は、未来の情報を映像として取得する。

 

 つまり、七海や影浦のように第六感的な感覚として感知を行うのではなく────────。

 

 ────────映像を介して、それを脳が処理するという工程(プロセス)がある。

 

 要するに、未来で迅が見なかったものを見る事は出来ない、というワケだ。

 

 話のニュアンスから察するに、樫尾は一切の攻撃手段を捨ててただひたすらに隠れていたのだろう。

 

 一切動く気がなく、実際に動かなければ、迅に未来を視られても彼の視界に入る事はない。

 

 それを利用して、樫尾だけは生き残らせたのだろう。

 

(確かに、最善の手ではない。けれど、次善の策としてはそう悪いものじゃあない)

 

 無論、この方法にも問題点はある。

 

 樫尾が生き残れたのは、恐らく王子と蔵内が迅相手に戦闘を仕掛けたからだろう。

 

 流石に全員が隠れ潜む事を選択したならば、迅とて動き方を変える。

 

 無抵抗の相手を炙り出すだけなら、そう難しくはないからだ。

 

 故に、二人は抗戦したのだろう。

 

 未来視と、黒トリガーを持つ迅相手に。

 

 時間稼ぎに、全てを懸けて。

 

 王子は恐らく、この試験内容が決まった時点で迅を倒すという選択肢を捨てた。

 

 それを行うには地力も、駒も足りないと判断したのだろう。

 

 だからこそ、次善の策を選んだ。

 

 自分が出来る事を、最大限行う為に。

 

 七海は、その判断が悪いとは思っていない。

 

 持てる手札の中で戦術を考案するのは、何も間違った事ではないからだ。

 

 勿論、自分は同じ手を使うワケにはいかないが。

 

 自分と王子とでは、事情も持っている手札も違う。

 

 最初から、迅を倒す事以外は考えてはいない。

 

 故に、この香取隊の試合を見に来たのだ。

 

 彼女たちの戦いならば、有益なものを見れるに違いない。

 

 そう、確信して。

 

「うだうだ喋ってんじゃねぇよ。そろそろ始まっぞ」

「カゲさん」

 

 いつの間にか部屋に入って来たのは、影浦を始めとした影浦隊。

 

 ユズルは早速茜に挨拶しているし、北添は北添で蔵内や樫尾に話しかけている。

 

 空気など知るか、と言わんばかりに七海に話しかけて来た影浦は、ぎろり、と王子を睨み付けた。

 

「負け犬が吠えてんじゃねぇよ。おめー、へらへら笑ってる暇があんのか?」

「ごめんねー。これでもカゲ、発破かけのつもりだからさ」

「分かっているよ。気を遣わせたね」

 

 北添の横槍と王子の毒気の無い返答にちっ、と舌打ちしつつ影浦はそっぽを向いた。

 

 口こそ悪いが、影浦は面倒見が良い。

 

 お節介、と言い換えても良い。

 

 話は、聞いていた。

 

 その上で、王子が七海に羨望や期待の感情を抱いている事にも気が付いた。

 

 なにせ。

 

 彼は影浦にも、程度こそ違うが同様の感情を向けていたのだから。

 

 負けても次を考え、勝利に貪欲な姿はそれなりに評価出来る。

 

 だから、言ってやったのだ。

 

 他人を気にする暇があるなら、素直に情報集めてろ、と。

 

 まあ、影浦なりに言ったのでかなり口悪い罵倒のようにはなったが、そこはそれ。

 

 影浦なりの気遣いである事は、変わりないのだから。

 

「時間だ」

 

 忍田の宣言で、場が静まり返る。

 

 遂に、始まるのだ。

 

 A級昇格試験、最終試合。

 

 香取隊の、戦いが。

 

 忍田が沢村に指示し、機械を操作する。

 

 そして沢村がマイクを握り、エンターキーに手を伸ばした。

 

「────────開始時刻です。全隊員、転送開始します」

 

 

 

 

『全部隊、転送完了』

 

 一瞬の浮遊感の後に、香取の姿が仮想の戦場へ現れる。

 

 視界に広がるのは、無数の岩山。

 

 そしてそれを覆うのは、吹き荒ぶ砂の嵐。

 

『MAP、『渓谷地帯A』。天候、『砂嵐』』

 

 それは、ROUND7で王子隊が選んだ地形。

 

 砂嵐が吹き荒ぶ、荒野のフィールド。

 

 視界を封じる、悪天候の戦場であった。

 

「行くわよ」

『うん』

『ああ』

 

 香取は立っていた岩山から跳躍し、グラスホッパーを起動。

 

 最短で、目的地へと駆け出した。

 

 

 

 

「これは、王子先輩の入れ知恵ですか?」

「アドバイス、と言って欲しいね。もっとも、あくまで助言をしただけで最終的に決めたのはカトリーヌだけどね」

 

 王子は七海の問いに、笑ってそう答えた。

 

 にこにこと胡散臭い笑みを浮かべた彼の真意は分からないが、このMAP選択に彼の存在が関わっている事は間違いないだろう。

 

 何せ、とうの王子隊がROUND7で選んだフィールドだ。

 

 しかも、香取隊と何やら訓練をしたという話も聞いている。

 

 十中八九、彼の助言もあって香取隊はこのMAPを選んだのだろう。

 

「聞いた話によると、迅さんのサイドエフェクトは視覚を介するものらしいじゃないか。だったら、視界を封じてしまえば良い。簡単な話じゃないかな?」

「確かに、一つの手ではある。迅さんのあれは、俺達のとは使用感が異なるみたいだからね」

 

 王子の戦略は、納得出来るものではある。

 

 迅の未来視は、視界を介して情報を受け取るタイプの能力だ。

 

 応用性と発展性は七海や影浦の比ではないが、こと戦闘適用に限って言うならば、二人にはない穴がある。

 

 即ち、情報取得までに視覚を介するタイムラグがある事と、未来の自分が見えていない情報を視る事は出来ない、という点だ。

 

 彼の未来視は、時間制限のない録画映像に似ている。

 

 未来の自分が録画した映像を、過去の自分に送ってそれを見る。

 

 そういった説明が、成り立つのだ。

 

 故に。

 

 今回の場合、未来の録画映像を見ても一面の砂嵐が視界一杯に映る為、必要な情報を取得し難い。

 

 そういった効果が、期待出来る。

 

 更に、障害物の少ない荒野のフィールドである為、風刃の遠隔斬撃が伝播する()()も限られる。

 

 考え得る範囲で、可能な限り迅と風刃を対策したMAP選択と言える。

 

「でも、迅さんに仕掛けなければ倒せない事に変わりは無い。この状況でも、自分が未来でどう攻撃されるかの情報は迅さんにも視れる筈だ」

「確かに、それはそうだろうね。でも、忘れてはいないかな?」

 

 王子はにこりと笑って、映像を見据えた。

 

「カトリーヌは、もう以前の彼女じゃない。ちゃんと、策を以て挑んでいるよ」

 

 

 

 

「砂嵐か。考えたな」

 

 既に視ていた光景だが、流石に此処まで徹底して対策をして来るとは気合いの程が伺える。

 

 矢張り自分の視たものは間違っていなかったと、迅は香取隊を再評価する。

 

「それに」

 

 迅はサングラスをかけ、上空を見据えた。

 

 その、視線の先には。

 

 その手に拳銃を構えた、一つの影。

 

 少女は、香取は、上空から迅目掛けて拳銃を向け────────引き金を、引いた。

 

「おっと」

 

 迅はその場から大きく後退し、次の瞬間。

 

 地面に着弾した弾丸が、爆発した。

 

 そう。

 

 香取が撃った弾は、通常弾(アステロイド)ではない。

 

 その名は、炸裂弾(メテオラ)

 

 着弾と同時に爆発が起こる、爆撃用の弾丸。

 

 香取が、迅の対策として持ち込んだトリガーである。

 

 迅には、風刃には、シールドが存在しない。

 

 故に、シールドを破る為の威力特化の弾丸(アステロイド)を選ぶ意味は皆無。

 

 だからこその、メテオラという選択。

 

 そして香取は、地面に降りるつもりも、またなかった。

 

「────」

 

 展開される、グラスホッパー。

 

 香取はそれを踏み込み、落下する前に上へ跳躍。

 

 それと同時に拳銃の引き金を引き、再度メテオラを射出。

 

 爆撃が、再び地上へ撃ち出された。

 

 これが、香取の対策。

 

 グラスホッパーと拳銃を併用し続ける事による、上空からの対地爆撃。

 

 それが。

 

 彼女なりの迅に対する、第一手だった。





 アンケートの続き。

 茜を一緒に行きたいと書いた人

 絵馬ユズル
 狙撃手として優秀だし、状況判断も悪くないから。

 奈良坂透
 うちの茜は強いし優秀だから。

 東春秋
 状況判断能力に優れ、視野も広い。度胸もある。

 半崎義人
 狙撃手として優秀だから。

 王子一彰
 優秀だし、面白いから。

 生駒達人
 度胸あるし、いい子やから。

 弓場琢磨
 度胸(タマ)が据わっている。

 茜を一緒に行きたくないと書いた人

 なし

 熊谷を一緒に行きたいと書いた人

 村上鋼
 自分の仕事をやり切る姿勢に好感が持てる。

 柿崎国治
 いい奴で、粘り強さと機転が凄い。
 
 太刀川慶
 強くなってたから。あと最後まであきらめないのが良い。

 熊谷を一緒に行きたくないと書いた人

 なし


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香取葉子②

「成る程、空爆か。確かにこれなら風刃の射程から逃れられる」

 

 七海は試合映像を見て、感心したように頷いた。

 

 グラスホッパーとメテオラを用いた、疑似的な空爆。

 

 それが、香取隊の出した風刃への対策であった。

 

 風刃は、物体に斬撃を伝播させて目に見える範囲全てに攻撃出来る。

 

 だが、その為には当然斬撃を通す為の()()が必要不可欠となる。

 

 しかし、ただ跳躍した程度では風刃の射程からは逃れられない。

 

 風刃の遠隔斬撃はそのトリオン量に応じた射程範囲を持ち、少し跳んだ程度ではその効果圏内から外れる事はない。

 

 されど、何もない空中であれば話は別だ。

 

 現在、香取がいるのは障害物のない上空。

 

 あそこまで上がる為に岩山を足場にはしたのだろうが、そこからはグラスホッパーのみに頼って空中に駆け上がったようだ。

 

 その高度は、辛うじて銃撃が届く距離ではあるが、風刃の効果圏内からは脱している。

 

 そして今、香取はグラスホッパーを用いた疑似的な空中機動を行っている。

 

 これならば、香取は一方的に迅に攻撃を仕掛け続ける事が出来るのだ。

 

 限りある情報の中から的確に風刃の弱点を突いた、良い策だと言えるだろう。

 

「これが、王子先輩の考えた策ですか?」

「原案はそうだね。カトリーヌは、類稀なセンスと空中戦への適性を持っていた。あそこまでグラスホッパーを使いこなし、尚且つ銃撃との併用を苦も無く行う彼女だからこそ、可能とした作戦と言える」

 

 あれは、ぼくらには真似出来ないよ、と王子は告げる。

 

 グラスホッパーを使用するのは王子隊であれば樫尾がいるが、彼には香取ほどの空中戦の適性はない。

 

 それに、射撃トリガーもハウンド以外を扱った事はないのだ。

 

 当然銃手トリガーを扱った経験も皆無であり、一週間足らずでそのどちらかを扱えるようになるには無理がある。

 

 樫尾が普段使用しているハウンドはトリオン探知か視線誘導、そのどちらかを選択し、誘導設定を調整すれば自動的に標的目掛けて飛んでいく。

 

 この誘導設定の強弱の使い分けがハウンド習熟の鍵と言えるが、逆に言えば扱うだけならば射撃トリガーの初心者でもやり易い部類のトリガーに入るのだ。

 

 だが、炸裂弾(メテオラ)はそうではない。

 

 照準をきちんと定めなければならないのは当然だし、途中で、間違って誘爆させてしまえば目も当てられない。

 

 射撃トリガーは展開・分割・射出の三つの工程を踏む以上、空中機動を行いながら扱うには相応の処理能力が必要となる。

 

 七海や那須くらいに射撃トリガーの扱いに習熟していれば話は別だが、初心者にいきなりやれと言うのはまず無理だ。

 

 そして、銃手トリガーは当然射撃トリガーとは使用感が違う為、使いこなす為には相応の鍛錬が必要になる。

 

 当然、一週間で習熟出来るほど甘くはない。

 

 香取は半年でマスタークラスまで至っているが、そもそもそれは彼女がおかしいのだ。

 

 スコーピオンをマスタークラスにした後で、いきなり銃手に転向してアステロイドまでマスタークラスになる。

 

 これをさも当然のようにやってのけた香取は、言うなれば規格外だ。

 

 少なくとも、村上のような副作用(サイドエフェクト)の恩恵なしに出来て良い事ではない。

 

 戦闘に関する、天賦の才。

 

 それを、香取は持っているのだ。

 

 そんな彼女だからこそ、成立した戦術。

 

 それがこの、空爆戦法なのである。

 

「香取ちゃんは、このまま時間を稼いで生存点狙いなのかな?」

 

 疑問を呈したのは、北添だ。

 

 王子はそうだね、と彼の言葉を肯定する。

 

「ぼくの出した原案だと、そうなるね。でも────」

「うん。問題がないワケじゃないよね」

「やっぱり、お見通しか」

 

 そう言って、王子は北添の指摘を称賛した。

 

 彼の言う、この戦術の問題点。

 

 それは。

 

「トリオンが続くかどうか、割とギリギリじゃない? これ」

 

 第一に、トリオン量の問題。

 

 今、香取は継続的にグラスホッパーとメテオラの銃撃を使用し続けている。

 

 当然、それは相応のトリオンを消費する。

 

 香取のトリオン評価値は、6。

 

 30分という試合時間を耐え抜けるかどうかは、微妙なところだ。

 

「確かに、そこはギリギリだね。でも、計算ではなんとか間に合う筈だ。少しでもダメージを受ければ、不味いけどね」

「成る程ね。あとは────────」

「────────迅さんが他の二人を狙いに行った場合、かな」

 

 第二の問題。

 

 それは、迅が香取の攻撃をいなし、三浦と若村を狙った場合だ。

 

 指摘したのは、ユズル。

 

 彼は狙撃手の視点から、その問題に気が付いた。

 

「香取先輩が下に降りて来ないなら、他の二人を探して仕留めれば良いからね。確かにあれなら香取先輩まで風刃は届かないけど、メテオラの着弾までにはタイムラグがある。迅さんなら、あそこから抜けてしまう可能性は充分ある」

 

 ユズルの言う通り、香取は空中機動を行う事で風刃の射程から逃れている。

 

 しかし当然、それだけ離れれば爆撃の着弾までには時間遅延(タイム・ラグ)がある。

 

 加えて言えば、香取の用いている銃手トリガーの形状は拳銃型。

 

 流石にアサルトライフルを抱えて空中機動を行うのは幾ら香取でも無理がある為、取り回しの良さを優先した形となる。

 

 だが、拳銃では連射性能は当然突撃銃(アサルトライフル)型には及ばない。

 

 銃撃の間隙を突く事は、迅ならば充分可能な筈だ。

 

「多分、そろそろ動くよ。どちらの意味でも、ね」

 

 

 

 

「────」

 

 香取は空中をグラスホッパーで駆けながら、爆撃を継続している。

 

 一発撃つごとにグラスホッパーを踏み込み、跳躍。

 

 移動しながら引き金を引き、射出(ショット)

 

 その弾丸が届く間に再装填(リロード)と跳躍を行い、再度銃撃。

 

 跳躍しながらの銃撃をさも当然のように狙った場所に当て、爆撃を敢行している。

 

「おっと」

 

 だが。

 

 その爆撃の連射の中、迅は未だに無傷。

 

 迅の移動速度自体は、そこまで速くはない。

 

 しかし。

 

 爆撃の効果範囲を予め知っているように────────否。

 

 被弾範囲を既に視ている彼は、正確にその爆発の届かない場所に移動し、爆撃を回避し続けている。

 

 香取の銃手トリガーの形状は、拳銃型。

 

 取り回しの良さが最大のメリットであるそれは、反面連射性能に限界がある。

 

 更に、ユズルが指摘した通り空中からの銃撃では着弾には時間がかかる為、本当の意味で間隙ない爆撃とはいかない。

 

 己の技巧を駆使して可能な限りそれに近付けてはいるが、そのものではない。

 

 そして、それだけの隙があれば────────迅にとって、回避するのは造作もない。

 

 幾ら砂嵐で視界が効かないとはいえ、メテオラの爆風は一瞬ではあるがその視界を開けさせる。

 

 更に言えば、爆撃のような派手な光景を、迅の未来視が見逃す筈もない。

 

 香取の空爆は、迅の行動を多少制限する効果しか齎してはいなかった。

 

(チッ、想定内とはいえなんでシールドもなしにこれを難なく凌げるとか……っ! 本当、チートにも程があるわね)

 

 その光景を見て、香取は思わず舌打ちする。

 

 分かってはいた事だが、それを実際にやられると中々に堪えるものがある。

 

 そして理解する。

 

 このままでは、迅は香取の爆撃を回避しながら二人を見つけ出し、落としてしまうであろう事を。

 

 この渓谷地帯AというMAPは、岩山が点在する荒野だ。

 

 無論、隠れる場所のようなものは殆どない。

 

 精々岩山の影に隠れる程度が精々であり、完全に隠密に徹するのは不可能だ。

 

 風刃の脅威を少しでも減らす為に障害物の少ないMAPを選んだのだからある意味当然ではあるが、それは同時に逃げ場を自ら封じたという意味でもある。

 

 もしも、本当に隠れ潜んで生存点を狙うつもりであれば、王子隊がそうしたように摩天楼Aのような障害物だらけで広いMAPを選ぶのが順当である。

 

 そう。

 

 香取隊が、本当に時間稼ぎでの生存点を狙ったのであれば。

 

 

 

 

「確かにぼくが最初に提案したのは、カトリーヌが空爆で時間を稼いで生存点を狙う。そういう作戦だった」

 

 王子は観戦室で香取の戦いを見ながら、告げる。

 

 その顔に、笑みを浮かべながら。

 

「けど、カトリーヌはそれでは満足しなかった。この作戦を下地に、自分達なりの戦略を組み上げた」

 

 それは、王子との決定的な差。

 

 手札の差、気質の差。

 

 そういったものもあるだろう。

 

 だが。

 

「カトリーヌは、迅さんを落とすつもりだよ。本気でね」

 

 一番大きいのは、理由の有無。

 

 迅を、格上を落とす。

 

 譲れない理由(モチベーション)の、違いだった。

 

 

 

 

 ────────今忍田さんが言った通り、近々大規模な近界の侵攻が起こる未来を視た。ハッキリ言って、規模を考えれば四年前のあれに匹敵────────もしくは、上回るだろう────────

 

 香取は、覚えている。

 

 ラウンド4の直後、緊急隊長会議で。

 

 迅が告げた、その言葉を。

 

 あれが。

 

 あの四年前の悪夢が。

 

 また、やって来る。

 

 香取は、忘れていない。

 

 あの光景を。

 

 華から家族を奪い、香取が奮起する結果となったあの出来事を。

 

 聞けば、今回の大規模侵攻では黒トリガーを使う敵、なんてのも出て来るらしい。

 

 話だけ聞けば眉唾物だが、それが未来視の男(迅悠一)の言葉であれば無視出来ない。

 

 今回、彼が自分たちの試験官を務める事になったのは、その強大な敵に対する予行演習も兼ねているのだと言う。

 

 ならば。

 

 生存点を狙うとか、少しでも点を取るとか、そういうみみっちい事は言ってられない。

 

 此処で、格上殺しを経験する。

 

 どう足掻いても勝てないような相手の、喉元に食らいつく牙を研ぐ。

 

 ラウンド5で、那須隊が東を倒すという規格外の偉業を成し遂げたように。

 

 自分も、上へ進む一歩を歩む。

 

 これは、隊の面々も承知の上だ。

 

 若村だけは不安そうな顔をしていたが、三浦は即答で賛成した。

 

 だが、今の三浦ならば不思議ではない。

 

 今まではへらへらしながら当たり障りのない言葉でフォローするだけだった彼が、あのROUND4以降は変わったように思う。

 

 こちらの意見を聞きつつも、しっかりと自分の意思を示すようになった。

 

 正直、前の彼よりもよっぽどマシだと思う。

 

 少なくとも、マイナス100点の評価がマイナス10点に変わっただけの若村よりも、今の三浦の方が好感が持てる。

 

 勿論、異性的な意味では有り得ない(NOである)のは変わらないが。

 

 ともあれ、今回の試合の方針は隊全員と相談して決めた事だ。

 

 若村も最終的には頷いたし、華は当然同意してくれた。

 

 だから。

 

「やるわよ。麓郎、雄太」

『ああっ!』

『了解』

 

 信頼を込めて。

 

 仲間へ、作戦開始の合図を告げた。

 

 

 

 

「……!」

 

 迅は、香取の動きが変わった事を察知した。

 

 これまで、香取は同じ高度を維持していた。

 

 決して、風刃が届かないように。

 

 地面へは、近寄ろうとしなかった。

 

 だが。

 

 香取は、銃撃の後。

 

 グラスホッパーを踏み込み、下目掛けて跳躍した。

 

 当然、銃撃を継続したままで。

 

「業を煮やしたかな?」

 

 香取との距離が縮まった事で、着弾までのタイムラグは軽減される。

 

 先ほどよりは、迅の回避もやり難くはなった。

 

 だが、それだけだ。

 

 彼を仕留めるには足りないし、そもそも風刃の効果圏内に入った時点で詰みだ。

 

 少し考えれば分かりそうなものだが、矢張り生来の短気が災いしたか。

 

「なんてね」

「……っ!」

 

 とは、思わなかった。

 

 迅は、香取の成長を正しく評価している。

 

 故に。

 

 この特攻が、意味のないものとは考えていなかった。

 

 無造作に風刃を振るい、風の刃を放つ。

 

 そして、その斬撃は。

 

 カメレオンを解除してアサルトライフルを構えていた若村に、直撃した。

 

「ぐ……っ!」

 

 そう、香取の特攻は────────陽動。

 

 本命は、カメレオンで接近していた若村だ。

 

 特攻して来た香取に注意を向けさせ、その隙に若村が銃撃で仕留める。

 

 そういう手筈だったのだろう。

 

 だが、若村は今の一撃で致命傷を負った。

 

 もう、彼は落ちる。

 

「ただで、やられるかよ……っ!」

「……!」

 

 されど。

 

 ただでは、落ちない。

 

 迅は、見た。

 

 砂嵐の向こうの、若村の姿。

 

 胸の傷は貫通し、致命傷を負ったのは間違いない。

 

 だが。

 

 その突撃銃を持つ腕だけは、集中シールドによって守られていた。

 

「致命打を放置して、腕だけ守ったのか……っ!」

 

 そう。

 

 風刃の攻撃は、地面を伝播する。

 

 そして、彼の周囲に障害物はなく、必然的に遠隔斬撃は地面から跳び出す形になる。

 

 故に。

 

 若村は腕だけを集中シールドを用いて守り、致命打となる攻撃は素通りさせたのだ。

 

 最初から、捨て身の前提。

 

 たった一度の攻撃を成功させる為の、決断。

 

「おらあああ……っ!」

 

 そして若村は、その身を犠牲にして成立させた銃撃を────────実行する。

 

 放たれるは、ハウンド。

 

 若村の意地が、迅への一射を成し遂げる。

 

「食らってあげたい気持ちもあるけど、試練だからね。手は抜かずにやらせて貰うよ」

 

 無論、それをただで食らう迅ではない。

 

 ハウンドはシールドを持たない身としては厄介な攻撃ではあるが、そもそも迅はその弾道を未来視で読む事が出来る。

 

 幾ら視界が効かない砂嵐の中とはいえ、正面から放たれた銃撃の軌道を視る事など容易い。

 

 故に、これだけでは決定打になれない。

 

 ハウンドを回避しつつ、特攻をかけて来た香取を遠隔斬撃で仕留めて────────詰みだ。

 

「……!」

 

 迅が、その場で動きを止められなければ。

 

 不意に、迅の動きが止まる。

 

 姿は見えない。

 

 けれど、確かに背後から羽交い絞めされたような感触がある。

 

 それの意味するところは、一つ。

 

「三浦くんか」

「……っ!」

 

 もう一人の香取隊の隊員、三浦雄太。

 

 彼が、カメレオンを用いて迅に組み付いたのである。

 

 カメレオンは、使用中他の如何なるトリガーも併用出来ない。

 

 他のトリガーを使用する為には、一度カメレオンを解除する必要がある。

 

 だが。

 

 逆に言えば、他のトリガーを自分で使わないのであれば、カメレオンを解除する必要は無い。

 

 発想のヒントは、第三試験。

 

 そこで、風間隊が行ったカメレオンを維持したままでのエスクードジャンプにあった。

 

 その話を聞いた三浦は、思いついたのだ。

 

 トリガーを使わず、カメレオンを維持したまま出来る事があるのではないかと。

 

 考えた末の結論が、これだった。

 

 風刃の遠隔斬撃を使用する為には、見たところ剣を振るモーションが必要になる。

 

 少なくとも香取隊は、そう判断していた。

 

 故に、背後から羽交い絞めにしてしまえば、迅の回避も迎撃も封じる事が出来る。

 

 あとは、自分諸共若村のハウンドと香取の挟撃で迅を仕留めれば良い。

 

 これが、香取隊の解答。

 

 迅を、格上を殺す為の、答え。

 

 若村の銃撃が。

 

 香取の刃が。

 

 三人の意地が。

 

 強者()へ、その牙を剥いた。



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香取葉子③

「以上が、ぼくの提案する戦術案だ。何か言いたい事はあるかな?」

「あるに決まってんでしょ」

 

 一週間前、王子隊作戦室。

 

 王子隊との協力を受け入れたものの、ホームである隊室に彼を入れるのは抵抗があった為、香取隊は全員がこの場へやって来ていた。

 

 そして、香取達は聞いたのだ。

 

 王子の提唱する、迅への対抗策を。

 

 障害物の殆どないMAPを選択し、風刃の脅威度を下げる。

 

 そして、悪天候で視界を封じ迅の未来視を制限する。

 

 成る程、此処までは香取も納得した。

 

 風刃と迅、その双方の強みを潰す的確な戦術だし、それを採用する事に否は無い。

 

 だが。

 

「時間稼いで終わりって、そんな真似したらこの試験の意味がないでしょうが……っ!」

 

 先日、迅が語った最終意見の意義。

 

 それは。

 

 襲来して来る近界民の、黒トリガーに対抗する為。

 

 時間を稼いで終わりでは、その意義に沿う事は出来ない。

 

 少なくとも香取は、そう考えていた。

 

「そうかな? 時間稼ぎも、立派な戦術だ。それに、敵は自分で仕留めるだけが戦術じゃない。場合によっては、強力な味方に頼る事も必要だ。敵は、誰が倒しても構わないワケだしね」

「んなワケないでしょ。もし、倒せる奴が近くにいなかったらどうすんのよ? あの出力相手じゃ、時間稼ぎも限界があるでしょうが」

「ほう」

 

 てっきり感情的な反論が来ると思っていた王子は、香取の意外な返答に目を見開いた。

 

 香取は感情としての理由ではなく、実利────────現実を見据えて王子の考えを否を唱えている。

 

 それは、とても興味深い事象であった。

 

 香取が。

 

 努力を嫌い、他者とも強調して来なかった香取が。

 

 こんな理詰めで反論するなど、意外(おもしろい)にも程があった。

 

「聞いた話じゃ、黒トリガーの能力は個々で違うんでしょ? 場合によっちゃ、もっと広範囲を一気に潰す奴が出て来てもおかしくないわ。黒トリガーじゃなくても、それは同じでしょ」

 

 近界民のトリガーなんてどんなのが来るか分からないし、と香取は告げた。

 

 確かに、彼女の指摘は的を得ている。

 

 迅の風刃は射程と速度、そしてその奇襲性に能力を特化させているが、当然黒トリガーごとに能力は違う。

 

 風刃が奇襲特化の性能だからといって、他もそうだとは言い切れないのだ。

 

 殲滅能力に特化した黒トリガーが出て来ても、なんらおかしくはない。

 

 加えて、近界のトリガーそのものが未知数過ぎる。

 

 それに最も近いのは玉狛製のトリガーであるが、伝え聞く限りどれも通常のトリガーとは一線を画す能力だらけだ。

 

 小南の双月の破壊力は凄まじいし、烏丸のガイストも詳細は不明だが強力な効果があるらしい。

 

 レイジの全武装(フルアームズ)に至っては、高い範囲攻撃能力と防御能力を併せ持つ。

 

 過程に過ぎないが、全武装のような殲滅力に機動力まで加わったトリガーが出て来る可能性すら考えられる。

 

 それこそ、ノーマルトリガーでは疑似的にしか行えない空爆をデフォルトで行えるようなトリガーが。

 

 そんな相手と相対した時、果たして時間稼ぎにどれだけの意味があるか。

 

 そう考えれば、時間稼ぎよりも相手を倒す方策を探った方が建設的ではある。

 

 もっとも。

 

 それが可能であれば、の話であるが。

 

「君は、自力でそういう相手を倒すつもりかい? それが、出来ると?」

「まあ、アタシ一人じゃ無理でしょうね。自分の事は分かっているし、流石にアタシだけで全部なんとかなるとか思っちゃいないわ」

 

 けど、と香取は続ける。

 

「別に、アタシ一人が頑張る必要はないじゃない。必要なら誰の手だって借りて、敵に刃を届かせる。それが出来るのが、ボーダー(ここ)でしょ」

「確かに。これは一本取られたようだ」

 

 王子は本気の称賛を口にし、やれやれと肩を竦めた。

 

 その様子に香取はむっとするが、此処でことを荒立てるほど彼女も子供ではない。

 

 まあ、「やっぱこいつ嫌い」、と胸中で悪態をつく事は止められないが。

 

「カトリーヌの言う通り、時間稼ぎが最善手でないのは認めよう。けれど、あるのかな? 君たちに、迅さんを落とす算段が」

「少なくとも、少しは思いついたわよ。癪だけど、アンタの原案のお陰でね」

「へえ」

 

 王子は香取の言葉に嘘や虚勢はないと察し、目を細めた。

 

 そして香取は、不敵な笑みを浮かべ自信満々に告げる。

 

「見てなさい。アンタが時間稼ぎしか出来ないって言った相手を、アタシが絶対ぶっ潰してやるんだから」

 

 

 

 

 香取が着目したのは、風刃の攻撃方法であった。

 

 風刃は本体のブレードと、そこから伸びる無数の光の帯によって構成されるトリガーだ。

 

 本体のブレードはあの戦闘を見た限りでは弧月より耐久・威力共に上で、場合によってはスコーピオン並みの軽さすら併せ持っている事も想定される。

 

 そして風刃の肝である遠隔斬撃は、剣を振るというモーションを必要とする。

 

 少なくとも、スコーピオンのようにノーモーションでブレードを繰り出せる、といった類のものではない筈だ。

 

 遠隔斬撃の性質こそスコーピオンに似ているが、風刃の性能そのものは旋空孤月の亜種、と考えるべきだろう。

 

 旋空のような絶対の切断能力がない代わりに、規格外の射程と弾速及び精密性を持つ高性能ブレード。

 

 それが、風刃の正体だ。

 

 故に。

 

 その対処は、スコーピオンではなく弧月使いのそれを参考にするべきだ。

 

 スコーピオンの使い手相手に、密着する事はタブーである。

 

 なにせ、身体の何処からでもブレードを生やせるのだ。

 

 組み付いた瞬間、串刺しにされるのがオチである。

 

 だが。

 

 弧月使いは、別だ。

 

 刀を用いて戦闘を行う以上、組み付いてしまえば抵抗は出来ない。

 

 腕が振れなければ、遠隔斬撃を撃たれる事もない。

 

 だから。

 

 なんとかして迅に組み付き、動きを封じる事が出来れば。

 

 そこを挟撃して、仕留める。

 

 幸い、組み付く為のアイディアは三浦が考えてくれた。

 

 第三試験での風間隊の動きを王子隊経由で聞いた事で思いついたらしいが、使えるならなんでもいい。

 

 作戦はこうだ。

 

 まず、王子隊の原案通りにMAPで迅の優位性を封じ込め、更に香取が空中機動を継続しながら爆撃を敢行。

 

 時間稼ぎ狙いと思わせておき、そこを若村が銃撃で奇襲。

 

 無論ただ奇襲しても迎撃されるだけなので、捨て身前提で攻撃を成立させる。

 

 そして、その隙に三浦がカメレオンを用いて背後から迅に組み付く。

 

 あとは、若村の銃撃と香取の特攻で挟み撃ちをして迅を仕留める。

 

 結果として、相打ちになっても良い。

 

 最初から、迅を倒す事で得られる四点以外に興味はない。

 

 むしろ、得点よりも迅を倒すという過程こそが肝要。

 

 この試練を乗り越える事が出来れば、きっと自分たちは更に前に進む事が出来る。

 

 そう確信して、作戦を実行した。

 

 若村は、捨て身での銃撃を成功させた。

 

 三浦は、背後から迅に組み付く事が出来た。

 

 香取は、作戦の成功を確信した。

 

 あと少し。

 

 あと少しで、迅に香取の刃が届く。

 

 望んだ結果(みらい)を、掴み取る。

 

「え……?」

 

 されど。

 

 その望み(みらい)は。

 

 迅悠一(観測者)により否定された。

 

 一瞬。

 

 ただの一瞬で、その全てが覆った。

 

 背後から迅に組み付いた三浦の身体を、地面から飛び出た三つの斬撃が直撃。

 

 迅を拘束していた三浦の胸と両腕は斬り裂かれ、風刃の使い手はその自由を取り戻す。

 

 同時に、迅に向かって伸ばしていたスコーピオンを持つ香取の右腕が地面から伸びた斬撃により切断。

 

 奇襲は、作戦は、完全に失敗に終わった。

 

「……!」

 

 そして、見た。

 

 サイドステップでハウンドを回避した迅が手に持つ、風刃。

 

 そこから伸びていた、光の帯。

 

 風刃の残弾を示すその帯は、現在()()

 

 若村が食らった遠隔斬撃の弾数は、三発。

 

 そう。

 

 三発を消費したのならば、残る残弾は8発の筈だ。

 

 だが、現実として残弾は四つ。

 

 つまり。

 

 迅は、予め遠隔斬撃を放っていたのだ。

 

 今この瞬間。

 

 自分に組み付く、三浦を仕留める為に。

 

「なん、で……っ!?」

 

 ワケが、分からなかった。

 

 視界は封じた筈だ。

 

 未来視は、制限した筈だ。

 

 なのに何故。

 

 未来を視ても視認出来ない筈の三浦の存在に、気付く事が出来たのか。

 

 それが、香取には分からなかった。

 

「ただ、予測しただけさ。君たちの、行動をね」

 

 そう。

 

 迅の未来視は、確かに視界を封じられれば視れる事象が制限される。

 

 だが。

 

 自分の動きが止まる、という結果さえ視えていれば。

 

 状況や相手の手札から、何をして来るかは推察出来る。

 

 だから、このMAPと天候を認識した段階で迅はカメレオンによる奇襲を想定した。

 

 迅には、オペレーターがいない。

 

 つまり、通常の部隊が受けているオペレーターからの敵襲警報(アラート)は受けられない。

 

 逐次レーダーを確認していては、当然ながら隙になる。

 

 だからこそ、通常のランク戦では索敵はオペレーターに任せ、その警報によって敵襲を察知するのが普通だ。

 

 故に。

 

 迅に対しては、バッグワームはあまり意味を為さない。

 

 レーダーで見るよりも、未来を視た方がより速く情報を取得出来るからだ。

 

 だからこそ、カメレオンは有効だった。

 

 レーダーよりも未来視を重視する迅にとって、カメレオンの持つバッグワームと併用出来ないというデメリットは無いも同然。

 

 香取隊は、そういう想定で作戦を組んだ筈だ。

 

 されど。

 

 迅は、戦闘を未来視だけに頼るような暗愚ではない。

 

 ()()()()

 

 香取達にはなく、迅にあるもの。

 

 それが、迅の戦場での勘を鍛え上げた。

 

 未来視は万能に見えるが、その実取り溢す情報は幾らでもある。

 

 複数相手の戦いは戦争では茶飯事だし、その都度未来を視て敵に対処していては間に合わない可能性もある。

 

 だから、迅は鍛え上げたのだ。

 

 戦術を学び、敵の行動を学習し、トライ&エラーを繰り返した。

 

 緊急脱出のない時代(ころ)から戦っていた迅は、文字通りの命がけでそれを行った。

 

 故に。

 

 相手の手札が分かっているのであれば、何をして来るかは推察出来て当然。

 

 加えて言えば、カメレオンで迅に挑んだのは三浦達が初めてではない。

 

 風間蒼也。

 

 彼もまた、迅にカメレオンが有効である事に気が付き、それを用いて仕留めんとした。

 

 その経験があったからこそ、迅はカメレオンの脅威度を正しく認識していた。

 

 加えて言えば、迅は香取隊を高く評価していた。

 

 それは彼が視た香取隊の未来が所以であるが、迅が本気になるには充分。

 

 故に。

 

 迅は手を抜かず、全力で香取隊の策を迎撃し打ち破った。

 

 戦術は良かった。

 

 隊の全員が、己の役割を遂行した。

 

 けれど、迅の戦歴(けいけん)を前に敗北した。

 

 これが、結果。

 

 これが────────。

 

(終わりだなんて、認めるかぁ……ッ!!)

 

 ────────自分たちの限界だなんて、認めない。

 

 右腕は切断された。

 

 既にチームメイトは致命傷を負った。

 

 だから?

 

 だからなんだと言うのだ。

 

 まだ、自分は落ちていない。

 

 まだ、自分の意思(こころ)は死んでいない。

 

 腕が切断されたとしても、香取にはスコーピオンが────────否、マンティスがある。

 

 マンティスは、あの那須との個人戦でしか見せていない。

 

 自分がそれを習得している事を迅が知っているかは、五分五分。

 

 七海が話した可能性はあるし、あの試合を見ていた者の口から伝わった可能性もある。

 

 だが。

 

 自分がマンティスを何処まで使いこなせているかは、恐らく誰にも知られていない。

 

 あの第一試験の段階ではスコーピオンを二つ繋げて射程を伸ばす事が精々であり、しかも動作性能は影浦どころか七海にすら遠く及ばない。

 

 第一試験の最終局面で使えなかったのも、咄嗟にマンティスを繰り出すには練度が足りていなかったからだ。

 

 那須との個人戦で使えたのは、あくまで使う事を決めて準備していたが為なのだから。

 

 そも、形だけとはいえ習得した事実自体がおかしいのだ。

 

 マンティスは、元々影浦の固有技術。

 

 彼の指南を受けていた七海が使える事はそこまで驚く事ではないが、香取のそれは完全に見様見真似だ。

 

 術利も、習得方法も、何一つ不明の状態から自力で模倣したに過ぎない。

 

 そして。

 

 あれからマンティスの鍛錬をしていないとは、香取は一言も言っていない。

 

 今の香取は七海には及ばないが、それなりの自由度を持ってマンティスを使う事が出来る。

 

 応用方法も、七海のそれを見て覚えた。

 

 自分と迅の距離は、マンティスの射程ギリギリ。

 

 無論、ただ振るっただけでは駄目だろう。

 

 察知されて、迎撃されるだけだ。

 

 故に。

 

「────!」

 

 香取は、足元にグラスホッパーを展開。

 

 それを踏み込んで特攻────────と思わせ、そこをマンティスで突く。

 

 足を斬られたなら、そのままマンティスを使い不意を打つ。

 

 腕を斬られたならば、七海がしたように斬られた腕をマンティスで繋いで届かせる。

 

 どちらにせよ自分は落ちるが、構うものか。

 

 元より、相打ち上等。

 

 作戦は破綻したが、此処で仕留められればそれで良い。

 

 香取はそう決断し、動いた。

 

「はい、予測確定」

「────ッ!」

 

 けれど。

 

 迅が振るった風刃の遠隔斬撃によって。

 

 香取の両足と残った左腕が切断され、彼女は四肢の全てを失った。

 

 これでは、射程が足りない。

 

 腕か足、どちらかが残っていればそこからマンティスを出して迅に届かせる事が出来た。

 

 だが。

 

 両手も両足も斬られてしまった今、マンティスを以てしてもその刃は届かない。

 

 彼女の意図は、此処で切れる。

 

「ま、だあああああああああああああ……ッ!!」

「……っ!」

 

 否。

 

 香取は、終わらなかった。

 

 若村と三浦のトリオン体が限界を迎えて崩壊し、同時に緊急脱出となる。

 

 そして、その結果としてその場に閃光が炸裂する。

 

 緊急脱出の際には、光の柱のようなエフェクトが発生する。

 

 それは、視界を塞ぐに充分な代物であり。

 

 香取は、そこを突いた。

 

 彼女は、残った自分の胴体を────────グラスホッパーで、跳ね飛ばした。

 

 四肢がなくても、香取にはスコーピオンがある。

 

 ただ身体からブレードを出すだけなら、今の状況でも可能。

 

 既に脱落は確定したが、その前に迅に刃が届けばそれで良い。

 

 そう考えての、最期の特攻(いちげき)

 

 香取の意地が結実した、心意の刃。

 

「残念だけど、此処までだよ」

「あ……」

 

 迅は、その一撃を。

 

 横に跳ぶ事で、躱し切った。

 

 今の香取には、四肢が無い。

 

 故に、スコーピオンを出せたとしても自在に動かす事は不可能。

 

 故に。

 

 ただ横に避けるだけで、その攻撃は不発となる。

 

 そして。

 

 迅は、その隙を逃しはしない。

 

 風刃本体のブレードを振るい、彼は香取の首を落とす。

 

 それで、終。

 

「ちくしょう」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、無情に敗北を告げる。

 

 香取の姿は光に呑まれ、消える。

 

 それを見届けて、迅は風刃を納刀。

 

 そして、香取が消えた場所を見て笑みを浮かべた。

 

「想像以上だった。最後の一撃は、気付けなければ危なかった」

 

 けれど、と迅は続ける。

 

「瀕死の兵士に捨て身で襲われた事は、前にもあるんだ。その首を落とした事も、何度もね。経験に救われた、と言っても良い」

 

 だから、と迅は告げる。

 

 本心の称賛を。

 

 そして、己の想いを。

 

「君達は、まだ強くなる。今はその為に────────泥の味を、噛み締めてくれ」

 

 迅はそう告げ、香取達の健闘を称えた。

 

 この敗北が。

 

 彼女達の未来に、繋がると信じて。




 『かとり』
 「折れて凹んで立ち上がるJK」

 都合四回に渡り苦い敗北を描写された可哀そうな(あいされてる)女子高生。

 あの過去回想で彼女を好きになった者は作者含め数多い。

 踏んだり蹴ったりと色々散々な経験をしているが、その度に着実に成長する天賦の才の持ち主。

 努力を覚えた天才の躍進は未だ終わらない。

 三浦の好意は割と察しているが、正直好みから外れ過ぎていて脈は無い。

 ラウンド4以降の成長で見直しているが、それとこれとは話が別なのである。

 そんなこんなで折れた彼女は折れた分だけ輝きを増す。

 尚、次回作ではレギュラーに抜擢される模様。


 『はな』
 
 「友情カンストオペレーター」

 香取を語る上ではなくてはならない存在。

 彼女と香取は比翼連理の存在であり、双方揃ってこそ本来の輝きを放つ。

 素っ気ない態度をしているが、実は那須さん級に重い感情の持ち主。

 多分香取が自分の生きる意味とか無意識に思ってる。

 尚、若村の事は香取と馬が合わないのを見ているのと好みから外れているので脈はない。

 香取とは死んでも友達でいたいと思っている。


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香取葉子④

 

「これは……」

「想像以上、かな……」

 

 七海とユズルは、香取の奮闘を────────そして、迅の強さを目に焼き付けて、感嘆の声をあげる。

 

 香取隊の作戦は、悪くはなかった。

 

 どころか、現時点で得られている情報から組み立てた作戦としては、最上のものだったと言えるだろう。

 

 障害物の少ないMAPで風刃の奇襲性を減衰させ、悪天候で視界を封じ未来視を制限。

 

 そして空爆で時間稼ぎによるタイムアウト狙いと思わせつつ、若村の捨て身の銃撃を契機に攻撃を実行。

 

 カメレオンを用いて三浦が組み付き、その隙に挟撃で仕留める。

 

 風刃と未来視の性質を良く加味した、素晴らしい戦術だった。

 

 だが。

 

 それでも。

 

 迅には、届かなかった。

 

 なんの事はない。

 

 風刃を対策しても、未来視を対策しても。

 

 迅悠一という特記戦力を相手取るには、未だ足りなかった。

 

 性能(スペック)のみに着目し過ぎて、迅悠一という個人の性質(パーソナル)への警戒が不十分だった。

 

 とはいえ、これは流石に酷だろう。

 

 なにせ、風刃と未来視という二つの脅威は無視出来るものではない。

 

 そもそも、その二つを対策しなければ勝負という舞台にすら上がれないのだから無理もない。

 

 その対策をした事自体は、何も間違ってはいない。

 

 けれど。

 

 その二つの脅威を自在に行使する、迅の培ってきた経験の厚さ。

 

 それを、甘く見ていた事は否定出来ない。

 

 迅は、戦争経験者である。

 

 詳しい話まで聞いた事はないが、四年前の大規模侵攻が起こるより以前、彼等旧ボーダーは近界での戦争を経験している。

 

 緊急脱出機能がなかった頃の、本当の意味での命のやり取り。

 

 迅は、その死地の生還者なのだ。

 

 その経験が。

 

 積み重ねた戦歴(じかん)の厚みが、香取達の勝利を許さなかった。

 

 香取隊の戦術は、戦術予測とそれに基づいた対応というごく当たり前の手段によって覆された。

 

 それ自体は、何も驚く事ではない。

 

 相手の戦術を予測し、その対策を実行するという手法は。

 

 ランク戦では、試合では、誰しもが当たり前に行っている事だ。

 

 香取隊は、迅の持つ二つの脅威に目が行き過ぎて彼自身の読みの鋭さを図れなかった。

 

 それが、香取隊の敗北の一因であろう。

 

 だが。

 

「これ、香取ちゃんには感謝するしかないよね。この試合を見れたっての、かなり大きいよ」

「そうだね。カトリーヌは負けてしまったけれど、貴重な情報を幾つも引き出してくれた。紛れもなく、彼女達の奮闘の賜物だろうね」

 

 それを、迅の本気の対応を見れたという事実は、あまりにも大きい。

 

 香取隊は風刃と未来視の対策を行い、迅に対して徹底したメタを張って挑んだ。

 

 迅はその結果として風刃の性能(スペック)や未来視の情報だけでの対応を選ばず、培った経験を元にした動きを見せた。

 

 もしも、この試合を見ずに風刃と未来視の対策だけをして挑んでも、彼の経験の前に膝を折っていた事だろう。

 

 そういう意味で、この試合を見る事が出来たかどうかは重要な分岐点となる。

 

 香取隊を評価し選んだ七海達の判断は、間違っていなかったという事だ。

 

「でも、凄かったわね。もう、前の彼女とは別物だわ」

「そうね。最後の攻撃なんか、思わず息を呑んだわ。凄い、気迫だった」

 

 那須と熊谷は、口々に香取の奮闘を称賛する。

 

 あのROUND4で那須隊に負ける前の香取であれば、四肢が断たれた時点できっと諦めていた筈だ。

 

 だが、香取は四肢がもがれても諦める事なく攻撃を繰り出し、届きはしなかったが意地を見せた。

 

 想いの強さは、勝負の結果には関係ないけれど。

 

 それでも。

 

 あれだけの意地(おもい)であれば、あと一歩の距離を詰めるには充分。

 

 惜しくも届かなかったけれど、それでも。

 

 この試合は、必ず彼女を成長させる糧となる。

 

 そう確信させた、何にも替え難い試合であった事は確かである。

 

「さて、それじゃあ折角だし総評をしてみようか。実況はないけれど、折角三つも部隊が揃っているんだ。試合を振り返らない理由は、無いと思うよ」

「そうだね。三人寄れば文殊の知恵とも言うし、やってみようか」

 

 王子の提案に、北添が賛成する。

 

 当然、七海達にも異議はない。

 

 各々感じたものはあるが、言葉にして整理すれば更に考察を深める事に繋がる。

 

 自分たちの試験の事を鑑みても、此処で乗らないという選択はなかった。

 

 影浦もまた、黙って耳を傾けている。

 

 弟子がやる気なのだから、水を差す無粋などする筈がない。

 

 口出しをせず、傾聴する姿勢を取る影浦であった。

 

「まず、さっきも言ったように作戦自体は悪くなかったと思うんだ。戦術の方針自体は、的を射ていたと思うよ」

「そうだな。実際、香取隊の戦術は一定の効果を上げていたと思う。少なくとも、俺達の時よりよっぽど善戦出来ていた」

 

 香取隊の戦術の肝は、地形効果による風刃と未来視の対策だ。

 

 もしこれが七海達の時の工業地帯のような複雑な地形であれば、風刃の奇襲性は段違いに上がっていただろう。

 

 悪天候でなければ、迅の未来視によって戦術も早々に看破されていたに違いない。

 

「だけど、この試合を見た限りではあるけれど────────悪天候に()()()()のは、失敗だったかもしれないね」

「理由は何かしら?」

「簡単さ。砂嵐は、天候設定の中でも特に視界が制限される。だからこそ迅さんの未来視を制限する事が出来たけれど────────同時に、風刃の軌道を見え難くしていたと思うんだ」

 

 そう、王子の言う通り、砂嵐は視界が大幅に制限される天候設定だ。

 

 フィールド全体が砂嵐で覆われるのだから、視界は殆ど0に近い。

 

 だからこそ迅の未来視を制限出来たとも言えるが、同時に風刃の遠隔斬撃の軌道を隠してしまう結果にも繋がっていたというワケだ。

 

「風刃の遠隔斬撃の速度は、尋常じゃない。ただでさえ直撃まで一瞬あるかどうかなのに、あの悪天候だとまともに軌道が見えたかも怪しい。それに────────風刃の精密動作性は、ぼくらの想像を超えていた」

 

 風刃の脅威は、その驚異的な射程と速度を元にした奇襲性。

 

 そう考えていたのだが、それだけでは足りなかったのだ。

 

 迅は若村を遠隔斬撃で仕留めた時、既に三浦を落とす為の斬撃を撃ち出していた。

 

 そして、その遠隔斬撃は円を描くように迅の元へと戻り、彼に組み付いた三浦を斬り裂いた。

 

 その動きから見て、風刃の遠隔斬撃の()()()変化弾(バイパー)に匹敵すると見て間違いない。

 

 実際、試合を見ていた変化弾の使い手(那須)にもその弾道には既視感を覚えていた。

 

 何せ、普段彼女の使うバイパーのそれと、なんら変わらない精密性を風刃は実現していたのだから。

 

「あれは、ナースの変化弾(バイパー)と同じと見て良いだろう。避けたと思っても、当たっていないと思っても、もう一度戻って来る。あの速度でやられると、たまったものじゃないけどね」

 

 加えて言えば、風刃は射出から着弾までの速度が速過ぎる。

 

 撃った事を認識した段階で、既に標的を斬り裂いている。

 

 あれは、そういう類の攻撃だ。

 

 特に、視界が制限されているなら猶更だ。

 

 剣を振る、という射出モーションを見る事が出来なければ、そもそも撃ったという事にすら気付けない。

 

 そういう意味で、砂嵐という天候は極端過ぎたとも言える。

 

 悪天候による妨害効果(デバフ)は、全員平等にかかるのだから。

 

 迅がバッグワームに類する機能を持たないからこそ自分達への悪天候のリスクを許容したのだろうが、香取達の視界まで制限してしまった影響は矢張り大きい。

 

 障害物が少なくして風刃の奇襲性を薄れさせたという強みを、悪天候という条件で無為にしてしまったという風にも見れなくはない。

 

 無論、未来視を制限出来たという要素は無視出来ない。

 

 視界を制限すれば未来視の精度は下がるが、逆に風刃の奇襲性が増す。

 

 見通しの良い状況であれば風刃の奇襲性は薄れるが、逆に未来視の精度が上がる。

 

 あちらを立てれば、こちらが立たず。

 

 矢張り、風刃と未来視の組み合わせの相性そのものが凶悪に過ぎる。

 

 片方の穴を、片方がほぼ完全に埋めてしまっている。

 

 僅かな隙も、迅の経験が補ってしまう。

 

 これが、S級隊員。

 

 これが、迅悠一。

 

 対策しても尚崩れなかった、一つの至上存在(ハイエンド)

 

 七海達が超えるべき、最大の壁である。

 

「色々課題が見えたな。本当に、香取隊には感謝するしかない」

「ええ、今回ばかりは流石にね。本当、あの成長速度には頭が下がるわ」

「原案を出したぼくからすると、少し申し訳ないけどね。ぼくの悪天候で未来視を封じる、っていうコンセプトが結果的に足を引っ張っちゃったワケだし」

 

 王子はやれやれ、と溜め息を吐くが、こればかりは彼に落ち度があるとは言い難いだろう。

 

 彼は提案をしただけで、それを実際に採用したのは香取達だ。

 

 つまり彼女たちはその案の有用性を認めて選んだのであり、その判断の責任は香取隊にある。

 

 誰に非があるワケでもない。

 

 ただ、迅が彼等の想定を上回った。

 

 それだけの、話なのである。

 

「ともかく、本当に良い試合だった。負けはしたけれど、香取隊の強さはもう疑いようがない。きっと、これからも更に強くなるだろうな。彼女達は」

 

 

 

 

「ちくしょうちくしょうちくしょう。あーもう、悔しいぃぃぃぃ……っ!」

 

 香取は緊急脱出(ベイルアウト)用マットの上で、半泣きになりながらジタバタと暴れている。

 

 色々と成長した香取であるが、根っこの部分が変わったワケではない。

 

 身内しかいないこの場で自分を取り繕う必要も感じられない為、こうやって全身で悔しさを露にしているワケである。

 

 盛大にもぎゃる香取を見ながら、染井はくすり、と笑った。

 

「あー、なによ華。今笑ったでしょ」

「ごめんね。葉子がそうなるの、なんか久々だなって」

「むー、そうかな?」

「うん、そうだよ」

 

 染井はだって、と言いながら香取に目線を合わせる。

 

 そして、何処か拗ねたような声で、告げた。

 

「ROUND4の後の葉子、頑張って上を見るばかりで少しピリピリしてたもの。そうやって弱音を吐くの、暫くなかったし」

「んー、まあ華がそう言うならそうなのかも。アタシ、そんなピリピリしてた?」

「うん。少し、寂しかったかも」

 

 でもね、と染井は続ける。

 

「頑張って上を目指そうとする葉子の姿、私は好きだよ。やっぱり、葉子は好きな事してるのが一番良いと思うから」

「そっか。なら、まだ頑張ってみようかな」

 

 香取はそう言って破顔し、染井も笑顔でそれに応じる。

 

 そんな二人の世界を作る彼女達の後ろで若村と三浦が所在なさげにしていたが、まあ些細な事だ。

 

 この二人は、お互いが何よりも優先される存在なのだから。

 

 少し弱音を言い合うくらい、当然の権利である。

 

「0Ptかぁ。多分、不合格だよね」

「他の部隊の結果次第では、分からないと思う。ポイントが全てじゃない、って言ってたし」

「全てじゃなくても、得点は大事でしょきっと。内申点がそこそこ良くても、テストの結果が0点なら受かる筈がないんだし」

 

 ま、A級はお預けね、と香取はぼやく。

 

 捨て鉢にも思えるが、これは香取の正直な感想に過ぎない。

 

 自分を見つめ直し、成長を実感している香取隊だが────────矢張り、停滞し続けた期間の負債は大きい。

 

 今はこれまで努力を怠って来た分の皺寄せを、香取のセンスと他者との妥協による協調によって強引に補っている段階にある。

 

 むしろ、今のままA級にならなくて良かった。

 

 そうとさえ、思っていた。

 

 今言うと気分が盛り下がるので言わないだけで、まだ自分達にA級としての実力があるかと聞かれれば素直に頷けないところではある。

 

「とにかく、これで黒トリガーの相手は経験出来たしね。()()は、きっとしくじらない。あんな光景、二度と目にしてたまるもんですか」

 

 香取は険しい表情でそう呟き、虚空を睨む。

 

 今回の試験の、最大の目的。

 

 それは、黒トリガー所持者という強敵相手の戦い方を覚える事だ。

 

 今までの常識では測れない規格外の相手に、戦いの手段を模索し実行する。

 

 この経験は、確かに彼女達の身に刻まれた。

 

 結果は負けてしまったけれど。

 

 それでも。

 

 その奮闘は、無意味ではない。

 

 予知された、大規模侵攻。

 

 四年前の悪夢の、再来。

 

 それを、超える。

 

 今度は、無力じゃない。

 

 確かに、戦う力があるのだから。

 

 今度は、近界民(あいつら)の好きになんてさせない。

 

 そう決意して、香取は拳を握り締めた。

 

 彼女は知らない。

 

 この試合の結果、迅が更なる未来を視た事を。

 

 香取の奮戦が、未来に大きな影響を及ぼした事を。

 

 目に見える結果だけが、全てではない。

 

 勝っても、負けても。

 

 経験は、確かに積み重なる。

 

 未来とは、そういった小さな積み重ねから分岐するのだ。

 

 香取隊は、敗北した。

 

 けれど。

 

 その戦いは。

 

 その道筋は。

 

 確かに、未来を紡ぐ一助となった。

 

 それを実感するのは、まだ先の事。

 

 来る大規模侵攻、その最中となる。

 

「ケーキバイキング行きましょうよ、ケーキバイキング。自棄食いしてやるんだから」

「太るよ」

「その分運動するからいいもん。アンタ等も、金出すなら連れてったげるわ」

 

 香取の誘いに若村は溜め息を吐きながらも否定せず、三浦は苦笑しつつも頷いた。

 

 今は、休息を。

 

 それは彼女達、全員の総意であったのだから。





 アンケート内容 

 那須が書いたら

 一緒に行きたい相手

 照屋文香
 理由:話してみて良い人だと分かったから。

 加古望
 理由:頼りになる人だから。

 
 一緒に行きたくない相手。

 三輪秀次
 理由:玲一と一緒にしたくないから。

 木虎藍
 理由:多分嫌われてるから。


 熊谷が書いたら
 
 一緒に行きたい相手

 柿崎国治
 理由;良い人だし、頼りになるから。

 村上鋼
 理由:技術が凄いし、一緒にいて勉強になるから。

 照屋文香
 理由:良い子だし、話し易いから。

 太刀川慶
 理由:強いし、戦闘で頼りになるから。

 小南桐絵
 理由:とんでもなく強いし、一緒にいて楽しいから。

 一緒に行きたくない相手

 なし

 
 茜が書いたら

 一緒に行きたい相手

 奈良坂透
 理由:師匠なので。頼りになります。

 絵馬ユズル
 理由:技術が凄い。話し易いです。

 一緒に行きたくない相手

 なし


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影浦雅人⑦

 

「む……?」

「げ」

 

 時刻は12:00。

 

 観戦していた香取隊の試合が終わり、昼食を摂る為に移動していた七海は廊下でばったり香取と鉢合わせた。

 

 狙っていたワケではないが、いつかの焼き回しである。

 

 七海の顔を見た香取は舌打ちし、顔を顰めた。

 

 彼が自分の試合を観戦していた事は、知っている。

 

 策を講じても、意地を見せても、届かなかった。

 

 その姿を、よりにもよって超えるべき目標(七海本人)に見られた。

 

 敗北自体は結果として受け入れているが、それはそれとして出来れば顔を会わせたくはない。

 

 概ね、そういった心境であった。

 

「ふん、なんとでも言えばいいじゃない。あれだけ啖呵を切っておいて負けたんだから、言い訳はしないわ」

「あんな試合を見せた相手を乏しめるなんて、するワケないじゃないか。むしろ、お礼を言いたいくらいだよ」

 

 あん? とその言葉に眉を顰めた香取に対し、七海は正直な感想を口にした。

 

「迅さんを対策した戦術も、それを実行した君たちの実力も、俺は高く評価しているつもりだ。少なくとも、俺は君達の試合を見る事が出来て良かったと思っている。カゲさん達も、それは同じだ」

 

 七海は、香取の奮戦を正しく評価している。

 

 結果は届かなかったとしても、彼女たちの戦いが意味なきものであったとは思わない。

 

 香取隊が引き出した情報により、七海達が策を練り直す事が出来たのは勿論────────香取達もまた、格上に食らいつく経験を得る事が出来た。

 

 未来視という戦術の基礎そのものを覆す副作用(サイドエフェクト)を持ち、黒トリガーまで所有する迅は本来まともに戦えるような相手ではない。

 

 太刀川は七海達のそれと比較すれば戦闘向きのサイドエフェクトではないと言っていたが、対策をしなければ戦いの舞台にすら立てはしないのだ。

 

 そして、対策を取ったとしても迅の歴戦の経験値が性能上の弱点を補ってしまう。

 

 香取風に言うなら無理ゲー、とでも言うべき相手だ。

 

 だが、そんな相手に香取はあと一歩まで迫る事は出来た。

 

 取得ポイントは確かに0だったが、その健闘はあの場にいた誰もが称えている。

 

「君達は以前までとは、全く違うよ。迅さんも、言ってたんじゃないか? 君達は、もっと強くなれるって。それは、俺も同感だ」

「なによアンタ。あの時、音声拾えてたワケ?」

「そういうワケじゃないさ。多分迅さんならそう言ったんだろうなって、ただ思っただけさ」

 

 これでも、付き合いはそこそこ長いからね、と七海は呟く。

 

 迅の本質を理解したのはあの玉狛での出来事の時ではあるが、ある程度彼の考えを推察出来るようにはなった。

 

 持っている視点が異なる為完全に理解する事までは出来ないが、それなりに察する事自体は出来る。

 

 あの場なら、きっと迅は香取達の健闘を称えただろう。

 

 そのくらいは、分かるのだから。

 

「あっそ。ま、褒めて貰えるなら素直に貰っとくわ。けど、アタシは此処で止まるつもりはないからね。もっと強くなって、大規模侵攻(ほんばん)で結果を出してやるんだから。あれを繰り返したくないのは、アタシも同じだし」

「同感だ。きっと迅さんも、その為に試験官になってくれたんだと思う。俺達に出来るのは、その想いに応える事だけだ」

「ふぅん。なら、やってみせなさいよ。そこまで啖呵切って勝てなかったら、笑ったげるわ」

 

 香取はそう言い残し、その場を去った。

 

 今のは恐らく、七海への応援。

 

 好敵手に対する、香取なりの激励(エール)だろう。

 

 それを受け止めた七海は頷き、去っていく香取の背中を見詰めた。

 

「勿論、負けるつもりはないさ。俺も、そして────────カゲさんもね」

 

 

 

 

「で? そのMAPと天候で本当にいーんだな?」

「何度も言わせんな。それでいい」

 

 影浦隊、作戦室。

 

 そこで、影浦隊の面々は最後のミーティングを行っていた。

 

 議題は、試験において選ぶMAPとその天候設定である。

 

 当初、影浦隊はオーソドックスな市街地MAPを選び迅に地力勝負を仕掛けるつもりだった。

 

 下手に策を打つよりも、感知能力を持つ影浦をメインに作戦を組み立てた方が良い。

 

 そう考えた結果であったのだが、その意見は先ほどの香取隊の試合を見て覆さざるを得なかった。

 

 迅は、まともに戦って勝てる相手ではない。

 

 同じノーマルトリガーを使うのであればともかく、今回迅が持ち出したのは黒トリガーである風刃。

 

 普通に挑んだのでは、その性能差で負けるだけだ。

 

 影浦は回避能力が非常に高いが、風刃の速度と奇襲性はそれすら抜いてくる可能性がある。

 

 なにせ、同じく回避に適した副作用(サイドエフェクト)を持つ七海ですら、初見では反応出来なかったのだ。

 

 サイドエフェクトがあるから大丈夫、などと思っていてはたちまちやられてしまうだろう。

 

 ならば。

 

 自分たちの強みを活かしつつ、策を練るしかない。

 

 幸い、原案のモデル自体は香取隊が見せてくれた。

 

 あれをベースに自分達なりにアレンジすれば、やりようはある。

 

 しかし、極端な設定である事は事実なので、光は一応確認したのだ。

 

 これでいいのか、と。

 

 無論、答えは決まっているのだが。

 

「ムカつくけどよ、普通にやったんじゃ勝てねぇ。七海に偉そうな事言っといて、作戦も何も立てずに負けたらかっこわりぃだろーが」

「そんな事言って、もし失敗しても七海くんに情報を落としていくつもりなんだよね。カゲは」

「うっせ」

 

 北添の指摘に影浦はそっぽを向き、舌打ちする。

 

 しかし否定をしなかったという事は、そういう事だ。

 

 作戦も碌に立てずに負けたのでは、落とせる情報はたかが知れている。

 

 ならば、作戦をしっかり立てて戦った方が引き出せる情報は多い。

 

 香取隊が、そうだったように。

 

 少なくとも、何の成果もなしは有り得ない。

 

 そう考えて出した、結論だった。

 

「でも、負けるつもりもないんでしょ?」

「たりめーだろ。んな事、考えてねーよ」

 

 それはそれとして、負けるつもりは微塵もない。

 

 最初から負けると考えて挑むような精神性とは、影浦は無縁だ。

 

 少なくとも、迅は難敵ではあっても無敵ではない。

 

 それは、香取隊が証明してくれた。

 

 ならば、自分達も証明してみせよう。

 

 格上上等。

 

 歴戦の経験、それがどうした。

 

 戦いになる以上、勝負の結果はやってみなければ分からない。

 

 少なくとも、影浦自身は。

 

 負けるつもりなど、欠片もないのだから。

 

「了解っと。やるからには勝てよ、カゲ」

「何度も言わせんな、たりめーだ。おめーも下手こくなよ」

「ふふん、安心しろ。光さんがきっちりお前らをアシストしてやっからな」

 

 光はそう言って不敵な笑みを浮かべ、影浦もまた好戦的な笑みを浮かべる。

 

 その首元に光る隊章のモチーフは、獣の牙。

 

 彼等の飽くなき闘争心を象徴する、ワイルドファング。

 

 影浦も、北添も、ユズルも、光も。

 

 全員が共通して、持っているものがある。

 

 それが、高い闘争心。

 

 影浦は言うに及ばず、北添も心優しいがいざとなれば力を振るう事を厭うタイプではない。

 

 そもそも、二人の馴れ初めが殴り合い(ケンカ)だったのだ。

 

 強面の部類に入る影浦に正面から喧嘩を売れる時点で、その度胸は察して知るべきであろう。

 

 ユズルもまた、静かな面持ちの中に熱い闘志を秘めている。

 

 寡黙な性格故多くは語らないが、それでも確かにその心には牙がある。

 

 今はいない師匠を目指し、如何なる敵であろうと臆さない精神性。

 

 未だ幼く未熟ではあれど、確かにその心に闘志は秘められているのだ。

 

 光もまた、強い自我を持つ。

 

 遠慮、なんて言葉は彼女から最も遠い言葉だ。

 

 言うべき事はきちんと言うし、尻を蹴飛ばす必要があるなら躊躇いなく蹴っ飛ばす。

 

 癖の強い性格ではあるが、影浦隊の面々にとっては口には出さないが頼れるオペレーターであるのは確かなのだ。

 

 口にすると途端にドヤり出すので、口には出さないが。

 

「行くぜ、おめーら」

「うん」

「分かった」

「おっしゃ、行くぜ!」

 

 影浦隊が、出陣する。

 

 標的は、迅悠一。

 

 未だ土の付いていない、黒トリガーの使い手である。

 

 

 

 

「今日は招いてくれてありがとうな、七海。俺の我が儘まで聞いて貰ったし」

「いえ、頼んだのはこちらですから。鋼さん」

 

 13:55。

 

 試験会場の観戦席。

 

 そこで七海と話していたのは、村上だった。

 

 村上は七海が招いた相手であるが、彼としては七海と同じく攻撃手仲間である影浦の試合にも興味があった。

 

 その旨を七海を通じて迅に伝えたところ、あっさりとOKが出て観戦権を手に入れたというワケである。

 

 来たのは村上一人だけで、鈴鳴第一の面々は来ていない。

 

 まあ、鈴鳴にはおっちょこちょいの太一(口が滑りまくる真の悪)がいるのでチーム全員を連れて来るワケにはいかないのだろう。

 

 それに、迅から認められた観戦者は村上だけだ。

 

 村上としては来馬も連れて来たかったようだが、流石に許可は下りなかった。

 

 案外、来馬まで来ると何かの間違いで太一が付いて来てしまう可能性があるからでは? と七海は邪推したが、結果は結果だ。

 

 今此処にいるのは那須隊と村上、そして────────。

 

「ふん……」

 

 二宮隊、その面々。

 

 談笑する二人とは対照的に仏頂面の二宮は、七海達のやり取りを見て鼻で笑った。

 

 本人としてはそのつもりはないのだろうが、傍から見ると馬鹿にしているようにも見える。

 

 基本的の会話のピッチングしか出来ない二宮なので、他人からどう見られているかが眼中にないのだ。

 

 基本世界は自分を中心に回っていると無意識(ナチュラル)に思っているタイプなので、誤解を招きまくるのは言うまでもない。

 

 今の一幕も、「成る程、七海は村上を連れて来たのか。あいつなりの思惑があるんだろうな」と感心しただけである。

 

 その結果が鼻で笑う、という無意識の動き(モーション)になるあたり、どうしようもないが。

 

「やあ七海くん、調子はどうかな?」

「犬飼先輩……」

 

 そんな隊長はさておいて、七海に話しかけて来たのは犬飼だ。

 

 犬飼は二宮の挙動に関しては完全放置(どうにでもなれ)の構えでスルーし、情報交換の意図を持ってこうしてやって来たのである。

 

「そっちは、香取隊の試合を見たんだよね。どうだったかな? 俺達の見た弓場隊の試合情報と交換で、どうかな?」

「確か、若村は犬飼先輩の弟子でしたよね? 彼から聞いていないんですか?」

「俺としては、第三者の視点の意見が欲しいからさ。あの子はどうも主観に引きずられるところがあるから、君の方が適任なのさ」

 

 己の弟子を割とばっさり切り捨てる犬飼だが、若村が主観的意見に引きずられがちなのは事実なので否定は出来ない。

 

 影浦が七海の事を理解しているように、師は弟子の事を結構分かっているものなのだ。

 

「そういう事なら、構いません。香取隊は────」

 

 七海は情報交換を了承し、香取隊の試合情報を口にした。

 

 先に情報を出すのは交渉としては悪手だが、元より交渉ごとで犬飼に勝てるとは思っていない。

 

 なら、さっさと情報を出してリターンを得た方が建設的だ。

 

 七海はそう割り切り、犬飼に香取隊の試合情報を伝えた。

 

「成る程、香取ちゃん達もやるねえ。まさか、そこまで迅さん相手に健闘するなんて」

 

 成長速度おっそろしいなあ、と犬飼はぼやく。

 

 彼から見ても、香取隊の────────香取の成長速度は、著しい。

 

 一戦一戦を確実に自らの糧として、今も尚成長を続けている。

 

 その成長性は、称賛されるべきものだ。

 

 昔の良くも悪くも香取次第の部隊、という評価は撤回するべきなのだろう。

 

「しかしホント、迅さんてば反則みたいな相手だよね。弓場さんはグラスホッパーを隊全員に持たせて波状攻撃を狙ったけど、カウンターで全員やられちゃったしね」

 

 犬飼の語った話では、弓場隊は隊員全員にグラスホッパーをセットさせて、空中から奇襲をかけたらしい。

 

 未来視の弱点である、複数相手では情報を処理しきれない場合がある、という点を突いた作戦だ。

 

 空中から仕掛けたのは、風刃の遠隔斬撃対策の為だろう。

 

 矢張り、弓場隊もしっかり対策を練って挑んだようだ。

 

 しかし、それでも。

 

 迅には、届かなかった。

 

 敗因は、グラスホッパーの習熟度不足。

 

 香取と違い、弓場隊はグラスホッパーを本当の意味でマスターしている者はいない。

 

 弓場は第三試験の為に鍛えてはいたが、他の三人は最低限使えるようになっただけ。

 

 迅はそれを見抜いて冷静に攻撃を凌ぎ、ミスを誘発させて一人一人仕留めたらしい。

 

 弓場は神田の捨て身によって迅の片足を吹き飛ばす手傷を負わせたらしいが、そこで神田諸共風刃によるカウンターで両断。

 

 あえなく緊急脱出となったらしい。

 

(やっぱり、空中戦を仕掛けるという発想は間違ってはいないな。後は────)

 

 七海はその情報の意味を吟味しつつ、スクリーンに目を向ける。

 

 時間は、丁度14:00。

 

 影浦隊、試験開始の時刻である。

 

『全隊員、転送開始します』

 

 

 

 

 沢村のアナウンスと同時に、影浦達の身体が仮想世界へ転送される。

 

 目に入るのは、中央に立つショッピングモール。

 

 そして。

 

『MAP、『市街地D』。天候、『猛吹雪』』

 

 戦場を包み込む、一面の白い嵐(ホワイトアウト)

 

 砂嵐と同等かそれ以上の、悪天候のフィールドであった。



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影浦雅人⑧

 

 吹雪く世界に降り立ち、影浦はビルの上から街を見据えた。

 

 視界は、吹雪の所為で殆ど0に近い。

 

 一面の白。

 

 微かに見える、戦場となる街並み。

 

 それを確認し、影浦は唇を釣り上げた。

 

「ヒカリ、位置はどうだ?」

『バッチリだぜ! やっぱ、あっちにバッグワームみてぇな機能がねぇのは間違いねぇな!』

 

 オペレーターの光から、迅の位置が送られて来る。

 

 それを部隊全員で共有し、影浦は告げる。

 

「ゾエ。やれ」

『了解了解っと』

 

 そして、その合図を出した。

 

 それは、即ち。

 

 開戦の、号砲である。

 

 

 

 

「お、来た来た」

 

 迅はその光景を視て、その場から退避する。

 

 その、次の瞬間。

 

 彼のいた場所に、無数の爆撃が着弾する。

 

 適当メテオラ。

 

 そう呼ばれる北添の得意技が、炸裂した瞬間だった。

 

 影浦隊の得意戦術にして、基本戦術。

 

 屋外で戦うMAPの場合、開幕直後に北添がレーダー頼りにメテオラを乱射し、混乱を生み出す。

 

 そこを起点に乱戦に持ち込んで点を取るのが、影浦隊の戦術の展開起点(アーキタイプ)である。

 

 もしも迅がこの市街地Dの主戦場になり易いモール内に転送されていれば話は違っただろうが、彼が転送されたのは主幹道路のど真ん中。

 

 そして風刃にバッグワームに類する機能がない以上、迅の位置は開幕から知られている。

 

 この状態で、適当メテオラを撃たない理由がないのだ。

 

 ただし。

 

「幾ら視えなくても、弾道で位置が丸わかりだよ」

 

 それは、迅に自分の位置を晒す事をも意味している。

 

 猛吹雪で視界は効かないが、そもそもの話として迅は大抵のMAPの構造は頭に叩き込んである。

 

 スコーピオンを使っていた時代には、どんな地形でも太刀川とやり合えるように様々な地形を選んで戦い、その構造を記憶していた。

 

 新しく追加された地形までは完全には把握してはいないが、その時の名残で大抵のMAP構造は頭に入っている。

 

 故に。

 

 弾道から大まかな位置は予想出来るし、そもそも炸裂弾(メテオラ)の爆撃という派手な真似をしたのだ。

 

 一瞬でも吹雪が晴れる場所があれば、そこを視ればそれで済む。

 

 迅は、容赦など微塵もなく。

 

 風刃の遠隔斬撃を、繰り出した。

 

 

 

 

『ゾエ、来っぞ……っ!』

「了解っと」

 

 北添は、それなりに距離のあるビルの屋上から爆撃を敢行していた。

 

 彼はそこまで足が速くないので転送位置によっては無理な地形で爆撃を行う事も考えていたが、今回はこのビルの中に転送された為、すぐさま爆撃を行う事が出来た。

 

 勿論、即座に風刃による遠隔斬撃が来る事は分かっている。

 

 吹雪で視界は効かない筈だが、あの香取隊の試合で見せた動きから考えるに、弾道予測や地形把握はさも当然のように行って来るだろう。

 

 故に、この迎撃自体は最初から想定済み。

 

 だからこそ。

 

 北添は躊躇いなくそのトリガーを使用し、遠隔斬撃の到達直前にその場から()()()()()

 

 

 

 

「へえ」

 

 迅は緊急脱出の光が確認出来ない事から風刃の攻撃が失敗した事を理解し、興味深げな笑みを浮かべた。

 

 相変わらず吹雪で視界が効かない為、北添に何が起きたかは視えない。

 

 だが、推測は出来る。

 

 迅が使用した遠隔斬撃の弾数は、三本。

 

 何処にシールドを張ろうと、必ず急所を射抜けるように放っていた。

 

 そして、北添の回避能力では身のこなしだけで回避したというのは考え難い。

 

 グラスホッパーも使いこなせるとは思えないし、位置予測が間違っていたというワケでもない。

 

 エスクードジャンプという可能性もあったが、この距離ならば間に合うかは微妙なところだ。

 

 つまり。

 

「テレポーターか」

 

 転移トリガー、テレポーター。

 

 その可能性が一番高いと、迅は推測した。

 

 

 

 

『追撃はねぇな。どうやら撒けたみてーだぜ』

「よかったぁ」

 

 北添は先ほどとは別のビルの屋上に立ちながら、ふぅ、と息を吐いた。

 

 迅の推測は、当たりだった。

 

 彼があの場からの離脱を成し遂げたのは、テレポーターによるものだ。

 

 テレポーターは、本来迅相手には鬼門だ。

 

 最初のデモンストレーションの試合で茜がやられたように、迅は転移先を視てそこに斬撃を置く事が出来る。

 

 初見殺し性能の高いテレポーターではあるが、反面既知の相手からしてみれば対策は幾らでも出来るという弱点がある。

 

 特に、転移先を視られてしまう為に奇襲性すら死んだも同然。

 

 徒に隙を晒すだけの結果に、終わってしまう。

 

 だが。

 

 それはあくまで、()()()()()での話だ。

 

 今回のMAPの天候は、猛吹雪。

 

 砂嵐に匹敵する、視界封鎖の悪天候だ。

 

 その視界は、殆ど0。

 

 流石に爆撃のような目立つ真似をすれば別だが、テレポーターの転移事態は一瞬のうちに行われる。

 

 この猛吹雪の中であれば、転移先を視られる心配もない。

 

 結果として、北添は適当メテオラを行いつつ姿を晦ます事に成功したのだ。

 

 テレポーターは再使用までにタイムラグがある以上、すぐに爆撃をすれば今度こそ位置が割れたまま逃げられずに落とされる。

 

 此処で仕掛ける事は、出来ない。

 

 だが。

 

 既に、彼の役割は果たした。

 

 後は、本命が行くだけだ。

 

「カゲ。任せたよ」

『ああ、任せろ』

 

 

 

 

「来たか」

 

 白い嵐の中から伸びる、鞭のような斬撃。

 

 迅はそれをバックステップで回避し、仕掛けて来た相手を見据えた。

 

 そこにいたのは、隊服を雪と同じ白に染め上げた影浦。

 

 白を纏った狩人(けもの)は、不敵な笑みを浮かべて迅と相対した。

 

「行くぜ」

 

 闘志を漲らせた影浦は、マンティスを繰り出し迅へと斬りかかった。

 

 

 

 

「成る程、そういう事か」

 

 試合を見ていた犬飼が、そう言って目を細めた。

 

 香取隊の結末を見ていたにも関わらず、視界を制限する天候を選んだ影浦隊の意図はすぐには分からなかった為、困惑した者は多い。

 

 だが。

 

 こと此処に至れば、その目的も理解する。

 

 吹雪を隠れ蓑にした、奇襲戦法。

 

 それが、影浦隊の今回の作戦の根幹だ。

 

「視界を制限して、ゾエの適当メテオラを撃つ。で、ゾエはテレポーターで逃げたのか。この吹雪なら、日浦さんのように斬撃を置かれる事はないと考えて」

「確かにこれだけの悪天候なら、テレポーターを使っても分かりませんからね。理に叶っています。問題は、香取隊の時と同じく風刃の軌道が見え難い、という事ですが────」

「その点も、問題ないでしょ。前回と今回じゃ、決定的に違う点があるからね」

 

 犬飼はそう告げると、影浦の戦う映像を見て笑みを浮かべた。

 

「カゲには、副作用(サイドエフェクト)がある。視界が効かなくても、感知してしまえば関係ない。こと回避に関しては、香取ちゃんとカゲじゃあ前提条件が違い過ぎるからね」

 

 そう、視覚を介する迅の未来視とは異なり、影浦のサイドエフェクトは感覚で直接感知するタイプの能力だ。

 

 吹雪や砂嵐等の視界の効かない環境下でも、影浦は問題なく攻撃の軌道を識る事が出来る。

 

 つまり、こと影浦に限って言えば、未来視を封じる為の悪天候の弊害である風刃の不可視化というデメリットは、無視してしまう事が出来るのだ。

 

「だから、ゾエが適当メテオラで迅さんの注意を惹きつけた隙に、カゲがああして接近出来た。やってる事はいつもと同じだけど、それを迅さん相手に創意工夫で成功させたってワケだね」

 

 適当メテオラで攪乱し、その隙に影浦が近付き奇襲する。

 

 その手順自体は、いつも影浦隊がやっている事だ。

 

 だが。

 

 今回の影浦隊は、迅という駒の特性と影浦というエースの性質を理解した上で立ち回り、その得意戦術(いつも通り)を成立させた。

 

 その意味は、果てしなく重い。

 

 迅相手に、いつも通りの戦術が使える。

 

 それがどれ程難しいかは、言うまでもない。

 

 未来視を使える迅にとって、あらゆる戦術は既知となり、奇襲の意味は失われる。

 

 故に、いつも通りの感覚で戦っていれば、間違いなく敗北する。

 

 かと言って、慣れない戦術で勝てるレベルの相手というワケでもない。

 

 奇策は初見殺しには有効でも、逆に言えばそれだけ安定性のない戦術でもあるのだ。

 

 確かに有効ではあるが、奇策だけに頼るようでは勝ち続けるには限界がある。

 

 そういう意味で、状況に応じて臨機応変に立ち回り、自分の隊の得意戦術(いつも通り)を押し付けられる部隊は強い、と言えるのだ。

 

 B級上位では二宮隊と生駒隊がその点は優れており、二部隊の安定感の現れでもある。

 

 影浦隊は、元々個々人が好きにやった結果として、それを強引に押し通す事に成功していた。

 

 北添が爆撃し、影浦が戦いたい相手に奇襲し、隙を見つければユズルが狙撃する。

 

 それが、影浦隊のやり方(スタイル)だ。

 

 この自由度の高さこそが影浦隊の真骨頂であり、部隊の肝でもある。

 

 下手に戦術を考えるよりも、各々が自然な形で動いた方が強い。

 

 それが、影浦隊なのである。

 

 そして今は、そこに戦術的な視点が加わっている。

 

 各々の強みを殺す事ないように動く事を念頭に置き、尚且つ相手の動きを考慮に排除すべき障害を見定める。

 

 そして、影浦が最適な形で存分に動けるように露払いを行い、盤面を動かす。

 

 それこそが、今の影浦隊の戦術行動(やり方)である。

 

 影浦隊の強みである遊撃性の高さを殺す事なく、相手への対策を考慮した上で奇襲をかける。

 

 それが、影浦隊なりの迅への答え。

 

 挑戦者となった狩人(けもの)の見せた、牙の使い道である。

 

「カゲのサイドエフェクト前提の動きだから俺達の参考にはならないけど、那須隊(きみたち)には充分意味のある戦術じゃないかな?」

 

 いやー、カゲが此処まで弟子に甘くなるとはねぇ、と犬飼は笑っている。

 

 無論、そんな事は七海とて理解出来ている。

 

 影浦がこの戦術を選んだのは自分が勝つ為、という目的も大前提としてあるだろう。

 

 しかし、それだけではない。

 

 後に続く、七海の為に情報を落とす。

 

 それが、今回の影浦隊の動きからは透けて見えた。

 

 これが試験である以上、那須隊は影浦隊にとって競争相手である事に違いはない。

 

 戦う相手こそ共通しているが、試験である以上優劣は決まる。

 

 影浦隊がA級昇格にかける気概がどれ程のものかは分からないが、少なくとも興味がないというワケではないだろう。

 

 それならば、昇格試験の説明の時に忍田相手に影浦があんな事を問いかける筈がないからだ。

 

 ユズルが遠征に行きたがっているのであれば、影浦が全力を尽くさない筈がない。

 

 強面で喧嘩っ早い面はあるが、影浦は身内に対する情はとても深い。

 

 特に、なんだかんだで自分に懐いているユズルがやる気を出したのであれば、影浦が本気になるには充分な理由となる。

 

 今回も、自分が駄目でも七海の役に立てれば────────などと、弱気な思考では断じてない。

 

 ただ、これが一番勝てそうだから、ついでに参考にしとけ。

 

 そのくらいの、気概だろう。

 

 手を抜いたワケではなく、ただ一番勝率の高い方法が観戦する那須隊にとって有意義な戦術だった。

 

 それだけの、話である。

 

「カゲらしいな」

「ええ、確かに」

 

 村上の言葉に、七海も同意する。

 

 これが、影浦なのだ。

 

 口は悪いし、素行も良いとは言えないけれど。

 

 それでも、情に厚く身内は決して見捨てない。

 

 必要と思えば幾らでも世話を焼くし、仲間の為に本気で怒る事も出来る。

 

 だからこそ、彼の内面を知る者達から慕われるのだ。

 

 影浦隊は、そんな影浦とその理解者が集まっている。

 

 皆が影浦の真意を理解し、彼と共に思う存分その力を振るい戦う。

 

 それが、影浦隊。

 

 彼という孤高の獣の元に集った、仲間想いの牙持つ獣(ワイルドファング)

 

 今、彼等はその牙を剥きだしにして笑っている。

 

 その光景が、七海と村上には見えるようであった。

 

「でも、なんで市街地Dなのかな。もしも迅さんがモールに転送されてたら、どうするつもりだったのかしら」

「その場合も、メテオラで焼きだすつもりだったんじゃないかしら。あのMAPでは、よく使われる手だし」

 

 熊谷の疑問に、那須がそう答えた。

 

 市街地DというMAPは、中央に巨大なショッピングモールの存在する狭いMAPだ。

 

 場合によっては、初期転送位置がモールの中、という事が充分考えられる。

 

 実際、ユズルがそうだ。

 

 もしも熊谷の言う通り、迅がモール内に転送されていれば即座に爆撃で狙う事は出来なかった筈だ。

 

 無論、那須の言う通りこのMAPでは戦況が硬直すれば炸裂弾(メテオラ)で焼き出しを行うのが常だ。

 

 だが。

 

「その場合は、一手の無駄が大きいんじゃないかな。だからそれよりも、迅さんが出て来るのを待ってから仕掛ける予定だった、って考えた方が良さそうだけど」

 

 でも、と犬飼は思案する。

 

(それだったら、熊谷さんの言う通り最初から渓谷地帯なんかを選んだ方が手間が省けるよね。だから、この点も何か仕掛けがあるな)

 

 犬飼は、このMAP選択にも何かしら意味がある筈だと確信していた。

 

 渓谷地帯のような開けたMAPではなく、屋外戦になる可能性の高かったこの地形を選んだ意味。

 

 そこには、まだ見せていない影浦隊の真意が隠されている筈だ。

 

 映像からその真意を読み取るべく、犬飼は目を走らせ────────。

 

「成る程」

 

 一つの映像を見て、得心して頷いた。



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影浦雅人⑨

 

「────!」

 

 影浦はマンティスを繰り出し、迅に斬りかかる。

 

 鞭のようにしなり、曲線を描きながら振り抜かれる獣の刃。

 

 迅はそれを風刃のブレードで斬り飛ばし、攻撃を凌ぐ。

 

 マンティスはスコーピオンを連結させた代物である為、当然耐久力は変わらない。

 

 どころか、伸ばせば伸ばした分だけ耐久力が落ちるので、スコーピオンよりもよっぽど割られ易い。

 

 マンティスの最大の利点はその射程と自由度である為、伸ばさない、という選択肢がまず有り得ないからだ。

 

 故に、弧月以上の耐久力と切断力を持った風刃のブレード相手でたった一合で割断される。

 

「ち……っ!」

 

 影浦は即座にマンティスを再構成し、一閃。

 

 下から突き上げるような軌道でマンティスを振り抜くが、迅はそれを身のこなしだけで回避する。

 

 そして続けざまに腕を振り抜き、風刃のブレードで影浦に斬りかかる。

 

「食らうかよ……っ!」

 

 防御────────などという選択肢は有り得ない。

 

 影浦は、あの日の試合で七海のスコーピオンが一合で切断された光景を直に見ている。

 

 スコーピオンで防御しようとした瞬間、それごと斬り倒されるだろう。

 

 風刃は遠隔斬撃がとにかく驚異的だが、ブレードそのものの性能も地味に厄介だ。

 

 重量はスコーピオン並みで、強度と威力は弧月以上。

 

 軽く、丈夫で鋭い。

 

 言葉にすればそれだけだが、シンプル故に明確な対抗策はない。

 

 弧月ならば打ち合えるだろうが、スコーピオンの耐久性能ではまず無理だ。

 

 故に、スコーピオンの使い手である影浦は迅の攻撃に対しては回避一択。

 

 そして。

 

「……っ!」

 

 影浦は下方から肌に刺さる強烈な感情を感知し、考える前に行動に移った。

 

 己の感覚に従い、即座にバックステップを踏む。

 

 その次の刹那、影浦のいた場所に風刃の遠隔斬撃が撃ち出された。

 

 間一髪、回避に成功した影浦。

 

 猛吹雪という視界が効かないフィールドである為、目視ではまず気付けなかったであろう。

 

 影浦のサイドエフェクトの感知があって、ギリギリ回避が間に合う。

 

 これは、そういう類の攻撃だった。

 

(ちっ、攻撃速度がとんでもねぇ……っ! 一瞬でも気ぃ抜いたらやられるな、こりゃ)

 

 それに、と影浦は迅の持つ風刃から伸びる十本の帯を見据える。

 

(今、ようやく一本か。中々使いやがらねぇな、ちくしょうが)

 

 迅は、最初に北添への奇襲が失敗して以降、遠隔斬撃を全く使っていなかった。

 

 今、ようやく一本を消費させたが────────その間に、影浦の動きは見切られつつあった。

 

 最初の数合だけは視界が効かないという条件と白く染めた隊服の相乗効果で有利に戦えていたが、四合目からは違った。

 

 迅は僅か数合で影浦の動きと悪天候という条件に適応し、あからさまに隙をなくし始めた。

 

 そして、迅は遠隔斬撃を使わずに、体捌きだけで影浦とやり合っている。

 

 遠隔斬撃を使えば痛打を与えられそうなタイミングですら、彼はそれを使わなかった。

 

 それは何故か。

 

 舐めてかかっている────────などという楽観は有り得ない。

 

 恐らく、待っているのだ。

 

 もう一度、北添が爆撃して来るタイミングを。

 

 北添は適当メテオラを撃った直後、テレポーターでの雲隠れに成功している。

 

 今は影浦を援護出来るよう、何処かに身を隠している筈だ。

 

 適当メテオラは、攻撃を感知出来る影浦とは抜群に相性が良い。

 

 何せ、影浦のいる場所に撃ち込んでも、彼だけはその爆撃を察知して回避しながら攻撃に移れるからだ。

 

 故に、北添がそのタイミングを狙っている事を────────迅は、読んでいた。

 

 だからこそ、風刃の遠隔斬撃は使わない。

 

 北添を補足し次第、即座に仕留める為に。

 

 無論、テレポーターがある事は理解しているだろう。

 

 だが、迅に同じ手が二度通じるという楽観は、影浦達は抱いていなかった。

 

 テレポーターがあるから大丈夫、などという安易な考えで行動した瞬間、その油断を突かれるだろう。

 

 迅は、戦争という死地を潜り抜けた彼には、それを納得させるだけの凄みがある。

 

 ガンメタを張った香取隊に対し、地力と経験のみで鮮やかに撃退してみせた光景を影浦達は忘れていない。

 

 迂闊に爆撃を仕掛ければ、恐らく迎撃される。

 

 それは推測というより直感の類ではあったが、影浦はこれが間違っているとは思っていない。

 

 そもそも、未だ北添やユズルが無事なのは影浦が一人で迅を抑えているからだ。

 

 風刃の遠隔斬撃は確かに強力だが、近接ではただのブレードに過ぎない。

 

 目の前で他者と鍔迫り合っている最中に他の者を遠隔斬撃で狙うのは、明確な隙になる。

 

 そして、影浦はその隙を見逃す程愚鈍ではない。

 

 影浦という実力者が迅と相対しているからこそ、北添とユズルは隠密に徹する事が出来るのだ。

 

 本音を言えば、最初の奇襲で腕の一本でも落としておきたかったというのが正直なところだ。

 

 しかし、迅は白く染めた隊服で吹雪に紛れた影浦の奇襲を、さも当然の如く無傷で凌いでみせた。

 

 あれで痛打を与えられなかったのは、正直痛い。

 

 どんな実力者相手にでも、初見殺しは一定の効果を発揮する。

 

 だが、それはそれが本当に初見であった場合の話だ。

 

 今回の場合、吹雪に紛れるという手段を使ってはいるが────────爆撃の後影浦が奇襲する、という手準自体は影浦隊の基本戦術(デフォルト)である事に違いはないのだ。

 

 故に、迅は予想していたのだろう。

 

 あのタイミングで、影浦が奇襲をかけて来る事を。

 

 経験則から来る、推測で。

 

 そして迅の推測通り影浦は奇襲し、それは防がれた。

 

 ある意味、これは仕方のない事だとも言える。

 

 何せ、影浦隊が一番力を発揮出来るのがこの戦術なのだ。

 

 下手に普段の戦術を捨てれば、どうしても動きの精度(パフォーマンス)は低下する。

 

 だからこそ、戦術自体に間違いはない。

 

 ただ、それを見越して対応出来た迅が凄まじいのだ。

 

 雪に紛れただけ、と言葉にすれば簡単だが、普通ならあの奇襲は確殺出来て然るべき代物なのだ。

 

 視界がほぼ0の中、白い隊服で雪に紛れた影浦がマンティスで奇襲をかける。

 

 普通であれば、何が起こったか分からず斬り裂かれていた事だろう。

 

 だが、迅はそれに難なく対応してみせた。

 

 ()()()()()()()()という、ただ一点だけで。

 

 経験が違う。

 

 視点が違う。

 

 ものが違う。

 

 これが、迅悠一。

 

 戦争という死地を生き抜いた、歴戦の猛者。

 

 対策をした、それだけで勝てるような相手ではない。

 

 だからこそ。

 

 影浦達は、このMAPを選んだのだから。

 

(出来んなら、このままもう少し残弾を撃たせてぇところだが────────多分、撃ってこねぇなこりゃ)

 

 マンティスで迅に斬りかかりつつ、影浦は思考を加速させる。

 

(さっきの遠隔斬撃は、多分()()だ。やられたくなきゃ、ゾエを出せってな。ったく、タチが悪ぃ)

 

 影浦は、何もあてずっぽうで言っているのではない。

 

 彼のサイドエフェクトが、そう感じていたからだ。

 

 副作用(サイドエフェクト)、感情受信体質。

 

 それは、相手の感情を肌に刺さる感覚として感知する能力だ。

 

 先ほどの遠隔斬撃の際に感じたのは、過剰な程の()()

 

 此処で落とす、という殺意が籠りまくった攻撃だからこそ、影浦は間一髪での対処が間に合ったとも言える。

 

 あれだけ明確な殺意を攻撃に乗せれば影浦が反応する事は、迅は分かっていた筈だ。

 

 だというのにそれを行ったのは、影浦に対する挑発のようなものだろう。

 

 やられたくなければ、さっさと北添を出せ、という言外の脅し(ちょうはつ)

 

 それが、先ほどの攻撃の正体だ。

 

 感情をダイレクトに感知する影浦だからこそ、通じる挑発。

 

 それを分かっていてやっていたのだから、成る程確かに性質が悪い。

 

 しかし、このままではそれが脅しでは済まなくなる。

 

 迅の攻撃は、回数を重ねるごとに精度が上がっている。

 

 まるでそれは、村上鋼(あの好敵手)のよう。

 

 村上のサイドエフェクトを下地にしたそれとは違い、純粋な経験と観察眼でそれを実現している。

 

 だが、脅威はそれだけではない。

 

 風刃は、近付けばただのブレード。

 

 その認識自体は、間違ってはいない。

 

 されど。

 

 近接でも、遠隔斬撃自体は使えるのだ。

 

 多少やり難い、というだけで不可能ではない。

 

 そしてそれは。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という精神的な圧迫を生んでいる。

 

 遠隔斬撃の速度は、あの生駒旋空並みかそれを上回る。

 

 加えて、迅は思考と攻撃の遅延(ラグ)がほぼ存在しない。

 

 影浦はその副作用(サイドエフェクト)で攻撃を感知出来るが、正確には彼が受け取っているのは相手の感情であって攻撃そのものではない。

 

 そして、攻撃意思が固まった段階で影浦はその感情を察知するが────────逆に言えば、攻撃意思を持たない段階では感知出来ない、という事でもある。

 

 無論、それは言うほど簡単な事ではない。

 

 戦闘は、感覚で戦う者と考えて戦う者に分別される。

 

 感覚で戦う者は思考と攻撃の遅延(ラグ)が少ないのが特徴であり、影浦にとって戦って面白い相手、というのはこちらだ。

 

 半面この手のタイプは戦術をあまり考慮する事がなく、搦め手を使っては来ない事が多い。

 

 指揮官の指示があれば話は別だが、単独で戦う分にはただその一挙手一投足に注目してさえいればいい。

 

 そして考えて戦うタイプは、次にどう動いて戦闘を組み立てるか、を常に思考して動く。

 

 搦め手を使いこなし、戦略的な視点を持つ為集団戦では厄介な相手だが────────同時に、思考から攻撃までの遅延(ラグ)が大きい相手でもある。

 

 次にどうするか、という事を常に思考している為、影浦にとっては攻撃タイミングを読み易い相手、とも言えるのだ。

 

 何せ、攻撃意思を持つ前に此処を攻撃するぞ、という思考が定まっているのだから、影浦にとってそういった類の攻撃は見えている攻撃(テレフォンパンチ)に過ぎない。

 

 故に、このタイプは個人戦では影浦にはまず勝てない。

 

 集団戦なら話は別だが、こと他者の介入のない個人戦においては考えて戦う相手はカモでしかない。

 

 影浦は、迅はこの考えて戦うタイプだと思っていた。

 

 感覚で戦うタイプには見えないし、如何にも搦め手を使いそうだ。

 

 実際、その評価は間違っていない。

 

 迅は常に思考を止めないし、次どうするかを考えてもいる。

 

 だが、その思考を外に漏らさないのだ。

 

 迅は、影浦と戦っていながら彼を意識していない。

 

 感情自体は刺さってはいる。

 

 されど、その感情自体がどうにも希薄なのだ。

 

 相対している影浦という個人、というよりもその場に存在する駒を見る遊戯者の視点、とでも言えばいいだろうか。

 

 影浦にして、そんな感覚は初めてだった。

 

 通常、戦う相手を意識しない、という事は不可能だ。

 

 相手を意識せずに攻撃や回避は出来ないし、そんな状態で戦いになるワケがない。

 

 しかし、迅の場合は視点が────────視えているものが、違う。

 

 彼が視ているのは、未来の光景。

 

 現在にいる影浦ではなく、未来の映像に存在する影浦を視て攻撃をしている。

 

 正確に言えば、迅は攻撃の時のみ未来の映像を視て行動している。

 

 流石に、この環境下で未来視だけに頼った回避は不可能だ。

 

 猛吹雪で視界が効かない状態ではあるが、流石に目の前にいればある程度姿が見える。

 

 そして、姿が見えればその動きから攻撃の軌道を予測する事が出来る。

 

 迅はその推論を元に、今の影浦相手の回避を成立させているのだ。

 

 だが、攻撃に関して今の迅は深く踏み込もうとはしない。

 

 反撃を受けない事を第一に考えた動きである為、未来の映像を元に攻撃を仕掛けても隙を晒す事はない。

 

 それだけなら、まだ良い。

 

 用は攻撃意思が薄いという事であり、そんな攻撃にやられる程影浦は甘くはない。

 

 だが。

 

 遠隔斬撃の存在が、その落差を脅威に変える。

 

 迅は、感情の強弱を恐らくは意図的にコントロール出来る。

 

 現在を見るか、未来を視るか。

 

 その切り替えによって、ある程度感情の強弱を調整していると考えられる。

 

 そして。

 

 風刃がどの程度の強さの感情で繰り出されるか、全く予想がつかないのだ。

 

 先ほどの一撃は、明らかにこちらに察知させるつもりの攻撃だった。

 

 つまり、あの強度の感情が遠隔斬撃時の基本状態(デフォルト)ではない。

 

 通常攻撃に見せかけて、遠隔斬撃を撃って来る。

 

 そういった可能性も、充分考えられるのだ。

 

 いつ、遠隔斬撃が来るのか。

 

 それを警戒しながらの戦闘は、相当なストレスになる。

 

 そして、精神の耐久性は永遠には続かない。

 

 加えて、猛吹雪という極限環境は精神消費を加速させるには充分な効果を持つ。

 

 このままいけば、30分という制限時間が来る前に影浦が限界を迎えて落とされるだろう。

 

『カゲ! 準備出来たぞっ!』

「……っ! 来たか……っ!」

 

 だが、オペレーターからの通信で影浦の顔色が変わる。

 

 次の瞬間。

 

 影浦は、即座に転身してマンティスをかぎ爪のように伸ばし、モールの壁へと引っ掛ける。

 

 そして、それまで背にして戦っていたモールの中へと硝子を割って飛び込んだ。

 

「へえ」

 

 迅はその光景を見て、即座に追撃を選択。

 

 期待に満ちた笑みを浮かべながら、モールの中へと突入した。

 

 

 

 

「成る程」

 

 迅は、モールの中に足を踏み入れた瞬間に影浦達の意図を理解した。

 

 目を凝らせば、分かる。

 

 モールの至る所に、細いワイヤーが張り巡らされている事に。

 

 この光景は、覚えがある。

 

 ()はこのような使い方はしなかったけれど、確かに最終ラウンドで彼は────────ユズルは、このトリガーを使っていた。

 

「スパイダーか」

 

 ワイヤートリガー、スパイダー。

 

 それが、このモールの中に張り巡らされた蜘蛛の(イト)の正体だった。



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影浦雅人⑩

 

「まさか、影浦隊がスパイダーを使うなんてね」

 

 那須の呟きは、多くの者が同意出来る内容だった。

 

 影浦隊は、個人戦力の高さを如何に押し付けるかで趨勢が決まるチーム────────言うなれば、攻撃特化型の部隊だというのが一般的な認識だ。

 

 対して、スパイダーはその名の通り罠を張るタイプのトリガーである。

 

 確かに最終ROUNDでは北添を囮にした待ち伏せ、という戦法を使いはしたが、それでもあくまで基本戦術の延長ではあった。

 

 しかし、これは明らかに戦略的に仕込まれた罠だ。

 

 影浦隊のイメージと違う、と思う者も多いだろう。

 

「あ、でもユズルくん確かに使ってましたよ。最終ROUNDで。私とアパートで戦った時です」

「そういえば、確かそんな事も言っていたわね。こかされちゃったんだっけか」

「はい、押し倒されちゃいました」

 

 あ、違いました突き落とされたでした、と無邪気に笑う茜の発言に一瞬場が凍った事は彼女だけが気付いていない。

 

 話の流れから戦闘中の事だという事は理解出来るが、字面が少々危うい。

 

 この場にユズルがいなくて本当に良かった、と胸を撫で下ろしたのは誰であったか。

 

 自分のいないところで妙な風評被害が発生しかけたユズルだが、知らぬが花というやつである。

 

「それで、ユズルくんがスパイダーを使ってたのよね」

「はい、確か師匠から教わったとかなんとか言ってました」

「「「!」」」

 

 今度は、茜の発言に二宮隊の三人が反応した。

 

 スパイダーを使える、ユズルの師匠────────それは恐らく、鳩原未来の事だ。

 

 元二宮隊狙撃手、鳩原未来。

 

 その名の持つ意味は、彼等にとっては重い。

 

 不意にその名前が出た事で固まってしまっても、そうおかしくはないだろう。

 

「へえ、ユズルくんはなんて?」

「一度だけ教わったけど、使ったのはあれが初めてだって言ってました」

「成る程、ね」

 

 それは、鳩原にとってどんな意味があったかは分からない。

 

 自分を慕う弟子に少しでも技術を残したかったのか、それとも他の意味があるのか。

 

 犬飼はそんな事を思案する内面をおくびにも出さず、茜との話を終えた。

 

 流石に、これ以上踏み込むとボロが出かねない。

 

 表面上平気そうにしていても、彼女の事に関して何も思わない隊員は二宮隊にはいないのだから。

 

「…………」

 

 二宮は続きを聞きたそうにしていたが、さりげなく犬飼が誘導して事なきを得る。

 

 無いとは思うが、うっかり機密事項である鳩原の事を喋ってしまっては目も当てられない。

 

 折角ペナルティがなしになりそうだというのに、こんな所で躓くのは犬飼も────────そして、二宮も望んでいない。

 

 それを理解した二宮は名残惜しそうにしながらも、追及を諦めた。

 

「……?」

 

 自分の発言で妙な空気になった事を知らない茜は、二宮隊の面々の違和感に気付くがまあいいかと放置した。

 

 そこまで仲が良い相手ではないし、わざわざ踏み込む理由もない。

 

 そのあたり、割とドライな茜であった。

 

「吹雪に紛れての奇襲は目晦ましで、本命はこっちか。というより、吹雪での戦闘で時間を稼いでこのワイヤー陣を完成させるのが狙いだったのかな」

 

 さっさと話題を変えた方が良いと判断した犬飼が、そう切り出す。

 

 そして、その意図を察した辻が続いた。

 

「恐らく、そうでしょうね。ですが」

「うん。そうだね」

 

 犬飼は画面を見て、目を細めた。

 

「これじゃあ、未来視は封じられないんじゃないかな?」

 

 

 

 

「────!」

 

 影浦がワイヤーを足場に、迅に向かって接近する。

 

 元々高い機動力を持った影浦だが、その身のこなしはワイヤーによって更に強化されている。

 

 弟子の七海の十八番である、三次元機動。

 

 それを、今は影浦が行っている。

 

 無論、影浦はスピードタイプの七海や香取に比べれば長身だ。

 

 ワイヤー機動は小柄な方がその恩恵を受け易い為、実のところそこまで影浦に適した戦術とは言えない。

 

 だが。

 

 多少の不得意は、地力でカバー出来るのが影浦だ。

 

 影浦は元々、副作用(サイドエフェクト)を活かした戦闘を行う為に高い体捌きを会得している。

 

 故に、ワイヤーの隙間を縫ってそれらを足場に移動する事など、造作もない。

 

 影浦は複雑な軌道を描きながらワイヤーを駆け下り、マンティスの射程に捉えた瞬間腕から鞭刃を射出した。

 

「おっと」

 

 されど、迅はそれを余裕すら持って回避。

 

 迎撃の為、ブレードを振るった。

 

「ちっ」

 

 影浦は即座に離脱を選択し、ワイヤー上を駆け上がる。

 

 先ほどから、これだ。

 

 確かに、ワイヤーを使えば風刃の遠隔斬撃の射程からある程度離れる事は出来る。

 

 だが。

 

 此処は先ほどと違い、屋内。

 

 影浦が突き破った窓から吹雪が雪崩れ込んで来ているが、店内の照明は生きている。

 

 つまり、外と違い視界に制限はない。

 

 故に、迅の未来視は十全に機能していた。

 

 先ほどまでは、完全に経験と直感のみで影浦と相対していた迅であるが────────今は、未来視の恩恵により余裕を持った回避を行う事が出来ている。

 

 ハッキリ言って、先ほどと状況はさほど変わらない。

 

 むしろ、迅に余裕が出来た事でマイナスになったとさえ言える。

 

 完全な、悪手。

 

 傍目から見て、そう思わざるを得ない結果であった。

 

 

 

 

「それは、どうですかね」

 

 だが。

 

 それに、否を唱える者がいた。

 

 村上鋼。

 

 観戦席で試合を見ていた彼は、何処か楽し気な笑みを浮かべながら映像を見ていた。

 

「へえ、鋼くんは何か心当たりがあるワケだ。カゲ達が何を考えてるか、にさ」

「そうですね。無い、と言えば嘘になります」

 

 村上はそう言って、画面を見詰めた。

 

「最初に、カゲ達が市街地Dを選んだ事が分かった時にもしかして、とは思ったんですが────────カゲがモールの中に入ったのを見て、確信しました」

 

 実はですね、と村上は告げる。

 

「ROUND7で東隊と諏訪隊、荒船隊と戦ったんですが、その時MAP選択権を持っていた諏訪隊が選んだのが、市街地Dだったんです」

 

 狙撃手が多かったですからね、と村上は告げる。

 

 確かに、その組み合わせであれば狙撃手の利点を封じる為に市街地Dを選ぶのはおかしくはない。

 

 市街地Dは大抵の場合モール内が主戦場になる事が多い為、距離を空けられない狙撃手にとってはかなり不利なMAPとなるのだ。

 

 狙撃手のいない諏訪隊がその対策として選ぶのは、むしろ当然だろう。

 

「そこで、太一がちょっとした()()()()を試したんですが────────結果として、諏訪隊が全滅したんです」

「へえ」

 

 多分ですけど、と前置きして村上は続ける。

 

「その話を、前にカゲにもしたんです。その時は、深い意図はありませんでした。タネが割れれば、意味のない方法ですしね」

 

 ちょっとした雑談のつもりでした、と村上は言う。

 

 隠していたところでログを見れば分かるのだから、口を紡ぐ意味はないと。

 

 戦友との、ちょっとした会話。

 

 そのつもり、だった。

 

「でも、思えばあれは迅さんにはこの上なく有効な方法なんです。だって」

 

 村上は画面を見据え、告げる。

 

「迅さんには、オペレーターがいないんですから」

 

 

 

 

「────────てな事があったんだ。太一の思いつきも、案外馬鹿にならないよ」

「まあ、太一らしいっちゃらしいな。あいつ、狙撃手より特殊工作兵(トラッパー)のが向いてんじゃねーのか?」

 

 それはどうだろうなあ、と村上は笑いながら告げる。

 

 それは、最終ROUND後の打ち上げ────────お好み焼き屋『かげうら』での一幕。

 

 影浦と歓談していた村上は、ROUND7で自身が体験した出来事を伝えていた。

 

 正直に言って、浮かれていたのだろう。

 

 何せ、影浦の弟子にして村上の親友たる七海の所属する那須隊が、あの二宮隊を抑えてB級一位に上り詰めたのだ。

 

 村上の場合は一度上位に上がっておきながら中位に落ちたまま終わってしまったので、多少気まずい思いはある。

 

 だが、それと親友の成果を喜ぶかどうかはまた別の話だ。

 

 色々な意味で艱難辛苦を歩いてきた親友が、晴れ舞台で確かな戦果を挙げたのだ。

 

 これを喜ばないようでは、親友を名乗る資格はない。

 

 村上は、本気でそう信じていた。

 

 元より、実直且つ誠実な性格の村上である。

 

 仲間が助けを求めているなら迷わず助けるし、喜ばしい事があれば自分の立場は置いておいて祝福する。

 

 そんなお人好しの極致が、村上だ。

 

 西洋騎士の戦闘スタイルを踏襲しているのは、伊達ではないのである。

 

「しっかし、おもしれー事考えるよなあいつも。何してくっか分かんねーってのもある意味おっかねーよな」

「意外だな。カゲは、こういうの小細工って言ってそこまで好きじゃないとか言いそうだと思ってた」

「小細工は小細工だけどよ、それで諏訪隊全員落としたんだろ? 結果が出てんなら、それでいーじゃねえか」

 

 なんでもかんでもケチつけるワケじゃねぇしよ、と影浦は呟く。

 

 そんな影浦を見て、村上は何故か微笑まし気な笑みを浮かべた。

 

「なんか────────丸くなったな、カゲ」

「あん? 何処がだよ?」

「色々。七海を弟子に取ってから、いや────────七海が那須さんとの関係を修復してから、態度が柔らかくなったというか、前より余裕を持てるようになったんじゃないか?」

「────」

 

 影浦は思い当たる事があるのか、その場で沈黙する。

 

 そして、その沈黙が何よりの答えだった。

 

「良かったじゃないか。七海が独り立ち出来るようになって、肩の荷が降りたってやつだろ多分。案外、良い師匠やれてるじゃないか」

「一言余計なんだよてめーは」

 

 ぐりぐり、と村上の肩に拳を押し込む影浦だが、この程度は二人にとっては軽いスキンシップのようなものだ。

 

 村上は笑いながらそれを受け入れ、再び影浦に向き直った。

 

「ま、なんにしてもこれからも七海をよろしく頼むぞ。きっと、七海が一番頼りにしたいのはカゲだろうからさ」

「ふん」

 

 言われるまでもない、と影浦は言外に告げ、席を立った。

 

 これが、あの日の一幕。

 

 影浦と村上の、今に至る為の会話であった。

 

 

 

 

「そろそろ、決めさせて貰おうかな」

 

 影浦の三次元機動を難なくいなしながら、迅は風刃を構えた。

 

 瞬間、影浦の肌に強烈な殺意(かんじょう)が突き刺さる。

 

 来る────────そう確信した瞬間、影浦はニィ、と笑みを浮かべた。

 

「ユズル。やれ」

『了解』

 

 そして。

 

 次の瞬間。

 

 モール内の照明が、一斉に消灯した。

 

 

 

 

「太一はあの時、電気室に行って店内の照明を落としたんだ。そして、急な暗闇で視界が効かなくなった諏訪隊は、隙を晒す事になった」

 

 村上は思い出しながら当時の状況を説明し、話を続ける。

 

「そこで俺と来馬さんが笹森と堤さんを、そして何故か暗闇の中で正確に狙撃を当ててきた東さんが諏訪さんを落としたんだ」

「オペレーターが暗視を入れる前に、隙を突いて倒したワケですか」

「そういう事だ」

 

 東さんの場合は暗視が間に合ったのか純粋な技量だったかは分からないが、と村上は呟く。

 

 正直東さんを他の人と同じ括りで語る方が間違っているのは、それはいい。

 

 今回注目するべきは、電気室の操作による突如の消灯────────その、齎す効果である。

 

「電気消しを仕掛けた側の俺達は、当然タイミングを合わせて暗視を入れていた。だからこそ、いち早く動いて戦果を挙げられたワケだけど────」

「逆に言えば、オペレーターの正確な支援がなければ急な暗視の切り替えは難しい、という事か」

「小夜ちゃんなら出来ると思うわ」

 

 そうだな、と七海は那須のナチュラルな身内自慢を当然のように肯定しながら、この作戦の肝を理解する。

 

 それは────。

 

「迅さんには、オペレーターがいない。だから、暗視の切り替えも間に合わない可能性が高い、という事か」

「そういう事だ」

 

 オペレーター不在による、各種支援の有無の違い。

 

 それこそが、迅を相手取る時の明確な利点なのだ。

 

 迅には、オペレーターが存在しない。

 

 一人で一部隊という破格の扱いを受けている彼は、防衛任務の際も単独で動く。

 

 そも、オペレーターの仕事は戦場の情報を逐一収集し、それを部隊と共有しつつ仕事がやり易いように支援する事だ。

 

 迅の場合、未来視という究極の俯瞰視点を持っている為、オペレーターの必要性が薄いのだ。

 

 通常であれば、問題ない。

 

 彼が得る情報は基本的に未来視からのそれで充分であり、オペレーターが必須である他の部隊とは違うのだから。

 

 だが。

 

 ことこの試験においては、その違いは明確な隙になる。

 

 オペレーターがいないという事は、敵襲警報(アラート)を送ってくれる相手も、状況に応じて個々の判断でサポートしてくれる相手もいない、という事だ。

 

 つまり。

 

 この瞬間。

 

 突如電気が消え、迅が瞬間的に視界を失ったこの刹那こそ。

 

 彼を仕留める、好機なのである。

 

「これが、カゲ達の本当の本命。これまでの全てが、この為の布石だったってワケです」

 

 

 

 

 ユズルが電気を消した瞬間、影浦は即座に動いていた。

 

 同時に、モール内に隠れていた北添もアサルトライフルの銃口を迅へと向けた。

 

 これで、決める。

 

 そう考えて、北添は引き金に指をかけ/影浦はマンティスを振りかぶり────────。

 

 ────────引き金を、引いた/刃を、振り下ろした。



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影浦雅人⑪

 影浦は、迅悠一について何も知らない。

 

 未来視なんて副作用(サイドエフェクト)を持っている強い奴で、七海(弟子)が慕っている相手────────精々が、そのくらいの認識だった。

 

 時折七海に向けていた鬱陶しい感情の事を思えばあまり良い印象はないが、それでも弟子が慕っている以上邪険にはし難い。

 

 そういう、ある意味面倒な相手であった。

 

 ────────俺が不甲斐ない間も、七海の事を見てくれてさ。本当に、ありがとう────────

 

 その認識が変わったのは、先日。

 

 迅が屋上にいた影浦に会い、その言葉を告げた時だ。

 

 様々な意味で無視出来ない相手が、自分に会う為にやって来た。

 

 その時点で身構えた影浦であったが、その言葉と共に刺さる感情で気が付いた。

 

 ああ、こいつは七海と同じだったんだなと。

 

 刺さった感情の名は、感謝と後悔。

 

 七海の面倒を見てくれた事に対する感謝と、自分が何も出来なかった事に対する後悔だった。

 

 その、感情は。

 

 ────────カゲさん。前回の試合では不甲斐ない姿を見せてしまって、申し訳ありませんでした────────

 

 あの時。

 

 立ち直った後、自分に謝って来た時の七海と。

 

 全く同じ、感情だったのだから。

 

 あの時の七海は、自分を立ち直らせてくれた者全てへの感謝と、それまで心配をかけ続けた事に対する後悔が滲んでいた。

 

 憑き物が落ちた、とでも言おうか。

 

 今まで気付けなかった事にようやく気付いて、向き合う事が出来たからこそ。

 

 その事に対する感謝と、これまでの自分への後悔が生まれていた。

 

 きっと、迅もそうなのだろう。

 

 自分が他者を省みなかった事をようやく気付いて、不器用ながらも現在は一生懸命他者を省みようとしている。

 

 恐らく、その不器用度合いは七海よりも酷い。

 

 視えているものが違うのだから、仕方がないのかもしれないが。

 

 副作用(サイドエフェクト)というものは、呪いだ。

 

 そもそも、真っ当な能力であれば()()()などと呼ばれる筈がない。

 

 サイドエフェクトを持たない者は、持っている者を羨む事が多いが────────影浦に言わせれば、それこそお笑い種だ。

 

 こんなもの、望んで持った力ではない。

 

 肌が痛い、と訴え続けるも医者では異常は見つけられず、周囲から腫れもの扱いされていた幼少期。

 

 毎日、理由の分からない痛みを感じ続け、気が狂いそうだった。

 

 両親はそんな影浦に親身に接してくれたが、周囲からは喧嘩っ早い子供と見做され、周囲の輪から外れるのに時間はかからなかった。

 

 そして、ボーダーという組織が出来て、少しでもストレス解消になるのなら、と入隊した結果────────影浦のそれが、副作用(サイドエフェクト)と呼ばれるものである事を知った。

 

 その時、影浦は思った。

 

 ああ、俺の病気はそういう名前なのか、と。

 

 稀少な能力、と言われてはいたが────────影浦にとって、感情受信体質(それ)は病気の症状以外の何物でもなかったからだ。

 

 確かに、戦闘では役に立った。

 

 攻撃意思が察知出来るのだから、それを避ける事は容易だった。

 

 それに元々身体を動かすのは得意であったし、遠慮なく他者を攻撃出来る環境は悪くないものだった。

 

 だが、それを鑑みても副作用(サイドエフェクト)を持っていて良かった、と思った事は一度もない。

 

 普通の身体が、欲しかった。

 

 影浦の想い(ねがい)は、それに尽きる。

 

 こんな、こんな生き難い身体など、欲しくはなかった。

 

 それはきっと、迅も同じだった筈だ。

 

 未来視。

 

 成る程、確かに便利だろう。

 

 未来の事が知れるのならば、出来る事は数多い。

 

 悪い結果に及ばないように動く事も出来るし、私利私欲の為に使ったって良い。

 

 だが。

 

 影浦は、それが欲しいとは欠片も思わなかった。

 

 それは何故か。

 

 だって、未来なんてものが分かったら────────毎日、後悔をし続けながら生きていかなければならないのだから。

 

 未来が視えるという事は、悪い未来を視て────────それを、覆せなかった現実を見続けるという事でもある。

 

 幾ら強いとはいえ、組織の力があるとはいえ────────救える相手(みらい)の席の数は、決まっている。

 

 それを一つ取り溢す度に、きっと思う筈だ。

 

 嗚呼、知っていたのに助けられなかった、と。

 

 知らずに助けられなかった事と、知っていたのに助けられなかった事は、似ているようで違う。

 

 前者はただ間が悪かったと諦めがつくが、後者の場合は()()()()()()という罪悪感が付いて回る。

 

 それを気にしないような精神性の者であれば話は別だが、迅は見たところ思いっきり気にするタイプだ。

 

 さぞかし、苦痛に塗れた生き方をして来た事だろう。

 

 そう影浦が察する程には、迅の感情(こころ)は擦り切れていた気配があった。

 

 だけど、その擦り切れた感情に再び火が灯った────────今の迅からは、そんな気配が伝わって来た。

 

 きっと、火を点けたのは七海だろう。

 

 何故か、なんて問うのは無粋だろう。

 

 彼を変えられる者が、七海以外にいる筈がない。

 

 だって、七海の名を語る時の迅の感情(こえ)は。

 

 慈しむような、暖かなものが伝わって来たのだから。

 

 だから、今回の試験で立ち塞がったのもきっと七海の為だろう、という事は予想出来る。

 

 気持ちは、理解出来なくもないのだ。

 

 七海の成長の為、敢えて全力で立ち塞がる。

 

 それは、かつて影浦が最終ROUNDで行った事と同じなのだから。

 

 自分の弟子を見世物のように倒した事に関して何も思わなかったというワケでもないが、そういう事であれば理解出来る。

 

 それに、とうの七海が納得しているのに自分がうだうだ言うのも筋が通らない。

 

 だから。

 

 その心意気は買って、その上で吠え面かかせてやる、と影浦は息巻いていた。

 

 いつも通りの戦い方だけでは、恐らく足りない。

 

 予感はあったが、香取隊との試合を見て確信した。

 

 あれは、明確な格上であると。

 

 たとえば太刀川や風間であれば、まだ理解出来る────────常人の延長線上にある強さの強敵だ。

 

 だが、迅は違う。

 

 あれは、立っているステージそのものが違う。

 

 未来視だけであれば、なんとでも出来ただろう。

 

 実際に常人最強(太刀川)がノーマルトリガーを使う迅とは互角だったという話から、取り合えず勝負の土台に立てはするのだろう。

 

 風刃だけであれば、糸口はあるかもしれない。

 

 驚異的な速度と射程を持つが、性能自体に穴は多いのだから。

 

 されど。

 

 未来視と、風刃。

 

 その二つが揃った迅の強さは、文字通りの規格外(S級)

 

 普通にやって勝てるような相手では、断じてない。

 

 だから、策を練った。

 

 未来視の脅威を減らす為に悪天候を設定し、隊服を白に染めて奇襲した。

 

 それで落とせれば良し。

 

 これが駄目なら、次の作戦に移行。

 

 時間稼ぎを行いつつ、ユズルがモール内にスパイダーを設置。

 

 充分な準備が出来たら、戦場をモール内に移す。

 

 そして頃合いを見計らい、電気室に潜ませたユズルに電源を落とさせ、勝負をかける。

 

 村上から聞いた鈴鳴がランク戦で行った戦術の模倣ではあるが、光に言わせればオペレーターなしでは対応が遅れるのは間違いないとのこと。

 

 加えて、太刀川にも話を聞いた。

 

 彼曰く、迅の未来視は戦闘適用する場合、その精度は自分や七海のサイドエフェクトには劣るのだという。

 

 七海や影浦のサイドエフェクトは、攻撃のタイミングまで正確に察知出来るが────────迅のそれは、あくまで未来を()()ものであり、その場で攻撃を感知しているワケではないのだ。

 

 つまり。

 

 迅は未来を視て相手の行動を予測し、攻撃を回避する事は出来るが────────その未来が()()()()()()()は分からない、という事だ。

 

 要するに、迅の未来視は自分が戦っている試合のログを先んじて視る事が出来るが、そこに時間表示は存在しない、というワケである。

 

 それでも彼が回避に長けるのは相手の動きからその未来に至るまでの行動を予測し、的確に攻撃を捌いているからだ。

 

 この未来が来るのならば、恐らくこう動くだろう。

 

 そういう予測の下で、迅は動いている。

 

 だからこそ。

 

 電気を消す未来が視られたとしても────────それがどのタイミングであるのか、正確に識る事は出来ない、という事だ。

 

 故に、これが最大の好機。

 

 今は、一分一秒が惜しい。

 

 迅が状況を把握し切る前に、最短最速で攻撃を届かせる。

 

 これで決める。

 

 影浦と北添は、同時に攻撃を叩き込んだ。

 

「────────惜しかったね」

「な……!?」

 

 否、叩き込もうとした。

 

 だが。

 

 北添が引き金を引く寸前に、彼の身体を風刃の遠隔斬撃が斬り裂いた。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 三つの斬線により銃ごと斬り裂かれた北添は、敢え無く緊急脱出となる。

 

 ワケが、分からなかった。

 

 視界は、封じた筈だ。

 

 北添は、見つかっていなかった筈だ。

 

 なのに。

 

 なのにどうして、北添が攻撃直前に迎撃されている────!?

 

「銃撃をされる未来が、視えたからね。だから、銃撃の方向から位置に()()()を付けただけさ」

 

 その言葉に、絶句した。

 

 迅は、銃撃をされる未来を視た。

 

 そして。

 

 その未来で自分が受けた銃撃の方向から、北添のいる位置を割り出して遠隔斬撃を射出。

 

 テレポーターを起動させる間もなく、北添を仕留めたというワケだ。

 

「少し、焦り過ぎたかな? 電気が消えてすぐ撃って来るのは分かってたから、予め準備してたのさ」

 

 そして、未来視そのものでタイミングを識る事は出来ずとも────────電気が消えた直後に撃って来る、という事さえ分かればいつ銃撃して来るかは推察出来る。

 

 あとは、そのタイミングに合わせて遠隔斬撃を放つだけ。

 

 経験と、推論。

 

 迅は、それだけで影浦隊の必殺の策をいなしてみせた。

 

未来視(おれ)に、視界を与えるべきじゃなかったね。そういう意味じゃ、ちょっと中途半端だったかもだ」

「もう勝った気かよ、てめぇ……っ!」

 

 影浦は刹那の会話に付き合いながら、マンティスを繰り出す。

 

 迅はそれを軽やかな動きで避け、一度回避するごとに徐々にその精度を上げて行く。

 

 攻撃を続けながら、影浦は迅を睨み付けた。

 

 北添がやられた事は本当に計算外だが、まだ勝負は終わっていない。

 

 何故なら。

 

 この作戦は、まだ披露していない策が一つあるのだから。

 

(ユズル……!)

『了解』

 

 そして。

 

 影浦の通信と共に、店内の電気が一斉に点灯した。

 

 会話に付き合ったのは、時間を稼ぐ為。

 

 そう、迅が暗視を入れる時間を作る為だ。

 

 幾ら迅といえど、暗闇では視界が効かず、同時に未来視もその恩恵が失われるも同然。

 

 故に、たとえこちらの作戦を視られていても、暗視を入れざるを得ないのだ。

 

 その為に、消灯状態のまま戦闘を続行したのだ。

 

 影浦達は既に暗視を入れており、迅が暗視を入れなければ一方のみが視界を確保出来るという状態となる。

 

 その状態は、迅としても看過出来ない筈だ。

 

 外の猛吹雪と違い、今は影浦達にのみ視界を得られている。

 

 故に、外では副作用(サイドエフェクト)頼りの回避しか行えなかった影浦であるが、一方的に相手が見えている、という状態であれば話は別だ。

 

 流石の迅でも、自分だけが視界のない状態で戦い続けるのは無理がある。

 

 だからこそ。

 

 たとえ罠があると分かっていても、暗視を入れざるを得ない。

 

 そして、暗視を入れた状態でその場が明るくなれば、目が眩む。

 

 それは、決定的な隙に成り得る筈だ。

 

 目を閉じて目潰しを回避出来ても、それは同じ。

 

 用は、一瞬でも視界が効かなくなる瞬間を作り出せればそれで良い。

 

 今度こそ、決める。

 

 影浦はそう決意し、マンティスを振り下ろし────────。

 

「はい、予測確定」

 

 ────────下方から飛来した遠隔斬撃により、その両腕を斬り落とされた。

 

「な────!」

 

 影浦は、見ていた。

 

 迅は目を閉じる事も、目を晦ませた様子もなく。

 

 その眼で影浦を視認し、風刃を振るった所を。

 

「暗視を、入れてなかった、だと……?」

 

 暗視を、使わなかった。

 

 それしか、考えられない。

 

 電気を点ける作戦を看破して、暗闇で戦うリスクを許容したのか。

 

 影浦は一瞬、そう考えた。

 

「ああ、その通り。必要なかったからね」

 

 迅はそう告げ、影浦へと視線を向けた。

 

「その隊服(しろ)は、良く見えるから」

「……!」

 

 雪に溶け込む為、白く染めた影浦の隊服。

 

 それは確かに、吹雪の中では迷彩の役割を果たしていた。

 

 だが。

 

 このモールの中では、逆に目立つ要因となる。

 

 そして。

 

 白という色は、暗闇の中でも見え易いのだ。

 

 よく、夜で歩く時は白い服を着て行けば交通事故の可能性を減らせると聞くのは、そういう事だ。

 

 白い服であれば夜の暗い道であっても発見し易く、運転手が気付く可能性が上がる。

 

 それと同じように、影浦の白い隊服は暗闇の中での蛍光色の役割を果たしてしまっていた。

 

 無論、真っ暗な中でぼんやり見える程度であろうが────────極限状態での戦闘を幾度も経験した事のある迅にとっては、それで充分だった。

 

 かくして、影浦隊の作戦の全ては打ち破られた。

 

 善戦空しく、彼等は落ちる。

 

「まだだ……っ!」

 

 それに異を唱え、影浦は床に足を叩きつけ、攻撃を実行。

 

 地面に穿孔した刃が、迅の足をその場に縫い留めた。

 

 もぐら爪(モールクロー)

 

 そう呼ばれる技術の、マンティスを用いた発展版。

 

 地面にブレードを通す関係上、もぐら爪は使用中移動する事が出来なくなる。

 

 つまり回避が出来なくなる諸刃の剣と言える上に、影浦はそれを迅に届かせる為にマンティスを用いていた。

 

 もぐら爪を使っている為回避は出来ず、マンティスを使用している為防御も出来ない。

 

 間違いなく、次の攻撃で影浦は落とされるだろう。

 

「やれ、ユズル……っ!」

 

 

 

 

 だが、問題はない。

 

 影浦の目的は、迅をその場に縫い留める事。

 

 後は、ユズルが決める。

 

 これまで狙撃手としての役割を捨て、工作に徹していたユズルは。

 

 信頼する隊長の指示を受け、アイビスの引き金を────────。

 

「え……?」

 

 ────────引く前に、彼の身体に下方からの斬撃が突き立った。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 ユズルは何が起きたか分からずに致命傷を負い、脱落。

 

 光の柱となって、戦場から消え去った。

 

 

 

 

「そういう、事かよ……っ!」

 

 影浦は何が起きたかを察し、舌打ちする。

 

 迅の風刃から伸びる、無数の帯。

 

 それが、残り一つになっている事に。

 

 このモールに入った時点で、帯は七本存在していた。

 

 そこから北添に三本使用し、四本。

 

 影浦に二本使用し、残りは二つになっていた筈なのだ。

 

 それが、一本消えている。

 

 つまり。

 

 恐らく、北添に斬撃を放った段階で。

 

 もう一つ、迅は遠隔斬撃を放っていたのだ。

 

 電気室にいた、ユズルを狙う為に。

 

 ユズルの位置は、店内の照明を操作した事で割れていた。

 

 照明を操作するには電気室に行くしかないのだから、そこにいるという情報は筒抜けとなってしまう。

 

 加えて、経過時間から考えてもユズルが電気室から移動する事は不可能だ。

 

 だからこそ、狙われたのだ。

 

 未来ではなく、経験と推察を用いて。

 

 ユズルの位置と行動を把握し、致命打を叩き込んだ。

 

 戦術は悪くなかった。

 

 最後まで諦める事も、しなかった。

 

 けれど。

 

 それでも、彼には届かない。

 

 これが、S級隊員。

 

 これが、迅悠一。

 

 アリステラ防衛戦という地獄を潜り抜けた、死地よりの生還者。

 

 未だ届かない、高い城の男である。

 

「着眼点は良かった。戦術も悪くない」

 

 けれど、と迅は続ける。

 

「悪いね。俺は、そう簡単に負けるワケにはいかないんだ」

「ぐ……っ!」

 

 迅はそのまま無造作に遠隔斬撃を放ち、身動きの取れない影浦の急所を抉った。

 

 もぐら爪を使用した為に回避が行えなかった影浦はそれをまともに受け、致命。

 

「ちくしょうが」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 それで、終幕。

 

 影浦は、機械音声で敗北を告げられ戦場から消え去った。



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影浦雅人⑫

「あれでも、駄目なんですね……」

 

 辻は試合結果を見て、思わず息を呑んだ。

 

 影浦隊の戦略は、決して悪くなかった。

 

 吹雪で視界を封じて時間を稼ぎ、モールに誘い込んで消灯作戦を決行。

 

 その乾坤一擲の策が破られた後も、もぐら爪マンティスの足止めと狙撃の連携で倒そうとした。

 

 だが。

 

 それでも、迅には届かなかった。

 

 彼我の持つ、視点の違い。

 

 それが、より明確に浮き彫りになったと言える。

 

「確かにね。これは、生半可な事じゃ倒せそうにないな」

 

 犬飼も辻に同意し、されどその眼には油断ならない闘志の光が見える。

 

 口では軽く言っているが、諦めるつもりは甚だなさそうだ。

 

「だから、俺達でちょいと総評をやってみようか。香取隊の時もやったんでしょ? 悪くない提案だと思うけど」

「そうですね。王子先輩達ほど巧く言えるかは分かりませんが、お願いします」

「了解っと」

 

 七海達からしてみても、犬飼────────二宮隊のサポーターの意見は貴重だ。

 

 彼の厄介さ、頭の回転の滑らかさはランク戦で嫌という程身に染みている。

 

 その知見が得られると言うのであれば、是非もない。

 

 口下手な七海達ではあるが、犬飼を主体にした形式であればどうとでもなる。

 

 これは、受けない理由はないだろう。

 

「まず、未来視を封じる為に猛吹雪っていう天候設定にしたよね。香取ちゃん達と同じメタの張り方だけど、決定的に違う点が一つあった」

「カゲさんの、副作用(サイドエフェクト)ですよね」

「その通り」

 

 犬飼は良く出来ました、とばかりに笑みを浮かべた。

 

「カゲは、サイドエフェクトで攻撃を察知出来る。そしてそれは迅さんと違って視界を介さないから、悪天候で視界がほぼゼロでも関係がない。カゲのチームだからこそ、成立した戦略と言えるね」

 

 それは君も同じじゃない? と犬飼は告げる。

 

 確かに、影浦と同じく七海のサイドエフェクトも視界を介さず攻撃を感知出来るという共通点がある。

 

 視界を封じても、七海だけはそれに関係なく攻撃を避ける事が出来る。

 

 そういう意味で、影浦隊の取った戦略は那須隊にとって非常に有意義なものであった。

 

 そのまま自分たちの戦略として転用可能、という意味で、影浦隊を選んだ七海達の選択は間違っていなかった、という事である。

 

「加えて、ゾエが適当メテオラとテレポーターのコンボを使ったのも割と驚いたね。基本的に仕事したら落とされるまで粘って戦場をかき乱すのがゾエの役割だったけど、テレポーターの導入でそれがやり易くなった、と言えるね」

「確かに。あれは驚きましたね」

 

 北添の適当メテオラ直後のテレポーターの使用は、確かに七海も驚いた。

 

 あまり新しいトリガーを試すタイプには見えなかったのだが、それだけ本気だったという事かもしれない。

 

「もしかすると、君たちがテレポーターの有用性を散々実証したからかもしれないね。君たちのログは、多分見てただろうし」

「そうですね。日浦も、頑張りましたから」

「えへへ」

 

 自分が褒められている事を理解し、茜はほっこりと破顔する。

 

 いや実際大したもんだよと言って犬飼はその承認欲求を満たしてやりつつ、説明に戻った。

 

「カゲが隊服を染めてまで奇襲をかけたワケだけど、迅さんはこれも察知したよね。あの状況、普通なら死んでると思うんだけどなんでかな」

「多分、自分が奇襲される未来が視えたんだと思います」

「ふむ」

 

 犬飼の疑問提示に、七海は恐らくですが、と前置きして解答した。

 

「迅さんはきっと、あの瞬間にマンティスで攻撃するカゲさんが視えたんだと思います。あの悪天候下でも、自分が傷を負う未来がある事自体は分かった。だから、奇襲が来るものだと理解して備えていたんだと思います」

「成る程、ね」

 

 そう、迅は恐らくあの時、自分がマンティスによって傷を負う未来を視た。

 

 正確には、マンティスのものだと思われる裂傷を受ける未来だろう。

 

 視界がほぼゼロとはいえ、自分が攻撃を受ければ流石に分かる。

 

 だからこそ、迅は奇襲があるものと考えて、いつでも対応出来るよう備えていたというワケだ。

 

「加えて、適当メテオラの直後でしたからね。メテオラの後カゲさんが突っ込むのは、影浦隊の基本戦術ですから」

「味付けは変えてあったけど、やってる事はいつもと同じだったからね。いつも通り、っていうのが裏目に出た感じか」

 

 それも状況によりけりではあるけれど、と犬飼は呟く。

 

 部隊の基本通り(いつも通り)の戦術というのは、安定感があって強い。

 

 慣れた戦術である分ミスは起き難いし、そもそも部隊の力を十全に発揮出来るよう組まれた戦術なのだから強くて当然だ。

 

 だがそれは、その分読まれ易い、という事でもある。

 

 影浦隊のそれは読まれてもさほど問題ない類の戦術ではあったが、迅が判断材料として考慮するには充分なものだった。

 

 言うなれば、ただそれだけなのである。

 

「しかし、迅さんも凄まじいよね。あの環境でカゲとまともに戦り合うどころか、押してさえいたんだから。普通死ぬでしょ、あれ」

「そうね。七海なら多分いけただろうけど、他は難しいでしょうね」

 

 犬飼の言葉に、そう言って熊谷が同意する。

 

 吹雪で視界がほぼゼロの状態で、自分の攻撃だけが察知される環境下で影浦と戦う。

 

 普通であれば、その状況になった時点で詰みだ。

 

 視界が塞がれた状態で影浦と戦り合うなど、悪夢以外の何物でもない。

 

 しかも影浦には感情を察知される以上、牽制やブラフも通用しない。

 

 その状態で普通に戦り合えた、迅の方がおかしいのだ。

 

 吹雪で未来視が殆ど機能しない状態で、地力と経験だけで影浦の攻勢を凌ぎ、更には慣れたから、とでも言わんばかりの勢いで動きの精度を上げて行った。

 

 一体、どれだけの死線を潜ればあんな真似が出来るのか。

 

 熊谷や犬飼にとっても、想像の埒外であった。

 

「まあ、この吹雪での戦闘自体、時間稼ぎの為のブラフだったようだけどね。鋼くんの言う通りなら、モールでの消灯奇襲が本命だったようだし」

「そうですね。きっと、そうだと思います」

 

 村上は犬飼の言葉を、そう言って肯定した。

 

「カゲは、砂嵐での戦闘で負けた香取隊を見ています。だから、悪天候下で仕掛けても迅さんを仕留められない可能性は、考えていたでしょうね」

「だから、それを本命に見せかけてユズルくんがワイヤーを張る時間を稼いだ、ってワケか。カゲにしちゃあ頭使ったなあ」

 

 弟子に良いところ見せたかったのかな、と犬飼は嘯くが、七海は否定も肯定もしなかった。

 

 影浦の気遣いは自分が知っていれば充分、という想いもあったし、何より此処で言うべき事ではない。

 

 そう、思っていたのだから。

 

「そして、ワイヤーすらも目晦ましで本命は照明消しからの奇襲か。でも」

「ええ、それすら迅さんは対応してしまいましたね」

 

 二人の言う通り、必殺の意思を持って実行した消灯戦術は、迅によって正面から打ち砕かれた。

 

 未来視で視た銃創から、北添の位置を割り出すという方法で。

 

「あれはもう、どうしようもないよね。電気が消えてすぐ攻撃が来るのが分かっていたから対応出来たっぽいけど、そもそもあの戦術自体電気が消えた直後の混乱を狙ったものだし」

「未来視対策の為に時間を置けば、そもそも電気を消した意味がなくなる、という事ですか。確かに、どうしようもないですね」

 

 そう、迅は電気が消えた直後に攻撃が来るのが分かっていたから対応出来たのだが────────逆に、電気が消えてから時間を置いてしまっては、そもそも消灯した意味がないのだ。

 

 この消灯戦術の肝は、電気がいきなり消えた直後の混乱を狙う所にある。

 

 その混乱から立ち直る時間を与えてしまっては、戦略の意味そのものが瓦解する。

 

 どちらを取ろうが、対応可能。

 

 迅にとって、この作戦はそういう類のものであったワケだ。

 

「それでも諦めなかったのは流石だったけれど、今度は吹雪での迷彩を目的にした白い隊服が裏目に出たね。吹雪での奇襲を印象付けたかったのかもしれないけれど、少し徹底し過ぎたかもしれないね」

 

 暗視を使わなかった迅さんの方がおかしかったのかもだけど、と犬飼はぼやいた。

 

 犬飼の告げた通り、迅は影浦の白く染めた隊服を視認出来た為に、暗闇の中でも暗視を使わず戦闘を続行出来た。

 

 その結果として最後の策であった点灯による目晦ましも通じず、影浦隊は敗れる事となった。

 

 白い隊服は吹雪での奇襲を本命だと思わせる為に選んだのであろうが、その色が暗闇での蛍光色になる、という事に気付けなかったのは痛い。

 

 というよりも、暗い場所では暗視に頼る、という思い込みに引きずられた形が強い。

 

 幾ら白い服が蛍光色になるとはいえ、普通は暗所での視界はほぼゼロ。

 

 影浦の位置だけは分かるとはいえ、他に何も見えない状態で戦闘を続行するなど正気の沙汰ではない。

 

 障害物に躓く可能性も有り得るし、自分が何処に立っているかすら分からない。

 

 そんな状態で、躊躇なく暗視に頼らず戦闘を続けた迅の胆力は正直尋常のそれではない。

 

 相手の位置が分かるから、という理由で暗視を使わない事を選べる事そのものが、異常なのだ。

 

 迅の未来視は、未来の映像を視覚を介して入手出来る。

 

 しかし、それがいつ起きる未来なのかは曖昧にしか分からない。

 

 つまり下手をすれば、相応の時間暗闇での戦闘を継続する事になったのだ。

 

 だというのに、迅は迷う事なく暗視を使わない事を選んだ。

 

 それが正解であると、疑う事なく即断して。

 

 経験が違う。

 

 胆力が違う。

 

 何より、常識(もの)が違う。

 

 これが、経験の差。

 

 これが、潜り抜けた死線の違い。

 

 これこそが、迅の。

 

 経験の怪物の、強さの根幹。

 

 死地に置いても冷静さを保持し、あらゆる状況を即座に把握する観察眼。

 

 そして、速やかに正解を選び取る卓越した判断能力。

 

 迅の脅威は、目に見えるものだけではない。

 

 未来視と風刃という二つの超級の脅威に目を奪われがちだが、彼の真の強さはその精神にこそ在る。

 

 命がけの、本物の戦争を生き抜き獲得した経験値。

 

 それが、何にも替え難い強みとなって迅を支えている。

 

 様々なものを失い、彼にとっては忘れ難い悪夢の一つである記憶ではあるけれど。

 

 同時に、彼の強さを支える経験(もの)である事は疑いようがないのだから。

 

「こんな所かな。君達からは、何かないかな?」

「そうですね。敢えて、という事であれば────────敗因は、何だったと思いますか?」

「少し、頭を使い過ぎた事かな」

 

 犬飼は七海の質問に対し、淀みなくそう答えた。

 

 最初から、決めていた事であるかのように。

 

「作戦自体は、悪くなかったと思うよ。けど、時間稼ぎ目的なら白い隊服を持ち出すっていう選択肢は少し拙かったかもしれないね。カゲなら、そこまでしなくても不自然じゃあなかったワケだし」

 

 そう、作戦自体は悪いものではなかった。

 

 だが、陽動目的の作戦であれば、吹雪に紛れる為の白い隊服はやり過ぎだったとも言える。

 

 少なくとも、それが犬飼の意見だった。

 

「まあ、あの白い隊服がなきゃ時間稼ぎする間もなく落とされていた可能性もあるから、一概に何が正解とは言えないかもだけどね。それでも、敗因の一つである事に違いはないと思うよ」

「そうですね。こればかりは、何が正解かは一概には言えないでしょう」

 

 極論ではあるが、一つの意見である事は確かだ。

 

 もしも、白い隊服を選ばなかった場合。

 

 時間稼ぎが巧く行かずに落とされていた可能性もあるし、暗視の使用を強要する事に成功していた可能性もある。

 

 どちらも、実際にやらなかったのだからもしも(if)の話でしかない。

 

 こればかりは、どちらが正解とも言えないのだ。

 

「それから、少し策に頼り過ぎたかもだね。正直、消灯作戦に切り替えずに屋外でゾエとユズルくんの援護を受けて戦った方が、勝率が高かったのかもしれないし」

 

 カゲだけが攻撃を察知出来るという優位を、もう少し活かすべきだったかもね、と犬飼は言う。

 

 確かに、それも一理ある。

 

 悪天候による視界封鎖と影浦のサイドエフェクトの組み合わせ自体は、有効な手札(カード)だった。

 

 ならば、下手に策に頼らず正面から挑んだ方が、勝率は高かったのかもしれない。

 

 これもまたもしもの話ではあるが、そういう可能性があった、という事は事実だ。

 

 それは、無視するべき事柄ではないだろう。

 

「となると、カゲが負けたのは俺の所為って事になるのかな。俺が消灯作戦を教えなければ、勝っていた可能性があったと」

「だとしても、その作戦を選んだのはカゲだよ。鋼くんがアイディアを提供したからと言って、そこに責任はないさ。何もかも全部巧く行く事なんて、早々あるワケじゃないんだしね」

 

 そう、村上はあくまでアイディアの原案というべきものを話しただけであり、最終的にそれを採用したのは影浦隊の判断だ。

 

 この場合、責があるとすれば彼等であり、情報を提供しただけの村上に生じる責任は一切ない。

 

 これは、影浦達も同意見の筈だ。

 

 ただ考えを述べただけの者に責任を求めるなど、彼等がするワケがないのだから。

 

「ありがとうございます。参考になりました」

「それは良かった。じゃ、お互い頑張ろうね。俺達の結果も、終わり次第伝えるからさ」

 

 犬飼はそう言って踵を返し、いつの間にか退室していた二宮に辻と共に続いた。

 

 それを見送り、七海はチームメイトの方に向き直った。

 

「俺達も、行こうか。もう一度、話し合う必要がありそうだからね」

「そうね。行きましょう」

「ええ」

「了解です」

 

 七海達はそのまま、観戦室を後にした。

 

 影浦と話したい事は、ある。

 

 だが、それは今すべき事ではない。

 

 今は、彼が引き出してくれた情報を元に戦術を練り直す方が先だ。

 

 きっと、影浦もそう言うに違いない。

 

 彼等の奮闘を無駄にせず、自分達の糧とする。

 

 それが、影浦への一番の恩返しだと。

 

 七海は、そう確信して隊室へと向かった。



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影浦雅人⑬

 

「よう、七海」

「あ、カゲさん」

 

 隊室に戻った時、七海を待っていたのはその扉近くに立っていた影浦であった。

 

 時間的に考えて、どうやら彼は試合終了後すぐに会場を出て此処に向かったようだ。

 

「突然ごめんね。カゲがどうしてもって言うから」

「いーじゃねぇか。負けちまったし、もうやる事ねーんだから」

「反省とか、色々あると思うけど。まあ、いいか」

 

 その証拠に、影浦隊の三人も付いて来ている。

 

 ユズルの姿を見つけた茜は「お疲れ様、残念だったねー」「いや、完敗だったよ」と早速コミュしに行っている。

 

 流石、那須隊の中でも数少ない陽キャの一人。

 

 快活だが割と奥手な熊谷と違い、相手と距離を詰める事に躊躇いが一切ない。

 

 相手が割と陰キャ気味なユズルであろうと、お構いなしだ。

 

 そのユズルは茜の勢いに押されつつも、まんざらでもなさそうである。

 

 もっとも、それを光にからかわれるまでがワンセットであるが。

 

「カゲさん、あの」

「負けっぱなしじゃ癪なんでな、情報提供ってのをしに来たぜ。実際に本気の迅さんと戦って分かった事が、幾つかあっからな。いいから聞いとけ」

 

 有無を言わさぬ調子で、影浦は用件を告げた。

 

 確かに、実際に戦った張本人からの所感を聞けるのは有難い。

 

 特に、七海と似たタイプのサイドエフェクトを持つ影浦の意見は、貴重だ。

 

 それが聞けるというのであれば、願っても無い。

 

「いいんですか?」

「いーんだよ。別に、やっちゃ駄目ってルールで決まってるワケでもねーだろ。気にすんな、面倒だしよ」

 

 確かに、ルール上は問題はない。

 

 問題は、試験である以上影浦隊と那須隊は競い合う相手であり、試験形式が受験者同士の戦いでなくとも、本質的には敵同士なのである。

 

 だが。

 

 影浦は、そんな事は知った事じゃないと言わんばかりだ。

 

 実際に、そうなのだろう。

 

 彼が本気で試験に取り組んでいた事は分かるし、昇格したいという意思も強い。

 

 しかし、それはそれとして弟子の為に協力しない理由は無い。

 

 たかが競争相手である程度の事など、影浦の身内贔屓の前では無いも同然の事柄なのである。

 

「で、入っていいのかどうかハッキリしろ。おめーらんトコのオペ、確か男が駄目だったろ」

「ええ、そうですが────────小夜子」

『事情は把握しました』

 

 七海が通信越しに小夜子に話しかけると、彼女は即座に応答した。

 

『私は奥に引っ込んでいるので、部屋に入って貰って構いません。光さんだけ、奥に通して貰えれば情報共有は事足ります』

「分かった。ありがとう」

『いえ、不自由をおかけして申し訳ありません』

 

 以前の小夜子であれば他部隊の男性は隊室への立ち入りも拒んでいたであろうが、姿が見えなければ後はどうとでもなる。

 

 小夜子のいる奥の部屋は完全に仕切られているので、そこへ男性が立ち入りさえしなければ問題ない。

 

 影浦に限って、下手な心配は不要だろう。

 

 七海の前であれば、そのあたりの配慮はしっかり出来る男なのだから。

 

「玲。いいよな?」

「ええ、勿論よ」

「カゲさん、入って下さい。話は中で」

「おう」

 

 話が決まり、七海達は影浦隊の面々と共に那須隊の隊室へと入って行った。

 

 少々驚いたが、なんの事はない。

 

 師匠が、弟子の為に足を運んだ。

 

 ただ、それだけの事なのだから。

 

 

 

 

「まず、遠隔斬撃の速度はやべぇな。撃ってから着弾までが、早過ぎんだよ」

 

 開口一番、影浦はそう告げた。

 

 戦術的な事は犬飼と話していたと七海が説明すると、影浦は自分達が実際に戦って得た所感について話を始めた。

 

 犬飼の名前が出ると分かり易く顔を顰めはしたが、そこはそれ。

 

 すぐに切り替えて、話を始めた次第である。

 

「攻撃すっぞっつう感情が刺さってから俺んトコに攻撃が来るまで、殆ど間がねぇ。近くだと、避けんのもギリギリだ」

「カゲさんがそう言うなら、確かなんでしょうね」

 

 実際、七海も風刃の驚異的な速度は直に体感している。

 

 そして、恐らく影浦が感じたスピードはそれより更に上だ。

 

 風刃のトップスピードは、反応すら許さない神速の域。

 

 影浦のように来るタイミングが分かっていなければ、回避という行動を取る事すら難しいだろう。

 

「このクソサイドエフェクトで感知すりゃあどうにかなると思ってたけどよ、あの野郎普通の攻撃と遠隔斬撃の時の感情に殆ど差がねぇ。本当に、無造作に撃って来んぞ」

 

 その言葉に、意味を理解した七海は息を呑んだ。

 

 風刃の遠隔斬撃は、迅の持つ必殺の刃だ。

 

 防御機能も隠密機能もない風刃にとって、遠距離攻撃を可能とする遠隔斬撃は正に生命線だ。

 

 残弾数が決まっている以上、無駄撃ちも出来ない。

 

 だというのに、影浦の言う通りであれば迅はその使用に一切の緊張がない。

 

 11本。

 

 それが、風刃の弾数である。

 

 少なくはないが、決して余裕のある本数というワケでもない。

 

 だというのに。

 

 迅は、それを通常攻撃と同じように無造作に放つ。

 

 それは、適当に戦っているからではない。

 

 逆だ。

 

 一挙手一投足に、一切の無駄が許されないのは至極当然。

 

 故に。

 

 牽制も、必殺の一撃も。

 

 一切の緊張なく、同じ心持ちで、当たり前のように行使する。

 

 それが出来るのが、迅という少年なのだ。

 

 通常、必殺の一撃ともなれば覚悟を決めて撃つ筈だ。

 

 実際、必殺技と言うべき生駒旋空を持つ生駒は、それを撃つ時雰囲気が変わる。

 

 空気が引き締まる、と言うべきか。

 

 そういった雰囲気の変化が、確かにあるのだ。

 

 だが、迅にはそれがない。

 

 必殺の、確殺の意思を持とうと。

 

 やる事は、何も変わらないとばかりに。

 

 冷静に、冷淡に。

 

 最適解を、選び続ける。

 

 それが、迅の本当の強さなのだ。

 

 分かり易い脅威ではなく、精神の有り方故の強さ。

 

 それは、数々の悲劇を潜り抜けたが故に手にした力ではあるけれど。

 

 彼の力である事に、違いはないのだ。

 

「だから、おめーも気ぃ付けろよ。幾ら副作用(サイドエフェクト)で感知出来るっても、限度はあっからな」

「ええ、肝に命じます」

 

 サイドエフェクトがあるから大丈夫、などと楽観していては落とされる。

 

 影浦のその言葉には、確かに実感があった。

 

 失敗談、とでも言うべきか。

 

「俺ぁよ。未来視さえ封じちまえば、後はなんとかなるって思ってたトコがあんだよ。香取隊の連中は視界を塞いじまったから負けちまったがよ、俺ならこのクソサイドエフェクトがあっから反応出来る、ってな」

 

 けどよ、と影浦は続ける。

 

「完全に視界を封じたのは、失敗だったな。サイドエフェクト頼りで攻撃を避けなきゃいけねぇのに、あいつは普通の攻撃も遠隔斬撃も同じように飛ばして来やがる。視界がありゃあ、どっちなのかは分かったっつうのによ」

「成る程」

 

 そう、そこが影浦達の失敗と言える。

 

 確かに、猛吹雪で視界を封じてサイドエフェクトを封じる事は出来た。

 

 影浦のサイドエフェクトがあったから、吹雪の中でも攻撃を感知出来た。

 

 だが。

 

 誤算だったのは、迅が遠隔斬撃を放つ時の感情の()()

 

 影浦は、遠隔斬撃を放つ時はより強い感情が刺さるとばかり考えていた。

 

 そして、実際に刺さったのは────────回避させる事を前提とした、明らかに強過ぎる殺意だった。

 

 あれを受けた時、影浦は理解した。

 

 迅は、感情の強度を調節出来ると。

 

 普通であれば、無理だろう。

 

 感情を制御する、と言うものの、それは簡単に出来る事ではない。

 

 特に、他者を────────人の形をするものに対して攻撃する時、潜在的な抵抗感を封殺する為に、より強い攻撃意思を持つのが普通だ。

 

 だが。

 

 迅は通常攻撃であろうと遠隔斬撃であろうと、常に平時と同じ(フラット)な感情のまま仕掛けて来る。

 

 まるで作業のように、淡々と攻撃を繰り出すのだ。

 

 だからこそ、吹雪で視界を封じた事が災いした。

 

 通常攻撃と遠隔斬撃の見分けがつかないが故に、影浦は迅に対して踏み込み続ける事が出来なかった。

 

 それが、彼等の敗因の一つと言える。

 

「色々あーだこーだ考えて戦ったが、結局それが首を絞めたな。余計な事を考えるよりも、正面からぶつかった方が良かったかもな」

「いえ、それは結果論でしょう。策なしで倒せるほど、迅さんは甘くはないでしょうから」

「だから、それが駄目だっつってんだ」

 

 影浦はそう言って、七海の勘違いを正す。

 

 彼は何も、自虐で言ったのではない。

 

 七海が陥りそうな陥穽に、気付かせる為に言ったのだから。

 

「未来視とか、黒トリガーとか、そういうので特別視すんな。どんだけ強くても、相手は同じ人間なんだからよ。隙のねぇ人間なんざ、いるワケがねぇんだ」

 

 だからよ、と影浦は続ける。

 

「おめーは、分かってんだろーが。迅さんも、ちょいと厄介な副作用(ちから)を持ってるだけの人間だってよ。そのおめーが変な色眼鏡で見て、気負い過ぎんじゃねぇ」

 

 ────────これまでは、こういう事はして来なかったからさ。大義名分の為とはいえ、少し人の心ってやつを蔑ろにし過ぎてたのに気付いたから。その反省も兼ねて、ではあるけど────────

 

 あの時。

 

 屋上で影浦と話した時の迅からは、その場にいない他者────────七海へのものであろう感謝が、滲んでいた。

 

 きっと、迅が変わったのは七海の影響だろう。

 

 詳しい事を聞いてはいないが、そうに違いないと影浦は確信している。

 

 だからこそ。

 

 あの時、迅が影浦を通して伝えたかったのはこれなのだ。

 

 神様のような力を持った少年は、己の力に役割を求めた。

 

 悲劇を、自らの辛い境遇から目を逸らしたかったから、彼は最善(みらい)の為だけの神になろうとした。

 

 全てを蔑ろにして、ただ盲目的に信仰(みらい)を求めた。

 

 それが、自分の役割なのだと信じ込んで(目を逸らして)

 

 けれど、彼は神様でもなんでもなくて、一人の人間である事にようやく気付けた。

 

 それを教えてくれたのは、七海なのだと。

 

 その事を感謝していると、伝える為に。

 

 不器用にも程がある。

 

 直接伝えれば良いものを、わざわざ影浦に言葉と剣で伝えるなど。

 

 そんな不器用さ(ところ)だけそっくりだなと、影浦は七海を見た。

 

「────────ええ、そうですね。そうでした。俺が、そこを間違えちゃいけませんよね」

 

 そして当然、その意図に気付かない程七海は愚鈍ではない。

 

 影浦を通して送られた、迅からの感謝の激励(エール)

 

 それに応えないならば、あそこまでの啖呵を切った意味がない。

 

 成る程、迅は強敵だろう。

 

 未来視は戦術そのものを見通してしまうし、風刃の遠隔斬撃も強力極まりない。

 

 だが、敢えて言おう。

 

 だからどうした、と。

 

 迅が強くとも、その背さえ見えないように感じても。

 

 彼は、一人の人間として立っている。

 

 そして、完璧な人間など存在しない。

 

 ならば。

 

 未来視を持つ黒トリガー使い、という偶像を、神聖視してはいけないのだ。

 

 無策で挑むのは、確かに無謀だろう。

 

 だが、幻想を抱き過ぎてもその虚像に足を掬われる。

 

 未来視を持っているから。

 

 黒トリガーを使うから。

 

 そんなものは、余分だ。

 

 ただ、厄介な力と強い武器を持った熟練の戦士。

 

 それを相手にしていると、思えば良い。

 

 二宮を落とした時と、同じだ。

 

 無敵と思われるような相手でも、突破口は必ずある。

 

 相手を侮らず、されど幻想は抱かず。

 

 ただ目の前の現実(あいて)を見据えて、全力で挑めば良い。

 

 きっと、それこそが最適解にして唯一解。

 

 迅を攻略する、たった一つの冴えたやり方なのだから。

 

「ありがとうございます。カゲさん。目が、覚めました」

「おう、それでいーんだよそれで。俺らの分までとか、余計な事は考えんな。おめーはおめーのやりたいようにやって、勝って来い」

「はいっ!」

 

 影浦の激励に、七海は笑顔でそう応えた。

 

 これなら、大丈夫だ。

 

 七海から刺さる感情を受け止めながら、影浦は優しい笑みを浮かべた。

 

 きっと、彼ならやり遂げる。

 

 そう、信じて。

 

 

 

 

『試合終了。二人生存の為、二宮隊に2Ptが加算されます』

 

 アナウンスが響き、試合終了が告げられる。

 

 戦場に立っているのは、三人。

 

 風刃を構えていた迅と、高台から相対していた二宮と犬飼だ。

 

 犬飼は見るからに満身創痍で、両腕はなく片足も斬られている。

 

 トリオン漏出による緊急脱出寸前、といったところで踏み留まった、といったところだ。

 

「なんとか生き残ったけれど、倒すまでは行かなかったかあ。迅さんやっばいなー」

「ふん」

 

 二宮隊が取った戦略は、単純明快。

 

 早々に三人で合流し、二人がシールドを張りつつ二宮が両攻撃(フルアタック)を敢行。

 

 弾幕の物量で押し切る、といったものだ。

 

 残念ながら辻は合流前に仕留められてしまったが、彼はその身を以て犬飼の盾となり、彼と二宮の合流を成功させた。

 

 その後は、犬飼がシールドを張りながらひたすら二宮の両攻撃(フルアタック)を連打。

 

 ハウンドの嵐で迅を攻撃し続けて、仕留めきれずにタイムアウトである。

 

 犬飼と合流した上での二宮の両攻撃(フルアタック)という二宮隊の誇る最強戦術が決まったにも関わらず、迅を落とす事はついぞ出来なかった。

 

 むしろ、その状態から遠隔斬撃で犬飼の四肢を斬り落としてみせたのだから驚嘆に値する。

 

 あと数分、試合時間が長ければその刃が二宮まで届いた可能性は充分にあった。

 

 それが分かっているからこそ、二宮は何も言わない。

 

 何をどう取り繕おうと、迅を落とせなかった事は事実なのだから。

 

 これで、残るは一試合。

 

 那須隊と、迅。

 

 導き、導かれた者同士。

 

 その、決戦である。



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激励(エール)

「遂に、此処まで来たか」

 

 迅は控室で椅子に腰かけながら、ゆっくりと息を吐く。

 

 インターバルを挟んだとはいえ、一日のうちに六連戦。

 

 幾ら迅とて、精神的な疲れを感じていないワケではない。

 

 しかし、自身の体調(コンディション)の調整など迅にとっては慣れたもの。

 

 ゆっくりと息を吐き、背もたれに身体を預ける。

 

 それだけで、幾らか疲労を誤魔化す事に成功した。

 

 戦場では、休める時に楽な姿勢でいるだけでも疲労感が大分違って来る。

 

 実際の戦場を駆け抜けた迅は、当然そういった効率的な休息の為のスキルも習得している。

 

 実際には、習得しなければ死んでいたからこそ、必要に駆られて覚えたのであるが。

 

「迅」

「え? 瑠花ちゃん……?」

 

 そして、休息の時だからこそ警戒は怠っていない。

 

 これは、迅が死線を潜り抜けた上で覚えた癖のようなものだ。

 

 ボーダー本部(ここ)が安全だと分かっていても、ふとした拍子に昔の癖が出てしまう。

 

 今、それが出てしまったのは。

 

 相手が、共にあの地獄を潜り抜けた瑠花だからであったからだろう。

 

 普段は(マザー)トリガーの制御を担っている筈の少女が、どういうワケかこんな場所にいる。

 

 その事に、少なからず迅は困惑していた。

 

「こんなトコに来ちゃって良いの? 今仕事中の筈じゃあ」

「忍田に言って、休みにして貰いました。理由は小南と同じ、と言えば分かりますね?」

 

 つまり、最終戦の観戦に来た、と瑠花は言っているのだ。

 

 許可がないと見れないよ、と言おうとした迅だったが────────部屋の入口に忍田が控えている事に気付き、嘆息する。

 

 どうやら、彼女の行動は忍田公認のようだ。

 

 迅の視線に気付いたのか、忍田は部屋に入って来て苦笑した。

 

「すまないね。どうしても、と言うから連れて来てしまった。職権濫用に当たるが、見逃してくれると助かる」

「いいですよ。瑠花ちゃんなら、見る権利はあると思いますから」

「当然です。私が見ずして、誰が見ると言うのですか」

 

 ふんすか、と調子に乗る瑠花だが、小南は彼女が見に来る事は知っているのだろうか。

 

 そんな事を考えた迅であったが、存在自体が特級の機密事項にあたる瑠花が他の観戦者の前に姿を現すとは思えない。

 

 幾ら忍田が付き添っているとはいえ、限度がある。

 

 恐らく、他の観戦者とは別の部屋で見るのだろう。

 

 そのくらいの手配は、忍田であれば出来る筈だ。

 

 故に観戦の際に小南と鉢合わせる(バッティング)する事は無い筈だが、そもそも彼女達は元々仲が良い。

 

 アリステラが滅ぶ前からの付き合いがあり、歳も近い事から話す機会も多かった。

 

 元より人懐っこい性格の小南と、尊大だが情深く世話焼きな瑠花との相性が良かったという事情もある。

 

 きっと、観戦の際に鉢合わせずとも遠からず二人とも観戦に赴いていた事は知るところとなるだろう。

 

 普段は仲の良い二人だが、迅が関わる事となると妙な空気になる場合がある。

 

 基本は小南が言い包められて終わりなのだが、どちらも楽しそうではあるのできっとコミュニケーションの延長戦上のなにかだろう。

 

 少なくとも、迅はそう考えていた。

 

「いよいよ、七海くん達と戦うんだね。彼等が此処まで来れるとは、人の成長とは目まぐるしいものだ」

「俺は何もしていませんけどね。此処まで来れたのは、七海達の尽力の成果です」

「それでもだ。色々、気にかけていたのだろう? 実際に何が出来たかも大事だが、何を想って動いていたかというのも重要だ。彼等の成長に、君の影響が欠片もなかった、というワケではない筈だよ」

 

 七海くんは、君を慕っていたしね、と忍田は告げる。

 

 以前の迅であれば、此処で曖昧にぼかして返答を控えただろう。

 

 彼への負い目が、迅の心には燻ぶり続けていたのだから。

 

「ええ、そうですね。そうであれば嬉しいと、思っています」

「そうか。今は、そう言えるんだな」

 

 ええ、と迅は忍田の言葉を肯定する。

 

 そう。

 

 迅は、彼を縛る過去の負い目とは折り合いを付けている。

 

 正しくは、折り合いを付ける事が出来た。

 

 他ならぬ、七海との対談を経て。

 

 だから、今の迅は他者からの厚意を素直に受け取る事が出来ている。

 

 それは紛れもなく、彼が前へ進んだ証であった。

 

「変われましたね、迅。それでこそです」

「七海達のお陰だよ。彼等がいたから、俺は変わる事が出来た。勿論、瑠花ちゃんにも感謝しているよ」

「良い心がけです。褒めてあげましょう」

 

 瑠花は迅の返答に満足し、ふふん、とその豊かな胸を張った。

 

 さり気なくそこから目を逸らしながら、迅は瑠花に向き直る。

 

「これが、仕上げだ。俺と最上さんで、七海達の最大の試練になる。勿論手を抜く気はないし、実力が足りなければ容赦なく落とす」

 

 けれどね、と迅は笑った。

 

「俺は、信じてるよ。七海は、彼等はきっと────────未来(おれたち)を、超えてくれるって」

 

 それは、迅なりの信頼だった。

 

 自分を、変えてくれた七海なら。

 

 大切な事に、気付かせてくれた彼等なら。

 

 きっと、未来を超えられる。

 

 だからこそ、一切の手抜きはしない。

 

 容赦なく、本気で落とすつもりで戦う。

 

 そうでなければ、意味がないのだから。

 

「ええ、好きなようにやりなさい。どんな結果であろうと、見届けてあげます」

「ああ、好きにさせて貰うよ。今回は、俺の舞台(ばん)だ」

 

 だから、と迅は戦意を瞳に宿し、告げる。

 

「来い、七海。お前の未来(ちから)を、見せてみろ」

 

 

 

 

「MAPの設定は、本当にそれで良いんですね?」

「ああ、それで良い。きっと、それが正解だ」

 

 那須隊、作戦室。

 

 そこで、七海達は作戦の最終確認を行っていた。

 

 議題は、最終試験のMAP選択。

 

 天候設定を含めた、仕込みの内容である。

 

「香取隊も、影浦隊も、MAPの設定を極端にしたのが敗因になっていた。俺達が選んだこいつも割と極端ではあるけど、あの二部隊ほどじゃない。多分、このくらいが丁度良い(せいかい)なんだ」

「でも、本当に大丈夫なの? その設定だと、未来視は完全には封じられないんじゃない?」

「考え方を変えれば良いんだ。物理的に視界を塞ぐんじゃなくて、他の方法で制限をかければ良い。たとえば────────」

 

 七海はそう言って、幾通りの作戦内容を伝えた。

 

 那須はそれを聞き入り、熊谷は得心し、茜はにこりと笑った。

 

 そして小夜子は、成る程、と納得していた。

 

「他ならぬ七海先輩がそう言うのであれば、否はありません。那須先輩達も、良いですか?」

「ええ、玲一の判断に従うわ。迅さんの事を私たちの中で一番知ってるのは、玲一なのだし」

「あたしも文句はないわ。それで行きましょう」

「それでOKです。私も問題なしです」

 

 七海の案に、那須隊の面々が次々と賛成の意を伝える。

 

 以前の七海のような、盲目的なイエスマンではない。

 

 自分の考えをハッキリと持ち、その上で七海の意思を尊重した結果である。

 

 七海の意気込みを買ったという事もあるし、何より彼の説明には説得力があった。

 

 思い当たる節も、所々見受けられた。

 

 ならば、賛同しない理由が無い。

 

 勝つ為の選択であれば、そこに否はないのだから。

 

「MAPの解析は終わっているので、あとは転送場所に応じたサブプランも用意しておきましょう。それが、最適解なんですよね? 七海先輩」

「ああ、一つに絞る必要はない。戦術じゃなく、戦略で戦う。迅さんを倒すには、これがきっと正解だ」

 

 七海がこうまで断言するのは、先ほどの影浦との会話で大事な事に気付けたからだ。

 

 あの時影浦に発破をかけられなければ、きっと七海は選択を誤っていただろう。

 

 そう考えると、彼には感謝してもし足りない。

 

 ────────おめーは、分かってんだろーが。迅さんも、ちょいと厄介な副作用(ちから)を持ってるだけの人間だってよ。そのおめーが変な色眼鏡で見て、気負い過ぎんじゃねぇ────────

 

 あの言葉がなければ、七海はきっと間違えていた。

 

 七海にとって迅は恩人であり、特別な相手だ。

 

 そして、黒トリガーの使用者、という無視出来ない要素がある。

 

 加えて、あの試験前の模擬戦で未来視と風刃の脅威を直に思い知らされた。

 

 だからこそ、知らず知らずのうちに迅を神聖視────────特別視してしまっていた事は、否定出来ない。

 

 だが、それでは駄目なのだ。

 

 確かに、迅は強い。

 

 未来視の前では大抵の戦術が見通され、風刃の速度と射程、応用性は半端ではない。

 

 けれど。

 

 同じ人間である事は、確かなのだ。

 

 一切ミスをしない人間、というのは有り得ない。

 

 どんな完璧に見える人間でも、本当の意味で失敗しない人間というのはいないのだ。

 

 むしろ、迅の強さは失敗があったからこそ得た強さだ。

 

 戦争の中で、仲間の犠牲(しっぱい)を経験したからこそ、今の迅が在る。

 

 それは強いけれど、哀しい力だ。

 

 けれど。

 

 迅の、彼の力である事は、確かなのだ。

 

 未来視と風刃という二つの切り札(ジョーカー)を持つ迅相手に、神聖視という幻想を抱いてしまえば、勝てるものも勝てなくなる。

 

 そういった幻想(おそれ)を的確に突けるのが、迅なのだから。

 

 だから、迅に勝つにはまずその特別視を捨てなければならない。

 

 その上で戦術を組み上げ、勝ち筋を見つける。

 

 それこそが、最適解。

 

 影浦から教えられた、正解である。

 

「そろそろ、時間です。行きましょう」

「ああ、行くぞ」

「ええ、行きましょう」

「うん。行こうか」

「はいっ! 行きましょうっ!」

 

 那須隊が、出陣する。

 

 倒すべきは、S級隊員。

 

 風刃使いの観測者、迅悠一。

 

 黒トリガーとの。

 

 迅との決戦が、始まる。

 

 

 

 

「その様子だと、俺のアドバイスは必要なさそうだな。存分に戦って来い、七海」

 

 行く途中で出会った太刀川は、そう言って七海を送り出した。

 

 師匠として。

 

 好敵手として。

 

 一人の、男として。

 

 迅悠一(あくゆう)に挑む、一人の戦士として。

 

 七海の力を、認めるが故に。

 

 ならば、応えなければ嘘だ。

 

「はい、勝って来ます。太刀川さん」

 

 誓いは此処に。

 

 七海はそう宣誓して、太刀川への返答とした。

 

 

 

 

「頑張って、玲。勝ちなさいよ」

 

 会場の前にいた小南は、そう言って那須を激励した。

 

 本人も戦闘体に換装しており、何やら闘気が満ち溢れている。

 

 彼女の心情は、理解出来てはいないけれど。それでも。

 

 その応援は、真摯なものだった。

 

「ええ、勿論よ」

 

 故に、告げる言葉は一つだけ。

 

 那須は必勝を誓い、小南とハイタッチを交わした。

 

 

 

 

「熊谷なら、きっとやれるよ。健闘を祈っている」

 

 会場で、村上がそう告げた。

 

 彼らしい、実直な激励。

 

 けれど。

 

 その言葉に籠る熱意は、本物だった。

 

 かつて、ランク戦で直に鎬を削り合った者として。

 

 彼女の力は、誰よりも認めているのだから。

 

「うん。やってみせるよ」

 

 だから、これで良い。

 

 大仰な台詞は、要らない。

 

 彼女は彼女の言葉で、約束する。

 

 戦いの、勝利を。

 

 

 

 

「日浦さん。頑張って」

 

 会場で、ユズルは茜を見つけるなりそう告げた。

 

 きっと、色々言葉を悩んだんだろう。

 

 けれど。

 

 出て来たのは、シンプルな応援の言葉。

 

 きっと、それが正解。

 

「ありがとう、ユズルくん。私、頑張るからっ!」

 

 茜は笑顔でそう話してユズルと握手を交わし、戦場へ赴く。

 

 その眼に、確かな闘志を宿して。

 

 

 

 

『いよいよだねー、頑張れー』

『応援してるわ』

 

 那須隊、作戦室。

 

 そこに残る小夜子の下に届いたのは、親友二人からの通信での激励。

 

 いつも通りのふわふわで声で話す国近の言葉には、確かな誠意があって。

 

 普段通りのクールな声で告げる羽矢は、その言葉に信愛を重ねていた。

 

 隊も立場も違えど、友情に揺らぎはない。

 

 趣味人同士の親友(ゲーマーズレディ)の絆は、伊達ではないのだ。

 

「はい、必ず七海先輩達を勝たせてみせますよ。もう、隊章だって考えてあるんですからね」

 

 小夜子はそう啖呵を切り、画面に向き直る。

 

 彼女の仕事は、戦闘支援。

 

 直接前線に出るワケではないけれど、部隊全体を支える必要不可欠な仕事だ。

 

 故に、手は抜かないし気も抜かない。

 

 ただ、全力で仕事を遂行する。

 

 それだけの、話なのだから。

 

 

 

 

『時間になりました。全隊員、転送開始します』

 

 アナウンスが響き渡り、迅を含めた全員の身体が仮想の戦場へと送られていく。

 

 それを見送った瑠花は、先ほどまで迅がいた場所を見詰めていた。

 

「存分にやって来なさい、迅。良い戦いを、期待します」

 

 瑠花はそう呟きながら、忍田に連れられ別所の観戦室まで移動する。

 

 勝利を願う、とは少し違うかもしれないけれど。

 

 それは確かに、彼女から迅への激励(エール)であった。

 

 

 

 

『全隊員、転送完了』

 

 アナウンスと共に、全員が仮想の大地へ降り立った。

 

 見えるのは、中央に位置する大きな川。

 

 川には、一つの大きな橋がかかっていた。

 

『MAP、『河川敷A』。天候、『暴風雨』』

 

 そして。

 

 荒れ狂う、嵐。

 

 風が吹き荒れ、大雨が降り続く悪天候。

 

 それが。

 

 那須隊が、決戦の地に選んだ戦場であった。



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風刃①

「河川敷Aと、暴風雨か。成る程、確かにかなりの悪天候ではあるが────」

「視界が完全に塞がる、というレベルではないな。それでも、普通の天候よりはやり難いだろうが」

 

 観戦室にいる王子と蔵内は、那須隊が選んだMAPと天候を見てそんな感想を漏らしていた。

 

 確かに、悪天候である事に変わりは無い。

 

 数ある天候設定の中でも、割と極端な部類に入る事は間違いないだろう。

 

 だが。

 

「これでは、未来視を封じる事は出来ないのでは?」

 

 完全に視界を塞ぐには、至らないのも確かである。

 

「一応、あの雨風じゃ遠くまでは見通せないから開幕で遠距離から狙われたりする事はないだろうね。そういう意味では、少し中途半端な対策かもだけど」

 

 そこで王子はちらり、と壁を背にしていた影浦に目を向けた。

 

「何か、考えがあるのかな? カゲくんはそのあたり、何か聞いてたりするんじゃないかな?」

「うっせえ、黙って見てろ」

 

 成る程、と王子は影浦の態度に納得する。

 

 これは、確実に何か知っている反応だ。

 

 少なくとも、心当たりはある。

 

 そんな感触があった。

 

 気にはなるが、此処で駆け引きをしても仕方がない。

 

 今は、ただ試合を見よう。

 

 そう切り替えて、王子は映像に目を向けた。

 

「さあ、君たちはどう戦うんだい? シンドバット」

 

 

 

 

「成る程、こう来たか」

 

 迅は仮想の街並みを覆う嵐を見て、得心したように頷いた。

 

 彼が視た未来ではMAP自体はほぼこの河川敷Aで確定していたのだが、天候設定は幾つか分岐があった。

 

 最も可能性が高かったのは濃霧という視界が殆ど封鎖される天候設定であったのだが、それがこの土壇場に切り替わった。

 

 何を考えているのかは、まだ分からない。

 

 迅のサイドエフェクトはあくまで未来の映像を視るものであって、他者の心が読めるワケではないからだ。

 

 そして、何より。

 

 迅の視た限りでは。

 

 この試合で那須隊が仕掛けて来る戦術が、()()()()()()()

 

 正しくは、無数に分岐している。

 

 殆ど一本道の分岐であった香取隊や、影浦隊とは違う。

 

 作戦そのものが、無数に用意されている。

 

 これは、そういう時の未来視(えいぞう)だ。

 

 迅のサイドエフェクトは、望む未来を視るものではない。

 

 現時点から分岐する複数の未来の()()()、その全てを視るのだ。

 

 故に、相手が複数の行動予定を用意していた場合、その全ての選択肢が提示される事になる。

 

 そして、相手がどの未来を選ぶかは土壇場まで分からない。

 

 それでも、試合に臨む以上ある程度指針を持って戦術を組み立てておくのが普通だ。

 

 戦術案一つを組むのに必要な労力を思えば、一試合に用意できる戦術パターンはそう多くはない。

 

 だが。

 

 那須隊の用意した戦術は、詳細が決まっていない。

 

 正しくは、それぞれの隊員の機転に任されている部分が大きい。

 

 大筋の戦略は、ある。

 

 けれど、影浦隊がやったような計画的な戦術というよりは。

 

 香取隊が行った、各々の全力を尽くした結果の戦略、と言った風情が強い。

 

 実のところ、今回の試験に置いて香取隊と影浦隊とでは、香取隊の方が迅としてはやり難かった。

 

 影浦隊は個人主義が強い面々の集まりとはいえ、元A級という立場上部隊の完成度は非常に高い。

 

 故に、作戦行動を決めてしまえばその遂行力は凄まじいものがある。

 

 しかし、だからこそ読み易かった、とも言える。

 

 最善の行動、というものは得てしてそういうものだ。

 

 影浦隊は、隊としての完成度が高いが故に戦術を読むのが容易であった。

 

 だが。

 

 香取隊は、そうではない。

 

 彼女達は、未だ発展途上。

 

 つまり、()()なのだ。

 

 未熟であるからこそ、土壇場でも選択を迷う。

 

 未熟だからこそ、あらゆる可能性に手を伸ばそうとする。

 

 だからこそ、あの最後の瞬間。

 

 香取の刃は、迅に届きかけたのだ。

 

 同様に、彼女たちが迅に負けたのも未熟であるが故。

 

 隊としての、完成度の低さが原因ではある。

 

 そして。

 

 那須隊は、ある意味こちらに近い。

 

 B級一位まで上り詰めた実力は、疑いようはないだろう。

 

 しかし、彼等の躍進は未だ終わっていない。

 

 未熟であった期間が長かったからこそ、今の成長があるとも言える。

 

 どうやら、迅の激励(エール)は届いたらしい。

 

 知らず、頬を綻ばせる迅であった。

 

「────へえ」

 

 そして、迅は見た。

 

 嵐の河川敷、その中央。

 

 橋の上で待つ、挑戦者の姿を。

 

 

 

 

「…………」

 

 熊谷は、油断なく構えながら橋の中央に陣取っていた。

 

 雨風が吹き荒び、眼下では轟轟と荒れ狂う川の波音が聞こえて来る。

 

 遮るものがなく、雨が身体に張り付いてただでさえ身体のラインが浮き出る隊服は濡れ鼠になった事でよりそれを強調させていた。

 

「────!」

 

 そして、熊谷は見た。

 

 橋の手前。

 

 そこに、風刃を手にした迅が立っていた。

 

 サングラスをかけた迅は、ニヤリと笑みを浮かべブレードの切っ先を熊谷へと向けた。

 

 途端、熊谷の背に悪寒────────迅の殺気を浴びたが故の戦慄が、駆け巡る。

 

 本物の戦場を生き抜いた、死線を潜り抜けた英雄(せんし)

 

 その彼が滲み出した殺気は、日常に生きて来た熊谷にとっては受けるだけで辛いものだ。

 

 人生で初めて味遭う本気の殺意に、心の奥底が震えるのが分かる。

 

 逃げ出したい。

 

 そんな弱気(こえ)が、心の中から木霊する。

 

「逃げて、なるもんか……っ!」

 

 熊谷は歯を食い縛り、その弱音(ざれごと)をかき消した。

 

 間違えるな。

 

 此処は戦場。

 

 死の危険がないだけで、真剣勝負の場である事に変わりは無い。

 

 だというのに。

 

 ただ、相手の強大さを感じたというだけで。

 

 逃げる理由には、ならない。

 

 格上相手は承知の上。

 

 それを理解して尚、この場に立ったのだ。

 

 相手を見ろ。

 

 その動きを、見逃すな。

 

 既に、開戦のゴングは鳴らされている。

 

 いつ仕掛けて来ても、おかしくはない。

 

「……!」

 

 迅の足が、沈み込んだ。

 

 躍動の、気配。

 

「違う……!」

 

 熊谷は、見逃さなかった。

 

 駆け出そうとしている迅の、その右腕。

 

 それが、微かに動き────────。

 

「────」

 

 ────────剣を振り抜いて、遠隔斬撃を撃ち放った。

 

 挨拶代わりとでも言わんばかりに、まるで那須の変化弾(バイパー)のような軌道を描いて遠隔斬撃は橋を伝って襲い来る。

 

 その速度は、まさに神風。

 

 神速と呼ぶに相応しい、埒外の弾速。

 

 それが、牙を伴い熊谷へと襲い掛かる。

 

「そこ……っ!」

「……!」

 

 熊谷は自身の背後から跳び出した斬撃を、集中シールドを用いて防御。

 

 更に身体を捻り、紙一重の回避。

 

 致死の初撃から、頬の掠り傷のみで生き残った。

 

「────」

 

 だが。

 

 無論、それで終わりではない。

 

 いつの間にか、迅が間近まで迫っていた。

 

 遠隔斬撃は、囮。

 

 本命は、迅自らが近付いての剣撃。

 

 風刃のブレードが、体勢を崩した熊谷に向かって振り下ろされる。

 

「……っ!」

 

 熊谷はそれを、何とか弧月で受け太刀し防御。

 

 斬撃を刀身で受け流し、ノーダメージでやり過ごす。

 

 そしてそのまま、熊谷は弧月を橋に突き立て支えとする。

 

 更に、それを起点に体勢を整えすぐさま抜刀。

 

 返す刀で、迅のブレードを押し返した。

 

「やるね」

受け太刀(これ)には、自信があるのよ。生憎とね」

 

 熊谷は誇るように胸を張り、迅は笑みを以て称賛する。

 

 果たして、今の連撃を防ぐ事が出来る人間がどれ程いるというのか。

 

 熊谷は確かに那須隊の中ではそこまで目立ってはいないが、その地力は本物だ。

 

 特に、受け太刀を軸にした防御技術は特筆に値する。

 

 太刀で受ける、という技術の性質上、射手や銃手、そしてスコーピオン使い相手では発揮する機会の無い技術ではあるが。

 

 それでも、ブレード相手の防御技術ならばボーダーの中でも随一である事に違いはない。

 

 あの太刀川が、熊谷の受け太刀(それ)を認めているのだ。

 

 その時点で、どれ程のものかは分かるだろう。

 

 技術を十全に発揮出来る相手を選ぶ、というだけで。

 

 熊谷の防御技術そのものは、優秀極まりないのだから。

 

「いいね、それでこそだ。選択(みち)を、間違えなかったようだね」

 

 迅は、そう言ってニヤリと笑い────。

 

「────!」

「────七海」

 

 上空から飛来した七海の斬撃を、ブレードで斬り払った。

 

 以前と同じ、愚は冒さない。

 

 七海は迅と刃を合わせた時点でグラスホッパーを起動。

 

 迅の反撃が来る前に、即座に跳躍。

 

 一瞬にして、迅の背後────────熊谷と七海で彼を挟める位置に、着地した。

 

「────」

 

 言いたい事は、ある。

 

 けれど、それは今ではない。

 

 滾る闘志も、温めた想いも。

 

 全て、刃で語るより優先すべき事はない。

 

 この舞台は、迅が七海の為に用意したものと言っても間違いではない。

 

 迅は、七海の成長の為に。

 

 自らが、壁として立ち塞がる事を選んだ。

 

 詳しい話は聞いていない。

 

 碌な説明も、受けてはいない。

 

 だが。

 

 あの迅が、このような行動を取ったというだけで。

 

 察するには、あまりある。

 

 迅の真意(おもい)は、理解しているつもりだ。

 

 だからこそ、今此処で出来る事など決まっている。

 

 ただ、真摯に。

 

 全力で、迅悠一(みらい)を打倒する。

 

 その為に、此処に来た。

 

 その為に、この戦場へやって来た。

 

 全ては、迅の想いに報いる為に────────否。

 

 自分の未来(みち)を、切り開く為に。

 

 七海は、仲間達とこの戦場へ降り立った。

 

 故に、余計な言葉は無用。

 

 語るのならば、刃で。

 

 それこそが、迅という恩人に報いるただ一つの方法である。

 

 熊谷が、弧月を構える。

 

 迅は迎撃の構えを取り、二人の攻撃を待っている。

 

 故に。

 

 七海が駆け出し、開戦の剣戟音(ゴング)が鳴り響いた。

 

 

 

 

「迅相手はな、策を使えば使う程ドツボに嵌まるんだよ」

 

 太刀川隊、作戦室。

 

 そこで太刀川は、そこに呼んだ烏丸と共に試合映像を眺めていた。

 

 唯我は機密保持の観点(口が滑る)から此処にはいない。

 

 此処にいるのはソファーにどや顔で座る太刀川と笑みを浮かべる出水。

 

 そして、にこにこしながらその隣に座る国近と向かい合う烏丸だけである。

 

 太刀川は楽しそうな笑みと共に、己の見解を口にする。

 

「俺に言わせりゃ、影浦隊に勝機は充分あった。ただ、それを自分から捨てちまっただけでな」

「でも、作戦は良かったですよね?」

「途中まではな。吹雪で視界を塞ぐのは良いだろ。けど、その後モールに行ったのが余分だな」

 

 あそこはあのまま屋外で戦うべきだったろ、と太刀川は告げる。

 

「視界が効かない時点で、迅相手に有利は取れてんだ。前衛で戦うのが攻撃を感知出来る影浦一人な以上、あいつが肉弾戦仕掛けて他が援護すりゃあ勝ちの芽はきちんとあったんだよ」

 

 けど、と太刀川は続けた。

 

「あいつは、迅の未来視を特別視しちまった。なまじ、どっちもサイドエフェクトを持ってるから変な風に感じちまったんだろ。その時点で、迅の思う壺だってのにな」

「だから、負けたって事すか? 迅さんを、特別視しちゃったから」

「そーいう事だ。っても、同じ玉狛支部のお前にゃ坊主に説得か?」

 

 恐らく坊主に説法と言いたかったんであろうが、そこはそれ。

 

 烏丸は太刀川隊時代の経験からさも当然のように太刀川の誤字(まちがい)をスルーし、いいえ、と言った。

 

「俺も、迅さんの戦ってるトコは殆ど見た事ないすから。一人一部隊扱いだからってのもあるんでしょうけど、あの人基本的に一人きりで動くので」

「なら迅に関しちゃ、俺の方が詳しいってワケか。ならいいや」

 

 太刀川はそう話すと、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「そういう意味じゃ、香取隊は良い線行ってたな。単純な実力不足で勝てなかったが、香取以外の二人の練度が違えば勝てた可能性は充分あったぞ」

 

 つまりだな、と太刀川は告げた。

 

 一つの、彼なりの見解を。

 

「迅を相手にする時は、下手な小細工はすればする程ドツボに嵌まる。かと言って、何の策もなしに挑んで勝てるほどあいつは弱くはない」

 

 だから、と太刀川は笑った。

 

「迅の能力を研究して、ある程度それの対策を立てて、あとは────────単純な、実力勝負に持ち込む。それが、あいつと戦う上での最善策だ」

 

 大体な、と太刀川は溜め息を吐いた。

 

「誰も彼も、あいつを特別に見過ぎなんだよ。あいつはただ、変な能力持ってるちょっと面倒くさい奴ってだけだ。少なくとも、俺はそう思ってるぞ」

「ええ、それは分かっていますよ」

 

 それが太刀川さんなりの親愛の情である事もね、とまでは言わない。

 

 意地っ張りな元同僚の事は、誰より分かっている烏丸であった。

 

「だから、普通の奴とやる事は一緒だ。相手の何が厄介かを研究して、それに注意しながら正面から斬りかかる。これだけだ。これだけで、いいんだよ」

 

 そう、それこそが、迅を相手にする場合の最適解。

 

 影浦隊は、迅を特別視するあまり戦術に拘り過ぎた所為で敗北した。

 

 どれだけ優秀な戦術だろうと、迅にとってはその全てが既知である。

 

 故に、ただ戦術を立てるだけでは足りないし、それが綿密なものであればある程迅にとっては読み易くなる。

 

 だからこそ、重視すべきは戦術よりも()()

 

 迅の何を気を付けるのか、どうやって迅を倒すのか。

 

 そのやり方(パターン)を無数に用意し、気を付けるべき事に気を付けた上で挑み、状況に応じて各々の機転で切り抜ける。

 

 どうやって倒すか、という戦術を具体的に決めるのではなく。

 

 どういうやり方で挑むか、という戦略を以て打倒する。

 

 それが、迅に対する最適解。

 

 たった一つの、冴えたやり方なのである。

 

「気付いてねぇようなら俺が言っておくかと思ってたが、どーやらそれは俺の役目じゃなかったらしい。それは、あの目を見れば分かったよ」

 

 太刀川は何処か悔しそうにそう漏らし、そして自慢気な笑みを浮かべた。

 

「あいつは、ただ勝ちを見てた。迅の想いがどうこうじゃなくて、その先の勝ちをな。だからきっと、あいつはやるぜ? 師匠の俺が、保証してやる」

 

 ニヤリと笑って太刀川はそう告げ、画面を見据えた。

 

「やってやれ、七海。(あいつ)の驚く顔を、見せてくれよ」

 

 七海(ひとり)の師匠として。

 

 (ひとり)の友人として。

 

 太刀川はそう告げて、激励(エール)を送った。

 

 願わくば。

 

 友人達(ふたり)の想いが、結実する事を望んで。



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風刃②

 

「MAPは河川敷Aで、天候は暴風雨。これで行こうと思う」

 

 試験開始前、那須隊作戦室。

 

 そこで、七海は皆にそう切り出した。

 

 その発言に熊谷は驚き、茜は目を見開き────────那須と小夜子は、笑みを浮かべていた。

 

「河川敷Aってのは決めてた通りだけど、天候は濃霧で行くんじゃなかったの?」

「勿論、理由は説明する。順を追って話そう」

 

 七海は熊谷の当然の疑問に対しそう答え、説明を始めた。

 

「カゲさん達の試合で、分かった事が幾つかある。確かに、悪天候で視界を封じれば未来視に制限をかける事は出来るけれど────────それ以上に、風刃の軌道が分からなくなるデメリットが大きいって事だ」

 

 確かに、影浦からの話でもその事に対する言及はあった。

 

 完全に視界を塞いだのは失敗だった、彼もそう言っていた。

 

 それは香取隊も同じではあったが、影浦の場合はサイドエフェクト頼りの回避があるから大丈夫、という勝算があったのだろう。

 

 だが、迅の技能と経験は、その楽観を打ち砕いた。

 

 遠隔斬撃の軌道が肉眼で見えない、というのは。

 

 影浦のサイドエフェクトがあって尚、無視出来ないデメリットであったワケだ。

 

「でも、影浦先輩のサイドエフェクトと七海のそれとじゃ少し違うんじゃない? そこのところはどうなの?」

「俺の場合、そもそも攻撃が来る事は分かってもその強弱は感知出来ないんだ。だから通常攻撃なのか遠隔斬撃なのかを判別する事は出来ないし、それに────────気付かない内に玲達に向けて遠隔斬撃を撃たれるって可能性も、充分有り得るんだ」

 

 そう、影浦の感情受信体質と七海の感知痛覚体質とでは、決定的な違いが一つある。

 

 それは、感知する攻撃の()()が全く分からないという事だ。

 

 影浦であれば感情の刺さり方次第である程度判別が出来るが、七海の場合ダメージであればどんなものであれ一律で感知する為、本命か陽動か(フェイント)を察知出来ないのだ。

 

 そして、そういったフェイント混じりの駆け引きという舞台に上がった時点で、死線踏破者である迅の経験値が大きな壁となって立ちはだかる。

 

 今の那須隊はクレバーな判断が出来る面々が揃っているが、そういう方面で迅は比較にすらならない。

 

 命懸けの戦場を生き抜いたという経験は、伊達ではないのだ。

 

 目の前の相手よりも、狙い易い標的を狙う。

 

 その程度の判断は、基本だ。

 

 そして迅の持つ風刃は、その規格外の射程により容易にそれを可能にする。

 

 故に、視界を完全に封鎖してしまうのは、メリットをデメリットが上回ると七海は判断したワケだ。

 

「でも、そうなると未来視を封じれないからそもそも勝負にならないんじゃない?」

「そうでもないさ。暴風雨は確かに視界を完全に封じる程の天候じゃないけど、それでも遠方を視認する事は出来なくなる。少なくとも、前に玲がやられたように開幕で遠距離斬撃で落とされるような事はなくなる筈だ」

 

 そして、暴風雨という天候を選んだのにも当然理由がある。

 

 暴風雨は、視界制限の観点から言えば砂嵐や猛吹雪に大きく劣る。

 

 だが。

 

 荒れ狂う雨風は、遠距離の視認を封じるカーテンとしての役割は充分に果たしてくれる。

 

 少なくとも、あの模擬戦のように開幕で超超距離の遠隔斬撃で落とされる、という事態は防げるだろう。

 

「そうなると、どうやって迅さんを落とすんですか? 確かに防御面はそれで難易度下がるかもですけど、攻撃面はどうします?」

 

 普通に狙撃してもバレちゃいますしね、と茜は告げた。

 

 確かに、暴風雨では完全に攻撃の軌道を隠す事は出来ない。

 

 遠隔斬撃の軌道が分かるようになったのと同じように、こちらの攻撃も迅から視られてしまう。

 

 どうやって落とすか、という問題は解決出来ていないのだ。

 

「いや、落とす方法は決めない。というよりも、限定しない、と言った方が正しいか」

 

 だが。

 

 それに対する解答も、七海はきちんと用意してあった。

 

「下手に一本の戦術に限定すれば、未来視で作戦を把握された時点で対応される。だったら、大まかな指針を決めた上であとは各々の判断でやる方が勝てる可能性は高いだろう」

 

 そう、迅の未来視の最も厄介な点は、作戦が見通される事にある。

 

 彼は人の心は読めないが、未来の映像を視る事で作戦を推測し把握する事が可能。

 

 故に、どれだけ奇抜で優秀な作戦であろうと────────迅にとっては、既知の戦術でしかないのだ。

 

 一つの作戦を立てただけで満足していては、迅には届かない。

 

 ならばどうするか。

 

 簡単だ。

 

 基本的な戦術方針だけ整えておき、戦況に応じて各々の判断と連携で臨機応変に戦う。

 

 それが、七海の出した答えだった。

 

「迅さんは無策で挑んでも、警戒し過ぎても勝てない。色眼鏡なしで、本当の迅さんを見なきゃ────────きっと、幻想(おそれ)が足を竦ませる」

 

 だから、と七海は告げる。

 

「迅さんを、真っ向勝負の舞台に引き込んで、那須隊(おれたち)が出来るあらゆる手札で戦いを挑む。そして、勝つんだ。俺達なら、きっと出来るさ」

 

 

 

 

「────」

 

 最初に動いたのは、七海だった。

 

 七海はグラスホッパーを踏み込み、迅へと肉薄。

 

 スコーピオンを翳し、それを迅へと振り下ろす。

 

「おっと」

 

 迅はそれを、サイドステップで回避。

 

 充分受け太刀で対応出来る攻撃ではあったが、それはしない。

 

 何故か。

 

「……!」

 

 直後に、熊谷が斬りかかって来る事が分かっていたからだ。

 

 迅はブレードを斬線に置き、弧月の一撃を防御。

 

 そのまま力を込め、熊谷を押し返す。

 

「────!」

 

 そして、ブレードを振り抜いて背後から忍び寄った七海を迎撃。

 

 七海は寸前でグラスホッパーを踏んで跳躍し、反撃の刃を回避。

 

 だが、ただでは退かない。

 

 右手に持っていた短刀型のスコーピオンを、迅に向かって投擲した。

 

「旋空孤月ッ!」

 

 同時に、熊谷が旋空を起動。

 

 横薙ぎに、旋空孤月が放たれる。

 

 前門のスコーピオン、後門の旋空が迅を襲う。

 

 これで、仕留められるとは思っていない。

 

 狙いは、跳躍の強制。

 

 熊谷は横薙ぎの旋空を、かなり低い位置に放っている。

 

 少なくとも、しゃがみ込んで回避出来るような高度ではない。

 

 回避するには、ジャンプをするしかない。

 

 だが、空中では幾ら迅でも動きが制限される。

 

 七海のようにグラスホッパーの補助が無い以上、一度空中に出れば回避機動には相当な制限がかかるのだ。

 

 そこを、狙う。

 

 シンプルだが、それ故に有効。

 

 迅は旋空を回避する為、地を蹴り宙に跳び出した。

 

(そこだ……っ!)

 

 すかさず、七海が動いた。

 

 グラスホッパーを用いて、跳躍した迅へ接近。

 

 スコーピオンを、その背に突き立てんと迫る。

 

「少し、低過ぎたね」

「……!」

 

 だが。

 

 迅は、足元を旋空が通過した直後ブレードを橋に突き立てた。

 

 そして、握ったブレードを起点に素早く着地。

 

 地に足を付けた状態で、七海のスコーピオンを斬り払った。

 

 熊谷は今回、跳躍を強要する為に相当に低い位置────────迅の膝あたりの高さを狙って旋空を撃った。

 

 それは確かに、迅に跳躍を強制する事には成功した。

 

 しかし。

 

 迅は最小限の高度で跳躍を行い、ブレードを杖代わりにした機動で難なく七海の追撃を対処してみせた。

 

 矢張り、場数が違う。

 

 そんな思考すらする暇はないとばかりに、七海は即座にグラスホッパーを起動。

 

 迅の反撃が来る前に、その場から離脱した。

 

(強い。だけど)

(勝負には、なってる)

 

 間違っても、押しているとは言えない。

 

 むしろ、二人がかりでも圧倒されているのが現状だ。

 

 だが。

 

 あの模擬戦の時のような、一方的な蹂躙ではない。

 

 ちゃんと、戦いという形が成立している。

 

 もし、これが当初の予定通り濃霧で視界を封鎖していたら。

 

 不意の遠隔斬撃で瞬く間に熊谷がやられていた可能性は、否定出来ない。

 

 七海と違い、熊谷には攻撃を感知出来る副作用(サイドエフェクト)なんてものは無い。

 

 前回の影浦隊の戦術が成立したのはあくまで前衛が攻撃感知可能な影浦のみという部隊構成であったからであり、那須隊が同じ事をすればそれは熊谷だけを死地に落とす事と同義であった。

 

 香取隊の時に若村と三浦が致命傷を避け得なかったのも、風刃の軌道が全く見えなかったという要素が大きい。

 

 そうでなくとも彼等二人の練度では厳しかったであろうが、敗因の一つであった事に変わりは無い。

 

 そして、今の二人で迅を囲む陣形も善戦の理由の一つと言えるだろう。

 

 迅には、風刃にはシールドが存在しない。

 

 故に、防御の選択肢は受け太刀一択となる。

 

 つまり、迅はブレード使いを複数相手にする場合は、一本の風刃(ブレード)のみでそれを捌く必要がある。

 

 スコーピオンは余程勢いを付けなければシールドを抜けない為、通常であれば集中シールドでの防御という対抗策が可能であるが、迅にはシールドがない為それが出来ない。

 

 故に、手数と小回りで弧月を上回るスコーピオン相手には、特に繊細な防御もしくは迎撃が必要なのだ。

 

 加えて、七海にはマンティスがある。

 

 練度は影浦のそれには及ばないが、通常のスコーピオンでは届かない射程に刃が届くというのは明確な利点だ。

 

 無論マンティスは両攻撃(フルアタック)状態になる為軽々には使えないが、それでも()()()()()()()()というプレッシャーは有効だ。

 

 迅に未来視があるとはいえ、戦闘中の未来映像は目まぐるしく切り替わる。

 

 何せ、当人が判断を一つ変えただけでも無数の分岐(パターン)が発生するのだ。

 

 それが複数人相手となれば、視える未来の数はどれほどのものか。

 

 ────────乱戦になると、情報量が多くてあいつでも処理しきれなくなるんだよ。だから、あいつを倒すには囲んで叩くか、攻撃を延々と続けて行くのが手っ取り早い────────

 

 あの時、太刀川が言った言葉はそういう意味で的を射ていた。

 

 迅を相手にする場合は、囲んで叩くのが一番。

 

 無論、言う程簡単な事ではないが────────有効な手であるのは、確かなのである。

 

 矢張り、迅の好敵手であったという経歴は伊達ではない。

 

 普段は人間性の駄目さが目立つ太刀川だが、戦闘者としては一流として極まっている。

 

 それを、改めて認識する。

 

 だが、その太刀川でさえ風刃を持った迅と相対した事はない。

 

 聞けば、風刃を持った迅が負けた事は今までに一度もないという。

 

 少なくとも、七海が知れる範囲では。

 

 ならば。

 

 その一度目に、自分達はなる。

 

 七海は、その決意を以てこの場に立っている。

 

(行くぞ)

(ええ)

 

 熊谷は七海とのアイコンタクトだけで意思を共有し、共に刃を構える。

 

 そして、二人の戦士が橋の上に立つ迅に向かって再び斬りかかった。

 

 

 

 

「おー、凄いね七海くん。迅さんと互角にやり合ってるや」

「当然だろ。あのくらい、あいつは出来るに決まってるだろうが」

 

 試合映像を見ながら、北添と影浦が口々に称賛する。

 

 後者は褒めている自覚は無いのだろうが、そこはそれ。

 

 弟子馬鹿は、自分では自覚のないものなのである。

 

「成る程、真っ向勝負か。シンプルイズベストとは、良く言ったものだね」

「ああ、まさか正面対決が正答とはな。とはいえ、簡単に出来る事ではないだろうが」

 

 王子と蔵内もまた、七海達の意図を理解し得心していた。

 

 策に頼っては、未来を視る迅には勝てない。

 

 有効なのは、数で囲む戦略と、純粋な物量。

 

 口で言う程簡単ではないが、それでも有効な手である。

 

 何よりも、この方法には明確なデメリットがない、という点がポイントだ。

 

 真っ向勝負。

 

 そう聞くと戦闘狂(バトルジャンキー)のやる所業のように思えるが、実際はそうではない。

 

 余計な横槍が入らない状態で、真っ向勝負が()()()状態に持ち込む。

 

 それは、立派な戦略の一つだ。

 

 実際に、二宮隊が良い例だ。

 

 二宮隊は、二宮が十全に暴れられるように隊員が脇を固めるのが一番強い戦い方である。

 

 無論それだけに拘るような者達ではないが、()()()()()のがその方法である事は否定出来ない。

 

 綿密に練り上げられた戦術とは違い、そういった真っ向勝負は()()()()()()()レベルに至るには二宮クラスの超性能(オーバースペック)が必要になる。

 

 だが。

 

 逆に、単純であるが故に付け入る隙が少ない、というメリットもあるのだ。

 

 たとえば、影浦隊が行った消灯作戦が白い隊服が仇となって覆されたように、綿密な戦術というものは一つでも綻びがあればそこから一気に瓦解する脆さがある。

 

 しかし、単純な真っ向勝負であれば、そういった分かり易い()()は存在しない。

 

 故に、後は己の地力と機転のみの勝負になる。

 

 そして。

 

 数の利を最も押し付け易いのもまた、この真っ向勝負なのである。

 

 単純な答えこそ、最も最善に近い最適解。

 

 それを理解して実行したのが、那須隊(かれら)なのだ。

 

「良いチームになったな、七海」

 

 村上は一人、そう呟いた。

 

 これまで、迅はB級上位の6チーム全てを退けている。

 

 そして、その戦いぶりも凄まじいものであった。

 

 だからこそ、普通の神経であれば真っ向勝負────────即ち純粋な地力比べは、避けたがるのが人の心証である。

 

 にも拘わらず実行出来たのは、それだけ那須隊の面々が互いの実力に信頼を置いているからだ。

 

 自分達なら、出来る。

 

 その信頼関係があって初めて、この作戦は実行出来たのだ。

 

「頑張れよ。お前達なら、きっと出来るさ」

 

 村上は静かに、七海達へと激励を送る。

 

 親友とその仲間(かれら)なら、この試練を乗り越えられると信じて。



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風刃③

「戦う場所は、橋の上にしよう。街中で戦うより、ずっと良い筈だ」

 

 七海はミーティングの中、試合の方針についてそう切り出した。

 

 細かい戦術までは決めずとも、大まかな指針は必要。

 

 故にこそ、戦場の設定は重要だ。

 

 戦略で戦うというのは、無策で戦うのとはワケが違うのだから。

 

「理由を聞いてもいい?」

「まず、橋の上なら遠隔斬撃が見え易い。少なくとも、街中よりはね」

「割と広いものね、あの橋は。それに、余計な障害物もない」

 

 迅と戦う上で大事なのは、如何にして遠隔斬撃の奇襲性を薄れさせるかだ。

 

 入り組んだ街中では、四方八方の何れかから遠隔斬撃が飛んで来るか分からない。

 

 だが。

 

 余計な障害物のない橋の上であれば、遠隔斬撃の軌道は丸見えだ。

 

 無論、速度は驚異的なので脅威である事に違いはないが、意識の外から不意を撃たれる可能性を下げる事は出来る筈である。

 

「それに、橋の上で戦えば街の方に残るメンバーを狙われるのを防ぎ易くなる。勿論、警戒を怠る気はないけどね」

「でも、どうやって橋の上まで誘導するんです? 迅さんだって、そこが自分にとって有利な場所じゃない事くらい分かると思いますが」

「いや、それに関しては問題ない。迅さんは、必ず来る」

 

 七海は小夜子の疑問にそう切り返し、答えを口にする。

 

「橋の上で、俺と熊谷が隠れずに待ち構えれば良い。そうすれば、きっと迅さんは来る筈だ」

 

 その予想外の答えに、小夜子は呆気に取られる。

 

 てっきり、何かしらの策を用いて誘導するものとばかり思っていたが、まさか正面から堂々と待ち受けるという答えが返って来るのは予想していなかった。

 

 だが。

 

「成る程ね」

「そういうことか」

 

 那須と熊谷は、今の説明で納得したらしい。

 

 どうやら、戦闘者にとっては今のは分かり易い説明であったようだ。

 

 茜は何もコメントしないが、それは仲間を信じているが故の沈黙だ。

 

 それに。

 

 彼女も、理由を薄々と察する事は出来たのだから。

 

「一応、説明して貰えますか? 実際に戦わない私の感覚だと、理解出来ないんですが」

「まず、戦略上の理由がある。河川敷Aは、川に浸からず向こう岸に渡るには必ず橋を通過する必要がある。俺達が橋の上に陣取れば、それを退けない限りは向こう岸の相手は狙えない」

「天候を暴風雨にすれば、川を泳いで渡るのは現実的じゃないしね。水中じゃ、機敏な動きはまず無理だろうし」

 

 河川敷Aの川は通常であれば膝くらいの深さであり、川の中を渡る事は決して不可能ではない。

 

 動きは当然鈍くなるが、不可能というワケではないのだ。

 

 実際に、茜は第一試験の時に川の中に潜むという方法を取った。

 

 あれは川がさほど深くないからこそ、成立した戦術である。

 

 しかし。

 

 暴風雨、という天候下であれば話は全く違って来る。

 

 嵐で水位が上がり、荒れ狂う川の中を進むのは普通に考えれば不可能だ。

 

 荒れた川の中は、言うなれば竜巻の中にいるに等しい。

 

 大袈裟な表現ではあるが、悪天候で荒れた川、というものは危険極まりないのだ。

 

 トリオン体故に溺死等の心配はないが、水中での自由な移動はよほどのセンスと安定した体幹がなければまず無理だろう。

 

 嵐の川の中を泳いだ経験のある者など、いる筈がないのだから。

 

「風刃が水面を伝播出来るかは分からないけれど、少なくとも悪天候で荒れた川の上を伝って斬撃を飛ばすのは現実的じゃない筈だ。だから、向こう岸の相手を狙うには橋の上の俺と熊谷を排除するしかない」

「だから、迅さんは来ると? 自分が不利な場所である事を、承知で」

「来るさ。勿論、今言った通り戦術的な理由もある。けれど、なにより────────」

 

 七海はそこで、不敵な笑みを浮かべ、告げる。

 

「────────俺達の挑戦を、今の迅さんが受けて立たない筈が無い。だってきっと、それこそがあの人の望みなんだからね」

 

 

 

 

「はぁぁ……っ!」

 

 熊谷は駆け出し、迅に向かって弧月で斬りかかる。

 

 攻撃を受け、そこから反撃に繋げるのが熊谷の基本スタイルではあるが────────迅が、彼女の土俵に早々乗る理由は無い。

 

 確かに迅は七海達の挑戦を受けて立ったが、それは何も考えずに斬りかかる事を意味しない。

 

 自分が優位になるよう立ち回るのは、戦闘者の基本である。

 

 それは真剣勝負でも、否────────真剣勝負であるからこそ、変わらない。

 

 思考停止という手抜きを、今の迅がする筈もない。

 

 最初の攻防の後、迅は無理に距離を詰めずに受けて立つ姿勢に移行(シフト)した。

 

 中距離になれば旋空孤月という脅威があるものの、風刃の速度は旋空のそれを上回る。

 

 先ほど、旋空を撃とうとする度に迅は遠隔斬撃の構えを見せ、拡張斬撃を牽制している。

 

 更に、迅は熊谷の間合いギリギリの位置に陣取っている。

 

 一歩踏み込まなければ剣は届かないが、旋空を撃とうとした時に、すぐさま斬りかかれる位置ではある。

 

 故に、迂闊に旋空は撃てない。

 

 かと言って、距離を空け過ぎれば遠隔斬撃の脅威度が上がる。

 

 だからこそ。

 

「────」

「……!」

 

 熊谷は、七海と共に迅に斬りかかる事を選んだ。

 

 タイミングをズラして────────などという事は、しない。

 

 そんな余分な小細工をするよりは、同時に斬りかかる方がかけられる負荷が大きい。

 

 そう判断し、熊谷と七海は全く同時に弧月とスコーピオンで迅に斬りかかった。

 

「甘いよ」

「ぐ……!」

 

 迅の判断は、すぐだった。

 

 一歩下がり、七海に近付いたかと思うと────────左足で、七海の腹を蹴り飛ばした。

 

 トリガーを使わなければ、トリオン体に傷を付ける事は出来ない。

 

 故に、蹴られたとしてもダメージはないが────────同時に、蹴り(それ)は七海のサイドエフェクトの感知外である事も意味している。

 

 最終ROUNDで、影浦にも使われた手だ。

 

 ダメージを伴わない蹴撃で、物理的に跳ばされた。

 

 残るは、熊谷の斬撃のみ。

 

 迅はそれも冷静に対応し、風刃のブレードで斬撃を防御。

 

 体重を乗せ、刃を以て熊谷を斬り払いで吹き飛ばした。

 

 そして、二人と距離を取った事で躊躇なく遠隔斬撃を撃ち放つ。

 

 狙いは、熊谷。

 

 七海に撃ったとしても、この見通しの良い橋の上では回避される可能性が高いし、何より彼にはグラスホッパーがある。

 

 上空に逃げられてしまえば、風刃の刃は届かない。

 

 ならば。

 

 回避手段がなく、純粋な剣士である熊谷を狙うのが手っ取り早い。

 

 今の均衡状態が成立しているのは、ブレード使いとの2対1という数の利があるからだ。

 

 それが崩れた瞬間、天秤は一気に傾き落ちる。

 

 捨て身で一矢報いて、というのはこの状況下では愚策でしかない。

 

 数の有利が崩れれば、押し込まれるのは那須隊の方だ。

 

 もしも捨て身になるとすれば、それは必ず落とせる確信を持てた時のみ。

 

 判断を誤れば、それがすぐさま敗北へと繋がる。

 

 これは、そういう戦いである。

 

 前衛が二人揃っているからこそ、迅相手に善戦が出来ているのだ。

 

 これがもし1対1であったのであれば、既に痛手を負っていたとしてもおかしくはない。

 

 熊谷は防御技術に優れているし、七海の身のこなしはボーダー内でも上から数えた方が速いレベルではあるが。

 

 それでも、単体の地力となれば迅には及ばない。

 

 アリステラ防衛戦踏破者(地獄を潜り抜けた経験)は、伊達ではないのだ。

 

 冷徹な風の刃が、突き飛ばされた熊谷へと迫る。

 

「熊谷……っ!」

「……!」

 

 七海は敢えて声を張り上げ、同時にグラスホッパーを遠隔展開。

 

 熊谷の足元にジャンプ台を設置し、同時に自身の足元へもグラスホッパーを展開。

 

 七海の仕掛けたグラスホッパーを踏み込み、熊谷は空中へと退避。

 

 風刃の遠隔斬撃を、間一髪で回避する。

 

 同時に、七海はグラスホッパーを踏み込み加速。

 

 再び、スコーピオンを手に斬りかかる。

 

「ハウンド……ッ!」

 

 更に、空中に跳躍した熊谷は音声認識でハウンドを射出。

 

 迅に向かって、トリオン探知で弾丸が撃ち出される。

 

 普通であれば七海に誤射してしまいかねないハウンドだが、彼には副作用(サイドエフェクト)がある。

 

 ハウンドの軌道を掻い潜り、迅に接近する事など造作もない。

 

 通常、ハウンドを凌ぐ為にはシールドを広げるのが一般的な方法だ。

 

 しかし、迅にそれは許されない。

 

 風刃に、シールドは存在しないのだから。

 

 故に障害物を盾にする等の対策が必要なのだが、此処は橋のど真ん中。

 

 盾にする障害物は、殆ど無い。

 

 更に、後方からはリアルタイムで七海が迫って来ている。

 

 弾幕を回避する事に集中すれば、七海の斬撃が見舞われる。

 

 かといって悠長に七海の相手をしていれば、弾幕の餌食になる。

 

 絶体絶命。

 

 そう言って、差し支えない状況ではあった。

 

「え……?」

「……っ!」

 

 彼が。

 

 歴戦の猛者(迅悠一)でなければ。

 

 迅は七海に自ら接近し、交差する直前でそのすぐ傍をすり抜けるように通過。

 

 同時に七海の背を蹴り出し、弾幕の中へと放り込んだ。

 

「く……っ!」

 

 グラスホッパーで回避するには、弾丸との距離が近過ぎた。

 

 七海は止む無く、シールドを展開。

 

 広げたシールドで、熊谷のハウンドを防御する。

 

 迅は、その七海を盾とする形で弾幕をやり過ごし────────無傷で、生存。

 

 すぐさま、熊谷に向かって遠隔斬撃を撃ち放った。

 

 遠隔斬撃は、橋のアーチへ向かっている。

 

 熊谷は空中にいるが、アーチを伝えば充分に射程圏内に入る。

 

 七海と違い、グラスホッパーを持たない熊谷に空中で遠隔斬撃を回避する手段は無い。

 

 故に。

 

「旋空孤月ッ!」

 

 熊谷は、アーチに向かって旋空孤月を起動。

 

 風刃の遠隔斬撃が伝播し切る直前にそれを切断し、斬撃の伝播の妨害に成功した。

 

 だがそれは。

 

 二発目のハウンドを撃つ隙がなくなった事を、意味している。

 

 この状況で迅が防ぐべきは、ハウンドの連射。

 

 シールドの無い迅にとって、この開けた橋の上で射撃を継続的に撃ち続けられるのは出来れば避けたいところである。

 

 故に、二発目を防ぐ為に遠隔斬撃を使用した。

 

 これで、遠隔斬撃は残り八発。

 

 ようやく、残弾8である。

 

 だが、余計な思考を回す暇など無い。

 

 迅はそのまま、熊谷の着地地点に急行。

 

 彼女が着地する直前を狙い、ブレードを振るう。

 

「……!」

「視えてるよ」

 

 と思わせて、背後の七海にブレードを一閃。

 

 間一髪で回避に成功した七海は、そのままバックステップで距離を取る。

 

 同時に、熊谷が橋の上へ着地。

 

 旋空の発射態勢に入る。

 

「旋空────」

「遅い」

 

 だが。

 

 迅は、熊谷が弧月を振り切る前にその刀身の根元にブレードを叩きつけた。

 

 旋空は先端に近付けば近づくほど威力が増す、という特性を持つ。

 

 されど、逆に言えば根本付近は通常の弧月となんら変わらない斬れ味のまま、という事でもある。

 

 迅はそこを狙い、防御不能の威力に至る前に旋空を失敗させた。

 

 そして、返す刀で熊谷の胴を斬りつけた。

 

「く……っ!」

 

 何とか身を捻り、回避する熊谷だが無傷とはいかない。

 

 脇腹を斬られ、少なくないトリオンが漏れ出している。

 

 致命傷ではないが、浅くは無い傷だ。

 

 これ以上ダメージを受ければ、トリオン漏出による緊急脱出も見えて来るだろう。

 

 最早、長期戦は望めない。

 

「────来たか」

 

 否。

 

 元より、長期戦などするつもりは無い。

 

 迅という経験の怪物相手に、長期戦は愚策。

 

 長く戦えば戦う程動きを覚えられ、不利になる。

 

 故に。

 

 その時を待っていたかのように、東の空から無数の光弾が飛来した。

 

 その光の雨を繰るのは、当然那須玲。

 

 那須隊の隊長にして、変幻自在の弾幕を操る魔弾の射手が、遂にその矢を放つ。

 

 曇天の空より来たるは、煌びやかな光の雨。

 

 その光雨はまるで落ち行く流星のようで、曇天の空に輝く幻想のようですらある。

 

 されど心せよ。

 

 この絢爛たる流星は、敵対者を葬る殺意の魔弾。

 

 戦場を彩る、毒の鏃である。

 

 四方八方より、魔弾の射手の鏃が迫る。

 

 敵対者を閉じ込め鏖殺する那須の必殺、鳥籠。

 

 それは、シールドのない迅にとって絶死の雨に等しい。

 

 故に。

 

 迅は即座に、熊谷の背後に移動。

 

 すれ違いざまに足払いを行い、熊谷のバランスを崩す。

 

「く……!」

 

 その足払いによって変化弾(バイパー)の被弾圏内に踏み込んでしまった熊谷は、咄嗟にシールドを展開。

 

 広げたシールドにより弾丸を防御するが、それは同時に迅へと至る射撃をも防いでしまう事となった。

 

 迅はまたもや相手を利用した動きで、致死の筈の射撃を凌ぎ切った。

 

 今の攻防で、熊谷はシールドを張らずに自分ごと迅を撃たせる事も出来た。

 

 けれど、それをしなかったのは────────それでも尚、迅を倒し切れるとは思えなかったからだ。

 

 捨て身で確殺出来るのであれば躊躇はないが、これまでの戦いを見て来た熊谷の戦闘者としての直感は、此処は捨て身を切るところでは無いと判断した。

 

 だが、それだけではない。

 

 彼女が此処で、捨て身にならなかったのは────────。

 

「────────メテオラ」

 

 ────────次の一手が来る事を、知っていたからである。

 

 満を持して放たれた、無数の炸裂弾(メテオラ)

 

 七海の爆撃が橋に向かって撃ち放たれた。



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風刃④

 

「メテオラ……っ!? これは、橋を破壊するつもりかな」

 

 映像を見ていた王子が何処か、はしゃいだように声をあげる。

 

 誰も彼も、映像に釘付けだ。

 

 欠片たりとも、見逃せない。

 

 全員が、その認識を共有していた。

 

「確かに、川に落とすのは有効な戦法だが」

「迅さんに、通じるんですか……?」

 

 蔵内と樫尾は、疑問符を抱く。

 

 橋を破壊し、川へ落とす。

 

 その程度、迅が想定していない筈がない。

 

 だからこそ。

 

 それが通用するのか、疑問を覚えた。

 

「ハッ、だからおめーらも俺も、迅さんに届かなかったんだ。七海は違うぜ」

 

 だが、それに否を唱えたのは影浦である。

 

 その突然の言葉に王子は興味深げに視線を向け、尋ねた。

 

「おや、それはどういう意味かな?」

「単に、ビビリ過ぎだっつー話だよ。未来視だとか、黒トリガーだとかによ」

 

 影浦はそう告げると、何処か自嘲するように笑った。

 

「俺もおめーらも、迅さんを特別視し過ぎだったんだよ。この程度、通じる筈がない。そう思ってやらなかった事が、幾つもあんだろが」

「それは……」

 

 確かに、影浦の言う通りではあった。

 

 当初の作戦案の中には、三人がかりでハウンドで攻め立て、物量で押す案も存在した。

 

 だが、三人がかりのハウンドで勝てなかった経験が────────それをものともしなかったROUND4での七海との戦いの経験が、彼等にはある。

 

 そして、その七海達那須隊を迅はたった一人で一蹴した。

 

 その時点で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という思い込みが発生していた事は否定出来ない。

 

 だからこそ、王子は言葉に詰まったのだ。

 

 影浦の問いかけが、あまりに的を得ていたから。

 

「迅さんは確かに強ぇーがよ、無敵じゃねぇし付け入る隙もちゃんとある。それを見ようとしなかったのが、俺やおめーらが負けた原因だ」

「まったく、厳しい事を言ってくれる。けど、反論出来ないのも確かだね」

 

 王子は、認めた。

 

 迅を過剰に恐れ、消極的な策しか取れなかった事を。

 

 リスクヘッジを重視するあまり、堅実な策を優先し危険度の高い作戦を忌避する。

 

 それが自分の弱点だとこれまでの戦いを通して自覚はしていたが、まだまだ足りなかったようだ。

 

 認めよう。

 

 確かに、自分は迅を恐れていた。

 

 自分達を下した那須隊を、あまりにも簡単に一蹴してみせた迅を。

 

 それ故に、安全策しか取れなかった。

 

 だが、七海達(かれら)は違う。

 

 迅を一個の人間として認め、尋常に挑もうとしている。

 

 それが、自分達との違い。

 

 希望(みらい)の期待を一身に背負った、迅が待ち望んだ相手。

 

 それが、七海玲一。

 

 それが、那須隊。

 

 迅悠一(きょうしゃ)に挑むに相応しい、挑戦者達である。

 

「いいから見てろ。七海(あいつ)は、ぜってぇやり遂げっからよ」

 

 

 

 

「爆撃か」

 

 迅は迫り来る炸裂弾(メテオラ)を見て、微笑んだ。

 

 今、彼がいるのは橋の中央。

 

 足場である橋を吹き飛ばされれば、川へと落下するしかない。

 

 だが。

 

「避ければ良いだけの話だ」

 

 メテオラの着弾までには、数瞬ほど間がある。

 

 ならば、その間に着弾地点から逃げれば良いだけの事。

 

 もっとも。

 

「……!」

「当然、そう来るよね」

 

 それを、黙って見ている通りは無いのだが。

 

 熊谷は爆撃から逃げようとする迅に対し、すぐさま距離を詰めて斬りかかった。

 

 このままでは熊谷も爆発に巻き込まれるが、彼女にはシールドがある。

 

 この場に迅を押し留める事が出来れば、熊谷がシールドで身を守った上で彼だけを爆風に晒す事が出来る。

 

「く……!」

 

 しかしその程度、迅が読んでいない筈もない。

 

 迅はすぐさま遠隔斬撃を放ち、近付いてくる熊谷に射出。

 

 熊谷は足を止め、シールドでの防御を余儀なくされる。

 

 そしてその隙に、迅は彼女の隣を駆け抜け、足払いを敢行。

 

 なんとか転倒前に踏み留まった熊谷だが、それでも一瞬動きは止まる。

 

 迅がその場から離脱する隙は、充分作る事が出来た。

 

 だが。

 

「そっちも来るよね」

 

 攻撃は、これだけでは終わらない。

 

 再び天から降り注ぐ、光の流星。

 

 それが、迅の行く手を塞ぐように殺到する。

 

 このまま進めば、変化弾(バイパー)の餌食。

 

 かといって後退すれば、メテオラの爆発に巻き込まれる。

 

 万事休す。

 

 これまで無傷で君臨し続けて来た観測者は、此処で落ちる。

 

「なら、こうだ」

 

 否。

 

 この程度の窮地、あの地獄で腐る程見て来ている。

 

 迅は剣を振るい、遠隔斬撃を射出。

 

 二つの斬撃が、橋からアーチを伝って駆けあがる。

 

 そして。端に迫っていたメテオラのキューブに突き刺さり、起爆。

 

 無数の炸裂弾(メテオラ)が連鎖的に爆発し、橋へ直撃する前に誘爆した。

 

「────」

 

 それと同時に、迅は即座に反転。

 

 爆破からシールドで身を守っていた熊谷を狙うべく、ブレードを振るう。

 

 回避は、コンマ一秒間に合わない。

 

 防御が間に合うかは、五分五分。

 

 絶好のタイミングで、迅は熊谷へと斬りかかった。

 

「────!」

 

 だが、その直前何かに気付いたように手を止め後退した。

 

 その、視線は。

 

 背後に迫っていた、無数の光弾に向けられている。

 

「────────読み遅れたか」

 

 

 

 

「処理能力を、圧迫し続けた甲斐があったわね」

 

 街中、ビルの屋上で一人佇む那須は不敵な笑みを浮かべていた。

 

 雨風にその肢体を晒し、水に濡れ髪が靡く姿は一種幻想的ですらある。

 

 だがその瞳は、決して手弱女のするそれでは無い。

 

 その瞳には燃え盛る闘志と、女の情が揺らめいていた。

 

四年前(あの時)、七海を助けてくれた事には感謝しています。その後、色々手を尽くしてくれた事も知っています」

 

 けれど、と那須は告げる。

 

「これでも、負けず嫌いなの。だから────────那須隊(わたしたち)が受けた傷、纏めて返すわ」

 

 彼女は、忘れていない。

 

 あの模擬戦で、一方的に落とされた事を。

 

 理由があるという事も、必要な工程であった事も理解している。

 

 だが、それはそれとして腹は立つ。

 

 迅への感謝はあるが、それはそれ。

 

 やられたから、やり返す。

 

 勿論、きちんと手順を踏んで。

 

 これまで、七海と熊谷の二人で挟み撃ちにして、迅にギリギリの攻防を強要した。

 

 無傷で凌ぎ切ってはいるが、二人の猛攻は迅の処理能力に少なくない負担を与えていた。

 

 それに加えて、先ほどのバイパーと七海のメテオラの対処で、そこに更に負荷をかけた。

 

 故に、迅の読みがワンテンポ────────刹那の間、遅れた。

 

 迅の視た未来の映像には、爆発に呑まれる橋が映っていた筈だ。

 

 そして、その爆発は七海の炸裂弾(メテオラ)によるものだろうと────────迅は、()()した筈だ。

 

 予想したからこそ、別の未来の視る為のリソースを削り、爆撃への対処を優先させた。

 

 そこを、突いた。

 

 七海のメテオラという分かり易い爆撃を見せる事で、本命の一撃を一瞬だけ隠し通す事に成功した。

 

 それが。

 

 執念の一撃が、炸裂する。

 

()()()()()()()

 

 

 

 

 爆発が、橋を席捲した。

 

 空から降り注いだ流星────────変化炸裂弾(トマホーク)が、橋へと着弾。

 

 橋へ届く直前に二方向へと別れた光弾の群れは、迅を挟み込む位置に飛来し爆発を引き起こす。

 

 二ヶ所同時に爆撃された事により、橋は三つに分断。

 

 その渦中にいた迅は、ひとたまりもない。

 

「危ない危ない」

 

 否。

 

 迅は、間一髪で退避に成功していた。

 

 爆撃が着弾する直前、迅は上へ跳躍。

 

 アーチを足場として更に上部へ逃れ、爆撃から退避する事に成功していた。

 

「────」

 

 無論。

 

 七海が、この状況で追撃をしない筈は無い。

 

 同じくアーチを足場に駆け上がった七海は、迅に向かってスコーピオンで斬りかかる。

 

 細いアーチの上は、足場としては不安定。

 

 故に。

 

 グラスホッパー(あしば)を自ら作り出せる七海が、圧倒的に有利。

 

 さしもの状況に、迅も焦りを覚え────────否。

 

「……!」

「悪いけど、剣捌きじゃ負けないよ。これでも、太刀川さんと戦り合うくらいの腕はあるんだぜ?」

 

 この状況下で尚、迅は冷静だった。

 

 七海の斬撃をブレードで受け流し、即座に反撃を放つ。

 

 先ほどと違い、今は七海との1対1。

 

 機動力で劣る熊谷は、橋の上に残っている。

 

 ならば。

 

 七海一人分の攻撃程度、防ぐ事など造作もない。

 

 幾ら、七海が空中戦に高い適性があるとはいえ。

 

 不安定な足場での戦闘など、迅も腐るほどやって来ている。

 

 経験が違う。

 

 場数が違う。

 

 此処までやって尚、食らいつけるか否か。

 

 それが、迅悠一。

 

 地獄を潜り抜けた、歴戦の猛者。

 

 成る程、確かに未来視も風刃も、穴はあるだろう。

 

 迅とて人間である以上、出来る事には限界がある。

 

 だがそれでも。

 

 迅の持つ戦闘限界域(キャパシティ)は、他とは隔絶している。

 

 敵に囲まれた四面楚歌の状態を、一人で生き抜いた事もある。

 

 孤立無援で、敵陣から生還した事もある。

 

 仲間を殺されて尚足を止めず、戦果を持ち帰った事もある。

 

 そんな経験(じごく)が、彼を強くした。

 

 足場が悪い程度では、彼の動きは鈍らない。

 

 むしろ、援護する味方がいない七海の方が不利。

 

「ええ、そうでしょうね」

 

 そんな事は、百も承知。

 

 七海は迅を幻想を見て(恐れて)はいないけれど────────同時に、侮る事もしていない。

 

 これまでの戦闘を見た上で、これくらいは出来るだろうという予測は、常に立てていた。

 

 普通の相手ならば、この状況下で七海の相手をするのは難しい。

 

 だが、迅は違う。

 

 迅は砂嵐や猛吹雪という悪天候の中でも、十全の動きで相手を圧倒してみせた。

 

 故に、どれだけ地形条件を有利に整えようが、迅の動きを鈍らせるには至らない。

 

 故に。

 

(熊谷)

(了解……ッ!)

 

 ただ一言。

 

 チームメイトに、告げた。

 

「旋空孤月」

 

 そして、指示(オーダー)を受けた熊谷は。

 

 二人が立つアーチに向かって、拡張斬撃を撃ち放った。

 

 

 

 

「そうだ。それでいい」

 

 試合を映像で見ていた太刀川は、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

 面白くて仕方がない。

 

 そんな感情が、目に見えて伝わって来る。

 

「迅は確かに、どんな地形でもすぐに適応するだろうさ。砂漠だろうと樹海だろうと、近界を渡った経験のあるあいつにとっちゃ知ってる地形でしかないだろうからな」

 

 そう、迅の経験は、旧ボーダー時代からの近界での戦闘も含まれる。

 

 太刀川も詳しくは知らないが、旧ボーダーの時代に数々の近界の惑星国家を渡り歩いた経験がある事だけは、聞いている。

 

 その中には彼等に友好的な国も、逆に敵対的な国も数多くあった筈だ。

 

 戦闘に巻き込まれた回数も、一度や二度ではないと聞く。

 

 彼が潜り抜けた最大の地獄はアリステラ防衛戦であるが、それ以前にも近界での戦闘を経験しなかったワケではないのだ。

 

 かつて旧ボーダーには、同盟を組んでいた三つの国家があった。

 

 名はデクシア、メソン、そして今は滅び去ったアリステラ。

 

 三つもの国と、同盟を結ぶ事に成功していた。

 

 此処で、疑問が生じる。

 

 果たして、最初から同盟を組む国家に()()()がついていたのだろうか?

 

 答えは、恐らく否。

 

 そも、三つの同盟国家を見つけるまでに、無数の国家を渡り歩いたであろう事は想像すればすぐ分かる。

 

 最初から当たりを三つも引くなど、相当な奇跡でも起きなければ有り得ないからだ。

 

 詳しい話を聞いたワケではないが、太刀川であってもそれくらいの事は想像がつく。

 

 故に。

 

 迅が、どんな地形でも瞬時に適応出来る理由も、想像出来る。

 

 きっと、彼にとってあらゆる地形が()()なのだ。

 

 近界の国家は、多様性に富んでいる。

 

 中世ファンタジーに出て来そうな様相の国家もあれば、牧歌的な風景が続く国もある。

 

 海が広がる国家も、砂漠が広がる国家もある。

 

 迅は、その数々の惑星国家に渡った経験がある。

 

 故に、未知の地形への適応は────────とうに、その時に済ませている。

 

 旧ボーダーの活動に関してはブラックボックスが多い為、太刀川では詳しくは分からないが。

 

 それでも、迅に地形での不利など無いも同然である事は知っていた。

 

「けど、迅は強くても無敵じゃない。突然足場を崩された経験はあるだろうが、いつでもそれに対応出来るほどあいつは万能じゃない」

 

 特に、と太刀川は続ける。

 

「あんな感じに、処理能力に負担をかけられ続けていればな」

 

 最初から足場崩しをしたところで、迅は瞬時に対応する。

 

 それだけの経験が、それだけの地力が、彼にはあるのだから。

 

 だが、この瞬間。

 

 橋の上での2対1や、那須の変化弾(バイパー)

 

 加えて七海のメテオラと、不意を撃ってのトマホーク。

 

 その状況でもアーチの上で七海とやり合えたのは流石と言えるが、相当な負荷が彼の処理能力にかかっている事は間違いない。

 

 故に。

 

「この機会(チャンス)を、逃すなよ。一度で駄目でも、そのまま負荷をかけ続けろ。それがきっと、あいつにとっては一番きつい」

 

 この選択は、間違いではない。

 

 今ならば。

 

 迅の処理能力に負荷をかけ続けた今ならばきっと、彼に届く。

 

 波状攻撃で処理能力を圧迫し、その果てに落とされたROUND6の生駒や最終ROUNDの二宮のように。

 

 迅に、ようやく綻びが見えた。

 

 太刀川はそれを見逃さず、ニヤリと笑う。

 

「やってやれ、七海。迅に、目にもの見せてやれ」

 

 誰もが、その局面に注目していた。

 

 出水は息を呑んで見守り、烏丸はじっと映像を見詰めている。

 

 国近は変わらぬ笑みで試合を見守り、太刀川は不敵な笑みを浮かべている。

 

 旧太刀川隊の面々が見守る中、試合は佳境へ突入する。

 

 決着は、そう遠くは無い。



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風刃⑤

 熊谷の旋空孤月が、アーチを両断。

 

 それを足場にしていた迅と七海は、崩落するアーチと共に落下する。

 

 熊谷が橋上に残っていたのは、空中戦への適性の有無の他にもう一つ、理由があった。

 

 それこそが、この足場崩し。

 

 七海のメテオラは確かに破壊力が高く手軽に地形を破壊出来るが、見た目が派手で対策もされ易い。

 

 だからこそ、熊谷が下に残ったのだ。

 

 旋空を用いて、足場崩しを敢行する為に。

 

 確かに、七海は剣捌きでは迅には及ばない。

 

 幾ら攻撃を感知出来る副作用(サイドエフェクト)があるとはいえ、それを言うなら迅も同じだ。

 

 何より、経験が違う。

 

 文字通りの死線を潜り抜けた迅と緊急脱出ありきの戦闘しか経験していない七海とでは、矢張りものが違うのだ。

 

 自身の命を賭け金(ベット)にして、冷徹に戦果を持ち帰る。

 

 そういった経験が、七海には欠けている。

 

 無論、それは悪い事ではない。

 

 そんな経験は、無い方が良いのは当然の話だ。

 

 緊急脱出はそういった命の危機を遠ざける画期的なシステムであり、ボーダーの開発したトリガー技術の中でも最たるものと言える。

 

 だが。

 

 本当に命を懸けた事がある者とそうでない者の間には、明確な意識の線引きがある。

 

 命懸け、という言葉がある。

 

 言うだけならば、簡単だ。

 

 しかし、本当の意味で命を()()()事がある者がどれ程いるだろうか。

 

 少なくとも、この日本でそんな機会は早々無い。

 

 災害の時に命からがら逃げた経験のある者はいるだろうが、それは少々ニュアンスが違う。

 

 本当の命懸けとは、自分の命を失うリスクを許容した上で、尚も前に進む事を意味している。

 

 これを経験しているか否かは、戦闘において一つの境界線だ。

 

 死地に置いて研ぎ澄まされる感覚を直に味わったかどうかは、ギリギリの戦いで判断の速さや正確さという形で現れる。

 

 極限状態での戦いにおける、自身のポテンシャルを十全に引き出す適性。

 

 それが、迅の持つ異様な強さの正体である。

 

 そして。

 

 それは足場を崩されて尚、迅に冷静さを保持させていた。

 

(七海は、すぐに来るな。このチャンスを逃すような奴じゃない)

 

 那須の合成弾による爆撃を読み遅れ、足場崩しも読み逃した。

 

 成る程、確かに迅の意表を突く事には成功した。

 

 だからどうした。

 

 大抵の場合、人は想定外の事が起きれば一瞬であれ混乱する。

 

 判断力が高ければすぐに事態を理解し動き出しはするが、それでも動揺をするのが普通だ。

 

 しかし、迅に動揺は一切なかった。

 

 読み遅れた、読み逃した事による驚愕はあった。

 

 だが、それは次の一手を遅れさせる理由にはならない。

 

 度重なる攻防で、確かに迅の処理能力は圧迫されている。

 

 爆撃を読み遅れたのも、足場崩しを読み逃した事もそれが理由だ。

 

 されど、その二度の失敗で迅の頭は冷えていた。

 

 インターバルを置いたとはいえ一日の間に六連戦もの試合を行い、B級上位の猛者達を相手に戦いを繰り広げた精神的疲労は確かに迅の処理能力を低下させている。

 

 二度の失敗も、それとは決して無関係ではない。

 

 だが。

 

 これが、今日最後の試合である。

 

 ならば。

 

 残る処理能力をフルで使っても、何か問題が?

 

 残り時間は、既に15分を切っている。

 

 戦場では一分一秒がより長く、濃密に感じられるものだが────────迅は、それこそ一日中戦火の中を潜り抜けた経験すらある。

 

 故に、残り15分程度────────全力を使い切る事など、造作もない。

 

 それは無理を重ねた全力ではあるが、決して不可能ではないのだ。

 

 普段のそれよりは、処理能力は落ちるだろう。

 

 だが、今出来る最善の状態(コンディション)を強制的に整える事など、迅にとっては朝飯前だ。

 

 この一戦は、迅にとって大きな意味を持つ。

 

 かつて見出した希望の欠片が、最善の未来に辿り着けるか否か。

 

 その試金石が、この試合だ。

 

 七海に勝って欲しいとは思うが、手を抜いた上で勝利を与えても意味などない。

 

 彼には、自分の全力を打倒して欲しい。

 

 理不尽に思えるかもしれないが、それが迅の望み。

 

 彼が(こいねが)った、最善の未来への道筋である。

 

「────!」

 

 七海は崩れ落ちるアーチを駆け、迅の下へ迫る。

 

 グラスホッパーを使わないのは、接近に際しタイムラグが発生する事を嫌ったからか。

 

 崩れ落ちる足場を踏みしめながら、七海は迅へと斬りかかる。

 

「……!」

 

 だが、迅は冷静にこれを対処。

 

 崩れ落ちるアーチの上で、体勢の一つすら崩さずスコーピオンを斬り払った。

 

 間一髪で後退に成功した七海であったが、その胴には浅くない傷が刻まれている。

 

「旋空孤月」

 

 しかし、この程度は必要経費だ。

 

 七海が一歩を踏み込んだのは、熊谷が再度旋空を撃つ隙を作る為。

 

 真下から放たれた拡張斬撃が、迅の立つアーチを斬り裂いた。

 

「へえ」

 

 迅は素早く跳躍してそれを回避し、すぐさま崩れ落ちるアーチの上に着地。

 

 即座に七海に向かって、ブレードを振り抜いた。

 

「────!」

 

 今度は七海は踏み込まず、後退してそれを回避。

 

 更にメテオラを生成し、それを四分割。

 

 迅に向かって、爆撃を敢行した。

 

「意地でも落とすつもりか。でも、付き合う義理はないな」

 

 しかし、それにも迅は対応する。

 

 迅は飛び散った瓦礫を蹴り飛ばし、それがメテオラのキューブに直撃。

 

 アーチに着弾する前にメテオラは誘爆し、迅はその爆風を利用して加速。

 

 一気にアーチを駆け降り、橋上へと向かって跳躍した。

 

 迅が十全な足場を得てしまえば、全ては振り出しに戻る。

 

 今のような好機は、二度とは訪れないだろう。

 

 それを許す程、迅という少年は甘くはないのだから。

 

 

 

 

「ええ、そこまでするでしょうね」

 

 だが。

 

 此処に、そんな迅を睥睨する者がいる。

 

 彼女は、那須は、その機動力を以て橋の近くまでやって来ており、その周囲には無数のトリオンキューブを従えている。

 

 先ほどまでは遠隔斬撃を警戒して距離を取っていたが、橋を細断した以上此処まで遠隔斬撃が届く可能性は限りなく低い。

 

 伝播する地面がなければ、風刃の遠隔斬撃は届かないのだから。

 

 今はそれよりも、攻撃の遅延(ラグ)をなくす事こそ肝要。

 

 この好機を逃す手はないと、那須自身も判断している。

 

 故に。

 

「もう一度よ。吹き飛びなさい」

 

 那須は、トリオンキューブを────────速度重視にチューニングした変化炸裂弾(トマホーク)を、撃ち放った。

 

 

 

 

「……!」

 

 迅が橋上へ着地する、刹那。

 

 建物の影から跳び出した無数の光弾が、橋へと着弾。

 

 それが次々と誘爆し、橋は崩落へ至った。

 

 当然、迅が着地しようとしていた足場も崩れ去る。

 

 瓦礫と共に、迅が再び宙へと投げ出される。

 

「────」

 

 それを。

 

 その好機を、七海が見逃す筈もない。

 

 崩れ落ちる瓦礫の上に立つ迅の背後に着地した彼は、近付く手間さえ惜しいとその手に持つスコーピオンを投擲した。

 

 無論、それに気付かぬ迅ではない。

 

 身体を捻り、投擲されたスコーピオンを回避する。

 

 だが。

 

 次の瞬間、迅の横を通り過ぎたスコーピオンが消滅した。

 

 この現象は、使用者自らの意思でのブレードの破棄に他ならない。

 

 一度破棄すれば刀身を作り出す為のトリオンが必要になる為あまり濫用するものではないが、七海ほどのトリオンの保有者であれば気にする程の消費ではない。

 

 問題は。

 

 何故このタイミングで、ブレードを破棄したのか。

 

 相手が七海である以上、一つの解答が存在する。

 

 マンティスを、使う為。

 

 スコーピオンを連結させるマンティスという技法は、その都合上両攻撃(フルアタック)で行う必要がある。

 

 身体から離れたスコーピオンは変形機能を失う故に、スコーピオンを出しっぱなしにしている状態ではマンティスは行えない。

 

 だからこそ、次のマンティス(いちげき)に繋げる為にスコーピオンを破棄したのだとすれば辻褄は合う。

 

「こっちか」

 

 だが。

 

 だからこそ、それは無いと迅は断じ────────背後の瓦礫から伸びたブレードを、斬り払った。

 

 七海がスコーピオンを破棄したのは、マンティスを使うと思わせる為。

 

 迅の判断力の高さを信じたが故の、偽装(ブラフ)

 

 本命は、それを囮にしたもぐら爪(モールクロー)

 

 正面からマンティスで攻撃すると見せかけ、背後からの奇襲で仕留める。

 

 もぐら爪は地面を経由するという都合上、迅の未来視でも()()()()()攻撃にあたる。

 

 使用には欠点が存在する為気軽に使える攻撃ではないが、ここぞという時の詰めの一手では役に立つ。

 

 故にこそ、この局面で使用する。

 

 それが、七海の選択だった。

 

 されど。

 

 迅は、七海の機転を、判断力を信頼していたからこそ、それを読み切った。

 

 彼ならば、此処までやれる。

 

 そう信頼していたが故に、七海の攻撃は読み切られた。

 

もぐら爪(それ)は、諸刃の剣だよ」

 

 七海が選択したもぐら爪という攻撃は、致命的な弱点がある。

 

 それは、使用中その場からの移動が出来ないという事。

 

 即ち、今この瞬間七海の高い回避能力は死んでいる。

 

 スコーピオンによる受け太刀も、集中シールドによる防御も、風刃のブレードの威力の前では意味がない。

 

 風間ほどの受け太刀の技術があれば話は別だが、七海のそれはそのレベルには至っていない。

 

 迅が一歩を踏み込み、ブレードを振り抜く。

 

 避けようがない、致死の一撃。

 

 希望(エース)は、此処で落ちる。

 

 七海が欠けては、迅に対する最大の前衛が欠けてしまえば、彼に勝てる確率は一気に希薄化する。

 

 彼が落ちた時点で勝ち目はないと言っても、過言ではない。

 

 しかし、もぐら爪を使用している以上この攻撃は避けようがない。

 

 文字通りの、詰み(チェック)

 

「────!」

 

 その一撃は。

 

 七海がその場から消失した事により、空を切った。

 

 この現象は、間違いない。

 

 茜が得意とし、前回の試験では多くの者が各々の使い方で使用したオプショントリガー。

 

 転移トリガー、テレポーター。

 

 それを、七海が使用したのだ。

 

 外したトリガーは、恐らくバッグワーム。

 

 迅相手ではレーダーからの隠蔽は効果が薄いと考えたからこそ、有用なトリガーへ切り替えたのだろう。

 

 初見殺し性能そのものは、高いトリガーなのだから。

 

 迅は背後を確認するが、そこに七海の姿はない。

 

 テレポーターの転移先は、視界の先数十メートル。

 

 だが、この局面で迅から大きく離れる意味はない。

 

 故に、近くにいる。

 

 されど、視界内に彼の姿は無い。

 

 ならば。

 

(そこ)か……っ!」

 

 迅が立つ、瓦礫の真下。

 

 その場所以外、有り得ない。

 

 距離的に、マンティスでは届かないだろう。

 

 ならば、下からメテオラで足場ごと吹き飛ばすのが狙いか。

 

「違うな」

「……!」

 

 否。

 

 彼は、囮。

 

 本命は、橋の上で弧月を構えていた熊谷。

 

 迅が立つのは瓦礫の上である為、此処からでは遠隔斬撃は届かない。

 

 彼女の旋空を、妨害する手段は無い。

 

「え……っ!?」

 

 それこそ、否。

 

 弧月を構えていた熊谷の両腕は、支柱を伝って伝播された遠隔斬撃により斬り落とされた。

 

 迅は先ほど、既に遠隔斬撃を撃ち出していたのだ。

 

 他でもない、川の中へ向かって。

 

 足場としたのは、橋の支柱。

 

 それを伝って川底へ到達した遠隔斬撃は、同じように支柱を伝って橋を駆け上がり、熊谷へ直撃。

 

 彼女の攻撃手段(うで)を、諸共斬り落とした。

 

 まだ熊谷には誘導弾(ハウンド)があるが、射撃トリガーの展開には時間遅延(タイム・ラグ)がある。

 

 彼女の練度では、迅が態勢を立て直すまでには到底間に合わない。

 

 迅が立つ瓦礫には相応の分厚さがある為、もぐら爪ではギリギリ届かない。

 

 瓦礫を迂回して来ても、その頃には迅は迎撃準備を終えている。

 

 間に合わない。

 

 最後の機会(きぼう)は、これで終わる。

 

「え……?」

 

 否。

 

 これこそ。

 

 この時こそ、七海が待ち望んだ、最大の好機であった。

 

 迅の、風刃を握る右腕が。

 

 背後から伸びたブレードによって、斬り落とされた。

 

 何が起きたかは、見れば分かる。

 

 もぐら爪(モールクロー)

 

 それによる、攻撃だ。

 

 だが、おかしい。

 

 この瓦礫の向こうからでは、もぐら爪はギリギリ射程が届かない筈だ。

 

 もぐら爪マンティスにしても、七海のそれは影浦ほどの練度はない。

 

 この短時間で届かせる事は、不可能だ。

 

「そういう、事か……っ!」

 

 なんの事はない。

 

 攻撃の正体は、もぐら爪マンティスによるものだ。

 

 だが。

 

 ただの、もぐら爪マンティスではない。

 

 正確には、その亜種。

 

 設置していたスコーピオンにもぐら爪を連結させた、変則マンティスである。

 

 七海は先ほど、テレポーターで移動した。

 

 そして、その時彼は地面にもぐら爪を突き刺している状態であった。

 

 その状態で転移した七海ではあるが、その際に地面に突き刺したスコーピオンはそのまま瓦礫の中に埋まっていた。

 

 七海はそれをオフにせず、テレポーターで転移した後もぐら爪で繋げて亜種のマンティスへと変化させたのだ。

 

 文字通りの、死角を狙った一撃。

 

 それが、ようやく迅へと一太刀を入れた。

 

 この試合、初めてのまともな迅へのダメージ。

 

 それは、これ以上ない効果的な部位を斬り落とした。

 

 風刃は、ブレードにその能力が凝縮されている。

 

 故に、剣を持たなければその能力の一切が発揮出来ない。

 

 風刃が、それを握る腕ごと宙に舞う。

 

 これで迅は、戦闘手段を失った。

 

「まだだ」

 

 否、否である。

 

 迅は残った左腕で腕ごと弾き飛ばされた風刃を掴み取った。

 

 これで、形勢は逆転する。

 

 もぐら爪を使っている以上、七海は瓦礫から離れられない。

 

 彼がスコーピオンを収納するよりも、遠隔斬撃が到達する方が────────速い。

 

 熊谷は、当然間に合わない。

 

 那須も、今からでは無理だろう。

 

 

 

 

「────」

 

 故に。

 

 此処で動くのは、彼女しかいない。

 

 彼女は、茜は、その手に持つライトニングの引き金を、引いた。

 

 

 

 

 遠方より飛来する、一発の銃弾。

 

 迅の胸部を狙ったその一撃は、閃光の名に相応しい速度で飛来する。

 

 極限の状況下、数々の波状攻撃によって処理能力を圧迫された迅がこの狙撃を回避するのは至難の業。

 

「残念」

 

 されど。

 

 至難の業()()であれば、迅が失敗する筈は無い。

 

 迅は身体を軽く捻り、ライトニングの一撃を回避。

 

 元より、狙撃自体は視えていた。

 

 ならば、回避する事はそう難しくはない。

 

 あとは風刃を振るい、遠隔斬撃で七海を仕留める。

 

 残弾は残り二発であるが、七海を仕留めた後で再装填(リロード)すれば問題は無い。

 

 七海さえ片付けてしまえば、近くにいるのは両腕を失った熊谷のみ。

 

 その程度であれば、那須の次弾が来る前に処理出来る。

 

 剣を失った剣士など、恐れるものではないのだから。

 

 残る那須と茜は、対岸に付いてしまえばどうとでもなる。

 

 一人くらいは取り逃がすかもしれないが、それはそれだ。

 

 容赦する気も、油断する気もない。

 

 善戦はしたが、此処までなのか。

 

 そう思う気持ちも、なくはない。

 

 だが、情けをかけた所で意味はない。

 

 結果は、結果なのだ。

 

 迅はそう割り切り、七海を仕留める為に動く。

 

「え……?」

 

 その一瞬。

 

 その刹那。

 

 迅は、この試合で初めて油断を────────()を、見せた。

 

 数々の破錠攻撃を潜り抜け、予想外の連続を踏破し────────彼の処理能力は、ほぼ限界であった。

 

 全てを乗り越えた、そう考えた瞬間。

 

 迅の心には、僅かな空白が生じたのだ。

 

 そこを、突かれた。

 

 迅の左腕に着弾した、一発の弾丸によって。

 

 その腕を貫いたのは、ライトニング。

 

 言うまでもなく、茜の狙撃である。

 

 ライトニングが連射可能な事は、当然知っている。

 

 だが、迅が視た映像では────────弾丸は、一発の筈であった。

 

「土壇場で、判断を変えたのか……っ!」

 

 そう、迅が視たのは、()()()()()()

 

 茜は本当の土壇場、コンマ一秒の段階で判断を変え、二発目の弾丸を撃ち放ったのだ。

 

 一発目の弾丸を放ったと同時にテレポーターで転移し、その弾道の軌道線上に自身を転移させた上で。

 

 茜は、同年代の中でも小柄な部類に入る。

 

 それを利用して、弾丸の軌道線上に転移しながら、ギリギリその射線を邪魔しない位置に転移する事に成功していた。

 

 そして、撃ったのだ。

 

 一発目の弾道と重ねるように、そして僅かに狙いをズラして。

 

 頭部や心臓では、数々の死線を踏破した迅相手では直感で凌がれる可能性があった。

 

 だが、腕ならば。

 

 なくなっても戦闘続行可能な腕であれば。

 

 急所を狙うよりは成功する確率が高いと、そう信じて。

 

 かくして、迅の両腕は落とされた。

 

 そしてそれは。

 

 彼の、戦闘能力の喪失を意味していた。

 

「────!」

 

 瓦礫の下から、七海が跳び出す。

 

 その手に持つは、スコーピオン。

 

 両腕を失い、最早抵抗する術をなくした迅へ向かって。

 

 七海は、スコーピオンを突き立てた。

 

「────」

「────」

 

 ────────結果は、一つ。

 

 七海のスコーピオンは、正確に迅の胸を貫いた。

 

 突き立てられた胸の傷から罅割れが広がり、迅の身体が崩れて行く。

 

 不落と思われていた高い城が、崩れ去る。

 

 迅は、自らの敗北を受け入れ。

 

 それでも尚、笑っていた。

 

「強くなったな、七海」

「はい、迅さん。皆の────────そして、貴方の、お陰です」

「そうか。それなら、良かった」

 

 迅はそう話すと肩の力を抜き、安心したように、笑った。

 

「────────おめでとう。君は、君達は、未来(おれ)を超えた。その事実が、たまらなく嬉しい」

 

 だから、と迅は七海を見据え、告げた。

 

「君を選んで、良かった」

 

 その言葉と共に迅のトリオン体が崩壊し、消滅する。

 

 今この瞬間。

 

 七海は、那須隊は。

 

 最大の試練を、超えたのだ。



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迅悠一④

部隊得点追加点合計
那須隊448

 

『此処で試合終了。那須隊は四名全員生存により4Pt、更に迅隊員の撃破により4Ptの合計8Pt獲得となります』

 

 沢田のアナウンスが響き、得点が表示される。

 

 合計、8得点。

 

 紛れもなく、この試験における最高得点。

 

 だが、それ以上に。

 

 迅を。

 

 黒トリガーの使い手を倒したという事実が、何よりも大きかった。

 

「…………本当に、やったんだな」

 

 試合終了と共に隊室に転送された七海は、何処か夢心地のような顔で拳を握り締める。

 

 未だに、信じられない。

 

 自分が。

 

 自分達が。

 

 あの、迅を。

 

 未来視を繰り、黒トリガーを自在に使いこなす歴戦の猛者を。

 

 倒せた。

 

 試合前は自信満々のように見せてはいたが、七海も今回ばかりは緊張の連続であった。

 

 何せ、今までのように事前に打ち合わせた作戦で勝つ、というやり方ではないのだ。

 

 大まかな指針を決めた上で、後は各々の判断と機転で勝利に繋げる。

 

 口では簡単なようでも、その難易度は今までの比ではない。

 

 だが、迅相手には。

 

 未来視を持つ、彼相手に勝つには。

 

 この方法しか、なかったと言える。

 

 今回は、本当の意味で那須隊の地力が試された試合でもあった。

 

 恐らく、迅自身の狙いもそこにあったのだろう。

 

 奇策やメタを張って勝つのではなく、自分たちの力を信じてただ全力で突き進む。

 

 それが出来たからこそ、この結果がある。

 

 誇るべき事だと、七海は思う。

 

 たとえ夢物語のようであろうとも。

 

 御伽のような偉業であろうとも。

 

 自分達が、迅を打倒した事は。

 

 紛れもない、事実であるのだから。

 

「玲一」

「玲」

 

 そこに、同じように仮想空間から帰還した那須が現れた。

 

 激戦を終えた那須の顔は何処か穏やかで────────そして、誇らし気に笑みを浮かべてみせた。

 

「やったね」

「ああ、玲の────────そして、皆のお陰だ」

 

 七海はそう言って、那須の後ろで出待ちをしていた熊谷と茜に目を向ける。

 

 熊谷は何処か困ったように、茜は心底嬉しそうに、笑みを浮かべていた。

 

「ギリギリだったけど、なんとかなって良かったわ」

「はいっ! これで奈良坂先輩(ししょう)に良い報告が出来そうですっ!」

 

 苦笑する熊谷と、天真爛漫に笑う茜。

 

 そんな二人を見ながら七海はふぅ、と安堵の息を吐き出し、那須も肩の力を抜いた。

 

 七海は、何処か遠くを見るように顔を上げる。

 

 そして、穏やかな笑みを浮かべ、告げた。

 

「迅さん。貴方に選ばれて、良かった」

 

 

 

 

「やりおったな、七海」

 

 開口一番、そう言ったのは生駒だった。

 

 試合中黙って観戦していた生駒隊の面々の中、一番騒ぎそうなのに黙して試合を見ていた彼は────────何処か、晴れやかな顔でそう告げた。

 

 それは、七海に対する賛辞というよりも。

 

 何か、別の意味も含んでいるような、気がした。

 

「どしたんですイコさん? なんかナイーブになっちゃって」

「そうですよー。黙って見てろだなんて、イコさんらしくない事も言っちゃって」

「じゃあかしい。イコさんと迅さんの関係考えろや。今回ばかりはシリアスでええやろ」

 

 隠岐と南沢の野次を、そう言って水上が両断する。

 

 生駒と特に親しい彼だけは、その心境を聞いていた。

 

 今回は、迅の晴れ舞台である。

 

 口では色々言うものの、生駒自身は義理人情を優先する人柄だ。

 

 友人である迅の一世一代の舞台に、思うところがあったのだろう。

 

 生駒隊と迅との試合は、市街地Aでの真っ向勝負で波状攻撃をかけて────────結果として、迅の片腕を奪うも全滅を喫した。

 

 その時の生駒が見せた悔し気な顔は、忘れ難い。

 

 故に、今回も真摯に試合を見届けよう。

 

 そういう面持ちだと、水上は考えたのだ。

 

「いや、別にそんなんちゃうで? 関係の深い師匠と友人が見てんのに、そこまで親しくない俺らがはしゃいじゃ駄目やろ思っただけや」

 

 俺も空気は読むんやでー、と生駒は嘯くが、水上はそれが彼なりの誤魔化しである事を見抜いていた。

 

 生駒は表面上は飄々としているが、その実熱い男である事を水上は知っている。

 

 今語った理由も嘘ではないのだろうが、それ以上に迅の戦いを見届けたかったという気持ちが大きい筈だ。

 

 しかし七海の勝利という祝福すべき結果を前にしんみりするのはどうかと思ったので、彼なりに取り繕ったのだろう。

 

「なんや、余計な気遣いして損したわ」

「そやそや、折角喜ばしい事なんやからもっとはしゃいだらええねん」

「そやな。そうするわ」

 

 それを察した水上は生駒に合わせ、話をそう締め括った。

 

 そのやり取りを見て実情を察した隠岐は「でもすごかったですよねホント」と話題転換を切り出した。

 

 何も考えていない南沢は「そっすね。二万回見たいっす!」と脊髄反射でそれに続く。

 

 そうして、生駒隊はいつもの雰囲気で盛り上がって行った。

 

 

 

 

「やったな、七海」

「当然だろ。あいつがやんなくて、誰がやんだよ」

 

 そんな喧騒も、今のこの二人の耳には入らない。

 

 村上は、影浦は、晴れやかな面持ちで結果を出した七海の事を想っていた。

 

部隊順位得点
那須隊 1位44Pt 
二宮隊 2位37Pt 
影浦隊 3位33Pt 
弓場隊 4位24Pt 
香取隊 5位23Pt 
生駒隊 6位20Pt 
王子隊 7位18Pt 

 

 二人の視線は、スクリーンに映し出された現時点のそれぞれの得点順位に向けられている。

 

 この最終試験で得点出来たのは、王子隊、二宮隊、那須隊の三部隊のみ。

 

 王子隊は1Pt、二宮隊は2Pt────────そして、那須隊が8Ptである。

 

 これで、那須隊は文句なしの一位を獲得した。

 

 恐らく、試験に合格するのは彼等だろう。

 

 影浦としては思うところもあるが、結果は結果だ。

 

 どんな結果になろうが、粛々と受け止める所存である。

 

 自分達が勝てなかった事は、正直悔しい。

 

 だが。

 

 七海が。

 

 自分の弟子が。

 

 迅の想いを、彼という強大な未来(あいて)を。

 

 遂に、打倒した。

 

 その事が、何より喜ばしい。

 

 今回、影浦隊がA級に復帰する事はないだろう。

 

 そもそも、受験資格を得られただけでも御の字であったと影浦は考えている。

 

 根付を殴った事は一切後悔してはいないが、それでも組織から見てそれが重大事件であった事は確かなのだ。

 

 後悔云々はさておいて、罰は罰として受け止める寛容さが影浦にはあった。

 

 それでも今回素直に試験を受けたのは、ユズルがやる気を見せていたからだ。

 

 正直、影浦としてはA級に戻る事にさしたる興味は無い。

 

 以前もただ戦い続けた結果として昇格しただけであり、地位にさほど拘っていたワケでもない。

 

 だが。

 

 ユズルが、大事な後輩(なかま)が、上を目指したいと言ったのだ。

 

 ならば、応えなければ嘘というものだろう。

 

 だから、この結果はユズルには申し訳ないと思う気持ちはある。

 

 七海が勝った事は素直に祝福するが、ユズルに関しては謝る必要があるだろうと、影浦は思っていた。

 

「カゲさん」

「なんだ?」

 

 そんな影浦の意図を、察したのかもしれない。

 

 いつの間にか自分の傍でこちらを見上げていたユズルが、真摯な声で切り出した。

 

「おれ、まだ諦めないから。試験は、今回だけじゃないんだしね」

「────────そうか。なら、強くならねえとな」

「うんっ!」

 

 ユズルは晴れやかな笑みを浮かべ、それに続けと北添と光が飛びついてくる。

 

 困惑しながらされるがままのユズルと、彼をハグする北添。

 

 そこにあたしも混ぜろと言いながら突っ込む光に、溜め息を吐く影浦。

 

「お疲れ様、七海」

 

 そんな彼等を見ながら、村上は一言、そう呟いた。

 

 最大の試練を乗り越えた友人へ送る、賛辞として。

 

 

 

 

「やりやがったな、七海」

 

 太刀川は隊室でそう告げ、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

 称賛はある。

 

 だが、驚きはなかった。

 

 彼は、最初から信じていた。

 

 この、最終試験。

 

 もしも、迅を打倒する者が現れるのなら。

 

 彼しか。

 

 七海しか、いないだろうと。

 

 勉強はてんで駄目な太刀川だが、人の真贋を見抜く眼力は一級品だ。

 

 理屈が分かっているワケではない。

 

 ただ、相手を見ればその本質を探り当てるだけの眼が、彼にはある。

 

 だからこそ、信じていた。

 

 あの、未来という名の呪いを背負っていた悪友の陰りを祓えるとしたら────────七海しか、いないだろうと。

 

 今回の舞台が、迅の念願だった事は知っている。

 

 かつて見出した希望の欠片に、自分という試練(みらい)を超えさせる。

 

 手を抜いた末の勝利では、意味がない。

 

 全身全霊を用いた、全力の迅。

 

 それを打倒してこそ、彼の望みは叶うのだ。

 

 そして。

 

 七海は、それを見事やり遂げた。

 

 師として、誇らしくはある。

 

 実際、出水は素直に喜びを露にしていた。

 

 烏丸相手に七海の長所をマシンガントークで語りだしており、暫く止まる気配が無い。

 

 それに付き合う烏丸も、何処か嬉しそうだ。

 

 彼は迅とも、七海とも親しい。

 

 玉狛支部の一員として、相応の友誼を結んでいる。

 

 だからこそ、今回の結果は嬉しいのだろう。

 

 二人の事情に深くは踏み込めなかった身であるからこそ、迅の望みが叶った事は喜ばしい。

 

 国近も先ほどからニコニコしており、その心境は察せられる。

 

 本当ならすぐにでも通信で小夜子に祝辞を伝えたいのだろうが、今は水を差すべきではないと我慢しているのだろう。

 

 そんな面々を見ながら、太刀川はニヤリ、と笑みを浮かべた。

 

────その内、強くなった七海と『風刃』を持った俺とやり合える機会が来るよ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる────

 

 かつて、迅が七海を弟子入りさせる時に太刀川に告げた言葉。

 

 これが何のハッタリや嘘でもなかった事を、太刀川は改めて認識する。

 

 七海は、その強さを証明してみせた。

 

 隊長としての本気ではない(自分に指揮権の無い)戦いであろうと、七海は一度自分を打倒している。

 

 風間という駒を味方にしていた事も大きかっただろうが、それだけの成長を既に七海は見せている。

 

 風刃を使った迅の本気も、この眼で見る事が出来た。

 

 故に、思う。

 

 あの予言が、実現される日は近いと。

 

 知らず、口元に笑みが浮かぶ。

 

 確かに、太刀川は迅の悪友であるし、七海の師匠だ。

 

 だが、それ以上に。

 

 強者との戦いを求める一人の修羅である事に、何の変わりもないのだから。

 

 

 

 

「…………終わったか」

 

 仮想空間から転送された迅は、現実に降り立ち宙を仰ぐ。

 

 黒トリガーに緊急脱出機能は付いていない為、通常であればトリオン体の破壊と同時にその場に生身の身体が投げ出される。

 

 だが、彼等が戦っていた場所は仮想空間。

 

 そこでの緊急脱出はデータを元に再現されたものでしかない以上、黒トリガー使用者の脱落に際する処理も現実のままとはいかない。

 

 今回の場合は、トリオン体の破壊と同時に現実に転送されるように設定が調整されていた、というだけの話だ。

 

 迅は軽く掌を握り締め、そこで初めて部屋に立っている人影に気が付いた。

 

「小南」

「迅」

 

 そこにいたのは、小南だった。

 

 最終試験の観戦に来ていた小南であったが、彼女は他の面々とは微妙に立場が違う。

 

 言うなれば迅側の人間ではあるが、かといって彼が勝つ事を望んでいた、というのもまた違う。

 

 七海の勝利を願っていたのは確かだが、同時に迅の事を最も案じていたのも彼女だ。

 

 だから、他の面々と一緒に応援は出来ないと、此処で独り────────否。

 

「私もいますよ、迅」

「瑠花ちゃん」

 

 普段通りの笑みを浮かべていた瑠花と共に、この場で観戦していたのだ。

 

 この場に来て初めて瑠花が来ていた事を知った時にはひと悶着あったが、それはそれ。

 

 二人は迅の戦いを、固唾を呑んで見守っていた。

 

 小南は、迅の祈り(ねがい)を知るが故に。

 

 瑠花は、迅の本心(こころ)を知るが故に。

 

 彼が、十全な戦いをやり遂げる事が出来るよう、願っていた。

 

 迅が負けた事に関しては、複雑な心境はある。

 

 これまで、迅が負けた事を見た事は彼女たちは一度も無い。

 

 誰かを喪った事が敗北として扱うのならば話は別だが、こと戦闘に限って彼が負けたところを見た事は一度もなかった。

 

 その彼が、負けたのだ。

 

 故に、不敗の象徴が倒れたという驚愕は少なからずある。

 

 だが。

 

 それ以上に。

 

 迅が、本願をやり遂げた事を。

 

 心の底から、喜ばしく思っていた。

 

「負けたわね。どう? 感想は」

「正直、悔しいかな。でも────────それ以上に、嬉しい」

 

 迅は何処か晴れやかな顔で、告げる。

 

 己の、本心からの想いを。

 

「改めて、思えたよ。あいつを選んで、間違いはなかったんだなって。玲奈の想いは、きちんと受け継ぐ事が出来たんだなって」

「そうね。多分、玲奈さんも似たような事を言うと思うわ」

「そうだね。そこは、同意見だ」

 

 迅の言葉に、小南はくすりと笑った。

 

 今の迅に、かつてのような強迫観念は見られない。

 

 ただ真っ直ぐ、希望を以て前を向いている。

 

 既に、未来という名の呪縛からは解き放たれている。

 

 それを成し遂げたのが誰かという事も、小南はしっかり覚えていた。

 

 そんな二人のやり取りを見て、瑠花は何処か羨ましそうにしていた。

 

 スケジュールが合わなかったとはいえ、迅が七海に救われたあの日。

 

 彼女は、当事者にはなれなかったのだから。

 

「どうせなら、その場に居合わせたかったものですね。ですが、一つだけ」

 

 けれど、それでも構わないと彼女は想う。

 

 瑠花は、当事者にはなれなかったけれど。

 

 それでも、彼の幸せを願っていたのは、小南と同じなのだから。

 

「迅」

 

 小南は、にこりと笑って。

 

「迅」

 

 瑠花は、穏やかに微笑んで。

 

「「おつかれさま」」

 

 ただ一言。

 

 迅をそう言って、労った。

 

 それを聞いた迅は。

 

 笑みを浮かべて、「ありがとう」と。

 

 満面の笑みで、そう告げた。



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那須隊②

「では、最後に那須隊の合否判定に移ろうか」

 

 ボーダー本部、会議室。

 

 そこに集まっていたのは城戸司令、忍田本部長、そして根付室長の三名。

 

 議題は無論、今回のA級昇格試験について。

 

 既に二宮隊までの六部隊の評価は終えており、残るは最後に試験を行った那須隊のみ。

 

 三人は手元の資料────────それぞれ那須隊と共闘した、三つのA級部隊の隊長の評価レポートに目を向けた。

 

 報告者:三輪秀次

 

 

評価項目評価
戦闘 A 
機密保持 A 
コミュニケーション C 
遠征適正 B 

 

隊員名評価内容遠征適正
那須玲 射手としての技量が高く、広い視野と自身を駒として見る冷静な判断力がある。精神面も現在は不安は見られない。身体的な問題により遠征は難しい。 
七海玲一 総じて能力が高く、攻撃手でありながら俯瞰的な物の見方に長けており、隊長としての適性も見られる。精神面も安定している。斥候としての能力が高く、遠征部隊員として高い適性を持つ。 
熊谷友子 基礎能力が高く安定している。自分の能力で出来る事の限界を見極めており、判断が堅実で隙が少ない。人格面も安定している。誰とでも組める適性があり、連携能力が非常に高い。即席部隊でも良い動きをすると思われる為、遠征適正は高い。 
日浦茜 思考が柔軟であり、確実に仕事をやり遂げる遂行能力がある。機転が鋭く、単騎でも相応の戦果を持ち帰る事が可能と思われる。精神面も問題はない。能力的には問題ないが、精神的な適性は未知数である。 
志岐小夜子 オペレート能力は非常に優秀。高度なオペレートも難なくやってのける。男性恐怖症の為、他部隊との連携に難あり。男性恐怖症の為、遠征は難しい。 
総評 部隊としての地力が高く、A級の仕事も充分任せる事が出来る。人格面も信用を置いて問題ないと判断する。隊長の那須が遠征行きが難しい為、部隊としての遠征参加は不可能。個々人としての選出であれば可能  

 

「概ね高評価だな。三輪隊長が此処まで褒めるとは珍しい」

「それだけ、評価出来る能力を持った部隊だという事だろう。試合結果も、相応のものを叩き出している」

「ですが、オペレーターの連携能力に問題ありというのはよろしくないのではないんですかねえ? 他部隊の連携が出来ないA級部隊というのは、拙いのではないですか?」

 

 忍田と城戸は好感触ではあるが、反対に根付は難色を示した。

 

 メディア対策室室長である彼からしてみれば、他部隊との連携に難がある、というのは見逃せないのだろう。

 

 他部隊との連携に失敗し、市民に被害が出ては()()()が大変になるからだ。

 

 A級は、会社でいうところの正社員────────その役職持ち、もしくは幹部級にあたる。

 

 扱いで言えば平社員にあたるB級隊員よりも、ボーダーの()的側面が強い。

 

 当然素行に問題があればパッシングの対象になり易いし、A級隊員が何らかの失態を演じれば生じる責任はB級の時より重くなる。

 

 固定給を支払う以上、相応の責任が生じるのは当然という話だ。

 

 会社側、ボーダーはA級隊員に対しては「支払う価値がある」と判断したからこそ、固定給を支払っているのだ。

 

 その見極めこそがA級昇格試験であり、A級として相応しくない実力・振る舞いの部隊は此処で落とされる。

 

 影浦隊がB級に降格したのも、まさにそれだ。

 

 確かに根付の態度には問題があったが、彼は何かしらの規則に抵触したワケではない。

 

 対して、影浦はボーダーの運営の一部を任されている根付に手を出してしまった。

 

 模範的な対応を求められるA級隊員が、組織の上層部の人間に暴力行為を働いた。

 

 もしも外に漏れれば、間違いなくスキャンダルになる。

 

 だからこそ、上層部は影浦の事情を斟酌しつつも彼を処罰せざるを得なかった。

 

 組織というのは、そういうものである。

 

 根付は、組織人としての意識が非常に強い。

 

 実は例の一件の後忍田から影浦やユズルに対しての態度に関して苦言を呈され、彼自身自分の態度が悪かった件については反省している。

 

 しかし、公的に謝罪する、という事は出来ない。

 

 それは自分の非を認めるようなものであり、規則は何一つ冒していない根付が隊務規定違反を犯した影浦に謝罪するという事は、彼の面目を丸潰れさせる事を意味している。

 

 面目、というのは組織において馬鹿に出来ない。

 

 上に立つ者には相応の威厳が求められる、というのはあながち間違ってはいないのだ。

 

 基本的に、マスコミがやり玉に挙げるのは上層部である。

 

 彼等はセンセーショナルな飯のタネ(わだい)を常に求めており、その為ならば悪質なやり方の報道をする事さえある。

 

 全てのマスコミがそうだとは言わないが、ボーダーという格好のターゲットがあるこの三門市ではそういった類の記者が少なくない。

 

 大きな組織の失態、というものは格好のスクープになるからだ。

 

 そしてそれが実質民間軍事組織であるボーダーであれば、尚の事。

 

 故に、根付が面目を潰れさせるような真似をすれば、好き放題に報道したい彼等にとって目の上のたん瘤である彼を叩く絶好の機会となってしまう。

 

 アンチボーダーがそこまで多くなっていないのは、根付の働きあっての事だ。

 

 その彼の影響力が衰えるような事態になれば、過激なパッシングが起こるのは想像に難くない。

 

 故に、彼は決して意地悪で言っているワケではないのだ。

 

 言うなれば、必要悪。

 

 敢えて泥を被る事も、彼にとっては必要経費というワケである。

 

「それについては、他の報告書を見てからでも判断は遅くないだろう。次は、風間隊の報告書か」

 

 報告者:風間蒼也

 

評価項目評価
戦闘 A 
機密保持 A 
コミュニケーション B 
遠征適正 D 

 

隊員名評価内容遠征適正
那須玲 個人としての戦力が高く、サポート能力もかなりのレベルに達している。以前見られた精神面の問題は見られない。身体的な問題がある為、遠征は難しい。 
七海玲一 機転が利き、地力も高い。斥候として優秀な能力の持ち主。隠密戦闘にも適性あり。精神面も安定しており、問題は見られない。特注のトリオン体のメンテナンスが必要な為、遠征は難しい。 
熊谷友子 継戦能力が非常に高く、格上相手でも粘るだけの防御能力がある。人格的な問題も一切見られない。遠征でも問題なくポテンシャルを発揮出来るタイプの隊員である。 
日浦茜 任された仕事を確実にこなす能力がある。自身を駒として扱う能力に長ける。精神面も問題は無い。遠征は本人の適性は高いが、年齢的な問題がある。 
志岐小夜子 オペレート能力は非常に優秀である。男性恐怖症の為、他部隊との連携に難あり。但し、改善案は出た様子がある。男性恐怖症がある為遠征は難しい。 
総評 A級部隊として遜色ないポテンシャルを持っていると判断する。幅広い任務に適性があり、人格的な問題も見られない。部隊としての遠征参加は難しい。熊谷のみ個人としての選出が可能。 

 

「改善案は出た、ですか。しかし、具体的な事は分かっていないようですねぇ」

 

 それに、と根付は続ける。

 

「遠征適正が低い、というのも気になりますね。確実に行けると思われるのが熊谷隊員のみというのは、どうなんでしょう」

「いや、A級隊員になったからと言って遠征に行く義務は無い。彼女達は遠征を希望していないようだし、その点は問題は無いと考えている」

 

 ですよね、と忍田は城戸に確認を取る。

 

「その通りだ。元よりこの遠征適正は評価のついでの調査、といった面が大きい。遠征を希望しない者を無理に連れて行く事はなく、また遠征に行かなかったからといって評価を下げる理由にはならん」

「ふむ、城戸司令がそう仰るのであれば私は構いませんが」

 

 根付はそう言って、素直に引き下がった。

 

 元より、彼は遠征に関してはそこまで重要視していない。

 

 ただ、城戸が遠征を重視して来た経緯があった為、確認として聞いただけだ。

 

 現在遠征は部外秘で進められており、外の人間は遠征については全く知らない。

 

 今後何かの拍子で公開遠征などという事態にならない限りは、自分が気を揉む必要は無いだろうと考えていた。

 

「それに、オペレーターの件に関しては問題はなさそうだ。次の資料を見て欲しい」

 

 報告者:嵐山準

 

 

評価項目評価
戦闘 A 
機密保持 A 
コミュニケーション B 
遠征適正 D 

 

隊員名評価内容遠征適正
那須玲 個人としての戦力も申し分なく、射手としての援護能力も高い。感情的になる様子は見られず、精神面は問題ないと判断する。遠征は体調面を考慮すると難しい。長期の閉鎖環境に不安要素が多い。 
七海玲一 単騎としての能力も高いが、それ以上にチームのエースとしての運用が適している。集団戦で真価を発揮するタイプであり、生存能力が高い点も評価が高い。精神面は安定しているが、多少自己犠牲的面が見られる。緊急脱出のない状態で戦わせるべきではない。遠征部隊員としては非常に優秀であるが、本人の閉鎖環境適性は未知数である。 
熊谷友子 連携能力が非常に高く、射程持ちの攻撃手としては理想的な動きが出来る。自己評価は低いが、特に問題になるレベルではない。即席部隊でもポテンシャルを発揮出来る適性があり、遠征部隊員として問題は見られない。 
日浦茜 非常に優秀な狙撃手である。機転も利き、柔軟な思考を持っている。精神面も特に問題は見られない。保護者が本人のボーダー活動に否定的であると聞いている為、遠征は厳しいと思われる。配慮の余地あり。 
志岐小夜子 非常に優秀なオペレーターである。戦術考案能力も高い。男性恐怖症の件は配慮する必要があるが、特に人格的な問題は見られない。他部隊との連携も問題なく可能となっていた。詳細は添付資料参照。但し、長期間の閉鎖環境が強いられる遠征は難しい。 
総評 A級としても相応しい実力の部隊である。他部隊との連携も問題は無いと判断する。部隊としての遠征参加は厳しいが、個々での選出であれば可能。  

 

「成る程、機械音声で。これなら問題はなさそうですねぇ」

 

 根付は添付された資料を見ながら、得心したように頷いた。

 

 それには、小夜子の男性恐怖症の詳細────────彼女がパニックを起こす条件やその対策が、こと細かに記されていた。

 

 恐らく、これは那須隊側から提出されたデータだろう。

 

 第一試験と第二試験で小夜子の連携能力が問題視されていた為、本当にそれが改善出来たのか確認する必要があった為だ。

 

 ちなみに、この資料を作ったのは羽矢と国近の二人である。

 

 小夜子と特に親しい二人は彼女の男性恐怖症の症状に関しても詳しく、そもそも解決策を考案した張本人である。

 

 口頭で「解決しました」ではお話にならないので、きちんと資料を用意するのは当然と言える。

 

 そのあたり、ぬかりなどある筈もない。

 

「変わらず遠征参加は無理なようだが、部隊としての運用に問題が無いのであれば構わないでしょう」

「そうだな。私としても異論は無い」

「では、この件については問題なしという事ですねえ」

 

 三人全員が、小夜子の問題に関しては解決済であると認識を共有した。

 

 機械音声という特殊な手段を用いているが、部隊同士の連携の範疇であれば問題は起こらないだろう。

 

 遠征適正は相変わらずだが、それについての話は済んでいる。

 

 故に、この議題はこれで終わりだ。

 

「最後に、迅の報告書か」

 

 城戸はそう呟き、最後の報告書────────迅が書いた、最終試験の資料に目を向けた。

 

 報告者:迅悠一

 

 

評価項目評価
戦闘 A 
機密保持 A 
コミュニケーション A 
遠征適正 E 

 

隊員名評価内容遠征適正
那須玲 エースの一人として高い能力を持ち、機転も利く。生存能力も非常に高い。精神面も問題なし。遠征は身体の件がある為不可能。 
七海玲一 発想力が高く窮地を乗り越える能力に長ける。格上殺しも適性がある。精神面も問題なし。遠征は不可能。特注のトリオン体の調整がある為。 
熊谷友子 粘り強く、格上相手にも競り勝てるだけの素養がある。チームの一員としての思考をしっかり保持しており、仕事をやり遂げるだけの胆力もある。精神面も問題なし。遠征行き自体は可能。どんな相手とでも組む事が出来る。 
日浦茜 どんな状況からでも逆転を狙えるポテンシャルがある。ボーダーでも屈指の能力を持つ狙撃手に成長している。精神面も問題なし。保護者が反対する為遠征は不可能。 
志岐小夜子 優秀なオペレーターであり、今は連携問題も解消している。精神面も問題なし彼女の男性恐怖症は完全に疾患レベルの為遠征は不可能。 
総評 自分を倒せるだけの地力と機転を持つ部隊である。A級になっても問題は起きない。熊谷のみ個人選出が可能。  

 

「…………迅らしいな」

「そうですね」

「これ以上ない太鼓判、という事ですか。いやはや、彼にしか出来ない芸当ですねえ」

 

 迅の報告書は、随所に未来視を用いた記述が見られる。

 

 断定系が多いように思われるのは、恐らく彼が視た未来の情報を報告書の内容に盛り込んでいるからだ。

 

 普通であれば通らない類の報告書ではあるが、こと迅に関しては例外的に見ざるを得ない。

 

 彼の未来視の情報の信頼性は、既にボーダーにとっては既知である。

 

 少なくとも、旧ボーダー時代からの付き合いである城戸と忍田はその重要性を理解している。

 

 故に、異論など出よう筈もなかった。

 

「判断材料はこれで充分でしょう。城戸さん、どうですか?」

 

 忍田の問いに、城戸が頷く。

 

「ああ、充分だな。では、那須隊は────────」

 

 そして。

 

 城戸は、その結論を口にした。

 

 

 

 

「時間だ。試験結果を発表する」

 

 12月2日、月曜日。

 

 時刻、AM10:00。

 

 試験の合否判定を告げる為、忍田は会議室に試験参加者達を集めていた。

 

 各々が緊張しながら席に座る中、忍田はすぐさま発表に移った。

 

 勿体ぶる意味など、無いとばかりに。

 

「A級昇格を認める部隊は────────那須隊、君達だ」

 

 一瞬、空気がざわついた。

 

 それは、驚愕のそれではない。

 

 むしろ、納得しかない。

 

 昇格するならば、彼等だろうという事を。

 

 此処にいる誰もが、承知していたのだから。

 

「詳しい手続きはこの後に行う。オペレーターの事情を考慮し、志岐隊員は通信での参加で構わない。連絡を頼む」

「分かりました。ありがとうございます」

 

 那須は嬉しさを隠しきれない表情で、忍田の要請を承諾した。

 

 きっと、言いたい事がたくさんあるのだろう。

 

 すぐにでも、はしゃぎたいに違いない。

 

 そんな気持ちが、透けて見える空気であった。

 

「七海。よくやった」

「ありがとうございます、カゲさん。皆のお陰です」

 

 自分が昇格を逃した事すら些事だとばかりに、影浦は七海を称賛する。

 

 確かに、ユズルの為にも昇格を逃したのは惜しい。

 

 だが、機会は今回だけではないのだ。

 

 それならそれで、弟子を祝うのに理由は要らない。

 

 こんな時でも、人情最優先な影浦であった。

 

 尚、他の面々は空気を読んで黙っている。

 

 流石に、師弟の間に割り込むような者は此処にはいないのである。

 

 生駒は何故かどや顔をしているし、香取は悔しそうにしてはいたがそれはそれである。

 

「それから、追加で通達がある。二宮隊、影浦隊の両部隊はこれまで降格時のペナルティでA級昇格が不可能になっていたが────────そのペナルティを、正式に解除する。そして、有事の際はA級部隊と同等の扱いをすると約束しよう」

「ありがとうございます」

「…………ありがとう、ございます」

 

 忍田の通達に二宮は当然のように、影浦は少々当惑しながら慣れない謝意を口にした。

 

 合格しなかったのだから、ペナルティは元通り────────それくらいは覚悟していただけに、影浦としては困惑が先に来る。

 

 そんな影浦の内心を、表情から読み取ったのだろう。

 

 忍田は苦笑しながら、補足を行った。

 

「確かに合格は逃したが、二宮隊・影浦隊共にA級として問題ない実力は備えている事が再確認出来た。加えて、これまで目立った問題は起こしていない事から人格面でも問題なしと判断させて貰った」

 

 更に、と忍田は告げた。

 

「今後大規模な戦いが控えている以上、A級相当の実力を持つ二部隊をB級と同じ運用をしていては不適当であるとも判断した。無論その場合はA級相当の額を特別手当として支給する事をここに約束しよう」

 

 負担をかけてしまうけどね、と忍田は苦笑した。

 

 要は、近々起きる事が予知されている大規模侵攻でのA級相当の行動権の確約だ。

 

 言うまでもなくB級とA級では実力に差があり、有事の際は扱いが異なるのは当然だ。

 

 だが、A級と同等の強さを持つ部隊をB級と同じ扱いで運用するのは、無駄もいいところである。

 

 だからこその、この特別措置だろう。

 

 迅の思惑も見え隠れしているが、二宮も影浦もそれに否はなかった。

 

 元より、手を抜く理由はない。

 

 来る脅威は、打ち払うだけなのだから。

 

「以上だ。那須隊は手続きがある為残ってくれ。今後も各々、より一層の精進を期待する」

 

 

 

 

「出来ましたよ。隊章」

「え、ホント?」

「ええ、既に原案は作っていましたので」

 

 数日後、小夜子は那須隊の面々を隊室に集めていた。

 

 既に手続きは終えており、晴れて那須隊はA級部隊となった。

 

 今回は、そのお披露目の一環。

 

 A級に昇格した為、那須隊は隊章を付ける事が許されたのだ。

 

 通常は原案を纏めて技術部に持って行くのだが、どうやら小夜子の伝手で羽矢に頼み、デザインを作り上げてしまったらしい。

 

 元より那須達は隊章については小夜子に一任していたので、今はその完成報告を受けていたワケだ。

 

「もう隊服に付けてますよ。換装してみて下さい」

「了解」

 

 那須達は一斉にトリガーを構え、その一言を告げる。

 

 新たな一歩を踏み出す、鍵となる言葉(キーワード)を。

 

「「「「トリガー起動(オン)」」」」

 

 四人が、一斉に換装する。

 

 現れるのは、見慣れたSFちっくな隊服。

 

 しかし、その胸には。

 

 新たな、那須隊だけの隊章(シンボル)が刻まれていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「これが……」

「私たちの、隊章」

 

 七海達は、自分達の新たな隊章を見て息を呑む。

 

 尾を食む蛇と、その中心に描かれた短剣と刀、そして銃弾。

 

 そして、A09の文字。

 

 それが、七海達那須隊の新たなシンボルだった。

 

 蛇は、恐らくバイパー使いである那須を現したものだろう。

 

 短剣がスコーピオン使いの七海で、刀が熊谷。

 

 そして、銃弾が茜だ。

 

 那須隊という部隊を良く現した、良い隊章と言えるだろう。

 

「いいわね」

「ああ、素晴らしいデザインだ」

「ええ、これなら満足ね」

「かっこいいです」

 

 那須達は各々の言葉で、出来上がった隊章を称賛した。

 

 これが、新たな一歩。

 

 A級部隊としての那須隊の一歩の証明としては、最高のものだろう。

 

「喜んで頂けて何よりです。羽矢さんにもお礼を言っておきますね」

「ああ、頼んだ。これからも、よろしく頼む」

「ええ、勿論です」

「そうね。これからだものね」

 

 最大の試練は、これで終わった。

 

 しかし、まだ物語は終わっていない。

 

 否、これから始まるのだ。

 

 A級9位、那須隊。

 

 彼女達はこれから、本当の鉄火場(クライマックス)に挑む事になる。

 

 最善の未来、最後の欠片(ピース)

 

 それがもうじき、来訪するのだから。

 

 

To Be Continued




 挿絵はHITSUJIさんから頂きました。

 私のアイディアを形にしてくれて感謝感激です。

 これにて、A級昇格試験編、終了です。

 次回から、新章開始となります。

 ようやく我らがメガネにスポットが当たるぜ。


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THE SECOND PIECE/三雲修
三雲修③


 

「ようやく、此処まで来たか」

 

 迅は一人、屋上に佇んでいた。

 

 その手には、一つの端末。

 

 端末の画面には、那須隊がA級となった証────────隊章が、映し出されていた。

 

 迅にとっては、七海達が己の期待を見事に叶えてくれた事の証明でもある。

 

 知らず、笑みが零れる。

 

 四年前から凍り付いた時計の針はようやく進み、未来に向けて確かな一歩を刻み続けている。

 

 これまでは強迫観念で求め続けていた、最善の未来。

 

 今は本心から望む事が出来ているそれに、着実に近付いている。

 

 那須隊がA級になれるかどうかは、その大きな分岐点の一つだった。

 

 だが、達成困難であったその条件はこの上ない形でクリアされた。

 

 望む未来は、確かな足音を以て近付いている。

 

「そろそろ、頃合いだ。二人を、引き合わせるとしようか」

 

 更に迅は端末を操作し、一人の隊員のパーソナルデータを映し出した。

 

 映し出された隊員の名前は、三雲修。

 

 迅の肝入りで入隊させた、最善の未来の為の二つ目の欠片。

 

 今後を左右する、キーパーソンとなる少年であった。

 

 迅はニヤリと笑みを浮かべ、立ち上がる。

 

 そして、告げるように呟いた。

 

「君の番が来たぞ、メガネくん」

 

 

 

 

 三雲修は、あれから迅に告げられた通り那須隊の試合を追い続けた。

 

 ROUND3は不可解な動きを続けた末に惨敗した為困惑したが、ROUND4でそれまで以上のキレを持った動きを見せた為に「あの時は調子が悪かったのだろう」と結論付けた。

 

 迅の内面を直感で察した修ではあるが、流石に直接言葉を交わした事のない相手の事を理解しろというのは無理がある。

 

 那須隊のROUND3における失態の意味を理解出来なくとも、ある意味当然の話だ。

 

 精神の根幹がブレない特殊な精神構造を持った彼とて、那須隊の複雑怪奇な人間模様を想像出来る筈もない。

 

 本能で理解しようとするだけ時間の浪費であると判断し、次の試合の考察に切り替えたワケである。

 

 そんな修にとって、ROUND5はかなり見どころのある試合だったと言える。

 

 地下という閉所を可能な限り利用した鈴鳴の戦術に、不利を強いられながらも各々の方法で対応してみせた東隊と那須隊の立ち回り。

 

 そして、自分が落ちても戦果をもぎ取る小荒井や熊谷の動きも、大いに勉強になった。

 

 自分一人で勝てなくとも、役目を果たせば隊に貢献する事は出来る。

 

 その見地は、修にとって目から鱗と言うべきものであった。

 

 修は、自分の弱さを理解している。

 

 彼は、戦う為の努力をして来なかった人間だ。

 

 別に、修が怠惰だとかそういうワケではなく、必要がなかったからそちらに労力を割かなかっただけだ。

 

 元々運動神経はお粗末の一言で、特に必要とも思わなかったから身体を鍛える事とも無縁だった。

 

 そんな彼がボーダーに入ろうと思い立ったのは、割と最近の話である。

 

 切っ掛けは、彼の家庭教師でもあった雨取麟児の失踪だ。

 

 麟児は修に対し、妹である千佳の連れ去られた友達を探す為に近界を調査しに行くと告げていた。

 

 修は当然の如く動向を申し出たが、結局彼は置き去りにされ、麟児だけが姿を消した。

 

 その時の、千佳の様子は忘れ難い。

 

 彼女は、自分の所為で兄がいなくなったのだと泣いていた。

 

 そんな千佳を見て、修は決意した。

 

 自分が、ボーダーに入って麟児を見つけ出すのだと。

 

 麟児が向かったのは、近界である。

 

 そして、近界に向かうにはボーダーの技術がなくてはならない。

 

 麟児のように()()()を見繕うような術も伝手もないのだから、彼を探し出すにはそれしか手段がなかった。

 

 故に一度試験で落とされた時も諦めずに直談判し、それでも駄目だったから警戒区域への侵入という今思えば軽挙な手段に走ったのだが、そこで出会った迅によってボーダー入隊という念願は叶った。

 

 だが、入隊した修は人事担当者から告げられた「才能が無い」という言葉を実感する事になった。

 

 修のトリオン評価値は、2。

 

 これはとてもではないが戦闘員として堪え得る数値ではなく、実際にB級に上がる為の個人ランク戦で修が勝てた事は一度もなかった。

 

 弾トリガーも試してはみたが、そもそもC級隊員はトリガーを一つしか持てないという制約から、手っ取り早く相手を倒せる弾トリガーを選ぶ者は一定数いる。

 

 何せ、C級はトリガーを一つしか持てない以上シールドを張る事はまずない。

 

 故に、弾トリガーへの対処は回避するか、やられる前にやるかのどちらかである。

 

 そして、撃ち合いになった時点でトリオンで劣る修の勝ち目はない。

 

 盾と剣を使い分けられるレイガストというトリガーに一縷の望みを懸けてはみたが、結局のところ修の格闘センスではじり貧になって落とされるのがオチであった。

 

 ROUND5でレイガストを使用していた村上はスラスターというオプショントリガーを用いて十全に使いこなしていたが、C級のうちはオプショントリガーは使えない為個人ランク戦を勝ち残る為の参考にはならなかった。

 

 しかし、全く成果がないと言えばそんな事はない。

 

 B級に上がりさえすればスラスターは修のお粗末な格闘能力を補う確かな武器になるし、トリガー1つという制約から解放されれば出来る事は数多い。

 

 まあ、そのB級に上がるというハードルが修にとってとてつもなく高いという事に目を瞑れば、であるが。

 

 ともあれ、ROUND5が修にとって有意義な試合であった事に間違いはない。

 

 捨て身の波状攻撃で東を仕留めた那須隊の戦術も、彼はしっかりとその眼に焼き付けていたのだから。

 

 そして、ROUND6では香取隊の戦術に注目した。

 

 ワイヤートリガー、スパイダー。

 

 その有用性に、修は着目していた。

 

 それを使っていた三浦は、生駒といったエース級と比べれば単騎の実力は劣る駒であった事は否定出来ない。

 

 だが、そんな彼でもスパイダーを用いる事で隊へかなりの貢献を行う事が出来ていた。

 

 あれならば、もしかしたら自分でも出来るかもしれない。

 

 そう思ったのだが、残念ながら修にスパイダーを使える知り合いはいない────────というより、ボーダー内の知り合いというのが迅一人しかいない。

 

 興味は抱いたが、保留するしかない。

 

 そう考えて、修は観戦に集中した。

 

 ROUND7は、砂嵐という悪天候とそれを利用した王子隊の戦術が印象的であった。

 

 結果としてはそこまで奮わなかった王子隊であるが、その動きは一つの参考になった。

 

 今回の那須隊は技術面が高過ぎて修が参考に出来る事は限られていたし、弓場隊も参考にするには向かなかった。

 

 その点王子隊は動き方から戦術傾向が分かり易い為、参考にし易かったのだ。

 

 なんとなく、隊長の王子とは気が合うかもしれない、とふと考えた修であった。

 

 とは言っても話す伝手等はない為、あくまで考えただけではあるが。

 

 そして迎えた、最終ROUND。

 

 高い技術の応酬、という試合展開自体は修の参考に出来る部分は多くなかったが、メテオラで地形を変えて二宮落としの準備をした七海の動きや、囮となって生駒旋空への繋ぎとした南沢。

 

 更に捨て身で陽動を行い、影浦に那須を仕留めさせた辻の動き等は、参考になる部分が多かった。

 

 技術が高過ぎて参考に出来る部分の少ない隊員が多い、という点を除けば那須隊は確かに戦術面の参考とするに相応しい試合を多く行っていたと言える。

 

 全てを理解出来たワケではないが、修に戦術的な思考を芽生えさせる切っ掛けとしては充分過ぎる。

 

 もしかしたら、迅はこれを見越していたのかもしれない、と修は彼に感謝した。

 

 とはいえ。

 

 考え方一つで勝てるほど、個人ランク戦は甘くはないのだが。

 

 修自身のトリオン不足と戦闘センスのなさは早々に改善出来るものではないので、致し方ない部分は多い。

 

 加えて、ランク戦終了後はC級隊員全員が研修に強制参加と相成った為に個人ランク戦をやる時間はなかったのだが。

 

 この研修はB級の面々がA級部隊との訓練を行う為、その間にC級にも有事の際の対応力を上げて貰う為の研修を受けて貰う、という説明であった。

 

 内容としては、有事の際の避難誘導のマニュアルと、仮想空間を用いたその実践。

 

 B級下位の面々や荒船、東といった指導力の高い一部の隊員監修の下、C級は避難誘導のいろはや有事の際に気を付けるべき点等をレクチャーされていた。

 

「こういう研修って、これまでもあったんですか?」

 

 しかし、有事の際の為とは言っていたが、どうにも修はこの研修自体に作為的なものを感じていた。

 

 何かを、明確に察したワケではない。

 

 けれど、妙な違和感があったのも確かだったので、自分の指導担当になった茶野という隊員にそう問いかけた。

 

「いや、此処まで本格的なのは初めてだな。けど、なんでだ?」

「いえ、気になったものですから」

 

 そうか、と茶野は納得し、すぐに訓練に戻る事となった。

 

 修も納得したワケではないが、一介のB級隊員に聞いても仕方のない事だと考え直し、避難訓練のような内容の研修を続行した。

 

 周囲のC級はやる気のない者も多かったが、修としては此処まで大々的に行った研修が意味のないものとは思えなかった為、精一杯研修に励んでいた。

 

 熱心にやれば、何れ結果は出るかもしれない、という一縷の望みに懸けていたのは言うまでもないが、何より彼自身「手を抜く」といった事が不得意だった事も大きい。

 

 常識人に見えて脳内のストッパーが外れている修にとって、手を抜いて成果を持ち帰らない、という選択肢はそもそも辞書に存在しない。

 

 頑張れば結果が出るとは限らないが、そもそも頑張らない者に結果が付いてくるワケがない。

 

 故に修は、周囲のC級隊員が呆れる程愚直に、研修をこなしていったのだった。

 

「…………」

 

 そんな修を、木虎が見かけたのは偶然だった。

 

 合同戦闘訓練に参加している木虎ではあるが、研修を監督しているのがB級下位の面々中心である以上、どうしても人手が足りない場面が出て来る。

 

 木虎は多忙な嵐山の頼みにより、その手伝いとしてちょくちょく研修に顔を出していたのだ。

 

 研修の中には、襲い来るトリオン兵を迎撃しながら避難誘導を行う訓練もあった。

 

 木虎が修を見かけたのは、その訓練の最中である。

 

 修はセットしたメテオラを目晦ましに用いて、その間に避難民役の人間を無事誘導する事に成功していた。

 

 修のトリオンは他の者と比べれば圧倒的に低く、トリオン兵の中でも雑魚であるバムスター相手でさえ碌に倒せない有り様だ。

 

 しかし、そんな修のトリオンでも炸裂弾(メテオラ)を使えば目晦まし程度にはなる。

 

 トリオン兵を倒すよりもこちらの方が自分にとっては効率的だと気付いた修は、倒すのではなく逃げ切る事を優先し、作戦を組み立て実行した。

 

 そんな修のやり方を、他のC級は笑って見ていた。

 

 バムスター1人碌に倒せない、弱者であると。

 

 しかし、それを見ていた木虎の評価は違った。

 

 確かに、修は弱者だろう。

 

 トリオンは低く、お世辞にも戦闘に適性があるとも思えない。

 

 だが。

 

 彼はそんな自分の弱さを自覚し、自分にとっての()()を導き出した。

 

 それはただトリオン兵を撃退し、結果として避難誘導が疎かになっていた他のC級よりずっと評価されるべき姿だと、木虎は考えていた。

 

「…………ま、あの様子じゃB級にはなれないだろうし、関係ないわね」

 

 とはいえ、修の実力の低さが如何ともし難いのも事実だ。

 

 見どころはあるが、それだけでは到底正隊員になる事は出来ない。

 

 そう考えて、木虎はその場を後にした。

 

 しかし。

 

 彼女の中に、一人のC級隊員の記憶が刻まれたの事も、また事実であった。

 

 

 

 

「僕に、会わせたい人がいる、ですか?」

「ああ、そうだ。きっと、良い出会いになると思ってね」

 

 12月7日。

 

 研修期間を終え、訓練でコツコツポイント貯めていた修の下に迅が現れ、彼を連れ出したのだ。

 

 修は知る由もないが、今までの迅であれば周囲の人間を誘導し、それとなく目的の人物に会うよう仕向けていた筈だ。

 

 しかし、今の迅の精神性は昔のそれではない。

 

 それでは不義理だろうと考えた迅は、自ら修を案内する事としたワケである。

 

「着いたよ。此処だ」

「ここは……」

 

 迅が案内したのは、とある隊室だった。

 

 部屋のプレートに刻まれている名は、那須隊。

 

 迅が、修に観戦を進めた部隊の名称であった。

 

「此処の部隊とは、それなりに縁があってね。勝手で申し訳ないけれど、根回しはさせて貰った。とは言っても、面会予約(アポイント)を取っただけだけどね」

「そう、ですか……」

 

 不思議と、修は此処で会う人間が誰か、分かった気がした。

 

 那須隊の隊室、という事で真っ先に想像出来るのは隊長の那須ではあるが────────修は、彼女ではない、と直感していた。

 

 何故か、と言われれば答えに窮するのは確かである。

 

 だが。

 

 それよりも、此処で会うべき人間は他に要る。

 

 修の勘は、そう訴えて譲らなかった。

 

「入るぞ、()()

「ええ、どうぞ」

 

 それを証明するかのように、渦中の人物の声が聞こえた。

 

 随所にSFちっくな雰囲気を醸し出す隊室に足を踏み入れた修を待っていたのは、一人の少年。

 

 細見の、不思議な空気を持った端正な顔立ちの少年。

 

 その少年は修に気付くと笑いかけ、口を開いた。

 

「こんにちは。話は聞いているよ」

 

 そう言って少年は握手を求め、修はそれに応じる。

 

「俺は七海玲一。よろしく」

 

 少年の名は、七海玲一。

 

 迅が最初に見出した、彼の最初の希望の欠片。

 

 修と同じ、最善の未来に辿り着く為の代替不能の主役(キーパーソン)の一人であった。



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三雲修④

「俺に会わせたい隊員、ですか?」

 

 12月5日、那須隊がA級に昇格し諸々の手続きが終わった日。

 

 その日の昼過ぎに七海の元を訪ねた迅は、開口一番こう告げた。

 

 「七海に会わせたい隊員がいる」と。

 

 突然の申し出ではあったが、七海としては迅がそう言うのであれば吝かではない。

 

 だが。

 

「ああ、そうだ。三雲くんと言ってね、これがその子の資料だよ」

「拝見します」

 

 その隊員のデータの書かれた資料を見て、七海は眉を顰めた。

 

 まず、トリオンがかなり低い。

 

 彼のトリオンは、2。

 

 七海の知る限り、こんな低トリオンで戦闘員をやっている隊員は他に例がない。

 

 普通であれば、オペレーターかエンジニアの道に進むしかないトリオン量である。

 

 しかも、訓練の結果を見る限り戦闘能力そのものが低い、というよりも明らかに戦闘に向いた適性は無い。

 

 ハッキリ言って、何故入隊出来たのか疑問符が付くレベルである。

 

 そもそも、このトリオン量であれば入隊試験の時に落とされそうなものなのだが────────そのあたりは、迅が何かをした可能性がある。

 

 迅の所属する玉狛支部は本部とは距離を置いているが、彼本人の発言力は高い。

 

 ボーダーの防衛に関して迅の未来視に依る部分が大きいのだから、当然といえば当然ではあるのだが。

 

 彼の力を以てすれば、試験に落ちた隊員を強引に入隊させる事も不可能ではない、と思われる。

 

「…………」

 

 しかし。

 

 問題は、何故そこまでしてこの三雲修という隊員を入隊させたか、である。

 

 迅は権力に拘るタイプではないが、徒にそれを振り翳すような人間ではない。

 

 その迅が、強引な手段を使ってまでお世辞にも即戦力になるとは思えない隊員を入隊させる────────何もない方が、おかしい。

 

 七海は、迅の事をある程度理解出来ていると自負している。

 

 昔はともかく、今は迅の気持ちに寄り添えるようになっていると七海は考えている。

 

 そんな七海だからこそ、迅がこの三雲修という隊員を重要視しているのはすぐに理解出来た。

 

「迅さん」

「なんだい?」

「彼は、最善の未来の為に必要な人間ですか?」

 

 だから。

 

 その問いが出て来る事は、ごく自然な流れであっただろう。

 

 迅が、一人の隊員を特別視したのはこれが最初ではない。

 

 他ならぬ七海が、その()()()なのだから。

 

 ────────俺はあの時、幾つかの未来を視ていた。その中にさ、あったんだよ。君が生き残る事で、玲奈が黒トリガーになる事で、より多くの人が救われる未来が────────

 

 あの時。

 

 那須との問題が解決し、迅と玉狛支部の屋上で話した時。

 

 迅は、確かにそう告げた。

 

 七海が生き残る事で、より多くの人が救われる未来を視たと。

 

 そして。

 

 迅はその為に、七海に様々な便宜を図って来た。

 

 無論、七海が玲奈の弟だから、という理由もあるのだろう。

 

 だが、七海が最善の未来に辿り着く為の重要人物だから、という理由も間違いなくあった筈だ。

 

 その事に関して、七海に思うところはない。

 

 特別な理由があろうとなかろうと、迅が七海の為に動いてくれた事は確かなのだから。

 

 経緯はどうあれお世話になったのだから、感謝はして然るべきだ。

 

 なんらかの悪意が介在したのであればともかく、これはそういう話ではない。

 

 それに、決してそれだけが理由でない事も七海は知っている。

 

 ならば、七海が迅に向ける感情は感謝以外に有り得ない。

 

 少なくとも、七海自身はそれで納得しているのだから。

 

 それはそれとして、この修という少年のケースも自身のそれと似たところがある。

 

 恐らくではあるが、彼は迅によってボーダーへの入隊に成功した。

 

 それも、かなりの無理を通して。

 

 迅は情の深い人間だが、だからこそ軽々には動かない。

 

 それは、七海も良く知る事実だ。

 

 つまり。

 

 今回の修の場合、迅の動くに足る理由────────七海の時と同じく、未来に向けた投資、といった動機がある可能性が高い。

 

 そして。

 

「ああ、その通りだ。彼が、最善の未来に辿り着く為の欠片(piece)────────その、二人目だ」

 

 迅は、その問いを────────肯定、した。

 

 すとん、と七海の中に納得の感情が落ちる。

 

 矢張り、といった気持ち。

 

 それが、七海の偽らざる心情だった。

 

「彼が一体、どんな役目を担うんですか?」

「そこまでは分からない。七海、君と同じでね。でも────────直接的な戦闘とか、そういう事じゃないのは確かだ。能力的にも、俺の視た未来(ビジョン)的にもね」

 

 迅の未来視は、未来の映像を断片的に映し出すものと聞いている。

 

 故に彼が視るのは未来に起こる出来事の結果のみで、その()()は推察するしかない。

 

 それに、会った事のない人物の未来は視えない為、もしも修の貢献が迅に面識のない第三者が関わっていた場合、それを迅が視る事は今は出来ない。

 

 少なくとも、その()()()をその眼で見るまでは。

 

 故に迅に分かる情報は、「三雲修が最善の未来に辿り着く為の()()()()()働きをする」という事だけだ。

 

 どういった貢献をするのかすら分からない状態である為、彼自身も手探りなのだろう。

 

 今の迅からは、そういったもどかしさが透けて見えた。

 

「それで、彼に会うのは構いませんが迅さんは俺に何を求めているんですか?」

「そうだね。彼がどう未来に貢献するのか分からない以上、生存能力は上げて欲しいんだよね。今の彼は、自衛すらままならない状態だし」

 

 聞けば、修はB級に上がる為のランク戦で全く勝つ事が出来ず、昇格の目途が一切立たない有り様なのだという。

 

 トリオンが低くとも戦闘センスに優れている隊員は米屋や木虎といった例がいるが、彼等の場合近接格闘の適性が非常に高い為参考にはならない。

 

 修は格闘センスは皆無と言ってよく、トリオンもこの低さでは射撃トリガーを選んだとしても撃ち合いをした時点で負けるだろう。

 

 C級は、訓練用の────────相手に碌なダメージを与えられないトリガーしか、所持していない。

 

 しかも非常時においてすらその使用を認められてはおらず、万が一近界民に襲われた場合抵抗等は一切出来ないに等しい。

 

 修の機動力では逃げる事も難しく、ちょっとした()()でやられてしまう事は充分有り得る。

 

「安全の為なら、基地から出さないのが一番では?」

「それはそうなんだけど、そうなると彼が本来活躍する筈だった場面を逃す可能性が高くてね。出来れば、大規模侵攻前にはB級に上げておきたいんだ」

 

 そして、安全を優先して匿ってしまえば、迅の言う最善の未来の為の貢献の機会をみすみす潰す事にもなりかねない。

 

 更に言えば、その()()は今度起こる大規模侵攻で来る可能性が非常に高い。

 

 その後も貢献するにしても、目先の────────そして、差し迫った最大の問題に関連しないとは思えないのだ。

 

「分かりました。やるだけやってみます」

 

 七海は、色々考えた末にそう答えた。

 

 何が出来るかは、まだ分からない。

 

 何せ、まだ修本人と会ってすらいないのだ。

 

 本人の精神性次第ではどうにもならない可能性は残るものの、やる前から諦めては話にならない。

 

 それに。

 

 あの迅が、自分から七海を頼ってくれたのだ。

 

 七海としては、これ程嬉しい事はない。

 

 小南公認で同類認定されている程なので、七海もまた迅が人に頼る事が不得手である事は知っている。

 

 その迅が、自分から七海を頼って来たのだ。

 

 それに応えないという選択肢は、七海にはなかったのである。

 

「ありがとう。俺も出来る事があれば支援するけど、他にもやる事があるからね。A級に上がったばかりだというのに、申し訳ない」

「いえ、構いません。これまで散々お世話になっていますし、この程度いつでも頼って下さい」

「じゃあ、会うのはいつがいいかな? 君の好きな時で良いよ」

 

 既に未来視で七海の答えは把握しているが、それでも迅は問うた。

 

 その様子に七海は苦笑しつつ、素直に答える。

 

「明後日の昼であれば、空いています。この隊室で待っていますので、連れて来て貰えますか?」

 

 

 

 

「あの、話は聞いている、とは……?」

 

 どういう事なのでしょう、と修は冷や汗をかきながら七海に尋ねた。

 

 どうやら、迅は修にさしたる説明もなく此処に連れて来たらしい。

 

 修からしてみれば、知り合いに呼ばれて行ってみれば面識のない相手と引き合わされた形になる。

 

 混乱するのも、無理からぬ事と言えるだろう。

 

 未来視の事は教えているとの話だが、それだけで迅の行動理由を推察するのは無理がある。

 

 見たところ自己評価は高いように思えないので、自分が重要人物として扱われているとは露ほどにも思わない筈だ。

 

「ああ、突然で混乱するよね。そう構えなくて良いよ。俺はただ、迅さんに君の手助けをして欲しいと頼まれただけだ」

「そうそう、前に言ってただろ? ランク戦で勝てなくて、困ってるって。だから俺の伝手で、良いアドバイザーを見つけて来たってワケさ」

「あ、そ、そうだったんですねっ! わざわざ、ありがとうございました」

 

 修は迅の説明に納得したのか、あからさまに喜んで納得していた。

 

 嘘は言っていない。

 

 しかし、全てを話したワケではない。

 

 迅は「何故七海と引き合わせたのか」という修の疑問を、「前に君が困っていたから」という話題に切り替えてあたかもそれが本題であるかのように見せかけた。

 

 無論、意地悪でやったワケではない。

 

 迅が言うには、此処で馬鹿正直に本当の理由を告げれば、悪い方に転びかねないらしい。

 

 見たところ、この修という少年はそこまで器用なタイプには見えない。

 

 自分が未来を背負う重要人物だ、などと告げられては迅への恩義に報いる為なりふり構わず頑張るだろう。

 

 それこそ、ブレーキの一つもかけずに。

 

 七海は、この修という少年の中に自分や迅と似た空気を感じ取っていた。

 

 それは、自分より他者を優先する気質。

 

 迅の話通りなら、彼は失踪した知人を探す為にボーダーへ入ったのだという。

 

 家族の為、ならばまだ分かる。

 

 しかし知人であったとはいえ第三者を探す為に戦う覚悟を決めたというのは、普通とは言い難い。

 

 本人の性格についてはこれから判断するしかないが、七海の直感は自分の同類であると告げていた。

 

 もっとも。

 

 後々その覚悟の予想外の方向への決まり具合に仰天する事になるのだが、それはまた別の話である。

 

「一先ず、君の動きを見てみたい。訓練室まで来てくれるかな?」

 

 

 

 

「成る程ね」

 

 七海は訓練室の中、肩で息をしている修を見ながら頷いた。

 

 修の実力は、資料の評価通りではあった。

 

 格闘戦のセンスはないから七海の攻撃をいなす事すら碌に出来ないし、レイガストの攻撃は掠りもしない。

 

 試しに弾トリガーを使わせてみても威力や弾速は低く、射程も短い。

 

 挙句トリオンが低い為にすぐにトリオン切れになり、自滅する事も多かった。

 

 だが。

 

 修は、七海のマンティスに()()()()()()()

 

 あくまで反応出来ただけで、避けられたワケでも防御出来たワケでもない。

 

 しかし、何も出来ずにやられるのではなく、レイガストで防御する素振りは見せていた。

 

 結局は大きく迂回させたマンティスによって胸を貫かれてやられたのだが、あれは初見の反応では有り得ない。

 

 少なくとも、七海がマンティスを使う事を知っていなければ出来ない反応だ。

 

「君は、俺があのスコーピオンを連結させる技法────────マンティスを使える事を、知っていたのかい?」

「え、ええ、はい。ランク戦を、見ていましたので」

「成る程」

 

 七海は、それで得心した。

 

 確かに、七海はランク戦で幾度かマンティスを使っていた。

 

 それを見ていたというのであれば、マンティスの存在を知っていたのも通りだろう。

 

 だが。

 

 七海がマンティスを使う()()()()()まで分かったのは、少々疑問符が付く。

 

 影浦のように通常攻撃からマンティスを連打するならまだしも、七海の場合はここぞという時にしか使わない。

 

 その使用タイミングを察知出来たというのは、修の練度からすると少々おかしな話だ。

 

 これが風間や太刀川のような百戦錬磨の猛者であれば、まだ分かる。

 

 しかし、修は戦闘は拙いし、武術の経験があるようにも見えない。

 

 そんな彼が何故、七海のマンティス使用タイミングを察知出来たのか。

 

 七海は、それが疑問だった。

 

「え、っとですね。七海先輩の事は、迅さんから那須隊の試合を見るよう勧められた時から気になっていて、何度もログを見直したんです」

「ふむ、それで?」

 

 七海はちらりと迅の方に目を向けるが、迅はにこりと笑って肯定の意を示した。

 

 どうやら、修が七海に興味を示す()()はしっかり作っていたようだ。

 

 そのあたりは、流石に抜かりない。

 

「それで、ですね。マンティスはスコーピオンの両攻撃(フルアタック)の亜種、という認識で間違っていませんよね?」

「ああ、その認識で間違いない」

「それなら、使っている間はシールドを張れませんよね? だから、防御を固めている時は使って来ないだろうと思いました」

 

 でも、と修は続けた。

 

「逆に言えば、相手に隙が出来た時か、射程の差で反撃の恐れが無い時なら使って来るかな、と思ったので。結局防御出来なかったんで、意味はなかったですけど」

 

 実際に見るととても速くて、反応する前にやられちゃいました、と修は苦笑した。

 

 だが、七海はその答えに目を見開いていた。

 

 確かに、七海がマンティスを使用する際には相手の隙を強引に突くか、反撃の恐れがない距離で使う事が多かった。

 

 修はそんな七海のマンティスの使用癖をログを繰り返し見る事で発見し、そのデータを反撃に用いようとした。

 

 結果は単純に修の技量が足らずに失敗に終わったが、七海は修の認識を改めた。

 

 確かに、彼は弱い。

 

 トリオンは低く、近接格闘能力はお話にならないレベルだ。

 

 処理能力も高いとは言えず、那須のように変化弾(バイパー)を使いこなす事はまず無理だろう。

 

 だが。

 

 戦況を冷静に見る戦術眼と観察力、そしてそれを実行する胆力は────────充分、()()()として及第点だ。

 

 確かに、彼は非力だろう。

 

 だが、無力ではない。

 

 自分の弱さを理解し、それを武器に変える強さがある。

 

 恐らく、ランク戦を観戦した事による変化だろう。

 

 話によれば那須隊(じぶんたち)の試合を追っていたとの事だから、最終ROUNDまでに用いた戦術をその眼で見た筈だ。

 

 そして、それを自分なりに糧にして、戦う力に変えようとしている。

 

 いち戦闘員としては、確かに十把一絡げどころか誰よりも弱いだろう。

 

 されど。

 

 戦術家としては、光るものが確かにある。

 

 頭の回転や機転は凡才の域を出ない。

 

 だが、精神がそれを補って余りある。

 

「三雲くん。君は、レイガストに何か拘りがあるのかな?」

「いえ、ただレイガストじゃないと時間稼ぎすら出来ないので消去法で選んだだけで、拘りとかは」

「そうか」

 

 なら、と七海は修を見据え、ハッキリと自分の意見を口にした。

 

「残念ながら、君の近接格闘のセンスはブレードトリガーを扱うに適しているとは言えない。レイガストは選択肢としては悪くないけど、少なくともそれを使ってB級に上がるのは無理だろう」

「それは…………そう、なんですが……」

 

 修は「B級に上がるのは無理だ」と告げられても、納得はしていなさそうだった。

 

 彼にとってはB級に上がるのは手段の一つでしかなく、だからこそ諦める理由は存在しない。

 

 だから、此処で無理だと言われても彼は歩みを止めないだろう。

 

 だが。

 

 七海は何も、彼にB級になるのを諦めろ、と言ったワケではないのだ。

 

「発想を変えよう。レイガストじゃ、B級には上がれない。けど、他のトリガーならどうかな?」

「え……? でも、射撃トリガーを使っても僕のトリオンじゃ……」

「射撃トリガーを使うのは、正解だ。けど、何も君に正面から撃ち合いをしろと言っているワケじゃないんだ」

 

 だから、と七海は笑みを浮かべ────────。

 

「射撃トリガーの()()、覚えてみる気はあるかな?」

 

 ────────修に、一つの選択肢を提示した。




 番外編:香取隊評価レポート

 報告者:冬島慎次

評価項目評価
戦闘 B 
機密保持 B 
コミュニケーション C 
遠征適正 B 


隊員名評価内容遠征適正
香取葉子 突破力が高く、僅かでもチャンスがあればそれをこじ開けるだけの爆発力がある。機転や判断力も高く、能力上はどんな部隊でも活躍できる素養がある。我が強いものの、自制を覚えた様子であり、精神面も成長しており概ね問題なし。協調性の低さは気になるものの、他者と合わせる事を覚えた様子である為余程相性の悪い相手と組まなければ問題はないと考える。 
三浦雄太 攻撃手としての能力は並みだが、視野が広くサポート能力に長ける。スパイダーの扱いも及第点で、成長が期待される。精神面は押しが弱い面が見られるが、自分の意見を言う事は出来ている様子である。協調性が高く、閉鎖環境での不安は無い。他部隊員との連携も問題は無いと思われる。 
若村麓郎 銃手としては未熟な部分が目立ち、サポーターとしても発展途上である。しかし以前よりも視野の拡大が見られており、成長が期待される。指揮能力に不安があり、協調性もそこまで高いとは言えない。イレギュラーな事態に弱く、遠征に向いているとは言い難い。
染井華 オペレート能力は高いが、隊に指揮能力に長けた者がいない為、オペレートと指揮の双方をこなす必要があり負担が大きい。精神面は特別問題はないが、現状を変えようとする意識が低い傾向が見られる。閉鎖環境への適応能力が未知数ではあるが、香取隊員に精神的に依存している傾向が多少見られる為、個人選出の場合はパフォーマンスの低下が懸念される。 
総評 爆発力は高いが、香取以外の隊員の地力が不足している。しかし能力不足を自覚し指揮を全面的に預ける判断力は評価すべきであり、今後の成長が期待される。精神面では若干未熟な部分が散見されるが、各々改善の傾向が見られている。遠征行きそのものに問題は見られない為、隊長以外の地力不足が解消出来れば問題は無いと思われる。  


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三雲修⑤

『対戦ステージ、市街地A。C級ランク戦、開始』

 

 アナウンスが響き、修の身体が仮想空間に現出する。

 

 目の前には、ニヤニヤ笑いをしたC級隊員の少年。

 

 修は、暫く遠のいていたC級ランク戦の舞台へと戻って来ていた。

 

(アドバイス通りにやれば、きっと……っ!)

 

 そして、修は。

 

 此処に至るまでの経緯を、思い返していた。

 

 

 

 

「射撃トリガーの、応用ですか……?」

「ああ、いきなりで混乱したとは思うが、一応筋道立てて説明していこう」

 

 修は会ったばかりのA級隊員、七海に訓練室でレクチャーを受けていた。

 

 そこで出て来た言葉が、「射撃トリガーの応用」である。

 

 事態の推移に修の理解は及んでおらず、そんな彼の様子に苦笑しながら七海は説明を始めた。

 

「まず、俺がレイガストじゃB級に上がれない、って言った理由は分かるか?」

「えっと…………勝ち筋が無い、ですかね」

「正解だ」

 

 七海はそう言って、修の回答を肯定した。

 

「確かに、レイガストは君のトリオン量でも簡単には壊れない強度の盾を得られるし、防御と攻撃を使い分けられるトリガーでもある。けれど、君自身の近接格闘のセンスが並以下である以上、使いこなすのは難しい」

 

 そもそも、と七海は続ける。

 

「C級隊員は、トリガーを一つしか持てない。つまり、シールドを張れないって事だ。そうなると、単純に()()()()()()()()ってのはなんだと思う?」

「射撃トリガー、ですよね」

「そういう事だ」

 

 C級隊員はB級隊員と異なり、トリガーは一種類しか持つ事が許されてはいない。

 

 つまり、B級隊員がやるように、シールドで守りながら攻撃する、といった事が出来ない。

 

 そうなると、遠距離から攻撃出来る射撃トリガーが有利になるのは当然といえば当然の話だった。

 

「悪いけれど、君の格闘センスでは射撃トリガーを掻い潜りながら相手に近付いて攻撃を当てる事は不可能に近い。スラスターがあれば別だけれど、レイガストはブレードトリガーの中でも重量があって機動戦には向かないしね」

 

 加えて、レイガストは三種類のブレードトリガーの中でも最も重い。

 

 それを補う為のオプショントリガーがスラスターであるワケだが、C級の間は使用不可能。

 

 結果として、レイガストは「重くて取り回しのし難い少し頑丈な剣」でしかなくなるのだ。

 

 これが、C級隊員がレイガストを選ばない最大の理由である。

 

 単純に格闘戦に自信がある者は取り回しのし易い弧月を選ぶし、スピードやセンスに恵まれている者はスコーピオンを選ぶ。

 

 近接での斬り合いは、「やられる前にやる」が基本だ。

 

 ブレードトリガーの威力にさしたる差がない以上、レイガストの高い硬度というのは()()なのだ。

 

 弧月を受けるならば弧月で充分であるし、スコーピオンはそれこそ受けに使うくらいなら攻撃に全てを注ぎ込んで相手を仕留めた方が早い。

 

 かといって射撃トリガー相手ではレイガストの重さが足を引っ張り、じり貧になって負けるのがオチ。

 

 そういった理由から、レイガストはC級隊員が勝ちあがるトリガーとしては向かないのだ。

 

「でも、射撃トリガーを使っても撃ち合いじゃあ……」

「そうだね。君のトリオンだと、真正面から撃ち合いをすれば負ける。トリオンが少ないという事は、トリオン切れが早いという事だしね」

 

 かといって、射撃トリガーを選んだとしても修のトリオンは低い。

 

 撃ち合いになった時点で、トリオン差で押し切られて落とされる。

 

 それが、修が早々に射撃トリガーを使う事を諦めた理由でもあった。

 

「けれど、君が勝ち上がるには射撃トリガー以外の選択肢は無い。そもそも、C級でブレードトリガーで勝ち上がるには、相応の格闘能力が必要だからね」

 

 しかし、だからといって修がブレードトリガーを使っても勝ち目はない。

 

 何故なら、トリガーを一本しか使えないC級が勝ち上がるには、斬り合いで押し負けない格闘戦能力と、射撃トリガーを掻い潜るだけの体捌きが必要になるからだ。

 

 ブレードトリガー同士の戦いは、純粋にお互いの技量がものを言う。

 

 トリガーが一本しか無い以上、相手に勝つには技量と機転で上回る他ない。

 

 そういう意味で、修はブレードトリガーを扱う下地が足りていない。

 

 今まで碌に身体を鍛えた事がない修では、敢えてブレードトリガーを選ぶような相手に技量で勝てる筈もないのだ。

 

「だから、消去法で射撃トリガーしか選択肢は無いってワケだ。銃手トリガーって手もあるけど、あっちは汎用性が高い代わりに応用性が低い。少なくとも、俺が今から教えようとしている技術は使えないしね」

「射撃トリガーの応用、でしたか。ですが、僕に出来るんですか?」

「出来ない事は言わないさ。勿論、ハウンドやバイパーの扱いを習熟しろって話じゃない。残念ながら、君の処理能力では厳しいしね」

 

 まず、と前置きして七海は続ける。

 

「ハウンドは割と多くのC級隊員が使っているトリガーだ。理由は勿論、同じC級に対する相性が良いからという事と、()()使()()()()ならそこまで難しくはないからだ」

 

 C級の多くが愛用する誘導弾(ハウンド)は、使いこなす事を考えずにただ使うだけならばそこまで難易度は高くない。

 

 その手軽さも、C級隊員に好まれる理由と言える。

 

「ハウンドは、誘導設定の強弱を調整する事で様々な軌道で飛ばす事が出来る。けれど、C級の段階でこれを弄っているケースは早々無い。概ね、決まった軌道で飛ばしているだけだろうね」

 

 それだけでもC級相手なら割とどうにかなるからね、と七海は告げた。

 

 確かに、彼の言う通りシールドのない相手であればそれで充分なケースが多い。

 

 B級同士の戦いではハウンドは広げたシールドで防ぐのがセオリーだが、C級はシールドを実質使えない為ただ追尾する弾丸を撃つだけで事足りる場合が多い。

 

 故に、誘導設定を弄っているC級隊員は殆どいないのだ。

 

 必要を、感じていないのだから。

 

「じゃあ、僕もハウンドを使うべきだと……?」

「いいや。君が使うのは、通常弾(アステロイド)だ。理由は、これから説明しよう」

 

 大丈夫だ、と七海は笑いかける。

 

 修は、これまでの敗戦で諦めかけている────────などという事では、断じてない。

 

 彼の辞書の中の諦めるという文字は、彼自身がとっくの昔に破り捨てているのだから。

 

 レイガストを使い続けたのは、恐らく()()の為。

 

 今は届かなくても、相手の動きを観察し続けていれば、いつかは必ず勝てるようになる。

 

 そんな、無意識の打算が働いていたのだろう。

 

 修は善良な人間だが、目的の為ならば何処までもクレバーになれる素質がある。

 

 だからこそ、撃ち合いで負けると分かっている射撃トリガーから、少しでも試合時間が長くなるレイガストに切り替えたのだろう。

 

 相手を観察し、勝ちに繋げる為に。

 

 その方針は悪くはないが、少々以上に時間がかかり過ぎる。

 

 それでは、迅の要求は達成出来ない。

 

 故に。

 

「今から俺が教えるのは、裏技みたいなものだ。普通は純粋な実力だけでB級に上がるものだから、ハッキリと邪道と言っても良い」

 

 七海は、そう言って────────。

 

「けれど、君はB級に上がりさえすれば上を目指せる素養がある。だから、ここはショートカットで昇格を目指そう」

 

 ────────修に、作戦を教授し始めた。

 

「君の長所を、活かす形でね」

 

 

 

 

「ハウンドッ!」

 

 目の前のC級隊員────────佐藤は、威勢の良い掛け声と共に誘導弾(ハウンド)を繰り出した。

 

 音声認証なしの展開は、恐らく未だ未習得。

 

 問題なく勝てているのだから、必要ない。

 

 そういった考えで、技術の研鑽を怠っていた結果であった。

 

「……っ!」

 

 修は試合開始と同時、一目散に路地に向かって駆け出した。

 

 脇目も振らない、全力疾走。

 

 だからこそ修は路地に無傷で辿り着き、ハウンドは塀に当たって砕け散った。

 

「逃げるなっ、臆病者っ!」

 

 C級はそんな修を罵声と共に追い掛けて来るが、当然無視。

 

 元より、他者の評価など眼中に無い修である。

 

 後ろを振り返る事すらなく、ひたすらに逃走に徹した。

 

 ────────まずは、ひたすら逃げるんだ。出来るだけ入り組んだ場所へ逃げれば、誘導設定の甘いハウンドは凌ぎ切れる────────

 

 七海の、指示通りに。

 

 修は必死に足を動かし、ハウンドから逃げ続けた。

 

「このっ! ハウンドッ!」

 

 中々修を仕留められない事に苛立った佐藤は、逃げる彼を追いかけながら自棄気味にハウンドを放つ。

 

 当然、誘導設定すら碌に調整していないハウンドでは、入り組んだ路地の中では障害物に当たって標的には届かない。

 

 それを確認しながら、修は逃げ続けていた。

 

(言われた通りだ。誘導設定が甘いから、入り組んだ場所だとハウンドは当たらない)

 

 これがB級同士の戦いであれば、そうもいかない。

 

 B級まで上がった射手であれば、誘導設定の調節を覚えるのは当然だ。

 

 広い場所では相手が逃げ難いように山なりに撃ち、狭い場所では障害物を避けられるように収束気味に撃つ。

 

 その程度の切り替えは、出来て当然である。

 

 だが。

 

 C級隊員は、少なくとも今戦っている佐藤は。

 

 ()()()()()()()()()()()という甘えで、誘導設定の強弱など碌に学んでいない。

 

 否、それ以前に。

 

 ()()()()()()()()()()()という当たり前の手段も、思考の端にすら上がっていなかった。

 

 個人戦では、自分で相手を落とすしか勝つ手段はない。

 

 幾ら逃げを選ぼうが、勝つ為には相手に近付かなければならない。

 

 故に、佐藤の選ぶべきだった行動は「修が自分を倒す為に戻って来たところを叩く」である。

 

 C級隊員は、ランク戦の際形式上相手の使用トリガーが判明した状態で戦闘が開始される。

 

 修のトリガーは、アステロイド。

 

 開けた場所ではハウンドを持つ佐藤が有利なのだから、修が戻って来るのを待って迎撃すれば容易く勝てたのだ。

 

 だが、すぐに倒せると思っていた相手に逃げられた事で血が上り、佐藤は軽挙にも追撃を選んだ。

 

 それが、相手の思惑通りだと考える事すらなく。

 

 ────────君が逃げたら、大抵のC級隊員は追って来るだろう。だから、作戦に最適な場所まで逃げ続けるんだ。君なら、そのあたりの判断は間違えずにやれる筈だ────────

 

 七海に言われた事を思い返しながら、修は逃げる。

 

 背後でC級が怒鳴りながらハウンドを撃って来るが、当然無視。

 

 ハウンドに当たらないように障害物を盾にしながら、ひたすら逃走を継続した。

 

 ────────ある程度逃げたら障害物の多い場所で、反撃するんだ。そして────────

 

「アステロイドッ!」

 

 修は入り組んだ路地の角を曲がり、その先でアステロイドを射出した。

 

 狙うのは、当然追撃して来た佐藤。

 

 無数の弾丸が、佐藤へと向かう。

 

「当たらねえよ、そんなひょろ弾ッ!」

 

 しかし、ハウンドと違いアステロイドは直線軌道。

 

 難なく躱され、そして────────。

 

「え……?」

 

 ────────物陰から撃ち出された弾丸により、佐藤の胸が貫かれ勝敗は決した。

 

『トリオン供給機関破損。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声と共に、佐藤の身体が光の柱となり戦場から離脱する。

 

 その光景を見て、修は冷や汗をかきながら一言、呟いた。

 

「…………勝った」

 

 ────────置き弾を使って、相手を倒せ────────

 

 七海の、助言を思い返しながら。

 

 

 

 

「そうか。勝てたか」

「はいっ! 七海先輩のお陰ですっ!」

 

 その後、すぐにブースから出た修は七海の下に向かい、勝利を報告していた。

 

 その手に映るポイントは、2840。

 

 昇格試験の最中行われていた研修は、その結果に応じてC級隊員にポイントが配布されるシステムとなっていた。

 

 無論、ランク戦の報酬に比べれば少ないが、それでも日々の訓練よりは稼ぎが大きい。

 

 元々研修を積極的に受けていた修は、ある程度そこでポイントを蓄積していたのだ。

 

 それに先ほどの勝利ポイントが加わったのが、今の数値である。

 

「作戦通りに行っただろう? 本来、こういう手段は推奨されないんだが────────まあ、君への俺の期待の証明だとでも思ってくれ」

 

 七海の言った通り、修が取った作戦はC級隊員としては裏技のようなものだ。

 

 通常、C級の段階で置き弾等の応用技術を習得している者は滅多にいない。

 

 そういった応用はB級に上がってから覚えるものであり、C級はあくまでも基礎を鍛える期間、というのが通例だ。

 

 今回の場合、そういった基礎をすっ飛ばして裏技を教えたようなものだ。

 

 即戦力になるよう基礎から鍛えていくのが真っ当なやり方であるし、奇策ばかりを覚えては本人の今後の為にはならないので普通はやらない。

 

 今回は、迅の頼みと修の性質の特殊性があったからこそ、七海は置き弾の伝授に踏み切ったのだ。

 

「はい、本当に感謝しています。ありがとうございました。熊谷先輩にも、よろしくお伝え下さい」

「ああ、伝えておくよ」

 

 尚、置き弾の伝授をする際に七海は熊谷の力を借りている。

 

 本職の射手は那須がいるが、彼女は天才肌でコミュ障気味な為教師としては向かない。

 

 故に、修と近い目線で射撃トリガーを扱える熊谷にコツを教えて貰うよう頼んだのだ。

 

 熊谷も突然の頼みで驚いてはいたが否はなく、修も物覚えは悪かったが生徒としての姿勢はすこぶる良かったので彼女も根気よく付き合っていた。

 

 その結果として、あの勝利があるのである。

 

「言ったとは思うが、あまり派手にはやるなよ? 一度勝ったらすぐにブースを出て、少し時間を置いてから次の試合に行くんだ。他の隊員の試合を見るC級は少数派だろうからそこまで心配はしていないが、種が分かれば対策されるからな」

「ええ、地道に頑張ります」

 

 修は、何処か晴れやかな顔で頷いた。

 

 それはそうだろう。

 

 これまで光明の一欠片すら見えていなかったB級昇格への道が、明確に開け始めたのだ。

 

 これまでの足踏みしていた期間の長さもあって、喜びもひとしおだろう。

 

「あと、戦う相手は可能な限りハウンド使いに絞れ。理由は、覚えてるな?」

「はい、ブレードトリガー使いは反射神経が優れた隊員が多いので、回避される可能性があるから、ですよね?」

「そういう事だ」

 

 七海は、修が勝つ為に相手を厳選するようアドバイスをしていた。

 

 即ち、「戦う相手はハウンド使いに絞る事」である。

 

 これは何故かというと、C級でブレードトリガーを使うという事は、それだけ体捌きに自信がある事の証明だ。

 

 相応に回避能力が高い隊員が多く、置き弾を仕掛けても回避される可能性がある。

 

 半面、ハウンド使いは基本的に体捌きを鍛えていない者が多い。

 

 ただ弾を撃ち続けるだけで相手を倒せるのだから、必要ない。

 

 そう考える者が、C級隊員には多いからだ。

 

 それに、相手がアステロイドだと分かっていれば油断する者も多い。

 

 アステロイドの長所は威力にあるが、シールドの使えないC級同士の戦いでは威力などあっても宝の持ち腐れだ。

 

 故にハウンド使いはアステロイド使いを見下す事が多く、油断もし易い。

 

 そこまで考えて、七海は修に助言をしたワケである。

 

「取り合えず、このペースなら1、2週間もあればB級に上がれるだろう。焦らず、ゆっくりやって行くといい」

「はいっ、ありがとうございましたっ!」

 

 修は何度目かも分からない礼を告げ、頭を下げた。

 

 その様子を見ながら、七海は確かな可能性を修に感じた。

 

 裏技ともいうべき手段を彼に教えたのは、単に迅から頼まれたから、だけではない。

 

 彼の中に、光るものを感じたからだ。

 

 それは、自分達とは真逆のブレない精神性。

 

 善性の人間でありながら、目的の為に何処までもクレバーとなり、尚且つ他者の眼など知った事かという良い意味でのふてぶてしさ。

 

 迅の事を疑うワケではないが、最初七海は修が本当に最善の未来の為に貢献出来るかと疑問視していた。

 

 だが、今は違う。

 

 確かに、修は非力で戦闘の才能にも乏しい。

 

 けれど、決して無力ではない。

 

 修の強い、どころか常軌を逸したブレない意志力は、普通では破れない壁を踏み越えるだけの力がある。

 

 彼ならば、きっと。

 

 七海はそんな期待を込めて、歓喜する修を見据えていた。




 番外編:王子隊評価レポート

 報告者:太刀川慶

評価項目評価
戦闘 B 
機密保持 A 
コミュニケーション A 
遠征適正 B 


隊員名評価内容遠征適正
王子一彰 エースとまでは呼べないが、高い地力がある。半面データにこだわり過ぎる部分が見受けられ、予想外の状況に弱い。ただし機転が利く為、立て直すだけの能力はある。精神面は特に問題は見られない。指揮能力が高く、誰とでも組める適性がある。前線指揮官向きの適性である。 
蔵内和紀 射手として優秀。サポート能力も優れていて、無難に強い。精神面も問題なし。遠征でも縁の下の力持ちになれる。協調性が高く、即席部隊でもやっていける。 
樫尾由多嘉 剣の腕はそこそこだが、機転は利く。判断力も悪くない為、成長が期待できる。精神面は若干粗が見られるが、大きな問題は見られない。即席部隊でも問題なくやっていけるが、緊張し過ぎる場合もあり閉鎖環境の適性は未知数な部分がある。
橘高羽矢 オペレート能力は高く、精神面も問題なし。遠征でも問題なくやっていける能力はある。 
総評 香取隊のような爆発力はないが、基礎力が高く安定した部隊である。格上相手への明確な解答が出せるかどうかが課題。精神面も大体安定していて、特に問題は見られない。遠征適正自体は高い。実力も問題は無いレベルである。  


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木虎藍①

「成る程、確かに射手向きな子ね」

「ああ、トリオンの低さは目立つが、精神力がそれを補って余りある。あれは他には無いタイプだな」

 

 七海は那須のコメントに対し、そう言って同意した。

 

 丁度今は修と交流を持つようになった経緯と、その経過を那須に報告したところである。

 

 射手としての技量は高いが教師には向かない為に修の指導では呼ばれなかった彼女であるが、そもそも隊室でそれをやっている以上那須がその場にやって来るのは当然と言えば当然と言えた。

 

 無論、コミュ障気味な所のある那須なので、外向けの笑顔で「こんにちは」と言っただけで後はノータッチだったのだが。

 

 但し、その光景を見ていた熊谷は別の意味で驚いた。

 

 那須は、言うまでもなく美少女である。

 

 しかも、絶世の、という頭文字が付きかねない類のそれだ。

 

 更に言えば、その時の那須は換装しており、身体のラインが出まくる隊服を着ていた状態だった。

 

 ランク戦で戦う時であればともかく、平時の状態で隊服の那須の笑顔を初めて見た男性は大抵一瞬見惚れるか動揺する。

 

 あからさまに態度には出なくとも、一瞬の硬直くらいはするのが普通だ。

 

 しかし、修はそんな那須を見ても一切動揺を見せずにただ挨拶を返しただけであった。

 

 こいつ中学生の癖に枯れてるんじゃあ、と余計な考えを抱いた熊谷の反応も無理からぬ事だろう。

 

 ちなみに後から那須についてどう思うか聞いてみても、「凄い技術を持った射手の方ですよね。尊敬します」と実力一辺倒の評価しか返って来なかった。

 

 あの那須を、完全に異性としてではなく優秀な射手としてしか見ていない。

 

 那須と遭遇(エンカウント)するだけで行動停止した辻とは、真逆の存在と言える。

 

 そういった意味でも、普通ではない少年であった。

 

戦術(いやがらせ)の方向性から見て、割と出水さんと気が合うんじゃない? 今度紹介してみたら?」

「そこは流石に、出水さんの許可を取らないとな。まあ、あの人ならすぐOKしてくれそうではあるけど」

 

 七海は割と世話好きな師匠の一人を思い浮かべ、苦笑する。

 

 出水はなんだかんだで、教えるのが好きなタイプだ。

 

 那須と同じ天才肌ではあるが、教師としての適性は雲泥の差だ。

 

 ぶっちゃけると、陰キャと陽キャの差とも言える。

 

 あまり他人に積極的な興味を持てない那須に対し、出水は割と些細な事で興味を持ち、口では色々言っているが教える事自体も嫌いではない。

 

 観察眼も優れており、相手の動きを見て何が必要かを察する見識もある。

 

 更に自身が感覚派なので、天才肌の隊員の感性も理解出来る。

 

 そういう意味で、七海の師匠の中では一番指導力の高いのはある意味では彼とも言える。

 

 指導力の高さで言えば他にも荒船がいるが、彼がいわば学校の教師のように広範に基礎を教えるのに向いているのに対し、出水は塾の講師のように少数に付きっ切りで応用を教えるのに向いている。

 

 マンツーマンで教える師匠としての適性は、出水の方が上であると言えるのだ。

 

「そういえば、置き弾で勝ったのよね? 確かにC級相手ならそれで充分かもしれないけど、C級のハウンド使い全員が逃げる彼を追うかしら?」

「ハウンドで雑に倒す事に慣れてしまったC級隊員なら、恐らく追うだろうな。少しC級のランク戦を見て来たが、ハウンド使いの多くがそのタイプだ」

「嘆かわしいわね」

 

 そうだな、と七海もまたC級の層の薄さを肯定した。

 

 C級隊員は基礎を学び、正隊員になる為の準備期間にいる者達だが、多くの者はB級に上がる事なく万年C級で終わる。

 

 何故なら、素質や適性の高さで一気にB級に上がる者を除けば、努力というものをしないからだ。

 

 C級同士のランク戦は、ハウンドを雑に撃っているだけで勝てる事が多い。

 

 そうなると戦術を編み出す意義を見出せず、楽な方へ────────つまり、格下を倒して満足してしまう者が多いのだ。

 

 そういう者は「何故勝てなかったか」を反省する事がなく、弱い者だけを狙って微々たるポイントを稼ぎ、相性の悪い相手と当たって一気にポイントを落とす、の繰り返しになる。

 

 当然そんな事を続けていればB級へ上がるなど夢のまた夢であり、万年C級の出来上がり、というワケだ。

 

 修に授けた作戦は、そういったC級の精神的未熟さを突いたものであると言える。

 

「それに、追い掛けて来ない相手に当たる頃にはきっと、三雲は戦術を自分で発展させられるようになってるだろう。あいつは、そういうのに向いてるからな」

 

 七海はそれに、と告げる。

 

「我慢比べであいつに勝てる奴は、C級にはいないだろうからな」

 

 

 

 

「ちっ、うざってぇっ!」

 

 C級隊員、佐々木は物陰から飛んで来たアステロイドを避けながら、怒りを露に舌打ちした。

 

 現在、彼は修とC級ランク戦を行っている。

 

 偶然にも前回の修の試合を目にしていた彼は、逃げる修を追わずに広い道路に陣取ったまま待ちの姿勢を取った。

 

 だが。

 

 佐々木が追って来ないと判断した修は、路地の向こうから射程重視の調整をしたアステロイドを撃ち、挑発(いやがらせ)を始めたのだ。

 

 直線軌道のアステロイドであり、しかもある程度距離がある為避ける事は難しくない。

 

 しかし。

 

 修と異なり、射撃トリガーの細かな調整(チューニング)なんてものを学んでいない佐々木は、トリオン量で勝っているにも関わらず反撃をしても射程が届かず未だにダメージを与える事が出来ていなかった。

 

 今回、修は威力や弾速を捨てて射程のみに特化させてアステロイドを撃っている。

 

 当然回避も容易く、当たってもさしたるダメージはないが────────弱者である筈の修から一方的に攻撃をされ続けるという状況は、ストレスが溜まる。

 

「おらっ、そんなひょろ弾が当たるかよっ! 来るなら来い、臆病者めっ!」

 

 最初は余裕の表情で待ち構えていた佐々木も、度重なる修のアステロイド(いやがらせ)を受け続けた事で、加速度的に冷静さを失っていた。

 

 せめてもの仕返しに罵声を浴びせてみるが、当然修は無反応。

 

 関係のない他者からどう思われようと一切興味がない修にとって、こんな程度の低い挑発は何の意味も為さない。

 

 やる事は、変わらない。

 

 延々と、アステロイドでいやがらせを続けるだけだ。

 

「この、野郎……っ!」

 

 そして。

 

 遂に、佐々木の忍耐は限界に達した。

 

 いつまでもいやがらせばかりで出て来ようとしない修を仕留める為、彼は路地裏に足を踏み入れ────────。

 

「え……?」

 

 ────────弾速重視にチューニングされたアステロイドにより胸を貫かれ、致命傷を負った。

 

『トリオン供給機関破損。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が彼の敗北を告げ、敗者を戦場から退去させる。

 

「…………勝てたか」

 

 それを見届け、修は安堵の息を吐く。

 

 変わらない冷や汗を浮かべながら、修は小さく勝利宣言を口にした。

 

 

 

 

「…………へえ」

 

 その試合を、木虎は偶然目にしていた。

 

 明確な、意図があったワケではない。

 

 研修で見かけた修の事がふと気になった木虎は、あれから彼がどうなったかふと気になり、ブースに足を運んだのだ。

 

 勿論、見つけられなければそのまま帰るつもりであったが────────そんな木虎を待っていたかのように、修は個人ランク戦を行っていた。

 

 無論、偶然の産物である。

 

 しかし、丁度良いと思った木虎は彼の試合を最後まで観戦していた。

 

 最初に修が裏路地に逃げた時、有利な地形に誘い込むつもりなのは見て分かった。

 

 だが、対戦相手のC級は修の誘いには乗らず、広い路地で待ち構える姿勢を取った。

 

 着眼点は良かったが、これは駄目か、と木虎は一瞬思ったが────────その後、修が路地の向こうから散発的にアステロイドを撃って来たのを見て、考えを変えた。

 

 アステロイドの射程と彼と対戦相手の距離から考えて、明らかに射程重視のチューニングを施されている。

 

 完全に、相手を挑発する目的で撃たれた弾丸。

 

 修はそれを、場所を幾度も変えながら散発的に撃ち続けた。

 

 対戦相手のC級はそれを難なく回避していたが、一方的に攻撃され続ける状態にストレスが溜まってしまったのだろう。

 

 徐々に冷静さを失い、最後には激昂して路地に踏み込み────────待ち構えていた修に弾速重視の調整を施されたアステロイドで狙い撃たれ、敗北した。

 

 その流れに、木虎は素直に感嘆した。

 

 修のトリオンは異様に低く、戦闘員の中でも割とトリオン量が低い部類である自身のそれより更に下だ。

 

 しかも、近接格闘の適性も見られず、武術を嗜んでいるようにも見えない。

 

 まともに正面からぶつかれば、彼が勝てる相手はC級の中にすらいないだろう。

 

 だからこそ。

 

 修は正面からではなく、搦め手を用いて相手を打倒した。

 

 真っ先に逃げを選び、相手を有利な地形に誘い込んで仕留める。

 

 それが叶わなければ、挑発を繰り返して相手から冷静さを奪い、死地へ自ら踏み込ませる。

 

 相手が根を上げるまで延々と挑発(いやがらせ)を続ける胆力といい、自分自身の非力さを理解し、それを敢えて武器にするやり方と言えた。

 

 これがもし、非力を嘆いて我武者羅に努力するだけの輩であれば、木虎は評価しなかっただろう。

 

 頑張りましたが結果は出ませんでした、ではお話にならないからだ。

 

 だが、修は自身の非力をきちんと認識し、その上でそれを武器にすらして戦術で相手を打倒した。

 

 卑怯者、と揶揄する輩はいるだろう。

 

 事実、傍目から見て見栄えの良い試合でない事は確かだ。

 

 だが。

 

 木虎に言わせれば、そんなもの結果が全てだ。

 

 どういう手段を使おうと、それがルールの範疇であるならば反則ではない。

 

 正々堂々戦って負けるよりも、あらゆる手段を模索して勝ちを狙った方が、遥かに賢いと言える。

 

 更に言えば、もしもこれが実践であれば、正々堂々なんて言葉は何の意味もない。

 

 文字通り勝った方が正義なのだから、その手段をとやかく言われる筋合いはないのだ。

 

 これが恣意的に仲間を蔑ろにするような輩であれば話は別だが、そういう話でもない。

 

 見た限り、修は自分なりの善性に従いつつ、勝つ為にあらゆる手段を躊躇いなく用いているだけだ。

 

 木虎からすればそれは評価しこそすれ、軽蔑の対象ではない。

 

 少し前の彼女であれば別の意見を持ったかもしれないが、今の彼女は幼稚な事はしないと自負はしている。

 

 もっとも、素直ではない性根が変わったワケではないのだが。

 

(でも、射撃トリガーのチューニングを誰に習ったのかしら? 見たところ、コミュニケーション能力が高いようには見えないけれど)

 

 疑問があるとすれば、どうやって射撃トリガーの応用である調整(チューニング)を学んだかである。

 

 木虎の知る限り、公的にそれをC級に教えている者はいない。

 

 C級はあくまで基礎を学ぶ段階であり、応用はB級に入ってから覚えるもの。

 

 それが、基本であるからだ。

 

 しかし、修は明らかに射撃トリガーの応用を学んでいる。

 

 更に言えば、見るからに我流ではない。

 

 誰か、ちゃんとした師が付いている。

 

 あれは、そういう動きだ。

 

(そういうのを教えられる射手となれば出水先輩が思い浮かぶけれど、あの人、わざわざC級にそんな事教えるかしら? あと優秀な射手となると那須先輩がいるけれど────────ないわよね、それは)

 

 木虎の知る優秀な射手二人を思い浮かべてみるが、前者は理由がないと断じ、後者はあの性格上無いだろうとバッサリ切り捨てた。

 

 第三試験の共闘を経てある程度印象は改善したものの、初対面の悪印象というものはそう簡単に消えはしない。

 

 それに、木虎から見ても那須は縁もゆかりもない相手にわざわざ指導を行うような人間には見えないし────────何より、教えるのが巧いとは思えない。

 

 きっと研修の時に物好きな射手にでも習ったのだろう、と結論し木虎は強引に自分を納得させた。

 

 まさか、迅という予想外の場所から伝手が繋がり那須本人ではないにしろ、それに近い場所から指導者が出たなどという真実に辿り着ける筈もなく、木虎はそこで思考を打ち切った。

 

 後日、真相を知った木虎はなんとも言えない心情に陥るのだが、それはまた別の話である。

 

(まあ、見どころはあるみたいだし。機会があれば、目をかけてあげても良いかしらね。見たところ同じ年くらいだろうから、私が話しかければ悪い印象は持たないでしょう)

 

 微妙にナルシストなところがある木虎は容姿の良い自分が笑顔で話しかければそれでどうにかなるだろうと楽観し、自身の性格のキツさを棚に上げつつ修の事を記憶に留める事とした。

 

 別に顔が好みだとかそういう話ではないが、ああいう()()()()()をする相手は素直に好感が持てる。

 

 自分以上の実力を持つ同年代である、という思い込みでもあれば彼女の負けん気の強さから印象は180度異なる事になったであろうが、木虎は修の実力を正しく認識している。

 

 まともにぶつかればまず勝てないレベルの戦闘能力しか持たず、トリオンも低い。

 

 その上で、自分に出来る事をきちんと認識し、非力を戦術でカバーするだけの機転がある。

 

 自分の実力不足を認識し、尚且つ思考を止めずに勝つ為の手段を模索する見どころのある少年。

 

 それが、今の木虎の修への評価である。

 

 自分より実力そのものは低い、という第一前提も相俟って、割と好意的に見ているワケだ。

 

 あのトリオン量だと色々苦労する事もあるだろうから、可能な範囲で便宜を図ってあげても良いだろう。

 

 そんなナチュラル上から目線の事を考えながら、木虎はブースを後にした。

 

 その()()が予想以上に早く訪れる事を、知る由もなく。




 番外編:弓場隊評価レポート

 報告者:風間蒼也

評価項目評価
戦闘 A 
機密保持 A 
コミュニケーション B 
遠征適正 B 


隊員名評価内容遠征適正
弓場琢磨 攻撃手に対して有利を取れる得点力の高い実力者。エースとして充分な戦闘力を持ち、突破力も高い。精神性は問題ないが、コミュニケーション方法が独特である為相手によっては委縮する場合も考えられる。連携能力も悪くはなく、確かな実力を持ち、遠征でも問題なく運用出来ると思われる。 
神田忠臣 チームのブレインとして理想的が動きが出来る。サポーターとしての能力も高く、視野が広く機転も利く。精神面も問題は見られない。今期でボーダーを脱隊予定であるが、遠征適正自体は高い。 
外岡一斗 優秀な狙撃手であり、隠密能力は群を抜いて高い。冷静で視野が広く、チームのブレインと成り得る素養を持つ。精神面も安定していて問題は見られない。寡黙だが協調性は高く、遠征でも問題なく運用出来る。
帯島ユカリ サポーターとしての能力が高く、視野をもう少し広く持てるようになれば成長出来る素養がある。まだまだ成長途上であり、今後が期待出来る。精神面も幼い部分はあるが大きな問題は見られない。年齢的に遠征行きは難しい可能性が高い。
藤丸のの 四人部隊を問題なく運用出来るオペレート能力があり、精神面も問題は見られない。 遠征でも問題なく運用可能である。 
総評 エースの弓場を的確に運用する事で格上殺しも充分狙える部隊であり、隊員個々人の地力も高い。但し神田は今期で脱隊する為、その後の部隊運用が未知数な部分がある。精神面で特に問題のある隊員はいない。遠征でも問題なく運用出来る部隊である。神田脱隊による戦力低下が懸念事項ではある  


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迅悠一⑤

 

「三雲くんは、なんとかなりそうだね。ありがとう、七海」

「いえ、俺はただアドバイスをしただけですよ。彼の筋が良かったですし」

 

 そこまで苦労はしませんでした、と七海は迅に告げた。

 

 此処は、那須隊の隊室。

 

 修がC級ランク戦で順調にポイントを稼ぐ中、迅がふらりと立ち寄って開口一番礼を告げたのだ。

 

 今、隊室にいるのは七海と迅のみ。

 

 熊谷はランク戦のブースに行っているし、那須は小夜子の家にお邪魔している。

 

 茜は何やらユズルと一緒に出掛ける約束をしていたらしく、街に繰り出しているらしい。

 

 那須隊の隊室は小夜子がいる場合がある為急な訪問はアポイントを取る事が暗黙の了解となっているが、迅の場合は小夜子がいない時を視てから来たのだろう。

 

 迅に限ればそういう事が出来る為、アポイントはなしで良いと言っている。

 

 これは七海から迅への信頼の証明であり、七海の判断であれば、と那須隊の面々も了承している。

 

 迅であれば七海の信用を損なう真似は配慮はしないだろう、という七海を通じた信頼関係故のものである。

 

 その程度には、那須隊の面々からは信用されているワケだ。

 

「でも、迅さんが三雲くんを推すのも分かる気がします。未来視の結果はともかく、あの子であれば何かやってくれそうな気配がありますからね」

 

 あの精神性には驚きました、と七海は苦笑する。

 

 彼が此処まで修の異様な精神性を理解しているのは、最初に会った時に彼の身の上を聞いたからだ。

 

 ボーダーに入隊する人間は、概ね二種類に分けられる。

 

 単純に、トリガーや戦闘に興味を持ち入隊する者。

 

 そして、四年前の大規模侵攻等で近界民(ネイバー)の被害を受け、その後悔もしくは怨恨から入隊を志す者。

 

 要は、興味本位か、明確な目的を持って入隊するかのどちらかだ。

 

 加えて、目的を持って入隊する場合、身内が近界民の被害を受けているケースが大半だ。

 

 しかし修自身は、四年前の大規模侵攻で何かしらの被害を受けたワケではない。

 

 知人を殺されたワケでも、家を壊されたというワケでもない。

 

 そんな彼がボーダー入隊を決意した理由は、一点。

 

 知り合いの女の子の兄を探すという、徹頭徹尾他者の為の理由である。

 

 その相手は彼自身の家庭教師でもあったようだが、家族でも恋人でもない相手を探す為に戦う決意をする、という時点で利他主義が過剰な面があった。

 

 彼の異常性を本当の意味で理解出来たのは、その後。

 

 何故戦う決意が出来たのか、という七海の問いの答えである。

 

 修は、こう言った。

 

 「ぼくが、そうするべきだと思ってるから」と。

 

 その言葉を聞いた時、七海は修の異常性を理解した。

 

 やるべきだと思っているから、やる。

 

 言葉にするのは、簡単だ。

 

 だが。

 

 修は、何の虚飾もない本音でそれを言っている。

 

 虚勢でも、ハッタリでもない。

 

 ただ、本気でそれが自分にとっての()()()()()だと確信しているからこそ、決意に一切のブレが出ない。

 

 そして、そのスタンスは他者の意見など知った事か、というある種の傲慢さも内包していた。

 

 事実、修は他者から厭われかねない戦術を平気で行使し、C級ランク戦を勝ち上がっている。

 

 彼に負けた者などはあからさまに修の事を嫌っており、負け惜しみで悪態をついている為、C級隊員内の修の評判はかなり悪いと言って良い。

 

 ブースで彼を見る度に悪意たっぷりの囁き声が聞こえて来るのだが、修はそれを一切気にする様子がない。

 

 その事に関しては自分のアドバイスが原因の一端である為、配慮した方が良いかと思った七海はその事について修に尋ねた。

 

 しかし、返って来た返答は「C級に嫌われて、何か問題が生じる可能性があるという事でしょうか?」である。

 

 この時は、流石の七海も閉口した。

 

 修は、C級に嫌われ孤立する、という事に対してなんとも思っていない。

 

 今の彼にとっての最優先事項はB級に昇格する事であり、その過程でC級に嫌われようが明確な問題に繋がらなければ構わない、という事である。

 

 他者をどうでも良い、と考えているのではなく────────自分に向けられる評価に対して、一切の興味がないのだ。

 

 彼が優先するのは実利と、自分の所為で他者に迷惑をかけないかどうか、である。

 

 故にどれだけ自分が嫌われようが酷い評価をされようが我関せずを貫き、ただ目的の為に突き進む。

 

 他者の、それも明確な権力を持たないC級相手にどれだけ嫌われようが、彼にとっては意に介する必要のない出来事でしかないのだ。

 

「でも、迅さんの事情は確かに話せませんね。彼はきっと、無茶をし過ぎてしまうでしょう」

 

 彼には、ブレーキが存在しない。

 

 常識はあるし、良識的な人物である事は確かだ。

 

 だが、自分の目的をこうと決めてしまえば、その為にあらゆる手段を選ばない。

 

 どれだけ自分が酷評されようが、どれだけ自分が傷付こうが。

 

 ()()()()()()という選択肢が、彼にはないのだ。

 

 そして、彼自身が義理や恩義を重要視し、他者を思いやる事が出来る人間である事もその性質に拍車をかけていた。

 

 修は、自分を入隊させてくれた迅に多大な恩義を感じている。

 

 もし、彼が最善の未来の為に迅が自分の入隊の便宜を図ってくれた、と知ればどうなるか。

 

 当然、その恩義に報いる為文字通りに死力を尽くす。

 

 それこそ、自分の犠牲すら許容して。

 

 彼の場合、迅や七海ほど他者に頼る事を躊躇するワケではないが────────同時に、自分の尽力が足りていないと感じればまず納得はしない。

 

 下手に彼に迅の目論見を告げた場合、その性質が悪い方に噛み合って最悪彼が死んだりする可能性が高まってしまうのだ。

 

 これは迅の判断が正解であると、そう思わざるを得ないだろう。

 

「そうだね。俺の目論見を話さないのは不義理ではあるけれど、彼が死ぬ可能性(みらい)を回避する方が優先だろう」

 

 心苦しいけどね、と迅は呟く。

 

 七海との一件を踏まえて他者に対するスタンスを変えた迅であるからこそ、自分の目的の為に修を利用している現状を憂いていた。

 

 今までは気にしていなかった、他者の心情や立場に対する配慮。

 

 それが出来て来たからこそ、何も話さず修の後押しをしている現状が心苦しい。

 

 その葛藤は、迅が人間らしさを取り戻した証ではある。

 

 それを思うと七海としては複雑な面持ちだが、悩む迅を見過ごす事は出来ない。

 

 故に、彼なりの見解を口にした。

 

「そう思うのであれば、全てが終わった後に話してあげれば良いんじゃないでしょうか。例の大規模侵攻が終わった後であれば、差し迫る危険はないでしょうし」

「そうだな。それなら、構わないか。どんな罵倒が返って来ても、甘んじて受ける事にするよ」

「彼は、気にしないと思いますけどね」

 

 そうだろうけどね、と迅は苦笑した。

 

 事情を後から知ったとしても、修は恐らく迅を責めはしないだろう。

 

 むしろ、そこまで考えて下さってありがとうございました、の一言くらいは言いそうだ。

 

 彼は他者の評価を気にしないが、かといって人でなしというワケではない。

 

 ただ、自我があまりにも強固で他者の影響を意に介さない、というだけである。

 

 迷走はするかもしれないが、停滞だけは有り得ない。

 

 それが、修という人間の性質なのだから。

 

「でも、安心したよ。これで、事前準備は概ね終わった。まだ一波乱はあるけれど、無事七海達がA級になれて胸をなでおろしたよ」

「期待に応えられたようで、俺も安心しています。俺を選んでくれた事を、今でも感謝していますから」

「そう言われると、ちょっと照れくさいな」

 

 ああ、それから、と迅はにこりと笑った。

 

「その隊章、似合っているよ。君たちの個性が出た、良いシンボルだ」

「ありがとうございます。小夜子にも、そう伝えておきます」

 

 七海は隊章を称賛され、笑顔でそう返答した。

 

 小夜子や羽矢の趣味が存分に詰まったこの隊章であるが、反応は概ね好意的だ。

 

 同じく蛇をモチーフとした隊章を使う三輪隊の米屋には「割とうちの隊章とも似てるな。かっこいいじゃねぇか」との言葉を貰っている。

 

 他にも荒船は「かっこいいな」と称賛し、村上は「七海達らしいな」と感想を漏らし、影浦は「いいと思うぜ」と二人に同意した。

 

 風間は「個々人の特徴を端的に表している。分かり易いデザインだ」と評価し、太刀川と出水は「強そうだな」と井口同音で褒め称えた。

 

 ちなみに風の噂で二宮は「悪くないな」と呟いたとの事だが、真偽のほどは分からない。

 

 血の王冠という個性的なデザインの隊章を使う彼の感性が那須隊の隊章をどう受け止めたかは、不明である。

 

 どうあれ、自分たちの隊章が褒められて悪い気はしない七海であった。

 

「あ、そうだ。迅さん」

「……! いいよ、付き合おう」

 

 不意に七海が声をかけた事で、迅の顔色が変わる。

 

 用件は、告げる前に()()()のだろう。

 

 迅は立ち上がり、七海もそれに続いた。

 

「一緒に行きましょう。姉さんの、お墓に」

 

 

 

 

「久しぶりだね、玲奈」

 

 三門市、郊外の墓地。

 

 「七海家」と書かれた一つの墓石の前で、迅は七海と共に立っていた。

 

 墓には、一凛の花が手向けられている。

 

 花の名は、アイリス。

 

 玲奈が好きだった花であり、花言葉は「希望」「信じる心」────────そして、「良き便り」である。

 

 彼女が好きであった花だった、という理由もあるけれど。

 

 その花を選んだ迅の心境は、容易に知れた。

 

 この墓に、玲奈の遺体は埋まっていない。

 

 あの時、玲奈は自らを黒トリガーと化し、その身体は砂と化して崩れ去った。

 

 その砂でさえも迅が到着した時には雨に洗い流されており、ひとかけらすら残ってはいない。

 

 故に、彼女が眠る場所としてこの場が正しいのかは分からない。

 

 けれど。

 

 墓というのは、故人を偲ぶ象徴として必要なのだ。

 

 もう一つの彼女の墓と言える七海家のあった場所は警戒区域である以上、一般人は立ち入れないし────────何より、墓の存在は迅にとっても区切りという意味で必要だった。

 

 迅はあの七海との一件まで、玲奈の死を受け入れ切れてはいなかった。

 

 黒トリガーと化した者は死体を遺さず、代わりに黒く小さな棺を遺す。

 

 そういう意味では、七海の右腕こそが彼女の棺であり────────今も尚、彼女の遺志は彼の中に息づいていると言える。

 

 だからこそ、迅は七海を遇する事で玲奈の遺志に依りかかっていたのだ。

 

 けれど、それでは駄目なのだと迅は理解した。

 

 故に、あの後すぐに一人でこの場に来て区切りを付けたのだが────────今回は、それとは違う。

 

 ただ、吉報の報告の為に。

 

 二人は、この場を訪れたのだ。

 

「七海は、こんなに大きくなったよ。もう、あの時の玲奈の年齢も超えちゃった。そりゃ、大きくもなるワケだよ」

「姉さんはあの時、16でしたからね。俺が姉さんより年上になるなんて、なんだか不思議な気分です」

 

 そうだね、と迅は苦笑する。

 

 玲奈の享年は、16歳。

 

 七海の現在の年齢は17である為、既にその年齢は超えていると言える。

 

 同じく小南も17であり、今を生きる者と故人との差が浮き彫りになったとも言える。

 

 その事を感じ、迅は一瞬表情を曇らせる。

 

 けれど、此処に来た目的を思い返し、真っ直ぐ墓石を見詰めた。

 

「聞いてよ、玲奈。七海は、風刃を持った俺に勝ったんだ。勿論、手加減なんてしてない。本気でやって、本気で負けた。七海は、強くなったんだよ」

「紙一重の勝利でしたが、なんとか勝てました。これで少しは、安心して貰えると良いんですけど」

 

 そして二人は、それぞれの言葉で勝利を報告した。

 

 迅は、七海の期待以上の成長を称賛し────────。

 

 ────────七海は、そんな迅の期待に応えられた事を嬉しく思った。

 

 あの一戦に、本当の意味での敗者はいない。

 

 むしろ、試合では負けた迅こそが────────本当の意味での、勝利者と言える。

 

 彼は、七海を正しく導き────────そして、未来(じぶん)を超えるまでに至らせた。

 

 その事が、何よりも誇らしい。

 

 それが、偽らざる迅の本音であった。

 

「君の望みは、必ず叶える。もう、それを言い訳になんかしない。俺は、俺の意思で最善の未来に辿り着く────────七海達と、一緒にね」

 

 辿り着かせる、ではない。

 

 自分も()()、最善の未来へ辿()()()()

 

 それが、迅の誓い。

 

 自身を蔑ろにする事を止め、現実を直視する事が出来るようになった彼の祈り(ねがい)

 

 迅から玲奈に送る、鎮魂歌(レクイエム)であった。

 

「七海は、強くなった。二つ目の希望(ピース)は、見詰められた。最後の欠片(きぼう)も、もうすぐやって来るだろう」

 

 だから、と迅は告げる。

 

「見ていてくれ、玲奈。俺達は必ず、未来を勝ち取ってみせるから」

「俺も、最善を尽くすよ。だから、姉さん────────出来る事なら、力を貸して欲しい。姉さんが笑えるように、俺も頑張るからさ」

 

 迅は、腰の風刃を握り締めながら。

 

 七海は、己の黒トリガー(みぎうで)を掲げながら。

 

 己の誓いを、墓前に告げた。

 

 答えは、当然返っては来ない。

 

 けれど。

 

 ────────うん。頑張ってね、二人とも────────

 

 微かに。

 

 そんな言葉が、聞こえた気がした。





 番外編:香取隊評価レポート

 報告者:迅悠一

評価項目評価
戦闘 A 
機密保持 B 
コミュニケーション B 
遠征適正 B 


隊員名評価内容遠征適正
香取葉子 今尚成長段階にあり、爆発力が著しい。機転も利き、更に最後まで諦めない精神力がある。精神面でも確かな成長が見られ、今後も活躍が期待出来る。協調性も改善出来てきており、実力も問題ない事から遠征部隊員としても申し分ない。 
三浦雄太 自身の役割を間違えず、作戦を遂行する能力に長ける。精神面も成長が見られ、大きな問題は無い。協調性が高い為、遠征でも潤滑油としての役割が期待出来る。 
若村麓郎 技術的に拙い部分はあるが、部隊のサポーターとしての自覚も出て来ており、今後の成長が期待される。精神面は粗はあるが、改善の兆候が見られる。即席部隊での活躍は少し難しい。遠征に行くのであれば隊としての選出が望ましい。
染井華 オペレート能力が高く、香取の成長により負担も軽減されて来ている。精神面は問題はなくなってきている。遠征でも香取隊員が随行する場合は問題なく平時のパフォーマンスを発揮出来る。 
総評 香取隊員の爆発力を、他の隊員が巧くカバー出来るようになって来ている。特に隊長である香取の成長が著しく、今後の戦闘でも多大な貢献を行う。精神面も成長の兆しが見られている。部隊として遠征に向かうのであれば問題は無い。個々人での選出であれば、香取個人の選出が望ましい。 


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空閑遊真①

 

「へえ、ここが親父の故郷か」

 

 三門市、郊外。

 

 そこに、一人の少年が佇んでいた。

 

 髪は白く、背は低い。

 

 小学生と言われても違和感のない体躯であり、何処か浮世離れした雰囲気を醸し出していた。

 

「それで、どうするんだっけ?」

『取り合えず、学校に通うべきだろう。ユーマのような年齢の者は特殊な事情がない限りそうしていると、データにはある。ユーゴ所縁の者と簡単に会えるかどうかは分からない以上、溶け込む努力はするべきだ』

 

 そんな少年の肩の上に、浮遊している物体がある。

 

 デフォルメした兎の東部のような、黒いロボット。

 

 そうとしか見えないものが、流暢に彼と会話していた。

 

『とはいえ、それを決めるのは私ではない。ユーマ自身だ』

「…………そうだな。俺はこの世界の事を何も知らないし、そうしてみるか」

『私も、それが賢明だと思う』

「あ、でも先に「基地」を見に行きたいな。親父の言ってた、「ボーダー」ってのが気になるし」

 

 いいかな? と白い少年が問うと、黒いロボットはすぐに返答した。

 

 ただ、一言。

 

 まるで、何かの誓いのように。

 

『それを決めるのは私ではない。ユーマ自身だ』

 

 

 

 

 三雲修は、正義感の強い少年である。

 

 彼本人の認識はさておき、周囲の人間────────とりわけ彼の行動を日頃から見て来たクラスメイトからは、そう思われていた。

 

 学校という閉鎖空間では、往々にして「いじめ」という問題が起こる。

 

 何を以ていじめとするかはさておいて、口でからかったり、物を取ってその反応を楽しんだり、酷い時には手が出る事すらある。

 

 残念ながらと言うべきか、修のクラスにはそういった行為を嬉々として行ういわゆる「不良」と呼ばれる面々がいた。

 

 普通であれば、そういった人間がいじめを行っていても遠巻きにして関わり合いにならないようにする人間が大半である。

 

 何故なら、介入すればいじめのターゲットがこちらに向く可能性があるからだ。

 

 いじめを行うような人間は、精神的に幼稚な場合が多い。

 

 弱者を嬲る事で幼稚な全能感を得ているので自分の行為が邪魔されればそれが何であろうか理不尽に感じて機嫌を悪くするし、自分の妨害を行った者を悪として標的にするのも当然の事だと思っている。

 

 そして大抵の場合そういった人間は口や腕っぷしが強く、逆らえば痛い目に遭うのが分かり切っているので見て見ぬ振りをして関わりを避けるのが普通の人間だ。

 

 だが。

 

 修の場合、そんなの関係ないとばかりに助けに向かう。

 

 目の前でいじめが起こっていれば相手が誰であろうが何人であろうが、関係なく注意する。

 

 しかも口だけではなく、物を取られていたらそれを取り返して返却する等、実際に行動にも移す。

 

 そんな真似を日常的にしているのでいじめの標的にされそうなものだが、彼は何をされようが一切気にする事なく過ごしている為に大抵相手が飽きて終わりだ。

 

 いじめを行う者は被害者が困っている様子や言いなりになっている様子を見て悦に浸るという動機もある為、何があろうと反応なしの修をターゲットにし続けるにはモチベーション的に無理があるのだ。

 

 修の持つ、鋼どころかダイヤモンド並の強度の精神の賜物と言える。

 

 そんな修に対する周囲の評価は、「変わった奴」である。

 

 彼自身コミュニケーションが得意な方ではない事も相俟って、その行動の異様さからクラスメイトからは遠巻きにされていた。

 

 そういった意味で彼はぼっちであると言えるが、普通のそれとは違うのは修はその事を微塵も気にしていない事である。

 

 通常、学校というコミュニティで孤立すれば精神的に不安定になり、そのまま不登校になるケースもそう珍しくはない。

 

 学生というものは、交流相手の殆どが学校を通じた繋がりで完結する事が多い。

 

 交友を結ぶ相手として、日常的に接する相手が一番多くなるのは当然の事だ。

 

 だからこそ、そこで孤立するというのは致命的だ。

 

 閉じたコミュニティであるが故に、集団の中で孤立するというのは想像以上に()()()のだ。

 

 しかし。

 

 修は、学校で孤立しようが一切気にする素振りを見せなかった。

 

 昼休みになっても話す友人は誰もおらず、帰宅部である為部活を通じた繋がりもない。

 

 一人で登校し、一人で授業を受け、一人で昼休みを過ごし、一人で下校する。

 

 更には、持ち前の正義感で誰かれ構わず助けようとする。

 

 そんな修に対し、担任の水沼は心配して本人に「困っている事はないか」と声をかけた事もあるのだが────────修はきっぱりと、「ありません」と答えている。

 

 母親の香澄にも三者面談でさり気なく話してみたのだが、「息子がそれで良いと言っているのであれば問題ありません」との返答を受けた為、それ以上の干渉はしていない。

 

 本人や保護者にそう言われてしまっては、教師が出来る事は何も無いからだ。

 

 これで明確ないじめの標的となっていたのであれば話も違ったのであろうが、継続的にいじめの対象になった事は今のところない。

 

 そんなこんなで、修は一種の不可侵領域と化してクラスの中で浮いていた。

 

(そろそろ、B級に上がれるな。これも、七海先輩のお陰だ)

 

 とうの修といえば、クラスでの孤立など知らないとばかりにボーダーでの自身の成果に想いを馳せていた。

 

 別に、学校が楽しくないとか、煩わしいとか、そういうワケではない。

 

 しかし、修としては今は雨取麟児を探すという目的を達成する事が最優先事項であり、それに比べれば学校生活の充実は彼にとってそこまで真剣に取り組む課題ではなかった、というだけの話である。

 

 ある意味、七海と似たような境遇ではある。

 

 七海の場合は那須のいない学校生活に大した価値を感じておらず、学校の友達と喋るよりもボーダーの仲間と過ごした方が楽しい為、そちらが優先されている。

 

 というよりも、ボーダー隊員は大なり小なり似たような境遇になる。

 

 何せ、話が合わない。

 

 戦闘を日常的に行っている為か、ボーダー隊員とそうでない者には明確な価値観の差があるのだ。

 

 だからボーダー隊員は入隊を契機にそれまでの友人と疎遠になる場合も多く、社交的な出水や米屋でさえ、入隊前と比べれば学校の友人と話す機会は減っていた。

 

 七海は、単にそれが極端であるだけである。

 

 修の場合は、本人の気質もあってそれが極まっているのだが。

 

 ある意味、ボーダーという非日常に飛び込んだ弊害とも言える。

 

 本人達にはそれが問題であるという認識が無い場合が多いので、問題視された事は無いのだが。

 

 そして当然、それは修にも当て嵌まる。

 

 今の彼にとっての最優先事項はB級への昇格であり、それ以外は全て些事だ。

 

 現在、彼のポイントは3820。

 

 あと一歩で、B級昇格の条件である4000ポイントに到達する。

 

 ただ、最近は修の事がC級の中でも広まって来た為か、中々対戦希望(マッチメイク)が成立しなくなって来たのだ。

 

 対戦者を選ぶ時は相手のトリガーしか表示されないが、アステロイドを使う高ポイントの隊員は現在修だけだ。

 

 故に、使用トリガーが表示された段階で「こいつが例のアステロイド使いだ」と察知され、対戦を拒否されるケースが増えて来たのだ。

 

 自分が対戦を敬遠される、という経験は初めてであった為、有効な対策を練る事が出来なかったワケだ。

 

 そういった理由で、修はここ数日ポイントを上げたくとも対戦自体が成立せずに、B級にあと一歩届いていなかった。

 

 七海の指導を受けてからこれまで快進撃を続けて来ただけに、修としては忸怩たる想いであった。

 

(もう、手当たり次第に対戦を申し込むしかないかな。とは言っても、対戦を受け入れてくれる人はポイントが低い人ばかりだし、それだと誤差程度にしかポイントが上がらないんだよな)

 

 C級ランク戦は、自身よりポイントが高い相手を倒せばその差に応じて多くのポイントが獲得出来るが、逆に自分よりポイントが低い相手と戦っても得られるポイントは相応に低い。

 

 数百程度のポイント差ならともかく、倍以上のポイント差ともなれば勝っても得られるポイントは微々たるものだ。

 

 実力をきちんと査定するという目的上このシステムは正しいのだが、今の修はそれが足枷になっていた。

 

 何せ、修に対戦希望を行うのは今ではポイントの低い者のみ。

 

 自分より圧倒的にポイントの高い者と戦った場合、負けても失うポイントは僅かで、倒せた時に得られるポイントはかなり多い。

 

 故に、4000ポイント間近の修に挑もうとする者はポイントが1000を超えたかどうかという者達ばかり。

 

 修は七海の指示を遵守し、弧月使いは対戦拒否している為負ける事はなかったが────────逆に言えば、勝っても報酬はほんの僅かなポイントのみ。

 

 B級まであと一歩という事が分かっているだけに、どうすべきか修は葛藤していた。

 

(ポイントの低い隊員と戦い続ける、って手もあるけど、それだとB級昇格までどれだけかかるか分からない。そもそも、対戦希望自体が少ないんだ。このペースじゃ、一週間どころか一ヵ月かかっても終わらないぞ)

 

 このままポイントの低い隊員と戦い続けていれば、いつかはB級隊員になれる。

 

 しかし、そもそもの対戦成立自体が二日に一回あるかどうかなのだ。

 

 これでは、B級になるのがいつになるか分かったものではない。

 

 3000ポイント超えの隊員を倒せばすぐなのだが、そういう連中は揃って修の対戦を受けようとはしない。

 

 そういった経緯もあり、修は学校生活での孤立の事を考える余裕も意味もなかったのである。

 

「あ、ありがとう」

 

 とは言っても、普段の善行(ルーチンワーク)が変わるワケではない。

 

 不良がクラスメイトから取り上げた物を拾い、それを持ち主に返却する。

 

 そんな修に対して不良が何かを喚いているが、当然無視。

 

 自身に礼を言ういじめ被害者をちらりと見た後着席し、修は再び思考の海に沈んでいった。

 

「空閑遊真です! 背は低いですが15歳です!」

 

 だから。

 

 その白い髪の転校生がやって来た時も、特に反応を示す事はなかった。

 

 それが。

 

 運命の出会いになると、知る由もなく。

 

 

 

 

 修は、空いた口が塞がらなかった。

 

 転校生の遊真という少年は、一体何処で暮らしていたのか常識というものがまるでなかった。

 

 まず、転校生だというのに初日から遅刻して来るし、校則違反だというのに堂々と指輪を付けていた。

 

 それに関しては親の形見だというから、まだ良い。

 

 というよりも、不良の野次で教師に指輪を取り上げられそうになった時、助け舟を出したのは修だ。

 

 彼としては、頑なに指輪を外そうとしない遊真を見て何か事情があるのだろう、という考えから自分なりの意見を告げたに過ぎない。

 

 その件で教師からも「こいつに任せておけば大丈夫だろう」と判断され、遊真の世話を任されたのは誤算ではあった。

 

 それでも一度引き受けた以上は律儀にやり遂げようとするのが、修の修たる所以であったが。

 

 しかし、遊真の常識知らずぶりは修の想像を超えていた。

 

 例の不良達がかるくからかった時も普通にやり返し、あまつさえ挑発的な言葉さえ口にした。

 

 その後どうなるか普通なら分かりそうなものだが、遊真には一切の躊躇がなかった。

 

 やられたら、やり返す。

 

 それが当たり前の事であるかのような空気を、遊真は持っていた。

 

 そして当然、そんな真似をすれば不良に目を付けられる。

 

 放課後、仲間を引き連れて来た不良に遊真が連れて行かれそうになった。

 

 無論、そこで黙って見ている修ではない。

 

 ノータイムで割って入り、啖呵を切り────────当然の結果として、複数人によって袋叩きにされた。

 

 試合で勝てるようになってはいても、生身のフィジカルが強化されたワケではない。

 

 生身の修は運動音痴のままであり、当然不良に喧嘩で勝てる筈もない。

 

 遊真はそんな修を助けるでもなく、ただ傍観していた。

 

 「修が自分から突っ込んだから自分でなんとかするべき」という理由で、暴行を受ける彼を平然と眺めていたのだ。

 

 しかし、元々不良達のターゲットは遊真である。

 

 未だに平然としている遊真に怒りを覚えた不良は彼に襲い掛かり────────当たり前のように、返り討ちにされた。

 

 そこで不良の怒りは頂点に達し、全員で遊真に襲い掛かろうとした。

 

 そして。

 

 その瞬間、空中に(ゲート)が開いた。

 

 不良達は、人目に付かずに暴行に及べる場所として修達を警戒区域へと連れて来ていた。

 

 彼等からしてみれば、警戒区域は人目を気にせず悪事を行える場所、という認識であったからだ。

 

 だが。

 

 警戒区域は、危険があるからこそ関係者以外立ち入り禁止となっているのだ。

 

 三門市に開く近界の門は、ボーダーの誘導装置によって基地の近くのみに開くようになっている。

 

 その門の開く区画こそが警戒区域であり、立ち入れば当然近界民(ネイバー)に襲われる危険が伴う。

 

 黒い門から、巨大な影が現れる。

 

 捕獲用トリオン兵、バムスター。

 

 それが降り立ち、不良達はパニックに陥った。

 

 普段対岸の火事として見ている近界民が、目の前にいる。

 

 その事実が、彼等の小さな許容限界(キャパシティ)を容易に吹き飛ばした。

 

 我先にと、逃げる不良達。

 

 しかしバムスターとの体格差はどうしようもなく、リーダー格の少年が口へ据え込まれる。

 

 このまま放置すれば、彼は近界に攫われるか、トリオン機関を抜き取られて死ぬだろう。

 

 されど、遊真は彼を助ける義理はないとばかりにその場からの逃走を選ぼうとした。

 

 トリオン兵に臆したのではなく、ただ必要を感じないからという理由だけで。

 

 だが、修は違った。

 

 彼は、不良を助けようと動き出した。

 

 「ぼくが、そうするべきだと思ってるからだ」と叫んで。

 

 唖然とする遊真の前で、修はトリガーを起動した。

 

 彼の攻撃により、不良の救出自体は成功した。

 

 だが。

 

 バムスターを倒すには、至らなかった。

 

 遊真の知る由もない事だが、今の彼はC級隊員。

 

 C級隊員の持つトリガーは、訓練用のそれだ。

 

 ランク戦では問題なく相手を倒せるようになってはいるが、現実で使用する場合、威力に著しい制限がかかる。

 

 バムスターは動きが遅くその巨躯のみが武器である雑魚トリオン兵であるが、装甲はそれなりに硬い。

 

 訓練用のトリガーでは、急所を狙わなければ仕留めるのはまず無理だ。

 

 加えて、彼は対人の戦闘経験は蓄積していたが、トリオン兵に対する戦闘訓練はトリガーをアステロイドに変えてからは殆ど行っていなかった。

 

 一刻も早くB級へと上がる為、そちらを後回しにしていたツケが出て来た、というワケである。

 

 とはいえ、彼の戦闘経験は戦術眼をきちんと養っていた。

 

 時間をかければ、バムスターを倒す事自体は可能だったかもしれない。

 

「────────『弾』印(パウンド)

 

 だが、そんな修の姿を見て、動いた者がいた。

 

 黒い戦闘服に身を包んだ、白の少年。

 

 彼が「弾」と刻印された何かを足場に、跳躍。

 

『強』印(ブースト)────────二重(ダブル)

 

 そして、凄まじい勢いでトリオン兵にその拳を叩き込んだ。

 

 その一撃を受けたトリオン兵は、一撃で破砕。

 

 遊真は元の制服姿に戻りながら、告げた。

 

「よう。平気か? メガネくん」

 

 ────────無事か? メガネくん────────

 

 修はその姿に。

 

 あの時、自分を助けてくれた。

 

 迅の影を、幻視した。

 

 

 

 

「────────見つけた」

 

 それを、遠くから見ていた者がいた。

 

 彼が、迅がその場を通りがかったのは、偶然だった。

 

 警戒区域の近くを通っていたら、遠目にバムスターと対峙する修の姿を見かけたのだ。

 

 C級隊員は、原則として基地外でのトリガー使用を禁じられている。

 

 それ故に、今修がボーダーの人間に見つかれば不味い事になる。

 

 迅としてはそれは避けたかったので、即座に介入を決めた。

 

 だが。

 

 彼が介入する前に、状況は終わっていた。

 

 修の近くにいた、白い髪の少年。

 

 彼が明らかにボーダーのものではないトリガーを用いて、バムスターを倒した事によって。

 

 そして。

 

 迅は、視た。

 

 白い少年と、修が。

 

 共に、最善の未来へ向かう道筋が。

 

 こうして。

 

 最後の希望(ピース)は、三門市に降り立った。

 

 その欠片の名は、空閑遊真。

 

 旧ボーダーの関係者を父に持つ、近界民(ネイバー)の少年である。





 というワケで原作、開始です!

 ようやく来ました、彼が。

 次回から新章、「THE LAST PIECE/空閑遊真」の開始となります。


 番外編:影浦隊評価レポート

 報告者:迅悠一

評価項目評価
戦闘 A 
機密保持 B 
コミュニケーション B 
遠征適正 A 


隊員名評価内容遠征適正
影浦雅人 戦闘力は現時点で申し分なく、七海隊員との関りを通じて協調性も芽生えている。精神面も落ち着いてきており、主だった問題は見られない。実力的に遠征は問題ないが、相性の悪い相手とも組む事は出来るが推奨は出来ない。 
北添尋 銃手として高い能力を持ち、細かい所に気付く観察眼と適性行動を取る判断力もある。精神面も安定しており、問題は見られない。実力的にも性格的にも遠征向きである。 
絵馬ユズル 高い技術を持った狙撃手であり、機転も利く。精神面はやや未熟な面があるが、現部隊で行動する限り問題は無い。実力的には充分遠征でも通用するが、即席部隊との相性はあまり良くない。
仁礼光 オペレート能力が高く、隊の引き締め役として有能。精神面も問題は見られない。遠征でも問題なく通用する。 
総評 個々人の地力が非常に高く、対応力も目を惹くものがある。欠点らしい欠点はなく、精神面も現在は問題は見られない。個々人での選出よりも部隊での選出の方が高いパフォーマンスを発揮出来る。


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THE LAST PIECE/空閑遊真
空閑遊真②


「おれは(ゲート)の向こうの世界から来た。おまえらが言うとこの近界民(ネイバー)ってやつだ」

「え……?」

 

 修は、言葉の意味を最初理解出来なかった。

 

 いや、脳が理解を拒否していた。

 

 近界民(ネイバー)

 

 その言葉は、この三門市において────────そして、ボーダーにおいて重要な意味を持つ。

 

 異世界からの、侵略者。

 

 四年前突如として三門市に現れ、多大な被害を齎した災害。

 

 今はボーダーがその侵略から都市を守る最前線となり、戦っている()

 

 それが、近界民。

 

 この少年は、遊真は、自らその「敵」の名を名乗った。

 

 その意味を、修は理解出来ずにいた。

 

「おまえが近界民ってのはどういう事だっ!? 近界民ってのはこの────」

「ちがうちがう。こいつはトリオン兵、近界民が作った兵隊人形」

「兵隊、人形……」

 

 遊真の予想外の言葉の連続に、修は閉口する。

 

 修や大多数の三門市の市民にとって、「近界民」とはトリオン兵の事である。

 

 街を荒らし、多くの死傷者や行方不明者を出した怪物。

 

 それが、民衆から見た近界民である。

 

 トリオン兵、という名称自体は知っていたが、それが近界民の別称のようなものであると修は認識していた────────というよりも、させられていた。

 

 修を始め、C級隊員に対するレクチャーではそのあたりは詳しく教えられない。

 

 敢えて誤認するような中途半端な情報を教え、意図的な誤認を誘発させる。

 

 何故なら、本当の近界民の実態を知れば、戦う事を拒否する者がいる可能性があるからだ。

 

 何故なら────────。

 

「門の向こうに住んでる近界民(ネイバー)は、おれと同じような()()だよ」

 

 ────────近界民の実態が、ただ住んでいる世界が違うだけの()()であるからだ。

 

 多くのボーダー入隊者は、近界民の事をトリオン兵の事だと誤認し、それを倒すのが任務であると考える。

 

 だが、実際にメインで行うのは対人訓練。

 

 この時点で、察しの良い者は気が付くだろう。

 

 自分たちの敵は、人間であるのだと。

 

 無論、その事を知らない修は混乱の極致にいた。

 

 故に、矢継ぎ早に遊真に質問しようとして────────。

 

「折角だから、詳しい話は此処を離れてからにしようぜ。メガネくん」

「迅さんっ…………!?」

 

 ────────背後から話しかけて来た迅の存在に驚き、目を見開いた。

 

 迅は修にやあ、と挨拶すると遊真と向き合い、その姿を目に収めて一瞬硬直する。

 

 しかし、すぐに笑みを浮かべ、手を差し出した。

 

「初めまして。俺は迅悠一。君の名前を、教えてくれるかな?」

 

 その手を見て、遊真は一瞬逡巡する。

 

 だが。

 

 ちらりと修に目を向け、彼が頷いたのを見るとその手を取った。

 

「おれは、遊真。空閑遊真だ」

「そうか。よろしく、遊真」

 

 早速だけど、と迅は告げる。

 

「今この場にいるのは、ちょっとマズイからね。移動しようか。安全なトコにさ」

「移動? 何処へ行くんだ?」

 

 そうだね、と迅は決まっていた答えを口にした。

 

「玉狛支部。俺が所属してる、ボーダーの支部だよ」

 

 

 

 

「現着した。バムスターの撃破を確認。かなり派手にやってる? 何処の部隊がやったんだ?」

『調べるわ。ちょっと待って』

 

 その場から修達が立ち去った、数分後。

 

 門出現の報告を受けた三輪と米屋は、破壊されたバムスターの残骸を前にしていた。

 

「しかし、バラバラだなー。こりゃ、A級の誰かかな?」

「…………そうだな。相当な実力者なのは確かだろう。バムスターを倒すだけならともかく、此処までの破壊を起こせる者はそうはいない」

 

 二宮さんでも出張ったのか? と三輪はかつてのチームメイトを想起した。

 

 残骸となったバムスターは、かなり派手に破壊されていた。

 

 急所を狙って一撃、というワケではない。

 

 強烈な一撃で、強引に装甲ごと粉砕した。

 

 これは、そういう攻撃痕だ。

 

 たとえば、豊富なトリオンを持つ射手の二宮であれば有りっ丈の弾丸を叩き込めばこの程度の破壊は引き起こせるだろう。

 

 だが。

 

(あの二宮さんが、たかがバムスター相手にそんな無駄な労力を使うのか? 力押しが好きな人ではあるが、無駄を嫌う人でもあった筈)

 

 この破壊痕は、明らかに()()()()であった。

 

 そもそも、ただバムスターを倒すだけなら装甲を射抜いて急所を破壊すれば事足りる。

 

 バムスターは巨体だけが武器の鈍重なトリオン兵であり、遠距離攻撃の手段もない。

 

 ボーダーの正隊員にとっては、片手間に倒せる雑魚でしかない。

 

 そんな相手に、此処までの破壊を引き起こすだけの労力を使うか否か。

 

 二宮は派手好きで天然な部分があるが、確かな戦術眼を持ち効率を重視する。

 

 その彼が、こんな非効率極まりない倒し方をするだろうか?

 

 故に、三輪は明確な違和感を持っていた。

 

 これは果たして、本当に自分の知る隊員が起こした結果なのだろうか、と。

 

『おかしいわね。先着した部隊はいな────────いえ、今連絡が来たわ。どうやら、迅さんが先に来て倒していったみたい』

「迅が……?」

 

 S級隊員、迅悠一。

 

 良くも悪くも三輪にとって特別な意味を持つ相手の名が出た事で、三輪の顔が険しくなる。

 

 七海との間の問題は、この間の共闘で水に流した。

 

 以前よりも、周りを見れるようにはなっている。

 

 人の意見はちゃんと聞くし、無駄に事を荒立てたりもしない。

 

 だが。

 

 四年前の姉の死に関連した迅に対する悪印象は、そう簡単には消えはしない。

 

 理屈ではない。

 

 ただ、感情が迅という存在を許容する事を拒んでいた。

 

 理由は分からない。

 

 けれど、本能とも呼べる部分が叫んでいた。

 

 この男は、自分とは相容れない。

 

 そんな、抑えきれない嫌悪感を三輪は迅に対して抱いていた。

 

 それは、彼が憎む近界民との友好などという戯れ言を宣う玉狛への反感も含まれていたのかもしれない。

 

 彼は、四年前の大規模侵攻で姉を近界民に殺されている。

 

 そして、その場に居合わせながら彼を見捨てて去ったのが迅だ。

 

 三輪の迅に対する拒絶感情は、彼の近界民への憎悪と直結している。

 

 他の隊員に対しては大人になれるようになった三輪ではあったが、迅を目の前にすれば容易くその理性は茹で上がる。

 

 仇である近界民相手には、言わずもがなだ。

 

 そんな彼の執念ともいうべきものが、決定的な違和感を見つけ出した。

 

「────────おかしい。迅の風刃の能力は、遠隔()()の筈だ。これは、どう考えても斬撃痕じゃない」

「言われてみりゃそーだな。どーいうこった?」

 

 バムスターは、強力な攻撃を()()()()()()()破壊されていた。

 

 これがもし、迅が倒したのであれば()()()()の破壊になる筈だ。

 

 だが。

 

 実際に残っていたのは、巨大な衝撃痕。

 

 間違っても、斬撃痕ではない。

 

 迅の証言と、現場の痕跡の食い違い。

 

 三輪は即断で、迅が嘘をついていると確信した。

 

(その場合、奴は何を隠そうとした? ただトリオン兵を倒しただけなら、偽装の必要は無い。何か、後ろ暗い事を隠しているに違いない)

 

 決めつけに近いが、三輪はこの推論はそう間違ってはいないと考えていた。

 

 迅は、必要とあらば味方を騙す事すら躊躇しない。

 

 事実かどうかはともかく、三輪の中ではそうなっていた。

 

 とはいえ、多少の私事で偽装を施すような人間でもない。

 

 そうなると、答えは限られて来る。

 

 迅が自分に、いや────────ボーダーに対して、隠さなければならない()()

 

 それは何か。

 

「そういう、事か……っ!」

 

 三輪の中で、一つの結論に辿り着いた。

 

 迅が、親近界民派である彼が、隠さなければならないもの。

 

 露見すれば問題になり、彼の立場すら危うくしかねないもの。

 

 そんなもの、決まっている。

 

 近界民(ネイバー)

 

 それ以外に、有り得ない。

 

 三輪の中に、沸々と憎悪が沸き上がる。

 

 姉を見殺しにするだけではなく、敵である近界民を匿う。

 

 そんな事、許せる筈がない。

 

 許せるものか。

 

 三輪の頭から、これまで培って来た冷静さとか周囲を見る余裕だとか、そういったものが一切消え去る。

 

 残るのはただ、迅への嫌悪と近界民への憎悪のみ。

 

近界民(ネイバー)は、全て殺す……っ!」

 

 自然、口からその憎悪が漏れ聞こえる。

 

 既に、彼の頭の中は。

 

 近界民の憎悪で、埋まっていた。

 

 

 

 

(…………ま、しゃーないか)

 

 そんな三輪の様子を見て、米屋は。

 

 溜め息を吐いて、最後まで付き合う覚悟を決めた。

 

 暴走しているのは、見れば分かる。

 

 だが、米屋にはそれを一切止める気はない。

 

 詳細はまだ分からないが、三輪が迅に関連した何かに勘付き動こうとしているのは理解出来た。

 

 冷静になれ、と言うのは簡単だ。

 

 米屋は三輪のようにフィルター超しで迅を見てはいないし、迅であればボーダーに害を齎す事はないだろう、とも思っている。

 

 しかし、これは理屈ではないのだ。

 

 此処でもし、米屋が三輪を止めれば、彼の想いはどうなる?

 

 近界民に何かを奪われた、といった経験の無い米屋は、間違っても三輪の気持ちが分かる、などという戯れ言は口にしない。

 

 被害を受けた者の気持ちは、その当人にしか分からない。

 

 「お前の気持ちは分かるが」などという言葉は、自分勝手な上から目線の押し付けでしかないのだから。

 

 米屋は、何があっても自分だけは三輪の味方でいようと決めている。

 

 たとえ三輪がどんな選択を選ぼうが、自分だけはそれに従い、最後まで付き合うのだと。

 

 三輪が面倒な少年である事くらい、とっくの昔に知っている。

 

 復讐の事しか頭にないし、協調性も必要最低限しか学ぼうとしない。

 

 かと思えば旧東隊の面々には懐いているし、プライベートで遊びに誘っても碌に乗って来ない。

 

 けれど。

 

 そんな少年の友人になり、彼を隊長として仰いだのは紛れもなく自分なのだ。

 

 ならば、自分には彼を選んだ責任がある。

 

 此処で米屋が彼を止めれば、彼は「そうか」と言って自分一人でも動くだろう。

 

 それは、断じて認められない。

 

 動くのならば、自分も共に。

 

 可能であれば、三輪隊(みんな)一緒に。

 

 いざという時、三輪の手を引くには人数が多い方が良い。

 

 きっと、隊の面々も否とは言わない筈だ。

 

 古寺は苦笑しながら従うだろうし、奈良坂は溜め息を吐きつつ仕事をこなすだろう。

 

 月見は色々察した上で、黙ってやりたいようにさせてくれる筈だ。

 

 もう、腹は決めた。

 

 誰を敵に回す事になろうと、決して三輪(とも)を独りにはしない。

 

 そう決意して、米屋は空を仰いだ。

 

「ま、なるようになるさ。きっとな」

 

 一人、己の願いを呟いて。

 

 

 

 

「着いたよ。此処が、玉狛支部だ」

「ここが……」

 

 迅が連れて来たのは、川の中にある年季の入った建物────────ボーダー、玉狛支部であった。

 

 初めて見る建物を前に修は唖然としながら、ちらりと横に立つ遊真を見据えた。

 

 悪い奴ではない、という事は分かっている。

 

 色々と常識はないが、彼が修を助けてくれた事は確かだ。

 

 最初に修が暴行される時に見過ごした事も、悪意からではないだろうというのは理解出来ている。

 

 恐らく、遊真は遊真なりの常識があり、それに則った結果があれなのだ。

 

 この世界のルールを良く知らないだけで、こちらに合わせようとする意志はある。

 

 それに、よくよく考えてみれば彼が力を振るったのは明確に彼に害意を抱いた者のみであり、過剰防衛という点を除けば誰かれ構わず人を傷付けるようなタイプでもない。

 

 こちら側のルールを教えれば、きっとどうにかなる。

 

 その点は、さほど心配してはいなかった。

 

 疑念は、一点。

 

 先ほど言った、自分は近界民である、という発言。

 

 恐らくはそれを聞いていた迅は、さして驚きはしなかった。

 

 実際にどうであったかはさておいて、彼は遊真の言葉を否定しようとはしなかった。

 

 それはつまり。

 

 彼が、空閑遊真が、正真正銘の近界民(ネイバー)であるという信憑性が高まった、という意味でもある。

 

 聞いた話では、玉狛支部とは親近界民派を標榜しているらしい。

 

 伝え聞いただけの修は、どういう事なのか理解出来なかった。

 

 近界民とはこの世界を侵略して来る敵であるし、そんな連中と親しくなろうという者の気が知れない────────とは、思わない。

 

 恐らく、自分が知らない何かがあるのだろう、とは考えている。

 

 今になって考えてみると、ボーダーは近界民に関する情報を意図的に制限している。

 

 そして迅は、玉狛は、その真意を知っている。

 

 敢えて聞こうとは思えないが、何か事情があるのだろう。

 

 必要であれば、教えてくれる筈だ。

 

 修はそう考えて、黙って迅に付いていく事を選んだ。

 

「でも、意外だな。警戒心が強いように見えたのに、すんなり付いて来るなんて」

 

 意外だったのは、遊真である。

 

 遊真は、修以外の人間は信用していないように見えた。

 

 色々と浮世離れした性格ではあるが、他の面々とは明らかに距離を置いていた。

 

 その彼が、会ったばかりの迅を信用して素直に付いてくるのは、不思議といえば不思議ではあった。

 

「だって、迅さんは嘘言っていなかったしな。此処が安全って事に関しては」

「へえ、副作用(サイドエフェクト)か?」

「そうだよ。俺は、相手の嘘が分かるんだ」

「成る程ね」

 

 サイドエフェクト。

 

 概要だけは、知っている。

 

 トリオン能力の高い隊員が稀に持つ、特殊な体質。

 

 その力を、遊真は持っている。

 

 相手の嘘が、分かる能力(ちから)

 

 修は、それでようやく遊真の態度に得心した。

 

 彼が修だけを信用していたのは、一切嘘を言わなかったからだ。

 

 修は、常に本音だけを口に出して生きている。

 

 彼の口から紡がれる言葉はその全てが本気であり、真実である。

 

 故に、遊真は彼を信用したのだろう。

 

 裏というものが、まるでないから。

 

 彼は精神性こそ特異だが、その本質は善性だ。

 

 己の正義に従って動き、それに一切躊躇しない。

 

 そんな修だからこそ、遊真は彼を信じる事にしたのだろう。

 

 彼の言う事であれば、信じる事が出来るのだから。

 

「まあ、立ち話もなんだし入ってよ。居心地の良さは、保証するからさ」

 

 迅に促され、修と遊真は玉狛支部に足を踏み入れた。

 

 そして。

 

「三雲くんか」

「七海、先輩……?」

 

 中にいた七海と、鉢合わせた。

 

 七海は修、迅と視線を移し────────最後に、見慣れない白い髪の少年、遊真を視界に捉えた。

 

 その、瞬間。

 

「……!」

 

 七海の眼が、遊真の手に────────その指に嵌め込まれた、黒い指輪に向いた。

 

 同時。

 

 遊真の眼が、七海の右腕に────────黒トリガーに、向いた。

 

 二人が感じたのは、既視感。

 

 自分と、()()のものを持っている。

 

 そんな直感が、二人同時に沸き上がった。

 

「おまえも────────」

「俺と、同じ────────」

 

 そして。

 

 二人は、声を揃えて、告げた。

 

「「(ブラック)トリガー、か……?」」

 

 遊真は驚き、七海は目を見開く。

 

 修はそんな二人を見てただ困惑し、迅は彼等を真摯な眼で見据えていた。

 

 困難を斬り裂く刃である、七海。

 

 人の輪を繋ぐ架け橋である、修。

 

 そして、運命を跳ね除ける最後のピースである、遊真。

 

 三人の希望は、遂に一堂に会した。

 

 迅の望む、最善の未来に辿り着く為。

 

 全ての欠片が今、揃ったのだ。




 新章開始です。色々違ってくるぞ。


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空閑遊真③

「…………」

「────」

 

 遊真と七海は、お互いを凝視して固まっている。

 

 それを見た迅は複雑な面持ちになり、事態の推移に付いていけてない修が一番初めに動き出した。

 

「えっと…………黒トリガー、って、なんですか……?」

 

 黒トリガー。

 

 耳慣れない言葉に、修は困惑していたからこそ、まずはそれを尋ねた。

 

 そして。

 

 それに答えたのは、七海だった。

 

「黒トリガーは、高いトリオンの持ち主が自分の命と引き換えに作り出したトリガーの事だ。普通のトリガーと違って誰にでも使えるワケじゃないけど、性能は文字通り桁が違う」

 

 そう言うと、七海は自分の右腕を掲げた。

 

「俺の、この右腕が黒トリガーだ。四年前の大規模侵攻で、俺は右腕を潰されてね。だから、姉さんが黒トリガーに()()()助けてくれた。もっとも、適合はするけど一度も起動出来た試しはないんだけどね」

「す、すみません」

「いや、元々話すつもりではいたからね。今回は良い機会だったってだけさ」

 

 それで、と七海は続ける。

 

「彼は、誰かな? 見た事のない子だけれど」

「こいつは、空閑遊真っていうんです。ぼくのクラスの転校生で、その────」

 

 どう説明するか、修は迷った。

 

 四年前の大規模侵攻。

 

 今七海が説明したそれは、この三門市の市民であれば誰もが知っている事件だ。

 

 突如上空の黒い穴から現れた無数の怪物により都市は蹂躙され、多くの死傷者と行方不明者を出した大災害。

 

 それが、四年前の近界民の大規模侵攻である。

 

 七海は、今の話からするとその被害者。

 

 そして、聞く限り目の前で姉を失っている。

 

 修の脳裏に、復讐者、という単語が浮かんだ。

 

 ボーダーへ入隊を志す者の中には、四年前の大規模侵攻で受けた被害が原因で、近界民への復讐を原動力とする者が多くいる。

 

 これが地震や津波等の災害であれば、喪失にのみ目が向いただろう。

 

 だが、大規模侵攻は明確な()()()がいる。

 

 近界民という、分かり易い加害者が。

 

 故にこそ喪失を怒りに変え、近界民への復讐を志して入隊する者は数多い。

 

 というよりも、ここ数年のボーダーの発展はそういった者達が多く入隊したから、という側面も大きい。

 

 目の前で身内を喪ったというのであれば、七海はその復讐を志していてもなんらおかしくはない。

 

 故にこそ、躊躇われた。

 

 今隣にいる彼が、遊真が。

 

「おれは、近界民(ネイバー)だよ」

「……っ!?」

 

 近界民(ネイバー)であると、告げるのは。

 

 しかし。

 

 とうの遊真本人が、それを口にしてしまった。

 

 修は、混乱の極致にいた。

 

 今の説明からして、七海が近界民に憎悪を向けそうな事は分かりそうなものなのだが。

 

(いや、違う。こいつは、そもそもぼくたちとは常識が違うのか……っ!)

 

 それは違うと、修は気付いた。

 

 考えてみれば、当然の話だ。

 

 遊真は、自身が近界民であると────────近界に生きる者であると、言っていた。

 

 国が違えば、風習や常識は大きく異なる。

 

 宗教によっては牛肉を食べる事がタブーであるように、人間の()()()()というものは住まう環境によって千差万別。

 

 ましてやそれが、国どころか世界さえ違うとなれば、最早同じである事がおかしい。

 

 そういう事なのかと、納得しようとした。

 

 こいつは近界民なのだから仕方ないと、自分を納得させようとした。

 

(────────違う)

 

 だが。

 

 遊真の眼を見た瞬間、修は気付いた。

 

 彼の眼は。

 

 遊真の、七海に向ける視線は。

 

 何処か、憐れむような。

 

 それでいて、真摯な眼差しに見えた。

 

 七海はそんな遊真に複雑な面持ちで「そうか」、と答えた後────────真っ直ぐ、迅を見据えた。

 

「…………詳しい事を、説明して貰っても良いですか?」

「ああ、それは構わない。けれど、俺も全部を把握してるワケじゃなくてね。悪いけれど、君の口から説明して貰ってもいいかな?」

 

 迅に話を向けられると、遊真は「そうだな」と答え頷いた。

 

「分かった。簡単にだけど、説明するよ。そうじゃないと、フェアじゃないしね」

 

 

 

 

「…………そうか」

 

 一通り遊真の話を聞いた七海は、そう呟き神妙な顔で頷いた。

 

 遊真の話によれば、彼は近界民ではあるが────────その父親は、この世界の人間であったらしい。

 

 彼が生まれ育ったのが近界であるだけで、厳密に近界民であるかどうかと言われれば微妙なラインではある。

 

 ともあれ、彼はカルワリアという近界の国で父親と共に傭兵のような仕事をしていたらしい。

 

 遊真は幼いながらも強く、戦力の一端を担っていた。

 

 しかしある日、父親の忠告を聞かずに出陣し────────結果、彼は致命傷を負う事になった。

 

 死ぬ寸前であった遊真を発見した彼の父は、黒トリガーを作り出して死にかけの彼の肉体を保存、代わりとなる肉体をトリオンで作り出した。

 

 そして当然の結末として、黒トリガーを使う為に全てを使い切った彼の父────────空閑有吾は、砂となって崩れて死んだ。

 

 そうして父を喪った遊真は傭兵としてその国で戦い続け、戦争をしていた国との和睦まで持ち込む事に成功した。

 

 そこでやる事がなくなった遊真は、黒いロボット────────レプリカの進言で、この世界に来る事を選んだ。

 

 それが、これまでの彼の顛末。

 

 遊真の、生きた道筋であった。

 

「ありがとう。話し難い事を、話してくれたね」

「そっちも話してくれたんだから、こうしないとフェアじゃないよ。嘘偽りなく自分の事を話してくれたんだし、こっちも誠意を見せなくちゃ」

 

 誠意。

 

 恐らく、それが遊真が自分の素性を明かした理由だろう。

 

 自分の身に起きた悲劇というものを自分で語るという事は、自ら古傷を抉るようなものだ。

 

 遊真自身、同じように悲劇を経験した者だからこそ分かる。

 

 その行為の、辛さが。

 

 だが、七海はそれを許容してまで初対面の自分に事情を話してくれた。

 

 ならば、その意思に報いるのは当然。

 

 仇には仇で返すが、恩には恩で返す。

 

 それが、遊真の行動原理。

 

 だからこそ、誠意には誠意で返さなければならない。

 

 遊真の行動は、そういう意味だったのだ。

 

 さっきの、遊真の七海を見る視線。

 

 あれは、七海の事情を斟酌したが故の()()だ。

 

 自分と同じような境遇の者が、目の前にいる。

 

 だからこそ、その行動の意味を理解出来る。

 

 だからこそ、その誠意を理解出来る。

 

 故に。

 

 誠意には、誠意で。

 

 遊真の行動は、そういう意図があったのだ。

 

(それが分からずに、ぼくは…………)

 

 修は、自身を恥じていた。

 

 ただ、近界民なのだから仕方ない、という思い込みで、遊真の行動を軽く見ていた。

 

 その意味を、考えようともしなかった。

 

 それが、許せない。

 

 修は他人には底抜けに甘いが、自分自身に対しては被虐趣味でもあるかのように厳しい。

 

 常人とは逸脱した我の強さを持つが故に、妥協するという事が出来ないのだ。

 

 少々先走り易い面もあるし、相手の裏を読む事も正直苦手だ。

 

 知識不足から、間違った行動を取ってしまう事もある。

 

 しかし、本質が善性そのものである修にとって、出来たばかりの友人に失礼な真似をしたという事実はひどく重い。

 

「空閑、すまなかったな。お前の事を、誤解していたみたいだ」

「いいよ。説明しなかったおれも悪いし、そこを責めるのは違うだろ」

 

 遊真はそんな修の謝罪を、笑顔で受け入れた。

 

 修の内心の葛藤など知る由も無い遊真は、彼がなんで謝ったかを正確に把握したワケではない。

 

 そもそも、会ったばかりの相手である為多くを知っているワケでもない。

 

 だが。

 

 ────────ぼくが、そうするべきだと思ってるからだ────────

 

 あの時。

 

 自分に何の益もないのに、修がバムスターに立ち向かっていったあの時。

 

 彼の叫んだ言葉は、遊真の心に深く刻まれていた。

 

 修は、何の嘘も虚勢もついていなかった。

 

 ただ、自分がやるべきだと思ったというだけで、リスクを度外視して行動に移った。

 

 それは、傭兵として損得勘定で物事を判断する癖のついていた遊真にとって新鮮で、そして悪くない感想を抱いた。

 

 傭兵としての価値観で見るなら、修の行動は落第点もいいところだ。

 

 自分を害した相手を助けるという事は、損得を考えれば損でしかない。

 

 それで恩を売って今後の取引の材料にする、というパターンはあるが、そういう意図もないようだった。

 

 そもそも、公式の場であればともかく形のない恩を売ったところで、相手が恩を返してくれるとは限らない。

 

 それどころか、恩を仇で返される可能性の方が高い。

 

 故に、助ける必要などない。

 

 それが、傭兵としての遊真の判断であった。

 

 だが。

 

 修は、違った。

 

 ただ純粋に、助けたいから助ける。

 

 その行為は。

 

 ────────バカ。何やられてんだ。ちょっと待ってろ。俺がすぐ助けてやる────────

 

 遊真の命を、自らの命を犠牲に救った父親に。

 

 修が、重なって見えた。

 

 勿論、修と有吾は全然似ていない。

 

 考え方もまるで違うし、そもそも有吾は修と違い確かな実力があった。

 

 けれど。

 

 根本の優しさは、何処か似ていた。

 

 きっと、それが。

 

 遊真が、修を慕う理由なのだろう。

 

 彼は非力だが、無力ではない。

 

 本当に無力な者とは、何も()()()()()()()者の事だ。

 

 少なくとも、修は違う。

 

 彼は。

 

 自分の意思で、動く事が出来るのだから。

 

「そういえば、七海先輩はなんでここに? 玉狛支部の人だったんですか?」

「違う違う。俺は此処の人達とは色々縁があってね。こうして、時々お邪魔させて貰ってるだけさ。派閥も、何処かに入ってるワケじゃないしね」

「派閥、ですか……?」

 

 ああ、と七海は頷いた。

 

「ボーダーには、三つの派閥があってね。近界民への憎悪を前面に押し出してる城戸さんの派閥に、街の防衛を第一にしてる忍田さん派閥。そして、親近界民を標榜してるこの玉狛支部の三つだ」

「元々、この玉狛支部が今のボーダーが出来る前────────いわゆる旧ボーダーの本部だったんだ。その頃の俺達は近界の国と同盟を結んだりもしてたから、近界民だからといって全面的に敵対するのは違うって分かってるワケだ」

「なるほど」

 

 遊真は二人の説明で、大体の事情を納得した。

 

 組織の中が一枚岩であるという方が珍しいのだから、派閥が作られるのは当然といえば当然の話だ。

 

 そういった方面で、遊真の理解は聡い。

 

 伊達に、何年も傭兵をやって来てはいないのだから。

 

「近界と、同盟……?」

 

 話に付いていけていないのは、修の方だ。

 

 修は、近界についての知識は殆どない。

 

 トリオン兵の事をイコールで近界民だと思っていたくらいなのだから、無理もない話ではあるのだが。

 

 だからこそ、「近界と同盟を結んでいた」という迅の言葉には違和感しかなかったのだ。

 

「そう難しく考える事はないさ。ようは近界の国家は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()とでも考えればいい。相手の事が分からないし、技術にも差があるから侵略という手段が目立つだけで、相応のメリットを提示すれば交渉だって出来るんだ」

 

 他の国だってそうだろ? と迅は告げ、修は成る程、と思った。

 

 確かに、交流がない上に技術格差もあるとなれば、両国の関係は一方的な搾取になりがちだ。

 

 対等の交渉とは、相手に切れる手札があって初めて成立するものだ。

 

 そもそも交渉の場を用意出来ず、メリットも提示出来ないのであれば両者の関係は侵略かそれに類する手段による搾取になる。

 

 だが逆に言えば、交渉の場を用意し、明確なメリットを提示出来るのであれば、テーブルに乗る事は出来る。

 

 その難易度を度外視すれば、確かに不可能ではないのだ。

 

「ちなみに、同盟を結んでた国は三つあってね。この玉狛支部のエンブレムにある、三つの黒い丸はそれを現してるんだ」

 

 迅はそう告げると、自分の隊服の隊章を指さした。

 

 確かに玉狛支部の隊章には、上部に三つの丸がある。

 

 ボーダーと同盟を結ぶ、三つの近界国家。

 

 その関係を表しているのが、この隊章なのだろう。

 

「それぞれメソン、デクシア、そしてアリステラっていう国さ。遊真は知っているかい?」

「メソンとデクシアはよく知らない」

 

 けれど、と遊真は続けた。

 

「アリステラが滅んでる、って事は知ってるよ」

「…………そうか」

 

 迅はそれ以上言葉を続ける事を止め、修は気にはなったが口出しはしなかった。

 

 これ以上は、下手に突くべきではない。

 

 そんな空気を、感じ取ったのだ。

 

「────────話してあげなさい、迅。彼等が、貴方の言う希望なのでしょう?」

 

 しかし。

 

 その空気を、真正面からぶった切った者がいた。

 

 気付けば、部屋の入口に一人の少女が立っている。

 

 肩までかかる烏の濡れ羽のような黒く艶やかな髪に、人形のように整った容貌。

 

 気品さえ感じる佇まいをしながらも気の強さを隠そうともしない少女は、真っ直ぐ迅を見据えていた。

 

「瑠花ちゃん……」

 

 少女は、忍田瑠花は。

 

 迅に、その名を呼ばれ。

 

 ニヤリと、不敵な笑みを浮かべて見せた。





 色々考えた結果瑠花ちゃん投入。色々伏線は撒いてあったのだ。


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忍田瑠花①

 

「迅さん、この人は……?」

 

 あまりに突然の事態に、修は冷や汗をかきながら困惑を見せる。

 

 正直、事態の推移が急激過ぎて付いていけない、というのが正直な感想である。

 

 七海の経歴に始まり、黒トリガーの事や、遊真の身の上話。

 

 加えて旧ボーダーにまつわる話など、次から次へと新情報ばかりが叩きつけられ、正直一杯一杯であった。

 

 そんな時に現れたのが、迅に瑠花と呼ばれたこの少女である。

 

 明らかに何か重要な事を知っている素振りのあるこの少女は、自分に注目が集まった事を感じ取りどや顔になっていた。

 

 高貴なオーラというか、傲岸不遜が少女の形になっているような気配を感じる。

 

 七海はなんとなく「唯我と似て────────いや、こっちは本物っぽい感じがするし違うか」などと考えていたが、閑話休題(それはさておき)

 

 その場の人員の視線は、瑠花という少女に集中していた。

 

 突然の来訪者に困惑する修達を見て、唯一彼女の事を知る迅がやれやれ、と溜め息を吐いた。

 

「この子は忍田瑠花ちゃん。忍田さんの姪だよ」

「忍田さん、っていうと…………本部長、ですか……?」

「ああ、その忍田さんで合ってるよ」

 

 ボーダー本部長、忍田真史。

 

 修も研修やオリエンテーションの時等に説明を行っていた姿を見ただけで、詳しくは知らない。

 

 印象としては、本部の偉い人、といった感じだ。

 

 実態を知る迅などはまた違った感想が出て来るのだが、取り合えず彼の名前を出した事で瑠花が「ボーダーの偉い人の親族」という立場である事は理解出来た。

 

 それなら、この偉そうな態度も納得出来る。

 

 修はそう納得し────────。

 

「話してあげなさいと言ったでしょう、迅。それはあくまでも、()()()に来てから作った立場です。私は今あなた達が話していた既に滅びた近界国家、アリステラの王女です。元、が付きますけれど」

 

 ────────次の瑠花の一言で、その納得は完膚なきまでに粉砕された。

 

 アリステラの、近界の滅びた国の王女。

 

 あまりにもあまりな新情報に、修を含めた面々は唖然としていた。

 

「ちょ、瑠花ちゃん……っ!?」

黙りなさい(シャラップ)王女(わたし)の判断に、異議を唱えないように」

 

 慌てて迅が制止に入るが、瑠花はそれを一笑に伏した。

 

 そしてお前の意見など聞いていないとばかりに、迅の懐に入ると躊躇なく右腕を取り、自身の腹に抱え込むように拘束する。

 

 引き剥がしたい迅であるが、彼の腕は瑠花の豊かな胸のすぐ下に押し付けられていた。

 

 瑠花の拘束はそう強いものではないが、強引に振り払えばどうやっても胸に手が当たってしまう。

 

 流石に瑠花相手にそんな事は出来ず、迅は固まるしかなかった。

 

(抵抗すれば、この場で私の胸を鷲掴みにさせます。後輩の前で、痴漢行為は働きたくないでしょう?)

(いや、勘弁してよ瑠花ちゃん……っ!? なんでいきなり、あんな事ぶっちゃけちゃったの……っ!? 機密、機密は……っ!?)

(私がルールです。私が決めたのだから、文句など誰にも言わせません。加えて言えば、忍田には許可は取っています)

 

 瑠花は迅の耳元に口を近付け、小声で説明(きょうはく)する。

 

 迅の反論にもなんのその、一切動じず瑠花はニヤリと笑みを浮かべた。

 

 ちなみに、迅が抵抗した場合彼女はガチで実行する。

 

 やると言ったらやる少女なのだ、彼女は。

 

 それを分かっているからこそ、迅は動けない。

 

 後輩の前で、16歳の少女の胸を鷲掴みにするなどといった醜態は、今は亡き玲奈に誓って断じて晒すワケにはいかないからだ。

 

 ちなみに、ほぼ密着状態で密談している二人ではあるが、その場に居合わせた男子三名は揃いも揃って思春期にあるまじき精神性をしているので、事態の推移に困惑するだけで妙な邪推はしていない。

 

 修はそもそも性欲があるかどうかすら怪しいレベルだし、遊真もそういった面の情緒は乏しい。

 

 一番精神的にまともなのが無痛症の影響で性欲が減衰した七海なのだから、察して知るべしである。

 

(許可って、忍田さんが……?)

(ええ、好きにやりますねと言ったら思う通りにしなさいと言われました。なので、今の私を止めるものは何もありません)

(…………ああ、口実貰っちゃったのね…………)

 

 実際に忍田が何処まで把握してOKを出したかはともかく、一度許可を貰ったと認識した以上瑠花が止まる筈がない。

 

 元より、我の強い少女だ。

 

 ここ数年は迅の精神的な問題により距離を置いていたが、それが解決した以上躊躇う事はないと、ぐいぐい来る事が多くなって来たのは事実である。

 

 しかしまさか、こんな所でいきなり自分の正体を明かすとは普通思わない。

 

 迅の未来視でも読み逃した事から、此処にやって来たのは突発的な思いつきのようなものである事は分かる。

 

 もう少し頻繁に会っていれば読めていたかもしれないが、今更そこを悔いてもしょうがない。

 

 話してしまった以上は、そこからの対処を考えるしかないのだから。

 

(そもそも、十全に情報を与えずに充分な働きが出来る筈がないでしょう? それに、不誠実です)

(いや、七海はともかく三雲くんは下手に話しちゃうと無茶しそうで……)

(それこそ今更です。未来を変える、といった大それた事を無茶なしで出来ると思っているのですか?)

(それは……)

 

 確かに、それはそうなのだ。

 

 七海や修に無茶をして欲しくないという気持ちは、強い。

 

 だが。

 

 そもそも、未来を変える事自体、言うほど簡単な事ではない。

 

 今度起こる、第二次大規模侵攻。

 

 その被害を減らす事が大目的なのだから、何の無茶もせずに乗り切れるとは到底思えない。

 

 四年前の大規模侵攻ではトリオン兵しか出てこなかったが、今回の大規模侵攻は高確率で敵の近界民────────強力なトリガーを持つ、人型近界民(ネイバー)が出て来ると予想している。

 

 そもそもの話として、ただ数が多いだけのトリオン兵なら今のボーダー正隊員が早々に後れを取る筈はない。

 

 それだけ今のボーダー正隊員の層は厚く、そう簡単には崩れない安定感がある。

 

 そんな彼らが崩されるとしたら、それは未知の近界トリガーを持つ人型近界民以外に考えられない。

 

 近界トリガーは、ボーダーのそれとは設計思想が異なる。

 

 ボーダーのノーマルトリガーが汎用性を重視したものなら、近界トリガーのその真逆。

 

 少数精鋭に持たせる為の、機能特化型のトリガーである。

 

 近界から遠征艇でこちらの世界に来る場合、搭乗出来る人員には限界がある。

 

 これは国同士の戦いでも同様であり、相手国に攻撃する場合は少数の人員と卵にして持ち込める大量のトリオン兵で攻める、というのが常道だ。

 

 つまり、それだけ一人のトリガー使いにかかる負担が大きく、それをカバーする為に汎用性を度外視した特化型のトリガーが傾向としては多くなる。

 

 そして、往々にしてそういったトリガーの性能は強力極まりないものであり、近界のトリガー使いはA級でも一人では荷が重い精鋭揃いなのだ。

 

 流石に黒トリガーほどの出力があるものは稀だが、そもそも近界にも黒トリガーは存在する。

 

 加えて今回の大規模侵攻では黒トリガー使いの襲来する可能性まで高い以上、七海達ボーダー隊員にかかる負荷は尋常ではないものと想像出来る。

 

 そんな戦場で修のような弱者が無茶をすれば、どんな反動が来るか分かったものではない。

 

 修の役割は、今回で終わるワケではない。

 

 今後の未来の事を思えば、修の生存は絶対譲れない勝利条件の一つである。

 

 故に、下手に情報を与えて無茶の度合いが上がる可能性は避けたかった、というのが迅の本音であった。

 

 だが。

 

 そもそも、修がなんらかの貢献をするのであれば、相応の無茶が必要なのは当たり前といえば当たり前だ。

 

 彼の実力は、B級下位どころかC級の中でも最弱クラス。

 

 工夫と戦術思考を用いて勝ち進めているだけで、地力そのものは誰よりも低い。

 

 そんな彼が大規模侵攻という鉄火場で功績を得るのであれば、無茶の一つでもしないとまず無理だろう。

 

 それは、分かっている。

 

 しかし、迅にとって修はただのボーダー隊員ではない。

 

 四年越しにようやく見つけた、玲奈が望んだ未来へのなくてはならない希望なのだ。

 

 それを失ってしまう事を、迅は恐れていた。

 

 だからこそ、七海には「修に無茶をさせない為」と言って事情説明をしないよう言い含めた。

 

 その配慮を横から殴りつけて粉砕したのが、この瑠花なのであるが。

 

(無茶をせずに未来を変える事が出来ないなら、いっそ無茶はさせた上で死なせないように立ち回れば良いでしょう。貴方や、貴方達の育てたボーダー隊員達は、それが出来ないほどの弱兵なのですか?)

(……!)

 

 瑠花の言葉に、迅ははっとなって顔を上げた。

 

 そうだ。

 

 自分は、何を恐れていた?

 

 不可能と思える試練を、乗り越える。

 

 その姿を、自分はこの眼で見て来たではないか。

 

 関係修復が不可能に思われた七海と那須の諸問題は、茜や小夜子を初めとした者達の尽力で乗り越えられた。

 

 更に、二宮隊や影浦隊といった実質A級の部隊すら下し、B級一位まで上り詰めた。

 

 そして。

 

 迅を。

 

 黒トリガーを、七海は倒した。

 

 それだけではない。

 

 七海を含めた那須隊以外の隊員達も、着実に成長を見せて来ている。

 

 ボーダーの戦力は、今回のランク戦を通じて一回り上昇したと見て良いだろう。

 

 諏訪隊は、心理的な落とし穴を探る慎重さと周囲の状況を見極める観察眼を獲得した。

 

 鈴鳴第一は、新たな戦術の形を会得した。

 

 荒船隊は、戦術の練度をより向上させた。

 

 柿崎隊は、臨機応変な戦術の展開を学んだ。

 

 東隊は、小荒井と奥寺に着実な成長が見られる。

 

 王子隊は、相手の成長を視野に入れる柔軟性と、戦力の適切な運用法を覚え始めている。

 

 香取隊は、成長が著しい。

 

 特に隊長の香取は、大規模侵攻において重要な役割を果たすだろう。

 

 生駒隊は、安定して高い地力を更に上げている最中だ。

 

 弓場隊もまた、神田という戦力の抜けを許容しながらも尚も前を向いている。

 

 影浦隊は隊員の意識改革により、そのポテンシャルを十全に引き出す戦いが出来るようになった。

 

 二宮隊は、その強さに陰りはない。

 

 今後も、射手の王を頂に据えて相応の結果を叩き出していくだろう。

 

 彼等は皆、那須隊との戦いを通して成長した。

 

 強くなったのは、那須隊(かれら)だけではない。

 

 ボーダーの前線を支えるB級隊員達は、既に以前の彼等ではない。

 

 昨日より強く、明日はそれよりも強く。

 

 そう決意し、前に進み続けている。

 

 修もまだ実力自体は低いが、不可能と思われていた単独でのB級昇格まであと一歩のところまで来ている。

 

 自分が。

 

 彼等に期待し、その成長を望んだ自分が。

 

 成長した彼等の力を信じずして、誰が信じるというのだろうか。

 

 成る程、確かにリスクは高い。

 

 事情を伝えれば、きっと修は無茶をしてしまうだろう。

 

 鉄火場で、命すら危険に晒すかもしれない。

 

 けれど。

 

 それを乗り越えるだけの強さを、彼等は持っている。

 

 七海は、高い地力と突出した生存能力が。

 

 修は、非力ながらも一切ブレない強固な精神性が。

 

 遊真には、傭兵経験の積み重ねが生んだ歴戦の戦闘勘が。

 

 それぞれ、備わっている。

 

 迅が探し求めた、三つの欠片(きぼう)

 

 それに相応しいだけの力を、彼等は持ち併せている。

 

 ならば。

 

 真実を話す事に、否はない。

 

 彼等なら、きっと乗り越えられる。

 

 どんな酷い未来も、この三人がいれば打ち破れる。

 

 いや、彼等だけではない。

 

 嵐山等迅の友人達は勿論、他の隊員達も必ず力になってくれる。

 

 その為の下地は、既に出来ているのだから。

 

(ようやく目が覚めたようですね、迅。何か言う事は?)

(ありがとう、瑠花ちゃん。やっぱり君は、いつも必要な(欲しい)言葉をくれるね)

(よろしい。その感謝の念と皆を信じる心を、忘れないように)

 

 そこまで言って満足したのか、ようやく瑠花は迅から離れた。

 

 更に流れるような動作でソファーに腰かけ、足を組んで迅に視線を向けた。

 

「迅、説明を。彼等には、知る権利があります」

「ああ、そうだね。じゃあ、話そうか。彼女は────────」

 

 迅は、瑠花に促され。

 

 彼女の事情を。

 

 そして。

 

 迅が修達を特別視した、その理由を。

 

 彼等に、告げた。

 

 

 

 

「いいのかい? 全部ぶっちゃけちまったみたいだが」

「それが彼女の選択ならば、構わない。他でもない、迅が選んだ者達だ。それだけで充分、信用するに値する」

 

 迅達がいる部屋の、すぐ傍の廊下。

 

 そこには林道と、瑠花を此処まで送って来た忍田の姿があった。

 

 瑠花の「許可を取った」という言葉は、嘘ではない。

 

 そもそも、ボーダーにとっての最重要人物である彼女が護衛なしで本部を離れる事など有り得ない。

 

 忍田にはきちんと玉狛支部を訪問する旨を説明し、彼に連れられて此処に来たのだ。

 

 無論、瑠花の思惑もある程度は察していた。

 

 その上で、忍田は許可を出したのだ。

 

 「好きにしなさい」と。

 

 瑠花はまだ成人もしていない少女だが、元王女なだけあって相応に博識であり、聡い子でもある。

 

 一見無茶苦茶に見えるその行動も、彼女なりの思慮があって行っているのだ。

 

 判断力、という点であればそこらの大人よりずっと優れている。

 

 それに。

 

 彼女は、迅を好いている。

 

 その好きの意味はさておき、この四年間迅の現状を知りながらどうする事も出来なかった反動か、彼の為であればひと肌どころか幾らでも脱ぎ捨てる覚悟をして来たのが今の瑠花だ。

 

 自分の行動のリスクは承知の上で、彼女はああして立っている。

 

 他ならぬ、迅の力になる為に。

 

 ならば、邪魔をするのは野暮というもの。

 

 これまで何も出来なかった大人として、少年少女の動向を見守り、必要があれば助けるだけだ。

 

「さて、これから忙しくなりそうだな。ま、無茶してどうにかなるなら安いもんだな」

「そうだな。その程度で彼等の陰りが晴れるのなら、無茶程度は幾らでもしよう。それが、これまで何も出来なかった私たちの行える最善なのだから」

 

 そう呟き、二人の大人は笑みを浮かべた。

 

 今度こそ、一人で背負わせはしないと。

 

 そう、誓って。



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忍田瑠花②

「まず、瑠花ちゃんの話をするには旧ボーダーの話をしなくちゃいけない。旧ボーダーっていうのは、今のボーダーが出来る前に少人数で秘密裏に活動していた集まりでね。その頃は今みたいな基地はなかったし、規模もずっと小さかった」

「ちなみに、俺の姉さんはその旧ボーダーに属してたんだ。俺も、後から迅さんに知らされて初めて知ったんだけどな」

 

 迅の説明を、七海が補足する。

 

 新たな事実にまたもや目を見開く修だが、よく考えてみれば当然の話だ。

 

 先ほどの話によれば、七海の姉は自ら黒トリガーとなって死んだのだという。

 

 話のニュアンスからすると、黒トリガー化は自らの明確な意思を以て行うものと予想される。

 

 つまりそれは当然、彼女はトリガーの存在を認知していたという事を意味している。

 

 そして、今のボーダーが出来上がる前にトリオンやトリガーの事を知っているとしたら、旧ボーダーの関係者以外に有り得ない。

 

 修はそう納得し、口を挟む事はしなかった。

 

「その頃は使える人員も資金も限られていてね。それでもなんとか同盟国との交渉で色々やり繰りしてたんだけど、五年と少し前に同盟国の一つ────────アリステラが、他の近界国家に襲われたんだ」

「もしかして、それが…………」

「────────そう。アリステラが滅ぶ原因となった戦争。アリステラ防衛戦だ」

 

 同盟国、アリステラが滅ぶ事になった近界での戦争。

 

 それが、当事者たる迅の口から語られる。

 

「俺達旧ボーダーは、その戦争で戦ったんだ。元々そういう契約だったし、当時アリステラはこの世界と近い軌道上にあったから、あそこで食い止めなきゃそのまま攻め込まれる危険もあった。そういう意味じゃ、善意だけで助けたワケじゃないけどね」

「謙遜は止めなさい、迅。理由はどうあれ、貴方達が我が国の為に尽力してくれた事は事実なのです。その事を忘れないようにと、言った筈ですが?」

「ああ、ごめんね。訂正するよ」

「よろしい」

 

 気に入らない言葉をすかさず訂正させた瑠花は満足気にどや顔を晒し、迅は苦笑しながら話を続けた。

 

 そのやり取りで、七海は二人の力関係を理解した。

 

 勿論、口に出さない優しさはあったが。

 

「ともあれ、奮戦の甲斐あってなんとか攻めて来た国は追い返せたんだけど、アリステラの滅亡を止める事は出来なかった。本来ならそこで、アリステラ王家が管理する(マザー)トリガーも失われる筈だったんだ」

「母トリガー、ですか……?」

『母トリガーとは、近界の惑星国家を支える巨大なトリガーの事だ』

 

 修の質問に、遊真の頭上に浮遊していたロボット────────レプリカが答えた。

 

 その様子に、瑠花は良いものを見たと言わんばかりに目を輝かせる。

 

「あら、何かと思えば噂に聞くトロポイの小型トリオン兵でしょうか?」

『その認識で正しい、ルカ王女。私はユーマの父、ユーゴが作った多目的型トリオン兵だ。私の知る知識だった為口を挟んだが、構わないだろうか?』

「ええ、お好きになさい。私が許可します」

『承った』

 

 レプリカは瑠花の了承を得ると、自身の知識を開示した。

 

『まず、近界の国家はこちらの世界の国とは構造そのものが異なる。近界(ネイバーフッド)のほとんどを占めるのは果てのない夜の暗黒であり、その中に近界国家が星々のように浮かんでいる。故に、ユーゴはその在り方を惑星国家と名付けた』

「惑星国家…………」

 

 そうだ、とレプリカは続けた。

 

『そして、近界の惑星国家は言うなれば星の形をした巨大なトリガーだ。母トリガーとは、その中核の事を指している。たとえるなら、炉心のようなものだ』

「星そのものが、トリガー、か……」

 

 思っていた以上に壮大なスケールに、修は思わず閉口する。

 

 トリガーといえばトリオンを使った武器の名前、という常識の彼からすれば、星そのものがトリガーというのは想像を軽く超えていた。

 

 まあ、遊真や迅は既知の事実ではあるし、七海も迅から多少なりとも聞いていたので驚いていたのは修一人だけではあったのだが。

 

「話を続けよう。アリステラ王家は、その母トリガーを星が滅びる直前に当時子供だった王女と生まれたばかりの王子に継承させ、俺達がその二人をこの世界に逃がす手引きをした。そしてその王女がこの瑠花ちゃんで────────王子が、陽太郎だ」

「え……?」

 

 だが。

 

 流石に今度ばかりは、七海も目を見開いた。

 

 陽太郎。

 

 その名前が示すのは、一人しかいない。

 

 この玉狛支部に住んでいる幼い少年、林道陽太郎。

 

 当然、玉狛支部に何度も来ている七海は彼の事を知っている。

 

 姓からてっきり林道支部長の親類であると考えていた七海であったが、今の情報を前提に考えればその背景が見えて来る。

 

 陽太郎という名前は偽名────────いや、この世界で生きていく為に用意された戸籍上の名前、という事なのだろう。

 

 既知の人物の思わぬ正体を知り、唖然とする七海であった。

 

「じゃあ、瑠花さんは陽太郎の…………」

「実の姉です。だからこそ、こうして時折此処に来て会っているのですから」

 

 普段は本部にいるのですが、と瑠花は話すが、七海は本部で彼女を見た覚えはない。

 

 割と本部に入り浸っている七海が見かけた事がないとなれば、恐らく彼女の存在そのものが部外秘。

 

 素性を知る人間も、ごく限られた者しかいないというのが残当なところだろう。

 

「普段は瑠花ちゃんは、本部で母トリガーの管理をやっているんだ。察しの通り、彼女の事は限られた人間しか知らない。だから、他の人には話さないで欲しい」

「分かりました」

「ええ」

「わかった」

 

 迅の釘刺しに、三者三様に頷いた。

 

 流石に、今の話を聞いた上で瑠花の事を吹聴する事は躊躇われる。

 

 そもそも、自分達がこんな情報を知る事が出来た事自体おかしいのだ。

 

 この程度の念押しは、むしろ当然といえよう。

 

「母トリガーの管理か。じゃあ、ボーダーが大きくなったのはそのお陰って事か」

「そういう事だね。あの基地も、今のトリオン技術も、母トリガーの恩恵を受けたが故のものだ。もっとも、向こうと違って星を運営するだけの出力は必要ないから「神」はいないけどね」

「「神」……?」

 

 突然出て来た妙な単語に、修は首を傾げる。

 

 その様子を見たレプリカが、説明を加えた。

 

『「神」とは、母トリガーと一体化しその出力を向上させるいわゆる人身御供の事だ。人柱、と言えば分かるだろうか』

「ひ、人柱……っ! つまり、生贄……っ!?」

『そうだ。惑星国家を十全に運用する為には、トリオンの高い者をこの「神」にしなければならない。「神」が死ねば国の運用は立ちいかなくなり、瓦解する。故に「神」が死ぬ時期になれば、次の「神」を確保する為に遠征を繰り返す国もある。7年以上前に滞在した、アフトクラトルなどがそうだ』

 

 そうですね、と瑠花はレプリカの言葉を肯定した。

 

「アフトクラトルは「神」を厳選する事で国力を上げた、近界(ネイバーフッド)最大級の軍事国家です。又聞きでしかありませんが、矢張り彼の国は「神」を他国から攫って来るのですね」

『国民感情がある。自国から生贄を選出するより、他国から攫った方が都合が良いのだろう。それに、神の選定は領主の権力闘争の一環でもあると聞く。そういう意味でも、遠征をしない手は無いだろう』

「野蛮ですね。出来るならば、関わり合いになりたくない国です」

『賢明だ。瑠花王女の事情を鑑みれば、下手に関わるのは得策とは言えないだろう』

 

 ええ、そうします、と瑠花はレプリカに笑いかけた。

 

 そんなレプリカに、遊真は珍しいものを見た、と言わんばかりの眼を向けた。

 

「レプリカ、今日はいつもよりお喋りだな」

『彼等は信頼に値する者達であると判断した。近界民(われわれ)に対する隔意も持っていないようであるし、何よりこれまでの経緯を思えば協力的になって損はないだろう』

 

 だが、とレプリカは続けた。

 

『どうやら、ボーダー本部の意向というものは違うようだな。そうでなければ、ジンが偽装工作をする必要もなかった筈だ』

「偽装工作……?」

『ユーマが倒したバムスターを、ジンが倒したものとして報告をしていただろう? あれは恐らく、ユーマの存在を隠す為に行ったものだ』

 

 そうだろう? とレプリカは尋ね、迅はそれに頷いた。

 

「そうだよ。残念ながら、今のボーダー本部は四年前に起きた大規模侵攻の所為もあって近界民に対して良い感情を持っていない者が多くてね。下手に遊真の存在を知られると、強硬な手段を取って来る可能性があるんだ。だから、俺が倒した事にして遊真の存在を隠したってワケ」

 

 ただ、と迅は続けた。

 

「あの場に駆けつけたのが、よりにもよって三輪隊だからな。あいつならきっと、違和感から俺が何かを隠している事に勘付くだろう」

「三輪さん、ですか……」

 

 七海は三輪の抱える近界民への憎悪と迅への隔意を思い出し、顔を顰めた。

 

 確かに、三輪は七海に対しては落ち着いた態度で接するようにはなった。

 

 だが、それは迅の存在を許容した事とイコールではない。

 

 三輪は変わらず迅を嫌悪しているし、近界民への憎悪も欠片も薄れていない。

 

 もし、迅が近界民を匿ったと判断すれば。

 

 きっと、彼は止まらないだろう。

 

「大丈夫なんですか?」

「まあ、多分暫くは俺の事だけに注意が向く筈だからすぐに心配はしなくて良い。けど、いつまでも隠し続けるのは多分無理だな」

 

 あいつ優秀だし、と迅は苦笑した。

 

 三輪は激情家の面が強いが、目的の為なら幾らでもクレバーになれるという側面がある。

 

 目的自体を妨害されれば烈火の如く怒り出すであろうが、そうなる前はきちんと段取りを踏んで行動する。

 

 三輪隊のオペレーターは優秀な月見であり、遊真の存在に辿り着くのは時間の問題だろう。

 

「一応、案が無い事もない。まあ、もし案が駄目でも君たちの事は責任を持って守るから安心して欲しい」

「なんでそこまで? 迅さんは近界民の事を良く知ってるとはいえ、おれは今日会ったばかりの他人でしょ?」

「それが、俺の秘密にしていた事情にあたる。聞いてくれるかな?」

「わかった」

 

 ありがとう、と迅は告げると、まず、と話し始めた。

 

「七海や三雲くんには説明したけど、俺は未来が視えるんだ。未来視の副作用(サイドエフェクト)、ってやつでね」

「なるほど」

 

 自身のサイドエフェクトにより迅の話が事実であると確認した遊真は、しかと頷いた。

 

 自分の話を遊真が理解した事を悟った迅は、そのまま話を続けた。

 

「俺の目的は、可能な限り被害の少なくなる()()()()()に至る事だ。そして俺の未来視で、そこに至るまでに必要不可欠な三つの希望────────三人の人物が必要になるという事が、分かったんだ」

「え……? それは、つまり……」

 

 此処まで言えば、修にも察する事が出来る。

 

 目的達成に必要不可欠な、()()の人物。

 

 そして。

 

 今此処にいるのは、迅が特別視しているのは。

 

 七海と、修と、遊真の()()

 

 これの示す意味は、一つしかない。

 

「────────そうだ、君達だ。七海、三雲くん、遊真。君達三人が、俺が探し求めた三つの希望なんだ」

 

 迅の告白に、三人は各々違った反応を示した。

 

 既に聞いていた七海は何処か穏やかな笑みを浮かべ。

 

 初めて知った修は仰天したとばかりに目を見開き。

 

 突如としてそれを聞かされた遊真は、成る程、と納得を示した。

 

 考えてみれば、辻褄は合う。

 

 迅は遊真の為に自分の立場を危うくしかねない真似までしており、聞くところによれば修の事も相当特別視している。

 

 その理由が、彼の目的の為に自分達が必要不可欠なものだったのであれば。

 

 辻褄は、合うのだ。

 

「幻滅したかな? 俺が君達を助けたのは、善意なんかじゃない。ただ、俺の目的の為だったんだから」

「迅────」

「それは違います、迅さん」

 

 あくまで露悪的に振舞う迅を見咎めた瑠花が行動を起こす前に、修がその口を開いた。

 

 脅迫を実行しかけていた瑠花はその様子を見て「お手並み拝見」とばかりに立ち上がりかけた姿勢を戻し、修を見据えた。

 

 幾ばくかの、期待を込めて。

 

「確かに、迅さんなりの目的があったのかもしれません。ですが、それでもぼくや遊真が迅さんに助けられた、という事実はなくなったワケじゃないんです」

 

 修は、確かに動揺していた。

 

 迅に目的があってその為に自分を助けていたと知り、驚きはした。

 

 だが。

 

 それは、迅を軽蔑する理由にはならない。

 

 何故なら。

 

 理由はどうあれ、自分が迅に助けられた事は事実なのだから。

 

 それにその理由も悪意などではなく、純粋に皆の為を思えばこそのものだ。

 

 ならば。

 

 迅への感謝の念が陰る理由など、存在する筈がないのだ。

 

「そうだな。害を受けたならともかく、恩を受けたんだからそれを返すのは当たり前だ」

「そういう事です、迅さん。むしろ、嬉しいです。ぼくが、迅さんの力になれるんだとすれば────────きちんと、恩返しが出来るって事なんですから」

「はは、参ったな。これは一本取られたよ」

 

 二人の返答に、迅は苦笑する。

 

 自罰的なのは最早迅の習性のようなものであるが、こうも真正面から論破されるとは思っていなかった。

 

 その様子に、瑠花は満足気な笑みを浮かべる。

 

「迅。何度も繰り返し言っていますが、貴方は少し自己評価が低過ぎます。理由はどうあれ確かな功績を積み重ねて来たのですから、誇るべき部分は誇れば良いのです。貴方はこれまで、それだけの働きをして来たのですから」

 

 それから、と瑠花は迅の耳元に口を寄せ、ニヤリと口元を歪めた。

 

「もう一度今のような失言をした場合、今度はノータイムでさっきの宣言(きょうはく)を実行に移しますので、忘れないように」

「…………肝に命じておくよ」

 

 三雲くんに感謝しなさい、と囁かれ、迅はたった今自分の尊厳が死ぬ寸前だった事を悟り、溜め息を吐いた。

 

 今の声は、本気の声色(ガチトーン)だった。

 

 次は必ずやる。

 

 その事を確信し、もう失言はしないぞ、と迅は覚悟を新たにした。

 

 そんな迅の様子を見て満足したのか、瑠花はどや顔で胸を張った。

 

 色々素直じゃない彼女であるが、普段飄々としている迅をやり込めた達成感があるのだろう。

 

 正直癖になりそう、と内心考えていた瑠花であった。

 

「さて、そろそろいいでしょう。さっさと入って来なさい、二人とも」

「おや、バレバレか」

「まあ、当然でしょうね」

 

 瑠花はその勢いのまま扉の外に声をかけ、その声に応じて二人の男性が入って来た。

 

 一人は、修にも見覚えがある。

 

 先ほど話題にも上がった、ボーダーの本部長。

 

 忍田真史。

 

 そして、もう一人は修の知らない男性であった。

 

 そんな修の視線の意図を理解したのだろう。

 

 眼鏡の成人男性は、こちらを見て名乗りを上げた。

 

「俺はこの玉狛支部の支部長で、林道だ。で、知ってると思うがこっちがボーダー本部長の忍田だ」

「こうして直接話すのは初めてだね。本部長の忍田だ、よろしく」

 

 そう言って手を差し出して来た忍田に修はその流れのまま握手し、遊真もそれに続く。

 

 そして、遊真をまじまじと見ながら林道が声をかけた。

 

「ちなみに二人ともさっき言った旧ボーダーのメンバーでね。近界民に対しても理解があるから、安心していいよ」

「ああ、詳しい話はまだ聞いていないが、君を不当に拘束したりするつもりはない。約束しよう」

 

 ところで、と忍田は続ける。

 

「よければ、君の名前を教えて欲しい。迅からはまだ、詳しい話を聞いていなくてね。遊真と呼ばれていたけれど、それはこちらで生活する為に考えた名前かい?」

「いや、最初からこの名前だよ。おれの親父は、この世界の出身なんだ」

「……! 君、苗字はなんて言うんだい?」

 

 遊真の言葉に何かに気付いた様子の忍田は、血相を変えて問いかけた。

 

 その問いに遊真は何の疑問もなく、正直に答えを口にした。

 

()()。空閑遊真だよ」

 

 そして。

 

「空閑……っ!?」

「空閑、だって……っ!?」

 

 遊真の答えに、林道と忍田が目を見開いた。

 

 そのただならぬ様子に修は首を傾げ、そういえば、と遊真の話を思い出してそれをそのまま口にした。

 

「お前の話だと、父親の知り合いがボーダーにいるんだろ? もしかして、それが忍田さん達なのか?」

「いや、違うよ。おれが聞いた名前は、シノダでもリンドウでもなかったし」

「じゃあ、誰なんだ……?」

 

 そうだな、と遊真は頷き、告げた。

 

「モガミソウイチ。親父から聞いた名前は、モガミソウイチだよ」

「……!」

 

 遊真の口から出た名前に、真っ先に反応したのは迅だった。

 

 それは当然だろう。

 

 何故ならば。

 

 その名前は。

 

「最上宗一。我が国を守る戦いで犠牲になった、迅の師匠ですね」

「え……?」

 

 迅の、今は亡き師の名前。

 

 そして。

 

「────────これが。この黒トリガーが、最上さんだ」

 

 彼の持つ、黒トリガー。

 

 風刃を遺した、その人であった。




 『るか』

 「遅咲きプリンセスフィーバー」

 プロットには影も形もなかった筈なのに迅さん編で初登場し、要所要所で存在感をアピールしたお姫様。

 ワートリで唯一無二のお姫様キャラという武器を存分に活かし、迅を思う存分弄り倒している精神的強者。

 四年間の迅さん鬱々タイムの反動があるからか、今は色々な意味で楽しくて仕方がない様子。

 原作では直接絡まなかった事をいい事に今作では迅と独自の関係を構築中。

 正直此処まで目立つとは思っていなかった。キャラデザが良過ぎるのが悪い。


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三雲修⑥

「迅さんも、黒トリガーを…………」

 

 修は迅が机の上に置いた黒トリガー、風刃を見て息を呑んだ。

 

 見た目は、弧月の柄のようなそれだ。

 

 一目見た限りではそのような特別な武器には見えないが、なんというか気配が違う。

 

 トリガーは、あくまでも武器だ。

 

 ボーダー隊員が戦う上で必須である武装とはいえ、それ自体はただの武器に過ぎない。

 

 だが。

 

 この風刃は、黒トリガーは。

 

 あたかも、見えない誰かがそこにいるかのような奇妙な存在感があった。

 

 まるで、大きな棺を前にしているかのよう────────否。

 

 この黒トリガーは、正しく()なのだ。

 

 遊真は、父親の。

 

 七海は、姉の。

 

 そして迅は、師の。

 

 今は亡き大切な者の想いが詰まった、棺。

 

 それが、黒トリガーなのだと。

 

 修は、理解した。

 

「そうか、これが……」

 

 遊真は複雑な面持ちで風刃に手を触れ、俯いた。

 

 頼ろうとしていた当人が既に死んでいたのだから気落ちするのは当然と言えるが、彼のそれは何処か違うように思えた。

 

 巧く言葉には出来ないが、まるでその当人の死よりも黒トリガーそのものを見た事を悲しんでいるような。

 

 そんな、気配がした。

 

「…………動揺してしまってすまない。聞きたい事があるのだが、良いだろうか?」

「いいよ」

 

 そこで動揺から復帰した忍田が、時を見計らって遊真に問いかけた。

 

 動揺自体はすぐに抑え込んだのだが、流石に風刃に触れて物想いに耽っていた遊真の邪魔をする気はなかった。

 

 故に、一呼吸置いての質問になったのだ。

 

「君の父親の名前は、空閑有吾で間違いないかい?」

「そうだよ。ボーダーの関係者って言ってたけど、知ってるの?」

 

 遊真の問いに、忍田はああ、と肯定する。

 

「勿論だ。私も林道さんも、有吾さんには世話になっていた」

「有吾さんは、旧ボーダーの創設に関わった最初期のメンバーでな。俺達にとっては先輩にあたるし、本部司令の城戸さんは同輩にあたる。旧ボーダー(おれたち)が今までやって来れたのも、有吾さんがいたからだしな」

 

 忍田と林道は、口々に有吾という人物を褒め称える。

 

 彼等の言葉には尊敬と親愛の念が滲み出ており、それだけ空閑有吾という人間の存在が大きかったであろう事が分かる。

 

「しかし、するとその黒トリガーは……」

「ああ、親父だ」

「そう、か……」

 

 遊真の答えに、二人は沈痛な面持ちとなる。

 

 無理もないだろう。

 

 昔世話になった恩師が、黒トリガーという棺となって帰って来たのだ。

 

 その心痛は、察するにあまりある。

 

 忍田は遊真に許可を貰って黒トリガー(ゆびわ)に触れ、何も言わずに手を離した。

 

 同様に林道も指輪に触れ、溜め息を吐きながら手を離す。

 

 恩師の棺に触れ、何を想ったかは彼等にしか分からない。

 

 それを追求する気は、遊真にはなかった。

 

「しかし、有吾さんの息子となれば協力しない理由はないな。住む家やお金なんかは大丈夫なのかい?」

「ああ、色々あって都合は付けたんだ。お金もホラ、ちゃんとある」

 

 遊真はそう言って懐から紙幣の束を取り出し、それを見た忍田達が呆然とする。

 

 だが、この世界に来たばかりの遊真が銀行など使える筈もない事に気が付き、溜め息を吐いた。

 

「…………こちらではあまり大金を持ち歩くのは推奨されないし、無暗に見せるべきではないんだ。後で唐沢さんにお願いして口座を用意して貰うから、銀行についての説明もしておくよ」

「あ、いや、おれは……」

「まあ、別に急ぐ話でもない。そういう便宜も図れるって事だけ、覚えていてくれればいいさ」

 

 言葉を濁した遊真を銀行についての無知からの困惑と見て取った忍田は、そう言って話を終えた。

 

 近界を跳び回る生活を送っていたのであれば銀行のようなシステムを活用していたかどうかは分からないし、そもそも近界にそういったものがあるかどうかすら不明だ。

 

 初めて触れるシステムに困惑しても無理はないだろうとの考えであったが、修はそれは違うと感じていた。

 

 遊真の困惑、それは単に銀行に対する不理解に依るものではない。

 

 あれは、きっと。

 

 ()()()()()()()()()()()事を遠慮した、そういった者の反応だ。

 

「なあ、空閑。お前はなんで、この世界に来たんだ?」

 

 それが気になり、修はそう問いかけた。

 

 恐らく、此処が分水嶺。

 

 そう確信して、問いを放った。

 

「いや、だから親父がそう言って────────」

「それは、選択肢として提示されてただけだろ? お前自身がこっちに来る事を考えた()()()が、何かあったんじゃないのか?」

「────!」

 

 修の言葉に、遊真が目を見開いた。

 

 それは、図星を当てられたが故の驚愕。

 

 一瞬の硬直の後、遊真は苦笑しながら溜息を吐いた。

 

「オサムは、変な所で勘が良いな。まるで、親父みたいだ」

「空閑……」

「そうだよ。俺は、目的────────というか、願望かな。そういうのがあって、こっちに来た。親父の話は、ただの切っ掛けだよ」

 

 遊真はそう告げるとふぅ、と息を吐き、指に嵌めた黒トリガーを見詰めた。

 

「親父の世界なら、もしかして黒トリガー(こいつ)を親父に戻す事が出来るかもしれない。そう思って、こっちに来たんだ」

「それは────」

「うん、さっき分かった。無理なんだろ? それは」

「…………残念ながら、その通りだ」

 

 忍田は遊真の目的を聞き、沈痛な面持ちでそう答えた。

 

 迅は閉口し、七海も押し黙る。

 

 それはきっと、黒トリガーを手にした者であれば誰もが考えるであろう願望だ。

 

 彼等の大切な人は、自らの意思で黒トリガーと化した。

 

 ならば、それを元に戻す事で彼等が生き返るのではないか。

 

 そう思った事のない者は、この中にはいない。

 

 なまじ、普通の死者と違い砂となり崩れ去る、という死に方である為、そういった希望を抱いてしまうのは仕方のない事ではあった。

 

「黒トリガーは製作者の分身のようなものだが、()()()()()()()()()()。言うなれば、位牌のようなものだ。適合者を選んだりするから意思のようなものが備わっている可能性はあるが、根拠のある話じゃないんだ」

「…………そうだな。黒トリガーは、あくまでも棺だ。中に入っているものがあるとすれば、製作者の亡骸か残滓のようなものだと思うよ」

 

 黒トリガーは、意思を持つか否か。

 

 そういった論争をされる事はあるし、未だ答えの出ない問いではある。

 

 だが。

 

 一度黒トリガーと化した者は、二度と元に戻る事ではない。

 

 生身からトリオン体へ変わるように、幾らでも切り替えの効くものではないのだ。

 

 取り返しのつかない、不可逆の変換。

 

 それが、黒トリガー化というものなのだから。

 

「だから、おれがこの世界にいる意味はもうないんだ。こっちは近界民には生き難い世界みたいだし、これ以上迷惑をかける前に帰った方がいいかなって」

「そんな、迷惑だなんて────」

「迷惑だろ? だって、おれを匿えば迅さん達の立場が危うくなる。敵兵を、拘束もせずに匿ってるようなものだしな」

 

 遊真の言葉は、的を得ている。

 

 確かに、彼を匿うのは少々以上にリスキーな行為だ。

 

 近界民は、今のボーダーの認識では全てが敵だ。

 

 遊真はこれまでボーダーに対して敵対的な姿勢を見せてはいないが、彼が友好的であるとの明確な論拠があるワケでもない。

 

 信じられると思ったから、では組織の方針を易々と変える事は出来ないのだ。

 

 組織というのは、生き物だ。

 

 たとえトップが大丈夫だと認識していたとしても、属する人間を納得させるには確固たる根拠が必要になる。

 

 証拠もなしに特例を作ってしまえば上層部の腐敗を招きかねないし、それ以上に下が納得しない。

 

 ボーダーの大部分は城戸司令の派閥、つまり近界民を排除すべしという考えの人間が占める。

 

 城戸司令はそういった者達をかき集める為に今の方針に転換をしたのだから、当然と言えば当然の話ではあるのだ。

 

 そして、そういった者達は遊真が近界民というだけで排除すべき()として認識する。

 

 組織の多くを占める者達がそういった考えを持っているのだから、トップの一存で遊真に寛容な扱いをしてしまえば相応の反発は必至だ。

 

 特に、三輪が最たるものだろう。

 

 彼は、絶対に近界民の存在を許容しない。

 

 もし、組織の方針として近界民の存在を許容する事を明確化すれば彼はどうなるか。

 

 流石に離反まではしないであろうが、これまで通りとはいかないだろう。

 

 少なくとも、土壇場で暴走する危険性は一気に上昇する。

 

 そういった危険を排除する為には、組織として易々と近界民の存在を受け入れるワケにはいかないのだ。

 

 たとえそれが。

 

 かつての旧ボーダー(じぶんたち)と、相容れない考えだとしても。

 

 組織体制の維持は、防衛の観点から見ても必須事項なのだから。

 

「────────遊真。お前、独りで死ぬ気か?」

「まあバレるか。未来が視える、って言ってたもんね」

「え……?」

 

 迅の質問を遊真が肯定し、修の顔色が変わった。

 

 それだけ、迅の言葉は衝撃的だったからだ。

 

「それは、どういう……」

「考えてみれば、簡単な事だ。黒トリガーといったって、万能じゃない。七海が痛覚を失ったように、黒トリガーで延命した遊真の寿命には限界がある。正しくは、トリガーに保存した生身の肉体の限界が」

「……!」

 

 そう、遊真の話では、致命傷を負った遊真の身体はトリガーの中に格納され、今彼が使っているのはトリオン体である。

 

 11歳の時にトリオン体に変わったのだから、当然肉体の成長などする筈がない。

 

 文字通りの意味で、遊真の時間は止まっているのだ。

 

 だが、彼の生身の肉体はそうではない。

 

 黒トリガーに出来た事は、あくまでも彼の()()

 

 致命傷自体を、どうにか出来たワケではない。

 

 故に、今遊真の身体はこうしている間にも刻一刻と死へと向かっている。

 

 それが、最早成長しない遊真の寿()()と言えるワケだ。

 

「そんな状態で近界に戻れば、何処かで野垂れ死ぬしかない。お前は、そうするつもりなんだな?」

「そうだね。親父が戻って来るなら考えたかもしれないけど、無理ならこっちに留まる意味はないかな。唯一の目的は、なくなっちゃったし」

 

 遊真の言葉を、迅達は否定出来なかった。

 

 何故なら、彼の気持ちが痛いほど分かるからだ。

 

 特に。

 

 同じように黒トリガーを持つ、迅と七海には。

 

 彼等は、喪失の痛みを識っている。

 

 どれだけ時が過ぎようと風化しない、目の前で大切な人が自らの意思で物言わぬ黒い棺に変わってしまった悲劇の記憶。

 

 その記憶が、常に彼等を苛むのだ。

 

 自分は果たして、大切な人の死を許容してまで生きていていいのだろうか、と。

 

 だからこそ、七海や迅は極度に自罰的な傾向があった。

 

 自分の身よりも他者を優先してしまう、過剰な程の利他的行動。

 

 それはきっと、一種の自殺願望に他ならない。

 

 自分の価値を信じる事が出来ないから、自分というものの評価が極端に低い。

 

 故に、平気で身を捨ててしまえる。

 

 そんな歪さが、彼等にはあった。

 

 故に、何も言えない。

 

 自らの死を許容する遊真の姿は。

 

 まさしく、鏡映しの自分自身そのものなのだから。

 

 同様に、忍田や林道も何も言えない。

 

 彼等もまた、多くの者を目の前で失ってしまった経験がある。

 

 喪失の痛みは、充分過ぎるほど知っている。

 

 迅や七海ほど極端でないとはいえ、彼等もまた遊真の気持ちは痛い程分かる。

 

 単純な、知ったかぶりの推察ではない。

 

 同じ境遇だからこそ、理解出来てしまうのだ。

 

 今の遊真の心の痛みが、どれ程のものか。

 

 その痛みの前では。

 

 死なないでくれ、と告げるのはある種の拷問のようなものだ。

 

 それだけ、死という逃げ道は喪失の痛みを識った者には魅力的に見えるのだから。

 

「待ってくれ、空閑」

 

 だから。

 

 彼しか、いなかった。

 

 唯一、此処にいる者の中で喪失の痛みを経験していない。

 

 修しか。

 

 遊真の閉じた心に、踏み込める者はいないのだから。

 

「お前の話は分かった。色々言いたい事はあるけど、もしもこれまでの事を恩に感じているなら聞いて欲しい事があるんだ」

「なんだ? 出来る事だったら、いいぞ」

 

 突然の修の申し出に目を白黒させながら、遊真はそう答えた。

 

 遊真にとって、修と過ごす時間は悪くなかった。

 

 過剰なまでに世話焼きなところは彼の父親を連想させて親しみが持てたし、修があれこれと話してくれるお陰でこの世界に少しではあるが興味は持てた。

 

 だから、彼が望む事であればなんであれ叶えてやっても良い。

 

 そう思うくらいには、遊真は修に親しみを覚えていた。

 

「ぼくは、迅さんが言うには最善の未来に辿り着く為に必要な人員らしい。けど、どう考えてもぼく一人でそんな大それた事が出来るとは思えないんだ」

 

 修は、自身の価値を正しく認識していた。

 

 C級ランク戦は勝ち上がる事が出来ているが、彼自身の地力は誰よりも低い。

 

 そもそもその勝利も裏技を使ったようなもので、本当の彼の実力とは到底言えない。

 

 客観的にそれが事実かはともかく、修の主観ではそうだった。

 

 正直、彼が迅に特別扱いを受けているのは言い方は悪いが出世払いの前借りのようなものだ。

 

 現時点で修は、迅の厚遇に対する恩を何も返せてはいない。

 

 自分がいれば未来は切り開けるというが、こんな非力な自分一人で出来る事などたかが知れている。

 

 そんな自分がもし、最善の未来に辿り着く一助になれるのだとすれば。

 

「だから、お前が必要なんだ。きっと、お前がいなきゃぼくは何も出来ない。求められた期待に応える為には、お前の力が必要なんだ」

 

 それに、と修は続ける。

 

「麟児さんを探すっていう目的だって、ぼく一人じゃきっと難しい。でも、お前が協力してくれれば、きっとうまく行く筈だ」

 

 修はそう言って遊真に手を差し伸べ、告げる。

 

「ぼくの為に、この世界に残って協力をしてくれないか? 恩を返したいって思うなら、そうしてくれると助かる」

「それは、迅さんに未来の事を聞いたから? それとも、おれに同情したからか?」

「────────違う。ぼくが、そうするべきだと思ったからだ」

 

 遊真の問いかけに、修はハッキリとそう答えた。

 

 その言葉に、嘘はない。

 

 他でもない遊真自身の副作用(サイドエフェクト)が、それを真実であると捉えていた。

 

 遊真の顔が、変わる。

 

 それまでの、捨て鉢であったが故に浮世離れしていた表情ではなく。

 

 年頃の、子供らしい不敵な笑みに。

 

「分かった。そう言われちゃ、仕方ない。協力してやるよ、修」

「ありがとう、空閑。頼りにしてるよ」

 

 そうして、二人の少年は手を取り合った。

 

 事態の推移を見ていた二人の大人は安堵し、迅はほっと溜息をつく。

 

 瑠花は興味深げに修を見て、呟いた。

 

「成る程。確かにこれは、迅に必要な子ですね」

 

 同情や憐憫ではなく、敢えて己のエゴをぶつける事で道を切り開く。

 

 単なる迅の同類かと思っていたが、この精神の据わり具合は彼にはない利点である。

 

 良くも悪くも迅が選んだ人間であるという面しか見ていなかった修の価値が、瑠花の中で跳ね上がった瞬間だった。




 まだ千佳ちゃんとエンカウント前なので、もしも迅さんが未来視の事を話してなかったら修は遊真を引き留める口実を作れずアウトでした。

 瑠花ちゃんがいなきゃバッドエンドルート一直線だったという紙一重。

 やっぱりお姫様強い。


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城戸正宗②

 

「成る程、未知のトリガー反応か」

「はい。状況から考えて、迅は嘘をついているとしか思えません。恐らく、近界民(ネイバー)を匿っているものと思われます」

 

 ボーダー、司令室。

 

 そこで、三輪は城戸に今日起きたバムスターの一件の結果報告を行っていた。

 

 内容としては迅が対処したとされるバムスターから、ボーダーのものではない未知のトリガーの反応が検出された、といった内容である。

 

 この結果が出た時点で、三輪は迅が近界民を匿っている事を確信していた。

 

 状況証拠から三輪の中ではほぼ事実であったそれが、論拠を得た瞬間である。

 

 そして、証拠を得たからには当然次にするのは上司に指示を仰ぐ事だ。

 

 三輪は城戸の懐刀のような扱いを受けているが、それは好き勝手出来るというワケではない。

 

 ただ、城戸の指示を直接受けて動く立場にある、というだけだ。

 

 当然独断専行など以ての外だし、作戦行動を提案する事は出来ても決定権があるのはあくまでも城戸である。

 

 故に、三輪の望みを実行に移す為には城戸からの指示が必要不可欠であった。

 

 三輪は、この提案は通ると考えていた。

 

 日頃から、親近界民を謳う玉狛支部は近界民排斥を掲げる城戸派にとって目の上のたん瘤だった。

 

 ただ理想論を語るだけならばまだしも、玉狛支部は精鋭揃いである。

 

 S級隊員の迅は言わずもがな、ボーダー唯一の完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)であるレイジや歴戦の戦士である小南を抱え、烏丸も一位部隊の元隊員として確かな実力を持つ。

 

 特に迅とレイジ、そして小南は一人で一部隊に換算される実力を持った猛者である。

 

 一人だけで部隊一つ分の戦力を賄うに足るという評価は、無視出来ない。

 

 下手に攻撃を仕掛けても、生半可な手では返り討ちに遭う危険性が高いのだ。

 

 それこそボーダーのA級チームを総動員でもすれば話は変わって来るだろうが、派閥同士の抗争の為に大々的に部隊を動かすワケにはいかない。

 

 あくまでも、ボーダーは()()()()なのだ。

 

 その力は街を守る為に運用されるべきものであり、派閥同士の争いに使用して良いものではない。

 

 動かせるとすれば、城戸派の筆頭である三輪や細かい事を気にしない太刀川。

 

 それに、命令には忠実な風間となんであろうと仕事はこなす冬島あたりである。

 

 しかしある程度の大義名分がなければならず、無暗に仕掛けられるワケではないのだ。

 

 三輪は、今回の一件はその大義名分に足る出来事であると考えている。

 

 言葉で親近界民派を標榜するのと、実際に近界民を匿うのとではワケが違う。

 

 近界民は、ボーダーの明確な敵だ。

 

 それを匿うという事は、敵兵を懐に招き入れるという事に等しい。

 

 そんな真似をしたと発覚すれば、幾ら迅とはいえ言い逃れは出来ない。

 

 三輪は、そう考えていた。

 

「迅を査問にかけ、近界民を引き渡させるべきと考えます。今回の件を追求すれば、必ずボロを出します」

「いや、恐らくそれは無理だろうな。現段階では、状況証拠しかない」

 

 だが、城戸はそれに否と答えた。

 

 当然、提案が通ると思っていた三輪は形相を変える。

 

「そんな……っ!? 未知のトリオン反応が検出されたのですから、言い逃れは出来ない筈では……っ!?」

「あくまでもトリオン反応が検出された()()で、近界民を匿っている明確な証拠はない。その反応にしろ、玉狛製の新しいトリガーを試用していたとでも言えばそれ以上は追及出来ん」

 

 城戸の返答に、三輪は歯を食い縛り激情に堪えるしかなかった。

 

 そう、三輪は明確な根拠として未知のトリオン反応の検出と迅の報告との差異を挙げたが、逆に言えばそれだけだ。

 

 ハッキリ言ってしまうと、迅が近界民を匿っている、というのは三輪の想像に過ぎない。

 

 そして、状況証拠しか無い以上は白を切るのは簡単だ。

 

 玉狛は、近界から持ち帰った技術で様々なトリガーを独自開発している。

 

 それを使っていたとでも言えば、未知のトリオン反応の件は言い訳が出来てしまう。

 

 これが本部所属の隊員であれば言い逃れは出来なかったであろうが、玉狛支部に所属し特殊な立ち位置を持つ迅はこの理由を盾に追及を突っぱねる事が出来る。

 

 規模としては一番大きな城戸派閥ではあるが、玉狛に対して強権を発動出来るかと言われればそれは否だ。

 

 玉狛は本部からしてみれば支部の一つに過ぎないが、同時にその戦力は無視出来ない。

 

 一人一部隊換算の隊員を三人も抱えるボーダー最強の支部、それが玉狛支部だ。

 

 戦えばまず無傷では済まず、場合によっては返り討ちに遭う可能性さえ存在する。

 

 加えて、三輪は知らないが玉狛支部はボーダーの最重要人物である瑠花の弟の陽太郎がいる。

 

 迅だけと敵対するならばまだしも、支部そのものを敵に回してしまうのは城戸派としては避けたいところだ。

 

 ある意味ボーダーのアキレス腱を抑える彼女の心証が低下してしまえば、どんなリスクを負う事になるか分かったものではないのだから。

 

「だが、迅に怪しいところがあるのは事実だ。それに、明確な証拠さえあれば追及する手立てはある。事を荒立てない範囲であれば、探る事を許可しよう」

「……! 了解しました。近界民が発見出来た場合は────」

「始末しろ。近界民(ネイバー)は、我々の敵だ」

 

 城戸の命令に「了解」と返答すると、三輪は一礼して司令室を出た。

 

 その顔に映すのは、暗い喜び。

 

 姉を奪った近界民への憎悪と、姉を見殺しにした迅への嫌悪。

 

 それを晴らせる絶好の機会に、三輪の感情はこれまでになく高まっていた。

 

 だからだろう。

 

 その後姿を見ながら沈痛な面持ちを浮かべる、城戸の顔に気付けなかったのは。

 

 

 

 

『これでいいんだな? 迅』

「ああ、それで構わないよ。下手に城戸さんが俺に対して寛容さを見せると、三輪が暴走しちゃう危険があるからね」

 

 玉狛支部。

 

 そこで、迅は通信越しに城戸と連絡を取っていた。

 

 実のところ、迅は林道と共に遊真の一件を既に城戸に報告している。

 

 突然の連絡とその内容に驚愕しつつも、城戸は迅の要望を受け入れた。

 

 即ち、「三輪には可能な限り好きにやらせろ」という要望を。

 

 表向きでは対立している城戸派と玉狛支部であるが、その内実はというと互いに隔意などはなく、むしろ連絡を密に取る友好的な関係であると言って差し支えはないだろう。

 

 だが。

 

 その事実は、表に出すワケにはいかないのだ。

 

 何故ならば。

 

 城戸派の存在は、現在のボーダーの隊員達にとってなくてはならないものだからである。

 

 今のボーダーは、城戸の喧伝した「近界民を排除し、街を守る組織」という看板を前面に出して活動を広げている。

 

 かつては旧ボーダーの一員でもあった城戸がこんな方針転換をしたのは、偏に組織を大きくする為だ。

 

 四年前の大規模侵攻では、明確な人員不足により被害の拡大と長期化を招いた。

 

 そこで、城戸は決意するしかなかったのだ。

 

 あのような被害を防ぐ為には、手段を問わずに組織を大きくするしかないと。

 

 実際、その目論見は成功した。

 

 四年前の大規模侵攻を切っ掛けに、近界民を恨む市民は多い。

 

 家を壊された者、親類を殺された者、身内を攫われた者。

 

 その何れもが、近界民に深い憎悪を抱いている。

 

 可能ならば、自分の手で憎い近界民を殺してやりたい。

 

 そういった復讐願望を持つ者は、多い。

 

 城戸はその憎悪の捌け口を与える形で隊員を募集し、結果としてボーダーの規模は膨れ上がった。

 

 最も大きな派閥である城戸派であるが、その人員が多いのはそういう方法で隊員を集めた以上、当然といえば当然なのだ。

 

 憎悪を糧に研鑽を積む者はモチベーションという点で大きなアドバンテージがあり、実際にそうやって強くなり立場を確立したのが三輪である。

 

 想いだけで勝敗が決まりはしないが、逆に言えば想いがなければ研鑽を積む事すら出来ないのだから。

 

 そういう意味で、復讐者達は戦力としての質がある程度担保されていると言える。

 

 そして。

 

 三輪は、そういった近界民を憎む者達の代表としての側面もあるのだ。

 

 彼は、日頃から近界民への憎悪と殺意を公言し、親近界民を標榜する玉狛支部への嫌悪を隠そうともしていない。

 

 故に、復讐者達は思うのだ。

 

 自分達は、肯定されていると。

 

 近界民への復讐は、悪ではないのだと。

 

 そうして彼等は更にモチベーションを高め、研鑽に励む。

 

 その結果が、ボーダーの戦力向上に繋がっている面は否定出来ない。

 

 言うなれば、嵐山が表の広告塔であれば、三輪は裏の広告塔なのである。

 

 復讐を公言する事で同じ志を持つ者達に活力を与え、ボーダーへの入隊を促し積極的な研鑽へ繋げさせる。

 

 その為の看板が、三輪なのだ。

 

 故に、こと近界民の絡む事態で三輪をぞんざいに扱う事は出来ない。

 

 要望を却下した程度で彼が反旗を翻す事は無いだろうが、精神的に著しく不安定になるのが目に見えている。

 

 そうなると暴走の危険性が高まり、何をするか全く予測出来ない。

 

 城戸は、彼の精神的な支柱のようなものなのだ。

 

 復讐を謳う自分を認め、重用してくれる城戸を三輪は慕っている。

 

 だからこそ、その彼に拒絶されればどうなるか。

 

 そして、彼が暴走すれば連鎖的に彼を目指して鍛錬を積んでいた復讐者達もそれに続く危険がある。

 

 本人に自覚がないだけで、それだけ三輪という存在の持つ影響力は大きいのだ。

 

 それが分かっていたからこそ、迅は城戸に告げたのだ。

 

 「三輪の好きにさせろ」と。

 

 現時点で、三輪に修の事はバレてはいない。

 

 今の三輪の関心は迅本人に向いており、未だC級隊員である修の事まで目を向ける余裕は無い筈だ。

 

 三輪は迅への悪感情から、何か都合の悪い事があればそれは迅の所為であると思い込む傾向がある。

 

 そこに、あからさまに迅が怪しい状況を目にしたのだ。

 

 彼の事にのみ注視するようになるのは、むしろ当然と言える。

 

 だからこそ、迅は城戸に頼んで三輪の行動を肯定させたのだ。

 

 修から、三輪の眼を逸らす為に。

 

 三輪の心理状態を、読み切った上で。

 

『だが、いつまでも隠し通せるとは思えんぞ。お前が三雲をボーダーに入隊させた事は、調べれば分かる話だ。そこから、彼の存在に辿り着く可能性もある』

「当然、いつまでも隠せるとは思っていないよ。少しの間、時間稼ぎが出来れば充分だ。城戸さんとしても、そっちの方がありがたいでしょ?」

『…………そうだな。配慮を感謝しよう』

「いいって。俺と城戸さんの仲でしょ」

 

 城戸の言葉に、迅は苦笑した。

 

 迅からしてみれば城戸には世話になりっぱなしでむしろそれはこちらの台詞なのだが、此処は受け入れておくのが得策と判断した。

 

 なにせ、城戸からしてみれば四年間誰も頼ろうとしなかった迅が、このような形とはいえ自分を頼って来たのだ。

 

 つい応えたくなるのが、人情というものである。

 

「城戸さんは、近界民排斥派としての立場を崩さないよう気を付けてくれればそれでいいよ。この際だから、白黒着ける場を用意した方が良さそうだしね」

『そうだな。有吾の息子────────空閑遊真、といったか。彼の持つ黒トリガーの存在が明らかになれば、派閥同士のパワーバランスの為にそれを奪いに行くという名目が立つ。そうして、お互いの派閥の代理戦争という形式の戦いに持ち込めば良いワケだな』

 

 そして、この状況はお互いにとって好都合な点がある。

 

 それは、互いの派閥で明確に白黒を着け、今回の件に決着を着けられる機会が用意出来る、という事だ。

 

 遊真の存在は、ボーダーにとって劇薬だ。

 

 近界民というだけでも厄ネタだというのに、その父親はボーダー創設に関わった重要人物。

 

 その出自が明らかになれば、混乱が起きるのは必至だ。

 

 だが、城戸ら上層部からしても世話になった人物の息子を受け入れない、という選択は有り得ない。

 

 だからこそ、「挑んだ結果敗北し、受け入れざるを得なかった」という妥協点が必要になるのだ。

 

 城戸本人の独断ではなく、玉狛支部との戦いを挟んだ交渉の結果であるならば、三輪のような復讐者側から異論を挟む事は難しくなる。

 

 後始末でしくじれば新たな火種になり兼ねないが、逆に言えばそこさえ失敗しなければどうとでもなる。

 

 三輪を利用するようで迅や城戸にとっても心苦しいが、そのあたりは彼をボーダーに入るよう立ち回り、そして受け入れた当人として責任を取るしかない。

 

 せめて最終的な責が彼に向かわないようにしよう、というのは二人の共通見解であった。

 

「あ、言うまでもないけど事情を伝える人は厳選してね。あくまでも、派閥同士の争いっていうスタンスを維持するのが大事だし」

『言われるまでもない。それと、一つ言っておく事がある』

「うん……?」

 

 突然の城戸の言葉に迅は目を白黒させ、通話の向こうで城戸が苦笑した気配がした。

 

瑠花と小南(ふたり)への言い訳は、お前が考えろ』

「あ……」

「「迅」」

 

 振り向けば、そこには青筋を立てた少女が二人。

 

 分かり易く怒りを露にしている小南と、表面上は笑顔ながらも言い知れぬ威圧感を醸し出している瑠花。

 

 ある程度の会話を拾っていたと思われる二人は、詰問準備を万全にして迅に詰め寄っていた。

 

「あちゃあ。読み逃したな」

 

 迅は二人の怒れる少女に迫られながら、苦笑する。

 

 そんな迅の脇をがっちりと固め、小南と瑠花は今回の件に関する尋問を開始するのだった。



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小南桐絵④

 

「で? 説明して貰いましょうか」

 

 小南はドアの前で腕を組み、迅相手にそう詰め寄った。

 

 今彼女達がいるのは、迅の寝室である。

 

 瑠花と小南の二人によって有無を言わさず此処へ叩き込まれた迅は、逃げ道を塞がれ詰問を受けていた。

 

 迅は瑠花にがっちり右腕を掴まれた上でベッドの上に座らされており、二人の迫力に冷や汗をかいている。

 

 彼の右腕は瑠花に両腕で抱え込まれる形で拘束されているので彼女の胸の感触がダイレクトに伝わって来るのだが、それを楽しむ余裕さえない。

 

 というか、その様子を見ている小南の視線の温度がどんどん低下しており、迅としてはいつ爆発するか気が気ではないのだ。

 

「…………ちょっと、瑠花。そんなに密着しなくてもいいでしょうが」

「このくらいしないと、迅は逃げてしまいますよ。それに、迅も私と触れ合えてまんざらではないのでは?」

「いやあ、出来れば離れて貰えると嬉しいかなって」

拒否します(いやです)

 

 迅の抗議を当然のように却下し、瑠花はニコニコと微笑み────────それを見て、小南の額に青筋が立った。

 

 小南と瑠花は割と仲は良いが、時折感情を剥き出しにして口喧嘩を始める事がある。

 

 まあ、小南が口で瑠花に勝てるワケがないので全戦全敗の状態ではあるが、それに巻き込まれる方からしてみればたまったものではない。

 

 基本的に瑠花が煽り、それに乗った小南を正面から撃退するのが常なので、完膚なきまでにやり込まれた小南の矛先が迅へと向かうワケだ。

 

 理不尽だとは思うが、彼女達の理屈では悪いのは迅であるらしいので、碌に抵抗は出来ない。

 

 玉狛内での、女子のヒエラルキーの高さが窺い知れるというものだ。

 

 通常時はそこまででもないのだが、瑠花が襲来すると途端に形勢が一気に傾く。

 

 流石元王女というべきか、瑠花には場を支配するカリスマのようなものが備わっている。

 

 強気な発言の一つ一つに抗い難い圧があり、反論する気力を根こそぎ封じて来るのだ。

 

 精神的な強さという意味で小南は負けてはいないのだが、単純に口の強さが違う。

 

 感情だけで食って掛かる小南を、瑠花がそれらしい理屈をこね回して真正面から言い負かす。

 

 それが、二人の口喧嘩のいつもの結末であった。

 

「それに、聞きましたよ? 小南は、ちょくちょく迅と同衾しているのでしょう? ならばその分、私の好きにさせて貰っても構わないという事ですよね?」

「ど、同衾じゃないわよ……っ! ちょっとベッドに潜り込んだだけで……っ!」

「ですから、それは同衾でしょう? 年頃の男女が寝所を共にするのですから、それ以外に言いようがないのでは?」

「うぐ……っ!?」

 

 勿論、例外なんてものはない。

 

 迅のベッド突撃事件の事をやり玉に挙げられ、小南は閉口した。

 

 年頃の少女らしい情緒は戦場に置いて来た小南ではあるが、それはそれとして羞恥心はしっかりとある。

 

 他者とは羞恥を感じるポイントが大幅にズレているとはいえ、流石に彼女もベッドに突撃するような無茶をするのは迅相手の時だけだ。

 

 ボディタッチ程度ならなんとも思わない小南ではあるが、迅の部屋に遠慮なしに突貫出来るのは昔からの経験と彼への信頼があるからだ。

 

 旧ボーダー時代からの付き合いである迅に対して、小南は絶大な信頼を置いている。

 

 数々の鉄火場や悲劇を共に乗り越えた間柄として、共にいると安心する相手、として認識されているのだ。

 

 故に、迅の部屋への突撃は小南にとっては昔の行為の延長線上でしかない。

 

 瑠花もそのあたりは理解しているのだが、結局のところ突かれる隙を見せた小南が悪い。

 

 弱みなんてものを見せた時点で、最初から勝敗は決まっていたというワケである。

 

「さて、小南で遊ぶのはこれくらいでいいでしょう。迅、説明して貰えますか?」

「あ、ああ、分かった」

 

 むすぅ、と押し黙る小南を尻目に、瑠花はいけしゃあしゃあと当初の話題に切り替えた。

 

 しかし腕の拘束を解く気はなく、むしろ一層強めている。

 

(嘘や誤魔化しの気配があった場合、この場で私を押し倒させます。そうなった時の小南の反応、見ものですね?)

(頼むから勘弁してくれ。いやホントに)

 

 瑠花の脅迫に迅は白旗を上げ、降参を宣言する。

 

 その様子に瑠花は満足気に笑いつつ、しかし腕の拘束は緩めずにそのまま聞く姿勢を取った。

 

 瑠花は基本的にSっ気が強いので、相手をやり込める事に快感を覚えるタイプである。

 

 王族としての性と言うべきか、とにかく自分がマウントを取る事に執着する傾向があるのだ。

 

 瑠花自身はそこまで性格が悪いワケではないのだが、言葉の随所随所にナチュラルな上から目線が垣間見える。

 

 普通であれば諍いの元になりそうな性質ではあるが、瑠花はそのあたりも理解して立ち振る舞っている。

 

 自分の発言や行動の一つ一つに責任を持つからこそ、彼女の言葉には力が宿るのだ。

 

 有言実行、その極まった形と言える。

 

 無責任に強気な言葉や虚言を弄するのではなく、常に本気で発言を行いいざという時はきちんと責任を取る。

 

 それが、瑠花の自信の源である。

 

 事実、彼女の言葉は遊真の副作用(サイドエフェクト)によって全て真実であると証明されている。

 

 嘘を言わないが故の、問答無用の説得力。

 

 瑠花の言葉の圧の、その理由である。

 

「じゃあ、説明をしようか」

 

 そんな瑠花の行動に苦笑しながら、迅は説明を始めた。

 

 最初から、隠すつもりはない。

 

 以前の迅であればともかく、今の迅はきちんと話を通す事の重要性を理解している。

 

 強硬な手段を用いずとも、話すつもりはあったのだ。

 

 逃げ道を塞がれたのは。事実ではあるが。

 

「今日、遊真って子に会ってね。彼を視た瞬間、理解したんだ。遊真が、俺の探していた最後の一人だって」

「それって……っ!」

「ああ、そうだ。最善の未来に至る為の、最後のピース。それが、彼だ」

 

 迅はそう告げると、先ほど遊真に許可を取って撮影した彼の顔写真を懐から取り出した。

 

 二人はそれを見て、「チビね」「子供、ですか」とそれぞれの感想を口にする。

 

 そんな二人に苦笑しながら、迅は続けた。

 

「加えて言えば、彼は近界民(ネイバー)だ。父親は、この世界の人らしいけどね」

「へえ」

「まあ、近界民の一人や二人来てもおかしくありませんね。言うなれば、私だってそうですし」

 

 普通のボーダー隊員であれば絶句するしかない遊真の正体も、近界民に慣れた小南や当人も近界民である瑠花からしてみればただの事実でしかない。

 

 このあたりが、玉狛と本部との感覚の差だ。

 

 玉狛支部、特に旧ボーダーの面々は実際に近界に赴き、多くの近界民と出会った経験がある。

 

 それは必ずしも敵対的な関係だけではなく、瑠花のように友誼を結んだ相手もいた。

 

 だからこそ、近界民は一括りにするべきものではなく、この世界と同じように様々な人間がいるのだという事を、理解している。

 

 故に、本部の人間のように排除一択の選択肢には成り得ない。

 

 そのあたりの差異も、本部と距離を置いている理由の一つと言える。

 

「遊真はどうやら、自分のトリガーでバムスターを撃退したみたいでね。その場は俺がやった事にしたけど、彼のトリガーの反応は恐らく残ったままだ。ついでに言えば、その現場に確認に来たのは三輪なんだよ」

「あー、三輪か。アンタの事嫌ってるし、色々思い込みで動いちゃうんじゃない?」

「恐らくそうなるだろう。城戸さんとしても、三輪を止める事は出来ないしな」

 

 小南は遊真の痕跡が三輪に見つかっていると言われ、あちゃー、と額を押さえた。

 

 三輪の近界民への憎悪は、小南も良く知っている。

 

 というよりも、ボーダーの隊員で彼の近界民嫌いを知らない者はほぼいない。

 

 自ら喧伝しているワケではないが、三輪のように高い立場を持つ者が公然と近界民憎しと言っていれば、自然と広まるものだ。

 

 その容赦の無さも相俟って、三輪の知名度は本人が思った以上に高いのである。

 

 加えて、なまじ小南達は三輪の気持ちが理解出来てしまうので強く出れない、という面がある。

 

 大切な人を亡くした痛みは、当人にしか理解出来ない。

 

 同じように大切な人を亡くしてしまった経験のある小南達であるからこそ、その苦しみが分かってしまう。

 

 故に、たとえ迅が一方的に敵視されていたとしても、黙認するしかなかったのだ。

 

 そして、それは城戸も同じ。

 

 三輪を裏の広告塔として利用している自覚があるが故に、表向きはどうあれ彼の事を無碍には出来ない。

 

 色んな意味で、三輪は複雑な立場に置かれているワケである。

 

「多分、暫くは俺の事だけ探って来るだろうから、時間を稼ぐ為に少し此処から距離を取るよ。遊真の事は、三雲くんに任せるさ」

「例の、アンタが入隊させたって子ね。藍ちゃんが言うには、弱いけど見どころがあるって話だったけど」

「へえ、木虎が。それは読み逃してたな」

 

 迅は小南から木虎の修評を聞き、意外そうな顔をした。

 

 木虎と迅の関わりは、正直に言うと薄い。

 

 精々友人の嵐山の隊員であるというくらいで、話した事も数える程度しかない。

 

 嵐山が自分の事を木虎にどう伝えているかは分からないが、あちらも迅に対する印象は良くも悪くも自分の隊の隊長の友人、程度のものだろう。

 

 故に木虎と自分から会おうとはしていなかったのだが、そんな所で修にA級との繋がりが出来ているとは思わなかったというのが正直なところである。

 

「でも、木虎が自分から誰かを褒めるなんて珍しいな。いつもツンケンしてるイメージだったけど」

「なんでも、無駄な努力をする奴は嫌いだけど、自分の出来る事をやって結果に繋げようとしてる子は嫌いじゃないんだって。藍ちゃんもこの修って奴ほどじゃないけどトリオンは低い方だし、共感もあったんじゃない?」

 

 どうやら、迅の疑問は既に小南がその場で聞いていたようだ。

 

 木虎は自分にも他人にも厳しいが、反面認めるべきところはしっかり認められるだけの度量はある。

 

 その木虎が認めたのだから、七海の修に対する育成方針は間違ってはいなかったらしい。

 

 聞くところによれば、既に自分なりの勝ち方を模索して勝ちを重ねているらしかった。

 

 まあ、傍から見るとあまり見栄えの良い戦い方ではないので、今は試合自体が成立せずに難儀しているようであるが。

 

「話を戻そうか。とにかく、いつまでも隠し通す事は出来ないからね。折を見て三輪と遊真をかち合わせて、そこから派閥間の代理戦争に持ち込んでいくつもりだよ。遊真は黒トリガーを持ってるから、それを奪う為って名目が立つしね」

「本格的に戦り合うワケね。分かったわ。誰が来ようとギッタンギッタンに────────」

「いや、小南は戦わないで欲しいんだ」

「は……?」

 

 戦うと聞いて即座にやる気満々になった小南に対し、迅はそう言って制止した。

 

 まさか止められるとは思っていなかった小南は半眼で迅を睨み付け、胸倉を掴む。

 

「ちょっと、どういう事よ? また、一人でどうにかしようってワケ?」

「それはそうなんだけど、ちゃんと理由を話すから落ち着いて」

「ふざけた理由だったらぶっとば────────ううん、瑠花。その時は好きにしていいから」

「勿論です」

 

 単純な暴力よりもこの元王女に任せた方がダメージが大きいと直感した小南はそう話し、当然のように瑠花はそれを了承した。

 

 無論、彼女は本気でやるつもりである。

 

 彼女がやると言ったら、本気でやるのだ。

 

 有言実行、それが彼女のポリシーなのだから。

 

「あ、えっとね。まず、今回は派閥間の代理戦争になるけれど、あくまでも()()戦争って所が重要なんだ。小南やレイジさん達が出張っちゃうと本格的な抗争になっちゃって、落としどころが見つからなくなっちゃう可能性が出て来ちゃうんだよ」

 

 そのやり取りに冷や汗をかきながらも、迅はそう説明した。

 

 迅と城戸の狙いはあくまでも代理戦争で決着を着ける事であり、抗争を起こしたいワケではない。

 

 この場合、迅は玉狛支部ではあるがS級隊員という特殊な立場にある為、彼の参戦は黒寄りのグレーとなる。

 

 完全な黒でなければどうとでも言い訳が出来るので、迅の参戦自体は問題ない。

 

 だが。

 

 小南やレイジは、紛れもない玉狛支部の一員だ。

 

 所属というだけではなく、その活動も支部の一員としてのものだ。

 

 故に、迅のような言い訳は効かない。

 

 彼女達が参戦した時点で、本部と玉狛支部の敵対、という図式が成立してしまうのである。

 

「だから、やる時は俺と、忍田さん経由で嵐山隊を動かして貰う。場合によっては、七海にも援軍を頼むかもしれない」

「七海に? あいつをそういう事に巻き込んで大丈夫なワケ?」

「大丈夫だ。少なくとも、城戸さんは悪いようにはしない」

「ま、それもそうか。城戸さん、七海の事割と気にかけてるもんね」

 

 小南は城戸自身の事は色々思うところはあるが、彼が七海を気にかけている事は知っている。

 

 その城戸が、自分の思惑に巻き込んでおいてその後の保証を怠るとは思えない。

 

 そういった意味では、小南は城戸を信頼していると言える。

 

「形式上は城戸さんの命令を受けたトップチームが黒トリガーを奪いに来て、それを迎撃する事になる。秘密裏の作戦って事になるから表立って処罰は出来ないし、ペナルティを科すとしても実質的に意味がないものにするくらいの事は出来るからね」

 

 たとえば遠征資格の凍結とか、と迅は説明する。

 

 確かに、それは人によっては致命傷となるペナルティだが、遠征に行く気がない七海にとっては有名無実な罰則と言える。

 

 幸いと言うべきか、七海達那須隊には遠征に向かう明確な動機を持った者が一人もいない。

 

 というよりも、七海と那須は身体的な面で、茜は保護者の反対という面で遠征に行く事が出来ない。

 

 だからこそ、対外的には充分な罰則を与えつつ、実質的なダメージを回避するにはそれが妥当だろうと迅は考えている。

 

 まあ、迷惑をかける事は事実なので、迅としても充分な便宜は後々図るつもりでいるのだが。

 

「まあそんなワケで、心配しなくても大丈夫だよ。それに、約束もあるしね」

「約束?」

「太刀川さんと、()()()戦り合うって約束したんだ。この前は世話になったし、色々と待たせ過ぎたしね」

 

 迅は、太刀川へ告げた言葉をきちんと覚えている。

 

 風刃を持った彼と、強くなった七海と戦う機会が来る、という予言。

 

 未来視を持つ者として、その予言(ことば)の責任は取らなくてはならない。

 

 それが、背中を押して貰った者として────────そして、悪友として果たすべき責務なのだから。

 

「正直なところ、楽しみでもあるしね。太刀川さんとの戦いは、正直なところ一番の息抜きになっていたし」

 

 無論、それだけではない。

 

 悪友としては勿論、太刀川のライバルとして彼との戦いを望む自分がいる事を迅は自覚していた。

 

 あの頃の、太刀川と戦り合っていた頃の興奮は、今でも忘れ難い。

 

 自然、闘志が漲るのを感じた。

 

 自分達の目論見に巻き込む事にはなるが、太刀川はそんな事を気にはしないだろう。

 

 関係ないとばかりに、嬉々として挑んで来るに違いない。

 

 その時が、待ち遠しい。

 

 そんな気持ちを抱いていないと言えば、嘘になるだろう。

 

「そっか。なら、仕方ないわね」

「いいのですか?」

「本人が戦りたいってんだから、しょーがないのよ。太刀川と戦いたいって気持ちは、悔しいけど分からなくはないし」

 

 小南は少女としての自分を捨ててはいないが、同時に戦士でもある。

 

 確かな実力を持った戦士としての小南は、迅の闘志を否定出来ない。

 

 口では色々言っているが、小南も太刀川の実力は認めているのだ。

 

 その彼との戦いを望むという気持ちも、理解出来る。

 

 何より。

 

 ただの責任感や強迫観念ではなく、迅自身が望んで戦おうとしている。

 

 ならば、止める必要はない。

 

 そう割り切って、小南はバンッ、と迅の背を叩いた。

 

「やるからには、勝ちなさいよ。必要な事があれば協力してあげるから、いつでも言いなさい」

「勿論さ。ちゃんとそこまで漕ぎ着けて、きちんと勝って来るよ。その時は、ご褒美の一つでもくれるかな?」

「なんでもやったげるわ……っ! だから、勝ちなさいよねっ!」

「了解。全力で勝って来るよ」

 

 小南の激励に、迅はそう言って誓いを立てた。

 

 やるからには、全力で。

 

 それが、誠意というものだ。

 

 太刀川に対しても、そして三輪に対しても。

 

 迅は三輪へのとある負い目を思い返し、だからこそ手は抜かない、と誓う。

 

「────────今、なんでもと言いましたね? どんな事をやろうとしているのか、詳しくお聞きしましょうか」

「え……?」

 

 そこで初めて自分の迂闊な一言(弱みを見せた事)を悟り、小南の顔が固まる。

 

 小南の隙を見逃さなかった瑠花は、活き活きとした表情で言葉攻めを(あそび)始めた。

 

 彼女の気が済むまでからかい倒された事は、言うまでもない。

 

 迅は、その様子を冷や汗をかきながら見守るしかなかった。

 

 だって、視えてしまったのだ。

 

 小南が終われば、次は自分の番である事を。

 

 勢いに乗った瑠花(おうじょ)に、勝てる者などいないのである。



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木虎藍②

「成る程、三雲くんか。確かに見どころがありそうな子だな」

「本人の地力は最低クラスですけど、頭を使って勝とうとしていますからね。無駄にならない努力をしているので、見込みはあると思います」

 

 木虎は嵐山と二人、帰り道で丁度話題に上がった修の事を話していた。

 

 普段であれば車で送迎されている木虎だが、両親は共に急用が出来た為強に限って迎えに来れなくなったのだ。

 

 そこで名乗りを上げたのが、嵐山である。

 

 嵐山は信頼性という意味でボーダーで最も安心出来る少年であり、木虎としても彼ならば断わる理由はない。

 

 ボーダーというか三門市でアイドルのような扱いを受けている嵐山なので他の女性と軽々しく二人きりで歩いてはいけないのだが、そもそも木虎は彼の隊員だ。

 

 嵐山と同じく木虎もまた顔と名が売れており、二人が揃っていても「仕事帰り」という言い訳が利く。

 

 そういう意味で、双方にとって何ら問題のない送迎である。

 

 そんな中で修の話題が出たのは、木虎がC級のブースにちょくちょく顔を見せている事を聞き及んだ嵐山が、その理由を尋ねた為だ。

 

 そこで名前が出たのが、誰あろう三雲修である。

 

 木虎は最初に見掛けてから、時折C級のランク戦ブースに顔を出し修の試合を密かに観戦していた。

 

 彼女的には隠れて見ていたつもりなのだが、前述の通り木虎は顔が売れている。

 

 当然C級隊員も木虎の顔を知っている者ばかりであり、そもそも割と容貌の整った美少女である彼女はただそこにいるだけで結構目立つ。

 

 その彼女がC級ランク戦のブースに顔を出し、「成る程」「良い判断ね」と呟きながら訳知り顔で頷いている姿が何度も見掛けられている。

 

 正直に言って、噂になるのは当たり前だ。

 

 そうして無意識の後方彼女面をしていた木虎の噂が遂に嵐山の耳まで届き、その理由を問うた次第である。

 

 嵐山としては、別段注意するつもりはなかった。

 

 ただ、C級のランク戦ブースという普段の彼女が興味を抱かないであろう場所に度々赴いている事を知り、単に関心が沸いたのだ。

 

 一体何が、木虎を惹きつけているのかを。

 

 そうして聞いてみれば、返って来た答えは予想外のものだった。

 

 即ち、「見どころのあるC級隊員がいる」。

 

 これに尽きる。

 

 ハッキリ言って、面食らった。

 

 あの自尊心の塊のような木虎が、事あるごとにけなしているC級隊員の一人に興味を持つなど、今までならば有り得なかった事だ。

 

 しかし、聞いてみればその理由も理解出来た。

 

 三雲修というC級隊員は、データを見る限り戦闘員として戦う事そのものが厳しいレベルの能力(ステータス)しかない。

 

 格闘能力は絶望的だし、トリオンも2と極端に低い。

 

 何故入隊試験を通ったか不思議なレベルだが、そこで嵐山は一つの噂を思い出した。

 

 曰く、「迅が特別に入隊させた新入隊員がいる」というものだ。

 

 最初はただの噂だと考えていたが、修の能力値を見ると失礼ではあるがまともな方法で入隊試験を通れるとはとても思えない。

 

 ボーダーの入隊試験は、一定以上のトリオン数値さえ確認出来れば筆記試験の成績にほぼ関係なく通れるのだが、逆に言えばトリオン値が低過ぎればまず通過させては貰えない。

 

 単純に、トリオンが基準値に満たない者を戦わせるのは危険だからだ。

 

 トリオン量は、そのまま戦闘の才能に直結すると言って良いくらい重要な要素だ。

 

 大量のトリオンを有するものは攻撃そのものの威力が上がるし、継続的に長時間に渡って戦う事が出来る。

 

 翻って、トリオンの低い者は攻撃力が低く、更には継戦能力にも乏しい。

 

 戦える時間が限られている以上、結果を残すどこか下手をすれば危険な目に遭いかねない。

 

 だからこそ、トリオンが基準値に満たなかった者は容赦なく落とすというのがボーダーの方針だ。

 

 修のトリオンは、2。

 

 明らかに、基準値を下回っている。

 

 そして、木虎のように戦闘のセンスに優れているようにも見えない。

 

 どう考えても、普通の方法で入れる能力値ではないのだ。

 

 故にこそ、例の噂が真実味を帯びて来る。

 

 迅は無駄な事はしない男だが、逆に言えば必要とあらばあらゆる手段に手を伸ばす。

 

 彼が必要だと考えれば、C級隊員の一人くらい捻じ込む事はそこまで難しくはないだろう。

 

 そして、木虎の話を聞き成る程、と嵐山は修の事を評価した。

 

 自らの非力さを、戦術で補う戦い方。

 

 確かに、見どころがあると木虎が言うのも分かる。

 

 だが。

 

 それは、C級隊員の戦い方ではない。

 

 B級の、正隊員の戦い方だ。

 

 そもそも、木虎の話を聞く限り修は置き弾や射撃トリガーのチューニングを活用して勝利を重ねているらしい。

 

 そのどちらも、C級の間に学ぶ機会があるとは思えない。

 

 那須や出水(一部の天才)を除き、自力でそこまで到達する隊員はそう多くはない。

 

 大抵は先達者から技術を学び、それを模倣して自分のものにしていくのだ。

 

 明らかに、誰かの入れ知恵の痕跡がある。

 

 無論、手を変え品を変え戦っているという話だから、今ではその戦い方を自分のものにしているのだろう。

 

 しかし。

 

 ()()()()()を学んだ相手が、誰かしらはいる筈だ。

 

 修に戦術の使い方を教えた、誰かが。

 

 嵐山はそんな自分の考えを木虎に伝えたが、彼女もそこは同意見だった。

 

 「きっとこの前の研修で物好きなB級の誰かが教えたんでしょう」と、深くは考えてはいないようであったが。

 

 例の噂を考えると迅、という可能性はある。

 

 だが、知る限り迅は射撃トリガーを扱った経験は無い筈だ。

 

 かといって、迅の親しい相手の中に射手はいない。

 

 一番近いのが太刀川の部隊である出水か、七海の部隊である那須であるが、頼みごとをするには少々関係が薄い。

 

 七海に関連して那須と繋がりがある可能性はあるが、そもそも彼女は人に教える事に適性があるようには見えない。

 

 引っ掛かりを覚えつつも「そういう事もあるだろう」と自分を納得させようとした嵐山だったが、ふとある事に気付き動きが止まった。

 

「…………もしかして、七海くんか……?」

「え? 七海先輩がどうかしたんですか?」

 

 七海玲一。

 

 彼ならば、射撃トリガーのいろはを教える事が出来ても不思議ではない。

 

 七海の師の一人に、出水がいる。

 

 教え上手な出水の弟子となれば、最低限指導役としてのノウハウは備わっている筈だ。

 

 性格的に向いていないにも程がある二宮はともかく、七海は社交性が高いとは言えないが教導能力自体はありそうだ。

 

 それに、迅の頼みとあらば一も二もなく頷くだろう。

 

 そんな自分の考えを話すと、木虎は成る程、と納得を示した。

 

「確かに、七海先輩なら有り得そうですね。迅さんとそこまで仲が良かったというのは初耳ですが」

「言ってなかったかな? 七海くんは、玉狛支部と繋がりがあってね。特に迅とは、何やら特別な縁があると聞いているよ。もしかすると彼の亡くなった家族に関係ある事かもしれないから、聞くのはおすすめしないけどね」

 

 嵐山は七海の情報に関しては、玉狛支部や迅と親しい、くらいの話しか知らない。

 

 七海の右腕の事や天涯孤独である事は聞いているが、詳しい事情まで何もかも知っているワケではないのだ。

 

 その話を聞き成る程、と木虎は納得し、そこで話題を打ち切った。

 

 他者が踏み込んで良い領分は、彼女も弁えている。

 

 第三者に過ぎない自分がズカズカ踏み込んで良い事ではないだろうと、木虎は話題を修の方へと切り替えた。

 

「あの実力だと苦労しそうですし、何かあればそれとなく助けてあげても良いかなと。差し当たっては最近は対戦拒否される事が多いようなので、一つ助言でもしに行こうかと考えています」

「良いと思うぞ。俺としても、見どころのある隊員がB級に上がってくれるのは嬉しいからなっ!」

 

 木虎の彼女らしからぬ気遣いに、嵐山は全面的に賛同した。

 

 元々、善人が形になったかのような性格をしている嵐山だ。

 

 将来有望な相手への助力となれば、惜しむものではないと考えている。

 

 A級から特別扱いをされた事が知られれば何かとやっかみを受けそうではあるが、聞いた限りそういった事を気にするタイプではない。

 

 何せ、普通であればやらないであろう相手の心理を逆手に取って煽り立てる戦術を、何の躊躇もなく採用し続けているのだ。

 

 当然の如くC級の中では嫌われているだろうが、それでも手段を選ぶ様子がないという事は、そういった事に無頓着な人間なのだろう。

 

 群衆(ギャラリー)の声は、適度に聞き流す事が肝要。

 

 嵐山は、広報部隊の隊長として根付にそう教えられている。

 

 どんなに頑張ったところでやっかみを0にする事は出来ないのだから、気にするだけ無駄。

 

 こちらに落ち度があるならともかく、ただの野次やいやがらせ等は相手にすればする程つけ上がり、エスカレートしていく。

 

 そういった有象無象の声に関しては、無視するのが一番良いのだ。

 

 直接面と向かって言って来るならばまだしも、群衆の影から野次を飛ばす事しか出来ない者は、それ以上の行動に出るような度胸は無い。

 

 だから直接言って来た場合は相応の対応をする必要があるが、そうでなければ対応しないのが正しい。

 

 それが、嵐山に対する根付の教育方針だった。

 

 嵐山はその教えを聞き入れ、時として意図的に無視しつつ、これまで広報部隊の仕事をやり遂げて来た。

 

 その嵐山の感性が、訴えたのだ。

 

 この三雲修という少年は、群衆の前でも一切物怖じしないタイプだろうと。

 

 根拠は無い。

 

 ただの勘だ。

 

 だが。

 

 これが恐らく正しいと、嵐山の感性は訴えていた。

 

 ならば、木虎を止める必要はない。

 

 折角、珍しく木虎が他人と好意的な関係を築けそうなのだ。

 

 隊長(あにきぶん)としては、見守る以外の選択肢は無い。

 

 そう考えて、ふと前を向いた。

 

「迅」

「奇遇だな、嵐山。それに、木虎」

 

 そこにいたのは、街頭の脇から出て来た迅だった。

 

 ぶっちゃけると不審者そのものな登場シーンではあるが、彼の性質を考えると此処に来た事自体に意味がある。

 

 そう察して、嵐山は困惑する木虎にちらりと目を向けながら真剣な顔で問いかけた。

 

「また、何か視えたのか?」

「話が早いね。そういう事さ」

「何をすればいい? 教えてくれ」

 

 嵐山は、ノータイムでそう尋ねた。

 

 迅が、何らかの未来視の情報を元に行動している。

 

 それはつまり。

 

 何かしらの、危険が迫っている合図に他ならない。

 

 少なくとも、嵐山は今の迅からそういった切迫感を感じていた。

 

 故に、躊躇いはない。

 

 彼が、自分を頼って来たというのなら。

 

 それを断るなどという事は、有り得ないのだから。

 

「ついさっき、厄介な未来が視えてね。どうにか出来そうなのが、今のトコお前等だけなんだ。俺が直接行くと、別の面倒事が起きそうだからね」

 

 「翌日から尾行開始とは熱心だよねえ」と迅は小さく呟くが、嵐山はその詳細には興味を持たず、()()()()()()()()()()()()()()()事を理解した。

 

 彼の知る由もないが、三輪は今日のバムスターの一件で迅が怪しいと睨み、早速明日から彼の尾行を始める事になるのだ。

 

 そうなると、迅が直接現場に向かっては折角隠しておいたものを彼に見られてしまう危険がある。

 

 まだ、バラすには早い。

 

 そう判断したからこそ、迅は自らが向かう事を断念した。

 

 そこで、第三者の協力者が必要になったワケである。

 

「正確な時刻は分からないんだけど、実は────────」

 

 そして。

 

 迅は、己が視た未来の情報を口にし────────それを聞いた二人の顔が、驚愕に染まった。

 

 

 

 

「オサム、今日はどうするんだ?」

「そうだな。空閑には悪いけど、ぼくは早くB級に上がりたい。本部に行って来るよ」

 

 翌日、昼休み。

 

 修と遊真は、他に人のいない教室で二人きりで話していた。

 

 話題は当然、これからの事。

 

 昨日色々な新事実を知って修はキャパオーバー寸前だが、それでも昨日のバムスター戦でB級でなければ出来ない事の方が多いと改めて理解した。

 

 言い訳ではないが、昨日のバムスターは修がB級に上がってさえいれば問題なく撃破出来ていた筈である。

 

 それだけ訓練用のトリガーと通常のトリガーの威力には明確な差があり、やり過ぎと思われる程威力を落とした訓練用トリガーでは一番の雑魚であるバムスターすら碌に倒せない。

 

 B級になればトリガー1つのみという縛りからも解放される為、やれる事は幾らでもある。

 

 まあ、修のトリオン量ではそこまで多くのトリガーは積めないだろうが、選択肢が増えるのは間違いない。

 

 今度は、自分の力で。

 

 そう決意していたのは、遊真の眼から見てもバレバレであった。

 

「そっか。じゃあ、おれは一度アパートに帰るよ」

「本当に悪いな。色々世話をすると約束してたのに、それを放り出すような真似をして」

「いいよ別に。オサムがそうしたいなら、そっち優先でいいよ。強くなっておける時に強くなった方が、色々お得だしな」

 

 迅さんも言ってたぞ、と遊真はにかり、と笑った。

 

 修はそんな遊真を見て苦笑しながら、昨日の迅の忠告を思い出していた。

 

 ────────これから俺が良いって言うまでは、俺や玉狛支部とは距離を置いていた方が良い。下手に俺達に関わっていると、そこから辿られて遊真の存在が露見する恐れがあるからね────────

 

 迅が言うには、昨日の一件で彼はマークされており、彼や彼の所属する玉狛支部と下手に接触するのはその網にかかる恐れがあるのだそうだ。

 

 同じ理由で、迅と関わりの深い七海との接触も推奨されない。

 

 だからこそ、修が迅が言う「丁度良いタイミング」まで彼等との接触を断つ必要に迫られたのだ。

 

 それに関しては頷ける話であったし、引き受けたのは自分の意思なのだからそれくらいは当然だと思っている。

 

 しかしそうなるとB級へ上がる手段を相談する相手もいなくなるという事であり、つくづく昨日帰る前にそれを聞いておかなかった事が悔やまれる。

 

 ならば電話で、と思ったがよくよく考えてみると修は迅や七海の電話番号を知らない。

 

 いつも本部で会うので電話番号を教え合う必要性が生まれず、結果的に聞きそびれていたのだ。

 

 今度会った時聞いておこう、と修は決心し────────窓を、見た。

 

「え……?」

 

 ────────そして、目撃する。

 

 窓の外。

 

 そこに。

 

 見覚えのある。

 

 否。

 

 見覚えはあっても()()()()()()()()()()()()()黒い穴が、中空に開いていた。

 

『緊急警報────緊急警報────(ゲート)()()()()()()します────市民の皆様は、直ちに避難して下さい────繰り返します────』

 

 響く、警報の音。

 

 騒然となる、校舎内。

 

 そして。

 

 門より降りる、異界からの使者。

 

 戦闘用トリオン兵、モールモッド。

 

 それが、2体。

 

 多くの学生が通う学校の敷地内に、その姿を現した。



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イレギュラー門

「そんな、近界民(ネイバー)が出るのは警戒区域だけの筈じゃ……っ!?」

 

 修は眼下に現れたモールモッドを睨みながら、拳を握り締める。

 

 今、目の前では起きてはならない事が起こってしまっていた。

 

 この三門市ではこれまでも繰り返し門が開き、近界民────────トリオン兵が、出現していた。

 

 しかしそれはあくまでも警戒区域のみの話で、現在では市街地に門が開くといった事は有り得ない。

 

 確かに最初のうちは街の至る所で門が開いていたのだが、ボーダーが誘導装置を開発したお陰で門の出現箇所を警戒区域内に限定する事に成功したのだ。

 

 この功績は大きく、誘導装置が完成してから今まで近界民による街への被害はほぼゼロへと抑えられていた。

 

 トリオン兵は一般人に対しては脅威だが、トリガーを持った大半のボーダー隊員にとっては雑魚でしかない。

 

 出現場所を限定し、街への被害を抑える事が出来さえすれば後はどうとでも駆除出来る。

 

 四年前に街を破壊し尽くしたバムスターであっても、単体ではただ図体がでかいだけの的でしかないのだから。

 

 ────────だが、それはあくまでも門が警戒区域内で開いた場合である。

 

 もしも、門が市街地で開いた場合。

 

 雑魚であるバムスターでさえも、一転して巨大質量を武器にした破壊兵器へとその意味を変える。

 

 四年前と同じだ。

 

 トリオン兵はボーダー隊員にとっては容易に駆除できる雑魚であっても、一般人にとってはその命を脅かす明確な脅威となる。

 

 そして。

 

 今それが、目の前で現実のものになろうとしていた。

 

 多くの学生や教師がいる学校に、そのトリオン兵が現れてしまった。

 

 眼前に現れた脅威にパニックになり、逃げ惑う生徒達。

 

 学校中が、騒然となっていた。

 

「みんな急いで! 訓練通り地下室(シェルター)に避難して、早く……っ!」

 

 教師がパニックになる生徒達を声を張り上げて誘導し、避難を促している。

 

 誘導装置があるとはいえ、万が一近界民が出て来た場合の避難訓練自体はやっている。

 

 その成果もあり、ある程度の生徒達は避難する事が出来そうだった。

 

 しかし。

 

「生徒の避難は……っ!?」

「こっちはなんとか。でも南館がまだ……っ!」

 

 何事も、取りこぼしは起こるものである。

 

 運悪く近界民が向かってしまった南館の生徒は、未だ避難が出来ていなかった。

 

 このままでは、犠牲者が出る。

 

 その瀬戸際に、立たされていた。

 

「く……っ!」

「どうする気だ? オサム」

 

 修はトリガーを握り締め、南館を睨んだ。

 

 その行動に気付いた遊真が、修へ問いかける。

 

 一体、何をするつもりなのかを。

 

「決まってるだろ。近界民を、食い止める……っ!」

 

 そして、答えは決まっていた。

 

 修は。

 

 昨日と同じ、訓練用トリガーを手に。

 

 またしても、トリオン兵へ挑みかかる気でいたのだった。

 

「待て、オサム。捕獲用のバムスターも倒せなかったのに、戦闘用のモールモッドに勝てるのか?」

「勝てるかどうかは関係ない。やるかどうかだ」

 

 遊真の制止に即答でそう答え、修は南館を睨み付けた。

 

「確かに、お前の言う通りなのかもしれない。訓練用のトリガーじゃ碌にトリオン兵を倒せないのは事実だし、危険も承知だ」

 

 だけど、と修は顔を上げる。

 

 その眼には、確かな決意が宿っていた。

 

「何も、倒す必要は無い。此処に門が開いた事は、ボーダーも気付いた筈だ。だからぼくは、基地から隊員が来るまで時間を稼げればそれでいい」

 

 それに、と修は続けた。

 

「勝ち目が薄いからって、逃げるわけにはいかない。ここで逃げたら、きっと後悔すると思うから」

 

 修はそう告げて、トリガーを起動。

 

 白い訓練生の隊服を着て、南館の中へと向かって行った。

 

 遊真には、手を出さないよう言い残して。

 

「オサム……」

 

 そんな修の後姿を見据えながら。

 

 遊真は、複雑な面持ちを浮かべていた。

 

 

 

 

 南館では、逃げる生徒達をモールモッドが襲っていた。

 

 未だ、犠牲者は出ていない。

 

 しかしそれも、時間の問題であった。

 

「きゃあ!」

「やばいやばい」

「戻れ戻れ!」

「バカ! 後ろからも来てんだよ!?」

 

 パニックになり、逃げ惑う生徒達。

 

 他の生徒達と違い、この南館には彼等を誘導すべき教師がいなかった。

 

 先導者がいない生徒達は闇雲に逃げる他なく、刻一刻と追い詰められていた。

 

 その矢先に、校庭から後者をよじ登って来たもう一体のモールモッドが、生徒達の前に立ち塞がった。

 

 すぐ後ろには、最初にやって来たモールモッドが迫っている。

 

 モールモッドの身体は廊下を占領するほどには大きく、動きも機敏である為逃げ場がない。

 

 絶体絶命。

 

 生徒達は、窮地に追い込まれていた。

 

「アステロイドッ!」

 

 しかし。

 

 それに待ったをかけたのは、数発の弾丸。

 

 それが迫り来るモールモッドに向かって放たれ、僅かなりともダメージを与える。

 

「落ちろ……っ!」

 

 続けて、校舎をよじ登って来たモールモッドにもアステロイドを放つ。

 

 ダメージこそ殆どないが、トリオン兵は着弾した弾丸によって吹き飛ばされる。

 

 その結果として、モールモッドは校庭へと叩き落とされた。

 

「今のうちに上に逃げるんだ! 急げ……っ!」

 

 すかさず、生徒へ避難を呼びかける。

 

 パニックに陥っていた生徒達に、僅かなりとも平静が戻る。

 

 ボーダー隊員とは、三門市の市民にとってある種の防波堤だ。

 

 彼等がいるから、門が開き続けるこの三門市で近界民に怯える事なく暮らす事が出来ている。

 

 近界民相手においては、ボーダー隊員の存在は一種の精神安定剤として作用するのだ。

 

 故に、逃げる事に戸惑いはなかった。

 

 修の指示通り、生徒達が避難に向かって動き出す。

 

 そして修は、モールモッドの前に立ち塞がっていた。

 

(よし、逃げてくれたか)

 

 ちらりと逃げていく生徒達を見据えながら、修は無言でアステロイドを発射。

 

 着弾と同時に、一目散に逃げだした。

 

 モールモッド相手に勝ち目がない事は、理解している。

 

 相手は、戦闘用のトリオン兵。

 

 ランク戦を優先してトリオン兵相手の戦闘訓練を後回しにしていた今の修では、勝てる筈がない。

 

 ましてや、今修が使用しているのは訓練用のトリガー。

 

 C級ランク戦では仮想空間であったが故に相手のトリオン体を破壊するのに不都合はなかったが、現実では訓練用故にかけられた威力のリミッターが戦闘の邪魔をする。

 

 未熟なC級隊員が不用意に外で力を振るって下手な被害を出さないようにする為の処置であるが、威力不足である事実は消えない。

 

 しかし最初から、修はまともにモールモッドの相手をする気はなかった。

 

 既に、生徒達の眼はない。

 

 彼等の前でボーダー隊員である自分が逃げれば不安を煽り避難の妨げになる可能性があったが、その危険もなくなった以上修に躊躇はない。

 

 ランク戦の時と、同じだ。

 

 適度に挑発して、自分を囮にして逃げ続ければ良い。

 

 モールモッドは、戦闘用のトリオン兵。

 

 ならば、その優先撃破対象は力を持たない一般人ではなく、トリガーという武器を持つ修である筈だ。

 

 たとえ取るに足らない力であったとしても、今の攻防で他の生徒達を狙うには修が邪魔である事は認識したであろう。

 

 故に、修は躊躇いなく逃げを選択した。

 

 正面から立ち向かえば、瞬殺される事を理解して。

 

 モールモッドは、鎌の付いた寸動の百足のような体形をしている。

 

 動きそのものは速いが、トリオン体となった修であれば逃げ切れない程ではない。

 

 鎌の動きは特に機敏である為近付いてしまうと避ける事は難しかったであろうが、距離さえ取れば関係は無い。

 

 もしも七海のアドバイスでアステロイドに変えず、レイガストのままであったらこうはいかなかっただろう。

 

 ブレードトリガーでは近付く以外に手段がなく、機敏に動く鎌によって瞬殺されていた筈だ。

 

 幸いと言うべきか、校舎の廊下はモールモッドにとっては狭く、避ける場所が殆どない。

 

 故に修の威力不足のアステロイドとはいえ急所を狙い続ければモールモッドも防御という手段を取らざるを得ず、その分だけ動きが鈍る。

 

 その刹那を利用して、修は間一髪で逃げ続ける事に成功していた。

 

(このまま、隊員が来るまで時間を稼ぐんだ。無理はせず、それだけに集中すればきっと……っ!)

 

 

 

 

『オサムはどうやら自分を囮にして時間を稼いでいるようだな。今のところ、目立ったダメージはない』

「ふぅん、結構考えてるんだな」

 

 すぐやられるかと思って焦った、と遊真は溜め息を吐く。

 

 正直に言えば、瞬殺されて終わりだと思った。

 

 修の実力は昨日見た限りでは下の下の下というか、ぶっちゃけ滅茶苦茶弱かった。

 

 訓練用のトリガーを使っていたという事情もあるのだろうが、ボーダー隊員としてバムスターすら碌に倒せないのはどうなのか、と思わなくはなかった。

 

 しかし同時に、ただの非力な存在ではない事も理解していた。

 

 昨日もトリガーをあくまでバムスターの気を引く事を念頭に置いて使っており、もしかすると時間さえかければ自分の手助けがなくとも倒せた可能性はある。

 

 結論として、修は弱いがただの弱者ではない。

 

 だから、少しの期待がなかったと言えば嘘になる。

 

 彼なら、ただの虚勢では終わらせない。

 

 そんな期待を受けていたとは露知らず、修は今も一人で奮闘している。

 

 正しくは囮となって逃げ続けているのだが、下手に立ち向かってやられるよりはずっと良い。

 

 修は弱いが、自分のやるべき事を見失う事はない。

 

 このままであれば、ボーダー隊員が来るまで時間を稼ぐという勝利条件は達成出来る筈だ。

 

「あ、やばい」

 

 だが。

 

 それはあくまで、()()()()()()()()の話だ。

 

 遊真の視界の先に、動く影がある。

 

 その正体は、修によって叩き落されたもう1体のモールモッドであった。

 

 モールモッドは凄まじい勢いで再び校舎の壁を駆け上がり、修のいる場所へ向かっている。

 

 先ほどは虚を突く形で撃退出来ていたが、二度目となればそうはいかない。

 

 1体でもギリギリなのに、2体ともなれば流石に修の手に余る。

 

「やっぱり、助けに行った方がいいか」

『だがそれでは、オサムが後々困るだろう。ユーマがトリガーを使えば、ボーダーに感知される。まだ存在を知られるのは早いと、そういった話だった筈だ』

 

 此処で遊真が黒トリガーを使えば、モールモッドなど敵ではない。

 

 正しく瞬殺し、修を助けられるだろう。

 

 だが。

 

 それでは、迅の計画に支障が生じる。

 

 まだ、ボーダー本部に遊真の存在を知られるワケにはいかない。

 

 その事に、修も遊真も同意していた。

 

 彼等には助けて貰った恩があるのだから、その彼等が望むのであればいう通りにしよう。

 

 そういった心の動きも、勿論ある。

 

 それに。

 

 まだ出会ったばかりではあるが、修には不思議な魅力があるのだ。

 

 彼の為なら、なんだってやってやろう。

 

 そう思わせるだけの価値が、彼にはあった。

 

 色々世話を焼いて貰った贔屓目によるものかもしれないが、遊真の中で修の好感度はかなり高くなっていた。

 

 嘘をつかず、自分の芯が一切ブレないという在り方も好感が持てる。

 

 付いていくなら、こいつしかいない。

 

 遊真は修に対して、そんな想いを抱いていた。

 

 その修が、遊真の存在を隠しておきたいと望んでいる。

 

 だが。

 

 同時に、此処で修を見捨てたくない、と叫ぶ自分がいるのも事実だった。

 

 助けに行けば後々困った事になるのは、分かる。

 

 迅の話では近界民に憎悪を抱く隊員が遊真の事を探しているらしく、此処でトリガーを使えば一発でバレるだろう。

 

 そうなれば、修の立場も危うくなる。

 

 玉狛支部や迅がどれ程の影響力があるか分からない以上、近界民を匿っていた罪を問われて立場がなくなる、という事は十二分に有り得る。

 

 しかし。

 

 助けなければ、修が死んでしまう。

 

 それだけは断じて、許容するワケにはいかなかった。

 

「やっぱり、行くよ。オサムのトリガーを借りて戦えば、多分バレないだろ。いいか? レプリカ」

『それを決めるのは私ではない、ユーマ自身────────いや、待てユーマ』

 

 お決まりの台詞で返答しようとしたレプリカが、何かに気付いたように声をあげた。

 

 つられて、遊真もレプリカの視線を目で追った。

 

 その先には。

 

 一つの小さな影が、校舎に飛び込む姿があった。

 

 

 

 

「しまった……っ!」

 

 修は、背後からの奇襲を受けていた。

 

 先ほど、アステロイドで地面に叩き落したもう1体のモールモッド。

 

 それが、再び校舎の壁をよじ登ってやって来たのだ。

 

 目の前の敵に集中するあまり他への警戒を疎かにしていた修は、その奇襲で右腕を斬り飛ばされていた。

 

 無理もない。

 

 彼がこれまでやって来たのは、()()ランク戦。

 

 集団戦のノウハウは、未だに習得してはいないのだ。

 

 つい普段通りの動きで対処してしまい、横槍という可能性に気付くのが遅れた。

 

 経験不足による、明確な失態だった。

 

「く、このままじゃ……っ!」

 

 前と後ろを挟まれ、修には逃げ場がない。

 

 校舎の壁を破壊して逃げるという手があるが、モールモッドの前ではそのワンテンポの遅れが致命的だ。

 

 やられる。

 

 修は、そう覚悟した。

 

「────────良く頑張ったわね。C級隊員の割には」

「え……?」

 

 だが。

 

 それに、待ったをかけた者がいた。

 

 校舎をよじ登り侵入して来たモールモッドの腕が、見えない何かに絡め取られたかのように動きを止める。

 

 次の瞬間、背後から飛来した何者かが一撃を叩き込みモールモッドを粉砕。

 

 そして修を追っていたもう1体のモールモッドもまた、素早い動きで懐に入り込んだ人物の攻撃により両腕の鎌を斬り飛ばされ、続け様に急所を貫かれ沈黙。

 

 修にとって抗えない脅威であったモールモッドが、瞬く間に撃破された。

 

「無事かしら? 三雲くん。A級隊員(わたし)が来るまで、良く持ち堪えたわね。貴方らしい働きだわ」

 

 撃破したモールモッドを足蹴に、修を助けた人物がこちらを向く。

 

 その姿には、見覚えがある。

 

 個人的な親交はないが、彼女の顔は知っている。

 

 ボーダーの広報部隊である嵐山隊の一員にして、修と同い年ながら瞬く間にA級まで駆け上がったエリート隊員。

 

 木虎藍。

 

 その彼女が、何故か親し気な様子で修に手を差し伸べていた。

 

(…………初対面だよね?)

 

 助けて貰った感謝とか、その他いろいろあるけれど。

 

 そんな木虎の態度に、修は困惑が先に来るのであった。



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木虎藍③

「あ、ありがとう……」

 

 修は取り合えず、自分を助けてくれた少女────────木虎に、礼を告げた。

 

 妙に親し気に話しかけて来たのは気にはなるが、助けられた事は事実だ。

 

 とにかくまずはお礼を言おう、と修は思い立ったのだ。

 

「どういたしまして。私の事は知っているかしら?」

「木虎、だよな」

「ええ、木虎藍よ。私を知ってるあたり、やっぱり見どころあるわね」

 

 ふふん、と中学生にしては豊かな胸を張る木虎に、修は困惑するしかなかった。

 

 この言い方からして、初対面なのは間違いない。

 

 少なくとも、修に木虎と直接面と向かって話をした記憶は無いのだ。

 

 問題は、にも関わらず木虎からの言葉の端々にまるで親しい友人に向けるような類の好意が滲み出ている事である。

 

 これは明らかに、初対面の人間相手の距離感ではない。

 

 むしろ、昔からの知古に対するそれだ。

 

 ただでさえイレギュラーな門の出現に許容限界(キャパシティ)を超えていたところに、謎の態度を取る木虎。

 

 修としてはもう、勘弁してくれといった感じであった。

 

「えっと、初対面、でいいんだよね…………?」

 

 流石にこれ以上疑問を放置する事は出来ず、修は恐る恐るそう尋ねた。

 

 問われた木虎は一瞬ポカン、と口を開けたが────────何かに気付いたようにポン、と手を叩いた。

 

「そういえば、確かにこうして話すのは初めてね。でも、貴方の事は知っていたわ。たまに、ランク戦を見てたからね」

「え…………?」

 

 まるで「そういえば言い忘れていたわ」とばかりに飛び出す木虎の言葉に、修は困惑する。

 

 ランク戦を見ていたというのは、まあ分かる。

 

 彼女とて気まぐれにランク戦を観戦する事くらいあるだろうから、それはおかしくない。

 

 だが。

 

 修のあの試合を見た上でこの態度というのは、少しおかしい。

 

 客観的な視点はともかく、修から見た彼自身の戦い方はお世辞にも格好良いものとは言えなかった。

 

 挑発を繰り返し、相手の弱み()()を狙って勝つような戦術。

 

 その戦術を取る事自体に一切の躊躇いはないが、それはそれとして自分が他者に嫌われる戦い方をしているという自覚くらいは辛うじてある。

 

 自覚はあるからといって、他者からの評価を気にするかどうかは話が別であるが。

 

 ともあれ、あんな戦いを見ておいてこの好意的な態度はおかしい、というのが修の認識であった。

 

 それに、そもそも今の自分は許可なくトリガーを使ったという隊務規定違反の現行犯だ。

 

 見るからに規律に厳しそうな彼女が、違反者を前にこの態度は明らかにおかしい。

 

 少なくとも叱咤か罵声の一つでも飛んできた方が、より彼女らしいと思ったのは気の所為ではあるまい。

 

「ああ、隊務規定違反の事なら気には────────して欲しいけれど、致し方ない事情があった事は理解しているわ。なんなら私から口添えするから、あまり心配しなくていいわよ」

 

 それに、と木虎は続ける。

 

「私が此処に来れたのは、迅さんの手回しのお陰ですし。後はあの人がなんとかするでしょう」

「迅さんが…………?」

 

 迅の名が出た瞬間、修はようやく今の事態に理解が及んだ。

 

 修は確かにモールモッド相手に時間を稼いでいたが、それでも増援が到着するには()()()()

 

 この三門市立第三中学校はボーダーの基地から遠く、通常であれば此処まで早く木虎が辿り着けるワケがない。

 

 だが、迅の介入があったというのならその前提条件はひっくり返る。

 

 恐らく、今日の事件を未来視で察知した迅が何かしらの手を回して今日この場に木虎が来れるようにしたのだろう。

 

 お陰で、修の時間稼ぎが功を奏して木虎の到着に間に合った。

 

 未来視も万能ではないと言うし、すぐに来れなかったのは致し方ない事情があるのだろう。

 

 どちらにせよ、あのまま木虎が来なければ修はやられていたであろうし生徒にも被害が出ていただろうから、迅や木虎には感謝するしかない。

 

「さて、そろそろ生徒の様子も見に行かなくちゃならないわ。付いて来てくれるかしら?」

「あ、ああ、分かった」

 

 木虎の言葉でその必要があるとようやく思い出し、修は彼女に続く。

 

 二人は、上へ逃げた生徒たちの安全確認に向かっていった。

 

 

 

 

「……………救援が間に合ったか。玄界(ミデン)の兵は動きが速いな」

 

 暗い部屋の中、モニターを前にした男が映像を見ながら呟いた。

 

 頭から角を生やした異形の男は小型トリオン兵(ラッド)のカメラを通した映像から、モールモッドを倒す少女とそれまで戦っていた少年の姿を見ていた。

 

 まるで、品定めをするように。

 

 青い髪をした青年は、その映像を凝視した。

 

(玄界の兵の動き方を知るという目的は達成出来た。しかし、可能であれば雛鳥の脱出機能の有無について確認しておきたかったが────────まあ、元より降って沸いた好機だったのだ。仕方ないと考えるべきだろう)

 

 男は惜しいと思う気持ちを切り替え、再び映像に目を向けた。

 

 モールモッドと戦っていた少年の方は見たところトリオンも低く、何の価値も感じない。

 

 だが、後から現れた少女の方はトリオンはそこまで多くないとはいえ、上位の兵に匹敵する動きを見せた。

 

 あれが平均レベルだとするなら脅威だな、と男は考える。

 

(可能であれば捕らえて部下に加えたいが、あくまでも金の雛鳥が最優先。雛鳥の脱出機能の有無が不明である以上、そちらに狙いを絞った方が良いだろう。雛鳥を狙うのは、それが叶わなかった時で良い)

 

 男はおもむろに立ち上がると踵を返し、そこで傍に控えていた女が声をかけた。

 

「ハイレイン様、方針はどうなさいますか?」

「流石に二度目は警戒されるだろう。今回のような雛鳥の脱出機能の有無を知るチャンスは、もうなくなったと見て良い」

「では」

 

 ああ、と男は────────ハイレインは頷き、告げる。

 

「雛鳥の確保は、後回しだ。可能な限り金の雛鳥を探し出して捕らえ、同時に例の二つの案件も済ませる。前者はともかく、後者は作戦の結果次第だがな」

 

 

 

 

「未来が動いたか」

 

 迅は自らが撃破したモールモッドを足蹴にしながら、ふと遠くを見詰めた。

 

 此処は、警戒区域ではない。

 

 三門第三中学校と同じように市街地で門が開き、そこから出てきたトリオン兵を迅が瞬殺したのだ。

 

 彼が修の所へ向かえなかったのは、単に三輪の尾行を警戒しての事ではない。

 

 此処で彼がトリオン兵を即時対処しなければ、市街地に大きな被害が出ていたからだ。

 

 以前に彼が見ていた未来(ケース)であれば此処に出現するトリオン兵は近くにいた別の隊員が駆けつけて倒していたが、街の破壊には間に合わず被害が出てしまっていた。

 

 今までの迅であればそれは必要な犠牲として許容したであろうが、現在の迅は方針を変えている。

 

 可能な限り、あらゆる被害を軽減する。

 

 今の迅は、そういった方向性で行動していた。

 

 今回、迅が動いた事で変化があった。

 

 未来の可能性が、大まかに二種類に絞られたのだ。

 

 一つは、誰も犠牲にならない最善の未来。

 

 もう一つは、市街地が破壊し尽くされ大量の犠牲者が出る最悪の未来。

 

 全てではないが、大きく分けて可能性はこの二つに傾いた。

 

 七海と出会う前に視ていた()()()()()の可能性は最早殆ど0に近い。

 

 今分岐する可能性のある未来は、二つ。

 

 0か100か、最悪か最善か。

 

 その、いずれかだ。

 

 どの行動が決定的な契機となって未来が変わったかまでは、まだ分からない。

 

 だが。

 

 これで、後戻りは出来なくなった。

 

 最善の未来を目指す以外に、来る大規模侵攻を乗り越えられる道は無い。

 

 覚悟は決めた。

 

 腹も括った。

 

 後は準備を怠らず、来るべき戦いに備えるのみ。

 

「迅」

「三輪、お疲れさん。そっちのトリオン兵を処理してくれて助かったよ」

 

 それは当然。

 

 近くにいたが故に率先してトリオン兵を狩りに行った、この三輪の対処も含まれる。

 

 迅を尾行していた三輪であるが、元より近界民(ネイバー)を前に飛び出さないという選択肢は彼には無い。

 

 元々気付かれているのも承知の上であった為、三輪は苦笑する米屋と共に出陣。

 

 近くにいたトリオン兵を、すぐさま駆逐した。

 

 そして三輪は、既に見つかっていたのだからと開き直り、直接迅を詰問しにやって来ていた。

 

「…………お前が近界民(ネイバー)を匿っている事は分かっている。この事態も、お前の思い通りか?」

「さて、何の事かな? でもまあ、此処に来ればお前をこいつらの駆除に巻き込めると思った事は事実だけどね」

「やはりお前の企みか、迅…………っ!」

 

 迅の一言に頭に血が上り、三輪は眉を吊り上げる。

 

 辛うじて手を出さないだけの理性を残す中、三輪はギリィ、と歯を食い縛り迅を睨みつけた。

 

「どんな思惑があろうと関係ない。近界民(ネイバー)も、それを匿うお前も全て俺の敵だ。いずれ必ず証拠を掴んでやる。精々、首を洗って待っていろ…………っ!」

 

 三輪はそんな捨てセリフを残し、その場を後にした。

 

 その後姿を見ながら迅はため息を吐き、苦笑した。

 

「……………………まあ、俺の自業自得だよね。ああなるって分かってボーダーへ入るように仕向けたんだから、こうなるのも当たり前だ」

 

 だから、と迅は遠のく三輪の背を見詰め、呟く。

 

「責任は、きっちり取るよ。それが、俺なりのお前へのケジメだからな」

 

 

 

 

「貴方のやり方は間違っていないわ。力で劣るなら、頭を使う。戦いでは当然の事よ」

 

 放課後。

 

 隊務規定違反の出頭をする為ボーダー本部へ向かっていた修に、木虎はいきなりランク戦の話を切り出した。

 

 どうやら木虎が修のランク戦を見たのは一度や二度ではないらしく、その都度修の取った戦術を分析し、評価を下していた。

 

 時には厳しい評価もあったが、木虎の言葉は概ね称賛であったと言って良い。

 

 まさかA級隊員でエリートの木虎に此処まで評価されているとは思わず、修は面食らっていた。

 

「でも、相手の弱みを突いてようやく勝てただけで褒められたやり方じゃないよ」

「大事なのは過程じゃなく結果よ。どんな戦術を使ったにせよ、貴方は勝った。なら、それ以外の全てはどうでも良い事だわ。貴方も、それは分かっていてやってたんじゃないの?」

「それは、そうだけど…………」

 

 尚も言い淀む修に、木虎はため息を吐きながら言い募る。

 

 己の想いを、言葉に乗せて。

 

「貴方は少し、自己評価が低過ぎるわ。まあ、私と比べれば勿論大した事はないけれど、それでもC級という括りで見れば充分見どころがあるわ。少なくとも、今のC級に貴方以上に光るものを持った人はいないもの」

 

 私はそんな貴方よりずっと凄いけどね、A級ですし、と木虎は何故か自慢気に話した。

 

 全身から、「褒めろ褒めろ」と訴えているのが目に見えるようだ。

 

 どうやら木虎は確かに修を評価しているし、その言葉にも嘘はない。

 

 離れた場所から様子を伺っている遊真の眼にも、彼女が嘘をついていない事は理解出来た。

 

 だが、話を聞く限りどうやら非力な修に精神的なマウントを取り、強さを見せつけてた上で頼って欲しい、という先輩願望が見え隠れしていた。

 

 やたらと修を褒めるのは、そうやって自分も褒めて欲しいという無意識の訴えだろう。

 

 ようやく、修は木虎という少女の事が分かって来ていた。

 

 見た目通りプライドがとても高く、実力相応に高い克己心を持っている。

 

 洞察力は悪くはなく、修のやり方を認めるだけの度量もある。

 

 ただし、自己顕示欲が物凄く強い。

 

 少なくとも、彼女ほどそれが高い人間を修は見た事がない。

 

 広報部隊の一員として活動しているのも、そういった高い自己顕示欲が相俟ってのものだろう。

 

 修は人前に立つ事自体はなんとも思わないが、進んで目立ちたいとは考えていない。

 

 他人から自分に向けた評価に一切興味がない修にとっては、目立つ事に対するメリットをなんら感じ取れないからだ。

 

 無論必要とあれば幾らでもそういう舞台に立つであろうが、必要がなければ自ら前に出る理由はない。

 

 修はそういう人間である為、木虎の性質はいまいち実感として理解し難い部分があった。

 

 まあ、ノリノリで写真撮影にポーズを決めて応じる木虎の気持ちを、目立つ事に価値を感じていない修が理解するのは無理だろう。

 

 とにかく、まずは本部に行って査問を受ける。

 

 自分の判断の結果どういった処分が下るかは分からないが、それでも逃げるという選択肢はない。

 

 隊務規定違反を犯したのは確かだが、あそこで動かなければ犠牲者が出ていた事がほぼ確実であった以上、修に一切の後悔はない。

 

 どんな処分が下っても止むを得ないとは考えているが、それはそれとして折角入隊しB級昇格まであと一歩となった立場を捨てる気は微塵もない。

 

 いざとなれば、土下座をしてでもボーダーに残る。

 

 そういった覚悟を、修は決めていた。

 

「え…………?」

 

 だから。

 

 その矢先の光景に、修は眼を見開いた。

 

『緊急警報────緊急警報────(ゲート)が市街地に発生します────市民の皆様は、直ちに避難して下さい────繰り返します────市民の皆様は、直ちに避難して下さい────』

 

 再び鳴り響く、非日常を告げる警報。

 

 そして開く、空の穴。

 

 そこから、現れたのは。

 

「なんだ、あのトリオン兵は…………?」

 

 空を泳ぐ、巨大な鯨。

 

 そうとしか思えない外観をした巨体のトリオン兵が、悠々と市街地の上空へとその姿を現していた。

 

 爆撃用トリオン兵、イルガー。

 

 三門市へ初めて現れる空の脅威が、街へ出現した瞬間だった。



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木虎藍④

 

「情報は、少しでも大いに越した事はない。無論、限度はあるがな」

 

 副官の女性を控えさせ、モニターを前にしたハイレインは呟く。

 

 そのモニターには上空を飛行するイルガーの姿と、パニックになる街の人々が映し出されていた。

 

「警戒はされただろうが、このタイミングであれば対策が間に合わない可能性は高い。間に合ったら間に合ったで、玄界(ミデン)の戦力評価を修正すれば良いだけの話だ」

 

 彼は、油断も慢心もしていない。

 

 自分たちの抱える戦力が本気を出せば大抵の相手を蹂躙出来るレベルである事は、理解している。

 

 だが。

 

 それは、事前の準備や対策を怠って良い理由にはならない。

 

 自らの力に驕り、力押しのみに頼った結果敗北した人間など、自他国問わず腐るほど見て来た。

 

 ハイレインは領主という高い立場にいるが、何の努力もなしに自らの地位が維持出来るとは欠片も考えていない。

 

 今回準備を進めている大遠征に関しても、それは同じだ。

 

 現在、アフトクラトルの「神」は死に瀕している。

 

 このまま「神」が死ねば、国の機能は停止する。

 

 風も吹かず、雨も降らず、夜も明けない。

 

 この国は、あと数年でそうなってしまう。

 

 無論、それを指を咥えて待つつもりはない。

 

 「神」が死ぬのであれば、新しい「神」を用意すれば良い。

 

 無論、誰でも良いというワケではない。

 

 豊富なトリオンを持った、優れた資質を持つ者が必要だ。

 

 その為に、現在アフトクラトルの領主達は遠征を繰り返し、次の「神」を探している。

 

 「神」選びは、古来より近界で続いて来た。

 

 彼等の国であるアフトクラトルは、この「神」を厳選し、より優れた者を選ぶ事で国力を増大させて来た。

 

 無論、これはアフトクラトルの強大な軍事力あっての結果でもある。

 

 近界(ネイバーフッド)でも最大級と称される軍事力は、リソースを消費する遠征を繰り返して尚、彼等の資源を尽きさせない。

 

 今となっては、軍事力といった面でアフトクラトルに抗する事の出来る国は殆どいないだろう。

 

 その証拠のように、少数精鋭が揃うガロプラ等も彼等の力の前に屈し属国となっていた。

 

 軍事力を背景にした砲艦外交で強大となったアフトクラトルの力は、それだけ大きい。

 

 だが。

 

 その国力は同時に。

 

 「神」選びに、一切妥協出来ない弊害ともなっていた。

 

 今のアフトクラトルの広大な領土は、厳選した「神」の力故のものである。

 

 これでもし、次の「神」を現在の「神」よりも低いトリオンを持つ者に選んでしまった場合。

 

 国土は減り、民もまた()()他なくなる。

 

 故に、必要なのだ。

 

 現在の死に瀕した「神」に匹敵する、もしくは上回る資質を持った新たな「神」が。

 

 だからこそ、アフトクラトルの領主達は自国の守りを削るリスクを冒してでも「神」を探す為の遠征を繰り返している。

 

 特に、今回の遠征では国宝星の杖(オルガノン)の使い手たる剣聖ヴィザまで動員している。

 

 取り返しの利かない失敗は、決して許されない。

 

 遠征が失敗に終わった時のサブプランは用意してはあるが、それを選べば身内でゴタゴタが起こるし、扱い難いが優秀な駒を一つ捨てざるを得なくなる。

 

 必要とあらば躊躇わないが出来れば取りたくはない手段であるが故に、遠征に手を抜く事は出来ない。

 

 加えて、サブプランを実行するにあたっての保険として明確な()()があれば他を黙らせる事も容易くなる。

 

 たとえば、玄界の未熟なトリオン能力者────────────────通称「雛鳥」を充分な数確保する事が出来れば、成果としては上々だ。

 

 だがその場合、問題となるのは玄界の戦闘員達が用いている脱出機能だ。

 

 どうやら玄界のトリガーには、トリオン体が限界を迎えると自動で生身の肉体をを指定の場所に転送するシステムが備わっているらしい。

 

 玄界はトリガー後進国であると考えていたが、このシステムは実に優秀である。

 

 通常、近界の戦争ではトリオン体が限界を迎えればその場に生身の肉体が放り出され、敵の前に無力な状態を曝け出す事になる。

 

 そうなれば、待っているのは死か虜囚になるかのどちらかだ。

 

 だが、このシステムはそんな常識を覆す。

 

 何せ、戦場で兵士の損耗を気にする必要がない。

 

 危険が伴う潜入任務も、通常は士気が下がる故に多用出来ない捨て身の作戦すらも、容易く可能となってしまうのだ。

 

 そして、このシステムがある限り、玄界(ミデン)の兵を捕らえるのは容易ではない。

 

 このシステムは自身の意思でも発動可能である様子である為、この上なく捕獲に向いた自身の黒トリガーを用いてさえ、逃げ切られる可能性が高い。

 

 もしもこれが限界の兵全員に搭載されているのならば、その確保など夢のまた夢であろう。

 

 しかし。

 

 現実的に考えて、それは有り得るのか。

 

 画期的なシステムであるが、そもそもトリガーは無から作られるものではない。

 

 精製には相応の資源を消費する為、作りたいだけ作る、というワケにはいかないのだ。

 

 そして、雛鳥達はまだ未熟で戦闘力として数えられるレベルではない。

 

 先ほどモールモッドと戦っていた雛鳥の戦力を見る限り、この認識はそう間違ったものではないハズだ。

 

 弱兵に資源を与えるのは、効率の面で考えればデメリットだ。

 

 戦力として運用していない者に緊急時の脱出機能を付与するだけの余裕が、トリガー後進国であった玄界に果たしてあるのか。

 

 今回の襲撃は玄界の戦力と運用を調査する為のものであると同時に、それを確かめる為でもあった。

 

 また、それが叶わずとも玄界のイルガーに対する対処を見る事が出来る。

 

 イルガーは飛行能力に加え硬い装甲を持ち、爆撃能力がある。

 

 敵国により多くの被害を齎すという事に主眼を置いて製作されたこのトリオン兵は、広範に被害を与える能力に長けている。

 

 爆撃に雛鳥を巻き込む事が出来れば最上。

 

 そうでなくとも、民に被害が出れば()の人間は対応に回らざるを得ない。

 

 その手間の分玄界の対応能力が落ちれば、それはそれで悪くない。

 

 玄界の恨みを買ってしまう事にはなるが、そもそも大規模な遠征を計画している時点で今更である。

 

 ハイレインは映像を凝視し、情報を見落とさないよう目を細めた。

 

「さて、見せて貰おうか。イルガーを、どう対処するかをな」

 

 

 

 

「マズイな。爆撃が来るぞ」

 

 爆撃用トリオン兵、イルガー。

 

 空を飛行するそれを目にした遊真は、既にその方角に向かって駆け出していた。

 

 イルガーは、基本的に国同士の()()で使用されるトリオン兵だ。

 

 制空権を確保し、空から爆撃を敢行するその制圧力は脅威である。

 

 故に。

 

 捕獲目的でトリオン兵を送られる事が常である玄界に対して、このイルガーを使うのは少々おかしい。

 

 目的が拉致もしくはトリオン機関の摘出である以上、その対象を吹き飛ばしてしまいかねないイルガーはその障害になりかねない。

 

 トリオン兵とて無限に生み出せるワケではないのだから、無駄は極力省くのが普通だ。

 

 イルガーをこの場に投入して来た目的が、遊真には理解出来なかった。

 

 だが。

 

 今はそれよりも、差し迫った脅威への対処が優先である。

 

 理由が不明なれど、現実の脅威としてイルガーは現れてしまった。

 

 ならば、一刻も早く対処に回らなければ被害は加速度的に増加していく。

 

 敵国に被害を齎す、という面に置いてイルガー以上の適任はそういないのだから。

 

 遊真自身はこの世界の人々に対しまだ何らかの愛着を感じているワケではないが、それでも被害が増えれば修は悲しむだろう。

 

 故に、行動する事に迷いはない。

 

 幸い、この場には先程モールモッドを瞬殺していた木虎という隊員がいる。

 

 トリオンは修ほどではないが低いものの、その技巧はそれを補ってあまりある。

 

 彼女であれば、恐らくイルガーの撃破自体は可能と思われる。

 

 問題は。

 

 それまでに起きる被害や、撃破した()についてだ。

 

 既に、イルガーは爆撃の発射態勢に入ってしまっている。

 

 遊真の黒トリガーをフルに使えば恐らく対処は可能だが、そうなると確実にボーダーに彼の存在が察知されるだろう。

 

 撃破した後の問題であれば地形的な恩恵もあって隠れたままでも対処は可能だが、爆撃の被害を減らす事は出来そうにない。

 

 そこは許容するしかないか、と遊真は割り切った。                                  

 そもそも、この戦闘に介入する事自体リスクが大きいのだ。

 

 戦闘へ介入する以上、どうしたってその痕跡は残る。

 

 可能な限り減らす事は出来るが、全くの0にする事は出来ない。

 

 レプリカという優秀なサポートがいるとはいえ、限度はあるのだ。

 

 ならば、正体を隠すという方針を守った上で可能な限り支援する。

 

 遊真は自らの方針をそう定め、行動を開始しようとした。

 

「あれは…………?」

 

 そんな彼の眼に、予想外の光景が映る。

 

 それは。

 

 橋の上から放たれた、無数の光弾であった。

 

 

 

 

「小夜ちゃん、弾道予測」

『了解です』

 

 橋の上に立つ那須は、上空に浮かぶ巨大なトリオン兵を見上げながら、両腕にキューブサークルを展開。

 

 オペレーターの支援を受け、標的を見定める。

 

 上空から飛来する、破壊の雨。

 

 放置すれば甚大な被害を引き起こすであろうそれこそが、標的。

 

 そして。

 

 魔弾の射手は、空を睨み引き金を引いた。

 

「────────撃ち落とすわ」

 

 

 

 

「え…………?」

 

 その困惑は、木虎の口から出ていた。

 

 門から出現した飛行する巨大トリオン兵に驚愕しつつも対処に動こうとしていた木虎は、空の敵の不穏な動きに気が付いた。

 

 下に向けて展開される、無数の弾頭。

 

 それが空爆の為のものであると察した木虎は、即座にその被害を許容するしかないと決断した。

 

 木虎のトリオンでは、射程は短い。

 

 あの数の爆撃を全て防ぎ切るには、精密なトリオンコントロールと神業じみた技巧と充分な射程が必要となる。

 

 トリオン弱者に属する木虎では、この条件を満たせない。

 

 故に、被害は許容する他ない。

 

 木虎はそう考え、修に避難誘導を指示しつつ被害を前提に動こうとした。

 

 その矢先に。

 

 空からの爆撃が、()()撃ち落とされた。

 

 橋の上から延びる、流星の如き弾幕によって。

 

 あの弾丸の軌道は、間違いなく変化弾(バイパー)

 

 それを此処まで巧く使える射手は、木虎の知る限り二人しかいない。

 

 一人は、太刀川隊射手出水公平。

 

 そして、もう一人は。

 

『木虎ちゃん、聞こえる?』

「那須先輩………っ!?」

 

 那須隊射手、那須玲。

 

 木虎がその存在を思い浮かべた矢先、当人から通信が来た。

 

 何故此処に、という疑問はある。

 

 だが。

 

「対処、任せて良いですか?」

『任せて。全部、撃ち落とすわ』

 

 この場の対処が、最優先。

 

 疑問は後回しで構わない。

 

 今は、一刻も早く事態の解決を。

 

 爆撃は、那須が全て撃墜してくれる。

 

 彼女がああ言った以上、その実現を疑う余地はない。

 

 ならば、自分がすべき事は何か。

 

「了解。あのトリオン兵の撃破は、私が行います」

『お願いね』

 

 決まっている。

 

 あの悠々と空を泳ぐ敵の、撃破。

 

 それは、他ならぬ自分の役目だ。

 

 木虎はそう決意し、動き出した。

 

 

 

 

「今のバイパーは、那須先輩か…………?」

 

 市街地で避難誘導を行っていた修は、橋から放たれた流星の繰り手に心当たりがあった。

 

 以前ランク戦を見た時、幾度も目撃した光景。

 

 戦場を支配する、光の流星。

 

 あの変幻自在の弾丸をあそこまで巧く使えるとなれば、修の知る限りあの少女しかいなかった。

 

 爆撃を全弾撃ち落とすとは中々におかしな真似をしているが、彼女程極まった射手であればそういう事も有り得るのだろう。

 

 そう理解して、修は避難誘導を続けた。

 

 その中途。

 

 撃ち落とされた爆撃から伝わった衝撃で、建物に吊るされた看板が落下した。

 

 元より、老朽化で錆びかけていたのだろう。

 

 それが、逃げる事に夢中で危険に気付いていない幼い少女の頭上へ落下する。

 

「危ない…………っ!」

 

 修はいち早くそれに気が付き、少女を庇った。

 

 結果として看板は修の背に落下したが、木虎に言われてトリオン体になっていた為ダメージはない。

 

 そこへ、少女の母親が慌てた様子で駆け寄って来た。

 

「あ、ありがとうございます…………っ! だ、大丈夫ですか…………っ!」

「大丈夫です。それより、建物の近くは危ないのでなるだけ避けて避難して下さい。今のように、古くなった建物は特に危険です」

「ええ、分かったわ」

 

 少女の母親はそう言って再び礼を告げると二人で避難を開始した。

 

 それを見送り、修は再び周囲を見回した。

 

(研修の成果が出たな。幸い、トリオン体なら物に当たったところでダメージはない。いざという時は、確かに有効だ)

 

 ────────トリオン体は高い膂力を持ち、物理的なダメージを無効化出来ます。災害現場では、その性質を有効活用する事が出来るという事を念頭に置いて下さい────────

 

 修は、先日受けた研修の内容の一部を思い返していた。

 

 トリオン体は生身の身体にはない膂力があり、通常のダメージは無効化出来る。

 

 故に瓦礫をどかしたりする事が出来るし、その結果として二次災害に巻き込まれても無傷で生還出来る。

 

 そういう意味で、ボーダー隊員は災害救助に適した性質を持つ。

 

 それを聞いていた修は、「いざとなれば自分の身を幾らでも盾に出来るな」と独自解釈し、実行した。

 

 研修の講師としては「危険な現場でもリスクを冒さずに活動出来ます」程度の意味で言ったのであろうが、可能性があれば追及せずにいらないのが修だ。

 

 ある意味、研修の成果を充分に活用している事は間違いないのだが。

 

(次も同じ事がないか、気を付けないと。街の人を安全に避難させるのが、今のぼくの役目なんだから)

 

 

 

 

(奴は周回軌道で爆撃してる。川に来るのを待って、橋を足場に駆け上がるのが最善…………っ!)

 

 木虎は橋に到着し、アーチを駆け上がる。

 

 瞬間、橋に陣取り爆撃を撃ち落とし続けている那須と目が合い────────各々の役割を全うする事を視線で再確認し、すれ違うように跳躍。

 

 アーチを足場にして上空へと駆け上がり、イルガーの背へと着地した。

 

 そして不意の迎撃を固定シールドで凌ぎ、木虎はスコーピオンで装甲を割断。

 

 そのまま、イルガーへ致命傷となる一撃を叩きこんだ。

 

 

 

 

「うまく行ったな」

 

 目に映る光景を見据えながら、遊真は呟いた。

 

 どうしようもないと諦めた爆撃の被害であったが、彼の知らない第三者の介入でそれを防ぎ切る事に成功していた。

 

 イルガーの爆撃の悉くを、全て光弾で撃ち落とすという神業によって。

 

 遠目に見える橋の上に、それを成した少女の姿がある。

 

 身体の線が出る戦闘服を着た少女は、光弾を生成し爆撃を撃墜しきって見せた。

 

 そして、イルガーそのものへの対処は木虎が行った。

 

 イルガーの移動経路を計算し、その背に跳躍。

 

 背部に出現した砲門からの攻撃も凌ぎ、イルガーへ致命傷を与えた。

 

 しかし、これだけでは終わらない。

 

 イルガーには大きなダメージを受けると自爆モードへ移行し、付近で最も人の多い場所に落ちるという悪辣極まりないプログラムがある。

 

 この状態のイルガーは通常時よりも装甲が硬くなり、破壊するのは容易ではない。

 

 このままでは街に墜落し、甚大な被害を出す事だろう。

 

「ここまでやってくれたんだ。後は、おれがやるさ」

 

 だが。

 

 それは、この場に遊真がいなかったらの話だ。

 

 遊真は換装し、黒い戦闘服を纏う。

 

『鎖』印(チェイン)────────三重(トリプル)

 

 そして、鏃の付いた鎖を射出。

 

 鏃はイルガーの腹部に突き立ち、遊真はその鎖を握り締めた。

 

『強』印(ブースト)────────七重(セプタ)

 

 更に、『強』と刻まれた印字の能力により膂力を一気に引き上げる。

 

 その膂力を用いて、鎖を牽引。

 

 巨体を川へと叩き落す事に成功し、イルガーはそこで自爆。

 

 街へ被害を出す事なく、消滅を迎えた。

 

「なんとかなったな。けど────────」

 

 遊真は戦闘体を解除し、橋の方へ眼を向けた。

 

 今の遊真の行動は、イルガーの背にいた木虎には見えなかっただろう。

 

 だが。

 

 橋の上で戦っていた那須には、その光景が見えていた。

 

 戦闘に集中しているから気付かれないだろうと考えていたが、少女の空間把握能力は彼の想像を遥かに超えていた。

 

 加えて言えば、自爆モードになった事でイルガーの爆撃は停止していた。

 

 既に放たれた爆撃を対処するだけであった那須にとって、遊真という明確な異常を発見するのは実に容易い。

 

 彼女の眼は、しっかりと遊真の姿を捉えている。

 

 これが、遊真と那須。

 

 二人の、ファーストコンタクトとなった。



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嵐山准②

 

(あれは…………)

 

 那須は橋の上から、その光景を見ていた。

 

 さほど離れていない場所から放たれた、一本の鎖。

 

 それが上空のトリオン兵に突き立ったかと思えば、それを牽引しそのまま川へと叩き落とした。

 

 トリオン兵は、川への着水と同時に爆発。

 

 あれがもし市街地に落ちていたらと考えるとゾッとするが、一先ず被害は避けられたらしい。

 

 問題は。

 

 今の現象は、明らかにボーダーのトリガーでは成し得ないものである事だ。

 

 まず、あんな見た目のトリガーは存在しない。

 

 近いのがワイヤートリガーのスパイダーであるが、上空まで到達させる射程を確保する為にはかなりのトリオンが必要だ。

 

 それこそ二宮クラスか、もしくは黒トリガー級か。

 

 加えて。

 

 その鎖を操っていた少年は、那須の知る誰でもなかった。

 

 白い髪の、小柄な少年。

 

 下手をすれば小学生とも思えるような幼い外見をしているが、なんとなく緑川と似た雰囲気があるので中学生くらいだろうか。

 

 物々しい黒い戦闘服を着た少年は、戦闘体を解除して生身に戻っている。

 

 その制服には、覚えがあった。

 

 確か、七海に師事していた三雲という少年と同じ制服だ。

 

 那須の記憶が確かであれば、三門第三中学校の制服だったハズ。

 

(もしかして、三雲くんの関係者…………?)

 

 不意にそんな考えを抱いたのは、三雲修という人間が()()()()()()()()()であった為だ。

 

 迅の事は、それなりに知っている。

 

 七海ほど詳しいとまでは言えないが、少なくとも意味のない事をする人物ではない。

 

 その彼が連れて来た修という少年には、必ず何らかの()()があるハズだ。

 

 もしかするとあの少年は、修の持つ役割に繋がる人間なのかもしれない。

 

 那須は、そう解釈して一旦問題を棚上げする事に決めた。

 

『玲。そっちは大丈夫か?』

「ええ、問題ないわ。被害は全部撃ち落としたから」

『お疲れ様。よく頑張ったな』

「ふふ、これくらい当然よ」

 

 そんな時、七海から通信が繋がった。

 

 那須は目に見えるほど顔を綻ばせ、意気揚々と報告する。

 

 ちなみに、そのにやけ顔を遠目に見た遊真は「あ、これ大丈夫なやつじゃないかな」と考えたりもしたのだが、それはまた別の話。

 

 七海に褒められた(無敵モードの)那須の放つオーラは、それだけの一種独特な雰囲気があった。

 

「玲一の方は、大丈夫なの?」

『ああ、問題ない』

 

 那須の問いに七海は通信越しに頷き、答えた。

 

『たった今、終わった』

 

 

 

 

「お疲れ様、七海くん。これで出現した近界民(ネイバー)の掃討は完了だ」

 

 嵐山はそう言って、七海を労った。

 

 周囲には、無数のバムスターの残骸。

 

 これらは全て七海達那須隊と、嵐山隊が破壊したものである。

 

 此処は警戒区域の中であり、市街地ではない。

 

 もしもこの数が市街地に出ていたら少なくとも建物への被害は抑えられなかったであろう事を考えれば、巨大質量を持つバムスターが出て来た場所が此処で良かったと言うべきだろう。

 

 バムスターは確かに雑魚だが、巨大な体躯を持つ以上ただ動くだけで街を破壊してしまう。

 

 市街地の破壊、という目的を主眼に置いた場合、バムスターはこの上ない適正があるのだ。

 

 動くだけでも破壊を撒き散らし、撃破してもその巨体が倒れこめばビルの倒壊以上の被害を生み出す。

 

 巨大な質量(大きい事)は、それだけで明確な武器になる。

 

 四年前に街を破壊し尽くしたその殲滅力は、伊達ではないのだ。

 

「ありがとうございます。上手く行ったようで何よりです。やっぱり、迅さんの言った通りになりましたね」

「ああ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、迅が言っていたからな。あいつも理由までは分からないようだったが、結果として街を守れたんだから何も問題はないだろう」

 

 そう、この場所に七海達がいたのは、偶然ではない。

 

 他ならぬ、迅による差配だ。

 

 七海は昨日玉狛から帰った後に電話で、嵐山は木虎の送迎中に迅本人が直に、「明日のこの時間にこの場所で待機していて欲しい」と頼まれたのだ。

 

 元より、七海も嵐山も迅の頼みとあれば是非もない。

 

 二つ返事で引き受け、この場に集ったワケだ。

 

 また、その際那須と木虎を別行動させるように言ったのも、当然ながら迅である。

 

 木虎は修の学校へ向かうように、那須は川の付近で待機するように。

 

 それぞれ、指示を出したワケである。

 

 ちなみに木虎は件の修に直接絡めるという事で乗り気であったし、那須の場合は七海経由で頼んだ為断るハズもない。

 

 理由としても、他ならぬ未来を視た結果(迅の指示)とあればこれ以上ない信頼性がある。

 

 迅の予知の重要性は、二人共充分に理解しているのだから。

 

「そろそろ、他の場所も終わっているだろう。確認してみるか」

 

 

 

 

『生駒、そっちはどうだい?』

「今全部斬ったトコやわ。被害は殆ど出してへんから、安心してーな」

 

 市街地に積み上げられた、複数体のモールモッドと近くの川に叩き込まれた二体のバムスターの残骸。

 

 それを背にした生駒は隊の面々を前に正面からのアングル(カメラ目線)で嵐山の通信を受け、どや顔でそう告げた。

 

 彼等もまた、迅の依頼でこの場に集っていた。

 

 本当であれば警戒区域で迎撃したかったようだが、迅の話によれば此処で待機しなければ市街地の別の場所で開いてしまうとの事で、対処の容易なこの場で待ち構えていたのだ。

 

 生駒隊はバムスターが出現するなり、旋空でそれを両断。

 

 細切れになったバムスターを隠岐がグラスホッパーで川へと叩き込み、同時に出現したモールモッドは南沢と水上が各個撃破。

 

 市街地への被害を最小限に抑え、イレギュラー門への対処を完了させた。

 

 隊長である生駒の一声で急な召集を受けた生駒隊の面々であったが、事が近界民の迎撃である以上否はない。

 

 生駒はなんだかんだ言いつつも、隊のメンバーからは充分以上に慕われているのだ。

 

 その生駒が頼って来たとなれば、水上を始め生駒隊の面々が拒否などするハズもない。

 

 本部の命令ではなく迅の依頼という形ではあったが、そのあたりの差配は迅の方でやってくれるという。

 

 故に後顧の憂いはなく、結果として被害を最小限に撃退出来たのだから良いだろう。

 

 そういう空気が、生駒隊の間には流れていた。

 

「しっかし、市街地に門が開くたぁけったいやな。これが続くってなると、割とヤバいんと違うか?」

「そやな。けど、心配せんでも迅が頑張ってるさかい、なんとかなるやろ」

 

 水上の懸念に、生駒はそう即答した。

 

 確かに、このイレギュラー門の案件が続けば被害を抑えきる事は不可能に近いだろう。

 

 だが、生駒は心配してはいなかった。

 

 何故なら、あの迅が。

 

 生駒相手に今回の件を頭を下げて頼んで来た迅が、動いているのだ。

 

 あの迅が動いているという事は、事態を解決に向かわせようとしているという事だ。

 

 当然、それなりの無理をしているだろう。

 

 その事に関して、生駒は何も思わないワケではない。

 

 けれど。

 

 彼が無理をする事を止める事は出来ない。

 

 それが迅の生態のようなものである以上、止めても彼の為にならないし、そもそも止まらないだろう。

 

 ならば、自分が出来る事はその手伝いをする事だけだ。

 

 考える事は苦手だ。

 

 戦場での咄嗟の機転はともかく、大局的な物の見方というのは自分には難しい。

 

 ならそれが出来る奴に任せて、自分は戦力として力を振るえば良い。

 

 そう割り切って、今回も生駒は刀を振るった。

 

 全ては、迅を苦しめる万難を排す為に。

 

 その刃を、振るったのだ。

 

 勿論、どや顔(カメラ目線)は忘れずに。

 

「そや、あっちはどうなったやろ。確認せんとあかんな」

 

 

 

 

『弓場ちゃん、そっちはだいじょぶ?』

「ったりめぇだコラ。きちっと市民(カタギ)に被害が出る前に片付けたぜ」

 

 生駒の通信に、弓場は荒々しく頷いた。

 

 周囲には、モールモッドの残骸が複数。

 

 それを、弓場隊の()()で片付けていた。

 

 神田は、もういない。

 

 兼ねてからの予定通り、A級昇格試験の試合を最後に彼は弓場隊を、ボーダーを脱隊した。

 

 もう少し、残るべきではないか。

 

 そんな躊躇いを見せた神田の背を、弓場は蹴り飛ばして見送った。

 

 「こっちはこっちでやる。おめェーは自分のやるべき事をやれ」と、激励して。

 

 帯島と外岡も、弓場と共に彼を見送った。

 

 これまで世話になった神田との別れに帯島は涙ぐんではいたが、心配させてはいけないと最後は笑顔で見送ったのだ。

 

 此処で無様を晒しては、神田に合わせる顔がない。

 

 だからこそ、弓場は迅からの依頼を全力で遂行した。

 

 その甲斐あって、街への被害を抑えながらトリオン兵を殲滅する事に成功したのである。

 

 そして弓場は、()()()()に通信を繋ぐ。

 

「柿崎ィ、そっちはどうなったァ?」

 

 

 

 

「ああ、こっちも大丈夫だ。街への被害は抑えた」

 

 弓場からの通信に、柿崎はそう答えた。

 

 周囲にはモールモッドの残骸があり、それらは全て柿崎隊の面々によって斬り伏せられていた。

 

 建物に被害が出かねない銃撃は行わず、弧月オンリーで対処した結果である。

 

 そのあたりの機微は、嵐山隊にいた時に学んでいた。

 

 元々根付がプッシュしていただけあって、正式に広報部隊としてのオファーを受ける前からそのあたりのいろははそれとなく教えられていたのである。

 

 広報部隊になる事が決まった段階で隊を抜けた柿崎ではあるが、叩き込まれたノウハウまでは消えていない。

 

 根付が今でも諦めてはいない程度には、彼の能力は優秀だった。

 

 その彼もまた、迅の頼みでこの場を訪れていた。

 

 普段全く頼ってくれない迅の頼みとあれば乗るのは吝かではないし、街を守りたいという想いは共通している。

 

 とうの柿崎隊の面々も隊長の柿崎が動くとあれば否はなく、一も二もなく付いて来てくれた。

 

「文香も虎太郎もありがとな。助かったよ」

「いえ、隊長の頼みですし」

「そうですよ。街を守る為ですし、このくらい当然です」

 

 柿崎の労いに、二人は笑ってそう答えた。

 

 照屋も虎太郎も、どちらも満足気な顔をしている。

 

 それだけ、柿崎の役に立てた事が嬉しいのだろう。

 

 ちなみに、これまで自分の考えを隠しがちだった迅に対して、照屋はあまり良い印象を抱いていない。

 

 柿崎のように自分の考えを部下に告げ、きちんと意思疎通を図る誠実な男性が照屋の好みの人物像(ジャスティス)である。

 

 迅はそれとは対極の位置にいたのだが、今回は「街を守る」という意図を明確に告げていた為ある程度彼の評価を修正した事は彼女だけが知っている。

 

 もしも目的を告げずに柿崎を利用するようなやり方であれば、彼女は決して許容しなかったであろう。

 

 そういう意味で、七海の頑張りの成果であると言えなくもない。

 

「迅、頼まれた仕事はこなせたぜ。被害も抑えられたから、安心して良いぞ」

 

 

 

 

「ありがとう、皆。お陰で大分被害を減らせたよ」

 

 迅は街を歩き、また危険な未来の兆候がないか確認しながら協力してくれた友人達を通信越しに労った。

 

 今回、実を言うと迅が協力を要請するのは嵐山だけの予定であった。

 

 広報部隊としての経験を積んでいる嵐山は、大衆の機微を理解している。

 

 同時に、組織人としての視点もしっかり持っている。

 

 故に、こういう裏事情の絡んだ事態に対し、なんだかんだ一番適正があるのが、彼なのだ。

 

 だからこそ迅は躊躇なく嵐山を巻き込めたのであるが、その彼から告げられたのだ。

 

 どうせなら、生駒達にも頼もうと。

 

 昇格試験の一件で、生駒達は迅に対し何か出来る事がないかと度々話していた。

 

 無理をしているのは明らかだった為、少しでもその助けになれないかと考えていたワケである。

 

 あの後四人が揃う度に、その話題を口にしていたものだ。

 

 故に、嵐山は迅が自分を頼って来てくれた事が嬉しかった。

 

 迅が自分から誰かを直接頼るなどという事は、今まで殆どなかったのだから。

 

 だからこそ、考えたのだ。

 

 自分だけ()()()()するのは、申し訳ないと。

 

 故に嵐山は迅に生駒達に頼るよう進言し、その理由を聞いた迅は頷いた。

 

 彼等に心配をかけた自覚は、しっかりあったのだから。

 

『水臭いのはもうナシやで。このくらい、いつでも頼ってええからな』

『おう、生駒の野郎の言う通りだ。迷惑くらい、いつでもかけろ』

『俺も、出来る事があればやるから安心して頼って欲しい。他の奴らと比べちゃ頼りないかもしれないけど、やれる事はあるからさ』

 

 生駒達からも、口々にそう告げられた。

 

 俺は良い友達を持ったなあと、迅はしみじみ感慨に浸った。

 

 通信の向こうで「隊長は頼りないのが(それで)良いんです」との言葉が聞こえた気がしたが、まあ問題はない。

 

 隊の人間関係にまで、口を出す気はないのだから。

 

「さて、これで一先ず今日は安心だ。後は、俺の仕事をするかね」

 

 迅は携帯手端末を見据え呟く。

 

 その端末には、本部への出頭命令が映し出されていた。

 

 件名は、『本日の市街地に出現した門について』。

 

 加えて本文の最後には、もう一つ。

 

 『三雲修の扱いについて』と書かれた内容が、城戸の名前で記されていた。



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城戸正宗③

 

「迅悠一、お召しにより参上しました」

 

 迅が部屋に入り、その場の全員が彼に注目する。

 

 この場にいるのは、上層部のほぼ全員といっていいメンバーだ。

 

 本部司令である城戸を始め、本部長の忍田。

 

 開発室長の鬼怒田に、メディア対策室長の根付。

 

 加えて外務・営業部長の唐沢に、玉狛の林道支部長。

 

 その面々に加えて、城戸の傍に控えるように立つ三輪と、扉側の席に座る修がいる。

 

 三輪は迅の入室に僅かに眉を顰めたが、流石にこの場で敵対的な態度を露にする事はしない。

 

 修は迅がやって来た事で、他に気付かれぬように安堵の息を吐いていた。

 

 今回の集まりの目的は二点。

 

 一つは、隊務規定違反を犯した修の処遇決定。

 

 もう一つは、言うまでもなくイレギュラー門の一件。

 

 その事に関して論議する場が、今此処である。

 

「ご苦労。これで揃ったな。本題に入ろう。市内に開いている、イレギュラー門についてだ」

 

 迅の入室を確認すると、城戸はそう切り出した。

 

 当然といえば当然。

 

 目下最大の懸念事項が、このイレギュラー門についてなのである。

 

 イレギュラー門は市街地に発生しており、今回は七海達の奮闘で被害を食い止められたものの、これが続けばいずれ大きな被害が出かねない。

 

 ハッキリ言ってしまうと、ただのC級隊員の修の処遇より、こちらの方がよほど重要だ。

 

 修の件より優先しても、さして違和感はない。

 

「待って下さい。まだ、三雲くんの処分に結論が出ていない」

 

 だが、それに待ったをかけたのは本部長の忍田だ。

 

 実は修の処分については、迅が来る前に話し合いが行われている。

 

 というよりも、報告を受けて鬼怒田と根付が「クビでしょう」と言っているだけであるが。

 

 忍田はそれに反論していたが、その間に迅が来た、という流れである。

 

「ふん、結論など言うまでもない。重大な隊務規定違反を一日に二度、これで処分なしは有り得んだろう」

「そうですねえ。他のC級隊員が真似されても問題ですし、市民にボーダーは緩いと思われても困ります。クビが妥当だと思いますよ」

 

 二人の言う事は厳しいが、全くの的外れでもない。

 

 そもそも、トリガーとは武器である。

 

 それを未成年に持たせるのだから、運用に際し厳格なルールを定めるのは当然だ。

 

 下手に扱えば容易く被害を巻き起こす事が出来るのだから、何の制限もなしに与えるというのは有り得ない。

 

 ルールとは、危険を回避し正常な運用を行う為にある。

 

 そのルールを蔑ろにすれば、組織の規律は緩み暴走が起きかねない。

 

 そういった組織人の観点から言えば、修の行動は擁護のしようがない。

 

 たとえ緊急時だとは言っても、隊務規定を鑑みれば無理をせずに正隊員の到着を待つべきであった。

 

「私は処分には反対だ。隊務規定違反とはいえ、彼の尽力で被害を防げた事は確かだ。木虎隊員からも、彼の奮闘がなければ確実に被害が出ていただろうと聞いている」

 

 しかし、別の視点もある。

 

 違反行為であれど、それに匹敵もしくは上回る功績を打ち立てた場合、その咎を帳消しにするというものだ。

 

 あまり推奨はされない行為だが、ある意味では間違ってはいない。

 

 違反行為をした事は事実であれど、それが危急且つ止むを得ない事情があり、尚且つ確かな結果を出した場合、罰則を帳消しにするというやり方だ。

 

 忍田が言っているのは、まさにそれだ。

 

 確かに、修が隊務規定違反をした事は事実。

 

 だが、彼の時間稼ぎがなければ、確実に生徒に被害が出ていたであろう事は言うまでもない。

 

 故に彼の罪を功績で上書きし、処分をなかった事にしようとしているワケだ。

 

 理屈よりも感情を優先する、忍田らしい意見と言える。

 

「確かに、本部長の意見にも一理ある。だが、ルールを守れない人間は────────私の組織には必要ない」

 

 しかし、トップである城戸がそれを棄却する。

 

 そして、城戸は件の修に視線を向けた。

 

「三雲くん。もし同じ事がまた起きたら、君はどうするね?」

「目の前で人が襲われていたら、やっぱり助けに行くと思います」

 

 城戸の質問に、修は迷わず即答。

 

 それを聞き鬼怒田や根付は「それみたことか」とばかりにこき下ろし、唐沢は密かに修に興味を持った。

 

 その様子を見て、城戸と忍田────────そして、林道と迅の視線が交錯する。

 

 事情を知る者とそうでない者とで、このやり取りの意味は全く異なる。

 

 幸い、鬼怒田や根付はその意味には気付いていない。

 

 ある意味彼等に向けた茶番(ポーズ)である以上、彼等に対し「城戸と忍田の間に隔意がある」と思わせる事が出来れば成果としては上々だ。

 

 唐沢はそのやり取りに目敏く気付いてはいたが、別段組織にとって悪い影響は出ないだろうと黙認の構えを取った。

 

 当然、彼の中で修の注目度が更に上がったのは言うまでもない。

 

 唐沢は、変わった人間が好きだ。

 

 規律を重視し、組織人としての視点を第一とする人間も嫌いではない。

 

 そういった人間がいなければ組織は回らない事を、唐沢は知っているからだ。

 

 だが、それはそれとして変革を齎す新たな風の存在もまた、組織にとっては良い刺激となる。

 

 ()()()()劇薬になるが、それはどんな人間であれ同じだ。

 

 加えて、唐沢は修の纏う雰囲気が他者とは違う事も気になっていた。

 

 資料を見る限り、戦闘能力は高くない。

 

 どうやらC級ランク戦は戦術で切り抜けているようだが、それでも戦闘の面において他者より逸脱した部分が見られるワケではない。

 

 戦術を使って勝っているとはいえ、それはB級隊員であれば誰もが行っている事だ。

 

 C級の身で実現している事が奇異ではあれど、言うなればそれだけだ。

 

 だが。

 

 彼の精神、その在り方は興味深い。

 

 たった今、修は自らの進退を賭けたとも言える質問に対し、即答で「ルールより人命を優先します」と答えた。

 

 鬼怒田達はこの答えを批判したが、唐沢は真逆だ。

 

 修は、質問の意味を理解していなかったワケではない。

 

 そこで当たり障りのない答えを出せば自分の処遇が改善する好機でもあると、察していた筈だ。

 

 にも拘わらず、修は自分の意思を偽らず、正直な答えを口にした。

 

 その胆力は、並大抵のものではない。

 

 普通であれば、自分を不利にする発言、というものは告げる事を躊躇するものだ。

 

 だが。

 

 修は一切の躊躇なく、それを即答してみせた。

 

 唐沢はそこに、彼の決してブレない特異な精神性を垣間見た。

 

 経験上、こういった人間が組織にいれば後々窮地に追い込まれた時にこそ役に立つ。

 

 故に唐沢は彼を高く評価していたし、何より彼本人の感性としても修の人間性は好感が持てた。

 

 自分の身を顧みず、迷わず人助けを実行する。

 

 それを人は、ヒーローと呼ぶ。

 

 唐沢は修の中に、そのヒーロー性を見出した。

 

 このままでは除隊処分にされそうではあるが、城戸達の様子を見ればもうひと悶着あるのは予想出来る。

 

 それまで静観してみようと、唐沢は傾聴の姿勢を取った。

 

「三雲くんの話はもういいでしょう。今は、イレギュラー門の件が優先です」

「そうだな。今はトリオン障壁で門を強制閉鎖しているが、それもあと46時間しか保たん。それまでにどうにかせんといかん」

 

 そして、根付と鬼怒田────────否。

 

 その場全員の視線が、迅へと集中した。

 

「その為にお前が呼ばれたワケだ。やれるか? 迅」

「もちろんです」

 

 迅の即答に、会議の場がざわついた。

 

 確かに、事態の解決を目的として迅を呼んだ事は事実である。

 

 しかし、即答でこう答えられるとは思っていなかったというのが正直なところである。

 

 未来視にも、限界はある。

 

 便利に思える未来視ではあるが万能ではなく、どんな事態も解決出来る、とまではいかない。

 

 期待して呼んだ事は事実ではあるが、同時に芳しくない返答を聞く事も覚悟していただけに、若干拍子抜けですらある。

 

「────────その代わり、彼の処遇は俺に任せて貰えるかな? 交換条件というワケじゃなく、誇張抜きで彼が必要だからさ」

「どういう事だ…………?」

 

 だが、次の迅の発言に鬼怒田は困惑する。

 

 彼から見た修は、隊務規定違反を犯したただのC級に過ぎない。

 

 その彼を特別視するような迅の発言の意図を、鬼怒田は理解出来なかった。

 

「…………そうすれば、事態が解決すると?」

「はい。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」

 

 されど。

 

 発言の意図を理解出来た城戸はそう確認し、迅はそれに是と答えた。

 

 迅がサイドエフェクトを理由として持ち出した事で、その場の全員が否応なく理解する。

 

 事態の解決には、確かに修の存在が必要になる事を。

 

 迅がサイドエフェクトの事に言及したという事は、即ちそういう事である。

 

「いいだろう。好きにやれ」

 

 城戸はそう言って、迅の行動に許可を出した。

 

 鬼怒田や根付は納得出来てはいないようであったが、城戸がこう言った以上否とは言えない。

 

 結局、次の会議は明日の21:00とする事で話は終わり、協議は終了した。

 

 迅は鬼怒田には「原因見つけて来るからその後はお願いね」と頼み、根付には市民が修と思われる隊員に感謝している動画を見せ、それを用いてボーダーの印象向上を行うよう働きかけた。

 

 この時点で、根付の修の処遇に対する不満は解消されたと言って良い。

 

 隊務規定違反を犯した事は見逃せないが、彼に感謝する市民が多くいる以上修を除隊させるのは組織の評判的にもよろしくない。

 

 感情よりも、実利を取る。

 

 それが出来るのが、根付という人間なのだから。

 

 根回しを終え、迅は修と共に部屋を出る。

 

「────────」

 

 その二人を。

 

 三輪が、厳しい視線で見据えていた。

 

 

 

 

「ほらね。大丈夫だっただろ?」

「肝が冷えましたが、そうですね。言った通りになりました」

 

 ボーダー本部から出た後、迅は修に対し安心するように笑いかけた。

 

 迅は事前に、修には「君が処分される事はないから心配するな」と告げていた。

 

 隊務規定違反を犯した自覚のある修はそんな事が有り得るのか、と疑問には思ったが、他ならぬ迅の言葉である事を考慮して信じる事にし────────結果として、その通りになった。

 

 流石迅さん、と修が彼に対する評価を上げた事に気付きつつ、迅は苦笑しながら話を続けた。

 

「ただ、今ので三輪に君もマークされる事になるだろうね。でも、今はイレギュラー門の解決を優先したい。ある程度準備は終わったし、そろそろ遊真の存在を明かす時期も近付いて来た」

「空閑を…………?」

 

 ああ、と迅は頷き、告げる。

 

「俺にはイレギュラー門の原因は分からない。けど、遊真に相談した結果事態が解決する未来が視えた。ここは素直に、近界の知識を借りるとしようぜ」

 

 

 

 

「取り合えず、これで仕込みは終わったか」

 

 司令室。

 

 そこで、城戸と忍田、そして林道は再び顔を合わせていた。

 

 時刻は既に23:00過ぎであり、学生の身である三輪は当然帰らせている。

 

 今此処にいるのは、事情を知る三人のみ。

 

 先ほどのように、取り繕う必要は何もなかった。

 

「先ほどのやり取りで、私と城戸さんの間に隔意がある、と思わせる事には成功したでしょう。特に不自然な発言をしたつもりはないですし」

予定(カンペ)通りにやったからなあ。俺らが打ち合わせてなきゃ、ポカしてたんじゃないか?」

「かもしれないな。自慢ではないが、演技は苦手だ」

 

 そう、先程の流れは事前に計算していたものである。

 

 そもそもの話として、城戸は迅からあらかたの事情を聞いていた。

 

 イレギュラー門の解決に遊真の力が必要であり、彼の心証を考えれば修を除隊させる事はあってはならない、と。

 

 今の遊真が彼等に協力しているのは、偏に修がいるからだ。

 

 もしも彼がボーダーを辞めさせられるような事になれば、もう手伝う義理はないと遊真に見限られる危険が高かった。

 

 故に、修の処分を保留する事はほぼ確定していた。

 

 しかし体面としては厳しい態度を取る他なく、先程の結果となったワケである。

 

「それで、三輪くんはなんと?」

「自分の隊で三雲を見張らせて欲しい、と頼んで来た。迅の言う通り許可は出したが、少々不安ではある」

「まあ、近界民(ネイバー)絡みともなれば無理もないでしょ。冷静さを失うのも、分からんでもないしな」

 

 林道の言う通り、この場にいる全員が喪失の痛みを知っている。

 

 だからこそ、三輪のような存在を無碍には出来ない。

 

 気持ちが痛い程分かるというのもあるが、そんな彼を戦力として運用している責任はきちんと取らなければならない。

 

 憎悪を煽る形で入隊させたのは、こちらなのだ。

 

 その責任を取る義務が、彼等にはある。

 

 少なくとも、城戸はそのつもりであった。

 

「後は、折を見て衝突の機会を作るだけか。無論、今回の事態が解決してからになるがな」

「そうですね。裏であれこれするのは骨が折れますが、頑張りましょう。他ならぬ、迅くんの頼みでもありますしね」

「ああ。ガキが気張ってるんだ。大人(おれら)は、それに応えなきゃならん。上手くいったら、祝杯の一つでもあげようぜ」

 

 三人はそう言って、不敵な笑みを浮かべる。

 

 まずはイレギュラー門を解決し、然る後に派閥間の代理戦争を行わせる。

 

 その準備が今日、また一つ終わった。

 

 対決の日は、近い。



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アフトクラトル①

 

「というワケなんだが、どうだ遊真。なんとかなりそうか?」

『うん、丁度手掛かりを探してるトコだ。レプリカの奴が心当たりがある、って言うからな。ちなみに今は学校です』

 

 迅の問いかけに、小さくなったレプリカから遊真の声が飛んできた。

 

 これは今日別れる前に遊真が修に持たせたレプリカの子機であり、今は迅が彼から預かっている。

 

 子機はこのように通信を繋いだりする他、ある程度のサポートが行えるだけの機能が付いている。

 

 当然ながらこの世界に来たばかりで携帯など持っていない遊真との、貴重な連絡手段であるワケだ。

 

 期待通りの動きをしていた遊真の言葉に迅は安堵し、ありがとう、と礼を告げた。

 

「すまないな。苦労をかけるよ」

『いいって。協力するって決めたんだからこれくらい当然だよ。修の立場も守ってくれたみたいだし、誠意には誠意で返さなきゃな』

 

 暗に修を助けてくれたお礼だと告げる遊真の言葉に、迅は苦笑する。

 

 会って間もないというのに、この懐きよう。

 

 矢張り、修には人を惹きつけるだけの何かがある。

 

 万人に作用するものではないようだが、彼自身の底抜けの善良さも相俟って、自然と「助けてやりたい」と思わせる気質があるように思う。

 

 遊真が此処まで協力的になってくれているのも、偏に修の影響があるからだ。

 

 それがなければ、此処までスムーズに事が運びはしなかっただろう。

 

『多分、この調子なら明日までには原因を見つけられると思う』

「そうだな。俺の予知でもそう出てる。期待してるよ」

『ああ、見つけたらまた連絡するよ。修をよろしく』

 

 その言葉を最後に、遊真との通信が切れた。

 

 迅はふぅ、とため息を吐き、天井を見上げる。

 

「さて。明日は、忙しくなりそうだ」

 

 

 

 

 そこから先は、トントン拍子に話が進んだ。

 

 遊真は一晩かけて、事態の原因を見つけ出した。

 

 隠密偵察用小型トリオン兵、ラッド。

 

 その、(ゲート)発生装置を搭載した改良型が一連のイレギュラー門事件の元凶だった。

 

 このラッドは小動物程度の大きさであり、破壊されたバムスターの内部に大量に格納されていた。

 

 それが密かに街に潜伏し、周囲の人間のトリオンを少しずつ集めて機能を解放。

 

 市街地へ門が発生した、というワケだ。

 

 ボーダー隊員の近くで門が開く事が多かったのは、集まっているトリオンの密度の差である。

 

 基本的にボーダー隊員は、トリオン量で合否を判定する入隊試験を潜り抜けている。

 

 つまり、一定量以上のトリオンを保有している事は既に担保されているワケだ。

 

 少しずつトリオンを集めるとは言っても、より多くのトリオンを集められる場所の方がより効率的に門を開く事が出来る。

 

 そういう意味で、昨日の迅の差配は最適であったと言える。

 

 隊員を予め戦っても被害が少なそうな場所に配置しておき、実質的な門誘因装置として機能させる。

 

 その上で被害が出る前に素早く仕留めた事で、人的被害を0にする事が出来たのだ。

 

 但し、一ヵ所だけ。

 

 修の通う第三中学校の門の位置だけは、何をどうやっても変える事が出来なかった。

 

 確かに、近くに配置していた木虎のトリオン量は低い。

 

 しかし、それでもボーダー隊員としての最低値はクリアしている。

 

 彼女一人のトリオン量よりも学校という人の集まる場所で多くのトリオンを少しずつ集めた方が効率が良いという判断であったのかもしれないが、もう一つ考えられる可能性はある。

 

 修の通う三門第三中学校に、ボーダーの把握していないトリオン強者がいる。

 

 その可能性だ。

 

 これならばどうやっても第三中学校の門を誘導する事が出来なかった説明がつくし、合理的だ。

 

 聞いた話では、修は守りたい人がいるからボーダーに入ったという側面もあるのだという。

 

 重要なのは、修がボーダーに入る事でその人物を守れるようになると考えていた事だ。

 

 ただ危険から守るだけなら、何もボーダーに入る必要はない。

 

 にも拘わらず、修が入隊を志した理由。

 

 それは、その対象者が近界民に狙われている、というケースである。

 

 トリオン兵が優先的に狙うのは、トリオンの多い人間だ。

 

 もしもその修の守るべき相手というのがトリオン強者であった場合、彼がボーダーの力を求めるのはむしろ常道である。

 

 近界民に対抗する為には、トリガーの力を以てでしか不可能なのだから。

 

 ともあれ、これで原因は判明した。

 

 迅はすぐに、行動を開始。

 

 鬼怒田の下に回収したラッドを持ち込み、同種の機体がレーダーに映るようにして貰う。

 

 そして根付の公共放送により、ラッドの写真を公開して市民に通報を依頼し、A級からC級まで殆どの隊員を動員したラッド回収作戦を実行。

 

 一昼夜を通して行われたその作戦により、翌日には全てのラッドを駆除する事に成功した。

 

『反応は全て消えた。ラッドはこれで最後の筈だ』

「よーし、作戦完了だ。みんなよくやってくれた。おつかれさん!」

 

 迅はレプリカの報告を聞き、作戦終了を通達。

 

 ボーダー総出で行われた駆除作業は、終わりを迎えた。

 

 これで、イレギュラー門へ怯える必要はもうない。

 

 事態解決、完了である。

 

「しかし凄いな。ホント間に合うとは。数の力は偉大だな」

 

 その結果には、遊真も驚いていた。

 

 レプリカが検知したラッドの数は、数千体。

 

 とてもではないが、回収しきれる数ではない。

 

 遊真は、そう考えていた。

 

 しかし、ボーダーは人海戦術を用いてその予想を覆してみせた。

 

 ボーダーの正確な規模を理解していなかった遊真ではあるが、今回の一件でボーダーがどれだけ大きな組織かという事を改めて実感した形になる。

 

「いや、間に合ったのはお前とレプリカ先生のお陰だ。ラッドの前提情報がなきゃ、手詰まりだったよ」

 

 だが同時に、近界の知識においてはまだまだ遅れているのが現状だ。

 

 レプリカの()()()()がなければ、ラッドを探して回収するという手段そのものが取れなかった。

 

 偶然か何かでラッドを見つけても門発生装置にまでは思い至らず、ただのトリオン兵として処理していた可能性もある。

 

 そういう意味で、遊真の貢献は非常に大きかったと言える。

 

「お前がボーダー隊員じゃないのが残念だ。普通なら、表彰もののお手柄だぞ」

「ほう」

 

 遊真は迅の話に、目の色を変えて食いついた。

 

 というよりも、迅の言わんとするところを察したとみるべきだろう。

 

 今回の件を、貸しとして扱える。

 

 迅は、そう言っているのだ。

 

「じゃあ、その手柄をオサムに付けといてよ。そのうち返して貰うからさ」

「それは構わない。クビ取り消しとB級昇格、纏めて叶うだろうからな」

 

 故に当然、遊真はその貸しを修の為に使おうと思い立った。

 

 自分が持っていても仕方のない功績(もの)であるし、それで修の処遇が改善するのであれば安いものだ。

 

 そう考えて、遊真は迅との無言の打ち合わせの上で修に功績が行くよう促した。

 

「────────すみませんが、それは受け取れません」

 

 しかし。

 

 修は、その提案を固辞した。

 

 遠慮しているのか、と考えた遊真は更に言い募ろうとするが、直前で止まる。

 

 何故ならば。

 

 修の眼が、確かな意思の光で輝いていたのだから。

 

「迅さん、一つ聞かせて下さい。本当にそれが、()()へ至る為の道ですか? 他に、(ルート)はないと?」

「……………………いや、ある事はある。けど────────」

「可能性としては低い、ですか」

「まあ、そういう事だね」

 

 成る程、と修は迅の返答を吟味し、次の質問を行った。

 

「それ、ぼくが自力でB級に上がれたらどうにか出来ますか? それとも、その功績がないと確定で除隊でしょうか?」

「いや、除隊は俺が何とか出来る。問題は、三雲くんがB級に上がれるかどうかだ」

 

 そう、先日はああ言ったが、今回の件を収めた交換条件として修の処分撤回を求める事自体は可能だ。

 

 それだけ今回のイレギュラー門事件は緊急性の高い案件であり、それを解決に導いた功績が大きい。

 

「やっぱり、自力でB級に上がりたいのかな?」

「……………………ええ、そうですね。否定はしません」

 

 修は迅の質問に、是と答えた。

 

 確かな成長を感じる自分の力で、今度こそ自力でB級昇格を成し遂げたい。

 

 そんな想いを抱いていないとなれば、嘘になる。

 

 但し、それだけであれば修が此処まで固辞する事はなかったであろう。

 

 だが。

 

 此処で自分がその功績を使()()()()()しまう事で、閉ざされる(ルート)がある。

 

 ならば、それを使い切る事は得策ではない。

 

 修は、そう考えたのだ。

 

「意思は固いようだね」

「はい」

「仕方ない。じゃあ折衷案だ」

 

 迅は修の意思の強固さを知ると、苦笑しながら解決案を口にした。

 

「まず、功績自体は三雲くんのものにする。その上で、処分の撤回だけを求めて欲しい。B級昇格は、自力で行って貰う。これでどうかな?」

「構いません。その方向でお願いします」

「遊真もいいか?」

「修がいいならそれでいいぞ」

 

 話は纏まり、迅はほっと一息を吐いた。

 

 正直な話、此処で功績を修の昇格に使ってしまうのは現状を考えれば勿体ない面が多いのだ。

 

 修の現在のポイントは、3820。

 

 あと一歩で、昇格可能なラインにある。

 

 僅か180ポイントの為に功績を使ってしまうのは、少々割に合わないのは事実である。

 

 しかし同時に、その一歩が遠い事も無視出来ない事実でもある。

 

 現在、修はC級隊員から対戦を敬遠されている。

 

 既にC級隊員の中で修は「ハウンド狩り」と呼ばれており、ハウンド使いだけを狙ってポイントを刈り取っていく事からそう名付けられた。

 

 弧月使いやスコーピオン使いからの対戦は決して受けず、ハウンド使い相手のみに対戦を絞った事も、悪評に拍車をかけていた。

 

 故に現状、修の対戦を受けてくれる相手がいない。

 

 対戦を行わなければ、当然ポイントは手に入らない。

 

 訓練でポイントを積み重ねる事も出来るが、少々時間がかかる。

 

 すぐにでもB級に上がりたい修としては、忸怩たる想いである筈だ。

 

「けど、大丈夫なのか? あと一歩が遠いって、言ってたじゃないか」

「それについては、昨日木虎から良いアドバイスを貰ってね。上手く行けば、明日にでも昇格出来る筈だ」

「ほうほう」

 

 しかし、どうやら修は無策で無条件昇格を蹴ったワケではないらしい。

 

 彼の口から木虎の名が出た事で遊真は興味を以て彼を凝視し、迅は成る程、と苦笑した。

 

「多分、そのやり方で合ってるよ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」

「ありがとうございます。これで、なんとかなりそうです」

 

 迅のお墨付きを貰った事で、修は力強くそう告げ頷いた。

 

 その様子を見て、迅はこれなら大丈夫だな、と考え空を仰いだ。

 

 そして。

 

 今回の一件の結果(みらい)に、想いを馳せた。

 

 

 

 

「ラッドは全て駆除された。どうやら玄界の兵の規模は、我々の予想よりも上のようだ」

「ってもあの白い服の連中は雑兵だろ? 大したこたぁねーよ。玄界の猿がどれだけ集まったところで、黒トリガー(おれら)に叶うハズねーだろが」

 

 暗い部屋の中。

 

 複数人の、角の生えた人間たちが集っていた。

 

 ハイレインの言葉に般若のような角を生やした痩躯の男、エネドラはそう言って「くだらねえ」と悪態をついた。

 

 典型的な選民思想的な発言だが、彼にはそれが許されるだけの実力がある。

 

 もっとも、現時点の自分の立場がどうなっているかは、知る由もないのだが。

 

「雑兵でも数が集まれば相応の作戦行動が取れる。隊長はそこを危険視しているのだろう」

 

 そんなエネドラに、後ろ向きの角が付いている少年────────────────ヒュースが、苦言を呈する。

 

 ヒュースは規律を第一とする真面目な軍人気質である為、情報を蔑ろにするエネドラの態度が癇に障ったのだろう。

 

 そんなヒュースに、エネドラは眉を吊り上げた。

 

「ああ? ビビッてんじゃねーよ。雑魚がどんだけ集まろうが、雑魚は雑魚だろが。なんなら、俺が全員ぶっ殺してきてやってもいいんだぜ?」

「それで我が国に何の得がある? 捕らえるならばともかく、徒に玄界(ミデン)の民を殺しても実利は得られん」

「んだとコラ」

「はっは。二人とも元気が良いなっ! これは遠征本番でも、活躍が期待出来そうだな」

 

 二人の諍いにそうやって介入したのは、大柄な鬼のようなシルエットをした男、ランバネインである。

 

 彼はこの遠征部隊の隊長であり領主でもあるハイレインの弟であり、この中でも発言力は高い部類に入る。

 

 事実上の上官からの制止にヒュースは矛を収め、エネドラも舌打ちしつつそっぽを向いた。

 

 それを見てランバネインはハイレインに目配せし、両者が頷いた。

 

 ランバネインは見かけによらず思慮深い性格であり、こういった気遣いも出来る男だ。

 

 ハイレインは人心掌握術には長けているが、身内の揉め事の解決であればランバネインの方が効率的に行える。

 

 諍いの仲裁者はある程度下手に出つつも意見をしっかり言わなければならない為、立場上下手に出る事が難しいハイレインには向いていない。

 

 その点ランバネインは現場志向の性格なので、彼の介入でどうにかなる事は多い。

 

 そういったところを、ハイレインは評価していた。

 

「さて、これで玄界の戦力の規模は知れた。雛鳥の脱出機構の有無について知れなかったのは残念だったが、同時に吉報もある」

「ほう。なんだそれは」

「金の雛鳥が、玄界に存在する可能性が高まった」

 

 ハイレインの発言に、その場の全員の眼の色が変わった。

 

 金の雛鳥。

 

 即ち、次の「神」の候補者。

 

 それが存在するとなれば、この遠征の意味が大分変わって来るのだから。

 

「詳しい事までは分からなかったが、ラッドの門展開のスピードが著しく異なっていた個所があった。その生成効率を考えれば、近くに豊富なトリオンを持った人間が存在する可能性は高いだろう」

「成る程、それなら期待が持てますね。となると」

「ああ、今回の遠征の方針を伝えよう」

 

 副官のミラの言葉に頷き、ハイレインは己の部下達に作戦方針を口にした。

 

「加減をする必要はない。とにかく派手に暴れて、金の雛鳥を炙り出す。但し、その過程で雛鳥の脱出機構の有無が確認出来た場合は方針を変える事も有り得るだろう」

 

 だが、とハイレインは告げる。

 

「金の雛鳥を見つけ次第、その確保に全力を注ぐ。これだけは変わらない。必要があれば、基地の破壊も考慮に入れる」

 

 そこまで言うとハイレインはちらりと、部屋の隅に腰掛ける老人に目を向けた。

 

「その時は頼りにさせて貰います。ヴィザ翁」

「ほっほ。城攻めとは久方ぶりです。腕が鳴りますな」

 

 そして。

 

 声をかけられた老人────────否。

 

 人の形をした修羅は、年齢を感じさせぬ凄絶な笑みを浮かべてみせた。

 

 彼こそは、アフトクラトルが誇る最大戦力。

 

 国宝、星の杖(オルガノン)の使い手。

 

 剣聖、ヴィザ。

 

 ボーダーにとって最強の敵となる、黒トリガー使いであった。



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三雲修⑦

 

「…………よし」

 

 修は目の前に現れた対戦相手の少年を見据え、心の中で気合いを入れ直した。

 

 相手の少年の腰には、鞘がある。

 

 即ち、今回の相手はハウンド使いではない。

 

 その手に持つのは、弧月。

 

 今まで対戦を避け続けて来たブレードトリガーの使い手が、今回修の選んだ対戦相手だった。

 

 何も、対戦が行えない現状を憂いて自棄になったワケではない。

 

 この行動に至った切っ掛けは、先日の木虎の()()にあった。

 

 

 

 

「あら、三雲くん。結果はどうなったかしら?」

「なんとか、首は繋がったよ。迅さんのお陰でね」

 

 それは、上層部の呼び出しを終えて本部を出る間際。

 

 用事を片付けて来るからと言われ迅と別れた直後の修と、彼の姿に気付いた木虎が偶然出会った事に端を発していた。

 

 正直なところ、修の処遇がどうなるか気になっていた木虎は今日は特に用事もなかった為に用事を作って残っていたのだ。

 

 広報部隊である木虎には、処理すべき仕事は幾らでもある。

 

 普段は無理のないペースで時枝が仕事量を調整してくれる為そこまで無理はしていないのだが、逆に言えば「すぐに片付ける必要はないが、近いうちに処理すべき仕事」というのはそれなりにあるのだ。

 

 木虎は自分に許された裁量の中でそういった仕事を少しずつ片付け、他の面々の負担を減らそうとする事が多々あった。

 

 流石に無理をしていると判断されればチームメイトからストップがかかるが、それは木虎も弁えているので実際に止められた事は数回程度だ。

 

 基本的にワーカーホリック的な性質がある木虎は「何も用事がないのにだらだらする」という事を嫌っている為、時間潰しを行うなら何かやっておかないと勿体ない、と考えるワケである。

 

 その為、木虎は理由があって本部に残りたい時にそうやって少量の仕事を片付けていたのだ。

 

 以上の理由により、木虎は()()帰り際の修と出会う事に成功したのだ。

 

 実際はどうあれ、本人が偶然と言い張っているのだから偶然である。

 

 待っていた、とは死んでも言わないのが木虎が木虎たる所以なのだから。

 

「それから、木虎がぼくの事を庇ってくれたって聞いたよ。ありがとう」

「私はただ、事実をそのまま報告しただけよ。当然の仕事をしただけなのだから、感謝される謂れはないわ」

 

 言葉とは裏腹に割と豊かな胸を張ってどや顔を見せる木虎だが、それなら、と何かに気付いたようにニヤリと笑った。

 

「今回の一件は、迅さんが動いてるんだから解決は時間の問題よね。それなら、貴方の今の悩みについて少し話を聞いていくのはどうかしら?」

「ぼくの、悩み…………?」

「対戦が全然組めなくて困ってるんでしょう? C級の連中に毛嫌いされてるものね、貴方」

「…………!」

 

 木虎の指摘に、修ははっとなって顔を上げた。

 

 確かに、木虎の言う通りだ。

 

 修はB級昇格まであと一歩、というところで対戦を拒否され続け、忸怩たる想いを抱えていた。

 

 何故木虎がそれを知っているのかはさておいて、目下修の悩みの筆頭の一つである事は言うまでもない。

 

 C級では、出来る事に限界がある。

 

 その事を今日の一件で、文字通り痛い程思い知ったのだから。

 

 B級昇格は、今の修の短期的最大目標と言えた。

 

「貴方、師匠は誰かしら? もしかして、七海先輩?」

「ああ、そうだよ。迅さんから聞いたのか?」

「そんなところね。でも、まさか七海先輩が弟子を取るなんてね。師匠が多いから、教えるのも上手かったのかしら」

 

 木虎の言い方に、修はそういえば、と思い返す。

 

 七海は、教え方は割と上手ではあった。

 

 それは明確な「手本」がいたが故である事を、修は理解した。

 

 名選手が名コーチになれるとは限らないが、名コーチに教導を受けた選手は教育のノウハウというものをその身に叩き込まれている。

 

 感覚だけで上り詰めた天才型ではなく、優秀な指導を通して努力を積み重ねた秀才型は、それまでに自分が()()()()()()()()()()()()()を記憶している。

 

 その方法を模倣するだけでも、ある程度のクオリティの指導は行えるのだ。

 

 それこそが、七海が巧く修を指導出来た理由である。

 

「でも、ハッキリ言ってしまうと三雲くんの師匠として最適かと言われると少し疑問ね。七海先輩と貴方とでは、トリオン量も戦闘力も違い過ぎるから。特に、前者が問題ね」

「トリオン量、か」

「七海先輩のトリオン評価値は、10。普通の隊員の二倍はあるし、貴方と比較すれば5倍ね。師匠筋もトリオンが低い人はいないみたいだし、トリオンが低い人間の戦い方にはあまり通じていないと思うわ」

 

 だが、何事にも適正というものがある。

 

 七海のトリオン量は、修の約5倍。

 

 常にトリオン不足に悩まされる修と異なり、七海にはトリオン量の関係で困った事は殆どない。

 

 修に的確な勝ち方を指導出来たのは効率重視で最善の選択を提示してみせただけであり、修への適正は性格資質以外は考慮していなかったというのが正直なところだ。

 

 七海は修のトリオンの低さは承知しているし、それに合わせた指導を行ってもいる。

 

 しかしトリオンが少ない者の気持ちや感覚を実感出来ていたワケではなく、そこに認識の隔たりがあった。

 

 木虎は、そこを指摘しているワケである。

 

「貴方が先へ進むには、師匠が一人だけでは足りないという事よ。幾らでも増やせば良いってワケじゃないけど、違う見地を得るのは重要よ。貴方が師事している七海先輩も、何人も師匠を持っているしね」

「別の師匠か。けど、ぼくに迅さん以外のコネがなくて…………」

「だから、私がその師匠になってあげるって言ってるのよ。私も、そうトリオンが高い方じゃなかったしね」

 

 勿論今は戦闘員として最低限のトリオンは持ってるわ、と自己フォローを忘れない木虎だが、修はその前半の発言に目を見開いた。

 

 いつ言った?という疑問はさておいて、木虎が修の師匠として名乗りを挙げて来るとは、正直予想外であった。

 

「木虎が、ぼくの師匠に…………?」

「そうよ。嬉しいでしょう?」

 

 困惑する修と、相変わらず自信満々な木虎。

 

 ハッキリ言って、修は混乱していた。

 

 妙に好意的ではあったが、それはあくまでも動物園の珍獣を見るような物珍しさから来るものだろうと考えていたのだが、まさか師匠の名乗りまで挙げて来るとは思わなかった。

 

 そのあたり、修はまだ木虎に対する認識が甘い。

 

 木虎の根幹にあるのは、強い自己顕示欲だ。

 

 修に興味を持ったのも、将来有望な隊員に恩を売って感謝されたい、或いはそんな見どころのある隊員に自分の凄さを見せつけて褒めて貰いたい、というのが正直なところだ。

 

 基本的に、構えば構う程繰り返し(エンドレスに)機嫌が向上するし、自分に注目を集める事を快感と感じている人種でもある。

 

 他者の視線を全く意に介さない修とは、まさに真逆の人間と言える。

 

「別に難しい事を言ったつもりはないわ。私なら、トリオンの少ないなりの戦い方を教えられる。勿論今回の一件が終わってからになるけれど、目下貴方を悩ませている問題の解決策くらいは教えてあげられるわ」

「…………! 本当か…………っ!?」

「嘘は言わないわ。信じなさい」

 

 修は木虎の発言に、彼女の顔を凝視した。

 

 何を勘違いしたのか髪をかき上げてポーズを取る木虎を見据え、修は思案する。

 

 正直、この提案にはメリットしかない。

 

 一刻も早くB級になっておきたいというのは修の願うところであるし、木虎は理由は良く分からないが妙に好意的な為嘘は言っていないだろう。

 

 彼女の弟子になる事でB級になれるのであれば、修としては否はなかった。

 

 同学年の女子に師事する事に何も思わないワケではないが、優先順位は決まりきっている。

 

 目的の為なら、多少の抵抗感は切り捨てられる。

 

 それが、修という人間なのだから。

 

「分かった。お願いするよ、木虎」

「よろしい。それなら今までは黙認していた呼び捨ても、正式に許可するわ。喜びなさい」

「あ、あはは。よろしく」

 

 木虎はどうやら機嫌の良さが天元突破したらしく、分かり易く調子に乗っている。

 

 その姿に「早まったか?」と内心思う修であったが、もう遅い。

 

 既に言質を取った以上、木虎が止まる事など有り得ないのだから。

 

「じゃあ、これが連絡先だから。今回の件が解決したらここにかけなさい。私も忙しい身の上だから、すぐに出れるとは限らないけどね」

 

 木虎はそう言って、懐から取り出した連絡先のメモを修に手渡した。

 

 こうして、修は木虎に師事を乞う事になったのだ。

 

 

 

 

「結論から先に言うわ。弧月使いを狙いなさい」

「え…………?」

 

 そして、イレギュラー門事件が解決した翌日。

 

 修の電話をワンコールで受けて即日会う約束を取り付けてやって来た木虎は、開口一番そう言った。

 

 弧月使いを、狙う。

 

 確かに、彼女はそう言ったのだ。

 

「けど、七海先輩は弧月使いは止めておけって言ってたぞ。理由は…………」

「分かってるわ。弧月使いは、体捌きに自信がある隊員が多い。慢心が多いハウンド使いよりも、貴方にとっては厄介な相手よね」

 

 承知してるわ、と木虎は微笑む。

 

 どうやら、何の考えも無しに言ったワケではないらしい。

 

 修はそう考え、傾聴の姿勢を取った。

 

 その様子を見た木虎はにこりと笑いながら、説明を始めた。

 

「確かに七海先輩の言う通り、C級からブレードトリガーを使う隊員は身体を動かすセンスがそれなりにある場合が多いわ。3000ポイント以上の弧月使いの中には、B級に近い立ち回りが行える人間もいるわね」

 

 まあ、私から見れば五十歩百歩だけど、と自身のアピールをナチュラルに混ぜながら、木虎はでも、と続けた。

 

「ハウンド使いのC級よりはマシとはいえ、C級はC級よ。経験は不足しているし、天才と呼べる域にいる人間は今のC級にはいない。つまり、付け入る隙は充分あるのよ」

 

 だから、と木虎は不敵に微笑んだ。

 

「私の言う通りに、やってみなさい。それで失敗したら、幾らでも責任は取ってあげるわよ

 

 

 

 

『MAP、市街地A。C級ランク戦、開始』

 

 機械音声が、試合開始を告げる。

 

 それと同時に、修は当然の如く路地に向かって逃げ出した。

 

────────まず、最初はいつも通り逃げなさい。なるべく細い路地を選べればベストね────────

 

 木虎の言葉を脳裏で想起しながら、修は路地へ駈け込んだ。

 

「逃がすか…………っ!」

 

 それを、家の塀を足場にして追跡する弧月使い。

 

 明らかに、ハウンド使いとは動きの機敏さが違う。

 

 経験不足は決定的ではあるが、それを補うだけの身体センスが備わっている。

 

 これまでのように、ただ逃げるのではすぐに追いつかれてしまうだろう。

 

「く…………っ!」

 

 逃げ切れない、と感じた修は足を止め、弾速重視にチューニングしたアステロイドを放つ。

 

 これまでの相手であれば、このアステロイドだけで仕留められた。

 

 ハウンド使いは弾を撃つ事だけを繰り返していた為咄嗟の動きが出来ず、慣れない速度の弾丸に成す術なくやられていた。

 

「当たるかよ…………っ!」

 

 だが。

 

 相手は、身体を動かす事に慣れた弧月使い。

 

 修の放った弾丸を、身のこなしで躱してみせた。

 

 迎撃は、失敗に終わった。

 

 既に、弧月使いは一歩踏み込むだけで修に届く位置にいる。

 

 この距離では、展開から発射までタイムラグのある射撃トリガーでは間に合わない。

 

「貰った…………っ!」

 

 弧月、一閃。

 

 足を踏み込んだ弧月使いの一撃により、修の右腕が斬り飛ばされた。

 

 正確には、袈裟切りにしようとした一撃を間一髪で躱したが、それが避けきれずに右腕を落とされた。

 

 身体の反応の差。

 

 それが、顕著に出た結果と言えた。

 

「え…………?」

 

 だが。

 

 それは、修の想定していた結果であった。

 

 弧月使いの、剣を持っていた右腕。

 

 その手首が、いつの間にか消し飛ばされていた。

 

 何が起こったのか、それは言うまでもない。

 

 修が背後に隠していた置き弾により、弧月使いに奇襲を見舞ったのだ。

 

────────ただ攻撃するだけでは、避けられて終わりよ。でも、相手のアクションを誘発させる事は出来る。成功体験というものは、人から冷静さを奪うのよ────────

 

 最初から、攻撃を食らうのは想定済み。

 

 敢えて右腕を斬らせ、その反撃として相手の腕に弾丸を叩き込んだ。

 

 それが、真相である。

 

「野郎…………っ!」

 

 弧月使いは右手首を消し飛ばされた事で、弧月を地に取り落としている。

 

 だが幸い、落ちたのは自分の足元である。

 

 弧月の再生成を行っていては、恐らく間に合わない。

 

 ならば、拾い上げて使えば良い。

 

 次の攻撃に時間がかかるのは、どうせ向こうも同じ。

 

 今の攻撃で残弾を撃ち尽くした以上、アステロイドを再展開するよりも自分が弧月を拾って攻撃する方が早い。

 

 弧月使いは修にしてやられたという事実から目を背ける為、深く考えずそう判断した。

 

「な…………っ!?」

 

 その結果、修の足元から飛来した弾丸に胸を貫かれるという結果と相成った。

 

 何が起きたか、分からない。

 

 正しく、彼はそんな顔をしていた。

 

 ────────1度仕掛けを食らったのだから、これで凌ぎきった。恐らく、相手のC級はそう考える筈よ。だから、その隙を突きなさい。冷静さを失った相手なんて、怖くもなんともないわ────────

 

 木虎の助言は、正鵠を得ていた。

 

 彼女の言う通りに試合は推移し、修もまた弧月使いの撃破に成功した。

 

『トリオン供給機関破損。戦闘終了。勝者、三雲修』

 

 機械音声が、修の勝利を告げる。

 

 同時に、修にポイントが追加される。

 

 手の甲に表示された数字は、4050。

 

 B級昇格基準の、4000ポイント。

 

 修はその境界を遂に、自力で突破する事に成功した。



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雨取千佳①

「そうか。三雲くんがB級に上がったか。どうやら彼は、木虎ちゃんと相当相性が良いらしいな」

『そうですね。俺では教えられない事も、彼女なら教えられるでしょう。幸い、既に木虎の方から指導を申し出たようです』

「成る程。ありがたい事だね」

 

 迅は七海から報告を受け、にこりと微笑んだ。

 

 修が自力でB級に昇格する芽は、以前は無いに等しかった。

 

 七海に師事してもあと一歩のところで届かず、イレギュラー門の功績の件で特例的にB級になるパターンが非常に多かったのだ。

 

 しかし、修の指摘した通りそれは最善の未来に繋がる道筋からは遠ざかる。

 

 修のB級昇格は必須事項ではあるが、イレギュラー門解決の功績を使い()()()しまうと未来の光景が少々様変わりしてしまう。

 

 少なくとも、難易度が数段階上がる事は必定であった。

 

 だが今回、修が求めたのは処分の撤回のみ。

 

 これならば、危険性と緊急性が非常に高かったイレギュラー門解決の功績としては釣り合わない。

 

 故に、修は今上層部に対する()()という手札を保持している状態にある。

 

 これは、今後の展開で響いて来る筈だ。

 

 勿論、手札としてはそこまで万能ではない為、上層部の方針を変えさせる、といった使い方までは出来ない。

 

 精々が「何かの希望を叶えて貰う」程度であろうが、それで充分。

 

 最善の未来に辿り着く可能性が、また一つ高まった。

 

 その実感が得られ、迅としては望ましい展開となったのである。

 

「さて、これで大方の準備は終わったかな。こっちの()()()もなんとかなったし、そろそろ頃合いだ。今回の件でもう、遊真の存在自体は三輪にバレてるっぽいしな」

『じゃあ、迅さん』

「ああ」

 

 迅はゆっくりと顔を上げ、不敵な笑みを浮かべた。

 

「状況を、動かそう。丁度良く、その為の場が整えられそうだしな」

 

 

 

 

「わたしは千佳、雨取千佳」

「そうかチカか。おれは遊真、空閑遊真」

 

 河原の一角。

 

 そこで、遊真は自身と似たような背丈の少女と挨拶を交わしていた。

 

 少女、雨取千佳は14歳らしいが、修の一つ年下とは思えないほど小柄であるし、童顔で雰囲気も幼い。

 

 しかし言動はしっかりしており、意思の強さを感じさせた。

 

 修とは、別の方面で頑固そうだ。

 

 それが、遊真が千佳に抱いた第一印象であった。

 

 聞けば、千佳は此処で友達と待ち合わせをしているらしい。

 

 そして、とうの遊真もそれは同じ。

 

 二人共同じ目的を持っていたが故に、この場で必然の如く鉢合わせた。

 

 まあ、遊真が時間潰しの為にチャレンジしていた自転車の練習のあんまりな有り様を見て千佳が声をかけた、というのが正直なところであるのだが。

 

「む、チカ…………?」

 

 そこで、遊真がある事に気付いた。

 

 修が今日遊真を呼び出した要件は、「会わせたい相手がいる」との話であった。

 

 その相手の名前を、遊真は一応覚えていた。

 

 相手の名前は、アマトリチカというらしい。

 

 偶然にも、否────────────────もしかしなくても、この少女は。

 

 修が、遊真に会わせたがっていた人間である可能性が高い。

 

「お前、もしかしてオサムの知り合い?」

「…………! 修くんを知ってるの…………?」

「ああ、色々あって恩人だ。友達でもあるぞ」

 

 そうなの、と千佳は目を丸くして驚いた。

 

 修とはそれなりに長い付き合いにはなるが、こんな友人がいたとは初耳であった。

 

 遊真には、他の人にはない独特の雰囲気がある。

 

 それ故に最初は千佳も近付く事を躊躇っていたのだが、自転車チャレンジのあまりの醜態に見ていられず、思わず声をかけた形になる。

 

 そのあたり、千佳という少女の生来の善性が分かろうというものだ。

 

「おれはオサムに此処で会わせたい奴がいるって聞いて待ってたんだけど、もしかしてそれがチカの事か?」

「多分、そうなんじゃないかな。わたしも、会わせたい人がいるって言われたし」

「なら確定だな。オサムが来る前に、用事が終わっちゃったな」

 

 そうだね、と千佳も遊真の言葉に同意する。

 

 そこで一旦、会話が途切れた。

 

 千佳は口が回るタイプではないし、遊真も千佳と出会ったのはついさっきなのだから何を話せば良いか見当がつかない。

 

 修から自身の常識の無さを憂慮され、「余計な事は喋るな」と釘を刺されている事もある。

 

 遊真はそれが修の気遣いである事を理解していたし、緊急時でない限りはその言葉に従うつもりでもいる。

 

 そんな二人の相乗効果で、その場には気まずい沈黙が流れた。

 

 「話すのは修が来てからでいいかな」という妥協を、二人が揃って行った結果である。

 

「…………!」

 

 そんな時、警報が鳴った。

 

 とはいえ、先日のようなイレギュラーな門ではない。

 

 この場からは近いが、警戒区域の中である。

 

 まあボーダーが対処するだろうと遊真は静観の構えを取ったが、千佳は違った。

 

「ごめん。わたし、行くね」

 

 そう告げて、警報の鳴った方へ向かおうとする千佳。

 

 警報が鳴ったという事は、門が開いてトリオン兵が出た、という事である。

 

 見たところ千佳はボーダー隊員には見えないし、一般人が自らトリオン兵に近付くのは自殺行為だ。

 

 流石に修の知り合いを危険な目に遭わせるワケにはいかないだろうと、遊真は止めにかかった。

 

「ん? そっちは警戒区域の方だぞ? 危ないんじゃないか」

「それは、その…………」

 

 当然といえば当然と言える警告に、千佳は口ごもる。

 

 何か、話す事自体を恐れているような。

 

 そんな、雰囲気だった。

 

 しかし、それも数瞬。

 

 千佳は意を決して、口を開いた。

 

「わたしがここにいると、こっちに近界民(ネイバー)が来ちゃうから」

「────────成る程」

 

 遊真のサイドエフェクトは、千佳の言葉が真実であると示していた。

 

 ようやく、遊真も千佳の行動の意味が理解する。

 

 要は、千佳は他人に迷惑をかけたくないのだ。

 

 自分がいた所為で誰かが傷付く事を、恐れている。

 

 かといって、自殺願望があるようにも見えない。

 

 どうやら千佳には、警戒区域に向かっても無事で済む算段がある程度あるようであった。

 

 それがなんなのかまでは、分からないが。

 

「だから、行かなきゃ。他の人に、迷惑がかかっちゃう」

「けどそれ、修に言ったら怒られるんじゃないか? あいつ、怒る時は怒るぞ」

「…………! でも、わたし…………」

 

 何処か後ろめたい様子を見せる千佳に、遊真はこれが初犯でない事を察した。

 

 どうやら、前にも同じような事をして上手く行ったから、それに倣おうとしているという意識が透けて見える。

 

 経験は、確かに大事だ。

 

 一度経験した事柄は、学習という方向性で自らの糧になる。

 

 だが。

 

 一度やって大丈夫だからといって、次も大丈夫であるという保証は何処にもない。

 

 予想外の出来事一つで前提がひっくり返る事など、幾らでもあるのだから。

 

 正体不明の黒トリガー使いとの遭遇という特級のイレギュラーで致命傷を負った、遊真のように。

 

 「一度大丈夫だったから次も大丈夫だろう」なんて幻想は、自らを殺す致死の毒に他ならない。

 

 経験から来る慢心は、避け難い死地への誘い同然なのだから。

 

 しかし、この様子では千佳は自らの意思を曲げそうにない。

 

 変なところだけそっくりだなと遊真は修の事を思い浮かべながら、折衷案を切り出した。

 

「分かった。警戒区域に向かおう。でも、一人じゃダメだ。おれも付いて行って、ついでに修にも連絡する」

 

 ああそれと、と遊真は付け加えた。

 

「ケータイの音、切っとけよ。それ、デンワがあったら鳴るんだろ?」

 

 

 

 

『というワケでチカと一緒に警戒区域にいる。悪いけど迎えに来てくれ』

「分かった。ったく、あいつはまた…………っ!」

 

 修はレプリカの子機越しの遊真の報告に顔を顰め、トリガーを握り締めた。

 

「トリガー起動(オン)!」

 

 引き金となる音声認証と共に、修の姿が変わる。

 

 生身の肉体から、トリオン体へ。

 

 しかし、それはC級の証ではある白ではない。

 

 青。

 

 左肩に玉狛支部のエンブレムが刻まれた、修のB級()隊員としての隊服。

 

 それを纏った修は、警戒区域に向かって一目散に駆け出した。

 

 

 

 

「バンダーか。砲撃用のやつだな」

 

 戦争でもよく見かけたなあと呟く遊真の視線の先にいるのは、バムスターほどではないが大きな体躯を持つトリオン兵、バンダー。

 

 近界の戦争では主に城壁破壊やトリガー使いのサポートとして用いられる、砲撃用トリオン兵である。

 

 捕獲用としての機能はあるが、それはついでに過ぎない。

 

 基本的に、動く砲台として扱うのがバンダーの一般的な使い方なのだから。

 

「けどそれ、凄いな。近くにいても気配が分からないぞ」

「…………」

 

 そんなバンダーから隠れ潜んでいるのが、遊真と千佳の二人だ。

 

 勿論、遊真がその気になればバンダーの一体程度瞬殺出来る。

 

 バンダーの厄介な点は数に任せた集中砲火であり、一体だけであればそこまでの脅威とは言えない。

 

 トリオン兵は製造目的に合致した運用をして初めてその真価が発揮される代物であり、単体でバンダーを運用するというのは精々が威力偵察目的、といったところだろう。

 

 そのバンダーから、千佳は完全に気配を隠す事に成功している。

 

 遊真のように、傭兵故のノウハウで気配を殺しているワケではない。

 

 何か、もっと特殊な力。

 

 それを用いての、隠蔽に見える。

 

(警報が来る前に門に気付いてたみたいだし、何かワケありかな? まあ、迅さんみたいな特殊なサイドエフェクトの持ち主って可能性もあるけど)

 

 しかし、と遊真は物陰の向こうに見えるバンダーに目を向けた。

 

(イルガーにしろバンダーにしろ、使い捨てみたいな運用だな。これ、送って来てるのは相当国力がある国じゃないか?)

 

 当然の話だが、トリオンは無限に沸くエネルギーというワケではない。

 

 それを用いて作られるトリオン兵も、製作には相応のコストがかかっている。

 

 その消費分を他国からの人材の捕縛で補うのがトリオン兵の基本的な扱い方ではあるが、ここ最近のトリオン兵の投入の仕方は明らかにただの資材調達目的ではない。

 

 言うなれば、斥候。

 

 損失を前提とした、威力偵察の為の捨て駒。

 

 それが、遊真の推察した最近のトリオン兵の導入傾向だ。

 

 来るべき目的の為、虎視眈々と情報を集める軍師。

 

 そういった者の影が、トリオン兵の行動の背後にちらついていた。

 

『ユーマ、どうやら修が来たようだ』

「お、そっか。なら、任せるとしますかね」

 

 遊真は軽く告げ、視線を向ける。

 

 正直、修に対しては「バムスターも倒せなかった弱者」というイメージが強く、心配がないワケではない。

 

 だが。

 

 今の修は、B級隊員。

 

 威力の制限も、力を振るう事に対するペナルティもない。

 

 近くで他の部隊が戦っている真っ最中である為、遊真が戦えば一発でバレる。

 

 かといって近くとは言っても戦闘場所はやや離れており、彼等を待っていれば被害が出てしまう可能性がある。

 

 故に、遊真は修に任せる事に決めた。

 

 打算と、そして信頼によって。

 

 

 

 

『あそこだ。あのバンダーの向こうに、ユーマ達がいる』

「分かった。トリオン兵を片付けよう」

 

 現場に到着した修はレプリカの子機の報告により、標的となるバンダーを見据えた。

 

 色々言いたい事はあるが、とにかく目の前の敵を倒す事が先決。

 

 そう決めて、修は戦闘態勢を取った。

 

『砲撃直後の眼を狙うと良い。砲撃は強力だが、隙も大きい』

「了解」

 

 修はレプリカの助言を受け、万が一にも市街地に砲撃が向かわないように位置取りを行った。

 

 前回のイレギュラー門の時のように市街地で戦っていたのであればそもそも砲撃事態撃たせるワケにはいかなかったが、此処は警戒区域。

 

 壊れても、もう問題がなくなってしまった場所である。

 

 故に、建物の破壊は許容可能。

 

 そう割り切り、修は戦闘を開始した。

 

「…………!」

 

 バンダーは組み込まれた戦闘プログラムにより、即座に砲撃を選択。

 

 目下の敵である修に向けて、頭部のモノアイから砲撃を発射する。

 

 砲撃の、効果事態は強力だ。

 

 修も、当たればひとたまりもないだろう。

 

 だがそれは。

 

 当たれば、の話である。

 

 バンダーの砲撃は強力だが若干の()()があるし、攻撃方向もまるわかりだ。

 

 故に、避ける事は造作もない。

 

 修は横に跳び、砲撃を回避した。

 

「アステロイドッ!」

 

 更に、同時にアステロイドを発射。

 

 弾速重視にチューニングされた弾丸が、バンダーの眼を穿つ。

 

「スラスター、オン!」

 

 そして、レイガストのオプショントリガー、スラスターを起動。

 

 加速を得て、ブレードモードのレイガストを振り下ろす。

 

『────────!!』

 

 斬撃、一閃。

 

 修のレイガストはバンダーの急所を斬り裂き、破壊。

 

 見事、トリオン兵の撃破を完了させた。

 

「…………なんとかなったか」

 

 破壊されたバンダーを見て、無事B級隊員としての初陣を終わらせる事が出来た事に安堵する修。

 

 モールモッド相手に時間稼ぎしか出来ていなかった事を考えれば、大きな進歩である。

 

 レイガストも暫くぶりに扱ったが、矢張りスラスターの恩恵が大きいと感じた。

 

 C級の時には使えなかったオプショントリガーだが、成る程これがあるかないかでレイガストの使い心地は大分異なる。

 

 むしろ、この機能前提で作られたのではないか、とも思う修であった。

 

 外付けの加速装置は、修の未熟な動きと足りない威力を補ってくれる。

 

 シールドモードに切り替えれば防御力もそれなりにあるし、悪くないトリガーだと修は考えていた。

 

 実際、木虎にB級に上がった事を報告した時も「レイガストのオプショントリガーを使ってみなさい。きっと、貴方に足りないものを補ってくれるわ」と言われている。

 

 なんだかんだ、木虎には頭が上がらない。

 

 今後も世話になる事も多いだろうし、後でまた礼を言わねばならないだろう。

 

「お、倒せたか。オサム、ありがとな」

「ご、ごめん修くん。わたし」

 

 戦闘が終わった事を確認して、物陰から遊真と千佳が出て来た。

 

 修は無事な二人に安堵すると、大きく溜め息を吐いた。

 

「色々言いたい事もあるけど、まずは場所を移そう。トリオン兵の残骸回収の邪魔になるしな」

 

 それに、と修は続けた。

 

「迅さんから、指示が出た。空閑、予定通りに頼む」

「了解。チカは連れてくのか?」

 

 遊真の確認に、修は頷く。

 

「下手に此処で別れると、少し都合が悪い事が起こるかもしれないらしい。一応、千佳には面倒ごとに巻き込む事は伝えてあるけど────────大丈夫か?」

「うん。修くんが必要だって言うし、わたしの為でもあるみたいだから」

「そうだな。これからもまた同じ無茶をされるのは嫌だし、良い機会かもしれない」

 

 修は千佳の了承を聞き、ため息を吐きながら顔を上げた。

 

 やや躊躇いながらも、彼は告げた。

 

「この先に廃駅がある。そこへ行こう」

 

 今回の、目的地を。

 

 そして。

 

 今後の契機となる、その場所を。



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三輪秀次①

 

 三輪は、溢れそうになる感情を必死に抑え込みながら尾行を続けていた。

 

 最初は迅を相手に始めた尾行であったが、結果的にそちらは何の成果も得られなかった。

 

 基本的にただ街をうろついていただけで、玉狛支部にも向かう様子はない。

 

 三輪の中では確定事項となっていた匿っていた近界民(ネイバー)とも、会う様子は見られなかった。

 

 だからだろう。

 

 尾行に、倦怠が出て来たのは。

 

 幾ら待てども明らかにならない証拠に、不毛に過ぎていくだけの時間。

 

 一緒に尾行に付き合ってくれている隊のメンバーも、進展が得られない状況に思うところがあるようではあった。

 

 それは良い。

 

 良くはないが、それでも隊の面々は「付き合う」と言ってくれている。

 

 ならば隊長として、その意は汲むべきだろう。

 

 自分が暴走している、という自覚は少なからず存在する。

 

 迅に対するあれこれも、言いがかりの部分が大きい事も分かっている。

 

 だが、理屈で納得出来るようなら復讐者になどなってはいない。

 

 復讐心とは、現実に納得出来なかったからこそ生まれるものだ。

 

 姉は近界民によって理不尽に命を奪われ、それを助ける者はいなかった。

 

 そんな酷い現実(こと)を、認めるワケにはいかない。

 

 近界民に憎悪を抱く者は多いが、三輪ほどそれを表に出している者はそうはいない。

 

 確かに、近界民に身内を殺されたりした者は多い。

 

 それだけ、四年前の大規模侵攻の被害は大きかった。

 

 大切な者を失った人間は、それこそ腐るほどいる。

 

 だが。

 

 彼等の大部分は、近界民による被害を地震や津波と同じような()()のようなものとして認識していた。

 

 普通の人間では抗いようのない脅威を、人は災害と呼ぶ。

 

 四年前の大規模侵攻は、まさにそれだった。

 

 だから、多くの人は近界民を憎むよりも、ただ喪失を悲しんだ。

 

 或いは、復興の為に前を向こうと志した。

 

 当然といえば、当然である。

 

 人には、生活がある。

 

 全てを投げ捨てて復讐に走るという事は、自分の生活を捨てる事と同義だ。

 

 三輪の場合はそれに近い心境でいるが、多くの人はそうではない。

 

 何もかもを捨てる、というのは言うほど簡単な事ではないのだ。

 

 近界民が依然対処不能の脅威であれば話は違っただろうが、今はボーダーがある。

 

 自分たちを守ってくれる明確な防波堤が出来た事で、人々の心は安心を得た。

 

 他の事へ目を向ける余裕が、出て来たワケである。

 

 だが、三輪はそうではない。

 

 彼の時間は、四年前のあの時から止まったままだ。

 

 七海のように、寄り添う者がいればまた違っただろう。

 

 迅のように、やるべき事が決まっていれば迷わなかっただろう。

 

 香取と染井のように、大切な者がいれば別の道もあっただろう。

 

 だが、彼には誰もいなかった。

 

 痛みを共有する者も、どうするべきかという指針も、掛け替えのない存在も。

 

 何も、なかったのだ。

 

 あったのは、現実を納得出来ない憤り。

 

 それをぶつける先を求めて、ボーダーの門を叩いた。

 

 そこで城戸に見出され、今の地位を得て現在に至る。

 

 城戸には、感謝している。

 

 復讐者の自分にそれを成す為の立場と居場所を与えてくれた事は、感謝してもしきれない。

 

 だから三輪は、自分の想いの方向性を決めた。

 

 近界民への憎悪を、決して忘れない事を。

 

 運が悪かった、仕方なかった。

 

 そんなありきたりな言葉で、姉の死を受け入れはしない。

 

 姉に理不尽な死を齎した近界民を、全て駆逐する。

 

 親近界民などという戯れ言を口にする玉狛や迅は、決して許容しない。

 

 近界民(ネイバー)は、敵だ/敵でなければならない。

 

 それを庇う者も、敵だ/そうでなければ、ならない。

 

 姉を見殺しにした迅も、許しはしない/迅を、許してしまえば。

 

 何があろうと、必ず/彼を許したら、自分は。

 

 近界民は全て、駆逐する/姉の死をきっと、受け入れてしまうから。

 

 それ以外に、すべき事などない/そうしたら、自分は。

 

 近界民は、全て敵なのだから/何をすべきか、分からなくなってしまうから。

 

 荒れる心を抑えながら、不毛な尾行が続く日々。

 

 そんな彼に転機が訪れたのは、イレギュラー門という大事件の最中だった。

 

 市街地に、門が出現する。

 

 そんな、あってはならない事態が目の前で起こり、三輪の脳裏に四年前の悲劇が蘇った。

 

 彼はすぐに、現れた近界民を殲滅にかかった。

 

 迅を尾行していたという事すら忘れ、ただただ目の前の近界民(ネイバー)を破壊した。

 

 その先で。

 

 まるでその事が分かっていたかのような顔でこちらを見詰める迅の姿が、あった。

 

 きっと、彼は三輪の尾行に気が付いていた。

 

 だから、三輪をこの場まで誘き出し、近界民の処理に利用したのだ。

 

 あの迅の掌の上だったという事実が、三輪から冷静さを失わせた。

 

 激昂して何をその場で喋ったかは、良くは覚えていない。

 

 ただ、「許さない」という怒りだけが、燻っていた。

 

 少し、時間を置いた後。

 

 迅が、本部に呼び出しを受けた事を知った。

 

 三輪は城戸に無理を言って、その場に同席させて貰った。

 

 そこで、迅は。

 

 一人の、C級隊員をあからさまに特別扱いしていた。

 

 その光景に、三輪は奇妙な怒りを覚えた。

 

 自分の願いは聞いてくれなかったのに、何故そんな奴を助ける?

 

 そんな無意識の甘え(いかり)が、三輪の中に沸き上がった。

 

 そして、怒りは思考を短絡化させる。

 

 こいつだ。

 

 このC級隊員を利用して、迅は近界民(ネイバー)を匿っていたのだ。

 

 三輪の中で、その思い込みが事実となるまでそう時間はかからなかった。

 

 これ以上迅を尾行しても、成果は得られない。

 

 本命は、この修という少年。

 

 そう考えた(思い込んだ)三輪は、城戸に修の尾行を申し出た。

 

 城戸は若干困惑したようではあったが、理由を説明すると許可を出してくれた。

 

 そして翌日から、三輪は尾行対象を迅から修へと切り替えた。

 

 すると、その翌日から怪しい人物が浮上した。

 

 彼と共に下校する、明らかに外国人の少年。

 

 調べると、先日転校して来たばかりで、転校前の事は誰も知らないらしい。

 

 素性の良く分からない、異邦の人間。

 

 こいつが、近界民(ネイバー)だ。

 

 三輪の直感は、そう訴えていた。

 

 だが、証拠がない。

 

 トリガーを使うところでも抑えられれば、証拠にはなる。

 

 だから、今はボロが出るのを待つ。

 

 そして。

 

 その日。

 

 修が警戒区域に向かい、そこでその少年────────空閑遊真と、合流するのを見た。

 

 彼等が向かう先には、警戒区域に近い廃駅があった。

 

 人目を気にせず会合をするには、絶好の場所である。

 

 遂に、尻尾を掴んだ。

 

 そう考えた三輪は、彼等の後を追いかけた。

 

 それが、自分の意思であると、疑う事なく。

 

 

 

 

「もう自己紹介はしてるみたいだけど、紹介しておく。こっちは雨取千佳。うちの学校の二年生で、ぼくが世話になった先輩の妹だ」

 

 旧弓手町駅。

 

 警戒区域に近い為に閉鎖されたその廃駅に、修達はやって来ていた。

 

 既に顔合わせは済んでいるようであったが、引き合わせた張本人として義理は通さなければならない。

 

 そう考えて、改めて場を設けたワケである。

 

 勿論、それだけではないのだが。

 

「こいつは空閑遊真。うちのクラスに転校して来た外国育ちの奴で、日本(こっち)の事は良く知らないんだ」

「え…………? 修くんと同級生って事は、年上…………? ごめんなさい。わたしてっきり年下だと…………」

「いいって。年の差なんて些細な事だ」

 

 遊真の年齢が明らかになり動揺する千佳であったが、遊真は慣れたもので笑ってそう言った。

 

 まあ、外見年齢は止まっているのだから、年下という認識もあながち間違ってはいないのであるが。

 

「空閑は近────────近界民(ネイバー)について、詳しいんだ。だから、お前が近界民に狙われる理由も分かるかもしれない」

「そっか。遊真くんはボーダーの人なんだね」

 

 成る程、と千佳は遊真がボーダーの人間であると認識した。

 

 修はそのあたり口を濁していたが、千佳はそこを追及はしなかった。

 

 一歩を踏み込む勇気が、彼女にはない。

 

 他人に踏み込んだ結果自分の心が知られる事を、彼女は恐れている。

 

 主体性がないワケではない。

 

 ただ、他人の秘密に踏み込んで、自分の隠していた弱音(おそれ)が知られるのが怖い。

 

 だから千佳は、修の秘密を気付かなかった事にした。

 

「チカ、つまんないウソつくね」

「え…………?」

 

 だから。

 

 それを遊真に指摘された事に、千佳は動揺を露にした。

 

 千佳が見た、遊真の眼は。

 

 透き通っていて、それ故に何処か底知れない何かを感じていた。

 

「空閑、おまえ…………っ!」

「オサム、チカは信用出来ると思うぞ? だったら、隠し事しないで正直に話した方が良いんじゃないのか? 巻き込む面倒ごとの種類は、話しておくべきだろ」

「それは、そうだな…………」

 

 驚いて詰め寄った修は遊真の指摘を受け、自分の間違いを知った。

 

 千佳には面倒ごとに巻き込む事は話しているが、その内容までは告げていない。

 

 偏に千佳を慮ったが故の配慮であったが、考えてみれば詳細を話さず巻き込む方が余程不義理だ。

 

 修は考え直し、千佳に真実を話す事にした。

 

「千佳、驚かないで聞いて欲しい。空閑は、近界民(ネイバー)なんだ」

「え…………? 遊真くんが、近界民…………?」

「ああ、だけど心配しなくて良い。こいつは味方だし、悪い奴じゃないからな」

「そゆことだ。よろしく」

 

 突然告げられた真実に千佳は目を白黒させるが、とうの遊真自身の人格はこれまでの経緯でもある程度理解している。

 

 多少浮世離れした部分はあるが、千佳の我が儘としか思えない行動にも文句を言わずに付き合ってくれた。

 

 彼が善性の人間である事は、充分理解していた。

 

 だから、納得する事にした。

 

 きっと、後から詳しい説明はしてくれるのだと考えて。

 

「それから、狙われる理由か。そんなの、トリオンくらいしか思いつかないけどな」

「トリオン? どういうことだ?」

「どういう事も何も、近界民(ネイバー)が人を襲うのはトリオンの為だからな」

 

 遊真はそう言って、説明を始めた。

 

「トリオン能力の高い奴は生け捕りにして、トリオン能力の低い奴はトリオン機関だけ抜き取って、()()()の戦争に使う。それが、近界民がわざわざこの世界にやって来る理由だよ」

「戦争、か…………」

 

 修の脳裏に、迅達から聞いた話が蘇る。

 

 近界では、当たり前のように戦争が行われている。

 

 言うなれば、この世界に来ている近界民の目的は戦時用の物資調達の為の略奪なのだ。

 

 襲われる側からしてみればたまったものではないが、戦争とはそういう面もあるのだ理解はしている。

 

 ────────ようは近界の国家は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()とでも考えればいい。相手の事が分からないし、技術にも差があるから侵略という手段が目立つだけで、相応のメリットを提示すれば交渉だって出来るんだ────────

 

 迅の言葉を、思い出す。

 

 確かに、技術格差がありまともな交流もなければ、搾取という手段に走ってもなんら不思議ではない。 

 

 近界は、あくまで別の世界にあるだけの()()なのだ。

 

 常識が違う部分があるとはいえ、そういった側面があってもおかしくはない。

 

「だから、チカがしつこく狙われるなら相当高いトリオンを持ってるって事じゃないのか? なんなら、調べてみるけど」

『そうだな。そうすればハッキリする』

 

 遊真の言葉と同時に、彼の懐からレプリカが姿を現す。

 

 レプリカの登場に面食らった千佳ではあるが、丁寧に挨拶を受け反射的に「はじめまして」と返答した。

 

『この測定策でトリオン能力が図れる』

「危険はないから安心して良いぞ」

 

 そう言ってレプリカは口内から舌のようなもの出しており、千佳はその見た目故に少々躊躇っている様子であった。

 

「レプリカ。ぼくが先に図って良いか?」

『了解した』

 

 そんな千佳の葛藤を察した修は、進んで自分からレプリカに手を差し出した。

 

 意図を理解したレプリカは修のトリオンを測定し、頭上にキューブを出現させた。

 

「これ、どのくらいのトリオンなんだ?」

「うーん、近界民(ネイバー)に狙われるならこの三倍は欲しいかな」

 

 別に狙われたいワケじゃないが、と修はぼやき、千佳へと向き直る。

 

「ぼくは大丈夫だ。お前も図って貰ったらどうだ?」

「う、うん」

 

 先に修が試した事で、躊躇はなくなったのだろう。

 

 千佳は、レプリカに手を差し出した。

 

『少々時間がかかる。楽にしていてくれ』

 

 トリオン量が少ない修とでは、かかる手間が違うのだろう。

 

 レプリカはそう言って、測定を開始した。

 

「しかし、そんなにハッキリと近界民(ネイバー)に狙われてるならボーダーに助けて貰えば良いんじゃないか?」

「ボーダーには、頼りたくないらしい。というより、誰かに迷惑をかける事を、どうにも極端に嫌ってるらしいんだ」

 

 遊真と修はその間雑談を交わしていたが、千佳の事情を知った遊真の問いに、修はそう答えた。

 

 千佳はなまじ自分を狙う近界民の場所が分かる能力がある為に、無理をしてでも自分だけで逃げ切ろうと考えていたらしい。

 

 それを聞いて、遊真は成る程、と納得した。

 

「確かに、今回は良い機会かもな。それじゃあ、限界もあるだろ」

「ああ、面倒ごとに巻き込むのは申し訳ないが、千佳の安全には替えられない。多少荒療治だけど、このままじゃいけないのは分かってたしな」

 

 そして。

 

 レプリカによる、測定が終わる。

 

『測定、完了だ』

 

 現れる、修とは比較にもならない巨大なキューブ。

 

 それは遊真から見ても、規格外のサイズだった。

 

 目を見開く、修と遊真。

 

「動くな。ボーダーだ」

 

 だから、反応が遅れた。

 

 響く足音と、共に現れる二人の少年。

 

 一人は、知っている。

 

 本部で城戸の隣にいた、三輪という少年だ。

 

 一緒にいるのは。同じ隊の仲間だろうか。

 

 もう一人の少年、米屋はそんな修の様子を見て、目を細めた。

 

 彼が、思ったよりも自分たちの出現に戸惑っていない事を察して。

 

 こうして、展開は動き始めた。

 

 様々な思惑を、その内に孕んで。



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三輪秀次②

「ボーダーの管理下にないトリガーだ。近界民(ネイバー)との接触を確認。処理を開始する」

 

 三輪は立て続けにそう宣言すると、隣の少年────────米屋と共に、トリガーを起動。

 

 隊服へと姿を変え、銃口を遊真に突き付けた。

 

「三雲、お前が迅の手先なのは分かっている。その白いチビが、近界民なのだろう?」

「ええ、そうですね。ですが」

「────────迅が何を言ったかは知らんが、近界民は全て敵だ。その駆除が、ボーダーの務めだ。ようやく尻尾を掴んだ以上、言い訳を聞くつもりはない」

 

 まるで自分に言い聞かせるように、三輪は強い口調で修を牽制する。

 

 聞く耳持たず、とはまさにこの事だろう。

 

 三輪は、完全に自分の都合のみを考えて動いている。

 

「悪ぃな、恨んでくれていーからよ。さっさと戦ろうや」

 

 米屋はそう言って、これ見よがしに槍型の弧月を構えた。

 

 戦意充分、やる気充分。

 

 三輪同様、引く気は欠片もなさそうだ。

 

 米屋は三輪の暴走には気付いているが、止める気はない。

 

 この場で最も冷静と言えるのが米屋だが、彼にはストッパーとなる気が欠片もない。

 

 米屋自身は、迅や近界民に対する隔意はない。

 

 彼は三輪隊の中では唯一近界民の被害を受けていない人間であるし、迅の行動にも理解がある。

 

 だが、それと三輪の味方をする事は彼にとって何の矛盾でもない。

 

 放っておけば何処までも独りで進んでしまう友人を何も言わずに支える事こそ自分の仕事だと、米屋は割り切ってしまっている。

 

 故に、三輪が止まらない限り米屋も刃を下ろす気はない。

 

 衝突は最早、不可避だった。

 

「近界民は駆除する。邪魔をするならお前もだ、三雲。それが嫌なら、迅に助けを求めたらどうだ?」

「…………」

 

 三輪としては。此処で迅も引っ張り出して近界民と内通した事実を確定させてしまいたい。

 

 そんな目論見からの挑発であったが。修は動じない。

 

 ただじっと、三輪の動向を見据えていた。

 

(なんだこいつは? 何故、この状況で動揺しない? 近界民と一緒にいる現場を押さえられた以上、こいつにも後が無い筈だが。自棄になっているだけか?)

 

 そんな修の様子に、三輪は訝し気に目を細めた。

 

 近界民を匿うというのは、敵兵を招き入れているに等しい重罪だ。

 

 少なくとも、三輪の常識ではそうだった。

 

 その罪が暴かれたというのに、修は殆ど動揺していない。

 

 ただじっと、こちらの様子を伺っているようにも見える。

 

 何か、おかしい。

 

 迅への嫌悪と近界民の憎悪で沸騰していた頭に、冷静さが戻って来る。

 

 三輪が何かに気付きかけた、その時。

 

「俺に用なんだろ? お望みなら、相手してあげるよ」

 

 ────────遊真が、そう言って戦闘体に換装した。

 

 黒く物々しい、戦闘服。

 

 それに姿を変えた遊真を見て、三輪の内に燻る近界民への憎しみが一気に火を点けて煮え滾った。

 

 戦闘体に換装したという事は、戦う意思を見せた事と同義。

 

 つまり、攻撃を仕掛ける口実には充分。

 

 三輪の口元が、殺意で歪む。

 

「戦闘開始。駆除を開始する」

 

 同時に、米屋がその場から駆け出し、三輪と二人がかりで遊真を挟み込むように位置取った。

 

 遊真はそれに反応し、挟み撃ちされる位置からの移動を試みる。

 

「…………!」

 

 しかし、そこに飛来する一発の銃弾。

 

 それを防御する遊真だが、そのタイムロスは無視出来ない。

 

 三輪と米屋の二人は完全に遊真を挟む位置に陣取っており、距離的に引き離すのは難しくなった。

 

(幻踊弧月)

 

 米屋はオプショントリガー、幻踊を用いた突きを繰り出す。

 

 同時に、三輪は拳銃の銃口を遊真に向ける。

 

 装填された弾丸の名は、鉛弾(レッドバレット)

 

 米屋の幻踊を躱したとしても、この弾丸で動きを封じればそのまま押し込める。

 

 様子見、などという事はしない。

 

 初見殺しは、その優位を生かし切る内に仕留めるのが最良。

 

 それを、三輪は七海達と共に香取隊・冬島隊を相手取った試合で学んでいた。

 

 鉛弾は、それを知らない相手には初見殺しとして作用する。

 

 シールドをすり抜け、重石というデメリットを付加するその奇襲性は、初見で防ぐのは難しい。

 

 最初の一発は、恐らく当たる。

 

 後は、相手が初見殺しで混乱している内に仕留め切ればそれで済む。

 

 鉛弾(レッドバレット)による重石は、一つだけでも100㎏程度。

 

 複数撃ち込めば、最早まともに動く事は難しくなる。

 

 そこに刃が曲がる幻踊による奇襲が加われば、それで詰みだ。

 

 如何に未知のトリガーを使おうが、この初見殺しの畳みかけで勝てない筈がない。

 

 相手に真価を発揮させる前に、封殺して殺し切る。

 

 その為の、初手での全開。

 

 未知のトリガーを扱う近界民相手の、最善手。

 

「────────」

 

 だが。

 

 その、三輪の作戦は。

 

 空中より飛来した二振りの刃により、崩れ去った。

 

 その刃、スコーピオンは三輪の放った鉛弾に命中。

 

 着弾したブレードに重石が出現し、刃は地に落下する。

 

 その光景を見た遊真は、即座に後退を選択。

 

 一息で、二人の射程から撤退した。

 

「馬鹿な、今のは…………っ!」

「成る程ねえ。こうなるワケか」

 

 三輪はその介入に信じられない、といった風に目を見開き。

 

 米屋は、()の登場に納得した様子で、ため息を吐いた。

 

「迅さんから、彼等の事を頼まれているんでね。悪いけど、邪魔させて貰うよ」

 

 そう言って屋根の上から姿を現したのは、顔立ちの整った痩躯の少年。

 

 那須隊攻撃手、七海玲一。

 

 その彼が、右腕にスコーピオンを携え遊真達を守るように立っていた。

 

 三輪と、七海。

 

 喪失を引きずり憎悪を抱く者と、喪失を背負い前を向く者。

 

 同じ始まりながらも今や対極である二人が、廃駅の中で対峙した。

 

 片や、困惑と憤慨を。

 

 片や、決意と義憤を。

 

 それぞれ、抱えながら。

 

 

 

 

「悪いな、二人共。許してくれ、とは言わない。ケジメは、ちゃんと付けるよ」

 

 その光景を、迅は高台から見据えていた。

 

 本当であれば直接あの場に赴くべきだが、迅には迅でやる事がある。

 

 それに。

 

 今回の衝突は、遊真の黒トリガーを三輪に確認させるという意味合いもある。

 

 ちなみにそれだけであれば、七海の介入は必要ない。

 

 三輪は確かに侮れない力を持った実力者だが、黒トリガー持ちである遊真相手には流石に分が悪い。

 

 聞いた限り、遊真の黒トリガーは初見殺しもいいところな性能をしている。

 

 まあ、それは概ね全ての黒トリガーに共通する事ではあるが。

 

 ともあれ、遊真であれば単独でも三輪の攻勢を凌ぐ事は可能だろう。

 

 にも関わらず七海をこの場に投入した事には、複数の意味がある。

 

 一つは、約束を誠実に履行する為。

 

 迅は他者を頼ると宣言し、そして遊真には修を通じて協力するよう頼んでいる。

 

 協力を求めるからには対価と誠意は必要であり、「勝てるから」と言って何の保険もかけずに放置するのは不義理に過ぎる。

 

 以前の迅であれば必要と考えればやったであろうが、今の彼は違う。

 

 誠意には、誠意で。

 

 それが、信頼関係を結ぶ為の基本なのだから。

 

 そしてもう一つの理由は、七海の立場を明確化する為。

 

 いわば、その為の仕込みが今回の一件だ。

 

 七海には、今後起こる派閥の代理戦争への参加を確約して貰っている。

 

 故に、その場に赴くに相応しい理由付けと、彼の近界民に対するスタンスを公言する必要があるのだ。

 

 ただ参加しただけでは、迅への縁故故の参戦と解釈され、後に遺恨が残る可能性がある。

 

 だからこそ、今回の戦闘に介入して貰う事にしたのだ。

 

 彼の口から、その意思を告げて貰う為に。

 

「さて、あっちは任せて大丈夫そうだ。俺は、向こうを抑えるか」

 

 迅はそう呟き、移動を開始した。

 

 その視線の、先には。

 

 三輪隊が擁する、二人の狙撃手の姿があった。

 

「万が一の可能性は、潰しておかないとな。色んな意味でね」

 

 

 

 

「七海、何故そいつを守る…………っ!? そいつは、近界民(ネイバー)だぞ…………っ!?」

「知っています。ですが、敵対的な相手ではありません。少なくとも、排除対象でない事は事実です」

 

 困惑し激昂する三輪に、七海は淡々とそう説明した。

 

 一度は水に流した三輪との禍根であるが、実態は何も変わっていない。

 

 七海に対しては試験の時等は冷静に接していたが、それはあくまで七海が相手であり、迅がその場にいなかったからである事を理解する。

 

 明らかに、今の三輪は頭に血が上りきっている。

 

 迅の事を嫌っている事は知っていたが、その度合いは七海の想像を超えていた。

 

 三輪は迅が相手であるというだけで、マイナス方向にしか思考が働かない。

 

 なまじ迅がその憎悪を黙認し、反論もしないものだからそれがエスカレートしているという側面はある。

 

 迅としては自分の行いの結果なのだから当然、くらいには思っているのだろうが、彼の行動が三輪の思考傾向を極化させた原因の一つである事は事実だ。

 

 それが果たしてどれ程の影響であったかはともかく、今や三輪は誰が何を言おうが迅への嫌悪と拒否感情を容易には撤回出来ない領域にいる。

 

 以前の七海の言葉はそれなりに響いたようであったが、迅に関連する事柄では冷静さを失う傾向は何も変わっていない。

 

 試験官としての責務を十全に果たしていた昇格試験の時とは、まるで別人のようだ。

 

「三輪。お前が空閑を害すると言うのなら、俺はそれを見過ごす事は出来ない。諦めて帰るなら、これ以上の干渉はしないが」

「ふざけるな…………っ! 近界民を前に、駆除以外の選択肢など有り得ん…………っ! 近界民(ネイバー)は、全て殺す…………っ!」

 

 七海の言葉にも耳を貸さず、三輪は銃口を再び遊真へと向ける。

 

 元より、この程度で止まるようであれば最初から暴走などしない。

 

 三輪は頭に血が上ったまま、引き金に指をかけ────────。

 

『解析完了。印は『(ボルト)』と『(アンカー)』にした』

「OK」

 

 ────────迎撃準備をしている遊真の動きに、気付くのが一歩遅れた。

 

「『射』印(ボルト)+『錨』印(アンカー)────────四重(クアドラ)

 

 遊真のトリガーから放たれる、無数の黒い弾丸。

 

 突然の弾幕を至近距離で浴び、二人に回避の手段はない。

 

「うおっ!?」

「ぐっ…………!?」

 

 当然の如く、全弾命中。

 

 それが着弾した三輪と米屋は、身体に幾つもの重石が出現し、重量によってその場に倒れ込む。

 

 最早、碌に身体は動かせない。

 

 チェックメイト。

 

 初見殺しの早業で、速やかにA級部隊の二人を完封した。

 

「他者のトリガーを、コピーするトリガーだと…………っ!? この出力───────まさか、これは………………っ!」

「迂闊ですね。普段の貴方であれば、俺が出て来た時点でそれが陽動であると気付けたでしょう。頭に血が上り過ぎましたね」

 

 そう、今回の七海の役割は三輪の注意を引き付ける為の陽動。

 

 本命は、遊真の黒トリガーによる迎撃。

 

 目論見はこれ以上なく成功し、三輪は最早戦闘続行は不能。

 

 だが、本来であればこの程度の陽動にかかる三輪ではない。

 

 彼の思考が憎悪一色で凝り固まっていたからこそ、目の前の七海だけに注視し、一時的にせよ遊真を視界から外した。

 

 これは、明確な失態と言えるだろう。

 

 ランク戦を見ていれば、七海の得意とするのが攪乱と陽動である事には気付けている筈だ。

 

 他ならぬ三輪自身がその目と身体で試験官として彼に評価を下したのだから、当然七海の得意分野も既知であった。

 

 にも関わらずこうまで完璧に陽動に引っかかったのは、思考が硬化していたからに他ならない。

 

 しかし頭に血が上っている三輪は、そんな事にも気付けていなかった。

 

「何故だ、何故邪魔をする七海…………ッ! 近界民は、敵の筈だろうが…………っ!」

「言った筈です。彼は、敵ではないと。空閑は確かに近界民ではありますが、敵対するどころかむしろ友好的です。貴方の勝手で彼の信頼を損ねる真似は、ボーダーにとって大きな損失となります」

 

 七海はあくまで冷静に応対するが、三輪の熱はまるで冷める様子がない。

 

 むしろこれまで以上にヒートアップした様子で、三輪は七海を睨みつける。

 

「何故、そんな事が言える…………っ!? 三雲にしろお前にしろ、何故迅の言葉などを信じられる…………っ!? 一体、何を吹き込まれた…………っ!?」

「迅さんの言葉であればそれだけで信頼には値しますが、敢えてこう言っておきましょう。今回の一件は、迅さんだけの判断に依るものではありません」

 

 それを予想していた七海は懐から一枚の紙を取り出し、三輪へ見せつけた。

 

 その命令書には、こう記されていた。

 

 『保護対象者、空閑遊真が危険に晒された場合、可能な限りこれを守る事を命じる。尚、その際に生じる責任の一切は指示者が負うものとする』と。

 

 命令書の作成者は、忍田真史。

 

 ボーダー本部長の名前で、命令書は作成されていた。

 

「馬鹿な、忍田本部長が迅に協力したというのか…………っ!?」

「別に不思議な事ではありませんよ。迅さんは最善の結果の為に動いていて、街を守る為ならその支援を行う事が最適解なんですから。少なくとも、忍田本部長はそう判断しています」

 

 これが、ダメ押しだった。

 

 ただでさえ自分と似た境遇の七海が敵対したというのに、加えて忍田本部長まで迅の味方に回っている。

 

『三輪、すまん。迅さんに見つかった。これ以上の作戦続行は不可能だ』

 

 加えて、たった今隊の狙撃手から迅に身柄を押さえられたとの連絡が入った。

 

 作戦続行は、物理的に不可能。

 

 信じていたものが崩れ落ちる感覚を味わった三輪は、最早どうする事も出来ず。

 

「認めない、認めるものか…………っ! 近界民(ネイバー)は、全て敵だ…………っ! 緊急脱出(ベイルアウト)ッ!」

 

 三輪は逃げを選択し、自ら緊急脱出を発動。

 

 光の柱となり、基地へと帰還。

 

 これで、廃駅への戦闘は終結した。

 

 その光を、目で追う七海は。

 

 何処か、複雑な面持ちを浮かべていた。



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城戸正宗④

「あらら、行っちまったか。まあしゃーねーわな」

 

 米屋は緊急脱出した三輪の姿を見てそうぼやき、トリガーを解除。

 

 未だ戦闘体のままでいる遊真の前に、その生身を曝け出した。

 

「ま、問答無用で襲い掛かったんだ。殺されても文句は言わねーよ。煮るなり焼くなり好きにしな」

「別にいいよ。あんたじゃきっとおれは殺せないし」

「言うねえ。じゃあ、後でそういうの抜きで戦ろうぜ。お前の立場がどうなっかはまだわかんねーけどよ」

 

 飄々とした様子で告げる米屋を、遊真は物珍し気に見詰めていた。

 

 米屋は問答無用といった風情で襲い掛かった三輪に協調していた為、てっきり彼も近界民の存在を許容出来ないタイプだと考えていたのだが────────どうやら、それは違うらしい。

 

 少なくとも、米屋からは三輪から感じた憎悪のような負の感情は感じ取れない。

 

 今の発言に嘘がなかったように、彼の精神性は三輪のそれとは異なるようだ。

 

「今の奴は近界民を良く思ってなかったみたいだけど、あんたは違うの?」

「俺は別に近界民の被害はなんも受けてねーからな。家を壊された奈良坂や、姉さんを殺された三輪みてーに恨んじゃいねーよ」

 

 まあ敵対する奴にゃ容赦しねーけどな、と米屋は告げる。

 

 遊真のサイドエフェクトに、嘘の反応はない。

 

 つまり米屋の言葉は真実であり、彼は本当に近界民に対しては含むところはないのであろう。

 

 だが、敵対するなら容赦しない、という発言も一切の嘘がなかった。

 

 そして。

 

 米屋は、今後敵対するかどうかについては()()()()()()()()()

 

 即ち、彼は三輪の行動を止める気は一切ない、という事実が浮かび上がる。

 

「米屋さん。彼を止める気は、ないんですね?」

「ああ、ねーな。どっちが悪いかっつーとまあ三輪(あいつ)の方なんだろーけどよ。俺は、三輪隊の攻撃手だかんな。何があってもあいつの味方でいる、って決めてんだ」

 

 だからな、と米屋は笑みを浮かべ、告げる。

 

「遠慮はいらねーから、次は全力で来いよ。後腐れがねー方が、色々すっきりすんだろ」

「分かりました。迅さんにも、そう伝えておきます」

 

 七海は米屋の覚悟がブレない事を悟り、力強くそう答えた。

 

 普段飄々としてはいるが、米屋はなんだかんだで相当に義理堅い。

 

 一度三輪の味方をすると決めた以上、言葉だけでは絶対に止まらないだろう。

 

 三輪自身を思い改めさせるまで、米屋もまた止まらない。

 

 その事を強く理解し、七海は三輪隊との激突が矢張り不可避である事を感じ取った。

 

 先ほどの三輪は、試験の時とはまるで別人だった。

 

 まがりなりにも試験官として公正に接して来た三輪と、剥き出しの憎悪を露にして感情の儘に叫ぶ先ほどの三輪の雰囲気はまるで違う。

 

 恐らく、あれが三輪の憎悪の本質。

 

 己を苛み続ける憎悪という名の火を、自らの心を薪にくべて燃えし続けている。

 

 過ぎたる憎悪は自分を傷付けるだけだというのに、止まらない────────否。

 

 自らを許せないからこそ、自傷行為(ふくしゅうしん)を止められない。

 

 それが、今の三輪なのだ。

 

 此処に至り、七海は改めて理解する。

 

 三輪は、言葉だけでは決して止まらない。

 

 彼を止める為には、明確に白黒を付けた上で落としどころを探るしかない。

 

 自分では止まれない者を止めるには、それしかないのだから。

 

「お、急いで来たけど三輪はもういないか。せっかちな奴だな」

「迅さん」

 

 そんな時、奈良坂と古寺を連れた迅が廃駅へとやって来た。

 

 この様子だと、どうやら狙撃手二人は戦闘を介さずに穏便に武装解除する事に成功したようだ。

 

 まあ、近付かれた時点で狙撃手にとっては負けなので、ある意味仕方ないといえば仕方ないのだが。

 

「七海。お前が来ていたとはな。まさか、玲もいるのか?」

 

 そこで、奈良坂が七海に話しかけた。

 

 奈良坂にしてみれば、従姉妹のパートナーである七海がこのような場に居合わせた事自体複雑な心境なのだろう。

 

 なんだかんだで那須の事は気にかけていたので、気になるのは当然といえば当然だ。

 

「いえ、俺一人です。玲は来ていません」

「そうか」

 

 奈良坂は何か言いたげにしていたが、一先ず飲み込んだようだ。

 

 彼としては七海にも那須にもこういった事には関わって欲しくはないのだろうが、お互いの立場の違いも理解している。

 

 今回の一件、奈良坂はあくまでも三輪隊の狙撃手として関わるつもりでいる。

 

 米屋のように覚悟を決めて開き直っているワケではないが、彼自身近界民(ネイバー)に関して良い感情は抱いていない。

 

 奈良坂もまた、近界民の被害者だからだ。

 

 とはいっても、三輪のように身内を殺されたワケではない。

 

 家を壊され、日常を生きる場所を一度破壊された。

 

 人によっては、命があっただけでも儲けもの、と言うかもしれない。

 

 だが、それは断じて違う。

 

 家を壊される、というのは当人にとってみればただ事ではないのだ。

 

 自分の家、というのは大抵の場合その人物が安心して過ごす事が出来る場所の事を指す。

 

 その安息の地を壊された、という心理的負担は相応に大きい。

 

 被害の種類に、貴賤はないのだ。

 

「んじゃ、俺らは行くぜ。今後ともよろしくな」

 

 頃合いと見た米屋はそう告げ、その場を後にする。

 

 奈良坂と古寺もまた会釈しながらそれに続き、廃駅を後にした。

 

 それを見送った迅は、ふぅ、とため息を吐く。

 

「じゃあ、俺たちも行くか。三輪隊だけだと報告が偏るだろうし、七海と三雲くんも付いて来てくれるとありがたいんだけど」

「勿論、お供します」

「ええ、ぼくも行きます」

 

 二人の返事に、迅はありがとう、と一言礼を告げた。

 

 迷わずの即答に、迅の心に温かなものが満ちる。

 

 自分は良い後輩を持ったと、噛みしめながら。

 

「じゃあ、遊真に千佳ちゃんだっけ。悪いけど、先に帰っていてくれるかな? まだ遊真を本部縫に連れてくのは、時期尚早だしさ」

「わかった」

「は、はい」

 

 迅の指示に、遊真と千佳はそれぞれ頷く。

 

 最終的には入隊させるのが目標ではあるが、公的な許可が下りていない状況で遊真を本部に招き入れるのには危険が伴う。

 

 こういうものは、段取りが肝要であるのだから。

 

「じゃあ、行こうか。本部へ」

 

 

 

 

「成る程。報告ご苦労」

 

 ボーダー、司令室。

 

 そこへ集まった上層部の面々と、召集を受けた迅とそれに付いて来た七海と修。

 

 迅から話を聞いた城戸は、そう告げて頷いた。

 

 三輪は、此処にはいない。

 

 残念ながら、冷静に話が出来る精神状態ではないからだ。

 

 三輪からの報告は奈良坂が既に代行し、終えている。

 

 今の混乱しきった精神状態では何を言うか分からないと、流石に米屋がストップをかけた結果である。

 

 流石に、動転した隊長を報告に行かせるのはどうかと思ったようであった。

 

「しかし、どういう事ですかな? 忍田本部長。この命令書によれば貴方は事情をご存じだったようですが、何故我々と情報を共有しなかったのです?」

「そうじゃの。納得いく説明が欲しいわい」

「下手に話せば、混乱の元になると考えた故だ。空閑くんの身元を証明出来る準備が出来たら、話すつもりだった。理由は、察して貰えると思うが」

 

 ちなみに、根付と鬼怒田の関心は忍田の名前で出された命令書である。

 

 この内容は、明らかに遊真の事情を理解した上で指示を出したとしか思えない。

 

 少なくとも、忍田は遊真の事を知っていた。

 

 そして、その情報を上層部と共有しなかった。

 

 二人は、そこを問題視しているのである。

 

 確かに、報連相は組織の基本だ。

 

 それを怠る事は、追及されるだけの理由足りえる。

 

 だが。

 

 今回の場合、下手に話せば混乱が起きる事は必至だった。

 

 何せ、遊真の事情が事情である。

 

 ボーダー創設に関わった人物の息子とはいえ、それを証明出来るものは何一つないのだ。

 

 つまり、客観的に見て遊真は「ボーダー関係者を名乗る黒トリガーという強力な武力を持った近界民」でしかないワケである。

 

 そんな存在を、果たして組織として許容出来るか否か。

 

 忍田は、そのあたりを憂慮したのである。

 

(まあ、確かに組織として受け入れるのが難しい事は確かだな)

 

 唐沢は話を聞きながら、空閑遊真という近界民の()()()()()()()()()を思案した。

 

 このボーダーには、近界民に対し拒否感情を持つ者が多い。

 

 加えて言えば、三輪という裏の広告塔によって集まった人材は、特にその傾向が強い。

 

 復讐心を煽る形で入隊を促したに等しいのだから、当然といえば当然である。

 

 そういった者達が遊真の存在を知った時、どう行動するか。

 

 それは、三輪の行動が物語っている。

 

 そのあたりの事情を考慮すると、現時点で遊真の存在を受け入れるのはリスクが大き過ぎるのである。

 

(その程度の事は、忍田本部長も理解している筈。ハッキリ言って、此処で彼の存在が明らかになったのは想定外────────いや、違うな。最初から、此処で明かすつもりだったか)

 

 唐沢は何かに気付いたように迅と、そして彼の隣にいる七海と修に視線を移す。

 

 根付と鬼怒田が口々に文句を付けるのを聞き流しながら、今回の一件の根幹に辿り着く。

 

(忍田本部長のやり方じゃあない。糸を引いているのは、迅くんか。七海くんは迅くんを慕っているらしいし、今回の絵図を引く為の仕込みもばっちりというワケか)

 

 色々と人には言えない経歴を持つ唐沢だが、それ故に今回の裏事情に誰よりも早く到達出来たと言える。

 

 今回の一件は、恐らく計画されていたもの。

 

 話によれば迅は三輪の尾行には気付いていたらしいし、彼がイレギュラー門の騒ぎの時に修をこの場に連れて来た時点で、彼が目を付けられるであろう事は予測出来た筈だ。

 

 だからこそそれを逆手に取り、望むタイミングで遊真の存在を明かす引き金とした。

 

 全体の流れとしては、こんなところだろう。

 

(問題は、何故そんな真似をしたかだが────────まあ、想像はつく。いい加減、派閥対立に落としどころを用意したいのだろうね。迅くんも、城戸司令も)

 

 このボーダーには、三つの派閥がある。

 

 一つは、近界民への恨みを持つ者が中心となった城戸派閥。

 

 二つ目が、街を守る事を最優先としている忍田派閥。

 

 最後の一つが、親近界民を掲げる玉狛支部。

 

 最大派閥である城戸派閥はその方針上玉狛とは隔意があり、対立関係にある。

 

 もっとも、これはあくまで所属している隊員達の暗黙の了解のようなものだ。

 

 城戸自身は表立って派閥争いをした事はないし、玉狛も別段何か行動を起こしたワケでもない。

 

 ただ、周囲の人間が「親近界民なんて言ってる玉狛と城戸派閥に溝がない筈がない」と考え、その大衆意識がいつの間にか認知事実として広まっているだけだ。

 

 しかし、城戸派閥に属する人間が玉狛の事を良く思っていない事は事実である。

 

 三輪がその代表例であり、大多数の城戸派閥の人間は声をあげずとも彼に同調している。

 

 少なくとも、三輪が声をあげる事を止めない限り、派閥間の溝が埋まる事はないだろう。

 

 彼自身にその意識はないが、三輪はそれだけの影響力があるのだ。

 

 城戸の懐刀であり、近界民を憎悪する第一人者であるという立場は、それだけの力があるワケである。

 

(極論、三輪くんの意識を変える事が出来ればこの問題はある程度のカタが付く。今回は、その下準備というワケだ)

 

 事情を理解した唐沢は、何も言わず静観する事を決めた。

 

 組織の害になる行動ならばともかく、迅の目的は恐らく組織の纏まりの向上と遊真の立場の確保。

 

 ボーダーの益になる行動である事が明確である以上、それを邪魔する意思は唐沢にはない。

 

 黙って椅子に座り、事態を見守る事にした唐沢であった。

 

「しかし、有吾の息子ときたか。あいつに連れ合いはいなかった筈だが、まさか近界民との間の子だとでも言うつもりか?」

「恐らくそうなんじゃないかな。まあ、別段不思議な事でもないでしょ。有吾さん、そういうの気にしない人だったし」

「だとしても、証拠がない。名を騙っているだけの可能性がある」

 

 城戸と林道は、遊真の出自の是非について議論している。

 

 確たる証拠となるものがない為水掛け論になっているが、これは最初から想定されたものだ。

 

 下手に議論が纏まってしまうと、この先の展開に繋げる事が難しくなる。

 

 故に、この場の議論の目的は一つ。

 

 自然な形で、議論を()()()()()()である。

 

「まあまあ、幸い三雲くんがその近界民(ネイバー)の信頼を得ていますし、彼を通じて味方になって貰えばいいじゃないですか。戦わずして、大きな戦力を手に入れられますよ」

 

 そこで、迅の一言である。

 

 一見、場を収める為の発言に思えるが────────その真意は、異なる。

 

 それは、即ち。

 

「確かに黒トリガーは戦力になる。よしわかった────────その近界民(ネイバー)を始末して、黒トリガーを回収しろ」

 

 城戸のこの発言を引き出す為の、仕込み。

 

 表面的な派閥間の隔意を決定づける、その為の一手である。

 

 その発言に根付と鬼怒田は賛成の意を示し、忍田は非難の声をあげる。

 

 これにて、派閥間の隔意────────それが、目に見える形となって表出した。

 

 少なくとも、表向きには。

 

「ボーダートップチームの面々は遠征中で不在だが、黒トリガーには黒トリガーをぶつければ良い。迅、お前に黒トリガーの回収を命じる。速やかに任務を遂行しろ」

 

 城戸が、迅に黒トリガー奪取を命じる。

 

 詳細までは教えていなかった修が目を見開き、裏事情を聞かされていた七海は目を細めて事態の推移を見守った。

 

 迅は頃合いと見て、打ち合わせ通りの茶番(ことば)を始める。

 

「それは出来ません。俺は玉狛支部の人間です。俺を使いたいなら、林道支部長を通して下さい」

 

 命令の重複を避ける為、ボーダー内部では直属の上官のみが部下に命令出来る事になっている。

 

 その規則を盾に、迅は林道に話が向くよう差し向けた。

 

 そして、当然の如く城戸は林道に指示を出す。

 

「林道支部長。命令したまえ」

「…………やれやれ。迅、支部長命令だ。黒トリガーを捕まえて来い」

 

 但し、と言いながら林道はニヤリと笑い────────。

 

()()()は、お前に任せる」

「了解、支部長(ボス)…………!」

 

 その一言へ、繋げた。

 

 沸き立つ面々。

 

 目を丸くする根付と鬼怒田、興味津々で見守る唐沢。

 

 場が収まった事で安堵する忍田に、二人の様子から自身の命令が遂行されない可能性を察した様子を見せる城戸。

 

 本気の面々と、茶番を演じた面々。

 

 その双方の意図が入り交じり、会議は混沌のままに終わる。

 

 開戦の契機は、整えた。

 

 これより、黒トリガーを巡る争い。

 

 派閥間代理戦争、黒トリガー争奪戦が始まる。

 

 開戦のゴングが鳴る時は、近い。




 悠士さんから支援絵を頂きました。戦闘時の隊服ななみんです。格好良く仕上げてくれて感無量です。

 
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Battle of Emotions/黒トリガー争奪戦
未来への展望


「くそ…………っ!」

 

 ガンッ、と勢い任せに三輪は壁を叩く。

 

 トリオン体ではなく生身であった為壁に傷が付く事はなく、ただ三輪の手が赤く腫れるだけで終わる。

 

 三輪はあの場から緊急脱出を使用して離脱し、隊室に引き籠っていた。

 

 最初は自身が城戸へ報告に赴こうとしたのだが、三輪の精神状態を慮った米屋が止めた為、奈良坂が代行として向かう事となった。

 

 そうして手持無沙汰となった三輪は、一人隊室に残り燻った感情を持て余していたワケである。

 

 ────────別に不思議な事ではありませんよ。迅さんは最善の結果の為に動いていて、街を守る為ならその支援を行う事が最適解なんですから。少なくとも、忍田本部長はそう判断しています────────

 

 三輪の脳裏に、あの時の七海の言葉が蘇る。

 

 迅がただ近界民(ネイバー)を庇っているだけであれば、どうとでも解釈出来た。

 

 少なくとも三輪にとっては迅の言葉であるというだけで信頼には値せず、何を言おうが無視する────────否。聞かなかった振りが、出来た。

 

 だが、自分と同じく大規模侵攻で姉を亡くした七海と、ボーダーの本部長までが迅に賛同している。

 

 これは、三輪が許容出来る範囲を超えていた。

 

 三輪自身は、七海に対する隔意はないつもりでいる。

 

 以前試験の時に言ったように、互いの立場に干渉しないという言は守るつもりであったし、積極的に関わる事も避けていた。

 

 だが、七海自身があまり三輪に良い感情を抱いていない事はなんとなく察していた。

 

 三輪には理解出来ないが、七海はあろう事か迅を慕っているらしい。

 

 その迅に敵意を剥き出しにする三輪を、七海がどう思っているかなど容易に想像がつく。

 

 納得は出来ないし理解は不可能だが、そういう事らしかった。

 

 その事に複雑な面持ちの三輪であったが、自分が迅に対して何があっても存在を許容出来ない以上、この問題を解決する事は不可能だ。

 

 少なくとも今の三輪は、そう考えていた。

 

 だから、百歩どころか億歩譲って七海だけならまだ分かる。

 

 悪感情を抱く相手の妨害をする気持ちは分からなくはないし、迅の指示に従うという事も事態としては有り得るのだろう。

 

 だが。

 

 忍田本部長までそれに賛同したというのは、三輪の理解を超えていた。

 

 三輪の知る限り、忍田本部長は本気で街の平和を考え、尽力する尊敬すべき人間だ。

 

 その忍田本部長が、迅の判断を支持している。

 

 この事実が、三輪の心をこれでもかと乱していた。

 

 ────────だから、俺がやるべき事は、近界民を憎む事じゃない。強くなって、大切なものを守る事です。近界民の排除は、その手段に過ぎない。もしも玉狛の思想通り、友好的な近界民と手を結んで平和が訪れるのなら、俺はその未来を歓迎します────────

 

 三輪の脳裏に、七海と初めて会った時の彼の言葉が蘇る。

 

 七海は、近界民と手を結ぶ事が平和に繋がるのであればそれを許容すると言った。

 

 そして。

 

 ────────恐らくお前が気にしているのは、七海が言った()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という点だな。結論から言えば、それは事実だ。とは言っても、今のボーダーが出来る前───────────迅や小南達が所属していた、旧ボーダーでの話だがな────────

 

 過去にボーダーは、実際にそれを行った事があると東から聞いていた。

 

 ────────他ならぬ城戸司令も、その旧ボーダーの一員だったんだぞ。つまり城戸指令も、当時はその事に賛同していたワケだ────────

 

 東は。

 

 その旧ボーダーの思想に、当時は城戸司令も賛同していたとも言っていた。

 

 聞かされた当時は話を理解出来ずに荒れた三輪だが、その場は東達のとりなしでなんとか落ち着く事が出来た。

 

 それ以降東達もこの件に触れなかった為、三輪はこの話を半ば聞かなかった事にしていた。

 

 勿論、城戸に直接尋ねてもいない。

 

 だって、もしも城戸が旧ボーダーの、迅の思想を是としてしまったら。

 

 自分は。

 

 復讐者(じぶんたち)の居場所が。

 

 何処にも、なくなってしまうように思えたから。

 

 故に三輪は、この件について考える事を避けていた。

 

 けれど。

 

 忍田本部長の、命令書。

 

 あれを見てから、その疑念が再燃した。

 

 上層部の一人である忍田が迅を、近界民の存在を肯定している。

 

 ならば。

 

 もしかすると、城戸司令も。

 

 忍田と同じように、近界民を肯定してしまうのではないか。

 

 そんな恐れが、三輪を焦燥に駆り立てていた。

 

「荒れてんなあ。手、痛そうだぜ」

「…………陽介」

 

 三輪は、聞き慣れた陽気な声に振り向いた。

 

 そこに立っていたのは、米屋だ。

 

 彼はいつも通りの飄々とした面持ちで、三輪の姿を見据えている。

 

 恥ずかしいところを見られた、とは思わない。

 

 だって今更だ。

 

 三輪は口には出さないが、この友人が自分に向ける友誼が本物である事は理解していた。

 

 積極的に迅に噛みつく自分が、本部の中でも浮いているのは理解していた。

 

 確かに、迅は近界民に憎悪を抱く者達にとっては理解し難い存在だ。

 

 彼や玉狛の立場を疎ましく思う者も、また多い。

 

 だが。

 

 迅の未来視が、ボーダーにとってこの上なく有用である事もまた事実なのだ。

 

 そんな迅を一方的に敵視する三輪を、良く思わない者もまたいないワケではない。

 

 にも関わらず、米屋はそんな事は知った事かとばかりに三輪の隣に陣取っていた。

 

 自分なんて見限って他の者を隊長にした方が動き易い筈なのに、米屋は何も言わずに自分を隊長と仰ぎ、また友人としても尊重している。

 

 その事が、三輪の拠り所となっている事もまた、事実であった。

 

 こんな自分でも、肯定してくれる友人がいる。

 

 それは迅と同じく強烈な自己嫌悪を抱える三輪にとって、一種の救いでもあった。

 

 何の事はない。

 

 迅も三輪も、結局のところ自分自身が誰よりも一番嫌いなのだ。

 

 つまり、三輪が迅を嫌うのは同族嫌悪という側面もある。

 

 自分と似た者ほど、自己嫌悪を抱える者にとって許容出来ない存在はいないのだから。

 

「朗報だぜ。城戸司令から、件の近界民の黒トリガー奪取の命令が来たんだよ。遠征に行ってる、トップチームと合流してからな」

「…………! そうか…………っ!」

 

 米屋の言葉に、三輪は暗い喜びを露にする。

 

 矢張り、城戸司令は近界民を許容などしていない。

 

 近界民は全て、駆除すべき外敵。

 

 その認識に、間違いなどない。

 

 あってたまるか。

 

 有り得て良い筈が、ないのだ。

 

 そんな、認められない(ふざけた)話など…………!

 

「…………」

 

 再び暗い感情を噴出させる三輪を見て、米屋は内心でため息を吐きつつ「しゃーねえな」と開き直った。

 

 本当であれば、止めるべきなのだろう。

 

 今回の一件は、三輪の暴走を城戸司令が黙認したという面が大きい事を米屋は理解していた。

 

 三輪は気付いてはいないが、今回の件はどうにも作為が過ぎる。

 

 恐らく自分たちは近界民を発見したのではなく、()()()()()のだろう。

 

 迅は、三輪の尾行に気が付いていた。

 

 そして、三輪が同席した上層部との会談で、あからさまに修を特別扱いした。

 

 その段階で、三輪が修を注視する事は予想出来た筈だ。

 

 だというのに今日の邂逅では修は迅を伴わずに廃駅へ向かい、そこで近界民と会っていた。

 

 この時点で嫌な予感はしていたが、図ったように七海が現れた事で米屋の予感は確信へ変わった。

 

 今回の件で、踊らされているのは三輪であると。

 

 目的は、なんとなく分かる。

 

 きっと、派閥同士の抗争に落としどころを用意したいのだろう。

 

 その為には三輪の心証を変える事が一番なのは、誰が見ても分かる。

 

 三輪がある意味溝を埋める為に邪魔な存在になっているのは、一面から見れば事実なのだから。

 

(けど、だからと言って良い気はしねーよな。三輪(こいつ)は、ウチの隊長なんだからよ)

 

 事情があるのは分かる。

 

 これが最善の方法であるとも理解している。

 

 されど。

 

 ある意味で三輪を利用しているという事実は、消えてなくなりはしない。

 

 理は、向こうにあるのだろう。

 

 悪いのがどちらかと問われればこちらである事も、理解している。

 

 だが。

 

 隊長を虚仮にされた以上、黙っていられる程米屋は大人ではない。

 

 今この瞬間、手を抜いてあちらに合わせるという考えは完全に米屋の内から消え去った。

 

 そちらがそのつもりであれば、こちらも全力でやってやろう。

 

 手加減も、容赦もしない。

 

 三輪隊の一員として、そして何より三輪の友人として。

 

 全力で、叩き潰す。

 

 その為に、やれる事はやってやろう。

 

 そう考えて。

 

(────────そういや、あの子も近界民に恨みがあるんだったか。七海とも確執あるっぽいし、誘えば来るかねえ)

 

 試験の折。

 

 自分を緊急脱出させた少女の姿が、脳裏に浮かんだ。

 

(迅さんや七海にゃ悪いが、トコトンやってやるぜ。純粋に、戦るのが楽しみでもあるしな。取りあえず、勧誘の許可貰わねーとな)

 

 米屋はニヤリと隠れ笑い、三輪を連れて隊室を出た。

 

 その脳裏に、今後の展望を浮かべながら。

 

 

 

 

「ようこそ、玉狛支部へ。えーと、千佳ちゃんでいいんだよね?」

「あ、はい。雨取千佳です。よろしくお願いします」

 

 一方、玉狛支部。

 

 此処では、修に連れられて遊真と共にやって来た千佳を、宇佐美が歓待していた。

 

 迅曰く、こうなった以上すぐ襲ってくる事はないだろうが、千佳は三輪隊に顔を見られている。

 

 何よりも彼女が莫大なトリオンの持ち主である事が判明した為、万が一にも近界民に攫われるような事があってはマズイと、連れて来た次第である。

 

 改めて計測してみたところ、千佳のトリオン量は38。

 

 数値上はあの二宮の三倍ほどのトリオン量であり、しかもこれは正確な数値ではない。

 

 測定不能と出た為に便宜上この数値としているだけで、上限は更に上である可能性がある。

 

 ハッキリ言って、近界民にとっては何が何でも手に入れたい逸材である事は疑いようがない。

 

 そんな彼女が幾ら近界民の察知能力と気配遮断能力があるとはいえ、何の保護もなしは危険過ぎると、一先ずこの玉狛支部に連れて来た次第である。

 

 まあ、これは修の要望も大きい。

 

 修は前々から、ボーダーに保護を求めようとしない千佳を散々心配していた。

 

 その時は理由が分からなかったとはいえ、近界民に狙われている事は確かなのだ。

 

 だというのに千佳は、一向にボーダーに保護を求めようとしない。

 

 過去のトラウマがあるので修自身も強くは言えず、忸怩たる想いを抱いていた。

 

 そんな修にとって、今回の件は渡りに船であったと言える。

 

 あのイレギュラー門の一件の後、迅に千佳の事を相談したらこう言われたのだ。

 

 「どう足掻いても彼女の存在はバレるからいっその事玉狛へ連れて来るよう取り図ろう」と。

 

 迅が言うには、修の存在が三輪にバレた時点で遅かれ早かれ千佳の事も知られていたらしい。

 

 更に、迅が見ていた未来の中に必ずといっていい程現れていた見覚えのない少女の正体が、他ならぬ千佳なのだという。

 

 これは、あの廃駅で迅が千佳に直接邂逅して改めて確認した為間違いはないそうだ。

 

 無論、修としては千佳を面倒ごとに巻き込む事に抵抗はあった。

 

 だが、同時にこれが千佳の安全を獲得する絶好の機会である事もまた事実。

 

 葛藤の中揺れ動いていた修に、七海が告げたのだ。

 

 「迷うくらいなら、直接聞けばいい」と。

 

 結果として、千佳は了承した。

 

 面倒事に巻き込む事も、危ない目に遭うかもしれないという事も伝えた。

 

 しかし、千佳の返答は是。

 

 曰く、「修くんがそうした方が良いと思うんなら、わたしは良いと思う」との事であった。

 

 これは、あの廃駅での一件を終えた後も変わらなかった。

 

 千佳はあの廃駅で、初めてトリガーを使って戦う人間を見た。

 

 そして、思ったらしい。

 

 自分にも、あんな力があったなら。

 

 もしかすると、これまでとは別の道が開けるかもしれないと。

 

 そう考え、千佳はこの玉狛の門を叩いた。

 

「それで、千佳ちゃんはボーダーに入りたいんだっけか」

「はい。わたしに出来る事なんかないかもしれないけど、それでも────────選択肢があるなら、やってみたいなって」

「千佳…………」

 

 修は千佳の言葉を聞いて、複雑な面持ちをしていた。

 

 彼としては千佳がボーダーに保護を求めるようになればと考えていたのだが、此処で彼女が予想外の結論に至った事に困惑していた。

 

 しかし、同時に納得もしていた。

 

 矢張り、千佳は兄の事を未だに引きずっているのだと。

 

 話によれば、どうやら千佳は遊真から兄が、雨取麟児が近界で生きている可能性がある、という事を聞いたのだという。

 

 詳しく言えば、近界に攫われた人間の扱いを聞いただけだったのだが、それでも一縷の希望が出来た事に変わりはない。

 

 もっとも、麟児は攫われたのではなく自らの意思で近界に密航したのだが、これは千佳には伝えていない為結果としては変わらない。

 

 兄を、探しに行きたい。

 

 そう願う少女の想いを、修は無碍には出来なかった。

 

「でも、遠征に行くにはA級隊員にならなきゃいけないんだろ? つまり、テレビで見る嵐山さんやさっき空閑と戦ってた人たちと並ぶって事だ。それがどれだけ難しいか、分かっているのか?」

「それでも、じっとしていられないの。ちょっとでも、可能性があるなら」

 

 それに、と千佳は続けた。

 

「修くんが指導して貰った七海先輩のチームも、一期でA級になれたんでしょ? 同じ事が出来るかは分からないけど、不可能じゃないならやってみたいなって」

「それは、元から七海先輩たちが強かったからだろう。ぼくはまだ、B級に上がったばかりで、千佳はC級からだ。こんな状態で、どうやって上を────────」

 

 目指すんだ、と言おうとした修であったが、はたと気付く。

 

 確かに、自分と千佳だけでA級を目指すなんて夢物語もいいところだろう。

 

 自分は裏技のようなものでB級まで上がれただけで真っ当に戦えば弱いし、トリオンも低い。

 

 千佳はトリオンだけは莫大だが、そもそも戦いに向いているとは思わない。

 

 この二人でチームを組んだところで、相手を落とせるビジョンは全く浮かばなかった。

 

 しかし。

 

 その問題を解決する為の手段を、修は既に知っていた。

 

 足りないのならば、他所から持って来れば良い。

 

 自分たちだけで勝てないのならば、強い奴を仲間にすれば良い。

 

 幸い、修には当てがあった。

 

 既に協力を確約し、自分の味方と言える少年の存在が。

 

「空閑」

「おう」

 

 そして、彼は。

 

 遊真は、待ってましたとばかりに、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「聞いての通りだ。千佳はボーダーに入ってA級を目指したいみたいだが、ぼくらだけでなれるとは思えない」

 

 だから、と修は続けた。

 

「お前も、一緒にやんないか? 迅さんの件とはまた別に、ぼくに力を貸して欲しい。返してやれるものなんかないけど、それでも良ければ────────」

「いいぜ。一緒にやろう」

 

 遊真は修が言葉を重ねる前に、そう答えた。

 

 そんな事、言われるまでもないと言わんばかりに。

 

 不敵な笑みを浮かべ、告げた。

 

「リーダーは、オサムだ。これが条件だ」

「わたしも、隊長は修くんが良いと思う。修くんが、いいな」

「────────分かった。やるよ。そこまで言われちゃ、仕方ないな」

 

 最初は遊真に隊長をやって貰おうとしていた修であったが、こうまで言われては断れない。

 

 それに、返せるものがないと言ったのは修自身だ。

 

 ならば、隊長を引き受けるくらいの条件程度、飲めなくてなんとする。

 

 遊真は、自分自身を戦力として提供出来る。

 

 千佳も、多量のトリオンを活かした働きが出来るだろう。

 

 ならば、修がチームに貢献出来るとしたら、戦術面くらいしか無い筈だ。

 

 ────────貴方のやり方は間違っていないわ。力で劣るなら、頭を使う。戦いでは当然の事よ────────

 

 脳裏に、木虎の言葉が蘇る。

 

 自分は、確かに弱い。

 

 これまでのC級ランク戦だって小狡い手を駆使して勝っただけで、正面から勝てた事は一度もない。

 

 けれど。

 

 そのやり方で良いのだと、木虎は言ってくれた。

 

 ならば。

 

 どうせなら、徹底的にそのやり方を貫いてやろう。

 

 これまでと同じやり方では通じなくとも、B級にはB級なりの攻略法が必ずある筈だ。

 

 対戦記録を見て、様々な人に話を聞いて、対策を練る。

 

 それを積み重ねていけば、きっと届く。

 

 何せ、こちらには歴戦の使い手である遊真と、莫大なトリオンを抱える千佳がいるのだ。

 

 加えて、前期のランク戦を見ていく中で興味深いトリガーも見つけてある。

 

 学校でモールモッドの動きを止めたのはあのトリガーだろうし、幸い木虎は指導を引き受けてくれている。

 

 頼めば、教えて貰えるだろう。

 

 全て上手く行く、とは限らないけれど。

 

 それでも。

 

 未来(さき)への展望は、見えた。

 

 今は、それで充分。

 

「チームを組もう。そして、A級になろう。ぼくたちで、遠征部隊を目指すんだ」

「ああ」

「うん」

 

 修の発破に、二人は笑顔で返答する。

 

 此処に。

 

 チーム、三雲隊。

 

 玉狛第二、その結成が確約された。

 

 彼等の物語、その幕が。

 

 今、上がったのだ。



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玉狛支部①

 

「話は聞かせて貰ったわよ…………っ!」

 

 バンッ、と勢い良くドアを開けて出て来たのは、制服を着た活発な印象の少女────────小南である。

 

 当然ながら彼女とは初対面な修や遊真、千佳はポカンとした表情で彼女を見ており、彼女を良く知る身内である宇佐美は乾いた笑みを浮かべている。

 

 突然の少女の乱入に場が硬直する中、そんな事知った事かとばかりに小南は話を切り出した。

 

「アンタ達、A級になりたいなら師匠が要るわ…………っ! あたしが用意したげたから、感謝しなさい…………っ!」

「えっと、その前に一ついいですか?」

「何よ?」

「えっと…………出来れば自己紹介して貰えると嬉しいんですが」

 

 修の指摘に小南は一瞬ポカン、と理解を放棄した表情を浮かべ────────そして、自分のやらかしを悟りぎぎぎ、と後ろを振り向いた。

 

「…………迅。アンタ、あたしの事は説明してないの…………?」

「いやあ、悪い悪い。うっかり忘れてたよ」

「~~~~~っ!!!」

 

 そこで出待ちしていた迅の返答に小南は顔を真っ赤にしながら、彼のお腹をポカポカと叩く。

 

 最初はされるがままにしていた迅であったが、やっている内に熱が入ったのだろう。

 

 ドスン、という鈍い音と共に小南の拳が迅の鳩尾にめり込み、見事にノックアウト。

 

 静かに崩れ落ちる迅を背に、小南はふぅ、とため息を吐いた。

 

 良い汗かいた、と言わんばかりの雰囲気に修達は何も言えなかった。

 

 既に頬の赤みは消えており、気分転換は済んだらしい。

 

 自ら沈めた迅の事は、既に忘却の彼方だ。

 

 というよりも、これくらいはやって大丈夫、という信頼があるのだろう。

 

 流石に彼女も誰彼構わず沈めたりはしない────────ハズ、である。

 

「あたしは小南桐江。この玉狛支部で攻撃手をやってるベテランよ。言っとくけど、ボーダー歴は迅より長いんだからね」

「あ、よろしくお願いします」

「よろしく」

「よろしくお願いします」

 

 最初のやり取りをなかった事にして自己紹介からやり直した小南に、修達は素直に従った。

 

 彼女の勢いに圧倒された事もあるが、その場にいた誰もが「彼女を立てた方がスムーズに進む」と察した為でもある。

 

 誰だって、爆発すると分かっているものに障りたくなど無いのだから。

 

「迅からアンタ達の事は聞いてるわ。事情は全部知ってるから、畏まる必要はないわよ」

 

 アンタが近界民(ネイバー)ってのも知ってるしね、と小南は遊真を指さして告げた。

 

 彼女の遊真を見る眼に、三輪のような憎悪や嫌悪はない。

 

 ただ、当たり前にそこにいる相手に向ける視線。

 

 迅と、同じ類の眼であった。

 

 彼女もまた、迅と同じく近界民という存在に慣れている────────否、自らの常識の一部として組み込んでいるのだろう。

 

 小南や迅にとって近界民とは国が違うだけの人間であり、この世界がそうであるように敵対する相手もいれば、友誼を結べる相手もいる。

 

 その事を理解しているが故の、中庸の視線。

 

 それが、小南が遊真に向けた視線だった。

 

 加えて、遊真のサイドエフェクトは彼女が一切の嘘を言っていない事を確認している。

 

 相手が嘘を言えば自動的に分かる類に能力なので、これは間違いない。

 

 言葉通り、小南は遊真に対する隔意は一切持っていないらしかった。

 

「迅が選んだ相手なんだし、信用するし期待もしてるわ。どうせ無茶しなきゃいけなくなるんだろうし、その為には少しでも強くなっといた方が良いでしょ。アンタは、元からそれなりに強そうだけどね」

「ほう、お目が高い」

 

 ジロリと何処か好戦的な目で遊真を睨みつけた小南に、遊真はニヤリと不敵な笑みを浮かべてみせる。

 

 彼女の眼には、覚えがある。

 

 これは、戦士の眼だ。

 

 戦いを日常とし、当然のように生き死にを懸けた戦いに赴く戦士の眼。

 

 小南の眼力は、遊真が良く知る戦士の気配を孕んでいた。

 

 それも、相当に()()()気配だ。

 

 仄かに、遊真の瞳に戦意の火が灯る。

 

 別に戦いが好きというワケではないが、好敵手との競い合いは嫌いではない。

 

 遊真の直感は、この少女が充分その相手として相応しい事を察していた。

 

「てなワケで、アンタはあたしが貰うわ。いいわよね? 迅」

「ああ。遊真には、小南が一番合うだろうからな。俺が保証する」

「成る程。よろしくこなみ」

「先輩を付けなさい。先輩を」

 

 あたしの方が先輩なんだからね、とぷんすか怒る小南に、そんな彼女を見て笑みを深める遊真。

 

 どうやら彼等は彼等なりの方法で、ファーストコンタクトで好印象を得たらしい。

 

 なんだかんだで、良いコンビになれそうである。

 

「え、っと。小南先輩が空閑の師匠になるって事ですか…………?」

「そう言ってるじゃない。アンタは確か、七海が師匠なんだっけ?」

「あ、はい。一応そうなってます」

 

 ふぅん、と小南は修を値踏みするように見て、ため息を吐いた。

 

「藍ちゃんは見どころがあるって言ってたけど、あたしにはイマイチピンと来ないわね。まあいいわ。そんでアンタは、他に師匠が欲しい?」

「えっと、出来れば……………………はい。七海先輩は、色々と忙しいとお聞きしていますし」

「でしょうね。だからこうして引っ張って来たワケだし」

 

 え? と修が困惑するのも束の間、小南は自分の入って来た入り口の方を見て、声を張り上げた。

 

「二人共、入って来なさいよ。その為に連れて来たんでしょーが」

「…………連れて来るも何も、最初から支部にいたワケだが」

「そこは形から入りたいんでしょう。小南先輩、そういうの拘りますし」

 

 そして、入って来たのは男性二名。

 

 長身の筋肉質な青年、木崎レイジ。

 

 細見の端正な顔立ちの少年、鳥丸京介。

 

 玉狛支部の正式メンバーである二人が、小南に連れられてやって来たのだ。

 

「木崎レイジだ。迅から話は聞いている。よろしく頼む」

「烏丸京介。俺も迅さんから話は聞いてます。よろしく」

「ちょっと、なんでそこであたしの名前を出さないのよ」

 

 だって迅さんから聞いてたのは本当ですし、と告げる烏丸に、「連れて来たのはあたしだからね!」と小南が食ってかかる。

 

 しかし烏丸はのらりくらりと追及を躱し、小南の一人相撲の様相を呈していた。

 

 まあ、これもいつもの光景なので気にするほどでもないのだろう。

 

 小南がやり込められるのは、いつだって変わりないのだから。

 

「話からすると、木崎さん達がぼくたちの師匠になってくれるって事ですか?」

「そうだ。あと、レイジの方で良い。そっちの方が呼ばれ慣れてる」

 

 木崎だと別の奴を連想するしな、とレイジは小声で呟く。

 

 彼の事を木崎と呼ぶのは大抵風間なので、そっちを連想したようだ。

 

 会ったばかりの年上男性を名前呼びするのはどうかと思ったが、本人がそう言うのであれば仕方がない。

 

 これからはレイジさんと呼ぼう、そう考えた修であった。

 

 そんな修達を見て、レイジはくい、とドアの向こうを指さした。

 

「さて、三雲の資料は貰っているが空閑と雨取に関しては何も分からないからな。一先ず、どのポジションが適正なのか調べさせて貰うぞ」

 

 

 

 

「空閑は文句なしに攻撃手向き。雨取は、狙撃手向きだな」

 

 訓練室での実践を終え、レイジは遊真と千佳に対してそう評した。

 

 レイジの発案で一通りのポジションのトリガーを試してみた二人であったが、遊真はスコーピオンに高い適正を示した。

 

 弧月も扱えなくはないが、小柄な体躯もあり断然適正はスコーピオンの方が高い。

 

 今も小南と戦闘しているが、歴戦の戦士である小南に対して一歩も退かない戦いぶりは流石としか言いようがない。

 

 遊真も「悪くない」と言いながら早くもスコーピオンの応用技を試し始めているし、ストレートに攻撃手向きだろう。

 

 一方、千佳はブレードトリガーの適正は皆無。

 

 弧月も碌に相手に当てられないし、スコーピオンも咄嗟の判断の遅さが致命的で全く使いこなせなかった。

 

 半面、射撃トリガーにはそれなりの適正があった。

 

 天才とまではいかないものの、中距離射撃の手段として使うには悪くないセンスを示していた。

 

 しかし、最も適性が合致したのは狙撃手である。

 

 千佳はこれまでの経験からか長時間だろうとひたすら待つ事が出来るし、スタミナも充分以上にある。

 

 咄嗟の判断の遅さが課題ではあるが、それは慎重さの裏返しでもあるのだ。

 

 天性の才能があるとまでは言わないが、狙撃手として充分やっていけるだけの能力はある。

 

 レイジは狙撃も扱える完璧狙撃手(パーフェクトオールラウンダー)としての見地で、千佳の適正をそう判断した。

 

 チーム単位で見れば、射手にして司令塔の修、狙撃援護役の千佳、そして切り込み役の遊真とバランス良く各分野が揃っている。

 

 荒船隊や風間隊のような特化型チームならばともかく、普通にやるのであればある程度ポジションはバラけていた方が取れる戦術の幅は広い。

 

 もっとも、それは得てして器用貧乏になりかねないという事でもあるが、そのあたりは隊長の腕の見せ所、といったところだ。

 

「しかし、雨取のトリオン量は凄まじいな。黒トリガー並のトリオン量を素で持ってるなんて、聞いた事がないぞ」

「こればっかりは生まれつきだからねえ。まあ、折角の才能なんだから喜んだ方が得だよ。才能は、自分じゃ選べないんだからさ」

 

 そう呟く迅は、何処か自嘲的だ。

 

 分からなくはない。

 

 彼の未来視も、望んで得た力などでは断じてないのだから。

 

 生まれ持つ力に振り回される苦しみは、彼も良く分かっている。

 

 故に、迅が千佳を見る眼は少々同情的であった。

 

 執拗に近界民に追われるだけの、莫大なトリオン量。

 

 それを持って生まれたが故に、千佳は様々な苦悩を抱いて来た筈だ。

 

 詳しい話は聞いていないが、そんなのは聞かなくても分かる。

 

 少なくとも、何の苦労も知らずに生きて来たワケではない。

 

 そんなものは、千佳の眼を見ればすぐに分かったのだから。

 

「どんな力だって、使い方次第よ。少なくとも、あたし達は迅の未来視に助けられて来たし、これからもそう。だから、貴方のそのトリオン量もきっと役に立つ時が来るわ。保障してあげる」

 

 こいつが生き証人よ、と小南は迅の肩を抱え込み、ぐいぐいと引っ張って見せる。

 

 普段通りのスキンシップだが、少々顔が赤くなっているあたり多少無理はしているらしい。

 

 恐らく、迅が千佳と自分の境遇を重ねて見ていた事に気付いたのだろう。

 

 放っておくとどんどん悲観的(ネガティブ)になる迅の性質を理解していた為、多少の恥は忍んでボディタッチを敢行したワケだ。

 

 普段はこの程度で赤面したりはしない小南であるが、生憎少し前に瑠花によって散々玩具にされたばかりである。

 

 迅との添い寝の事で思う存分弄り倒された記憶が未だに新しい為、彼との接触に照れが生じているのだった。

 

「取り敢えず、雨取は俺が指導しよう。三雲は────────京介、頼めるか?」

「いいっすよ。他に選択肢ないでしょうし」

 

 でも、と烏丸は続ける。

 

「俺は本職の射手じゃないし、別の射手を紹介した方が良くないっすか?」

「例の一件が終わったら考えても良いが、今はお前しかいない。基礎の仕込みくらいは出来るだろう?」

「了解しました」

 

 レイジとのやり取りを経て、烏丸は修と向き合う。

 

 そして烏丸は、修に向かって右手を差し出した。

 

「そんなワケで、俺が面倒を見る事になった。よろしく」

「はいっ! よろしくお願いしますっ!」

 

 修は嬉しそうな声をあげながら烏丸の手を取り、握手を交わした。

 

 既に七海と木虎の二人に師事している修ではあるが、木虎から「師匠は多くて損はない」という話を聞いていた事もあり、新たな師に弟子入りする抵抗感はない。

 

 尚、後日修が烏丸の弟子になった事を木虎に知られ、烏丸ファンである彼女の心証が若干低下し訓練に熱が入る事になるのだが、それはまた別の話である。

 

 師弟関係解消まではいかなかったが、木虎が修を見る視線の温度が少々下がる程度の影響はあった。

 

 まあ、それでも指導を投げ出さないあたりが木虎が木虎である所以である。

 

 ちなみに徹底して弟子としての立場を貫き素直に色々聞いて来る修の姿に機嫌を直し、視線の温度はその日の内に元に戻ったらしい。

 

 基本的にツンケンするが、本人の強い承認欲求さえ満たしてやれば割とチョロいのが木虎なのである。

 

 好感度は割と変動し易いが、その分リカバリーも容易。

 

 それが木虎なのである。

 

「それから、雨取の扱いについて俺から提案がある。あくまでも、例の一件が終わった後の話だが────────」

 

 レイジは、そう言ってある提案をした。

 

 修は驚き、対戦から戻って来た遊真は納得を示した。

 

 そして、迅は。

 

 満面の笑みで、ゴーサインを出した。

 

 レイジの提案は。

 

 ────────満場一致で、可決されたのだった。



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太刀川慶②

 

『遠征艇が着艇します。付近の隊員は注意して下さい』

 

 ボーダー本部、地下格納庫。

 

 そこに黒い穴が開き、その中からトリオン兵に似た形状のオブジェクトが出現する。

 

 これは、ボーダーが誇る近界遠征艇。

 

 ボーダートップチームの精鋭部隊を乗せた、近界へ渡る為の船である。

 

 その船が今、基地へと着艇する。

 

 それは。

 

 今後を左右する戦いを始める、一つの合図でもあった。

 

 

 

 

「これが、今回の遠征の成果です。お納め下さい」

「ご苦労。無事の帰還何よりだ」

 

 遠征部隊を代表し、風間が近界から持ち帰った四つのトリガーを城戸の前に差し出す。

 

 近界へ向かい、惑星国家に潜入して交渉もしくは奪取により未知の技術を持ち帰る。

 

 それが遠征部隊の役割であり、命の危険もある難関任務だ。

 

 ただ、戦闘力だけがあれば良いというものではない。

 

 未知の世界での適応能力や、現地人との交渉能力。

 

 敵対的な国家においては潜入能力や、生存能力も問われる。

 

 遠征部隊に選ばれたA級3チームは、それらの条件を満たしていると判断されているワケだ。

 

 ちなみに三輪の場合、主に前者が不足している為遠征部隊には選ばれていない。

 

 誰彼構わず近界国家に喧嘩を売るような真似は愚行でしかない以上、当然といえば当然であるが。

 

「…………」

 

 だからであろうか。

 

 三輪は遠征部隊────────太刀川隊・冬島隊・風間隊の面々を、複雑な面持ちで見据えていた。

 

 防衛任務で近界民を殺せるのは良いのだが、三輪としてはどうせなら人型近界民に復讐心をぶつけたい、という想いはある。

 

 この世界に送られてくるトリオン兵はあくまで戦闘人形であり、近界民本人ではない。

 

 糸に繰られた傀儡だけではなく、糸の繰り手に刃を届かせたい、というのは復讐者としては当然の心情だ。

 

 城戸からもやんわりと遠征部隊を目指さない方が良いと窘められていてある程度理解もしているが、納得出来るかどうかは別の話である。

 

 理屈で納得出来るのなら、復讐者などやっていないのだから。

 

「さて、帰還早々で悪いがお前たちに新しい任務がある。玉狛支部にある、黒トリガーの確保だ」

「玉狛の、黒トリガー…………?」

「なんだ? 迅を倒して風刃を奪って来いとか、そういう話です?」

「違う。三輪隊、説明を」

 

 はい、と奈良坂が城戸の指示を受け、説明を行った。

 

「12月14日午前。追跡調査により、近界民(ネイバー)を発見し交戦。その際、黒トリガーの発動を確認。能力は、相手の攻撃を学習して自分のものにする」

「…………!」

「へえ」

 

 奈良坂の説明を聞き、風間は眉を顰め、太刀川は唇を吊り上げた。

 

 前者は単純にその脅威を慮って。

 

 後者は、「戦ったら楽しそうだ」と戦意を滲ませて。

 

 両者は、能力をコピーする黒トリガーの性質を戦闘者として理解を示した。

 

 この場合、厄介なのは手札が無尽蔵に増える事もそうだが────────何よりも、黒トリガーの()()でこちらの攻撃が利用される事だ。

 

 ノーマルトリガーと黒トリガーでは、文字通り出力の桁が違う。

 

 例に挙げるなら迅の風刃だが、黒トリガー発動時の彼のトリオン量は30オーバーまで跳ね上がる。

 

 その出力で放たれる攻撃は、強力無比。

 

 風刃の力の桁は、この間の昇格試験で既に証明されている。

 

 伊達に、たった一人でB級上位部隊を相手取ってその殆どを蹴散らしたワケではないのだ。

 

 だが、風刃には攻撃以外の用途が何もない、という致命的な欠点があった。

 

 特化型の能力だからこそ致し方ない部分があるが、そのピーキーさ故に本当の意味で十全に使いこなす事が出来るのは未来視を持つ迅のみだろう。

 

 しかし。

 

 コピー能力持ちとなれば、話は変わって来る。

 

 手札が実質一つしかなかった風刃と異なり、件の黒トリガーには無数の手札が()()されている。

 

 同じトリガーを使っていてもトリオン量の差異で威力に雲泥の差が出るのは、二宮を見れば一目瞭然だ。

 

 たとえ同じアステロイドでも、修のそれと二宮のそれとではパチンコ玉とガトリング砲くらいの違いが出る。

 

 それだけ、トリオンの差というのは明確に威力に直結する。

 

 何処まで能力をコピー出来るかはさておいて、これ程分かり易く対処が難しい性質は無いだろう。

 

 まだ見ぬ黒トリガー使いに、二人は戦慄を感じ取った。

 

「その際、七海隊員が戦闘に介入。忍田本部長の指示により、事態に介入した模様」

「なに?」

「ほう」

 

 だが、奈良坂の次の発言で二人の関心は一瞬にして移り変わった。

 

 七海玲一。

 

 自分たちが指導を行っていた彼が、あろう事か忍田本部長の命令で近界民を助けている。

 

 その意味を理解出来ないほど、二人は鈍くはなかった。

 

「もしや、迅が忍田本部長に手を回したか?」

「十中八九そうだろう。事実、迅は事態の推移を正確に察知していたし自身の関与を認めている。あいつの差配である事に間違いはない」

「へえ、成る程ね」

 

 城戸の言葉に、太刀川はニヤリと笑みを深めた。

 

 彼はこの時点で、今回の事態の全貌を朧気ながら把握していた。

 

 流石に何のヒントもなしに辿り着けはしなかっただろうが、太刀川には彼だけが知る情報がある。

 

────────その内、強くなった七海と『風刃』を持った俺とやり合える機会が来るよ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる────────

 

 以前、迅から告げられた七海を指導する対価としての未来視(ことば)

 

 太刀川は、今回の一件こそが迅が告げた未来視の指し示す戦いである事を戦士の直感で悟っていた。

 

 秋頃に、迅が一人の隊員を入隊させた事は太刀川の耳にも届いている。

 

 あの迅が直接入隊させるくらいだからさぞかし将来有望な天才かと思い国近に調べて貰ったのだが、彼────────三雲修は戦闘面では何の取り柄もないどころか、何故入隊出来たか不明なほどトリオンが低い弱兵だった。

 

 しかし、だからこそ太刀川は理解した。

 

 迅は、彼に何かをさせようとしていると。

 

 それは、迅が昇格試験の試験官を直接務めた一件で確信を強めた。

 

 迅は、何かをしようとしている。

 

 そしてそれに必要なピースを必死で集め、未来という名のパズルを組み上げようとしている。

 

 今回の一件も、それに必要な工程なのだろう。

 

 迅が七海をこういう事に巻き込むという事は、そういう事だ。

 

 彼が直々に太刀川に弟子入りを依頼した七海が関わっている時点で、今回の一件が未来の趨勢に大きく関わっている事は簡単に予想出来る。

 

 これは、迅から直接七海の事を頼まれた太刀川しか知らない情報である。

 

(遂に来たか。待ってたぜ、迅)

 

 太刀川は一人、不敵な笑みを浮かべた。

 

 迅に思惑があるのは理解している。

 

 今回の一件、もしも自分たちが勝てばマズイ事になるのは想像出来る。

 

 だが。

 

 それは、本気で戦わない理由にはならない。

 

 元より、手を抜いて戦う事など迅は望んでいない筈だ。

 

 悪友だからこそ分かる。

 

 あいつは、自分との戦いを心待ちにしている。

 

 そうでなくては困る。

 

 こちらは、随分待ったのだ。

 

 迅が黒トリガーを手にしてから、今まで。

 

 本当に、長かった。

 

 一体どれ程、迅との戦いを熱望しただろう。

 

 迅が風刃を手にした時は、納得は出来ないが理解はした。

 

 師の形見なのだ。

 

 死に物狂いで手に入れようとするのは、当然だろう。

 

 自分だって、もしも忍田が黒トリガーになる事があれば同じ事をするだろう。

 

 少なくとも、そこまで情を捨ててはいないつもりである。

 

 だが、理解と納得は別のものだ。

 

 迅が風刃を手にして、S級隊員となった。

 

 それは良いが、その代償として迅はランク戦に参加出来なくなった。

 

 当然だ。

 

 個人ランク戦に黒トリガーという規格外を、持ち込める筈がない。

 

 理屈は、分かる。

 

 けれど。

 

 「そのくらいのハンデ、構うものか」と太刀川は常々思っていた。

 

 自分は最強なのだ。

 

 黒トリガーが相手だろうと、勝ってみせる。

 

 自惚れではなく、太刀川はそう自負していた。

 

 無論、七海による迅打倒で火が付いたという事もある。

 

 あの戦いは、見事だった。

 

 鍛えた甲斐があったと、あの日は出水と共に喜んだものだ。

 

 七海が出来たのだ。

 

 ならば、その師である自分に同じ事が出来ずにどうする。

 

 太刀川は城戸や三輪隊の話を聞きながら、戦意を漲らせていた。

 

「件の近界民は迅の手引きにより、玉狛に入隊している。そうなると、玉狛支部には二つの黒トリガーが揃う事になる。派閥間のパワーバランスを考慮すれば、それは認められない」

 

 だから近界民の黒トリガーを確保して貰うと、城戸は言う。

 

 太刀川はその命令を受け入れ、告げた。

 

「分かりました。今夜にしましょう。今夜」

 

 その発言に、聞いていた根付や鬼怒田が驚く。

 

 それもそうだろう。

 

 相手は、未知の黒トリガー。

 

 作戦を充分に練ってから、と思うのが普通だ。

 

 太刀川はそれを、「相手はコピー能力なのだから時間をかければかける程不利になる」と言って二人を納得させた。

 

 勿論、嘘ではない。

 

 コピー能力という性質上、相手に時間を与えれば与えるほど手札が増えるのだ。

 

 それを避けたいという戦略的な理由も、嘘ではない。

 

 だが。

 

 それ以上に、これ以上待つ事など太刀川に出来そうになかったのだ。

 

 やっと。

 

 やっと、迅と戦う事が出来る。

 

 今の口ぶりでは近界民を襲って黒トリガーを奪う、という事だったが、迅が介入しない筈がない。

 

 迅には、未来視がある。

 

 ならば当然、こちらの動きは読んで来る筈。

 

 七海に告げたように戦闘では穴の多い未来視ではあるが、こと戦略的な視点から見ればその余地を上回る事は不可能に近い。

 

 襲撃の日時は、いつにしようが同じなのだ。

 

 いつ襲撃をかけたとしても、100%迅がその前に立ちはだかる。

 

 ならば、早い方が良い。

 

 結果が変わらないのだから、徒に時間をかける理由などない。

 

 何よりも、戦意が燻って仕方がない。

 

 これ以上のお預けは、太刀川には出来そうになかった。

 

「いいだろう。部隊はお前が指揮しろ太刀川」

「了解です」

 

 そんな太刀川の内心を知ってか知らずか。

 

 城戸は太刀川の案を了承し、命令を下した。

 

 命令を受諾した太刀川は風間に目配せして、頷く。

 

 迅と戦うのは、楽しみだ。

 

 七海とも戦り合えるとなれば、猶更だ。

 

 だが。

 

 悪友として、師として。

 

 通さなければならない筋は、あるのだという事だ。

 

 

 

 

「ぶっちゃけると城戸さん。今回の一件って、三輪の為でしょ」

「…………何故そう思った? とは、聞く方が野暮か」

 

 その後。

 

 時間を置いて司令室を訪れた太刀川達は、城戸を前に詰問していた。

 

 表向き隠してはいるが、城戸が迅や七海の事を気にかけている事は知っている。

 

 その城戸が、迅に対して明確な敵対行為など、本心から望むワケがないのだ。

 

 この事は、根付や鬼怒田は気付いていない。

 

 太刀川は、迅の悪友であり七海の師である立場だからこそ、察する事が出来たのだ。

 

 人間的になダメな要素ばかりが目立つ太刀川であるが、その観察眼は本物だ。

 

 昼行燈を気取っているワケではないが、それでも太刀川の言葉は確信を突く事が多い。

 

 それは、他者よりも人を見る眼が優れている事の証左でもある。

 

 だからこそ、気付いた。

 

 今回の一件、その根幹。

 

 それが、三輪────────即ち、復讐者の心情にある事に。

 

「要は、派閥間の抗争に落としどころ作りたいんでしょ? そんで、三輪を強引に納得させたいワケだ。言っちゃなんだが、三輪に甘過ぎるんじゃないか?」

「そうかもしれない。だが、彼をあのようにしてしまったのは我々だ。私たちには、その責任を取る必要がある」

 

 巻き込んでしまって悪いがね、と城戸は告げる。

 

 今回の一件が、ある種の私情を孕んでいる事は城戸も理解している。

 

 三輪の復讐心を煽った責任を取りたいというのは、言うなれば迅や城戸の私情だからだ。

 

 言ってはなんだが、三輪の心情を考慮しなければ手段は幾らでもあるのだ。

 

 三輪に迅や例の近界民に関わらないよう命令を下したり、手を出さないよう言明したりと、やりようはある。

 

 それをしないのは、偏に三輪の心情を慮っているが為だ。

 

 正直に言えば、今回の一件は三輪の感情のぶつけどころを作る為の作戦という意味合いが強い。

 

 最初から否定されるケースと、一度ぶつかってダメだったというケースであれば、後者の方がまだ納得がいく。

 

 これで最初から手を出す事を禁じられていれば、しこりが残る可能性が高い。

 

 だからこそ、いっその事一度ぶつける、という手段を取ったワケだ。

 

 それが、自己満足の類である事など承知の上で。

 

「まあ、それは構わないですよ。俺としても、迅や七海と戦えるんなら大歓迎だ。ただ、一つだけ確認しときたいんですよ」

「なんだ?」

「今回の件。十中八九七海も関わって来ると思うけど────────まさか、それを理由に七海達をA級から降格させたりはしないですよね?」

 

 ジロリと、太刀川は強い視線を城戸に向けた。

 

 組織のトップに向けるような類の視線ではないが、見れば風間もまた似たような視線を城戸へ送っていた。

 

 返答次第では、命令を拒否する。

 

 言外に、二人の視線はそう訴えているかのようだった。

 

「安心したまえ。対外的に罰則を与える事にはなるが、なるだけ穏便な形にするつもりだ。気になるのであれば、腹案を話しておくが」

「いえ、大丈夫です。城戸司令がそう言うのであれば、構いません」

「ええ、そう言って下さるのであればこちらとしても何の異存もありません」

 

 太刀川と風間は、そう言って胸を撫で下ろした。

 

 城戸は自他共に厳しい男だが、筋は通す人間だ。

 

 彼がこう言った以上、七海に過剰な罰が下る事はないだろう。

 

 なんだかんだで弟子馬鹿な二人は、ほっと安堵の息を吐いたのであった。

 

 そして、太刀川はその目に戦意を漲らせ、不敵な笑みを浮かべた。

 

「いいんですね? 本気でやっても」

「ああ。迅も、それを望んでいる」

「そうですか。なら、期待に応えなくちゃなりませんね」

 

 太刀川の眼に、戦意の炎が燃え盛る。

 

 風間はそれを見てため息を吐くが、彼もまたまんざらではなさそうだ。

 

 太刀川ほどの戦闘狂(バトルジャンキー)ではない風間ではあったが、純粋に本気の迅と強くなった七海との戦いに興味はある。

 

 第三試験ではしてやられてしまったが、そのリベンジをするのも面白そうだ。

 

 風間もまた、知らず不敵な笑みを浮かべていた。

 

「それから、米屋隊員から今回の作戦にB級隊員を一名参加させたいと打診があった。返答は保留しているが、君達の意見を聞かせて欲しい」

「へえ、米屋が? どれどれ」

 

 太刀川は同じ戦闘狂の米屋が誰を推薦したのか興味を抱き、城戸の出した資料に目を移した。

 

 そして。

 

 ニヤリと、笑みを浮かべた。

 

「俺は良いと思いますよ。この子なら、いけるでしょ」

「そうですね。今回の作戦の趣旨的に考えても、好都合でもあります」

 

 二人はそう言って、その隊員の参戦を肯定する。

 

 城戸の見せた資料には、一人の隊員のプロフィールが記されていた。

 

 ────────B級五位部隊、香取隊。

 

 隊長、香取葉子。

 

 それが、米屋が推薦したB級隊員の名前だった。



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太刀川慶③

 

「そっかー。良かった良かった。これでもし那須隊(あの子たち)がマズイ事になるようなら色々考えなきゃいけなかったもんね」

「そうだな。ただでさえ自己犠牲精神旺盛な奴だし、そこだけが心配だったが城戸さんがああ言った以上は大丈夫だろ」

 

 太刀川隊、隊室。

 

 そこで、今夜の作戦を国近に話した太刀川はそう言って笑みを浮かべた。

 

 隊室に揃っているのは太刀川、国近、出水の三名。

 

 唯我はこういった秘密裏の作戦には立場上参加させられない為此処にはいないし、今夜の事を教えてもいない。

 

 口の堅さに不安がある事もあるが、彼はスポンサーの息子だ。

 

 万が一何かがあっては、文字通りボーダーが傾きかねない。

 

 あくまでも民間組織であるボーダーにとって、スポンサーの存在は重要だ。

 

 敏腕営業の唐沢が次々とスポンサー契約を取り付けてくれているとはいえ、資金提供は無尽蔵に行われるものではない。

 

 故に、スポンサー側の心証には常に気を配る必要がある。

 

 唯我の「A級部隊に入れろ」という親の七光り全開の要求を突っぱねる事が出来なかったのも、そのあたりが理由だ。

 

 まあ、なんだかんだで入隊した太刀川隊では愛されキャラとしての立場を確立しているので、本人も口では色々言いつつまんざらでもないらしい。

 

 基本友達付き合いが苦手というか友達が殆どいなかった為、気安い関係の太刀川隊を居心地良く感じているのだろう。

 

 烏丸の玉狛異動後に入れ替わりで入って来た為最初は微妙な空気が流れていたが、今では「いたけりゃいれば?」といった感じで良い意味で雑に扱われていた。

 

 決して、ハブにしているワケではない。

 

 というよりも、今回の場合作戦内容を知れば唯我は妨害に動く可能性がある。

 

 具体的には、父親にチクる可能性があるのだ。

 

 唯我は割と情深いというか、一度仲良くなった相手に対してかなり親身になる傾向がある。

 

 口こそ悪いが、その本質は善性なのだ。

 

 だからこそ、七海と懇意にしている玉狛支部を襲うという今回の作戦を是とする筈がない。

 

 詳しく裏事情を説明すれば納得する可能性はあるが、相応の時間が取られるのは必至だ。

 

 時間もないのにそんな手間はかけていられない為、最初から伝えない事にしているという面もあった。

 

「けど、本気でやっていいんです? これ、作戦が成功しちゃったら色々マズイ事になるんじゃないですか?」

「何言ってんだ。そのあたり、手抜かりがある筈ないだろ。迅が何か手を回しているだろうし、最悪でも城戸さんから直接作戦中止の命令が来るだろ。勿論、その場合の説明はやって貰うけどな」

 

 責任者は責任を取る為にいるんだからな、と太刀川は告げる。

 

 確かに、今回の作戦は完全に成功し玉狛への襲撃が完遂されてしまうと少々マズイ事になる。

 

 いざ玉狛と直接戦ってしまえば落としどころを作る事は一気に難しくなるし、黒トリガーの奪取まで成功してしまうとその溝を埋める事は最早不可能だろう。

 

 そうならない為に仮に負けたとしても玉狛襲撃を防ぐ為の手は迅が打っているだろうし、それが不発に終わった場合でも城戸司令からの勅令があれば止まらざるを得ない。

 

 その場合は作戦を中止した説明────────即ち、今回の裏事情を確実にごねるであろう三輪に行う必要があるが、それは城戸司令に行って貰う。

 

 彼の指示で作戦を行ったのだから、それを取り下げるとなれば説明責任を果たすのは当然の事だ。

 

 太刀川の言う通り、責任者とは何かあった時に責任を取る事も仕事のうちだ。

 

 当然その場合は責任を果たすであろうし、結果として三輪の心証がどうなってもそれは太刀川の関与するところではない。

 

 故に、保険はかけてあるが出来れば使いたくはない類の保険なのである。

 

 少なくとも、迅と城戸(ふたり)にとっては。

 

「ねー、小夜ちゃんに言っちゃって良いー?」

「ダメだろ流石に。守秘義務とかあるんだぞ」

「でもー、どうせぶつかるなら同じ事だと思うけどなー。七海くん、迅さんの頼みなら断らないと思うし」

 

 七海くんが来るなら小夜ちゃんオペするよねー、と国近は言う。

 

 確かに、七海が城戸の言葉通り参戦するとするなら、普通に考えればそのオペレートは小夜子がやる筈だ。

 

 今回の戦いに置いては、()()戦争である事が重要となる。

 

 故に、玉狛支部所属のオペレーターである宇佐美は協力する事が出来ない。

 

 黒よりのグレーであるが、少なくとも太刀川は宇佐美は来ないと考えていた。

 

 となると、七海が参戦する場合そのオペレートをする人員が必要となる。

 

 普通に考えれば那須隊のオペレーターである小夜子が行うのだろうが、それは即ち彼女に今回の事情を説明する事を意味している。

 

 果たして、チームメイトを大事にする七海が仲間にこういった事に巻き込む事を良しとするのか否か。

 

 太刀川は半々だと考えていたが、国近はどうやら必ず小夜子がオペレートすると確信しているらしかった。

 

「出水くんは小夜ちゃんが来ないと思ってるの?」

「どーだろーな。七海は割と人に頼りたがらないけど、それはあの件で改善されてるしな。元々フェミっぽいトコあるし、半々じゃねーかな」

「さーて、どーかな」

 

 ニコニコと笑いながら、国近は小夜子と七海の事を思案する。

 

 国近は、小夜子の恋慕を知っている。

 

 故に、彼女は七海に頼まれたら断らないであろう事も知っていた。

 

 恋する少年の頼みとあらば、たとえ火の中水の中、というやつだ。

 

 加えて、小夜子から七海の日常の挙動や言動に関してそれなりに国近は聞き知っていた。

 

 完全な私情であれば一人で解決しようとする可能性はあるが、今回は迅というバックボーンがある。

 

 それを考慮すると、小夜子にオペレートを頼む確率はかなり高いと言えた。

 

 今の七海は、頼るべき時に声をあげない程、分からず屋ではないのだから。

 

「でも、那須さんとかどうするのかな。やっぱり、来ると思う?」

「知ってれば来るだろーし、知らせてなきゃ来ないだろ。まあ、来たら来たでその時考えれば良いだろ」

「いやあ、那須さんが来るかどうかって割と重要だと思いますけどね。戦術の見直しも必要になりますし」

 

 問題は、他の那須隊のメンバーが来るのか否かだ。

 

 小夜子を巻き込んだ以上今更だと考えるのか、それとも必要最低限の人員で済ませようとするか。

 

 流石にこればかりは七海の舌先三寸なので、なんとも言えない。

 

 国近も小夜子は友人だからこそ理解度が高いが、反面那須に関しては彼女を通じた知り合いでしかない。

 

 というよりも、話した事すら数回あるかどうかだ。

 

 ハッキリ言って、那須の事は良く分からない、というのが本音である。

 

 まあ、かなり愛が重い少女なのは見て分かるのだが、その内面の理解度はさして高くはない。

 

 正直、同じ射手の出水の方が理解度そのものは高いのではないか、と国近は考えていた。

 

「やっぱり那須さんが来ると厳しい?」

「割と厳しいかもな。那須さんはあの通り機動力がずば抜けて高いし、射手としての技能も俺に比肩するしで駒として見りゃ厄介極まりないんだ。正直、戦術家としてはなるだけ相手にしたくない類だ」

 

 カバー出来る範囲が広過ぎっからな、と出水は苦笑する。

 

 確かに、那須はその機動力と変幻自在の変化弾(バイパー)により、広範囲を射程に収める事が出来る。

 

 トリオン量そのものは出水の圧勝であるが、あの機動力がこの上なく厄介な要素となっているのである。

 

 通常、射手はあまり動かない。

 

 位置取りの為に移動する事はあるが、攻撃手のように機敏な動きで攻め込む、といった事は稀だ。

 

 精々が、攻撃手に懐に潜り込まれないように距離を取る程度である。

 

 だが。

 

 那須の場合、その前提は片っ端から覆る。

 

 彼女はその機動力を活かして戦場を縦横無尽に駆け回り、常に発射点を移動しながら弾幕を放つ。

 

 しかもリアルタイム弾道制御で変化弾(バイパー)を使う為、障害物がほぼ意味を成さないどころか彼女の有利に働く。

 

 戦術を考える側にとって、これ程厄介な駒は早々にない。

 

 単純な地形であればまだ良いが、複雑な地形であればある程那須の脅威度は飛躍的に上昇する。

 

 彼女がいるかいないかは、戦術を考える上で一つのキーポイント足り得るのだ。

 

「取り敢えず、来る前提で作戦立てた方が間違いがねーだろーな。状況に応じて適宜修正、ってことで」

「それしかないだろうな。まあ、俺は迅と七海と戦るから露払いは任せた」

「仕方ないっすね。まあ、念願の一戦でしょうしなんとかしますよ」

 

 太刀川の要請に、出水は苦笑しながら頷いた。

 

 彼が迅との対戦を誰よりも待ち望んでいた事を、出水は知っている。

 

 今回の場合、手加減などされる筈がない状況なので戦意の高揚も拍車がかかっていた。

 

 何せ、事実上敗北が許されない戦闘だ。

 

 出し惜しみなどする筈がなく、文字通りの全力で迅は立ち塞がって来るだろう。

 

 加えて、七海も恐らくテンションMAXで来る筈だ。

 

 普段人を頼ろうとしない迅に頼られた事に加え、こちらには師匠筋が三人いる。

 

 七海の性格上、奮起するのは目に見えていた。

 

 クールに見えて割と内面は熱い七海の事なので、意気揚々と参陣する様子が目に浮かぶ。

 

 なんだかんだ、戦闘好きの太刀川の影響を七海は間違いなく受けているのだから。

 

「取り敢えず方針は決まったかなー。向こうも、ぼちぼちやってる頃かな」

 

 そうだねー、と国近は笑い、呟いた。

 

「今頃、小夜ちゃんに事情を説明してる頃かなー」

 

 

 

 

「というワケなんだ。急な話で申し訳ないが、どうか協力して欲しい」

「分かりました。協力します」

 

 即答。

 

 小夜子は、七海の要請に即座に了承の意を示した。

 

 言葉を尽くして頼むつもりだった七海であったが、あまりにも呆気ない小夜子の返事に少々面食らったようだ。

 

 そんな七海を見て、小夜子は苦笑する。

 

 嗚呼、この人は変わらないな、と。

 

「何を驚いているんですか? 他ならぬ七海先輩の頼みですし、私が受けるのが変です?」

「あ、いや、割と面倒な事情に巻き込んだ自覚があるから、まさか即答で了解を得られるとは思っていなかっただけで。詳しい説明とか、するつもりだったんだが」

「七海先輩が必要と思うなら話してくれれば良いですし、そうでないなら必要ありません。私は、私がやるべき事さえ分かっていればそれでいいんですから」

 

 にこりと、笑みを浮かべながら小夜子はそう話す。

 

 正直、小夜子としては派閥間の対立などどうでも良い。

 

 迅に関しても何やら七海に妙な期待をかけているようで正直胡散臭く思っているが、彼女にとって重要なのはこの局面で七海が自分を頼って来たという一点のみ。

 

 恋する少年に求められたのならば、乙女としてそれに応えないという選択肢は有り得ない。

 

 こうしてわざわざ自分の部屋を訪ねて直接頼むという誠意を見せてくれたという事もあり、小夜子は内心ノリノリであった。

 

「そうか。ありがとう。いつもすまないな」

「いえ、七海先輩のお力になれればそれで構いません」

 

 そんな小夜子の内心を知らない七海は素直に礼を言い、小夜子は笑顔でそう答えた。

 

 ふと、此処で自分の恋情を告げればどういう反応をするだろうか、という好奇心が頭をもたげる。

 

 勿論、実行はしない。

 

 ただ、少し魔が差した。

 

「小夜子…………?」

「ごめんなさい。少し、このままで」

「あ、ああ」

 

 小夜子はすっと身体を寄せ、七海の手を握り締めた。

 

 突然の小夜子の行動に驚く七海だが、彼女の言葉を聞きされるがままになる。

 

 こういうトコ隙があるなー、と思いつつ、小夜子は七海の温もりを満喫していた。

 

「七海先輩、一つだけ聞かせて下さい。今回の件は、迅さんに頼まれたからですか? それとも────────」

「ああ、俺の意思だ。迅さんに頼まれた事は勿論だが、今後の事を考えれば受けない選択肢はないと思ったからな」

 

 小夜子の問いに、七海はすぐにそう答えた。

 

 覚悟は、既に決めているが故に。

 

「迅さんが空閑の存在が必要だと言った以上、それは事実なんだろう。だから、今後あいつが安全にボーダーに入隊する為には三輪のような近界民へ憎悪を抱く連中の対処は必要不可欠だ。今回の一件は、その解決の糸口になる」

「要は襲撃を返り討ちにして、無理やり納得させるって事ですよね。私はそういうのに疎いですが、巧く行くんですか?」

「行かせるさ。その為に出来る事は、なんだってやるつもりだ」

 

 七海はそう告げ、力強く頷いた。

 

「正直、三輪に対して良い感情は抱いていない。明確に迅さんの負担になっているし、彼の存在が様々な意味で障害になっている部分もある」

 

 けれど、と七海は続ける。

 

「彼は、或いは俺がなるかもしれなかったもしも(if)の姿でもあるんだよ。もし俺が玲や迅さんがいなかったら、ああなっていたかもしれない────────そう思うと、放っておけないって気持ちもあるんだ」

「七海先輩…………」

 

 もしも、七海に大切な人が誰も残っていなかったら。

 

 もしも、七海を支える人が誰もいなかったら。

 

 三輪は、そんな七海のイフの姿そのものと言える。

 

 彼には、何もなかった。

 

 縋るべき大切な人も、一番辛い時支えてくれた仲間も。

 

 何も、誰もいなかった。

 

 今の三輪隊の面々と出会ったのは、高校に上がってからと聞いている。

 

 それまで、彼は一人だった。

 

 そして今も、精神的な意味では独りなのだ。

 

 ラウンド3までの七海と、同じ。

 

 誰に頼ろうともしない、全てを自分一人で背負い込み本当の意味で他者を顧みようとしない、無自覚な傲慢を抱えた者。

 

 それが、今の三輪だ。

 

 故に、放っておくワケにも、彼に負けるワケにもいかない。

 

 七海はそう決意し、刃を取る覚悟を決めたのだ。

 

 三輪との一件を、本当の意味で解決する為に。

 

「だから、協力してくれ。必ず、勝とう」

「ええ、任せて下さい。七海先輩は、私が勝たせてあげますとも」

 

 二人はそう言って笑い合い、共に頷いた。

 

 各々の想いは、高まり。

 

 戦意もまた、燃え盛る。

 

 そして。

 

 運命の夜が、遂に訪れた。



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開戦

『目標地点まで残り1000』

「そろそろか」

 

 オペレーターの報告を聞き、太刀川は闇夜に包まれた夜の警戒区域の先を見据える。

 

 現在、太刀川達遠征メンバーは三輪隊ともう一名の援軍を加えた合計11名で玉狛支部を目指していた。

 

 特殊工作兵(トラッパー)の冬島が別行動なのは当然であるが、狙撃手の面々も彼等と共に夜の街を駆けていた。

 

 待ち伏せが分かっているのだから狙撃手は最初から別行動させるべきとも思うだろうが、今回は相手が未来視を持つ迅なのである。

 

 故に、迅と会敵する前に狙撃手を別行動させるとその位置を視られて各個撃破されかねない。

 

 だからこそ、狙撃手を現時点で単独行動させるワケにはいかなかった。

 

 迅に対して狙撃による不意打ちが成立しない事は事実ではあるが、それでも狙撃手の存在は無意味ではない。

 

 彼は確かに何処から狙撃が来るか視えているが、それは無条件で回避出来る事とイコールではない。

 

 未来視により大まかな射線は分かるとはいえ、そのタイミングは迅本人が見極めなければならない。

 

 つまり狙撃に対して警戒しなければならない、という基本原則は変わらない。

 

 ただどの方角から来るか予め知る事が出来る為、回避率が非常に高いというだけだ。

 

 しかし狙撃を警戒させる事でプレッシャーを与える事は出来るし、迅の貴重な処理能力を圧迫出来るだけでも充分意味はある。

 

 それに、やりようによっては狙撃を当てる事も不可能ではないのだ。

 

 事実、最終試験では茜が機転を利かせて迅相手に狙撃を充てる事に成功している。

 

 加えて、今回戦う相手は迅だけではない。

 

 少なくとも七海は参戦する筈であり、他にも迅が個人的に集めた面子が援軍としてやって来る可能性はある。

 

 みすみす狙撃手を無駄死にさせるような差配など、出来る筈がないのである。

 

()()。作戦中は俺の指示に従って貰うからな」

「分かってるわよ。それくらい」

 

 警戒区域を駆けながら太刀川が話しかけたのは、香取である。

 

 彼女は仏頂面のままそう言って頷き、太刀川と目を合わせようともせず進行方向を睨んでいた。

 

「…………」

 

 太刀川の念押しに返答しながら、香取はこの作戦に参加する事になった経緯を思い出していた。

 

 

 

 

「は? 近界民が玉狛に入隊…………?」

「ああ、そんでそいつの持ってる黒トリガーを回収する。お前をここに呼んだのは、その作戦に参加して欲しいからだ」

 

 太刀川隊、作戦室。

 

 そこで、米屋によって呼ばれた香取は呼び出しの要件を聞いて目を丸くした。

 

 曰く、玉狛に近界民が入隊し、その少年が持つ黒トリガーを奪う為の作戦に参加して欲しい、という事だった。

 

 ハッキリ言って、寝耳に水にも程がある。

 

 玉狛に近界民が入隊、という字面からして理解出来ないし、いきなり黒トリガーなんてものを奪う、と言われれば困惑するのも無理はない。

 

 香取にとって黒トリガーとは、即ち風刃である。

 

 昇格試験でその脅威を散々思い知らされた香取にしてみれば、正直言って黒トリガーというだけで関わりたくない案件ではあった。

 

 トラウマとまでは行かないが、それほどまでに迅の持つ風刃の力は香取の脳裏に深く刻み込まれていたのである。

 

 近界民が玉狛に入隊した、というのは気になるが、香取自身は三輪ほど表立って近界民を憎悪してはいない。

 

 確かに、親友の華の家族が死んだのは四年前の大規模侵攻で近界民(ネイバー)が暴れたからだ。

 

 その所為で華には家族を見捨てて香取を助ける、という選択を事実上強いてしまった事になるし、そもそも近界民はこちらの世界に度々やって来ては人を攫おうとする外敵だ。

 

 故にそれを駆除する事に否はなく、元々華の事もあって良い感情は当然抱いていなかった。

 

 だが。

 

 三輪ほど、その駆除に執着している、というワケではない。

 

 確かに、近界民は敵だ。

 

 駆除しなければ被害が出るし、百害あって一利なしの存在と言って良い。

 

 けれど。

 

 三輪と違い、香取には華がいる。

 

 即ち、守るべき大切な存在が。

 

 だからこそ、香取の中の比重は近界民の排除よりも、友との平穏な生活を守る事の方に向いていた。

 

 故に、香取だけならばこの作戦に参加する理由はなかった。

 

 勝手にやってなさい、というのが香取の正直な感想である。

 

 派閥抗争なんて興味はないし、裏にどんな事情があったとしても香取の与り知らぬ事だ。

 

 しかも秘密作戦という以上は、表立って報酬が出るとも考え難い。

 

 ポイントくらいは融通してくれるかもしれないが、労力に見合うものかと言われれば疑問が残る。

 

 そんなものに好き好んで関わる程、香取は組織への帰属意識は高くはなかった。

 

「華。どうしたい?」

 

 だから。

 

 香取は、華に相談してみる事にした。

 

 その場で断る事も出来たが、一度彼女には相談しておきたかったのだ。

 

 何故ならば。

 

 きっと、華の方は近界民を憎悪しているだろうから。

 

 口には出さずとも、彼女が近界民という言葉を口にする時は仄かに暗い感情が漏れ出ていた。

 

 その程度の親友の機微は、香取には理解出来ている。

 

 たった一人の、大切な親友なのだ。

 

 寡黙なのは昔からだし、言葉に出さずとも何を考えているかはそこそこ分かる。

 

 故にこそ、華に伺いを立てたのだ。

 

「葉子が良いなら、参加して欲しい……………………かな」

 

 返答は、是。

 

 華は、香取の作戦参加を願った。

 

「そっか。ならやるわ」

「いいの?」

「華がやりたいんでしょ? だったら、やるに決まってるじゃない」

 

 香取はそう言って、華に笑いかけた。

 

 彼女自身は今回の作戦に思うところはないが、華は違うのだろう。

 

 憎むべき近界民が玉狛に入隊し、あまつさえ黒トリガーという規格外の武力まで持っている。

 

 近界民の存在を許容出来ない事と同時に、それは一つの恐怖でもある筈だ。

 

 彼女たちは、黒トリガーの力を直に体感している。

 

 だからこそ、その脅威が正しく理解出来た。

 

 香取にとって近界民は外敵であり、華にとっては両親を奪った憎むべき敵。

 

 そして同時に、拭い難い悪夢の象徴でもある。

 

 玉狛に入隊したという以上は表立って敵対的な行動は取っていないのだろうが、今後もそうであるという保証は何処にも無い。

 

 いつ、圧倒的な武力(黒トリガー)の脅威が降りかかって来るか分かったものではないのだ。

 

 故にこそ、その存在は許容出来ない。

 

 そんなものがいると分かってしまえば、安心して眠れはしない。

 

 つまり、華にとってその近界民は平穏を脅かす()であり────────。

 

「近界民なんて、アタシがぶっ飛ばしてやるわ。だから安心してよ、華」

 

 ────────香取にとって、親友の敵は自分の敵に他ならない。

 

 華の敵である、という時点で香取がその存在を許容する事はない。

 

 大切な親友の平穏を脅かすという時点で、駆除以外に選択肢は有り得ない。

 

 それを匿う玉狛も、香取にとっては敵だ。

 

 あの迅の事だから何か考えがあるのだろうが、それでも香取にとって華の想い以上に優先するものは何もない。

 

 あの日から、香取は華の為に生きると決めた。

 

 七海のように滅私奉公という柄ではないけれど、それでも可能な限り華の為に出来る事があれば動くつもりでいる。

 

 それは、これまでもこれからも変わらない。

 

 相手にどんな事情があったとしても、そんな事は関係ない。

 

 物語の主人公のようなバックボーンがあったとしても、だからといって香取(じぶん)が引き下がるべき理由にはならない。

 

 自分は自分、他人は他人だ。

 

 他人の事情を斟酌したところで、それが自らの身に翻って益になる事など早々ない。

 

 故に、最優先すべきは自分の事情。

 

 それを邪魔すると言うのであれば、実力行使も止む無しである。

 

 こちらを引き下がらせたいのであれば、相応の落としどころを用意して貰う以外に道はない。

 

 少なくとも、言葉だけで止まるつもりは今の香取にはなかった。

 

「詳しい話を聞かせなさいよ。その作戦、受けたげるわ」

 

 

 

 

(なんて啖呵切ったはいいけど、このヒゲ謀りやがったわね…………っ! 相手にあいつがいるって聞いてなきゃ、ボイコットしてるトコだわ…………っ!)

 

 香取は飄々とした様子で路地を駆ける太刀川の背を睨みつけながら、心中で舌打ちした。

 

 あの後、華を先に帰した後で太刀川が今回の作戦の裏事情をぶっちゃけやがったのだ。

 

 曰く、この作戦はある意味では出来レースであり、派閥間抗争に丁度良い落としどころを作る事が目的であると。

 

 そして、件の近界民の安全は忍田と林道の両名によって担保されており、彼の立場を確保する為の仕込みでもある事を。

 

 聞いた時、思わず殴り掛からなかった事を香取は誇って良いだろう。

 

 華の為と意気込んで参加を宣言した矢先に、その前提を覆されたのである。

 

 しかも、作戦内容を聞いて頷いてしまったから今更取り消しは利かない。

 

 彼女が署名した作戦参加の誓約書には、署名後に参加を取り止める事は出来ないと明記されている。

 

 守秘義務だらけの作戦に参加する以上当然の文面ではあったのだが、明かすタイミングからして謀っていたとしか思えない。

 

 少なくとも、署名する前に聞かされていれば香取は華を連れてそのまま帰っただろう。

 

 こんな茶番に参加する意味を見出すほど、香取はボーダーという組織そのものに忠誠を誓ってはいないのだから。

 

 そんな香取が大人しく作戦に参加したのは、戦う相手に高確率で七海がいる、と聞いたからである。

 

 七海には、都合三回敗北している。

 

 那須隊がA級に上がり、もうリベンジする機会は早々無いと思っていた矢先に、望外のチャンスが転がって来た形になるのだ。

 

 故に香取はプライドと実利を取った結果、作戦への参加を決めた。

 

 当然、太刀川から聞かされた裏事情は華には話していない。

 

 今聞かされたところで納得など出来ないであろうし、それならば香取の腹の内で留めて置いた方がまだ良い。

 

 落としどころさえ見つかれば華とて納得せざるを得ない為、なんとかしてそこまで持っていくつもりだ。

 

 もっとも。

 

 相手が七海である時点で、香取に手を抜く選択肢などある筈もないのだが。

 

 迅に対しても最終試験でしてやられた借りがあるが、流石に彼相手に勝てると思うほど香取は驕ってはいない。

 

 試験という括りであったからこそある程度善戦出来たが、今回はそんな形式など無い。

 

 文字通り全身全霊で襲って来る迅など、香取は相手にしたくはなかった。

 

 幸い、こちらには太刀川や風間がいる。

 

 迅が出て来たら、基本的に彼等に相手をして貰う事になっている。

 

 というよりも、それ以外に選択肢など無いのだが。

 

 迅相手には人海戦術が有効ではあるが、それは彼が一人きりの場合に限る。

 

 味方を揃えているのであれば当然彼の動きは違うものになるであろうし、適当に負担を分散する事も出来る。

 

 相手が一人きりでオペレーターの支援もなかった最終試験の時とは、前提条件がまるで違うのだ。

 

 同じ感覚で挑めば、結末は言うまでもない。

 

 迅は無敵の存在ではないが、決して侮って良い類の相手ではないのだから。

 

『目標地点まで、残り500』

 

 オペレーターから、到達までの距離が報告される。

 

 そして、太刀川は。

 

「止まれ…………っ!」

 

 進行方向を見て声を張り上げ、その号令でトップチームの進軍が止まった。

 

「────────」

 

 視線の先に立つのは、迅。

 

 迅と太刀川の、視線が交差する。

 

 一瞬の、視線の交錯。

 

 迅は薄笑いを浮かべ、太刀川は不敵に笑う。

 

 数年越しの、ライバルとの戦場での邂逅。

 

 それが、自然二人の戦意を高揚させる。

 

「迅」

「何をしに来たの、なんて言わないよ。今更、白々しいにも程があるしね」

 

 だから、と迅はニヤリと笑う。

 

「約束を、果たしに来たよ。何の事、なんて言わないでしょ」

「当然だ。こっちは散々待たされたんだ。余計な事はいいからさ、さっさと始めようぜ」

 

 太刀川もまた、そう言ってニヤリと笑う。

 

 迅と太刀川。

 

 二人が浮かべるのは、同種の笑み。

 

 それは、戦いに滾る修羅の貌。

 

 理由は違えど、二人は己の意思で剣を持って此処にいる。

 

 互いに譲れない理由はあれど、双方共に負けるつもりなど微塵もない。

 

 ただ、勝つ為に来た。

 

 そう、言外に語っていた。

 

「そうだね。問答は無用だろうし、始めようか」

「ああ、待ちくたびれたぜ。迅」

 

 その言葉が、合図。

 

 迅は、風刃を抜刀。

 

 太刀川もまた、弧月を抜刀。

 

 二人は、戦闘態勢に移行した。

 

「…………!」

 

 ピリピリと、空気がひりつくのを香取は感じていた。

 

 迅と太刀川。

 

 二人の放つ剣気が、尋常ではない。

 

 一瞬でも油断すれば、呑まれてしまいそうな闘気。

 

 可視化されたそれが、二人の間から立ち上っているかのようだった。

 

「上…………っ!」

「────────」

 

 その最中。

 

 何かに気付いた菊地原が、声を張り上げる。

 

 そして。

 

 さも当然のように、太刀川は動く。

 

 次の瞬間、鈍い金属音と共に太刀川の弧月が短刀型のスコーピオンを────────上空から飛来した、七海の刃を受け止めていた。

 

「来たか、七海…………っ!」

「ええ、相手をして貰いますよ。太刀川さん」

 

 七海は不敵な笑みを浮かべ、即座に跳躍して迅の隣に着地する。

 

 開戦のゴングは、鳴らされた。

 

 黒トリガー争奪戦。

 

 その幕が、遂に上がったのだ。



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黒トリガー争奪戦①

「旋空弧月」

 

 開戦の狼煙代わりに、太刀川は旋空を放つ。

 

 七海と迅。

 

 二人に向かって、同時に旋空弧月が襲い掛かる。

 

 当然の如く、こんな大ぶりな攻撃を食らう二人ではない。

 

 サイドステップを用いて、旋空の斬撃を回避する。

 

「出水…………っ!」

「ほいっと」

 

 だが、それで問題はない。

 

 旋空を撃った目的は、七海と迅の分断。

 

 斬撃を回避する為に移動した二人に、出水の変化弾(バイパー)が襲い掛かる。

 

 同時に、風間隊と三輪隊が動き出す。

 

 風間隊は、迅を。

 

 三輪と米屋は、七海を。

 

 それぞれ追撃すると同時に、三輪隊の狙撃手をその場から離れさせる。

 

 このまま分断し、各個撃破する。

 

 これは、そういう布陣だ。

 

 回避能力に長けた七海と迅とはいえ、この人数差ではいずれ押し潰される。

 

 相手は、A級部隊3チーム。

 

 並の相手ではない以上、純粋に数の差は明確な脅威となる。

 

 されど。

 

「香取、()()()だ」

「ち…………っ!」

 

 太刀川の指示により、香取が動く。

 

 グラスホッパーを用いて駆けた先にいるのは、奈良坂と古寺。

 

 三輪隊の、二人の狙撃手である。

 

 その二人の近くにある家屋から、二つの人影が飛び出した。

 

 同時に、銃撃音が炸裂。

 

 二方向からの十字射撃(クロスファイア)を、香取を加えた三人のシールドで防御。

 

 上からの奇襲を、無傷で凌ぎ切った。

 

「お前が来たか。嵐山」

「────────嵐山隊、現着した。忍田本部長の命により、玉狛支部の援護に入る」

 

 襲撃者の名は、嵐山隊。

 

 屋根の上に立つ、アサルトライフルを構えた嵐山と時枝。

 

 そして、二人を庇うように立つ木虎。

 

 狙撃手である佐鳥の姿は見えないものの、嵐山隊がこの場に勢揃いしていた。

 

 立場は、既に告げている。

 

 彼等は、忍田本部長の命によって此処にいる。

 

 つまり、太刀川達とは敵対する立場にある。

 

 可能性として提示されていたとはいえ、嵐山隊の登場に香取は舌打ちする。

 

 心なしか、通信が繋がっている華からも動揺の気配が感じ取れる。

 

 それはそうだろう。

 

 華は、嵐山のファンだ。

 

 男女のそれではなくあくまで人気アイドルを慕うファン心理のそれであるが、そんな相手が敵として出て来たのだ。

 

 しかも、憎むべき近界民を守る立場として。

 

 内心の動揺は、親友の香取にはお見通しだった。

 

 ちなみに、香取の場合は嵐山は微妙に好みから外れている為特別な感情は抱いていない。

 

 香取の好みは玉狛支部の烏丸のような物静かなイケメンであり、ヒーロー性が強過ぎる嵐山はそこまでタイプではない。

 

 幼少期から寡黙な華と共に過ごしていた香取は、自然と物静かな相手に好感度をブーストする傾向があった。

 

 要するに、華のような性質を持つ相手が付き合い易いと本能で判断しているワケである。

 

 かと言ってただ静かなだけではなく、確かなセンスを持った優秀な人材であればある程良い。

 

 烏丸は、その点を充分に満たしている相手というだけの話だ。

 

 伊達に、嵐山とボーダー女性ファンを二分してはいない。

 

 基本的に誠実な人柄として見られている為、嵐山ではなく彼を追いかける女性ファンは割と多いのだ。

 

 故に、華はともかく香取は嵐山隊を相手にする事に不満はない。

 

 色々と複雑ではあるが、手を緩める理由はないと考えている。

 

 もっとも、華からのストップがあれば即座に掌を返す用意が香取にはあるが────────今のところ、それらしき気配はない。

 

 葛藤を抱えながらもゴーサインが出たと見て、香取は拳銃を構えいつでも飛び出せるように構えた。

 

「ボーダーの顔役が、近界民を庇って良いワケ?」

「迅から事情は聞いている。君も思うところはあるだろうが、引き下がるつもりはないんだ」

「成る程、ね…………っ!」

 

 会話で気を引きつつ、香取は銃撃を敢行。

 

 それが合図となり、嵐山隊と銃撃戦が開始。

 

 銃撃戦に紛れる形で、奈良坂と古寺がその場を離れていく。

 

 しかし、それを見逃すほど嵐山隊は愚鈍ではない。

 

 木虎は銃撃戦を嵐山と時枝に任せ、一人狙撃手を追撃。

 

 家屋を足場にしながら、奈良坂の背後に回り込む。

 

「させねぇよ」

「…………!」

 

 だが、そこへ七海を追撃に向かった筈の米屋が物陰から現れる。

 

 見れば、その後ろには三輪の姿もある。

 

 彼らは確かに、七海を追った筈だ。

 

 少なくとも、こんな一瞬で移動出来る距離ではない筈だ。

 

 家屋で視界が切れている為、テレポーターという可能性はない。

 

 となれば、残る可能性は一つ。

 

「スイッチボックス…………ッ!」

「ご名答。じゃ、相手して貰うぜ」

 

 特殊工作兵(トラッパー)トリガー、スイッチボックス。

 

 冬島隊の十八番であるそれが、使われたとしか考えられない。

 

 どうやら、冬島は事前にこの場に赴いてスイッチボックスを仕掛けていたらしい。

 

 七海を追いかけたと見せかけた米屋達はそれを用いて、狙撃手のカバーに回ったワケだ。

 

 米屋の槍弧月が、木虎に向かって振り下ろされる。

 

 木虎はそれを迎撃────────はせずに、スパイダーガンを用いてその場から離脱。

 

 米屋達と距離を取り、態勢を整えた。

 

 彼女の技量であれば迎撃も出来たであろうが、米屋には幻踊弧月がある。

 

 紙一重での回避は、それを用いて当てられてしまう可能性があるのだ。

 

 スコーピオン使いである木虎は相手の懐に潜り込んだ方が強いのだが、米屋の槍弧月はリーチが長い。

 

 迂闊に踏み込めば、幻踊の餌食となる。

 

 鍔迫り合いになった時点で、木虎が不利なのだ。

 

 加えて、スイッチボックスの存在が明らかになった事で相手の駒の位置を自在に入れ替えられてしまうという精神的なリードを許してしまっている。

 

 スイッチボックスは、集団戦においてこの上ない脅威となるトリガーだ。

 

 何せ、一度仕掛ける事に成功してしまえば距離を無視して駒を移動させる事が出来るのである。

 

 その証拠に、既に奈良坂と古寺、そして遅れて動き出した当真も既に姿を消している。

 

 恐らく、物陰に仕掛けてあったスイッチボックスを用いて狙撃位置へと転移したのだ。

 

 つまりそれは、既に狙撃手がこちらを狙っているという意味に他ならない。

 

 これがあったからこそ、最初に狙撃手二人をこの場に同行させたのだ。

 

 戦闘開始前に単独で配置すれば狩られてしまいかねないが、戦闘中であれば迅の予知に補える量にも限界がある。

 

 那須隊が証明してみせた通り、処理能力を圧迫し続ければその分読み逃しが生じる余地が生まれるのだ。

 

 加えて、恐らく太刀川は事前の指示は大雑把にしか出していない。

 

 最初から戦術を固定してしまえば、迅の予知で読み切られてしまうからだ。

 

 だからこそ、太刀川は最低限の指示だけを行い、後は各々の判断に任せている。

 

 その方が、迅相手には()()と知っているが故に。

 

 綿密な戦術は、迅相手には逆効果。

 

 ならば、最低限の方針だけを決めて後は地力でごり押しする。

 

 それが、迅相手への最適解。

 

 彼の性質を知るが故の、最善の解答だった。

 

「────────こちらの相手も、して貰いますよ」

「…………!」

 

 故に。

 

 そう来るであろう事は、七海も分かっていた。

 

 いつの間にか米屋の背後に忍び寄った七海は、敢えて声をかける事で注意を引きつつ斬撃を敢行。

 

 米屋は弧月を用いてそれを弾き、その勢いを利用して七海は跳躍。

 

 同時にメテオラを放ち、三輪が銃撃でそれを迎撃。

 

 中空で起爆したメテオラの爆発が、周囲を席捲する。

 

「ち…………っ!」

「おおっと」

 

 米屋と三輪はバックステップで爆発から逃れ、態勢を立て直す。

 

 だが当然、その程度で七海の攻撃は終わりはしない。

 

「────────」

「…………っ!」

 

 爆発を隠れ蓑に三輪の背後に忍び寄った七海は、無言で刺突を放つ。

 

 直前にそれに気付いた三輪が、弧月でそれを迎撃。

 

 攻撃を凌がれた七海は深追いはせず、その場から跳躍して距離を取る。

 

 ヒット&アウェイが七海の基本戦法である事もあるが、それ以上に三輪の鉛弾(レッドバレット)を警戒しての事だ。

 

 鉛弾は、七海のサイドエフェクトでは感知出来ない攻撃である。

 

 ダメージを発生させずにデメリット効果のみを付与する鉛弾は、ある意味七海の天敵と言えるのだ。

 

 七海に対して鉛弾という解答を用意した前例に荒船がいるが、彼の時とは全く状況が異なる。

 

 三輪の鉛弾は、A級特権の改造により片腕で撃てるようになっている。

 

 つまり、鉛弾の最大のデメリットだった両攻撃(フルアタック)状態でなければ撃てないという点が解消されているのだ。

 

 加えて付け焼刃であった荒船とは違い、三輪は鉛弾の扱いに習熟している。

 

 それを活用した戦闘方法にも、一日の長がある筈だ。

 

 故に、三輪相手に迂闊に接近戦を仕掛ける事は下策。

 

 そういった判断で、七海は距離を取ったのだ。

 

 そして、三輪と七海が改めて対峙する。

 

 三輪は七海の姿を見て拳を握り締めると、感情の儘に声を張り上げた。

 

「やはり来たのか、七海…………っ! 何故、そこまで迅を信じられる…………っ!?」

「迅さんは、誰よりも優しいからです。貴方の事情は聞いていますが、それでも迅さんの邪魔をするなら戦うだけです。それがきっと、最善の選択なんでしょうから」

 

 七海はそう告げ、スコーピオンを構えた。

 

 既に、言葉で説得する段階は過ぎ去った。

 

 三輪が言葉だけで止まるような状態でない事は、見れば分かる。

 

 言葉での説得が無理であれば、後はぶつかり合うしかない。

 

 頭の悪い結論にも思えるが、こればかりは実際に戦うしか手段が無いというのが正直なところだ。

 

 力なき主張は、何の意味も持たないのだから。

 

「けどいーのか? お前がこっち来たって事は、迅さんは一人で太刀川隊と風間隊相手にしてんだろ?」

「生憎、俺は会話術は不得手だと王子先輩にお墨付きを貰っていますので」

「あらら、バレてら」

 

 米屋の軽口に見せかけた探りを、七海はそう言って振り払った。

 

 七海自身、自分が口での駆け引きに不向きである事は承知している。

 

 その手の駆け引きが巧い米屋相手には、会話を打ち切る方が効果的だと判断したワケだ。

 

 彼が知りたかったのは他に援軍がいるか否か────────即ち、那須隊の残りのメンバーの参加の有無だろうが、馬鹿正直に教えてやるつもりはない。

 

 もっとも。

 

 どうせ、すぐに分かる事なのだが。

 

 

 

 

「お前一人で俺たち全員を相手にするとは、舐められたモンだな…………っ!」

「よく言うよ。そう仕向けた癖にさ」

 

 迅は太刀川の斬撃を受け止めながら、そう言って嘆息した。

 

 流石と言うべきか、迅は太刀川の二刀による斬撃を風刃一本で凌ぎ続けている。

 

 無論、遠隔斬撃を打ち出す隙などない。

 

 11本の帯は、未だ一本たりとも消費されてはいなかった。

 

「風刃の怖さは、遠隔斬撃。距離を詰めれば、ただのブレードだ」

「流石。よく研究してるねえ」

「誰が七海に助言したと思ってんだ。これくらい、予想済みだろうが…………っ!」

 

 太刀川は迅に距離を取られないよう、更に斬撃のスピードを上げていく。

 

 一撃に力を籠めるのではなく、とにかく手数を稼げるように。

 

 連撃主体に切り替え、次々と弧月を振るっていく。

 

 その背後では、風間隊の面々が虎視眈々と隙を伺っていた。

 

 加えて、出水もキューブを展開して射出準備を終えている。

 

 少しでも迅が崩れれば、そこから突き崩せるように。

 

 最適のタイミングを、計っているのだ。

 

 こうなると、迅は防戦一方になるしかない。

 

 遠隔斬撃以外に能力を持たない風刃では、剣の達人である太刀川相手にこうも密着されては取れる手段は殆どない。

 

 彼を無視して遠隔斬撃を放とうものなら、確実にその隙を突かれる。

 

 A級一位の看板は、伊達ではないのだ。

 

 このままでは、幾ら迅とて押し負ける。

 

 されど。

 

 果たして、この程度迅が予想出来なかったのか否か。

 

 あの最終試験の那須隊との試合を太刀川が見ていた事を、迅は知っている。

 

 ならば、太刀川の性格上こういった戦法を取って来る事は予想出来た筈だ。

 

 にも関わらず、迅は七海を木虎のカバーに向かわせた。

 

 自分であれば、どうとでもなるという慢心か。

 

 否。

 

 それは、迅から最も遠い言葉である。

 

 劣勢になる事を承知で、七海を向かわせた意味。

 

 それは。

 

 ()()()()が、あったからである。

 

「…………! 出水…………ッ!」

「来たか…………っ!」

 

 突如飛来する、無数の光弾。

 

 まるで蠢く蛇のような挙動で迫るその弾幕は、間違いない。

 

 変化弾(バイパー)

 

 出水の操るそれと同種の弾丸が、二部隊を同時に狙っていた。

 

 太刀川の指示を受けた出水は、展開していたキューブを射出。

 

 迫り来る弾丸を、次々と撃ち落としていく。

 

 しかし奇襲を全て凌ぎ切るには至らず、太刀川や風間隊はシールドを用いて残弾を防御。

 

 その隙に、迅はバックステップで後退。

 

 太刀川から、距離を取った。

 

 そして。

 

 その背後に、一人の少女が降り立った。

 

 胸に刻まれるは、尾を食む蛇と銃弾、短刀と刀が描かれた隊章。

 

「故あって、迅さんに助太刀させて貰うわ。さあ────────撃ち合い(あそび)ましょうか、出水くん」

 

 A級9位部隊、那須隊。

 

 隊長、那須玲。

 

 キューブサークルを従え、少女は不敵な笑みを浮かべる。

 

 獲物を見定めた魔弾の射手が、戦場に降り立った瞬間であった。



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黒トリガー争奪戦②

 

「というワケで、迅さんに協力して太刀川さん達と戦う事になった。玲は────────」

「勿論行くわ。当然でしょう?」

 

 前日、七海は那須に遊真の事情とそれを巡る派閥間の代理戦争について説明していた。

 

 それから那須の身の振り方を確認するつもりだったのだが、返答はまさかの即答。

 

 七海はその即断ぶりに既視感(デジャヴ)を感じつつも、一先ず念の為の再確認を行った。

 

「良いのか? 多分、三輪隊とも敵対する事になるが」

「透の事を言っているのなら、平気よ。従姉妹とはいえ、隊が違うし立場も違うわ。そのあたり、私も透も充分割り切ってるしね」

 

 三輪隊の奈良坂は那須の従姉妹であり彼女自身ともそれなりに交流があるが、七海ほど近しい相手というワケではない。

 

 彼女本人の認識は精々が親戚の集まりで顔を合わせる同僚、といったところだが、七海から見ればなんだかんだでコミュ障の那須が身内扱いする程度には仲が良い。

 

 そうでなければ、茜の師匠として彼を紹介するという事もなかった筈だ。

 

 だからこそ確認を取ったのだが、どうやら杞憂で終わるようだ。

 

 奈良坂とはそこまで親しくはない七海だが、公私混同するタイプではない事くらいは分かる。

 

 弟子の茜の事は溺愛しているようだが、だからといって手心を加えてくれる少年ではない。

 

 やるとなれば、全力でぶつかる他ないだろう。

 

「ならお願いするよ。多分玲には出水さんあたりの抑えを頼む事になると思うけど、そのあたりは状況を見て自己判断で構わない」

「了解したわ。じゃあ、早速だけど味方と暫定敵対相手のリストを教えて貰える? 大体の状況に対応出来るように、イメージしておくわ」

「分かった。味方は迅さんと嵐山隊で────────」

 

 七海はそう言って、参戦予定者を那須に教えていく。

 

 静かに頷きながら説明を聞く那須の脳内では、幾パターンもの戦闘シミュレーションが繰り返されている筈だ。

 

 那須は、空間把握能力と計算能力が非常に高い。

 

 変化弾(バイパー)のリアルタイム弾道制御などという離れ業を軽々と成し遂げるその頭脳は、並の回転速度ではない。

 

 これまでの蓄積された経験を元に脳内でシミュレーションを繰り返し、最適な戦術と動きを導き出す。

 

 それが彼女の戦闘準備であり、戦闘前に行う()()()である。

 

 やがて、那須が静かに目を閉じてゆっくりと瞼を開ける。

 

 その瞳には、怜悧な光が宿っている。

 

 それは、日常の温和な視線ではない。

 

 戦闘時の、研ぎ澄まされた闘気。

 

 それが、彼女の瞳には宿っていた。

 

「────────イメージ出来たわ。やっぱり出水くんと当たりそうだし、ひと暴れ出来そうよ」

 

 

 

 

「那須さんか…………」

 

 出水は屋根の上に立つ那須を見据え、苦々し気に舌打ちした。

 

 可能性としては当然考慮してはいたが、出来れば那須には来て欲しくなかったというのが本音である。

 

 単純に、戦力として厄介な駒であるからだ。

 

 作戦会議中に話したように、那須はともかくカバー出来る範囲が広い。

 

 しかも通常の射手と違い高い機動力を以て戦場を駆け回る為、射程に捉える事すら容易ではない。

 

 今の那須はグラスホッパーまで装備しているので、瞬間的な加速能力も侮れない。

 

 射程に捉えたと思った次の瞬間には、射程圏内から離脱される恐れすらある。

 

 そして、出水と同じく変化弾(バイパー)のリアルタイム弾道制御を用いる為、自由にしてしまった場合の制圧力が半端ではない。

 

 正直な話、那須の自由な行動を許せばその分だけ詰みに近付いていくのだ。

 

 戦場に現れた場合、自由(フリー)にしてはいけない相手。

 

 故にこそ、同じ射手であり卓越した技巧を持つ出水が直接抑える他ないのだ。

 

 それが、那須というエースのこの場での対処法なのだから。

 

(太刀川さん、那須さんの対処に回ります。そっちの援護はほぼ出来なくなると思って下さい)

(了解。任せた)

(任されました)

 

 出水は即断で自分が那須を抑える事を決め、太刀川に了解を取った。

 

 この場にいるのは太刀川隊と風間隊の二部隊。

 

 風間隊でも那須の対処は出来るだろうが、相性的には出水が抑えに回るのが一番不利益(ロス)が少ない。

 

 迅を相手にするならば、風間隊の隠密(ステルス)戦法が有効に働く。

 

 カメレオンは、視覚を介する迅の未来視に対して一つの解答と成り得る。

 

 事実、昇格試験では香取隊の若村と三浦によるカメレオン戦法が一定の効果を上げていた。

 

 加えて、彼等と風間隊とでは隠密戦法の練度が全く異なる。

 

 あちらは要所要所で必要に応じて使う程度で戦法として確立しているワケではないが、風間隊は隠密戦闘こそが隊の真骨頂である。

 

 カメレオン起動中は他のトリガーを一切使用出来ない為に不意打ちに弱いという欠点を、菊地原のサイドエフェクトで補っているからだ。

 

 菊地原はただ戦場にいるだけで、自分だけではなく味方に迫る危機を察知出来る。

 

 攻撃を察知出来るサイドエフェクトとしては七海と影浦が類似しているが、菊地原の場合は二人のケースとは様々な部分が異なる。

 

 たとえば、二人の場合はあくまで自分もしくは自分を含む一定範囲に向けられた攻撃しか察知出来ないのに対し、菊地原は効果圏内であれば攻撃に限らず相手の動きや仕込み等を纏めて察知出来る。

 

 ハッキリ言ってしまえば、集団戦に置ける汎用性は菊地原の副作用(サイドエフェクト)の方が圧倒的に上なのだ。

 

 勿論、完全な上位互換というワケではない。

 

 二人は第六感的な感覚で攻撃を察知するのに対し菊地原は聴覚という五感の一部を通してそれを脳で処理するという工程(プロセス)を挟む為、行動に移すまでの多少のタイムラグが生じるという迅と同じ欠点がある。

 

 加えて戦闘に即応出来るレベルで使用する為にはかなりの集中力を持っていかれる為、長時間の戦闘には適さない。

 

 つまり、単騎での長時間戦闘であれば二人の方が適しているが、集団戦に置ける作戦遂行貢献度に関しては菊地原の方が上というワケだ。

 

 一長一短の関係と言えるが、この場に置いて菊地原の存在は一つの大きなアドバンテージとなる。

 

 少なくとも、菊地原がいれば不意打ちを受ける確率はぐっと下がる。

 

 風刃の尋常ではない斬撃速度には対応しきれない可能性があるが、それでも攻撃が来るタイミングが分かるか否かは大きな違いだ。

 

 初見であれば察知出来ても反応が遅れる可能性があったが、太刀川は直接ではないが風刃の攻撃速度を映像を通して見ていた。

 

 黒トリガーに関連する情報の為映像の録画は許されなかったが、それでも一度風刃の性能を見ていたかどうかというのは大きな違いだ。

 

 昇格試験における那須隊と迅の戦闘を彼が観戦していた事が、結果的に風刃の初見殺し性能をある程度抑える事に繋がっているのだ。

 

 それを承知している為、迅もまた遠隔斬撃の使用は慎重になると予想される。

 

 だからこそ、菊地原の処理能力を圧迫するワケにはいかないのだ。

 

 風間隊単独で那須に対処する場合、菊地原が能力をフルに活用して弾幕の軌道を察知する事になる。

 

 しかしそれをやれば当然菊地原の処理能力は圧迫され、迅が遠隔斬撃を打ち込む隙を作りだしてしまう事になる。

 

 故に、菊地原はあくまで迅相手の警戒を行わせ、那須は出水単独で対処するのがこの場での最適解となる。

 

 それは同時に出水という駒を那須一人に消費する為他者のサポートを一切行えなくなるという事でもあるが、この場合は必要なリスクだ。

 

 那須を放置して場を荒らされ尽くす事を鑑みれば、払うべき代償であるのは言うまでもない。

 

 勿論、無視出来るリスクではない。

 

 出水が那須の対処にかかりきりになるという事は、こちらの射程持ちが歌川一人だけになるという事だ。

 

 だが、当然射撃トリガーを使う為にはカメレオンを解除しなければならない。

 

 未来視を制限出来る手札を捨てるのは、少々以上にデメリットが大きい。

 

 その為、戦場全体を俯瞰しサポートを的確に行える出水が事実上動けなくなるのは、こちらの中距離戦闘の選択肢を一つ捨てる事と同義だ。

 

 されど、それらのデメリットを鑑みても尚、那須を放置するという選択肢は有り得ない。

 

 彼女を自由にすればどうなるか、それはこれまでのランク戦の結果が物語っている。

 

 勿論、出水の考えなど那須には承知の上だろう。

 

 彼女は、戦場に置ける自身の価値を良く理解している。

 

 だからこそ、敢えて姿を見せて出水の思考を縛ったのだ。

 

 彼女の側から見ても、出水を抑える事が最優先事項であったが故に。

 

 出水は、優秀なサポーターだ。

 

 那須と同じく空間把握能力に長け、戦術思考のレベルも非常に高い。

 

 単騎での制圧力となると機動力の差で那須に軍配が上がるが、純粋なサポーターとしての技量は出水の方が上だ。

 

 彼を放置するだけで、相手の戦力が一段階向上するようなものと見て良い。

 

 だからこそ、那須はこの場での自分の役割を「出水の抑え」であると認識し、自ら姿を現したのだ。

 

 姿を隠し移動しながら弾幕を張り続けるという選択肢もあったが、そうなると出水は彼女を抑えるよりも全体のカバーに回る可能性があった。

 

 加えて、この場に菊地原がいたという理由も大きい。

 

 彼がいる限り、姿を隠そうが近付けば居場所を察知される。

 

 その為、菊地原を排除しない限り隠密行動という選択肢は封じられたも同然なのだ。

 

 故に、那須は姿を現し出水の抑えに回る事を選んだ。

 

 それが、この場に置いての彼女にとっての最適解であると確信して。

 

「始めましょうか、出水くん」

「ああ、望むところだ…………っ!」

 

 互いの思考、利害は此処に一致した。

 

 那須が屋上から跳躍し、同時に変化弾(バイパー)を射出。

 

 出水もまた駆け出し、同時に変化弾(バイパー)を射出。

 

 煌めく光弾は、蛇のように蠢き互いを食らい合う。

 

 まるで、最初から軌道全てが見えているかのように。

 

 変幻自在の弾幕が、一つ残らず相殺される。

 

 それが、合図。

 

 昇格試験の時の状況が、再現される。

 

 射手二人は。

 

 二人の天才は、再び弾幕勝負を開始した(あそびはじめた)

 

 

 

 

 

「弾バカが抑えられたか。やるなあ」

 

 米屋は状況を聞き、飄々とした様子で口笛を吹いた。

 

 那須の参戦は、即座に三輪隊にも伝わった。

 

 当然だろう。

 

 広域をカバー出来る那須の参戦は、何処にいても不意打ちでバイパーが飛んでくる可能性が出た、という事なのだから情報共有しない手はない。

 

 二つの戦場が大きく離れているならばまだしも、二ヵ所の戦闘区域は強引に動けば移動出来る距離にある。

 

 加えて、スイッチボックスの存在もある。

 

 場合によっては配置変更するという可能性がある以上、戦場全体の情報を得ておくのは基本だ。

 

 米屋は素直に那須の参戦を事実として受け入れ、三輪は新たな援軍の登場に怒りを露にした。

 

「お前に加えて、那須まで巻き込んだか…………ッ! 二人揃って、折角のA級昇格をふいにするつもりか…………っ!?」

「残念ながら、俺たちの参戦は忍田本部長の命でもあります。何らかのペナルティは受けるでしょうが、そう大きな事にはなりませんよ」

 

 七海としては迅の頼みであればどんなリスクがあろうが受け入れる用意があったが、流石に隊の面々にまで迷惑をかけるのは本意ではない。

 

 だからこそ、事前に忍田という後ろ盾を得てから参戦したワケだ。

 

 そして、改めて忍田が迅の行動を肯定している証拠を前にして、三輪は拳を握り締めた。

 

「忍田本部長も、何故こんな事を…………っ! 全部、迅の差し金か…………っ!」

 

 三輪は激昂しながら引き金を引き、弾丸を撃ち放つ。

 

 七海はそれをサイドステップで回避し、木虎と通信を繋いだ。

 

(木虎、こっちは俺に任せて香取の抑えに回ってくれ。三輪は、自分が囮になって香取に奇襲させるつもりだ)

(了解しました)

 

 木虎は七海の指示を疑う事なく承諾し、香取の方に向かった。

 

 三輪は確かに激昂しているが、だからといって戦術思考を失う程彼は愚鈍ではない。

 

 ままならない状況に怒り狂っているのは事実ではあるが、感情と戦術的行動を混同しないだけの強かさが彼にはある。

 

 そして、香取は今物陰に隠れながら嵐山隊と撃ち合っているが、彼女の技量なら一瞬の隙を突いて離脱するくらいの芸当は出来る。

 

 その香取の能力を、三輪は昇格試験で戦った者として正確に把握していた。

 

 怒れる本能とは別のところで、このまま三輪が突出して気を引いて香取に奇襲させる、という作戦を実行しようとしていたワケだ。

 

 だからこそ、七海は木虎に香取の抑えを指示した。

 

 好悪の感情は別として、七海もまた三輪の実力を正しく評価していたが故に。

 

 感情は戦う動機にはなるが、戦術を感情任せで捻じ曲げてはならない。

 

 戦闘は論理と効率で行うべきものであり、感覚だけで最適解を導き出せるのはほんの一握りの天才(へんたい)だけだ。

 

 それは大前提として上級者が理解している事柄であり、これを分かっているか否かがいわゆる上級者とそうでない者を隔てる壁となる。

 

 共にA級隊員である以上、その程度の事は当然理解している、というワケだ。

 

 故に、七海はこのまま三輪の思惑通りに彼と米屋を相手取る。

 

 更に、香取を木虎が抑えられれば彼女と撃ち合いをしている嵐山と時枝を自由(フリー)に出来る。

 

 無論、全てが巧く行くという保証はない。

 

 相手も対応して来るだろうし、三輪と米屋の二人を抑えられなければ形勢が一気に傾く可能性もある。

 

 故に、此処が踏ん張りどころだ。

 

 三輪隊の二人を、何処まで捌けるか。

 

 七海と三輪、どちらが勝つか。

 

 一方は、恩義と使命感を。

 

 一方は、怒りと憎悪を。

 

 それぞれの感情を抱え、戦闘が開始された。



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黒トリガー争奪戦③

 

「さて、これで配置も終わったか。暫く仕事はないかねえ」

『サボったら許さないよ』

「分かってるよ真木ちゃん。やるこたぁやるって」

 

 冬島は家屋の中に隠れて端末を操作しながら、オペレーターの真木の忠告を聞きつつため息を吐いた。

 

 船酔いするという遠征向きでないにも程がある弱点を持つ冬島であるが、こうして平然と作戦に参加出来ているのは彼自身がそれを克服したからではない。

 

 トリオン体の調整により、船酔い等による健康被害を軽減する技術が開発されていたからだ。

 

 これは七海の使用する特注トリオン体を作成するに当たっての研究の副産物として出来上がった代物であり、冬島がこうして作戦に参加出来ているのは偏にその恩恵を与っていたからだ。

 

 作戦上は敵対している七海のお陰で参戦出来ている事を考えると中々に皮肉が効いているが、だからといって手心を加えるつもりはない。

 

 とはいえ、スイッチボックスの設置が終わっている以上冬島に出来る事は限られている────────などという、事はない。

 

 特殊工作兵(トラッパー)としての冬島の仕事はスイッチボックスの起動と場合によっては転移と罠の切り替え程度だが、手が空いているのならば出来る仕事はまだある。

 

 第二のオペレーターとして戦場の情報収集とその共有、更には戦況を見て献策等、やる事は色々とある。

 

 少なくとも、此処でただ待機して終わりという真似はオペレーターの真木が許さない。

 

 元より、彼女に尻を蹴り飛ばされて結成した隊だ。

 

 彼女に手を抜くという選択肢が有り得ない以上、少なくとも冬島がこの作戦中暇になるという事は無い。

 

 冬島自身はこの作戦に関して思うところは特にないが、命令を受諾した以上従うのは当然の事だ。

 

 太刀川や風間等は独自の思惑があるようだが、それも自分には関わりのない事だ。

 

 派閥抗争には興味がないし、近界民に対して三輪のように強い感情を持っているワケでもない。

 

 ただ、命令を受けたからそれを遂行する。

 

 それだけだ。

 

 作戦の是非を考えるのは、少なくとも自分の仕事ではない。

 

 それは、責任者と当事者の仕事である。

 

 故に、迷いも躊躇いもない。

 

 ただ、仕事だから命令を遂行する。

 

 それだけの、話である。

 

 冬島はそう考え、戦場のとある一角に目を向けた。

 

「さあて、香取と木虎か。これは、中々興味深い組み合わせ(カード)だな」

 

 

 

 

「────────」

 

 木虎は、七海の指示を受け香取に標的を定めた。

 

 嵐山と時枝の二人と物陰に隠れて銃撃戦を行っている香取に向け、引き金を引く。

 

「…………ッ!」

 

 当然、それに気付いた香取はシールドで防御────────は、しない。

 

 香取はグラスホッパーを用いて木虎に肉薄し、スコーピオンを叩き込む。

 

 木虎はそれを自らのスコーピオンで受け流すが、香取の攻撃は終わらない。

 

 拳銃をホルスターに戻し、両腕にスコーピオンを装備。

 

 至近距離で、木虎との鍔迫り合いを開始した。

 

(私を盾に、嵐山さん達の銃撃を牽制する狙いか)

 

 すぐに香取の狙いに気付いた木虎は、目を細めた。

 

 香取は物陰から飛び出し嵐山達の射線に躍り出たが、至近距離に木虎がいる為このまま銃撃すれば彼女も巻き込む事になる。

 

 諸共に落とすという狙いで撃ってくる可能性はあるが、嵐山隊にとって強力な前衛である木虎が落ちるのはかなり手痛いダメージだ。

 

 最悪自分一人と引き換えに木虎を落とせれば帳尻は合うと考えて、香取は近接戦闘を選択したのだろう。

 

 そのくらいの計算は、今の彼女には出来る。

 

 香取は短気で考え無しに見えるが、頭の回転は悪くないどころか天才の部類に入る。

 

 彼女が努力を苦手としていたのも、昔から要領が良過ぎて努力の必要を感じなかった為だ。

 

 香取が壁にぶつかったのはボーダーに入ってB級上位に上がったあたりであり、それまでは苦労や挫折という言葉を殆ど知らなかった。

 

 だからこそ一度上級者の壁にぶつかって以降抜け出し方が分からずに停滞が続いていたのだが、その天性の才能(センス)は疑いようがない。

 

 那須隊との戦いを経て自分を見詰め直した香取には、自分自身を駒として見る能力がきちんと備わっている。

 

 だからこそ、油断はしない。

 

 今の香取は、燻っていた頃の彼女ではない。

 

 あの迅相手にも善戦してみせた、紛う事なき強者である。

 

 如何にA級隊員の木虎とはいえ、舐めてかかれる相手ではない。

 

 少なくとも近接戦闘の適正は自分に匹敵、もしくは上回る可能性もある。

 

 そもそも、トリオンの少なさという明確な弱みが木虎にはある。

 

 それを補って余りあるだけの格闘センスと機転があるとはいえ、下手に長期戦になれば不利になるのは木虎の方だ。

 

(嵐山さん。お二人は七海先輩の援護をお願いします。彼女は、私が抑えます)

(ああ、任せたぞ木虎)

 

 故に。

 

 時間は、かけてはいられない。

 

 嵐山と時枝にブレードトリガーに切り替えて貰い3対1の状況を作るという手もあるが、それは悪手だ。

 

 自分たちの連携能力を疑いはしないが、香取は乱戦の中で点を取る能力が高い。

 

 下手に嵐山達をこちらの対処に当てるよりは、彼等には七海の援護に回って貰った方が良い。

 

 七海は、味方の援護がある方が活きる駒だ。

 

 木虎のように、どちらかといえば単騎向けの適正ではない。

 

 適材適所。

 

 戦場では、当然の選択である。

 

「一人でアタシとやろうっての? 舐められたモンね」

「舐めてはいませんよ。こっちの方が、勝率が上がるというだけです」

「それが、舐めてるって事でしょうが…………っ!」

 

 香取は舌打ちしながら木虎に切りかかり、木虎はそれに応戦する。

 

 彼女としては嵐山と時枝の二人を此処に釘付けにしたかったのだろうが、その思惑に乗る必要はない。

 

 香取は放置して良い駒ではないが、さりとて嵐山隊総出でかかるにはリスクの高い駒だ。

 

 彼女には、格上殺しの適正がある。

 

 下手に数に頼んで囲めば、手痛い反撃を受ける可能性がある。

 

 それよりは、木虎が1対1で抑えた方がリスクが少ない。

 

 最悪木虎が落とされる事になるが、突破力のある香取という危険な駒を彼女一人の消費で釘付けに出来るのであればリターンは取れる。

 

 そう考えたからこそ、木虎は香取との一騎打ちを選択した。

 

 それが、この場での最善と判断して。

 

(此処で香取先輩を抑える。それが、今の私のやるべき仕事。余計な事を考えず、彼女の相手を務めましょう)

 

 

 

 

(チッ、乗って来ないか…………ッ!)

 

 香取は一騎打ちを選択した木虎を見て、内心で舌打ちした。

 

 彼女の思惑では自分を嵐山隊の三人に()()()、彼等を釘付けにするつもりだった。

 

 高確率で自分が落ちる事になるだろうが、この盤面であれば嵐山の三人を相手に時間を稼げればそれだけでこちらの優位になる。

 

 その間に三輪隊が七海を仕留められれば、着実に詰みに近付く。

 

 勿論、勝算はある。

 

 三輪には、七海に対する有効な手札────────鉛弾(レッドバレット)が、ある。

 

 彼の体術の実力は直接戦った香取も良く知っているし、米屋という戦上手が加われば決して勝てない戦いではない筈だ。

 

 そして、その勝率を上げる為には嵐山隊をこの場に釘付け出来れば最良だったのだが────────これならこれで、やりようはある。

 

 少なくとも、木虎というエースをこの場に釘付けに出来ただけでも意味はある。

 

 流石に、七海と木虎を含む嵐山隊総出でかかられれば三輪隊とはいえ不利は否めない。

 

 三輪隊には狙撃手が二人いるという強みがあるが、七海の前ではその強みは活かし切れない。

 

 それに木虎という香取と同じ近距離万能手(クロスレンジオールラウンダー)が肉薄すれば、狙撃の援護はよりやり難くなる。

 

 そう考えれば、木虎をこの場に張り付けて置くだけでもそれなりに仕事は果たしていると言える。

 

 正直な話七海を相手に今度こそ勝ちたいという想いはあるが、どう考えても最適な配置はこちらだ。

 

 それに、自分個人が勝てなくとも作戦で勝てれば一応彼を上回ったという証明にはなる。

 

 全てに納得しているワケではないが、そもそも今の彼女に作戦の指揮権はない。

 

 ならば、限られた自由の中で出来る事をやるだけだ。

 

 香取はそう割り切り、木虎との戦闘を開始した。

 

 

 

 

(嵐山隊の二人がそっち行ったわ。アタシは木虎を抑えるから、援護は期待しないで)

(…………分かった)

 

 香取からの通信を受け、三輪は七海を拳銃で牽制しながら戦況を今一度把握した。

 

 現在、戦場は主に三つに別れている。

 

 一つは、今三輪達がいる三輪隊と七海の戦闘区域。

 

 現在は三輪と米屋の二人、そして隠れ潜む奈良坂と古寺の四人がかりで七海を攻撃しているが、そこに嵐山隊の二人が向かっている。

 

 今は人数差もあって三輪隊が押しているが、嵐山達が合流すればどうなるかは分からない。

 

 少し離れた先では香取と木虎が一騎打ちをしており、お互い他の戦場に手を出す余裕はなさそうだ。

 

 そしてもう一つが、迅と那須を相手に太刀川隊と風間隊が戦っている区域。

 

 こちらは手を出せば趨勢がどう変わるか予想が出来ず、基本的に不干渉が妥当だ。

 

 つまり。

 

 嵐山達が来るまでに、出来れば七海には痛打を与えておきたいところである。

 

 三輪は感情の上では困惑と怒りが渦巻いているが、迅が目の前にいない事もあってある程度の冷静さは保っている。

 

 これが迅と直接相対していれば本当の意味で怒りに身を任せる可能性があった為、彼をこの場に配置したのは名采配と言える。

 

 三輪もまたそれを無意識に自覚していたからこそ、七海の相手を買って出たのだろう。

 

 相性的な意味でも、彼の相手が妥当であると理解しているが故に。

 

(奈良坂、古寺、様子見はもう良い。狙撃で牽制して、嵐山さん達の到着を遅らせろ)

(了解。こちらに来た場合は?)

(ある程度まで引き付けたら、スイッチボックスを使って逃げろ。まあ、まず来ないだろうがな)

 

 三輪は狙撃手二人に指示を出し、腰の鞘から弧月を引き抜いた。

 

 感知痛覚体質の副作用(サイドエフェクト)を持つ七海に、拳銃は多少の牽制以上の意味を持たない。

 

 諏訪隊のショットガンのような広範囲攻撃であればそれなりに意味も出て来るが、連射性能で言えば三輪の拳銃はそこまで突出してはいない。

 

 故に、七海の相手をするのであれば弧月をメインにする方が良い。

 

 三輪は他の弧月使いと異なり旋空をセットしていない為、射程では七海のマンティスの方に分がある。

 

 だが、マンティスは両攻撃(フルアタック)でなければ使用出来ない。

 

 最悪、痛打を貰ってもそれで七海の無防備な状態を引き出せるのであれば充分リターンは取れる。

 

 数の利があるうちに、四肢の一本は貰っておく。

 

 それが、最低限この場でやるべき仕事だ。

 

「行くぞ」

「ああ」

 

 三輪は弧月を構え、米屋と共に七海に向かって斬りかかった。

 

 

 

 

(ここで狙撃ですか。どうやら、オレたちを七海と合流させたくないみたいですね)

(ああ、当てるよりも狙撃手の存在をアピールする動きだ。恐らく間違いないだろう)

 

 嵐山と時枝は、建物を利用して射線から逃れながら顔を突き合わせていた。

 

 木虎の提案を受け入れ七海の救援に向かった二人は、三輪隊の狙撃手によって足止めを食っていた。

 

 此処から七海のいる場所に行く為には、射線の通る路地を通らなければならない。

 

 もしも二人がアイビスを持ち込んでいた場合、シールドを貫通されてやられてしまう可能性もある。

 

 普段奈良坂と古寺はイーグレットしか使わない筈だが、今回もそうである保証はない。

 

 奈良坂は、茜の師匠だ。

 

 三種類の狙撃中を使いこなす彼女の師匠である以上、奈良坂も当然それらの扱いは熟知している。

 

 普段セットしていないから有り得ない、という考えは捨てるべきだろう。

 

 事実、昇格試験では奈良坂は那須隊と組んだ時にトリガーセットを入れ替えている。

 

 希望的観測で無理を通すには、少々リスクが大きいと言わざるを得ない。

 

 加えて、相手にはスイッチボックスがある。

 

 一度狙撃して来たからと言って、次の狙撃も同じ方角から来るとは限らない。

 

 本来一度狙撃を行い位置がバレた狙撃手の脅威は半減するが、スイッチボックスの存在がその前提を覆す。

 

 一度撃たせて位置が分かったとしても、次の瞬間にはその情報が無意味になる可能性があるのだ。

 

 ヤマ勘頼りの集中シールドも、成功率は著しく低いと言わざるを得ない。

 

 スイッチボックスの援護を得た狙撃手というのは、それだけ無視出来ない脅威なのだ。

 

 危険を回避するという目的であれば、迂回するという選択肢もある。

 

 しかしそうなると、当然ながら相応に時間がかかってしまう。

 

 リスクを承知で押し通るか、それとも安全策で行くか。

 

 この選択は、重要だった。

 

 無論、迷っている時間などない。

 

 故に。

 

 嵐山は、即座に決断を下した。

 

(迂回しよう。無理をして俺たちが落とされてしまえば、結果的に全体が不利になる。時間の消費(ロス)は痛いが、ここは手堅く行くべきだ)

(七海くんなら、三輪隊相手でも時間稼ぎは可能でしょうからね。それで行きましょう)

 

 二人は、迂回を選択。

 

 ごり押しで最短距離で向かうのは許容出来るリスクを超えると判断し、遠回りしてでも安全な道を行く事を選んだ。

 

 この選択が果たして、吉と出るか凶と出るか。

 

 それは、まだ分からない。

 

 嵐山達はそれが最善の選択であると信じて、夜の警戒区域を駆けて行った。



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黒トリガー争奪戦④

 

「迂回したか。流石に、危険は冒してくれないらしい」

 

 奈良坂はレーダーで嵐山達の動きを見ながら、目を細めた。

 

 現在、彼は屋根の上からいつでも狙撃出来るよう身を隠している。

 

 バッグワームも纏っている為、レーダーにも映っていない。

 

 そして、万が一にも迅に位置を察知されないようにそもそも迅の方へはスコープすら向けていない。

 

 迅の未来視の精度がどの程度か分からないものの、一度照準に捉えた相手はどのタイミングで撃つのが最適かを考えるのが狙撃手の習性だ。

 

 そして、現状を見て「撃った方が良い」と奈良坂が判断すれば、迅の見る無数の未来の映像の中に奈良坂が映り込んでしまう危険がある。

 

 故に、基本的に迅は狙わない事を狙撃手の面々は決めていた。

 

 もしも迅の未来視によって詳細な居場所が割れてしまえば、那須の変化弾(バイパー)が飛んでくる可能性があるからだ。

 

 那須のトリオン評価値は7であり、際立って多くはないものの────────調整(チューニング)次第で、射程を伸ばす事が可能だ。

 

 あまり距離を取り過ぎても支援の意味がない為、今の位置も充分に那須の射程内なのだ。

 

 もしも出水が那須を抑えてくれなければ、牽制の為の狙撃を行う事すら出来なかっただろう。

 

 今も一発撃つごとにスイッチボックスで位置を変えているし、警戒をし過ぎて困る事はない。

 

 それだけ、那須という駒はこういった戦場において厄介極まりないのだ。

 

 そして勿論、彼女は従姉妹の奈良坂相手だろうと容赦はしない。

 

 確かに従姉妹同士だけあってそれなりに交流はあるが、那須は七海と奈良坂を天秤に乗せれば即断で七海を選ぶ程度には一途だ。

 

 良く知る相手だからと手心を加えるような甘さは、彼女にはない。

 

 むしろ、手の内を知る相手だからこそ容赦なく弱みを突く程度には強かだ。

 

 彼女が自由(フリー)になった瞬間、嬉々としてこちらを狩りに来るだろう。

 

 故にこそ、警戒は必須なのだ。

 

 油断すれば、纏めて食い破られるレベルの相手なのだから。

 

『どうします? 追いますか?』

「いや、向こうで待ち構えよう。三輪と七海の戦闘区域に入る為には、射線の通る場所に出ざるを得ない。そこに網を張って、落とせるチャンスがあれば落とすぞ」

『分かりました』

 

 古寺に指示を出し、奈良坂はイーグレットをオフにした。

 

 居場所が知られては困る狙撃手であるが故にバッグワームは常時纏っている為、狙撃銃を構えれば両手が塞がりシールドを張る事が出来なくなる。

 

 その為、狙撃に移るタイミング以外は小まめに狙撃銃をオフにしている。

 

 相手の狙撃手である佐鳥の居場所が未だ判明していない以上、カウンター狙撃(スナイプ)の危険は常に存在する。

 

 故に、万が一を備える事は重要だ。

 

 相手は、その曲芸じみた振る舞い故に軽く見られがちだが狙撃技術自体はボーダーでも随一である佐鳥。

 

 地味に隠密能力が非常に高い彼が、何処で待ち構えているか分かったものではないのだ。

 

 シールドを張っても佐鳥が唯一無二の固有技(ユニークスキル)であるツイン狙撃を敢行すれば破られてしまうが、そうなったらそうなったら佐鳥の居場所が確定する為悪くない取り引きだ。

 

 向こうにはこちらと違ってスイッチボックスの恩恵はない為、一度居場所が割れれば追い込むのは容易い。

 

 居所を知られてから完璧に姿を眩ませる事が出来る狙撃手など、東ぐらいのものだ。

 

 佐鳥も近い事は出来るようだが、東ほどの精度ではないだろう。

 

 ともあれ、佐鳥の誘き出しが成功すればメリットが大きい事に違いはない。

 

 何せ、未来視対策の為に事前の作戦を立てられなかったこちらと違い、向こうには作戦を仕込む時間も準備をする余裕もあった。

 

 どんな罠が仕掛けられているか、知れたものではないのだ。

 

 警戒をしつつ、仕事を遂行する。

 

 自分の仕事を改めて確認し、奈良坂はスイッチボックスにより転移した。

 

 

 

 

「参ったねこりゃ。建物吹き飛ばした方が良いかこれ」

 

 出水は軽口を叩きながら自分を狙うバイパーを全弾撃ち落とし、ため息を吐いた。

 

 その間にも彼の両腕には瞬時にトリオンキューブが生成・分割されており、発射までに一秒もかかっていない。

 

 光弾が向かう先で悉く撃ち落とされているのを確認し次弾を生成しながら、出水は目を細めた。

 

(那須さんの機動力が厄介過ぎるな。試験の時とは違って上取れてないから若干不利だし、かといって上に出たら佐鳥に狙われるよな)

 

 那須と正面から戦り合うのは昇格試験の時以来だが、あの時とは前提条件が違う。

 

 まず、伏兵がいない。

 

 今の出水は正真正銘孤立無援の状態であり、仲間の援護は期待出来ない。

 

 それは那須とて同じだが、彼女には圧倒的な機動力がある。

 

 常に発射地点を入れ替えながら弾幕を張る為、逐一対処するのがかなり難しい。

 

 加えて、あの時は上を取れていた為にある程度那須の位置を俯瞰視点で見る事が出来たが、今迂闊に屋根の上に出れば佐鳥に狙われる可能性が高い。

 

 佐鳥の攻撃自体は両防御(フルガード)で防御は出来るかもしれないが、その隙を那須が見逃すとは思えない。

 

 一度でも隙を見せれば。そこを突き崩して食い破って来る。

 

 それだけのポテンシャルが、彼女にはある。

 

 故に。

 

 じり貧だと分かっていても、この場は膠着状態が一秒でも長く続くように気張るしかないのだ。

 

 幸い、時間は彼の味方だ。

 

 何故ならば────────。

 

 

 

 

(長期戦になれば、負けね。トリオンの差があるもの)

 

 ────────トリオン量、その明確な差があるからだ。

 

 那須のトリオン評価値は、7。

 

 対して、出水のトリオン評価値は12。

 

 トリオンに関して凡そ二倍近くの差が、二人にはあるのだ。

 

 つまり、このまま弾幕を相殺し続ければ那須はトリオン切れで落ちる。

 

 長期戦は、即ち那須の負けなのだ。

 

 出水は当然、そのつもりで戦っている。

 

(消費を抑えて戦う手もあるけれど、攻撃の手を緩めればきっと出水くんはそこを突いて来る。手は、抜けないわね)

 

 しかし、こればかりは那須にも如何ともし難い。

 

 何故ならば、出水相手に抑えに回るのであれば全力で攻撃し続ける他ないからだ。

 

 少しでも手を緩めれば、恐らく出水はその分の余力を味方のサポートに回す。

 

 今はどの戦場も、危ういバランスの上で成り立っている。

 

 何処に介入されても、悪い方向に転がるのは目に見えている。

 

 故に、手は抜けない。

 

 全力を以て、出水をこの場に縫い留める。

 

 そう改めて決意し、那須は出水との弾幕ごっこ(撃ち合い)を続行した。

 

 

 

 

「どうした。折角那須の救援が来たのに、防戦一方か迅…………っ!」

「無茶言うねえ。ホント」

 

 迅は太刀川の剣戟を捌きながら、苦笑いを浮かべた。

 

 確かに、出水という射程持ちがいなくなった事で迅への圧力は軽減された。

 

 だが太刀川は一切手を緩めずとにかく迅に距離を取らせなかった。

 

 風間隊の面々も既にカメレオンを起動して周囲に潜んでおり、時折姿を見せて攻撃を仕掛けて来るので気が抜けない。

 

 こうしている間も、迅の眼には様々な未来の可能性が並列に映り込んでいる。

 

 相手の人数は、四人。

 

 つまり、四人分の未来────────それも一人分すら無数に広がっている未来の映像を、片っ端から精査して必要な情報を手繰り寄せながら戦っているのだ。

 

 しかも、全員が全員並々ならぬ使い手である上に、純粋な剣の腕では太刀川の方に分があるのだ。

 

 普通のブレードでは勝てなかったからこそかつての迅はスコーピオンを開発したのであり、その差は未だに縮まってはいない。

 

 天性の才能を月見式スパルタ術で鍛え上げただけあって、太刀川の剣の腕は至高の領域に近い。

 

 この距離でやり合っていれば、いずれ押し負ける。

 

 それが分かっているからこそ、太刀川は手を緩めない。

 

 加えて、風間隊の中でも菊地原が隠密に徹しているのが非常に厄介であった。

 

 菊地原がいる限り、彼等に不意打ちは通用しない。

 

 彼の耳が機能している限り、どんな攻撃であろうと事前に察知される。

 

 可能な限り初手で落としておきたい相手であったが、恐らく最初から身を守るように厳命されていたのだろう。

 

 油断も隙も一切見せず、迅が攻撃を打ち込む隙を菊地原は作らなかった。

 

 遠隔斬撃の速度を知らなければ初見殺しで落とせたかもしれないが、今の彼等は風刃の力を知っている。

 

 他ならぬ、迅と那須隊の試合によって。

 

 あの試合を見た後で、風刃の力を侮る者はいないだろう。

 

 故に、油断した隙を突いて落とす、という手は使えない。

 

 菊地原は正しく、風刃の脅威を理解している。

 

 如何に黒トリガーとはいえ、タネが分かっていれば対策も可能。

 

 それを万全にする為に、菊地原は完全に隠密に徹している。

 

 攻め手が一つ少なくなるリスクよりも、菊地原という探査役(レーダー)の喪失の危険を考慮した作戦方針なのだろう。

 

 完全に、対策されている。

 

 どうやら、手を緩めるつもりは一切ないらしい。

 

 太刀川が、目でそう訴えていた。

 

 ……………………試験に参加した結果、この戦いが不利に働くのは分かっていた。

 

 だが、それでも実行に移したのは迅自身の意思だ。

 

 あれは必要だと思うからこそ実行したのであり、後悔などある筈もない。

 

 故に今は、光明を探し求める他ない。

 

 幸い、情報だけなら文字通り山ほどある。

 

 未来観測情報(ルート分岐)の中から、可能性の高いものと無視出来ない内容のものをピックアップ。

 

 瞬時に精査し、即座に思考に繋げていく。

 

 情報を精査し、そこから自身の動き方を考案し、そのメリットとデメリットを考慮しながら選択肢を削っていく。

 

 立ち止まって、考えている時間はない。

 

 攻撃を捌きながら、相手の未来(うごき)を分析する。

 

 その程度の事が出来ずして、何がS級隊員か。

 

 S級(規格外)の名は、伊達でもなんでもない。

 

 正しく、他の括りに入れられないからこその()()なのだ。

 

 S級という地位に拘りはないが、それでも戦士としての矜持はある。

 

 これは、彼が始めた物語だ。

 

 ならば、この程度の苦難を踏破出来ずして、未来を勝ち取る事など出来はしない。

 

 この道を選んだのは、自分だ。

 

 もしも昇格試験に参加しなければ遠隔斬撃が初見殺しとして機能し、楽に勝つことが出来ただろう。

 

 だが。

 

 最善の未来に辿り着く為に、妥協などあって良い筈がない。

 

 次善の未来に至る道筋(ルート)は、既に破棄したのだ。

 

 ならば、やり遂げなければ嘘だろう。

 

 此処で気張らずに、いつ気張るというのか。

 

「よっと」

「…………っ!」

 

 迅は、迫り来る太刀川に向かって足元の小石を蹴り上げ、顔面を狙う。

 

 突然の事態に太刀川は咄嗟に顔を背け────────は、しない。

 

 元より、肉を斬らせて骨を断てるのであれば多少の負傷はものともしない太刀川だ。

 

 生身では大怪我に繋がりかねない小石であっても、トリオン体の前には等しく意味がない。

 

 何せ、トリオン体にダメージを与えられるのは同じトリオンを使用した武器だけなのだ。

 

 小石が当たったところで、ダメージは無い。

 

「…………っ!」

 

 無論、それは迅も承知の上だ。

 

 彼が欲しかったのは、刹那の隙。

 

 突然の小石の投擲に対する、身体の防衛反応だ。

 

 理屈の上では回避する必要のないものであっても、身体に染み付いた反射行動というものは消えない。

 

 顔に向かって何かが飛んで来れば、反射的に顔を背けたり手で払おうとしたりするのが当然だ。

 

 迅は、そこを狙った。

 

 太刀川がテンポを取り戻す前に、すかさず迅はバックステップで後退。

 

 そのまま太刀川に背を向け、全力で駆け出した。

 

「旋空弧月」

 

 太刀川は、即座に追撃を選択。

 

 これが誘いである事は理解しているが、それでも追撃しない、という選択肢はなかった。

 

 今太刀川側が押しているように見えるのは、迅に共闘相手がいないからだ。

 

 これがもし、迅が何れかの戦場で味方と合流してしまった場合。

 

 形勢が不利に傾くのは、間違いない。

 

 だが、徒に追いかけても罠に誘い込まれるのが目に見えている。

 

 普通に追ったのでは、風刃の遠隔斬撃が決め易い車庫のような閉所へと誘い込まれるだけだろう。

 

 故に、地形そのものを破壊する。

 

 放棄区域とはいえ元は市街地であり、むやみに壊すのは推奨されないが一度や二度くらいは誤差の範囲だ。

 

 少なくとも、困るのは太刀川ではない。

 

 そう思い切って、太刀川は旋空で建物を両断した。

 

 迅には当たらなかったが、これで一つ彼の隠れ場所を処分出来た。

 

「────────」

 

 同時に、風間と歌川が両手側から奇襲。

 

 迅に肉薄する直前にカメレオンを解除し、音もなくその背後に忍び寄る。

 

 同時に、太刀川もまた旋空の発射態勢に入る。

 

 二人の暗殺者と、最強の剣士。

 

 無数の刃が、夜闇の中で煌めいた。



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黒トリガー争奪戦⑤

 

 背後から迫る、二人の暗殺者。

 

 風間と歌川は、それぞれ左右から挟む込むように迅を狙っていた。

 

 加えて、正面には弧月を上段に構え旋空の発射態勢を取る太刀川。

 

 左右に避ければスコーピオン使いの二人に接近せざるを得ず、かといって太刀川に肉薄し旋空を妨害するには間合いが遠い。

 

 ならばどうするか。

 

 答えは一つ。

 

「────────」

 

 迅が、無造作に風刃を振るった。

 

 地面に擦るようにブレードを振るった事でその場に落ちていたコンクリートの欠片が弾き飛ばされ、砂埃と共に宙を舞った。

 

 これらは出水と那須の弾幕勝負によって発生した瓦礫であり、舞い上がったそれは目晦ましの用途を成す。

 

 一瞬、風間と歌川の視界から迅の姿が隠れる。

 

 それで、充分。

 

 何かを振ったような、風切り音が木霊する。

 

「風間さん…………っ!」

「…………っ!」

 

 歌川の叫びに、風間は咄嗟にその場からバックステップで後退する。

 

 それに続いて歌川も後退し、彼等の眼前を風の刃が通過する。

 

 もし、一瞬でも反応が遅れていれば二人の首と胴は分かれていただろう。

 

 それだけ、風刃の速度は尋常の速さではなかった。

 

 事前情報がなければ、避けられていたかどうか。

 

 太刀川からその性能を()()()いなければ、恐らく間に合わなかっただろう。

 

(情報に救われ────────いや、待て。あの迅が、苦し紛れとはいえ外れる攻撃をするか? 今のタイミングなら、首ではなく足や腕を狙えばダメージを与えられた筈)

 

 風間は、そこで疑問を抱いた。

 

 確かに、今自分たちの回避が間に合ったのは太刀川の情報あってのものだ。

 

 そう、()()だ。

 

 直接、彼等が風刃の威力を見たワケではない。

 

 あくまでも太刀川の口から、「影浦でも反応し切れないレベルの速さだった」と聞いただけだ。

 

 試合の中でどういった用途で風刃の遠隔斬撃を用いたか、更には直にその速度を体感した香取からも話を聞いてはいる。

 

 だが、伝え聞いただけで、直接その性能を見てはいない。

 

 あの影浦でさえ反応し切れないレベルと聞いて充分以上に警戒したつもりだが、果たして警戒だけで凌ぎ切れる程黒トリガーのレベルは低いのだろうか。

 

 防戦一方の苦し紛れだったから、という思考は捨てる。

 

 今の砂埃のカーテンが生み出した一瞬は、迅に自由を与えるには充分過ぎる刹那だ。

 

 攻撃を凌ぐ為だけに遠隔斬撃を使用したというのは、どうにも違和感がある。

 

 複数で囲んで処理能力に負荷を与えてはいたが、そもそも迅はあの昇格試験の日は一日ほぼぶっ通しで戦い抜いている。

 

 それだけの連戦を潜り抜けてようやく圧迫されるレベルの処理能力を持つ迅が、この短時間の戦闘のみでこうも早く読み違える(ミスを冒す)だろうか。

 

 何か、何かおかしい。

 

 刹那の思考の中、風間はその違和感を紐解いていく。

 

 そして。

 

 風間は迅の風刃から立ち上る()()の光の尾を見て、目を見開いた。

 

「────────! 歌川、まだだ…………っ!」

「え…………?」

 

 ()()に気付いた風間は、チームメイトに向かって注意喚起を行う。

 

 だが。

 

「はい、予測確定」

「ぐ…………っ!?」

 

 その警告は、一瞬遅かった。

 

 歌川の足元から延びた斬撃が、彼の足を両断する。

 

 一撃で両足を根元から斬り裂かれた歌川は重力に従い、地面に落下する。

 

 そして。

 

 その身体が地面にぶつかる前に、斬撃が一閃。

 

「させるか…………っ!」

 

 歌川の首を狙って放たれたそれを、風間がスコーピオンを用いて防御する。

 

 基本的に、スコーピオンは受け太刀には向いていない。

 

 その軽さと応用性の高さと引き換えに、スコーピオンの耐久力は弧月と比べて脆い。

 

 シールドでブレードを防御するよりはまだ保つが、数合も打ち合えばその時点で砕け散る。

 

 加えて、迅の風刃の強度や切れ味は弧月のそれよりも上だ。

 

 普通に受ければ、一撃で砕かれて終わりだろう。

 

 されど。

 

 風間は、その耐久差を技術で以て補完する。

 

 迅の攻撃に合わせ、正面から受けるのではなく────────タイミングを合わせて刃を引き、()()()()

 

 ブレードへの負荷を最低限に抑え、柔術のように相手の力を利用しいなす。

 

 恐らく、風間以外では殆ど成功しないであろう高等技術。

 

 流れるような、受け太刀。

 

 スコーピオンという特殊なブレードを用いた、ある種の極限技(ハイエンド)

 

 それにより、風間は歌川に向けて振り下ろされた斬首の一撃を防ぎ切った。

 

「やるね」

 

 迅は薄く笑い、これ以上の鍔迫り合いは不利と見て後退する。

 

 その一瞬後、肉薄して来た太刀川が弧月を振り下ろし────────迅は、風刃のブレードでその一撃を防御。

 

 その斬撃の勢いを利用して、後退。

 

 距離を取って、二人と対峙した。

 

「失態だな。風刃の性質というより、迅の悪辣さを見誤っていた」

「ああ、()()()の遠隔斬撃を、時間差で着弾するように撃ってたんだな。先に撃った二本は、本命の一撃を隠す為の囮だったか」

 

 そう、迅が歌川に痛打を与えたカラクリはそう難しいものではない。

 

 砂埃で迅の姿が隠れた瞬間、彼は三本同時に遠隔斬撃を放っていたのだ。

 

 二本は、風間と歌川に向けて最短距離で。

 

 もう一本は、路地や物陰を迂回し時間差で着弾するような軌道で。

 

 それぞれを放ち、最初の二撃を囮に三撃目を当てたのだ。

 

 回避のし難い、足を狙って。

 

 最初の二撃が首を狙ったのは、恐らくわざとだ。

 

 致命傷となる個所を狙う事でその一撃に注視させ、回避に全力を注がせる。

 

 風刃の遠隔斬撃の速度は、片手間で回避出来るレベルではない。

 

 至近距離からの一撃であれば、文字通り全霊を注がねば回避は難しいだろう。

 

 喉元に凄まじい勢いで攻撃を叩き込まれそうになれば、反射的に避けるか防御しようとする。

 

 それが、人間の防衛本能というものだ。

 

 無論、ただ防御したのでは迅相手には意味がない。

 

 紙一重の防御であれば、迅はその一重を意図的に間違わせるよう差配する事が出来る。

 

 故に、正当は全力での後退。

 

 防御ではなく、全霊の回避を以てようやく凌げる致死の刃。

 

 それが、風刃の遠隔斬撃なのだ。

 

 風間も歌川も、その脅威は人づてではあるが知っていた。

 

 だからこそ、情報があるからこそ、回避に全力を注いだ。

 

 故に。

 

 迅は、その心理を利用した。

 

 風刃の脅威を本当の意味で知らない相手であれば、初見殺しの速度の遠隔斬撃でストレートに仕留める。

 

 黒トリガーとしての初見殺し性能は、風刃はかなり高い部類に入る。

 

 相手が遠隔斬撃を旋空の亜種程度と考えているならば、その認識の誤りを利用し首を落とす事は容易だ。

 

 だが。

 

 風刃の脅威を知る相手には、この手段は通用しない。

 

 充分に警戒をしていれば、速度優先の軌道で飛んでくる風刃を回避するのは不可能ではない。

 

 だからこそ。

 

 迅は風間達に()()()()()し、回避に全力を注がせた。

 

 そして、全力の回避を行った後の一瞬の隙を突いたのだ。

 

 相手の駒を一人、確実に無力化する為に。

 

 迅は、三人纏めて落とそう、などという欲は出さなかった。

 

 やるのであれば、一人ずつ。

 

 確実に、各個撃破していく。

 

 このような局面ではそれが有効であると、迅は過去の戦歴(けいけん)から識っていた。

 

 これが、迅悠一。

 

 これが、死線踏破者。

 

 本物の戦争を経験した、真の悲劇を識る者の実力。

 

 舐めていた、ワケではない。

 

 迅の実力は、充分理解していた筈だった。

 

 戦歴で言えば、太刀川や風間も遠征で命を懸けた戦いを経験している。

 

 だが。

 

 文字通り、()()()が違う。

 

 迅は、緊急脱出システムが完成する前から仲間と共に近界を渡り歩き、戦地を潜り抜けて来た。

 

 緊急脱出(ほけん)のない状態で戦場を生き抜く事が、どれだけ精神を削るのか。

 

 彼等には、想像しか出来ない。

 

 死地を潜った数も、そしてその戦地の危険度も、彼等のそれよりも上の筈だ。

 

 過去を直視し、背負う事を改めて決意したとはいえ、その身に刻まれた経験は今尚色褪せてはいない。

 

 迅は、ただの少年ではない。

 

 英傑。

 

 そう呼んで、差し支えない相手。

 

 その事を、改めて理解する。

 

「さて、菊地原を出さなくて良いのかな? 一人減っちゃ、キツイでしょ」

「挑発には乗らん」

「残念。ま、だからと言って手を緩める気はないけどね。こっちも、本気だからさ」

 

 迅はそう告げ、殺気を立ち上らせる。

 

 以前、試験で熊谷相手に見せた殺気────────それよりも、更に濃密なソレだ。

 

 常人であれば、受けるだけで身を竦ませてしまうような殺意。

 

 それを浴びて風間は負けじと迅を睨み返し、太刀川は────────この上なく嬉しそうな、笑みを浮かべていた。

 

 以前にも、迅と戦った事はある。

 

 当然太刀川は手を抜かなかったし、迅もそれは同じだろう。

 

 だが。

 

 こうまで本気の、殺す気配(さそい)を受けた事はない。

 

 太刀川には、分かっていた。

 

 これは、威圧などではない。

 

 死闘(ダンス)の、誘いだ。

 

 こちらも殺す気でやるから、かかって来い。

 

 太刀川は迅の殺気を、そのように受け止めた。

 

 そして、その感覚が間違っていない事を────────太刀川は、迅が口元に浮かべた笑みを見て確信した。

 

 そうだ、まだまだ戦いはこれからだ。

 

 歌川が動けなくなったのは痛いが、彼にはまだ射撃トリガーがある。

 

 その首を落とされるまで、やれる事はある筈だ。

 

 前衛が一人減ったのは確かに厳しいが、それならそれでやりようもある。

 

 何より、自分はまだ満足していない。

 

 折角の本気の戦い(まつり)だ。

 

 楽しまなければ、損というものだろう。

 

 風間はニヤリと笑う太刀川と迅を見て二人の魂胆を察し、呆れながらもスコーピオンを構え直した。

 

 二人の思惑など知った事ではないが、任務は任務。

 

 手心を加えろという命令(オーダー)が出ていない以上、全力を以て目の前の敵を打倒するのみ。

 

 そう考え、風間はカメレオンを起動。

 

 太刀川の旋空弧月が、戦闘再開の合図となった。

 

 近くでぶつかり合う那須と出水(天才二人)の弾幕の光に照らされながら、三人の戦士がぶつかり合った。

 

 

 

 

「しゃらくさい…………っ!」

 

 一方、香取と木虎の戦闘は膠着状態が続いていた。

 

 香取は木虎に向け、拳銃の引き金を引き弾丸を発射。

 

 木虎はシールドを張らずに体捌きのみでそれを躱し、お返しとばかりに拳銃で撃ち返す。

 

 それを香取はシールドで防ぎ、そのままスコーピオンで斬りかかる。

 

 香取の斬撃を木虎は後退する事で回避し、距離を取る。

 

 先ほどから、同じような近接戦闘(やりとり)が繰り返されていた。

 

 どちらも、痛手を負った様子はない。

 

 その大きな原因は、木虎に攻めっ気が薄い事にある。

 

 木虎は徹底して大きく踏み込む事を避け、香取が近付いて来ても回避を重視し彼女を間合いに入らせなかった。

 

 香取は猛攻を続けているが、いいようにいなされている、というのが現状だ。

 

 確かに、香取は類まれな戦闘センスを持っている。

 

 だが。

 

 格上の相手との戦闘経験、という点で彼女は木虎に及ばない。

 

 木虎は香取と違い、A級のランク戦で常にA級同士────────即ち、多くの格上とも戦い抜いて来た。

 

 その経験値が、彼女の持って生まれた体捌きのセンスを洗練させている。

 

 爆発力こそ香取に一歩譲るが、現時点の地力の安定性という意味では木虎が彼女に負ける通りは無いのである。

 

(分かってたけど、やり難いわね…………っ! 年下の癖に生意気、とか言ってらんないわ)

 

 以前の香取であれば思い通りにならない戦況に苛つき隙を見せていただろうが、今の香取は表面上はともかく頭の中は冷静だった。

 

 このまま攻め続けても、木虎は落とせない。

 

 ならば、どうするか。

 

 自滅覚悟で特攻?

 

 ダメだ。

 

 木虎の防御の巧みさは、これまでに散々思い知っている。

 

 そんな相手に、捨て身の一撃など自殺行為も良いところだ。

 

(さっきからシールドを使いもしないでアタシの攻撃を凌いで、ホント自分の技術にそれだけ自信があるってワケ? って、ちょっと待ちなさい)

 

 そこで、気付く。

 

 木虎は、先程から回避ばかりでシールドを殆ど使っていない。

 

 香取の銃撃は体捌きのみで回避し、斬撃は後退する事で掠らせもしない。

 

 最初はそれが体捌きに自信があるが故のある種の()()だと考えていたが、それにしては少々頻度が高過ぎる。

 

 香取は木虎に関して、あまり多くを知ってはいない。

 

 精々広報部隊である嵐山隊の一員で、喜んで人気取りをやっているいけ好かない女。

 

 彼女の木虎への認識は、概ねそのようなものだった。

 

 一種のアイドルのように振る舞いそれが成功している木虎の事を正直良く思っていなかったし、自分より年下なのにA級に上がっているという点も気に食わない。

 

 だから香取の木虎への印象はマイナス値を振り切っていたのだが、同時に彼女の実力が本物である事もこれまでの戦闘で理解している。

 

 こちらの誘いにも乗って来ないし、徹底的に感情を排して効率的に戦闘を進めている。

 

 そんな彼女が、果たして意味のない行為をするだろうか。

 

 長期戦を望むというのは、時間稼ぎの観点から理解は出来る。

 

 時間を稼げば援軍が望めると思っているのであれば、無理をしない事に違和感はない。

 

 しかし、体捌きのみでの回避は言う程簡単な事ではない。

 

 相応に体術には自信があるのだろうが、香取の攻撃は片手間で防げる程生温いものではない。

 

 その突破力は、上位の実力者達も認めているのだ。

 

 そんな香取相手に、自信があるからといって回避一本で攻撃を捌く理由。

 

(そういえば────────成る程、そういう事ね)

 

 香取は思考を巡らせる中で、ある事を思い出す。

 

 それは、以前に噂で聞いた話。

 

 曰く、「木虎藍は体術センスは凄いが、トリオン量は低い」というものだ。

 

 聞くところによるとC級時代の彼女は銃手(ガンナー)だったらしいが、B級になって万能手(オールラウンダー)に切り替えたらしい。

 

 香取も攻撃手から銃手になり、その後万能手になったという経歴を持っている。

 

 実を言えば木虎が銃手から万能手に転向したと聞いて同じ道を歩めば壁を乗り越えられるかと試したというのが真相なのだが、それはともかく。

 

 自分のそれは気まぐれだが、木虎は果たしてどうだろうか。

 

 もし、噂通り彼女のトリオンが低いとするならば銃手では大きな活躍は望めないだろう。

 

 銃手や射手は特にトリオンの多寡によって戦力が上下し易く、有り体に言えばトリオンの低い者は向いていないポジションだ。

 

 故に、木虎が万能手に転向したのは必要に迫られて、という解が出て来る。

 

 今の香取や木虎のように銃手トリガーをある種の牽制の手段として用いて、ブレードトリガーを主武器として戦う近距離万能手(クロスレンジオールラウンダー)は、その戦い方の性質上トリオンの多寡をある程度()()()()()

 

 銃手トリガーやシールドといったトリオンを浪費するトリガーの使用を最低限に絞り、ブレードをメインで戦えばトリオンの節約をする事が出来るからだ。

 

 つまり。

 

 木虎はシールドを使わないのではなく、あまり多くは使()()()()のだという事だ。

 

 体捌きのみで攻撃を回避しているのは、トリオンの節約の為。

 

 攻めっ気が少ないのは、無理に攻めればトリオンを浪費してしまうから。

 

 ならば。

 

 勝機は、ある。

 

 香取は内心でほくそ笑み、木虎への攻撃を再開した。



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黒トリガー争奪戦⑥

 

(成る程、気付かれたか)

 

 木虎は香取の銃撃をシールドで防御しながら、内心で舌打ちした。

 

 香取は先ほどまでとは打って変わって、距離を詰めずに中距離戦に徹していた。

 

 スコーピオンは使わず、両手に拳銃を構えて絶え間ない銃撃を放っている。

 

 メイントリガーのアステロイドだけならともかく、サブトリガーのハウンドの銃まで持ち出されると、流石の木虎といえど体捌きだけで全てを躱す事は出来ない。

 

 その天才的な体術センスを用いてシールドの使用を最低限度に留めているのは流石と言えるが、刻一刻とトリオンを削られ続けているのは紛れもない事実である。

 

(香取先輩は、私がトリオンを節約して戦っている事に気付いた。だから距離を詰めて無理に攻めるのではなく、中距離戦で削り殺す選択肢に変えたワケか)

 

 木虎は、香取の思惑を正確に察していた。

 

 香取の推測通り、トリオン量の低い木虎は香取を少しでも長く足止めする為────────もしくは、隙を見て落とす為に体捌きのみで攻撃を回避し、シールドの使用を控えていた。

 

 攻めっ気が少なかったのは、下手に攻めればトリオンを浪費する上に、香取相手に懐に入るのは少々以上にリスキーだという側面もある。

 

 木虎は、香取の実力を評価している。

 

 以前までは才能を持て余していたようだが、あの昇格試験の動きを見る限り停滞の時期は終わったと見て良い。

 

 彼女は己の才覚を活かし、着々と成長を続けている。

 

 本人に自覚はないかもしれないが、恐ろしいスピードで。

 

 元より、突破力に優れていた香取だ。

 

 今の彼女相手に迂闊に踏み込めば、痛打を貰うのはこちらだと考えている。

 

 やるなら、必殺の機会を待ってから。

 

 木虎はそういった魂胆で、香取相手に持久戦を演じていた。

 

 体捌きを見せつけるようにして、香取を挑発しながら。

 

 それで少しでも彼女の冷静さを奪えればと思ったが、どうやら逆効果だったらしい。

 

 というよりも、想定が甘かったと言うべきか。

 

 香取は技術面だけではなく、精神面も思った以上に成長している。

 

 故に、木虎の演技を見破り────────この場で、最適な行動を導き出した。

 

 即ち、トリオン差を利用した削り殺し。

 

 香取のトリオン評価値は6とそう大きな数字ではないが、木虎のトリオン評価値は4。

 

 数字の上では2つしか違わないが、実際の戦闘では結構な差が出て来る。

 

 何せ、木虎のトリオン量は戦闘員の中でも修という例外を除き米屋と同じく最低値を記録している。

 

 戦闘員としてやっていける、ギリギリの数値。

 

 それが、木虎のトリオン量だ。

 

 修と違い格闘センスが群を抜いて高い為に目立たないが、彼女が大きな(ハンデ)を背負っている事に違いはない。

 

 それだけ、トリオン量という才能の差は大きい。

 

 むしろ、そんなハンデを背負いながらA級まで上り詰めた木虎や米屋のセンスと努力は並大抵のものではないだろう。

 

 トリオン量という才能に恵まれなかったからこそ、死にもの狂いで技術を鍛え上げた。

 

 だからこそ、木虎はA級である自分に誇りを持っている。

 

 誰に頼るでもなく、自分自身の力で手にした地位であるのだから。

 

 しかしここで、その弱点(ハンデ)が彼女に重くのしかかる。

 

 香取の判断は、正しい。

 

 トリオン量で勝っているのだから、中距離戦で削って行けばそれだけで勝てる。

 

 遊びのない、堅実な一手。

 

 だからこそ、崩し難い厄介な手でもある。

 

 種が割れれば脆い奇策と違い、正攻法は目立った欠点というものがない。

 

 奇策は相手の意表を突き、意識の外から不意を撃つ事で初見殺しと成り得る強みがある。

 

 だが反面、策を見破られれば瓦解し易い。

 

 奇抜な策という事は、総じて安定感の無い策でもあるからだ。

 

 むしろ、安定を捨てて意表を突く事こそが奇策なのだ。

 

 格上殺しも可能となる一方、致命的な脆さも抱えているのだ。

 

 一方、正攻法は奇策と違い大きな実力差を覆す事は難しいが────────裏を返せば、相手に勝る部分があるのなら安定して勝てる戦法でもある。

 

 正攻法とは、単純に自分の地力を押し付けて相手と戦う事を意味する。

 

 地力と数で押して、相手の反撃をいなし、奇襲に備え徹底的に()()()を潰していく。

 

 この地力のごり押し戦術(ノースサウスゲーム)の極みと言って良いのが、二宮隊だ。

 

 二宮隊は二宮というトリオン強者を如何に安定して暴れさせるか、という事に軸を置いて戦術を組み上げている。

 

 14という圧倒的なトリオン量を元にした弾幕の暴威は、あらゆる者にとって脅威だ。

 

 数と力でごり押し、脇を二人の名サポーターが埋め、一つ一つ丁寧に相手の反撃を潰していく。

 

 それが、二宮隊の必勝戦術。

 

 己の持つ力を最大限に活かした、王者の戦術。

 

 それこそが、二宮隊の強さの根幹と言える。

 

 奇抜な事をしていないからこそ、容易に崩れる隙などない。

 

 正攻法の正しさは、二宮隊が身を以て証明している。

 

 故に。

 

 香取の戦術もまた、この場での最適解と言って良かった。

 

 奇策を以て挑んで来るなら、まだやりようがあっただろう。

 

 何せ、経験値が違う。

 

 香取と木虎では、格上相手の戦闘経験の差が雲泥だ。

 

 最近になってようやく前に進み始めた香取と以前から自己鍛錬を欠かさず、常に前を向いて来た木虎とでは積み上げたものが異なるのは当然だ。

 

 言い訳をして格上から逃げ続けた香取と、格上相手でも臆する事なく挑み続けた木虎では、戦闘経験の差は現時点では埋めようがない。

 

 故に、奇策に頼って特攻して来るようであれば、経験値の差で圧殺出来た。

 

 格下の奇策は、来ると分かっていれば大きな隙を生む愚策でしかない。

 

 格上殺し(ジャイアントキリング)に至る為には、奇策を悟られない事が第一なのだから。

 

 だが、香取は自分と木虎のトリオン量の優劣に着目し、正攻法での削り殺しを選んだ。

 

 正直に言って、木虎にとって一番望ましくない展開である。

 

 何せ、このままでは時間経過でトリオン切れになり自動的に木虎の負けだ。

 

 そうなれば、無傷の香取に戦場で自由を与えてしまう。

 

 その時には相応のトリオンを消耗しているだろうが、元より香取は木虎と同じ近距離万能手(クロスレンジオールラウンダー)

 

 残るトリオンが少なくとも、近接主体であれば充分過ぎる程暴れる余地はある。

 

 類稀な突破力を持つ香取を自由(フリー)にしてしまえば、どんな損害が出るか知れたものではない。

 

 だからこそ、木虎は此処で香取を抑えるという選択を取ったのだから。

 

(恐らく、香取先輩は私のトリオン切れまで付き合うつもりの筈。迂闊な攻めは、して来ないでしょうね)

 

 このまま撃っているだけで勝てるのだから、奇抜な策に頼る必要などない。

 

 香取はこのまま、中距離での削り殺しを徹底するだろう。

 

 少なくとも、自分からは攻め込まないに違いない。

 

(となると、これは────────()()()()()わね)

 

 現状のままなら、木虎が一方的に落ちる。

 

 それが許容出来ない以上、()()()()()()()()()()()

 

 座して敗北を待つワケにはいかない以上、それしか選択肢はない。

 

 そして。

 

 恐らく、それは香取も承知している。

 

 だからこそ、中距離戦に徹して待ち構えているのだ。

 

 木虎が、攻め込んで来るタイミングを。

 

 無理をして攻めるのではなく、相手に()()()()()()攻め込ませる。

 

 そして、それを待ち構え返り討ちにする。

 

 それが、香取の戦術。

 

 この場で導き出した、一つの最適解。

 

 才能溢れる少女は、現状で最も手堅く、覆し難い一手を選んだ。

 

 これが、木虎(かくうえ)に対する香取の解答。

 

 格上殺し(ジャイアントキリング)を狙う、一人の戦士の選択だった。

 

(上等じゃない。いいわ、乗ってあげる。だけど────────)

 

 木虎はそんな香取の意図を正しく理解し、自然口元を綻ばせる。

 

 もう、香取を格下とは思わない。

 

 正しい知識と力を持った、確かな実力を持った好敵手(あいて)

 

 そう認識して、全力で倒す。

 

 心に決めて、刃を構えた。

 

(────────勝つのは、私よ)

 

 必勝を、誓って。

 

 

 

 

(そうよ。アンタにはそうするしかないでしょ)

 

 木虎がスコーピオンを構えたのを見て、香取は内心ほくそ笑む。

 

 香取の思惑は、木虎の推察した通りである。

 

 中距離戦に徹して銃撃を継続し、トリオン量の差で削り殺す。

 

 そして、強制的に木虎を攻めに向かわせ、そこを仕留める。

 

 木虎は色々と推察していたが、香取は単にトリオン量で勝っているのだからこれが一番だろうと直感し、選択しただけだ。

 

 いわば、感覚による正答の抽出。

 

 才覚に溢れた者の直感は、得てして理屈をすっ飛ばして正解を導き出す。

 

 無論、その理屈は頭の中で無意識に察しているだけで考え無しに答えを出したワケではない。

 

 言語化出来ずとも、今ある情報から無意識の推察を行い瞬時に正解を導き出す能力。

 

 感覚派の実力者、その強さのタネがこれだ。

 

 理論派も感覚派も、やっている事は変わらない。

 

 ただ、それを考えてやっているか、感覚でやっているかだけの違いだ。

 

 前者は思考を言語化出来る為に指揮官適正があり大局を見る力に長け、後者は思考するという過程を脳内で圧縮している為極限の戦闘における機転の速さに長ける。

 

 勿論、香取は後者だ。

 

 彼女は指揮官適正はそう高くはないが、反面戦闘における機転の鋭さは群を抜いている。

 

 ブレインを他に任せ、一人のエースとして戦う今の状況は、香取の性能(スペック)を十全に引き出すには絶好の場と言える。

 

 指揮という重荷を投げ出せた分、自らの性能を発揮する事になんの躊躇いもない。

 

 ただ、自分の力を試したい。

 

 A級(かくうえ)相手に、自分の力が届くか否か。

 

 それを、確かめたい。

 

 その想いが、香取の心に火を点ける。

 

 彼女はその熱情を理性で制御し、銃撃を継続しながら木虎の一手を待った。

 

 そして。

 

(来た…………っ!)

 

 木虎が、真っ直ぐにこちらに突っ込んで来た。

 

 即座に香取は右手の拳銃(アステロイド)をオフにし、左手の拳銃(ハウンド)での迎撃を選ぶ。

 

 これまでは中距離戦に徹する為に両攻撃(フルアタック)で銃撃していたが、そもそも香取の銃手トリガーは威力も連射性能もそう高くはない。

 

 この距離であれば両攻撃をしたところで、シールドを破る前に木虎がこちらに到達する。

 

 故に、放つのはハウンドのみ。

 

 これでシールドの使用を強要し、木虎の選択肢を絞る為だ。

 

 ハウンドは、遮蔽物のある場所ならともかくこの場のような開けた場所では回避の難しいトリガーだ。

 

 拳銃型故に連射性能はそこまで高くはないが、それでもシールドなしに全弾凌げる程ではない。

 

 香取は、そう判断していた。

 

「は…………?」

 

 だが。

 

 木虎は、その予測を簡単に覆した。

 

 ハウンドが、木虎の四方から迫る。

 

 通常であれば、シールドを用いて突破する場面だろう。

 

 しかし。

 

 木虎は、まるでそのハウンドの軌道が分かっているかのうように姿勢を低くしながらシールドを張らずに疾駆し────────弾丸の間を、被弾せずに駆け抜けた。

 

 その神業に香取は瞠目するが、これはある種彼女の落ち度と言える。

 

 香取は、木虎を削り殺す為に銃撃を行い続けた。

 

 木虎にシールドを張る事を強要させる為に、繰り返し撃ち続けた。

 

 そう。

 

 ハウンドの()()()()を、木虎が把握するまでに。

 

 銃手トリガーは引き金を引けばすぐに弾丸が射出されるという即応性が武器だが、反面射手トリガーのような応用性はない。

 

 それはセットされている弾丸がハウンドであっても、変わりはない。

 

 射手と違って毎回弾丸を調整する手間がない分、その軌道は決まったものになりがちだ。

 

 木虎は、ただ漫然と香取の中距離戦に付き合ったのではない。

 

 彼女のハウンドの誘導半径を見切る為に、敢えて香取の思惑に乗ったのだ。

 

 この瞬間、香取の弾丸を潜り抜ける為に。

 

 正攻法には、正攻法を。

 

 奇策ではなく、ただ地力を以て打倒する。

 

 そんな木虎の無言の宣言が、香取の耳には聞こえていた。

 

(焦る必要はないわ。この程度、予想出来た事でしょうが…………っ!)

 

 地力が上なのは、木虎。

 

 これは、最初から分かっていた事だ。

 

 自分はB級で、木虎はA級。

 

 その差は、充分理解している。

 

 けれど。

 

 だからこそ、この手を選んだのだ。

 

 木虎を。

 

 生意気な格上を、正面から叩き潰す為に。

 

(来なさい…………っ!)

 

 木虎は香取の突貫に備え、無用となった拳銃を破棄。

 

 この距離ではハウンドなど邪魔なだけであり、片腕を塞いだままの方がリスキーだ。

 

 香取は敢えてスコーピオンを出さず、何処から攻撃が来ても良いように身構える。

 

「────────」

 

 木虎は、右手にスコーピオンを構え疾駆。

 

 正面から、香取へ斬りかかる。

 

「舐めるな…………っ!」

 

 まさかの正面突破に香取は右腕からスコーピオンを出し、迎撃。

 

 香取の刃が、木虎の腕に吸い込まれる。

 

「な…………っ!?」

 

 だが。

 

 次の瞬間、木虎の姿が視界から消えた。

 

 否。

 

 消えたように思える速度で、横に移動した。

 

 その左手に持つ拳銃から延びる、ワイヤーを手繰って。

 

 それは、木虎がA級特権で製作したカスタムトリガー。

 

 巻き取り式のスパイダーを内蔵した、ワイヤー銃。

 

 彼女はそれを用いて香取の側面に回り込み、そして。

 

 右手の刃を、煌めかせた。



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黒トリガー争奪戦⑦

 

 木虎藍にとって、香取葉子は正直あまり好きではない相手であった。

 

 入隊したばかりであっという間にB級に上がり、隊を率いてB級上位まで上り詰めた時は手強いライバルが出来たと思ったものだったが────────それも、長くは続かなかった。

 

 香取隊はB級上位に上がった途端、その躍進に陰りが見え始めたのである。

 

 理由はハッキリしている。

 

 チームの連携不足と、隊全員に共通する逃避思考。

 

 地力はそう悪くない筈のチームは、たかだか自分より強いエースとぶつかった程度で挫折し、進む事を止めていた。

 

 そこからの香取隊は、見れたものではなかった。

 

 負け続ける、そういうワケではない。

 

 だが、勝てるのは転送運に恵まれ香取が暴れられた時だけで、彼女が暴れる機会がなければそのまま押し負ける。

 

 そんな、一種のギャンブルのような戦術────────否。

 

 場当たり的なやり方でしか、ランク戦に臨んでいなかった。

 

 そうなった時点で、木虎は香取隊を見限った。

 

 ライバルとして認識する価値はないと、視界から消した。

 

 木虎は、正しい努力を行い明確な次へ繋げる為の思考を絶やさない人物が嫌いではない。

 

 逆に言えば、言い訳ばかりして碌に努力をせず、燻ってばかりの香取隊は早々に興味の対象から外れていた。

 

 しかし。

 

 その香取隊は、変わった。

 

 切っ掛けは、那須隊と戦った今期のラウンド4。

 

 あの試合を契機に、香取隊はそれまで燻り続けていた停滞を打ち破った。

 

 一戦ごとに動きが洗練され、戦術的な思考を行えるようになった。

 

 連携もきちんと意識をして、仲間の行動を気に掛けるようになった。

 

 相手の研究を欠かさず、しっかり対策を練るようになった。

 

 遂には、最終試験で迅に肉薄するところまで至った。

 

 木虎は、香取隊の評価を改めざるを得なかった。

 

 前の香取隊と、今の香取隊は別物だ。

 

 香取は停滞を止め、チームメイトもそれに追随しようと努めている。

 

 無理をして香取と同じステージに立とうとするのではなく、自らの役割を理解しエースに十全の動きが出来るように試合を組み立てる。

 

 まだまだ未熟ではあるが、そんな若村と三浦の動きは奇しくも若村の師匠である犬飼や辻の背を追うものだった。

 

 師弟であるから動きがある程度似たものになるのはある種当然とはいえ、あの犬飼の動きを少しでも模倣(トレース)出来れば大したものだ。

 

 サポーターとしてのレベルは雲泥の差ではあるが、きちんとスタート地点に立てた事に違いはない。

 

 元より、香取は才覚だけならボーダーでもトップクラスの逸材だったのだ。

 

 それが正しい努力を始めたのだから、強くならない筈がない。

 

 今は燻っていた期間の負債を払いきれてはいないが、いずれ彼女は高見に到達するだろう。

 

 それだけの潜在能力(ポテンシャル)を、彼女は持っているのだから。

 

 故に。

 

 手は抜かない。

 

 全霊を以て、香取葉子を打倒する。

 

 その決意を込めて、木虎はブレードを振り抜いた。

 

「────────!」

 

 否。

 

 ()()()()()()した。

 

 だが。

 

 彼女の右手は、何かに引っ張られるように停止していた。

 

 何か。

 

 言うまでもない。

 

 この現象を、このトリガーを。

 

 木虎は、良く知っているのだから。

 

「スパイダー…………ッ!」

「────────ワイヤー(これ)は、アンタの専売特許じゃない。アタシだって、使えるのよ」

 

 ワイヤートリガー、スパイダー。

 

 それを香取は。

 

 自らの左腕と、木虎の右腕を繋げる形で展開していた。

 

 スパイダーは通常、壁や家屋の間に張り巡らせるか、トリオン体を直接その場に縫い留める為に地面や壁との間に使用する。

 

 しかし、香取はそれを自分自身と木虎を繋ぐ形で展開した。

 

 自分自身も繋がれているというリスクを冒しながらも、これがこの場での最善であると理解して。

 

 香取は左腕をぐい、と引っ張り、木虎の態勢を崩しにかかる。

 

 このまま転倒でもすれば、それで終わりだ。

 

 格闘戦で態勢を崩すという事は、即ち敗北に直結する。

 

 故に、対応するより他にない。

 

「く…………ッ!」

 

 間一髪で腕から出現させたスコーピオンでワイヤーを切断した木虎だが、香取はすかさず自分と木虎の右腕同士をスパイダーで縫い付ける。

 

 香取はこのまま、意地でも木虎を逃がさないつもりだ。

 

 距離を取れば削り殺される事が確定する木虎に、そもそも逃げという選択肢は封じられている。

 

 故に、この誘いに乗るしかない。

 

 さながら、チェーンデスマッチ。

 

 お互いに逃げを封じ、この至近距離で削り合うという意思の表れ。

 

 木虎はその挑戦を、笑って受け入れた。

 

「────────!」

「この…………っ!」

 

 木虎は香取の首目掛けて、スコーピオンを振るう。

 

 香取はそれを左手のスコーピオンで迎撃し、更に右でのワイヤーを引く。

 

 ワイヤーが引かれる直前に木虎がそれを切断し、すかさず新たなワイヤーが展開される。

 

 繋がれたのは、両者の右腕。

 

「…………!」

 

 そのままワイヤーを引くかと思われた香取だが、それはせずにするりとした動きで木虎の懐に潜り込む。

 

 そう、最初からこれが狙い。

 

 ワイヤーを引き態勢を崩す、という目的を持っているように見せかける為に同じ行動を繰り返し、相手の眼が慣れた段階で意表を突く。

 

 これが、香取の戦術。

 

 スパイダーの使用というインパクトを目晦ましとし、本命の一撃に繋げる。

 

 それが、香取が導き出した最適解。

 

 懐に入り込んでしまえば、こちらのものだ。

 

 このまま、木虎の胸にブレードを突き立てれば良い。

 

 シールドを張られたとしても、木虎のトリオン量であればさほど強いシールドを張れない。

 

 力任せに押し込む事は、可能だろう。

 

 これで、詰め(チェックメイト)

 

 香取はそう、確信した。

 

「え…………?」

 

 今この瞬間。

 

 香取は、勝ちを確信した。

 

 自身の勝利を、()()()()()()しまった。

 

 それは、明確な隙。

 

 ボーダーのトップメンバーであれば生じない、成長が早過ぎたが故の精神の陥穽。

 

 鍛錬の果てに極地へ辿り着いた実力者は、当然その過程で精神も鍛え上げられる。

 

 だが。

 

 香取はその恵まれた才覚故、精神よりも先に技術が凄まじい勢いで成長してしまった。

 

 故に。

 

 自らの実力に、本当の意味で精神が追い付いていない。

 

 無論以前の香取よりも精神的に成長してはいるが、突貫工事であるが為に完璧とはいかない。

 

 今の香取は、付け焼刃を己の才覚(センス)で限りなく本物に近付けている状態だ。

 

 その完成度の高さは流石と言えるが、本当の上位者と比較すれば穴がある。

 

 そして。

 

 木虎は、その陥穽(あな)を突いた。

 

 自身の右足と、香取の右腕をワイヤーで繋げる事によって。

 

「が…………っ!」

 

 腕を止められた香取はそのまま木虎の一撃を受け、ブレードを胸に突き立てられた。

 

 完全な、致命傷。

 

 二人の一騎打ちは、香取の敗北で終わった。

 

「悪いけれど、スパイダー(これ)の扱いは私の方が上よ。付け焼刃に、負けるワケにはいかないわ」

「ったく、本当生意気…………っ!」

『トリオン供給機関破損』

 

 機械音声が、香取の致命傷を告げる。

 

 最早、彼女の脱落は覆しようがない。

 

 二人の女性エースの戦いは、香取の負け。

 

 その事実は、揺るがない。

 

「…………ッ!?」

「────────けど、これで引き分け(ドロー)よ…………っ!」

 

 ────────されど。

 

 ()()までは、持ち逃げさせない。

 

 その執念の一射が、香取ごと木虎の頭部を撃ち抜いていた。

 

 何が起きたのか。

 

 単純だ。

 

 ()()()()()のだ。

 

 敢えて香取を射線に巻き込み、弾丸を隠す形で。

 

「あなた、まさか…………っ!」

「ええ、アタシがやられたら()()()()()()()()って頼んどいたのよ。いけ好かない、リーゼントにね…………っ!」

 

 

 

 

「おっし、ヘッドショットだぜ。香取も良い仕事するなぁ」

 

 付近の家屋。

 

 その屋根の上でイーグレットを構えた当真は、木虎に狙撃が命中した事を確認しほくそ笑む。

 

 「当たらない弾は撃たない」と豪語する当真にとって、香取の提案(オーダー)は最上のものと言えた。

 

 相手の動きを制限する為に牽制の弾を撃て、といった要請であれば間違いなく断っていただろうが、香取はあろう事か自分を犠牲に確実に仕留めろと言って来た。

 

 その言葉に、当真がノリノリで頷いたのは言うまでもない。

 

 香取と木虎がぶつかれば、大抵の場合木虎が勝つ。

 

 成長著しい香取だが、自力の安定感という面から見れば木虎には及ばない。

 

 そして、一騎打ちという場ではその地力の差がモロに出るのだ。

 

 良いところまではいくだろうが、あと一歩が及ばず敗れる。

 

 それが、当真の正直な感想だった。

 

 だが、香取はその可能性すら考慮に入れ、自分が負けた時の計画(プラン)を用意していた。

 

 狙撃技術という点で言えば随一と言える、ボーダートップ狙撃手に依頼を行う(オーダーする)事によって。

 

 勝負に負けたのは香取だが、相手の駒はきっちり落とした。

 

 それだけで、充分過ぎる戦果と言える。

 

 当真はスコープで致命傷を負った二人を見据えながら、不敵な笑みを浮かべた。

 

「良い仕事だったぜ、香取」

 

 

 

 

「…………やられたわね。まさか、自分ごと撃たせるなんて」

「アンタに負けっぱなしは嫌だったからね。癪ではあるけど、ただ負けるよりはずっとマシよ」

 

 木虎と香取の二人は共に罅割れるトリオン体で、互いを見据えていた。

 

 最早両者の脱落は確定しており、距離的に最後の足掻きも出来そうにない。

 

 他の戦場に介入出来る余地がない以上、二人は此処でこのまま落ちる。

 

 それが、今回の一騎打ちの結末だった。

 

「ざまあないわね。どう? 格下に相打ち取られた気分は?」

 

 ニヤリ、と笑みを浮かべる香取に木虎はため息を吐いて応答する。

 

 戦場でのお喋りは趣味ではないが、もうやる事もないし構わないだろうと考えて。

 

「別に。今は貴方を格下とは思っていないわ。同格の相手として、戦ったつもりよ」

「それが上から目線だっつってんの。中坊の癖に生意気よアンタ」

「実力に年齢差は関係ありません。それから」

 

 木虎はそこまで言うと香取に負けず劣らず、不敵な笑みを浮かべた。

 

「負けっぱなしで終わるとは、言ってませんから」

 

 

 

 

「は…………?」

 

 当真は、愕然としていた。

 

 木虎を討ち取り、スイッチボックスで移動しようとしていた彼は。

 

 スイッチボックスに触れようとしていた右腕と頭部を、同時に粉砕されていた。

 

 弾速と威力から、使われたのはイーグレットと見て間違いない。

 

 それが、二発同時。

 

 射角から考えて、同じ場所から撃ったであろう二丁の狙撃銃。

 

 そんな馬鹿な真似をするのは、狙撃手界広しと言えどたった一人しかいない。

 

「佐鳥か…………っ!」

 

 嵐山隊狙撃手、佐鳥賢。

 

 彼の得意技である、イーグレットを二丁同時に扱う変態技術。

 

 ツイン狙撃(スナイプ)

 

 その技に、違いなかった。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声と共に当真の身体が崩壊し、光の柱となって消え失せる。

 

 戦果を齎した狙撃手は、それを代価として戦場から脱落した。

 

 

 

 

「────────っ! そっちも、保険をかけてたってワケ…………ッ!」

「そういう事よ。これは個人戦ではなく、チーム戦。なら、()の事を考えるのは当然でしょう?」

 

 木虎は舌打ちする香取に、そう言って微笑んだ。

 

 そう、最初から佐鳥は当真を討ち取るべく近辺で潜伏していたのだ。

 

 彼の位置が発覚し次第、転移される前に確実に仕留める為に。

 

 この戦場である意味最も厄介なのは、スイッチボックスの扱いに習熟した当真だ。

 

 彼は、スイッチボックスを活用した戦術を十二分に心得ている。

 

 他の者たちもその恩恵に与ってはいるが、最も効率的にスイッチボックスを活用出来るのは当真を置いて他にはいない。

 

 慣れ親しんだ戦術というのは、付け焼刃のそれとは比較にもならない。

 

 この戦場にスイッチボックスが仕掛けられている事が判明した時点で、佐鳥は当真を最優先で撃破するべく行動していたワケだ。

 

 それが、最も勝利に貢献する方法だと確信して。

 

 そして、当真が連携するなら昇格試験の第一試合で組んだ香取が最も可能性が高いと木虎は踏んでいた。

 

 あの試合のように彼女を援護する形で撃って来ると予想していた為致命打を防ぐ事は出来なかったが、当真を釣り出すという目的は達成した為、佐鳥がすかさず動いたワケである。

 

 木虎の敗北は痛いが、相手のエースの一人と厄介な狙撃手を潰したのだから決して無為な脱落ではない。

 

 エースとしての仕事は、充分果たせたと言える。

 

 してやられた事を理解した香取は内心で激昂し、しかしそれを抑え込んで啖呵を切った。

 

「────────見てなさい。そのうち絶対にA級(うえ)に行って、吠え面かかせてやるんだから」

「待っていますよ。勝つのは私ですけど」

 

 互いに敵愾心を露にし、二人の少女は同時に告げる。

 

 相手への、宣戦布告(すてぜりふ)を。

 

「「生意気」」

 

 その言葉を最後に二人のトリオン体が崩壊し、光の柱となって消滅する。

 

 木虎と香取。

 

 二人の少女は、同時に戦場から弾き出された。

 

 少女達なりの、発破(エール)を残して。



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黒トリガー争奪戦⑧

 

「…………っ!」

 

 ポスン、と音を立てて香取の生身の身体が緊急脱出用ベッドに落下する。

 

 戦闘直後の倦怠感がもたげていたが、先程の木虎の顔を思い出し────────事実上の敗北を改めて認識し、ぽすぽすとベッドに向かって八つ当たりをした。

 

「葉子。お疲れ様」

「華…………」

 

 そこに、オペレーターの華がやって来る。

 

 此処は香取隊の隊室であり、今日は若村と三浦は先に帰しているのでこの場にいるのは少女二人のみである為彼女が出て来るのはなんらおかしな事でもない。

 

 傍から見れば戦闘を終えた彼女を労いに来たように見えるが────────付き合いの長い香取は、それだけではない事を察していた。

 

「えーと、バレた…………?」

「なんとなく。私より色々知ってるんじゃないかなって事くらいは」

 

 そっか、と香取は観念したようにため息を吐いた。

 

 元より、彼女は自分の感情を隠す事が下手な部類だ。

 

 しかも、相手は幼馴染である華だ。

 

 自分の隠しごとなど、とうの昔に見破っていたのだろう。

 

 元より、いつまでも隠しておくつもりもなかったのだが。

 

「言っとくけど、アタシだって知ったのは作戦開始直前だかんね。あのヒゲが土壇場でぶっちゃけやがったから、色々困ってたのよ」

「葉子は、それを聞いたら私が協力しないと思った?」

「それは疑ってないわよ。華が、アタシの誘いを断った事なんてないじゃん」

 

 そうね、と華は香取の言葉を肯定し、頷いた。

 

 昔からこの寡黙な友人は自分から何かに誘う事は早々ないが、香取からの誘いを断った事は一度もない。

 

 乗り気な姿を見せた事などついぞないが、香取としてもうきうきで自分の誘いに乗る華なんて頓珍漢なものを見たら幻覚を疑うだろう。

 

 ともあれ、華は多くは語らないが基本的に香取の意思を最大限に尊重してくれている。

 

 仮に自分にとって不都合な面が出て来たとしても、香取の誘いを反故にするという選択肢は彼女にはない。

 

 なんだかんだ言いつつも、華の中の優先事項の最上位に香取がいる事だけは間違いがないのだから。

 

 だから、それは香取は心配してはいなかった。

 

 仮に事実を告げても、彼女なら黙って協力してくれるだろうと。

 

 故に。

 

「でも、本番前に余計な心労かけてもあれでしょ。だったら、終わってから言った方が良いかなって」

 

 香取は純粋に、華の心情を慮って情報共有を後回しにしただけだ。

 

 意外過ぎる作戦の実態を知って面倒くさくなった事もあるが、華の心情に配慮したというのも間違いではない。

 

 香取にとっての最優先事項は、華。

 

 それもまた、変わらない事実なのだから。

 

「そう。なら良いわ。説明は、今からしてくれるんでしょ?」

「ええ、勿論」

 

 そうして、香取は太刀川から聞かされたこの作戦の裏事情を説明する。

 

 今回の作戦が派閥間抗争の代理戦争であり、巧い落としどころを作る為の茶番の類である事。

 

 そして、上層部は恐らくではあるが最初から件の近界民を受け入れるつもりである事。

 

 それらの説明を、愚痴交じりに行った。

 

 それを聞いて華は数瞬黙り、そして。

 

 ため息を、吐いた。

 

「…………そっか。ボーダーは、近界民を受け入れるのね」

「やっぱり、嫌? 華、近界民(ネイバー)嫌いでしょ」

「好きではないわ。結局のところ、近界民がいなければ父さんと母さんが死ぬ事もなかったのだし」

 

 でも、と華は続ける。

 

「今の私にとっては、ただの外敵よ。近界民を放っておいたら被害が出るし、防衛任務で討伐すればお金も出るから葉子達に倒して貰ってるだけ。上層部が認めたって事は、その近界民の子はボーダーに協力的なんでしょう。だったら、私がとやかく言う事じゃないわ」

 

 華は努めて冷静な声で、そう告げた。

 

 確かに、四年前の大規模侵攻で彼女の両親が死んだのは近界民の所為だ。

 

 香取はあの件で華に両親を見捨てさせた事を気に病んでいるが、そもそも少女の細腕ではしっかりした作りだったが故に重く持ち上げる事すら容易ではない自宅の屋根の瓦礫は退けられるものではなく、香取の家の屋根の方が退けられる確率が高かった為にそうしただけだ。

 

 その事に関して何も思っていないワケではないが、香取を助けた事を後悔した事は一度もない。

 

 確かに近界民に関して思うところがないワケではないが、その感情と香取の意思を天秤に乗せれば後者の方に傾くのは言うまでもない。

 

 それでも近界民への憎悪は皆無ではないので城戸派閥に属してはいるが、三輪のようにそれを表立って表明する程感情的にもなれない。

 

 つまるところ、単純な話だ。

 

 近界民への憎悪に身を任せるよりも、香取と共に日々を過ごせればそれで良い。

 

 華の感情は、これに尽きる。

 

 だから、杞憂なのだ。

 

 自分は、香取のように情動に任せて動けるほど器用ではない。

 

 ただ、誰よりも大切な幼馴染と共に幸せを取りこぼさずに過ごせれば良い。

 

 彼女がいれば他に何も要らない、というワケにはいかないけれど。

 

 それでも。

 

 一番大事なものは、昔から何も変わらないのだから。

 

「じゃあ、後は結果を待ちましょ。アタシはもう落ちちゃったし、最低限の義理は果たしたでしょ」

「そうね。無理をしてまでサポートする気にはなれないし、それでいいと思う」

「決まりね。まあ、後でヒゲには文句を言うとして。それから例の近界民ってやつ、後で見に行ってやるわ。今回の件もあるし、嫌とは言わないでしょ。きっと」

 

 香取はそれに、とニヤリと笑みを浮かべた。

 

「一応木虎は倒せたし、後はあっちでどうにかするでしょ。仮にも、A級トップチームなんだしね」

 

 

 

 

「────────香取と当真がやられたか。やってくれたな」

 

 風間は迅と対峙しながら、報告を聞いて目を細めた。

 

 香取の脱落は木虎と当たったと聞いた時から想定していたが、当真がやられた事は素直に驚いた。

 

 当真は口では色々言ってはいるがその慎重さを風間は評価しており、滅多な事で下手は打たない相手だと考えている。

 

 今回も狙撃後はすぐにスイッチボックスによる転移を実行しようとした筈であり、この場合はその動きを読み切り正確に当真に弾丸を叩き込んだ佐鳥の隠密性と技量を褒めるべきだろう。

 

(この近辺に潜んでいるかと考えていたが、当真の撃破を優先してそちらに隠れていたとはな)

 

 風間は佐鳥が出て来るなら自分たちの所かもしくは三輪の所だろうと、予測していた。

 

 自分たちは現在迅相手に太刀川と二人がかりで拮抗している状態であり、狙撃という不確定要素が加われば崩れる可能性は低くない。

 

 同様に、狙撃が効かないという特性を持つ七海であれば狙撃の援護を有効活用出来る上に彼に対する切り札(ジョーカー)を保持している三輪相手である事も相俟って、そこへ佐鳥が援護へ向かう可能性は高かった。

 

 だが佐鳥はそれらの戦場を放置し、当真の撃破を最優先した。

 

 それだけ、スイッチボックスの活用に慣れた当真という駒の危険性を重く見積もったのだろう。

 

 風間達攻撃手とは違う、狙撃手としての視点。

 

 それを、見誤ったと言える。

 

(だが、これで佐鳥の位置は判明した。()()は、予定通りだ)

 

 されど、佐鳥の位置が分かったという事実は変わらない。

 

 風間はその認識を以て、一つの命令を下した。

 

()()()、佐鳥を抑えろ)

(────────了解)

 

 

 

 

「さて、仕事はしたしとんずらしたいけど────────」

 

 佐鳥は家屋の屋根の上でため息を吐き、背後を振り向く。

 

 その視線の先で、数軒先の屋根の上にいきなり出現した菊地原がスコーピオンを携えていた。

 

 彼は、この場に仕掛けられていたスイッチボックスを用いて佐鳥を仕留めに来たのだろう。

 

 他の人員が全て戦闘中であるが故に、この場で佐鳥に差し向けられる隊員は他にいない。

 

 三輪隊の狙撃手二人が来る可能性も考慮していたが、どうやらこの様子からして最初から菊地原は自分に狙いを定めていたらしい。

 

 その証拠に、菊地原のこちらを見る眼は彼らしくないやる気に満ち溢れていた。

 

 どうにも、ただ仕事だから落としに来たという以上の敵愾心が見える。

 

「あれ? もしかしてこの間の試験の事根に持ってる?」

「うるさい死ね」

 

 佐鳥の挑発に青筋を浮かべた菊地原は、そのまま一息で跳躍しブレードを振りかぶる。

 

 この距離に詰められた時点で、狙撃手に抗する手段はない。

 

 ライトニングを持って来ているかは分からないが、仮にそちらに切り替えたとしても姿を晒している狙撃手など怖くはない。

 

「…………っ!」

 

 ()()()()()を、菊地原は抱いていなかった。

 

 あの時。

 

 昇格試験の第三試合では、佐鳥は距離を詰められた状態から反撃し、菊地原を相打ちへと持ち込んだ。

 

 あの敗北は菊地原にとって苦い体験であり、今回佐鳥落としに志願したのもそのあたりの感情が関係していないと言えば嘘になる。

 

 本来であれば戦場を動き回りながら副作用(サイドエフェクト)を駆使して佐鳥の位置を見極める予定だったが、どうやら佐鳥は最初からこの場に潜み木虎が巧く戦場の場所を調節して作戦を実行に移したようだ。

 

 菊地原という生きた索敵網から逃れてのけた佐鳥の隠密能力は大したものだが、一度こうして対面した以上やる事は変わらない。

 

 油断なく距離を詰め、反撃の余地なく落とす。

 

 もしくは────────。

 

(あの時みたいに、テレポーターで逃げてもその先を狙えば良い。視線を追えば、転移先は分かるしね)

 

 ────────反撃の方向性を予測し、その上で追撃し確実に落とす。

 

 どちらにしろ、逃がしはしない。

 

 その意気で、菊地原は神経を集中させて佐鳥の一挙手一投足を聴いていた。

 

 以前はエスクードを目晦ましに使われ、テレポーターという隠し札でやられたが、今回同じ手は通用しない。

 

 前回の使用で、菊地原は佐鳥がテレポーターを使ってくる可能性をしっかり考慮している。

 

 考えてみれば、嵐山隊には二人もテレポーターの使い手がいるのだ。

 

 前回の戦闘で味を占めて佐鳥が本格的にテレポーターを導入していても、なんら不思議ではない。

 

 故に、警戒は怠らない。

 

 流石にエスクードという燃費最悪のトリガーまでこの作戦に持ち込んでいるとは考え難いが、万が一そちらを使ってきても同じ手は食わない。

 

 零距離狙撃という選択肢がある事さえ分かれば、それに備える事は出来る。

 

 想定していたか否かは、反応速度に直結する。

 

 これが想定外の事態であれば初見殺しとして機能するが、一度使った手は最早初見殺しとしては機能しない。

 

 既知の奇策は、ただの不安定な一手に他ならないのだから。

 

「…………っ!」

 

 だから、佐鳥がバッグワームを翻しこちらの視界を塞いだ時にも、冷静に対処した。

 

 此処で視界を塞ぐ目的は、視界を塞いで射線を隠して迎撃するか、テレポーターで転移するかの二択。

 

 どちらであっても反応出来るように、菊地原はスコーピオンを破棄して身構えた。

 

 結果は、後者。

 

 バッグワームごと佐鳥の姿が消失し、テレポーターでの転移が行われたのだと理解した。

 

 上下左右、何処から来るのか。

 

 どの方向から来ても迎撃出来るように、菊地原はその場で身構えようとして────────気付く。

 

 少し離れた路地。

 

 そこから、走り去る足音が聴こえて来る事に。

 

「あいつ…………っ! 僕を放って逃げたのか…………っ!」

 

 菊地原は前回の試合の経験からこの場での迎撃を選ぶと思い込んでいたが、そもそも佐鳥にこの場所での決着を急ぐ理由は何もない。

 

 決着に拘泥していたのはあくまで菊地原の方であり、佐鳥にそれに付き合う義理も理由もない。

 

 加えて、菊地原は自分という駒の重要性を理解している。

 

 これまで隠れ続けて来た自分が姿を見せれば欲をかいて落とそうとするだろうという考えがあったのだが、佐鳥は何処までも冷静だった。

 

 無理に落とそうとして反撃で落とされるよりも、逃走を優先する。

 

 それが、佐鳥の選択だった。

 

「逃がすか…………っ!」

 

 額に青筋を浮かべた菊地原は、副作用(みみ)を頼りに追撃を開始した。

 

 無論。

 

 情報共有は、徹底した上で。

 

 

 

 

(佐鳥が逃げたからそっちで見かけたら教えて。居場所は分かってるけど、またテレポーターを使うかもしれないし)

(了解した)

 

 奈良坂は菊地原からの要請に応じ、彼から伝えられた佐鳥の逃走ルート方面に目を向けた。

 

 今のところ、佐鳥の姿は見えない。

 

 恐らく、狙撃手の眼を考慮して死角を通っているのだろう。

 

 佐鳥もまた同じ狙撃手であるが故に、何処が狙撃手から見え易いのか、そして何処に射線が通っているのかを把握するのはお手の物だ。

 

 そういった()()()()()()()に関して、佐鳥以上に優れた者は早々いない。

 

(逃げに関して、佐鳥ほど厄介な奴もいない。これは骨が折れそうだな)

 

 狙撃技術もそうだが、佐鳥はああ見えて総合力が非常に高い。

 

 東ほどの理不尽さはないが、それでも狙撃手としては最上級(ハイエンド)に近い領域にいるのが彼だ。

 

 普段の振る舞いが昼行燈に過ぎない事は、奈良坂も理解している。

 

 佐鳥は狙撃手としての基本技能を高いレベルで収めている上に、機転の利かせ方が抜群に巧い。

 

 菊地原という生きた索敵機(ソナー)と高所からの狙撃手の俯瞰の合わせ技を以てしても、その動きを把握し切る事は難しい。

 

 一筋縄ではいかないだろうというのが、奈良坂の見立てだった。

 

(だが、俺も狙撃手の端くれだ。順位なんかに興味はないが、このまま逃がすのも癪だ。嵐山さん達の動きにも注視しつつ、こっちも警戒しておいて損はない)

 

 嵐山と時枝の二人は、幸い一緒に行動している。

 

 隠密性という点で彼等と佐鳥は雲泥の差なので、彼等の監視は古寺に任せて大丈夫だろう。

 

 むしろ、此処で折角位置が分かった佐鳥を逃してしまう方がダメージがデカい。

 

 方針は、決まった。

 

 奈良坂は古寺に指示を出しながら、佐鳥の監視を開始した。



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黒トリガー争奪戦⑨

「────────と、いうワケだ。思うところはあるだろうが、命令には従って貰うぞ」

 

 先日、風間隊室。

 

 そこで風間はチームメイトの菊地原と歌川相手に、今回の作戦の裏事情を話していた。

 

 歌川は黙って傾聴して頷き、そして。

 

 菊地原は、あからさまに険しい表情をしていた。

 

「…………風間さん。それ、七海が来るって本当?」

「ああ、十中八九来るだろう。あいつは、迅を慕っている。迅の頼みなら、断らないだろうからな」

「迅さんの頼み、ね…………」

 

 むすぅ、と菊地原は頬を膨らませた。

 

 七海の友人としては、今回の作戦に思うところは大いにある。

 

 彼自身は、派閥抗争なんてものはどうでもいい。

 

 勝手にやればいいと思うし、精々自分たちにお鉢が回って来た事を鬱陶しく思う程度だ。

 

 だが。

 

 七海を巻き込むのは、少々以上に腹立たしいというのが本音だ。

 

 菊地原が知る限り、七海はこういった組織間の策謀に適した性格ではない。

 

 色々とクレバーな面があるが、彼自身は平穏を好み騒乱を嫌う。

 

 影浦や太刀川(ししょうたち)の影響で戦う事自体は忌避するどころか好きな部類に入るが、進んで騒乱の中に足を踏み入れたい、というタイプではない。

 

 そのあたりが、戦えれば舞台は何処でも構わないという太刀川(せんとうきょう)との違いだ。

 

 そんな七海が、進んでこんな面倒な戦いに巻き込まれている。

 

 ハッキリ言って、この時点で菊地原の迅に対する心象は著しく下がっていた。

 

 迅にも事情があるのだろうが、菊地原の優先順位としては七海の方が圧倒的に上だ。

 

 菊地原は、七海の自己犠牲癖を知っている。

 

 あのラウンド3での騒動以降マシにはなったが、根本的な利他主義は治っていない。

 

 だからこそ、こうした形で無茶をさせる迅を好きになれる筈がなかった。

 

(…………まあ、言い出したのは七海の方なんだろうけどさ。ホントムカつく)

 

 だが、菊地原とて迅が七海に協力を強制したとまでは思っていない。

 

 七海の事だから、「迅さんの力になりたいんです」とでも言って自分を売り込んだのだろう。

 

 もしくは、予め迅に「何かあったら頼って下さい」とでも言っていたか。

 

 そのどちらかだ。

 

 癪だけど。

 

 本当に癪だけど、彼ならやると菊地原は確信していた。

 

 能力が優秀な分、有言実行出来るのがタチが悪いと菊地原は常々思っていた。

 

 けど。

 

 止めろ、なんて言って聞く相手ではない。

 

 七海は相手の意思は尊重するが、こうと決めた事は頑として譲らない意思の強さがある。

 

 その事自体は好ましく思っているが、何事にも限度というものがあるという事だ。

 

「不服か? ああは言ったが、望むなら作戦から外れても構わないぞ」

「いいえ、やりますよ。手抜きなんか一切しないんで、よろしくお願いします」

 

 だから、菊地原の答えは決まっていた。

 

 気に食わない。

 

 だけど、言って止まるような相手ではない。

 

 なら。

 

 実力行使(おはなし)するしかないだろう。

 

「…………いいのか?」

「何が?」

「お前、七海と仲良いだろ? あいつと敵対して、大丈夫か?」

「敵対じゃないし。ちょっとお灸を据えるだけだし」

 

 そもそもさ、と菊地原はジト目で告げる。

 

「あいつが色々抱え込みがちなのは分かってるのに、こんな事に巻き込んだ時点で全員同罪。だから手は抜かないし、七海と戦り合う事になったらキツめにお灸を据えてあげるんだから」

 

 そう話す菊地原の眼は、完璧に据わっていた。

 

 彼は常であれば指摘はすれど答えは言わないのだが、今回ばかりはどうやら怒髪天に来ているらしい。

 

 菊地原としては、「折角A級に上がったばっかの七海を何に巻き込んでくれてんの」といった感じで最初から激おこ案件なのだ。

 

 七海達那須隊がA級に上がった事を菊地原が内心で大喜びしていたのは、風間も歌川も知っている。

 

 那須隊のA級昇格以降あからさまに七海の事を話題に出す事が増えたし、嫌みばかり言いがちな菊地原にしては称賛の言葉がやけに多かった為、二人に対してはバレバレだった。

 

 そんな二人に生暖かい視線を送られ続けていた為、菊地原は内心悶々としていたそうだ。

 

 加えて、それからすぐに遠征に向かった為七海と碌に歓談する時間も取れず、帰って来てみればこの一件が持ち込まれたので遠征で蓄積したストレスが爆発したのだろう。

 

 表面上は静かだが、菊地原は完全にブチキレ状態だった。

 

 これは長引くな、と歌川は今後のフォローを考えて心の中でため息を吐いた。

 

 風間はそんな二人の様子を見て苦笑し、ただ一言口にした。

 

「なら、作戦では存分に働いて貰うぞ。ある程度の指示は出すが、細かい裁量は任せる。この際だ。お前のやりたいように、やってみろ」

 

 

 

 

(風間さんの許可は出た。だからこれはリベンジとかじゃなく、ただ厄介な駒を片付けるだけ。それだけだから)

 

 菊地原は副作用(みみ)を頼りに佐鳥を追いかけながら、思考の片隅で言い訳を口にしていた。

 

 七海が来る事は知っていたし、那須が出て来るのも予想の範疇ではあった。

 

 だが、嵐山隊が来た事は想定外であった。

 

 確かに、迅と嵐山は仲の良い友人同士と聞いている。

 

 しかし、こんな裏事情の絡む作戦に呼び寄せる程だとは思っていなかった。

 

 迅は七海と同じくなるべく自分の事情を他人を巻き込みたがらないタイプであると考えていたのだが、その認識は修正する必要がありそうである。

 

(七海の影響かな、多分。まあ、関係ないけど)

 

 菊地原にとって、迅悠一は良く分からない相手だった。

 

 副作用(サイドエフェクト)の影響により、菊地原は相手の心音を聴けば大体どんな性格の相手なのか予想する事が出来る。

 

 落ち着いた相手は心音が安定していて、テンション任せの相手ほど心音の乱れが激しい。

 

 そして、裏表のないタイプは心音が感情に合わせてきちんと上下していて、裏のあるタイプは感情と心音の上下が一致しない。

 

 裏のあるタイプというのは、表面上は笑っていても心音は普段通りの波風立たない状態のまま、というケースが多いのだ。

 

 代表的なのが犬飼であり、同じように相手の感情を副作用(サイドエフェクト)で察知出来る影浦が彼を嫌う理由も此処にある。

 

 菊地原自身も犬飼の事はあまり近付きたくないタイプだと考えており、影浦ほど露骨に嫌いはしないが避けてはいる。

 

 迅の場合は、心音は乱れまくっているのに表面上は常に平静という、痩せ我慢の究極系みたいな印象だった。

 

 普段から飄々とした笑みを浮かべている迅だが、そんな時でも彼の心音は極端に淡泊か激しく乱れているかのどちらかだった。

 

 加えて、そのどちらであってもその感情が一切表情に出て来ない。

 

 感情の制御が完璧であるとも言えるが、あんな心音をしておいて平静を演じる迅の事を不気味に思っていたのは事実である。

 

 そして。

 

 佐鳥は、そんな迅に近いタイプの心音(あいて)だった。

 

 普段から三枚目キャラで通している佐鳥だが、副作用(サイドエフェクト)で心音を聴ける菊地原からしてみればそれが演技である事はまる分かりだった。

 

 友人と馬鹿話をしたり、後輩の前でおどけたりしていても、佐鳥の心音は平静そのもの。

 

 犬飼と同レベルか或いはそれ以上に、自分の本音を誤魔化すのが得意な人間であると言えた。

 

 だからこそ、油断はしない。

 

 前回の試合の時も油断したワケではないが、距離を詰めた狙撃手に相打ちを取られた時点で負けたようなものだ。

 

 故に、今回は確実に落とす。

 

 反撃の余地を与えず、堅実な策で獲りに行く。

 

 三輪隊の狙撃手二人には、協力を要請した。

 

 菊地原は耳で相手の位置が分かるが、それに狙撃手による俯瞰視点が加わればより正確な情報を入手出来る。

 

 前回は、耳に頼り過ぎたが故に意識の陥穽を突かれ相打ちに持ち込まれた。

 

 ならば、今回は耳以外の()()も加えイレギュラーをなくす。

 

 先ほどはあそこで迎撃して来るという思い込みから逃げられてしまったが、このまま逃走など許しはしない。

 

 今は巧く死角を通って狙撃手の視界から隠れているようだが、そもそも菊地原にはその大まかな位置が拾えているのだ。

 

 途中で足を止めでもしない限り見失う事は有り得ないし、今足止めに来られるような相手の駒はいない。

 

 それに。

 

 こちらには、()()()()()()()()()()()

 

 相手の逃走経路が特定出来たら、その進行方向にスイッチボックスで先回りして仕留めるだけだ。

 

 その為には、正確な情報が要る。

 

 最低限、相手を視認出来る位置に出なければテレポーターで逃げられる可能性がある。

 

 故に、スイッチボックスはギリギリまで使わない。

 

 使うのは、狙撃手の報告を受けてから。

 

 そう決めて、菊地原は追走を継続した。

 

 

 

 

「あれは…………っ!」

 

 そして。

 

 菊地原から要請(オーダー)を受けた奈良坂は、スコープ越しに佐鳥の姿を捉える事に成功した。

 

 スコープの先、家々の隙間。

 

 その向こう側に、たなびくバッグワームが見える。

 

 見えたのは一瞬であった為顔までは見えなかったが、菊地原から提供された位置情報から考えれば佐鳥である事に間違いはない。

 

 奈良坂はそう確信して、通信を繋いだ。

 

「菊地原、佐鳥を視認した。座標の情報を送る」

 

 

 

 

「よし…………っ!」

 

 菊地原は奈良坂から送られた位置情報と自分の耳が捉えた音源が一致している事を確認し、即座にスイッチボックスを起動。

 

 一瞬の浮遊感の後、目的の場所へと転移する。

 

 そして。

 

 バッグワームをたなびかせて路地を走る、佐鳥の姿を視認した。

 

(見つけた。今度は逃がさない)

 

 菊地原は音を立てずに静かにカメレオンを起動し、自らの姿を隠す。

 

 まだ、佐鳥はこちらの詳細な位置には気付いていない。

 

 気付かれれば、テレポーターで逃げられる。

 

 カメレオンを起動した為レーダーには映っているだろうが、レーダーの情報だけでは大まかな位置しか分からない。

 

 足音や移動痕等から居場所を推察する事は出来るだろうが、それらの痕跡をなるだけ減らす技術は風間ほどではないが修めている。

 

 無音暗殺術(サイレントキリング)

 

 そう呼んで差し支えない技術を以て、あのふざけた狙撃手を打倒する。

 

 油断はしない。

 

 見落としもない。

 

 佐鳥の一挙手一投足を見逃さないよう注視しながら、音もなくその背に忍び寄る。

 

 そして、至近まで接近。

 

 その無防備な背に、スコーピオンを振り下ろした。

 

「え…………?」

 

 だが。

 

 その刃は、振り下ろされる前に腕ごと吹き飛ばされた。

 

 上空。

 

 真上から放たれた、銃撃によって。

 

 頭上に見えたのは、一人の少年。

 

 アサルトライフルを構えた、時枝の姿。

 

 此処にいる筈のない、嵐山と共に七海の援軍に向かっている筈の少年だった。

 

 嵐山の移動経路は射線を切る為に大きく迂回している為、菊地原の副作用(サイドエフェクト)の効果範囲には入っていない。

 

 それは同時に、テレポーターを用いたとしても一瞬で移動出来る距離ではない事を意味している。

 

 だから、彼が此処にいるのはどう考えてもおかしい。

 

 そもそも、二人は話によればレーダーに映っていた筈だ。

 

 故に、何か動きがあれば三輪隊の狙撃手達から連絡が来るだろう。

 

 そう考えていた菊地原だが、現に時枝はこの場に現れた。

 

 このカラクリの、正体は。

 

「まさか…………っ!」

 

 

 

 

(ダミービーコンだ…………っ! レーダーに映ってるのは、嵐山隊じゃない…………っ!)

「…………っ! 古寺…………っ! レーダーは囮だ…………っ!?」

 

 菊地原の慌てた様子の通信に一瞬で事態を理解した奈良坂は、古寺に呼びかけた。

 

 ダミービーコン。

 

 その菊地原の一言で奈良坂は現状の危険性を把握した。

 

 先ほどから、嵐山隊の監視は古寺に任せている。

 

 建物の影に隠れて視認は出来ないがレーダーにはきちんと映っている、という報告も聞いていた。

 

 だが。

 

 もし、レーダーに映っていたのが嵐山達でなければ。

 

 前提は、全てがひっくり返る。

 

 この場所からは狙撃を行っていない為位置がバレていない筈、とは考えない。

 

 明らかに、佐鳥はこちらの動きを読み切っていた。

 

 菊地原は奈良坂の報告を受け、即座に佐鳥を落としに行った。

 

 つまりそれは。

 

 佐鳥を狙撃手(じぶんたち)が見た()()()()()を、教えてしまっている事と同義だ。

 

 それだけ、とは思わない。

 

 佐鳥は、優秀な狙撃手だ。

 

 故に、どの位置からなら現時点の自分が視認出来るかの計算など、即座に行える筈だ。

 

「が…………っ!?」

 

 視線の先で、反応が間に合わずに嵐山の銃撃を浴びた古寺が、その証拠だった。

 

 奈良坂は舌打ちしつつ、間一髪でスイッチボックスを起動。

 

 銃撃がこちらに向く前に、その場から離れる事に成功した。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 その耳に。

 

 仲間の脱落を告げる機械音声を、耳にしながら。

 

 

 

 

「まあ、流石にこうなるか」

 

 時枝は空中で、頭部を吹き飛ばされていた。

 

 撃ったのは、無論奈良坂。

 

 彼はスイッチボックスでの転移を用いて狙撃位置に着き、時枝が地面に降りる前にその額を撃ち抜いた。

 

 時枝は咄嗟に頭部を集中シールドで守っていたが、それをすり抜けるように放たれた一射は一撃で彼に致命傷を与えていた。

 

 勝ち逃げは許さない。

 

 そう、言外に叩きつけられたかのような鮮やかな狙撃だった。

 

「ごめんね佐鳥、嵐山さん。先に落ちます」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 時枝の戦闘体が崩壊し、光となって消え失せる。

 

 それを見届けながら、既に致命傷を負った菊地原は舌打ちする。

 

 先ほどの時枝の銃撃で、菊地原は腕だけではなく全身が穴だらけになっていた。

 

 最早、戦闘続行は不可能。

 

 佐鳥は既にテレポーターを用いて距離を空けており、どう考えても手が届く前に脱落する。

 

 完全敗北。

 

 そう言って差し支えない、結末と言えた。

 

「やってくれたね。最初から、僕を嵌めるつもりだったってワケ」

「きくっちーはある意味一番厄介な駒だからねー。このくらい、必要経費さ」

「誰がきくっちーだよこの野郎」

 

 菊地原はそのあだ名で自分を呼ぶかつてのオペレーターを想起しながら、ため息を吐いた。

 

 色々と覚悟を決めて挑んだだけに、この結果は情けない。

 

 というより、色々ムカついた。

 

 こんな事なら、素直に七海か迅に向かっていれば良かったか、と一瞬思うが後の祭りだ。

 

 ダミービーコンなんていう手でまんまと騙された事もそうだが、それを予想出来なかった自分に腹が立つ。

 

 そもそも、嵐山隊が新たなトリガーの使用に抵抗がないのはあの試合で分かっていた筈だ。

 

 有用と考えれば、どんなトリガーでも戦術に組み込んでいく。

 

 その柔軟性が、あの部隊の厄介な所だというのに。

 

 それを、失念していた。

 

 恐らく、嵐山達は射線から隠れた後でダミービーコンを起動。

 

 テレポーターをタイムラグを置きながら繰り返し使用して場所を移動し、こちらの攻撃に合わせて転移して奇襲を実行した。

 

 種を明かせば簡単だが、それにまんまとやられたのが悔し過ぎる。

 

 借りを返すどころか、大きな借りが出来てしまったようだ。

 

「ホント、ムカつく。ムカつくついでに、一つ伝言しとくよ」

「なになに? 伝えられる事なら伝えとくけど」

 

 飄々とした様子で、しかし真面目に聞いている事が分かった菊地原はジロリとそんな彼を見ながら伝言を託す。

 

「じゃあ、迅さんに言っといて────────七海の事、ちゃんと責任持たなきゃ許さないって」

「了解。伝えとくよ」

「忘れないでよ」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 その宣告を最後に、菊地原のトリオン体が崩壊し消え失せる。

 

 天に上った光の柱を見ながら佐鳥はため息を吐き、その場を後にした。

 

 伝言は確かに受け取ったと、そう小さく呟いて。



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黒トリガー争奪戦⑩

 

(菊地原と古寺がやられた。俺は嵐山さんの抑えを継続する。すまないが、そちらの援護は難しいだろう)

(分かった。そっちを頼む)

 

 奈良坂からの報告を受け、三輪は内心で舌打ちする。

 

 誰に責任があるか、なんて事は今問うべき事ではない。

 

 必要なのは、現状の正確な把握と今後の展望。

 

 それを、三輪は七海と睨み合いながら思案する。

 

(状況は────────落ちた向こうの駒が木虎、時枝。こっちの脱落者は香取、菊地原、古寺か。加えて歌川が足を失い動けない。最初の人数差があっても、少し厳しい戦況か)

 

 当初、戦闘開始時の両チームの駒の数は自分たちが太刀川隊、冬島隊、風間隊、三輪隊に香取を加えた合計12名。

 

 冬島は戦闘要員として換算しない為、実質11名である。 

 

 対して、迅の側は迅本人と嵐山隊、そして七海と那須を加えた計7名。

 

 現在は自分たちが三人削られ8名となり、うち一人は移動不可。

 

 向こうが二名脱落で5名となり、数字の上ではまだこちらが有利である。

 

 だが、問題は現在生き残っている向こうの人員に目立ったダメージがない事だ。

 

 大一番である迅との戦闘は歌川の負傷以外は三輪の所まで情報は来ていないが、未だ戦闘が続いているという事は無傷で凌いでいる可能性が高い。

 

 迅という特機戦力はそれだけの地力があるし、三輪もその実力だけは認めている。

 

 あの影浦ですら迅には勝てなかったのだから、実力を低く見積もれるワケがない。

 

 好悪の情はともかく、その力の程を理解出来ないほど三輪は愚かではないのだから。

 

 那須と出水も未だに戦闘が続いている以上目立ったダメージはないだろうし嵐山はまだ手傷を与えてはいないと報告は受けている。

 

 佐鳥も無傷のままであるし、七海もまた痛打を与えてはいない。

 

 先ほどから七海は、徹底して遅延戦術を用いていた。

 

 奇しくも香取や木虎と同じように、深くは踏み込まずヒット&アウェイで応戦を続けている。

 

 七海は、三輪の鉛弾と米屋の幻踊弧月を警戒している。

 

 鉛弾は言うまでもなく、七海に対する切り札(ジョーカー)だ。

 

 ダメージを発生させずにデメリット効果のみを付加する鉛弾(レッドバレット)は、七海の副作用(サイドエフェクト)の感知対象外だ。

 

 故に、鉛弾は七海に対する真正の()()()()として作用する。

 

 加えて、三輪のそれは通常の鉛弾とは異なり、A級特権の改造トリガーで片枠で撃てるようになっている。

 

 鉛弾の持つ最大のデメリットであった両攻撃(フルアタック)でなければ使用出来ないという制限が外れている以上、いつ何時撃って来るか分かったものではないのだ。

 

 もう一つのデメリットである弾速や射程の減少も、三輪の技術でカバーしている。

 

 迂闊に攻め込めば鉛弾を撃ち込まれて詰みの状況に持ち込まれるし、下手に近接戦を仕掛けても三輪の格闘技術はかなりのものだ。

 

 スコーピオンを扱う七海は本来であれば弧月使い相手には懐に飛び込んだ方が有利なのだが、鉛弾の存在が安易な接近を許さない。

 

 加えて、彼にはサポートの名手である米屋がいる。

 

 米屋は太刀川と同じ戦闘狂(バトルジャンキー)だが、その本質は部隊のサポーターだ。

 

 個人技もそうだが連携能力も図抜けて高く、攻撃手としてはかなり広い視野を持っている。

 

 攻撃手は、その性質上目の前の相手に集中して戦うタイプが多い。

 

 指示は基本的にチームのブレインに任せ、自分は与えられた役割をこなす事に注力する。

 

 生駒隊の生駒や南沢はこのタイプであり、生駒はある程度指揮が出来る柔軟性もあるが南沢は典型的な()()()()()()タイプだ。

 

 連携も行えるがそれはあくまで指示を与えられた場合であり、基本は目の前の相手との戦いに集中する。

 

 相手に合わせる事は出来るが、自分から動きを考える事は苦手なタイプだ。

 

 対して、米屋は連携戦術を組み上げる能力が非常に高い。

 

 戦場全体を俯瞰して見る事が出来、最終的な勝利の為ならその場の勝利に拘らないクレバーさがある。

 

 勝利の為に必要とあらば、自分の犠牲を前提とした戦術すらも躊躇いなく実行する。

 

 そういった()()が、米屋にはあるのだ。

 

 それを理解しているからこそ、七海は無理をしない。

 

 確かに、三輪に関して思うところは色々ある。

 

 直接決着を付けたいというのも、嘘ではない。

 

 だが、それは無理をして自分一人で三輪を倒すという意味ではない。

 

 ()()()戦術的な勝利を手にして、そこから言うべき事を告げる。

 

 要は、七海は決着には拘っているがその()()には頓着していない。

 

 最優先事項は迅の依頼の遂行であり、三輪への個人的な思惑は二の次だ。

 

 七海の思惑はともかく、その作戦方針は三輪も察している。

 

 だからこそ、三輪は攻めあぐねていたと言える。

 

 確かに、七海は遅延を主眼として動きを構築している。

 

 だがそれは、裏を返せば迂闊に踏み込めばたちまち反撃に移れる迎撃(カウンター)の構えをしているという意味でもある。

 

 鉛弾は、確かに七海の副作用(サイドエフェクト)をすり抜ける事が出来る。

 

 しかし、それは必ず当てられる、という事とイコールではない。

 

 幾ら改造トリガーとはいえ、鉛弾の弾速自体はそこまで速くはないし、そもそも直線軌道でしか飛ばないのだから銃口の向きにさえ注意していれば回避は出来る。

 

 それこそ荒船がやったように至近距離で撃ち込むならば回避は困難であるが、そんな事は七海とて百も承知だ。

 

 最悪、手足に鉛弾を撃ち込まれたとしてもそれを斬り落としてスコーピオンで四肢を補填するという手段もある。

 

 鉛弾はあくまで重石を与えるトリガーであり、実際に七海がやったように重石の付けられた個所を斬り落とせばその影響は排除出来る。

 

 当然四肢が欠損すれば戦闘力はがた落ちするが、スコーピオンを扱う七海はそれを補填する用意がある。

 

 つまり、鉛弾を撃ち込まれる覚悟で接近して相打ちを取られる可能性もあるのだ。

 

 そういった経緯もあり、双方に目立ったダメージがないまま戦闘が長引いてしまっている。

 

 恐らく、七海の思惑通りに。

 

 長期戦になれば、七海のトリオン強者としての特性が優位に生きて来る。

 

 七海のトリオン評価値は、10。

 

 今回の戦闘の参加者の中では、出水に次ぐトリオン量である。

 

 対して、三輪は6で米屋は4。

 

 彼等二人分のトリオンの合計が、即ち七海のトリオン量なのだ。

 

 二対一で相手をしている為消耗は七海の方が大きいだろうが、それでもこのまま膠着状態が続けば七海に形勢が傾く可能性が高い。

 

 故に、現状を変える必要があった。

 

(奈良坂の援護は期待出来ない。最悪のケースは、嵐山さんが此処に駆けつけてしまう事。古寺を仕留める為に移動したからすぐに来れる距離にはいないが、向こうにはテレポーターがある。油断は禁物だ)

 

 嵐山は古寺を落とす為に、テレポーターを繰り返し用いて彼らの所まで赴いた。

 

 当然この場所からは離れており、テレポーターを使っても一息で来れる距離ではない。

 

 だが、向こうにダミービーコンがあるとなればレーダーの情報は当てにならない。

 

 ダミービーコンの動きは良く見れば機械的なので動いていれば判別は出来るが、逆に言えば動かなければ判別は出来ない。

 

 その場にダミービーコンを残したままテレポーターで転移すれば、こちらのレーダーにはその場から動かない反応だけが映る。

 

 レーダーに移動後の反応がなかった事からバッグワームと併用してテレポーターを使ったと考えられるので、ダミービーコンの起動者は恐らく佐鳥だろう。

 

 彼もまた冬島のように、戦闘が始まる前に予めダミービーコンを仕掛けていたに違いない。

 

 嵐山達はその仕掛け場所まで赴き、それを利用したワケだ。

 

 佐鳥がダミービーコンを使ったという記録はこれまでにないが、そもそも彼は東と同じ最初期の狙撃手である。

 

 東が得意とするダミービーコンの使用法も、相応に見ていたに違いない。

 

 佐鳥の動きは、旧東隊の一員だった三輪から見ても東の影を感じるには充分なものだった。

 

 故に、奈良坂は嵐山と佐鳥の牽制を続けて貰わなければならない。

 

 テレポーターを持つあの二人が自由になれば、理屈の上では何処へでも援軍に駆けつける事が出来てしまうのだから。

 

(となると、この場面ですべき行動は────────)

 

 三輪はしばし逡巡し、作戦を固めた。

 

 そして彼にその作戦を聞いた米屋は、静かに頷く。

 

(それっきゃねぇな。けど、都合良く行くと思うか?)

(それならそれで、対応するだけだ。どちらにしろ、無理に仕掛けるよりは効率的だからな)

 

 だから、と三輪は続ける。

 

(迅の方に向かう素振りを見せて、七海に追いかけさせる。追いかけて来なければ、そのまま向こうに加勢するだけだ)

 

 

 

 

(成る程、そう来るか)

 

 七海は背を向けて駆け出す三輪達を見て、すぐにその意図に気が付いた。

 

 彼等が向かう先には、迅が太刀川達と戦っている場所がある。

 

 このまま放置すれば、迅は三輪隊を加えた三部隊に囲まれる事になってしまう。

 

 流石の迅といえど、その状況では勝つ事は難しい筈だ。

 

 故に、七海は三輪を追いかけざるを得ない。

 

 彼等を、迅の所に向かわせるワケにはいかないからだ。

 

 そうなると自然、無理をするのは七海の方になる。

 

 深く踏み込まなければ、恐らく三輪達は逃走を優先するだろう。

 

 つまりこれは、七海に自ら踏み込ませる為の作戦。

 

 分かっていても避けようがない、堅実な策と言えた。

 

 その行動に、七海は。

 

 笑みを、浮かべた。

 

 

 

 

「来たか…………っ!」

 

 三輪はグラスホッパーを用いて自分たちの頭上に跳躍した七海を見て、銃を構え引き金を引いた。

 

 射出した弾丸は、変化弾(バイパー)

 

 複雑な軌道を描く弾丸が、上空の七海を包囲せんと迫る。

 

「旋空弧月」

 

 同時に、米屋は旋空を起動。

 

 二連撃の拡張斬撃が、十字の形を描いて七海に襲い掛かる。

 

 七海はそれを、グラスホッパーの連続起動で回避。

 

 ジグザグな軌道を描きながら、空中を疾駆する。

 

 恐らく、このまま上空から隙を見て炸裂弾(メテオラ)を撃ちその爆破に紛れて奇襲するつもりだろう。

 

 三輪はいつ爆撃が来ても対応出来るように銃を構え、そして。

 

 七海は地上に向かって、短刀型のスコーピオンを投げつけた。

 

 

 

 

「追い詰めたぜ────────なんて、言うワケねーだろ」

 

 一方、迅は太刀川と斬り合いながら放棄区域の家屋の車庫で彼と対峙していた。

 

 先ほどまでは歌川からの射撃援護があったが、流石に両足が斬られたダメージは軽くはなかったらしくトリオン漏出で緊急脱出(リタイア)

 

 此処にいるのは、迅と太刀川、風間のみ。

 

 しかし、優勢なのは太刀川達だった。

 

 太刀川は、徹底して接近戦を選択。

 

 それを未来視が効き難いカメレオンを使う風間が連携して援護し、二対一の接近戦────────しかも相手はボーダーでもトップクラスの実力者二人がかりによる攻勢により、迅は防戦を強いられていた。

 

「狭いトコに引き込んで遠隔斬撃で迎撃する気だろうが、そうはいかねぇよ。タネは、割れてんだからよ」

「参ったなぁ。対策ばっちりってやつか」

 

 何より、風刃の力を太刀川に知られているのが痛かった。

 

 もし、風刃の性能を知らなければ太刀川達は車庫に踏み込み、迅が仕掛けた罠に嵌まっていただろう。

 

 だが、太刀川は風刃の────────遠隔斬撃の使い方を、映像で見ている。

 

 故に、狭所での戦闘が悪手であると、理解しているのだ。

 

 ()()斬撃という言葉に騙されそうになるが、迅の風刃の能力はスコーピオンの拡大発展版に近い。

 

 速度と射程が尋常ではないだけで、複雑な地形でこそ真価を発揮する類の能力である事は言うまでもない。

 

 風刃を持った迅を相手にするなら、七海達が最終試験でやったように開けた場所で戦うのが一番なのだ。

 

 故に、踏み込みはしない。

 

 太刀川は旋空の発射態勢を取り、風間はいつ迅が動いても良いように身構えた。

 

 このまま旋空で家屋を両断し、迅をこちらに引きずり出す。

 

 家屋の下敷きになれば動きが鈍る事は避けられない為、こちらに出て来るしかないのだ。

 

 故に、出て来たところを二人がかりで斬りかかる。

 

 もしくは、旋空で動きを制限して風間が追い詰める。

 

 どちらであっても、この場で詰ませる。

 

 決める。

 

 そう決意し、太刀川は旋空を発射する。

 

「────────」

 

 その、直前。

 

 迅が風刃を振るい、二筋の風の刃が飛び出した。

 

「…………!」

「おっと、そう来るか…………っ!」

 

 太刀川は旋空を中断し、その場から退避。

 

 風間も同様に即座に全力回避を行い、斬撃を躱す。

 

(そうだ。詰めを避ける為には、遠隔斬撃を浪費せざるを得ない。だったら、このまま全弾撃ち尽くさせて弾切れになったところを仕留めてやる)

 

 そう、この展開も太刀川は可能性の一つとして考えていた。

 

 あの場所から太刀川達を迎撃するには、遠隔斬撃を使うしかない。

 

 だが、見えている奇襲など恐るるに足りない。

 

 幾ら遠隔斬撃のスピードが速くとも、正面から来る攻撃ならば初見でなければどうとでもなる。

 

 これで、風刃の残弾は残り六本。

 

 それを全て撃ち尽くせば、再装填(リロード)の隙が出来る。

 

 遠隔斬撃がなくなれば、風刃はただのブレードに過ぎない。

 

 そうなれば、こちらの勝ち。

 

 太刀川は、勝利を確信した。

 

(────────いや待て、なんで今の斬撃は俺たちに向かって()()()()()()()()?)

 

 その瞬間、一つの違和感に気付く。

 

 風刃による遠隔斬撃は、見た目としてはもぐら爪(モールクロー)に近い。

 

 今の攻撃が自分たちを狙ったものならば、地面から()()()()()いなければおかしいのだ。

 

 それは、つまり。

 

 今の遠隔斬撃は、()()()()()()()()()()()()()()()()という事。

 

 それが、意味する事は。

 

「────────っ!」

 

 そして、気付く。

 

 遠隔斬撃、その向かう先に。

 

 家屋の塀の影に設置された、一つの()()()()()()()()がある事に。

 

「あれは…………っ!」

 

 

 

 

 七海の投擲したスコーピオンを、三輪は難なく回避する。

 

 死角からの不意打ちならばまだしも、見えている場所からの投擲など避ける事はワケもない。

 

 七海のような機動力特化型の相手に立ち止まるのは危険である為、投擲を弾くのではなく躱す選択をした。

 

 それは、普通であれば手堅い選択だ。

 

 スピード特化の相手は、一瞬の隙を逃さない強かさがある。

 

 少しでも隙を見せればそこを突かれるのだから、堅実な手を選ぶのは当然だ。

 

「おい待てあれは…………っ!」

 

 だが。

 

 もし、そんな三輪の堅実な性格を考慮していたのならば。

 

 そこに、意識の陥穽を突く為の罠を仕掛けるのは必然である。

 

 七海が投擲した、スコーピオン。

 

 その向かう先には、一つのトリオンキューブが。

 

 ()()()()()()が、設置されていた。

 

「迅さんに倣って、こう言いましょう────────予測、確定です」

「…………っ!!」

 

 瞬間。

 

 スコーピオンが/遠隔斬撃が

 

 メテオラのキューブに着弾し、起爆。

 

 戦場の二ヵ所で、同時に爆発が巻き起こった。



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黒トリガー争奪戦⑪

 

「く…………っ!」

 

 置き炸裂弾(メテオラ)の起爆。

 

 それによって生じた爆発が、周囲を席捲する。

 

 風間は止むなくカメレオンを解除し、シールドを展開。

 

 同時に上方へ跳躍し、周囲を油断なく見回した。

 

(間違いなく、迅はこの機に仕掛けて来る。俺がこの爆煙から飛び出したところを遠隔斬撃で狙うつもりだろうが、地面から離れればその心配はない)

 

 風刃の遠隔斬撃は物体を伝うものである為、空中にいる相手には無力。

 

 それは試験で、香取が身を以て実証している。

 

 風間にはグラスホッパーがない為香取のように空中を駆け回る事は出来ないが、要はこの視界が効かない状態さえ脱すれば良い。

 

 爆発で生じた煙から出れば迅の未来視で居場所を特定されるだろうが、視界さえ効いていれば遠隔斬撃は回避可能だ。

 

 だから、後はこの場で太刀川と再度連携し詰め直せば良い。

 

(あの置きメテオラは、戦闘前に七海か那須が設置しておいたものだろう。遠くでも爆発があったから他にも仕掛けている可能性が高いが、少なくともこの爆破の圏内にはない筈。なら後は、置きメテオラ(わな)の無い場所で追い詰めるだけだ)

 

 他に幾つ置きメテオラを仕掛けているかは予想出来ないが、少なくともこの近辺にもう無い事は確定である。

 

 範囲内にあったメテオラは、今の爆発で一斉に誘爆した。

 

 だからこそ大規模な爆発となったのであり、その爆破の範囲内にもうメテオラはない。

 

 だから、正真正銘障害物のなくなったこの場所で、改めて太刀川と共に詰みに追い込めば良い。

 

 そう考えて、風間は跳躍を選んだ。

 

「────────ッ!」

 

 だが。

 

 次の瞬間、風間の背筋が凍り付いた。

 

 自分の後方。

 

 そこに、風刃のブレードを振り下ろす迅の姿がある。

 

 どうやったかは分からないが、迅はこの煙の中で正確に風間の居場所を掴み直接斬り込んで来たらしい。

 

(だが、好都合だ。空中なら、遠隔斬撃を仕込む場所はない…………っ!)

 

 こうまで接近された以上風間に逃げ場はないが、それは迅も同じ事だ。

 

 空中では、風刃はただのブレードに過ぎない。

 

 ならば、ブレードの威力にさえ気を付ければ応用力のあるスコーピオンを持つ風間の方に分がある。

 

 まさか迅が空中に来るとは思っていなかったが、それならそれでこの場で仕留めれば問題ない。

 

 風間はスコーピオンを構え、迅の斬撃を受け止めた。

 

 そして、その隙にブレードを生やした右足で蹴りを放つ。

 

 風刃に、防御の為の機能はない。

 

 自分のように足からブレードを生やす事が出来ない以上、本体のブレードさえ止めてしまえば迅は無防備になる。

 

 そこを、叩く。

 

 この一撃で致命打を叩き込み、それが出来ずとも足の一本は落としておく。

 

 風間は、必殺の意思を込めて右足を振り抜いた。

 

「な────────っ!?」

 

 だが。

 

 振り抜いた右足は、根本から切断されていた。

 

 迅の放った、風の刃によって。

 

「馬鹿な、空中では遠隔斬撃は使えない筈…………っ!」

「伝播させる為のモノならあるじゃない。俺の身体がさ」

「…………っ!」

 

 そう、確かに風刃の遠隔斬撃は伝播させる物体がなければ使えない。

 

 だからこそ対空能力は皆無なのだが、それはあくまで()空に限った話だ。

 

 此処まで接近しているのであれば、やりようはある。

 

 迅自身の身体を伝播させる事で、地面の代わりとする。

 

 そんな予想外の方法で、迅は風間を迎撃してのけた。

 

「はい、予測確定」

「が…………っ!」

 

 そして、最後まで油断はしない。

 

 迅の足を伝って放たれた遠隔斬撃が、風間の心臓を刺し貫く。

 

 確実に、致命傷。

 

 風間の命運は、此処で尽きた。

 

「太刀川…………っ!」

「おう」

 

 だが。

 

 それは、チームの敗北を意味しない。

 

 既に、同じように跳躍した太刀川は旋空の発射態勢に入っている。

 

 此処は空中。

 

 グラスホッパーを持たない迅に、この一撃を回避する手段はない。

 

 風間は自分ごと斬るよう太刀川に命じ、最強の剣士は即座にその指令を実行した。

 

「旋空弧月」

 

 旋空弧月、二連。

 

 十字の拡張斬撃が、空中の迅へと牙を剥く。

 

 周囲に障害物はなく、迅にシールドを用いた防御は不可能。

 

 これで、詰み。

 

 太刀川は、そう確信した。

 

「…………っ!?」

 

 されど。

 

 迅は。

 

 本物の死線踏破者は。

 

 洒落にならない窮地など、幾らでも超えて来ている。

 

 だからこそ、迅はその攻撃も冷静に対処した。

 

 風間の身体を蹴り飛ばし、その勢いを用いて跳躍する事によって。

 

 固定された足場ではない為移動出来た距離は僅かだが、それで充分。

 

 迅は紙一重で旋空の斬撃を回避し、そのまま地面に降り立った。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声と共に、風間の身体が崩壊し光となって飛んでいく。

 

 それを横目で見ながら。

 

 太刀川は/迅は。

 

 笑みを浮かべて、斬り合いを続行した。

 

 

 

 

「ち…………っ!」

 

 米屋は間一髪でシールド展開を間に合わせ、爆発から身を守った。

 

 完全に、不意を突かれた。

 

 置きメテオラ起爆による、盤面の攪乱。

 

 それは。

 

 那須隊が、ランク戦で何度も使った手だというのに…………!

 

(必ず、今仕掛けて来やがるな。来るとすりゃあ────────後ろか…………っ!)

 

 視界の利かない中、米屋は直感を信じて弧月を振り抜いた。

 

 音もなく背後に忍び寄っていた七海はそれをひらりと跳んで回避し、米屋の側面に着地する。

 

 槍の間合いの、内側。

 

 彼の、至近へと。

 

 米屋の槍弧月はリーチが長くなっているが、その分懐に入られれば刃が届かなくなるという欠点がある。

 

 彼の弧月には槍を縮める機能もあるが、それには多少のタイムラグがある。

 

 七海ならば、その隙に一撃を叩き込む事は容易だ。

 

 だが。

 

「────────!」

 

 米屋は幻踊により、刃の穂先を両刃の三又槍(トライデント)のような形状に変更。

 

 そのまま槍を引き戻す動きで、七海を刃に巻き込む形で攻撃する。

 

(相打ち上等…………っ! 後ろに逃げればブレードに当たるし、横に逃げるならそのまま槍のリーチで斬るだけだ…………っ!)

 

 これは、防御を考えない捨て身の一撃だ。

 

 爆破で三輪と分断された以上、此処から生存する芽はない。

 

 間違いなく自分は落とされるだろうが、それで七海を相打ちに出来れば問題はない。

 

 そう考え、米屋は勢い良く槍を引き戻し────────。

 

「え…………?」

 

 ガキンと、その刃が何かに阻まれる音を聞いた。

 

「が…………っ!」

 

 同時に、米屋の胸部に七海のブレードが叩き込まれる。

 

 そして、米屋は。

 

 背中から、蓮の花のような形に展開されたスコーピオンが彼の刃を受け止めている光景を、目視した。

 

 米屋の幻踊の性質上、極限まで圧縮したスコーピオンでは防御をすり抜けられる恐れがある。

 

 だからこそ、七海はある程度刃を伸ばした状態でスコーピオンを展開した。

 

 スコーピオンは、伸ばせば伸ばすほどその強度が落ちる。

 

 だが、逆に言えば凝縮すればする程その硬度は向上する。

 

 更に、ブレードを形作るのがトリオンである以上トリオン強者である七海のブレードが相応に硬い事はむしろ当然。

 

 ピンポイントで刃に当たる位置に、しかも後ろを振り返りもせずにブレードを展開してのけたのは七海の副作用(サイドエフェクト)で攻撃の軌道を感知していたが故だ。

 

 しかし、切断力の高い弧月のブレードをある程度刃を伸ばした状態で難なく受け止められたのは、七海のトリオンあっての結果である。

 

 ブレードを受け止められるように相応に圧縮はしているが、トリオンが低ければ一合も保たずに砕け散っていたに違いない。

 

 その皮肉な事実を理解し、米屋はため息を吐いた。

 

「秀次…………っ!」

「────────」

 

 だが、感傷(それ)と自分の役割を果たすかどうかは別の話だ。

 

 米屋は自分に致命傷を与えた七海の腕をがしりと掴み、その動きを止める。

 

 すぐに掴んだ腕から展開されたスコーピオンによって米屋の手は斬り飛ばされるが、一瞬でも動きを止めた事に変わりはない。

 

 そこに、三輪が弾丸を叩き込む。

 

 サイドエフェクトが反応しなかった為一瞬回避が遅れ、七海の右腕に弾丸が命中。

 

 その腕に、黒い重石が出現する。

 

 鉛弾(レッドバレット)

 

 重石を付与する特殊弾頭が、七海の動きを封じ込める。

 

「…………!」

 

 しかし七海は即座に脇腹から生やしたスコーピオンで右腕を切断し、跳躍。

 

 続けて放たれた弾丸を回避し、離れた場所に着地した。

 

「ま、最低限仕事はしたかな。あとよろしくー」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 その視線の先で、米屋は薄笑いを浮かべながら光となって消え失せる。

 

「────────」

「────────」

 

 七海と三輪。

 

 二人が、爆心地で向かい合う。

 

 七海は、右腕の断面からスコーピオンを展開。

 

 三輪は、弧月を構え身体を沈める。

 

 七海と三輪は同時に駆け出し、そして。

 

 互いの刃を、至近で交わした。

 

 

 

 

「あらら、風間さんと槍バカもやられたか。やるねー」

「貴方も、そろそろ落ちてくれていいのよ?」

「残念だけど、そういうワケにはいかないな」

 

 出水と那須。

 

 二人は依然弾幕勝負(撃ち合い)を続けながら、軽口を言い合っていた。

 

 戦況は、互角と言って良い。

 

 那須は常に足を止めず、縦横無尽に戦場を駆け回りながらバイパーの雨を降らせ。

 

 出水は、彼女の弾丸を一発たりとも漏らす事なくバイパーで撃ち落とし続けている。

 

 天才(かれら)でなければ、出来ない芸当。

 

 本物の天才同士だからこそ成立する、曲芸のような弾幕戦闘。

 

 それが世闇を彩り、今も尚膠着状態を継続していた。

 

 二人の技量に、大きな優劣の差はない。

 

 個人戦力としての価値は機動力の分那須が上であろうが、元より二人はサポート型の戦闘員だ。

 

 決定打は基本的に他者に任せた方が安定する以上、個人での決定力というものに欠ける面がある。

 

 どちらかが守りをシールドに頼って固められればそのまま決着が付いたのだろうが、二人はお互いの弾幕を全て相殺するという頭のおかしい防御手段を用いている為一方が固められて押し込まれる、という事態にも至っていない。

 

 技量が拮抗しているが故に、戦況が停滞している。

 

 二人の戦いは、外部の横槍がない限りはこのまま膠着を継続するだろう。

 

(逆に言えば、どっかから横槍が入れば間違いなくケリがつく。問題は、それが高確率であちらからの横槍っつう事だな)

 

 現在、自分たちの側に自由に動ける隊員はいない。

 

 奈良坂に那須を狙わせるという手もあるが、そうなると嵐山と佐鳥の二人を自由(フリー)にしてしまう。

 

 テレポーターを持つ二人は、一瞬で別の場所に移動出来る。

 

 それに合わせて奈良坂もスイッチボックスで転移させるという手もあるが、先のダミービーコンの事を考えれば居場所を誤魔化される可能性がありリスクが高過ぎる。

 

 スイッチボックスを用いた戦闘に慣れた当真が残っていればまた違ったのだが、それは今更だ。

 

(奈良坂は嵐山さん達の抑えで手一杯だし、それも完璧に抑えられるワケじゃない。射線の通らない場所をテレポーターを用いて転移し続ければ、時間はかかるだろうが目的の場所までの移動自体は可能だ)

 

 問題は、彼らが何処に向かうか。

 

 先ほどまでは高確率で三輪と七海の戦っている場所であると考えていたが、米屋が落ちた現状そうも言っていられなくなった。

 

 三輪は確かに七海に対する有効な手札である鉛弾を所持しているが、時間稼ぎに置いて七海より優れた者はそうはいない。

 

 七海が遅延戦術に徹すれば、援軍が到着するまで耐えきる事は可能だろうし────────なんなら、他の戦場の試合の決着が着くまで耐久するという選択肢さえある。

 

 三輪を七海に任せて嵐山達を出水の所に送り込み、彼を片付けて那須を自由(フリー)にする、という方針さえ有り得るのだ。

 

(このまま撃ち合ってりゃあトリオンの差で俺が勝つけど、横槍が来る前にそうなるかは懸けだな。どーにも那須さんはトリオンを節約して戦ってるみたいだし、時間切れ(タイムオーバー)まで粘られる可能性は充分ある)

 

 トリオン量で言えば、出水は那須の二倍近く。

 

 普通に撃ち合い続ければトリオン量の差で那須がトリオン切れで脱落するが、それを彼女が承知していない筈がない。

 

 那須はこの戦闘では弾丸を普段より細かく分割し、威力を捨てて弾数を確保している。

 

 トリオンの弾丸同士は、その威力に関係なく互いにぶつかれば弾体のカバーが外れ対消滅する。

 

 その為、威力を切り捨てても相手の弾に当たりさえすれば相殺は可能。

 

 那須はそれを利用して、トリオンキューブを極限まで細かく分割し、複数回に分けて撃つ事でトリオンを節約しているのだ。

 

 無論倍程のトリオン差がある以上先にトリオン切れに陥るのは那須の方だが、この調子ではその前に横槍が入る可能性の方が高い。

 

(と言っても、那須さんを放置するなんざありえねーし。他を信じて、このまま撃ち合うしかねーのが辛いトコだな)

 

 かといって、此処で那須との戦闘を放棄すれば確実に彼女は他の戦場を荒らしに行く。

 

 どの場所であっても、那須の介入があった時点で詰みに近い。

 

 彼女のバイパーは、盤面の操作においてこの上ない脅威と成り得るのだから。

 

(今更言ってもしゃーねーか。後は太刀川さん達に任せて、俺は那須さんが万が一にも自由(フリー)にならないようにしねーとな)

 

 出水は改めて覚悟を決め、トリオンキューブを生成。

 

 空を舞う少女と、弾幕戦を続行した。

 

 戦いは、佳境。

 

 決着の時は、近い。



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黒トリガー争奪戦⑫/三輪秀次③

 

『奈良坂くん。米屋くんが緊急脱出したわ。うちの隊で残っているのは、貴方と三輪くんだけよ』

 

 奈良坂の下に、オペレーターの月見から報告が届く。

 

 とは言っても、先程の爆発は彼にも見えていた。

 

 その後の緊急脱出の光も目視していたので誰かが落ちた事は分かっていたのだが────────改めて言葉にされて、現状を再確認する。

 

 この戦闘が始まった時、自分たちと相手の間には明確な()()()があった。

 

 その数の優位を、此処に来て完全にひっくり返されている。

 

 こちらの残る駒は自分と三輪、出水と太刀川の4人。

 

 対して相手の駒は嵐山と佐鳥、七海と那須、迅の5人。

 

 既に人数はあちらが上回っており、最早どう転ぶか分からない状態だ。

 

(当真さんと風間さんが落ちたのが痛過ぎるな。本当に、嫌なところを狙って来る)

 

 味方の中でも特に痛打だったのは、冷静で状況判断に優れる風間とスイッチボックスの扱いに長けた当真が落ちている事だ。

 

 特に当真は早期に落とされており、そのお陰で冬島のスイッチボックスを十全に使いこなせているとは言い難い。

 

 スイッチボックスを効率的に使えるのは、言うまでもなく狙撃手だ。

 

 テレポーターと異なり連続使用のタイムラグはないが、その代わりに始点と終点が固定されている為相手に転移場所が看破されれば一転して自らを危険に晒す諸刃の剣となる。

 

 だが、狙撃手はそもそも近付かれた時点で東を除いて(基本的には)

詰みなので、そんな事は今更だ。

 

 それよりも、狙撃場所を瞬時に移動出来るというメリットが遥かに大きい。

 

 基本は一度撃てばそれで仕事終了な事が多い狙撃手でも、このスイッチボックスがあれば継続的に姿を晦ましつつ何度でも不意打ちの狙撃を実行出来る。

 

 その戦闘方法に最も優れていたのが普段からそれを使い慣れている当真であり、彼と違い基本をトコトンまで突き詰めた奈良坂では彼ほど使いこなせてはいない。

 

 それでも嵐山から逃げると同時に転移直後の狙撃を成功させつつ再度逃走した手腕は流石と言えるが、あれは時枝が空中にいたから出来た事だ。

 

 地に足が付いている状態では回避という選択肢も出来てしまい、更に固定シールドと集中シールドの重ね掛けという方法もある。

 

 菊地原を確実に仕留める為に空中に転移した隙を狙わなければ、時枝を確殺する事は難しかっただろう。

 

 

「了解した。三輪は?」

『今、七海君と一騎打ちを始めたわね。介入する?』

「いや、駄目だな。ほんの少しでも、佐鳥を自由にするワケにはいかない。そんな真似をすれば、俺が落とされて終わりだ」

 

 そして。

 

 古寺が脱落し、狙撃手が自分一人になった今。

 

 嵐山と佐鳥の二人から、一瞬たりとも目を離す事が出来ない。

 

 先ほど、嵐山隊はダミービーコンを使った陽動を用いた戦術を使用し、自分たちはそれにまんまと嵌まってしまった。

 

 現在佐鳥と嵐山は固まって移動しており、隙を突いて狙撃で仕留めるのはまず無理だろう。

 

 普通の相手ならば固まっていたところで各個撃破するだけだが、相手には佐鳥がいる。

 

 邪道を向きながらも正道の技術も極限まで鍛え上げている彼は、狙撃手の思考を熟知している。

 

 故に、少しでも隙を見せればすかさずそこを突くか────────もしくは、それを放置して他の戦闘に介入するか。

 

 佐鳥なら、そのくらいはやる。

 

 故に、監視に手は抜けない。

 

 他の戦場に介入する好機を捨ててでも、この戦況で彼を自由にするワケにはいかないのだ。

 

(余計な介入だけはさせない。それが、今の俺に出来る最善だ。だから三輪、お前は思う存分やると良い。ぶつからなければ、分からない事もあるからな)

 

 

 

 

 先手を打ったのは、三輪。

 

 彼はホルスターから拳銃を抜き放ち、三連射。

 

 サイドエフェクトで読み取った軌道からそれがバイパーであると確信した七海は、防御ではなく回避を選択。

 

 グラスホッパーを展開し、それを踏み込む。

 

「そこだ」

「…………!」

 

 だが、三輪のバイパーはピンポイントでそのグラスホッパーを撃ち抜いた。

 

 恐らく、七海の動きを読んでグラスホッパーの出現場所を推測し、一発だけ七海に当たらない軌道でバイパーを撃ったのだろう。

 

 七海の副作用(サイドエフェクト)は攻撃の()()()()は感知出来るが、逆に言えば自分に当たらない攻撃は感知出来ない。

 

 それを利用した一手だが、三輪はその戦闘経験と観察眼により七海の動きを正確に予測し、的確な攻撃に繋げたのだ。

 

 七海は確かに回避能力が高いが、あまりにも回避の精度が高過ぎるが故に無軌道な回避よりもある程度軌道の予想がし易いのだ。

 

 彼はサイドエフェクトで得られる情報を元に、戦場での動きを綿密な論理(ロジック)によって組み上げる。

 

 無駄な動きの存在しないその回避は弾幕の雨の中でも突っ切れる精度を誇るが、至近距離の鍔迫り合いではどうしても回避の幅に限度があるのだ。

 

 これが空中などであればまた話は別なのだが、今彼がいるのは地上だ。

 

 しかも三輪ほどの使い手相手に迂闊に背を向けるワケにもいかない為、近距離での戦闘を強いられている。

 

 右腕に鉛弾(レッドバレット)を食らっていなければ距離を離す隙も作れたのだが、今更言っても後の祭りだ。

 

 つくづく、米屋は良い仕事をしてくれた。

 

 彼が作った隙がなければ、この場の戦闘は別の展開を辿っていた筈なのだから。

 

「────────!」

 

 ジャンプ台が使用出来なくなった七海は、止むなくシールドを展開。

 

 バイパーの弾丸を、シールドで受け止めた。

 

 当然、シールドで防御したからには一瞬動きが止まる。

 

 それは。

 

 三輪にとって、千載一遇の好機であった。

 

「────────」

 

 ホルスターを換装し、鉛弾(レッドバレット)を装填。

 

 狙いを定め、躊躇いなく引き金を引く。

 

 鉛弾は、シールドを透過する特殊弾頭だ。

 

 防ぐにはトリオンに依らない物理的な障害物を用いる他なく、現在のように身動き出来ないよう固めた相手にとっては防御不能の攻撃として作用する。

 

 腕や足を狙っても、その個所ごと斬り落とされれば重石は外れる。

 

 当然その分動きに制限がかかるが、七海はランク戦では四肢の殆どを失った状態でもスコーピオンを用いて強引に戦闘を続行した事がある。

 

 故に、狙うのは胴体。

 

 流石にそこに重石を叩き込まれれば斬り落とす事は出来ず、動きが取れなくなって終わりだ。

 

 三輪は、戦いを長引かせる気は一切なかった。

 

 形式上は1対1の決闘のように見えるが、生憎彼には太刀川のように戦いを楽しむ気など一切ない。

 

 戦闘はあくまでも目的を達成する為の手段に過ぎず、戦術に感傷が挟まる余地などない。

 

 トリオン量の差という懸念点がある上に、時間をかければ嵐山隊の介入という芽も出て来る以上、短期決戦以外に選択肢はない。

 

 三輪は、七海を決して侮らない。

 

 その実力は昇格試験を直で見ていたからこそ評価しているし、A級に昇格した今となっては格下だなどとは口が裂けても言えない。

 

(負けるワケにはいかない。迅の奴に、好きにさせてたまるか…………っ!)

 

 その原動力が、迅への八つ当たり(嫌悪)だとしても、やる事は変わらない。

 

 堅実に勝利を手繰り寄せ、逃げ手を封じて相手を追い込む。

 

 片腕がなく、充分な距離を取れていないこの瞬間は最大のチャンスなのだ。

 

 米屋が生き残っていればより効率的に行えたのだが、今の状況を作れたのも彼のお陰である。

 

 その事には素直に感謝し、そして。

 

 三輪は、一歩を踏み込み鉛弾を撃ち放った。

 

 

 

 

 正直、関わりたくない。

 

 それが、七海の三輪への第一印象だった。

 

 初対面からぶしつけに質問をしてきて、自身の慕う迅を悪しように言う。

 

 この時点で、七海の三輪への心証は最悪だったと言って良い。

 

 確かに彼と自分は四年前の大規模侵攻で姉を失ったという共通点があるが、だからといって妙な同族意識を持たれるのは勘弁だ。

 

 自分は彼ほど復讐にのめり込む気にはならないし、迅を嫌うなど以ての外だ。

 

 だけど。

 

 同時に、無視出来ない自分がいるのも事実だった。

 

 だって、三輪は自分の鏡なのだ。

 

 もし、四年前の自分に大切な者も頼る者も、誰もいなかったら。

 

 そんなもしも(if)の姿が、三輪なのだ。

 

 自分には、愛する少女(那須)と、慕う先達()がいた。

 

 けれど、三輪には誰もいなかった。

 

 だからこそ、彼は復讐にのめり込むしかなかったのだろう。

 

 それしか、自分を保つ方法が分からなかったから。

 

 もし。

 

 もし、彼と同じ境遇だったなら。

 

 彼と同じ選択をしなかったとは、言い切れない。

 

 そういう意味で、無視出来ない相手である事は事実だった。

 

 一応昇格試験の時にはすっかり落ち着いていたので、これなら話をするくらいは大丈夫か、と考えてもいた。

 

 しかし、遊真の件によって彼の根本が何も変わっていない事を思い知らされた。

 

 つまるところ、彼は近界民と迅。

 

 そのどちらかが関われば、二重人格の如く感情が制御出来なくなるのだ。

 

 今回は、その両方が関わっている。

 

 正直に言って、理性を保てているのが奇跡とも言える。

 

 しかし、そのお陰で今の彼は戦闘の判断はともかく迅が絡んだ事柄に対しては思い込みのみで動くようになってしまっている。

 

 こうである筈だという/こうであって欲しいという。

 

 自分の、願望(おもい)の儘に。

 

 つまり三輪は迅の絡んでいるというただそれだけで、悪意的な解釈しか出来なくなっているというワケだ。

 

 今まではそれでもその想いを行動に移す事はなかったのだが、今回は近界民という彼にとってのもう一つの地雷まで関わっていて大義名分が出来てしまったからこその、暴走状態とも言える。

 

(だからこそ、負けるワケにはいかない。彼の想いに、正面から意見する(こたえる)為に)

 

 現在の三輪は戦闘に関する思考こそ研ぎ澄まされてはいるが、逆に言えばそれ以外の思考はほぼ完全に凝り固まっている。

 

 声高に叫んだところで、今の彼には何も聞こえないだろう。

 

 だから。

 

 まずは戦闘を終結させ、意識に冷や水を浴びせてから思う存分想いの丈(言いたい)ことをぶつける。

 

 その為に、この戦いの勝利が必要となる。

 

 三輪が、短期決戦を狙って来る事は分かっていた。

 

 そうしなければ遠慮なく長期戦に切り替えるつもりであったが、流石にそこまで温い事はしてくれなかった。

 

 流石は、A級部隊の隊長と言える。

 

 七海を追い詰める手腕に関しても、驚嘆の一言だ。

 

 彼は副作用(サイドエフェクト)もなしに、七海の動きを経験と観察眼のみで読み切って見せた。

 

 七海に同じ事をやれと言われても、相当に困難であろう。

 

 それだけ、三輪の技量は高いのだ。

 

 だが。

 

 一つ、七海に優位な点がある。

 

 それは。

 

 三輪が七海と直接矛を交えるのが、これが初めてだという事だ。

 

 当然それは七海も同じ事が言えるのだが、加えて言えば。

 

 三輪は、七海の交友関係を知らない。

 

 影浦や太刀川の弟子、というくらいは耳に入っているかもしれないが。

 

 少々コミュニケーションが苦手な部類である彼に、七海が誰と親しいか、などという情報が入って来る筈もない。

 

 村上は、良く個人ランク戦をしているので繋がりを辿れるかもしれない。

 

 だが。

 

 ()()に、狙撃手に関してならば。

 

 彼自身が狙撃手に転向してからランク戦の回数が減った為、ランク戦のブースで会う事は数える程しかない。

 

 それでも元マスタークラス攻撃手だけあってそれなりにブースにはいるのだが、完璧万能手を量産したいという目標を持つ彼はより多種多様の戦闘経験を求めており、同じ相手とばかり戦う、という事は殆どない。

 

 同じ相手とばかり戦っていたら変な癖が付きかねない、というのが彼の持論でもある為、なんら不思議な事でもない。

 

 強くなりたいのに、特定の相手の対抗策ばかり考えるようになっては本末転倒なのであながち間違ってもいない。

 

 だからこそ。

 

 七海が、荒船に対し。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()を、三輪(かれ)は知らない。

 

 三輪がランク戦ブースに赴くのは大抵米屋の呼び出しであり、彼自身はランク戦はあまり熱心な方ではない。

 

 だからこそ、気付けなかった。

 

 七海が。

 

 鉛弾の対策を用意して、この場に臨んだ事を。

 

「────────!?」

 

 三輪の鉛弾(レッドバレット)は、シールドを貫通し着弾。

 

 重石が出現し、対象に重量の負荷をかけ落下させる。

 

 そう。

 

 七海の掲げた、スコーピオンの()()が。

 

 荒船に鉛弾を装填しトリオン量を弄った上でライトニングで狙撃して貰い、それに対抗するという訓練。

 

 その中で七海は、鉛弾を手持ちの札の中で防ぐ為には。

 

 スコーピオンを利用するのが一番早いと、思い至ったのである。

 

 ちなみに、この訓練方法のアイディアを出したのはユズルだ。

 

 荒船に鉛弾を撃って貰うという方法は思いついたものの、素の鉛弾では遅過ぎて訓練には向かないのだ。

 

 ラウンド2でも荒船は至近距離での鍔迫り合いから確実に当てるチャンスを狙って撃っており、逆に言えばそこまでしなければ鉛弾を当てる事は難しい。

 

 素の回避能力だけで避けていても何の意味もない為、二人は行き詰っていた。

 

 しかし、そこに助言をしたのがユズルである。

 

 彼はどうやらかつての師である鳩原から鉛弾の活用方法のアイディアを聴いていたらしく、それを試してみてはどうか、と言ってくれたのだ。

 

 結果としてトリオンを二宮レベルまで挙げる調整を行った上で鉛弾ライトニングを用いる事で、効率的な訓練を行う事が出来た。

 

 その試行錯誤を重ねた結果が、このブレードによる防御である。

 

 三輪は、七海はこの局面ならメテオラを目晦ましにして逃げるか、強引にグラスホッパーで回避するかの二択であると考えていた。

 

 彼はランク戦のログは見ていたが、生憎七海が直接鉛弾を扱う相手との対戦は荒船以外にいなかった。

 

 鉛弾はそもそも使い手が非常に少なく、それに対する対策も碌に研究されてはいない。

 

 そもそも三輪の改造トリガーという特殊な事例を除き、鉛弾は低弾速と両攻撃(フルアタック)の強要という欠点が大き過ぎるピーキーなトリガーだ。

 

 基本的に鉛弾相手には回避して反撃するのが常套手段である為、誰も鉛弾を()()という方向性を考えなかったのだ。

 

 カメレオンと違いそれを主戦術にした部隊もいない為、研究される機会がなかったのだ。

 

 だからこそ。

 

 三輪は、想定外の出来事に一瞬動揺した。

 

 無論、動揺は一瞬。

 

 刹那の間に、思考を取り戻しはした。

 

 だが。

 

 その一瞬は。

 

 目の前に迫った七海相手には、致命的に過ぎた。

 

「────────」

「く、そ…………っ!」

 

七海のスコーピオンが────────否。

 

 マンティスが振るわれ、三輪の両腕が斬り落とされる。

 

 弧月と銃手トリガーを武器とする三輪にとって、両腕の欠損は戦闘能力の喪失を意味する。

 

 此処に。

 

 悲劇を背負った二人の少年の戦いの、決着が着いた。



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黒トリガー争奪戦⑬/太刀川慶④

 

 太刀川慶が初めて迅悠一と出会った時、抱いた感想は「つまんなそうな目をしてる奴」だった。

 

 その頃の迅は表面上は笑顔を見せてはいたが目は全く笑っておらず、加減を知らなかった。

 

 何事にも全力、と言えば聞こえは良いが、限度がある。

 

 迅は常に何かをしていなければ落ち着かないというか、立ち止まる事に恐怖さえ感じているように見えた。

 

 表面上は笑っていてもその在り様は鬼気迫るものであり、忍田等から「休め」と言われていたが、彼は意に介する素振りも見せなかった。

 

 自分の師である忍田もそんな迅の無理には気付いていたが、どうやら迅には何かしらの負い目があるらしく強くは言えないようだった。

 

 そもそも迅の事も忍田に聞いて存在を知った為、その時点である程度興味はあった。

 

 これまでの経緯だとか迅の人間性だとか、そこらへんはどうでもいい。

 

 太刀川が興味を抱いたのは、あの忍田が迅を評して「強い」と言った為だ。

 

 忍田は太刀川の剣の師であり、今まで碌に勝てた覚えがない。

 

 他の面々とは明らかにレベルの違う実力を持ち、その観察眼も超一流だ。

 

 相手の実力に対する判断は、今のところ間違えた試しがない。

 

 そんな忍田が、「強い」と評する迅。

 

 興味を惹かれない、ワケがなかった。

 

 取り敢えず、ランク戦に誘ってみた。

 

 その時は苦笑しながら断った迅だったが、太刀川はその目の奥に燻る戦意を感じ取った。

 

 口では「生憎暇がなくてね」なんて言っていたが、どうやら戦う事に何の興味も抱いていないというクチではないようだ。

 

 表面上は取り繕ってはいたが、戦う事に関する欲を太刀川が見逃す筈もない。

 

 だから、何度でもランク戦に誘った。

 

 繰り返し誘う度に無碍に断られてはいたが、太刀川に対しては強い拒絶もなかった。

 

 なので、忍田本部長(コネ)に頼った。

 

 太刀川は忍田経由で迅にランク戦を受けて貰うよう要請し、その結果として迅とのランク戦が実現した。

 

 忍田からの頼みはどうやら断れなかったらしく、迅は不承不承ランク戦の場に姿を現した。

 

 10本勝負の約束で始めたランク戦は、初手は迅が勝利した。

 

 剣の腕では、間違いなく勝っていた。

 

 けれど、迅はまるでこちらの行動が全て分かっているかのように太刀川の手を一つ一つ潰し、詰め将棋のように勝利をもぎ取っていった。

 

 その時に、彼が未来視という副作用(サイドエフェクト)を持っている事を知った。

 

 ずるい、とは思わなかった。

 

 才能なんてものは一人一人違うのが当然で、それが自分が剣の腕であり、迅がサイドエフェクトだったというだけだ。

 

 だから、二戦目は色々試した。

 

 未来が見える、というのが本当ならば普通に考えれば勝ち目はないが────────だとしても、迅からは余裕は感じられなかった。

 

 一戦目にしても一つ一つ丁寧に対応してはいたが、実力そのものに大きな開きがあるとは思えなかった。

 

 なので何も考えず我武者羅に打ち込んでみたり、土壇場で最善ではなく次善の選択に変えてみたりした。

 

 結果として、後者を実践した時に迅の腕に傷を付ける事に成功した。

 

 それでも勝つ事は出来ず次の三戦目も負けで終わったが、四戦目で初めて勝ち星を取った。

 

 その時の迅の驚いた顔は、今でも覚えている。

 

 多分、その時だ。

 

 その時、迅の眼の奥に宿っていた闘志が完全に表に出て来た。

 

 そこからの迅は、まるで別人だった。

 

 それまでの飄々として笑みを鳴りを潜め、心底楽しそうに剣を振るった。

 

 剣の腕には自信があった太刀川であったが、とにかく迅は戦い方が巧かった。

 

 サイドエフェクトの恩恵もあるのだろうが、相手がどう動くのか。

 

 そして、どう行動すれば相手の意表を突けるのか。

 

 その判断と機転が、他の者の比ではなかった。

 

 剣の腕事態は太刀川が上であったが、所々の機転の鋭さが段違いであり、結局その10本勝負は3:7で太刀川の負けだった。

 

 悔しかった。

 

 思えば、個人ランク戦で負けたのはそれが初めてだった。

 

 それまでは忍田以外に敗北を知らず、退屈を覚えていた太刀川だったが────────迅相手の戦いは、心躍った。

 

 初めての敗北の味を嚙み砕いた太刀川は、それからも何度も迅にランク戦を挑んだ。

 

 今度は迅も断る事はなく、太刀川と共に個人ランク戦に興じていった。

 

 戦ううちにとにかく手数を増やす事が迅に対する最適解である事を理解し、太刀川は二刀流になる事にした。

 

 二刀を使い始めたばかりの頃はまだ負けが込んでいたが、やがて勝率は五分になるようになり、時には太刀川が勝る事もあった。

 

 10本勝負で初めて勝った時の感動は、今でも忘れ難い。

 

 その後迅がスコーピオンを開発して太刀川の二刀流に対抗して来た後も、一進一退の勝負が続いた。

 

 楽しかったと、そう言える時間は過ぎていった。

 

 だけど。

 

 迅は風刃を手にしてS級隊員となり、ランク戦が出来なくなった。

 

 何故、と詰め寄る事はしなかった。

 

 風刃と迅を巡る事情は忍田から簡単に聞いていたし、師の形見であればその所有権を持ちたいというのは当然の感情だ。

 

 そもそも、風刃の所有者をこれまで正式に決めなかった事がおかしかったのだ。

 

 どうやら色々手を尽くして有耶無耶にしていたようだが、組織の規模が大きくなるにつれそれが不可能になったらしい。

 

 黒トリガーという強大な力を誰が所持するかは重要な案件であるし、組織としてそれを決めないままというのは出来なかったというワケだ。

 

 心情としては無条件で迅に与えたかったのだろうが、風刃は生憎と適合者が多い黒トリガーだった。

 

 なので適合者を集めて試合を行い、その勝利者に風刃を与える事になり────────迅は、鬼気迫る勢いで彼等全員に勝利した。

 

 或いは、太刀川が適合者に選ばれていればその時に雌雄を決する事が出来たのだろうが────────太刀川は、風刃に選ばれなかった。

 

 特例として試合の観戦が許可された為太刀川は忍田と共に迅の様子を見ていたが、その心中は穏やかではなかった。

 

 迅が全員に勝利して風刃を手にした時、太刀川の心は諦観が支配した。

 

 気持ちはなんとなく分かる。

 

 自分ももしも忍田が黒トリガーになったら、それを手にする為に死に物狂いになるだろう。

 

 だけど。

 

 そういう理屈とは別のところで、「ああ、もう迅とは戦えないんだな」という落胆が太刀川の心を支配していた。

 

 そんな太刀川の心情を、迅も察していたのだろう。

 

 それから二人の仲は疎遠になり、太刀川はやる気を失っていた。

 

 暫くランク戦からも遠のき、その間に一位の座を小南に奪われたりもした。

 

 強い奴が来たと聞いて、その小南とも戦った。

 

 迅以外に自分とまともに戦り合える奴はいないだろうと意気消沈していた太刀川は小南によって物理的に性根を叩きのめされ、消えかけていた戦いへの情熱を取り戻した。

 

 風間にも発破をかけられた事で太刀川はやる気を取り戻し、再びランク戦へのめり込んだ。

 

 その後小南がランク戦から離れた事で多少やる気に陰りが見えもしたが、その頃には後進も育って来ていて、ランク戦の熱が冷める事はなかった。

 

 けれど。

 

 今でも、願う事がある。

 

 もう一度、本気の迅と戦いたい。

 

 あの興奮を、もう一度味わいたい。

 

 そんな想いを、ずっと抱き続けて来た。

 

 無理だろうと思ってはいても、その願いが消える事はなかった。

 

 だから。

 

────────その内、強くなった七海と『風刃』を持った俺とやり合える機会が来るよ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる────────

 

 その予言(ことば)を聞いた時。

 

 心に燻っていた熱が、再燃したのを理解した。

 

 迅から託された七海もまた先が楽しみな逸材であり、自己評価が低いのは気になったが強くなるならそれでいいだろと手を抜かずに鍛えあげた。

 

 七海に稽古を付けるのは思った以上に楽しく、これが師匠の遣り甲斐かと思った以上に初めて弟子を持つ経験を噛み締めている自分がいた。

 

 でも、それ以上に。

 

 いつの日か、迅と再戦する日を。

 

 心の底から、待ち望んでいた。

 

 そして、今。

 

 太刀川は、迅と相対している。

 

 戦場全体の戦況は、ハッキリ言って悪いだろう。

 

 勿論未来視対策も手を尽くしてはいたが、戦術的な視点となると迅を出し抜くのは相当難しいのは元から理解していた。

 

 念願の迅との戦いとはいえ戦術的な勝利も諦めるつもりはなかった為、風間と組んで迅と戦ったが────────その風間も、迅の手によって倒された。

 

 現在彼等に介入出来る者はおらず、此処にいるのは自分の迅の二人だけ。

 

 奇しくも、太刀川が望み続けた迅との一騎打ちの舞台。

 

 それが、整ったのだ。

 

 太刀川は指揮権を出水に預け、迅との戦闘を開始した。

 

 迅もまた、闘志をその瞳に宿し太刀川の剣に応じた。

 

 変わらず、剣の腕それ自体は太刀川が上だ。

 

 だが。

 

 迅の読みの深さと機転の鋭さは、健在だった。

 

「────────!」

 

 太刀川が踏み込み、弧月を振り下ろす。

 

 迅は風刃のブレードでそれを受け止め、斬撃の軌道を反らす。

 

 相手の態勢を崩す事を狙った一手ではあるが、これは剣術の領域だ。

 

 故に。

 

 太刀川が、それに引っかかる筈もない。

 

 迅が意図的に力を抜いて剣を受け流そうとしたその時には、既に太刀川は弧月を引き戻していた。

 

 態勢が崩れる事はなく、続け様に下から突き上げるように剣を振るう。

 

 それを。

 

 迅は即座に身体を捻って回避し、同時に足元の小石を蹴り飛ばした。

 

 蹴り飛ばされた小石は太刀川の眼に向かい、反射的に目を閉じそうになる。

 

 無論、トリオン体は石が当たってもダメージを受けない。

 

 故に回避する必要もないのだが、普通であれば顔に向かって石が飛んで来れば防御行動をするのが人間の防衛本能だ。

 

 生身なら失明のリスクすらあるのだから当然と言えるが、この状況下ではその反応は致命的だ。

 

 だから、太刀川は自分から前に踏み込み敢えて小石に当たりに行った。

 

 此処で顔を反らしたり目を閉じたりすれば、確実にその隙を突かれる。

 

 かといって、トリオン体の脚力で蹴り飛ばされた石が顔に直撃すればその衝撃で隙が出来る。

 

 故に、勢いを付けて自ら当たりに行った。

 

 結果として小石は額に当たって弾かれ、そのまま太刀川は攻撃態勢に移る。

 

 だが、それも予想していたのだろう。

 

 迅は速やかに後退し、太刀川の斬撃をブレードで弾いてみせた。

 

「この程度じゃ、隙になんないか」

「太刀川さんこそ、やるね」

 

 お互い苦笑し、睨み合う。

 

 迅の厄介なところは、こういった人間の心理や条件反射を利用して立ち回る点だ。

 

 彼は利用出来るものはなんでも利用し、そこに一切の躊躇をしない。

 

 トリオン体はトリオンを用いた武器でしか傷付けられない、という固定観念に縛られる事なく、あらゆる物や状況を自分の優位になるよう利用する。

 

 その戦い方は泥臭く、戦士というよりは兵士のそれだ。

 

 けれど、それも当然だろう。

 

 彼は、本物の戦争を経験しているのだから。

 

 死に物狂いで本物の死線を踏破した戦争経験こそが、彼の最大の武器なのだ。

 

 緊急脱出のない頃から、迅は仲間と共に近界の戦場を渡り歩いた。

 

 それは太刀川にはない経験であり、迅の明確な強みと言える。

 

 勿論太刀川も遠征を経験し、近界の戦場に赴いた事もある。

 

 戦場に転がった死体からトリガー等を剥ぎ取る作業は専ら風間隊が行っていたが、初めて本物の死体を目にした時は若干気分が悪くなった事を覚えている。

 

 なにせ、戦場の死体だ。

 

 近界の戦場はトリオン体が解除されれば一切の抵抗手段を失い、敵のトリガーの攻撃を食らって絶命する。

 

 捕虜にする余裕があればそうするのだろうが、最前線では敵を鹵獲し連れ帰る隙さえない事が多い。

 

 敵を捕虜にする手間というものは無視出来るものではなく、故にその後の障害にならないようその場で殺しておくのが手っ取り早い。

 

 それに、乱戦の中でトリオン体を破壊されればトリガーの攻撃が飛び交う中に生身で放り出される事になり、まず生き残る事は出来ない。

 

 そうした死体は五体満足で残る事は稀で、大抵酷い状態だ。

 

 それを始めて見た時は取り乱しはしなかったが、気分が悪くなったのは当然と言えよう。

 

 場数を踏むうちにそれも慣れてはいったが、恐らく迅はそういった経験など腐るほどしていたのだろう。

 

 その経験が、即ち迅の力なのだ。

 

 初めてランク戦を挑んだ時、迅から感じた血生臭い気配はそうした経験が元になっているのだろう。

 

 保険すらない死線を、どのような心境で潜り抜けたのか。

 

 それもまた、想像するしかない。

 

 きっと、思い出したくもない体験だろうと推測は出来る。

 

 けれど。

 

 だからといって、勝ちまで譲るつもりはない。

 

 迅の強さの根源にそうした凄絶な経験があるのは理解するが、それと勝敗とは何の関係もない。

 

 彼が強い事も、その強さに相応の理由がある事も理解した。

 

 だけどそれは、太刀川が迅に勝つ事を諦める理由には断じてならない。

 

 経験が違う、場数が違う。

 

 それがどうした。

 

 戦う為の理由も、戦いに懸ける想いも。

 

 何もかも違うとしても。

 

 それは、戦いの勝敗には何の関係もない。

 

 気持ちがどれだけ籠もっていようと、直接それが勝敗に結びつく事はないのだ。

 

 ただ戦うのが好きだから戦う自分と、失った者達の遺志を継ぐ為に戦う迅。

 

 その欲望(ねがい)の方向性は違えど、戦う理由そのものに優劣は無い。

 

 勝敗を決めるのは互いの実力と戦術、そして運だ。

 

 結局のところ、相手の想定を最終的に上回った者が勝つ。

 

 それが、勝負というものだ。

 

「────────」

「────────」

 

 今、目の前には本気を出した迅が風刃を握っている。

 

 太刀川にとっては、それで充分。

 

 此処に至る経緯だとか、作戦の裏にある事情だとか。

 

 そんな事は、どうでも良い。

 

 今はただ、迅に勝つ事だけを考える。

 

 それだけを考えて、太刀川は再び迅へ向かって斬り込んだ。

 

 それを、迅は。

 

 不敵な笑みを浮かべて、迎え撃った。



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太刀川慶⑤

 

「────────!」

「────────!」

 

 互いに無言。

 

 しかし、その笑みは好戦的なそれで。

 

 迅と太刀川は、心底楽しそうに各々のブレードを振り抜いた。

 

 響く、金属音。

 

 太刀川の右腕の弧月と、迅の風刃のブレードがぶつかり合う。

 

 これは、ほんの小手調べ。

 

 格闘技で言う、牽制(ジャブ)のようなもの。

 

 だが、二人の間に牽制は一度で充分。

 

 剣のぶつかった勢いを利用して互いに身体を捻り、再度一撃を加える。

 

 迅は、上段から振り下ろすように。

 

 太刀川は、下から突き上げるように。

 

 ブレードを振るい、それが交差する。

 

 その、直前。

 

「旋空弧月」

「────────!」

 

 太刀川が旋空を起動────────否。

 

 起動する振りをしながら、左の弧月を引き抜き一閃。

 

 僅かに反応が遅れた迅は辛うじて身体を捻ってその斬撃を回避するが、続け様の一撃が迅の腕を僅かに掠る。

 

 未来視を持つ迅に、陽動(フェイク)は通用しない────────などというのは、間違いだ。

 

 確かに、予め作戦を立てた上で実行した陽動であれば迅はそれを読み切って対応するだろう。

 

 だが。

 

 極限戦闘の中、土壇場での機転。

 

 それを用いたフェイクであれば、迅の処理能力を僅かながら圧迫する効果が見込めるのだ。

 

 迅は戦闘時、相手の取り得る複数の未来を()()並列して視ている。

 

 そして、その選択肢(ルート)は相手の選択次第で幾らでも枝分かれする。

 

 たとえるならば、未来の情報が映し出された無数の監視カメラの映像を流し見ながら戦闘を行っている状態に等しい。

 

 一つ一つを詳しく見る暇はないし、映し出された未来の映像の中から必要な情報を瞬時に取捨選択する観察力と判断力が必要となる。

 

 その上で、相手の取り得る選択肢が一つ増えるごとに迅の処理能力は確実に圧迫されていく。

 

 複数人相手であればその情報圧迫は加速度的に上昇し、かなり厳しい戦いを強いられるワケだ。

 

 見なければならない映像(カメラ)の数が増えれば増えるほど、迅の負担は上がっていくのだから。

 

 だが、それでも迅が太刀川と風間隊相手に奮闘出来ていたのは、彼の経験と二部隊の布陣の問題だ。

 

 出水を欠いた太刀川と風間隊は、その全員が近接戦闘員だ。

 

 その為、同時に仕掛けるには限度があり、風間達の居場所を炙り出してしまう危険があるい為太刀川も無暗に旋空を連射するワケにはいかなかった。

 

 迅はそれを利用して器用に立ち回り、風間隊の二人を仕留めるに至ったワケである。

 

 本物の戦場を渡り歩いた頃の迅にとって、多対一は日常だった。

 

 故に対集団の戦法も無数に心得ており、地形や罠を利用した戦術も当然の如く利用した。

 

 そして、迅には太刀川達にはない利点があった。

 

 それは、太刀川達は何かを仕込んだ上の奇襲は未来視で読まれる為スイッチボックスを仕込む程度しか行えなかったが────────迅の場合は、そんな枷はなかったという事だ。

 

 迅は最初から、あの置きメテオラを利用して風間を仕留めるつもりだった。

 

 多対一の戦場に置いては、風間のような判断力に優れたブレインが最も厄介な存在となる。

 

 太刀川も指揮能力はかなり高いレベルで保持しているが、本人の資質が風間の方がより集団戦に向いている。

 

 その為、迅が勝利を確保する為には大前提として風間を排除しなければならなかった。

 

 作戦を実行するにあたり菊地原の存在が一番問題(ネック)ではあったが、迅は彼や当真が佐鳥を高く評価していた事を知っていた。

 

 だからこそ、佐鳥を表に出せば菊地原が釣れると考え、狙撃を実行させたワケだ。

 

 無論、これは過小評価ではない。

 

 佐鳥が油断ならない曲者なのは事実だし、戦術レベルも表面上からは読み取れないがかなりのものだ。

 

 狙撃技術も天才(へんたい)の域であり、彼を放置するという選択は有り得ないだろう。

 

 だからこそ、迅はそれを利用した。

 

 過大評価をさせる、というワケではない。

 

 ただ、佐鳥の存在感を敢えてアピールするように立ち回る事で、意図的に彼に敵の視線を集中させる。

 

 迅は、佐鳥にそのように要請(オーダー)した。

 

 結果として、佐鳥は己の役割を完璧にやり遂げたと言って良い。

 

 厄介極まりなかった当真を早々に落とし、生きた捜索網(ソナー)である菊地原も嵌め殺した。

 

 更に奈良坂の抑えまでこなしてくれているのだから、文句の付け所がない。

 

 佐鳥と嵐山はこのまま奈良坂と睨み合って終わりだろうが、此処で相手の狙撃手に自由(フリー)になられるワケにはいかないので妥当なところだ。

 

 ともあれ、現時点で迅と太刀川に介入出来る戦力の当てはないと言って良い。

 

 故に第三者の不意打ちはもう心配せずとも良く、加えて言えば味方に配慮する必要ももう無い。

 

 此処から先に必要なのは、純粋な地力と機転のみ。

 

 もう隠し玉と言えるようなものはなく、純粋にどう読み勝つかの勝負になる。

 

 故に、少しでも処理能力に負荷を与えて迅の動きを鈍らせる事こそが最適解。

 

 この一騎打ちにおける、正道。

 

 それが、太刀川の地力による正面突破であるワケだ。

 

(風刃の残弾は、残り4本。もう半分を切ってるが、一発一発が即死に繋がりかねねぇから注意を割くしかないな。至近距離でも撃てるってのは、さっき風間さんが証明してくれたし)

 

 空中であれば大丈夫、至近距離ならば大丈夫。

 

 そんな過信は、即座に敗北に直結する。

 

 それを、風間は身を以て証明してくれたのだ。

 

 流石に、同じたたらを踏むワケにはいかない。

 

 至近距離での鍔迫り合いは、先程風間がやられたように遠隔斬撃の不意打ちで殺される恐れがある。

 

 かといって距離を取れば迅は地形を利用して詰めに入って来るだろうし、有利な場所に移動される恐れもあるので論外。

 

 故に。

 

(ここは、七海の真似をしてみっかね)

 

 太刀川は、グラスホッパーを起動。

 

 それを踏み込んで跳躍し、空中に躍り出ると同時に旋空を放つ。

 

「────────!」

 

 地面に向かって放たれた旋空をサイドステップで回避しながら、迅は次の攻撃に備えた。

 

 これで終わり、などという甘い考えは抱いていない。

 

 太刀川は、彼の好敵手は。

 

 戦闘に限って言えば、これ以上なく真摯なのだから。

 

「旋空弧月」

 

 迅は旋空を撃った反動を利用して身体を捻り、二撃目の旋空を発射。

 

 それが迅に避けられたと同時に、グラスホッパーを展開。

 

 ジャンプ台の加速を得て迅の側面に回り込み、更に旋空を一閃。

 

 空中を駆け回りながら、旋空弧月の連射を開始した。

 

(太刀川さん、七海の事好き過ぎでしょ)

 

 それは、奇しくも七海が得意とする空中戦。

 

 彼の場合は旋空ではなく炸裂弾(メテオラ)やスコーピオンの投擲を用いているが、太刀川はそれを自分の技術でアレンジしてしまったのだ。

 

 言うまでもなく、グラスホッパーで移動しながら旋空を連打するなど正気の沙汰ではない。

 

 そもそも、旋空自体扱いの難しいトリガーだ。

 

 旋空は厳密に言えば斬撃を飛ばしているのではなく瞬間的にブレードを拡張────────つまり刃を巨大化させている為、足場のない空中で使っても狙いを定める事はおろかバランスを崩すのがオチだ。

 

 だが。

 

 太刀川は持ち前の技術と戦闘勘により、その問題点を正面から突破した。

 

 即ち、潜在能力(ポテンシャル)による技術の解放。

 

 これまでが精々戦場への移動と戦闘補助に僅かに使用するのみだったグラスホッパーを本格的に利用した、空中戦術の解禁。

 

 それを用いて、太刀川は迅相手への一方的な攻勢を実現していた。

 

 付け焼刃、と呼ぶにはレベルが高過ぎる。

 

 恐らく、これまで七海の動きを見て来た過程において見稽古の要領でその技術を模倣したのだろう。

 

 その程度の芸当、迅との一騎打ちでテンションの上がった太刀川にとっては造作もない。

 

 村上のように一発で習得するとまではいかないが、それならそれで鍛錬を積み重ねれば良いだけの話。

 

 それに、土壇場での火事場の馬鹿力というのは案外馬鹿に出来ない。

 

 気持ちだけで勝敗が決まる事はないが、想いが強ければそれだけ成功する確率は上がる。

 

 モチベーションというのは、決して無視出来るものではないのだから。

 

(かといって、これだけで迅を倒せるなんて思っちゃいない。時間を稼いだら他が援軍に来るかもしれねーから、長期戦って手はないな)

 

 本音を言えばいつまでも戦っていたいところだが、それで負けてはお話にならない。

 

 派閥抗争云々はどうでも良いが、これまで待ち望み続けて来た迅との戦いなのだ。

 

 横槍での幕切れなど、流石に看過出来ない。

 

 かといって、緩慢に同じ事を繰り返していれば時間切れでこちらの負けだ。

 

 確かに空中には迅の風刃も届かないが、旋空の連射だけで迅が倒れる事などない。

 

 旋空の連射と言えば聞こえは良いが、そもそもその旋空自体が大振りの攻撃に属するものだ。

 

 相手の攻撃を許さずに攻撃を続けられる利点はあるが、この距離からの旋空を回避する事自体は迅にしてみれば容易だ。

 

 無論疲労感の蓄積はあるだろうが、戦場で精神を文字通り苛め抜いた迅が早々に弱音を吐く事など有り得ない。

 

 故に、何処かで仕掛けるしかない。

 

(けど、二度もチャンスはねーだろーな。次の一手で、勝負が決まるな)

 

 このまま終わる事など有り得ない事は、迅とて承知している筈。

 

 故に、彼は待っているのだ。

 

 太刀川から仕掛ける、その一瞬を。

 

 誘いに乗るようで癪ではあるが、それに乗る以外に勝機がない事も事実。

 

 太刀川は覚悟を決め、迅の姿を凝視した。

 

 

 

 

(来るな)

 

 空気が、ひりつくのを感じる。

 

 太刀川の戦意に呼応して、空気が震えている。

 

 その情動の漏れを、未熟とは思わない。

 

 場合によっては闘気による威圧は敵の精神を委縮させる効果があるし、これほどまでに濃密な殺気であれば仕掛けるタイミングをある程度誤魔化す事が出来る。

 

 もっとも、迅はこれが太刀川なりの白手袋であると理解していた。

 

 次で決める、勝負だ。

 

 そんな無言の挑発(メッセージ)が、この闘気には付随していた。

 

 知らず、心が震える。

 

 再戦を楽しみにしていたのは、何も太刀川だけではない。

 

 迅もまた、好敵手との戦いを待ち望んでいた。

 

 自分の思惑に巻き込む形になったのは申し訳ないが、この機を逃せば次はいつになるか分かったものではない。

 

 それに、細かい事を気にする太刀川ではない。

 

 迅と、全力で戦える。

 

 それだけが、彼の至上なのだから。

 

 そして、それは迅も同じだ。

 

 お蔵入りになってしまった勝負に、決着を着けたい。

 

 その想いを抱えていたのは、迅とて同じなのだから。

 

(来なよ、太刀川さん。勝つのは、俺だ)

 

 

 

 

 迅の殺気が、肌に刺さる。

 

 太刀川に影浦のような副作用(サイドエフェクト)はないが、それでも理解出来る程濃密な殺気が肌を刺す感覚が伝わって来る。

 

 これは恐らく、太刀川の挑発(メッセージ)の返礼。

 

 受けて立つという、迅の無言の宣戦布告。

 

 それを理解した瞬間、太刀川の心が歓喜に満ち溢れた。

 

 必ず、目の前の好敵手に勝利する。

 

 その意気込みを刃に乗せ、太刀川は刃を振り抜いた。

 

「────────旋空、弧月」

 

 旋空弧月。

 

 ()()

 

 二刀の弧月を用いた、連続拡張斬撃。

 

 それを、最高速度で実行した。

 

 迅に迫る、四筋の斬撃。

 

 それは刃の檻となり、確実に迅を囲い殺す為の必殺。

 

 隙間の殆どない四連撃同時攻撃が、迅を襲う。

 

「────────」

 

 だが、迅はそれすらを躱す。

 

 四連同時、とは言うが────────その実態は、()()()()()()()()()()()()()()

 

 次の斬撃を繰り出すまでのタイムラグが殆ど0に近い為に、四連同時攻撃に見えているだけだ。

 

 故に。

 

 全くの同時でなければ、抜ける隙間はある。

 

 コンマ0.1秒の刹那。

 

 その間に生じた僅かな斬撃の隙間を縫うように、迅は的確に身体を捻り回避。

 

 斬撃の檻を、無傷のまま抜け出した。

 

 それは、どれ程絶技か。

 

 迅の副作用(サイドエフェクト)で未来の映像が見えるとはいえ、視覚を介する以上七海のように被弾範囲が正確に感知出来るワケではない。

 

 つまり、正確に被弾しない動きを見せたのは単純な迅の洞察力と戦闘勘の賜物。

 

 経験と地力。

 

 それを駆使した、正面突破。

 

 死線踏破者の技量は、太刀川の猛攻を当然の如く潜り抜ける。

 

「────────」

「────────!」

 

 だからこそ。

 

 これで終わり、などという事はない。

 

 太刀川の斬撃は、迅には掠る事なく通り抜けた。

 

 だがそれは、空を切ったワケではない。

 

 その背後。

 

 迅の背にしていた家屋を、真ん中から両断した。

 

 最初から、太刀川は迅本人を狙っていたのではない。

 

 否────────土壇場で、狙いを切り替えたのだ。

 

 迅本人を狙う太刀筋から、背後の建物を狙う太刀筋へと。

 

 予め想定していた策であれば未来視に読まれる確率が高いが、土壇場での判断切り替えであれば読み遅れ生じさせる事が出来る。

 

 それを利用し、太刀川は自らの勘を信じて標的変更を即断。

 

 地形崩しの一撃を、此処に成立させた。

 

 迅に向かった崩れ落ちる、両断された家屋。

 

 正確に迅の方へ倒れるように切り口を計算されたそれは、大質量を以て迅の頭上へ落下する。

 

 同時に、太刀川はグラスホッパーを用いて迅の正面へ移動。

 

 瓦礫が降り注ぐ迅に向かって、再び旋空弧月を撃ち放った。



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太刀川慶⑥

 

 頭上から迫る崩れた家屋、正面から襲い来る旋空弧月。

 

 迅は、太刀川の作り上げた死地へと追いやられていた。

 

 太刀川の旋空はバツ印を描くような軌道で繰り出されており、回避するには跳躍する他ない。

 

 だが、迅の頭上には旋空によって切り崩された家屋が迫っている。

 

 その倒壊に巻き込まれれば身動きが取れなくなり、そうなれば敗北は必至。

 

 かといって、横に逃げるような隙間は無い。

 

 太刀川との距離が近過ぎる為、旋空の射程外へ逃げる事も不可能。

 

 かといって、跳躍を挟んで太刀川に近付けば旋空の追撃を回避出来ない。

 

 逃げ場のない死地。

 

 そう表現するに相応しい、必殺の刃の檻。

 

 太刀川の編み出した、この場での最適解。

 

 それを。

 

「────────!」

 

 迅は。

 

 ()()()()()()()()()()()()()、旋空の斬撃は空を切った。

 

 太刀川によって切り崩された家屋は、家である以上()()がある。

 

 巨大質量の塊ではあるが、その内部には部屋が────────即ち、()()があるのだ。

 

 迅は切断された家屋の断面からその内部へ飛び込み、難を逃れたワケである。

 

(そう来たか…………っ! けど迅、そいつは悪手だ)

 

 確かに、太刀川の斬撃を回避するにはこの状況ではそれしかないだろう。

 

 前後左右への逃げが封じられている以上、上へ逃げるより他はない。

 

 だが。

 

 家屋という名の箱に、自ら閉じ籠もった事実に変わりはない。

 

 故に。

 

「────────旋空弧月」

 

 家屋ごと、旋空で両断するだけの話。

 

 迅の隠れている場所は目視は出来ないが、崩れ落ちる最中の家屋で一ヵ所に留まり続けられる筈がない。

 

 常に中を移動し、こちらの隙を伺っている筈だ。

 

 ならば、やる事は一つ。

 

 家屋を微塵に斬り裂き、中にいる迅を仕留めれば良いだけの話。

 

 まずは、旋空の二連撃で家屋を四つに裂く。

 

 そこまで斬り裂けば流石に迅の姿も見えるだろうから、そこを叩く。

 

 強引で大雑把なやり方だが、迅相手に緻密な戦術は読まれ易くなるだけだ。

 

 ならば、少し雑な程度で丁度良い。

 

 それで生じる隙は、地力を以て強引に埋めれば良いのだから。

 

 それが出来るだけの力はあると、自負はある。

 

 確かに、迅は強い。

 

 だが、自分が彼に劣っているとは思わない。

 

 彼には未来視という絶大なアドバンテージがあるが、同時にそれが彼の枷である事も理解している。

 

 少なくとも自分はそのような力を欲しいと思った事はないし、この剣さえあれば後はどうとでもなる。

 

 国近(ゲーマー)風に言えば、「縛りプレイも楽しい」というやつだ。

 

 意味を理解しているワケではないが、まあ大体同じような内容だろうと太刀川は雑念を打ち切った。

 

 この一撃で迅が仕留められればそれで良し。

 

 しかし、それは有り得ないだろうと太刀川は見ていた。

 

 何故なら────────。

 

「…………ッ! 来たな…………っ!」

 

 ────────彼の好敵手(ライバル)は、座して死を待つような軟弱さとは程遠い男だからだ。

 

 迅は太刀川の旋空が直撃する前に、窓を破って家屋から脱出。

 

 そのまま、崩れ落ちる家屋を足場に太刀川に向かって斬りかかる。

 

 旋空を撃つには、間合いが近過ぎる。

 

 回避するには遅いし、そもそもするつもりもない。

 

「────────!」

「────────!」

 

 太刀川が選んだのは、真正面からの迎撃。

 

 グラスホッパーを踏み込み、自ら迅に斬りかかる。

 

 響く金属音。

 

 空中で、迅の風刃と太刀川の弧月がぶつかりあった。

 

「ぐ…………っ!?」

 

 同時。

 

 太刀川の蹴りが、迅の腹部を蹴り飛ばした。

 

 ただの蹴りではない。

 

 グラスホッパーを足にぶつける事で加速を得た、充分な威力を伴った蹴撃。

 

 奇しくも────────否。

 

 太刀川がその目で見た、七海が最終ROUNDで影浦に致命を与えたグラスホッパーを利用した一撃。

 

 その模倣であり、太刀川なりの利用法だ。

 

 当然、スコーピオンを用いていない以上トリオン体そのものにダメージはない。

 

 だが。

 

 相手を吹き飛ばすには、充分な一撃だ。

 

 蹴り飛ばされた迅は崩れ落ちる家屋の下へ飛ばされ、結果として迅は逃げ場のない空中で無防備を晒す事になる。

 

 そして、その隙を逃す太刀川ではない。

 

「終わりだ」

 

 万感の想いを込めて、太刀川は旋空を撃ち放つ。

 

 決して避けられないように、グラスホッパーを用いて接近しながら。

 

 致死の一撃を、撃ち放った。

 

 

 

 

 迅悠一にとって、太刀川慶の第一印象は「忍田の弟子」でありそれ以上でもそれ以下でもなかった。

 

 その頃の迅は逃避(もくてき)以外の何にも興味を持っておらず、ただ「最善の未来」という呪い(ねがい)を目指して行動していた。

 

 彼の見た未来で利用価値のある者を厳選し、自らの望みに沿うようさりげなく誘導する。

 

 何か致命的な問題が起きそうなら、未来視を駆使して先んじてそれを解決する。

 

 逆に問題を乗り越える事が将来的に必要な過程(コスト)であるなら、敢えてそれを放置し試練を与える。

 

 それを、ひたすら繰り返していた。

 

 そんな中、何度も執拗に自分をランク戦に誘ってくる太刀川の存在は少々厄介だった。

 

 迅本人の実力は今後の未来に置いてさして重要ではなく、また大抵の相手には勝てる性能(スペック)があった為に個人ランク戦をそこまで重要視していなかった、という側面もある。

 

 組織全体の地力を上げる事に躍起になっていた迅だったが、逆に彼個人の実力を上げる事には興味がなかった。

 

 というよりも、「どうせ自分に勝てる奴なんて早々いない」という無意識の傲慢(ていかん)があった事は否定出来ない。

 

 迅が想起する「勝てない相手」というのは最上や忍田といったいわゆる最上位の人間であり、それらの者達を特別視する迅にとって他の実力者は精々がどんぐりの背比べにしか見えていなかった。

 

 それだけ迅にとって旧ボーダーの面々は特別な相手であり、それ以外の人間をある種軽視していた事は事実だ。

 

 その事に、彼本人が気付いていなかったとしても。

 

 執拗にランク戦に誘って来る太刀川を、「無謀な奴」と見下していた事は事実だった。

 

 だから、忍田経由でランク戦の誘いを受けるように頼まれた時も、一度思い知らせてやればいいか、程度の気持ちだった。

 

 どうせ、自分の未来視(ちから)を知った時点で離れていくに決まっている。

 

 自分から見れば欲しくもなかった力だが、他者から見れば妬みや崇敬の対象らしい。

 

 この力を持っている事を知った人間は、一様に彼から距離を取っていた。

 

 そんなバカげた力を持つ奴なんかと、関わり合いたくないとか言って。

 

 卑怯(チート)だ、狡い、反則だ。

 

 投げかけられた罵声は、多過ぎて思い出せない。

 

 だから、今回も自分の力を知れば身の程を知って離れていくだろう。

 

 そんな傲慢(かんがえ)で、太刀川の相手を引き受けた。

 

 10本勝負で始めた初戦は、迅の完勝。

 

 何の面白みもない、乾いた勝利だった。

 

 確かに、太刀川の実力は他とは頭一つ以上に図抜けていた。

 

 正面から戦えば、勝てる相手はそうはいないだろう。

 

 だが、迅には未来視があった。

 

 相手の行動を常に先に識る事が出来るのだから、後はその情報を元に詰め将棋の要領で完封するだけ。

 

 太刀川の地力が高かった為にある程度念入りにやったが、違いといえばその程度。

 

 後は能力の開帳(ネタバラシ)をして、それで終わりだ。

 

 未来視の事を知って勝負を投げ出すならば、それで良し。

 

 諦めず向かって来るようなら、何度でも叩き伏せれば良いだけ。

 

 そう考えて二戦目に挑む前に太刀川に未来視の事を話し、そして。

 

 太刀川は、「そうか」とだけ言ってすぐに二戦目を挑んで来た。

 

 頭が悪そうだったから理解出来なかったか、と思いつつ二戦目を始めた迅だったが、その試合での太刀川の動きは一戦目とは打って変わって慎重だった。

 

 こちらを探るような眼で見据えながら、手を変え品を変え攻めて来た。

 

 それでいて決して無理はせず、追い詰めるまでそれなりに時間がかかった。

 

 そして。

 

 その試合は勝つ事は出来たが、それと引き換えに迅の腕に一撃が加えられた。

 

 最後の最後。

 

 トドメを刺す瞬間に、太刀川の反撃が迅の腕に当たったのだ。

 

 その瞬間の驚きは、今でも覚えている。

 

 傷を付けられた事など、いつ以来だろうか。

 

 普通のランク戦は数える程度しかやらなかったが、彼を傷付けられる者はいなかった。

 

 大規模侵攻の時も問題だったのは相手の規模と数だけで、戦闘そのものに苦戦はしなかった。

 

 それ以前の近界を渡り歩いていた時には当然幾らでも窮地を経験したが、未来視の扱いに慣れて腕を磨いて以降はまともに苦戦する事はなかった。

 

 きっと、その時だろう。

 

 迅が初めて、太刀川に興味を抱いたのは。

 

 もしかして、こいつなら。

 

 そんな考えが、頭の片隅に浮かんだ事は否定出来ない。

 

 同時に、どうせ無駄だと、冷めた目で見ている意識(じぶん)がいた事も事実だった。

 

 だから、試した。

 

 そうして迎えた三戦目もまた、楽勝とはいかなかった。

 

 一合ごとにこちらの動きに合わせ、意表を突かれる事も何度かあった。

 

 それでも、三戦目は迅の勝利に終わった。

 

 矢張り駄目か、と諦観が過った。

 

 良い線は行っていたが、此処までだろう。

 

 そんな考えが、脳裏に浮かぶ。

 

 けれど。

 

 四戦目。

 

 そこで、太刀川は迅相手に遂に白星を勝ち取った。

 

 その時、迅の胸に沸き上がったのは歓喜と────────そして、燃え盛る闘志だった。

 

 誓って、手を抜いてはいなかった。

 

 なのに、負けた。

 

 久方ぶりに感じる、敗北の悔しさ。

 

 そして。

 

 自分の予想(よち)を上回ってくれた、太刀川への期待。

 

 それが、迅の闘志に火を点けた。

 

 知らず、笑みが浮かんだ。

 

 ブレードを握る手に力が籠もり、視界がクリアになっていく。

 

 そこからは、夢のような時間だったと言って良い。

 

 勝ち星自体は、迅が上だった。

 

 だけど、太刀川は楽には勝たせてくれなかった。

 

 一戦ごとに動きが良くなっていき、最後には互角の勝負を演じるまでに至った。

 

 最終的な勝ち数は3:7で迅の勝利であったが、そも迅相手に三つも勝ち星を取った時点で快挙と言って良かった。

 

 この時点で迅は太刀川を好敵手と認め、それまで遠ざかっていたランク戦にのめり込んだ。

 

 それから風刃を正式に手にするまで、太刀川と繰り返し戦った。

 

 最初は迅の方が勝ち星が多かったが、やがて太刀川の方が圧倒するようになった。

 

 そんな太刀川に勝ちたくて、スコーピオンを開発してからは五分の勝負が続いた。

 

 未だ呪い(ねがい)に囚われていた迅であったが、太刀川と戦う時だけは目の前の戦いに集中する事でそれを忘れる事が出来た。

 

 けれど。

 

 風刃の所有者を正式に決めるという話になった時、猶予期間(モラトリアム)は終わりを告げたのだと理解した。

 

 師の形見である黒トリガーを手放す事など、断じて許容出来ない。

 

 だから、所有者を決める戦いに参加するのは当然で、勝つ事もまた必然だった。

 

 その時、試合を見ていた太刀川の眼を今でも覚えている。

 

 あの時の、彼の寂しそうな眼は忘れられない。

 

 ついぞ、決着を着ける事が出来なかった。

 

 その心残りは、常に迅の中にあった。

 

 だけど今、その決着を着ける舞台が整った。

 

 頼りになる友人達のお陰で、自分はこうして太刀川との戦いに集中する事が出来ている。

 

 その事に感謝し、迅は自分に迫る太刀川を見た。

 

 彼の眼は、笑っている。

 

 心底楽しい。

 

 そんな感情を、隠す事なく曝け出している。

 

 出来る事なら、いつまでも戦っていたい。

 

 そう思っているのは、きっと自分だけではないだろう。

 

 だが、勝負とは決着が着いて然るべきもの。

 

 この戦いの決着は、自分の手で付けたかった。

 

 時間を稼げば、きっと自分が勝つだろう。

 

 元より、迅の適正は集団戦だ。

 

 他者を効率的に使う術は、誰よりも心得ている。

 

 一人でも援軍が来れば、それでカタがつく。

 

 だけど。

 

 迅は、この一騎打ちは自分の手で終わらせたかった。

 

 それが、自分の我が儘である事は理解している。

 

 そんな事に拘って勝率を下げるなど、以前の迅であれば決してやらなかっただろう。

 

 だけど。

 

 これは、感情の問題だ。

 

 そも、この戦い自体迅や城戸の感情(エゴ)から始まったものだ。

 

 ならば、やり方に感情を挟んでも今更だ。

 

 そう開き直り、迅は。

 

 ニヤリと、不敵な笑みを浮かべた。

 

「はい、予測確定」

 

 

 

 

「な…………っ!?」

 

 その時、太刀川は驚愕に目を見開いた。

 

 旋空を放とうとした、自分の両腕。

 

 それが、頭上から出現した風の刃によって斬り裂かれた。

 

 その攻撃が。

 

 風刃の遠隔斬撃が降って来たのは、頭上の家屋。

 

 その内部から突然、風の刃が突き出て太刀川の両腕を切断したのだ。

 

(そういう、事か…………っ!)

 

 太刀川は、何が起きたかを理解した。

 

 迅が家屋に飛び込んだのは、単に旋空を避ける為ではなかった。

 

 全ては、この為。

 

 このタイミングで太刀川を仕留める為、家屋の内部に遠隔斬撃を()()()為だったのだ。

 

 恐らく、迅は未来視でこの光景を視ていた。

 

 数多く存在する選択肢(ルート)の中から最適なものを選び出し、その未来(みち)に沿って戦術を組み上げた。

 

 今この瞬間、迅に迫る太刀川を確殺する為に。

 

 これが先ほどのように自分の身体を利用した斬撃であれば、既にそれを目にしていた太刀川には避けられてしまっただろう。

 

 だが。

 

 家屋の中に遠隔斬撃を仕込むという手法は、太刀川の意表を突くには充分だった。

 

 弧月しか攻撃手段のない太刀川は、両腕を失った時点で戦闘能力を喪失している。

 

 つまり、これで勝敗は決した。

 

 太刀川は破れ、迅が勝者となる。

 

「────────ッ!!」

「────────ッ!?」

 

 その未来(おわり)に、太刀川は異を唱えた。

 

 腕と共に落下する自身の弧月の柄を、彼は()()()()()

 

 口に弧月を咥えた太刀川は、グラスホッパーを踏み込み跳躍。

 

 驚愕を露にする迅に、最後の一撃を叩き込んだ。

 

「────────く、そ…………っ!」

 

 けれど、刃は届かず。

 

 先ほどの意趣返しとばかりに迅に顎を蹴り飛ばされた太刀川は弧月を弾き飛ばされ、そのまま胸を風刃によって貫かれた。

 

 紛れもない、致命傷。

 

 太刀川の二振りの弧月は地面に落下し、もう武器はない。

 

 今度こそ、決着は着いたのだ。

 

 迅の、勝利によって。

 

「ったく、負けちまったか。最後は、良い線行ってたと思うんだけどな」

「びっくりしたよ。香取ちゃんのあれを経験してなきゃ、やられてたかな」

「あいつの所為か。お前にそう言われるまで成長したって事は、喜んでやるべきかね」

 

 太刀川は例の試合を思い返し、笑みを浮かべる。

 

 昇格試験の最中、香取は四肢がもがれた状態で尚も諦めずに迅に突貫し、彼はそれを退けている。

 

 ラウンド4の試合では散々香取をこき下ろした太刀川であったが、迅に此処まで言わせるまでに成長した彼女の事を思い、苦笑した。

 

「それに、七海ならあの場面でも諦めないと思ってね。ホント、変なトコだけ似るんだからさ」

「成る程な。確かに、七海でもやるわな。そりゃ分かるワケだ」

 

 太刀川は迅の言葉に反論せず、ため息を吐いた。

 

 負けた事は、悔しい。

 

 だけど、不思議と充足感があった。

 

 数年越しの決着を、ようやく着ける事が出来た。

 

 その事が、彼の心の翳りを取り去っていた。

 

 だから、言う事は一つ。

 

「次は、負けねえよ」

「こっちも、負けるつもりはないよ。このまま、勝ち越してみせるさ」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 これで終わらせはしない。

 

 そう願って、再戦の約束を口にした。

 

 その言葉を最後に、トリオン体が限界を迎える。

 

 身体は崩れ、太刀川は光の柱となって消え去った。

 

 黒トリガー争奪戦。

 

 その終わりを告げる、狼煙となって。



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三輪秀次④

『出水くん、太刀川さんやられちゃった』

 

 オペレーターの国近から、出水に太刀川敗北の報が伝わる。

 

 依然として那須との弾幕戦を継続していた出水はそれを聞き、溜め息を吐いた。

 

「そっか。迅さんは?」

『まだ生きてるよー。惜しいトコまで行ったみたいだけどねー』

「ちなみに三輪は?」

『生きてはいるけど、両腕なくして戦闘不能。あと、奈良坂さんは嵐山さん達と睨みあい中だよ』

 

 成る程、と出水は戦況を聴きこりゃ終わりだな、と判断を下した。

 

 迅が太刀川と相打ちになっていればまだ芽があったが、健在である以上すぐにでも出水を排除しにかかるに違いない。

 

 那須と本気で戦いながら迅の横槍が来るとなれば、出水に抗する手段はない。

 

 そして出水が落とされれば那須が自由(フリー)になり、奈良坂が詰められて終わりだ。

 

 幾通りか戦術パターンを吟味していたが、いずれにしても勝ちの芽が0から動かない。

 

 少しでも可能性があるならば継戦しても良かったのだが、太刀川という迅の抑え役がいなくなった以上逆転の手は無い。

 

 捨て鉢になったのではなく、物理的にどうしようもないのだ。

 

 太刀川が落ちて三輪も戦闘不能になった以上、前衛が一人もいなくなった。

 

 そして、前衛がいない以上迅の風刃の再装填(リロード)を妨げる事は出来なくなる。

 

 那須が出水をこの場から解放してくれるとは思えないし、奈良坂も嵐山達のマークがある中狙撃を察知可能な迅を仕留める事は不可能だ。

 

 相手が迅一人であればまだ芽はあったが、この上で七海が生存しているとなるともう()()だ。

 

 出水は自分たちの敗北を悟り、那須を見た。

 

 那須もまた、太刀川敗北の報が伝わったのだろう。

 

 現状を理解したのはまた、彼女も同じというワケだ。

 

「これ以上やっても意味ねーな。俺らの負けだ」

「そう。今回も、中々楽しかったわ。機会があったら、また戦りましょう」

「那須さんの誘いとありゃ願ってもねーな。ま、A級のランク戦かなんかで機会はあるだろ」

 

 出水は好戦的な笑みを浮かべる那須にそう返し、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

 彼にとっても自身に匹敵する技術を持つ那須との戦いは楽しいと言えるものであり、互いの技量を正面からぶつけ合う今回の戦闘はそれなりに満足のいくものであった。

 

 戦術的な勝利は逃したが、出水的には割と満ち足りた時間であったと言える。

 

「じゃな。七海によろしく頼むわ」

 

 出水はそう言って笑うと自ら「緊急脱出(ベイルアウト)」と告げ、戦場から離脱した。

 

 那須は基地に戻っていく出水を見据えながら、戦いの高揚で赤らんだ顔で笑みを浮かべた。

 

「ええ、承ったわ。私も全力で戦れて、とっても良い気分だもの。無事に勝てたし、言う事なしね」

 

 でも、と那須は七海のいるであろう方向を見据えた。

 

「あっちは、大丈夫かしらね。彼、中々頑固そうだし」

 

 

 

 

『三輪くん、作戦終了よ。太刀川さんが緊急脱出(ベイルアウト)したわ。出水くんは離脱したし、奈良坂くんも撤収中よ』

「…………!!」

 

 三輪はオペレーターの月見の報告を聞き、思わず膝を突いた。

 

 負けた。

 

 これだけの戦力を揃え、万全の準備で立ち向かったというのに。

 

 七海には────────否。

 

 迅には、勝てなかった。

 

 流石にこれだけの戦力があれば勝てるだろうと、楽観していた部分があったのは確かに否定は出来ない。

 

 A級の一位から三位部隊というトップチームに加え、自身の部隊も含めたA級四部隊相当。

 

 更には香取という追加人員も参戦し、戦力上では充分勝てる筈だった。

 

 だが、結果はどうだ。

 

 迅は太刀川隊と風間隊とほぼ一人きりで打ち負かし、嵐山隊と七海・那須の連合によって他の面々も各個撃破された。

 

 三輪(じぶん)も迅に斬りかかりたいのを抑えて相性の良い七海と当たったというのに、無様にも負けてしまった。

 

 悔しい。

 

 納得出来ない。

 

 どうして。

 

 そんな想いが、胸の内から溢れ出す。

 

 そして。

 

 気付けば、その鬱憤を目の前の七海に向かって吐き出していた。

 

「何故だ、七海…………っ! お前だって、近界民に姉を殺されたんだろう…………っ!? 何故、近界民を許容出来る…………っ!? 何故、迅をそこまで信じられる…………っ!? あいつに、俺やお前の何が分かるって言うんだ…………っ!」

「分かるさ。だって、姉さんが死んで一番悲しんだのは────────他ならぬ、迅さんだったんだから」

「え…………?」

 

 けれど。

 

 鬱憤を吐露した三輪を待っていたのは。

 

 七海からの、予想外の言葉だった。

 

「迅さんは、姉さんと仲が良かった────────いや、多分異性として好きだったんだと思う。だから、姉さんの死を誰より悲しんだし、引きずってた。ずっと俺に謝りたかったって、辛い顔で言ってたよ」

 

 だって、と七海は続ける。

 

「ただ助けられる側だった俺と、その場にいながら姉さんを止められなかった迅さんじゃ、立場が違うんだ。あの時の俺はただ助けを求めるしかなかった無力なガキで、迅さんはそんな俺を助けようとする姉さんを止められなかった」

 

 七海はそう告げると、三輪の眼を真っ直ぐに見据えた。

 

「近界民に母親を殺されて、近界の戦争で恩師を亡くした迅さんは────────────────誰よりも、失う辛さを知っているから」

「…………っ!?」

 

 その事実(ことば)を聴き、三輪は目を見開いた。

 

 三輪は迅本人について、何も知らない。

 

 彼にとって迅は姉を見殺しにした怨敵であり、親近界民などという戯れ言を口にする愚か者だ。

 

 迅の力が組織にとってなくてはならないものである事は理屈としては理解しているが、感情は納得する筈もない。

 

 故に、彼について積極的に調べるという事をしなかった。

 

 憎悪する相手ではあるが、同時に彼を見ると否応なくあの時の光景が蘇ってしまう苦手な相手でもあったのだから。

 

 だから、知らなかった。

 

 迅もまた、近界民によって親しい者を失っている事を。

 

 そして。

 

 好きな人を、助けられなかった事を。

 

 迅が七海の姉に懸想していたなどという事実は、初耳だった。

 

 それはそうだろう。

 

 誰彼構わず吹聴して良い事ではなく、その事実を知る者は七海と旧ボーダーの関係者に限られるのだから。

 

 三輪は、混乱していた。

 

 今まで、迅は近界民に身内を殺された事がないから奴等を庇うなどという真似が出来るのだと思い込んでいた。

 

 近界民の脅威を知らないから、無責任な事を言っているだけだと。

 

 だが。

 

 ある意味で迅は三輪以上に、近界民の脅威を知り尽くしていた。

 

 考えてみれば、当然だ。

 

 迅は、旧ボーダーの頃から近界を渡り歩き、本物の戦争を経験している。

 

 そんな彼に「近界民の脅威」を語るなど、釈迦に説法というものだろう。

 

 ────────恐らくお前が気にしているのは、七海が言った()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という点だな。結論から言えば、それは事実だ。とは言っても、今のボーダーが出来る前────────迅や小南達が所属していた、旧ボーダーでの話だがな────────

 

 あの時の、東の言葉が蘇る。

 

 その時は東のとりなしで深く考える事はなかったが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事実は、見過ごせない雑音(ノイズ)として三輪の心に燻っていた。

 

 近界民は敵だ、味方になどなる筈がない。

 

 それが三輪を含む大多数の認識であり、ある意味では間違ってはいない。

 

 けれど、彼等は知らないのだ。

 

 近界はあくまで、()()()()()()()()()()()でしかない事に。

 

 そして。

 

 近界民とは、()()()()()()()()()()()でしか無い事に。

 

 殆どのボーダー隊員に、その事実は秘されている。

 

 近界の人間を()()近界民などと呼称するのも、そういった事実を誤魔化す為という色合いが強い。

 

 人は、未知の怪物を処理する事は簡単だが────────()()を殺す事に関しては、どうしても抵抗感が生まれてしまう。

 

 だからこそ、「人型」という────────()()()()()()()()()()()()という意味の呼称を付ける事で、抵抗感を消しているのだ。

 

 戦場で、躊躇って負ける事がないように。

 

 見方によっては非人道的とも取れるかもしれないが、トリオン能力の絶頂期にあたるのが学生である以上、彼等の命を守る事こそが第一だ。

 

 その為ならば多少の情報操作は止むを得ないし、下手に真実を拡散して被害が広まるような事はあってはならない。

 

 安全を第一に考えるという観点から見れば、この手法は何も間違ってはいない。

 

 ある意味それに踊らされた結果となる三輪であったが、彼の場合は色々と間が悪かったというのもある。

 

 仮に迅が四年前のあの時に何も言わずに立ち去るのではなく、何かしら彼に言葉をかけていたのなら。

 

 もしかすると、違った結果になったのかもしれない。

 

 しかし当時に迅にそんな事をする精神的な余裕はなく、自分の都合を優先して何も言わずにその場を立ち去ってしまった。

 

 擁護すべき点はあるものの、その事に関しては完全に迅の落ち度である。

 

 それが分かっているからこそ、迅は三輪の為に心を砕いて色々と根回しをして来たのだ。

 

 今日この日を、迎える為に。

 

 七海は、この場で三輪と相対したのが自分である事は必然であったと理解した。

 

 彼に。

 

 憎悪と疑心に凝り固まった彼に、何か言葉をかけられるとしたら。

 

 自分を置いて、恐らく他にはいないのだから。

 

「三輪さんの境遇は理解出来ますが、迅さんにも事情があったという事は覚えて置いて欲しいんです。後で迅さんと話す機会を作りますので、言いたい事はその時に言って下さい。迅さんもきっと、応えてくれると思いますから」

「…………俺は…………」

 

 三輪は七海の言葉を聞き、俯く。

 

 きっと、今の彼は自分の信じていたものが瓦解し、何をして良いか分からないのだろう。

 

 これまで信じて来たものが、崩れて無くなる感覚。

 

 その辛さは、想像する他ない。

 

 けれど、これは必要な事なのだ。

 

 三輪という復讐者が、本当の意味で前を向く為に。

 

 未熟な戦士(こども)から、現実を知った兵士(おとな)になる為の工程(プロセス)

 

 それが、今回の戦いであったというだけの話。

 

 三輪は暫く俯いた後、顔を上げる。

 

 開いた彼の目は、何処か憑き物が落ちたような────────そんな、穏やかな光があった。

 

「…………分かった。迅と、話してみよう」

 

 それと、と三輪は七海の眼を見返して、告げた。

 

「三輪と、呼び捨てで良い。同い年だろう。俺とお前は」

 

 

 

 

「成る程。状況は理解した」

 

 その後、ボーダー本部司令室。

 

 そこに集まった面々のやり取りは、予め想定されていた通りに進んだ。

 

 迅に与して嵐山隊と七海・那須の両名がトップチームと戦い、それを撃退した事。

 

 その指示を出したのが忍田本部長であり、彼等は本部長の命によって動いていた事。

 

 それらが明らかになり、追及を受けた忍田は黒トリガーの強奪を実行する案に賛同した根付と鬼怒田を糾弾した。

 

 歴戦の兵士の威圧に委縮した二人を見て、忍田と城戸は頃合いだと密かに頷いた。

 

 そして。

 

 タイミングを見計らうように、迅が指令室に現れた。

 

 そこからの話は、トントン拍子に進んだ。

 

 迅が風刃と引き換えに遊真の入隊を要請し、城戸がそれを受諾。

 

 その時点で以て黒トリガーの奪取命令は解除され、玉狛支部への干渉は不許可とするという結果に落ち着いた。

 

 とはいえ、本部司令である城戸の命令に背いた事に変わりはなく本来であれば罰則を課す必要があった。

 

 嵐山隊に関しては、忍田の命令で動いた為お咎めはなし。

 

 というよりも、他ならぬ根付が彼等への罰則など冗談ではないと全力で話を逸らしにかかったのだ。

 

 メディア対策室室長である彼にとって、広報部隊である嵐山隊は断じて無くしてはならない生命線だ。

 

 そんな彼らが罰則を受けて悪い噂が流布されるなど、断じて許容出来ないというのが根付の立場だ。

 

 その為に、嵐山隊への罰則は有耶無耶となった。

 

 そして、七海と那須に関しては「那須隊の来季遠征資格の凍結」という処分に落ち着いた。

 

 これは予め予定していた罰則であり、七海達も納得済みのものだ。

 

 那須隊は遠征を希望する者が一人もいない上に、那須と七海はそれぞれの身体面の事情でそもそも遠征自体が不可能。

 

 そんな彼等にとって遠征資格の凍結はなんら痛手ではなく、実質的なお咎めなしと言って良い結果となった。

 

 そして────────。

 

 

 

 

「よう。待たせたか?」

「────────迅」

 

 ボーダー本部、屋上。

 

 その端に腰掛けていた三輪は、待ち人の声を聞いて振り向いた。

 

 屋上の入り口に立っていたのは、他ならぬ迅。

 

 これまで三輪が憎悪し、嫌悪して来た相手であり────────。

 

「じゃあ、話をしようか。大切な、話だ」

 

 ────────彼が本当の意味で前を向く為には避けては通れない、因縁の相手でもあった。



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三輪秀次⑤

 

「まず確認しておきたいんだけど。三輪は、今回の事何処まで気付いてる?」

「大まかな流れがお前の思い通りになった、事くらいだ。その為に、俺を利用した事も察しが付いてる」

 

 三輪はそう言って頭をかきながら、迅をジト目で睨みつけた。

 

「七海の話を聞くまで、俺は冷静じゃなかった。だから、普通なら気付くような違和感も見落としていたが────────────────振り返ってみれば、嫌でも分かる。今回、俺はお前があの近界民を入隊させる為のダシにされたワケだな」

「否定はしないよ。三輪の行動を予測して、計画を立てたのは確かだからね」

 

 そうか、と三輪はため息を吐いた。

 

 これまでの彼であればこの時点で「よくも利用してくれたな」と激昂していただろうが、今の彼の心は落ち着いていた。

 

 色々と、客観視する余裕が出来たとでも言おうか。

 

 迅が気に食わない相手であり、苦手な存在である事に変わりはない。

 

 けれど。

 

 そんな迅にも、彼なりの事情がある事を三輪は知った。

 

 そうしてようやく、彼は自分の感情以外の事に目を向けるようになったのだ。

 

 ハッキリ言って、今回の件で迅に疑いを持って以降の彼は冷静ではなかった。

 

 争奪戦の最中もある程度冷静に立ち回っていたように見えたが、七海を相手にしている最中には迷いと困惑があった。

 

 何故、自分と同じように近界民に身内を殺されているのに迅の味方が出来るのか。

 

 その疑問が常に付いて回り、七海相手に本気になり切れていなかった。

 

 手を抜いていたというワケではないが、コンディション自体が良くなかったと言うべきか。

 

 ともあれ、三輪は近界民と迅という彼の心を乱す二つの要素に加え、同族意識を感じていた七海に敵対された事で心身の状態が非常に不安定であったと言える。

 

 彼の敗因も、そのあたりに起因する部分が多い。

 

 けれど。

 

 七海から迅の境遇を聞き、己を見詰め直した今。

 

 彼の心の靄は、取り払われている。

 

 今の三輪は、自分の事を冷静に客観視する事が出来ている。

 

 それは同時に。

 

 迅の評価についても、考え直す余地が生まれたという事だ。

 

 そうでなければ、わざわざ迅と会うなどという場に自ら来たりはしない。

 

 迅が直接誘ったのであれば無視したかもしれないが、他ならぬ七海の提言だ。

 

 それを聞くくらいの度量は、今の三輪にはある。

 

 加えて、良い機会だとも思っていた。

 

 七海の話を聞き、三輪は自分が迅の事を何も知らないという事を改めて思い知らされた。

 

 彼にとって迅は不倶戴天の敵であり、出来る事なら視界にも入れたくない類の人間だ。

 

 その理由の大部分は迅の姿を見るとあの日の光景が蘇るからであり、実際のところそれは彼の姿を引き金に悪夢を想起する三輪自身の心の問題である。

 

 しかし、三輪には「迅は姉を見殺しにした」という先入観があった。

 

 だからこそ迅に関する感情は全てマイナスのベクトルに変換されていたのだが、その自動変換(おもいこみ)が今は鳴りを潜めている。

 

 故に三輪は、重ねて迅に尋ねた。

 

「……………………お前は何故、近界民(ネイバー)を庇い立てする? 七海に聞いたぞ。お前も、母親を近界民に殺されたらしいな。それに、亡くなった七海の姉とも親しかったと」

「────────ああ、成る程。七海が話したのね」

 

 三輪の問いに、迅は得心したように頷いた。

 

 元よりこうして三輪とは対面して話す機会を作るつもりではあったが、それが七海の手により後押しされるとは思っていなかった。

 

 読めなかったという事は七海の突発的な提案だったのだろうが、迅の側にも断る理由はない。

 

 未来視を駆使して三輪の居所を探り当てて会う事も出来るが、その方法だと相手の心証が悪くなりかねない事を今の迅は理解している。

 

 誰だって、突然訪問されるよりも事前の許可(アポイント)を取ってから会った方が心の準備が出来るし心情的にも悪くないのだから。

 

 突然押しかけて来られた場合は拒否感情が出る場合もあり、元から良く思っていなかった相手ならば猶更だ。

 

 そういう意味で、七海の提案はありがたかったと言える。

 

 しかし、まさか三輪が迅との対面に自ら赴くなど想像もしていなかったのだが。

 

 三輪に嫌われている事は自覚していたし、それが仕方のない事であった事も理解している。

 

 だから、印象を悪くしてでも押しかける以外に無いかと思っていたところに、七海の提案が舞い込んで来たのだ。

 

 彼には、感謝してもしきれない。

 

 三輪は、迅の答えを待っている。

 

 だから、迅は。

 

 真摯に、彼に応える事にした。

 

「まず、認識を正しておこう。三輪は、近界民に対してどういう認識でいる?」

「こっちの世界に来る侵略者、駆除すべき外敵。それ以外に何がある?」

「ある意味ではそれも正しい。けれど、唯一の正解ってワケでもないんだ────────────────だって、近界民ってのはつまり異なる世界に住むだけの()()の事なんだから」

「…………っ!?」

 

 人間。

 

 迅は近界民を評して、そう言った。

 

 それを聞いて、三輪の頭に血が上る。

 

 反射的に怒鳴り散らそうとして────────。

 

 ────────────────近界は、単に()()()()()()()()ってだけだ。技術格差や相互不理解なんかの所為で侵略される側に回っちゃいるが、別段全ての国に交渉の余地がないワケじゃない。仲の良い国と仲の悪い国があるのは、この世界を見ればわかるだろ?────────────────

 

 

 忘れかけていた、東の言葉が蘇った。

 

 近界は、別世界にある()()

 

 当時の三輪はその言葉を受け入れられず、無意識の内に忘却していたが。

 

 他ならぬ迅から同様の言葉を聞き、その内容に目を向けた。

 

 知らなければならない。

 

 そういった心の訴えに、耳を傾けて。

 

「じゃあ、人型近界民は────────」

「正真正銘、近界に住んでる人間の事さ。もっとも、遠征に送られて来るぐらいの奴は大抵精鋭だから、こっちでいう太刀川さん達みたいな立場の人間だと思えば良い。あっちの人間も、戦える奴はそこまで多くはないからな」

 

 少数精鋭が近界の遠征の基本だからね、と迅は補足した。

 

 大抵のボーダー隊員は「近界民」という存在を一括りにしがちではあるが、真実を知る迅にとっては違う。

 

 近界民といえど全員が戦えるワケじゃないし、むしろトリオン体になってまともに戦えるのは少数精鋭のみ、という国も珍しくはない。

 

 近界にも、()()()()という層は存在するのだから。

 

「だから当然、近界民にも良い奴も悪い奴もいる。話が分かる奴もいるし、話が通じない奴もいる。こっちの世界で同じで、あっちにも色んな人間がいるんだ。この世界に攻めて来る奴は、その中の一部に過ぎないんだよ」

 

 まあ、その()()が脅威なんだけど、と迅は続ける。

 

 近界にとって玄界は、いわば植民地時代のアフリカだ。

 

 搾取する事で利益が狙える場所であり、尚且つ相手に抵抗する手段が乏しい。

 

 だからこそ、今日まで繰り返しトリオン兵を送られて資源────────────────即ち、人間を狙われているのだ。

 

 国力に差があり過ぎる場合、外交は一方的な搾取か侵略に偏りがちだ。

 

 相手に抵抗する余地が少ないなら、幾らでも資源を搾り取れる。

 

 植民地時代のアフリカがそうであったように、近界から見てこの世界は「やり返される危険が低く、資源に溢れた場所」であるのだ。

 

 国の運営というのは、綺麗事だけで行えるようなものではない。

 

 相手から搾取して国力を上げられるのなら、たとえそれが非人道的手段であろうと自国に被害やしっぺ返しが及ばない範疇であれば推奨される。

 

 それが、政治というものなのだから。

 

「だから、近界国家にも俺たちの力を示して「一方的な搾取以外の外交手段がある」って考えて貰わなきゃいけなかった。だから何度も近界に行って、必要があれば戦争にも参加したよ」

「戦争、か…………」

 

 三輪は迅から「戦争」という言葉を聞き、ようやく彼が自分とは文字通り違う世界で生きて来た事を悟る。

 

 確かに三輪は戦闘に身を置く兵士ではあるが、本物の────────────────命がかかった戦場には、赴いた事はない。

 

 防衛任務がそれだと言えばそうなのだが、今は緊急脱出(ベイルアウト)がある。

 

 故に本当の意味で命の危険を感じた事がなく、本物の死線を潜った経験のある迅とは価値観が違って当然だ。

 

 それを、三輪は思い知る事になる。

 

「その甲斐あって、近界国家の三つと同盟を結ぶ事に成功したんだ。今のボーダーの発展も、その同盟国の協力がなきゃ成立しなかった。そういう意味で、ボーダーと近界民は切っても切れない関係にあるんだよ」

「…………っ!」

 

 詳しい事は機密だから城戸さんの許可なしには言えないけどね、と迅は補足した。

 

 一方、今のボーダーが近界民の協力ありきで成り立っていると聞いた三輪は内心激しく動揺していた。

 

 近界民を()()()()()()()としか考えて来なかった三輪にとって、その近界民がいなければ今のボーダーはなかったと聞き、心穏やかでいられる筈もない。

 

 だけど、抑えた。

 

 まだ、聞きたい事は残っているのだから。

 

「……………………じゃあ、お前が今回庇った近界民は、それに匹敵する利益を生み出す可能性がある奴、って事なのか…………?」

「あながち間違ってはいないね。彼は、遊真は俺の未来視で視た最善の未来に至る為の最後の欠片(ピース)だ。彼と三雲くん、そして七海が近々起こる大規模侵攻をより良い結果で終わらせる為に必須なんだよ」

 

 ちなみに、これは三人には話してあるよ、と迅は続けた。

 

 未来視が視た、最善の未来。

 

 そこに辿り着く為に必要な、ピース。

 

 その一人が、件の近界民なのだという。

 

 それだけでも驚きだが、何より。

 

 その中に七海の名前があった事もまた、三輪は無視出来なかった。

 

「三雲と、七海が…………? お前は、七海の事も利用する気なのか…………?」

「ああ、その通りさ。四年前に彼を助けたのだって、その未来が視えたからだしね。最善の未来に辿り着く為のパーツとして、七海を利用した。それは否定しないよ」

「……………………一つ、聞かせろ」

「何かな?」

 

 迅はじっとこちらを見据える三輪を見て、目を細めた。

 

 彼が何を尋ねるか。

 

 それが、予想出来たのだから。

 

「お前は、その為に七海の姉を見殺しにしたのか?」

「そうだ」

 

 ぴくり、と三輪の眉が吊り上がる。

 

 予想していた答えだが、返答次第では爆発する。

 

 そんな、雰囲気だ。

 

「お前は、その事を後悔しているか?」

「後悔は、していないよ。だってそれは、玲奈に対する侮辱だ」

 

 けれど。

 

 その迅の返答を聞いた事で、三輪は目を丸くした。

 

 思っていた答えと、何かが違う気がしたから。

 

「……………………好きな人を見殺しにしておいて、本当に後悔はないのか…………?」

「全然無い、と言えば嘘になるけどね。でも、そういうのを引きずるのはもう止めたんだ。そんな事、玲奈も望まないしね」

 

 そう告げる迅の顔は、晴れやかだった。

 

 無理をしている、というのとは少し違う。

 

 確たる信念を以て、その答えに辿り着いた。

 

 そんな雰囲気が、今の迅にはあったのだから。

 

「俺は、七海を助けたいっていう玲奈を止められなかった。その事に関して何も思わなかったなんて嘘でも言えないし、後悔が全くないってワケじゃない」

 

 けど、と迅は続けた。

 

「玲奈は、俺に願ったんだ。最善の未来に、辿り着く事を。なら、俺に休んでる暇はない。玲奈の想いを継いだんだから、俺はそれを叶えなくちゃいけない────────────────いや、叶えたいんだ」

 

 その迅の宣誓を聞いて、三輪の中に燻っていた迅への疑心が晴れるのを感じた。

 

 ────────要は、視点の違いよ。襲って来る近界民を撃退するのは当然だけど、どうやってその襲撃事態を減らせるか、この世界をより安全な状態に持って行くか。そういう未来の展望を、七海くんは語ってたってワケ────────

 

 不意に、加古の言葉が蘇る。

 

 確かに、これは()()()()()

 

 近界民が憎いから、近界民を殺す。

 

 それしか考えて来なかった三輪と異なり、迅は明確な()()()()()を持っている。

 

 彼とて、近界民に何の隔意も無いというワケではないのだろう。

 

 しかし彼はその感情を優先事項の下に置き、自らの願いの為に邁進していた。

 

 感情だけで動いていた三輪とは、雲泥の違いである。

 

 そう考えると、三輪は自分が小さな人間に思えて。

 

(想いを継ぐ、か。俺は、姉さんに対してどう向き合えば良かったんだろう…………?)

 

 遺志を継ぐ、という事に対して考えが及んだ。

 

 今まで、考えてもみなかった。

 

 姉の憎い敵を殺す、としか考えて来なかった三輪であるが────────────────新たな知見を得て、姉の想いを継ぐにはどうすべきか、を思案した。

 

 殺された姉の仇を取る為、このまま近界民(ネイバー)を殺し続けるべきか。

 

 それとも。

 

 姉のような被害者を生まない為に、全力で組織に貢献するか。

 

 考えるまでもない。

 

 これまで通り────────────────否。

 

 これまでと異なり感情ではなく、何が最善かを色眼鏡で見る事なく考えて、それを実行に移す。

 

 近界民の被害を減らし、街を守る為に戦う。

 

 その為ならば、嫌いな相手とでも協力しよう。

 

 そういった想いが、三輪の中に芽生えていた。

 

「迅、聞かせろ。姉さんは、助からなかったのか?」

 

 だから、しこりを消す為に最後の質問をした。

 

 迅との因縁、その原点。

 

 今まで思い込みでしか考えて来なかった答えを、聞く為に。

 

「ああ、俺が着いた時にはもう手遅れだった。お姉さんの未来は何も視えなかったし、何より────────────────手遅れかどうかは、見れば分かったからね。そういうの、もう見慣れちゃったからさ」

「…………っ!」

 

 見慣れた。

 

 それはつまり。

 

 それだけ、人の死を経験して来たという事だ。

 

 戦争で人死にが身近になっていた迅から見ても、姉の状態は明らかに手遅れだったという。

 

 なんとなく、そうだとは思っていた。

 

 三輪が抱き起こしていた姉の身体が冷たかったのは、決して雨の所為だけではない。

 

 きっとその時には既に、姉の命は殆ど燃え尽きていたのだろう。

 

 胸に、穴が空いていたのだ。

 

 生きている方が、よっぽどおかしい。

 

 それでも、当時の三輪はそれを認めたくなくて。

 

 偶然その場に現れた迅に縋り、応えてくれなかった彼に八つ当たりの感情をぶつけた。

 

 これは、それだけの話だったのだ。

 

「でも、その場でお前の未来が視えたんだ。あそこで俺が何も言わずに立ち去れば、お前は近界民への憎悪と俺への敵愾心で成長して、ボーダーに大きく貢献する人間になる未来が。だから、お前は俺を恨んで良いんだ。結局、お前の想いを目的の為に使った事は事実だから」

 

 迅はそう言って、頭を下げた。

 

 そして。

 

「────────すまない。俺は、お前を利用した」

 

 何処か自罰的に、迅は三輪に対する長年の負い目を告げた。

 

 ずっと、謝りたかった。

 

 あの時の自分は冷静ではなかったとはいえ、三輪に対する仕打ちはそんな免罪符で許されるものではない。

 

 失う辛さは、誰より知っているのに。

 

 三輪の心を、未来の為と言って利用した。

 

 それがどれ程罪深い事かは、迅本人が良く分かっている。

 

 だから、罵倒も何もかも覚悟の上だった。

 

「罵倒なんて期待するな。お前の思い通りになる気はない」

「…………?」

 

 だから。

 

 何処か呆れたようにそう告げる三輪に、迅は面食らうしかなかった。

 

「……………………お前は、俺を恨んでいないのか?」

「今の話しぶりだと、俺がボーダーに入り易いよう手を回していたんだろうが。お前の思い通りに動いたというのは癪ではあるが、今の立場を手に入れられたのもそういう後押しがあったからだと考えれば、安いものだ」

 

 それに、と三輪は続ける。

 

「俺は、お前の採点係じゃない。自傷がしたいなら、一人でやってろ」

 

 だから罵倒なんてしてやらない、と三輪は告げる。

 

 話は終わりだとばかりに三輪は踵を返し、屋上の出口へ向かう。

 

 そして。

 

「────────迅。やるからには、しくじるなよ。必要なら、手も貸してやる。言いたい事は、それだけだ」

 

 三輪はそう言い残し、屋上を去って行った。

 

 迅はその後姿を見ながら、苦笑し。

 

 安堵の息を、漏らした。



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迅悠一⑥

 

「よう、どうだった? 迅さんと会って来たんだろ」

「…………陽介」

 

 隊室に帰った三輪を待っていたのは、ソファーに腰掛けた米屋だった。

 

 どうやら彼一人らしく、他の面々はこの場にはいない。

 

 三輪はふぅ、とため息を吐きながら米屋の質問に答えた。

 

「別に。聞きたい事を聞いただけだ」

「それにしちゃ、良い顔してるんじゃねーの? なんだか、さっぱりしてる気がするぞ」

「……………………そうだな。色々と、考えを改めたのは確かだ」

 

 敢えて軽く尋ねる米屋の気遣いを察した三輪は再度ため息を吐きつつ、顔を上げた。

 

 米屋は、三輪が話すのを待っている。

 

 これ以上、黙っている必要はない。

 

 そう考え、三輪は己の想いを口にした。

 

「俺は今回、暴走していた。思い込みだけで動いて、お前たちにも迷惑をかけた。それは謝罪する」

「別に謝るこたぁねーって。迅さんが色々暗躍してたのは確かだし、お前の立場なら別に不自然な行動じゃなかったろ」

「だとしても、私情を優先して部隊を動かした事は事実だ。仮にもA級隊員でありながらこの体たらくというのは、問題だ。正直、隊長としての資質を疑われてもおかしくないと思っている」

 

 三輪は何処か自嘲するように、そう告げた。

 

 確かに、これまでの三輪は「迅が何かを企んでいる」と決めつけて動いていた。

 

 城戸からもさり気なく窘められはしたが、結局三輪の言う論拠は状況証拠だけだ。

 

 それでも動いたのは、迅への嫌悪と偏見があったからだ。

 

 言うなれば、三輪は自分の我が儘で部隊を私物化したとも言える。

 

 本質がどうあれ、他でもない三輪自身が自分の行動を問題視しているのだ。

 

 最悪の場合は、隊長職を辞するべきか、とまで思い詰めた三輪は。

 

「バーカ。お前が隊長やんないで、誰が俺らの隊長やんだよ」

「なに…………?」

 

 思いも依らぬ米屋の言葉に、目を見開いた。

 

 そうして固まった三輪を見て、米屋はため息を吐いた。

 

 まったく、想定通りの反応をしてくれたものだなと呆れながら。

 

「お前が私情で動いたのは事実なんだろーけどよ。それが分かってて何も言わなかった俺等も、同罪っちゃ同罪だ。まあ、元より止める気はなかったしな」

「何故だ? 暴走していると分かっていたのなら、その時点で苦言を呈する事も出来た筈だが」

「でもさ。そしたらお前、今みたいに笑えてたか?」

「え…………?」

 

 指摘され、気付く。

 

 米屋の言う通り。

 

 三輪の、顔には。

 

 穏やかな笑みが、浮かんでいたのだから。

 

「色々悩んで貯めこむより、いっそぶつかった方がスッキリするもんだろ? だから今回は良い機会だと思って、好きにさせてたってワケだ」

「そういう事だ。分かってて何も言わなかったのは、陽介だけじゃない。俺たちだって同罪だ」

「そうですね。俺もお二人の方針には異を唱えませんでしたから、責任はありますよ」

 

 米屋の言葉を肯定するように、奥から奈良坂と古寺が出て来ていた。

 

 どうやら、今の会話は聞いていたらしい。

 

 その事に妙な羞恥を感じながら、三輪はため息を吐いた。

 

 こんな自分だが、どうにも人の縁には恵まれているらしい。

 

 これだけ、案じてくれる仲間がいるのだ。

 

 そう思うと、幾分か心の持ちようが楽になって来る。

 

 色々失って、迷走していた自分だけれど。

 

 この仲間たちとなら、これから先も大丈夫。

 

 そんな事を考えながら、三輪はチームメイトを談笑を始めた。

 

 互いの絆を、確かめ合うように。

 

 

 

 

「その顔だと、三輪の件はなんとかなったようだな」

「ああ、お陰様でね。太刀川さん達にも、迷惑をかけたよ」

 

 ボーダー本部、廊下。

 

 そこで待っていた太刀川に対し、迅はそう言って苦笑した。

 

 待っていたのは、太刀川だけではない。

 

 風間もまた、太刀川と共に迅を待ち構えていた。

 

「話は聞いた。風刃を手放したそうだな」

「うん。仮にも近界民(ネイバー)をボーダーに入れるんだ。このくらいの事をしなきゃ、流石に許可は下りないよ」

 

 迅の言う通り、近界民をボーダーに入隊させるというのは様々な意味で重大事だ。

 

 裏事情を知る者であればともかく、一般の隊員にとって近界民は須らく()()

 

 それを入隊させるというリスクを背負う以上、相応の対価を差し出さなければ組織としては対面が保てない。

 

 加えて、そうでもしなければ玉狛支部に黒トリガーが二個という事になってしまい、本部としても見逃す事は出来ない。

 

 玉狛は特別な支部ではあるが、かといって戦力を集中させ過ぎると中央の権威が落ちる。

 

 そうなると、城戸の掲げる「近界民排斥」を旗印に集ってきた隊員の不満が溜まり、悪影響が出かねない。

 

 新近界民を標榜する玉狛がある種黙認されていたのは、あくまで玉狛が一つの支部に過ぎず、本部の方が力関係が上であるという前提があったからだ。

 

 まかり間違って玉狛支部が最大勢力になってしまえば、今のボーダーを是とする面々の支持を失う可能性すらある。

 

 だからこそ、風刃の拠出は必須だった。

 

 たとえ、それが。

 

 師の。

 

 最上の、形見であったとしても。

 

「何故だ? 風刃は、お前の師の形見だった筈だが。風刃の争奪戦の時にあれだけ執着した黒トリガーを────────」

「いや、良い機会だったよ。そろそろ、けじめはつけるべきだったしね」

 

 迅は、そう言って微笑んだ。

 

 強がりや、虚勢ではない。

 

 確たる意思を以て、迅は風刃を手放す決断をした。

 

 そう思わせるには、充分な笑みであった。

 

「確かに、俺は風刃に執着してたよ。もういないって分かってるのに、風刃に最上さんの面影を感じて────────────────そして、縋ってた。それは認める」

 

 黒トリガーは、遺された者にとっては単なる武器ではない。

 

 武器の形を取った、黒く小さな棺。

 

 それが、黒トリガーなのだ。

 

 黒トリガーを生成した者は、砂と化して崩れ去る。

 

 玲奈がそうであったように、最上の身体もまた塵一つすら残らなかった。

 

 だから、迅にとって風刃は最上の墓標であり、棺であったのだ。

 

 師の棺を手放したくなかったから、死に物狂いでその所有権をもぎ取った。

 

 当時の迅にとって、風刃は無くてはならない心の拠り所だった。

 

 それを失えば、もう先へは進めない。

 

 そのくらい、迅の中の風刃は大きな立ち位置を占めていた。

 

「けど、七海も前を向いたんだ。俺がいつまでも後ろばかり向いてちゃ、格好がつかないからさ。言った事には、責任を持たないとだしね」

 

 けれど、迅は変わった。

 

 七海とのあの日の邂逅を経て、迅は正しく未来(さき)に目を向けられるようになった。

 

 散々七海の後押しをした以上、自分自身もまたけじめは付けなければならない。

 

 そういう意味で、今回は良い機会だったと言えるのだ。

 

 本部に、城戸に預ければ悪いようにはしないだろう。

 

 そういう信頼もあるし、何より。

 

 この行動が、未来を変える一助となる。

 

 それが視えたからこそ、迅は風刃を手放す事に決めた。

 

 ただの自己満足ではなく、より良い未来を手にする為に手放すのであれば。

 

 きっと、最上も同意してくれるだろうと信じて。

 

「……………………そうか。お前がそう言うなら、これは俺たちが踏み込むべき事じゃないな。余計な事を言った」

「いや、気遣ってくれてありがとう風間さん。やっぱり、気が利くよね」

「変に意地を張ってそれが原因で失敗でもされると面倒なだけだ。勘違いするな」

 

 風間はそっぽを向きながらそう反論するが、それが照れ隠しである事は見れば分かる。

 

 鋭い眼光や容赦のない物言いから冷たい印象のある風間だが、その本質は気遣いと配慮の人だ。

 

 人の事を良く見ているし、必要な気配りは欠かさない。

 

 だからこそ菊地原を始めとした隊員に慕われているのであり、本部でも信頼されているのだ。

 

 特に、今回は事が黒トリガー関連だ。

 

 旧ボーダーに今は亡き兄がいた風間は、失う辛さを良く知っている。

 

 だからこそ。風刃を手放した迅にお節介を焼いたのだが、迅が虚勢ではなく決意を以て今回の行動に至ったと理解して引き下がったのだ。

 

 これは、自分が口出しするべき問題ではないと弁えて。

 

「ま、無理してないみたいで何よりだ。ライバルがへたれてちゃ、楽しくないからな」

「そうだね。これからは俺も、ランク戦に復帰するし。取り敢えず攻撃手(アタッカー)で一位を目指すから、よろしく」

「────────! そういえばそうか…………っ! S級じゃなくなるから、ランク戦に参加出来るんだな…………っ!」

 

 何年ぶりだ? と満面の笑みではしゃぐ太刀川と、それを見てため息を吐く風間。

 

 二人に囲まれながら、迅は苦笑した。

 

 色々と迷惑をかけてしまったが、二人が自分の意図を汲んでくれて助かったのは事実。

 

 無論、戦い自体は本気でやっただろう。

 

 そもそも、迅相手に手加減をするという選択肢はこの二人には存在しない。

 

 だけど、こちらの意思を慮って敢えて全力で立ち塞がってくれた事には感謝しかない。

 

 少しでも手心を加えた気配があれば、今回の結果には繋がらなかっただろう。

 

 後で何か埋め合わせなきゃな、と思いつつ、そういえば、と気になっていた事を口に出した。

 

「でも、香取ちゃんを連れて来たのは驚いたよ。あれがなきゃ、もう少し楽に勝ててた筈なんだけどね」

「連れて来たのは米屋の発案だよ。どうやら、昇格試験の時の事で目をかけてたみたいでな」

「実際、今の香取は充分戦力として数えられるレベルになった。単独ではなく、当真と連携して木虎を相打ちに持ち込んだのも評価が高い。これが試験なら、高評価を付けているところだ」

 

 風間の言に、嘘はない。

 

 実際、香取の貢献は大したものだった。

 

 あそこで無理で一人で挑まず、当真と連携す事で確実に木虎を落としたのは風間から見ても評価が高い。

 

 木虎は単騎での能力も高いが、サポート能力もかなりの水準に達している。

 

 彼女が生存していれば、もっと早期に決着が着いていてもおかしくはなかった。

 

 それを相打ちとはいえ確殺出来たのだから、評価が高いのは当然である。

 

 あれだけ個人主義が極まっていた香取がチームの事を考えて身を犠牲にする前提の策を打つなど、以前からは想像も出来なかった。

 

 その成長を、上位陣は正しく評価しているというワケだ。

 

「そういえば、守秘義務とか大丈夫なの? 彼女、そこまで口が堅いイメージがないんだけど」

「ああ、それなんだがな。守秘義務は確約させたが、代わりに交換条件を出して来たらしい。それで、お前に一応聞いときたいワケだ」

「へえ、何かな?」

 

 太刀川の言葉に興味を抱いた迅は先を促し、そして。

 

 その要求を、口にした。

 

「件の近界民(ネイバー)に会わせろ、って話だ。なんでなのかは、わかんねーがな」

 

 

 

 

「ねえ葉子。なんであんな要求したの?」

 

 香取隊、作戦室。

 

 そこでは、香取と華が隣り合って座っていた。

 

 彼女たちがこうして残っているのは、件の要求の結果を聞く為だ。

 

 太刀川の話では今日にでも結果は分かるらしく、だからこそこうして帰らずに待っていたのだが。

 

 件の近界民と会わせろ、というのは香取が独断で要求した内容である。

 

 華は詳しい説明はされておらず、その為にこうして問うているのだ。

 

 何故、あんな事を要求したのかと。

 

 今回の裏事情に関しては、既に香取から説明を受けている。

 

 派閥間抗争に巻き込まれた事に思うところはあるが、華自身は結果に関しては特に異論はない。

 

 入隊の経緯から近界民へ憎悪を抱いていると評されている華ではあるが、その実これまでの三輪のような激情は抱いてはいない。

 

 無論目の前に近界民がいれば取り乱す事もあるだろうが、わざわざ敵対していない相手にまで絡む必要は感じていない。

 

 華が城戸派に属しているのはそちらの方が目をかけられる機会が多いからであり、積極的に近界民を殺して回りたいというような意欲はない。

 

 だから、不思議だったのだ。

 

 香取が、「その近界民と会わせろ」なんて要求をした事が。

 

 何か考えがあるのだろうが、香取の事だから突発的な思い付きである可能性も否定出来ない。

 

 そう考えて、華は尋ねたのだ。

 

「別に。こんだけの騒動の種になってる奴がどんな面してんのか、一回見ておきたいだけよ」

「でもこれ、場合によっては上層部に睨まれるかもよ? どうやら、上の人たちはその近界民の事を秘密にしときたいみたいだし」

「それは無いわよ。あのヒゲにそこらへんは色々言われてるし、今更言っちゃいけない秘密が一つ増えようが大した事じゃないでしょ」

 

 それに、と香取は続けた。

 

「散々利用されて後は知らん顔、とかムカつくじゃない。だったら、少しは困らせてやりましょうよ。勿論、後に引かない程度にね」

「……………………本当、変なところでやる気出すのは葉子の悪い癖だよね。そこまで言うなら、いいよ。好きにして」

 

 勿論、と香取は満面の笑みで告げる。

 

 その時彼女の携帯端末が鳴り、香取はメッセージを受け取った。

 

 そして。

 

「────────OKみたい。日時は指定してあるけど、会えるって」

 

 香取はそう言って。

 

 悪戯が成功した童女のような笑みを、浮かべてみせた。

 

 



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小南桐絵⑤

「取り敢えず、これで今回の問題は解決か」

 

 ボーダー本部、司令室。

 

 そこに集まった城戸と忍田、そして林藤は共に顔を見合わせながら深く息を吐いた。

 

 一人の近界民を巡る、一連の騒動。

 

 それに一応の終着が見えたのだから、安堵するのも当然といえば当然だろう。

 

 各々の頑張りの成果もあって、悪くない落としどころになったのだから。

 

「ま、迅としても肩の荷が一つ下りたろ。いや、()()かな」

「それは、風刃の事を指しているのですか?」

「ああ、今回の件はあいつにとっても良い区切りになったって事だろ。あんだけ執着した風刃を、自分から手放す切っ掛けとしてはな」

 

 林藤は忍田にそう返し、テーブルの上に安置された風刃を見据えた。

 

 その細められた目は、懐古と────────────────何処か、充足を感じられた。

 

「あいつにとって、最上さんは────────────────風刃は、特別だった。玲奈が黒トリガーになっちまってから、あいつの心の支えになれるのはあれしかなかったからな」

 

 迅は過去に幾度も、喪失を経験している。

 

 その中でも、師である最上と懸想していた玲奈の死は彼にとって特に重い。

 

 他の面々が亡くなった時も相応にショックは受けていただろうが、関係が深かった者の死というのは受ける影響が段違いになる。

 

 この二人の死が、迅の心を大きく軋ませた事は言うまでもない。

 

 そんな中、迅が縋る事が出来たのが師の形見────────────────彼にとって、師の分身のようなものだった風刃だけだったのだ。

 

 黒トリガーは、遺された者にとっては棺と同じ意味を持つ。

 

 玲奈の棺である黒トリガーが七海の右腕となっている以上、迅が常に傍に置く事が出来たのは風刃しかなかったのだ。

 

 風刃は迅にとって強力な武器である以上に、ボロボロになった心を支える唯一の拠り所でもあった。

 

 だからこそ風刃の争奪戦の際には鬼気迫る執着を見せたし、常に手元に置いていた。

 

 けれど。

 

 今回迅は、その風刃を自ら手放す選択をした。

 

 他ならぬ、彼自身の意思によって。

 

 未来を変える為に止むを得ずに行った、という面もなくはないだろう。

 

 だけど、決してそれだけではない。

 

 迅は自分の意思で、風刃を手放すべきと考えて実行に移した。

 

 それが出来たのはきっと、彼がようやく大切な者達の死を正面から受け入れられたからだ。

 

 それまでの迅は黒トリガーという故人の分身とも言えるものを傍に置く事で、辛い事から────────────────大切な人の死から、目を背けていた。

 

 黒く小さな冷たい棺をその手に抱え、未来(かこ)だけを見続ける事で過去(げんじつ)から目を逸らしていた。

 

 そうしなければ、心を保っていられなかったから。

 

 けれど、迅は七海との一件を経て現実と向き合い、本当の意味で未来に進む決断を下した。

 

 だからこそ、過去の象徴である風刃を手放すべき、と考えたのだろう。

 

 これまで停滞させ続けて来た心にけじめを付ける為に、その契機として風刃を手放した。

 

 その事が。

 

 迅がその決意に至る事が出来た事が、林藤は嬉しかったのだろう。

 

 これまでずっと、過去に囚われ燻り続けていた迅を見て来たのだから。

 

「俺は実を言えば、あいつが風刃を持つ事にゃあ反対だった。玲奈を失って自棄になったあいつが緊急脱出機能のない黒トリガーを、まして最上さんの形見のそれを持ってたら、いつか何処かで死んじまう。その可能性は、決して少なくなかったからな」

「……………………そうだな。以前の迅であれば、風刃と自分の命を秤にかけて後者を取ってしまう可能性もあっただろう。その点は、林藤と同意見だ」

「彼は、自分を蔑ろにし過ぎる傾向がありますからね。確かに、そういった危険性はあったと思います」

 

 加えて、緊急脱出機能のない黒トリガーを自分の命を軽視する傾向にある迅に持たせ続けるのは危険だと考えていた事もある。

 

 以前の迅は自分が犠牲になる事で最善の未来に繋がる可能性があるのなら、躊躇なくそれを実行してしまいそうな怖さがあった。

 

 それは彼が最上も玲奈もいない世界で生き続ける事そのものが苦痛であった事の証左でもあり、彼の危うさの根源でもあった。

 

 以前の迅を形成していたのは玲奈の遺志に縋る事で何とかこの世界を愛そうという強迫観念であり、それがなければとっくの昔に何もかも放棄しまっていた可能性も捨てきれない。

 

 そういう意味で玲奈の遺志を継ぐ事は本人が生きる為に必要な工程でもあったのだが、裏を返せばそれは彼自身の命よりも優先すべき事柄である、という事になる。

 

 そんな精神状態の迅に、緊急脱出機能のない風刃を持たせ続ける事が如何に危険か。

 

 それを理解していながら、風刃を無理に取り上げれば迅が壊れてしまう事も分かっていたが為に林藤は何も言えなかった。

 

「けど、今の迅はもう大丈夫だ。ちゃんと自分の事も勘定に含めるようになっていたし、前みたいに強迫観念で行動しちゃいない。あいつはもう、未来(さき)を見据える事が出来てるよ」

「林藤がそう言うのなら、大丈夫なのだろう。風刃に関しては、特別な配慮をする必要はないな?」

「ないと思うぜ。むしろ、適合者に風刃の使い方を教えるっつってたしな。あいつなりにけじめは着いたし、後は俺らがどうこうする事じゃないよ」

 

 こういうのは、本人の問題だろ? と林藤は笑みを浮かべた。

 

 確かに、彼の言う通り風刃の件は迅の心の在り様の問題だ。

 

 本人が未だに執着しているならばともかく、そうでないなら余計な真似は野暮というものだろう。

 

 その事に異を唱える者は、此処にはいなかった。

 

「だが、まだ近く起こる大規模侵攻という最大の問題が残っている。気は抜けんぞ」

「言われるまでもありません。今後も迅と協力して、出来る限りの準備を行いましょう」

「遊真も協力してくれるみたいだし、忙しくなるな。だからといって、投げ出しはしないけどよ」

 

 三人はそう言って気を引き締め、次の議題に移った。

 

 そんな彼等を、見守るように。

 

 差し込む灯りに照らされた風刃が、鈍い光を放っていた。

 

 

 

 

「お帰りなさい。上手くいった?」

「当然。七海達にも、随分助けられたよ」

 

 玉狛支部。

 

 そこへ七海と那須を連れ立って帰って来た迅は、出迎えた小南に笑顔でそう告げた。

 

 今夜起きた争奪戦の事は、既に支部の面々には周知してある。

 

 というよりも、小南が迅を押し切って伝えるよう促したのだ。

 

 迅は修や遊真に伝えるべきか多少迷っていたが、そこは小南が問答無用で「いいから伝えなさい」とごり押した。

 

 彼女曰く、「こういうのは早めに知っといた方が良いのよ」との事だが、迅も強く反対する理由はなかった為支部の面々に話を通す事にした。

 

 話を聞いた修と千佳は驚き、遊真は得心し、レイジと烏丸は迅を案じた。

 

 特に、風刃を手放す件に関しては彼の事情を知る者達から心配された。

 

 だけど、迅が強がりでもなんでもなく、自分の意思で風刃を手放す事を決めていた事を理解し、レイジ達も引き下がった。

 

 七海は最初から迅の意思であれば反対しないと決めていたし、那須は七海がそう言っている以上自分が口出しする事ではないと割り切っていた為その場はそれで収まった。

 

 そして、今。

 

 迅の腰から、風刃がなくなっている。

 

 それは。

 

 彼が、有言を問題なく実行した証明である。

 

 その迅の姿を見た小南はなんとも言えない表情をしつつも、彼の背中をバシン、と叩いた。

 

「色々言いたい事はあるんでしょうけど、明日にしなさい。アンタ、随分疲れてるじゃないの」

「いや、俺は…………」

問答無用(いいから)休みなさい。文句あるなら瑠花を呼ぶわよ」

 

 遂には瑠花の名前まで持ち出され、迅は「それは勘弁」と大人しく小南に従った。

 

 修達からすれば色々聞きたい事はあるのだろうが、小南がこうなっている以上口出しすればどうなるかは明白だ。

 

 大人しく引き下がる事を即断し、けれど最大の懸念は流石に聞いておきたかったので。

 

 一つだけ、尋ねた。

 

「迅さん。空閑の入隊の件は…………」

「勿論、OKを貰ったよ。詳しい話は明日するから、心配しないで」

「ホラ、さっさと行く…………!」

 

 修が望んだ答えを聞いて安堵する中、迅は小南に急かされてその場を去って行った。

 

 その様子を見た七海と那須はやや圧倒されながらも、レイジに目を向ける。

 

 その視線の意図に気付いたレイジは深く溜め息を吐き、頷いた。

 

「……………………取り敢えず、泊まっていけ。もう、夜も遅いからな」

 

 

 

 

「うおっと」

 

 迅は強制的に自室に押し込まれ、同時に小南が部屋の鍵をガチャン、と閉める。

 

 その行動に迅が文句を言う前に、小南は迅をベッドに叩き込み、その隣に腰を下ろした。

 

 突然の行動に啞然とする迅を尻目に、小南はふぅ、とため息を吐いた。

 

「で? アンタ今大丈夫なの?」

「いや、大丈夫だって。これは前から決めていた事で────────」

「決めてたからって、今まで当たり前のように持ってたものを手放して何も感じてないワケないでしょ。アンタ、メンタルよわよわだし」

 

 小南はそう言って、迅をジト目で睨みつけた。

 

「アンタが無茶する癖があるのは、ずっと前から知ってるわ。七海に説教されてマシにはなったけど、無理してるのを隠そうとする癖は変わらないわよね」

「そんな事は…………」

「無い、なんて言わせないわよ。けじめだとか良い機会だとか言ってたけど、それはそれよ。風刃(最上さん)を手放して、アンタが平気なワケないでしょうが」

 

 小南はそう断言し、迅はそれに反論出来なかった。

 

 城戸や忍田は迅の成長を喜び、林藤は迅の安全が確保された事をこそ喜んだ。

 

 それは前提として変化を望む大人だからこその視点であり、彼の意思を最大限に尊重したが故の考えでもある。

 

 だが、小南の視点はそれとは違う。

 

 彼等が究極的には俯瞰的(マクロ)な視点で物を見ているのと違い、小南は主観的(ミクロ)な視点で見ていたからこそ迅が平気なワケがない、と断定した。

 

 確かに、迅は覚悟を決めたのだろう。

 

 自分が現実と向き合う為の良い契機だとして、風刃を手放した。

 

 その事自体に、嘘はない。

 

 けれど。

 

 理屈で納得しているからといって、迅が何も感じていない、という事は有り得ない。

 

 だって、小南は。

 

 迅が、それが出来る程強い人間ではないと────────────────誰よりも、識っているのだから。

 

 小南だけなのだ。

 

 四年前のあの日。

 

 失意と絶望に沈み、外面を取り繕う余裕さえなかった。

 

 玲奈を失ったばかりの、迅の姿を見たのは。

 

 七海はあの時気を失っていたし、那須もまた彼の事しか考えられなかっただろう。

 

 だから。

 

 あの日。

 

 正面から迅の顔を見ていたのは、小南だけなのだ。

 

 だからこそ、分かる。

 

 今の迅は、虚勢を張っていると。

 

 風刃を手放した事を後悔している、というワケではない。

 

 むしろ、その事を自分で納得させる為に、冷却期間を置いている。

 

 迅本人の認識は、そんなところだろう。

 

 だが。

 

 小南は、こういう時迅に一人でいさせるのは悪手だと知っている。

 

 迅は元々、能力の影響もあって悲観主義的な部分が大きい。

 

 加えて、自己犠牲的な面が強い。

 

 特にそれは自分だけで物事を解決しようとする際に強く出るので、一人で考えさせても碌な事にならない。

 

 だからこそ、必要なのだ。

 

 今、彼に寄り添う者が。

 

 それは、きっと。

 

 同じ喪失の痛みを識る、小南だけにしか出来ない事だ。

 

 少なくとも小南自身はそう思っているし、これは誰にも否定させない彼女だけの権利だ。

 

 琉花には悪いが、今日は自分に譲って貰う。

 

 そう意気込んで、小南は迅にぎゅっ、と抱き着いた。

 

「寂しいなら、寂しいって言っていーのよ。此処なら誰も見てないし、誰にも聞こえないわ」

「小南がいるじゃん」

「あたしはいいの。あたしは「他の誰か」じゃないし」

 

 なにその屁理屈、と迅は苦笑するが、今更逃げる事はしない。

 

 小南の気遣いは揺れる心音から痛いほど伝わって来たし、迅自身風刃を手放して寂しい、という感情をようやく自覚出来た。

 

 腰が寂しい。

 

 言葉にすればそれだけだが、これまで当たり前のようにあったものが手元からなくなった、というのは想像以上に堪える。

 

 それを、小南の指摘でようやく理解した。

 

 風刃は、確かに迅の心を過去へ縛り付けてはいたが。

 

 同時に、彼の心の支えであった事もまた事実。

 

 故に、寂しいと考える事はむしろ当然。

 

 人は、ちゃんと悲しみを抱く権利があるのだから。

 

「最上さんがいなくなって寂しい分、今日はあたしが一緒にいたげるわよ。あたしの添い寝なんてそうそう経験出来ないんだから、感謝してよね」

「いやあ、これまでにもちょくちょくあったような」

「うっさい。黙って寝てなさい」

 

 問答無用、といったていで小南は迅をベッドに寝かせ、当然のように自分もその隣に寝転んだ。

 

 そのままくるっと迅の方を振り向き、にかっ、と笑みを浮かべた。

 

「大丈夫よ。アンタの未来は、ちゃんと動き出してるからさ」

「────────参ったな。これは一本、取られたかもだ」

 

 満面の笑みを浮かべる小南を見て、迅は苦笑する。

 

 そして、これまでの疲れもあって迅はすぐに眠りに落ちていく。

 

 自分を抱き締める、旧知の少女の温もりに包まれながら。

 

 二人は、眠りに着いた。

 

 その顔に。

 

 安らいだ笑みを、浮かべながら。



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香取葉子⑤

「来てやったわよ。さっさと近界民(ネイバー)出しなさい」

 

 開口一番、香取はぶしつけにそう告げた。

 

 堂々と支部へ乗り込んで来た彼女の後ろには、控えめに付き添う染井の姿。

 

「あ、はい。迅さんから聞いています。こちらへどうぞ」

 

 その勢いに押されつつも、玉狛支部の入り口で香取の応対をした修はそう言って彼女を支部に招き入れた。

 

 香取が支部を訪れる事は、迅から既に聞いている。

 

 あれは昨日、玉狛支部に宿泊していた七海達が目覚めて朝食の席に座っていた時の事だった。

 

 

 

 

「昨日の作戦に参加した香取ちゃんが遊真に会いたいって言ってるんだけど、いいかな? 多分、模擬戦を挑まれる事になると思うけど」

 

 迅は朝食の席で、遊真に向かってそう告げた。

 

 突然の申し出ではあったが、遊真は特別嫌な顔はしていない。

 

 むしろ、興味津々といった様子である。

 

「そのカトリって人、強いの?」

「強いよ。昨日の作戦でも、木虎ちゃんと相打ちになったしね」

「木虎と…………」

 

 自分の師の一人であるA級の少女が相打ちになったと聞き、修は目を見開いた。

 

 木虎の実力は、直で目撃したからそれなりに知っている。

 

 その彼女がB級相手に相打ちになる、というのは些か驚いたが────────────────相手があの香取であれば、理解は出来る。

 

 修は、今期のB級ランク戦の那須隊の試合を全て目にしている。

 

 その中でも香取の成長は著しく、ROUND4では粗が目立っていたが、その試合の敗北を契機に急激な成長をしていった。

 

 普通、成長というのは日々の鍛錬と試行錯誤によって地道に少しずつ培っていくものだ。

 

 覚醒、なんてご都合主義なもので強くなれるほど、この世界は甘くはない。

 

 だが、香取の成長速度は本当に覚醒でもしたのかという程顕著であった。

 

 一戦ごとに明らかに動きのキレが増しており、仲間との連携もきちんと行うようになった。

 

 チームメイトの練度不足で最終的に負けはしたが、あの爆発力があるならば木虎に肉薄してもおかしくはない。

 

 それに、相打ちという事は自分の身を犠牲に仲間に不意を撃たせた、という可能性も有り得る。

 

 少なくとも、成長した香取ならばそのくらいの事はやる。

 

 その程度には、修は香取の事を理解していた。

 

 実は修はランク戦の最中香取隊が使用したとあるトリガーに注目しており、少しでもデータが欲しかったのでROUND7とROUND8は香取隊の試合もログで見ている。

 

 ラウンド7では、前の試合の敗北で中位落ちした結果香取隊/鈴鳴第一/荒船隊という組み合わせであった。

 

 攻防共に優れた鉄壁の攻撃手、村上を擁する鈴鳴と狙撃手三人部隊という特殊な構成の荒船隊。

 

 ハッキリ言って、少々点が取り難いと言える対戦組み合わせである。

 

 このマッチングでは、正面から戦う駒が村上しかいない。

 

 いや、正しくは必然的にそうなっている、と言うべきか。

 

 香取は紛う事なき隊のエースであるが、その役割は遊撃手に近い。

 

 隠れ潜みながら得点のチャンスを狙い、不意打ちでポイントを稼ぎそのまま離脱していく。

 

 それが、香取葉子という駒の正しい運用である。

 

 村上のように多対一でも凌ぎ切れる変態技巧は持っていないし、そもそも彼女の性能(スペック)は攻撃全振りだ。

 

 爆発力を得る為に防御面をある程度犠牲にしている部分があるので、彼女の戦術は一撃離脱が基本だ。

 

 とは言っても、それは彼女を含めたスピードタイプの攻撃手(アタッカー)全てに当てはまる特徴と言える。

 

 スコーピオンの使い手は、基本的に正面からは打ち合わない。

 

 強度の面から言っても弧月とまともに斬り合えばすぐに折れてしまうし、そもそもスコーピオンの利点はその応用性だ。

 

 技巧で勝負するのではなく、それを含めた戦術眼で勝負をかける。

 

 ただ技術を磨くだけでは、真にスコーピオンを使いこなす事など出来はしない。

 

 その意味で、ROUND7で香取は正しくスコーピオンを扱っていた。

 

 この試合ではMAPは荒船隊に選択権があった為、当然の如く市街地Cが選択された。

 

 市街地Cは高低差のあるMAPであり、狙撃手にとって優位な地形である。

 

 狙撃手部隊である荒船隊が本領を発揮出来るMAPであり、彼等に選択権があるのだからこうなるのは予想出来ていた。

 

 だからこそ、香取隊はそれを見越して戦略を立てていた。

 

 香取隊はその全員が、トリガーセットにテレポーターをセット。

 

 ROUND6で用いたワイヤー戦術を放棄し、新たな戦術を持ち込んで来た。

 

 無論、これは荒船隊対策の為である。

 

 市街地Cは高低差のある段々畑のようなMAPであり、上に上がろうとすれば上層から丸見えの道路を通らなければならなくなる。

 

 故に、一度狙撃手に上を取られてしまうとすこぶる厳しい戦いを強いられる事になるのだが────────────────香取隊は、これをテレポーターを用いて解決した。

 

 開始直後にバッグワームを着込み、テレポーターと併用して転移を繰り返す事で上層へ辿り着いたのである。

 

 初期転移位置が比較的高所でありそちらに陣取っていた荒船隊は、この奇襲により半崎と穂刈が脱落。

 

 しかし荒船は弧月を抜いて応戦するのではなく一時撤退を選び、ゲリラ戦を展開。

 

 これにより様子を伺っていた来馬と太一を荒船が落とし、最後は香取を庇った三浦と相打ちになる形で落ちていった。

 

 これにより盤面には来馬を落とされ一人になった村上と香取・若村が残る事となり、接戦を演じたが惜しくも香取が敗北。

 

 一人になった若村は逃走して自発的に緊急脱出し、試合は終了となった。

 

 当初の想定より被害は出てしまったが、作戦目標であった荒船隊の殲滅は成功。

 

 加えて来馬のいない状態の村上というランク戦で当たるには中々に厳しい相手と拮抗出来た事が、かなりの高評価だ。

 

 村上は来馬が生存していれば必ず自身よりも彼を優先して守るが、もしも守るべき対象が先に落ちるような事があれば。

 

 彼はその能力を、相手を斬る為に全て注ぐ事になる。

 

 それがどれだけの脅威かは、ROUND5で七海と戦った時のデータが証明している。

 

 そんな相手とやり合い、善戦してみせたのだ。

 

 少なくとも、以前の香取には難しい芸当であっただろう。

 

 それだけ、彼女もまた成長したという事だ。

 

 そして、最終ROUNDでは弓場隊と王子隊相手に戦い、今度は打って変わって積極的に点を取りに行った。

 

 纏まって行動していた王子隊の面々を、若村と三浦が牽制しつつ香取が突貫。

 

 その奇襲で蔵内を撃破し、残る王子と樫尾は介入して来た弓場隊に押し付けて離脱した。

 

 香取は再び潜伏し、その結果弓場隊と王子隊が正面戦闘を開始。

 

 その後、香取は折を見て弓場隊と王子隊の戦闘に横から介入。

 

 樫尾と神田を討ち取り、香取はそこで外岡の狙撃によって脱落。

 

 しかしその外岡をバッグワームで潜んでいた三浦が落とし、4Ptをもぎ取った。

 

 恐らく、そこまで含めて香取隊の作戦だったのだろう。

 

 外岡は、隠密行動に特化した狙撃手だ。

 

 その隠密能力は高く、大抵の場合彼が狙撃を実行するまでその場所を悟られる事は殆どない。

 

 一発目を確実に当てる事に重点を置いた、ある意味正道を極めた狙撃手である。

 

 そして、外岡は自身のその性質を理解している。

 

 だからこそ、無駄弾は撃たない。

 

 撃つべき時とそうでない時を見極める能力に、外岡は長けていた。

 

 だからこそ、彼を仕留める為には狙撃を実行して貰う他ない。

 

 しかし、若村や三浦では外岡がわざわざ狙うだけの()()が足りない。

 

 サポーターとして成長している二人ではあるが、脅威度でいえば香取とは雲泥の差である事に変わりはない。

 

 だからこそ、囮は香取自身が務める必要があった。

 

 無論、香取とてただでやられるつもりはなかった。

 

 可能であれば生還し、そのまま次の点も狙うつもりであったが────────────────勝敗を決めたのは、弓場の行動である。

 

 香取は、狙撃自体は察知出来た。

 

 だからこそ集中シールドでそれを防御しようとしたのだが────────────────それを、弓場の銃撃がピンポイントで撃ち抜いた。

 

 香取本人に弾が飛んで来たならばすぐに回避する用意があったが、自身の張ったシールドが狙われた為に反応が一歩遅れた。

 

 同時に叩き込まれた弾丸で足を吹き飛ばされた香取は、回避も封じられた。

 

 しかし、香取は咄嗟にもう1枚のシールドを張る事に成功し、狙撃に対する防御とした。

 

 だが。

 

 撃ち込まれた弾丸は、シールドを貫き香取の額を撃ち抜いた。

 

 そう、外岡はイーグレットではなくアイビスを用いて、香取を狙撃していたのだ。

 

 弓場がわざわざシールドを撃ち抜いたのは、外岡が使用したのがイーグレットだと誤認させる為。

 

 ただ狙撃しただけでは香取は落ちないと弓場隊は確信していた為、策を練ったワケだ。

 

 彼女なら、土壇場のシールド展開も間に合わせてみせるだろうと考慮して。

 

 香取を失った若村と三浦もまた順次撃破され、彼女たちの試合は終わった。

 

 結果として最終的な順位はB級6位と上位の中では下から二番目ではあったが、香取隊の成長が著しいのはこの二つの試合を見れば分かる。

 

 以前は完全な香取のワンマンチームで勝つも負けるも彼女の調子次第だったものが、戦術的に彼女を活かす方向にシフトした。

 

 その結果、香取が己の能力を充分に活かせるようになり、飛躍的な成長に繋がったワケである。

 

 天才と呼んであまりある香取の潜在能力(ポテンシャル)が、正しい運用でようやく日の目を見たというワケだ。

 

 それを目にしていたからこそ、修は香取が木虎を相打ちに持ち込んだ事を疑わなかった。

 

 彼女なら、それくらいはやれる。

 

 そう、判断していたから。

 

「ん、いいよ。強い人なら大歓迎」

「ありがとう。いやあ、断られなくて良かったよ。交換条件だったから、会わせる事自体は約束しちゃったしね」

 

 迅はそう言って苦笑し、それを聞いた遊真はふむ、と自身の顎に手を当てた。

 

「でも、おれがOKする未来を視てたんでしょ? だから、こうなる事は分かってたんじゃないの?」

「それはそうなんだけどね。ま、社交辞令ってやつさ」

「なるほど。シャコージレイね」

「意味わかってないだろ、お前」

 

 意味も分からず単語を復唱する遊真を見て、修はため息を吐いた。

 

 まあ、彼が望むなら別段修に反対する理由はない。

 

 ランク戦で見た感じからして香取は気が強そうなイメージだが、遊真ならなんとかするだろう。

 

 修はああいったタイプは得意ではないと自己認識しているが、実際は母が女傑といって良い圧のある女性である為気の強い女性は本質的にはそこまで苦手というワケではない。

 

 そもそも、気が強い女性が本当に苦手なら木虎とも合わない筈だ。

 

 なんだかんだで、彼は自分が思っているよりずっと図太いのだ。

 

 本質と自己認識に大いに差異があるが、そのあたりは迅には見抜かれているし、付き合いが長い千佳も承知している。

 

 知らぬは本人ばかり、である。

 

「俺は用事があって同席出来ないから、応対を頼むよ。その方が良い結果になるって、俺のサイドエフェクトも言ってるからさ」

 

 

 

 

「へえ、アンタが近界民(ネイバー)?」

「そうだよ。アンタがカトリって人?」

「そうよ。しかし、これが近界民ね────────────────見た目、殆ど人間じゃない」

 

 玉狛支部、応接間。

 

 そこで待っていた遊真を見た香取は、その姿を見て個人の感想を口にした。

 

 彼女に、近界民の本質について知識はない。

 

 人型近界民という存在自体は知っているが、こうして目にするのは初めてだ。

 

 香取は人型、という言葉から辛うじて人の形に見えるような異形の存在をイメージしていたのだが、遊真の見た目は普通の子供にしか見えない。

 

 その為、少々面食らっていたワケである。

 

「そういう事、か」

 

 一方、付き添いで来た華は遊真の姿を見てボーダーが隠していた近界民の本質に────────────────彼等が住む世界が異なるだけの()()であると気付いたらしく、得心したように頷いた。

 

 彼女は何も、遊真の姿だけでその真実に辿り着いたのではない。

 

 元より、()()近界民という存在を知ってから、疑問は抱いていたのだ。

 

 「人型」とは言うが、それが何処まで人の形をしているのか。

 

 そして、わざわざ固有の名称と付けて他の近界民と区別するのは何故なのか。

 

 そういった些細な違和感を見逃さず、もしかしたら、という仮定を立てて独自に考察していたのだ。

 

 その予想が当たった事に、彼女は納得を示したワケである。

 

「ま、ウダウダ言うのは趣味じゃないし。アンタ、アタシと戦いなさい。勿論、受けるわよね?」

 

 一人得心する親友の様子を気にしつつも、香取はこの場に来た用件を早速切り出した。

 

 今回遊真に会う事を申し出たのは、単純に未だ見ぬ強者との戦闘経験が欲しいからだ。

 

 近界民、というからには並々ならぬ使い手である事が予想出来る。

 

 香取は、木虎との戦いを経てまだまだ強敵との戦闘経験が足りないと感じていた。

 

 だからこそ、少しでも今は上位の実力者相手の経験値が欲しい。

 

 これはその機会になると考え、飛びついたワケである。

 

 迅もまたそんな香取の思惑が分かっていたからこそ、遊真と会う事を承諾したのだ。

 

 それが、今後の為になると信じて。

 

「いいぞ。10本でいいか?」

「それでいいわ。さ、行くわよ」

 

 そして、遊真と香取。

 

 二人の模擬戦が、開始された。



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香取葉子⑥

 

「さて、やるわよ」

 

 香取はやる気充分、といった感じで拳を握り締める。

 

 此処は、玉狛支部の訓練場。

 

 香取と遊真は、模擬戦を行うべくこの場所に足を踏み入れていた。

 

 既に香取はトリオン体になっており、遊真もそれは同様だ。

 

 但し。

 

 遊真のそれは、()()()()()()()()()

 

 即ち、黒トリガーを使用した姿であった。

 

「確認するけど、ホントにいいの? おれが、()()()()()()()()()()

「その為にこんなトコまで来たんだから、当たり前じゃない。むしろ、そうでないと意味がないのよ。アタシが手に入れたいのは、格上相手との戦闘経験なんだから」

「へえ」

 

 遊真は香取の返答に、興味深げに笑みを浮かべる。

 

 香取は、模擬戦を行う上で一つ条件を付けてきた。

 

 それは、遊真が黒トリガーを使用する事。

 

 普通に考えれば、勝率を下げるだけの行為である。

 

 黒トリガーの力を知らないのならばともかく、香取はその身を以てそれを理解している。

 

 風刃を持った迅との戦いで、黒トリガーの脅威は承知の上。

 

 にも関わらずそれを使用した戦いを望んでいるのは、偏に経験値を稼ぐ為だ。

 

 香取は今回の木虎の一戦を経て、自分にはまだまだ格上相手との戦闘経験が足りないと思い知った。

 

 これまでも風間や太刀川といった実力者にランク戦を挑んではいるが、彼等の実力は積み重ねた技術に依るもの────────────────即ち、()()の強さの延長戦上にある。

 

 対して、黒トリガーは文字通り()()の塊だ。

 

 個々で性質が異なり、その能力は黒トリガー故の脅威的な出力も相俟って初見殺しの要素が非常に高い。

 

 そして、本物の戦場ではランク戦と異なり()はない。

 

 近々起こると言う大規模侵攻においては未知のトリガーを相手に戦う事になり、如何なる初見殺しを食らおうとその場で対応する能力が求められる。

 

 まず、どんな能力が相手であろうと瞬殺されないだけの機転は必須。

 

 その場の接敵で勝てずとも、最低限有用な情報を持ち帰るだけの粘りは見せなければならない。

 

 そういった相手に対応するには、既存のトリガーを使用した熟練者のみを相手にするだけでは不足だ。

 

 正しく()()の塊である、黒トリガー相手との戦闘経験。

 

 それが、必要なのだ。

 

 そういう意味で、遊真はうってつけの存在と言えた。

 

 既にタネが割れた風刃とは異なる、未知の黒トリガーの使い手。

 

 そして、近界民故の多種多様な戦闘経験の持ち主。

 

 そんな相手に、都合良く戦う機会が巡って来た。

 

 この好機を活かさずして、どうするというのか。

 

(絶対、今回の経験を糧にしてやる。役に立って貰うわよ、近界民(ネイバー)

 

 負けて元々、とは思っていない。

 

 だが、どんな結果になろうが経験だけは持ち帰る。

 

 香取は、その意気を込めて、遊真を睨みつけた。

 

(いいね。楽しそうだ)

 

 その視線を受けて、遊真はニヤリと笑みを浮かべた。

 

 自分に対する敵意を隠しもせず、「利用してやる」と言外に叫んでいるその姿勢は嫌いではない。

 

 きっと彼女は、近界民を快く思っていないタイプの人種だろう。

 

 その証拠に、修達からは感じられなかった()()の感情が彼女からは向けられている。

 

 まあ、当然といえば当然だ。

 

 この世界の人間にとって近界民は忌むべき()()というのが主だった認識であり、簡単に受け入れている迅や修が異端なのだ。

 

 彼女自身かその身内が近界民に被害を受けているのだとすれば、この感情も当然だろう。

 

 だが決して、香取はその感情に振り回されてはいない。

 

 それはそれとして、遊真が自分にとって有益な相手であると判断してこの場に臨んでいる。

 

 その割り切りは、傭兵をやっていた遊真から見ても好ましいものだった。

 

 傭兵などというものをやっていれば、敵味方が目まぐるしく変わるなんてのは日常茶飯事だ。

 

 昨日まで同じ釜の飯を食っていた相手と、次の日には命のやり取りをする事もある。

 

 敵味方なんてものは、雇い主次第で幾らでも変わる。

 

 自分がそうであるように、いつ誰に刃を向けられてもおかしくはない環境。

 

 それが傭兵の宿痾であり、それを理解出来なかった者から死んでいくのだ。

 

 そういう意味で、香取の割り切り方は遊真からしても慣れ親しんだそれだ。

 

 彼女からは歴戦の兵から感じるような圧はないが、それでも才気に溢れた空気を醸し出している。

 

 傭兵風に言うならば、初陣上がりの期待の新兵、といった風情だ。

 

 負けるとまでは思わないが、少なくとも退屈はしなさそうである。

 

 元より修と迅の頼みである為引き受ける事は吝かではなかった遊真ではあるが、これなら力を見せるのに不足はない。

 

 そう感じて、遊真は思考を即座に完全な戦闘モードに切り替える。

 

「…………!」

 

 途端、遊真の変化を感じ取った香取がびくり、と反応した。

 

 遊真の纏う空気が浮世離れした子供のそれから、歴戦の兵士のものへと変わる。

 

 その気配を、香取は知っている。

 

 迅悠一。

 

 昇格試験で相対したあの黒トリガーの使い手の纏うそれと、同一。

 

 本物の戦場を識る、命のやり取りに慣れた殺伐とした空気。

 

 即ち、無機質な()()が、遊真の眼からは感じられた。

 

 相手を倒してやろう、打ち負かしてやろう、といった闘争心は、誰しもが持っているものである。

 

 そういった者達は戦いとなれば昂揚し、攻撃に感情が乗るものだ。

 

 だが、遊真のそれはそういったものとは違う。

 

 機械的に、如何に効率的に相手を()()するか。

 

 そういった、淡々とした静かな殺意。

 

 それが、迅や遊真といった戦場を識る者が持つ凄みの正体である。

 

 香取は、それを感じて。

 

(上等…………っ!)

 

 より一層、奮起した。

 

 格上なのは、承知の上。

 

 だからこそ、挑む意義がある。

 

 香取はその手にスコーピオンを携え────────。

 

「え…………?」

 

 ────────その瞬間には、遊真の手で頭部を吹き飛ばされていた。

 

 何が起こったのかは、言うまでもない。

 

 既に役目を終えて消えていく、空中に残る「強」の文字の残滓がそれを物語っている。

 

 戦闘開始直後、香取は遊真の一撃を受けて落とされた。

 

 ただ、それだけの話なのだから。

 

「実戦形式が良いみたいだし、構わないよね? 戦場(あっち)じゃ、誰もよーいドンなんて言ってくれないよ」

「…………! 上等じゃない。次、行くわよ」

 

 香取は遊真の言葉に舌打ちしつつ、修復が終わったトリオン体で再び武器を構えた。

 

 そして。

 

 そのまま、第二ラウンドを開始した。

 

 

 

 

「香取先輩相手でも、此処まで一方的なのか…………」

 

 修は二人の模擬戦を見ながら、感嘆の息を漏らした。

 

 遊真が強いのは、承知していた。

 

 まともに彼の戦闘を見たのはバムスターの一件と廃駅での戦いくらいだが、A級隊員である三輪隊の面々を七海の協力があったとはいえ一方的にやり込めた姿は記憶に新しい。

 

 A級である三輪や米屋相手に勝利を収めているのだから、B級である香取が勝てないのは当然────────────────とは、思わない。

 

 修は、香取の試合をログで目にしている。

 

 確かにA級隊員と比べれば粗があるかもしれないが────────────────それでも、木虎と相打った件を鑑みれば格上に勝つ芽がない、とはとても言えないだろう。

 

 だが、その香取を遊真は完全に翻弄していた。

 

 環境の問題、というのもある。

 

 彼等が戦っている訓練室は何もない広い空間であり、香取が得意とする壁や障害物を利用した三次元機動は行えない。

 

 それは遊真にも言える事なのだが、彼はそれを黒トリガーの出力と手札の多さでカバーしていた。

 

 遊真の黒トリガーの能力は、他のトリガーのコピー。

 

 風刃のような一点特化型ではなく、万能型とでも言おうか。

 

 相手の能力をコピーする、という手間を挟む必要があるが────────────────その汎用性は、他の追随を許さない。

 

 まず、トリオン体を強化し膂力やトリガーの性能を上げる『強』印(ブースト)

 

 先ほどから主に遊真はこれを用いており、その出力に香取は対応し切れていない。

 

 速く、重い。

 

 単純明快な分、それは強い。

 

 これが入り組んだ地形であれば、まだやりようはあっただろう。

 

 だが、障害物がなく利用出来る地形がない訓練室では逃げ回るのにも限度がある。

 

 加えて、シールドを張っても『錨』印(アンカー)がある。

 

 『錨』印(アンカー)は三輪の鉛弾をコピーしたものであり、当然シールドを透過する能力も継承している。

 

 更に鉛弾の欠点であった弾速の低下や射程距離の限界といったものも黒トリガーの出力で強引に補強しており、アステロイドのコピーである『射』印(ボルト)を用いて射出する為障害物のない訓練室では回避する手段がない。

 

 戦績は、既に5:0。

 

 勝敗が決まっても10本全て行う、という条件である為続行しているが、これまで香取は一度たりとも遊真に有効打を与えられていないのが現状であった。

 

「条件が悪過ぎたな。これなら、狙撃手用のやつを貸してやれば良かったか」

「何言ってんのよ。地形が悪いとか、関係ないでしょ。遊真なら何処でやっても、香取ちゃんには勝てるわ。何せ、あたしが教えてるんだからねっ!」

 

 香取が一方的にやられている原因をMAPの不利にあると言及したレイジに対し、小南はふんすっ、とここぞとばかりに弟子アピールをする。

 

 先日から遊真の師匠となった小南は、彼が無双している現状が嬉しくて仕方ないらしい。

 

 身内カウントした相手には甘くなる玉狛の人間らしい挙動だが、そこで隣で観戦している染井に気付いてあ、と冷や汗を流す。

 

 小南の発言は身内贔屓全開のそれであったが、聞きようによっては香取を馬鹿にしているようにも取れる。

 

 それを、香取の身内である染井がどのように受け止めるか。

 

 今更になって小南はその事に気付き、ばつの悪そうな顔をした。

 

「あ、ごめんね。別に香取ちゃんを馬鹿にしたワケじゃなくて」

「構いません。葉子が彼より弱いのは、事実ですから」

 

 染井は小南の謝罪に普段通りの無表情で答え、それに、と続けた。

 

「こうなるのを分かっていて黒トリガーを使用しての模擬戦を願い出たのは、葉子の方ですから。文句を言う筋合いは、無いと思います」

「そっか。やっぱり、木虎ちゃんに勝てなかったのが原因?」

「それもありますが、葉子自身力不足を感じていたんでしょう。近々、大規模侵攻が起こるという事もありますし」

 

 そこまで言うと染井は小南の方に向き直り、しばしの逡巡の後口を開いた。

 

「私達は、四年前の大規模侵攻の被害者です。葉子は家を失って、私は両親も失いました。だから、もう一度あれが来ると聞いて黙っている事は出来なかったんだと思います」

「……………………そっか。華ちゃん達も、あたし達が取りこぼしちゃった一人なんだ。あたし達の事、恨んでる?」

「いえ、当時は戦力が充分でなかった為に対応力に欠けていたらしいですし。むしろ、貴方たちがいなければもっと酷い事になっていたと思いますから」

 

 恨んでいません、と染井は答えた。

 

 この場に遊真はいない為、その言葉が本心かどうかは分からない。

 

 だけど、少なくとも三輪のような極端な感情を抱いているワケではなさそうだ。

 

 それでも、と小南は思う。

 

 香取と染井は、自分たちが取りこぼしてしまった者達の一人なのだ。

 

 迅ほど背負い込むワケではないが、何も感じていない、と言えば嘘になる。

 

 確かに、仕方のない面はあっただろう。

 

 だが、自分たちは当事者だった。

 

 あの日、誰かに手を差し伸べられた立場にいたのは────────────────自分たち、旧ボーダーだけなのだ。

 

 染井達は、そんな自分たちが手を差し伸べられなかった無数の人間の一人でしかない。

 

 しかし、こうしてその事を知らされて、心穏やかでいられる程小南は鈍感ではない。

 

 もしかすると、香取を軽んじられた意趣返しだったのかもしれないが────────────────そうであっても、甘んじて受ける義務が自分にはある。

 

 そう考えて、小南は染井の眼を正面から見据え直した。

 

「じゃあ華ちゃんは、遊真の事はどう思ってるの?」

「その前に、一つ聞いてもいいですか?」

「なに?」

「人型近界民(ネイバー)というのは────────────────皆、彼のような()()ですか?」

「……………………そうよ」

 

 染井の質問を、小南はそう言って肯定した。

 

 それを聞き、染井は矢張りですか、と得心したように頷く。

 

 自身の仮説が、間違っていなかった事を確信して。

 

「つまり、近界民とは文字通り近界という異世界に住む人間であって────────────────言うなれば、交流の手段が乏しく技術格差がある為に侵略という手段が目立つだけの外国人、という事ですね?」

「その通りだ。よく、その結論に辿り着いたな」

 

 レイジの称賛に、染井はいえ、と謙遜する。

 

「あの遊真って子を見る限り、浮世離れした空気は感じますが普通の人間に見えます。それに、そう考えれば色々と辻褄が合います」

 

 だってそうでしょう、と染井は続ける。

 

「トリオン兵は、人間を近界に攫います。なら、攫った先でその人達を()()()()立場の存在がいなければおかしいです。それなら、近界にはそれに当たる存在────────────────つまり、知性を持った()()がいると考えた方が良い。だから、仮説としては前々から考慮に入れていました」

 

 それに、と染井は顔を上げる。

 

()()と呼称する理由は、恐らく戦う抵抗感をなくす為なんだと思います。相手を()()と認識して戦える人は、やっぱり多くはないでしょうから」

「確かに、お前の言う通りだ。そのあたりが、事実を公表しない理由でもある」

「仕方がない事だと思います。ただでさえボーダーは軍隊としての性質が強いので、相手が人間だと分かればマスメディアも対応を変えて来るでしょうから」

 

 染井の言う通り、ボーダーは色々言葉を濁しているが実態は私設軍隊としての性質が強い。

 

 政府公認というワケでもないのだから、余計な横槍を入れる隙を見せるべきではない。

 

 そういった組織としての立場も、染井はどうやら理解しているようだ。

 

 このあたり、理論的に物事を考える癖の付いた彼女らしい視点と言える。

 

「ですので、あの子の立場はこちらに協力的な姿勢を持った異世界人、というものでしかないんだと思います。明確に敵対する立場でないなら、私から言う事は何もありません」

 

 それに、と染井は薄っすらとその口元に笑みを浮かべた。

 

 ほんの僅かな、些細な笑み。

 

 それは────────。

 

「葉子は、何も出来ずに帰る事はしないと思います。あの子は頑固で意地っ張りだけど────────────────やる事が決まりさえすれば、迷ったりはしませんから」

 

 ────────────────友を信頼するが故の、彼女なりの身内贔屓。

 

 このままでは終わらない、という。

 

 一つの、宣誓だった。



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香取葉子⑦

 

 何このクソゲー、と香取は内心で盛大に悪態をついた。

 

 確かに、不利どころか勝ち目が殆ど無い相手である事は承知していた。

 

 黒トリガーの出力は昇格試験で身を以て知っているし、それを使いこなす熟練者の技量が高い事も予想していた。

 

 だからといって、今身に受けている理不尽に対しては愚痴らずにはいられない。

 

 まず、最初に分かったのはあの遊真という少年の持つ黒トリガーの能力は風刃とは真逆で汎用性に富んだものである事。

 

 そして、幾つ能力が備わっているのか上限が予想出来ない事だ。

 

 最初は、速度と膂力を強化する能力でやられたので純粋な身体能力強化系のトリガーか、と考えた。

 

 だが、違った。

 

 これは、そんな単純なものではない。

 

 次の試合では、あろう事かあの鉛弾(レッドバレット)と同じ────────────────否。

 

 それ以上の重量付加効果のある重石を撃ち出す攻撃を、全方位に放って来た。

 

 入り組んだMAPであるならばまだしも、此処は四方を壁で囲まれ障害物の存在しない訓練室。

 

 当然逃げ場などある筈もなく、成す術なく重石を撃ち込まれてそのまま首を落とされた。

 

 香取はこの時点で、遊真の黒トリガーの能力がコピー能力ではないか、と見当を付けた。

 

 身体能力強化のやつの種は不明だが、重石を撃ち出す攻撃は恐らくアステロイドと鉛弾を複合させたものだろう。

 

 その証拠に、攻撃の際に「錨」という文字と「射」という文字が浮かんでいた。

 

 状況から推察するに、あの黒トリガーはストックしたコピーの中から一つまたは複数のものを選択し、使用出来るのだろう。

 

 黒トリガーの出力で、である。

 

 恐らく、彼の黒トリガーの能力は純粋なコピー能力。

 

 強化されているように見えるのは、単純に黒トリガーの出力でそれを扱っているからだ。

 

 黒トリガーは使用者のトリオンを、起動中莫大な数値にまで引き上げる効果がある。

 

 それだけのトリオンを用いてコピー能力を使用するのだから、オリジナルのそれよりも出力が上回るのは自明の理だ。

 

 鉛弾の欠点である弾速と射程の低下も、その大出力を用いる事で強引に補っているのだろう。

 

 この能力は、恐らく三輪の鉛弾から読み取ったものだ。

 

 故にこそ、高い基準で能力が再現されていると予想出来る。

 

 三輪の鉛弾は、A級特権を利用して作成した特注型だ。

 

 それを参考にしているのだから、相応に性能が高くなるのは当然といえば当然である。

 

 ともあれ、シールドを透過する鉛弾と同じ性能を持った弾丸があろう事か全方位攻撃で飛んで来るのだ。

 

 しかも、この逃げ場の無い訓練室で。

 

 初めて食らった時には何の冗談だ、と思ったものだ。

 

 流石にやり過ぎたと思ったのか、開幕で重石をぶっぱする、という害悪戦法を取って来なかったのが幸いか。

 

 しかし、手加減する気は微塵もないようで、こちらが少しでも隙を見せれば容赦なく重石の弾をぶっ放して来る事に変わりはない。

 

 これまで香取はその都度抗って来たが、結局一度たりとも重石の弾幕を超えられた事はない。

 

 気付けば、もう8戦目。

 

 これまでの8戦では、一度たりとも遊真に有効打を与えられてはいない。

 

 約束の10本目まで、この試合を含めてあと三本。

 

 いよいよ、後がなくなって来た。

 

(このまま終わって、たまるもんですか…………っ!)

 

 香取は意を決し、グラスホッパーを踏み込んで疾駆した。

 

 常に移動しながら拳銃で牽制しつつ隙を伺う────────────────この作戦は、既に試した。

 

 結果は、動きを見切られて懐に入り込まれての一撃による脱落。

 

 隙らしい隙を見つける事が出来ず、呆気なく落とされた。

 

 第一前提として、遊真は戦闘者として香取より格上である。

 

 格上相手はまず見に徹し、勝機を探るのが常道ではあるが────────────────今回の場合、()()が悪過ぎる。

 

 逃げ場のない訓練室で、莫大な出力を誇る黒トリガーを相手にしているのだ。

 

 下手な延命策に走っても、トリガーの出力と地力の差で押し込まれるだけだ。

 

 これが森林MAPや工業地帯等の入り組んだ複雑な地形であればヒット&アウェイを繰り返して隙を伺う事も出来ただろうが、今回はそういった逃げ場が無い戦場である。

 

 互いの地力がダイレクトに出る試合条件である以上、時間稼ぎは下策でしかないのだ。

 

 故に、今回選んだ戦略は────────────────速攻。

 

 香取は跳躍と同時にハウンドを放ち、遊真に防御行動を強要する。

 

 どうやらこの黒トリガーには盾の機能もあるようではあるが、香取の見立てではそれを使用している間は他の機能を────────────────即ち、攻撃は行えない。

 

 というよりも、遊真の黒トリガーはコピー能力により多種多様な能力を使えるが────────────────それはあくまで能力の()()()()であり、他の機能を使うには多少のタイムラグがあると見ている。

 

 鉛弾の連射のように、二つの機能を組み合わせて使用する事も出来るようだが、どちらにせよ切り替えの時が隙である事に変わりはない。

 

 香取の与り知らぬ事ではあるが、今の遊真はレプリカのサポートなしで黒トリガーを使用している。

 

 レプリカのサポートがあればそういった隙はほぼ全て取り除けるのだが、それがない以上香取の推測はさして間違ったものではない。

 

 防御行動を強要し、その隙に攻め込む。

 

 成る程、確かに発想はそう間違ったものではない。

 

 防御と攻撃は同時には行えない、というのが戦いに置ける基本だ。

 

 たとえ射手であろうとシールドを張っている間は両攻撃(フルアタック)は出来ないし、ブレードトリガーの使い手であれば言わずもがなだ。

 

「────────『弾』印(パウンド)

 

 だがそれは。

 

 遊真が、()()()()()()()()の話である。

 

 遊真は『弾』と描かれた印により、自らを射出。

 

 一気に香取に肉薄し、拳の一撃で胴を吹き飛ばした。

 

『トリオン漏出過多。香取ダウン』

「く…………!」

 

 これで、8回目の黒星。

 

 あと二戦。

 

 もう、本当の意味で後が無い。

 

(グラスホッパーと同じ、加速能力…………っ! こんなのまであるなんて…………っ!)

 

 今見せた能力は、これまでの7試合では使わなかったものだ。

 

 推論の通り、その性質はグラスホッパーに似ている。

 

 しかし、出力そのものが段違いだ。

 

 明らかに、グラスホッパーの数倍程度のスピードは出ている。

 

 だからこそ、反応し切れなかった。

 

 気付けば、目の前に遊真がいた────────────────どころではない。

 

 気付いた時には、既に攻撃を叩き込まれていた。

 

 そういうレベルだ。

 

 これまで使っていなかった能力を使わせた事は、進歩ではある。

 

 だが。

 

(ただやられてちゃ、意味がないのよ…………っ!)

 

 自身の糧となったかと言われれば、疑問が残る。

 

 今回の模擬戦は、遊真に勝つ事が目的ではない。

 

 格上相手の、未知の脅威に対しどれだけ咄嗟の対抗策が編み出せるか。

 

 そういう経験を積む為の、見取り稽古(ラーニング)の場だ。

 

 まだ、足りない。

 

 まだ、遊真の意表を突くだけの対抗策を、香取は編み出せてはいない。

 

 これで終わっては、こうして戦いを挑んだ意味がない。

 

 学ばなければ。

 

 この機会に、もう一度。

 

 黒トリガーに、一矢報いる機会を。

 

 あの時の雪辱を、今度こそ晴らすのだから。

 

「────────!」

 

 9本目。

 

 香取は試合開始と同時にグラスホッパーを踏み込み、天井へ向かって跳躍。

 

 即座にグラスホッパーを再展開し、遊真の頭上に躍り出た。

 

 そしてそのまま、グラスホッパーを踏み込み急降下。

 

 スコーピオンをその手に、遊真に向かって斬りかかる。

 

 真上は、人間の死角だ。

 

 空から降りて来る襲撃者など早々いない以上、どうしたって頭上への反応は鈍くなる。

 

 上からの奇襲は、確実性の観点から言えば決して間違ってはいないのだ。

 

 されど。

 

「────────!」

 

 遊真は落ちて来る香取に対し、重石の弾を撃つ事で対処した。

 

 至近距離で放たれた重石の弾は、香取のスコーピオンに命中。

 

 咄嗟に重石ごとブレードを破棄しようとした香取だが、一手遅かった。

 

 遊真は香取が重石を振り払う前に、『強』の印により強化された拳を振るう。

 

『トリオン供給機関破損。香取ダウン』

 

 結果、香取の左胸が吹き飛ばされ致命。 

 

 9戦目も、香取の敗北で終わった。

 

(ミスった。今のは、アタシの落ち度じゃない)

 

 今の戦闘の敗因は、ハッキリしている。

 

 香取がスコーピオンを、腕からそのまま生やしていた為だ。

 

 香取は至近距離での鍔迫り合いこそが真骨頂である為、スコーピオンを使用する時は手に持つのではなく身体から直接生やして使う事が多い。

 

 いわば癖のようなもので、今回もまた香取は手の甲から直接ブレードを生やしていた。

 

 これが、仇となった。

 

 手に握っていたのであればその場で投げ捨てれば済むところだが、香取は直接身体からブレードを生やしていた為にブレードごと破棄するという手段を取らざるを得なかった。

 

 その隙は歴戦の傭兵相手に許容出来るものではなく、結果としてそれを見逃さなかった遊真によって仕留められたのだ。

 

(あと、一戦。もう、本当に後が無い。どうすれば…………っ!)

 

 本当の意味で、後が無い。

 

 焦る香取の脳裏に、これまでの経験が走馬灯のように蘇っていく。

 

 そして────────────────。

 

(────────! これだわ。ううん、これしかない。これで駄目なら、どうしようもないわ)

 

 ────────────────1つの答えに、辿り着いた。

 

 香取の脳裏に浮かんだのは、七海の戦闘映像。

 

 ログで見た、とあるROUNDのワンシーン。

 

 それが、ヒントだった。

 

(やってやるわ。見てなさい、近界民(ネイバー)

 

 

 

 

(葉子…………)

 

 華は目に光を宿した香取を見て、思わず息を漏らした。

 

 あれほど真剣な目の香取など、いつ以来だろうか。

 

 華には分かる。

 

 あれは、自棄になった者の眼ではない。

 

 明確な、勝機を手にした者の眼だ。

 

 きっと、有効な策を思いついたのだろう。

 

 それくらい、やってくれる。

 

 華は、当然のように香取が期待に応えてくれると確信していた。

 

 何故なら。

 

(出来るよ、きっと。やる気になった葉子は、誰にも負けないんだから)

 

 

 

 

「行くわよ…………っ!」

 

 試合開始と同時に、香取は駆けた。

 

 今度は上へ跳躍もしなければ、距離を取る事もしない。

 

 最短距離での、真っ向勝負。

 

 香取が選んだ選択は、それだった。

 

「────────」

 

 自棄になったか、と油断────────────────は、しない。

 

 遊真は、これまでの戦闘で香取を正しく評価していた。

 

 今の彼女は、捨て鉢になるような事は有り得ない。

 

 何故なら、眼が違う。

 

 今の香取の眼は、ギラついている。

 

 あれは、狩人の眼だ。

 

 獲物を観察し、狡猾に罠を仕込み、論理を相手を追い立てる狩猟者の眼だ。

 

 あんな眼をしている以上、無策では有り得ない。

 

 そう考えて。

 

「…………っ!」」

 

 遊真は、容赦なく『錨』印(アンカー)を『射』印(ボルト)で射出した。

 

 当たれば重石が付加される、黒い弾丸。

 

 それが、全方位へと撃ち出される。

 

 仮にグラスホッパーで横に逃げても、全方位に放たれた重石弾全てを避ける事は叶わない。

 

 このまま突っ込んで来ても、それは同じ。

 

 シンプル故に強力な、重石の弾幕。

 

 それを。

 

「────────!」

 

 彼女は、自身の手に持つスコーピオンを投擲し、正面から迫る重石弾の盾とした。

 

 香取に迫っていた弾丸は、投擲されたスコーピオンに着弾し重石を付加。

 

 鈍い音と共に、地面に向かって落下する。

 

 遊真は逃げ場をなくすように、弾丸を全方位に射出した。

 

 つまりそれだけ、弾幕の()()()は低くなる。

 

 故にこそ、香取は正面からの特攻を選択した。

 

 姿勢を前のめりにしてグラスホッパーに撃ち出されれば、被弾面積は可能な限り減らす事が出来る。

 

 その上でスコーピオンを投擲し、重石弾への盾とした。

 

 投擲し、盾としたスコーピオンは重石によって自動的にその場に落下する為、突撃の邪魔になる事はない。

 

 そして、この距離ならば先ほどのような大味な反撃はない。

 

 あのグラスホッパーの類似品は、出力は高いが小回りは効かない。

 

 故に、此処まで来ればこっちのものだ。

 

 この距離では、あの加速は活かせない。

 

 こちらの攻撃の方が、あちらの反撃よりも速い。

 

 そう確信して香取は刃を振り下ろした。

 

「…………っ!?」

 

 だが。

 

 振り下ろした刃は、空を切った。

 

 遊真が。

 

 躊躇なく、後ろに跳んだ事によって。

 

 これには、香取も本気で驚いた。

 

 これまで、遊真は絶対的な強者として香取の前に立ちはだかった。

 

 だからこそ、思いつけなかった。

 

 彼が、自分相手に()退()するなどとは。

 

 とはいえ、さして難しい話でもない。

 

 遊真は、香取相手に微塵も油断をしていない。

 

 油断をすれば、やられるのはこちらの方だと。

 

 理解しているからだ。

 

 確かに、順当にやれば10回中10回遊真が勝つだろう。

 

 だが、絶対ではない。

 

 何かしらのイレギュラーが起これば、喉元を食い破られる恐れがある。

 

 それに、傭兵稼業の長かった遊真にとって逃げる事は恥でもなんでもない。

 

 勝利する為に必要な工程の一つ、という認識でしかない。

 

 故に。

 

 遊真は容赦なく。

 

 攻撃を空振りし、態勢を崩した香取に向かって再び重石の弾を撃ち放った。



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香取葉子⑧

 遊真は、隙を見せた香取に向けて『錨』印(アンカー)『射』印(ボルト)で射出した。

 

 攻撃を空振りし、態勢を崩した香取。

 

 或いは、そのまま踏み込んで『強』印(ブースト)で仕留める選択もあっただろう。

 

 だが、遊真は手堅く重石の弾を撃つ事を選んだ。

 

 目の前の少女の技量自体は、遊真には及ばない。

 

 されど、それは遊真の勝利を絶対とする根拠には成り得ない。

 

 そも、戦場では予想外(イレギュラー)は付き物だ。

 

 全てが予定通りに進む戦い、などというものはまず有り得ない。

 

 大なり小なり、戦闘には()()()が加わるものだ。

 

 そして、香取はその小さな綻びを強引に押し開ける事の出来るだけの才能(センス)を持っている。

 

 故に、手は抜かない。

 

 香取は自身と同じ、機動力を頼りとするスピードアタッカー。

 

 ならば、反撃の手段を封じるにはその機動力を削ぐのが効果的だ。

 

 この訓練室には、障害物が一切存在しない。

 

 故に、シールドを透過する重石の弾は回避する以外に防ぐ手段はなく────────────────全方位に撃てば、避けるだけの隙間は無い。

 

 そして、今回は全方位に撃つ必要はない。

 

 先程は、弾を拡散し過ぎた為にスコーピオンで凌がれた。

 

 ならば、話は簡単だ。

 

 ある程度収束した上で、尚且つ回避不能な範囲に弾丸を放つ。

 

 現在、香取は攻撃の失敗により態勢を崩している。

 

 故に、此処から回避行動を取るにしても限界がある。

 

 あのジャンプ台トリガー、グラスホッパーを用いれば強引に回避する事は出来る。

 

 されど、遊真は既にグラスホッパーによる加速による退避可能な範囲を見切っている。

 

 グラスホッパーは触れたものを弾き飛ばすトリガーだが、当然ながらその反発によって生じる加速には限度が────────────────即ち、射程限界がある。

 

 つまり。

 

 それを考慮した上で、射程限界をカバー出来るように弾丸の斉射範囲を調整すれば良い。

 

 それに。

 

 万が一避けられたとしても、距離を取った時点で香取はジリ貧に陥る。

 

 何せ、遊真は重石の弾を連射し続けるだけで良いのだ。

 

 この訓練室では回避するにも限度がある以上、極端な話重石の弾を連射するだけで勝てるのだ。

 

 これまでそれをしなかったのは格上相手の戦闘経験が欲しいという香取に対する最低限の配慮であり、それ以上でも以下でもない。

 

 故に、もしも香取が距離を取ってしまうようなら遊真は容赦なく『射』印(ボルト)をばら撒く気でいた。

 

 格上相手の戦闘経験が欲しい、と言ったのは香取だ。

 

 だからこそ、此処で手を抜くのは彼女に対しても失礼だろう。

 

 そう考えて、遊真は重石の弾を撃ち放った。

 

 回避しようと距離を取れば、ジリ貧になって終わる。

 

 かといってこのままでは重石の弾が直撃し、香取の身動きが封じられる。

 

 詰み(チェックメイト)

 

 これは、そういう状況だった。

 

「…………!」

 

 けれど。

 

 香取は、諦めてはいなかった。

 

 彼女は、重石の弾に対し回避行動を取らなかった。

 

 選んだのは、回避ではなく────────────────()()

 

 香取は自ら右腕を振るい、自ら重石の弾へ()()()()()()()

 

 結果、彼女の右腕に複数の弾が着弾。

 

 無数の重石が彼女の右腕に出現し、それと同時に香取の脇腹から伸びたスコーピオンが右腕を切断。

 

 少女の右腕は、重石と共に彼女の右足の前に落下した。

 

(右腕を犠牲にしたか。となると────────)

 

 特攻か、と遊真は身構える。

 

 恐らく、香取は最初から右腕を捨てるつもりだった。

 

 此処で距離を取ればジリ貧になって終わるというのは、彼女も分かっていたのだろう。

 

 だからこそ。回避ではなく右腕を犠牲にした防御を選択した。

 

 このまま、勝負を決める為に。

 

 現在、遊真と香取の相対距離は数メートル程度。

 

 無論ブレードが届く距離ではないが、グラスホッパーの加速があれば一息に届く範囲ではある。

 

 香取はこのまま、グラスホッパーを用いて勝負を決めに来る筈だ。

 

 今現在遊真は『射』印(ボルト)を撃った直後であり、能力の切り替えには多少のタイムラグがある。

 

 香取はその隙を逃さず、仕留めに来るつもりだろう。

 

 しかし、遊真とてそのままやられるつもりはない。

 

 全力で防御すれば、腕の一本程度は取られるだろうが充分凌ぎ切れる筈だ。

 

 香取の近接戦闘能力の上限は、既に分かっている。

 

 些か厳しいが、全ての神経を目の前の香取に集中すればどうにかなる。

 

 そう考えて、遊真は最大限の警戒を以て香取の動きを注視した。

 

「…………っ!?」

 

 結果。

 

 遊真は、()()()()()()()よって背中から胸を貫かれ致命傷を負った。

 

 彼の背後。

 

 床から伸びる、一本の刃。

 

 それは、地面や障害物を通ってスコーピオンを出現させる発展技法。

 

 もぐら爪(モールクロー)

 

 だが、通常のそれではない。

 

 香取と遊真の現在の立ち位置では、もぐら爪では射程が足りない。

 

 ならば、応えは一つ。

 

 これは、()()()()()を用いたもぐら爪。

 

 もぐら爪(モールクロー)マンティス。

 

 以前ランク戦で七海が使用した、発展技である。

 

 遊真は、もぐら爪もマンティスもまだ詳細を知らない。

 

 もぐら爪はさわりだけは教えられていたが、マンティスについては教えられる者が玉狛支部にはいなかった。

 

 つまり、これは遊真にとって()()の攻撃に当たる。

 

 だが。

 

 ただの未知では、遊真に届かなかっただろう。

 

 もし、香取の右足の前に切断された右腕が落ちていなければ、()()()()床面を見て遊真はもぐら爪を見抜いた筈だ。

 

 そう、全てはこの為。

 

 香取は敢えて右腕で重石を受け止める事で、その切断を違和感なく実行に移した。

 

 もぐら爪の発動を、自身の右腕という()()()を用いて隠す為に。

 

「やるね」

『トリオン供給機関破損。遊真ダウン』

 

 称賛と共に機械音声が鳴り、遊真の敗北が告げられる。

 

 結果は、9:1。

 

 遊真の圧勝ではあるが、最後に一度。

 

 香取は、強者の喉元に刃を届かせたのだ。

 

「フン、やってやったわよ。ざまあ見なさい、近界民(ネイバー)

 

 そして、香取は。

 

 誇らしげに、不敵な笑みを浮かべて見せた。

 

 

 

 

「空閑が、負けるなんて…………」

「最後に一回負けただけだけどね。でもまあ、大金星じゃない。黒トリガー相手に、一矢報いれたんだから」

 

 遊真の敗北、という結果に驚く修と、素直に称賛する小南。

 

 修は心の何処かで、遊真の強さに幻想を持っていたのかもしれない。

 

 だからこそ驚愕を露にしているが、遊真と実際に手合わせをしている小南は彼が無敵でもなんでもない事を知っている。

 

 確かに、並の相手では歯が立たない実力者である事は間違いない。

 

 A級でも、近接戦闘でまともに遊真の相手を出来るのは数える程だろう。

 

 だが、それは遊真が無敵の存在である事を意味しない。

 

 相手に出来るという事は、当然勝つ可能性もあるという事だ。

 

 それに今回は、もぐら爪とマンティスという遊真にとっての未知を組み合わせた戦術でもあった。

 

 それを隠し通す為に自ら右腕を捨てた事といい、香取の判断力はそう悪くはない。

 

 むしろ中々センスがあると、小南にしては珍しく素直に彼女を評価していた。

 

 もっとも、「一番強いのはあたしだけどね」と心の中で呟く事を忘れないのが小南が小南たる所以であるが。

 

「そうですね。まさか、もぐら爪マンティスをものにしているとは思いませんでした」

「ま、それだけ努力したって事でしょ。あの子、元々センスはあるみたいだし」

 

 七海の言葉に、小南はそう言って笑みを浮かべた。

 

 確かに、香取はマンティスを習得していた。

 

 しかし、練度は影浦どころか七海とも比べるべくもなく、自由な形状変化にまでは至っていなかった。

 

 ただ二つのスコーピオンを繋げるだけの疑似的なマンティスと、自由自在に形状を変えて変則的な軌道を描くマンティスとでは、その難度に雲泥の差がある。

 

 特に、地面を通すもぐら爪と併用しているなら猶更だ。

 

 だが、香取はそれをやってのけた。

 

 恐らく、血の滲むような鍛錬によって。

 

 彼女はもう、努力を知らないただの天才ではない。

 

 自らの才能を努力によって磨き、上位者の(きざはし)に足を踏み入れている。

 

 以前の香取と同じと思っていては、足元を掬われるだろう。

 

 それだけの強さを、今の香取は持っているのだから。

 

「…………葉子」

 

 そんな香取の映像を見て、染井は薄く笑った。

 

 それは何処か、寂し気で。

 

 されど、確かな。

 

 喜びが、滲んでいた。

 

 

 

 

「ホンット、マジでクソゲーだったわ。黒トリガーって、あんなのばっかなのっ!?」

 

 帰り道。

 

 香取は染井相手に、盛大に愚痴を漏らしていた。

 

 最後に一矢報いはしたが、それまでにボコボコにされた事は矢張り根に持っているらしい。

 

 香取らしいその姿に、染井は思わず苦笑した。

 

「もう、笑わないでよ。ホント、何度止めようと思ったか分かんないんだから」

「でも、最後には勝てたじゃない。あれ、小南先輩も褒めてたよ」

「え? マジ?」

「嘘は言わないよ」

 

 そっかー、小南先輩がねー、と香取はまんざらでもなさそうな顔で頷いた。

 

 香取にとって小南は、木虎と違い年上である分割と素直に密かな憧憬の念を抱いている実力者である。

 

 同じく年上の実力者の女性隊員には那須がいるが、彼女は人間性が少しあれ(コミュ障)な上にとんでもないレベルの美貌を持っているので敬意や憧れよりも嫉妬心の方が強い。

 

 しかし小南は本人の性格に全く嫌みがなく、張り合っても疲れるだけなので純粋な憧れが先に来るのだ。

 

 ボーダー最強と名高い、玉狛支部のエース攻撃手(アタッカー)

 

 本人がランク戦から離れており競い合う事がない分、余計な肩肘を張る必要がない事もある。

 

 だからこそ、彼女に評価されたというのは香取にとって吉報と言えた。

 

「それから、七海先輩も褒めてたよ。よくあの技を習得出来たって」

「…………ふぅん、そっか。あいつもそう言ってたのね」

 

 七海から評価されたと聞き、香取は複雑な顔をした。

 

 正直に言えば、自分の力が色々な意味で意識している七海に認められたのは誇らしい。

 

 しかしこれまで何度も負けた経緯から敵愾心を抱いている相手であるのも事実なので、素直には喜べないのだ。

 

 このあたり、賞賛には割と素直に礼を言う七海と捻くれている為中々本音を言えない香取の差異と言える。

 

「それで、どうだった? 黒トリガーの相手は」

「さっきも言ったけど、マジでクソゲーだったわ。これがゲームならカセット叩き割るレベルでね」

 

 だって、と香取は憤慨するように声を荒げた。

 

「防御無視のデバフ攻撃が、逃げ場のない場所で全方位に飛んでくるのよ? 最初食らった時はマジふざけんな、って思ったわよ」

「でも、それは障害物のない訓練室だったからってのもあるでしょう? たとえば市街地MAPとかならどう?」

「そっちはそっちで、あの白チビがぴょんぴょん飛び回りながらあの重石弾をばら撒いて来るのよ? デメリットのない鉛弾(レッドバレット)とか、その時点で反則みたいなもんを那須先輩みたいに動きながら撃たれちゃたまったもんじゃないわ」

 

 香取の言う通り、複雑な地形であればその分遊真の三次元機動が解禁される。

 

 自在に動き回る遊真という移動砲台から、速度低下や射程距離の減衰のない鉛弾(レッドバレット)が幾らでも飛んでくるのだ。

 

 その時点で、悪夢でしかない。

 

 流石に訓練室で戦うよりは抵抗の余地はあるだろうが、難敵である事に変わりはないのだ。

 

「でも、そんな相手に一矢報いたんだから葉子は凄いよ。私ならきっと、途中で諦めちゃうし」

「何言ってんの。華がいるから、アタシは強くなれたんだから。アタシこそ、華がいなかったら途中でボーダー止めてたわよ」

 

 だって、と香取は笑みを浮かべた。

 

「アタシが戦えるのは、華が見守ってくれてるから。華と一緒の日常を守りたいから、アタシは戦うの。華がいて、あとついでに雄太や六郎もいる日常。それがアタシの守りたいものだし、なくしたくないものだから」

「葉子…………」

 

 香取の言葉に、華は目を見開いた。

 

 普段は素直になれない親友が、此処まで自分の本心を語るなど。

 

 これまで、なかった事だから。

 

「また、あの大規模侵攻が来るって言うじゃない? 多分、かなり厳しい戦いになると思う。そうじゃなきゃ、ここまで色々動いたりはしないでしょ」

 

 香取は真剣な声色で、そう告げた。

 

 大規模侵攻の。

 

 四年前の悪夢の記憶は。

 

 今尚、彼女に色濃く刻まれているのだから。

 

「アタシは、アタシが出来る精一杯をやって街を守ろうと思うんだ。その為ならやれる事はなんだってやるし、嫌いな奴に頭を下げたりもしたげる。そうしなきゃ守れないなら、四の五の言ってられないもの」

 

 だから、と香取は続ける。

 

「華も、一緒にやって欲しいの。華が応援してくれたら、アタシはきっと頑張れるから」

「ええ、勿論。私は、今も昔も葉子と一緒よ。何が起きようと、それだけは変わらないわ」

「アタシも、華が一緒ならなんだってやれるわ。それから────────」

 

 香取と華は、そう言って笑い合う。

 

 二人の少女は、並んで歩く。

 

 刎頸の交わりの如き、深い繋がりを持つ少女達は。

 

 来るべき戦いへの覚悟を決め、前を向く。

 

 未だ見ぬ、倒すべき敵を見据えて。



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Before the storm/決戦前・間章
風間蒼也①


 

「七海、そこに座れ。お前には色々言いたい事がある」

「はい」

 

 風間隊、隊室。

 

 その部屋の主である風間は呼び出した七海が中に足を踏み入れるなり菊地原に指示をして鍵をかけ、仁王立ちで着席を宣告した。

 

 明らかに、怒っている。

 

 表面上は普段と変わらないが、眼が笑っていない。

 

 溢れ出る怒気がオーラとなっているかのようで、部屋には重苦しい空気が満ち満ちている。

 

 加えて、怒っているのは彼だけではない。

 

 菊地原もまた、普段より数割増しで仏頂面を見せて(へそを曲げて)いる。

いる。

 

 傍目からは分かり難いが、なんだかんだで付き合いの長い七海にはその怒り具合が察せられた。

 

 その原因に心当たりのある七海としては、素直に従う他ない。

 

 幸い、この場にはストッパーとなる歌川と三上もいる。

 

 もっとも。

 

 その二人も何やら含みのある様子なので、何処まで頼りに出来るかは分からないが。

 

 まあ。

 

 元々、七海に糾弾を避けるという選択肢はない。

 

 自分のやった事やその影響も理解しているので、 責は甘んじて受ける覚悟である。

 

「七海、お前はあの迅を倒すという難行を乗り越えてようやくA級になった身だ。今回の行動は、その努力を無にする可能性があった事を理解しているのか?」

「ええ、理解していました。保険というか、根回しはやって貰いましたが、リスキーな行動であった事は事実です」

 

 確かに、風間の言う通り今回の七海の行動は折角のA級昇格を取り消される危険性を孕むものだった。

 

 何せ、ボーダーのトップである城戸司令の命令に背く行動を取り、隊務規定違反である「ボーダー隊員同士の私闘」をやらかしたのだ。

 

 きちんとした根回しや上層部とのコネがなければ、本当にA級昇格を取り消されていた可能性は充分にあったのだ。

 

 風間としては、折角弟子が晴れてA級となった矢先にこんな真似をされたとあっては怒りたくなるのが人情だろう。

 

 元より、風間は身内や一度認めた相手に甘い。

 

 今回怒っているのも、偏に七海を心配したが故だ。

 

 どうでもいい相手なら、そもそもわざわざ呼び出して説教したりはしない。

 

 関心のない相手に時間を使う程、風間は物好きでも暇でもないのだから。

 

「ですが、後悔はしていません。あの時はあれが、俺のやるべき事だったと思っていますから」

「本当にそうか? 俺や太刀川は、迅相手に負けた。お前がいなくとも、案外なんとかなったかもしれないぞ」

 

 風間はそう言って、ジロリと七海を睨みつけた。

 

 本当に、七海があの戦いに参加する必要があったのか。

 

 ただ、迅の言葉に乗せられただけではないのか。

 

 風間はそう、問うているのだ。

 

 気持ちは分かる。

 

 風間は、迅相手に敗北を喫している。

 

 そして、その強さを改めて思い知った筈だ。

 

 その迅の実力を見ているからこそ、彼がどういった思惑で七海を参戦させたかを少々図りかねていた。

 

 故に、もし此処で七海が「迅さんに言われたから」などと口にした場合は、問答無用で張り倒すつもりでいた。

 

 その問いに、七海は。

 

 誇らしげに、笑みを浮かべた。

 

「────────────────いえ、俺が行かなきゃ迅さんの描いた未来へは辿り着けなかったと聞いています。俺自身も、ただの数合わせで参戦したつもりはありません。あれは、俺の意思でやった事です」

「迅に誘導された結果ではなく、か?」

「はい。俺は迅さんに、今回の戦闘の成否が今後の未来を左右すると聞かされました。そして、俺と玲の協力がなければ失敗する可能性も充分あったという事もです」

 

 そもそも、と七海は続ける。

 

「俺があの最終試験の時、太刀川さんは迅さん攻略の為のアドバイスをくれました。つまり、太刀川さんは迅さん相手の戦い方を分かっていたという事ですし、風刃の性能もあの試験の戦闘を見ていたから知っています」

「つまり、風刃の性能が知られている状態では迅単独で俺たちの相手をするのは厳しいだろうとお前は考えたという事か。だが、結果として俺たちは迅にやられているぞ」

「それはあくまで結果論です。それに、本当に迅さん一人にやられたとは風間さんも思っていないのでは?」

 

 む、と風間は七海の指摘に口を紡ぐ。

 

 勿論、それは風間とて分かっている。

 

 分かっていて、七海に問いかけたのだ。

 

 彼の真意を、問う為に。

 

「きっと、俺や玲がいなければ風間隊と太刀川隊は総出で迅さんに対処したと思います。でも、そうはならなかった」

 

 何故なら、と七海は続ける。

 

「出水さんは玲の対処をしなきゃいけなかったし、三輪と米屋は俺一人で相手をしていたので菊地原は嵐山隊の対処に割かざるを得なかった。これでも、俺たちが参戦した意味が無いと言えますか?」

「ふむ、それも結果論だ────────────────と返すのは、流石に意地悪が過ぎるな。まあ良いだろう。お前が良く考えた末に行動した事は理解した。試すような真似をして、すまなかったな」

「いえ、風間さんの立場を考えれば仕方のない事だと思います。俺が風間さん達よりも迅さんを優先した事に変わりはありませんから」

 

 七海はそう言って、苦笑する。

 

 確かに、今回七海は形式上とはいえ風間達と敵対する事を選んだ。

 

 それは風間達よりも迅を優先したと取られかねず、七海自身それは否定していない。

 

 七海は迅の望む「最善の未来」へ進む為に必要な工程であったと理解しているが故に躊躇はなかったが、それでも恩師と敵対したという事実に変わりはない。

 

 だからこそこうして話をする場に赴いたのであり、彼等と敵対した事に対して何も思っていないワケではないのだ。

 

「別に恨み事を言うつもりはない。お前がお前できちんと考えて行動したのなら、謝罪は不要だ。根回しもしっかりやっていたようだし、お前の意思さえ確認出来れば俺としては文句はない」

「ぼくとしては大ありですけどね。やるならやるで、せめて一言くらい言ってくれても良かったんじゃないの?」

 

 完全に割り切っている風間と異なり、菊地原はぶーたれたままそう言って七海をジト目で睨む。

 

 今回の顛末を知った時から、菊地原は不機嫌モードが継続中だ。

 

 元々、七海の一人で何もかも抱え込む性質を良く思っていなかった菊地原なだけに、今回の騒動に関して自分に何の相談もなかった事が気に食わなかったらしい。

 

「いや、立場上それは難しかったんじゃないか? 今回の件がある種の茶番だと知られないように、秘密裏に立ち回る必要があったワケだし」

「そんなの、直接会わなきゃどうとでもなるじゃん。知らされても黙っている事は出来たし、ぼくってそんなに信用ないの?」

 

 歌川のフォローに対し、菊地原はむすっとしたままそう返す。

 

 確かに、彼の言う通り携帯で連絡する等の方法はあったのだ。

 

 それをしなかったのは単純に忘れていたか、情報漏洩に過敏になり過ぎていたかのどちらかだ。

 

 つまり、菊地原は自分が秘密を打ち明けられる程信頼されていなかった事にショックを受けている、という事だ。

 

 要するに彼の言葉を翻訳すると、「自分にくらい事情を話してくれたって良かったじゃん」という意味である。

 

「いや、すまない。それは俺の落ち度だな。そのあたり、気を配るべきだった」

「まあいいけどね。どうせ、鈍感な七海にそういうのが出来るとは期待してなかったし。でも、ちゃんと埋め合わせはしてよね」

「分かった。俺に出来る事であれば後で付き合うよ」

 

 分かればいいよ分かれば、と菊地原はため息を吐きながら渋々といった感じで納得するが、声色を聞けばなんだかんだで嬉しがっている事は明らかだ。

 

 菊地原は考え方が女性のそれに近く、本心は語らずに相手に自分の意図を察して貰う事を期待する傾向にある。

 

 今回も自分の意思がきちんと七海に伝わった事を理解し、上機嫌になっているワケだ。

 

 ちなみにそんな菊地原の心理状態は風間隊の面々にはお見通しであり、微笑ましい視線を向けている。

 

 普段であればその手の視線には敏感な菊地原だが、今は「どんな埋め合わせをして貰うか」と考えるのに頭が一杯で、その事には気付いていない。

 

 そんなところが、菊地原がなんだかんだで風間隊で可愛がられている理由なのだろう。

 

「そういえば、今日だったか。例の近界民(ネイバー)が入隊する日は」

「ええ、三雲くんもそれに付き添っている筈です。彼のチームになる二人が、今日入隊式ですから」

「三雲か。そういえば、まだちゃんと会った事もなかったな」

 

 風間はふむ、と思案する。

 

 修の事は、簡単な概要だけは聞いている。

 

 先日無断でのトリガー使用という隊務規定違反を冒したが、迅の介入により有耶無耶となる。

 

 更に件の近界民との橋渡し役でもあり、迅も特別に目をかけて七海が指導に携わっている。

 

 本人のトリオン及び戦闘能力が低い事は、聞いている。

 

 だが。

 

 迅や七海といった面々から目をかけられている、という時点で風間にとっては無視出来ない存在でもある。

 

 それに。

 

 迅が、あの風刃を手放してまで肩入れした相手。

 

 気にならない、と言えば嘘になる。

 

「七海、少し付き合え」

「構いませんが、どちらに?」

「決まっている」

 

 風間は時計を見ながら立ち上がり、不敵に微笑んだ。

 

「迅の後輩に興味が沸いた。どういう奴か、直に確かめておきたいんでな」

 

 

 

 

「成る程、彼が件の子ね」

 

 ボーダー本部、訓練室。

 

 入隊後の対戦闘訓練にて0.4秒という驚異的な成績を叩き出した遊真に注目が集まる中、当然のように修の隣を陣取った木虎は腕を組んで頷いた。

 

 木虎はあの学校にイレギュラー門が開いた日、遊真とは顔を合わせてはいない。

 

 もしも木虎があの場で隊務規定違反を冒した修を批判するような事を言っていれば遊真がフォローに向かったかもしれないが、それもなかった為に関わる機会がなかったのだ。

 

 あの時点で木虎は迅の介入によって修側の立場に立っていたし、わざわざ遊真の事を明かす必要性が薄かった、という事もある。

 

 しかし当然ながら、木虎は黒トリガー争奪戦に参戦するにあたってある程度の事情を聞いている。

 

 そして、玉狛支部所属の異様な実力を持つ新人隊員がいる、となればその正体を察する事は容易だ。

 

 近界民ならば、あの強さにもなんら疑問はない。

 

 そう考えて、しかし万が一にも誰かに聞かれても大丈夫なように「近界民」という言葉は避けているあたり、彼女のメディア慣れが伺える。

 

「という事はもしかして、あの時イルガーを引きずり下ろしてくれたのは彼かしら?」

「え、ああ、そう聞いているけど」

「そう。後でお礼を言っておかなきゃいけないわね」

 

 そして、そうと分かればあのバンダー戦で助力してくれた者の正体に行きつくのもまた通りだ。

 

 あの巨体を容易く牽引するだけの出力をどうやって出したのかは気がかりであったが、黒トリガーの使い手となれば納得である。

 

 詳しくはないものの、黒トリガーの出力が文字通り規格外である事くらいは、木虎とて知っているのだから。

 

「よう木虎。久しぶりだな」

「あ、烏丸先輩…………」

 

 そんな時、やって来たのは烏丸だ。

 

 普段通りの無表情を浮かべる彼の登場に、木虎は浮き足立つ。

 

 容姿端麗で誠実な彼に惹かれる女子隊員は多く、木虎もまたその一人だ。

 

 とはいってもアイドルへ憧れる女子学生じみた憧憬であり、恋愛感情かと言われれば疑問は残る。

 

 ともあれ、容姿端麗な男性を見れば騒ぎたくなるのが女子学生というものだ。

 

 木虎はそこらへんかなりミーハーなので、この反応も無理からぬ事と言えるだろう。

 

「うちの修が色々世話になってるみたいだな。一応こいつは俺の弟子なんで、よろしく頼む」

「あ、はい」

 

 修がそんな烏丸の弟子であると聞き、木虎は修を睨みつけ────────────────は、しなかった。

 

 実はその事はつい先日修との会話の中で既にバレており、その時にひと悶着があった後なのだ。

 

 結果としては丸く収まった為、今更木虎に修に対し含むところはない。

 

 若干羨んではいるようだが、それを口に出さないだけの分別はある。

 

 その日の木虎の指導が普段より数割増しで厳しかったというのは、完全な余談ではあるが。

 

「お前が三雲か」

「え…………? あ、はい。そうですが」

 

 木虎を中心に談笑する中、不意に修に声をかけたのは風間だ。

 

 彼はいつの間にか七海と共に近くまでやって来ており、ジロリと修の姿をその瞳に捉えた。

 

 思わぬ人物の登場に木虎や嵐山は目を丸くするが、風間はそんな事は知った事かとばかりに換装し、修の前に立った。

 

「お前の力を見てみたい。付き合え、三雲」

 

 そして。

 

 修を、戦いへと誘った。



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風間蒼也②

 

「風間さん、どういうつもりですか? 三雲くんに模擬戦なんて」

 

 突然の風間の誘いに対し、反応したのはその場の訓練を取り仕切っていた嵐山だ。

 

 嵐山から見ても、風間の申し出は不自然極まりない。

 

 確かに、修は見どころのある隊員だ。

 

 だが、A級三位部隊隊長の風間と戦り合えるかと言われれば明確に否。

 

 まず、まともな勝負にすらならないのが目に見えている。

 

 故に、これを受ければ始まるのは一方的な蹂躙。

 

 嵐山としても、そんな暴挙を許すワケにはいかなかった。

 

 物申すのは、嵐山の性格的にも当然と言える。

 

「こいつは正隊員だろう。俺と戦ったところで何も問題はない────────────────と、言うのはフェアではないか。理由くらい聞かせてやる。だが」

「────────────────分かりました。では」

 

 風間の意図を察し、嵐山の傍に控えていた時枝が残っていたC級隊員を別室に移動させる。

 

 此処から先は、C級隊員に聞かせて良い話ではない。

 

 風間の言葉のニュアンスから、その場にいた誰もがそう感じ取ったのだ。

 

「とは言っても、話は簡単だ。そいつは、迅が風刃(あれ)を手放す程入れ込んでいる────────────────だからこそ、その価値を確かめたい。迅の眼が、本当に節穴でなかったのかどうかをな」

 

 風間はそう言って、ジロリと修を正面から見据えた。

 

 戦闘慣れしていない修にも感じられる、強者の視線。

 

 本当に彼が、迅が期待をかけるだけの価値がある存在なのか。

 

 それを値踏みする、裁定者の眼だ。

 

 それを受けて修は────────────────歯を食い縛って、見返した。

 

 その眼を見て、風間はほぅ、と笑みを浮かべる。

 

 虚勢だ。

 

 見れば分かる。

 

 だが。

 

 修程度の実力で風間の威圧を受けて屈しなかったというだけで、見どころはある。

 

「それに、こいつは七海が指導をしたと聞く。なら、俺にもそれなりに口出しする権利はあるだろう。俺は、七海の師の一人だからな」

 

 少なくとも、門前払いレベルではなさそうだ。

 

 そう感じた風間は、七海を引き合いに出して修に返答を迫った。

 

 予め、七海には許可は貰ってある。

 

 そうでなければ、七海がこうして成り行き見守っている筈がない。

 

 七海は風間の事を尊敬しているしその意思は最大限に尊重するが、決して彼のイエスマンというワケではないのだから。

 

「修…………」

「…………」

 

 傍にいた烏丸や木虎は、成り行きを見守っている。

 

 彼等から見ても、修が風間に挑むなど無謀が過ぎる。

 

 だが。

 

 烏丸は迅からある程度話を聞いていたからこそ、木虎は己が思惑があるからこそ。

 

 横から、口出しをする事はなかった。

 

 分かっているのだ。

 

 この件について、自分たちは部外者。

 

 決定権があるのは、あくまで修である。

 

 故に。

 

 修の師匠二人は、彼に決断を委ねる事に決めていた。

 

 そして、彼は。

 

 修は。

 

「────────受けます。やりましょう、模擬戦」

 

 挑戦を。

 

 受けた。

 

 返答を聞き風間はニヤリと笑みを浮かべる。

 

 そして踵を返し、訓練室へと入って行った。

 

「修、分かっているとは思うが。今のお前じゃ、勝てないぞ」

「分かっています。ですが」

「三雲くん」

 

 激励を送る烏丸とのやり取りの最中、木虎がすっと歩み出た。

 

 その様子を見て烏丸は一歩引き、木虎は修の正面に立つ。

 

「出来る?」

「ああ、一応練習では形になってたし。とは言っても、A級隊員相手に一度や二度でやれるとは思ってない。けど────────」

「そうね。貴方はそれで良いわ。行ってきなさい」

 

 木虎の激励に修は「ありがとう」と言って、訓練室に向かった。

 

 そのやり取りを見ていた烏丸はほぅ、と感心するように目を見開いた。

 

「随分、師匠がサマになってたな。俺より向いてるんじゃないか?」

「あ、す、すいません。烏丸先輩の弟子でもあるのに勝手な真似しちゃって」

「構わないさ。木虎と修は相性が良いようだし、これからも色々教えてやって欲しい。俺は正直、そこまで師匠に向いてるとは言えないからな」

 

 烏丸はそう言うとちらり、と七海の方に目を向けた。

 

「師匠としちゃ、七海の方がずっと向いてるよ。少なくとも、俺じゃあ修を自力でB級に上げる事は出来なかったと思いますし」

「そちらは概ね七海先輩の功績ですよ。私はちょっと、最後の一押しをしただけに過ぎません」

「いや、それでも修がB級になれたのは木虎のお陰である事に変わりはない。俺じゃあ、あんなアドバイスは出来なかったからな」

 

 木虎の謙遜に、七海がそう言って口を出す。

 

 確かに、あのアドバイスは木虎にしか出来なかったものだ。

 

 七海は普段から好戦的な面子とばかり関わっている為、「相手が戦いを拒否する」というケースに対応出来る下地がなかった。

 

 影浦にしろ村上にしろ、戦いを挑めば喜んで受けるような面々ばかりだった為に、「相手が戦いから逃げる」という発想がなかったのだ。

 

 一方、木虎は仮入隊の際に大量のポイントを得た状態でC級になり、尚且つトリオンが少ないというハンデを背負っていた為に、弱者のやり方は身に染みている。

 

 木虎は最初は銃手として戦う事を選んだが、結果から言えばトリオンの少ない彼女に合致したポジションとは言えなかった。

 

 C級時代はそれでもなんとかなったものの、B級に上がるとトリオン切れが理由となる敗北も少なくなかった。

 

 銃手は一度ブレードを形成すれば良い攻撃手と違い、攻撃にもトリオンを注ぎ込む。

 

 そして、木虎の戦い方はどちらかといえば攻撃に寄っている。

 

 故に、銃手トリガーのみを武器とした場合は明確にトリオン量の差が響いて来るのだ。

 

 だからこそ木虎は銃手から近接万能手に転向し、その甲斐もあってA級への道を駆け上がったのだ。

 

 そういった経緯がある為、木虎は弱者の思考が理解出来る。

 

 C級時代にはトリオンの少なさに目を付けられ、射撃トリガー使いにカモと思われて挑まれた事もあった。

 

 だが木虎は類稀なる格闘センスを持っていた為、拙い射撃を潜り抜けて首を落とす事はさして苦ではなかった。

 

 そんな木虎の強さが知れ渡ると一転、誰もが彼女との戦いを避けるようになった。

 

 要は、B級に上がる直前の修と同じ状態に、木虎も過去陥った事があったのだ。

 

 彼女の場合は元々3600という多大なポイントを最初から得ていた状態であった為、誰もが対戦を避けるようになった時点で昇格に必要な残りポイントは訓練で賄える程度であった為に足踏みする事はなかった。

 

 そういった自身の経験があったからこそ、木虎は修の戦い方から自分と同じ状況に陥るのではないかと考慮し策を用意していたワケだ。

 

 加えてトリオンが少ないという共通点がある為、木虎自身の経験を修にフィードバックさせ易いという面もある。

 

 教え方に関しても多少上から目線が気になる事を除けば優秀であり、それも修は別段気にするタイプではないので巧く嚙み合っていると言える。

 

 もしも修に対する初対面の印象が悪く最初に威圧的に振舞っていれば木虎の意地っ張りな性格も相俟って多少関係が拗れていたかもしれないが、幸いそういった事にはならなかった。

 

 仮に迅の手回しがなく七海が修に指導を行うといった事がなければ、そういったケースも充分有り得たであろう。

 

 だが、可能性の話をしたところで現在に影響はない。

 

 大事なのは、今木虎は修の師匠として充分な適性を示しているという一点。

 

 烏丸は、そこをきちんと評価しているワケだ。

 

「ですが、私は色々忙しいので毎回彼の面倒を見れるワケではありませんので。烏丸先輩からも引き続きご指導の程をお願い出来れば助かります」

「それは勿論だ。物覚えは良い方じゃなさそうだが、やる気は充分過ぎる程あるからな。ただ危ういところもあるから、そっちでも気を付けてくれるとありがたい」

「ええ、了解しています」

 

 木虎としても、修の危うさには目を光らせなければならないと思っていたところである。

 

 今回の風間の誘いにしろ、修は自分が必要と思えばたとえ無謀な事であろうと頑として引かない面がある。

 

 まだ親交して間もない木虎であるが、イレギュラー門関係の修の様子を見ただけでも彼が放置出来ないのは充分過ぎる程に理解出来た。

 

 極論を言えば、放っておけば勝手に死にそうなタイプである。

 

 緊急脱出システムがあるのでそういった事態はないと思いたいが、聞けば彼は遠征を目指しているという。

 

 木虎も遠征経験はないので詳しい事は知らないのだが、近界(ネイバーフッド)への遠征などどんな予想外(イレギュラー)が起きるか想像も出来ない。

 

 今の彼が遠征部隊に選ばれるまで駆け上がるのは難しいだろうが、それでも目指している以上何もせず放置という選択肢は有り得ない。

 

 性根を矯正────────────────は、まず不可能。

 

 故に、危機への対処能力を鍛えていく他道はない。

 

「もしかして、だからか? 風間さん相手に惨敗すれば、危機に対する意識もしっかりするようになるって考えたとか?」

「いえ、彼は力不足を味わう機会には事欠かなかったでしょうから今更そんな事をしても意味はないと思います。彼、一回や二回の惨敗で止まるタイプだと思いますか?」

「いや、思わないな」

 

 じゃあ、と烏丸は訝し気な眼で木虎を見据える。

 

「木虎は、なんで修を止めなかったんだ? 意味が無いと思ってるなら、止めても良かったんじゃないか?」

「意味が無いと思っていたら、流石に私も止めていました。彼は時間を無駄に使って良いほど、暇があるワケじゃありませんから」

「じゃあ、木虎はこの戦いにどんな意味があると思っているんだ?」

 

 烏丸の問いに、木虎はそうですね、と呟き笑みを浮かべる。

 

 それは、何処か嬉しそうな。

 

 何かを期待するような、眼だった。

 

「────────────────格上相手に、一矢報いる経験。私は、この戦いで彼がそれを得られると思っています。勿論、一度や二度じゃ無理でしょうけどね」

 

 

 

 

『模擬戦開始』

 

 アナウンスが響き渡り、模擬戦が開始される。

 

 障害物の無い訓練室の中で、修と風間は一定の距離を取って睨みあっている。

 

 修は、左腕にレイガストを。

 

 風間は、両腕にスコーピオンを。

 

 それぞれ構え、戦闘態勢を取っている。

 

(風間先輩はスコーピオンの使い手、つまり攻撃手。でも、最初から両手にスコーピオンを装備してるのはなんでだ?)

 

 今の風間の状態は、両攻撃(フルアタック)のそれ。

 

 スコーピオンは、いつでも身体から生やせる利点を持つブレードトリガーだ。

 

 接近しないうちから両腕に装備すればシールドを張る事も出来ず、良い的でしかない。

 

 ()()()()()()

 

 修は、風間の行動が単なる格下相手の慢心故のものとは考えてはいなかった。

 

 こよみよがしに両攻撃(フルアタック)の状態を見せつけているからには、何か理由がある。

 

 それは。

 

(迂闊に踏み込んだ所を、カウンター狙いってところか)

 

 修はB級ランク戦はログを含めて目にしているが、A級についての情報は殆どない。

 

 A級に上がる為に倒すべき相手はB級隊員であり、A級よりもそちらを優先して情報収集していた為だ。

 

 故に、風間の得意とする戦術やトリガー構成なども分からない。

 

 先程の場で木虎に聞くという方法もあったが、今となっては詮の無い話だ。

 

 幸い、風間は明確な対戦数は指定して来なかった。

 

 一度で駄目なら、その経験を活かして次に繋げる。

 

 そう考えて────────。

 

「────────気を抜いたな」

「え…………?」

 

 すぅ、と、風間の姿が空気に溶けるように消え去った。

 

 そして。

 

「ぐ…………っ!?」

 

 突如目の前に現れた風間のスコーピオンが、修の首を掻き切った。

 

『トリオン供給機関破壊。三雲ダウン』

 

 機械音声が、修の敗北を告げる。

 

 訓練室である為緊急脱出(ベイルアウト)処理は行われず、破損したトリオン体は瞬時に再構築される。

 

 だが。

 

(いきなり目の前に現れて、反応出来なかった。今のは────────────────カメレオンか)

 

 今の現象は、B級ランク戦で既に目にしている。

 

 隠密(ステルス)トリガー、カメレオン。

 

 風間は、それの使い手だったワケだ。

 

「確かに一度負かした程度で終わりと言った覚えはないが、最初から()()()()()と考えて挑むようなら此処までだ。負けた結果それを糧にする事と、負ける前提で戦う事は違うぞ」

 

 修の脳裏に今、「負けてもいいから」と考えが一瞬過った事は事実。

 

 最初から一度で勝てるとは思っておらず、実力差を考えれば当然の思考。

 

 だが、風間はそれを目敏く察知し、その気の緩みを突いたのだ。

 

 値踏みするような眼の奥に、僅かな失望の光が見える。

 

 お前は、この程度の男か。

 

 風間はそう、問うているのだ。

 

「すみませんでした。もう一度、お願いします」

「────────良いだろう」

 

 修の返答に満足し、風間は再び刃を構えた。

 

 もし、修が何か言い訳を一言でも口にしていれば風間はその時点で踵を返して去っただろう。

 

 だが、修は自分の非を認め素直に謝罪した。

 

 組織に置いて真に害悪なのは、自分の非を認められない人間である。

 

 過失(ミス)は、誰にでもある。

 

 重要なのはそこから学ぶか、学ばないかだ。

 

 修は自身の非を認め、前を向いた。

 

 風間はそこを評価し、模擬戦を継続する事にしたワケだ。

 

『トリオン供給機関破壊。三雲ダウン』

「く…………!」

 

 もっとも。

 

 覚悟一つで乗り越えられる程。

 

 A級の壁は、容易くはない。

 

 こうして。

 

 長い模擬戦が、開始された。



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風間蒼也③

 

「ボッコボコじゃねーか。風間の奴も大人気ねーな」

 

 諏訪はモニターの前で映像を見ながら、溜め息を吐いた。

 

 映し出される映像では、修が風間に一方的にやられている。

 

 勝敗のカウントを告げる「三雲ダウン」という堤の声も、既に何度も聞いていた。

 

 彼等はこの場の監督を任されており、本来であれば訓練生の経過を見るのが仕事だった。

 

 しかし中途で風間がやって来て時枝が訓練生を外に出してしまった為、成り行きで模擬戦の監督を行う事になったワケである。

 

 諏訪としては、腐れ縁である風間が無名のB級隊員に絡むという珍しい光景に興味を抱き引き受けたのだが、結果はただの蹂躙。

 

 風間と戦っているB級隊員────────────────三雲修はお世辞にも強いとは言えず、それどころか何故B級に上がれたのか不思議なくらい弱かった。

 

 まず、トリオンが少ない。

 

 どうやら彼は射手のようだが、彼が形成するトリオンキューブはあまりにも小さい。

 

 二宮のそれと比べれば、豆粒と言っても過言ではないほどだ。

 

 動きも素人臭く、風間の攻撃にまるで対応出来ていない。

 

 風間がボーダーの中でも一二を争う強者である事を鑑みても、あまりにも一方的に過ぎた。

 

 こりゃどっかで止めた方が良いか? と、諏訪は思案をし始めていた。

 

(なんで風間のヤローがこんな真似してんのかは分かんねーが、流石にそろそろ止めるべきだろ。てか、なんであいつらは止める素振りも見せねーんだ?)

 

 風間の視線が、別の方向を向く。

 

 そこには試合を観戦する七海や木虎、烏丸といった面々の姿があり、彼等は修がやられる姿を見ながらも静観を続けている。

 

 どうやら風間が戦っているB級隊員は彼等の関係者のようなので、ただのいじめにしかなっていない模擬戦など止めるべき、というのが普通の感覚だ。

 

 少なくとも、諏訪はそういった普通の感覚の持ち主であった。

 

 ボーダー隊員として命懸けで戦う事に否はないが、それはそれとして益のない無謀な真似を続けさせるべきではない。

 

 だが。

 

(いや待て、あのB級のエンブレムって玉狛支部のだよな。烏丸が来てる事といい、あの玉狛支部に新人が入ったってのか?)

 

 玉狛支部。

 

 その支部の事は、友人のレイジを通じた繋がりでそれなりに知っている。

 

 新近界民(ネイバー)を掲げるというよく分からない支部ではあるが、一つ確かな事がある。

 

 それは。

 

 彼等が、ボーダー最強と呼ばれる部隊を擁している事だ。

 

 玉狛第一。

 

 木崎隊とも呼称される、玉狛支部の最精鋭部隊。

 

 本部とは規格の違うトリガーを使う為ランク戦には一切関わっていないが、その戦力は突出している。

 

 常人の倍のトリガースロットを持つ特注トリガーを持ち、大局的な物の見方が出来る隊長のレイジ。

 

 突出した攻撃力を持ち、被弾する事が殆どないという危機回避能力も併せ持つ戦闘巧者の小南。

 

 冷静な視点を持ち、ガイストという奥の手を持つ烏丸。

 

 そして正確には彼等の部隊としてはカウントされていないが、元S級隊員の迅。

 

 実力は折り紙付きの、錚々たるメンバーが揃う支部。

 

 それが、玉狛支部だ。

 

 そして。

 

 そんな支部に、新たな隊員が入ったという噂がある。

 

 先程入った情報によれば訓練中に基地の壁が吹き飛ばされるという事故があり、それをやったのは玉狛支部所属の新人だという。

 

 また、思い返せば先程の戦闘訓練で驚異的な成績を叩き出した白髪の小柄な隊員も玉狛のエンブレムを付けていた。

 

 明らかに普通ではない隊員二人の仲間と目される、B級隊員。

 

 何より、あの風間がわざわざ絡む相手。

 

 何かある、と考えた方が自然だ。

 

(そういう事なら、わざわざ干渉すっことはねーな。止めるなら止めるで、あいつ等が動くだろ)

 

 この事態に裏があると見てとった諏訪は、介入を取りやめる決断を下した。

 

 傍目からはただの蹂躙に見えても、当人たちにしか分からない事情があるのならば仕方がない。

 

 あのB級隊員に肩入れする理由はないし、事情を知る者同士で納得しているのであればあれこれ言うのは野暮というものだ。

 

 それに、個人的に風間が目にかけている相手である、というのもそう決めた理由の一つではある。

 

(けど、本当にあいつにそこまでの価値があるってーのか? 俺の眼にゃあ、ただの戦闘慣れしてない素人にしか見えないんだがな)

 

 

 

 

「まあ、こうなるでしょうね」

 

 七海は試合の様相を見て、眼を細めた。

 

 映像の中では、あてずっぽうに弾をばらまいた修の首を風間が落としているところだった。

 

 どうやらカメレオン相手には射撃トリガーが有効、という事にはすぐに気付いたようだが、修の動体視力では風間の機動力相手に弾をばらまいても早々に当たるワケもない。

 

 結果としてカメレオンを解かずに弾を搔い潜った風間により、首を落とされたのだ。

 

 考えてみれば、当然の話だ。

 

 確かに、修はC級隊員相手ではほぼ負けなしでB級へ上がった。

 

 しかしそれは、彼の地力が上がった事を意味しない。

 

 C級隊員は技術がお粗末な上に考えも甘かった為、要は嵌め殺しが効いたので勝てただけだ。

 

 修のトリオンの低さも、格闘能力の未熟さも、何一つ解決してはいない。

 

 無論、成長はしている。

 

 だがそれは、A級の中でもトップクラスの実力者である風間とまともに戦り合える事を意味しない。

 

 実力差が、あり過ぎるのだ。

 

 たとえば、B級下位の相手であれば修もそこそこ奮闘はするだろう。

 

 B級下位はC級に毛が生えた程度の者達しかいないので、今の修でもやりようによっては勝負になる。

 

 だが。

 

 B級中位以上、つまり自身の戦術を確立し、きちんと鍛錬を積んだ隊員相手にまともに当たれば修はまず確実に負ける。

 

 少なくとも、単騎でまともに戦える、というレベルにはない。

 

 彼等はC級ほど技術が拙くもなければ、下手な慢心もない。

 

 修が付け入る事の出来る、()()()()()()は存在しないのだ。

 

 故に。

 

 その彼等すら上回る、A級隊員に勝てないのは当然といえば当然だ。

 

 目の前の光景は、ある意味わかり切っていた事なのだ。

 

「木虎、お前はこれでも修に一矢報いる芽があるって言うのか?」

「はい。私の意見は変わりません。この程度は、想定内です。最初から、数回程度でどうにかなるとは思っていません」

 

 烏丸の言葉に、木虎は動揺すらせずにそう答える。

 

 彼女の視線は、先程からずっと画面の中の修の姿に固定されている。

 

 その様子に彼女の修への入れ込み具合を察しつつ、烏丸はふむ、と思案した。

 

 どうやら、木虎には何かしらの考えが────────────────つまり、勝算があるらしかった。

 

 もしかすると、先程二人で話していた時に通信で何かしらのアドバイスをしたのかもしれない。

 

 試合前の意味深な会話も、そう考えれば辻褄が合う。

 

 どういう作戦か聞こうか、とも思ったが、烏丸は木虎の眼の輝きを見てそれを止めた。

 

 木虎は、玩具に眼を輝かせる子供のような眼で試合を見ている。

 

 どうやら、修が作戦を成功させるのを心待ちにしているらしい事は充分見て取れた。

 

 ならば、此処でネタバラシを強要せずとも良いだろう。

 

 隣にいる遊真も何も言っては来ないし、此処は見守るべきだろう。

 

 烏丸はそう考えて、黙って観戦を続ける事にした。

 

(さて、お前は何を見せてくれるんだ? 期待していいんだよな、修)

 

 

 

 

(カメレオンを発動中は他のトリガーを一切使用出来ない。けど、風間さんのトリガー切り替えスピードが速過ぎて反応する前にやられてしまう。戦闘経験が、違い過ぎるんだ)

 

 修は、A級と直に戦う事でその戦闘経験の違いをまざまざと感じ取っていた。

 

 理屈の上では、カメレオンの対処方法など幾らでもある。

 

 カメレオンの発動中は、他のトリガーを一切使用出来ない。

 

 故に、弾をばらまけば相手は防御の為にカメレオンを解除せざるを得ず、そこに隙が生まれる。

 

 ()()()()()()()()()

 

 風間は、あろう事は修の放ったアステロイドの中をカメレオンを解除せずに掻い潜って来た。

 

 シールドを張れず、一発でも当たれば修の弾とはいえ痛打になるというのに、風間は透明化を維持したまま駆け抜けた。

 

 単純な、技術の暴威。

 

 最高峰の技術によって生み出される、理不尽。

 

 修は、それを体感していた。

 

 此処が障害物の多いMAPであったなら、と思わなくもなかったが、恐らくその場合は建物を利用した三次元機動が解禁される。

 

 今のままでも修には風間の動きにまるで対応出来ていないというのに、上下左右を縦横無尽に駆け回られてはまともに対処出来る気がしない。

 

 どの道、厳しい戦いである事に変わりはない。

 

 それに。

 

 実戦では、自ら戦場を選べる事の方が稀なのだ。

 

 相性の悪い地形だからといって、弱音を吐く事は許されない。

 

 近界民(ネイバー)は、そんな言い訳など聞いてはくれないのだから。

 

(でも、本当に遠慮なしにカメレオンを使って来るな。カメレオンは使用中徐々にトリオンが消費されるらしいから、そこまで多用は出来ない筈なんだけど────────────────いや、待て)

 

 修は、気付いた。

 

 先程から、風間はカメレオンを試合中殆ど発動させっぱなしにしている。

 

 それこそ、姿を見せるのは修を仕留める時のみ。

 

 数回前の試合では、レイガストのスラスターを利用した逃げの一手を打った修をカメレオンを維持したまま追撃してみせた。

 

 幾らなんでも、カメレオンを濫用し過ぎなのは明らかだ。

 

 カメレオンは必要最低限に用いて、トリオンの消費を抑える。

 

 それがセオリーであり、風間ほどの実力者がそれを知らないとは思えない。

 

 ならば。

 

 そこには、必ず理由がある。

 

(そうだ。なんで忘れてたんだ。この訓練室は────────────────トリオンが、無制限に使える)

 

 そこで、修は思い出した。

 

 この訓練室は、トリオンの使用制限がない。

 

 通常のランク戦では、本人のトリオン量を含めて完全に実際のものが再現される。

 

 仮想空間では自身の持つトリオン量を超えるトリオンは行使出来ないし、無理に濫用すればトリオン切れで終わりだ。

 

 だが。

 

 この訓練室には、そういった制限はない。

 

 訓練室は文字通り訓練の場であり、本来勝敗を決めるべき所ではない。

 

 故に、仕様も違う。

 

 致命傷を受けても緊急脱出に相当する処理は行わず、すぐに元通りの状態に戻る。

 

 加えて。

 

 此処では、トリオンが無制限に使用出来るのだ。

 

 だからこそ、風間は遠慮なくカメレオンを常時発動に近い状態で使っているのだ。

 

 幾ら使用したところで、トリオン切れが起こらないのだから。

 

(なら、出来る事はある。ぶっつけ本番だけど、やるしかない)

 

 修は、一つの作戦を立てた。

 

 上手くいくかどうかは、分からない。

 

 だが。

 

 このままでは、勝ちの芽の欠片すら見えない。

 

 なら、やるだけだ。

 

(勝ち目が薄いからって、止めるワケにはいかないんだ。ぼくには、その責任がある。絶対に、諦めてなんてやるもんか)

 

 

 

 

(良い眼をしている。どうやら、まだまだ諦めたワケじゃなさそうだな)

 

 風間はそんな修の視線を真っ向から受け、内心で笑みを浮かべていた。

 

 正直に言ってしまえば、修の実力は「期待外れ」の一言に尽きる。

 

 トリオンが少ないのはまあ仕方ないにしても、動きが素人そのものだった。

 

 ある程度鍛錬を積んだ形跡は見て取れるが、それでもまともにランク戦をやれるレベルかと言われれば疑問が残る。

 

 勿論、強さが全てだとは風間は考えていない。

 

 ボーダーには直接戦えずとも、様々な方法で隊員達を支援する者が大勢いる。

 

 それはオペレーターであったりエンジニアであったりと、どちらも自分たちが戦う為にはなくてはならない役職だ。

 

 そういった()()を認められない程、風間は狭量ではない。

 

 また、本人がそこまで強くはなくとも人望に優れる柿崎や来馬といった例もある。

 

 修もこのタイプなのか、と思いはしたがそれだけで納得出来る程風間は素直ではなかった。

 

────────いや、良い機会だったよ。そろそろ、けじめはつけるべきだったしね────────

 

 先日の、迅の言葉が蘇る。

 

 今回の黒トリガー争奪戦で、迅は風刃を手放した。

 

 彼はああ言ってはいたが、風刃を────────────────師匠の形見を手放すというのは、迅にとって一大決心だった筈だ。

 

 つまり、今回の件にはそれだけの価値があったという事になる。

 

 そんな迅が、肝入りで入隊させたB級隊員。

 

 その価値を図る為、風間はこうして戦いの場を用意した。

 

 まだ、修に光るものは見付けられていない。

 

 カメレオンの性質はどうやら知っていたようですぐに射撃トリガーを使って来たのは及第点ではあるが、同時にそれは誰にでもやれる程度の事でしかない。

 

 まだ、見込みがあるとまでは言えない。

 

 だが。

 

 今の修の眼には、風間を期待させるだけの何かがあった。

 

(面白い。やれるのならやってみろ、三雲)

 

 内心で、ニヤリと笑みを浮かべ。

 

 風間は、修の挑戦を受けて立った。



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風間蒼也④

「あいつ、まだ諦めてない。どうせ無駄なのに」

 

 菊地原は風間と修の試合を観戦しながら、溜め息を吐いた。

 

 彼の眼から見ても、二人の実力差は歴然だ。

 

 そもそも、ボーダー内でも風間とまともに戦える相手は数えるほどしかいない。

 

 元々、あんな素人丸出しの相手が戦ってそもそも勝負になる筈がないのだ。

 

 なのに、あのB級隊員はまだ戦いを継続している。

 

 それが、菊地原には単に時間の無駄遣いにしか思えなかった。

 

 負けて得るもの、というものは確かにある。

 

 それはその戦闘での失点、改善点を理解したり、相手の動きから新たな戦術を考案したりといったものだ。

 

 だが、実力が違い過ぎればそれ以前の問題だ。

 

 学ぶ時間さえなく、ただただ蹂躙されて終わる。

 

 下手をすればそのまま心を折られるだけの、得るもののない戦い。

 

 それが、圧倒的な格上との戦闘である。

 

 無論、センスの優れた者であれば圧倒的強者との戦いを通じて何かを得る事もあるだろう。

 

 だが、あの三雲修という少年はどう見てもそんな才能があるようには見えない。

 

 突出したものがないどころか、明らかに他の面々と比べても劣る力しかない弱者。

 

 菊地原の眼には、修はそうとしか映らなかった。

 

(ワケわかんない。この状態で、()()()()()なんて)

 

 されど、彼の()にはまた別の情報が入ってきていた。

 

 強化聴覚。

 

 その副作用(サイドエフェクト)を持つ菊地原は、他者の心音を聴く事である程度ではあるがその心理状態を推察出来る。

 

 修の心音は、先程から動悸を繰り返している。

 

 これは、戦いを諦めた者の心音(おと)ではない。

 

 何かをやろうとしている、勝算のある者のそれだ。

 

 彼にも、分かっている筈だ。

 

 覆しようのない、実力差というものが。

 

 だというのに、彼はまだ諦めてはいない。

 

 それどころか、何かしら勝算があるようでもある。

 

 菊地原には、それが理解出来なかった。

 

「迅さんに目をかけられたかなんだか知らないけど、生意気。七海も風間さんも、あんな奴特別扱いする事なんてないのに」

「なんだ、七海があいつを指導したって聞いて嫉妬してるのか?」

「変な事言わないでよね。ぼくはただ、あいつが分不相応な扱いを受けてるのが理解出来ないだけだよ」

「そうか」

 

 むすっとしながらそっぽを向く菊地原の反論に、歌川は生暖かい視線を向ける。

 

 菊地原は口を開けば悪態ばかりの色々面倒な少年ではあるが、一度身内と認めた人間に関してはとても大切にする友達想いの面がある。

 

 加えて、親しい人間が知らない相手と仲良くしていると嫉妬する傾向にあるのだ。

 

 今の悪態も単に、慕っている風間や七海がぽっと出の第三者に何かと構っている現状が気に入らないのだろう。

 

 その証拠に、先程からちらちらと風間や七海に恨めし気な視線を向けている。

 

 もしこの場に影浦がいたなら、こう言った事だろう。

 

 「めんどくせー感情向けてんじゃねぇ」と。

 

 それくらい、菊地原の視線はある意味で分かり易かったのである。

 

(でも、本当にどうするつもりだろ? あいつの考えてる()()って────────────────そういう事)

 

 

 

 

「ほぅ」

 

 風間は、目の前の光景に薄く笑みを浮かべた。

 

 視界一杯に広がる、無数の弾丸。

 

 普段の修であれば、まず間違いなくトリオン切れに陥るであろう大量の弾丸が、訓練室中に()()していた。

 

 置き弾、というワケではない。

 

 これは、弾速を調整して超スローにした()()()()()()()の群れだ。

 

 射手は、弾を形成する時に威力・弾速。射程をチューニング出来る。

 

 修はそれを利用して、弾速を最低値まで落として発射したのだ。

 

 普通に放ったのでは、先程のように風間に回避されて終わる、という理由もある。

 

 加えて、修は一度にこれ程の数の弾丸を制御出来る程腕が習熟してはいない。

 

 否。

 

 そもそも、修のトリオン量ではこんな量の弾丸を一度に放つ事自体が不可能だ。

 

 故に、下手に普段通りの速度で撃てば見当違いの方向に向かい弾同士が相殺してしまう危険性すら有り得る。

 

 だからこそ、弾速をほぼゼロにする事で弾丸を()()()()()()()()()()()()()()()として展開したのである。

 

(成る程、確かにこの密度の弾丸を全て避ける事は出来ない。カメレオンは、使えないな)

 

 これが、修のカメレオンに対する一つの解答。

 

 避ける隙間がないほどの、弾丸の形成。

 

 二宮レベルのトリオン量がなければ実現不可能であるそれを、修はこの訓練室という環境を利用する事で実行した。

 

 だが。

 

「…………!」

 

 風間は、迷う事なくスコーピオンを展開し目の前の弾丸を両断。

 

 それを繰り返しながら、猛スピードで修に向かって来た。

 

 そう、この浮遊する弾丸は確かにカメレオンではどうしようもない。

 

 避ける隙間すらないのでは、カメレオンを使うワケにはいかないからだ。

 

 されど。

 

 それならそれで、正面突破するだけの話だ。

 

 トリオンの弾丸は、カバーが破損すればその時点で空気と触れて炸裂。

 

 即ち、消滅する。

 

 なら、ブレードでそれを叩き斬れば道を作る事は容易い。

 

 風間は的確に自分の動きを阻害する軌道にある弾丸のみを斬り裂き、迷う事なく修へ駆けていく。

 

 カメレオンは確かに風間の十八番である強力な武器ではあるが、別にそれがなくては戦えない、という事はない。

 

 小柄な身体を活かした圧倒的な機動力に加え、相手の動きを読む洞察力。

 

 いつ如何なる時も冷静さを保つ鋼の精神に、機を逃さない胆力。

 

 それら全てが風間の持ち得る武器であり、高い地力があるからこそ成し得る安定した戦力。

 

 カメレオンを攻略しなければ勝負にもならないが、かといってカメレオンを攻略しただけで勝てる相手でもない。

 

 それが、風間蒼也。

 

 A級三位部隊隊長に相応しい実力を備えた、傑物である。

 

「────────!」

 

 迫りくる風間に対し、修は後ろ手でトリオンキューブを形成する。

 

 訓練室を埋め尽くす散弾は既に発射された後のものである為、新たにアステロイドを使う事が可能だ。

 

 修は分割を行わず、キューブそのままの状態の弾丸を手元に展開する。

 

 それを見た時点で、ギャラリーの面々は彼の狙いが読めた。

 

 恐らく、風間が突っ込んで来た時に大玉で迎撃するのが狙いなのだろう。

 

 だが。

 

(身体で弾丸は隠しているが、視線で狙いがバレバレだ)

 

 その狙いは、風間には既に看破されていた。

 

 確かに、修が後ろ手で形成した弾丸は風間には見えていない。

 

 しかし、眼の動きというものは口ほどにものを言う。

 

 修が先ほどから、風間の顔のあたりを見ている事は分かっている。

 

 顔、つまりトリオン供給脳。

 

 急所であるそこを見ているという事は、カウンターで弾丸をそこに叩き込む魂胆としか思えない。

 

 もしもレイガストでの反撃を狙っているのであれば狙い難い胸ではなく足や首を狙う筈なので、アステロイドを用意している事はまず間違いがない。

 

 このあたりをすぐに看破されるあたりは、流石に経験の差だ。

 

 鍛錬で急激に強くなる事はないが、鍛錬に費やした時間は嘘をつかない。

 

 修と風間では、そもそも戦いの年季が違うのだ。

 

 この程度の差は、当然あって然るべきなのだ。

 

「…………!」

 

 だから。

 

 次に取った修の行動に、風間は目を見開いた。

 

 修は、アステロイドでの迎撃ではなく。

 

 スラスターを用いた、()()を選んだ。

 

 まさか近接の不得意な修が自分から突っ込んでくるとは思いもしていなかった風間は、正面からレイガストの突進を食らい壁まで弾き飛ばされた。

 

 当然風間は反撃の刃を振るうが、すかさず修はレイガストをシールドモードに換装。

 

 丸く広げたシールドにより、風間をその場に閉じ込めた。

 

「…………!」

 

 更に、風間の頭部付近のシールドに穴を空け、修はその穴からアステロイドを叩き込んだ。

 

 これが、修の狙い。

 

 レイガストの突進で意表を突き、シールドでその場に拘束。

 

 逃げ場のない状態で、弾丸を叩き込む。

 

 修が考え付いた、必殺の作戦。

 

「────────!」

「残念だったな」

 

 だがそれは。

 

 風間が展開した集中シールドによって、防がれた。

 

 アステロイドは、確かに貫通力のある弾丸である。

 

 幾ら修の低トリオンとはいえ、何度も撃ち込めば広げたシールドを割る程度の威力はある。

 

 されど今回、修は弾丸を弾速重視にチューニングしていた。

 

 それは、こちらの狙いを看破される前に攻撃を叩き込む為であったが、同時にそれは弾丸の威力低下も招いていた。

 

 加えて、修は今回小さな穴をシールドに空ける事で弾丸を通す為の道を作った。

 

 つまり、風間は何処から弾丸が来るかが分かっていたワケだ。

 

 ならば、そこに集中シールドを展開すれば弾丸は防げる。

 

 風間が一瞬でも迷えば間に合わなかっただろうが、彼が戦場での判断に時間をかける筈もない。

 

 仮に意地を張ってカウンターを狙おうとすれば相打ちまでは持ち込めたかもしれないが、風間は危険を冒さなかった。

 

 迅だけならまだしも、自身の弟子である七海の指導を受けたのであれば容赦はしない。

 

 採点基準は、本人の知らぬ間に厳しくなっていたワケである。

 

 結果は一つ。

 

 修の策は、風間の機転により敗れ去った。

 

「ぐ…………っ!?」

 

 無論、その隙を逃す風間ではない。

 

 もぐら爪(モールクロー)を展開し、風間は修の左腕を────────────────レイガストを持つ腕を、地面から伸びた刃で斬り落とす。

 

 同時に、風間を閉じ込めていたシールドは解除。

 

 修は、風間の至近距離で無防備を晒す事となる。

 

(終わりだ)

 

 風間は修にトドメを刺すべく、右腕を振るう。

 

 修の反応速度であれば、今からシールドを張って間に合うとは思えない。

 

 かといって、風間の攻撃を回避出来るだけの動体視力は修にはない。

 

 これで、詰み。

 

 その場の誰もが────────────────否。

 

 試合を見ていた木虎と、戦っている修本人だけが。

 

 違う結果を、見ていた。

 

「な…………っ!?」

 

 風間の腕が、止まる。

 

 修の首を刈り取ろうと振るった右腕は、何もない空中で動きを止めていた。

 

 その光景を見て、風間は気付く。

 

 自身の腕が、何かに引っかかっている。

 

 それは、細い糸であった。

 

 一目では見え難い、障害物。

 

 獲物を絡め取る、蜘蛛の糸。

 

 ワイヤートリガー、スパイダー。

 

 それが、この場に展開された糸の正体。

 

(壁に押し付けたのは、この為か…………っ!)

 

 風間は気付く。

 

 最初から、修は先ほどの一撃で勝負が決するとは思っていなかった。

 

 彼の本当の狙いは、ワイヤーを張れる場所へと風間を押し込む事。

 

 この訓練室は障害物がなく、スパイダーを張る為の()()がない。

 

 だが、此処なら────────────────部屋の隅であれば、話は別だ。

 

 壁と床の間に、ワイヤーを通せばそれで済む。

 

 修は、ずっとこれを狙っていたのだ。

 

 幾度も落とされながらも風間の動きを見て、この一瞬に繋げる為に。

 

 虎視眈々と狙い続けていた、唯一の勝機。

 

 修は、今それを手にしようとしていた。

 

「────────!」

 

 トリオンキューブを展開した修は、それを分割し即座に発射。

 

 隙を見せた風間へ、弾丸を叩き込む。

 

「甘いぞ」

 

 だが、風間はそれにも対応してみせた。

 

 風間は再び、集中シールドを展開。

 

 修の反撃を、完璧に凌いで見せた。

 

 今度こそ、詰み。

 

 先程のような好機は、もう来ない。

 

 誰もが、そう思った。

 

「…………!?」

 

 修、本人以外は。

 

 風間の眼前に、斬られた腕が飛んできた。

 

 それは紛れもなく、攻防の最中風間が斬り落とした修の左腕だ。

 

 修はあろう事か自分の切断された腕を、風間に向かって蹴り上げたのだ。

 

 一瞬、風間の視界が塞がれる。

 

 ほんの僅かな、刹那の間。

 

「────────!!」

 

 その、間に。

 

 致命の一撃が、風間の胸に叩き込まれた。

 

 修の足元から放たれた、弾丸によって。

 

 置き弾。

 

 それは修が七海から学んだ技術であり、彼のB級昇格を支えたもの。

 

 今の彼が在る原点とも言うべき技術が、勝敗を決した。

 

 その師の指導を、十全に活かす形で。

 

「俺の、負けだな」

『トリオン供給機関破損。風間ダウン』

 

 アナウンスが、修の勝利を告げる。

 

 結果は、1勝24敗。

 

 全体としては、惨敗。

 

 だが。

 

 意味ある一勝をものにしたという時点で。

 

 修にも、そして風間にとっても。

 

 有意義な、模擬戦だったと言えよう。

 

 風間は満足気な笑みを浮かべ、修はほっと溜息を吐いた。

 

 試合を見ていた烏丸や菊地原といった面々は目を見開き、木虎は得意気に胸を張る。

 

 ただのB級隊員が、あの風間隊長を倒した。

 

 快挙、大金星にも程がある結果。

 

 修は、勝利を手に入れた。

 

 20回以上負けた末の結果であっても、勝ちは勝ち。

 

 その意味は、重い。

 

 それを修本人が自覚するのは、もう少し後の話である。



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木虎藍⑤

 

「スパイダーを教えて欲しい?」

 

 それは、修が木虎に師事して数日後の事。

 

 嵐山隊の所有する訓練室にて、彼女の指導を受けていた時の事だった。

 

 木虎の指導は、主に実戦での動き方についてである。

 

 基礎的な訓練は烏丸の方で担っている為、木虎は修に実戦における判断力────────────────機転の()()()()について、レクチャーしていた。

 

 時には木虎が修と同じトリガーセットを用いて彼と戦い、どうすれば持っている手札を巧く扱えるかを実地を交えて指導していたのだ。

 

 A級隊員としての経験は伊達ではなく、木虎の戦場における判断力はかなりのレベルにある。

 

 それを直に教えられているのだから、修にとってこれほどありがたい事はない。

 

 修に圧倒的に足りていないもの────────────────即ち、戦闘経験を疑似的に体感しながら、木虎の鋭い意見で都度考えを修正していくのだ。

 

 木虎の頼りにされたいという欲求と修の目的の為なら幾らでも頭を下げるし何を言われようが前を向く事を止めないという性質が合致し、巧く嵌まった結果と言える。

 

 今日もまた、そんな木虎の指導を受けていた修だが。

 

 修は木虎との訓練メニューを一通りこなした後、こう言ったのだ。

 

 「スパイダーの詳しい使い方を教えて欲しい」と。

 

 それを聞いた木虎は、少々訝し気な顔をしながらも修にその真意を尋ねた。

 

 彼が、意味のない事を言う事はないだろうと考えて。

 

「ああ、前々からスパイダーに関してはどうにか使えないかと考えていたんだ。ランク戦で使われたのは見ていたけど、木虎は自分でスパイダーを使ってるだろ? だから、教えて貰うなら木虎が良いと思ったんだ」

「ふぅん。ちなみに、なんでスパイダーに興味を持ったの?」

「あれなら、ぼくでもチームに貢献出来ると思ったからだ」

「へえ」

 

 修の返答に、木虎は何処か嬉しそうに口元を釣り上げた。

 

 これで見当外れな事を言うようならこの話は此処までにするつもりであったが、これなら話を聞いてやっても良さそうだと木虎は判断した。

 

 確かに、スパイダーであれば修にとって有用な()()と成り得るのだから。

 

「ぼくは、弱い。トリオンは低いし、お世辞にも戦闘能力が高いとはとても言えない。個人戦なら、B級相手に勝つ事は難しいだろう」

 

 でも、と修は顔を上げた。

 

「チーム戦なら、何もぼくが得点を取る必要はないんだ。チームをサポートして、チームメイトに点を()()()()()良い。チームのポイントゲッターが空閑一人になっちゃうけど、持てる手札を最大限に使うならこれがベストだと思う」

「空閑くんだけ…………? 確か、雨取さんって子もチームにいるんでしょ? 狙撃手がいるなら、ポイントゲッターが空閑くんだけって事はないでしょう?」

「いや、駄目なんだ。千佳は、人が撃てない。ポイントゲッターには、なれないんだ」

 

 修は、木虎に自分の部隊の最大の弱点である事実を打ち明けた。

 

 此処が嵐山隊の訓練室であり、この場にいるのが彼女だけという事もある。

 

 話しても彼女なら口外はしないだろうという程度には、修は木虎を信頼していた。

 

 まだ付き合いは短いが、彼女が負けず嫌いで少々棘が多くとも、誠実な人間である事はよく知っている。

 

 それに、A級のしかも広報部隊として多忙な嵐山隊のエースである彼女を自分の事情で時間を取って貰っているのだ。

 

 こちらの事情を明かさなければ、フェアでは無いだろうとの考えが修にはあった。

 

「成る程、鳩原さんと同じか。無いものねだりをしても仕方がないし、だからこそスパイダーってワケね」

 

 木虎は千佳が人を撃てない事に文句を言うのではなく、それなら修の考えも分かると評価した。

 

 人を撃てない理由については分からないし敢えて聞く気もないが、それについてはチームメイトが付き合うべき問題だ。

 

 指導を請け負ったとはいえ、踏み込むべきかそうでないかのラインはきちんと見極めている。

 

 木虎はそのあたり、とてもシビアな価値観を持っているのだ。

 

 親身にもなるし、相談を受ければ必要なら応じる。

 

 だが、相手が望まないお節介まで焼く気はない。

 

 時に優しさは、人を腐らせる毒にしかならないという事を。

 

 彼女は、知っているのだから。

 

「ああ、ぼくがスパイダーで空閑をサポートして、千佳が砲撃で地形を変える。これが安定して出来るようになれば、大分違うと思うんだ」

「ふぅん。どうやら、スパイダーの使()()()については理解しているみたいね」

 

 木虎は感心するように、笑みを浮かべる。

 

 それを受けて、修はこくりと頷いた。

 

「スパイダーは、ぼくが非力でも関係が無いからね。罠を張る事に専念して、後は作り上げた有利な地形で空閑を暴れさせれば良い。それに」

「────────スパイダーは、仮に三雲くんが落ちても戦場に残り続ける。この点も、無視は出来ないわ」

 

 木虎は修の答えに満足し、そう補足した。

 

 彼女の言う通り、スパイダーは一度展開すれば物理的に排除されるまで戦場に残り続ける。

 

 罠を張る過程で仮に修が落とされたとしても、彼が築き上げたワイヤー地帯は消えはしない。

 

 その点も、トリオンが低く落とされ易い修にとってうってつけと言えた。

 

「木虎…………」

「いいわ、スパイダーの使い方。一から、叩き込んであげる。私の体験も交えて、色んな使い方を教えてあげるわ」

 

 木虎はそう告げ、にこりと笑った。

 

「巧く嵌まれば、格上だって殺せるようになるわ。非力でも勝者になり得るんだって事、証明してやろうじゃない」

 

 

 

 

(勝てた。木虎のお陰だな)

 

 修は今でも信じられない面持ちで勝利の結果を受け入れながら、内心で木虎に感謝した。

 

 今の勝利は、彼女の指導なくしては有り得なかった。

 

 勿論、烏丸の基礎訓練で拙いながらも技術を磨いた事も無関係ではない。

 

 それがなければ、そもそも勝負の土台にすら立てなかったのだから。

 

 だが、より直接的に勝利に貢献したのが木虎の指導である事も間違いではない。

 

 彼女にスパイダーの扱い方、特に開けた地形でどう使うか、を教わっていなければ風間には勝てなかっただろう。

 

 烏丸の基礎訓練による、地力の向上。

 

 木虎の指導による、スパイダーの習得。

 

 そして、七海に教わった置き弾の技術とその使い方。

 

 それらがなければ、きっとこの勝利は有り得なかった。

 

 間違っても、実力で風間に勝てただなんて思ってはいない。

 

 彼等の助けがあったからこそ、この結果がある。

 

 修は、それを改めて噛み締めていた。

 

「まさか、スパイダーとはな。木虎に教わったのか?」

「はい、彼女に教えを受けました。少し前から、指導を受けていたので」

「そうか。だが、それだけではないな? あの腕を蹴り上げて目晦ましに使ったのは、七海の真似か?」

「あ、はい。七海先輩の試合は見ていたので、参考にしました」

 

 風間の問いを、修はそう言って肯定した。

 

 確かに、七海はROUND5において切り離された自分の腕を蹴り飛ばして武器に使う、という運用をした。

 

 自分の身体の一部さえも武器と看做すその冷徹さは七海らしいと風間は評価していたのだが、まさかそれと同じ事を修がやるとは思わなかった。

 

 七海の場合はスコーピオンがあった為に切断された腕を疑似的な柄にしていたのでまだ分かるが、修は自分の腕を完全に一個の障害物と看做す運用で風間の虚を突いた。

 

 その機転に、確かな七海の影響を感じ取った風間であった。

 

「三雲。俺は、迅から詳しい事は聞いていない。だが、あいつと七海は、ようやく前を向こうとしている。そしてどうやら、お前はあいつ等が望む未来に必要な人材らしい」

 

 風間は不意に真剣な表情になり、修にそう告げた。

 

 修はこくりと頷き、風間の言葉を傾聴している。

 

 これが、風間なりの激励であると考えて。

 

「分かっているとは思うが、お前は弱い。だが、自分の弱さを自覚していてそれすら武器にしようという気概は────────────────俺は、嫌いじゃない。そんなお前だからこそ、やれる事があるんだろう」

 

 だから、と風間は続ける。

 

「お前は、お前のやれる事をやれば良い。それが、あいつ等の為にもなる。無意味な無茶はするなよ。考えて動け。俺から言えるのはそれだけだ」

「はい、ありがとうございます」

 

 風間の激励に、修はそう言って頭を下げた。

 

 それを見て風間は薄く笑みを浮かべ、ぽん、と修の肩を叩いた。

 

「だからといってあまり気負うな。あいつ等も別に、お前のしかめ面を見たいワケじゃないだろう」

 

 風間の言葉を受け、修は。

 

 こくりと頷き、笑みを返した。

 

「ぼくはぼくのやれる範囲で、出来る事をするつもりです。それが、あの人たちへの恩返しだと思いますから」

 

 

 

 

「おいおい、風間に勝っちまうとはな」

「大金星ですね。いやあ、凄い子が入って来ましたね」

 

 試合を見ていた諏訪は、風間の強さを良く知るが故にそれに一矢報いて見せた修の姿に驚いていた。

 

 散弾の発想とそこからの作戦には驚いたが、それでも傷の一つでも付けられれば御の字だとは思っていた。

 

 だが実際は、スパイダーという隠し玉と置き弾という切り札を用いて勝利を得た。

 

 それまでに24回も負けてはいるが、それでもあの風間に勝ったという事実は消えはしない。

 

 この場にC級隊員は空閑を除いていないが、風間と修が試合をする事自体は知られている。

 

 人の口に戸は立てられぬ以上、遅かれ早かれこの事は広まる筈だ。

 

 そうなれば、余計なちょっかいをして来る輩も出て来るだろう。

 

 何にせよ、今後も波乱とは縁がありそうだ。

 

(同情するぜ。どんな事情があるかは知らねーが、色々苦労するんだろうな。まあ、何かあれば気にかけてやっか。風間(あいつ)の尻拭いするみてーで、ちょいと気に入らねーけどな)

 

 

 

 

「風間さん、あんなのに負けてちゃ駄目でしょ。最後、手加減したんじゃないですか?」

 

 菊地原は風間が戻って来て開口一番、不機嫌そうにそう告げた。

 

 口元はへの字になており、ジト目で風間を見る様子は明らかに拗ねている事が丸わかりだった。

 

 それだけ、敬愛する風間が傍から見ても弱過ぎる相手に負けたのが我慢ならないのだろう。

 

 身内相手には一種の独占欲を見せる、菊地原らしい嫉妬であった。

 

「手を抜いたつもりはない。結果として負けただけだ。言い訳はしない」

「もう、しっかりして下さいよ風間さん」

「まあまあ、風間さんだってそういう事もあるさ」

 

 ぶうぶう、と文句を垂れ流す菊地原を宥めながら、歌川はそれに、と思案する。

 

(手は抜いていなかったが、合格ラインを超えたから攻撃を甘んじて受けたんだろうな。本当の意味で本気なら、幾らでもやりようはあっただろうし)

 

 確かに、風間は手は抜きはしなかったのだろう。

 

 だが、本気だったかと問われれば疑問が残る。

 

 もしもこれが形振り構わず勝利を求める戦いであったのならば、恐らく風間は堅実な手のみを打つ。

 

 風間の戦闘スタイルは攻撃特化に見えるが、その本質は膨大な戦闘経験に基づいた類まれな観察眼と優れた機転にある。

 

 最後の攻防も、修の機転が風間の合格ラインを超えたからこそ、真っ向から迎え撃ったのだ。

 

 そうでなければ、腕で視界が塞がれたと同時に固定シールドを張るなどやりようは幾らでもあった。

 

 修にシールドを突破できるだけの攻撃力がない以上、それだけで反撃の芽を封じられるからである。

 

(もっとも、あくまで仮定だけどな。実際は、それをやっても対応出来た可能性もあるんだし。今更言っても仕方がないな)

 

 勿論、それはあくまでもしも(if)の話でしかない。

 

 そうなったらそうなったで修も別の対応をした可能性はあるし、結果として彼が勝利をもぎ取ったという事実は消えない。

 

 言うなれば、今回の風間は試験官だった。

 

 修はその風間の眼から見て、()()と看做された。

 

 要は、それだけの話なのだから。

 

(今頃、烏丸達から褒められてるかな。あれだけ見事に勝てたんだから、師匠としても鼻高々だろうしな)

 

 

 

 

「最後に一勝したのはいいけれど、24敗は負け過ぎ。本来なら、というか普通にアウトよ。ちゃんと反省しなさいよね」

「あ、ああ」

 

 木虎は開口一番、そう言って修を叱咤した。

 

 確かに、一度勝つ為に24回も負けていては普通にアウトだ。

 

 1回や2回ならまだしも、20回以上も負けて一度勝つというのはどう考えても割に合わない。

 

 ある程度は負けも想定していたとはいえ、傍目から見ればボロ負けと大差ないのだから。

 

「けど、一度でもあの風間さんに勝てたんだ。そこは褒めてあげてもいいと思うぞ」

「勿論、そこは評価しています。でも、改善点があるなら指摘しないと本人の為にならないと思いますので」

 

 木虎の言い分に、烏丸はふむ、と思案する。

 

 確かに木虎の言う通り、今回修は負けを重ね過ぎた。

 

 普通なら、というか烏丸の眼から見ても今回はほぼ風間による蹂躙だったと言って良い。

 

 あれだけ負け続けたならば、普通は心が折れる。

 

 それを一切気にせずに虎視眈々とたった一度の勝利を掴む為に斬られ続ける、なんて真似が出来る者はそうはいない。

 

 もしもこれが第三者にも公開された試合だったならば、心ない噂が立てられていたに違いない。

 

 修がそういった所に無頓着な分、こちらで気にした方が良いのかもしれない。

 

 木虎も修の事を色々気にかけてくれているんだな、と実感し、少し嬉しくなった烏丸であった。

 

「けど、風間さんに勝てたのは烏丸先輩の言う通り確かに快挙よ。良く頑張ったわね」

「ああ、木虎や烏丸先輩、それに七海先輩のお陰だよ。木虎達の指導を受けたお陰で、最後の一撃を通す事が出来たんだから」

「実戦で使うのは初めてだった割には、良い線行ってたと思うわ。けど、初見だから通用したという事は忘れないでね」

 

 ふふん、と胸を張りまんざらでもない様子を見せながら木虎はそう告げた。

 

 基本的に自己顕示欲の塊である彼女は、こういった心からの称賛には弱い。

 

 修が何の裏もなく感謝を示して来た事が、彼女の琴線に触れたのだろう。

 

 木虎の第一欲求は他人にちやほやされる事なので、それを容易に満たしてくれる修との相性は意外と悪くないのだ。

 

 初対面さえ拗れなければ、割と良いコンビなのである。

 

「しかし、本当に驚いたな。まさか、風間さんに勝っちゃうなんてな」

「七海先輩…………」

 

 修は、木虎との会話がひと段落した折を見て話しかけて来た七海を見た。

 

 七海は穏やかな、それでいて少し嬉しそうな目で、修を見据えていた。

 

「どうやら、よほど木虎の指導が良かったみたいだな。歳も同じだし、割と気が合うんじゃないか?」

「七海先輩、変な邪推は止めて下さい。私はただボーダーの先達として、指導を行っていただけなのですから」

「別に変な意味じゃないぞ。良い師弟だな、って思っただけだ」

「あ…………」

 

 木虎は七海の言葉に自分が勘違いしていた事を悟り、頬を赤らめた。

 

 とうの修本人はキョトンとしており、加えて残念ながらこの場にその手の話題に明るい人物はいない。

 

 故に、木虎が自爆しただけなのである。

 

 もしもこの場に綾辻あたりでもいれば、盛大にからかわれたであろう事は言うまでもないが。

 

「少し裏技を吹き込んだだけで師匠らしい事はしてない俺と比べれば、雲泥の差だ。木虎は結構、指導者の才能があるのかもな」

「そうですね。他人に教える、というのも中々楽しかったですし。人に教えるのは自分の振り返りにもなりますから、悪くない経験だったと思います」

「その調子で、これからも頼む。俺が教えるよりは、そっちの方が上達が早そうだしな」

 

 七海の言葉は謙遜ではなく、一つの事実だ。

 

 トリオンが多く、格闘センスにも恵まれた七海では修の師として適性が高いとは言い難い。

 

 修と同じくトリオンが低く、相応の能力的な挫折を経験した木虎だからこそ、彼に合った指導を行えるのだ。

 

 こればかりは、素質による相性の差と言える。

 

 七海はそれを正しく理解しているからこそ、木虎に頼んでいるワケだ。

 

「ええ、途中で投げ出すつもりはありません。これからも、ビシバシ鍛えていきます」

「ああ、頼む。でも、何かあれば手伝うからいつでも言ってくれ。三雲くんも、いつでも頼ってくれて良いからな」

「はい、ありがとうございます。何かあれば、頼りにさせて貰います」

 

 修の返答を聞き、七海は深く頷いた。

 

 そして、ああ、と何かを思い出したようにポン、と手を叩いた。

 

「そういえば、今夜は玉狛で食事会をするから呼んでおいてくれって頼まれてたんだ。良ければ、木虎もどうだ?」

 

 そう言って、七海は木虎に誘いをかけて。

 

 木虎はこくりと頷き、返答を口にした。



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木虎藍⑥

 

「はい、エビチリよ。ちょっと辛めにしてあるみたいだけど平気?」

「ええ、辛いのは割と好きなので」

 

 木虎は渡された皿を受け取り、そう言って小南に会釈する。

 

 此処は玉狛支部。

 

 木虎は七海の招待を受け、この食事会に参加していた。

 

 こういったイベントにはあまり付き合いが良い方ではない木虎ではあるが、自分に師事している修を労う機会である事もあり今回は特別に参加を承諾したのだ。

 

 広報部隊の一員である木虎は、普段から多忙を極めている。

 

 まだ中学生という事もあり嵐山達の配慮で他の面々と比べれば割り振られる仕事は少ない方だが、遊び惚けて大丈夫な量でもない。

 

 木虎自身は生真面目で責任感が強く、仕事より趣味や遊びの時間を優先するといった事は殆ど無い。

 

 今回も、最初は断るかどうか迷っていた。

 

 しかしその場にいた嵐山が、「構わないから行ってみたらどうだ」と後押しした事で、木虎の中でも踏ん切りがついて承諾したワケである。

 

 嵐山は前々から、仕事を優先し過ぎて遊びにもいかない木虎の現状を憂慮していた。

 

 確かに自分たちは多忙であり、広報部隊として顔も売れている以上不用意に遊び歩くワケにはいかないのは事実である。

 

 だが、だからといって何の楽しみもない仕事だけの日々を学生時代から送るなど間違っている。

 

 木虎の生真面目さは美徳ではあるが、少しは余暇の時間を作らなければ息が詰まってしまうだろう。

 

 だからこそ、嵐山としては木虎にはこういった仲間内での集まりには積極的に参加して欲しいと思っていた。

 

 玉狛支部なら第三者の眼はないし、同じ学校に通っている小南もいるので木虎も肩の力を抜けるだろうというのが嵐山の魂胆である。

 

 自身の従姉妹である小南には当然木虎の事を頼むと伝えてあり、頼られた彼女当人はノリノリで引き受けていた。

 

 元より、人懐っこい少女である。

 

 木虎は小南にとっては可愛い後輩なので、もてなさないという選択肢はない。

 

 小南は自分の実力に絶対の自信があるが故に割と上から目線な所があるが、元の性格の善良さ故か不思議と敵を作るような言い回しはしない。

 

 色々と「自分は強いぞ」アピールは欠かさないが、何処か愛嬌が残るのが小南の特徴だ。

 

 オブラートに包まない容赦のない発言でも敵を作りがちな木虎とは、人の良さというよりも生まれ持った性質が全く違う。

 

 言うなれば、木虎は強気で小南は勝ち気なのだ。

 

 前者は孤立しがちなコミュ弱者であり、後者は放っておいても人が集まるコミュ強者である。

 

 木虎としてはそんな小南に高い実力も相俟って一種の憧れめいたものを感じているが、その毒気の無さ故に香取相手の時のように敵愾心を抱いてはいない。

 

 小南相手に意地を張り続ける事ほど、無駄な事は無いのだから。

 

「今日は部外者の私まで招いて頂いて、ありがとうございます」

「いいのよ。准からもよろしくって言われてるし、准のチームの子なら身内も同然よっ! 折角同じ学校に通ってるんだし、良い機会だから色々話しましょうよ」

「はい、今日はよろしくお願いします」

 

 外行きモード全開で猫を被る木虎は、そう言ってぺこりとお辞儀をする。

 

 それを見た小南はむぅ、と頬を膨らませて小首を傾げた。

 

「あの、何か…………?」

「木虎ちゃん、別にそんな肩肘張んなくてもいいわよ。准からはリラックスさせてやれって言われてるし、体裁とか気にしなくていいわ。ここは玉狛で、格式ばった祝宴でもないんだしさ」

 

 小南は、木虎があくまで外行きの仮面を被り、体裁を優先させていた事に気付いていた。

 

 騙され易いと評判の小南だが、ここぞという時の観察眼────────────────特に、人の心の機微には敏感だ。

 

 それは、多感な少女時代に近界を渡り歩く内に身に着けた癖のようなものだろう。

 

 何せ、彼女が近界に赴いていた頃は緊急脱出システムが存在しなかったのだ。

 

 一つの間違いが、死に繋がる。

 

 そういう戦場に、彼女は迅と共に身を置いていた。

 

 だからこそ、人の心の機微には────────────────特に、何かを押し殺している人間の心情には敏感なのだ。

 

 それは、彼女の近くにいた少年が、自分の痛みを隠し続けるような性格だったからでもある。

 

 普段彼女が騙され易いのは人を信じ過ぎるからであるが、それは同時に相手に悪意が無い事を直感で理解しているからだ。

 

 理屈を超えた感覚的な鋭さで、小南に追随する者はそうはいない。

 

 人の心の痛みには、特に敏感な少女である。

 

 木虎が無理をして肩肘を張っている事くらい、すぐに分かって当然なのである。

 

「はい、じゃあ、お言葉に甘えさせて貰いますね」

「んー、まだ固いけどまあいっか。じゃあさ、聞いておきたいんだけど────────」

 

 

 

 

「なんだ? 木虎が気になるのか? さっきからチラチラ見てるが」

「いえ、その……………………失礼なんですけど、木虎ってこういうの得意じゃないかなと思ってたんですが…………」

「ああ、そういう事か」

 

 七海は先ほどから時折木虎の様子を伺っている修の返答を聞き、成る程と頷いた。

 

 確かに、木虎は対人能力が高いとは言い難い。

 

 基本的に上から目線の発言が多く、言葉をオブラートに包むという事をしない為敵を作り易い性格をしているからだ。

 

 修が心配するのも、ある意味当然と言えるだろう。

 

「けど、別に不思議な事じゃないさ。そもそも広報部隊をやっているんだから、メディア向けの処世術か何かは鍛えてるだろ。割と空気は読める方だしな」

 

 それに、と七海は小南の姿を見据えた。

 

「相手が小南さんだからってのも、あるだろうな。あの人は見ての通り誰とでも仲良く出来るし、毒気が一切ない。無理に意地を張っても、肩透かしを食らうだろうからな」

「成る程」

 

 七海の言う通り、小南を相手に意地を張って反発しても、その善性の塊のような人間性によって毒気を抜かれる事はまず間違いない。

 

 もしかすると、木虎も最初は年上の実力者という事で舐められたくないと考え、張り合おうとした事があったのかもしれない。

 

 しかし、そこですっかり毒気を抜かれ今の関係に落ち着いたのだろうと想像する事も出来る。

 

「厳しい事も言うけど、それは全部相手の為を思っての事だしね。小南さんほど優しくて強い人は、そうはいないよ」

 

 小南は常々「弱い奴は嫌い」と言っているが、それはあくまで彼女なりの優しさから来るものだ。

 

 彼女は、旧ボーダー時代にたくさんの喪失を経験した。

 

 だからこそ、傍に────────────────共に戦う者達には、「簡単には死なないだけの強さ」を求める。

 

 もう二度と。

 

 目の前で、仲間が死ぬところなど見たくはないのだから。

 

 小南が強さを求めるのは、喪失をもう経験したくないが故だ。

 

 口では厳しい事を言う事もあるが、言動の端々に気遣いが見え隠れする為、大抵の相手には真意が伝わるのである。

 

 その為に、彼女は嫌われるという事がない。

 

 振る舞いに天然の愛嬌があり、憎めないキャラクターであるという理由もある。

 

 しかし、それ以上に。

 

 関わる者は否応なく彼女の優しさに触れ、絆されてしまうからだ。

 

 玲奈という最愛の少女を失った迅でさえ、小南の存在が一つの支えとなっていた事は否定出来ない事実である。

 

 喪失を識るからこそ、小南の強さに揺るぎはない。

 

 もう二度と、大切なものを失いたくはない。

 

 悲劇を経験した者が強いのは、そういった原動力があるからだ。

 

 喪失を拒絶するからこそ、鍛錬には手を抜かず常に先へと歩もうとする。

 

 準備不足なんかで、誰かを失いたくはないから。

 

 だからこそ、強く在ろうとする。

 

 それが、小南桐絵。

 

 玉狛のエース攻撃手(アタッカー)にして、旧ボーダーの一人。

 

 戦争という地獄を駆け抜けた、少女の形をした戦士である。

 

「七海先輩は、小南先輩の事を詳しいんですね」

「まあ、数年来の付き合いだしね。ああ見えて、ボーダーに籍を置いたのは迅さんより前らしい。詳しい事情までは、聴いていないけどね」

「迅さんより、先に…………」

 

 修にとっては迅でさえ、昔のボーダーを知る古株中の古株だ。

 

 だが、小南はそんな迅よりも早くボーダーに属していたのだという。

 

 どういう経緯でそうなったかは気になるが、軽々に聞いて良い事でない事くらいは理解出来る。

 

 何故なら。

 

 四年前の大規模侵攻の時点で、小南は13歳。

 

 まだ中学に上がったばかりの年齢で戦場に出る事自体普通ではないが、それより前にボーダーに属していたとすると下手をすれば小学生のうちから戦争に赴いていたという可能性すら有り得る。

 

 当時は人手不足が深刻であったとも言うし、仕方のない面もあるだろう。

 

 だが、10歳そこそこの少女を戦場に赴かせる環境が、普通であって良いワケがない。

 

 あの忍田本部長や林道支部長もそれを黙認していたのだから、何か深い理由があるのだろう。

 

 もしかすると小南が強硬に参戦を主張した結果からかもしれないが、それはそれで厳しい状況だったのであろうと推察出来る。

 

 この件については触れない方が良さそうだと、修は判断した。

 

 彼は自分の意思は決して曲げないが、同時に割り切りの良さも持ち合わせている。

 

 行き止まりや危険な場所があったのなら、より効率的な場所へ向かう程度の柔軟性はあるのだ。

 

 まあ、それさえなかった場合構わず突き進むのが修が修たる所以ではあるのだが。

 

「そういえば、七海先輩だけお皿が別なんですね。他の人は、好きに取ってるのに」

 

 そこで、修が七海の行動の違和感に気付いた。

 

 今食事会を開催している部屋では、テーブルの上に様々な料理が並べられている。

 

 その中から好きなものをトングで皿に移して食べるのだが、七海だけは彼の名が書かれたお盆に乗せた料理をレイジが直接運んで来ている。

 

 別に不満というワケではないが、意味もなくこうした事をやる人には思えない、というのが修の正直な感想であった。

 

「ああ、言ってなかったかな? 俺は無痛症だから、普通の料理の味が分からないんだ。だからレイジさんが特別に、俺でも味が分かる濃い味付けの料理を作ってくれているんだよ」

「…………! あ、す、すみません」

「いいよ。皆知ってる事だし、気にしてないさ。ただ、間違って俺の料理を食べないよう気を付けてくれれば良い。普通の人には、多分濃過ぎる味付けだろうからね」

 

 七海用にレイジが用意した料理は影浦の七海専用メニューほどではないが、濃い味付けで調理されている。

 

 常人が口にすればあちらのように悶絶する事まではないだろうが、お世辞にも旨くは感じないだろう。

 

 流石のレイジの調理スキルを以てしても、七海()()が食べられる料理を作る事が限界だったワケである。

 

 まあ、とうの七海本人が喜んでいるのでまあ良いか、とレイジが思っていたのは内緒である。

 

 誰だって、自分の料理を喜んで食べて貰えれば嬉しくない筈がないのだから。

 

「そうよ。前に興味本位で七海用のお好み焼きを食べた太刀川みたくのたうち回りたくなかったら、そっちのお皿には手を出さないようにしなさい」

 

 そんな時、不意に小南が修の傍にやって来た。

 

 隣には当然、木虎がいる。

 

 どうやら、小南に此処まで引っ張って来られたらしい。

 

「あ、小南先輩。今日はお誘い頂いて────────」

「いいわよ、堅苦しい挨拶なんか。アンタ達はもう玉狛(あたしたち)の一員なんだから、堂々としてなさいよね」

 

 そう言って、小南は修の首に腕を回してバシバシと背中を叩く。

 

 年頃の女子高生とは思えないパーソナルスペースの近さだが、小南はいつもこんなものだ。

 

 普通の少年相手なら勘違いされてもおかしくはないが、幸いというべきか彼女の周囲にいる者達はそういったものには疎い。

 

 修はその最たるもので、良い匂いのする少女に密着されているというのに平然としており頬を赤らめもしない。

 

 その様子に木虎は若干顔を顰めるが、修が一切動じない様子を見て溜飲を下げたらしい。

 

 がしり、と修の右腕を掴み、無理やり自分の方を向かせてにこりと笑った。

 

「三雲くん、あの時も言ったけど風間さんに勝てたのは大金星よ。この経験はきっと、先へ進む糧になるわ」

「木虎のお陰だよ。木虎にスパイダーを教えて貰ってなかったら、あの勝ちはなかった」

「でも、それを実際に成功させたのは三雲くんよ。私はただ、手助けをしただけ。お礼には及ばないわ。私は、三雲くんの師匠だもの」

 

 どやあ、と擬音が聴こえてもおかしくないような誇らしげな顔を全面に晒し、木虎はその年齢の割に豊かな胸を張った。

 

 そのボリュームを間近で見て小南は「ぐぬぬ」と拳を握り締めていたが、詮無い事である。

 

 人はいつでも、自分にないものを求めるのだから。

 

「とにかく、まだまだこれからだから油断しないようにね。私も可能な限り指導は続けるから、精進しなさい」

「ああ、分かってる。足踏みしてる暇なんか、ないもんな」

「よろしい。あ、そうだ。このエビチリ、美味しいわよ。食べてみる?」

「そうだな。じゃあ、一つ貰おうかな」

 

 はいどうぞ、と木虎はエビチリを自分の皿から取って渡し、修はそれを躊躇せず口にする。

 

 間接キスと言えなくもないが、二人共それに頓着する様子はない。

 

 良くも悪くもストイックで、他の事に目がいかない。

 

 案外二人は、似た者同士なのかもしれなかった。



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木虎藍⑦

 

「悪いわね。わざわざ送って貰って」

「別にいいさ。木虎には世話になってるし、このくらいはね」

 

 夜の街を、木虎と修が二人で歩いていた。

 

 今向かっているのは、木虎の家だ。

 

 勿論、修を家に呼ぶとかそういった色気のある事ではない。

 

 単に、食事会が終わり家に帰る木虎の送迎を修が引き受けたというだけの話だ。

 

 どうやら小南は彼女を支部に泊まらせる気でいたらしいが、そこまで世話になるワケにはいかないと木虎の方が固辞したのだ。

 

 まあ、考えてみれば当たり前の話である。

 

 木虎は修達とは違い玉狛支部とは縁が薄く、関わりがあるのは自らが指導している修と学校が同じ小南くらいだ。

 

 その小南にせよ嵐山の従姉妹である関係上それなりに交流はあるのだが、逆に言えばその程度の関係でしかない。

 

 色々と()を聞いた身としては申し訳ない気持ちがなくはないが、それとこれとは話が別だと木虎は割り切り帰宅を申し出たワケである。

 

 最初はレイジが車で送迎しようとしていたのだが、そこで何を思ったのか小南が修に木虎を送っていくよう告げたのだ。

 

 木虎の家は修の家とは逆方向であり、流石にそれは悪いと遠慮しようとしたのだが────────────────最終的に、小南に押し切られて受け入れるに至った。

 

 とうの修も「構いませんよ」と割と乗り気であった事に加え、「いつもお世話になってるから」とまで言われてしまっては木虎も断れない。

 

 こうして、木虎は修に送られて帰路に着く事になったワケである。

 

(でも、良い機会かもしれないわね。もしかしなくても、小南先輩はこの為に三雲くんに送迎を頼んだんだろうし)

 

 木虎の脳裏に、一つの情景が蘇る。

 

 それは、食事会での出来事。

 

 小南と共に修達に話しかける、その直前の事であった。

 

 

 

 

「木虎ちゃんは、修を()()したいと思ってる?」

「え…………?」

 

 不意に小南は、そんな事を尋ねて来た。

 

 「聞いておきたいんだけど」と前置きされたので何かと思ったが、予想外の質問に木虎は小南の意図が分からず困惑する。

 

 その様子を見て「しまったわ」と小南はあからさまに動揺し、冷や汗を流す。

 

 どうやら、勢いで口走った結果今更ながら説明が足りなかったと理解したらしい。

 

 コホン、とわざとらしく咳払いをした小南は、改めて木虎に向き直った。

 

「ごめん、説明が足りなかったわ。一応、最初から説明した方が良いわよね?」

「え、ええ、お願いします」

 

 分かったわ、と小南は了解の意を示し、その口を開いた。

 

「木虎ちゃんも薄々感じてるとは思うんだけど、修って危なっかしいのよね。准と同じで」

「嵐山さんと同じ、ですか」

 

 ええ、と小南は木虎の言葉を肯定する。

 

「あたしの周りの男共は揃いも揃って色々無茶する馬鹿揃いだけど、その中でも准と修はかなり()()()()()わ。普通じゃない、って言ってもおかしくないの」

「確かに、付き合いはまだ短いですが三雲くんに無鉄砲な部分があるのは認めますが、そこまでですか?」

「ええ、そこまで────────────────というか、()()()()ね。准も修も、他の連中とはちょっと違うから」

 

 そこまで言って、小南はため息を吐く。

 

 それは意図してのものではなく、彼等の事を考えたら自然に出てしまった、という具合の溜め息だった。

 

 何故、そんな顔をするのか木虎には分からなかった。

 

 修はともかく、嵐山は木虎の眼から見ても人間が出来過ぎてると言って良い頼れる隊長である。

 

 修が無茶を厭わないのは今までの付き合いでなんとなく知ってはいたが、どう考えても嵐山は修と同じタイプには見えないというのが木虎の正直な感想だった。

 

「……………………まあ、そうよね。いきなりこんな事を言われても、分かんないか」

「その、すみません。私は、嵐山さんが三雲くんと同じタイプだとはとても」

「表面だけ見ればそうかもね。でも、だからこそ()()()()()のよ。玲や七海みたいに分かり易く歪んでたのよりも、よっぽどね」

 

 小南はそこまで告げるとふぅ、と再び息を吐き、木虎に向き直った。

 

 真剣な目で見据えられ、木虎は背筋を正す。

 

 小南は木虎と視線を合わせ、何処か陰のある声で話し始めた。

 

「ウチの馬鹿野郎共の筆頭は勿論一人で色々ため込みがちな迅だけど、あいつがああなったのは理解出来るの。だって、あたし達は戦争を経験して、本当の意味での()()()()()()を知ってるからね。命を懸けるって意味を、実感として理解してる」

「命のやり取りの意味、ですか」

 

 ええ、と小南はこくりと頷いた。

 

「あたし達は、緊急脱出システムの無い時代から近界での戦争を経験してたの。当然戦闘体が破壊されれば敵の目の前で生身の身体を投げ出す事になるから、基本的にその場で死ぬわ。戦場じゃ、捕虜を取る余裕がない事も多いからそのまま殺す事が殆どだしね」

「…………」

 

 木虎は小南の口からさり気なく出て来た「殺す」という言葉に込められた意味を察し、背筋に悪寒が駆け上った。

 

 喧嘩っ早い者はよく勢いで口にする言葉ではあるが、小南のそれはそういったものとは全く違っていた。

 

 本当の意味で、殺し殺されが当たり前の常識(ルール)となっている者が持つ、容赦のない殺意。

 

 それが、小南の「殺す」という言葉には滲み出ていた。

 

「だからあたし達は、人の死ってやつを実感として知ってるの。生身の肉を裂く感触も、腕の中で冷たくなってく人の体温とかも、みんな実体験してるから」

「小南先輩…………」

 

 小南の言葉には、確かな()()があった。

 

 決して忘れ得ぬ悲劇を、喪失を。

 

 経験したからこその、悲哀。

 

 それが、彼女の言葉には滲み出ていた。

 

 その事を。

 

 木虎は、否応なく理解してしまった。

 

 この人は。

 

 どうしようもなく。

 

 大切な人たちの死を背負う、()()であるのだと。

 

「負けて戦場に生身で放り出された経験も、自分を庇った誰かの血を浴びた経験も、あたし達にはある。だから命を懸けるっていうのがどういう事か知っているし、その覚悟もある」

 

 だけど、と小南は俯き唇を噛む。

 

 そして。

 

「────────────────准や修は、そういう経験もないのに、本当の意味で命を懸ける事が出来る。出来ちゃうの。ハッキリ言って、異常だわ」

 

 自らの懸念を、口にした。

 

「え…………? それは、どういう…………?」

「言葉通りよ。准や修はね、本当の意味で命を懸けた経験なんか勿論無い。でも、()()()が来たら躊躇わずに命を懸けられる。多分、何の迷いもなくね」

 

 突然の小南の言葉に、木虎は動揺する。

 

 それはそうだろう。

 

 修とはまだ付き合いが短いが、嵐山に関しては自分の部隊の隊長だ。

 

 当然それなりに交流はあるし、人間性も完璧な尊敬出来る上司である。

 

 だが。

 

 小南は、そんな嵐山が「普通じゃない」と言う。

 

 確かに、あの完璧超人ぶりは普通ではないかもしれない。

 

 けれど。

 

 小南の言うそれは、どうにもネガティブな意味であるようだった。

 

 そんな木虎の困惑に、小南も気付いたのだろう。

 

 ため息を吐き、自らの考えを口にし始めた。

 

「木虎ちゃん、准がボーダーに入った時にテレビに出たのは知ってる?」

「え、ええ、私も見ていましたが」

 

 小南が言っているのは、嵐山が入隊時に柿崎と共にテレビのインタビューに応じた時の事だ。

 

 記者の意地の悪い質問に対して、完璧に答えてみせたやり取りは印象深く嵐山ファンの間でも語り草となっている。

 

 木虎は嵐山ファンというワケではないが、その番組は見ていたので流れは知っていた。

 

「そう、なら話は早いわね。木虎ちゃん、あの時の准を見てどう思った?」

「えっと、凄い人だなと。初めてテレビに出たのにあそこまで堂々と質問に答えられるっていうのは、一種の才能ですよね」

「ええ、確かにそう言えるかもしれないわ。でもね。あたしに言わせればそんな才能、無い方がずっと良かったわ」

「え…………?」

 

 木虎は何故、と聞こうとして思い留まった。

 

 何故ならば。

 

 そう語る小南の眼が。

 

 深い、悲しみに満ちていたのだから。

 

「ホントはね、准にはボーダーに入って欲しくなかったの。身近な人が傷付くのは、もう嫌だったから」

 

 だから、と小南は続ける。

 

「准がボーダーに入るって言った時には、反対したわ。でも准は、俺が頑張る事で少しでも皆の役に立てるならその方が良い筈だ、って譲らなかった────────────────泣きついても、刀を突きつけてもね」

「か、刀…………?」

 

 突然の告白に木虎はぎょっとして目を見開き、小南の眼を見てそれが冗談でもなんでもない事を悟る。

 

 どうやら、相当に荒っぽい()()を試みていたようである。

 

「何度言っても聞き分けがなくて頭に来たから、弧月を准に突き付けたのよ。腕を斬り落としてもそんな事言えるようなら認めてやるって」

 

 まあ、セーフティーがかかってたから実際には凄く痛いだけなんだけど、と小南は呟いた。

 

 ボーダーのトリガーには万が一生身の身体に当たっても怪我をさせないよう、安全装置(セーフティー)が施されている。

 

 射撃トリガーやブレードトリガーが直撃したとしても、身体が抉れたり斬れたりはしない。

 

 もっとも、気絶するくらいの痛みは感じるが、傷はつかないようになっているのだ。

 

 だから、小南のやった事はただの脅しに過ぎない。

 

 実際に斬り付けたところで、腕を斬り落とす事などないのだから。

 

 嵐山がまだそれを知らなかった為に成立した、小南なりのハッタリだった。

 

 ここまでやれば折れるだろうと、考えて。

 

「准、なんて言ったと思う?」

「えと、まさか…………」

「────────────────腕を斬っても、トリオン体になれば戦えるか? って聞いて来たのよ。嘘偽りなく、本気で」

「…………っ!?」

 

 その言葉に、木虎は絶句せざるを得なかった。

 

 小南のハッタリを見抜いたのならば、まだ分かる。

 

 だが、このニュアンスはそうではない。

 

 小南が本気で自分の腕を斬り落とした後を()()し、戦闘に問題がないかを()()した。

 

 そうとしか取れない、言葉だった。

 

「准が普通じゃないと気付いたのは、あの時よ。あたしや迅なら、まだ分かるの。あたし達は戦場で死を身近に感じた事なんて何度もあったし、死ぬ覚悟ってのも出来てる。そうしなきゃ、死んでたからね」

 

 けど、と小南は舌打ちする。

 

「准は、そんな経験なんか無いのに、あの時本気であたしに斬られる覚悟を決めちゃってた。戦争(ひげき)を経験してないのに、命を懸ける覚悟を固めちゃってた。あたしはそんな准が怖いって、そう思った」

「嵐山さんが、そんな事を…………」

「あたしも信じたくなかったけどね。なんでそんな事言えるのって問い詰めたら、自分に守れる力があるならやるべきだ、って話してた。本気でね」

 

 守れる力があるなら、やるべきだ。

 

 言葉だけを見れば、ヒーローの台詞のようにも思えるだろう。

 

 だがそれは。

 

 己の命を度外視する、ある意味で無謀な言葉でもあった。

 

「昔から准は、正義感が強かった。間違った事は許せないし、困った人を放っておけない。ちっちゃかったあたしの眼から見ても、ヒーローみたいな男の子だった」

 

 だけど、と小南は続ける。

 

「准は、助ける相手に際限がないの。自分の兄弟が川で溺れそうになった時も、近所の子供が車に轢かれそうになった時も、何の躊躇もなく飛び込んで助けてた。一歩間違えば、自分が死んじゃったかもしれないのに」

 

 傍目から聞けば、単なる嵐山の武勇伝にも思える。

 

 しかし、それは小南にとって。

 

 何の躊躇もなく死地に飛び込む、無謀極まりない蛮勇に映っていた。

 

「准は、人の死を経験したワケじゃない。でも、人がどれだけ簡単に死んじゃうかって事を理解出来ちゃってる。その上で、准は命を懸ける事を迷わないのよ。どうすればより多くの人を助けられるか、って考えながらね」

 

 嵐山は小南や迅と違い、本物の戦争を経験したワケではない。

 

 にも関わらず、嵐山は命を懸ける事を躊躇わない。

 

 命懸けという言葉を実感していないのならば、まだ分かる。

 

 だが。

 

 嵐山はそれがどんな結果を齎し得るか理解した上で、止まらないのだ。

 

 たとえ、自分が死んだとしても。

 

 最善の結果を得られるのならば、彼は命を懸けてしまえる。

 

 それが、嵐山の異常性。

 

 完璧過ぎるヒーローの、逸脱した性質である。

 

「修との付き合いは准に比べればずっと短いけど、同類なのかどうかは見れば分かるわ。なにせずっと、何を言っても止まらない(馬鹿)の傍にいたんだからね。あいつみたいに後天的じゃない分、ずっとやばいけど」

 

 言うなれば、迅の何もかも抱え込んで止まらない性質は後天的に出来たものだ。

 

 未来視という持って生まれた能力(のろい)に依る部分は大きいにしろ、逆に言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()とも取れる。

 

 だが、嵐山や修はそうではない。

 

 そういった持って生まれた力など無かった筈なのに、本当の意味で命を懸ける覚悟を決めてしまっている。

 

 自分が正しいと思っている事の為なら、一切の躊躇をしない。

 

 たとえその結果、自分が死んだとしても。

 

 目的(リターン)を得られるのであれば構わないと、そう考えているのだ。

 

「准は、なんだかんだで仲間がいるうちは大丈夫。仲間を置いていける性格じゃないし、遠征に行かなければそうそう命の危険なんかも無いと思う」

 

 けど、と小南は顔を上げた。

 

「修は、遠征を目指してる。今は遠征艇から一定距離の間なら緊急脱出も出来るけど、逆に言えばその範囲から離れれば緊急脱出(ベイルアウト)は出来ない。近界に行く以上、絶対安全なんて口が裂けても言えないのよ」

「だから、三雲くんは今のままだと心配って事ですか?」

「そういう事。だから、木虎ちゃんに聞きたかったの。修に、何処まで踏み込むかって事をね」

 

 それが、今回の本題。

 

 嵐山は確かに危うい部分があるが、少なくともこの街にいる間は緊急脱出システムが機能するから本当の意味で命を懸ける事態には早々なりはしない。

 

 だが、遠征を目指す修は話が別だ。

 

 本当に遠征に行けるかどうかはさておいて、遠征先での安全は絶対を保証出来るものではない。

 

 遠征艇から一定距離を離れてしまえば、頼みの綱である緊急脱出システムも働かないのだ。

 

 そして修の性格上、必要と考えれば躊躇なく前へ進む筈だ。

 

 その危険を、承知の上で。

 

 だから、小南は聞いたのだ。

 

 木虎に、そんな修をどうするつもりなのか。

 

 彼女の意思を、確認する為に。

 

「そうですね。これまでと、変わらないと思います」

 

 木虎はしばし逡巡し、そう答えた。

 

 小南は黙って傾聴し、木虎に先を促した。

 

「三雲くんが危ういところがあるのは、よく分かりました。小南先輩が言う程とは思っていませんでしたが、先輩がそう言うならそうなんでしょう。そこは信じてます」

「その上で、変わらないって事?」

 

 ええ、と木虎はこくりと頷いた。

 

「止まれと言って止まるような性格じゃない事は、小南先輩も分かっていると思います。なら、私たちに出来る事は少しでも彼を強くして、生き残る確率を上げるくらいです。頑固さはどうやら、筋金入りみたいですから」

 

 言うまでもなく、修は言葉で止まる人間ではない。

 

 自分の弱さも、現実の無情さも理解している。

 

 だが、止まる事だけは決してない。

 

 諦める、という選択肢が彼の中に存在しないのだ。

 

 たとえどれだけ不利な条件で、どれほど無謀に思える事でも。

 

 彼は、前に進む事を止めないのだ。

 

 C級時代、一度もランク戦に勝てずとも正隊員になる事を諦めなかったように。

 

 どんな困難であろうとも、彼が彼である限り言葉で止める事は不可能なのだ。

 

「ただ、その上で相談があれば乗ってあげるつもりです。これでも、師匠ですからね」

「そっか。んー、まあいいか。案外、それが最善かもね」

 

 木虎の返答を聞き、小南はふぅ、とため息を吐いた。

 

 全てに、納得したワケではないのだろう。

 

 だが、木虎の言う通り言って止まる相手ではない以上、死地に向かうのを止めるよりも、死地に向かっても生還出来るよう鍛えていくのが最善。

 

 それは、小南も認めざるを得なかったのだから。

 

「じゃあ、修の事は任せるわ。あ、何かあったらいつでも頼って良いからね」

「はい、ありがとうございます」

 

 木虎はそう言って小南に頭を下げ、話を終えた。

 

 これが、食事会での一幕。

 

 そして。

 

 木虎による修の面談を始める、その切っ掛けだった。



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木虎藍⑧

 

「三雲くん、少し聞いても良いかしら?」

「え? ああ、いいけどなに?」

 

 木虎の突然の問いに、修は少々困惑しながらそう答える。

 

 小南のごり押し(ゆうどう)によって木虎を送っていく事になった修だが、生憎彼に女子との会話を弾ませるようなスキルがある筈もない。

 

 木虎も生真面目、というよりも実直な性格の為に感情が絡まない限り事務的な会話になりがちであり、実際此処に至るまでお世辞にも年頃の学生同士らしい話が出来たとはとても言えなかった。

 

 そんな中での、突然の質問だ。

 

 修が訝しく思うのも、無理からぬ事と言えよう。

 

「今になって気付いたんだけどね。貴方が遠征を目指す理由とか、そのあたり聞いてなかったのよね。差支えがなければ、教えて貰っても良いかしら?」

「あれ? 小南先輩や迅さんから、聞いてなかったんだ」

「流石に、理由もなくプライベートな内容を本人に断りなく聞くほど野暮じゃないわ。だから、貴方が話したくなかったらそれはそれで構わないわ」

 

 それはある意味、木虎の本心であった。

 

 確かに、小南から修の事を任された。

 

 その事自体は問題ない。

 

 一度面倒を見た以上きっちり責任は取るつもりであるし、修に対して悪い印象は抱いていない。

 

 だが、どう見ても興味本位で遠征を目指すとは思えない修がそれを目的としてボーダーに入ったというのだ。

 

 気になるのは確かだが、それは同時に彼の深い事情に踏み込む事を意味している。

 

 親しき仲にも礼儀があると考える木虎は、此処で無理に修を問い詰める事を是とはしない。

 

 本音を言えば話して欲しくはあるが、それが他者に知られたくない事であれば無理をしてまで聞き出す必要はないと木虎は考えている。

 

 要は修が目的を果たし、尚且つ五体無事で済むようにサポートすれば良いのだから、事情の開示は必須というワケではない。

 

 ただ、出来るならば聞いておいた方が色々と便宜が図り易いので、聞いてみただけの話だ。

 

 だから、断られたらそれまで。

 

 少なくとも木虎は、そのつもりだった。

 

 確かに修には割と入れ込んでいるし、贔屓していると言われても否定出来ない程度には特別扱いしている自覚もある。

 

 だが、だからといってプライベートに無遠慮に踏み込んで良い理由にはならない。

 

 故に。

 

「構わないよ。木虎には世話になってるしね」

「え…………?」

 

 まさか、修が即答で事情を話す事を承諾するとは思わなかった。

 

 確かに、それなりに修に対して便宜を図ってはいた。

 

 指導も行っているし、何かと目をかけてもいる。

 

 だが、無条件にプライベートな情報を話して貰えるほどの信頼関係を築いているとまでは自惚れてはいなかった。

 

 一瞬修が短慮なだけか、とも思ったが、その考えは彼の眼を見て消え去った。

 

 修は、真摯な目で木虎を見据えていた。

 

 それはこれ以上ない程の信頼の眼差しであり、その根底には感謝の念がある。

 

 木虎は、悟る。

 

 修は単純に、何事にも()()()()()()だけなのだと。

 

 木虎の視点から見れば自分はただ彼を指導しているだけで、相応の感謝を受ける事はあってもそれと信頼とはまた別問題であると考えていた。

 

 だが、修は違う。

 

 修は「世話になったのだから相応の対価(しんらい)を返さなければならないと考えていたのだ。

 

 恩には報いる、筋道は通す。

 

 それが、修の基本思考。

 

 ある意味で善性の塊である彼にとっての、()()()()なのだ。

 

「なんで遠征を目指すのか、だよね。それは────────」

 

 そうして、修は語り始めた。

 

 自身がボーダー入隊を、そして遠征を目指すようになった理由。

 

 雨取麟児と、雨取千佳。

 

 その兄妹に端を発する、()()を。

 

 麟児が近界行きを自ら目論み、それを修が知っていた事も含めて。

 

 勿論、直接そう告げたワケではない。

 

 だが、「麟児が妹の友達を探す為にいなくなった」という発言。

 

 そして、「自分は麟児さんに置いて行かれた」という修の告解。

 

 それは。

 

 「麟児が自らの意思で近界に向かった」と解釈するには、充分な情報だった。

 

「…………そう」

 

 それを聞いて木虎は成る程、と一人得心した。

 

 あの迅が重要視するから特別な事情があるのは察していたが、まさかこんな厄ネタが出て来るとは思っていなかった。

 

 木虎は事の詳細────────────────即ち、鳩原密航については何も知らない。

 

 鳩原未来という隊員が「隊務規定違反で除隊した」という事は情報として知り得ているが、その裏の事情までは感知していない。

 

 だが、修が語った麟児失踪の時期と鳩原の除隊の時期は重なっている。

 

 核心までは持てないが、何かしらの関係があると考えを巡らせるには充分だ。

 

 勿論、詮索までするつもりはない。

 

 そういった裏仕事的な役割を担うのは風間隊の方であり、広報部隊である嵐山隊(じぶんたち)に下手な失点は許されない。

 

 そういった事は気付いていない風に振舞うのが上策であると、根付からは指導を受けていた。

 

 それに、修ならばともかく鳩原とは碌に話した事すらない他人である。

 

 同じ女性隊員ではあるが、広報部隊の紅一点である木虎と内向的で口数の少ない鳩原とでは接点など持ちようがない。

 

 ランク戦を通じて「優秀な狙撃手であるが人を撃てない弱点がある」という情報は得ていたが、技術の高さには着目すれど個人的なかかわりなどある筈もなかった。

 

 流石に木虎といえど、碌に話した事のない相手に深入りしようという気はない。

 

 今重要なのは、修にどう対応するかである。

 

「三雲くん、話を纏めるとその麟児さんという人を探す為に遠征を目指す、という事かしら?」

「あと、千佳の友達もだね。二人がいなくなって千佳は悲しんでいたし、なんとかしたいんだ」

 

 修はごく自然な表情で、そう口にした。

 

 そうする事が当たり前であり、自分は当然の事を言っている。

 

 木虎から見て、修の姿はそう見えた。

 

 それが。

 

 普通(あたりまえ)であると、彼は本気で思っているのだ。

 

「それは、雨取さんにそう頼まれたからなの?」

「違う。これはぼくの意思だ。ぼくがそうするべきだと思ったから、やるだけなんだ。千佳に頼まれたとか、そういう事は関係ない」

 

 それに、と修は続ける。

 

「別にぼくは、千佳に麟児さんを見つけて欲しいって頼まれたワケじゃない。ただ、麟児さんがいなくなって千佳が泣いていたから、探すべきだと思ったんだ」

 

 そう、修は千佳に直接麟児の捜索を依頼されたというワケではない。

 

 確かに千佳は修に麟児がいなくなった事を嘆き、泣き喚きはした。

 

 だが、彼女は直接「兄を探して欲しい」と言ったワケではない。

 

 「兄がいなくなった」と修の目の前で泣いたのだから、修がそのように受け止めた可能性はある。

 

 泣きながら兄がいなくなった事を吐露されれば、「兄を探して欲しい」と頼まれていると解釈してもおかしくはない。

 

 だが。

 

 修は千佳から頼まれていないと断言し、更に「自分が正しいと思ったからやろうとしている」と口にした。

 

 木虎はそれが単なる見栄などではなく、彼の本気の言葉であると理解した。

 

 修は、可愛い幼馴染の頼みを受けたから遠征を目指しているワケではない。

 

 彼を突き動かすのは、()()()だ。

 

 ただ、「こうするべき」と思ったから迷いなくその目的を目指す。

 

 それだけの、そして異様な性質であった。

 

「遠征が安全な旅じゃないって事くらい、分かるわよね? それに、行き先はこちらで自由に決められるワケじゃないのよ。そのあたりも理解してるのかしら?」

「ああ、承知の上だ。けど、まず遠征に行かないと前に進む事も出来ないだろ? だったら、目指すしかない。難しいとは思うけど、それしかないならやるしかないさ」

 

 修の言葉は現実の厳しさを知らないが故の大言────────────────などではない。

 

 彼は遠征の危険度、そして目的達成の困難さを理解しながら、それでも()()()()()()()だけなのだ。

 

 周囲の人間からは正義感の強い頑固な人間、と思われている修だが、その本質は一風変わった独善の権化である。

 

 彼の中には修なりの常識(ルール)があり、行動の基準は全てそれに準拠する。

 

 一度それが正しいと決めてしまえば誰に何を言われようと諦める事を知らず、自分なりの方法でそれを達成しようとする強固なる意思の化身。

 

 それが、三雲修という少年を形作る在り方だ。

 

 ハッキリ言ってしまえば、まともな精神ではない。

 

 普通、人は()()を知るものだ。

 

 自分の能力、環境で達成出来ない困難に直面した時、大抵の場合人は諦めるものだ。

 

 それが、手を伸ばせば届く範囲にあるものであれば克己し、それを乗り越えようとするだろう。

 

 だが、修はその壁の難易度に一切頓着せず、あらゆる方法を以て目的を遂げようとする。

 

 それこそ、最終的には社会通念や自分の生死すらも置き去りにして。

 

 木虎はそんな修の本質を目にして息を呑み、そして。

 

「なら、強くなるしかないわね。あと、少しは後ろを振り返る癖も付けて置いた方が良いわ。自分の行動の結果何が起きるのか、リスクをちゃんと計算しないと周りに迷惑がかかるからね」

「分かった。直すべき部分があるなら教えて欲しい」

 

 ────────────────それを追及する事なく、助言を行うに留まった。

 

 此処でそれをおかしい、と言ってしまうのは簡単だ。

 

 もしくは、「そんな事をしても雨取さんは喜ばない」と言って思い留まるよう声をかけるのも同じだ。

 

 そのどちらも、修に対しては意味がない。

 

 正しくは、()()()()()()()()()()()

 

 修の性格からして、反発する事はないだろう。

 

 だが恐らく、「それは……………………そうなんですが」と()()()()だけだ。

 

 修は誰の言葉も聞いているように見えるが、それは正しく()()だけだ。

 

 自分の納得のいかない事であれば聞き()()()事はなく、決して肯定はしない。

 

 極端な話をすれば、修は「自分が正しいと思った事」以外を受け入れる気は一切ない。

 

 この場合の()()()とは、「修の目的達成において有益な事」であり、善悪や達成難易度は一切関知しない。

 

 故にただ「これは無理だ」「止めた方が良い」と言っても、修は受け入れない。

 

 しかし逆に、「こうした方がより効率が良い」「こうした方が今後の為になる」といった意見であれば、修は素直に受け入れる。

 

 要は、修から見て「有益な意見」であれば彼は聞き流す事なく受容するのだ。

 

 木虎はこの短い付き合いの中で彼のそんな性質を直感的に掴み、実践したに過ぎない。

 

 彼女は「リスクを計算しないと周りの迷惑になる」という言葉から、修に「今のままのスタンスでは周りに迷惑がかかるからその分目的達成に遅延が出る」と暗に伝えている。

 

 修はその意図を正しく理解し、だからこそ彼女の言葉を受け入れたのだ。

 

 木虎が修の目的を妨害する事なく、先へ進む為の()()を授けてくれたと考えて。

 

 諸々の性質や環境を考えれば、木虎の対応は最善(ベスト)に近い。

 

 人の心の機微に疎い七海や烏丸では、こうはいかないだろう。

 

 七海はこれまでの経緯が経緯だけに人とは感覚が少しズレており、こういった問題には向かない。

 

 烏丸はあまり口の巧い方ではなく、加えて知り合ってすぐの相手の事を何もかも分かるような勘の良さもない。

 

 その点木虎は本人がそれなりに常識的であり、芸能人に近い立場に身を置いている事から非日常への耐性もある。

 

 加えて一度決めればアクセルを踏み込むタイプの性格である為躊躇も薄く、且つ理屈で物事を考える為感情論に走る心配もない。

 

 第一印象の問題さえクリア出来ていれば、これ程修の師匠として適格な人物はいないだろう。

 

 事実、この場においては修に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という方向性を付け加える事に成功している。

 

 これも木虎が修の本質を本能で理解し、理屈を以て対処法を考える事で対応したが故だ。

 

 感情論で全てが解決するのなら、何の苦労もない。

 

 間違った道へ進む相手に対して必要なのは、具体的な別案とそれを納得させるだけの説得力だ。

 

 「そんな事をすれば大切な人が悲しむ」というのは極論語り手の()()であり、相手にとってみれば戯れ言にも等しい。

 

 故に、「こうするのは駄目だ」という論調では納得などし得る筈もない。

 

 「こうした方が良い」という別案を提示して初めて、耳を傾けるに足る()()となるのだ。

 

 木虎はそれを分かっているからこそ、正しい方法で修の方向性を変える事に成功した。

 

 これで少なくとも、修が無茶をして死ぬ可能性は前よりは減ったというワケである。

 

 木虎に修の面談を任せた小南の選択は、間違ってはいなかった。

 

 これは恐らく、彼女にしか成し得ない快挙であっただろう。

 

「そうね。まずは────────」

 

 そうして木虎は修に具体的な説明を始め、指導を行い始めた。

 

 修はそんな木虎の話に真剣な表情で耳を傾け、聞き入っている。

 

 男女二人の帰り道としては色気もへったくれもないが、これはこれで彼等の関係としては正しい在り方と言えるだろう。

 

 そこから先へ進めるかは当人達次第だが、悪い光景というワケでもない。

 

 真剣な顔で話し続ける二人の姿は、傍から見てとても絵になっていたのだから。



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城戸正宗⑤

 

「さあて、次の贄が来たようだな」

「搾り取り過ぎて心を折るなよ?」

「弱肉強食が世の理。先のない人間に引導を渡すのも一つの優しさ、だろ?」

 

 甲田、早乙女、丙の三人は調子に乗っていた。

 

 三人は仮入隊時に相応の成績を収め、最初からある程度のポイントを付与された状態でC級隊員となった。

 

 甲田達は良くも悪くも中学二年生らしい精神構造の持ち主であり、そういった()()扱いをされれば自分が選ばれた人間であると錯覚し、調子に乗っていく。

 

 事実として他のC級隊員よりはそれなりにマシな能力を持っていた為、C級ランク戦でも早々負ける事が無かった事もまた、彼等の慢心に拍車をかけていた。

 

 とはいえ、そこでポイントを多く持っている強者に挑むのではなく、自分より低いポイントを持つ者のみに絞って初心者狩りのような真似をしているあたり、考えが小物のそれであるのだが。

 

 良く言えば現実的、悪く言えば臆病。

 

 そんな彼等であったが、ここ最近は弱者からのポイント収奪が巧くいっていた為、加速度的に調子に乗っていた。

 

 それこそ。

 

 深く考えず、自分より下のポイントの相手に意気揚々と挑んでいく程には。

 

「おっ、新三バカ一号」

「お、おまえは…………っ!!??」

 

 だから。

 

 自分が挑んだ相手が、絶対勝てない相手(遊真)であった事に気付いた時、既に全てが手遅れだった。

 

 調子に乗った他の二人も既に遊真との対戦予約を入れており、取り消しは利かない。

 

 結果として三馬鹿(甲田たち)は、貯めていたポイントを容赦なく遊真に搾り取られる結果となった。

 

 この事が遊真のB級昇格を多少なりとも早めた事から、ある意味三人はボーダーへの貢献を果たしていたと言える。

 

「うそん」

「あんまりだあ」

「うぅ、悔しい。でも無理だこれ」

 

 まあ。

 

 色んな意味で自業自得なので、誰も同情はしない。

 

 尚、遊真にコテンパンにのされた三人であったが、三日後には以前の彼等に戻っていた。

 

 その難度折られても懲りないバイタリティーは、案外稀有なものなのかもしれなかった。

 

 

 

 

「C級では相手になっていないな。矢張り、最初からポイントを優遇しておくべきだったか」

 

 そんな三人相手の遊真の活躍を見て、忍田は渋い顔をしていた。

 

 遊真の戦闘力は、明らかにC級のそれではない。

 

 B級どころか、下手をすればA級にも匹敵する。

 

 そんな彼をC級ランク戦で戦わせるのは、雛鳥の群れに鷹を放り込むようなものだ。

 

 これならば最初からポイントを与えて早期にB級にした方が良かったのではないか、と考えるのも無理からぬ事と言えるだろう。

 

「いやあ、そう思って打診してみたんだが断られたよ。あいつ、あれで中々自分の立場をしっかり認識してるからな。外から余計な茶々を入れる隙は、作りたくないんだろ」

「確かに、彼が近界民(ネイバー)であるという事実が消えない以上、こちらから優遇をすれば万が一空閑の素性がバレた時に不利な材料となる。そのあたりも、承知しているというワケか」

 

 だが、林道や城戸の言う通り、遊真には近界民である、という事情がある。

 

 今彼の素性を知っているのは玉狛支部と上層部、そしてあの黒鳥争奪戦に参加した面々くらいなものだが、何かの拍子で誰かにバレないとも限らない。

 

 故に、此処で上層部が近界民である彼を優遇したという失点に繋がりかねない真似をするよりは自力でB級になった方が良いだろうと、遊真は判断するだろう。

 

 遊真はこの世界の事情については無知だが、頭の回転は悪くはない。

 

 自分の置かれた立場を客観的に認識しており、感情的にならずに正しい判断を下せる。

 

 その冷徹さが、数年間傭兵として生きて来られた所以なのだから。

 

「そうか。それなら仕方がないな。あの様子ならB級に上がるのもすぐだろうし、心配する事はないか」

 

 そういえば、と忍田は思い出したように呟く。

 

「三雲くんは、どうなんだ? 風間に勝ったという話が聴こえて来たが、本当なのか?」

「事実です。してやられました」

 

 忍田の問いに、風間は短くそう答えた。

 

 その言葉に忍田は目を見開き、城戸はふむ、と頷いた。

 

 A級隊員の中でも指折りの実力を持つ風間に、お世辞にも強いとは言い難い修が勝利した。

 

 それは。

 

 修が、知恵を駆使して風間に勝った事を意味している。

 

 この場の誰も、正面から実力で修が風間に勝ったとは考えていない。

 

 まともに正面からぶつかれば、修の実力で風間に傷を付けられる筈がないからだ。

 

 故に、何らかの絡め手────────────────()()を、用いたのだと予測出来る。

 

 格上相手に、戦術を駆使して勝利を得る。

 

 それは。

 

 この上なくボーダーで必要な、()()()()()()()()()に他ならない。

 

 ただ才能に甘えているだけでは、以前の香取のように遅かれ早かれ停滞を迎える。

 

 だが修は己の実力不足をきちんと認識し、それを補う努力を欠かさなかった。

 

 手を抜くなどしないであろう風間相手に一本取れたというのは、そういう事だ。

 

 そのあたりの事を見誤るような大人は、此処にはいない。

 

 風間も自身の意図が正しく伝わったと認識し、それ以上の事は口にしない。

 

 これ以上は、野暮というものだ。

 

「三雲が…………」

 

 一方、横で聞いていた三輪は胡乱な目をしていた。

 

 三輪にとって修は、「迅の身内」であり「近界民の関係者」という立ち位置だ。

 

 迅の失点を暴く為に近付きはしたが、正直彼個人に対する思い入れはあまり大きくはない。

 

 良くも悪くも、あの場に現れた七海のインパクトが強過ぎた為、相対的に修の印象が弱くなってしまったのだ。

 

 だから、その修があの風間相手に一本取った、と聞いても傍から信じられるワケがない。

 

 しかし、敢えて反論する理由も無い為、会話に加わる事はしない。

 

 三輪は迅との対話を経てある程度の寛容さを持つようになり、迅の関係者だからと無暗に噛みつく事もなくなった。

 

 あの対話がなければこの会議も理由を付けて欠席していたかもしれないが、今の三輪にそんな()()の思考はない。

 

 A級部隊の隊長として、やるべき事をしっかりこなす心づもりである。

 

 迅や遊真に対して思うところがないワケはないが、それよりも今の三輪は組織人としての立場を優先している。

 

 コドモであった彼の時代は、既に終わったのだから。

 

「遅くなりました。迅悠一、ただいま到着しました」

「よし、揃ったな。では本題に入ろう」

 

 迅が会議室に現れ、その場の空気が変わる。

 

 彼の入室により、全員の顔が引き締まる。

 

 迅自身は笑みを浮かべているが、その目は真剣そのものだ。

 

 全員の眼が、忍田へと向けられる。

 

「では、今回も近界民(ネイバー)の大規模侵攻に対するミーティングを執り行う。初参加の面々もいる事だし、説明を頼めるか。迅」

「お任せ下さい」

 

 忍田から水を向けられ、迅はこくりと頷いた。

 

 一歩前に出て、風間と三輪に視線を向ける。

 

 両者は黙って、迅の言葉を待っていた。

 

 それを見て迅は、話を始める。

 

「以前隊長会議でも話した通り、近界民の大規模侵攻と思われる未来が視えました。規模は、四年前のあれを超えます」

「あれを超える規模か────────────────敵の詳細は?」

「残念ながら。俺の予知は、会った事のない人間の事はぼんやりとしか見えないんだ。けど、一つ確かな事がある」

 

 それは、と迅が真剣な目で告げる。

 

「────────────────A級でも単独じゃ勝てないレベルの敵が、何人もやって来るって事だ。加えて言えば、そのうち一人はまともに勝てる未来が殆ど見えない。文字通り、規格外の奴がいる」

「「────────っ!」」

 

 迅の言葉に、風間達は息を呑んだ。

 

 既に知らされていた忍田達も、心穏やかではない。

 

 軽く見ていたワケではないが、こうして言葉にされると動揺を隠すのにも無理がある。

 

 何せ、A級でもやられるレベルの()が出て来るというのだ。

 

 身構えるのは、当然と言えよう。

 

 これまで彼等が経験してきた戦いはトリオン兵の駆除作業や、ボーダーの隊員とのランク戦が主だった。

 

 トリオン兵との戦いで危険を感じる事など早々ないし、ランク戦はそもそも命の危険がない仮想戦闘だ。

 

 切磋琢磨する競争相手ではあっても、敵と戦ったワケではない。

 

 だが。

 

 今回戦う相手は、明確にこちらを害する意思を持った存在────────────────即ち、本当の意味での()だ。

 

 その敵のレベルが、迅が此処まで言うほどのものだという事は。

 

 当然ながら、悪い予想もせざるを得ない。

 

「迅、聞かせろ。お前が視た未来は、どんなものだ?」

「色々あるよ。以前なら、最低限の被害に抑える策が成功した未来が有力候補の一つだった。最低限、とは言ってもC級は大勢連れ去られちゃうけどね」

「C級隊員が、か…………?」

 

 ああ、と迅は頷く。

 

「これは、あの学校でのイレギュラー門事件の時に三雲くんが戦闘体を破壊された場合に分岐する未来でね。C級に緊急脱出(ベイルアウト)がないと知った敵さんは、C級隊員の身柄に狙いを絞ったってワケ」

「だが、報告では三雲はあの場で戦闘体を破壊されてはいない。つまり」

「ああ、この未来の可能性(ルート)はもう殆ど無い。加えて言うなら、選ぶつもりも今は無いよ」

 

 迅は今は、という言葉を強調して話した。

 

 それを、見逃す風間ではない。

 

 もしや、という思いを抱いて風間は迅に詰め寄った。

 

「お前はまさか、必要と思えばわざと三雲に戦闘体を破壊されるまで追い込ませてそれを近界民に見せる気でいたのか?」

「それしか被害を減らす手段が無かったらそうしたよ。何せ、敵がC級を狙わないと街が破壊されたりA級が連れ去られる未来(ケース)だってあったんだ。それと比べれば、まだC級が攫われただけの方が取り返しがつくからね」

「そうか」

 

 敢えて露悪的に振舞う迅を見て、風間は目を細めた。

 

 迅が自分を悪者にしたがる自罰的な傾向がある事は、風間も良く知っていた。

 

 最近は改善傾向にあったがこれは一つ説教が必要か、と口を開きかけた時。

 

 迅は、でも、と続けた。

 

「もう、この未来を選ぶ気はないよ。これは、()()()()()じゃないからね」

「…………!」

 

 最善の未来。

 

 その言葉に、三輪が反応した。

 

 あの時。

 

 迅との対話の時、彼が言った言葉。

 

 ────────────────玲奈は、俺に願ったんだ。最善の未来に、辿り着く事を。なら、俺に休んでる暇はない。玲奈の想いを継いだんだから、俺はそれを叶えなくちゃいけない────────────────いや、叶えたいんだ────────────────

 

 

 好きだった女性に願われた、迅の誓い。

 

 それが、最善の未来へ至る事。

 

 彼が、その言葉を用いたという事は。

 

 今の彼は、本気だという事だ。

 

 あの対話を経て、三輪は理解していた。

 

 迅はただ、底抜けに不器用なだけの人間であるのだと。

 

 真っ直ぐ進む事しか出来ないから、敢えてあらゆる重荷を背負おうとする。

 

 それが、自分に出来る最善であると信じて。

 

 その強烈な自罰感情が、迅の源泉だ。

 

 そこまで詳しく聞いたワケではないが、戦争を経験した、というからには相応に悲惨な体験をしたのだろう。

 

 これだけの悲壮感を抱くには、無理からぬ程には。

 

 それに。

 

 迅が、四年前のあの日。

 

 街を、この世界を守る為に戦ってくれたという事実に変わりはない。

 

 これまでは姉の死から目を背けたいが故に認めて来なかった事を、三輪は此処に来て正しく認識していた。

 

 迅はあの日、彼に出来る最善を行って尚、届かなかった命があるのだと。

 

 三輪の姉は、彼が取りこぼさざるを得なかった命に一つでしかなかったのだと。

 

 だから、今は何も言わない。

 

 今迅は、己の胸襟を開いて自分たちに協力を求めている。

 

 ならば。

 

 これが、街を守る事に繋がるのならば。

 

「前置きは良い。それなら、お前はどんな未来を選ぶ気なんだ?」

 

 全てを飲み込み、力となろう。

 

 それが。

 

 迅と正しく向き合った、自分のやるべき事なのだろうから。

 

「────────────────最善を。最善の未来を。誰も死なない、いなくならない。そんな、最善の結果(みらい)を。俺は、望む。いや、掴んでみせる」

 

 だから、と迅は顔を上げ、告げる。

 

「協力して欲しい。今見える未来は、二つに一つ。最善の未来か、最悪の未来。そのどちらかだ。失敗すれば、多くの犠牲が出るだろう。それこそ、取り返しのつかない程に」

 

 でも、と迅はサングラスをかけ、顔を上げた。

 

「皆と協力して、全力でことに当たれば。きっと、最善の未来に辿り着くと────────────────俺は、信じている」

 

 迅の表情は、何処か晴れやかだった。

 

 憑き物が落ちた、とでも言おうか。

 

 余計な事に目をくれず、ただ明日だけを視ている。

 

 そんな気配が、今の彼からは醸し出されていた。

 

「俺は、七海や三雲くん、遊真だけに重荷を背負わせるつもりはない。確かにキーマンはあの三人だけど、それは俺たちが何もしなくていいってワケじゃ断じてない。だから、力を貸して欲しい。最善の未来を掴む為に、皆の力が必要なんだ」

 

 迅はそう言って、頭を下げた。

 

 それは、彼なりの真摯な願いであった。

 

 重荷を一人で背負う事の、辛さや虚しさを知るが故に。

 

 彼等だけに重荷を背負わせる事はしないと、迅は誓っている。

 

 その為には、ボーダー全体の協力が必要不可欠。

 

 故に、頭など幾らでも下げよう。

 

 そんな迅を見て、風間は。

 

 笑みを、浮かべた。

 

「顔を上げろ。そんな事をしなくとも、協力はするに決まっているだろう。俺たちは、ボーダーの防衛隊員なんだからな」

「そうだな。お前に言われずとも、自分の役割程度はこなす。当たり前の事だ」

 

 風間と三輪は、口々にそう告げた。

 

 その言葉を聞いて迅は苦笑し、城戸と忍田は穏やかな笑みを浮かべる。

 

 三輪を裏の広告塔として使っていた自覚のある城戸としては、この光景はとても喜ばしいものだ。

 

 今の三輪からは、以前のような張り詰めた破裂寸前の風船のような空気はなくなっている。

 

 鋭さそのものは変わらず、剥き身の刃が鞘に収まったような。

 

 そんな空気を、今の三輪からは感じ取れる。

 

 黒トリガー争奪戦は荒療治ではあったが、しっかりと成果は出たようだ。

 

 その事が。

 

 城戸は申し訳なく、そして同時に嬉しかった。

 

 三輪が、態度を軟化させただけではない。

 

 あの迅が。

 

 あの、誰に頼ろうともしなかった迅が。

 

 こうして、素直に協力を頼んでくれている。

 

 以前の迅を知るが故に、その事がとても感慨深い。

 

 その変化に少なからず七海が関わっていると聞いている為、城戸としては誇らしかった。

 

 誰もが、前を向いて変わっている。

 

 これならば。

 

 迅の言う通り、最善の未来に至る事が出来るのではないか。

 

 そう思うには、充分な光景であった。

 

「では、具体的な話に移ろう。会議を続けるぞ」

 

 そうして、ぶっきらぼうに会議を進める城戸の口元は。

 

 僅かに、しかし確かに。

 

 穏やかな笑みを、浮かべていた。

 

 その事に気付いていたのは、林道と忍田だけ。

 

 それで良いと、彼等は思った。

 

 何故ならば。

 

 子供の成長を喜ぶのは、大人の特権。

 

 ある意味で正しい、子供と大人の姿だったのだから。



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緑川駿①

 

 緑川駿は、迅悠一の大ファンである。

 

 何を隠そう、彼がボーダーに入った理由こそが彼にあるのだから。

 

 一年以上前のとある日、無断で警戒区域に侵入した緑川は当然の如くトリオン兵に襲われた。

 

 当時一般人であった彼に抗する手段などなく、目の前に迫るトリオン兵の姿に怯え切っていた。

 

 だが。

 

 その時、救いの手が現れたのだ。

 

 トリオン兵を一瞬で撃破し、緑川を救った相手。

 

 それが、迅なのである。

 

 何故、その日都合良く彼がその場に居合わせる事が出来たのかは分からない。

 

 修のように意図を持って助けた可能性はあるし、単にその日間に合うのが自分だけだったという可能性もある。

 

 しかし、緑川にとってはどうでも良かった。

 

 良くも悪くも、緑川は物事を深く考えたりはしない性格だ。

 

 あの日。

 

 自分を助けた彼の姿に、憧れた。

 

 だから、少しでも彼に近付きたくてボーダーに入った。

 

 同じ山育ちで幼馴染の黒江もまたボーダーに興味があったらしく、一緒に入る事になった。

 

 結果として、緑川には才能があった。

 

 入隊後の戦闘試験で好成績を叩き出し、A級部隊からスカウトを受けてB級に上がってすぐにA級隊員となった。

 

 ────────あなた、私のチームに入りなさい────────

 

 そう言って自分をスカウトしてくれた草壁隊長もまた、緑川の恩人の一人であると言える。

 

 彼女のお陰で、A級隊員という迅により近い位置まで数段飛ばしで上る事が出来た。

 

 その事に感謝しない日はなく、また彼女自身の人柄もなんだかんだ嫌いではない。

 

 隊の面々も人格者が揃っているし、居心地の良さも感じている。

 

 けれど。

 

 それでも、緑川の迅への崇拝に近い憧れは消える事はなかった。

 

 何せ、中学生の多感な時期に文字通りの命の危機を救われたのだ。

 

 それも、ヒーローのような格好良いシチュエーションで。

 

 その時の緑川の記憶に刻まれたインパクトは、忘れようがない。

 

 だから。

 

 風間さんに勝ったと噂のB級隊員が「迅に誘われて玉狛に転属」したと聞いた緑川の中に、嫉妬による明確な敵意が生まれていた。

 

 件のB級隊員、三雲修はお世辞にも強そうにも、格好良さそうにも見えない。

 

 にも関わらず、風間を倒したという噂が流布され、挙句に緑川の憧れる迅から直接支部へのスカウトを受けて転属したらしい。

 

 ズルい。

 

 そんな感情が、緑川の内に膨れ上がった。

 

 別に今の隊が不満であるとか、玉狛に入りたかったとか、そういうワケではない。

 

 ただ単純に、憧れの人に目をかけて貰っている目の前の隊員が許せない。

 

 それは嫉妬と呼ばれる感情であり、緑川自身それを自覚してはいない。

 

 けれど、一度生まれた敵意は消しようがない。

 

 未だ精神的に未熟で思春期真っただ中の緑川は、この敵意に巧く折り合いを付ける事など出来よう筈もない。

 

「今から俺と、個人(ソロ)のランク戦をしようよ」

 

 だから。

 

 それを目の前の相手にぶつける以外の選択肢を、今の緑川は持てなかった。

 

 今の緑川の発言は、周囲のC級隊員にも聞こえていた。

 

 というよりも、緑川自身が意図して周囲に聞こえるように喋ったのだ。

 

 目的は単純。

 

 目の前の隊員を大勢の前でボコボコにして、恥をかかせる事。

 

 子供の憂さ晴らしのような、幼稚な目的であった。

 

 特に後先などは、考えていない。

 

 ただ、胸の中のむしゃくしゃをどうにかしたい。

 

 今の緑川は表面上は冷静に見えるが、内心は感情任せに荒れ狂っていた。

 

 風間に勝ったという噂は気にはなるが、緑川の直感は目の前の相手が()()と告げていた。

 

 大方、風間が何らかの事情でハンデでも提示してたまたま勝たせて貰ったのが誇張して伝わっているだけだろう。

 

 そんな中らずと雖も遠からずの楽観をしながら、緑川はこいつをどう叩きのめしてやるか、と暗い感情を膨らませていた。

 

「…………」

 

 彼の後ろで。

 

 緑川をじっと見据える修の視線の意味に、気付く事なく。

 

 

 

 

『三雲緊急脱出(ベイルアウト)。1-0。緑川リード』

 

 機械音声が修の敗北を告げ、修の姿が消え失せる。

 

 一本目は、瞬殺に近かった。

 

 修は試合が始まると同時に逃走を開始したが、グラスホッパーを駆使する緑川に捕まり一撃で急所を射抜かれた。

 

 試合時間にして、僅か5秒。

 

 緑川の予想よりも更に呆気なく、一試合目は終わりを迎えた。

 

(なんだ、やっぱ雑魚じゃん。これなら楽勝だね。このままボコして終わりかな)

 

 気分良く勝った事で、緑川は早くも調子に乗っていた。

 

 無理もない。

 

 修は、緑川の動きに全く付いていけてはいなかった。

 

 これなら、B級下位の方がまだマシな動きが出来るだろう。

 

 それだけ、修の実力の低さは群を抜いていた。

 

(迅さんも見る目がないなあ。なんでこんなの、玉狛にスカウトしたんだろ────────────────考えたらムカついてきた。徹底的にやってやる)

 

『2本目開始』

 

 機械音声が二試合目の開始を告げ、目の前に修の姿が現れる。

 

 緑川は嗜虐的な笑みを浮かべ、スコーピオンを手に斬りかかった。

 

 

 

 

『三雲緊急脱出(ベイルアウト)。9-0。緑川リード』

 

 そして、9試合目も終わりを告げた。

 

 緑川の斬撃が修の首を落とし、決着。

 

 これで、9:0。

 

 未だに修は緑川に傷一つ付ける事は出来ておらず、勝ち星どころか手も足も出ていない状況。

 

 しかし。

 

(こいつ、雑魚の癖にうざい…………っ! 雑魚なら雑魚らしく、さっさとやられろっての…………っ!)

 

 勝者の筈の緑川は、何処か焦燥に駆られていた。

 

 その原因は、修の戦い方にある。

 

 一戦目では瞬殺された修だが、二戦目からはとにかく地形を利用して徹底的に逃げに徹し始めた。

 

 個人ランク戦では、互いが目の前にいる状態で戦闘が開始される。

 

 故にチームランク戦のように最初から隠れるという手が使えず、目と鼻の先に相手がいる状態で試合が始まる事になる。

 

 この形式はハッキリ言って、攻撃手が有利になり易い。

 

 射手は言うに及ばず、銃手もまた至近距離で攻撃手の相手をするのは避けたいのが常である。

 

 二宮や弓場といった例外を除き、攻撃手の距離で試合を始めざるを得ないというのは明確なハンデだ。

 

 そういう意味で、射手である修が初手で逃げを打つのはそうおかしい事ではない。

 

 射手が攻撃手に対して有利なのは、射程距離とその多角性。

 

 一度距離を稼ぐ事が出来さえすれば、攻撃手の攻撃範囲の外から一方的に、そして多角的に攻撃する事が出来るのが射手の長所だ。

 

 それを活かす為に距離を取ろうとするのは、まあ分かる。

 

 だが。

 

 修は完全に攻撃よりも守りを重視し、緑川の攻撃から逃れ続けた。

 

 当然の事ながら、相手を攻撃する為にはある程度足を止めなければならない。

 

 少なくとも、那須のような天才を除き完全に逃げに徹しながら攻撃を放ち続けても碌に相手に当たる事は早々にない。

 

 高機動と攻撃の両立は、そういった一握りの天才が持つセンスか血の滲むような鍛錬の積み重ねが必要になる。

 

 修には、どちらも足りていない。

 

 逃げに徹しながら的確に攻撃するセンスも、鍛錬を積み重ねた時間も、修には無い。

 

 だから、修は()()は行わなかった。

 

 彼がやったのは、スラスターを利用した逃げに徹しながらアステロイドを散発的に撃ち出すのみ。

 

 それも完全ないやがらせ目的だと分かる、無軌道な弾道で。

 

 狙いを付ける事が出来ないのなら、適当に弾をばら撒けば良い。

 

 そんな考えが透けて見えるような無軌道さで、修は逃げながらアステロイドを撃っていた。

 

 だが、逆にそれが緑川にとっては鬱陶しかった。

 

 完全に自分を狙った弾であれば、避けるのは容易い。

 

 しかし、修は碌に狙いを付けずに撃っている為、弾道の()()が読めないのだ。

 

 そして緑川はグラスホッパーを多用する、生粋のスピードアタッカーだ。

 

 一度に起動出来るトリガーが二枠のみである以上、グラスホッパーを両腕で起動すればシールドを張る事は出来ない。

 

 しかし、修の無差別射撃は彼が狭い路地ばかりを狙って移動している事もあり、全てを避けて躱すというワケにはいかなかった。

 

 故に緑川は片枠をシールドに使わざるを得ず、攻撃に使えるのは片腕のみ。

 

 当然緑川が攻撃に割くリソースは減り、その分修が死ぬのが遅くなったという寸法である。

 

 無論、最終的には修が落とされて終わっている。

 

 しかし、試合の決着までにかかる時間は一試合ごとに少しずつ伸びており、今の9試合目に至っては10分も粘られた。

 

 その事実が、緑川を大いに苛立たせていた。

 

 こんな雑魚に、手こずってしまっている。

 

 目の前の相手が弱いのは確かなのに、変に抵抗する所為で拮抗しているようにも見えてしまっている。

 

 先程から、あと一歩で落とせそうな所で逃げられる回数が増えていた事も、緑川のフラストレーションを貯める材料となっていた。

 

(もういい…………っ! 次で最後なんだ。さっさと、ぶっ飛ばしてやる…………っ!)

 

 緑川は完全に、頭に血が上っていた。

 

 勝てる相手なのに、此処まで手こずらされた。

 

 完全に格下に見ていた相手なだけに、自身の思い通りにいかない展開に冷静さを失っていた。

 

 事実として、修の実力は緑川の足元にも及ばない。

 

 そも、緑川自身が紛う事ない天才の部類なのだ。

 

 幼さ故の粗は目立つが、戦闘センスに関してはボーダーでも上位に入ると言って良い。

 

 というよりも、そうでなければ入隊早々A級部隊からの誘いなどかかる筈もない。

 

 素の実力から見れば、緑川と修ではそもそも勝負が成立するレベルには無いのだ。

 

 故に、緑川の修への評価はある意味正しい。

 

 まともにやれば、100回やって100回勝てる相手。

 

 それが、緑川から見た修なのだ。

 

 これまでの試合も、ただ修が最初から()()()()()()()()()()()逃げに徹したが故に長引いているだけに過ぎない。

 

 事実として、緑川と修の戦力差は全く埋まってはいない。

 

 現状は傍から見れば、緑川が100点を取れる筈のゲームで99点を取って駄々を捏ねているに過ぎないのだ。

 

 雑魚相手なんだから、すぐに片付けて当然。

 

 そんな傲慢が、緑川の焦りへと繋がっていたのだ。

 

 そこには、迅に目をかけられている修への敵愾心も含まれている事は言うまでもない。

 

『10本目開始』

 

 故に。

 

 緑川は10本目の開始と同時に、初手でグラスホッパーを大量に分割展開。

 

 それを足場にした、グラスホッパー使いの技術。

 

 乱反射(ピンボール)

 

 修を相手に、彼の十八番を見せつけるように繰り出した。

 

「…………!」

 

 無数のグラスホッパーを足場にした高機動は、緑川の最も得意とするところだ。

 

 グラスホッパーの使い手でも、彼ほど乱反射(ピンボール)を自在に扱える者はそうはいない。

 

 とはいえ、此処で使う必要があるかと言われれば否だ。

 

 乱反射は、防御の堅い相手を崩す為の牽制や、相手を足止めする時に使う()()()だ。

 

 少なくとも、実力で勝っている相手に悪戯に使うような技ではない。

 

 緑川がこの場で乱反射という手札を切ったのは、自分の技術の高さを相手に見せつける、以外のなんでもない。

 

 戦術的な目的ではなく、ただ自分の傲慢を満たす為の手札(トリガー)の選択。

 

 戦闘者としては、論外と言わざるを得ない。

 

 一応、逃げ回るのを阻止してこの場に留まらせるという目的がなくもない。

 

 しかし緑川にとっては自分の強さを見せつける事が最優先であり、そこまで深くは考えてはいなかった。

 

 もしも二宮あたりがこの場面を見ていたら、呆れていただろう。

 

 それだけ、この緑川の選択は無為な────────────────否。

 

 ()()()ものであったのだ。

 

 

(反応一つ出来てない。ま、雑魚なんだし当然か。()()()()()()()()()、後ろから首を落としてやる)

 

 自分の動きに翻弄されている修を見て溜飲を下げた緑川は、決着を着ける事にした。

 

 先程の9戦目と同じように、背後に回って首を落とす。

 

 そう決めて、修の背後に回り込むと同時に跳躍。

 

 一直線に、彼の首に向けて刃を振るう。

 

「え…………?」

 

 だから。

 

 その攻撃がレイガストで止められた事が、緑川は理解出来なかった。

 

 修は、緑川の動きに付いていけてはいなかった。

 

 それは、断言して良い。

 

 なのに何故、彼のレイガストはピンポイントでこちらの攻撃を防御しているのか。

 

「が…………っ!?」

 

 格下に防がれる事の無い筈の攻撃を防がれた事に混乱していて緑川の身体を、真下からの弾丸が撃ち抜いた。

 

 何が起きたかだけは、分かる。

 

 修が仕込んでいた置き弾が、緑川を射抜いたのだ。

 

 それは良い。

 

 良くは無いが、あれだけ無防備になっていたのだから攻撃を受けてしまってもおかしくはない。

 

 それよりも。

 

 何故、攻撃が防がれたのか。

 

 それだけが。

 

 どうしても、分からなかった。

 

『10本勝負終了。9対1。勝者、緑川』

 

 機械音声が、緑川の勝利を告げる。

 

 だが、勝者の筈の緑川の顔は。

 

 悔しさと困惑で、歪んでいた。



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緑川駿②

 

(…………負けた)

 

 緊急脱出用ベッドに放り出され、緑川は改めて自身の敗北を認識しため息を吐いた。

 

 結果としては9:1で緑川の圧勝であるが、そんなものは形の上だけだ。

 

 最後の一戦。

 

 緑川は見栄を張る為、実力を見せつける為にわざわざ乱反射(ピンボール)を使い、攻撃を仕掛けた。

 

 そしてその結果として攻撃が防がれ、攻撃失敗で頭が真っ白になっている隙に置き弾を撃ち込まれ敗北した。

 

 あの最後の一戦だけは、完敗と言って差し支えない結果だったのである。

 

 幾ら10本勝負で勝っていたとしても、最後の最後でケチが付いたのでは何の意味も無い。

 

 そもそも、10本ストレートで勝って然るべき勝負だった筈なのだ。

 

 緑川が認識した修の実力の低さは誤認でもなんでもなく、多く見積もってもB級下位レベルが精々だ。

 

 いや、トリオンの少なさを鑑みればそれ以下だろう。

 

 にも関わらず、緑川は最後の一勝を逃した。

 

 慢心があった事は認めよう。

 

 あの乱反射は無駄の極みだったし、勝負を焦っていた事も否定出来ない。

 

 だが。

 

 それだけで勝ちを譲る程、緑川は弱くはない。

 

 緑川が慢心し、焦っていた事が事実だとしても。

 

 あの背後からの一撃を修が凌いでいなければ、あそこで隙を晒す事は無かった筈だ。

 

(…………聞いてみるしか、ないかな)

 

 敗北によって、緑川の頭は冷えていた。

 

 彼の、三雲修の認識を改める。

 

 修は弱いが、ただの弱者ではない。

 

 それを確かめる為。

 

 緑川は、修のいるであろうブースへ向かった。

 

 

 

 

「…………なんとか勝てたか」

 

 冷や汗をかきながら、修はぐっ、と拳を握り締める。

 

 10本勝負を終えた修は、個室から共有ブースまで戻って来ていた。

 

 周囲からの視線を感じる。

 

 無理もない。

 

 風間を倒したという風聞に続き、誰が見ても明確な形でA級隊員から一本取ったのだ。

 

 最初は期待外れだったと嘯いていたC級隊員達も、この結果の前には認めるしかない。

 

 この少年は、只者では無い。

 

 その認識が、早くも彼等の間に広まっていた。

 

「三雲先輩」

 

 不意に、声が聞こえた。

 

 振り向けば、そこには真摯な目でこちらを見る緑川の姿。

 

 但し、その纏う空気は試合前の生意気そうな、悪餓鬼のようなそれではない。

 

 その視線には困惑と、幾ばくかの好奇が滲み出ていた。

 

「聞きたいんですけど。なんで、俺の攻撃が防げたんですか?」

「え…………?」

「三雲先輩の実力は、大体分かったつもりです。だから、分かんないんです。なんで、あの攻撃が防げたのかが」

 

 敬語を使おうて失敗しながら、緑川は修に先程の絡繰りを尋ねた。

 

 緑川から見て、修はあの攻撃が防げるレベルの実力は持っていない。

 

 にも関わらず、修は見事に緑川の攻撃を凌いでみせた。

 

 その理由が分からないと、緑川は言う。

 

 マグレ、という可能性は既に除外している。

 

 それならば、防御から置き弾での攻撃に移るまでの時間が短過ぎる。

 

 あれは、予め準備していた攻撃だった。

 

 緑川が攻撃を防がれ、隙を晒す事を初めから狙っていた。

 

 そのくらいは、緑川にも分かった。

 

 だからこそ、おかしいのだ。

 

 あの置き弾は、緑川の攻撃を防げるという確信が持てなければ意味のないものとなる。

 

 故に、修には緑川の攻撃を察知出来る何かしらの算段があったと考える方が自然だ。

 

 それを問われ、修は。

 

「確信してたワケじゃないけど、トドメは後ろから来ると思ってたよ。だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からね」

「…………!」

 

 その答えを、口にした。

 

 それを聞き、緑川はハッとする。

 

 確かに、修の言う通り緑川は三試合目以降ずっとトドメの一撃は背後から行っていた。

 

 緑川自身あまり意識してはいなかったが、三試合目で緑川の姿を見失い後ろから首を落とされる修を見て、要は調子に乗ったのだ。

 

 何度やっても緑川の動きを捉え切れず、繰り返し背後から殺される姿。

 

 緑川は中々修を落とせない鬱憤を、殺し方に拘る事である程度晴らしていた。

 

 それが。

 

 修に、大きな判断材料を与えてしまったと気付かずに。

 

「で、でもタイミングは…………っ!? 後ろから来る事が分かっても、いつ来るかはわかんないでしょっ!?」

「それについては、これまでの試合で緑川が攻撃に移るまでの行動を見てたからね。それである程度、攻撃が来るタイミングを予想しただけだよ」

「…………!」

 

 緑川は、瞠目した。

 

 一方的に負けた、9回の戦闘。

 

 その間、修はただやられていたワケではなかった。

 

 ()に徹し、虎視眈々と緑川の動きの把握に努めていたのだ。

 

 修は最初の一試合で、まともにやって勝てない事を理解した。

 

 だから、残る試合の殆どを観察に費し、最後の一戦で勝負をかけたのだ。

 

 丁度。

 

 風間の時と、同じように。

 

「それから、9試合目まではとにかく試合を長引かせる事を優先して動いたからね。あれだけやればストレスも溜まっているだろうから、攻撃に移るまではそれだけ早くなるだろうって思ったんだ」

 

 加えて、修は心理戦をも仕掛けていた。

 

 敢えて試合を遅延させる事に全力を尽くし、相手の精神から余裕を削っていく。

 

 そんないやがらせにリソースを投じていたからこそ、緑川は余裕をなくして短期決戦を仕掛けた。

 

 修の、想定した通りに。

 

「……………………そっか。三雲先輩って、結構えぐいんだね。なんか、七海先輩を見てるみたいだ」

「緑川も、七海先輩を知ってるのか?」

「うん、というか色んな意味で有名な先輩だから知らない人は殆どいないと思うけど────────────────って、俺も、って事はもしかして」

「一応。短い間だけど、指導して貰った事があるんだ」

 

 緑川は修の言葉を聞き、あー、と何処か得心したように頷いた。

 

 先程から感じていた、奇妙な既視感(デジャヴ)

 

 それは、以前に七海から感じていた容赦のなさ、クレバーさを思い出していたからだった。

 

 修が七海から指導を受けていたと聞き、緑川は納得した。

 

 この容赦のなさと良い意味での手段の選ばなさは、七海に通じるものがあると。

 

 以前、緑川は頭角を現していた七海にちょっかいを出し、見事に返り討ちに遭った事がある。

 

 ちょっかいを出した切っ掛けは今回と同じで、迅に目をかけられていると噂で聞いたから。

 

 故に同じような経緯で七海に挑み、当然のように一蹴された。

 

 緑川は確かに戦闘センスがずば抜けて高いが、七海には副作用(サイドエフェクト)による攻撃感知と、太刀川や風間といった上位の実力者達との戦闘経験が豊富にある。

 

 緑川には太刀川のような正道を極めた強さや精神的なブレなさも、風間のような非常に高い技巧や優れた判断力といったものがまだまだ足りない。

 

 彼等と毎日のように刃を合わせて来た七海からすれば、緑川の攻撃は単純でいなし易いものに過ぎなかったのだ。

 

 加えて、初見でメテオラ殺法に対処するのは中々に難易度が高い。

 

 七海は緑川がA級隊員であるという事実を軽視せず、一切の手抜きを行わずに全力で打ち倒した。

 

 その徹底した戦いぶりは、今も尚緑川の記憶に刻まれている。

 

 修と戦った後に感じた既視感は、七海と通じる容赦のなさであったのだ。

 

 あらゆる要素を計算に入れ、冷徹に勝利をもぎ取る強固な意志力。

 

 七海の持つそれを、修は確かに受け継いでいた。

 

 元からの素養もあったのだろうが、此処まで早期に花開いたのは七海が直接彼を指導していたが故だろう。

 

 これは、負けるべくして負けた試合だと。

 

 緑川は、納得せざるを得なかった。

 

「おい」

「え?」

 

 但し。

 

 彼本人が納得しても、緑川がしでかした事実は消えはしない。

 

 いつの間にか近くに来ていた遊真はぽん、と緑川の肩を掴み、攻撃的な笑みを浮かべた。

 

「ちょっと、ランク戦しようぜ(面貸せ)

「…………は、はい」

 

 緑川の思惑とは違った結果にはなったが、彼が悪意を以て観客(ギャラリー)を集めた事実はなくならない。

 

 そのあたりの事情諸々を悟った遊真は大切な隊長を笑いものにされかけた事に怒り、緑川をコテンパンにする事に決めた。

 

 既に一度修本人によって凹まされたようだが、だからといって遊真に容赦する気は微塵もない。

 

 結果として、緑川は遊真相手にストレート負けを喫する事になる。

 

 そして。

 

 その光景は、上層部の眼に留まる事になった。

 

 

 

 

「緑川が、ああも一方的にやられるか」

 

 映像を見た忍田は、遊真の圧倒的な実力に感嘆する。

 

 C級ランク戦の時点で高い実力を持っている事は分かっていたが、仮にもA級隊員である緑川が手も足も出ないレベルであるとまでは予想していなかった。

 

 ボーダーのトリガーに慣れたばかりであろうが、その程度のハンデは遊真には関係がないらしい。

 

 その場にいる誰もが、遊真の実力に瞠目していた。

 

「どうやら、彼の前に三雲も緑川と戦っているようですね。結果は────────────────9:1。最後に一勝していますね」

「…………!」

 

 加えて、風間の言葉に三輪もまた目を見開いた。

 

 修が風間に勝った、という話に関しても未だ半信半疑な三輪であるが、緑川に風間のような相手を試す甘さがあるとは思えない。

 

 公衆の面前で負ける事をみすみす許すようなタイプでもない為、この一勝は真実修自身の力で勝ち取ったものに間違いはない。

 

 緑川は経験不足故の未熟さは目立つが、戦闘センスそのものは非常に高い。

 

 加えて七海と同様スピードタイプの攻撃手(アタッカー)であり、修の地力で何の策もなく勝てる相手では決してない。

 

 此処まで来ると、三輪も認めざるを得なかった。

 

 修には、他とは違う何かがあると。

 

 迅が選んだだけの理由のある、特別な存在であると。

 

 三輪は内心で、修に対してそう評価を下したのだった。

 

「…………ふむ」

 

 同様に、城戸もまた三輪と同じような評価を下していた。

 

 風間相手に一度勝った事は認識しているが、彼と違い相手を試すつもりのない緑川相手にも勝った事から、修に何かしら光るものがあるという事は理解出来た。

 

 少なくとも、迅が選んだ相手として及第点に至るだけのものは持っている。

 

 迅を信じていなかったワケではないが、その彼が選んだ相手に相応の見どころがあると理解し、内心で安堵した城戸であった。

 

 そんな城戸達の内心の変化を察しつつ、迅はおもむろに立ち上がった。

 

「じゃ、そろそろ呼んで来ますね。今回の会議じゃ、あいつ等の力が必要ですから」

 

 

 

 

「三雲先輩、すみませんでした」

「いや、いいって。気にしてないよ」

 

 遊真に負けた緑川は、即座に修相手に土下座をかましていた。

 

 公衆の面前でそんな事をすれば当然の如く目立ち、周囲からはひそひそ声が聞こえて来る。

 

 何せ、修が緑川に勝ったというだけでも一大事なのに、未だC級である遊真がA級隊員を一方的にボコボコにしたのだ。

 

 話題性という意味でも注目の的であり、渦中の一人である緑川がそんな真似をすれば否応なく悪目立ちする。

 

 修としても周囲からの好奇の視線の度合いが流石に無視出来るレベルではなくなっていた為、慌てて緑川に土下座を止めさせた。

 

 まあ、既に手遅れの気がしなくもない。

 

 後日、「ショタ土下座先輩」というあだ名が流行ったとか流行らなかったとか。

 

「ぼくも良い経験が出来たし、それに風間先輩との話だって24敗1勝だったしね。実力以上の評判が立ってて困ってたし、丁度良かったよ」

「いや、実際に俺に勝ったし謙遜する事ないと思うけど。変な先輩だなあ」

 

 敢えて周囲に聞こえるように24敗1勝という結果を喧伝した修を見ながら、緑川は苦笑した。

 

 確かに、修は弱い。

 

 正面から戦えば、まず負けない相手だ。

 

 だが、弱くはあっても無力ではない。

 

 自分の実力の低さすら利用し見事緑川を嵌め殺した手腕は、評価されて然るべきものだ。

 

 それに、緑川は悪意を以て修を笑いものにしようとしたのに、それを気にする素振りが全くない。

 

 普通、ここは怒るところだ。

 

 公衆の面前で恥をかかされかけたというのは、普通ならば怒って然るべき場面である。

 

 にも関わらず、修はそれを些事であるかのように一切気にしていない。

 

 いや、事実としてどうでも良いのだろう。

 

 彼にとって他人からの自分への評価というのは目的達成の障害にならなければ、気にするに値しない事柄なのだろう。

 

 これが身内等に塁が及ぶのであれば態度を一変させるだろうが、修は自分自身の事について病的と言って良い程無頓着だ。

 

 先日の木虎の忠告で多少の方向習性は出来たものの、その根本は変わっていない。

 

 そんな修に益々七海との共通点を見出しつつ、緑川はため息を吐いた。

 

 変な先輩だけれど、遊真共々仲良く出来そうな気はする。

 

 そう思って、ふと顔を上げた。

 

「あ、迅さんっ!」

「え…………?」

「おう駿。久しぶりだな」

 

 その視線の先にいたのは、誰あろう迅悠一その人だ。

 

 迅は満面の笑みでじゃれついて来る緑川を相手にしながら、修と遊真に向き直った。

 

「遊真、三雲くん。城戸司令が呼んでる。ちょっと、付いて来て貰って良いかな?」

「城戸司令が…………?」

 

 ああ、と迅は頷き、告げる。

 

「ちょっと、()()の相談をね。色々と」

 

 そうして迅は。

 

 修達を、会議の場へと誘った。

 

 来る、大規模侵攻。

 

 その、対策会議へと。



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三雲修⑧

「しかし、オサムは凄いな。ミドリカワの奴、オサムが普通にやって勝てる相手じゃなかったろ。一本取るなんて、まず無理だった筈なのに」

「七海先輩達の指導のお陰だよ。あれがなきゃ、勝ち筋すら見えなかったさ」

 

 迅に連れられて会議室に向かう最中、遊真の称賛を受けた修はそう言って苦笑した。

 

 確かに勝ちはしたが、形式上は9:1でボロ負け。

 

 彼としては、確かに得るものはあったがあまり見栄えの良い結果ではないと認識している。

 

 周囲の目を見張る偉業を達成したというのに、自己評価が低いのも相変わらずのようだ。

 

「いや、本当に凄いと思うよ。緑川は現時点で三雲くんが勝てるレベルの相手じゃなかった筈だし、一度とはいえそれを出し抜いたのは誇って良いと思う」

「ああ、オサムは少し自分を低く見過ぎだ。自分の力に驕る奴は長生きしないけど、縮こまってばかりじゃ舐めた真似して来る奴が出て来るぞ」

 

 さっきの緑川みたいにな、と、遊真はジト目で修を見据える。

 

 修は、自己評価がとても低い。

 

 称賛されて然るべき事をしても、それを客観視する事が出来ない。

 

 というよりは、自分を褒める、という思考がそもそも無いのかもしれない。

 

 恐らくそれは、彼がこれまで成功体験に恵まれなかった事も関係しているのだろう。

 

 修は、見て見ぬふりという事が出来ない。

 

 目の前で理不尽が起きれば手を出さずにはいられないし、その結果自分の評価がどうなったとしても一切頓着しない。

 

 だが、頓着はせずとも周囲からの評価は耳には入る。

 

 だから、それを聞き続けた事が何らかの影響を及ぼしている可能性は否定しきれないだろう。

 

 驕ってミスをするよりは良いのかもしれないが、その姿は周りから見れば自分に自信のない、冴えない人間に見える。

 

 故に今回の緑川のような存在にちょっかいをかけられ易くなり、大抵の場合修は自分に悪意が向けられている事に気付きもしないから報復をする、という思考に至らない。

 

「そうか。気を付ける」

(気を付けるだけじゃ意味ないんだけどなー。ま、そこらへんはおれが気にかければいっか)

 

 遊真はそんな修の姿を見て、内心でため息を吐いた。

 

 これは、筋金入りだ。

 

 一朝一夕ではどうにもならない以上、周りが気を付けるしかないだろう。

 

 元より、修から離れる気など欠片もない。

 

 この優しく不器用な隊長を守ると決めた以上、生半可な事で降りる気は無い。

 

 遊真は一人決意を新たにして、隣を歩む修を見て苦笑したのだった。

 

「お、白チビに迅さん、あとメガネじゃねーか。そっち行くって事は、会議か?」

「おつとめごくろうだぞ。さんにんとも」

 

 そんな折、廊下の向こうから陽太郎を連れた米屋が声をかけて来た。

 

 米屋はいつもの軽いノリでこちらに話しかけているが、何処か迅に対して意味深な視線を向けている。

 

 それに気付いた迅は、一歩前に出て米屋と向き合った。

 

「この前はすまなかったね。三輪を利用するような形になって」

「いや、あれはあれで必要な事だったと思うしもう気にしてねーっすよ。三輪の奴も良い感じになったみてーだし、何も言わずにあいつを止めなかった俺も同罪っちゃ同罪ですし」

 

 米屋はそう言って、迅の謝罪を受け入れた。

 

 遊真を巡った騒動の渦中においては三輪を利用していた事を良く思っていなかった米屋であるが、既にその事に対する禍根はない。

 

 何故ならば、黒トリガー争奪戦が終わり、迅との対話を終えた後の三輪を見たからだ。

 

 その時の三輪は米屋が見た事がないような吹っ切れた顔をしており、張り詰めた糸のような精神状態から脱したのは明らかだった。

 

 三輪を利用していた事に思うところはあるものの、その結果がこれであるならある程度は飲み込める。

 

 多少の痛みは伴ったようだが、三輪が良い方向に向かったのであれば米屋としては喜ばしい。

 

 自分は何処までも追従するだけであり、変化を齎す、という方向性には至れなかった。

 

 その事自体は後悔してはいないが、それでも友達の顔が曇っているよりは晴れていた方が気分が良い。

 

 そう考えて、全てを水に流す事にした米屋であった。

 

「そうか。三輪は良い友人を持ったな」

「なんか迅さん、あいつの保護者みてーっすね」

「三輪には言わないでくれよ。多分、怒るだろうからね」

 

 了解了解っと、と米屋は笑って答えた。

 

 唐突に迅の視界にジト目で自分を睨みつける三輪の未来(すがた)が映った気がしたが、気にしない事にしておく。

 

 特に悪い方向に転がる道筋(フラグ)には見えないし、これまで没交渉だった三輪と少しでも話す機会が訪れるのなら構わない。

 

 嘘が見抜ける遊真も米屋の真意には気付いていたが、迅本人が何も言わないので口は出さない。

 

 そのあたりの分別は、ある程度出来るのである。

 

「じゃあ、城戸さんに呼ばれてるからもう行くよ。陽太郎を────────」

 

 頼んだ、と言おうとした迅の前に、雷神丸に乗った陽太郎がずい、と進み出てにやりと笑う。

 

「迅、おれもいくぞ。おうじとして、みとどけるぎむがあるからな」

「いや、陽太郎は────────」

「いくぞ。ようすけ、せわをかけたな」

「あ、待てって」

 

 迅の言葉を聞かず、雷神丸に乗って陽太郎は会議室に向けて進み始めてしまった。

 

 彼を一人で行かせるワケにもいかず、迅は仕方なく後を追いかける。

 

 米屋は「じゃあなー」と手を振っており、追いかける気はなさそうだ。

 

 まあ、とうの本人からお役御免を言い渡されては仕方がないだろう。

 

 ……………………その本人が、幼い子供であり傍目から見れば判断力に欠如している事は置いておいて。

 

「空閑、ぼくたちも行くぞ」

「そうだな。んじゃ、よーすけ先輩。また今度」

「おう、今度はちゃんと戦おうぜー。いつでも待ってるからなー」

 

 修と遊真もまた迅と陽太郎を追いかけ、その場を後にした。

 

 米屋は二人を見送ると踵を返す。

 

 そして、思い出したように呟いた。

 

「さて、大規模侵攻関連の会議ってのは聞いてっけど、どうなるのかね。出来れば、良い方向に向かって欲しいけどな」

 

 

 

 

「遅い、なにをモタモタやっとるっ!」

「またせたなポン吉」

「何故お前が居るっ!?」

 

 少々遅れて到着した面々を注意する鬼怒田に、何故か陽太郎が返答して目を丸くされた。

 

 同席していた宇佐美は米屋に預けた筈の陽太郎がこの場にいる事を疑問に覚え問うていたが、とうの陽太郎は「かれはよくやってくれました」と要領を得ない。

 

 迅に目を向けても苦笑するだけであり、宇佐美は仕方ないか、と陽太郎の存在を許容した。

 

「時間が惜しい。始めよう」

 

 最高責任者である城戸もまた、それを黙認した。

 

 これが一般人相手であれば追い出していたかもしれないが、ある意味陽太郎は最重要クラスの関係者だ。

 

 裏の事情まである程度知っている事から、居ても問題は無いと判断したのだろう。

 

 そんな事情を知らない鬼怒田や三輪といった面々は違和感を覚えていたが、敢えて説明するつもりは城戸にはない。

 

 陽太郎の存在は、機密中の機密にあたるのだから。

 

「事情を知る者しかいない為、単刀直入に言おう。迅の予知で近々近界民の大規模侵攻がある事は、知っての通りだ。今回はそれに関して、遊真くん。君の近界民(ネイバー)としての意見を聞きたいと思ってこうして召集させて貰った次第だ」

「ふむ、近界民(おれ)としての意見か」

 

 ああ、と忍田は頷く。

 

「知りたいのは攻めて来る国が何処か、どんな攻撃をして来るか等だ。君の視点からしか分からない情報も多いだろうから、可能な範囲で構わない。協力して欲しいんだ」

「なるほど。そういう事なら、おれの相棒に聞いた方が早いな」

 

 遊真はそう言うと「よろしく」と言って懐からレプリカを出した。

 

 その珍妙な姿を始めて見た三輪や風間は目を見開き、事前に聞いていたが姿を見るのは初めてな城戸はほぅ、とレプリカを凝視した。

 

『はじめまして。私の名はレプリカ。ユーマのお目付け役だ。ユーマの父ユーゴに作られた、多目的型トリオン兵でもある』

「トリオン兵だと…………っ!?」

 

 トリオン兵、という言葉に思わず反応した三輪であったが、よくよく考えてみれば遊真は近界民なのだ。

 

 そう考えれば、トリオン兵の一体は持っていてもさほどおかしくはない。

 

 まあ、こんな風に流暢に言葉を話すトリオン兵、というのは流石に面食らいはしたのだが。

 

『私の中にはユーゴとユーマが旅した近界(ネイバーフッド)の国々の記録がある。恐らく、そちらの望む情報も提供出来るだろう。本来ならば此処で遊真の身の安全について問うつもりだったが、それについては確約を既に得ていると承知しているから問題は無いだろう』

「ああ、ボーダーの隊務規定に従う限りは隊員・空閑遊真の身の安全を保障する。それは以前約した通りだ」

『了解した。では、話を始めるとしよう』

 

 城戸からの確約を改めて確認し、レプリカは情報の開示を承った。

 

 迅と城戸の間の密約に関しては、レプリカ側も既に知らされているが故に敢えて此処で問う事はないのだが、これは事情の全てを知るワケではない風間や三輪に対する措置でもある。

 

 こうして改めて言葉にする事で、遊真の立場を強固にするのが目的だ。

 

 三輪や風間も既に決まった事である以上、口を挟む事はしない。

 

 それよりもまず、大規模侵攻に備えての情報を得る事が先決なのだから。

 

『知っての通り、近界(ネイバーフッド)の国々は惑星のように果ての無い暗黒を決まった軌道で回っている。そしてこちらの世界、我々の言葉で言う玄界に近付いた時のみ、遠征艇を放ち門を開いて侵入する事が出来る。攻めて来るのがどの国か、という問いに関しては、今現在こちらの世界に接近している国のうちのいずれかだ』

「そこまでは分かっとる。知りたいのはそれがどの国か、そしてその戦力や戦術だっ!」

『どの国がそうなのかを説明するには、ここにある配置図では不十分だ。私の持つデータを追加しよう』

 

 そうして、レプリカは林道と宇佐美に頼み自身のデータを配置図に追加した。

 

 現れたのは、先程の数倍に拡大・拡張された軌道配置図。

 

 その規模、精度に集まった面々は感嘆の息を漏らす。

 

 無理もない。

 

 これだけの情報を得る為には、膨大な時間をかけて近界を渡り歩かなければならない。

 

 それこそ、命の危険すら顧みずに。

 

 その軌跡に亡き雄吾の面影を感じながら、城戸や忍田といった旧ボーダーの面々はその配置図に見入っていた。

 

『この配置図によれば、現在こちらの世界に接近している惑星国家は4つ。広大な豊かな海を持つ水の世界、海洋国家リーベリー。特殊なトリオン兵に騎乗して戦う、騎兵国家レオフォリオ。厳しい気候と地形が敵を阻む、雪原の大国キオン』

 

 そして、とレプリカは多少の勿体を付けて続けた。

 

『────────近界(ネイバーフッド)最大級の軍事国家、神の国アフトクラトル。以上が、現在この世界に侵攻して来る可能性のある国だ』

「その4つのうちどれかが、あるいはいくつかが大規模侵攻に絡んでくるという事か?」

『断言は出来ない。未知の国が突然攻めて来たり、決まった軌道を持たない乱星国家が攻めて来る可能性もある』

「細かい可能性を考え出したらキリがない。今ある情報からの推察を行うとしよう」

 

 城戸の言葉にそうですね、と風間が口を開いた。

 

「先日の爆撃型トリオン兵と、偵察用小型トリオン兵。あれらが大規模侵攻の前触れなら、そこから推測できる事もあるんじゃないか?」

「それだったら確率が高いのは、アフトクラトルかキオンだな。イルガー使う国ってあんまりないし、そもそもあのやり方は大国じゃないと出来ないと思うぞ」

「ふむ、それは何故かね?」

 

 遊真の見解に、城戸はそう問うた。

 

 訝しんでいるワケではない。

 

 傭兵として近界を渡り歩いた遊真がこう言うのであれば、何らかの根拠があると見込んでの事である。

 

「こないだのモールモッドにしろイルガーにしろ、使い捨てみたいなやり方だったろ? トリオン兵を作るのだってタダじゃないから、あんな使い方が出来るなら相当の大国だろうな、ってだけだよ」

「成る程、納得のいく話だ」

 

 確かに遊真の言う通り、敵はトリオン兵を湯水のように使い捨てるやり方を取っている。

 

 トリオン兵を生産するにも相応のコストがかかる以上、小国がそんな真似をすれば徒にリソースを消費してしまう。

 

 それが出来るという時点で、大国であるキオンやアフトクラトルに相手が限定されるという事だ。

 

「今はひとまずその二国が相手と仮定して対策を進めよう。相手の戦力と戦術は勿論だが、敵に黒トリガーがいるかどうかも分かるのならば教えて貰いたい」

『我々がその国に滞在したのは七年以上前であり、現在の状況とは異なるかもしれない。その前提で聞いて欲しい。当時、キオンには6本────────────────そしてアフトクラトルには、13本の(ブラック)トリガーが存在した』

「13本…………!」

 

 黒トリガーが、13。

 

 その力を知る身としては、脅威どころの話ではない。

 

 もしも万が一、13本もの黒トリガー使いが一斉に襲って来ればどうしようもない。

 

 それだけ、黒トリガーというのは絶大な戦力なのだから。

 

『しかし黒トリガーはどの国でも希少な為、通常は本国の守りに使われる。よほどの事情がなければ、遠征に投入されるのは多くても一人までだろう。遠征艇のサイズも限られている以上、相手の主戦力は卵の状態で保持出来るトリオン兵にして遠征の人員は少数に絞るのが基本だ』

「そうだろうな。しかし、今ある情報から二国のどちらなのかは推察出来ないのか?」

『難しい、と言わざるを得ないな。今言ったように我々が滞在したのが七年以上前である以上、現在の状況まで分かるワケではない。機密情報も、全てを知り得たワケではないからな』

 

 そうか、と忍田は仕方ないか、といった顔で頷く。

 

 確かに、現在の情報だけではキオンとアフトクラトルのどちらなのかを絞るのは難しい。

 

 筈、なのだが。

 

(なんでだろう。今、何か浮かんだような…………)

 

 その話を聞いていた修は、僅かな引っかかりを覚えた。

 

 近界についての説明であったから、以前のレプリカの話を想起したのだろうと考えて。

 

 ────────────────惑星国家を十全に運用する為には、トリオンの高い者をこの「神」にしなければならない。「神」が死ねば国の運用は立ちいかなくなり、瓦解する。故に「神」が死ぬ時期になれば、次の「神」を確保する為に遠征を繰り返す国もある。7年以上前に滞在した、アフトクラトルなどがそうだ────────────────

 

「…………あ」

 

 ────────────────あの時の、レプリカの言葉を思い出した。

 

 そう、レプリカは確かに言った。

 

 アフトクラトルは、「神」を確保する為に遠征を繰り返す国であると。

 

 そして。

 

 近界最大級の、()()国家であるのだと。

 

 軍事国家という事なら、砲艦外交を主としている国である可能性が高い。

 

 ならば。

 

 最も可能性が高いのは、アフトクラトルではないか。

 

 そう思い至った修は、意を決して口を開いた。

 

「あの、ちょっと良いですか」

「ああ、何か気付いた事があるのかな? 構わない。聞かせてくれ」

「ありがとうございます」

 

 修は忍田の許可を得て、レプリカに話を切り出した。

 

 己の至った、推察について。

 

「レプリカ、以前話してたよな。アフトクラトルって国は、「神」を確保する為に遠征を繰り返す事があるって。それなら、今回がそうである可能性ってあるか?」

「────────!」

『…………! 成る程、失念していたな。確かに、時期的におかしくはない。その可能性は大いに有り得ると言えるだろう』

 

 修の話をレプリカが肯定し、同時に迅が目を見開いた。

 

 傍目から見れば、修のなんてことはない僅かな気付き。

 

 だが。

 

(未来が、変わった。良い方向に、向かい始めてる…………!)

 

 その一言で、迅が視える未来の道筋(ルート)が開拓された。

 

 たった一言。

 

 だが。

 

 その一言が、未来の流れを明確に変えた。

 

 それを実感し、迅は期待を込めた目で修を見据えた。

 

 矢張り、自分は間違っていなかった。

 

 彼は。

 

 どん詰まりの運命を変えるに足る、逸材だ。

 

 たとえ無力でも、彼には彼しか出来ない事がある。

 

 その事を改めて確信し、迅は気持ちを新たにした。

 

 これなら、いけるかもしれない。

 

 そう、期待して。

 

『では、アフトクラトルについて話をしよう。この国が相手であるのなら、伝えておくべき事が幾つかある』

 

 レプリカはそう口にして、話を始めた。

 

『トリガー(ホーン)と、()()()()()。この二つについて、まずは話をするとしよう』

 

 軍事国家、アフトクラトル。

 

 彼等の誇る、脅威について。




 米屋が遊真と一緒にブースに来なかったのは、原作と違い三輪が会議に出ていた為米屋の行動が変わった為です。原作との差異が行動パターンの変化を生んだワケですね。


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アフトクラトル②

 

「トリガー(ホーン)と、ラービット…………? それは一体、どのようなものなのかね?」

 

 レプリカの話を聞き、城戸が神妙な顔でそう尋ねる。

 

 話の流れからして、厄介なものである事は予測出来る。

 

 内容が気になるのは、当然の話だ。

 

『アフトクラトルの保有する黒トリガーの詳しい能力までは、私にも分からない。故に黒トリガーに関する情報提供は出来ないが、それを抜きにした場合の脅威度が高い事柄がこの二つである為先んじて話しておく事にした。まず、トリガー(ホーン)について説明しよう』

(ホーン)…………ツノ、か? 鹿やヤギのような」

 

 そうだな、と鬼怒田の問いに頷きながらレプリカは続けた。

 

『厳密には角ではなくトリオン受容体だが、外見上は角に見える筈だ。アフトクラトルが攻めて来るなら、まず間違いなくこの()()()が戦線投入されるだろう』

「それは具体的には、どのようなものなんだ?」

『簡単に言えば、人為的にトリオン能力を高い人間を作り出す研究の成果だ』

「…………!」

 

 人為的に、トリオン能力の高い人間を作る。

 

 その言葉に、集まっていた者達が息を呑んだ。

 

 通常、トリオン能力というものは生まれた時に決まっており、多少の上下はするがその絶対量が劇的に変わったりする事はまず有り得ない。

 

 筋肉のように、鍛えれば確かな成果が出る、というものでもないのだ。

 

 それを、人為的に、人工的に増やす。

 

 それがどれ程の脅威であるかは、言わずもがなである。

 

『アフトクラトルでは以前より、トリガーを加工したトリオン受容体を幼児の頭部に埋め込み、後天的にトリオン能力の高い人間を作り出す研究が進められていた。我々が滞在していた時点で既に実用段階にあった技術である為、本当に「神」を探して侵攻して来るのであれば使わない手はないだろう』

「角があると、具体的に何が変わる? トリオンの量か?」

『量に加えて、質も変化する。「角つき」が使うトリガーは武器というよりは()()()()()と言った方が良い。簡単に言えば、トリオン量とトリガーの練度が通常とは比較にならないレベルになるという事だ』

 

 トリオンの増加に加えて、練度の上昇。

 

 それが本当ならば、恐るべき技術である。

 

 通常10割が才能頼りにする他なかったトリオン量を人為的に上げるだけではなく、トリガーの練度さえも調整を加える。

 

 聞く限り人体実験まがい────────────────いや、()()()()によって得た禁忌の類の技術だろう。

 

 この世界と近界、しかも軍事国家というのであれば倫理観に差異があるのは当然ではあるが、幼児の段階で手を加えるという段階で碌なものではあるまい。

 

 その技術の方向性に忍田は眉を顰め、城戸も僅かに表情を険しくした。

 

 旧ボーダー時代の経験で実際に戦争というものを体験している分そういった事柄には耐性があるのだろうが、そもそもの話として二人は良識ある大人である。

 

 これから戦う事になる相手がそういった手段を問わない手合いである事を思い、警戒度を引き上げるのは当然だ。

 

 勿論、技術の禁忌性に関しても良い感情を抱いていないのも理由の一つではあるのだが。

 

『加えて、角を使って黒トリガーとの親和性を高める研究もされていた。黒トリガー持ちの角付きの場合、角が黒く染まる。覚えておいて欲しい』

「角が黒ければ黒トリガー所持者、という事か。了解した」

 

 レプリカの説明に、忍田は頷く。

 

 人為的にトリオンを増やした敵兵士、というだけでも厄介なのにそれに黒トリガーまで加わるとなると良い予想は出来ない。

 

 だが、警戒すべき相手が一目で分かるというのは朗報ではある。

 

 少なくとも「相手が黒トリガーである」という情報を知っているかどうかで、対処方法は違ったものになるからだ。

 

 黒トリガーの能力は千差万別だが、総じてノーマルトリガーには無い高出力であるという特徴がある。

 

 迅の風刃であればその射程距離と攻撃速度に特化し、加えて物体を斬撃が伝播するという特殊性を備えている。

 

 尋常ではない射程と弾速、そして初見殺しの特殊性。

 

 それが、風刃という黒トリガーの性能上の脅威となる。

 

 そのどちらも、ノーマルトリガーでは成し得ないものだ。

 

 射程は狙撃銃のそれを超え、弾速は弓場の早撃ちを上回る。

 

 そういった脅威があると事前に知っていれば、ある程度やりようはある。

 

 もっとも、黒トリガーは大抵初見殺しの性質を持っているので、初めて相対した際になんとかするのは少々無理がある。

 

 だが、それならそれでやりようはあるのだ。

 

 黒トリガーに最初に相対した者は時間稼ぎと情報収集に努め、後続のエースが敵を討ち取る為のサポートをする。

 

 そういった動きが、可能となって来るのだ。

 

 少なくとも、それを聞いた風間や城戸といった面々はそういった戦術を頭の中で組み始めている。

 

 これで一歩、前に進んだと言える。

 

『トリガー(ホーン)によって強化されたトリガーは、黒トリガーでなくともそれに近い出力を発揮するであろう事が考えられる。角が黒くなかったからといって、侮る事は出来ないだろう』

「要は、とんでもねぇトリオン強者の集まりみたいなモンって事か。確かにそりゃあ、厄介だな」

 

 林道の言う通り、総括するとアフトクラトルの精鋭は誰も彼もかなりのトリオン強者の集団、という事になる。

 

 たとえ黒トリガーでなくともそれに近い出力を出せるという事は、相当な脅威だ。

 

 というよりも、そもそもの話近界のトリガーは黒トリガーでなくともこちらから見れば未知の塊だ。

 

 通常規格のトリガーだとしても、その能力は千差万別。

 

 あちらの通常規格が、こちらと同じとは限らない。

 

 現に、独自の技術を用いている玉狛のトリガーはどれもピーキーな性能を持った代物だ。

 

 癖が強いが、嵌まれば強力極まりない。

 

 それが近界の基本的(スタンダード)なトリガー運用であり、近界のトリガーである、というだけで脅威度は跳ね上がる。

 

 汎用性を重視したボーダーのトリガーとは、そもそも設計思想が違うのだ。

 

 汎用性を捨てた、一点ものの特化型。

 

 それが近界民の操るトリガーであり、トリガー使いの数と汎用戦力を重視するこちらの世界と、精鋭に戦力を集中させる近界の違いである。

 

 要は、こちらは多くの隊員に行き渡らせているリソースを、相手は数人に絞って注ぎ込んでいるのだ。

 

 遠征艇に乗れる人数に限界がある以上当然の設計思想であり、その分個々人の戦闘能力が高い。

 

 軍事国家であるアフトクラトルの人間であれば、尚の事だ。

 

 それが、今回敵とする相手。

 

 一筋縄でいかない相手である事は、目に見えていた。

 

「トリガー(ホーン)については了解した。それで、ラービットというのは何かね?」

『ラービットは、当時アフトクラトルで開発中だった特殊なトリオン兵の事だ。今回の侵攻が大規模なものであり、「神」を確保する為のものとなればこれが出て来る可能性が高い』

「トリオン兵か。何か、厄介な能力を持っているのか?」

 

 忍田の質問は、イルガーの自爆機能のように厄介な特性を備えたトリオン兵なのか、という意味である。

 

 通常、トリオン兵とは雑兵だ。

 

 撃破そのものはある程度経験を積んだ隊員であれば問題はなく、精々数が集まれば手間がかかる、といった程度だ。

 

 故に、トリオン兵一個体の戦力そのものは脅威とはならない。

 

 それが、ボーダーの────────────────否。

 

 戦場における、常識だった。

 

『────────いや、単純に()()のだ。何故ならば、ラービットは()()()()使()()()()()()()()()()()()()()捕獲型トリオン兵なのだから』

「「「!」」」

 

 だが。

 

 その常識は、レプリカの一言により打ち壊された。

 

 トリガー使いを捕獲する為の、トリオン兵。

 

 それは即ち。

 

 ()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()である事を意味している。

 

「その戦力は、どの程度だ?」

『私が今現在持っているボーダーのデータを元にすれば、A級隊員であっても単独では厳しいだろう。キトラやカザマといったエース級ならば単独撃破の可能性はなくもないが、確実とまでは言えないだろう』

 

 A級でも、単独撃破は不可能。

 

 それほどの能力を持ったトリオン兵が現れると聞き、その場にいた全員は危機感を露にした。

 

 トリオン兵は遠征兵と違い、卵にして大量に持ち込める。

 

 もしも、そんな能力を持ったトリオン兵が山ほど攻めて来たら。

 

 どう考えても、最悪の未来しか浮かばない。

 

 ()()()()()というのは、それだけで盤面を圧倒する力があるのだから。

 

『しかし、当然そのような性能である以上他のトリオン兵と比べてコストが段違いに高い。ラービット一体作り出すだけでもイルガーの3倍以上のリソースが必要になる為、そこまで多くの投入は無い筈だ』

 

 だが、とレプリカは続ける。

 

『アフトクラトルは近界(ネイバーフット)最大級の軍事国家であり、強国だ。もしも「神」の確保の為にある程度の赤字を覚悟で戦力を投入して来た場合、数十体のラービットが戦線へ送り込まれる可能性はある』

「奴さんは要するに、尻に火が点いてる状態だからな。後先よりも確実性を優先して来るケースは、充分考えられるって事か」

 

 林道が同意した通り、アフトクラトルが「神」の確保の為に動いているのだとすれば、それは彼等の国の「神」が死に瀕している事を意味している。

 

 「神」がいなければ国家運営が立ちいかなくなる以上、次代の「神」の確保はアフトクラトルにとって急務だ。

 

 それこそ、普段であればまず送らないレベルの戦力を送り込んでくる可能性は大いにある。

 

 楽観的な予想は禁物、という事だ。

 

『加えて、実用段階にあるかは不明だがラービットはトリガーの能力を簡易的に搭載する計画もあったと聞く。こちらについても念頭に置いておいて欲しい』

「ただでさえ厄介なのに、初見殺しが来る可能性もあるワケか。つくづく面倒なトリオン兵だな」

 

 更にトリガー能力まで搭載されているとなれば、その脅威度は言わずもがなだ。

 

 流石にそういった特殊個体はそう数が多いとは思えないが、それでもそういった「別物」がいるというだけで対処の難易度は跳ね上がる。

 

 これは確かに、厳しい戦いになりそうだ。

 

「その特殊個体を見分ける方法は、ないのか?」

『あくまで予想ではあるが、トリガーを搭載する機能はトリガー(ホーン)の技術を流用したものである可能性が高い。ならばそういった個体は高確率で()が異なる、という可能性が考えられる』

()()()はトリガー機能付き、って事ね。了解した」

 

 また一つ、新たな情報が加わっていく。

 

 もし、この情報がないまま大規模侵攻の日を迎えていれば、かなりの確率でラービットに戦場をかき乱される事になった筈だ。

 

 そう考えると、本当にレプリカの情報は値千金であると言える。

 

 此処までの情報提供が出来たのも、攻めて来る相手がアフトクラトルであるとほぼ確定したからだ。

 

 キオンとアフトクラトルの二者択一状態であれば、先入観を避ける為にレプリカはトリガー(ホーン)の情報のみに留めた可能性が高い。

 

 加えて、早期から腹の探り合いではなく全面的な協力を確約出来ていた事も大きい。

 

 もしも上層部と腹の探り合いが続いていて完全には信用しきれない状態であった場合、レプリカは交渉のカードとして幾つかの情報開示を差し控えた可能性がある。

 

 そういった意味で、上層部との関係が良好な現状あっての進展と言える。

 

「ラービットについては了解した。あとは、アフトクラトルのトリガーについての情報は持っていないのか?」

『残念だが、主戦力級のトリガーの情報までは分からない。磁力を操るトリガーがあると聞いた事はあるが、詳細な能力までは不明だ』

 

 だが、とレプリカは続ける。

 

『流石に来るとは思えないが、アフトクラトルの()()である黒トリガーの情報なら持っている。とはいえ、あくまでも風聞ではあるが』

「構わない。聞かせてくれ」

 

 城戸の返答に了解した、とレプリカが頷き、告げた。

 

『────────────────国宝の名は、星の杖(オルガノン)。アフトクラトルの剣聖が所持する、単独で(くに)を落としたとも謳われる黒トリガーだ』

 

 

 

 

「楽しそうだな、ヴィザ翁。何か良い事でもあったのか?」

 

 アフトクラトル、遠征艇。

 

 その内部でランバネインは椅子に腰かける老人────────────────ヴィザを見て、快活に声をかけた。

 

 ヴィザはふむ、と口に手を当てると薄く笑みを浮かべる。

 

「おや、そう見えましたかな?」

「ああ、見えたぞ。ついでに、殺気も少し漏れていた。それ程、玄界(ミデン)での戦が楽しみなのか?」

「ええ、期待していない。と言えば嘘になるでしょうね」

 

 そう言ってヴィザは立ち上がり、ランバネインと向き直る。

 

 上背のある大男であるランバネインと並ぶと細身の老人であるヴィザが小さく見えるが、纏う威圧感は負けていないどころか上回っている。

 

 身体中から滲み出る剣気が、嫌が王にもこの翁の底知れない実力を物語っていた。

 

玄界(ミデン)の戦力は、ここ数年でかなり成長したと聞きます。であるならば、私の求める強者と相まみえる可能性もなくはないでしょう」

「兄者が聞いたら顰めッ面をしそうだがな。作戦の障害は少ない方が良い、とか言って」

「でしょうね。ハイレインどのは領主であり、立場がある。当然の事でしょう。ですが」

 

 ヴィザはそう言ってニヤリと、凄絶な────────────────そして、戦意に満ちた笑みを浮かべた。

 

「────────────────予感がするのですよ。今回の戦いは激しく、愉しいものになると。年甲斐もなく興奮しているのは、その為でしょうな」

 

 そう語るヴィザの目つきは、年老いた老人のそれではない。

 

 戦いを求める、生粋の修羅。

 

 そういった逸脱者の見せる、獰猛な獣の如き眼光であった。



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空閑遊真④

 

「驚きましたね、遊真くんの齎した情報には。これがあるかないかで、雲泥の差だ」

「そうだな。想定以上の情報量だったと言える」

 

 忍田の言葉に城戸も同意し、頷いた。

 

 会議を終え、この場に残っているのは城戸と忍田、林藤といった上層部の面々のみ。

 

 三人は遊真とレプリカによって齎された情報、その整理と精査を行っていた。

 

 今回、彼等の協力によって得られた情報はとても大きい。

 

 まず、大規模侵攻における()()がほぼアフトクラトルであると確定した。

 

 これまではどんな相手が来るのか、という事さえ迅の未来視による朧げな情報のみしかなかった為、これだけでも相当大きい。

 

 しかもレプリカは、そのアフトクラトルの抱える黒トリガー13本という国力の大きさを物語る情報に加え、トリガー(ホーン)とラービットという相手の主戦力に繋がる情報まで提示してみせた。

 

 ────────────────レプリカ、以前話してたよな。アフトクラトルって国は、「神」を確保する為に遠征を繰り返す事があるって。それなら、今回がそうである可能性ってあるか?────────────────

 

 

 忍田の脳裏に、先程の修の言葉が蘇る。

 

 後者の情報が得られたのは、あそこでの彼の発言があったからだ。

 

 あれがなければレプリカはその可能性に気付かず、全ての情報を開示するには至らなかったであろう。

 

 そういう意味で、修はある意味最大の功労者と言っても過言ではない。

 

「空閑くんは勿論だが、三雲くんにも感謝しないといけないな。今回得られた情報の価値は、計り知れない」

「ああ、確かにこいつかデカイな。何せ、迅の奴が目の色変えてやがった。こりゃあ、未来も大きく変わったんじゃねぇか?」

「────────ええ、あの瞬間良い方向の未来への分岐の可能性が広がりました。間違いなく、三雲くんは未来を変える一歩を踏み出しました」

 

 忍田と林藤の会話に入り込むように、いつの間にか部屋の入口に立っていた迅がそう言ってにこりと微笑んだ。

 

 忍田は目を見開き、林藤は意味深な笑みを浮かべ、城戸は黙って迅を見据える。

 

 来るのが分かっていた。

 

 敢えて驚愕を見せた忍田以外は、そういった面持ちだった。

 

「迅、帰ったのではなかったのか?」

「いやだなあ、情報の精査には俺が要るでしょ? もう、いつ大規模侵攻が始まってもおかしくない時期まで来てるんだ。やり残しで失敗したなんて、笑い話にもならないからね」

 

 それが当然、と言わんばかりに迅はそう言って椅子に腰かけた。

 

 ただ、意味深な助言を残すワケではない。

 

 本腰を入れて情報を精査する。

 

 そういう、構えだ。

 

支部長(ボス)の言う通り、あの瞬間未来は大きく変わった────────────────いや、()()()と言うべきかな? これまでは悪い未来に繋がる道筋(ルート)の方が多かったのが、良い未来に繋がる方へ可能性の比率が傾いた。それこそ、劇的にね」

「矢張り、件のラービットというトリオン兵の存在が分かっていたか否かが大きいか」

「そうみたいだね。前に俺が視た未来じゃ、ラービットにC級どころかB級やA級も攫われる未来がかなりの数存在してた。でも」

「今は違う、と?」

 

 ああ、と迅は林藤の問いに頷いた。

 

「まだ会った事のない敵だから姿自体は朧気にしか見えないけど、大量の()()に隊員が捕まる未来視(ビジョン)がある程度、その敵を倒す映像に切り替わった。ラービットの情報を知った途端に、ね」

 

 レプリカがラービットの情報を開示した時、迅は確かに視たのだ。

 

 数多く存在していた隊員が連れ去られる未来が明らかに減り、逆に強敵と思われる影を倒していく隊員達の映像(みらい)が増えたところを。

 

 まだラービットの現物は見ていないから朧げな影としてしか迅は認識出来ていないが、レプリカの情報を鑑みればあの敵影は件のトリオン兵に間違いあるまい。

 

 そしてこれで、攻めて来る敵国がアフトクラトルであるとほぼ確定したと言って良い。

 

 何せ、ラービットはトリガー(ホーン)と同じくアフトクラトルの軍事機密だ。

 

 あの後レプリカから「他の国がラービットを使う可能性は無い」とお墨付きを貰っている為、ラービットが敵であるという時点でアフトクラトルが相手である事は疑うまでもない。

 

 迅の太鼓判も押されている事から、この情報に関しては信頼して良いだろう。

 

「けど、見た限り楽勝という風でもないし悪い未来の可能性も依然として残っている。油断は出来ないよ」

「分かっている。戦場では気を抜いた者から死んでいく。それはこの場にいる誰もが知るところだ」

 

 迅の忠告に、城戸は当然といった風に頷いた。

 

 確かに、状況がそれなりに良くなりはした。

 

 だが。

 

 最悪の未来へ至る可能性は未だに残されているし、それは決して無視出来るレベルのものではない。

 

 というよりも、迅は口にはしなかったが全体としてみればまだ悪い未来の可能性が────────────────というよりも、最悪の未来へ至る道筋(ルート)が大きく口を開けている事に違いは無い。

 

 むしろ、その可能性の方が多いくらいだ。

 

 ただ、今まではその()()に至る可能性が8割以上だったところが、6割にまで減少した。

 

 これは、そういう話なのである。

 

 たとえるならば、今の迅達は断崖絶壁の崖の上で風に煽られて落ちそうなところを無数の土嚢を積み重ねて持ち堪えているに過ぎない。

 

 今回の変化で土嚢の数が一気に膨れ上がりはしたが、吹き付ける強風それ自体に変化は無い。

 

 むしろ強まっているくらいだと、迅は思う。

 

(それだけ、アフトクラトルが強大って事なんだろうな。聞いた限りでもヤバい情報だらけだし、何より────────)

 

 ────────────────国宝の名は、星の杖(オルガノン)。アフトクラトルの剣聖が所持する、単独で(くに)を落としたとも謳われる黒トリガーだ────────────────

 

 迅の脳裏に、先程のレプリカの言葉が想起される。

 

 あの時。

 

 星の杖(オルガノン)

 

 その言葉を聞いた時、迅の視た未来の中で最大の障害となり得るだろう()のイメージが一層強まった。

 

 顔はまだ分からないが、未来の映像を視た迅は理解した。

 

 ────────────────あれは、修羅だと。

 

 戦いの中に生き、それを全てとする闘争の化身。

 

 そんなイメージを、映像越しに対峙した影から齎された。

 

 高い確率で、あの影の正体はレプリカの言う()()()使()()()なのだろう。

 

 口ぶりからして相当な強者である事は分かる上に、レプリカもその使い手個人の情報は知らないようだった。

 

 どうせならその情報も得ておきたかったところだが、無いものねだりをしても仕方がない。

 

 運命(じんせい)なんてものは、いつもこんなものだ。

 

 限られた手札の中から、最善を尽くすしかない。

 

 理想的な手札(カード)がいつもあるとは限らないのだから、持ち得る札でどうこうするしか道はない。

 

 それに、未だに6割以上の確率で最悪の未来に転がりかねないとはいえ、当初に比べれば大きな前進をした事に違いは無い。

 

 あとは本番で十全の結果を得られるように、万事を尽くすだけだ。

 

 その意気は、想いは、此処にいる誰もが共通している。

 

 同時に、開戦の時が近い事も薄々察していた。

 

 未来視の影響だとか、そういうワケではない。

 

 ただ、言うなれば空気の違いである。

 

 日増しに街に染み出している、不穏な気配。

 

 それが徐々に大きくなっている事を、迅は感じていた。

 

(多分、もう猶予は殆どない。だからその時まで、心の準備はしておいてくれ────────────────なんて、俺が言う事じゃないけどな)

 

 

 

 

「お帰り、二人共」

「あ、七海先輩。ただいま戻りました」

「ただいま、ナナミ先輩」

 

 修と遊真が玉狛支部に戻ると、七海が自然体で二人を出迎えた。

 

 その様子はあたかもこの支部の住人のようであり、全く以て違和感が無い。

 

 まあ、当然と言えば当然である。

 

 七海は四年前からこの支部には入り浸っており、勝手知ったる場所なのだ。

 

 レイジや小南も身内として彼をカウントしているし、こうして泊まりに来る事も少なくない。

 

「お帰りなさい。聞いたわ。緑川くんに勝ったんですってね」

 

 もっとも。

 

 その場合、高確率でこうして那須も付いて来るのが常なのだが。

 

 那須はにこりと外行きの笑みを浮かべ、二人を出迎えた。

 

 傍から見れば深窓の令嬢の如き雰囲気であるが、今の那須は七海とのお泊り会という事で若干はしゃいでいる。

 

 その所為で絶世の美貌の度合いが普段よりも増しており、大抵の男子は今の彼女の笑みを見てしまえば一瞬で虜になるだろう。

 

「那須先輩、ご無沙汰しています。確かに一勝はしましたが、それまでに9敗していますので大した事はありませんよ」

「謙遜するなってさっき言われたばかりだろ、オサム。あいつに今のお前が勝てたのは大金星だ。誇って良いんだぞ」

「ええ、今の三雲くんのレベルで緑川くんに勝てたのなら大したものよ。謙遜は美徳だけれど、やり過ぎると却って失礼になるものよ?」

「あ、はい。注意します」

 

 しかしこの場にいるのはそういった情緒が良く分からない遊真と色々な意味で中学生男子らしくない修である為、普通に応対しただけだ。

 

 尚、那須が妙に親身になっているように見えるのは七海が認めた子達という事で七海に良いところを見せようという見栄によるものだ。

 

 那須の世界は七海が中心に回っており、極論那須はそれ以外の事は優先順位の下位に置いてしまえる。

 

 これまでの経緯もあってある程度世間体というものを気にするようになったものの、彼女の根底は変わっていない。

 

 自らを省みるようになりはしたが、性根が変わったワケではないのだ。

 

 そのあたりを副作用(サイドエフェクト)によって遊真は見抜いているが、かといって悪意があるワケではなく少し見栄を張る意識が強いというだけだ。

 

 別段害があるというワケではなく、単に好きな人に良いところを見せようという乙女心の発露に依るものだ。

 

 それをどうこう言う程、遊真は野暮ではない。

 

 むしろ、近界で散々殺伐とした時間を過ごして来た遊真からしてみれば一周回って安心する程だ。

 

 この世界は、少女がこのように笑える程良い世界であるのだと。

 

 内心微笑まし気に思われていた事など露知らず、那須は二人を歓待していたのだった。

 

「そろそろいいか? 出来れば城戸さん達とどういう話をしたのか、差支えがなければ教えて欲しいんだが」

『それなら、私が教えよう。迅から君に提供する情報についての話は承っている。本当ならば迅本人が教えたかったようだが、どうやら用事があるとの事だ』

 

 頃合いを見計らった七海の要請に、遊真の懐から飛び出たレプリカがそう答えた。

 

 レプリカが迅から七海に伝える情報について頼まれていたのは修達も知っているので、黙って彼に任せている。

 

 元々、迅から玉狛支部にいる七海に情報を伝えて欲しいという言伝は受けていたのだ。

 

 最初から七海を会議に呼べれば良かったのだが、黒トリガー争奪戦の件で微妙な立場にいる彼を公的な場に呼ぶ事は少々難しかった為、このような形になったワケだ。

 

 修が七海がこの場にいる事に驚かなかったのは、それが理由である。

 

「そうか。それなら頼む」

『承った。では、まず今回の大規模侵攻で戦う事になる国家────────────────軍事国家、アフトクラトルについてだ』

 

 そうして。

 

 レプリカは七海に、先程の会議の情報を掻い摘んで説明し始めた。

 

 

 

 

「成る程、13本の黒トリガーにトリガー(ホーン)────────────────それに、ラービットか。中々に厄介な相手みたいだな」

「……………………そう。もう、来てしまうのね」

 

 話を聞き終えた七海は神妙な表情で頷き、隣で聞いていた那須はごくりと息を呑んだ。

 

 大規模侵攻。

 

 その言葉は、彼女にとって悪夢の象徴だ。

 

 四年前のあの日を、幾度夢で見たか知れない。

 

 二人にとって忘れ難い喪失の記憶であり、今も胸を苛む痛みの原点。

 

 それが今度は更に大きな規模になって襲い来る日が近いと聞き、心穏やかでいられないのは当然である。

 

「あ…………」

 

 不安に震える那須の手を、七海の掌が包み込む。

 

 顔を上げると大丈夫だと微笑む七海の姿が目に入り、那須の心がそれだけで和らいでいく。

 

 今度は、大丈夫。

 

 そう目で伝える七海の意を汲み、那須はこくりと頷いた。

 

 不安はある。

 

 恐怖も、無いとは言えない。

 

 だが。

 

 あの時と違って、自分たちには抗う為の力がある。

 

 それに。

 

 頼りになる仲間達も、大勢いる。

 

 絶対、なんて言葉に意味は無いけれど。

 

 それでも。

 

 七海が。

 

 愛した男が、大丈夫だと言っているのだ。

 

 ならば。

 

 信じるのが、良い女というものだ。

 

 そう考えて、那須は七海の手を握り返した。

 

 二人の世界に入っている七海達を不思議そうな眼で修が視ている事に気付き、那須は慌てて「あ、ごめん。続けて」と赤い顔で告げた。

 

 但し、手は握ったままなので意味があるかは不明だが。

 

 そんな那須の様子を愛し気に見詰めつつ、七海は遊真に向き直った。

 

 尚、手は握ったままで。

 

 那須も那須だが、七海も七海なのである。

 

 どちらも互いを愛おしく想っている事に、違いはないのだから。

 

「情報については了解した。色々と念頭に置いた上で動く事にする。とは言っても、実際の指示は忍田さんから出されるだろうし俺はやるべき事をやるだけだけどな」

「そうね。今の情報を知っているかいないかっていうのは、結構大きいわ。他の人達にも伝えておく?」

「伝えるべきと判断すれば本部がやるだろう。そこまでする必要はないさ」

 

 ただ、と七海は続ける。

 

「大規模侵攻がいつ起こるかの詳細な情報までは、迅さんも分からないそうだ。だから何かあった時すぐ伝達出来るように、情報を纏めておいた方が良いかもな」

「じゃあ、それはあたしに任せて。明日には伝えられるよう纏めとくよ」

 

 不意に、部屋で寛いでいた宇佐美がにこやかにそう話す。

 

 七海と那須が揃えば空気がピンク色になる事はこれまでに身を以て知っていた為ある程度距離は置いていた彼女だが、話はしっかり聞いていたのだ。

 

 確かに、彼女なら迅速に伝えるべき情報を纏められるだろう。

 

 そう考え、七海は依頼を行う事にした。

 

「すみません、頼めますか」

「まっかせてっ! このくらい、すぐ出来るからね」

 

 言うが早いか、宇佐美はいそいそと部屋を飛び出していった。

 

 メモを取っていた様子はないが、今の会話内容は既に頭に叩き込んであるのだろう。

 

 彼女の能力の優秀さは七海も知るところなので、任せる事に不安はない。

 

 だから、今日やるべき事はこれで終わりだ。

 

(…………そうだな。折角だし、やってみるか)

 

 故に。

 

 七海は己の内に沸いた感情に、従う事にした。

 

 やるべき事は、もう終えた。

 

 ならば。

 

 自分の()()に走っても良いだろうと、七海は内心で笑みを浮かべた。

 

「なあ、空閑。この後時間あるか?」

「あるけど、なに?」

「いや、よければなんだけどさ」

 

 そう言って七海は立ち上がり、好戦的な笑みを浮かべた。

 

「ちょっと、模擬戦をやってみないか。一度お前の実力を、直で体感したいからさ」

 

 そして。

 

 己の闘争心の命じるまま(ワクワクに従い)

 

 遊真に、挑戦状を突き付けた。



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空閑遊真⑤

 

「驚きましたね。七海先輩が、空閑に模擬戦をやろうだなんて」

「ああ見えて、玲一は模擬戦は割と好きな方なのよ。付き合ってる人達の影響もあるんでしょうけれど」

 

 那須は何処か落ち着かない様子の修を見て、柔らかな声でそう答えた。

 

 彼女たちがいるのは、玉狛支部の一室。

 

 目の前には訓練室の様子が映し出されたモニターがあり、そこでは遊真と七海が対峙していた。

 

 あの後、七海の対戦の申し込みを快く遊真が受け入れた為、こうして戦う事になったのだ。

 

 正直七海が好戦的であるとは思わなかった修は面食らっていたが、何の事はない。

 

 七海は戦う事自体好きというワケではないが、こうした他者と競い合える模擬戦は嫌いではないのだ。

 

 そもそも、七海が親しくしている面々は揃いも揃って個人ランク戦に精を出している攻撃手ばかりだ。

 

 特に影浦は大学の単位を犠牲にする程のめり込んでいる太刀川ほどではないが、ランク戦をかなり好んでおり積極的にブースに入り浸っている。

 

 影浦の性格上あまり親しくない相手と戦う事はないが、米屋や太刀川といった戦闘狂(バトルジャンキー)は大抵ブースにいるので戦う相手に困る事は早々ない。

 

 そんな影浦を師匠としているのだから、七海が影響を受けない筈もない。

 

 無趣味に近い七海にとって、ランク戦は戦いを通して他者と繋がる事が出来るコミュニケーション・ツールの一種なのだ。

 

 仲良くなりたい相手とは、模擬戦を重ねる。

 

 そんな常識(ルール)が、自然と七海には染み付いていたのだ。

 

 那須は今回の対戦もまた、そういった七海の性質故の深い意味はないものであると考えていた。

 

 遊真の人柄に関しては迅の太鼓判もあって七海も信用しているし、今更何かを疑う余地などない。

 

 故に、七海は単純に遊真と戦いたかったのだろうと予想出来る。

 

 那須もまた戦闘自体は嫌いではない為、気持ちは分からなくもない。

 

 緑川戦の様子は見ていたが、あれだけの動きをする攻撃手なのだ。

 

 加えて、どうやら遊真は七海と同じくスコーピオンを使うようだ。

 

 戦闘スタイルも同じスピード型であるし、そういった意味でも期待しているのだろう。

 

 七海と似た戦闘スタイルとなるとトリガーセットが似通っているのは緑川あたりであるが、彼の場合経験不足故の粗がある。

 

 そういった隙を七海は決して見逃す事はない上に、カウンターを容易に行える下地を持つ七海相手に前のめりな緑川は手玉に取られ易い。

 

 一方、遊真は地力が充分高い上にクレバーで尚且つ迷いが無い。

 

 似た戦闘スタイルの実力者として、戦ってみたいという欲が出たのだろう。

 

 強い相手と戦いたい、という気持ちは那須にも理解出来るので、止める事はしない。

 

 那須もまた、機会があれば再び出水と撃ち合いたいという欲があるのだ。

 

 ならば此処で七海を止めるのは筋が違うだろうと、那須は考える。

 

 それに。

 

(私も、興味があるものね。あの子の、黒トリガーの力。この先の戦いで否応なく黒トリガーと戦う事になるなら、風刃以外の黒トリガーとの交戦経験はあって損じゃないもの)

 

 今回の試合には、遊真の黒トリガーの力を直に体感するという意味合いもある。

 

 確かに、那須隊は黒トリガーとの戦闘経験がある。

 

 しかしそれはあくまで風刃という一種類の黒トリガーのみであり、他の黒トリガーとの戦闘経験は皆無だ。

 

 ボーダーのもう一人の黒トリガー保持者である天羽は軽々しく戦えるような相手ではない為、今回の機会は黒トリガーと戦う一つの絶好の機会と言える。

 

 七海は遊真の黒トリガーの性能自体は香取との模擬戦で目撃しているが、直に戦ったワケではない。

 

 そういう意味でも、この試合に意味はあるのだ。

 

 勿論、純粋に遊真と戦いたいという気持ちもあるであろう事に違いはないが。

 

 そう考え、那須はくすりと笑みを零しながらモニターを見据えた。

 

(気負う必要はないわ。貴方の思うようにやって、玲一)

 

 

 

 

「本当に良いの? 黒トリガーでやって」

「ああ、出来る限り黒トリガーとの戦闘経験を積んでおきたいからね。流石に普通の訓練室じゃ不利過ぎるからこっちを使わせて貰ってるけど、前言は撤回しないさ」

 

 仮想の戦場で向かい合い、七海は遊真にそう話した。

 

 此処は以前、香取が遊真と戦った訓練室ではない。

 

 彼等がいるのは河川敷の淵であり、すぐ傍には家屋があり、中央には橋が見える。

 

 この場所は本来狙撃手用の訓練場であり、ただ模擬戦をするだけならば使うべき場所ではない。

 

 だが。

 

 流石にあの障害物のない訓練室では、遊真の黒トリガーとの相性が凶悪に過ぎる。

 

 香取が苦しめられたように、無造作にばら撒かれる重石の弾────────(アンカー)は、盾となるものがない場所で相手をするのは相当に苦しい。

 

 今回の模擬戦はきちんとした勝負にしたかった、という事もあるし、何より実践を想定するのであれば実際の戦場に近い条件で戦った方が良い。

 

 故に、レイジに頼んで特別にこの訓練場を借り受けたのだ。

 

 遊真の黒トリガーと────────────────否。

 

 空閑遊真という戦士と、真っ向から戦う為に。

 

「そっか。じゃ、始めよっか。10本で良い?」

「構わない。じゃあ────────」

「「行くぞ」」

 

 その言葉が、合図だった。

 

 遊真は、徒手空拳で。

 

 七海は、その手にスコーピオンを携えて。

 

 地を蹴り、跳躍。

 

 戦闘が、開始された。

 

「────────」

 

 先に攻め込んだのは、七海。

 

 小手調べとばかりに、真っ直ぐ遊真に突っ込んでいく。

 

(正面から?)

 

 遊真は、その姿に疑問を覚えた。

 

 この七海という少年の戦闘ログにはまだ眼を通してはいないが、スコーピオンの使い手という事で緑川と同じくスピードアタッカータイプである事が予想される。

 

 こちらの、遊真の戦闘スタイルは以前の模擬戦を見て知っている筈だ。

 

 (アンカー)がある遊真相手に、下手に距離を取ればジリ貧になる。

 

 それは分かる。

 

 だが、仮にもA級まで駆け上がった相手が何の策もなく正面から突っ込んでくるとは遊真には思えなかった。

 

 緑川のように、自分の実力を過信しているタイプなのか────────────────断じて違う。

 

 遊真の見た七海の眼は自分と似た、冷徹な考え方が出来る人種のそれだった。

 

 理論派か感覚派かと問われれば、恐らく前者。

 

 ならば、この正面からの突貫にも何か意味がある筈。

 

 遊真は、そう考えて。

 

「────────メテオラ」

「…………!」

 

 至近距離での爆撃を、間一髪で回避した。

 

 何の事はない。

 

 七海がした事は、単純明快。

 

 こちらへ接近したと同時に、メテオラを至近で爆破しただけだ。

 

 普通に考えれば、正気の沙汰ではない。

 

 メテオラは、効果範囲の広い爆撃を行えるトリガーだ。

 

 しかも、見たところ七海のトリオン量は相当に大きい部類に入る。

 

 当然、その分爆破の規模も段違いになる。

 

 こんな距離で使えば、自分が巻き込まれる危険が大きいどころか────────────────まず間違いなく、爆破に飲み込まれる。

 

 にも関わらず。

 

 七海は、爆破の範囲が分かっているかのようにするりとその合間を抜け、遊真に肉薄して来た。

 

 一歩間違えれば、確実に自爆するだろう不可解な挙動。

 

 遊真は、それを見て。

 

(そうか、副作用(サイドエフェクト)…………っ!)

 

 以前聞いた、七海の能力を思い出した。

 

 サイドエフェクト、感知痛覚体質。

 

 七海のそれは痛みが、つまりダメージが発生する場所を自動で察知出来る副作用(サイドエフェクト)なのだという。

 

 それはつまり。

 

 今のような無差別爆撃の効果範囲も、彼だけは身体で感知出来るという事だ。

 

 ならば、爆撃の間をすり抜ける事が出来た事にも説明がつく。

 

 メテオラ殺法。

 

 ボーダーにおいてはそう呼ばれている、七海の得意戦術。

 

 その、洗礼であった。

 

 既に七海は至近距離まで肉薄しており、今から回避は間に合わない。

 

 ならばどうするか。

 

「────────『鎖』印(チェイン)

「…………!」

 

 答えは一つ。

 

 鎖を用いて、相手の腕を絡め取る。

 

 遊真の身体から伸びた鎖が、スコーピオンを持つ七海の右腕を拘束する。

 

 勢いの付いていた七海の身体は、右腕が縛られた事でバランスを崩す。

 

 そして、その隙を逃す遊真ではない。

 

 すかさずトドメを刺そうと、右腕を握り締める。

 

『強』印(ブースト)

 

 七海のトリオン体を貫くべく、遊真は拳に強化を施し右ストレートを撃ち放った。

 

 黒トリガーの出力で強化されたその拳は、致死の凶器と同義。

 

 態勢を崩した七海に、これを避ける術はない。

 

「────────」

「…………!」

 

 そう。

 

 ()()()()は。

 

 遊真が拳を放った、七海の胴。

 

 その直上に、突如トリオンキューブが出現した。

 

 何か、など問うまでもない。

 

 炸裂弾(メテオラ)

 

 分割すらしていない爆撃トリガー。

 

 それに。

 

 『強』印(ブースト)によって推進力を得て止まる筈などない遊真の拳が、のめり込んだ。

 

 瞬間、起爆。

 

 遊真の攻撃によってカバーが破壊されたメレオラのキューブは瞬時に爆破され、同時に二人を飲み込んだ。

 

『トリオン体活動限界。引き分け(ドロー)

 

 機械音声が、勝負の結果を告げる。

 

 第一試合は、両者引き分けによって終わりを迎えた。

 

「やるね」

「そちらこそ。黒トリガーの性能だけではなく、君自身が強い。けれど、次はちゃんと勝ってみせる。たとえ、黒トリガーが相手だろうとね」

 

 試合終了によって二人のトリオン体が再構築され、再び戦場で対峙する二人。

 

 そのどちらの眼にも不敵な笑みが浮かんでおり、想像以上の強敵との戦いに心躍っているのが見て取れる。

 

 二人共、素の性格は決して好戦的というワケではない。

 

 だが。

 

 こうして、強者と互いを高め合う戦い自体は嫌いではない。

 

「────────」

「────────」

 

 再び、両者が構える。

 

 遊真は、拳を。

 

 七海は、スコーピオンを。

 

 それぞれ握り締め。

 

 第二ラウンドが、始まった。

 

 

 

 

「凄い。二人とも」

 

 修は二人の戦いに、見入っていた。

 

 一進一退。

 

 まさしくそう表現する他ない戦いを、七海と遊真の二人は繰り広げていた。

 

「予想はしていたけど、それ以上ね。まさか、初見で玲一のメテオラ殺法に対抗出来るなんて。一応聞いておくけれど、空閑くんはあれを知らなかったのよね?」

「ええ、空閑はまだランク戦のログは見ていません。七海先輩の戦術についても説明をした覚えはないので、あれが初見だった筈です」

「成る程、末恐ろしいわね」

 

 那須は本気で、そう呟いた。

 

 七海のメテオラ殺法は、初見殺しの精度がかなり高い。

 

 何故なら、普通であれば炸裂弾(メテオラ)を至近距離で連続爆破するなんて真似をするとは思わないからだ。

 

 メテオラは通常、建物を壊しての隠れた相手の炙り出しや広範囲の爆破の巻き込みによってシールドを広げる事を強要する為に使われる。

 

 当然ながら効果範囲が広い為、近い場所で使えば自分自身が巻き込まれてしまう諸刃の剣だ。

 

 だが、七海はそれを何の躊躇もなく至近距離で連発する。

 

 それは、相手からしたらかなりの脅威だ。

 

 何せ、至近で爆発が連鎖する中七海は平然と近付いて来るのだ。

 

 混乱から立ち直れたとしても対応が間に合わず、そのまま落とされてしまう事が多い。

 

 もしくは、落とされずとも有効打を食らうくらいは有り得るだろう。

 

 それだけ、初見のメテオラ殺法は対処が難しい戦術なのだ。

 

 原理は単純明快でも、一度近付かれてからメテオラを出されてしまえば逃げ道すら塞がれてしまう。

 

 最初から来ると分かっていれば対応のしようもあるが、完全な初見ではそれも不可能。

 

 正しく、初見殺し。

 

 これは、そういう戦術だった。

 

 だが。

 

 遊真は、それに冷静に対処してみせた。

 

 相手がこちらを仕留めに来た所を狙って、鎖で拘束。

 

 間髪入れず、トドメを刺そうとした。

 

「でも、七海先輩にも驚きました。あの状況から、相打ちに持ち込むなんて」

 

 しかし、そこで七海はただ負ける事を良しとせず、炸裂弾(メテオラ)トラップによって相打ちに持ち込んだ。

 

 遊真の黒トリガーは、レプリカのサポートがなければ印の切り替えに多少のタイムラグがかかる。

 

 そして、『強』印(ブースト)によって一度加速した拳はそう簡単には止められない。

 

 遊真の黒トリガーは、言うなれば一つの枠を次々にトリガーを切り替えて使っているようなものだ。

 

 重ね掛けは出来るようだが、そちらも若干のタイムラグがある。

 

 つまり、遊真の黒トリガーに対する最適解は迎撃(カウンター)なのだ。

 

 攻撃中は防御に回る事が出来ないなら、その隙を突けば良い。

 

 七海はそう考えて、メテオラを遊真の攻撃の直線状に置いて迎撃を図った。

 

 結果として遊真は攻撃を止める事が出来ず、試合は引き分けとなった。

 

(いえ、本当なら玲一の勝ちだった。でもあの子の攻撃は、()()()()()()()()()()()()()()

 

 実際は、少し違う。

 

 恐らく、遊真は攻撃を止められなかったのではなく、()()()()()()

 

 七海は、メテオラのキューブに続いてシールドも展開していた。

 

 シールドを張る事でメテオラの爆発から身を守り、一方的な勝利とする為に。

 

 だが。

 

 遊真の攻撃はメテオラの起爆が完了する前にシールドを砕き、七海に致命傷を与えた。

 

 それだけ、『強』印(ブースト)によって強化された拳はスピードもパワーも、段違いだったワケだ。

 

 だからこそ、遊真は攻撃停止を諦め相打ち覚悟で攻撃より早く叩き込んだ。

 

 その結果が、あれだ。

 

 その機転、戦闘センスは並大抵のものではない。

 

(とんでもないわね、この子。これが、本物の戦場を生き抜いた傭兵。まるで、迅さんみたいな眼をするのね)

 

 今の遊真から感じる威圧感には、覚えがある。

 

 迅悠一。

 

 昇格試験において立ちはだかったあの戦争経験者の放つ、プレッシャー。

 

 それと酷似したものが、遊真からは発せられていた。

 

 死線を潜り抜けた者が持つ、並外れた意志力。

 

 それが、遊真には宿っていた。

 

 一つ、言える事は。

 

 どちらも、一筋縄ではいかない。

 

 ただ、それだけである。



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空閑遊真⑥

 

『トリオン体活動限界。七海ダウン』

 

 機械音声が鳴り響き、七海の脱落を告げる。

 

 訓練室である為崩壊したトリオン体は即座に再構築され、七海の身体が巻き戻るかのように出現する。

 

 トリオン体の修復を終えた七海は3:2・1引き分けという戦績を見て、眼を細めた。

 

 最初の一試合目が引き分けに終わったこの模擬戦だが、その後の二試合目、三試合目は七海が先取した。

 

 勝因は矢張りメテオラ殺法の対応のし難さであり、地形とグラスホッパーを駆使した奇襲によりなんとか遊真の隙を突いて落とす事に成功した。

 

 だが。

 

 その後、四試合目と五試合目は遊真にメテオラ殺法に完全に対応され敗北した。

 

 思えば、二試合目と三試合目で妙に遊真の動きが悪かったように思えたのは彼が()に徹していたからなのだろう。

 

 メテオラ殺法を使う七海が難敵であると感じた遊真は、二試合目と三試合目で観察に全力を注ぎ、そして。

 

 七海の動きを、()()したのだ。

 

 四試合目の遊真の動きは、それまでとはまるでキレが違っていた。

 

 再びメテオラ殺法を仕掛けて来た七海に対し、その動きをまるで最初から分かっていたかのように先読みし、正確に反撃を()()()来た。

 

 『弾』印(パウンド)を使用した、超加速を用いて。

 

 七海のサイドエフェクト、感知痛覚体質は攻撃の()()()にその被弾範囲を感知する。

 

 斬撃であればモーションに移った瞬間、射撃であれば弾が発射された瞬間。

 

 それが、七海の攻撃感知のタイミングである。

 

 攻撃の軌道が確定した瞬間にそれは七海の感知圏内に入り、その動きを察知される。

 

 だがそれは。

 

 言い換えれば、攻撃に移るその()()までは何処に攻撃が来るか分からない、という事である。

 

 つまり。

 

 攻撃の発生から()()までの時間が短ければ短い程、七海に許される対応の猶予時間は減少する。

 

 生駒旋空や風刃は、その最たるものだ。

 

 どちらも攻撃発生から着弾までの時間が短過ぎるが故に、感知してからの反応が間に合わない可能性が高い攻撃なのだ。

 

 遊真はその七海の攻撃の絡繰り、弱点を三試合の間に見抜き、()()()()のだ。

 

 黒トリガーの出力という、七海が対応しきれない()()を利用する事で。

 

 能力の多様性や初見殺し要素が目立つ黒トリガーであるが、その脅威の一つに高い出力がある。

 

 黒トリガーを起動した者のトリオンは、文字通り爆発的に上昇する。

 

 凡そ30ものトリオンのブーストが何を齎すかは、明らかだ。

 

 即ち、驚異的な攻撃の()()()()()

 

 速くて重い攻撃は、強い。

 

 当たり前の話ではあるが、黒トリガーはその性能(スペック)がそもそもノーマルトリガーとは一線を画す。

 

 トリガーは、トリオンが多ければ多い程出力が増す。

 

 30オーバーのトリオンで繰り出される黒トリガーの攻撃は、まさに規格外の出力となる。

 

 その速度に特化した能力を持っていた風刃がどれだけの脅威だったかは、あの試験に参加した全員が知るところだ。

 

(それに、空閑の黒トリガーは手札の種類が多いのも厄介だな。風刃とは全く別のベクトルの方向性の脅威と言える)

 

 加えて、遊真の黒トリガーは一点特化の性能であった風刃と違い、応用性が非常に高い。

 

 他のトリガーを学習し、コピーするという性質は一見手間がかかるそこまで脅威ではないように思える。

 

 だが、その実態は真逆だ。

 

 何せ、遊真の黒トリガーは黒トリガーが持つ()()()()()()()()()()()()()という大きな欠点を自力でカバーする事が出来るのだから。

 

 たとえば迅の風刃であればシールドも張れずバッグワームも使えない為相手の遠距離攻撃に対応する手段が「先に叩くか」「回避する」以外に無いのだが、遊真の場合「『盾』印(シールド)で防御する」「『弾』印(パウンド)で回避する」といった択を取れる。

 

 汎用性を犠牲に唯一無二(オンリーワン)の性能を突き詰めた風刃とは逆に、汎用性を犠牲にするどころかむしろ拡張してしまえるのが遊真の黒トリガーの最大の利点である。

 

 しかもただコピーすると言っても出力そのものは黒トリガーのそれである為、実質強化コピーに等しい。

 

 これまでに判明した「印」の性質を振り返ってみても、その脅威が分かる。

 

 『強』印(ブースト)は遊真の黒トリガーの攻撃の要となる能力であり、これで膂力を強化しての殴打が彼の主武器となる。

 

 その威力はかなりのもので、シールドを張ったところで貫通される上にそもそも速度が尋常ではなく、反応する事自体が難しい。

 

 『射』印(ボルト)は遊真の持つ遠距離攻撃の手段であり、これはアステロイドをコピーしたものだ。

 

 ハウンドのような誘導性能はないものの、弾数と弾速で充分それをカバー出来る。

 

 また、この印は鉛弾をコピーした(アンカー)と組み合わせる事も出来る為、弾速が落ちず気軽に連射可能な鉛弾という凄まじい脅威と成り果てる。

 

 鉛弾の使用者が少ないのは両攻撃(フルアタック)状態になりしかも弾速や射程が落ちるという扱い難いにも程がある仕様の所為であり、それが解消された状態で尚且つ性能そのものも強化されているとなれば脅威以外の何物でもない。

 

 特に、鉛弾と同じく七海に感知出来ない攻撃である為、最も厄介な印であると言っても過言ではない。

 

 『鎖』印(チェイン)も他と比べれば目立たないが、スパイダーのような活用方法も可能である為、状況判断能力と機転に優れる遊真が持つ手札としては厄介極まりない。

 

 更にこれらの印を重ね掛け、もしくは複数を組み合わせる事も出来る為、遊真は切れる手札が非常に多い。

 

 しかも一つ一つの出力が高い為、一手対応を間違えるだけで致命と成り得る。

 

 そして言うまでもなく最大の脅威はこの黒トリガーを十全に扱う事が出来る経験と戦術眼を持った遊真自身であり、その戦闘適正は自分より上であると七海は見ている。

 

 確かに七海自身もこの数年ボーダーで研鑽を重ねて来たが、遊真とは経験の()が違う。

 

 七海があくまでボーダーの隊員として仲間と切磋琢磨し、実践を()()()()鍛え上げたのだとすれば、遊真は実戦を()()()()事で経験を積み重ねて来た。

 

 生死の境に置ける判断の機会、死線を潜った経験の濃密さは七海には無いものであり、ある種それは迅達旧ボーダーの持つ戦争経験に近い。

 

 更に言えば旧ボーダーの面々は複数人で近界の戦争を潜り抜けて来たのに対し、遊真はたった一人で近界を渡り歩いた経験がある。

 

 死線を潜った期間の長さは遊真の方が長い可能性があり、判断ミスが死に直結する世界で生きて来た経験の壮絶さは語るまでもない。

 

 改めて、理解する。

 

 目の前の少年は年齢不相応に戦歴を積み重ねた猛者であり、見た目通りの存在ではない。

 

 彼は迅と同じ、過酷な戦いを潜り抜けた死線踏破者(サバイバー)

 

 そう認識しなければ、勝負の土台にすら立てないのだと。

 

(認識が甘かった、なんて泣き言は言わない。認識不足は俺の過失(ミス)。失態が理解出来たなら、そこから修正すれば良い。けれど────────)

 

 七海は見据える。

 

 こちらと対峙する、遊真の姿を。

 

 ともすれば緑川より小柄に見えるその体躯で、一体どれ程の死線を潜り抜けて来たのか。

 

 それは想像する事しか出来ないし、気軽に立ち入って良い領域でもない。

 

 だけど。

 

(────────────────胸を借りるだけ、なんてつもりは始めからない。やるからには、勝つ。そうじゃないと、こうして挑んだ意味がない)

 

 ────────────────それは、七海(じぶん)が負けて良い理由には断じてならない。

 

 成る程、遊真は強敵だろう。

 

 黒トリガーの出力で多彩な手札を操るその手腕は、ともすれば迅にすら匹敵する。

 

 だが。

 

 遊真が強い事と、七海が勝ちを諦める事はまた別の話だ。

 

 確かに自分は遊真の実力に興味があり、尚且つ黒トリガーの戦闘経験を得るという目的を以て彼に挑んだ。

 

 しかしだからといって、むざむざ負けるつもりで挑んだワケではない。

 

 実力差、黒トリガーの脅威は承知の上。

 

 その上で勝てるぐらいにならなければ、迅の期待に応える事など出来はしない。

 

 ────────────────俺はあの時、幾つかの未来を視ていた。その中にさ、あったんだよ。君が生き残る事で、玲奈が黒トリガーになる事で、より多くの人が救われる未来が。だから俺は、()()()()()()()()()()────────────俺が、玲奈を殺したようなモンだ────────────────

 

 脳裏に、あの時の迅の言葉が蘇る。

 

 彼の告白が。

 

 彼の懺悔が。

 

 彼の、切なる想いが。

 

 あの時。

 

 七海の心に宿ったのは憐みでも同情でもなく、ある種の歓喜だった。

 

 迅はこの数年間、玲奈を結果的に見殺しにしてしまった罪悪感を背負い続けて来た。

 

 大切な人を死なせてしまった痛みは、彼の心を深く蝕んでいた。

 

 けれど。

 

 迅は四年前のあの時、確かに()()()のだ。

 

 あそこで、七海を助ける事を。

 

 そして。

 

 七海が齎す、最善の未来へ至る道を。

 

 勿論、弟を助けたいという玲奈の願いを否定出来なかったという側面はあるだろう。

 

 だけど。

 

 迅が七海の齎す未来に期待を持ち、それを一つの希望としていた事は事実なのだ。

 

 ────────────────君を選んで、良かった────────────────

 

 そして。

 

 自分が。

 

 自分達が迅に勝利し、彼に認められた時。

 

 あの時かけられた言葉は、今も七海の心に深く刻まれている。

 

 迅に勝利した時の、彼の安らいだ表情。

 

 あの顔を、七海は生涯忘れる事は無いだろう。

 

(でも、あれで満足しちゃ駄目だ。まだ俺は、迅さんの期待に応えきっていないんだから)

 

 だが、それで満足するようでは話にならない。

 

 迅にとっての本番は、あくまでももうすぐ起きる大規模侵攻なのだ。

 

 その戦いで最善の結果を手繰り寄せられないようでは、何の意味もない。

 

 下手をすれば、全てを失ってしまいかねない大きな戦い。

 

 それを乗り越えるのなら、こんな所で躓いている暇は無い。

 

 多彩な手札を持つ黒トリガーの使い手にして、歴戦の傭兵。

 

 自分や修と同じ、迅に期待をかけられている最善の未来へ至る為の欠片(ピース)

 

 空閑遊真。

 

 彼に力を示せないようでは、到底迅の期待には応えられない。

 

 否、期待という言葉は正しくない。

 

 ただ、七海(じぶん)は。

 

 迅に、笑って欲しいだけなのだ。

 

 だから。

 

 彼の笑顔を曇らせるものは、全て打ち倒す。

 

 その為に、目の前の少年を超える必要があるのなら。

 

 必ず、超えてみせる。

 

 それが、七海の誓い。

 

 誰に語る事もなく、そして譲る事も出来ない切なる祈り(ちかい)

 

 故に、歩みも思考も止める事はない。

 

 遊真の手札、その戦術傾向。

 

 それら全てを脳裏に浮かべ、瞬時に戦略を組み上げる。

 

 手札を隠す、その意味は無い。

 

 持てる手札を全て用いて、此処で本番に備える(リハーサルを行う)

 

 勝負そのものに勝つ事は必須ではない。

 

 だが。

 

 此処で何の抵抗も出来ず落とされるようでは、話にならない。

 

 これを見ているのは、信頼出来る仲間達だけ。

 

 手札を晒しても何のリスクもなく、むしろ自分の持ち得る手札を理解して貰う事は勝率の上昇(リターン)に繋がる。

 

 出し惜しみはしない。

 

 そんな事をして、勝てる相手でもない。

 

 全身全霊。

 

 思考の全てを使って、この刃を届かせる。

 

 それが。

 

 自分の挑戦を受けてくれた遊真への返礼であり、何より。

 

 負けたくない。

 

 そんな自分の想いに嘘をつける程、七海は器用ではない。

 

 ────────────────全部忘れて、楽しめよ。七海。下らねぇ事に拘ってねーで、好きなようにやりゃあいいじゃねえか────────────────

 

 第三ROUNDで、影浦に言われた言葉が蘇る。

 

 那須を助ける事に拘り過ぎて醜態を晒した七海に向けた、影浦の叱咤。

 

 それをすぐに受け入れられなかった事を、改めて恥じる。

 

 守るべきものの為に奮起する事は、間違いではない。

 

 けれど。

 

 それを理由にして思考を放棄する事は、正解とは言えない。

 

 戦う理由に、貴賤はない。

 

 皆を守る為に強くなりたいから戦う自分も、ただ戦いを楽しむ為に剣を振るう太刀川も。

 

 戦う、という事自体に真摯である事に変わりはない。

 

 成る程、世間からしてみれば自分の理由は立派なのだろう。

 

 亡くしたものの為に、守るべき者の為に剣を振るう自分は称賛される対象なのだろう。

 

 だが。

 

 そんなものは、戦いの結果には何の繋がりも持たない。

 

 戦いに勝つのは尊い想いを抱く者ではなく、()()者だ。

 

 戦う理由は原動力にはなっても、決して勝因そのものにはならない。

 

 それを。

 

 自分は、影浦や太刀川から教えられた。

 

 気持ちの強さは関係ない。

 

 太刀川が口癖のように話すそれは、真実だ。

 

 思えば太刀川は、七海を弟子に取ってからその言葉を多く口にするようになったように思う。

 

 きっとそれは。

 

 責任感(りゆう)に押し潰されそうだった七海の心を見抜いてかけてくれた、彼なりの激励(エール)だったのだろう。

 

 戦いが全てと語るような太刀川であるが、だからといって気遣いが出来ないワケではない。

 

 人間的には駄目な所が多い太刀川であるが、物事の本質を突くその観察眼は侮れない。

 

 きっと、太刀川は気付いていた。

 

 戦う理由に拘るだけでは、本当の強さは得られないのだと。

 

 理屈ではなく、戦闘者としての本能が。

 

 七海の抱える問題を、見抜いていたのだ。

 

(本当に俺は、良い師匠達を持った。こればかりは、何度感謝してもしきれない)

 

 影浦には、責任を言い訳にして思考放棄していた事を気付かされた。

 

 太刀川には、強くなる為に本当に必要なものを教えられた。

 

 どちらも今の七海を形成するにはなくてはならない経験であり、その感謝を忘れた事はない。

 

 だからこそ。

 

 此処で勝ちを諦めるという選択肢は、有り得ない。

 

 負けても、失うものなど無い戦いだけれど。

 

 それは、負けて良い理由にはならない。

 

(必ず、勝つ。刃を、届かせる)

 

 その手にしたスコーピオンを、強く握り締める。

 

 七海は思考の整理を終え、試合開始と共に遊真に向かって疾駆した。



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空閑遊真⑦

 

「これは…………」

「ああ、動きが読まれてるな」

 

 レイジの言葉に、烏丸は頷く。

 

 二人の言う通り、戦績上ではあまり差がないように見えるが、遊真は確実に七海の動きを読めるようになっていた。

 

 一試合目に引き分けた後の二試合は七海が先取しているが、その二試合で遊真は彼の動きを読んだと見て良い。

 

 二試合。

 

 最初の試合も含めればたった三試合で、七海のメテオラ殺法を軸とする動きを読み対応してみせた。

 

 その技量は、流石近界で傭兵をやって生き抜いてきただけはある。

 

(遊真は戦闘においては何処までもシビアだ。ただ作業のように淡々と、()()為の動きをしている。それだけ、鉄火場に身を置いて来たのだろう)

 

 近界でたった一人で傭兵をやるなんて事は、相当の実力と優れた判断力がなければ不可能だ。

 

 大きな組織の後ろ盾が無い以上、自分を守れるのは自分だけ。

 

 つまり、敵味方の取捨選択や情勢の移り変わり、それらを見極める()がなければ使い潰されて終わりなのだ。

 

 遊真には嘘を見抜く副作用(サイドエフェクト)があった事も大きいだろうが、その力も万能ではない。

 

 目の前にいる相手の嘘は見抜けても、その人物が持っていた情報が真実であると言う確証は無い。

 

 加えて相手が話した事の真偽は見極められても、黙秘している事が何かまでは見抜けない。

 

 相手が隠し事がある、という事くらいは分かるようだが、逆に言えばそれだけの情報で事の正否を判断しなければならないのだ。

 

 その都度生き残る判断を下して来たのは紛れもなく遊真自身であり、経験に見合った観察眼を持っているのだ。

 

 それこそ、たった三度の戦闘で相手の動きを見極める程に。

 

「七海と遊真とでは、培ってきた経験の()が違う。本物の戦場に身を置いていた遊真相手に、何処まで食らいつけるか」

「ううん。七海ならやるわよ、絶対」

「小南」

 

 レイジは突然話に割り込んで来た小南を見て、眼を細めた。

 

 今の言い方では、小南は七海の勝利を信じているように聞こえるが。

 

「遊真はお前の弟子じゃなかったか?」

「弟子よ。だからあいつがすっごいまあまあ強い事も知ってるし、七海じゃ分が悪いのも分かるわ。遊真(あいつ)、近界で戦った兵士とおんなじ目してたし」

 

 小南は単に、七海を贔屓して発言したワケではない。

 

 遊真の本質はしっかり捉えているし、本物の生き死にを懸けた戦いを潜り抜けた戦士の怖さも良く知っている。

 

 何せ、自分たちがそうなのだ。

 

 同類の匂いを、嗅ぎ違えるワケはない。

 

 けれど。

 

「七海だって、戦い方の()()なら負けてないわ。あいつがこれまで積み重ねて来たものは、嘘をつかないんだから」

 

 だからといって、死線を潜り抜けた者にそうでない者が勝てないという通りは無い。

 

 不利ではあるだろう。

 

 ここぞという時の機転は、恐らく遊真に軍配が上がる筈だ。

 

 だが。

 

 小南は、七海の力を。

 

 これまでの積み重ねを、信じている。

 

 遊真の力を過小評価しているワケでも、七海を妄信しているワケでもない。

 

 ただ、知っているだけだ。

 

 七海がこれまでに積み重ねた、経験の厚みを。

 

 それはきっと、死線踏破者(遊真)に劣るものではないと。

 

 理解している。

 

 それだけだ。

 

「見てなさい。きっと、七海はやってくれるわ。だってあいつは、迅の期待にだって応えてみせたんだからね」

 

 

 

 

「────────メテオラ」

 

 七試合目。

 

 試合開始と同時、七海は自身の周囲でメテオラを起爆。

 

 一瞬にして視界が爆発で埋め尽くされ、遊真は七海の姿を見失う。

 

(目晦ましか。という事は、下手に動くよりは待ち構えた方が良いか)

 

 遊真は刹那の逡巡の後、此処で迎撃する事を決めた。

 

 爆発によって目晦ましをした以上、それに紛れた奇襲が本命だという事は容易に察せる。

 

 幸い、此処は見晴らしの良い河川敷の川岸だ。

 

 周囲に身を隠せるものはなく、障害物のある住宅街へ向かおうとすればそれだけ遊真からの距離は遠ざかる。

 

 これまでのように爆発の合間を潜り抜けて来る可能性はあるが、既に初見ではない以上どうとでもなる。

 

 爆発の合間を潜り抜けるなどという芸当は感知痛覚体質という特異な副作用(サイドエフェクト)を持つ七海にしか出来ない芸当であろうが、別にこれは無敵の戦術でもなんでもない。

 

 確かに爆発の隙間を潜り抜ける技術は初見であれば予想出来ず対応も遅れるだろうが、遊真は既にそれを見て体感している。

 

 この戦術の利点、そして欠点は既に分かっている。

 

 メテオラ殺法は爆発の合間を潜り抜けるという奇想天外な戦術でありその派手さに目を奪われがちではあるが、来ると分かっていれば対応は可能だ。

 

 何故ならば。

 

 爆発の合間というものは、ある程度道筋(ルート)が限定されているからだ。

 

 七海程のトリオンの炸裂弾(メテオラ)爆発は、広範囲に及ぶ。

 

 当然一つ一つの爆破の規模も相当であり、その合間を潜り抜けるとなれば自然とルートは限られる。

 

 要はその数少ない道筋にあたりをつけておけば、自身の爆発が壁となって逃げられない七海を容易に仕留められる、という事だ。

 

 事実、先程の第六試合ではそうやって七海を落としている。

 

 故に、正面からはまず無い、と遊真は考えていた。

 

 裏をかいて正面から、という選択肢はなくはないだろうが、見たところ七海はそういった博打を打つ性格ではないように思えた。

 

 まだ付き合いが短い為断言は出来かねるが、違っていたら違っていたでその都度修正を加えれば良いだけの話だ。

 

 近界では失敗すれば()など無い為許されなかった考え方だが、幸いこの試合は敗北が死に直結するそれではない。

 

 負けても次があり、敗北を糧に成長出来る。

 

 それがこの世界が生み出した仮想戦闘という技術の最大の成果であり近界には真似出来ない在り方だ。

 

 遊真はそんなこの世界に適応しつつあり、この模擬戦の価値も理解している。

 

 だからこそ、手は抜かない。

 

 それが。

 

 自分に全力で向かって来る、七海への礼儀というものだ。

 

「…………!」

 

 刹那、遊真の視界に小さな影が映る。

 

 炸裂弾(メテオラ)爆発、その合間。

 

 そこを抜けるように、一本の刃────────────────投擲されたスコーピオンが、遊真の額に向かって迫っていた。

 

 遊真はそれを首を捻る事で回避し、同時。

 

「そっちか」

「────────!」

 

 上空(うえ)からこちらに降下して来る、七海の存在に気が付いた。

 

「メテオラ」

 

 だが、気付かれる事は承知の上だったのだろう。

 

 七海は即座に炸裂弾(メテオラ)を生成し、キューブを分割して遊真に向かって射出した。

 

『射』印(ボルト)

 

 遊真はその爆撃に対し、射撃で対応。

 

 正確無比な射撃によって迫りくるキューブを撃ち落とし、起爆。

 

 次々と弾丸が誘爆し、空に花火のように爆発が広がっていく。

 

 そして。

 

 その爆発の合間を潜り抜けるように、七海がグラスホッパーによる加速で突っ込んで来た。

 

「『射』印(ボルト)+『錨』印(アンカー)

 

 そんな七海に対し、遊真は重石の弾で対応。

 

 『射』印と『錨』印の組み合わせによって撃ち出された防御不能の弾丸が、降下して来る七海へ襲い来る。

 

 鉛弾の性質を継承しているこの弾丸は、シールドでは防げない。

 

 かといってグラスホッパーで逃げれば、また距離が空いて振り出しに戻る。

 

 どちらにせよ、遊真の優位は揺るがない。

 

 そう。

 

「…………!?」

 

 もしも七海が、回避や防御といった選択肢を取ったのであれば。

 

 七海が選んだ行動は、突貫。

 

 しかも。

 

 更にグラスホッパーを踏み込み、速度を加算した上で。

 

 無論、そのまま突っ込めば重石の弾の餌食だ。

 

 スピードアタッカーである七海にとって、重石の弾の拘束を受ける事は敗北に直結する。

 

 だが。

 

 七海は、ただ突っ込んだワケではない。

 

 その手に持つ、スコーピオン。

 

 その形状をブーメランのような形に変え、その刃を以て重石

の弾を受け止めたのだ。

 

 無論、細い刃だけで全ての弾を受けきれる筈もない。

 

 受け止め損ねた数発は七海の腕や足に着弾し、200㎏に及ぶ重石が複数撃ち込まれる。

 

 此処が地上であれば、その重さに耐えかねて行動不能になるしかなかっただろう。

 

 しかし。

 

 今七海がいるのは、空中。

 

 加えて、遊真の()()にあたる。

 

 空中にいる物体が、数百キロの重りを付けられればどうなるか。

 

 無論、落ちるしかない。

 

 しかも、その重石の重量が加算された状態で。

 

 そうなれば落ちた時の衝撃は相応に大きくなり、落ちるスピード自体も上がる。

 

 自然落下であればともかく、今の七海はグラスホッパーによる加速を得ている状態だ。

 

 当然落下スピードは相応に上がっており、回避行動は間に合わない。

 

 今の七海は、頭上から猛スピードで落ちて来る数百キロの鉄塊のようなものだ。

 

 無論の事当たればただでは済まず、遊真の『盾』印(シールド)を以てしても受けきれるかは分からない。

 

 よって。

 

『強』印(ブースト)

「────────!」

 

 遊真は七海を、正面から迎撃した。

 

 『強』印(ブースト)による膂力強化。

 

 それを用いた、正面突破で。

 

『戦闘体活動限界。遊真ダウン』

 

 結果は、遊真の敗北。

 

 七海は遊真の攻撃に先んじてマンティスを使い、先んじて攻撃を届かせた。

 

 自身はほんの少し身体を捻る事で、遊真の攻撃の直撃を避けた上で。

 

 直撃はしなかったものの遊真の攻撃事態は当たり、七海の脇腹は吹き飛んだ。

 

 しかし七海のマンティスは正確に遊真のトリオン供給機関を貫いており、致命。

 

 七海がトリオン切れで落ちる直前に遊真の敗北が決定し、何とか勝利をもぎ取った形になる。

 

 これで、3:3、1引き分け。

 

 残る試合は、三試合。

 

 まだ、勝負は付いていない。

 

 逆転の芽は、残されている。

 

「なんとか一勝、取り返したか

「やるね。でも、勝ちを譲る気はないよ

「勿論。俺もさ」

 

 遊真の言葉に七海は不敵な笑みを浮かべ、二人は共に武器を構える。

 

 準備期間(インターバル)は必要ない。

 

 今はただ、目の前の相手に勝つ為に刃を交えたい。

 

 故に。

 

『第八試合、開始』

 

 そのアナウンスと同時に、二人は一斉に動き出した。

 

 先程と同じ手は、使わない。

 

 一度使った以上、同じ手は遊真には通用しない。

 

 故に。

 

 七海は迷いなく、住宅地へ駆け込んだ。

 

 開けた場所では、どうしたって遊真の黒トリガーの出力相手には分が悪過ぎる。

 

 先程使った奇襲が二度使えない以上、場所を変えるのは当然の事だ。

 

 複雑な地形を用いた戦闘は、七海の十八番だ。

 

 障害物が多い地形であればある程、七海の三次元機動は真価を発揮する。

 

 そういった地形はメテオラ殺法と相性が悪いが、そもそも単純なメテオラ殺法が遊真に通用しない以上大したデメリットではない。

 

 七海は目晦ましに炸裂弾(メテオラ)を起爆しながら、街の路地へと飛び込んだ。

 

 遊真はそれを見て、すぐさま行動を決めた。

 

 この状況に最適な印を即座に決定し、使用する。

 

「────────『響』印(エコー)

 

 

 

 

置きメテオラ(起爆装置)はそろそろ仕掛け終わる。次で最後だ)

 

 七海は街の至る所に置きメテオラを設置しながら、路地の間を進んでいた。

 

 念の為バッグワームまで被っている為、レーダーにも映っていない筈だ。

 

 先程の目晦ましとの合わせ技で、遊真はこちらの位置を見失った筈である。

 

 しかし、そこまで広いフィールドでない以上いずれは見つかる。

 

 ならば必要最低限の仕掛けを終えた後、行動に出る他ない。

 

 援軍なき停滞は、徒に相手に時間を与えるだけなのだから。

 

「見つけた」

「────────!?」

 

 しかし。

 

 そんな七海の目論見は、路地の入口に立つ遊真を見た瞬間崩れ去った。

 

(間が悪い…………っ! 此処で見つかるなんて、ツイてな────────待て)

 

 ()()()見つかるなど、ツイていない。

 

 そう心の中で悪態をつきかけた刹那、気付く。

 

 遊真は今、わざわざ声に出して自分の存在をアピールした。

 

 これが米屋のような戦闘狂(バトルジャンキー)であればまだ分かるが、遊真(かれ)の戦闘に置ける姿勢(スタイル)は七海の同一のものだ。

 

 即ち、無駄な事は一切せずただひたすらに勝利を効率的に追及する。

 

 そんな相手が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()などといった無駄な事をするだろうか。

 

「な…………?」

 

 その答えは、七海が動く前に突き付けられた。

 

 七海の右腕と右足、その中央に。

 

 背後から撃ち出された重石の弾が着弾し、合計400㎏もの重量を付加された七海はその場に倒れ込む。

 

(ボルト)

 

 そして。

 

 倒れ込んだ七海の頭部を、遊真は『射』印(ボルト)を用いて容赦なく吹き飛ばした。

 

「トリオン体活動限界。七海ダウン」

 

 これで、戦績は4:3、1引き分け。

 

 再び、遊真にリードを許す結果となった。

 

「…………声を出したのは、陽動の為か」

「うん。おれに注意を払って貰った方が、仕掛けに気付かれ難いと思って」

「やられたよ。置き弾みたいな真似も出来るとは、想定が甘かったな」

 

 そう、あの時遊真が敢えて声を出したのは、七海の注意を自分に向ける為だ。

 

 潜伏状態の七海は何時相手に発見されるか分からない為、周囲に警戒を張り巡らせていた。

 

 ただ重石の弾を撃つだけでは、その警戒度の高さによって避けられる可能性があった。

 

 だからこそ遊真は声を出す事で自分の存在を喧伝し、背後に置き弾と同じ状態にして仕掛けていた重石の弾を撃ち込む隙を作ったのだ。

 

「もしかして、相手の位置を探る『印』もあるのか?」

 

 七海は、気付いた。

 

 この策は、先んじて七海の位置に気付いていなければ出来ないやり方だ。

 

 少なくとも置き弾を設置する段階で、こちらの位置に気付いていたと見て良い。

 

 バッグワームまで使っていたのだから視認による偶発的発見以外は無いだろうと考えていたが、相手は黒トリガーだ。

 

 レーダーよりも高性能の探知能力を備えていても、なんらおかしくはないのである。

 

「正解。『響』印(エコー)って言ってね。トリオンの波動を発してその反響で地形状況や相手の位置を把握出来るんだ」

「成る程、イルカの反響定位(エコーロケーション)のようなものか。お前相手に、かくれんぼは出来ないってワケだな」

 

 イルカは自ら発した音が跳ね返って来た際にそれを受信し、その反応の遅れ等から周囲のものの位置を把握する能力を持っている。

 

 恐らく遊真の持つ『響』印(エコー)はそれと同じ原理であり、ボーダーの使うレーダーとは仕組みが違う。

 

 ボーダーのレーダーはトリオン体の反応を検知しているが、この『響』印(エコー)はトリオンの波動を用いて周囲の地形そのものを瞬時にマッピングしているようなものである為、トリオン体の反応の有無に関係なく探知が出来る。

 

 つまり、1対1の状態で潜伏を選んだ時点で遊真相手には隙を晒す行為でしかなかったのだ。

 

 完全な、作戦ミス。

 

 というよりも、遊真が隠していた手札を巧く切ったと言うべきだろう。

 

 これで七海は迂闊に潜伏を選べなくなり、同時に遊真の勝利に王手がかけられた。

 

 現在の戦績は4:3、1引き分け。

 

 10本勝負である以上、遊真はあと一勝すれば勝ちが決まる。

 

 残り二試合。

 

 七海はもう一本たりとも、遊真に白星を取られるワケにはいかないのだ。

 

「もう、負けない」

「おれも、そのつもりだよ」

 

 二人は、再び対峙する。

 

 模擬戦は、佳境に突入していた。



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空閑遊真⑧

 

「一本取って、一本取り返されたな」

「遊真の勝ちにリーチがかかりましたね」

「ぐぬぬ」

 

 レイジと烏丸の言葉に、小南は顔を顰めた。

 

 先程自信満々に七海を信じる発言をした小南だが、この展開には閉口するしかない。

 

 確かに、七海は期待に応えて遊真相手に一本取ってみせた。

 

 しかしその直後の試合で遊真に取り返され、残り二試合にてリーチがかかった。

 

 七海を応援していた身としては、忸怩たる想いである。

 

 小南は玉狛支部の中でも、あからさまに身内贔屓をするタイプだ。

 

 直接明言はしないものの、彼女は身内かそうでないかで明らかに対応が異なっている。

 

 小南の換算では弟子とした以上遊真は身内であるし、もしも彼が他の者と戦ったならば迷う事なく身内贔屓を炸裂させただろう。

 

 だが。

 

 相手は、他ならぬ七海である。

 

 七海は小南が慕っていた玲奈の弟であり、四年来の付き合いがある。

 

 流石に会ったばかりの遊真と七海とでは、小南の贔屓具合は七海の方が上だ。

 

 それに七海はついこの間、迅の期待に見事応えてみせたという小南にとって無視出来ない出来事もあった。

 

 出来る事ならば、七海に勝って貰いたい。

 

 それが、偽らざる小南の本音であった。

 

 こればかりは、これまでの付き合いによる積み重ねがあったかどうかの違いだ。

 

 どうせ、情深い小南の事だ。

 

 遊真の事もすぐに七海と同じくらい贔屓するようになるだろうが、まだその段階ではない。

 

 これはただ、それだけの話なのである。

 

「…………でも、凄いな。香取先輩が一勝しか出来なかった空閑に、ここまで」

「あの時とは条件も色々異なる上に、七海はあの時の戦闘を見ていた。この違いは大きいだろう」

 

 修の呟きに、レイジがそう答えた。

 

 確かに、香取の時は障害物がなく逃げ場のない訓練室であった為に遊真の『射』印(ボルト)と『錨』印(アンカー)をどうにか出来る手段が限定されており、最後の一戦以外は殆ど蹂躙に近かった。

 

 対して今回の試合では障害物がある戦場で戦っており、加えて遊真の戦闘を一度七海は見ている。

 

 この違いは、大きい筈だ。

 

「そうね。私でも、訓練室で黒トリガーを使う空閑くんとまともに戦り合うのは無理があるわ。速度低下がなく連射可能な鉛弾なんて代物、障害物がなければどうにも出来ないもの」

「そうですね。あの条件下で香取はよくやってたと思いますよ」

 

 那須と烏丸が、それに追随する。

 

 二人の眼から見ても、障害物のない訓練室で黒トリガーを使う遊真と戦うのは難易度がべらぼうに高かった。

 

 たとえ七海であっても、香取と同じ条件で此処まで拮抗出来たかと言われれば首を横に振るしかない。

 

 環境の違いというのは、それだけ大きいのだ。

 

 加えて、一度遊真の黒トリガーを使った戦闘を見ている、という点も無視出来ない要素である。

 

 情報として知っているだけのものと、実際に見たものとでは情報としての精度に雲泥の差がある。

 

 データだけを見ても、実際の代物を見なければどういったものか実感する事は難しい。

 

 そういう意味で、七海は香取と比べて二つのアドバンテージを得ている事になる。

 

 その上でなんとか抗戦出来ているのが、現状ではあるが。

 

 それだけ、黒トリガーを扱う歴戦の傭兵、という壁は大きいのだ。

 

「成る程。分かりました」

 

 説明を聞き、修は黙って観戦に戻る事に決めた。

 

 彼の心境からすると遊真に負けて欲しくない気持ちはあるものの、七海を贔屓する小南の気持ちも分からなくはない。

 

 修自身、七海には恩があるので無碍にはし難い。

 

 故にどちらにも肩入れする事なく、ただ戦いの経緯を見守るのが最善だと修は考えたのだ。

 

 修は空気を読めないのではない。

 

 読んだ上で、「それはそうだけど自分はこうする」として自分の我を通すだけなのだ。

 

 そしてこの場は、自分が我を通して貫きたい目的があるワケでもない。

 

 だからこそ静観が最善だと、そう判断したのだ。

 

 そんな修を見ながら、レイジはモニターに視線を戻す。

 

 画面の中では丁度、七海と遊真が共に駆け出す所だった。

 

「とにかく、あと二試合だ。恐らくそう長くはかからないだろう。どういう結果になるにせよ、な」

 

 

 

 

「メテ────────」

「『射』印(ボルト)

 

 試合開始と同時に炸裂弾(メテオラ)のキューブを展開した七海目掛け、遊真は容赦なく射撃を敢行した。

 

 七海のサイドエフェクトは自身に向かう攻撃は感知出来ても、自分自身に直撃しない軌道の攻撃までは感知出来ない。

 

 それを理解しているのか、遊真はギリギリ七海に直撃しない軌道を選んで弾丸を放った。

 

 このままキューブに当たればそれが引き金となって起爆し、七海は隙を見せる事になる。

 

「────────!」

 

 だが。

 

 遊真ならそのくらいやって来ると、七海は既に予測していた。

 

 展開されていた炸裂弾(メテオラ)のキューブは遊真の弾丸が当たる前に破棄され、消滅。

 

 七海はすかさずグラスホッパーを用いて、側面。

 

 遊真の真横へと、肉薄する。

 

 今の遊真には、レプリカの補助(サポート)が無い。

 

 それ故に印の展開スピード自体が通常時と比べて落ちているし、多重印も気軽には扱えない。

 

 特に、七海のようなスピードアタッカー相手にこの距離で多重印を用いるのは自殺行為だ。

 

 印の発動自体は、間に合わせる事が出来るだろう。

 

 だが、発動出来ても当たらなければ意味がない。

 

 七海のように攻撃を察知出来る副作用(サイドエフェクト)の持ち主が相手では、()()()()()()()()という行為の前提が覆されかねないのだ。

 

 感知痛覚体質(サイドエフェクト)を持つ七海に攻撃を当てるには、相手の反応を超えたスピードで攻撃を叩き込むか、回避する余地のない攻撃を繰り出すしかない。

 

 七海のサイドエフェクトでは感知出来ない(アンカー)は例外的に有効な攻撃ではあるが、この場で(ボルト)と組み合わせて使うには相手との距離が近過ぎる。

 

「かかったね」

「…………!」

 

 故に選んだ印は、『鎖』印(チェイン)

 

 地面から伸びる無数の鎖が、七海の四肢を拘束する。

 

 遊真はこの罠を、キューブへの攻撃が不発で終わった段階で仕掛けていた。

 

 この『鎖』印もまた、攻撃力が無い故に七海のサイドエフェクトに感知されない能力だ。

 

 スパイダーに似た能力ではあるが強度はワイヤーの比ではなく、あちらのように一息で切断する事は出来ない。

 

 つまり、七海は遊真が目の前にいるこの状況で身動きを完全に封じられた事になる。

 

『強』印(ブースト)

 

 すかさずトドメを刺す為、遊真は『強』印を用いて拳を強化。

 

 七海の胸部を狙い、拳撃を繰り出す。

 

「…………!」

「それは、前に見たんだ」

 

 その、刹那。

 

 遊真は身体を僅かに横にズラし、地面から伸びた刃を紙一重で回避した。

 

 何が起きたか、言うまでもない。

 

 もぐら爪(モールクロー)

 

 四肢を拘束された七海が行った、地面を経由した奇襲攻撃。

 

 それが、躱された。

 

 何故。

 

 問うまでもない。

 

 それは。

 

 この手段(こうげき)は。

 

 以前に香取が遊真に用いた決め手と、同様のものだったのだから。

 

 あの時の模擬戦で香取はもぐら爪(モールクロー)とマンティスを組み合わせた攻撃により、遊真を仕留めている。

 

 その経験があったからこそ、スコーピオン使いは四肢が動かずとも攻撃手段がある事を、遊真は知っていた。

 

 故に、避けられた。

 

 一度体感した攻撃は、遊真にとっては既知のもの。

 

 来ると分かっている奇襲は、大振りの攻撃(テレフォンパンチ)に過ぎない。

 

 テレポーターのようにあからさまでなくとも、今回の場合急所狙い以外は有り得ない。

 

 何せ、四肢が拘束された状態なのだ。

 

 奇襲で仕留められなければその時点で反撃の芽は無い為、急所を狙う他なかったのだ。

 

 最後の一撃は、空を切った。

 

「────────」

「────────!」

 

 その隙を逃す、遊真ではない。

 

 彼は容赦なく拳を振るい、七海の右胸を貫いた。

 

 僅かに七海が身体をズラした為にトリオン供給機関の一撃破砕は免れたが、この傷であれば数瞬後にはトリオン漏出で落ちる。

 

「…………!」

 

 但し。

 

 それは、七海だけではない。

 

 彼の身体を貫いた、遊真の右腕。

 

 その拳先は。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()を、彼の身体ごと貫通していた。

 

 キューブの名は、炸裂弾(メテオラ)

 

 貫かれ、カバーが外れた爆弾は即座に起爆。

 

 轟音と共に、爆発が二人を吞み込んだ。

 

『トリオン体活動限界。引き分け(ドロー)

 

 結果は、相打ち。

 

 共に爆発に呑まれた二人は同時にトリオン体を破壊され、試合終了と共にその身体が再構築された。

 

「背中にメテオラを仕込んでおくなんて、やられたよ。最初から相打ち狙いだったの?」

「いや、ただ保険をかけておいただけさ。もぐら爪(モールクロー)が通じなかった時の為の、な」

 

 七海の言葉に、嘘はない。

 

 それは、遊真のサイドエフェクトが証明している。

 

 恐らく七海はあのもぐら爪で遊真を仕留めるつもりであったが、香取が同じ手を使っていた事からそれが通用しない可能性も考えていたのだろう。

 

 その為に最悪でも相打ちに持ち込む為、炸裂弾(メテオラ)を仕掛けていたのだ。

 

 自分の身体を、遮蔽物として用いる事で。

 

 第一試合のように見える個所にメテオラを出現させては、遊真に対処される可能性がある。

 

 だからこそ自分の身体を視界を遮る壁とする事で、即席の死角の罠(ブービートラップ)としたワケだ。

 

 もぐら爪で仕留められれば最良。

 

 そうでなくとも、相打ちに持ち込む。

 

 初めから、二段構えの策だったワケだ。

 

(でも、これであと一試合。戦績は4:3、2引き分け。次の試合でおれが勝てば5:3、2引き分けでおれの勝ち。ナナミ先輩が勝てても4:4、2引き分けで勝者なしになる。さっきの「勝つ」はハッタリ(ブラフ)だった…………? いや)

 

 そういえば、と遊真は思考する。

 

 確かに、先程七海は遊真に啖呵を切って見せた。

 

 だがそれは。

 

 「勝つ」、ではなかった筈だ。

 

────────────────もう、()()()()────────────────

 

 そう。

 

 ()()()()と、確かに七海はそう言ったのだ。

 

(────────最初から、引き分け狙いだった…………? おれに勝つ事を諦めて、いや────────────────引き分けにしてでも、()()()()()()()があったって事か)

 

 可能であれば勝ちたかったのは、事実だろう。

 

 だが、あくまでそれは()()()()()()だ。

 

 七海は結果が引き分けに終わろうとも、確かめておきたい()()があった。

 

 遊真は、そう推察した。

 

(この模擬戦が、黒トリガー(おれ)との戦闘経験を得る為のものだろうってのは分かる。だから極論勝敗度外視で経験を積むってのはアリかもしれないけど、ナナミ先輩は負けるつもりは無いと言った。これは嘘じゃなかった)

 

 あの時。

 

 七海が「負けない」と言った時、彼は嘘をついていなかった。

 

 故に、あの言葉は真実であると分かる。

 

 けれど、分かるのはそこまで。

 

 彼の真意が何なのかについては、遊真のサイドエフェクトでも判別は不可能なのだから。

 

 遊真の副作用(サイドエフェクト)は相手が嘘をつけば口から黒い煙が見える、という視覚に作用する代物だ。

 

 嘘をつく人間の声の変化が視覚に作用してそれを見破るものであり、分かるのは相手が嘘をついているかどうか、そしてそれは会話内容の中でどの程度嘘をついているか、といったものである。

 

 隠し事がある事くらいは分かるが、その内容まで見通せるワケではない。

 

 相手のブラフは見破れるが、決して相手の心が全て見通せるような、便利な力ではないのだ。

 

(きっと、ナナミ先輩はこうしなきゃ最終的に引き分けにも持ち込めないと判断した。だから、今の引き分け(けっか)にも何か意味がある。おれの反応を見る為か、それともおれの対応力を見る為かは分からないけど)

 

 七海は自分と同じ、戦いに関しては徹底的にクレバーになれる人種であると遊真には理解出来ていた。

 

 自分と同じ、淡々と()()為の動き。

 

 彼は謙遜しているようだが、遊真のような本物の戦場での経験もなしに此処まで磨き上げているのだから大したものだ。

 

 遊真から見ても充分、七海は歴戦の勇士としての素養を備えている。

 

(次で最後だ。別に負けたところで何かあるワケじゃないけど、こっちだって負けるつもりでやるなんてゴメンだし、何よりそれはきっとあっちだって望んでない。全力で、倒す。それだけだ)

 

 故に、加減はしない。

 

 何が来ようと、どんな策で来ようと全力を以て打ち倒す。

 

 それが自分に挑んで来た彼への敬意であり、果たすべき礼の形だ。

 

「────────」

「────────」

 

 二人の視線が、交差する。

 

 最後の試合が、始まった。



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空閑遊真⑨

 

「へー、4:3、2引き分けか。良い勝負じゃん」

「あ、宇佐美先輩。お疲れ様です」

 

 修は部屋に入って来た宇佐美を見て、そう言って労った。

 

 宇佐美は先ほど頼まれた情報整理をしていた筈だが、此処に来たという事は作業はもう終わったらしい。

 

 中々に早い仕事だが、彼女に限って雑な仕事をするとは思えない。

 

 きっちり、情報整理を済ませて来たに違いない。

 

 手早く、正確に。

 

 それを効率良くこなせるからこそ、宇佐美の評価は高いのだ。

 

 伊達に、玉狛支部でオペレーターをやっているワケではないのである。

 

「でもどっちも凄いよね。黒トリガー使ってる遊真くんもそうだし、それに対抗出来てる七海くんも流石だよ」

「ええ、驚きました。なんというか、レベルが違いますね」

「そうだね。まあ、レベルが違っても戦略次第でやりようはあるから、気を落とさないでね。その為の仲間なんだし」

「はい、承知しています」

 

 二人は口々に七海達の戦いを称賛し、頷く。

 

 修からしてみれば遊真も七海もどちらも明確な格上であり、戦闘における動きは雲泥の差と言う事すら烏滸がましい。

 

 元々修より格下の相手などそうはいないが、それでも尚二人の戦闘センスは圧巻と言う他なかった。

 

 メテオラ殺法と攻撃感知可能な副作用(サイドエフェクト)という武器を持つ七海に対して動きを読み、正確な対処を行えている遊真の動きは勿論凄い。

 

 黒トリガーの性質に由来するかのように、遊真の学習能力は非常に高い。

 

 一度見た動きはすぐさま記憶し、類似ケースへの対応能力を強化する。

 

 リアルタイムで相手の動きを観察し、適切な対処方法を導き出す。

 

 そういった観察眼とそれを元にした動きのフィードバックが、半端ではないのだ。

 

 伊達に、何年も近界で傭兵をやっていたワケではないという事だ。

 

 対して、七海はそんな遊真に充分以上に食らいついている。

 

 サイドエフェクトの恩恵があるとはいえ、黒トリガーの出力も然る事ながら戦巧者の遊真相手に手を変え品を変え抗戦する機転と応用力は目を見張る。

 

 不利な条件下であったとはいえ一勝しかもぎ取れなかった香取とは、戦闘経験の質が違う。

 

 恐らく、七海は格上相手の訓練を死ぬほどこなして来たのだろう。

 

 伝え聞く限りではA級一位の人物やランク戦で見た影浦等が師匠筋であるというのだから、そういった経験を積む為の環境は充分過ぎる程にあった。

 

 それを活かし、格上相手との戦闘経験を飽きる事なく積み重ねた結果に今の七海があるのだ。

 

 その経験がなければ、黒トリガーを使う遊真相手にあそこまで食らいつく事は不可能だろう。

 

 だが、それももうすぐ決着がつく。

 

 あと、一戦。

 

 それが、この模擬戦の終着点。

 

 どちらが勝とうが、これで終わる。

 

 修は、宇佐美は。

 

 そして、固唾を呑んで画面を見守る那須は。

 

 最終戦の始まりを、その目に収めた。

 

 

 

 

「────────」

「…………!」

 

 最終戦、その開始と同時に七海はグラスホッパーを起動。

 

 遊真が動き出すより一歩早く、ジャンプ台を踏み込み上空へと跳躍した。

 

 もしも遊真の側から踏み込んでいれば跳躍を阻止出来た可能性はあったが、彼は迎撃(カウンター)を行うつもりで構えていた為に一手遅れた形となる。

 

 仮に七海がメテオラでの目晦ましを初手で行おうとしていたら、遊真はそれを起爆させる為に動いたであろう。

 

 目晦ましすら考えず、全力で上空に跳躍する事を選んだ七海の判断が功を奏したワケだ。

 

「────────メテオラ」

 

 そして、上へ上がった七海の取る手は決まっている。

 

 即ち、上空からの爆撃。

 

 無数に分割したメテオラの弾丸が、遊真に向かって降り注ぐ。

 

 弾丸はかなり広範囲に斉射されており、ただ動いただけでは被弾範囲から出るのは至難の業だ。

 

『射』印(ボルト)

 

 故に、遊真は迷いなく迎撃を選択。

 

 射撃を放ち、降り注ぐ弾丸を一つ一つ迎え撃ち、空中で起爆させていく。

 

「────────メテオラ」

「…………!」

 

 だが、七海の攻撃は終わってはいなかった。

 

 七海はグラスホッパーを用いて移動しつつ、更にメテオラを射出。

 

 別角度からの空爆が、遊真へと襲い掛かる。

 

(撃ち落とすか。いや、それじゃあ埒が明かないな。このまま固められて、何かを仕込まれるのも面倒だし)

 

 遊真は再び『射』印で迎撃するかと思考し、即座に棄却。

 

 同じ事を繰り返すのでは、延々と時間を稼がれるだけだ。

 

 本当の意味で千日手になれば黒トリガーのブーストでトリオンが勝っている遊真が勝つが、まさかそんな真似はするまい。

 

 七海のトリオン評価値は、10。

 

 二宮程飛び抜けて高いというワケではないが、充分トリオン強者の立ち位置にいる。

 

 爆撃を継続しても、トリオンが切れるまでには相応の猶予がある筈だ。

 

 故にこのまま上空からの爆撃で身動きを封じられ、その間に何かを仕込まれる可能性は充分にある。

 

 少なくとも、その程度には遊真は七海を評価していた。

 

 先程の、背中に仕込まれたメテオラの件もある。

 

 下手に時間を与えれば、またもや意表を突く仕掛けの一つや二つ打ってきかねない。

 

『鎖』印(チェイン)

 

 だからこそ、遊真は動いた。

 

 使用したのは『射』印ではなく、『鎖』印。

 

 遊真はメテオラの爆撃によって積み重なった瓦礫に鎖を接続し、投擲。

 

 降り注ぐ弾丸が瓦礫に着弾し、起爆。

 

 上空を、爆発が覆う。

 

「────────!」

 

 視界が爆破によって塞がれ、煙に巻かれる中。

 

 七海は己の直感に従い、グラスホッパーを用いて即座にその場から離脱した。

 

 一瞬後。

 

 彼がいた場所には、瓦礫の付いていない鎖が伸びていた。

 

 今の起爆は、この一手を隠す為。

 

 爆煙に紛れて鎖で七海を捕らえる事こそ、遊真の狙い。

 

 その目論見を回避し、七海は爆煙の外へと跳躍。

 

「…………!」

「ビンゴ」

 

 その、瞬間。

 

 七海の右腕に、突如鎖が絡みついた。

 

 何が起きたか、言うまでもない。

 

 先程七海を狙った鎖こそ、陽動(ブラフ)

 

 本命は、煙から飛び出した先に()()()()()この鎖であったのだ。

 

 遊真は七海であれば爆煙に紛れた()()の攻撃であれば必ず避けるだろうと考え、その()()()にこそ本命を仕掛けていたのだ。

 

 七海の実力、戦闘勘を信じるが故の采配。

 

 歴戦の傭兵としての、遊真の戦略眼。

 

 それによって、七海は。

 

「────────────────そう来ると、思っていた」

「…………!」

 

 ────────────────千載一遇の好機を、その手に掴んだ。

 

 七海は遊真によって鎖が牽引される前に、()()()()()()()()グラスホッパーを踏み込み加速。

 

 更なる上空へと跳躍し、それに引っ張られる形で遊真は空へと吊り上げられた。

 

 確かに、『強』印の強化を得れば上空で踏ん張る為の足場の無い七海相手なら簡単に地面に引きずり下ろす事が出来ただろう。

 

 だが。

 

 その強化を出力する前に、向こうから牽引された場合は話が別だ。

 

 強引に振り解かれる事がないよう、鎖の先を遊真自身の腕に巻き付けていた事も災いした。

 

 七海の目論見通り、遊真は空中へと強引に連れ出される事になる。

 

(強引に、空中戦に引きずり出された…………! けど…………っ!)

 

 成る程、確かに空中ならばグラスホッパーの使える七海が有利に立ち回れるだろう。

 

 これが空での移動手段を持たない相手であれば、一方的に攻撃出来る状況だ。

 

 されど。

 

 遊真には、『弾』印(パウンド)がある。

 

 空中機動が出来るのは、何も七海だけではない。

 

 その気になれば遊真もまた、空中で足場を確保する事は出来るのだ。

 

 いや、そもそも『鎖』印(チェイン)の鎖は未だ七海の左腕に絡みついている。

 

 此処から『強』印(ブースト)で牽引してやれば、今度は向こうを引き寄せる事が出来る。

 

『強』印(ブースト)

 

 遊真は即断し、牽引を実行。

 

 強化をかけた膂力で、鎖を引っ張り────────────────。

 

「…………!」

 

 ────────────────その刹那、巻き付いた右腕が七海の左手首から伸びたスコーピオンによって切断され、腕だけが遊真の元へと牽引された。

 

 一手、遅かったのだ。

 

 遊真はいつの間にか七海の先制攻撃に対抗し、()()()()()()()()という思考に誘導されていた。

 

 その結果として一手が空振りに終わり、隙を見せる結果となった。

 

 もし、七海が遊真を上空へ引っ張り上げた段階で満足していたならばこうはならなかった。

 

 通常、有利な戦場へ持ち込む事に成功したのであれば程度の差こそあれ気を良くするものだ。

 

 有利な状況になったのだから、相手を詰ませる為の一手を繰り出す。

 

 その思考自体は、間違いではない。

 

 だが。

 

 たとえ有利な状況になったのだとしても、相手に抵抗の余地がある時点で()()()を無視すべきではない。

 

 降水確率が1%でもあれば、雨が降る可能性が残るように。

 

 万分の一でも確率があるのであれば、それはいつ起こってもおかしくない事態であるのだから。

 

 だからこそ、七海は初手でリスクの排除────────────────即ち、鎖の切除を行った。

 

 迷う事なく、己の右腕の肘から先を斬り落とす事で。

 

 その結果として遊真は一手を空振りに終わらせ、一瞬の隙を晒す結果となった。

 

 七海がそれを、見逃す筈もない。

 

 腕を斬り離した七海は、即座にグラスホッパーを起動。

 

 真っ直ぐに、遊真の元へと急行する。

 

「…………!」

 

 無論、遊真もただ見ているワケがない。

 

 一手無駄にした所為で七海はもう目と鼻の先まで迫っているが、迎撃は充分可能だ。

 

 『錨』印(アンカー)『射』印(ボルト)を用いた迎撃は、論外。

 

 確かに『錨』印は七海の副作用(サイドエフェクト)を抜ける攻撃ではあるが、あまりに距離が近過ぎる。

 

『弾』印(パウンド)

 

 故に、選んだのは『弾』印による跳躍。

 

 向かう先は七海────────────────ではなく、地面。

 

 即ち、地上への離脱だ。

 

 此処で強引に迎撃する事も、可能ではあった。

 

 だが、この戦場は七海が用意したフィールドだ。

 

 つまり、此処から詰み(チェック)をかける算段を、必ず立てている筈だ。

 

 七海なら、そうする。

 

 遊真はそう信じて、即座の離脱を選択した。

 

 そも、『弾』印(パウンド)で空中機動が出来るとは言っても、グラスホッパーと違いそこまで小回りが利くワケではない。

 

 レプリカの補助があれば話は別だが、少なくとも現状では動作の精密性ではグラスホッパーに軍配が上がる。

 

 よって此処は、無理をすべき場面ではない。

 

 相手を確殺出来る用意があれば話は別だが、現段階でその算段は持てない。

 

『錨』印(アンカー)『射』印(ボルト)

「…………!」

 

 ならば、算段(それ)を作れるようにすれば良い。

 

 遊真は当然の如くグラスホッパーを用いて追い縋って来た七海に対し、重石の弾を射出。

 

 目前まで迫っていた七海は避けようがなく、無数の重石が彼の身体に出現した。

 

 重石を付加された七海は、数百キロの加重に耐え切れず落下していく。

 

 これこそが、遊真の真の狙い。

 

 『弾』印(パウンド)で下に逃げたのは、多重印を使う時間を稼ぐ為。

 

 遊真は七海が自分を追って来る事を見越して、彼の接近に間に合うように多重印を使ったのだ。

 

 狙いは、付けるまでもない。

 

 何故なら、七海が近付いて来る事は分かっていたのだから、わざわざ狙う必要はない。

 

 遊真を仕留めるのであれば、メテオラではなく直接攻撃しに来ると踏んでいた。

 

 確かにメテオラは攻撃範囲には優れるが、反面単体では決定力には欠ける。

 

 障害物の破壊には長けていても、突破力そのものは高くないのだ。

 

 だからこそ、七海は直接スコーピオンで仕留めに来ると踏んでいた。

 

 機動に分のある、空中戦であれば尚の事。

 

 多重印を使った硬直で即座にトドメを刺す事は出来ないが、既に重石は撃ち込んだ。

 

 こうなってしまえば、最早七海に抵抗の余地はない。

 

 あとはマンティスの射程外から、シールドが割れるまで『射』印(ボルト)を叩き込めばそれで終わりだ。

 

 危険は冒さない。

 

 詰めは、誤らない。

 

 それが傭兵として生きて来た遊真の戦い方であり、必要の無いリスクは取らず、ただ確実に相手を殺す為の方策を実行する。

 

「え…………?」

 

 だからこそ。

 

 次の瞬間、遊真は本当の意味で虚を突かれた。

 

 自身の、胸部。

 

 そこに、背中から貫通する形で刃が突き立っている。

 

 有り得ない。

 

 落下した七海からは、マンティスでさえ届かない筈だ。

 

 全身に重石が付いているのだから、投擲も出来る筈がない。

 

 今此処で自分が攻撃を受ける要素は、何もない。

 

 その、筈だった。

 

「…………! そういう、事か…………っ!」

 

 そこで、気付く。

 

 自身が受けた、攻撃の正体。

 

 それは。

 

 スコーピオンの刃が付いたままの、切り離された七海の()()

 

 それが、遊真の背中に突き立っていた。

 

 下に目を向ければ、そこには役目を終えて散ったグラスホッパーの残滓がある。

 

 つまり、七海は。

 

 切り離した右腕をグラスホッパーで撃ち出す事で、遊真に攻撃を届かせたのだ。

 

 最初から、これが狙い。

 

 七海は自分の攻撃が迎撃される事を織り込んだ上で、遊真に仮初の勝利を確信させた。

 

 遊真は決して、慢心などはしていなかった。

 

 己の出来る最善を行使し、徹底して効率的に勝利を掴もうとしていた。

 

 その効率性、優秀さこそを七海は利用した。

 

 遊真であれば、此処までやるだろう。

 

 そう確信して、自分の攻撃が失敗に終わる事に懸けて切り離した右腕のスコーピオンを破棄せず維持し続けた。

 

 全ては、この一撃に繋げる為に。

 

 先程の一戦は、遊真の対応力の()()を見る為。

 

 何処まで、やって来るのか。

 

 それを見極める為に、あの一戦を消費したのだ。

 

「やっぱりやるね、ナナミ先輩」

「ああ。今回は、俺の勝ちだ。結果としては、五分五分(イーブン)だけどな」

『戦闘体活動限界。遊真ダウン』

 

 機械音声が遊真の敗北を告げ、彼の戦闘体が消滅する。

 

『模擬戦終了。4:4、2引き分け。引き分け(ドロー)

 

 こうして、二人の模擬戦は幕を閉じた。

 

 結果は引き分けでも、得た物は多い。

 

 七海は確かな実感を手に、仮想空間を後にする。

 

 その横顔は、勝者のものと言って差し支えのない精悍さに溢れていた。



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空閑遊真⑩

 

「お疲れ様、玲一。良い経験が出来たみたいね」

「ああ、貴重な経験をさせて貰った。空閑くんには感謝だな」

 

 模擬戦終了後。

 

 皆の下へ戻った七海を、真っ先に那須が出迎えた。

 

 本当であれば言葉を尽くして労いたいのであろうが、此処では周りの眼もある。

 

 二人きりであれば遠慮なく労い(あまえ)に行っていたのであろうが、流石に衆人監視の中でそれをやる度胸は那須には無い。

 

 自分の世界に入ってしまった状態であれば勢いでやってしまうのが彼女であるが、基本的に那須は引っ込み思案なのだ。

 

 戦闘ではイケイケモードになるのだが、素の性格は陰キャに近い。

 

 というよりも、陰キャそのものだ。

 

 幼少期に七海と出会って自分と彼だけで世界がほぼ完結してしまった為に、対人コミュニケーション能力を磨く事をしなかったツケとも言える。

 

 それでいて思い込みが割と激しく基本的に悲観主義者であるので、放っておくと悲観思考狭窄(ネガティブスパイラル)に陥ってしまう為、一人にしてはいけない人間でもある。

 

 ともあれ、乙女回路がヒートアップしない限り那須は人前ではそんなに惚気たりはしない。

 

 自覚がないだけで大分人前でも惚気ているのだが、閑話休題(それはともかく)

 

 那須は自分たちを────────────────特に七海を見詰める修達の視線を察して、二人の世界に入りたい衝動をぐっと堪えながら彼等に目を向けた。

 

 七海と話していたいという欲求はあるが、今は彼に良いところを見せたいという願望もある。

 

 また、これまで自分を慕ってくれる後輩がチームメイトを除いていなかった為、修や千佳の純粋な尊敬の念を向けられる事にある種の快感を感じてもいる。

 

 寂しがりや(ボッチ)は、無垢な好意には弱いのである。

 

「どうだった? 玲一達の戦いを見て、何か参考になったかしら?」

「え、えっと。全部は理解出来ませんでしたが、所々であれば」

「す、すみません。わたし、全然付いて行けてなくて」

「あ、そ、そうなの」

 

 那須の質問に修は難しい顔で答え、試合が始まってからずっと無言でいた千佳は申し訳なさそうにそう答えた。

 

 そんな彼女の反応に那須はどうしていいか分からず、無意識に視線で七海に助けを求めた。

 

 那須のアイコンタクトを受けた七海は無論の事即応し、対応を変わる事とした。

 

「三雲くんはある程度分かるだけでも大したものだし、雨取さんはまだ戦闘訓練もやり始めたばかりだから無理もないよ。どうしても、鍛えて来た、そして戦ってきた年月の差ってのは出るものだからね」

「ええ、だから気にしなくていいわ。雨取さんはまだ基礎を鍛える事に主軸を置くべき時期だし、焦って応用に走らなくても大丈夫よ。そのトリオン量なら必ず、ちゃんと部隊に貢献出来るようになるわ」

 

 だから頑張ってね、と七海が変えた流れに乗っかる形で那須は助言し、千佳が「はいっ!」と元気良く返事をしたのを見て内心で胸を撫で下ろした。

 

 何せ、後輩の面倒を見る、なんて事自体が初体験の那須だ。

 

 技術面であれば幾らでも口は軽くなるが、心理面となるとそうもいかない。

 

 こういう場面でどういう助言(フォロー)が適切なのか、そしてどういった話をすればいいのか。

 

 そういった経験則が、まるでないのだ。

 

 これまで狭い世界で満足してきた弊害、とも言える。

 

 前を向くようにはなったが、社会に適応する為のリハビリはまだまだこれからなのだ。

 

 そういう意味で、こういった経験は得難いものになる。

 

 成功は、失敗からこそ生まれるものなのだから。

 

「でも、本当に凄いですね。黒トリガーを使う空閑相手に、引き分けるなんて」

「黒トリガーと戦うのは初めてじゃあなかったし、何より空閑くんが俺の戦闘のログを見ていなかった事が幸いしたかな。ある程度初見殺しが出来たからこそ、この結果に至れたと言える。もう一度やって同じ結果になるかは、分からないな」

 

 七海の言葉は、謙遜でもなんでもない。

 

 修と違い、遊真はまだ七海の試合のログなどは見ていない。

 

 最近は専らボーダーのトリガーに慣れる為の訓練が主であり、ログを見る等の座学は後回しにされていたのだ。

 

 遊真の指導をしている小南が実践第一の方針であり、「とにかく模擬戦、そして反省。また模擬戦」というスタンスなので、まあ無理もないが。

 

 もしも遊真が修のように七海の試合を見ていたのであれば、最後の攻撃は躱されていた可能性もある。

 

 何せ、切り離した腕を相手に叩き込む、という手法はランク戦の中で実践していたのだから。

 

 七海は遊真のメテオラ殺法への初見の対応を見て、自分の戦闘ログは見ていない事を悟っていた。

 

 だからこそ、最後の策に踏み切れたとも言える。

 

 遊真は、既知の攻撃であれば対応してしまう。

 

 故に彼を倒すには、遊真の知らない未知の攻撃を仕掛ける必要があった。

 

 9戦目の結果でそれを否応なく思い知ったからこそ、七海はあの策を選んだのだ。

 

 まだ遊真が見ていない、()()の攻撃として。

 

 結果としてそれは成功し、勝利を掴んだ。

 

 既に手の内を知られた今となっては、最早叶わぬ方策である。

 

(まるで、鋼さんとやり合ってるみたいな感覚だったな。鋼さんみたいな副作用(サイドエフェクト)じゃない筈なのに、あそこまでの学習能力とか凄まじいにも程がある)

 

 七海は遊真と戦っている時、村上の事を度々想起していた。

 

 サイドエフェクト、強化睡眠記憶。

 

 一度眠る事でその日学習した内容をほぼ完璧にフィードバックしてしまうサイドエフェクトを持つ村上には、一度見せた手はまず通用しない。

 

 遊真は能力に恩恵に依らず、それに近い事をやっていたのだ。

 

 他ならぬ、傭兵としての経験と歴戦の戦闘勘によって。

 

 流石に精度自体は村上の方が上であろうが、学習のフィードバックの即応性と機転がとにかくずば抜けて高い。

 

 リアルタイムで情報を集積し、即座に戦闘にそれを活かす戦い方。

 

 それはきっと、近界の戦場を渡り歩く中で培った代物なのだろう。

 

 そうでなければ、生き残れはしなかった。

 

 必要に迫られて習得した、実戦帰り故のスキル。

 

 その凄まじさを、七海は充分以上に体感していた。

 

「空閑くんは凄いよ。きっと、マスタークラスになるのもすぐだろうね」

「マスタークラス、ですか。七海先輩もそうなんですか?」

「ええ。玲一は、スコーピオンのマスタークラスよ。確か、ポイントは9759だったかしら」

「ああ、それで合ってるよ」

 

 那須の言葉を、七海がそう言って肯定する。

 

 七海は太刀川や影浦といった師匠の面々とは良く手合わせを行うが、彼等程熱心にランク戦を行っているワケではない。

 

 無論攻撃手の常としてそれなりに対戦を重ねているが、少なくとも単位を犠牲に四万オーバーのポイントを稼いでいる駄目人間(太刀川)のような真似はしていない。

 

 まあそもそも七海の真価は集団戦にある為、個人戦の戦績にはそこまで拘ってはいないという事情もある。

 

 影浦や村上に戦う楽しさを教えて貰いはしたが、七海にとって戦闘はあくまで守る為の()()なのだ。

 

 嗜みはしても、後先を考えず熱中まではしていない。

 

 たとえるなら、そういった塩梅なのである。

 

「そうなんですね。ちなみに那須先輩は…………」

「私の変化弾(バイパー)のポイントは、8765よ。玲一ほど頻繁にランク戦はやっていないけれど、マスタークラスではあるわ」

 

 那須は修の質問に、淀みなくそう答えた。

 

 バイパーを操る技術では右に出る者はそうはいない那須ではあるが、彼女の場合はそもそも個人ランク戦はそこまで熱心にはやっていない。

 

 一時期は相手を蜂の巣にする事が楽しくて格下を蹂躙して回っていた事もあるのだが、それもすぐに飽いた。

 

 那須が最も求める戦いは相手との弾幕の張り合いであり、彼女とそれがまともに行えるのは出水くらいである。

 

 二宮では出力が高過ぎて別ゲーになってしまうし、そもそも彼はランク戦を積極的に行う性質(タチ)ではない。

 

 よって那須が楽しめる相手というのは早々見つからず、加えて彼女自身がコミュニケーション能力に難がある。

 

 ぶっちゃけると、七海のように気軽にランク戦に付き合ってくれる仲間がいないのだ。

 

 そういった事情がなければ1万オーバーのポイントとなっていてもおかしくはなかっただろうが、これもまためぐり合わせである。

 

「面白そうな話してるね」

「あ、空閑」

 

 そんな折、遊真が遅れて部屋に入って来た。

 

 今の遊真は戦闘中に纏っていた張り詰めた空気は消えており、何処にでもいる小柄な少年に見える。

 

 七海はそんな遊真を見て「来たか」と呟くと、一礼した。

 

「今日は模擬戦に付き合ってくれてありがとう。良い経験になったよ」

「こちらこそ。いい経験になったよ」

 

 それでさ、と遊真は続ける。

 

「ついでと言っちゃなんだけど、今の模擬戦にどういう意図があったのか聞いて良い? 求めるものによっては、協力出来る事もあると思うけど」

「そうだな。話しておいた方がいいか」

 

 遊真の不意の質問に慌てず、それどころか想定内といった雰囲気で七海がそう答えた。

 

 何故、今遊真と模擬戦を行う必要があったのか。

 

 それには相応の事情があったと遊真は見ているし、七海はそれを否定しなかった。

 

 遊真という未知の戦力の実力が気になった、というのも確かにあるだろう。

 

 戦いを楽しんでいた様子もあったが、七海の本質はそこでは無いように思えた。

 

 だからこそ、尋ねたのだ。

 

 何か、協力出来る事情があるのかどうかを。

 

 今更、七海達ボーダーが遊真を裏切るなどとは思っていない。

 

 もしも上層部と玉狛支部が本気でいがみ合う姿でも見せられていれば話は違ったかもしれないが、トップである城戸の意向と彼等との関係性は既に把握している。

 

 だから、これは純粋な厚意からの質問だ。

 

 求めているものが分かれば、ものによっては協力出来る。

 

 遊真はそう尋ね、七海はその意図を正しく受け取った。

 

 故に、七海は背筋を但し遊真に向き直った。

 

 彼の厚意に、応える為に。

 

「君の実力を知りたかった、ってのも嘘じゃない。黒トリガーとの戦闘経験を得たかった、ってのも本当だ。けどそれ以上に、近界民(ネイバー)との戦いに慣れておきたかったってのが一番大きな理由かな」

「それは、つまり」

「ああ────────────────トリガーを使う、人型近界民。つまり、()()()()()()()使()()との戦闘経験を積んでおきたかったんだ」

 

 七海は敢えて、遊真を近界民として扱った。

 

 それは勿論彼を余所者と貶める意図はなく、近界のトリガーを使う者、といった意味合いだ。

 

 遊真はそれを正しく理解し、成る程、と頷いた。

 

「つまりナナミ先輩は、()()()()()()()()()()()()()が欲しかったってワケだね」

「それに加えて、近界での戦争を経験した人間との戦闘経験も、だね。迅さんと戦った事はあるけど、迅さんはあくまでこちらの世界の人間であって向こうで暮らした事があるワケじゃない。だから、近界民の価値観と戦闘傾向を知る為には君と戦うのが手っ取り早いと思ったんだ」

 

 そう、同じく近界の戦争を潜り抜けた者としても、遊真と迅とでは決定的に違う部分がある。

 

 それは近界に出向いていたか、()()()()()()()である。

 

 確かに迅は近界の戦争を何度も潜り抜け、数々の戦場を踏破して来た。

 

 だが彼はあくまで近界に遠征した者であり、()()()()()()()

 

 七海が知りたかったのは現地民────────────────本物の近界民(ネイバー)の性質と戦闘傾向であった為、近界民でありながらこちらに協力してくれている遊真に白羽の矢が立ったのだ。

 

 本番を。

 

 即ち、()()()()()()()()()を想定して。

 

「近界のトリガーは、未知だ。どんな能力を持っているかは分からないし、初見殺しの性質のものも多くあるだろう。だから、少しでも多くのトリガーの能力を体感しておきたかった。そういう意味で、君は最適な相手と言えたからね」

『確かに、ユーマの黒トリガーであればその要望に叶った筈だ。そして君の求める、近界の兵士としての性質も備えている。近界のトリガー使いの仮想敵としては充分であったというワケだな』

「ああ、充分過ぎる程だったよ。迅さんの予知だと黒トリガーと当たる可能性も高いらしいし、有意義な時間を過ごさせて貰った。ありがとう」

 

 レプリカの返答に、七海はそう言って改めて謝意を示した。

 

 七海は未だ、人型近界民と戦った経験はない。

 

 基本的に遠征でもしなければかち合う事のない相手である為仕方のない事ではあるのだが、来る大規模侵攻では確実に戦う事になる相手である以上何の備えもなく相対する事は避けたかった。

 

 だからこそ、近界の兵士としての戦闘経験と価値観を持つ遊真は仮想敵相対(リハーサル)として最適な相手と言えたのだ。

 

 近界の、未知のトリガーを使う軍人。

 

 恐らくそれが、大規模侵攻で戦う事になる相手。

 

 遊真はその仮想敵としての役割を、充分に果たしてくれた。

 

 謝意を伝えるのは、当然の事と言えるだろう。

 

「構わないよ。楽しかったしね。ちなみに、他に知りたい事とかはあったりする?」

「出来ればでいいんだが、君が知る限りの近界のトリガーの能力と近界民の戦い方を知りたい。少しでも多く、サンプルケースを知りたいんだ」

『それならば、私が力になれるだろう。私が記録した近界のトリガー使いのデータを開示する。聴くよりも、直接映像を見た方が早いだろうからな』

「感謝する」

 

 そうして、レプリカによる近界のトリガー使いの戦闘映像の上映会が始まった。

 

 その場に居合わせた者達は、全員が食い入るようにその映像を見詰め。

 

 七海はその網膜に、近界の兵士の戦う姿を焼き付けた。

 

 しっかりと、忘れないように。

 

 先の戦いを、見据えて。



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決戦前夜

 

「凄かったね、修くん」

「ああ、空閑も七海先輩もレベルが違うよ。戦う、という事に関して言えばぼくらのずっと先を行ってるみたいだ」

 

 修は遊真と七海の模擬戦を見た後、千佳と遊真の三人で集まって話をしていた。

 

 三人は今夜はこの支部で泊まる事になっており、親には既に連絡済みである。

 

 例の映像を見ていたら思っていた以上に遅い時間になった為、どうせなら泊まっていけというレイジの心遣いに甘えた形だ。

 

 親の許可は修は言うに及ばず、千佳に関しても修が一緒ならばと割と簡単に許可は出た。

 

 伊達に昔から、雨取一家と付き合いがあるワケではない。

 

 一人娘を任せても大丈夫、と思われるくらいには修は雨取家の両親の信頼を得ているのだから。

 

 ちなみに遊真は家族と呼べる存在がおらず住居も金に任せて借りた適当なアパートであった為、林道の厚意で現在は玉狛支部に部屋を貰って住み込んでいる。

 

 アパートは既に引き払っており、名実共に遊真は玉狛の住人となっていた。

 

 これは微妙な立場にある遊真を守る為の措置でもあり、彼自身もその事には同意している。

 

 万が一遊真の素性がバレた時に「玉狛支部の監視下にある」というお題目があれば、軋轢を最小限にする事が可能だからだ。

 

 近界民を自由にさせていた、というだけではパッシングは避けられずとも、支部で囲い戦力として利用していた、という体であれば言い訳は立つ、というワケだ。

 

 そして、口実(りゆう)さえあればそこからどうとでもメディアを操作出来るのが根付室長である。

 

 当然その事は根付も承知しており、リスクが発生した際の対応も既にマニュアル化が済んでいる。

 

 そのくらい軽く出来てしまうのが、ボーダーをアンチから守り続けて来た彼の手腕なのだから。

 

「そういえば千佳。基地に穴を空けた件は、大丈夫だったのか? 鬼怒田さんからはちゃんと監督しとけ、って言われたけど」

「あ、う、うん。アイビスを使ったらそうなっちゃって。でも、今度は穴が空かないように壁を強化するから平気だ、って言ってくれたんだ」

 

 あと、撫でてくれた、と千佳はほっこりとした顔ではにかんだ。

 

 修は千佳が壁に穴を空けてしまったと聞いて現場に急行したのだが、風間との模擬戦に時間がかかっていた為に既に鬼怒田は現場におらず、その後で開発室まで向かったのだ。

 

 開発室はどうやら修羅場の真っ最中だったらしく、修は「部下の監督はきちんとしておけ」という軽い叱責のみで体よく追い出される形となっていた為、詳しい話は聞けていなかったのだ。

 

 千佳も気にしているだろうとこれまで聞けてはいなかったが、この分だと大丈夫そうである。

 

 修はほっと胸を撫で下ろし、千佳に良かったな、と言って頭を撫でた。

 

 千佳は気持ち良さそうにされるがままになっており、暖かな空気が二人を包む。

 

 男女のそれというワケではなく、親しい家族のようなゆったりした雰囲気。

 

 それが、彼等から醸し出されていた。

 

「そういえば、例の件はどうなったんだ?」

 

 そんな二人にやや遠慮をしながら、遊真が唐突にそう問いかけた。

 

 主語がないが、どうやらそれだけで修には通じたらしい。

 

 修はこくりと頷き、遊真の質問に答えた。

 

「ああ、その件なら通ったよ。準備や手続きもして来たし、問題なく換装も出来たよ」

「そりゃ良かった。あれがあるとないとじゃ、大分違うもんな」

「確かにな。迅さんの言う通りにしておいて良かったよ」

 

 ふぅ、と何処か安堵したように修はため息を吐いた。

 

 迅の事は疑っていなかったが、本当にこれで良かったのか、という不安は常にあった。

 

 持ち前のメンタルで表には出さなかったものの、彼は不安を感じないというワケではない。

 

 ただ、自分の感情を鉄の意思で制御し合理的な思考に努める事が出来るだけだ。

 

 身内が危険に陥ればその限りではないが、修は大抵の事には動じずに対応出来る。

 

 しかしこの一件は身内が関わる案件であった為、相当にやきもきしていたのだ。

 

 それがどうにかなった事で、彼なりに安心していたというワケである。

 

「でも、よく許可が下りたな。正直、難しいんじゃないかって思ってたぞ」

「なんでも、やらない方がリスクが高いって事で問題なく通ったらしい。鬼怒田さんや忍田本部長も賛同してくれたみたいだし、色々感謝しなくちゃな」

 

 さて、と修は立ち上がり、二人に向かって笑いかけた。

 

「そろそろ寝ようか。いつ大規模侵攻が始まってもおかしくない時期らしいし、疲れはちゃんと取っておかないとな」

 

 

 

 

「ただいま」

「ああ、帰ったか。迅」

 

 レイジは夜遅く、玉狛支部へ戻って来た迅を出迎えた。

 

 既に時刻は22:00を回っており、建物の外は真っ暗だ。

 

 そんな時間に帰って来た迅はやや疲れた様子を見せながらも、何処か嬉しそうであった。

 

「その顔からすると、お前の予知(視た)通りに進んでいるってところか」

「全部が全部、じゃないけどね。でも、最低限こなすべき役割(タスク)はこなしたつもりだよ。風刃も、きちんと然るべき相手に預けて来たしね」

「そうか。本当に、彼で良かったのか?」

 

 レイジは迅の話を聞き、眼を細めた。

 

 迅が()()風刃を使わせるつもりなのか、彼は既に聞いている。

 

 その上で、尋ねているのだ。

 

 あまりにも予想外であった人物に風刃を預けて、本当に良かったのかという事を。

 

「ああ、これまで視た未来(ルート)からすると彼が一番良い。七海がいない場合の次善の未来でなら、三輪に渡すって選択肢もあったんだけどね」

「お前がいいなら、何も言わん。前と違って、きちんと人にも頼っているみたいだしな」

「あはは、耳が痛いな」

 

 これまでは頼ってくれなかったからな、という言葉に迅は苦笑いを浮かべ、そんな彼を見てレイジはため息を吐いた。

 

「これまで、それだけ心配をかけて来たんだ。皮肉の一つくらい言わせろ」

「構わないよ。俺の、自業自得だしね。七海の言葉がなきゃ、きっと今でもだったんだろうけど」

「そういう意味で、七海は俺たちの恩人だな。大事にしろよ。これからも、この先もな」

 

 分かってるさ、と迅は強く頷いた。

 

 今の彼があるのは、あの日の夜の七海の言葉があったからだ。

 

 あれがなければ、恐らく彼の時間は凍り付いたままであっただろう。

 

 四年前から止まった迅の時計の針を動かしたのは、他ならぬ七海なのだ。

 

 その事を、迅は決して忘れる事はないだろう。

 

 それがなければ、きっと。

 

 本当の意味で、玲奈の死を受け入れる事は出来なかっただろうから。

 

「だが、本当に意外だった。お前の事だから、風刃は七海にでも預けるのかと思っていたぞ」

「残念だけど、七海は風刃とはそこまで相性が良いワケじゃないんだ。ギリギリ適合はするだろうけど、ノーマルトリガーの多彩さを犠牲にする程の戦果は得られないみたいだしね」

 

 それに、と迅は続ける。

 

「七海には、七海の黒トリガーがある。流石にそちらを蹴って最上さん(風刃)を持ってくれとは、言えないさ」

「……………………玲奈の、黒トリガーか。今まで一度も起動に成功しなかったとは聞いているが、お前にはあれを七海が使う未来が視えているのか」

「ハッキリと視えてる、ってワケじゃないけどね。可能性は0じゃない、とだけ言っておくよ」

 

 迅はそう呟き、空を仰いだ。

 

 その横顔は何処か憂いを帯びていた、何か考えているのかは容易く想像がつく。

 

 七海の持つ────────────────否。

 

 彼の右腕そのものとなった、玲奈が作り出した黒トリガー。

 

 それはある意味玲奈そのものとも言えるものであり、迅が七海を特別視する理由の一つでもあった。

 

 今はもう、七海の義手(黒トリガー)は棺に過ぎないと分かってはいるが、簡単に割り切れるものでもない。

 

 玲奈は。

 

 真実、迅の一番大切な人だったのだから。

 

「でも、もう四年だ。いつまで寝ぼけてるつもりかは知らないけれど、そろそろ玲奈も起きたって良い頃だ────────────────いや、もしかしたらとっくに起きていて、機会を待っているだけかもしれないけど」

 

 だけど、と迅は顔を上げる。

 

 その顔は、何処か晴れやかで。

 

 彼の瞳は、何処までも澄んでいた。

 

「きっと、玲奈は七海に応えてくれるよ。なんたって、自分の命を懸けて守り抜いた────────────────たった一人の、大切な弟なんだからさ」

 

 

 

 

「ここにいたのね、玲一」

「玲」

 

 玉狛支部、屋上。

 

 そこで一人佇んでいた七海に、屋上に上がって来た那須は声をかけた。

 

 寝巻の上からカーディガンを羽織っている那須は夜風の冷たさに一瞬震え、それを見た七海が彼女を抱き寄せる。

 

 あ、と頬を赤くしながら那須は七海の腕の中に納まり、されるがままとなった。

 

 安心しきった様子で七海に寄りかかる那須の重みを感じながら、七海は苦笑した。

 

 那須は昔から、何か不安な事があるとこうやって甘えて来るのが常だった。

 

 きっと今回も、そうなのだろう。

 

 何せ、あの大規模侵攻が。

 

 四年前の悪夢が、再びやって来るというのだ。

 

 無論、状況はあの時と同じではない。

 

 ボーダーの戦力は充実しているし、自分達だってA級に上がるくらい強くなったのだ。

 

 無力で何も出来なかったあの時とは、違う。

 

 けれど。

 

 それでも。

 

 四年前のあの日の悪夢は、二人の心に強く、強く刻まれている。

 

 あの時の情景を忘れた事は、一度もない。

 

 七海自身がそうだし、那須もきっとそうだろう。

 

 喪失と、慟哭の記憶。

 

 それは色褪せる事なく、ずっと彼等の中に刻まれているのだから。

 

「やっぱり怖いか、玲」

「ええ、怖いわ。不思議よね。もう私だって戦えるのに、トリオン兵だって倒せるのに、まだ怖いの。()()が来るって思うと、どうしてもね」

 

 けど、と那須は続ける。

 

「怖がってばかりも、いられないわ。玲一が、頑張るんだもの。私だって頑張らなきゃ、玲奈さんに申し訳が立たないわ」

「姉さんは、そんな事気にしないさ。きっと、無理しないで、って言うと思うぞ」

「そうね。けど、これは私なりのケジメでもあるもの。退く事なんか、出来ないわ」

 

 そうか、と七海は目を細めた。

 

 本音を言えば、那須に危険な事はして欲しくはない。

 

 だが、彼女はもう無力だったあの頃の少女ではない。

 

 戦う力を持ち、前を向く意思を持った一人の人間だ。

 

 ならば、その決意を貶める事は出来ない。

 

 那須が戦うと言うのならば、自分はそれを肯定する他ない。

 

 その上で、全霊を尽くして万難を排するだけだ。

 

 無力な時間は、弱者でいられた時間はもう終わった。

 

 今の彼等は、()()()だ。

 

 故に、背を向ける事は許されない。

 

 何故ならば、今の七海は迅の期待を。

 

 未来の希望を、背負っている。

 

 恩人であり、誰より慕う迅に期待をかけられているのだ。

 

 七海としては、奮起しない理由が無い。

 

 ずっと、何か恩返しが出来ないかと思っていたのだ。

 

 それが今回の戦いで叶うのならば、是非もない。

 

 持てる力の全てを以て、あらゆる障害に挑む所存だ。

 

(…………姉さん…………)

 

 ふと、七海は自らの右腕に目を向けた。

 

 普通とは違う、黒い義手(うで)

 

 それは、七海があの時姉を失った証でもあり。

 

 未だに目覚めない、力の形でもあった。

 

「玲一。玲奈さんは、まだ…………?」

「ああ、何度か試してはいるけど起動は出来なかった」

「そう」

 

 那須はそう呟くと、どう対応して良いか分からず固まった。

 

 七海がこうして自分の右腕を────────────────玲奈が遺した黒トリガーを見詰めているのを見るのは、初めてではない。

 

 これまでも何度も。

 

 それこそ、数えきれないくらい。

 

 七海は、悲し気な顔をして自分の義手を見ていたのだから。

 

 気持ちは、痛い程分かる。

 

 姉の形見と呼べるものがすぐ傍にあるのに、呼びかけには応えてくれない。

 

 なまじ形があり、文字通り肌身離さず身に着けているからこそ、辛い筈だ。

 

「でも、これまでとは違うみたいだ。前と違って、()()()()()()からね。言っておくけど、嘘じゃないよ」

「そうなの…………? えっと、具体的には、どんな…………?」

 

 しかし、七海から予想外の言葉を聞き那須は目を見開いた。

 

 強がり────────────────ではない。

 

 七海の表情は、何かを期待しているかの様子があり。

 

 その視線は、彼の右腕に注がれていた。

 

「微かだけど、呼びかけたら声が聞こえる気がするんだ。声と言っても、ハッキリ何かを聞き取れたワケじゃない。たとえるなら、何かの栓が抜けかけてその向こう側から音が聞こえるような────────────────そんな、感じがするんだ」

 

 勘違いかもしれないけどね、と七海は告げるがその顔は何処か確信がある様子だった。

 

 こんな表情は、今まで見た事はなかった。

 

 七海が自分の右腕を見る時は決まって、その表情は失意と諦観に満ちていた。

 

 けれど、今の七海は違う。

 

 確かな手応えを感じて、()()()に希望を持っている。

 

 それがどうにも、嬉しくて。

 

 ぎゅっと、七海の身体に思い切り抱き着いた。

 

「きっと、玲一なら出来るよ。玲奈さんはきっと、力を貸してくれる。呼びかけに、応えてくれる。だから、諦めないで呼び続けてね。私も玲一の格好良いところ、見てみたいから」

「勿論、そのつもりだよ────────────────見ていてくれ、玲。俺はきっと、姉さんを呼び覚ましてみせるよ」

 

 二人は並んで、夜の空を仰ぐ。

 

 雲に覆われ、月は見えない。

 

 けれど、雲間から見える光は確かな光を以て。

 

 彼等二人を、照らしていた。

 

 大規模侵攻。

 

 その、前夜の事である。





 次回、終章開幕(CLIMAX PHASE)

 大規模侵攻編、開始。


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BORDER OF BEST FUTURE/大規模侵攻
戦争開始


 

 その日は、普段と変わりない朝だった。

 

 先日のイレギュラー門の件で人的被害が出なかった事もあり、三門市の人々は日常を謳歌していた。

 

 これがバンダーの爆撃で死者が出ていればまた違ったのだろうが、今のところ三門の人々は早急な危機感を抱いてはいなかった。

 

 散発的に聞こえる(ゲート)発生の警報も既に彼等にとっては耳慣れたもので、警戒区域から聞こえる戦闘音は上空を飛ぶ飛行機の音と同じようなものだと認識していた。

 

 他の街とは少し違う、日常の音の一つ。

 

 大多数の市民にとって、トリオン兵の出現とそれを撃退するボーダーといった構図は非日常ではなくなっていた。

 

 それはボーダーがこの街にとって()()()()()のものとして扱われている証であり、今日まで平和が本当の意味で乱される事がなかった証左である。

 

 されど。

 

 先日のイレギュラー門の一件は、人々の心────────────────その無意識下に、不穏な影を落としていた。

 

 死者は出なかった。

 

 しかし。

 

 警戒区域の()でトリオン兵が現れたというのは、これまでになかった事である。

 

 嵐山達の即応によって被害は未然に防ぐ事は出来たが、建物が一つも壊れなかった、というワケではない。

 

 普段通っている場所が、明らかな外的要因で壊される。

 

 それは。

 

 三門市の人々にとって、四年前の大規模侵攻(あくむ)を想起するに充分な光景だった。

 

 表立った変化はない。

 

 けれど、今の三門市には。

 

 漠然とした、不穏な空気が滲んでいた。

 

 そして。

 

 彼等の予感は、現実になる。

 

 その日。

 

 空が、黒く染まった。

 

 

 

 

「時間だな」

 

 アフトクラトルの遠征艇、その作戦室。

 

 上座に座った青年、ハイレインはおもむろに立ち上がり、目の前に集った部下に目を向けた。

 

 大柄な男、ランバネインはニヤリと好戦的な笑みを浮かべ、怜悧な美貌を称えた女性、ミラは黙って上官の言葉に耳を傾けている。

 

 粗野な雰囲気の青年、エネドラは獣の如き笑みで出撃の時を今か今かと待ち望んでおり、硬い表情をした少年、ヒュースは黙して指示を待っている。

 

 そして、一人鷹揚に佇む老紳士────────────────ヴィザは、その手に持つ杖を握りながら、静かに微笑んだ。

 

 その場にいる全員が、戦いの空気に身を浸して。

 

 上官の言葉を、待っていた。

 

玄界(ミデン)の兵の規模は、ある程度把握した。質の方は上限がまだ計測出来てはいないが、侮れない駒もそれなりにいる事は理解した。とはいえ、現時点での情報では想定の範囲を出てはいない」

 

 そこでハイレインはチラリと、ヴィザに目を向けた。

 

 この場で────────────────否。

 

 アフトクラトルでも最高峰の剣聖をこの遠征に連れ出せた事は、彼の今回行った準備の中でも最高の成果と言える。

 

 極端な話、他の全員が全滅したとしても彼さえいれば殲滅任務は達成出来る。

 

 どれだけ玄界の兵が手強かろうと、真逆ヴィザに勝てる相手はいないだろう。

 

 それだけの力を、彼の翁は持っている。

 

「作戦は、当初の予定通り行う。第一段階としてトリオン兵を一斉に展開し、頃合いを見計らってラービットを投入────────────────然るべき時が来れば、お前たちにも出て貰う。それまでは、此処で待機だ」

 

 だがそれは、作戦を乱雑にして良い理由にはならない。

 

 成る程、確かにヴィザさえいればあらゆる障害は斬り伏せられるだろう。

 

 されど、今回の遠征の主目的は玄界の兵の殲滅ではない。

 

 目的は、金の雛鳥────────────────即ち、「神」に相応しい強大なトリオンを持った者の鹵獲。

 

 それを達する為には、ただ相手を薙ぎ払うだけでは足りない。

 

 先日放った斥候(ラッド)の情報から、かなり高い確率で金の雛鳥がいる事が分かった。

 

 それだけの力を持った人間だ。

 

 もし自分であれば敵に奪われる事のないよう隠すか、相応の戦闘能力があればその効率的な運用を行う。

 

 ハイレインは恐らく後者に近い扱いをしていると、そう予測していた。

 

 隠すにしても、いつまでも匿い続けるには限度がある。

 

 アフトクラトルのような階級制度があれば話は別だが、ラッドの偵察で得た情報によれば少なくとも独裁が可能な国家体系ではない事が分かっている。

 

 加えて、街の運営そのものは玄界の兵を率いる者達が行っているワケではないようだ。

 

 ならば、長期間の隔離を行うだけの権限は無い筈である。

 

 故に、こちらの侵攻が察知されていない限り隔離は戦闘開始後になる筈だ。

 

 それさえ分かっていれば、どうとでもなる。

 

 自分の策に、絶対の自信があるワケではない。

 

 逆だ。

 

 一つの策が失敗しても良いように、無数の次善策(プラン)を用意しているからこそ、策を打つ事に躊躇いが無い。

 

 戦場において、絶対はない。

 

 ならば、いつ何時万が一が起きても良いように備えるのが賢いやり方だ。

 

 最善を目指すのではなく、最悪だけは回避する。

 

 それが、ハイレインの基本的な用兵なのだから。

 

 ハイレインは再び顔を上げ、宣告する。

 

 開戦の、言葉を。

 

「────────────────作戦開始だ。(ゲート)を開け。トリオン兵を、玄界(ミデン)の街に送り込め」

 

 

 

 

「────────来たか」

 

 ボーダー本部、屋上。

 

 そこで、迅はその光景を目にしていた。

 

 空が、黒く染まる。

 

 暗雲が立ち込め、周囲の空気が────────────────空間が、軋む。

 

 そして、上空に。

 

 黒い穴が、現れた。

 

 それも、一つではない。

 

 二つだとか三つだとか、そういう話でもない。

 

 迅が視認しただけでも、()()()()

 

 膨大な数の黒い穴が────────────────(ゲート)が一斉に出現し、更にその数を加速度的に増やしていく。

 

 その穴の数は、あの四年前の大規模侵攻のそれより更に多い。

 

 文字通り数えきれない程の門が開き、その中から敵が────────────────トリオン兵が、溢れ出て来る。

 

 日常(へいわ)が終わる、音がする。

 

 その光景は、断じて普段のそれではない。

 

 トリオン兵の襲撃が、日常から非日常へと切り替わる。

 

 あの時と。

 

 四年前と、同じように。

 

 三門市は、近界の脅威に晒された。

 

 第二次大規模侵攻。

 

 玄界の運命を決める戦争が、今この瞬間始まったのだ。

 

 

 

 

「任務中の部隊はオペレーターの指示に従って展開! トリオン兵を、撃滅せよ! 一匹たりとも、警戒区域から出すな…………!」

 

 管制室で、忍田の指示が飛ぶ。

 

 画面の中で膨大な数の門の反応が増加を続ける中、険しい表情をした忍田は迅速に判断を下していた。

 

「非番の戦闘員に緊急招集をかけろ。全戦力で迎撃にあたる────────────────戦闘開始だ…………!」

 

 忍田の命が下り、各部隊に緊急呼び出しがかかる。

 

 管制室の中も慌ただしく人が動き回り、ボーダー全体に喧噪が広がっていく。

 

 その光景を見据えながら、奥で据わる城戸は目を細めた。

 

「遂に来たか。だが、今回は四年前とは違う。準備はした。情報も可能な限り揃えた。あとは、実行に移すだけだ」

 

 城戸はそう呟くとモニターを睨みつけ、闘気を込めて己の覚悟を口にした。

 

「来るというのなら、迎え撃つまでだ。今度こそ、我々は街を守り抜く────────────────それが、あの日命を賭したあいつへの、手向け(ケジメ)だ」

 

 

 

 

『緊急警報────緊急警報────(ゲート)()()()()()()します────警戒区域付近の皆様は、直ちに避難して下さい────繰り返します────』

 

 街に響き渡る、緊急警報(アラート)

 

 それがいつもの日常音(おと)ではない事を、街の住民は黒く染まった空から感じ取っていた。

 

 異常は、眼に見えていた。

 

 何せ、規模がこれまでの散発的な襲撃とは違う。

 

 警戒区域、その方角。

 

 そちらへ目を向ければ、否が応でも眼に入る。

 

 街を埋め尽くす、異形の群れ。

 

 バムスターを筆頭にバンダーやモールモッドといったトリオン兵が、所狭しと展開されている。

 

 その光景を見て、喪失を経験した者は記憶を想起し震えあがる。

 

 誰しもが、理解する。

 

 これは、四年前と同じだ。

 

 あの時と同じ、大規模な近界民による街への侵攻。

 

 それが、始まったのだと。

 

 この世の地獄が、蘇る。

 

 そんな想像すら、抱く者がいた。

 

「玲」

「ええ、行きましょう」

 

 だが、それに待ったをかける者達がいた。

 

 そんな事はさせないと、武器を手にした者達が。

 

 彼等の名は、ボーダー。

 

 今の三門を、この世界を近界の脅威から守る。

 

 安易に超えるべきではない境界を監視し、外からの侵攻に備えて来た者達。

 

 この日の為に備えを怠らなかった者達が、立ち上がる。

 

 特注トリオン体のメンテナンスの為、那須共々基地にいた七海は彼女と共に戦場へと向かう。

 

「「トリガー起動(オン)」」

 

 二人の掛け声と共に、その身体がトリオン体へと換装される。

 

 普段着の姿から、SFチックなボディースーツの────────────────戦う為の、装いへと。

 

 彼等は生身の肉体では得られない脚力を獲得し、それを活かして基地の廊下を駆け抜ける。

 

 それを咎める者は、誰もいない。

 

 待機を命じられたC級隊員を除き、隊員達は既に全員が換装を終え戦場へと向かっていたからだ。

 

 むしろ、警報の時に開発室にいた二人は出遅れた部類に入る。

 

 だが、その遅れは微々たるものだ。

 

 ボーダーでも随一である二人の走力であれば、この程度の遅れは誤差でしかない。

 

 向かう先は一階ではなく、屋上。

 

 今いる場所からは、そちらへ向かった方が早い。

 

 生身であればともかく、トリオン体であれば屋上からの降下は造作もない。

 

 それに、高所から見下ろせば戦場の全体が俯瞰出来る。

 

 高速で戦場を行き来出来る二人にとって、上から見る情報は重要だ。

 

 そういった意味でも、屋上へ向かうのが正しい選択と言える。

 

 急かす心を強引に押さえつけ、彼等は走る。

 

 二人は一刻も早く戦場へ向かうべく、屋上へ上がる階段を駆け上がった。

 

「────────!」

「これは…………」

 

 そして、そこから見えた光景に絶句する。

 

 街を、警戒区域を埋め尽くすトリオン兵の()()

 

 その光景は、まさしく。

 

 四年前の、大規模侵攻。

 

 その、焼き直しとも言えるものだった。

 

「…………っ!」

 

 思わず声をあげそうになった那須の手を、七海が握り締める。

 

 それだけで、少女の心は平静を取り戻していく。

 

 大丈夫。

 

 目でそう伝えた七海を見て、那須は顔を上げた。

 

 広がる視界に、変わりはない。

 

 トリオン兵は街を埋め尽くし、その数はあの時より更に上だ。

 

 けれど、同じではない。

 

 あの時は、無力だった。

 

 自分たちは何も出来ず、ただ首を垂れるしかなかった弱者だった。

 

 今は、違う。

 

 戦う力は、既に得た。

 

 覚悟も、してきたつもりだ。

 

 師匠達との厳しくも楽しかった鍛錬も。

 

 好敵手達と繰り広げた模擬戦も。

 

 全霊を賭して戦い続けたランク戦も。

 

 知と武を尽くして挑んだ昇格試験も。

 

 そして、自分たちの全力をぶつけた迅との戦いも。

 

 全ては、この時の為。

 

 街を、この世界を脅かす敵を排し、皆を────────────────大切な人達を、守る為に。

 

 これまで、力を培って来たのだ。

 

「…………!」

 

 そこで、気付く。

 

 屋上の端、街を一望出来るその場所に。

 

 刃物で抉られた、矢印のような痕があった。

 

 こんな事をする人間なんて、一人しかいない。

 

 迅悠一。

 

 彼が、七海達がこの場に来る事を見越して指示を残してくれたのだ。

 

「小夜子、今から言う方角で俺たちが向かうべきだと思う場所を教えてくれ」

『そう言うと思って、やっておきました。最短ルートを提示します』

「助かる」

 

 既に七海との視界から観測情報を得ていた小夜子は即座に向かうべき場所の情報を二人に送り、それを目にした七海達は屋上の淵に足をかけた。

 

 迅が残した指示であるならば、疑う余地はない。

 

 元より、那須隊(かれら)は自由に動く遊撃隊としての役割を指示されていた。

 

 だからこそ、迅は示したのだ。

 

 今この瞬間、彼等が向かうべき場所を。

 

 簡潔なメッセージに留めたのは、恐らく悠長に通信をしている暇はないと判断した為。

 

 七海であればこれだけで理解出来ると、信頼してくれたからだ。

 

 今頃、迅は指示を飛ばしながら動いている真っ最中の筈だ。

 

 実際に指示するのは忍田本部長であろうが、迅はリアルタイムで予知情報を取得し逐一忍田に伝えている。

 

 迅の情報であれば疑う余地はない為、忍田は彼の情報を即座にフィードバックしながら各部隊へ命を下しているだろう。

 

 また、迅自身も風刃を手放したとはいえ、ボーダーの抱える最高峰の戦力である事に変わりはない。

 

 そして今、戦力を遊ばせる余裕は何処にも無い。

 

 故に迅は持ち得る情報を伝えながら、己の戦場へ向かい刃を振るっている筈だ。

 

 それがこの戦争での最適解であり、最善の未来へ至る為の前提条件なのだから。

 

「行くぞ」

「ええ」

 

 二人は屋上から飛び降りながら、グラスホッパーを展開。

 

 同時にジャンプ台を踏み込み、戦場と化した街へと下りていく。

 

 守るべきものを、守る為に。

 

 ────────戦争開始(OPEN COMBAT)────────



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遊撃部隊

 

「急がないと…………っ!」

 

 修は一人、換装したトリオン体で目的地へ駆けていた。

 

 遊真は、此処にはいない。

 

 彼は先んじて戦場に向かっており、今は別行動をしている為だ。

 

 本来、これは有り得ない。

 

 遊真が協力しているのはあくまで修がいるからであり、単体では容易く撃破されてしまう修を放置する事は彼からすれば考えられない。

 

 だがそれは、あくまで修の意思が介在しなかった場合の話だ。

 

 彼が別行動をしているのは、迅の提案を修が承諾して遊真にそれを頼んだからだ。

 

 正直に言って、修と遊真では戦場における駒としての有用度に天と地ほどの差がある。

 

 修は幾らか知恵が回るとはいえ所詮は一介のB級隊員であり、戦闘力自体もかなり低い。

 

 対して、遊真は近界を良く知る近界民であり、特級の戦闘能力を持つ。

 

 一人いれば、それだけで盤面が変わりかねない()()()

 

 それが、空閑遊真なのだ。

 

 その遊真が修の速力に合わせたスピードで戦場を回るなど、時間のロスでしかない。

 

 戦場においてより多くの貢献をする為には、二人をセットで運用しない方が遥かに理に叶っているのだ。

 

 それは修自身もよく分かっているし、遊真も承知している。

 

 だからこそ修は遊真を送り出したし、遊真はそれを了承したのだ。

 

 それが、最善の道へ繋がると信じて。

 

(空閑は自分の役目を果たす為に向かった。ぼくはぼくなりに、役目を果たそう。弱者であっても無力じゃないって、証明するんだ…………っ!)

 

 

 

 

「トリオン兵はいくつかの集団に分かれて、それぞれの方角へ市街地を目指しています。本部基地から見て、西・北西・東・南・南西の五方向です」

 

 沢村の報告を聞き、忍田は頷く。

 

 画面の上では展開されるトリオン兵の動きが逐一表示されており、このまま進軍を許せば遠からず市街地へ到達してしまうだろう。

 

「現場の部隊を三手に分けて、東・南・南西の敵にそれぞれ当たらせろ。西と北西は、迅と天羽に任せてあるから援軍は必要ない」

 

 だが、忍田に焦りはない。

 

 迅と天羽。

 

 片方は元が付くとはいえ、S級隊員の二人が出向くのであればその戦場の勝利は既に約束されたようなものだ。

 

 風刃は手放しているとはいえ戦争経験者である迅の実力は伊達ではなく、ノーマルトリガーを使ったとしても大抵の戦場はどうにかなるだろう。

 

 天羽に関しては勝敗どうこうというよりも、周辺被害の大小を心配した方が良いレベルだ。

 

 二人の向かう場所に援軍が必要ない、というのも頷ける話である。

 

「こういう時は頼もしいですねぇ。ですが、他の三方は防衛部隊が間に合うのですか? 例の仕掛けを設置する為に、罠の準備は出来なかったのでしょう?」

「問題ない」

 

 根付の質問に忍田は力強く頷き、答える。

 

「我々が選出した遊撃部隊が、先行してトリオン兵の露払いと足止めを行っている。防衛部隊が着くまでの時間稼ぎは、充分にこなせる筈だ」

 

 

 

 

 基地から見た、南西の方角。

 

 警戒区域の中、進軍するトリオン兵。

 

 バムスターを中心としたその大群は、人が大勢いる市街地へ向かう為警戒区域の中を進んでいた。

 

 一体一体は雑魚であっても、今回はその数が尋常ではない。

 

 正隊員とはいえ、生半可な腕では数の暴力に屈してしまう可能性は0ではない。

 

『弾』印(パウンド)────────『強』印(ブースト)

 

 その、大群の最中。

 

 空中より飛来した黒い影が、バムスター数体を纏めて打ち砕いた。

 

 その影────────────────黒トリガーを起動した遊真は、トリオン兵の軍勢のただ中に着地する。

 

 当然、周囲の敵がそれを見逃す筈もない。

 

 バムスターの影に潜んでいたモールモッド十数体が一斉に動き出し、遊真に群がっていく。

 

『射』印(ボルト)『強』印(ブースト)

 

 しかし、遊真に焦りはない。

 

 強化された弾丸を射出し、群がるモールモッドを次々と破砕していく。

 

 明らかに、格が違う。

 

 幾ら数が集まろうと、通常のトリオン兵で黒トリガーの相手が務まる筈がないのだ。

 

 だが、トリオン兵にそんな機転は望めない。

 

 そもそも、彼等はプログラム通りに従うだけの機械兵。

 

 操り主からの命がなければ、早々に行動を変える事など出来ない。

 

 無論、脅威度の高い対象を避けて捕らえ易い標的を狙うようプログラムはされている。

 

 されど、そもそも大型を中心に構成されたトリオン兵の軍勢は機敏な動きには向かない。

 

 モールモッドはある程度素早く動けるが、そもそものサイズが違う為長距離の移動にはどうしても時間がかかる。

 

 一歩一歩が大きいバムスターは基本的な動作が緩慢であるので、逃げるという行為には適さない。

 

 故に、一人の黒トリガーによる蹂躙が起こるのは既定路線と言えた。

 

 一機、また一機と遊真はトリオン兵を破砕していく。

 

 遊撃を任された遊真は、周囲を殲滅する勢いで撃破数(キルスコア)を重ねていった。

 

 

 

 

「────────韋駄天」

 

 一方、東の戦場。

 

 そこでは、加古隊の黒江が閃光の如きスピードで敵を斬り払っていた。

 

 カスタムトリガー、韋駄天。

 

 A級特権で作成された実質彼女専用のそのトリガーの力で超加速を得た黒江は、数体のバンダーを纏めて両断する。

 

「よっと」

 

 その彼女の隙をカバーするように、緑川がグラスホッパーを駆使して群がって来るモールモッドを斬り裂いていく。

 

 二人の小柄な兵士は、躍るような動きで次々と敵を倒していく。

 

 ともすれば互いを巻き込みかねない挙動ではあるが、幼い頃から共に山で育った黒江と緑川にとって呼吸を合わせるのは造作もないどころか息をするのに等しい。

 

 他部隊とは思えぬコンビネーションを見せつけるように、二人はトリオン兵を駆逐していく。

 

「久しぶりだよね、こういうの。なんか楽しくなってきちゃった」

「油断して、ヘマしないでよね。こないだボロ負けしたって聞いたよ」

「あー、それは言い訳しようがないからなあ。でもま、遊真先輩と比べればトリオン兵なんてかわいいもんだって────────────────まあ、三雲先輩みたいな弱いけど油断ならない相手もいるって分かった事は大きかったけど」

 

 緑川は先日の模擬戦の事を思い返しながら、そう呟く。

 

 遊真にコテンパンにのされた事は勿論だが、最後の一戦で()()()()()()修の事も彼の脳裏には強く刻まれていた。

 

 たとえ弱くとも、やり方次第で強者を食う事は出来る。

 

 それは自分の力を過信して調子に乗っていた緑川にとってまさしく天啓ともいえるものであり、己を省みざるを得なかった苦い体験と言える。

 

 結果として遊真には強者として純粋な尊敬を、修には「弱いけど怖い」という少々捻くれた慕い方をするに至った。

 

 そのあたりの事情はまだ黒江にも話してはいないが、おいおい説明するつもりではある。

 

 なんだかんだで、慕った相手への好意を隠さないのが緑川だ。

 

 機会さえあれば、嬉々として二人の凄さを黒江に語って聞かせるだろう。

 

「さって、どうせだったらこのあたりの全部倒しちゃおう。その方が、他の人たちが楽になるしね」

「駿、変なものでも食べた? そんな事言うなんて、駿らしくない」

「別に炒飯は食べてないよ。詳しい事は、あとで聞かせてあげるからさ」

「ふぅん」

 

 これまでの勝ち気で調子に乗り易い幼馴染の意外な言動を訝し気に見る黒江だが、すぐに頭を切り替える。

 

 今、彼等は戦場のど真ん中にいるのだ。

 

 幾ら数がいるとはいえ、バムスターやモールモッドなどに後れを取るようではA級隊員の名折れである。

 

 すぐさま武器を構え直し、二人はトリオン兵の駆除を再開した。

 

 

 

 

 南の戦場。

 

 トリオン兵がひしめくその場所で、二つの影が白い軍勢を殲滅していた。

 

「────────」

 

 一つは、七海玲一。

 

 瓦礫や破壊したトリオン兵を足場にして戦場を縦横無尽に駆け巡り、無駄のない動きで一機一機、敵の核を貫いていく。

 

 数が集まっているとはいえ、鈍重なトリオン兵にその動きを捕らえる事は出来ない。

 

 七海を攻撃しようとして同士討ちし、数を減らしていった事も一度や二度ではない。

 

 何せ、七海の副作用(サイドエフェクト)である感知痛覚体質は影浦と違い相手が無機物であっても痛み(ダメージ)が発生する攻撃であれば問答無用で察知出来る。

 

 故に、大群の中に飛び込んだとしても何処から攻撃が来るかは分かる為、それを利用して同士討ちを誘う事も難しくはない。

 

 七海はその回避術と機動力を駆使しながら、一機、また一機とトリオン兵を減らしていった。

 

「消えて」

 

 一方、七海と共にこの場に飛来した那須はバイパーを用いて無数のトリオン兵の核を同時に貫き凄まじいスピードで敵を駆逐していた。

 

 七海と異なり近接武器が存在せず、トリオンもそこまで余裕があるワケではない那須は可能な限り消耗を避ける戦い方を徹底していた。

 

 即ち、全弾必中必殺(ワンショットワンキル)

 

 無駄弾を一切撃たず、無数に分割したバイパーの弾全てをトリオン兵の急所に正確に畳み込み、最大効率で敵を撃破していた。

 

 二人がこの場所に到着してから、加速度的に敵の屍が積みあがっていく。

 

 核のみを破壊し、余計な破壊は一切しない効率的な戦い方故、戦場にはトリオン兵の残骸がそっくりそのまま積み上がり続けている。

 

 正しく屍の山の上を駆け回る二人は、順調に敵の数を減らしていた。

 

「旋空弧月」

 

 そんな中、聞き慣れた声と共に拡張斬撃が放たれ、バンダーが両断される。

 

 そして、両断されたバンダーの向こう側から、精悍な顔立ちの剣士────────────────村上鋼が、隊長の来馬と共に姿を見せる。

 

 七海と村上はアイコンタクトを交わして頷き、それを合図として那須と共にその場を離脱した。

 

 此処はもう、心配ない。

 

 そう信じて、後を託したのだ。

 

「鈴鳴第一現着。遊撃部隊Ⅰよりこの場を引き継ぎ、戦闘を開始します」

 

 来馬の通信と共に、村上は弧月を構える。

 

 戦友よりこの場を託された剣士は、満ち溢れた闘志と共にその一刀を振るい始めた。

 

 

 

 

『諏訪隊、現着した。遊撃部隊Ⅱより引き継ぎ、近界民(ネイバー)を排除する』

『弓場隊、現着。遊撃部隊Ⅲより引き継ぎ、戦闘を開始します』

 

 忍田の下に、次々と部隊からの通信が届く。

 

 それは同様に現場へ到着し、遊撃部隊より戦場を引き継いだという旨の報告である。

 

 今回の大規模侵攻において、問題となるのは防衛部隊が現地に到着するまでどうやってトリオン兵を足止めするか、であった。

 

 流石にいつ侵攻が開始されるのか、具体的な日付や時間までは迅にも分からない。

 

 故に今回のような突発的な召集で隊員を呼び寄せる他なく、当然日時や時間によっては到着時刻に差が出て来る。

 

 その為、防衛部隊が現地に到着するまでには相応のタイムロスが予想されていた。

 

 当初は冬島と開発部が組んでの罠での迎撃を予定していたが、両者は今回別の役割を振られていた為にそれは出来なかった。

 

 故にこそ、忍田は迅からの提案を受け複数の遊撃部隊を予め用意しておき、足止めと露払いを命じていたのだ。

 

 遊撃部隊は、機動力と殲滅力を両立出来る者達で構成された。

 

 共に高速機動が可能で、小回りも利く黒江・緑川の二名から成る遊撃部隊Ⅲ。

 

 移動速度が凄まじく、単騎で無双が可能な遊真単騎の遊撃部隊Ⅱ。

 

 そして、三次元機動が本領であり殲滅力も高い那須・七海から成る遊撃部隊Ⅰ。

 

 この3チームが足止めと露払いを担い、防衛部隊が到着し次第その場の戦場を引継いで後は逐次必要な場所に投入する文字通りの遊撃部隊として運用する。

 

 結果として三チームは見事その役割を果たし、充分以上に時間を稼いでくれた。

 

 初期の戦果としては、上場と言えるだろう。

 

「遊撃部隊ⅠからⅢへ。指定ルートを巡回しながら、無理のない範囲でトリオン兵を排除してくれ────────────────繰り返すが、無理はしなくて良い。新型や人型が出て来た場合に備えておくんだ」

『遊撃部隊Ⅰ、了解』

『遊撃部隊Ⅱ、了解』

『遊撃部隊Ⅲ、了解しました』

 

 忍田の指示に応え、3チームの代表者が応答する。

 

 この3チームはいずれも高い戦力を保持しており、雑兵である通常のトリオン兵相手に消耗し過ぎるのは出来れば避けたいところである。

 

 特に、七海や遊真は大物食いを狙えるだけの潜在能力(ポテンシャル)がある。

 

 故に徒に消耗する事は避け、極論必要な局面まで待機させるのもなんらおかしな判断ではない。

 

 だが、完全な待機が許される程この戦場は甘くはない。

 

 無論、事前に彼等には必要な場合を除き引き継ぎ後の戦闘は極力控えるようには言ってある。

 

 ()()の前にエースを消耗するのは、明らかな愚策であるからだ。

 

(まだ例の新型も、人型も姿を見せてはいない。本番はこれから、という事か)

 

 忍田は忙しなく光点が移動する画面を睨みつけながら、拳を握り締める。

 

 戦争はまだ、始まったばかり。

 

 激化するのは、これからだ。



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ラービット①

 

「王子隊、香取隊、生駒隊、加えて東隊の二名も現場に到着。トリオン兵の駆除に当たっています」

「よし、そのまま周囲のトリオン兵の駆除を行いつつ必要に応じて合流、連携させろ。状況によってはこちらから指示するが、合流の是非は各隊の隊長が現場判断で行って構わない」

 

 沢村の報告に対し、忍田は即座に指示を飛ばす。

 

 すぐさまその指示は各部隊に行き渡り、通信の向こうから「了解」の応答が返って来る。

 

 それを確認し、忍田は真剣な表情のまま頷いた。

 

「狙撃班と、彼等は?」

「既定の場所で待機させています。いつでも出撃可能です」

「よし。指示があるまで待機を継続。だが、いつでも出られるようにとだけ伝えてくれ」

「了解しました」

 

 忍田は沢村の返答を聞くと再び頷き、画面を見据えた。

 

 光点の数は減ってはいるが、未だ膨大な数のトリオン兵が残存している。

 

 とはいっても、このままいけば遠からず趨勢はこちらに傾くだろう。

 

 問題は。

 

 近界(ネイバーフッド)最大級の軍事国家であるアフトクラトルが、雑兵をばらまく()()で終わる筈がないという事だ。

 

 何せ、敵はこの間のラッドの騒動でこちらの兵力規模を既に知っている筈だからだ。

 

 現在、敵は戦力を分散させている。

 

 一点に戦力を集中させるのではなく、広範囲にトリオン兵を展開させているのだ。

 

 その狙いは恐らく、こちらの戦力の分散。

 

 戦力の層を薄くさせた上で、例の新型で各個撃破を狙うのだろうと予想される。

 

 もしも、レプリカからラービットの話を聞いていなければまんまと敵の術中に嵌まっただろう。

 

 だが。

 

 その情報を得た以上、取れる手というものは存在するのだ。

 

(新型の情報がなければ危うかったが、なんとか対策は出来た。あとは、それが巧く嵌まるよう立ち回るだけだ)

 

 

 

 

「旋空弧月」

 

 旋空、一閃。

 

 村上が放った拡張斬撃が、二体のバムスターを一気に両断する。

 

 その後方では来馬が近付いて来るモールモッドを1体ずつ銃撃し、着実に仕留めていく。

 

 七海達から引き継いだ戦場で、鈴鳴第一は堅実な戦いぶりで確かな戦果を挙げていた。

 

「このあたりの敵は、掃討出来たかな」

「ええ、少し移動して他の部隊の援軍に行きましょう」

 

 予め七海達が間引いていた為か、程なくしてこの一帯のトリオン兵は駆逐出来た。

 

 とはいってもそれはこの周囲だけの話で、そう遠くない場所では未だに戦闘音が続いている。

 

 ならば、既に敵がいない場所に留まる意味はない。

 

 二人はそう判断し、その刹那。

 

「────────!」

 

 背後。

 

 村上が両断した、バムスターの瓦礫の中。

 

 その中で、殻を破るような音が、聞こえた。

 

 

 

 

「よっし、これで最後の一匹撃破だな」

 

 南東にある戦場。

 

 そこでは小荒井と奥寺の二人が、息の合ったコンビネーションでトリオン兵を撃破していた。

 

 隊長である東は、この場にはいない。

 

 本部の作戦方針により、各部隊の狙撃手は一部を除き部隊とは別行動を取っている。

 

 本来であれば狙撃手も含めて纏まって動くのがセオリーではあるが、根本的な問題として攻撃手と狙撃手を同じ距離で戦わせるのは非効率である。

 

 通常のランク戦であれば、狙撃手は別行動を取るのが普通ではある。

 

 だがそれはあくまでランク戦の話であり、今回の場合は違う。

 

 この戦場では、いつ何処に追加の敵戦力がやって来るか分からない。

 

 故に、狙撃手を単独行動させていればその位置が発見され次第そこに戦力を送り込まれ各個撃破される危険がある。

 

 その為に、部隊単位で狙撃手も含めて固まって行動する他ない。

 

 ()()()()()()

 

 その問題は、とある手段にて解決済み。

 

 万全とはいかないが、狙撃手を別行動させる準備は整えた。

 

 だからこそ、二人はこの場で東抜きで戦っているのだ。

 

 不安はある。

 

 当然だ。

 

 これまで、自分たちを守ってくれていた頼もし過ぎる狙撃手が傍にいない。

 

 それは確かに、彼等の心に一抹の不安を齎した。

 

 だが。

 

 それでも尚、自分達を送り出してくれた東に報いなければならないと、二人は奮起していた。

 

 小荒井と奥寺は単騎ではエース級には及ばないが、その連携はあの風間さえ評価する程のレベルにある。

 

 この場のトリオン兵は、そんな二人の連携によって壊滅させられていた。

 

「よし、なら他の部隊の増援に────────────────いや、待て」

 

 周囲の敵勢力を撃滅した為、次の戦場へ向かおうとした刹那。

 

 奥寺は、視線をバムスターの残骸に向け。

 

 ()()を、見つけた。

 

 

 

 

「うっし、一丁上がりっと」

 

 諏訪は最後のトリオン兵の沈黙を確認すると、そう言って拳を握り締めた。

 

 黒江達からこの場を引き継いだ諏訪隊の面々は、ショットガンの面制圧と笹森の旋空によって程なくして周囲のトリオン兵を壊滅させていた。

 

 決して敵を近寄らせず、一方的に火力を押し付け粉砕する。

 

 諏訪隊の真骨頂が、カチリと嵌まった結果である。

 

「これで周囲の敵兵は掃討しましたね」

「ああ、次行くぞ次────────────────待て」

 

 だが、次の戦場へ赴こうとしていた諏訪の耳に、聞き逃せない物音が届く。

 

 それは、撃破したバムスターの内部から響いていた。

 

 バリバリ、バリバリと、何かを食い破るような。

 

 まるで、蛹から羽化する蝶のような。

 

 何かが、這い出て来る。

 

 そんな予感を持って、見据えた先。

 

 バムスターの残骸を引き裂き、その内部から現れた存在が────────────────その姿を、見せた。

 

 大きさは、三メートルほど。

 

 全体的なフォルムは人型に近く、それでいて頭部の耳のようなパーツが兎を思い起こさせる。

 

 だが、目の前の存在は野生の兎のような可愛らしい存在ではない。

 

 間違いなく、初見のトリオン兵。

 

 しかし、諏訪は情報として()()()()の事を耳にしていた。

 

 この、トリオン兵。

 

 その、名は。

 

「こいつが、新型か…………っ!」

 

 新型トリオン兵(ラービット)

 

 アフトクラトルの誇る最新鋭のトリオン兵が、戦場に姿を見せた瞬間だった。

 

 

 

 

「新型、出現しました…………っ! 現在、鈴鳴第一、諏訪隊、東隊、弓場隊が接敵中です…………っ!」

「遂に来たか」

 

 司令室。

 

 沢村からラービット出現の報を受けた忍田は、表情を引き締めた。

 

 来るなら此処だろうと、ある程度予測はしていた。

 

 現在、正隊員達は分散したトリオン兵を駆除する為に広範囲に展開している。

 

 トリオン兵が密集ではなく点在している為、部隊単位で行動しなければ手が回らなかったからだ。

 

 故に、現在各所ではB級部隊が単独でラービットと対峙している図式となっている。

 

 恐らく、戦力を散らしたところでラービットを投入し、各個撃破を狙う策なのだろう。

 

 それは、敵が戦力を分散して来た時点で予想していた。

 

 正確には、遊真からそういう助言があったのだ。

 

 次善に遊真には、何か気付いた事があればすぐに伝えるように言ってある。

 

 これまで近界を渡り歩いて来た傭兵の見地は頼りになる上、遊真はアフトクラトルという国家の事を自分達よりも知っている。

 

 その助言であれば決して無駄にはならないと考え、彼の意見は最優先で汲み取るようにしているのだ。

 

 遊真を擁する玉狛と本部の間の表向きの派閥争いは終わっており、今更彼を邪険にする理由はない。

 

 貴重な見地を持ったアドバイザーとして活用しない理由は、何処にもない。

 

 その遊真が、言ったのだ。

 

 この陣形は、分散させた戦力の各個撃破が狙いであると。

 

 実際、納得出来る話である。

 

 トリオン兵は、数だけが脅威となる雑魚。

 

 それが、ボーダー隊員の共通認識だ。

 

 基本的に正隊員にとって、トリオン兵は防衛任務で雑に倒せる相手でしかなく、軍勢であればともかくその一個体を脅威には考えない。

 

 目の前にバムスターやモールモッドが出現したところで、片手間に倒せてしまうのだから無理もない。

 

 精々射手や狙撃手がモールモッドに近付かれたら危険というくらいで、トリオン兵の一匹二匹で危機感を持つ隊員は稀だ。

 

 そんな常識が罷り通っている中で、見た事のないトリオン兵が出て来たらどうするか。

 

 多少は警戒するだろうが、恐らく大多数は早急な危機感を覚えずに挑んでしまうだろう。

 

 その相手が、特大の地雷であるとも思いもせずに。

 

 ラービットの戦闘能力は、A級数人がかりでなければ危ういレベルだという。

 

 そんな相手に油断してかかろうものなら、どうなるかは目に見えている。

 

 恐らく、ラービットの情報がないまま大規模侵攻を迎えていれば十中八九そうなっていたであろう。

 

「各部隊は時間稼ぎに徹し、場合によっては撤退も許可する。援軍が到着するまで、持ち堪えろ」

 

 通信先から一斉に了解、という返答が聴こえ、忍田は「うむ」と頷いた。

 

 そう、それはラービットの情報が()()()()()()の話だ。

 

 既にボーダーはラービットの情報を得ており、尚且つ各部隊にも周知はしてある。

 

 ラービットにただ蹂躙されるだけであった未来は、変わったのだ。

 

「援軍はすぐに到着する。無理をせず、やられない事を第一に考えろ。それが、今の最優先事項だ」

 

 

 

 

「ったく、簡単に言ってくれるぜ。けどまあ、やるしかねぇよな」

 

 諏訪は本部からの指示を受け、堤と共にショットガンを構えた。

 

 目の前に現れた新型────────────────ラービットの情報は、予め聞いていた。

 

 曰く、敵が送り込んでくる新型のトリオン兵であり、A級数人がかりでなければ厳しいレベルの戦闘力を持つ厄介な相手であると。

 

 たかがトリオン兵がそこまでの戦闘能力を持つという事に当初は懐疑的であったが、その考えはこの大規模侵攻の様相を見て即座に取り払った。

 

 これだけの兵力を、惜しみなく注ぎ込める程の相手だ。

 

 特別製のトリオン兵くらい、作っていてもなんらおかしくはない。

 

(あんな爆撃機みてーなのも作って来る相手だ。そういうのがいてもおかしくねーどころか、むしろいて当たり前だっつー話だ)

 

 諏訪は以前のイレギュラー門騒ぎの時に出現したトリオン兵、イルガーの一件を想起した。

 

 那須のファインプレーで市街地への被害は避ける事が出来たが、それがなければ大惨事になっていた筈だ。

 

 空中からの爆撃能力に加え、形態を変えての特攻モードの搭載。

 

 野放しにした場合の被害規模からしてみれば、充分以上に脅威な相手と言えた。

 

 そんなトリオン兵を作成し、送り込んでくるような相手だ。

 

 A級レベルの戦闘能力を持つトリオン兵を作れたとしても、不思議ではない。

 

 重要なのは、今目の前にいる新型が明確な脅威であり────────────────尚且つ、自分達だけでは勝てないだろうという事だ。

 

 その事実の前では、他の事は全て些事だ。

 

 たとえば、自分達にこの場を引き継いだ、どう考えてもノーマルトリガーでは有り得ない出力で戦っていた見慣れない白髪の少年の事だとか。

 

 いつの間にか決まっていた、遊撃部隊の事だとか。

 

 色々と気になる事はあるものの、今はそんな事に思考を割いている場合ではない。

 

 今はただ、目の前の脅威に対処しなければならないのだ。

 

「日佐人…………っ!」

「了解ですっ!」

 

 諏訪の号令と共に笹森はカメレオンを起動し、透明化を実行。

 

 それと同時に諏訪と堤の二人がかりで、ショットガンを銃撃。

 

 無数の銃撃が、ラービットに襲い掛かる。

 

「ちっ、硬ぇなこいつ…………っ!」

 

 しかし、ラービットはその銃撃をものともしない。

 

 ショットガンの銃弾は頭部をガードするように掲げた腕の装甲に弾かれ、一度たりとも有効打を与えられてはいない。

 

 そもそも、武器の相性が悪い。

 

 諏訪と堤のショットガンは面制圧をメインとする対人武器であり、硬い装甲を持つ相手との戦闘には適さない。

 

 狙って撃つのではなく、広範囲に弾幕をばら撒く仕様上、どうしても一転への突破力はアサルトライフルに劣る。

 

 あちらは一ヵ所に火力を集中する事で強引に守りをブチ破る事が出来るが、ショットガンではそうはいかない。

 

 ゼロ距離で叩き込みでもしない限り、防御を破る事は難しいだろう。

 

「────────!」

 

 だが、それで充分。

 

 銃撃は、ただの目晦まし。

 

 本命は、カメレオンを用いて背後に回った笹森の斬撃。

 

 防御を破る、という一点において旋空より優れたトリガーは存在しない。

 

 射程距離やら取り回しのし難さ等はあるものの、防御を突破する手段として旋空以上のものはそうは無い。

 

 故に笹森は諏訪と堤が銃撃で目晦ましをしている間にラービットの背後に回り、旋空を起動。

 

 旋空の発射準備に入る。

 

 その、刹那。

 

『────────!』

 

 ラービットが、動いた。

 

 頭部の耳のようなパーツがピクリと動いたかと思うと、まるで最初から位置が分かっていたかのようにラービットは笹森の方を振り向いた。

 

 そしてそのまま、ラービットは急加速。

 

 目にも止まらぬスピードで笹森に肉薄し、その剛腕を振るった。

 

「ぐ…………っ!」

 

 たまらず、笹森は吹き飛ばされ家屋へ叩きつけられる。

 

 凄まじい勢いで叩きつけられた為、塀の破片が飛び散り笹森は苦しそうに呻く。

 

 速過ぎる。

 

 近接戦闘が本領である攻撃手が、碌な抵抗を許されず吹き飛ばされるなど相当だ。

 

 スピード、パワー、どちらも桁外れである。

 

 これでもし何の警戒もなく近付いていれば、既に捕まってしまっていたに違いない。

 

『────────』

 

 だが、それも時間の問題。

 

 吹き飛ばされ、無防備を晒す標的に向けてラービットが疾駆する。

 

 後はその巨腕で押さえつけ、腹の口で捕らえてしまえば良い。

 

 無生物の筈のラービットの単眼が、不気味に光る。

 

 その魔手が、笹森に伸び────────。

 

「────────させん」

 

 ────────────────突如現れた乱入者により一瞬にして笹森の姿が消え、ラービットの腕は空を切った。

 

「ったく、おせーんだよ」

「これでも最短で来たつもりだ。文句を言われる筋合いはないな」

 

 空間から溶け出すように、笹森を抱えた風間が現れた。

 

 笹森と同じ、だが比較にならない練度でカメレオンを操る少年────────────────のように見える青年、風間は。

 

 腐れ縁の隊長に皮肉を返しながら、この戦場へと姿を見せた。



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ラービット②

 

「あれが新型か。菊地原、どうだ?」

「かなり装甲が厚いですね。特に厚いのは両腕で、次いで頭蓋(アタマ)と背中も堅そうです。あと、頭部に弾丸が当たった時に反響音が変だったので、窪みかなんかありますね。多分、何か武器仕込まれてます」

 

 風間に促され、菊地原は流暢に自身の副作用(サイドエフェクト)で得た情報を開示していく。

 

 菊地原の副作用(サイドエフェクト)、強化聴覚は効果範囲はそこまで広いワケではないが、その聴き分けの精度は非常に高い。

 

 今の情報も、風間隊の戦闘の最中でラービットに弾丸が当たった時の反響音等を測定し、得られたものだろう。

 

「おい待て風間、テメェ俺等が戦うのを近くで見てやがったな」

 

 だがそれは、菊地原が近くで聞き耳を立てていた事に他ならない。

 

 その事に気付いた諏訪は風間を問い詰めるが、腐れ縁の青年は特に悪びれる様子もなく肩を竦めた。

 

「人聞きが悪いな。俺は単に、効率的に新型を仕留める為に動いているだけだ。万が一が起きないよう、いつでも飛び出せるようにはしていたしな」

「やっぱ近くにいたんじゃねぇかよ。ったく、性格悪ィなマジで」

 

 諏訪は風間の予想通りの返答に悪態をつくが、本気で怒っているワケではない。

 

 新型トリオン兵は存在自体は知っていても、その戦力や能力については未知だ。

 

 故に、効率的に撃破する為には情報収集は必須。

 

 そして、菊地原程その手の情報収集に長けた人材はいない。

 

 ならばまずは諏訪隊に戦わせ、最低限の情報を得てから戦うのは戦術上なんらおかしな事ではない。

 

 何せ、相手はA級ですら数人がかりでなければ厳しいと言われている未知のトリオン兵。

 

 慎重を期するのは、当然の事と言える。

 

 それに、あくまで斥候を務めて貰っただけで見捨てる気は欠片もなかった事くらい腐れ縁の諏訪はとうの昔に気付いている。

 

 ある程度様子見をしたのは確かだろうが、それでも彼等を見捨てるつもりであるならば他にやりようがあった筈だ。

 

 それをしなかった以上、リスクヘッジはしっかりやっていたのだろう。

 

 風間はそのあたりの計算は出来る男である事を、諏訪は知っていた。

 

「それから、距離を詰めずに旋空を選ぼうとしたのは良い判断だったぞ笹森。恐らく、取り付いていれば頭部の仕込み武器でやられていただろうからな」

「は、はい。ありがとうございます」

 

 加えて、風間は見た目通りの冷血人間ではない。

 

 歯に衣を着せない為冷たい人間に見られがちだが、フォロー出来る場面があればしっかり行う。

 

 叱るべき時は叱り、褒めるべき時は褒める。

 

 そういう配慮が出来るからこそ多くの人間に慕われているのであり、諏訪自身も口では悪態を吐きつつも風間の事は嫌いではない。

 

 憎まれ口を叩きつつも、互いの事は信頼している。

 

 それが、悪友というものなのだから。

 

(ROUND1の時の経験があって良かった。あれがなきゃ、突っ込んでたかも)

 

 称賛された笹森は、ROUND1で那須隊と戦った時に熊谷に落とされた時の事を思い返していた。

 

 あの時、狙撃手である茜を狙っていた笹森は彼女の近くに潜んでいた熊谷によって虚を突かれ、敗退した。

 

 その経験が笹森に慎重さを学ばせる結果となり、接近して取りつくのではなく距離を保っての旋空での攻撃を選択させた。

 

 結果的に攻撃は失敗に終わったものの、迂闊に踏み込まなかった事で風間の救援が間に合ったと思えば悪くはない。

 

 力不足なりに風間隊に貢献出来たのであれば、それで良しとするべきだと笹森は自分を納得させた。

 

 それを見て、風間は満足そうに頷く。

 

 こういう物わかりの良い相手は、嫌いではない。

 

 諏訪や菊地原といった口の悪い相手と話すのも刺激があって悪くはないが、こういう素直さは一種の清涼剤となるので良いものなのだ。

 

 まあ、それを口に出さないあたりが風間が風間たる所以ではあるのだが。

 

「諏訪、ここは俺達が引き受ける。お前達は他のトリオン兵の駆除を続行しろ。理由は言わなくても分かるな?」

「はいはい、適材適所ってやつだろ。わーってるよ」

 

 確かにショットガンによる面制圧がメインである諏訪隊では、装甲の厚いラービットの相手は適さない。

 

 それならば、他所へ向かい通常のトリオン兵の駆除に当たった方が効率的だ。

 

 言うまでもなくそれは理解しているので、諏訪の側に文句はない。

 

 諏訪は笹森達に号令をかけ、すぐさま移動を始めた。

 

 そして、風間の横を通り過ぎる刹那。

 

 諏訪は足を止め、振り返らずに告げた。

 

「風間、しくじんなよ」

「心配ない。誰に言っているつもりだ」

「ならいい。じゃあ、俺等は行くからな」

「さっさと行け。自分の仕事をしろ」

 

 短いやり取り。

 

 それだけで互いへの激励(エール)を済ませ、二人は別れた。

 

 風間は改めてラービットに向き直り、スコーピオンを構える。

 

「さて、始めるか。あの耳がセンサーになっている以上、カメレオンは効果が薄い。隠密(ステルス)は無しでいくぞ。突進には注意しろ」

「了解しました」

「了解」

 

 三人はそれぞれ距離を取り、刃を構えた。

 

 風間は注意深くラービットの動向を見据えながら、告げる。

 

新型(ウサギ)退治は、A級部隊(おれたち)の仕事だ。早々に、任務を果たさせて貰おう」

 

 

 

 

「やべぇやべぇ、あいつ早過ぎる…………っ!」

「無駄口叩くな、撃ち続けろ…………っ!」

 

 小荒井と奥寺は、突如現れたラービット相手に距離を取って防戦を続けていた。

 

 様子見で撃ったハウンドが一切のダメージを与える事なく弾かれた時点で、これは自分達だけで勝てる相手ではないと判断し完全な防戦へ切り替えたのだ。

 

 グラスホッパーで逃げ回りつつ、ハウンドで弾幕を張り時として旋空を撃つ。

 

 この繰り返しである程度の距離を保ちつつラービット相手に時間稼ぎを行う事に成功していたが、それも限界が見えつつあった。

 

 まず、ラービットのスピードそれ自体がとんでもなく速い。

 

 奥寺も一度その速度を振り切れず、ラービットの剛腕で吹き飛ばされている。

 

 小荒井はその際即座に奥寺との合流を優先し、単独でラービットに立ち向かう愚は冒さなかった。

 

 その甲斐あってなんとかこれまで防戦出来てはいるものの、その成果は極限の集中状態あっての代物だ。

 

 トリオンと精神力は無限ではない以上、いずれ何処かでガタが来る。

 

 それを実感していた、その刹那。

 

「────────アステロイド」

 

 突如飛来した無数の弾丸が、ラービットに叩き込まれた。

 

 その弾丸は、傷一つ付ける事なく弾かれた奥寺達のハウンドとは異なりラービットの装甲に凹みを作る事に成功していた。

 

 流石に、その攻撃をまともに食らうワケにはいかないと判断したのだろう。

 

 ラービットは両腕で頭部をガードして動きを止め、その隙に奥寺達は距離を取る事に成功した。

 

「す、すみません。これが限界でした」

「構わん。充分データは取れた。風間隊からの情報共有もある。お前達は予定通り、他のトリオン兵の駆除に向かえ」

「はいっ!」

 

 その弾丸を撃った人間────────────────二宮はそう言って彼なりに二人を労うと、奥寺達を送り出し、改めてラービットに向き直った。

 

「アステロイドだけでは装甲の突破は難しそうだな。犬飼、辻、合成弾で仕留める。時間を稼げ」

「犬飼了解」

「辻了解」

 

 二宮の指令を受けた犬飼と辻はそれぞれアサルトライフルと弧月を構え、ラービットに対峙した。

 

 その佇まいに、不安はない。

 

 射手の王は新型トリオン兵(ラービット)と向き合い、傲岸にその姿を睨みつけた。

 

「二宮隊、現着した。新型トリオン兵の駆除を開始する」

 

 

 

 

「嵐山隊、現着した。この場を弓場隊より引き継ぎ、新型トリオン兵の駆除を開始する」

 

 東の戦場。

 

 そこでは現場に到着した嵐山隊が、弓場隊からこの場のラービットの対処を引き継いでいた。

 

 風間のように様子見を経る事なく救援に訪れた嵐山は、即座に弓場隊に代わりこの場を引き受ける事を申し出た。

 

 思う所がないでもなかった弓場ではあるが、「油断す(ミス)んなよ嵐山ァ!」と激励してこの場を彼等に任せた。

 

 神田を欠いた弓場隊(かれら)では、ラービットの相手は荷が重いと見た事もあるのだろう。

 

 だがそれ以上に、弓場達にはこの場での戦闘に拘泥するよりも他の戦場に赴きトリオン兵を一匹でも多く駆除した方が全体の貢献になるという冷静な判断もあった。

 

 1対1(タイマン)好きな弓場ではあるが、本物の戦場で自分の意地を優先する程愚かではない。

 

 これがもう後が無い背水の陣であったのならばともかく、他にやるべき事があるのであれば意地を張る理由はない。

 

 嵐山達なら大丈夫だろうという信頼もあり、弓場は即座にこの場を後にしたのだ。

 

 友人(ダチ)を信じられない程、弓場は狭量な人間ではないのだから。

 

 嵐山は強面の友人の背を見送ると、隊員と共にラービットと対峙した。

 

「木虎、俺達が隙を作るからそこを叩け。けれど、無理をする必要はない。堅実にいこう」

「了解しました。焦りは禁物、ですね」

 

 木虎の返答に嵐山は頷き、改めてラービットに向き直る。

 

 そして、鋭い視線でその敵影を射抜いた。

 

「時間をかけ過ぎるワケにはいかないが、落ち着いていこう。まずは、確実にこいつを倒す事が肝要だからね」

 

 

 

 

「来てくれたか、カゲ」

「おう、来てやったぜ」

 

 南の戦場。

 

 そこへ到着した援軍は、影浦隊だった。

 

 来馬を守りながらラービットと戦っていた村上だったが、銃撃が一切効かない相手というのは中々に厄介だった。

 

 ランク戦では来馬の両攻撃(フルアタック)解禁で中距離戦に対応出来るようになった鈴鳴第一であるが、この陣形(フォーメーション)は銃撃が相手にとっての脅威になる事が大前提だ。

 

 どんな銃撃も構わず突撃して来るラービット相手では、有効とは言い難い。

 

 来馬に犬飼レベルの技術があれば話は別だろうが、技術面において彼はそう突出したものは持たない。

 

 トリオンも6と並程度の来馬では、ラービットにとっての脅威となる事は難しかった。

 

 実質一人で来馬を庇いながら戦うのは幾ら村上といえども困難であり、その窮地に駆けつけたのが好敵手にして親友の影浦だ。

 

 影浦は連れて来た北添と共に威風堂々ラービットの前に立ち塞がりながら、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。

 

「こいつは俺等が狩る。おめーはさっさと、他の雑魚共ぶった斬って来やがれ」

「ああ、此処は任せたぞ。カゲ」

 

 村上の返答にフン、と鼻を鳴らす影浦だが、その頬は僅かに紅潮している。

 

 他人の好意に慣れていない影浦にとって、村上から刺さる純粋な感謝と信頼の感情が照れ臭いのだろう。

 

 口は悪いが、根は善良で世話焼きなのが影浦という少年なのだ。

 

 悪意への対処は慣れたものだが、こういった善意には弱いのである。

 

『カゲ、照れてんのかー?』

「うっせ。さっさと情報寄越せ、ヒカリ」

『はいはいっと。おめーらはホントーにアタシがいねーと駄目だかんなー』

 

 茶々を入れて来る(オペレーター)をあしらいつつ、影浦はラービットへ向き直る。

 

 初めて見る未知のトリオン兵ではあるが、恐れはない。

 

 既に菊地原の得た情報は風間を通して全部隊に通知済みであり、狙いどころは分かっている。

 

 トリオン兵は感情を持たない為影浦の副作用(サイドエフェクト)は使えないが、その程度で臆する彼ではない。

 

 好戦的な笑みを浮かべ、影浦は一歩前へと出た。

 

「オラ、かかって来いウサギ野郎。まずはテメーを、ズタズタにしてやっからよ」

 

 

 

 

「A級部隊、及びA級相当の部隊、新型の出現場所に到着。交戦を開始しました」

「よし、作戦通り新型の対処は彼等に任せてB級部隊は通常のトリオン兵の駆除に向かわせろ。再び新型が現れた折には、適宜指示を下す」

「了解しました」

 

 現場の状況を沢村から報告され、忍田は再び指示を飛ばす。

 

 その様子に、焦りや恐れはない。

 

 最初から、これが作戦だったのだ。

 

 まずはB級部隊を現場に向かわせ、通常のトリオン兵の駆除に当たらせる。

 

 そして、新型が出て来た場合は待機させていたA級部隊及びA級相当の扱いの部隊を投入し、その対処に当たらせる。

 

 こうする事でB級部隊は通常のトリオン兵の排除に専念する事が出来る為、前線に穴が空く事もない。

 

 ラービットの存在を予め知っていたからこそ出来た作戦であり、遊真とレプリカには感謝してもしきれない。

 

 ともあれ、彼等ならばラービット相手でも充分戦り合えるだろう。

 

 レプリカの情報によればA級単独でも厳しいとの話だったが、それならばそれでA級()()で相手をすれば良いだけの話だ。

 

(ここまでは順調。だが、まだ例の特殊個体や人型近界民(ネイバー)は出て来ていない。まだまだ、油断は出来ないな)

 

 忍田は改めてモニターを睨み、頷く。

 

 戦争は、まだ序盤。

 

 激しくなるのは、まだこれからだ。



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ラービット③

「さあて、じゃあやりますか」

 

 犬飼は二宮の命令を受け、辻と共にラービットと対峙する。

 

 迷う事なくアサルトライフルの引き金に手をかけ、斉射。

 

 それと同時に射撃トリガーのハウンドを放ち、ラービットを牽制する。

 

 通常であれば、犬飼はこういった両攻撃(フルアタック)は滅多に行わない。

 

 銃撃と射撃の二面攻撃は確かに強力ではあるが、それは即ち反面シールドが張れない無防備な状態となる事を意味する。

 

 不意打ちや狙撃を受ければたまったものではなく、相手の狙撃手が既に死んでいる等の場合を除き早々取らない手だ。

 

 だが、今回の場合は話が違って来る。

 

 まず、このラービットに遠距離攻撃の手段は無いという情報を得ている。

 

 この新型トリオン兵の攻撃手段は主にその剛腕を用いた物理攻撃であり、頭部に仕込まれている装備も恐らくは対空兵器か取りついた相手を排除する為のものと思われる為距離を保てば攻撃を食らう事はない。

 

 もっとも、そのトリオン兵らしからぬ尋常ではない機動力(スピード)を警戒しないというのは愚策だ。

 

 犬飼はどんな状況にも対応出来るように近接戦闘の訓練を密かに行ってはいたが、本職の攻撃手には当然及ばない。

 

 近接特化の相手に懐に潜り込まれた時点で、大抵の場合犬飼は劣勢に追い込まれる。

 

 そこで詰みが確定しないあたり彼の勝負強さ、強かさが分かるのだが、ともあれ本職の攻撃手ですら対応が難しいレベルの相手に近付かれたくはないのが本音だ。

 

 故に、シールドを張れたとしても意味はないのだ。

 

 シールドで攻撃を受け止めたとしても、その()が続かない。

 

 それならば、攻撃を継続して相手に防御を強要する方が余程効率的だ。

 

 幸いと言うべきか、このラービットというトリオン兵は捕獲型という性質故か相手を即死させる武器というものを持たない。

 

 あの巨腕で掴まれれば首を捩じ切られる危険はあるが、そもそも捕獲型故にこちたを捕らえる事を第一に行動するようプログラムされている筈である。

 

 故に、不意打ちを受けたとしても()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 話に聞く特殊型はどうかは分からないが、少なくとも目の前にいるラービットはそういった性質を持っている。

 

 ならば、やる事は簡単だ。

 

(とにかく防御を選択させて、攻撃の隙を与えない。これがベストだよね)

 

 犬飼のアサルトライフルの斉射に対し、ラービットは腕を盾にそれをガードする。

 

 これが頭部狙いであれば態勢を低くして突進して来ていたかもしれないが、犬飼が狙ったのは頭部ではなく脚部である。

 

 菊地原からの情報共有により、腕と頭部、そして背部の装甲は厚いが、脚部や腹部の装甲強度はそれよりも劣る事が分かっている。

 

 だからこそ、犬飼は装甲に覆われダメージが通り難い頭部ではなく足を狙ったのだ。

 

 ラービットに、防御を強要させる為に。

 

 犬飼のトリオン評価値は、8。

 

 二宮ほど突出して高いワケでもないが、ボーダー隊員の中でもそれなりに高い数値を保持している。

 

 そんな犬飼の放つアステロイドの威力は侮れず、ラービットといえど防御を選択せざるを得ない。

 

 ラービットにとって最優先で防御すべき部位は核の存在する頭部であるが、脚部もそれに次ぐ重要部位にあたる。

 

 何故ならば、標的を捕獲出来たとしても脚部がなければ遠征艇に帰還する事は出来ないからだ。

 

 遠征艇側から()()する方法はあるが、そのやり方は相応のトリオンを消費する。

 

 だからこそ、ラービットは移動出来る状態を保持している事が望ましい。

 

 故に脚部は優先保護部位となっており、そこを狙われれば足を止めてでも防御を選択する。

 

 犬飼の、思惑通りに。

 

「旋空弧月」

 

 動きが固まった以上、そこを狙わない理由はない。

 

 しかし、残念ながら直撃はしない。

 

 ある程度距離を取っていた事が仇となり、ラービットは旋空が到達する前に即座に回避機動を取りそれを避ける。

 

 当然、跳躍を行う事によって。

 

 空中では無防備になるものの、ラービットの装甲強度であれば早々致命打を負う事はない。

 

 それ故の、跳躍。

 

 だがそれは。

 

「────────徹甲弾(ギムレット)

 

 二宮隊(こちら)の、狙い通りの行動である。

 

 空中に跳び、回避が不可能となったラービットに向け二宮は合成弾を射出。

 

 当然、ラービットは腕部の装甲でそれを防御する。

 

 ラービットの装甲の中でも腕部の装甲は特に強靭に作成されており、並大抵の攻撃では傷一つつかない。

 

 流石に旋空の先端でも直撃すれば話は別だろうが、射撃トリガーや狙撃トリガーでこれを突破するのはほぼ不可能。

 

 それが、()()()()()()()()()

 

 射撃トリガーはトリオンの弾頭がカバーで覆われており、そのカバーが衝撃で破れる事によって弾頭が空気と反応してその場で炸裂する。

 

 このカバーの強度や炸裂時の破壊力は使用者のトリオンに依存し、トリオンが大きければ大きい程突破力・破壊力が向上する。

 

 そういう意味で言えば、14ものトリオンを持つ二宮の弾丸の威力はボーダー内でも他に類を見ないレベルとなる。

 

 しかし、その二宮の扱う最大威力の攻撃である徹甲弾(ギムレット)であっても、単発ではラービットの装甲を突破する事は出来ない。

 

 ダメージを与える事は出来るだろうが、貫通までは難しい。

 

 但し。

 

 それは、直撃した弾丸が一発のみであった場合の話だ。

 

 二宮は無数に分裂させたギムレットを、時間差で撃ち込んだ。

 

 ラービットの、腕部。

 

 その一ヵ所に、()()()()()()()()()()()()()

 

 結果。

 

 一発目の弾丸で、ラービットの腕部が凹んだ。

 

 二発目の弾丸で、その凹みが亀裂となり、罅割れが出来た。

 

 三発目の弾丸で、亀裂が深まり。

 

 四発目の弾丸は、遂にその腕部装甲を貫通した。

 

 そして、五発目の弾丸がその穴を通過し、ラービットの核────────────────口内の単眼に、直撃した。

 

 核を破壊されたラービットは機能停止し、墜落。

 

 B級隊員を翻弄してみせた新型トリオン兵(ラービット)は、射手の王と彼の率いる部隊によって撃墜された。

 

 二宮は残骸と化したラービットを一瞥し、通信を繋ぐ。

 

 撃破報告と、得た情報の共有の為に。

 

「本部、新型を撃破した。戦闘データをそちらに送る。新型の行動パターンや装甲強度は、これである程度分かる筈だ」

 

 

 

 

『カゲ、二宮んトコが新型ぶっ倒したみてーだ。そいつ、足狙うと防御優先するっぽいぞ』

「成る程、そいつぁ良い事を聞いたなオイ」

 

 同刻、南の戦場でラービットと戦闘していた影浦は二宮隊の撃破報告を聞いて舌打ちと共に凶悪な笑みを浮かべた。

 

 先んじて新型撃破を二宮隊に成し遂げられた事には思うところはあるが、今は目の前の硬くて面倒な敵を排除するのが最優先事項である。

 

 それに、この戦いは七海がかなり意気込んで参加している。

 

 詳しい事情までは聞いてはいないが、大事な弟子があそこまで本気になっているのだ。

 

 ならば、プライドよりも何よりも、此処で戦闘に貢献し彼の目的達成を助けるのが筋というもの。

 

 その為ならば、たとえ気に食わなくとも誰からの情報であっても利用する。

 

 ユズルと違い二宮個人にそこまで含むところはないが、あの可愛い後輩の事を思えばあまり二宮隊と親しくするべきではないだろうという事は分かっている。

 

 対して親交がなく、性格的にも好きではない相手よりも大事な身内を優先するのは当然の事だからだ。

 

 だが、幸いと言うべきか今はユズルとは別行動中である。

 

 それにユズルとて戦場に私情を持ち込む事の愚かさは分かっているので、この程度であれば充分眼を瞑れる筈だ。

 

 故に。

 

 情報を最大限利用し、この敵兵を打倒する。

 

 そう決めた影浦は北添にアイコンタクトで意思疎通し、ラービットに攻撃を仕掛けた。

 

 振るう鞭の如き刃の名は、マンティス。

 

 しなる刃が狙うのは、先程情報にあった脚部。

 

 すると、ラービットは腕を翳しその攻撃を防御する。

 

 情報通り、移動よりも防御を優先させた。

 

「かかったな」

 

 それを確認し、影浦は腕を跳ね上げ直前でマンティスの軌道を変更させた。

 

 蛇の如き滑らかな動きで標的を変えた刃は、ラービットの口内の単眼────────────────核を、狙う。

 

 現在、ラービットの両腕は脚部をガードする為下方に下げている。

 

 今からでは、この刃を防御する事は叶わない。

 

『────────!』

 

 故に、ラービットは単眼()を保護する為のフィルター────────────────顎を閉じ、その攻撃への解答とした。

 

 この閉じた歯の部分は腕部や頭部ほどではないがそれなりの強度があり、スコーピオンの単発攻撃程度では容易く弾かれる。

 

 マンティスは射程や自由度こそ変わっているが、威力はスコーピオンとそう変わりはない。

 

 加えて、その変幻自在な軌道こそが真骨頂であるマンティスは貫通力と言う点はそこまで高いものではなく、硬い装甲を持つ相手には効果が薄い。

 

「残念、予想通りだよ」

 

 マンティス、だけであれば。

 

 ラービットの閉じた歯に向け、北添が銃撃を叩き込む。

 

 トリオン9の彼の銃口から放たれたアステロイドは閉じた歯を削り、虫歯のように抉っていく。

 

 それだけの隙間があれば、充分。

 

 伸びたマンティスの刃が、北添の空けた穴を抜いて口内に到達。

 

 一撃でラービットの核を破壊し、その躯体を沈黙させた。

 

「一丁上がりだね」

「ああ、コツは掴んだ。次はもうちょい簡単に殺れそうだな」

 

 北添と影浦は共に勝利を喜び、本部に撃破報告を届ける。

 

 ────────────────二宮隊、影浦隊の両部隊はこれまで降格時のペナルティでA級昇格が不可能になっていたが────────そのペナルティを、正式に解除する。そして、有事の際はA級部隊と同等の扱いをすると約束しよう────────────────

 

 影浦はその時、脳裏にあの時の忍田の言葉を想起していた。

 

 あれがなければ今頃、こうしてA級と同じ扱いで出撃する事は出来なかっただろう。

 

 そう思えば、これまでの積み重ねがこの結果に繋がったと言える。

 

 こういうのも悪くはない。

 

 そう思案する、影浦であった。

 

 

 

 

「おいおい、もうラービットを倒す奴らが出て来たぞ。流石にこれは予想外じゃないか」

「いやはや、玄界(ミデン)の進歩も目覚ましいという事ですかな」

「大した事ねぇよ。ラービットはまだプレーン体だろうが」

 

 その光景を見ていたアフトクラトルの遠征艇の面々は、口々に感想を漏らしていた。

 

 称賛するランバネインに、感心するようにそれに賛同するヴィザ。

 

 エネドラは変わらず悪態を吐いて、ヒュースとミラは黙って事の成り行きを見守っていた。

 

 そんな彼等を一瞥しつつ、ハイレインは思案する。

 

(ラービットを撃破されたのは、そこまで驚くべき事ではない。質の高い兵士がいるのは予想出来た事ではあるし、ラービットが無敵であるとはそもそも考えてはいなかった)

 

 だが、とハイレインは目を細めた。

 

(こちらがラービットを投入してからそれに対処可能な兵を送るまでの時間が、()()()()。兵の到着時間もそうだが、予めラービットの存在を知っていなければこの采配は辻褄が合わない)

 

 ハイレインは当初、広範囲に大量のトリオン兵を展開する事で玄界の兵を分散させ、そこをラービットで各個撃破するつもりでいた。

 

 無論、そうなれば最良というだけの話であり少しでも玄界の兵の足並みを乱せれば上々と考えていたのだが────────────────その前提が、覆った。

 

 当初の予定ではラービットの対処に玄界側が手こずり、その隙にトリオン兵を市街地へと進ませあちらの対処能力を圧迫する予定だった。

 

 だが、即座にラービットに対処可能な兵が到着して対応に当たった為に玄界の兵はさしたる遅延もなくトリオン兵の駆除を継続し、徐々にその撃破数を伸ばしている。

 

 まるで最初から、新型トリオン兵(ラービット)の存在を知りそれに備えていたとしか思えない鋭い采配と言えた。

 

(ラービットの情報が、何処からか漏れていたか…………? 玄界と同盟関係の国もあるというが、そもそもラービットを投入したのは今回が初めてだ。アフトクラトルの人間でなければ、情報を得る事など出来ない筈だが…………)

 

 ハイレインはチラリとヒュースに視線を向け、それはないなとすぐさま自分の疑念を捨て去った。

 

 彼は命令には忠実であり、何より自分の主君に絶対の忠誠を捧げている。

 

 問題なのはあくまで彼が忠誠を誓っているのは直接の主君であるエリン家でありハイレインそのものではないという事だが、そこは今論ずるべきところではない。

 

 ともあれ、主君の立場が危うい事には薄々気付いていてもおかしくはないが、だからといって敵に情報を売るような博打を今するとは思えない。

 

 実直で融通の利かない彼はいざとなれば自分が主君を守れば良いと考える筈であり、最初から他者に助けを求められるような人格ではない。

 

 そんな彼が戦力で劣る玄界に情報を売るような柔軟さがある筈もなく、疑うだけ無駄だと判断した。

 

(いや、今は理由を考えるべき所ではない。問題は、次の手をどうするか。予定ではイルガーの特攻で基地を狙うつもりだったが────────────────少し、手を変えるか)

 

 ハイレインは冷徹な視線で映像を見据え、頷く。

 

 軍事国家の領主たる彼は、未だ見ぬ敵の軍師に一先ずの敬意を送りつつ、次の手を決断する。

 

 全ては、目的達成の為に。

 

 冷酷な策士は、駒を進めた。



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采配

「皆さん、避難先はこちらです。道中の護衛は我々が行います」

 

 三門市、市街地。

 

 そこではボーダーの隊員達が市民の避難誘導を行っていた。

 

 避難誘導を行っているのは各所に振り分けられた十数名のC級隊員と、B()()()()()()

 

 茶野隊や間宮隊といった面々が、C級を監督しつつ避難誘導を指揮していた。

 

 本来、この避難誘導にはC級隊員が割り当てられる筈であった。

 

 数だけは多く戦闘が行えないC級隊員のみが非難誘導を行い、正隊員は全員を戦力として運用する。

 

 それが、当初のボーダーの方針であった。

 

 だが。

 

 ラービットの存在が分かった事で、急遽その方針は転換された。

 

 トリガー使いを捕獲する為のトリオン兵、という存在が敵である以上────────────────相手の狙いが、()()()()()である可能性が出て来たからだ。

 

 そうなると、敵にとって最も()()()()標的は何か。

 

 そんなもの、一定量のトリオン量が担保されていて碌な抵抗も出来ないC級隊員に決まっている。

 

 幸い緊急脱出システムがC級隊員には積まれていない事は露見していない為積極的に狙って来る可能性は低いが、それでもゼロではない。

 

 故に、避難誘導に当たるC級隊員を厳選し、数の不足をB級下位の部隊で補う事となった。

 

 避難誘導に参加するC級隊員は、以前の昇格試験中に行われた研修で「優」以上の評価を取った者のみとした。

 

 「優」の評価を得る為には研修への参加態度や指示をきちんと聞けるか否か等、戦闘力やトリオン量よりも()()()()()()()()()()()()()()という点をクリアしなければならなかった。

 

 故にそもそも研修に参加していない新入隊員は参加出来ず、C級の中でも指示をきちんと聞き能率的に行動出来る者のみが避難誘導に動員されている。

 

 そしてB級下位の面々は実力はともかく組織の一員としての自覚はしっかり持っている者達である為、C級を監督し避難誘導を指揮する人員としては問題は無い。

 

 B級下位の面々が避難誘導に割かれた分戦力自体は減っているが、ラービットをA級とA級相当の部隊が対処している事で他のB級部隊が十全に動く事が出来ている。

 

 その為、実力・チーム力共に低いB級下位の面々が戦線からいなくなったところでさしたる問題はないのだ。

 

『柿崎さん、南側の避難は予定通りに行えています。そちらに人を割きますか?』

「いや、配置はそのままだ。新型はA級が相手をしているが、次は何処に出て来るか分からない。各個撃破の可能性を低くする為にも、少数での行動は許可出来ない。これまで通り進めてくれ」

『了解しました』

 

 加えて、そんなB級下位の面々を統率しているのは柿崎だ。

 

 当初は自分たちが実質戦力外通告された事で不満を持っていたB級下位の面々であるが、柿崎が避難誘導全体の指揮を執る事になりその不満を抑え込んだ。

 

 柿崎は自己評価が低いが、ボーダー内でも親しみ易く温和な先輩として多くの隊員に慕われている。

 

 B級下位の部隊を集めて柿崎がオリエンテーションを行った際、柿崎はまず頭を下げた。

 

 自分では力不足かもしれないが、市民に被害を出したくない。

 

 巧く出来るか不安だけれど、避難誘導の指揮はちゃんとやりたい。

 

 責任は俺が持つから、頼む。

 

 俺に、協力してくれないか、と。

 

 その結果、「柿崎さんが言うなら」とB級下位の面々が一様に今回の采配に従ったのだ。

 

 この人望こそ、柿崎の最大の強みと言える。

 

 相手の目線に立って話し、会話で不快感を与えない。

 

 まずは相手の気持ちを尊重した上で、通すべき筋は通す。

 

 それが柿崎のやり方であり、彼が自然とこなす人心掌握術であった。

 

 柿崎自身に、別段「うまく皆を誘導しよう」という意識はない。

 

 ただ、自分の不安を曝け出した上で下手に出て()()を願い出ただけだ。

 

 通常、上に立つ者が下手に出るのは愚策である。

 

 上に立つ者は相応の態度を示さなければ組織としての緩みに繋がり、手抜きや慣れ合いを招く。

 

 だが、相手がC級やB級下位の場合は話が別だ。

 

 ボーダーは、学生がメインの組織である。

 

 当然学生気分が抜けない者もC級には多く、気が緩み易くミスが発生する可能性も高い。

 

 B級下位部隊もC級と比べればマシではあるが中位以上の部隊と比べればどうしても練度や精神面の不足が否めず、組織の一員としての能力には不安が残る。

 

 そういった相手は、まず安心感を与える事が大事なのだ。

 

 「この人は自分たちの話を聞いてくれる」「この人は自分たちを大事にしてくれる」と、思わせる事が重要なのだ。

 

 これがB級中位以上の精神的にも充分成熟している者達であればそんな手間は必要ないが、未だ未熟さが拭えない者にとって安心感というのは何よりの助けとなるのだ。

 

 「この人に付いて行けば、大丈夫」と、思わせられれば。

 

 行動の際の迷いが消え、指揮官による指示も通り易くなるのだ。

 

 新人の動きが鈍いのは、大体の場合が「失敗を恐れる」からだ。

 

 自分の能力が未だ評価されておらず、行動の担保がない状態だと人は失敗を恐れて動きが鈍る。

 

 「失敗したらどうしよう」という不安が、何よりの足枷となるからだ。

 

 それを柿崎は「不安も不満もあるよな。分かるよ」と同調した上で、「責任は俺が持つ、任せろ」と太鼓判を押してみせたのだ。

 

 奇しくもC級隊員やB級下位隊員が求めていた言葉を的確に選んだ事で、柿崎は彼等から指揮官として認められたのだ。

 

 この人の指示なら、安心して聞けると。

 

 そう、確信する事で。

 

 ────────────────柿崎、悪いんだけど避難誘導の指揮を頼んで良いかな? お前がやるのが一番良いって、俺のサイドエフェクトが言ってるからさ────────────────

 

 不意に、柿崎の脳裏に先日の迅の言葉が蘇る。

 

 柿崎をこの役割に任じる切っ掛けを作ったのは、迅だ。

 

 彼がわざわざ柿崎の下を訪れ、そう言って頭を下げたのだ。

 

 あの飄々としているように見えて自己犠牲の塊のような友が、頭を下げて頼んで来たのだ。

 

 これで気合いが入らなければ、嘘というもの。

 

 自分には、迅のような特別な力はない。

 

 嵐山のように逸脱したカリスマのようなものはないし、弓場や生駒のように強くもない。

 

 けれど。

 

 自分に出来る事があるのであれば、やってみせる。

 

 その覚悟で、この場に立っている。

 

 全ては、友の想いに応える為に。

 

 少しでも彼の負担を減らすべく、全力を尽くす。

 

 自分なりの、やり方で。

 

 方法は違えど、此処が柿崎の戦場なのだから。

 

(迅、俺にやり遂げられるか不安ではあるけど────────────────お前の期待には、なんとか応えてみせる。だからお前も頑張れ、迅。何かあったら、俺でよけりゃあ助けるからさ)

 

 

 

 

「────────!」

 

 北西の戦場。

 

 そこでトリオン兵を駆除していた迅は、眼を見開いた。

 

 現在の戦況は、順調と言えた。

 

 ラービットの対処をA級及びA級相当の部隊に任せた事でトリオン兵の駆除も進んでいるし、大きな被害も出ていない。

 

 C級の数を厳選した事で避難誘導もスムーズに進んでいるし、B級下位の面々を市街地に振り分けた事で遊真の黒トリガーを見咎められる心配もない。

 

 B級中位以上の者達は遊真の姿を見てはいるが、そういった者達は独断で動かないだけの分別を持っている。

 

 実際、最初に遊真の姿を見た諏訪も「戦力になるなら構わない」と見逃しているのだから。

 

 これがB級下位の面々であれば近界民(ネイバー)と看做して即座に攻撃したかもしれないが、この状況であればその心配もない。

 

 全ては、順調に動いていた。

 

(これは洒落にならない────────────────けど、手を打っといて良かった)

 

 たった今視えた予想外(イレギュラー)も、何の準備もしていなければ甚大な被害を齎しただろう。

 

 だが。

 

 万が一を備えての()()()が今、芽吹く。

 

 迅は通信を開き、この事態に備えて待機していた者達に号令をかける。

 

「太刀川さん、生駒っち────────────────頼んだ」

 

 

 

 

 それは、唐突に表れた。

 

 空を泳ぐ鯨のような巨大な敵────────────────爆撃型トリオン兵、イルガー。

 

 それが自爆モードになった状態で、地上目掛けて墜ちて来た。

 

 一体は、ボーダー本部へ。

 

 そして残りの二体は、()()()()

 

 同時に、降下して来たのだ。

 

 ボーダー本部は、心配ない。

 

 以前の千佳による壁抜き事件を機に、鬼怒田開発室長が外壁の強化に取り組んだからだ。

 

 イルガーの突貫も、一発であれば耐えられる。

 

 故に、基地への攻撃は無視したところで構わない。

 

 問題は、市街地目掛けて落ちる二体だ。

 

 イルガーの自爆は、広範囲に及ぶ。

 

 万が一このまま市街地に落ちれば、被害は甚大なものとなるだろう。

 

 避難は順調とはいえ、イルガーの自爆によって引き起こされる爆風でどれだけの物が飛ぶか分からない以上、死者が大勢出る可能性もある。

 

 放置すれば、間違いなく最悪の事態。

 

 だが、自爆モードとなって装甲が強化されたイルガーを落とさずに撃破出来る者などそうはいない。

 

「海」

「はいさ」

 

 ────────────────だが、それが可能な者は存在する。

 

 ゴーグル姿の剣士、生駒はチームメイトの南沢に声をかけ、彼の展開したグラスホッパーを踏み込んだ。

 

 跳躍し、上空に躍り出る生駒。

 

 その視線は、こちらへ向かって落ちて来るイルガーの巨躯へ注がれていた。

 

 ────────────────大規模侵攻の時、イコさんじゃなきゃ斬れない相手が出て来ると思う。だからその時は、お願いするよ────────────────

 

 生駒の脳裏に、ROUND6の後に玉狛支部で交わした迅との会話が蘇る。

 

 彼は、その迅の依頼を覚えていた。

 

 当然だ。

 

 色々と頓狂な性格をしている生駒ではあるが、情が厚く仲間思いな男である事に間違いはないのだ。

 

 大切な友人の頼みを、どうして無碍に出来ようか。

 

 あの迅が、今まで誰かを頼る事をしなかった迅が自分を頼って来たのだ。

 

 ならば、応えるのが漢というものだ。

 

 少なくとも生駒はそう思ったし、そうでなくともあのトリオン兵は見逃せない。

 

 あれが街に落ちれば、多くのものが失われるだろう。

 

 家は壊れるだろうし、人だって死ぬかもしれない。

 

 そんな結果を、生駒は断じて許容出来ない。

 

 生駒は、この街が好きだ。

 

 トリオン兵と戦いを繰り広げる物騒な街ではあるけれど、この街で出来た思い出は掛け替えのないものだ。

 

 だから、それを守る為に剣を振るう事に何の迷いがあろう。

 

 故に。

 

────────旋空弧月

 

 彼は迷わず、生駒旋空を撃ち放つ。

 

 神速の抜刀より放たれる、一閃の刃。

 

 それが。

 

 イルガーの装甲を紙の如く裂き、両断。

 

 躯体を裂かれたイルガーはその場で起爆し、爆散。

 

 轟音と共に、空の塵となった。

 

 爆発の威力が高過ぎた為に、イルガーの残骸が落ちる心配はない。

 

 一機目のイルガーは、生駒の剣によって撃墜された。

 

 

 

 

「お、来た来た」

 

 同刻。

 

 もう一機のイルガーと、空中で対峙する太刀川の姿があった。

 

 太刀川は生駒と同様グラスホッパーで空中に躍り出ており、既に腰の両の剣に手をかけている。

 

 イルガーの装甲が強固である事は、理解している。

 

 生半可な攻撃では、傷一つ付かないであろう事も分かっている。

 

「さて、斬るか」

 

 だからこそ、自分が此処に配されたのだから。

 

 太刀川は何気なく、気負いなく呟き。

 

 そして。

 

「旋空弧月」

 

 無造作に、その刃を振るった。

 

 振るわれる、二振りの弧月。

 

 その拡張斬撃が、イルガーを抵抗なく十字に斬り裂いた。

 

 裂かれたイルガーは生駒の斬った機体と同様、起爆。

 

 爆散し、塵となって消え失せた。

 

 

 

 

「そこだ」

 

 それを、見ている者がいた。

 

 戦場に送ったトリオン兵の視界を通して二人の剣士の姿を見ていたハイレインは、即座に指示を下す。

 

「モッド体を送り込め。砲撃型だ」

 

 

 

 

 空中でイルガーを撃破した、太刀川と生駒。

 

 その頭上。

 

 そこに黒い穴が開き、ラービットが出現する。

 

 但し、その色はこれまでの白ではない。

 

 灰色。

 

 明らかにこれまでのものとは異なるその風貌に、肩に取り付けられたブースターのような装備。

 

 話に聞く特殊型か、と判断したのも束の間。

 

 そのラービットが口を開き、トリオンを収束させ始めた。

 

 間違いない。

 

 このラービットは、()()()()()だ。

 

 恐らく、イルガーは囮。

 

 この場に────────────────即ち、逃げ場のない空中へ実力者を誘い出す為の。

 

 イルガーを撃破し、地上への被害を防ぐ為には空中で迎撃する他ない。

 

 故に、何かしらの手段でイルガーを倒せる実力者を空へ打ち上げると考えられていた。

 

 遠距離の射撃で貫ける程、イルガーの装甲は容易くはない。

 

 故に、相応の実力者が向かわされる筈だと、ハイレインは踏んでいたのだ。

 

 だからこそ、そこを突く。

 

 逃げ場のない空中で、モッド体のラービットの砲撃を浴びせる。

 

 此処で実力者を片付ければ、後が楽になる。

 

 容赦の欠片もない、徹底して効率を求めたハイレインの一手。

 

 軍師の命を受けた2体のラービットが、二人の剣士に狙いを定めた。



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邂逅

 

 二機のラービットの砲撃が、太刀川と生駒を狙い撃つ。

 

 タイミングは、これ以上ない程完璧と言えた。

 

 太刀川も生駒も、旋空でイルガーを斬り捨てた直後。

 

 どんな熟達の戦士であっても、渾身の一撃を放った後は僅かな硬直が起こる。

 

 特に剣士は刀を振り抜いた状態から次へ繋げるまでのタイムラグがある為、攻撃した直後というのは一番危険なタイミングなのだ。

 

 そこを、突かれた。

 

 恐らく、地上で戦えばさして問題はなかっただろう。

 

 ラービットの特殊個体とはいえ、太刀川も生駒も歴戦の剣士だ。

 

 少し特殊性を加えた程度の相手など、一刀両断してのけるだろう。

 

 だが、此処は空中。

 

 足場はなく、生駒に至っては地力でグラスホッパーを生成出来ない。

 

 太刀川も空中機動はそこまで得手というワケではなく、この体勢から砲撃を躱すのは難しい。

 

 将棋で言えば、詰みの一手。

 

 これは、そういった代物だった。

 

『────────!?』

 

 されど。

 

 その詰み(チェック)は、覆った。

 

 地上から飛来した、一発の弾丸によって。

 

 二機のラービットは、砲撃を放つ為口内を────────────────つまり、核を露出させていた。

 

 砲撃の発射口がそこなのだから当然の話であるのだが、それは即ち弱点が露出している状態と同義と言える。

 

 そこを、突いた。

 

 地上から放たれた弾丸は狙い(あやま)たず生駒を狙っていたラービットの核を貫き、一撃で機能停止に追い込んだ。

 

 撃墜され、落下するラービット。

 

 それを横目で見ながら、生駒は自由落下に任せて自らも落ちていく。

 

 そして、自分を救ってくれた狙撃手に向かって礼を告げた。

 

「あんがとさん。ユズルくん、良いお手前やな」

 

 

 

 

「別に良いよ。こっちも仕事がスムーズにやれたし」

 

 ビル、その屋上。

 

 そこでイーグレットを構えていたユズルは、通信で感謝を伝えて来た生駒ににべもない返事を返す。

 

 相手は年上なのだからもう少し言葉遣いを気を付けるべきだとは思うが、今のユズルは本物の戦場の空気に当てられて自分でも気付かない程度に昂揚していた。

 

 戦術よりも地力を押し付ける戦い方が主であった影浦隊での戦いとは異なる、より視野の高い者が采配した正真正銘の迎撃戦術(カウンター)

 

 それを決める感覚は、悪くない。

 

「さて、移動するか」

 

 とはいえ、この場に留まればトリオン兵を送り込まれてやられる可能性がある。

 

 東という規格外と違い、ユズルは基本的に近付かれたらまず助からないのだから。

 

 故に、行動は迅速。

 

 新型を早くも一機撃破してのけた中学生狙撃手は、敵に増援を送り込まれる事を考慮し即座にその屋上から姿を消した。

 

 

 

 

直撃(ビンゴ)。どうよ真木ちゃん、当ててみせたぜ」

『アンタはそれが仕事でしょうが。やって当然の事を威張るんじゃないよ』

「キビシーなー、真木ちゃん」

 

 一方、太刀川を狙っていたラービットを撃墜した狙撃手────────────────当真は通信越しにオペレーターに称賛を催促し、つれない返事を返されていた。

 

 当真としては此処で彼女に褒めて貰いたかったところだが、もし本当に称賛の言葉が出て来たらいっそ恐ろしいなと彼は思い直した。

 

 基本的に出る言葉の8割以上が罵声で言葉の一つ一つにモーニングスターが付いている真木というオペレーターは、人を褒める事は早々ない。

 

 特に、自部隊の二人に関しては他の面々より一層評価が厳しい。

 

 彼女からしてみれば、当真がこの()()の狙撃を成功させるか否かなど問うまでもない事なのだ。

 

 当真なら絶対に成功すると確信しているからこそ、真木は余計な事は言わない。

 

 それが分かっているからか、当真の表情に険は無い。

 

 いつも通りだなあと、苦笑を浮かべている程度である。

 

『ホラ、さっさとしな。言われるまで行動出来ない程愚図じゃないだろ』

「わーってるよ。退散退散っと」

 

 そして、その後の動きにも迷いはない。

 

 当真は真木の罵声を尻目に地面に手を押し付けると、その場から跡形もなく消え去った。

 

 その場に彼がいた痕跡など、既に何処にもなかったかのように。

 

 

 

 

(対処された、だと…………? いくら何でも、対応が()()()()。流石にこれは、想定以上だな)

 

 遠征艇。

 

 そこで現場の映像を見ていたハイレインは、思わず目を細めた。

 

 イルガー三機を捨て駒にしての、空中に躍り出た標的へのラービットの砲撃敢行。

 

 これで相手を仕留められる────────────────とまでは、流石に楽観はしていなかった。

 

 だが、少なくとも手傷は負わせられると踏んでいた。

 

 空中という足場のない環境で、高威力の砲撃に晒される。

 

 これだけで、ほぼ詰みに近いのだ。

 

 それこそ、ランバネインの雷の羽のように飛行能力があるのであれば話は別だが、今のところ玄界(ミデン)のトリガーに航空戦闘能力があるものは確認されていない。

 

 未だ出てきていないだけかもしれないが、少なくとも跳躍という手段で空中に出たあの二人の剣士は持っていない筈である。

 

 だからこそ今回の采配で、高い実力を持つ剣士に痛打を与える事にしたのだ。

 

 ハイレインはラービットが即時対処された時点でこの世界の戦力評価を一新させ、このままでは作戦目標が瓦解しかねないと危惧を抱いた。

 

 玄界の戦力の厚さと差配の正確さは想定以上であり、当初の作戦では失敗の可能性が現実的な数字にまで上がっている事を認めざるを得なかった。

 

 まず、ラービットを即座に対処された事が最大の想定外である。

 

 ラービットという単騎で強力なトリオン兵を投入すれば戦場を攪乱させる因子としては充分だろうという 考えが、ハイレインにはあった。

 

 他のトリオン兵とは注ぎ込むコストが桁外れに高い分、ラービットの能力はトリオン兵の革命と言えるものに仕上がっている。

 

 基本的に雑兵として扱うしかないトリオン兵を、トリガー使いを撃破出来るレベルにまで強さを引き上げる。

 

 当然相応にコストは跳ね上がっているが、アフトクラトルという強国の国力がそれを可能にした。

 

 他の小国であれば一機作成するだけでも国家予算を破産覚悟でやりくりしなければならないだろうが、近界(ネイバーフッド)最大級の軍事国家の名は伊達ではない。

 

 この作戦の為に数十機のラービットが納品されており、その大部分は未だ出撃を待っている状態にある。

 

 本来であれば機を見てこれらを投入し、目標を達成するつもりであったが────────────────現在のままではそれも厳しいと、ハイレインは判断した。

 

 確かに、ラービットは強力だ。

 

 単騎で大抵のトリガー使いを落とせるし、装甲強度も並ではない。

 

 だが、無敵というワケではない。

 

 現に既に数体が撃破されており、今戦闘している個体も時間の問題のようだ。

 

 所詮は能力のないプレーン体故、と見る事も出来るが────────────────そういう類の楽観は、ハイレインにとって唾棄すべき代物だ。

 

 現実は、自分の認識より悪い方に転がっているものだ。

 

 そんな諦観を抱くハイレインは、常に()()を避ける事を第一に行動する。

 

 第一目標を達成する事に血眼を注ぐのではなく、何の戦果も持ち帰れない事をこそ厭う。

 

 最悪の結果、という賽の目を回避する為の思考。

 

 それがハイレインの基本的な思考方法であり、これはボーダーでいえば東に似た方針だ。

 

 異なるのは彼がアフトクラトルの領主という立場にあり、常に相応の戦果を求められている点だ。

 

 アフトクラトルは強国だが、国民の団結力が強いかと言われればそうでもない。

 

 むしろ、国を纏める領主達はその全員が潜在的な敵であり、とてもではないが手を取り合えるような間柄ではない。

 

 故に弱みを見せる事は断じて出来ず、この遠征で何の成果も持ち帰れない、というのは些か以上に不味い。

 

 故に、ハイレインは決断した。

 

 作戦遂行の障害になる実力者を先んじて排除し、隊員の捕獲は二の次にする事を。

 

 最大目標は金の雛鳥────────────────即ち、「神」と成り得るトリオン保持者の鹵獲。

 

 それの達成が第一であり。極論他は全て些事だ。

 

 例の緊急脱出システムがC級隊員に配備されてないか否かが分かっていれば他の目標も立てられたのだが、今更それを言っても詮無き事である。

 

 ともあれ、そういった思惑を持って敢行した作戦は失敗に終わった。

 

 モッド体を一気に投入して攪乱を狙う、という手もあるが────────────────それは、徒に戦力を消耗する愚策でしかない。

 

 ただでさえ、この奇襲の為にミラの窓の影(スピラスキア)の「大窓」を使わせているのだ。

 

 黒トリガーとはいえトリオンも無尽蔵ではなく、特に消耗の大きな「大窓」を全体の攪乱だけに使う事は出来ない。

 

 無論必要とあれば使って貰うが、少なくとも今それをしても無駄に終わるとハイレインは判断した。

 

(あそこまでピンポイントに狙撃手を配置出来るワケがない。少なくとも、こちらの手が読まれていなければあの采配は有り得ない。加えて、既に狙撃手の姿が無いというのが不可解だ)

 

 狙撃を行った地点を射線から割り出し偵察用のトリオン兵を向かわせたハイレインであったが、その予測地点には誰一人として存在していなかった。

 

 無論周囲の路地にも人の姿はなく、今しがた狙撃を行ったばかりである筈の狙撃手が影も形もなく消えていた。

 

 これと似た現象を、ハイレインは良く知っていた。

 

(ミラの窓の影(スピラスキア)のような転移手段が、ボーダーにもある可能性が高い。そうでなければ、辻褄が合わない)

 

 部下のミラの扱う黒トリガー、窓の影。

 

 (ゲート)の機能を拡張させたかのようなそのトリガーは、マーカーさえ付けていれば対象者を任意の場所に一瞬で送り込める。

 

 今の狙撃手の采配は、そういった転移がなければ実現不可能だ。

 

 ならば、ラービットをただ展開するだけではすぐさま対処可能な人員を送り込まれてやられるだけだ。

 

 そうして徒に戦力を減らす事は、断じて許容出来ない。

 

 故に。

 

「ヒュース、エネドラ、ランバネイン。出撃だ。一人でも多く、敵の戦力を削り取れ」

 

 配下のトリガー使いに、出撃の命を下した。

 

「了解しました」

「ハッ、ようやくか。玄界(ミデン)の猿共なんぞ、皆殺しにしてやるよ」

「皆殺しかどうかはともかく、暴れて来るとしよう。猛者に巡り合えれば上々だ」

 

 三人はそれぞれの返答で応じ、席から立ちあがる。

 

 ラービットでは、玄界(ミデン)の実力者は排除出来ない。

 

 ならば、より強力な駒を当てるだけだ。

 

 トリガーの能力を限定的にコピーした模造品ではなく────────────────本物の、アフトクラトルのトリガー使いを。

 

「無力化を考慮する必要はない。障害となる兵は、全て潰せ────────────────殲滅を、開始しろ」

 

 

 

 

「少し時間がかかったな。次へ向かうぞ」

 

 南西の戦場。

 

 そこで脚部を切断され核に二振りのスコーピオンが突き刺さっているラービットの残骸を足蹴にしながら、風間は手早く移動の指示を下した。

 

 新型の情報収集もかねて行った戦闘はスコーピオンがメインの武器である三名の部隊という性質上他の部隊よりも長くなり、一足遅くラービット撃破へと至った。

 

 既にラービットを撃破した以上此処に留まる意味はなく、風間は踵を返して次の場所へ向かおうとする。

 

「…………っ!」

 

 だが。

 

 その刹那、空間に穴が開く。

 

 既に見慣れた黒い穴から出て来たのは、トリオン兵ではない。

 

 黒いマントを羽織る、頭部に角のある()()

 

 本当の意味での、近界民。

 

 ボーダーでは、人型近界民(ネイバー)と呼ばれる区分の存在。

 

「ハッ、猿共が雁首揃えてやがんな。ぶっ殺してやるよ」

 

 長身痩躯の黒髪の男────────────────エネドラは、風間達を視界に収め黒い角を怪しく光らせながら凶悪な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 同刻、東の戦場。

 

 木虎の手により仕留められたラービットを前に、嵐山隊はその全員が目を見開いていた。

 

 目の前に現れた、黒い穴。

 

 そこから出て来た存在は、知識だけは知っている。

 

 人型近界民(ネイバー)

 

「こいつらがラービットを倒したのか。存外、楽しめそうだな」

 

 そう呼称される存在が、頭部に角を生やした大柄な鬼のような男が。

 

 ランバネインが、好戦的な笑みを浮かべそのトリガーを起動させた。

 

 

 

 

「────────」

「────────」

 

 南西、警戒区域の端近く。

 

 その場所で、二人の少年が対峙していた。

 

 一人は、黒いボディスーツを纏う白髪の少年、遊真。

 

 一人は、黒いマントを羽織った茶髪の端正な顔立ちの少年、ヒュース。

 

 二人の近界民(ネイバー)は、戦場で敵として相見(あいまみ)えた。



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本番

「よう。いつも通り派手にやってるみたいだな」

「迅さん」

 

 北の戦場。

 

 かつては警戒区域の一部であり、廃棄されたとはいえ住宅街が広がっていたそこは────────────────見渡す限り何もない、一面の荒野と化していた。

 

 文字通り、建物と呼べるものが一切存在しない。

 

 かつてそこに街並みがあったなどと、誰が信じるであろうか。

 

 そんな末法の世でしか見られないような光景の中、瓦礫の上に腰かけている少年に迅は声をかけた。

 

 浮世離れした雰囲気を持つその少年の名は、天羽月彦。

 

 ボーダーが擁する規格外の戦力であるS級隊員────────────────即ち、黒トリガーの使い手である。

 

 今は彼一人となった特別な立場に座する彼は、元は同じ立場であった迅に胡乱な目を向けた。

 

「どうしたの? 迅さんの担当、此処じゃないでしょ?」

「そうなんだけど、実は天羽に頼み事をしに来たんだ。俺の担当分まで、頼めないかな?」

「えー、どうして? めんどいんだけど」

 

 天羽は迅のいきなりの申し出に難色を示し、眉を潜ませた。

 

 まあ、気持ちは分かる。

 

 いきなり「自分の分まで仕事をやってくれ」と言われて、悪く思わない者は少数派だ。

 

 この反応も、当然の結果と言える。

 

「少し、敵さんの行動が思いの他早くてね。俺が色々やらなきゃ駄目っぽい感じなんだ。あとでハンバーガー山ほど奢ってあげるし、高級チョコもプレゼントするからさ」

「そういう事なら、まあいいよ。約束、忘れないでね」

「勿論。ありがとう、天羽。助かったよ」

 

 自身の好物を交換条件に出されて了承した天羽に、迅はそう言って頭を下げる。

 

 そんな迅を見て、天羽は不意に目を細めた。

 

「変わったね、迅さん。昔は同じ色だったのに、今はまるで違う人みたい。弱くなったように見えるけど、なんだかそうとも思えないし」

「色々あったんだよ。少なくとも、良い事がね」

「そう。よくわかんないや」

 

 天羽はそれきり興味を失ったかのように立ち上がり、迅が来た西の方角に目を向けた。

 

「じゃあ、向こうは壊して来るから。迅さんも、やる事あるなら行けば?」

「ああ、そうさせて貰うよ。行って来る」

 

 迅はそう言い残し、その場を立ち去った。

 

 その後姿を見詰めながら、天羽は呟く。

 

「うん。今の迅さんも、悪くはないかな。寂しいけど、少し嬉しいのかも。あとで、詳しく聞かせて貰おうかな」

 

 

 

 

『忍田さん。ここから俺は予知をメインで動くから、忍田さんも準備お願い。タイミングはこっちで提示するよ』

 

 人型近界民(ネイバー)出現の報に激震が走る中、忍田の元に迅の通信が届く。

 

 忍田はそれを来たか、と目を細め聞き届けた。

 

 この「予知をメインにして動く」という言葉の意味は、戦闘を二の次にしてでも各所を回り未来予知を積極的に使っていく、という意味だ。

 

 迅の未来予知は一度会った相手の未来であれば離れていても予知出来るが、より精度の高い予知を行う為には繰り返し相手に会った方が良い。

 

 加えて、アフトクラトルの人間は迅にとって初対面の相手だ。

 

 彼等の未来を視る為にも、まずはその姿を視認する必要があった。

 

 現在三人のトリガー使いが出て来たようだが、これで相手の戦力が全てであるという保証はない。

 

 その為にも迅が動く必要があったのだが、当然それをすれば戦闘は二の次になる。

 

 だからこそ迅は自分の担当区域を天羽に任せ、自身は予知を第一にする動きに切り替えたのだ。

 

「分かった。他に必要な事があったら遠慮なく言ってくれ。手筈は以前話した通りで良いんだな?」

『うん、それで良いと思う。変更があればその都度知らせるよ』

 

 当然、この事は予め忍田には話を通してある。

 

 何かあれば予知メインで動く事を、既に上層部には伝えてあった。

 

 その場合の動き方も何パターンか用意して共有してある為、問題は無い。

 

 流石に迅もどのタイミングでそれが必要になるかは分からなかった為、天羽への事前の依頼は出来なかったのだ。

 

「まず、何か指示はあるか?」

『じゃあ────────を、風間さんトコに向かわせて。でないと高い確率で、風間さんが落ちる』

「了解した。そのように差配しよう」

 

 忍田は迅の言葉をそのまま自分の指示として送り、隊員を動かした。

 

 元より、この状態になった場合は迅の指示を忍田の命令として動く事を彼等の間で取り決めてあったのだ。

 

 これは城戸司令も承知の上であり、当然の事ながら一般隊員にはこの事は知らされてはいない。

 

 迅は元S級とはいえあくまで一隊員であり、ボーダーの指揮権があるワケではない。

 

 その迅の指示が直接現場に降りるというのは組織の形式上の観点から見れば少々外聞が悪い為、この事実が公開される事はない。

 

 ちなみに万が一の時の為に根付室長には事前にこの話を通してあり、彼の胃の痛み以外に抜かりはない。

 

 元々、迅の予知はボーダーでもかなり重要視される要素である。

 

 故に、彼の予知を軸にして作戦を立てている事は、正隊員達にとっては暗黙の了解のようなものだ。

 

 未来の情報を知り得る事が出来るという莫大なアドバンテージがなければ、今日までこの街の平和を守り切る事など不可能だったのだから。

 

『それから、嵐山のトコには────────を向かわせてくれ。そっちの方が、巧く行く未来が視えた』

「了解した。彼女たちが担当する筈だった区域には遊撃部隊Ⅱを向かわせよう。構わないな?」

『うん、それで良い筈だ。あと、遊真はこちらからの指示は必要ないから。()の準備も、あらかた終わったようだからね』

 

 さて、と迅が気合いを入れ直す気配がする。

 

 その真剣さが分かるような声色で、迅が告げる。

 

『────────────────ここからが、本番だ。最善を目指して、やれる事は全部やっておくとするよ』

 

 

 

 

「どう見てもクソガキ三人組だが、ラービットを殺す程度の腕はあんだろ? 頼むから、少しは楽しませてくれよな」

 

 粗野な性格を隠そうともせず、黒衣の男────────────────エネドラは、好戦的な笑みを浮かべる。

 

 その顔を見ただけで、分かった。

 

 こいつは、戦いそのものが楽しいのではない。

 

 戦いと言う過程を通して、自分の力を誇示するのが好きなのだ。

 

 遠征で向かった近界でも、似たような人間を見た事がある。

 

 軍規違反で祖国から追放された傭兵や、鉄砲玉にされる素行不良の軍人が今のエネドラと似た空気を醸し出していた。

 

 角が黒いところを見ると黒トリガーであるのは確かなのだろうが、見るからに素直に命令を聞くタイプには思えない。

 

 上官からすれば頭の痛くなるタイプの部下であり、こういう類の人間を軍がどう扱うのかは察して知れる。

 

 だが、それは今は余分な情報だ。

 

 重要なのは目の前の相手が黒トリガー、即ち規格外の武器を保持する存在であり────────────────どんな初見殺しが飛んでくるか、分かったものではないという事だ。

 

 黒トリガーはその性質上、大体の場合初見殺しの要素が強い。

 

 規格外の出力から飛び出してくる、予測不能の攻撃。

 

 それが黒トリガーを相手取る上での最大の脅威であり、それを実感する頃には首が胴と泣き別れになっている事などザラだ。

 

 黒トリガーを相手取るとなった段階で、ある程度の犠牲は許容すべき。

 

 それが近界の常識であり、黒トリガーを所持する国が狙われ難い理由でもある。

 

 遠征では、戦力の補充が困難である。

 

 故に、相手の保持する黒トリガーが想定以上の能力を備えていた場合、補給の望めない状況下で押し込まれるのを待つだけになるケースも多い。

 

 だからこそ近界では相手を追い詰め過ぎて黒トリガーを作られないよう配慮するのであり、相当国力に差がなければ黒トリガー持ちの相手に易々と喧嘩を売るような真似はしない。

 

 それだけの脅威が、黒トリガーには存在するのだ。

 

 警戒し過ぎて、やり過ぎるという事もないだろう。

 

「────────! 下です」

「!」

 

 そして、その警戒は実を結ぶ。

 

 彼等の立つ床が罅割れ、そこから漆黒の刃が出現。

 

 菊地原の声に応じた風間達は即座にその場から飛びのき、回避。

 

 床下からの刃を、傷一つなく躱し切った。

 

「────────!」

 

 それを見て、エネドラは訝し気な顔をする。

 

 彼の黒トリガー、泥の王(ボルボロス)はその特殊性・奇襲性が最大の武器だ。

 

 このトリガーは液状化させた刃を地面や壁の中を経由させ、相手の死角から攻撃を叩き込む事が出来る。

 

 通常、戦闘において前後左右を警戒するのは普通だが、()()にまで警戒を向けられる者はそうはいない。

 

 故にこの地面からの奇襲攻撃はエネドラが敵兵を暗殺する際に度々用いて来た手管であったのだが、目の前の少年たちはそれをまるで来る事が分かっているかのように避けてみせた。

 

 それが、不可解でならなかった。

 

 風間達が今の攻撃を避けられた主な要因は、二つ。

 

 一つは、地面から飛び出す攻撃に関して彼等は()()であったという事。

 

 エネドラは知る由もないが、地面を経由した攻撃という分類(ジャンル)であるならばスコーピオンを用いた派生技術であるもぐら爪(モールクロー)が存在する。

 

 故に、彼等にとって地面からの攻撃は()()()()()()()というワケではない。

 

 そういう類の攻撃が存在すると知っているのだから、警戒を怠らないのは当然の話だ。

 

 そしてもう一つは、菊地原の副作用(サイドエフェクト)強化聴覚だ。

 

 彼のその能力は周囲の音を精密に聴き分け、相手の挙動や攻撃の方角・タイミングを逐次知る事が可能なのだ。

 

「三上、菊地原の耳をリンクさせろ」

『了解。聴覚情報を共有します』

 

 加えて、菊地原の聴覚の情報を部隊で共有する事でその恩恵を風間達もリアルタイムで受ける事が出来る。

 

 こと集団戦への適正でいえば、同じく回避に利用出来る七海の感知痛覚体質(ちから)よりも余程向いているのだ。

 

「────────」

 

 菊地原は普段の悪態もつかず、無言で後ろ髪を纏め上げる。

 

 彼はサイドエフェクトを全力で活用する際、こうやって耳を隠していた髪を纏めて聴覚精度を上げているのだ。

 

 それは一種の思い込み(マインドセット)であるが、条件付けした自己暗示というものは時に想像以上の効果を生む。

 

 理屈としては何の意味もなくとも、彼が()()()()()()()()()()()()と思い込んでさえいれば集中力の向上に繋がり結果的にプラスに繋がるのだ。

 

「ち…………っ!」

 

 しかし、そんな風間隊の事情はエネドラには分からない。

 

 彼は再度壁を経由して攻撃を行うが、またもや風間隊の面々は即座に回避行動を取り刃は空を切る。

 

 ただ、攻撃を避けられただけ。

 

 されどそれは、これまで初見殺しの塊である泥の王(ボルボロス)を用いて敵兵を虐殺して来たエネドラにとって、苛立ちを加速させるには充分過ぎた。

 

「────────」

 

 されど。

 

 兵士としての冷徹な思考は、そんな苛立ちの中でも消えはしない。

 

 トリガー(ホーン)の副作用によって思考が侵食されているエネドラではあるが、身体に染み付いた兵士としての性は残っている。

 

 故に、今は攻撃を繰り返す。

 

 敵を罠に嵌める、千載一遇の機を待つ為に。

 

 

 

 

『無理はするな。まずは敵の能力を見極め、情報を得る事に専心してくれ』

「了解」

 

 忍田の指示を受け、嵐山は銃を構えた。

 

 視界の先には黒い穴から現れた大柄な男────────────────アフトクラトルのトリガー使い、ランバネインがいる。

 

 頭部に角を持つ異形の男は、嵐山隊と十数メートルの距離を置いて対峙していた。

 

「銃を使うか。だが、撃ち合いならば────────」

 

 ランバネインはそう告げて嵐山達を一瞥するとニィ、と笑みを浮かべた。

 

「────────!」

 

 あの目は、識っている。

 

 太刀川や米屋のような戦闘狂(バトルジャンキー)が見せる、戦いに悦を見出す者の闘志。

 

 それが凝縮された視線を向けられ、嵐山は即座に次の行動を決めた。

 

「攻撃が来る…………ッ! 防御じゃない、()()()()…………っ!」

「────────────────俺の雷の羽(ケリードーン)に勝てるものは、そうはいないぞ」

 

 その言葉と、同時。

 

 ランバネインの右腕に出現した巨大な砲塔が、火を噴いた。

 

 凄まじい弾速の弾丸が、連射される。

 

 その弾幕が直撃する寸前、嵐山と時枝はテレポーターを起動。

 

 一気に十数メートルの距離を転移し、弾丸を回避。

 

 木虎もまたスパイダーガンを用いて自身を跳躍させ、攻撃を回避。

 

 その、直後。

 

 彼等のいた場所にランバネインの弾丸が着弾し、そこにあったトリオン兵の残骸を跡形もなく吹き飛ばした。

 

 もしも回避ではなく防御を選んでいれば、シールドごと貫かれやられていただろう。

 

 弾速がかなり速く、威力に至っては恐らくイーグレット並かそれ以上。

 

 少なくとも、一人が張れるシールドで防ぎ切れるような代物ではない。

 

 しかもそれが()()されるのだから、こちらとしてはたまったものではない。

 

 ただ速く、重く、強い。

 

 シンプルなトリガーだからこそ、下手な抜け道は存在しない。

 

「今のを避けたか。どうやら、退屈せずに済みそうだな」

 

 ランバネインは攻撃を避けてみせた嵐山隊を見据え、凄絶な笑みを浮かべる。

 

 こうして、各所で人型近界民(ネイバー)との戦闘が開始された。

 

 戦争は、此処からが本番となる。



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投入

「────────」

「────────」

 

 遊真とヒュース、二人の近界民が睨み合う。

 

 片や傭兵、片や軍人。

 

 共に戦闘中に無駄な会話を行うような性格ではなく、戦うとなれば遊びの余地は一切ない。

 

 故に。

 

『射』印(ボルト)

蝶の盾(ランビリス)

 

 前口上など何もなく、戦闘が開始された。

 

 遊真は様子見として、黒トリガーで射撃を撃ち放つ。

 

 相手の能力が分からない以上、迂闊に懐に飛び込むのは愚策。

 

 だからこそ、射撃は牽制として最も安定した攻撃手段となる。

 

 それを。

 

 ヒュースが展開した無数の黒い礫の塊が硬化して盾となり、遊真の射撃を防ぎ切った。

 

 様子見の攻撃とはいえ、黒トリガーによる射撃である。

 

 当然出力はノーマルトリガーの比ではなく、普通のシールドであれば貫通して然るべきだ。

 

 だが。

 

 ヒュースの黒い盾は、それを見事に()()()みせた。

 

 受け止めた、のではない。

 

 まるで光を反射する鏡のように、射撃が横に弾かれたのだ。

 

(射撃に対する反発効果…………? 『射』印(ボルト)は、これ以上撃っても無駄かな。あの那須って人が撃ってた曲がる弾ならすり抜けられそうだけど、こいつにああいう変則的な動きは出来ないしね)

 

 それを見て、遊真は即座に下手な射撃は無効と判断。

 

 戦うなら肉弾戦をメインにする────────────────という即断は、しない。

 

 射撃に対する明らかなメタである盾を持っている以上、それが近接戦闘へ誘い込む為の誘導である可能性がある。

 

 本当なら今の攻撃を回避させる事で体捌きのレベルを見たかったところだが、防御されてしまったのでそれも叶わない。

 

 体捌きのレベルさえ分かればもう少し選択肢が増えたのだが、そこは割り切る他ない。

 

 まだ、必要な情報は集めきってはいない。

 

 ならば。

 

『錨』印(アンカー)『射』印(ボルト)

 

 第二の攻撃で、それを確かめれば良い。

 

 遊真は再び、射撃を撃ち放つ。

 

 先程と同じ攻撃、そのように見える射撃を。

 

「────────」

 

 ヒュースはその攻撃を、同じように黒い礫を集めた盾で防御する。

 

 漆黒の盾に着弾する、遊真の弾丸。

 

 そして、同時。

 

 その盾に、無数の重石が撃ち込まれた。

 

「…………!」

 

 ヒュースはそれを見て、即座に盾を解除。

 

 同時に、後ろに飛び退いた。

 

 盾は再び無数の細かな礫と化し、撃ち込まれていた盾がなくなった事で重石が落下する。

 

 どうやら、今の重石を爆弾か何かのようなものと誤認したのだろう。

 

 盾に着弾すると同時にその場で爆弾となり、防御を貫通する攻撃。

 

 そのように思考を巡らせ、ヒュースは後退したのだ。

 

 蝶の盾(ランビリス)は確かに汎用性が高いトリガーだが、決して無敵ではない。

 

 その能力は使い手次第で宝にもゴミにもなり、常に思考を止めずに運用しなければならない類の玄人向けのトリガーである。

 

 なまじ多様な機能を持つからこそ、生半可な腕では使いこなせはしない。

 

 だからこそヒュースは未知の攻撃に対し、即座に後退の判断を下した。

 

 彼に、エネドラのような攻撃性塗れのプライドはない。

 

 勝つ為ならばどんな事だろうとやるし、それが軍人たる自分のあるべき姿だと考えている。

 

 だから、必要とあらば後退する事にもなんら忌避感はない。

 

 結果として推察は外れはしていたが、その動き自体は間違ってはいない。

 

(着弾したって事はあの盾はボーダーのシールドと違って、エネルギーの塊とかじゃないみたいだね。それに、今ので後退するって事は典型的な軍人タイプ。しかも、かなり頭の回転が速いな)

 

 そのヒュースの動きの理由を即座に看破しつつ、遊真は目を細めた。

 

 遊真の使用する(アンカー)は三輪の鉛弾を参考にした印であり、そちらと同様にシールドを透過する性質を持つ。

 

 だが、透過するのはあくまでエネルギーで構成されたシールドだ。

 

 エスクードのように物質化した障害物(オブジェクト)であれば、その場で重石に変化する。

 

 あの黒い盾に着弾して重石になったという事は、あの砂はエネルギーの塊ではなく物質化した()()だ。

 

 恐らく、これが敵の能力を知る為の鍵の一つとなるだろう。

 

 相手の挙動、戦闘の中で起きた結果を分析し、勝利へ繋がる行動を模索する。

 

 それが傭兵として生き抜いて来た遊真の基本的な思考傾向であり、そこに無駄は一切ない。

 

 何処までも効率的に、勝利への道を模索する。

 

 それが出来るからこそ、遊真はこれまで生き延びて来たのだから。

 

(今の後退で相手の思考傾向や体捌きのレベルも、なんとなく分かった。ああいうタイプなら、会話で意識誘導するのも手だな)

 

 あそこで後退したという事は、常に思考を回す理論と効率で戦闘を回す自分と同じタイプの人間だと思われる。

 

 近界の戦争は、少数精鋭による戦闘が基本だ。

 

 特に、アフトクラトルのように侵攻に重きを置いている以上それはより顕著となる。

 

 防衛する側は本国の戦力を潤沢に使えるのに対し、攻める側は少ない戦力でそれを突破しなければならない。

 

 故に、基本的にアフトクラトルのような軍事国家の軍人は捨て身の戦法を行わない。

 

 捨て身で得られる戦果よりも、大抵の場合精鋭を一人失うデメリットの方が大きいからだ。

 

 近界はボーダーと違い、緊急脱出(ベイルアウト)が存在しない。

 

 つまり戦場での負けはそのまま死に繋がり、貴重な兵力をみすみす失う事になる。

 

 だからこそ、愛国心の強い者ほど作戦の時は慎重な姿勢を見せる。

 

 リスクヘッジを常に意識し、「失敗しない」事を念頭に置いて行動する。

 

 愛国心の強い軍人には、こういったタイプが多い。

 

 自分一人の損失がどれだけ部隊の負担になるかを、常々知っているのだから。

 

 この手の人間は必要とあらば選択を躊躇いはしないが、かといって博打は打たずに堅実な手を好む。

 

 つまり、戦況の有利不利で精神がブレる事が殆どない。

 

 好機は決して逃さないし、不利とみれば速やかに撤退する。

 

 そういった割り切りが出来るのが、近界での優れた軍人の条件なのだから。

 

 故に、会話での意識誘導は有効なのだ。

 

 こういった自分が感情的ではないと思い込んでいるタイプは、精神の均衡が崩れれば簡単に隙を見せてくれるのだから。

 

 問題は、この少年の精神を()()()に足る情報を遊真が持っていない事だが。

 

 恐らく、戦況の多寡程度では彼は眉すら動かさないだろう。

 

 信頼のおける絶対的な戦力が倒された、といった展開にでもなれば話は別だろうが、そうでもなければまず揺れはしないだろう。

 

(戦いの中で探ってはいくけど、あれば儲けもの、くらいに考えておいた方が良いな。希望的観測に頼るべきじゃない)

 

 しかし、そこに拘泥し過ぎて負けてしまっては本末転倒だ。

 

 持てる手札で勝利への道筋を模索し、戦闘の中で得られた情報を組み込んでその都度戦術制度を上げていく。

 

 それがベストな方法であり、遊真が今までやって来た事だ。

 

 何も、難しい事はない。

 

 これまでやって来た事を、これまで通りにするだけだ。

 

 無論、敵を侮る事はしない。

 

 このような大規模な戦争で、満を持して投入された戦力なのだ。

 

 普通に考えて弱い筈がないし、遊真の勘も彼は強いと言っている。

 

 油断はしない。

 

 けれど、チャンスは逃さない。

 

 重要なのは、その二つ。

 

「────────!」

「────────!」

 

 そんな事は最初から分かっていた二人は、すぐさま戦闘を再開。

 

 二人の少年兵の戦いが、本格的に始まった。

 

 

 

 

「隊長、予定通りの地点に送り込めました。ただ、まだ敵は一人も撃破出来てはいません」

「ラービットを撃破出来る、強兵のいる場所に送ったのだ。そういう事もあるだろう」

 

 ミラの報告に、ハイレインは淡々と答える。

 

 ラービットだけを投入しても明確な戦果は得られないと判断したハイレインは、エネドラ達の前線投入を決定した。

 

 高性能なラービットを、仮にも倒す程の相手だ。

 

 瞬殺出来ないとしても、おかしくはないだろう。

 

 ランバネインは顔に似合わず慎重な戦略を好むので時間制限をかけなければ戦闘が長引き易く、エネドラも相手を嬲る悪癖がある。

 

 ヒュースもどちらかといえば防御的な戦術傾向なので、仮にランバネインの射撃を避ける程度の腕がある相手であれば時間稼ぎに徹すればある程度は逃げ続けられるだろう。

 

(しかし、エネドラの黒トリガーは初見殺しに向いているし、ランバネインの射撃も避けようと思って避けられる類のものではない筈だ。ヴィザ翁の言う通り、玄界(ミデン)も着実に進歩しているというワケか)

 

 ハイレインはランバネイン達が敵を瞬殺出来なかった事を鑑みて、警戒レベルを引き上げた。

 

 アフトクラトルの誇る精鋭たちを送り込めば、充分な戦果はもぎ取って来るだろう。

 

 そういう楽観が心の何処かにあった事は、否定出来ない。

 

 最も年若く未熟なヒュースとて、並の小国のエースよりは余程高い潜在能力を持っている。

 

 場合によってはその戦力を捨てていかなければならないのが悩ましいところだが、閑話休題(それはともかく)

 

 玄界の戦力が想像以上に充実している事は、認めざるを得ないだろう。

 

「────────」

 

 ハイレインはチラリと、人が少なくなった遠征艇の中静かに佇むヴィザに視線を向ける。

 

 恐らく、ヴィザを戦場に投入すれば盤面はひっくり返るだろう。

 

 国宝の使い手とはそういう類の駒であり、切りどころを間違えるワケにはいかない切り札でもある。

 

 もしも万が一ヴィザが破れ、星の杖(オルガノン)を鹵獲されるような事があれば二重の意味でハイレインの首はないものと思った方が良いだろう。

 

 無論、彼が負ける姿など想像も出来ない。

 

 これまで数々の戦場を渡り歩き、星の杖を持っていなかった頃から剣聖として名を馳せていた武人だ。

 

 その矜持は文官であるハイレインには理解出来ないものの、得難く替えの利かない戦士である事は言うまでもない。

 

 そんな特別な駒を、すぐに戦況が変わらない、程度で投入して良いのか?

 

 ────────────────断じて否。

 

 彼を投入すべき局面は、此処ではない。

 

 少なくとも金の雛鳥が発見されるか、考えたくはないがヴィザ翁でなければ対処出来ない局面になってからでも遅くはない。

 

 出し惜しむつもりはないが、濫用は出来ない。

 

 最善を目指すのではなく、最悪に備える。

 

 その心構えを崩せば、ハイレインの戦術の前提がなくなるも同然なのだから。

 

 そして、何もヴィザを出すだけが戦術ではない。

 

 現在、ランバネイン達はラービットを撃破した強兵の元で戦闘を行っている。

 

 彼等が早々に負けるとは思えないが、万が一はある。

 

 戦力の純粋な数と言う点で玄界はアフトクラトルよりも優れているのだから、それを警戒しないという事は有り得ない。

 

 三人共多人数戦も難なくこなせるトリガーを持っているが、実力者が集まればその分負担がかかるのは確かであり、延々と援軍を送って来られるのは避けたいところである。

 

「ラービットを、今から言う地点に投入しろ。最悪でも、時間稼ぎが出来ればそれで構わん。三人が玄界(ミデン)の兵を倒すまでの間、横槍が入らなければそれで良い」

「了解しました」

 

 故に、戦力を多少損耗してでも横槍を防ぐ。

 

 ラービットは確かに玄界の兵に倒されはしたが、先程の様子を見る限り単独でそれが可能な者はそこまで多くはない筈だ。

 

 ならば、数に頼るのが最も効率的である。

 

 ラービットを対処出来る兵の数が少ないのであれば、それ以上の物量で押してしまえば良い。

 

 その数少ない実力者を現在ランバネイン達が抑えている今だからこそ、物量作戦は効果が見込める。

 

 無論、ラービットが十全に仕事が出来る環境とまでは考えてはいない。

 

 だが、戦況の悪化を防ぐ一助にはなる。

 

 今は、それで充分。

 

 そう考え、ハイレインはラービット投入を命じた。

 

 

 

 

「ほぅ」

「ゾロゾロ来たねぇ。これはウザい」

 

 南東の戦場。

 

 そこでラービットを撃破し、次へ向かおうとしていた二宮隊の面々は目の前の光景に目を見開いた。

 

 黒い門から現れる、三体のラービット。

 

 しかもそれは、先程のものとは()が違う。

 

 明らかな、特殊個体。

 

 それが、三体同時。

 

 犬飼でなくとも、舌を巻く光景と言えるだろう。

 

「あの灰色の個体は砲撃を撃つらしい。他二体も何らかの能力を持っている筈だ。注意して対応しろ」

「犬飼了解」

「辻了解」

 

 しかし、だからといって彼等のやる事に変わりはない。

 

 二宮隊の面々は余裕を崩さず、されど警戒は解かず。

 

 現れた三体のラービットとの戦闘を、開始した。

 

 

 

 

「各所にラービットの特殊個体が出現。数が多く、対処が間に合わない可能性があります」

 

 基地の作戦室で、沢村の言葉が響く。

 

 MAP上に点滅する、新たなラービットの反応を示す光点。

 

 それが一斉に増えた様子を見て、忍田はいや、と頷く。

 

「心配ない。慶は既に向かわせたし、他の隊員も間もなく現着する」

 

 それに、と忍田は顔を上げる。

 

 そして。

 

「ボーダー最強の部隊も今、現場へ到着したそうだ」

 

 確かな信頼を以て、その一言を告げた。



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小南桐絵⑥

「マズイわね。硬いし、引き離せないわ」

「ええ、でももう少しです。捕まらない事を第一に動きましょう」

 

 警戒区域の路地を、照屋と虎太郎は全速力で駆けていた。

 

 これまでは避難誘導を指揮している柿崎から離れ、トリオン兵の駆除に当たっていた二人であるが、そこにラービットが現れた事で止む無く逃げを選んでいた。

 

 既に本部から、一部を除くB級隊員は決して自分達だけでラービットと戦闘を行わないように厳命されている。

 

 故に二人が撤退を選ぶ事に躊躇はなかったし、それが間違っていたとは思っていない。

 

 想定内だったのは、ラービットの性能と、その()

 

 最初は一体だけだったラービットだが、逃走を開始してからその数は3体にまで増加した。

 

 これは恐らく彼等が逃走し、移動した事によって大量投下されたラービットをかき集める形になってしまった事に依るものだろう。

 

 問題は、それが通常個体だけではなかった事だ。

 

 最初に遭遇したラービットは白いボディの通常個体であったが、次にエンカウントしたのは灰色の砲撃型のラービットであった。

 

 更にそこに紫の液状ブレードを操るタイプのラービットまで現れ、二人は追い込まれていた。

 

 二人の実力は低くもないが、B級上位以上の実力者組と比べると単騎での戦闘能力は及ばず、そしてラービットのような強力な装甲を持つ相手との相性も悪い。

 

 彼女たちが真価を発揮するのは対人戦であり、相手を攪乱する遊撃要員としての能力は高い。

 

 しかし強固な装甲を持つラービット相手ではそもそも攻撃が通らない為、彼女たちの能力が通用する相手ではないのだ。

 

 そんな彼女たちが曲がりなりにも複数体のラービットを前にしてやられていないのは、柿崎の下で徹底的に生存能力を引き上げられていたからだ。

 

 柿崎の指導方針は基本的に生存を最優先とした動きの徹底であり、格上相手との生き残り方もある程度レクチャーされている。

 

 迅や生駒といった実力者と親しい柿崎は、そういった格上相手との模擬戦経験も豊富であった。

 

 自分の実力不足に思い悩む柿崎に迅が直々に「戦場での生き残り方」を指導した事もあり、そのノウハウをものにした彼は自分の部下にもそれを伝えていた。

 

 そして二人はそれを過不足なく学び取っており、その甲斐もあってラービット相手への撤退戦が成立していた。

 

 しかし、幾らノウハウを身に着けたからといって数と質の差はどうにもならない。

 

 三機ものラービットを相手に、彼女たちの奮闘は早くも限界を迎えつつあった。

 

 元より、格上複数相手に生存出来ている時点で奇跡的なのだ。

 

 格上の個体だけならばなんとかなったかもしれないが、格上の集団となるとまるで話が変わる。

 

 質で負けている上に数の利まで失ってしまえば、残る結果は蹂躙だけだ。

 

 柿崎の教えた生存方法も攻撃を半ば放棄して安全区域まで逃げ切る事がメインであり、相手の方が足が速くこちらを性格に追撃出来る以上、いつまでも保つものではない。

 

 間に合わなければ自発的な緊急脱出(ベイルアウト)も視野に入れざるを得ないが、それをしてしまえば通常のトリオン兵の駆除の人員が足りなくなる恐れがあるので出来れば控えたいところである。

 

「間に合った」

 

 それに。

 

 この戦闘の結果は、既に決定している。

 

 彼女たちが、()()()()辿()()()()()事によって。

 

「────────メテオラ」

 

 少女の涼やかな声と共に、降り注ぐ爆撃。

 

 それを腕部でガードした白い通常個体のラービットは、新たな襲撃者を目視する。

 

 それは、少女の形をしていた。

 

 少女の名は、小南桐絵。

 

 玉狛支部のエース攻撃手(アタッカー)であり、ボーダーでも最強格の戦闘員の一人。

 

 普段は長髪にしている髪は旧ボーダー時代の頃のようにショートに変わっており、足を露出した動き易い緑の隊服へと変化している。

 

 紛う事なき、小南の戦闘形態。

 

 その手に持つ手斧の名は、双月。

 

 玉狛支部謹製の特殊なトリガーであり、小南の主武装である。

 

接続器(コネクター)、ON」

 

 その双月が、一つに連結される。

 

 二振りの手斧から形を変え、身の丈以上ある大斧へと。

 

「せー、のっ!」

 

 そして、小南は。

 

 その大斧を振り下ろし、ラービットを一刀両断。

 

 散々照屋達を苦しめた強敵を、瞬殺してのけた。

 

「助かりました。ありがとうございます」

「別に良いわ。此処はあたしが引き受けるから、早く行って。取り敢えず、こいつら全部ブッた斬るから」

「分かりました。ご武運を」

 

 ラービットの残骸を前に、照屋と虎太郎は一礼してその場から去っていく。

 

 標的の逃走に追撃をしようとするラービットだが、そんな真似を許す程小南は甘くはない。

 

 凄絶な笑みを浮かべ、大斧を握り締めた。

 

「アンタ等の相手はあたしよ。ブッた斬ってやるからかかって────────────────ううん、その必要もないわね。さっさと壊しましょう」

 

 言うが早いか、小南はダンッ、と地面を蹴ってラービットに突撃した。

 

 標的は、灰色の砲撃型ラービット。

 

 迫りくる小南を前に、遠距離型である砲撃型ラービットはブースターを噴射し、空へと逃げる。

 

 だが。

 

「無駄」

 

 その程度、小南には何の関係もない。

 

 すぐさまラービットを追い、跳躍する小南。

 

 追い縋って来た小南に対し、ラービットは砲撃を放つ。

 

 いや。

 

 正確には、放とうとした。

 

「メテオラ」

 

 だが、その砲撃は中断される。

 

 速度重視でチューニングされたメテオラが、砲撃をしようとしていたラービットの口内へ着弾。

 

 歯を閉じる間もなく核を爆破されたラービットは沈黙し、墜落する。

 

『────────』

 

 そこへすかさず、液状化ブレードを操るラービットが地面から急襲する。

 

 空中で身動きの取れない小南を、確実に仕留める為に。

 

「ほいっと」

 

 しかし、小南は墜落するラービットのボディを蹴り飛ばし、横へと跳躍。

 

 紫のラービットの攻撃は空を切り、その間に小南は地面へ着地する。

 

「────────」

 

 双月、一閃。

 

 着地と同時に振るわれた大斧の一撃により、ラービットは一刀両断。

 

 三機目のラービットも、小南の手により瞬く間に斬り倒された。

 

 A級すら単騎ではやられかねないラービットの特殊個体を含めた三機を、瞬殺。

 

 これが、小南桐絵。

 

 ボーダー最強の部隊、玉狛第一の一角であるエース攻撃手(アタッカー)

 

 迅と同じく地獄の戦場(アリステラ防衛戦)を潜り抜けた、歴戦の古強者である。

 

「大した事ないわね。冬島さん、次行くわ」

『良いのかよ? 確かにそこに設置してはあるけど、敵にバレちまうぜ?』

「どうせこれまでの戦闘で気付かれてるわよ。なら、使わないと損じゃない。あたしが斬って回った方が早いんだから、さっさとする!」

 

 了解、という冬島の返事を聞き、小南は近くの路地に飛び込み地面に右腕を叩きつけた。

 

 すると地面に仕込まれていたトリガーが起動し、ボーダーのマークが浮かび上がると同時に小南の姿がその場から消える。

 

 そして、刹那の後。

 

 小南の姿は、先程の場所から大きく離れた基地の南部に在った。

 

 何が起きたか、言うまでもない。

 

 転移の機能を持つ特殊な特殊工作兵(トラッパー)専用トリガー、スイッチボックス。

 

 その改造版を利用し、転移を実行したのだ。

 

 今回の大規模侵攻にあたり、冬島が鬼怒田開発室長と連携して準備していたのがこの改造版スイッチボックスの設置である。

 

 当初は大規模侵攻開始直後のトリオン兵の迎撃の為に罠を設置する予定であったが、迅の進言によってその役割が遊撃部隊に割り振られた為、二人はこちらを準備する時間が出来た。

 

 通常のスイッチボックスは冬島のトリオンを用いて起動するのだが、このスイッチボックスはボーダー基地のトリオンを使用して稼働している。

 

 更に玉狛支部との交渉により千佳からの事前のトリオン大量供与があった為、転移を濫用してもそう簡単にトリオン切れに陥る心配はない。

 

 その代わりに玉狛へは色々と便宜を図る事になったが、この大規模転移装置の設置に成功した事を思えば些細な事だ。

 

 二宮隊や風間隊が即座に現場に駆け付ける事が出来たのもこのスイッチボックスの恩恵であり、当真やユズルがラービットに即応出来たのも同様である。

 

 流石に到着までの時刻が早過ぎる事と、突如出現したラービットに即対応出来た事から敵にはもうバレていると考えた方が良いだろうと小南は考察している。

 

 こういう時は希望的観測でものを言うのではなく、悪い可能性を片っ端から勘案していくべきであると彼女は戦場の経験から知っていた。

 

 戦場というものは、常に予想外(イレギュラー)と隣り合わせだ。

 

 定石、なんてものを信じた者から想定外の事態に遭遇して死んでいく。

 

 それが戦場の無情な現実であり、小南はそんな地獄を生き延びた兵士である。

 

 戦場ではどれだけ現状を即座に理解し、適応出来るか。

 

 これが、全てなのだ。

 

 最善の対応を取れなかった者から死神の鎌が伸びていき、楽観を抱いた者から死んでいく。

 

 だからこそ、()()()()()()()()は常に意識し、何が起きても即応出来るようにしておかなければ話にならない。

 

 それを戦場で直に学んだからこそ、小南は生きて此処にいる。

 

 その戦場のルールを知る者だからこそ、小南は対応を間違えない。

 

 敵に転移の存在を確信させる事よりも、小南のラービット殲滅が遅れる方が全体にとって不都合(デメリット)が大きい。

 

 即座にそう判断した小南だからこそ、躊躇なく転移を実行したのだ。

 

「いたわね」

 

 視線の先には、王子隊を襲うラービット三機の姿がある。

 

 王子達はハウンドで牽制しつつ距離を取っているようだが、ラービットの装甲の硬さから致命打を与えられず、苦戦しているようだった。

 

王子(オージ)、そいつ寄越して」

「来てくれたか、ミッキー」

 

 相変わらずのネーミングセンスを炸裂させる王子の前に立った小南は、無造作にラービットへ踏み込み双月を一閃。

 

 先程と同じようにラービットを両断し、来て早々に一機を瞬殺してのけた。

 

 鮮やかな手並みに圧倒され目を見開く樫尾を尻目に、小南は王子に向き直る。

 

「王子、こいつらあたしが斬っておくから王子達も准と合流しに行って。射程持ちが欲しいみたいだから、丁度良いでしょ」

「それは、忍田本部長の判断かい?」

「迅の判断よ」

「そうか。了解した。指示に従おう」

 

 王子はこくりと頷くと、蔵内と樫尾を連れてその場から離脱した。

 

 その間にラービットは残り二機から四機、六機と増えており、どうやら厄介な敵と認定した小南を囲んで叩く算段らしい。

 

 普通であれば、ラービット六機など過剰戦力も良いところだ。

 

 一機だけでもA級を食いかねないというのに、それが六機。

 

 まともな戦力では、引き潰されて終わりだろう。

 

「くたばりなさい」

 

 小南が、()()()()()()の範疇に収まる存在であれば、の話であるが。

 

 無造作に踏み込み、双月を一閃。

 

 まずは一機、とばかりに近くにいたラービットを両断した小南は、残るラービットを視界に収め目を細める。

 

 一機目を破壊した小南を倒さんと、二機の砲撃型ラービットから砲撃が放たれる。

 

 二方向からの砲撃を、小南は真横へ跳躍する事で回避。

 

 そのまま移動先にいたラービットを一刀で斬り伏せ、撃破。

 

 返しの一撃で近くのラービットの頭部を粉砕し、残り二機となった砲撃型へと向き直る。

 

 この戦争が迅の言う最善の未来へ向かう為の分水嶺だという事は、既に聞いている。

 

 失敗すればどれだけの被害が出るか想像も出来ない故に、小南としては納得しかなかった。

 

 何せ、規模で語るのであれば四年前のあれよりも上なのだ。

 

 放置すればどんな地獄絵図が広がるかなど、言うまでもない。

 

 だからこそ、小南に手を抜く理由は一切存在しない。

 

 あの(バカ)が、全霊を賭している戦いなのだ。

 

 彼を何が何でも支え続けると誓う小南にとって、敵は────────────────アフトクラトルは、邪魔者でしかない。

 

 否、それは的確な表現ではない。

 

 邪魔者、どころか忌むべき障害物だ。

 

 迅があんなにも焦がれている最善の未来の前に立ちふさがる、空気を読まない壁のようなもの。

 

 彼等にどんな事情があるかなど知った事ではないし、仮に知ったところでやる事は変わらない。

 

 自分は、迅の剣なのだ。

 

 四年もの間時計の針が止まっていた迅が、今ようやく前を向くようになったのだ。

 

 その笑顔を守る為ならば、小南に刃を振るう事に躊躇いなどあろう筈もない。

 

 傍で支え、守り()()()

 

 あの時、玲奈が出来なかった事を。

 

 今度は、自分が違う形でやり遂げるのだ。

 

 敵が多い? 関係ない。

 

 敵が強い? それがどうした。

 

 それを斬り払うのは自分の役目であり、細かい事はそれが得意な相手にぶん投げれば良い。

 

 自分が出来る最善はより多くの敵を斬り払う事であり、それ以上でも以下でもない。

 

「さあ、未来(みち)を空けなさい。邪魔する奴は全部、あたしが叩き切ってあげるわ」

 

 小南は双月を振るい、次から次へとラービットを駆逐していく。

 

 少女の形をした一人の戦士は、想いの為に刃を振るう。

 

 ラービットは、小南によって一機、また一機とその数を減らしていった。



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出陣

「旋空弧月」

 

 西の戦場。

 

 そこで太刀川の旋空が炸裂し、一機のラービットが両断される。

 

 B級では対処すら難しいであろう相手を、いとも容易く最強の剣士は斬り捨てる。

 

 強固なラービットの装甲も、的確に旋空の先端を当てさえすれば斬る事が出来る。

 

 しかし、それは誰にでも出来る事ではない。

 

 まず、機動力の高いラービット相手に正確に旋空の先端が当たるようにしなければならず、放つ間に懐にでも入られればそれだけで致命傷だ。

 

 そもそも旋空自体取り回しのし難い攻撃であり、それをこうまで扱える者は少ない。

 

 太刀川はボーダーの攻撃手の中でも旋空使いとしては群を抜いており、生駒旋空のような射程距離の拡張までは出来ないが、こと()()()()事において彼の右に出る者はいない。

 

『────────!』

 

 ラービットを容易く斬り伏せた太刀川の背後から、二機のモッド体が襲い掛かる。

 

 片方は灰色の、砲撃型。

 

 片方は黄土色色の、磁力型。

 

 如何に太刀川といえど、まともに攻撃を食らえばただでは済まない。

 

「旋空弧月」

 

 但し。

 

 太刀川が、トリオン兵の攻撃を食らう事があればの話だが。

 

 2体の攻撃が炸裂する直前、太刀川は二刀を引き抜き旋空を二連。

 

 二振りの刃の斬撃により、二体のラービットは一撃で核ごと両断され沈黙する。

 

 戦闘開始より、数秒。

 

 たったそれだけの時間で、太刀川はラービット三機を瞬殺していた。

 

「なんだ、追加は来ないのか。シケてやがんな」

 

 太刀川は弧月を納刀しながら、つまらなそうに呟く。

 

 A級ですら手こずるであろうトリオン兵の強化型と聞いて割と楽しみにしていた太刀川であったが、何の事はない。

 

 要は()()()()()()()()()()()()だけで、今のところ苦戦らしい苦戦をする気配はなかった。

 

 そも、トリオン兵がボーダー隊員にとってさしたる脅威ではないと言われる理由の一つに、行動の規則性がある。

 

 トリオン兵は近界民(ネイバー)が扱う自立兵器であり、その行動はプログラムによってパターン化されている。

 

 たとえばバムスターの場合は標的を見つけ次第障害物を無視してそれを捕らえにかかる事を最優先に設定されており、命令の直接入力がない限りは動きを読む事は容易い上にそもそも鈍重なので撃破に手こずる事はまず無い。

 

 モールモッドは戦闘用である為ある程度の種類の行動パターンが組み込まれているが、それらは既に研究された後であり、正隊員にとってはさしたる相手ではない。

 

 ラービットの戦闘プログラムはそれらと比べればかなり高度ではあるが、「標的の無力化・捕獲」を最優先としている事は変わらない。

 

 捕獲用のトリオン兵である為、直接の命令がない限りは敵の部位破壊を狙い、初撃で急所を狙って来る事は殆どない。

 

 モッド体の行動パターンはプレーン体よりも戦闘向きに構築されているが、それでも無力化と鹵獲を第一に設定してある事に変わりはないのだ。

 

 ラービットは、他のトリオン兵と比べ莫大なコストを用いて製造されたトリオン兵だ。

 

 当然、()()を出さなければ投じた費用(コスト)は回収出来ず、この場合の成果とは「標的の鹵獲」を指す。

 

 アフトクラトルからしてみれば、敵を何人倒そうがそれが直接の利益に繋がる事はない。

 

 あくまでも利益が生じるのは標的を()()した時であり、撃破を優先してしまってはわざわざ高いコストを投じてラービットを製造した意味がない。

 

 第一目標を「神」の候補者の鹵獲としているハイレインであるが、あわよくば有能な敵兵を捕獲して旗下に加えたいという考えもあった。

 

 故にラービットの最優先行動目標は「標的の捕獲」のまま変えておらず、問答無用で撃破を狙うようにはプログラムされていない。

 

 だからこそ、太刀川からすれば手緩いと感じていた。

 

 一撃で殺しに来ない敵など、彼からすれば舐めているにも程がある。

 

 ラービットの最も厄介な点は、その装甲の強度と機動力だ。

 

 並大抵の攻撃では装甲を突破する事が出来ず、機動力が高いので逃げ切る事も難しい。

 

 だが、太刀川からすれば先制攻撃で一撃粉砕すれば良いだけの相手でしかない。

 

 ラービットは攻撃面も強力ではあるが、プレーン体は徒手空拳しか攻撃手段がなく、磁力型や液状刃型は攻撃にタイムラグがある為その隙に撃破する事など太刀川にとっては造作もない。

 

 砲撃型はそもそも攻撃時に弱点を露出してしまうので、隙を突く事は容易い。

 

 これらは全て太刀川基準の視点であるが、彼に限って言うならばこの考えも間違ってはいないのだ。

 

 他の者が真似出来るかはともかくとして、()()()()()()()()のだから。

 

 これが、A級一位。

 

 あの迅と鎬を削り合った、ボーダー最強クラスの剣士の基準点(じょうしき)である。

 

「そういや、小南も出てるんだっけか? あいつは今何体斬った?」

『今、12体目を撃破したトコだねー。まだまだ増えそうだよー』

「マジか。俺もうかうかしてらんねーな」

 

 だが、同じレベルの事が出来る者は皆無ではない。

 

 小南もまた、太刀川と同じくラービットを雑兵扱い出来る実力者。

 

 そんな彼女が、自分を超えるスピードで撃破数(キルスコア)を稼いでいるのだ。

 

 太刀川は知らず口元に笑みを浮かべ、弧月の柄を握り締めた。

 

(今回は、(あいつ)の大一番だからな。小南の奴も気合い入りまくりだろ。この感じなら忍田さんが出て来るのもそう遠くないみたいだし、俺も負けねーように斬りまくるか)

 

 今回の大規模侵攻が、迅がこれまでに積み重ねて来たものの総決算である事は知っている。

 

 彼とは鎬を削るライバル同士であるが、同時に得難い悪友でもある。

 

 その彼が、太刀川が一機でも多くこの新型を撃破する事が最大の貢献になると、そう言っていたのだ。

 

 細かい判断は任せると言っていたが、そう期待されては応えないワケにはいかない。

 

 迅悠一の好敵手(ゆうじん)として、小南に負けないだけの戦果を叩き出す。

 

 そう意気込んで、太刀川は国近に通信を繋ぐ。

 

「国近、次の新型の場所をくれ。このまま、片っ端から叩き斬って来るからよ」

 

 

 

 

「ハウンド」

 

 南の戦場。

 

 そこでは、生駒隊がラービットを相手に戦闘を繰り広げていた。

 

 誘導弾を撃ったのは、生駒隊の射手である水上。

 

 トリオン兵相手に嘘弾は何の意味もない為、固有の技能を披露する事はなく淡々と弾幕を張る。

 

 無論、ただの弾幕であればラービットにとっては脅威にはならない。

 

 両腕で頭部をガードしながら、攻撃を行った(ヘイトを稼いだ)水上へと突貫する。

 

「旋空弧月ッ!」

 

 そこを、南沢の旋空が狙う。

 

 家屋の上から放った旋空が、ラービットへと向かう。

 

 その攻撃に反応したラービットは、跳躍。

 

 南沢の旋空は、空を切る。

 

旋空弧月

 

 だが、それで充分。

 

 逃げ場のない空中へと逃れたラービットは、生駒旋空により両断される。

 

 神速の居合により、核ごと両に裂かれて墜落するラービット。

 

 それを目視しながら、生駒は弧月を納刀した。

 

「ええ調子やな。このままどんどん行くで」

『あんま調子乗んなや。太刀川さんなんて、もう6機以上撃破したらしいで』

「流石A級一位。こいつが雑兵扱いですかい」

「太刀川さん、やっぱすげーっすね。イコさんも同じ事出来ますかっ!?」

「いやー、どうやろな。流石に太刀川さん並とはいかんで」

 

 普段通りのノリで隊の仲間と談笑する生駒だが、そのゴーグルの奥の視線は鋭かった。

 

 生駒隊が他のB級のように通常のトリオン兵の駆除に回らず、ラービットと戦闘していたのは偏に彼等の性質に依るものが大きい。

 

 まず、ラービットの装甲を抜いて攻撃出来る生駒旋空を持つ生駒がいる事。

 

 サポート力が優秀で大局的な物の見方が出来る水上と、切り込み役として優秀な南沢。

 

 この三人の組み合わせが、ラービットを相手にする上で非常に()()()()()のだ。

 

 ラービットの装甲は生駒が抜ける上に、そのサポート要員として水上と南沢の二人は非常に優秀だ。

 

 普段からやっている事をやるだけなのだから、負担が少ないのもポイントとなる。

 

 もっとも、生駒は確かに強力な戦力ではあるが小南や太刀川のように単騎で複数の強敵を相手にするのは些か向いてはいない。

 

 生駒旋空はラービットの反応速度を超えて攻撃を叩き込めるが、()()()()()()()()というリスクがある。

 

 そこをカバーするのが水上と南沢であり、今のところその連携は巧く嵌まっていた。

 

 少なくとも、単騎のラービットを相手に後れを取る事はない。

 

 生駒隊は小南や太刀川と比べればスローペースであれど、着実に撃破数(キルスコア)を稼いでいた。

 

(迅の大一番やしな。ここで気張らな、いつ気張るいう話や)

 

 生駒もまた、迅の重要視しているこの戦いに貢献する事に異論などあろう筈がなかった。

 

 あの迅から頼られた、というだけで剣を握る腕にも力が籠もるというもの。

 

 生駒はゴーグルの奥で闘志を燃え滾らせながら、隊を率いて次の戦場へ向かう。

 

 そんな生駒の気合いの入り具合を察していた水上達は、何も言わずに彼と共に進んでいく。

 

 隊長の為に戦う事など、彼等にとっては朝日が昇るよりも当然の事であるが故に。

 

 生駒隊は、次の戦場へと向かって行った。

 

 

 

 

「隊長、ラービットの撃破数が飛躍的に増加しています。如何されますか?」

「確かに、放置は出来ないな」

 

 アフトクラトル、遠征艇。

 

 そこでミラの報告を受けたハイレインは、渋い顔をしていた。

 

 現在、ラービットは加速度的な勢いで撃墜(ロスト)している。

 

 その原因は言うまでもなく、ラービットを次々撃破している精鋭の存在だ。

 

 特に、あの大斧を繰る少女の勢いは見過ごせなかった。

 

 二刀を繰る青年も無視は出来ないが、大斧の少女の勢いは常軌を逸している。

 

 最早隠すつもりもないのか、転移を多用しているとしか思えない速度で各所の戦場に移りながら、少女は凄まじい勢いでラービットを駆逐していた。

 

 モッド体5体がかりで襲撃してもなんら苦戦する様子も見せずに斬り払うその姿は、作戦を進めている側としては頭が痛いにも程がある。

 

 本来の予定では頃合いを見て敵の戦力が薄い個所にラービットを向かわせて雛鳥を攫う筈だったが、この状況で余分な戦力を浮かせる余裕はない。

 

 恐らく、このまま放置すれば出撃しているラービットの全てが殲滅されてしまうだろう。

 

 それだけの能力を、あの少女は持っている。

 

 数を頼みにしてもそれを容易く退けるだけの能力が、相手にはあるのだから。

 

 かといって、既に出撃したランバネイン達には頼れない。

 

 彼等は現在敵の精鋭と戦闘中であり、そこを放棄すれば向こうのエースを浮かせてしまう事になる。

 

 そうなると彼等を出撃させた意味がない為、軽々に動かす事は出来ない。

 

 かといって自分が出ていくには金の雛鳥の居場所が分かっていない現段階では時期尚早であるし、勿論戦術の要であるミラは迂闊には出せない。

 

 となると────────。

 

「ヴィザ翁。頼めますか?」

「お安い御用です。私も、そろそろ剣を振るいたくなって来たところでしたのでね」

 

 ────────────────剣聖、ヴィザ。

 

 彼を出すより、他にない。

 

 ヴィザは、この遠征部隊における切り札(ジョーカー)だ。

 

 何処に出しても、誰に当てても勝利という結果を持ち帰って来る鬼札。

 

 それがヴィザであり、だからこそ軽々に切るワケにはいかない手札だった。

 

 本当であれば金の雛鳥が見つかってから出したかったのだが、これ以上の戦力損耗は作戦に致命的な瑕疵を齎しかねない。

 

 何より、あの少女を相手にするならば彼以外に適役はいない。

 

 向こうは間違いなく、敵軍のエース。

 

 それを抑える事がどれだけの利益に繋がるかは、言うまでもない。

 

「この少女を抑えて頂ければそれで充分ですが、必要とあれば翁の判断で動いて頂いて結構です。何かあれば、追って指示を伝えます」

「分かりました。では、参りましょうか」

 

 そうして、ヴィザの姿が黒い門へと消えていく。

 

 今、アフトクラトル最強の戦力が、その重い腰を上げた。

 

 

 

 

「これで17体目か。次行きましょ次」

 

 小南は本部基地の南側、市街地にほど近い場所で17体目のラービットを撃破していた。

 

 周囲に敵影がない事を確認し、小南は次の戦場へ向かおうとする。

 

「────────!」

 

 だが、その刹那。

 

 嫌な予感を感じて振り向くと、案の定そこに黒い穴が開いていた。

 

「いやはや、元気の良いお嬢さんだ。その歳でそこまで洗練された闘気を発するとは、よほど修羅場を潜って来たようですな」

 

 その穴から現れたのは、一人の老人だった。

 

 アフトクラトルの者達が纏う黒いマントを羽織り、その手には杖を持っている。

 

(マズイわね。まさか、こんなのが出て来るなんて)

 

 穏やかな微笑を浮かべるその様子は好好爺じみているが、小南の直感は断じてアレはそんなものではないと訴えていた。

 

 あの眼は、あの空気は。

 

 識っている。

 

 アレは、修羅だ。

 

 小南が近界を渡り歩いていた時、戦場で出会ってしまった戦狂い。

 

 それと同じ空気を、あの翁は持っている。

 

 そして。

 

 実力は恐らく、()()()()()()()()()

 

 間違いなく、あの翁は小南が今まで出会った誰よりも強い。

 

 小南は己の直感が鳴らした警笛を信じ、警戒を最大限にまで跳ね上げる。

 

 少しでも気を抜けば、その時点で首と胴が泣き別れる。

 

 そんな直感を抱いて、小南は。

 

 アフトクラトル最強の剣聖と、対峙した。



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泥の王①

 

『忍田さん、ヤバいのが出て来た。多分、こいつが一番強い。あたしでも勝てないから、時間稼ぎに徹するわ』

「了解した。無理はするな」

『勿論』

 

 忍田は小南からの通信を聞き届け、拳を握り締めた。

 

 あの小南が、()()()()と断ずる相手。

 

 まさかそんなものが出て来るとは、流石に予想外だった。

 

 小南は旧ボーダー時代から近界で戦い抜いて来た古株であり、真実ボーダー最強の一角である。

 

 彼女は戦争と言う地獄を潜り抜けて来た者の一人であり、歴戦の兵と呼んで差し支えない。

 

 実力に伴った自負を持ち、彼女は決して自分を卑下したりはしない。

 

 その彼女が、明確に「勝てない」と断言したのだ。

 

 相手の戦力レベルがどれ程か、充分以上に察せられる。

 

(小南に限って、相手の戦力を見誤る事はまず無い。となると、彼女の言う通り時間稼ぎに徹して貰うのが最善か)

 

 数々の戦場を生き抜いて来た小南は、生死の狭間を潜り抜ける為の直感が並外れて高い。

 

 それは彼女の「死にたくない」という原始的な欲求が極限状況で研ぎ澄まされたが故に洗練されたものであり、小南の危機に対する()は一種の第六感のような役割を果たす。

 

 サイドエフェクトなどではなく、生来の動物的な直感を錬磨した結果生まれた危機感知。

 

 それが小南をこれまで生かして来た最大の武器であり、それ故に彼女は初見殺しだろうがなんだろうが戦場で瞬殺される事はまず()()()()()

 

 そもそも、小南はこれまでの戦闘で被弾した事すら皆無に近い。

 

 それは彼女の危機感知が優れている証であり、こと()()()()事に関してはボーダーでもトップクラスの能力を持っているのが小南なのだ。

 

 圧倒的な格上相手だろうが、時間稼ぎに徹するならば充分役割をこなしてくれるだろう。

 

(小南がそちらにかかりきりになる以上、新型の撃破速度はどうしても落ちる。慶達が頑張ってくれているが、これ幸いと新型の数を増やされては市街地にまで侵攻される恐れがある)

 

 だがそれは、小南がこなして来たラービットの殲滅が滞る事を意味している。

 

 太刀川も順調に撃破数を稼いではいるが、小南の速度には及ばない。

 

 この状況で小南の所に最強戦力を投入して来たという事は、間違いなくこれが狙いだ。

 

 小南のラービット殲滅を放置出来なくなったが故の苦肉の策かもしれないが、敵の残存兵力がどれ程残っているか分からない以上油断は出来ない。

 

(私が出るか…………? 今のところ新型は順調に撃破しているとはいえ、この機に大量投入されれば危険だ。ならば────────)

 

 忍田はこの時点で、自分が出撃する事を思案していた。

 

 小南の抜けた穴を埋める為には、同じく最上級クラスの実力者が出なければならない。

 

 そして、残存兵力で最もそれが効率的に行えるのは自分であると、忍田は自負している。

 

 指揮を任せ、出るべきか。

 

 葛藤し、思案する。

 

『忍田さん。もう少し、待って貰えるかな?』

「…………! 迅か」

 

 その、刹那。

 

 迅からの通信が、忍田に届いた。

 

 この状況、このタイミングでの通信。

 

 聞き逃すワケにはいかないと、忍田は目を細めた。

 

「何か、視えたのか?」

『うん。今忍田さんが出ちゃうと、小南が戦ってる相手が本気になっちゃう可能性が高い。ある程度、敵に()()()()()()()()と認識させなきゃ形振り構わなくなっちゃうみたいでね。心配だと思うけど、此処は我慢だよ』

「成る程、了解した」

 

 迅の助言に、忍田は素直に頷いた。

 

 別に、彼の言葉を妄信しているワケではない。

 

 迅の言う事ももっともだと、推察したからだ。

 

 敵がこのタイミングで小南に虎の子の実力者をぶつけて来たのは、ラービットのこれ以上の損耗を防ぐ意図があるのは明らかだ。

 

 その小南を抑えられていても忍田が出てしまえば、撃破速度はそう変わらないものになってしまうだろう。

 

 故に、「時間稼ぎで充分」と考えている敵が「一刻も早く敵の精鋭を壊滅させなければ」と覚悟を決めてしまう可能性は高いと言わざるを得ない。

 

「一応聞くが、新型を大量に投入されて市街地が危険に晒される可能性は?」

『ゼロじゃないけど、殆どないかな。敵さんはまだ、最優先目標を見付けていない。それが見つかるまでは、威力偵察に留める筈だよ。俺のサイドエフェクトも、そう言ってる』

「最優先目標────────────────雨取くんか」

 

 そういう事、と迅は忍田の言葉を肯定する。

 

 敵の、アフトクラトルの狙いは新たなる「神」の候補者────────────────即ち、莫大なトリオンの持ち主である千佳を攫う事だ。

 

 アフトクラトルは大規模侵攻前にラッドを用いてイレギュラー門を開き市街地にトリオン兵を投下して来ていたが、あの時に恐らく千佳の存在は感知している筈だ。

 

 あの事件の時に修が戦闘体を破壊されたか否かで未来の分岐が変わった為、あれらが斥候の役割を果たしていた事はまず間違いない。

 

 だが、千佳本人を特定するには至っていない筈だ。

 

 大量のトリオンの持ち主がいる、という事までは察知されているかもしれないが、その個人を特定するには彼女がトリガーを使う場面を抑えるしかない。

 

 つまり、千佳がこの大規模侵攻でトリガーを使うまでは、敵は様子見に徹するという事だ。

 

『あのタイミングで新型が大量投入されたのは多分、他の人型の戦いに横槍を入れさせない為だろうね。その新型を壊して回ってた小南が足止めされている限りは、余計な戦力の追加は無いと思うよ』

「それはつまり、小南がやられるか、新型を破壊し過ぎれば敵が本気になる可能性があるという事か」

『そういう事。だから、太刀川さんにも頃合いを見計らって────────────────に、行って貰う事にするよ。それから────────』

 

 迅は手短に、これから取るべき最適解を忍田に伝える。

 

 忍田はそれを聞き、頷き。

 

「了解した。そのように取り計らおう」

 

 迅の助言を受諾し、各所に命令を送り始めた。

 

 

 

 

「うざってぇな、こいつら…………っ!」

 

 基地南西。

 

 そこで風間隊と戦っていたエネドラは、苛立たし気に舌打ちした。

 

 先程から、何度やっても攻撃が一度も当たらない。

 

 敵が()を頼りにしている事を見抜き、デコイの音を立てて攻撃を行ってもみたが、それも看破されて避けられている。

 

 ただでさえ、敵を思うように蹂躙出来ない事はエネドラにとってのストレスになる。

 

 敵は何の抵抗も出来ず、自分に殺されていくもの。

 

 それがエネドラにとっての常識(あたりまえ)であり、それに真っ向から逆らう風間隊の面々は非常に鬱陶しかった。

 

 これが向こうから攻めっ気を出してくれればカウンターなど幾らでも狙えるのだが、風間隊はエネドラに対し一切攻めの姿勢を見せなかった。

 

 攻撃の機会を伺っているのだろうが、エネドラのトリガーは範囲攻撃が可能なものである為迂闊には踏み込めないのだろう。

 

(そろそろいいよな。いい加減、俺が苛立って全開で攻撃して来ると思ってんだろ。だったら、望み通りにしてやるよ…………っ!)

 

 エネドラは燻っていた苛立ちも限界に達し、待ちの姿勢を即座に撤回。

 

 ギロリと風間達を睨みつけ、トリガーを全力起動させる。

 

「面倒くせぇ…………ッ! 雑魚に付き合うのは、もう終わりだ…………っ! フルパワーで八つ裂きにしてやる…………っ!」

 

 エネドラの全身が膨張し、液状化した泥が刃の津波となって襲い掛かる。

 

 これまでにない広範囲の攻撃に、彼等がいた建物は耐え切れず倒壊する。

 

 足場が崩れる中、エネドラの放った泥の刃が四方八方から風間隊へと殺到する。

 

 避けられるのなら、避ける隙間のない物量で押し潰せば良い。

 

 そう言わんばかりの、猛攻。

 

 しかし。

 

「────────」

「…………っ!?」

 

 音もなく背後に回った風間の投擲したスコーピオンが、エネドラの首を穿った。

 

 加えて、菊地原と歌川の投擲したスコーピオンが頭部と胸を貫通し、エネドラの身体はその場に崩れ落ちる。

 

 黒トリガーを使う人型近界民は、風間隊の手によって倒れ伏した。

 

 

 

 

「はいおわり」

「仕留めたか」

 

 菊地原達が、安堵の息を漏らす。

 

 急所を、三ヵ所も貫いたのだ。

 

 流石にこれで生きてはいないだろうと、菊地原は改めてため息を吐いた。

 

 最初から、これが狙いだったのだ。

 

 敵の攻撃を回避し続けて焦らせ、全力の攻撃をして来た時を見計らってカウンターで仕留める。

 

 頭に血が上り易く敵を侮る性格なのは見れば分かった為、この選択に迷いはなかった。

 

「おいおい、もう終わってるじゃねぇかよ。俺が来た意味あったのかこれ?」

「影浦…………? 何故、此処に?」

 

 そんな時だった。

 

 影浦が、瓦礫の向こうから現れたのは。

 

 予想していなかった闖入者に風間は目を見開き、そして。

 

「…………っ!? まだだっ!」

「…………!」

 

 次の瞬間血相を変え、風間の身体を掴んで全力で飛び退いた。

 

 その意味を、分からぬ菊地原達ではない。

 

 菊地原と歌川もまたその場から飛び退き、そして。

 

「────────チッ、殺し損ねたか」

 

 急所を射抜かれた筈のエネドラが、何事もなかったかのように立ち上がった。

 

 既に風間達のスコーピオンで穿たれた傷は、元に戻っている。

 

 否。

 

 最初から、ダメージなど負ってはいなかったのだ。

 

 風間達は当初、エネドラの黒トリガーの力を液状化するブレードを操る能力と解釈した。

 

 範囲攻撃、奇襲性に優れる高出力の攻撃特化トリガーであると。

 

 だが。

 

 その前提は、最初から間違えていたのだ。

 

「全身の液状化────────────────それが、こいつの能力か」

「そういうワケだ。テメェらが幾ら攻撃しようが、俺には何も効かねーのさ。骨折り損、ご苦労だったな」

 

 全身を液状化させ、攻撃そのものを無効化しつつ自身は一方的に攻撃を仕掛けられる。

 

 それがエネドラの黒トリガー、泥の王(ボルボロス)の能力。

 

 風間はそう解釈し、そして。

 

「違う。それだけじゃねぇ。今の感情の刺さり方は、こっちを馬鹿にしてる奴のそれだ」

「ふむ」

 

 影浦のその言葉に、眼を細めた。

 

 サイドエフェクト、感情受信体質。

 

 他者の感情を肌感覚で察知出来る影浦は、相手が自身にどのような感情を抱いているのかを知る事が出来る。

 

 正しくは強制的に受信してしまう、と言う方が近い。

 

 そして、その感覚は相手が負の感情を抱けば抱く程不快なものとなり、明確な敵意や悪意となればそれはより顕著なものとなる。

 

 その影浦が、エネドラがこちらを「馬鹿にしている」と言ったのだ。

 

 それはつまり、風間の推測が間違っている事を意味する。

 

(液状化、だけではないな…………? そもそも、先程影浦が俺達を退避させた理由はなんだ? そんなもの、()()()()()()()()()()()()()()()から以外に理由はない)

 

 先程、エネドラを倒したと思っていた直後。

 

 影浦は、血相を変えて自分たちを先程の場所から退避させた。

 

 敵意を感知出来る影浦がそうしたという事は、あの時自分たちは退避しなければ攻撃を受ける筈だったに違いない。

 

(あの時、菊地原は反応していなかった。つまり、奴が攻撃に用いようとした手段は先ほどまでのような液状化ブレードではない。また別の、()()()()()()()があると見るべきだ)

 

 そして、菊地原がそれを感知していない以上、あの時エネドラは音による察知を許さない類の攻撃を行おうとしていた事になる。

 

 加えて、眼に見える変化はなかった事からその攻撃は不可視のものである可能性がある。

 

 不可視、そして無音。

 

 そんな攻撃がある上に、単純な物理攻撃が通じない、となると攻撃手メインの風間隊では些か相性的に厳しいものがある。

 

 トリオン体である以上何処かに核はある筈だが、風間隊の戦術は基本的に死角からの急所抜きだ。

 

 機動力と隠密(ステルス)トリガーで攪乱し、一撃で急所を貫き仕留める。

 

 それが風間隊のやり方であり、エネドラに有効であろう全身を吹き飛ばすような攻撃には向かないのだ。

 

 歌川は弾トリガーを積んではいるが本職というワケではなく、下手に乱発すればあっという間にトリオン切れに陥るだろう。

 

 恐らく核の位置は常に移動させていると考えられる為、闇雲に撃った程度ではそれを射抜く事は難しい。

 

 ならば。

 

「影浦、俺達は撤退する。お前に此処を任せたい。頼めるか?」

「いいぜ。俺が呼ばれたのは、そういう事だろ」

 

 この場を攻撃感知が可能な影浦に任せ、自分たちは他の戦場に赴く。

 

 それがベストの選択であり、影浦もそれは了承した。

 

 元より、彼が此処に来たのは忍田からの命令があった為だ。

 

 最初からこの場で戦うつもりで来たのだから、風間の指示に否はない。

 

 それに、影浦はどちらかというと単騎の方がやり易いのだ。

 

 先程は恐らくエネドラが近くにいた影浦諸共攻撃しようとしていたから察知出来たが、彼が感知するのはあくまでも自分自身に向けられた感情である。

 

 自分を狙わず、他の者のみを狙われては感知する事は出来ない。

 

 故に此処は自分が預かるのが最善だろうと、影浦はそう判断した。

 

 それが。

 

 この場に自分が赴いた意味だと、確信して。

 

「出来るだけ情報を引き出せ。それに応じて、最適の援軍を送れる筈だ」

「そんなのいらねーって言いてえトコだが、しゃーねーな。面倒な奴みてーだし、それでいいぜ」

 

 戦闘狂(バトルジャンキー)の気がある影浦にとって自分だけでは勝てないと言われているようなものだったが、この戦争の意味を理解しているが故に大人しく風間の指示を受諾した。

 

 この戦いは、七海が全霊を懸けて望んでいるものだ。

 

 ならば、普段やらない事であってもやってやろう。

 

 その意気で影浦は、エネドラの前に立ち────────────────それを見届けて、風間達はカメレオンを起動して姿を消した。

 

「チビ共は逃げやがったか。薄情だなあオイ」

「黙れおかっぱドロドロ野郎。ぐだぐだ言ってねーで、かかって来いよ」

あぁ?

んだコラ?

 

 ジロリと、影浦とエネドラは互いを睨みつける。

 

 互いに、敵意を隠さず。

 

 全霊を以て、相手に殺意を叩きつける。

 

「「ぶっ殺す」」

 

 エネドラと、影浦。

 

 殺意をぶつけ(メンチを切り)合った二人は、そのまま戦闘を開始した。



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大局

 

「ラービット損耗(ロスト)速度、減少しました。ヴィザ翁と戦っている敵兵は、時間稼ぎに応じる模様」

「成る程、どうやら代わりとなる駒はいなかったようだな」

 

 ハイレインはミラの報告を受け、頷いた。

 

 これまでラービットを凄まじいスピードで殲滅していた小南を放置出来ず、虎の子のヴィザを出撃させたのだ。

 

 流石にこれで尚撃破速度が下がらなければヴィザに殲滅に切り替えるよう要請する他なかったが、幸いそういった事にはならなかったようである。

 

「とはいえ、ヴィザ翁と相対してまだやられていないとは、翁が時間稼ぎに徹しているとはいえ余程練度の高い兵のようだな。叶うなら、捕らえて旗下に加えたいが────────────────流石に、翁とまともにやり合える相手にそれは高望みだな」

 

 ハイレインは事此処に至り、玄界(ミデン)の兵力を侮る事をほぼ完全に止めていた。

 

 元より慢心はなかったが、これまでの経緯からして認めざるを得ない。

 

 以前は好きに資源を採掘出来る()()であった玄界は、他の国と同様戦力を整え、然るべき準備をした後に攻め込まなければならない「敵国」になったのだと。

 

 特に、今ヴィザを相手にしている兵の練度は相当なものだ。

 

 ラービットの殲滅速度から察して知るべきであったが、戦場を駆る兵士としての質が尋常ではない。

 

 あのヴィザ相手に、本気ではないとはいえ瞬殺されていないのだ。

 

 尋常な相手であれば翁と相対した時点で首と胴が泣き別れているだろうし、少なくとも無傷で生き残る事は有り得ない。

 

 だが、あの少女兵は今現在傷らしい傷を負わずに生存している。

 

 剣聖、ヴィザを相手に。

 

 ヴィザの一撃は牽制程度であろうが大抵の相手にとっては致死の一撃であり、攻撃を向けられた時点で終わりは決まっているのだ。

 

 確かに今のヴィザは命令通り時間稼ぎを優先しているが、それを加味しても尚少女の練度の高さが窺い知れる。

 

 あのヴィザに、そこまで戦える相手だ。

 

 これで下手に無力化を考えて命令を下せば、そこから一気に突き崩される可能性は0ではない。

 

 戦力として欲しいのは確かだが、それで最大目標達成の障害になっては元も子もない。

 

 より多くを得るのではなく、犠牲(リスク)利益(リターン)の帳尻が破掟しないよう立ち回る。

 

 それが、ハイレインの基本的な戦術傾向(やり方)なのだから。

 

「この機に、ラービットを追加投入しますか?」

「いや、それは良い。金の雛鳥が見つかっていない段階で、徒に戦力を消耗するのは避けたい。最低限の目標は達成出来たのだから、余計なリソースを使うべきではないな」

 

 少なくとも、ヴィザを投入する事で敵の最精鋭は抑えられたのだ。

 

 もし、他に同等のスピードでラービットを駆逐出来る駒がいるならすぐに出さない理由がない。

 

 ラービットを放置すれば普通の隊員が危機に晒されるのだから、戦力が足りているのならばそれを放置する事は有り得ない。

 

 ハイレインはそういった万が一の可能性も考慮していたが、この段階で新たな駒が出なかった事で玄界(ミデン)の戦力は頭打ちだと判断した。

 

 少なくとも、あの少女と同等の兵は今動ける中にはいないのだと。

 

 そう考え、追加兵力の投入を却下した。

 

 至極、当然の判断として。

 

 確かに理屈の上で言えば、この場面で他にラービット駆逐速度を上げられる駒が向こうにいるのであれば出さない理由はないだろう。

 

 ただ一つ、「それをやればヴィザ翁が本気になる」という情報を相手が得ているとは、流石のハイレインでも予測不可能だった。

 

 ヴィザはこの世界に来るのは初めての筈だし、玄界(ミデン)の人間が翁の事を知っているとは思えない。

 

 少なくとも、「本気になられるとマズイ相手」という情報を知っているなどとは思いもしない。

 

 当然といえば当然の話であるが、玄界に協力する遊真の存在に加え未来視などという最大級の不確定要素を相手にしているなどと、想像する事はまず無理だ。

 

 その事前情報の違いが、ハイレインの読み逃しを招く。

 

 奇しくも迅の想定通り、ハイレインは自らの慎重な性格故に最大の好機を逃す事になったワケだ。

 

 とはいえ、彼等の目的を考えればそこまでおかしな指示でもない。

 

 アフトクラトルの最優先目標は「神」と成り得る者の確保であり、その標的が未だに見つかっていない以上徒に戦力を消耗するワケにはいかないというのも分かる。

 

 そして何より、この機を逃した事に関してはハイレイン側としてはそこまで痛手ではないのだ。

 

 雛鳥の緊急脱出機能の有無が確認出来ていない以上、強引にリソースを使って市街地へ侵攻させるのは費用対効果が赤字になってしまいかねない。

 

 これが雛鳥が山のように市街地にいたのであればその手も考慮の内に入れただろうが、今避難活動を行っている雛鳥は十数名程度。

 

 しかもある程度固まって動いている為、ラービットを派遣しても思った通りの成果は挙げられない可能性がある。

 

 加えて、恐らく相手にはミラと同じ転移の能力を持つトリガーがある。

 

 流石に自由度は比較にならないだろうが、それでも何処にその転移が仕込まれているか分からない以上戦力を派遣したところで骨折り損になってしまう可能性があるのだ。

 

 そして恐らく、投入した戦力は返って来ない。

 

 少女程の速度ではないとはいえ、ラービットを各個撃破出来る兵士はそれなりの数がいるのだ。

 

 迂闊にラービットを使い捨てれば、その後の展開が苦しくなりかねない。

 

 緊急脱出の有無の未確認、C級の数の厳選。

 

 そして、転移の存在。

 

 それらがハイレインに、大胆な手を打たせる事を躊躇わせていたのだ。

 

「他はどうなっている?」

「ランバネインは戦場を移動しながら、敵集団と戦闘中の模様。ヒュース、エネドラは単騎の敵兵とやり合っているようです」

「ほぅ。矢張り、玄界(ミデン)の兵は侮れないな」

 

 ハイレインは二人の実力を知るからこそ、玄界の兵士の層の厚さに素直に感嘆した。

 

 ランバネインは空中飛行が可能というアドバンテージとトリガーの破壊力、連射性能のずば抜けた高さによってより多くの相手を殲滅するのに向いている。

 

 その彼が、未だにまともに撃破報告もあげてはいない。

 

 つまり、殲滅力に長けたランバネイン相手に戦闘が成立している、という事だ。

 

 更に、ヒュースとエネドラに関してもハイレインはその実力は認めている。

 

 ヒュースは若さ故の絡め手への耐性が、エネドラはトリガー(ホーン)の浸食による人格変容という不安要素はあるが、実力は一級品である事に変わりはない。

 

 絡め手に弱いとはいえ、ヒュースの場合それならそれで口を開かず戦闘をしていれば良いだけの話だ。

 

 余程ヒュースの興味を惹く話題を持ち出さない限り、彼が揺れる事はないだろう。

 

 エネドラの場合は角の浸食の影響か慢心が目立つが、泥の王(ボルボロス)は初見殺しに優れており適当に暴れさせてやれば相応の混乱を齎せるだろう。

 

 だというのに、そのヒュースとエネドラが単騎相手に足止めを食っているらしい。

 

 つまり玄界は彼等に類するだけの戦力を用意出来ていたという事であり、猶更認識を改めざるを得なかった。

 

「頃合いを見計らって、例の手を打つ。他の三人の戦況が変わり次第、動くぞ」

 

 

 

 

「きっついなあ。分かっていても、こうするしかないってのは」

 

 迅は一人、街を駆けながら苦々しい表情で呟いていた。

 

 確かに、未来視と遊真から齎されたアフトクラトルの情報である程度こちらの思う通りに盤面を整える事は出来た。

 

 だが。

 

 楽勝、などとは口が裂けても言えない。

 

 何故なら、その前提があって尚、アフトクラトルの戦力の層が厚過ぎるからだ。

 

 現段階で見えているだけで、トリガー(ホーン)で強化されたトリガー使い二人に、黒トリガーが二人。

 

 しかも彼等は全員が歴戦の軍人であり、本当の意味での実戦を経験する事が事実上初めてであるボーダー隊員達にとっては辛い相手だ。

 

 トリガー(ホーン)で強化されたトリオンもそうだが、総じてトリガーの能力とその熟練度が非常に高い。

 

 遊真が当たっている相手は若いながらも冷静な視野と汎用性に富んだトリガーを持ち、黒トリガーの遊真相手に互角の戦いを繰り広げている。

 

 嵐山達が戦っている相手は強力な威力と連射性能を両立させたトリガーを用い、更に本人の合理的かつ堅実な戦い方で隙が無い。

 

 現在影浦が相手取っている黒トリガーも攻撃がほぼ無意味になり、広範囲に奇襲が可能な厄介な性質を持つ相手だ。

 

 そして言うまでもなく、小南が「勝てない」と断言した相手が一番ヤバい。

 

 迅もまた、小南の戦力分析には絶対の信頼を置いている。

 

 その小南が、「自分では勝てない」と断じたのだ。

 

 それだけで、尋常な相手では無い事が察せられる。

 

(本当なら小南の戦ってる奴には遊真を当てたかったが、今遊真が戦ってる方も放置したらヤバい手合いだ。残念だけど、手の空いている隊員で明確に相性が良い相手もいないし、遊真に任せるしかなさそうだ)

 

 本来、遊真には敵の最大戦力を相手にして貰うつもりだった。

 

 天羽が気軽に使えない以上、黒トリガーに黒トリガーをぶつけるのはある意味正しい使い方だ。

 

 だが、それをする前に遊真の前に今の敵────────────────ヒュースが、現れてしまったのだ。

 

 遠目から彼の姿を確認した迅は、ヒュースを相手にするには遊真に任せるか、自分が相手をするかの二択が最も良い方向に向かい易い道筋(ルート)である事を視た。

 

 他の隊員が当たる方法もあるが、その場合は徒に戦力を浪費して相手を生き延びさせてしまうケースが非常に多い。

 

 故に、実質二択しかなかったというワケである。

 

(俺が行って足止めをするって手もあるけど、そうなると未来視での盤面操作が難しくなる。それをやると他へのカバーが難しくなるから、出来れば避けたいところだ)

 

 現在、迅は戦場を駆け回りながら逐次未来視の情報の習性を行いそれを即座に忍田へ伝達。

 

 場面場面で最適な指示を出す為に、走り回っていた。

 

 それを放棄してしまえば、今のように敵の作戦に即応する事が難しくなる。

 

 ただでさえ、相手は超級の駒ばかりが揃っていて地力が上なのだ。

 

 今手にしているほんの少しの優位を手放してしまえば、本当の意味で何が起こるか分かったものではない。

 

 故に、ヒュースは遊真に任せる以外に道はない。

 

 そう判断して、迅は遊真のいる方向を見据えた。

 

(頑張ってくれ、遊真。お前がどれだけ早くそいつを倒せるかが、今後の鍵になる。難しい役目を振って済まないが、頼んだぞ)

 

 

 

 

(成る程、こいつはおれが倒さなきゃ駄目だな)

 

 ヒュースと戦っていた遊真は目を細め、視界の先に立つ近界民(ネイバー)の実力を認めた。

 

 確かに、出力だけなら黒トリガーである遊真の方が上だ。

 

 だが、敵はトリガーの汎用性・応用性をフル活用してトリオン差を埋めて来ている。

 

 もし黒トリガーの出力というアドバンテージがなければ不利な戦いを強いられただろう。

 

 そう考える程に、ヒュースの実力は洗練されていた。

 

(こいつは、本領はサポート型だ。誰かと組ませると、ヤバい。ここで倒しておかないと、他の迷惑になるな)

 

 加えて、その能力は戦闘補助(サポート)に向いていた。

 

 直接的な戦闘能力も勿論高いが、その能力の応用性はサポートとしてこそ真価を発揮する類のものだ。

 

 彼を他の戦場に行かせてしまえば、それだけで戦局が覆りかねない。

 

 故に、この相手は此処で落とす必要がある。

 

 遊真はそう断じて、ヒュースの姿を見据えた。

 

 

 

 

玄界(ミデン)の黒トリガーか。動きも洗練されていて、決してトリガー頼りのごり押しタイプじゃない。厄介な相手だな)

 

 一方、ヒュースもまた遊真の実力を正しく評価していた。

 

 先程から動きを見ていたが、遊真の動きはヒュースの良く知る軍人よりも時折垣間見た傭兵のものに近い。

 

 軍人は全体の中の個として個人技ではなく連携に重きを置き、尚且つ博打は決して打たないものだ。

 

 トリガー使い一人の損失がどれだけ自軍に影響するのかという事を知っているが故に、命を軽々しくテーブルに乗せたりはしない。

 

 命令とあらば躊躇いはしないが、少なくとも勝手な自己判断で犠牲になるような真似はしない。

 

 だが、目の前の相手は必要とあらば博打も打つタイプだとヒュースは見抜いていた。

 

 傭兵は、自分の命を懸け札(チップ)にして戦果をもぎ取る荒くれ者(イリーガル)だ。 

 

 此処が命の懸け時だと思えば、傭兵は躊躇なく命を懸けのテーブルに乗せる。

 

 軍人には無い奇襲性、突拍子の無さが傭兵にはある。

 

 自分の「家」に忠誠を誓っているヒュースには理解し難い生き方だが、それでもどういった輩なのかという知識はある。

 

 恐らく、彼は何らかの交渉もしくは恫喝により玄界(ミデン)に協力している近界の傭兵だろう。

 

 染み付いた戦場の匂いの濃さは、この世界出身のものでは有り得ないものだからだ。

 

 だが、だからといって容赦をする理由は微塵もない。

 

 傭兵は危険度(リスク)報酬(リターン)さえ釣り合えば誰にでも尻尾を振る、矜持よりも利益を取る者達だ。

 

 玄界の側に付いた以上、自分の敵である事に変わりはない。

 

 あちらにどんな事情があろうが、自分は今任務の遂行中だ。

 

 それを邪魔するのであれば敵以外の何物でもなく、躊躇する理由はない。

 

(黒トリガー相手だろうが、負けはしない。確実に落とし、叶わずともこの場に足止めする。それが、この場を任された俺の任務なのだから)

 

 ヒュースは戦意を高め、遊真の姿を見据える。

 

 そして。

 

「────────」

「────────」

 

 二人の近界民(ネイバー)は睨み合い、激突する。

 

 蝶の盾(ランビリス)の使い手、エリン家のヒュース。

 

 無銘の黒トリガーの主、空閑遊真。

 

 その戦闘は、本番を迎えようとしていた。



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蝶の盾①

 

「────────行け」

 

 遊真とヒュース。

 

 二人の戦闘再開の合図は、ヒュース側の攻撃だった。

 

 ヒュースは黒い礫を集約し、宙に浮かぶ巨大な手裏剣状の刃を形成。

 

 それを、二振り。

 

 形成した刃を、遊真に向かって射出する。

 

「────────!」

 

 遊真はそれを防御────────────────は、しない。

 

 恐らくこれがヒュースのトリガーの攻撃形態なのだろうが、この二つの刃を作って尚ヒュースの周囲には黒い礫が残っている。

 

 つまり、()()()()()()()()()()()()()という事。

 

 もし、迂闊に防御を選べばそのまま次の攻撃を撃ち込まれてしまうだろう。

 

 故に遊真は即断で回避を選択し、その場から飛び退いた。

 

 ヒュースの持つ攻撃手段の中で最も警戒しなければならないのは、あの黒い礫を直接身体に撃ち込まれる事だ。

 

 戦闘時にヒュースの戦闘情報をオペレーターの宇佐美に送って解析して貰ったところ、その内容を通信越しに聞いた小夜子のアドバイスを得た彼女がレイジに意見を求めた結果、敵のトリガーの性質が推測出来た。

 

 ヒュースのトリガー、蝶の盾(ランビリス)の能力は────────────────()()

 

 遊真は初めて聞いた単語ではあるが、どうやら磁力というのは二つの物体を引き合わせる、もしくは反発させる性質があるそうだ。

 

 色々他にも説明はしていたが、()()()()()だけ分かれば他が理解出来ずとも問題ない。

 

 とにかく、あの黒い礫────────────────磁力片はお互いをくっつかせる事が出来、もし体に埋め込まれてしまいでもすれば他の磁力片に引き寄せられてしまう可能性が高い。

 

 言うなれば、あの磁力片による攻撃は遊真の(アンカー)の攻撃と同種のものだ。

 

 撃ち込んだ相手に不利益な効果を強要する事をコンセプトとした、特殊な攻撃。

 

 それが、あの磁力片の弾丸であると思われる。

 

 また、あの弾丸を反射する盾も磁力の反発する性質を利用したものであると推測される。

 

 形成される磁力片のシールドが鋭角的になっているのは、角度を付ける事で敵の攻撃を逸らして弾く為であると思われる。

 

 幾ら反発する性質を持とうが、一定以上の重さを持つ攻撃を反射するのは簡単な事ではない。

 

 だからこそ、盾の角度に鋭角を付け攻撃を()()()ようにする事で弾いているワケだ。

 

(多分、威力を上げても射撃じゃああの盾は破れない。弾丸は威力があっても()()がないから、反射の盾相手じゃあめり込まずに逸らされる。真っ直ぐ飛ぶだけのおれの弾じゃあ、相性が悪いな)

 

 こんな事ならハウンドとかもコピーしとくべきだったかな、と一瞬考えた遊真であるがそんな無駄な思考は即座に捨てる。

 

 今準備出来ていなかった段階で、そんなものは戦闘に余分な無駄な思考でしかない。

 

 考えてもその手札を揃えられるワケではないのだから、今ある手札で敵を打倒する事のみに思考を向ければ良い。

 

 もしも(if)の話をしても、実利はない。

 

 思考は、現実に基づかなければ意味はないのだから。

 

(かといって、迂闊に踏み込めばあの黒いのを撃ち込まれて動きが制限されるな。腕とかに埋め込まれたなら腕を斬ればいいけど、出来ればやりたくないな)

 

 これがこの戦争の最終局面であれば、腕の一本や二本の損失は必要なリスクとして許容出来ただろう。

 

 だが、この戦闘は重要な一局ではあれど()()()()()()()()

 

 此処で腕や足を失ってしまえば、後の戦闘に差し障る。

 

 奥の手も、こんな所で出すようでは先が知れている。

 

 ヒュースは強敵であり、此処で必ず倒さなければならない相手である事に間違いはない。

 

 だが、だからといってこの戦闘で消耗し過ぎれば結果的にヒュースの役割は充分果たした事になってしまう。

 

 ノーマルトリガーのヒュースで黒トリガーの遊真の戦力を削り取る事が出来れば、それだけで勝ちのようなものだ。

 

 現状、人型相手に使える黒トリガーは遊真のものと風刃のみ。

 

 後者が性質上簡単に切る事は出来ない手札である為、正面から人型に当たるとなれば遊真の存在は必須である。

 

 聞けば、小南が相手をしている敵は他の敵よりも数段どころか上限が見えないレベルの格上らしい。

 

 今は彼女が頑張って時間稼ぎをしてくれているが、逆に言えば彼女程の猛者であっても足止めが精々という時点でその脅威度が把握出来る。

 

 遊真は小南に師事している為、当然その実力は既知だ。

 

 小南は遊真がこれまで戦って来た中でも、最上位に位置する戦士である。

 

 彼女程洗練された兵士は、近界でも中々見ない。

 

 全ての能力が高い水準で纏まっており、精神的な隙も戦場ではまず見せない。

 

 こと突破力、生存能力においては群を抜いており、遊真の見て来た兵士の中でもダントツであると断言出来る。

 

 その小南が足止めしか出来ていないという事は、敵は彼女より更に格上であるという事。

 

 やもすれば、レプリカから聞いた国宝の使い手である可能性もある。

 

 そんな奴が、敵にいるのだ。

 

 出来る事なら手早くヒュースを片付けて、次へ向かいたいところだが────────────────目の前の少年は、そんな容易い相手ではない。

 

 少なくとも、強引に突破しようとすれば相応の消耗を強いられるだろう。

 

 そして恐らく、ヒュースは展開によっては勝利を捨ててこちらの消耗を強いて来る可能性がある。

 

 あの目は、そういう事が出来るタイプの兵士の眼だ。

 

 組織に対する忠誠心が高く、いざとなれば自分の犠牲を厭わないタイプの、上官からすれば理想的な下士官。

 

 こういう類の相手は、下手に好戦的な実力者よりも厄介な場合がある。

 

 何せ、必要と判断すれば躊躇なく勝ちを捨てられるのだ。

 

 既に、こちらが黒トリガーであるというのはバレているだろう。

 

 明言したワケではないが、黒トリガーであるかどうかは出力で大体見当が付けられる。

 

 特に、敵には複数の黒トリガー使いがいる様子である為、通常のトリガーとの区別もつき易いだろう。

 

 故に、強引な突破は悪手だ。

 

 あくまでも効率的に、犠牲を最小限に倒さなければ本当の意味で()()とは言えない。

 

 これは、そういう戦いだ。

 

 仮に小南の今戦っている敵相手であればその損失(リスク)を許容しても戦果(リターン)が上回ったであろうが、この相手はそういう類ではない。

 

 角は黒ではない為、黒トリガー使いでない事は確定している。

 

 トリガーもどちらかといえばサポートが本領であり、直接的な殲滅力は他の人型近界民(ネイバー)と比べれば高くはない。

 

 しかしサポート型故に他の人型と組まれれば被害が加速度的に悪化していくのが目に見えている為、此処で倒す以外に道はない。

 

 必ず倒さなければならない相手ではあるが、消耗し過ぎれば事実上の負けと等価。

 

 これは、そういう厄介な相手なのだ。

 

『空閑』

「オサムか」

 

 そんな時、修から通信が届く。

 

 遊真はヒュースの回転刃を回避しつつ、その声に耳を傾けた。

 

 今、不必要な通信をするような相手では無い。

 

 修の事を、そう信じているが故に。

 

『状況はレイジさんに聞いた。だから、提案なんだけど────────』

 

 淡々と、自分の考えを伝える修。

 

 その話を遊真は無言で聞き、そして。

 

「分かった」

 

 了承の意を伝え、行動を開始した。

 

 

 

 

(逃げるつもりか? いや、俺よりも先にラービットを破壊しに行く魂胆か)

 

 ヒュースは磁力刃を回避しつつ後退していく遊真を見て、その先に何があるかを理解し得心する。

 

 遊真の向かう先には、ラービットの反応がある。

 

 恐らく、自分を倒すよりもラービットを破壊して回る方が得策と考え、こちらを放置してラービットを撃破────────────────もしくは、そう誘いをかける事で隙を作らせるつもりかもしれない。

 

(残念だが、そうはさせん。幸い、この先にいるのは俺の蝶の盾(ランビリス)の能力が付加されたタイプのモッド体だ。連携すれば、それだけ勝率も上がるだろう)

 

 だが、この先にいるのは蝶の盾の能力を付加したタイプのラービットだ。

 

 トリオン兵の戦闘プログラムでは複雑な操作が必要な蝶の盾は使いこなす事が出来ず、モッド体の中でも単独の戦闘能力は低い部類に入る。

 

 されど、ヒュースという頭脳が加われば話は別だ。

 

 ラービットは基本的にこちらの指示を聞くように出来ているし、ハイレインに要請すれば操作権を貸与して貰える筈だ。

 

 複雑な操作が必要な蝶の盾(ランビリス)に加えラービットの操作まで加われば必要な処理能力(タスク)は増えるが、元よりトリオンの操作は得意な部類だ。

 

 その程度、さしたる問題ではない。

 

 ヒュースはそう思案し、こちらを見ているであろうミラ越しにハイレインに呼びかける。

 

「ハイレイン隊長、この先にいるモッド体の操作権を貸与して頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

 

 

 

「構わないと伝えろ。それで玄界(ミデン)の黒トリガーの足止めが叶うのであれば、損耗したとしても許容範囲だ」

 

 ヒュースからの要請を聞いたハイレインは即座にそう返し、ミラは《小窓》越しにその指令を伝えた。

 

 向こうからヒュースの「了解しました。ありがとうございます」という返答が聴こえ、思わずミラは目を細めた。

 

 この作戦で、場合によってはヒュースは玄界に置き去りにする事になる。

 

 ミラもその必要性は理解出来るし、ハイレインの方針に否と言うつもりもない。

 

 しかしなんだかんだでこれまで共に戦ってきた仲間に対する情が皆無というワケではなく、内心が複雑なのは確かだ。

 

 無論、それを表に出す事などする筈もないのだが。

 

「ミラ、ヒュースを置いていく事は確定事項ではない。金の雛鳥さえ確保出来れば、その必要もなくなる」

「あ、いえ、私は別に隊長の方針に異議があるわけではないのですが」

「分かっている。今更お前が俺の方針に異を唱えるとは思っていない。お前は、任務に私情を混ぜる女ではないからな」

 

 ミラの忠誠については、ハイレインは欠片も疑ってはいない。

 

 アフトクラトルではその苛烈な性格から恐れられる彼女であるが、これで中々面倒見の良い事も知っているし、ハイレインの冷徹な采配が必要な事である事もしっかりと理解している。

 

 軍事国家であるアフトクラトルは、四人の領主によってそれぞれ治められている。

 

 領主同士の中は険悪どころかほぼ敵同士と言って良い間柄であり、政争で負ければ悲惨な結果になるのは目に見えている。

 

 だからこそ「神」の死が迫っている現在、領主達は死に物狂いで新しい「神」候補を探し回っているのであり、ハイレインがこの遠征を計画したのもその為だ。

 

 だが、ハイレインはいるかどうかも分からない「神」候補に一縷の望みを懸けるのではなく、それが失敗した時の第二候補(サブプラン)も用意していた。

 

 それが配下であるエリン家当主を「神」に仕立てる計画であり、遠征で「神」候補を鹵獲出来なかった場合の最終手段でもある。

 

 当然ながら、最初からこの方法を選ばなかったのは問題が多く、少なくないリスクを孕むプランであるからだ。

 

 まず、当然エリン家とは敵対関係になる。

 

 彼の家は当主の人柄を慕う者達が多く、その彼女が犠牲になるとなれば真っ向から反抗するのが目に見えている。

 

 そして、ヒュースはそのエリン家の当主に忠誠を誓う兵士だ。

 

 当然そんな状況になればエリン家側に付くのは目に見えており、敵になる事は確定していると言っても過言ではない。

 

 問題なのは、ヒュースが雑魚ではない事だ。

 

 ヴィザ翁のような規格外ではないとしても、ヒュースは優秀で、冷静ささえ保っていれば大局的な思考も出来る天才だ。

 

 若手の有望株の筆頭でもあり、ハイレインとしても重宝して来た駒である。

 

 その彼が敵に回るとなれば、最悪エリン家の当主を「神」にする計画が失敗する一因になってもおかしくはない。

 

 だからこそ、仮にこの遠征で「神」の候補の鹵獲に失敗した場合には、彼をこの地に置き去りにする事を計画していた。

 

 この事はヒュース以外の全員に通達済みであり、もう一人の処分対象であるエネドラにも伝えてある。

 

 加えてヒュースにこの計画を知られないように、彼にはエネドラの処分計画を伝えてある。

 

 人は、自分が騙す側でいると考えている内は自分が騙されるなどとは思わないものだ。

 

 その心理を利用し、ハイレインは敢えてエネドラの処分計画をヒュースに伝えておく事で彼の思考を逸らしたのだ。

 

 元より、優秀であるヒュースだ。

 

 自分が置き去りにされようとしていると悟れば、その()()について即座に思い至ってもおかしくはない。

 

 だからこそ、()()()が来るまでは彼に計画を悟られるワケにはいかないのだ。

 

 故に、このラービットの操作兼の貸与も必要な工程である。

 

 ヒュースがトリオン体を破壊されるまでは、計画を悟られる危険は冒せない。

 

 言い包める事も出来たであろうが、その場合ヒュースに疑念を生む余地を残してしまう。

 

 故に、此処はこの選択が最善なのだ。

 

 ミラはそのあたりの事情を斟酌し、複雑な胸中となっていたのである。

 

 彼女は冷徹に徹する事は出来ても、決して仲間への情が無いワケではないのだから。

 

(俺としてもヒュースを置いていくのは、出来れば避けたい。重要な戦力を捨てる事になるし、ヴィザ翁の心証も悪化する事は避けられない────────────────だが、必要であるならやるしかない)

 

 ハイレインは、別に戦いが好きというワケではない。

 

 叶う事なら平穏に家族と暮らしていたいし、権力が好きなワケでもない。

 

 だが、戦果なくして平穏は訪れない。

 

 アフトクラトルは、軍事国家だ。

 

 戦争が主である国家の領主として生を受けた以上、政争に勝ち残るのは義務だ。

 

 そうでなければ、平穏な暮らしなど出来る筈もない。

 

 最終的な平穏(のぞみ)を得る為には、好きでない事であれやる他ない。

 

 それがたとえ、幾人もの血や涙を流させる事になろうとも。

 

 やり切って見せるのが、領主である自分の責務なのだから。

 

(その為にも、手は抜けない。雛鳥の確保は、半ば捨てている。狙いは一点、金の雛鳥のみ───────────────許しは請わない。何かを語る資格があるのは、結果を出した者だけなのだから)

 

 ハイレインは目を細め、戦うヒュースの映像を見据える。

 

 その視線は鋭く、されど確かな情が滲んでいた。



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蝶の盾②

 

(追って来てるな)

 

 遊真は回転刃の攻撃を避けながら、こちらを追うヒュースの姿を見据えた。

 

 あのトリガーの遠隔操作可能域がどれ程かは分からなかった為、自身は動かずに遠距離攻撃に徹するといった可能性もあったが────────────────追って来たという事は、操作射程はそこまで広くはないようだ。

 

 少なくとも十数メートル程度か、もしくは目視出来る範囲が限界であると考えられる。

 

 敵の武器、発動音声を聞く限り「ランビリス」というトリガーは応用性に富んだ非常に汎用性の高いトリガーだ。

 

 攻撃は勿論、弾丸の反射や物理防御、破片を飛ばす事での攪乱や拘束等々行える事象にかなりの幅がある。

 

 当然ながら、十全に扱おうとするならその操作はかなり難しいものになるだろう。

 

 個々の状況を的確に分析し、その場その場で最適解の行動を選択する。

 

 それが極まっていなければ、まず扱えないトリガーだ。

 

 そして、この少年はそんな玄人向けのトリガーを完全に使いこなしている。

 

 恐らく、生来の才覚を血の滲む鍛錬で鍛え上げたのだろう。

 

 その戦闘スタイルは遊真と似通ったものがあり、共感出来る部分もある。

 

 まあ、敵は敵なので倒す事に躊躇など微塵もないが。

 

 確かに、その実力を得る為にして来たであろう努力には敬意を表する。

 

 向こうにも、それなりの事情はあるのだろう。

 

 だが、敵は敵だ。

 

 誰しもに事情がある事なんて当たり前だし、のっぴきならない背景があるとしても自分のやる事は変わらない。

 

 敵を倒し、仲間を守る。

 

 それだけだ。

 

 そもそも、敵に事情があるのは当たり前だ。

 

 戦えるだけで良いとか、殺せるだけで良いとかいう者はほんの一握りに過ぎない。

 

 大抵は国の為だとか、大切なものの為だとか、そういう事情を背負っているからこそ戦いの場に赴くのだ。

 

 家族や仲間は、誰しもに存在する。

 

 中には孤児のような者達もいるだろうが、そういった者達は者達で生きる為という切実な理由がある筈だ。

 

 このアフトクラトルの軍勢にしろ、究極的には国の為を想って戦いの場に赴いている者達なのだ。

 

 「神」の死は、国の死と同義だ。

 

 特に、アフトクラトルのような大国にとってはそれは文字通りの意味となる。

 

 アフトクラトルはレプリカのデータによれば、「神」となる者を厳選し続ける事で国力を上げて来た国家だ。

 

 国力が上がる、という事は国の()()()()()()を意味している。

 

 それは強大なトリオン能力を持った者を「神」として生贄に捧げているからこそ得られる恩恵であり、前の「神」よりもトリオンの劣る者を「神」にしてしまえばどうなるかは明らかだ。

 

 即ち、国の生活圏が減少しそこに住む民達を取捨選択(せんてい)するしかなくなる。

 

 そうなれば自然と国力が減少し、軍事国家故に多くの恨みを買っているであろうアフトクラトルは国難に陥る事だろう。

 

 常に搾取する側だったからこそ、それを疎ましく思う国は多い筈だ。

 

 だからこそ、アフトクラトルは黒トリガーを何本も持ち出してまで「神」を探そうとしている。

 

 理屈は理解出来るし、もし遊真が彼等と同じ立場であれば何の疑問もなく作戦を遂行しただろう。

 

 だが。

 

 今の遊真はボーダーの、いや────────────────この世界(おさむたち)の、味方だ。

 

 そして、彼等が狙っている「神」の候補者である千佳は自分の大切な仲間の一人である。

 

 ならば、躊躇う理由など微塵もない。

 

 仲間に手を出そうとするなら倒すだけだし、相手の事情など知った事ではない。

 

 向こうも、事情を斟酌して欲しいなどとは思っていないだろう。

 

 戦場に立った以上、何かを語る資格があるのは結果を出した者だけだ。

 

 どれだけ強い想いを抱いていようが、結果が出なければ何の意味もない。

 

 祈るだけで巧く行くなら、誰だってそうしている。

 

 だからこそ、遊真は確実に勝利を掴む為に行動する。

 

 勝つ為なら手段は選ばないし、そもそも戦場で手段を選んでいられる余裕があるのは絶対的な強者だけだ。

 

 手段を選びたいなら強くなるしかないし、それが出来ないのであれば手段を選ぶような余地は微塵もない。

 

 そういう意味で、修は凄いと思っている。

 

 自分の弱さを正しく理解し、それを利用すらして格上相手でも結果を出そうと策を巡らせる。

 

 そういった彼の姿勢は嫌いではないし、人間性は元より好ましく思っている。

 

 だから、手は抜かない。

 

 遊真は自分が無敵だとも、絶対的な強者だとも思っていない。

 

 黒トリガーを持っているとは言っても誰にでも勝てるだなんて自惚れてはいないし、この世界も含め自分以上の強者など幾らでも転がっている。

 

 だからこそ、自分の出来る事は全てやる。

 

 それが、修と出会い迅の願いを聞き届けた自分のやるべき事であり────────────────戦う楽しさを教えてくれた、七海への恩返しでもある。

 

 あの模擬戦は、良かった。

 

 小南との訓練では、格上相手の戦闘経験が積めて自身が強くなっていくのを実感出来た。

 

 だが訓練である以上小南にもそれなりの加減は存在していたし、彼女が戦上手な事もあってノーマルトリガーに慣れていなかった遊真では叩きのめされる事が多かった。

 

 だからこそ、七海との一進一退の攻防は正直燃えた。

 

 敵を倒す為ではなく、自身を高める為の戦い。

 

 それは、殺し殺される事が当然な近界では得られなかった体験だった。

 

 近界では負けは死とイコールであり、戦いを楽しむ、といった思考は欠片も思い浮かばなかった。

 

 遊真は、死の恐怖を知っている。

 

 あの、何処までも暗い闇の奥底に落ちていきそうな感覚を、識っている。

 

 4年前のあの日。

 

 正体不明のトリガー使いに敗れ、致命傷を負った時。

 

 遊真は、死神のすぐ傍にいた。

 

 朦朧とする意識の、最中。

 

 一度意識を失えばもう二度と目覚めは来ないだろう事を、遊真は実感として感じ取っていた。

 

 遊真の父親が、雄吾がその身を犠牲に彼を救うまで。

 

 死の淵にいた遊真の意識は、暗い水底に落ちる寸前だった。

 

 そして今も尚、遊真にとって死は身近なものだ。

 

 雄吾がその身を捧げて黒トリガーと化した結果、遊真は仮初の命を手に入れた。

 

 だが、その実体の致命傷が消えてなくなったワケではない。

 

 こうしている間にも彼の生身の肉体は黒トリガーの中で徐々に死に向かっており、いつかは死が────────────────あの暗い水底が、自分を引きずり込むだろう。

 

 だからこそ、戦いを楽しむなんて感情は生まれようがなかった。

 

 この、玄界(ミデン)に来るまでは。

 

 ボーダーでは仮想空間を用いて、()()()()()()()()()()()()を体験する事が出来る。

 

 加えて緊急脱出(ベイルアウト)という画期的なシステムもあり、ボーダーの面々は戦場に出向きながら死の危険を身近に置く必要がなくなっている。

 

 だからこそ、純粋に戦いを楽しめる空気が生まれていた。

 

 実際に小南と戦って、()()()()()()を経験して。

 

 相手の殺害を前提としない戦いを、七海と繰り広げた時は────────────────とても、楽しかった。

 

 ただ効率的に殺す為ではなく、()へ繋げる為に試行錯誤しながらの戦闘。

 

 それは、相手を殺すもしくは鹵獲する事を前提とした近界の戦場では得られなかったものだった。

 

 だからそれを教えてくれた小南や七海には感謝しているし、自分を最初に受け入れたくれた修にも恩義を感じている。

 

 故に、この敵を倒す。

 

 手段を選ぶ事なく、全力で。

 

 犠牲を出さず、効率的に勝利する。

 

 それが、遊真の決意。

 

 この戦場に臨んだ、彼の誓いである。

 

(来たか)

 

 そして、遊真の視界の端に()()が映る。

 

 ラービット、色は────────────────黄土色。

 

 つまり、ヒュースのトリガーと同じ能力を搭載した個体である。

 

 

 

 

(モッド体と合流出来た。今だ…………っ!)

 

 ヒュースはモッド体が戦闘域に入った事を確認すると、ハイレインから貸与されたラービットの操作権を行使しモッド体から磁力片を射出させた。

 

 狙いは当然、敵の黒トリガー使い。

 

 自分とラービットは、丁度遊真を挟める位置にいる。

 

 先程までの戦いで、敵のトリガーの性質は大体理解した。

 

 敵のトリガーは様々な効果を発揮する、汎用性特化のタイプである。

 

 射撃や重石の付与、盾による防御や膂力の強化。

 

 それを黒トリガーの出力でやって来るのだから、相当に厄介である。

 

 何せ、ピーキーな性能が多い黒トリガーの中にあって、汎用性を失っていないのだ。

 

 黒トリガーはその強力な能力と引き換えに、汎用性を犠牲にしたものが多い。

 

 エネドラの泥の王(ボルボロス)のような攻防一体のタイプはともかく、攻撃特化で防御能力が存在しないタイプの黒トリガーも数多い。

 

 だが、遊真の黒トリガーは豊富な手札を高出力で扱える為、初見殺しとしての性能はさほどでもないが苦手な状況と言うものがまず存在しない。

 

 単騎で戦場を駆ける傭兵としては最適な、生存適応に特化したタイプの黒トリガーと言える。

 

(だが、その汎用性こそが弱みとなる。そのトリガーは、()()()()()()()()()()()()。複数の攻撃を組み合わせる事は出来るようだが、その都度()()()()のタイムラグがある)

 

 無論、そのタイムラグはそう大きいものではない。

 

 だが、シールドを張りながら攻撃出来ないという自分の推察はそう間違ったものでもない筈だ。

 

 ならば、取る手段は一つ。

 

 絶え間ない攻撃を続けて、敵を固めて身動きの出来なくなったところを落とす。

 

 自分だけでは弾数が足りなかったが、モッド体と合流した今ならそれが実現出来る。

 

蝶の盾(ランビリス)…………ッ!」

 

 当然、狙うのは十字砲火(クロスファイア)

 

 背後からモッド体に磁力片を斉射させ、自分もまた回転刃を射出する。

 

「────────!」

 

 遊真はそれを察知し、横に跳んで避けようとする。

 

 シールドを張る、という選択肢はない。

 

 それがこちらの狙いである事は、当然看破されている。

 

 絶え間なく磁力片を撃ち続ければ、シールドで防ごうが彼の周囲にそれが累積していく。

 

 そうなれば、移動もしくは攻撃の為にシールドを解除した瞬間周囲に山積させた磁力片を一斉に叩きつければ良いだけだ。

 

 ヒュースのトリガー、蝶の盾(ランビリス)の磁力片はこちらから操作を破棄しない限りそのすべてが彼のコントロール下にある。

 

 地に落ちた磁力片を操作する事など、造作もない。

 

 だからこそ、遊真は回避を選んだのだ。

 

 一度防御を選んでしまえば、その時点で()()となるが故に。

 

「かかったな」

「…………!」

 

 だが、それすらも想定内。

 

 ヒュースは射出した回転刃を、()()

 

 無数の磁力片に戻し、それを横に跳んだ遊真に向かって放った。

 

 最初から、これが狙い。

 

 敵がこちらの狙いを読む事など、想定の上。

 

 本命は、この二段攻撃にあった。

 

 蝶の盾(ランビリス)の磁力片は、その()()がヒュースのコントロール下にある。

 

 一塊にして攻撃形態を取らせたとしても、本質的にそれは無数の磁力片の集合体だ。

 

 分離も結合も、ヒュースの操作でいつでも行える。

 

 タイミング的に、回避出来る筈がない。

 

 敵の機動力の程度は、大体理解している。

 

 だからこそ、ある程度距離を詰めた上で回転刃を分解したのだ。

 

 故に、今敵が取り得る行動は────────。

 

『弾』印(パウンド)

 

 ────────────────加速トリガーを用いた、緊急回避。

 

 これ以外に、存在しない。

 

 遊真は加速台の印を用いて、真後ろへ跳躍。

 

 ヒュースの攻撃を、強引に回避する。

 

 だが。

 

「────────!」

 

 その遊真へ、背後から無数の磁力片が襲い掛かった。

 

 これが、本当の意味での本命。

 

 最初から、モッド体には磁力片を二つに分けて()()()()()()するよう命令を出していた。

 

 自立行動するモッド体であれば出来ない芸当であるが、直接命令を入力すれば話は別だ。

 

 二段構えの攻撃を凌いだところに、意識の外から本命の攻撃を叩き込む。

 

 一度磁力片を撃ち込んでしまえば、あの高い機動力を殺す事が出来る。

 

 あの加速台は、一度に複数出す事は出来ないであろうと推測が出来ている。

 

 それが出来るなら使っていたであろう場面が、これまでにも幾つかあったからだ。

 

 向こうはこちらのトリガーを解析しながら戦っていたつもりだろうが、それは自分も同じだ。

 

 戦いながら敵戦力の分析を行う事は、戦闘の基本。

 

 ましてや、それが黒トリガー相手となれば猶更だ。

 

 主への忠誠心であれば誰にも負ける気はないが、それだけでは勝てない事をヒュースは知っている。

 

 勝つ為にはその為の手段を模索し、ミスがないよう立ち回りながら常に最適解を導き出す判断力が必要だ。

 

 ただ鍛えただけで勝てる程、戦争は甘くはない。

 

 勝つ為ならどんな手段であろうと使うべきだし、戦場では相手の思考を上回った方が勝つのだから卑怯という言葉も存在しない。

 

 故に、確実に勝利する為に策を練るのは当然の事だ。

 

 上官であるハイレインがその極地の一つであり、彼が冷酷に見えるのは勝つ為に手段を選ぶ事をしないからだ。

 

 そんな彼を陰険だのなんだのと陰口を叩く輩はいるが、上官として彼ほど頼りになる存在はいないと考えている。

 

 自分の忠義はあくまでもエリン家当主に捧げたものだが、一時剣を預ける相手としては悪くはない。

 

 それに、彼に貢献する事は主の評価の向上にも繋がる。

 

 故に、此処で確実にこいつは仕留める。

 

 ヒュースはそう決意し、最後の一手を打つべく、動いた。



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蝶の盾③

 

「────────!」

 

 背後から襲い掛かる、ラービットが撃った磁力片。

 

 正面からは、残った磁力片をかき集めこちらに駆けて来るヒュースの姿。

 

 今、遊真は『弾』印(パウンド)により跳躍中。

 

 空中では回避は出来ず、『弾』印を再展開する前に磁力片が着弾する。

 

 モッド体との合流を考えた時点で、ヒュースはこの陣形を目論んでいた。

 

 ラービットによる攻撃を囮と思い込ませ、ヒュース本人による攻撃を本命と錯覚させた。

 

 その上でモッド体に指示していた時間差攻撃で、詰み(チェック)

 

 合理に満ちた、この上なく効率的な策だ。

 

 これまで、遊真は何体ものラービットを瞬殺している。

 

 一般隊員にとっては脅威となるラービットであるが、黒トリガーを使う遊真にとってはそこまで難しい相手ではない。

 

 何せ、遊真はラービットの警戒網を掻い潜るスピードと、その装甲を突破出来るだけのパワーがあるのだ。

 

 ラービットの最大の脅威である機動力と装甲が通用しない時点で、彼にとっては多少面倒なトリオン兵でしかない。

 

 だからこそ、遊真のラービットへの警戒の程度はヒュースによるものよりも低かった。

 

 ヒュースは、そこを突いたのである。

 

 どんな実力者であっても、戦闘中に使える処理能力には限界がある。

 

 故に強者は敵に対する個々の警戒度合いの判別を半ば自動的に行い、より強い敵へ多くの処理能力(リソース)を割き、逆に大した障害にならないと判断した相手へ割く意識は少なくなる。

 

 強い敵により多くの警戒を行い、弱兵へは最低限の警戒に留める。

 

 それは戦場において当たり前の常識(ルール)であり、これが出来ないようでは戦闘者としての資格はない。

 

 だが。

 

 時にそれは、足枷となる事がある。

 

 トリオン体は、どんな強者であろうと弱兵であろうと、その強度に変わりはない。

 

 無論トリオン量による持久力の差はあるが、攻撃を受けた場合の耐久度はさして変わるものではない。

 

 特に、致命打を受けた場合には。

 

 そして、たとえ弱兵の攻撃であろうが急所に当たれば、もしくはその攻撃を当てる事そのものに意味があれば。

 

 弱兵の一撃は、致死の猛毒と成り得るのだ。

 

「く…………っ!」

 

 されどそれは。

 

 ()にも、当て嵌まる事だった。

 

 遊真に磁力片が着弾する、その寸前。

 

 加速に任せて、その前に立ち塞がった者がいた。

 

 少年の名は、三雲修。

 

 玉狛第一、その隊長にして。

 

 迅に希望を見出された、誇るべき弱者である。

 

 彼はレイガストのオプショントリガー、スラスターを用いて加速。

 

 磁力片が遊真に着弾する前に割り込み、その盾で攻撃を防ぎ切った。

 

「…………ッ!」

 

 この瞬間、ヒュースの目論見は音を立てて瓦解した。

 

 あの加速台が間に合っても、この狭い路地では逃げるなら上空しかない。

 

 空中戦になれば、機動力が制限される分ヒュースが優位となる。

 

 加速台トリガーを複数出せるのであれば話は別だろうが、あれは加速力には長けていても複数展開は出来ない。

 

 そうなれば、逃げ場のない空中でヒュースとラービットの磁力片の斉射を防ぎ続けなければならなくなる。

 

 それで、詰み。

 

 ヒュースの目論見は、それで完結する。

 

 だが。

 

 此処での援軍は、予想外だ。

 

 強兵が派遣されるのであれば、まだ分かる。

 

 しかし、目の前に現れた少年はどう見ても弱兵。

 

 感じるトリオンも微弱で、こうして視認した今となっても脅威とはとても思えない。

 

 されど。

 

 その弱兵の横槍が、ヒュースの目論見を台無しにした。

 

 これが身の程を弁えず、彼がヒュースを攻撃していれば一蹴して終わりだった。

 

 だが。

 

 修は戦況を冷静に分析し、的確にヒュースが()()()()()()()()()()()事を選択し実行した。

 

 それは、初めての経験だった。

 

 戦場で弱兵と遭遇した経験など、腐る程ある。

 

 しかし近界における弱兵とは即ち()()()()()()()()()()()()であり、そういった者達はトリオンを撃ち出す銃で銃撃する以外に戦う道はなく、銃撃を防いで一蹴すればそれで終わりだった。

 

 そして、一般兵は基本的にトリガー使いには近付かない。

 

 緊急脱出システムのような保険のない近界では、戦場でトリオン体が破壊される事は即ち死を意味するからだ。

 

 加えて近界では少数精鋭のトリガー使いこそが戦争の中心であり、それ以外の兵力は極論時間稼ぎ要員、もしくは囮でしかない。

 

 国の状況によっては捨て駒のような運用も充分考えられるのが一般兵であり、彼等はただトリガー使いに近付かず、遠くから銃撃で牽制して自分の喉元に死神の鎌が降って来るのを避けようとするのが常だった。

 

 だからこそ、自分から戦闘域に突っ込み、他者の盾となった修の行動に虚を突かれた。

 

 どう見ても戦闘員が務まるトリオン量ではなく、体捌きも素人同然。

 

 ヒュースの眼からは近界の一般兵とそう変わらない存在に見えた彼が遊真の盾となった事は、ヒュースの常識からすれば有り得ない事だった。

 

 理屈は分かる。

 

 弱兵である彼が精鋭である黒トリガー使いの盾となる事は、全体の利益に繋がる。

 

 それは良い。

 

 冷静に考えてみれば、なんて事はない。

 

 弱兵がその身を盾にして、精鋭を守った。

 

 それだけの、効率的な行動である。

 

 しかし、ヒュースの常識の外の行動を取った事により、彼の意識に一瞬の空白が生まれたのだ。

 

 人は、常識にないもの、挙動を見るとそれを()()してしまうものである。

 

 それが、どれだけ自分にとって意味があるかどうかに関わらず。

 

 ()()は、人の心を掌握するのだ。

 

 これが、ヒュースがランバネイン並に戦場での経験を積んでいればその経験値を以てこの反射行動を抑制出来ただろう。

 

 敵は理屈から考えれば効率的な行動しかしていないのだから、冷静になりさえすれば不思議な事でもなんでもない。

 

 だが、ヒュースは20にも満たない若者だ。

 

 幾ら幼少期から訓練を積み、早くから戦場に出ていたとしても。

 

 ランバネインのような歴戦の戦士と比べれば、どうしても経験の()()が足りない。

 

 そんなヒュースの未熟を、修は自身の()()を以て突いたのだ。

 

 弱兵という自身の性質を利用した、一度限りの初見殺し。

 

 ヒュースはその策に、まんまと嵌まってしまったのだ。

 

「スラスター、ON…………ッ!」

 

 その意識の間隙からヒュースが立ち直る前に、修はスラスターを再度起動。

 

 ヒュースへ向かって、突っ込んで来た。

 

 遊真を、自身と盾の間に挟む形で。

 

(く、あれでは俺からの攻撃は迂回してもあっちの雑魚に当たる…………っ! 奴の身体は、()()()()()…………っ!)

 

 修はそう体格に恵まれてはいないが、遊真の身体はそんな彼よりも一回り小さい。

 

 レイガストと修の間にすっぽりと嵌まる形で追随する遊真を狙おうにも、あの体勢ではどのように磁力片を撃ち込もうが本命の遊真にその攻撃が届く事は無い。

 

 たとえ磁力片を修に撃ち込む事が出来ても、戦力として数えられない彼を無力化したところで大した意味はない。

 

「ラービット…………ッ!」

「…………!」

 

 故に、此処で切り札を使う。

 

 物陰から飛び上がる、一つの影。

 

 それは、ラービットの一機。

 

 その体色は、灰色。

 

 ランバネインの雷の羽の性質を備えた、砲撃型ラービットである。

 

 ヒュースがハイレインから貸与されたラービットは、一機ではない。

 

 彼の計らいにより、もう一機砲撃型のラービットを借り受ける事に成功していたのだ。

 

 黒トリガー使いの少年が尋常な相手でない事は、理解していた。

 

 だからこそ、この虎の子の砲撃型を用いて空中に逃げた彼を狙い撃ちにするつもりだったが────────────────最早、背に腹は代えられない。

 

 この砲撃を防御する為に足を止めれば、最善。

 

 回避を選ぶのなら、仕切り直しをする事が出来る。

 

 この窮地を覆す、鬼札。

 

 それを切ったヒュースは、視線を上げ。

 

「────────!」

「な…………っ!?」

 

 砲撃型ラービットが、突如現れた大柄な男に殴り飛ばされる光景を、目撃した。

 

 男の名は、木島レイジ。

 

 玉狛支部、木崎隊の隊長にして。

 

 一人で一部隊と数えられる、小南や迅と同等の最精鋭。

 

 修が迅に頼んで呼び寄せていた、もう一人の援軍である。

 

 砲撃を敢行しようとしたラービットは、文字通りその横っ面を殴られて吹き飛ばされた。

 

 磁力型のラービットもまた、殴り飛ばされた砲撃型に巻き込まれて弾き飛ばされている。

 

 もう、味方(ラービット)による支援はない。

 

 既に修に追随する遊真は目前まで迫っており、磁力片の盾を張る時間はない。

 

「く…………っ!」

 

 その時点で、ヒュースは撤退を選択した。

 

 このままでは、落とされる。

 

 だからこそ、自身の身体に磁力片を纏わせて、万が一の時の為に近くの家屋の屋根に撃ち込んでいた磁力片に引き寄せさせた。

 

 磁力の引き合う力を利用した、緊急回避。

 

 その速度は『弾』印(パウンド)には及ばないもののかなりのものを誇り、この攻撃を回避するには充分なものだった。

 

「な…………?」

 

 彼の引き寄せられた先に。

 

 一本の、(ワイヤー)が張られていなければ。

 

 ヒュースの足がワイヤーに接触し、バランスを崩す。

 

 そして、磁力によって引き寄せられていたが故に、緊急停止も不可能。

 

 結果としてヒュースは大きく体勢を崩し、転倒する形となる。

 

 何が起きたか、言うまでもない。

 

 近界民(ヒュース)にとっては未知の、ボーダー隊員(遊真)にとっては既知のトリガー。

 

 ワイヤートリガー、スパイダー。

 

 修によって張られていたそれに、ヒュースが足を引っかけたのだ。

 

 これが、修の用意した本当の策。

 

 彼がこれまで何の音沙汰もなかったのは、戦闘を一切行わずにひたすらワイヤーを張る事に専念していたからだ。

 

 修の戦闘力では、まともに戦っても大した戦力にはならない。

 

 通常のトリオン兵くらいは倒せるだろうが他の隊員と比べると効率は著しく悪いと言わざるを得ず、ハッキリ言ってB級下位の面々の方が良い働きをするだろう。

 

 だからこそ、修は自分の仕事は戦闘(それ)ではないと割り切った。

 

 ────────────────スパイダーは、仮に三雲くんが落ちても戦場に残り続ける。この点も、無視は出来ないわ────────────────

 

 以前に聞いた、木虎からの助言(アドバイス)

 

 それが、修に自身の役割を決めさせた決定打だった。

 

 修は自分が普通に戦える戦力としては並以下どころか最弱であると、理解していた。

 

 だが、弱者であるからといって何の貢献も出来ないというのは誤りだ。

 

 純粋な戦闘以外にも、こうして罠を張り戦場を整える事が出来れば。

 

 それは充分、全体への貢献へ繋がる。

 

 仮にその最中で自分が落ちてしまっても、ワイヤーは残り続ける。

 

 ワイヤーの位置は既に他の部隊とも共有済みだし、修が出来る最低限の仕事は既に終わっているのだ。

 

 だからこそ、この一瞬を作り出せた。

 

 修の乱入によってヒュースからその強さを支えていた冷静さを奪い、レイジによって不確定要素になりかねなかったラービットを排除。

 

 こうして修を盾にする形で突っ込む事でヒュースに撤退を選ばせ、自ら罠へと足を踏み入れさせた。

 

 全て、修がいなければ成り立たなかった戦略であり────────────────かくして弱者(かれ)意図(どく)は、強者(ヒュース)に見事撃ち込まれた。

 

『強』印(ブースト)────────|三重(トリプル)

 

 その隙を。

 

 遊真が、見逃す筈もない。

 

 『強』印、その三重。

 

 三段階に強化された膂力が、遊真の右腕に宿る。

 

 遊真は空中に張られたワイヤーを掴み、反転。

 

 体勢を崩したヒュースへ、その拳を振り下ろす。

 

「ラン、ビリス…………ッ!!」

 

 ヒュースは咄嗟に蝶の盾(ランビリス)の残った磁力片を収束させ、盾を形成。

 

 遊真の攻撃への、盾とした。

 

「ぐ…………っ!」

 

 盾は貫通はされたものの、結果として攻撃は逸れた。

 

 遊真の拳はヒュースの肩口を右腕ごと吹き飛ばしたが、まだ致命傷には至っていない。

 

 撤退を。

 

 そう思考するヒュースは。

 

「が…………っ!?」

 

 その首に、飛来して来たブレードが突き刺さり、今度こそ致命傷を負う事となった。

 

「これ、は…………っ!?」

 

 視線を向ける。

 

 その先にいたのは、手に持っていた盾を手放した────────────────修の、姿。

 

 そして、気付く。

 

 今、自分の首に突き立っているこの刃は。

 

 あの盾が、形を変えたものなのだと。

 

(シールド)にも、仕掛けがあったのか…………っ! やられた…………っ!)

 

 それは、ヒュースが近界民だからこそ陥った()()

 

 レイガストは、単なる盾ではない。

 

 盾と剣、両方の性質を持つ攻防一体型の武器。

 

 単体での取り回しこそ悪いが、オプショントリガーであるスラスターと組み合わせる事で無数の戦略の幅が広がるそのトリガーを。

 

 ヒュースはただ、加速機能持ちの盾として看做し────────────────その結果として、ブレードモードの存在を見抜けず致命傷を受けた。

 

 ボーダー隊員であれば、まず通用しないであろう不意打ち。

 

 それを相手がボーダーのトリガーの詳細を知らない近界民である事を最大限利用し、成功させた。

 

 遊真の一撃は、囮。

 

 彼の攻撃に全ての防御を使い切らせ、その隙を修の刃が貫く。

 

 それが、今回打ち立てた修の策。

 

 利用出来るものを全て利用した、彼なりの詰め将棋(せんじゅつ)の成果である。

 

「馬鹿、な…………っ!?」

 

 そして。

 

 ヒュースの戦闘体は限界を迎え、崩壊。

 

 アフトクラトル、一人目の脱落者となってそのトリオン体(からだ)は砕け散った。



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感傷

 

「く…………」

 

 戦闘体が破壊され、生身のヒュースが路地に現れる。

 

 ヒュースは悔し気に唇を噛み、目の前に立つ二人を見据えていた。

 

 近界には、緊急脱出(ベイルアウト)のようなシステムは存在しない。

 

 故に戦闘体の破壊はイコール生身の露出であり、そうなってしまえば抵抗手段など存在しない。

 

 生身の身体では、トリオン体相手に抗する術などないのだから。

 

「やったな、オサム」

「ああ、なんとかな」

 

 遊真と修は、互いの健闘を称え合う。

 

 ヒュースを犠牲なく倒す事が出来たのは、間違いなく修の奮闘があったからだ。

 

 遊真だけでも倒すだけであれば出来たであろうが、相応の代償を支払う事になっていた可能性が高い。

 

 それだけヒュースという兵士は強く、そして戦場を識っていた。

 

 彼の敗因の一つに戦争経験の不足があるが、それはあくまでランバネインのような歴戦の猛将と比較した場合の話であり、ヒュースが戦争に赴いた回数は決して少なくはない。

 

 玄界のトリガーと、無力ではない弱者という二つの()()

 

 それが、彼を敗北に至らせた最たるものなのだ。

 

 負けた事自体は屈辱であるが、自らの敗因を理解出来ない程ヒュースは愚かではない。

 

 口には出さないが、自分の敗北の大きな要因として修の奮闘があった事は彼も認めている。

 

 故に、此処で悪態をつきはしない。

 

 戦闘中に心理攻撃をされていたのならともかく、今の自分は尋常に戦い、負けた敗残者だ。

 

 横槍が卑怯だなどという戯れ言をほざくつもりはないし、そもそも戦場では結果を出した者こそが正義なのだ。

 

 そのあたりの清濁を呑み込めないような価値観は、軍事国家に育ったヒュースとは無縁だ。

 

 だからこそ、自分を前に互いの健闘を称え合う二人を見ても何も口には出さない。

 

 負けたとはいえ情報を喋るつもりは微塵もなく、敵に捕らえられ拷問にかけられたとしても自分が口を開く事はないだろう。

 

 それだけの忠誠心が、ヒュースにはあるのだから、

 

(いや、そろそろ迎えが来るハズだ。トリオン体を破壊された場合は、ミラが回収する手筈となっているのだから)

 

 加えて、自分が囚われる事はそもそもない。

 

 この作戦では戦闘体が破壊された場合は作戦開始時に身に着けていたビーコンを頼りに、ミラが窓の影(スピラスキア)で迎えに来る手筈となっている。

 

 トリオン体を破壊されていても、この生身の肉体の方にビーコンは装着している。

 

 先程まで通信が繋がっていたのだから、こちらの敗北はハイレインに伝わっている筈だ。

 

 ならば、迎えに来ない筈がない。

 

 だからこそヒュースは口を開かず、ただその迎えを待った。

 

「そいつは俺が支部に連行する。お前達は、本部の指示に従え」

「わかった」

「わかりました」

 

 だが。

 

 先程ラービットを殴り飛ばしていた男が自分を連行する為にやって来ても尚、ミラの迎えは来なかった。

 

 こちらの状況を感知していない、という事は有り得ない。

 

 操作権を貸与されていたとはいえ、ラービットのカメラアイの映像は逐次向こうに届いている筈だ。

 

 加えてこの街には偵察用のトリオン兵であるバドが無数に展開されている。

 

 これらは戦場の俯瞰情報の取得が主な役割であり、ヒュース達トリガー使いの戦闘個所には必ず配置されている。

 

 幾ら窓の影(スピラスキア)があるからといって迅速に生身を回収出来なければ敵に殺されてしまう可能性がある為、当然の処置である。

 

 この玄界で生身となった敵兵をどう扱っているかについては情報がないが、近界の常識としては殺すか捕獲するかの二択である。

 

 どちらにせよミラが向かう前にビーコンを壊されてしまってはたまったものではない為、敗北後の回収は迅速に行われる。

 

 なのに、来ない。

 

 近くに()が開く気配も、はたまた何かしらの救援が来る様子もない。

 

 敗北したヒュースを回収しに来る者は、ついぞ現れなかった。

 

(何故、何故ですかハイレイン隊長…………ッ! 何故、迎えに来て下さらないのです…………っ!? 貴方は、何をお考えなのですか…………っ!?)

 

 

 

 

「ヒュースが敗れた以上、回収は出来ない。金の雛鳥は、まだ発見出来ていないからな」

 

 アフトクラトル、遠征艇。

 

 そこで、ハイレインはヒュースの処遇に対しミラに自身の決断を伝えていた。

 

 それを聞き、ミラはあくまで平静を装い問い返す。

 

「よろしいのですか? まだ作戦は失敗したワケではありませんが」

「失敗する可能性がある以上、危険は冒せない。作戦終了時に金の雛鳥を捕獲出来ていなければ、ヒュースを国に連れ帰るワケにはいかなくなる。その時に遠征艇にヒュースが乗っているなら、殺すしかなくなる。出来ればそれは避けたい」

 

 ハイレインはミラの心情を理解しつつ、そう断言した。

 

 確かに、作戦は失敗してはいない。

 

 まだ「神」の候補者の所在は掴めていないが、偵察の結果膨大なトリオンの持ち主が存在する事自体は判明している。

 

 だが、此処まで計画に瑕疵が付いて来た以上、失敗する可能性はどれだけ低かろうが考慮しなければならない。

 

 そして、失敗した時の事を考えればヒュースを回収するワケにはいかないのだ。

 

「ヒュースを玄界に置き去りにするのは、あいつを排除する為だけじゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()を口実に、エリン家の権威を削り当主を「神」にする工程を短縮する為でもある。故に、我々の手でヒュースを殺してはならない。あいつはあくまでも、置き去りにしなければ計画は成立し得ないのだから」

 

 そう、ヒュースが邪魔なだけの駒であるならば単純に殺してしまえば良い。

 

 それをせずに玄界への放逐という手段を取るのは、今後の政策の為だ。

 

 当然ながらエリン家は立場ある家柄であり、上位の家にあたるハイレインが当主に「神」になる事を強制した場合多くの反発がある。

 

 エリン家当主は人格者として有名であり、家の内外に彼女を慕う者は多い。

 

 だからこそ、彼女を「神」にする為には「口実」が必要不可欠なのだ。

 

 たとえそれが傍から見て欺瞞ではあっても、口実────────────────つまりは()()()()()()()は重要なのだ。

 

 それが政治という世界であり、ハイレインが身を置く場所のやり方だ。

 

 屁理屈か否かを問わず相手の粗を探し出し、そこを切り口に手段を選ばず追い落とす。

 

 手段の好悪で躊躇うようでは政治の世界で生き残る事は出来ない事を、ハイレインは良く知っている。

 

 自分が行おうとしているのは鬼畜の所業である事も、理解はしている。

 

 ヒュースに対する情も、存在しないワケではない。

 

 だが、そんな()()を政治に持ち込む程、ハイレインは暗愚ではなかった。

 

 政治の世界は事の善悪ではなく、結果と体面こそが重視される。

 

 情に流されるような領主では統治は危ういものとなり、結果として多くの臣民に艱難辛苦が訪れるだろう。

 

 政治は、優しいだけでは成功し得ないのだ。

 

 有望株として徴用して来たヒュースに対する好感も、実験段階のトリガー(ホーン)の悪影響で最早処分する他なくなったエネドラへの憐憫も。

 

 それら全ては、国益の為には切って捨てなければならない代物だ。

 

「分かりました。ではそのように」

「お前が気にする事ではない。これは、俺の判断だ。ヴィザ翁には、俺から伝えよう」

「了解しました」

 

 努めて、短く。

 

 ミラは様々な感情を押し殺しつつ返答し、そして。

 

 今も戦闘中である精鋭達に、ヒュースの敗北と処置を伝えた。

 

 

 

 

「ハッ、もう負けやがったか犬っコロ…………ッ! ザマァねぇな」

 

 ミラからヒュースの敗北を伝えられたエネドラは、そう言って盛大に侮蔑を吐いた。

 

 元々、彼にもヒュースを置き去りにする計画は伝えてあった。

 

 だからこそこの展開事態に驚くような事はなく、精々があれだけ大口を叩いておきながら負けた彼への嘲笑があるだけだ。

 

 その悪感情が。

 

 トリガー(ホーン)の浸食から生まれたものである事に、気付く事なく。

 

「喜べよ。テメェ等のお仲間が一人倒したらしいぜ。まあ、あんな雑魚がやられたところで痛くも痒くもねぇがな」

「おい、何笑ってやがる。仲間が負けたんだろが」

「あぁ? テメェらのような雑魚に負けるような奴、仲間でもなんでもねぇよ。あれだけイキってた割に雑魚に負けるようじゃあ、同情する価値もねぇ。お似合いの末路、ってワケだ」

 

 戦っていた影浦が険しい表情で糾弾するも、エネドラは嘲笑を止めない。

 

 トリガー(ホーン)の浸食で人格が汚染された彼にとっては自分以外の────────────────否。

 

 世界の全てが目障りで、唾棄すべき対象であり。

 

 同じ陣営の仲間だとしても、それは例外ではなかった。

 

 ヒュースはいちいち口うるさいのが気に障ったし、ランバネインはこちらの皮肉に怒りもせずに笑っているのが気に食わなかった。

 

 ミラは時々何処か憐れむような眼で自分を見るのがムカついたし、ハイレインも根暗な性格が嫌いだった。

 

 ヴィザもまた、あの飄々としたところが気に入らなくて/昔を思い出すようで、今は。

 

 見ているだけで、吐き気がする/ただ、悲しいだけだ

 

「────────ッ!? クソッ、()()()()()()か…………ッ! うざってぇ」

 

 エネドラの脳裏に何かが浮かび、それが形を成す前に消えていく。

 

 自分に笑いかける女性と老人の二人の姿が見えた気がするが、エネドラの本能(りせい)がそれは錯覚であると一蹴する。

 

 この頭痛は、目の前の(ザコ)が中々くたばらない所為だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから、そうに決まっている。

 

 この煩わしい頭痛も、全ては自分の思い通りにこいつが殺されていない所為だ。

 

 そう理解し(思い込み)、エネドラはその狂気(てきい)を影浦へ向ける。

 

「さっさとくたばれよ、オラァ…………ッ!」

「ハッ、聞けねぇ相談だな。そんな、空っぽの敵意を向けて来る奴になんてよ」

 

 そんなエネドラに、影浦はある種の憐憫を覚えながら言い返す。

 

 感情を肌感覚で受信する副作用(サイドエフェクト)を持つ彼は、エネドラの敵意が全て八つ当たり、もしくは錯乱した者の攻撃衝動のようなものであると理解出来ていた。

 

 彼の敵意は、以前酒に酔った悪漢や精神が不安定な人間から向けられたものに、とても似ていた。

 

 そもそも、眼が黒くなっている時点で脳になんらかの異常が起きているだろう事は推察出来る。

 

 相手は人体実験も辞さない類のようだと聞いているし、その副作用か何かだろうと影浦は思考する。

 

 だからといって、手を抜く理由は微塵もないが。

 

 相手に事情があるのは理解出来たし、このエネドラに限れば同情すべき境遇もあるのだろう。

 

 だが、自分たちの敵である事が変わるワケでもない。

 

 そも、七海が求める未来に彼等の打倒が必須事項であるのだから。

 

 倒す事に躊躇など、ある筈もないのだ。

 

「オラ、早く来いよおかっぱスライム。それだけ吐いといて、俺が怖ぇワケでもねぇだろが」

「上等だコラ。お望み通り、さっさと殺してやらぁ…………っ!」

 

 そうして。

 

 影浦とエネドラは、互いを罵り合いながら戦闘を再開した。

 

 内に秘めるものを、明かす事なく。

 

 

 

 

「────────そうですか。分かりました」

 

 南部の戦場。

 

 そこで小南と対峙していたヴィザは、ハイレインの口からヒュースの敗北────────────────そして、処置の決定を聞かされた。

 

 目を閉じたままの翁の心情は、伺い知れない。

 

 ヒュースは、幼少時から指導を受け持っていた弟子のようなものだ。

 

 当然それだけ長く共にいたのだから情も持っているし、可愛い孫のように思ってもいた。

 

 だから叶うのならば今後もその成長を見届けたいと思っていたのだが、この作戦の指揮官であり領主でもあるハイレインがそう決めたのであれば自分が否と言える筈もない。

 

 この身は、一振りの剣。

 

 剣聖などと称えられているが、それが名誉だと思った事はない。

 

 強者を打倒する感覚を楽しんでいない、とは言えない。

 

 しかし、結局のところ自分はアフトクラトルの為に振るわれる刃であり────────────────国益こそが、最大限優先すべき事である事も理解している。

 

 「神」が見つからなければ、国が死ぬ。

 

 そして、この作戦で「神」の候補者を確保出来なければその()()()が必要になる。

 

 その場合、最大の障害と成り得るのがヒュースである事もまた、理解していた。

 

 だからこそ、ハイレインの方針に否とは言えない。

 

 確かに、弟子の事は大事に思っているが。

 

 だからといって、アフトクラトルの国難を見過ごす事もまた────────────────自分には、出来ないのだから。

 

「さて、このままでは埒があきませんね。お嬢さんのような方を斬るのは心苦しいですが、此処は心を鬼とする事と致しましょう」

「…………!」

 

 故に、自分がやるべき事は一つ。

 

 何が何でも作戦を成功させ、せめてヒュースの主君が贄となる事を防ぐ。

 

 金の雛鳥さえ確保出来れば、エリン家の当主を「神」とする必要はない。

 

 その場合でもヒュースの回収は難しいだろうが、いざとなれば自分が()()を斬り捨てて彼を拾って来れば良い話だ。

 

 金の雛鳥さえ回収出来れば、ハイレインも文句は言わないだろう。

 

 故に。

 

「────────星の杖(オルガノン)

 

 アフトクラトルの剣聖は。

 

 その刃を、抜き放った。



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星の杖①

 

「────────!」

 

 その瞬間、小南の背筋に凄まじい悪感が駆け巡った。

 

 かつて戦場で幾度となく経験した、()の気配。

 

 それらと比較しても尚濃厚なその空気を感じ取り、即座に後方に跳んだ。

 

 その、刹那。

 

 ────────世界が、斬り刻まれた。

 

 小南の立っていた場所、その周囲────────────────どころではない。

 

 ヴィザの立つ場所を中心とした半径数キロメートルの範囲に存在する全ての建造物が、バターのように斬り飛ばされた。

 

 それはまるで、大きな画用紙を裁断機で粉微塵にしたかのような、無法。

 

 対象の強度や大きさなど関係ないと言わんばかりに詰め込み、無理やりに斬り刻んだかのような光景。

 

 それが、小南の目の前に広がっていた。

 

 たった今まで小南の立っていた場所も、当然の如く見えない裁断機によって斬り裂かれている。

 

 あと一瞬、退避するのが遅れていれば彼女自身もまた、その裁断(こうげき)に巻き込まれていただろう。

 

 今回もまた、小南は自身の持つ並外れた危機に対する嗅覚に救われた形となった。

 

(何があったか知らないけど、今いきなり殺気が膨れ上がった。全開ではないでしょうけど、これまでよりは断然ヤバそうな空気ね────────────────成る程)

 

 そこで小南は、遊真と修が敵の一人を撃破したという通信を聞く。

 

 それで、合点がいった。

 

 今あの翁が殺気を膨れ上がらせたのは、それが原因だろう。

 

 見た限り、その撃破された相手と言うのはこの老剣士にとって特別な存在だったのだろう。

 

 これまで微塵も感情の揺らぎを見せなかった翁が一瞬とはいえ殺気を露にしたのだから、相応に深い関係と見て良い。

 

 要は、大事にしている人間がやられて気が立った。

 

 それだけの、話だろう。

 

(かといって、それが隙になる相手じゃないわね。下手に煽れば、逆に本気度を上げるでしょうし)

 

 だが、それが付け入る隙になるかと聞かれれば否だ。

 

 確かに、翁が感情的になった事は事実だろう。

 

 しかし、だからといって我を忘れているワケではない。

 

 激昂した、というよりは。

 

 ()()()()()()()()()と表現するのが、今回は正しい。

 

 この野郎、とムキになるのではなく。

 

 成る程、では少し真面目にやりましょう、といった具合で気を引き締め直したに違いない。

 

 相手を重んじていないワケではなく、完全に私情と戦闘を切り離して思考出来る。

 

 この修羅であれば、その程度の芸当は普通にこなす。

 

 故に、此処で倒れた相手の事を揶揄したとしても、それは相手に出力制限(リミッター)を外させる行為でしかない。

 

 目の前に立つ翁は、本物の修羅だ。

 

 下手な挑発は冷静さではなく、彼が()()()()()()()としていた方針を変えさせる結果にしかならない。

 

 そしてそうなれば自分であれ生きていられる保証はないというのが、小南の見立てだ。

 

 この相手は、本気にさせてはいけない。

 

 それを、彼女は本能で感じ取っていたのだから。

 

 これまで曲がりなりにも小南が無事だったのは、相手が殲滅を目的としていなかったからだ。

 

 彼女をこの場に縫い留めておけば良いと、そう判断しているからこそ本格的に殺しには来ていない。

 

(けど、今ので大分難易度が上がったわね。さっきまでと同じと考えてちゃ、あっという間に真っ二つだわ)

 

 しかし、今ので敵のスタンスが変わった事は確かだ。

 

 本格的に本気を出しはしないだろうが、先程より攻撃的な空気を老剣士からは感じ取れる。

 

 肌がピリつき、殺気が氷点下の外気のように突き刺さる感覚。

 

 影浦のような副作用(サイドエフェクト)は持ってはいないが、小南の戦場で鍛え上げられた危機察知の直感は先ほどより数段増した凍り付くような殺意を感じていた。

 

星の杖(オルガノン)を初見で避けるとは────────────────矢張り、貴方は私の対峙して来た中でも生存能力に関しては特別優れているようですね」

 

 ヴィザは自分の攻撃を回避してみせた小南をそう言って称賛し、口元に笑みを浮かべる。

 

 好好爺じみた笑みではあるが、小南はその笑みが獲物を前にした猛獣の眼の類である事を理解していた。

 

 獲物を前にして舌なめずりをする、獣の視線────────────────ではない。

 

 相手を()()()()()()()()を思考し、冷徹に狩りを実行する狩人(ハンター)の眼だ。

 

 そこに油断は存在せず、ただ如何にして相手を殺すかに全霊を傾ける殺意の化身。

 

 翁からは、その危険極まりない気配が滲み出ていた。

 

(まったく、嫌になるわね。こんな化け物、今まで戦って来た中でも最悪の相手じゃない)

 

 過去の戦争経験を鑑みても、目の前の翁がアフトクラトルどころか近界でも最高峰の使い手であると認識せざるを得なかった。

 

 自分の命が失われる瀬戸際に陥った経験など、小南には腐る程ある。

 

 それだけ近界の戦場というのは危険な場所であり、緊急脱出(ベイルアウト)がなかった時代にそういった数々の死線を体験して来た。

 

 だが、目の前に立つ老剣士(きょうい)はそれらとは全くベクトルが違う。

 

 軍勢としての、環境としての脅威ではない。

 

 ただ、そこに立つだけであらゆる存在を駆逐する生きた災害。

 

 単騎で地獄を顕現し得る、一人の修羅。

 

 目の前の剣士は、そういった手合いだ。

 

 間違っても、小南一人でどうにかなるような相手ではない。

 

 しかし、生半可な相手を連れてきても何も出来ずにやられるだけだ。

 

 少なくとも、小南と同等かそれに匹敵する危機感知能力がなければ話にならない。

 

 そして、それはあくまで最低限の基準だ。

 

 誰が援軍に来たとしても、目の前の剣士に()()()イメージを小南は抱く事が出来なかった。

 

(勝ち方を考えるのは、まだ早いわね。今は一秒でも長く時間を稼いで、こいつの事を暴かないと────────────────さっきは、斬線すら見えなかったし)

 

 先程の攻撃の正体も、未だ不明なのだ。

 

 建物が()()()()()()事から、斬撃に類するものだという事は予想出来るが────────────────その斬撃の軌跡を、小南は視認する事が出来なかった。

 

 何らかの仕掛け(トリック)があるだとか、そういう話ではない。

 

 恐らく、単純に()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 歴戦の兵士である小南ですら、視認不能な速度の広範囲の斬撃。

 

 それが恐らく、ヴィザの持つ黒トリガー────────────────星の杖(オルガノン)の、能力なのだ。

 

 いわば範囲と速度を超強化した旋空に近いのであろうが、単純な線の攻撃であるあちらとは少し違う気がした。

 

 破壊の規模は忍田が旋空を撃ち続けた痕に似ているが、攻撃範囲の広さが尋常ではない。

 

 生駒旋空を超える速度の斬撃を、全方位に撃ち放ったかのような。

 

 そういった、理不尽の塊のような攻撃であったのだから。

 

(オルガノンっていうのは確か、話に聞いたアフトクラトルの国宝よね? つまりこいつが一番厄介な強敵って認識は、間違ってなかったワケだ)

 

 迅から聞いた話によれば、今回の大規模侵攻では一人、洒落にならない強さの相手が来るらしい。

 

 それは迅や小南でさえ勝てないレベルの相手であり、この敵をどう相手取るかで未来が変わるのだと彼は話していた。

 

 かつての彼であれば、小南にこの話はせずに逃げられるように手を回しただろう。

 

 だがそれは、あくまで以前の迅であればの話だ。

 

 七海との一件を経て人を頼る事を覚えた今の迅は、小南という戦力を遊ばせるような愚は冒さない。

 

 今、このタイミングでこの翁を足止め出来るのは小南しかいない。

 

 此処で彼女が逃げれば、間違いなくこの老剣士はボーダー側に甚大な被害を齎す。

 

 故に、彼女は他の全てを投げ捨ててでもこの場で彼を相手取る必要がある。

 

 未だ、人型は一人倒されただけなのだ。

 

 聞けば東部では嵐山達が、南西部では影浦が、それぞれ人型と戦っているらしい。

 

 特に、影浦の相手は黒トリガー使いであるとの事だ。

 

 恐らく彼の副作用(サイドエフェクト)を駆使して時間稼ぎに徹しているのだろうが、万が一にも彼等の元へこの老剣士を向かわせるワケにはいかない。

 

 影浦はまだサイドエフェクトがあるから即死はしない可能性はあるが、それでも黒トリガー二人の相手はキツいなんてものじゃない筈だ。

 

 嵐山にしても、相手が黒トリガーではないとはいえ相当の手練れという話である。

 

 どちらにせよ、此処で翁を見過ごすという選択肢は存在しない。

 

 この剣士は、ラービットなどとは比較にならない脅威である。

 

 ラービットはまだ他の隊員でも対処は可能だが、こいつだけは駄目だ。

 

 然るべき準備もなしに挑めば、撃破数(したい)を増やすだけである。

 

 小南はそう判断し、視界の先のヴィザを睨みつけた。

 

「しかし、困りましたな。手早く片付けようと思うのですが、お嬢さんの首は簡単には斬れそうにありません。ですから────────」

「────────!」

 

 瞬間、再び駆け巡った先程以上の悪感に従い、小南は即座に退避を選択し────────────────。

 

「え…………?」

 

 ────────────────その左手首が、無造作に斬り落とされていた。

 

 今回どころか、年単位で存在しなかった小南の明確な被弾。

 

 それが今、全くの兆候なく成し遂げられた。

 

 小南は、危機感知の直感に従い回避を選択した。

 

 今までであれば、それで攻撃は完全に回避出来ていた筈だ。

 

 だが。

 

 翁の一撃は、その彼女が逃げる先を予測していたかのように()()()()いた。

 

 普段の彼女であれば、まず有り得ない失態────────────────ではない。

 

 ヴィザは彼女が危機感知に用いていたもの────────────────即ち、相手の殺意の察知を逆利用したのだ。

 

 小南は影浦と違いサイドエフェクトは所持していないが、戦場での度重なる死線の経験により相手の殺意に対する感知能力は彼に近い領域に達している。

 

 人は相手を攻撃する時、それも殺すつもりで行う時は大なり小なり確実に殺気を向けるものだ。

 

 小南はそれを鍛え抜かれた直感で察知し、その攻撃の軌道を避けていたのだ。

 

 加えて潜り抜けた死線の積み重ねにより、状況判断能力もかなりのものに仕上がっている。

 

 殺意を感知する直感と、潜り抜けた死線から経た戦闘経験。

 

 それが、小南の高い生存能力の源だった。

 

「────────この通り。歴戦の兵士ほど、()()には引っかかる。私はただ、殺意を向けた所とは違う場所に刃を置いただけなのですがね」

「簡単に、言ってくれるわね…………っ!」

 

 だが、それこそをヴィザは利用した。

 

 殺意を、即ち攻撃意思そのものを陽動(フェイント)として扱い、それを回避しようとして動いた先にこそ本命の攻撃を置く。

 

 それが、たった今ヴィザがやってのけた芸当である。

 

 当然の事ながら、並大抵の人間が出来る所業ではない。

 

 殺気を消すだけなら遊真や東といった歴戦の経験と天賦の才覚を持つ規格外であれば可能ではあるが、殺意を陽動として用いるなどといった領域には彼等ですら届いてはいない。

 

 これが、ヴィザの脅威の本質。

 

 老年に至るまで数々の戦場で極限まで鍛え上げられた経験の厚みと、殺意の統御。

 

 恐らく、殺気を消して攻撃を行う事も、この翁には可能だろう。

 

 実際、今の攻撃がそうなのだ。

 

 殺意を別の場所に向けながら、本命の攻撃を殺気を消して実行する。

 

 小南が歴戦の兵士でなければ、危機感知能力がなければ引っ掛かりはしなかったであろう致死の罠。

 

 それでも彼女の手首を狙ったのは、首や胴といった急所を狙えば小南の培われた経験と勘が無意識の内に攻撃を察知していたであろうからに他ならない。

 

 無数の死線を潜り抜けた結果、小南は自分が死に至る攻撃に対しては特に敏感だ。

 

 たとえ直前まで察知出来ていなかったとしても、致死の攻撃だけは回避する。

 

 そういう()が、小南には付いていた。

 

 ヴィザは小南のそんな性質すら見抜き、四肢の中で比較的警戒が薄かった手首を狙ったのだ。

 

 急所は当然、一番警戒の厚い場所だ。

 

 そこを狙えば回避されるであろうと、ヴィザは冷静に判断していた。

 

 足もまた、小南にとっては急所と同義だ。

 

 戦場で機動力が削がれる事がどれだけ死に直結するかを、死線踏破者である小南は嫌という程知っている。

 

 だからこそ、彼女にとっては機動力を司る脚部への攻撃は急所への攻撃と同等であると看做される。

 

 そして、他と比べて警戒の厚くはない腕部もまた、利き腕を落とされる事には敏感だ。

 

 故に、ヴィザは左腕を狙った。

 

 四肢の中で最も警戒が薄く、尚且つ彼女の攻撃能力を削ぐ事が出来る個所であるが故に。

 

 小南の武器である双月は、大斧状態であれば両手持ちの武器となる。

 

 身の丈を超える大斧を自在に扱う為には、両腕での使用が不可欠だ。

 

 左手首を失った今の状態では、小南の攻撃能力は激減したといって良い。

 

 これまでのようにラービットを殲滅して回るには、相応の時間をかけなければならないだろう。

 

(やってくれたわね。本当、規格外だわこいつ)

 

 これで、ヴィザがこの場に赴いた目的は半ば達成されたと言っても過言ではない。

 

 今の小南では、先程のような速度でのラービット殲滅は望めない。

 

 つまり、此処で彼が小南を放置するという選択も、有り得ない話ではなくなって来たという事だ。

 

「お嬢さんのような方を斬るのは心苦しいですが、これも任務。私も心を鬼にして、役目を遂行すると致しましょう────────────────付き合って、頂けますかな?」

「ちっ、嫌な爺さんね…………っ!」

 

 要するに、今のは「逃げる素振りがあれば別の場所に赴く」という一種の脅迫だ。

 

 小南が逃げれば、彼女を放置して別の戦場を蹂躙すると────────────────ヴィザは、そう言っているのだ。

 

 そんな真似をされるワケにはいかない為、小南は彼と戦う以外に道はない。

 

 しかも、攻撃意思を見せなければ恐らく彼は本当に小南を放置して別の戦場へ向かうだろう。

 

 左手首がなくなった今、難易度は先ほどの比ではなくなっているが────────────────やるしか、ないのだ。

 

「────────!」

 

 小南は意を決し、片手に双月を構えながら修羅の剣聖との戦闘を再開した。



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雷の羽①

 

(一つ、未来が変わったか。どうやら、二人は巧くやったようだな)

 

 迅は街を駆けながら、自身の見ていた未来の道筋(ルート)に若干の変動を確認し笑みを浮かべた。

 

 先程まで存在していた、ヒュースが生存して他の人型をサポートした結果こちらの精鋭が潰されるルート。

 

 そして、ヒュースによって遊真が痛手を負いこの先が苦しくなるルートが、軒並み消滅した。

 

 遊真の戦っていた人型近界民(ネイバー)、ヒュースは単騎での殲滅力はさほど高くないものの、他の人型と組む事で被害を加速度的に広げる性質を持っていた。

 

 単騎で戦闘を行うよりも、他者との連携で真価を発揮するサポート特化型の兵士。

 

 それが、ヒュースという大駒の性質だった。

 

 故に、他の人型と合流されれば連携を取られてこちらのエースがやられるルートもあったし、勝つ事が出来ても遊真に痛手を与えて今後の展開に大きく影響するパターンもあった。

 

 だが、遊真は修との連携によりさしたる被害を受けずにヒュースを倒す事に成功した。

 

 先の戦いでのMVPは、修であると言っても過言ではない。

 

 それだけ、彼が齎した戦果は大きいのだから。

 

(でも、小南の戦ってる相手が少し本気を出し始めたのは誤算だったな。視認出来る位置まで行くと気付かれる未来(ルート)が多かったから近付く事は避けてたけど、それが裏目に出たか)

 

 しかし、その影響で小南の戦う相手────────────────ヴィザが多少なりとも力を見せ始めたのは、誤算であった。

 

 無論他の相手と同じように遠目から確認しようとしていたのだが、迅の未来視によってそれをすれば察知されて斬られるであろう事が、理解出来た。

 

 どうやらこの相手は直感や観察力が並外れているだけではなく、トリガーそのものの射程も相当に広いらしい。

 

 小南の話では仕込み杖を使う老剣士との事だったが、明らかにその射程は剣の間合いではない。

 

 例の剣士は実に狙撃手並の攻撃圏を持っており、その剣速は視認が不可能な程だという。

 

 小南だからこそ今まで落とされずに抗戦出来ているが、大抵の相手は瞬殺だろうという事も理解した。

 

 そして、たった今入った一報────────────────小南が被弾したという話を受けて、改めて迅は敵のレベルが如何にとんでもないかと悟る。

 

 小南は迅達旧ボーダーのメンバーの中でも特に危機感知能力に優れており、その精度は攻撃感知型のサイドエフェクトに匹敵しかねない。

 

 似たような事は迅にも可能ではあるが、彼が未来視という強力な副作用(サイドエフェクト)を用いているのとは対照的に、小南は自身の戦闘経験と直感だけでそれを成し遂げている。

 

 迅の場合、未来視は物心付いた頃から存在した生態の一つのようなものであり、処理する情報の一つとして意識せずとも活用していた。

 

 しかし小南はそういった能力には頼らず、自身の経験のみで今の域に届いたのだから尋常な話ではない。

 

 そうしなければ死んでいたであろうからこそ、鍛え上げた危機感知。

 

 経緯を考えれば手放しでは喜べない技能だが、小南が極端に死に難い戦士である事は事実だ。

 

 その小南が被弾したという現実は、重く受け止めなければならない。

 

 極論、小南が回避出来ない攻撃は他の者にも回避出来ない可能性が高い。

 

 冗談でもなんでもなく、サイドエフェクトの持ち主を抜きにすれば初見で彼女並の危機感知による回避を行える者はいない。

 

 旧ボーダーの面々は似たような事は出来るが、その中でも小南のそれは飛び抜けている。

 

 それは小南が今生き残っている旧ボーダーの戦闘員の中では最も若く、戦闘経験の回数自体は他の者達には及ばない事も起因している。

 

 当時の小南は今ほど突き抜けて強かったワケではなく、当然戦場では数多くの危機に見舞われた。

 

 その死に瀕した体験が彼女の心と身体を鍛え上げ、文字通り身を以て危機に対する感知能力を極めさせたのだ。

 

 そんな小南が、片手を失う欠損を負った。

 

 それだけで、敵の実力の底知れなさが分かろうというものである。

 

(小南が落ちる未来も、幾つか視え始めてる。まだ一つか二つ程度だけど、多分これは時間経過で更に増えるな。流石の小南も、片手失った状態じゃ大分キツイ筈だしな)

 

 このまま放置すれば、恐らく小南は落とされる。

 

 彼女の事だから限界まで粘りはするだろうが、単騎では勝てない事は最初から彼女自身が断言している。

 

 小南は確かに強いが、それは基礎を────────────────定石を積み重ねた上に在る、正統な強さの極みだ。

 

 敵のヴィザもまた、そういった定石を積み重ねた極地の力を持つ。

 

 同じ土俵で戦っては、年季が違う方に軍配が上がるのは当然なのだ。

 

 ヴィザを倒すには最低一つ、何か彼の知らない予想外(イレギュラー)が必要となるだろう。

 

 それが小南だけでは達成出来ない以上、このまま続ければどうなるかは目に見えていた。

 

(……………………もう少し、頑張ってくれ小南。必ず、間に合わせる────────────────それまで、耐えてくれ)

 

 迅は心中で祈りを捧げながら、駆ける。

 

 そうしている最中にも視界の先に移る未来の映像を見分しながら、彼はこの先の動きについて思考をフル回転させていた。

 

 少しの見落としもないように、鬼気迫る表情で。

 

 迅は、先の可能性(みらい)を視続けていた。

 

(嵐山達も、もうすぐ例の場所に着くか────────────────お前たちの結果次第で、この先の展望が一つ決まる。頼んだぞ)

 

 

 

 

「ヒュースがやられたか。玄界(ミデン)の兵もやるものだな」

 

 南東の警戒区域。

 

 そこでは、ランバネインが嵐山隊と追撃戦を繰り広げていた。

 

 ランバネインは路地を駆けながら、視界の先にいる嵐山達に光弾を射出する。

 

 アフトクラトルの強化トリガー、雷の羽(ケリードーン)

 

 その能力は、単純明快。

 

 強力極まりない威力の弾丸を、()()する。

 

 それだけのシンプルなトリガーだが、単純故に隙が無い。

 

 言ってみれば、ガトリング並の連射性能でバズーカ砲を撃ち出すようなものであり、一発一発の威力はイーグレットのものを上回る。

 

 相当に凝縮もしくは重ね掛けしなければシールドで受ける事は出来ず、まともにやれば避ける以外に生き残る道はない相手である。

 

「────────!」

 

 そんな彼の攻撃を前に嵐山隊が未だに一人も欠ける事なく生き残っているのは、幾つか理由がある。

 

 一つに、単純に回避能力が高い事。

 

 スピードアタッカーの木虎を始めとして、嵐山隊の面々は機動力が高い。

 

 遠近両方に対応した戦術スタイルを確立している事もあり、彼等には凡そ苦手な距離というものが存在しない。

 

 故に、建物で射線を切りながら敵の弾丸の軌道を予測して移動する事でこれまで被弾せずにいられたワケだ。

 

 彼等の培った戦闘経験と状況判断能力が、強化トリガーの猛威から身を守る糧となっていた。

 

「────────!」

 

 しかし、彼等が生き残れた要因はそれだけではない。

 

 その証拠を見せるかのように、それは放たれた。

 

 家屋の合間を縫って放たれた、一発の弾丸。

 

 ランバネインはそれをシールドを防御し、即座に発射地点へと撃ち返す。

 

 問答無用、タイムラグの殆どないカウンター射撃(シューティング)

 

 だが。

 

「またか」

 

 狙撃の発射地点には既に誰もおらず、ランバネインの弾丸は家屋を破壊するだけに終わる。

 

 これは、初めてではない。

 

 先程から幾度も、ランバネインは狙撃手の撃墜を失敗していた。

 

(一発撃った後は、反撃が届く前にいなくなっている────────────────恐らく、転移系のトリガーの使い手がいるな。しかも、かなりいやらしいな。こいつは)

 

 何の事はない。

 

 ランバネインが嵐山隊を仕留める事が出来なかった、もう一つの要因。

 

 それは。

 

 散発的に撃って来てはすぐさま姿を晦ます、幾人もの狙撃手の存在だ。

 

 姿を消す速度から鑑みて、敵もまたミラの窓の影(スピラスキア)のような転移能力を持っている事は明らかだ。

 

 ラービットの砲撃が防がれた時点で存在自体は分かっていたが、この頻度で使って来るとなると燃費は相当に良いらしい。

 

 アフトクラトル遠征部隊の生命線とも言えるミラの黒トリガーである窓の影(スピラスキア)は、空間の穴を通じて人だけではなく物資や攻撃も別の場所に飛ばす事が出来るが、濫用すればトリオンを多大に消費し使用不能になる。

 

 方式は不明であるが、転移という利便性の高い効果を持つトリガーであるならば相応の消費が必要な筈であると考え、ランバネインは敢えて逐次狙撃に対して反撃を行っていた。

 

 しかし、先程から敵の転移は止まる様子がない。

 

 節約する様子もなければ攻撃的に使おうとする気配も見られない為、ランバネインはこの転移トリガーは何かしら条件が必要な分使用コストは安く済むタイプであると判断した。

 

 ミラの窓の影にもまた、視認した個所────────────────もしくはビーコンが存在する地点にしか転移出来ないという、一つの制約がある。

 

 窓の影の戦術的な価値を思えば呑み込まざるを得ない代償であり、恐らく同様に玄界の転移トリガーも何かの制約があると考えられる。

 

 たとえば、準備の有無。

 

 ミラの場合はビーコンさえあれば事前に何かを仕込む必要なくその場所に転移出来るが、恐らく玄界のそれは予め決められた場所にしか転移出来ない代物であると見た。

 

 そうでなければ、辻褄が合わない。

 

 本当に何処へでも転移出来るのであれば射撃タイプの戦闘者であるランバネインの間近に近接戦闘特化の駒を転移させて来る筈であり、それが無い以上自由な場所への移動は出来ないと考えられる。

 

 この場所が近界ではなく玄界である事を思えば、何かを仕込む時間は充分にあったであろう事は推測出来る。

 

 以上の点から、この推察はそう間違ったものではない筈だ。

 

 敵は文字通り、地の利を生かしてこの戦いに臨んでいるワケである。

 

(狙撃手が居る限り、迂闊に飛ぶのは危険だな。少なくとも、低い建物ばかりのこの場所では良い的だ)

 

 そして、その効果は覿面と言えた。

 

 雷の羽(ケリードーン)にはもう一つ、飛行能力という強力な武器があるのだが────────────────それが実質、封じられていた。

 

 この近辺は背の低い家屋しかなく、下手に飛ぼうものなら360度何処から飛んで来るか分からない狙撃の脅威に晒される事になる。

 

 狙撃自体は、距離がある事もあって防ぐ事は容易だ。

 

 だが、確実にこの狙撃手達の狙いは牽制だ。

 

 常に狙撃の脅威に晒す事で、ランバネインが本格的に攻撃体勢に移る事を防ぐ。

 

 それが、彼等の狙いだろう。

 

 実際、その効果は挙がっていた。

 

 常に何処から撃たれるか分からない以上、警戒を緩ませるワケにはいかない。

 

 当然その分のリソースは攻撃面から削る事になり、ランバネインは追う側でありながら防戦一方という、奇妙な状況に追い込まれていた。

 

(優秀な指揮官と、狙撃手達だな。自分のやるべき事をしっかり見据えて、動きに無駄が無い。今逃げている連中もただの雑兵ではないだろうし、想像以上に楽しめそうだな)

 

 エネドラであれば激昂して攻撃が雑になる頃合いだろうが、見た目に反して冷静沈着が常であるランバネインにとってはこの程度どうという事はない。

 

 ランバネインはその勇猛且つ豪胆な見た目に反し、理詰めで戦闘を行う理論派である。

 

 戦闘方法自体は雑に見えるが、その実彼は戦闘中常に思考を止める事なく状況把握に努め、逐次的確な判断を下しながら動く。

 

 彼にとっては正面から斬り合う勇士も、策を用いて絡め手を用いる軍師も、等しく倒すべき好敵手となる。

 

 戦場では手段を選ぶような余裕はないのが当然であり、非力な者が策に頼る事は当然だと彼は考えている。

 

 身体で貢献出来ないのであれば頭でどうにかする他ないのだから、論ずるまでもない。

 

 最終的に味方に最も貢献出来るのは、華々しい戦いをした者ではなく、結果を出した者だ。

 

 それを、ランバネインは軍事国家の権力側の人間として十二分に理解している。

 

 だから、兄であるハイレインがどれだけ悪辣な策を講じようとも異を唱える事はない。

 

 ハイレインは、領主だ。

 

 領主である以上、結果を出す事は義務である。

 

 高い立場にいる者は、相応の結果を出す事でのみその価値を証明出来るのだから。

 

 だからこそ、未だに一人も落とせていない現状をランバネインは苦々しく思っていた。

 

(楽しい、楽しいが────────────────このままでは、徒に時間を消費するだけだ。それは流石に、看過出来んな)

 

 戦いは楽しいが、このままでは碌な戦果を出さないまま徒に時間を稼がれてしまう。

 

 それは彼にとって避けるべき事態であり、現状の変革は急務であった。

 

(あそこは────────────────成る程)

 

 そんなランバネインの視界に、大きな建物が映し出された。

 

 数十メートル先に存在する、背の高い建築物。

 

 あそこであれば、建物で射線を途切れさせる事が出来る上にいざとなれば建物の中に隠れる事も出来る。

 

 当然、罠だろう。

 

 恐らく、敵はあの場へ誘導する為に逃げていたであろう事は容易に想像出来る。

 

 しかし、現状を変える為にはあそこへ向かうしかない事もまた事実。

 

(いいだろう。乗ってやるとしようか)

 

 ランバネインは現状を鑑みて、決断。

 

 視界の先の建物────────────────旧三門市立大学へと、嵐山隊を追って近付いて行った。



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雷の羽②

 

「そろそろ目標地点に着く。そちらの準備は出来たかい?」

『こちら王子隊、配置に着きました』

『同じく香取隊、配置に着いたわ』

『荒船隊。いつでもいけます』

 

 嵐山の号令に、各隊の隊長が応答する。

 

 現在、嵐山達はランバネインの追撃を躱しながら作戦地点へ向かっていた。

 

 これまで、彼等は荒船隊の狙撃援護もあって何とか敵の猛攻を凌いで来たが、流石にそろそろ限界だ。

 

 狙撃による牽制も、一撃離脱をしなければ即死する以上そこまでアテにし続けるワケにはいかない。

 

 なればこそ、彼等はこの先にある旧三門市立大学で勝負をかけるつもりだった。

 

 既に、必要な人員には声をかけてある。

 

 集められた人員は嵐山隊を除き全員がB級部隊だが、人選は迅に助言を受けたのでこの判断が間違っているとは思っていない。

 

(今までに得た情報なら、この作戦で行けるだろう。だが、敵の戦力の上限があれだけとは思えない。場合によっては、中途の作戦変更も考慮に入れなければならないな)

 

 無論、だからといってこれで全部巧くいく、などという思考停止に陥ってはいない。

 

 迅の助言を受けたからには、現在この場に集められるメンバーはこれが最善の筈だ。

 

 だからといって、人員を集めただけで勝てるような容易い敵では断じて無い。

 

 迅の未来視はあくまでも可能性の高い未来を視るものであり、結果(みらい)を選び取るのは当事者である自分達にしか出来ない事だ。

 

 未来視が可能とするのは、あくまでも()()()()()()()()()()()()のみ。

 

 思考停止に陥って雑に戦うようでは、望んだ未来(けっか)に辿り着く事など出来はしない。

 

 この戦いは、迅にとって重要な戦いであると聞いている。

 

 彼の求める、最善の未来。

 

 そこに辿り着く為の、最大の分岐点。

 

 それが、この第二次大規模侵攻であるのだと。

 

 勿論、そうでなくとも街を守るのはボーダー(じぶんたち)の責務だ。

 

 全力で戦う事に否はないし、元より手を抜くつもりなど一切ない。

 

 だが、普段よりモチベーションが高まっているのは事実である。

 

 嵐山はどんな仕事であれ自分の正義に則るものであれば実行に躊躇はなく、大抵の事で動揺する事はない。

 

 どんな状況でも、如何なるコンディションでも、安定して役割(タスク)を実行出来る存在。

 

 それが、嵐山准という駒の持つ性質である。

 

 彼に近しい柿崎等はその突き抜けた精神性に異様なものを感じてはいたが、だからといって嵐山が友達想いの()()()であるという事実はなくならない。

 

 嵐山は普段から全力で頑張れる人間だが、大切な友人の為となれば限界を超えて奮起出来る勇士でもあるのだ。

 

 特に今回は、これまで人を頼る事のなかった迅から頼られたという事実があり、その為彼のやる気は天元突破の域に達している。

 

 そしてそれは、隊の仲間からすれば瞭然だった。

 

 普段通りの爽やかな笑みを浮かべているように見えるがその眼は闘志で爛々と輝いているし、銃を握る腕にもいつもより力が籠もっている。

 

 やる気になって空回りしている、のではない。

 

 逆だ。 

 

 燃え上がる意思を身体全体にフィードバックさせて、思考はこれ以上なく効率的に、怜悧なものに組み上げている。

 

 彼は熱くなったからといって、冷静さを失う事はない。

 

 嵐山は熱くなれば成る程思考は冴え渡り、些細な変化も見逃さずに頭を回転させる。

 

 言うなれば、全ての性能(スペック)が一段階上がった状態になる。

 

 そんな嵐山だからこそ、嵐山隊の面々は迷いなく彼に従うのだ。

 

 どれだけ熱くなっても、どれだけ困難な状況にあっても。

 

 彼ならば、最善の道を選び取れると。

 

 そう、信じているからだ。

 

 無論、今回の敵の脅威度は充分に身を以て思い知っている。

 

 イーグレットを超える威力の弾丸を全方位に連射する、飛行能力すら持った人型近界民(ネイバー)

 

 これまで戦ったどんな相手よりも強敵である事は、確かだ。

 

 だがそれは、勝ち目がないという事とイコールしない。

 

 どんな相手であっても、()()の存在などいない。

 

 如何なる強者であろうとも全てが完璧である筈はなく、どれだけ隙がないように見えてもそれは同じだ。

 

 隙がないなら、作れば良い。

 

 簡単な、そして困難な話だ。

 

 しかし、関係ない。

 

 やると決めたからには、完遂する。

 

 それが。

 

 この戦場に赴いた、嵐山の確たる意思なのだから。

 

「作戦開始だ。敵が動くのを待って、仕掛けるぞ」

 

 

 

 

(さて、敵の目論見に乗ってやったが────────────────果たして、如何なる罠を仕掛けているのか)

 

 ランバネインは建物の敷地内に入る赤い制服の敵を見据え、油断なく周囲に警戒を張り巡らせた。

 

 これが彼等の誘導である事は、百も承知。

 

 報告にあった転移をすれば逃げ切れるかもしれないにも関わらず此処まで戦闘を継続させつつ移動して来たという事は、向こうは自分をこの場へ誘き寄せたかったに違いない。

 

 事実、この場所は先程までの住宅街よりはやり難い環境だ。

 

 あの大きな建物────────────────造形からして、恐らく教育施設の類なのだろうが、あれが射線を遮っている。

 

 無論、破壊する事は可能だ。

 

 雷の羽(ケリードーン)は殲滅力と言う点でアフトクラトルのノーマルトリガーの中では群を抜いており、彼がその気になればこの場を更地にする事すら出来るだろう。

 

 勿論、そんな非効率的な真似はしない。

 

 可能である事と、実行に移せるか否かは別の話だ。

 

 成る程、確かに雷の羽を連射し続ければ建造物を吹き飛ばす事は可能だろう。

 

 しかし、トリガー(ホーン)で強化しているとはランバネインのトリオンも無限ではない。

 

 いざとなれば剣による近接戦闘が可能なヴィザの星の杖と異なり、ランバネインの攻撃手段はあくまでも()()のみだ。

 

 射撃も、そして飛行能力もトリオンを用いるものである。

 

 建物の破壊に拘って無駄にトリオンを浪費するのは、効率が悪過ぎる。

 

 そも、ランバネインは此処を死地とするつもりもない。

 

 彼等を撃破し次第、次の戦場に赴いて暴れるつもりなのだ。

 

 自分の役割は、敵の兵士を一人でも多く殲滅する事。

 

 その為に、此処で無用な浪費をするワケにはいかない。

 

 取得情報から敵の策を読み、自分の持ち得る手札で隙をなくし地力で押し潰す。

 

 それが、ランバネインの戦い方。

 

 見た目とは裏腹の、理詰めの戦闘方式。

 

 高い地力を押し付ける為の戦術を組み上げる、アフトクラトルの知将にして猛将。

 

 砲兵ランバネインの、最適戦闘方式(バトルスタイル)である。

 

(さて、まずはあの女から狙うか────────────────恐らく、単騎での戦闘能力はあいつが一番高い)

 

 ランバネインは敷地内に入る少女、木虎を見据え獰猛な笑みを浮かべる。

 

 これまでの動きを見る限り、最もキレがあるのがあの少女だ。

 

 恐らく、現在相対しているチームのエースとして間違いない。

 

 指揮官はあの面貌の整った男だろうが、チームの中心戦力は間違いなく彼女。

 

 ならばまず、そこから崩す。

 

 突出した戦力が敵部隊にいる場合、そこから狙うのがランバネインの常道だ。

 

 最精鋭を欠いたチームは、隙が生まれ易い。

 

 エースを擁するチームというのは、基本的にそのエースを中心に戦術を組み上げるものだ。

 

 それが最も効率的な戦闘方法であり、ランバネインが部隊を率いるとしても条件が同一なら同じ方法を取るだろう。

 

 だが、そのエースが突出して強ければ強い程、それが失われた時の戦況回復(リカバリー)は効き難い。

 

 エースを中心とした戦術というのは、極論そのエースの為に他の隊員が露払いの為のパーツとなるという事だ。

 

 何を犠牲にしてでも、エースの暴れる環境を作りそれを支援する。

 

 それが強力なエースを擁するチームの最適な戦闘方法であり、効率的なやり方だ。

 

 しかし、エースの存在を前提とする以上それが敗れた時は一気に崩れ易くなるのである。

 

 何せ、エースの為に積み上げたものが撃破と共に全て無為となるのだ。

 

 失われるリソースは、文字通り補填が効かない。

 

 だからこそ、エースから狙う。

 

 無論それはエースを仕留められるだけの実力あっての話であり、実際はそこまで巧く行く事は稀だ。

 

 ランバネインが、尋常な兵士であったのであれば。

 

 アフトクラトルの強化トリガーで武装したランバネインは、文字通りの一騎当千の猛者だ。

 

 大抵の相手は地力で圧倒出来るし、頭も充分以上に回る。

 

 故にこそ、彼はエースを最優先で狙い撃つ。

 

 敵の要を崩し、散り散りになった残敵を容赦なく蹂躙する。

 

 これまで数多の戦場で殲滅を行ってきた、ランバネインの脅威。

 

 それを、最大限発揮出来る方法であるが故に。

 

 見たところ彼女と他の隊員の差はそこまで突出しているワケではないが、少女を中心として戦術を組み上げる部隊である事に違いはない筈だ。

 

 とはいえ、少女の機動力・回避能力は高い。

 

 建物を利用した三次元機動で、これまで幾度もランバネインの射撃から逃げ果せているのがその証拠だ。

 

 ランバネインの射撃は威力は高いが直進しか出来ず、発射角度を変える事は出来ても敵を自動的に追尾するような機能は存在しない。

 

 少なくとも、ランバネインが照準していない場所に弾丸が飛ぶ事はない。

 

 だからこそ、少女は建物を利用した三次元機動で辛くもランバネインの射撃を避け続けていた。

 

「だが、これならどうかな」

 

 そこで、ランバネインが取った行動は。

 

 上空への、()()

 

 これまで避け続けて来た、飛行能力を用いた制空権の奪取である。

 

 確かに、これならば多少避けようが関係は無い。

 

 標的のいる近辺を掃射すれば、それでカタがつく。

 

 だがそれは。

 

 

 

 

「飛んだ。チャンス」

 

 狙撃手にとって、絶好の獲物として躍り出る事と同義だ。

 

 近くで待機していた半崎は、スイッチボックスを用いて狙撃ポイントまで転移。

 

 正確無比な弾丸を撃ち放つその技巧を以て、標的を見据え────────────────。

 

「え…………?」

 

 ────────────────その刹那、まるで彼の位置が分かっていたかのように飛んできた弾丸の雨を受け、半崎は引き金を引く前に吹き飛ばされた。

 

『戦闘体活動限界、緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声と共に、半崎の緊急脱出システムが作動。

 

 トリオン体の崩壊と共に、彼は基地へ向かって転送された。

 

 

 

 

「どうやら、当たりだったようだな。これでまずは一人、か」

 

 ランバネインは狙撃手の潜んでいた建物から光の柱が上った事を確認し、笑みを浮かべた。

 

 何故、狙撃を行う前にランバネインが半崎の場所を知る事が出来たのか。

 

 ただ彼は、狙撃手の()()()()()()に当たりを付けただけだ。

 

 ランバネインは砲兵であるが故に、戦場に置ける()()()()の重要性を充分以上に熟知している。

 

 だからこそ、分かるのだ。

 

 今、自分のいる場所を狙うのであれば()()()()()()()()という事を。

 

 上空に飛んだのは、エースの少女を狙う為ではない。

 

 そう見せかけ、自分を狙う狙撃手を狙撃位置へと出て来させる為だ。

 

 確かに、エースを欠いたチームは脆い。

 

 これまでもランバネインは真っ先にエースを潰す戦法で幾度となく死線を潜り抜けて来たし、それが彼の基本戦術である事は変わらない。

 

 しかしそれは、エースを狩る上で何の障害も無かった場合の話だ。

 

 足止め、露払い程度のサポートであればランバネインは意にも介さない。

 

 だが、撃つと同時に転移し居場所が分かった矢先に逃走する狙撃手というのは、決して無視出来る脅威ではない。

 

 これまで一度も有効打を受けていないランバネインであるが、幾人もの狙撃手に狙われ続けるという環境は処理能力への負担が大きい。

 

 だからこそ、まずは厄介な狙撃手から潰していく。

 

 それがランバネインの脳が導き出した最適解であり、事実その選択によって敵の狙撃手を一人落とす事に成功した。

 

 ランバネインの見立てでは、残る狙撃手は二名。

 

 だが、こうして一人狙撃手を屠ってみせた事で現段階で姿を晒す事は避ける筈だ。

 

「さて、次はお前だ」

 

 故に、此処で妨害を受ける可能性は低いとランバネインは判断した。

 

 高度は維持したまま、砲門を少女のいる方角へ向ける。

 

 此処で我慢しきれず狙撃手が出て来るようなら、そちらから狙う。

 

 見過ごすようなら、このまま斉射によって少女を仕留める。

 

 どちらを選んだとしても、一人は落とせる。

 

 ランバネインとしては、そのどちらでも良い。

 

 狙撃手を一人減らせるならこの先が楽になるし、少女を落とせるならそれに越した事はない。

 

「────────!」

 

 少女は狙撃手が落ちた事に動揺しているのか、眼を見開いている。

 

 才能は溢れているようだが、まだ若い為か。

 

 この程度で隙を晒すようでは、話にならない。

 

 僅かな失望と共に、ランバネインは狙いを定めた。



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雷の羽③

 ランバネインの照準が、校舎へ向かう木虎へとセットされた。

 

 逃げ場などない、広範囲の蹂躙射撃。

 

 これが通れば、ほぼ確実に木虎は落ちる。

 

 妨害をする為に狙撃手が出て来れば、そちらを片付けるだけの話。

 

 どちらを選んだとしても、重要な駒が一つ脱落する。

 

 エースか、狙撃手か。

 

 選ばなかった方を、落とす。

 

 ランバネインはそのつもりであったし、どちらであっても対処し切る自信はあった。

 

「────────ほぅ」

 

 だが、その前提は覆された。

 

 ランバネインに向かって建物の裏から飛んできた、無数の()()によって。

 

 校舎を飛び越えるようにして飛んできたその弾丸の群れは、当然狙撃ではない。

 

 間違いなく、()()の類。

 

 即ち、これは。

 

「そちらに、射手がいたか」

 

 ────────────────予めこの場に潜ませていた、射手の援護。

 

 それに、違いなかった。

 

 恐らく、木虎が動揺したように見えたのはハッタリ(ブラフ)

 

 彼女はこの援護があると分かった上で、ランバネインの注意を自分に惹きつける為に動じた振りをしたのだ。

 

 彼を、上空という逃げ場の無い場所へ追い立てる為に。

 

「ならば、こうするまでだ」

 

 この時点で、ランバネインは射撃を中断。

 

 飛行機能を用いて、更なる上空へと飛翔する。

 

「成る程、追尾機能付きか」

 

 そのランバネインを、放たれた弾幕が追随する。

 

 当然、まともに受ける筈もなく為ランバネインは空中で旋回。

 

 彼を追う弾幕を、振り切ろうと動く。

 

「これは…………!」

 

 しかし、振り切れない。

 

 ランバネインを狙う弾幕は、まるで生き物のような軌道で旋回した彼を追尾。

 

 幾度旋回しようとも、執拗にその背を追い続けた。

 

 彼には、知る由もない。

 

 それはただの追尾弾ではなく、その性質を強化したもの。

 

 二つの追尾弾(ハウンド)を組み合わせた、合成弾。

 

 その名は、強化追尾弾(ホーネット)

 

 それが、今空を征くランバネインを追い回す弾丸の正体である。

 

 合成によって強化された追尾性能に加え、この弾丸は速度重視にチューニングされている。

 

 つまり威力を捨てて速度と射程を取ったワケだが、ボーダーのトリガーの詳細を知らないランバネインにその事は分からない。

 

 だからこそ、迂闊に受けて足を止めるという判断をランバネインから奪う事に成功していた。

 

 ランク戦に置いては有用な場面が少ない為中々見る事のないその弾が、この上ない有用性を以て敵を追い立てていた。

 

 現在ランバネインがいるのは上空────────────────つまり、遮蔽物は一切存在しない。

 

 つまり、遮蔽物を盾として追尾弾を躱すという挙動は今の彼には出来ない。

 

 少なくとも、上空に留まっている間は。

 

「ふむ。ならば、こうするしかあるまいな」

 

 現状を認識したランバネインは、即座に方向を転換。

 

 校舎に向かって急降下し、屋上に向かって爆撃。

 

 そのまま床を突き破り、校舎の中へと侵入。

 

 追い立てる強化追尾弾(ホーネット)は、校舎に着弾し霧散した。

 

「今の弾を撃ったのはお前か? まだ若いが、良い腕だ」

「…………!」

 

 そして、彼が突入した先には人影があった。

 

 端正な顔立ちの、線の細い少年。

 

 王子一彰。

 

 B級上位部隊、王子隊の隊長である攻撃手。

 

 当然ながら強化追尾弾(ホーネット)を撃った当人ではないが、どちらにせよ此処でランバネインが彼を見逃すという選択肢は有り得ない。

 

 隙を見せた相手からの、各個撃破。

 

 それが、ランバネインの基本方針なのだから。

 

「参ったね。これは」

 

 王子は相対するランバネインを見据え、溜め息を吐く。

 

 そして、此処に至る直前の会話を思い返していた。

 

 

 

 

『王子隊には追尾弾(ハウンド)────────────────いや、強化追尾弾(ホーネット)による援護をお願いしたい。敵を校舎の中へ誘導出来れば作戦の第一段階は完了だ』

 

 王子は通信越しに嵐山の指示を聞き、頷いていた。

 

 成る程、分かる話だ。

 

 敵は高い射撃性能に加え、飛行能力を持っている。

 

 制空権というのは、戦場では重要だ。

 

 まず、空を飛ばれれば当然ながら近接戦闘しか能のない者は手出しが出来なくなる。

 

 旋空弧月とて、その射程は精々20メートル少々。

 

 空高くを飛ばれれば、手を出せない。

 

 まずはこちらのフィールドに引き込まなければ、話にならないというワケだ。

 

『ですが、敵はイーグレットを防ぐレベルのシールドがあります。そう巧く思惑に乗って来るのでしょうか?』

『心配ない。ハウンドだけならばシールドで凌ぐ事も考えられるが、ホーネットならば校舎内への退避を選択するだろう。その為にも、速度重視でのチューニングをお願いしたいけどね』

「了解しました。クラウチ、いけるかい?」

『問題ない。任せてくれ』

 

 王子は嵐山の説明を聞き、隊で唯一合成弾を扱える蔵内に指示を送った。

 

 当然ながら蔵内に否はなく、嵐山の説明で納得した樫尾も「分かりました」と返答した。

 

 確かに嵐山の言う通り、追尾弾(ハウンド)だけならば最小限のシールドで凌ぐか、全力の飛行で振り切る可能性はある。

 

 しかし、速度重視にチューニングした強化追尾弾(ホーネット)ならば別だ。

 

 ホーネットはハウンドの持つ追尾性能を、合成によって強化した弾丸だ。

 

 その追尾性は元のハウンドのそれと違い、文字通り標的を追う蜂のようにしつこく敵を追い回す。

 

 威力はさほどでもない為シールドを張るか障害物を盾とすれば凌ぐ事が出来るが、これに加えて速度重視のチューニングをかければどうか。

 

 敵は速度の上昇した弾丸を前に、防御ではなく遮蔽物────────────────即ち、校舎への退避を選択する可能性が高い。

 

 これは、これまでの戦闘でランバネインの行動を観察して来た結果の判断である。

 

 ランバネインはこれまで、狙撃への牽制に対して逐次シールドを張り、狙撃個所への射撃を叩き込む、といった行動を繰り返していた。

 

 恐らくこれは、こちらの回避手段────────────────即ちスイッチボックスによる転移速度を図る為の、情報収集である。

 

 傍目から見れば回避されるだけの反撃を行っているだけに見えるが、違う。

 

 ランバネインは狙撃をされる度に射撃の速度に強弱を付け、こちらの反応を図っていた。

 

 あれはきっと、転移の即応性を知る為の行動だ。

 

 後から知る事になるが、単に速度を上げるのではなく速度の遅延と上昇を繰り返していたのは、どれだけの速度で転移を実行出来るのかを図る為だろう。

 

 速度を上げていたのであれば、それはすぐに気付いた筈だ。

 

 しかしランバネインは速度の上下を繰り返す事で自身の意図を隠し、こちらの出方を見続けた。

 

 これは力任せに戦うタイプの人間には出来ないやり方であり、敵の本質である冷静さが見て取れる。

 

 加えて、ランバネインは周囲の障害物を吹き飛ばして狙撃手を炙り出そうとはしなかった。

 

 耐え性のない短気な相手であれば現在影浦が戦っているエネドラのようにトリガーの出力に頼って建物を薙ぎ払うくらいはしそうなものだが、それもない。

 

 その行動がどれだけの隙を生むのか、理解しているからだ。

 

 エネドラの場合は攻防一体型の特殊なトリガーであった為リカバリーは効くが、ランバネインの防御はあくまでもシールドに依るものだ。

 

 隙を突かれれば当然攻撃は通るし、致命傷を食らって平然としていられるワケでもない。

 

 だからこそ、ランバネインは無用なリスクは冒さない。

 

 あくまでも堅実に、自身の強みを最大限に活かす形で戦う。

 

 豪放な見た目とは裏腹の、計算高い理論派の戦士。

 

 常に警戒を怠らず、自分の強みである強力な射撃能力と飛行能力による高い機動性を最大限に用いて、敵を狩る。

 

 危ない橋は渡らず、あくまでも堅実に各個撃破を狙う知将。

 

 それが、嵐山や王子が推察したランバネインの人物像だった。

 

 この見立ては間違ってはいないだろうと、二人は考えている。

 

 影浦のように自らの回避性能を攻撃に用いるタイプであれば、シールドを張りながら全力の射撃を行っていてもおかしくはないからだ。

 

 しかしランバネインはそうはせず、あくまでもリスクを排除する事を第一に行動している。

 

 ランバネインのシールドは確かにイーグレットを凌ぐレベルの防御力を誇るが、無敵の盾というワケではない。

 

 イーグレットの弾丸も受け止める事は出来ていたが、罅は確かに入っていた。

 

 つまり、もう一度攻撃を加えれば突破は充分可能と見て良い。

 

 だからこそランバネインは単発の狙撃のみシールドで防ぎ、それ以外の攻撃は回避に徹していた。

 

 狙撃銃は、その性質上連射は出来ない。

 

 ライトニングは別だが、そもそもライトニングの場合は威力が低い上に射程がさほど高くはない。

 

 ランバネインの対応速度を鑑みれば、イーグレットの射程からの攻撃がギリギリのラインだ。

 

 それ以上先へ踏み込めば、転移を終える前に反撃を受けて落とされる事は言うまでもない。

 

 スイッチボックスは確かに便利なトリガーではあるが、転移を終えるまでに若干のタイムラグがある。

 

 少なくとも、テレポーターよりは即応性で劣っているのだ。

 

 敵の確殺圏内で攻撃を実行するには、些かリスクが高過ぎる。

 

 何せ、ランバネインはシールドを容易く貫通出来る攻撃を連射出来るのだ。

 

 常にバッグワームに片枠を用いる為両防御(フルガード)が出来ない狙撃手のシールドでは、一瞬で突破されて終わりだ。

 

 回避しか生き残る選択がないのに、物量でそれを潰される。

 

 先手を取られた時点で、死ぬのは確定と見て良い。

 

 だからこそ、何が何でも戦場を誘導する必要があった。

 

『敵を校舎の中へ誘導する事が、作戦の前提条件だ。そして、そこで敵と遭遇した場合はこれから言う通りに行動して欲しい。頼んだぞ』

 

 

 

 

(分かってはいたけど、まさかぼくのところに来るとはね。愚痴るつもりはないけど、この威圧感を正面から相手にしていた彼等は矢張り凄いな)

 

 王子は相対するランバネインを見据え、冷や汗をかいた。

 

 本物の戦場における危機感は、先のラービット戦で分かっていたつもりだった。

 

 だが、目の前の相手は文字通り格が違う。

 

 装甲の硬さという物理的な障害を前に時間稼ぎに徹する事を選んだラービット相手でも、此処までの絶望感を突き付けられる事はなかった。

 

 あの時は救援が来る事が分かっていた事もあり、敵の攻撃手段が徒手空拳メインであった事もあって機動力の高い自分達にとっては時間稼ぎだけであれば何とかこなせるレベルだった。

 

 しかし、()()は違う。

 

 一瞬の油断が、即座に死に繋がるこちらに害意を持った()

 

 ランク戦で相対する強者とは異なり、あくまでもこちらを()()として認識し全力で殺意を向けて来る存在。

 

 好敵手でもなく、競い合う対戦相手でもない。

 

 相容れる事のない、驚異的な実力を持った()

 

 それが、こちらを好戦的な目で見据える男の正体だった。

 

(成る程、これが迅さん達が近界で戦ってきたという()か。こんなのを相手にしていたなら、そりゃ否応なく戦闘勘は鍛えられるだろうね。先読みで狙撃手を落とされるなんて、まだまだぼくも本物の戦場を知る相手への警戒が足りなかったって事か)

 

 狙撃へのカウンターとして超速の反撃で仕留めるならば、まだ分かる。

 

 だが、この相手はこれまでの戦闘から敵のいるであろう位置を推察し、狙撃を実行する直前の相手を落としてみせた。

 

 半崎にしてみれば、ワケが分からなかっただろう。

 

 何せ、転移して引き金に指をかけた段階で無数の弾丸の雨に晒されたのだ。

 

 自身の遭遇した現象を理解出来ず、落とされたに違いない。

 

(けど、その犠牲は無駄じゃなかった。これでこちらは敵の判断能力の上限が、ある程度推測出来たんだから)

 

 しかし、その犠牲は無駄にはならない。

 

 あの時、半崎がいた場所の周囲は絨毯爆撃を受けて吹き飛んでいた。

 

 それはランバネインの火力の高さをまじまじと実感出来る破壊痕であるが、同時に詳細な位置までは絞り込めなかった事も推察出来る。

 

 本当に詳細な位置まで分かっていたのであれば、あそこまで破壊を撒き散らす必要はない。

 

 ランバネインはあくまでも()()()()()を掴んだだけで、詳しい位置を正確に絞り込むまでには至らなかった。

 

 だからこそ過剰な火力でごり押しして仕留めたワケであり、これは充分敵の読みの精度を図る指針となる。

 

 故に、残る問題は王子が此処からどう生き残るかだ。

 

 作戦の性質上王子が死んでも続行は出来るが、敵に身を晒す危険を冒す人間の数は少ない方が良い。

 

 機動力には自信がある王子だが、敵の射撃の威力と物量は尋常ではないのだ。

 

 少なくとも、彼一人ならば容易く落とされる。

 

 そう確信出来るだけの実力差が、敵にはある。

 

「敵と交戦を開始する。援護は頼んだよ、トラヴァー」

『了解』

 

 王子の通信に少女はこんな状況でも奇特なあだ名呼びを貫き通す彼に対して若干の呆れ越えと共に返答し、頷く。

 

 それと同時に、ランバネインの眼が獰猛な光を帯びる。

 

 校舎内での敵との戦闘が、開始された。



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雷の羽④

 

「────────!」

 

 校舎内の戦闘。

 

 最初に動いたのは、王子だった。

 

 王子は、近くにあった消火器を蹴り飛ばし、弧月で両断。

 

 破砕された消火器から、内容物が煙のように噴出する。

 

「煙幕か…………!」

 

 消火器は密閉された閉所で使えば、視界を遮ってしまう。

 

 それを知識として知っていた王子は、消火器を煙幕発生装置として使用した。

 

 白い煙で満たされ、視界が覆われる。

 

 その、瞬間。

 

「────────!」

 

 煙の向こう側から、王子のハウンドが炸裂した。

 

 それを直前に気付いたランバネインは、シールドを用いて防御。

 

 王子の弾丸は、その全てがシールドによって防がれた。

 

「────────」

「む…………!」

 

 だが。

 

 ランバネインがシールドを展開した、その刹那。

 

 後方から駆け抜けた小柄な影が、ランバネインの右足を両断した。

 

 それを成したの少女の名は、木虎藍。

 

 嵐山隊の万能手であり、エース。

 

 自らをエリートと呼称する事で鼓舞して戦う、一人の戦士である。

 

 彼女はその機動力を用いて、王子が接敵した段階で攻撃の隙を狙うべく待ち構えていた。

 

 木虎の真価は開けた場所よりも、こういった閉所でこそ発揮される。

 

 だからこそ、ランバネインをこの校舎内に誘い込む事は作戦の第一条件だった。

 

 足を斬った以上、敵の機動力は死んだも同然────────────────但し。

 

 ランバネインの場合は、トリガーに付与された飛行能力がある。

 

 故に、足を切断したところで向こうの機動力は削ぎ切れない。

 

(足をやられたか。この場所では不利だな)

 

 されど、無意味ではない。

 

 ランバネインの得意とする戦場は、木虎とは真逆。

 

 開けた場所での屋外戦でこそ、その真価を発揮する。

 

 遮蔽物のない荒野のような場所は、ランバネインの独壇場だ。

 

 そういった場所での戦闘では、彼の一方的な蹂躙となる。

 

 それに、市街地での戦闘も不得手ではない。

 

 確かに遮蔽物はあるものの、邪魔なら壊せば良い。

 

 それが出来るだけの火力をランバネインは有しているし、多少の障害物ではさしたる意味はない。

 

 翻って、この場所ではどうか。

 

 此処は大学の校舎内であり、廊下はそこまで広いワケではない。

 

 雷の羽(ケリードーン)の火力ならば壁をぶち抜く事など容易だが、近接戦闘を得意とする相手と至近で接敵している今それをやれば隙を晒す事と同義だ。

 

 幾ら高い強度のシールドがあるからといって、それにかまけて油断するような迂闊さはランバネインとは無縁である。

 

 自身の強み、弱みを理解し徹底して(よわみ)を潰すよう立ち回り戦う。

 

 それがランバネインの基本方針であり、それは如何なる時でも変わる事はない。

 

 単純に、それが一番強いと彼自身が理解しているからだ。

 

 ヒュースのように大局を見てサポートに回る立ち回りも、エネドラのようにトリガーの性能に任せて暴れ回るような暴勇も、ランバネインの性能

を鑑みれば最適解とは言えない。

 

 彼の強みである火力と飛行能力、それらを最大限に活かしつつリスクを排除するには、堅実な立ち回りをこそ求められる。

 

 確かに雷の羽(ケリードーン)はヒュースの蝶の盾(ランビリス)のような高い応用性はないし、エネドラの泥の王(ボルボロス)のような一種の無敵性もない。

 

 しかし、ヒュースにはない火力があり、エネドラにはない高い機動力がある。

 

 故に、自身の持つ処理能力を適切に割り振った警戒を行い、高い機動力を用いて火砲をばら撒く運用こそが、雷の羽(ケリードーン)を扱う上での最適解。

 

 ランバネイン自身が繰り返し戦場を踏破する事によって培った、彼の最良戦術(スタイル)である。

 

 だからこそ、此処で取る行動は決まっていた。

 

 即ち、校舎外への脱出。

 

 この閉所で近接戦闘者二人と戦うのは、幾らランバネインでも万が一が有り得る。

 

 元より、彼は砲兵。

 

 近接戦闘に付き合う義理はなく、飛行能力を十全に活かせる屋外での戦闘こそが真骨頂。

 

 故に、ランバネインは迷いなく自身がぶち破り入って来た壁の穴から外へ出ようと目論見────────────────。

 

「…………!」

 

 ────────────────外に飛び出たランバネインに迫る、二発の弾丸を見た。

 

 最初から、彼が外へ出ようとする事は想定内。

 

 だからこそ、このタイミングでの狙撃を準備していた。

 

 足を削り、外に出たばかりで加速の付いていない状態であれば回避する余裕はないと考えて。

 

「やるな」

 

 しかし、それでも彼を仕留めるには至らない。

 

 ランバネインは迫り来る二発の弾丸を、シールドで防御。

 

 致死の狙撃を、難なく凌いで見せた。

 

「────────旋空弧月」

 

 されど、それこそ想定内。

 

 此処までの戦闘で、彼がこの程度で仕留められる筈がないと、誰もが知っていた。

 

 故にこそ、校舎に残っていた王子は旋空を放つ。

 

 防御の為、足を止めたランバネインを仕留める為に。

 

「惜しいな」

 

 だが、ランバネインはこれも凌ぐ。

 

 肩のバーニアを噴射し、ランバネインは下の階の窓へと突貫。

 

 王子の旋空、そして続け様に放たれたハウンドを振り切り、再び校舎内へと侵入した。

 

「ほぅ」

「────────!」

 

 そこで待ち構えていたのは、弧月を構えた樫尾。

 

 樫尾は無言で旋空を起動し、王子と同じようにハウンドと共に撃ち放った。

 

 ランバネインを相手取る上で重要なのは、相手を()()()()()()()()()()()()である。

 

 雷の羽(ケリードーン)の火力は並大抵の防御や回避で凌げるものではなく、彼が攻撃に回った時点で大幅な不利を余儀なくされる。

 

 これまで彼等が生き残れていたのは、狙撃による牽制によってランバネインの全力の攻撃体勢への移行を封じていたからだ。

 

 間断なく攻撃し、全力攻撃の隙を与えない。

 

 それが、ランバネインを相手取る上での最適解。

 

 その事を看破したのは、誰あろう嵐山である。

 

 樫尾は、先の嵐山の通信を思い返していた。

 

 

 

 

『重要なのは、間断なく攻撃を仕掛け続ける事だ。敵が攻勢に回っている間は、万が一にも勝ち目はない。徹底して波状攻撃を行い、敵を守勢に回らせるんだ』

 

 嵐山は合同で作戦に参加している部隊の全員に、そう通達した。

 

 隊長陣の全員が頷き、その作戦を了承する。

 

 ランバネインの火力の高さと飛行能力の厄介さは、これまでの戦闘で充分以上に思い知っている。

 

 だからこそ、攻撃を行い続けて守勢に回らせる、という方針に異論はなかった。

 

「ですが、先程のように攻撃位置を推測されて先制攻撃される可能性は残るのでは?」

『それはない。先程は屋外だったからそれも出来たが、敵はこの校舎内の構造を良く知らない。近界(ネイバーフッド)に学校という文化があるかどうかは分からないが、少なくとも詳細な内部構造までは知られてはいないだろう』

 

 樫尾の疑問に、嵐山は多少危険なニュアンスを交えつつそう返答した。

 

 自分たちの敵が人間である事は、人型近界民(ネイバー)という見た目からは完全に人にしか見えない相手を目にした事でこの場にいる誰もが薄々気付いている。

 

 近界民(ネイバー)というものが近界という別世界に住まう人間でしかないという情報は、一般は勿論ボーダー内でも公開はされていない。

 

 しかし、ボーダーの訓練の中心が対人戦である以上気付いている者は薄々ながら察しているのだ。

 

 自分達の敵が、何なのかという事を。

 

 無論、それを知ったからと言って切っ先が鈍るような人間はこの場にはいない。

 

 意図して意識していない者もいるが、大半は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()事を理解しているが故、藪を突くような真似はしない。

 

 重要なのは、今この場で何が最適解であるか。

 

 それだけである。

 

『構造を理解していない以上、地の利はこちらにある。だから、攻撃の種類を逐次厳選する事で相手を巧く校舎内に留まるよう誘導して欲しい。その個々の判断はこの場に集った面々ならば十分に出来ると、俺は思っている』

 

 その場の判断は各々に任せるというある意味丸投げな指示ではあるが、この場合に置いてはこれが正しい。

 

 彼等は先の合同戦闘訓練によって、互いの戦闘方式、得意戦術等を理解している。

 

 だからこそ言われなくともどの隊員がどのように行動するのが最適かは理解しているし、それが実行出来ない者はこの場にはいないと考えている。

 

 あの合同戦闘訓練がなければこの意思疎通は不可能だっただろうが、既に前提条件は整っている。

 

『『『了解』』』

 

 それを証明するかのうように、各部隊の隊長から命令受諾の返答が成された。

 

 嵐山は不敵な笑みを浮かべながら、改めて各部隊に指示を送る。

 

『作戦開始だ。健闘を祈る』

 

 

 

 

 旋空とハウンド、二重の攻撃。

 

 両攻撃(フルアタック)である為シールドは張れず、今の樫尾は無防備だ。

 

 だが、問題は無い。

 

 このタイミングであれば、カウンターで攻撃を食らう事はまずない。

 

 ランバネインはこの階に突入した直後であり、飛行による加速の慣性が抜けきっていない。

 

「成る程」

 

 故にこそ、彼に取れる行動は限られる。

 

 即ち、飛行能力を用いた敵の射程からの離脱。

 

 ランバネインはバーニアを噴射し、樫尾とは逆方向に飛行。

 

 狭い廊下の中を、ランバネインの巨体が押し進む。

 

 だが。

 

「────────!」

 

 その先の、階段。

 

 上方から、無数の弾丸が放たれていた。

 

 ランバネインが飛行能力を用いた逃走を図る事は、承知の上。

 

 だからこそ、王子は上の階から階段越しのハウンドを放つ用意を怠らなかった。

 

 上の階からランバネインの姿は見えないが、この階には樫尾がいる。

 

 自部隊の隊員がいれば、その観測情報は共有可能。

 

 樫尾の眼を用いて、王子は上階からの射撃を敢行したというワケだ。

 

「だが、まだだな」

 

 しかし、その弾幕を見たランバネインは予想とは異なる行動を取った。

 

 即ち、弾幕の斉射によるハウンドの撃墜。

 

 ランバネインは無数の弾丸を撃ち放ち、階段越しに自分を狙っていたハウンドを全て撃ち落とした。

 

「建物の狭さが災いしたな。単純な撃ち合いであれば、俺が負ける通りはない」

 

 そして、それだけでは終わらない。

 

 ランバネインは天井に向かって、弾幕を射出。

 

 無数の弾丸が、天井を貫通し上の階へと放たれた。

 

 上の階にいた王子と木虎は、間一髪でその攻撃を回避。

 

 だが同時に、すかさずランバネインは床を撃ち抜き下の階へと移動。

 

 砲撃を準備し、狙いを上階の三者に定めた。

 

「────────」

 

 その彼を、下で待ち構えていた嵐山が銃撃する。

 

 彼もまた、校舎に入りこの時に備えていたのだ。

 

 作戦の肝は、波状攻撃。

 

 敵に主導権を握られてしまえば、そのまま押し切られる。

 

 だからこそ、間断ない攻撃こそが肝要。

 

「────────────────そう来ると、思っていたぞ」

「────────!」

 

 ────────────────その思考は、既にランバネインに読まれていた。

 

 これまでの戦闘で敵は、こちらの狙いを看破していた。

 

 ランバネインが移動する方向に兵を配置し、間断ない攻撃を仕掛けて攻撃体勢に移らせる事なく封殺する。

 

 故に、ランバネインは下の階にも敵はいるであろう事を推測していた。

 

 彼が取った行動は、単純明快。

 

 即ち、位置が判明している敵に対する()()()()

 

 視界の先にいる嵐山、上階にいる樫尾。

 

 そして3階にいる、木虎と王子。

 

 それぞれに狙いを定め、雷の羽(ケリードーン)の全力射撃を敢行した。

 

「────────!」

 

 荒れ狂う弾幕、破砕される壁や天井。

 

 轟音と共に、ランバネインの全力射撃が実行された。

 

「仕留められては、いないな」

 

 無論、その場に留まるような愚は冒さない。

 

 どう考えても、この校舎内はランバネインに不利な戦場である。

 

 今までは処理能力を限界まで用いて迎撃して来たが、このまま建物の中に留まればどうなるかは分からない。

 

 万が一にも建物の崩落などに巻き込まれてしまえば、身動きの取れなくなったところで詰みだ。

 

 此処は、敵地なのだ。

 

 事前に爆薬を仕掛けて置く程度、造作もない筈である。

 

 これまでの戦闘で、敵がこちらの侵攻を予期していたのは理解出来た。

 

 どう考えても、玄界(ミデン)側の準備が()()()()のだ。

 

 何処から情報が漏れたかは、彼が考えるべき事ではない。

 

 重要なのは、こちらが不利になる仕掛けを何処に施されていてもおかしくはない、という事。

 

 だからこそ、ランバネインは迷いなく今の砲撃で空いた穴から屋外へと離脱した。

 

 屋外での戦闘では、未だにランバネインに分がある。

 

 あらかたの敵の位置が分かった以上、躊躇う必要はない。

 

 高高度からの絨毯爆撃で、敵を纏めて薙ぎ払う。

 

 狙撃手を警戒する必要がある為時間はかかるだろうが、ランバネインはこの場の敵を確実に殲滅する事が他所に行って暴れるよりも優先度が高いと判断した。

 

 それは、ランバネインはこの戦闘を指揮する指揮官の技量を認めた証でもあり────────────────処理能力を限界まで、この場の人員の警戒に割り振った結果でもあった。

 

「「────────!」」

 

 ────────────────故に、詰めの一手がこの場この時にて投入される。

 

 校舎外へ飛び出したランバネインの側面に、空気から染み出すように二つの影が現れた。

 

 躍り出たのは、隠密トリガー(カメレオン)を解除した三浦・若村の両名。

 

 二人はそれぞれ剣と銃を構え、至近距離からランバネインに攻撃を敢行した。



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香取葉子⑨

 

 タイミングは、完璧だったと言って良い。

 

 三部隊による波状攻撃を仕掛け、ランバネインを一階まで追い詰める。

 

 そして、外に出た瞬間カメレオンで潜んでいた香取隊の二名が奇襲をかける。

 

 三浦と若村は攻撃能力はそう高くはないが、至近距離の攻防であれば砲兵のランバネイン相手にはある程度有利が取れるだろう。

 

 ランバネインの攻撃手段は、射撃オンリー。

 

 至近の相手にも攻撃事態は出来るだろうが、斬撃と比較すれば近距離での即応性はワンテンポ遅れる事になる。

 

「────────」

 

 加えて、狙っているのは彼等だけではない。

 

 同じく外で待ち構えていた時枝も、アサルトライフルを構えて攻撃準備を完了している。

 

 これまでの波状攻撃で、少なからずランバネインの処理能力(リソース)は削れている。

 

 幾ら彼が歴戦の猛将とはいえ、たった一人で複数相手を捌き続けるには相応に余裕(キャパシティ)を削られる。

 

 ランバネインの真骨頂はその火力と機動力を活かした電撃戦であり、特別防御に向いたスタイルというワケではない。

 

 防御は必要最低限、然るべき時にのみ行い後は機動力で敵の攻撃を捌く。

 

 それがランバネインの行う防御行動であり、それは当然数が重なれば重なる程彼の処理能力を圧迫していく。

 

 間断ない波状攻撃を行い、処理能力を破綻(キャパオーバー)させて隙を突く。

 

 奇しくもそれは、那須隊がA級昇格試験で迅相手に用いた戦術であり────────────────。

 

「え…………?」

「…………っ!」

「────────!」

 

 ────────────────ランバネインが予想していた、この戦術の終着点でもあった。

 

 三人の攻撃が炸裂する、刹那。

 

 ランバネインは、全方位に向け一斉に射撃を敢行。

 

 至近距離に肉薄していた三浦と若村は避ける暇なく被弾し、致命。

 

 時枝は間一髪でテレポーターの発動に成功するも、全方位射撃から逃れる為には距離を取らざるを得ず、自身が銃撃出来る射程からは出てしまった。

 

 既に致命傷を受けた二人は言うまでもなく、時枝もテレポーターを一度使ってしまった以上転移による奇襲は行えない。

 

 乾坤一擲の攻撃は、失敗に終わった。

 

 そう判断せざる、を得なかった。

 

「狙いは悪くなかったが、動きが模範的過ぎたな。教本通りの戦術ならば、読むのは難しくないぞ。透明化トリガーの報告は、既に受けていたのだからな」

 

 ランバネインはこれまでの攻撃から、敵の目的が自身の処理能力を削った末の奇襲であると理解していた。

 

 彼等は明らかにこちらに攻撃を当てるのではなく、回避される事を前提に動いていた。

 

 無論、あわよくば当てようというつもりはあっただろう。

 

 しかし、彼等には無理に一歩を踏み込もうという攻撃性が欠けていた。

 

 攻撃を当てるのではなく、回避前提で攻め続ける。

 

 その目的など、こちらの隙を生み出す為の波状攻撃以外にない。

 

 一対多の戦闘で最も有効な戦術は、言うまでもなく数の利を最大限に活かす事だ。

 

 その方法は囲んだ上での一斉攻撃か、順次攻撃を繰り返す波状攻撃の二種類がある。

 

 そして、波状攻撃を用いる場合その目的は大抵が相手を疲弊させる事だ。

 

 加えて、格上の実力者を相手取る場合こちらの方が有効なのだ。

 

 一定以上の強兵の場合、単純な数の圧力を押し付けても凌ぎ切る可能性が高い。

 

 特に少数精鋭が戦争の基本である近界では、トリガー使いによる戦闘は1対多である場合が基本だ。

 

 故に、複数の格下が強者(じぶん)を相手に取る戦法は、大方体験済みなのである。

 

 ランバネイン相手に波状攻撃を仕掛けて来た相手も、彼等が初めてではないのだ。

 

 故に、ランバネインは彼等の狙いを読んだ上で迎え撃った。

 

 特攻をかけるタイミングは、大体読めていた。

 

 即ち、壁を破壊し外に出た直後。

 

 壁という障害物を突破して外に出た場合、周辺状況を把握するまで一瞬のタイムラグがある。

 

 つまりその瞬間こそが、波状攻撃の()()を行う上でこれ以上なく最適なタイミングなのだ。

 

 だからこそ、ランバネインは敵兵を視認する前に攻撃準備を完了させていた。

 

 優れた指揮官であれば、此処に兵を配置しない筈がないと。

 

 そう、推測して。

 

 結果として、ランバネインの読みは当たった。

 

 詰めの一撃を放とうとしていた二者は倒れ、伏兵もまたランバネインの射撃の圧力に屈して距離を取った。

 

 四部隊合同の作戦は、失敗に終わる。

 

「かかったな」

「…………!」

 

 ────────────────その、筈だった。

 

 ランバネインの至近距離からの射撃により、致命傷を負った香取隊の二人。

 

 その両者が不敵な笑みを浮かべると同時に、無数のワイヤーがランバネインを拘束した。

 

 ワイヤートリガー、スパイダー。

 

 蜘蛛の意図(イト)が、強者(ランバネイン)を絡め取った瞬間だった。

 

 そう、最初から三浦と若村は自分がランバネインを仕留められるとは考えてはいなかった。

 

 歴戦の兵士、戦争を経験した実力者の脅威が如何なるものか、彼等は身を以て知っている。

 

 他ならぬ、A級昇格試験における迅との戦いに置いて。

 

 あの戦いで突き付けられた、本物の戦場を踏破した者との彼我の価値観の違い。

 

 思考の前提が、覚悟の程度がまるで異なる本物の()()

 

 相手の思考を先読みする事など、当たり前。

 

 その場での最適を即座に読み取り、それすら陽動(ブラフ)として立ち回る広過ぎる視野。

 

 確殺出来る状況であろうと決して油断しない、冷徹な行動。

 

 そして、経験から危険を感知する優れた戦闘勘。

 

 それらがどれ程の脅威なのか、三浦達は迅との戦いで肌で感じる結果となった。

 

 だからこそ、反撃される事を前提として攻撃を仕掛けた。

 

 ランバネインを、厄介極まりない猛将を、罠にかける為に。

 

『『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 二人のトリオン体が崩壊し、緊急脱出が作動する。

 

 同時に、周囲を大量の煙が包み込んだ。

 

「…………っ!」

 

 煙が、視界を遮っていく。

 

 ランバネインが見た、散っていく刹那の二人が見せた笑み。

 

 それは決して敗者が浮かべるものではなく、「してやったぞ」という達成感に満ちていた。

 

 二人は最初から、落ちる前提で攻撃を仕掛けていたのだ。

 

 この、トリオン体に仕組んだ煙幕の機構を発動して視界を遮る為に。

 

 通常、緊急脱出(ベイルアウト)の際は外見上爆発と同時に光の柱が基地に向かって飛んでいく。

 

 爆破で視界は一瞬塞がれるが、煙が生じるかどうかは周囲の環境に左右される。

 

 だからこそ三浦達は、自分たちの緊急脱出と同時に煙幕が発生するよう開発室でトリオン体を弄っていた。

 

 実力的に物足りない自分たちが捨て身でチャンスを作るタイミングが、何処かであるだろうと考えて。

 

 大規模侵攻に先んじて、準備をしていたのだ。

 

 二人は香取や染井と違い、大規模侵攻で直接被害を受けてはいない。

 

 家もなくなってはおらず、家族を亡くしてもいない。

 

 しかし、二人が大規模侵攻で負った心の傷については察している。

 

 染井は言うまでもなく、香取もあの地獄を直接目にしている。

 

 大規模侵攻というワードに関して、思うところが無い筈がないのだ。

 

 だからこそ、二人がこの戦いにかける意気込みも理解していた。

 

 もう二度と、あんな想いをしない為に。

 

 そう考えて、いつも以上にやる気に満ち溢れている姿を二人は目にしていた。

 

 だからこそ、自分たちが出来る事をやらないといけない。

 

 三浦も若村も、自分が才気溢れる人間だとは考えていない。

 

 間違っても、香取のような天才でも染井のような秀才でもない。

 

 出来る事といえば誰にでも出来るサポートと、拙い戦術立案程度。

 

 ただ自分の未熟さを棚に上げて現状を変えようとしなかった頃と比べればマシだろうが、それでも香取のような急成長など望むべくもない。

 

 自分達は、持たざる側だ。

 

 覚悟が決まったからと言って容易く強くなれる筈もないし、香取のように才能を研ぎ澄ませる事での急成長も出来ない。

 

 妬みや僻みではなく、ただの事実として香取と自分達ではモノが違う。

 

 彼女のような天賦の才能も、思い付きを実行に移せるだけの発想力と適応力も、彼等にはない。

 

 だからこそ、自分たちが貢献する為には無策のままでは話にならない。

 

 無力なりに足掻いたところで、真っ当に戦うだけではやれる事などたかが知れている。

 

 それは、A級昇格試験で迅という本物の戦争経験者と相対した事でより強く意識する事となった。

 

 努力や工夫で何とかなる範囲は、限界がある。

 

 故に、仕込みを行った。

 

 自分達を捨て駒とし、本命へ繋げる為の仕込みを。

 

 やるべき事は、それで充分。

 

 後は────────────────。

 

 

 

 

「────────」

 

 ────────────────彼等の隊長(エース)が、決めてくれる。

 

 そう、信じていたからだ。

 

 煙幕に紛れ、香取はランバネインに向かって銃口を向けた。

 

 火力はランバネインとは比べるべくもないが、トドメの一撃を放つには充分。

 

 現在、ランバネインはスパイダーによって地面に縫い付けられ身動きが取れない。

 

 万が一防がれたとしても、それならそれで追尾弾(ハウンド)を撃ち込み続ければ良い。

 

 この好機は、三浦と若村が文字通り身を賭して得たものだ。

 

 故に、失敗は許されない。

 

 彼等が何を思い、何を決意していたのか香取は知らない。

 

 けれど、推測する事くらいは出来る。

 

 あの男共はどうせ、自分達ではこれくらいしないと貢献出来ないからとでも考えて、その身を犠牲にしたのだろう。

 

 思い違いにも程がある。

 

 決して言葉にはしないが、三浦も若村も大切な部隊(チーム)の仲間だ。

 

 三浦はタイプじゃないとはいえ好かれているのは悪い気はしないし、若村は色々ムカつく事は多いがなんだかんだで気心が知れている相手だ。

 

 華ほどではないにしろ、隊室という同じ空間にいる事を香取が許容している時点で身内カウントなのは言うまでもない。

 

 絶対に口にはしないが、香取の認識として身内である以上大切に想わない理由はないのだ。

 

 その二人が、文字通り身を賭して掴んだチャンスだ。

 

 此処でやらなければ、女が廃る。

 

 そう決意して、香取は。

 

「────────!」

「惜しかったな。だが、これで終わりだ」

 

 ────────────────足元から飛来した一発の弾丸に、右手首ごと拳銃を吹き飛ばされた。

 

 撃ったのは当然、ランバネイン。

 

 彼は一発だけ遅れて射出する事で、本命である香取の攻撃手段を潰したのだ。

 

 三浦と若村の策については、ランバネインの想定外ではあった。

 

 しかし、彼は歴戦の猛将。

 

 此処で自分を拘束する意味が分からないほど、愚鈍ではない。

 

 彼等が身を捨ててランバネインを拘束した以上、()()の攻撃が間断なく放たれるのは自明の理。

 

 だからこそ、ランバネインは万が一に備えて手元に残していた一発の弾丸を迎撃として撃ち放ったのだ。

 

 ランバネインの射撃は、言うまでもなく派手で人目を惹く。

 

 だからこそ、その攻撃を見逃す事など有り得ない。

 

 その心理をこそ利用して、ランバネインは潜ませていた一発の弾丸で形勢を覆した。

 

 戦争を潜り抜け、死線の何たるかを知るというのは、こういう事だ。

 

 如何なる予想外(イレギュラー)に相対しようとも、即座に最適解を導き出し実行に移す。

 

 それが彼等戦争経験者の怖さであり、最大の強みだ。

 

「────────!」

 

 だからこそランバネインは、頭上から奇襲を狙っていた木虎に照準を定めた。

 

 たった今右手を吹き飛ばした少女は、このタイミングであそこから攻撃する手段は無い筈だ。

 

 少女との距離は、凡そ8メートルほど。

 

 拳銃を今から生成するには時間が足りないし、射撃を直接展開するタイプのトリガーは銃撃に比べて攻撃までのタイムラグがある。

 

 あの刀による拡張斬撃ならば届くだろうが、少女は佩刀してはいない。

 

 故に、今優先するべきはこちらに向かって来る年若い少女の方だ。

 

 この中で最も練度が高いのが、あの少女である。

 

 機動力、突破力共に他の駒とは群を抜いている。

 

 だからこそ、ランバネインは警戒を香取から木虎へと移した。

 

 それこそが、最適解。

 

 彼の培った脅威度判定、その計測結果。

 

 戦場の勘とも言うべきそれは、今はこちらに目を向けるべきだと判断していた。

 

「な、に…………?」

 

 ────────────────それが。

 

 誘導された結果であると気付いたのは、香取の右足から弧を描くように伸びた刃で胸を貫かれた直後だった。

 

 スコーピオンの派生技、マンティス。

 

 身に着けて間もないその技術を以て、香取がランバネインを仕留めた瞬間だった。

 

 やられた。

 

 そんな感傷が、ランバネインの心を満たす。

 

 本当の意味での本命はこの少女、香取の方だったのだ。

 

 木虎が姿を見せたのは、自分の注意を引き付ける為。

 

 既に攻撃手段を奪った香取ではなく、より脅威度の高い木虎へと警戒を移させる為のブラフ。

 

 香取のこの一撃を通す為の、文字通りの囮だったワケだ。

 

 ランバネインはこの近距離で拳銃を持ち出した事から、香取の事を火兵────────────────銃手の類であると、誤認した。

 

 直前で銃手である若村が至近まで接近しておきながら銃での攻撃を選んでいた事もまた、その認識に拍車をかける結果となった。

 

 言うまでもなく、近距離では銃撃よりも斬撃の方が早い。

 

 にも関わらず銃撃を選択するという事は、それしか攻撃手段が無いからだ。

 

 それは当然の推測であり、ある意味では間違っていない。

 

 万能手、という存在をランバネインが知らなかったからこその誤認(ミスリード)

 

 それは、これまで万能手である嵐山や時枝が銃撃しか行っていなかった事もまた認知の加速に繋がった筈だ。

 

 射撃トリガーのハウンドを使用する剣士という意味では王子や樫尾もいたが、彼等の場合は射撃トリガーの持つ攻撃までのタイムラグがあった。

 

 だからこそこのタイミングにおいては香取は脅威とは判断せず、腰のホルスターに拳銃を携帯していた木虎の方をこそ警戒したのだ。

 

 それこそが、香取たちの狙いであったのである。

 

 本命を木虎と誤認させ、香取のマンティスを用いて敵の認識する射程を超えた一撃で仕留める。

 

 それが今回の作戦の肝であり、本当の意味での終着点。

 

「見事」

 

 ランバネインは自身の撃破という偉業を成し遂げた者達を称え、そして。

 

 致命傷を受けた個所から罅割れが広がり、ランバネインの戦闘体は崩壊。

 

 香取たちの戦術が、アフトクラトル二人目の兵士を打ち倒した瞬間だった。



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香取葉子⑩

 

「よもや、この俺が3人足らずしか仕留められんとは────────────────ヴィザ翁の言う通り、玄界(ミデン)の進歩は目覚ましいな」

 

 戦闘体を破壊され、生身を投げ出されたランバネイン。

 

 敵地での生身の露出という致命的な事態に陥りながらも、彼は余裕を崩さずそう告げた。

 

 その様子に彼を仕留めた香取は、盛大に舌打ちする。

 

「何よ、ふてぶてしいわね。負けたなら負けたで、少しは悔しがったらどうなのよ」

「ははは、悪いな。これでも充分悔しく思っているとも。しかし同時に、誇らしくもあるのだ。お前達という強者と、戦えた事がな」

 

 ランバネインはそこまで言うと倒れ込んでいた状態から起き上がり、にかりと笑う。

 

「お前達は良い戦いを見せてくれたし、その結果として俺は打ち倒された。悔しくはあるが、お前たちが俺に勝った事に違いは無い────────────────故に、掛け値なしの賛辞を贈ろう。だが」

「────────! 下がれ…………っ!」

「…………!」

 

 その直後。

 

 嵐山の叫びで後退した香取のいた場所に、無数の棘が突き立った。

 

 空間に空いた黒い穴から伸びたそれは、一歩避けるのが遅ければ香取を串刺しにしていただろう。

 

「退却よ。ランバネイン。迎えに来たわ」

 

 そして。

 

 それと同時に、ランバネインの背後に空間の穴が開き一人の女性が姿を見せた。

 

 紫色のショートカットの、タイトな服に身を包んだ妙齢の美女。

 

 アフトクラトルの黒トリガーの適合者の証である黒い角を生やした女性、ミラは視線で香取達を牽制しながらランバネインに声をかけた。

 

「ちっ、舐めた真似してくれるじゃない…………っ!」

 

 香取はその様子を見て、ランバネインの言葉が自分の気を引き付ける為のものであると気付く。

 

 もし嵐山の注意がなければ、彼女はあの棘によってリタイアしていただろう。

 

 堂々とした態度で自分を罠にかけようとしたランバネインを睨みつけ、香取は歯ぎしりした。

 

『追わなくて良い。深追いは危険だ』

 

 新たな敵を前に追撃するか迷う香取に、通信で嵐山の制止が届く。

 

 あそこまで堂々と姿を晒している以上、深追いした際の保険は当然かけているだろう。

 

 最悪、飛び込んだ先で隔離され連れ去られてしまう危険もある。

 

 嵐山はこの場の指揮官として、そんな危険を冒させるワケにはいかなかった。

 

「悪いな。俺は戦士ではあるが、兵士でもあるのだ。しかし、今告げた言葉に嘘はないぞ。お前達は俺を打ち倒し、不意打ちにも対応してみせた。誰がなんと言おうと、強き勇士である事に変わりはない」

 

 そんな香取に苦笑を返しながらも、ランバネインはあくまでも堂々たる態度を貫く。

 

 アフトクラトルの兵士として香取を罠にかけようとしたのは事実だが、同時に戦士として彼女達を称賛する言葉もまた事実である。

 

 その事を伝えたランバネインは横目で「早くしろ」と促すミラを尻目に、からからと豪快に笑った。

 

「ではな。縁があればまた戦おう、玄界(ミデン)の戦士達よ。俺を打倒して見せた武勇、天晴れだった」

 

 そして、その言葉を最後に空間の穴は閉じてランバネイン達の姿が消える。

 

 それを見送った香取はぐぎぎ、と歯を食い縛りながら拳を握り締めた。

 

「ったく、折角勝ったってのに水を差してくれちゃって…………っ! ホント、ムカつく…………っ!」

「いや、敵を退却に追い込めたんだ。この場が俺たちの勝利である事は疑いようがない────────────────よく、敵を仕留めてくれた。この事は、高く評価されるだろう。だから、自信を持って良いと思うぞ」

「……………………分かりました。ありがとうございます」

 

 悪態を吐く香取は嵐山の取り成しにより、怒気を引っ込めて頭を下げた。

 

 普段から口が悪い傾向のある香取であるが、彼女は決してTPOを弁えられない人間ではない。

 

 彼女が遠慮なく悪態を吐くのは主に気心の知れたチームメイト達であり、それ以外の────────────────身内以外の人間相手なら、ある程度場の空気を読んだ行動を取る事が出来るのだ。

 

 口は悪くとも、香取の根は善良な少女だ。

 

 家族については口では色々言うものの何より大切に想っているし、隊の仲間もなんだかんだで身内カウントしており遠慮のない物言いは「これくらいやっても構わない」という信頼の証でもある。

 

 情が厚く、空気も読もうと思えば読める彼女は、目上の人間に称賛されて礼を返す程度の事は普通に出来る。

 

 ましてや、相手は三門市の人気者である嵐山だ。

 

 親友の華と違いファンというワケではないが、此処で嵐山の心証を悪くしても良い事など何も無い事は理解出来る。

 

 これが諏訪のようなタイプであれば悪態をついたかもしれないが、それ込みでコミュニケーションとして受け取る彼と嵐山が同様の対応をしてくれるかは分からない。

 

 香取は人付き合いにおいては嵐山のような陽キャの極みのような人間よりも、親友の華のような物静かなタイプの方が落ち着いて付き合えるのでやり易いと感じている。

 

 故にプライベートでの人となりを知らない嵐山に関しては、当たり障りのない対応が無難だと判断した結果である。

 

 その様子を見ていた木虎は意味深な笑みを向けていたが、香取は猫を被り通しこれを無視。

 

 先の戦いも、要は自分より木虎の方が強いと思われていたから成功した作戦だったのだ。

 

 その事に関して木虎に思うところが無い筈がなく、此処で反応すれば面倒な事になる自覚が香取にはあった。

 

 木虎に食ってかかれば第一声が罵声である事は疑うべくもなく、勝利で昂揚した空気に自分で水を差す程馬鹿らしい事はない。

 

 故に色々思うところはあれど、香取は木虎の無自覚の煽りを黙殺する事とした。

 

(褒めてあげようとしたけど、睨まれちゃったわ。なんでかしら)

 

 そんな香取の態度に、木虎は首を傾げていた。

 

 木虎としてはトドメの一撃を成功させた香取に称賛の言葉でもかけようとしただけなのだが、それが今の彼女にとっては煽り以外の何物でもない事が分かっていない。

 

 割と人との距離感の調整が下手くそである木虎らしい、無自覚な火種の振り撒き方であったと言える。

 

「嵐山さん、この後はどうしますか?」

「そうだな。俺達は新型の撃破任務に戻る事としよう。荒船隊は指示があるまで待機。香取隊と王子隊は、別の指示があるまでは通常のトリオン兵の撃破に専念してくれ」

 

 しかし、切り替えの早さは木虎の強みだ。

 

 すぐに嵐山に今後の指示を仰ぎ、それを受けた嵐山は即座に各部隊に指示を伝える。

 

 それを受けた各隊の隊長は一様に「了解」と返答し、移動を開始した。

 

 校舎に背を向け、歩き出す香取。

 

 彼女はすぐに作戦室に通信を繋ぎ、信頼する仲間に声をかける。

 

「華、麓郎、雄太。勝ったわよ」

『お疲れ様』

『ああ、よくやったな』

『お疲れ様、葉子ちゃん』

 

 オペレーターである華と、緊急脱出し作戦室に戻った若村と三浦。

 

 三人からの労いを受け、香取は知らず笑みを浮かべた。

 

 面と向き合えば悪態ばかりつく間柄であっても、大事な仲間である事に変わりはない。

 

 そんな彼等の奮闘の結果、あの勝利を手にする事が出来たのだ。

 

 最後の最後でケチはついたが、それはそれ。

 

 これまで負けてばかりだった自分が、ようやく掴んだ勝利である事に違いは無い。

 

 香取は自身の────────────────いや。

 

 香取隊(じぶんたち)の勝利を喜び、気合いを入れ直す為拳を握り締める。

 

 これで敵の精鋭は一人撃破出来たが、戦争は終わっていない。

 

 四年前の災禍が蘇る可能性は、まだなくなってはいない。

 

 ならば、戦うだけだ。

 

 共に戦う仲間は、勝利の礎となってくれた。

 

 なら、残った自分はやれるだけの事をやるだけだ。

 

 そう意気込み、香取は足を進めていった。

 

 その直後、嵐山からの追加司令によって隊員を失った香取は王子隊と行動を共にする事になり、盛大に出鼻を挫かれる事になる。

 

 最後の最後で、オチがついた香取であった。

 

 

 

 

「また一つ、未来が良い方向に変わったか。香取ちゃんは、やってくれたらしいな」

 

 勿論嵐山や木虎ちゃんもね、と迅は小さく呟いた。

 

 たった今、数ある未来のうち幾つかの悪い方向へ向かう道筋(ルート)が潰された。

 

 それらの未来では敵の砲兵がこちらの隊員を次々と撃墜し、先の戦いが苦しくなる映像が映し出されていた。

 

 しかし、たった今香取がランバネインを撃破した事でその可能性(みらい)は消え去った。

 

 迅が予知していた、香取の大規模侵攻での貢献。

 

 それが、成就した瞬間でもあった。

 

「そろそろ、頃合いか。小南も頑張ってくれてるようだし、楽をさせて貰えるのは此処までか」

 

 全体の予知と指揮の助言が楽かどうかはともかく、迅は険しい目で一点の方角を見据えた。

 

 迅の未来視()には、此処から先は彼もまた前線に出なければならないと出ている。

 

 無数の未来、その可能性。

 

 それをより良いものへ変える為に、指揮の為だろうが戦力を遊ばせておく余裕はなくなった。

 

 その事を感じ取り、迅は目的地へ向け歩を進めていった。

 

 

 

 

「いやあ、負けた負けた。玄界(ミデン)の戦士は侮れぬな」

 

 アフトクラトル、遠征艇。

 

 そこでは、ミラに回収されたランバネインが盛大に笑っていた。

 

 敗残の将にしては、堂々とし過ぎている。

 

 その様子をミラはジト目で見据えているが、ハイレインはさして気にした様子はない。

 

 他ならぬ、自身の弟の事だ。

 

 その性根は理解しているし、別に彼は命令違反を冒したワケでもない。

 

 咎める理由がない以上、その態度を改めさせるつもりはなかった。

 

「どうだ、ランバネイン。実際に玄界(ミデン)の兵と戦ってみた感想は」

「一人一人の練度自体は俺達には及ばないが、連携が強いな。指揮官も優秀なようだし、精鋭の実力も充分高い。ヒュースがやられたのも、納得出来るというものだ」

 

 そうか、とハイレインはランバネインの評価を聞いて頷いた。

 

 こと、戦闘に関わる事でランバネインの審美眼が間違っているとは思っていない。

 

 彼がこう告げる以上、玄界(ミデン)の兵の性質はその通りなのだろう。

 

 個々の地力によるごり押しではなく、連携を前提とした練度の底上げ。

 

 何より、その()が驚異的だ。

 

 近界では、戦争におけるトリガー使いは少数精鋭が基本だ。

 

 これは用意出来るトリガーの数という事情もあるが、何より戦闘に堪え得るトリオン量を持てるかどうかは完全に才能に依存しているかだ。

 

 トリオン量は、生まれつきその多寡が決定している。

 

 多少の増減は見込めるものの、トリオン量に関しては才覚で全てが決まると言っても過言ではない。

 

 だからこそ、戦闘に堪え得るトリオン量を持つトリガー使いの成り手は希少なのだ。

 

 トリオン量の多寡と戦闘の才能に関しては別、というところもこの現状には関係している。

 

 成り手が希少である以上、少数の精鋭をどう活かすか、という運用が主となるのは当然だ。

 

 アフトクラトルの場合は成り手の分母自体は多いが、軍事国家である以上主な戦闘は遠征艇を用いての()()となる。

 

 遠征艇は、乗り込める人数に限りがある。

 

 だからこそ大国であっても、侵攻を行う場合は少数精鋭が乗り込み他の戦力は卵にして持っていけるトリオン兵となる。

 

 故に、玄界のように「一定水準の兵士を量産する」というやり方は馴染みがないのだ。

 

 その手法の違いは戦術の違いにも表れており、玄界の戦闘が連携重視・汎用性重視となる事は当然と言えば当然なのだ。

 

 加えて、アフトクラトルの精鋭でも手こずるような実力者が少なくない数在籍しているという点も無視出来ない。

 

 ハイレインの当初の想定では注意すべき実力者の数はそう多くないと見ていたが、どうやら認識を改める必要があるようだ。

 

 何せ、ヒュースに加えランバネインさえも碌な撃破報告が出来ないままやられたのだ。

 

 ヒュースの場合は相手が黒トリガーであったという事情もあったが、ランバネインは複数とはいえノーマルトリガー相手に落とされている。

 

 数の脅威、連携の練度の高さ。

 

 それは間違いなく自分の作戦を遂行する上で障害になると、ハイレインは目を細めた。

 

「ミラ、あれの準備は?」

「指示があればいつでもいけます」

「そうか。ならば、追って指示は出す。エネドラの様子はどうだ?」

 

 ハイレインの問いにミラはそうですね、と視線を一つのスクリーンに向け、頷く。

 

「未だ、先の相手と戦闘を継続しているようです。ですが」

 

 ミラはそう話すと目を細め、告げる。

 

「幾つかの敵兵の反応が、消えています。彼の下へ新たな兵が派遣される可能性は、高いでしょう」

「そうか。どの兵の反応が消えたかは、分かるか」

 

 ええ、とミラは頷く。

 

 彼女はトリオン兵を通じた見た別の映像に視線を向け、そこにマーキングされた反応にタグ付けされた名前を見て頷いた。

 

「先ほどイルガーを落とした双剣使い。その反応が、消えています。彼だけとは限りませんが、複数の精鋭が向かっていると見るべきでしょう」

「そうか。エネドラの戦況は、逐一報告しろ。増援の必要はないが、状況の推移によって打てる手は変わって来るからな」

 

 了解しました、とミラはハイレインの指示を拝領した。

 

 ハイレインは複数の画面を見据えながら、思考を回す。

 

 今回の遠征、その本来の目的。

 

 金の雛鳥の確保、それに繋がる一手を打つ為に。



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泥の王②

「おらおらぁ! 逃げてんじゃねぇトゲアタマが…………ッ!」

「うぜぇ…………っ! ちったぁ黙れおかっぱ野郎…………っ!」

 

 男二人が、ガラの悪い罵声と共に攻撃を繰り出し、そして躱す。

 

 エネドラと、影浦。

 

 二人の戦闘は、完全に膠着状態に陥っていた。

 

 あれから既に10分以上戦い続けているが、どちらも有効打を掴めない状態が続いている。

 

 これは、二人の性質にも起因するものだ。

 

 まず、エネドラは身体を液状化出来る為に通常の攻撃は意味がない。

 

 身体の何処かにある「核」を潰さない限り、泥の王(ボルボロス)を発動したエネドラは実質不死身のようなものだ。

 

 攻撃をしても通じないのでは、有効打など与えようがない。

 

 対して、影浦はサイドエフェクト感情受信体質がある。

 

 この能力は敵の攻撃の際に発生する殺意を感知し、攻撃の経路を読み取り回避が可能だ。

 

 七海の副作用(サイドエフェクト)、感知痛覚体質と似通っている能力ではあるが、実際の効果にはそれなりの違いがある。

 

 まず、七海の場合は攻撃が()()した段階になって初めて感知が可能である為、エネドラの不可視の攻撃を感知する事は出来ない。

 

 エネドラの能力は液状の身体を硬質化させて初めて攻撃判定が発生する為、七海が感知可能なのは刃が形成される段階となる。

 

 故に、七海の副作用(サイドエフェクト)ではエネドラの不可視攻撃の感知は出来ないが────────────────逆に、影浦はその感知が可能である。

 

 影浦は、他者の感情を肌感覚で受け取っている。

 

 つまり、相手が攻撃の()()を持った段階でその軌道を感知する事が出来るワケだ。

 

(ちっ、幾ら斬ろうが無駄骨かよ。けどまあ、こいつの見えねえ攻撃のタネは分かってきたな)

 

 その過程で、影浦はエネドラが先ほどからやろうとしている不可視の攻撃の正体がある程度推測出来てきていた。

 

 エネドラが不可視の攻撃を行おうとする時、その殺意は身体全体から滲み出すように出てきており、影浦の口や鼻といった部位に集中する。

 

 その都度影浦は距離を取ってその攻撃の射程外に離脱する事で回避しているが、此処まで徹底されれば否が応でも攻撃の性質は理解出来た。

 

 口や鼻といった部位を狙うという事は、その目的は体内への侵入であると予想出来る。

 

 となれば、毒ガスのような攻撃か体内に何かを植え付けるタイプの攻撃であると推測出来るが────────────────恐らく、そのどちらとも異なる。

 

 現段階で見えているエネドラの能力は、液状化と硬質化だ。

 

 どちらにしろ、敵のトリガーの性質はトリオン体の性質変化だ。

 

 故に肉体を毒ガスに変化する可能性は有り得るが、毒ガスにしては指向性が高過ぎた。

 

 毒ガスによる攻撃ならば、広範囲に無差別にばら撒く筈である。

 

 だが。

 

 エネドラはあくまで、影浦の口や鼻────────────────即ち、呼吸器系に狙いを定めていた。

 

 加えて、影浦は感じる殺意の感覚からある程度攻撃の種類を特定出来るが、影浦のこれはどちらかというと風間や七海のもぐら爪(モールクロー)に似たものだった。

 

 もぐら爪は、スコーピオンを地面を経由させて相手に突き立てる奇襲用の技術である。

 

 床や壁を経由した攻撃ならばエネドラも先程からやっているが、あれは経由するというよりは障害物の一切を無視して行う攻撃、という類で見て間違いない。

 

 攻撃の本質はともかく、エネドラ本人の自身の攻撃への理解はそのようなものだったからだ。

 

 そのエネドラが、この不可視の攻撃に関しては障害物を無視するどころかそれを避けるように行われていた。

 

 この事から分かるのは、不可視の攻撃の実行中は同時に通常攻撃を行えない────────────────少なくとも、即座に移行する事は出来ないという事だ。

 

 詳細までは答える筈がないので分からないが、影浦はこれまでの戦闘でそう判断した。

 

 問題は、それが分かって尚その攻撃を凌ぐ為には距離を取るしかない為、千日手に陥っている事だが。

 

 エネドラは能力の性質上有効打を与える事が難しく、影浦は攻撃の軌道を察知出来るが故に攻撃が当たらない。

 

 ただ、時間ばかりが過ぎていく膠着状態。

 

 そんな中。

 

「旋空弧月」

 

 二振りの斬撃が、煌めいた。

 

 影浦の背後から放たれた、拡張斬撃二連。

 

 それが、エネドラの身体を斬り裂いた。

 

「うざってぇ。無駄だっつってんだろうが」

 

 しかし、当然ながらエネドラにダメージはなく液状化した身体は元の形を取り戻す。

 

 だが、その視線は突然の闖入者へと向けられていた。

 

 今の攻撃、エネドラは察知出来てはいなかった。

 

 泥の王(ボルボロス)発動中という一種の無敵状態でなければ、致命傷を負っていたであろう事は想像に難くない。

 

 故に、エネドラはこの新たな敵兵への警戒度を上げる。

 

 事実、彼はその認識に相応しい使い手だった。

 

 彼は。

 

 太刀川慶は。

 

 このボーダーの誇る攻撃手の中で、文字通り最強の地位にいるのだから。

 

「ったく、増援がテメェ等かよ。もっとマシな奴送れってんだ」

「何言ってるんだ。俺が一番強いんだから、黒トリガー相手に行くなら俺だろ」

「言ってろヒゲ野郎。そういうトコが気に食わねーんだよ」

 

 だがまあ、と影浦はジト目でぼやく。

 

「おめーだけじゃなく、そいつらも連れて来たトコは褒めてやらねーでもねーがな」

「あらら、期待されてる?」

「そうみたいですね。頑張りましょう」

()が足りなかったんだよ。おめーらなら器用な真似も出来るだろーし、期待してっぜ」

 

 影浦はそう言って視線を残る二人────────────────出水と烏丸に向け、獰猛な笑みを浮かべた。

 

 出水は言うまでもなく最高峰のサポーターであるし、烏丸は細かい所に気が付く補助向きの人材だ。

 

 単騎での戦闘能力は()()()を使わなければそれなりに優秀、といった具合だが、他者と連携すればその価値は何倍にも跳ね上がる。

 

 丁度、敵側のヒュースという駒と似た性質を烏丸は持っていると言える。

 

 彼の奥の手はそう簡単に切れるものではないので単騎では殲滅力に欠けるが、この場には攻撃特化の攻撃手が二人もいる。

 

 個人的な感情はともかくとして、この太刀川隊────────────────いや、旧太刀川隊は、増援として再的確な相手と言えた。

 

 図ったワケではないが、現在の太刀川隊のメンバーである唯我が政治的な都合により出撃出来ない分その元からない穴を埋めたのが烏丸である。

 

 元々同じチームだったのだから、連携も問題なく行える。

 

 この場を支える人材として、最適な相手なのだ。

 

 懸念点があるとすれば三人が影浦と連携出来るかどうかだが、実のところそれはあまり問題には成り得ない。

 

 影浦は単騎での遊撃が真骨頂となる駒であり、下手に連携を意識するよりも好きに動いて貰った方が優れたパフォーマンスを発揮出来るからだ。

 

 サイドエフェクトがあるので前に出ても誤射の心配はなく、サポートする射手や銃手にとっても組む相手として重宝出来るという要素も大きい。

 

 影浦自身も他者と全く合わせられないとまではいかない為、急増のチームとしては思いの他良好な部隊条件と言えるだろう。

 

『ご苦労だった、影浦。お前の得た情報で、敵の能力はほぼ判明した。此処からは連携して、敵を潰せ』

 

 通信から風間の声が響き、影浦は頷いた。

 

 これまでの戦闘で影浦が取得したデータは、逐次通信で送っていた。

 

 その解析が終了したからこそ、こうして増援が送り込まれて来たワケである。

 

 影浦という駒の生存力を活かした、最適な戦略だったと言える。

 

「りょーかい、っと。そんで、敵の能力ってのは?」

『少しは考えろ、と言いたいところだがまあいい。恐らく、敵の能力の本質はトリオン体の形状変化だ。そして、これまで見せて来た液体への変化と硬質化による攻撃に加え、不可視の攻撃は自らを気体化させて敵の体内に侵入するものと思われる』

「そして体内で硬質化して攻撃を完了させる、ですか。えぐい攻撃して来ますね」

 

 その結果として、こうして敵の能力の詳細が判明した。

 

 泥の王(ボルボロス)の能力の本質は、トリオン体の形状と性質の変化。

 

 攻撃を受け流す液体化、攻撃時に実行される硬質化。

 

 そして、自身の身体を不可視の靄に変化させる気体化。

 

 それが、敵の黒トリガーの能力の本質である。

 

 これは、感情を肌感覚で察知出来る影浦だからこそ取得出来たデータである。

 

 他の者では、実際に攻撃を食らう以外の方法で不可視の攻撃の正体を探る事は難しかっただろう。

 

 犠牲者が出ないうちに敵の能力が知れた事は、僥倖と言える。

 

(おい、太刀川。あいつの身体ん中に、意思の大本みてーなのがある。多分、それが奴の核だ。ただ、あちこち移動してやがっからこのままじゃ捉えきれねぇ。だから────────)

(分かった。なら、やる事は簡単だな)

 

 太刀川は影浦の相談に迷いなく頷き、チームメイトに情報を共有する。

 

 出水と烏丸は共に頷き、通信の向こうからは国近の「おっけー」という陽気な声が聞こえて来る。

 

「さて、やるか。頼むぞ、三人とも」

「分かってらあ」

「ええ、任せて下さい」

「了解」

 

 4人の隊員が、エネドラと相対する。

 

 その中心にいる太刀川が、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。

 

「旋空弧月」

 

 無造作に、太刀川が旋空を放つ。

 

 それが、合図。

 

 影浦及び旧太刀川隊とエネドラの戦闘が、始まった。

 

 

 

 

「随分と粘り強いお嬢さんだ。しかし、そろそろ限界のようですな」

「く…………っ!」

 

 南の戦場。

 

 そこでは、小南がヴィザと相対していたが────────────────戦況は、決して良いとは言えなかった。

 

 片腕を斬られて以降もなんとか集中力をフルに使って攻撃を回避し続けていたが、流石の小南も限界に近付きつつあった。

 

 何せ、少しでも気を抜けば即死する上に、彼女が頼りにしていた戦場の勘も逆に利用される可能性がある以上、これまで無意識に行っていた動きを意識的に止める必要が出て来たからだ。

 

 小南は、完全に感覚型の戦士である。

 

 自分の戦闘論理を言葉にするのは苦手であり、己の感覚の赴くままに戦っている。

 

 戦闘中は本能のみで戦っていると言っても過言ではなく、攻撃も回避もその並外れた戦闘勘に支えられて来たところが大きかった。

 

 しかし、先程ヴィザはその戦闘勘による動きを先読みし、攻撃を置く事で小南の腕を斬って見せた。

 

 故にこれまでのように感覚頼りに戦っていては即死する可能性が出て来た為、動きに修正を加えざるを得なかったのだ。

 

 それは自動運転をマニュアル運転に切り替えるようなものであり、当然相応に負担がかかる。

 

 その為あれ以来傷は負っていないが、集中力という意味で限界が近付きつつあったのだ。

 

(攻撃が見えないくらい速いってのが、こんだけ厄介とはね。シンプルイズベストとはよく言ったもんだわ)

 

 敵の能力は、単純明快。

 

 即ち、超高速の高威力高射程の斬撃である。

 

 攻撃の速度は、生駒旋空よりも更に上。

 

 当たれば即死必須の威力の攻撃を、狙撃手並の射程で飛ばして来る。

 

 せめて斬撃の軌跡でも分かれば良かったのだが、攻撃速度が早過ぎてそれも不可能。

 

 勝ちの芽は依然として全く見えず、逆転の手段などあるのかどうかすら疑わしい。

 

 それだけの重みが、この翁にはある。

 

 香取が、純粋な実力で遠く及ばないと感じた存在。

 

 その極地が、この剣聖だった。

 

「さて、名残惜しいですがこれも任務。そろそろ片付けて、次に向かうと致しましょうか」

「…………!」

 

 加えて、こちらへの揺さぶりも平然と行って来る。

 

 此処で小南が消極的な動きになれば、この翁は別の場所に赴き暴れ回るだろう。

 

 そんな事になれば、こちらの戦力に甚大な被害が出るのは目に見えている。

 

 だからこそ、小南はある程度前のめりに戦わざるを得ない。

 

 言外の脅しで逃げが封じられているのも、小南の精神を消耗させている大きな要因であった。

 

(けど、あたしがやらなきゃ。此処でこいつを食い止めなきゃ、酷い事になる。そしたら、迅の願いは叶わない。だから────────)

 

 何が何でも、此処で止める。

 

 その決意を改めて行い、小南はヴィザを睨み見据え────────────────。

 

「ご苦労様、小南。応援に来たよ」

「────────迅」

 

 ────────────────にこやかに笑う迅の姿を見て、その眼に活力を取り戻した。

 

 いつの間にか近くに来ていた迅は、優し気な目で小南を見ている。

 

 終わりの見えない消耗戦で精神が疲弊していた筈の小南は、そんな彼を見てニヤリと笑った。

 

 活力が戻る、気力が蘇る。

 

 彼が傍にいてくれるだけで、幾らでも戦える。

 

 そんな小南の変化に、ヴィザも気付いたのだろう。

 

 薄く目を開き、獰猛な笑みを浮かべた。

 

 そんなヴィザを見て迅は最大限に警戒をしながらも、強い闘志を叩きつけた。

 

「うちの小南が世話になったみたいだね。此処からはこの実力派エリートも、お相手させて貰います────────────────だから逃げるなよ、ジイさん」

「ほっほ、元気の良い若者だ。では言葉通り、相手をして貰いましょうか」

 

 ヴィザは迅の静かな殺意を感じ、より一層笑みを深める。

 

 アフトクラトルの剣聖と、旧ボーダーの二人。

 

 共に戦場を識る者達の戦いが、始まった。



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泥の王③

 

「何匹増えようが関係ねぇ。テメェ等纏めて、ぶっ潰してやる…………っ!」

 

 エネドラは増援として現れた三人に向け、攻撃を開始する。

 

 液状化した身体を用いた、刃の津波。

 

 それを太刀川達は三者三葉に回避し、エネドラと距離を取った。

 

『そいつの攻撃で特に注意すべきなのは、床下や隙間を通った死角からの攻撃と、気体化を用いた不可視の攻撃だ。目だけで追おうとすれば、何処かしらで不意を突かれる。奇襲性に特化したトリガーと言えるだろう』

 

 風間の言う通り、エネドラの黒トリガー泥の王(ボルボロス)はとにかく奇襲性が高い。

 

 床や隙間を通った死角からの攻撃も、気体となって体内に侵入し内側から刺し殺す攻撃も、初見殺しの要素が非常に高い。

 

 これまで落とされた者がいないのは、最初に接敵した風間隊が菊地原という生きた索敵機(ソナー)を擁していた為だ。

 

 死角からの攻撃といえど無音にする事は出来ず、菊地原にとっては視えている攻撃も同然。

 

 故に風間隊は脱落者なしで撤退する事が出来、代わりにやって来た影浦は相手の感情を察知できる副作用(サイドエフェクト)があった。

 

 その能力のお陰で風間は気体化による暗殺を防ぐ事が出来、これまでの戦闘でも傷を負う事がなかった。

 

 同じ攻撃を察知出来る能力であっても、七海と菊地原、影浦ではそれぞれ性質が異なる。

 

 七海の能力(感知痛覚体質)は言うまでもなく単騎での攪乱・遊撃に特化した能力であり、リスクを最小限に危険域に踏み込む事が出来る。

 

 その代わりに味方の援護には向かず、同程度の機動力がある駒がいなければ連携は難しい。

 

 菊地原の力(強化聴覚)は単騎での突破力に対する作用はそこまで突出していない代わりに、チームでの運用適性が非常に高い。

 

 自身に向けられたもの以外にも感知範囲が及ぶという点では、徹底して部隊運用に向いた能力と言える。

 

 そして影浦の副作用(感情受信体質)は、単騎での生存能力は七海に一歩譲る代わりにある程度部隊との連携が容易であり、七海のそれとは異なる運用────────────────即ち、心理戦への適性を見せる。

 

 七海が単純に痛み(ダメージ)の発生区域を感知するのに対して、影浦は相手の感情を文字通り直に感じ取る。

 

 その為突発的な事故や殺意のない攻撃は感知出来ないが、相手の心理状態をダイレクトに感じ取れる為に取得できる情報の種類はこちらの方が多い。

 

 相手が今、どんな状態なのか。

 

 調子に乗っているのか、それとも焦っているのか。

 

 こちらを舐めているのか、警戒しているのか。

 

 それを感じ取れるのが、影浦の副作用(サイドエフェクト)なのだ。

 

(どうやら、お前らに標的を変えたみてーだな。俺にゃあ攻撃が当たんねーから、その鬱憤をお前らで晴らすつもりだろ)

 

 影浦は通信で太刀川達に警告を発し、太刀川と烏丸は各々の見解を話す。

 

 確かに、エネドラの行動は分かり易い。

 

 影浦はこれまでのエネドラとの戦闘で、相手の性質をある程度掴んでいた。

 

 彼は、戦いが好きなのではない。

 

 戦いで、敵を蹂躙するのが好きなのだ。

 

 要は、自分の力を誇示したい。

 

 相手を嬲って、自分の力を知らしめたい。

 

 そういった、幼い子供じみた残虐性を満たす為に己が力を振るう狂戦士(ベルセルク)

 

 それが、エネドラ。

 

 心を蝕む衝動に支配された、一人の兵士の成れの果てである。

 

 口は悪く、性格破綻者にしか見えない言動や行動。

 

 明らかに血に酔った危険人物ではあるが、影浦の能力(ちから)は。

 

 そんなエネドラの見せる凶悪性が、泣いている子供の癇癪に聞こえて仕方がなかった。

 

 大抵の人間は、殺意に理由があった。

 

 ランク戦の最中であれば、敵を倒したいという闘争心の発露。

 

 もしくは、上をひたすらに目指すが故の克己心の表れ。

 

 そういう類の攻撃意思(さつい)であれば、影浦はそこまで嫌いではなかった。

 

 戦いの中で感じる、こちらを倒してやる、という気概。

 

 それがダイレクトに感じられるのだから、そう悪いものではなかった。

 

 まあ、攻撃の軌道が分かってしまう事自体はスリルが減るので影浦としては歓迎出来るものではないのだが、生憎副作用(サイドエフェクト)にオンオフの切り替え機能はない。

 

 自動的に察知してしまうのだからどうしようもないものだと、半ば諦めている。

 

 そして、エネドラの放つ殺意はこれまでに感じたどんな敵意よりも痛々しかった。

 

 何せ、()()()()()のだ。

 

 攻撃するぞ、という意思はちゃんと存在する。

 

 けれどエネドラのそれは、何かに追い立てられるように沸き上がる衝動を強引に相手に向けた結果だった。

 

 この戦闘中、エネドラから常に感じているのは一種の強迫観念だ。

 

 敵を殺さなければならない。

 

 一刻も早く、殺さなければ。

 

 自分の精神(うつわ)が、壊れてしまう。

 

 そんな強迫観念に憑りつかれた末の、衝動的な攻撃意思。

 

 それが、影浦の感じたエネドラの()()

 

 この戦闘中、エネドラの攻撃意思に付随した感情は常に「焦り」と「苛立ち」だった。

 

 それは自分が優位な状況でも、そうでない時であっても変わりはない。

 

 エネドラの精神は常に荒波のように不安定であり、完全に制御不能状態に陥っている。

 

 故に、その行動は読もうと思えば読み易い部類だ。

 

 影浦には攻撃が当たらないから、別の相手を狙う。

 

 単純明快な、気まぐれな子供のような行動だった。

 

(成る程、分かり易いな。短気で我慢が効かないなら、色々やり易い)

(でも、油断は禁物ですよ。あの見えねー攻撃は、察知が難しいですから)

『そこはなんとでもなる。あいつのトリガーは、あくまでも自分のトリオン体を変化させて攻撃に用いている────────────────つまり、液体にしようが気体になろうが()()()()()()()()()()()()()筈だ』

 

 だが、だからといって加減する理由はない。

 

 敵にどんな理由があれ、敵は敵。

 

 排除すべき外敵である事に、他ならないのだから。

 

『死角からの攻撃も、気体化による攻撃も、その際にはトリオン反応の移動がある。なら、それを可視化してやれば察知は可能だ。国近、三上(こちら)も協力する。出来るな?』

『まっかせて~。今、皆の視界にトリオン反応を表示出来るようにするね』

 

 国近の言葉と共に、全員の視界にトリオン反応を可視化させたフィルターが適用される。

 

 エネドラを中心に、揺らめく陽炎のように漂う赤い霧。

 

 それが、トリオン反応を可視化したもの。

 

 即ち、()()()()()()()()()を可視化した代物である。

 

 その様子は、奇しくも。

 

 七海が普段から感じ取っている、攻撃の()()()()のイメージに酷似していた。

 

 それもその筈。

 

 国近がこのプログラムを適用するに際して、小夜子を通して聞いていた七海の副作用(サイドエフェクト)を参考にしていたからだ。

 

 七海本人とも太刀川達を通じて交友がある国近だが、ゲーム(趣味)の共通もあって小夜子とは既にマブダチと言って良い関係だ。

 

 その小夜子から、以前聞いていたのだ。

 

 七海の副作用(サイドエフェクト)は、視界に攻撃の被弾範囲がレーダーのように映るような感覚であるのだと。

 

 それを覚えていた国近は、今回トリオン反応を可視化するに当たって参考にしたワケだ。

 

(成る程、これがあいつの見てる世界か。こりゃあ────────)

(便利だな。欲しいとは、思わねーけどよ…………!)

 

 その成果は、すぐに出た。

 

 エネドラは一発目の攻撃が避けられた時点で、気体化攻撃を選択。

 

 トリオン体を拡張し、気体化させた自分自身を風下に放つ。

 

 それを。

 

 トリオンの可視化によって視認していた四人は、即座に後退。

 

 風上へ移動し、気体化攻撃を回避した。

 

 

 

 

「────────! テメェ等…………っ!」

 

 その行動で、エネドラも自分の攻撃のタネが見抜かれた事に気付いたのだろう。

 

 エネドラの顔は、憤怒に歪んでいる。

 

 彼にとって虎の子と言えた気体(ガス)ブレードが察知されたのだから、これ上なく面白くないのは言うまでもない。

 

 何せ、この攻撃はエネドラにとって厄介な敵を処理する為の最適解だったのだ。

 

 液状化ブレードの死角からの攻撃を凌げる者はいても、この気体化攻撃を初見でどうにか出来る者はいなかった。

 

 今目の前にいる、影浦を除いて。

 

 影浦に関しては、攻撃を察知する能力があるのだろうと見当は付けていた。

 

 アフトクラトルでも副作用(サイドエフェクト)という名称こそないものの、トリオンの高い者に特殊な感覚が備わるケースがある事は噂に聞いていた。

 

 恐らくこの男もその類なのだろうと、エネドラは判断していた。

 

 だが。

 

 後から来た者達は、恐らく違う。

 

 そういった能力が備わるのは、非常に稀なケースである事は知っていた。

 

 故に、この場にいる全員がそういった能力持ちである可能性は極めて低い。

 

 だというのに、全員が揃って自分の攻撃圏内から離脱した。

 

 間違いなく、何らかの方法でこちらの攻撃がバレている。

 

 それはエネドラにとって、折角手に入れた獲物(おもちゃ)を眼前で取り上げられる行為に等しかった。

 

「────────ぶっ殺す」

 

 怒気に任せるまま、エネドラは刃を放つ。

 

 頭を苛む、虫の羽音(こえ)を。

 

 少しでもそれで、塗り潰せるように。

 

 

 

 

(やっぱり、こう来たか。予想通り、っと)

 

 出水はエネドラが出力任せの攻撃を仕掛けて来たのを見て、しめた、と内心で手を叩いた。

 

 つい先ほど、出水達は国近が用意してくれたトリオン体を可視化するプログラムによってエネドラの攻撃を察知。

 

 不可視の気体化攻撃を、的確に凌ぎ切った。

 

 それも、あからさまに相手に伝わるやり方で。

 

 言うまでもなく、わざとだ。

 

 勿論、こちらが気体化攻撃に気付いていない風を装う事は出来た。

 

 しかし、それによって得られる不意打ちの機会(チャンス)よりも、相手を逆上させて余裕を削る方が有益だと彼は判断した。

 

 影浦から、この敵の性質は聞いている。

 

 短気で、我慢が効かない。

 

 敵を蹂躙する事こそが最優先で、戦闘はその為の()()

 

 そういった手合いと戦う事は、初めてではない。

 

 出水達太刀川隊は、何度か遠征に赴いた事のある部隊だ。

 

 当然近界の戦場にも行った事はあるし、本格的に参加した事はないとはいえ戦争(その)空気は知っていた。

 

 そんな出水達から見ても、エネドラの様子は一種異様だった。

 

 腕っぷしだけが頼りな傭兵ならばまだ分かるが、エネドラはアフトクラトルという大国の軍人だ。

 

 だというのに、平気で命令違反を冒しそうなメンタルの男が何食わぬ顔をして国の任務に就いているというのは些かおかしい。

 

 幾ら少数精鋭中心の近界とはいえ、大国であるならば戦闘員にもそれなりの組織的モラルが求められる筈だ。

 

 少なくとも、エネドラのような男が何の制限もなく作戦に参加するなどまず有り得ない。

 

 それが有り得るとすれば、恐らく────────。

 

(おっと、そいつは俺の考える事じゃないな。敵は敵だ。何かありゃ、倒してから考えっか)

 

 そこで思考を打ち切り、出水は攻撃を回避しながらエネドラへ向き直った。

 

 エネドラが感情任せの人間である事は、理解出来た。

 

 言うなれば、遊真や修に負ける前の緑川のようなものと思えば良い。

 

 勿論、彼ほど迂闊でもなく黒トリガーという強力極まりない武器がある時点で色々と違いはあるが。

 

 それでも、()()()()事に変わりはない。

 

 敵の精神が単純ならば、心理誘導そのものはそこまで難しくはない。

 

 とはいえ、相手が相手だ。

 

 確実に仕留められる機会が得られるまで、慎重に行動しなければならないだろう。

 

 国近のサポートで相手の攻撃が可視化出来るようになったが、普段とは違う視界を得ているという段階で相応に処理能力に負担がかかっている事は事実。

 

 迂闊に踏み込んで仕留め損ねれば、手痛い逆襲が待っている事は言うまでもない。

 

 敵は、黒トリガー。

 

 あの風刃と同じ、チート級の超兵器。

 

 それも、あそこまで初見殺しが満載の代物だ。

 

 これを侮れる程、出水は楽観してはいなかった。

 

 エネドラの黒トリガー、泥の王(ボルボロス)は自身のトリオン体を変質させる非常に厄介なもの。

 

 流石の出水も、撃っても斬っても落とせない相手と戦うのは初めてだ。

 

 これまでは通用していた、「やられる前にやる」事が難しい相手。

 

 警戒して、し過ぎるという事はない。

 

(幸い、こちらには強力な駒が揃ってる。焦る事はない。確実に、堅実に────────────────少しずつ、相手の余裕を削いでいく)

 

 出水はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、エネドラを挑発するように口元を釣り上げた。

 

(駒を進めよう。チート兵器を使って浮かれているこの男に、眼に物を見せてやるよ)

 

 エネドラはそんな出水の顔を見て更に苛立ちを露にし、攻撃を繰り出し続ける。

 

 そんな中。

 

 指し手たる出水の思考は、淀みなく冴え渡っていた。



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泥の王④

 

「行くぜ、京介」

「了解」

 

 出水は烏丸に声をかけ、出水はトリオンキューブを、烏丸はアサルトライフルを構える。

 

 照準先は、言うまでもなく対峙するエネドラ。

 

「「変化弾(バイパー)」」

 

 二人同時、射出された弾丸の名はバイパー。

 

 変幻自在の軌道を描く弾丸が、四方八方からエネドラに降り注ぐ。

 

「うざってぇ…………っ!」

 

 エネドラは無敵の液状化で攻撃を無視────────────────は、しない。

 

 周囲に分割した自身のトリオン体を展開し、硬質化を用いて防御した。

 

 無論、変幻自在の軌道を描く変化弾(バイパー)を全て凌ぎ切るには至らない。

 

 何割かの弾丸はエネドラの身体に着弾するが、ヒトガタが抉れるだけで本体へのダメージは皆無。

 

「死ねオラァ!」

 

 同時に、液状化の刃の波を展開。

 

 烏丸と出水に襲い掛かり、二人は止むを得ず後退。

 

 追撃を許さず、エネドラはそのまま攻勢に移る。

 

「エスクード」

 

 しかし、完全にエネドラが主導権を握る前に烏丸はエスクードを展開。

 

 刃の波を、(バリケード)トリガーを用いて押し留める。

 

「ウラァ!」

 

 その隙に、影浦が前に出てマンティスを放つ。

 

 スコーピオンに倍する射程の刃の鞭が、エネドラの外殻(ヒトガタ)を斬り裂く。

 

「いい加減うぜぇんだよ、トゲトゲ野郎…………っ!」

「そりゃこっちの台詞だ、おかっぱ野郎…………っ!」

 

 互いに罵り合いながら、エネドラと影浦は刃を交わす。

 

 エネドラは液状化を用いた無敵で、影浦は副作用(サイドエフェクト)を用いた回避で。

 

 それぞれ攻撃を凌ぎながら、殺意の刃を叩きつけ合う。

 

「旋空弧月」

 

 その二人に向け、太刀川は一切の躊躇なく旋空を放つ。

 

 当然の如く影浦はそれを横に跳んで躱し、拡張斬撃はエネドラの身体を両断する。

 

「この、ヒゲ野郎が…………っ!」

 

 エネドラは両断された左半身を、そのまま液状化。

 

 刃の津波へと変え、自身を攻撃した太刀川へと襲い掛かる。

 

(影浦、()()()だ?)

(こっちに残った方だ。そっちは斬っても意味ねぇぞ)

(了解。出水、京介)

((了解))

 

 太刀川は影浦の助言を受け、チームメイトに指示を下す。

 

 詳しい説明は、必要ない。

 

 これでも、それなりに長い付き合いなのだ。

 

 太刀川(たいちょう)の意向程度、察せない方がどうかしている。

 

 即ちこれは、追撃の指示。

 

 それを理解した出水と烏丸は、躊躇なくバイパーを放つ。

 

 狙うは無論、エネドラの残った右半身。

 

 無数の弾丸が、蠢く蛇のような軌道で敵の身体へと食らいつく。

 

 それを見て、エネドラは盛大に舌打ちをした。

 

 その様子に、出水は内心でニヤリと笑みを浮かべる。

 

(やっぱり、この方法で良さそうだな。影浦さんの言う通り、あの中に核があるのは間違いない。そうじゃなきゃ、さっき防御を選ぶ筈がないからな)

 

 先程、エネドラは出水達の変化弾(バイパー)に対し()()という選択肢を取った。

 

 エネドラの見せているヒトガタの形態はあくまでも外殻でしかなく、闇雲に攻撃してもダメージは無いにも関わらず、である。

 

 ならば、当然そこには()()がある。

 

 その意味とは、何か。

 

 それは当然、()()の位置を探り当てられる事だ。

 

 エネドラの黒トリガー、泥の王(ボルボロス)は自身のトリオン体を液体・個体・気体へ変化させるという特殊極まりない性質を持った代物だ。

 

 普通に攻撃してもダメージを与えられず、物量による蹂躙に加え気体化による内部からの攻撃という暗殺手段も備えているのだから、まさしくチート武器の名に相応しいトリガーと言える。

 

 だが、泥の王は決して無敵のトリガーなどではない。

 

 一見厄介な攻撃もタネが分かれば対処の方法は存在し、防御面においてもトリオン体である以上トリオン供給機関とトリオン伝達脳という()()の存在を無視する事は出来ない。

 

 この二つがなければトリオン体が成立しない以上、エネドラの身体にもその何処かにはこの心臓部とも呼ぶべき()が存在する。

 

 要はその核を破壊出来ればエネドラを倒せる彼唯一の急所となるワケだ。

 

 とは言っても、そう簡単な話でもない。

 

 まず、この「核」は常に移動している。

 

 まともに攻撃するだけでは、的確に核を射抜く事はまず不可能と思って良い。

 

 更に影浦からの報告で、彼の攻撃がそれらしきものに掠った際の感触から、核は硬質なカバーに覆われている事が確認出来ている。

 

 恐らく、ただ攻撃を当てるだけでは破壊出来ない。

 

 ブレードトリガーの全力の直撃か、もしくはイーグレット並の威力が欲しいというのが正直なところである。

 

 故に、この波状攻撃を選択した。

 

 核を狙うには、エネドラの外殻であるヒトガタの体積を減らすのが手っ取り早い。

 

 体積が減れば減る程、攻撃が核に当たる確率が高まるのは言うまでもない。

 

 移動する幅が狭ければ狭い程、核を攻撃から逸らす事は難しくなるのだから。

 

 要は、一つの箱とその中で転がる玉をイメージすれば良い。

 

 箱が大きければ大きい程玉同士がぶつかる確率は少なくなり、逆に小さければ小さいほどぶつかり易くなる。

 

 核を自在に移動出来るとはいっても、その移動は外殻(からだ)の内側でやらなければ意味が無い。

 

 下手に外に核を露出させてしまえば、そこを狙われて終わりなのだから。

 

 故に、今見えているエネドラの身体への攻撃は無意味ではないのだ。

 

 確かにダメージは与えられはしないが、身体の体積を削る事には意味がある。

 

 そういった意味で、エネドラが自分から身体を二つに分割した今の状況はチャンスなのだ。

 

 このまま波状攻撃を仕掛け、核の逃げ場を削っていく。

 

 その果てに、敵の核を射抜き仕留める。

 

 それが、出水の作戦(プラン)

 

 捻りはないが、堅実な戦術。

 

 サポートの名手である、彼らしい方針だった。

 

「ハッ、それがどうしたぁ…………っ!」

「…………!」

 

 だが。

 

 エネドラはそれを、黒トリガーの出力という力業で押し返す。

 

 確かに、エネドラは太刀川を攻撃する為に身体を分割した。

 

 その分だけ外殻の体積は減り、波状攻撃が有効な状態となった。

 

 しかし、エネドラには────────────────泥の王(ボルボロス)には、黒トリガーとトリガー(ホーン)の二乗で強化された莫大なトリオンがある。

 

 制限なしで出力を強化すれば、身体の体積を広げる事など容易なのだ。

 

 エネドラは出力に任せたトリオン体の拡張を行い、外殻を大きく広げて先端を硬質化。

 

 出水と烏丸、二人のバイパーを硬質化の盾が防御する。

 

 トリオンに優れた出水の弾丸とはいえ、所詮は威力に乏しい変化弾(バイパー)

 

 硬質化させた外殻を貫く事は出来ず、全ての弾が弾かれて終わる。

 

(ちっ、悪い方の予感が当たったか…………っ!)

 

 それを見て、出水は舌打ちする。

 

 これまで、エネドラと戦っていた影浦はスコーピオン使いの攻撃手だ。

 

 故に相手の身体を削るような広範囲の攻撃は持ち合わせておらず、加えて攻撃方法も「斬る」よりも「突く」方に寄っている為エネドラの身体を大きく抉るような攻撃は出来なかった。

 

 だからこそ、減った分の体積を補填出来るかは未知数だったのだが────────────────その答えを、高出力により力押しという最悪な形で突き付けられる事になった。

 

(ここであんな風に身体を広げたって事は、気付いてやがるな────────────────短気に見えて、戦場の事はきちんと分かってるって事かよ)

 

 エネドラがわざわざ自身の身体を広げたのは、恐らくこちらの狙いを看破したからだ。

 

 あの場面でエネドラが取り得る行動は、幾通りか存在した。

 

 身体を更に分割して移動するか、逆に身体を広げて防御力を上げるか。

 

 もしくは、攻撃を無視して進んで来るか。

 

 その中で身体を広げての防御を選んだという事は、こちらの狙い────────────────即ち、体積を削る事による核の移動範囲の削減を見抜いていたという事だ。

 

 エネドラが短気で攻撃的なのは、これまでの言動や行動で判明している。

 

 だが、それが何処まで彼の行動を縛るものかは判断し切れなかった。

 

 これで感情任せ、トリガーの無敵性任せに動くようならどうとでもなったのだが────────────────流石に、そこまで甘い話はないようだ。

 

 トリガー(ホーン)による浸食があったとしても、エネドラが培って来た戦闘経験が消えるワケではない。

 

 戦場では、判断ミス一つが敗北に繋がる事などザラにある。

 

 特に、エネドラの黒トリガーはその特殊性こそが最大の武器。

 

 初見殺し要素は高いが、一度タネが割れれば対処法はあるのだ。

 

 だからこそ、エネドラは常に戦場では頭を使って立ち回って来た。

 

 今のエネドラの理性(いしき)は残滓に過ぎないとしても、身体はその習慣(けいけん)を覚えている。

 

 戦場で生き残り、敵を殺す為の機転と判断力。

 

 それはまだ、エネドラの中に残っているのだ。

 

 今の彼の意識が、浸食された末の残り滓のようなものだとしても。

 

 経験は、嘘をつかない。

 

 加えて、出水達は与り知らぬ事ではあるが今のエネドラの神経は影浦との交戦によって研ぎ澄まされていた。

 

 幾ら攻撃しても有効打が入らず、延々と遅滞戦闘が続く。

 

 それは初見殺しが最大の武器であるエネドラにとって、決して良い状況ではない。

 

 他に攻撃対象がいればそちらを狙う事で気を晴らす事も出来ただろうが、影浦との戦闘中エネドラはひたすら攻撃が通らない鬱憤(フラストレーション)をため込んでいた。

 

 それ故に、彼の身体に染み付いた戦闘経験が「このままではマズイ」と警鐘を鳴らした。

 

 遅滞戦闘を行われ、こちらの手札が解析されていく。

 

 それは泥の王(ボルボロス)の使い手たるエネドラにとって、これ以上ない致命的な状況を意味していたのだから。

 

 故にエネドラは本能的に、最適の行動を選び取った。

 

 それが、あの状況でエネドラが防御を選んだ理由である。

 

 確かに彼は短気で、挑発にも弱いが。

 

 それでも、数々の戦場を潜り抜けた兵士である事に変わりはない。

 

 これが、本当の意味での()

 

 自分達のように競い合うのではなく、殺し合いを前提とした戦いを潜り抜けて来た人間。

 

 文字通り、ものが違う。

 

 それを自覚し、そして。

 

(なら、それを加味した上で動くだけだ。悪い方の可能性に傾いちまったが、完全な想定外ってワケでもない。修正は効く。手はある。まだ、諦めるには早過ぎる)

 

 改めて、覚悟を決め直した。

 

 成る程、確かに単純な策でエネドラを嵌める事は不可能だろう。

 

 彼は戦闘に関しては見た目程短慮ではなく、半端な隙は罠も同義。

 

 エネドラは泥の王(ボルボロス)に絶対の自信を抱いてはいるが、それはこの黒トリガーの性質を骨の髄まで理解しているが故だ。

 

 理性ではなく、本能で。

 

 彼は、この力の使い方を理解している。

 

 故に、誰にでも思いつく程度の策では足りない。

 

 勿論、捻り過ぎても逆効果になる。

 

 ならば、どうするか。

 

 簡単だ。

 

 何でも良い。

 

 エネドラにとって本当の想定外の、()()

 

 それを叩きつけた上で、堅実に追い込んで行けば良い。

 

 既に、作戦(プラン)は組み上げてある。

 

 後は、それを実行出来るか否かだが────────────────そこは、欠片も心配していない。

 

 今此処には、サポートの名手である自分と戦闘だけは信頼出来る隊長────────────────そして、かつて共に戦っていた古馴染みまで揃っているのだ。

 

 加えて特殊な技能を持つ影浦までいるのだから、手札が足りないなんて言えば罰が当たる。

 

 何より、もう肩を並べて戦う機会なんて早々無いと考えていた烏丸が、隣にいるのだ。

 

 自分は勿論、太刀川も普段以上にやる気になっているのは伝わって来る。

 

 出水も、烏丸が自分たちの下を離れて玉狛へ行った事に関して何も思わなかったワケではないのだ。

 

 結局は烏丸の意思を尊重して送り出したが、今でも彼がいてくれれば────────────────なんて思う事は、勿論ある。

 

 新しく入った唯我の事はなんだかんだで嫌いではないが、それはそれとして烏丸が大切な仲間である事に変わりはない。

 

 その彼とこうして再び同じチームとして戦えるのだから、それだけでも今日こうして出撃した事に意味はある。

 

 だから、どうせなら勝って終わりたい。

 

 この戦争は弟子の七海も気合いを入れて臨んでいるようだし、烏丸の事もあって自分のモチベーションもこれ以上ないくらいには高い。

 

(太刀川さん、作戦を変更します。京介も、頼んだぞ)

(分かった)

(了解)

(じゃあ、説明します。まず、影浦さんは────────)

 

 出水はチームメイトと短い言葉で意思疎通を行い、影浦には直接指示を送る。

 

 太刀川隊のブレインは、打つ手を変えて盤面を動かす。

 

 作戦に修正を加え、そして。

 

 目の前の敵に、勝つ為に。



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泥の王⑤

 

「さて、行くか」

 

 出水から指示を受けた烏丸は、手にしていたアサルトライフルに付いているレバーを押し、弾丸の種別を変更。

 

 バイパーからアステロイドへと切り替え、エネドラに向かって斉射する。

 

 応用性を削減(オミット)した代わりに威力を底上げした弾丸が、エネドラの泥の膜に罅を入れていく。

 

「効くか、雑魚がぁ…………っ!」

 

 エネドラはそれに対し、刃の津波にて応戦。

 

 圧倒的質量の前に、烏丸のアステロイドは弾かれる。

 

 分かっていた事だ。

 

 たとえ、威力特化の弾丸(アステロイド)であろうと、黒トリガーの出力の前には力負けすると。

 

 故に、これは相手にダメージを与える事を目的とした選択ではない。

 

 これは。

 

 相手に、()()()()()()為のトリガー選択(セット)だ。

 

 今一番やられて困るのは、遅滞戦闘に移行され時間を稼がれる事だ。

 

 エネドラのトリガー、泥の王(ボルボロス)はその奇襲性も然る事 ながら核を射抜かれなければダメージを受けない疑似的な無敵性が一番の脅威である。

 

 彼本人の性格とは裏腹に、どちらかといえば耐久戦闘に向いたトリガーでもあるのだ。

 

 無論、戦闘が長時間に及べば及ぶ程泥の王の仕掛け(ギミック)が見破れる確率は高くなる。

 

 タネの割れた手品に意味はないように、泥の王を初見殺したらしめている特性を看破されればそれを用いた暗殺は成功しなくなる。

 

 故に、攻撃に限って言えば泥の王(ボルボロス)にとって長時間戦闘は相性が悪いと言えるのだが、完全な時間稼ぎを目的とした場合は話が別となる。

 

 攻撃を捨て、ひたすらに遅滞戦闘を徹底すればこれ程脅威となるトリガーはないだろう。

 

 無理な攻撃さえしなければ、泥の王の核を射抜くのは容易ではない。

 

 逃げに徹されてしまえば、撃破目標の達成は困難を極める。

 

 そして当然、長期戦になって息切れするのはノーマルトリガーである太刀川達の方が早いだろう。

 

 それだけ黒トリガーの出力というのは圧倒的であり、しかもエネドラはトリガー(ホーン)によって更にそのトリオンを底上げしている。

 

 まともに撃ち合いを続ければ、どちらが先に限界が訪れるかは明らかだ。

 

 だからこそ、敢えてアステロイドで挑発を仕掛け、攻撃に移させた。

 

 遅滞戦闘という選択肢を、封じる為に。

 

 もし、ヒュースやランバネインといった自身を兵士として定義し個ではなく大局を見据えて視野を見る事の出来る人間ならばこんな分かり易い挑発には乗らなかっただろう。

 

 誘いであると断じて黙殺するか、様子を伺う為に敢えて乗った振りをするか。

 

 いずれにせよ、こちらの意図を読んだ上で行動に移る筈である。

 

 しかし、エネドラに限って言えばその心配はない。

 

 今の彼に連携行動など望むべくもなく、大局的な視点など存在しない。

 

 トリガー(ホーン)の浸食で攻撃衝動に支配された今のエネドラの持つ指針は己の快・不快のみであり、自分がやりたいようにやる、という事が最優先。

 

 立場や力の差は理解している為表立ってハイレインやヴィザに反抗する事はないが、進んで命令を聞くようなタチでもない。

 

 何かしら口実が出来れば、喜んで命令違反に手を染めるだろう。

 

 だからこそ、彼は烏丸の挑発を無視出来ない。

 

 先程まで欠片も盾にダメージを入れる事のなかった敵が、力任せにそれを突破しようとしている。

 

 己の力に酔い痴れているエネドラにとって、格下と見た相手に牙を突き立てられるのは我慢ならない。

 

 故に当然、エネドラは攻撃に移る。

 

 己の力を、見せつける為に。

 

 自身の優位性を、証明する為に。

 

 その様子を見て、烏丸は巧くいった、と薄く笑みを浮かべる。

 

 普段は表情筋が殆ど動かない彼であるが、柄にもなく昂揚しているのはきっと。

 

 大好きな昔のチームメイトと、再び肩を並べて戦えているからだろう。

 

 

 

 

 ボーダーに入ったのは、お金の為だった。

 

 迅や小南のように重い過去を背負ってはいないし、近界民に対してどうこう思う事もない。

 

 街を守りたいとは思うがそんな広範の事よりもまずは自分の身内の安全が最優先だし、滅私奉公なんて柄でもない。

 

 ただ、自分がやれそうである程度以上の見入りが期待出来そうな仕事だった。

 

 要は、それだけの話だ。

 

 勿論、それを公言するだけの度胸は自分には無い。

 

 少なくとも漆間のように、「自分は金儲けの事しか考えてない」なんて言う気にはなれなかった。

 

 確かに、家が貧乏だからお金を稼ぎたいというのは人から見れば美談の類に入るのかもしれない。

 

 けれど、自分に言わせればお金を稼ぐ目的に貴賤などない。

 

 旅行に行く為にお金を貯めるのも、生活の為に節約しながらお金を稼ぐのも。

 

 いずれにせよ、お金を稼ぐという目的自体は変わらない。

 

 その理由が如何なるものであるにしろ、労働と言う対価を支払っている事に変わりはないのだから。

 

 でも、外聞が悪いという事もまた事実。

 

 烏丸は内心で開き直りながらも、心の何処かで自分の戦う理由を卑下していた。

 

 冷めていた、と言っても良い。

 

 それは、金の為に戦うと言って憚らない漆間が嫌われているのを目にしていたからかもしれない。

 

 ああいう風に嫌われるのは嫌だと、烏丸は感じていたのだ。

 

 もっとも、彼が嫌われていたのは誰憚る事なく振舞う漆間の人間性それ自体にあったのだが、人の心の機微に疎い烏丸にそんな事は分からない。

 

 だから、嬉しかったのだ。

 

 あの時。

 

 自分を隊に誘ってくれた、太刀川の言葉が。

 

 ────────────────戦う理由なんか、どうでも良いだろ。難しい事考えずに、ちょいと一緒に戦ってみようぜ────────────────

 

 太刀川は自分の人間性など、戦う理由など、気にしていなかった。

 

 それが烏丸にとってはありがたくて、妙に嬉しくて。

 

 彼は、太刀川の手を取ったのだ。

 

 一緒の隊になって太刀川の駄目人間ぶりを目にして色々幻滅はしたものの、その強さとある種の高みにいる精神性は尊敬に値する。

 

 出水はなにくれと世話を焼いてくれた頼れる先輩だし、国近もいつもゆるやかな笑顔で自分を迎えてくれていた。

 

 自分の都合でそんな太刀川隊の皆に背を向けるのは正直辛かったが、事情を話すと彼等は笑顔で送り出してくれた。

 

 だから。

 

 再び、彼等の力になれる機会を得た今。

 

 全力を尽くさない理由は、何処にも無い。

 

「エスクード」

 

 短く、起動の為の言葉を告げる。

 

 烏丸の決意を表すかのように、地面からせり上がった無数の壁が刃の津波を堰き止めた。

 

「うざってぇ…………っ!」

 

 だが、泥の王(ボルボロス)は自在に液状化と硬質化を使い分けられるトリガー。

 

 自然の波のように一定の間隔で動くのではなく、エネドラ本人の意思で操作している為本質的には変化弾(バイパー)のようにその軌道は自由自在だ。

 

 壁にぶつかったところで、一旦液状化してからそれを乗り越えれば良いだけの話。

 

 エネドラは硬質化を解除した泥でエスクードを透過し、その先にいる烏丸へ攻撃を仕掛ける。

 

「んだと…………っ!?」

 

 されど。

 

 既に、烏丸はそこにはいない。

 

 烏丸はエスクードの展開と同時に、その場から離脱していた。

 

 何故ならば。

 

 この一瞬を稼いだ時点で。

 

 彼の果たすべき役割は、終わっていたのだから。

 

「────────変化炸裂弾(トマホーク)

 

 放たれる、無数の弾丸。

 

 撃ったのは、出水。

 

 彼は烏丸が稼いだ一瞬の隙を使って合成弾を生成し、攻撃準備を整えていた。

 

 攻撃に全力を注いでいたエネドラが、それを避けられる筈もなし。

 

 エスクードの向こう側へとトマホークが着弾し、連鎖的に爆発が発生。

 

 爆破により、エネドラの身体が空中へと押し上げられる。

 

 エネドラのトリガー、泥の王(ボルボロス)はトリオン体を液体・固体・気体へと変化させる性質を持つ。

 

 三種の形態の切り替えによる変幻自在な攻撃が持ち味であり、奇襲・暗殺に特化している上に耐久力も高い厄介極まりないトリガーである。

 

 だが。

 

 その性質は、時に弱点と成り得る。

 

 トリオン体を液体や気体に変質させるという事は、それらの持つ特性を正確に模倣(トレース)してしまうという事だ。

 

 たとえば、気体の場合。

 

 この形態では敵の体内に入り込み内側から刺し殺すという暗殺が行えるが、気体の性質を持つ以上()()()()()には大きく左右されてしまう。

 

 要するに気体化させたトリオン体はゆっくりとしか移動させられず、風の影響をモロに受けてしまうのだ。

 

 今、エネドラは刃の津波が防がれた時の為の次善策として即座に気体化を行い敵を内側から殺すつもりでいた。

 

 そこに変化炸裂弾(トマホーク)で爆撃を行えば、どうなるか。

 

 決まっている。

 

 漂わせていた気体諸共、爆風で()()()()()()

 

 半ば液体化していたエネドラのトリオン体、それ諸共。

 

 爆風によって、空中に()()()()()()()ワケだ。

 

 エネドラは泥の王によって自在に形を変える為、通常のトリオン体のように四肢で動く必要が薄い。

 

 しかし当然、液体化しての移動にはトリオンを消費する。

 

 常時そんな事をしていればトリオンの無駄遣いでしかない為、エネドラはある程度自身の足で移動を行う。

 

 トリオン体の作り出すヒトガタ、核を収納する外殻を用いて。

 

 即ち。

 

 外殻(ヒトガタ)への攻撃、それそのものにダメージが伴わずとも。

 

 そこに、()()()()()()()()()()が在る事に変わりはない。

 

 エネドラは自身の変質したトリオン体を分離・操作する事で、遠隔攻撃を行う事が出来る。

 

 しかし、その攻撃の()()は形成したヒトガタの視覚を用いて行っているものと予測される。

 

 何故ならば、エネドラは攻撃を行う瞬間だけは必ず()()()()()()()いるのだから。

 

 泥の王の性質上、ヒトガタの形成などせずに不定形のままでいた方が効率的に攻撃を行えるであろう事は間違いない。

 

 ヒトガタを作る()()を他に用いれば、それだけ攻撃に注ぎ込めるリソースが増えるからだ。

 

 それをしない、というよりエネドラがヒトガタを作る事に拘っているのは、そこに意味があるからだ。

 

 ヒトガタを作る、意味。

 

 そんなもの、()()()()()()為に決まっている。

 

 エネドラの液状化させた身体は、あくまでもトリオン体を変化させたもの。

 

 生身の身体を忠実にトレースするトリオン体の性質そのものはなくなっておらず、()()もまたそれに準拠する。

 

 音を聞く為には耳が、ものを見る為には眼球が必要になる、というワケだ。

 

 だからこそ、エネドラの核は間違いなくヒトガタの中に存在する。

 

 本体を覆う外殻でしかなくとも、トリオン体としての主機能はあの中にこそあるのだから。

 

「────────」

 

 エネドラが宙に飛ばされた事を確認し、烏丸は腰の弧月を引き抜いた。

 

 同時に、太刀川もまた弧月を二振りその手に携える。

 

 現在、エネドラの身体は地面から離れている。

 

 つまり、逃げを打たれる心配はほぼない。

 

 しかし、弾トリガーの威力では硬質化の盾に阻まれる恐れがある。

 

 この千載一遇の好機を逃せば、()がやって来る可能性は低い。

 

 エネドラ本人の性格には付け入る隙は多くとも、泥の王(ボルボロス)という黒トリガーの性能は脅威極まりないのだ。

 

 この機に仕留める、それ以外にない。

 

「「旋空弧月」」

 

 故に、二人は放った。

 

 太刀川の二刀と、烏丸の一刀。

 

 三本の弧月から放たれる、旋空を。

 

 本来、烏丸のトリガーセットに旋空は含まれていない。

 

 玉狛への移籍により手にした特殊なトリガー、ガイストを用いる関係でトリガーセットを調整した時、けじめの意味も込めて外していたのだから。

 

 しかし、今回は別だ。

 

 烏丸は迅から、太刀川と共に自分が戦う可能性がある事を告げられていた。

 

 ならば。

 

 それならば。

 

 今も尚敬愛する、チームメイトと戦う機会が訪れるのであれば。

 

 当時使っていた、太刀川隊の象徴たる旋空を。

 

 使わずにいるという、選択肢はない。

 

 だからこそ烏丸は大規模侵攻が起きる前にトリガーセットを調整し、旋空を組み込んでいた。

 

 全ては、今この時。

 

 太刀川と共に、旧太刀川隊(かつて)の三本目の刃を振るう為に。

 

 ブランクはある。

 

 かつてのそれよりは、精度は低い。

 

 けれど。

 

 それを気合い(おもい)で修正し、狙い通りの位置に拡張斬撃を放つ。

 

 気持ちの強さは関係ない。

 

 されど、無意味ではない。

 

 想いの力、それそのものが戦局を変える事はなくとも。

 

 その原動力には、充分成り得る。

 

 どんな攻撃も、どんな防御も、どんな戦術でさえも。

 

 根底には、「勝ちたい」という想いがあるのだから。

 

 それは無論、太刀川も認めている。

 

 彼は「想い()()では勝てない」と断じてはいても、それが無意味であるとは考えてはいないのだから。

 

 想いを込めた、三本の旋空。

 

 それが、空中に投げ出されたエネドラへと放たれた。





 原作の烏丸トリガーセット

 メイントリガー
 弧月 アステロイド(突撃銃) バイパー(突撃銃) シールド
 サブトリガー
 エスクード ガイスト FREE TRIGGER バッグワーム

 今回のハッスル烏丸トリガーセット

 メイントリガー
 弧月 旋空 ガイスト シールド
 サブトリガー
 エスクード アステロイド(突撃銃) バイパー(突撃銃) バッグワーム


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マスターズ

 

「ふざけた真似、しやがって…………っ!」

 

 エネドラは迫り来る三本の斬撃を見据え、舌打ちした。

 

 現在、彼の頭脳体とも呼ぶべきものは変化炸裂弾(トマホーク)の爆風によって宙に吹き飛ばされている。

 

 出水達の推察通り、液状化した状態のエネドラは風圧に弱い。

 

 気体は言わずもがな、液体の状態であっても指向性のある爆風ともなれば押し流されてしまうのは通りだ。

 

 液体化と気体化はエネドラの武器ではあるが、同時に弱点でもある。

 

 出水のその推理は、間違ってはいなかったのだ。

 

 そして、こと此処に至り敵の狙いを看破出来ない程エネドラの経験値は少なくはない。

 

 敵の狙いは────────。

 

(────────俺を斬り刻んで、核の逃げ場所をなくしてから仕留める気か…………っ! うざってぇ真似しやがる…………っ!)

 

 ────────────────エネドラの身体を文字通り分断し、核の逃げ場を奪ってから本命の攻撃を当てる。

 

 これ以外に、考えられなかった。

 

 エネドラのトリオン体の核は、当然ながらこの外殻(ヒトガタ)の中に存在する。

 

 少なくとも視覚や聴覚を担う以上、核と頭部は繋がっていなければならない。

 

 頭部を形成しなければ、残った触覚に頼る以外外部の情報を取得する手段がなくなるからだ。

 

 だからこそエネドラは攻撃の際には必ず頭部を形成しているし、頭部形成前の攻撃精度が荒いのもその為だ。

 

 頭部を形成せずとも攻撃は可能だが、それは目と耳を塞いで勘だけで武器を振り回すようなものだ。

 

 流石に直前に相手がいた場所には当たりがつくが、少しでも移動してしまえば分からない上にそれ以上の追撃も難しい。

 

 気体化であればばらまくだけで良いのでその状態でも可能ではあるが、既にタネが割れた奇襲を仕掛けて易々と倒せる筈がない事は分かっている。

 

 だからこそ、この外殻の頭部はエネドラにとって重要な照準器(レーダーサイト)なのだ。

 

 その頭部と繋がった身体の中に核がある事は、ある程度頭が回れば辿り着く事が出来るだろう。

 

 故に、敵はこうして空中に吹き飛ばした上で斬撃を仕掛けて来たのだ。

 

 恐らく、この斬撃はあくまでもエネドラを切り開く為の下準備。

 

 この三つの斬撃をまともに浴びてしまえば、エネドラの外殻の体積はかなり小さくなる。

 

 そうなると、身体の中を常に流動させている核の逃げ場がなくなってしまう。

 

 それはエネドラにとって、詰みの状態に等しかった。

 

 エネドラの黒トリガー、泥の王(ボルボロス)の最大の武器はその疑似的な無敵性にある。

 

 核の位置がバレなければ撃たれようが斬られようがダメージはなく、こちらは初見殺し要素の高い地面からの奇襲や気体化による暗殺を一方的に行える。

 

 能力のタネが割れない限り、エネドラは一方的な虐殺が行える。

 

 それが数々の近界国家への遠征で猛威を奮ってきたエネドラの強みであり、トリガー(ホーン)の浸食があるとはいえ彼が此処まで増長するに至った最大の要因である。

 

 そういう意味で、今回は予想外(イレギュラー)が過ぎた。

 

 まず、気体化攻撃を初見で躱されたのは今回が初めてだった。

 

 気体化による暗殺は文字通り不可視であり、トリオン反応は隠せないが戦闘中にトリオン反応を律儀に追っている者はそうはいない。

 

 加えて、やろうと思えばエネドラが影に潜んだ状態から気体化攻撃を仕掛け、こちらの存在を気付かせないまま仕留める事も可能なのだ。

 

 派手に蹂躙するのがエネドラの好みである為滅多にやろうとはしないが、ハイレインの命令で仕方なくそうやって敵将を暗殺した経験も彼にはある。

 

 それに、エネドラの能力を知らない敵相手にわざと攻撃を受けてやられたと見せかけ、不意打ちで気体化攻撃を仕掛ける事も出来る。

 

 実際、あの場に影浦がいなければ風間は高確率でその攻撃の餌食になっていた事だろう。

 

 あそこで欲を出して影浦も纏めて仕留めようとした事が、エネドラ最大の失策とも言える。

 

 結果としてこちらの攻撃の軌道を全て察知出来る影浦と長時間の戦闘に及ぶ事になり、エネドラの能力のタネは大方曝け出されてしまった。

 

 その末路が、今まさに詰めを迎えようとしている現状である。

 

 このまま斬撃を受ければ、そのまま詰まされてしまうだろう。

 

 それは断じて、許せる事ではない。

 

 故に。

 

「舐め、るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………っ!!」

「「────────!」」

 

 エネドラは黒トリガーの出力に任せ、その外殻を膨張────────────────扇状に、液状化させた身体を展開した。

 

 こちらの体積を削るのが狙いなら、表面積そのものを増やせば良い。

 

 硬質化の盾を張る選択肢もあったが、エネドラは目の前の二刀使い────────────────太刀川が自爆モードのイルガーやラービットの装甲を斬り捨てる映像を、既に見ている。

 

 硬質化したエネドラの身体はかなりの強度を誇るが、それでもラービットのプレーン体の装甲のような硬度はない。

 

 そもそもエネドラの防御は基本的に液状化を用いた受け流しであり、必要に迫られなければ硬質化による防御という選択は取らない。

 

 だから、硬質化の盾を展開する愚は冒さなかった。

 

 あの自爆モードのイルガーすら、叩き斬った攻撃だ。

 

 そんな事をしても、意味が無い事は分かっている。

 

 故にこそ、逆。

 

 硬質化ではなく、液状化。

 

 広範囲に展開した液状化の身体と、下から突き上げる爆風の余波。

 

 それを用いてエネドラは、自身の中の核を大幅に移動させる事に成功していた。

 

 核は確かにエネドラの体内を常に移動しているが、あくまでもそれは()()

 

 素早く動かす事は出来ないし、精々液状化させた身体を波打たせて移動方向を若干操作するのが関の山だ。

 

 しかし、やりようによってその弱点はカバー出来る。

 

 現在、エネドラは爆風の余波で空中に吹き飛ばされている状態にある。

 

 その状態で身体の殆どを液状化させ、更に出力に任せて大きく膨張させる形で展開した。

 

 風圧による突き上げに加え、膨張による内部の流動。

 

 それらを利用する事で、エネドラは核の位置の隠蔽を図ったワケだ。

 

 こちらの核の詳細な位置など、相手に分かる筈もない。

 

 トリオン反応で探ろうにも、体内には無数のダミーがある。

 

 そちらに気を取られて、本物の位置など探れる筈がないからだ。

 

 そうしてモタついているうちに、地面に戻れればそれで充分。

 

 エネドラが追い詰められているのは、此処が空中であるからだ。

 

 地に足がつきさえすれば、やりようなど幾らでもある。

 

(浅知恵絞ったようだが、無駄だったなぁ…………っ! 俺は、黒トリガーなんだ。テメェ等猿ごときに、やられる筈がねぇんだよ…………っ!)

 

 エネドラは敵の渾身の策を破ったと確信し、ほくそ笑む。

 

 もう、今のような愚は冒さない。

 

 こうなったら地面に潜み、手当たり次第に攻撃して持久戦にもつれ込ませるだけだ。

 

 時間はかかるだろうが、こちらは黒トリガー。

 

 スタミナが切れるのがどちらが先かなど、言わずとも分かる。

 

 なんなら、こいつらを放っておいて基地に忍び込んで中の連中を殺すのも面白そうだ。

 

 ハイレインも、場合によっては基地の破壊も考慮に入れると言っていた。

 

 言質は取ってあるのだから、自分がやっても構わないだろう。

 

 命令違反の結果を考えずに、エネドラはそんな事を夢想する。

 

 実際、並の相手なら此処で詰みだろう。

 

 これまではエネドラが攻めっ気を出していたからこそ勝負になっていたが、本来の彼の能力的な適性は隠密戦闘にある。

 

 液体化と気体化を駆使してのヒット&アウェイが彼の戦術の最適解であり、そちらに徹されてしまうと対抗手段は非常に限られる。

 

 だからこそこの機が千載一遇のチャンスだったのだが、このままであれば無為に終わる。

 

 リアルタイムで核の位置が分かる手段でもない限り、此処から逆転する手段などないからだ。

 

 そう。

 

「────────頭の後ろだ」

「おう」

「了解」

 

 此処に、影浦雅人がいなければ。

 

 その認識は、間違いではなかっただろう。

 

 サイドエフェクト、感情受信体質。

 

 それによってエネドラの感情が突き刺さる方向を察知していた影浦にとって、どれだけ彼の身体が広がろうが意味はない。

 

 最初から核の正確な位置を察知していたのだから、今更身体を広げたところでそれを見失う事はない。

 

 エネドラは影浦の能力が攻撃感知の類であるとまでは予想していたが、その正体にまでは迫れなかった。

 

 副作用(サイドエフェクト)による、初見殺し。

 

 それが、成立した瞬間だった。

 

 そして。

 

 影浦の助言を受けた二人は、旋空の軌道を修正。

 

 ピンポイントにエネドラの核のある付近を裁断し、その逃げ場を削り取った。

 

「な、んだと…………っ!?」

 

 まさか、正確に核のある付近を斬り抜かれるなどとは思ってもいなかっただろう。

 

 エネドラは驚愕に目を見開き、そして。

 

「くたばれ」

 

 いつの間にか自身と同じ高度に跳んでいた、影浦の姿を目にしていた。

 

 今の一瞬。

 

 太刀川と烏丸の旋空がエネドラの身体を斬り裂いたと同時に、烏丸のエスクードによって影浦は空中に撃ち出されていたのだ。

 

 全ては、この時の為。

 

 エネドラの身体を分断し、その先にある核へ逃げ場を与えず。

 

 その正確な位置を割り出せる影浦が、トドメの一撃を加える為に。

 

 既にエネドラの核は、影浦の射程圏内。

 

 影浦は一切の躊躇なく、マンティスを用いてエネドラに攻撃を加えた。

 

「────────!」

「馬鹿が…………っ!」

 

 しかし、その攻撃は硬質な音と共に止められた。

 

 エネドラの身体を突き刺した、マンティスの一撃。

 

 それが、彼の体内にある硬い何かで止められたのだ。

 

 核を守るカバー、ではない。

 

 スコーピオンは旋空のような絶対的な切断力こそはないが、ブレードトリガーとして相応の威力がある。

 

 全力の一撃ならば、カバーがあろうと貫く事は可能なのだ。

 

 だが。

 

 それが()()()()()()()()は、話が別だ。

 

 そう。

 

 エネドラは、ダミーを盾とする事で影浦の攻撃を凌いだのだ。

 

 最初からエネドラは、万が一に備えてダミーを核の周囲に幾つか移動させていた。

 

 エネドラ本人は知る由もないが、影浦は本体である核の位置は察知出来ても意思のないダミーの位置を認識する事は出来ない。

 

 だからこそ壁となったダミーの存在に気付かず、無数に重なったダミーが影浦の攻撃に対する盾として機能してしまったのだ。

 

 偶然が招いた、最大効果を挙げたエネドラの防御。

 

 本命の一撃は、凌がれた。

 

 影浦には、空中で移動する手段が無い。

 

 このまま反撃を受ければ、落とされてしまうだろう。

 

 決死の作戦は、無為に終わる。

 

 黒トリガーを仕留める機会が、失われる。

 

 影浦というワイルドカードを用いて尚、エネドラの戦争経験を超える事は叶わなかった。

 

 幾ら脳まで浸食を受けているとはいえ、エネドラは生粋の軍人。

 

 実際に戦地を潜り抜けて来たその手腕は、伊達でもなんでもない。

 

 たとえ、衝動に支配されていたとしても。

 

 その経験は、嘘をつかない。

 

 戦争経験。

 

 それがどれ程の脅威となるのか、影浦達はよく識っていた。

 

 迅悠一。

 

 昇格試験で、黒トリガー争奪戦で。

 

 自分たちの壁となった、戦争経験者。

 

 彼との戦いは、それがどのような脅威なのかを思い知らされた。

 

 視点が違う、在り方が違う。

 

 本物の死地を経験した事があるか、否か。

 

 それは、戦場での生死を分ける境界線(デッドライン)

 

 その一線を越えた事があるかどうかは、ダイレクトに対応力の違いとなって現れる。

 

 それを。

 

 影浦は、太刀川は。

 

「────────いや、終わりだ」

 

 そして、()()は。

 

 身を以て、識っていた。

 

「な…………?」

 

 だからこそ、()()()

 

 エネドラの裁断された身体のすぐ傍で、空間から染み出すように現れた風間の刃。

 

 七海のものを見て習得した、マンティスが。

 

 正確に、背後からエネドラの核を貫いていた。

 

 エネドラは、気付く。

 

 地面から突き立つ、無数の(バリケード)

 

 それが一つ、()()()()()

 

 その意味するところは、一つ。

 

 風間は。

 

 太刀川達に指示を出しつつ、近くに潜んでいた風間は。

 

 カメレオンを起動したまま、エスクードに乗って跳んだのだ。

 

 奇しくも。

 

 昇格試験の時、那須隊相手に使ったように。

 

 カメレオンの、他のトリガーと同時起動出来ないという欠点を。

 

 ()()()()()()()()()()()()という方法で、クリアする事で。

 

 最初から、本命は彼だったのだ。

 

 出水の変化炸裂弾(トマホーク)で、エネドラを空中へと吹き飛ばす。

 

 そして、影浦の助言を受けて太刀川と烏丸が旋空で敵の身体を斬り分ける。

 

 そこに影浦が攻撃を加え、仕留められればそれで良し。

 

 それさえも凌がれるようなら、隠密(ステルス)状態の風間をエスクードジャンプで撃ち出しトドメを刺す。

 

 影浦の役目は、核の位置を特定した時点で終わっていたのだ。

 

 本物の核の位置さえ分かれば、撤退したと見せかけて虎視眈々と隠れ潜んでいた風間がすぐに決められるように。

 

 ()()()()()()()()()()()()()の聴覚支援で、情報収集と出水と共同で作戦立案を行った風間が。

 

 黒トリガーの使い手、エネドラを打ち破る立ち役者となったのだ。

 

「こ、の、猿どもがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………っ!!」

 

 怒気を撒き散らしながら、エネドラの身体が崩壊していく。

 

 凶悪極まりない黒トリガー、泥の王(ボルボロス)の主は。

 

 影浦、風間、そして太刀川隊。

 

 奇しくも、七海の師匠(マスターズ)という共通点を持った者達の手で。

 

 此処に今、討ち果たされたのだ。



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亀裂

(俺が、負けただと…………? こんな、玄界(ミデン)の猿共に…………!)

 

 トリオン体を破壊され、生身に戻ったエネドラは忌々し気に唇を噛み、自身を囲む敵の姿を睨みつけた。

 

 これがボーダー隊員であれば緊急脱出(ベイルアウト)システムによって自動的に基地に帰還しているところだが、近界の兵であり黒トリガーの使い手であるエネドラにそんな安全装置はない。

 

 このようにトリオン体を破壊されれば戦場で生身を曝け出す事になり、そうなった兵士の末路など言うまでもない。

 

 幸いボーダーの側に積極的に近界の兵士を殺害する理由はなく、命の危険がないとしても。

 

 そんな事情は、エネドラの側には分からない。

 

 戦場で生身になった敵を殺す事など、近界では当たり前の事だからだ。

 

 実際、エネドラは自身が仕留めて生身が投げ出された敵兵を幾人も殺して来ている。

 

 戦場で、敵兵を生かして返す理由はない。

 

 捕虜にする価値がない、もしくは余裕が無い場合。

 

 撃破した敵兵は、その場で殺しておくのが一番後腐れがないのだ。

 

 これが地球側の戦争であればわざと相手を負傷させた状態で生還させ敵軍の足を止めるといった手も使えるが、近界の戦争は生身の損傷具合に関係なく動くトリオン体によって行われる。

 

 しかも、時間経過でトリオン体は再構築が可能となってしまう為、捕虜にしないのであればその場で殺すのが普通だ。

 

 下手に生還させれば再びトリオン体を再構築して襲って来るのだから、生かして返す理由がないのだ。

 

 雑魚ならば手間を考えて見逃される事もあるが、エネドラは黒トリガー泥の王(ボルボロス)の適合者。

 

 トリオン体を再構築されれば凶悪な黒トリガーの脅威が再び襲って来るのだから、見逃す理由が何処にも無い。

 

 それが分かっているからこそ、エネドラは下手に動けない。

 

 此処で下手に敵を刺激して、()()が来るまでに殺されてしまうのは避けたい。

 

 そういった打算が働く程度には、エネドラの頭は冷静だった。

 

 怒りが一周回って落ち着いた、とでも言おうか。

 

 先程まで屈辱と怒りで荒れ狂っていた心中は、生還を最優先とする為無理やり押さえつけられている。

 

 幾ら暴言や命令違反の権化であるエネドラとはいえ、トリオン体の前で生身であるという状態がどれだけ致命的かは理解している。

 

 故に屈辱を呑み込み、機会を待つ程度の事は出来る。

 

 たとえ負けようが、生き残れば終わりではない。

 

 その事を、エネドラは良く識っているのだから。

 

「────────迎えに来たわ。エネドラ」

「ったく、おっせえんだよ」

 

 何より。

 

 待てば迎えが来る事を、エネドラは知っていた。

 

 空間に穴が開き、ミラがその姿を現す。

 

 その光景に彼を囲んでいた者達は目を見開き、しかし渦中にいるミラは動じない。

 

 空間操作トリガー、窓の影(スピラスキア)

 

 それがミラの持つ黒トリガーの名前であり、アフトクラトルの生命線でもある。

 

 今回、アフトクラトルは黒トリガーの使い手を含む精鋭を複数人送り込んでいる。

 

 当然ながら敵地で黒トリガー使いが敗れ、それが敵国に回収されるような事があれば甚大な損失となる。

 

 そうでなくとも、優秀な兵を失うのは国力を考えても看過し難い。

 

 軍事国家であるアフトクラトルにおいて、その危険性(リスク)は無視出来ない。

 

 何より、そんな失態を冒せば他の領主達に付け入る隙を与える事になる。

 

 リスク排除第一主義のハイレインからしてみれば、何の()()もなしに作戦行動に及ぶ事は避けたいのが実情だ。

 

 それを解決し得るワイルドカードが、このミラの窓の影だ。

 

 これがあれば、たとえ黒トリガー使いが敗北しようとも即座に回収する事が出来る。

 

 戦闘能力自体はそこまで突出してはいないが、戦略的価値は計り知れない。

 

 これは、そういう黒トリガーだ。

 

 今回の遠征で、何に置いても失う事の出来ない替えの利かない駒。

 

 それが、ミラとその黒トリガーである事は疑いようがない。

 

 極論、ミラがいなければハイレインは今回の作戦にゴーサインをする事はなかっただろう。

 

 ヴィザという国宝の使い手を連れ出す事が出来たのも、彼女の存在があればこそだ。

 

 ミラという保険があるからこそ、万が一にも失えないヴィザの同行が可能となったワケだ。

 

 ヴィザが敗れるなどといった結果は想像すら出来ないが、リスクヘッジが出来ないようでは領主など務まらない。

 

 それに、こういった事は()()が重要になるのだ。

 

 失ってはならない駒を持ち出す以上、それを回収出来る保険は必須。

 

 これは、そういう話なのである。

 

 それは、エネドラにも同じ事は言える。

 

 本国での重要度は無論星の杖(オルガノン)には劣るが、泥の王(ボルボロス)もまたアフトクラトルが誇る黒トリガーの一つ。

 

 使い手たるエネドラも含め、無為に失って良い代物ではない。

 

 少なくともエネドラは、自身の価値をそう判じていた。

 

 多少の命令違反程度で、自分が切られる事はない。

 

 泥の王の主は、自分なのだからと。

 

(猿共に負けたのは癪だが、生きてりゃ勝ちだ。戻った後も、退屈はしなさそうだしな)

 

 エネドラは帰還後の予定を考え、ほくそ笑む。

 

 遠征から戻れば結果次第だが、エリン家との抗争が始まるだろう。

 

 金の雛鳥は未だ見つかってはいないし、あのハイレインの事だから躊躇なんてするハズがない。

 

 連中に特に思い入れはないのだし、ヒュース(あいつ)の身内をぶっ殺してやるのも面白そうだ。

 

 そんな事を、エネドラは考えていた。

 

 そう考えて、ミラに手を伸ばし。

 

 ミラは、その手を取り────────。

 

「あら、ごめんなさいね────────────────回収を命令されたのは、黒トリガーだけなの」

 

 ────────空間から突き出た刃によって、エネドラの腕を斬り落とした。

 

「な…………? ぐ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ…………っ!!」

 

 生身の腕が切断され、絶叫するエネドラ。

 

 ミラはそんなエネドラを、冷ややかに/悲しそうに

 

 ため息を吐いて、見詰めていた。

 

「はっきり言って、今のあなたはもう私たちの手に余るの────────────────気付いてる? あなたのその、眼の色。トリガー(ホーン)が脳まで根を張っている証拠よ。あなたの命は、もう長くない」

 

 エネドラは、黒トリガーを含めた自身の価値を考え自分が切り捨てられる事はないだろうと思っていた。

 

「泥の王はもっと相応しい使い手が引き継ぐわ。あなたの角から得たデータで、適合者はすぐ見つかる」

 

 それは、泥の王(ボルボロス)が自分以外に適合などしないだろうという驕り。

 

 トリガー(ホーン)の浸食によって冒された思考が、敢えて考えないようにしていた現実。

 

「ふざけんな、泥の王(ボルボロス)はオレの…………っ!」

 

 そして。

 

 泥の王を誰にも使わせまいとする、角の浸食でボロボロの精神の中で彼が残していた絶対の意思。

 

 ミラはそんな彼の自我の残滓を哀れむように見据え────────。

 

「…………」

 

 ────────────────介錯の為に展開した無数の棘が、シールドによって止められた瞬間を見届けた。

 

「な…………?」

 

 驚いたのは、エネドラも同じだ。

 

 彼は自身が殺されるところだった事を悟り、その場から飛び退く。

 

 同時に、こちらに腕を掲げシールドを展開していた────────────────彼の命を救った風間の姿を見て、感情の儘に叫んだ。

 

「てめぇ、どういうつもりだ…………っ!? オレを助けて、情けのつもりかよ…………っ!?」

「勘違いするな。お前は、貴重な情報源だ。それをみすみす取り逃す馬鹿が何処にいる」

 

 風間は何も、情けをかけたワケではない。

 

 生身となり、今のやり取りを見る限り国からも切り捨てられたエネドラは格好の情報源だ。

 

 一度裏切られた以上、エネドラが情報を出し渋る可能性は低いと見ている。

 

 自身を打ち倒したこちらへの反感を考えれば難しくはあるだろうが、情報を引き出す可能性自体は不可能とまでは言えない。

 

 風間は隠れていた歌川に止血を指示し、抵抗する術のないエネドラは黙って治療を受け入れる。

 

 その様子を見ていたミラは複雑な胸中をその眼に宿しながら、深く溜め息を吐いた。

 

「エネドラの処理を済ませてしまおうと思ったのだけれど、私一人じゃあなた達の手を掻い潜るのは難しそうね。私は見ての通り戦闘向きじゃないし、こんな些事で隊長の手を煩わせるワケにもいかないわ」

「なら退け。お前から手を出さない限り、こちらに追撃の意図はない」

 

 風間はそう告げながら、油断なくミラを見据えた。

 

 此処で退くのであれば、追撃するつもりがないのは本当だ。

 

 遠征艇でやって来ている敵国を無駄に刺激すれば、向こうが形振り構わなくなる危険がある。

 

 黒トリガーの回収に手を出さなかったのも、そういう理由だ。

 

 何かしらの担保があるならともかく、敵国の黒トリガーの奪取などという逆鱗を踏んでしまえばどんな手で取り戻しに来るか知れたものではない。

 

 ────────────────敵の黒トリガー使いを倒したら、そいつは生かして確保してくれ。黒トリガー自体は、敵に回収させて構わないから────────────────

 

 何より、風間は迅からそんな密命を受けていた。

 

 戦略的に考えれば使い手よりも黒トリガーの方が優先度は高いが、あの迅が出した指示だ。

 

 そこには何らかの意図がある筈であり、風間もそれは疑ってはいない。

 

 この状況まで視えていたかどうかは分からないが、エネドラを生かして確保する事に何らかの意味が生まれて来るのだろう。

 

 それを考えるのは、自分の役割ではない。

 

 風間はミラがいつ攻撃して来ても良いように警戒しながら、彼女を見据えた。

 

 口ではああ言っているが、敵の言う事を真面に信じる程風間は愚かではない。

 

 交渉での詐術、油断させてからの不意打ちは戦の場では常套手段だ。

 

 特に、空間操作のトリガーなどという代物を使う相手だ。

 

 その手の手段には事欠かないだろうし、何より風間の勘が警鐘を鳴らしていた。

 

 今此処で、警戒を緩めるべきではないと。

 

「ええ、そのつもりよ────────────────でもね、()()()()()裏切り者の処分は済ませないといけないのよ。これも命令でね。恨まないで頂戴」

「────────!」

 

 その懸念は、現実となる。

 

 再び攻撃が来るかと身構えた、風間の視界に。

 

 空を覆う、巨大な黒い穴が────────────────窓の影(スピラスキア)()()が、姿を見せる。

 

 そして、そこから現れたのは口を閉じ自爆モードとなったイルガー。

 

 以前太刀川達が迎撃した爆撃用トリオン兵が、その威容を露にしていた。

 

「何を出すかと思えば、またそいつか。風間さん、ちょいと斬って来るぜ」

 

 それを見ていた太刀川は、躊躇いなくイルガーの迎撃に向かう。

 

 風間としても、異論はない。

 

 この場でイルガーを上空で素早く撃墜出来るのは太刀川だけであり、すぐにグラスホッパーで飛べば充分間に合う距離だ。

 

 だが。

 

(イルガーが太刀川に迎撃された事は、向こうも知っている筈だ。あんな罠を仕掛けていたのだから、少なくともあいつを名在り(ネームド)として扱っている事は間違いない)

 

 そんな無駄な事を、今更するだろうかという疑念が沸き上がった。

 

 太刀川がイルガーを撃破した事は、向こうも承知している筈なのだ。

 

 でなければ、わざわざ砲撃型のラービットを用意して不意打ちを狙ったりはしない。

 

 囮として使い潰した代物を、今此処で再び使う。

 

 それも、以前イルガーを倒した太刀川のいる場所で。

 

 その違和感に、風間は声をあげようとして────────────────。

 

「────────────────かかったわね」

「────────!」

 

 グラスホッパーを踏み込み、上空へ飛び上がろうとした太刀川が。

 

 目の前に開いた黒い穴に、呑み込まれる光景を見た。

 

 

 

 

「お、どうやら風間さん達が敵の黒トリガーを撃破したみたいだ」

「そう。じゃあ、あたし達も踏ん張らないとね」

 

 南の戦場。

 

 そこでは、迅と小南が油断なくヴィザを見据えながら軽口を叩いていた。

 

 あれから迅が来た事で未来視のバックアップが入り、二人はなんとかこれまで敵の攻撃を凌ぐ事が出来ていた。

 

 あくまでも凌ぐだけで反撃をする余裕はないが、未来視をフルに用いる事でどうにか致命打を食らう事だけは避けていた。

 

 とはいえ、余裕があるワケでもない。

 

 目の前にいるヴィザに関する未来映像(ルート)だけを集中して視続ける事で、なんとか攻撃を捌いている状態だ。

 

 他の者達の未来も視界に映ってはいるが、ヴィザの目の前にそちらに余所見をする余裕はない。

 

 目の前の相手の攻撃(みらい)に集中して視続けなければ、此処まで生き残る事は出来なかったのだから。

 

「え…………?」

 

 だから、読み逃した。

 

 迅の視界の、その先。

 

 空に空いた穴から、太刀川が放り出された光景を見て。

 

 その太刀川に視えた、未来を視て。

 

 一気に、その顔が青冷めた。

 

「太刀川さん…………っ!」

「────────!」

 

 空に放り出された、太刀川が迅の声に反応し防御態勢を取る。

 

 自身の状況を迅の存在ですぐさま理解した太刀川は、自分が敵の中でも最強の駒のいる場所に飛ばされた事を察した。

 

 空中では碌に身動きは取れないが、太刀川にはグラスホッパーがある。

 

 とはいえ、それを使うつもりはなかった。

 

 太刀川の直感が、回避では間に合わないと告げていたからだ。

 

 故に取るべきは、弧月による受け太刀。

 

 聞けば、敵の攻撃方法は斬撃だという。

 

 斬撃の威力がどれ程かは分からないが、来ると分かっていればやりようもある。

 

「────────────────残念でしたな」

「…………!」

 

 ────────────────だが、そんな思惑は。

 

 太刀川の弧月が一撃目を凌いだ刹那、ほぼ同時に放たれた一撃によって彼の胴ごと両断された。

 

 その斬撃を目で捉える事は出来なかったが、一撃目の防御は成功していた。

 

 だが、太刀川に出来たのはそこまでだった。

 

 太刀川が防御の為に二刀を使った、その直後。

 

 それをすり抜けるように放たれた第二撃によって、彼の身体は両断されたのだから。

 

「やられたな────────────────俺も、浮かれてたか」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、彼の脱落を告げる。

 

 太刀川は無念の想いを抱いて、光と共に戦場から離脱した。



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切られた手札

 

「ち…………っ!」

 

 緊急脱出(ベイルアウト)用マットの上に落下し、太刀川は舌打ちする。

 

 滅多に味わう事のないその感覚に、彼は己の敗北を改めて自覚する。

 

 やられた。

 

 今の心境は、その一言に尽きる。

 

 あそこで、太刀川のいる場所にイルガーを出して来た()()を良く考えるべきだった。

 

 今は皆の奮闘によってある程度順調に自体は推移していたが、それでも敵は木偶の坊でも暗愚でもない。

 

 状況を俯瞰し、勝つ為の戦術を張り巡らせる()()なのだ。

 

 ただ倒されるだけと分かっている駒を、無為に消費する事など有り得ない。

 

 それこそ時間稼ぎか、()の役割を持たせて来るだろうと────────────────冷静に考えれば、分かった筈なのだ。

 

(油断した────────────────いや、()()()()()な。久々に京介(あいつ)と一緒に剣を振れて、俺も浮ついてたって事か)

 

 太刀川は、己の失態の原因をそう分析する。

 

 表面上は気にしていないように見えても、太刀川はこれでいて身内は割と大事にする方だ。

 

 知り合いの目には駄目人間らしさばかりが目に付く太刀川であるが、共に戦う仲間に対して何の感情も抱いていないかと言われればそれは否だ。

 

 忍田は敬愛する剣の師であるし、出水はなんだかんだ自分に付き合ってくれる腐れ縁だ。

 

 唯我も中々面白い所があるし、国近はぽやぽやしているように見えて場の空気を要所要所で読んでくれるから助かっている。

 

 そして、玉狛へ転属した烏丸の事は、今でも大事な仲間であると思っているのだ。

 

 太刀川隊のエンブレムにある三本の刀は、初期メンバーである太刀川・出水・烏丸の三人を象徴している。

 

 文字通り三本目の刀である烏丸は、かつては遠近両方に対応出来る太刀川隊のサポーターだった。

 

 役割としては二宮隊の辻に近かったが、烏丸はその場その場で活かすべき戦力を補助する能力に長けていた。

 

 太刀川が射手に近付く時は、銃手トリガーでそのサポートを。

 

 相手の攻撃手を挟撃する時は、弧月を用いて陽動を。

 

 それぞれ、的確な判断の下で担っていた。

 

 今でも、烏丸のいた頃の太刀川隊の思い出は彼にとって掛け替えのないものだ。

 

 戦術的な意味だけではなく、共に戦う戦友として。

 

 烏丸の事は、好ましく思っていたのだから。

 

 今回、その烏丸と再び共に戦う機会を得た。

 

 彼と再び剣の向きを合わせ、黒トリガーを討つ。

 

 その体験は、太刀川にえも言えぬ充足感を齎していた。

 

 今なら、なんでも出来る。

 

 どんな無茶だって、押し通せる。

 

 そんな、全能感にも似た充足感。

 

 そういったものを、確かに太刀川は感じていた。

 

 だからこそ、勇んでしまった。

 

 目の前に現れたイルガーに、罠の可能性も考えず突貫するなど。

 

 浮かれていたにも、程がある。

 

 無論、それは大抵の状況ならなんとか出来るだろうという太刀川の実力に基づいた自信故の行動だ。

 

 事実、ただ転移させられて奇襲を受けただけならば太刀川は切り抜けただろう。

 

 それだけの潜在能力(ポテンシャル)が、太刀川にはあるのだから。

 

 だが。

 

 今回は、文字通り()()()()()()()

 

 太刀川が放り出された先に待ち構えていたのは、今回の敵の中でも最高位の存在。

 

 アフトクラトルの剣聖、ヴィザだったのだ。

 

 その結果、初見での回避が非常に困難な星の杖(オルガノン)をよりにもよって空中で受ける事になってしまい、あえなく落とされてしまった。

 

 自業自得のミスに、巡り合わせが悪過ぎる相手の配置。

 

 それらが重なったが故の、ボーダートップクラスの剣士の敗退だった。

 

「ったく、情けねえ。これじゃあ、会わせる顔も────────────────いや、違うな。()()()()()だ」

 

 柄にもなく沈んでいた太刀川だが、ハッとなって立ち上がる。

 

 自分が落ちたのは、自身のミスだ。

 

 これはもう覆りようのない事実であり、今更言っても何が変わるワケでもない。

 

 けれど。

 

 ()()()()()()()()()()()事は、出来る。

 

 きっと今頃、迅は太刀川をカバーしきれなかった事を悔いているだろう。

 

 放置すれば、彼の()になりかねない。

 

 自分の過失で、好敵手の刃が曇る。

 

 太刀川にとってそれだけは、絶対に看過出来ない。

 

 顔を上げた太刀川は、隊室にいる国近に向かって告げた。

 

「国近、ちょいと通信繋いでくれ。勿論、迅のトコにな」

 

 

 

 

(太刀川さんが、やられた…………っ! 俺が、読み逃した所為で…………っ!)

 

 迅は視界の先で斬り捨てられた太刀川の最期を目に焼き付け、唇を嚙みしめた。

 

 今のは、防げた脱落だった。

 

 もし、迅がこの場の戦闘に介入せずに全体の未来を視ていれば、太刀川にかけられた罠も見抜けただろう。

 

 そうすれば、少なくとも太刀川という大駒が落とされるなんていう失態を演じる事はなかった筈だ。

 

(俺は、此処に来るべきじゃなかった…………? けど、小南は一人じゃもう限界だった。俺が来なかったら、小南はきっと落とされてた。一体、どっちが正解だったんだ…………?)

 

 かといって、この場に駆けつけなければ高確率で小南は落とされていただろう。

 

 今は迅の未来視をリアルタイムで伝える事で長年の相棒である小南との阿吽の呼吸により、何とか攻撃を凌げている。

 

 これは二人が幾度も近界の戦争を共に潜り抜けた経験があるからこそ出来る所業であり、他の者と組んだところで同じ結果は出せないだろう。

 

 未来を視る迅と、その迅の指示に一切の躊躇(タイムラグ)なく応える小南。

 

 その二人だからこそ、アフトクラトルの剣聖相手に立ち続ける事が出来たのだ。

 

 欲張って他の未来にまで手を伸ばしていれば、その隙を容赦なく突かれていた。

 

 目の前の相手は、そういう類の相手だ。

 

 故にこれは、小南と太刀川どちらを見捨てるべきだったのか。

 

 結局のところ、そういう話に行きつく。

 

 片方を見捨て、片方を助ける。

 

 それは迅がこれまでに幾度となく体験して来たトロッコ問題(未来視の呪い)であり、なまじこれまでの戦闘が巧くいっていたからこそ、その重みを突き付けている。

 

 想起する。

 

 隣に小南がいて、本気の殺意を纏う修羅を相手にしているからだろうか。

 

 あの頃の。

 

 緊急脱出(ほけん)がなかった頃の、命懸けだった戦いを思い出す。

 

 その未来視(のろい)によって、あらゆる未来が視えていた迅は。

 

 誰を切り捨て、誰を救うか。

 

 そういった問題に、何度も突き当たって来た。

 

 あの、アリステラ防衛戦では。

 

 そんな機会(じごく)が、何度もあった。

 

 その度に、迅は命を取捨選択(トリアージ)して来た。

 

 より多く、より有益な結果になるように。

 

 命を、選んで来た。

 

 その心的外傷(トラウマ)がフラッシュバックし、迅の心に暗い影が宿る。

 

『迅、聞こえてるな? 斬られて分かった事があるから、伝えるぞ』

「太刀川、さん…………?」

 

 刹那。

 

 その影が膨れ上がる、その前に。

 

 不意に、太刀川から通信が繋がった。

 

 完全に虚を突かれた迅は目を見開き、その通信に注視する。

 

 警戒を怠らず、先の戦闘に注力しつつも。

 

 迅は、太刀川の言葉に耳を傾けた。

 

 きっと、それが。

 

 最善であると、直感して。

 

『そいつの斬撃は、多分スクリューみたいに()()()()ぞ。同じ場所に何度も斬撃が来たから、間違いは無い筈だ』

「太刀川さん…………」

『情報は伝えたぞ。これをどうするかは、お前が考えろ。へこたれてる暇なんか、ないだろ』

 

 太刀川は、慰めはしなかった。

 

 お前は悪くないとも、自分のミスだとも言わなかった。

 

 ただ、情報を提示し背中を押す。

 

 彼がしたのは、それだけだ。

 

 そして、それは。

 

「────────────────了解。後は任せて」

『おう』

 

 こと迅に限れば、この上ない()()だった。

 

 迅は、責任感が強い。

 

 いっそ、強過ぎると言って良いほどに。

 

 そんな彼に「お前は悪くない」と言ったところで、それが特別な相手や状況でもない限り納得させるのは不可能に近い。

 

 常にトロッコ問題に直面し続けている迅にとって、何かあれば非があるのは自分、という意識が強いのだ。

 

 根絶丁寧に説明すれば理解はするかもしれないが、この戦場でそんな暇はない。

 

 だからこそ、太刀川は迅に対し()()()()()を突き付けた。

 

 こういう時の迅は、課題(しごと)を与えてそれに集中させた方が良い結果を生み易い。

 

 その事を、太刀川は経験則で理解していた。

 

 それが出来るのが、自分だけである事も。

 

 七海は、立場的にそれは出来ない。

 

 小南もまた、迅に近過ぎるが故にここぞという時に強く出れない。

 

 だからこそ、太刀川が適任だったのだ。

 

 悪友にして、好敵手。

 

 そんな間柄だからこそ、太刀川は彼に出来る最善を行った。

 

 今この時。

 

 必要な事を、させる為に。

 

『それから────────』

「分かってる。止むを得ないね」

 

 加えて、もう一つ。

 

 対処しなければならない、問題がある。

 

 それは。

 

 太刀川が対処し損なった、イルガーの迎撃である。

 

 とはいえ、既にその()()は用意してある。

 

 あとは、指示を出すのみ。

 

 故に迅は作戦本部に指示を繋ぎ、告げた。

 

「忍田さん、彼女を出してくれ。此処が、虎の子(てふだ)の切り時だ」

 

 

 

 

「そんな…………」

「太刀川さんが、やられた…………?」

 

 烏丸達の間に、動揺が広がっていた。

 

 たった今、たった今だ。

 

 黒トリガー、泥の王(ボルボロス)の使い手エネドラ。

 

 彼を撃破した、その矢先。

 

 太刀川は上空に出現したイルガーを斬り伏せるべく飛び出し、そして。

 

 黒い穴に飲み込まれ、その数瞬後。

 

 彼が緊急脱出(ベイルアウト)したという、一方が届いた。

 

 気持ち良く勝った直後だっただけに、その動揺は大きい。

 

 勝利に水を差された、とさえ烏丸は感じていた。

 

「これで厄介な双剣使いは消えたわね。彼がいなきゃ、イルガーを落とすのは難しいんじゃないかしら? あの伸びる斬撃ぐらいしか、そちらに自爆モードのあれを落とす手段はなさそうだし」

「この野郎…………」

 

 嘲るようなミラの物言いに、出水は拳を握り締める。

 

 挑発だと分かっていても、乗ってしまいそうになる。

 

 それだけ、彼にとって太刀川の脱落は大きかった。

 

 あらゆる障害を乗り越える、強さの象徴。

 

 それが、太刀川だったのだから。

 

「私はそろそろ失礼するわ。このまま此処にいたら巻き込まれてしまうし、もう用は済んだもの。エネドラの始末は、イルガーに任せるとするわ」

「ミラ、てめぇ…………」

 

 見下すような言い方にエネドラは眉を吊り上げるが、それだけだ。

 

 生身となり、腕を斬り落とされた彼に出来る事など何もない。

 

 そんなエネドラを何処か悲し気な目で見据え、ミラは目を細めた。

 

「じゃあね、エネドラ。精々恨み言を残して果てる事ね。そのくらいしか、今のあなたに出来る事はないんだから」

 

 そう言って、ミラはエネドラを一瞥しつつ空間の穴を閉じた。

 

 エネドラはそんな彼女のいた場所を睨みつけたまま、沈黙する。

 

 彼女の言うように、今彼に出来る事は何もない。

 

 ミラの言葉(のぞみ)通り、恨み言を残すくらいしか。

 

「京介、いけるか…………っ!?」

「駄目元でやってみてもいいすが、成功率は低いと思います。旋空を使う事自体、久しぶりですし」

 

 そんなやり取りを見届けると、出水は烏丸に確認を行った。

 

 即ち、太刀川のように跳んでイルガーを斬る事が出来るか。

 

 烏丸は難しい顔をして、それは難しい、と告げた。

 

 それはそうだろう。

 

 太刀川の場合、彼は旋空の名手だ。

 

 己の手足の延長のように扱いの難しい旋空を振るい、あらゆる敵を叩き斬って来た。

 

 トリオン兵の中でも特に硬い自爆モードのイルガーの装甲も、彼の前では紙同然だった。

 

 しかしそれは、あくまで太刀川の視点での話。

 

 普通の弧月使いにとって、()()()イルガーを斬るという行為の難易度はべらぼうに高いのだ。

 

 まず第一に、空へ飛び上がる手段がなければならない。

 

 烏丸の場合はエスクードがある為これはクリアしているが、問題はその後だ。

 

 旋空は、斬撃を()()()()いるのではない。

 

 あくまでも、弧月の刀身を()()()()いるだけだ。

 

 つまり、跳躍して旋空を撃つという行為は。

 

 要するに、跳んだ先でいきなり巨大化した刀身を振り回すという事だ。

 

 当然ながら、刀身が伸びればその分扱い難さは増す。

 

 旋空の場合は一気に20メートル近くも伸びるのだから、口で言うほど簡単に扱える技術ではない。

 

 そも、烏丸は旋空を扱う事自体やらなくなって久しいのだ。

 

 この土壇場で成功出来る確率は、低いと言わざるを得なかった。

 

「ち、スライム野郎がこのあたりぶっ壊しまくったからこの辺のスイッチボックスは全滅だし、万事休すか…………っ! しゃーない、ダメかもしれんが徹甲弾(ギムレット)で────────」

 

 出水が持てる手札でどうにかしようとした、その時。

 

 北の方角で、何かが光り。

 

 それが、イルガーへ向かって放たれた。

 

 

 

 

『やってくれ、雨取隊員』

「はい」

 

 基地の近く、建物の屋上。

 

 そこには、バッグワームを纏った千佳がいた。

 

 そして、彼女の手には。

 

 訓練用ではない、正隊員用のアイビスが握られていた。

 

 隊服こそまだC級のそれであるが、彼女は既にC級ではない。

 

 千佳は、修のラッド発見の功績の半分を用いて、正隊員へと昇格していた。

 

 迅や七海の意見で、大規模侵攻で間違いなく狙われるであろう彼女に一刻も早く緊急脱出を付けられる正隊員へ上がらせるべきとの声が上がった。

 

 しかし、狙撃手は他のポジションと違いあくまでも訓練によるポイント加算によってB級へと昇格するのが常だ。

 

 千佳は狙撃の腕は悪くはないが、天才的というレベルにまでは達してはいない。

 

 とてもではないが、大規模侵攻までに昇格するのは現実的ではなかった。

 

 だからこそ、修の使い切らなかった功績を口実にB級隊員へ上げる事が検討された。

 

 事情を上層部に話したところ、千佳のトリオン量を鑑みれば当然のリスクヘッジだという事で承諾された。

 

 彼女のトリオン量の規格外さは、訓練中の基地壁抜き事件で彼等も知るところだ。

 

 あれほどのトリオン量を持つ彼女を緊急脱出なしで遊ばせておくのは金庫に鍵をかけないレベルの不用心であり、特に鬼怒田がそれを熱弁して押し通した形になる。

 

 修の功績という口実がなければ難しかったかもしれないが、逆に言えば口実さえあればどうとでもなる。

 

 彼が自身の昇格の為に功績を使っていれば出来なかった筈なので、あの時の判断は間違ってはいなかったという事だ。

 

 そんな経緯で正隊員となった千佳は、任務の為に此処にいる。

 

 即ち、イルガーの撃墜の為に。

 

 千佳は緊張を押し殺しながら、スコープ越しで標的を見据える。

 

 ふぅ、と大きく息を吐き。

 

 そして。

 

 引き金を、引いた。

 

 結果、轟音と共に弾丸が発射され。

 

 千佳の砲撃は、イルガーの装甲をいとも容易く貫き粉砕。

 

 アイビスを撃ち込まれたイルガーは、空中で起爆。

 

 跡形もなく、その場で爆散した。

 

 莫大なトリオン量。

 

 その持ち主の存在を、これ以上ない形で見せつける事と引き換えに。



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卵の冠①

 

「イルガー、撃墜されました。トリオン量は────────────────計測機器が、エラーを起こしました」

「成る程。ようやく出て来たか、金の雛鳥が」

 

 アフトクラトル、遠征艇。

 

 そこでミラの報告を聞いたハイレインは、おもむろに立ち上がった。

 

 映し出された画面には、とんでもないレベルのトリオン量が表示されている。

 

 加えて、反応は黒トリガーのそれではない。

 

 使われたトリガーそのものは、玄界(ミデン)の兵が使っている遠距離用の兵装だ。

 

 ノーマルトリガーを用いて、自爆モードのイルガーを一撃で破壊出来るだけのトリオン量。

 

 間違いなく、「神」の器としてこれ以上ない人材────────────────確保目標、金の雛鳥だ。

 

「これまで揺さぶりを続けて来た甲斐があったな。エネドラの死を確認出来なかった事は残念だが、今はこちらが優先だ。この局面で、彼の処理の為だけに兵を動かすワケにはいかない────────────────介錯が出来なかったのは心残りだろうが、命令には従って貰う」

「はい、勿論です」

 

 ミラはハイレインの言葉に眉一つ動かさずに頷き、命令を受諾する。

 

 その心の内に配慮しながらも、ハイレインは作戦の担当者として指令を下す。

 

「私も出よう。窓を開けてくれ、ミラ。出来得る限りの手を用いて、金の雛鳥を確保するぞ」

 

 

 

 

「助かったが、今のは────────」

 

 目の前でイルガーが撃墜された光景を目の当たりにして、出水は目を見開いた。

 

 彼が動こうとした、その矢先。

 

 一条の光がイルガーを貫き、一撃で爆砕させた。

 

 恐らくはアイビスによるものだろうが、あんなものを狙撃とは呼ばない。

 

 正しく()()と呼称するに相応しい威力に、それに用いられたであろうトリオン量に戦慄する。

 

 あれは、それだけの威力の攻撃だったのだから。

 

「うちの新入りです。名前は雨取千佳。黒トリガー並のトリオンを持ってます」

「マジか。つー事は、あれか。今まで出し渋ってたのは────────」

「ええ、彼女が経験不足というのも勿論ですが、敵の最優先確保目標になり得るからです。今回は、出さざるを得なかったというところでしょう」

 

 出水は烏丸の説明を聞き、状況を理解する。

 

 B級に上がったばかり、つまり戦闘経験を碌に積んでいない、黒トリガー並のトリオンの持ち主。

 

 そんなもの、近界民(ネイバー)からしてみれば格好の獲物以外の何物でもない。

 

 伝え聞いた敵の目的を鑑みれば、死に物狂いで捕まえに来るであろう事は目に見えている。

 

 だからこそ此処まで戦闘に用いなかったのだろうが、今回のイルガー投下はそんな彼女を切ってまで防がなければならない攻撃だった、という事だろう。

 

 或いは、このタイミングで出す事に何か意味があるのか。

 

 そこまで考えて、それを考えるのは自分ではないと出水は割り切った。

 

 敵の黒トリガーを一人倒し、隊長が相手の策に嵌まって落とされたとはいえ自分たちはまだ生き残っている。

 

 そして、目の前には腕もトリガーも失い膝を突く敵国の捕虜の姿。

 

 やるべき事を思案し、出水は顔を上げ通信を繋いだ。

 

「忍田本部長、一先ずこいつを連行します。それでいいですね?」

『構わない。だが、先程の女が使ったビーコンがある筈だ。連行する際は、そちらを外してからにして貰おう。頼んだぞ』

 

 

 

 

「やった。なんとか、できた」

 

 千佳は目標が沈黙したのを見届け、ほぅ、と息を吐いた。

 

 初めての実戦で緊張したが、なんとか街に落とされるところだったイルガーを撃墜出来たのは初陣である事を考慮すれば十分な戦果と言える。

 

 自爆モードに入ったイルガーを撃破出来る者は、そう多くは無いのだから。

 

 少なくとも、ただアイビスを使うだけでは貫く事など出来はしない。

 

 アイビスは確かにノーマルトリガーの中でも単体では随一の威力を誇るが、自爆モードになり装甲が硬くなったイルガーを撃破出来るのは千佳クラスの規格外のトリオンがなければ不可能だろう。

 

 出水が徹甲弾(ギムレット)で何とかしようとしてはいたが、成功率は実際のところ高くはなかった。

 

 何故ならば、被害を出さずにイルガーを撃墜する為には()()()破壊する必要があったからだ。

 

 空へ弾丸を飛ばすには射程に相応のトリオンを割り振らなければならず、そうなると必然的に威力は下がってしまう。

 

 威力が下がったギムレットでは、イルガーの装甲を貫けるかは怪しいところだ。

 

 だからこそ、此処で千佳という手札(カード)を切ったのだ。

 

 無論────────。

 

「…………! 来た…………!」

 

 ────────────────その先に待ち受ける()の存在を、考慮した上で。

 

 ひらりと、白い何かが舞い降りる。

 

 それは、鳥の姿をしていた。

 

 けれど、生きている鳥ではない。

 

 動きそのものは、動物のそれに近い。

 

 だがその鳥は、トリオンで構成されていた。

 

 空を舞う、無数の鳥人形。

 

 それらは、ある一点から広がっていた。

 

 建物の屋上。

 

 そこに佇む、青い髪の青年。

 

 頭部から角を生やし、黒いマントを纏ったその男────────────────ハイレインは。

 

 掌の上に球状の卵のようなものを掲げ、その相貌で千佳を見据えていた。

 

 姿を現した、アフトクラトルの指揮官。

 

 「神」と成り得る者を確保する為、その重い腰を上げた彼を前に。

 

「出て来たな、近界民(ネイバー)

「ああ。なんか偉そうだし、指揮官っぽいぜ」

 

 その視界を塞ぐように、二人の少年が進み出る。

 

 それぞれ拳銃と槍を携えた彼等────────────────三輪と米屋は、ハイレインを見据え戦意を露にした。

 

 彼等が、この場で千佳の護衛を任された者達。

 

 規格外のトリオンを持つ千佳を狙ってやって来る人型に対処する為、迅が配置した隊員達。

 

 三輪隊の面々が、正面からハイレインと相対していた。

 

「まずは、奴のトリガーの能力を見極めるぞ。油断するなよ」

「そーだな。黒い角って事は黒トリガーだろうし、どんなびっくりギミックがあるかわかんねーしな」

 

 そんな彼等を見上げ、千佳は複雑な面持ちでいた。

 

 彼等三輪隊は、以前明確に自分たちのお世話になっている人達────────────────即ち、玉狛支部と敵対していた。

 

 しかし今は、自分を守る護衛としてこの場にいる。

 

 思うところがないワケでもないが、初陣である自分にとって戦闘経験豊富な彼等が一緒にいてくれるのは素直に心強い。

 

 それに、隊長の三輪は以前会った時に感じた張り詰めた空気が若干薄くなっている。

 

 牙が鈍ったというよりは、落ち着きを覚えた、といった風情だ。

 

 彼等と最終的にどう和解したのかまでは知らない千佳であったが、今の彼等なら安心して任せられる。

 

 そういった想いを、抱いていた。

 

「…………!」

 

 その、刹那。

 

 千佳の背後に黒い穴が開き、そこから白い腕が────────────────ラービットの巨腕が、千佳に伸びた。

 

 派手に鳥をバラまいたハイレインの挙動は、あくまで囮。

 

 彼は最初から、最短で千佳を確保し撤退するつもりだった。

 

 戦闘は彼にとって、あくまでも()()でしかない。

 

 むしろ、面倒な()()だとすら思っている。

 

 その手間を簡略化出来るのなら、それを惜しまないのがハイレインという男だ。

 

 故に、使えるものはなんでも使う。

 

 彼にはランバネインのように戦いを楽しむような闘争心も、エネドラのように己の力を誇る矜持もない。

 

 ただ、目的の為に手段を構築し実行する。

 

 より効率的に、より確実に。

 

 リスクを最小限に、目的を達成する。

 

 それが、彼の戦い方。

 

 兵士でも、まして戦士でもない。

 

 知恵者(りょうしゅ)としての、彼のやり方。

 

 何処までも効率を重視した、遊びのない指針。

 

 その為に惜しみなく大窓を使用し、行われた奇襲。

 

 害意のある相手を感知出来る己の副作用(サイドエフェクト)でそれに気付いた千佳は、咄嗟に振り返り────────────────。

 

「あら、お触りは厳禁よ」

 

 横から伸びたしなやかな腕に抱かれ、ラービットの魔の手から助け出された。

 

 千佳を横抱きにして助けたのは、長身のモデルのような女性。

 

 加古隊隊長、加古望。

 

 最初から伏兵を警戒して隠れていた彼女が、間一髪千佳の危機を救ってみせた。

 

卵の冠(アレクトール)

 

 それを視認したハイレインは、即座に攻撃を開始。

 

 戦闘を厭う彼であるが、必要とあれば躊躇はしない。

 

 無数の鳥の形をした弾丸が、千佳とそれを守る加古へ殺到した。

 

「させるか」

「よっと」

 

 三輪と米屋も、ただ見ているだけではない。

 

 拳銃と槍を用いて、鳥の弾丸を撃ち落としにかかる。

 

 だが。

 

「…………!」

「おいおい」

 

 三輪の弾丸と、米屋の槍弧月。

 

 それらは鳥の弾丸に触れた瞬間、無数のキューブと化した。

 

 触れたものを、キューブ化する能力。

 

 それが、ハイレインの黒トリガー卵の冠(アレクトール)の力。

 

 正しく初見殺しの類であるそれを受け、米屋は武器を失った。

 

 通常、弧月が壊れるなどという事は殆どない。

 

 スコーピオンのような応用性がない代わりに、弧月の威力と強度は高い信頼性を持つ。

 

 余分な機能にトリオンを注ぎ込んでいない分、純粋に威力と強度にトリオンが使われている為に早々壊れる事など有り得ないのだ。

 

 だからこそ、キューブ化という方法でその弧月を無力化された米屋は明確な隙を見せた。

 

 これが蝶の盾(ランビリス)による拘束であれば鉛弾(レッドバレット)という似た効果を生むトリガーを知っている為、動揺はそこまででもなかっただろう。

 

 しかし、キューブ化は完全な()()の攻撃手段。

 

 予想しろという方が無茶であり、事実米屋は柄にもなく目を見開き驚いている。

 

 その隙を逃す、ハイレインではない。

 

 彼は最初の奇襲が失敗した時点で、不意打ちでの確保が難しいと最善策である一撃離脱の策を捨てている。

 

 何の策もなく作戦に臨むのは愚の骨頂だが、だからといって一つの作戦に拘り失敗する程馬鹿らしい事はない。

 

 ハイレインはこの時点で、奇襲からの離脱から敵を殲滅しての確保へ作戦を変更している。

 

 だからこそ、ハイレインは鳥の弾丸を米屋へ集中させた。

 

 四方八方から襲い掛かる、白い鳥の生物弾。

 

 恐らく、この弾丸はシールドをもキューブ化してしまうだろう。

 

 元より、トリオンの少ない米屋はシールドでの防御は向かない。

 

「ちっ」

 

 すかさず、三輪は拳銃から射出したバイパーで生物弾を撃ち落としにかかる。

 

 射撃トリガーほどの応用性はないが、それでも三輪クラスの技巧で操ればどうとでもなる。

 

 米屋へ向かう弾丸を、三輪は悉く撃ち落としていく。

 

「わりーな。けどこれで────────!?」

 

 危機的状況を脱した、そう思った刹那。

 

 米屋は直感に従い、下方に目を向け。

 

 自分ににじり寄っていた白い蜥蜴の姿を視認し、慌ててその場から飛び退いた。

 

 ハイレインが仕込んでいた、伏兵。

 

 鳥の弾丸を囮にした、陸生成物の形をした弾丸。

 

 あくまでも効率的に、敵を無力化する。

 

 その策に嵌まりかけていたと実感した米屋は、冷や汗をかいた。

 

「あぶねーあぶねー。こいつ、かなりやらしーな」

「随分頭が回る近界民(ネイバー)のようだ。注意しろ。それより」

「わーってるよ」

 

 米屋は三輪の言わんとするところを瞬時に察し、黒い穴から出て来たラービットに向かった。

 

 卵の冠(アレクトール)の性質上、攻撃手が出来る事は殆どない。

 

 何せ、弧月でさえも触れたが最後キューブにされてしまうのだ。

 

 ハイレインの周囲には、魚や鳥といった生物弾が凄まじい密度で旋回している。

 

 あれではブレードの攻撃を当てるのは至難の業であり、迂闊に踏み込めばキューブ化攻撃の餌食だ。

 

 故に、米屋は即座に自分の仕事はラービットの処理であると割り切った。

 

 加古も対処は出来なくもないが、装甲の硬い新型の相手であれば攻撃手である自分の方が向いている。

 

 そう考え、再生成した弧月を構えてラービットへ向かう。

 

 その、刹那。

 

「…………!」

 

 不意に、悪感を感じて上を見上げた。

 

 そこには、二つの黒い穴と────────────────そこから姿を見せた、二体の砲撃型ラービットの姿。

 

 二機共に砲撃の発射態勢に入っており、当然照準は米屋へと向けられている。

 

 躱せるタイミングではなく、米屋のトリオンでは防御の上から貫かれる。

 

 やられる。

 

 そう覚悟した、その時。

 

「伏せろ」

 

 低い男の声と共に、無数の弾丸がラービットに降り注ぎ核を破壊。

 

 同時に、もう一機のラービットが砲撃の為に露出させていた核を、一発の弾丸が破砕した。

 

「旋空弧月」

 

 それを確認すると同時、米屋は迷いなく旋空を起動。

 

 最初に標的としたラービットの核を的確に両断し、沈黙させた。

 

「助かりました。二宮さん────────────────それに、東さんも」

「俺の仕事をしただけだ。礼はいらん」

『構わない。今お前にいなくなられるのは、困るしな』

 

 今ラービットを仕留めてみせたのが誰か、言うまでもない。

 

 ラービットの装甲を力づくで射抜く威力を持つ、射手の王。

 

 二宮匡貴。

 

 そして、正確無比な狙撃でラービットの核を射抜いたのは無論。

 

 東春秋。

 

 始まりの狙撃手にして、旧東隊として二宮・加古・三輪の三名を率いていたボーダー屈指の戦術家。

 

 旧東隊。

 

 かつてA級一位にまで上り詰めたそのメンバーが、この大規模侵攻という大舞台で。

 

 今一度集い、そして。

 

 強敵を前に、再び銃口の向きを揃えたのだ。



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私が来た

 

「え? 加古さんって今二宮さんといるの?」

「東さんや三輪先輩も一緒みたい。なんか、上層部の指示とか言ってたね」

 

 ボーダー、基地の東部。

 

 そこで黒江と組んでトリオン兵を片付けていた緑川は、黒江の言葉に目を見開いた。

 

 二宮と加古の相性の悪さ、というか仲の険悪さは彼とて知っている。

 

 そんな二人が共にいるというだけで驚きなのだが、更には三輪と東まで同行しているという。

 

 何がどうしてそうなった、と思う組み合わせではあるが────────────────ふと、思い出した。

 

(そういえば、あの四人って昔は同じチーム組んでたとか聞いた事あるな。A級一位────────────────旧東隊、だっけか)

 

 東、二宮、加古、三輪。

 

 この四人は、ある共通点がある。

 

 それは、かつて東が隊長を務めた部隊────────────────元A級一位、旧東隊のメンバーであった事だ。

 

 入隊して一年ほどしか経っていない緑川は伝聞でしかその事を知らないが、初めて聞いた時はあの癖の強い三人を良く纏められたなあと思っていた。

 

 まあ、東だから、という言葉だけで納得出来る部分があるのは事実ではある。

 

「でもあの四人が組むんだったら、どんな相手でもラクショーだよね。東さんが指揮をミスるハズないし、二宮さんは二宮さんだし。三輪先輩も巧いしね」

「加古さんもいるし、余程の相手と当たらなければ大丈夫だと思う。────────────────相手が黒トリガー、ってのが気になるけど」

「黒トリガー、か」

 

 緑川はそう呟き、空を仰ぐ。

 

 彼にとって黒トリガーといえば、迅の持っていた風刃が思い浮かぶ。

 

 どういう経緯なのかは知らないが今は迅の手元を離れて本部預かりになっている風刃であるが、昇格試験の時に並み居る面々相手に迅が無双した事は聞いている。

 

 あの影浦隊や二宮隊ですら風刃を持った迅を落とす事は出来ず、那須隊が全力を尽くしてようやく打倒出来たらしい。

 

 副作用(サイドエフェクト)で類稀な回避能力を持つ影浦を仕留め、あの二宮ですら迅を撃破する事は叶わなかった。

 

 それだけの力が、迅と風刃にはあったのだ。

 

 そう思えば、一見無敵とも思える旧東隊であっても確実に勝てるとは言い難い。

 

 何せ、ラービットのような強力なトリオン兵を大量に運用している相手だ。

 

 彼等もラービットの撃破自体は成功しているが、それは初見殺しに近い黒江の韋駄天があったからでもある。

 

 戦闘方法が対人に特化した緑川だけでは、倒せたかどうかは怪しいところだ。

 

 元より、二人はその機動力と撃破能力と買われて遊撃部隊に選ばれたのだ。

 

 その役割はあくまでも通常トリオン兵の間引きであり、ラービットのような相手を倒す事は任務に含まれてはいない。

 

 無理をすれば撃破可能かもしれないが、それをするよりも通常のトリオン兵を数多く駆逐した方が貢献度は高い。

 

 適材適所、というやつである。

 

 そういう意味では、二宮や東といった錚々たる面子を黒トリガーにぶつけるのも適材適所と言える。

 

 恐らく、この配置は迅の思惑が関係している筈だ。

 

 今回の大規模侵攻は、ラービットや敵の黒トリガーの存在を前提として迎撃作戦が組まれていた。

 

 これは明らかに迅の予知の情報を元に戦術が組み上げられている証左であり、勘の良い隊員は当然その事に気付いている。

 

 こういった大規模な戦闘において迅の予知が、ひいては彼の意向が大きく作戦に影響を与えている事は正隊員にとっては周知の事実だ。

 

 今更それに文句を言うような隊員はいないし、緑川も迅の采配を信じている。

 

 けれど

 

 その迅は現在、小南が苦戦していた敵と相対して今も尚戦闘を続けている。

 

 既に風刃は所持していないとはいえ、あの迅が敵と戦いまだ決着が着いていない。

 

 その事が、緑川にどうしようもなく嫌な予感を想起させた。

 

(迅さんが負けるなんて、有り得ない────────────────有り得ない、けど。でも、万が一があっても、おかしくない、のかも)

 

 緑川は迅を尊敬して敬愛しているが、その強さが絶対ではない事もまた知っている。

 

 個人戦では太刀川と互角の勝負を繰り広げているのを知っているし、彼自身の戦績も決して黒星がないワケではないのだ。

 

 けれど、ここ一番の大事な戦いでは決して負けない。

 

 それが緑川の慕う迅悠一という男であり、彼自身そうであって欲しいという願望もあった。

 

 だが。

 

 敵は、黒トリガー。

 

 しかも今回、迅は風刃を所持していない。

 

 だから、もしかしたら。

 

 彼が負けるなんていう忌まわしい未来(けっか)も、有り得てしまうのかもしれない。

 

 戦場に、()()はない。

 

 緑川はまだボーダーに入って一年程度だが、先日の修や遊真との模擬戦を通して身を以てそれを思い知っていた。

 

 幾ら自分に才能があろうが、油断すれば弱者に牙を突き立てられる事も有り得るし────────────────同時に、どう足掻いても勝てない格上に蹂躙される事もある。

 

 東がいるなら、二宮がいるなら大丈夫。

 

 そんな信頼すら、()()ではないとしたら?

 

 緑川はそんな不安を抱き、そして。

 

「え…………?」

 

 通信により、一つの凶報を聞いた。

 

 

 

 

「柿崎さん、このあたりの住民の避難は完了しました」

「ご苦労だった。お陰様で、一般市民に被害を出す事は避けられそうだ」

 

 警戒区域外、市街地。

 

 そこでは報告を行った茶野を労う柿崎の姿があり、周囲には数名のB級下位の隊員と十数名のC級隊員がいる。

 

 市民の避難誘導を総括していた柿崎は、たった今の茶野の報告を受けて警戒区域にほど近い場所の市民の避難が完了した事を確認した。

 

 そのスムーズな手際は間違いなく嵐山隊時代に培われたものであり、本人は謙遜するが充分人の上に立つある種の資質を有している証左でもある。

 

 東のように確かな経験と実績によって人を纏めるのではなく、二宮のように強大な力を下地に部下を牽引するのでもなく。

 

 ただ人望と誠実さによって、人を集め共に先へと進む。

 

 そういった距離の近いが故に融通が利くタイプのリーダーの素質を、柿崎は持っているのだ。

 

 そうでなければ、先日のイレギュラー門の件もあって不安に駆られていた市民がこうも簡単に誘導に従いはしない。

 

 実を言うと嵐山のファンの中には彼が初めてメディアに顔を出した入隊時の番組を録画して見ている者もおり、そういった者達にとって柿崎は()()嵐山と共に入隊してインタビューを受けた人物としてそこそこ知名度があったのだ。

 

 照屋や虎太郎といった柿崎隊メンバーは最初から彼の方に注目していた変わり種だが、そうでない者達にとっても柿崎は「顔は知ってるけどどういう人かまでは分からないボーダーの人」という認識だった。

 

 しかし、先入観というものは容易く人の認識を覆す。

 

 嵐山と一緒に入隊した事で、柿崎は一定の注目を集めていた。

 

 隊自体のランク戦での成績は伸び悩んではいたものの、外部の人間にとってそんな事は分からない。

 

 加えて柿崎は防衛任務の際に興味本位で警戒区域に入り込んだ子供を幾人か助けて親元に送り届けており、丁寧な説明と誠実な態度で保護者の信頼を勝ち取っていた。

 

 柿崎にとっては、街を守るボーダー隊員として当たり前の事をした、程度の認識だっただろう。

 

 されど、塵も積もれば山となるもの。

 

 そういった日々の何気ない善行、何気ない気遣いが、彼の評価を「顔だけは知っている隊員から」「親切で誠実な頼れるボーダー隊員」へと変えていったのだ。

 

 そしてそれは、ボーダーの中でも変わらない。

 

 ランク戦の順位で燻りがちである事を知っていても、元より彼より成績の振るわないB級下位の者達にとって柿崎は順位が上ながらもそれに驕る事なく、細かな相談にも丁寧に乗ってくれる頼れる先輩だったのだ。

 

 B級中位以上の者達は精神が成熟している者が多い為そこまで柿崎に寄りかかってはいないが、下位の者達にしてみれば彼はなくてはならない相談役のようなものだった。

 

 故にこそB級下位の面々は戦力外通告をされながらも進んで柿崎に協力し、こうして市民の避難を完了させるに至った。

 

 これは紛れもなく柿崎の功績であり、その戦果を疑う者はいないだろう。

 

「────────! あれは…………っ!」

 

 だからこそ。

 

 柿崎は()()を目にして、血の気が引いた。

 

 道の脇。

 

 側溝から出て来た、小動物程度の大きさの機械の虫。

 

 それを、その存在を柿崎は知っていた。

 

 偵察用トリオン兵、ラッド。

 

 戦闘能力は皆無なれど、ある能力を持っている事からボーダー隊員にとっては発見即駆除が徹底されているトリオン兵。

 

 その能力は、()()()()

 

 周囲からトリオンを収束させ、その場に(ゲート)を出現させる。

 

 それが、ラッドが最大級に警戒される所以。

 

 その事を知っていた柿崎は即座にアサルトライフルを構えて引き金を引くが、一歩遅い。

 

 柿崎の弾丸がラッドを貫く、その刹那。

 

 ラッドを起点とした黒い門が出現し、そこから兎の姿を模した異形────────────────新型トリオン兵、ラービットが姿を現した。

 

 色は、白。

 

 特殊な能力を持たない通常個体(プレーン体)だが、この場に集まっているB級下位や火力の低い柿崎では到底勝ち目のない相手。

 

 それが、3体。

 

 柿崎達の前に、襲来した。

 

 

 

 

「今、市街地にラービットを解き放った。どうやら、そちらに雛鳥は集まっているらしいな────────────────折角だから、何人か見繕って連れ去るとするか」

「…………!」

 

 明らかな、挑発。

 

 ハイレインは二宮達をそう言って煽るが、その刹那。

 

 オペレーターの氷見から、通信が入る。

 

『二宮さん、その敵の言葉は事実です。たった今、市街地にラービットが出現しました。C級とB級下位の面々が襲われています』

「そうか」

 

 二宮は報告を冷静に聞き、視界の先のハイレインを睨みつける。

 

 確かに一大事ではあるが、この場を放棄してそちらに向かうのは論外だ。

 

 目の前の男は現在迅達が戦っている相手ほどではないにしても、相当な手練れ。

 

 しかも戦術に精通しており、かなり頭の巡りが早いようだ。

 

 ランバネインやエネドラのような兵士ではない、()()()

 

 それが目の前の男の在り方であると、直感した。

 

 たった今見せた攻防からも、男の性質は見えて来る。

 

 ハイレインは徹底して効率を追い求め、無駄のない戦術を執っていた。

 

 そんな彼が、果たして自身が戦場に出るリスクを背負うような状況とは何か。

 

 そう思案していた矢先の、ハイレインの宣言である。

 

 驚くな、という方が無理な話だ。

 

 加古はハイレインを油断なく見据えながら、眼を細めた。

 

(多分、今のはただの挑発じゃない。場合によっては現実に成り得る、脅迫────────────────C()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()っていうね)

 

 そう、それこそがハイレインの目論見。

 

 この場での勝利を確実なものとする為に、これ以上の増援は望ましくない。

 

 だからこそ、彼は暗にこう言っているのだ。

 

 C級を連れ去られたくないなら、戦力をそちらに割けと。

 

 今警戒区域に散らばっている特機戦力をそちらに回せば、確かにラービットは駆逐出来る。

 

 B級以下の隊員には脅威であるラービットでも、一部の実力者を向かわせれば撃破自体は可能だ。

 

 此処にいる二宮など、まさにその筆頭だ。

 

 しかし、そんな真似をすれば現在対峙している人型近界民(ネイバー)との戦いがおぼつかなくなる。

 

 まだ戦闘開始して間もないが、一筋縄でいく相手出ない事は分かっている。

 

 そしてそうなれば、敵の本当の狙い────────────────千佳の確保を阻止する事が、難しくなる。

 

 C級の安全を取るか、千佳の防衛を優先するか。

 

 どちらを取っても悪い結果に繋がる、不自由な二択。

 

 敵は、それを強いてきているのだ。

 

(本当、性格悪いわね。あの子達が言う()()()()()に行く為には、どっちも選ぶべきじゃない。けど────────)

『聞こえるな? 東、二宮、加古』

 

 どうすべきか思案していた、矢先。

 

 通信が入り、忍田の声が聞こえる。

 

 このタイミングでの通信に加古はその意味に思い至り、成る程、と頷く。

 

 確かに、()()ならばどちらを選ぶ必要がない。

 

 最強とも言える、第三の選択肢だ。

 

『戦力を割く必要はない。私が、来たからな』

 

 

 

 

「忍田本部長…………」

「心配する事はない。こいつらは、全て斬る」

 

 目を見開く柿崎の、視線の先。

 

 そこには、弟子である太刀川のそれを思い起こさせるようなコート状の隊服を身に纏う男────────────────ボーダー本部長、忍田真史が立っていた。

 

 忍田は腰から弧月を抜刀し、ラービットと対峙する。

 

「慶の分まで、私がこいつらを斬り払おう。弟子の不始末は、師がどうにかしてやらねばな」

 

 凄絶な闘気を纏い、忍田は告げる。

 

 ノーマルトリガー最強の男が、今この戦場で刃を抜く。

 

 満を持しての、登場であった。



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旋空一閃

 

「旋空弧月」

 

 旋空、一閃。

 

 忍田は一撃目の旋空でまず、最も近くにいたラービットを両断した。

 

 そして、間髪入れずに更に二連。

 

 旋空を撃ち放ち、残る二体のラービットに攻撃。

 

 当然の如くその身体を両断し、瞬く間に三機のラービットを沈黙させた。

 

「すげえ…………」

 

 その光景を直に見ていた柿崎は、感嘆の声を漏らす。

 

 ラービットは、決して雑魚ではない。

 

 トリオン兵にあるまじき高い機動力と、強靭な装甲の両立。

 

 今出て来たのは特殊な能力を持たない通常個体とはいえ、B級隊員どころかA級ですら単騎では苦戦しかねない相手だ。

 

 それを、まるで有象無象を斬るかのように一刀両断。

 

 改めて、忍田の────────────────ノーマルトリガー最強の男の実力を、目の当たりにしていた。

 

 自分も彼のように、とは思わない。

 

 忍田はボーダーの戦闘員の中でも特に極まった存在であり、太刀川だとか風間だとか、そういう者達のいる世界に身を置く者だ。

 

 柿崎は自分がどう頑張ってもそんなトップクラスの面々に肉薄出来るとは思わないし、そもそも自分の役割はそうではないと認識している。

 

 適材適所、という言葉がある。

 

 確かに、自分は彼のように戦場で無双出来るような強さはないけれど。

 

 それでも。

 

 やれる事はあるのだという事を、この迅から依頼された避難誘導(しごと)で理解していた。

 

 派手でも、もしかしたらそこまで貢献度は高くないかもしれないけれど。

 

 けれど。

 

 意味はあったのだと、柿崎は思っている。

 

 そも、そういった煩悶はこの場ですべき事ではない。

 

 今、自分が果たすべき役割は。

 

 明瞭なのだから。

 

「忍田さん、このへんの避難誘導は完了したので俺たちは念の為警戒区域から離れた場所に待機しています。場合によっては、そちらの避難も行う必要があるでしょうから」

「いいだろう。避難の判断はこちらでするが、君が必要だと思ったら独自の判断を許可する。その場合、本部に一報入れて欲しいが予断を許さない場合は報告は後回しで構わない」

「了解しました」

 

 柿崎はそう言って忍田に一礼すると、離れた場所で忍田の無双を見守っていたB級下位の隊員達に声をかけて移動を始めた。

 

 警戒区域直近の場所の避難誘導は完了しているが、戦線が拡大すれば更に避難区域を広げる必要がある。

 

 迅からは最低限この区域を避難させれば大丈夫だと聞いてはいるが、未来が変わる可能性は常に残されている。

 

 念には念を入れる、くらいで丁度良い筈だ。

 

 

────────────────忍田さん、柿崎の所に新型が来る。対処をお願いします────────────────

 

 忍田はそんな柿崎を笑顔で見送りながら、先程迅から受けた一報を思い出していた。

 

 無論、彼は即座に行動に移した。

 

 元々、いつ出撃の時が来ても良いように準備はしていたのだ。

 

 忍田は冬島が近くに用意していたスイッチボックスのワープを用いて、柿崎達の下へ急行した。

 

 C級を連れている彼等が狙われる確率は比較的高いという事を、迅から聞いていたが故に。

 

 今回、C級隊員が攫われる可能性は低くはなったが決して0にはなっていない。

 

 その分岐(ルート)の一つが、今回のような市街地へのトリオン兵の投下だ。

 

 それを分かっていたからこそ、冬島は予め市街地にも幾つかスイッチボックスを設置していた。

 

 忍田はそれを利用して、この場に急行したワケである。

 

 最悪の事態にならずに済んだと安堵する一方、まだ侵攻は続いている事を意識して気を引き締め直す。

 

 そして、忍田は東に通信を繋いだ。

 

「こちらのラービットは処理した。増援は必要ない。君たちは、目の前の相手に専念したまえ」

 

 

 

 

『聞いての通りだ。そちらの対処は必要ない。その人型に専念するぞ』

「「「了解」」」

 

 忍田、東からの指示を受け、二宮達は一斉に頷く。

 

 市街地にラービットが出たと聞いた時は眉を顰めたが、忍田が向かったのであれば万に一つも問題は無い。

 

 彼ならば、ラービットが幾ら束になろうと敵ではないのだから。

 

「ラービットを単騎で殲滅可能な駒を、今まで温存していたとはな。そちらの指揮官は優秀らしい」

 

 一報、顛末の報告を受けたハイレインは表情を変えずにそう呟いた。

 

 驚愕、まではしていない。

 

 確かに、これで戦力が分散させられれば理想ではあった。

 

 しかし、ハイレインは強力な伏兵の存在をある程度警戒していた。

 

 此処まで見て来た玄界(ミデン)の戦力の層の厚さを考えるに、まだ戦場に出てきていないエース級がいてもおかしくはない、と。

 

 ハイレイン側からしてみれば出来れば当たって欲しくない類の予測ではあったが、全く予想していなかったワケではないのだ。

 

「────────だが、ラービットを配置した場所が一ヵ所だと言った覚えは、ないのだがな」

「…………!」

 

 故に、当然二の矢は用意してある。

 

 種は、既に撒かれていたのだから。

 

 

 

 

「警戒区域の西部付近、東部付近にラービットが出現しました。数はそれぞれ三機ずつです」

「種類は通常個体が2、砲撃型が1ずつだね。街を砲撃されるとマズイかも」

 

 ボーダー、作戦本部。

 

 そこではある理由で席を外した沢村に代わり、羽矢と国近がオペレートを行っていた。

 

 羽矢は王子隊と香取隊が合流した為二部隊のオペレートを染井に任せ、国近は太刀川が落ちている上に出水が烏丸と共に動いているので負担が軽くなった為、こうして出向して来たワケである。

 

 他ならぬ、太刀川の指示によって。

 

 出水にも事情は話しており、特に問題なくOKを貰っている。

 

 太刀川は太刀川なりに考えて、この場での最適解を模索していたワケだ。

 

 そのあたり、忍田や沢村と付き合いの長い太刀川ならではの視点故であるとも言えるが。

 

「ふむ、手配は?」

「既に、()()()()()()()います。問題は無いかと」

「どっちも、充分新型を撃破出来る戦力だと思うから大丈夫です。何せ、太刀川さんと忍田さんのお墨付きですからねー」

 

 城戸の問いに、羽矢と国近はそう言って薄く笑みを浮かべる。

 

 二ヵ所に配した戦力は、どちらも二人にとって縁のある相手。

 

 普段の関係性はともかく、実力という意味では微塵も疑っていない。

 

 戦闘に関する判断はまず間違えない太刀川のお墨付き、というのも理由の一つではある。

 

 こと戦闘に限るならば、太刀川の洞察力と判断力は人並み外れているのだから。

 

「あの人達なら、問題ないね。どっちも、旋空の名手だしね」

 

 

 

 

「出てきおったなあ、新型」

「ラービットっていうらしいですね、これ。確かに兎っぽいですが」

「ですですっ! 俺こんなでっかいウサギ初めて見ましたっ!」

 

 警戒区域の外側、西部。

 

 そこで現れた三機のラービットに相対していたのは、生駒隊の面々だった。

 

 彼等は作戦本部の命を受け、ラービットの殲滅にやって来たのである。

 

 一見、上位とはいえB級である彼等にラービット三機は荷が重いように思える。

 

 だが。

 

「サポートは任せてね。いくよ、辻ちゃん」

「了解しました」

 

 来ていたのは、彼等だけではない。

 

 二宮隊銃手、犬飼澄晴。

 

 同じく二宮隊の攻撃手、辻新之助。

 

 二宮と別れ、彼等と行動するよう命じられた二人が生駒隊に合流していた。

 

 二人は二宮に千佳の護衛及び人型の撃滅任務が通達されると同時に、生駒隊への同行の命が下ったのだ。

 

 命令である以上、彼等に否は無い。

 

 二宮隊の擁するサポートの名手である二人のマスタークラスは、今この時点を以て生駒隊の臨時サポーターとなった。

 

「やるで」

「おう」

「はいっ!」

 

 意思の疎通に言葉は要らない。

 

 犬飼と水上は一瞬のアイコンタクトを交わし、互いの意思を確認。

 

 水上はチームメイトに作戦を伝え、彼の命令に従う事に一切のタイムラグが生じない生駒と南沢は即座に行動を開始。

 

 速やかに意思伝達が完了し、戦闘が開始される。

 

「旋空弧月」

 

 第一手。

 

 辻が旋空を放ち、ラービット三機を牽制する。

 

「ハウンド」

「────────」

 第二手。

 

 水上と犬飼が、同時にハウンドを射出。

 

 砲撃型の頭部に弾幕を集中させ、敵の砲撃を妨害する。

 

 この砲撃型のラービットは、砲撃の際に口内の核を露出される。

 

 それは弱点を晒す行為に他ならず、迂闊に砲撃を行えばカウンターで落とされる可能性を孕んでいる。

 

 故に、砲撃型の攻撃を防ぐ手段は単純明快。

 

 頭部に攻撃を集中し、口を開く隙を与えなければ良い。

 

『────────!』

 

 無論、それだけならばラービットは自慢の装甲と機動力に任せて接近戦に切り替える。

 

 まずは鬱陶しい弾撃ち達を黙らせ、そこから改めて砲撃に移る。

 

 現状では、そう間違った選択肢でもない。

 

旋空弧月

 

 この場に、彼がいなければ。

 

 生駒旋空、一閃。

 

 突貫して来た砲撃型の腕が犬飼達に届く、間際。

 

 神速の抜刀から放たれた生駒旋空が、一撃で砲撃型を両断した。

 

 最初から、これが狙い。

 

 二機の通常型を牽制している間に砲撃型に突貫の選択を強要し、そこを生駒旋空で仕留める。

 

 この場で最も防がなければならないのは、砲撃型による市街地への無差別攻撃だ。

 

 場合によっては充分有り得るその展開を、まずは封殺する。

 

 最優先事項は、砲撃型に砲撃させない事。

 

 その意思の確認を済ませていた水上と犬飼は、それが最善の選択であると判断。

 

 チームメイトに意思共有を行い、即座に実行したワケだ。

 

 普通ならば、これ程迅速に意思共有と作戦実行を行う事は不可能だ。

 

 生駒隊と犬飼達はランク戦で戦うならばともかく、共闘する機会など早々ある筈がない。

 

 幾ら個々の能力が高くとも、完全な意思共有を速やかに行えるかと言われれば否だ。

 

 しかしこの場合、生駒隊の()()が幸いした。

 

 生駒隊の面々は、ブレインたる水上の命令に従う事に一切の躊躇をしない。

 

 どんな突拍子のない指示であろうと、それが水上の判断であるならば全面的に支持して実行する。

 

 それは彼等がそれだけ水上を信頼しているという証左であり、互いの能力に信用があるからこそ可能となるのだ。

 

 そして、とうの水上は頭の巡りが異常な程に早い為似たタイプである犬飼と意思を共有する事など造作もない。

 

 私情や拘りを廃し、その場その場の最適解を最短で導き出し実行する。

 

 それが出来るからこそ、彼等は強力なチームのエースを最大限に活かして戦う事が出来ているのだ。

 

 説明すら省略して指示を下すそのやり方は自分のやり方に慣れている相手でなければ不和の種になりかねないが、この場においてその心配は皆無だ。

 

 生駒隊の面々は水上の指示に従う事に一切の異論は持たないし、辻も自分の役割を果たす事に躊躇いは無い。

 

「次」

「行くよ」

 

 故に、後は流れ作業でしかない。

 

 彼等は同じ手順でラービットを封殺し、残る二機も速やかに駆逐していった。

 

 

 

 

弧月(これ)を握るのは久しぶりね。鈍ってないといいけど」

 

 警戒区域、東部外区。

 

 そこに、一人の女剣士が立っていた。

 

 身に纏うのは、忍田のそれと同じロングコートタイプの隊服。

 

 腰に帯びるのは、一振りの弧月。

 

 艶やかな長髪を風に靡かせる彼女は、沢村響子は。

 

 今再び、戦場へ降り立っていた。

 

 彼女こそ、この場に集った三機のラービットを殲滅する為に配置された戦力。

 

 元忍田隊の切り込み役、攻撃手沢村の久方ぶりのお披露目である。

 

 彼女は現在、ボーダー本部のオペレーターを総括する立場にある。

 

 その彼女が出撃する事に、根付達は当然難色を示した。

 

 しかし、彼女が今回の配置において最も適していた事も事実。

 

 ラービットの単独撃破は、熟練の旋空使いを当てる事が最も効率が良い。

 

 双月という規格外の切断力の武器を持つ小南を除けば、ラービットの装甲を抜いて倒すには旋空を使うのが最も手っ取り早いのだ。

 

 されど旋空はセットしている隊員こそ多いが、真の意味で使いこなせている者はそう多くはない。

 

 そして、そういった熟練者でなければラービット相手に旋空で攻略する事は難しい。

 

 それを理解していた忍田は国近と羽矢の申し出を受け、沢村の出撃を後押しした。

 

 その結果として、彼女は此処にいる。

 

 忍田の、自分を送り出してくれた者達の期待に応える為に。

 

「さて、やりますか」

 

 沢村は、忍田や太刀川ほど自由自在に旋空を扱えるワケではない。

 

 スピードを第一とする戦闘スタイルである彼女にとって、伸びて重さが増えた刀など邪魔なだけだ。

 

「────────斬る」

 

 だが。

 

 それでも沢村は、旋空の名手である。

 

 但し。

 

 その使()()()は、万人と全く異なっている。

 

 通常、旋空を使う時の用途は射程距離の拡張と防御突破の切断力の付与である。

 

 攻撃範囲が限定的な弧月使いの射程を一時的に拡張し、中距離戦に対応させる。

 

 それが旋空の主な用途であり、まさにその用途を目的に旋空は生み出された。

 

 しかし、沢村の場合は違う。

 

「旋空弧月」

 

 沢村は旋空を起動し、刀身を拡張────────────────しない。

 

 正しくは、数センチのみ刀身を拡張。

 

 敵の、ラービットの目の前に、一瞬で踏み込んだ上で。

 

 伸びた刀身を扱うのが難しいのであれば、話は簡単。

 

 刀身の拡張を極限まで削減し、攻撃が届く距離まで踏み込めば良い。

 

 それが出来るだけの機動力と体捌きがあるからこそ行える、異例の旋空の使用法。

 

 射程距離の拡張を排して、その切断力の恩恵のみを獲得する。

 

「────────!」

 

 斬撃、一閃。

 

 旋空を起動させた沢村は一刀で砲撃型を斬り裂き、返す刃で残り二機のラービットを両断。

 

 刹那の間に、三機のラービットを瞬殺してみせた。

 

「こちら沢村、ラービットの駆除を完了しました。指示を」

 

 沢村はなんでもない事であるかのようにラービット撃破を報告し、指示を仰いだ。

 

 トリオン能力の翳りが見えてオペレーターに転向した彼女だが、その実力はまだまだ現役。

 

 かつて戦場で名を馳せた女剣士が、今此処に蘇る。

 

 この戦局を、犠牲なく乗り切る為に。

 

 恋する突撃攻撃手(アタッカー)は、再び剣を取ったのだ。



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星の杖②

 

「まだ伏兵があったか。やはり、玄界(ミデン)の兵の層は想定以上に厚いようだ」

 

 ハイレインは配置したラービット撃破の報を受け、眼を細めた。

 

 敵戦力を、過小評価していたワケではない。

 

 逆だ。

 

 ラービットの単独撃破が可能な兵がまだ存在する可能性を考慮していたからこそ、三機()()ラービットを送り込んだのだ。

 

 危惧通り、敵の伏兵がいる可能性を考慮して。

 

「お前たちの好きにさせると思ったら大間違いだ、近界民(ネイバー)。俺達を、ボーダーを舐めるな」

「舐めてはいない。だからこそ、仕込みを怠らなかったのだからな。ようやく、これで」

 

 ハイレインは啖呵を切った三輪を見据え、冷淡な笑みを浮かべる。

 

 それは。

 

「────────────────特機戦力の居場所を、()()()()()()()()()

「…………!」

 

 仕込んでいた策を発動させる、策士の笑み。

 

「ミラ、()()

『了解。窓を開きます』

 

 ハイレインの一手が、動く。

 

 

 

 

「了解しました。では、そのように」

「…………っ!!」

 

 南の戦場。

 

 そこで迅と小南の二人と対峙していたヴィザは、ミラからの通達を聞き頷いた。

 

 そして。

 

 ヴィザの未来を視た迅が、顔色を変える。

 

「…………っ! ()()、伏せろ…………っ!」

 

 向こうの()()に間に合わないと理解した迅は、通信を開き各所に声を飛ばす。

 

 その、刹那。

 

 ヴィザは背後に空いた黒い穴に飛び込み、その場から姿を消した。

 

 

 

 

 警戒区域、南西。

 

 窓の影(スピラスキア)を利用して建物の屋上に降り立ったヴィザは、伝えられていた座標の標的を視認。

 

 その太刀を。

 

 黒トリガーを、抜き放った。

 

────────星の杖(オルガノン)

 

 抜刀。

 

 不可視の、そして。

 

 致死の斬撃が、標的へ────────────────生駒隊へと、振るわれた。

 

 

 

 

『全員、伏せろ…………ッ!』

 

 迅の通信は、唐突だった。

 

 それを聞いた生駒隊、そして彼等と共に行動していた犬飼と辻はその警告の意味を咀嚼しようとして────────────────即座に意味を理解した水上と犬飼が、真っ先に行動に移った。

 

「イコさん…………ッ!」

「辻ちゃん…………ッ!」

 

 防御、反撃────────────────いずれも不可。

 

 あの迅が、防げでも避けろでもなくただ()()()と言ったのだ。

 

 つまり、防御は不可能。

 

 回避も、限りなく難しい。

 

 そういう攻撃が来るのであれば、一瞬の予断も許されない。

 

 だからこそ。

 

 二人の知恵者は、最優先で残すべき駒の救助を実行した。

 

 水上は生駒の腕を掴むと同時に、下方にシールドを張りメテオラを起爆。

 

 爆煙で煙幕を張ると同時に生駒を引き倒し、犬飼もまた同様に辻を強引に地面に叩き伏せた。

 

 その、直後。

 

「ち…………っ!」

「…………っ!」

 

 その場にいた、生駒と辻以外の全員。

 

 煙幕など、知るものかとばかりに放たれた不可視の斬撃により。

 

 彼等全てが、両断された。

 

 生駒を引き倒した、水上も。

 

 辻を押し倒した、犬飼も。

 

 反応が遅れた南沢同様に胴を斬られ、致命。

 

「すんません。後は頼んます、イコさん」

「ごめん、任せた辻ちゃん」

『『『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』』』

 

 三名の隊員のトリオン体が崩壊し、光の柱となる。

 

 水上達は遺した者達に謝罪を告げ、戦場から離脱した。

 

 

 

 

「ふむ、二名逃しましたか」

 

 その光景を見ていたヴィザは、水上と犬飼────────────────二人のサポーターの動きを見届け、感心するように頷いた。

 

 視線の先。

 

 生駒隊がいた場所には、もう誰もいない。

 

 引き倒されたお陰で星の杖の攻撃を逃れた生駒と辻の姿も、また。

 

 見れば、水上がメテオラで破壊した地面に暗い穴が空いている。

 

 どうやら、真下には地下道があったらしく二人はそこに逃れたようだ。

 

 手当たり次第に攻撃し地下道を崩落させて炙り出す、という手も使えなくはないが────────。

 

「それよりは、こちらが優先でしょうな」

 

 ヴィザは、その選択肢を即座に棄却した。

 

 確かに炙り出せはするかもしれないが、崩落に紛れて逃げられる可能性の方が高い。

 

 ならば。

 

 ()()()()()()()の下へ向かう方が、急務である。

 

 ヴィザは背後の黒い穴に飛び込み、その場から姿を消した。

 

 

 

 

『犬飼先輩と水上先輩、南沢が緊急脱出しました。生駒さんと辻くんは無事ですが』

「そうか」

 

 二宮は氷見からの報告を聞き、ジロリとハイレインを睨みつけた。

 

 このタイミングを鑑みるに、どうやら相手はこちらがラービットを排除出来る駒を出すのを待っていたらしい。

 

 つまり、今回出現したラービットはその全てが捨て駒────────────────否。

 

 ()()()()()()()()()ように出した、捨て駒になる事も考慮に入れた手だったワケだ。

 

 策の失敗の可能性に目を向け、そうなっても次に繋がるように第二、第三の策の布石を予め仕込んでいく。

 

 そのやり方は、東のそれに近い。

 

 最高の結果を目指すのではなく、致命的なリスクの回避を最重要視しつつ最低限の戦果だけは確実に取得する。

 

 博打は絶対に撃たず、ただひたすらに確実性とリスク回避を最優先に動く。

 

 そして、自分の策を決して絶対視せずに常に失敗した時の()()を怠らない。

 

 成功ではなく、()()()()()()()()()()を念頭に置くそのやり方。

 

 堅実で、それでいて隙のない戦術理論。

 

 まさに、東が敵となったかのような感覚。

 

 それを、二宮はハイレインとの相対によって感じていた。

 

 迅から、たった今報告は来ている。

 

 曰く、自分たちが相手をしていた黒トリガー使いが転移を用いて移動したと。

 

 間違いなく、犬飼達を落としたのはその黒トリガー使いだ。

 

 しかも、今しがた辻から入った報告によればその相手は既に転移を用いて消えているという。

 

 ────────────────特機戦力の居場所を、()()()()()()()()()────────────────

 

「…………!」

 

 不意に、先程のハイレインの言葉が蘇る。

 

 彼が語った、()()()()

 

 あれは恐らく、生駒達だけを指した言葉ではない。

 

 それまでの経緯を鑑みるに、その言葉が指す意味は────────。

 

 

 

 

「随分な強者とお見受けする。私は、ヴィザ。アフトクラトルの剣士です」

「あなたが、慶を斬った剣士か。成る程、まさかこれ程の相手とは」

 

 南西部、警戒区域付近。

 

 ヴィザが向かったのは、この場所。

 

 即ち、他では対処の難しい特機戦力────────────────忍田と、相対する為に。

 

 現れたヴィザを前に、忍田は戦慄していた。

 

 対峙しただけで、分かる。

 

 これは、自分より遥かに格上の剣士だ。

 

 忍田は、自分の実力を謙遜してはいない。

 

 剣の道に生きた者として、頂点に近い位置にいると自負している。

 

 少なくとも、この世界では。

 

 そう簡単に負けるような修練を、積んで来たつもりはない。

 

 だが。

 

 この翁は、文字通りの別格だ。

 

 途方もない戦闘経験、年月に裏打ちされた実力。

 

 想像すら出来ない規模の研鑽と、潜って来た修羅場の数々。

 

 それが可視化したかのような凄絶な闘気を、この老剣士は纏っている。

 

 剣の達人は、相手を見ただけでその実力の程が分かるという。

 

 だからこそ、理解出来る。

 

 この翁は、自分でも届き得ない剣の高み────────────────紛う事なき()()、その位階に立つ者であると。

 

 迅が勝てない、と断言したのも頷ける。

 

 相対した時点で、敗北が確定する。

 

 これは、そういう類の脅威だ。

 

 忍田(じぶん)でさえ、単騎ではいつまで保つか分からない。

 

 何せ、あの小南に攻撃を当て、迅でさえも未来視をフルに使わなければ抵抗すら許されなかった相手だ。

 

 早々負けるつもりはないが、勝てるとも言い切れない。

 

 むしろ、負ける可能性の方が遥かに高いだろう。

 

 迅から、この剣士の戦闘については伝え聞いている。

 

 文字通り目にも止まらぬ、高速多重斬撃。

 

 太刀川の情報が正しければ攻撃の軌道は円形らしいが、それが分かったとて不可視を実現するだけの神速の斬撃などいつまでも避けきれるものではない。

 

 むしろ、副作用(サイドエフェクト)の恩恵があったとはいえこれまで継戦出来た迅達の方が例外なのだ。

 

 かといって、ヴィザを放置する事は出来ない。

 

 此処で忍田が撤退すれば、恐らく彼は今と同じように転移で別の場所に向かい手当たり次第に隊員を斬り捨てていく筈だ。

 

 出会えば致死確定の超越的な実力者が、転移で好き放題に送り込まれる。

 

 これ程の悪夢は、他にはない。

 

 これまでそうしなかったのは、恐らく自分達────────────────温存していた戦力が出て来るのを、待っていた為だ。

 

 市街地にラービットを送り込んだ真の狙いは、これだろう。

 

 C級の防衛に加え、市街地の破壊という事態に陥らないようにする為には忍田達温存戦力を放出する必要があった。

 

 あわよくばC級を捕獲しようとしたのも嘘ではないだろうが、それは「可能なら儲けもの」程度の認識でしかなかった筈だ。

 

 あくまでも本命は、戦力の炙り出し。

 

 炙り出した戦力の下へヴィザを送り込み、各個撃破していく。

 

 それが、向こうの予定していた本命の策。

 

 ヴィザという絶対的な戦力がいるからこそ可能となる、ある意味で力押しの一手。

 

 最初のトリオン兵大量展開も、ラービットの投入も、人型近界民(ネイバー)との戦闘も含めて、全て。

 

 こちらの戦力の()を見極め、ヴィザが暴れる為の下地を作る事が目的だったのだ。

 

 此処でヴィザを放置すれば、間違いなくボーダーの戦力は加速度的に削り取られていく。

 

 それだけの力量を、彼は持っている。

 

 まともにヴィザと相対して生きていられる者は、ボーダーの中でも数える程だろう。

 

(私なら、抗戦は可能だろう。だがその場合、新型の抑制が緩んでしまうな)

 

 かといって、此処で忍田が戦闘に応じても問題は残る。

 

 即ち、ラービットの抑止力の減少だ。

 

 現在、敵が新型(ラービット)を大量投入して来ないのは忍田のような単騎で殲滅可能な駒がいるからだ。

 

 下手に放出してもその端から削られる以上、戦力の放出に意味はないどころか無駄ですらある。

 

 だからこそ敵はラービットの大量投入をして来ないのだろうが、忍田が此処でヴィザ相手に戦闘を始めてしまえばその前提が覆る。

 

 これまでラービットを殲滅して来たのは小南、太刀川の二人。

 

 同様に忍田、沢村も同じように殲滅が可能だ。

 

 生駒の場合は単騎撃破は可能だろうが、駆逐スピードは他の者と比べれば劣る。

 

 特に今の生駒は隊員を落とされた状態である為、スムーズな殲滅とまではいかないだろう。

 

 小南は片手を失い大斧が使えなくなっているし、太刀川は目の前のヴィザに落とされた。

 

 此処で忍田がヴィザ相手に戦えば、単騎で殲滅可能な駒は沢村のみとなる。

 

 そして当然、一人ではカバー出来る範囲に限界がある。

 

 その隙をラービットの大量展開で押し切られる可能性は、0ではない。

 

 当然、これは向こうも分かっている筈だ。

 

 だからこそ、すぐに落とせる相手ではなくこちらの駒でも有数の強さを持つ忍田の下へやって来たのだ。

 

 忍田をこの場に押し留め、ラービットの抑止を外す為に。

 

 ラービットは忍田にとっては殲滅可能な雑兵でしかないが、B級隊員では相手をするには厳しく、A級ですら食われかねない強力なトリオン兵だ。

 

 その抑止力がなくなってしまえば、どれだけの被害が出るかは言うまでもない。

 

 市街地への侵攻や、C級の鹵獲。

 

 それらの避けなければならない事態が、引き起こされてしまう。

 

 それは当然看過出来ないが、同時に此処でヴィザを前に撤退した場合は更に事態が悪化する可能性がある。

 

 彼を放置する事で、こちらの戦力が根こそぎ落とされてしまう。

 

 そんな想像は、決して過大な危惧ではない。

 

 実際に、ヴィザを放置すれば高確率で起こり得る未来。

 

 それもまた、同様に看過する事は出来ない。

 

 他の者がヴィザを押し留める事が出来れば忍田はラービットの抑止に向かえるが、それもまた難しい。

 

 ヴィザ相手に抗戦が可能な者は、ごく僅か。

 

 迅と小南がいる場所の付近は星の杖によって地形が斬り裂かれている為、無事なスイッチボックスがある場所まで向かうには時間がかかる。

 

 同じく新型殲滅が可能な沢村を呼び寄せては本末転倒だし、生駒も単騎でこの相手に抗戦するのは厳しいだろう。

 

「────────────────そうか。君が、来たか」

「はい。迅さんからの頼みですので」

 

 故に。

 

 ()が姿を見せた時、忍田は得心した。

 

 成る程、彼ならば。

 

 この剣聖相手でも、時間稼ぎは可能だろう。

 

 加えて、彼の能力は殲滅には向いてはいない。

 

 そういう意味で、この場を任せるには適役と言えた。

 

「此処は、任せて下さい。あの剣士は、俺が相手をします」

 

 彼は、七海玲一は。

 

 そう言って、不敵な笑みを浮かべて見せた。



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卵の冠②

 

「いいだろう。任せたぞ、七海くん。私は新型の対処に専念する」

「承りました────────────────行って下さい」

「ああ、健闘を祈る」

 

 七海はそう告げ、忍田を送り出す。

 

 ラービットの抑止力になる為には、忍田を自由(フリー)にしておく必要がある。

 

 だからこその、選手交代。

 

 今後忍田は、新型が現れた時に即座にその場に駆けつけてそれを撃破する()()()となる。

 

 それは同時に人型相手に忍田という大駒が使えなくなる事も意味しているが、背に腹は代えられない。

 

「ふむ、黙って逃がすとお思いですかな?」

 

 だが無論、それは相手も承知している。

 

 此処で忍田を足止めし、ラービットの抑止力を減らす事こそがこの翁の目的。

 

 故に忍田をこのまま行かせるつもりはなく、当然ながら攻撃を加えようと動く。

 

「させませんよ」

「────────! ほぅ」

 

 しかし、ヴィザが攻撃の気配を纏わせた刹那。

 

 建物の隙間から、無数の弾幕が蛇のようにうねりながら翁を包囲。

 

 四方から、一斉に弾幕が降り注ぐ。

 

「成る程」

「…………!」

 

 だがそれを、ヴィザは不可視の────────────────何らかの高速斬撃により、()()斬り払った。

 

 数十に分かれた弾丸、しかも変則的な軌道で進む射撃────────────────それらの悉くを()()()()()()という絶技。

 

 アフトクラトルの剣聖、ヴィザの見せた力の一端。

 

 これで落とせるとまでは思っていなかったが、まさか斬撃で弾幕を撃ち落とされるとまでは考えてはいなかった。

 

 あの小南や迅を圧倒した実力は、伊達でもなんでもない。

 

「良い攻撃でしたな。相当、攻撃を迂回させたのでしょう。今の一撃を以てしても、発射元が分からないとはね────────────────加えて、最低限の目的は果たされたようだ」

 

 しかし、一瞬の────────────────いや、刹那の隙を作る事には成功した。

 

 今の弾幕への対処へ意識を割いた僅かな隙に、忍田は近くのスイッチボックス設置場所まで移動。

 

 ヴィザの再攻撃準備が完了するまでに、転移を実行してみせた。

 

 これで、最低限────────────────忍田をこの場から逃がすという目的は、達成した事になる。

 

「良い腕、そして策ですな。標的をみすみす見逃す事になるとは、私も衰えましたかな」

「────────」

「おや、お喋りはお好きではないのですかな? 沈黙もまた交渉術の一つですが、それ一辺倒では出来ない事もある。そのあたり、まだ若さが垣間見えます────────────────もっとも、貴方が良き戦士である事に間違いはなさそうだ」

 

 ヴィザは忍田を逃がすという失態を演じたにも関わらず、泰然としている。

 

 この様子だと、忍田の足止めはあくまでもプランの一つ────────────────つまり、果たされなくてもそこまで大きな影響はない。

 

 否。

 

 ()()()()()()()()()程度の認識だったであろう事を、察せられる。

 

 矢張り、敵の指揮官は厄介極まりない。

 

 失敗すらある種の前提として、複数の策を予め作戦に組み込んでおく。

 

 二重三重どころか、一体幾つ()()()()を仕込んでいるか知れたものではない。

 

 そして。

 

(この老人が、敵の()()の源か。確かに、これだけの使い手がいるなら強気なのも説明がつく)

 

 その大胆不敵にも思える作戦を支える敵の()()の正体は、恐らくこの翁だろう。

 

 忍田が危惧した通り、この翁を先程の転移で戦場の各所に送り込むだけで甚大な被害が齎されるであろう事は言うまでもない。

 

 彼を自由にすれば、比喩抜きでこちらの()()も有り得る。

 

 これは、そういう類の脅威だ。

 

 だからこそ、此処で七海が果たす役割は大きい。

 

 距離を取って潜伏している那須と二人で、何処までこの翁に食い下がれるか。

 

 それが、この大規模侵攻の趨勢を決める一因である事は言うまでもない。

 

 ────────────────今回の大規模侵攻、お前はきっと、とんでもなく()()()()()と戦う事になる。俺やレイジさん達でもやられかねない、文字通りの()()とだ────────────────

 

 ────────────────正直、お前がその相手との戦いで時間を稼げるかどうかが、未来の分かれ目になる。だが、言うまでもなく難問だ。お前には、辛い役目を押し付ける事になる────────────────

 

 ラウンド4の後、玉狛支部での迅の言葉を想起する。

 

 彼の語った()()()()()というのは、状況的に考えてこの翁である事は間違いない。

 

 迅の未来視(ことば)通りなら、この戦いでどれだけ七海が時間を稼げるかが今後の展開を決め得る分岐点(ターニングポイント)となる。

 

「────────」

 

 正直、こうして相対して改めて理解する。

 

 これは、単騎で戦ってどうにかなる相手では無い。

 

 否。

 

 単騎だろうと、数人がかりだろうと、この翁の重ねた()()には到底届かない。

 

 常に格上と戦う経験を積み続け、上の領域が見え始めた七海だからこそ分かる。

 

 これは、()()七海が戦ってもまず勝てる相手ではない事を。

 

 那須の射撃援護があるとはいえ、隠密を第一に潜伏している為に支援が届くまでには相応のタイムラグがある。

 

 万一位置が露見してしまえば、その時点で即死。

 

 今のやり方ですら、ギリギリなのだ。

 

 流石にこれ以上近付けば露見しかねない為、那須の援護を当てにし過ぎるワケにもいかない。

 

 体感としては、一人でヴィザに挑む事となんら変わりはない。

 

 手の震え、足の硬直を気合いで押し留める。

 

 精神論だけでは勝てない事は理解しているが、此処は気合いを入れなければそもそもお話にならない。

 

 最高峰の位階に立つ剣聖、剣士の極地の放つ闘気。

 

 それを直に浴びて、戦意を失わない事こそが第一。

 

 その()()を耐えた者だけが、この修羅と戦う資格を得る。

 

「────────────────ふむ、どうやら中々見どころのある御仁の様子。予想以上に、楽しめそうだ」

「────────!」

 

 洗礼を潜り抜けた七海を見据え、ヴィザは好好爺じみた笑みを捨て────────────────戦場に生きる、修羅としての顔を覗かせる。

 

 戦いをこそ楽しみ、血華咲き誇る戦場でこそ己の命を実感する修羅。

 

 その戦鬼の瞳が、七海を捉える。

 

 これ以上ない、戦場での死合いの相手として。

 

 ヴィザは凄絶な笑みを浮かべ、その手に掲げた杖剣を構える。

 

「私はアフトクラトルの剣士、ヴィザ。さあ、死合うとしましょう────────────────若き、玄界(ミデン)の戦士達よ」

 

 

 

 

『敵の黒トリガー使いは、七海と交戦を開始。忍田さんは新型の歯止めとなる為、一時戦域から離脱した。そちらは気にしなくて良い。目の前の相手に集中しろ』

「了解」

「ええ」

「了解しました」

 

 東の通信を受け、二宮達は頷く。

 

 元より心配はしていなかったが、七海が敵の最高戦力を相手取ったのならばそれで良いと二宮は判断した。

 

 元より、七海の適正は攻撃よりも防御にある。

 

 高い機動力と副作用(サイドエフェクト)を活かした、攪乱を含めた防衛戦。

 

 守る戦いでこそ、彼は真価を発揮する。

 

 それは、最終ROUNDで彼とやり合った二宮だからこそ充分に理解している。

 

 たとえ圧倒的な格上相手だろうが、七海であれば時間稼ぎを成し遂げると。

 

 そう、信じているのだから。

 

 その笑みの理由を見抜いた加古はニヤリと笑い、同じような事を考えていた三輪は微妙な顔をしつつ改めて目の前の敵に向き直った。

 

 敵の指揮官、ハイレイン。

 

 彼はヴィザが想定外の相手に足止めされた今も尚、冷や汗一つかかずに平静を保っていた。

 

「成る程、ヴィザが足止めされたか。防衛戦に特化した駒の一つは温存していてもおかしくないとは考えていたが、まさかあの翁相手に瞬殺されないだけの者がいるとはな」

 

 ハイレインの言葉は、ある程度は真実だ。

 

 小南と迅という最高峰の実力者二人を足止めした上で尚、ヴィザ相手に時間稼ぎが出来る駒が在る。

 

 確かにこれは、驚嘆すべき事実である。

 

 だが。

 

「仕方がない。ヴィザとの合流は、後回しだ。此処でお前たちを撃破し、金の雛鳥を鹵獲する────────────────抵抗が無駄である事を、早めに理解する事を願おう」

「…………! 来ます…………っ!」

 

 それもまた、想定()には至らない。

 

 確かに、驚きはした。

 

 だが、だとしても策が何もない事とイコールではない。

 

 二宮達を撃破し、千佳を捕獲する。

 

 字面だけ見れば、力押しなだけの脳筋戦術にも思えるだろう。

 

 されど。

 

 ハイレインは、指揮官だ。

 

 指揮官が力任せの戦法しか取れないというのでは、話にならない。

 

 幾ら黒トリガーが強力とはいえ、彼はそれだけで勝ち誇るような暗愚ではない。

 

 故に。

 

「────────!」

 

 ()()()を見付けてから戦うのが、指揮官のあるべき姿だ。

 

 ハイレインを囲むように開いた、四つの黒い穴。

 

 そこから、四体のラービットが出現し────────────────彼を狙っていた弾丸、それを腕の装甲で受け止めた。

 

 撃ったのは、当然東だ。

 

 彼はハイレインが攻撃態勢に移るのを見てその隙を牽制の意味を込めて狙撃したが、結果出て来たのがこの四機のラービットというワケだ。

 

 ラービットの色は、白。

 

 即ちどれも通常個体ではあるが、明らかに遠距離タイプのハイレインの()()と考えれば厄介極まりない。

 

 忍田などの一部からすれば雑兵扱いのラービットであるが、その装甲はアイビスの弾丸を止めるレベルの強度を持つ。

 

 単純な盾として、これ以上ない配役と言える。

 

「ち、面倒な…………っ!」

 

 加えて、ハイレインの黒トリガー────────────────卵の冠(アレクトール)()()を埋めるにも最適な駒だ。

 

 卵の冠は、トリオンで出来た物体を強制的にキューブ化する力を持つ。

 

 しかしそれは裏を返せばトリオン以外の物質────────────────瓦礫や物理現象はどうにもならない事を意味していたが、ラービットの存在がその弱点を補強する。

 

 トリオンの攻撃ならば、卵の冠の生物弾で。

 

 それ以外の攻撃は、ラービットで。

 

 それぞれ受ければ、隙は生じない。

 

 そういった意味でも、厄介極まりない()()と言える。

 

「────────」

 

 妨害を排除した事で、ハイレインが攻撃に移る。

 

 空を舞う、無数の鳥の弾丸。

 

 生物そのものを思わせる動きで、空を埋め尽くすように放たれた白い鳥が二宮達へと襲い掛かる。

 

「ち…………っ!」

 

 二宮はそれを、追尾弾(ハウンド)の斉射で対応。

 

 同時に、加古も同様の手で生物弾を撃ち落としていく。

 

 三輪はその隙に突貫────────────────しようとして、足元の違和感に気付き後退。

 

 地面を這う蜥蜴型の弾丸を銃撃で霧散させ、舌打ちする。

 

「気を付けて下さい…………っ! 派手な鳥の弾を囮に、見つかり難い陸上型の生物弾も撃って来ています…………っ!」

「分かっている」

「了解」

 

 大量に空に展開した鳥の弾丸は、あくまでも陽動。

 

 本命は、巧妙に潜ませた陸上型生物の弾丸。

 

 上に気を取られてしまえば、どうしても()は疎かになる。

 

 そういった人間の心理を利用した、巧妙でいやらしい戦術だ。

 

 遊びの余地を排し、何処までも効率を重視したやり方。

 

 確かにこの相手は、東に似ている。

 

 その厄介さ、敵に回した場合のいやらしさも含めて。

 

「よく気付く。そして抜け目ないな────────────────もう一人を、背後からの奇襲に使った事も含めてだが」

「…………!」

 

 ハイレインはそう言って、背後に向かって無数の鳥を放つ。

 

 そこには、槍弧月を構えた米屋が攻撃の隙を伺っていた。

 

 米屋は二宮と加古の二人の弾幕に紛れ、密かにハイレインの背後へと移動していた。

 

 死角からの攻撃を狙っていたのだが、どうやら見抜かれていたらしい。

 

「しゃーねぇ…………っ!」

 

 米屋は即座に撤退を決め、後退。

 

 敵に気付かれた上での奇襲など、大振りの攻撃(テレフォンパンチ)と同じだ。

 

 故に無理な攻撃続行は行わず、態勢を立て直す。

 

 その判断は、決して間違ってはいない。

 

「な…………?」

 

 これは、ただ。

 

 そんな米屋の想定を、ハイレインが上回っただけの話だ。

 

 後退した米屋は、地面から伸びた刃によって貫かれた。

 

 それは、その黒い刃は。

 

 報告にあった、黒トリガー。

 

 泥の王(ボルボロス)のそれと、瓜二つな代物だった。

 

「…………っ!」

 

 泥の王の使い手、エネドラは撃破された。

 

 それは、間違いない。

 

 だが。

 

 泥の王、その能力。

 

 それを()()()()存在なら、在るのだ。

 

 ()()()()のラービット。

 

 即ち、泥の王の能力を再現したラービットが。

 

「ち…………っ!」

 

 米屋はトリオン体が崩壊を始める前に、旋空を起動。

 

 背後にあった建物を斬り裂き、その内部にいた紫色のラービットを両断した。

 

『トリオン漏出過多。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 だが、出来たのはそこまで。

 

 ただでさえトリオン量の少ない米屋は旋空で無理をしたのが決め手となり、トリオン漏出により脱落。

 

 光の柱となって、戦場から消え去った。

 

「良い練度だ。連携も出来ている。研鑽の成果も見える」

 

 それを見届けたハイレインは淡々に────────────────されど、勝ち誇るように告げる。

 

「だが、勝負は()()()()に決まっている。戦闘とは、結果を得る為の過程に過ぎない。それを、覚えておく事だ」

 

 黒トリガー、卵の冠の主。

 

 遠征部隊の指揮官であり、アフトクラトルの領主。

 

 ハイレインは、冷淡にそう告げた。

 

 旧東隊、彼等と戦端を開く────────────────その、宣戦布告として。

 

 冠を頂く、王との戦いが始まる。



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卵の冠③

 

(今のは────────────────あの転移トリガーで、直接建物内に新型を転送して攻撃させたのか)

 

 米屋が緊急脱出するまでの顛末を見ていた東は、何が起きたかを明確に理解する。

 

 ラービットが潜んでいた建物は、ごく普通の家屋だ。

 

 少なくとも、ラービットのようなサイズのトリオン兵が外壁も壊さず入る事は不可能。

 

 しかし、家屋にそういった破壊痕は見当たらなかった。

 

 となれば、正解はおのずと導かれる。

 

 即ち、あのラービットは転移トリガーを使って直接建物の中に()()()()()()のだ。

 

 今しがた行ったように、液状刃による奇襲を成功させる為に。

 

 あの泥の王を再現した液状刃の攻撃は、来ると分かっていなければ察知はかなり難しい。

 

 少なくとも、菊地原のような感知系副作用(サイドエフェクト)の恩恵がない限り不可能に近い。

 

 当然、あくまで再現しただけのラービットでは黒トリガーの齎していた圧倒的な射程や攻撃速度までは望めないだろうが────────────────それでも、初見殺しとして有効である事に変わりはない。

 

 液状刃型のラービットはこれまでにも撃破が確認されているが、それはあくまで正面から相対した場合だ。

 

 組まれたプログラム通りに動くトリオン兵の自立戦闘だけではその性能を使いこなせてはいなかった為そこまでの脅威にはならなかったが、今回の場合は話が別だ。

 

 性能(スペック)だけなら相当に優秀なラービットという戦闘機械(ハード)に、ハイレインという()()が付いた。

 

 更に転移トリガーによる支援と組み合わさる事によって、その脅威度は何倍にも膨れ上がっている。

 

 目に見える脅威である、卵の冠(アレクトール)だけではない。

 

 連携して来るラービットに、自身は決して姿を見せず支援を続ける転移トリガーの使い手。

 

 ただでさえ最上級の敵個体であるハイレインの脅威度は、転移トリガーとラービットという二つの要素が結合する事で数倍どころか数乗に跳ね上がっている。

 

 先に倒されたという黒トリガーの使い手も脅威ではあったが、潜在的な脅威度で言えば比較にならない。

 

(まあ、ワープ使いの女も黒トリガーだというし、実質黒トリガー二つが同時に襲ってくるようなものか。こいつは、キツイな)

 

 あの場には、二宮を含めボーダーでも有数の精鋭────────────────自身が以前率いていた部隊、旧東隊の面々が揃っている。

 

 通常ならば、大抵の相手にはまず負けない布陣。

 

 トリオンの暴威の塊である二宮に、状況に合わせ臨機応変且つ変幻自在な戦術が可能となる加古。

 

 そして鋭い突破力と対応力を持った三輪に、戦術家の極地たる東。

 

 彼等が揃えば、大抵の敵は駆逐出来る。

 

 だが。

 

 その彼等をして必ず勝てると言い切れないのが、ハイレインの敷いた布陣だ。

 

 トリオン体及びトリガーへの実質的な特攻兵器である黒トリガー、卵の冠(アレクトール)

 

 自在なワープを可能とする窓の影(スピラスキア)に、随時戦場に投入可能な状態で控えているラービット。

 

 この陣は、間違いなくこの戦場で最大規模の脅威となる。

 

 個で一騎当千を実現するヴィザとは対極の、()の力。

 

 ボーダーが当たり前のように扱っている、連携の強み。

 

 それを黒トリガーという高出力且つ高性能な代物で実現しているのが、今のハイレインである。

 

 黒トリガーは、それ一つだけで国のパワーバランスを傾ける程度の力を持つ。

 

 それが、複数同時に襲い掛かって来るという理不尽。

 

 今直面している脅威、その本質。

 

 黒トリガーの性能や出力に任せて暴れるのではなく、その性質を理解し最大効率で戦果を叩き出すその手法。

 

 それはまさに、東の戦術を黒トリガーの出力で実現したかのような悪夢だろう。

 

 実際、似たようなものだ。

 

 ハイレインはその戦術方針も、東と似通っているのだから。

 

(米屋が脱落したのは痛いが、まだ取り返せるレベルの損失だ。無論プランを修正する必要はあるが、問題は相手が何処までの手を隠しているかだな)

 

 こういった初見同士の戦いでは、先に手札が尽きた方が不利になる。

 

 かといって、手札を出し惜しみしていてはこの相手にはまず勝てない。

 

 大事なのは、手札を切るタイミングだ。

 

 それは、向こうとて分かっている筈。

 

 東は敵の指揮官を自分と同程度の戦術レベルと仮定し、思考を加速させる。

 

 この戦い、この局面に。

 

 彼なりの指し手で、勝利する為に。

 

「────────────────指示を出す。まずは、情報を引き出せ。だが、これ以上の損失は看過出来ない。落とされない範囲で、敵の手札を引き出してくれ」

 

 

 

 

「あらあら、東さんったら中々無茶な事言うわね」

「自信がないなら引っ込んでいろ」

「それはこっちの台詞よ。貴方こそ、良い恰好しようとしてトチらないでね」

 

 東の指示を聞き、加古と二宮は普段通りにいがみ合う。

 

 とはいえ、警戒は微塵も緩んではいない。

 

 その証拠に二人は罵り合いつつも周囲への警戒は欠かしてはいないし、いつでも動けるように構えている。

 

 隙と看做して踏み込んで来る事も期待したが、どうやらハイレインは思った以上に慎重らしい。

 

 彼等のやり取りを眺めながら、機会を伺っているようだ。

 

「二宮さん、俺が突っ込みますか?」

「いや、お前なら突破出来るだろうが敵の手札の()が分からない。メインはこっちでやる。お前はサポートを頼む」

「了解しました」

 

 三輪は二宮に返答すると、拳銃を構えた。

 

 確かに彼の格闘センスならあの生物弾の群れを潜り抜ける事も、不可能ではない。

 

 だが、まだ敵の情報が足りなさ過ぎる。

 

 エネドラの泥の王(ボルボロス)がそうであったように、敵の手札がどれだけ隠されているのか。

 

 それを知らなければ、黒トリガーを攻略する事など出来はしない。

 

 エネドラの場合は何もせずとも彼の方から躊躇いなく手札を切ってくれていたが、ハイレインはそこまで甘くはないだろう。

 

 だからこそ、手札を切らせる為には相応のやり方が必要となる。

 

 手札を切らざるを得ない────────────────そういった状況に追い込む、もしくは誘い込むやり方が。

 

 攻略の筋道を立てるのは、それからだ。

 

 幾ら東が戦術家の極地といえど、情報がなければ有効な作戦を組み上げる事など出来ないのだから。

 

「行くぞ」

「了解」

「命令しないでよ」

 

 二宮の号令で、三者が一様に攻撃準備を整える。

 

 そして。

 

 二宮は、アステロイドを。

 

 加古は、ハウンドを。

 

 三輪は、バイパーを撃ち放った。

 

 ハウンドとバイパーが、生物弾の隙間を抜けるように飛び交い。

 

 普段よりも更に細かく分割された二宮のアステロイドが、ハイレインへと降り注ぐ。

 

「無駄だ」

 

 ハイレインはその攻撃に対し、ラービットを動かす事で対応。

 

 同時に、周囲を旋回する形で新たな生物弾────────────────魚型の弾を、展開。

 

 ハウンドはラービットの腕部装甲によって弾かれ、アステロイドは魚弾によってキューブ化した。

 

「…………!」

 

 だが、三輪のバイパーは文字通り蛇のような弾道により、その防御を突破。

 

 後方を経由し、ハイレインに降り注ぐ。

 

「無駄だと言った」

「…………っ!」

 

 されど、ハイレインはその攻撃にも対応。

 

 降り注ぐバイパーの存在する個所の生物弾を霧散させ、そこにラービットを移動。

 

 その影に隠れる形で攻撃を凌ぎ、三輪の弾丸は全てラービットの装甲で受け止められた。

 

「まだだ…………っ!」

 

 しかし、攻撃は終わってはいない。

 

 三輪はマガジンを装填し、即座に銃撃を敢行。

 

 狙うは、たった今ハイレインを庇ったラービット。

 

 されど、通常の弾丸ならばラービットの装甲を貫く事は出来ない。

 

 しかしボーダーのトリガーの詳細を知らないハイレインは、ラービットに腕部装甲での防御を指示。

 

 威力の高い弾丸である可能性を考慮し、堅実な防御を選択した。

 

「馬鹿が」

 

 だが、それこそが三輪の狙い。

 

 彼の弾丸は着弾と同時に、重石へと変化。

 

 ラービットは腕に無数の重石を撃ち込まれ、ハイレインを巻き込む形で倒れ込む。

 

「今ですっ!」

「────────アステロイド」

 

 三輪の攻撃の結果を確認した二宮は、即座にアステロイドを発射。

 

 今の攻防で、一つ分かった事がある。

 

 それは、生物弾そのものの速度はそこまで速くはない、というものだ。

 

 確かに、ある程度の弾速はある。

 

 少なくとも、エネドラの泥の王(ボルボロス)の気体化のように風圧の影響を直に受けるような代物ではない。

 

 だが、たった今ハイレインはバイパーを生物弾ではなくわざわざラービットを使って防御した。

 

 それはつまり、生物弾の速度ではバイパーに対応しきれなかった事を意味している。

 

 加古のハウンドまでは生物弾の()()を上げる事で凌いだようだが、その隙間を掻い潜るバイパーまでは手が回らなかった。

 

 だからこそ、生物弾を一部()()してまでラービットを防御の為に動かしたのだろう。

 

 恐らく、あの黒トリガーのトリオンはその特殊性に大半が費やされているものと予想出来る。

 

 少なくとも、攻撃速度に特化した風刃のような理不尽な弾速は出ないであろう事は予想出来る。

 

 だからこそ、この一手は()()筈なのだ。

 

 今、ハイレインは鉛弾を撃ち込まれたラービットの下敷きになっている。

 

 弾丸と異なり、トリオン兵は邪魔になったからといってすぐさま破棄する事は出来ない。

 

 ハイレインのトリガーに物理的な破壊力が皆無である以上、力づくで退ける事も叶わない。

 

 つまり、たった今ハイレインは身動き出来ない格好の隙を晒しているワケだ。

 

 そこを逃す、二宮ではない。

 

 今、ハイレインを守る生物弾はラービットを動かす為に破棄した分防衛網に穴が空いている。

 

 二宮の弾丸はそこを突く形で降り注ぎ、そして。

 

「…………!」

「…………っ!」

「ち…………っ!」

 

 ────────────────ハイレインの上に倒れ込んだラービット諸共、その弾丸は砲撃によって吹き飛ばされた。

 

 爆煙の向こう。

 

 そこには、微かに。

 

 空間に空いた黒い()が、開いていた。

 

「────────────────転移トリガーを使って、()()()から撃って来たか」

「どうやら、そのようね」

「ふざけた真似を…………」

 

 二宮はその絡繰りを、即座に看破する。

 

 何が起きたか。

 

 それは、言葉にすれば簡単だ。

 

 即ち、転移トリガーを使って敵は砲撃()()を別の場所から撃ち込んで来たのだ。

 

 敵の転移トリガーはボーダーのものとは違い、空間同士を繋いでその()を潜り抜ける事で相対距離を0にする代物だ。

 

 今回の場合はその「窓」を砲撃が通る範囲まで開き、何処かに配置していた砲撃型ラービットにそれを通して砲撃を撃ち込ませたのだ。

 

 先程のようにトリオン兵本体を近くに転送するのではなく、攻撃のみを送り込む手法。

 

 これは、かなり厄介だ。

 

 何せ、先程米屋がやったように()()()を駆除する事での駒の排除が行えない。

 

 砲撃型のネックは砲撃の瞬間核を露出させてしまう事だったが、このやり方なら窓を開くのは砲撃準備が整った()

 

 これまで通用していた砲撃発射までの隙を利用する撃破方法は、これでは意味を成さない。

 

 何せ、向こうのラービットの位置が分かっていないのだ。

 

 逆に言えばそれさえ分かればどうとでもなるが、すぐに分かるようなものでもない。

 

 加えて、卵の冠(アレクトール)の物理攻撃力が皆無であるという欠点もこれで実質解消されてしまった。

 

 砲撃型ラービットの砲撃は、かなりの威力を持っている。

 

 大抵の障害物は薙ぎ払えるし、余波だけでもかなりの衝撃が発生する。

 

 これで、物理的な障害物には無力であると言う卵の冠の弱点はほぼカバーされた。

 

 先程の液状刃型といい、ラービット特殊個体の性質を最大限に活かした戦い方である。

 

 これまでは小南達に一蹴されていただけのラービットであったが、ハイレインがその頭脳となる事でトリオン兵所以の欠点がなくなるどころか潜在能力(ポテンシャル)自体が数段強化されてしまった。

 

 ハイレインと、ラービット、そして空間操作転移トリガーによる三位一体の連携。

 

 これを突破するのは、骨が折れそうだ。

 

「────────────────大分苦戦してるみたいっすね、二宮さん。旧東隊が揃ってるにしちゃ、ちょいと不甲斐ないんじゃありません?」

 

 そこに。

 

「相手が相手だ。幾ら二宮さんたちとはいえ、手が足りない事もあるだろう」

 

 二人の援軍が、姿を見せた。

 

 一人は、飄々とした金髪の少年、出水公平。

 

 もう一人は黒髪の端正な顔立ちの少年、烏丸京介。

 

「助太刀に来ました。そいつ等にゃあ太刀川さんをハメられた借りもあるんで、それを返すのをちょいと手伝って貰えませんかね」

「微力ながら、支援を行います。どうか役立てて下さい」

 

 二人はそう告げて、不敵な笑みを浮かべる。

 

 隊長を欠いた旧太刀川隊の二人が、旧東隊の面々と合流した瞬間だった。



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卵の冠④

「なー、京介。ちょいと提案があるんだが、良いか?」

「なんすか?」

「おう。どうやら東さん達が、敵の指揮官っぽいのとぶつかってるみてーなんだけどよ────────────────いっちょ、手伝いに行かねーか?」

 

 数分前。

 

 発端は、出水と烏丸は遭遇したトリオン兵を片付けた後のそんな会話だった。

 

 二人は太刀川が落とされた後、影浦とは別れて二人でトリオン兵を処理しながら警戒区域内を歩いていた。

 

 その最中の、出水の提案。

 

 それは、敵の首魁と戦っている東達への増援の誘いだった。

 

「いいんすかね? 迅さんからは、何も言われてませんけど」

「その迅さんだって、敵のやべー奴と戦ってて碌に予知に目を向ける余裕なかったんじゃねーか? もしそれが出来てたら、太刀川さんに一言くれーあっても良かった筈だし」

「成る程」

 

 確かに出水の言う通り、太刀川は敵の策に嵌められて落とされたワケだが、それに関して迅からの事前の警告は何もなかった。

 

 予め分かっていたなら忠告の一つでもあっておかしくはなさそうだが、それもなし。

 

 となるとあの作戦は敵がこの侵攻中に立案したものであり、迅にとっては()()した未来の分岐の一つに当たる。

 

 それに気付けなかった────────────────警告出来なかったという事は、それが出来る状況になかったという事。

 

 迅の未来視の仕組みについてそこまで詳しいというワケではないが、充分有り得る話だ。

 

「だったら、こっちの判断で動いてもいー筈だろ。迅さんだって、別に神様じゃないんだ。取りこぼしはあって当然だし、全部が全部おんぶ抱っこじゃ恰好つかねぇだろ」

 

 それに、と出水は続ける。

 

「────────────────太刀川さんがな、言ってたんだよ。もし予想外の事が起きて迅から何も連絡がなきゃ、好きに動けって。あの人、戦闘に関する直感だけはとんでもねーし信じてみていーんじゃねーか?」

「そういう事ですか」

 

 そこまで聞いて、烏丸は得心した。

 

 出水は何も、当て推論で適当を言っているワケではない。

 

 これまでの経緯と、伝え聞く戦場の推移。

 

 そして何より戦闘に関しては凄まじい直感の働く太刀川の言葉を総括して思考し、()()()()()()()と判断しただけだ。

 

 加えて、合理的でもある。

 

 正直に言って、出水はボーダーの中でもかなりの()()に位置する戦力だ。

 

 二宮という例外を除けばかなり高いトリオン量を誇り、技量も超一流の天才。

 

 ハッキリ言って、通常のトリオン兵相手ならオーバーキルも良い所の戦力である。

 

 その戦力をこうして雑兵殲滅に使うのは、確かに効率的ではない。

 

 ハッキリ言って、新型を除く殆どのトリオン兵は正隊員であれば苦も無く撃破出来るのだ。

 

 出水ほどの大駒を雑魚掃除で扱うのは確かに効率の観点から見れば良くはないし、かといってラービットへの抑止であれば忍田と沢村がいる。

 

 無論出水とてラービットの撃破は可能だろうが、ブレード使いの二人と比して射手である彼があの装甲を抜くには相応のトリオンが必要になる。

 

 サポーターとしてあらゆる状況に適応出来る出水という駒を遊ばせるという選択肢がない以上、効率度外視で新型の抑えとするか何処かへ援軍へ行くかの二択となる。

 

 現在の状況を鑑みて出水が推している選択肢が、後者であるというワケだ。

 

「敵はどうやら遠距離タイプみてーだし、新型も連れてるらしい。だったら、撃ち合いが出来る俺と新型をブレードで叩っ斬れるおめーが行った方が何かと都合がいいんじゃねーか?」

 

 加えて、烏丸という駒の性質もある。

 

 現状、敵の指揮官を相手取っている旧東隊の面々は弧月使いが三輪しかいない。

 

 そして三輪は旋空をセットしておらず、新型の撃破自体は可能だが鉛弾を用いた絡め手的な戦いとなり効率はさして良いとは言えない。

 

 三輪は基本的に強敵との1対1で真価を発揮するタイプの駒であり、どちらかというと()()に特化した能力を持っている。

 

 だからこそ、旋空をセットして来た烏丸という駒が向かう事に意味がある。

 

 彼等の中で唯一旋空を使っていた米屋が真っ先に狙われ落とされたのも、恐らくはそういう理屈だ。

 

 敵が優先的に米屋を狙ったのは、旋空の存在にあると出水は分析している。

 

 旋空はノーマルトリガーの中でも、巧く使えば一撃でラービットを撃破出来る可能性を持ったトリガーだ。

 

 二宮の徹甲弾(ギムレット)でも装甲の貫通は出来るだろうが、どちらのトリオン消費がデカイかは瞭然である。

 

 だからこそ、少ないトリオンでラービットを殲滅出来る米屋が標的とされたワケだ。

 

 護衛であるラービットの()()()()を、少しでも上げる為に。

 

「それによ、こいつは個人的な理由なんだが」

 

 戦況を正確に把握し、根拠に基づいた理屈。

 

 それを語った上で、出水は。

 

「────────────────うちの隊長がハメられて黙ったままってのは、癪だろ?」

「ですね」

 

 敢えて感情論を、この場で口にした。

 

 それはきっと、かつて同じ部隊で戦っていた烏丸への配慮だろう。

 

 戦場では、卑怯などという言葉は通用しない。

 

 如何なる戦術であろうとやられた方が悪いのであり、戦術自体の是非を問う事はナンセンスだ。

 

 だが。

 

 それでも、太刀川慶という敬愛する剣士を不意打ちで落とされた事に対して、何も思うところが無いと言えば嘘になる。

 

 無論、感情だけで動くような暗愚な真似はしない。

 

 されど、口実があるなら話は別だ。

 

 あくまでも実利に基づき、論理的に問題がないのであれば。

 

 太刀川がやられた意趣返しをやりに行っても、良いだろうと。

 

 出水と烏丸の意見が、ピタリと一致した瞬間であった。

 

「じゃあ、行くとすっか。一応、東さんに話は通しておくぞ。到着までには、俺らの使()()()を考えてくれてるだろーからな」

 

 

 

 

「出水…………」

「よう三輪、助太刀に来たぜ。東さんにゃ話は通してあるから、文句は言いっこなしだぜ」

 

 救援に現れた出水を見据える三輪に対し、彼はそう言って朗らかに笑う。

 

 だが、三輪の眼には見えていた。

 

 出水の瞳に宿る、燃え盛る闘志を。

 

 恐らく、この場に現れた理由の一つは太刀川がハメられた意趣返しもあるのだろう。

 

 しかし、かといって無謀な突撃をかますような気配はない。

 

 東に話を通してあると言っている以上、指揮権は東に移譲していると見て間違いない。

 

 出水自身優秀なブレインであるが、流石にその道の極地である東には及ばない。

 

 彼等を含めれば5人を指揮する事になるが、東なら問題はないだろう。

 

 東春秋に限って、処理能力の許容限界でミスをするといった事は有り得ないのだから。

 

『到着したな、二人共。早速で悪いが、もう少し相手の手札を見ておきたい。射撃中心で援護を頼む』

「「了解」」

 

 出水の目論見通り彼等の使()()()を既に考えていた東からの通信を受け、二人は頷いた。

 

 烏丸は、弧月を。

 

 出水はトリオンキューブを展開し、戦線に加わった。

 

「エネドラを倒した兵の一人か」

「てめーが指揮官か、わくわく動物ヤロー。新型の下敷きになる無様を晒したにしちゃ、えらそーじゃねーか」

「部下の前では威厳を保つ必要はあるが、戦果を持ち帰る事に比べれば優先度は落ちる。残念だが、その挑発は的外れと言わせて貰おう」

 

 挑発の言葉に対し、ハイレインはあくまで冷静に応じる。

 

 これがエネドラであれば即座に怒り心頭になって攻撃が雑になる所であろうが、ハイレインに限ってそのような事は有り得ない。

 

 ランバネインのように戦いそのものに意義を見出すタイプではなく、かといってエネドラのように己の優位性を誇示する趣味もない。

 

 彼が求めるのはただ一つ、()()のみ。

 

 戦闘など、望む結果を得る為の過程に過ぎない。

 

 だからこそ彼は自身がどう見えるかについては政争で不利にならない場合であれば気にはしないし、暴言を吐かれたところでむしろ揚げ足を取って交渉を有利にするチャンスだとも考えている。

 

 根本的に、彼は武官というより文官なのだ。

 

 彼が思考を割くのは、あくまでも目的達成の是非のみ。

 

 戦いにおいて、彼が感情論を差し挟む余地はない。

 

 故に、出水の挑発は無駄なものに思える。

 

(成る程、そーいうタイプか。これまでのガチっぷりを鑑みりゃあ、妥当なトコだな)

 

 しかし、出水の狙いは挑発で敵の冷静さを乱す事ではない。

 

 挑発に対する反応を見て、敵の思考傾向をある程度予測する事だ。

 

 此処に来るまでの間に、出水は東からハイレインとの交戦データを一通り聞かされている。

 

 その内容から出水はハイレインがエネドラとは真逆の実利一辺倒、戦闘に私情を挟まないタイプであると推測していた。

 

 挑発に対する反応も冷静さを乱すとは最初から思っておらず、無視か淡々とした応対かの二択であると思っていた。

 

 結果は、後者。

 

 前者であれば寡黙な武人タイプと推測出来たが、後者────────────────即ち会話そのものには応じたとなれば、効率主義の文官タイプであると予想出来る。

 

 この即興性格分析は、敵の打つ手を予測する時に判断材料の一つとなる。

 

 東が言った「手札を見ておきたい」といった発言には、そういった敵の思考傾向を探る狙いも暗に含まれていた。

 

 そういった言葉の裏をしっかり読み取れる出水だからこそ、今の挑発には意味があるのだ。

 

「京介」

「了解」

 

 出水の指示で、烏丸は旋空の発射態勢を取った。

 

 狙いは、ハイレインを護衛する残り三機のラービット。

 

 だが。

 

「させん」

 

 その動きを見て取ったハイレインは、鳥の弾丸を放出。

 

 烏丸に向かって、四方八方から無数の白い鳥が襲い掛かる。

 

「そりゃ、こっちの台詞だ」

 

 されど。

 

 出水が、動いた。

 

 トリオンキューブを分解し、極小の弾丸を展開。

 

 それを一斉に撃ち放ち、烏丸に向かう生物弾を一発残らず()()()()()()

 

「…………!」

 

 通常の弾丸とは異なる、生物的な動きをする夥しい数の弾丸。

 

 出水はそれを、一発の撃ち漏らしもなく迎撃してみせた。

 

 トリオン自体は、二宮の方が上である。

 

 だが。

 

 弾丸のコントロールに関しては、出水の方が上だ。

 

 これは別段、不思議でもなんでもない。

 

 そもそも、二宮は出水を師と仰いで戦術を習っていたという経緯もある。

 

 出力(パワー)ではなく、技巧(テクニック)に関してであれば、ボーダーに出水以上の射手はいない。

 

 那須の技巧もそれに比肩するものがあるが、ことサポーターとしての適性であればこれまでの経験も鑑みて出水の方が高い。

 

 仲間の能力を最大限に引き出し、的確に露払いをこなすサポーターとしてであれば。

 

 出水ほど、その役割に適した者はいない。

 

「────────」

 

 そして、出水の作った隙を逃す二宮ではない。

 

 二宮は容赦のない弾幕を用いて、ハイレインの周囲を漂う生物弾を撃ち落としていく。

 

 出水のように百発百中とまではいかないが、二宮の場合は単純に物量が多い。

 

 力任せの弾幕により、ハイレインの展開した生物弾の防壁が剥がれていく。

 

「旋空弧月」

 

 そこに、烏丸の旋空が叩き込まれた。

 

 放たれる、拡張斬撃。

 

 それは、ラービット諸共ハイレインを両断する軌道を描いていた。

 

 ハイレインの傍に控えるラービットは、碌に動く事が出来ていない。

 

 何故ならば、下手に動けば生物弾に当たってキューブ化してしまうからだ。

 

 ハイレインを守るように旋回する生物弾は、トリオンで出来たものに触れた瞬間それをキューブに変換する。

 

 そしてそれは、()()()()()()()()()()()ものと推測される。

 

 もしも任意でキューブ化のオンオフが出来るのであれば、生物弾の中をラービットが突っ切って来ても良さそうなものだが、それもない。

 

 故にあくまで暫定的にではあるが、トリオン兵であろうと生物弾が蠢くあの場では身動きが取れないものと推測される。

 

 ハイレインがあのラービットに求めているのは、あくまでも物理的な()()として。

 

 それだけでも厄介極まりないのだが、だからこそこの場でラービットに斬撃を回避する術はない。

 

 今のラービットは、動かない()同然なのだ。

 

 そして、ハイレインの逃げ道は他ならぬラービットが塞いでいる。

 

 このまま攻撃が通れば、ハイレインは落ちる。

 

「────────!」

 

 無論、それで落ちる筈などなかった。

 

 ハイレインは背後に空いた黒い穴に飛び込み、攻撃を回避。

 

 旋空は前面にいたラービット二機を両断するが、ハイレイン本人には届かない。

 

「上だ…………っ!」

「…………!」

 

 次の瞬間、上空から降り注いだ無数の白い鳥の弾丸を出水が迎撃。

 

 加古のハウンドが大きく迂回して標的────────────────建物の屋上に立つハイレインに向け、放たれる。

 

 ハイレインは即座に自身が出て来た黒い穴に飛び込み、その場から退避。

 

 今度は近くの建物の影へ出現し、残る一機のラービットが傍へと移動。

 

 それと同時にハイレインの周囲を、白い魚型の生物弾が旋回し始めた。

 

「…………仕留められませんでしたか」

「いや、()()だな。でしょ? 東さん」

『ああ、よくやってくれた。これで、敵の手札と底は見えた。後は、詰めていくだけだ』

 

 出水の言葉を通信越しに東が肯定し、場の空気が変わる。

 

 これまでは東の指示通り情報収集に、受け身に達していた彼等が。

 

 敵を仕留める為の、東の指揮に従う一級の精鋭としての顔を見せる。

 

『始めるぞ。敵の指揮官を、此処で落とす────────────────堅実に、詰めていこう』

 

 下準備は、終わった。

 

 始まりの狙撃手による、指揮が。

 

 元A級一位部隊の攻撃が、始まる。



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卵の冠⑤

 

『二宮、お前は撃ち続けろ。防御は気にしなくて良い』

「了解」

 

 東の指示を受けた二宮は、ハウンドを両攻撃(フルアタック)で斉射。

 

 無数の弾丸が降り注ぎ、ハイレインの周囲を旋回する魚弾の群れを削っていく。

 

 弾丸コントロール自体は出水の方が上だが、二宮は単純に弾数が多く、そして弾の密度が高い。

 

 両攻撃(フルアタック)で斉射し続ければ、かなりのスピードでハイレインの防御を剥がす事が出来る。

 

「────────」

 

 無論、それでただやられるがままのハイレインではない。

 

 別途に鳥弾を生成し、それを四方八方に散らせて二宮へと放つ。

 

「やらせねーぜ」

 

 その弾丸を、出水はバイパーで撃ち落とす。

 

 百発百中。

 

 二宮以上の高精度で放たれた弾幕は、一発の漏れもなくハイレインの弾丸を迎撃していく。

 

 全力に両攻撃(フルアタック)を二宮が敢行し、敵の弾丸を出水が弾幕で撃ち落とす。

 

 単純明快だが、それ故に強力なごり押し戦法。

 

 それが、二宮と出水が組む事で成立していた。

 

『敵の弾丸は確かにトリオン体、トリガーに対する特攻という凶悪な性能だが、反面弾速や展開スピードは風刃ほど理不尽なものじゃない。一時的に撃ち合うだけならば、トリオンの多い二宮や出水ならやってやれない事はないだろう』

 

 東が、自らの仮説を語る。

 

 敵の黒トリガー、卵の冠(アレクトール)はトリオンで出来た物体を問答無用でキューブ化するという凶悪極まりない代物だ。

 

 だが、黒トリガーとしての能力をその特殊性に注ぎ込んでいる為か、弾速自体は風刃のような反応が困難なレベルには至っていない。

 

 加えて、こちらの弾丸とぶつかればその時点で弾をキューブ化して生物弾自体は霧散する為、弾幕で迎撃という芸当が可能になる。

 

 あくまでも出水の超絶技巧を前提とした対策ではあるが、それが可能な駒がある以上使わない手はない。

 

 実際に出水は、()()()()()()()という意味の分からない芸当を実現しているのだから。

 

「────────」

 

 そして、烏丸は弧月を構え旋空の発射態勢に移る。

 

 敵の生物弾は、二宮の斉射によって着々と減って来ている。

 

 今ならば、旋空の一撃がハイレインの元まで届くだろう。

 

『加えて、敵はワープを出来る事なら多用したくない筈だ。さっき旋空を撃った時、敵は人型だけを転移で退避させ新型は回収しなかった────────────────つまり、新型を転移させるだけのサイズの()を開くには相応の消費が必要なのだと推測出来る』

 

 先程、烏丸が旋空を撃った時。

 

 敵は転移でハイレインを逃がしはしたが、ラービットは回収せずに見捨てていた。

 

 単純に間に合わなかった、という可能性はある。

 

 だが。

 

 ハイレインとラービットでは、潜る為に必要な窓の大きさ(サイズ)が異なる。

 

 それを考えれば、ラービットを無暗に転移させる事を控えたという可能性は高い。

 

『通常の門ならばまだしも、黒トリガーを使った転移となると開いた門の大きさによって相応のトリオンを消費する筈だ。さっきの砲撃のみの転移攻撃も、不意打ち以上に消耗を抑えたが為とも取れる』

 

 そうなると、先程の砲撃のみを窓から撃ち出した攻撃も、消耗を抑える意味が含まれているように思える。

 

 つまり。

 

『敵の転移は、無尽蔵じゃない。幾ら黒トリガーとはいえ、トリオン切れは必ず発生し得る。トリガー(ホーン)の恩恵もあって通常よりも当然多くのトリオンを保持しているだろうが、いずれ()は見える』

 

 少なくとも、転移は使わせ続ければいずれ使用不能になる。

 

 そしてこれまでの挙動から、それはそう遠くないように思われる。

 

 故に。

 

 時間は、こちらに有利に働く。

 

 敵の最高戦力であるヴィザが乱入して来るとなると話は全く変わって来るが、そちらは今防戦を得意とする七海が相手をしているしいざとなれば忍田をそちらに割く事も出来る。

 

 彼を向かわせるのはリスクが大きいが、下手に焦って隙を見せればハイレインは必ずそこを突いて来る。

 

 だからこそ、消耗戦を狙う。

 

 敵の()が見えたからこそ。

 

 それが、この場で最も有効な戦術なのだから。

 

『────────────────畳みかけろ。消耗戦を仕掛けて、相手に転移を使わせるんだ。焦る必要はない。じっくり、堅実にいこう』

 

 

 

 

(攻めっ気が薄いな。どうやら、長期戦狙いのようだが────────────────ミラの窓の影(スピラスキア)の消耗が激しい事に気付かれたか)

 

 ハイレインは敵の挙動を見て、こちらの弱みが看破された事に気が付いた。

 

 彼等は警戒を怠らず、いつでも退避が可能な状態で弾を撃ち続けている。

 

 傍目から見れば力任せにこちらの防護を破ろうとしているように見えるが、実態はその逆。

 

 ハイレインがいつ反撃に出ても対応出来るように、相応の距離を保ったまま持久戦を仕掛けて来ているのだ。

 

 その証拠に、伸びる斬撃の使い手と拳銃使いの少年は一向に距離を詰めようとはしていない。

 

 射手の女は金の雛鳥から離れようとしないし、新たにやって来た金髪の射手も弾を撃ち続けながらも警戒を怠ってはいない。

 

 これは、窓の影(スピラスキア)のトリオンが尽きる事を狙った消耗戦を仕掛けてきていると見て間違いないだろう。

 

(先程、ラービットを大窓で回収しなかった事で看破されたか。まあいい。それよりも、此処からどう動くかだ)

 

 見破られた原因は恐らく、先程ラービット二機を大窓で退避させなかった事だ。

 

 あの局面でラービットを使い捨てる理由など、大窓を開く事を厭うた以外にないからだ。

 

 ミラは先程から、大窓を繰り返し用いてラービットを送り込んでいる。

 

 これまでの大窓の使用は必要な事だったとはいえ、些か無理をさせた事は否定出来ない。

 

 彼女自身を直接戦場に出していないのも、余計な戦闘でトリオンを消費する事を惜しんだからだ。

 

 ミラの黒トリガー、窓の影(スピラスキア)は文字通りこの作戦の要だ。

 

 何せ、この遠征には黒トリガーを合計4つも注ぎ込んでいる。

 

 もしも一つでも黒トリガーを失うような事態になれば、ハイレインの立場は相当悪いものになる。

 

 それを防ぐ為に、黒トリガーの回収役であるミラは絶対に失えない。

 

 加えて、国宝の使い手であるヴィザと四代領主の一角であるハイレインは何が何でも生きて国に戻らなければならない。

 

 ヴィザが負けるような事はまず有り得ないのでそちらは心配してはいないが、ハイレインは自分が無敵でもなんでもない事を知っている。

 

 確かに卵の冠(アレクトール)の力は強力だが、完全無欠の能力というワケでもない。

 

 幾らでも穴はあり、加えて敵の練度が想像以上に高い。

 

 ヒュースは生存能力が高く早々落とされる事はないと考えていたのだが、敵は真っ先にその彼を落としてみせた。

 

 それ故に想定外に早くヒュースを切り捨てる決断をせざるを得なくなった事は、正直遺憾ではあった。

 

 ハイレインとて、優秀な次世代を担う駒の重要性は理解している。

 

 ヒュースの能力は高く、向上心も申し分ない。

 

 金の雛鳥を捕らえ損ねた時のサブプランの存在がなければ、手放すという選択は有り得なかっただろう。

 

 だからこそヒュースを切り捨てる決断はギリギリまで保留したかったのだが、早期に落とされてしまった以上選択肢はなかったのだ。

 

 あの時点では金の雛鳥を捕捉出来ておらず、失敗に終わる可能性も高かった以上下手にヒュースを回収するワケにはいかなかったが故に。

 

 加えて、ランバネインとエネドラが落とされる前に挙げた戦果も想定以上に少なかった。

 

 ランバネインは殲滅力に特化したトリガーを用いているし、エネドラは曲がりなりにも黒トリガーの使い手だ。

 

 順当に暴れれば相当数の敵兵を落とせた筈であり、エネドラの場合は最終的に始末する事は決まっていたがそれまでに相応の使い手を落としてくれるだろうと期待していた。

 

 だが、蓋を開ければランバネインの撃破数は僅かに三名、エネドラに至っては0という有り様だ。

 

 無論、彼等が失態を演じたとは思っていない。

 

 ランバネインはその豪放な人柄とは裏腹に戦闘では決して手を抜かないし、計算高く動く術を知っている。

 

 エネドラも暴走していたとはいえ戦闘論理は衰えてはおらず、トリガーの初見殺し性能も併せて相応の戦果を挙げるだろうと思っていた。

 

 単純に、敵の練度が高く戦術レベルも高かった。

 

 つまりは、そういう事だろう。

 

(ヴィザ翁の言う通り、玄界(ミデン)の進歩は目覚ましい。僅か数年で、此処までの軍を作り上げるとはな)

 

 数年前、この世界にとある国が侵攻した際には玄界(ミデン)は碌な抵抗が出来ていなかった。

 

 少数のトリガー使いの奮戦で撃退は出来たようだが、それまでにかなりの数の戦果を得たと聞いている。

 

 それから、僅か数年。

 

 今の玄界(ミデン)は、軍事大国であるアフトクラトルの精鋭と互角に渡り合うまでに成長している。

 

 認めなければならないだろう。

 

 玄界(ミデン)は。

 

 この世界(くに)は、強いと。

 

 以前のような、好き放題に搾取出来る()()ではない。

 

 他の国への侵攻と同じように、準備を整え戦力を揃えなければ必要な戦果は得られない。

 

 そういった場所へと、この玄界(ミデン)は成長している。

 

(だが、金の雛鳥の確保は何としてでも達成する。最悪の場合はヴィザ翁に頼む事も考えるが、それはあくまでも最後の手段だ。最良は、基地に逃げられる前にこの場で確保する事だからな)

 

 この場にヴィザ翁を呼ぶ事も選択肢の一つだが、そうなるとこちらのトリガー使いが一ヵ所に固まる事になってしまう。

 

 ヴィザ翁が来れば確実に金の雛鳥は基地へと逃がされるだろうし、そうなれば基地を破壊して確保する以外に道はない。

 

 エネドラが落とされていなければ配管から侵入させるという手も使えたが、今更それを言っても仕方がない。

 

 今、金の雛鳥がこの場から逃がされていないのは恐らく孤立した所をミラの転移で追撃される可能性を警戒されているからだ。

 

 窓の影でトリガー使いを送り込む手法は、既にヴィザによって見せてしまっている。

 

 一度見せた以上は、警戒される。

 

 初見殺しが通用するのは、あくまで最初のみ。

 

 二度目からは、相手にとって既知の戦術でしかないのだから。

 

(ミラを単独で送り込むのは、下策だ。彼女を落とされる事態は、何が何でも避けなければならない。それに、ミラのサポートなしでこの相手と戦り合うのは骨が折れる。今でさえ、余裕を持てる状況ではないのだから)

 

 今は卵の冠から随時生物弾を追加して防壁を再展開しているが、これが破られればあの伸びる斬撃が再び襲って来るだろう。

 

 雛鳥をキューブ化させていれば色々やりようもあったが、現在雛鳥の群れは市街地に固まっている。

 

 今更そちらに兵力を割く余裕はないし、金の雛鳥が目の前にいる以上そもそも戦場を移すという選択肢は有り得ない。

 

 金の雛鳥の確保こそ、ハイレインの至上目的。

 

 今更脇道に入る余裕は、存在しない。

 

 本来予定に入れていたサブターゲットは、最早取得を考慮しない。

 

 金の雛鳥を確保出来なかった場合のサブプランの発動は、あくまでも()()()なのだ。

 

 確かにやるとなれば躊躇はしないが、その場合領地でゴタゴタが起きる上にエリン家という戦力を切り捨てる事になる。

 

 要は身を削る策なのだから、出来る事ならば実行しないに越した事はないのだ。

 

 だからこそ、何としてでも金の雛鳥は手に入れる。

 

 ヒュースとエネドラという貴重な戦力を切り捨てた以上、最低限の戦果だけは達成しなければならない。

 

 それがハイレインなりのケジメの付け方であり、情より利を取らざるを得ない彼なりの誠意でもある。

 

 無論侵攻される側にとってそんな理屈は関係ないが、ハイレインにとって優先すべきは自国の国益である事は明白だ。

 

 恨みを買い過ぎれば面倒な事になりかねないが、場合によっては躊躇はしない。

 

 現時点で玄界(ミデン)と交易する予定はないのだから、そうなったら属国を時間稼ぎに当てるだけだ。

 

 今はとにかく、金の雛鳥の確保に全力を注ぐ。

 

 それだけだ。

 

「ミラ、残るラービットは何体だ?」

 

 ハイレインは近くに空いた小窓からミラに通信を繋ぎ、ラービットの残数を確認する。

 

 かなりの数撃破されたが、まだ幾らかは残っている筈だからだ。

 

『プレーン体が6体、モッド体が4体ですね』

「そうか。ヴィザ翁は?」

『現在、敵兵と戦闘中です。お呼び致しますか?』

 

 いや、とハイレインはミラの提案を否定し、指示を下す。

 

「そちらは良い。ミラ、窓はあとどのくらい使える?」

『恐らく、小窓であればまだ余裕がありますが大窓は二度か三度が限度だと思われます。小窓の使用回数によっては、それ以下になる事も予想されますが』

 

 成る程、とハイレインはミラの残りのトリオン量と使用可能な支援の回数を脳内で計算する。

 

 戦術立案は、一瞬で終わる。

 

 元々、考案していた幾つかの戦術案。

 

 それらを元に現在の状況を鑑みた最適な策を選別、決定。

 

 即座に戦術筋(ルート)を組み上げ、実行へと移す。

 

「作戦も大詰めだ。手を惜しむ余裕はない。俺の言う通りに動け」

 

 

 

 

「了解しました」

 

 ミラはハイレインの指示を受諾し、「窓」から外を垣間見る。

 

 その視線の先。

 

 ハイレインと二宮が対峙している、その後方。

 

 背の高い女性と共に戦況を見守っている小柄な少女を。

 

 金の雛鳥の姿を見据え。

 

 ハイレインの作戦を実行すべく、動き出した。



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旧東隊②

 

『雨取、きみはそのまま待機していてくれ。敵のワープが攻撃の()()にも使える場合、下手な攻撃は危険だからな』

「は、はい」

 

 加古に護衛されている千佳は、東からの通信を聞き頷いた。

 

 確かに東の言う通り、転移を利用したカウンターが使えるとなれば下手な攻撃は命取りになりかねない。

 

 特に、千佳のアイビスでも返されようものなら目も当てられない。

 

 莫大なトリオンの保持者である千佳が撃つアイビスは、防御などまず不可能な一撃だ。

 

 これに狙われれば回避する以外道はなく、ワープによって不意打ちの形で返されれば甚大な被害を喰らいかねない。

 

 東であればそれも織り込み済みで動けはするが、生憎千佳は狙撃の訓練を始めてそこまで長くはない。

 

 光るものはあるが、まだまだ狙撃技術に関しては発展途上。

 

 例外の極地たる東は別としても、当真や奈良坂といったトップクラスの狙撃手と同じ真似など出来よう筈もない。

 

 それに、千佳は人を狙って撃つ事は出来ない。

 

 少なくとも今はまだ、彼女自身の自覚としてはそうだ。

 

 東は念の為に聞いたその自己申告により、千佳を対人型近界民(ネイバー)との戦いの戦力には換算しない事を決定した。

 

 千佳自身、練度不足なのは自覚している。

 

 守られているばかりのこの状況は彼女にとって非常に心苦しくはあるが、正直に言えば千佳はその存在そのものに意味がある。

 

 敵が千佳を────────────────莫大なトリオンの持ち主を、「神」にする為に鹵獲しようとしている事は明らかだ。

 

 あの人型は重要と思われる転移使いを自由に従えている事から、まず間違いなく敵の指揮官だ。

 

 纏う空気も、言動から滲み出すカリスマ性も。

 

 どちらも、彼が指導者の器である事を示している。

 

 本来ならば、指揮官が前線に出るのは下策だ。

 

 指揮官の仕事はあくまでも戦場全体の俯瞰と盤面の操作であり、自身が武器を持って戦う事ではない。

 

 強力な黒トリガーを持っているのは確かだが、それでも指揮官が前線に出るリスクを鑑みれば相当重要な局面で尚且つ自身の投入が必須である状況でなければまず出ては来ないだろう。

 

 故に、敵の指揮官を釣り出せた、という時点で千佳の存在には意味があるのだ。

 

 囮、陽動としての役目ではあるが、彼女以外にこの役割はこなせない。

 

 彼女がいなければ、最悪市街地を集中攻撃され多くの犠牲が出る可能性がある。

 

 あの新型も相当数を撃破しているが、一体あと何機残っているかは分からない。

 

 敵が本気で市街地を攻撃しないのは、あくまでも最優先目標が「神」の候補者確保の為である。

 

 ラービットにボーダー側が対応出来ていないならばまだしも、こちらには忍田や沢村といった単騎で新型を殲滅出来る駒がある。

 

 先程のように局所的な運用ならまだしも、ただ展開するだけでは早々に駆除されてしまう。

 

 だからこそラービットの無作為な投入は抑えられているが、本当に形振り構わなくなればどうなるかは分からない。

 

 故に、千佳がこの場にいる事が何より重要なのだ。

 

 彼女を囮として扱う事を知らされた当時、修は相当に渋ったが、可能な限りで最高クラスの戦力を護衛として配置する事でなんとか理解は得ている。

 

 これに関しては、迅が頭を下げて頼み込んだという事情もある。

 

 千佳を危険に晒すのは本意ではないが、きちんと安全を担保しつつそれが全体の貢献になるのであれば何とか呑み込める。

 

 修をそうやって納得させた経緯を、東は迅から聞いている。

 

 故に千佳を危険から守り切る事はこの場での東の義務であり、不用意な参戦によって危難を招くのは論外だ。

 

 そのあたりの事情を察し、千佳は色々な想いを抑え込む事に決めた。

 

 直接力になれないというのは忸怩たる想いだが、今の自分が未熟である事など百も承知。

 

 納得しきったワケでも、諦めたワケでもないけれど。

 

 それでも、修が納得し、千佳自身がこの役柄を受け入れた結果なのだ。

 

 なら、せめて自分の役割を全うしよう。

 

 そう考えて、千佳は頼もしい護衛の者達を見据えた。

 

 視線の先。

 

 作戦開始前に千佳の名字を知った時、驚いた様子で兄の名を挙げて「後で話がある」と言って来たスーツ姿の青年────────────────二宮匡貴。

 

 彼の「話」も気にはなるが、今はこの局面を切り抜けなければならない。

 

(もしかしたら、兄さんの話を聞けるのかも。色々怖いけど、でも────────────────やっぱり、知りたいから。だから)

 

 千佳は顔を上げ、こちらに背を向け敵と撃ち合う二宮を見据える。

 

 そして、強い期待を込めて視線に熱を乗せた。

 

(覚悟を決めよう。絶対、目を背けないって。私に出来るのは、この人たちを信じる事だけだから)

 

 

 

 

(────────────────()()。あいつの妹か)

 

 その視線には、二宮も気付いていた。

 

 というより、否応なく意識していた為気付かざるを得なかったと言うべきか。

 

 雨取千佳。

 

 その名字を聞いた時、二宮は目を見開いた。

 

 作戦直前。

 

 東によって召集された、旧東隊のメンバー。

 

 敬愛する東の指揮下で再び戦えるとあって内心でテンション最高潮だった二宮は普段なら過剰反応する加古の煽りも意に介さず、表面上は鉄面皮を貫きながら機嫌はかなり良いと言って良かった。

 

 加古の事は置いておいて、東の指揮下で戦えるのは望外の喜びだし、前々から彼なりに気に駆けていた三輪と再び轡を並べる事が出来た事も僥倖だった。

 

 上層部や迅の関連で何かがあった事は薄々察してはいるが、最近の彼は良い顔をするようになったと二宮は後方保護者面をしながら考えていた。

 

 三輪がそうなった原因も気にはなるが、どう考えても機密が関わる事項の為干渉するのは得策ではない事もまた気付いてはいた。

 

 鳩原関連で上層部にはあまり良い印象を抱いていない二宮だが、彼なりにTPOは弁えている。

 

 内心はともかく、成人した大人の男として弁えるべき一線は心得ている。

 

 あくまで、彼なりにではあるが。

 

 そんな彼であっても、「雨取」の名を聞き流す事は出来なかった。

 

 かつて部下であった狙撃手、鳩原未来と共に「密航」した張本人。

 

 二宮にとっては大事な仲間を連れ去られた主犯であり、今も尚その顔をぶん殴りたいと思っている筆頭。

 

 雨取麟児。

 

 彼女は、雨取千佳はその彼の妹なのだという。

 

 既に作戦開始が迫っており、第三者がその場にいた事から更なる追及は避けた二宮であったが、後で玉狛に乗り込んで話を聞きに行く決意を既に固めていた。

 

 その為には、彼女の死守は必須だ。

 

 此処まで来て手掛かりを連れ去られるなど、冗談ではない。

 

 ようやく見付けた、鳩原の残滓なのだ。

 

 たとえ彼女が何も知らなかったとしても、このまま黙っているなど論理的に見えて感情が第一である二宮には出来よう筈もない。

 

 見た目と異なり情に厚い男である二宮は、未だに鳩原の件に執着しまくっている。

 

 だからこそ、この敵は全力で打ち倒す。

 

 不可能だとは思っていない。

 

 敵の黒トリガーは強力無比であり、転移使いの支援も厄介極まりない。

 

 だが。

 

 今の自分達には、東がいるのだ。

 

 かつてこのアクの強いメンバーを纏め上げ、A級一位の座まで牽引した戦術家の極地────────────────始まりの狙撃手、東春秋が。

 

 通常のランク戦では小荒井と奥寺の指導、成長を最優先としている為指揮を執る事はなかった彼だが────────────────今この場において、その枷は外れている。

 

 加えて、精神面も成長したと思われる三輪と、癪だが実力は認めている加古もいる。

 

 臨時の援軍として戦術の師である出水と、優秀なサポーターである烏丸もいる。

 

 この布陣で負けるようでは、嘘というもの。

 

 たとえ、相手が黒トリガーであろうとも。

 

 自分たちは。

 

 旧東隊に。

 

 この場での敗北など、有り得ない。

 

 その事を、刻み込む必要がある。

 

「────────」

 

 二宮は無言で弾幕を生成し、斉射を継続する。

 

 頼もしい仲間たちを背に、射手の王は弾丸を放つ。

 

 彼なりの思惑を、抱いて。

 

 

 

 

「────────」

「…………! 虫か。そこまで細かく出来んのかよ」

 

 ハイレインの弾幕を撃ち落としていた出水は、敵が生成した新たな生物弾を見て目を細めた。

 

 卵の冠(アレクトール)によって出現した新たな弾の形状は、()

 

 黒トリガーの力なのか使用者の拘りなのかは不明だが精巧に蜂の動きを模倣(トレース)しているその弾丸が、生物的な挙動で出水の元へと殺到する。

 

 そのサイズは、これまで出て来た鳥や魚といった弾丸より明らかに小さい。

 

 この生物弾に至っては、そのサイズは純粋な脅威となる。

 

 生物弾はトリオンの弾丸を当てる事で相殺出来るが、弾のサイズが小さくなればそれだけ当てる事は難しくなるし、小さい分純粋に弾数も多くなる。

 

 幾ら出水が変態的な技巧を持つ射手とはいえ、この蜂弾を全て迎撃する事は不可能。

 

「上等…………っ!」

 

 ────────────────それが、以前までの彼であれば。

 

 出水はバイパーを更に細かく分割し、片手でアステロイドも同じように展開。

 

 アステロイドを先んじて放ち、その隙間を補う形でバイパーを射出した。

 

 那須と異なり、片枠しかバイパーを積んでいない出水は両攻撃(フルアタック)で変化弾を扱えない。

 

 昇格試験や黒トリガー争奪戦での那須との撃ち合いでは純粋なトリオン量を武器に互角に撃ち合っていたが、弾道の自由度に関しては両枠で積んでいる彼女に分があった。

 

 だが。

 

 それならばそれで、別の弾を組み合わせば良いだけの話。

 

 アステロイドは確かにハウンドのような誘導性能も、バイパーのような自由度もない。

 

 されど、敵の弾道を計算し自身のバイパーの軌道を考慮すれば、敵の生物弾の射線に弾を()()事は出来る。

 

 それで取りこぼす範囲の弾丸は、バイパーで撃ち落とせば良い。

 

 その計算を。

 

 その戦術理論を。

 

 出水は、那須との二度に渡る撃ち合いによって会得した。

 

 以前から彼女との手合わせには興味があったが、中々機会は訪れなかった。

 

 だからこそ、二度に渡って正面から撃ち合う機会に恵まれたのは僥倖だったと言える。

 

 弾バカと言われようがどうしようが、あの撃ち合いに意味があった事は事実だ。

 

 互いに心底楽しめたからこそ、あの撃ち合いを通して自分も成長する事が出来た。

 

 それだけ、近いレベルの技量を持った者同士の技巧戦闘の経験は得難いものなのだ。

 

 トリオンに任せた撃ち合いならば二宮相手でも出来るが、こと精密動作技術の観点から見れば那須の方がより自分と近い位置にいる。

 

 その彼女と撃ち合えたからこそ、光明を見出せるのだ。

 

 弾の威力は最低で構わない。

 

 どの道、生物弾に当たった時点でキューブになるのだ。

 

 威力など、あってもなくとも同じ事。

 

 出水は己の技巧を駆使し、アステロイドとバイパーの二重射撃によってハイレインの蜂弾を全て撃ち落とした。

 

「…………!」

 

 流石に、全て防ぎ切られるとは思っていなかったのだろう。

 

 ハイレインの顔が、僅かに歪む。

 

 

 

 

「────────」

 

 その隙を、東は見逃さなかった。

 

 スイッチボックスによって転移を終えていた東は、スコープ越しにハイレインを見据える。

 

 ハイレインの周囲を旋回する生物弾は、二宮の弾幕によって削られてはいる。

 

 しかし頭部や胸部といった急所は、より厚い防御で覆われている。

 

 アイビスを用いようとも生物弾の前ではキューブ化されてしまう為、通常の方法で守りを貫通する事は出来ない。

 

 かといって、ライトニングの連射で狙おうにもあのマントは相応の強度がある事は既に判明している。

 

 威力に乏しいライトニングでは、決定打に欠ける可能性が高い。

 

 ならば。

 

 狙うは、急所ではない。

 

 急所を狙わずとも、敵を倒す方法はある。

 

 即ち、大きな傷口を作りトリオン漏出を狙う事だ。

 

 黒トリガー故にトリオン自体は豊富だろうが、あの精密動作性に冗談のような攻撃性能を思えば、あの弾丸のトリオン消費は安くはない筈だ。

 

 ならば、適当に穴を空けるだけで充分。

 

 そう考え、東は狙撃を実行した。

 

 

 

 

「────────!」

 

 飛来した、一発の弾丸。

 

 それは旋回している生物弾の隙間を潜り抜ける形で、ハイレインの脇腹を吹き飛ばした。

 

 その狙撃の方角から、敵の狙撃手が先ほどまでいた建物上ではなく、路地の奥に転移していた事をハイレインは察する。

 

 無論、追撃はしない。

 

 この狙撃手は、優秀だ。

 

 恐らく、今の一発を撃った時点で既に転移を終えているに違いあるまい。

 

 目の前で戦っている相手であればやりようもあるが、転移という武器を手にした狙撃手をまともに相手をするべきではない。

 

 狙撃手の脅威は初弾の位置が分からない事であるが、逆に一発撃てば居場所を露呈させ途端に脅威度は低くなる。

 

 しかし、転移によってその弱点を消しているとなれば厄介極まりない駒となる。

 

 少なくとも、金の雛鳥の確保が最優先であるハイレインに逃げた狙撃手を追うなどといった無駄は出来ない。

 

 今の攻撃で負った傷も、決して無視出来るものではない。

 

 急所を射抜かれたワケではないが、かなり大きく身体を抉られてしまっている。

 

 このままでは、トリオン漏出による脱落も時間の問題だろう。

 

「な…………?」

「…………!」

 

 あくまでも、()()()()であれば。

 

 ハイレインが卵の冠(アレクトール)を掲げると、それは起こった。

 

 周囲に散乱した、出水の弾丸が生物弾に当たったキューブ化したもの。

 

 それらから卵の冠に、何かが還元されていく。

 

 途端。

 

 ハイレインの脇腹の傷が徐々に修復していき、やがて完全になくなった。

 

 生物弾を当てる事によって変化したキューブからトリオンを吸収する事によって生じる、()()()()

 

 それが、ハイレインの黒トリガー、卵の冠(アレクトール)

 

 その奥の手、鬼札だった。

 

「アリかよ、そんなの…………!」

「…………面倒だな」

 

 これまでの戦闘で、周囲には大量のキューブが散乱している。

 

 これらがある限り、生半可なダメージは無意味だ。

 

 大ダメージからのトリオン漏出を狙おうとも、傷付けた先から回復されるのでは意味がない。

 

 トリオン体の、トリガーの前提を覆す反則的な能力。

 

 それを前に。

 

『いや、これで一番の懸念だった奥の手も把握出来た。若干の修正は加えるが、作戦実行に問題はない』

 

 東から、力強い言葉が届いた。

 

 二宮や三輪は、生じた動揺をすぐさま抑え込む。

 

 彼が、東が言うのであれば間違いは無い。

 

 そう、信じているのだから。

 

『作戦を継続する。そろそろ、敵指揮官にはご退場願おう。頼んだぞ』

「「「「了解」」」」

 

 東の言葉で、彼等は一つに纏まった。

 

 旧東隊の。

 

 始まりの狙撃手の指し手が、動いた。



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卵の冠⑥

 

『二宮と出水はそのまま射撃を継続。相手に余裕を与えるな』

「「了解」」

 

 東の指示を受け、二宮と出水は再び射撃を実行に移す。

 

 隙を突いて東が与えたダメージは回復という想定外の手段でなかった事にされてしまったが、敵の()()()を引き出せたと考えれば決して無意味ではない。

 

 もし、捨て身の攻撃を行った後で今の回復をされてしまえばそれこそ取り返しがつかなくなっていた事だろう。

 

 戦果を得られると考えて捨て身になった結果、前提条件がひっくり返されるのだ。

 

 そういう意味で、犠牲を出していない状態で敵の回復という手札を知れた事は大きいだろう。

 

 一撃で仕留める以外に勝つ手段が無い、というのは確かに厄介ではある。

 

 しかし、そうと分かっていればやりようはあるものだ。

 

 二宮隊だけ、三輪隊だけ、加古隊だけならば実現は不可能だったかもしれない。

 

 だが。

 

 今この場に集うのは、かつて東が率いた教え子達────────────────旧東隊の面々だ。

 

 それに加えて天才射手である出水と、優秀なサポーターである烏丸まで加わっている。

 

 出来ない、とは決して言えない布陣だろう。

 

 確かに敵の能力は厄介極まりない。

 

 されど、勝ち筋ならば存在する。

 

 自分たちはそれを、最上の指揮官の元で実行するだけだ。

 

『大まかな作戦に変更はない。たとえ回復能力があったとしても、転移使いの消耗が激しいであろう事に変わりはないからな。後はじっくり、詰めるとしよう』

 

 

 

 

(ブレる様子が無い。どうやら、相当に優秀な指揮官のようだな)

 

 ハイレインは敵と撃ち合いを続けながら、眼を細めた。

 

 回復能力という鬼札を見せたにも関わらず、敵の動きが揺れる気配がない。

 

 どうやら、奥の手を切ってでも敵の意識を逸らす意図は通じなかったようだ。

 

 ハイレインのトリガー、卵の冠(アレクトール)の持つ奥の手。

 

 即ち、キューブからトリオンを吸収して行う回復能力。

 

 これは一度負った欠損はその戦闘中は決して補えないというトリオン体の前提を覆す能力であり、その有用性は計り知れない。

 

 特に、ギリギリの拮抗した戦場では捨て身の攻撃を図って来る敵も当然いる。

 

 こちらに一矢報いようと捨て身でダメージを与えた相手に、この回復能力を用いてその希望を摘み取る形で()()を突き付ける。

 

 そういった事も、過去には何度かあった。

 

 時には敢えて攻撃を受ける事で敵の油断を誘い、心理的アドバンテージを獲得して作戦を成功に導いた事もある。

 

 どちらにせよ、初見でこの能力を目にした者は大いに動揺し戦術に粗が出ていた。

 

 だが。

 

 今回の敵は、一切動きにブレが見られない。

 

 これを見せた瞬間は、確かに動揺はあった。

 

 しかし、それも刹那の間。

 

 敵はすぐさま態勢を立て直し、こちらに付け入る隙を与えなかった。

 

 恐らく、敵の指揮官が一声で彼等を鼓舞したのだろう。

 

 それが出来るだけの実績と、人を纏め上げる能力。

 

 今の彼等の指揮官は、それらを併せ持った傑物なのだろう。

 

 そうでなければ、これほど早い立ち直りに説明がつかない。

 

 敵は恐らく、こちらの────────────────特に、ミラの消耗を狙っている。

 

 窓の影(スピラスキア)の使用回数が限界に近い事は、既に看破されていると思って良い。

 

 そうでなければ、このような持久戦前提の策を打つ筈がないからだ。

 

 黒トリガーとトリガー(ホーン)の恩恵を受けたハイレインのトリオン量は、相当に高い。

 

 普通に撃ち合えば敵の方が先に力尽きる筈だが、今相対している射手二人はそれなりに高いトリオン量を持っている事が伺える。

 

 トリオン切れで退場するまでには、ある程度の猶予があるだろう。

 

 そして、その間にこちらが()()に持っていかれる確率の方が恐らくは高い。

 

 これは、そういう類の戦術だ。

 

 何故なら、これは。

 

 ハイレイン自身が、良く使う類の戦法だからだ。

 

 一気呵成に敵を追い詰めるのではなく、真綿で首を絞めるように徐々に追い込んで行くその手法。

 

 それはリスク管理をしながら一つ一つ失敗の芽を潰し、その先に確実な勝利を取得するハイレインの戦術と非常に似通っている。

 

 異なるのはハイレインがあくまでも最低限の戦果の取得を第一とする事に対して、こちらは生存と被害の軽減こそを最優先としている事だろうか。

 

 これは、勝利条件の違いも大きい。

 

 ハイレインは明確な戦果を持ち帰らなければ成功とは言えないが、玄界(ミデン)側の場合は極論ただ時間稼ぎを成し遂げるだけで良いのだ。

 

 アフトクラトル(こちら)の撃破は、あくまでも勝利条件を短縮する為の手段に過ぎない。

 

 要は、ハイレイン達が齎す被害を防ぎ続ければ敵は勝ちなのだ。

 

 それが達成出来るのならば、その過程は問わない。

 

 そんな意図が、敵の行動からは透けて見えた。

 

(この様子だと、無理して踏み込んで来る可能性は薄いな。少なくとも、俺が防御を固めている間はこの膠着を維持するつもりだろう)

 

 故に、消耗戦を盾に敵を焦らせ、ミスを誘発する手は使えないと思った方が良い。

 

 確かにトリオン量ならばハイレインの方が圧倒的に上ではあるが、モタモタしていれば他の増援がやって来る可能性もある。

 

 ヴィザ翁の攻撃から逃げ果せたという、二人の剣士の話もある。

 

 地下道に向かったと言う話なのでミラの監視では発見出来ておらず、場合によってはすぐ近くまで来ている可能性も充分有り得る。

 

 少なくともそのうち一人は、イルガーを両断出来る優れた剣士だ。

 

 先程窓の影とヴィザ翁の合わせ技で嵌め殺した双剣使い程とまでは言わないが、それに近い使い手である事は間違いないだろう。

 

 彼等まで合流すると、場の膠着が悪い方に傾く可能性もないではないのだ。

 

(恐らく、敵の指揮官はこれらの()()()()()()を用いて俺に攻めて来させるつもりだろう。何処にいるか分からない「浮いた駒」は、この状況では何より厄介だ。特に、地下にいるのであればミラの()にもかからないしな)

 

 ハイレインは敵の指揮官の狙いを、ある程度看破する。

 

 この状況、膠着状態を継続させる事自体は可能だ。

 

 彼のトリオンにはまだ余裕があるし、盤面の膠着はハイレインの得意とする戦術の一つだ。

 

 だが。

 

 敵の「大駒」をあまり落とせていない現状、時間をかけ過ぎるのは悪手だ。

 

 この場にも相応の駒が揃っているが、戦場全体を鑑みればヴィザ翁という戦力的例外を除いて不利なのはハイレインの側だ。

 

 まず、ラービットを単騎で殲滅可能な存在が二人もいるというのがかなり痛い。

 

 本来であれば新型を用いた攪乱で戦況を優位に進めるつもりだったが、早期からラービットを大した犠牲なく対処されてしまって以降、主導権を取れていたとは言い難い。

 

 本来であればラービットの対処に戦力を割かせて敵を浮足立たせるつもりであったが、それが出来なくなってしまったのだ。

 

 最初にラービットを斬って回っていた少女兵は片腕を落として攻撃力を激減させ、厄介な双剣使いは初見殺しの嵌め技で落とした。

 

 しかし、それでも尚ラービットを単騎で駆逐出来る戦力────────────────忍田と沢村が出て来たのは、可能性として考慮はしていたが正直かなり痛かった。

 

 その片方だけでも抑える為にヴィザを送り込んだが、現在彼の翁は別の兵士と戦闘中。

 

 ヴィザ相手に時間稼ぎが出来る程の駒がまだ残っているとは想定していなかった為、これは流石に想定外ではあった。

 

(だが、勝利条件は敵の壊滅ではない。あくまでも、金の雛鳥の捕縛────────────────それさえ達成出来れば、盤面の有利不利は些事だ。ヴィザ翁頼り(最終手段)は、出来れば使いたくない。俺たちは、玄界(ミデン)の占領や虐殺に来たのではないのだからな)

 

 しかし、玄界側の勝利条件があくまでもアフトクラトルからの自国の「防衛」達成であるのと同じように、ハイレイン側の勝利条件もまた敵の壊滅ではない。

 

 勝利条件は、金の雛鳥の確保。

 

 これのみである。

 

 そして、それを成し遂げる手段は既に用意してある。

 

 後は、読み合いでどちらが勝つか。

 

 それだけだ。

 

(さて、勝負といこうか玄界(ミデン)の軍師よ。戦いを楽しむ趣味はないが、お前達の力に敬意を表し────────────────手段を問わず、勝たせて貰うぞ)

 

 

 

 

「────────────────卵の冠(アレクトール)

 

 状況を変えたのは、ハイレインの一手だった。

 

 ハイレインはその手に持つ黒トリガー、卵の冠を掲げトリオンを注ぎ込む。

 

 そして。

 

 先程の倍の数の生物弾────────────────周囲一帯を埋め尽くす量の白い鳥の群れが、現出した。

 

「────────!」

「こいつは…………!」

 

 此処まで互角の撃ち合いを続けて来た二宮と出水であったが、この物量は流石に予想外である。

 

 何せ、量が尋常ではない。

 

 あまりにも鳥の密度が高過ぎて、ハイレインの姿が碌に見えない。

 

 そして、その鳥の群れが一斉に彼等に襲い掛かった。

 

「────────!」

 

 これ程の物量では、流石の二宮・出水といえど迎撃しきれるかは分からない。

 

 流石の出水でも、冷や汗は拭い切れなかった。

 

『焦るな。攻撃を中断。迎撃に全力を注げ。加古も支援を頼む』

「「「了解」」」

 

 だが、流石の旧東隊の面々。

 

 東の一声で統率され、千佳の護衛をしていた加古共々全力の両攻撃(フルアタック)で迫り来る生物弾を迎撃しにかかる。

 

 二宮は、更に細かく分割したアステロイドで。

 

 出水は、バイパーとアステロイドの二段構えで。

 

 加古は、ハウンドを用いて。

 

 それぞれ、白い鳥の群れを撃ち落とし続ける。

 

 物量は圧倒的。

 

 されど、それを迎撃する彼等も負けてはいない。

 

 ボーダー屈指の射手達が、黒トリガーの猛威に正面から立ち向かう。

 

 良い勝負だ、とこの場を見た者は言うだろう。

 

「────────そこだ」

 

 だが。

 

 生憎、ハイレインにそんな感傷はない。

 

 戦闘は、彼にとってあくまでも結果を得る為の()()に過ぎない。

 

 そんな彼が、何の策もなく力任せの物量頼りの攻撃などする筈がない。

 

「…………!」

 

 一閃。

 

 生物弾の隙間を掻い潜るように、二発の弾丸が放たれる。

 

 一発は、地面へ。

 

 もう一発は、出水の右腕に着弾する。

 

「ぐ…………っ!?」

 

 瞬間、出水の右腕に穿たれた()は地面に突き立った弾と引き合い、彼をそのまま地に縫い付ける。

 

 何が起きたか、言うまでもない。

 

 ラービットの特殊個体(モッド体)、磁力型。

 

 ヒュースの蝶の盾(ランビリス)の能力を埋め込まれたトリオン兵の攻撃が、<窓>越しに炸裂したのだ。

 

 出水はバイパーの弾道を、那須と同じくリアルタイムで引いていた。

 

 それは自由度の高さを生んでいたが、同時に発射寸前に体勢を崩されると制御に失敗するという脆さを抱え込んでいる。

 

 出水が天才射手であっても、不意の転倒をすれば反射的に自分の身体を守ろうと防衛反応が働く。

 

 たとえトリオン体がその程度で怪我をする事はなくとも、身体の反射というのは生理的なものだ。

 

 本物の戦場を渡り歩いた迅達旧ボーダーの面々ならばいざ知らず、出水は遠征経験はあっても戦争に本格的に参加した経験などはない。

 

 そういった戦場自体に赴いた事はあるが、迅達と比べれば経験値が足りているとは言えなかった。

 

 故に出水の弾丸は制御を失い、あらぬ所に────────────────飛びは、しなかった。

 

 出水は制御を失う寸前に、間一髪で弾丸を破棄。

 

 制御失敗による誤射だけは、なんとか防いだ。

 

 しかし、出水の分の弾幕がなくなってしまった事に変わりはない。

 

 ハイレインは、この弾幕戦を支えているのが彼である事を見抜いていた。

 

 二宮は出力と言う点で彼に勝るが、弾幕戦をコントロールしているのは出水の方だ。

 

 それを看破していたハイレインは、的確に彼を狙い撃ったのである。

 

「…………!」

 

 生物弾の約半数を押し留めていた出水の弾がなくなった事で、白い鳥の群れは勢いを付けて二宮達に襲い掛かる。

 

 この一瞬を作る為、ハイレインは物量という目に見える脅威を囮として磁力弾の狙撃を実行したのだ。

 

 ハイレインは、エネドラのような過剰な力の誇示は行わない。

 

 その行動には必ず意味があり、無駄な行為といったものを嫌う。

 

 戦場の高揚とは無縁な、徹底的な実利主義。

 

 それがハイレインという男の在り方であり、多くの領民を抱える領主として当然の行動規範。

 

 自分に匹敵する軍師を前にして感じるのは、作戦達成難易度上昇における煩わしさだけだ。

 

 心の片隅では名将との指し合いを楽しんではいるが、それはあくまでも任務の間に生じた雑念に過ぎない。

 

 理と効率の化身であるハイレインにとって、そういった私情は作戦遂行という至上命題の前に一蹴するものでしかない。

 

 敵の流儀に合わせる必要はない。

 

 リスクヘッジを徹底し、あくまでも論理的・効率的に作戦を進め戦果を獲得する。

 

 それがハイレインの行う()()であり、そこに如何なる感情論が挟まれる余地はない。

 

 出水を排除してしまえば、後は物量でのごり押しでどうとでもなる。

 

 正攻法とは、別段公明正大な勝負の事を指すのではない。

 

 あくまでも堅実な方法で行われる、地力の()()()()に他ならない。

 

 そして、そういった戦いでは()()()()()は起こらない。

 

 正攻法同士でぶつかれば、万に一つも格下に逆転の芽など有り得ないからだ。

 

 ハイレインの戦術は、如何にしてその()()()()()()()を押し付ける形に持っていくかが基本となる。

 

 何故ならば、それが。

 

 トリガー(ホーン)と黒トリガーによって高出力を得ているハイレインにとって、最も確実性の高い戦術だからだ。

 

 無慈悲な白い鳥が、飛来する。

 

 近界の軍師の策が、出水へと牙を剥いた。



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旧東隊③

 体勢を崩した出水に襲い掛かる、無数の生物弾。

 

 無慈悲なる白鳥は、明確な隙を見せた天才射手を仕留めんと降り注ぐ。

 

 此処で出水が落ちれば、天秤はハイレインの側に傾く。

 

 だからこそ、磁力型の支援という虎の子を切ってまでハイレインは彼に隙を作ってみせた。

 

「させるか」

 

 だが。

 

 それは、東の側も読んでいた。

 

 二宮も、加古も、出水本人も。

 

 このタイミングで、出水をカバーする事は出来ない。

 

 いずれの射手も攻撃の真っ最中であったが為に、それを行う為には一手。

 

 刹那の時間が、足りなかった。

 

 されど。

 

 ()()は、別だ。

 

 彼は東の指示で、唯一攻撃に参加していなかった。

 

 この状況で。

 

 ハイレインが切って来るだろう、()()()を見せた時に。

 

 それに、対応する為に。

 

 三輪は、シールドを遠隔で()()()()

 

 強度度外視で広範、且つ極小で展開されたそれは降り注ぐ鳥型生物弾の防壁として機能。

 

 その悉くを、凌ぎ切った。

 

 ハイレインの黒トリガー、卵の冠(アレクトール)の生物弾は如何なる防御であろうとそれがトリオンによって構築されたものなら問答無用でキューブ化させる。

 

 故に集中シールドのように一点にトリオンを凝縮するタイプの防御は、彼相手には意味が無い。

 

 かといって、ただシールドを広げたとしても生物的な動きをする卵の冠の弾丸相手に凌ぎ切れる保証はない。

 

 だからこそ、三輪は強度を極限まで削減した上でシールドをグラスホッパーのように無数に分割して展開した。

 

 如何なる防御だろうとキューブ化する生物弾は、その防御に注ぎ込まれたトリオンがたとえ薄紙のような小さなものであっても等しく効果を発揮する。

 

 つまり、卵の冠相手に最も効率的な防御法は────────────────単純な、()()なのだ。

 

 三輪はこれまでの戦闘でそれを理解し、実行しただけに過ぎない。

 

 他ならぬ、東の指示に従って。

 

 東は、ハイレインがこのまま膠着状態を良しとするとは考えていなかった。

 

 正確には、膠着状態を崩す為に何かしらの「虎の子」を切って来ると予想していた。

 

 そして恐らく、その狙いは出水に向くであろう事も。

 

 射手ではない東だが、彼は二宮と加古といった最上位に位置する射手を育てた経験がある。

 

 何よりも、東の本領は指揮にこそある。

 

 全ての駒を効率的に動かす為には、各々のポジションへの理解が必要不可欠だ。

 

 だからこそ東は、聞き取りや実践を通じて全ての職種(ポジション)の戦闘方法や思考傾向、そして得手不得手や視野の程度を徹底的に学んでいた。

 

 故に、この弾幕戦で誰を失うのが一番見過ごせないかを東は理解していた。

 

 その為に、三輪を緊急時の護衛として攻撃に参加させていなかったのだ。

 

「矢張り、読んでいたか」

「…………!」

 

 しかし。

 

 これを読まれる事も、ハイレインは想定していた。

 

 何せ、三輪だけが今の状況下で攻撃に参加していなかったのだ。

 

 用心深いハイレインが、その動向を見過ごす筈がない。

 

 だからこそ、当然()()()は装填していた。

 

 背後に空いた<窓>の向こうに配置した、砲撃型ラービットという名の弾丸を。

 

 現在、この場にいる加古を除く全員が両攻撃(フルアタック)状態となっている。

 

 唯一片手が空いている加古一人のシールドでは砲撃型の砲撃は防げないし、そもそも彼女は敵の狙いである千佳の護衛である。

 

 弾幕による支援は出来ても、迂闊に動かせない駒である事に違いはない。

 

 磁力型による出水の嵌め殺しは、陽動(ブラフ)

 

 本命は、砲撃型の攻撃で敵戦力を削る事。

 

 砲撃型は元となった雷の羽(ケリードーン)ほどの威力はないが、撃ち合いにおいては大抵の相手に負けないだけの火力を誇る。

 

 砲撃時に弱点である核を露出させてしまうという致命的な欠点こそあるが、<窓>越しの砲撃ならば関係が無い。

 

 

 

 

「甘ぇーんだよ」

 

 その考えに、待ったをかける者がいた。

 

 彼は東の指示で、最初からその場で待っていた。

 

 この時、この瞬間。

 

 敵が見せた()を、確実に撃ち落とす為に。

 

 彼は、当真は。

 

 待ち望んでいた好機に、躊躇いなく引き金を引いた。

 

 

 

 

 白い鳥の生物弾が旋回する、ハイレインの背後。

 

 そこに空いた穴目掛けて、一発の弾丸が飛来した。

 

 付近の建物の内部から放たれたそれは、生物弾を潜り抜け<窓>の向こうに着弾。

 

 砲撃準備をしていたラービットの核を正確に射抜き、その動作を停止させた。

 

 東の、作戦通りに。

 

 今回の敵を、ハイレインを東は決して過小評価しなかった。

 

 自分と同等の戦術眼を持った指揮官として、最大限の警戒を以て相対している。

 

 だからこそ、第二の矢に対する備えも当然用意していた。

 

 今回の大規模侵攻で、各部隊から狙撃手を徴兵し温存しておいた理由の一つがこれだ。

 

 スイッチボックスという退()()()()を用意した事で、狙撃手の単騎運用におけるリスクが大幅に減じた今、それを有効活用しない理由はない。

 

 主戦場の外側から不意を突ける狙撃手の存在は、状況によっては大きな鬼札(ワイルドカード)になる。

 

 火力と射程の高いランバネインに対してはあまり多くを投入するワケにはいかなかったし、一撃で仕留められる可能性が薄かったエネドラにはそもそも狙撃手があまり有効ではなかった。

 

 東ならば正確に核を射抜くような芸当も出来ただろうが、彼はこの戦況における最重要の駒の一つだ。

 

 いち狙撃手として運用出来るほど、この戦争に余裕はない。

 

 だが、敵の指揮官が出て来た今。

 

 出し惜しみをする理由は、なくなった。

 

 現場指揮の重要性というものを、東は身を以て理解している。

 

 後方から出す指示と、現場から出す指示とでは即効性や有効性に相応に違いが出る。

 

 ROUND4で王子という司令塔を早期に失った王子隊の動きが、明らかに鈍ったように。

 

 指揮官を落とす、というのは戦力的な意味以上の意義があるのだ。

 

 それを理解しているからこそ、東は当真の投入を決行した。

 

 次の手に、繋げる為に。

 

「ち…………っ!」

 

 ハイレインは舌打ちしつつ、ミラに命じて<大窓>でラービットを当真の狙撃した建物へと突貫させる。

 

 無論、そこに既に当真の姿はない。

 

 予め仕掛けていたスイッチボックスで、彼は狙撃直後に転移していた。

 

 逃げられる事は、分かっていた。

 

 だが、此処でラービットを投入しなければ頭上を狙撃手に取られ続けたままとなってしまう。

 

 故に、無駄な一手になると理解していても<大窓>でラービットを投入せざるを得なかったのだ。

 

「喰らえ」

 

 その隙を逃がす、三輪ではない。

 

 彼は射撃戦を続ける二宮達の前に出て、拳銃の引き金を引いた。

 

 旋回する、無数の生物弾。

 

 それに、直撃する軌道で。

 

 ハイレインは、訝しむ。

 

 この少年の技量が低くない事は、既に分かっている。

 

 たった今見せたシールドの分割展開といい、体捌きといい、上位の使い手である事は明白だ。

 

 その彼が、この状況で意味のない射撃を行うだろうか。

 

「…………!」

 

 そこで、思い至る。

 

 先程、この少年は曲がる弾を────────────────変化弾(バイパー)を、用いていた。

 

 生物弾に直撃する軌道で撃ったのは、あくまで陽動(ブラフ)

 

 恐らく、直撃する直前で軌道を変えてこちらを狙うつもりだろう。

 

 相当な技術が必要になるだろうが、それを持っているであろう事をハイレインは疑わない。

 

 これまでの戦闘を通じて、玄界(ミデン)の戦力の高さは否応なく痛感している。

 

 こと此処に置いて、敵を侮るという愚をハイレインは冒さない。

 

 相手の実力は正確に評価し、その上で最適な対抗策を実行する。

 

 それは東が良く言っている「相手の戦術レベルを鑑みる」という言葉の実践であり、奇しくも同じ戦術スタンスを持つ者同士が至る当然の論理であった。

 

 敵の狙いは分かった。

 

 ならば、話は簡単だ。

 

 防御をより、厚くすれば良い。

 

 ハイレインは卵の冠から、白い鳥の生物弾を追加生成。

 

 自分の周囲に密集させる形で、展開する。

 

 これならば、敵が如何なる軌道の弾であっても防御可能。

 

 万全の態勢で、ハイレインは敵の弾を迎え撃った。

 

「馬鹿が」

 

 だが。

 

 彼の予測は、外れた。

 

 三輪の撃った弾丸が、()()が。

 

 生物弾を、()()した事で。

 

 オプショントリガー、鉛弾(レッドバレット)

 

 このトリガーには、トリオンで出来た物体を()()()()という性質がある。

 

 シールドは勿論、トリオンで構築されたハイレインの生物弾も例外ではない。

 

 これを止められるのは物質化したオブジェクト、もしくはトリオン以外の物質のみ。

 

 トリオンの防御では防げない弾丸は、当然の如くハイレインに着弾。

 

 無数の重石となって、ハイレインに膝を突かせた。

 

「…………!」

 

 鉛弾の()()自体は、ハイレインも目にはしていた。

 

 だが、その性質────────────────トリオンによる生成物を透過するという特性は、正しく初見。

 

 此処に来て、以前鉛弾を撃たれた場面で生物弾ではなくラービットを防御に回したツケが回ったのだ。

 

 本当の意味での、初見殺し。

 

 常ならばハイレインの側が持つ筈だったアドバンテージを、まんまと押し付けられた形となる。

 

「旋空弧月」

 

 その隙を、逃す手は無い。

 

 放たれた、拡張斬撃。

 

 それを撃ったのは、ハイレインが懸念していた姿を消した剣士の片割れ────────────────辻新之助。

 

 地下道から出てスイッチボックスでこの場にやって来た彼は、己が隊長を援護する為ハイレインに向けて旋空を撃ち放った。

 

 無論、二宮達が生み出した生物弾の隙間を狙って。

 

 旋空は、ほぼ防御不能の攻撃として認識されている。

 

 尋常ではない硬さを持つイルガーやラービットの装甲さえ、最大威力を持つ先端を正確に当てる事が出来れば斬り裂ける。

 

 たとえラービットがハイレインの傍に転移で出て来たとしても、その機体ごと斬り裂く事が出来るだろう。

 

「────────!」

 

 だがそれは。

 

 あくまで、何の妨害もなければの話である。

 

 辻が撃った旋空は────────────────否、弧月の刀身は。

 

 ハイレインがマントの下に潜ませていた無数の蜂型の生物弾に触れ、キューブと化した。

 

 旋空弧月は、斬撃を飛ばしているのではない。

 

 その実体は、あくまでも弧月のブレードを()()()()攻撃しているに過ぎない。

 

 そして当然、弧月のブレードはトリオンによって生成されている。

 

 故に、生物弾に当たってしまえば等しくキューブなるのは通り。

 

 たとえそれが、最大威力を持つ刀身の先端であったとしても。

 

 トリオンによる武器である以上、卵の冠(アレクトール)の前に例外は無いのだ。

 

「────────!」

 

 だがこれで。

 

 ハイレインは隠していた奥の手を、全て見せた事になる。

 

 不意打ちの為に残していた、磁力型による支援。

 

 虎の子であった、砲撃型の奇襲。

 

 そして、万が一の時の為に備えていた蜂型生物弾による防御。

 

 その全てを、曝け出した。

 

 故に、動いた。

 

 三輪は、拳銃をホルスターに仕舞い、弧月を抜刀。

 

 姿勢を低くした状態で、ハイレインに突貫した。

 

「…………!」

 

 当然の如く、降り注ぐ生物弾。

 

 だがそれは。

 

 二宮と出水の弾幕で、その全てが撃ち落とされる。

 

 攻撃中断の隙から立ち直った出水は、二宮と共に三輪の道を切り開く。

 

 現在、ハイレインは直撃した鉛弾によって身動きが取れない。

 

 二宮達は知る由もないが、ハイレインの纏うマントの持つ機能を使えば重石を除去する事は出来る。

 

 だがそれは多少の時間がかかり、三輪が到達するまでには間に合わない計算となる。

 

 故に、ハイレインに回避という選択肢は取れない。

 

 そして、頼みの綱の生物弾は悉く二宮と出水に撃ち落とされる。

 

 今のハイレインに、三輪の攻撃を防ぐ術はない。

 

「あと一歩、だったな」

「…………!」

 

 だが、それは万策尽きた事を意味しない。

 

 ハイレインの直上に<窓>が開き、ラービットが投下される。

 

 三輪の進路を、塞ぐ形で。

 

 残り少ない<大窓>を使用した、本当の意味での虎の子の防御。

 

 投下されたラービットは通常個体であり、三輪であれば苦も無く撃破出来る。

 

 されど、一手の遅れはハイレインに立て直しの時間を生む。

 

 ラービットが倒される間にハイレインは重石を除去し、態勢を立て直すだろう。

 

 そうなれば、この千載一遇の好機を逃す事になる。

 

 そして、敵の懐に飛び込んだ三輪が今度は窮地に陥ってしまう。

 

 幾ら三輪とはいえ、至近距離で生物弾の集中攻撃を受ければ無事で済む保証はない。

 

 あと一歩。

 

 それが、足りなかった。

 

「が…………っ!?」

 

 否。

 

 一歩は、足りていた。

 

 ハイレインに、最後の防御札(カード)を。

 

 ラービットの防壁を、使わせる為の一歩は。

 

 眼前にラービットを転移させた事により、重石によって膝を突いていたハイレインの視界は塞がる事になった。

 

 その隙を突いた者が、いたのだ。

 

 テレポーターを使用し、ハイレインの背後に移動した加古が。

 

 スコーピオンの投擲によって、ハイレインの首を貫いていた。

 

 射撃トリガーでは、転移後の攻撃に時間遅延(タイムラグ)が発生する。

 

 だからこそ加古はスコーピオンを用いて、トドメの一撃を放ったのだ。

 

 千佳の護衛という、動かしようのなかった筈の立場を捨てて。

 

 これが、東の策。

 

 敵の狙いからしてみれば、千佳の護衛を外す事は()()()()()選択肢となる。

 

 ()()()()()、実行した。

 

 敵の意表を、意識の隙を突く為に。

 

 ハイレインのリスクを徹底的に排除する思考傾向を逆手に取り、彼にとって()()()()()手を打つ。

 

 それが、東の策略。

 

 リスクヘッジの重要性を理解しつつも、それを利用してのけた戦術。

 

 それは。

 

「────────かかったな」

「…………!」

 

 千佳の足元に開いた、<窓>の存在によって覆される。

 

 彼女の身体に、黒い穴から出て来た無数の白い鳥が着弾した。

 

 卵の冠の生物弾を受けた千佳のトリオン体が、キューブ化を開始する。

 

 千佳の足元に空いた穴は人間が通れる程の広さはないが、キューブであれば充分に通過可能なサイズとなっている。

 

 このままであれば、キューブ化した千佳は黒い穴に────────────────窓の影(スピラスキア)の狭間に、落ちる事になる。

 

 ハイレインは致命傷を受けたが、そもそも彼の勝利条件はこの場の戦闘の勝敗には関係が無い。

 

 重要なのは、金の雛鳥を確保出来るか否か。

 

 その為にハイレインは、自らを()()()としたのだ。

 

 加古という、金の雛鳥の護衛を一時的にでも排除する為に。

 

 金の雛鳥さえ手に出来れば、そのまま撤退すれば良い。

 

 未だヴィザは戦闘を継続中だが、彼の御仁であれば撤退など造作もない。

 

 勝負には負けたが、目的は達成出来た。

 

 そもそも局所的な勝ち負けなど、ハイレインの眼中にはない。

 

 重要なのは、最優先目標を達成出来るか否か。

 

 ただ、それだけなのだから。

 

 敵の軍師の有能さを信じたからこそ、ハイレインは乾坤一擲の策を成功させた。

 

「な、に…………っ!?」

 

 されど。

 

 東は、その上を行く。

 

 千佳の背後の建物から放たれた、一発の弾丸。

 

 それは正確に彼女の頭部を撃ち貫き、トリオン体に致命傷を与えた。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 トリオン供給脳の破壊により、緊急脱出システムが起動。

 

 千佳はキューブ化が完了する前に光の柱となり、ボーダー本部へと消える。

 

 ハイレインの策が、失敗に終わった瞬間だった。

 

 東は、太刀川が敵のワープ使いによって嵌められた事を知っている。

 

 だからこそ、強制転移の罠を使って来る可能性は常に考慮していた。

 

 故に、敢えて加古を千佳の傍から離したのだ。

 

 厄介極まりない強制転移の罠の使用タイミングを、こちらから()()する為に。

 

「完敗、か」

 

 自らの作戦失敗を目にしたハイレインの身体が罅割れ、崩れていく。

 

 致命傷を受けたアフトクラトルの指揮官は、勝負と作戦両方の敗北を突き付けられ。

 

 そして。

 

 トリオン体を、崩壊させた。

 

 読み合いで勝ったのは、東春秋。

 

 彼率いる、旧東隊を中心とした面々。

 

 最高位の戦術眼の持ち主同士の戦いは、東に軍配が上がった。



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神の国の剣聖①

 

「勝てたか…………」

 

 烏丸は弧月を納刀しながら、ハイレインの戦闘体が崩壊する様を見届けた。

 

 彼は東から万が一ラービットが千佳を直接攫いに来た時の為に、後詰めとして待機の命が下っていた。

 

 ハイレインが転移トリガーを使って直接千佳を狙うか、それともラービットを用いるかは前者の可能性が高かったが後者の可能性もまた0ではなかった。

 

 その為、烏丸はいつでも旋空を撃てる態勢で待機していたのだ。

 

 どちらであっても、対応出来るように。

 

 加えて、烏丸の旋空は既にハイレインに見せた手札だ。

 

 その烏丸を敢えて()()()()事で、彼のいる方向からの旋空を警戒させた、という思惑もある。

 

 正直な話、ただハイレインを倒すだけなら他のメンバーだけでも足りてはいたのだ。

 

 此処まで膠着が続いたのは、偏に敵の狙いが千佳であった為だ。

 

 ハイレインを撃破出来ても、彼女を確保されてしまえば()()なのだ。

 

 事実、ハイレインは自身を捨て石にしてでも千佳を捕まえようとした。

 

 敵の思惑を防ぎつつ、ハイレインを撃破する。

 

 その目標は、今此処に達成された。

 

 大一番は、一先ずこちらの勝利といったところだ。

 

「目標、排除完了」

 

 ラービットを瞬殺した三輪はその機能停止を確認し、弧月を収める。

 

 ハイレインの目前でラービットの足止めを喰らった三輪だが、撃破自体は彼にとってそう手こずるものでもない。

 

 鉛弾を撃ち込み、身動きを封じた上で核を穿つ。

 

 それだけの、流れ作業に過ぎないのだから。

 

『敵はこれで生身になったが、ワープ使いが撤退させるだろう。くれぐれも、深追いはするな』

「了解」

 

 東の指示に、二宮達は頷く。

 

 これまでの戦闘でワープ使いも相当トリオンを使わせた筈だが、指揮官を撤退させるだけのトリオンは残してあるだろう。

 

 何故なら、ハイレインは自身を捨て石にする作戦を実行している。

 

 仮にあのまま千佳の鹵獲に成功しても、指揮官であるハイレインが捕虜になってしまっては人質交換が成立してしまいかねない。

 

 精鋭とはいえあくまで一兵卒だったヒュースやエネドラとは、ハイレインの身柄の価値は明確に違う。

 

 極論すればヒュース達の代わりはいるが、領主たるハイレインの代わりは誰もいない。

 

 たとえ金の雛鳥の捕獲に成功しようと、ハイレインという旗頭を失えば本末転倒なのだ。

 

 それ故に、最低限彼を撤退させるトリオンだけは残してある筈だ。

 

 此処で指揮官を捕らえられれば最上ではあるが、下手に深追いして罠に嵌まるワケにはいかない。

 

 自身を捨て駒として使ってまで、目的を達しようとした相手だ。

 

 追って来た相手を罠に嵌めるくらい、容易くやってのけるだろう。

 

「────────この場は完敗だ。玄界(ミデン)の兵士たちよ」

「…………!」

 

 故に、撤退前にハイレインがそう声をかけて来たのは意外であった。

 

 煙の中で見えるハイレインのシルエットは予想通り空間転移の穴を背としており、こちらの一手が届く前に撤退を完了させるだろう。

 

 だからこそ、この場で声をかけて来たのは疑問が残る。

 

 果たして、この敵指揮官は捨てセリフを残すような()()を行うような相手であろうかと。

 

「金の雛鳥が基地に逃がされてしまった以上、当初の作戦は完全に失敗と言って良いだろう。残るトリオン兵も、そう多くはない。何より俺が落ちてしまった時点で、()便()()目標を連れ去る事は不可能になった」

「…………!」

 

 ハイレインの言葉の不吉なニュアンスに、二宮達は────────────────そして、通信越しにそれを聞いていた東は目を見開く。

 

 彼のやり方が「穏便」であったかどうかはともかく、アフトクラトルなりの一線として「後に退けないくらいの被害」を与えるつもりはなかったのは事実だろう。

 

 市街地へのイルガー投下にしても、あれは防がれる事を前提とした作戦だ。

 

 本気で市街地を壊滅させるつもりは────────────────その可能性を容認していたとはいえ、彼等にはなかった筈だ。

 

「敵国を追い詰め過ぎる事は、愚策であるのは理解している。だが、こちらにも立場がある。流石に、()()()()で帰る事は出来ない」

 

 だが、現状アフトクラトルは明確な()()を獲得していない。

 

 訓練生の緊急脱出(ベイルアウト)の有無を確認出来なかった為C級隊員は本命の標的から外し、あくまでも「神」の候補者────────────────金の雛鳥を捕まえる事を、作戦の目標としていた。

 

 加えてボーダーは用心の為に避難誘導に参加させるC級隊員の数を厳選し、B級下位とそれを指揮する柿崎に守らせる形を取った。

 

 だからこそこれまでボーダーの隊員は一人も捕まってはいないし、最大の懸念点だった千佳も緊急脱出で基地に避難が完了している。

 

 大駒も太刀川が落とされたとはいえ幾人も残っているし、敵も残るは一人だけ。

 

 戦況だけを見れば、ボーダーの圧倒的優位と言って差し支えない。

 

「────────────────故に、宣言しよう。金の雛鳥を渡さなければ、我々は諸君を掛け値なしに()()させると。文字通りの意味でだ」

「…………!」

 

 ただ一点。

 

 その残る一名の敵戦力が、あらゆる意味で常軌を逸している事を除けば。

 

「これはハッタリでも、負け惜しみでもない。今この時より、作戦目標を鹵獲から殲滅に切り替える。これだけはやりたくなかったが、こうなった以上は致し方ない」

 

 故に、これは宣告。

 

 金の雛鳥を、千佳を渡さなければこちらを皆殺しにするという────────────────武力を背景とした、脅迫。

 

 神の国の剣聖を、本気で動かすと言う合図。

 

「こちらは最早、容赦をするだけの理由はなくなった。なるだけ早く、決断する事を勧めよう」

「…………っ!」

 

 その宣告に、三輪は鉛弾を撃ち放つ。

 

 今のふざけた宣告を、現実にするワケにはいかない。

 

 故に此処で、敵を拘束して止めさせる。

 

 その為に放った、一手。

 

「────────!」

 

 だがそれは。

 

 目の前に着地した、ラービットによって阻まれた。

 

 これは、先程当真のいた建物に突入した個体である。

 

 しばし距離が離れていた為処理を後回しにしていたが、それが仇となった。

 

 鉛弾はその装甲に撃ち込まれ、重石を付けられたラービットはその場に崩れ落ちる。

 

 だが。

 

 視界の先には既にハイレインの姿も、<窓>の痕跡もなく。

 

 敵の首魁は、既に撤退した後だった。

 

「くそ…………っ!」

 

 三輪は悪態をつきながらラービットの核を弧月で射抜き、二宮達に視線を向ける。

 

 作戦は成功した。

 

 敵の指揮官は倒した。

 

 その目論見も、打ち破った。

 

 だが、それによって引いてはならない引き金を引いてしまった。

 

「────────っ!!」

 

 それを。

 

 彼等は、戦場の全てに叩きつけられた極限の殺意によって理解する事となった。

 

 

 

 

『聞いての通りです、ヴィザ翁。不甲斐ない限りですが、当初の作戦は完全に失敗しました』

 

 七海と対峙するヴィザは、ハイレインからの通信を黙って聞いていた。

 

 無数の瓦礫が積み重なる戦場の最中、突然立ち止まったヴィザを七海は訝し気に見ている。

 

 彼は痛み(ダメージ)の発生個所は感知出来ても、影浦のように相手の感情までは分からない。

 

 だが。

 

 七海の背筋に、言い様のない悪感が迸っていた。

 

 何か、マズイ。

 

 根拠は説明出来ないが、彼の生存本能が五月蠅い程に警鐘を鳴らしていた。

 

 何かの拍子で、地獄の釜が開いたような。

 

 そんな、感覚が。

 

『最早、玄界(ミデン)の被害に配慮する余裕はなくなった。ヒュース、エネドラの件は片付いたが、このまま戦果なしで帰る事は出来ない────────────────故に、手段は選ばん』

 

 そして、告げられる。

 

 アフトクラトル領主、ハイレインの口から。

 

 最後の枷を外す、一言が。

 

『────────────────ヴィザ、城を落とせ』

 

 一瞬の静寂。

 

 空気が、世界が止まる。

 

 その刹那の後。

 

「────────了解致しました」

 

 ヴィザは、閉じた目を開け。

 

 その瞳に、修羅を宿した。

 

「本当に、玄界(ミデン)の成長は目覚ましい。まさか、ハイレイン殿まで敗れるとは。その研鑽に、その成果に、素直に敬意を表します」

 

 ですが、とヴィザはその手に持つ星の杖を掲げる。

 

「私は、ヴィザ。国宝星の杖の担い手にして、神の国アフトクラトルの剣聖。出来る事なら無用な血は流したくはありませんが、国の為とあらば────────────────たとえ、屍山血河を築こうが止まるワケにはいきますまい」

「…………!」

 

 それは、宣告。

 

 たとえどれだけの犠牲を、屍の山を築こうとも。

 

 目的を達成するまでは止まらないという、剣聖の最後通告(ことば)

 

 真の意味で、全力を出すという彼なりの宣誓。

 

 そして。

 

「こうなってしまった以上は、致し方ありますまい。貴方たち玄界(ミデン)の兵士の強さに、敬意を表し────────────────全霊を以て、お相手させて頂きましょう」

 

 ────────────────殺意が、戦場を席捲した。

 

 肌に突き刺さる、底知れぬ悪感。

 

 周囲の気温は変わっていない筈なのに、まるで極寒の吹雪の最中に放り込まれたような寒気。

 

 それは、数多の戦場を巡った修羅のみが持つ全霊の殺意。

 

 敵を殺すという事だけに特化した、容赦なき剣鬼の具現。

 

 神の国の剣聖、ヴィザがその刃を作戦行動ではなく明確な()()へと切り替えた証。

 

 そして。

 

 あらゆる死の、前兆であった。

 

「────────────────星の杖(オルガノン)

 

 刹那。

 

 不可視の刃が、世界を席巻した。

 

 空気が戦慄く。

 

 空が震える。

 

 空間そのものの、断末魔。

 

 それを錯覚するかの如き現象が、戦場に具現した。

 

 裁断される、ありとあらゆる建造物。

 

 視界に映る全てが、一瞬で斬り裂かれ、その斬撃の後にようやく現実が追い付いたかのように崩れ落ちていく。

 

 神速、どころの騒ぎではない。

 

 先程までの剣速ですら、まだ本気ではなかった。

 

 此処にいたのが感知痛覚体質(サイドエフェクト)を持つ七海でなければ、今の一刀で斬り裂かれていただろう。

 

「え…………?」

「やられたな、これは」

『『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 だが、助かったのは彼だけだ。

 

 ヴィザが斬り裂いた、建物の内部。

 

 そこに狙撃の機会を伺って待機していた太一、穂刈は。

 

 今の斬撃によって、胴を両断。

 

 致命傷を負い、緊急脱出システムが作動して戦場から消え去った。

 

 二人は、同様に驚きに眼を見開いていた。

 

 有り得ない。

 

 東ではあるまいに、建物の内部に隠れている狙撃手を。

 

 今の無差別攻撃で正確に仕留める、などという真似が出来るなどとは。

 

 到底、想定する事は出来なかっただろう。

 

「────────────────微かに、殺気が漏れていましたのでな。それに、私を相手に狙撃を試みた者はこれまでに幾人もおりました。なので、分かるのですよ。狙撃手が隠れていそうな、位置などはね」

 

 ヴィザがそれを成し得たのは、偏に彼の超絶技巧とこれまでの戦闘経験があったが故だ。

 

 戦争経験。

 

 旧ボーダーの面々が持つ強さの一端でもあるそれを、ヴィザ翁は文字通り星の数ほど経験している。

 

 だからこそ、戦場での定石は彼にとっては常識だ。

 

 たとえそれが。

 

 達人の中の達人のみが持つ観察眼に依る、他者に真似など出来ようもない芸当であろうとも。

 

 彼にとっては、()()()()()の事でしかない。

 

 敵側の最大戦力を持つ自分相手に、生存に優れた七海のみ当てる、などといった事がある筈がない。

 

 那須の射撃支援があるとはいえ、七海はどう見ても遊撃・攪乱に特化した駒だ。

 

 攪乱に特化した兵は、逃げに徹する事が出来るからこそその長所を最大限に発揮出来る。

 

 だからこそ、在って然るべきなのだ。

 

 遊撃兵の火力不足を補う、必殺の()()が。

 

 そしてそれを担うのに、狙撃手ほど的確な相手はいない。

 

 戦闘の最中に遠方から一方的に攻撃出来るというアドバンテージは、決して無視出来るものではない。

 

 膠着した戦場では、互いの狙撃手の同行が明暗を分けるケースなど幾らでもある。

 

 それ故に如何なる時でも狙撃手に警戒を配るのは兵士として当然であり、ヴィザもまた例外ではない。

 

 特に、星の杖の使い手たる彼は多くの狙撃手に狙われた経験がある。

 

 正面から戦って倒せないのなら、暗殺を狙う。

 

 非常に合理的で、有効な対策だ。

 

 ただ一つ。

 

 隠れて狙撃した()()では、翁を葬る事出来ず。

 

 そもそも、隠れ潜んだ程度でヴィザの眼から逃れられるという考え自体が甘過ぎる。

 

 

 

 

「今だ、章平」

『了解』

 

 故に、彼等は備えていた。

 

 敵が大規模な攻撃に撃って出る、この時を。

 

 彼等は、奈良坂と古寺は。

 

 裁断された建物、その外周から。

 

 二人同時に、ヴィザに向かって引き金を引いた。

 

 

 

 

「────────成る程」

 

 だが。

 

 その弾丸は、翁には届かなかった。

 

 奈良坂と古寺。

 

 二人の弾丸は、目標に届く前に撃ち落とされた。

 

 正しくは、斬り払われた。

 

 ヴィザの振るう、不可視の高速斬撃によって。

 

 迫り来る弾丸を、刃で斬って捨てるという絶技。

 

 それを当然のように成し遂げたヴィザは、笑みを深め────────────────。

 

「そこですね」

 

 ────────────────二人の狙撃手を、不可視の斬撃で斬り裂いた。

 

「…………!」

「く…………」

 

 胴を両断された二人の顔が、悔し気に歪む。

 

 黒トリガーの、星の杖の最大射程を完全に見誤った。

 

 先の一閃で裁断された範囲こそ星の杖の射程だと考えていたのだが、的外れも良いところだった。

 

 あの一撃は、あくまでも建物内に潜む二人を()()()()にしただけに過ぎない。

 

 あれだけ大規模な破壊を齎しておきながら、ヴィザの剣に無駄などといったものは有り得ないのだ。

 

 むしろ、今の派手な攻撃には最大射程を誤認させる狙いもあったというワケだ。

 

『『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 機械音声が、三輪隊の狙撃手二人の脱落を告げ奈良坂達は光の柱となって離脱する。

 

 それを見届けたヴィザは、アフトクラトルの剣聖は。

 

 対峙する七海を見据え、口角を上げた。

 

「城攻めは久方ぶりですが、命令とあれば致し方ない。此処は老骨に鞭打って、領主殿の期待に応えるとしましょう」

 

 剣聖は星の杖を携え、一歩を踏み出す。

 

 七海には、その歩はまるで。

 

 巨大な厄災が、ゆっくりとにじり寄って来るように見えてならなかった。

 

「これも戦場のならい。容赦をするつもりも、加減するつもりもありません。命惜しむのであれば、早急に白旗を上げるとよろしいでしょう。()()()()なら、いつでも受け付ける用意がありますのでな」

 

 ヴィザは言外にハイレインと同じ要求を伝え、凄絶な笑みを浮かべる。

 

 神の国の剣聖の枷は、解き放たれた。

 

 今の翁は、目的を達するまで決して止まる事はない。

 

 地獄の蓋以上に恐ろしい鎖が解かれ、剣聖は修羅としての本性を露とした。

 

 文字通りの、一騎当千。

 

 それを体現する剣士が、七海の。

 

 ボーダーの前に、立ち塞がった。

 



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神の国の剣聖②

 

(────────遂に来たか)

 

 迅はたった今視えた未来視(えいぞう)を鑑みて、眼を細めた。

 

 最善の未来へ至る為の、どうしても越えなければならない最大の()()()

 

 それが、やって来たのだ。

 

 敵の最高戦力、剣聖ヴィザ。

 

 彼が本気になる事こそ、最悪の未来に繋がりかねない道ながら────────────────唯一、最善の未来へ辿り着く道筋でもあった。

 

 この戦いで彼が本気になる分岐(ルート)は、実のところ殆どない。

 

 彼はあくまでもこちらの強兵を抑える為の特機戦力に過ぎず、本気で殲滅をしにかかっては隊員の鹵獲が目的である相手にとって本末転倒な事態となる。

 

 加えて、敵指揮官であるハイレインは決して過剰な戦果を求めているワケではなかった。

 

 冒すリスクを考慮しながら、リターンとの釣り合いを常に考え取り返しのつく()()を見極めて動くのがハイレインのやり方だからだ。

 

 そして、遠征において敵国を追い詰め()()()のは冒せるリスクの限度を越えている。

 

 黒トリガーを生む可能性を生じさせてしまう事もそうだが、何より恨みを()()()()()事は今後を考えればデメリットでしかない。

 

 これが占領する予定の近界国家であるならばまだしも、玄界(ミデン)は近界の惑星国家とは決定的に違う点が一つある。

 

 それは、玄界の維持が近界のそれと異なり母トリガーに依存していない点だ。

 

 近界(ネイバーフッド)の暗闇に浮かぶ惑星国家は、母トリガーの力で運用・維持が成されている。

 

 故に、近界の国家を制圧する際には母トリガーを押さえる事が常套手段だ。

 

 事実、アフトクラトルは近界最大級の軍事国家の名の通り、様々な国をそうやって属国に貶めて来た。

 

 だが、玄界にとって母トリガーはあくまでも巨大なリソースでしかない。

 

 母トリガーと玄界の維持に因果関係が存在しない以上、そこを押さえても抵抗の芽は残ってしまう。

 

 加えて、世界そのものの広さも玄界は近界とは違い過ぎる。

 

 近界の国家は文字通り一つの「国」規模でしかないが、玄界は無数の国が存在し国土自体の広さも段違いだ。

 

 故に、玄界は占領するには一つの近界国家ではリソースが足らな過ぎるのだ。

 

 本気で玄界を占領するつもりであれば複数の近界国家の同盟で攻め込む必要があるだろうが、その場合も占領後の扱い等を考えればとてもではないが現実的ではない。

 

 要するに、玄界(ミデン)の属国化は現実味が薄いという事だ。

 

 そして属国化が難しい以上、追い詰め過ぎればそれだけ「報復」の可能性は上がる。

 

 以前ならばともかく、今の玄界はトリガー技術も成長し、歴とした「相手国」として扱えるレベルまで至っている。

 

 四年前の時点では略奪対象の「狩場」でしかなかったが、相応の武力を持ち確かな抵抗手段を備えた時点で同じ分類として扱うのは愚策だ。

 

 やったら、やり返される。

 

 そんな当然の摂理が通用しなかったのは、これまではこの世界がトリガー後進国として見られていたからだ。

 

 好き勝手に搾取しても、やり返される心配がない弱国。

 

 そのように見られていたからこそ、国交の使者もなく略奪の尖兵だけが送られて来たのだ。

 

 しかし、今は違う。

 

 玄界のトリガー技術は成長し、兵の練度や層の厚さも今回の戦いで明らかになった。

 

 少なくとも、追い込み過ぎれば相応の報復を覚悟しなければならない相手であるのは言うまでもない。

 

 だからこそ、ハイレインは黒トリガー四本という過剰戦力をこの遠征に注いでいたのだ。

 

 故に、ヴィザが本気を出す────────────────それをハイレインが命じる可能性は、低かった。

 

 ヴィザが本気になればあらゆる障害を文字通り斬り捨てられるが、それは同時に玄界側に甚大な()()()()()()()()()被害を齎す事を意味する。

 

 そうなってしまえば、後々相応の報復を覚悟しなければならないだろう。

 

 だからこそ、余程の事がない限りヴィザが本気になる事は無い筈だった。

 

 それでも尚ハイレインがヴィザに殲滅を命じたのは、そうでもしなければ利を得る事が出来ないからだ。

 

 今回の戦いで、アフトクラトル側が得た明確な()()は一つもない。

 

 ヒュースの放逐とエネドラの処理という二つの案件は達成しているが、それは対外的に見れば優秀な戦力を二つ無為に失っただけなのだ。

 

 もしも数人でも隊員を鹵獲出来ていればそれを「戦果」として言い張り、帰る事も出来ただろう。

 

 しかし、今回正隊員はおろかC級隊員でさえ誰も捕まってはいない。

 

 つまり、アフトクラトル側の獲得した戦果は文字通りの意味でゼロ。

 

 このまま帰還すれば、報告書に記せる「戦果」は何もないのだ。

 

 だからこそ、ハイレインは止むを得ずヴィザという切り札(ジョーカー)を切った。

 

 たとえ玄界側に報復の理由を与えようとも、戦果をもぎ取る為に。

 

 そしてこの場合の戦果は、「神」の候補者────────────────即ち、千佳の身柄に他ならない。

 

 アフトクラトルは、ヴィザは、こちらが彼女の身柄を差し出すまで蹂躙を続けるつもりだろう。

 

 それが止められなかった結果こそ、「最悪の未来」。

 

 多くの者が殺され、その果てに千佳が攫われる。

 

 それこそがこの時点で最も確率が高く、そして絶対に避けなければならない結末(みらい)

 

 ヴィザ翁を撃破出来るか、否か。

 

 それが、最善の未来へ至る為の最大の分岐点。

 

 今、その最大の転機が訪れているのだ。

 

「此処から先は、戦術だけじゃどうにもならない。僅かな、奇跡のような可能性を掴めるか否か────────────────それに、全てが懸かっている」

 

 迅はこの先で戦っている七海に想いを馳せ、顔を上げる。

 

 色々と、思うところはある。

 

 これまで彼が望み続けて来た、最善の未来。

 

 その達成に手をかけたと同時に、彼が最も避けたかった最悪の未来もまた目の前に口を開けている。

 

 どちらに至るかは、この後の結果次第。

 

 仕込む、手回しをする、という段階は既に終わった。

 

 この後はもう、最善を尽くして祈るしかない。

 

 手を回すだけでも、奇跡に祈るだけでも足りない。

 

 ヴィザとは、それ程の脅威なのだ。

 

 本来であれば、ボーダーの全戦力を集めても尚勝ち目のない相手。

 

 それが、本気の彼。

 

 アフトクラトルの剣聖、ヴィザの至っている高みなのだから。

 

 それを倒そうと言うのだから、奇跡の一つでも縋らなければならないだろう。

 

 かといって、祈るだけで勝てるなら苦労はない。

 

 奇跡に縋ると言っても、明確な手段もなしに祈った所で意味はない。

 

 絶望的な戦力差の相手に、唯一勝ち得る光明。

 

 そんなものが、あるとすれば────────────────。

 

(七海、頼む。お前が、鍵だ。この戦いで、あれを使えるか否か────────────────それが、最大の分岐点になる)

 

 それだけの戦力を埋められるだけの、()()

 

 その存在に、他ならない。

 

(俺はお前なら出来ると信じる。無責任かもしれないが、此処までの道を踏破したお前ならきっと出来るさ。俺も、俺達も最善を尽くす────────────────皆で、最善の未来に辿り着こう)

 

 迅は祈り、街を駆ける。

 

 全ては、望んだ未来に辿り着く為に。

 

 少年は、戦場を進んでいった。

 

 

 

 

『古寺くんと奈良坂くんがやられたわ。やったのは、敵の黒トリガーよ』

「…………了解した」

 

 三輪はオペレーターからの通信を受け、神妙に頷いた。

 

 その顔色は、険しい。

 

 古寺と奈良坂は今回の大規模侵攻における作戦方針によって三輪隊とは別行動を取っていたが、今は遠巻きに敵の黒トリガーの動向を伺いチャンスがあれば狙撃で援護する。

 

 そういう、手筈だった筈だ。

 

 その二人が、やられた。

 

 正直な話、古寺はまだ分かる。

 

 師匠の奈良坂と比べて未熟な部分はあるし、隙もないとは言えない。

 

 予想外の事態に陥れば、落とされる事もあるだろう。

 

 だが。

 

 奈良坂は、別だ。

 

 狙撃手として高い完成度を誇る彼は、そう易々と落とされはしない。

 

 基本に忠実な狙撃手の動きを、非常に高い精度(クオリティ)で実現しているのが彼だ。

 

 ユズルのような自由な発想も、当真のような型破りな天才性とも違う。

 

 ただ、基本に堅実。

 

 それを突き詰めた究極系こそが、彼だ。

 

 狙撃手の基本である「撃ったら逃げる」事は当然理解しているし、高いレベルで実践してもいる。

 

 その彼がやられたという事は、()()()()()()()()()()()()()という事に他ならない。

 

 即ち、それは。

 

 彼の攻撃が凌がれると、同時。

 

 その命脈を断たれたに、違いあるまい。

 

 月見から送られた戦闘データが、それを肯定している。

 

 敵はあろう事か奈良坂達の弾を、文字通り()()()()()()らしい。

 

 そして返す刃の一撃で、二人を排除した。

 

 言葉にしてみると、改めて信じ難い。

 

 弾丸を、斬る。

 

 言うは易しだが、これはそう簡単に実現出来て良い技術ではない。

 

 弾丸は、点の攻撃だ。

 

 しかも、敵にとっては何処から飛んで来るか分からない不意打ちを成すのが狙撃である。

 

 その狙撃の弾を、いとも容易く斬ってみせた。

 

 恐らく、その身に宿る経験から敵の位置に()()()を付けて。

 

 改めて、理解する。

 

 敵の本質を。

 

 今戦っている敵は、文字通りの意味で格が違う。

 

 敵の指揮官を倒して、後は消化試合だと思っていた。

 

 だが、違った。

 

 敵の最大戦力は、未だ健在。

 

 しかも落とした指揮官の命により、本気でこちらを殲滅するつもりでいる。

 

 その敵とはある程度離れた場所にいるというのに、彼等の所にまで翁の発する殺気の余波が届いている。

 

 暗闇の中、血に塗れた刃の音が少しずつ忍び寄って来るかのような悪感。

 

 そういった者を、彼等は感じ取っていた。

 

「うひゃー、弾を斬るとかとんでもねぇ事してんなぁ。京介、お前アレ使えば出来る?」

「流石に無理ですよ。太刀川さん並の剣の腕があるならともかく、俺は剣の腕に関しちゃそこそこ止まりですから」

 

 それに、と烏丸は続ける。

 

「この相手は恐らく、迅さんが言っていた「まともに戦えば絶対に勝てない敵」です。こいつをどうにか出来るかで、未来が変わると言っていました」

『────────京介。後は俺が説明するよ』

 

 不意に、その場にいた全員に通信が割り込んだ。

 

 相手は、迅。

 

 聞き耳でも立てていたのかというタイミングで、未来を視る少年は厳しい声で現実を告げた。

 

『今暴れてる剣士を倒せるかどうかで、この戦争の未来は180度変わる。最善の未来へ至るか、それとも最悪の結末に辿り着くか。だから、此処が正念場だ。本当の意味でのね』

 

 迅は努めて淡々と話すが、その語調は何処かぎこちない。

 

 流石の彼であっても、望んだ未来が得られるかどうかの瀬戸際で逼迫しているのだろう。

 

 それ故の緊張が、らしくもなく声に出ている。

 

 情けない、とは思わない。

 

 むしろ、彼はこれまで巧くやり過ぎていた、とも言える。

 

 自身を蔑ろにしてまで誰かの為に動き続ける迅は、徹底して悪い可能性を排除して回っていた。

 

 今回はそれでも尚、どうにか出来るか分からない事態、という事だろう。

 

 何せ、敵は小南を圧倒し、太刀川を落とした相手だ。

 

 今回の顛末を聞く限りでも、その規格外ぶりはよく分かる。

 

 この場には二宮や出水といった最高峰の戦力が揃っているが、敵は狙撃手に対してカウンターを放てるような相手だ。

 

 迂闊に投入したところで、奈良坂達の二の舞になるのがオチだろう。

 

『ですので、此処からは俺が直接指揮を執ります。東さんには、戦略の助言をお願いします』

『心得た。此処からは、お前の方が適任だろうからな』

 

 東は迅の言葉に、躊躇いなく頷いた。

 

 戦術で打倒出来る相手であるならば、指揮官は東が最適だろう。

 

 だが、今回の相手はただ戦術を組み上げるだけでは至る事の出来ない相手。

 

 数々の修羅場を踏破した剣聖、ヴィザなのだ。

 

 その相手をするならば、未来視を持ち、近界で多くの死線を潜り抜けた迅こそが指揮官としては相応しい。

 

 東の理論だけでは迫れない部分に、彼は手をかけられるのだから。

 

『だが、どうするつもりだ? 七海に任せてあるとはいえ、それだけでは厳しいのだろう?』

『勿論、手は打ちました。もう新型追加の可能性は殆どないので、あの人に改めて頼んだんです』

 

 そして、既に迅は手を打っていた。

 

 先程まではラービット投下の可能性が否めなかった為に、切れなかった手札。

 

 それを、彼は切っていた。

 

『忍田さんに、増援を頼みました。もう、現地に着いている頃です』

 

 

 

 

「────────────────忍田真史、現着した。これより対象との交戦に入る」

 

 斬り裂かれ、倒壊した瓦礫の上。

 

 そこに、コートを靡かせた一人の男が立っていた。

 

 男の名は、忍田真史。

 

 ボーダー本部長にして、ノーマルトリガー最強の男。

 

 彼は弧月を抜刀し、視線の先に立つ修羅。

 

 こちらを睥睨し、凄絶な笑みを浮かべるヴィザと相対していた。



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神の国の剣聖③

 

「忍田本部長…………」

 

 七海は目の前に立つ忍田を見据え、眼を見開く。

 

 先程は未だにラービットの投下の危険があった為彼を送り出した側である七海であるが、今その彼が此処にいる意味を理解出来ない程愚鈍ではない。

 

 忍田が、軽々な判断で迂闊な真似などする筈がないからだ。

 

 ラービットの抑止力として敢えて()()()()いた忍田が来た以上、それは。

 

「迅から、新型の危険はほぼなくなったと聞いている。此処に来たのは彼の指示だ。一先ずは、任せて貰おう────────────────この場での、一番槍はな」

「…………!」

 

 忍田はその宣言と共に、改めて弧月を構えヴィザの姿を見据える。

 

 同時、その身体から凄まじい闘気が発せられる。

 

 ヴィザの放つ極限まで凝縮された凄絶な殺気とはまた違う、清廉な闘志の発露。

 

────────

 

 それを、直に感じたのだろう。

 

 翁の口元が、戦の愉悦に歪む。

 

 修羅が、その顔を見せた。

 

「────────名を、お聞かせ願えますかな」

 

 凄絶な闘志を宿した視線が、忍田を射抜く。

 

 忍田は修羅に至った剣聖の威圧を真っ向から受け、名乗りを挙げる。

 

「界境防衛組織ボーダー本部長、忍田真史」

「結構。では、私も名乗りを返すとしましょう」

 

 そして、剣士の名乗りを受けた以上翁もまた応じる以外の選択肢はない。

 

 誇りと、何よりも。

 

 死合う相手に、己の名を刻む為に。

 

「私はヴィザ。国宝星の杖(オルガノン)の使い手にして、神の国の刃────────────────いざ、参ります」

 

 ヴィザは名乗り、その手に持つ武具を────────────────星の杖を、構える。

 

「────────!」

「…………!」

 

 それが、合図だった。

 

 不可視の、絶死に至る斬撃。

 

 何の前触れもなく襲い掛かったそれを、忍田は弧月で迎撃した。

 

 あの太刀川でさえ、対応しきれなかった致死の攻撃を。

 

 凌いで、みせたのだ。

 

「ほぅ」

「────────行くぞ」

 

 一歩、前に出る。

 

 武の至境、遥かな高みに座する翁へと。

 

 その剣先を突き付け、彼の身に至らんが為に。

 

 忍田は、ボーダー最強の剣士は。

 

 進軍を、開始した。

 

「────────!」

 

 一歩/一撃。

 

 二歩/二撃。

 

 三歩/三撃。

 

 歩を進めるごとに苛烈さを増す不可視の斬撃を、忍田は必要最低限の動きでいなし、進撃する。

 

 ヴィザ翁の太刀は、カメレオンのようにトリガーの効果で透明化されているワケではない。

 

 ただ、とてつもなく()()、それ故に見えないだけだ。

 

 トリオン体で強化された動体視力でさえ、()()()としてしまう程の超々高速斬撃。

 

 それを剣一本で凌いでいる忍田の実力は、如何程のものか。

 

 ノーマルトリガー最強の男。

 

 その異名は比喩でも、なんでもない。

 

 ボーダーのノーマルトリガーを用いた戦闘において、真実忍田の右に出る者はいない。

 

 太刀川でさえ、風間でさえ。

 

 こと真っ向勝負において、忍田に勝ち越す事は出来ていない。

 

 そしてそれは、攻撃手以外も例外ではない。

 

 弓場のような銃手でも、出水のような射手であっても、はたまた奈良坂のような狙撃手であっても。

 

 彼を。

 

 忍田真史に手を届かせる事は、至難の業だ。

 

 距離がある場合は、近接武器では中距離以上の射程持ち相手には不利。

 

 そんな常識(セオリー)など知った事かとばかりに、歩を進めるのが彼だ。

 

 忍田は決して那須のような反則的な三次元機動も、韋駄天を使った黒江のような超加速は行わない。

 

 ただ、堅実な足捌きと体動によって戦場を駆け、敵の攻撃を掻い潜りながらその刃を届かせる。

 

 一見地味にも見える動きで、着実に、一歩一歩先へ先へと進んでいく。

 

 真の武人にとって、派手な技も大仰な技巧も全てが些事。

 

 ただ、己が極めた武の形を最高効率で叩き出し、戦果を獲得するまでアクセルを踏み抜く。

 

 ただ、それだけなのだから。

 

 基本の型、その鍛えに鍛えた果ての究極。

 

 それを使いこなす者こそ、忍田真史。

 

 ボーダー最強の剣士の名を轟かせる、古強者の武人である。

 

 ヴィザと忍田。

 

 二人の剣士は剣戟の音を響かせ、至境の死闘を演じ始めた。

 

 

 

 

『玲一、無事っ!?』

「ああ、なんとかな。玲は大丈夫だったか?」

『ええ、ギリギリ攻撃範囲外にいたのが功を奏した形ね』

 

 一歩下がり、二人の剣戟を見守っていた七海は那須からの通信を受けていた。

 

 離れた場所から変化弾(バイパー)を利用した支援を行っていた那須であったが、先の大規模範囲斬撃以降は沈黙している。

 

 緊急脱出の報告はなかった為落とされてはいない事は分かっていたが、こうして声を聞けて一安心、といったところだ。

 

『それで、どうする? 一応、援護は出来なくもないけど…………』

「いや、駄目だ。さっきの攻撃であたりの障害物が軒並み薙ぎ払われてしまったから、弾道を隠すのが難しくなってる」

 

 それに、と七海は続ける。

 

「敵の射程の()が、分からない。今玲のいる場所がもし射程圏内なら、撃てばやられる可能性がある。言われた通り、今は様子見だ」

『了解したわ。でも、玲一はどうするの?』

「この場で待機しつつ、機会を見計らう。それが忍田本部長の────────────────迅さんの意思だ」

 

 七海はこの場の忍田が単身来た意味を考え、彼から託された()()()()()を思い返す。

 

 忍田本部長というボーダー最強クラスの駒を、此処で躊躇なく単騎投入する理由。

 

 それは────────。

 

(この途方もない相手に、()()が何処まで通用するか。それを見極める為の、試金石にして必殺の布陣────────────────なら、俺の果たすべき役割は────────)

 

 七海は警戒を怠らず、視界の先で斬り合う二人の剣士を見据える。

 

 流れ弾ならぬ流れ刃一つだけでも、致死に至る死線領域。

 

 それを築いている、剣聖と剣豪。

 

 これまで見た事もないようなハイレベルの戦いを見逃さず、そして機あらば介入する為に。

 

 七海は、視線を外さず神経を張り巡らせる。

 

 全てはあの羅刹を乗り越え、未来を掴み取る為に。

 

 一時、七海は()に回るのだった。

 

 

 

 

(────────────────このご老人、想定以上が過ぎる。まさか、此処までの存在とは)

 

 ヴィザと対峙している、忍田。

 

 彼は致死の刃を掻い潜りながら、斬り合う相手の途方も無さに瞠目していた。

 

 文字通りの不可視を実現している程の、超々高速斬撃の連射。

 

 それを今まで切り抜けて来れたのは、忍田が旧ボーダー時代に培った戦争経験のお陰だ。

 

 迅や小南と同様、忍田もまたアリステラ防衛戦の生還者だ。

 

 当時の激しい戦いは身体が覚えているし、その凄惨な光景も忘れてはいない。

 

 アリステラ防衛戦を代表する数々の近界の戦場で命を担保に戦い続けて来たからこそ、今の忍田の常人離れした強さがある。

 

 もう二度と、大切な人達を失わないようにする為に。

 

 彼は、この日まで己が刃を研ぎ続けていたのだ。

 

(この剣士こそ、迅くんが言っていた最善の未来に辿り着く為の最後にして最大の壁。私一人では到底敵わない高みにいる存在であるが、だからといって屈する事など許されない)

 

 今彼が相対しているのは、そういった経験を集大成して尚届かない高みにいる武の極地────────────────剣聖だ。

 

 これがもし尋常な試合であれば胸を借りるつもりで挑んだであろうが、今この場は本物の戦場。

 

 負けて屈する事など許されないが故に、剣士としての意地と誇りは捨てている。

 

 これは、試合ではなく死合い。

 

 互いの全てを懸けた、正真正銘の奪い合いなのだ。

 

 故に手は抜かないのは勿論の事、あらゆる手段を取る事に躊躇いもない。

 

 忍田は剣士である前にこの(せかい)の守護者であり、ボーダーという防衛組織を預かる上層部の一角だ。

 

 ならば、たとえどんな手段を使おうが己が役割を果たす義務がある。

 

 未だ成人すらしていない子供を、よりにもよって()()として運用する自分達の所業。

 

 仕方ない面が多々あったとはいえ、それだけの事をしているのだ。

 

 ならば、何が何でも己が任された役割をこなす他ないというもの。

 

(此処が正念場だ。なんとしてでも、この翁を抑える…………!)

 

 忍田は迫り来る不可視の刃を受け流しながら、改めてヴィザを睨みつける。

 

 迅から頼まれた要請(オーダー)は、この場で少しの間だけでも拮抗状態を作り出す事。

 

 正直、この状態がそう長く続くとは思えない。

 

 相手は、剣聖。

 

 武の究極、頂に座する者。

 

 この膠着状態も、数分保てば良い方だろう。

 

 それだけヴィザという翁の振るう黒トリガーは────────────────否。

 

 剣聖として相応しい実力と自負を兼ね備えた翁の厚みは、多少腕が立つ程度で埋められるものではない。

 

 黒トリガーの高出力の恩恵も勿論存在するだろうが、何よりもそれを振るうヴィザの底がまるで見えない。

 

 全力を出してはいるのだろうが、これが上限(リミット)である保証など何処にも無い。

 

 神の国の剣聖。

 

 その高みに至る(きざはし)に、何処まで足をかけられるか。

 

 今、忍田はそれを試されている一人だ。

 

 作戦は聞いている。

 

 だが、それを成功させる為にはこの拮抗を維持する必要がある。

 

 同じ手など二度通用する筈のない武の極み、ヴィザ翁を相手に。

 

(絡め手も、小細工もまず通用しない。信ずるは、この身で培った剣ただ一つ────────────────全霊を以て、役目を果たしてみせるとも)

 

 迫る致死の刃を受け流し、忍田は弧月を持つ手に力を籠める。

 

 そして。

 

「旋空弧月」

 

 己の必殺、拡張斬撃の連打を。

 

 ヴィザに向け、撃ち放った。

 

 旋空弧月、三連。

 

 ほぼ同時に三撃を繰り出すという常識外れの真似をあっさりやってのけた忍田の刃が、剣の結界の中にいるヴィザへと繰り出される。

 

「甘い」

 

 だが、それもまた通用はしない。

 

 忍田が旋空を撃ち放った、その直後。

 

 ヴィザは星の杖の機構────────────────仕込み刀を抜刀し、踏み込み一閃。

 

 響く、鈍い金属音。

 

 それは。

 

 防御不能の筈の斬撃、旋空を受け流してみせた証だった。

 

「やりますね」

「ほっほ、大した事はしておりません。先ほどから貴方は、その伸びる斬撃を振るう際にこちらに先端に近い部分を当てるよう腕を振るっておりました────────────────それはつまり、その伸びる斬撃は、先端部が最も威力が高い攻撃、という事なのでしょう」

 

 ですので、とヴィザは続ける。

 

「ならば、()()()()に刃を当てれば良いだけの事。さして、難しい事はしておりませんよ」

 

 謙遜しているかのように見えるヴィザだが、言っている事はとんでもない。

 

 この短期間で旋空のカラクリを見抜き、最適な対処法を実行する。

 

 その観察眼に、得た情報を元に即時対処を行う対応能力。

 

 流石に、格が違うと言わざるを得ない。

 

(鋭い。これが、軍事国家アフトクラトルの剣聖か…………!)

 

 忍田はその所業に、内心瞠目する。

 

 確かに字面だけなら簡単そうにも思えるが、これは完全に言うは易し行うは難しというやつだ。

 

 似たような事ならば忍田も可能ではあるが、彼の場合どちらかというと敵の戦術に対応するよりも自分の戦いを如何なる時でも貫き通す剛の剣に近い。

 

 一見ヴィザの側も力を前面に押し出した剛健に見えるが、彼はその気が遠くなるような戦争経験の積み重ねにより凡そあらゆる状況への対処を的確に行う事が出来る。

 

 まさに、戦に生きる修羅にして羅刹。

 

 その尋常ではない威圧感を前に忍田は足を竦ませる────────────────事など、ある筈がなかった。

 

(敵は正真正銘の剣聖にして修羅。相手にとって、不足はない────────────────最初から負けるつもりで剣を振るう事など、在ってはならないのだから)

 

 むしろ、忍田は己の心を奮い立たせていた。

 

 これまでの戦争でもまずお目にかかった事のない遥か高みに座する存在にして、武の極地たる剣聖。

 

 そんな存在と相対出来る事に、彼は武人としての喜びを感じていた事は否定出来ない。

 

 強者との戦いは、いつ如何なる時であっても血沸き肉躍るものなのだから。

 

(だが、私は武人である前にボーダーの本部長でもある。この武の至極の前に心震えるのは確かだが、それ以上にこの戦いに勝つ事が最優先だ────────────────もっとも、生半な戦術は通用しないだろうが)

 

 しかし、忍田は己の武人としての本能を抑え込んだ。

 

 無論の事、一騎打ちに興じたい気持ちはある。

 

 だが、これは試合ではなく戦争だ。

 

 何よりも()()事が第一とされ、地に伏した者の言葉など誰も聞き届けはしない。

 

 それが、戦争の実態。

 

 どんな綺麗なお題目があろうとも、その本質は喪失の押し付け合いだ。

 

 誇りも、正義も、矜持でさえも、力を示せなければただの戯れ言に成り果てる。

 

 旧ボーダー組(かれら)は、それを身を以て識っている。

 

 それだけの地獄を、彼等は潜り抜けて来たのだから。

 

(配置はもうすぐ完了する。作戦開始まで、あと僅かだ)

 

 楽し気な様子でこちらを伺うヴィザを睨みつけながら、忍田は再び弧月を握り締め剣聖と対峙する。

 

 全ては、勝つ為に。

 

 勝って、迅が望む未来へ歩みを進める為に。

 

「────────行くぞ」

 

 ノーマルトリガー最強の男。

 

 忍田真史は、至高の剣聖との剣戟を再開した。



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神の国の剣聖④

 

(ふむ、良い眼をしている。どうやら、何かを狙っているようですな)

 

 ヴィザは自身と相対する忍田の眼光を真っ向から受け止め、薄く笑みを零す。

 

 彼程の高位の剣士と死合えるのは確かに僥倖ではあるが、このまま一騎打ちを続けたとしてもどちらに軍配が上がるかは目に見えている。

 

 確かに、彼はこれ以上ない程の実力を持った()()だろう。

 

 だが、斬り合いによる一騎打ちという戦域(フィールド)で、ヴィザを上回るのは無理がある。

 

 星の杖(オルガノン)による即死斬撃も勿論の事、純粋な斬り合いに置いてもヴィザは至極の座にいる。

 

 時間稼ぎに興じていた時ならばともかく、今の殲滅に切り替えたヴィザ相手に個人の武勇のみで挑んでも勝利を手にする事は出来ない。

 

 武の至高。

 

 神の国の剣聖は、そう易々と届くような位階にはいないのだから。

 

 故に、今の彼を打倒するには「戦術」と「想定外(イレギュラー)」が()()()必要不可欠だ。

 

 目の前の剣士が、それを分かっていない筈はない。

 

 だから、ある筈だ。

 

 ヴィザを。

 

 剣聖を打倒する為の、()が。

 

(では、お手並み拝見と行きましょう。星の杖の使い手として、受けて立つとしましょうか)

 

 

 

 

「────────」

 

 忍田は迫り来る不可視の斬撃を、神速の刃を受け流す。

 

 受けて立つは、淡く輝く弧月の刀身。

 

 その太刀は、既に旋空を起動していた。

 

 だが、刀身の拡張は殆どない。

 

 精々数センチ程度の伸縮であり、通常の旋空とは見た目も別物だ。

 

 しかし、これもまた旋空である事に変わりはない。

 

 旋空は効果時間の短さに反比例する形で、()()を拡張する。

 

 生駒旋空はその性質を利用して効果時間を極限まで短縮する事で射程を伸ばした絶技だが、今忍田が持ちているのはその()()だ。

 

 即ち、効果時間を可能な限り伸ばして射程の拡張を最低限に抑え、旋空の「先端部位に近い程威力が増す」という性質のみを利用する形に。

 

 これは彼の部下である沢村が得意とする技であるが、その上司であり剣の先達である忍田が同じ技術を使えない通りはない。

 

 忍田は先程の攻防を経て、通常の旋空はヴィザ相手には余計な重石(デッドウェイト)でしかないと結論した。

 

 射程の拡張は近接攻撃を主とする攻撃手にとって確かに有用ではあるが、旋空の場合は取り回しの低下と引き換えになるからだ。

 

 旋空は、斬撃を()()()のではなくあくまでも刀身を()()しているに過ぎない。

 

 つまり巨大化した剣を振るっているのと同義であり、下手をすれば自身の動きを阻害しかねない。

 

 これが旋空をセットしている攻撃手の数に比して真にそれを使()()()()()()いる隊員の数が少ない理由であり、実情だ。

 

 太刀川や生駒といった上位の旋空使いは各々のやり方で扱いの難しい旋空を使いこなしている為に、イルガーの両断といった離れ業が出来るのだ。

 

 イルガーやラービットのような強固な装甲を持った相手を旋空で両断するには、ピンポイントで先端を対象にぶつける必要がある。

 

 そういった繊細なコントロールが出来るからこそ、彼等は強靭な外皮を突破出来るのだ。

 

 忍田もまた、当然彼等と同じ事が出来る。

 

 彼にとっても旋空発動による行動の枷は殆どゼロに近いが、それでも皆無というワケではない。

 

 それは並の相手にとっても些かの違いにすらならない、無いも同然の差異に過ぎないが────────────────この剣聖相手では、その僅かな差が致命と成りかねない。

 

 先程の攻防で忍田が落とされなかったのは、ヴィザが周囲の()()を警戒していたからだ。

 

 流石に相手も、何の策もなく忍田が此処に立っているとは思ってはいないだろう。

 

 彼は卓越した剣士であるが、同時に指揮官の命令を実行する軍人でもある。

 

 作戦行動の重要性は、言うまでもなく理解している筈だ。

 

(だが、それでも届かせてみせる。迅くんの未来視(ことば)を信じないワケではないが、それでも七海くんに無理をさせずとも掴み取れる結末だってある筈だ)

 

 迅によれば、この戦いは七海が()()()()()を満たさなければ勝率は0に近いのだという。

 

 その時の言葉のニュアンスからして()()が何を指し示すかは分かっているが、だからといって全てを彼に任せきりにして良いワケがない。

 

 迅は、勝率は()()()()0に近いと言った。

 

 ならば、どれだけ低い確率であろうと勝機を掴む事自体は出来る筈。

 

 そも、そんな()()を期待して作戦を組むなど司令官としてあってはならない。

 

 たとえどれだけの圧倒的強者が相手であろうが、人間である以上何処かに隙は必ずある。

 

 なければ、作り出すまでの事。

 

 その為の仕込みは、既に済ませているのだから。

 

(それに、迅はこの作戦事態にも意味はあると言った。ならばたとえ失敗したとしても────────────────いや、だからこそ全霊を懸ける意義はある)

 

 失敗を前提として作戦を進めるような思考は、忍田とは無縁だ。

 

 敢えて手を抜くような器用さもまた、彼には無い。

 

 あるのはただ、全霊を以て己の役目を遂行する。

 

 強固にして堅固たる、絶対の意思だけだ。

 

「────────────────作戦開始だ。()()

『了解』

 

 故に、躊躇いなく号令をかける。

 

 神の国の剣聖。

 

 その牙城を打ち崩す為の一手が、放たれた。

 

 

 

 

「────────ほぅ、これは」

 

 ヴィザは空から飛来する無数の光を見据え、笑みを零す。

 

 それは、彼方より飛来した光弾の雨。

 

 射程を限界まで拡張した、追尾弾(ハウンド)の群れ。

 

 繰り手の名は、二宮匡貴。

 

 総合二位の実力者にして、射手の王。

 

 彼が遠隔地から射程に限界まで割り振る事で到達させた、弾幕。

 

 それが、ヴィザに向かって降り注いだ。

 

「ふむ、中々考えましたな。ですが────────」

 

 回避する隙間もない、数多の光の雨。

 

 その脅威を前に、ヴィザの余裕は崩れない。

 

 狙撃と違い、撃ち落とすにはあまりにも数が多過ぎる。

 

 幾らヴィザが超絶技巧の使い手とはいえ、この数の弾丸を迎撃するのはあまりにも無謀。

 

「────────────────この程度で届くと思われるのは、心外ですな」

「…………!」

 

 だが。

 

 それはあくまでも、並の相手であった場合の話。

 

 ヴィザに。

 

 神の国の剣聖相手に。

 

 ただの()()()が通じる程、甘くはない。

 

 空から降り注ぐ、無数の弾丸。

 

 ヴィザは、それを。

 

 不可視の斬撃。

 

 その攻防一体の刃を以て、()()()()()()()

 

 狙撃の時とは、ワケが違う。

 

 単発の弾丸と、数重にも及ぶ追尾弾。

 

 その迎撃の難度は、比較にもならない筈だ。

 

 まさか、弾幕を文字通り()()()()()()などと、誰が思おう。

 

「────────旋空弧月」

 

 否。

 

 忍田は、理解していた。

 

 ただ弾幕の雨を降らせるだけでは、到底この剣聖には届かないであろう事を。

 

 だからこそ、この瞬間。

 

 ヴィザが迎撃の為に足を止めた時をこそ、彼は狙っていた。

 

 放たれる、射程拡張した旋空弧月。

 

 先程の、切断力の付与のみを狙ったものではない。

 

 正しく拡張斬撃としての旋空を、忍田は振るった。

 

 無論、弾幕を薙ぎ払ったヴィザを仕留めんが為に。

 

「甘いですな」

「…………!」

 

 されど。

 

 ヴィザにとって、それは。

 

 対処可能な攻撃、でしかなかった。

 

 旋空に狙われたヴィザは、何の躊躇いもなく一歩を踏み出すと、次の瞬間には忍田の目の前へ肉薄。

 

 仕込み刀の一閃により、忍田の弧月を弾き飛ばした。

 

 一瞬で距離を詰めるその歩法は、まるで音に聞こえる縮地の如し。

 

 瞬間移動のように刹那で踏み込んだヴィザは、旋空の根元を狙う事でいとも容易く迎撃してみせた。

 

 旋空は先端こそ絶大な威力を誇るが、根本の強度や切れ味は通常の弧月とそう変わらない。

 

 故に、距離を詰めて対処したヴィザの対応は正しいものだ。

 

 ただ一点。

 

 その速度が、尋常のものでなかった事を除けば。

 

 加えて、手首や腕を狙うのではなく刀身を狙ったのも思惑あっての事だ。

 

 身体を直接狙われれば、長く戦場にいた兵ほど反射的に反応するものだ。

 

 武器は壊れてもまだどうにかなるが、身体の欠損は下手をすればそのまま戦闘能力の喪失を意味する。

 

 特に、壊れてもトリオンを使えば容易に武器を代替出来る近界の戦争を多く経験した者ほど身体を守る為に武器を盾にする反射行動が染み付いているものなのだ。

 

 だからこそ、ヴィザは身体ではなく武器を狙った。

 

 忍田が近界の戦争を経験した、歴戦の兵である事を見抜き。

 

 その経験をこそ、付け入る隙とする為に。

 

 歴戦の兵は多くの経験によってあらゆる状況に対応可能となるが、同時に過去にあった判例を参考に最善の行動を選ぶようになる。

 

 それは普通の戦闘において明確なアドバンテージとなるものであり、対応力や機転は新兵と比べるべくもない。

 

 だが、ヴィザにとってはその堅実な行動こそが隙となる。

 

 堅実で、手堅い一手。

 

 或いは、成功率の高い常套手段。

 

 それらは、数多の戦場を踏破して来た剣聖にとっては。

 

 既に見慣れた、ありふれたものに過ぎない。

 

 故に、対処など容易。

 

 最善の行動を取るからこそ、彼にとっては()()()()のだ。

 

「さて」

 

 そして、武器を失った忍田は今現在無防備。

 

 たとえシールドを張ろうが、仮にも黒トリガーの一部たるブレードを防げるとは思えない。

 

 回避するにも、距離が近過ぎる。

 

 かといってこの場に射撃を撃ち込んでは、忍田も巻き添えとしてしまう。

 

 王手。

 

 目に見えた形での、詰み。

 

 最強の剣士は、此処で落ちる。

 

「ほぅ」

 

 否。

 

 それこそ、忍田は想定していた。

 

 弾かれた、彼の弧月。

 

 それは空中に展開された光片に弾かれ、忍田の手元へ戻った。

 

 七海の、グラスホッパー。

 

 それを遠隔展開する事で、忍田の弧月を弾き返したのだ。

 

 彼の手に、己が愛刀が戻るように。

 

 予め指示を受けていた七海が、サポートしたのだ。

 

 グラスホッパーによって手元に戻った弧月を、忍田はすぐさま掴み取る。

 

 そして。

 

 振るわれたヴィザの一刀を、その刃を以て受け止めた。

 

 そのまま鍔迫り合いは────────────────しない。

 

 すぐさまその場から飛び退いた忍田のいた場所を、不可視の斬撃が通過する。

 

 ヴィザの刃は、その手に持つ仕込み刀だけではない。

 

 むしろ、未だに刀身すら見えない遠隔高速即死斬撃の方こそが本体だ。

 

 故に、彼相手に一瞬でも足を止めればその場こそが死地となる。

 

 それを理解しているからこそ、迂闊に鍔迫り合う事はしない。

 

 ヒット&アウェイ。

 

 彼を相手にするには、それこそが基本であるが故に。

 

 そして、両者共にこの結果は想定内。

 

 忍田は、この程度で剣聖の裏をかけるとは思っておらず。

 

 ヴィザもまた、彼ならば当然の如く切り返して来ると考えていた。

 

「そこですな」

「…………っ!!」

 

 故に。

 

 背後から奇襲を狙っていた歌川は、一瞥もされないまま不可視の斬撃によって斬り捨てられた。

 

 隠密(ステルス)トリガー、カメレオン。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 それを用いて姿を消し、一瞬の隙を狙っていた彼は。

 

 カメレオンを解除するよりも先に、致死の刃を受けて散った。

 

 隠密を解除し、姿を晒した時であればいざ知らず。

 

 ヴィザは姿を消したままの歌川の位置を正確に探り当て、一瞥もせず斬って捨てた。

 

 歌川は恐らく、何が起こったか分からないまま落とされただろう。

 

「────────────────透明化のトリガーについて、報告は受けていました。足音は弾幕で紛れさせたつもりでしょうが、殺気を消せないようではまだまだですな」

「…………!」

 

 そう、ヴィザの指摘通り二宮の弾幕は隠れていた歌川の足音を消すという役目もあった。

 

 歌川は風間ほどではないとはいえ、足音を消す訓練は受けている。

 

 故に二宮の弾幕の雨の中であれば、足音は殆ど紛れていた筈だ。

 

 だが。

 

 ヴィザは、殺気だけでその位置を特定し迎撃してみせた。

 

 否。

 

 殺気というのは、恐らく比喩表現。

 

 彼には影浦のような副作用(サイドエフェクト)は、存在しない。

 

 故に、彼が察知した────────────────いや、()()したのは長年の戦場で培った経験を元とした()()()()だ。

 

 この局面であれば何処に駒を配置し、どう動かすのが最適であるか。

 

 ヴィザはそれを瞬時に計算し、経験を元とした直観も組み合わせて歌川の位置を割り出したのだ。

 

 戦争経験。

 

 その極地による、未来予測じみた戦闘論理。

 

 それが、カメレオンによる奇襲を読み切り歌川を落としてみせた。

 

 ものが違う。

 

 経験が違う。

 

「────────」

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 だからこそ、歌川は敢えて殺気を消さずに囮となった。

 

 全ては。

 

 ()()()()()に、繋げる為に。

 

 足音を完全に消し、ヴィザの背後に忍び寄った暗殺者。

 

 風間は、無言のままカメレオンを解除しスコーピオンを手にした右手を突き出した。

 

 二宮による弾幕も、忍田の攻防も。

 

 そして、歌川による陽動も。

 

 全ては、この一撃に繋げる為に。

 

 生半可な手では、剣聖には届かない。

 

 だからこそ、犠牲を前提とした一手を打った。

 

 この一撃を、通す為に。

 

「一手、遅かったですな」

「…………っ!!??」

 

 されど。

 

 剣聖は、その戦術の上を行く。

 

 風間がスコーピオンを叩き込もうとした、刹那。

 

 ヴィザは一歩横へ滑るように動き、そして。

 

 居合いの如き一撃を以て、風間の胴を両断した。

 

 まるで。

 

 そこに風間が来る事を、読み切っていたかのように。

 

「少し、殺気がわざとらし過ぎましたな。あれでは、()()が別にあると叫んでいるようなもの。まだまだですな」

「く…………」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 悔し気に顔を歪ませ、風間の戦闘体が崩壊。

 

 満を持して投入された暗殺者は、何も為せずに脱落した。

 

「戦術は良い。戦場のセオリーというものも、分かっている」

 

 恐るべきは、その手腕と戦闘勘。

 

 ボーダーの戦術を読み切り、文字通り斬って捨てた怪物。

 

「ですが、優秀だからこそ読み易い。私を超えるつもりならば、それだけでは到底足りない」

 

 これこそが、剣聖。

 

 武の頂きに至る、至高の剣士。

 

 文字通りの一騎当千を体現する、神域の強者である。

 

「さあ、見せて下さい。貴方方が、果たして剣聖(わたし)に届き得るか否かを。無論、届かなければ総てを斬って捨てるまで────────────────さあ、戦いを続けましょうぞ。若き、玄界(ミデン)の戦士達よ」

 

 ヴィザは星の杖を掲げ、微笑む。

 

 修羅は未だ、地に落ちず。

 

 神の国の剣聖は、その武威を示し戦場に君臨していた。



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神はサイコロを振らない

 

(風間さんまで…………)

 

 七海は目の前で起きた光景に絶句し、唇を噛んだ。

 

 今の作戦は、彼の眼から見て上等なものだった。

 

 二宮の弾幕を目晦ましとしながら、忍田がヴィザを迎撃。

 

 カメレオンで姿を隠した歌川を囮として、足音さえ消した風間が仕留める。

 

 大抵の相手なら、無理なく落とせる。

 

 そういう、戦術だった筈だ。

 

 だが。

 

 それでも尚、剣聖(ヴィザ)には届かなかった。

 

 彼は二宮の弾幕、忍田の剣を冷静に捌きながら歌川を的確に処理し、本命の風間まで討ち取ってみせた。

 

 別段奥の手だとか、そういったものではなく。

 

 ただ、()()()()()()()()という、当たり前の手段を用いて。

 

 確かに、ヴィザに経験値で敵う者はいないだろう。

 

 彼の正確な年齢までは知る由もないが、恐らく60は超えている筈だ。

 

 その齢になるまで剣聖としてありとあらゆる戦場に立ち続けていたのであれば、その経験値は他とは比較にもならない。

 

 トリオン能力は使わなければ成人を境に徐々に衰えていくものだが、老齢になっても尚これ程までの戦闘力を誇っているのであればその人生の殆どを戦に費やしたであろう事が想像出来る。

 

 数多の戦場、数々の敵兵と幾多の戦術。

 

 それら全てを踏破して来たヴィザの経験値は、確実に彼の血肉となってその強さの根幹となっている。

 

 戦争経験。

 

 迅や小南といった旧ボーダー組が持つそれの、極地とも言えるのが彼だ。

 

 ボーダー隊員が経験して来た仮想空間での戦闘や、ほぼ作業と同義である散発的に現れるトリオン兵の駆除である防衛任務。

 

 それとは異なる、真の意味で命懸けの()()を踏破した経験。

 

 健全に生きるのであればなるべく体感すべきではないが、戦いに置いて一種の境地へ至る為の通過点である特殊な戦闘経験。

 

 それこそが、戦争経験。

 

 これを持つ者が戦闘に置いて如何に脅威であるかは、迅相手の戦いで身を以て識っていた。

 

 普通ならば通用する筈の戦術が、まるで最初から分かっていたかのように読み切られ、逆に詰み(チェック)をかけられる。

 

 裏をかいたつもりが、当然の如く対応される。

 

 そんな理不尽な脅威が、そこにはあった。

 

 故に、分かっていたつもりでいた。

 

 本物の戦場を踏破して来た修羅が、如何なる脅威と成り得るのか。

 

 それがただの()()()だった事を、此処に来て実感せざるを得なかった。

 

 確かに、迅のそれは脅威だった。

 

 全身全霊で手を尽くし、更に有利な条件を可能な限り整えた上で挑みようやく紙一重で届いた。

 

 迅相手の戦いは、そういったものだった。

 

 あれ程チームの()()を出し尽くした戦いは、後にも先にも一度だけだ。

 

 正真正銘、全員の持てる力を結集した戦闘の集大成。

 

 それが、あの試験だった。

 

 それを乗り越えた事で、皆共に新たな一歩を踏み出せた。

 

 そう思っていたのは、決して七海だけではなかった筈だ。

 

 あの戦いを経て得たものは、少なくない。

 

 風刃の、黒トリガーの尋常ではない攻撃速度をあの一戦で経験していなければ、ヴィザの不可視の高速斬撃を凌ぐ事は不可能だったろう。

 

 そういう意味で、あの戦いは無駄ではなかった。

 

 それだけは言える。

 

 だが、まだ()()()()

 

 優秀な戦術を以て、敵を追い込み仕留める。

 

 そんな真っ当な(当たり前の)手段だけでは、剣聖の高みには届かない。

 

 戦術を組むのは、大前提。

 

 されど、それだけでは決して届かない座にいるのがヴィザだ。

 

 かといって、黒トリガー相手だからと安易に遊真をぶつけるワケにはいかない。

 

 同じ黒トリガー使いとはいえ、前述の通り経験と実力は圧倒的にヴィザが上だ。

 

 如何に遊真が戦い慣れた元傭兵とはいえ、20にも満たない彼の経験と60を超えるヴィザのそれとでは文字通りものが違う。

 

 遊真は確かに戦闘の天才ではあるが、ヴィザは己の才覚を長年の修練と戦争経験によって極限まで研ぎ澄ませた文字通りの英傑だ。

 

 何の策もなしに遊真を投入しても、殲滅へ切り替えた今のヴィザ相手では斬って捨てられるのがオチだろう。

 

 そしてその場合、黒トリガーを使う遊真はその場に放り出される事になる。

 

 彼の命の揺り籠である、黒トリガーによって生成されたトリオン体が。

 

 黒トリガーの中に格納されている遊真の生身は、既に致命傷を負った状態で保存されている。

 

 いわばその生身を守る外殻である日常用のトリオン体が破壊されれば、遊真の生身が致命傷を負ったままの状態で排出される。

 

 そうなれば当然遊真の命はそこで終わる事となり、敵兵に容赦する余地は今のヴィザには一切ない。

 

 時間稼ぎに興じていた時であればともかく、己一人で任務をこなす必要がある今のヴィザは。

 

 あらゆる慈悲や容赦をかなぐり捨て、純粋に任務を達成する事に執心している。

 

 そんな彼が、黒トリガーの使い手という重要な駒を生かして帰すとは思えない。

 

 よって、安易に遊真を投入するのは彼を死なせに行くのと同義だ。

 

 だが、太刀川に続いて風間まで失った現状、真っ当な手段で彼に勝てるとは到底思えない。

 

 故に、必要なのだ。

 

 普通の手段ではない。

 

 彼の経験の内にあるものではない。

 

 ヴィザにとっての、()()が。

 

 それは、即ち────────。

 

()()を、起動させる事が出来れば────────────────でも、それには)

 

 ────────────────今まで起動させる事の出来なかった、彼の()()

 

 それを使う事が出来れば、或いは。

 

 特級の()()となって、剣聖の高みに手を伸ばす事も叶うだろう。

 

(今まで、何度繰り返そうと何の反応もなかったけれど────────────────それでも、今ならなんとかなる気がする。あとは、覚悟と()()か)

 

 ()()を手にして、四年。

 

 今まで幾度起動を試みても、姉の遺志が反応を示す事はなかった。

 

 その事に絶望し、心が折れそうになった夜も数えきれない。

 

 自分が不甲斐ないから、姉は応えてくれないのではないか。

 

 そう考え、挫けそうになった事もある。

 

 けれど、今ならば。

 

 過去と向き合い、那須との蟠りも消え。

 

 迅と相対し、その想いを理解し彼と言う壁を乗り越えた今ならば。

 

 きっと、姉は応えてくれる筈だ。

 

 そんな、予感があった。

 

 だけど、不安は消えない。

 

 ()()を起動する為には、一度トリガーを解除する必要がある。

 

 即ち、敵の────────────────剣聖の前に。

 

 生身を、曝け出す必要がある。

 

 周囲に存在するスイッチボックスは、これまでのヴィザの戦闘で瓦礫に埋まった。

 

 この場から一度離脱する余裕など、彼は与えてはくれないだろう。

 

 ヴィザはこちらを圧倒し続けているが、厄介極まりないのがそんな状況でも彼が一切の油断をしていない事だ。

 

 これ程隔絶した実力を持ちながら、ヴィザは自分の敗北を()()()()()()だと認識してはいない。

 

 ()()()が起こり得る可能性を決して見逃さず、逆転に繋がる芽は確実に潰す。

 

 それが、今のヴィザだ。

 

 故に七海が不審な行動を取れば、即座に狙い撃って来るだろう。

 

 武人ではなく、軍人として。

 

 容赦なく、こちらの命を刈り取りに来る筈だ。

 

 ()()を使うには、そんな相手の前で生身を一瞬であっても晒さなければならない。

 

 それに恐怖を感じないと言えば、嘘になる。

 

 死ぬのが怖い、からではない。

 

 姉に生かして貰ったこの命を、無為に捨ててしまうのが怖いのだ。

 

 玲奈が文字通りその身に替えて救ってくれたこの命は、今や自分一人のものではない。

 

 彼女の願いによって生かされたこの命を捨てる事は、姉への裏切りと同義だ。

 

 だからこそ、彼はこれまでどんなに苦しくとも自死という手段に縋らなかった。

 

 たとえ、どれだけ罪悪感に苛まれようとも。

 

 姉が自分の生を願ってくれた事だけは、確かな事だったのだから。

 

 故に、迂闊な行動は取れない。

 

 トリガーを解除して、ヴィザが動くまでに()()を起動出来なければ。

 

 自らの命を、無為に散らせてしまう事になるのだから。

 

 だから、失敗は許されない。

 

 故に、不安なのだ。

 

 もし、姉が応えてくれなければ。

 

 もし、右腕が何の反応も見せなければ。

 

 自分は剣聖の刃に斬られ、屍を晒す事になるだろう。

 

 姉を信じていないワケではない。

 

 自分の成果を認めないワケではない。

 

 けれど。

 

 自分を信じ切るには。

 

 四年間という成功を掴めなかった月日の重みは、決して小さくはない。

 

 今日こそは、と思い立ち起動させようとして────────────────結果、何の反応もなく消沈する。

 

 その繰り返しの日々の記憶が、七海の覚悟の邪魔をする。

 

 やるしかないと、分かってはいる。

 

 けれど、最後の一歩が踏み出せない。

 

 現在ヴィザと相対する忍田は、戦力という意味でこの上なく頼りになる。

 

 けれど、そんな彼であってもヴィザを前に劣勢を強いられている。

 

 加えて、迅や小南と異なり忍田は己の職務に実直過ぎるが故に、彼等ほど七海と親しくしていたワケではない。

 

 故に、七海の心を支える寄木としては、残念ながら役不足と言わざるを得ない。

 

 愛する少女は下手にこの場に赴けば即座に落とされるであろうし、他のチームメイトも同様だ。

 

 いや、誰であってもこの剣聖相手では即死しない方が難しいだろう。

 

 七海の副作用(サイドエフェクト)が察知出来るのは、彼自身に迫る危険のみ。

 

 仲間を呼んでも、その危機に関しては感知する事は出来ない。

 

 もし、一時でもこの力を与える事が出来るのなら。

 

 そう思わなかった事がないと言えば、嘘になる。

 

 自分の感覚(きもち)を識って欲しい。

 

 そういった想いも、心の内には確かに在ったのだから。

 

 ────────────────そっか。それなら、きっと────────────────

 

 刹那。

 

 微かな、声が聞こえた。

 

 そんな、気がした。

 

 

 

 

(不甲斐ない。何も出来ず、やられてしまうとはな)

 

 風間は隊室の緊急脱出用マットから起き上がり、唇を噛んだ。

 

 七海の力となるべく歌川を犠牲にする策を用いてまで乾坤一擲の勝負をかけたが、結果は敗北。

 

 相手に一太刀すら浴びせる事も出来ず、ただ無為に落とされた。

 

 敵の黒トリガーを撃破して、増長していたつもりはない。

 

 あの一戦とて、多くの頼り甲斐のある仲間達との連携の果てに紙一重で掴んだ勝利だった。

 

 エネドラは確かに慢心はしていたが、戦闘者としての隙はさほど見せてはいなかった。

 

 情緒不安定になっていたとはいえ、流石は軍事国家の精鋭の一人。

 

 黒トリガー泥の王(ボルボロス)の特殊性も相俟って、一歩間違えれば自分が落とされていた可能性は0ではない。

 

 だからこそ、エネドラを仕留められた事が一つの自信に繋がった事は確かだ。

 

 七海の、迅にとっての四年間の集大成であるこの大規模侵攻。

 

 その最中、自分が出来る事があるのだと。

 

 誇らしく思った事は、確かだ。

 

 けれど、同じようにヴィザを下せるとまでは思っていなかった。

 

 視認した時点で、彼の脅威の底知れなさは理解出来た。

 

 黒トリガー争奪戦の時に見せた、本気の迅。

 

 それに匹敵する────────────────否。

 

 その時の彼を遥かに凌駕する、正真正銘の羅刹の気配を。

 

 ヴィザは。

 

 神の国の剣聖は、纏っていた。

 

 だから、接近には細心の注意を払った。

 

 足音も完全に消し、ギリギリまでカメレオンを展開。

 

 必殺の間合いまで踏み込み、その刃を届かせんとした。

 

 だが、それは無為に終わった。

 

 圧倒的な経験則という、長年の戦いの重みに押し潰される形で。

 

 格が違う。

 

 風間が本気でそう思ったのは、後にも先にもあの時だけだ。

 

 単純な実力者という意味では太刀川や迅とも刃を交えた事はあるが、ヴィザのそれは彼等とは文字通り一線を画していた。

 

 どれだけ足掻こうと辿り着ける気のしない、幾千もの戦歴の積み重ね。

 

 血風に塗れたその刃の重みは、風間の想像を超えていた。

 

 真っ当な手段では、まず辿り着けない高み。

 

 彼は間違いなく、そんな位階にいるのだと。

 

 そう、確信せざるを得ない程に。

 

(後悔は今すべき事ではない。重要なのは、俺が今出来る事をやる事だ)

 

 自責の思考を、風間は使命感で中断する。

 

 起きた事を後悔するのは、全てが終わった後で良い。

 

 重要なのは、自身の体感した事を鑑みて次へ繋げる事。

 

 その為に、何が必要なのか。

 

 それを見極め、実行する事だ。

 

(迅の狙いは、恐らく────────────────なら、俺のやるべき事は一つだ)

 

 風間は素早くマットから降りると、部屋を出て三上と合流。

 

 とある指示を出し、通信を繋いだ。

 

「────────────────というワケだ。七海の下へ行ってくれ。やる事は分かるな?」

『言われるまでもねぇよ。つーか、もう向かってるトコだしな』

「なら良い。頼んだぞ」

 

 風間は自分が言うまでもなく行動に移っていた通信相手に内心苦笑し、三上に指示して目的地までの最短ルートを転送した。

 

 勝利条件の一つは、察している。

 

 なら、自分なりの方法でサポートを行うだけだ。

 

 それが、無為に落とされてしまった自分の果たすべき責任の取り方であり。

 

 七海の師である自分への、誓いでもあった。

 

(お膳立てくらい、幾らでもやってやる。だから、恐れるなよ七海。お前はもう、いつでも壁を超える事が出来る────────────────それを教えてやるのが俺でない事は、少し悔しいがな)

 

 風間はしばしの感慨の後、再び三上へ指示を飛ばす。

 

 その眼に不安はなく、また焦りもない。

 

 彼ならばきっと、最後の後押しをしてくれるだろうと。

 

 そう、確信しているからだ。

 

 既に、賽は投げられている。

 

 後は、どう転がすかだけだ。

 

 戦いは、戦争は佳境。

 

 一歩間違えれば、最悪へと転がり落ちる運命の最中。

 

 自分たちに出来る事は、あらゆる手を尽くして転がるサイコロを後押しするだけだ。

 

 奇跡は、祈るのではなく手繰り寄せるもの。

 

 いつだって、賽を投げるのは神ではなく。

 

 強き意思を持った、人間なのだから。



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雲外憧憬

 

「ふむ、そう来ますか」

 

 降り注ぐ、弾幕の雨。

 

 ヴィザはそれを特に驚くでもなく見据え、そのまま不可視の刃で迎撃。

 

 落ちて来る光の雨、その悉くを薙ぎ払う。

 

 傍から見れば防戦一方だが、ヴィザは余裕すら漂わせて弾幕を捌いている。

 

 事実、彼からしてみればこのような絶技も児戯の範疇に過ぎないのだろう。

 

 尚も衰える事なき修羅の眼光が、その事実を証明している。

 

 隙など、欠片も見えない。

 

 何処から攻撃が来ようと、対処出来る自信があるのだろう。

 

 それは単なる傲慢でも、無論希望的観測でもない。

 

 ただの事実として、()()()()の攻勢は対処可能な範疇に過ぎない。

 

 それを成し得るのが、剣聖。

 

 武の頂に立ち、修羅をその身に宿す者。

 

 神の国の刃、その権化である。

 

「────────!」

 

 その剣聖に、忍田は果敢に挑む。

 

 弾幕の雨の中、その剣を構え。

 

 剣聖に。

 

 ヴィザの下へと、斬り込んで行った。

 

 

 

 

(ちっ、こいつぁ不味いな。俺も二宮さんも、さっきの動物ヤローとの戦いで消耗し過ぎてる。長くは続かねぇぞ)

 

 警戒区域、その一角。

 

 建物の屋上に立つ出水は、隣に立つ二宮の放つ弾幕を見据えながら内心で舌打ちしていた。

 

 敵の、ヴィザの射程圏外から攻撃する為にこの場から弾を撃ち続けている二人だが、トリオンは有限である以上この援護射撃もいつまでも続けられるものではない。

 

 出水も二宮も、ボーダーでも有数のトリオン強者だ。

 

 双方共に出力や継続戦闘力では早々負けはしないが、何事にも限度はある。

 

 そもそも、二人は先のハイレインとの撃ち合いでそれなりにトリオンを消耗している。

 

 膨大な生物弾に対応する為には、相応の弾数を以て当たるしかなかったからだ。

 

 無論、その事に後悔はない。

 

 二人の射撃がなければハイレインを仕留める事は叶わなかっただろうし、今更可能性を語ったところで意味は無い。

 

 だが、事実として二人は消耗している。

 

 その状態でこの遠隔援護射撃を継続し続ける事は、不可能と言って良いだろう。

 

(このままじゃ、遠からず射撃は中止せざるを得なくなる。けど、そうなったら多分あのじーさんは止められねぇ。忍田本部長は元より、七海の奴も無事じゃ済まねーだろ)

 

 現在ヴィザと忍田達がやり合えているのは、この遠隔射撃の援護ありきのものと言って良い。

 

 確かに忍田はボーダーでも最強クラスの実力者であるし、七海も回避能力は最高クラスのものを持っている。

 

 だが、それだけで抗えるほど剣聖の壁は低くはない。

 

 もし、この援護射撃が途切れるような事があれば。

 

 均衡は崩れ、戦場の色は敗色へと一気に塗り替えられるだろう。

 

 トリオン量的に、この距離からの援護射撃が出来るのは二宮と出水の二人だけだ。

 

 だからこそ、出水達は交代で弾幕を張り続けていた。

 

 少しでも長く、拮抗状態を継続する為に。

 

(迅さんが七海に()を期待してるのかは、大体察してる。なら、その()()を作るのが俺等の仕事だろ)

 

 全ては、勝利へ────────────────否。

 

 七海の望む、未来へ辿り着く為に。

 

 出水は、全てを振り絞るつもりで弾を撃ち続けていた。

 

 トリオン節約の為に加減をして撃つ、などという事をすればあの剣聖は即座にその隙を突くだろう。

 

 故に、二宮も出水も全力での射撃を半ば強要されていた。

 

 それだけの無理を続けていたのは、誰あろう自らの弟子である七海の為である。

 

 正直、出水自身は迅に対してはそこまで思い入れはない。

 

 太刀川の好敵手である迅ではあるが、出水個人との関りはそう深くはない。

 

 それ故に出水が動くのは迅の為ではなく、七海の為といった理由が大きい。

 

 七海は迅を慕い、彼の望む未来へ辿り着く為に全霊を尽くす心づもりでいる。

 

 ならば、その心意気に応えなければ師としての面目が立たない。

 

 これは、それだけの話なのだ。

 

(直接行くのは、多分あの人がやるだろ。俺は俺で、やる事をやりゃあいい。気張れよ、七海。此処が多分、一番の踏ん張りどころだぜ)

 

 

 

 

「────────」

「────────!」

 

 降り注ぐ、弾幕の中。

 

 接近を試みる忍田を、ヴィザの刃が迎撃する。

 

 未だ斬線すら見えない、不可視の刃。

 

 忍田はその脅威に対し、極限の集中を以て弧月を振るう。

 

 まともに受けたのでは、そのまま斬られる。

 

 故に、忍田はその技巧を以て刃を受け流し、その勢いを利用して前進。

 

 一歩、また一歩とヴィザへと歩を進める。

 

「ふむ」

「…………!」

 

 しかし、その進軍は中途で止められる。

 

 ヴィザへ近付いた、その刹那。

 

 先程よりも更に鋭く、数の多い斬撃が忍田を襲った。

 

 忍田はそれも何とか凌いでみせるが、その勢いを殺し切れず後退する。

 

 何が起きたか、言うまでもない。

 

 ヴィザが温存していた刃を用いて、攻勢をかけただけだ。

 

 言葉で説明するは容易いが、当然並大抵の事ではない。

 

 何せ、今のヴィザは弾幕の雨を刃を用いて迎撃しながら戦っている。

 

 そんな中で()()()の刃を増やすなど、防御を自ら薄くしているのと同義だ。

 

 普通であれば、二宮の弾幕と言う一度捕まったら終わりの代物を相手にしている時点で防戦一方になり攻撃をする機会など無い筈だ。

 

 しかしヴィザはいとも簡単にその弾幕の雨を薙ぎ払い、尚且つ攻撃にも力を注いでいる。

 

 格が違う。

 

 文字通りの意味で、そう実感せざるを得なかった。

 

(今の弾幕を凌いでいる状態でこれなら、援護射撃がなくなった時点で終わりか…………っ! だが、諦めるワケにはいかない。彼等が希望を棄てない限り、私は此処で剣を振るい抗い続ける────────────────それが、四年前何も出来なかった私が果たすべき責任の取り方なのだから)

 

 だが、そんな事は承知の上。

 

 分かった上で、忍田はこの場に立っているのだ。

 

 ヴィザが、神の国の剣聖が自分の遥か上の高みに座する存在である事は相対した時に理解している。

 

 だが、相手が幾ら強かろうが折れて屈する選択肢などあろう筈がない。

 

 忍田は、迅が、そして七海がこの戦いを乗り越える為────────────────最善の未来を掴み取る為にどれだけのものを積み重ねて来たのかを、知っている。

 

 愚直な性格故に小南のように堂々と背中を押す事も、城戸のように影ながら力添えをする事も出来なかった。

 

 七海達への信頼度、親密度と言った点で自分は他の旧ボーダーの面々と比べて劣っているのは確かだろう。

 

 実力者として頼ってはくれても、心の支えにまではしてくれてはいない。

 

 忍田の直感は、それを冷静に感じ取っていた。

 

 しかし、過去を悔いても意味は無い。

 

 過去とは乗り越えるものではなく、背負い共に歩むもの。

 

 彼等には彼等なりの、自分には自分なりの過去の背負い方というものがある。

 

 七海達が、過去の悲劇を背負いそれでも前を向き続けるのであれば。

 

 自分は、その背中を押す一助に────────────────いや。

 

 切っ掛けを掴む為の時間さえ稼げれば、それで良い。

 

 その為に、全霊を尽くす。

 

 そこに、何の迷いがあろうか。

 

 武人としての誉れも、戦士としての昂ぶりも、その責務(ねがい)より優先すべき事ではない。

 

 旧ボーダーの一人として。

 

 そして。

 

 他ならぬ、玲奈の戦友として。

 

 此処で気合いを入れずして、何処で入れるというのか。

 

 気持ちの強さで勝敗は決まらない。

 

 弟子たる太刀川の言葉だが、これはある意味では間違ってはいない。

 

 幾ら気合いと覚悟があろうが実力が伴わなければ結果を出す事は叶わず、具体的な策がなければ積み重ねた強さも無為に終わる。

 

 勝敗を決めるのはあくまでも鍛え抜いた実力と機転、環境要素。

 

 そして、僅かな運。

 

 精神論に意味はなく、ただ現実的な積み重ねと戦術のみが勝敗を決める。

 

 無論の事、最低限のモチベーションや矜持がなければそもそも積み重ねを行う以前の問題だ。

 

 だが、土壇場で気合いを入れただけで勝てるほど勝負の世界は甘くはない。

 

 特に、集団戦はその傾向が顕著である。

 

 戦術と機転が全てを決め、精神論の介在する余地はない。

 

 環境を考慮し、相手の戦術レベルを計算に入れ、読み合いで勝った者が勝利者となる。

 

 集団戦における戦闘論理とは、そのようなものだ。

 

 その意味で太刀川の言葉は間違っておらず、その事自体に異議を唱えるつもりはない。

 

 されど。

 

 此処まで圧倒的な強者との戦いであれば、話は変わる。

 

 戦術だけでは勝てず、環境や僅かな運ですら決定打にはならない。

 

 それだけの差が、自分達とヴィザの間にはある。

 

 先程の風間達の失敗が、それを裏付けている。

 

 なればこそ、必要なのだ。

 

 絶対的な強者へ、挑む為の根拠。

 

 想いという、不確かで且つ強い力が。

 

 現実の戦闘に、想いの介在する余地はない。

 

 但し。

 

 ただ一つの、()()を除いて。

 

 ()()は、想いの結晶とでも言うべき代物だ。

 

 乾いた論理だけでは決して届かず、一途な願い(おもい)こそが源である存在。

 

 この四年間、ただの一度たりとも目覚める事のなかったその力。

 

 それを目覚めさせられるかどうかが、恐らくこの戦いの最大の分岐点となる。

 

 その為に必要なのは、時間と機会。

 

 ならば。

 

 それを稼ぐのが、自分の役割だ。

 

(時間は、私たちが稼ごう。君は、彼女の願いを掴み取る事に集中するんだ────────────────()と、共にね)

 

 

 

 

(このままじゃ…………っ! だけど…………っ!)

 

 響き渡る、弾幕と剣戟の交響曲。

 

 その最中、七海は最大限に警戒を張り巡らせながら忸怩たる想いを抱えていた。

 

 先程から()()を試す機会を狙っているが、ヴィザは一向に隙を見せない。

 

 弾幕を薙ぎ払い、忍田と斬り合いながらも彼は七海への注視を緩めてはいない。

 

 一歩、後退する。

 

 その、刹那。

 

「…………っ!」

 

 七海の副作用(サイドエフェクト)が攻撃を感知し、すぐさま元の位置に撤退。

 

 その一瞬後に、彼のいた場所を不可視の斬撃が通過する。

 

 先程から、何度試そうとも結果は同じ。

 

 七海はヴィザの警戒網から、未だ抜け出せずにいた。

 

「何を狙っているかは知りませぬが、無駄な動きはお勧めしませんぞ。どうやら()()()()()()なようですが、限度はあるでしょうからな」

「く…………」

 

 目を細めて告げるヴィザの言葉に、七海は歯噛みする。

 

 恐らく、彼は七海の副作用(サイドエフェクト)に当たりを付けている。

 

 副作用が近界民(ネイバー)にも発現するかどうかは知らないが、少なくとも可能性はある以上知識としては知っている筈だ。

 

 トリオンの優秀な者の中に、特殊な感覚を得て生まれる者がいる事を。

 

 ヴィザは、歴戦の老兵。

 

 これまで戦場で屠った相手の中に、そういった能力を持った者がいなかったとは言い切れない。

 

 そうでなくとも、アフトクラトルは近界(ネイバーフッド)最大の軍事国家だという。

 

 ならば、そういった能力者についての知識を学んでいてもおかしくはない筈だ。

 

 故に、恐らくは察知されている。

 

 七海のサイドエフェクトが、回避能力に関わるものである事を。

 

「貴方の()()は、攻撃を察知する類のものなのでしょうな。しかし、どうやら感知出来るのは貴方自身への攻撃のみの様子────────────────味方を守る事には、使えなさそうですな」

「────────!」

 

 そして、その予想は的中する。

 

 矢張り、剣聖の眼は誤魔化せない。

 

 相手の攻撃を感知するとだけ勘違いしてくれればまだやりようはあったが、()()()()()()()という七海の感知痛覚体質(ちから)の欠点がバレてしまったのはあまりにも痛い。

 

 それが察知されていなければ、ブラフとして運用する手段もあった。

 

 しかし、バレてしまった以上はどうしようもない。

 

 攻撃を当て難いのであれば、他の者から狙えば良いだけなのだから。

 

 七海は確かに機動力と回避能力に特化しているが、攻撃能力はそこまで高くはない。

 

 マンティスはそもそも近付かなければ繰り出せない上にリスクが大きいし、メテオラも彼に辿り着くまでに薙ぎ払われて終わりだろう。

 

 つまり、七海単身ではヴィザを足止めする手段は無い。

 

 むしろ、下手に爆撃などすればその隙を突かれて落とされるだけだ。

 

「隠している奥の手も見てみたいところですが、今は任務が最優先ですからな。()()は、なしでやらせて貰いますぞ」

 

 加えて、こちらの「切り札」の存在にも気付かれている。

 

 それが何なのかまではバレてはいない様子だが、迂闊に動けば即座に斬られるだろう。

 

 ヴィザはこれまでこちらを圧倒し続けながらも、一切慢心をしていない。

 

 己の力に絶対の自信を持ち、慢心するようであればまだ芽があった。

 

 もしくは、時間稼ぎに興じて敢えて見に徹するのであればやりようもあった。

 

 だが、今のヴィザは一切の無駄を排し任務達成にのみ注力している。

 

 何かをする時間など、一切与えてはくれないだろう。

 

(駄目、なのか。此処まで来て、迅さんにも期待されておいて、あと一歩で望んだ未来に届きそうなのに、俺は…………っ!)

 

 七海の脳裏に、弱音が過る。

 

 望んだ未来はすぐそこにあるのに、その間にかかる雲があまりにも厚い。

 

 雲の外へ、光指す陽の元へ辿り着きたいのに、それを邪魔するように空は曇り灰に覆われている。

 

 曇り空(ぜつぼう)が、足を重くする。

 

 太陽の光(みらい)が、遠ざかる。

 

 憧れた道筋(そら)が、姿を隠す。

 

 七海は、その(げんじつ)を前に────────────────。

 

「────────────────おら、シャキっとしろ。七海」

「え…………?」

 

 ────────────────折れそうな心を、その頼もしい声に引き留められた。

 

 顔を上げる。

 

 そこには。

 

 威風堂々と立つ、少年の姿が在った。

 

「カゲさん…………っ!」

「おう、来てやったぜ。最後の一勝負、俺も付き合わせろや」

 

 その声に、言葉に、折れる寸前だった心に火が灯る。

 

 弛緩しそうだった手足に、力が戻る。

 

 目の前には、敬愛する師が。

 

 影浦雅人が、その大きな背を見せつけるように佇んでいた。



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Force

「カゲさん…………」

「なにシケたツラしてやがんだ。ここが、大一番だろうが。おめーがそんな顔して、どーするよ」

 

 影浦は自身を見上げる七海に、そう言って笑いかける。

 

 あくまでも、自然体。

 

 絶対的な強者を前にしていても、普段の彼と変わらない笑み。

 

 だが、それも当然か。

 

 心優しき猛獣は、大切な弟子の前で無様を見せるような真似はしない。

 

 その事を誰よりも知っている七海の顔に、思わず笑みが零れる。

 

 大きな背中。

 

 敬愛する師を前にして、七海の心に温かなものが溢れて来る。

 

 思えば、彼と初めて会った時からこの背中を追いかけていた。

 

 迅とは違う意味での、()()

 

 ボーダーに入り、人生の指針を教えてくれて色々便宜を図ってくれた迅。

 

 似た副作用(やまい)の持ち主として、そしてボーダーの先達として自分を支えてくれた影浦。

 

 どちらも七海にとって掛け替えのない存在であり、常にその背中を追い続けた存在でもある。

 

 あの最終ROUND。

 

 様々な要素が重なって実現した、影浦との一騎打ち。

 

 当時の情景は、今でも鮮明に思い出せる。

 

 この時間が、いつまでも続いて欲しい。

 

 心からそう願ってしまう程の、至福の時間。

 

 それが敬愛する師との本気の決闘であり、お互いの全てをぶつけた────────────────本当の意味で心からぶつかり合った、何よりも楽しかった師弟の()()だった。

 

 あの一戦で、ようやく影浦の背に追いつく事が出来た。

 

 七海はそう思っていたし、影浦もそれは認めていただろう。

 

(やっぱり凄いな、カゲさんは)

 

 だが。

 

 追いついた背は、いつまでも立ち止まっているワケではない。

 

 あの時から────────────────否。

 

 いつ如何なる時でも、影浦は己の歩みを止めなかった。

 

 あの一戦で、彼に追いつけたのは確かだろう。

 

 けれど、何もせずに追い縋り続けられる程影浦の歩みは遅くはない。

 

 師として、弟子に負けたままではいられない。

 

 そんな矜持が、頼もしい背中から伝わって来るようだった。

 

 だから、停滞している暇なんてない。

 

 こちらも同じように歩き続けなければ、きっとまたその背は遠のいてしまうだろう。

 

「うだうだと説教するつもりはねーよ。そういうのはガラじゃねーし、俺の役割でもねーだろ」

 

 それを証明するように、影浦は頭をかきながら笑う。

 

 その様子は、何処かぎこちなく。

 

 粗雑な言動に秘めた本心が、確かに見え隠れしていた。

 

「────────────────やる事が、あんだろ? だったら、気にしねーでやってみろ。その間くれー、俺がなんとかしてやっからよ」

 

 それは、弟子へ向けた激励(エール)

 

 不器用で口下手な彼が送った、最大限の叱咤。

 

 優しい獣に背中を押され、七海は。

 

「────────はいっ! お願いします、カゲさん」

 

 ────────────────全ての覚悟を決め、顔を上げた。

 

 師に。

 

 自分が最も慕っている兄貴分に、此処まで言わせたのだ。

 

 ならば、応えなければ嘘というもの。

 

 先程まで心に燻っていた恐怖が、薄らいでいく。

 

 警戒を緩めた、ワケではない。

 

 ただ、開き直ったのだ。

 

 自分が切り札を切る時間は、きっと影浦が────────────────いや。

 

 影浦達(みんな)が、稼いでくれる。

 

 そう、確信したが故に。

 

『ふふ、大事なところで全部持っていかれちゃったわね』

「玲…………」

『ごめんなさい、影浦先輩みたく傍に行けなくて。でも、その役目はきっと────────────────その人にしか、出来なかっただろうから』

 

 通信で、那須から声が届く。

 

 戦術の確認や、今後の相談などではない。

 

 ただ、彼に言葉を贈る為。

 

 彼女は、彼女達は、意を決したのだ。

 

『一番恰好良いところは取られちゃったけど、アンタにゃあたし達も付いてる。それを、忘れないで』

『そうですよっ! まだいいトコ何も見せられてないですけど、必ずこの後で活躍してみせますからっ!』

『ええ、だから玲一は安心して()()を使って。きっと今なら、玲奈お姉ちゃんも応えてくれると思うから』

『引き続き全力でサポートします。七海先輩、思いっきりやって下さい』

 

 熊谷が、茜が、那須が、小夜子が。

 

 それぞれの言葉で、激励(エール)を送ってくれている。

 

 影浦によって灯された心の火が、燃え盛っていくのを感じる。

 

 だけど。

 

 くべられた(ことば)は、それだけではなかった。

 

『おう、ここが勝負どころだろ。細けー事はカゲに任せて、いっちょ決めてやれ』

『ああ、七海ならきっと出来る。あの二宮隊だって、迅さんだって超えられたんだ。なら、そんな所で躓いてる場合じゃないだろ』

 

 荒船が、村上が。

 

 七海の、戦友にして好敵手達が。

 

 彼の背を、押してくれている。

 

 共に戦い、研鑽した攻撃手達。

 

 彼等がいなければ、きっと七海は此処まで強くはなれなかっただろう。

 

『七海先輩、守りはカゲさんに任せていいよ。オレも、やれる事はやるからさ』

『うん、ゾエさんも力になるよ。何処までやれるかは、分からないけどね』

『おう、そうだぜ。つーか、カゲも気合い入れろよ。そこまで啖呵切って失敗したら、かっこわりーぞ』

「余計なお世話だ、ヒカリ」

 

 ぶっきらぼうながら頼もしい言葉を送る、影浦隊。

 

 彼等がどれだけ自分の支えになってくれたかは、言うまでもない。

 

 影浦を筆頭に、口下手ながらも心優しい獣の牙の隊章(エンブレム)を背負った者達。

 

 その暖かな言葉は、七海の背を優しく押した。

 

『俺たちの分も、とは言わん。お前がやるべき事をやれ』

『おう、気持ちの強さで勝負は決まらねーけどよ。()()気持ちの強さ(それ)で勝負をかける時だろ。ごちゃごちゃ考えるよりも、やれるだけやってやれ』

 

 厳しくも、心強い言葉で励ましてくれる風間と太刀川。

 

 自分の無念を晴らす為、などと女々しい事は彼等は言わない。

 

 ただ、彼の先達として。

 

 必要な言葉を、送るだけだ。

 

『必要なら幾らでも援護はしよう。その代わり、君の力を貸してくれ』

『さっさとやれ。時間を無駄にするな』

『要約すると援護は任せろってこった。足りない部分は幾らでもフォローしてやっから、しっかりやれよ』

『ふふ、人格はともかく実力的には充分な駒が揃っているわ。安心してやりなさい』

『ああ、迅さんの言葉じゃないがお前ならきっと出来る筈だ。自信を持て』

『俺が言う資格があるかは分からないが────────────────頑張れ。お前と迅が望んだという未来、掴み取ってみせろ』

 

 頼もしい言葉を送る、旧東隊の面々。

 

 かつて競い合い、ぶつかり合った者達。

 

 彼等との戦いもまた、七海の血肉になっているのは確かだ。

 

 故に、その実力は保証出来る。

 

 何せ、七海(じぶん)が身を以てそれを識っているのだから。

 

『後の事は任せて、全力でやりなさいっ! あたし達もすぐ、そっちへ行くからねっ!』

『七海、此処が最大の分岐点だ。多くは言わない────────────────きっと、お前なら未来を掴み取れると信じているよ』

 

 小南と迅。

 

 四年前から彼を支え、そして導いてくれた者達。

 

 姉を。

 

 玲奈を、識る者達。

 

 彼等の存在が、どれだけ七海の救いとなったか。

 

 故に、これ以上に頼もしい激励(エール)はない。

 

 七海の心の灯火は、これ以上ない程燃え盛っていた。

 

『七海』

 

 そこで。

 

 予想もしなかった人物から。

 

 通信が、届いた。

 

 送り主は、城戸。

 

 他の者には伝わらない秘匿回線を用いて送られた言葉は、ただ一言。

 

『玲奈を、頼む』

「────────はいっ!」

 

 言葉を尽くすのは、無粋だろう。

 

 あの城戸から、玲奈を。

 

 姉を頼むと、言われたのだ。

 

 最早、やる事は決まり切っている。

 

 迷いも、躊躇いも。

 

 既に。

 

 七海の心には、欠片も残ってはいなかった。

 

「トリガー、解除(オフ)ッ!」

 

 その一言と共に、七海の戦闘体が。

 

 トリオン体が解除され、生身の身体が曝け出される。

 

 無痛症に冒された身体は地に足で立つ感覚がなく、生きている実感さえも希薄だ。

 

 けれど。

 

 今の七海の心に、不安はなかった。

 

 頼もしい味方の、仲間の言葉が。

 

 彼の心に、大きな灯火を宿していたから。

 

 不安も、恐怖も。

 

 今の七海には、存在しなかった。

 

「────────!」

「させん」

 

 七海の様子に気付いたヴィザが即座に刃を振るおうとするが、更に激しくなった弾幕と忍田の斬り込みがそれを抑える。

 

 弾丸の数と勢いからして、残るトリオンを総動員して二宮と出水が援護射撃をしてくれているのだろう。

 

 ボーダーの誇る二人のトリオン強者と、ノーマルトリガー最強の剣士。

 

 その二重の抑えが、七海を斬り捨てようとしたヴィザの動きを制止する。

 

「それは、こちらの台詞ですな」

「…………!」

 

 だが。

 

 ヴィザは、優先順位を間違えなかった。

 

 今の弾幕も、忍田の突撃も。

 

 全ては、時間稼ぎに過ぎない。

 

 援護射撃がもうすぐ途切れるのは察していたし、忍田もこれまでの戦いで限界が近い。

 

 故に、ヴィザはその二重の抑えを最低限の動きで防御。

 

 全ての弾丸を薙ぎ払うのではなく、自分に当たる弾のみを選別して迎撃。

 

 撃ち漏らした弾は体捌きのみで躱し、無防備な七海に向け不可視の斬撃を見舞った。

 

 幾ら感知痛覚体質(サイドエフェクト)があるとはいえ、生身の身体では当然トリオン体のような体捌きは望めない。

 

 そもそも、彼の生身の肉体は碌に日常生活を送れるような状態ではないのだ。

 

 攻撃を察知出来たとしても、それを避ける為の機動力がない。

 

 故に、この攻撃を避ける術はない。

 

 七海の身体は断ち切られ、無残な末期を晒す。

 

「させっかよっ!」

 

 否。

 

 そんな真似、心優しき猛獣が許さない。

 

 影浦は己の感情受信体質(サイドエフェクト)で────────────────否。

 

 自らの直感のみで自身の守る七海の危機を察知し、彼を抱えて跳躍。

 

 致死の刃を、己の右手首を代償に凌いでみせた。

 

 超々高速斬撃は影浦の体捌きを以てしても避け切るには至らず、七海を抱えていた彼の右手首を切断した。

 

 だが、問題は無い。

 

 肝心の七海は、無傷。

 

 ならば、手首の一つくらい安いもの。

 

 影浦はそう考え、不敵な笑みを浮かべた。

 

「やれ、七海っ! おめーの願い、叶えてみせやがれっ!」

「はいっ!」

 

 師の激励を受け、七海は己の右腕を────────────────黒トリガーを、掲げる。

 

 姉がその身を賭して生み出した、黒い棺。

 

 四年もの間、何の反応も見せなかったそれを。

 

 七海はこの場で。

 

 運命を変える分岐点にて。

 

 発動するべく、祈り(ねがい)を込めて語りかけた。

 

(応えてくれ、姉さん…………っ!)

 

 刹那。

 

 七海の視界が、歪む。

 

 それは、極限の緊張が齎した白昼夢だったのか。

 

 本当の所は、分からない。

 

 けれど。

 

 目を開けた時、七海は。

 

 

 

 

「────────此処は…………」

 

 気付けば、真っ白な世界に彼は立っていた。

 

 地平線が見える、何もない平野。

 

 足場さえも定かではなく、現実味のない光景。

 

 それは何処か空虚で、だけど。

 

 とても、暖かだった。

 

「────────────────久しぶり。元気だった? 玲一」

 

 懐かしい、声が聞こえた。

 

 忘れる筈がない。

 

 四年も前になるけれど。

 

 もう、その姿も朧気にしか思い出せないけれど。

 

 でも。

 

 その声を間違う事なんて、ある筈もなかった。

 

「姉、さん…………」

 

 髪の長い、七海に似た顔立ちの少女。

 

 七海玲奈。

 

 四年前に黒トリガーと化し、荼毘に伏した筈の彼女が。

 

 当時そのままの姿で、七海の前に立っていた。

 

「これは、一体…………?」

「それは、私にも分からないわ。玲一の見た幻覚かもしれないし、黒トリガーに残った私の残滓が見せた夢なのかもしれない。だけど────────」

「あ…………」

 

 ふわりと、懐かしい匂いと共に柔らかな感触が七海を包み込む。

 

 姉は、玲奈は。

 

 涙を堪えた瞳で、彼を強く抱き締めていた。

 

「…………ごめんね。あの時、私はとにかく玲一の痛みを取ってあげたい、って思考で一杯だった。だから黒トリガーの機能が暴走して、玲一から痛みや感覚を奪っちゃったの。挙句の果てに起動自体も不可能になっちゃって、本当に申し開きのしようもないよ」

 

 姉の言葉が事実かどうかは、分からない。

 

 今見ている光景が現実のものなのか、都合の良い幻覚なのかさえ分からないのだ。

 

 目の前の姉の言葉の根拠が何処にあるかなんて分からないし、ブラックボックスの塊である黒トリガーであればそういう可能性も充分有り得てしまう事も確かだ。

 

「ううん、いいんだ。そのお陰でこうして姉さんに会えたんだったら、無意味なんかじゃないよ。だから恨んでなんかいないし、むしろ感謝してる。だって、これまでの僕の────────────────いや、俺の軌跡は何が欠けていても有り得なかったんだから」

 

 だけど。

 

 それよりも、何よりも。

 

 今、二度と会えない筈の姉とこうして邂逅出来ている。

 

 それだけで、全てが報われる心地だった。

 

 本当に姉の言う通り、無痛症や黒トリガーの不具合の原因が彼女の想いにあったのだとしても構わない。

 

 だってそれは、姉が自分の事を最期まで想ってくれていた証なのだから。

 

 感謝こそすれ、恨む理由はない。

 

 心の底から、七海はそう思っていた。

 

「そっか。良い出会いに、仲間に、恵まれたんだね」

「うん。皆、良い人たちばっかりなんだ。貰い過ぎってくらい、色々なものをくれた────────────────掛け替えのない、大切な人達だよ」

 

 四年前の悲劇がなければ、きっと今の七海は此処にはいない。

 

 違う形でボーダーに入る事があったとしても、出会い方も関係も今とは全然違っていた筈だ。

 

 だから、後悔なんてある筈ない。

 

 姉を失ったのは悲しいけれど、時間が巻き戻る事なんてない。

 

 だったら、自分の歩んで来た道だけは否定しちゃいけない。

 

 たとえ、どれだけの哀しみを抱えていたとしても。

 

 皆の支えで此処まで来れた事は、紛れもない事実なのだから。

 

 全ての出会いと別れに、意味はあったのだと。

 

 そう、誇る為に。

 

「お姉ちゃんが、玲奈姉さんが託してくれた意思は、確かに受け継がれているよ。玉狛の人たちに、迅さん。勿論、俺だって。回り道も色々したけれど、その全部があって今まで歩いて来れたんだ」

 

 だから、と七海は玲奈に笑いかける。

 

「────────────────もう、大丈夫だよ姉さん。この先もきっと、歩みは止めない。皆と一緒に、望んだ未来を掴み取ってみせるよ」

 

 それは、一つの訣別の言葉。

 

 この邂逅の意味や理屈を、考えようとは思わない。

 

 だけど、確かな事は。

 

 この機会を最期に、こうして姉を話す事はもうないだろうという事だ。

 

 今の光景だって、奇跡のようなものなのだ。

 

 もう一度同じ事が起きるなんて、都合の良い事がある筈がない。

 

 だけど、死者の手は引くものではなく振り払うもの。

 

 どんな奇跡が起こったとしても、死んだ人間は蘇らない。

 

 だから、遺された者が出来るのはその重み(おもい)を背負う事だけだ。

 

 故に、引き留めはしない。

 

 これが、最期の邂逅なのだとしても。

 

 先へ進む以上、姉と共に居る事は出来ない。

 

 その想いが、伝わったのだろう。

 

 玲奈は何処か寂しそうにしながらも、満面の笑みを浮かべてみせた。

 

「────────うん、そうだね。私に出来る事は、此処までだから。死んだ人間がいつまでも生き残った側に拘ってちゃ、どうしようもないもんね」

 

 それが本心なのか、強がりなのかは分からない。

 

 だけど、それでも玲奈は笑って見送る事を決めた。

 

 その想いを、覚悟を。

 

 背負う事だけが、七海に出来る唯一の恩返し。

 

 そう決意して、沸き上がる言葉を呑み込んだ。

 

「大丈夫。もう、そのトリガーに不具合はないよ。残滓の塊(わたし)が消えたら、そのまま起動出来る筈だから。今まで迷惑かけちゃってごめん────────────────だから、頑張って。何が相手でも、負けないで」

「うん」

「いってらっしゃい────────────────幸せを掴み取ってね、玲一。迅くんにも、よろしくね」

 

 その言葉を最後に玲奈の姿は薄くなり、消えていく。

 

 やがて視界全体が閉ざされていき、白い世界が消え失せる。

 

 それでも、七海の網膜には。

 

 最後まで笑みを絶やさなかった、玲奈の姿が映り込んでいた。

 

 

 

 

 白昼夢が終わり、現実に戻る。

 

 時間は、一秒たりとも経ってはいない。

 

 今の幻視が何だったのか、説明は出来ない。

 

 だけど、それで構わない。

 

 何故なら。

 

 確たる証拠として、七海の右腕は。

 

 黒トリガーは、淡い光を放っていたのだから。

 

群体王(レギオン)、起動…………っ!!」

 

 心に浮かんだ、()を叫ぶ。

 

 その瞬間、右腕は眩い光を放ち。

 

 四年に渡る沈黙を破り、目覚めの時を迎えた。



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タイムファクター

 

「これが────────そうか」

 

 右腕の義手より放たれ彼の全身を覆っていた光が消え、今の七海の姿を────────────────黒トリガーを起動した少年の姿を、露とする。

 

 基本的な外見は、那須隊の隊服に準じている。

 

 純白のボディスーツに包まれた、七海の痩身。

 

 所々に黒いラインが奔ってはいるが、基本的なデザインに変わりはない。

 

 だが。

 

 その右腕だけが、違っていた。

 

 四年間、沈黙を守り続けた七海の右腕(黒トリガー)

 

 目覚めの時を迎えた黒い棺は、その在り様を一変させていた。

 

 黒く武骨な義手、という基本骨子は変わらない。

 

 されど、その黒腕を覆うように無数の光のリングが浮遊していた。

 

 天使の輪の如き、厳かに輝く光輪。

 

 それが、8本。

 

 七海の右腕を飾り建てる王冠(クラウン)として、重力を無視する形で浮かんでいた。

 

 四年の月日を超え、初めて発動する事に成功した姉の遺産(黒トリガー)

 

 その使()()()を、七海は誰に教わるでもなく自然に()()()いた。

 

「応えてくれ────────────────皆で、あの剣聖を打ち倒す為に」

 

 右腕の光輪が、七海の言葉に呼応するかのように激しく回転し始める。

 

 その、瞬間。

 

 戦場の各所で、()()は始まった。

 

 

 

 

「これは────────」

『まさか、これが…………?』

 

 警戒区域、その一角。

 

 そこで通信越しに荒船と話していた村上の右腕が、光を帯びる。

 

 そして、光が収まった時。

 

 彼の右腕には、輝く純白のリングが出現していた。

 

 加えてそれは、彼だけではない。

 

 通信越しの荒船の様子からするに、彼にも同じものが発現しているようだ。

 

「荒船、こいつは」

『ああ、どうやらやりやがったみてーだな。ったく、どんなモンが出るかと思えば────────────────まったく、大した奴だぜ七海はよ』

「そうだな。個人的にも、嬉しい。あいつの目覚めさせた力が、こういうものである事は」

 

 村上は頬を綻ばせ、喜色が顔に浮かぶ。

 

 滅多に表情筋が変わらない彼にしては珍しい、心の底からの笑み。

 

 それはきっと、七海の成果と成長を。

 

 右腕の光輪越しに、直に感じたからに他ならなかった。

 

「お前は成果を示した。今度は、俺達の番だ───────────────共に勝とう、七海」

 

 

 

 

『これって…………』

『もしかしなくても…………っ!』

「ええ、玲一の────────────────玲奈さんの遺してくれた、力よ。本当、()()()ものになったわね」

 

 同じく、那須隊の面々の右腕にもその光輪は出現していた。

 

 それが右腕に発現した瞬間、那須はその効力と────────────────何処か、懐かしい匂いを感じていた。

 

 そんな筈はない。

 

 そう、分かってはいても。

 

 那須にはその光輪から、明確な()()の意思が感じられてならなかった。

 

 まるで、すぐ傍で玲奈が見守ってくれているかのような安心感。

 

 それが、不安を押し殺して此処まで来た那須の心を包み込み暖かなものを齎していた。

 

「ありがとう、玲奈お姉ちゃん────────────────玲一に、此処までのものを遺してくれて」

 

 だから、と那須は続ける。

 

「私も勿論、力になるわ。もう、玲一だけに戦わせはしない────────────────皆で、勝利を掴み取りましょう」

『ええ』

『勿論ですっ!』

『言うまでもありませんね』

 

 那須の号令に、那須隊の面々が口々に頷く。

 

 愛する少年の開花を経て、少女はまた。

 

 この局面を乗り切る為、仲間と共に全霊を尽くす事を誓った。

 

 

 

 

「へえ、これがあいつの黒トリガーか」

「そのようだね。本当に、玲奈らしいや」

 

 小南と迅の腕にもまた、光輪は出現していた。

 

 二人は言うまでもなく、それが右腕に現れた瞬間に効能を理解し────────────────同時に、玲奈の遺志も感じ取った。

 

 ただ、無暗に強力な力ではない。

 

 むしろ、単体では役に立たない────────────────集団で用いる事を前提とした、特殊な黒トリガー。

 

 それが、七海の発現させた右腕の能力であり。

 

 玲奈が、彼に望んだ能力(ちから)だった。

 

「単に強いのよりも、ずっと七海らしいじゃない。だって、あいつのこれまでの積み重ねがそのまま強さに変わるんだから」

「ああ、これまでの四年間の成長がなければきっと、この力は目覚めなかっただろう。もしかすると、()()も発動条件に組み込まれていた可能性もあるな」

「それはそれで、玲奈さんらしいわね」

 

 七海の発現させた黒トリガーの能力に想いを馳せ、二人は笑みを浮かべる。

 

 その能力そのものが、玲奈の遺志を反映しているようにも思う。

 

 だって、彼女は。

 

 きっと、七海にたくさんの友に、仲間に囲まれて欲しかった筈なのだから。

 

「最大の分岐点は、超えた。後はもう、本当の意味で全力を尽くすだけだ────────────────皆で、未来を掴み取るぞ」

 

 

 

 

「おいおい、こりゃあ」

「これが、七海の黒トリガーの能力(ちから)か…………?」

 

 基地西部。

 

 決死の援護射撃を行いトリオンの殆どを使い切っていた出水や二宮の腕に、一本の光のリングが出現していた。

 

 その外見は、七海の腕にあるものと酷似。

 

 眩い光を放つ光輪が、彼等だけではなく────────────────その場にいる全員に、発現していた。

 

「これは…………」

「参ったわね。言われるまでもなく、()()が何なのか分かるだなんて」

「ええ、それも含めて黒トリガーの能力なのでしょう」

 

 三輪と加古、そして烏丸はその光輪が出現した瞬間にその効力を理解していた。

 

 情報を叩き込まれたとか、そういう事ではない。

 

 ただ、当たり前に識っていた知識のように。

 

 すっと、身体そのものにその効能が伝わって来たのだ。

 

「本当、七海くんらしい黒トリガーだわ。皆で、ね。ようやく言えたようで、何よりだわ」

『ああ、これなら俺もまだまだ役に立てそうだ。此処まで来て、彼に任せきりにはさせておけないしな』

 

 加古の言葉に通信越しに東も同意し、頷く。

 

 どういった効果が発現するかは未知数であったが、まさかの能力に加古は元より東も面食らっていた。

 

 だが、不思議な事は何もない。

 

 四年の沈黙を破り、ようやく目覚めた七海の右腕。

 

 その効能がただ強力なだけの独りよがりなものではなく、()()したものである事は彼の成長の証とも言える。

 

 それを嬉しく感じながらも、東はこの場の責任者として号令をかける。

 

 確かに、七海は黒トリガーを目覚めさせてみせた。

 

 されどその効果は良くも悪くも特殊なものであり、ただ使えば勝てる類のものではない。

 

 だからこそ、適任なのだ。

 

 稀代の戦術家、東春秋が。

 

 此処から未来を掴み取る為の策を瞬時に立案し、勝つ為には。

 

 彼もまた、全霊を尽くす他ないのだから。

 

『時間がない。すぐに、作戦を詰めるぞ。その為にも────────────────出水、二宮。()()

「「了解」」

 

 

 

 

「成る程、そういう事か」

「ハッ、いいモンを貰ったみてーじゃねーか」

 

 ヴィザとの、決戦場。

 

 そこで七海と共に戦っていた忍田と影浦の右腕にもまた、光り輝く光輪は出現していた。

 

 二人はそれが発現した瞬間に、トリガーの効能を察知。

 

 刹那で使い方を理解し、不敵な笑みを浮かべた。

 

「ええ、これも皆のお陰です。ようやく、これを使う事が出来ました。誰一人欠けても、この未来(こうけい)は有り得なかったでしょう」

 

 七海もまた、同様に不敵な笑みを浮かべる。

 

 最大の難所は乗り越えた。

 

 ならば後は、全霊を尽くすのみ。

 

 迷いなど、躊躇いなど。

 

 欠片も、ある筈がなかった。

 

「成る程、何を出して来るかと思えば────────────────貴方も、適合者だったというワケですか。しかし、黒トリガー(それ)が使えた()()で私に勝てると思うているのですかな?」

 

 相対する剣聖、ヴィザ。

 

 彼は七海の変化から何が起きたかを察し、挑発のように笑みを浮かべた。

 

 成る程、確かに黒トリガーは強力な武器だ。

 

 しかし、ヴィザの用いているのもその黒トリガー。

 

 それも、アフトクラトルの国宝という超一級品だ。

 

 ヴィザ自身の異次元の実力も踏まえれば、ただ黒トリガーを持ち出しただけでは勝ち目など到底有り得ない。

 

 慢心でも傲慢でもなく、ただの事実としてヴィザはそう認識していた。

 

 そしてそれは、自然の摂理の如く当然の話だ。

 

 神の国の剣聖相手に、強力な武器一つきりで勝とうなどとは無理がある。

 

「俺()()じゃ、無理だろうな。けど、勘違いしてないか? 俺は最初から、俺だけでアンタに勝てるとは思ってない」

 

 だから、と七海は不敵な笑みを浮かべる。

 

「アンタを倒すのは、俺じゃなく────────────────()()、全員だ。ボーダーの総力を以て、剣聖(アンタ)に挑ませて貰う」

「ほう、大きく出ましたね。出来るのですかな?」

「ああ、塵も積もれば、なんて言うだろう? だったら、塵じゃなくて玉や宝石が集まればどうなるか────────────────それを、教えてやる」

 

 常に無い強気な語調で、七海は宣告する。

 

 その言葉に、滾る闘志に。

 

 羅刹(ヴィザ)は、その眼を見開き凄絶な笑みで称えた。

 

「良い啖呵です。では、私も全力で迎え撃つとしましょう────────────────来なさい、若き玄界(ミデン)の戦士達よ。貴方方の剣が神の国の刃(わたし)を折れるか否か、試す事としましょう」

 

 剣聖にして修羅。

 

 刃を極めた、羅刹。

 

 神の国の剣聖は、七海達の挑戦に応じてみせた。

 

 侮りはしない。

 

 格下と、蔑みもしない。

 

 どんな戦場であれ、()()()というものはある。

 

 自身の力に酔い、負けの可能性を考えないなど二流どころか三流ですらない。

 

 真なる戦士であれば、いつ如何なる時でも油断せず、あらゆる可能性を考慮し対処の余地を残すべきだ。

 

 如何なる強者とて、心臓を突かれれば死ぬように。

 

 至高の座にいる剣士でさえも、慢心という毒を呑めばたちまちその足場は綻びを生む。

 

 故に、ヴィザはあらゆる可能性を想定していた。

 

 リングという形状から、こちらの動きを封じる拘束系の能力である可能性。

 

 もしくは、他の兵にも同じ光輪が出現した事からそれを持つ者同士で位置を入れ替える転移系である可能性。

 

 更には、光と言う性質から遠距離攻撃を放つ射撃系の能力である可能性。

 

 そういった可能性に思考を馳せ、そして。

 

「ほぅ」

 

 空から降り注ぐ光弾の数と勢いを見上げ、眼を細めた。

 

「そういう事ですか」

 

 予想が外れた事をすぐに呑み込み、ヴィザは即座に迎撃に移る。

 

 星の杖を起動させ、不可視の斬撃を放つ。

 

 それを以て、無数に降り注ぐ光弾を、これまでと同じように薙ぎ払う。

 

「そろそろ余力も尽きた筈ですが、成る程。これはまた珍しい能力ですな」

 

 光弾を迎撃しながら、ヴィザは看破した七海の黒トリガーの能力を鑑みて笑みを浮かべる。

 

 通常、黒トリガーは一騎当千を成し遂げるピーキーながらも強力な能力である事が常だ。

 

 この一騎当千というのは、文字通りの意味である。

 

 現にエネドラの泥の王(ボルボロス)は強烈な初見殺し性能と高い攻撃範囲を併せ持ち、ハイレインの卵の冠(アレクトール)もトリオンに対する特攻兵器という性質を持ちどれだけ強力な使い手相手でもワンサイドゲームが成立してしまう。

 

 サポートに特化したミラの窓の影(スピラスキア)も、戦略的な意味では他のトリガーの比較にすらならない価値を持つ。

 

 国宝である星の杖(オルガノン)の強力さは、言うに及ばずだろう。

 

 そんな、それぞれが単独でも一騎当千を成し遂げる能力を持つのが黒トリガーだ。

 

 悲劇と引き換えに得られる、突出した力の結晶。

 

 取り返しの付かない代価によって生まれる、他の追随を許さない武器。

 

 それこそが黒トリガーであり、総じてただ用いるだけで戦況を一変させ得る力を持っていた。

 

 だが、七海の黒トリガーは違う。

 

 右腕の義手が変じた黒トリガー、群体王(レギオン)の能力。

 

 それは。

 

「ああ。だけど、他の黒トリガーに劣っているとは言わせない。これが、俺達の手で掴み取った力の形なんだから」

 

 仲間との、トリオンとトリガーの()()

 

 七海が仲間として認識している相手との間にリンクを形成し、その繋がりを持った者達の間でトリオンとトリガーを共有して扱える。

 

 要するに、仲間との間に巨大なクラウド型のネットワークを結ぶようなものだ。

 

 トリオンというリソースを仲間全体で共有し、必要な場所に出力出来る。

 

 更に、共有するトリオン量は単純な全員のそれの合計ではない。

 

 それに加えて、リンクを繋いだ仲間の数が多ければ多い程トリオンの総量が膨れ上がる追加効果がある。

 

 今、この戦場には多くのボーダー隊員が戦闘体となっている。

 

 アフトクラトルの戦闘で幾人も落とされたとはいえ、まだ数にして20人以上の隊員が残っている。

 

 それぞれ戦闘で消耗はしているが、その分を鑑みても群体王によるトリオンブーストは破格の数値となる。

 

 先程までトリオン切れ寸前だった出水達が再びこの勢いの弾幕を撃てたのも、その恩恵に依るものだ。

 

 きっと、四年前の時点で発現出来ていても此処までの効果は得られなかっただろう。

 

 この力はまさしく、四年の月日を経て七海が結んだ絆の結晶。

 

 月日の積み重ねという要素を、力に変えたその化身。

 

 戦友(なかま)を率いるのではなく共に歩む、黒白(こくびゃく)の王。

 

 故に、群体王(レギオン)

 

 七海の四年間の全てを力に変えた、彼の決意と成果の証。

 

 一人ではなく、皆の力で。

 

 そんな七海の覚悟(いし)が結実した、彼に相応しい黒トリガーの形であった。

 

「俺一人じゃ届かなくても、皆の力ならきっと届く────────────────俺達全員の力で、貴方を倒してみせるよ」

 

 光輪を掲げ、七海は笑みを浮かべる。

 

 輝く王冠を手に、少年は羅刹と対峙する。

 

 仲間の力を結集し、剣聖を超える為に。

 

 大規模侵攻、最終局面。

 

 七海の、否。

 

 ボーダーの、最後の戦いが始まった。



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未来永劫

 

(此処が正念場ですね。私にも、出来る事がありそうで何よりです)

 

 那須隊、作戦室。

 

 一人自部隊のオペレートを担っていた小夜子は、直感的に感じ取った七海との()()()を意識して微笑む。

 

 その手に輝く、純白のリングを見据えて。

 

 七海の黒トリガー、群体王(レギオン)は彼自身が「共に戦う仲間」として認識した相手との間に接続回路(リンク)を形成する。

 

 その効果対象はあくまでも七海個人の認識に左右され、彼が共闘する相手としてこの場に存在する者達としてイメージした相手が効果圏内となる。

 

 ランク戦で切磋琢磨し、共に成長して来た者達。

 

 或いは、師弟関係等を通じて友誼を結んで来た者達。

 

 そして、ずっと共に戦って来た仲間達。

 

 それらとの間にリンクを形成し、力を共有・増幅させるのが群体王の能力だ。

 

 その性質上彼が「共闘相手」として認識する必要があり、直接の関わりが薄いオペレーターは本来であれば効果対象にはならない。

 

 だが。

 

 ずっと同じ隊の仲間として戦って来た小夜子に関しては戦友としてのイメージが強かった為、例外的にリンクを結ぶ事が出来たのだ。

 

 無論、小夜子は戦闘用のトリガーなどセットしていないし自ら武器を持って戦う事は出来ない。

 

 だが、共闘相手(なかま)の一人として共有トリオンの一助にはなるし、副次効果としてリンクを結んだ相手との漠然なイメージの共有もある。

 

 有り体に言えば、リンクを結んだ者同士は互いの状況が()()()()()分かるのだ。

 

 言語化する事は難しいが、ただそう()()()()

 

 漠然とした感覚ではあるが、確かな繋がりを感じる。

 

 それは、戦闘員にとっては共同作戦の効率化を進める一助となる。

 

 そして、オペレーターである小夜子にとってはまた別の意味を持っていた。

 

(作戦は、東さんや迅さん(格上の指揮者達)に任せましょう。私がやるべきなのは、その作戦の徹底した効率化と穴埋め────────────────これまで培って来た能力の全てを以て、この大一番を乗り切る助けとなりましょう)

 

 ですから、と小夜子は黒トリガーを通じた繋がりを意識して映像に移る七海の姿を見据える。

 

 出来る事ならば、傍に行って励ましてあげたい。

 

 だけどそれは自分の役目ではないし、適役でもない。

 

 だったら、自分に出来る事をやるだけだ。

 

 この身は戦闘員ではなく、戦闘補助要員(オペレーター)

 

 ならば、この作戦室こそが自らの戦場だ。

 

 共に戦うのではなく、彼等が安心して動く為の後方支援(バックアップ)を最後まで、最高の形でやり遂げる。

 

 それこそが、これまでの集大成であるこの局面に置ける小夜子の果たすべき責務であり────────────────そして、惚れた男に対する意地の見せ所でもあった。

 

 小夜子は不敵な笑みを浮かべ、拳を握り締める。

 

 強い意思を込めた瞳で、七海の姿を見据えて。

 

(後ろは任されました。ですから、存分にやって下さい────────────────その手で、未来を掴む為に)

 

 

 

 

「意気は結構。ですが、それだけで勝てる程戦いは甘くはありませんぞ」

 

 ヴィザは自らと対峙する七海を見据え、そう宣告すると同時に不可視の斬撃を放つ。

 

 先程より激しさを増した、二宮と出水の弾幕。

 

 それを、いとも容易く薙ぎ払ってみせる。

 

 通常、これ程の弾幕は撃たれた時点でほぼ詰みだ。

 

 トリオン強者から放たれる、数えきれない程の追尾弾(ハウンド)

 

 避け切れる攻撃範囲ではない以上、シールドでの防御が必須となる。

 

 だが、シールドもいつまでも保つワケではない。

 

 一度捕まったが最後、削り殺されて終わりだろう。

 

 されど。

 

 ヴィザは、その弾幕をあろう事か斬撃だけで凌ぎ切っている。

 

 射撃を斬撃で防ぐという、理不尽。

 

 それが当然の如く出来るからこそ彼は剣聖と呼ばれるのであり、その名に相応しい実力を持っている事もまた確かだ。

 

 そして、彼は攻撃を凌ぐだけではない。

 

 弾幕を凌ぐ為に不可視の斬撃を用いているが、彼の()は一つだけではないのだ。

 

 防御と同時に攻撃を行う事など、造作もない。

 

「さて、避けられますかな」

「────────!」

 

 ヴィザは七海の隣に立つ影浦を標的に見据え、致死の斬撃を放つ。

 

 先程の動きを見る限り、彼もまた七海と同様に回避能力を高める力を持っていると推察出来る。

 

 されど、彼のそれはどちらかといえば乱戦の中を潜り抜ける為の攻撃に特化した動きであり────────────────攪乱に特化した七海よりは、攻撃を当て易い。

 

 それに、能力の精度も彼よりは低そうだというのがヴィザの見立てである。

 

 彼は知る由もないが、七海と影浦は共に回避に関する副作用(サイドエフェクト)を持っているが、その性質は異なる。

 

 七海は単純に攻撃範囲を近くするのに対し、影浦は相手の殺気に反応して攻撃を回避する。

 

 ヴィザは常の戦闘であれば、殺気を放つ事なく攻撃を行える。

 

 今は常ならぬ状況によって昂揚し、殺気が漏れ出ているからこそ辛うじて影浦にも攻撃を察知する事が出来ているが────────────────その精度は、普段よりも低いと言わざるを得ない。

 

 極限まで集中して辛うじて斬線が分かるといった程度であり、全ての攻撃に完璧に対応するのは難しい。

 

 加えて、影浦は七海が回避に用いるサブウェポンであるグラスホッパーを持たない。

 

 それ故一度跳躍してしまえば着地するまでの刹那が無防備となってしまい、ヴィザは決してその隙を見逃さない。

 

 故に一度目の攻撃を跳躍し回避した時点で、影浦の命数は尽きる筈だった。

 

 ()()()、影浦であれば。

 

「ほぅ」

 

 影浦は、()()()()()()()()()()

 

 跳躍した所を狙って放たれた攻撃を、ジャンプ台を踏んで回避する。

 

 これが、七海の黒トリガー群体王(レギオン)の能力。

 

 リンクを繋いだ者同士の、トリガーの()()

 

 群体王によってリンクを繋がれた者同士は、互いのトリガーを自由に扱える。

 

 流石に規格の違う黒トリガーまで共有する事は出来ないが、リンクを繋いだ者のトリガーホルダーにセットされているノーマルトリガーであれば、誰か一人でもセットした状態で生存していれば全員がそれを用いる事が出来る。

 

 一度に使えるトリガーの数は通常通りであるが、文字通り手札が無数に増えた状態なのだ。

 

 影浦はこの特性を用いて、七海からグラスホッパーを借り受けたに過ぎない。

 

 グラスホッパーは使いこなすには相応のセンスが必要なトリガーだが、元より優れた体捌きを持つ影浦にとっては問題にならない。

 

 初めて使うのが嘘のように、影浦はグラスホッパーを使いこなしてみせた。

 

 

 

 

「今です。那須先輩、熊谷先輩」

『ええ』

『分かったわ』

 

 その光景を映像越しに見ていた、作戦室の小夜子。

 

 彼女は東からの指示を受け予め作戦内容を説明していたチームメイトに号令をかけ、那須と熊谷は通信越しに要請を受諾。

 

 状況が、動いた。

 

「作戦、開始です」

 

 

 

 

「ほぅ、これは」

 

 決戦場で、ヴィザが西の空を見て目を細める。

 

 そこには、無数の弾幕の群れがあった。

 

 二宮達、ではない。

 

 彼等がいる方角からは今も絶えず射撃が継続しており、彼等が移動したワケではない事を示している。

 

 ならば、これは何か。

 

 考えるまでもない。

 

 彼等以外の、射手の支援射撃。

 

 それ以外、有り得ない。

 

 だが、周囲に敵影も気配もない。

 

 少なくとも、この弾幕はヴィザの射程圏外から放たれた事になる。

 

 それだけの事をする為には、少なくとも出水クラスのトリオンが必要な筈だ。

 

 そんな相手はボーダー内では殆どおらず、実行は不可能の筈だ。

 

 ()()()()()()

 

 今は、状況が違う。

 

 七海の黒トリガー、群体王(レギオン)

 

 その一つ目の能力、トリオンの共有。

 

 リンクを繋いだ者同士でトリオンのネットワークを形成し、それを増幅した上で一つの巨大なリソースとする。

 

 そして、一つに纏めた大量のトリオンを自由に個々人で出力可能となる能力。

 

 あくまでも共有である為、リンクを繋いだ者全員が高出力の攻撃が出来るワケではない。

 

 リンクを繋いだ者の数が多ければ多い程貯蔵(プール)されたトリオンを増やす効果はあるものの、これによって増えたトリオンは有限である。

 

 黒トリガーのブーストもあってその最大量はかなりのものとなってはいるが、いつまでも使い続ける事は出来ないし長期戦に向いているワケでもない。

 

 加えて、トリオンの出力はリンクを繋いだ個々人の意思で自由に調節出来る為、一人でも足並みを乱して勝手にトリオンを使うような者がいれば全体の足を引っ張るハメになる。

 

 七海が信頼し、共に戦う相手と認めた相手にのみ使えるトリオンの使用権。

 

 それは彼がこれまでに紡いだ絆の証でもあり、足並みを乱す者が出る心配がない事は言うまでもない。

 

 そのような浅慮をする者はこの場にはおらず、誰しもが勝利の為に全霊を尽くしている。

 

 この弾幕は、それが結実したものだ。

 

 普段の那須と熊谷のトリオンであれば、このような超遠距離射撃は実行出来ない。

 

 だからこそ、群体王で繋いだリンクから供給されたトリオンを用いてそれを実現させたのだ。

 

 加えて、通常はハウンドを一つしかセットしていない熊谷が両攻撃(フルアタック)でそれを使えているのも、黒トリガーの恩恵に依るものだ。

 

 今の熊谷は片手分の追尾弾(ハウンド)を王子から借り受ける事により、両攻撃を実現している。

 

 誰が自分のトリガーを借りているかは、本来の持ち主が感知する事が出来る。

 

 トリガーを()()()いる間持ち主はそれを使用する事は出来なくなるが、同じトリガーを他の者から借り受ければ問題なく使う事が出来る。

 

 たとえば、今影浦にグラスホッパーを貸している七海は緑川からグラスホッパーを借り受けており、回避に隙を見せるような真似はしていない。

 

 影浦が直接緑川から借りればその手間は必要ではなかったが、彼と緑川の間に直接の接点はない。

 

 トリガーを借り受けるには当人同士の間での合意が不可欠であり、無意識にでも持ち主が拒否すればトリガーを借りる事は出来なくなる。

 

 加えて、このトリガーの借用は関係が深い者ほどタイムラグを省いて行える。

 

 加えてある程度以上親しい者から借り受けたトリガーはその使い方も感覚として借り受ける事が出来る為、影浦が初使用ながらグラスホッパーを使いこなせたのもこの機能の補助あっての事だ。

 

 そういう意味で、この手間は必要なものだったと言える。

 

 七海は緑川とはそれなりに慕われているくらいで影浦や村上といった面々のような気安い関係ではないものの、グラスホッパーの使い方は今更習うまでもなく彼自身が知っている。

 

 その意味で許可さえ貰えれば構わず、緑川も自身がグラスホッパーを使う局面はとうに過ぎ去った事を理解している為に拒否などあろう筈もない。

 

 斯くして、射撃は実行された。

 

 三方向、同時の弾幕の大量展開。

 

 さしものヴィザも、この弾幕は凌ぎ切れない。

 

「派手にやりますな。ですが、届かなければ意味はありません」

 

 否。

 

 この()()では、剣聖(ヴィザ)の喉元には届かない。

 

 ヴィザは焦る事もなく、不可視の斬撃を放つ。

 

 目に映る事すら許さないスピードで、剣聖の斬撃が振るわれる。

 

 結果、三方向の弾幕は全てが撃墜。

 

 これまでと同じように、全ての攻撃を難なく凌ぎ切ってみせた。

 

 最早戦略兵器もかくやという有り様の光弾の雨すら、剣聖の前では問題にすらならない。

 

 至極当然の結果として、全ての弾丸は迎撃された。

 

 黒トリガーを起動しても、ボーダーの総力を結集しても。

 

 ヴィザには。

 

 神の国の剣聖には、届かない。

 

「む…………!」

 

 否だ。

 

 無駄に終わったと思われた、三方向からの射撃。

 

 それは、ヴィザに迎撃させる事にこそ意味があった。

 

 瞬間。

 

 ヴィザの周囲に、()()は姿を見せた。

 

 杖から伸びる円状の広大なラインと、それに連なる鋭利な刃の群れ。

 

 惑星の星間図の如きその威容に、無視出来ない()()が入り込んでいた。

 

 それは、連なる刃に撃ち込まれた無数の楔。

 

 黒い、重石。

 

 対象に強力な重量付加を齎すそれが、ヴィザの不可視の刃の刀身を遂に白日の元へ曝け出させていた。

 

 

 

 

『命中した。良い腕だな』

「作戦が良かっただけだよ。()()のお陰でもあるけどさ」

 

 遊真は東からの作戦成功の報告を受け、不敵な笑みを浮かべた。

 

 彼の右腕には、他の者と同じ純白のリングが出現している。

 

 七海とは出会って日が浅い遊真ではあるが、迅を通じた繋がりを通して彼もまた共闘相手として認知されていたのだ。

 

 遊真の黒トリガー自体は、他の者に貸し出す事は出来ない。

 

 黒トリガーは通常のトリガーと違い、トリガー自身が適合者を選ぶ。

 

 群体王(レギオン)のトリガー借用に必須である()()()()()()が、黒トリガーそのものにも適用されてしまうのだ。

 

 黒トリガーは作成者の命を変換して作り出されるものだが、作った者本人というワケではない。

 

 そういう意味で黒トリガーの明確な意思というものはなく、許可などは出しようがない。

 

 加えて、彼の黒トリガーはいわば彼専用の命綱(シェルター)として作成された特殊なものだ。

 

 その意味で適合者は遊真以外にいる筈もなく、貸し出す事は当然出来ない。

 

 故に、遊真が行ったのは共有された大量のトリオンを用いた『錨』印(アンカー)『射』印(ボルト)の長距離射撃だ。

 

 彼は那須の弾幕に追随する形で射撃を敢行し、その光弾の群れを隠れ蓑にする形で弾丸を撃ち出したのだ。

 

 ヴィザに弾幕を迎撃させ、その刃に重石を撃ち込む為に。

 

 那須のサポートで弾道制御に慣れている小夜子のサポートを受ける事で、この作戦を成功させたのだ。

 

 自動的な機械音声の変換という策を国近達が立てていなければ、このサポートは実現しなかっただろう。

 

 そういう意味で、この成功は小夜子の成長の証でもある。

 

 全ての経験が繋がり、今に至る流れを紡いでいる。

 

 この戦いは四年間の積み重ね、その全ての結集であり。

 

 未来永劫変わる事のない、絆の証明でもあった。

 

 戦いは、まだ終わってはいない。

 

 だが、一矢報いる事は出来た。

 

 これまで触れる事すら叶わなかったヴィザに、指先であろうと手が届いたのだ。

 

 ならば、この一歩を足掛かりとして全力で前に進むだけだ。

 

 どれ程困難であろうと、不可能ではない。

 

 決して、超えられない壁ではないのだと。

 

 それを、証明する為に。

 

()()()()だ。まだ、勝てたワケじゃない。おれも、やれる事をやらなきゃな」

 

 遊真もまた、ヴィザという壁を超える為に動き出す。

 

 ボーダーの、真の意味での総力の結集。

 

 その総決算であるこの戦いを、勝利で終わらせる為に。

 

 自分を受け入れてくれたこの世界を、守る為に。

 

 心優しき異邦人は、戦場を駆けて行った。



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ドリームトリガー

 

「やりますな。中々、良い手をお打ちになる」

 

 凶悪極まりない黒トリガー、星の杖(オルガノン)

 

 それに付加された重石の重量は、とてもではないが人一人で支え切れるものではない。

 

 遊真の撃ったそれは元となった鉛弾(レッドバレット)の効果を強化したものであり、その重量は一つにつき200㎏にも及ぶ。

 

 如何に剣聖ヴィザとはいえ、これ程の重量の重石を複数付けた状態で動く事は不可能。

 

「ですが、ならばこうするまでの事」

 

 否。

 

 ()()()()、ヴィザにとっては対処可能な範疇だ。

 

 ヴィザは星の杖のサークルブレードを回転させ、同一円状に近い位置で交差。

 

 付けられた重石を、その刃にて斬り飛ばした。

 

 通常、鉛弾で付けられた重石はかなりの硬度を誇る。

 

 それを強化コピーした遊真の『錨』印(アンカー)は、更に硬いものとなっている。

 

 だが、それすら星の杖の刃にとっては切断可能なものでしかない。

 

 ブレードそのものに食い込んでいる部分までは除去しきれなかったようだが、重石の重量そのものは切削によって大幅に激減した。

 

 結果として、乾坤一擲の策として撃ち込まれた重石はその効果を減衰された。

 

 これが、剣聖。

 

 多少の妨害効果(デバフ)を撃ち込んでも、それすら対処してしまう対応能力と技巧の高さ。

 

 矢張り、無理なのだろうか。

 

 彼に。

 

 神の国の剣聖に、刃を届かせる事は。

 

 

 

 

「────────今だ」

 

 警戒区域、その一角。

 

 建物の上で機会を伺っていたユズルは、この瞬間を好機と見て引き金にかけた指に力を込めた。

 

 今、この刹那。

 

 星の杖のブレードは、重石の除去の為に使()()()()()いる。

 

 つまり、先程のようにサークルブレードを用いた迎撃は不可能であるという事。

 

 最初から、対処される事すら想定内。

 

 全ては、この瞬間の為。

 

 ヴィザが見せる隙を、狙い撃つ為に。

 

『外すなよ』

「そっちこそ」

 

 通信越しに、同じく狙撃準備に入っていた当真から激励を受ける。

 

 二人の狙撃手師弟は、不敵な笑みと共に同時に引き金を引いた。

 

 

 

 

 二方向から来る、二つの弾丸。

 

 それはヴィザを迷いなく狙っており、サークルブレードはこの瞬間は使用不能。

 

 無論、コンマ1秒でもあればヴィザは即座に体勢を立て直しサークルブレードでの迎撃を行うだろう。

 

 だが、この刹那。

 

 星の杖のブレードが重石を斬ったその瞬間であれば、サークルブレードは防御札として機能しない。

 

 故に、この狙撃は必中。

 

 遂に、剣聖に弾丸が届く。

 

「甘い」

 

 だが。

 

 その弾丸すら、ヴィザは斬り伏せた。

 

 これまで攻防に用いて来た、サークルブレードではない。

 

 星の杖、本体。

 

 それに仕込まれた刀身を振るい、ヴィザは二つの弾丸を同時に()()()()()()のだ。

 

 黒トリガーに依らない、純粋な剣技による対応。

 

 ヴィザは、黒トリガーに頼り切りの暗愚ではない。

 

 星の杖という国宝にも指定されている最高峰の黒トリガーに加え、本人の技巧が極限まで研ぎ澄まされているからこそ彼は剣聖として名を轟かせているのだ。

 

 彼の前には、明確な隙ですらも技巧によって潰される。

 

 奇しくも、それが証明されてしまった。

 

 作戦は、失敗。

 

 そう言わざる、を得なかった。

 

「な…………?」

 

 否、否だ。

 

 初めから、これだけで届くとは考えてはいない。

 

 正確には、少し違う。

 

 これで届くのであれば、良し。

 

 だが、これまで見て来たヴィザの底知れなさから考えて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だからこそ、作戦は常に二段構え。

 

 常に必殺を意識し、尚且つ失敗した際には即座に次の作戦に移行する。

 

 それは奇しくも、致命的な失敗だけはしないように立ち回るハイレインの戦術理論を模したものであり。

 

 稀代の戦術家、東が運用する対剣聖用に組み上げた多重構造の討伐作戦だった。

 

 二人の天才狙撃手の攻撃が凌がれた際の、次の手。

 

 それは奇しくも、二人と関わりのある一人の狙撃手。

 

 日浦茜による、転移狙撃だった。

 

 茜は己の愛銃であるライトニングを携え、テレポーターを用いて戦場に転移。

 

 即座に引き金を引き、転移狙撃を実行した。

 

 彼女が前期のランク戦を通して愛用して来た狙撃銃、ライトニング。

 

 その性質は、トリオン量に応じた弾速の向上。

 

 そして、今。

 

 群体王(レギオン)によって共有された巨大なトリオンを用いたその狙撃は、文字通りの光速の一射。

 

 重石への対処と、狙撃への直接対処。

 

 それによって処理能力に負荷が掛けられていたヴィザの隙を突く形での、()()()()()

 

 茜の一射は確かに、ヴィザの右足を射抜いていた。

 

 急所を狙う愚は、冒さなかった。

 

 ヴィザ程の手練れであれば、急所への攻撃は反射行動として迎撃してしまいかねない。

 

 これは戦争経験を持つ者が持つ反射行動であり、命を懸けた極限の死地を潜り抜けているからこそ、己に致命を齎す攻撃には()()()()()()()()()する。

 

 故に頭部や胸部といった急所を狙えば、失敗する可能性が高かった。

 

 加えて、二方向からの弾丸を斬り伏せたヴィザの手に持つ星の杖は身体の上側に振り抜かれた状態だった。

 

 更に、上半身への攻撃よりも下半身への攻撃の方が対処はより難しい。

 

 それすらも鑑みて、茜は即座に狙撃が通り易い軌道を選択。

 

 即座に攻撃ルートを計算し、ヴィザの対応が間に合わないであろう位置を狙ったのだ。

 

 結果として、茜の弾丸は命中。

 

 ヴィザの右足に穴を空け、機動力を削る事に成功したのだ。

 

「見事。ですが、代価は払って頂きますぞ」

 

 無論、それはヴィザの眼の前に狙撃手が姿を見せるというリスクと引き換えだ。

 

 テレポーターは、一度使えば転移距離に応じた使用不能期間(インターバル)が発生する。

 

 故に、転移で逃げる事は不可能。

 

 ヴィザは、己に弾丸を届かせた狙撃手の少女に敬意を表し即座に刃を振るう事で返礼とした。

 

 迫り来る、サークルブレード。

 

 その速度は重石の効果によって辛うじて眼には映る程度のものにはなってはいるが、それでも風刃の遠隔斬撃と同じかそれ以上の剣速がある。

 

 狙撃手である茜に、この攻撃を避ける事は不可能。

 

「させない」

「…………!」

 

 されど。

 

 その刃は茜に届く事はなく、七海のブレードによって受け止められていた。

 

 七海の右腕から伸びる、()()()スコーピオンによって。

 

 通常、スコーピオンは受け太刀には不向きだ。

 

 軽さと広い応用性と引き換えに、弧月と比べスコーピオンの刀身は脆い。

 

 ブレードを広げず凝縮すればそこそこの硬さにはなるが、それでも星の杖のブレードを受け止める事は不可能だった筈だ。

 

 それを可能としたのが、七海の黒トリガー群体王(レギオン)の副次的な効果である。

 

 群体王は黒トリガーである事もあり、通常のトリガーとは扱いが異なる。

 

 他の黒トリガーはボーダー製のトリガーホルダーとは無関係に起動する為、通常の場合ノーマルトリガーとの併用はそもそも不可能だ。

 

 だが、七海の黒トリガーは違う。

 

 黒トリガー群体王は、本質的には生身の七海が所有する義手である。

 

 故に、七海の保有するトリガーホルダーと生身の身体を通じてリンクを形成して通常のトリガーも使用可能としているのだ。

 

 扱いとしては、枠を使わない旋空やスラスターといったオプショントリガーに近い。

 

 そもそも、群体王は単体では戦闘能力を持たない。

 

 他のトリガー、そして仲間の存在があって初めて武器として機能するものであり、単独で使っても意味がない黒トリガーなのだ。

 

 だからこそ、その本質はあくまでも()()

 

 それが色濃く表れているのが義手である右腕であり、それに伴ってメイントリガーとして起動したトリガーは出力の強化補正(ブースト)を受ける事になる。

 

 この漆黒のスコーピオンは、その証だ。

 

 七海が右腕で起動したこの黒いスコーピオンは、風刃の本体と同程度の強度と切れ味を持っている。

 

 だからこそ、ヴィザの攻撃を止める事が出来たのだ。

 

 仲間を守り、そして。

 

 勝利へと、繋ぐ為に。

 

「────────!」

 

 再び降り注ぐ、弾幕の雨。

 

 三方向から来る、弾丸の嵐。

 

 ヴィザはそれを、サークルブレードを用いて迎撃する。

 

 重石のなかった先程と違い、サークルブレードの軌道は辛うじて見えている。

 

 しかしそれでも信じ難い速度である事に変わりはなく、三方向からの射撃を尚も捌き続けている。

 

「ほぅ」

 

 その間隙を縫って、茜の狙撃が炸裂する。

 

 使用した狙撃銃は同じく、ライトニング。

 

 光速の狙撃が、連射される。

 

 群体王で共有したトリオンを用いたライトニングの狙撃は、とんでもない速度に達している。

 

 普通であれば、対処は不可能。

 

 しかし、相手は神の国の剣聖。

 

 初見でもない攻撃であれば、対処出来るのはむしろ当然。

 

 体捌きと星の杖本体のブレードを用いて、茜の狙撃を迎撃してみせた。

 

「七海」

「はい。日浦、頼んだぞ」

「了解ですっ!」

 

 だが、それで充分。

 

 七海は影浦と頷き合い、茜を左腕で小脇に抱えて駆け出した。

 

 幾ら高出力のトリオンを用いた狙撃を行えるといっても、茜の機動はあくまでもテレポーター頼り。

 

 見えている固定砲台と化した狙撃手は、脅威にはならない。

 

 だが、そこに機動力が加わればどうか。

 

 七海は鍛え抜いた体捌きと副作用(サイドエフェクト)を組み合わせた、高い回避能力を持つ。

 

 他者を守れないという感知痛覚体質(のうりょく)の欠点も、抱えて密着してしまえば関係が無い。

 

 その七海が茜を()()として連れて行く事で、二人は戦闘機の如き機動性と攻撃性を両立する移動砲台と化した。

 

 七海の高い機動力を用いて移動しながら、次々と放たれる光速の弾丸。

 

 四方八方から繰り出される神速の射撃を、ヴィザは捌き続ける。

 

 しかし、彼は今まさに三方向から襲い来る弾幕を対処している真っ最中なのだ。

 

 その弾幕の雨の中を苦も無く移動する七海達を捕捉する事は、ヴィザといえど難しい。

 

 何せ、七海自身は回避に専念する中攻撃は茜が担っているのだ。

 

 攻撃に意識を割けばその分だけ隙が生まれ出るが、その必要がないのであれば回避にだけ処理能力を集中出来る。

 

 そして、七海程回避と攪乱に特化した戦闘員はそうはいない。

 

 太刀川や風間といった最上級の実力者達に揉まれて鍛え抜かれた回避能力は、剣速が下がっているとはいえヴィザ相手にも十二分に通用していた。

 

 無論、決定打には至らない。

 

 だが、ヴィザの処理能力を圧迫し続けている事もまた事実。

 

 迅の時と、同じだ。

 

 幾ら完璧に、難攻不落に見える相手とはいえ処理能力の限界は人間である以上必ずある。

 

 故に、やるべき事は単純だ。

 

 あらゆる手を尽くして、敵の処理能力を削り続ける。

 

 そして、その先に作り出した隙を見つけ、刃を差し込む。

 

 それだけだ。

 

 そして。

 

 その為の布石は、既に放たれていた。

 

「────────」

 

 弾幕の、雨の中。

 

 一人の男が、突如として出現した。

 

 ヴィザの至近に現れたのは、二丁拳銃を携えた強面の男────────────────弓場拓磨。

 

 嵐山から借り受けたテレポーターを用いて転移して来た彼は、即座に二丁拳銃を発射。

 

 神速の早撃ちが、剣聖に炸裂する。

 

「速い────────────────ですが、それだけでは」

 

 だが、ヴィザはそれを体捌きを用いて回避。

 

 防御に回るのは得策ではないと瞬時に判断しての、回避の実行。

 

 至近距離では躱せる筈のない弓場の早撃ちを、ヴィザは躱してみせた。

 

「隙を見せたな、近界民(ネイバー)

 

 そこに、第二の矢が放たれる。

 

 瓦礫の影から現れたのは、拳銃を構えた三輪。

 

 彼はスイッチボックスで近くまで転移した後、加古からテレポーターを借り受けてこの場に転移したのだ。

 

 弓場の攻撃を避けたヴィザの隙を、狙う為に。

 

 拳銃に装填されているのは無論、彼の十八番である鉛弾(レッドバレット)

 

 今度はブレードではなく、本体に撃ち込む。

 

 仮に刃で受けられたとしても、一時的に敵の動きを鈍らせる事が出来る。

 

 どちらにせよ、当たればそれだけで次へと繋げられる。

 

 これは、そういう攻撃だった。

 

「いえ、まだまだですな」

「…………っ!」

 

 されど、剣聖に同じ手は二度通用しない。

 

 拳銃を構えていた三輪の左腕は、その手首ごと切断された。

 

 他ならぬ、星の杖のサークルブレードによって。

 

 手首を斬り飛ばされた事によって、その手に持っていた拳銃は宙を舞う。

 

 三輪は即座に右腕を伸ばし、それを掴み取ろうとする。

 

「く…………っ!」

 

 だが、右腕もまたサークルブレードによって両断される。

 

 まるで、彼の動きが分かっていたかのように。

 

 伸ばした腕の先に置かれていた斬撃は、三輪の右手首を斬り落とした。

 

 これでもう、三輪の戦闘能力は喪失した。

 

 射撃トリガーもスコーピオンも持たない彼は、両腕を失った時点で武器を握れなくなる。

 

 致命傷は負ってはいないが、最早この場では死んだも同然だった。

 

「かかったな」

「…………!」

 

 しかし。

 

 戦う力を失った筈の三輪は、笑っていた。

 

 その笑みの意味を、ヴィザは次の瞬間思い知る。

 

 突如として身体に撃ち込まれる、無数の重石。

 

 それは。

 

 三輪の影から攻撃を放った、遊真による『錨』印(アンカー)だった。

 

 最初から、三輪はこの為に敢えて声をあげて攻撃を仕掛けたのだ。

 

 敵の注意を、自分に惹きつける為に。

 

 本命である遊真の一撃を、通す為に。

 

 三輪は、自ら捨て石になったのだ。

 

 彼が憎んでいる筈の、近界民の少年のサポートの為に。

 

 そこに、どんな心境の変化があったのかは彼でなければ分からない。

 

 重要な事は、ただ一つ。

 

 ヴィザ本体に重石が撃ち込まれ、その動きに枷を付けられた。

 

 その、事実だけだ。

 

 

 

 

『村上。今だ』

「了解」

 

 この瞬間を、待ち望んでいた者がいた。

 

 警戒区域、その一角。

 

 そこで戦闘体を解除し、生身を晒していた少年。

 

 村上鋼は、()()()()()()()()()をその手に携え。

 

 その()を、叫んだ。

 

「風刃、起動…………っ!」

 

 黒き棺は。

 

 最上宗一の遺した、風の刃は。

 

 友を想う一人の少年の覚悟に応え。

 

 その力を、解放した。



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七海玲一⑩

 

「風刃を、俺にですか」

「ああ、君が持つのが一番()()へ辿り着ける可能性が高いみたいだからね。受けて貰えるかな?」

 

 それは、大規模侵攻の前。

 

 黒トリガー争奪戦が終わり、迅が風刃を手放した直後の事だった。

 

 無論、争奪戦の事は村上は知らない。

 

 彼が伝えられたのは、()()あって迅が風刃を手放した事。

 

 そして、来る大規模侵攻に置いてそれを持たせる相手として自分が選ばれた事だけだった。

 

 風刃が本部預かりである以上、その使い手の決定権自体は上層部にある。

 

 だが、迅は元の所有者にしてこれまで風刃を使い続けて来た実績がある。

 

 加えて、当然ながら未来視という独自の視点から得られる情報もある。

 

 故に、此処で村上がこの件を受ければそれが通る可能性は高かった。

 

 それだけ、迅悠一という少年のボーダーに置ける影響は大きいのだから。

 

「────────分かりました。受けさせて頂きます」

 

 村上は、しばし迷い────────────────は、しなかった。

 

 最初から分かっていた事のように、躊躇なく。

 

 即断で、風刃の使い手となる事を選択した。

 

「流石だね。やっぱり、君を選んで正解だったよ。もしかして、気付いてたかな?」

「俺の気付きじゃ、ありませんけどね。あの最終試験の前に、七海が言ったんです。試験への部外者の例外的な観戦の許可という通知は、きっとあいつに向けられたものだろうって」

 

 ────────────────迅さんが説明の時に観客として招きたい相手がいるなら相談して欲しいって言ったじゃないですか。あれ、自意識過剰かもしれませんが俺に向かって言ってた気がするんですよね────────────────

 

 それは、A級昇格試験の時。

 

 最終試験である迅との戦いを前に、七海は村上に対してそう言った。

 

 迅が告げた、試験参加者以外の例外的観戦許可。

 

 その説明は恐らく、七海に向けたものだったのだろうと。

 

 即ち、七海が村上を呼ぶ事を期待して行われたものだろうという事を。

 

「俺はあの試合で、風刃の力を目にしました。きっと、それが目的だったんだと思います。俺が、風刃をすぐ使えるようにする為────────────────その、()()の為に」

 

 副作用(サイドエフェクト)、強化睡眠記憶。

 

 それが、村上が持つ能力だ。

 

 一度経験したものを、睡眠を通して100%完璧にフィードバックさせる。

 

 この能力を用いる事で、村上は技術の習得を大幅に過程省略(ショートカット)出来る。

 

 本来、ひたすら繰り返す事でしか身に付かない技術でさえも。

 

 村上にとっては、一度経験すれば覚えられる類のものでしかない。

 

 「他人の努力を盗んでいる」ように思えてこの力を疎ましく思っていた事もある村上ではあるが、荒船や七海といった周囲の者達の影響もあり今では前向きに副作用と向き合う事が出来ている。

 

 故に、この力が頼られているのであれば是非もなかった。

 

 他ならぬ、七海が関わっているのであれば。

 

 やる気にならない、その筈がないのだ。

 

「ああ、君なら俺が直接指導すればすぐに風刃の使い方を覚えられるだろう。この短期間で目標とするレベルに到達出来るのは、君だけだ。そして、そんな君だからこそ未来を変える()()()の一つに成り得るんだ」

 

 それは、迅が視た未来の光景。

 

 か細く、先が見えない程狭い道であっても。

 

 その最中に、確かに風刃を握る村上がいたのだ。

 

 風刃を使う事になる候補は、他にもいた。

 

 三輪や風間、或いは嵐山や木虎。

 

 そういった候補者でも、一定の成果は出ただろう。

 

 だが。

 

 こと今回に限れば、誰よりも適役なのは村上だった。

 

 どういった理由なのかは色々推察は出来るが、恐らくそう難しい事ではない。

 

 何故なら、候補者の中で七海と最も巧く連携出来るのが。

 

 彼の親友である、村上だからだろうから。

 

「そういう事なら、喜んで受けさせて頂きます。俺も、七海の力になりたいですから」

 

 いや、難しい理屈は要らない。

 

 ようやく、直接七海の力になる事が出来る。

 

 その好機を、どうして手放せようか。

 

 あの、不器用だが心優しい親友が。

 

 ようやく、望んだ未来を掴む手前まで来ているのだ。

 

 ならば、その為の力になれるのであれば。

 

 受ける以外の選択肢は、在り得なかった。

 

「むしろ、こちらからお願いします。どうか、俺に風刃を使わせて下さい。七海の奴を、先に進ませる一助となる為────────────────全霊を尽くして、貴方の剣を振るいましょう」

 

 

 

 

「────────」

 

 黒トリガー、風刃。

 

 迅より託されたそれを起動した村上は、その手に持つ風刃本体────────────────そして、そこから伸びる無数の光の帯。

 

 輝く風の刃を見据え、村上はこの剣を受け取る事になった経緯を想起していた。

 

 あの後、城戸司令から呼ばれて風刃を受け取った彼は。

 

 言葉通り迅の指導を受け、風刃の使い方を学んだ。

 

 副作用(サイドエフェクト)がなければ初めて扱う遠距離型の能力に戸惑っただろうが、あの試合を見ていた事が功を奏した。

 

 迅が試験の中で直接風刃の使い方を見せてくれていた為に、遠隔斬撃をどう扱うかについて着想を得られたのは幸いだった。

 

 あの戦いを見る事が出来ていなければ、副作用があったとはいえ想定する水準に達せられたかは分からない。

 

 全ての積み重ね、その繋がりによって村上は風刃を手にこの場にいる。

 

 要は、それだけの話なのだ。

 

『観測情報を共有。弾道をナビゲートします』

「了解」

 

 村上はオペレーターを通じて受け取った七海の観測情報を元に、照準を定める。

 

 迷う時間は無い。

 

 このタイミングで放つ事が出来なければ、全てが無為に帰する。

 

 故に、一秒の遅れもなく。

 

 村上は、風の刃を撃ち放った。

 

 

 

 

「────────!」

 

 遊真によって重石を撃ち込まれたヴィザは、戦場で長年培った直感が警鐘を鳴らすのを感じ取った。

 

 現在、ヴィザは身体に重石を付けられその重量によって拘束されている。

 

 マントの機能によって重石を排除する事は出来るが、それには時間がかかる。

 

「…………っ!?」

 

 故に、ヴィザは手首の回転のみで星の杖を振るい────────────────自身に撃ち込まれていた重石を、直接斬り捨てた。

 

 完全な除去には至ってはいないが、動く事は可能となった。

 

 村上には、迅のような未来視は無い。

 

 故に相手の動きを予測して刃を置く事は出来ず、ヴィザがこの場から退避してしまえば遠隔斬撃は無駄撃ちになる。

 

 恐らく、ヴィザに二度同じ手は通用しないだろう。

 

 此処で逃せば、二度目の遠隔斬撃は初見殺しの優位性を失い防がれるだろう。

 

 他の誰に無理であっても、剣聖(ヴィザ)にはそれが出来てしまう。

 

「「────────メテオラ」」

 

 故に。

 

 それを防ぐ為の一手を、七海()は放っていた。

 

 七海と、()()

 

 二人がかりの、爆撃。

 

 シールドを持たず、狙撃と異なり直接斬り伏せる事も出来ない以上。

 

 サークルブレードを用いた迎撃を、ヴィザは余儀なくされる。

 

「────────予測、確定だね」

 

 

 刹那の隙。

 

 それを、()は見逃さなかった。

 

 小南と共にやって来た、彼は。

 

 地面に手を突き、エスクードを展開。

 

 ヴィザの四方を、玉狛の────────────────旧ボーダーのマークが刻印された壁が、囲む。

 

 そして。

 

「…………!!」

 

 風の刃が、着弾した。

 

 ヴィザを囲む、四方の壁。

 

 その隙間を縫う形で放たれたそれが、ヴィザの身体を斬り裂いた。

 

 星の杖を持つ右腕と急所は咄嗟に守ってはいたが、左腕は斬り飛ばされ両足にも大きな傷を負った。

 

 致命には至らずとも、明確な有効打。

 

 風の刃は、否。

 

 想いの結晶(やいば)は、剣聖に届いた。

 

『今ですっ!』

 

 通信越しに響く、小夜子の声。

 

 それを受け取った七海が、動いた。

 

『弾』印(パウンド)────────二重(ダブル)

 

 遊真が、印を用いて加速台を生成。

 

 七海は、茜をその場に残し。

 

 加速台を踏み込み、跳躍した。

 

 真っ直ぐ、ヴィザの元へと。

 

 勝利を掴む為の刃が、放たれた。

 

「鋭い────────────────ですが、少々素直過ぎますな」

 

 跳躍した七海へと、死神の刃が振り下ろされる。

 

 コンマ一秒たりとも無駄に出来ない状況とはいえ、真っ直ぐ向かって来る敵などヴィザにとっては容易に対処出来る相手でしかない。

 

 サークルブレードが振るわれ、エスクードを薙ぎ払いながら七海の胴を切断しにかかる。

 

 迫り来る、絶死の刃。

 

 剣聖の振るうブレードが、七海(きぼう)を刈り取らんと振るわれる。

 

「────────!」

「行け、七海。構うな」

 

 その刃を。

 

 瓦礫の影から飛び出した荒船が、弧月を用いて受け止める。

 

 七海に振るわれる筈だった刃は、彼の最初の師の手によって防がれた。

 

 彼の道を。

 

 勝利の希望を、絶やさない為に。

 

 振り返る事はない。

 

 必要もない。

 

 荒船が。

 

 掛け替えのない師にして好敵手が。

 

 刹那の時間を、稼いでくれたのだ。

 

 ならば、進む以外に道はない。

 

 望んだ勝利(みらい)を掴む為には。

 

 立ち止まる暇など、一秒たりともないのだから。

 

 進む。

 

 加速を得て、突き進む。

 

 ヴィザの元へと。

 

 未来を阻む大きな壁を。

 

 今こそ突き破る、その為に。

 

「面白い────────受けて、立つとしましょう」

 

 自らを仕留めんと愚直に迫る挑戦者を見据え、ヴィザは不敵な笑みを浮かべる。

 

 これまで、此処まで自分を熱くさせた戦いはなかった。

 

 一国の城ですら落として来た剣聖は、今自分に迫りつつある敗北の予感にむしろ気分を昂揚させていた。

 

 如何に任務とはいえ、ヴィザの本質は武人にして修羅。

 

 その本質は、戦こそを日常とする羅刹そのもの。

 

 故に、こうして自分に挑む強者との戦いは心躍る。

 

 数を頼りにした策であっても、戦場である以上それは必然だ。

 

 戦力で劣る相手には、総力を以て挑みかかる。

 

 正攻法が通じなければ、絡め手を用いる。

 

 それは戦に置ける常識(あたりまえ)であり、ヴィザにとってそれは空気の如く慣れ親しんだものですらあった。

 

 だからこそ、こうして多くの策を使い尽くし自分に迫らんとするその姿には心が湧き立った。

 

 故に、容赦はしない。

 

 自身の全霊を以て、挑戦者を斬り伏せる。

 

 それが、全力を尽くした敵への彼なりの礼儀であり。

 

 戦こそが全てである、ヴィザの流儀でもあった。

 

「────────!」

 

 七海に、更なるサークルブレードが迫る。

 

 星間図の如く展開された無数のブレードは、容赦なく標的を仕留めんと襲い来る。

 

 一度目は、荒船によって止められた。

 

 だが、二度目はどうか。

 

「行って、七海…………っ!」

 

 その答えは、彼女が持って来た。

 

 熊谷友子。

 

 那須隊のチームメイトにして、受け太刀の名手。

 

 ハウンドでの射撃を途中から蔵内にバトンタッチしていた彼女が、スイッチボックスとテレポーターを駆使して此処までやって来た熊谷が。

 

 二度目のサークルブレードを、七海に代わって受け止めていた。

 

 以前のままであれば、無理だっただろう。

 

 だが、数々の戦いを通して成長した彼女なればこそ。

 

 剣聖の一撃を、止めるに至ったのだ。

 

 二宮達による弾幕の斉射は、彼女等が近付く為の目晦ましの為でもあった。

 

 数々の後押しを受けてこの場に至った熊谷は、その役目を果たした。

 

 故に。

 

 七海は自身を守り、送り出して来た熊谷に感謝し。

 

 その証として、振り返らずに先へ進んだ。

 

 熊谷を、信頼しているからこそ。

 

 一瞥もせず、七海は先へ向かう。

 

 未来を手にする為の、最後の壁。

 

 剣聖ヴィザを、打ち倒す為に。

 

 既に、敵までの距離は数メートル程まで縮まっている。

 

 此処を潜り抜ければ、ようやく剣聖に刃が届く。

 

「────────」

 

 だが。

 

 だからこそ、ヴィザは手を緩めなかった。

 

 二撃目よりも速度を増した、サークルブレードの一撃。

 

 それが、頭上から七海へ襲い掛かる。

 

 死角となり易い、上からの攻撃。

 

 剣聖に刃を届かせんとする七海に対する、ヴィザの返礼。

 

 致死の刃が、落ちる。

 

「行きやがれ、七海ッ!」

 

 されど。

 

 その刃は、七海に届く事はなかった。

 

 影浦雅人。

 

 七海の最も慕う兄貴分にして、彼の師が。

 

 七海の黒トリガーの効能によって出力を強化し、強度を高めたスコーピオンによって。

 

 サークルブレードを、受け流す事で。

 

 最早、言葉は要らない。

 

 七海は師の期待と激励を受け取り、進む。

 

 最後の壁を、打ち破る為に。

 

「良い気迫です────────────────ですが、それだけでは私の剣は破れない」

 

 その七海を前にして、ヴィザは。

 

 笑みを崩す事なく、迎撃の為に剣を抜いた。

 

 サークルブレードで迎撃するには、距離が近過ぎる。

 

 されど、問題は無い。

 

 それならば、直接斬って捨てるまでの話。

 

 ヴィザは迎撃の為に剣を振るい、そして。

 

旋空弧月

「────────!」

 

 その剣は、側面より飛んで来た斬撃を受け止める事に使()()()()()

 

 視界に入ったのは、剣を振り抜いた姿勢で立つゴーグルの男。

 

 生駒達人。

 

 彼の代名詞でもある生駒旋空が、今この場で炸裂したのだ。

 

 此処に来て、彼を逃がした犬飼と水上の判断が活きる。

 

 途中で盤面より姿を消し息を顰めていた神速の居合い使いは、迅の采配により再びその剣を振るった。

 

 迅の、彼の友の望む未来へ繋ぐ為に。

 

 生駒旋空は、迷いなく振るわれたのだ。

 

 最早、ヴィザの姿は目と鼻の先。

 

 七海は、その手に漆黒のスコーピオンを携え。

 

 最後の壁(ヴィザ)に、刃を振るう。

 

「惜しかった、ですな」

「…………!」

 

 その、刹那。

 

 ヴィザは後方に刃を振るい、そこに転移していた茜の身体を両断した。

 

 七海に注意を引き付け、トドメの一撃はテレポーターで背後に転移した茜が刺す。

 

 剣聖はその策を読み切り、当然の如く対応したのだ。

 

 テレポーターの効果は、既に目にしている。

 

 ならば、それを警戒するのは当然の事。

 

 派手な陽動を行い、伏兵が本命の一撃を放つ。

 

 そういった策は、戦場にはありふれたものなのだから。

 

 ヴィザの斬撃は、未だ止まってはいない。

 

 このまま剣を振り抜き、七海を迎撃する心づもりだからだ。

 

 七海が、刃を届かせるよりも。

 

 ヴィザの斬撃の方が、僅かに早い。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 背後で、茜の戦闘体が崩壊し消え失せる。

 

 それを一瞥もせずに、ヴィザは七海へ剣を振るう。

 

 最後の希望は。

 

 七海の刃は、打ち砕かれる。

 

 未来への道が、閉ざされる。

 

「な、に…………っ!?」

 

 否だ。

 

 此処まで来て、そんな事は有り得ない。

 

 道は、既に開かれていたのだから。

 

 ヴィザの腕が、刃が止まる。

 

 そこで、気付く。

 

 剣を振るう、ヴィザの腕。

 

 そこには、地面から伸びる無数のワイヤーが突き立っていた。

 

 ワイヤートリガー、スパイダー。

 

 茜は自身が斬られる事を想定した上で、狙撃ではなくユズルから借り受けたこのトリガーを使用したのだ。

 

 自らを囮とし、七海(ほんめい)の一撃に繋げる為に。

 

 そう、七海は最初から他に誰かに最後の一撃を任せるつもりはなかった。

 

 陽動は茜の方であり、本命は七海本人。

 

 運命を、未来を。

 

 自らの手で、切り開く為に。

 

 茜の後押しで、遂に七海は最後の艱難を突破した。

 

「届け」

 

 両腕を失い無力化されていた三輪は、祈りと期待を込めて告げる。

 

 迅との確執が、全て消えたワケではない。

 

 理解出来た部分も多いとはいえ、彼の事を好きにはなれない。

 

 けれど、この瞬間。

 

 七海の勝利を願う気持ちだけは、彼と同じなのだから。

 

「届け」

 

 迅は、不安を押し殺し激励(エール)を送る。

 

 この時、この瞬間。

 

 七海が、未来を切り開く時を誰よりも望んでいた彼は。

 

 かつて好きだった少女の忘れ形見に、全てを託した。

 

 彼なら出来ると、そう信じて。

 

「届いて…………っ!」

 

 那須はただ、祈る。

 

 己の半身の。

 

 愛する少年の、勝利を。

 

 数多の想いを背に、七海の刃が振るわれる。

 

 そして。

 

「────────見事」

 

 ────────────────刃は、剣聖(ヴィザ)に届いた。

 

 七海の腕から伸びた、黒き刃。

 

 咄嗟に身体を捻り刃を回避しようとしたヴィザの胸を、彼のマンティスが貫いていた。

 

 急所を穿たれたヴィザの身体が、傷口から崩壊していく。

 

「いやはや、玄界(ミデン)の戦士の────────────────いえ」

 

 その最中にあっても、ヴィザは笑みを崩さず。

 

「戦士()の成長は、早いものですな」

 

 自らを打倒した者達に、心からの称賛を送り。

 

 好好爺のように笑いながら、戦闘体を崩壊させた。

 

 風が吹き、七海の頬を撫でる。

 

 剣聖の去った瓦礫の山、その上で。

 

 勝利を手にした七海の肩を、影浦が叩く。

 

 その光景を見て、迅は。

 

 心からの笑みを、浮かべたのだった。



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アシタノヒカリ

「ふふ、まさか私が負ける事になろうとは。大言を吐いておきながら、情けない限りですな」

 

 戦闘体が崩壊し、生身の身体となったヴィザ。

 

 彼は敗れて尚変わらない笑みを浮かべながら、土煙の向こうで佇んでいた。

 

 既に、ヴィザの背後には向こうの遠征艇へ繋がっている穴が空いている。

 

 追撃をしようとしても間に合わないだろうし、深追いすれば生身とはいえどうなるか分かったものではない。

 

 故に、此処は黙って逃がすのがベターだろう。

 

「それでは、縁があればまたお会いしましょう。その時も此度のような戦いが出来れば、幸いですな」

 

 その言葉を最後に、ヴィザは背後の穴へと消えていく。

 

 それを見届けてようやく、七海は大きく息を吐いた。

 

「……………………出来れば、これで最後にして貰いたいですよ。あんな人の相手は、一度で充分です」

「大丈夫さ。余程の事がない限り、君が彼と戦う事はもうないだろう。俺のサイドエフェクトも、そう言ってる」

「けど、ホントに大丈夫なの? あいつらの星が離れるまで、まだ期間があるんでしょ? だったら、トリオン体を再構築したらまた襲って来るんじゃない?」

 

 小南の懸念は、当然だろう。

 

 今回全ての敵を押し返す事は出来たが、彼等は死んだワケではない。

 

 アフトクラトルがこの世界に近付いている間にトリオン体の再構築が完了するかどうかは分からないが、可能性としては確かにあるのだ。

 

 もう一度、彼等が襲って来るケースというものは。

 

 何せ、今回アフトクラトルは戦果と呼べるものを何一つ持ち帰ってはいない。

 

 流石にトリオン兵は出し尽くしたであろうから同じ規模の襲撃があるとは思わないが、秘密裏にやって来て隊員を攫っていく可能性はある筈だ。

 

 小南と同じ懸念を忍田も抱いており、やや心配そうに迅の返答を待っている。

 

 そんな二人を見て迅は苦笑し、大丈夫だよ、と話した。

 

「いや、確かにそういう可能性も最初はあったけど、もう心配はないよ。あのおかっぱ頭の男────────────────エネドラって奴を、()()()()()()()()()()()()ね」

 

 それは、迅だけが知る分岐点。

 

 当初はヴィザを撃退出来たとしても、後から少数精鋭で奇襲され隊員を攫われる、といった未来(ルート)は残っていた。

 

 だが、とある地点でその分岐は消え去った。

 

 あの時。

 

 エネドラを、生かしたまま捕虜にして基地に連れ帰った段階で。

 

「どうやら、彼等には此処に留まりたくない()()があるみたいだからね。だったら、そのまま帰らせてあげよう。こちらとしても、これ以上あいつらと顔を突き合わせるのは勘弁願いたいからね」

 

 

 

 

「────────────────撤収だ。このままアフトクラトルに帰還する」

「よろしいのですか?」

 

 アフトクラトル、遠征艇。

 

 そこでヴィザを迎え入れたハイレインは、即座に撤退命令を下した。

 

 そんな彼を、ミラはやや不安気に見詰める。

 

 当然だ。

 

 今回の作戦、確たる戦果は何も持ち帰れていないのだ。

 

 確かにエネドラとヒュースの()()は成功したが、対外的に誇れるような成果物は何一つ手に入れてはいない。

 

 この状態で帰ればわざわざ弱みを見せるようなものであり、それはハイレインとしても望ましい事ではない筈だ。

 

 だが、彼は迷う事なく撤退の判断を下した。

 

 当然そこには、彼なりの意図がある筈だった。

 

「エネドラが生きたまま捕虜となったのが、致命的だ。あいつはまず間違いなく、玄界(ミデン)に情報を流す筈だ。そうしない理由がないからな」

「成る程、それは確かに…………」

 

 ミラはハイレインの話を聞き、納得するしかなかった。

 

 今回の作戦で、エネドラは文字通り()()する予定だった。

 

 だからこそそう思わせない為に彼にはヒュースを置き去りにする計画を告げていたし、まさか自分まで()()()()()()()側だとは思いもしなかっただろう。

 

 故にミラが彼の元を訪れた時無防備に手を差し出したのだし、泥の王(ボルボロス)も難なく回収出来たのだ。

 

 だが。

 

 ミラはそのままエネドラの命を刈り取るつもりだったのだが、玄界(ミデン)の兵の妨害でそれは叶わなかった。

 

 他のメンバーと違い、ミラは戦闘が本分というワケではない。

 

 というよりも、サポーターとしての価値が高過ぎて直接戦闘するのはリスクが大き過ぎるのだ。

 

 エネドラをミラの凶刃から守ったあの兵はどう見ても手練れの相手であったし、無理に追撃しようとすれば返り討ちに遭っていた可能性もある。

 

 その後の事を考えると<窓>を無駄遣いするワケにもいかなかった為に退いたのだが、その結果としてエネドラは生きて敵に捕らわれる事になった。

 

 すると、どうなるか。

 

 当然、エネドラは意趣返しを────────────────こちらへの仕返しを、考える筈だ。

 

 この状況で、最もハイレイン達が嫌がる事は何か。

 

 そんなもの、ヒュースに関する内情の暴露に決まっている。

 

 ヒュースは形式上ハイレインの部下ではあるが、その忠誠は彼の直属の上司にして拾い主であるエリン家当主に捧げられている。

 

 ハイレインは今回の遠征で金の雛鳥を、神の候補を確保出来なかった場合にはそのエリン家当主を人柱にする計画を立てていた。

 

 故に、その時本国にヒュースが残っていれば間違いなくその計画の障害となる。

 

 彼一人に本家である自分達が負けるとまでは思わないが、問題は彼の捨て身さえ厭わない忠誠心と人望だ。

 

 ヒュースの高い忠誠はエリン家の誰もが知るところであるし、愚直ながらも意外と面倒見が良い為彼に味方する者も数多い。

 

 彼が旗頭となってハイレインに反旗を翻せば、そう簡単には収まらない騒動となる。

 

 場合によっては、ヒュースは自分を犠牲にしてでも当主を逃がしかねない。

 

 そんな騒ぎを起こせば他の領主はチャンスと見て干渉して来る可能性が高い上、最悪「神」探しを先んじられては取り返しがつかなくなる。

 

 だからこそ、ヒュースは「遠征任務先で捕まり本国の情報を売った咎人」として置き去りにしなければならなかったのだ。

 

 そうする事で彼の落ち度を口実にしてエリン家の力を削ぐ事が出来るし、当主を「神」にする計画もやり易くなる。

 

 政治の世界というものは、たとえ目に見えた策謀であろうとも()()が────────────────即ち大義名分の有無が、とてつもなく重要なのだから。

 

「ヒュースが真実を知った場合、玄界の兵と手を組んででも遠征艇に戻って来かねない。その懸念がある以上、今の玄界に手を出すリスクは冒せない」

 

 故に、万が一にでもヒュースに遠征艇に戻って来られては困るのだ。

 

 忠誠心の塊のような、彼の事だ。

 

 当主を守る為に自分諸共遠征艇(ふね)を沈めるくらいの事は、平気でやりかねない。

 

 そうでなくとも、この艦の中で彼を殺してしまえばどうしたって足が付く。

 

 ヒュースはあくまでも置き去りにしなければ当主を生贄にする口実には使えず、彼をハイレイン達が殺めたと知れば事態が拗れるであろう事は言うまでもない。

 

 加えて、ヴィザはヒュースの師だ。

 

 彼を置き去りにする事には渋々同意した剣聖ではあるが、殺したとなればどう出て来るかは分からない。

 

 こちらの都合を、理解はするだろう。

 

 だが、どう考えてもハイレインへの心証は最悪になる筈だ。

 

 今後の事を考えれば、それは避けたい。

 

 帰還してから妙に上機嫌なのが気にはなるが、彼は完全なハイレインの味方というワケではない。

 

 藪を突いて蛇を出すような真似は、控えた方が得策である。

 

「ヴィザ翁には申し訳ありませんが、これは決定事項です。残念ですが、ヒュースは連れては帰れません」

「致し方、ないでしょうな。そも、負けてしまった私に止める権利などありますまい」

「いやあ、それには驚いたぞ。まさか、ヴィザ翁を負かす奴がいるなんてな」

 

 だが、何処にでも空気を読まない輩はいるものだ。

 

 ランバネインはハイレインの心情など何処吹く風といった有り様で、ヴィザの敗北を蒸し返した。

 

 ギロリ、とミラの厳しい視線が飛ぶ。

 

 折角巧く纏まりそうなのに、という無言の抗議である。

 

 ランバネインは下手な口笛を吹いて誤魔化そうとするが、ミラの視線の温度は変わらない。

 

 どう考えても悪いのは彼の方なので、当たり前といえば当たり前なのだが。

 

「いえいえ、まさか私も負けるとは思いませんでしたとも。玄界(ミデン)の兵達の成長を、甘く見ていたようですな」

「まあ、俺も結局碌に戦果を挙げられずに落とされたから人の事は言えんがな。良き戦いが出来たから、俺としては満足だが」

「はは、そうですな」

 

 互いに不敵な笑みを浮かべ、笑い合う戦闘狂達(ふたり)

 

 それを頭痛と共に眺めるミラの肩に手を置いて宥め、ハイレインは改めて告げた。

 

「現時刻を以て、作戦を終了する。回収可能なトリオン兵を回収し、(ゲート)を閉じろ。戦いは、終わりだ」

 

 

 

 

「空が…………」

 

 ────────────────その光景を、彼等は忘れないだろう。

 

 一筋の光が立ち上り、大規模侵攻の開始と同時に立ち込めていた暗雲が晴れる。

 

 それまで空を覆っていた漆黒の雲は消失し、日の光が三門市を照らす。

 

 街の至る所を闊歩していたトリオン兵はいつの間にか一機残らず消え去り、後に残るのは瓦礫の山。

 

 晴れ渡る青空が戻り、眩い光が降り注ぐ。

 

 14時00分。

 

 四年前の悪夢、その再来。

 

 そうなりかねなかったその日の戦いは、最高の形で終わりを迎えた。

 

「終わった、んですね」

「ああ、終わったよ。この上なく、最高な形で────────────────最善の、幕引き(みらい)で」

 

 七海の問いかけに、迅は曇りのない笑顔で応える。

 

 最善の、未来。

 

 この四年間迅が、そして七海が求め続けた結末であり────────────────他ならぬ、玲奈の遺志(ねがい)でもあった。

 

 これまで、彼等はその為にあらゆる苦難を乗り越えて来た。

 

 那須との関係が拗れ、燻っていた七海も。

 

 玲奈の死を受け入れきれず、呪い(みらい)に縛られていた迅も。

 

 罪悪感故に前に進めず、立ち止まっていた那須も。

 

 信頼出来る仲間の助けによって止まっていた時計の針が動き、今日この日を迎えられた。

 

 そう思うと、とても感慨深い。

 

 誰が欠けても有り得なかった、最善の未来。

 

 それが、今この手に。

 

 ようやく、掴めたのだから。

 

「やったじゃねぇか、七海。後で祝ってやっからウチ来いよ」

 

 影浦雅人。

 

 彼がいなければ、敬愛するこの兄貴分が導いてくれなければ。

 

 きっと、今の七海は此処にはいなかった。

 

 そう思うと、幾ら感謝しても足りないだろう。

 

「ようやく、お前の力になれた気がするよ。やったな、七海」

「おう、俺も少しくれぇは手伝えたみたいだな」

 

 村上鋼に、荒船哲司。

 

 好敵手にして、戦友。

 

 彼等と切磋琢磨して来たからこそ、七海はこれまでの戦いを乗り越えられた。

 

 ライバルとしても、友としても。

 

 掛け替えのない存在である事は、確かだ。

 

『あの爺さんをやっちまうなんてな。また強くなったじゃねぇか、七海』

『よくやった。それでこそ、七海だ』

 

 太刀川慶に、風間蒼也。

 

 今でも強さの底が見えない二人の師匠は、言葉少なに七海を労う。

 

 トップクラスの実力者である彼等との鍛錬があったからこそ、こうして勝てたと言っても過言ではないだろう。

 

 太刀川の人間性はともかくとして、戦いの先達としては今尚敬愛する師匠達である。

 

「やったね、七海」

『やりましたね、七海先輩っ!』

『お疲れ様です。成し遂げられたようで、何よりです』

 

 熊谷友子、日浦茜、志岐小夜子。

 

 共に戦って来た、同じ隊の仲間達。

 

 彼女達とだからこそ、此処まで駆け上がって来れた。

 

 迷惑もたくさんかけたけれど、それでも。

 

 なくてはならない、大切な仲間達だ。

 

 これからも彼女たちと共に戦って行けるのならば、何処までだって行けるだろう。

 

「玲一」

「玲」

 

 そして。

 

 那須玲。

 

 幼馴染にして、この世で最も大切な少女。

 

 此処まで、急いで駆け付けたのだろう。

 

 目は潤み、顔も赤らんでいる。

 

 何を言ったらいいか、分からない。

 

 どうやらそんな様子であった那須を見て苦笑し、七海はトリオン体を解除する。

 

 たとえ何も感じられずとも、愛する少女を生身で受け止めてやりたい。

 

 そう思って、七海は生身の身体を曝け出し────────────────。

 

「え…………?」

 

 ()()()()()()()に驚き、目を見開いた。

 

 有り得ない。

 

 七海は無痛症により、触感が皆無だったのだ。

 

 特注の日常用トリオン体がなければ、まともに外を出歩く事も出来ない。

 

 そんな有り様だった、その筈なのだ。

 

 ────────────────あの時、私はとにかく玲一の痛みを取ってあげたい、って思考で一杯だった。だから黒トリガーの機能が暴走して、玲一から痛みや感覚を奪っちゃったの────────────────

 

 ────────────────大丈夫。もう、そのトリガーに不具合はないよ。残滓の塊(わたし)が消えたら、そのまま起動出来る筈だから────────────────

 

 七海の脳裏に、あの時の白昼夢での姉の言葉が蘇る。

 

 あれがなんだったのかは、分からない。

 

 彼の見た都合の良い幻覚かもしれないし、もしかすると本当に姉の意識の残滓が黒トリガーから語り掛けてくれたのかもしれない。

 

 けれど、もし玲奈の言葉通りなのだとしたら。

 

 黒トリガーの暴走でなくなっていたという七海の痛覚は、触覚は。

 

 元に戻った、という事だ。

 

「玲一、まさか…………」

「うん、痛みが、感覚が────────────────元に、戻ったみたいだ。姉さんの、お陰でね」

「…………っ!!」

 

 何も、言えなかった。

 

 ただ、迸る想いのまま、那須は愛する少年を抱き締めた。

 

 ふわりと、少女の甘い匂いが、柔らかな感触が七海を包み込む。

 

 それは、この四年間遠ざかっていたもの。

 

 愛する少女の存在をその身で実感し、七海は周囲の眼など気にするものかと那須を抱き返す。

 

 口を出す野暮は、誰もしなかった。

 

 今は、この時だけは。

 

 七海の腕の中という特等席は、彼女だけのもので。

 

 抱き合い感じる、その温もりは。

 

 二人にとっての、何よりの報酬だったのだから。

 

 

────────Result────────

 

 

────────近界民(ネイバー)/捕虜二名────────

 

 

────────民間人/死者、重傷者、行方不明者共に0────────

 

 

────────ボーダー/死者、重傷者、行方不明者同じく0────────

 

 

────────対近界民(ネイバー)大規模侵攻 三門市防衛戦 終結────────



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痛みを識るもの

 こうして、第二次大規模侵攻は最良の形で終わりを迎えた。

 

 トリオン兵や人型近界民(ネイバー)自体は警戒区域の外側にまで侵攻したが、人的被害は奇跡的に皆無。

 

 死んだ者も、怪我をした者も、そして行方不明になった者も誰もいなかった。

 

 建物はそれなりに壊れてはいたが、柿崎が指揮した避難誘導のお陰で巻き込まれた者は誰もおらず。

 

 四年前の悪夢を思い出し、怯えていた被災者達も。

 

 被害を最小限で留めて見せたボーダーの活躍を前にして、称賛の声が上がっていた。

 

 難癖や野次を飛ばす者がいないワケではないが、それも大多数のボーダー擁護の声に押されて下火となっていった。

 

 もし、市民に被害が及んでいれば。

 

 もし、隊員が死亡又は行方不明となっていれば。

 

 決して、こういった評価にはならなかっただろう。

 

 ボーダーは、表舞台に現れて以降最大の危機を。

 

 無事、乗り切ったのだ。

 

 そして、それを成した英雄達は。

 

 この日、影浦の号令によって彼の実家(みせ)に集まり健闘を称え合っていた。

 

 

 

 

「改めて、お招き頂きありがとうございます。カゲさん」

「いいから、祝われておけよ。誰がなんと言おうが、おめーが一番頑張って結果を出したのは事実なんだからよ」

 

 お好み焼き屋、『かげうら』。

 

 影浦の実家が経営するその店に、多くのボーダー隊員が集まり席を囲んでいた。

 

 こうしてやって来ている七海は、今までと違い特注のトリオン体ではない。

 

 生身で、彼の店にやって来ていた。

 

 あの後、七海は改めて検査を受けてこれまで彼を苛んでいた無痛症が完全に取り除かれている事を知らされた。

 

 白昼夢での姉の言葉通り、彼の無痛症は黒トリガーの誤作動による()()()だったのだろう。

 

 四年ぶりに取り戻した触覚に戸惑いながらも、七海やその仲間達は素直に彼の快癒を喜んだ。

 

 影浦もまた、今まで七海に提供して来た特別メニューではなく普通のメニューの方を出している。

 

 味覚がほぼ死んでおり通常の食事は味が分からず密かに疎外感を覚えていた七海であったが、初めて食べる事になる影浦の出す普通のお好み焼きの味を知って思わず涙ぐんでいた。

 

 既に那須邸(いえ)で普通の食事を味わっていたとはいえ、これまで薄くしか感じられなかった影浦のお好み焼きの味をようやく堪能出来たのだから、その喜びはひとしおである。

 

「ええ、玲一は頑張ったんだもの。だったら、相応の報酬は在って然るべきでしょう? 私の料理を食べた時よりも喜んでるみたいなのは、少し複雑だけどね」

「あ、いや、えっと」

「ふふ、嘘よ。半分くらいは」

 

 七海の隣に当然の如く座っている那須は我が事のように胸を張り、密着状態の彼の腕をぎゅっと抱き締める。

 

 少女の柔らかな感触と甘い匂いが七海を襲い、思わず頬を赤らめる。

 

 これまで無痛症の所為で人の温もりを殆ど感じ取る事が出来ず男性としての反応も皆無と言って良かった七海ではあるが、感覚を取り戻した事によりそういった機能も正常化していた。

 

 つまり、四年前より更に遠慮なくスキンシップを取るようになった那須の感触や匂いを直に感じ、初々しい反応を返すようになったのだ。

 

 これまで抱き着いても添い寝をしても平気な顔をされていた那須としては、七海のそんな反応は可愛らしくて仕方がない。

 

 七海の紳士な態度にも好感を覚えていた那須ではあったが、それはそれこれはこれである。

 

 少女として、女として自分に対して異性としての反応を見せないというのは彼女をして複雑な面持ちだったのだ。

 

 大事にされるのは喜ばしいが、それはそれとして女として求めて欲しいというのも偽らざる彼女の本音であったが為に。

 

 こうして自分のスキンシップで一喜一憂する七海の姿に、色んな意味で溜飲が下がっていた那須であった。

 

「おい、そういうのは家でやれ。此処は飯を食うところだぞ」

「あ、すみません。つい、嬉しくて」

「わかりゃあいい。甘えるのは、家でたっぷりやってやれ」

 

 当然、貸し切りとはいえ飲食店という公共の場でイチャ付いていた二人を見て砂糖を吐いている者が何人もいた為影浦が注意する結果となった。

 

 二人の関係性は此処にいる者であれば大体知ってはいるが、節度というものがある。

 

 指摘されて自分の行為を振り返った那須は若干顔を赤らめながら、掴んでいた七海の腕を名残惜し気に離す。

 

 アイコンタクトで「後は家でね」とメッセージを伝える事は、忘れなかったが。

 

「おう、やってんな」

「本当にお疲れ様だったな、七海。その甲斐もあって、特級戦功も貰ったようだが」

「荒船さん、鋼さん」

 

 二人だけの時間が終わったのを見計らい、やって来たのは荒船と村上だった。

 

 攻撃手二人は七海の近くに座り、口々に彼の健闘を称えている。

 

 彼等の言う通り、七海は今回の大規模侵攻に置ける活躍で特級戦功を授与された。

 

戦功所属部隊隊員名備考
特級那須隊七海玲一戦闘初期に那須隊長と共にトリオン兵を駆除して被害を食い止め、人型近界民(黒トリガー)を撃破した/新型撃破数2

 

 七海は、褒賞授与の際に送られた文面を思い返した。

 

 矢張り、ヴィザの撃破への貢献が大きかったのだろう。

 

 自分だけの力ではないと七海は最初授与を渋っていたが、共に戦った者達も一様に彼の尽力を称えた為、断るのも悪いと素直に褒賞を受け入れた。

 

 尚、黒トリガーの起動者となった七海ではあったがS級隊員への昇格は見送られる事となった。

 

 これは七海の黒トリガー、群体王(レギオン)の特殊性にも関係する。

 

 群体王は風刃等と異なり、単体で起動しても何の効果も齎さない。

 

 複数人、最低でも10人以上の人数で共闘する際に使わなければその能力を活かし切れないからだ。

 

 何せ、群体王には固有の戦闘能力が存在しない。

 

 出力もリンクを結んだ相手の数に依存する為、一部隊だけで起動してもそこまで大きな効果は望めないし単独の起動では多少出力が強化されるだけなのだ。

 

 その為単独での運用が求められるS級隊員となるには不適格である、という判断が下されたのだ。

 

 無論、その決定には彼を慮った上層部の意思も介在している。

 

 黒トリガー自体が彼の右腕となっており取り外しも不可である為、七海から群体王を取り上げるという選択肢自体存在しない。

 

 加えて彼は現状那須隊での活動を強く望んでおり、迅の働きかけもあって群体王の運用に関しては有事の際に上層部が起動許可を出す形で使う、という形に落ち着いた。

 

 那須隊と離れ離れになる事にならず、心底安堵した七海であった。

 

「でも、鋼さんもS級隊員にはならなかったんですね」

「ああ、風刃は使えはしたが元々俺のスタイルとは合わないしな。何より、来馬さんの元を離れる気がなかった事もある」

 

 また、同じく黒トリガー風刃を使用した村上に関しては彼自身がS級隊員となる事を固辞し本部にトリガーを返却した。

 

 確かに村上は迅の指導もあって風刃を使えていたが、そもそもこの黒トリガーは攻撃にのみ特化したピーキーな仕様である。

 

 村上本来の戦い方である防御主体の戦術には合わず、自分が持っているよりは有事の際に適切な相手に使用させる方が良いと彼が進言した結果として風刃は再び本部預かりとなった。

 

 ちなみにこの説明は村上本人ではなく、風刃の扱いに悩んでいた彼に風間や迅がアドバイスした結果を纏めたものだ。

 

 そのあたりの根回し自体は城戸も把握していたが、説明はもっともであった為に黙認した形となる。

 

 結果としてS級隊員が増える事はなく、群体王は七海と一心同体である為実質的な本部預かりの黒トリガーが増えるといった事もなかったワケである。

 

「それに、S級になったらランク戦が出来なくなってしまうからな。もう一度七海に挑むつもりの身としては、受けるワケにはいかないさ」

「ああ、俺も鋼も燻ってるつもりはないからな。すぐにとはいかないかもしれねぇが、ちゃんとお前に追いつくつもりでいるからよ」

「ええ、俺も初心を忘れず精進を続けるつもりです。今度も、負けませんから」

 

 言うねぇ、と荒船は不敵な笑みを浮かべた七海の肩をガシガシと叩き、三人は笑い合う。

 

 影浦も仲間に入りたそうに見てはいたが、丁度その時柿崎のテーブルから注文が入り彼を蔑ろには出来ない為に渋々席を離れていった。

 

「男三人で何やってんのよ。あたし達も混ぜなさいっての」

「小南さん、迅さん」

「やあ、楽しんでいるみたいだね」

 

 次にやって来たのは、小南と迅であった。

 

 あまりこういう場には顔を出さずに何かあれば玉狛支部に招いて食事会を開いていた二人であったが、今回ばかりは特別という事でやって来たのだ。

 

 特に迅はこういった集まって騒ぐ場に自分は相応しくないと考えている節があり、今回も小南が強引に連れて来なければ出席を辞退していただろう。

 

 勿論そんな戯れ言(あまえ)を小南が許す筈もなく、こうして連行されたワケであるが。

 

 尚、二人もまた戦功を受け取っている。

 

戦功所属部隊隊員名備考
特級玉狛第一小南桐江多くの新型トリオン兵を撃破し、人型近界民(黒トリガー)の足止め及び撃破に貢献した/新型撃破数17

 

戦功所属部隊隊員名備考
特級玉狛第一迅悠一適切な采配を行い被害を最小限に抑え、小南隊員と共に人型近界民(黒トリガー)の足止めを行い撃破にも貢献した/新型撃破数2

 

 小南は、圧倒的なラービット撃破数とヴィザ翁戦への貢献が。

 

 迅は、未来視を用いた采配とヴィザ撃破への貢献が。

 

 それぞれ、評価された形となる。

 

 他にも特級戦功は人型撃破に多大な貢献をした東、太刀川。

 

 加えて人型を撃破し捕虜にした遊真、風間といった面々が受け取っている。

 

 遊真の場合はヴィザ戦への補助も込みの評価であり、ヒュース戦で戦闘をサポートし結果万全の状態で彼を決戦に送り込む貢献をした修には一級戦功が授与されている。

 

 また、東と共同で人型撃破に当たった二宮、三輪、加古、烏丸、出水には一級戦功が。

 

 ランバネインを撃破した香取、それを全力でサポートした嵐山隊にも同じく一級戦功が与えられている。

 

 他にも人型撃破で活躍した王子隊や他のトリオン兵の駆除に当たっていたB級部隊には二級戦功が。

 

 人型撃破に貢献し、七海を最大限にサポートした影浦や那須隊の面々には一級戦功。

 

 そして、避難誘導を指揮し人的被害を0に抑えた柿崎にも二級戦功が与えられていた。

 

 他にもトリオン兵駆除に尽力した天羽や遊撃部隊として活躍した緑川達などにも、戦功が授与されている。

 

 むしろ、正隊員の中では戦功を授与されていない者の方が少ないくらいである。

 

 それだけ、今回の大規模侵攻では多くの人々が結束し、全力で事に当たったのだ。

 

 彼等の誰一人が欠けても、この結果は有り得なかっただろう。

 

 それは、この場に集う誰もが認めている。

 

「七海。本当にありがとう。君のお陰で、俺は玲奈との約束を果たす事が出来た。改めて、礼を言うよ」

「それはこちらも同じです、迅さん。貴方の、そして皆の力があったからこそ姉さんの願いを叶える事が出来たんですから」

「そうよ、二人共胸を張りなさい。この結果は紛れもなく、アンタ達全員が掴み取った代物なんだから」

 

 二人で礼を言い合っていた七海と迅を見て、小南はすぐさま活を入れた。

 

 七海も迅も共に根が悲観主義で責任感の塊である為、放っておくと空気が重いものになりかねない。

 

 それをとても良く知っている小南は、即座にフォローを入れたワケだ。

 

 しんみりするなら後にしろ、と言わんばかりに。

 

「そうだぞ。此処は祝いの席なんだから、笑って食えばいいんだよ」

「太刀川さんが言うと、なんか駄目な意味に聞こえて来ますね」

「まあ、それも含めて太刀川さんだからね~。仕方ないと思うよー」

 

 それに同意する者も、数多い。

 

 太刀川隊の面々は、いつもと変わらぬ調子でお好み焼きをかっ喰らっている太刀川を中心に、好き勝手にやっている。

 

 いつ如何なる時でも、自然体。

 

 それが、太刀川隊の持ち味なのだから。

 

「そやぞ。折角大勝利に終わったんやから、しんみりしてばっかじゃあかんで」

「皆、カッコ良かったですもんねっ! イコさんも、俺たちの分まで頑張ってくれましたしっ!」

「やっぱ、イコさん生き残らせて正解でしたわ。我ながら、巧い事やった思うとるで」

「そうっすね。俺はあんま役に立てなかったっですけど、結果的にどうにかなたんなら言う事ないですわ」

 

 流れに便乗してわいわいと騒ぎ出す、生駒隊の面々。

 

 この店に来る回数自体はこれまで多くなかった彼等ではあるが、こういった場では盛り上げ役として適役である。

 

 彼等がいるだけで大体の毒気が抜けていくのだから、気を張っている方が難しい。

 

 何処であろうと変わらない、生駒隊クオリティだった。

 

「ふん、はしゃいじゃって」

「そう言いながら、葉子も嬉しそうだね」

「華だって、嵐山さんに誘われたのがそんな嬉しかったの?」

「それは秘密」

「……………………なんか、少し場違いな気がして来たかも」

「奇遇だな。俺もだ」

 

 嵐山からランバネイン戦での活躍を称えられ、断り切れずにやって来た香取隊の面々。

 

 こういったボーダーの隊員同士の交流会に出るのは初めての彼等は多少肩身の狭い思いをしていたようだが、それを察した柿崎隊の面々や敢えて空気を読まなかった王子達がちょっかいをかけ、最終的には人の輪に加わっていた。

 

 彼女達もまた、七海達と関わり成長した戦友の一人。

 

 上へ目指す気概を得た彼女達は、これから先も歩みを止める事はないだろう。

 

「うむ、おいしいな」

「空閑、あまり早く食べて詰まらせるんじゃないぞ」

「うん。まだまだ一杯あるから」

「……………………何故、捕虜をこんな所に連れて来る。何をしたところで、本国の情報は喋らんぞ」

「そう言いながら、一番食べてるのヒュースくんだよねえ」

 

 和気あいあいとお好み焼きを食べている、玉狛第二の面々。

 

 一人この場にいるのがおかしい人物が混ざってはいるが、気にしてはいけない。

 

 何故かと問われれば、陽太郎が瑠花と組んだ結果であるとだけ言っておく。

 

 その一部始終を知っている修達としては彼は既に警戒の対象ではなく半ば身内扱いに等しい。

 

 彼等はまだ走り出したばかりで、その道程が明かされるのはこれからだ。

 

 次なる物語の主役として、彼等は一喜一憂しながら歩を進めていくだろう。

 

 長かった一つの物語の幕は、もう下りているのだから。

 

 そんな彼等を、ボーダーの仲間達を見て。

 

 迅は、心からの笑みを浮かべた。

 

「────────────────もう大丈夫だよ、玲奈。望んだ未来は、こうして掴む事が出来たんだから」

 

 その呟きを聞き取れた者は、果たして何人いただろうか。

 

 多くは、語らない。

 

 これまで苦難の道を歩んで来た彼は、ようやく光を手にする事が出来た。

 

 今はその事実だけで良いと。

 

 彼を大切に想う者達は、一様に頷いた。

 

 これからも、この大馬鹿者が突っ走らないように見守ろうと。

 

 そう、改めて決意して。

 

 

 

 

「玲」

「玲一」

 

 その日の夜。

 

 皆に謝辞を告げ二人で帰路に着いた七海と那須は、ある場所へと赴いていた。

 

 そこは、警戒区域の一角。

 

 かつて、七海の自宅が在った場所。

 

 そして。

 

 玲奈が命を落とした、彼女が眠る場所でもあった。

 

 その、空き地の前で。

 

 那須と七海は、二人で向かい合っていた。

 

 帰り道、どちらともなくこの場所へ向かう事を提案し、こうしてやって来たのだ。

 

 他の何処でもなく、この場所こそがその場に相応しいと考えて。

 

 二人は、玲奈の眠る場所へとやって来ていた。

 

「姉さん、姉さんの────────────────ううん、俺達の望んだ未来を、ようやく掴む事が出来たよ。誰一人欠ける事なく、皆で笑い合えた。多分、この光景が見たかったんだよね」

「色々遠回りをして、ごめんなさい。でも、これでようやく本当の意味で前に進む事が出来ると思う。だから、二人で報告に来ました。聞いて、貰えますか?」

 

 返事は、当然ない。

 

 けれど。

 

 二人の脳裏に、玲奈の笑みが浮かび。

 

 きっと聞いてくれているのだと、そう感じて。

 

 少年と少女は、向かい合い口を開いた。

 

「────────────────玲。お前の事が好きだ。だから、ずっと一緒にいて欲しい」

「うんっ! 私も、玲一の事が大好き。愛してる」

 

 そして、二人は前に向き直り。

 

 手を繋いで、微笑んだ。

 

「だから、見守っていて欲しいんだ。私達がずっと、一緒にいられるように。この手がいつまでも、離れないように」

「これからも色んな事があるだろうけど、玲と一緒ならきっと大丈夫。二人で、幸せになってみせるからさ」

 

 だから、と七海は告げる。

 

「────────────────なんでもない毎日を、大切に歩んで行くよ。いつか姉さんの所に行くその日まで、たくさん思い出を作りながらね」

 

 七海はそう言って、那須を抱き寄せる。

 

 もう、言葉は要らなかった。

 

 二人の影が、重なる。

 

 その光景を見降ろす夜空に、流れ星が落ちる。

 

 遠き星々の狭間に流れる、一筋の流星。

 

 それはまるで、二人を祝福する玲奈の流した嬉し涙のようで。

 

 ────────────────うん、二人なら大丈夫だよ。望んだ未来を掴み取れた玲一達なら、きっと────────────────

 

 何処からか、声が聞こえた気がした。

 

 気の所為だったのかもしれないけれど、それでも構わない。

 

 七海は、痛みを失ったが為に人の輪の大切さを、心の温かさを識り。

 

 那須は、そんな七海の成長を見ていたからこそ決して思い通りになるばかりじゃない困難(いたみ)を乗り越える人の強さを識った。

 

 二人の少年少女は喪失の痛みを背負い、それでも尚前へ進む事を選んだ。

 

 人生は思い通りに行くものばかりじゃなく、むしろ苦悩(いたみ)の方が多い日々が続くかもしれない。

 

 けれど、そんな毎日だからこそ人は精一杯に生き、幸せを掴もうとするのだ。

 

 当たり前の、けれど誰しもが忘れている日常(いたみ)の価値。

 

 それを識る彼等は、きっとこれからどんな現実(いたみ)に直面しても挫ける事はないだろう。

 

 黒い棺に眠る少女の、望んだ通りに。

 

 二人の歩みは、もう止まる事はないのだから。

 

 

 

 

────────FIN────────



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あとがき

 

 これにてワールドトリガー二次創作、「痛みを識るもの」は完結となります。

 

 二年以上に渡る期間、お付き合い頂きありがとうございました。

 

 アフターストーリーなんかは描きますが、続編は書きません。

 

 七海玲一という少年の物語は、大規模侵攻終結を以て終了致しました。

 

 アフターで未来を掴んだ七海達の様子を垣間見る事は出来ますが、彼等はもう舞台を降りた身です。

 

 此処からの物語の主役は彼等ではなく、原作主人公である修達です。

 

 色々と原作とは状況が違って来ていますが、きっと彼等ならあらゆる苦難を乗り越えてくれる筈です。

 

 七海達がそうであったように、彼等もまた「主人公」なのですから。

 

 

 

 

 さて、それではこの「痛みを識るもの」完結にあたって諸々の想いの丈を綴りたいと思います。

 

 まず、このストーリーを描きたいと考えたのは原作や他の方のワートリ二次を見て「ランク戦を描きたい」「旧ボーダー周りを描写したい」と思ったのが切っ掛けです。

 

 ワートリは世に溢れる様々な作品の中でも、ある意味異色を放っている作品だと言えます。

 

 何と言っても、そのシビアさとロジカルさが段違いです。

 

 普通のストーリーだと、ピンチからの逆転は大抵「秘めたる力に覚醒」だったり「想いを背負って気合いで勝つ」みたいな感じですが、ワールドトリガーの戦闘にそういった覚醒展開や根性論は一切通用しません。

 

 覚悟を決めて、自らを鍛えるのは()()()()

 

 その上で勝つ為の「具体案」を提示し、イレギュラーな状況へ即応出来るだけの「対応力」、最適な選択を選び取る「機転」と冷静な「判断力」。

 

 それらこそが勝利の為に必要な要素であり、土壇場で覚悟を決め直すのでは「遅過ぎる」。

 

 そういったロジカルな側面に魅せられたのも、私がワートリのランク戦を描きたいと思った理由です。

 

 ワールドトリガーほど、「集団戦」をロジカルに描いている作品は存在しません。

 

 BBF等で作者さんも仰っていますが、集団戦は個人同士のぶつかり合いと違って覚醒や根性論が必ずしも必須ではありません。

 

 格上の相手であろうと「戦術で嵌め殺す」「駒として浮かせる」「狙撃や奇襲で不意を突く」という攻略手段が無数にある為です。

 

 しかもランク戦では様々なトリガーの中から自分に合ったものを選び、オンリーワンのユニークウェポンなどはなく使い手の技術と機転、そして運が勝負を決めます。

 

 そして緊急脱出(ベイルアウト)というシステムにより、自分の犠牲を前提とした作戦すら躊躇なく取れる。

 

 これが従来のバトルメインの作品とは違う要素だと思います。

 

 「気持ちの強さは関係ない」という太刀川の名言も、これらの要素を集約させていると思います。

 

 というワケでランク戦を描きたいという欲から始まったワケですが、原作時間軸のランク戦を描くとなると完結させる為の「区切り」が見えませんでした。

 

 連載開始当時はまだ原作でランク戦が終わってない段階でしたし、完結の目途を立てなければ連載を開始するつもりのない自分としては、ランク戦は描きたいけれど完結は絶対させたいという二律背反で葛藤しておりましたが、そこで天啓が降りました。

 

 原作時間軸じゃなく、その「前期」のランク戦を描けば良いじゃないかと。

 

 ランク戦は定期的に開催されており、原作開始前にも当然行われています。

 

 そしてその前期ランク戦であれば部隊の顔触れはほぼ変わらず、原作で得られた情報だけで回せます。

 

 何より、前期ランク戦から物語を開始させる事で大規模侵攻という「区切り」をクライマックスに持って来れる。

 

 そう判断し、前期ランク戦という他の作者さんが殆ど描いていない領域へと手を出す事を決めました。

 

 どの部隊を主役にするかは、決めていました。

 

 ご存じ、那須隊です。

 

 これは原作内で迅さんが言っていた「隊長とエースの兼任はきつい」という評価が、ある意味決め手でした。

 

 作中には様々な部隊が出てきていますが、那須隊はその中でも明確に「改善点」が描写されています。

 

 それ故に那須隊に足りない「那須さん以外のエース」と「指揮を行える作戦立案者」という要素をベースに七海玲一という主人公を組み上げました。

 

 原作の那須隊は那須さんという強力な駒を擁しながらも、順位は伸び悩んでいました。

 

 その要因の一つに、那須さんの強みを活かし切れていなかったというのもあります。

 

 那須さんは縦横無尽に戦場を駆け巡る機動力と、自由自在な軌道を描く変化弾(バイパー)という武器を持つ強力な戦力です。

 

 ですが原作描写を見る限りでは熊谷を前衛に任せたオーソドックスな射手としての動きに加え、他二名の点取り能力があまり期待出来ない為に相手を落とす為に無理をせざるを得なくなる為、防御に長ける村上相手に攻めあぐんで負けていたりもしたようです。

 

 そういった面が見えた為に、「那須さんと同等に動き回れる攪乱要員」として七海の性能(スペック)が組み上がったワケです。

 

 七海のトリガーセットは、メテオラをセットしている以外は原作の遊真のそれとほぼ同じです。

 

 だからこそ差別化の為にタイトルの一因となっている「感知痛覚体質」という副作用(サイドエフェクト)と、「攪乱は得意だが点を取る能力は遊真ほどではない」という能力の差異を与えました。

 

 また、遊真が原作でやった「グラスホッパーの有効利用」や「スコーピオンの応用」等は何か切っ掛けがなければ描かないようにしていました。

 

 それらは遊真が近界で傭兵として渡り歩く内に獲得した経験値の賜物である為、いきなり七海に使わせるのはおかしいと思ったからです。

 

 なので最初はそれらの応用描写を控えめにして、ランク戦後半で徐々に解禁していった形となりました。

 

 また、七海を攪乱の出来るエースとして運用する事で那須さんを「本来の射手」として動けるようにもしていました。

 

 射手は基本的に、前衛をサポートする形で動きます。

 

 出水は射手の基本にして究極系とも言える動きをしており、あれこそがサポーターとしての射手の模範だと思います。

 

 那須さんは技術的には同じ事が出来ますが、他にエースがおらず自分に付いて来れる機動力の仲間がいない為に自ら前に出る他ありませんでした。

 

 そこで七海という「那須さんと一緒に動き回れる攻撃手(アタッカー)」を加える事で動きに自由度を持たせたのです。

 

 加えて、原作であまりぱっとしなかった茜を「ライトニング専門の精密狙撃手」として運用する事で那須さん以外のポイントゲッターを用意しました。

 

 ライトニングは威力と射程の低さから多用する者はあまりいませんでしたが、茜はそこを「二人のエースが作った隙を突く」「置きメテオラの起爆要員になる」という二点でクリアしライトニングの腕を集中的に鍛える事でマスタークラスにも上がりました。

 

 加えてテレポーターという手札を加える事で唯一無二の転移系狙撃手という個性も獲得し、隊への貢献が出来るようになりました。

 

 我ながらこの選択は英断であったと思います。

 

 彼女がいなければ、戦術がより狭まっていたでしょうから。

 

 熊谷の場合は、原作でメテオラを使った事がヒントとなり追尾弾(ハウンド)という手札の追加はすんなり決まりました。

 

 王子の例を見る限り、攻撃手が使う射撃トリガーとして最も有効なのはハウンドです。

 

 アステロイドは射手の照準能力が、バイパーは純粋な技術が必要になりますが、ハウンドは一度狙いを定めれば弧月と併用して撃てるので、牽制や不意打ちの手段として優秀です。

 

 防御重視の熊谷の戦闘スタイルとも噛み合い、最適な選択であるのは間違いありません。

 

 懸念は熊谷のトリオン量ですが、ハウンドを撃ち続けるような無茶をしなければそこまで問題にはならないと判断しました。

 

 トリオン量がさほど多くないので、逆説的にハウンドを多用しない理由としても使えますからね。

 

 戦闘描写というのは、ある程度縛りがあった方が書き易いものですから。

 

 但し、熊谷はいきなりハウンドを選べるほど器用ではないので一度メテオラで失敗させるという工程を踏みました。

 

 言うまでもなく、負け試合として描いたROUND3での話ですね。

 

 あそこで那須隊の歪みを表面化させて大敗させるのは、最初から決めていました。

 

 一見紳士的で理想的な少年に見える七海ですが、過去の出来事から那須さんに負い目を抱いて自らを雁字搦めに縛っていました。

 

 一方で那須さんは七海の右腕と姉を失わせてしまったという罪悪感から、無意識に七海を縛り付け常に情緒不安定な状態となっていました。

 

 その歪みを明確化させ、膿を摘出する形で彼等を落としたのは東さんでした。

 

 この役目は東さんにしか出来ないと考え、あの展開を組み上げました。

 

 ただ勝ち続けるだけの展開だと飽きが来る、というのが僕の持論です。

 

 昨今の書籍では主人公が何の苦も無く勝ち続けるスタイルが多いようですが、私は主人公は艱難辛苦を乗り越えてこそハッピーエンドがより際立つという考えの持ち主ですので、基本的にストーリー中は主人公を苛め抜きます。

 

 重い過去を背負わせるのはデフォルトですし、心に瑕疵があるのも基本です。

 

 そして、それを背負い乗り越える展開はこの物語を描く上で必須でした。

 

 困難を乗り越えてこそ、キャラクターは輝くのです。

 

 最初から決まっていた勝利ではなく、全霊を尽くした末にようやく掴み取った勝利を得る。

 

 これに勝るカタルシスはありません。

 

 但しその代わり、一度物語が完結した後は蛇足で後を濁す事はしません。

 

 私が「第二部」や「続編」を書かない大きな理由は、一度ハッピーエンドを掴んだ主人公達に充分な報酬として平穏を与える為です。

 

 第二部や続編で辛い展開が待っていたりすると、「あの大団円はなんだったんだ」となりかねませんので、蛇足となる続編は絶対に書かないと決めていました。

 

 次回作は用意していますが、そちらはこの作品の世界線とは一切関係ないものである事を此処に明言しておきます。

 

 幸福を掴み取った少年少女に、これ以上の試練を課すのは言うまでもなく野暮ですからね。

 

 さて、それぞれの章に関してお話しましょう。

 

 ランク戦編では、影浦を、師匠を乗り越える事を最終目標としていました。

 

 原作では二宮隊が最後の壁として立ちはだかりましたが、七海の場合二宮との接点は修達ほど深くはなく単なる「強敵」という扱いでした。

 

 確かに二宮隊超えなくして一位到達は有り得ませんが、七海の最後の壁としては因縁的な意味で的確ではありませんでした。

 

 だからこそ最終ROUNDは二宮隊は戦術で潰し、最後の影浦との一騎打ちを「結果的に」実現させたワケです。

 

 それまでも村上や生駒等を相手に疑似的な一騎打ちは書いていましたが、本当の意味での横槍なしでの一騎打ちは後にも先にもあれだけです。

 

 あの展開に持っていく為に、最終ROUNDは全てを組み上げました。

 

 不自然にならないように違和感なく駒を落としていき、最後に二人きりの戦いを実現させる。

 

 その為に、様々な仕込みを行いました。

 

 二宮さんを中盤で落とし、そこから茜とユズルの狙撃手同士の対決を実現。

 

 辻ちゃんを那須さんを落とす為の囮として運用し、生駒戦で茜ちゃんを使い潰す形で七海を勝たせる。

 

 そうして実現したのが、あの一騎打ちだったワケですね。

 

 尚、茜ちゃんが此処まで存在感を出すようになったのはある意味想定外でした。

 

 ラウンド3での茜ちゃんは当初、ひっそりと自発的に緊急脱出(ベイルアウト)させるだけの予定でした。

 

 しかしそこで「こうした方が良い」と天啓が降りた為、ユズルくんを因縁を結ぶ形で落とさせたのです。

 

 これがあったからこそ最終ROUNDの狙撃手同士の対決が実現し、茜ちゃんとユズルくんが親交を結ぶ切っ掛けとなりました。

 

 なんだかんだこの二人の組み合わせは好きになれたので、良かったと思っています。

 

 また、ランク戦編から昇格試験編にかけては香取の存在感が割と出ていたように思います。

 

 最初は香取隊の問題点を指摘して幾度か折るだけの予定でしたが、何度も折れたが為に成長し大成する、という工程(プロセス)を経させるに適当な部隊であると考え、最後にはランバネイン落としという大役を背負わせる事となりました。

 

 香取は努力のやり方や周りとの協調が苦手なだけで、才能だけはずば抜けています。

 

 彼女に限っては、一度覚悟を決めて覚醒してしまえば停滞していた成長は一気に来るものだと思っていました。

 

 案の定、原作でも最終ROUNDでその成長が垣間見えましたしね。

 

 そんなワケで徹底して苛め抜きスポットライトが当たる事の多かった香取隊ですが、だからこそあのランバネイン戦のクライマックスが映えたのだと思っています。

 

 実は次回作は香取隊メインなので、その予行演習でもあったりしました。

 

 香取の動かし方も大体分かったので、得るものは多かったと思います。

 

 ランク戦編は、大規模侵攻の被害を徹底的に減らす為に各部隊の成長を原作で先取りして行わせるという目的もありました。

 

 原作では大規模侵攻や玉狛第二との戦いを経てようやく改善点等々が見つかる各部隊を、那須隊に叩きのめさせる事で強引にその背を蹴飛ばさせたワケです。

 

 それらの積み重ねによって、あの大規模侵攻の結末に至ったワケですね。

 

 また、今作を書くもう一つの目的であった旧ボーダー周り、特に迅さんを中心とした人間模様も昇格試験編の最終チャプター、迅さん編で描き切れました。

 

 未来視という異能を持っているが故の苦悩が原作の描写からも滲み出ている迅さんですが、今作では想い人との死別という体験によってその曇り具合が上がっていました。

 

 通常にワートリ二次創作では迅さんは都合の良い舞台装置としての運用が主ですが、今作の迅さんは徹底して「救われる側」として描きました。

 

 原作では風刃を彼が手放した事に対する言及は小南達からはありませんでしたが、裏で何かしらあったと考えるのが適当だと思ったのでそのあたりも過去回想編で描写しました。

 

 その過程で四年前の第一次大規模侵攻の様子をダイジェストながら描きましたが、好評を頂けて何よりでした。

 

 「Re:七海玲一⑤」と「Re:未来を識るもの」はそれぞれ迅さんの側から見た「七海玲一⑤」と「未来を識るもの」の裏側であり、彼のそれまでの道程と覚悟を巧く描き切れたと思っています。

 

 尚、過去回想編で初登場させた瑠花ちゃんがあそこまで好き勝手暴れるとは思っていませんでした。

 

 当初のプロットには影も形もなく、最初はファンサービス的な要素として出しただけだったのですが、気付いたらバンバン存在感を出してました。

 

 亡国のお姫様、ジト目、旧ボーダー組との関わり等美味しい要素が揃っていたのである意味必然だったのかもしれませんが。

 

 琉花ちゃん、迅、小南の三角関係はノリノリで描けたと思います。

 

 書いてて本当に楽しいキャラでした。

 

 アフターでも多分、何かしらの形では出るでしょう。

 

 また、恋愛関係ですと小夜子の話は外せません。

 

 私はああいう報われない献身を行う少女ってなんだかぐっと来るので、書いてる内に小夜子ちゃんが大好きになりました。

 

 作中では第三ROUNDの後の新生那須隊誕生編にて、那須さんとキャットファイトを演じたのが良かったのだと思います。

 

 私の得意とする女の情念ドロドロのぶつかり合いと、その後のある意味さっぱりとした那須さんとの関係性は筆が乗りましたね。

 

 今作での小夜ちゃんは原作と異なり、トラウマ級の出来事が原因で疾患としての男性恐怖症を患っているので、その度合いは原作よりも遥かに重度です。

 

 原作の今の展開のように人前に出ていく事は、まず無理と言って良いでしょう。

 

 那須さんもそうですが、今作のキャラ達は原作にはない道程を歩んでいるので、パーソナリティが若干異なっている部分があります。

 

 小夜ちゃんは男性恐怖症の深刻化と、七海への恋慕が。

 

 那須さんは七海への罪悪感を元とした病み要素と、コミュ障の追加が。

 

 迅さんは原作よりも酷い境遇を経ての曇り具合激増が。

 

 それぞれ、付加されています。

 

 作中での彼等の独白等はあくまでもこの世界線での彼等の想いですので、当然原作と同じではありません。

 

 私は二次創作の事を「原作と酷似した、しかし何かが違う世界線を描いているもの」として解釈しています。

 

 原作に登場していない、七海と玲奈。

 

 彼等の存在による影響によって原作とは異なる道筋を歩んだのが、この世界線であるというワケです。

 

 まあその所為で修達のランク戦の難易度が上がりまくっていますが、彼等ならなんとかするでしょう。

 

 テコ入れされているのは、彼等も同じですからね。

 

 最終章の大規模侵攻編では、誰と誰を当てるかは一部以外は難産でした。

 

 ヒュースは玉狛第一と遊真で迷っていましたが、原作玉狛第二メンバーで揃えたいと思い遊真と修を当てました。

 

 原作と異なり彼等と直接ぶつかっているので、ヒュースの修達に対する心象も原作とは別のものになっております。

 

 そのあたりはアフターにて描写出来るかと。

 

 ランバネインは、香取をトドメ要員にする事は最初から決めていました。

 

 木虎と少し迷ったのですが、矢張り此処は彼女しかいないだろうと決定を下しました。

 

 エネドラは旧太刀川隊を、ハイレインは旧東隊を当てた事も紆余屈折あっての事です。

 

 風間をエネドラ相手に、烏丸をハイレイン相手に活躍させたのは、それぞれ原作の意趣返しとも言える展開となっています。

 

 エネドラは七海と影浦のコンビを当てるという選択肢もありましたが、七海には可能な限り万全の状態でヴィザ翁の前に立って貰いたかったのでこちらとなりました。

 

 ハイレインは東と似た戦術思想を持っているので、東さんとの戦術家対決を行いました。

 

 結果として、東さんが勝利。

 

 そしてそれが、ヴィザ翁の本気を引き出すトリガーとなります。

 

 原作でハイレインが素直に撤退したのは、C級隊員の鹵獲という目的を達成していたのも大きいです。

 

 それがない以上、そのまま帰るワケにはいかず苦渋の決断として後先度外視でヴィザ翁に本気を出して貰う他なくなったワケです。

 

 その為に修のモールモッド相手の緊急脱出を阻止したり、イルガーの被害を那須さんに食い止めて貰ったりと色々仕込みをしてたのです。

 

 C級の緊急脱出の有無についての情報を隠し通せば、ハイレインもC級確保には動き難くなりますからね。

 

 ヴィザ翁戦は、最後は王道オブ王道で攻略すると最初から決めていました。

 

 土壇場での黒トリガー覚醒に、総力を結集した波状攻撃。

 

 最後にして最大の壁である本気ヴィザ翁を討ち取るには、これしかないと思いました。

 

 群体王(レギオン)の能力を単なるチートではなく、仲間との絆を前提としたものに設定したのもこの王道展開をやり抜く為です。

 

 ご都合主義のチート能力ではなく、特殊な力を最大限に活用した「戦術」で最強の敵を打ち倒す。

 

 それを描き切る事が出来て、満足しております。

 

 長くなりましたが、これにてあとがきを幕とさせて頂きます。

 

 アフターで色々書く予定ですが、改めましてお付き合い頂いた皆様に感謝を。

 

 次回作、「香取隊の狙撃手」もどうぞご期待下さい。

 

 それでは、また。



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バレンタイン特別編/那須隊の2月14日

 

「ごめんなさいね。突然」

「いいえ、構いませんよ。それで、相談ってなんですか? 那須先輩」

 

 とある日。

 

 小夜子は突然自分の部屋を一人で訪ねて来た那須を迎え入れ、テーブル越しに向かい合っていた。

 

 かつては物が散乱し散らかり放題であったこの部屋だが、綺麗好きで割と几帳面な熊谷の尽力によってある程度見える程度には改善されている。

 

 少なくとも、女子の部屋として辛うじて体面を保てるくらいには。

 

 まあ、奥に並ぶパソコンや大型ディスプレイ等大仰な機器のインパクトがあるので焼石に水かもしれないが、ゴミ袋が積み重なったまま放置されていた頃と比べれば雲泥の差である。

 

 男性と顔を合わせる事が出来ない小夜子は日中ゴミ出しを行う事が出来ず、一人で外に出るのも怖い為ゴミは放置しがちとなっていた。

 

 そんな彼女の事情を鑑みた熊谷や那須が代わりにゴミ出しを行っていなければ、今でも同じ光景が広がっていただろう。

 

 尚、男性である七海にゴミ出しを任せるのは流石に少女としての矜持が許さなかったので押し留めた。

 

 自分でも女子力は最底辺の位置にいると自覚している小夜子ではあるが、最後の一線までは超えなかったワケである。

 

 閑話休題(それはともかく)

 

 わざわざ問い返した小夜子であるが、大体の見当は付いている。

 

 今日は2月7日。

 

 あの大規模侵攻を乗り越えて、二週間と少し。

 

 一週間後にバレンタインデーが控えるこの日に、那須が頬を染めながら訪ねて来たのだから用件はそれに関するものに決まっている。

 

 だって、それは。

 

 同じ悩みを抱える者として、察知して然るべき事柄であったのだから。

 

「えっと、ね。実は、玲一に送るバレンタインのチョコで悩んでいて」

「矢張りそうですか。で、何が問題なんです? 七海先輩なら、那須先輩の贈るチョコならなんだって喜ぶと思いますが」

「その、ね。玲一の喜ぶチョコの()が、分からないの」

「それは、どういう」

 

 しかし、那須の予想外の言葉に小夜子は首を傾げる。

 

 チョコの味も何も、まさか高級品を贈りたいなどという事ではあるまい。

 

 七海の味覚が戻って以降、那須は自分の手料理を彼に食べて貰えるのが何よりの楽しみと言っていた。

 

 義理チョコならばまだしも、愛する少年相手に手作りの菓子を渡せる機会を彼女がみすみす逃すとは思えない。

 

 バレンタインに贈るチョコレートというのは、本命であれば手作りが常套手段。

 

 料理音痴ならばともかくとして、小夜子の知る限り彼女の料理の腕は一般的な少女としては上等な部類に入る。

 

 味覚をほぼ失っていた頃の七海に少しでも味を感じて貰おうと四苦八苦した結果、料理技術が上達していた為だ。

 

 だから、今更チョコレートの作り方云々で彼女が悩むとは思えない。

 

 極端な味付けをしなければ味を感じる事が出来なかった頃ならばともかくとして、今の味覚が正常に戻った七海ならば。

 

 普通のチョコでも、充分美味しいと言ってくれる筈なのだから。

 

「知っての通り、玲一はこれまで味覚が殆ど死んでたでしょ? だから美味しさはある程度度外視して味を感じて貰う事を最優先で作っていたんだけど────────────────()()()()がどんな味を好むかが、分からないのよ」

「あー、そういう事ですか」

 

 那須の説明に、小夜子は納得した。

 

 確かにこれまで、七海は極端な味付けの食べ物以外味を感じる事が出来なかった。

 

 それこそ加古炒飯のような劇物や、七海専用に作り上げた影浦の特注お好み焼き等。

 

 普通の人が食べられる味付けとはかけ離れたものでしか、七海に食事を楽しんで貰う事が出来なかった。

 

 しかし、今の七海は味覚が正常に戻っている。

 

 四年もの間味覚を失っていた為最初は味を感じられる事に戸惑っていたが、今では食事の時間を楽しみにするくらいになっていた。

 

 長い間感じる事の出来なかった料理の味を、口にする度に堪能しているのが傍目から見ても分かる程に。

 

「七海先輩、何を食べても「美味しい」以外言わないですもんね。だから()()()()()な味付けが何か分からないと、そういう事ですか?」

「ええ、そうなのよ。試しに聞いてみても「玲の作るものなら何でも好きだよ」って返って来るだけで」

「そういう答えが、実は一番困るんですよねえ」

 

 二人は揃って、溜め息を吐く。

 

 七海からすれば気を遣ったかもしくは本心からの言葉だったのかもしれないが、そういう時は何かしら指定をして貰った方が作る側としてはありがたいものなのだ。

 

 「なんでもいい」という答え程、対応に困るワードはない。

 

 あの少年は人の心の痛みには敏感だが、女心を察する能力に関しては低いと言わざるを得ない。

 

 那須が寂しがっていたりする時は即座に反応するのだが、今回のように彼に対する「贈り物」で悩んでいる場合はそのセンサーは働かないらしい。

 

 切羽詰まっている切実な苦悩は理解出来ても、日常の些細な悩みまでは気が回らないようなのだ。

 

 本当に大事な所は外さないのだが、こういう時は対処に困る少年なのであった。

 

「でも、幼馴染だったんでしょう? 昔、どんな食べ物を好んでいたかは知らないんですか?」

「玲一、昔は私に気を遣って一緒に何かを食べる時は私の好きな食べ物しか持って来なかったのよ。だから、玲一が何を好んでいたのかは分からないし────────────────昔と今の好みが同じかも、分からないわ」

「そういう事ですか」

 

 小夜子は那須の話を聞き、得心した。

 

 当時から自分よりも那須を優先していた七海に思うところがないでもないが、そこはそれ。

 

 幼馴染の那須でさえ七海の味の好みに心当たりはなく、加えて人は成長に従って食べ物の好き嫌いは変わるものだ。

 

 子供の頃は苦手だった魚介類も、大人になれば好んで食べるというケースも多々ある。

 

 四年前と今では、好みが変わっている可能性は充分にあるのだ。

 

「ただ、私の料理を食べる時より影浦先輩のお好み焼きを食べている時の方が嬉しそうな顔をしてるわね。色々、複雑なのだけれど」

「あー、まあ、それはねぇ」

 

 二人は揃って、溜め息を吐く。

 

 女として、好いた男が自分の作る料理よりも男性の料理の方を嬉しそうに食べているというのは正直忸怩たる想いなのだ。

 

 影浦が七海の為にどれだけ心を砕き、かつての彼でも味を感じられるように尽力したかは知っている。

 

 だからこそ味覚が正常に戻った今七海が本来の影浦のお好み焼きを喜んで食べるのは、理屈としては分かるのだ。

 

 七海は影浦を師として、兄貴分として慕っているし。

 

 彼がどれだけ七海の為に動いてくれたかも、充分以上に知っている。

 

 だからこそ、文句を言い難いのだ。

 

 七海の気持ちも察せるし、影浦への感謝もある。

 

 けれど、女心というものは理屈で納得出来る程単純なものではないのだ。

 

 女として、自分の料理よりも男性の料理の方が評価が高いというのは、プライドを直接ブチ折られるような気分になるのだから。

 

「けれど、知っての通り私の料理スキルなんてたかが知れていますよ? そもそも、那須先輩や小南先輩に教わるまで自分で料理をするっていう発想自体ありませんでしたから」

「それは知っているけど、小夜ちゃんの友達にそういうのに詳しい人いないかなって? 小夜ちゃん、友達多いし」

「正直、那須先輩とどっこいどっこいですけどね。小南先輩と、辛うじて照屋さんくらいですか? 那須先輩の場合」

「あうぅ」

 

 小夜子は自虐ネタに那須を巻き込み、二人揃って自らの交友関係の狭さを直視する結果となって共にくず折れる。

 

 正直自爆以外の何物でもないが、双方共に部隊以外の友人は数える程しかいない。

 

 小夜子の場合はゲーマー繋がりの羽矢と国近、そして友人という括りで扱って良いかは分からないが色々面倒を見て貰っている加古がいる。

 

 対して、那須は自信を持って友人と言える部隊以外の人間が小南くらいしかいない。

 

 照屋とは例の打ち上げの時から親交を持つようにはなれたが、まだまだ表立って友人として表明するにはぎこちない関係であった。

 

 同じ学校繋がりでは木虎がいるが、あちらが那須にあまり良い印象を抱いていない事は知っている。

 

 部隊以外の交友関係となると、那須は白旗を挙げるしかないくらい親交のある人間が皆無に近いのだ。

 

 だから、こういう時に頼れそうな相手がいないのである。

 

 小夜子の助言で部隊以外の世界にも目を向けるようにはなったが、生憎彼女のように隊以外で本当の意味で打ち解けられた人間はまだいなかった。

 

 ぶっちゃけこれまで那須隊という狭い世界に引き籠って外との交流に興味を示さなかった那須の自業自得ではあるのだが、こと七海の事に関して彼女に妥協という選択肢はない。

 

 今回は、七海が味覚が戻って初めてのバレンタインなのだ。

 

 どうせなら、心から喜んで貰えるチョコレートを。

 

 そう意気込む彼女の気持ちは、小夜子にも良く分かる。

 

「────────────────分かりました。私の交友関係(コネ)で何とかしましょう。任せて下さい」

 

 だから、協力するのは吝かではない。

 

 元々、七海に贈るチョコレートで悩んでいたのは小夜子も同じ。

 

 親愛の証として、そして秘した恋慕を込めて。

 

 彼女もまた、七海にチョコレートを贈ろうと思っていたのだ。

 

 けれど、小夜子が自らの課した絶対条件(ルール)として那須に先んじて抜け駆けする事は断じて出来ない。

 

 故に、那須からこうして協力を願い出てくれたのは僥倖だったと言える。

 

 小夜子は内心でガッツポーズを取りながら、親愛なる友人へヘルプコールを送った。

 

 

 

 

「「「「ハッピーバレンタイン♪」」」」

 

 2月14日、那須邸。

 

 そこで勢揃いした那須隊の少女達は、一部赤面しながら揃って姦しい声でバレンタインを祝っていた。

 

 七海が那須と付き合っているのは隊内では周知の事実だが、年頃の少女としてバレンタインというイベントを楽しまないという選択肢はない。

 

 熊谷は最初遠慮していたのだが、茜の後押しと那須のゴーサインによって今のお祝いの声を含めて参加する事と相成った。

 

 ようやく正式に付き合う事になった二人に気を遣って熊谷は自分達は参加するべきではないのではないかと考えていたのだが、元々彼女達はこれまでのバレンタインに友チョコを贈り合っていた。

 

 その習慣を今更なくすのも惜しいと小夜子が訴え那須もそれに賛同したが為に、こうして参加に至ったワケである。

 

「はいどうぞ、七海先輩。ちょっと形は崩れちゃったかもしれませんが、手作りしてみました」

「ありがとう。嬉しいよ」

「えへへ、ありがとうございますっ! 味はちょっと自信ないですけど、日頃の感謝が伝わってくれれば嬉しいですっ!」

 

 真っ先に七海にチョコを渡した茜は、上機嫌でにかりと笑う。

 

 一歩間違えればこの街から去る事になっていた彼女だからこそ、今こうして那須隊の面々で一緒に過ごせるのが嬉しいのだろう。

 

 そんな彼女を那須達は微笑まし気に見詰め、小夜子に至ってはよしよしと頭を撫でている。

 

 普段であれば恥ずかしがって逃げる茜も、今回ばかりは小夜子の好きにさせていた。

 

 それだけ、これからもこの部隊にいられる事が嬉しかったに違いない。

 

 ちなみに、茜のチョコは動物の顔をデフォルメした可愛らしいものだ。

 

 少し形が崩れているのがご愛敬だが、彼女らしい微笑ましいデザインと言えた。

 

「あたしからはこれ。手作りは失敗しちゃって、市販のやつで悪いけどね」

「いや、大丈夫だよ。ありがとう。これからも、頼りにしているよ」

 

 おずおずと渡して来たチョコを受け取り、何処かばつの悪そうな顔をしていた熊谷はほぅ、と息を吐く。

 

 彼女が選んだのは市販のチョコレートで、デパートの特設売り場で売っていたものだ。

 

 茜に触発されて自分で作ろうとした熊谷であったが、自分でチョコを作った経験などなかった為に四苦八苦しながら奮闘した結果何を間違ったのかハート形の可愛らしいチョコが出来上がってしまった。

 

 流石に義理とはいえ那須の目の前でこれを渡す勇気が持てなかった熊谷は、失敗したと言い訳をして市販のチョコで妥協したのだ。

 

 まかり間違っても那須に勘違いされるワケにはいかないという心配性の彼女らしい気遣いではあったが、ある意味でその選択は間違ってはいない。

 

 七海を想う那須の情念は、割と簡単にその本性を露にするのだから。

 

「じゃあ」

「私たちのチョコも、受け取って」

 

 そんな、熊谷の葛藤を知ってか知らずか。

 

 小夜子と那須は、同時にチョコレートを手に持ち七海に差し出した。

 

「ありがとう。嬉しいよ」

 

 七海は迷う事なく二人のチョコレートを受け取り、この集まりをする時に取り決めた通り即座に包装を開封した。

 

「これは…………」

「うちの隊章を模してみました。一応食べ易いように、デフォルメはしましたけどね」

 

 小夜子の作ったチョコは、那須隊の隊章をモチーフとしたものだった。

 

 蛇の部分は子供向けアニメに出て来るキャラクターのようにデフォルメされてはいるが、大まかなデザインは隊章そのものだ。

 

 その丁寧な出来栄えに、七海も思わず感嘆する。

 

 まさか、こんなものが出て来るとは思っていなかったのだ。

 

「凄いな。ここまで精巧に作れたなんて」

「今先輩に手伝って貰えたからです。私一人じゃ、こうはいきませんよ」

 

 そう、こんな代物が出来上がったのは偏に鈴鳴のオペレーターである今結花に指導を受ける事が出来た為だ。

 

 小夜子自身は、直接彼女との親交はない。

 

 しかし、彼女の親友である国近繋がりでアポイントが取れた為に、急増の料理教室の講師として招く事に成功したのだ。

 

 加えて別の人物に手伝って作って貰ったという言い訳を用意する事で、那須との差別化を図ったあたり小夜子の揺るがぬ矜持が伺える。

 

「それから、えっと────────────────少し恥ずかしいけど、ありがとう。玲の気持ちが、充分伝わって来たよ」

「そう言って貰えるなら、作った甲斐があるわね」

 

 そして。

 

 那須の渡したチョコレートは、スタンダードなハート形だ。

 

 但し、その表面には「I LOVE YOU」と刻印されており、那須の好意がストレートに表現されているチョコだと言える。

 

 これはチョコの造形で悩む那須に今が「気持ちは通じ合っているんだから、敢えて奇をてらう必要はないと思う」とアドバイスした結果である。

 

 今回のバレンタインにおいて那須の目的は、自分の気持ちを改めて伝えつつ七海に美味しいチョコを食べて貰う事だ。

 

 だからあれこれ考えていたのだが、明後日の方向に向かいそうになった彼女を見て今がストップをかけたのである。

 

 想いの通じ合った恋人同士、直球勝負こそが正解(ジャスティス)であると。

 

 その結果としてストレートな想いを伝える造形になったワケだが、七海がきっちり頬を赤らめていたのを確認出来ただけでも意味はある。

 

 そう思い、内心ガッツポーズを取った那須であった。

 

「あれ? でもなんだかチョコの表面に何かが付いてるね。玲だけじゃなく、小夜子のも」

「実はこれ、塩チョコってやつなの。玲一、しょっぱいの好きでしょ? だからこういうチョコがあるって知って、こっちの方が良いかなと思ったの。どうかな?」

「いや、嬉しいよ。確かに塩気のあるものは好きだし、こういうチョコがあるとは知らなかったけど美味しそうだ。ありがとう」

 

 そう、お好み焼きを好きという情報を鑑みた結果、那須と小夜子が選んだのは塩チョコという選択肢であった。

 

 塩気とチョコレートという縁遠いものに思えた二つの組み合わせがあるとは知らなかった二人は、今からその選択肢を提示された時は驚いたものだ。

 

 結果としてこうして喜んで貰えたので、那須達としては万々歳である。

 

 こうして、少女達のバレンタインは和気藹々と過ぎていく。

 

 那須には七海と二人きりで過ごすという選択肢もあった筈だが、今回は敢えて部隊全員で共に祝う事を選んだ。

 

 だって、この幸せな一時は。

 

 皆で、力を合わせた結果として。

 

 苦難の末に勝ち取った、掛け替えのない報酬だったのだから。

 

 

バレンタイン特別編/那須隊の2月14日~完~





 折角なのでバレンタイン特別編を描いてみました。

 大規模侵攻が1月20日頃なので、バレンタインの日付も近いので丁度良かったです。


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information/徒然話
各章解説・及び裏話/序章~ROUND4まで



 アフターを描く前に各章の解説とそれに伴う裏話を書いておきます。

 ネタバラシは完結させた者の特権ですからね。

 ではGO。


 

 序章『那須隊の七海玲一』

 

 この章は文字通り、「那須隊に所属した七海とその周囲の関係性」を知って貰う為の章です。

 

 第一話の過去回想の夢から始まる構成は、実のところ私がよくやる手法の一つでこの「痛みを識るもの」という作品のデフォルトの雰囲気を感じて貰う為の話でもありました。

 

 基本的に、私は主人公には重い過去を仕込みます。

 

 これは物語を作る上で、過去の悲劇があるとストーリーを進む上で戦う「動機」を用意し易いからです。

 

 ワールドトリガーという作品は戦いの最中に覚悟を決め直すのでは遅過ぎるという他に類を見ない性質を持つ為、戦う為の動機はともかくとして鍛錬描写はほんの少し垣間見せるだけに留めています。

 

 ぶっちゃけると、修行シーンってダイジェストで良いよねというのが私の正直な感想だからです。

 

 何話もかけて修行シーンに費やすとテンポが悪くなりますし、多分読者もそんな求めてないと思うんですよね。

 

 ワートリ原作自体、修行シーンはチラ見せかダイジェストが基本ですし、私自身特訓等にそこまで描写時間をかける必要はないと考えさっくりカットしています。

 

 「こういう事があってこういう鍛錬をした」というのは時折垣間見せる程度で丁度良いと思いますし、そこに時間を割くよりはキャラ同士の掛け合いやイベントなんかに注力した方が良いと思いましたので。

 

 また、この章は七海が深く関わっていく者達、影浦、村上、荒船の三人の好敵手達との関係性も紹介しています。

 

 七海の副作用(サイドエフェクト)は正直キャラを組み上げる過程で「どうせならSE持ちがいいな。そうだ、痛み(ダメージ)を感知するSEで本人が無痛症ってのがなんか良いよね」と天啓が降りて構築したものですが、同じく回避に用いられるSE持ちのカゲさんとの絡みがあった方が良いなと思い、彼をSEを用いる戦闘の師匠にして兄貴分として設定しました。

 

 カゲさんのような「ガラは悪く見えるけど面倒見が良い人情派」ってキャラは私的に中々にツボで、その人柄の良さと不器用さは作中で何度も描いていく事になります。

 

 彼を師匠にしたのは、我ながら英断であったかと。

 

 また、男性を那須隊に入れるという事でネックになる小夜ちゃん問題をどうするか考えた時に、無痛症で男性的な反応が皆無に近くなっている七海の特性を利用してフラグ立てちゃおう、と考えアンサーとして「小夜子を七海に惚れさせる(悲恋)」という解決法が決定しました。

 

 当時は小夜ちゃんについての原作情報があまりなかったのですが、男性恐怖症はどう考えても何らかの「切っ掛け」があって陥る症状であると思うので、彼女が男性を受け付けなくなる過去イベントを描く事に決めました。

 

 矢張りただ「男性恐怖症」という「個性」があるという事よりも、「こういう経緯があって男性恐怖症になってしまった」という「経緯」が描かれた方がキャラとしての厚みが増すと考えた為でもあります。

 

 小夜ちゃんがサブカルチャーに割とどっぷりなのは原作情報からなんとなく伝わって来たので、そこを絡めて彼女のトラウマイベントを作成しました。

 

 私は仕事柄、心理的瑕疵による症状を軽視していません。

 

 よく引き籠っている相手や他者との交流を拒絶している相手に「頑張って」と言ってしまうケースがありますが、これは完全なる間違いです。

 

 そういった相手は「本人の認識としては」精一杯頑張った果てに現在の状態があるので、そこで「頑張って」と言われても無理難題を言われているだけと感じてしまい事態が悪化する事が殆どです。

 

 七海と小夜子の交流に関してはそのあたりの塩梅に気を付けて、男性恐怖症という心理的瑕疵のある小夜子へ最大限配慮した対応を行わせたつもりです。

 

 但し、「小夜子が七海に想いを向けている」という前提で行われている対応も多々ありますので、そこはご注意を。

 

 ともあれ、序章はキャラ同士の関係性の紹介に終始しました。

 

 後から考えると少しテンポが悪かったかな、とも思うので今後に活かす為にも要検討ですね。

 

 

 第一章『B級ランク戦/ROUND1』

 

 この章でやった事は、「七海の入った那須隊の無双」です。

 

 霧の深い森林フィールドという三次元機動が得意な二人のエースが暴れ回るに最適なMAPを選択し、諏訪隊と鈴鳴を蹂躙しました。

 

 此処でこの二部隊を選んだのは、まず諏訪隊はなんだかんだ原作の影響もあって「初戦の相手」という印象が強かったのと、この時点では諏訪さんか堤さんのどちらかを落とせば簡単に崩せる部隊であったからです。

 

 この時点での諏訪隊は原作で成長の切っ掛けとなった大規模侵攻を経ていませんので、笹森は慎重さが足りず、諏訪さんや堤さんもまた付け入る隙があります。

 

 なので此処で七海と茜ちゃんの連携によって堤さんを落とし、その後も七海の乱戦での厄介さを見せつける形で終始翻弄し続けました。

 

 本来であれば強敵だった村上も、この時点では那須隊に完全有利なフィールドであった事に加え、来馬さんが両攻撃(フルアタック)解禁前なので距離を取れば封殺されてしまうという弱点が残っていた為完封された形です。 

 

 此処で村上を封殺したのは、後のROUND5で彼の強さと厄介さを徹底的に描写する為でもありました。

 

 村上はその性質上「再戦」の方が厄介になるので、ROUND5で暴れさせる為の負け戦だったとも言えます。

 

 それから七海はトリガー構成を含めた形式上の性能(スペック)が遊真と似通っていますので、メテオラ殺法という固有戦法と得意分野の違いを描写する事で、遊真との差別化を図りました。

 

 その相手として、この二部隊は最適だったワケです。

 

 あと、最初の試合は無双させると見栄えが良い、というのもあります。

 

 ラウンド3でのあれに繋げる為に、「貯金」をしておく必要もありましたから。

 

 また、ランク戦の描写についてはワートリの二次創作仲間の方に「下書き」を見て貰ってアドバイスを頂いた上で自分なりに構築しました。

 

 幸いワートリ二次創作愛好家の方なら誰しもが知っているであろう方々と同じコミュニティに属していましたので、普段から色々と有意義な意見を頂く事が出来たのも、高いクオリティでランク戦を描く事が出来た大きな一因だと思います。

 

 皆様には、感謝しかありません。

 

 あの方々のお陰でこの物語は最後まで駆け抜ける事が出来たと言っても、過言ではないのですから。

 

 

 

 

 第二章『B級ランク戦/ROUND2』

 

 この章では引き続き那須隊の強みと、実は隠されていた「歪み」を垣間見せる事に重点を置きました。

 

 副作用(サイドエフェクト)で狙撃を察知出来る七海は、狙撃手チームである荒船隊にとって天敵です。

 

 それを踏まえた上で荒船がどういう手札を持ち出すか、という事にも焦点を置きました。

 

 摩天楼というオリジナルMAPを実装したのは、終盤の落下しながらのバトルを描きたかったのと、ビルからの飛び降りアクション大好きな荒船相手だったからというのもあります。

 

 また、七海のサイドエフェクトの弱点をしっかり描写する事で、今後の展開に繋げる狙いもありました。

 

 七海の副作用はただでさえカゲさんと似通っているので、差異の描写にはかなり気を使いました。

 

 完全上位互換や完全下位互換では意味がないし面白くないので、それぞれ個性を出せるように構築しました。

 

 また、此処で茜ちゃんにテレポーターを実装したのは、前々からテレポーターと狙撃手の組み合わせに目を付けていたのと、ライトニング専門の狙撃手にするにあたってランク戦を勝ち抜く為の「手札」が欲しかったからです。

 

 知っての通り、原作ではライトニングはあまり使われている描写がありません。

 

 狙撃手の役割は基本的には不意を突いての「点取り」と、味方の「援護」です。

 

 そして狙撃手が一番力を発揮するのは、位置バレしていない「初弾」を撃つ時です。

 

 そういう意味で、ライトニングは狙撃手の役割とはあまりマッチしていないのです。

 

 他の狙撃銃と比べて射程が短く、加えて威力にも乏しい。

 

 ですのでイーグレットの利点である「集中シールドでなければ防げない」という性質をこのトリガーは有していません。

 

 ライトニングは広げたシールドでも防げてしまうので、満を持して切った狙撃手という手札を無駄撃ちさせかねないのです。

 

 他の狙撃銃と比べて連射出来るという利点はありますが、そもそも一発目を撃った時点で居場所がバレているので二発目を撃つくらいならさっさと撤退した方が賢明です。

 

 そういったライトニングの短所を補う為に採用したのが、テレポーターです。

 

 テレポーターは相応の距離を、障害物を無視して転移出来ます。

 

 これを巧く活用する事によって、①一度撃った後の逃走 ②一気に距離を詰めての狙撃 ③姿を晦ましてからの即座の狙撃 が行えるようになるワケです。

 

 そして、このテレポーターとライトニングはあらゆる意味で相性が良いのです。

 

 ライトニングの「弾速が速い」「連射可能」というメリットが、一瞬で場所を移動出来るテレポーターの性質とこの上なく噛み合うからです。

 

 イーグレットやアイビスは一度撃った後再装填(リロード)が必要なので、一度撃った瞬間に転移して追撃をする、という事が出来ません。

 

 ですが、ライトニングであれば連射可能なのですぐさま追撃が可能ですし、何より弾速があるので相手の対処を上回る速度で攻撃を叩き込めます。

 

 加えてこのROUNDでも披露していますが、「置きメテオラの起爆」という役割を担う上でライトニングは最適です。

 

 この役目に最も必要なのは速やかに標的に着弾させる「弾速」なので、ライトニングが最も適しているワケです。

 

 今後も置きメテオラの起爆という手札はフル活用していきましたので、七海の那須隊を描く上でこれらの選択は我ながら大正解だったと思っています。

 

 また、此処までの二試合で茜ちゃんの有能さをこれでもかと描写したので、ROUND3のあの展開に違和感を持たせなくするという効果もありましたね。

 

 この二試合は無双出来たかのように見えた那須隊ですが、柿崎さん相手に合成弾という手札を切った事でその隠されていた歪みが垣間見える事になります。

 

 正直な話、この段階の柿崎隊は合流戦法「しかない」という欠点が大き過ぎて七海の加入した那須隊にとってはカモでしかないです。

 

 土壇場で虎太郎と照屋ちゃんを単騎運用出来ましたが、そこに至るまでのタイムロスがあまりにも痛過ぎて取り返しの付かない段階でした。

 

 その状態で合成弾まで使って柿崎さんを倒すのは違和感しかないので、そこにはちゃんとした理由がある事になります。

 

 そこを目敏く見つけて突いたのが、ご存じ25才詐欺東さんだったというワケです。

 

 尚、二宮さんの雪だるま描写はアドリブです。

 

 最初はカットしようかと思いましたが、いつも通り脳内でストーリーシミュレートをしてる最中に犬飼から「雪だるま作らせてあげて」とアポイントがあったので許可を出しました。

 

 二宮と雪だるまはなんだかんだ強く結びついているので必然の結果でしたね。

 

 

 

 

 第三章『B級ランク戦/ROUND3』

 

 この章は見てわかるように、完全なる「負けイベント」として描きました。

 

 多分、二宮隊・影浦隊・東隊というクソゲーマッチングを見た段階で薄々察した人は多いと思います。

 

 この試合ではそれまでオブラートに包まれていた那須隊の歪み、那須と七海の拗れた関係性を起点とした脆さが露呈しました。

 

 那須さんはこの世界線では四年前の悪夢を直で見てしまったトラウマで七海が傷付く事を非常に恐れていましたし、七海もまた負い目の所為で那須さんのイエスマンとなってしまっていました。

 

 加えて前の二試合でこれ以上なく巧く行き、「七海と一緒に戦える」という喜びでハイになっていた那須さんは私情で部隊を動かし試合を滅茶苦茶にしてしまいます。

 

 B級上位でもトップクラスに厄介な三部隊を相手にそんな真似をしてただで済む筈がなく、その有り様にキレた影浦の命を受けたユズルと那須隊の膿を出すつもりで備えていた東さんにエース二人を無様に落とされるという結末を迎えました。

 

 相手の攻撃を察知出来るという七海の副作用(サイドエフェクト)も、「那須さんを庇ってしまう」という悪癖によって逆効果となり、七海を落とされて錯乱した那須さんも恰好の標的となって撃たれたワケです。

 

 この展開に至る為に那須さんから冷静さを奪う為に転送運で熊谷を死地へ送り込み、何かの間違いで七海が生き残る事がないよう適当メテオラで戦場を攪乱出来るゾエさんは予め落としておいたのです。

 

 彼が生き残っていると七海にワンチャンが生まれてしまうので、あそこで落としておいたワケですね。

 

 加えて「護衛付きの二宮さんの脅威」を徹底して描写した事で、最終ROUNDの展開に説得力を持たせる伏線としました。

 

 二宮隊の分断策を思いつく為の下地を、此処で仕込んでいたのです。

 

 また、あとがきでも書いたように茜ちゃんの最後の活躍は土壇場でのアドリブでした。

 

 最初はひっそり緊急脱出(ベイルアウト)させるだけのつもりでしたが、「待てよ」と考え直しチャートを再構築したワケです。

 

 そのお陰でユズルくんとの因縁も生まれましたし、あらゆる意味での「想定外」に繋がったので結果的に正解だったと思います。

 

 

 

 

 間章『霧中模索/それぞれの足跡』

 

 那須隊再起の為の間章です。

 

 此処ではこれまで意図的に描写して来なかった那須さんの内面描写や、那須さんと七海の雁字搦めの関係性。

 

 それらを赤裸々に描写し、一つの解決に至る為のストーリーです。

 

 これまでの三試合はこの展開に繋げる為であったと言っても過言ではなく、此処でようやくこの世界の那須隊のメッキが剥がれて本当の姿が露となったワケです。

 

 私はこういう拗れまくった関係性が大好きなので、私の性癖がこれでもかと詰め込まれた章の一つと言っても過言ではありません。

 

 独白形式の描写は私の得意とするところですし、湿度の高い描写も十八番だと自負しています。

 

 私は文体を見れば分かる通り重度のきのこ病罹患者ですので、詩的表現全開に出来る話の方が得意なので。

 

 新たな那須隊の再起において、キーパーソンは言うまでもなく村上と小夜子の二人です。

 

 それぞれ、七海と那須の背中を押すのになくてはならなかった人員ですね。

 

 村上は好敵手らしく戦いを通して七海の問題点を指摘し、親友として背中を押しました。

 

 小夜子の場合は恋敵として敢えて露悪的に振舞う事で那須さんの本音を引き出し、七海と本当の意味で向き合う為の後押しをしました。

 

 このあたりの話は本当に筆が乗っていて、特に那須さんと小夜子のキャットファイトのくだりはノリノリで描いた記憶があります。

 

 情念塗れの少女同士の諍いとか、大好物なので。

 

 でもドロドロ展開が見たいワケではないのであしからず。

 

 この章を経て、那須さんと小夜ちゃんの関係性はより深まったと言えます。

 

 何せ、小夜子の恋慕という最大級の秘密を共有したのですから、仲が深まらないワケがないのです。

 

 このあたりの小夜ちゃんと那須さんのやり取りで、小夜子の事は本当に好きになりましたね。

 

 こういう献身的で情の深い子はぐっと来るのです。

 

 また、この章は迅さんに一つの答え(すくい)を与える章でもありました。

 

 後の過去回想編で明らかになりますが、この世界線の迅さんは原作と比べても曇り具合が半端じゃありません。

 

 何せ目の前で想い人を失った上に迅さん視点でそれを止めるどころか後押ししているので、「最善の未来に辿り着く」という目標に縋るしかなくなっています。

 

 加えて七海に玲奈の面影を見ていたので本当の意味で彼女の死を受け入れきれておらず、内面はボロボロの継ぎ接ぎだらけの状態です。

 

 そんな迅さんに対し七海が「赦し」を与える事で、彼の心を覆っていた霞が消えました。

 

 詳しくは迅さん編で明らかになりますが、この間章は様々な意味でターニングポイントだったワケですね。

 

 

 

 

 第四章『B級ランク戦/ROUND4』

 

 この章は再起した新生那須隊のデビュー戦です。

 

 相手に香取隊と王子隊を起用したのも、前者は香取の性質上情報集めを碌にしておらず、後者の王子隊は過去のデータを重視する傾向を逆用して嵌め殺す展開が作り易かった為です。

 

 香取隊は原作を見て分かる通り、文字通り香取のワンマン部隊です。

 

 部隊で戦っているというより、香取というミサイルが巧く撃ち込めれば勝てるし、途中で失速すれば負ける。

 

 初期の香取隊は、そういう部隊です。

 

 本来隊のサポーターであるべき若村は文句ばかりで全く周りが見えておらず、三浦もサポートは的確にこなしますが自分で意見を言う事がなく隊の問題を解決出来る人材ではありません。

 

 そういった弱点を容赦なく利用し、新生那須隊は香取隊を翻弄して蹂躙したワケです。

 

 私としても香取隊は一度徹底的に叩く事で前に進める部隊だと考えていたので、この敗北が彼女達にとって一つのターニングポイントとなってROUND6に繋がるワケですね。

 

 王子隊は、実際に描いてみて分かったのですが中々動かし難い部隊でした。

 

 ロジカルに物事を考える王子の部隊なので動かし易いと当初は思っていたのですが、香取隊や生駒隊のように「突出したエースがいない」というのが描写難度を上げていました。

 

 基本的に隊の戦術というのは尖った部分を全面に出した方が描写がやり易いのですが、王子隊は「全員がそつなく優秀」であるが為にピックアップするべきものが王子の頭脳しかないので、一度読み違いで作戦が失敗した段階で動きが取り難くなっていました。

 

 このROUNDはまだマシだったのですが、ROUND7や昇格試験編の王子隊の描写は彼等の良さを活かし切れなかった部分が多いと反省しています。

 

 次回作でも繰り返し描写する事になるであろう部隊なので、この反省は次に活かせればと思う次第です。

 

 また、この章の最後で告知した「合同戦闘訓練」、即ち「特別A級昇格試験」は作中で言及した意味の他に展開の都合として「ランク戦をROUND8で終わらせる為」のものでもありました。

 

 原作ではROUND8が最終ROUNDとなるランク戦ですが、実はこれは通常のランク戦とは異なる処理をしています。

 

 通常のランク戦は16ROUNDかかるものですが、原作の場合は公開遠征の為の準備と訓練期間を長く取る為にランク戦を通常の半分で切り上げて昇格試験もスケジュールからカットされています。

 

 なのでそういった事情が無い限り前期のランク戦は全16ROUNDなのですが、正直ランク戦を16ROUNDも行うとなると少々冗長に過ぎる上に間違いなくネタが切れます。

 

 なので迅からの情報開示を原作から早めにした上で色々動かす事で、特別試験を行う為にランク戦を8ラウンドに短縮したワケです。

 

 加えて大規模侵攻被害軽減の布石の為にA級とB級の連携についても下準備が欲しかったので、その一環でもあります。

 

 創作仲間からもこの展開は好評を貰えたので、我ながらナイスアイディアだったかなと。

 

 また、会議の後で三輪と鉢合わせた七海ですが、これは後々の遊真に関する騒動でぶつかり合うにあたって二人の立ち位置やお互いに向ける感情を知らしめる為のファーストコンタクトでもありました。

 

 三輪は七海の境遇を知ればきっと仲間意識を持つ筈なのですが、七海からすると三輪は迅に負担をかけているという事でマイナス印象しか持っていません。

 

 その食い違いもあって三輪が迷走し始めましたが、そこで東さんやそれに付いて来た旧東隊の面々をフォローさせる事で後の和解への第一歩としたワケです。

 

 取り敢えず此処で一端区切りとして、次回はROUND5から最終ROUNDまでの解説・裏話を行います。

 

 引き続き好き勝手語り尽くしますので、お付き合い頂ければ。



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各章解説・及び裏話/ROUND5~ROUND6まで

 

 第五章『B級ランク戦/ROUND5』

 

 この章は香取隊・王子隊相手に無双した新生那須隊が、「再戦の村上」及び「東春秋」という大きな二つの壁を超える為の戦いでした。

 

 香取隊はチームとして纏まっておらず、碌な準備をしていなかったが為に。

 

 王子隊はデータを重視し過ぎた為に。

 

 それぞれ、那須隊に翻弄される形で敗北しました。

 

 ですが、鈴鳴と東隊はそれぞれ七海の入った那須隊と戦うのは二度目です。

 

 集団戦の七海を体感した村上に最早初見殺しは通用せず、東さんは東さんです。

 

 そういった壁をどうやって乗り越えるのか。

 

 そこが、この章のポイントでした。

 

 解説を小南と弓場さんにしたのは、前者はリアクション重視のキャスティング、後者の場合は今後の為の弓場さんの顔見せ及び描写の練習の為です。

 

 小南ぱいせんは素直なリアクションをしてくれるので色んなアクションがあるこのROUNDにはうってつけですし、弓場さんはタイマン大好きなので後述の村上との一騎打ちなんかでも熱くなれます。

 

 この時点でまだ弓場さんを巧く描けるか自信がなかったので、本格的に登場するROUND7の予行演習として彼を解説に起用しました。

 

 結果的にルビ頼りになってしまった感はありますが、そこはそれ。

 

 また、色んな相手と個人戦を繰り返して来た弓場さんは村上との戦いの解説に置いては最適だったという理由もあります。

 

 このROUNDで実装したオリジナルMAP、『市街地E』はそのまんま駅地下を想像してくれればおっけーです。

 

 これは実際に駅地下を歩いていた時に、「この地形ランク戦のMAPに使ったら面白そうだな」と考えて他の駅地下の画像や参考資料を見比べながら実装に踏み切りました。

 

 中々にテクニカルなMAPになりましたし、市街地Dと同じくある種狙撃手殺しのMAPでもあったので未だ底知れない東さんにかけるデバフの一つという要因もありました。

 

 まあ、そんな中でもワケ分からない動きをするのが東さんが東さんである所以なのですが。

 

 東さんレイドを成し遂げる上で、どうしても排除しないといけないのが奥寺・小荒井の前衛組です。

 

 この二人が揃った上で東さんに動かれると強くなった那須隊でも普通にやられかねないので、転送運を用いて二人を分断させました。

 

 加えて、この二人の成長の為には分断しての戦闘の経験が必須であるという考えもありました。

 

 原作でもROUND7で二人が別個に動き、片方が落ちた後でどう対応するか。

 

 そのあたりの動きが東さんに評価される結果となったので、彼等の成長の為に苦境に追い込んだワケですね。

 

 さて、試合の方は熊谷と奥寺が遭遇戦を行い、此処で奥寺側の隠し玉だったハウンドを離脱の為に切ってしまいます。

 

 小荒井と連携した状態ならともかくとして、個人としての奥寺はハウンドを得たくまちゃん相手には分が悪いです。

 

 射程持ちとなった防御重視の剣士である熊谷は、近接攻撃しか攻撃手段のない奥寺相手には優位を取れます。

 

 剣での防御に集中しながらハウンドで崩しにいけば良いんですから、単純な対応可能距離と手数が違います。

 

 なので、中距離攻撃手段であるハウンドを切るしかなかったワケですね。

 

 モタモタしていては単独ではまず勝てない相手である村上とエンカウントしかねないですし、何処に潜んでいるか分からない那須さんや七海に襲われる可能性もあったワケですから。

 

 ハウンドという手札を知られた状態となった東隊ですが、今度は小荒井が村上とエンカウントします。

 

 更に駄目押しとばかりに七海が急襲し、小荒井は二部隊のエースに挟まれる形となります。

 

 この展開は何が何でも小荒井を落としておく為の調整であると同時に、村上と七海に対して東さんが痛手を撃ち込む為の展開でもあります。

 

 エース二人に挟まれた小荒井は生存を諦める代わりに隊の為に貢献すると割り切り、自身を囮に東さんの狙撃を成功させました。

 

 このあたりで小荒井の一つの成長を見せると同時に、東さんの怖さを描写出来たと思います。

 

 敢えて部位欠損のダメージに留める事で、二人を食い合わせる判断も含めて歴戦の狙撃手らしい演出を重視しました。

 

 東さんとしては狙撃を察知可能な七海を此処で村上に落として貰いたかった、という理由もあります。

 

 狙撃手殺しなサイドエフェクトを持っている七海は、東さんとはいえど単独で落とすには苦労する相手です。

 

 今回は前回突いたような分かり易い弱点は克服済みなので、猶更ですね。

 

 そうなると矢張り、七海を落とすなら彼を単独で撃破可能な村上と食い合わせるのが一番都合が良かったワケです。

 

 そこで二人にダメージを与えた上ですぐさま撤退したワケですが、此処で七海はメテオラガードを利用して不利な地形から脱出します。

 

 此処で七海が逃げた結果村上と熊谷がエンカウントしちゃいますが、熊谷が与えた足のダメージがなければこの後の一騎打ちで彼に勝つ事は難しかったので結果的には正解です。

 

 また、熊谷が村上に痛手を与えるのは私がこの作品で何度かやった原作展開の意趣返しの一つでもあります。

 

 原作では村上相手にダメージを与えられずに落ちた熊谷ですが、此処ではきっちり痛手を与えて一矢報いる事が出来たワケです。

 

 このあたりに、熊谷の成長を感じて頂けていれば幸いです。

 

 熊谷が落ち、改めて村上と七海の戦闘となります。

 

 今回の地下街という地形は三次元機動を得意とする七海にとって、かなり戦い難い場所でもあります。

 

 これが屋外であれば、グラスホッパーを用いた空爆や建物を利用した高機動による翻弄が可能でした。

 

 ですが地下街は狭く、三次元機動は出来ても距離を離す事は容易ではありません。

 

 距離を自在に調整出来るのが七海や那須といった高機動エースの利点なので、その利点をまるごと潰されるのはかなりきつい状況となります。

 

 そんな中で村上と戦う七海ですが、此処では「再戦の村上の脅威」を存分に描写しました。

 

 レイガストと弧月を片手で曲芸の如く扱うその姿は、技巧派剣士の一つの極地として描いたつもりです。

 

 ボーダーには様々な強い攻撃手がいますが、その中でも村上は原作でも描写された曲芸の如き技巧を強調して描いたつもりです。

 

 足が削られ片手となっている中でも暴れ回る村上だからこそ、技術で欠けた手足を補う形で戦ったワケです。

 

 その後の来馬さんの両攻撃(フルアタック)解禁による連携攻撃は、「原作の成長の先取り」が目的であるこの前期ランク戦におけるクリア条件の一つを満たした形です。

 

 これがなければ、大規模侵攻で二人は活躍前に痛手を負っていた可能性がありました。

 

 そういう意味で、この成長描写は必要だったのです。

 

 その後の那須さんによるサーチバイパー包囲網は、この不利なMAPでどう工夫して戦うかという解答を小夜子・那須の両名によって叩き出した結果です。

 

 それというのも間章であれだけの存在感を出した以上、小夜ちゃんの有能描写も描いておきたいと考えておりました。

 

 ですが、オペレーターの有能描写というのはただ活躍させれば良い戦闘員と比べて難しいです。

 

 そこで、原作でもあった那須さんに弾道予測を提供して曲射を成功させた描写から、観測情報からMAP情報をシミュレートして那須さんに伝達。

 

 入り組んだ通路を利用した視界の外からのバイパーによる包囲網、という作戦を実施したのです。

 

 原作では、奥寺・小荒井の観測情報を元に東さんが壁抜き狙撃を成功させるという描写がありました。

 

 この「観測情報」というワードは要するにチームメイトの「視覚」から情報を取得し、戦術に反映させたものだと思われます。

 

 そこでチームメイト全員の視覚を使ってMAPの詳しい情報をオペレーターである小夜子が取得し、那須さんの遠隔射撃に繋げたワケです。

 

 この奇策で来馬さんが落ちたワケですが、村上は即座にこの作戦の内容を見破ると天井落としで強引に七海とタイマンの状況を作り出します。

 

 他の横槍のない、本当の意味での1対1。

 

 だった筈が、そこに横槍を入れたのが東さんです。

 

 瓦礫の隙間からの狙撃という離れ業で二人の決闘に干渉したワケですね。

 

 結果として、一騎打ちは七海の勝利。

 

 此処でマンティスで勝つというのは、最初から決めていました。

 

 師匠の技で勝つ、というのは熱い展開ですからね。

 

 実はマンティスはROUND4でも使う選択肢もあったのですが、「今の香取隊相手にマンティスは必要ないな」と判断し温存しました。

 

 結果として師匠の技で好敵手を倒す、というグッドな展開に持っていけたので満足です。

 

 そして残るは、東さんと奥寺となりました。

 

 此処で東さんは出来れば七海に落ちて欲しかったのですが、実を言えば村上が落ちたとしても構わないと考えていました。

 

 地下街というMAPと小荒井の脱落によって、相手のエースを落とすのは難易度が高い為に隙を見つけて取れる点を取ったら撤退する事も考慮に入れていました。

 

 実際、この後那須隊が東さんを追わなければそのまま撤退する心づもりだったのです。

 

 ですが追って来たので、奥寺と組んで迎撃を開始しました。

 

 此処で那須隊が東さんを追ったのは、作中で解説にあった通りポイント度外視で「格上殺し」の経験値を得る為です。

 

 東さんという底が全く見えない格上相手に、それを打倒する経験を積む。

 

 これは、今後の事を考えれば必須でした。

 

 何せ、これから彼等は様々な格上の相手と戦い、勝つ必要があるのですから。

 

 この経験がなければこの先、何処かで詰んでいたでしょう。

 

 それだけ、東さん撃破で得られる経験値は大きかったワケです。

 

 また、実質東さん一人を倒す為に相打ちとなった那須隊ですが、これは東さんの格を落とさずに撃破する為の展開でもありました。

 

 原作でも、東さんは一度も落とされた描写がありません。

 

 しかも彼を落とす為には参加した部隊全てで追い込んでようやく撃破が可能な芽が見える、という事も作中で言及されています。

 

 そんな東さんを一部隊で落とすのですから、全滅を前提とするくらいじゃない割に合わないと判断して描いたのがこの結果です。

 

 結果的に、このROUNDは私の中でもベストバウトな一つだったと自負しています。

 

 描きたい事は描けたので、割と楽しかったです。

 

 また、この東さん落としを契機に二宮を始めとした様々な人物が那須隊に目を付ける事になります。

 

 「二宮式圧迫面接」は、七海の成長と斥候としての優秀さに目を付けた二宮が独断で行ったものです。

 

 犬飼は断られる事は分かり切っていたものの、一度こうと決めた彼が止まらない事は分かっていたのでやるだけやらせてみた形です。

 

 また、犬飼自身も成長した七海には高評価を下していたので、反対する理由が「まず断られるから」以外になかったというのもあります。

 

 次の「志岐小夜子③」では香取隊と生駒隊の対戦ログを少し描写していますが、私は実際に描いた試合以外にもその裏で行われていた試合に関しても大まかな内容は考えてありました。

 

 作中で説明した通り、「香取達のROUND5」は彼女達の成長が垣間見られる内容となっています。

 

 「こういった経緯を経たのだから、こう動くだろう」というシミュレートは常にしていましたので、勿論「次の試合に活かされる要素」を持ったシーンは考案していました。

 

 スポットライトを当てているのは七海達ですが、舞台裏でもきちんとキャラは動いているので当然ですね。

 

 特に来るべき大規模侵攻を乗り越える為に成長描写は必須でしたので、そういう意味でも「香取隊成長計画」の一環として必要な描写だったと言えます。

 

 また、この章の最後で那須さんと七海のデートがありますが、太刀川と月見さんを出したのは完全な思い付きです。

 

 月見さんの描写も、筆が滑って描いたものですが後悔はありません。

 

 原作でも幼馴染であるという説明はあるのに本格的な絡みが殆どないので、そのあたりの需要を自分で描いて供給した形です。

 

 基本、女傑の描写には気合いが入るタチですので。

 

 その後のお墓参りの描写は、この作品の根幹のしっとりした雰囲気を思い出して貰う為でもありました。

 

 次に出て来るのが、あの生駒隊でもありましたしね。

 

 

 

 

 第六章『B級ランク戦/ROUND6』

 

 再戦の香取隊と、生駒隊相手の第六試合です。

 

 最初にやった香取隊の描写は、彼女達の成長を垣間見せる為のものです。

 

 こういうワンシーンを挿入すると成長しているという空気が出し易いですし、原作でも訓練描写のチラ見せは何度かされているのでそちらを参考にしてもいました。

 

 解説をゾエさん、犬飼、宇佐美にしたのは犬飼は若村の師匠として、ゾエさんは原作で犬飼が評価していた繋がり、そして宇佐美は原作で犬飼と喋るシーンがあるので会話がシミュレートし易かったからです。

 

 原作では主人公チームのオペレーターなので実況の機会がなかった宇佐美ですが、現時点ではまだ修達は登場前なのでこうして実況席に座っています。

 

 まあ宇佐美の良さを活かし切れたかと言われれば微妙なので、そこは反省点かもです。

 

 この第六戦は、原作では「碌に作戦を立てていないから負けていた」香取隊と、「アドリブで大抵こなせるから敢えて作戦会議をしていなかった」生駒隊という対照的な二部隊が出て来ます。

 

 作戦会議をまともにやらない、というのは同じですが香取隊には香取任せ以外の選択肢が存在せず、生駒隊は個々人の地力が高く判断力にも優れる面々である為にわざわざ作戦会議をするまでもなくそつなく動ける、という差異があります。

 

 正直、原作のままぶつかったら生駒隊が普通に勝つでしょう。

 

 ですがこの試合の香取は大敗を経て成長しているので、スパイダーという手札を得て奮闘するワケですね。

 

 スパイダーは鉛弾(レッドバレット)と同じく、「ダメージが発生しない」という点で七海の副作用(サイドエフェクト)に対する明確な対抗札となるカードです。

 

 原作で修のスパイダーを逆利用したように相性は良いと考え香取隊にこれを持たせたのですが、まさか原作でもスパイダーを使わせて来るとは思いませんでした。

 

 矢張り、スパイダーと香取の組み合わせを選んだ事は間違っていなかったのだと嬉しくなったものです。

 

 置きメテオラ起爆も原作の同じ試合で那須隊がやっていましたし、私のトリガー選択は正解だったなと一人自慢げになりました。

 

 さて、この試合では香取隊VS七海と生駒隊VS那須・三浦という二面盤面が序盤展開されます。

 

 香取は前回は手も足も出なかった七海を足止めする事に成功し、三浦はカメレオンを用いた奇襲で隠岐を落とします。

 

 生駒隊は隠岐が生き残っていると高所からどんどん情報を抜かれる上に、それを元に生駒旋空が不意打ちで飛んで来ます。

 

 それを防ぐ為に隠岐は真っ先に落としておかなければならないので、こうして狙われたワケです。

 

 実際、隠岐の生存の有無で生駒隊の脅威度はかなり違うと思います。

 

 原作でも隊への情報提供から不意打ち狙撃まで八面六臂の活躍をしていましたし、此処で彼が落ちなければ結果はまた違ったものになったと思います。

 

 彼を落とした三浦ですが、実は原作でもサポートは的確だったり機動力の評価が香取と同じ「8」だったりと中々性能(スペック)は優秀なんです。

 

 原作では主体性のなさと若村の空回りからそれが活かし切れていなかっただけで、ちゃんと動ければ割と有能な駒だと思っています。

 

 那須さんをサポートする為に仕掛けたスパイダーは、三浦の案です。

 

 割と意地っ張りな若村と違って三浦は戦術の取捨にそこまで拘泥しないので、訓練中犬飼や辻に相談して「生駒隊を抑える為に那須さんの力を借りる」という手札を選択肢の一つとして考案して実際に使った形です。

 

 原案は犬飼が出したものですが、それを用いて実際に動いたのは三浦なのです。

 

 対して「七海を足止めして茜と熊谷を釣り出す」というのも犬飼が原案を出していますが、若村は三浦ほどアレンジせずそのまま使っています。

 

 その為に予想外の動きに対応しきれず、結果として作戦は失敗してしまうのです。

 

 決意一つで一足跳びに成長出来る香取と元から性能は悪くなかった三浦に対し、若村の未熟さが際立った形となります。

 

 原作でも証明されてしまった通り、若村は一度の挫折だけでは劇的な成長には至れません。

 

 そこでこの二度目の失敗を経て、ようやく覚悟を決めて「自身の犠牲を前提とした策を打つ」事で最後に一矢報いる事が出来たワケですね。

 

 対して生駒隊は水上のクレバーな策と、武人としての生駒さんを描写しています。

 

 隊長が単純な戦力として指揮を水上に丸投げしてる生駒隊ですが、水上はそんな隊を十全に運用出来る優秀なブレインです。

 

 原作でのあの斜め上の水上の能力披露には驚きましたが、彼が優秀で抜け目ないという解釈は共通していました。

 

 彼ならこういう策も取るだろうという内容の作戦を、今回はやったわけですね。

 

 生駒旋空での二人抜きも、彼の作戦あってのものですので。

 

 その後の生駒旋空による奇襲からの香取と七海の一騎打ちは、原作で王子がやられたものの亜種です。

 

 遊真はグラスホッパーを使っていましたが、前にお話しした通りいきなりその発想に至るのはおかしいと思いましたので瓦礫を蹴り飛ばしての運用です。

 

 勿論グラスホッパーほどの加速はないのであんな風にひっくり返すまでの力はありませんが、今回の場合は一瞬でも香取の動きを止められれば良かったのでこれで充分だったのです。

 

 マンティスでトドメを刺したのは、原作で遊真が香取を仕留めたシーンのオマージュですね。

 

 そして最後になる生駒戦。

 

 此処では三人がかりで生駒さんを相手にしていますが、「初見の生駒旋空」を相手取るにはこのくらいの戦力が必要だったというワケです。

 

 初見の生駒さん相手にはあの遊真でさえやられているので、それを鑑みてこのくらいは必要と判断しました。

 

 この戦闘では生駒さんの武人としてのクレバーな面を、とにかく強調しました。

 

 旋空に見せかけた両防御(フルガード)や、陽動を見抜いた上での的確な動き。

 

 これらを生駒さんの武人としての側面だと解釈し、最大限それを描写したつもりです。

 

 これまで幾人もの相手を撃破して来た茜ちゃんのヘッドショットもイコさんには通じませんでしたし、テレポーターによる転移狙撃も迎撃されました。

 

 三人がかりでの戦闘は、決して戦力過剰ではなかったと思います。

 

 置きメテオラ起爆からの身代わり攻撃は、従来の起爆戦法に前回の東さんの身代わり戦法を参考に強化したものです。

 

 あの東さんレイドがなければ、この作戦が考案される事はありませんでした。

 

 そういう意味で、あの戦いにも意味があったワケですね。

 

 試合後に玉狛支部での打ち上げとなっていますが、あそこでイコさんが登場したのは完全なアドリブです。

 

 企画段階にはいなかった筈なのですが、いつの間にか出てきました。

 

 このあたりでイコさんの使い易さを実感したので、この後もちょくちょく出るようになったのです。

 

 また、この章の最後でこの段階では詳細情報の殆どない神田を登場させています。

 

 弓場隊の面々の神田に関して語るシーンのみを参考に四苦八苦しながら描写したのですが、割と受け入れられていたようで良かったです。

 

 まさか銃手ではなく万能手とは思いませんでしたが、何とか「この世界線では」理論で強引に理屈を付けました。

 

 彼については、次の章にて。

 

 さて、今回で最終ROUNDまで解説しようと思いましたが長くなってしまったので一端終わりとします。

 

 次はROUND7、及び最終ラウンドを解説予定です。

 

 それでは。



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各章解説・及び裏話/ROUND7~ROUND8まで

 

 第七章『B級ランク戦/ROUND7』

 

 ラウンド7の相手は再戦の王子隊、そして初試合の弓場隊です。

 

 この章は多分ワートリ二次創作者が初めて本格的に描いたであろう「神田がいた時代の弓場隊」を描いた試合でした。

 

 神田は「弓場さんが暴れる間指揮を執って部隊を回していた」という表現から、犬飼のようなサポータータイプの隊員だと考察しました。

 

 個人戦力ではなく、チームを動かす能力で隊に貢献するタイプの後方支援役。

 

 そういったキレのあるブレイン役、といったイメージで描きました。

 

 また、原作での表現から犬飼と同じくクレバーな判断が可能な駒であるとも考えました。

 

 そうでなければ、「生駒隊を動かしてヒュースを取らせる」という案が「神田らしい」という表現をされる事はなかったでしょうから。

 

 飄々とした兄貴分タイプだけど根は真面目、的なキャラ付けで描いたつもりです。

 

 受験の為にボーダーを辞める決断をするくらいですから、将来設計がしっかりとしていて真面目な受験生のような側面もある進学校の部活の先輩、といった感じで。

 

 まんま、イメージは「進学校の運動部の成績優秀な頼れる先輩」って感じです。

 

 原作で実際に登場したシーンからもそのイメージは大きく乖離する事はなく、他の方にも私の描いた神田は好評を頂いたので方向性は間違ってはいなかったと自負しています。

 

 さて、そんな神田の活躍する第七ラウンドですが、まず此処で実装したオリジナルMAP「渓谷地帯A」は荒野での決闘が描きたくて実装したMAPです。

 

 折角弓場さんが二丁拳銃のガンマンなのですから、荒野での決闘は映えるだろう。

 

 そんな思い付きで実装したMAPですが、初手の荒野仁王立ちも含めて中々良いMAPを思いついたと自負しています。

 

 地形自体は、グランドキャニオンのような場所をイメージして頂ければ結構です。

 

 天候が砂嵐になっていないと相手の動きが基本的に丸見えに近いので、そうなるとまた別物の試合になっていたと思います。

 

 砂嵐という天候もオリジナルの実装ですが、暴風雨なんて設定もあるのでこれくらいはあっても良いだろうと考え実施しました。

 

 実際、「視界を塞ぐ」という観点なら砂嵐ほど明瞭なものはありませんしね。

 

 ちなみにこのMAPは高所自体は多いけど隠れる場所が殆どないという地形条件から、二宮さんが晴れた天候で高所を取ると地獄になります。

 

 あの二宮さん相手に隠れて近付く事も出来ず、こちらの動きが丸見えの状態であの弾幕が降り注ぐのですから基本的にクソゲーになりますので。

 

 まあ、傍目から見てもそうなるのはまる分かりなので二宮隊相手に晴れたこのMAPを選ぶ部隊はいないでしょうが。

 

 実況解説を結束ちゃんと嵐山、生駒の面々にしたのは弓場さんをイコさん・嵐山の19歳組に解説させたかったから、というのが大きいです。

 

 迅・嵐山・生駒・弓場・柿崎の19歳組は色々絡みがありそうなのに原作ではそのあたりあまり描写されていないので、この作品ではなるべくその関係性もピックアップしたい、という思惑がありました。

 

 来るべき迅さん編に向けて、この面々の関係性描写もしておく必要がありましたし。

 

 ある程度関係性が伺わせる描写をやっておくのは、物語の流れとしては基本ですから。

 

 いきなり「このキャラ達はこういう関係性があったんだ」と言われるよりは、仲の深さが垣間見える描写を挟んでおいて「実はこういう関係だったんだ」と説明がある方が説得力がありますからね。

 

 人情派なキャラが割と揃っているので、言動や展開自体は違和感なく描けたつもりです。

 

 生駒さんも原作で嵐山さん相手に指ツンツンするくらいなので、仲は良いみたいですしね。

 

 また、嵐山さんを配置したのは生駒さんに生駒隊ムーブをさせない為でもあります。

 

 イコさんは天然のボケキャラなので、突っ込む相手がいなければどんどん脱線していく事でしょう。

 

 そこで天然に見えて妙な芯が通っている嵐山を、セーブ役兼相方としてセレクトしたワケです。

 

 彼なら生駒さんの脱線を自然に牽制出来ますし、気心も知れているので違和感のないやり取りが出来ると踏んだ為です。

 

 結束ちゃんを実況に選んだのは単に嵐山さんの快活オーラと並んでも大丈夫そうなオペをセレクトした結果です。

 

 原作でもハキハキとした垢ぬけた印象の子だったので、丁度良いかなと思い選びました。

 

 雰囲気重視、と言っても過言ではないかもです。

 

 真面目にトークする嵐山に、ボケもこなす生駒。

 

 そして淡々とアナウンスする結束、といった感じでテレビ番組のレギュラーメンバーみたいな空気感です。

 

 あと、イコさんを起用したのは弓場さんの荒野仁王立ちに対する突っ込みも任せたかったのもあります。

 

 ああいう反応をさせるには、生駒さんが最適ですから。

 

 さて、その仁王立ちに反応してやって来たのが七海ですが、爆撃を落とす弓場さんのシーンは彼らしい戦闘を描写するには何処に注力するべきか、とこの試合に至るにあたって色々考えました。

 

 弓場さんの特徴といえば、その早撃ちです。

 

 至近距離では反応すら許さない早撃ちと、適切な判断力。

 

 そのあたりが、弓場さんの持ち味だと考えました。

 

 また、原作ではついぞ出番のなかった変化弾(バイパー)の弾丸も活用しようと決めていました。

 

 ですが最初から見せていては芸がないので、時間差射撃によるメテオラの誘爆撃墜という技をまずは見せました。

 

 作中で言及のあった通り、七海の炸裂弾(メテオラ)は本人のトリオン量に比例してそれなりに大きいです。

 

 高精度な銃撃が行える弓場さんからしてみれば、それを狙うのは差ほど苦ではなかった筈。

 

 だからこそ、爆撃という対応のし難い脅威に対して真っ向から迎撃出来たワケですね。

 

 さて、この試合での王子隊の動きですが、前回の那須隊との戦いと原作での遊真達との戦いが元ネタとなっています。

 

 原作の修を執拗に狙う動きから、王子隊に対して「落とせる相手を狙って落とす」というイメージがありました。

 

 強敵とは無理にぶつかり合わず、漁夫の利を狙う形で点を取る。

 

 そんな狡猾なイメージを、王子に対して抱いていました。

 

 前回の試合ではいいとこなしで落ちてしまったので、その分王子らしさを出そうと頑張った結果でもあります。

 

 茜と熊谷を狙う、という方針自体は前回の香取隊と同じですが、王子隊の場合はもう一つの対戦相手が弓場隊だった、という関係もあります。

 

 王子と蔵内は元弓場隊なので、弓場や神田の動きを良く知っています。

 

 それを利用して弓場隊の動きを利用して、取れる点を取ろう。

 

 そういった思惑が、王子にはありました。

 

 ですが同時に、前回徹底的に那須隊に叩きのめされた記憶が半ばトラウマじみた思い出として残っていました。

 

 「正面からは敵わない」「エースがいないとガチるのは厳しい」といった認識が、その足を鈍らせてしまった側面があるのは否めません。

 

 最終的には漁夫の利的に点を取る事には成功しますが、MAP選択権があるにも関わらず点が振るわなかったのはそのあたりが原因とも言えます。

 

 もっとも、私自身王子隊を描写するのに四苦八苦していたので、王子隊らしさ、を出せていたかどうかはそこまで自信はありません。

 

 思っていた以上に王子隊が動かし難かったのも、今後の課題ですね。

 

 しかし、そんな王子隊の策の煽りを最も受けていたのは弓場隊と言えます。

 

 那須隊も三次元機動がやり難い開けたMAPという事でやり難かったのは確かですが、弓場隊のメンバーはその殆どが市街地戦向けの性質を持っています。

 

 弓場さんの持ち味である早撃ちも入り組んだ街中での遭遇戦でこそ真価を発揮する代物であり、開けた場所ではまず近付くのが難しい為に行動に制限がかけられるからです。

 

 隠密を旨とする狙撃手の外岡は言わずもがな、神田と帯島も開けた場所よりは街中で戦いたかった筈です。

 

 だからこそ、那須による高所からの弾幕が効果覿面だったワケです。

 

 蔵内が速攻で落ちた時点で、狙撃手以外に高い射程を持てるのは那須さんしかいなくなりました。

 

 銃手は即応性という点で射手に対してアドバンテージがありますが、応用性と言う点では全く及びません。

 

 射手は威力・射程・弾速を自在に調整出来るが故に、やろうと思えば射程をかなり伸ばす事が可能です。

 

 そしてそれを使うのが縦横無尽に変化弾(バイパー)を操る那須さんですので、その脅威度は察して知るべしです。

 

 また、この試合は那須さんの変化貫通弾(コブラ)が初お披露目された回でもあります。

 

 原作でも存在だけは語られていたコブラですが、那須さんという駒を扱う以上使わない手はないと考え実装しました。

 

 変化貫通弾(コブラ)は実際に使われると、かなり厄介な性能をしていると思います。

 

 バイパーを防ぐならシールドを広げるのが手っ取り早いですが、コブラはその広げたシールドを文字通り貫通して来るのでバイパーを相手にするつもりで対処したら作中の蔵内のように即死するワケですから。

 

 変化炸裂弾(トマホーク)と違って相手の位置が視認出来ていなければただ使用しても効果を発揮し難い弾ではありますが、逆に言えばきちんと相手の詳細な位置を知る事が出来ていれば防ぎ難い厄介な攻撃として機能します。

 

 大まかな位置さえ分かればそこに撃ち込むだけで効果を発揮するトマホークとは真逆の、()()の段階で力を発揮する合成弾と言えます。

 

 蔵内を倒した次のシーンでは、帯島ちゃんと熊谷さんがそれぞれ活躍します。

 

 帯島ちゃんは原作でも見せたクレバーな判断で樫尾を落とし、熊谷は自分の役目は済んだとばかりに神田に痛手を負わせて退場します。

 

 身体を使った肉弾戦を交えた戦闘は、現実でも運動をやっている熊谷らしさを活かした形です。

 

 原作では弓場ちゃんキックやレイジパンチが目立つ肉弾戦ですが、普段からスポーツをやっている熊谷さんならそういった動きも出来るだろうと考えた次第です。

 

 また、ROUND3以前と違い平然と捨て身の策も使えるようになったので、いざとなれば自分の身を捨て札として用いるやり方も出来るようになったというのも大きいです。

 

 そういった捨て身を躊躇なく行えるといった描写も、次の試合のあの展開の為のものだったワケですが。

 

 その後の戦闘では王子が漁夫った後、外岡がその引き金を引いて那須さんを狙った所を茜ちゃんが撃ち抜きました。

 

 此処で用いた高低差はレーダーには映らないといった仕様の策は、このMAPを選んだ時点で想定していました。

 

 戦闘シミュレーションを回す中で、チャンスがあったら使ってみようと考えていましたので。

 

 結果的に外岡は那須さんを狙った瞬間を逆に狙われ、ライトニングの精密高速狙撃によるカウンター狙撃(スナイプ)で仕留められたワケです。

 

 茜ちゃんは狙撃手も中でも結構な小柄な上にテレポーターで瞬間移動出来るので、こういった策には最適なのです。

 

 外岡は隠密特化の狙撃手ですが、チャンスがあれば逃さないタイプでもあります。

 

 原作でもその性格を利用されて玉狛に釣り出され、隠岐に撃たれていますから今回もまた彼のそんな性質を利用した結果となります。

 

 その後の帯島ちゃんの奮闘と、王子の二度目の漁夫の利。

 

 今度は捨て身にならざるを得なかった王子ですが、彼らしいムーブを少しは出来たかなと思います。

 

 帯島ちゃんは頑張ったのですが、流石に相手と条件が悪過ぎましたね。

 

 孤立無援の状況で背後に王子、正面に那須さんですから、無理もありません。

 

 そして、最終局面では弓場さんと七海の一騎打ちとなります。

 

 折角なので、原作で判明したグラスホッパーの仕様を利用した展開を描きました。

 

 蔵内くらいしか知らないんじゃない? と小南ぱいせんは言っていましたが、蔵内は元弓場隊です。

 

 元隊長の弓場さんと旧弓場隊時代にそういった話をしていても不思議ではないので、早速使わせて貰いました。

 

 弾丸に触れれば相殺されるといったグラスホッパーの仕様は、便利過ぎたグラスホッパーに付加する「縛り」としてはこの上ないので助かりました。

 

 グラスホッパーはあるだけで回避率が上がる便利過ぎるトリガーですが、持たせていると被弾に説得力が足りないという展開になりかねない、という物書き側から見たデメリットもあります。

 

 そこでこういった弱点が公開された事で、逆に使い易くなったワケですね。

 

 縛りのない強い武器よりも、制限付きの武装の方が描写する側としてはやり易いものですから。

 

 そんな弓場さんとの対決を制した決定打は、茜ちゃんによる転移狙撃でした。

 

 那須さんは帯島ちゃんの最後っ屁で足が削れていたので自力で二人の一騎打ちに間に合わせる事は出来なかったのですが、そこは割り切って茜ちゃんを文字通り「撃ち出し」ました。

 

 グラスホッパーは適性の関係でセットする事はなかった茜ですが、那須さんは着地の事を考えず全力で茜ちゃんを「砲弾」にして戦場に叩き込んだワケです。

 

 「どぅわぁぁぁぁぁぁ」というお決まりの叫びをあげながら空に撃ち出される茜ちゃんの姿は、とても絵になった事でしょう。

 

 砂嵐という環境と他に横槍がなかったという二点がなければ、隙が多過ぎてとても使えたものではない手ではありましたが。

 

 試合が終わり、弓場さんが影浦さん家に連れてったのは最後の試合をやるにあたっての決意表明や、最後の神田の相談をする為でもありました。

 

 決意表明は言わずもがな、二宮さんにライバル心バリバリな弓場さんと、最終試合で遂にぶつかり合う事になる師である影浦との顔合わせの為です。

 

 此処で対二宮隊の伏線を敷くと共に、改めて七海の決意を表明する場としました。

 

 イコさんがやって来たのは、なんか流れです。

 

 最初はプロットにいなかった筈なんですが、書いてたら勝手にやって来たんですよね。

 

 イコさんは使ってみると予想以上に使い易いので、度々驚く事となりました。

 

 また、神田の悩みに関しては学生が兵士をやってるボーダーならではの悩みでありながら、部活を頑張っている三年生特有の苦悩でもありました。

 

 将来の事を考えれば、もう部活は辞め時。

 

 なのに、今後の事を左右する試験にすぐいなくなる自分が出ても良いのか。

 

 そういった、真面目な神田らしい悩みです。

 

 結果的に、イコさんの開き直った見解と村上譲りの七海の言葉が決定打となりました。

 

 イコさんはちゃらんぽらんに見えて決める時は決める人だと思っているので、時にこうした鋭い意見が出ても不思議ではないと思います。

 

 七海の場合は完全に村上の受け売りではありますが、それを自分の意見として言えるようになったので、成長した証とも取れます。

 

 そんな神田の話を聞いて「将来の事なんか考えてなかった」と焦る年頃の学生らしい那須さんの悩みですが、此処で七海の将来設計を聞く事になります。

 

 七海は無痛症の自分が普通に生活出来るようになった恩人である鬼怒田さんにとても感謝していて、その伝手で将来戦闘員を引退した後は開発室に入ろうと考えていました。

 

 これは彼本人は口にしなかったですが自分と離れる事はまず出来ないだろう那須が将来ボーダーに就職する可能性が高い、と考えていた為でもあります。

 

 那須が自由に動けるのは、トリオン体の恩恵があるが故です。

 

 なので今後もボーダーとの縁を切る事は出来ないので、必然的にボーダーに就職する可能性は高かったのです。

 

 頭の回転の速い那須さんならオペレーターも充分こなせるでしょうし、沢村さんという前例もいます。

 

 もっとも、可能な限り前線で弾幕を撃ち続けるであろう事は言うまでもありませんが。

 

 その後は出水・米屋・烏丸の旧太刀川隊+αによる対二宮隊想定の戦闘訓練です。

 

 最終ROUNDの「二宮落とし」を達成する為の、下準備的な回ですね。

 

 裏では茜ちゃんも奈良坂に猫可愛がられながらも最後の「詰め」を行っていますし、決戦の前の準備が着々と進んで行った形です。

 

 こうして全ての準備が整い、決戦の日が訪れたのです。

 

 第八章『B級ランク戦/ROUND8』

 

 ランク戦編の最終試合、最終ROUNDの章です。

 

 この章の、この試合の大きなポイントは二点。

 

 「二宮落とし」と「師匠超え」です。

 

 原作でも手を尽くしてようやく届いた二宮匡貴という高い高い壁を超える為の、「二宮落とし」。

 

 二宮の格を落とさずに勝つ為の、二宮隊包囲網。

 

 それが、最終ROUND前半のコンセプトでした。

 

 最初に適当メテオラを使った影浦隊の「釣り出し」は、彼等がこの試合にかける意気込みを現したものです。

 

 義務感だけが先行すると影浦は動きが固くなってしまいますが、今回は七海との決戦という本人にとって最大の「楽しみ」が待っていました。

 

 その為原作ROUND7のように動きが固くなる事なく、彼らしい動きを最後までやり通せたと言えます。

 

 ゾエさんと隠岐を序盤で落としたのは、以前に話した通りこの二人はいるだけで盤面への影響力が強過ぎるが故です。

 

 まず、ゾエさんは適当メテオラを連打するだけで盤面をひっくり返す契機を簡単に作れます。

 

 隠岐の場合は彼と言う観測者がいるだけで、生駒旋空の脅威度が跳ね上がります。

 

 そういった要素はこの試合においては障害になりかねなかったので、早々に盤面から排除したワケです。

 

 犬飼と熊谷のカチ合いについては、熊谷の成長を描写しつつ犬飼の「怖さ」を徹底して描写したつもりです。

 

 私はもし全部隊の中から自分の隊の隊員を選ぶのであれば、真っ先に犬飼は取ります。

 

 彼のサポーターとしての能力が尋常ではなく高く、隊のバランサーとしてもこの上ない逸材だからです。

 

 犬飼がチームにいるだけで、部隊としての動き易さが全然違います。

 

 周りを見る能力と、冷静に戦況を分析して的確に嫌がらせを行う能力。

 

 それらが最高水準で揃っている犬飼は、数あるサポーターの中でもハイエンドの一人と言えます。

 

 だからこそ、ダメージを負っても尚暴れ続け、三人相手に翻弄してみせた事でその有能さを描写出来たかな、と思っています。

 

 原作でチラ見せしただけの射撃トリガーのハウンドとスコーピオンも、私なりに活用させられたので満足です。

 

 また、熊谷は此処まで散々捨て身の策を取った事が情報アドバンテージとなって犬飼を倒す一手となりました。

 

 敢えて捨て身に徹していたのも、この決戦で彼を打倒する為の伏線でした。

 

 熊谷なりにあの敗戦は悔いていたので、此処で犬飼を乗り越えROUND3での雪辱を晴らせた事は熊谷にとって大きなプラスとなりました。

 

 この犬飼超えがなければ、この後の彼女の活躍はなかった事でしょう。

 

 また、犬飼の「ナイスキル」は彼なりの最上級の賛辞だと思って言わせました。

 

 本当にそれを言いたかった相手はもういないから、その代替行為ではあるんでしょうが。

 

 この世界線で果たして彼が千佳ちゃんに同じ事を言えるかは、神のみぞ知るといったところです。

 

 その後の「二宮落とし」は、各部隊の総力の結集とも言える作戦でした。

 

 ユズルと七海が牽制し、那須さんが変化貫通弾(コブラ)を放つ。

 

 そこを南沢が旋空で狙い、生駒隊としての本命の生駒旋空を放つ。

 

 それさえ躱した二宮に那須が追撃を見舞い、ユズルがアイビスを撃つ。

 

 此処までやっても落とせないのが、二宮匡貴という男です。

 

 二宮スライドでユズルの弾を回避して、追撃として来るであろう茜のライトニングを広げたシールドで防ぐ。

 

 それで、終わりの筈でした。

 

 ただ一点、茜がイーグレットを持ち込んでいなければ。

 

 此処まで徹底して、茜はライトニングでの高速精密射撃のみを用いていました。

 

 それは練度の問題もありますが、この最終局面でライトニング以外の狙撃銃を切り札とする為でもありました。

 

 当初は他二種類の狙撃銃の練度を捨ててライトニングに集中する事でマスタークラスに至った茜ですが、当然彼女も日々鍛錬は重ねています。

 

 ランク戦を戦う中でも鍛錬を怠らなかった結果として、練度はライトニングほどではないもののイーグレットも充分に扱う事が出来るようになったからこそ、此処で切り札として切ったのです。

 

 最終ROUND前の奈良坂との訓練描写は、イーグレットの出来栄えの確認の為だったワケですね。

 

 ちなみにもしも二宮が広げたシールドを展開したのは、茜の腕前を評価していたからでもあります。

 

 二宮はあのラウンド3で那須隊の中で唯一戦果を挙げた茜の事を、密かに評価していました。

 

 だからこそ集中シールドでは隙を突かれると考えてシールドを広げたのですが、その評価が仇となったワケです。

 

 こうして茜は東さんに続き、二宮さんという大駒を落とした英傑となりました。

 

 那須隊の真のポイントゲッターとして、恥じない活躍であったと言えます。

 

 その後の茜とユズルの狙撃手対決は、楽しみながら描けました。

 

 狙撃手同士の異色の戦いという事でしたが、だからこそ何処までもロジカルに描く事が出来たと満足しています。

 

 どちらも近接戦闘が不可能な狙撃手である為、その戦いは自然頭脳戦となります。

 

 どちらがどちらの裏をかき遂げるか。

 

 これは、そういう戦いでした。

 

 軍配を挙げたのは、自身のメテオラという第二の隠し玉を用意し、更に転移零距離狙撃でアイビスの練度を補った茜でした。

 

 この時の零距離狙撃でのフィニッシュは、我ながら中々絵になるラストだったと思います。

 

 空中で抱き合うように密着した形での、アイビス零距離狙撃。

 

 それに文字通りハートを撃ち抜かれたユズルくんは、晴れやかな顔で敗北を受け入れました。

 

 次こそは、と誓い合う姿が中学生同士らしいやり取りで微笑ましいですよね。

 

 この後の影浦・那須・辻の三竦みに至った時、実は辻ちゃんが此処まで生き残る事は当初想定していませんでした。

 

 というより、こと此処に至って「もう辻ちゃんのぶつかる相手、那須さんしかいなくない?」と気付いたのです。

 

 辻ちゃんは知っての通り、女性が苦手です。

 

 今作の小夜子のように疾患レベルではないようですが、那須さんの身体のライン出まくりの隊服を前にして平静が保てるワケがありません。

 

 そこで、辻ちゃんにはそんな自身の性質を利用して影浦に那須さんを落とさせるアシストに徹底させました。

 

 二宮隊最後の一人になってしまった彼の、最後の大仕事となったワケですね。

 

 攻撃手のサポーターという珍しい立ち位置の辻ちゃんなので、その持ち味を活かす形でこうなりました。

 

 影浦も利用されている事を知りつつもそういう心意気は嫌いではないので、敢えて乗った形です。

 

 カゲさんがこういう決意を、無駄にするワケがありませんからね。

 

 次の生駒戦は再戦となるワケですが、生駒旋空が初見ではない分以前よりも初見殺しを警戒しなくても良いという点が異なりました。

 

 加えて七海は前回の戦闘に用いたフェイント戦法によって叩き込んだ印象を利用し、茜の捨て身のメテオラ起爆から繋げたもぐら爪(モールクロー)マンティスで決着を着けました。

 

 もぐら爪マンティスは説明されている通り、かなりの諸刃の剣です。

 

 身動き出来ないというもぐら爪のデメリットと両手が塞がるというマンティスのデメリットの二重苦ですから、遠距離からの横槍の心配がないこの局面だからこそ取れた一手と言えます。

 

 誰も見た事がなかった組み合わせだからこそ、生駒を落とす事が出来たワケですね。

 

 最後の師弟対決は、とにかく燃える表現を多用して戦わせました。

 

 普通のランク戦ではまず有り得ない、一切の横槍なしの一騎打ち。

 

 それを実現する為に、この最終ROUNDはあったと言えます。

 

 最後のサブタイトルの表記をこれまでの「影浦隊」ではなく「影浦雅人」にしたのは、あくまでも影浦個人との決闘である事を強調した形です。

 

 師弟対決は、最高の形で終えられたと思います。

 

 その後のパーティでは、七海達の健闘を称えつつ色んなキャラとの交流を描きました。

 

 影浦は自分越えをやり切った七海を褒めたくて仕方なかったので、うきうき気分で自分の家に皆を招待しました。

 

 出来るだけ多くの人に、七海を労って欲しい。

 

 影浦がこの食事会を開いたのは、徹頭徹尾そういう理由からです。

 

 結果として多くの人に囲まれ、労われたのでその目論見は大成功と言えます。

 

 裏では那須が小夜子の発破で交流を広げようとしていますが、ぶっちゃけどちらもコミュ障である事に違いはないので割と小夜子も空回っています。

 

 そこを巧くフォローしたのは作者公認リア充部隊である柿崎隊の面々です。

 

 照屋さんも事情を知れば快く那須さんとの友誼を結ぶと思うので、そういう意味で適役でした。

 

 ちなみに木虎だった場合はさっさと会話を切り上げてました。

 

 後に明かされる理由から那須に対して良い印象を持っていなかったのでまあ当然ではありますが、それを鑑みても照屋を選んだ小夜子の選択だけは間違ってはいなかったかと。

 

 王子隊の描写など心残りはありますが、概ね描きたい事は描けたと思います。

 

 こうして、ランク戦編は終幕となりました。

 

 次は昇格試験編の解説となります。



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各章解説・及び裏話/昇格試験編1

 

 第九章『合同戦闘訓練/STAGE1』

 

 ランク戦編を終え、始まった昇格試験編その1です。

 

 相手は香取隊・冬島隊で、那須隊は三輪隊と組んで彼等と戦いました。

 

 最初の「合同戦闘訓練開催」では忍田さんと影浦の間で影浦隊の扱いについて話されていますが、此処で影浦隊のペナルティ解除を匂わせる事で後のあの展開へ繋がるようになっています。

 

 影浦隊は根付さんアッパー事件のペナルティとしてA級昇格が出来ない状態であり、本来であればこの時期に解除される事はありません。

 

 ですが、この世界線の影浦は七海を弟子にした事で短絡的な行動を自粛するようになり、原作でやったようなC級首チョンパみたいな事はしていません。

 

 加えて七海への指導や周囲への配慮が評価された結果、忍田の側からペナルティ解除について密かに上層部に打診されていました。

 

 原作で明言はされていませんが、カゲさんが根付さんを殴るとなると鳩原関連でユズルが根付さんと揉めた、といった理由が妥当ではないかと思われます。

 

 そもそも影浦は犬飼を嫌っているように裏表のある人間を忌避する傾向がある為、自分から根付さんに絡むとは思えません。

 

 ですので、そんな根付さんを殴ったというのは相応に「看過出来ない場面」に直面したからだと思います。

 

 その理由として最もありそうなのが、ユズルが鳩原の件で根付に直訴した際に鳩原を侮辱する発言を根付さんが行い、それに彼が激怒した結果影浦が泥を被った、といったところでしょう。

 

 少なくとも、この世界線ではその説を採用しています。

 

 原作の影浦とこの世界線の影浦のパーソナリティは七海と関わった結果変化していますので、原作で今後そのあたりが明かされたとしても変更はありません。

 

 七海玲一という原作にはない要素が混じったこの世界では、こうだと考えて貰えれば結構です。

 

 尚、その影響が巡り巡って奈良坂の弟子馬鹿発言となっていますが、これは書いてたら勝手に彼が壊れていました。

 

 この世界線の奈良坂は茜がマスタークラスになった事を契機に猫可愛がりが爆発しており、そこから茜が活躍しまくるのでその度合いを悪化させていった次第です。

 

 奈良坂は能力及び結果を評価する優等生タイプなので、どんどん結果を出し続ける茜が可愛くて仕方なかったのだと考えられます。

 

 その結果として、周囲がドン引きするレベルの弟子馬鹿となったのはご愛敬ですが。

 

 さて、試合解説を始める前にこの昇格試験編でA級と組んで戦う、という変則的な仕様とした意図を説明したいと思います。

 

 この「痛みの識るもの」の最終的な目標は、「大規模侵攻での被害軽減」でした。

 

 大規模侵攻での完結を目指した理由は以前語った通りですが、それを以て終幕とする為には可能な限り「大団円」で幕を閉じる必要があります。

 

 しかし、原作のように多数のC級が攫われ死者多数という結果では、どう考えても「大団円」とはなりません。

 

 ですので、原作と同じ結果にならないよう各部隊へのテコ入れやA級部隊の適切な采配、そしてA級相当の力を持つ二宮隊・影浦隊の正規運用が必要となりました。

 

 原作ではB級部隊と同じ扱いとなっていた為B級と同じく合流優先であまり活躍出来なかった二宮隊・影浦隊ですが、彼等はどう考えてもラービットや人型相手に切れる強力なカードの1枚です。

 

 それを腐らせておくのは宝の持ち腐れでしかないので、そのあたりを解消する為の下準備としての側面もこの昇格試験編にはありました。

 

 この合同戦闘訓練を通してA級及びA級相当の部隊の再評価を行い、大規模侵攻の際に適切な運用を行う。

 

 加えて、A級の実際の能力を直に知って貰う事で有事の共闘をスムーズに行えるようにする。

 

 そのあたりが、この昇格試験編を開催した理由となります。

 

 勿論、冬島隊や太刀川隊、風間隊といった面々とランク戦方式で戦う部隊を描きたい、という欲もありました。

 

 彼等がボーダー隊員と戦闘するシーンは原作では個人戦を除けば黒トリガー争奪戦くらいしかないので、実際にランク戦方式のルールで戦ったらどうなるか、を描いてみたくもありました。

 

 それらの欲求と実利的な面を考慮した結果、この形になった次第です。

 

 私は長編連載を行う時、ゴールとクライマックス、そして描きたいシーンから逆算してストーリーラインを組み上げます。

 

 描きたい、描かなければならないシーンへ至る為に必要な準備、イベントは何か。

 

 それらを逆算してストーリーラインに無理のない形で組み込み、計画的に物語を進めていくのが私の創作スタイルです。

 

 この逆算方式を用いる事で「次何を描けば良いのか分からない」という問題と直面する事がなくなりますので、計画を立ててからその通りに進めるのが好きな私に一番合ったやり方であると自負しています。

 

 そうして物語を進める事で、いざ何か描きたいシーンが出てきた際にそれを無理なく挿入出来る余白を自然に捻出出来るワケですね。

 

 元からある程度余裕を持ってストーリーを構築しているので、そういった「意図的な空白」は常に用意しておりますので。

 

 さて、それでは試合の解説に参ります。

 

 今回組む事になった那須隊と三輪隊という組み合わせですが、ぶっちゃけこの二チームの共闘はかなり凶悪です。

 

 何せ、狙撃手三人態勢という荒船隊を内部に抱えているに同然の構成に加え、七海・那須・三輪というエース三名の布陣に、優秀なサポーターである米屋・熊谷がバックを支えています。

 

 更にどちらも四人部隊なので人数的な有利もあるという、香取隊単独ではまず勝ち目のない組み合わせです。

 

 そこで用意したのが、冬島隊という性質的にクソゲー発生要因に違いない部隊と、河川敷MAPの二つです。

 

 冬島隊はポイントゲッターが狙撃手一人のみという傍目から見れば意味不明な構成でA級二位に君臨する変態部隊です。

 

 その厄介な部分は作中で説明した通り「撃ったら文字通り姿を晦ます狙撃手」と「仕事をしたら引き籠り前線に出ない特殊工作兵」という組み合わせにあります。

 

 恐らくランク戦では当真は徹底して隠れ潜み、チャンスを見つけて狙撃を実行。

 

 更に、撃ったら即座にスイッチボックスで離脱、というヒット&アウェイ戦法を繰り返していると予想されます。

 

 そして、冬島さんは罠を設置し終えたら後は引き籠って支援に徹するでしょう。

 

 つまり、相手チームは「一切姿を見せないチーム相手に警戒を強めながら狙撃の脅威に備える」という対応を強要されるワケです。

 

 もしくは、隠れている相手を炙り出そうとメテオラを連打するかもしれませんが、そういった短絡的な行動に出ればその隙を当真に突かれるであろう事は言うまでもありません。

 

 狙撃手の当真は普通なら撃てば位置バレして脅威度が激減するところをワープでいなくなってしまうので、被弾するどころか居場所を発見される事すら稀であると思われます。

 

 しかも、狙撃の腕は百発百中の達人。

 

 相手からすれば、対処に頭を抱えたくなる部隊でしょう。

 

 結果として冬島隊は「得点力はそこまで突出しないが失点が殆どない部隊」という特徴を持つと予想されます。

 

 今回香取はその冬島隊の力を借りる事により、自在に転移可能なスイッチボックスと撃っては消える狙撃手である当真という強力なカードを手にします。

 

 加えて減点を覚悟で指揮を丸投げし、試験の場を鍛錬場へ変えました。

 

 このあたりのムーブが出来るのも二度に渡って那須隊に敗北し折れた結果であり、彼女の成長が垣間見えるところです。

 

 実際、この指揮丸投げがなければ香取隊の得られた結果は違ったものになった筈です。

 

 格上の指揮に十全に従い、指令を実行する。

 

 その経験を此処で得られたからこそ、大規模侵攻でのあの活躍に繋がったのだと思います。

 

 そして、原作では那須隊が玉狛・鈴鳴相手に選んだこの河川敷AというMAPは那須隊・三輪隊へのデバフとして今回は機能します。

 

 河川敷Aは大きな河川で、東西が分かたれたMAPです。

 

 向こう岸へ渡るには橋を通るしかない以上、隠密を旨とする狙撃手は東西の移動がほぼ出来ないに等しいです。

 

 橋を通る為に狙撃手が姿を晒してしまっては、狙撃手の最大の利点である初撃の脅威を捨てる事になる上に狙い撃ちにされるリスクを背負いますからね。

 

 なので、狙撃手三名という那須隊・三輪隊連合軍の強みが此処で半減させられ、人数差も「転送位置によって孤立する可能性が高くなる」というデメリットに変わりました。

 

 ですが、今回那須隊はそれを織り込んだ上で策を打ちます。

 

 それが、那須を囮とした釣り出し作戦です。

 

 那須隊・三輪隊の中で敵地の中で孤立すれば生き残れる確率が低いのが、那須さんです。

 

 彼女はサポート能力と制圧能力は高いですが、タイマン特化型の香取とワイヤー地帯でガチれば相性的に厳しいです。

 

 那須さんの真価は味方と組んだ時の制圧能力であり、相手の喉元に食い込む爆発力は香取の方が上です。

 

 その関係性は丁度、攪乱特化の七海と攻撃特化の影浦の関係に似ています。

 

 七海と影浦が能力的に対になっているように、那須さんと香取もまた対になっているワケですね。

 

 ですので、那須さんが敵地で孤立した場合可能な限り時間稼ぎを行いつつ粘り、ワイヤー設置役である三浦・若村を釣り出し仕留める作戦を仕込んでいました。

 

 那須隊としてもワイヤーを張られ続ける展開は一番避けたいところなので、ただ落とされるよりは有意義に駒として使い潰した方が得だと判断したワケです。

 

 尚、作戦提案者は小夜子です。

 

 那須さんとしては香取とガチっても勝つ気でいましたが、そこで冷静に相性分析をした小夜子が待ったをかけた形になります。

 

 基本的に戦闘時の那須さんはイケイケモードになりますが、平時であり相手が七海や小夜子であれば理屈の合う事なら言う事を聞きます。

 

 これは彼女が七海達に最も心を許している証でもありますが、無自覚な七海と違って小夜子はある程度それを自覚した上で那須さんを運転制御しています。

 

 一度女としての本音でぶつかり合った間柄として、相手の考えている事をなんとなく察する事の出来るようになった小夜子だからこその動きでもあります。

 

 実際に作戦は巧く嵌まり、那須さんは落とされる事になりましたが東側のワイヤー設置役だった若村を釣り出して落とす事には成功しました。

 

 但し、香取隊側もやられてばかりではありません。

 

 三輪とガチれば最終的に負けるしかない香取ですが、粘った結果冬島さんのワープ陣が完成。

 

 転移で古寺を落とし、橋で頑張っている三浦の元へ向かいます。

 

 若村は彼を落とす為にあの那須さんが捨て駒として自身を運用する事を許容する程の価値を示せたというワケなので、成長したと言って良いでしょう。

 

 三浦もまた自身の役目を果たす為に、七海相手に奮闘します。

 

 この橋の上の背水の陣での戦闘は第六ラウンドで見せた三浦の機動力を発揮する場面でもあり、クライマックスの橋崩落前後の戦闘へと繋がる展開でもあります。

 

 三浦は原作では大規模侵攻でレイジさんがやっていたワイヤーを用いたメテオラトラップを橋に仕掛けて戦うという、テロリストみたいな戦い方をする事になりました。

 

 彼のこの頑張りがなければ那須隊の戦力が東側になだれ込み、また違った展開となっていたでしょう。

 

 この橋上の戦闘を指示したのは、勿論冬島です。

 

 冬島は三浦が西側に転送された時点で、彼を時間稼ぎの駒として使い潰す方針を予め伝えてありました。

 

 もしも一人で敵地に転送された場合、時間稼ぎを徹底する。

 

 これは、冬島さんが最初に香取隊に伝えた方針の一つです。

 

 幾らスイッチボックスがあるとはいえ、三輪隊と組んだ那須隊と正面からぶつかれば香取隊はまず負けます。

 

 香取はともかくとして、他二人の練度がB級上位としてはお粗末なものだからです。

 

 若村は言うまでもなく、三浦もサポート能力は高いのですがこれまで良質な経験に恵まれなかった為、フォロー自体は巧いのですが「点を取る為に味方を押し上げる為の動き」が苦手です。

 

 その為に咄嗟に助ける事は出来ても、「後」を考えて臨機応変に一手を打つ能力が経験不足で足りていないんですね。

 

 本来、香取隊は香取という自立式ロケットミサイルをどう相手の陣地に撃ち込むかというエース特化型のチームです。

 

 その為他二人はサポートに徹し、自身を犠牲にしてでも香取ミサイルを相手に撃ち込んでいく多段ロケットのような動きが理想的です。

 

 ですが、三浦はこの「自身を捨て駒にしてでも香取を敵地に押し込む」といった経験が殆どありません。

 

 あの敗北までは、点が取れた試合でも香取が独断専行でその場で必要な行動を取っており多少のフォロー以外のサポートを必要しなかった為です。

 

 というか、多分点が取れた試合っていうのは原作香取隊の場合「香取が単独で動いて巧くいった結果」だったと思います。

 

 そのあたりを理解せずに文句を言うだけ、というのが原作若村です。

 

 香取は天才としての感性から「今は自分が単独で動けば巧くいく」といった場面がなんとなく分かるのでしょう。

 

 だからこそチャンスを逃さず行動しようとするのですが、凡才の若村ではそんな香取の行動が「身勝手な独断専行」にしか見えていません。

 

 天才と凡才の感覚に違いによるすれ違いなのですが、香取はそれを一切矯正する気がありません。

 

 香取自身、若村と言い合っても疲れるだけと思っていたのでしょう。

 

 有り体に言えば、何の期待もしていなかったのだと思います。

 

 こんな状態でまともなチームとして機能する筈もなく、あの第四ラウンドでの敗北は必定だったワケですね。

 

 成長したといっても、香取隊の動き自体はそう変わりありません。

 

 より戦術コンセプトが明確になり先鋭化はしていますが、「どうやって香取に点を取らせるか」が肝である事は言うまでもありません。

 

 だからこそ此処で「香取を活かす為の時間稼ぎ」を三浦が行う事は意味があり、彼が粘った結果米屋が出て来た為に香取がA級撃破ボーナスを取得出来たワケです。

 

 ワイヤーを自在に使いこなした香取ですが、まさか原作でも同様に香取がワイヤーを使用する場面があるとは思いませんでした。

 

 原作でワイヤーを逆利用したシーンから相性良いだろうなと思い使わせましたが、あちらでも香取を強化するならワイヤー、という意識は同一であったようです。

 

 崩れゆく橋での曲芸戦闘は、香取の天才性が色濃く描写出来たかなと思っています。

 

 これで成長途上というのが、色々な意味で期待出来たというワケです。

 

 その後は七海とガチって最終的に落とされた香取ですが、最後の場面でマンティスを使用出来なかったのはあの局面で咄嗟に使える程習熟度が高くはなかったからです。

 

 マンティスは両攻撃(フルアタック)になるという都合上使用している最中無防備になる欠点があり、未だに狙撃手が生き残っている状態で迂闊に使えば狙い撃ちにされかねません。

 

 幾ら天才の香取とはいえ、マンティスは本来一朝一夕で体得出来るようなレベルの技術ではありません。

 

 見様見真似である程度模写出来た香取がおかしいのであり、普通ならあんな真似は出来ません。

 

 それを踏まえた上での、マンティス抱え落ちだったワケですね。

 

 当真と茜の狙撃手対決は、テレポーターで川の中に転移して潜み続けていた茜に軍配が上がります。

 

 真っ暗な夜の川の中で機会が来るまでひたすらじっとして待機する茜の姿は、とても良く映えたと思います。

 

 今回テレポーターを使用して茜を援護した奈良坂ですが、彼は茜にテレポーターを教える時にまず自分で使えるように加古さんに頭を下げて扱い方を勉強して茜に教えるという手法を取りました。

 

 なのでテレポーターの扱い自体は全くの素人というワケではなく、ああいった作戦が通用したワケです。

 

 この一戦で奈良坂は色々そりが合わない当真に一泡吹かせる事が出来て、万々歳といった感じでした。

 

 これで第一試験は終了し、結果としては負けましたが香取隊は貴重な経験を手にする事が出来たというワケです。

 

 さて、試験を通じて三輪と分かり合ったかに見えた七海でしたが、実はこの場面「お互い不必要に絡まない事にしよう」という紳士協定が結ばれたに過ぎず、二人共一切歩み寄りはしていません。

 

 三輪の心変わりは、黒トリガー争奪戦編に持ち越しとなります。

 

 試合が終わって、次の試合の特別ルール「旗持ち」ルールが公開されました。

 

 この昇格試験編では通常のランク戦との差別化の為、そして大規模侵攻の予行練習の為に特殊なルールを構築しています。

 

 この旗持ちルールの設定目的は、大規模侵攻での護衛・避難誘導能力、の向上です。

 

 大規模侵攻では高い確率で千佳ちゃんという被護衛対象がいるので、その練習という側面もありました。

 

 加えて、王子を使う以上頭脳戦を展開しなければならないので、その為にルールを追加したという側面もあります。

 

 あの読み合いシーンは、割と好きなのでノリノリで書きました。

 

 他の第一試合については、二宮隊が生駒隊相手に無双したのは点数調整の結果でもあります。

 

 この形式で大量得点を狙うなら、四人チーム相手に勝つのが一番速いです。

 

 なので表面上の相性はともあれ過去に同じチームを組み互いの手の内を知っている加古と組んだ時点で、この結果は約束されていたとも言えます。

 

 二宮隊には今回も一つの壁として立ちはだかって貰うつもりでいたので、この調整に落ち着きました。

 

 次の試合は太刀川隊相手となりますが、唯我は「B級下位相当の実力の駒が二点ボーナスではフェアではない」という出水の進言で彼の参加がッ却下されている為唯我自身はチラ見せで留まりました。

 

 唯我は私の書き難い、「敵ではない三枚目キャラ」です。

 

 こういうキャラは敵であれば扱いは楽なのですが、そうでなければ物語の中での役どころに困るのです。

 

 実力的に大きな影響を齎せず、精神面も一部の頭おかしい勢(ペンチメンタル)と比べれば遥かに一般人寄りなので、彼でなければ出来ない役割というのが非常に見出し難いからです。

 

 これが敵であれば物語を引っ掻き回すトリックスター役として動かせますが、味方ですとそうもいきません。

 

 なので、唯我の描写不足はそのまま私の力不足と言っても過言ではなく、次は彼にもスポットライトを当てる機会を作っても良いかなと思っています。

 

 章の最後の「ゲーマーズレディ」は、奇しくも趣味人同士で集まった小夜子達サブカル大好きオペ組の宣戦布告合戦です。

 

 こういう女の子同士の友人関係って割と結構好きなので、この三人に共通点を持たせてくれた公式に感謝ですね。

 

 切り口があるのとないのとでは、説得力に大きな違いが出ますので。

 

 長くなりましたが、これで第一試験の解説を終了します。

 

 次は第二、第三試験の解説となります。お楽しみに。



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各章解説・及び裏話/昇格試験編2

 

 第十章『合同戦闘訓練/STAGE2』

 

 昇格試験編、その2。

 

 今回は風間隊と組んで、王子・太刀川隊と戦いました。

 

 この試合の目玉はなんといっても、七海の師匠の一人である太刀川・出水との対決がある事です。

 

 A級一位、太刀川隊。

 

 これは影浦隊同様七海が超えるべき壁の一つであり、今回は風間隊の力を借りて挑む事になります。

 

 今回MAPを市街地Cとしたのは、戦う面子を考えると展開を組み立て易かったという理由があります。

 

 市街地Cは段々畑のようなMAPで、高低差が目に見えてハッキリした地形です。

 

 原作で言及されている通り、狙撃手や射手が上を取れればかなり優位になれるMAPでもあります。

 

 普通のMAPと比べても高所を取った隊員の取れる情報量が多いので、視野の広い狙撃手や射手が上を取れれば情報面でかなりのアドバンテージが取れます。

 

 そんなMAPで高所を真っ先に陣取れたのは、サポートの名手出水です。

 

 これは王子・太刀川隊にとって理想的で、那須・風間隊にとってかなり最悪な展開です。

 

 出水はサポーターオブサポーターと言える程サポーターとしての射手の基本にして究極系と言える隊員であり、二宮さんとは別ベクトルの射手の頂点です。

 

 その本領は広い視野と優れた判断力によるゲームメイクであり、頼れる前衛と組む事で真価を発揮します。

 

 それは弟子である七海と色々と絡む機会の多い風間は承知しており、姿を見せたら真っ先に叩かれるであろう駒でもありました。

 

 しかし出水はそれを理解した上で、堂々と高所に陣取ります。

 

 自分が狙われるリスクよりも、高所から盤面を制圧出来るメリットを取った形ですね。

 

 出水はこの試合では重要な駒であり、彼の生存の有無で試合展開はかなり変わってきます。

 

 ですが、だからといって落とされる事を恐れて隠れていては試合そのものが劣勢になり本末転倒です。

 

 だからこそ、狙われるリスクを承知の上で出て来たワケですね。

 

 ただし、今回の場合はこの展開で最も警戒しなければならない狙撃手による不意打ちはある程度対策出来ています。

 

 何せ、高所を取っているのが出水なので下から狙撃が来ても直撃前に察知出来ます。

 

 原作の香取隊・那須隊・諏訪隊の行った最終ROUNDを見て分かる通り、このMAPでは下から狙撃をされれば高所からはそれが見えているので完全な不意打ちとは成り得ません。

 

 それを原作の茜ちゃんは敢えて存在をアピールする事でチームに貢献していましたが、つまりそういう事が可能なくらいには下方からの狙撃はこのMAPでは察知し易いという事です。

 

 そうやってある程度リスクヘッジを行った上で、太刀川隊は更に詰めていきます。

 

 国近による、熊谷の位置特定と王子による奇襲です。

 

 原作ROUND6で国近は実況の際に「転送位置の間隔から大体の場所は分かる」と豪語しています。

 

 ああいった事が言えるという事は、実際のA級ランク戦でも同じように相手の場所に「当たり」を付けているのではないかと考えました。

 

 国近は勉強は出来ないけどオペレーターとしての能力はかなり高いようですので、このくらいは出来て当たり前なのかもしれません。

 

 そういった「オペレーターとしての国近の優秀さ」を描写しつつ、旗持ちである王子に奇襲を行わせたワケです。

 

 旗持ちである王子は落とされた瞬間試合が終わってしまうので、まだ一点も取れていないこんな最序盤で落とすワケにはいきません。

 

 王子はその心理を逆手にとって、「落とされる心配の少ない遊撃手」として動いたワケですね。

 

 高い機動力とハウンド、そして優秀な指揮能力を持った王子は相手からすればさっさと落としておきたい駒です。

 

 特に太刀川という大駒がいるこの試合では、王子のようなタイプは一刻も早く片付けておきたいというのが本音です。

 

 だからこそ王子は自ら旗持ちを引き受け、序盤での遊撃に活用したワケですね。

 

 この場合、王子の役割は旗持ちである事を盾に一人でも多く相手の駒を釣り出す事です。

 

 相手の大駒である七海・那須・風間が連れれば最良で、そうでなくとも射程持ちである熊谷や歌川が連れれば良し、そして位置が分からなければ最も厄介な部類である菊地原・茜が釣り出せれば言う事なしです。

 

 躊躇なく熊谷に奇襲をかけたのは、そういった厄介な駒を盤上に引きずり出す狙いもあったワケですね。

 

 熊谷はそれを承知していたのですぐさま撤退したワケですが、そういった動きも王子の側は織り込み済みです。

 

 彼女を確実に落とす為、太刀川を送り込んでいたのです。

 

 熊谷は他の隊員ほど目立ってはいないものの、生き残れば的確なサポートで味方を支援する厄介なサポーターです。

 

 それをROUND7で存分に思い知った王子は厄介な駒を一黒衣も早く片付けるべく、最大の大駒である太刀川を送り込んだワケですね。

 

 太刀川であれば、熊谷を確実に落とせるであろうと考えて。

 

 王子は自分の部隊に突出したエースがいない事もあり、相手のエースに対する評価をある程度上方修正している部分があります。

 

 だからこそ、太刀川を「熊谷に確実に勝てる手札」として扱い投入したワケですが、熊谷がまさかあそこまで彼に食い下がるとは思っていなかったのです。

 

 ボーダーにおいて、太刀川は「最強」の代名詞のような存在です。

 

 単位を犠牲に得た四万というポイントは、彼の逸脱した実力あってのものです。

 

 彼が個人ランク戦で勝利を重ねている事は、攻撃手であれば知らない者はいません。

 

 人目を憚るタイプではありませんし、むしろ「どんどん来い」と対戦相手募集の為に敢えて目立つ事すらしていたでしょう。

 

 A級一位という看板の持つ意味は大きい為、挑戦者にも事欠かなかった筈です。

 

 王子にとって太刀川は、自身の隊にはない「絶対的な戦力」として映っていたでしょう。

 

 だからこそ、熊谷を確実に落とせる「安易なジョーカー」として扱ったのでしょうが、彼女の成長は王子の想像を超えていました。

 

 数々の激戦の経験に加え村上に直接指導され防御能力に磨きをかけた熊谷は、あの太刀川相手に時間稼ぎが出来る程に成長していたのです。

 

 出水と二人がかりという苦境を強いられながらも太刀川と至近で戦う事で射撃を牽制し、しっかりと時間稼ぎを成し遂げました。

 

 此処で熊谷が太刀川という最大の大駒を結果的に抑える事に成功した事が、この試合の最大の転換点と言えるでしょう。

 

 実質、王子隊側は太刀川という大駒を動かせない状態での戦いを強いられたのですから彼女が稼いだ時間の価値は計り知れません。

 

 そんな熊谷を少しでも長く生き延びさせる為には、出水の好きにさせるワケにはいきません。

 

 だからこそ那須さんが弾速調整をしたアステロイドで自身を茜と誤認させつつに奇襲し、出水と対峙したワケです。

 

 この二人の天才射手対決も、この試合でやりたかった展開の一つです。

 

 二人は双方共に変化弾(バイパー)のリアルタイム弾道制御が可能な天才(へんたい)であり、射手の技巧のハイエンドにいる者達です。

 

 那須さんは原作で散々その脅威が描写されましたが、出水は彼女と比べるとサポートがメインである分その技術の変態ぶりはそこまで目立っていませんでした。

 

 なので、此処で二人を直接対決させる事で弾バカ同士の頭おかしい(わるい)撃ち合いが成立したワケです。

 

 弾幕を弾幕で撃ち落とす、なんて真似はこの二人くらいしか無し得ない変態技術です。

 

 原作では東さんがライトニングで爆撃を撃ち落とす、なんて真似をしていますがあれを広範囲でやってるのがこの二人です。

 

 しかも今回の場合、どちらも使用しているのは変幻自在の軌道を描く変化弾(バイパー)です。

 

 その難易度がどれ程かは言うまでもなく、その有り様に三輪が呆れるのも無理はなかったでしょう。

 

 とはいえ、このまま撃ち合いを続ければトリオンの差で那須さんが負けます。

 

 技巧は同等とはいえ、那須さんのトリオンは7で出水のトリオン12にはかなりの差があります。

 

 それを分かっていたからこそ那須隊側はアクションを起こさざるを得なかったのですが、その前に王子隊が動きました。

 

 蔵内に爆撃を指示し、樫尾に奇襲させる形で。

 

 王子は那須隊であればこの状況で手をこまねくワケがないと、何らかの支援があると確信していました。

 

 そして駒の性質上、その一手は菊地原が担うと睨んでいました。

 

 那須隊はオペレーターの小夜子が男性恐怖症であり、それ故に他部隊との密な連携が難しいという穴がありました。

 

 それを承知していた王子は那須隊は菊地原の持つ脅威を活かし切れないと踏んで、大胆な一手に踏み切ったワケです。

 

 実際にその想定は当たっており、小夜子は菊地原という生きるソナーの有用性を活かし切れていませんでした。

 

 菊地原のサーチ能力の精度はランク戦ではこの上ない脅威であり、彼がいるだけで奇襲が成立しなくなるという相手からすれば真っ先に落としておきたい駒です。

 

 だからこそ王子は樫尾にメテオラという爆弾を持たせた状態で、那須さんに突っ込ませたワケです。

 

 出て来るであろう菊地原を罠にかけ、その身を犠牲に仕留める為に。

 

 菊地原の生存の有無で、王子隊側のゲームメイクは大分変わってきます。

 

 彼が生存している限り使えなかった不意打ちという手札が、ようやく機能する事になるからです。

 

 菊地原が健在である限り、近付けば位置がバレるので奇襲が奇襲として機能しません。

 

 だからこそ王子は樫尾を犠牲にしてでも、菊地原を排除する事に拘ったのです。

 

 ですがその方針を理解した那須隊側は、負傷した菊地原を陽動に使い蔵内を仕留めます。

 

 王子は作中で二宮さんが言及した通り、那須隊に時間を与えたくありませんでした。

 

 ですので既に致命打を受けトリオン漏出による緊急脱出(ベイルアウト)を待つのみだった菊地原を排除する事に固執し、蔵内が狙われる可能性を読み逃しました。

 

 これは那須隊の脅威度を知るが故に王子がやらかしてしまった、明確なミスです。

 

 厄介な駒は確実に排除しなければならない、という意識が強過ぎた形です。

 

 小夜子の想定では、那須を仕留める為に王子隊は三人がかりでやって来ると思っていました。

 

 ですが結果として王子は菊地原に狙いを絞っていた為に樫尾に爆弾を持たせての特攻という選択肢を選び、菊地原の脅威度を甘く見積もっていた小夜子側が思惑を外した形となります。

 

 ですが王子隊の狙いを正しく理解した小夜子はその状況を利用し、射手である蔵内の排除の為に駒を動かす事を踏み切ったのです。

 

 その後はようやく熊谷が太刀川さんに落とされますが、そこを狙って風間さんが動きました。

 

 ですが、ミスから立ち直った王子はそんな風間さんの動きを読んでいた為、介入しました。

 

 風間さんを狙い、それを庇った歌川に痛打を与えるという形で。

 

 王子は二度の敗北を経て、成長の必要性を感じていました。

 

 エースがいない分、少しでも相手の裏をかく為の手札が欲しい。

 

 そこで頼ったのが同じ頭脳派である水上であり、彼に口頭で発言したものと違う種類の弾を撃つ通称「偽弾」の技術を師事し習得しました。

 

 王子隊が全員ハウンドをセットしているのは周知の事実なので、アステロイドを使うだけである程度不意打ちにはなります。

 

 ですがそこに一工夫加えたかった王子は、偽弾の技術を習得したのです。

 

 もっとも、これは水上と違い王子が二種類の射撃トリガーしか持っていなかった為でもあります。

 

 複数の種類の弾を口頭とは違ったもので撃ち分ける、といった真似は水上にしか出来ません。

 

 王子は二種類に限定したからこそ、ある程度簡略化した技術でどうにかなったワケです。

 

 しでかしたミスを取り戻す為に王子は菊地原の存在と蔵内が落とされた位置と現状から那須隊の戦力配置を予測し、しっかりと対策を立てた上で動きました。

 

 そうして歌川は太刀川との連携で倒し、菊地原もトリオン漏出で時間切れとなり脱落。

 

 チームメイト二人を落とされた分を、なんとか補填した形となります。

 

 この作戦が巧くいったのは、彼の予想した通り小夜子と風間隊の連携が巧くいっていなかった為です。

 

 重度の男性恐怖症を患っている小夜子は、男性と通信越しに話す事ですら多大なストレスを感じてしまいます。

 

 だからこそ風間隊と通信を行う際には間にチームメイトを挟んでワンクッション置いていたのですが、それが情報共有にタイムラグを生み出しました。

 

 仕方のなかった事とはいえ、この情報共有のタイムロスはかなり痛いです。

 

 コンマ一秒で一気に戦況が変わり得る戦場では、こういった情報共有の遅れは致命的です。

 

 小夜子とてそれは理解してはいましたが、疾患レベルの恐怖症は自分ではどうしようもないものです。

 

 それは友人二人も理解していたので、この試合で改めてその問題の大きさを実感した二人はかねてから計画していた小夜子の他部隊との連携問題を解決すべく動いたワケですね。

 

 此処で彼女達がオペレーターを務めている王子隊・太刀川隊と戦った事には、そういった意味でも意味があったワケです。

 

 王子は此処で更に詰めるべく、太刀川を狙った弾丸の主────────────────茜を、仕留めに向かいます。

 

 ですが、待ち構えていたのは茜ではなく七海でした。

 

 彼もまた、那須と同じように弾速調整したアステロイドを用いて茜の存在を誤認させ、王子を釣り出したのです。

 

 そして、七海が茜の皮を被って囮となっている間に、茜は出水を仕留めました。

 

 テレポーターを用いた屋内への転移からの、壁抜き狙撃。

 

 その彼女ならではの奇襲で、天才射手は落ちる事になりました。

 

 出水は茜の存在は、試合開始直後からずっと警戒していました。

 

 何せ、テレポーターで一瞬で距離を詰めて狙撃して来るという狙撃手のセオリーが通じない相手です。

 

 この市街地Cでもテレポーターとバッグワームを駆使すれば高所から見つからないまま移動出来てしまうので、何処から撃ってくるか分かったものではありません。

 

 ですが、太刀川相手に茜と思われる狙撃があった事でその位置を脳内で「確定」させてしまい、警戒が緩んだところを撃ち落とされたワケです。

 

 しかし、ただでは落とされません。

 

 出水は茜を狙ったように見せかけてそれを庇った那須を落とす、という形で意表を突きました。

 

 那須は出水を落としたこの状況では、少しでも戦力を多く保った状態で七海の支援に向かいたい筈です。

 

 だからこそもう落ちるのを待つばかりの出水に貴重な狙撃手である茜を落とされるワケにはいかないと考え、カバーに入ったワケです。

 

 その思考を読み切っていた出水はそれを利用して、那須を落としたのです。

 

 技巧では出水に匹敵するものを持っている那須ですが、こういった駆け引きでは全く及びません。

 

 A級として遠征を含んだ経験値さえ得ている出水と那須とでは、そもそもの戦闘経験の質が全く違います。

 

 また、チームのブレインでもある出水と那須とでは思考傾向が異なっている為、裏をかかれたのも仕方ないと言えます。

 

 そして、試合は太刀川を如何に倒すか、という最終局面に入ります。

 

 NO1の看板は伊達ではなく、太刀川は七海と風間相手にも一歩も退かず、拮抗します。

 

 そこで七海が乱反射(ピンボール)で旋空を誘い、茜の狙撃に繋げます。

 

 乱反射は旋空を持つ太刀川相手に使うにはリスクの大きい技であり、だからこそ太刀川は旋空を用いて来ると予想出来ました。

 

 そこを利用して旋空を誘発させた七海ですが、太刀川はそんな彼の思惑を打ち破ります。

 

 自身を囮として風間がカメレオンで消える隙を用意するという策を見破り、七海を狙うと見せかけて風間を狙ったのです。

 

 第一の策を破られた那須隊は、伏せていた策である茜の狙撃という手札を切ります。

 

 七海のアステロイドを陽動とした上での、アイビスでの狙撃。

 

 しかしアイビスも集中シールドで防ぎ切られ、七海のアステロイドはある程度の被弾を覚悟した上で体捌きのみで凌ぎました。

 

 ですが、「太刀川ならここまでやる」と理解していた七海は最後の切り札であるカメレオンを切り、最後の一撃を叩き込む事に成功します。

 

 影浦の時とは違い本当の意味での一騎打ちではありませんでしたが、こうして七海は師の一人を打ち破ったのです。

 

 此処で風間と組んで太刀川と戦ったのは、彼の実力をアピールしつつ次の対戦相手となる風間の戦力的お披露目の意味と、単純に師弟が組んで戦うという展開が描きたかった為でもあります。

 

 なんだかんだ、これまでそういう展開はなかったので良い機会だと思ったワケですね。

 

 王子もトリオン漏出で緊急脱出(ベイルアウト)し、これで試合は終了となります。

 

 今回の試合の心残りは少々王子隊の描写が巧くいかなかったな、といったところですね。

 

 展開的に仕方なかったとはいえ、しっかりと成長の成果を見せた香取隊と異なり色々と粗が目立つ結果となったのは王子隊の魅力を活かし切れなかったと反省するところです。

 

 しかし師弟の共闘と師との対決を描けた事は、割と満足でした。

 

 そして、今回で他部隊との共闘における致命的な問題に改めて直面した小夜子は無理をしてでも貢献すると七海に宣言しますが、親友のそんな動きを察知していた国近・羽矢のゲーマー組が此処で動きました。

 

 二人は先述した通り、小夜子のこの問題をどうにかしようとかねてから考えていました。

 

 そこで今回戦った側として改めてその問題に小夜子が直面した事に気付いた二人は、良い機会だと踏み切り作戦を実行に移したのです。

 

 鬼怒田さんを巻き込んで、機械音声の変換によるタイムラグの解消という手段を用いて。

 

 元より七海に思い入れのあった鬼怒田さんは人情派なので、こういった問題の解決には積極的です。

 

 良い意味で鬼怒田さんは頼れる大人なので、国近達の要請を快諾したワケですね。

 

 こうして小夜子の抱えていた共闘の上での問題が解決出来た事は、かなり大きいです。

 

 今後他部隊との共闘に一切の瑕疵がなくなったのですから、その価値は計り知れません。

 

 小夜子の紡いだ縁も、未来へ進む為の確かな一助となったワケです。

 

 その後で小夜子と何かあった事を察した那須さんが暴走しかけますが、失敗の補填が出来てこれ以上なく最上のメンタルとなった小夜子がすかさず察知し、フォローを入れます。

 

 この世界線の那須さんは基本的にはかなりの悲観主義なので、あの間章を経て視野狭窄はある程度軽減されましたが放っておくとあらぬ方向に暴走します。

 

 それを十二分に理解していた小夜子は彼女の変調を察し、フォローに入ったワケです。

 

 というか、自分が七海に寄りかかった事を那須さんが察知しないワケがないので、寄りかかった責任を果たす為に動いた形です。

 

 七海への恋慕を捨てる気は一切ないとはいえ、小夜子自身は二人の関係を壊すつもりも微塵もありません。

 

 だからこそ恋敵にして親友として、こういったフォローは欠かさないのです。

 

 小夜子の問題が解決したところで、次話の「ビッグトリオンルール」で次の試合の特別仕様が紹介されました。

 

 一人だけトリオンを二宮仕様にする、というこのルールは後に明らかになる通り黒トリガーとの対決の予行演習と黒トリガーを「扱う」事に対する準備という意味がありました。

 

 迅はこの時点で自分が風刃を手放す未来を予期しており、大規模侵攻で自らの剣を託す相手に十全の準備をさせる為に大容量のトリオンを扱う予行演習をさせたワケです。

 

 大きなトリオンを扱った事のない隊員は、いきなり大容量のトリオンを与えられても戸惑い巧く扱えない可能性があります。

 

 しかしこのルールを用いる事で、誰がビッグトリオンに適当かを選ぶ為に一先ず全員で二宮さん感覚を体感してみよう、という流れになる事を見越して仕込みをしたワケですね。

 

 尚、此処で作中描写では初めてエンカウントする那須さんと木虎ですが、同じ学校なので面識自体はありました。

 

 しかし当時の那須さんは七海以外文字通り目に入っていなかったので、木虎に対しかなり失礼な対応をしてしまっていました。

 

 その一件で木虎の那須さんに対する評価は最悪に近くなっており、当然そのしこりは残っていましたが彼女は良い意味で公私がハッキリしています。

 

 共闘者として、何より試験官として公平でなければならないと考えた木虎はそういったわだかまりを押し込んで那須さんと向き合いました。

 

 広報部隊としての意識の差が、こうして出たワケです。

 

 次の話では弓場隊の、特に神田の描写となりますが、あのパーティの後の七海達との会話で吹っ切れた彼は、今回の試合の勝利の為に全力を尽くすつもりでした。

 

 最後に一花咲かせてやろうと、フルスロットルでやるという気合いを見せていますね。

 

 私もこれが神田を描写する最後の機会だったので、可能な限り頑張って描いたつもりです。

 

 次の話では、嵐山にスポットライトが当たります。

 

 嵐山は原作でも迅を信頼し、忍田本部長の指示があったとはいえ近界民(ネイバー)を庇う彼に明確に味方として付きました。

 

 その後のやり取りでも二人の信頼関係は見えたので、そのあたりの関係性にもスポットライトを当てたいと思いこうした話を挿入した次第です。

 

 嵐山は弓場ちゃんとも19歳組で親交があるみたいなので、そちらも描写しました。

 

 私はかねてから19歳組の関係性を描きたいと思っていたので、そのあたりの方針がこの時期から明確に表に出た形です。

 

 迅さんを明確に「救われる側」として定義していたので、このあたりの仕込みはしっかりしないと、と念頭に置いていたのもありますが。

 

 章の最後では神田が弓場さんに自身の決意を改めて表明して幕となります。

 

 弓場さんの頼れる兄貴分としての描写も可能な限りやっておきたかったので、これで事前に描く事は描き切ったと言えるでしょう。

 

 帯島ちゃんや外岡はどうしても描写が薄くなってしまいましたが、役柄上仕方ない部分があるので仕方ないと目を瞑りました。

 

 どちらかというと帯島ちゃんは遊真と出会ってからが本番な部分があると思うので、私の描く範疇ではなかった事もありますが。

 

 今作のメインに中学生の攻撃手がいればまた話は違ったのでしょうがね。

 

 彼女に必要なのは、歳が近く人当たりの良い上級者でしょうから。

 

 多少長くなりましたがこれで第二試験の解説を終わります。

 

 次は第三試験解説となるので、お楽しみに。



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各章解説・及び裏話/昇格試験編3

 

 第十一章『合同戦闘訓練/STAGE3』

 

 昇格試験、第三試合。

 

 今回は嵐山隊と組み、弓場・風間隊と戦いました。

 

 初っ端にある読み合いシーンは、前回の王子と小夜子のそれを意識しています。

 

 神田と王子は元チームメイトですし、どちらも隊のブレインという共通点もあります。

 

 また、その思考傾向と戦略性の違いをなるだけ描写したかった、というもあります。

 

 神田の出番はこの試合が正真正銘最後なので、気合いを入れて書きました。

 

 実況解説を羽矢さん、村上、諏訪さんにしたのは羽矢さんは勿論小夜子繋がり及び前回戦った王子の繋がりでもあります。

 

 村上は七海が風間さんと戦う以上その場に居合わさせたかったですし、諏訪さんは良いリアクションと冷静な解説を欲したのもあります。

 

 最近は原作で出番が来る度株が上がりっぱなしな諏訪さんなので、割と間違ってなかった選択だと思います。

 

 MAPを市街地Dにしたのは、当然エスクードを最大限に活用する為のものです。

 

 原作でヒュースがやったように、エスクードはああいった屋内戦闘でこそ最大の威力を発揮します。

 

 今回最大の目玉であるエスクード戦闘を描く上で、市街地Dほど都合の良い地形はありませんしね。

 

 流石に渓谷地帯Aのような場所だと、エスクードの意味は殆どありませんから。

 

 また、この地形は閉所での戦闘が得意な弓場隊にとってもメリットがあります。

 

 弓場さんは開けた場所よりも複雑な地形で戦った方が活きる駒ですし、閉所での戦闘は銃手の強みが出ます。

 

 銃手は射手のような応用性がない分、即応性が非常に高いです。

 

 射手はキューブの調節→展開→分割→射出という工程がある以上、近距離でいきなり攻撃手や弓場さんに出会えば成す術がありません。

 

 ですが、銃手は引き金を引くだけで弾を撃てるので咄嗟の即応性が射手とは比べ物になりません。

 

 原作で里見が言及しているように、射手にはないメリットが銃手にもきちんとあるワケです。

 

 今作のROUND5で来馬さんの両攻撃(フルアタック)が活きたのも、地下という閉所だったからというのもありますからね。

 

 そして当然、そのメリットは七海も把握しているので速攻でのメテオラ焼き出しとなるワケです。

 

 ログを見ていた七海は閉所での弓場隊の厄介さを理解している為、爆撃をしない理由がありません。

 

 居場所を知られるリスクも七海ならば幾らでもカバー出来ますし、何より高所に転送されたという幸運を得た以上それを活かさないワケにもいきません。

 

 慎重なやり方はリスクが少ないですが、今回の場合は手をこまねいていればいるだけ状況が悪化しますから。

 

 複雑な地形での戦闘は、風間隊もまた得意とするところでもあります。

 

 その事を弟子として理解している為、此処で手を緩める選択肢は七海にはありません。

 

 七海としてはこの爆撃で弓場さんを釣り出すつもりだったのですが、出て来たのは神田でした。

 

 彼が出て来た事は七海にとっては予想外でしたが、那須隊はすぐさま対応します。

 

 丁度近くに転送されていた熊谷を動かし、神田に奇襲をかけます。

 

 弓場さんが来ていれば追尾弾(ハウンド)で牽制しつつ二人がかりで固めて削り殺すつもりでしたが、神田が相手なので熊谷が近接戦闘を仕掛けました。

 

 確かに銃手は即応性が高いとはいえ、懐に潜り込んでしまえば攻撃手の方が有利なのは当然の事です。

 

 加えて、今回熊谷はビッグトリオンが適用されていました。

 

 神田の対応次第では距離を維持しつつ、二宮式戦闘法で圧殺する予定でした。

 

 しかしそこで予想外の一手、エスクードが炸裂します。

 

 エスクードで身を隠され不意打ちのエスクードトラップによって空中に撃ち出された結果、熊谷は窮地に陥ります。

 

 待ち構えていた弓場さんの攻撃から熊谷を守ったのは、フォローの名手時枝でした。

 

 時枝は原作での争奪戦の描写を見る限り、味方のフォロー能力が抜群に高いです。

 

 テレポーターを活かした立ち回りで弓場さんの攻撃をいなしつつ、熊谷を救助します。

 

 必殺のつもりで使った不意打ちが通用しなかったのは、弓場隊にとってかなりの痛手でした。

 

 空中に撃ち出された状態というのは、グラスホッパーを持たない隊員にとっては死地です。

 

 回避が出来ない上に突然宙に浮かされた以上、否応なく隙を晒す事になるからです。

 

 熊谷に当然空中戦の適正はなく、時枝がフォローしなければ落ちていたでしょう。

 

 時枝のフォロー能力をきちんと描写したかったので、その意味での満足です。

 

 一見すれば那須隊に情報を与えただけに見えるこのシーンですが、実は「神田をビッグトリオンと誤認させる」という目的は果たしていたので弓場隊にとってもメリットがなかったワケではありません。

 

 熊谷を落とせれば最上でしたが、最低限の目的は果たした結果ですね。

 

 そして奇襲を凌いだ以上、那須隊の反撃が来ます。

 

 七海が爆撃を続行し、帯島がそれを止めるだけに炙り出されます。

 

 作中で言及があった通り、此処で切れる手札が彼女しかなかった為です。

 

 ハウンドの両攻撃(フルアタック)という隠し札を以て七海に挑んだ帯島ですが、そういった可能性も考慮していた七海には凌がれます。

 

 ですが自分の役割を徹底する事で、七海相手の時間稼ぎが成功します。

 

 帯島ちゃんはそこまで突出した力は持たないものの、判断力や機転は悪くないものを持っています。

 

 粗削りな部分が目立ちはしますが、こうして自分の仕事に徹する事が出来るのです。

 

 だからこそ、弓場さんとの合流まで保ったワケですね。

 

 弓場さんと帯島ちゃんが揃うと、中々に厄介です。

 

 必殺の十二連撃を持つ弓場さんと、フォローに長けた帯島ちゃんは痒い所に手が届く名コンビと言えます。

 

 エスクードによる支援もあるので、七海相手でもこの地形であれば優位に戦えます。

 

 そこで駄目押しの風間さんの投入で、那須隊側は木虎の投入を余儀なくされます。

 

 当然ながら、風間さんの相手は生半可な事では務まりません。

 

 最低限木虎レベルでなければ、いなされて終わりです。

 

 ですが、風間は師として当然七海の思考傾向を把握しています。

 

 伏兵もなしで単騎で暴れるような愚を彼が冒すワケがないと、熟知していたのです。

 

 結果として木虎の奇襲は読み切られ、難なく対応されます。

 

 この冷静な判断力とブレない思考力こそ、風間さんの最大の脅威と言えます。

 

 大抵の脅威に即応し、最適な選択を実行する。

 

 そういった淡々とした隙のない手堅い動きこそ、風間さんの得意とするところです。

 

 戦闘は熊谷や時枝も参戦し、乱戦の様相を呈して来ます。

 

 乱戦は本来七海としては望むところではありますが、エスクードの存在と弓場・風間の両隊長の脅威は無視出来ません。

 

 エスクードでいきなり分断や罠にかけられる可能性がありますし、閉所で隙を見せれば弓場さんや風間さんに急襲されて落とされかねません。

 

 ですので躊躇なく爆撃を敢行し地形破壊で不意を撃とうとした七海ですが、弓場さんのグラスホッパーで意表を突かれます。

 

 グラスホッパーは茜の例を見る通り、誰にでも使えるトリガーではありません。

 

 使いこなすにはセンスが必要で、適性があっても相応の修練が必要です。

 

 だからこそ、此処で弓場さんがグラスホッパーを持ち込んで来たのは意外だったのです。

 

 意表を突かれた上、今度は風間さんが隠密戦闘を開始し攪乱します。

 

 カメレオンの切り替えの技術がハイエンドに達している風間さんの奇襲は、これ以上ない脅威です。

 

 七海に不意打ちは効きませんが、それならそれで他の隊員を狙えば良いだけの話なのです。

 

 一転して攻められる側になった那須隊ですが、当然ただ黙ってやられるワケにはいきません。

 

 時枝は即座にエスクードの展開されている足場を爆撃し、破壊を目論みます。

 

 エスクードはこの地形では最大限に活かされますが、同時にエスクードを直接狙わずともそれが展開されている通路を破壊する、という手が使える場所でもあります。

 

 足場が破壊されれば、当然エスクードはそれと共に落ちるしかありません。

 

 旋空やスラスター斬りでもなければ破壊困難なエスクードですが、こういった対処法はあるのです。

 

 ですがそれを読んでいた帯島がシールドで防御し、その隙を佐鳥が突きます。

 

 イーグレット二丁による狙撃という変態技術を持つ佐鳥のツイン狙撃は、使われればかなり厄介な代物である事は言うまでもありません。

 

 何せ、集中シールドでもなければ防げない威力のイーグレットが二発同時に飛んで来るのですから防御はかなり困難です。

 

 バッグワームを脱がなければならないという致命的な欠点こそあるものの、それは立ち回り次第で幾らでもカバー出来ます。

 

 加えて急所を狙わずトリオン漏出狙いの攻撃をする事で、集中シールドの読みすら外します。

 

 佐鳥は飄々とした立ち回りが多いですが、狙撃手としては東さん同様かなりクレバーです。

 

 というか東さんと同時期に狙撃手になった黎明期の狙撃手でもあるので、そういった底知れなさは普通に持っていると思います。

 

 そういった佐鳥のクレバーな立ち回りも、この試合で描写したかった事柄の一つでした。

 

 帯島に痛打を与えた那須隊は、此処で嵐山を投入。

 

 彼女へ奇襲をかけ、菊地原が近くで潜んでいる事を確認します。

 

 菊地原の強化聴覚は精度は高いですが、適用される感知圏はそこまで大きくはありません。

 

 ですので、この奇襲が防がれた以上近くに菊地原が潜んでいる可能性が高い事を確認出来たワケです。

 

 そしてそれが確認出来た以上、爆撃をしない理由はありません。

 

 そこを神田が旋空で奇襲し、ジャンプで七海・熊谷は回避。

 

 グラスホッパーを囮にしてスパイダーで跳躍した二人ですが、その先に風間が待ち構えている事は予測していました。

 

 ですが、カメレオンを用いて潜んでいるとばかり考えていた為に、菊地原の奇襲を見抜けませんでした。

 

 バッグワームとカメレオンを駆使した、風間隊らしい不意打ちと言えます。

 

 ですが、咄嗟の動きで即死を回避した熊谷は空中からの旋空で風間達を狙うと見せかけ、そこを狙って出て来た歌川をテレポーターによる奇襲で仕留めます。

 

 風間隊であればこの局面で()()の一手を用意しているだろうと信頼し、最後の仕事を果たしたワケです。

 

 また、この挙動の本当の狙いはビッグトリオン継承のルールを那須に適用する為でした。

 

 最初から試合の途中で熊谷から那須へビッグトリオンを継承させる計画だったので、その狙いを隠す為に歌川を狙ったのです。

 

 ちなみに、このビッグトリオン継承のルールは黒トリガーの受け渡しがモチーフとなっています。

 

 黒トリガー、その中でも適合者の多い風刃を仲間に託し、使わせる。

 

 そういう意図を以て、このルールは設定されていました。

 

 このビッグトリオンルールの本当の狙いが黒トリガーの扱いを学ぶ事にあるので、当然とも言えますが。

 

 その後は主戦場から離脱した帯島を木虎が追い、一騎打ちとなります。

 

 戦闘自体は経験の厚みで木虎が勝ちますが、帯島もまた最後のアシストを行い本当のビッグトリオン持ちだった外岡の奇襲を成功させます。

 

 外岡にビッグトリオンを持たせたのは、ROUND7では良いところのなかった彼を活躍させるという意図もありましたが、ビッグトリオン誤認の作戦をやりたかった為でもあります。

 

 神田が目の前で燃費最悪なエスクードを展開すれば、当然彼がビッグトリオンだと考えます。

 

 しかし神田はその心理を利用し、敢えてエスクードを目の前で使う事で自身をビッグトリオンと誤認させる作戦を決行しました。

 

 那須隊側のビッグトリオンである熊谷が落とされたところで、真のビッグトリオンである外岡を投入し優位に立つ。

 

 弓場隊の作戦は、それが肝でした。

 

 ですが、そこで投入されたのがビッグトリオンを継承しトリオン14になった那須さんです。

 

 この一手が、盤面全体の趨勢を一気に傾かせる事になります。

 

 トリオン14になった那須さんは、機動力を得た二宮さんです。

 

 砲台が常に移動しながら、トリオン14の射撃が降り注ぐ。

 

 有り体に言って、相手からすれば悪夢です。

 

 この那須さん大暴れも、この試合で描きたかった展開でした。

 

 生き生きと飛び回りながら弾幕を撃ちまくる姿こそ、那須さんのあるべき姿ですから。

 

 しかし当然、当初から那須さんがビッグトリオンを得ていれば弓場隊は全力で彼女に狙いを集中し、中盤で落とすところまでいった筈です。

 

 ですが、熊谷というビッグトリオンを落とす為にリソースを注いでいた弓場隊に、今になって出て来た万全の那須さんは荷が重過ぎました。

 

 完全に、那須隊の作戦が嵌まった形ですね。

 

 熊谷を派手に使って相手を消耗させ、その上でトリオン14になった那須さんを投入する。

 

 犠牲を前提とする策ですが、精神的な弱点を克服した今の那須隊に躊躇する理由はありません。

 

 那須さんも熊谷から力を受け継ぐというシチュエーションに密かに燃えていたので、テンションもMAXです。

 

 そんなワケで一転して窮地に立たされた弓場隊ですが、風間はこの状況でもブレはしません。

 

 それどころか七海に舌戦を仕掛け、情報を引き出しすらします。

 

 作中で言及された通り口下手な七海はこういった舌戦に慣れておらず、沈黙するしかありません。

 

 このあたりは、純粋に適正と経験の差と言えるでしょう。

 

 そこを指摘するあたり、風間さんはしっかり師匠をしていると言えます。

 

 下で暴れる那須さん相手に戦っていた弓場隊ですが、見ている側も明らかに劣勢である彼等を二宮さんが持ち上げるシーンもさり気なく挟んでいます。

 

 原作で弓場さんを一騎打ちで倒そうとしたのはきっと二宮さんが彼を評価していたが故でしょうし、そうでなければ「惜しかったが一手足りなかった」とまでは言わなかった筈です。

 

 弓場隊は前衛を弓場・神田に任せ外岡が後衛になる事で、外岡を疑似的な銃手のように運用する事に決めました。

 

 この状況下では隠れての狙撃を狙おうものならメテオラで焼き出されますし、単騎になればそこを突かれかねません。

 

 そういう意味でこうするしかなかったワケではありますが、

 

 ですが、だからこそ瓦礫を囮とした東式変わり身の術で那須さんの足を削る事に成功します。

 

 そこですかさず佐鳥が弓場を狙い、神田がこれを庇う形で脱落。

 

 反撃で弓場が放った攻撃から那須を守る形で、時枝も脱落。

 

 これで那須さんは足を削られた状態で、弓場・外岡と対峙する事になりました。

 

 上での戦闘では、カメレオン状態でエスクードを使用するというコンボで、菊地原が佐鳥を狙いました。

 

 佐鳥と同じ16歳組として親交のある菊地原は、彼の厄介さを良く知っていました。

 

 だからこそさっさと落としておくべきだと考えていたのですが、佐鳥もまたそれは承知していました。

 

 故に、エスクードとテレポーターという隠し札を用いてまで相打ちに持ち込んだワケですね。

 

 次の話では外岡がエスクードを最大限に活用して那須さんと嵐山さんの同士討ちを狙いましたが、それを読んでいた那須さんによって失敗。

 

 転移先を読み切られた事で、外岡は落とされます。

 

 那須さんは茜ちゃんと連携をして来た実績があるので、テレポーターの転移先の()()については熟知しています。

 

 対して、外岡のテレポーターはあくまでも付け焼刃。

 

 その差が、如実に出た形ですね。

 

 テレポーターは使いこなせれば強力ですが同時に癖の強いトリガーでもあります。

 

 今回の試合では最大限に活用していましたが、習熟度はこういった面に如実に表れます。

 

 外岡は、そこを見事に突かれたワケですね。

 

 上では風間相手に、七海がメテオラ殺法を解禁。

 

 ですが風間は一切動じず、冷静に七海を捌きます。

 

 そこで七海は渾身の一手として、足場破壊を敢行。

 

 風間を、空中戦に持ち込みます。

 

 乱反射(ピンボール)を駆使して風間に仕掛ける七海ですが、近接戦闘の練度は風間が上です。

 

 四肢を失い敗北する七海ですが、そこで茜に自分ごと撃たせるという乾坤一擲の勝負をかけます。

 

 ですが、風間さんはこれすら読み切りシールドを展開。

 

 東さんレイドを見ていた風間さんは、こういった手も取って来るだろうと予測していたからです。

 

 しかし、それは七海とて承知していました。

 

 だからこそ、那須さんに援護を頼んでおきシールドを破壊。

 

 茜ちゃんの弾丸は、見事風間さんを撃ち抜きました。

 

 こうして、七海は相打ちの形で風間さんを撃破します。

 

 此処までしなければ倒せなかったのが、風間さんの怖さでもありますね。

 

 そして、この那須さんの支援射撃は弓場さんを仕留める為の目晦ましという意味も持っていました。

 

 風間さんを狙ったバイパーの一つを、予め戻って来るように軌道を設定し弓場さんを撃ち抜きました。

 

 原作で那須さんがやった、来馬さんを倒した弾の一部で修を落とした技です。

 

 敢えて弾数を絞る事で、弓場さんの眼を掻い潜った形ですね。

 

 これで試合は終了、第三試験も終わりを迎えます。

 

 そして。

 

 試合の終了後。

 

 此処で満を持して、最終試験の内容が明かされます。

 

 風刃を持った迅さんとの、対決。

 

 これは、最初からこの試験の本命として計画していました。

 

 黒トリガーを相手にするには、黒トリガーとの戦闘経験が必要不可欠。

 

 そう考えていましたので、この展開は前々から考えていました。

 

 風刃持ちの迅さんと戦うワートリ二次主人公というのは、中々ないと思います。

 

 基本的に風刃持ちの迅さんが戦闘する機会は黒トリガー争奪戦だけなので、普通はそこでオリ主は迅さん側に付くので迅さんと戦う機会というのはありません。

 

 この展開は割と反響を呼んでいたので、描いて良かったと思います。

 

 「迅と────────────────いや、黒トリガーと。戦って貰う」という城戸さんの台詞も、出す時を淡々と伺っていたワケです。

 

 そしてエキシビジョンマッチによって、迅さんと風刃の組み合わせの凶悪さをまず描写しました。

 

 原作で迅さんが言っている通り、未来視を持つ迅さんと超高速遠隔斬撃の風刃の組み合わせは、かなりの脅威です。

 

 遠隔斬撃の弾速も、副作用(サイドエフェクト)で攻撃を察知出来る菊地原が反応出来なかった時点でその速度は相当なものです。

 

 ちなみにあの場面で菊地原を真っ先に落としたのは、彼の強化聴覚をそれだけ警戒していたからでしょう。

 

 あれがあるだけで、風間隊の脅威度が段違いに跳ね上がりますから当然の判断と言えます。

 

 ともあれ、このままではまず勝てないと悟った七海達は、迅さんとの戦闘経験の多い太刀川を頼ります。

 

 そこで太刀川からアドバイスを受け、今度は影浦を鍛錬相手に選びます。

 

 影浦は迅さんとはサイドエフェクトの方向性は違いますが、どちらも攻撃を察知可能な能力である事は違いないので予行演習としては最適な相手です。

 

 此処で影浦が七海の本音を引き出すシーンも、カゲさんならこう言うだろうと考えたからです。

 

 影浦は、七海が我慢をする事を好みません。

 

 これまで色々あった七海だからこそ、やりたいようにやらせたいと思っています。

 

 だからこそ、敢えて下手な芝居を演じてまで七海の本音を引き出したワケですね。

 

 そして次の話では、村上を最終試験の観戦に誘う事を七海が思いつきます。

 

 これは迅の想定通りの動きであり、迅が七海ならこうするだろうと考えて差配した結果です。

 

 この時点で風刃の使い手を誰にするかは決めていたので、その伏線でもあったワケです。

 

 そして章の最後での小南とのやり取りは、あの迅が風刃を持ち出す以上小南が黙っていないと思ったからです。

 

 この世界線では迅さんは玲奈の死により、原作よりも酷い曇り具合で色々と迷走もしていました。

 

 それを知っている小南が、この状況で何もしないワケがありません。

 

 此処で玲奈にスポットライトを当てて、次の過去回想編へ繋がるのです。

 

 過去の大規模侵攻を、悲劇を描いた迅さん視点の回想です。

 

 次回はそちらの解説を行いますので、よろしくお願いします。



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各章解説・及び裏話/迅悠一回顧録編

 

 断章『HIDDEN MEMORY/七海玲奈』

 

 今回は迅さん視点の回想がメインの断章、迅悠一回顧録編について解説します。

 

 サブタイトルの『HIDDEN MEMORY』は「隠された記録」「秘された記憶」みたいな意味合いです。

 

 自身を舞台装置として扱いがちな迅さんの視点から見た、世界の在り様。

 

 それを、今回の章で色濃く描写しました。

 

 経歴から考えてもかなり無理をしまくっている迅さんですが、そのあたりに踏み込んで言及している二次創作はそこまで多くはありません。

 

 多少言及はしていても、私がやったみたいに旧ボーダー時代にまで言及している人は殆どいない筈です。

 

 これは当然の事ながら、迅さんの旧ボーダー時代の情報が明確にされていないからです。

 

 原作から分かるのは「小南より後からボーダーに入った」「師である最上さんが恐らく目の前で黒トリガーになった」「かつての仲間の過半数は既に死亡している」の三点です。

 

 正直、これだけでもかなり重い過去を背負っているのは伝わって来ます。

 

 しかも「小南より後にボーダーに入った」事から、幼少期は自分の未来視に理解を示せる相手は周囲にいなかったとも考えられます。

 

 普通、未来が視えるなんて子供が言ってもそれを信じる大人はいないでしょうから。

 

 でも判断力の乏しい幼少期なので、それを理解出来ずに未来視に関する発言を繰り返して孤立する、くらいは想像出来ます。

 

 そんな環境下で出会い自分の未来視の事も理解してくれた最上さんは、真実迅にとって恩人だったと思います。

 

 同時に、そんな恩人を失った心の瑕疵は計り知れません。

 

 修羅の如き戦いぶりで風刃の所有権を獲得したというのも、頷ける話です。

 

 さて、そんな迅さんですがこの世界線では原作とは決定的に異なる部分があります。

 

 無論、玲奈の存在です。

 

 七海玲奈。

 

 第一話から七海の回想でのみ登場し、「過去の大規模侵攻で死亡し黒トリガーとなった」とだけ伝えられていたキャラクター。

 

 それが今回の章で、本格的に描写されました。

 

 昔の迅さんは、未来視で酷い未来を視る事に疲れて荒んでいました。

 

 普通の人相手でも場合によっては交通事故や火事で死亡するシーンを見せつけられますし、近界の戦争で出会った相手等は言わずもがなです。

 

 加えて起きる可能性の高い未来はかなり先まで見えるので、四年前の第一次大規模侵攻やその先にある暗い未来は既に視ていたので明るい情報が何もありません。

 

 そんな状態で荒まないワケがなく、思春期であった事も相俟って荒み迅さんの出来上がりです。

 

 ちなみに、この時点では玲奈の死は「起きる可能性の高い未来」ではなかったので視えていませんでした。

 

 彼女の死と黒トリガー化は様々な偶発的要素が重なって起きたものであり、本来ああなる可能性は高くはありませんでした。

 

 そういった少ない可能性が重なり、条件を満たして発生してしまったのが玲奈の黒トリガー化です。

 

 だからこそ、迅は事前に備える事が出来なかったのです。

 

 玲奈の黒トリガー化は

 ①「七海が自宅に戻っている」

 ②「那須が遊びに来ている」

 ③「那須が瓦礫の下敷きになりそうになる」

 ④「七海が那須を庇った際に即死しない」

 ⑤「瀕死の七海を偶然迅が発見する」

 ⑥「直後に迅と玲奈が邂逅する」

 ⑦「玲奈が自身の未来の可能性を知って七海の元へ向かう」

 ⑧「七海が死亡する前に玲奈が間に合う」

 

 こういった条件を全て満たす事で初めて、発生するものでした。

 

 特に難しいのが⑥「直後に迅と玲奈が邂逅する」⑧「七海が死亡する前に玲奈が間に合う」の二つで、玲奈が迅と邂逅するタイミングが遅れていれば七海が命尽きるまでに間に合わず、黒トリガー化は起きませんでした。

 

 瓦礫に腕を潰され大量出血していた七海は、出血多量でショック死するまで秒読み段階でした。

 

 そうでなくとも放置すれば傷口から入った雑菌によるあれこれで危なかったですし、体力も相当失っていた中雨に打たれていたので相当危険でした。

 

 玲奈が訪れるのが数刻でも遅れていれば、間に合わずに死亡していたでしょう。

 

 そういう意味では「運命が間に合ってしまった」と言うべきでしょうか。

 

 迅が彼を発見しなければ、七海の未来を視ていなければその命は四年前で潰えていたのでこの物語も始まらなかったので、そういう意味でもこの運命は避けては通れないものでした。

 

 あの雨の日の悲劇こそが、七海玲一の原点であるが故に。

 

 さて、そうやって七海を救い命を散らせた玲奈ですが、七海や迅の記憶ではその在り方を相当美化されています。

 

 七海にとってはその身を投げ出して自分を助けてくれた恩人にして唯一の肉親であり、迅にとっては自身の異常性を受け入れ寄り添ってくれた想い人だったので思い出補正も相俟ってその様子は相当に美しいものとして回想しています。

 

 ですが、そんな風に美化されて回想されていた玲奈は本当は等身大の女の子でした。

 

 迅に寄り添ったのは、自分と同じく特殊な能力で苦しむ彼に共感したのが切っ掛けでした。

 

 副作用(サイドエフェクト)、心象視認体質。

 

 それが、玲奈が所持していた異能です。

 

 相手の感情が、表情となって浮かび上がる。

 

 視覚的には相手の顔に重なる形でその時の対象者の感情が具現した表情となって出現します。

 

 相手が喜んでいれば笑顔の、悲しんでいれば泣き顔の。

 

 それぞれのビジョンが、彼女の眼には映し出されます。

 

 これは自動的に発動するものであり、オンオフは出来ません。

 

 なので、玲奈は相手の本当の感情が常に分かってしまい、その所為で空気を読んでしまうようになりました。

 

 正しくは読み過ぎてしまい、その事にかなり疲れていました。

 

 ですが根が利他主義のお人よしの極みのような性格をしていたので、周囲には良い顔ばかりをしようと無理をしていました。

 

 迅に関しては自分よりも重いものを背負っている迅が常に泣き顔をしているのに気付いていた為、共感から来る仲間意識で寄り添っていました。

 

 勿論そんな彼を大事に想っていたのは確かですが、迅や七海が考えていたような聖人君子のような精神性では決してありません。

 

 等身大の、無理をし過ぎるだけの何処にでもいる女の子こそが玲奈でした。

 

 七海を助けたのも彼女が作中で言及していた通り、「たった一人の弟を助けたかった」という一念に他なりません。

 

 だからこそ、迅は彼女を止められませんでした。

 

 母親を近界民(ネイバー)の所為で失っていた彼は、肉親を失う悲しみを充分以上に理解しています。

 

 だからこそ弟を助けたいという玲奈の願いを無碍に出来ず、死地へ向かう彼女を送り出す他ありませんでした。

 

 ちなみに玲奈が迅と出会う時間が遅かった場合を除き、彼女が間に合わないというケースはありません。

 

 迅はどんな未来(ルート)に置いても彼女の未来を無碍にする事だけは出来ず、七海の元へ向かう彼女を支援するからです。

 

 二人共根本的に利他主義の献身的な性格をしている為、条件が揃ってしまえば足を止める事は出来ないのです。

 

 そうして玲奈は黒い棺に眠り、迅は彼女を死なせてしまった罪悪感と悲しみから目を逸らす為に「最善の未来の為に」という文句で自分を縛り、現実逃避をしたまま利他主義の極みを体現する舞台装置と化そうとします。

 

 自分の一番大事な人を、自分の選択で死なせてしまったという重荷は、それだけ大きかったのです。

 

 三輪はそんな時の迅と出会ってしまったので、有り体に言えば捨て鉢な彼に無碍にされた形になります。

 

 既に彼の姉は手遅れな状態でしたが、そこまでの状態でなければ或いは優しく諭す等の道もあったと思います。

 

 或いは、原作ではそういった言葉をかけていた可能性もあります。

 

 原作でも「姉を見捨てた奴」として三輪に認識されている迅さんですが、そちらでも十中八九彼の姉は手遅れな状態だったのでしょう。

 

 そんな状態で迅は立ち去ったので、三輪は現実を認めたくなくて近界民への憎悪と迅への八つ当たりをするしかなかったのだと思います。

 

 迅は此処で三輪を無碍に扱った負い目があったので、争奪戦の時にあれだけ配慮していたワケですね。

 

 ちなみに玲奈が迅に「最善の未来」を語った理由は、何かしら目標を持てば少なくとも迅があらぬ方向を向いて暴走する事はないだろうと考えていたからです。

 

 結果として玲奈の死という要因が重なった事で歪みを抱えて進んでしまう迅ですが、彼女の言葉があったお陰で無気力になって命を絶つ等の行動には走りませんでした。

 

 最初の思惑がどうあれ、彼女の言葉には確かな意味があったのです。

 

 そんな玲奈は旧ボーダーでは気遣い上手の出来た人間として、皆に慕われていました。

 

 林道や城戸といった一部の人間は彼女が無理をしていた事に気付いていたので色々と配慮していましたが、玲奈は副作用(サイドエフェクト)故にそんな気遣いにも気付いてしまっていたので遠慮が抜ける事はありませんでした。

 

 他者の気遣いを素直に受け取る事が出来ないというのも、彼女の副作用の弊害と言えます。

 

 そんな彼女だったからこそ、城戸達大人組は遺された七海や彼女の死を背負う迅に最大限配慮していたワケです。

 

 ちなみに旧ボーダー時代の玲奈は凄腕の剣士で、忍田とは鎬を削り合う良き鍛錬相手でした。

 

 熱が入り過ぎて「林の中で武器を持って少女を追い回す不審者がいる」と通報されかけた過去もあるのですが、それも忍田真史武勇伝の一つとして旧ボーダーの面々の間で語り継がれています。

 

 玲奈の戦闘スタイルは本作で描写した沢村さんと同じスピードアタッカータイプで、懐に入り込んでラッシュを重ねる攻撃特化型の剣士でした。

 

 女性故のしなやかな動きを最大限に活かした形で一瞬で相手の懐に踏み込み、ラッシュで勝負をかける南沢の超発展形みたいな戦闘スタイルです。

 

 防御面はやや疎かになりがちでしたがそれを補ってあまりある攻撃性能があった為、近界の戦争では専ら遊撃手として動いていました。

 

 穏やかな性格に似合わぬ苛烈な戦闘スタイルでしたが、彼女は戦闘にのめり込むと集中し過ぎてしまうタイプなので、自己暗示に近い形で攻撃に集中する方が効率が良かったのでそうなっただけなのです。

 

 ちなみに実力は相当高く、当時の忍田とも五分の戦績でした。

 

 現在のボーダーでは、恐らく太刀川と拮抗するか場合によっては勝るでしょう。

 

 当時は剣型のもの以外碌にトリガーもなかったので、トリガーの種類が増え戦闘法が増えた状態ならばトリガー選択によっては相当なものになった筈です。

 

 ちなみに、仮に現在まで玲奈が生きていればこういったトリガーセットになった筈です。

 

 メイン 弧月 旋空 韋駄天 シールド

 サブ  テレポーター グラスホッパー バッグワーム シールド

 

 攻撃手段は弧月一本で、他は移動系のトリガーを詰め込んだ形です。

 

 七海以上のスピード特化タイプで、狙われた時点で一気に斬り込まれて押し込まれる凄腕剣士が爆誕していたでしょう。

 

 さて、話を戻しまして玲奈を失った迅は泣き叫ぶ小南を置き去りにして七海を病院へと連れて行きます。

 

 その時に小南共々那須とは会っているのですが、描写した通り会話は必要最低限しか行っておらず、その後も彼女と積極的にコンタクトを取る事はありませんでした。

 

 那須にとっては七海を助けてくれた第二の恩人でもありますが、七海を通じて迅と玲奈の関係は聞いていたので、どう接していいか分からずに避けていた部分もあります。

 

 那須にとっては迅は自分の所為で想い人を失わせてしまったどころか死んでしまいそうだった七海を助けてくれた相手でもあるワケで、どんな顔をして会えば良いか分からなかったのです。

 

 加えて、七海への罪悪感で一杯になっていた那須に他の事を考える余裕はまずありませんでした。

 

 当時の那須は病的と言って良いほど七海に献身的に尽くしており、その有り様は「罪悪感で彼女を縛ってしまった」と七海に却って負い目を抱かせる結果となる程です。

 

 こうして二人の拗れた関係が始まり、迅もまた徹底して個の幸福を捨てて「最善の未来」という望み(のろい)に向けて歩き出します。

 

 今作ではこの時が初登場となる瑠花ちゃんは、そんな迅に忠告をしますが当然この時のメンタルの彼にそれを受け入れる事は出来ませんでした。

 

 しかし忠告の内容自体は覚えていたので、後で感謝を告げたワケですね。

 

 この世界線の琉花はアリステラ防衛戦に参加し自身と陽太郎がこの世界へ逃げる手助けをしてくれた迅に感謝し、密かな想いを向けていました。

 

 そんな彼女からしても迅のこの有り様は見ていられない程酷いものだったのですが、その精神状態を鑑みて言葉が届く余地はない事も理解していたのでこの時点では忠告に留めていました。

 

 彼の時計の針を進めるのは、自分ではないと理解していた為です。

 

 そのあたりを描写した「七海玲奈③」の最後では、七海と修という二人のキーパーソンの「ボーダー隊員となる始まり」を迅が告げる事で幕となっています。

 

 二人共迅の行動によって入隊した人物であり、迅が希望を託した者達でもあります。

 

 こうして、主人公達の物語は始まりを迎えたワケですね。

 

 次話では修を強引に入隊させた事について城戸に問われる迅ですが、そこでの様子で城戸は彼が無理をしている事を察します。

 

 大丈夫かという城戸らしからぬ言葉をかけますが、当然この時の迅さんには届きません。

 

 そんな様子を見て、それでも迅の力がなければ平和な未来など有り得ないが故に見過ごすしかなかった城戸さんの心労は相当なものでしょう。

 

 その心境が零れたのが、あの呟きというワケです。

 

 同様に林道もそんな迅の様子には気付いていますが、同じように踏み込む事は出来ませんでした。

 

 今の自分の言葉では届かないと理解出来るが故に、歯がゆい思いをしながらも何も出来なかったのです。

 

 次の「三雲修②」では、入隊した修に迅が早々に接触し七海達那須隊の試合を見るよう促します。

 

 これは同じく最善の未来であるキーパーソンである七海と修に接点を作る事を目的とした助言であり、そういった目的があったので原作とは異なり早期に迅さんは修と接点を持つ事となります。

 

 そうして修に七海の試合を見るよう促して立ち去ろうとした迅ですが、そこを太刀川に見咎められます。

 

 彼が指摘した通り、迅さんは七海と会う事を避けていました。

 

 玲奈の面影が色濃く残る七海と会う事を、無意識に忌避していた為です。

 

 太刀川は旧ボーダーの面々と異なり迅の事情を詳しくは知りませんが、だからこそ無遠慮に踏み込む事が出来たワケです。

 

 迅にはこういった、遠慮なく物を言える相手が必須だったワケですね。

 

 この時点ではまだ太刀川の言葉で迅を動かす事はありませんでしたが、今後の切っ掛けを作る切り口としてこの邂逅は必須でした。

 

 次の「小南桐絵①」では、ROUND1とROUND2を迅さんの側から観戦しつつ、かねてから視えていた那須隊の歪みが表面化した事に気付き、その膿を洗い出して貰う為に東さんにそれを教えます。

 

 一人の大人としてその情報提供は素直に受ける東さんですが、当然そんな様子を見ていた小南はブチ切れます。

 

 七海に会う事なく、一人で暗躍を続ける迅はあろう事か彼に不利になる情報を対戦相手に提供していたのですから、キレない理由がありません。

 

 そこで小南は迅を怒鳴りつけ、七海に玲奈を重ねて視て未だに彼女の死を受け入れられていない事を指摘するも、迅の本音が漏れ聞こえた事で彼を見逃すしかなくなります。

 

 この時小南は相当な無力感を感じており、自分の言葉だけでは足りないと改めて実感する事となります。

 

 小南は持ち前の素直さと鋭い観察眼で、迅や玲奈の本質を見抜いていました。

 

 徹底した利他主義者という自らが幸福になる事を捨てているとしか思えない在り方に最初はキレて殴りかかり、共に戦う内にその優しさに惹かれ、玲奈の死で時計の針が止まってしまった彼をどうする事も出来ずに地団太を踏んでいたのがこの世界線の小南です。

 

 そんな小南だからこそ、玲奈を亡くした後の迅はまともに見れたものではありませんでした。

 

 表面上は社交的になり人々にも感謝される迅さんですが、昔から彼を知る小南からしてみればその姿は無理をしながら笑顔の仮面を張り付ける痛々しいものにしか映りません。

 

 しかし同時になんて声をかけて良いかも分からなかったので、かつて慕っていた玲奈の弟である七海に構うようになりました。

 

 大切な人を失ったが故の代替行為という側面もありましたが、七海も玲奈の利他主義の悪癖をしっかり受け継いでしまっている事を見抜いてからは、彼女とは別個の人間として叱咤激励するようになります。

 

 こうして頭を切り替えて自力で立ち上がれる精神性こそが、小南桐絵という少女の根幹です。

 

 彼女は根本的に「強い」人間なので、玲奈のように弱い心に寄り添うといった事は出来ません。

 

 小南に出来るのはあくまで叱咤激励であり、慰めるといった行為には不向きです。

 

 彼女のやり方は相手の強さを前提としたものである為、どん底にいる人間に暖かな言葉を向ける事は出来ないのです。

 

 境遇に同情するよりも、「どうすればそこから抜け出せるか」という実利的な面を真っ先に考えるからです。

 

 だからこそ、迅の殻を破る役目は七海に任せる事に決めていました。

 

 初めの一歩を踏み出す役目は、自分ではないと理解していたからです。

 

 また、そんな迅や小南の思惑を予想外の形で超えていたのが茜ちゃんです。

 

 ラウンド3での茜の活躍は、迅をしても予測の外にあるものでした。

 

 那須隊の面々とは敢えて距離を取っていたからこそ、迅が茜の未来を視る機会は殆どありませんでした。

 

 そしてあの活躍自体、「茜が七海に右腕の義手の事を聞く」というイベントが発生しなければ起きませんでした。

 

 茜は以前に純粋な興味で七海の義手の事を聞いてしまい、真実を知って大泣きします。

 

 感受性豊かな彼女にとって、七海が陥った境遇は決して軽々に聞いて良いものではなかったと理解したが故です。

 

 そこで七海や那須に対して何か報いる事が出来るならば頑張ろうと決起し、ライトニングに絞って鍛える事でマスタークラスに到達しランク戦での活躍に繋がりました。

 

 これがなければ、ROUND3での彼女が持ち帰った戦果は有り得なかったでしょう。

 

 そして、この活躍を影浦が見ていなければ心の準備が出来る前に七海に会いに行ってしまい、事態が拗れる結果となっていました。

 

 そういった意味で、茜は影のMVPとも言えます。

 

 そんな茜の活躍を視て絶句していた迅に、再び太刀川が切り込みます。

 

 誓い(おもい)を言い訳にしている迅に対し、「お前ほど重いものを背負ってなくても結果は出せる」と言い切り彼を動揺させます。

 

 このやり取りがなければ、迅は七海と向き合う事はなかったでしょう。

 

 太刀川としては「自分に七海を押し付けた癖に逃げるな」という至極当然の追及と、七海に対して師匠として思い入れが出来ていたが故に師としての義理を果たすつもりでこういった行動に出ました。

 

 成績や素行はどうあれ本質を突く鋭い観察眼を持っている太刀川ですから、このくらいの芸当はこなします。

 

 彼の介入がなければ迅の決心が決まり切る事はなかったので、影の功労者である事は間違いありません。

 

 まあ、不甲斐ない迅を見てかつての好敵手として居ても立っても居られなかったという側面もありますが。

 

 そうして七海と向き合い、その結果として彼に諭されたのが迅さん視点から見た「七海玲一⑤」である「Re:七海玲一⑤」です。

 

 かつての間章では七海の側から描いたシーンですが、今回はそれを迅さん側の視点で裏側を含めて描写しました。

 

 此処でようやく迅さんは殻を破り、凍っていた時計の針が動き出す事になります。

 

 罪悪感でと悲しみで眼を覆っていた迅さんが、ようやく前を向いた瞬間でした。

 

 彼には何よりも、玲奈の弟である七海の「赦し」が必要だったワケです。

 

 自分が死なせてしまった玲奈の弟である七海から詰問でも同情でもなく、「感謝」を向けられた事。

 

 それが切っ掛けとなって、彼の時計を覆う氷は氷解したワケです。

 

 次の「小南桐絵③」は、実質「七海玲一⑥」の裏側です。

 

 七海と迅のやり取りを聞いていた小南やレイジが、どういった想いを抱いたのか、

 

 それを、彼女達の視点から描写したのがこの話です。

 

 かつては迅のボーダーでの役割の大きさ故に彼に「足を止めて良い」と言えなかった二人ですが、現実を見ている為に言葉をかけられなかったレイジと異なり、小南はどう言葉をかけて良いか当時は分かりませんでした。

 

 ですが七海とのやり取りを聞いてどう言葉をかければ良いか理解した小南は、迅に切り込みます。

 

 即ち、「辛いなら止めても良い」という一言を。

 

 玲奈は迅に寄り添う事はしても、彼を止める事はしませんでした。

 

 同類の精神構造をしていたが為に、彼の想いを理解し過ぎてしまっていた為に彼を止める、という選択肢を持てなかったからです。

 

 ですが、小南はそんな玲奈とは異なり間違っているなら止めるという選択肢を持てたが為に、この一言が出て来たワケです。

 

 実際止めるかどうかはともかく、こうして強引にでも迅を叱咤激励する事こそ、必要だったのですから。

 

 ちなみに自分の言葉がようやく迅に届いた事で小南のテンションはおかしな事になり、寝室突撃に繋がるワケですがそれはご愛敬です。

 

 次の「城戸正宗①」では、昇格試験の仕様についての提案を上層部に持っていくシーンです。

 

 最初は根付さんや鬼怒田さんといった面々がいた為に事務的に迅に言及した城戸さんですが、旧ボーダーの身内のみが残った場では全面的な協力を表明します。

 

 作中で言及したように迅が無理をしているのが分かれば強引にでも止めるつもりでしたが、そうではないと彼の眼を見て理解出来たのでゴーサインを出したのです。

 

 この世界線では玲奈の存在があった為、原作と異なりこの時点で城戸さんは心情的には迅の味方です。

 

 ですが三輪という裏の広告塔の存在もあり、そういった面を表に出す事は出来ない為表向きは対立している事になっています。

 

 しかし、玲奈の件以降迅を気にかけていたのは事実なので、三者三様に彼を心配していたのです。

 

 此処で迅の口から出た「────────ああ、大丈夫だよ。未来(おれ)はもう、先へ進めるから」という言葉こそ、彼等が聞きたかった言葉なのですから。

 

 章の最後である「Re:未来を識るもの」は前章の「未来を識るもの」へ至る為の道程が迅さん視点で描写されています。

 

 此処では再起し、ランク戦を勝ち抜いていく七海達那須隊の様子を見守りながら、各試合の感想を描写しています。

 

 それぞれの試合を、迅さんがどういった想いで見ていたのか。

 

 今回は、それが分かる回となっています。

 

 そしてこの日に至るまでに尽力してくれた面々に心の中で感謝を告げ、遂に迅は最後の壁として七海の前に立ちはだかる舞台へ進みました。

 

 (来い、七海。今度は、俺が────────いや────────俺と、最上さんが。相手だ)という彼のモノローグこそ、この断章の集大成と言えます。

 

 このモノローグを描く為に、迅さんの視点で過去を描写したのですから。

 

 このあたりはもう、ノリノリで筆を執っていました。

 

 きのこ病罹患者らしいポエミーな表現も全開で使いましたし、こういった湿度の高い話を描くのは大好きなので。

 

 次は色々反響の多かった、VS迅悠一編の解説となります。

 

 お楽しみに。



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各章解説・及び裏話/VS迅悠一編

 

 第十二章『LAST TRIAL/迅悠一』

 

 この章はA級上位部隊の面々が風刃を持った迅さんに挑む、VS迅さん編です。

 

 断章で迅さんのバックボーンを描写し、その思惑を知った上でこの対決に至るように構築しましたので我ながらこの二つの章は傑作だと思っています。

 

 これらの章で描きたい事は大体描き切った、と断言しても良いと考えています。

 

 章の最初の話では、迅さんが影浦に会いに来ます。

 

 七海に諭される事で歪みから解放された今の迅さんは、周囲の人間の心情を顧みる余裕が出来ています。

 

 だからこそ影浦に七海の事をほぼ任せきりのような形にしていた事を悔い、こうして感謝を伝えに来たワケです。

 

 これまでの目的以外を下に置いてしまっていた迅さんでは、まず有り得ない行動です。

 

 過去の呪縛から脱していなかった迅さんに人を気遣える余裕などあるハズがなく、「必要だから」と他者の心情を無視した所業も行っていました。

 

 しかし色んな意味で目が覚めた迅さんはそんな自身の行いを猛省し、可能な範囲で補填を行うようになったのです。

 

 そしてカゲさんは副作用(サイドエフェクト)により、そんな迅さんの心情を見抜きます。

 

 カゲさん的には迅さんは同情すべきところや共感出来る部分は色々あるとはいえ、好感度自体はそう高くありません。

 

 七海を散々振り回してもいたので、どちらかと言えばマイナス寄りでした。

 

 ですが、こうしてダイレクトにその感情を感じ取った事でその在り方に理解を示し、話を聞く事にしたのです。

 

 とはいえ、此処では二人が会った時点で迅さん側の目的は果たされていたので、お礼を告げて終わりです。

 

 しかしこの邂逅がなければカゲさんは迅さんの在り方を識る事はなかったので、必要なイベントだったと言えます。

 

 さて、次話の「現在を識るもの」はタイトル通り、迅さんの現在を識る少女二人が自身の意思を示す話です。

 

 前半では七海達がどの試合を観戦するかを話し合っていますが、この時点では熊谷や茜ちゃんは生駒隊をプッシュしていました。

 

 熊谷は同じ弧月使いとして生駒さんが迅さんとどう戦うか興味がありましたし、茜ちゃんは自分とは異なる移動トリガーを持つ隠岐がどうするか気になっていました。

 

 ですが、二人共「敢えてどの部隊が良いか選ぶなら」とプッシュしただけで、そこまで拘っていたワケではありません。

 

 なので、七海が説明した「理由」を聞いてそちらに納得したのです。

 

 さて、本題の少女二人ですが、この時点で両名共迅さんの意思に理解を示していたので、同じように激励(エール)を贈ります。

 

 琉花ちゃんは己の立場を引き合いに出して背中を押し、小南はちゃんと見てるから頑張れと背中を叩きます。

 

 昔馴染み二人から「好きにやれ」とお墨付きを貰った事で、迅さんのやる気はこれ以上ない程高まりました。

 

 正直、那須隊は勿論香取隊や影浦隊相手にあそこまでハッスルしたのはこのエールがあった為でもあります。

 

 テンションが割と最高潮になって、実力を十全に引き出してしまった形です。

 

 迅さんはどちらかと言えば気力が充実し、前向きな精神状態の方が潜在能力(ポテンシャル)を最大まで発揮出来ます。

 

 どんな精神状態でも実力が落ちる事はありませんが、その上で戦闘者として好ましいのはポジティブな思考をしている時です。

 

 基本的に迅さんは悲観的な思考をしがちなので、義務感だけで戦っているとどんどん後ろ向きな思考をしてしまいその心の痛みに堪える為にリソースを消費してしまうので、持てる精神的な余裕が少なくなります。

 

 だからこそ、前向きな精神状態であればそういった無駄な消耗がない分、持てる性能(スペック)をフルで活用出来るのです。

 

 そういう意味で、少女二人の激励は意味があったワケですね。

 

 次話の「選ぶもの」は、文字通りどの試合を観戦するかのお披露目です。

 

 王子隊は順当に協力者だった香取隊と、色んな意味で興味津々な那須隊を。

 

 生駒隊は、消去法で香取隊と、迅さんの晴れ舞台を見る為に那須隊を選びました。

 

 この時生駒隊が那須隊を選んだのは、生駒さんの意見を隊全員が全会一致で賛同した結果です。

 

 前々から生駒さんが迅さんと七海さんの事を気にしていたのは全員が察していましたし、そんなイコさんに賛同しない選択肢は生駒隊にはありません。

 

 イコさんは自分の意思を汲んでくれたチームメイトに感謝し、後に食事を奢ったそうです。

 

 生駒隊は生駒隊らしく、和気あいあいな雰囲気だったというワケです。

 

 さて、香取隊は消去法で王子隊、生駒隊の二部隊を選び、弓場隊は弓場さんのコネクションから生駒隊と王子隊の二部隊を選びました。

 

 弓場さんからすると生駒隊がどう戦うかは気になるところですし、王子のやり口も見ておきたいという想いがあった為です。

 

 神田も自分の最後の試合になるこの試験ですが、彼としてもこの二部隊は気になっていたので異は唱えませんでした。

 

 他の面々も特に反対意見もなく、スムーズに決まった形です。

 

 そして影浦隊は香取がマンティスを習得したと七海から聞いていた為香取隊を選び、隊全員の意向として那須隊の試合を観戦する事に決めていました。

 

 作中で言及した通り、これは隊の全員の意向が秒で一致した結果です。

 

 影浦隊の面子にとって、那須隊の試合を観戦しないという選択肢は有り得ません。

 

 勿論影浦が気になっていた事もありますが、そんなカゲさんの気持ちを全員が理解していたので否など出よう筈がありません。

 

 そんな影浦隊の意向を察した七海は内心で感謝し、弓場は影浦らしいと内心ニヤリとしたようです。

 

 最後の二宮隊は順当に影浦隊と弓場隊を選びますが、これは取るべき戦術は既に決まっていたのでポイント順に選んだだけです。

 

 二宮隊としては他部隊が直に迅とどう戦うかという参考資料が欲しかっただけなのでどの部隊にするかは拘らず、ポイントが高い順に選んだ形となります。

 

 もしも那須隊の試合が自分達より前であればそちらを選んだでしょうが、那須隊の試合は彼等より後だった為にこのようになりました。

 

 そして遂に、最終試験が開始されます。

 

 香取は、那須隊を容易く撃破した迅さんを見て内心では怒り心頭でした。

 

 今の香取に、そして香取隊にとって那須隊は超えるべき最大の目標であり、作中で言及している通りなんだかんだで彼女達の強さを絶対視している気がありました。

 

 そんな那須隊がまるで歯が立たずにやられたのを見ているので、心中穏やかではありません。

 

 しかし幾度もの挫折を経て切り替えが早くなった香取は、そのままでは終わりません。

 

 視界封じと空中からの爆撃というガンメタ戦法を携えて、迅さんに挑みます。

 

 この砂嵐による視界封鎖と空爆は、事前情報から取れる戦術としてはかなり理想的です。

 

 空爆を行えるだけの性能と適性が必要にはなりますが、香取隊にとってこれ以上好条件で迅さんに挑めるステージはないでしょう。

 

 若村と三浦の捨て身戦法で香取が迅に突っ込みますが、戦争経験という迅独自のアドバンテージによって攻撃を捌かれ敗北します。

 

 作戦は悪くなかったですが、迅さん本人の潜在能力(ポテンシャル)の底を図り切れなかったのが敗因と言えます。

 

 ちなみに徹底して空爆を続けた場合、ほぼ確実に若村と三浦は見つけ出されて尚且つ香取も落とされていました。

 

 若村と三浦は未来視をフル活用して地形を把握した迅さんによって潜伏場所を推定されて斬られ、香取は岩山を経由した遠隔斬撃によって撃ち落とされたでしょう。

 

 また、迅さんに肉薄せずに終わるのでこのケースですと那須隊が勝利に必要な情報を得る事が出来ませんでした。

 

 そういう意味で、この選択は意味があったと言えます。

 

 また、作中で王子が言及している「視界封鎖による遠隔斬撃の発見難易度上昇」は割と致命的でした。

 

 遠隔斬撃はあの菊地原が反応も出来ずに落とされる速度を誇るので、斬撃の軌道が見えなくなるというのは回避不能になると言い換えても過言ではありません。

 

 それが知れただけでも、香取隊の貢献は大きいです。

 

 ちなみに、此処でケーキバイキングにお疲れ様会に行くと言い出していた香取隊ですが、これは後日しっかりと行きました。

 

 お陰で三浦と若村にとっては手痛い出費となりましたが、隊としての纏まりが出来る切っ掛けとなったので悪いものではなかったそうです。

 

 さて、そんな香取隊の試合も鑑みて市街地Dと猛吹雪というMAPにした影浦隊ですが、基本的な戦法は常の彼等のものと同じです。

 

 即ちゾエの適当メテオラで場を乱し、影浦が敵に突っ込む。

 

 このデフォルト戦法の発展形が、今回彼等が用いた戦術です。

 

 工夫したのはカゲさんのサイドエフェクトを考慮した上で未来視封じの為に視界封鎖の天候を選択し、カゲさん自身は白い迷彩服を纏います。

 

 この猛吹雪という天候設定はオリジナルのものですが、暴風雨という設定があった以上こういったものもあるだろうと考えた次第です。

 

 情景としては、ホワイトアウトするくらいの猛吹雪を想像して頂ければ良いです。

 

 寒い所に住んでいる側としては想像も容易なのですが、視界がほぼ0になると思っていただければそれで構いません。

 

 香取隊は視界を封鎖した影響で遠隔斬撃の視認が難しくなった事が敗因の一つでしたが、彼女達と影浦隊とでは犬飼が言及した通り前提条件が違います。

 

 当然、カゲさんの副作用(サイドエフェクト)である感情受信体質の存在です。

 

 これがあるお陰でたとえ視界が0に近くとも、カゲさんは攻撃を察知可能です。

 

 なので香取隊が負ってしまったリスクをある程度踏み倒す事が出来る為、この天候での戦いに踏み切った次第です。

 

 そんな影浦隊が敗北したのは、策を練り過ぎてしまった為です。

 

 カゲさんは先日の迅との邂逅と香取隊の試合観戦によって、迅さんにある種の幻想を抱くようになっていました。

 

 「この程度、通じる筈がない」というある種の絶対視です。

 

 その所為でいつも通りの戦術から離れ、付け焼刃の戦法を採用した結果隙を突かれる形で敗北しました。

 

 色々と考える事が多くなり、つい考え過ぎて道を踏み外した形となります。

 

 消灯戦術は作中で言及した通り、迅さんにとっては対処が容易なタイプの戦術に過ぎませんでした。

 

 なので、影浦隊は初志貫徹しテレポーターを得たゾエさんとワイヤーを利用可能なユズルの援護を受ける形で吹雪の中で戦った方が、遥かに勝率は高かったのです。

 

 この試合は文字通り、考え過ぎて墓穴を掘った形になります。

 

 これは試合後に影浦も痛感しており、自分の失敗の原因である迅への絶対視を避けるよう伝えます。

 

 どれ程の力を持っていようが完璧な人間などおらず、迅もまたそれの例に漏れない。

 

 その事を師匠から教えられた七海は、決戦の地へ向かいます。

 

 二宮隊は順当に実質的な生存点である3点を獲得した為、敢えて説明すべきところはありません。

 

 彼等は事前情報に惑わされる事なく、自分たちの戦いをやり遂げた結果として三点を得た。

 

 それだけに、過ぎないのですから。

 

 決戦前の回、「激励」では那須隊と迅さんがそれぞれ自分達を良く知る面々から文字通り激励を受けます。

 

 こういう決戦前の激励ラッシュは割と好きな描写なので、やれて満足です。

 

 さて、遂に迅さんとの決戦となりますが、此処で河川敷Aと暴風雨という組み合わせを選んだのは原作オマージュの一つでもあります。

 

 このMAPと天候の組み合わせは、原作で那須隊が初登場した試合と同じです。

 

 迅さんとの決戦はこの組み合わせでやると、前々から決めていました。

 

 こういうオマージュは割と大好きなので、やりたいようにやった結果です。

 

 ちなみに作中言及があった通り、当初七海達は暴風雨ではなく濃霧を選択するつもりでした。

 

 ですが、香取隊と影浦隊の試合を見て視界を0にするのはマズイと考え直して暴風雨に切り替えました。

 

 仮に濃霧だった場合は遠隔斬撃の凶悪度が増していた為、勝つ事は出来なかったでしょう。

 

 そういう意味で、香取隊と影浦隊を選んだのは間違いではなかったワケです。

 

 那須隊は二部隊の試合を経て、「戦術を練り過ぎると墓穴を掘る」という事を理解し、練りに練った戦術ではなく地力を活かした正面決戦を選びます。

 

 太刀川が言及している通り、迅相手への最適解は「凝った戦術は使わずに地力と数の差でぶつかる」事です。

 

 影浦隊は前者の戦術選択による影響で、香取隊は後者の地力が足らずに敗北しました。

 

 だからこそ、那須隊はこれまで培って来た地力を活かして各々の機転をフルに使う形で正面から挑んだのです。

 

 迅さん相手だと、これが最適解です。

 

 下手に綿密な戦術を使ってそれに全てのリソースを注ぎ込めば未来視でそれを把握した時点で詰まされるので、この正面決戦が最も勝率が高い形となるのです。

 

 また、雨の中の橋上の決戦は絵面としてもかなり良いので、見栄えという意味でも最高の舞台でした。

 

 ちなみに橋を爆破しての崩落する橋での戦いも、私の趣味を反映した結果です。

 

 迅さん撃破の為には波状攻撃をかけ、とにかく処理能力を圧迫し続けるしかなかったので、戦術としての有効度も確かにありましたが。

 

 その後の変則マンティスは、原作で遊真が帯島ちゃん相手に模擬戦で使ったのと同じです。

 

 崩れる橋越しのもぐら爪という未来視で視認し難い攻撃を行う事で、有効打に繋げたワケですね。

 

 原作で迅さんが直々に「読み逃した」と漏らしているように、もぐら爪は迅さんに対しては有効な手札です。

 

 これは地面を経由するという性質上、迅さんの未来視でも視認し難い攻撃である為です。

 

 迅さんの未来視は、今戦っている戦闘のログを先んじて見る事が出来るようなものと解釈しています。

 

 なので未来の映像(ログ)に映っていない個所や映っていても目立たない個所は「見逃す」可能性が出て来る為、もぐら爪は有効なワケです。

 

 もっとも、知っての通りもぐら爪は隙の多い攻撃なのでただ使うだけでは足りず、一工夫が必要だったワケですが。

 

 そしてフィニッシュに繋がる有効打となった茜ちゃんの狙撃も、原点回帰という事でライトニングを用いた精密狙撃を決めてくれました。

 

 連射が可能なライトニングだからこそ、一発目を囮とした疑似ツイン狙撃が成功したワケです。

 

 こうして那須隊は迅の①オペレーターがいない為緊急警報(アラート)を受け取れない②シールドもバッグワームも張れない③攻撃に対する対応が回避か迎撃の二択に絞られる④空中への攻撃手段が無いという四つの穴を利用し尽くした形で、どうにか迅に刃を届かせました。

 

 この時の迅さんの心境は、語る方が無粋というものです。

 

 きっと、とても良い顔をしていた筈ですから。

 

 「君を選んで、良かった」という言葉に、その想いは集約されています。

 

 次話で「貴方に選ばれて、良かった」という七海の独白は、その想いに対する返答のようなものです。

 

 迅から七海へと、しっかりとその意思は伝達出来たワケですね。

 

 そして、瑠花と小南からの「お疲れ様」は、色々な意味が込められていました。

 

 七海の壁となるという役目を終えた迅への労いであり、自分を超える七海を目にするという目的を果たした彼への祝福でもあります。

 

 こうして、風刃を持った迅さんとの戦いという大一番は幕を下ろしたのです。

 

 最後の「那須隊②」では、語る事はそう多くはありません。

 

 那須隊は勝利の結果としてA級へ昇格し、二宮隊・影浦隊はペナルティ解除と有事のA級と同等の行動権利を獲得します。

 

 これで、大規模侵攻への七海側の事前準備はほぼ整ったと言って良いでしょう。

 

 ちなみに此処でお披露目した隊章は、かなり以前に創作コミュニティで隊章のイメージを呟いた結果、それを聞いていたHITSUJIさんが次の日にはポンと仕上げてくれていました。

 

 使用許可を頂き使用するにあたって更にリメイクして下さったので、これはもうホント感謝しかなかったです。

 

 格好良い隊章をお披露目出来て、もう感無量でした。

 

 貰った時からお披露目の時をずっと待ち続けていたので、此処まで来れた事には感動したものです。

 

 これで、私としても渾身の出来栄えだった迅さん編が終わります。

 

 次は遂に原作の時間軸に追いつき、修が出て来る修編解説となります。

 

 お楽しみに。



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各章解説・及び裏話/修編・遊真編

 

 第十三章『THE SECOND PIECE/三雲修』

 

 この章はタイトルの通り、原作主人公三雲修が物語に正式に参戦する章です。

 

 これまでも迅さんの回想に付随する形でちょくちょく顔を出してはいましたが、本人が「痛みを識るもの」というストーリーに本格的に関わって来るのは此処からとなります。

 

 さて、本編主人公にして人気キャラである修を本格登場させるにあたって、色々と気を付けた事があります。

 

 まず、修を空気にしない事、そして私のクリエイトしたキャラである七海との関りを持たせ、良い方向へ向かわせる事です。

 

 この「痛みを識るもの」の主人公は七海玲一ですが、原作主人公というのは決して蔑ろにしてはいけない立場のキャラクターです。

 

 二次創作者として原作を「扱わせて貰っている」側として、原作へのリスペクトは決して忘れてはいけません。

 

 原作のメイン舞台とは離れた場所でやるよ、原作キャラとも関わらないよ、というスタンスならばともかく。

 

 原作沿いで物語を進行させる以上、主人公というなくてはならない中核のキャラクターを自身のキャラを持ちあげたい為に貶めるなど以ての外です。

 

 この分別だけは常に忘れないよう心掛けていますし、それが守られていない作品は基本見ない事にしています。

 

 ただ好き勝手にネットで文章を書き連ねている以上趣味の範疇なのでしょうが、だからこそそういった線引きはきっちりしていかなければ創作者とはとても名乗れないと私は考えています。

 

 あくまで私の個人的な意見ではありますので、他者の作品を貶める意図はありませんのでご留意を。

 

 さて、話は戻りまして修をどう扱うかについては、色々悩みました。

 

 まず、知っての通り修は弱いです。最弱の部類です。

 

 1対1ではあの唯我にすら負け、B級中位以上の相手に単独でカチ合った時点で大体落ちます。

 

 故に修の主人公らしさは知恵と知略を駆使した横紙破り、奇策による騙し討ち不意打ちの類になります。

 

 凡そ正統派主人公からかけ離れた特技ですが、こういったキャラ性だからこそワールドトリガーという世界観で主人公を務めていられるのだと思います。

 

 そんな修を空気にせず、どう活躍させるか。

 

 答えは、「成長の先取り」でした。

 

 原作ではランク戦で何度か用いた置き弾戦術や、東さんによる壁抜きショットによる敗北を経てようやく辿り着いたワイヤー戦術を、テコ入れで原作開始直前の段階で仕込み始める事にしました。

 

 理由としては、この二つは習得にさして時間がかからないであろう事、そして習得した場合の効果が目に見えて分かり易い事があります。

 

 まず、置き弾は作中で実践した通りC級に対して絶大な威力を持ちます。

 

 C級隊員はこれまでの原作描写を見る限り、ある程度ポイントがあるにも関わらずB級に上がる気配がない者が大半であり、C級三馬鹿が彼等の中ではなんとか来期のB級昇格が狙えるという時点でお察しです。

 

 そして、使用可能なトリガーが一つのみというC級の特性上、ハウンド無双なランク戦環境が予想出来ます。

 

 例の三馬鹿もハウンドを使っていますし、C級の中でもある程度以上ポイントのある隊員はハウンドを使う者が多いと見て間違いないでしょう。

 

 何せ、トリガーが一つしかない以上シールドを張る事は実質出来ず、四方から襲い掛かる弾丸を避けるのはC級では難しいからです。

 

 なのにそういった面々が中々B級に上がれないのは、稀に当たる「本物」に負けてポイントがごっそり取られたり、リスクを恐れて高いポイントの相手との戦いを避けてちまちま格下相手にポイントを搾取しているからでしょう。

 

 原作で三馬鹿がやっていたような「一定以上のポイントを超えたばかりのC級を狙って対戦を申し込む」という手段も、恐らく似たような事はこれまでにもされて来たものと思われます。

 

 三馬鹿が「一番マシなC級」である以上、他のC級の性格傾向は大体知れます。

 

 原作で出て来るC級はどのキャラも「自分の事を棚に上げて他人を馬鹿にする」「噂を鵜呑みにして陰口を叩く」等碌な事をやっていません。

 

 なので、大方のC級は「学生気分のままボーダーに来て意識がそのままの年相応の思春期ボーイ&ガールズ」と推測出来ます。

 

 ボーダーの正隊員は、原作を見て分かる通り年相応では全くなく精神年齢がかなり高く成熟している者が多いです。

 

 彼等のように「組織の一員」であるという自覚がない、「ちょっと面白いバイト先にいる」程度の感覚の学生。

 

 それが大半のC級隊員だと、私は推察しました。

 

 なので、思考力や煽り耐性は並の学生とそう変わりありません。

 

 そんな学生相手に、戦術の一環として逃げたり嫌がらせをする事に一切の抵抗を覚えない修が置き弾という決め技とそれに付随する勝利への道程を得た状態でぶつかればどうなるか。

 

 その結果が、某C級隊員と修の対戦の結果です。

 

 ちなみに修相手に出したC級隊員は名前は適当で、もう二度と登場しないモブです。

 

 一般的なC級隊員代表として、ちょっと出番を与えたに過ぎませんのであしからず。

 

 さて、修にアステロイドと置き弾を教えた七海ですが、これは彼が出水という天才射手から直接指導を受けた弟子だからこそ出来た事です。

 

 出水は知っての通り感覚派の天才ではありますが、あの二宮さん相手に戦術を仕込んだり、烏丸がにのまるをやれる程度に射手の戦い方の知識があったのは、恐らく彼の影響でしょう。

 

 直接指導を受けたワケではないであろう烏丸が、修に射手としての戦い方を仕込める程度に仕上がっているのですから、弟子として師事した七海がある程度指導法を習得していても不思議ではありません。

 

 とは言っても出水と七海では指導力に雲泥の差がありますので、基礎を仕込むのが限界ではあるでしょう。

 

 七海は後に作中で木虎が言及するように才能がある側の人間であり、持たざる側である修の感覚は分かりません。

 

 背の高い人間が背の低い人間の悩みを理解出来ないように、これは性質上どうしようもない事なのです。

 

 そこで、次の指導者として名乗りを挙げるよう仕向ける事にしたのが木虎です。

 

 原作では「規則を破った上に訓練用トリガーでトリオン兵を倒した「同い年の」無名の凄腕」という誤解があった為に、第一印象は最悪と言って良いものでした。

 

 木虎にとっては「同い年」で「凄腕」というのが重要な要素であり、同年代には「負けたくない」が対人欲求である彼女にとっては規則を破って平然としている修は「自分の実力を鼻にかけている生意気な同年代」にしか見えなかったでしょう。

 

 ですが今作の木虎はC級の研修中に修の姿を見かけ、その工夫に関心するというワンクッションがありました。

 

 更に今回の章で七海仕込みの修の戦術が炸裂した事で、木虎の眼には「弱いけどそれを理解しつつ正しい努力をして勝ち上がろうとしている見どころのある少年」として修が映ったのです。

 

 木虎は結果の出ない我武者羅な()()の努力を嫌いますが、反面正しい努力をして強くなろうとする人間には好意的です。

 

 それに、修のトリオンが少ないのは見れば分かるので、過去に同様にトリオンの少なさで苦労した経験からの共感もあったと思います。

 

 今回のケースでは原作のような初対面での大きな悪印象がなかった為に、こういった反応に落ち着いたというワケです。

 

 木虎は基本的に承認欲求の塊ですが、同時に面倒見が良い善人でもあります。

 

 ただ、自分の評価を高める方法が「自らを鍛えてより良い結果を出し続ける」だけだと勘違いしている為、仕事は出来るけど友人は少なく彼氏もいないOLみたいになっているだけです。

 

 なので、今回の修のように「見どころはあるけどこの先困る事があるかも」という状態でエンカウントすれば、「頼って貰えるチャンスがあるかも」と接触に前向きな状態となるのです。

 

 それでも口実がなければ自ら話しかけに行かないあたりは、木虎が木虎たる所以なのですが。

 

 「迅悠一⑤」については、今更語る事はそうありません。

 

 二人は一つの大きな山を乗り越え、亡き大切な人にその報告をした。

 

 これは、それだけの話なのですから。

 

 そして、章の最後の「空閑遊真①」。

 

 この回を以て、「痛みを識るもの」は正しく原作時間軸へと突入する事になります。

 

 最後のピース、遊真が揃う事で。

 

 物語を駆け抜ける為の、最後の欠片が揃ったのですから。

 

 

 

 

 第十四章『THE LAST PIECE/空閑遊真』

 

 今回の章は、原作序盤での出来事がこの「痛みを識るもの」の世界線でどう展開するかを描いています。

 

 まず、最初の差異は迅の登場タイミングです。

 

 原作では迅が修達に接触するのはイレギュラー門事件の時ですが、この世界線では遊真がバムスターをぶちのめした段階で接触します。

 

 これまでの経緯もあって原作とは異なるルートを選んでいる迅さんは、既に修にも何度も干渉している事もあり、最後のピースである遊真にも初期から介入をする予定でした。

 

 迅さんはこの時点では、まだ性格の分からない遊真はともかく明らかに自分や七海と同じく自己犠牲を躊躇しないタイプである修には未来視の事は話さない予定でした。

 

 自分たちのような人間が身の丈以上の事をやろうとすれば何をするのかを身を以て理解している為に、「大事な未来のピースに危険な真似はさせられない」と守りの思考に入っていた為です。

 

 そんな迅さんの後ろ向きな考えを強引にぶっ飛ばしたのが、ジト目プリンセスこと瑠花ちゃんです。

 

 琉花ちゃんは当初、プロットには影も形もありませんでした。

 

 まあ、プロットを構築した段階では原作に登場していなかったので当然と言えば当然なのですが、いなかった筈だったのです。

 

 ですが、迅さん編に入ったら急に出て来ました。

 

 にょっきりと。

 

 一度出した以上その存在感から次の出番は? と無言の催促が来ているようで無視も出来ず、あれよあれよと迅に絡む形で繰り返し出る事になったのです。

 

 ですが、それでもこれまでは七海達主役に絡まない、裏方での出番でした。

 

 いわゆるマスターシーン専用のキャラのような扱いで、直接物語には関わってはいなかったのです。

 

 ですが、今回彼女はそんなの関係ねぇとばかりに主軸の物語に介入します。

 

 他ならぬ迅が、この期に及んで逃げ腰な思考をしていたからです。

 

 急に出て来た瑠花ちゃんを表向きの立場で紹介しようとする迅さんですが、当然そんな事は彼女は知った事じゃないと本当の正体をぶちまけます。

 

 これには迅さん、ガチで慌てます。

 

 それはそうでしょう。

 

 琉花ちゃんの存在は、ボーダーの最上級の機密に当たるものです。

 

 彼女の正体を知る者はごく限られており、旧ボーダー以外の人間は殆ど知らないだろうと推測されます。

 

 そんな彼女がいきなり部外者に正体をばらしたのですから、本来ならば大ごとです。

 

 ですが、瑠花ちゃんからすると見当違いも甚だしいのです。

 

 七海・修・遊真は迅が「最善の未来」に必要なピースとして選んだ、希望の欠片です。

 

 ならば、「部外者」などという言葉は当て嵌まらず、むしろ「当事者」と称して然るべきでしょう。

 

 そして迅の懸念した修の無茶も「無茶をさせた上で死なないように守れば良いでしょう」という至極当然の発破で説き伏せ、話の流れを強引に持っていきました。

 

 ちなみに以前ちょろっと説明した通り、此処で瑠花が迅を説得していなければ修に未来視の話が伝わらず、遊真を引き留める口実が出来ずにバッドエンドルート一直線でした。

 

 そういう意味で、お姫様は今回MVP級の活躍としたと言えるでしょう。

 

 ちなみに「言う事聞かなきゃ胸掴ませるぞ」という脅し文句は、あの話を書いてる最中に天啓が降りてそのまま採用しました。

 

 話を面白く、テンポ良くするにはこれしかないと思い瑠花ちゃんの勅命にゴーサインを出した次第です。

 

 琉花ちゃんは書いていて非常に楽しいキャラなので、アフターでもそれなりに書く事を考えています。

 

 というかアフターで書く話のネタは割とあるので、色んなSSを書くのでお楽しみに。

 

 次の「城戸正宗②」では三輪が迅を追及する為に城戸に談判していますが、そこは城戸さんが弁論を駆使して説き伏せます。

 

 それでも三輪の行動自体は容認する方向に持っていった城戸さんですが、当然これは迅さん側も承諾済みの事でした。

 

 原作と違い上層部との隔意などない為本来であれば必要はないのですが、三輪の裏の広告塔としての立場と復讐を志して入隊して来た者達への配慮がある為にこうする他なかった為です。

 

 城戸さんは旧ボーダーと袂を別ってから、市民の中に燻る復讐心を煽る形でも人員を集め、組織の規模を拡大していきました。

 

 三門市の性質上、決して少ないない「復讐者」が隊員の中にはいる筈です。

 

 そういった者達の立場を守り、研鑽に集中させる為にも三輪という裏の広告塔は必要でした。

 

 三輪は常日頃から近界民(ネイバー)への憎悪を口にし、親近界民派である迅への嫌悪も滲み出ています。

 

 そんな彼が城戸から重用されているという事実は、復讐者達にとって「復讐は悪ではなく、私の居場所は此処にある」と思うに値する光景なのです。

 

 ですが強力な戦力である三輪を城戸以外が自由に動かせないという現状は、大規模侵攻においてどうしても枷となります。

 

 それを取り除き、尚且つ表向きはこれまでの立場を維持して貰うには三輪自身の意識改革を促す他ありません。

 

 ですが、三輪は考えが凝り固まった復讐者です。

 

 嫌悪している迅の話など聞く筈もなく、また立場上城戸から諭すワケにもいかない以上、第三者の介入とそれが出来るだけの状態へ至る事が必須でした。

 

 そこで三輪に適切なタイミングで遊真を発見させ、その黒トリガーの存在を認識させて争奪戦の絵図を描き、そこで派閥同士の代理戦争をやって収集を付けるのが目的となりました。

 

 この変更は七海と玲奈の存在が招いたノイズでもあり、福音でもあると言えるでしょう。

 

 過去が変われば、未来も変わる。

 

 当然の事ですが、これが二次創作の醍醐味と言えます。

 

 ちなみに小南と共に迅を追及した瑠花は、意に沿わない答えが返って来た場合は本気で色々やるつもりでした。

 

 彼女は脅しは口にしますが、嘘は一切口にしていません。

 

 本気の事しか言っていないので、彼女にギルティと判断されればどうなるかは自明の理です。

 

 次の「木虎藍②」ではイレギュラー門の映像が視えた迅さんが、その対処の為に嵐山と木虎に声をかけに来ています。

 

 迅としては他の対応個所は適当なB級隊員にでも任せようと思っていたのですが、嵐山が「じゃあ俺から生駒達に声をかけておこう」と言い出したので彼等19歳組とその部隊に任せる事となったのです。

 

 普段頼る事などない迅に頼られた生駒・弓場・柿崎といった面々に否などあろう筈もなく、柿崎夫人のてるてるポイントチェックも通過した為各地に現れるイレギュラー門への対処はほぼ完璧な形で成し遂げられました。

 

 さて、本命とも言える修の通う中学校に開いたイレギュラー門から出て来たモールモッドですが、原作とは違い中距離武器であるアステロイドを装備していた為に木虎が到着するまでの時間稼ぎに成功しました。

 

 これが原作通り近接武器であるレイガストのままであれば瞬殺されていたでしょうが、射手としての基本を仕込まれていた修は距離を取りながら引き撃ちし、遅滞戦闘に従事する事で自分の役目を成し遂げました。

 

 修は自分でモールモッドを倒すのは現実的ではないと即座に判断し、時間稼ぎに徹する事を選んだが故です。

 

 もしも少しでも攻めっ気を出していれば木虎が間に合う前にモールモッドに一撃を喰らい、生身を曝け出していたでしょう。

 

 そうなるとハイレイン側の作戦の前提が違う事になってしまうので、大きく未来が変わっていた事は間違いありません。

 

 故にこの回で修は最適最善の行動をやり切った、と言えます。

 

 ちなみに言うまでもないかもしれませんが、第三中学校のイレギュラー門の位置を変えられなかったのは、当然千佳がいたからです。

 

 ラッドの門はトリオンの高い者がいればそちらに開くようになっているので、千佳以上のトリオンの持ち主がいるワケがない以上この位置だけは変えられませんでした。

 

 このデータはアフトクラトル側にも伝わっており、この事からハイレインは「高い確率で金の雛鳥は玄界(ミデン)に存在する」と確信を得たワケです。

 

 原作でC級に狙いを絞っていたのは、まさか本当に「神」になれる程のトリオンの持ち主がいるとは考慮していなかったという理由も大きいでしょう。

 

 描写を見る限り「神」の候補者探しは作戦遂行時に該当データが出れば儲けもの、くらいに思っていたのでしょう。

 

 だからこそヴィザ翁すら時間稼ぎと陽動の駒として扱い、ラービットにC級を攫わせる事に注力していたのだと思われます。

 

 しかし、今作ではC級を標的にする決定打となったであろう「緊急脱出システムの有無の判明」がなされていない為、C級を狙っても正隊員のように逃げられる可能性が消えません。

 

 そんな中で「高い確率で「神」の候補者が玄界にいる」という情報が出れば、そちらを優先するのも止む無しと言えるでしょう。

 

 金の雛鳥を、「神」の候補者を捕まえられなければエリン家当主を「神」とする計画があるとはいえ、これはハイレインの側からしても出来ればやりたくない計画の筈なのです。

 

 何せ、配下の家の当主を生贄にするのですからその家の規模や影響力によっては自身とその家に無視出来ないダメージが来る可能性が高いのです。

 

 しかもヒュースという将来有望で且つヴィザ翁が気に入っている若者を自ら手放す事になるのですから、どう考えてもこれは「出来ればやりたくないが必要ならやるしかない」類の計画です。

 

 ですので、それをやらずに済む可能性があるのであればそちらに注力するのも仕方がないと言えるでしょう。

 

 これでもしC級の方へ狙いが向いていれば流石に被害なしは不可能だったと思うので、このルートで正解だったというワケです。

 

 さて、原作では大きな被害を出したイルガーの爆撃ですが、今回は那須さんの活躍により被害をほぼ0にする事が出来ました。

 

 出水の弾を落とせるのですから、爆撃を撃ち落とすくらいの芸当は彼女ならやってのけるでしょう。

 

 弾幕勝負で技術が向上したのは、何も出水だけではないのですから。

 

 その後の展開は表向き原作と同じなので、以下略。

 

 ですがラッドの件の功績を処分免除のみに留めたのは、木虎のお陰で自力での昇格の芽が出て来たという理由と、千佳を大規模侵攻までにB級にして緊急脱出(ベイルアウト)を持たせるという必要不可欠な事情がありました。

 

 千佳ちゃんはハイレインの標的である為戦場にいなければC級に標的が変わる可能性が高く、かといってC級のままでは原作のように死に物狂いで逃げ続ける必要が出て来ます。

 

 だからこそ、いざとなれば緊急脱出させて避難させられるB級に上げておく必要があったのです。

 

 後の説明がある通り、此処での功績の半分を担保に交渉する事で千佳のB級昇格は叶ったワケです。

 

 加えてとうの修本人のB級昇格も、木虎のアドバイスにより実現します。

 

 悪名が広まりハウンド使いから避けられて対戦が成立せずに停滞していたポイントですが、木虎の仕込みによって弧月使いを狙い撃ち昇格に必要なポイントが溜まりました。

 

 此処で使った「敢えて攻撃を受けて本命の一撃に繋げる」というやり方は木虎がかつてやられ、そして実践した事もある方法でしょう。

 

 木虎は見ての通り自信家で自己顕示欲が強いので、攻撃が成功して良い気になっている時に攻撃を受けてしまった未熟な時分もあったと思います。

 

 無論やられて終わる木虎ではないのでその戦術も自分のものとしたに違いはなく、巡り巡ってそれが修を助ける事になったワケですね。

 

 そしてその後は原作通り廃駅で修達が三輪隊とエンカウントし、そこに七海が介入します。

 

 原作通り、遊真だけでも凌げたでしょうが、此処で七海が介入し忍田本部長の命令書を開示して立場をハッキリさせた事で、代理戦争参加の条件が整ったワケです。

 

 迅さんとしても太刀川さんとの約束を破るつもりは毛頭なく七海本人も乗り気であった為、争奪戦参加に否は勿論ありません。

 

 こうして、修と遊真という原作での主役二人が「痛みを識るもの」の世界に本格参戦し、その影響が各所に出て次へ繋がっていくワケです。

 

 二人の与える影響については今後の解説回で語りますので、お楽しみに。

 

 次は争奪戦編の解説となります。



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各章解説・及び裏話/黒トリガー争奪戦編

 

 第十五章『Battle of Emotions/黒トリガー争奪戦』

 

 今章は黒トリガー争奪戦と、それに絡む人間模様について解説します。

 

 サブタイトルの「Battle of Emotions」は「(強い)感情の戦い」、もしくは「情動の戦い」という意味であり、この争奪戦の根幹に各々の抱える強い感情、即ち想いが関わっているという暗喩です。

 

 最初の話では七海の介入を受けて荒れている三輪と、それを見守る米屋という構図から始まります。

 

 この争奪戦編は三輪がメインキャラであると言っても過言ではなく、最終的に七海にぶつける事も最初から決めていました。

 

 その為に七海と三輪の因縁も用意しておきましたし、三輪隊との関係も結んであります。

 

 三輪隊の奈良坂とは七海は那須を経由した縁があり、茜は奈良坂経由で古寺とも面識があります。

 

 逆にワートリ二次創作では主人公と近しい位置に陣取りがちな米屋とは、ランク戦でそこそこやり合ったくらいでそこまで深い関係性ではありません。

 

 ちなみに、米屋がワートリ二次創作で序盤の登場頻度が多いのは単純に彼と絡ませておけばワートリの戦闘好き攻撃手陣と絡む機会を自然と作る事が出来る為、話を進めやすいからです。

 

 なので序盤の安牌キャラとして木虎と共に重宝されている米屋ですが、今作では木虎と同じくこうして終盤になってからようやく本格登場と相成りました。

 

 これは今作が個人戦ではなくチーム戦がメインであり、七海の適正も集団戦の方に適性があるようチューニングしてあるからでもあります。

 

 七海は機動力と回避力、それを用いた攪乱能力は高いですが、あくまでもその能力は遊撃をメインとしたもので突破力は他のトップ攻撃手には劣ります。

 

 加えて米屋を窓口にするまでもなく七海の場合は影浦や村上といった米屋よりも絡む難易度が高い相手と友誼を結んでいる為、登場させる必要性が薄かったという理由もあります。

 

 大抵の場合は影浦や村上といった上位攻撃手の面々は米屋を窓口としてランク戦を繰り返す中でようやくコネクションが発生するキャラクターであり、序盤から深い縁を結んでいた七海の方がイレギュラーな立ち位置であったと言えるでしょう。

 

 影浦は知っての通りコミュニケーションを円滑に図るにはある程度の適正と性格の良さが必要ですし、村上は話せば答えてはくれますが自分から積極的に知り合いを増やそうとするタイプというワケでもないので彼等に目をかけて貰える実力を個人戦で示して初めて接触フラグが立ちますからね。

 

 それらをすっ飛ばして直接縁を結んだ七海は、相当に変わり者の部類と言えます。

 

 本人は、それを自覚したりはしないでしょうが。

 

 ともあれ、こうして縁は否応なく(けいかくてきに)結ばれました。

 

 次の「玉狛支部①」では原作と同じように修達の暫定師匠が決まり、小南が可愛い出オチをしたくらいの差異なので省略。

 

 「太刀川慶②」では表向きは原作と同じトップチーム帰還シーンですが、裏側では師匠二人が今回の作戦で七海が致命的な不利益を被らないか城戸さんに確認する回でもあります。

 

 なんだかんだ言いながら太刀川さんも風間さんも師匠としての自覚がしっかりとあり、あれだけ頑張ってA級になった七海の立場が脅かされるようであれば真面目に命令拒否を実行するつもりでいました。

 

 この時の二人はボーダーのA級隊員としての立場よりも七海の師匠としての立場を優先していたので、返答次第では本気でやっていたでしょう。

 

 ですが城戸さんはきちんと七海への配慮を確約してくれたので、安心して決戦へ向かう事が出来たワケです。

 

 さて、そして遂に争奪戦本番となります。

 

 今章はある意味私が散々ピックアップした「気持ちの強さは関係ない」という言葉のある意味アンチテーゼとも言える章でもあり、この言葉の本質を探る章でもあります。

 

 「気持ちの強さは関係ない」。

 

 これは太刀川が原作で発したワートリ屈指の名言であり、ワールドトリガーという作品を体現している言葉と言えるでしょう。

 

 普通のバトル作品であれば、「気持ちの強い方が勝つ」「~の想いが」と言いながら覚醒して敵を倒すところを、このワールドトリガーでは「想いがあっても実力が足りなければ勝てない」「精神論ではなく具体的な有効策を提示し実行しなければ勝てない」といったシビアでロジカルな要素が目立つ世界観となっています。

 

 私がワートリを大好きな理由にこの戦闘の徹底したロジカルさが挙げられますが、それ故に「気持ちの強さは関係ない」という言葉の本質はきちんと理解しています。

 

 太刀川が言いたかったのは気持ちの強さ()()では勝てないという意味であり、想いそのものは決して否定していません。

 

 何故なら、強い気持ちがなければそもそも努力という過程が発生せず、想いが足りなければそれは即ち鍛錬不足に繋がります。

 

 つまり、「気持ちの強さ」とは強くなる為の「原動力」であり、エンジンのようなものです。

 

 ですが、エンジンだけあっても車の性能が悪いまあであればまともな速さでは走れませんし、鍛錬と実践(メンテナンス)が足りなければあっという間に錆びつきます。

 

 だからこそ強くなる為の気持ちの強さ(エンジン)を備えた上で鍛錬と実践を積み重ね、戦術を編み上げて精進していく必要があるのです。

 

 その片方、或いは両方が足りていなかったのが初期の香取隊であり、想いだけで過程と方法が足りていなかったのが原作最初期の修です。

 

 それを改善出来たからこそ両者は成長出来たのであり、今回香取を参加させたのは大規模侵攻という本番に臨む前に彼女に実戦の空気を体感させておきたかったからでもあります。

 

 ワートリ二次創作の黒トリガー争奪戦は、基本的には何らかの理由や方法で主人公が迅さん側に付き、太刀川達トップチームと戦います。

 

 他の創作者の中にはこの定型に当て嵌まらない例外を成し遂げた方々もいますが、それはあくまでも上級者向けですので此処では言及しません。

 

 まず、何故この形になるかというと基本的に争奪戦は「太刀川側が勝つと玉狛と本格的な抗争になって後戻りが難しくなる」「万が一遊真の黒トリガー奪取に成功してしまえばバッドエンド確定」である為に、展開的に迅さんの側が勝たないとマズイ事になるからです。

 

 そして、私の作品と異なり大抵の作品は原作開始前後くらいからスタートする為、黒トリガー争奪戦が始まるのは作品の序盤になります。

 

 そんな序盤で主人公に負けイベントをさせるには早過ぎるので、必然的に展開的に勝つ必要のある迅さんの側へ配置するのが安牌なのです。

 

 逆の配置にして書き切った方もいますが、そういうやり方は相応の腕とワートリ原作への深い理解及び情報応用力がなければまず無理なので、ワートリ二次創作初心者の方は素直に迅さん側に自分のキャラを付けるようにしましょう。

 

 今作もまた、例に漏れず主人公七海とヒロインである那須が迅さんの側として参戦しました。

 

 そうなると頭を捻らなきゃいけなくなるのは、争奪戦のバランス調整です。

 

 原作のままの布陣でも迅さんの側が勝っているので、その上で更に迅さんサイドに戦力を投入する以上、同じように太刀川側にもテコ入れをしなければゲームバランスが悪くなり見栄えも相応のものでしかなくなります。

 

 そこで私が今回の争奪戦のバランス調整として採用したのが、①冬島さん万全の体調で参戦 ②香取参戦 ③風刃能力バレ の三種です。

 

 一つ目は言うまでもなく、原作では船酔いで不参加だった冬島さんの万全の状態での参戦です。

 

 これがあると即ちスイッチボックス解禁に繋がる為、太刀川サイドの取れる戦略の幅が文字通り桁が違うようになります。

 

 そして太刀川さんが迅さんの妨害を確信している以上、冬島さんが先んじて戦場になる場所にスイッチボックスを仕掛けに行くのは至極当然の事です。

 

 迅さんは大義名分を崩さない為にも戦闘開始前に冬島さんを叩くワケにはいきませんし、ボーダー隊員である冬島さんが警戒区域を出歩く事を咎められる謂れはありません。

 

 なので最初からスイッチボックスがセットアップされた状態で、用意されていたワケです。

 

 そして②の香取参戦ですが、これは最初から木虎にぶつけるつもりで採用しました。

 

 木虎は放置すると原作のように重要な駒を掻っ攫いかねない危険な駒なので、誰かしらが抑えに回る必要があります。

 

 ですが、七海の抑えに三輪と米屋が必要な以上、彼女を抑える人員は自然限られます。

 

 なので1対1で木虎を抑えに回れる駒として、香取の参戦となったのです。

 

 ちなみに、香取が参加を承諾したのは作中で明言した通り徹頭徹尾華さんの為です。

 

 香取が参戦する場合、そのバックアップとして必然的に華さんも駆り出されます。

 

 なので、香取はたとえ七海と戦える場であっても華さんの意向次第では断る事も当然視野に入れていました。

 

 自分が華さんの都合に付き合う事はあっても、自分の都合で華さんを振り回してはならない。

 

 このあたりは、香取の明確な線引きですね。

 

 なので太刀川からネタバラシを喰らった後は処分を度外視しても華さんが望むならドタキャンする気でしたが、何となく事情を察した華さんから「構わないから行って来て」と言われ、盛大にため息を吐きながら参戦したという経緯があります。

 

 基本的に香取の世界は華さんを中心に回っているので、その彼女が受け入れたのであれば自分の欲を制限する理由はなくなります。

 

 即ち、七海にリベンジしたいという欲求を。

 

 親友の赦しも得て、顰め面で内心意気揚々と太刀川の傘下に加わった香取ですが、向かった先でエンカウントしたのは以前から色々と気に食わなかった木虎。

 

 この時点で、香取の第一目標は七海から木虎へ切り替わりました。

 

 同性で実力がありA級で、何よりも自分よりも大々的に人気を得ているという香取からすればスリーアウトでギルティな木虎が出張って来た以上、香取が取るべき行動は一つしかありません。

 

 つまり、木虎の鼻をあかしてやる事、です。

 

 木虎は根は善人ですが口が致命的なまでに悪く、ナチュラルボーン上から目線なので本人が自覚しないところでも敵を作りがちです。

 

 香取もまた例の木虎被害者の会一員であり、彼女の場合は草壁や樫尾といった面々とは同時期ではありませんが彼女に挑んで敗れ、調子に乗っていた鼻っ柱をぶち折られた一人です。

 

 色々と根に持つ香取がその事を覚えていないワケがなく、彼女の目的は秒で切り替わりました。

 

 こうして、キャットファイト(物理)のお膳立てが整ったワケです。

 

 ではまずは、香取と木虎の一騎打ちから解説しましょう。

 

 木虎を抑える為に一人対峙する事になった香取ですが、双方共にこれが次善(ベスト)な組み合わせであると確信し、本格戦闘に突入します。

 

 序盤は技術と経験の質の差で木虎が圧倒しますが、トリオン差による優位に気付いた香取が遅滞戦闘に切り替えた事で雲行きが変わります。

 

 木虎のトリオンは4と修ほどではないにしろ低く、対して香取は6と高くはありませんが平均以上はあります。

 

 そのまま撃ち合いを続ければ、トリオン差で木虎が負けます。

 

 だからこそ木虎は接近戦へ切り替え、香取の懐に飛び込みます。

 

 ハウンドを技術のみで躱し、肉薄したテクニックに香取が驚いている隙に勝負を決めようとした木虎ですが、そこで香取のスパイダーが炸裂。

 

 チェーンデスマッチの様相を呈した際に勝利のイメージを明確に浮かばせてしまったが故に隙が生じ、致命打を貰ったのは香取の経験不足故ですが、すかさず当真の狙撃にて木虎も致命傷を負います。

 

 自力で勝てなかったのは悔しくとも、戦術で勝てたのだからそれで良しとしようとする香取ですが、お返しとばかりに今度はその当真が佐鳥にカウンターで落とされます。

 

 これにて二人の少女のキャットファイト(物理)は二人の狙撃手を巻き込んでの相打ちで幕を閉じました。

 

 最後の「「生意気」」というハモリ捨て台詞は自然と脳内に浮かんだものであり、この場面で二人同時に言わせるならこれしかないなと納得し、採用した次第です。

 

 この二人の戦闘では木虎はトリオン弱者故の負い目を、香取はこれまでの負債を直視する事になりましたが、それすら利用してどんでん返しを行ったと言う点で感情が影響しています。

 

 どんな弱みであろうと使いようであるという、ワートリ世界独特の価値観故の活躍とも言えます。

 

 次に菊地原と佐鳥の対決となりますが、今回は七海がまた迅さんに厄介事に巻き込まれたと見ているのできくっちーの内面はかなりイラついています。

 

 風間から七海に過度な悪影響は齎されないと確約を貰ったお陰である程度落ち着いてはいますが、七海のA級昇格で内心はしゃいでいた分その怒りは相当なものです。

 

 そんな精神状態で以前の試合でしてやられた佐鳥とエンカウントしたものですから、一直線に追いかけます。

 

 結果として時枝のサポートで菊地原は古寺を巻き込んで落ち、時枝は仕事をやり切った上で脱落しました。

 

 この菊地原の負けは佐鳥という個人に拘ってしまったが故のものであり、佐鳥は逆にそれを利用したが故に菊地原という生きたソナーの撃墜に成功します。

 

 さて、盤面は七海の方へと移り、こちらは七海が原作で三輪がやった合流する振りを利用した迎撃を行います。

 

 そしてランク戦でも定番の、置きメテオラの起爆実行。

 

 その混乱を利用した一手で、米屋を撃破。

 

 三輪とのタイマンとなった七海は、紆余屈折の末腕に重石を撃ち込まれます。

 

 ですが即座に腕ごと重石を斬り落とし、戦闘を続行。

 

 三輪に競り勝ち、両腕を落として無力化する事に成功します。

 

 この二人はそれぞれ譲れない想いを抱えていながら、それを一切作戦に反映させなかったという共通点があります。

 

 七海は迅の力になると張り切っていた為に、結果として最善の行動を取った。

 

 三輪は冷静さを失えばやられるだけだと判断し、クレバーな判断能力で的確な差配を行っていた。

 

 どちらも互いに思う所はありますが、いざとなれば感情関係なく実行可能と言う点で似たところがあるのかもしれません。

 

 那須さんと出水の弾幕勝負は、終わりまで互いを牽制し合う事で役割を果たしました。

 

 こちらは横槍の入る余地がなく、横槍が入った時は即ち勝負の趨勢が決まった時なので、敢えて解説する部分はありません。

 

 尚、翌日は晴れ晴れとした顔で「気持ち良かった」と呟く那須さんの姿があったとかなかったとか。

 

 さて、メインの迅さんと太刀川さんの戦いは風間さんが落とされた事により、正真正銘の一騎打ちとなります。

 

 ハンデとして設けた風刃の能力バレですが、迅さんは試験でも見せていなかった応用技を駆使して風間・太刀川両名を落としました。

 

 試合を見られているので風刃の初見殺し性能だけでは足りないと感じたが為に、どれだけストックしてあるか分からない未知の戦術を用いて、太刀川へ刃を届かせたワケです。

 

 こうして太刀川さん撃破により趨勢が決した為、争奪戦は終了。

 

 両腕を落とされて無力化された三輪は納得出来ないと絶叫しますが、七海はそこに自分と迅の事情をぶちまけます。

 

 即ち、迅さんもまた三輪と同様に親しい人物を目の前で失っているという事実を。

 

 三輪は原作で嵐山さんに迅が母親を近界民(ネイバー)に殺されていると聞いて態度が変化した事からも、自分の同類に見える相手にはある程度寛容になれる性質を持ちます。

 

 その為に散々絡む事になった七海の口からそれを伝える事でようやく自分を客観視出来るようになり、暴走が収まったワケです。

 

 三輪は迅さんの話は聞く耳持ちませんでしたが、他者の話であれば取り敢えず聞きはします。

 

 それでも頭は硬い方ですが、しかし内容の理解を放棄はしないのです。

 

 だからこそ敗北直後という弱った精神状態で衝撃的な事実を叩き込み、自分を見詰め直す切っ掛けとするという作戦が成功したワケです。

 

 これは実際に身内を失い三輪から同類認定を受けていた七海だからこそ、可能だったのでしょう。

 

 他のキャラから同じ事を聞いたとしても、此処まで素直にはならない筈です。

 

 その後、改めて迅から説明を受けた際には全てが吹っ切れ、憎まれ口を叩きながらも三輪の協力が確約されました。

 

 これでまた一つ、最善の未来に向かう為の準備が出来たと言えるでしょう。

 

 今回三輪を陰ながら支えた米屋ですが、あそこまでチームプレイ重視な彼が仲間を大事にしないワケがないので、ああいう動機になりました。

 

 結果的に納得出来たので、チームメイトと共に三輪を労ったワケです。

 

 そして表面上は意気揚々と帰路に着く迅ですが、風刃という師の形見を手放した彼が普通の精神状態であるワケがないので、そこを予め見抜いていた小南が強制的に休ませます。

 

 此処で小南に言わせた「大丈夫よ。アンタの未来は、ちゃんと動き出してるからさ」は原作での迅の台詞である「大丈夫。未来はもう動き出してる」のオマージュです。

 

 原作では自分に言い聞かせるように呟いた台詞ですが、こちらでは迅を労う小南の優しさに溢れたものとなっています。

 

 章の最後に香取が遊真に挑みますが、こちらは直に風刃とは別の黒トリガーに挑む経験を得る事が目的となっています。

 

 風刃は速度が尋常ではなかったとはいえ能力自体はシンプルな高速遠隔斬撃だったので、別種の格上相手との戦闘経験を積む事で本番に備えさせたかったワケですね。

 

 ですが、よりにもよって訓練室で戦った事で遊真の『錨』印(アンカー)によるクソゲーが始まります。

 

 『射』印(ボルト)との組み合わせでほぼ全方位に重石弾を撃てる遊真に、香取では成す術がありません。

 

 ですが知恵と機転を駆使して遊真にとっての未知の方法での攻撃に成功し、なんとか一矢報いる事が出来たというワケです。

 

 さて、少々長かったですがこれにて争奪戦編の解説を終わります。

 

 次は侵攻前の間章、原作序盤の残るイベントの消化等の解説となります。

 

 お楽しみに。



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各章解説・及び裏話/決戦前間章編

 

 第15.5章『Before the storm/決戦前・間章』

 

 この章は名前の通りクライマックスフェイズである大規模侵攻前、その最後の準備期間にあたるストーリーです。

 

 タイトルの「Before the storm」は文字通り「嵐の前」。

 

 どでかい嵐である大規模侵攻、その前日譚となる内容となります。

 

 章の最初は風間隊による七海への説教から始まります。

 

 太刀川と共に城戸から七海に重大なペナルティが課される事はないと聞いてはいたものの、師である風間としてはA級に昇格したばかりの時分に大それた事をやらかした弟子へ詰問したかったのは当然ですね。

 

 結果として話を聞いて納得はしましたが、場合によっては更に説教の延長も有り得た場面でした。

 

 地味に嘘発見器として菊地原に心音を見張らせていましたし、大切な相手に対しては厳しくなるのが風間さんのデフォなので。

 

 さて、その会話の中で修への興味を覚えた風間さんは、原作通りその力を見に行きます。

 

 勿論事前に修のデータは見ていたので性質的に七海と同じように実力でボーダーに貢献出来るタイプではない事は分かっていましたが、迅が見定めた以上「何か」はあると考え探りを入れに行った恰好です。

 

 また、風間も迅とはそれなりに長い付き合いになるので、本当に彼が風刃を手放してまで守る価値のある人物かどうかも確かめたかった、という理由もあります。

 

 対して、修の側はこれを格上相手に一矢報いる良いチャンスだと考え、腹の下を隠しながら模擬戦を受けます。

 

 最初に風間から「負けるつもりで戦うならこれまでだ」と指摘されますが、これは初めから修が何度も負ける事を前提として戦略を組み立てていた事が一部バレたからです。

 

 修が負ける事に抵抗感がない事を見抜いて指摘した風間ですが、彼はまだこのペンチメンタルの性質を知らなかったので「負けるつもりで戦う軟弱者か」と勘違いしたワケです。

 

 本質は「負けを前提として情報を収集しつつ勝利への道程を組み上げる」という気の遠くなるような作業をしようとしていた修の本心の一部だけを見抜き、「負けをどうとも思っていない」事だけが感知出来た、というのが実情です。

 

 今作の修はこれまで得た情報の差異により本編よりも覚悟完了の度合いが強いので、この時点で既に原作後半程度のメンタルは所持しています。

 

 なので、「何度負けても構わないからその間に情報を集めて一矢報いる為の糧とする」というやり方を当たり前のように最初から実行していたのです。

 

 途中でトリオン無限の仕組みを利用する事に気付いたというモノローグがありますが、これは修が情報収集に熱中し過ぎて基本的な事を忘却していた為です。

 

 マルチタスクが普通に出来るほど修は器用ではないので、情報集めに奔走した結果として足元が疎かになっていたワケです。

 

 そしてそんなこんなで情報収集が完了し、原作と途中までは同じ作戦を組み、そこに隠し玉であるスパイダーを用いた奇襲を行う事で勝利を手にします。

 

 修は最初から、風間に勝つにはスパイダーを利用した戦術しかないと考えていました。

 

 身体能力や戦闘センスで圧倒的に負けている以上、正攻法で勝つ事はまず不可能です。

 

 原作の方法でもある程度の勝機はあるかもしれませんが、今の風間さんは七海の件もあってやる気が満々の状態です。

 

 なのでそれだけでは足りないであろう事をそれまでの風間との戦闘で実感した彼の戦闘力と機転から感じ取り、スパイダーを切り札として用いたワケです。

 

 置き弾という、七海から教わった鬼札を彼のログから模倣した部位投擲戦術と組み合わせる事によって。

 

 ランク戦の中で何度か自分の千切れた腕や足を武器として投げたりしていた七海ですが、修も必要ならそれくらいはやるクレバーさを持っています。

 

 自分の腕を投げるというのはたとえアバターのものであっても精神的な抵抗のある場合が多いですが、ペンチメンタルにそんなものはありません。

 

 勝つ為に必要であるならば、その程度幾らでもやるでしょう。

 

 風間はそんな修の姿に七海の面影を見たので、一応認める事にしたワケです。

 

 七海の影響が見られるという事は、即ち放置してはいけない危険人物という事でもあります。

 

 それに那須という精神的ストッパーとなる存在のいる七海と違い、修にそれらしい相手は見当たりません。

 

 遊真はどちらかというと黙って修に付き従う米屋タイプですし、千佳の場合は色々と複雑な関係性なのでストッパーとしては微妙なところです。

 

 放置すれば何処まで突き進むか分かったものではないので、目をかけつつ危ない時には介入すると風間さんは決めたワケです。

 

 迅にその役割を求めるのは幾ら難でも過剰労働だという至極当然の考えは、風間さんの中にもあったのですから。

 

 ちなみにそんな風間さんの動きに模擬戦を見ていた諏訪さんは当然気付いているので、何かあればフォローすっかと密かに決意を固めていました。

 

 今後の修の動向次第によっては、彼と関わる事もあるかもしれません。

 

 風間さんイベントが終わり、その次は木虎を呼んでの玉狛での食事会となります。

 

 作中で言及した通り木虎は立場上こういったイベントは遠慮しがちですが、今回は自身が指導している修がいた事、そして嵐山からの後押しがあった事で参加と相成りました。

 

 当然、学校は同じでもそこまで話す機会のなかった小南は木虎を歓迎します。

 

 同じ気の強い少女という共通点はありますが、親しみ易さで雲泥の差がある二人です。

 

 小南は自然と人の輪に入る事の出来るお手本のような明るさを持ちますが、木虎の場合は自尊心と承認欲求の高さから来る刺々しさで人を寄せ付けない為、プライベートは割と寂しいぼっち気質です。

 

 原作で黒江に嫌われているのも、恐らくナチュラルボーン上から目線と年上保護者目線を同時にやってしまっているので、微妙なお年頃の彼女に嫌われているのでしょう。

 

 木虎は年下には分かり易く庇護対象として接するので、年頃故の繊細な面がある黒江にとっては「自分の実力を鼻にかける嫌な年上女子」として見えているのだと思われます。

 

 そんな木虎相手でも小南はぐいぐいと距離を詰め、その緊張を解き解します。

 

 小南は木虎でも認めざるを得ない程の、ボーダー屈指の戦闘者です。

 

 滅多な事で自分を下には置かない木虎ですが、流石に小南相手では強気に出るワケにもいかず、たじたじになっています。

 

 そんな木虎に、小南は本題を話します。

 

 今回彼女が木虎を歓迎した事には、純粋な善意の他にその真意を図る為でもありました。

 

 小南は迅から得た情報により、修がある意味で嵐山と似たタイプであると見抜いています。

 

 だからこそ、その指導を買って出た木虎に修の将来性のプランニングをどう見越しているかを聞き出そうとしたのです。

 

 嵐山さんは一見イケメンの爽やかヒーローですが、描写をよくよく見ると色々と闇が覗く御仁でもあります。

 

 あまりにも正し過ぎるその姿勢は記者会見で隣に立っていた柿崎等をドン引きさせていますし、遠征試験編では遊真とヒュースの隊員の死亡を考慮したシビアな意見にプラス評価を下しています。

 

 しかも、これまでの原作描写を見る限り嵐山は肉親や大切な人の喪失を一切経験していません。

 

 その上でこれだとあまりにも達観が過ぎており、覚悟が決まり過ぎています。

 

 ハッキリ言って、何の悲劇も経験していない人間が抱く姿勢としては度を越しています。

 

 迅さんの場合は分かり易く歪んでしまう「原因」がありましたが、嵐山さんの場合はそれが一切ないにも関わらず迅さんと同じような覚悟を抱くに至っています。

 

 それは修も同じで、彼の場合は麟児さんとの別離を経験していますがあれは喪失とはまたベクトルが違いますので、千佳の願いを起点にあそこまで覚悟完了してしまうのは普通じゃありません。

 

 本人は当然の事だと思っているようですが、普通はあれだけで自分の命まで懸ける覚悟は持ちません。

 

 修は自分自身の価値を色んな意味で過小評価する悪癖があるので、その所為だとも言えますがそれでも異常です。

 

 そんな、嵐山と同程度の危険性の孕んでいる修をこれからどう扱っていくかを、小南は聞きたかったワケです。

 

 嵐山は実力があって、尚且つ立場上遠征に行くワケにはいかないので小南も少し気に掛ける程度で済んでいますが────────────────修は違います。

 

 作中で言及した通り修は遠征を目指しており、しかも弱い。

 

 加えて自分の命に頓着しない性質すら垣間見えるので、そんな彼に影響を与え易い師匠である木虎に出来るならば矯正を頼みたいとも考えていました。

 

 烏丸も修の師匠ではありますが、どちらかといえば彼と噛み合うのはトリオンが少ないという共通点を持った木虎の方です。

 

 なので木虎と話す今回の機会を良いチャンスだと捉えて、問うたワケです。

 

 木虎は、修をどうするつもりなのかを。

 

 説明を聞いた木虎は嵐山の自分の知らなかった一面に驚きながらも、「静観と指導」という自身の立場を表明します。

 

 木虎は小南ほどではないとはいえ、修の危険性には気付いていました。

 

 その上で彼の意思を折るのは不可能であると判断し、それならば近くで見守りながら危険に対処出来るだけの力を身に着けさせる事に終始するのがベストだと考えたワケです。

 

 基本的に、木虎は相手への過干渉を好みません。

 

 あくまでも自分の道は自分で決めるものであり、他者が余計な真似をしても悪影響の方が強いと彼女は考えています。

 

 ですがだからこそ相手の意思は尊重しますし、正しい努力をする限りは場合によってはバックアップを惜しみません。

 

 修に対しては初対面から好印象であった事もあり、必要な支援は惜しまない前提は既に出来ていたのです。

 

 なので、帰り道の修との会話では木虎は大体ベストな言葉選びをしています。

 

 修という少年の性質を理解しつつ、効率の良い話の持って行き方をしているので解答としてはほぼベストです。

 

 今作での修のテコ入れに木虎の尽力は欠かせなかったので、私が彼女に求めた役割は大体こなせたと言えるでしょう。

 

 「城戸正宗⑤」では、遊真が三馬鹿をボコすのを見ながら上層部が迅との大規模侵攻に向けた会議をしています。

 

 此処でも迅や三輪の原作との姿勢の違いが垣間見えるので、争奪戦編の成果が出ているシーンと言えます。

 

 次の緑川イベントは、またもや修の原作からの変化が垣間見えます。

 

 原作では緑川には成す術なくやられ、遊真がおしおきするのがこのイベントの流れですが、今作で色々悪知恵を仕込まれている修は彼に一矢報いる事に成功します。

 

 やり方は緑川が苛立つ戦い方を敢えて選び、逃げながら情報を収集。

 

 苛立ちで攻撃パターンが雑になった隙を見計らい、一撃を叩き込む。

 

 これに尽きます。

 

 この戦術は緑川の精神の未熟さ故に成立した代物であり、風間さん相手にやった戦法の応用でもあります。

 

 緑川が修を舐め切っていた事を冷静に利用し、その上で最後の一本の為にそれまでの9本を躊躇なく捨てたその精神性に緑川は若干ドン引きします。

 

 まあ、それはそれとして遊真によるお仕置きは実行されるのですが。

 

 次の「三雲修⑧」では、原作でもあった修と遊真を巻き込んだ大規模侵攻に向けた会議が開かれます。

 

 此処でのターニングポイントは、修が事前にレプリカからアフトクラトルと「神」の話を聞いていたかどうかです。

 

 以前に「アフトクラトルは「神」を探す為に遠征を繰り返す場合がある」という情報を聞いていた修は、話の中でその可能性に気付いて言及します。

 

 それが転機となって、レプリカからアフトクラトルの追加情報────────────────特に重要な、ラービットに関する情報が開示されます。

 

 原作では上層部との関係性がそこまで良好ではなかった為にある程度情報を出し渋っていた面と、相手国がアフトクラトルであると確定していなかった事からラービットの情報は侵攻で件のトリオン兵が出て初めて開示されましたが、今回は修の一言で敵国がほぼアフトクラトルに絞られた状態です。

 

 加えて上層部との関係も原作ほど冷えてはいない事から、ラービットの情報開示がスムーズに進んだワケです。

 

 事前にラービットの情報をボーダーが得ていたかどうかは、かなり趨勢に影響を及ぼします。

 

 これがあったからこそ参加するC級の数を厳選したり、遊撃部隊を組む等の対策が取れたワケです。

 

 正しく、今回のMVPは修であったと言えるでしょう。

 

 また、この話で星の杖に言及したのはこのストーリーのラスボスがヴィザ翁であると強調する狙いもありました。

 

 大規模侵攻で物語を終わらせる以上、ラスボスに最適な人物はヴィザ翁以外有り得ません。

 

 原作ではまだまだ底があると思われるヴィザ翁は、本気を出す舞台を整えればこれ以上なく凶悪なラスボス枠になります。

 

 恐らくワートリ二次でも早々ない「本気ヴィザ翁」が出て来ると、勘の良い人はこのあたりで察する事も出来たかもしれません。

 

 そして、七海と遊真の模擬戦。

 

 これはプロット最初期にはなかったもので、土壇場で思い付きました。

 

 原作主人公部隊のエースである遊真と、本作主人公である七海。

 

 その二人が戦う舞台をセッティングしたかった、というのはあります。

 

 また、七海に風刃以外の黒トリガーとの戦闘経験を得させる事でヴィザ相手に食い下がる説得力を持たせたかった、という狙いもありました。

 

 あの迅相手に勝利経験すらある七海は、遊真ともある程度拮抗します。

 

 ですが徐々に遊真の傭兵としての戦闘経験が勝負を優位に運び、押されていきます。

 

 その中で見せた敢えて重石を喰らってその重量で攻撃する、という手法は漫画D.Gray-manの中でリナリーがやったものをイメージ元としています。

 

 敵の攻撃を利用した一撃、というのはロマンがありますしね。

 

 最後の一戦の決め手になった腕飛ばしスコーピオンは、ランク戦で彼が用いた戦法の一つです。

 

 遊真は修と違いランク戦のログをまだ見ていなかったので、その情報量の違いを突いたやり方だったと言えます。

 

 試合終了後に七海と那須の今作でのポイントが明かされますが、このポイントは本作での彼等の動向を加味したものとなります。

 

 七海は適性が個人戦より集団戦向きなので一万超えのポイントは少々違和感があり、されど影浦や村上と頻繁にやり合ってはいるので9759という微妙に一万に届かない数値に。

 

 那須は七海の存在によって原作よりもモチベーションが上がっており、イライラした時等はランク戦で憂さを晴らす事もあったので原作の8395よりもやや高い8765という数値に。

 

 それぞれ、設定してあります。

 

 章の最後の「決戦前夜」は、各々の主役組の決意表明の回です。

 

 修達原作主人公組は、改めて大規模侵攻へ挑む準備と動きの確認をしていました。

 

 彼等はやる事は既に決まっており、特に迷う事もないので簡潔に済ませています。

 

 次は迅さん達旧ボーダー組ですが、こちらは迅とレイジさんの会話からしっとりとした雰囲気を演出しつつ迅さんのスタンスの変わり具合が垣間見えます。

 

 以前の迅さんであれば此処まで胸襟を開く事はなかったと思いますが、それを変えたのが七海です。

 

 それを一番分かっているのは迅さんなので、台詞にもそれが滲み出ています。

 

 最後に、七海と那須の主人公ヒロイン組。

 

 こちらはよりしっとりと、本作を象徴する空気を醸し出したシリアスシーンを演出しています。

 

 色々な困難を超えてこの場に至っている二人ですから、その想いもひとしおです。

 

 二人にとって大規模侵攻という言葉は四年前の悪夢の象徴でもあるので、それを乗り越える為の改めての覚悟完了の場でもあります。

 

 こうして全ての準備が完了し、最終章が始まります。

 

 次回の解説は最終章、大規模侵攻編となります。

 

 どうぞお楽しみに。



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各章解説・及び裏話/最終章・大規模侵攻編

 

 最終章『BORDER OF BEST FUTURE/大規模侵攻』

 

 文字通りの最終章、大規模侵攻編の解説となります。

 

 サブタイトルは「最善の未来の境界線」の意味。

 

 迅や七海が目指す最善の未来へ、辿り着けるか否か。

 

 その分水嶺となる、境界線上の戦い。

 

 それが、この大規模侵攻編となります。

 

 これまで何度も説明した通り、本作品の最終目標はこの大規模侵攻での被害軽減にあります。

 

 本作は通常のワートリ二次創作と異なり、大規模侵攻編を以て物語が完結します。

 

 ですが、原作のように死者や大量の行方不明者に加え遊真の相方であるレプリカとの別離、更に侵攻の被害の影響による茜ちゃんの離脱まであるとなれば、とてもではありませんが「大団円」とはならないでしょう。

 

 なので、物語を綺麗に締める為にも徹底的にこの大規模侵攻の被害を抑える事を念頭に置いて物語を構築しました。

 

 原作において、大規模侵攻の被害が拡大した要因は下記の通りです。

 

 ①ラービットという()()のトリオン兵の存在。

 

 ②大した護衛もなく避難誘導を行っていたC級の扱いとその脱出装置の有無がバレていた事。

 

 ③人型近界民の圧倒的な実力。

 

 ④二宮隊や影浦隊といったA級相当の部隊が的確な運用をされていなかった。

 

 他にもありますが、主な要因はこの四つでしょう。

 

 まず一つ目の「ラービット」に関しては、「トリガー使いを捕獲する為の高性能トリオン兵」という想定外にも程がある存在の情報が、よりにもよって敵がそれらを投入して来てから判明した事が非常に大きいです。

 

 「トリガー使いを捕獲するトリオン兵」という性質を鑑みれば、アフトクラトルの狙いが隊員の鹵獲にあると推測する事が出来ます。

 

 そういった情報を得ていなかった為に、原作では後手に回らざるを得なかったという部分があります。

 

 また、組織の一員としての自覚が不十分なC級隊員を大した護衛もなく避難誘導という仕事を任せ、放置していたが為にボーダーの手が回る前に多くのC級隊員の拉致を許してしまったものと思われます。

 

 原作では修の学校での一件でハイレイン側にC級が脱出装置がない事がバレていた為、何の懸念もなくC級確保にリソースを注げたのでしょう。

 

 尚、これらの流れはミスというよりは迅さんの苦渋の決断の結果とも取れます。

 

 もしも、敵が狙いをC級の確保に絞っていなければどうなったでしょう?

 

 その場合、徹底して「神」の候補者────────────────金の雛鳥を確保する為に躍起になり、市街地への攻撃すらも考慮に入れていた恐れがあります。

 

 以前説明した通り、エリン家当主の「神」化はハイレインとしても出来る事ならば取りたくない一手です。

 

 ですので、どんな影響が出ようが本国に直接関わりのない玄界(ミデン)で「神」を確保出来るのならばしておきたいというのが本音でしょう。

 

 そして、今回アフトクラトルの遠征メンバーには本気を出せばどれ程か全く底が見えないヴィザ翁がいました。

 

 その気になれば城攻めすら可能である御仁がいる状態で、ハイレインが真の意味で形振りを構わなくなればどうなるか。

 

 それを考えると、迅さんとしてもC級を敢えて狙わせる事で被害を軽減する方向にシフトするしかなかった筈です。

 

 原作では迅さんは修に千佳を囮に使った事を謝罪していますが、あの謝罪にはC級を餌に使った後ろめたさも含まれていたのでしょう。

 

 あの時、迅さんは葛藤を押し殺しながらトロッコのレールを変えたのですから。

 

 四年前のあの時に迅さんが玲奈を止められなかったのは、七海の未来を視るまでこのルートよりもマシな未来が全く視えなかったという事情もあるのです。

 

 ですが、この世界線で同じ事をやると原作と同規模の被害が齎されてしまいますし、何より七海によって時計の針が進み始めたこの世界の迅さんはその未来を望みません。

 

 だからこそ、ハイレインの作戦目標そのものを変える方向で展開を構築しました。

 

 迅による木虎の介入による、修のトリオン体の破壊阻止。

 

 那須の投入によるイルガーの被害防止と、市民感情の悪化阻止。

 

 前者によってハイレインはC級の脱出装置の有無が分からず、後者によってボーダーは市民感情を原作程過敏に気にする必要がなくなりました。

 

 そしてC級確保の担保がなくなった以上、ハイレインはモールモッド襲来の際に存在だけは確認出来た「神」候補の確保に躍起になる筈です。

 

 ハイレインは原作でも千佳を取り逃していますが、それでもアフトクラトルにそのまま帰還したのは大量のC級隊員という「戦果」を持ち帰る事が出来たからです。

 

 それがなければハイレインは内情はどうあれ、外面的には「優秀な隊員を戦果もなく二人失った指揮官」という評価が下される筈です。

 

 他の領主との政争を鑑みれば、そんな自分の失態を晒すような真似は出来ません。

 

 もしもC級を確保出来ていなければ、再度の侵攻すら有り得たでしょう。

 

 原作ではレプリカの干渉によって強制帰還となりましたが、これを達成するには相当限定的なシチュエーションが必要である上、レプリカがいなくなってしまうので大団円とは言えなくなってしまいます。

 

 だからこそ、それ以外の方法でハイレインに帰還を納得して貰う必要があったのです。

 

 ハイレインが成果なしの帰還に納得するには、どうすれば良いか。

 

 それは、侵攻再開によって得られるリターンをそれによって生じるリスクが上回ると考えさせれば良いのです。

 

 基本的にハイレインの思考は、リスクヘッジを最重要視します。

 

 「如何に多くの戦果を得るか」よりも、「如何に想定内のリスクでリターンを得られるか」「如何にすれば自軍のリスクを減らせるか」を重視して作戦を組み上げます。

 

 この思考法は東さんと同じであり、「最大の結果を得る」事よりも「如何に致命的な失敗を引かないようにするか」を念頭に置いて行動します。

 

 故に、ハイレインに「これ以上の作戦行動はリスクが大きい」と思わせる事が出来れば、彼はそのまま帰ってくれます。

 

 此処からはアフトクラトル側の戦力への対処を交えて、そのあたりの仕組みを解説していきます。

 

 

 

 

 ①VSラービット

 

 大規模侵攻におけるある意味最大の肝、ラービットへの対処。

 

 これは、争奪戦編の経緯の変更によってレプリカより早期にラービットの情報を開示させ、このトリオン兵が出現し次第適正な戦力を送り込む事で対処としました。

 

 その為に仕込んだのが、ご存じ冬島隊長のスイッチボックスです。

 

 ワープの戦争における厄介さは、原作で散々ミラが見せた通りです。

 

 適正な戦力を適切な場所に瞬時に送り込めるこのトリガーは、こういった拠点防衛型の戦争では抜群の威力を発揮します。

 

 しかしこれをやると冬島さんが鬼怒田さんと組んで原作でやった罠によるトリオン兵の迎撃が出来なくなりますが、こちらはスイッチボックスと違い代替が可能なので遊撃部隊を組織して時間稼ぎに当てました。

 

 遊撃部隊は七海と那須という高い実力と機動力を持つエースコンビと、遊真という最強の遊撃戦力。

 

 そして、ラービット相手は危ういが通常のトリオン兵であれば高速で処理可能な黒江・緑川の幼馴染コンビ。

 

 この三組を罠の代わりに時間稼ぎに当て、冬島さんを自由(フリー)にしてスイッチボックスをフル稼働出来るようにしたワケです。

 

 こうして万全の迎撃態勢を整えた上で、ラービットが出現するなり即座に討伐部隊を送り込んだのです。

 

 ラービットの厄介な点はその硬い装甲とスピードであり、それさえどうにか出来ればプレーン体は攻略可能です。

 

 創作仲間とのディスカッションによってラービットの装甲を正面から破るには「旋空」もしくは「二宮クラスの徹甲弾(ギムレット)」が必要と結論したので、討伐部隊には旋空使いと二宮隊、そして技術でそのあたりをどうにか出来る風間隊や影浦隊が選ばれました。

 

 ちなみに遊真も遊撃をしながらラービットの討伐を請け負っており、描写外で相応の数を撃破しています。

 

 こうなるとアフトクラトル側も討伐隊を見過ごす事は出来ず、人型近界民(ネイバー)が投入される事になります。

 

 

 

 

 ②VSヒュース

 

 最初の人型戦は原作では迅さん自らが足止めをしなければヤバいと評され、実際にその生存能力と目標達成能力が明らかになってこれマジでヤバい奴だと再評価された、ヒュース戦です。

 

 彼には玉狛第一を当てるという案もありましたが、玉狛第二繋がりで遊真と修のコンビを当てた方が面白いだろうと判断し、近界民(ネイバー)同士の対決が実現しました。

 

 他にも七海を向かわせる案もありましたが、出来れば此処は関わる人物を玉狛だけに限定したかった為にあのような配置となりました。

 

 ヒュースは使用しているのはアフト製の汎用トリガーですが、本人の実力と蝶の盾(ランビリス)の持つ能力の応用性のとんでもない高さによって黒トリガーを使う遊真といえど一筋縄ではいかない相手です。

 

 ですが、だからといって原作と同じく迅さんを当てるワケにもいかないので、遊真に尽力して貰いました。

 

 また、修にも活躍の場を与えたかった事もあり、最後のワイヤー殺法に繋がったワケです。

 

 今作では修を死にかけさせる予定はなかったので、別の活躍描写が必要だと考えこういった形での介入を選択した次第です。

 

 加えて此処で修・遊真の両名と顔を合わせてその力と性質を実感して貰う事で、今後のヒュースとの玉狛第二のコミュニケーションを取り易くするという狙いもありました。

 

 そのあたりはアフターでちらっと書きますので、後ほど。

 

 

 

 

 ③VSランバネイン

 

 原作では東さんの指揮する合同部隊で討伐したランバネインですが、今作では合同部隊と言う点は同じでも活躍する面子は大きく異なる内容となりました。

 

 香取隊をランバネインに当てる、というのはROUND6の時点では既に構想していました。

 

 当初より香取隊は折って叩いてズタボロになってから立ち上がらせて大舞台で花を咲かせる予定でしたので、活躍どころを用意するのは決めていました。

 

 そして香取の性質や相手のトリガーの事を考えれば、ランバネインが最も適当であると結論しました。

 

 ランバネインは確かに強いですが、ヴィザ翁のような理不尽、ハイレインのようなトリオンメタやエネドラのような物理無効、ヒュースのような反射を用いない正統派の実力者です。

 

 きちんと作戦を練り、それが通れば倒す事の出来る絡め手のないパワー型のトリガー使いなので、成長した香取が活躍を見せる相手としては最も適当でした。

 

 活躍の内容も、これまでの香取隊の歩んだ戦いの軌跡を鑑みたものとなっています。

 

 また、木虎よりも敵からの評価が下である事を利用した一手に踏み切れたのも、彼女の成長の証と言えるでしょう。

 

 

 

 

 ④VSエネドラ

 

 そしてエネドラ戦は、彼の攻撃を感知可能な影浦と旧太刀川隊の組み合わせとなりました。

 

 旧太刀川隊を使う事は当初から決めていたので、何処で使うかを考えた時にエネドラしかないとこういう采配になりました。

 

 ブレードメインの旧太刀川隊では、ハイレインは少々相性の悪い相手です。

 

 なので、ブレードでもどうにかなるが性質上連携が必須なエネドラ相手に戦う事になったのです。

 

 泥の王(ボルボロス)は初見殺しに全力を注いだような特殊な性質を持つ黒トリガーであり、如何に早くその能力を見抜けるかに全てがかかっています。

 

 なので、最初に影浦に戦って貰って隠密していた風間隊が情報を収集し、能力を看破して攻略に繋げました。

 

 ちなみに空中に撃ち出して逃げ場をなくして攻略に繋げる方法は、灼眼のシャナの壊刃サブラク戦に着想を得て実行しました。

 

 エネドラも核を持つ意思総体が一つの塊となっている以上、空中への撃ち出しは有効であると考えた為です。

 

 トドメの一撃を風間さんにやらせたのは、原作でエネドラに落とされた風間さんがフィニッシュを担当するという逆オマージュがやりたかった為です。

 

 原作との差異を明確にする為でもあり、「七海玲一が存在する世界線」の影響の結果の一つであると言えます。

 

 また、此処でエネドラが撃破後に生きたまま確保された事が、後々利いて来る事になります。

 

 

 

 

 ⑤VSハイレイン

 

 原作ではそのチート級トリガーで暴れ回り、結局落ちる事なく帰ったハイレインですが、今回は旧東隊プラスアルファという最上級の戦力を当てる事で討伐に漕ぎ付けました。

 

 此処はイルガー相手に手札として切らざるを得なかった千佳という最重要人物を護衛しながら戦うという、修ではなく充分な実力を持った部隊が千佳を守ればどうなるのか、というイフでもあります。

 

 ちなみにハイレインも東さんも戦闘を目的の為の過程の一つとしか捉えていないので、ある意味で戦闘の結果を度外視し如何に相手の目標を達成させずに勝利条件を満たすかに焦点を当てた戦闘となりました。

 

 ハイレインの勝利条件は、自身の生還と千佳の確保。

 

 東さん側の勝利条件は、言うまでもなく千佳の防衛と敵の撃退。

 

 どちらがどちらを倒したではなく、相手の勝利条件を阻みながら自らの勝利条件を達成させる読み合い。

 

 それが、この戦闘の本質でした。

 

 この戦いでは、お互い許容可能な損害と許容出来ない損害の二種が存在し、如何にその線を超えないかが課題でした。

 

 東さんにとっては最悪二宮以外の駒の損耗は「許容可能な損害」であり、千佳の奪取だけは決してさせてはいけない「許容不能の損害」でした。

 

 千佳の死守を達成しながら、敵に目的を果たさせずに撃退する。

 

 それが、東さん側の勝利条件でした。

 

 対してハイレインは生きて帰れさえすれば自身の損耗すら「許容可能な損害」である一方、「千佳の確保失敗」は彼としては許容出来ない類の損害でありました。

 

 この失敗を許容してしまうと「最終手段」を使わざるを得なくなる為、なるだけ速やかに千佳を確保して帰りたかったのです。

 

 ですが同じ思考傾向を持つ東さんによってその思惑は見抜かれ、敢えて護衛を外して隙を作るという大胆不敵な策によってハイレインは敗れ、千佳が密かにB級になっていた事で彼女の撤退を許します。

 

 この展開に繋げる為に、修の功績を二分して千佳のB級早期昇格をやっておいたのです。

 

 ラスボスを翁にする以上、千佳の逃避行に描写を割くのは正しく「余分」です。

 

 なので千佳にはさっさと撤退して貰い、ラストチャプターに繋げる事にしたワケです。

 

 尚、ハイレインらしい指揮官としての戦術によってラービットが投下され、沢村さんがそれを斬っていくという一幕がありましたが、こちらは忍田本部長がヴィザ戦にかかりきりになる以上代わりに討伐役が必要だと考え、彼女に出番を与える形にしました。

 

 伸ばさない旋空による高速戦闘はカバー裏の煽り文を見る限りスピードアタッカータイプだった沢村さんに適切な戦闘スタイルは何かを考えた時、旋空の名手である忍田さんの部下だったという事で旋空使いという要素は強調しつつ、スピードタイプの剣士に仕上げました。

 

 ちなみにこの沢村さんの活躍は、「玲奈がもしも生きていたらこんな風に活躍していた」という内容の描写でもあります。

 

 どちらもスピードタイプなので、自然と戦闘方法は似通っていた筈ですから。

 

 

 

 

 

 ⑥VS本気ヴィザ翁

 

 ラストチャプター、本気ヴィザ翁戦です。

 

 先述した通り、ハイレインは此処までで得られた戦果は正しく0であり、機密目標の一つだったエネドラの始末に至っては生きたまま彼をボーダーに確保されるという結果に終わっています。

 

 流石にこのまま帰ると政治的にマズイ立場に置かれてしまいかねないので、最終手段であるヴィザ翁への丸投げを実行したワケです。

 

 このルートは本来であれば最悪の未来に繋がる決して選んではいけない道筋であり、本気のヴィザ翁を倒すという無茶ぶりが達成出来なければそのままバッドエンド直行のルートでもあります。

 

 原作の迅さんがこれだけは避けなければならないと考えた、最悪の未来の一つでしょう。

 

 ですが、この世界線では敢えてそのルートを選び、「本気ヴィザ翁に勝利する」という難易度ルナティックな条件を達成する事で「最善の未来」へ至るルートを解禁させようと目論んだワケです。

 

 ヴィザ翁に本気を出させるには、C級が一人も捕まっておらず、捕獲に向いた能力持ちのハイレインが無力化されているという超限定的な前提条件が必要でした。

 

 ボーダーの面々の活躍によりその条件を達成してしまったが為に、本気ヴィザ翁という修羅が顕現したワケです。

 

 翁は挨拶代わりに奈良坂と古寺を経験則と勘だけで居場所を見抜いて両断し、進軍を開始します。

 

 ヴィザ翁の無双を描いた「神の国の剣聖」は、我ながら秀逸なサブタイトルであったと自負しています。

 

 このタイトルである間はヴィザ翁の天下であり、万が一が起きる余地はありません。

 

 それが終わり、神がサイコロを振らなくなってからが対ヴィザ翁戦の本番となります。

 

 全霊でぶつかっても勝てなかったヴィザ相手に、あの修羅に勝つには七海の黒トリガー起動が必須であると風間さんは思い至ります。

 

 なので、その為の一押しをする相手として迷いなく影浦に援軍を要請したのです。

 

 この状況で七海に発破をかけるなら、適役は影浦以外にはいません。

 

 共に戦い支えるだけならば那須にも出来ますが、彼女を守る事はとうに覚悟完了しているのでそれだけでは覚醒には至りません。

 

 七海をこの局面で覚醒に至らせるのであれば、それは戦友にして好敵手である影浦以外に適任はいないでしょう。

 

 悲嘆や怒りではなく、闘志と勇気を以て自身と向き合う。

 

 それをさせるのは矢張り、師にして兄貴分である影浦以外有り得ません。

 

 この時、賽は神ではなく人の手に委ねられたのです。

 

 そして、次の「雲外憧憬」でヴィザ翁の雲の向こう側のような圧倒的な力の前に屈しそうになる七海の前に、影浦が現れます。

 

 彼が現れた事によって雲の向こうを視るだけだった七海は、正しく憧憬と共にその輪郭を掴み取ります。

 

 自らが倒すべき敵の輪郭を把握し、仲間たちの激励(エール)を受けて七海は覚醒に至ります。

 

 あの白昼夢については、敢えて詳しくは語りません。

 

 本人が見た幻覚のようなものなのかもしれませんし、黒トリガーというブラックボックスの塊が見せた情景であるのかもしれません。

 

 一つだけ言えるのは、そこを追及するのは無粋であるという事だけです。

 

 あれは正しく七海にだけ視えた夢の邂逅(きせき)であり、それ以上でもそれ以下でもないのですから。

 

 こうして、七海は(Force)に目覚めたのです。

 

 七海の黒トリガー、群体王(レギオン)の能力をああいったものにしたのは、正しく彼のこれまでの時の積み重ねという要素の集大成として描きたかったからです。

 

 特殊な能力で無双するのではなく、あくまでもこれまでに持っていた能力のブースターとなり、既知の戦術の組み合わせで強敵を打倒する。

 

 そういった展開を組み上げる為に、徹底して彼の黒トリガーの情報は隠蔽して来ました。

 

 尚、黒トリガーの誤作動で七海の痛覚が失われたと書きましたが、正しくは効果の停止が出来なかった為、と言えます。

 

 当時、七海は相当量の出血をしており、そのままでは死を待つだけでした。

 

 ショック死を防ぐ為には、ある程度身体機能の一部を抑止するしかありません。

 

 通常の手段ではあそこまでの重症者を生き永らえさせるのは難しいですが、そこは黒トリガー故の特殊性によって救われたワケです。

 

 ですがその際に行った身体の過剰反応を抑制する効力が解除出来ず、結果として無痛症に近い身体的瑕疵として残ったのです。

 

 これは製作者である玲奈が一心に「弟の苦しみを取ってあげたい」と祈った結果生まれた誤作動であり、彼女の想いが強過ぎたが故の事故のようなものでした。

 

 なので一度正常起動出来てしまえば、その障害は消えるのです。

 

 ちなみに群体王起動時の七海のステータスは、以下の通りとなります(()内は通常時のもの)

 

 トリオン:30~???(10) 

 

 攻撃:12~??(8) 

 

 防御・援護:14~??(8) 

 

 機動:10

 

 技術:9 

 

 射程:6~??(4) 

 

 指揮:6 

 

 特殊戦術:10(6) 

 

 TOTAL 97(61)

 

 群体王はその特殊な性質により、トリオンや攻撃の上昇値はリンクを繋いだ仲間の人数に比例します。

 

 数人程度では多少の出力上昇にしか成りえませんが、本編でやったように大人数を一気に繋ぐ事で瞬間的に凄まじい出力を使う事が可能となります。

 

 ある意味遊真の黒トリガーの亜種とも言える性質であり、あちらと違ってコピーの手間が必要ない分能力のストックは出来ませんが即応性は非常に高いです。

 

 このリンクを結ぶのには一定範囲内に効果対象者がいる必要があるので、多くの仲間がいる防衛戦でこそ真価を発揮する代物と言えます。

 

 半面単体では黒トリガーらしい出力を発揮出来ないので、一人で一部隊扱いするS級隊員にはなりたくてもなれない仕様となっております。

 

 尚、このリンクを結ぶ相手というのは七海が「友軍である」と認識し尚且つ相手に彼を拒絶する意思がなければ発動時に自動的に成立します。

 

 要は一定の範囲内にいる相手全員に電話をかけ、その電話を取った者にのみ回線が繋がるワケですね。

 

 もしもあの争奪戦の問答がなければ、三輪はこのリンクを受け取る事が出来ずにアウトでした。

 

 そういう意味で、これまでの積み重ねがダイレクトに力になる黒トリガーと言えます。

 

 そして、満を持して開帳された風刃の使い手は村上です。

 

 原作では三輪が担った役割ですが、今作では七海との関係性や副作用(サイドエフェクト)を鑑みて彼が担当するのが適当であると判断しました。

 

 カゲさんが黒トリガー起動の発破という役割を務めた以上、勝利へ繋がる風を吹かせるのは村上しかいないでしょう。

 

 これをやる為に昇格試験編で村上を観戦に呼び、黒トリガーとはどんなものか、どう使うのかを実際に見せたワケですね。

 

 そこから遊真の重石攻撃、茜ちゃんの転移とユズルから受け継いだスパイダーによる支援で七海の刃は遂に剣聖に届く事となりました。

 

 ここら辺は王道オブ王道を意識して展開を描いたので、シンプルに燃える展開と言えるでしょう。

 

 王道は面白いからこそ王道と呼ばれるのであり、妙な変化球を打つよりは王道で勝負した方が良いというのが私の持論です。

 

 そうでなくとも、王道の展開というのは須らく燃えるものですから。

 

 こうしてヴィザは撃破され、ヒュース・エネドラが生きたまま囚われました。

 

 これによりハイレインは「エネドラが暴露した情報によってヒュースが即座に反旗を翻す」リスクと、「あのヴィザ翁を撃破してのけた玄界(ミデン)の軍と再び戦う」リスクを同時に背負い込む事になりました。

 

 此処でエネドラが生きて捕まった事が活きており、死んでいれば無視する事の出来たリスクですがやられたらやり返すエネドラの性格を鑑みれば暴露しない可能性の方が低いと思い至るでしょう。

 

 そしてヴィザが敗北するとは欠片も考えていなかった為に、そうなった場合のリカバリーまでは手が回らなかったと思われます。

 

 再侵攻はリスクが大き過ぎると判断したハイレインは、撤退を決めます。

 

 こうして、大規模侵攻は正しく被害0で終わったワケです。

 

 最終話、「痛みを識るもの」では現実を生き抜く中で得る艱難辛苦(いたみ)を識ったからこそ、前に進む力を得た二人が愛を誓いフィナーレとなりました。

 

 元々最終話でタイトル回収は考えていましたし、恋愛をテーマの一つにした以上此処で正式に二人をくっつけるのは予定調和でした。

 

 これにて、七海玲一による物語は終幕となります。

 

 此処から先の時間軸では、修達が難易度の上がったランク戦を四苦八苦しながら攻略していくでしょう。

 

 既に七海は主役の座からは降り、彼が舞台に立ち続ける時間は終わったのですから。

 

 趣味全開の解説を此処まで見て下さり、ありがとうございます。

 

 これからははぼちぼちアフターストーリーを書いていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

 

 それでは。



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キャラ語り/七海・那須


 折角なので、「痛みを識るもの」で活躍した七海を中心としたキャラ達について色々語っていきます。

 本当に好き放題語るだけの回なので、興味がある方はどうぞ。

 簡易説明。

 アライメント/某型月的なあれ。私の独断と偏見で振り分けている。

 イメージカラー/キャラを描く時イメージしている色彩。キャラとしての性質。

 イメージ曲/キャラを描く時にイメージしていた曲。歌詞や雰囲気から選んでいる。
 



 

 『七海玲一』

 

 アライメント:中立・善

 イメージカラー:コバルトブルー

 イメージ曲:『アイネクライネ』

 

 

 ご存じ本作主人公。このキャラは基本的に、「那須隊の新たなエース」として最適な存在になるようチューンナップしてキャラクリエイトを行いました。

 

 まずは性能と役割から決めて、そこから徐々に色んな背景を肉付けしていったのが七海くんです。

 

 那須隊は原作で迅さんが指摘した通り、エースの那須さんが指揮とポイントゲッターをどちらもこなさなければならないというのが重い枷になっていました。

 

 加えて、那須さんは本来は射手という後衛ポジションであり、彼女が切り込むのは本来であれば最終手段です。

 

 にも関わらず原作那須隊にはそうするしか点を取りに行く方法がなく、だからこそ中位で燻っていたのでしょう。

 

 だからこそ、その那須さんの負担をやわらげ更にチームを劇的に強化するキーパーソンは何か、と思案し射程持ちの攻撃手、という解答に辿り着きました。

 

 那須隊は、積極的に攻勢をかける時に必要な駒────────────────即ち機動力のある攻撃手、というものに欠けています。

 

 此処で何故攻撃手が必要かというと、単純にそれが一番那須隊を強化するにあたって手っ取り早いからです。

 

 エースであり隊長の那須さんは、本来は援護を主体にして立ち回るべき役割のポジションです。

 

 某二宮という例外はありますが、射手は基本的にチームのサポーターであり、無暗矢鱈に前に出るべきではありません。

 

 しかし、かといって那須さんの機動力を腐らせておくのはあまりにも惜しい。

 

 原作那須隊では機動力がお世辞にも高いとは言えない熊谷さんしか前衛がおらず、那須さんが積極的に動くにあたり枷となっていました。

 

 草壁ちゃんが言っている通り、「隊の機動力が揃っていない」というのはそれだけで戦術の幅を縮めてしまうのです。

 

 なので、それを解決するには「那須さんと同等以上に動ける前衛」がいれば良い。

 

 そう考えた結果生まれたのが、七海玲一というキャラクターです。

 

 機動力に特化し、那須さんの全力機動にも付いていけるスピードアタッカー。

 

 それだけで、トリガーセットは概ね決まりました。

 

 即ち、遊真のトリガーセットにメテオラを加えた構成です。

 

 スピードアタッカーである以上、重い弧月よりはスコーピオンの方が応用力もあるし色々出来る。

 

 機動力をブーストする為にも、グラスホッパーは必須。

 

 また、遊撃手としての役割を求められるので攪乱に長けるメテオラが必要。

 

 基本的に入れない方が有り得ないシールドとバッグワームを加えれば、これでトリガー枠は埋まりました。

 

 勿論、このままだと単なる遊真亜種になってしまうので、書き分けはちゃんと意識しました。

 

 まず、遊真のような応用技をすぐには使わせない事。

 

 原作で平然でやっているので感覚が麻痺しがちですが、あれは遊真が近界で傭兵として数多くの戦場を巡った中で磨き上げた経験値とそれを活かす閃きの試行錯誤があったからこそ、実現しているものです。

 

 普通の隊員は基本的に本物の戦場を潜り抜けた事はないですし、遊真ほど長期間戦場に入り浸ってもいません。

 

 なので、最初から遊真のような応用技は使わせず、類似技を使うにしても何か切っ掛けを与えて徐々にグレードアップさせる形で使わせました。

 

 最初は切断された腕を思い付きでグラホで飛ばす事から始め、そこから亜種マンティスに繋げたのは七海の師匠にカゲさんと風間さんがいたからです。

 

 原作では遊真は独学でマンティスをコピーしていましたが、七海は事前にカゲさんにマンティスについて色々教えられています。

 

 加えて、風間さんは時々ではあれどもぐら爪(モールクロー)の使い方が巧く、師事を受ける中で効率的な運用法について色々アドバイスも受けていました。

 

 下地無しのぶっつけ本番で出来てしまう遊真と違い、ちゃんとそういった下積みがあったからこそ七海はあの芸当が出来たワケですね。

 

 七海は元々出水の援護を受けた太刀川に何万回も斬られ続けるような修練をこなしていたので、危機に関する機転が恐ろしく磨かれています。

 

 基本的に太刀川達は訓練で容赦など一切しなかったので、斬られ慣れていく内に強制的に閃きと機転が磨かれていったワケです。

 

 こんな風に、敢えて詳しく語っていないだけで七海のやった事はそれまでの積み重ねの延長線上でしかありません。

 

 覚醒だけでは強くなれず、日々の鍛錬と具体的な戦術の模索のみが勝利に直結するワートリらしさは勿論意識していました。

 

 さて、そんな七海を語る上で欠かせないのは副作用(サイドエフェクト)です。

 

 サイドエフェクト、感知痛覚体質。

 

 これは七海のポジションが組み上がった時に、ポンと思い浮かんだものをそのまま採用しました。

 

 元から、「回避系のサイドエフェクトを付けよう」とは考えていましたが、直感でこれが浮かび同時にタイトルも想起出来たので、そのまま即決しました。

 

 こちらの副作用(サイドエフェクト)も類似しているカゲさんの副作用と明確な差異が出来るよう色々考えつつ、あらゆる状況でのサイドエフェクトの使い道と()を繰り返しシミュレートしていきました。

 

 特に、弱点を作る事だけは手を抜きませんでした。

 

 小説を書く時、ただ強いだけの能力だとキャラが不利になったり負けたりする展開を書く時に無理が生じてしまいがちです。

 

 なので、強力な能力にはデメリット、もしくは明確な穴がなければ使い難くなってしまうのです。

 

 多くの作品の主人公の能力にデメリットが付きがちなのは、こういった理由もあるでしょう。

 

 ()()()()の能力ほど、創作者にとって扱い難いものはないのですから。

 

 ですが、かといって応用の出来ない能力もまた連載を続けていく中でネタ切れという悩みに直面します。

 

 そういう意味で、メテオラとスコーピオンは非常に都合の良いトリガーでした。

 

 本作で散々使ったように、置きメテオラは悪用方法が幾らでもあり、試合にバリエーションを付けるにも最適な手段です。

 

 自分でスコーピオンを投擲して起爆する以外にも、相手の攻撃に触れさせる/狙撃で起爆する/射撃で起爆する等々やり方は色々あります。

 

 地形条件や試合の展開等をシミュレートし、状況に応じて最適な起爆を行っていく。

 

 置きメテオラはその存在だけで、ランク戦の執筆に大きな貢献をしてくれました。

 

 また、スコーピオンも応用性という意味ではずば抜けています。

 

 元々応用力に富んだトリガーな上、使い手の発想力次第で幾らでも戦術が広がります。

 

 それにマンティスという手札を加えれば、戦略は無限大です。

 

 幾度も私が様々な展開の試合を書き続けられたのも、この二種のトリガーのお陰であると言っても過言ではないでしょう。

 

 あまりに便利過ぎたので、頼り過ぎたきらいがなくもないですがね。

 

 さて、ついでにイメージカラー諸々についても言及していきましょうか。

 

 七海くんのアライメントは中立・善。

 

 つまり、社会的なルールは必要に応じて守ったり守らなかったりするけど、自分ルールは絶対守るというタイプですね。

 

 これは七海くんが基本的に受け身がちで、対人姿勢も「まずは相手を受け入れる」事から始まる事からこちらにしました。

 

 七海は属性的には無色透明系主人公に近く、器は大きいけどやや積極性には欠けるというタイプです。

 

 ストーリーでもボーダーに入ったのは迅さんの勧めに乗ったからですし、那須隊に入ったのも那須さんに「入って欲しい」と言われたからです。

 

 一方「大切な人を守る為に強くなる」という初志は絶対にブレず、那須との関係性が歪だった頃もこの志だけは決して曲げませんでした。

 

 なので、自分が決めた事は絶対に守る、という強い芯があるので善属性となります。

 

 物語序盤は中庸属性に近かったですが、ROUND3を乗り越えて以降は陰りも消えて明確な善属性ですね。

 

 イメージカラーは大きな器と流動する水のイメージから、コバルトブルー。

 

 海の青、といった感じですね。

 

 また、イメージ曲はアイネクライネです。

 

 歌詞と七海の心境が巧くリンクしていて、これしかない、とも思いましたね。

 

 「消えない悲しみも綻びもあなたといればそれでよかったねと笑えるのがどんなに嬉しいか」とか、「何度誓っても何度祈っても惨憺たる夢を見る」とか、もうダイレクトですね。

 

 最後の「あたしの名前を呼んでくれた」「あなたの名前を呼んでいいかな」はストーリーラストの告白シーンにピッタリですね。

 

 そんなこんなで、七海くん語りでした。

 

 

 

 

 『那須玲』

 

 属性:混沌・善

 イメージカラー:アイリス

 イメージ曲:「鎖の少女」

 

 今作ヒロイン、那須玲。

 

 彼女はストーリーのヒロインにするにあたり、過去に悲劇を挿入し性格そのものにテコ入れを行いました。

 

 原作の那須さんは儚げながら仲間思いで、対人能力もさして問題ありません。

 

 ですが、くまちゃんの姿に化けた敵にマジ切れした一幕を見た通り、情が深く激情家の素質があります。

 

 そんな那須さんに、幼少期に最悪の形でトラウマを叩き込んで病みと依存癖を発生させたのが今作の那須さんです。

 

 過去が違うのですから、当然原作の那須さんとは色々異なっています。

 

 まず、身内に対する情の深さは変わらないどころか一層グレードアップしており、対照的に身内以外への対応は無頓着というか、無関心のレベルです。

 

 木虎が作中想起していたエピソードを見るだけでも、その無自覚なコミュ障ぶりが分かると思います。

 

 ですが、あの過去を経ているのですから性格が違っていてもなんら不思議ではありません。

 

 少なくとも、そう思われるに相応しい描写はしてきたつもりです。

 

 原作に登場するキャラの性格を変えるのであれば、明確な「切っ掛け」と「過程」をきちんと説明しないといけません。

 

 迅さんの未来視の例を見るまでもなく、人というのは些細な切っ掛けで変わるものです。

 

 彼女の場合は幼少期に「自分の所為で死にそうになった幼馴染を助ける為に、その幼馴染の姉が目の前で死んでしまった」という最大級のトラウマが叩き込まれた為、ああなるのも無理はないと言える「過程」を経ています。

 

 キャラの性格が変わるのは、何かしら理由がある。

 

 それがない性格改編は、キャラの乗っ取り・改悪と言われても仕方ありません。

 

 此処は創作者として手は抜けないところですので、最大限留意したつもりです。

 

 ちなみになんでこんな苦難を強いたかというと、性癖(しゅみ)です。

 

 愛が重い女の子が大好きなので、更に愛が重くなるように仕組んだ次第です。

 

 基本的に私のヒロインの理想像というのは「愛の為ならあらゆるものを蹴飛ばしてのける女傑」なのですが、それは以前書いたBALDR SKYの長編で思う存分書いたので、今度は「依存癖があり情緒不安定で愛が重いメンヘラ一歩手前少女」というジャンルに挑戦してみました。

 

 結果として色んな意味で満足出来たので、私的に万々歳です。

 

 小夜子との絡みを書くのが本当に楽しくて、やっぱり私は女の子同士が仲良く修羅場ってるシーンが大好きなんだなあと改めて思いました。

 

 物語序盤の那須さんはメンヘラ一歩手前どころか紛う事なきメンヘラでしたが、ROUND3以後の幕間を以てちゃんと立派なヤンデレへとクラスチェンジしています。

 

 ヤンデレと言ってもヤンデレが暴走するトリガーである「想い人を誰かに盗られる」という状況は彼女の場合まず有り得ないので、暴走の危険がない安全なヤンデレです。

 

 相手が一線を超えなければ何もしない、古式ゆかしい萌え属性としてのヤンデレなのでヒロインの資格はちゃんと保持しています。

 

 無差別に被害を撒き散らすのはヤンデレではなくメンヘラの分類なので、そこはしっかり区切っておくのです。

 

 ヒロインになれるのがヤンデレ、ラスボスになれるのがメンヘラ、と覚えればOKです。

 

 実際バルド長編ではそうしましたしね。

 

 さて、そんな彼女のアライメントは混沌・善。

 

 社会のルールは知ったこっちゃないけど自分ルールは守る、というタイプですね。

 

 これ、那須さんの場合ROUND3の契機が訪れるまでは普通に混沌・悪属性でした。

 

 当時の那須さんは現実逃避に全力を注いでいて、自分のルールすら曖昧な状態でした。

 

 何を守ればいいのか、何を破れば良いのか分からない。

 

 ただ、「その場凌ぎ」と「現状維持」だけに心を割いて、後は知らんぷり。

 

 それが、その時期までの那須さんでした。

 

 ですが、小夜ちゃんとのキャットファイトを経て吹っ切れた事で自分の中の芯が定まり、善属性になったワケですね。

 

 そして今作の那須さんのイメージカラーはアイリス。

 

 灰色に近い薄めの紫、ですね。

 

 彼女の儚さを象徴する灰色と、情深さを象徴する紫。

 

 その中間を取った形ですね。

 

 隊服も紫系統なので、イメージカラーはこれだろうと思っています。

 

 イメージ曲は鎖の少女。

 

 雁字搦めだった彼女の想いと、儚さを象徴するような曲なのでこれだろうと思いました。

 

 「ココロを鎖で縛られた あやつり人形」「歩むべき人生(みち)を決められた 束縛人形」「アナタはわたしの操り師(あくま)」「ずっと見えない鎖(いと)で動かすの」なんかの歌詞は、まさに七海への罪悪感と葛藤、独占欲と恋慕がホントもうグチャグチャに絡まり合った感じを表現しててドンピシャでしたね。

 

 最後の「わたしの未来を奪うなんてそんなの許さないから」「もう何もかも嫌になる前に鎖の鍵を解いて」は、雁字搦めの歪んだ関係から脱却し、未来へ進む事を決めた幕間以降の彼女を象徴しています。

 

 そういう意味で、本当にピッタリな曲だと思っています。

 

 那須さんオンリーのシーンを書く時とか、よくこの曲を鳴らしていましたしね。

 

 さて、長くなりましたが第一回キャラ語りはこれにて閉幕。

 

 次は他のキャラに言及していきます。



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キャラ語り/小夜子・熊谷


 興が乗ったのでキャラ語りはこのまま続行です。


 

 『志岐小夜子』

 

 アライメント/混沌・善

 イメージカラー/サファイアブルー

 イメージ曲/たったひとつの想い

 

 今作を語る上である意味欠かせないキャラ、それが小夜子ちゃんと言えるでしょう。

 

 事実上の那須さんと双璧を成すダブルヒロインの片割れと言える彼女のパーソナリティが今の形に出来上がったのは、実は当初は予期していなかったものなのです。

 

 小夜子が七海に惚れて失恋する、という流れ自体は男性を那須隊に入れる上での一種の通過儀礼として済ませるつもりで最初から予定していました。

 

 ですが、いざ書いてみると小夜ちゃんのキャラが予想以上に強く、現在のサブカル系女傑ヒロインに成長してしまった次第です。

 

 キャラが動いたというか、筆が滑った結果とも言えます。

 

 元々、私は女の子同士が仲良く修羅場ってるシーンを書くのが大好きな人間です。

 

 以前書いたBALDR SKY二次創作の「世界X+Ω」ではそれが顕著ですし、ラブコメを書く場合も可能な限りそういったシーンは書きたいという欲求があります。

 

 それが無意識に爆発した結果が、この小夜ちゃんの成長だと考えています。

 

 正直に言って、那須さんを書いてる時より小夜ちゃんを書いてる時の方が筆が乗っていたケースも多々あります。

 

 何せ、この作品の小夜子ちゃんは「愛の為に全てを蹴飛ばす系女傑」へと属性がクラスチェンジしているワケですから、まあ筆が乗らないワケがないんですよね。

 

 もっとも、以前書いたクリスと異なり彼女はガチの男性恐怖症なので対人能力は基本壊滅的という差異はありますが。

 

 前にも語りました通り、私は小夜ちゃんの「男性恐怖症」というパーソナリティを見た時、「男に対して何かトラウマを覚える出来事でもないとこの症状は発症しないよな」と考え独自に過去イベントを挿入しました。

 

 あれはあくまでもこの世界線独自の解釈であり、原作の小夜ちゃんが何故男性恐怖症になったかが今後明かされたとしてもそれはそちらの小夜子の話であり、こちらの彼女はあの過去があって発症に至ったという事にしています。

 

 原作の小夜ちゃんは見たところ男性と一緒にいても即座に錯乱はしないようですが、相当なストレスを感じている様子ではありました。

 

 あれを軽度と見るか無理をしていると見るかは人それぞれですが、「年上の男性相手は社会生活を送れないレベルになる」という情報から「年上の男性」がいないからまだあの程度で済んでいる、とも取れます。

 

 恐らく、原作の小夜ちゃんは「年上の男性」に何かトラウマがあるのではないかな、というのが私の考察です。

 

 その影響で男性全般が苦手となり、今に至る、とそういう事ではないでしょうか。

 

 でなければ、わざわざ「年上の男性」という注釈は付けないような気がするので。

 

 うちの小夜ちゃんの過去イベントのトラウマのトリガーも一応年上の男性にしてある理由も、そこからです。

 

 原作情報は可能な限り利用した方が、色々としっくり来易くなるのです。

 

 そんなトラウマによって男性全般に恐怖症を発症した小夜ちゃんですが、私は職業柄こういった精神疾患を軽視しません。

 

 作中で何度も言っていますが、鬱や引きこもりを発症した人々というのは、「本人として頑張った上で今の状態がある」という前提条件があります。

 

 傍から見れば怠けているだの頑張っていないだの見られがちではありますが、本人の意識としては全く違います。

 

 そういった方々への偏見をなくす為には、精神的な理由での引きこもりを「本人の努力不足」等ではなく明確な「疾患」として見る必要があります。

 

 疾患、つまり「病気の症状」なのです。

 

 風邪を引けば熱が出て動けなくなるように、本人としてはどうしようもない事なのです。

 

 だから、そういった人々へ対応する際に必要なのは「理解」と「根気」、そして何よりも大切なのは「受容」です。

 

 そういった方々は、仲間、というより理解者を欲しています。

 

 そして大抵の場合、庇護者である親族はそちら方面の知識不足により本当の意味で彼等彼女等の状態を正しく認識出来ず、間違った対応をしてしまいがちです。

 

 正しい対応が出来る方というのは、実は本当に少ないのです。

 

 だから、相手の話を、主張をちゃんと聞いて、まず「貴方の心情は理解出来た」と示す事が重要となります。

 

 小夜子が七海を受け入れる際のイベントは、これらを念頭に置いて書きました。

 

 まず話を聞いて、相手の主張を受け入れる。

 

 極論、七海がやったのはこれだけです。

 

 話を聞いて、理解を示される。

 

 孤独感の強くなりがちな精神疾患の発症者は、この過程を経てようやく相手を「味方」であると認識出来るのです。

 

 ちなみに、此処で小夜子が七海に惚れてしまったのは彼の容姿が整っていた事も一因ではありますが、Afterで少し触れた通り七海が異性としての欲求が文字通り死んでいた事も原因の一つです。

 

 基本的に男性は女性に密着されれば、当然の結果として男性機能が反応を示します。

 

 そうでなくとも、相応に意識はするでしょう。

 

 ですが、無痛症によって男性機能が死んでいた七海はそれらの反応を一切示しませんでした。

 

 結果として小夜子には七海が性別を超越した超然とした存在に見えてしまい、元から好みの容姿であった事も拍車をかけて惚れてしまったワケです。

 

 勿論、それはあくまで切っ掛けであり、今の覚悟完了した小夜子は男性機能が復活した今の七海への恋慕を微塵も揺らがせていません。

 

 むしろ那須さんに同意して「可愛い」という始末であり、愛の深さが伺えます。

 

 ちなみに小夜子の交友関係は、国近と羽矢さんがゲーマーとサブカル好き繋がりですぐに決まりました。

 

 ゲーマーの国近と実はサブカルに造詣の深い羽矢さんとのゲーマーズレディチームは、我ながら良いセレクトをしたと思っています。

 

 国近の底知れなさもきちんと描写出来ましたし、羽矢さんの趣味に生きるOL的側面も楽しく書けました。

 

 二人共中々ピックアップされ難いオペレーターという職種なので、割と新鮮な気持ちで書けました。

 

 描写するのが少々手間がかかる情報面のポジションですが、彼女らなくして真っ当なランク戦は有り得ません。

 

 それだけ戦闘における情報支援の重要性というものは高く、ことワートリ世界ではそれが顕著です。

 

 VS迅さんの時に「オペレーターがいなければどの程度のデメリットが発生するか」をしっかり描けましたし、矢張りこういった裏方もきちんと活躍描写があった方が映えますよね。

 

 次回作でも引き続き、そのあたりも注力していきたいと思います。

 

 小夜子のアライメントは、混沌・善。

 

 那須さんとの違いは社会のルールを守る気がないのではなく、引きこもりという立場上守れず、されど開き直っている為こうなりました。

 

 小夜ちゃんは作中で少し触れた通り、今後の自分の身の振り方についてもきちんと考えています。

 

 男性恐怖症でまともに異性と話せない彼女が、通常の職種に就く事は難しいです。

 

 となれば、ボーダーの伝手を頼ってその関連に就職するのが無難且つベストと言えます。

 

 彼女の情報処理能力なら沢村さんの後釜も充分務まるでしょうし、対人に関しては国近あたりがきっと一緒になって頑張ってくれるでしょう。

 

 そんな小夜ちゃんのイメージカラーは、サファイアブルー。

 

 鮮やかな青紫系統の色、という事で七海のイメージカラーである青系と那須さんのイメージカラーである紫系の両方が取り入れられています。

 

 基本的に私が好きなヒロインは青系統のカラーである事が多く、私の趣味が入った結果の色とも取れます。

 

 小夜ちゃんのイメージ曲は、「たった一つの想い」。

 

 タイトルだけでも彼女の一途な想いを象徴していますし、「たった一つの想い貫く 難しさの中で僕は守り抜いてみせたいのさ かけがえのないものの為に」は想いを貫く小夜子の信念を現しています。

 

 最後の「生きぬいてこそ 感じられる 永遠の愛しさの中果たしたい 約束」も、彼女なりのやり方でこの世界を生き抜いていく決意が伝わって来ます。

 

 小夜ちゃんは本当に、書いていて楽しいキャラでした。

 

 

 

 

 『熊谷友子』

 

 アライメント/秩序・中庸

 イメージカラー/アプリコット

 イメージ曲/『ヒバナ』

 

 那須隊で縁の下の力持ちを務めた仲間、くまちゃん。

 

 彼女はまず、「七海の入った那須隊へどう適応するか」が課題でした。

 

 作中で説明した通り、七海が入った事で機動力が高くない彼女が那須の護衛役をやる必要性はなくなりました。

 

 かといって、チームの一員である以上何かしらの役割を果たさなければそこが穴となってしまいます。

 

 初期の彼女はまさにこの状態で、ROUND1もROUND2も正直くまちゃんの適正に合った運用とは言い難かったのです。

 

 ですが、いきなり最適解を導き出すのもどうかと思い、原作と同じく炸裂弾(メテオラ)を試用し、犬飼相手に完膚なきまでに失敗するという過程を経る事にしました。

 

 原作で思った以上に性格的に不器用である事が分かった彼女ですが、そんな彼女が独力で正解に辿り着くのは正直難しいと考えていました。

 

 何か良い案がないかと考えたところ、「七海繋がりで出水にアドバイスさせれば良い」という解答に行きついたのです。

 

 出水は結構友達甲斐のあるキャラであり、七海にもかなり入れ込んでいます。

 

 なので、彼を助ける為なら一肌脱ぐのも違和感ありません。

 

 天才射手である彼なら、くまちゃんに適切なアドバイスが出来る筈ですしね。

 

 塾の講師タイプの指導適正もあるので、あれがベストだったと思っています。

 

 そんなこんなでセレクトされたハウンドですが、これは攻撃手が持つ中距離武器として最適解の一つだと考えています。

 

 王子隊が全員セットして取りまわしているように、誘導設定を決めて撃てば後は自動で飛んでいく追尾弾(ハウンド)はブレード持ちとの相性がすこぶる良いのです。

 

 これがバイパーになると色々と処理が重なって大変ですが、ハウンドの利点は「他のトリガーと併用し易い」という所にあります。

 

 枠の話ではなく、「大きく処理能力を割かずに撃てる曲射弾」というのはブレード持ちにとってこの上なく使い易いのです。

 

 流石に弾道を引いてブレード握りながらバイパーぶっ放せる変態クラスがヒュース以外にいるとは思えないので、普通の攻撃手が使う弾としてハウンドは最適解でしょう。

 

 勿論、剣を極めてそれ一本で戦い余計な処理を食う他の攻撃用トリガーを入れないという太刀川や生駒にとっては無用の長物ですが、残念ながらくまちゃんは彼等の領域には達していません。

 

 加えて彼女の剣は防御主体であり、その意味でもハウンドは相性が良いのです。

 

 相手の斬撃をブレードで受け止め、ハウンドで反撃する。

 

 これが出来るだけで大分出来る事が広がるのですから。

 

 また、作中で一度大敗を喫した犬飼を彼女にとって「超えるべき壁」に位置付け、最終ROUNDでリベンジを果たした事でくまちゃんは一つ殻を破る事が出来たのです。

 

 これがなければ、後の活躍はなかった事でしょう。

 

 それだけ、サポーターのハイエンドである犬飼を超えたという事実は大きいと思っています。

 

 ちなみに精神面では気が回り過ぎる故に那須と七海の歪みに気付いていながら、気を遣い過ぎるが故に何も言い出せず悶々とし続けていました。

 

 そして七海加入後役に立てていないのではないかという焦りもあってROUND3の失敗に繋がるのですが、このあたりで彼女の繊細さはちゃんと描けたかなと思っています。

 

 くまちゃんのアライメントは、秩序・中庸。

 

 社会的ルールは守るけど、積極性には欠けるし現状を変える為の一歩を踏み出すのが苦手という事でこの属性です。

 

 原作でも気を遣い過ぎて卑屈になりがちな面が描写されましたし、彼女はここかなと。

 

 ごく一般的な人間の完成に近い、くまちゃんならではの属性と言えます。

 

 これまでの三名が少々独特というか、自分ルール優先なところがある所為でもありますが。

 

 イメージカラーは、アプリコット。

 

 軽いオレンジ系統の色ですね。

 

 社交的で体育会系ながら、内面の繊細さも鑑みて純粋なオレンジではなくこちらに。

 

 これまでの面々とは違って暖色系の色なのが、方向性の違いを現しています。

 

 イメージ曲は、「ヒバナ」。

 

 全体的な曲のアップテンポな感じがくまちゃんの外向けのイメージで、歌詞の「未完成だって何度でも言うんだ」が「これじゃ足りない、もっと、もっと」という作中で育んだ彼女の克己心を現しています。

 

 今作では隊唯一の弧月使いとして頑張ってくれたので、このノウハウは三浦くんで活かしたいと思います。

 

 次は茜ちゃんと迅さんあたりかな。



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キャラ語り/茜・迅

 

 『日浦茜』

 

 アライメント/秩序・善

 イメージカラー/サンシャインイエロー

 イメージ曲/BON VOYAGE!

 

 那須隊の転移系狙撃手、茜ちゃん。

 

 彼女を那須隊の一員として成長させる為、何が必要かをまず考えました。

 

 原作ではあまり狙撃技術等がフォーカスされている描写は無く、アイビスも「この距離なら外さない」と言って撃っている通り、反動が大きいアイビスの命中精度は自信がないようでした。

 

 なので、いっその事ライトニングに特化させて隊内での役割を明確化させて、徐々に他の狙撃銃を解禁していけば良いと考えたのです。

 

 ライトニングは威力が低く射程も短いという性質から、「最初の一発」が重要視される狙撃手の扱う武器としては正直不適格です。

 

 一度居場所がバレれば脅威度が激減する狙撃手の装備でありながら、広げたシールドにすら防がれるという威力のなさは致命的です。

 

 その為狙撃手の中でもライトニングを抜いている者は多く、むしろ狙撃手はイーグレットのみを装備している事が多いというのが現状です。

 

 実際、集中シールドでもなければ防御出来ず射程も長く弾速も充分というイーグレットは一番バランスが取れた粗の無い狙撃銃であり、これ一本あれば大丈夫というのも理解出来ます。

 

 故に、ライトニング単体だけでは役割を果たすのは難しいでしょう。

 

 だからこそ、テレポーターという「瞬時に居場所を切り替えられる武器」を彼女に持たせたのです。

 

 これがあればライトニングの難点である「威力のなさ」は必殺の射程に転移で飛び込む事によって解決出来、これによってある程度は狙撃後の逃走もまた可能となります。

 

 更に置きメテオラの起爆という役割は威力に関係ない為弾速に優れるライトニングが最も適しており、晴れて転移と高速精密射撃を操る少女狙撃手が爆誕したワケです。

 

 此処で茜ちゃんにテレポーターを持たせた事は、私なりの英断だったと思っています。

 

 これのお陰で那須隊の戦術の幅がとんでもない広がりを見せ、霧のように姿を見え隠れさせる変幻自在のスナイパーが生まれたのですから。

 

 そんな茜ちゃんは、他の精神的にメンドイ面々と比べて陽の気力が全開であり、一番真っ直ぐ成長していったメンバーだと思います。

 

 想いで雁字搦めになっていた七海と那須、それに気付いて悶々としていた熊谷と比べて、彼女は隊の精神的な問題に気付いていませんでした。

 

 しかし七海の悲惨な過去は知っており、「彼等の力になりたい」という想いは人一倍持っていた為努力を怠らなかったのです。

 

 いざ隊の膿が表出した時は自分に出来る事は結果を出す事だけと割り切り、あのラウンド3のラストの見事な戦果を持ち帰る事に成功したのです。

 

 そこからは自分の役割は戻って来た仲間を暖かく迎える事と開き直り、問題が解決した七海達を笑顔で迎え入れたワケです。

 

 これは彼女が何も知らない無垢でありながら仲間を想う気持ちは一切ブレなかった為に出来た事であり、完全に陽の気全開の茜ちゃんでなければ出来なかったでしょう。

 

 そういう意味で、二重の意味で彼女はMVPなのです。

 

 もっとも、これは当初は予定されていた事ではありませんでした。

 

 以前も語った通り、ROUND3は完全な負け試合として終わる筈だったのです。

 

 茜ちゃんも最初は自力で緊急脱出(ベイルアウト)して終わりの予定だったのですが、そこから「待てよ」と思い直しユズルくんを討ち取るという明確な「戦果」を持ち帰らせました。

 

 これは茜ちゃんの心情を考えた時、隊の為に出来る事は何かという思考をあそこで止める筈がないとシミュレートの結果思い至り、実行に移した結果です。

 

 これによって七海達は自分達がしでかした事をより一層直視する事になり、裏では影浦の早期来訪を阻止して問題解決を早めるというファインプレーをかましています。

 

 迅さんのあの場面での驚きは、私と同じだったと言っても過言ではないでしょう。

 

 思っていた以上に真っ直ぐ成長した狙撃手、それが茜ちゃんというワケですね。

 

 彼女の戦闘を描くのは、本当に楽しかったです。

 

 ぶっちゃけるとああいうトリッキーな戦闘こそ私の好むものであり、正面からの斬り合いよりも実は楽しく書けていたりします。

 

 特に最終ROUNDでのユズルくんとのゲリラ戦は、かなりのベストバウトであったと自負しています。

 

 狙撃手同士のタイマンのゲリラ戦なんてものは、普通早々発生しませんからね。

 

 最後のゼロ距離狙撃は、シミュレートの結果自然に出来たものです。

 

 きっとあのシーン、絵にしたら映えるだろうなあと後からしみじみ思いました。

 

 また、茜ちゃんについては彼女の除隊阻止もストーリーの目標の一つでした。

 

 茜ちゃんが転校してしまっては、完全無欠なハッピーエンドとは言えませんからね。

 

 その為に大規模侵攻の被害軽減に尽力し、様々な仕込みを経て難易度ルナティックと化した戦争を被害ゼロで終わらせたワケです。

 

 茜ちゃんは戦闘面は満足に描き切ったという自負がありますが、くまちゃん共々日常描写をあんまし描けなかったな、という心残りはあります。

 

 私は元々何の伏線もない日常描写というものが苦手で、どうしてもそちら側に属するキャラの登場回数も減りがちです。

 

 基本的に私がキャラの独白なんかをするとしっとりした雰囲気になりがちなので、穏やかで何の変哲もない日常、というのが中々書けないのです。

 

 伏線を仕込むとか関係性を描写するとか目的があればどうとでもなるのですが、ここらへんは私の物書きとしての今後の課題ですね。

 

 茜ちゃんのアライメントは那須隊で唯一の秩序・善。

 

 要するにごく普通の良い子です。

 

 他の面々が何かしら面倒な精神を抱えているのと比べると、ただ押しが弱いくまちゃんすら上回る完全無欠の陽のキャラです。

 

 七海や那須が色々と内に溜め込みがちなのと比べ、茜ちゃんはその場で泣いてスッキリして後には引きません。

 

 これは彼女が那須隊最年少であるからこそ出来る事でもあるのですが、元から持った素質の違いでもあるでしょう。

 

 そんな茜ちゃんのイメージカラーは、サンシャインイエロー。

 

 太陽のように明るい黄色です。

 

 名は体を表す通り、那須隊の太陽である彼女のイメージに最も合致する色でしょう。

 

 イメージ曲は、「BON VOYAGE!」。

 

 「最初はみんなバラバラに描いていた地平線 今なら一つの望遠鏡で覗ける」という歌詞は、最初は本当の意味で同じ方向を向いていなかった那須隊がようやく同じ方向を向けた事を喜ぶ茜ちゃんの心情を現しています。

 

 「シガラミも過去も捨てて僕らならそれでも笑えてるはず」「夢をかなえるための涙ならば惜しくはない」という歌詞も、彼女の決意を象徴していますね。

 

 最後の「未来へのシッポちょっと見えたよ」というのも、彼女の行動が切っ掛けとなって未来が変わった事の暗示になっていて、中々に合っている曲だと思っています。

 

 次回作ではまた別ベクトルの狙撃手を描く事になるので、茜ちゃんを書く上で培ったノウハウは全力で活かしていく所存です。

 

 

 

 

 『迅悠一』

 

 アライメント/混沌・善

 イメージカラー/スチールグレイ

 イメージ曲/命に嫌われている/DAYBREAK FRONTLINE

 

 私は原作の迅さんを見る度、その奥に秘める心の軋みを感じていました。

 

 未来視という呪い(ちから)を持って生まれて、常時トロッコ問題に突き当たっている上に実際に仲間を幾人も亡くしている。

 

 これで、心に闇がない筈がないんです。

 

 つい先日の情報解禁で未来視の仕様が「オフは出来ず、モニター形式」というきっついものである事も明らかになった時、想像通りのものだった事に納得しかありませんでした。

 

 迅さん編で散々やった未来視の考察でも、無数のモニターを見ているようなイメージで描いていましたしね。

 

 「いくつかのあり得る未来を()()()視ている」という文言から、私はモニターを見ているような感じだと思っていたので、想定通りの結果と言えます。

 

 VS迅さん編、過去回想編ではそういった迅さんの心の軋み、葛藤を存分に描ききりました。

 

 他のワートリ二次創作を見ても、迅さんの過去────────────────即ち旧ボーダー関連に切り込んだ描写というのは、中々ありません。

 

 これは当然で、今尚以て旧ボーダー関連はブラックボックスが多く、迂闊に描写出来ない範囲だからです。

 

 ですが、私の場合は七海玲奈という旧ボーダーに食い込むキャラクターを既に組み込んであったので、「原作(あっち)は原作、こっちはこっち」と開き直って描写する事が可能となったワケです。

 

 勿論、玲奈の存在とその死によって原作よりも迅さんの曇り具合は酷いものになっています。

 

 迅さん編が来るまではその嘆きと葛藤は表面上でしか描写しませんでしたが、過去回想に入った瞬間その全てを解禁しました。

 

 あそこらへんは過去最高クラスで筆が滑っていたと自負しており、もう無意識に指が動いていたレベルでした。

 

 最初から迅さんの葛藤と救済は必ず描くと息巻いていたので、ノリノリで書いていた事を覚えています。

 

 最終章以外でどの章が一番書いてて楽しかったかと言われれば、迅さん編であると間違いなく言えます。

 

 ああいう話を書くのは大好きですし、迅さんの内情を明かしてからの那須隊との決戦は本当に王道塗れで盛り上げたつもりです。

 

 「俺と───────最上さんが、相手だ」のモノローグのあたりで、もうテンション最高潮でした。

 

 過去回想含めて得意のきのこ構文を全力で使えたのも、満足出来た一因ですね。

 

 あそこらへんは本当に、好き放題に書きまくった記憶があります。

 

 地の文もスラスラ出てきましたし、台詞も自然と生まれて来るしで絶好調でしたね。

 

 特に玲奈死亡後の小南との問答は、特にお気に入りです。

 

 ああいうやり取り、本当に描くの好きなんですよね。

 

 割と殺伐した描写や容赦のない描写を描くのは実は好きな私なので、そのあたりを遠慮なく描ける旧ボーダー組を書くのは楽しかったです。

 

 此処まで色々と艱難辛苦を迅さんに与えて来たワケですが、これは当然後の救いに繋げる為です。

 

 私は救われるべきキャラには、全力で試練を与える事にしています。

 

 そうでなければ救われた時のカタルシスが減るからであり、またそれまで届かなかった救いを手にするにはこの程度は当然乗り越えるべきであるという持論もあるからです。

 

 カタルシス、というのは困難が大きければ大きい程上がるものです。

 

 誰かがあっさり解決した、という程度の試練ではありがたみがありません。

 

 それに、容易く解決出来るものを試練と呼びたくはありません。

 

 なので、与える試練に関しては一切容赦しないのが私流です。

 

 困難な試練を経てハッピーエンドを手にしたなら、その幸福に文句を言う者は誰もいないからです。

 

 だから、私は物語が終わった後は一切の試練を与えないようにしています。

 

 ハッピーエンドを掴んだのなら、そのまま幸せにならなきゃ嘘ですからね。

 

 ですので、自作のキャラに試練を与えるのは私の愛故なのです。

 

 愛ったら愛なのです。

 

 歪んではいません。

 

 これは創作者として至極真っ当な愛であると、きっと同胞の方々なら同意して下さるでしょう。

 

 まあ、艱難辛苦を課した上に何の救いも与えないようでは駄目ですが。

 

 ビターエンドもメリーバッドエンドも嫌いじゃないけど、自分が書くならハッピーエンド一択。

 

 私のスタイルはこれなのです。

 

 なので、今後の作品も安心して見て下さい。

 

 私が救うと決めたキャラは、必ずハッピーエンドに到達させますので。

 

 迅さんのアライメントは、混沌・善。

 

 社会のルールよりも自分のルールを優先する、迅さんの在り方を現した属性ですね。

 

 那須さんと同じく「七海玲一⑤」までは混沌・悪に寄っていましたが、七海のお陰でようやく止まっていた時計の針が動いたワケです。

 

 イメージカラーは、スチールグレイ。

 

 暗い赤紫系統のグレーで、迅さんの曇りっぱなしだった心と常時トロッコ問題で軋み続ける心を象徴しています。

 

 迅さんは表面上は緑系統のイメージですが、内面はきっと灰系統だろうなあというのが私の考えですので。

 

 イメージ曲は、「命に嫌われている」

 

 これ、歌詞が何もかも迅さんにぴったりなんですよね。

 

 「実際自分は死んでもよくて 周りが死んだら悲しくて」っていう歌詞は周囲の人間が死んで自分だけ生き残っている迅さんの罪悪感、サバイバーズギルドを現していて、「僕らは命に嫌われている。 軽々しく死にたいだとか」「軽々しく命を見てる僕らは 命に嫌われている」というフレーズも迅さんの自嘲みたいですよね。

 

 「生きる意味なんて見出せず、無駄を自覚して息をする」「寂しいなんて言葉で この傷が表せていいものか」「そんな意地ばかり抱え今日も一人ベッドに眠る」という歌詞も、玲奈が死んで生きている意味を見出せなくなった迅さんの嘆きが込められているようでなりません。

 

 「自分が死んでもどうでもよくて それでも周りに生きて欲しくて」っていうのは迅さんの覚悟そのものですし、「幸福の意味すらわからず、産まれた環境ばかり憎んで 簡単に過去ばかり呪う」というのも持って生まれた未来視に苛まれる迅さんそのものです。

 

 「夢も明日も何もいらない。 君が生きていたならそれでいい」という歌詞も、玲奈さえ生きてくれていたら何も要らなかったのに、という迅さんの葛藤がダイレクトに表現されています。

 

 最後の「それでも僕らは必死に生きて 命を必死に抱えて生きて」「殺してあがいて笑って抱えて」「生きて、生きて、生きて、生きて、生きろ」というのも悲劇を経ても止まれない、迅さんの哀しい決意を象徴しています。

 

 そんな迅さんが、七海によって変わって以降のイメージ曲が、「DAYBREAK FRONTLINE」です。

 

 それまで自縄自縛状態にあった迅さんが、七海のお陰でようやく未来(まえ)を向けるようになり、本当の意味でハッピーエンドを掴む為に動き出す。

 

 「笑えない日々を抜け出そうぜ 君を連れ飛び出した」という歌詞は、そんな迅さんの心情を現しています。

 

 また、この曲はこの「痛みを識るもの」全体のイメージ曲と言っても良く、「夜に腐っていたって僕たちは間違いなく明日に向かっていく」という歌詞は想いで雁字搦めになっていた七海、那須、迅さんが前に向いた事を象徴するような歌詞ですし、「無駄なものは何もないさ 前を向け その方がきっと笑えるさって」というのも苦難を超えて未来へ進む迅さん達の心情をこれでもかと現しています。

 

 最後の「前を向け 終わらないさ 一生僕らは生きて征け」というのも、最終話で描かれた「未来に進む七海達」を表現していて本当にぴったりだと思っています。

 

 大好きなキャラなので長くなりましたが、今回はこのへんで。

 

 次は小南と瑠花ちゃんいこうかな。



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キャラ語り/小南・瑠花

 

 『小南桐絵』

 

 アライメント/混沌・善

 イメージカラー/スカーレット

 イメージ曲/アスノヨゾラ哨戒班

 

 ご存じチョロ可愛い先輩、小南。

 

 彼女が本当の意味でこの「痛みを識るもの」でスポットライトが当たったのは、矢張り迅さんの過去回想編からとなります。

 

 それまでも七海のコネクションの一人としてちょくちょく登場していましたが、本格的に存在感を増したのはそこからです。

 

 基本的に小南といえば明るく元気なムードメーカー、的なイメージを抱く方が多いでしょう。

 

 ですが、彼女は旧ボーダーの一員。

 

 即ち、迅さんと同じ「戦争経験者」なのです。

 

 何故あんな幼い頃から彼女が戦場に立つ事になったかについては明かされてはいませんが、戦争に参加した事自体は確実でしょう。

 

 四年前の大規模侵攻でああして姿を晒して「戦力」としてカウントされていた以上、あれが初陣というのは少々考え難いです。

 

 少なくとも小南は自分で「迅よりボーダー歴が長い」と言っているので、この「ボーダー歴」というのが戦闘員としての経歴であると私は判断しています。

 

 加えて小南は何かしらにつけ「実力主義」を強調し、言葉だけでは意味が無いという事を実感として知っているように思います。

 

 なので、基本的にこの世界線では小南は「迅より先にボーダーに在籍し多くの戦場を渡り歩いた」ものとして扱っています。

 

 この世界線は玲奈の存在を始めとして色々差異があるので、もし原作で新たな追加情報が出たとしてもこれは変わりません。

 

 玲奈の存在を起点としてこの世界線は原作とは既に別の世界なので、あっちはあっち、こっちはこっちです。

 

 前にも言ったかもしれませんが、私は二次創作で描く作品の世界とは「原作の世界線に近く、されど決定的な差異のある並行世界」だと考えています。

 

 パラレルワールドというものは些細な切っ掛け、微細な選択の差異によって異なる道筋を歩んだ世界です。

 

 なので、たとえ原作を元とした世界だとしても、この世界線では「七海玲奈と七海玲一」という特異点が存在する為に「全く同じ世界」には成り得ません。

 

 影浦が副作用に起因した突発的な粗暴行為を控えて弟子の指導を行う事も、上層部が迅と最初から通じ合っている事も、原作では有り得ない事です。

 

 どちらも七海玲奈と七海玲一の二名がこの世界に存在しなければ有り得る筈のなかった事象であり、この世界と原作世界が別の世界線である事の証左です。

 

 少なくとも、私はそう断言します。

 

 それが、二次創作というものでしょうから。

 

 さて、という事でこの作品の小南は「戦争経験者」と「旧ボーダー」出身というポイントに着目し、迅に対する複雑な想いについてもフォーカスしました。

 

 たとえば、原作で迅さんが風刃を手放した件について。

 

 あの事について玉狛第一組は特に話題に挙げてはいませんが、内心で色々思う所があったのは事実でしょう。

 

 特に、最上さんを亡くした直後の迅さんを知っているとなれば猶更です。

 

 なので、過去編では迅さんに対する悲しみと怒り、そして思い通りにならない鬱憤と葛藤を存分に描写したつもりです。

 

 玲奈が亡くなった直後の問答で、ある程度小南の立場は明確化したつもりです。

 

 小南は、基本的に迅さんの絶対的な味方です。

 

 これは他の者達のように迅さんの意思を尊重するよりも、迅さん個人の幸せを求めるという意味でです。

 

 玲奈の一件以降、迅さんの時計の針は止まり外側を取り繕って無理やり身体を動かしている状態でした。

 

 それを間近で見ていた小南はそのままではいけないと思いつつも、問答の時に言い返せなかった事が翳りになり一歩を踏み出せませんでした。

 

 三輪に関してもそうですが、小南は迅さんと境遇が近過ぎるので、中々思い切った事を言えなかったのです。

 

 なまじ相手の気持ちが想像出来てしまう分、踏み込むのに躊躇してしまったワケですね。

 

 ですが、そんな小南の堪忍袋の緒も迅さんの七海に対する仕打ちを見て切れました。

 

 七海を応援するどころか必要な事であったとしても突き落とす気満々の迅さんを見てブチキレた小南は、想いの丈を吐露します。

 

 結果として迅さんの痛々しい懺悔を聞いて言葉が詰まってしまい、そこで終わってしまうのですが、実はこの時の小南の糾弾はきちんと彼に届いていました。

 

 迅さん側に受け入れる準備が出来ていなかっただけで、心にはきちんと彼女の言葉が刻まれていたのです。

 

 だからこそ、七海に心の氷を溶かされた後、小南の言葉を受け入れる事が出来たのですから。

 

 実を言うと、小南の過去編及びVS迅さん編の動きについてはほぼアドリブです。

 

 というよりも、あの過去編自体ほぼアドリブに近いです。

 

 最初は過去編についてはある程度省略して出すつもりでしたが、私の中の性癖が「行け」と全力で後押ししたので大幅に加筆した結果があの一章丸々使った過去編です。

 

 思い付きで実行したパート、と言っても過言ではありません。

 

 ですが、結果としてこれで良かったと今なら自信を持って言えます。

 

 この過去編をがっつりやった事で迅さんを始めとした旧ボーダー組のキャラに深みが出ましたし、何より書いてて楽しかったので。

 

 大好きなきのこ構文てんこ盛りの愁嘆場を描くのは、大変筆が乗りました。

 

 小南の動きも、指先の動くまま好きにやらせた結果です。

 

 その過程で迅こな風味に描写が傾きましたが、元々そっち派なのであしからず。

 

 実質幼馴染の戦友という関係性も大好きですし、二人の境遇や性格もとても良い嚙み合わせだと思っています。

 

 また、某王女との絡みも書いてて非常に楽しかったので、やっぱりああいう関係性を描くのが好きなんだなあとしみじみ思いました。

 

 ちなみに、小南の戦闘についてですが「実戦では絶対に緊急脱出(ベイルアウト)させない」という縛りを設けて書きました。

 

 これは何故かというと、小南は原作では緊急脱出どころか被弾シーンも一度たりとも描かれていないからです。

 

 小南の危機回避能力の高さは原作の大規模侵攻でヴィザ翁の星の杖を無意識に警戒していた事からも、かなりのレベルであると分かります。

 

 なので、小南に被弾させるのであれば最低限ヴィザ翁レベルが相手で尚且つ何らかのアクシデントや予想外があった場合、に限りました。

 

 基本的に小南というキャラは、安易に落とさせてはいけないと思っています。

 

 それだけ、「原作で被弾描写がない」という事実は大きいのです。

 

 たとえヴィザ翁が相手だとしても、どうしても逃げられない状況にでもない限りは、小南を落とす描写を差し込むのは違和感を拭えないので相当に巧くやる必要があります。

 

 なので、大規模侵攻で小南を動かす時は「緊急脱出させない」事を念頭に置いて描くのがベターだと思います。

 

 原作で明らかに実力の桁が違うキャラを落とす時は、細心の注意を払う必要があるからです。

 

 私が東さんレイドを描写した時、東春秋という例外枠を落とすという展開の説得力として「那須隊全員と相打ち」というアイディアを採用したように、強キャラというものは撃破の際に格を落とさないように留意するのが必須です。

 

 これをしなければ展開に違和感が出てしまいますし、最悪それだけで面白さが消えてしまいます。

 

 故に、原作の強キャラを撃破させる際には充分以上に気を遣う必要があるのです。

 

 だからこそ、VS迅さん編は那須隊とぶつかる前に散々無双させて、その戦いからヒントを得ていく形で決戦に辿り着かせたのですから。

 

 これは戦闘を含む作品を描く時には必ず気を付ける必要があり、これを怠れば読者が離れても不思議ではありません。

 

 特にワ民は目が肥えている方が多いので、下手な落とし方をすると容赦なく切られる事でしょう。

 

 小南というキャラクターはそれだけの格を持っているのは間違いないので、ワートリ二次創作をやりたいという方は覚えて置いた方が良いです。

 

 そんな小南のアライメントは、混沌・善。

 

 これは迅と同じく戦争を経験したが故に、清濁併せ呑むという事を知っているからです。

 

 彼女はそれを迅さん程徹底してはいませんが、それでも価値観そのものはシビアなのでこの形に。

 

 イメージカラーは、スカーレット。

 

 単純な赤ではなく、くすんだ赤であるあたり明るさの中にシビアな価値観を持つ彼女らしい色であると言えるでしょう。

 

 イメージ曲は、「アスノヨゾラ哨戒班」。

 

 勢いのある曲調は、彼女の外面の明るさを。

 

 歌詞の「そのくせ未来が怖くて 明日を嫌って過去に願って」「もう如何しようも無くなって叫ぶんだ」「明日よ!明日よ!もう来ないでよ!」って」のあたりは、戦争で辛い経験をして塞ぎ込んでいた頃の小南を思い起こさせます。

 

 しかし、そのすぐ後の歌詞で「けどその夜は違ったんだ 君は僕の手を

空へ舞う 世界の彼方 闇を照らす魁星 君と僕もさ、また明日へ向かっていこう」のあたりは、すぐにふんぎりを付けて前を向こうとする彼女のポジティブさを表しています。

 

 「あれから世界は変わったって 本気で思ったって 期待したって変えようとしたって 未来は残酷で それでもいつだって君と見ていた 世界は本当に綺麗だった」の所は、迅さんを変えようとしても変える為の一歩が踏み出せない、彼女の葛藤を。

 

 最後の「未来を少しでも君といたいから叫ぼう 今日の日をいつか思い出せ未来の僕ら」は七海のお陰で時計の針が進んだ迅を見て、手を引いて一緒に歩いて行こうとする彼女の決意を物語っています。

 

 明るさの中に切なさが隠れている、彼女らしい曲と言えるでしょう。

 

 色々語りましたが、最後に一言。

 

 迅こなは良いぞ。

 

 

 

 

 

 『忍田瑠花』

 

 アライメント/混沌・善

 イメージカラー/ヘリオトロープ

 イメージ曲/「君の知らない物語」

 

 ジト目系毒舌巨乳プリンセス、忍田瑠花。

 

 彼女は最初、プロットには影も形もありませんでした。

 

 それもその筈で、瑠花が登場したのは連載を行っている真っただ中。

 

 ランク戦を書いているあたりだったと記憶しているので、連載前に組み上げたプロットにいる筈がありません。

 

 ですが、お姫様キャラというファンタジー系世界でなければ扱えないキャラの描写に飢えていた私は、即断で出演を決定しました。

 

 しかしそれでも、過去編にチョイ役として出す程度の予定でした。

 

 だが、彼女は弾けた。

 

 一度出したみると予想以上に書いていて楽しいキャラである事が発覚したので、あれよあれよと出番が増えていき遂には本編の時間軸にまで殴り込んで来る始末です。

 

 お姫様キャラのパワーというものを、正直侮っていました。

 

 しかも彼女の場合亡国のお姫様なので、お姫様キャラにありがちな権威に基づいた己を顧みない傲慢さがなくなっており、傍から見れば偉そうな言動を繰り返しつつも、きちんと人を気遣える優しいプリンセスが生まれたワケです。

 

 原作ではほんの少ししか登場していない分、瑠花に関してはかなり好き勝手書けました。

 

 これもまた、玲奈というキャラを旧ボーダーに組み込んでいたからです。

 

 玲奈の存在により、旧ボーダー内及びその同盟国であるアリステラの人間との関係性は必然的に原作とはある程度異なるものとなります。

 

 なので、原作で追加情報が出ても「この世界は玲奈がいた世界線だから」と言い訳が立つのです。

 

 二次創作世界並行世界理論によって、理論武装は完璧なワケです。

 

 私にとっては完璧なので、それで問題ありません。

 

 さて、肝心の瑠花のキャラですが、基本的に強気の口調でありながら身内の陽太郎は溺愛している情深いキャラなので、過去編では玲奈の死によって痛々しい仮面を身に着けた迅さんを気遣う台詞に終始しています。

 

 彼女は崩壊するアリステラから近界へと亡命したワケですが、これは当然迅さんの予知がなければ成功しなかった事でしょう。

 

 多くの旧ボーダーメンバーが亡くなったアリステラ防衛戦は、恐らく迅さんの予知によって派兵されたのでしょうから。

 

 最終的に相手国を押し返した上で瑠花と陽太郎を脱出させているので、事前に現地入りしていなければ不可能だった筈です。

 

 そして、事前に動く為には迅さんの予知が必須です。

 

 なので、瑠花にとって迅は自分を救ってくれた大恩人に当たるワケです。

 

 それだけで好意的に見ていた筈ですし、迅さんの痛々しい姿を何年も見て来ているので、想いの強さは相応になっている筈だと推測した結果があれです。

 

 まあ、今作では玲奈がいた影響でノーセクハラになった迅さんにセクハラを強制する暴挙を働いたのは筆が乗った結果ですが。

 

 脳内シミュレーションで瑠花ちゃんに「此処どうする?」って聞いたら「胸揉ませると脅します」って返って来たので、即断でゴーサインを出した次第です。

 

 尚、あの時は迅さんの返答次第で本気で実行するつもりだったので紙一重だった模様。

 

 私、毒舌キャラを書くのが大好きというか毒のないヒロインは物足りなく感じるタイプなので、あそこまで筆が乗ったのかもしれません。

 

 ヒロインはちょっとサディスティックな方が魅力的に思える定期。

 

 そんな彼女のアライメントは、混沌・善。

 

 まあ、色んな意味で言わずもがなです。

 

 彼女も色々と辛い経験をして来ているので、現実を知って尚前に進むと決めたが故の属性です。

 

 イメージカラーは、ヘリオトロープ。

 

 灰系統の紫ですね。

 

 現実の残酷さを知るが故のグレー系統と、想いの強さの象徴である紫を合わせた色になります。

 

 灰は迅さんの象徴色でもあるので、そこも意識してあります。

 

 イメージ曲は、「君の知らない物語」。

 

 星をモチーフにした曲は、近界国家の出身らしい彼女に合っています。

 

 加えて、歌詞の「いつからだろう 君の事を追いかける私がいた」「どうかお願い驚かないで聞いてよ私のこの想いを」のあたりは、彼女の秘めたる想いが現れています。

 

 「本当はずっと君の事をどこかでわかっていた」「見つかったって届きはしない」「だめだよ 泣かないで そう言い聞かせた」の歌詞は、時計の針が凍ったままの痛々しい迅さんを見て、具体的な解決策が浮かばずに悶々としていた頃の彼女の心情のようです。

 

 また、「強がる私は臆病で興味がないようなふりをしてた」「だけど胸を刺す痛みは増してく」「ああそうか 好きになるってこういう事なんだね」も、葛藤を抱えながら想いを強める彼女のいじらしさを表しています。

 

 最後の「君の知らない私だけの秘密」「夜を越えて遠い思い出の君が

指をさす 無邪気な声で」は、色々吹っ切れた迅さんを見て色んな意味で決意を固めた瑠花の心情みたいで、彼女にぴったりの曲だと思いました。

 

 改めて、瑠花ちゃんは書いていて本当に楽しいキャラでした。

 

 Afterも描くつもりなので、どうぞお楽しみに。



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キャラ語り/玲奈・影浦

 

 『七海玲奈』

 

 アライメント/中立・善

 イメージカラー/サルビアブルー

 イメージ曲/シャルル

 

 主人公七海玲一の亡き姉にして、物語のキーキャラクターでもある少女。

 

 それが、七海玲奈という少女の当初明かされていたパーソナリティです。

 

 最初の方から七海の回想なんかでチラ見せはされていましたが、作中の時間軸では既に故人となっている為本格的に彼女のシーンが描写されたのは当然ながら迅さんの過去回想編です。

 

 当初は彼女の描写はあくまでもさらりとキャラの回想で終わらせる予定でしたが、「やっぱ全部書きたい」と思い立ち、大幅に加筆修正を加えたのがあの「迅悠一回顧録編」です。

 

 それまでの断片的な描写から聖女の如き慈愛に溢れた少女のようなイメージを齎していましたが、これらの描写は迅さんや七海のフィルターがかかっていました。

 

 本当の彼女は、何処にでもいる家族思いの少女に過ぎません。

 

 ただ、持って生まれた力故に極端な利他主義に傾いて無理をしていただけで。

 

 副作用(サイドエフェクト)、心象視認体質。

 

 相手の感情が表情として浮かび上がる、彼女の生まれ持った力。

 

 これは、カゲさんの能力とは似て非なるものです。

 

 カゲさんの感情受信体質は、感情を向けられるだけで自動発動する触覚型ですが、彼女の能力は視界を介する迅さんと同じ視認型です。

 

 ですが、生きている以上他者を視界に入れないというのは不可能である為、自動発動とそう変わりありません。

 

 迅さんのものと同じく、能力のオンオフは出来ないので。

 

 自動的に「相手の顔色を伺ってしまう」能力なので、否応なく空気を読めてしまう。

 

 相手の感情が分かるから、向こうの望む言葉を言えてしまう。

 

 それが、玲奈のサイドエフェクトの呪い(ちから)でした。

 

 正直、カゲさんとは別ベクトルで苦しい能力です。

 

 能力で相手の感情をリアルタイムで把握出来てしまう為に、反射的に相手に気を遣い過ぎてしまうので、常日頃から心労が半端ありません。

 

 なので、常にダウナーな感情を垂れ流していた昔の迅さんとの触れ合いは、同族の匂いを感じてある意味安心出来たのでしょう。

 

 迅さんと同じく、彼女も人生に疲れていた人種ですので。

 

 基本的に周囲の面々の人間が出来ていた事も、彼女が生き難いと感じていた原因でしょう。

 

 自分勝手な人間相手であればある程度あしらう事も出来たでしょうが、玲奈の周囲にいるのは人間的にかなり出来た面々が集まっていました。

 

 なので、自分を気遣ってくれているのを自動で感知してしまい、それが申し訳なくなって笑顔が曇り、それを察した周囲の大人の感情を察知して再び塞ぎ込む、という負の悪循環が発生していました。

 

 城戸さんなどはそれを察していたからこそ、玲奈の弟である七海を今でも気にかけていたのです。

 

 そんな中、ある意味自分の都合ばかりに寄った感情を垂れ流す迅さんとの交流は彼女にとって安らげる時間でした。

 

 自分の都合と言っても迅さんの場合持って生まれた力故のどうしようもないもので、尚且つ彼自身の根は善良です。

 

 なので、玲奈にとっては接していてストレスの少ない相手であったと言えるでしょう。

 

 親交が深いように見えたのも、そういった事情があります。

 

 サイドエフェクトの意味は、()()()

 

 私は、サイドエフェクトを描く時はこの言葉に留意して筆を執っています。

 

 どんなに便利に見える能力だろうと、本人からしてみれば厄介な()()でしかない。

 

 副作用持ちの面々を見ていれば、それが良く分かります。

 

 つくづく、葦原先生のセンスには脱帽です。

 

 ちなみに戦闘では役に立たない能力かといえば、そんな事はありません。

 

 相手の感情がリアルタイムで見えるので、向こうに何か策があるのか、それとも本当に追い込まれているのかが一目瞭然なので、彼女相手にブラフは通用しません。

 

 例外は、感情を消して引き金を引ける東さんくらいでしょうか。

 

 カゲさん相手だと相手の感情がお互いリアルタイムで感知出来る同士の戦いなので、単純な技術と心理のぶつかり合いになります。

 

 ただ、もし彼女が本編時間軸まで生き残っていた場合カゲさんとは経験値が段違いなので、玲奈有利になると思われます。

 

 当時忍田さんとバチバチやり合ってた程の腕なので、生半可な相手ではまともな戦闘にすらなりませんので。

 

 戦争経験、というものはそれ程に大きいのです。

 

 こういった玲奈のパーソナリティは、実は書く時にほぼアドリブで決めました。

 

 彼女は当初七海の過去を決定づける悲劇の舞台装置として、「主人公の姉」というパーソナリティを与えた設定だけのキャラに過ぎませんでした。

 

 しかし、いざ過去編で描写すると筆が滑りまくり、此処までのアイデンティティを獲得するに至りました。

 

 本当に、あの過去編はしっかり描いて良かったと今でもしみじみ思います。

 

 玲奈の容姿については、ぶっちゃけ美少女です。

 

 黒髪セミロングの儚げな雰囲気の少女で、ジャンルとしては那須さんのイメージに近いです。

 

 スラリとした長身で、着やせ気味のCカップ。

 

 肌は那須さん程ではないですが白く、和風美人の系譜です。

 

 美形なのでナンパに合う事も多かったですが、相手の下心は普通に見えるので適当にあしらうのも慣れたものでした。

 

 なお、近くにいた旧ボーダーの男性陣が撃退する事の方が多かった模様。

 

 旧ボーダーでは周囲の人間関係を取り持つ事が多く、仲間からは申し訳なく思われつつも感謝されていました。

 

 なので人望も厚く、今でも旧ボーダー出身者は彼女に頭が上がりません。

 

 七海にあそこまで上層部の旧ボーダー組が親身になっていたのも、そのあたりが起因しています。

 

 玲奈の人望が巡り巡って、城戸さん達と迅さんの繋がりを今も尚取り持っている形です。

 

 上層部との関係が原作と同じようであれば、あそこまで万全の準備は出来なかったと思われます。

 

 彼女の存在なくして、あの大規模侵攻を最高の形で乗り越える事は出来なかったでしょう。

 

 そういう意味で、主人公たる七海と双璧を成すこの世界線の特異点と言っても過言ではないどころかそれそのものだと言えます。

 

 兄でも妹でもなく姉なのは、主人公に大きな影響を与え尚且つ悲劇性と英雄性を併せ持つイメージを与え易いのが、姉だからです。

 

 主人公の人生に多大な影響を齎すのであれば、目上である事は必須。

 

 しかし母や父となると、それこそ人生の目標そのものにもしかねないパターンになるので、姉という近くて敬う対象となり易い相手にしたワケです。

 

 まあ、姉にした方が私が色々書き易かった、というのもありますが。

 

 主人公の人生に大きな影響を与えたキーキャラクターである以上、書き易いタイプのキャラにするのは必須ですので。

 

 描写しないワケにはいかないキャラは、自分が書き易いと思う属性を付与すればやり易いです。

 

 そういう好みは、筆の滑り具合にモロに影響しますから。

 

 玲奈のアライメントは、中立・善。

 

 周囲からは秩序属性に見えていたでしょうが、中身は普通の女の子なのでアライメントは中立です。

 

 自分のルールはしっかり守るのは、言わずもがな。

 

 普段は中々ふんぎりが付かないけれど、いざという時は躊躇わないタイプでもあります。

 

 そうでなければ、自分の命を投げ出して弟を救う、なんて事は出来なかったでしょうから。

 

 イメージカラーは、サルビアブルー。

 

 灰系統の、青紫です。

 

 儚げなイメージからグレー、清廉な性格から青、情深い性質から紫。

 

 それぞれの色の特色を備えつつ。色合い的にも彼女のイメージにマッチしたカラーです。

 

 イメージ曲は、「シャルル」。

 

 曲全体の雰囲気もそうですが、歌詞がかなり彼女にピッタリなのです。

 

 たとえば「こうやって理想の縁に心を置き去っていく もういいか」「空っぽでいよう それでいつか」「深い青で満たしたのならどうだろう」は、持って生まれた力に苦しみながら生きていく彼女の葛藤が現れています。

 

 「愛を謳って雲の上 濁りきっては見えないや 嫌 遠く描いていた日々を」の歌詞は、黒トリガーとなって死亡し、黒い棺の中で微睡んでいる彼女の状態を。

 

 「譲り合って何もないな 否」「痛みだって教えて」は、お互いの事を想いながらもすれ違っていた、彼女の迅さんの関係性及び今作のキーワードである「痛み」に関しての言及を。

 

 「許し合って意味もないな 否」「哂い合ってさよなら」は、お互いの真意を理解し、本当の意味で彼女を見送る事が出来た迅さんと玲奈を象徴しています。

 

 紆余屈折ありましたが、書いていて後悔のない、良いキャラクターに仕上がったと思っております。

 

 

 

 

 『影浦雅人』

 

 アライメント/混沌・善

 イメージカラー/ビリジアン

 イメージ曲/SNOBBISM

 

 今作では主人公の師匠にして兄貴分を務めたキャラ、影浦雅人。

 

 原作とは色々と差異があるようで、実のところ根本は何も変わっていないキャラです。

 

 カゲさんは原作でも言動は粗野ながらも仲間思いで、尚且つ情に熱い面を見せています。

 

 ユズルの気持ちを汲み取って全力で応援してあげたり、遊真への世話の焼き方を見ればそれは明らかです。

 

 そんな彼が、果たして大した理由もなく根付さんを殴ったりするでしょうか。

 

 私は、そうは思いません。

 

 そして、二宮隊の降格と影浦隊の降格が恐らく似通った時期であろう事も鑑みれば、鳩原の件が関係している可能性が高いのではないかと考えました。

 

 なので、今作の影浦さんは鳩原の件に絡む形でアッパー事件を起こした事にしました。

 

 多分、ユズルくんは鳩原の除隊に関して上層部に抗議に行ったと思うんですよね。

 

 ユズルくんの性格なら、それくらいはやるでしょう。

 

 そこでもし、対応したのが根付さんであれば、余計な一言を言ってユズルくんを逆上させてもなんら不思議ではありません。

 

 根付さんは優秀ですしボーダーになくてはならない人材ですが、それはそれとして少々デリカシーに欠ける面がありますから。

 

 そこでユズルに汚点を作るワケにはいかないと思ったカゲさんが代わりに殴った、というのも違和感はないと思います。

 

 まあ、原作では違うかもしれませんが、この世界線ではこういう経緯です。

 

 そこから何もなければ原作と同じく減点にも構わずC級への制裁とかやってたかもしれませんが、そこで七海の弟子入りイベントが発生します。

 

 カゲさんは自分と同じく副作用(サイドエフェクト)で苦労している七海を見て共感を覚え、親身になってあれこれ世話を焼きます。

 

 その結果として「七海の顔に泥を塗る分けにはいかない」という心理が発生し、色々と自制するようになったのです。

 

 ただでさえ目立ち易い七海に、自分に起因した面倒ごとを押し付けるワケにはいかないと思ったのでしょう。

 

 起動出来ない黒トリガーを所持しているという情報も知る人は知っているので、色々と一杯一杯だった彼に余計な心労をかけるワケにはいかないと考えたワケです。

 

 更に無痛症で普通の料理の味が分からないという事を知り、奮起して七海専用のお好み焼きを作るエピソードは「カゲさんならやるだろう」と即決で決まりました。

 

 自分の出来る事で尚且つ相手が喜ぶ事が分かっているのであれば、やらない理由はありません。

 

 元々世話焼きで飲食店の息子なので、ある意味プライドもあったかもしれません。

 

 美味しいお好み焼き、というものを中々食べた事がないので美味しそうな描写が出来たかは少々自信がありませんが、そこは色々調べながら頑張りました。

 

 なんだかんだでカゲさんのお好み焼き屋は自然にボーダー隊員が集まる場所として便利なので、何度も利用する結果となったのでカゲさんを七海に絡ませたのは英断だったと思います。

 

 最終決戦で七海の背を蹴飛ばす役目も、彼だからこそ出来た事です。

 

 七海の周囲には寄り添い支える人はいても、背中を押すタイプのキャラには乏しいので、その役目を代わりに担った形です。

 

 あそこでカゲさんを出すのは、最初から決めていました。

 

 実は七海と共闘してエネドラを倒すルートも考えていたのですが、そちらは旧太刀川隊に任せようと思い直してあの形になりました。

 

 七海をヴィザ翁にぶつける事は決定事項でしたので、そこで師弟共闘を描く事が決まったのです。

 

 また、VS迅さん編でも七海の本心を引き出し、勝利の為の的確なアドバイスをするなど、要所要所で重要な役目を担いました。

 

 周囲が押しの弱いタイプで固まりがちな七海にとって、カゲさんの存在は貴重なのです。

 

 ROUND3でユズルに那須を狙わせたのも、カゲさんが今はそれが必要と考えたからです。

 

 あそこで隊の歪みを出さなければ、もう後には続かない。

 

 それを実感したからこそ、心を鬼にしてユズルに撃たせたワケです。

 

 楽しみにしていた師弟の戦いを台無しにされた怒りもありましたが、可愛い弟子の為に厳しく対応した、というのがあのシーンの本質です。

 

 その後七海に会いに行くかどうか迷っていましたが、茜ちゃんの活躍を見て「任せていいな」と思い至り七海の立ち直りには関与しない事を決めたのです。

 

 あそこで立ち直る前に会いに行っていれば事態が拗れたので、茜ちゃんは本当にファインプレーでした。

 

 色々と書きましたが、カゲさんの人情味溢れる兄貴分としての姿がきちんと描写出来ていたならば何よりです。

 

 そんなカゲさんのアライメントは、混沌・善。

 

 社会のルールは知ったこっちゃないけど、自分のルールは絶対曲げないタイプです。

 

 見た目や言動は不良系でも世話焼きなタイプのキャラって、結構好きなんですよね。

 

 イメージカラーは、ビリジアン。

 

 鮮やかな緑系の色で、野性味と春の森のような大らかさを併せ持つ、カゲさんらしい色合いだと思います。

 

 カーキ色も考えましたが、今作のカゲさんはこちら側かなと。

 

 イメージ曲は、「SNOBBISM」。

 

「あれこれ吐いてばら撒かないと寝られやしない」「やり切れない血反吐をたんとぶちまけないと釈然としない」の歌詞は、副作用(サイドエフェクト)に苦しんでいるカゲさんの心情を。

 

 サビの「さあ、喧嘩しようぜ 喧嘩しようぜ」「インプレッション次第でミサイルをぶっ放して」「さあ、喧嘩しようぜ 喧嘩しようぜ」「正当性なんて後でテープでくっ付けろ」は、カゲさんの前向きな思い切りの良さと、正当性なんてものは後から付いて来る、みたいな割り切りが現れています。

 

 「一体どうして 未来図ってマニュアル本には 最重要な術の導線設計がなされてないんだよ」「だから人は野蛮な凶器を振るうし それは至極当然の道理」もまた、サイドエフェクトの不条理によって苦しむカゲさんの心の痛みが伝わって来るようです。

 

 「さあ、喧嘩しようぜ 喧嘩しようぜ」「一切合切をかなぐり捨てて行こうぜ」は、最終決戦に臨む時のカゲさんの覚悟のようでいて、とても似合っています。

 

 歌詞も雰囲気もカゲさんに合っていて、ピタリとハマる曲と言えます。

 

 取り敢えず、これである程度語りたいキャラは語りましたかね。

 

 香取は次回作のメイン級になるので、今回は語らない事にしようかと思います。

 

 気分次第で追加するかもしれませんが、次はAfterの方を追加しようかなと思います。

 

 小南に瑠花にカゲさんにと、まだ書いてないキャラは結構いるので。

 

 カゲさんは次回作では今作ほど出番は多くないと思いますが、それでも今作のノウハウを活かして描いていきたいと思います。

 

 それでは、また。



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After Episode/未来の先で
那須玲/少女の想い


 

「ど、どうかな…………?」

「────────────────ああ、美味しいよ。ありがとう、玲。ちゃんと玲の作ったものを食べて味わう事が出来て、嬉しい」

 

 七海はおずおずと顔色を伺うように彼を見る那須に対し、笑顔でそう答えた。

 

 その手にはスプーンが握られており、目の前には食器に盛られたスープがある。

 

 鶏肉の団子と白菜、コンニャク等で構成されたそのスープは、那須が家に着くなり作った代物だ。

 

 那須自身肉類があまり好きではないのだが、このスープはあっさりめの味付けでそんな彼女でも好んで食べられるものだ。

 

 しかし味付けは薄味が基本である為極端に濃い味付けでなければ味覚を感じ取れなかった今までの七海には、出しては来なかった。

 

 だが、それはこれまでの話だ。

 

 つい先ほど、七海は大規模侵攻最後の戦いの最中黒トリガーを起動させ、その結果として四年間失っていた感覚(いたみ)を取り戻した。

 

 それはつまり、これまでとは違い味覚も正常に戻ったという事だ。

 

 この四年間、七海は極端に濃い味付けでもしなければ味を感じ取る事が出来なかったが、今はそうではない。

 

 普通の、何の変哲もない食事であっても味わって食べる事が出来る。

 

 本当にそういった状態に戻ったかを確認する為に、那須は大規模侵攻の後始末だなんだを迅の計らいで全て他者に任せてこうして七海に料理を振舞っていたのだ。

 

 勿論隊長として報告書を書く義務はあるが、迅曰くそれもそこまで急ぐ話ではなく、数日以内に提出してくれれば問題ないとの事。

 

 一刻も早く今の七海に自分の料理を食べて貰いたかった那須はその言葉に甘え、誰よりも早く彼に料理を振舞ったワケだ。

 

 もしも、七海が味覚を取り戻す事が出来たのなら。

 

 その時は、一番に自分の料理を食べて欲しい。

 

 それは彼女が密かに抱いていた、半ば諦めていた祈り(ねがい)だった。

 

 原因不明の無痛症を患ってしまった七海の感覚が、もしも戻る事があれば。

 

 そんな夢想を繰り返し、現実を直視して涙した夜は数知れない。

 

 けれど、今。

 

 その夢は、最高の形で叶ったのだ。

 

 那須には、分かる。

 

 今の七海の告げた「美味しい」という言葉は、決して彼女を気遣った配慮(うそ)ではない。

 

 本当に料理を美味しいと感じて、そのままの感想を口にした顔だ。

 

 だって、それは。

 

 彼が影浦のお好み焼きを食べた時と、同じ顔と声だったのだから。

 

 正直、比較対象が彼の師とはいえ男性なのはどうかと思う。

 

 けれど、これまでの四年間で七海が何かを食べる際に最も喜んでいたのは、彼のお好み焼きだったのだ。

 

 まあ、理屈は分かる。

 

 影浦は七海の為に全力を尽くし、試行錯誤を繰り返した末に無痛症の七海であっても味を感じる事が出来るお好み焼きを完成させた。

 

 それはきっと、食事を楽しむ事を半ば諦めていた七海にとって何より嬉しかったに違いない。

 

 今の自分でも、食事を美味しいと感じる事が出来る。

 

 四年間、感覚を喪失していた七海にとってそれはどれ程の救いとなった事かは想像に難くない。

 

 そういった感慨もあって、七海の一番の好物は影浦のお好み焼きと言っても過言ではないのだ。

 

 但し、理屈は理解出来ても女心がそれを認められるかは別の話だ。

 

 恋する少女としては、異性(じぶん)の料理よりも男性の料理の方が評価が上だというのは正直認め難い。

 

 勿論七海に心を尽くしてくれた影浦には感謝しているが、これはそういう事ではないのだ。

 

 感謝もしているし、恩義も感じている。

 

 けれど、女のプライドというものがある。

 

 好きな人には、自分の料理を一番だと言って欲しい。

 

 そういう願望は、那須の中に確かにあるのだ。

 

 だからこそ、那須は他の何よりも味覚の戻った七海に一番最初に料理を振舞う事に拘った。

 

 「味覚を取り戻して最初に食べた料理」という、付加価値によるアドバンテージを獲得する為に。

 

 人は、先入観────────────────つまりは付加価値というものに、思った以上に影響される。

 

 「期間限定」や「数量限定」と名が付くものは何故かそれだけでお得な感じがするし、楽しい旅先で食べた食事はよほど酷いものでもない限り美味しく感じるものだ。

 

 だからこそ、那須は「最初に食べた料理」という付加価値に拘ったのだ。

 

 何よりも自分の料理で、七海に喜んで貰う為に。

 

 彼の為に手を尽くしてくれた影浦やレイジには悪いが、こればっかりは譲れない。

 

 影浦には師匠補正と漢気で、レイジには純粋に料理の腕で負けている事を自覚している那須としては、此処は絶対に譲れない一線だった。

 

(良かった。ちゃんと、喜んでくれてる)

 

 しかし、その甲斐あって効果は絶大だった。

 

 今の七海は、純粋に那須の料理を称賛し、心から「美味しい」と口にしている。

 

 心なしか、普段より食べるスピードが早く思える。

 

 矢張り、数年ぶりに生身で食事を楽しめると言う点が大きいのだろう。

 

 付加価値に拘って良かった、と那須は安堵した。

 

 お膳立てをしてくれた迅には、感謝してもしきれない。

 

 後で菓子折りを持って行くべきよね、と密かに思案する那須であった。

 

 七海は自分の料理を喜んでくれたし、後顧の憂いもない。

 

 那須は純粋にその事を喜び、心の中でガッツポーズを取った。

 

(とにかく、折角味覚が戻ったんだもの。これからはしっかり胃袋を掴んで、私の料理なしじゃ駄目だ、ってくらいに染めなくちゃ。男の料理なんかに、私は負けないっ!)

 

 

 

 

(────────────────負けたわ)

 

 数日後。

 

 お好み焼き屋「かげうら」に訪れた那須は、目の前で楽しそうに影浦と談笑する七海を見てうなだれていた。

 

 七海は「美味しいです」と言いながら、影浦に満面の笑みを向けている。

 

 どう見ても、その姿は先日自分の料理を食べた時より楽しそうだ。

 

 考えてみれば、当たり前の話だ。

 

 七海にとって、影浦のお好み焼きはある意味で慣れ親しんだ味だ。

 

 この四年間、七海が味を感じられる数少ない料理。

 

 それが、影浦のお好み焼きであった。

 

 つまり、それは。

 

 ()()()()()()()()()であると、七海の脳に刻みつけられた料理でもあるのだ。

 

 人は、好物を食べる時に実際の味よりも美味しく感じる事があるのだという。

 

 これは「この料理は美味しいものだ」という本人の認識が自己暗示となり、味覚にある種の自己暗示(ブースト)がかかる為だ。

 

 影浦のお好み焼きは、刷り込みには充分な期間七海の舌を刺激し続けた。

 

 だからこそ、ある意味その完全版とも言える特別メニューではない影浦のお好み焼きは、七海にとって極上のご馳走であると言わざるを得ない。

 

 加えて七海の影浦への慕いっぷりは尋常ではなく、こうなるのは割と目に見えていた事ではある。

 

 勿論、納得など出来る筈もないが。

 

 ちなみに、熊谷や茜といった面々はそんな那須の様子には気付いていない。

 

 熊谷は柿崎と席を囲みながら談笑しているし、茜はユズルと話している。

 

 元より熊谷はスポーツマンとしての側面が強く、少女らしい所も勿論あるが恋愛経験は皆無なのでこういった事には鈍い。

 

 茜はそもそも料理をした経験自体があまりなく、恋愛についても同様だ。

 

 唯一共感出来るであろう小夜子は男性恐怖症により外出出来ない為この場にはおらず、那須は一人敗北感に打ちひしがれていた。

 

()()()わ」

「え…………?」

 

 だが。

 

 そんな那須に、同意の言葉をかける者がいた。

 

 柿崎隊万能手、照屋文香。

 

 才色兼備な柿崎隊の才女が、うな垂れる那須に手を差し伸べていた。

 

「出来るなら、自分の料理を一番に評価して貰いたい。その気持ちは分かります。私だって、女の子ですから」

「…………! そうよね。理屈は分かるけれど、納得は出来ないわよね」

「ええ、勿論。当然の感情ですから」

 

 那須はそんな照屋の手を取り、しきりに頷いた。

 

 同士を見つけた、そんな安心感が溢れ出る。

 

 考えてみれば、照屋ほどこの場における適役はいない。

 

 他の隊の恋愛事情には鈍い那須だが、確か彼女は自身の隊の隊長に想いを寄せていた筈だ。

 

 その対象である柿崎は、今現在熊谷と共にお好み焼きに舌鼓を打っている。

 

 恋慕を寄せる相手が、自分ではなく他の女性と話している。

 

 自分に置き換えてみた。

 

 まず、良い気分はしない。

 

 場合によっては、適当な口実を作って割って入る事も充分に有り得る。

 

 そう考えてみると、照屋が今の熊谷へどんな想いを抱いているか。

 

 考えると怖くなり、ちらりと彼女の顔色を伺った。

 

「ああ、大丈夫です。熊谷さんは元々私や柿崎隊長とは休日にスポーツする仲ですし、彼女にそんな気がないのは知っています。その点については心配()()()()()()()()()()()()()()

「え…………?」

 

 しかし、照屋はそんな那須の心配を他所に意味深な言い回しをしながら笑みを浮かべた。

 

 訝し気な表情をする那須に、照屋はにこりと笑いかける。

 

「さり気なく、私が隊長の事をどう思っているかは熊谷さんに伝えてあります。一度そう伝えておけば、熊谷さんの性格上ある程度の一線は引いてくれますよ。彼女は、気配りが出来る方ですから」

「成る程。それは確かに」

 

 那須は照屋の話を聞き、うんうんと納得する。

 

 彼女の話は、非常に納得が出来るものだった。

 

 何故なら、那須もまた過去に似たような事をやっているからだ。

 

 熊谷は那須隊の仲でも特に社交的な性格をしており、男女分け隔てなく接する距離の近さがある。

 

 昔は七海に対しても今より遠慮なく距離を詰めて接していたのだが、それを見て不安になった那須が彼女に自分の想いを伝えて()()をしたのだ。

 

 当時の那須は七海への感情を表向き認める事が出来ず色々と拗れていた為言いがかりに近い話し方をしてしまったが、熊谷は苦笑しながら「分かった」と言って七海との距離を配慮するようになってくれた。

 

 そんな彼女であれば、照屋の想いも斟酌して振舞うだろう。

 

 良く見て見れば今も熊谷は柿崎とは一定の距離を保って話しており、内容も爽やかオーラが見えるようなスポーツ関連の健全な話題オンリーだ。

 

 那須隊屈指のリア充オーラを放つ彼女を何処か眩しく思いながら、あれなら心配は要らないわよねと親友に対し割と重い感情を向けている少女は納得したのであった。

 

「今回のケースも、それと同じですよ。同性に対する親愛と、異性に対する情愛は別物ですから気にするだけ無駄です────────────────とは言っても、それで納得するなら乙女心という言葉は存在しないでしょう」

「そうよね。理屈と感情は別だもの」

 

 恋する少女達は、互いの言葉に納得し頷き合う。

 

 理屈は分かるのだ。

 

 同性に対する友情と、異性に対する愛情が別であるのは当たり前の事だ。

 

 だが、これはそういった理屈の問題ではない。

 

 女としての、想いを向ける相手に対する感情の話なのだ。

 

 理解は出来ても、納得は出来ない。

 

 この問題の本質は、そういうものなのだから。

 

「だから、こう考えれば良いんです。那須先輩は那須先輩にしか出来ない方法で、影浦先輩に勝れば良いと。女の子である事を、最大限に活かして」

「それって…………」

「告白しましょう。両想いなのは見て分かりますが、まだ正式に付き合っているワケではないんですよね?」

 

 那須はいきなりの照屋の言葉に面食らい、目をぱちくりさせた。

 

 確かに彼女の言う通り、まだ那須と七海は正式に付き合っているワケではない。

 

 両想いなのはお互いに知ってはいるものの、それをちゃんと言葉にするのは後回しにしていたのだ。

 

 ────────然るべき時が来たら、言うよ。玲に、告げるべき言葉を。だから今は────────

 

 あの時の言葉が、蘇る。

 

 ラウンド3での失態の後、様々な人の助けで七海との関係の拗れを修復出来た際に結んだ約束。

 

 片時も忘れた事がなかったそれを、改めて思い出す。

 

 然るべき時が、来たら。

 

 それは、確かに。

 

 今を置いて、他にはない。

 

 最大の懸念事項であった、大規模侵攻。

 

 それを乗り越える事が出来た今こそ、何の憂いもなくお互いの気持ちに向き合える。

 

 考えてみれば、これ以上ない好機であった。

 

 無論、その事は照屋は知らない筈だ。

 

 けれど、確かに。

 

 この悶々とした気持ちに決着を着けるには、これ以上ない良策と言えた。

 

「男女として正式にお付き合いをするようになれば、多少の事には目を瞑れるようにはなる筈です。特別な関係になれば、見えて来るものもまた違って来るでしょうから」

「そうね。そうよね。うん、そうだわ。ありがとう。目が覚めたわ」

「いいえ、まだ準備段階である私に比べればすぐにそれが実行出来る分那須先輩は良い方です。こちらは、まだまだですから」

 

 那須の感謝の言葉に対し、照屋は苦笑する。

 

 確かに、彼女が柿崎に想いを寄せているのは見れば分かるが、向こうの方は完全に年下の庇護対象として照屋を見ている。

 

 これは柿崎の自己評価が低い事に加え、彼の世話焼きな保護者気質が強く出ている為だろう。

 

「大変ね」

「ええ、でも仕込みはしている最中ですので問題はありません。意識改革の為の布石は打っていますし、長期戦は覚悟の上です。私が高校生の間はまず手を出してはくれないでしょうし、卒業してからが勝負ですね」

「応援しているわ。頑張ってね」

「はい、ありがとうございます。那須先輩も。健闘をお祈りしています」

 

 恋する少女達は、笑みを浮かべ手を握り合った。

 

 照屋に背中を押された那須は、この日七海に想いを告げる事になる。

 

 どうやら七海もそのつもりだったらしく、結果は言うまでもない。

 

 こうして、数年来の少女の想いは結実した。

 

 これが切っ掛けとなり、那須と照屋の仲は以前より親密になったという。

 

 尚、付き合う事になって色々開き直った那須が色々とはしゃぐ事になるのだが。

 

 それはまた、別の話である。

 

 

<那須玲/少女の想い~終~>





 というワケで、那須さんの背中を押したてるてるの話でした。

 時系列としては最終話のお好み焼き屋の話と、ラストの告白シーンの間の話になります。

 アフターエピソードは今後も順次追加していきますので、お楽しみに。


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七海玲一/少年の困惑

 

「ん……………………朝、か」

 

 眠りに落ちていた意識が覚醒し、七海はその瞼を開く。

 

 目覚めてすぐに視界に入るのは、変わり映えのない自室の風景。

 

 薄暗い室内に、カーテンの隙間から微かに日の光が差し込んでいる。

 

 時刻は、朝の5:00。

 

 どうやら、少し早くに起きてしまったようだ。

 

 無痛症を患っていた頃であればきっかり6時に起きるように調整をかけていたのだが、生身の感覚が戻った事で体内時計が若干ブレたようだった。

 

(あの頃は、本当に生身での過ごし方に苦労したからな。それが急になくなった分、どうにか調整し直さなきゃな)

 

 当時は基本的に七海は特注のトリオン体で生活していたのだが、唯一就寝時だけは生身に戻る必要があり最初の頃は起きる時間が毎回異なってしまい生活リズムを整えるのに随分苦労したのを覚えている。

 

 何せ、普通ならば朝になり身体を覚醒させる要素である差し込む日の光や朝の空気の冷たさを、一切感じ取れないのだ。

 

 無痛症になって暫くは耳元に大音量のアラームをセットする事で聴覚刺激によって定時に起きれるように訓練し、何とか朝の決まった時間────────────────6:00に起きるよう、体内時計を調節したのだ。

 

 最初は那須が朝起こしに来ようとしていたのだが、元々彼女は朝に弱い。

 

 加えて身体が病弱な為、無理な早起きは体調に支障を来たしかねない。

 

 だから何度も説得を行い、渋々ながらこの件については不干渉という事で納得して貰った。

 

 但し。

 

「んぅ…………」

「あ…………」

 

 その代わりなのか、時折こうして七海の布団に潜り込み添い寝を要求するようになったのである。

 

 無痛症で男性らしい反応が死んでいた七海はそれで彼女の気が済むならと承諾し、これまでにも数えきれないほど那須の添い寝を受け入れ続けて来た。

 

 朝起きた時に愛しい少女が傍にいる感覚は悪くはなかったし、性欲が皆無になった分純粋に那須を慈しむ事が出来ていた。

 

 そう、()()()()は。

 

 この四年間七海が那須の過剰なスキンシップを受け入れていたのは、男性的な身体機能が死んでいた為に半ば感覚が麻痺していたという理由もある。

 

 これまでは、それで問題なかった。

 

 どれだけ那須と密着しようが、七海はただ愛しい少女を平常心で見守る事が出来ていたのだから。

 

 けれど、今は事情が異なる。

 

 七海の無痛症は、感覚の喪失は。

 

 黒トリガーの起動を以て、快復した。

 

 一応精密検査を受けてはみたが、結果は健常体そのもの。

 

 これまで身体に起こっていた不具合は最早欠片も見当たらず、あの白昼夢での姉の言葉通り本当の意味で彼は感覚(いたみ)を取り戻したのだ。

 

 それを実感した時は言い知れぬ感動を覚えていたが、それによる()()()を実感したのはその日の夜だった。

 

 大規模侵攻を乗り越え、痛覚を取り戻した夜。

 

 那須は本当に上機嫌な様子で枕を持って部屋を訪れ、七海に添い寝を要求した。

 

 七海はこれまで通りの感覚でそれを受け入れ、いざ添い寝の段になって────────────────気付いたのだ。

 

 痛みが、感覚が戻ったという事は。

 

 添い寝なんて真似をすれば、那須の────────────────女の子の柔らかな身体の感触や甘い匂いが、ダイレクトに襲って来る事に。

 

 それに気付いた時は、那須はもう眠ってしまった後だった。

 

 極限の戦いを乗り越えた後だった為もあり、精神的疲労と七海が感覚を取り戻した歓喜で色々とキャパシティが限界だったのだろう。

 

 床についてすぐに眠ってしまったのは、理解出来る。

 

 だから、たまらなかったのは七海の方だ。

 

 彼はこれまでの四年間、男性的な機能が────────────────つまり、性欲が死んだ状態で過ごしていた。

 

 四年前、13歳の頃はまだ男女の性差を実感出来ていたか曖昧な時期だった事もあり、七海は思春期の男子が抱く筈の欲と一切関わらないまま過ごしていた。

 

 故に、七海は本当の意味で性欲といったものを実感した事は一度もない。

 

 那須に対する恋心は確かに存在し、彼女の傍にずっと共にいたいという想いはある。

 

 けれどそれは子供の理想のような純粋無垢なものであり、相手に触れたいとか色々したいだとかの下心の一切介在しないものだった。

 

 だから、那須の匂いと感触を直で感じて人生初めて男性らしい反応を自覚してしまった七海は、初めて性を認識して戸惑う思春期男子と変わらない。

 

 しかも本人が超がつく程真面目で誠実な性格故に、困惑よりも那須に対しおかしな気持ちを抱く自分に嫌悪感を覚えてしまう始末だった。

 

 かといって、今更眠る那須を起こして部屋に戻すワケにはいかない。

 

 あの一件を経て安定したとはいえ、那須は七海に何かを拒絶される事を極度に怖がる性質がある。

 

 此処で那須の添い寝を拒否すれば、彼女が酷く落ち込むのがありありと想像出来てしまう。

 

「ん、れい、いち…………」

「…………!」

 

 ぎゅっと、那須の腕が七海の腕を引き寄せ胸にかき抱いた。

 

 自然、彼女のほのかな胸の膨らみの感触が、ダイレクトに腕に伝わって来る。

 

 硬直。

 

 強く腕を抱く彼女を振り払う事など以ての外で、最早諦めて添い寝する以外道はない。

 

(取り敢えず、頑張って寝よう。目を瞑れば、きっとそのうち眠れる筈)

 

 七海は観念して布団を被り直し、眠る為に目を瞑った。

 

 しかし視覚を閉ざした事で触覚と嗅覚が強化された結果、より強く那須の感触や匂いを感じ取ってしまい、眼は冴えていくばかり。

 

 その日、七海は眠れない夜を過ごす事になったのだった。

 

 

 

 

「最近の玲一が、可愛いの」

「なんの話ですか」

 

 とある日、小夜子の自室。

 

 そこを訪れていた那須は、開口一番おかしな事を宣った。

 

 この恋敵、遂に頭がやられたか、と半眼で睨む小夜子を尻目に那須はニコニコ笑顔で事情を語った。

 

「感覚が戻ったから、私がくっつく度に色々反応して可愛いのよ。なんだか、年下の男の子をからかう女性の気持ちが分かってしまったわ」

「その歳でショタ性癖はマズイと思いますよ。いや、それともまた違うのか」

「何言ってるの? 玲一は、年下(ショタ)なんかじゃないわよ」

「とにかく言葉選びが変態のそれだっていう事です。そのあたり自覚しないと、折角の容姿が台無しですよ」

 

 はぁ、と内情を理解した小夜子はため息を吐いた。

 

 今の話を聞く限り、どうやら七海は四年ぶりに取り戻した五感の影響で、常日頃から過剰だった那須のスキンシップにいちいち大きく反応して彼女を喜ばせているらしかった。

 

 まあ、気持ちは分かる。

 

 那須は女性の小夜子から見ても絶世の、と頭文字を付けるに何の躊躇いもない美貌を持っている。

 

 話を聞く限り特別な努力は行っていない、というか病弱な身体の影響で行えないらしいが、それでもあの容姿なのだから恐れ入る。

 

 白い絹糸のような肌も、ハイライトの薄い儚げな眼も、すらりとした妖精のような肢体も。

 

 その全てが彼女の浮世離れした美貌を際立たせており、小夜子も初めて那須を見た時は思わず見惚れてしまった程だ。

 

 男性恐怖症だったからといって()()()の気はない小夜子だったが、一歩間違えばそう転んでもおかしくないくらい那須の美しさは群を抜いていた。

 

 その那須が、常日頃から遠慮なく密着しボディタッチをして来るのだ。

 

 普通の男性であれば、色んな意味でたまらないだろう。

 

 しかし、七海は性欲が死んでいるかのように────────────────否。

 

 無痛症の影響でそういった機能が死んでいた為に、純粋な混じり気なしの好意だけでそんな那須の行動を受け入れていた。

 

 男性恐怖症の小夜子が七海に拒否反応を持たなかったのも、そういった男性らしからぬ姿勢が影響していないとは言い難い。

 

 今は七海の人となりを深く知っている為それはあくまでも切っ掛けでしかないが、彼を好きになった理由にそのあたりが関わっていないとは言い切れないだろう。

 

 それは良い。

 

 問題は、感覚が戻って普通の男性機能が復活している七海相手に那須がこれまで通りの過剰なスキンシップを継続している事だ。

 

 ハッキリ言って、今の七海にそれは拷問に近い。

 

 理性の化身のような七海は、那須に如何なる劣情を抱いたとしても鋼鉄の意思でそれを捻じ伏せ我慢をし続けるだろう。

 

 那須の無自覚な誘惑に耐え切れず間違いを犯してしまう、とは欠片も思ってはいない。

 

 そんな事をするくらいなら、自傷してでも止めようとするのが七海という少年だ。

 

 そのあたりの可能性を、今の那須は一切思い至っていない。

 

 いや、はしゃいでいてそれどころではない、と言うべきか。

 

 何せ、あの何をしようが顔色を変える事の殆どなかった七海が自分の一挙一動に反応し、顔を赤らめているのだ。

 

 これまでそういった反応を見せて貰えなかった那須が、調子に乗って有頂天になるのも理解出来る。

 

 那須同様小夜子も七海の紳士オブ紳士な部分に好感を抱いているのは確かだが、それはそれとして異性として自分を見て評価して貰いたいという欲は普通にあるのだ。

 

 襲って欲しいとまでは言わないが、自分の姿に見惚れるくらいはして欲しいというのが那須の正直な気持ちだろう。

 

 那須は自分の美貌についてあまり自覚しているとは言い難いが、それでも他者から見て好ましい容姿である事は察しているらしい。

 

 常日頃から「きれい」「美人」だなどと言われ続けていれば、「そういうものか」という自認くらいは芽生えるだろう。

 

 けれど、自分の容姿が特別なものである事に対する認識が充分とは言い難い。

 

 那須は自分の知名度が高いのは雑誌で特集を組まれていてボーダーの研究の被験者という事情があるからだと思っているが、ぶっちゃけ世間が注目しているのは研究内容よりも彼女の容姿の方だった。

 

 ボーダーには浮世離れしたとんでもない美少女がいる、というのは三門市では有名な話だ。

 

 那須はそれを小耳に挟んでも広報部隊である嵐山隊の木虎や綾辻さんの事かな、と思案するくらいで、その噂が自分の事を指しているとは微塵も考えてはいなかった。

 

 その自己評価の低さはどうなのだ、と小夜子は常々思っていたが、よくよく考えてみれば簡単な話だった。

 

 那須にとって、価値のある評価というのは即ち七海からの評価なのである。

 

 有象無象がどれ程騒ごうが、最愛の少年から称賛されないのでは意味がない。

 

 彼女は本気でそう思っているし、言葉には出さないが七海以外の他者からの評価などどうでもいいと思っている。

 

 だからこそ、七海が彼女の美貌を称賛しない限り、那須の自身の容姿に対する自己認識の低さは覆らなかったのだ。

 

 そして今、七海は感覚を取り戻した事で美し過ぎる幼馴染の異性としての姿を直視してしまい、彼女がスキンシップを図る為に赤面する有り様となっている。

 

 確かに、自分が同じ立場になったのならばはしゃぐのも無理はないと思う。

 

「ふふ、次はどうしようかしら。小夜ちゃんと一緒に、色んな服を着て見て貰うっていうのも良いわね。普段着る機会のない水着でも、引っ張り出すべきかしら」

 

 ────────────────それこそ、色んな良識やら倫理観を忘却してしまうくらいには。

 

 このままでは、七海の為だけのファッションショーを自分を巻き込んで開催しかねない。

 

 那須だけが突貫するならまだしも、こんな超絶美少女と水着姿で見比べられるなど死んでもごめんだ。

 

 チームの仲間として、先輩としては尊敬しているが、流石にそんな暴挙を許すワケにはいかない。

 

 決意した。

 

 浮かれて「今度昔みたいに一緒にお風呂でも入ろうかしら」などと、血迷った戯れ言を口にしている残念美少女(ばかおんな)に。

 

 正しい性教育を施して、いい加減茹だった頭を冷ましてやろうと。

 

 丁度、彼女の部屋には教材が溢れている。

 

 熊谷や茜、そして七海がいる時には絶対出さない、ご禁制(R-18)のラベルが張られたゲームの数々が。

 

 この様子からして、那須は男性のそういった事情に相当鈍い。

 

 あの七海の傍で思春期を過ごしていた上に、彼女が通っているのは女子高である星輪女学院。

 

 下手をすれば文字通りの意味で箱入りに育てられた為に、性知識に疎い可能性すら充分有り得る。

 

 だからこそ、彼女には男女のあれこれの生々しさをきちんと知って貰う必要があると小夜子は判断したのだ。

 

 妄想を垂れ流している那須の横で小夜子はおもむろにPCを操作し、風景写真に偽装したフォルダからお目当てのゲームのファイルに辿り着く。

 

 そして一端音量を最小にした上で、那須に向き直りにこりと微笑みかけた。

 

「那須先輩、折角来たんですし一緒にゲームでもしましょう。今後の相談は、その後でも良いですよね」

「あ、え、ええ、構わないわ。どんなゲームなの」

「男と女がイチャつくゲーム(意味深)ですよ。まだ那須先輩には見せた事のないものなので、楽しんで貰える筈です」

「あら、そうなの。じゃあ、やらせて貰おうかしら」

 

 那須は小夜子の思惑に気付く事なく、彼女に指示されるままゲームを開始する。

 

 それが、どんな地雷であるか知る由もなく。

 

 彼女が始めたゲームは、プレイヤーの好きなようにキャラをクリエイトする事が出来る類のものだった。

 

 小夜子はその仕様を利用して、那須そっくりのキャラクターと七海そっくりのキャラクターを作成している。

 

 これは彼女のお楽しみに為に作った代物であり、本来であれば那須本人に見せる予定は欠片もなかった。

 

 だが、調子に乗って暴走している那須を沈めるにはこれしかないと、小夜子は自爆覚悟でこのゲームの使用に踏み切ったのだ。

 

 ────────────────結果として、効果は絶大。

 

 その後暫くは那須は七海と不自然に距離を取るようになり、今度はその事を小夜子が七海に相談される事になる。

 

 こうして那須の暴走は小夜子によって止められ、事情を知った七海に感謝される事になる。

 

 勿論どうやって那須を納得させたかは話しておらず、小夜子としては七海に感謝される役得だけでまあ良いかと笑みを零した。

 

 後日、そんな小夜子の心情を察知した那須が仕返しとばかりに七海とのデートの実況中継画像を送って来る事になるのだが。

 

 それはまた、別の話である。

 

 

<七海玲一/少年の困惑~終~>





 『なまみのななみ』

 「身体快復少年七海」
 
 黒トリガーの起動によって痛覚を取り戻し、生身での活動が可能になった本編終了完成系七海。

 日常でも生身で過ごすようにしているが、流石に四年もの間生身でいる時間はかなり少なかった為にリハビリが必要である為、そちらに尽力しながら徐々に生身でいる時間を増やす事にしている最中である。

 男としての色々も取り戻している為、これまでと変わらない過激なスキンシップを図って来る那須にはたじたじ。

 那須の暴走を止めてくれた小夜子には、色んな意味で感謝している。

 また、その感謝を告げた時に小夜子に密着され、可愛らしい反応を見せたのはオペレーターの少女だけが知っている。

 但し那須は女の直感で察知したので、きっちり「お返し」はしたらしい。

 後は幸せな日々を過ごすだけの、色々取り戻した系主人公の顛末。

 このくらい、お茶目の範疇だろう。

 彼が苦難に挑む日々は、もう終わったのだから。


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日浦茜/守り抜いた想い

 

「こうしてパジャマパーティーをするのも久しぶりね」

「そうね。最近忙しかったし」

「でもでも、またこうして集まれて良かったですっ!」

「ええ、下手をすれば茜と近い将来お別れになっていましたし。迅さんには感謝しないといけませんね」

 

 部屋の中に、少女達の姦しい声が響く。

 

 時刻は21:00。

 

 那須隊の少女達は一同に集まり、パジャマパーティーを開催していた。

 

 今、彼女達がいるのは那須邸の寝室だ。

 

 全員が入浴を終え、後は寝るだけの恰好となってこの場に集まっている。

 

 当然、着ているのは寝巻である。

 

 茜は可愛らしいパンダの絵柄の描かれたピンク色のパジャマで、小夜子は飾り気のない無地の緑色の寝巻。

 

 熊谷は水玉模様の割と可愛い感じの柄のものを着ており、那須は百合の花が描かれた薄い青色のパジャマを着てその上からケープを纏っている。

 

 各々の趣味や嗜好が反映されたパジャマを着た少女達が並ぶその様子は華やかで、絵になっている。

 

 男子にとっては何に置いても目にしたい光景であろう事は間違いなく、たとえば生駒であればこの光景を七海が独占していると知れば血涙を流す事だろう。

 

 尚、七海は今日は用事があって本部に泊まり込んでいる為この場にはいない。

 

 普段であればこの那須邸には同居している七海がいる為完全な男子禁制の場とはならないのだが、今日のように彼がいない日というのはたまにある。

 

 以前であれば特注トリオン体の調整や、無痛症の原因究明を主とする身体検査。

 

 現在は生身のリハビリを兼ねた検査と、経過観察。

 

 それぞれの理由によって、七海が本部に泊まり込みにならざるを得ない日というのがある。

 

 那須は基本的に人恋しく寂しがり屋なので、以前から七海がいない日はこうして隊の面々を呼んでパジャマパーティーを開いていた。

 

 隊を結成して間もない頃は七海がいない分の代替を求めたに過ぎなかったこの集まりだが、今となっては隊員達の大切な交流の場となっている。

 

 ラウンド3での一件の解決以降精神が比較的安定した那須にとっても、今では自身の情緒の制御以外の目的を持った楽しいお喋りの時間であると認識していた。

 

 その為、集まった面々の顔は一様に明るい。

 

 特に茜は満面の、と頭文字が付くに相応しい笑みを浮かべている。

 

 楽しくて仕方がない、といった彼女の心情がありありとその顔に浮かんでいるかのようだった。

 

「でも、本当に良かったわ。茜ちゃんと離れ離れになるなんて、考えたくもなかったもの」

「はいっ! 私もこのまま那須隊の狙撃手をやれる事になって、嬉しいですっ! 折角A級に上がったのにすぐお別れなんて、嫌ですもんね」

「小夜子の言う通り、迅さんには感謝だね。まさか、あんな風に手を回してくれていたなんて」

 

 それもその筈。

 

 茜は昨日まで、とある問題で頭を悩ませていた。

 

 それは、第二次大規模侵攻をその眼で見た茜の両親が彼女にボーダー除隊を強く訴えていたのだ。

 

 最終決戦でヴィザ翁撃破に貢献した茜は、那須隊名義で一級戦功を獲得していた。

 

 自身の活躍が認められた事に有頂天になった彼女は、それを両親に話してしまったのだ。

 

 最前線で活躍して、一級戦功を貰ったと。

 

 何の意図もなく、正直に。

 

 それが、茜の両親に危機感を抱かせた。

 

 年端も行かない少女が、()()を誇って自慢する。

 

 それは、比較的古い考えを持った茜の両親にとって娘の手を引くに充分な切っ掛けだった。

 

 その日から、茜の両親は彼女にボーダーを辞めるよう強く訴え始めた。

 

 勿論、茜は泣き叫んで嫌だと言った。

 

 仲の良い皆と、隊の仲間と離れ離れになんてなりたくない。

 

 自分の居場所は、ボーダーにあるのだと。

 

 しかし、今回に限っては茜の両親も頑として折れなかった。

 

 どちらが正しい、という話ではない。

 

 茜は茜の立場から、両親は両親の立場から。

 

 互いの大切なものの為に、退くワケにはいかなかったのだから。

 

 この事を聞きつけた那須隊の面々は、迷う事なく茜の両親の元へ突貫した。

 

 多少の無理をして、小夜子まで同伴して。

 

 茜の両親はやって来た那須隊の面々に驚き、しかし丁寧に頭を下げて頼み込んだ。

 

 あなた達の気持ちは嬉しいけれど、どうか茜を戦場から返して欲しいと。

 

 茜が望んだ事じゃなくても、私たちは娘の事が心配でたまらないからと。

 

 門前払いを受けても訴えを通そうと覚悟していた那須隊の意思を否定するのではなくきちんと聞き、その上で自分たちの願いを伝えたのだ。

 

 茜の両親は、別に分からず屋の人間と言うワケではない。

 

 ただの、何処にでもいる自分の子供を心配する一人の親だったのだ。

 

 そんな両親の願いを受けて、那須達は言葉に詰まりかけた。

 

 大切な人に、いなくなって欲しくない。

 

 その気持ちは、特に那須と七海には痛いほど理解出来たのだから。

 

 けれど、だからといって茜の離脱を認めるワケにはいかないというのが那須隊の共通認識だった。

 

 茜本人が、「辞めたい」と言っているのであれば分かる。

 

 しかし、本人は「辞めたくない」と泣き叫んでおり、茜がそう望んでいる以上那須達が折れるという選択肢はなかった。

 

 議論は平行線のまま、お互いが低姿勢で頼み合うという妙な様相を呈していたのだが、そこに終止符を打ったのが突如現れた迅だったのだ。

 

 突然現れた19歳少年無職を、茜の両親は快く迎え入れた。

 

 話によると、どうやら迅は以前に茜の両親を助けた事があるのだという。

 

 それまではボーダーの活動自体に否定的だった両親がある程度態度を軟化させ、今回もあくまで茜を「説得」しようとしていた背景には、迅がその一件で与えた好印象があったのだ。

 

 迅は年長者として、ボーダーの人間として根絶丁寧に茜の両親に彼女の今の環境について説明し、理解を求めた。

 

 加えて現在那須隊はA級、つまり幹部待遇となっており、固定給を貰っているという話をしてその上で隊員の安全性について今回の大規模侵攻を例に取って説明した。

 

 今回の大規模侵攻では前回のそれとは違い、死者も行方不明者も出なかった。

 

 加えて茜はその結果に繋がる一端となる活躍をしており、尚且つその上で五体満足で何の傷もない事を公開可能な根拠と共に説明したのだ。

 

 一通りの説明を受けた茜の両親は改めて茜と那須隊の面々に確認を取り、それが事実である事と茜本人が強く隊への残留を希望している事を聞き────────────────ようやく折れて、茜の除隊願いを取り下げた。

 

 両親が納得を示したのは茜や那須達の懇願に心揺れたという理由も勿論あるが、信頼の置ける迅という()()()()から丁寧な説明を受けたという要因が大きかった。

 

 こういった説得の場では、如何に説得力のある論拠を理路整然と説明出来るかという事と、発言者の()()()()信頼性が有無を決める。

 

 如何に熱い想いを抱いていたとしても、未成年の発言の信頼性というものはたかが知れている。

 

 特に那須隊はこういった事を説明する事が得意な人員がおらず、そういった事務的な事が得意な小夜子は対人能力が壊滅的である為文字通りお話にならない。

 

 説得に足る論拠をきちんと説明出来ない以上どれだけ必死に語り掛けたとしても、その言葉には信頼という重みが足りないのだ。

 

 だからこそ、そこでやって来た迅という存在が活きて来る。

 

 迅は事前に両親からの信頼を獲得しており、未来視を活用する為に普段から街を巡って人助けを繰り返している為三門市民間での知名度も高い。

 

 そして、これまで未来視を駆使して立ち回って来た暗躍力は伊達ではなく、交渉に置いてもその才覚は十二分に発揮される。

 

 特に、今回の場合は大規模侵攻で一切の人的被害を出していなかったという要素(ファクター)が大きかった。

 

 もしもC級隊員が大量に攫われるような事態となっていればそもそも茜の両親は交渉のテーブルにすら付かず茜を除隊させていただろうが、今回の人的被害は正しくゼロ。

 

 ボーダーはこれまで培って来た防衛力を見せつけ、有言実行で街を守り切ってみせた。

 

 故に、市民間でのボーダーへの感情は概ね好意的なもので占められていた。

 

 茜の両親もそれは例外ではなく、迅の説明が納得の行く理論立てたものであった事も含めて、娘の自由意思に任せる決断を下したのだ。

 

 ちなみに、迅は茜が除隊する分岐(ルート)は以前から幾つも視えていた為に、優先して彼女の両親と関わりを持っていたのだという。

 

 曰く、「七海を振り回した埋め合わせ」との事だったが、この日ほど迅に感謝した日はないと那須達は語っている。

 

 彼が出て来なければ茜と別離する事になっていたかもしれないのだから、迅には感謝してもしきれないだろう。

 

「ええ、昔から迅さんにはお世話になりっぱなしだわ。今度、菓子折りを持ってお礼に行くわね」

「じゃあ、お願いしようかな。あたし達は玲や七海と違って、迅さんとの関りは薄いからね」

「任されたわ。一応連絡先も知っているし、七海と一緒に行けば会えるでしょう」

 

 那須はこくりと頷いて、代表して迅にお礼へ行く旨を請け負った。

 

 彼女は七海を通じ、迅とは一定の繋がりがある。

 

 神出鬼没で中々捕まらない迅ではあるが、七海を連れて行けば少なくとも無碍にはされないだろう。

 

 お礼が迷惑ならば彼の事だからそれを遠回しに伝えて来るだろうし、那須としても今回の一件は感謝しているのでお礼に行く事に異論はない。

 

 七海に色々と重責を背負わせた事に関して思うところはあるが、彼本人が気にしていないのでそのあたりは自分が干渉するべき事ではないと割り切っている。

 

 まあ、割り切っていても納得出来ているかは別なので文句の一つくらいは言うかもしれないが。

 

「とにかく、これからも茜ちゃんと一緒の部隊でいれて嬉しいわ。これまで通り、よろしくね」

 

 

 

 

「はいっ、那須先輩っ!」

 

 茜は那須に対し、満面の笑みで頷き返した。

 

 こうして改めて那須隊への残留が叶った事を実感すると、嬉しさが込み上げて来る。

 

 あの日、いきなり両親に除隊を促された時には何を言われているのか分からなかった。

 

 両親は自分が戦功を取って来た事が気に食わなかったらしいが、茜としては自分が頑張って獲得した功績を褒めるどころか全面的に否定されたので勿論良い気分ではなかった。

 

 茜としては、部活で頑張って賞を取ったから誉めて欲しい、くらいの感覚だったのだ。

 

 問題だったのはそれが軍事組織の危険手当そのものであった事で、ある意味感覚が麻痺していた茜には両親が何を言っているのか理解不能だった。

 

 けれど、自分の事を心配して必死になっている事だけは分かったので、頭ごなしに否定する事も出来なかった。

 

 茜は、両親の事が大好きだ。

 

 少し融通の利かないところもあるけれど、それでも自分を大切に育ててくれた掛け替えのない家族である。

 

 酷い事を言われていても、その根底に自分への愛がある事は理解出来たので茜はどうすれば良いか分からなかった。

 

 だから那須隊の皆が駆けつけてくれた時には嬉しかったし、迅の取り成しで両親が説得に応じてくれた時は本当に安堵した。

 

 ────────────────ご両親を、大切にしてあげてね。今回は行き違ってしまったけれど、代わりなんていない家族なんだからさ────────────────

 

 けれど。

 

 あの日。

 

 去り際に茜にそう言い残した迅の顔を見た時、彼女はようやく己の浅はかさに気が付いた。

 

 何の事はない。

 

 両親はただ、茜に傷付いて欲しくなかっただけなのだ。

 

 ランク戦では己の身すら厭わず作戦を遂行する茜であるが、それはあくまでトリオン体という「取り返しの利くアバター」があるからこそ出来る事だ。

 

 両親はきっと、戦功を自慢する娘を見て最悪の()()()を想像してしまったのだろう。

 

 そう考えると途端に申し訳なくなって、その日の夜両親に謝った。

 

 心配をかけて、ごめんなさいと。

 

 両親は面食らった後、にこりと笑って茜の頭を撫でた。

 

 こっちこそ、茜の気持ちも考えずにごめんねと。

 

 そこでようやく、茜はお互いの想いが相手を大切に想うが故に行き違っていた事に気が付いた。

 

 だから改めて両親に自分の意思を伝え、このまま那須隊にいたいという意向をハッキリ示した。

 

 両親は自分の身の安全を第一とする事を繰り返し伝え、茜もそれを了承した。

 

 那須隊を辞める事はないけれど、両親が心配するような事にはならないようにすると。

 

 そう誓って、茜は両親と和解した。

 

 迅の言葉の意味を噛み締めて、彼女はきちんと大切な人に向き合う事が出来たのだ。

 

 まあ、だからといってランク戦の映像なんかは絶対見せられはしないが。

 

 トリオン体である事を最大限利用した戦術を使っているが故に、当然捨て身戦法なんかも取り入れているのでまず見せられない。

 

 それはそれ、これはこれなのである。

 

「あ、そういえば那須先輩。七海先輩と、正式にお付き合い始めたんですよね。そのあたりのお話、聞きたいですっ!」

「そうね。色々やきもきさせられた側としては、気になるわ。聞かせて貰って良いかな」

「玲一との話? 勿論、幾らでも聞かせてあげるわ。あのね、今の玲一は色々反応が可愛くて────────────────」

 

 少女達の姦しい声が響き、夜は更けていく。

 

 那須隊の少女達は掴み取った平穏な日々を噛み締め、今日も歩みを進めていく。

 

 もう、彼女達の足が止まる事はない。

 

 幸せをその手に掴んだ少女達は、これからもきっとどんな困難であろうと乗り越えて行けるだろう。

 

 掴み取った、未来(しあわせ)の先で。

 

 

<日浦茜/守り抜いた想い~終~>





 『しあわせあかね』

 「残留決定転移系狙撃手」

 原作と別ルートを辿り、那須隊への残留を勝ち取った隊のムードメーカー。

 大規模侵攻の被害軽減を目指した理由の幾分かは、彼女の残留であると言っても過言ではない。

 原作と同様かそれに匹敵する人的被害が出ていれば、このルートは解放されなかった。

 色々迂闊な所はあったものの、今では何の憂いもなくテレポーターを駆使した狙撃で縦横無尽に活躍している。

 狙撃の先駆者達からも大いに目をかけられており、成長性は留まるところを知らない。

 尚、ユズルくんとは時々街に出かける仲の模様。

 きのこ頭のスナイパーがそれを目撃して暴走したとか、しないとか。

 余談だが、某NO2狙撃手が従姉妹の少女に正座で反省させられる姿があったという噂がまことしやかに囁かれている。


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熊谷友子/知らない友人と女の情念

「それで、話ってなんですか? 熊谷先輩」

「え、と…………」

 

 小夜子の問いかけに、熊谷は何処か気まずそうな顔で口ごもる。

 

 此処は、小夜子の自室だ。

 

 今日は熊谷が用があると言うのでこうして自室に招き、話を聞いている所である。

 

 しかし、いつも明瞭快活な熊谷にしては珍しく歯切れが悪く中々話し出そうとしない。

 

 明らかに様子のおかしい友人の姿に、小夜子は首を傾げた。

 

 大規模侵攻を乗り越え、七海の無痛症も完治した今懸念事項など何もない。

 

 だから、熊谷がこんな表情をするような理由など無い筈なのだが。

 

(前にも、こんな顔を見た事があるような────────────────ああ、そういえば)

 

 そこで、小夜子は今の熊谷を見て感じていた既視感(デジャヴ)に気付く。

 

 以前の、ROUND3で那須がその歪みを露にするまでの間。

 

 その頃に熊谷が彼女を見ていた時、確かこんな顔をしていた。

 

 つまり、問題がある事は分かっているが解決策が何も浮かんでいない場合。

 

 彼女はこんな顔をするのだと、経験則で知っている。

 

 となると、熊谷がそんな顔をするに相応しい()()がある筈なのだ。

 

 それは、何か。

 

(あ、もしかして…………)

 

 そこで一つの可能性に思い至り、成る程と納得する。

 

 確かに、熊谷の立場ならば()()に気付いてしまえばどうすれば良いか分からない筈だ。

 

 こうして尋ねてみたはいいものの、言葉に詰まっている理由も理解出来る。

 

 熊谷は基本的にサバサバした男勝りの女性なように見えて、その実かなり繊細で乙女チックな性格をしている。

 

 彼女は社交的で大らかではあるが、女性的な部分もしっかりとあって姉御肌という言葉とはその実かけ離れた内面を持っている。

 

 そんな彼女の性質の一つに、相手に配慮をし過ぎるという面がある。

 

 相手に気を遣い過ぎる為に、問題に気付いても決定的な一歩を踏み出せない。

 

 何が悪いのか分かっているのに、それを中々口に出せない。

 

 自らに少しでも非があると思えば、それを自ら言い出して自身に批判を集めようとする。

 

 そういったネガティブな部分が、熊谷にはある。

 

 彼女を苦労性たらしめている厄介な悪癖ではありROUND3の一件の解決以降は成りを顰めてはいたが、此処に来てそれが表に出てきているようだ。

 

(本当、苦労性なんですから。ですけど、このままだと話が進みそうにないのでこちらから切り出しますか)

 

 現状を理解した小夜子は、すっと顔を上げて熊谷と目を合わせる。

 

 そしてにこりと笑って、本題を口にした。

 

「熊谷先輩が気になってるのは────────────────私が七海先輩を好きかどうか、ですよね」

 

 

 

 

 びくり、と肩を震わせた。

 

 目の前の友人は、見た事のない顔で笑いながら自分が懸念している内容を口にした。

 

「あ、うん。そうなん、だけど…………」

「やっぱりそうですか。それならそうと、普通に聞いてくれれば良かったのに」

 

 からからと、小夜子は矢張り見覚えのない笑みを浮かべる。

 

 こんな顔、見た事なかった。

 

 小夜子は自分を陰キャだの根暗だの言っているが、自分にとっては大切な仲間で掛け替えのない友人だ。

 

 確かに内向的な所はあるが、それは彼女の事情を鑑みれば仕方のない事だ。

 

 男性恐怖症、それを小夜子は患っている。

 

 一応そうなった()()についても知っているし、件の男については自業自得の結末を迎えた事も伝え聞いている。

 

 だから、小夜子が対人能力に欠陥を抱えてしまっているのは彼女に非があるものでは断じてない。

 

 だって、病気にかかっている事をその当人の非だとするのはおかしい。

 

 不注意でそうなったのならともかく、彼女の場合は本人には何の非もないのだ。

 

 ただ、人の悪意というものを少し甘く見ていただけ。

 

 仮に原因があるとすればそれだけだし、それが理由で彼女が後ろ指を指されるなんて事は間違っている。

 

 でも、大衆というものは()()()()()というだけで視線は冷たくなるもので、少数派である事自体が悪とされる忌むべき傾向もある。

 

 故に何があっても小夜子に寄り添おうと思っていたし、問題があれば遠慮なく頼って欲しいとも思っていた。

 

 だから。

 

 こんな顔は、知らない。

 

 笑っている。

 

 確かに笑ってはいるのに、その笑みは熊谷の知るどんなものとも違っていた。

 

 楽しいから笑っているのではなく、かといって相手を安心させる為に笑っているのでもなく。

 

 ただ、滲み出る感情が浮き出た結果として笑みの形になっている。

 

 根拠はないが、今の彼女の笑みからはそういう印象を受けた。

 

「────────結論から言いますと、好きですよ。勿論、異性として」

「────────っ!?」

 

 だから。

 

 何の躊躇いもなく熊谷の懸念を肯定した小夜子に、眼を見開いた。

 

 冗談を言っている顔ではない。

 

 小夜子はまたも熊谷の知らない笑みを浮かべながら、ただの事実としてそれを口にした。

 

 口をパクパクさせて絶句している熊谷に対し、小夜子は笑みを崩さずその肩に手を置く。

 

 あまりボディタッチを好まない小夜子が自ら触れて来た事実に驚きながら、その妙な迫力に気圧されてしまう。

 

「詳しい説明をする前に聞いておきますけれど、熊谷先輩がそれに気付いたのはなんでですか?」

「え、っとね。最終ROUNDが終わった後、七海に抱き着いてたじゃない? あの時にもしかしてとは思ったけど、ずっと言い出せなくて…………」

「成る程。あの時は感極まって思わず抱き着いてましたが、それが原因でバレるとは私もまだまだですね」

 

 苦笑しながら肩を竦める小夜子だが、熊谷はそれどころではない。

 

 七海は、那須の想い人だ。

 

 これまでは友達以上恋人亜種みたいな微妙な関係性でいたが、現在では正式に付き合い恋人同士となっている。

 

 これは那須隊に置いては周知の事実であり、七海と仲の良い隊員も既知の情報である。

 

 勿論小夜子がそれを知らない筈はなく、だというのにあっけらかんと七海への恋慕を認める彼女の真意が全く読めない。

 

 混乱の渦中にある熊谷を見て、小夜子は再びにこりと笑いかけた。

 

「ああ、大丈夫ですよ。略奪愛しようなんて思っていませんし、あの二人の関係を壊そうなんて微塵も思っていません。そもそも、この事は那須先輩も承知の上ですしね」

「え…………?」

 

 その爆弾発言に、熊谷は今度こそ瞠目した。

 

 小夜子が七海に想いを寄せている事を、よりにもよって那須が知っている。

 

 考え得る限り最悪の事態だというのに、小夜子の表情には一切の変化がない。

 

 混乱を加速させる熊谷に、小夜子はなんて事のないように話を続けた。

 

「そもそも、私がどうやって那須先輩を立ち直らせたと思っているんです? 口下手な私がちょっと話しただけでどうにかなる程、那須先輩は素直な精神構造をしてないでしょうに」

「あ…………」

 

 言われて、思い出す。

 

 ラウンド3での那須の失態を契機とする惨敗の後、那須隊は一時機能不全に陥った。

 

 熊谷は出水の手助けのお陰で前を向く事が出来て、同じように村上の後押しを受けた七海と後日晴れやかな顔をしていた那須を見てもう大丈夫だと安心したものだが、那須に関しては「小夜子が立ち直らせた」としか聞いていない。

 

 どうにかなったんだからそれで良いじゃないかと、デリケートな話題だけに敢えて踏み込んで聞き出しはしなかったが────────────────考えてみれば、色々拗れまくっていた那須がただ小夜子に説得されただけで立ち直るのはおかしい。

 

 自分でさえ、ほぼ門前払いのような形で会う事を拒否されていたのだ。

 

 本人の自己申告通り口下手な小夜子が、果たして正攻法であの時の那須を連れ出せるだろうか。

 

「どうしたかって言えば、那須先輩の部屋に押しかけて喧嘩を売ったんですよ。私が七海先輩が好きって事を、暴露した上で」

「え、正気…………?」

「恋は狂気ですよ。何言ってるんですか。そんな事、当たり前でしょうに」

 

 そう言って再びあの笑みを浮かべる小夜子を見て、熊谷はようやく理解した。

 

 見た事のなかったこの笑みは、女の情念が形となったものだ。

 

 小夜子の抱える女としての情念が、可視化する程に具現した結果。

 

 それが、何処か薄ら寒さすら覚えるこの笑顔だったのだ。

 

 恋愛経験など皆無な熊谷であるが、それでも尚理解出来るほどに小夜子の笑みは雄弁だった。

 

 有無を言わさず、それを理解させられる。

 

 そんな迫力すら、その笑みにはあったのだから。

 

「そ、そんな事して大丈夫だったの…………?」

「勿論、取っ組み合いの喧嘩になりましたよ。首まで絞められて、死ぬかと思いましたね。まあ、あれがあったから今の関係を築けているので後悔は一切していませんが」

 

 あくまでもあっけらかんと、小夜子は那須と喧嘩をした事を明かした。

 

 しかも、首を絞められたなどと聞き捨てならない事を口にしながら。

 

 幾ら那須でも、友人の首を絞めるなどという暴挙は────────────────。

 

(…………いや、玲ならやるわね。七海が関わってるなら、やりかねない)

 

 ────────────────あの少女ならばやってもおかしくないと、納得せざるを得なかった。

 

 那須の世界は、七海を中心に回っている。

 

 特にあの頃は、那須が今よりも更に情緒不安定だった時代だ。

 

 そんな時に、世界の地軸たる七海を奪おうとする(おんな)が現れた。

 

 外敵の排除という手段に走っても、なんらおかしくはない。

 

 むしろ。当然だろう。

 

 恋する少女にとって、愛しい相手を奪おうとする相手は等しく敵でしかないのだから。

 

 しかし、解せない。

 

 そんな事があったのであれば、那須と小夜子の関係は険悪になるどころか破綻していた可能性が高かった筈だが。

 

「そこから、どうやって説得出来たの…………?」

「単に、私の想いを伝えた上で発破をかけただけですよ。あの時の那須先輩は七海先輩との居心地の良い距離が壊れるのが嫌でチキンになってただけですから、恋敵として危機感を煽って本音を聞き出したんです。お互い、落ち着くまで散々揉み合ったので大変見苦しい姿ではあったと思います」

 

 あの時は大変でしたね、と小夜子は笑う。

 

 分からない。

 

 話を聞く限り、小夜子は那須の想いを後押ししたようにすら聞こえる。

 

 七海への想いを、自ら認めた上で。

 

 しかも今の那須と小夜子の関係は悪くないどころか、かなり良好なように思える。

 

 熊谷の価値観では、恋敵とは相容れない相手の筈だ。

 

 恋愛ドラマや噂話で培った価値観とはいえ、現実の男女関係とそう乖離してはいない筈。

 

 そう思っていた為に、今の小夜子を取り巻く人間関係は凡そ理解不能だった。

 

「な、なんでそんな平気そうに言えるの…………? だって、七海はもう────────」

「那須先輩と正式にお付き合いしていますね。逆に聞きますが、()()()()()()()()()()()?」

「え…………?」

 

 ポカンと、熊谷は思いも依らぬ返答に呆然となる。

 

 小夜子は、那須と七海が付き合っている現状を正しく認識している。

 

 その上で、それが何も問題ないかのように話している。

 

 恋敵が、想い人と結ばれたというのに。

 

 ただ淡々と、それがどうかしたか、と心底不思議そうに尋ねたのだ。

 

「もう一度言いますが、私はあの二人の関係を壊すつもりは微塵もありません。むしろ、二人にはあのまま将来に渡って幸せな生活を送って貰いたいと思っています」

「え、でも、小夜子は七海の事が好きなんだよね。だったら、なんで…………」

「簡単な事です。私が七海先輩を想っている事と、二人が付き合っている事は別の話ですから」

 

 きっぱりと、小夜子は言い切った。

 

 七海と那須が付き合っている事は、理解しているし肯定すらしている。

 

 その上で、自分が七海に想いを寄せる事に問題はない。

 

 言外にそう言っているのが、聞こえて来るようだった。

 

「あの、ごめん。七海の事、好きなんだよね? 玲と七海が付き合って悔しいとか、そういうのはないの…………?」

「あるに決まってるじゃないですか。お二人の幸せは願っていますが、それはそれとして嫉妬はしています。当然ですよ」

 

 でも、と小夜子は続ける。

 

「私は、七海先輩も那須先輩も大好きなんです。だからお二人の幸せを願っている以上、その仲を邪魔するワケにはいかないんです────────────────だって、二人を幸せにしたいならあの二人がくっつく事以上の道筋(ルート)はないんですから」

 

 何処か寂しそうに、小夜子は語る。

 

 七海の事は、勿論好きだ。

 

 けれど、同時に那須の事も好きなのだ。

 

 そして、二人の幸せを願う気持ちも本物である。

 

 故にこそ。

 

 二人が幸せになるなら、那須と七海が愛し合う関係になる以外に道はないと理解してしまった。

 

 小夜子は、そう言っているのだ。

 

「七海先輩と恋人になる、そういう夢想をした事がないと言えば嘘になります。けれど、どう考えても七海先輩が好きなのは那須先輩だって事は────────────────あの時に、もう分かっていましたから」

 

 少女が初恋を自覚した時、想い人には既に愛する少女がいた。

 

 その事を自覚した時の感情を、小夜子は今でも覚えている。

 

 酷い話だとも思ったし、多少自棄にもなりかけた。

 

 けれど。

 

「だから、私は身を引く事に決めたんです。二人の幸せな姿を、ずっと見ていたい。だったら、私が身を引くしかない────────────────そう理解して、私はこの道を選んだんです」

 

 それは、少女の誓い。

 

 己の恋慕を抑え込んででも、大切な人の礎になるという願い(いのり)

 

 果たしてそれは、どれ程の決意だろう。

 

 恋をした事のない熊谷に、真にその心情は理解出来ない。

 

 だけど、それでも。

 

 小夜子が尋常ならざる覚悟を以てその道を選んだ事だけは、理解出来た。

 

「後悔はありますが、これが間違いだったなんて誰にも言わせません。これは私が選んだ、私の人生(みち)です。どれ程滑稽に見えたとしても、私はこの選択を支持し続けます────────────────それが、私がこの恋に捧げる唯一無二の献身ですから」

「そう…………」

 

 最早熊谷は、ただ相槌を打つ他なかった。

 

 滲み出る情念が、浮かぶ女の笑みが。

 

 その言葉に一切の嘘偽りはないと、否応なく理解させられてしまった。

 

 小夜子の事を知っているようでいて、何も分かっていなかった。

 

 この子は、こんなにも強い。

 

 自分の想いを押し殺してまで、好きな人の幸せの為に尽くし続ける。

 

 果たして、仮に自分が同じ境遇になったとして同じ選択が出来るだろうか。

 

 きっと、出来ないだろう。

 

 こんな中途半端な自分では、恐らく迷った末に事態が悪化するのがオチだ。

 

「まあ、それはそれとして七海先輩に寵愛を頂く機会があれば受け入れますが。正妻公認の愛人になれれば最善ですね」

「────────────────待って。なんでそこでオチを付けるのよ、オチを」

 

 だから、小夜子がそんな冗談を言った時には心底呆れてため息を吐いた。

 

 恐らく、色々と動揺しっぱなしの自分を落ち着かせる為の彼女なりのジョークだろう。

 

 そう思って、苦笑しながら小夜子を見据え────────────────。

 

「え? 別に冗談を言ったつもりはないんですが」

「……………………」

 

 ────────────────その眼を見て一切の虚偽がない事を理解してしまい、背筋を悪感が駆け抜けた。

 

 もう、色んな意味で分からない。

 

 ようやく理解したつもりの友人の底が一気に見えなくなった現実に、熊谷はただ絶句するしかなかった。

 

 女は怖い。

 

 そう言われるのも不思議ではないと、熊谷は少女の情念を目の当たりにして実感した。

 

 そういえば、と。

 

 照屋が熊谷に対し柿崎との距離感に関して注意をして来た時も、こんな顔をしていたなあと。

 

 屈託なく笑う小夜子を見て、以前のスポーツ仲間との一幕を思い出す熊谷であった。

 

 

<熊谷友子/知らない友人と女の情念~終~>




 『くろうにんくまがい』

 「曇り顔心痛女剣士」

 本編が終わり、色々成長した那須隊攻撃手。

 実力的にも充分A級の面々相手に食い下がれるようになり、他の隊員からの評価も高い。

 チームメイトの那須と七海がようやく正式に付き合い始めた事もあって安堵していた矢先、小夜子の恋心という爆弾に向き合う事になった。

 いざ突貫してみれば友人の知らない一面が出てきて困惑し、女という生き物の怖さをまざまざと見せつけられる結果となった。

 一応チームの破綻だとかは心配しなくては良さそうなものの、思いも依らぬ友人の一面にドン引きして心痛は加速。

 一時期那須や小夜子相手にギクシャクする事になるが、茜の笑顔を見ているうちにどうでもよくなり開き直る事に決めたとの事。

 それでも極力小夜子にはこの手の話題は振らないと、心に決めた熊谷であった。


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志岐小夜子/ゲーマーズレディEX

「こないだ、初めて七海先輩が可愛いと思ったんですよね。那須先輩の気持ちも実感で理解出来ました」

「何言ってるのこの子」

「おやおや、気になる話だねー」

 

 某日、小夜子の部屋。

 

 そこでは羽矢と国近が久方ぶりに彼女の部屋を訪れ、ゲームと雑談に興じていた。

 

 他のゲーム仲間であれば太刀川隊室等に呼んでワイワイ騒ぐのだが、男性恐怖症の小夜子をそちらに連れてはいけないので必然的に彼女達の集まりはこの部屋で行われる事になる。

 

 そこでチョコウエハース片手にゲームで遊んでいた小夜子が、いきなり冒頭の台詞を宣ったのだ。

 

 羽矢は手を止めて半眼でため息を吐き、国近は興味津々といった様子で小夜子の顔を覗き込んでいる。

 

 三次元の男性に興味がない羽矢はともかく、国近は色んな意味で好奇心旺盛だ。

 

 明らかに事が小夜子の恋愛事情────────────────七海に関連する事柄であれば、気にならない筈がない。

 

 小夜子としては単なる独り言の範疇だったのだが、これでは話す他なさそうだ。

 

 うきうきとした様子で次の言葉を待つ国近に、小夜子は自分の無意識の失言を若干後悔しながらも口を開く。

 

「七海先輩って今まで、女の子と密着しても碌に反応しなかったじゃないですか。それこそ、枯れてるって思うくらいに」

「そうだねー。私が夏に薄着でいると出水くんとかたまに目が泳いだりするけど、七海くんはそんなの全然なかったもんねー」

「あら、太刀川さんは?」

「太刀川さんは、女の子(はな)より戦い(だんご)だよー?」

 

 成る程、と余計な茶々を入れつつ羽矢は頷く。

 

 国近は、ぶっちゃけ巨乳の部類に入る。

 

 三次元の男性に欠片も興味を持たない羽矢ではあるが、それはそれとして国近の豊満なバストを羨ましく思う事はある。

 

 彼女くらい胸が大きければ、年頃の男子高校生ならば無意識に目で追ってたとしてもなんらおかしくはない。

 

 むしろガン見せずに眼を泳がせるあたり、出水は紳士ですらあると言えるだろう。

 

 戦闘馬鹿(たちかわ)は置いておいて、七海はこれまでそんな素振りすら皆無だった。

 

 割と視覚的に凶悪な薄着の国近という存在を前にしても一切の動揺なく、普段通りに振舞う。

 

 そんな真似が出来るのは、人格者の多いボーダーでもそう多くはないだろう。

 

 少なくとも、男子学生は反射的に目を向けてしまう筈だ。

 

「前に後ろから寄りかかった時も出水くんは慌ててたのに、七海くんは『すみません、動けないので降りて貰っても構いませんか』って冷静に言うだけだったしねー」

「────────────────国近先輩、その話詳しく。場合によっては那須先輩に報告(ギルティ)です」

「ごめんごめん、ちょっと疲れてたから適当なトコに寄りかかっただけだよー。他意はないって」

 

 良いでしょう、と半眼で睨む小夜子に対し、国近は内心で安堵の息を吐いた。

 

 今のは、本気だった。

 

 目を見れば分かる。

 

 小夜子は国近の返答如何によっては、本気で那須へ報告(しけいせんこく)を実行するつもりだった。

 

 実際に国近の蛮行が那須に伝わった場合、どうなるかは恐ろしくて考えたくはない。

 

 あの那須が自分の男に誘惑まがいの事をした相手────────────────しかも、豊満な乳房(じぶんにないもの)を持っている相手に容赦などする筈がない。

 

 浮世離れした美貌を持つ那須だが、生憎彼女のスタイルそのものはそこまで豊かではない。

 

 スレンダーな妖精じみた肢体はとても魅力的だが、身体の凹凸はそこまで目立つワケではないのだ。

 

 人は、自分にないものを羨む生き物である。

 

 那須にも女として当然豊満な体型への憧れはあり、口には出さないが国近や藤丸といったスタイル抜群の女性への憧憬はあるのだ。

 

 藤丸の場合は規格外過ぎて嫉妬すら起きないが、国近はまだ常識的な範疇の巨乳だ。

 

 憧憬や嫉妬を抱き易い分、詰問は苛烈なものとなるだろう。

 

 流石に国近といえど本気で怒った那須の相手など御免被るので、小夜子が思い留まってくれて助かったと言える。

 

 小夜子のオペレートの師匠と言える国近だが、女の情念の前には師弟関係など紙屑同然なのである。

 

 恋愛には疎い国近だが、恋が人をどれだけ変えるかは実例を見て知っている。

 

 以前、月見と二人きりになった時に遠回しに牽制された事は忘れていない。

 

 顔は終始笑っていたが、あれは般若が笑顔の仮面を張り付けていただけだ。

 

 逆らえば助からない、といった圧迫感すらあの笑顔にはあった。

 

 それ以来、国近はボディタッチを含む悪ふざけの対象から太刀川を外すようにしている。

 

 誰だって、女の情念を滲ませた女傑の相手などしたくない。

 

 ぽややんとしているように見えて、割と危機管理はしっかりしている国近であった。

 

「それで、七海くんが可愛いってどういう事ー?」

「えっとですね。七海先輩、今回の大規模侵攻で無痛症が完治したじゃないですか」

「そうだねー。太刀川さんや出水くんも喜んでたよー」

 

 七海の快癒の件は、当然彼と関わりの深い面々には周知されている。

 

 わざわざ言い回る事ではないが、少なくとも彼と親交のあった者は知る権利があるとして七海の許可を得た上で忍田が通知したのだ。

 

 まあ、そんな事をせずとも村上や荒船といった七海と特に親交が深い者はあの最終決戦に関わっていた為、周知するまでもなく知っていたという事情もある。

 

 そんなこんなで、既に七海の無痛症が治った事は既知の事実であった。

 

「だからですかね。無痛症が治って触覚が戻ったので、女の子が密着すると普通に赤面するようになったんです。那須先輩から聞いてはいたんですけど、この前抱き着いたら顔を赤くしたんでそれで実感したワケですね」

「恋人のいる男子相手に、何やってるのあなた。二人の邪魔をしたくはないんじゃなかったの?」

「邪魔をするつもりはありませんよ。この程度で壊れる程あの二人の絆は緩くはありませんし、那須先輩にもちゃんと許可は貰っていますから」

 

 にこりと笑う小夜子の話を聞き、羽矢はため息を吐いた。

 

 那須と小夜子の二人の特殊な関係性については一応彼女本人から聞き及んでいるのだが、正直良く分からないというのが本音だ。

 

 何せ、同じ男性を好きになって片方はその想いを成就させているのが現状だ。

 

 だというのに小夜子は人目を気にしているとはいえ平然と七海相手に抱き着いたりするし、それを那須が咎める事もないという。

 

 ハッキリ言って、おかしい。

 

 那須と七海は、この間ようやく付き合い始めたばかりの新婚カップルだ。

 

 そんな相手を独占したくてたまらない時期に友人とはいえ他の異性の接近を許容し、黙認している現状は不可解極まりない。

 

 普通、そこは小夜子を拒絶するところだろう。

 

 親友だったとしても、だからこそ自分の男に近付けたくなど無い筈だ。

 

 ハーレムは空想の世界だからこそ許されるのであり、現実で実現する事は不可能に近い。

 

 加えて、那須は独占欲がかなり高い部類の少女の筈だ。

 

 玲の一件の時に小夜子が挑発した時には取っ組み合いの喧嘩にまでなったと言うのだから、間違いない。

 

 だというのに、そんな那須が今の小夜子の所業を見過ごしているらしい。

 

 どう考えても、普通では有り得ない事態ではあった。

 

「本当に、どういう関係性なの…………? まさか、あっちの気があるってワケじゃないでしょうね」

「まさか、私にそっちの気はないですよ。那須先輩に初めて会った時には危うく転びかけましたが、既にノーマルな恋愛相手を見つけていたのでセーフでしたし」

「……………………ちょっと、貴方との距離感を考え直そうかしら」

「大丈夫ですって。そんな心配はないですし、離れないで下さいよぉ」

 

 けたけたと笑いながら、小夜子は自分と距離を取り始めた羽矢の肩をポンポンと叩く。

 

 普通では考えられない関係性に冗談交じりの邪推をした羽矢であるが、実際は割と当たからずとも遠からずといったところだ。

 

 那須と小夜子の関係性の原点は、あの大喧嘩にあると言っても過言ではない。

 

 ROUND3の失態で落ち込んでいた那須の部屋に殴り込み、想いをぶちまけた上で女同士の情念争い(キャットファイト)を演じた事で二人の間に奇妙な絆が生まれたのは間違いない。

 

 あれ以来那須は明確に小夜子の自分の中の立ち位置を独自のものに変えているし、それは小夜子の方も同じだ。

 

 そういった経緯もあり、七海に異性が近付く事を基本的に許さない那須が、唯一傍に寄り添う事を許容した女性が小夜子なのだ。

 

 この関係性は互いの恋慕を根拠とした強い信頼が元となっており、今後彼女等と同じ関係を結ぶ者が現れる事はないだろう。

 

 愛しい少年の為という利害が一致する以上、二人が反目し合う事などないのだから。

 

「だいじょぶだいじょぶ。小夜ちゃんが仮にそっちに転がるとしても、相手は那須さんだろうからね~」

「まあ、それは否定はしませんが────────────────って、冗談ですってば、離れないで下さいよ」

「本当に、冗談なのかしら?」

「少なくとも、嘘ってワケじゃないよねぇ。それだけ、小夜ちゃんの中の那須さんの立ち位置が特別って事だろうし」

 

 にまにまと笑いながら、国近はそう指摘する。

 

 それに対し小夜子は否定も肯定もせず、困ったような顔をする。

 

 そんな小夜子を見て、国近はふとため息を吐いた。

 

「うーん、でもちょっと妬けちゃうよねぇ。私達はこーんなに小夜ちゃんの事が大好きなのに、女としても二番手三番手だなんてねー。お姉さん、ちょっと悲しいかも」

 

 よよよ、と口元を抑えて大袈裟に哀しんで見せる国近に、小夜子は呆れた眼を向ける。

 

 国近の口元は僅かに笑っており、これが悪ふざけの類なのは明らかだ。

 

 それを見て、国近の眼がキュピーン、と怪しく輝いた。

 

「隙ありっ♪」

「うひゃああああああああああ…………っ!!??」

 

 国近は一瞬で小夜子の背後に回ると、ふにふに、と思い切り彼女の胸を鷲掴んだ。

 

 突然の蛮行に、小夜子は眼を白黒させながら悲鳴を上げる。

 

 彼女が抗議の声を上げる前に、国近はするり、と小夜子から離れて正面に回った。

 

「ごめんごめん、小夜ちゃんがあんまりにも可愛いから、つい、ねー。大丈夫? おっぱい揉む?」

「結構ですってばっ! もう、悪ふざけもいい加減にして下さいよ」

「あはは、ごめんってば」

 

 まったく、と小夜子は突然の蛮行に及んだ国近を半眼で睨む。

 

 そんな二人の様子を見て、「あれ? 本当に危ないのは国近の方では?」と思い至り彼女から徐々に距離を取る羽矢の姿があった。

 

 流石に襲われるとまでは思えないが、こういった悪戯を平気でするのはどちらかと考えれば明瞭なのは事実。

 

 羽矢は意外と言えばそうでもない一面を見せる友人への理解を深め、一歩後ろへ後ずさるのであった。

 

「しっかし、七海くんがねぇ。ホントに思春期の男の子みたくなっちゃってるの?」

「え、ええ。どうやら無痛症の影響で性欲のようなものとは一切無縁で過ごして来た反動で、思春期に入ったばかりの男子みたいな反応になってますね。まあ、本人の理性が鋼鉄な分困惑の方が大きいみたいですが」

「あー、反応しちゃう自分に自己嫌悪って感じか。七海くんらしいといえばらしいかなー」

 

 そうですね、と小夜子は国近に同意する。

 

 現在の七海は思春期の少年のような初々しい反応と、それに驚き困惑する鋼の理性の板挟みのような状態になっている。

 

 異性から受ける刺激に身体的な耐性が無い為その都度大袈裟に反応し、しかしこれまでに培った鋼の理性が直接的な行動に移る事を許さず自己嫌悪すらしてしまう。

 

 そんなちぐはぐな状態になっており、だからこそ那須や小夜子は「可愛い」と表現したのだ。

 

 これまでが完璧な王子様だった分、そのギャップに萌えたという面もあるだろうが。

 

「それならからかうのは止めた方が良いかー。でも、小夜ちゃん的には良いの? 七海くんを好きになったのって、女の子にそういう興味を示さないからってのもあったんじゃない?」

「それが一因であった事は否定しません。ですが、先輩の人となりを知った以上この程度の事で想いが薄れる事はありませんよ。そこまで、軽い恋であるつもりはありませんから────────────────この想いがなくなる事は、一生涯ありません」

 

 小夜子は力強く、そう断言する。

 

 確かに、七海を好きになった一因として女性に性的な興味を示さないという理由があった事は事実だ。

 

 けれど、今更七海が()()に戻ったとしてこの恋心が薄れる事は有り得ない。

 

 そこまで浅い想いである筈がないし、この恋は文字通り一生ものなのだ。

 

 それこそ、今後このような想いを抱く相手は有り得ないだろうと断言する程に。

 

 小夜子の恋は、愛は、深く重いのだから。

 

「そっかー。きっついだろうけど、応援してるよー」

「ありがとうございます。やっぱり、国近先輩には敵いませんね」

「そうそう、敬いたまえー」

「そんなトコさえなければ素直に敬えるんですけどねぇ」

 

 片方は満面の笑みで、もう片方はため息交じりで呆れながら笑い合う。

 

 その光景を見て、羽矢は何処か眩しさを感じていた。

 

 噛み合っていないようで、噛み合っている。

 

 見当はずれなようでいて、理解し合っている。

 

 そんな関係が何処か羨ましく、けれど二人の友人である事に変わりはなくて。

 

 やっぱり自分もこの二人が大好きなんだなぁ、と再認識しながら自身の位置を元に戻した。

 

「二人の世界に入ってないで、私も混ぜてよ。それとも、私はお邪魔かしら?」

「そんな事ないよー。羽矢ちゃんも、私たちの大切な親友だもんねー」

「ええ、羽矢さんを蔑ろにするつもりはありませんよ。今後とも末永く、よろしくしていきたいですしね」

 

 遊戯で繋がった少女たち(ゲーマーズレディ)は姦しく笑い合いながら、雑談に興じていく。

 

 今日の彼女達は、遊びを通じて想いを深める。

 

 その関係に立ち入る余地はなく、これからも彼女達は繋がりを弱める事はないだろう。

 

 遊戯(ゲーム)で結んだ友誼(きずな)ほど、強固なものはそうないのだから。

 

 

<ゲーマーズレディEX~終~>




 『かくせいさよこ』
 「開き直り系最強恋愛遊戯少女」

 とうの昔に覚醒し、恋に生きる16歳サブカル大好き系少女。

 那須との恋心を通じた絆は強く、精神的には那須隊の中でもトップクラスの強さを誇っている。

 不安定さが拭えない那須と比べ、色んな意味で開き直っているので最強。

 割り切りこそ一番であると、彼女は言う。

 それを教えてくれたのは七海であり、那須であり、そして国近と羽矢なのだ。

 少女は人との絆の大切さを知るが故に、迷う事はないだろう。

 恋に生きる少女は、想いの力がどれ程強いかその身を以て識っているのだから。

 それはそれとして赤面する七海を見て新しい扉が開きかけたらしいが、詳細は不明。

 真実は、彼女だけが知っている。


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エネドラ/想い遺したもの

 

「聞かせてくれる情報は、そのくらいかな?」

「ああ、そうだ。言っとくが、嘘じゃあねーぜ。まあ、ハイレインの野郎がダミー情報混ぜてなきゃ、っつう前提だがな」

 

 それは、大規模侵攻の直後。

 

 時間的には、ヴィザ相手への決戦が終了した前後である。

 

 雷蔵は、捕虜となったエネドラから彼の知る情報を聞き出していた。

 

 エネドラは捕まった後に検査と治療を受け、彼の命が余命幾許もない事が分かり本人にもそれを説明した。

 

 普通であればそのような情報を患者に話すべきではないが、彼は元々アフトクラトルという軍事国家の人間でこの世界に侵攻にやって来た明確な敵だ。

 

 同盟相手であればともかく、そんな相手に必要以上に配慮する理由はない。

 

 しかしそれ以上に、ボーダーが彼にその事を話したのは交渉の余地があると踏んだからだ。

 

 エネドラは風間達に敗北して生身になった後、明らかな殺害目的の攻撃を仲間から受けた。

 

 その攻撃自体は風間の介入で防げたが、アフトクラトル側にエネドラを始末する意図があったのは明白だ。

 

 それはとうのエネドラ自身も自覚しており、だからこそ「自身を裏切り殺そうとした元仲間」であるアフトクラトルについての情報を報復代わりに話してくれるのではないかという期待があった。

 

 これで彼の身体が十全であれば自身でやり返す機会を狙ったかもしれないが、最早命がいつ尽きてもおかしくない状況であるとなれば心変わりするかもしれない。

 

 そんな意図を以て、エネドラに彼の余命について説明したのだ。

 

 当初は混乱したエネドラだが、思い当たる節があった様子で暫くすると納得し、情報提供にも前向きになった。

 

 まあ、眼が黒くなっていて明らかに変調が起きており、聞き取りによって常に破壊衝動じみたものに支配されていた事も分かったので根拠は充分にあった事も大きいだろう。

 

 エネドラはハイレインの指揮下で最前線で戦い続けていた事もあり、持っていた情報はかなりの規模に昇った。

 

 結果としてハイレインの意図や思考傾向、アフトクラトルの現状など得るものの多かった聴取となった。

 

 ちなみに雷蔵がそれを担当していたのは、他に手の空いている人間がいなかったからだ。

 

 元々表向きは軍事組織ではないと謳っているボーダーには尋問用の人員などおらず、それが出来そうな鬼怒田や根付は侵攻の後始末で忙殺されている真っ最中だ。

 

 なので丁度手が空いていた雷蔵が聴取を引き受け、今に至る。

 

 彼がこの役目を引き受けたのは近界民と戦闘を介さずに直にやり取りが出来る機会などそうない為、好奇心も刺激されて名乗り出た次第である。

 

 雷蔵は根付のように余計な挑発をする事も、鬼怒田のように必要以上に威圧的になる事もない為、粗雑な性格のエネドラへの聴取相手として理想的だった、という事もある。

 

 如何に利害が一致したとはいえ、エネドラは直情的な人間だ。

 

 余計な煽りや威圧的な態度を前にすれば、口を噤んでしまう事も充分に考えられた。

 

 それを考えれば、雷蔵を割り当てたのはベストと言える。

 

 以前の根付アッパー事件の経験は、しっかりと活かされていたのである。

 

「分かった。取り敢えず外には出せないけど、此処で過ごして貰っていていいよ。必要なものがあれば、可能な範囲で融通する」

「────────────────それよりも、教えろ。俺は、あと()()()()()保つ?」

「────────」

 

 エネドラの問いかけに、雷蔵は閉口する。

 

 確かに余命幾許もないという事は、話した。

 

 しかし、それが具体的にどれだけの猶予があるのかまでは話していない。

 

 というよりも、本人が望まない限りそこまでは話さないつもりだったのだ。

 

 余命宣告というのは、言う側も言われる側も神経を使う。

 

 「あなたはあとこのくらいで死にます」なんて、平常心で話すのも聞かされるのも無理な話だ。

 

 割り切れるほど回数を重ねているならともかく、雷蔵にそんな経験はない。

 

 けれど、此処までエネドラは情報提供に協力的だった。

 

 襲って来た敵の一人とはいえ、その姿勢に報いる為にはこの場で黙秘するのは不誠実だ。

 

「────────────────あと、2、3日。多分、そのくらいだと思う」

「そうか」

 

 だから、雷蔵は正直に話した。

 

 検査の結果分かった、エネドラの余命。

 

 それは、数日中には死に至るという無慈悲な現実。

 

 己の命尽きるまでの時を聴き、エネドラはただ頷いた。

 

 罵倒する事も、慌てる事すらなく。

 

 ただ、静かに己の命の期限を受け入れた。

 

 雷蔵はそんなエネドラの姿を、黙って見ている。

 

 今の彼にかける言葉が、見当たらない。

 

 正しく、何を言うべきか分からなくなっていた。

 

(医者って、凄いんだな。こんなのに慣れるなんて、俺には到底出来そうにないや)

 

 確かに、エネドラに余命を告げる判断をしたのは自分だ。

 

 けれど、早くもその判断を後悔しそうになっていた。

 

 それは、話しているうちになんだかんだで彼と波長が合ったというのもあるだろう。

 

 雷蔵は特段近界民に対する思い入れはなく、侵攻によって被害を受けたというワケでもない。

 

 ただ、攻めて来るから倒す相手。

 

 彼にとって近界民(ネイバー)とは、そういう相手だった。

 

 だから、こうして死を前に戦闘時の様子からかけ離れた態度を見せる、ごく普通の人間のようなエネドラの反応に戸惑ってしまっている。

 

 彼は迅のように人の死を経験し過ぎてしまったワケでも、城戸のように覚悟を決め切ってしまったワケでもない。

 

 ちょっとした経緯から興味が沸いたからボーダーに入って、紆余屈折あって技術者をしているだけだ。

 

 だけど、もう成人もしていて大人としての責任感もある。

 

 故に、この場でどうするのが正解なのか。

 

 彼にはまだ、分からなかったのだ。

 

「なあおい。必要なものはくれるっつったよな?」

「ん、ああ。可能な範囲でね」

 

 そんな雷蔵に、エネドラは何気なく。

 

 けれど、何処か吹っ切れたような声で、告げた。

 

「暇を潰せるようなもん、なんかあんだろ。くたばるまで寝てるのも癪だし、玄界(ミデン)の娯楽を寄越しやがれ」

 

 

 

 

「へぇ、猿の癖に案外良いモン作るじゃねぇか」

 

 その後。

 

 エネドラは与えられた個室にて、映画鑑賞に勤しんでいた。

 

 雷蔵は娯楽を提供しろと言われ、多少悩んだ結果自身の趣味でもある映画を見せる事を思いついたのだ。

 

 こちらの世界の常識や文化など知る由もないエネドラにとって、フィクションの世界を演じてそれを撮影し公開する映画という娯楽は、酷く新鮮なものに映った。

 

 アフトクラトルは軍事国家であり、そのリソースは主に軍事に注ぎ込まれている。

 

 封建的な風潮が強い国家でもあるので、娯楽に関する文化は玄界(ミデン)ほど豊富とは言い難い。

 

 技術を軍事に集中的に注ぎ込んでいるからこそ、近界(ネイバーフット)最大級の軍事国家と言われるまでに成長しているのだ。

 

 資金や人員を惜しみなく注いで作り上げる映画という文化など、生まれ得る筈もない。

 

 結果として、映画という娯楽に大いに満足するエネドラであった。

 

「なあ、なんでこのサカナ空飛んでんだ? それとも、見た目が魚なだけでこいつもトリオン兵みてーなもんか?」

「いや、単に製作陣の悪ふざけの成れの果てだと思うよ。そういうものだと思って、楽しむ方がいいよ」

「はん、下らねー事考えるもんだな」

 

 雷蔵の解説に、エネドラは鼻を鳴らしてくつくつと笑う。

 

 その手にはポテチが握られており、映画を見ながらパリパリと咀嚼していた。

 

 既に末期と言える状態まで進んだエネドラの身体に本来であればこんな油物は厳禁だが、「もうすぐくたばんだから、こんくれー変わんねーだろ」との本人の訴えがあった為提供している次第である。

 

 エネドラの死は、既に確定している。

 

 多少不摂生をした所で、それが覆る事は有り得ない。

 

 だから、好きな事をして過ごしたいという気持ちは分かる。

 

 自分に当て嵌めて考えてみると、味気ない食事を延々と続けて無駄に苦しみを長引かせるよりは、好きな事をして気持ち良く逝きたいだろうという夢想は出来た。

 

 これが年単位の余命であればまた違ったのだろうが、エネドラの命は真実あと数日で尽きる。

 

 ならば、病院食など無粋だろう。

 

 そう思って、エネドラの食事に関して栄養等を配慮する必要はないと伝えてある。

 

 意外だったのは、医療班から一定の理解を得られた事だ。

 

 文句を言われる事を覚悟で自身の意図を伝えた雷蔵だが、彼等はそれも一つの医療の形だと彼の好きにさせてくれた。

 

 終末期医療(ターミナルケア)、というものがある。

 

 これは余命が僅かになった者に対して、延命よりも残された時間を有意義に使う事を優先して生活の質を保とうという医療的ケアの事だ。

 

 その考え方から見ると、雷蔵の判断は別におかしなものでもなんでもないらしい。

 

 苦痛を伴う延命処置よりも、遺された時間を有意義に使う事を選ぶ。

 

 それは人間の選ぶ事が出来る当然の選択であり、邪魔をする権利は誰にもないのだ。

 

 そういった経緯もあり、エネドラは想像以上に捕虜生活を満喫していた。

 

 当初は拘束しておくべき、という意見もあったものの、それは雷蔵の判断で却下した。

 

 トリガーを失ったエネドラは末期の病人そのものであり、既に何かをする余力もない。

 

 ならば、部屋から出さない軟禁で充分だろうという旨の説明を行い、城戸の認可を得た為にこれが通った形となる。

 

 雷蔵は溜まりまくっていた有休を強引に取り、エネドラの最期の余暇に付き合う事を決めた。

 

 それを決めた直後にやって来た迅が何処か気遣うような様子で、「また会えるから」と言い残したのが色々気になりはするが、今の最優先事項はこの奇妙な友人と有意義な時間を過ごす事だ。

 

 雷蔵は自身のお気に入りの映画を数点選び、次に何を見せるかと意気揚々と棚に向かっていった。

 

 

 

 

 次の日、エネドラはベッドから起き上がれなくなった。

 

 症状の侵攻は思った以上に早く、固形物はもう喉を通らないようだ。

 

 昨日の不摂生が祟ったのかと後悔しかけたが、エネドラは特に文句を言うでもなく「早く映画を見せろ」とだけ言って来た。

 

 雷蔵はその言葉に従い、暗い気持ちを押し殺しながら努めて淡々と今日見せる予定の映画の上映を始めた。

 

 その姿を、エネドラは何処か不思議そうな眼で眺めていた。

 

 

 

 

(こいつもお人よしだな。ったく、もうすぐくたばる捕虜相手に何やってんだか)

 

 エネドラは雷蔵が思った以上に自分を気遣っている姿を見て、呆れ半分にため息を吐いた。

 

 自分は、この世界に攻め込んだ近界民だ。

 

 命令に従っただけとはいえ、そもそもそれを承諾して意気揚々と玄界(ミデン)に殴り込んだのはエネドラ自身だ。

 

 向こうからすれば恨みこそすれ同情する余地はない筈だし、もし自分が雷蔵の立場なら無様な彼の姿をげらげら笑って嘲っただろう。

 

 けれど、こんな自分に同情する彼の姿を笑う事が今のエネドラには出来なかった。

 

 泥の王(ボルボロス)と、黒トリガーと離れた所為だろうか。

 

 今まであれほど五月蠅かった頭の中の狂気(こえ)は、もう殆ど聞こえなかった。

 

 トリガー(ホーン)の浸食で身体中がボロボロで、もう手の施しようのない状態になってやっと、彼は今までその身を蝕んでいた狂気から解放されたのだ。

 

 ミラに泥の王を奪われた直後はその怒りもあってまだ衝動が沸き上がっていたが、彼女の去り際の寂しそうな顔を見た時にそれも収まった。

 

 ────────────────なあ■■、もし俺が俺じゃなくなったら、お前が────────────────

 

 遠い、酷い遠い日の記憶(こえ)を、想起する。

 

 あれは、いつの日だっただろうか。

 

 多分きっと。

 

 泥の王を手に入れて、暫くした頃。

 

 頭の中に声が聞こえ始めた頃に、懐かしい誰かに縋りついて震えた時。

 

 優しい彼女に、自分はそれを頼んだのだ。

 

 笑えて来る。

 

 今になって、こんなザマになってから思い出すなんて。

 

 本当に、無様にも程がある。

 

 きっと、彼女も呆れていただろう。

 

 あの日の約束も忘れて、彼女の介錯も受けなかった自分に。

 

(悪ぃな、殺されてやれなくてよ。こちとら戦場以外で死ぬなんざ、考えてもみなかったからな)

 

 けれど、色々あって自分はこうして大往生を迎えようとしている。

 

 それが何処かおかしくて、エネドラは笑った。

 

 意識が薄くなる。

 

 彼の変調に、雷蔵も気付いたのだろう。

 

 呼びかける声がして、エネドラはもう一度ぎこちなく笑ってみせた。

 

 けれど、顔は引きつるばかりで笑みを見せる事も出来なくて。

 

 何か冷たいものが頬に当たる感触を最後に、エネドラの意識は覚めない眠りに沈んで行った。

 

 

 

 

 ()の意識が、覚醒する。

 

 同時にインストールされる(読み込まれる)、かつての()()の記憶。

 

 今の自分は、かつての彼と同じではない。

 

 ただ、記憶(おもい)模倣した(ひきついだ)躯体に過ぎない。

 

 この身体はどうやら無機物のようだし、かつてのヒトだった彼のような鼓動もない。

 

 けれど。

 

「初めまして、かな。それとも久しぶり、でいい?」

 

 目の前の、何処か嬉しそうな顔をする男を見て。

 

 そんな事はどうでもいいと、機械となった男(エネドラット)は笑った。

 

『どっちでもいーだろ、んな事。それより早く映画見せろ、映画。前に見たやつの続き、あんだろ』

「ああ、勿論用意してある。早速見よう」

 

 言葉少なに、けれど嬉しそうに。

 

 彼は、雷蔵は用意していたものを取りに駆け出した。

 

 人としての生も、肉の身体もなくなったけれど。

 

 これはこれで悪くない、と。

 

 ラッドに魂を移したかつての黒トリガー使いは、男の背中を追いかけていった。

 

 

<エネドラ/想い遺したもの~終~>




 『えねどらっと』
 「想い遺したもの」

 黒トリガーと分離した事で症状が落ち着くも、身体は既に末期だった為そのまま死亡したエネドラが原作通りラッドとなったもの。

 原作と異なり虐殺をしていないので割と捕虜に対する対応が甘く、近界民に偏見を持たない雷蔵が彼を担当した為に色々と満足しながら逝く事が出来た。

 今では雷蔵の時間が出来た時は常に二人一緒に映画を見て、楽しんでいる姿が幾度も見かけられている。

 ちなみに雷蔵がエネドラの担当となったのは、その方がより良い未来に繋がる分岐になる事を見た迅の根回しによるもの。

 場合によってはエネドラッドが生まれず雷蔵が影を帯びるルートもあった為、そうならないように手を回した。

 そんな迅の暗躍に薄々気付きつつ、雷蔵は今日も映画を選ぶ。

 一人と一機(ふたり)はこれからも、奇妙な友人関係を続けていく事だろう。


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ヒュース/遠い玄界の地で

「…………」

 

 ヒュースは隣でぱくぱくとお好み焼きとやらを頬張る遊真を半眼で睨みながら、周囲の喧噪を垣間見る。

 

 此処は、玄界のとある飲食店なのだという。

 

 自分達が戦った敵、「ボーダー」という組織の一員が此処の店員を務めているらしく現在貸し切りになった店内にいるのはその隊員達だ。

 

 おかしい。

 

 何がおかしいかと言えば、先日の作戦でこの玄界に訪れ結果として捕虜になった自分が何の拘束もなくこんな場所に連れ出されている事自体がそうだ。

 

 一体、何を考えているのか。

 

 ヒュースには、皆目見当も付かなかった。

 

 確かに、先日の戦いでヒュースが関わった隊員は直接戦った遊真と修、そして彼を連行したレイジの三人だけだ。

 

 故に、他の隊員はヒュースの顔を直接見てはいない。

 

 だが、敵の情報共有を怠るような愚鈍な組織には見えない為、ある程度自分の事は露見している筈だと彼は考えていた。

 

 実は此処に連れ出される際にその事を理由に断ろうとしたのだが、あろう事か自分の軟禁されている支部の長だという男は「ヒュースの情報は自分の所で止めている」と言ってのけた。

 

 勿論ボーダーのトップには情報共有されているらしいが、少なくとも一般隊員には彼の正体は知らされていないらしい。

 

 少なくとも、一般隊員レベルで彼の事を知っているのは玉狛支部の面々だけのようだ。

 

 何が目的かいまいち読めないが、大方自分に情報を喋らせる為の懐柔策だろうとヒュースは考えていた。

 

 というよりも、彼の常識からしてみればそれくらいしかこんな温い扱いをされる覚えがないのだ。

 

 通常、捕虜というのは人権がないものとして扱われる。

 

 基本的に近界の戦争では捕虜を拷問する事は大量に鹵獲した場合を除き憂さ晴らしが目的だが、彼の国の兵士の場合は事情が異なる。

 

 近界で最大規模の軍事国家であるアフトクラトルは相応の恨みを各国から買っており、もし捕虜になれば碌な扱いをされない事を覚悟する他ない。

 

 やったら、やり返される。

 

 その程度の覚悟なくして、軍務に身を置いてなどいない。

 

 少なくとも、ヒュースはそのつもりで作戦に臨んでいた。

 

 だから捕虜になった当初はどんな尋問でも来るなら来いと身構えていたのだが、一向にその気配はない。

 

 確かに情報を聞いては来るが、それはあくまでも世間話のような感じであり彼が断わるとそれ以上は追及しなかった。

 

 まだその時は、困惑まではしなかった。

 

 当時は捕まえた捕虜が彼一人だけだから非効率な痛みを伴う尋問ではなく懐柔策に切り替えたのだろう、くらいの考えだったからだ。

 

 しかし、かと思えば彼への対応は中途半端なものだった。

 

 色々と自分たちの事情を聞かせて共感を抱かせようとするかと思えばそれもなく、自分の監視はあろう事は幼い子供に任せる始末。

 

 食事は問題なく出て来るが要望が何でも通るというワケでもなく、しかし施設から出ないよう言われる程度で鍵のかかった部屋で軟禁される事すらない。

 

 玉狛支部でのヒュースは専ら幼い子供────────────────陽太郎と同じ部屋で暇を潰す、という日々を送っていた。

 

 しかし、暇を潰すと言っても鍛錬相手もおらず玄界の文字が読めるワケでもない。

 

 故に暇を持て余すかと思えば、陽太郎が何くれと構って来るのでそういった事もなかった。

 

 陽太郎はヒュース相手に近界の書籍を見せながら、熱心にその内容を解説していた。

 

 最初は適当に無視していたヒュースだが、話を聞いているうちに彼の知能が見た目とは裏腹にある程度の成熟が見られる事に気が付いた。

 

 勿論、知識レベルとしては年相応だ。

 

 だが、陽太郎はヒュースの知る幼子とは何処か物の見方────────────────視点が、通常とは異なっていた。

 

 子供にとって世界とは、自分の眼で見たものが全てだ。

 

 ()()()()に世界が広がっているなど考えもせず、だからこそ新たな刺激に心躍らせはしゃぎ回る。

 

 けれど、陽太郎は自分が知る以外の世界の存在を既知のものとして扱っていた。

 

 言葉こそたどたどしいものの言動には年齢不相応の知性が垣間見え、とてもではないが普通の子供には思えなかった。

 

 だから、聞いてみたのだ。

 

 お前は、何処かの貴人なのかと。

 

 今思えば、下らない質問だった。

 

 普通に考えて、貴き血筋の子供がこんな所に転がっているワケがない。

 

 何処かから逃げて来た貴人であれば、それこそ存在そのものを隠匿する筈だがその気配もない。

 

 故に、その質問に意味などなかった。

 

 ただ、不意に思いついた────────────────しかし聞かなければと無意識に考えた、他愛のない世間話。

 

 陽太郎はその質問に「おれはおうじなんだ」と答えたが、その時は子供の戯れだろうと気にもしなかった。

 

 ……………………後から思えば、あの時陽太郎は()()()自分の正体を告げていたのだ。

 

 その事を、後日支部にやって来た瑠花という少女によって思い知らされた。

 

 

 

 

「貴方がアフトクラトルの軍人ですね。私は忍田瑠花。今は亡き近界国家アリステラ、その王女で陽太郎の姉です」

 

 彼女の言葉に受けた衝撃は、筆舌に尽くし難い。

 

 アリステラ。

 

 その国の名前は、当然知っていた。

 

 四年前に滅びた、一つの近界国家。

 

 通常、戦争で負けたとしても国そのものが滅びるといった事は稀だ。

 

 近界国家同士の戦争では、相手国の母トリガーを抑えて属国にするのが普通だ。

 

 これは単純に、その方が利益が得られるからだ。

 

 危険極まりない技術と思想を持った国家であればともかく、普通の国を滅ぼす旨味など存在しない。

 

 侵略戦争とは、それによって利益が得られるからこそ行われるものだ。

 

 怨恨を元に戦争を行えるような()()のある国は早々なく、近界の戦争はその原因が資源の奪い合いである事が殆どだ。

 

 だからこそ、形骸的な亡国ではなく正しく()()した国家は早々ない。

 

 そういった意味で、アリステラの滅びは近界では相応に知る者の多い事柄だった。

 

 滅びたアリステラの王女が、玄界の軍事組織に身を置いている。

 

 その意味を考えない程、ヒュースは愚鈍ではない。

 

 今は亡き国の王族がボーダーにいるという事は、即ち失われたと思われていたアリステラの(マザー)トリガーがこの世界に運び込まれた事を意味している。

 

 ここ数年の急激な玄界の成長には、恐らくアリステラの母トリガーが関わっているのだろう。

 

 他の近界国家からすれば、この情報の持つ意味は大きい。

 

 もし、この情報が拡散すれば玄界にとっては致命傷だ。

 

 何せ、単なる資源の採掘地という認識でしかなかった玄界に、母トリガーが眠っているというのだ。

 

 当然、どの国も血眼になってそれを奪いに来るだろう。

 

 これまでとは、侵攻の質も量も俄然異なって来る事が予想される。

 

 それを分かっていないような、暗愚な少女には見えない。

 

 危険を承知で、軍事国家であるアフトクラトル所属の自分にその情報を明かした意味。

 

 つまりこれは完全に玄界側に下るか、それとも処分されるかの二択を選べという事なのだろう。

 

 これまでは積極的にヒュースを処分する口実がなかったからあのような扱いだったが、恐らく何も喋ろうとしない自分を邪魔に思ったボーダーが「王族を誑かし機密情報を喋らせた」という咎を理由にそれを実行しようとしているのだと。

 

 もしくは、機密情報を知った事を恩に着せて自分達に付かせようと狙っている支部の独断か。

 

 そのどちらかだろうと、ヒュースは結論付けた。

 

 そうでなくては、通りが通らない。

 

「残念だが、俺は祖国を裏切るつもりはない。これまで告げた通りだ」

 

 だから、改めて情報を喋る気はない事を通達した。

 

 これで自分の処分は決定しただろうが、元より無駄に命乞いをするつもりはない。

 

 気になる事はあるが、それでも尚主に対して恥ずべきと思う行いは出来ない。

 

 そう自分を強引に納得させ、沙汰を待つヒュースに。

 

「ですが、そのままでは貴方の望みは叶いませんよ。エリン家の当主が、このままでは「神」にされてしまいますから」

「なに…………?」

 

 ────────────────少女は、聞き逃せない一言を言い放った。

 

 それに反応したヒュースを見て薄笑いを浮かべ、瑠花は言葉を重ねた。

 

「捕虜としていたのは、貴方だけではないのです。エネドラという男もまた捕虜になっていたのですが、その彼から興味深い情報を聞けたのです。曰く、貴方をこの世界に放逐したのは貴方の主を「神」にする計画の障害となるから、だそうです」

「…………っ!」

 

 ヒュースは眼を見開き、拳を握り締める。

 

 気には、なっていた。

 

 作戦当時は回収する余裕がない為に置いて行かれたのだと納得しようとしたが、そもそも彼が敗北し囚われの身となったのは戦闘開始から比較的早い段階である。

 

 そして、彼が囚われて以降その身柄を奪還しようとする動きは一切見られなかった。

 

 遂にはアフトクラトルは彼を置き去りにしたまま撤退し、祖国へ帰還した。

 

 その事に、疑問を持たなかったワケではない。

 

 頭の中に過った最悪の可能性を、考えなかったと言えば嘘になる。

 

 しかし、そんな真似を師であるヴィザが容認したなどととてもではないが受け入れられなかった。

 

 されど、状況証拠は揃っている。

 

 しかも、エネドラがそれを話したというのが真実味を高めていた。

 

 ヒュースは作戦開始前に、エネドラを処分する計画について聞かされていた。

 

 その時は最近の彼の行動を考えれば自業自得だと思っていたのだが、今思えばいち隊員に過ぎない自分にそんな秘密作戦の内容を聞かせる時点でおかしいと気付くべきだった。

 

 恐らくあれは、自分を嵌める為の陽動(フェイク)

 

 エネドラを謀殺する側に加担させる事で、自分が陥れられる側だと認識させない為のハイレインの罠だったのだろう。

 

 ハイレインは確かに優秀な人物ではあるが、同時に目的の為には手段を選ばない側面を持っている。

 

 領主として当然の行動であり、逆にそういった人物でなければ軍事国家のトップの一人など務まらない。

 

 だが、だからこそ必要なら彼はやると、認めざるを得なかった。

 

 今回の遠征の目的は「神」の候補者の鹵獲だが、当然それが上手く行く保証など何処にもない。

 

 だからこそ各国へ遠征部隊を差し向けて「神」を探しているのであり、こればかりは数を撃って当てるしか方法がなかった。

 

 しかし、恐らくハイレインはそんな不確実性を嫌って「保険」をかけていたのだろう。

 

 今回の遠征で「神」候補を捕まえる事が出来なければ、ヒュースの主であるエリン家当主を「神」に────────────────人柱にする、計画を。

 

 当然、そんなふざけた真似はヒュースとしては容認出来ない。

 

 たとえ直属の上司であれ、ヒュースの真の忠誠は彼ではなくエリン家当主に向いている。

 

 ハイレインに刃を向けてでも、当主を守る為に動いた筈だ。

 

 そんなヒュースの性根を、恐らくハイレインは見抜いていた。

 

 だからこそ玄界に置き去りにするという方法で、ヒュースを処分したのだ。

 

(こんな事をしている場合ではない。どんな手段を使ってでも、アフトクラトルに戻らなければ────────)

 

 先程までとは打って変わり、ヒュースの中に焦燥が芽生えた。

 

 主の危機が確定的となった以上、こうしている時間すら惜しい。

 

 国に残ったエリン家の者達が抵抗するだろうから、すぐに主が生贄とされる事はないだろう。

 

 だが、勢力として分家であるエリン家と主家であるハイレイン側とでは保持する戦力に雲泥の差がある。

 

 精鋭揃いのエリン家とはいえ、最終的に敗北するのは目に見えている。

 

 だからこそ、何が何でもアフトクラトルに戻らなければならなかった。

 

「…………何が狙いだ? 祖国の情報は話さない。そこは変わらない」

「意地を張っていても無駄だと思いますが、それならそれで構いません。貴方は祖国へ帰りたい、しかし現実的な手段はない。そうですね?」

「そうだが、それがどうした」

 

 煽るような瑠花の言葉にヒュースは若干苛立ちながら聞き返すが、そんな彼に少女は不敵な笑みを浮かべて見せた。

 

「その手段を用意出来る、と言ったらどうします?」

「なに?」

 

 そして、想定外の言葉を口にした。

 

 アフトクラトルへ、祖国へと帰還する手段。

 

 それを、捕虜である自分に渡す?

 

 有り得ない。

 

 幾ら王族とは言っても、出来る事には限度がある。

 

 王権が力を保っていた頃であればともかく、今の彼女は亡国の姫。

 

 母トリガーを提供しているとはいえ、捕虜の解放など早々出来る事ではない。

 

 だが、ハッタリとも思えない。

 

 彼女の言葉には、確かな力があったのだから。

 

「今回の大規模侵攻では人的被害を0に抑える事は出来ましたが、侵攻があったという事実は消せません。なのでボーダーは市民の不満を組織に向かわせないようにする為に、公開遠征を行う事を公表しました」

「民の不安を抑え込むのも為政者の役目だ。別段おかしな事ではないな」

「鈍いですね。その公開遠征、貴方も行けると言ったらどうします?」

「なんだと」

 

 今度こそ、ヒュースは仰天した。

 

 玄界が、近界へ遠征へ向かう。

 

 その事自体は、さほどおかしな事ではない。

 

 しかし、その遠征に自分を同行させる?

 

 正直に言って、意味が分からなかった。

 

「正気か? 捕虜を遠征艇に乗せるなど、出来る筈がないだろう」

「貴方個人を乗せようとすれば、無理でしょうね。ですが、部隊の一員としてなら可能でしょう。貴方を入隊させる許可を、三雲くんが勝ち取れればの話ですが」

「ミクモ────────────────あいつか」

 

 ヒュースの脳裏に、一人の少年が浮かぶ。

 

 あの時、遊真との戦闘時に彼の敗北を決定付けた一手を打った兵士。

 

 三雲修と、彼はそう名乗っていた。

 

「ええ、彼と遊真くん、そして千佳ちゃんがチームを組んでその遠征を目指しているわ。貴方はその部隊に参加して、遠征を目指せば良いという寸法です」

「可能なのか?」

「全ては三雲くんの交渉手腕次第ですが、彼なら出来ると考えています。貴方も、彼が隊長であれば文句はないでしょう?」

「…………そうだな。少なくとも、そこらの雑兵を指揮官とするよりはマシだろう」

 

 ヒュースにとって修は手痛い敗北の経験に関わる人間だが、それ故に評価も高かった。

 

 自身の実力不足を理解しながら、それでも尚的確な一手を打った少年。

 

 彼がいなければ勝敗はどう転んだか分からず、少なくとも遊真に痛打を加える事は出来ただろう。

 

 そういった意味で、指揮官とする最低限度のレベルはクリアしているとヒュースは修を評価していた。

 

 彼自身認めないだけでこれは相当な高評価なのだが、ヒュース本人はそこまで自覚してはいない。

 

 また、自身を直接下した遊真の実力に関しては何も心配はしていない。

 

 加えて千佳という隊員は、この玉狛支部で何度か目にしている。

 

 相当なトリオン量を保持しており、彼女が恐らくハイレインの言っていた「金の雛鳥」だろう。

 

 仮に彼女を連れ帰れたとしても一度当主を切る決断を下したハイレインは最早信用に値せず、そもそも一度処分を決定した相手を生かしておくほど彼が温いようには思えない。

 

 手土産を持ち帰ったところで、裏から手を回されて始末されるのがオチだろう。

 

 今はその莫大なトリオンがチームにどれだけ貢献出来るかの方が急務であり、彼女の身柄に興味はない。

 

 ともあれ、ヒュースと遊真のエース二枚看板と、トリオン量の怪物である千佳。

 

 そして指揮官として有能さを垣間見せている修の部隊(チーム)であれば、充分遠征を狙える芽はあるだろう。

 

 そう考えれば、悪い取引ではない。

 

 これを提案したのがあの胡散臭い迅という男ならばまだごねただろうが、瑠花の言葉には真摯な重みがあった。

 

 彼女の清廉潔白さは、その立ち振る舞いの端々から伝わって来る。

 

 それに。

 

 あの陽太郎の姉ならば、悪い人間ではないだろう。

 

 そんな無意識の信頼があった事を、彼は自覚してはいなかった。

 

「いいだろう。その案に乗ってやる」

「賢明な判断です。その選択を、翻す事がないように」

「無論だ。だが、随分な博打を打ったな。俺が情報だけ持って逃げるとは思わなかったのか?」

 

 ヒュースの疑問は、当然だ。

 

 瑠花がアリステラの王族であるという情報は、どの国家であろうと欲しがる類のものだ。

 

 もしもヒュースが情報を餌に他の近界国家に取り入れば、大惨事を招きかねない。

 

 だというのに躊躇いなく情報開示をしたあたり、王族らしい豪胆さが垣間見える。

 

「あら、心配はしていませんでしたよ。貴方の事は、陽太郎から色々聞いていましたからね。そういった人間でない事は、初めから分かっていましたから」

「────────」

 

 だから、思いも依らぬ()()を告げられた時は黙りこくる他なかった。

 

 陽太郎にその意図はなかっただろうが、彼女は弟を通じて密かにヒュースの性格や思考傾向を調べた上でこの場に立っていたようだ。

 

 矢張り、王族は王族。

 

 侮って良い相手ではない事を、改めて理解したヒュースであった。

 

 

 

 

「ヒュース、良い食べっぷりだな」

「栄養補給は重要だ。倒れては話にならんからな」

 

 そのヒュースは現在、お好み焼きに舌鼓を打っていた。

 

 利用してやるだけだ、と息巻いてはいても彼の心は玄界の豊富なグルメにがっちり掴まれた後だったりする。

 

 このお好み焼きも最初は素材をボールに入れた状態で出されて敬遠していたものの、いざ完成品を前にすればその香ばしい香りが食欲を刺激し自然に口に運んでいた。

 

 割と健啖家なヒュースは早いペースでお好み焼きを食べ続けており、その豪胆な食いっぷりに注目を集めている事には気付いていない。

 

 「後で陽太郎に持ち帰れるか聞いてみるか」と考えているヒュースは、最早すっかり毒気が抜かれている。

 

 特に、陽太郎に関してはそれが顕著だった。

 

 遠征に参加して故国に帰還出来る可能性を陽太郎に伝えたところ、彼は我が事のように喜んでくれた。

 

 「さびしいけど、かえりたいならかえったほうがいいんだ」と言った時の彼の表情を、ヒュースは忘れていない。

 

 せめて、この世界にいる間はあの涙に報いよう。

 

 後にいなくなる人間として、良くしてくれた恩義には必ず報いる。

 

 その上で目的を達成する事こそ陽太郎への恩返しだと、ヒュースは考えている。

 

 道は長く、遠い。

 

 けれど、光明が見えるだけマシな方だ。

 

 必ず、帰る。

 

 そう誓ったヒュースは、その食べっぷりを遊真達にからかわれながらボーダーの者達に囲まれていった。

 

 

<ヒュース/遠い玄界の地で~>




 『ひゅーす』
 「丸くなった捕虜」

 原作と異なり迅ではなく遊真と修によって敗北し囚われた為、最初から玉狛第二の面々への評価が高い状態で捕虜生活をスタートしている口だけツンデレ。

 迅の事は生理的に受け付けないらしく印象は悪いが、打算抜きで良くしてくれた陽太郎の事はとても大事にしている。

 姉の瑠花については若干苦手意識を持ってはいるが、ハイレインに裏切られた経験を多少なりとも引きずっている為清廉潔白である事が高評価に繋がっている。
 
 隊員への面通しも済んでいるので、玉狛第二への参加時期は原作よりも早くなると思われる。

 新たな主役の一員として、彼の物語は始まっていくだろう。


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ヴィザ/修羅の剣聖

 

(あれから一週間、ですか。こうしてみると、早いものです)

 

 ヴィザは一人、屋敷の窓から外を眺めながら嘆息した。

 

 玄界への遠征から帰還して、一週間。

 

 国宝の使い手たる彼は一時的に指揮下に入っているに過ぎなかったハイレインの領地に、未だに留まり続けていた。

 

 アフトクラトルの国宝たる星の杖(オルガノン)の使い手たるヴィザは、本来国から出る事は許されない。

 

 貴重な国宝を失うワケにはいかない事もそうだが、何よりも剣聖ヴィザの名前の持つ意味が大き過ぎる。

 

 彼はこれまで幾つもの侵攻に置いて敵を蹂躙し、アフトクラトルの国力を広げていった英雄だ。

 

 当然国内での彼の人望は相当なものであり、形式上の権力などなくとも彼の言葉には相応の力がある。

 

 だからこそ領主たるハイレインもヴィザの意向は無視出来ず、ヒュースを始末ではなく放逐としたのも彼の心証を慮っていたという側面がないとは言えない。

 

(ですが、ハイレイン殿も私を高く評価し過ぎですな。こんな人でなしが、弟子の扱い如何で刃を向ける事などないというのに)

 

 しかし、ヴィザから見れば見当違いの配慮ではあった。

 

 確かにヒュースの事は可愛い弟子だと思っているし、彼を育てていくのは楽しかった。

 

 戦にのみ愉悦を見出して来た剣鬼が、ようやく人らしい事が出来たのだと思いもした。

 

 されど、矢張り自分の本質は()()なのだ。

 

 人を慈しむ想いも、他者を尊重する考えも理解は出来る。

 

 だが、根本的な所で血と戦を求める本能がある。

 

 ヒュースとの鍛錬や、その後の憩いの時間は心休まるひと時だった。

 

 けれど、考えてしまうのだ。

 

 この弟子が、いつか自分に刃を向ける時が来たのならば。

 

 それはどれだけ、楽しい果し合い(ひととき)となるだろうかと。

 

 自分は、そういう人間なのだ。

 

 どれだけ表面上で善人を演じようとも、本能が戦の熱を求めている。

 

 彼がこのアフトクラトルに生まれて良かったと思っているのは、戦の機会に事欠かない国であったという点だ。

 

 アフトクラトルは、近界でも最大規模の軍事国家だ。

 

 他国との関りは砲艦外交が基本であり、彼等が別の国に出向く時は即ち侵略の為の遠征を意味する。

 

 そんな国に生まれたからこそヴィザは自らが望む戦いに没頭する機会を得たし、若い頃は数々の戦争で敵を蹂躙し尽くした(はしゃいだ)ものだ。

 

(いやはや、あの頃は楽しかったですな。戦場を渡り歩くうちに少なくはない猛者と出会えましたし、血沸き肉躍る戦いも幾度も経験出来ました)

 

 ヴィザは過去の闘争を想い、知らず口元を歪めた。

 

 人生の殆どを戦争に費やした彼は、まさしく戦の申し子だった。

 

 戦場に赴けばそれだけで戦況を変え、彼が一人降り立つだけで敵国の敗北が確定する。

 

 血風躍る戦火の中、薄笑いを浮かべながら無慈悲に敵を斬り捨てる剣の羅刹。

 

 それこそが剣聖ヴィザであり、数多の国に恐れられたアフトクラトルの剣鬼である。

 

 そんな彼が過去に想いを馳せれば、数々の猛者との戦いが想起される。

 

 未だ無名であった頃に斬った精鋭も、名が売れて来た頃に斬り捨てた軍勢も。

 

 そして、先日敗北を喫した玄界での戦争(たたかい)も、等しく彼にとっては良き思い出なのだ。

 

(あの少年との────────────────いえ、少年達との戦いは滾りましたな。まさか、私が膝を折る事があろうとは予想だにしていませんでしたからな)

 

 ヴィザは、正しく自分の実力を知っている。

 

 驕りや傲慢でもなんでもなく、自分が負ける事などまず有り得ない事なのだと経験から理解しているのだ。

 

 それだけ彼の力は他と隔絶していたし、数々の戦場を潜り抜けた経験値は多少の小細工など問題なく踏み潰す。

 

 故にどれだけの猛者が相手であっても、どれだけの数が相手であったとしても、自分が負ける展開は有り得ないだろう事を知っていた。

 

 だが。

 

 そんな自分の退屈な事実(あたりまえ)を、彼等は打ち破ってみせた。

 

 自分に食い下がってみせた少女を見た時は、少しは楽しめるかと期待した。

 

 少女を助けに来た少年の眼を見た時は、血と戦を識るもの(どうほう)が現れたと気を引き締めた。

 

 一目で達人と分かる剣士と死合った時は、その戦いを楽しんだ。

 

 そして、黒い腕の少年と相対した時は何処までやれるか見てみたくなり────────────────その期待は、黒トリガーの起動という形で実現した。

 

 近界で数々の戦場を踏破したヴィザとて、黒トリガーと交戦する機会はそう多くはない。

 

 黒トリガーそのものが希少であり、尚且つその使い手自身も同様である為ヴィザという人の姿をした災害が現れた時点で退避させられていたケースも多かった。

 

 だから、あの少年────────────────七海と呼ばれていた彼が黒トリガーを起動してみせた時は、歓喜した。

 

 血沸き肉躍る、死闘が出来ると。

 

 何故それまで黒トリガーではなくノーマルトリガーを使っていたのかは分からないが、些細な事だ。

 

 重要なのは、黒トリガーの使い手という明確な強者と死合える事だ。

 

 黒トリガーは、例外なく強力な力を誇る。

 

 ミラの窓の影(スピラスキア)のように補助特化のタイプの黒トリガーも存在するが、この場面で起動したのであれば戦闘特化タイプに違いないだろうと考えた。

 

 それに、そもそも細かい理屈などどうでも良い。

 

 ただ、強者と戦いを愉しむ事が出来ればヴィザとしては文句は無いのだ。

 

 但し、この時点に至ってもヴィザは自分が負けるとは想像もしていなかった。

 

 黒トリガーと戦う機会は稀少だが、ゼロではない。

 

 そしてヴィザはその少ない機会の全てで、勝利を収めて来た。

 

 確かに稀少で強力ではあるが、ヴィザにとって黒トリガー使いとは「多少強い相手」でしかないのだ。

 

 有象無象よりは楽しめるだろうが、自らに膝を突かせるには至らない。

 

 ヴィザにとって黒トリガー使いとは、そういう認識だった。

 

 だから、七海の発動した黒トリガーが絡め手タイプではなく友軍全体を強化するものだと知った時は、面白い効果を持ったトリガーだとは感じたかそれだけだった。

 

 1対多の経験は、当然ヴィザにはある。

 

 どころか、これまでに数えきれないほどそういった戦いを潜り抜けて来た。

 

 その結果は、言うまでもなく。

 

 文字通りの一騎当千を成し遂げた剣聖が一人、無人の荒野に君臨する事となっただけだった。

 

 故に、多少軍勢が強化された所でヴィザを倒すには程遠い。

 

 されどそれなりに楽しむ事は出来るだろうと、ヴィザはいつも通り一切手を抜かずに剣を執った。

 

 だから。

 

 彼等の刃がヴィザの剣を潜り抜け、剣聖を墜とすに至った時には本当に驚いた。

 

 強化されたトリガーを使う、精鋭達による波状攻撃。

 

 似たような状況なら、幾らでも踏破して来た。

 

 だが、過去に蹂躙して来た如何なる軍勢よりも、彼等の練度は高かった。

 

 正確には、「トリガーを用いた大人数での連携」の練度が圧倒的だった。

 

 近界では通常、トリガー使いは少数精鋭だ。

 

 トリガーそのものが無尽蔵にあるワケでもなく、それを使いこなすに至る者はそもそも稀だ。

 

 だからこそ近界の戦争では少数精鋭のトリガー使いを、トリガー銃等で武装した一般兵がアシストするといった形が普通だった。

 

 少なくとも、全員がトリガーを持ち尚且つ精鋭レベルの熟練度を持った数十人規模の集団など、近界では例がない。

 

 加えて豊富なトリガーを組み合わせた連携の練度もずば抜けており、だからこそ軍勢全体の出力強化(ブースト)という七海の黒トリガーの性質がこの上なく噛み合ったのだ。

 

 それは正しく、ヴィザの未知となる戦法。

 

 故にこそ、彼等は神の国の剣聖に刃を届かせるに至ったのだ。

 

 たとえ、同じ手がもう二度とは通用しないのだとしても。

 

(叶うのならば彼ともう一度やり合いたいものですが、無理でしょうね。あれは、私とは違う。ヒュース殿と同じ、戦いをただの()()と考えている者の眼をしていた)

 

 あの戦いを思い出すと今でも心が昂るが、同時に彼と戦う機会はもう訪れないであろう事も理解していた。

 

 そもそも、国宝の使い手たるヴィザは好き勝手にアフトクラトルを離れる事は許されない。

 

 今回例外が認可されたのは、「神」の死という国難が間近に迫っていたが故だ。

 

 その問題もハイレインが配下の家の党首を生贄とする事で解決するつもりである以上、同じ口実で玄界に赴く事は最早出来ないだろう。

 

 玄界は今回の一件で、アフトクラトルからは一種のタブーとなった。

 

 何せ、あの剣聖ヴィザが正面から敗れ去った相手なのだ。

 

 事情を詳しく知らない他の領主達もハイレインの不備を攻撃するよりもまず、玄界への警戒感が先に立ち万が一彼等が攻めて来た時の事を心配する有り様だった。

 

 それだけ、剣聖の敗北の持つ意味とは大きいのだ。

 

 恐らく、今後アフトクラトルが玄界へ遠征する機会は無いだろう。

 

 実情を知っているハイレインはそもそも無用なリスクを冒す真似はせず、詳細を知らない他の領主もヴィザの敗北で完全に及び腰となっている。

 

 早くも今後の遠征先から玄界を外す案が検討されていると聞くし、向こうから攻めて来ない限りは彼等と戦り合う機会は訪れないだろう。

 

 そう。

 

 ()()()()()()()()()()は。

 

(ヒュース殿は、放逐された程度で諦めるような軟弱者ではありません。必ず、何らかの手段でアフトクラトルへ帰還しようとするでしょう)

 

 玄界には今、ヒュースがいる。

 

 恐らく彼はエネドラが齎した情報により、主の危機を知った筈だ。

 

 冷静に考えて、彼程の戦力を遊ばせておく理由は向こうには無い筈だ。

 

 排除か、取引か。

 

 そのどちらかを、必ず選ぶ筈だ。

 

 危険視されて排除されていればそれまでだが、これまでの調査で玄界はあまりそういった強引な真似は好まない国柄である事が分かっている。

 

 だから、ヒュースが生きて帰還を狙っている可能性はそう低くはない筈だ。

 

 その時こそ、彼と剣を向け合うチャンスとなる。

 

 この国に攻め込んで来たのであれば、ヴィザは存分にその護国の剣を振るう事が出来るのだから。

 

(矢張り、私は人でなしですな。ヒュース殿が生きている可能性に喜ぶよりも、彼と対峙する時を愉しみとするなどと)

 

 きっと、彼は玄界の兵の中で揉まれて一回り強くなった姿を見せてくれる筈だ。

 

 彼一人で自分に届くとは思えないが、自分を下してみせた彼等の協力があったのなら。

 

 もしかすればもう一度、あの最高の瞬間(ひととき)が蘇るかもしれない。

 

 そう思うと、ヴィザは昂ってしょうがなかった。

 

 国へ戻る時に得られなかった戦果の補填として通りがかった国をヴィザ一人で蹂躙した時も、その熱を収めるには至らなかった。

 

 一応の戦果を得る事が出来た為にハイレインからは感謝を告げられたが、ヴィザの熾烈な戦いぶりに若干引いていたのは気の所為ではないだろう。

 

 まあ、だからなんだという話だが。

 

 現在、ハイレインはエリン家当主を「神」とする下準備の為に着々と仕込みを進めている。

 

 当然ながらいきなり配下の家に「当主を生贄に差し出せ」と命じたとしても、素直に受け入れる筈がない。

 

 しかも相手は人望に優れ評判も高い、エリン家。

 

 正攻法で押し通そうとしても、強固な抵抗に遭うのがオチだ。

 

 だからこそ玄界に置き去りにしたヒュースに吹っ掛けた()()を軸に、徐々にエリン家の権威を削いでいき抵抗の力を封じていく。

 

 ハイレインが進めているのは、そういうプランだ。

 

 無論、これはかなり時間がかかるやり方だ。

 

 下準備自体は以前より進めていただろうが、今回肝となるのは「ヒュースが敵国に情報を売った」という彼の放逐をキーとする冤罪だ。

 

 故に悪評を広める等の本格的な手回しは遠征帰還後から始めねばならず、相応に時間がかかっている。

 

 加えて、ヴィザもまたその仕込みが遅れるよう手を回していた。

 

 無論本格的に邪魔をするのではなく、あくまでも計画の始動時期を遅らせる程度の細やかな根回しに過ぎない。

 

 ハイレインも今回の一件ではヴィザの弟子であるヒュースを貶めているという負い目がある為、この程度ならばお目こぼしされるだろう事は承知している。

 

 これはヒュースの事を慮ったからではなく、彼の来訪までにエリン家当主が「神」にされてしまえば折角の機会が台無しにされかねないからだ。

 

 もしも、自分が来た時に既に主が生贄とされた後だったのなら、ヒュースはハイレインへの報復に全力を尽くすだろう。

 

 それこそ、自らの身を顧みずに。

 

 それでは、意味が無いのだ。

 

 ヴィザが戦いたいのは目的に向かって正道を歩む、七海達(かれら)のように戦うヒュースであり、目的を失い自棄になった彼ではないのだ。

 

 以前であればそれも一興と考えていただろうが、矢張りあの戦いの鮮烈な記憶がそれでは駄目だと訴えていた。

 

 自分は、正道を歩む者達によって打ち倒された。

 

 ならば、出来るのならば自らの弟子には同じ道を歩んで自分を下して貰いたい。

 

 それがどれだけの無理難題かは承知の上だが、期待するに相応しいだけの素養をヒュースは持っている。

 

(貴方が二人目の七海(かれ)になれるか、楽しみに待っていますよ。その時こそ、私は師として卒業試験を与えましょう────────────────貴方が望む全てを、勝ち取ってみせて下さい)

 

 もし、その試練を彼が潜り抜けたのならば。

 

 ヴィザは自らの持つ全ての力を用いて、ヒュースの望みを叶えるつもりだった。

 

 それはエリン家当主の立場回復や、もしくはヒュースを伴っての玄界への亡命。

 

 彼に可能な範囲で、それを手助けしてやろうと。

 

 当然露見すれば自分の立場は悪くなるだろうが、元よりそんなものに拘泥するようなヴィザではない。

 

 全ては、血沸き肉躍る戦いの為に。

 

 修羅の剣聖は、遠き望みの日に想いを馳せ笑みを浮かべる。

 

 剣鬼の刃は、未だ衰えず。

 

 もう一度その剣戟を振るう日を、今も尚待ち続けていた。

 

 

<ヴィザ/修羅の剣聖~終~>





 『ヴぃざ』
 「常在戦場修羅剣聖」

 本編でラスボスを務めたビル斬りお爺ちゃん。

 達人の怖さを存分に見せつけた翁は、その時の記憶を「最高の思い出」と称して次なる戦を待ち続けている。

 そんなお爺ちゃんが負けたものだから、アフトクラトルの間では「玄界マジヤベェ」という声がそこかしこで囁かれているとか。

 結果的に全力の彼を下した事で、アフトクラトル侵攻の脅威はほぼなくなったと言っても良いだろう。

 それはそれとしてヒュースがやって来なければ身一つ剣一本で乗り込んで来かねないので、今後の玄界の未来を想えばヒュースの遠征行きは必須だったりする。

 ヒュースの後日談で瑠花が動いていたのも、迅経由でそれを知っていたからである。

 頑張れヒュース、世界の未来は君の肩にかかっているぞ。


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空閑遊真/ウソとホントウの境界

「いいんじゃないか。こいつ強いし、役に立つだろ」

 

 玉狛支部。

 

 そこで修からヒュースを玉狛第二、つまり自分たちのチームに加入させる案を聞いた時、遊真は特に躊躇いもなくそう告げた。

 

 その反応に、修は少々面食らう。

 

 無理もない。

 

 最初にその案を迅から聞いた時は、修でさえ驚いたのだ。

 

 まさか、大規模侵攻で捕虜となった近界民(ネイバー)を入隊させて自分のチームに入れる、などと。

 

 色々な意味で図太い修でさえ、そもそも発想すらしていなかった。

 

 遊真とヒュースは同じ近界民だが、二人の事情は全く異なる。

 

 前者の遊真はあくまでもこちらの世界に友好的に接して来ている旅行者のような立場であり、自分からボーダーに害を成したというワケでもない。

 

 基本的に遊真は自らに刃を向けられない限りは無害であり、積極的に排除する理由は薄い。

 

 そんな遊真でさえ、入隊に至るまでには散々揉めたのだ。

 

 ヒュースの場合は、そもそも明確に敵対姿勢でこの世界にやって来た侵略者の一員である。

 

 仲間に裏切られ放逐されたようだが、それでも自分の意思でこの世界に刃を向けたという事実は消えない。

 

 それに祖国の情報については頑なに話そうとせず、妥協の余地もないと来ている。

 

 そんな彼を入隊させるなど、無茶ではないかと修も思ったものだ。

 

「驚かないのか?」

「まあ、あっちじゃ捕まえた捕虜を自軍に組み込む、なんて事は普通にあったしな。戦争は基本的に数が多くて強い方が勝つし、多少リスクがあったとしても強い奴を捕まえたなら使()()()()()()()()だろ」

 

 対して、遊真はそもそも常識が異なる。

 

 遊真の生きて来た近界では、鹵獲した人間を自国の兵士として運用する、という事が当然のように行われて来たのだ。

 

 故にヒュースを使()()事に対して疑問を抱く事はなく、むしろ「こっちでもそういう事あるんだな」と感心している。

 

 こういうのをカルチャーショックって言うのかな、と修は益体もない事を考えていた。

 

「でも、上の人たちを説得するの大変じゃないか?」

「それについては、色々アドバイスも貰ったしちゃんと準備はしてからやるつもりだよ。ヒュース本人は乗り気みたいだから、後はぼくの仕事だ」

「へぇ、意外だな。あいつ、もうちょっとごねるかと思ってたけど」

 

 遊真の言葉は、本心だった。

 

 ヒュースはプライドが高く、融通が利かない性格をしている。

 

 生き方が不器用、とでも言うべきか。

 

 捕虜の状態で自分の意見を通すのであれば、向こう側の要求にはある程度従った方が上手く行く芽がある。

 

 ケースバイケースではあるが、一切の妥協もなく「本国の情報は喋らない」と頑として拒絶の意思を示しているようでは普通ならば話にならない。

 

 代わりの代替案を出すのであればまだしも、そういった気配もなかった。

 

 だからこそ修のチームに加わるといった提案に素直に頷くとは思わなかった、というのが正直なところである。

 

「単に利害が一致しただけだ。俺はなんとしてでも本国に戻る必要がある。その為に取れる手段があるのであれば、やるだけだ」

 

 そこに、黙って二人の話を聞いていたヒュースが口を挟む。

 

 いきなり会話に割り込んで来たヒュースに対し、遊真は眼を細めた。

 

 嘘を見抜く、副作用(サイドエフェクト)

 

 それによって、彼の真意を確かめる為に。

 

「じゃあ、オサムを隊長として認めるのか?」

「少なくとも、そこらの有象無象よりはマシだろう。オサムは弱いが、自分の使()()()を良く分かっている。お前やチカもいるし、オレが加われば充分遠征を狙える芽はあると見ている」

「成る程」

 

 ヒュースの返答を聞き、遊真は頷いた。

 

 今、彼の言葉に対し遊真のサイドエフェクトは反応しなかった。

 

 つまりヒュースはきちんと修を評価しているという事であり、チームに加入しての遠征狙いに関しては協力する意思があるという事でもある。

 

 遊真としても彼が修を評価してくれるというのは嬉しいので、密かにヒュースに対する好感度を上方修正する。

 

 同じ近界民だけあって価値観も近いものがあるので、こいつとは割と巧くやれそうだな、と遊真は今後の先行きに期待を抱いた。

 

(オサムは身内の事は守ろうとするけど、自分に対する悪意には鈍感というか興味が無いからな。そのあたり、おれ以外にもガードに入れる奴が入るのは良い事だ)

 

 ヒュースは軍人という経歴だけあって、シビアな価値観を持っている。

 

 基本的に彼の思考は現実主義であり、主に関する忠誠が絡まなければ行動に際し可能な限り堅実な手を打つタイプである。

 

 彼ならば、修が心ない悪意に晒された時の防波堤の一つとして機能するだろう。

 

 感情ではなく、実利で繋がる関係は冷たいと思われがちだが、損得勘定での繋がりだからこそ手抜きが介在する余地がない。

 

 相手を守らなければ自分が不利益を被るのだから、守る事に疑問を抱かない。

 

 だからこそ、遊真はヒュースを信用する事に決めたのである。

 

 もしもヒュースが攻めて来た事に対する謝罪を口にしてそれを口実にしようとしていたら、遊真は間違いなく彼を信じなかっただろう。

 

 嘘を見抜ける事もそうだが、そんな曖昧な理由では攻めて来たという()()を上書きするには至らないからだ。

 

 敵対行動を取っていないのならばまだしも、ヒュースは近界侵攻の尖兵として自分の意思で攻撃を仕掛けて来ている。

 

 この際、実際に被害が出たかどうかは関係ない。

 

 刃を向けて来た相手が、白々しい事を言って取り入ろうとしている。

 

 そんな相手を、信用しろと言う方が無茶な話だ。

 

 だから、改心したなどと空々しい嘘を言わず、あくまでも自分の目的と実利を前面に出して返答したヒュースは信じられる。

 

 それが、傭兵として生きて来た遊真がヒュースに対して出した結論だった。

 

「じゃあ、これからよろしく。仲良くやろうぜ」

「勘違いするな。目的の為に協力してやるだけだ」

「それが、()()()()()って事だろ」

「────────────────そうだな。精々()()()してやろう」

 

 遊真の言葉に意図を理解したヒュースが不敵に笑い、彼の手を取る。

 

 こうして、二人の近界民は将来の共闘を約束するのだった。

 

 

 

 

 ────────────────嘘をつく相手を見るのは、正直気分が悪かった。

 

 遊真は今の身体になった時、父親から嘘を見抜く副作用(サイドエフェクト)を受け継いだ。

 

 この副作用のお陰で助かった事も多いが、最初は「なんて嫌なものを見せてくるんだろう」と思ったものだ。

 

 遊真の眼には嘘を吐いている相手の口元から黒い煙のようなものが視えており、それによって言葉の真偽を判別している。

 

 これは戦場では有用に働き、傭兵時代は一時的に共闘した相手の裏切りを事前に察知する時に役立った。

 

 傭兵というのは国属の軍隊のようなバックボーンがない分自由に動けるが、その分何もかも自己責任で行う必要があった。

 

 適正な仕事を受けられるかも、それを達成出来るかも、誰を信用して誰を信じないかも。

 

 そして、自らの生死すら自分自身で保証するしかなかった。

 

 だから、遊真はこの数年間で人の嫌な部分をこれでもかと見て来た。

 

 笑顔で気さくに話しかけて来る陽気な好青年が、裏で自分を始末する機会を狙っている事も。

 

 戦場跡で涙ながらに同情を訴えかけて来る少女が、こいつをどう利用するかという事しか考えていない事も。

 

 立派な美辞麗句を並べる高官が、こちらをどう使い潰すかという打算を働かせている事も。

 

 すべて、全て視て来た。

 

 人は醜い。

 

 そう遊真が結論付ける事がなかったのは、カルワリアで共に過ごしたイズカチャ達の心の温かさを知っていたからだろう。

 

 彼を利用する事しか考えていなかった国の上層部とは違い、イズカチャは、ライモンドは遊真に「もう戦わなくて良い」と言ってくれた。

 

 あの国の中で彼等だけは、真実遊真の事を慮っていた。

 

 けれど、父親を失い目的に飢えていた遊真は暇な時間を作りたくはなかった。

 

 何か目的に向かっていなければ、父親を死なせてしまった自分の愚かさとか。

 

 もう二度と戻って来ないあの手の温もりとか。

 

 そういった事ばかり考えてしまって、死にたくなる。

 

 だから遊真は敢えて戦い続ける事を選び、カルワリアが平和になったのを皮切りに国を飛び出した。

 

 イズカチャやヴィッターノは寂しがっていたし、ライモンドは複雑そうな顔をしていた。

 

 けれど、それでも彼を引き留める事はしなかった。

 

 父親を失った国へ居続けるのは、遊真にとって良くないと思ったのかもしれない。

 

 ようやく国から離れると言った遊真を、三人は快く送り出してくれた。

 

 ライモンドからは充分な資金を持たされたが、遊真はそれには殆ど手を付けず傭兵をしながら路銀を稼ぐ道を選んだ。

 

 今更生き方を変える事など出来ないし、眠る事の出来なくなった遊真にとって昼夜を問わず活動を続ける傭兵は天職だとも思っていた。

 

 だけど、そんなものは建前で。

 

 遊真はただ、死にたくなるような自罰心から目を背け続けたかっただけだった。

 

 死を選ぶ事は、簡単だ。

 

 しかし同時に、それだけは出来なかった。

 

 遊真の父親である雄吾は、彼を生き残らせる為に自らその命を黒い棺へ変えた。

 

 だから、自ら死を選ぶのはそんな父親に対する冒涜だ。

 

 故にどれだけ生き難くとも、精神が死を望んでいても。

 

 自らそれを選ぶ事だけは、遊真には出来なかった。

 

 傭兵になったのは、或いは死に場所を探しての事だったのかもしれない。

 

 自分で命を断つ事は出来ずとも、戦場の中で命を落とすのであれば。

 

 ある程度言い訳は立つのだと、下らない事を考えていたのかもしれない。

 

 けれど、それまでの経験は嘘をつかない。

 

 雄吾と共に過ごした時代、そして彼が亡くなってから戦い続けた時代。

 

 それぞれに置いて、遊真は戦場で濃密な経験を積み重ねていた。

 

 父親から受けた薫陶は数多く、実地で学んだ戦術思考は彼の戦いをより強く、鋭く研ぎ澄ませていて。

 

 気付けば、歴戦の傭兵と同じような扱いを受けていた。

 

 心が生きる事を望んでいなくとも、肉体に蓄積された経験が戦場での最適解を導き出し如何なる死地からでも生還する。

 

 汚い嘘塗れのニンゲン達を殺しながら、遊真は虚しい勝利(ウソ)を重ね続けた。

 

 幾度勝ち続けようと、幾度死地から生き残ろうと。

 

 遊真の心は、黒い煙に塗れて煤けきっていた。

 

 だから。

 

 全然黒い煙(ウソ)を吐かない修と出会ってからは、毎日が輝いていた。

 

 最初は父親を元に戻す事が出来ないと知って落胆したが、修はそんな遊真に「仲間にならないか」と誘いをかけてくれた。

 

 完全な打算ではなく、かといって同情でもなく。

 

 自分の為だと言って、優しい嘘(エゴ)に遊真を巻き込んだ。

 

 あの時は、嬉しかった。

 

 自分は、必要とされているのだと。

 

 自分は、死ななくても良いのだと。

 

 自分は、生きていて良いのだと。

 

 父親が死んでから初めて、そう思う事が出来たのだから。

 

 だから、その修の今後を決める分水嶺でもあった大規模侵攻でのヒュースとの戦闘は今でも脳裏に焼き付いている。

 

 あの戦いは、修の助力なくして完全勝利は有り得なかった。

 

 もしあそこで遊真が痛打を負っていれば、最終決戦に間に合わなかった可能性もあるだろう。

 

 後でログを見せて貰ったが、あの決戦は本当にギリギリの戦いだった。

 

 誰しもが重要な役割を担い、遊真の担った役目も失敗が許されない類のそれだった。

 

 だから、あの勝利は修と共に勝ち取ったものだ。

 

 それをとうのヒュース本人から肯定された事は、本当に嬉しかった。

 

 戦っていた彼の眼から見ても、自分たちの連携は評価に値するものであると。

 

 これまであまり評価されて来なかった修が軍事国家の軍人から太鼓判を押された事で、遊真も我が事のように嬉しかったのだ。

 

 ヒュースの存在を認めた理由の何割かは、そういった修贔屓の理由もあるだろうなと遊真は想う。

 

 でも、今更細かい事はどうでもいい。

 

 もう、虚飾(ウソ)を纏う必要はない。

 

 ありのままの傭兵の子供(じぶん)で良いと言い、必要としてくれる者がいる。

 

 だったら、それで良いだろうと。

 

 それが真実(ホントウ)で良いだろうと、遊真は思った。

 

 虚飾の灰(ウソ)で煤けていた自分の身体が、暖かな雨で洗い流されるような気分だった。

 

 今では、嘘も悪いものばかりではないのだと。

 

 優しい嘘もあるのだと、遊真は識っている。

 

 この力を煩わしく想う事もあったけれど、でもこれは父親との繋がりの証でもあった。

 

 だから、嫌いになりきる事だけは出来なくて。

 

 今は、少しだけこの力が好きになれたから。

 

 これからも、自分の個性(ちから)として向き合っていこうと。

 

 遊真はそう誓い、未来の展望を夢想した。

 

 きっと、今の道の先には。

 

 四人で共に栄光を掴む、そんな未来があるのだと。

 

 そう、信じる事にしたのだから。

 

 

<空閑遊真/ウソとホントウの境界~>




 『まえむきなゆうま』
 「SF帰りの異邦人」

 原作でも特に厳しいバックボーンを持つキャラクターの一人であり、色々と重いものを背負っている14歳。

 この世界線でも大きな道筋は変わらないものの、大規模侵攻を理想的な展開で終える事が出来た為に原作ほど曇ってはいない。

 レプリカもこの世界線では残留しており、成長した遊真を見て保護者ムーブに徹している。

 描く側としても色々便利過ぎる為に原作では序盤に退場したレプリカであるが、うちでは既に物語は完結した為そこらの事情は考慮する必要がなかった事も大きい。

 玉狛第二は難易度が一段階上がったランク戦に、四人で挑む事になる。

 けれど、テコ入れされたのは彼等も同じ。

 嘘の灰で煤けた少年は、ランク戦を通じてその煤を落としていく事だろう。


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迅悠一/その手にした現在(イマ)

「じゃあ、詳しい事はそっちで話すよ。今視えた未来の感じだとそこまで心配する事はないけど、万が一って事はあるからね」

 

 迅は玉狛の屋上で携帯電話を片手に、普段通りに上層部相手に通信を行っていた。

 

 用件は、なんて事はない。

 

 たった今視えた未来視の映像を元に、万が一の危険を防ぐ為の行動(あんやく)である。

 

 正直、見過ごしても問題は無いレベルの分岐可能性(ルート)ではあった。

 

 しかし万が一、億が一にでも危うい未来へ繋がる可能性があるのであれば。

 

 折角あの大規模侵攻を乗り越えて、手にしたこの平穏を崩すかもしれないのであれば。

 

 当然の如く、迅には無視出来なかった。

 

 今のこの世界は、玲奈が望んだ最善の未来────────────────その理想に、限りなく近い状態にある。

 

 大規模侵攻での人的被害をゼロに留め、ボーダーの未来を支える層は今も尚先を見据えて成長し続けている。

 

 ヒュース関連で一歩間違えばアウトな分岐(ルート)があるにはあったが、そちらは既に手を回している。

 

 ある程度のフォローは必要だろうが、大方は問題ない筈だ。

 

 だからこそ、些細な事でも崩壊に繋がるリスクは許容出来ない。

 

 折角、長年の戦いの果てに手に入れた現在(みらい)なのだ。

 

 失ってなるものか。

 

 取りこぼして、なるものか。

 

 今の迅は、半ばそんな強迫観念に突き動かされていた。

 

 無理もない。

 

 迅は、幸せである事に慣れていない。

 

 正しくは、()()()()()()()()()()()()()()という諦観が彼の中には根付いている。

 

 彼の中で、幸せであった時間。

 

 それは師である最上と共に過ごした時間であったり、玲奈と寄り添った時間でもある。

 

 しかし彼の幸せな時間の象徴であった二人はどちらも黒トリガーと化し、彼の前から消えていった。

 

 その経験が、迅の中に()()()()()()()()()()()()という自己暗示じみた強迫観念を根付かせてしまったのだ。

 

 当然ながら、この状態はよろしくない。

 

 強迫観念に憑りつかれたまま、精神を休ませる暇もなく動き続ければ何処かで必ず無理が出る。

 

 そして迅は本質的に、自分が嫌いな人間だ。

 

 他人の無茶無謀は制止するが、自分の事となると気にも留めない。

 

 そういう性質があるからこそ、迅はこの数年間あそこまで拗らせた精神状態で居続けてしまったという側面がある。

 

 このままでは、いずれ取り返しの付かない事態となる。

 

 加えて迅本人は、その事を自覚してはいない。

 

 彼を苛む喪失の経験が、心を蝕む悲しみの記憶が。

 

 自分を労わる事を忘れさせ、度が過ぎた自己献身へと突き動かしてしまう。

 

『────────いや、その程度であれば後はこちらで対応可能だ。お前には、もっとやるべき事があるだろう』

「え…………?」

 

 されど。

 

 そんな状態の迅を放置する程ボーダーの今の長は、城戸正宗は暗愚ではない。

 

 此処最近の迅の動向から彼の精神状態を既に看破していた彼は、ただ一言。

 

『そちらの二人の相手という、お前でしか出来ない仕事がな』

「迅っ!」

「迅」

「あー…………」

 

 お前の仕事はそっちだ、と告げて。

 

 自身が差し向けた小南と瑠花の到着と共に、話は終わりだと通信を切った。

 

 迅は恐る恐る聞き覚えしかない声のした背後を振り返り、そして。

 

 髪を振り乱して拳を握り締め、明らかに怒髪天を突いている小南と。

 

 豊かな胸を強調するように腕を組み、ジト目で彼を睨みつけている瑠花の二人の姿を目の当たりにした。

 

 どうやら二人共迅の現在の状態について城戸からしっかり聞いているらしく、「私怒っています」という態度を隠そうともしない。

 

 怒りモード100%な玉狛女子二人に抗する手段を迅は持たず、結果。

 

「小南、部屋に連行しなさい。私の部屋で良いでしょう」

「了解」

 

 瑠花の命令通りに動いた小南によって、迅は連行(ドナドナ)される事となったのだった。

 

 

 

 

「迅、心配性が過ぎるのは貴方の悪い癖である事は理解していましたが────────────────今回は、行き過ぎです。ハッピーエンドを掴んだというのに、自分から平穏を放棄するとは何事です」

「いや、人生にエンディングはないっていうし…………」

黙りなさい(シャラップ)。私の言葉(ターン)に、異議を唱えないように」

 

 その後、玉狛支部の瑠花用に割り当てられた寝室に連れ込まれた迅は、瑠花と小南によってベッドに座らされ説教を受けていた。

 

 小南は入り口付近に陣取って彼が逃げないように眼を光らせており、瑠花は迅の目の前に椅子を持って来て座りながら淡々と迅を糾弾していた。

 

 迅も言い訳じみた事は口にしているが、その都度問答無用で黙らされ、ただ言われるが侭の状態になってしまっていた。

 

 自分の行動に自覚のなかった迅ではあるが、基本的に彼は本気で自分の為に怒っている相手には抵抗出来ない。

 

 加えて瑠花はあくまでも正論、当たり前の事しか言っておらず、屁理屈や暴論は用いてはいない。

 

 そんな弁論の巧みさも、彼から抵抗の余地を奪っている要素であった。

 

「迅、貴方は七海と修、そして遊真の三人を最善の未来に辿り着く為の欠片(ピース)であると言いました。そして、その彼等によって齎された先の未来こそが今の平穏です。それは、間違ってはいませんね?」

「…………ああ、それは間違いない。彼等はしっかり、最善の未来を掴み取ってくれたよ」

「ならば、貴方がその未来を享受しなくてどうするのです。今の貴方は幸せを手放す事を恐れて、自分で自分を追い込んでいるようにしか見えません」

「────────」

 

 瑠花の言葉に、迅は押し黙る。

 

 確かに、迅の────────────────そして玲奈の望んだ「最善の未来」という分岐は、この世界線(ルート)であると考えて間違いない。

 

 大規模侵攻での人的被害をゼロとし、再侵攻の可能性も限りなく0へ近付けた。

 

 他の分岐ではあったアフトクラトル属国の侵攻の可能性も、この世界線では限りなく薄くなっている。

 

 場合によってはその属国と友好的なファーストコンタクトを取る事さえ可能であるというのが、この分岐の特別性を指し示している。

 

 だから、玲奈が望んだ最善の未来を手に入れる事は出来た。

 

 それだけは間違いないと、胸を張って言える。

 

 けれど、迅はその平穏(みらい)を失うのを恐れるあまり、自分で自分を追い込んでいた。

 

 それをようやく、瑠花の言葉によって自覚する事が出来たのである。

 

「で、でも、幸せは少しの事で崩れちゃうし、未来が視える俺が動かないと────────」

少し黙りなさい(シャラップ)

「~~っ!!??」

 

 しかし尚も抵抗を続ける迅を見て、業を煮やしたのか。

 

 瑠花は彼の言葉を遮るべく、強引に迅を抱き寄せその頭を自らの胸に押し込んだ。

 

 豊満な彼女の乳房に埋もれた迅はじたばたと抵抗するが、耳元で「抵抗すれば服を脱ぎます」と瑠花に囁かれた為にぴたりと動きを止めた。

 

 年下の少女の胸に顔を埋めているこの状態だけでもマズイのに、その上そんな蛮行までされてはたまったものではない。

 

 全面的に降参して迅が体の力を抜くと、ようやく瑠花は彼を拘束する腕の力を緩めた。

 

 但し完全な解放はせず、話は出来るものの迅の顔は彼女の胸に密着したままであるが。

 

「る、瑠花…………っ! それは幾らなんでもやり過ぎだってばっ!」

「迅はこれくらいやらないと止まりませんよ。その事は、貴方も良く分かっているのでは?」

「それは、そうだけど…………」

 

 瑠花の突然の蛮行に抗議する小南であるが、迅の無鉄砲さと自罰性を良く知っているが故に彼女は反論しきれなかった。

 

 確かに、口で言っても簡単には止まらない迅を止めるにはこれくらいの強硬手段が必要というのは分かる。

 

 だからといって想い人が他の少女の胸に顔を埋めている状態を看過するというのは、乙女心的によろしくない。

 

「それより、貴方もこちらへ来なさい。そこに突っ立っているよりも、後ろから密着した方が逃がす可能性は減りますよ」

「それもそうね」

 

 しかし、そこは瑠花。

 

 小南の乙女心的葛藤を見抜いた上で、互いに迅の身体を物理的に折半する妥協案を出して即座にそれを承諾させた。

 

 瑠花の提案を受けた小南は意気揚々とベッドに飛び込み、背後からぎゅっと迅の身体を抱き締めた。

 

 傍から見れば迅は後ろから小南に全身で抱き着かれ、その顔を瑠花の胸に埋めている状態である。

 

 ぶっちゃけ男の理想的な状態であるが、本人はそれどころではない。

 

 何せ、片方は幼い頃から知っている戦友で、もう片方は滅んだとはいえ同盟国のお姫様でボーダーの最重要機密にあたる少女だ。

 

 女性というより年下の庇護すべき少女として接して来た迅側としては、こんな状態になっても混乱しかない。

 

 未来視という人の身に余る力を持って生まれた迅は、自己評価がとんでもなく低い。

 

 自分の価値を、未来視という()()でしか認識出来ない。

 

 最上や玲奈と出会う前の迅は、まさしくそういう存在だった。

 

 玲奈を失ってからはその状態に逆戻りしていたが、今はなんとか持ち直してはいる。

 

 けれど、迅は自分が人に好かれるなどという事は有り得ないと何処かで思っている節がある。

 

 だから、人の悪意は理解出来ても人の好意が察せられない。

 

 他者同士の関係性には敏感でも、自分の事となると無頓着。

 

 それが迅という少年の性であり、そして。

 

 この二人の少女にとって、とうに承知の事実でもあった。

 

「迅、理解しろとは言いません。ですから、ただお願いを聞いて下さい────────────────全部、自分でやろうとしないで。他の仲間も、頼りなさい」

「そうよっ! アンタ、あの時あたしが言った事もう忘れたワケッ!? ()()()()()()()()って、そう言ったわよねっ!?」

 

 ────────────────なら、もっと仲間を頼りなさいよ。アンタとあたし等の付き合いは、そんなに浅いモンだったとでも言うワケ? 弱音くらい、いつでも聞いてあげるわよ────────────────

 

「────────!」

 

 迅の脳裏に、あの日の言葉が蘇る。

 

 あの日、玉狛支部で七海の言葉で時計の針をようやく進める事が出来た迅は。

 

 小南とレイジから、確かに言われたのだ。

 

 もっと、仲間を頼れと。

 

 お前一人で、全部やらなくても良いのだと。

 

 そう、言われたのに。

 

 彼は、手に入れた幸せの喪失を恐れるあまり。

 

 そんな当たり前の事を、すっかり忘れ去っていた。

 

「アンタが幸せが崩れるんじゃないか、って怖がるのは分かるわよ。あたしだってそうだもん。けど、昔と違って今は仲間がたくさんいるでしょ? だから、アンタ()()が頑張る必要なんてもう何処にもないのよ」

「小南の言う通りです。貴方が貢献して来たボーダーという組織は、未だに貴方だけに重荷を背負わせなければならないような脆い組織なのですか? 七海玲奈の願った結末を経て尚、貴方の身を捧げなければ立ちいかない組織であるとでも?」

「────────────────いや、二人の言う通りだな。ごめん。ちょっと、無理をしてたかもだ」

 

 迅の言葉を聞き、瑠花は彼の眼をじっと見て。

 

 その言葉が真実であるかを直感と観察によって確かめ、そして。

 

「へ?」

「あ…………っ!」

 

 その頬に口付けを落として、ようやく迅の拘束を解いた。

 

 突然の事に何が起きたか理解出来ずに呆ける迅に、その有り様をばっちり見てしまい顔を真っ赤にする小南。

 

 二人の様子を見て瑠花はくすり、と満足そうな笑みを浮かべ何事もなかったかのようにベッドに座り直した。

 

「よろしい、ようやく認める事が出来たようですね。それから、貴方の「ちょっと」は全然()()()()ではないので、そこは改めるように」

「あ、ああ、うん」

 

 ご満悦に講釈を垂れる瑠花だが、迅の返答はぎこちない。

 

 流石に頬とはいえ異性からのキスというのは、迅としても初めてだったのだ。

 

 色々と擦り切れて来た少年時代を過ごしたとはいえ、迅も立派な青少年。

 

 そんな事をされれば動揺もするし、平常心ではいられなくなる。

 

 更に一部始終を見ていた小南にとっては、最早パニックである。

 

 先程までのおっぱい顔埋もれ状態はまだ拘束の為であると分かっていた為、一応の理由付けは出来ていた。

 

 しかし、今のキスは本当に不意打ちなのでどう反応して良いか分からない。

 

 灰色の青春時代を過ごした少年少女は、こういった機微には素人同然に疎かったのである。

 

「迅、折角なので今夜は三人で寝ましょうか。ベッドは充分な広さがありますし、なんなら話に聞いたザコネというものでも構いませんので」

「あー、えっと、そのー」

拒否権があるとでも(異論がおありですか)?」

「────────────────────────────────────────────────────────ない、です…………」

「あ、三人で寝るのね。じゃあもっと布団持って来た方がいいかしら」

 

 瑠花の威圧に迅は屈し、小南は添い寝という既に経験のある事柄になった為深く考えずに準備に取り掛かる。

 

 その夜。

 

 支部の一室では、布団を広げた三人が寄り添って眠る姿があった。

 

 頼りになる戦友と、守るべき亡国の姫。

 

 己の理解者たる二人に囲まれて、未来視の少年は久方ぶりの安眠を享受するのだった。

 

 

<迅悠一/その手にした現在(イマ)~終~>




 『しあわせなじん』
 「呪いを祝いに変えたもの」

 本編終了後も根っからの苦労性と心配性のコンボで色々暗躍していたが、無理をしていた事が城戸司令にバレていい加減にしろと最終兵器玉狛女子二人を送り込まれて陥落した未来視少年。

 自己評価が低過ぎる事と玲奈を失った心の疵が深過ぎる為に異性の行動を自分への好意に結び付ける事が出来ず、実は二人の好意にも気付いていない。

 しかし瑠花がその程度で攻勢を緩める理由はなく、彼女に触発された小南もまた同様。

 支部長の林道も黙認する構えなので、迅の逃げ道が塞がる日はそう遠くない。

 ちなみに陽太郎はヒュースと一緒に仲良く寝ていたので邪魔をする要素は皆無。

 流石王女、抜かりはない。








 さて、此処で一つ発表があります。

 ワールドトリガー二次創作、星月さん作『REGAIN COLORS』、及び丸米さん作『彼方のボーダーライン』の主人公チームの使用許可が下りましたので、三作品の主人公チームによる『クロスオーバーランク戦』を実施したいと思います。

 お二人の監修の元コツコツと準備してから投稿致しますので、しばし時間はかかるとは思いますがお楽しみに。


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三雲修/すべきだと思ったこと

 

「ヒュースを、ぼくたちのチームに入れる、ですか」

「ああ、ちゃんと説明するから聞いてくれ」

 

 大規模侵攻が終わり、暫くした後。

 

 ランク戦の為に準備を進めている修達の元に迅が現れ、ある提案を告げたのだ。

 

 それは、ヒュースを()()()()()玉狛第二────────────────即ち、修達のチームに加入させる事。

 

 いきなりの話で戸惑う修ではあるが、それでも迅が言って来た以上何かしらの意味があるのは確実だ。

 

 そう考え、修は話の続きを待った。

 

 予想(視た)通りの反応に迅は苦笑しながら、説明を始めた。

 

「まず、大前提としてこの三門市を襲う一番悪い未来に繋がる可能性は断たれた。あの大規模侵攻で、アフトクラトルの国宝の使い手を倒した事でね」

「あの爺さんか」

「ああ、ヴィザというらしい。ヒュースはヴィザ翁、と呼んでいたようだ」

 

 大規模侵攻でボーダー相手にその脅威をこれでもかと見せつけた剣士、ヴィザ。

 

 直接交戦に参加した遊真は、短時間ながらも彼の老剣士の放つ殺気をその身に浴びている。

 

 何かが違えば、否。

 

 奇跡的に()()()()が嵌まる事がなければ、あの翁を倒す事は出来なかっただろう。

 

 場合によっては真実、彼によるボーダーの壊滅も有り得えたのだ。

 

 彼を倒せるかどうかが未来の分岐点だったと聞かされても、納得しかない。

 

 一騎当千。

 

 まさしく、その名を体現するに相応しい修羅だったのだから。

 

「けど、どうやらヒュースをこのまま放置するとあの爺さんがまたこの世界に突っ込んで来るらしい。それをさせない為にも、ヒュースをアフトクラトルまで送り届ける必要があるんだ」

「え?」

「なんと」

 

 故に、迅からその翁が再び来襲する可能性があると言われ、愕然とした。

 

 あの決戦は、七海の黒トリガーと数多くのトリガーの高度な連携という初見殺しが通じたからこそ、なんとか勝ちを拾えたのだ。

 

 同じ戦法、同じ戦術では恐らく通じない。

 

 どころか、あっさり一蹴されたとしても不思議はない。

 

 そんな相手が、再びやって来る。

 

 それはまさしく、ボーダー壊滅の危機と言って差し支えない。

 

「どういう経緯かは想像するしかないけど、とにかくヒュースをこのまま玄界に留めていると彼がやって来てしまうという事だけは分かった。俺としても、流石にそれは看過出来ない」

「でも、どうしてそうなるんですか? まさか、ヒュースを始末しに、とか…………?」

「いや、良い笑みを浮かべながらヒュースに斬りかかってる未来が視えたし、単に戦いたかっただけだと思う」

 

 厄介なのは、どうやらヴィザがアフトクラトルの思惑と一切関係なく動いて来そうなところだ。

 

 国の意向であればそのバックを動かせばどうにか出来るが、もしもヴィザ翁の独断専行だった場合。

 

 それを止めるには、文字通りの()()()しかない。

 

 あの剣聖に、力づく。

 

 有り体に言って、出来る筈のない無茶をやれと言っているに大差はない。

 

「色々と分岐を視た結果、どうやらこっちで成長したヒュースと戦えれば満足して剣を収めるつもりみたいだからね。だから、あの爺さんが痺れを切らす前にアフトクラトルまで行く必要があるんだ」

「はた迷惑な話だなあ」

「ああ、厄介なのはそれを押し通せるだけの力が充分過ぎる程あるってトコだ。俺としても頭が痛いが、対処が必要な以上放置は出来ない」

「そうですね。迅さんの言う事なら、間違いはないでしょう」

 

 修は迅の話を一通り聞き、その内容に理解を示した。

 

 遊真と違い修はヴィザと直接交戦してはいないが、遠目で戦闘を視認してはいたのだ。

 

 レベルが違い過ぎて何が何だか分からなかったが、とにかくヤバい手合いである事は理解出来た。

 

 その相手の襲撃の可能性を排除する為なら、多少突飛な策でも採用した方が良いのは間違いない。

 

「でも、どうしてウチに組み込むって話になるんですか? 迅さんなら、ヒュースを直接遠征艇に乗せる事も出来るんじゃあ」

「それは買い被り過ぎってのもあるけど、単純にそれじゃあヒュースの扱いは()()()()()()()以上にはならないからだよ。そういう分岐(ルート)も視たけど、大概が良い結果にはならなかった」

 

 修の言葉通り、ヒュースを遠征艇に放り込む事自体は出来る。

 

 しかしそのケースでは、彼の扱いは「近界民の捕虜」でしかない。

 

 当然自由行動は許されないし、最悪彼一人を向こうに放置して帰還する事も有り得る。

 

 まず、建前として軍事組織ではないとしているボーダーでは基本的に非人道的な事は行わない。

 

 それは市民の理解を得る為に必要なスタンスであるし、ダーティな真似ばかりしていては人心は付いて来ない。

 

 特に、ボーダーは未成年が大半を占める組織だ。

 

 そのあたりの配慮は、より慎重を期す必要がある。

 

 しかし、それはあくまでこの世界で暮らす、この世界の人間向けの話だ。

 

 こちら側に戸籍のない近界民の捕虜を玄界内でどうにかするのであればともかく、近界に置き去りにしたところで露見する可能性は0に等しい。

 

 そしてヒュースは遊真と違い、最初から敵対者としてボーダーの前に現れた近界民(ネイバー)だ。

 

 手心が加わる可能性は、恐らく低いだろう。

 

 迅が直接捻じ込めば、そういった扱いにしか出来ないのだ。

 

 実際やるかどうかはともかくとして、行動に著しい制限が加わる事だけは確かなのだから。

 

「だから表向きは近界民である事を隠して、君たちの部隊の一員として遠征に参加するのがベストなんだ。勿論それには君達自身が遠征部隊員としての資格を勝ち取る必要があるけど、今更目的を変えたりはしないだろう?」

「ええ、ぼくたちの意思は変わりません。遠征部隊に入って、近界に行く。最初に言った通りです」

「ああ、おれもそのつもりだ」

「わ、わたしも。兄さんを探したいと言ったのは、わたしだから」

 

 修の改めての決意表明に、遊真と────────────────それまで会話に参加していなかった、千佳が追随する。

 

 彼女は政治的な側面を含んだ話は自分が介入するには難易度が高いと考え口を控えていたのだが、そもそも近界行きは彼女が最初に望んだ事だ。

 

 いつの間にか自分とは比較にならないバイタリティで修が気炎を上げていたが、最初に声をあげたのは間違いない彼女なのだ。

 

 だから、今更意思を変えるつもりはない。

 

 修と共に、遠征を目指す。

 

 その意思は固く、揺るぎのないものなのだから。

 

「ああ、それを聞いて安心したよ。さて、それじゃあ後は上層部に許可を貰うだけだけど────────────────大丈夫かい?」

「ええ、一応案は考えました。ですが少し情報が欲しいので、幾つか質問させて貰ってもよろしいですか?」

「ああ、なんでも聞いてくれ」

「じゃあ────────」

 

 そして、修は幾つかの事柄を迅から聞き出し。

 

 ボーダー本部、そこで待つ城戸達上層部の元を訪れた。

 

 

 

 

「では、話を聞こうか」

 

 ボーダー本部、司令室。

 

 そこでは中央の椅子に座る城戸が、修達を待っていた。

 

 室内には忍田、根付、鬼怒田、林道といった上層部が勢揃いしており、一様に修に注目を向けている。

 

 普通であれば臆してしまうような場であるが、修にそんな常識(あたりまえ)は通用しない。

 

 冷や汗をかいてはいるが、それは単に失敗出来ないという責任感故のものだ。

 

 既に覚悟は決まっており、やるべき事も分かっている。

 

 この状況下で、三雲修が臆するワケなどないのだから。

 

「今日はお忙しい中時間を取って頂き、ありがとうございます。今日は一つ、お願いがあって来ました────────────────ここにいるヒュースを、ボーダーに入隊させる許可を下さい」

 

 当然、このような要請が易々と通るワケがない。

 

 迅が根回しはしているとはいえ、少なくとも根付や鬼怒田はこの話の裏を知らない。

 

 というよりも、知られていては困るのだ。

 

 根付と鬼怒田は上層部の一員としてカウントされているが、その本業は自らの担当する部署を円滑に回す事だ。

 

 特に根付はメディア対策室という外向けの業務に従事しており、ボーダーの利益の為にある程度平等(フラット)な視点が求められる。

 

 故に根付には迅の未来視による情報は、どれだけ正しくても「一人の人間の発言のみを論拠とする根拠のないデータ」として扱わざるを得ないのだ。

 

 だからこそ、こういった場で根付に予め根回しをする事は出来ないのだ。

 

 やるのであれば未来視以外の裏付け情報が必要となるが、生憎今回のケースは近界が絡んでいる。

 

 物的証拠を持ち出す事が不可能な以上、根付への正面からの説得は行えない。

 

 だからこそ、修を通じた交渉という形に整えたのだから。

 

「三雲くん、君は何を言っているか分かっているのかね? その近界民(ネイバー)は、大規模侵攻で街を攻めて来た張本人だ。空閑隊員と共に彼を捕らえた功績は確かなものだが、それとこれとは話が別だよ。要求には、通るものとそうでないものがある事を知りたまえ」

「勿論、何の理由もなく言っているのではありません。まず、この話にはヒュース本人も同意しています。理由は、ご存じだと思いますが」

「ふむ」

 

 根付は修の話を聞き、ヒュースの方を見た。

 

 ヒュースの事情は、エネドラを通じてボーダー上層部には伝わっている。

 

 彼の主であるエリン家当主がハイレインによって「神」の候補者として狙われ、その過程で障害となるヒュースをこの世界に放逐したという情報。

 

 それがヒュース本人に伝わっているのであれば、遠征参加を望む理由は理解出来る。

 

 一刻も早く、本国に戻らなければ。

 

 ヒュースはきっと、そんな心持ちでいるのだろうから。

 

「では、以前提供を拒否したアフトクラトルの情報も今度は教えて貰えるというワケだな?」

「それは断る。()()()()()()本国の情報を話すつもりはない。それは今後も変わらない」

 

 きっぱりと、ヒュースは情報提供に否と答えた。

 

 彼の気持ちは、忠誠は変わらない。

 

 たとえ不利になると分かっていても、誇りにかけて自らに恥じる真似は出来ない。

 

 それはどんな状況下であろうと、変わる事はないのだ。

 

「流石にそれは、ムシが良過ぎるのではないかね? 遠征には連れて行け、しかし情報は話せない。お話にならないよ」

「いえ、それは違います。ヒュースは()()()()()()は情報は漏らせないと言いました。ですから、()()()()()の情報提供は問題が無いという事です」

「どういう事かね」

 

 されど、この場に臨むに至り。

 

 彼は一つの、妥協点を見出していた。

 

 修と話し合い、そして。

 

 彼自身が納得した、妥協点を。

 

「ヒュースの主であるエリン家当主は、先日の大規模侵攻で近界民の部隊を率いていた領主であるハイレインの勢力下の分家です。ですので政治的に追い込まれれば、勝つ事は出来ないのだそうです」

「政治的にも、口惜しいが軍事的にもハイレイン隊長の勢力は圧倒的だ。分家の一つに過ぎないエリン家では、時間稼ぎが限界だろう」

「しかし、それならばアフトクラトルの別の勢力に取り入れば良い話ではないかね? 話によれば、君の国は四人の領主がそれぞれの領地を治めているそうだが」

「無駄だ。他の領主に助けを求めても、主を生贄にする人間が変わるだけだ」

 

 そう、エリン家当主は現在ほぼ詰んでいるのだ。

 

 政治的にも軍事的にもハイレインには勝てず、他の領主に助けを求めようものなら嬉々として彼等は当主を「神」にするだけだろう。

 

 現在アフトクラトルは、「神」選びによる政治闘争の真っ最中。

 

 その中で立場が危ういトリオン強者など、勝利の為の宝箱にしか見えない筈だ。

 

「だからこそ、主の立場がどうにもならなかった時の為に()()()が必要となる。そうなれば、交渉次第で主から情報提供を受ける事は可能だろう」

「近界民を、この世界へ亡命させろと言うのか?」

「出来ないとは言わせない。お前達は、既に()()がある筈だ」

 

 故に、エリン家当主が助かる為には玄界への亡命が最も効率的だ。

 

 数少ない人間しか知らないが、既にボーダーは瑠花と陽太郎という亡命者を受け入れた前例がある。

 

 事情を知らない者からすれば遊真の事だろうと誤認するであろうし、一瞬忍田に視線を向けた事で分かる者は分かった筈だ。

 

 エリン家当主を玄界へ亡命させ、そちらと交渉して向こうの情報を得る。

 

 修とヒュースが提示したのは、そういう取引なのである。

 

「しかし、そうなれば当然あの人型近界民(ネイバー)────────────────ハイレインは、君の主を取り戻そうと兵を動かすのではないかね?」

「アフトクラトル側での足止めなら、エリン家の者達がやってくれるだろう。そして、一度国から出てしまえば他の領主がこぞってハイレイン隊長を妨害する筈だ。互いの足を引っ張り合う事なら、彼等の右に出る者はいない」

 

 無論、とヒュースは続ける。

 

「国内で他の領主の勢力と接敵すれば間違いなく主は狙われるだろうが、彼等はヴィザ翁を撃破した玄界の戦力に及び腰になっている筈だ。玄界(ミデン)まで帰還すれば、まず追っては来ないだろう」

「そううまく行くものなのかね?」

「ああ、視た感じこっちまで戻って来れれば追手が来る未来は視えないな。あの爺さんを倒したって事実は、それだけ重いみたいだ」

 

 二人の言う通り、アフトクラトルの権力者はヴィザを倒した玄界の勢力を警戒している。

 

 故に国内で孤立しているならばともかく、こちらの世界まで戻って来れば追手を差し向けようという勢力は存在しない。

 

 無論ハイレインだけは事情が異なるが、足の引っ張り合いこそ政治屋共の真骨頂だ。

 

 競争相手が勝利に直結する景品を取りに行こうとしており、尚且つその景品が自分達にも手が届かない場所にあるのなら。

 

 全力で、ハイレインの行動を妨害しにかかるだろう。

 

 そして、それだけ時間をかければ。

 

 他に「神」を見つける領主が出ても、何の不思議もないのだ。

 

「加えて、ヒュースはアフトクラトルへ向かうまでのガイドも可能だと言っています。生きたガイドを連れて行ける事は、遠征の成功率を高めるでしょう。これは、エネドラの情報だけでは出来ない事です」

「成る程。一理あるな」

 

 エネドラ本人は既に死亡し、彼の記憶のバックアップから起動したトリオン兵────────────────通称エネドラットがいるが、彼はガイドなど出来ないそうだ。

 

 専ら殲滅担当だったエネドラに外回りの機会などはなく、こればかりは実際に近界の国々を回ったヒュースにしか出来ない事だ。

 

「それに、亡命を希望している以上ヒュースが裏切るワケにはいかないのは分かる筈です。行って終わりではなくその先があるので、こちらに刃を向ける事がどれだけ不利益に繋がるかは一目瞭然ですから」

 

 更に、アフトクラトルに着くまではヒュースは目的の為にも裏切るワケにはいかず。

 

 その後も、主を亡命させる以上同様に裏切る事は出来ない。

 

 主の亡命という目的そのものが、ヒュースが裏切らない担保となっているのだ。

 

 それを言及していなければ一先ずアフトクラトルに到着するまでの事だけを話して終わっただろうが、ヒュースにとって亡命を受け入れて貰うかどうかは死活問題だ。

 

 大国アフトクラトル相手に、ただ近界を彷徨うだけではいずれ必ず捕捉される。

 

 だからこそ、彼の国の手が及ばない玄界に亡命する必要があるのだ。

 

 利害の一致を示し、受け入れる口実も用意した。

 

 ヒュースを受け入れるメリット、拒絶した場合のデメリット。

 

 それらを考慮すれば、結果。

 

「────────────────良いだろう。条件付きだが、ヒュースの入隊を認めよう」

 

 城戸は修の提案を了承し、交渉に決着が着いた。

 

 その後は千佳の貸し出しの提案や昇格試験を行わない事、B級からも遠征部隊を選抜する事など様々あったが。

 

 修自身のこの場での目的は、こうして果たされたのだ。

 

 

 

 

「良かったねぇ。なんとか通って」

「ええ、月一回になった入隊日を待ってからになりますが、ヒュースならB級にもすぐ上がれるでしょうし問題はないと思います」

 

 帰り道。

 

 宇佐美に労われながら、修はボーダーの廊下を歩いていた。

 

 紆余屈折はあったが、目的は達成した。

 

 これで遊真しか正面切って戦える駒がいないという玉狛第二の弱点は補強の目途が立ったし、迅が言った剣聖襲来ルート対策も出来るようになった。

 

 前途は多難だが、スタート地点に立つ事は出来た。

 

 元より止まるつもりはないが、確かな一歩を刻んだ実感がある。

 

 まあ、やると決めたら止まる事など彼には元より有り得ないのだが。

 

「でも、B級の部隊は何処も強いし前期のランク戦でみんなかなり成長したからねー。というか七海くんトコが叩き上げちゃったみたいな面もあるから、割ときっついよ?」

「覚悟の上です。そのくらい出来なきゃ、麟児さんの元へは行けないと思いますから」

 

 修は、迷う事なくそう告げた。

 

 彼は、目的を決めたら止まらない。

 

 どれだけ、自分が弱かろうが。

 

 どれだけ、無理難題を突き付けられようが。

 

 彼の辞書に、止まるという文字はない。

 

 それが、三雲修。

 

 常識を知りながら自身の目的の為なら簡単にポイ捨て出来る、歪んだ鉄パイプのような精神を持つ少年である。

 

 彼はどれだけの困難が待ち受けていたとしても、その足を止める事はないだろう。

 

「おい、今、麟児とか言ったな? それは、雨取麟児の事か?」

「え…………? そうですけど、貴方は…………」

 

 しかし、そこに間が悪く修の発言を聞いてしまっていた者がいた。

 

 黒スーツ姿の、容姿の整った男性。

 

 誰あろう、二宮匡貴である。

 

 二宮は修と千佳を一瞥した後、ジロリと二人を凝視した。

 

「お前らには聞きたい事がある。隊室まで来い」

 

 こうして。

 

 ランク戦で最大の壁となる存在、二宮は有無を言わさず修達を隊室へと連行した。

 

 流石に麟児の名を出されては行かないワケにもいかず、修達は彼に付いて行きそこで鳩原密航の話をされる事になる。

 

 ちなみに彼等を連れていく二宮の姿は大いに目立っていたそうで、後で加古にからかわれて機嫌を悪くするスーツ姿の男性がいたとか、いないとか。

 

 

<三雲修/すべきだと思ったこと~終~>





 『おさむ』
 「ペンチメンタルの極地」

 テコ入れによって成長を先取りし、迷走をショートカットしたメガネ。

 スパイダーの習得や戦術レベルの向上、更にはヒュースの早期加入等着々と手札が増えている。

 しかし前期ランク戦で七海達が色々やらかした影響でランク戦の難易度がハードからベリーハードに変わっている為、前途は多難。

 ちなみに毎回ハラハラしながらその奮闘を見守る巨乳女子中学生がいたとかいう噂があるが、真偽は不明。













 クロスランク戦は少しずつ準備を進めていきます。時間がかかるので投稿に時間が空く可能性もありますので、ご留意ください。


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那須玲/少女の想い②~誕生日のモラトリアム~

 

「明日、か…………楽しみね」

 

 6月15日、夜。

 

 那須は一人、自室で物思いに耽っていた。

 

 考えている事は、一つ。

 

 明日の、彼女の()()()についてだ。

 

 那須の誕生日は、6月16日。

 

 梅雨の真っただ中のこの時期が、少女の生まれた日であった。

 

 誕生日は一定の年齢を過ぎるとただの記号にしか過ぎなくなるが、彼女はまだ10代真っ盛り。

 

 仲間意識が強い那須隊なので、当然毎年のように誕生日パーティは開いていた。

 

 その事は那須も感謝していたし、内心楽しみにしていたのも確かだ。

 

 騒がしいのは好きではないが、基本的に仲間内で集まってわいわいするのは嫌いではない。

 

 単に極度の人見知りなので、身内認定以外の相手が多い空間にあまりいたくはないというだけだ。

 

 だから、那須隊だけで集まって自分の生まれた日を祝ってくれる事は彼女にとって一つの安らぎであった。

 

 未だ七海との関係が捩じれ、ボタンを掛け違えていた時であっても。

 

 仲間との楽しいひと時は、掛け替えの無い大事な時間だったのだ。

 

 故に、今年も同じように誕生日パーティーを開催するかと思っていたのだ。

 

 だが。

 

()()()()()()()()()()、か。気を効かせてくれるのは嬉しいのだけれど、少し寂しいわね)

 

 今回に限り、例年とは異なる事情があった。

 

 それは、那須が晴れて七海と正式に付き合い────────────────本当の意味で、恋人同士になっていた事だ。

 

 その事は無論那須隊では周知の事実であり、七海に親しい者達にとっては暗黙の了解のようなものである。

 

 ちなみに那須はそもそも交友関係が狭過ぎるので、彼女が隊以外で自分だけの友人となると柿崎隊の照屋くらいで残りは共通の知人ばかり。

 

 なので、隊以外で彼女達の関係をあれこれ言うとなると小南くらいのものである。

 

 その小南にしても割と空気は読めているので、誕生日という特別な日に介入したりはしない。

 

 恋する乙女の気持ちは分かるので、無粋はしないのである。

 

 その事自体は、嬉しい。

 

 隊の皆も、彼女の友人も。

 

 那須の為を想って、誕生日は七海と二人きりになれるよう取り計らってくれている。

 

 しかし。

 

(嬉しい、のだけど────────────────やっぱり、もやもやするわね。贅沢な悩みだって、分かってはいるけれど)

 

 恵まれている、それ自体は間違いない。

 

 自分にとって一番大事なのは七海であるし、未来永劫その優先順位が変わる事はない。

 

 ない、のだが。

 

 寂しい、と思わないと言えば嘘になる。

 

(駄目ね。折角気を遣ってくれたんだもの。私が精一杯楽しまなきゃ、皆に悪いわ)

 

 されど、これは彼女達の善意の行動なのである。

 

 それに文句を言うようでは、バチが当たる。

 

 そう思い、那須は明日の準備に取り掛かる。

 

 しかし、その眼は。

 

 何処か、心此処にあらずといった様子であった。

 

 

 

 

「お待たせ。待ったかしら?」

「いや、大丈夫だ。俺もさっき来たところだよ」

 

 三門市、繁華街。

 

 そこで、淡い青色のワンピースにカーディガンを羽織った那須が先に待ち合わせ場所に佇んでいた七海に声をかけていた。

 

 ちなみに七海の方は青系のインナーにジャケット、スラックスというスタイルである。

 

 6月は気候の変動が激しく、衣服の調節を迷う時期でもある。

 

 今日の気温は、やや肌寒いと感じる程度。

 

 なので寒がりな那須は少々厚めのカーディガンを羽織っており、感覚が戻ったばかりで寒暖差に慣れていない七海はある程度肌を隠しつつもさほど熱が籠らない服を着て来ている。

 

 長らく無痛症に苛まれていた七海は、気温による変化に目まぐるしく左右されていた。

 

 以前は本人の感覚が頼れない為に単純に時期に合わせた服、もしくは同居している那須の意見を取り入れた衣服を見繕って着ていた。

 

 自分では暑いのか寒いのか判断がつかない為、時期を見て判断するか他者の意見を取り入れる以外に服を選ぶ基準が分からなかったのだ。

 

 無痛症であったとはいえ、本人が暑さ寒さを感知しないだけで、代謝は普通の人間と変わらない。

 

 だから夏に厚着をしていれば汗をかき過ぎて熱中症になるし、冬に薄着をしていれば普通に風邪をひく。

 

 自分自身では身体の変調が分からない為、本来は体調の悪化で異変に気付くところをスルーしてしまう。

 

 ある意味、それが無痛症患者の最大の難点であった。

 

 痛みとは、身体の発する救難信号(シグナル)である。

 

 それがなくなっているという事は、身体の異変を感じ取れない事と同義。

 

 そういう意味で常に服装には気を遣っていた七海であったが、あの大規模侵攻を経て通常の感覚に戻った事でその問題は全て解決した────────────────と、いうワケでもない。

 

 確かに、七海の無痛症は快癒した。

 

 しかし、長い間触覚を使って来なかったという事実は変わらない。

 

 故に、七海の身体の感覚は常人よりは鈍く、気温の変化に関してもやや鈍感になっていた。

 

 だから、七海だけでは適切な着こなしを選ぶ事は出来ない。

 

 なので彼が頼ったのは、当然というべきか師匠にして兄貴分である影浦であった。

 

 元より影浦の着こなしを「格好良い」と感じていた七海は、那須の誕生日に着ていく服選びを彼に頼んだのである。

 

 困ったのは、影浦だ。

 

 可愛い弟分の頼みとあらば効かないワケにはいかないが、如何せん彼は服選びのセンスに長けているとは言えない。

 

 大柄で威圧感のある影浦と、細見で端正な顔立ちの七海とでは当然タイプが違う。

 

 服とは本人との相性も鑑みて選ぶものであり、そう考えれば影浦に七海の服選びを頼むというのはナンセンスであった。

 

 しかし、頼られた手前応えないワケにはいかない。

 

 なので隊唯一の女子である光に頭を下げ、七海の服選びを行ったのだ。

 

 滅多に自分を表立って頼る事のない影浦に頼られた事で光は盛大に奮起し、気合十分といった風情で服選びを承諾した。

 

 とはいえ彼女だけに任せるのも不安だったので、影浦も勿論同行した。

 

 光が遠慮なく陽キャ全開の服を選ぼうとするのを影浦が阻止し、逆に影浦がギラギラしたパンクファッションに誘導しようとするのを光が妨害。

 

 それを繰り返しながら、最終的に完成したのが今の七海である。

 

 ジャケットやスラックスは影浦の趣味だが、インナーや細かなアクセサリーは光の仕事である。

 

 影浦の選んだ少々刺々しい服装を緩和出来るよう、淡い色合いで纏めているあたりに彼女の女子力が伺える。

 

 もっとも、ナチュラルボーン女子力の塊である面々と比べるとそこそこ程度ではあるが。

 

 ともあれ、二人の努力によって七海は見事デート服を完成させるに至った。

 

 自分では服を選んで来なかったが為にセンスに疎い七海としては、頭が下がる思いである。

 

「相変わらず、何を着ても似合うな。玲」

「玲一も、格好良いわ。少し派手かもしれないけど、玲一こそ何を着ても似合うもの。私が保証するわ」

「玲に保証されると、ちょっと照れるな。俺のセンスじゃあないんだけど」

 

 二人に選んで貰った服だし、と七海が続けると那須はふぅ、とため息を吐いた。

 

「こういう時は、黙って賛辞を受け取るものよ。女心に関しては、まだまだ勉強中みたいね」

「ごめん。気を付けるよ」

「まあ、プレイボーイになられても手間がかかるから玲一はそれで良いと思うわ。誰か困るワケでもないし」

 

 そこで嫌だから、ではなく手間がかかる、と言ってのけるあたり那須の愛の重さを感じるが、七海としては別段気にする部分ではない。

 

 那須の事を一番に想うのは彼にとって当然の事だし、他の女子に目移りするなど言語道断。

 

 まあ、遅い思春期の到来によって色々動揺する事は多いものの、大事な一線は決して踏み越えないのが七海玲一という少年だ。

 

 その分煩悶する事も多いが、この程度はハッピーエンドを掴んだ代価だと思う事にする七海であった。

 

「行きましょう。まずは、映画だったかしら」

「ああ、荒船さんお勧めのやつだ。心配しなくても、パニックものじゃなくてどちらかというとアクションものらしい」

「それは良かったわ。前に見たやつは、結構怖かったもの。アクションなら好みだし、問題ないわ」

 

 普通男女のデートで見る映画となれば恋愛映画が定番ではあるが、二人はさほどそちらへの興味は深くはない。

 

 というよりも、それ系統の映画はこれまでに那須に付き合って散々見たので、とうの彼女本人も飽きが来ているというのが実情なのである。

 

 だから、共通して楽しめるジャンルとしてアクションを選んだ、というワケである。

 

 七海は荒船の影響で勿論アクション映画は好きだし、那須はランク戦での姿を見て分かる通り激しい動きのある戦闘は中々に見応えがあって好みなのだ。

 

 それでもデートで見る映画としてはどうなんだと思わないでもないが、そこはそれ。

 

 一つ、言えるとすれば。

 

 弟子に頼られた荒船が、そういったチョイスを間違う筈がないという事だけだ。

 

「さ、行きましょ。楽しみだわ」

「ああ、行こうか。タイトルは────────────────「ザ・ビューテフルムーン・レイクサイド」、か」

 

 

 

 

「…………アクション映画かと思ったら、かなり濃厚な恋愛ものでもあったなんて。予想外だわ」

「ああ、これは荒船さん狙ってたか…………? 有り得そうだな」

 

 映画館から出た二人は、何処か頬を赤らめながら手を握り合っていた。

 

 荒船お勧めの映画は、確かにアクションものだった。

 

 月光を背に湖の畔で戦う二人の男女の姿はとても流麗で、思わず見惚れてしまったものだ。

 

 しかし、映画の真骨頂は此処から。

 

 なんと、命の奪い合いに興じていた筈の二人は映画の主人公とヒロインであり、激しい戦いの末に盛大な告白をかましてハッピーエンドに漕ぎつけたのである。

 

 思えば、伏線はあった。

 

 ビューティフルムーン(綺麗な月)というタイトルが付いている時点で、恋愛が絡んだものである事は察して知るべきであっただろう。

 

 映画のパンフレットも満月を背に争う二人の男女の姿が描かれており、見ようによっては月を背に激しい逢瀬を重ねるシーンに見えなくもない。

 

 ともあれ熱いアクションで沸騰した頭を、濃厚なラブシーンで上書きされた二人は何処かぎこちない。

 

 基本的は二人はプラトニックな付き合いを心掛けており、七海も色々と大変な時期ではあるのでそういった描写には耐性がない。

 

 ましてや愛する少女を身近に感じている今だからこそ、平静でい続けるのは無理がある。

 

 七海はこれまでは無痛症の影響で男女の機微に無縁だっただけで、健康体となった今では色々と我慢を重ねている状態なのだ。

 

 今も、繋がっている掌に感じる少女の柔らかな手の感触にドギマギしていて、思わずチラリと那須の顔を盗み見る。

 

(…………玲…………)

 

 その時、気付いた。

 

 笑顔の那須の横顔が、何処か。

 

 一抹の、寂しさを感じているような影を帯びている事に。

 

「…………! あ、ごめん。次、何処だっけ」

「えっと、次は昼食かな。この先にあるパスタ屋さんを予約してあるよ」

「なら、早く行きましょう。折角の誕生日だもの。時間は、無駄にしたくないしね」

 

 そんな七海の視線に気付き、那須は慌てて次の場所へ向かおうと急かす。

 

 七海は彼女の気遣いに思い至り、表向きは快く頷いて二人で目的地へ向かっていった。

 

 

 

 

「今日は楽しかったわ。ありがとう」

「いや、楽しんで貰えたなら何よりだ。俺も誘った甲斐がある」

 

 19:00過ぎ。

 

 月明りに照らされながら、二人は帰路に着いていた。

 

 那須は朗らかな笑みを浮かべながら、しっかりと七海の手を握っている。

 

 今回のデートがお気に召したのは、確かだろう。

 

 けれど。

 

 最後まで、那須の横顔からは。

 

 一抹の憂いが、消える事はなかった。

 

「…………なあ、玲。もしかして、寂しい、って思ってないか?」

「え…………?」

 

 だから、踏み込んだ。

 

 七海の問いに、那須はキョトンと────────────────否。

 

 バツが悪そうな顔をして、それが図星であると図らずも証明してしまった。

 

「…………えっと、顔に出てた…………?」

「ああ、デート中ずっとな。色々鈍い俺だけど、玲が思い悩んでるのは見て分かった。これまで散々、分かっていながら見過ごして来た馬鹿野郎だからな。そういうのには敏感なんだ」

「はぁ、バレバレだったってワケね。それならそうと、言ってくれれば良かったのに」

 

 でも、と那須は続ける。

 

「決して、玲一とのデートが楽しくなかったワケじゃないの。でも、毎年隊の皆に祝って貰っていたから、今年からそれがないってなると少し寂しいなって、そう思っちゃっただけ」

「…………そうか」

 

 那須の気持ちは、分からなくはない。

 

 七海は基本的に、気心の知れた仲間達と一緒に過ごす時間が好きだ。

 

 あまり人数が多過ぎると辟易するが、身内だけで一緒に過ごす一時は掛け替えのないものだと感じている。

 

 だから、自分との交際を理由にそれがなくなるのであれば。

 

 寂しい、と感じるのは至極当然の事だと理解出来るのだ。

 

「分かってはいるの。贅沢な、悩みだって。私、玲一と結ばれて本当に幸せなの。でも────────────────これが切っ掛けで皆と距離が出来て、そのまま大人になっていくのは少し寂しい。そう、思ってしまうの」

 

 那須の悩みは、年頃の少女としてはなんらおかしくはない。

 

 今は猶予期間(モラトリアム)に興じている彼女ではあるが、いずれ大人になり、チームメイトとも離れ離れになる日は必ず来る。

 

 ボーダーへの就職がほぼ確定している七海と小夜子はともかく、熊谷と茜は社会人になれば別の道へ進んでしまうだろう。

 

 それが本当の意味での那須隊が終わる時であり、人生のターニングポイントとなるのは間違いない。

 

 いずれ訪れるその時を、今回の一件で否応なく意識してしまった。

 

 那須の葛藤は、それに尽きる。

 

 ハッピーエンド、と表現したが本来人生に終わりはない。

 

 あるのは老衰もしくは別の要因による物理的な()()であり、それまで人の生はずっと続いていく。

 

 だから、いずれ訪れる別離も誰に対しても平等に訪れる運命でしかない。

 

 だけど、それでも。

 

 まだ、仲間との時間を大切にしていたい。

 

 たとえ思い出になるとしても、それを蔑ろにしたくはない。

 

 そう、思ってしまったのだろう。

 

 その気持ちは、痛い程分かる。

 

 だから。

 

「────────なら、良かった。準備が無駄にならずに済みそうで」

「え…………?」

 

 七海は悪戯が成功した時のような、渾身の笑みを浮かべ。

 

「入ろう。()()()、待ってるからさ」

 

 そう言って、那須の手を引いて家の中に入って行った。

 

 

 

 

「「「誕生日、おめでとうございます!」」」

 

 那須邸のリビングに入った二人を出迎えたのは、クラッカーを鳴らした那須隊の女子三名であった。

 

 熊谷、茜は何処か申し訳なさそうな顔で、小夜子はニヤリと笑みを浮かべて。

 

 二人を、歓迎していた。

 

「…………! みんな、なんで…………」

「それはもう」

「言わずもがな、かな」

 

 彼女達が、何故此処にいるのか。

 

 それは無論、七海が呼び寄せたからである。

 

 七海は那須の不調の原因が誕生日に隊の皆といられない寂しさであると考え、喫茶店でトイレに立った時にチームメイトに連絡をしておいたのだ。

 

 改めて誕生日パーティをやりたいから、準備をお願いしたい、と。

 

 その連絡で那須の本心を知った三人は、前々から渡されていた合鍵を使って那須邸へ先回り。

 

 パーティーの準備をしながら、二人を待っていたワケである。

 

「ごめんね。変に気を回したつもりで、玲の事分かってあげてなくて」

「なので、那須先輩さえ良ければこれからも誕生日パーティーは皆でやりましょう! 実は私も、こういう機会はもうないのかなって寂しかったんですっ!」

「恋する乙女としては落第ですけど、私たちはまだ学生ですしね。モラトリアムを楽しむ権利くらい、あって然るべきでしょう。幸いな事に、時間は色々な意味でまだまだありますからね」

 

 熊谷が、茜が、小夜子が。

 

 口々に那須に声をかけながら、彼女を歓待する。

 

 その光景に、もう見れないのかと思っていたものを直視して。

 

 那須の眼に、涙が浮かぶ。

 

「ありがとう、みんな。大好き」

 

 そして、そのまま那須は三人を抱き締めた。

 

 確かに、彼女の最優先事項はいつ如何なる時でも変わらない。

 

 けれど、少女は元来欲深い生き物なのだ。

 

 一番だけを手に入れて満足するようでは、少女の名は名乗れない。

 

 いずれ、別れる時が来るとしても。

 

 今は、この一瞬(とき)を大切に。

 

 大事に大事に抱えながら、歩みを続ける。

 

 それが、運命を乗り越えた少女達の選択。

 

 いつか終わる、けれど確かな温もりを感じながら。

 

 少年少女は、共に過ごす時間を噛み締めて。

 

 楽し気な声で、仲間との団欒を過ごすのだった。

 

 

<那須玲/少女の想い②~誕生日のモラトリアム~終~>





 少々遅いですが那須さん誕生日話です。

 こんな感じでまだまだ色々書いていくです。


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忍田瑠花/過去想いし姫君の憂鬱

 

 忍田瑠花が迅悠一と出会ったのは、今から6年前。

 

 迅が13歳、彼女が10歳の時である。

 

 その時、迅を始めとした旧ボーダーの面々は同盟が締結したアリステラの王宮を訪れていた。

 

 それまでは使者を通じたやり取りに終始していたが、晴れて同盟が結ばれた事でようやく王宮へのお目通りが叶ったのだ。

 

 彼女の父、アリステラの国王への謁見の際に、他と比べても特に幼い少年が他の大人達の中にありながら奇妙な空気を纏っていて決して無視出来ない存在感を持っていたのが、瑠花の興味を惹いた────────────────と、いうワケではない。

 

 瑠花が気に入らなかったのは、彼の()だ。

 

 自分より少し上くらいの年代だというのに、まるで人生に疲れ切った老人のような眼をしていたその少年が────────────────とにかく、癪に障ったのだ。

 

 だから、瑠花は謁見の場から辞した迅を呼び止め、話をしようと個室に引っ張って行ったのだ。

 

 一国の王女としては不用心極まりないが、幸いにして両親は彼等旧ボーダーの事を信頼していたし、多少の我が儘程度であれば構わないだろうと黙認する姿勢を取った。

 

 故に遠慮なく、迅に対して瑠花は啖呵を切る事にしたのだ。

 

「あなた、名乗りなさい。私の事は、当然知っていますね?」

「…………はい、■■■■王女。おれ────────私は、迅悠一と言います。何か、御用でしょうか?」

「慣れない敬語も畏まる必要もありません。今の私は王女ではなく、一人の人間としてこの場に立っているのですから」

「ですが」

「私が良いと言ったのですから、それは世界のルールです。今この場において私の言葉以上に優先するものはありません。それを、忘れないように」

 

 突然の言葉に呆気に取られた迅であるが、瑠花が引き下がるつもりがない事を察した為、溜め息を吐いて顔を上げる。

 

「分かったよ。これで良いかな」

「よろしい。では聞きますが、貴方は何故そんな眼をしているのです? まるで、人生に疲れた老人のような眼を」

「…………っ!」

 

 そして、その少女の指摘に目を見開く事になる。

 

 最初は、幼い王女の我が儘に付き合わされただけだと考えていたようだ。

 

 しかし、彼女が年齢に見合わぬ見識と鋭い観察眼を持ち、彼の本質を見透かしていた事は想定外にも程があった。

 

 しばし固まる迅に対し、ジロリと瑠花は目を細めた。

 

「貴方がそんな眼をしている原因が、何かしらの機密に関わると言うのであれば詳細を語らずとも構いません。ですが、どういう類の悩みを抱えているかくらいは言いなさい。私は、貴方方が同盟を組んだアリステラの王女────────────────同盟相手に不安点があるのなら、それを洗い出すのが務めです。聞き役くらいにはなってあげますから、言ってみなさい」

 

 此処で、瑠花が迅を気遣う言葉を言っていたのであれば彼は口を噤んだだろう。

 

 自身を心配する言葉など、彼はかけられ慣れている。

 

 だから、善意を前面に出しても彼は口を開かなかったに違いない。

 

 しかし、瑠花は敢えて自身の王女という立場を前面に出した。

 

 彼女が何処まで考えていたかは、分からない。

 

 けれど、彼に対しては「こちらの方が効く」と直感し、行動したのは確かだろう。

 

「────────実は…………」

 

 結果として、迅は口を開いた。

 

 自身の抱える葛藤、その根源たる副作用(サイドエフェクト)────────未来視。

 

 その旧ボーダーにとって核とも言える情報を、未だ幼くも確かな才気を見せる王女に告げた。

 

 そして。

 

「────────心配は要らない。未来視(おれ)は俺の役目を果たすし、アリステラとの契約もきちんとこなす。君が心配する事は、何もないよ」

「そうですか。では、歯を食い縛りなさいっ!」

「…………っ!!??」

 

 自己犠牲を当然とする言葉(いつも通りの悪癖)を口にした迅を、瑠花は思い切り殴り飛ばした。

 

 当然、少女の膂力なのでトリオン体でいた迅にダメージはない。

 

 しかし、当然それを承知していた瑠花は突然の事に彼が怯んだ隙に足払いをかけ、押し倒すように倒れ込んだ。

 

 ただ足払いをかけられただけでは、迅は態勢を立て直しただろう。

 

 だが、瑠花自身も倒れ込んで来た為、このまま避ければ彼女が怪我をしかねない。

 

 故に仕方なく、彼女を受け止める形で倒れ込んだ。

 

 そして迅にのしかかるように密着した瑠花は、至近距離で顔を覗き込みジロリと目を細めた。

 

「まったく、勘違いをしているようですね。我々アリステラは、奴隷が欲しいのではありません。あくまでも、対等な同盟関係を望んでいます。だというのに、貴方のその物言いでは私たちが貴方に犠牲を強要しているようではありませんか」

「あ、えっと、ごめん」

「心の籠っていない謝意は必要ありません。貴方の性根はすぐに変わるとは思いませんし、気長に付き合うとしましょう」

 

 ですが、と瑠花は続ける。

 

「自分の評価を不当に低く見るのは、止めなさい。貴方の力は、聞いた限りでは今後の世界に必要なものです。それだけのものを持っているのですから、相応に誇りを持つべきでしょう」

「俺はそんな、大した奴じゃないよ。ちょっと厄介な力を持って生まれただけの、ただのガキさ」

「────────ふぅ、言っても無駄なようですね。出来る事なら私がその心を解き解したいですが、いずれにせよ長期戦を覚悟する必要がありそうです」

 

 未だに瑠花の意図を掴んでいない迅に対し、大きなため息を吐く。

 

 どうやら、この少年は自分自身への評価が低過ぎる為に、自分を気遣う相手の言葉を話半分に聞いてしまう悪癖があるようだ。

 

 こういう相手にただ言葉を尽くしても無駄である事は、瑠花には分かっていた。

 

 幼くも王族として知識の収集を欠かさず、年齢不相応の聡明さを持っていた彼女は強引な手段だけではこの少年の葛藤は何も解決しない事を理解した。

 

 最初に抱いた迅への苛立ち交じりの興味は、既に彼の未来を案ずる気遣いへと変化していた。

 

 こいつは、放置していてはいけない。

 

 放っておけば、何処かで道を踏み外して機械じみた生き方を自らに強要してしまう。

 

 既に、その片鱗は充分見えているのだ。

 

 何か大きな喪失があれば、それを契機に一気にそれが加速しかねない。

 

 だから、決めた。

 

 王女の立場上頻繁に会うのは難しくとも、少ない機会を活かして絡みまくってやろうと。

 

「しかし、仮にも私と密着しておいて顔を赤らめもしないとは無礼ですね。胸も足も押し付けたというのに、何か感想はないのですか?」

「いやあ、流石に幼女に興奮する性癖はないって────────ぺったんこだし」

「~~~~~っ!!」

 

 だが、流石にその言葉は聞き流せなかった。

 

 それまでの聡明な少女の仮面をかなぐり捨て、真っ赤になった瑠花は。

 

 渾身の膝蹴りを迅の股間に叩き込み、彼を悶絶させたのだった。

 

 見識が深く聡明とはいえ、まだ10歳の少女。

 

 こうした面は、流石に年相応だったワケである。

 

 

 

 

「────────迅。貴方は、こうなる事が分かっていたのですか?」

「…………ああ、すまない。君と弟と助けるだけで、精一杯だった」

 

 一年後。

 

 とある近界国家がアリステラに侵攻し、旧ボーダーの面々が同盟契約に基づいて駆け付けた。

 

 後にアリステラ防衛戦と呼ばれる戦争は相手国を撤退させる事には成功したが、彼女の両親は死亡。

 

 崩壊するアリステラから迅達の手引きにより、瑠花と陽太郎は従者と共に脱出する事となった。

 

 今、彼女は旧ボーダーの遠征艇に乗り滅びゆく故国を見下ろしていた。

 

「いえ、貴方が謝る事はありません。貴方方は同盟相手として、充分以上に義理を果たしてくれました。こうして私や弟が生きているのも、貴方のお陰です」

「でも、君の国を助けられなかったのは事実だ。それは、受け止めなくちゃいけない」

 

 迅はあくまでも、アリステラの崩壊の責を自分の所為だと言う。

 

 しかし、瑠花は。

 

 そんな迅の顔を見据え、苛立ち交じりにジロリと睨みつけた。

 

「────────涙で腫れた顔で、よくそこまで虚勢を張れますね。無理をするのも、いい加減にしなさい」

「…………っ!」

 

 迅が、目を見開く。

 

 瑠花は、既に知っている。

 

 彼の師たる、最上という男が。

 

 このアリステラ防衛戦で黒トリガーとなり、亡くなっている事を。

 

 迅の腰に差された、一本の黒い筒。

 

 それこそが、彼の師が遺した棺である事も。

 

「大切な人を亡くして悲しいのなら、幾らでも泣けば良いのです。玲奈にも、そう言われたのではありませんか?」

「────────ああ、だから涙はその時に流し切った。俺はもう、泣いている暇はないんだから」

「…………っ!」

 

 尚も言葉を重ねようとして、気付く。

 

 迅の、自身の決意を語るその眼が。

 

 悲しみで曇り切り、自分を役目を果たす装置として生きる事を決めてしまっている事に。

 

(…………今の彼に、言葉は意味を成さないでしょうね。いえ、これも玲奈がいるからと努力を怠った私の責任ですか)

 

 玲奈が迅を気にかけている事は、知っていた。

 

 悔しいが、彼を支えるならば年上で包容力もある彼女の方が自分より適任だ。

 

 そう思って迅への干渉を控えたというのに、結果はこれだ。

 

 玲奈の所為、ではない。

 

 そもそも、迅の抱える問題の根深さを見誤った自分にこそ責がある。

 

 分かっていた筈だ。

 

 彼は、容易くこうなるのだと。

 

 母親に続いて師を、そして多くの仲間を失った事で。

 

 迅の精神は、既に後戻りの出来ない所まで来てしまっている。

 

 もしこれで、再び大切な人間を失うような事があれば。

 

 彼は、今度こそ()()()だろう。

 

(悔しいですが、今の私では彼を変える言葉は紡げません。こうなれば、当初の予定通り長期戦です。彼に何があろうと、何かしらの形で助力しなければ。この命は、彼に救って貰ったようなものなのですから)

 

 今彼女が生きているのは、迅の予知によって旧ボーダーの増援が間に合ったからだ。

 

 そうでなければ、王族であるこの身が見逃される事はなかっただろう。

 

 対外的には、自分も弟も王宮の崩落に巻き込まれ死んだ事になっている筈だ。

 

 母国が滅び、復興は最早望めない。

 

 玄界に亡命しても、精々自分と弟が生きる環境を整える程度が限度だろう。

 

 自分は母トリガーの制御を任されるだろうし、幼過ぎる弟は暫く誰かに預ける他ないだろう。

 

 自由に出来る時間も多くは取れないだろうし、迅に何処まで寄り添えるかも分からない。

 

(ですが、言い訳をしている場合ではありません。救命の代価は、誠意を以て応えなければ。ええ、それ以上の理由などありません)

 

 己自身を納得させる為に内心で檄を飛ばし、未だに心の鍵をかけたままの少年を見る。

 

 すぐに彼を変える事は、出来ないだろう。

 

 けれど、決めたのだ。

 

 今後()()()()()()、彼の心に寄り添い続けると。

 

 それが、命を救われた自分に出来る恩返しであり。

 

 未だ自覚していなかった恋心が突き動かした、彼女の決意だったのだから。

 

 

 

 

「迅、問いますがこれでも貴方は赤面しないのですか? あの時とは違って、ちゃんと胸も育っているというのに」

 

 瑠花はここ数年で急成長した乳房を押し付けながら、迅の背中に寄りかかる。

 

 今、彼女がいるのは玉狛支部の迅の部屋だ。

 

 他に誰もいない時を見計らってやって来た彼女は、ベッドに座っていた迅に後ろから抱き着くように身体を預けている。

 

 当然豊満に育った胸部は迅の身体にこれでもかと密着して潰れているが、とうの迅はといえば困ったような顔をするだけで赤面すらしていない。

 

 瑠花はそれが、どうにも面白くなかった。

 

「あー、もしかしてあの時の事まだ根に持ってる? それなら謝るから、もう離れて欲しいんだけど」

拒否します(いやです)。力なら貴方に勝てないのですから、文句があるのなら押し倒すくらいやっては如何です?」

 

 だから、乗る筈のないだろう挑発をする。

 

 迅なら彼女がこう言ったところで、呆れたような顔をしてはぐらかすだけだろう。

 

「じゃ、試してみる?」

「え…………? きゃっ!」

 

 しかし、その時ばかりは違った。

 

 迅は瑠花の肩を掴むとそのまま引っ張り、彼女をベッドに押し倒した。

 

 目をぱちくりさせる瑠花を見て、迅はふぅ、とため息を吐いてやれやれとかぶりを振った。

 

「仮にも女の子なんだから、そういう迂闊な事は言うものじゃないよ。相手が俺だったからいいものの、もし本当に襲われたらどうするつもりなのかな」

 

 あくまでも目上の人間として、仮にも自分を押し倒しているにも関わらず保護者目線に徹する物言い。

 

 それが、瑠花は。

 

 どうしても、どうしても気に食わなかった。

 

「────────あら、私が貴方以外にこんな事を言うと思われていたとは心外ですね。心配せずとも、貴方以外に迂闊な真似はしませんよ。貴方だから、やっただけです」

 

 だから、もう遠慮しない事に決めた。

 

 瑠花は、自分の言葉に呆気に取られている迅の腕をがしりと掴み。

 

「────────それに、どうせなら最後までやりなさい。このヘタレ」

「!!??」

 

 思い切り引っ張って、その腕を自分の胸に押し込んだ。

 

 強制的に瑠花の胸を鷲掴みさせられた迅は、半ばパニックになりながら腕を引っ込めようとして。

 

「抵抗したり逃げたりしたら、この場で服を全て脱ぎます。そうなった時貴方が小南になんて言い訳するか、見ものですね」

「いや、ホント勘弁してよ。なんで、こんな事」

 

 瑠花の脅迫に屈しつつ努めて自分の手が掴んでいるものの感触を意識しないようにしつつ、迅は彼女に抗議する。

 

 そんな彼に対し、少女はニヤリと微笑んだ。

 

「前にも言ったでしょう? ()()()()()()()()()()()()と。それを有言実行しただけですが、何か」

「いや、別に俺は自分を蔑ろにするような発言をした覚えは」

黙りなさい(シャラップ)。何を以て判断するかは、私が決める事です。文句があるなら、本当に服を脱ぎますよ」

「ごめんなさいホント勘弁して下さい」

「よろしい」

 

 強迫に陥落した迅を見て、瑠花は胸のもやもやがすっきりした事を自覚する。

 

 今の彼の眼は、既に曇ってはいない。

 

 自分の手の届かない所で彼は立ち直り、本当の意味で未来を見るようになった。

 

 それが悔しくない、と言えば嘘になる。

 

 けれど、それでも。

 

 こうして憂いのなくなった迅を見る事が出来たのは、何よりも嬉しい。

 

 それが、偽りなき瑠花の本心だった。

 

「迅、貴方は今幸せですか?」

 

 だから、聞いてみた。

 

 もう、応えは分かり切っているけれど。

 

 それでも。

 

 彼の口から、聞きたかった。

 

「────────ああ、幸せだよ。玲奈の望んだ未来へ辿り着けて、大切な人も誰も失っていなくて。本当に、俺がこんなに幸せで良いのかって思うくらいだ」

「それで良いのです。今の貴方は、正当な報酬を受け取っただけなのですから。これまで散々苦しんだ分、人生を謳歌してもバチは当たりません。文句を言うような輩がいたら、私が許しません」

「ありがとう。そう言ってくれて、嬉しいよ」

 

 そうですか、と瑠花は満足気に笑みを浮かべる。

 

 経緯はどうあれ、迅は本当の意味で笑うようになった。

 

 だから、それで良い。

 

 アリステラの王女として、彼の友人として。

 

 それは、紛れもない本心だった。

 

「それなら、今後の幸せの為に私を娶っては如何です? 私はこのまま、婚前交渉に至っても一向にかまいませんが」

「いや、なんでそうなるんだって」

「そう言って、私の胸を掴んで何の反応もしていないとは言わせませんよ。その気があるなら、さっさとやりなさい。早くしないと、小南が帰って来ますよ」

 

 しかし、女としては別だ。

 

 色々と悔しいのは事実なので、9割本気の冗談で迅をからかう。

 

 ついでに服の一つでも脱いでみるか、と思い立ち。

 

「────────────────残念だけど、タイムアップよ。人の留守に、何してんのアンタ等」

 

 ────────────────扉を蹴り開けた小南が、実行されようとしていた暴挙を制止した。

 

 今現在、瑠花は自分の胸に迅の腕を押し付けた上で押し倒されている状態。

 

 そんな光景を見て、小南が黙っている筈もない。

 

「あら、早かったですね。もう少しだったんですが」

「何がもう少しだったのよ、この馬鹿…………っ!」

 

 だから、瑠花はすぐさま小南をからかう方向にシフトして身を起こした。

 

 誰に非があるかは明白であっても、元来口で小南が瑠花に勝てる筈もない。

 

 すぐさま攻守は逆転し、小南は顔を真っ赤にしてベッドに倒れ込む事になったのだった。

 

 

<忍田瑠花/過去想いし姫君の憂鬱~終~>



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小南桐江/少女の記憶の星の夜

 

「さ、着いたわよ。ホラ、これ見てなんか感想とかないの?」

「綺麗な景色だね。あんまり人はいないようだけど」

 

 迅は小南に促され、取り敢えず当たり障りのない返答を口にする。

 

 今、彼等がいるのは三門市ではない。

 

 三門市から電車で一時間ほどの所にある、とある湖の畔だ。

 

 一応観光地ではあるのだが知名度はさほど高くはなく、知る人ぞ知る隠れスポットといった感じの場所である。

 

 他の有名どころの湖と比べるとアクセスが悪く、家族連れ等は敬遠しがちだが逆に一人で自然を楽しみたいアウトドアの愛好家には好まれている場所だ。

 

「人が一杯いる所じゃ、アンタの気が休まらないでしょ。それじゃあ本末転倒でしょうが」

 

 だからこそ、小南はこの場所に迅を連れて来たのだ。

 

 迅の持つ副作用(サイドエフェクト)、未来視はオンオフが効かない。

 

 誰かの姿を視認するだけで、強制的にその未来を映像として見せつけられてしまう。

 

 故に、迅は人混みにいる事自体がある種の苦痛に成り得る。

 

 以前は自動的に見せられる様々な未来の情報に嫌気が刺して人を避けるようになっていた事もあったが、今は逆に危険な未来の兆候がないか日々街を巡っている程だ。

 

 しかし、それは彼にとって一種の苦行である事は変わらない。

 

 この前は望む未来を手にしたにも関わらずその苦行を尚も無理に続けようとしていた為瑠花と組んで一括して一応は迅も無理はしなくなった。

 

 だが、未来の情報を集めるのは最早迅の無意識の習性(ルーチンワーク)になっている。

 

 あの時のような強迫観念を持っているワケではないようだが、それでも未来を集めに街を巡る行動自体は変わらず続いていた。

 

 このままでは何処かで倒れてもおかしくない、と判断した小南は即座に林道を通じて城戸に直談判。

 

 こうして迅との小旅行の権利を勝ち取り、後先を考えずに瑠花に自慢して散々玩具にされるまでがワンセットだった。

 

 小南と違い、瑠花は三門市から────────────────ボーダーから、離れる事が出来ない。

 

 それを承知の上で自慢したのだから、やり返されるのは当然と言える。

 

 とはいえ小南は自慢をしたつもりは微塵もなく、あの迅に旅行の件を承諾させた事を共に彼を心配する瑠花に報告しただけのつもりだったのだが、女の情念というものは侮れない。

 

 色々思うところもあった瑠花は存分に小南を弄り倒して満足したのでそれで手打ちとなったのだが、閑話休題(それはともかく)

 

(とにかく、あいつの頭が空っぽになるまで楽しませる。まずは、そこからね)

 

 本当は年頃の少女らしく街へデートに繰り出したかった想いもないでもないが、迅を気遣うのであればこの選択がベストの筈だ。

 

 何故なら、彼女達にとって。

 

 周囲に人気のない僻地で共に過ごすという体験は、かつての記憶を想起させるものなのだから。

 

 

 

 

「テントはこれで良いよね。久しぶりだけど、忘れないでいて良かったよ」

近界(あっち)じゃ最初は城戸さん達が主にやってくれてたけど、そのうちあたし達もやるようになったからね。サバイバルの必須技能だし、覚えといて良かったわホント」

 

 小南と迅の二人はキャンプ地に着くなり、素早くテントを組み立てていた。

 

 妙に慣れた手付きであるが、それもその筈。

 

 彼女達にとって、キャンプはこれが初めてではない。

 

 と言っても、キャンプが趣味だったとかそういうワケではない。

 

 単純に、近界を巡る中で野外でテントを張ってキャンプをする事が幾度もあった、というだけだ。

 

 かつて、緊急脱出(ベイルアウト)が開発される前は遠征艇との距離をある意味気にする必要がなく、長距離の行軍を行う事もあった。

 

 しかし、この世界と違い近界は長い距離を移動する為の足がない。

 

 正しくは、旧ボーダーが利用出来る効率的な移動手段がなかったのだ。

 

 遠征艇はあくまでも惑星国家を行き来する為のものであり、万が一にも損壊が許されない以上星の中を移動する際に用いるワケにはいかない。

 

 現地で移動用のトリガーを扱っている国もあったが、多くの場合彼等は秘密裏に行動していた為そういったものは利用出来なかった。

 

 故に必然的に近界国家での移動は徒歩中心となり、長い行軍の中キャンプをする機会は何度もあった。

 

「懐かしいな。あの時見た(ソラ)の星を、今でも思い出すよ」

 

 迅の脳裏には今、その時に見た光景が浮かんでいるのだろう。

 

 近界でのキャンプ中に見た、夜空に瞬く星々の天蓋。

 

 その星の一つ一つが近界を織りなす国家である事は知っていたが、現実に見える光景の荘厳さは失われない。

 

 むしろ、行こうと思えば夜空に見える星々に足を踏み入れる事もあるのだと考えれば、決して届かない玄界の空の星よりも心躍る面もあった。

 

「ええ、綺麗だったわよね。だから、今夜は楽しみにしてなさい。予報では晴れだし、きっと綺麗な星が見える筈よ」

「そっか、じゃあ未来視(ズル)をして視るのは止めておこうかな」

「あら、出来るの?」

「視るのを先送りにするくらいはね。ちょっとでも意識を向ければ視ちゃうだろうけど、まあ問題は無いよ」

 

 迅の未来視はオンオフは出来ないが、視えた未来から意識を外す事でそれを直視するのを先送りする事は可能だ。

 

 いずれにせよ一度視えてしまった時点で映像自体は脳に保存されてしまっているので、少しでも「視よう」と思えば視えてしまうのだが。

 

 しかし、どうせならリアルタイムで視たいと小南に同調した迅は、可能な限りそれを先送りにするつもりだった。

 

 色々思うところはあるが、折角城戸達に頭を下げてまで自分を連れ出してくれたのだ。

 

 その善意には、誠意で応えたい。

 

 以前の喪失で心が凍っていた頃であればともかく、今の迅はそういった配慮をきちんと出来るようになっている。

 

 この場に自分を連れ出す為に労を払ってくれた小南に対し、迅は最大限にその意向を尊重するつもりでいた。

 

 あくまでも、()()()()()()()だが。

 

「さ、あとは夕飯の準備をして夜に備えましょう。楽しみにしてなさいよねっ!」

 

 

 

 

「────────嘘つき。晴れだって、言ってたじゃない…………」

 

 しかし。

 

 幾ら気合いを入れていても、配慮をしていても。

 

 現実というものは、中々に理不尽に出来ているものだった。

 

 その日の夜。

 

 二人で作ったカレーを食べた後、星を見ようとテントの中で今か今かと待ち構えていた小南と迅。

 

 良い時間になった際にいざテントから出て空を見ると────────────────大きな雲が夜空にかかり、周囲の木々の位置も邪魔になり星は一つも見えなかったのだ。

 

 これには、流石の小南も落胆を隠せなかった。

 

 大きな声でため息を吐き、うー、だのあー、だのといった呻きを繰り返す。

 

 子供の拗ね方そのものではあるが、迅と共に見る星空をとても楽しみにしていた小南にしてみれば、お天道様に裏切られたかのような気分であった。

 

 そんな小南を見て苦笑し、迅は今がその時だと考え見送っていた未来の映像に意識を向ける。

 

 そして。

 

「小南。諦めるのは早いみたいだよ」

「え?」

 

 小南の肩をポンと叩き、迅はサングラスをかけて二コリと微笑む。

 

「少し歩くけど、見たいものが見れるかもしれない。付いて来てくれるかな」

 

 

 

 

「綺麗…………」

 

 キャンプ地からやや離れた、山の中腹。

 

 迅の先導でそこへやって来た二人は、雲間から見える無数の星々をその眼に収める事に成功していた。

 

 何をやったかというのは、簡単だ。

 

 迅が未来視を用いて「星が見えている自分達」の未来の分岐を探し出し、その映像を元にこの場所を割り当てたというだけだ。

 

 戦闘に置いては視覚を介するという点でタイムラグが生じるのが未来視の欠点ではあるが、逆にこういった場合は視覚情報を直に受け取れる為に応用力の幅が広く使える手も多い。

 

 人の感情を肌感覚で察知する影浦も、痛み(ダメージ)の影響範囲を感知する七海も、こういった芸当は出来ない。

 

 これは紛れもなく迅の有する未来視の利点であり、今はそれを存分に私的利用している形だ。

 

(こういう事に使ってくれる分には、全然良いのにね。まあ、ちゃんと自分の為に使うようになっただけ随分マシかな)

 

 以前の迅であれば、こういった未来視の私的利用は選択肢にすら入れなかっただろう。

 

 しかし、迅は変わった。

 

 あの日の七海との問答を経て彼の心の氷は溶けて、少しずつでも自分を許す事が出来るようになっている。

 

 玲奈を死なせてしまった罪悪感と悲嘆から、彼は己を未来視を運用する機械のように扱っていた。

 

 自分の力はあくまでも公共の為に使われるべきであり、私的利用など以ての外。

 

 それが、以前の迅の考えだった。

 

 しかし憑き物が落ちたように前に進む事を躊躇わなくなった彼は、場合によりけりだがこうやって自分の為に未来視を使えるようになった。

 

 その事が、小南には嬉しかった。

 

 まだまだ、心配な所は幾らでもあるけれど。

 

 それでも、少しずつであっても変わってくれるのなら。

 

 それだけで、自分は嬉しいのだと。

 

 恋を意識はしていても自覚はしていない少女は、共に夜空を眺める迅を見てくすり、と笑みを零した。

 

「何がおかしいの?」

「いえ、何でもないわ。ただ、星が綺麗だから見惚れてただけよ」

「そっか。確かに、綺麗だしね」

 

 そう言って、迅は空を見上げる。

 

 曇った空の中、雲間から垣間見える無数の星々。

 

 それはいつか見た近界の夜空を彷彿とさせ、迅の脳裏にかつての記憶が蘇る。

 

 初めて見た近界の空の景色に感動して、次の夜を楽しみにするようになった事。

 

 戦場で被った血の匂いが忘れられず、空に浮かぶ星々に祈った事。

 

 夜空に瞬く星にはしゃいだ小南に連れ回され、危うく遭難しかけた事。

 

 大人達に叱られながら、小南と二人で空を見て笑い合った事。

 

 どれも、どれも大切な思い出だ。

 

 確かに、近界での記憶には辛いものも多い。

 

 目の前で失われていく命を見送ったのは一度や二度ではないし、場合によっては自ら手を下した事もあった。

 

 積み上がる死体の山を前に吐く事さえ出来なかった自分を嫌悪し、一晩中葛藤した事もあった。

 

 多くの仲間を失い、心の支えだった恩師の最上の死によって呆然自失になった時の事も覚えている。

 

 たくさん、たくさんの悲劇を経験した。

 

 けれど、それでも。

 

 辛い事が幾度もあったのと同じように、楽しいと思える記憶もたくさんあった。

 

 夜空の星々は、その象徴だ。

 

 今見える星は宇宙に散らばる他の惑星であり、近界のように国がそこにあって移動手段もあるというワケではない。

 

 しかし、それでも。

 

 宙に瞬く星の輝きの美しさは、なんら変わってはいなかった。

 

「────────やっと、笑ったわね」

「え…………?」

 

 小南の指摘に、気付く。

 

 自身の顔に手を振れ、口角が上がっている事に────────────────自分が笑みを浮かべている事に、気付く。

 

 建前でも場の空気の調整の為でもなく、本当に不意に見せてしまった自然な笑顔。

 

 今自分がそれをしているのだと、迅は彼女の指摘でようやく気付いたワケだ。

 

 きっと、それだけ。

 

 この光景は、かつての記憶を想起させるに相応しいものだったのだろう。

 

「思い出したでしょ? 写真や映像じゃなくて、直接見れたから。切っ掛けなんて、その程度だと思うわ」

「そうだね。多分、そうなんだろう」

 

 写真や映像で、星空を目にする機会は何度もあった。

 

 しかし、今までそういったものを目にしても迅の心は揺れなかった。

 

 考えてみれば、当然だろう。

 

 彼等の記憶にある星の光は、現実を切り取った写真でも誰かが撮った記録でもない。

 

 自然の中で風を感じて、清廉な空気の中で見上げた本物の星空。

 

 瞬く無数の光が織りなす、壮大且つ冷厳な無数の星。

 

 それこそが、幼き二人が見た「楽しい記憶」だったのだから。

 

 きっと、この場に来なければ迅のこんな姿を目にする事は出来なかっただろう。

 

 連れて来た甲斐があったと、小南はにこりと微笑んだ。

 

「ありがとう、小南。此処に来れて、良かったよ」

「そーよ、感謝しなさい。あと、ホントに感謝してるならちょっとこっち来なさい」

「いいけど、なに?」

 

 疑問符を浮かべながらも、迅は小南の言葉に従い手招きする彼女に顔を寄せる。

 

 それを見た小南はくすりと笑い、そして。

 

「え…………?」

 

 その頬に、軽く口を触れさせた。

 

 突然の事に、固まる迅。

 

 夢か、白昼夢かと慌てるも、頬に触れた小南の唇の感触は確かに残っている。

 

 困惑する迅に対し、小南は顔を赤くしながらも精一杯の虚勢を張る。

 

「前に瑠花にやられた分は、これでチャラよね。どーよ、驚いた?」

「えっと、あの」

「答え合わせは、してあげない。あたしがこれまで悩んだ分、幾らでも悩みなさい。あたし達には、時間がたっぷりあるんだから」

 

 努めて冷静に、しかし良く見れば顔が赤くなったり頬がぴくぴくしていたりとボロが出まくりながらも小南はそう言って笑う。

 

 未だ、迅は混乱の渦中にある。

 

 今までしてやられる事も多かっただけに、迅をやり込めた事で上機嫌になった小南は、にやりと笑って。

 

「────────いつまでも一緒にいるわ、迅。あたしは絶対、手を離したりなんかしてやんないんだからね」

 

 己の本心を、自身の想いを口にして。

 

 過去最高の笑顔で、迅に笑いかけたのだった。

 

 

 

<小南桐江/少女の記憶の星の夜~終~>



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城戸正宗/かつての想いと現在(イマ)の願い

 

「────────では、これで第二次大規模侵攻における後処理は概ね完了したと見て良いだろう。皆、ご苦労だった」

 

 城戸は司令室にて集まった上層部の面々に、そう言って労をねぎらう。

 

 普段は実直でねぎらいの言葉をこうもストレートに言う事などない城戸の言葉に根付や鬼怒田は面食らっているが、唐沢は薄く微笑み林道と忍田は満足そうに笑みを浮かべている。

 

 唐沢はともかくとして、二人は知っているのだ。

 

 元来城戸が思い遣り深く、他者の事を常に気遣える人物である事を。

 

 今はボーダーの規模拡大の為に近界民排斥を掲げる冷徹な指揮官の仮面を被ってはいるが、その本質は当時からなんら変わっていない。

 

 加えて、今回の場合は色々と思うところもあったのだろう。

 

 迅が幾度も繰り返していた、()()()()()という文言。

 

 それを最高の形で実現出来た事で、城戸自身も感慨が深いに違いあるまい。

 

 まして、玲奈の黒トリガーが関わっているとなれば猶更だ。

 

 彼女の事をある意味一番気にかけていたのは、他ならぬ城戸だったのだから。

 

「根付メディア対策室長には申し訳ないが、今後も情勢に応じた対処を任せる。必要な事があれば便宜を図ろう」

「いえいえ、それが私の仕事ですので構いませんよ。幸い、人的被害が0だったお陰で報道陣も難癖を付け難いようでしたので、大して仕込みも必要ありませんでしたしねぇ」

 

 ただ、と根付は続ける。

 

「例の近界民については心配の種ですが、一応万が一を考えた対策は準備しておきますよ。彼の入隊については色々言いたい事はありますが、既に決まった事を愚痴っても仕方ありませんので」

 

 根付が言っているのは、先日修との交渉の末に決まったヒュースの入隊に関してだ。

 

 避難が徹底していた事もあって、大規模侵攻でヒュースと遭遇したのは直接相対した遊真にそれを援護した修、そして捕虜として彼を確保したレイジの三名だけだ。

 

 人型を対処していた人員以外の隊員はトリオン兵の対応で手一杯であったし、口の堅さが信用出来ないC級隊員は全員市街地の避難対応に当たっていたので誰も見てはいない。

 

 加えて避難誘導に従事していたC級は選考の末に選ばれた人員であり、ある程度人格的にも一定の信用が置けるメンバーを選出していた。

 

 何処かでヒュースを見掛ける事があったとしても、彼が近界民であると察する事が出来る者はいないだろう。

 

 しかし、ヒュースの並外れた実力や明らかに日本人ではない容姿から邪推する者がいないとは言い切れない。

 

 そして、そういった邪推をする者は自分の考えを広めたがるものだ。

 

 故に、傍から見れば小火のような噂話であっても、放置する事は出来ない。

 

 根付はそういった事態を見越して、準備をしているというワケである。

 

「苦労をかける。三雲くん達にも、口裏を合わせて貰う必要があるな」

「いえ、それについては既に彼の方から申し出がありました。既に()()についても共有しています」

「ほう」

 

 だが、その事について修の方から申し出があった、というのは城戸からしても予想外であった。

 

 それは根付も同じであったのか、溜め息交じりで口を開く。

 

「恐らく、誰かしらの入れ知恵でもあったんでしょうねぇ。彼のような子供がこの段階で気付けるとは思えませんし、迅くんあたりが何か言ったのだとは思いますが」

「有り得る話ではあるが、特に問題ではないだろう。彼が自分で気付いた可能性もないでもない」

「さて、それはどうですかねぇ。少しは弁が立つようですが、まだまだ社会を知らない子供に過ぎません。私は過大な評価はしないタチでして、彼の評価は保留にしておきましょう」

 

 ふん、と根付は何処かバツが悪そうな顔で息を吐く。

 

 ヒュースの入隊という面倒事を持って来た修に対して思う所はあるのだが、一応今後起き得る問題について事前に相談してきた為、その部分を評価しないワケにはいかない。

 

 しかし、どう見ても組織の人間として不適格な我の強さを持つ修を快く思う事は出来ない為、こういった態度になったのだろう。

 

 彼自身は、迅が助言したかどうかは半々くらいに考えている筈だ。

 

 それを口に出さないのは、彼の捻くれた性格故だろうが。

 

「では、他に議題がなければこれで会議を終了する。忍田くんと林道支部長は別件で用事があるので、この後残って欲しい。以上だ」

 

 

 

 

「珍しいじゃないですか。城戸さんが、俺達を飲みに誘うなんて」

「今日くらいは良いだろうと思っただけだ。此処は私が贔屓にしている店で、店主も理解のある方だ。楽にしてくれて良い」

 

 その夜。

 

 城戸が林道と忍田を伴ってやって来たのは、三門市の繁華街の一角にあるバーだった。

 

 繁華街の裏路地にひっそりと佇む隠れ家みたいな店構えであり、そこにバーがあると分かっていなければ辿り着けないような場所にある。

 

 しかし内装はシックで店主の趣味の良さが伺え、完全予約制である為立場上中々飲みに来れない者のプライベートも守り易い。

 

 その分多少値段の方は高めではあるが、店主がボーダーに理解のある人物である事もあって城戸も贔屓にしていたのである。

 

「確かに、良い雰囲気のお店ですね。城戸さんがこういう場所を知っていたのは少々以外でしたが」

「私とて、一人で飲みたい時くらいはある。此処の店主とは知己でな。息抜きがてら、時々来させて貰っていたのだ」

「水臭いじゃないですか。誘われれば、いつでもご一緒したんですがね」

「建前として対立している支部の長と一緒に飲んでいるなどとバレれば、問題になるだろう。迅の語る大規模侵攻の脅威を前に、余計な隙は作りたくなかっただけだ」

 

 だが、と城戸は続ける。

 

「その大規模侵攻も、無事に乗り越える事が出来た。なら、少しくらい久闊を叙する場を設けるくらい構わないだろう」

「ええ、そうですね」

「違いない」

 

 城戸の言葉に、忍田と林道は同意して微笑む。

 

 本当に、長かった。

 

 旧ボーダーとして活動していた時も、アリステラ防衛戦を経て過半数が帰らぬ者となって城戸が組織の方向性を変えた後も。

 

 三人の志は、想いは。

 

 「平穏な未来」というゴールに向けて、一切揺らぐ事はなかった。

 

 ただ、やり方が違っていただけで。

 

 その心に秘める願いは、同一だったのだから。

 

「迅や七海も、改めて労をねぎらってやりたいが────────────────私のようなロートルが出向くまでもなく、親しい仲間達がそれをやってくれているだろうな」

「迅も七海も、慕ってる奴は多いですからね。どっちも人に甘える事が壊滅的に苦手だけど、そのあたりは尻を蹴飛ばしてくれる人間がいるから大丈夫だろ」

「ええ、そうですね。迅には小南が、七海くんには影浦くんがいますからね。そのあたりは心配しなくても良いでしょう」

 

 そして、迅や七海といった今回の大規模侵攻の最大の功労者に関する様々な想いもある。

 

 城戸としては直接ねぎらってやりたいのだが、自分のような者がそれをせずとも彼等の仲間達がやってくれているだろうという信頼もある。

 

 それは忍田や林道も同じ意見であり、自分達が出張るまでもないという認識も同様だ。

 

「しかし、何か贈り物をするくらいなら許されるだろうか。それとも────────」

 

 ふと、城戸の口から本音が漏れる。

 

 自分達がやらずとも、彼等をねぎらう人間はいる。

 

 理屈は、分かる。

 

 だが、それはそれとして親心のようなものはあるので、何かしてやりたいというのが本音なのだ。

 

「────────いや、なんでもない。忘れてくれ」

 

 不意に、城戸が二人の視線に気付いて自身の失言に気付く。

 

 組織の長として、今のは不適格な発言だったと城戸は自戒する。

 

 これまでは裏から手を回して当人に気付かれないように迅や七海を影ながら支援して来た城戸だが、贈り物となると形に残ってしまう為余計な邪推を招きかねない。

 

 今の失言は忘れて貰うよう、改めて二人に視線を向けて。

 

「そういう事なら、協力しましょう。手配は任せて構いませんね? 林道さん」

「ああ、任せとけ。今度七海が玉狛支部に来た時にでも、手を回しておくよ」

 

 ────────城戸の真意を知って完全に乗り気になっている、旧友二人の姿を見る事になる。

 

 慌てて止めようとする城戸だが、付き合いの長い二人には先程の彼の呟きが本心である事は既に看破されている。

 

 城戸の本音という格好の口実を得た二人を止める事は叶わず、最終的にプレゼント作戦は実行される事と相成った。

 

 

 

 

「城戸司令、失礼します」

「ああ、入ってくれ」

 

 数日後、ボーダー本部司令室。

 

 林道を通じた城戸からの呼び出しに応じた七海は、許可を得て司令室へと足を踏み入れた。

 

 以前来た時と同じように奥の椅子に座る城戸を見据え、七海はとある記憶を想起する。

 

 ────────────────七海。玲奈を、頼む────────────────

 

 それは、あの大規模侵攻で剣聖ヴィザと相対した時。

 

 黒トリガーを起動する直前、秘匿通信で城戸からかけられた言葉。

 

 様々な人々から激励を貰った七海ではあるが、目の前にいる人物からああした言葉がかけられるとは思ってみなかったのだ。

 

 城戸からの激励は、正しく七海に最後の一押しをしてくれた。

 

 故に、彼と話す機会があればあの時の事を聞いてみようと思っていたのだ。

 

 しかし、今自分は城戸に呼び出された側だ。

 

 当然城戸には七海を呼び出した用件がある筈であり、何をするにもまずはそれを聞いてからだと考えていた。

 

「固くならなくて良い。今日君を呼んだのは、実のところ私の個人的な事情に依るものだ。今この場においてはボーダーの司令ではなく、()()()()()()()()()()として扱って貰って構わない」

「…………!」

 

 ────────故に、その言葉には度肝を抜かれた。

 

 七海の抱く城戸のイメージは、厳格で冷徹な司令官だ。

 

 ルールを決して破らず、組織の目的の為に容赦のない決断を下せる傑物。

 

 それが、七海だけではなく万人が城戸正宗に対して抱くイメージだろう。

 

 しかし、城戸は今はボーダーの長ではなく、姉の旧知として扱って欲しいと言った。

 

 その言葉がどんな意味を持つのか、分からない七海ではない。

 

「かけたまえ、コーヒーを淹れよう。これでも味にはうるさくてな。ある程度の質は保証しよう」

 

 

 

 

「美味しい…………」

「それは良かった。ブラックで良かったのかね?」

「ええ、甘い方も嫌いではありませんが、折角なので城戸司令と同じものを飲んでみたいと思いまして」

「そうか」

 

 城戸が淹れてくれたコーヒーは、あまり詳しくない七海でも明確に「美味しい」と言える代物だった。

 

 口あたりも良く、安物の豆にあるようなくどさもない。

 

 ブラックは甘さがない分コーヒー独自の旨味を直に味わう事が出来る為、その上質さが充分に伝わって来る。

 

 手動のコーヒーミルを使っているあたり、相当にコアなコーヒーファンと見て間違いないだろう。

 

「玲奈はあまり、ブラックは好まなかったものでな。いつも砂糖を山ほど入れたものを飲んでいたものだよ」

「姉さんは甘党でしたからね。苦いものは不得手でしたし、無理もないでしょう」

 

 そんな城戸から姉の話が出て来た事で、知らず七海は破顔する。

 

 思いも寄らぬ人から姉の軌跡の一部を聞く事が出来て、何処か心が弾んでいた。

 

 まさか、あの城戸司令とこうして向かい合ってコーヒーに舌鼓を打つ事になろうとは。

 

 先日までの自分が知ったら、驚いて目を見開く事だろう。

 

「改めて、になるが。君の奮闘のお陰で、大規模侵攻の被害をゼロに抑える事が出来た。良く頑張ってくれた」

「いえ、あれは皆の協力があってこその勝利でした。それに、こいつを起動する直前に城戸司令がかけてくれた激励の言葉のお陰でもあります。あの時は、ありがとうございました」

「…………そうか」

 

 七海の言葉に、城戸は何処か遠い目をして息を吐く。

 

 彼が何を想っているのか、それは分からない。

 

 けれど。

 

 その視線の先には。

 

 在りし日の玲奈が、笑っている気がした。

 

「すまない。色々言いたい事があった筈なのだが、どうにも言葉に出来んな。玲奈の事についても謝りたかったのだが、その様子では蛇足だろうな」

「ええ、迅さんにも言いましたが俺は姉の事で誰かを恨んだ事はありません。過去だけに目を向けるのは、もう止めましたから」

「そうか。若者の成長というのは、早いものだな。ロートルが言葉を弄するまでもなく、自ら足を進めていく姿は眩しくもあり羨ましくもある」

 

 城戸は何処か感慨深げにそう告げ、薄く────────────────本当に薄くではあるが、笑みを浮かべた。

 

「矢張り、これは君に渡しておこう。何を渡すのか色々迷ったのだが、下手に高価なものよりもこちらの方が良いだろうと判断した」

「これは…………」

 

 そして、城戸は七海に一枚の写真を手渡した。

 

 やや古ぼけているその写真には、見慣れぬ景色が映っていた。

 

 現代日本では有り得ない、独特の建築様式の豪奢な建物。

 

 それを背にして映っていたのは、14歳前後であろう玲奈。

 

 彼女に寄り添うようにして立つ、幼い迅と小南。

 

 そして、端に立っている見覚えのない笑顔の男性だった。

 

「アリステラの王宮で林道が持ち込んだカメラで撮影した、6年程前の写真だ。私は良いと言ったのだが、三人がどうしてもというものでね」

「え、っと。もしかしてこの端に映っている男の人は…………」

「私だ。当時は顔の傷がなかったので、分かり難いかもしれないがな」

 

 いや、顔の傷とかそういう問題ではないだろうと七海は心の中で突っ込む程、写真の男性と今の城戸は雰囲気からして別物だった。

 

 しかし、無理もない、と七海は思い返す。

 

 迅から伝え聞いたアリステラ防衛戦という戦争では、多くの旧ボーダーメンバーが帰らぬ人となったのだという。

 

 それだけの経験をしたのだから、変わらない方がおかしいのだ。

 

 そう、思いかけて。

 

(いや、変わらないか。表面上変わったように見えても、根っこはそのままなんだ)

 

 たった今見せてくれた城戸の笑顔は、写真に映る彼の笑みと同一のものだと気付く。

 

 他者を気遣い、慈しむ。

 

 そんな当たり前の優しさを秘めた、穏やかな笑み。

 

 顔に消えない傷が残り、眼光が鋭くなってはいても。

 

 城戸の根っこにある優しさは、今も尚消えてはいないのだと。

 

 だからこそ、こうして姉の写真を渡してくれたのだろう。

 

 彼なりの、七海へのねぎらいの証として。

 

「じゃあ、色々聞かせて貰えますか。昔の、姉さんの事を」

「ああ、構わない。長い話になるが、語れるだけの事は語るつもりだ」

 

 そして、城戸は当時の玲奈の話を聞かせてくれた。

 

 重要な情報などない、ただの世間話として。

 

 玲奈らしいエピソードや、逆に姉の知らない一面の話だとか。

 

 そういった事を、何の気兼ねもなく話してくれた。

 

 そうして、コーヒーを片手に二人で歓談をする姿は。

 

 まるで、親子のようだった。

 

 その日、七海は城戸の新たな一面を知る事になり。

 

 その後は時間が合えば、二人で話す機会を設けるようになった。

 

 そんな七海を迎える城戸の姿は、まるで。

 

 長年離れていた我が子に接する、父親のようであったという。

 

 尚、迅もまた成人を迎えた後に城戸から二人きりの飲み会を誘われる未来を見て驚く事になるのだが。

 

 それはまた、別の話である。

 

 

<かつての想いと現在(イマ)の願い~終わ~>



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七海玲奈/想いと少女のユメ

 

 ────────多分、これは夢か走馬灯のようなものなんだと、私は思った。

 

 走馬灯、ってなら分かる。

 

 だって、今私は自分の命を投げ出して黒トリガーになっている最中なんだから。

 

 目の前には意識が朦朧としている玲一がいて、傍には泣きはらした玲ちゃんがいる。

 

 そして私は迅くんに言ったように、躊躇なく自分自身を黒トリガーにして玲一を助ける事を決めて実行した。

 

 自分でも薄情だと思うけれど、迅くんにはとても酷い事をしたとも思っているけれど。

 

 それでも、私は私を止められなかった。

 

 だって、玲一が。

 

 たった一人の弟が、死の瀬戸際に立っていたのだ。

 

 迅くんには恰好付けたけど、何の事はない。

 

 私はただ、これ以上私の大切なものを亡くした世界で生きていくのが怖かっただけなのだ。

 

 迅くんやボーダーの皆は私の事を色々持ち上げてくれてはいるけれど、私は皆が思うような立派な人間じゃない。

 

 小心者だから踏み込んだ事を言えず、迅くんが最上さんを亡くして泣いていた時は傍に寄り添う事しか出来なかった。

 

 卑怯者だから迅くんの私への想いは気付いていたけれど、今の関係を壊したくなくて気付いていないフリをした。

 

 そして、臆病者な私はもうこれ以上誰かを亡くす痛みに耐えられないと、生きる事から逃げ出した。

 

 きっと、こんな私の本音を聞いたら皆軽蔑するだろう。

 

 ううん、優しい皆の事だから「気にしてない」って言うかもだけど、それでも内心は幻滅するに違いない。

 

 だって、私は勇気がない。

 

 ()()()()()()()()()()()を演じているだけで、私の心にはいつだって怯えがあった。

 

 生まれ持った副作用(ちから)の所為で、見たくもない人の感情(ホンネ)と向き合わされる。

 

 迅くんの未来視と比べればずっとマシだとは思うけれど、それでも良い気分がしないのは当たり前だ。

 

 嘘、というのはイメージが悪い。

 

 相手を欺く為の嘘は、人を陥れるつもりで使う事がままあるからだ。

 

 だけど、私は知っている。

 

 時には優しさから来る嘘も、あるのだという事を。

 

 人は時として、本音を隠し建前という嘘を相手の為を想って使う事がある。

 

 内心で違う感想を持っていたとしても、相手を立てる為に、相手を気遣う為に纏う建前という虚飾(ウソ)は人の心を守る役割を持っている。

 

 だというのに、私の副作用(サイドエフェクト)はそんな優しいウソさえ容赦なく暴き立ててしまう。

 

 内心で怒りを隠しながら笑みを浮かべる相手も、相手を慮る為に優しい嘘をついている人間も、どちらも数えきれない程見て来た。

 

 だから迅くん程じゃないけど、私にとって人と接するのは苦痛なのだ。

 

 でも、知っている。

 

 私が逃げ出せば、ギリギリの所で保っている皆の心はちょっとした切っ掛けで崩れ去ってしまう事を。

 

 ボーダーの皆は、あのアリステラ防衛戦で数多くの仲間を失った。

 

 だから表面上は平気な顔をしていても、私が視える皆の顔はいつも泣いてばかりだった。

 

 私はそんな皆の心の動きが視えてしまうから、状況に応じたフォロー役に回っていた。

 

 皆の心が、砕けないように。

 

 皆の想いが、零れ落ちないように。

 

 ただ、皆の辛い顔を視ていたくないという、私の我が儘で。

 

 軋む心を一つ一つ掬い上げて、なんとか繋ぎ止めていた。

 

 けれど、実のところもう限界なのだ。

 

 たくさんの心の嘆きを聞き続けた私の心は、もうとっくに罅割れてくすんでしまっている。

 

 きっと遠からず、私の心は砕け散って醜い罵詈雑言を吐くようになってしまうだろう。

 

 だから、それが怖いから私は逃げを選んだのだ。

 

 もしかしたら迅くんには今の私は自分の身を投げ出して弟を救う、聖女みたいに見えていたのかもしれない。

 

 でも、ホントの私はこんなにも醜い。

 

 今だって、玲一が痛みに苦しむ顔をこれ以上見ていたくないから、迅くんの未来視(ちから)を言い訳に使っただけ。

 

 だから、迅くん。

 

 私の為に、これ以上苦しまないで。

 

 本当の私はこんなにも格好悪いんだから、君が罪悪感に苛まれるのは間違ってる。

 

 私なんて忘れて、光ある未来を幸せに生きて欲しい。

 

 ────────なんて、都合の良い妄想を抱いてみる。

 

 だって、知ってる。

 

 優しい迅くんに、そんな事出来っこないって。

 

 迅くんはきっと、私を忘れない。

 

 忘れないで、苦しみ続けて。

 

 きっと、それが重荷になって自分の幸せを投げ出してしまう。

 

 それを分かっていながら迅くんがずっと私の事を忘れないと考えて何処か嬉しいと感じているあたり、私は最低だ。

 

 忘れて欲しいという建前(いのり)と、忘れて欲しくないという本音(ねがい)

 

 そのどちらも、嘘じゃない。

 

 迅くんには幸せになって欲しいから私の事を忘れて欲しいという願いと、ずっと彼の心に居座り続けたいという醜い願望。

 

 どちらも嘘じゃなくて、けれどどっちも私の願いである事に間違いは無い。

 

 きっと、そんな事を考えていたからだろう。

 

 急に眠気が襲ってきて、意識を保っていられない。

 

 きっと、この眠りはずっと覚める事はない。

 

 だって、私はこれから黒トリガーとなって死ぬのだから。

 

 玲一と交わしたかった言葉は、まだたくさんあった。

 

 迅くんに話したかった事だって、数えきれない。

 

 玲ちゃんにだって、言葉をかけてあげたかった。

 

 だから、これは罰なのだ。

 

 醜い本音を覆い隠して、自分の生から逃げ出した私への罰。

 

 私はそう悟って、覚める事のない眠りに落ちていった。

 

 

 

 

────────気付けば、私は宙に浮いていた。

 

 

 体感としてそう感じているだけで、実際はどうなのかは分からない。

 

 だって私の身体はどう見ても透けているし、他の人に見えている様子もない。

 

 けれど噂に聞いた幽体離脱みたいに自由に動けるワケじゃなくて、玲一の近くで周囲を見続ける事しか出来なかった。

 

 たとえるなら、常に玲一に付いているカメラマンの撮影した映像を見せられているかのよう。

 

 でも意識は朧気だし、まともに思考を形作る事も出来ない。

 

 常に朦朧としているような感じのまま、私は玲一の軌跡を無意識に追っていた。

 

 あれから玲一は、迅くんの助けでボーダーに入隊した。

 

 その過程で、私の葬式で大泣きする小南ちゃんや、暗い顔をする林道さんや城戸さん。

 

 そして、涙すら枯れてしまい心が壊れた迅くんの姿を見てしまった。

 

 半ば予想していた事とはいえ、あまりにも辛い光景だった。

 

 特に迅くんのそれは他の誰よりも酷く、何度手を差し伸べられない事を悔やんだか分からない。

 

 でも、自分で命に投げ出した私にそんな資格はない。

 

 私はこれが自分に下された罰だと納得し、痛々しさしかない大切な人々の姿を見続けた。

 

 

 

 

玲一がボーダーに入ってから、迅くんは殆ど姿を見せていない。

 

 明らかに、あれは玲一を避けている。

 

 何故だろうと考えて、迅くんが遠目に玲一を見ている眼に宿る哀しみの気配がその理由を教えてくれた。

 

 迅くんはきっと、私の面影がある玲一を見るのが辛いのだ。

 

 きっと、迅くんは未だに私が死んだ事を引きずり続けている。

 

 だから、否応なく私を思い出してしまう玲一を避けてしまっているのだ。

 

 でも、私はそれを責める事は出来ない。

 

 だって、彼をこうしてしまったのは他ならぬ私なのだ。

 

 いわば元凶である私に、彼の行動をどうこう言える筋合いはない。

 

 己の責務を放り出した私に許されるのは、ただ彼等の軌跡を見続ける事だけなのだから。

 

 

 

 

玲一は二刀流の子や射撃トリガー使いの子に指導を受けて、メキメキと力を付けていった。

 

 特に玲一と同じく副作用(サイドエフェクト)を持っているトゲトゲ頭の子の影響が大きくて、彼と同じように能力の戦闘活用についても磨き上げていった。

 

 でも、そんな玲一だけど玲ちゃんとの関係は拗れに拗れてしまっている。

 

 玲ちゃんは私が死んだ事を自分の責任だと思って、玲一に対して病的に尽くすようになってしまった。

 

 そんな彼女を見て玲一は罪悪感を覚えて、玲ちゃんの言葉に頷く事しか出来なくなっていた。

 

 酷い共依存に陥っていた二人を見るのはとても辛くて、それが自分の所為だと分かっているだけに自己嫌悪を感じてしまう。

 

 そもそも、玲一が無痛症を患ってしまったのもきっと私の所為だ。

 

 私があの時、「玲一の痛みに苦しむ顔をこれ以上見ていたくない」って強く願ってしまったから、それが黒トリガーに反映されてしまったのだ。

 

 根拠はないが、きっとそうだという確信が何処かにあった。

 

 でも、これをどうにかするには黒トリガーを玲一に起動して貰うしかないけど、作成途中に中途半端な所で私の意識が消えてしまった所為で不具合が起き、何かしらの切っ掛けがなければ起動出来ないバグ状態に陥ってしまっていた。

 

 だから黒トリガーを起動しようとして失敗し続ける玲一を見て辛い気持ちになってしまうのも、きっと自業自得なのだ。

 

 玲一と玲ちゃんの関係もどうにかしてあげたいけど、あれは他人がどうこう出来るものじゃない。

 

 少なくとも私はその方法を思いつかないし、二人だけでどうにか出来る芽も殆どないだろう。

 

 私は自分のしでかしてしまった事の重さを改めて思い知り、うなだれながら二人の姿を見続けた。

 

 

 

 

 ────────心底、驚いた。

 

 どうにもならないと思っていた関係が、なんとかなってしまった。

 

 玲一に想いを寄せる、一人の女の子の手によって。

 

 基本的に玲一から離れられない私だけど、その時は何故か玲ちゃんの家の光景を垣間見る事が出来た。

 

 そこでは、一人の女の子が部屋に閉じ籠る玲ちゃんにお説教をかましていた。

 

 部屋に殴り込んで玲ちゃんと喧嘩を始めた時にはどうしようかと慌てたけど、結果として玲ちゃんの眼の色が変わって落ち着きを取り戻した姿を見た時には唖然としたものだ。

 

 同時に、私に足りなかったのはあの強引さなんだなあと強く思い知る事となった。

 

 恋敵の筈の少女に背中を押されて、玲ちゃんはようやく玲一と向き合う事が出来て、二人の関係の翳りは解消された。

 

 きっと、この時だろう。

 

 もう諦めていた幸福な未来というものに、僅かな希望が灯ったと感じたのは。

 

 私は、諦めていた。

 

 色々台無しにしちゃった私の所為で、もう皆が幸せを得る事はないのだと。

 

 一人で勝手に、諦めてしまっていた。

 

 けど、それは間違いだった。

 

 迅くんに未来を語った私がこんな有り様だなんて、笑えて来る。

 

 今更都合が良いとは、思うけれど。

 

 それでも彼等の未来に幸あれと、願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 そこからは、目を見張る事の連続だった。

 

 翳りのなくなった玲一と玲ちゃんは、ランク戦という模擬戦闘で勝ちに勝ち続けた。

 

 その果てに師匠だったトゲトゲ頭の男の子を倒した時には、思わず歓声をあげたものだ。

 

 きっと、私の姿が見えていたら年甲斐もなく大声をあげて喜ぶ女の子の姿が見えていただろう。

 

 まあ、私が死んでから四年も経ったから生きていれば成人していたので、女の子というには無理があるかもしれないが。

 

 そんな真似を、したからだろうか。

 

 それからの私は玲一の周りであれば割と自由に移動出来るようになって、私の呼びかけに玲一が何かを感じている様子も増えた。

 

 かつてボーダーの本部だった建物で会ったアリステラの王子の子にはどうやら朧気ながら私の声が聞こえているらしく、それを玲一に伝える場面も垣間見た。

 

 しかし、言っている内容まで聞き取れるワケではなさそうなので、玲一とコンタクトを取る事は出来なかったが。

 

 ともあれ、この分なら正式に黒トリガーを起動する事も玲一の心持次第で可能になる筈だ。

 

 その時を楽しみに待つ事にして、このまま玲一の軌跡を追い続けよう。

 

 

 

 

 本当に、驚いた。

 

 まさか、最上さん(黒トリガー)を使う迅くんに玲一が勝てるだなんて思ってもみなかった。

 

 未来視に加え、その力を最大限に活かせる風刃を持った迅くんはかつての私でも苦戦するだろう。

 

 それ程までに、迅くんの未来視と風刃は相性が良過ぎたのだから。

 

 でも、玲一はそれを覆した。

 

 仲間と一致団結して、自分達の全てをぶつけて。

 

 彼等の前に立ちはだかる事を選んだ迅くんを、真正面から打ち倒した。

 

 その時の迅くんの嬉しそうな顔は、とても印象に残っている。

 

 この時、私は決めた。

 

 彼等が、最善の未来という光を目指すのなら。

 

 私は、それを照らす灯火となると。

 

 それが出来る力はこの手に、否────────────────この黒い棺(からだ)にある。

 

 あとは、機会を待って鍵穴を回すだけ。

 

 私は棺の鍵穴に錠が差し込まれる日を、今か今かと待ち続けた。

 

 

 

 

 そして、その時が来た。

 

 第二次大規模侵攻。

 

 四年という歳月を跨いで訪れたその戦いの最終局面で、七海は強大な敵の剣士────────────────剣聖と、戦っていた。

 

 その最中、玲一は私を────────────────黒トリガーの力を、求めた。

 

 私の意識が半覚醒状態から覚醒状態へ移行し、玲一の呼びかけという錠が差し込まれた事によって。

 

 ようやく鍵は開き、黒トリガーの正式な起動に成功した。

 

 そこで玲一と少ないながらも言葉を交わせた事で、心残りはなくなった。

 

 きっと、今の私は死んだ時の後悔が忘れられずにいる残留思念。

 

 その未練がなくなったのなら、消え去るのが通りだ。

 

 死んだのに未練がましく意識だけを残し続けた私だけど、それももうおしまい。

 

 もう玲一や迅くんが大丈夫だって分かったなら、これ以上留まる必要はない。

 

 だから、もういいだろう。

 

 これが夢でも、死ぬ間際に見た妄想でもどちらでも良い。

 

 ただ、幸せな未来を掴み取る大切な人々の姿を見る事が出来た。

 

 それだけで、私には充分過ぎる程幸福な。

 

 一つの、未来(ユメ)だったのだから。

 

 さよなら、迅くん。

 

 さよなら、玲一。

 

 元気でね。

 

 

 

 

「────────! 今の夢、は…………」

 

 意識が覚醒し、七海は自身の目尻から涙が流れている事に気付く。

 

 胸を締め付けられるような想いを抱きながら、彼は今見たばかりの夢の内容を思い出す。

 

 全てを覚えていたワケではないが、夢の中で姉が自分達の軌跡を追いながら自らの心情を吐露していた事は記憶している。

 

 散々自嘲を繰り返す姉に「それは違う」と何度も叫びたかったが、那須との関係性の改善を経た後の姉の想いを聞くにつれてその衝動も収まっていた。

 

 それに。

 

(最後には、安心してくれたのかな。今の夢がなんなのかは分からないけれど、もしそうだったのなら嬉しいな)

 

 自分のやり遂げた戦果を姉が祝ってくれたのならこれ以上の幸福はないと、七海は思う。

 

 そして、気付く。

 

 部屋の、机の上。

 

 そこには城戸から貰ったばかりの、姉と迅達が映っている写真があった。

 

 きっと、今のような夢を見たのはこの写真を受け取ったからに違いないと、七海は根拠のない確信を抱いた。

 

 証拠も、理論建てた理屈だってない。

 

 けれど、それでも。

 

 その方が夢があるし、細かい事を追及する必要もまた無いだろうと。

 

 七海は、思わず苦笑した。

 

 写真を握り締め、その中で笑う姉の姿を見て想う。

 

 本当に、最善の未来という光を掴む事が出来て良かったと。

 

 自分の命を投げ出して七海の命を救ってくれた姉にどれだけ報いる事が出来たかは、分からないけれど。

 

 それでも彼女の最期が安らかであったのなら、それで良い。

 

 七海はそう考えて写真を机の引き出しに仕舞い込み、部屋を出た。

 

 少々早い時間だが、こんな時くらい良いだろう。

 

 そう思って、朝一で愛しい少女に会う為に七海は部屋を出る。

 

 光ある未来は、掴み取れた。

 

 これまで、色々あったけれど。

 

 それでも、掴み取った未来(しあわせ)を手にこれから先も歩んでいこう。

 

 そう誓って(ねがって)、七海は部屋の外へ一歩を踏み出すのだった。

 

 

<想いと少女のユメ~終~>



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村上鋼/想いの刃に込めたもの

 

「お、村上くんじゃないか。今日はどうしたんだい?」

「これまでバタバタしていて先送りにしていましたが、俺に風刃を託してくれた事に関してお礼を言っていませんでしたので。こちらをどうぞ」

 

 大規模侵攻終結より、一週間後。

 

 様々な後処理を終えた頃合いに、玉狛支部に村上が訪れていた。

 

 彼が訪れる事は事前に視ていたので、迅はこうして支部で待っていたワケである。

 

 迅は村上が差し出した菓子折りを受け取ると、何処か困ったように苦笑する。

 

「あれは俺の思惑もあってやっただけだから、そんなに畏まられるような事じゃないんだけどね」

 

 彼としては別段感謝される謂れもないと思っているのだが、こうしてわざわざに贈り物を届けてくれた相手に対してはむしろ受け取られない方が礼を失する。

 

 なので、相手の面子を立てる意味でも菓子折りは受け取ったのだ。

 

 そのあたりの機微は、流石に弁えている。

 

「だとしても、貴方が大切な師の形見を俺に預けてくれたという事実は変わりません。風刃を託してくれたお陰で直接七海の力になれたんですから、感謝するのは当然です」

「真面目だなあ。でも、そう言ってくれて悪い気はしないからね。ありがたく受け取っておくよ」

 

 それに、こうまで真摯に感謝してくれているのだから遠慮する方が無粋というものだ。

 

 少々生真面目過ぎる気がしないでもないが、それを含めて彼の良さなのだろうから。

 

「そういえばこれは単純な興味本位なんだけど、風刃を実戦で使ったみた感想はどうだった? 普段の君のスタイルとは合わないと思うけど、あの後本部に返却したみたいだしやっぱり使い難かったかな?」

「いえ、確かにそういう面もないではないですが、それを含めて俺の未熟でしょう。副作用(サイドエフェクト)の恩恵まであるというのに、情けない限りです」

 

 ですが、と村上は続ける。

 

「言い訳ではありませんが、俺のスタイルと噛み合っていないトリガーであった事は事実です。やっぱり、いつもの武器の方が使い易い事は否めません」

 

 彼の言う事は、事実だ。

 

 風刃は迅が自由自在に使いこなしていたから錯覚しそうになるが、所謂「誰が使っても強いトリガー」では無い。

 

 昇格試験で七海達が気付いていたように、風刃には防御機能の一切が存在しない。

 

 相手の攻撃は回避するか、ブレードで受け流すかのいずれかのみ。

 

 極論、ハウンドやバイパーの包囲射撃を受けるだけでも詰みかねない()()がある。

 

 迅はそれを戦争経験に由来する戦闘経験や未来視でカバーして立ち回っていたからこそあそこまでの無双が出来たワケであり、常人に同じ真似をするのは不可能だ。

 

 たとえ強化睡眠記憶(サイドエフェクト)の恩恵がある村上であっても、通常戦闘で風刃を使って戦い続けるのは厳しいと言わざるを得ない。

 

 無論、その奇襲性や応用性、射程距離は凄まじい。

 

 あの最終決戦の時も、その奇襲性と長大な射程距離を存分に活かせたからこそ勝利への一助となれたのだ。

 

 しかし、基本的に防御は相手の攻撃を「受け止める」事が主体である村上にとって、普段使いが出来る類の武器かと問われれば否だ。

 

 それだけ、風刃というものは正しい意味で諸刃の剣なのだから。

 

「まあ、風刃は攻撃特化のピーキーなトリガーだからね。防御主体の君のスタイルと合わないのは、むしろ当然さ。むしろ、使い難い武器を無理に使わせて悪かったね」

「いえ、とんでもありません。先程も言いましたが、あれがあったからこそ戦いの最後に七海の助けになれたんですから。感謝するばかりです」

 

 されど、それでもあの時風刃のお陰で七海の助けになれた事は事実。

 

 その事に関して、迅に対しては感謝しかない。

 

 師の形見である武器を、他人に預ける。

 

 その心境は想像する他ないが、決して生半可なものではないだろうから。

 

「けど、俺の都合で君に風刃を押し付けた事は事実だ。たとえ合意の上だったとしても、君の七海に対する友情を引き合いに出して半ば強制していた部分は否めない。事実上選択肢のない選択の提示は、強要となんら変わりはないからね」

「いえ、それも含めてです。迅さんが俺に風刃を託そうとしているというのは、七海から聞いて察していましたから」

 

 尚も言い募る迅に対し、村上はそう返した。

 

 昇格試験第三試合の後、七海は村上に対して試合の観戦に来るよう頼みに来た。

 

 恐らくそこに、迅の意図があると察して。

 

 村上はそれを聞いていたからこそ、迅から告げられた「風刃を託したい」という要請に素直に頷く事が出来た。

 

 予め覚悟は決めていたのだから、むしろそれを待ち望んでいたとも言えるだろう。

 

「迅さんは俺を「利用した」って考えているのかもしれませんが、それは違います。俺は俺の意思で、七海の助けになりたいと思ったんです。だから、俺は選択を強要されたなんて思っていません。正直な話、あの迅さんから頼られて嬉しかったですから」

「……………………頼られて、嬉しかった、か。そうか────────耳が痛い、言葉だな」

 

 ────────────────お前が色々なものを抱え過ぎてる事は、知っている。だが、お前もこれまでの七海と同じで人を頼らな過ぎる。七海にも言ったが、お前はもっと人を頼る事を覚えるべきだ────────────────

 

────────────────お前と七海は、似た者同士だ。どっちも、何もかも自分で背負い込み過ぎる。繰り返すが、少しは頼れ。お前等二人の重荷くらい、幾らでも支えてやる────────────────

 

 不意に、いつかのレイジの言葉を想起する。

 

 もっと人を頼れと、頼って良いのだと。

 

 あの時、レイジと小南はそう言っていた。

 

 あれを機に少しは意識改革したつもりだったが改めて「頼られて嬉しかった」などと言われ、根本の所で分かっていなかったと迅は理解する。

 

 自分は、人を頼るのが苦手────────────────というよりも、人を頼るという意識自体が希薄だった。

 

 迅は未来視で様々な未来の情報を得て、それを元に状況を改善する為に動いて来た。

 

 その中には一刻を争うものもあり、人に頼るという()()を省く事も多かった。

 

 しかし、レイジや小南の叱責でそれではいつか無理が来る、という事も実感出来た。

 

 それまでの迅は、己の労苦を厭わず結果だけに目を向けて()()を度外視していた。

 

 いや、結果以外から目を背けて他の事を考えようとしなかっただけなのかもしれない。

 

 だが、それでは駄目なのだ。

 

 いち個人のマンパワーに頼ったやり方は、いずれ限界が来る。

 

 たとえば、迅がなんらかの理由で倒れてしまった場合、彼が一人で支えていた屋台骨は即座に瓦解する。

 

 そうならないようにする為には、普段から人と繋がり、目的や今後の動き方を共有しておく必要があるのだ。

 

 だというのに、それまでの迅は「自分でやった方が確実で早いから」という理由で、他者を頼る事を避けていた。

 

 それがどれだけ無謀な行いであったかは、言うまでもないというのに。

 

「七海もそうですが、迅さんも誰かを頼るのが下手ですよね。生憎、七海でそういう相手の対応はもう慣れっこなんです。と言っても、あいつが俺達を頼ってくれるようになったのはつい最近からですけどね」

「ぐうの音も出ないな。まったく、若者の成長ってのは早いものだね」

「迅さんだって、俺と一つしか違わないじゃないですか。色々あったのは聞いていますが、年配ぶるのは早過ぎますよ」

「そうだね。俺もまだまだ青二才、かな」

 

 村上の言葉を聞き、迅は再び苦笑する。

 

 近界で数々の戦争を経験し、多くの喪失を経験して来た。

 

 だからこそ、戦争を知らない者達に対して心の何処かで一種の隔意があった事は否定出来ない。

 

 しかし、それは間違っていたのだ。

 

 たとえ、戦争を知らずとも。

 

 たとえ、喪失を知らずとも。

 

 戦う理由に貴賤はなく、気持ちの強さに喪失の有無は関係ない。

 

 戦争を、悲劇を知らずとも。

 

 人は、強くなれるのだ。

 

 迅はそれを、ROUND3の茜の活躍で充分に思い知っていた。

 

 そして、それは目の前の村上も同じ。

 

 彼もまた、戦争や喪失を経験していない類の人間だ。

 

 にも関わらず、NO4攻撃手というボーダーでもトップクラスの実力者に上り詰めている。

 

 副作用(サイドエフェクト)のお陰、だけとは言えないだろう。

 

 少々有利な能力を持っている程度で上位に食い込める程、ボーダーの層は浅くはない。

 

 そこまで至れたのは厳しい鍛錬と、それまでの経験の積み重ねを彼が充分以上に活かして来れたからに他ならない。

 

 人は何かを失わずとも、強くなれるのだ。

 

 そんな当たり前の事を、以前の自分は分かっていなかった。

 

 そう思うと、何処か恥ずかしささえ覚える。

 

 ある種悲劇に酔っていたから彼の周りの人間関係があそこまで拗れたのだ、と言われても反論出来そうもないのだから。

 

「眩しいな、君は。ぶっちゃけると君が正式に風刃の担い手になってS級隊員になる未来は、一つもなかった。どの未来(ルート)でも、君は必ずS級になる道を固辞している。それだけ、今のチームが大切って事なんだろうね」

「はい、迅さんには多大な感謝をしていますが、俺は今の部隊を────────────────来馬先輩の元を離れるつもりは欠片もありません。俺にとって来馬先輩は太陽みたいな存在ですし、太一や今も大切な仲間です。鈴鳴支部こそが、今の俺の居場所ですから」

 

 そう語る村上の眼には、なんの迷いも翳りもない。

 

 実のところ村上は、自身に対して「来馬先輩を守る戦い方を止めればもっと強いのに」という陰口を囁かれている事を知っている。

 

 来馬の両攻撃(フルアタック)解禁によって強化された鈴鳴第一だが、それでも村上の戦術の基本骨子である「来馬を守る事を第一にする」という主軸は一切ブレていない。

 

 たとえ戦略的に見捨てるのが正しい場面であっても、村上や太一は来馬を守る事を最優先する。

 

 それは相手チームからしてみれば紛れもない付け入る隙であり、事実ROUND1では容赦なくそこを突いた那須隊に敗北している。

 

 しかし、だからといってこれを変えるつもりは村上には欠片もなかった。

 

 戦略的にどうこうだとか、そういう理屈はどうでも良い。

 

 だからと言って、勝ちを求めていないワケではない。

 

 単に、村上が自身の潜在能力(ポテンシャル)を最大限に発揮出来るのが、今のスタイルであるというだけだ。

 

 村上の剣は、誰かを()()剣だ。

 

 その背に誰かを庇っている時にこそ、彼の真価は発揮される。

 

 もしもその矜持に反して来馬を見捨てるような事があれば、彼の剣はその場で折れて砕けるだろう。

 

 気持ちだけでは、勝てない。

 

 しかし、己の骨子となる想いを裏切るような真似は自分の屋台骨を自壊させるに等しい愚行だ。

 

 それを理解していない第三者に何を言われようと、村上がそれを一顧だにする事はない。

 

 来馬を、守る。

 

 それが、自分の存在意義だと信じているが故に。

 

「そうか。幸いな事に来馬さんが危ない目に遭う未来は────────────────いや、これは蛇足かな」

「ええ、いつ何時来馬先輩に危機が訪れようと関係ありません。俺は、ずっと傍でお守りしてあの人を守り抜くだけですから」

 

 それに、と村上は続ける。

 

「俺の手が届く範囲のものは、可能な限り守り抜きたいと思っています。俺程度の腕で傲慢かもしれませんが、それでも友人の一人くらいちゃんと守れるようになりたい────────────────それが、俺の目標ですから」

 

 彼が守るのは、来馬だけではない。

 

 チームの皆、そして七海を始めとした戦友(なかま)たち。

 

 それに、今こうして話している迅さえも、彼にとっては「守りたい相手」である事に違いはないのだ。

 

「俺は迅さんの事を、そう詳しく知っているワケじゃありません。人づてに聞いた情報も多いですし、貴方を理解しているとは口が裂けても言えません」

 

 ですが、と村上は告げる。

 

「それでも、貴方というボーダーの屋台骨を支える方に頼られたのは、俺の誇りです。だから、貴方も胸を張って欲しい。あの戦いで誰も失わなかったのは、紛れもない貴方の功績なんですから」

 

 真っ直ぐに迅の眼を見据え、村上はそう言い切った。

 

 以前の迅であれば、適当な事を言ってお茶を濁したかもしれない。

 

 「自分なんて」という諦観が染み付いている彼であれば、そうだったろう。

 

「────────ありがとう。そう言われたなら、胸を張らない方が失礼だ。君のような後輩を持てた事は、本当に嬉しいよ」

 

 しかし、今の迅は違う。

 

 七海が、レイジが。

 

 小南が、瑠花が。

 

 これまでの迅の奮闘を、口々に称えている。

 

 故に、此処で謙遜する方が礼を失するのだと、迅は理解している。

 

 いや、そんな小難しい理屈ではないだろう。

 

 ただ、自分を誇りに思う人々の想いに背きたくない。

 

 つまるところ、そこに尽きるのだから。

 

「ついでに、何か要望はあるかい? 君を頼った分、そのお礼をしたいんだけど」

「それなら、一手御指南願います。迅さんとは一度も戦った事がないので、機会があれば剣を交えてみたかったんです」

「そういう事なら、お安い御用だ。言っておくけど、手加減はしないよ」

「望むところです。胸をお借りします」

 

 村上はそう言って、晴れやかな顔で迅と共に訓練場へ向かっていく。

 

 そしてその日、風刃のかつての担い手とそれを一時的に借り受けた者同士の刃が交わった。

 

 結果として敗北はしたが、この上ない経験になったと後に村上は語る。

 

 それを聞いた太刀川が迅にしつこく個人戦を要求するようになるのだが、それはまた別の話である。

 

 

<想いの刃に込めたもの~終~>



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影浦雅人/優しい猛獣

 

「おう七海、今日暇なら付き合えや。ウチでお好み焼き食わせてやっからよ」

「…………! はい、喜んで行かせて貰いますっ!」

 

 大規模侵攻終結より、数日後。

 

 影浦の誘いを受けた七海は、顔一杯に喜色を浮かべてそれを承諾した。

 

 あの大規模侵攻の後だけあってここ数日は色々と忙しなかったが、今日は丁度身体が空いている。

 

 誘いを断る理由もないし、七海も実のところ楽しみにしていたのだ。

 

 影浦のお好み焼きの()()()()を、確かめられる時を。

 

 これまで七海は無痛症の影響により、味覚が死んでいた。

 

 正確には黒トリガーの誤作動による触覚麻痺であるが、どちらにしろこの数年七海が料理の味を感じられなかったという事実は消えない。

 

 特注のトリオン体の仕様によって影浦が作った七海専用のお好み焼き等の極端に味が濃いものであればなんとか味が分かったのだが、それでも常人と比べれば料理の楽しみを得られていなかった。

 

 だが、その触覚麻痺も黒トリガーの正式起動によって解消し、七海の痛覚は元に戻った。

 

 それに伴い味覚も正常に回帰し、きちんと料理の味が分かるようになったのだ。

 

 大規模侵攻の後、帰宅後に食した那須の料理によってそれは証明されている。

 

 だから、当然の如く大好きな影浦のお好み焼きの本来の味を楽しめる日を今か今かと待ち望んでいたのだ。

 

「他の連中も呼んで打ち上げみてーにすっからよ。おめーも呼びてー奴がいたら、遠慮なく呼んで来いや」

「分かりました。じゃあ、早速声をかけて来ます」

「おう、待ってっからな」

 

 

 

 

「嬉しそうにしやがって。しょーがねぇ野郎だ」

 

 表情はさほど変わっていないが、目に見えて浮かれている七海を見て影浦はニヤリと笑みを浮かべる。

 

 何も、楽しみにしていたのは七海だけではないのだ。

 

 影浦もまた、七海に本来の味付けのお好み焼きを振る舞う機会をずっと待ち望んでいたのだから。

 

 最初に七海の事情を、味覚が死んでいる事を聞いた時、影浦なりの親愛の証である「家に呼んでお好み焼きを振る舞う」という手段が使えない事を知り、正直落胆したのだ。

 

 折角の可愛い弟子に、飯の一つも振る舞ってやれない。

 

 正確には、振る舞ってもそれを味わって貰えない。

 

 その事が、飲食店の息子である彼のプライドを刺激した事は言うまでもない。

 

 しかし、特注のトリオン体ならば薄くではあるが味が分かると聞いて、影浦は奮起する事を決めた。

 

 鬼怒田に頭を下げてトリオン体の仕様と注意点を聞き出し、博識な東にも同様に頭を下げて栄養に関して留意すべき点を聞いて、なるだけ健康に害が及ばない範囲で味を濃くする方法を試行錯誤したのだ。

 

 七海にとって味が分かる料理を作るなら()()は彼本人にして貰うのが一番であったが、最初からその手段を使う事は影浦のプライドが許さなかった。

 

 なので思いっきり味を濃くしたお好み焼きの試食という苦行を彼一人でこなしていたのだが、それを見かねた村上や荒船が名乗りを挙げ、共に七海専用お好み焼きの作成に注力したのだ。

 

 相応の時間をかけて何とか完成したお好み焼きを提供し、七海が「美味しい」と言って喜んだ時の感動は今でも忘れ難い。

 

 ようやく、ようやく七海に料理の楽しみを思い出させる事が出来たと、影浦らしくもなく喜びを露にしたものだ。

 

 その様子を見られていた村上や荒船にからかわれたものの、その日に限っては怒る気になれず、バツの悪そうな顔をしながらため息を吐くに留めた。

 

 しかし、それで満足したかといえばそんな事はない。

 

 この七海専用お好み焼きは、いわば()()()()の類だ。

 

 影浦は、七海の感覚が戻る日が来ると疑わなかった。

 

 何か、根拠があったワケではない。

 

 ただなんとなく直感で、()()()()()()()()()()()()()()と漠然と考えていただけだ。

 

 希望的観測、と言えばそれまでだが影浦には確信があった。

 

 いつの日か、七海が自分の感覚を取り戻す日が来るのだと。

 

 そう、信じていたのだ。

 

 そして、それは現実となった。

 

 大規模侵攻の、最終局面。

 

 とんでもなく強い老剣士を相手に、七海が黒トリガーを起動した事によって。

 

 後から聞けば、七海の無痛症は黒トリガーの()()()に依るものだったのだという。

 

 それが正式に起動した事によって誤作動(バグ)が解消され、痛覚が元に戻った、との事だ。

 

 正直、細かい理屈は分からないし興味もない。

 

 重要なのは、ただ一つ。

 

 七海が痛覚を取り戻し、まともに料理を楽しめるようになったという事実だけだ。

 

 彼だけを呼んで七海の喜ぶ顔を独占したいという想いもないでもなかったが、七海が感覚を取り戻して喜んでいる人は大勢いる。

 

 なら、そいつらにも喜びを共有させるのが筋だろうと影浦は考えたのだ。

 

 七海は最終決戦での影浦の助力に感謝していたが、あの戦いは誰一人が欠けても勝利を手には出来なかっただろう。

 

 遠距離から射撃支援を行っていた二宮と出水、那須の後方支援組。

 

 敵に重石を撃ち込み勝利への切っ掛けを作った、遊真の働き。

 

 それを支援した弓場や三輪、小南といった面々。

 

 風刃を用いて遠距離から支援を行った、村上。

 

 更に最後の一撃に繋げる為に剣聖の刃に身を晒した荒船・熊谷・影浦の三人。

 

 生駒旋空で最後の一押しを手伝った生駒に、己が身を顧みずスパイダーで敵を拘束した茜。

 

 そして言うまでもなく、剣聖に刃を届かせた七海自身。

 

 直接最終決戦に助力した彼等だけではなく、あの大規模侵攻に関わった全ての隊員。

 

 誰が欠けても、あの勝利は有り得なかった。

 

 だから、あの戦いの勝利に貢献した面々に喜びを共有するのは悪くない。

 

 何より、決して口には出さないが影浦も彼等に対し感謝しているのだ。

 

 確かに影浦は七海に対して黒トリガー起動に踏み切る切っ掛けを与えたかもしれないが、それが実現出来たのはあの戦いに参加していた全員の奮闘があったからだ。

 

 遊真が磁力使いの近界民を無傷で倒していなければ、決戦に充分な助力を行えなかったかもしれない。

 

 嵐山隊を中心とした面々が空を飛ぶ砲撃使いの敵を落としていなければ、被害はもっと広がっていた可能性がある。

 

 影浦自身が撃破に助力した液体化トリガーの使い手も、あそこで下していなければ何をしでかしていたか分かったものではなかった。

 

 旧東隊が打倒したという敵の首魁も、放置すれば甚大な被害を生んだだろう。

 

 他の敵を全て倒し、あの剣聖相手の戦いに注力出来たからこそ、あの勝利は生まれたのだ。

 

 だから、勝利を喜ぶ権利は戦いに参加した全員にある。

 

 故に、影浦は誰が来ても今日に限っては受け入れるつもりだった。

 

 

 

 

「────────ったく、まさかおめーまで来るとはな」

「いいじゃん、今日は無礼講なんでしょ。まさか、二宮さんや太刀川さんを受け入れておいて俺だけお断りって事もしないでしょ」

「チッ」

 

 なので、二宮や辻と共にやって来た気に食わない相手(犬飼)の事も、色々呑み込んで受け入れたのだ。

 

 影浦としては、まさか彼が来るとは思っていなかったので正直面食らっている部分もある。

 

 これまで、犬飼がこの店にやって来た事は一度もない。

 

 それもその筈で、影浦は犬飼が嫌いだと公言しており、それを犬飼自身も知っているからだ。

 

 影浦が犬飼を厭っている理由は、その性格にある。

 

 感情受信体質(サイドエフェクト)によって、影浦は相手の感情を文字通り肌で感じ取ってしまう。

 

 故に、表面上浮かべている感情とは全く異なる()()とも言える部分が否応なく影浦に突き刺さって来る犬飼は、対面していてあまり気持ちの良くない相手だったのだ。

 

 人は、誰しも二面性を持っているものだ。

 

 その事は嫌になる程知っているし、ある程度()()()()()()()と諦めて受け入れてはいる。

 

 しかし、犬飼の場合あまりにも表面上の感情と内面が乖離し過ぎていて、影浦からしてみれば気持ちの悪い事この上ないのだ。

 

 自分の副作用(サイドエフェクト)が原因なのだから身勝手な言い分だという事は自覚しているが、それでも好き好んで接していたい相手ではないのだ。

 

 元々犬飼のようなタイプがあまり好きではない事も相俟って、ランク戦で戦う時以外は極力お互いに接点を持たないという暗黙の了解が二人の仲で出来上がるまでそう時間はかからなかった。

 

「つれないなぁ。折角弟子の晴れ姿が見れたんだから、もう少し楽しそうにしたらどう?」

「おめーが来なきゃ、そうしてたんだよ。ったく、邪険にされんの分かってんならわざわざ来んなよ」

「そう言いながら追い出そうとしないあたり、本当に丸くなったよねカゲ。それも、七海くんのお陰なのかな」

「あ?」

 

 しかし、一向に影浦の犬飼に対する印象が良くならないのは時折彼がこうやってこちらを煽るような事を言って来るからだ。

 

 七海の事を揶揄された影浦はギロリ、と犬飼を睨みつける。

 

「てめー、本当に追い出されてーのか」

「ごめんごめん、そんなつもりじゃないってば。ただ、俺への態度は塩対応のまんま変わんないのに七海くんだけそんなに溺愛して、羨ましいなーって思ったんだよ」

「気持ちワリー事言ってんじゃねぇ。俺がおめーを嫌ってんのは、おめーも分かってんだろうが」

 

 影浦は相変わらずな犬飼に、思わずため息を吐く。

 

 だが、その表情に呆れはあっても嫌悪感はない。

 

 以前の犬飼相手なら、会話もせずに無視していたところだ。

 

 しかし、今そうしていないのは。

 

「だから、こうして本音を言ってるんじゃないか。一応、俺なりに努力してんだよ? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って」

「…………チッ」

 

 犬飼が、これまでの会話で殆ど表向きの感情と内面を一致させていたからだ。

 

 癇に障る物言いやこちらを煽る話しぶりに苛立ちは覚えるが、以前のような話しているだけで感じる嫌悪感は無い。

 

 これは犬飼の言葉通り、影浦に対してだけは本音を話しているからに他ならない。

 

 以前、影浦は犬飼に何故自分を嫌うのかを聞いた時に、「表向きと内面の感情が違いまくっていて気持ち悪い」と言った覚えがある。

 

 その時はさっさと犬飼との会話を切り上げたくて正直に話したのだが、まさかそれを彼なりに真摯に受け止めて態度を変えて来るとまでは考えていなかった。

 

 犬飼のこのオブラートに包まない会話も、彼なりの誠意なのだ。

 

 それが分かるからこそ、影浦は本気で犬飼を拒絶出来ない。

 

 素の性格の相性の悪さはさておき、こちらの意見を汲み取り態度を変えて来た相手には最低限の筋は通さなければならない。

 

 色々あって考えを変えた影浦だからこそ、誠意には誠意で対応するしかなかったのだ。

 

「けど、これ以上七海くんとの時間を奪ったら本気で嫌われそうだからね。俺は大人しく、ろっくんでもからかいながら楽しませて貰うとするよ」

 

 しかし、元々性格的な相性が悪いのもまた事実。

 

 それを自覚していた犬飼は、そう言って弟子の若村の元へ向かっていった。

 

「ったく、余計な奴が来やがったもんだ」

「そう言うなって。今の話を聞いた限り、あいつなりに努力してるんだろ」

「ザキさん」

 

 その直後、声をかけて来たのはボーダー屈指の人格者である柿崎であった。

 

 流石に彼ほどの人格者を無碍には出来ず、影浦はため息を吐いた。

 

「聞いてたんすか」

「すまん、近くを通りがかったら聞こえちまったんだ。お前達が仲が悪いのは知ってたけどよ、思ったより歩み寄りの芽はありそーじゃねぇか」

「ないっすよ。あの野郎が本音で話そうが、元々合わない奴ですし」

「そうか。ま、これ以上口を挟むつもりはねーから安心してくれ。今日はたらふく食わせて貰う予定だから、楽しみにしとけ」

 

 柿崎はそう言って、チームメイトの照屋と虎太郎の元へ戻っていった。

 

 どうやら偶然影浦と犬飼の会話を聞いてしまい、嫌いな相手との会話で水を差された形になる影浦に気持ちを切り替えて貰おうと話しかけたようだ。

 

 口には出さないがその気遣いをありがたく思い、影浦は心の中で柿崎に感謝を告げる。

 

「さて、七海が喜ぶ顔も見れたが、今日はまだあいつが食ってねーメニューがたくさんあっからな。全部食えっつーのは無理だとしても、一つ一つの量を少なくすりゃ色々味見出来んだろ」

 

 犬飼の横槍で水を差されはしたが、今日の目的は七海の喜ぶ顔を最後まで見届ける事だ。

 

 先程食べさせた海鮮ミックスも喜んで食べていたが、食べさせたいメニューはたくさんある。

 

 全部食べ切るのは無理だとしても、量を少なめにしてやれば少しずつ味見する事は出来るだろう。

 

 一玉分を焼いて、それを切り分けて別々の相手に配れば良いだけだ。

 

 幸い、今は村上や荒船といった良く食べるメンバーが七海の傍にいる。

 

 加えて食べられる容量がとにかく大きい北添もいるし、余してしまうという事もあるまい。

 

 影浦は早速その提案をすべく、七海達の元へ戻っていった。

 

 結果として、その日は全品制覇とはいかなかったが、影浦の提案が功を奏しそれなりの数の種類のお好み焼きを七海に食べさせる事が出来た。

 

 一つ口にする度に盛大に喜びを露にする弟子を見て、優しい猛獣はその度に笑みを深くするのであった。

 

 

<優しい猛獣~終~>



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Parallel Dream Battle/クロスランク戦
クロスランク戦①


 

「────────み、七海ってば」

「ん…………?」

 

 ふと、目が覚める。

 

 目の前には、自分を覗き込む熊谷の姿。

 

 どうやら()()()しまっていたようだと、七海は自身の置かれた状況を認識した。

 

「大丈夫? 隊室で寝るなんて、調子でも悪いんじゃない?」

「いや、大丈夫だ。意識も覚醒したし、問題はないよ」

 

 熊谷は眠っていた事を咎めるよりも、まず七海の体調を心配していた。

 

 七海は真面目で誠実な性格であり、その彼が()()()()()()()()()()()()()()などという事は早々ある事態ではない為、心配の方が先に立ったのである。

 

 とうの七海は別段体調不良を感じてはいないし、痛覚を取り戻してからは生身でいる時間を長く取るようにしていた為、これまでとの環境の違いに身体が戸惑っているだけだろうと解釈した。

 

「玲一がそう言うなら、それでいいわ。でも、何処かおかしいと思ったらすぐに言ってね。これからランク戦だけど、それでも無理をさせるワケにはいかないもの」

「心配をかけてすまない。別段無理をしているつもりはないから、気にしないでくれ」

「貴方の無理をしているつもりはない、って言葉はいまいち信用出来ないのだけれど、分かったわ。小夜ちゃん、玲一のバイタルが乱れたりしてたらすぐ教えてね」

「了解しました。逐一モニターします」

 

 さらっとお前の言葉は信用ならないと言われているが、基本的に無理をしがちで一人で抱えがちな七海の自罰的性質は皆が周知するところだ。

 

 この扱いも自業自得だと受け入れ、七海は内心ため息を吐いた。

 

 大規模侵攻を無事に乗り越え、■■(A級)になったとはいえまだまだボーダー隊員としての生活は続くのだ。

 

 これもまた前に進む為の工程の一つだと、七海は自身を納得させた。

 

「さて、七海先輩も起きたようですしミーティングを始めましょう。今回の相手は弓場隊、そして紅月隊の二チーム。MAPは、市街地Bが設定されています」

 

 

 

 

「まず、那須さんと七海先輩を自由にさせない。これは前提条件です」

 

 弓場隊、作戦室。

 

 そこで加山は開口一番、今回の作戦方針の一つを口にした。

 

 妙に眠たい頭を覚醒させるように、彼はそのまま説明を続ける。

 

「那須先輩と七海先輩を自由にしちゃうと、戦闘機もかくやっていう爆撃ムーブが出来ちゃうんで、これをされるとこっちの戦術がほぼ崩壊します。なので、狙撃手の外岡先輩には潜伏に徹し続けて貰います。チャンスがあっても、撃つ時は一声かけて下さい」

「了解。俺はそれで構わないよ」

 

 隊の狙撃手である外岡は、隠密に特化した能力を持つ隊員だ。

 

 潜伏行動はお手の物であり、どれだけの時間であろうが隠れ続けられる自信はある。

 

「けどよ加山ァ、その爆撃の連打は七海一人でも出来んじゃねぇのか? あいつは狙撃が効かないから、好き放題動いて爆撃して(バクって)来る可能性はあんぞ」

「それでも、那須先輩と組んで戦闘機になられるよりはマシです。それに、そうなったらきっと紅月先輩が止めに入ると思うんですよね。あちらとしても、俺達の妨害戦術は有用だと思いますし」

 

 まず、と加山は前置きして説明する。

 

「紅月隊は、完璧万能手の紅月先輩と狙撃手の鳩原先輩の戦闘員二人態勢のチームです。そして、鳩原先輩は人が撃てない。武器破壊専門の狙撃手です。要するに、()()()()()()()()()()()なんですよね」

「えっと、それで」

「ポイントゲッターが一人しかいない分、力押しには限度があるんです。紅月先輩は一人で文字通りの一騎当千じみた活躍をしますが、那須隊はただ彼が暴れてどうにかなる程甘いチームじゃない。今の那須隊は、相当厄介な性質を持っていますからね」

 

 紅月隊完璧万能手、紅月ライ。

 

 彼はレイジ以来二人目の完璧万能手であり、あらゆるトリガーを使いこなす実力者だ。

 

 一時はA級にも上がった事のある猛者であり、その時はなんと一人部隊でそれを成し遂げているという規格外である。

 

 B級中位にも漆間隊という一人部隊がいるが、この部隊は堅実に得点を稼ぎはするもののA級昇格までにはとてもポイントが足りず、上位に上がった事も殆どない。

 

 これは漆間自身の性格も関係しているが、彼等と比べても一人部隊でA級昇格を一度成し遂げた紅月の実力の高さが良く分かる。

 

 しかし、そんな紅月とて万能ではない。

 

 そして、紅月でさえ慎重にならざるを得ない性質が今の那須隊にはあった。

 

「那須隊は基本的に、戦力の逐次投入を好んでいます。表に出るのは基本的に狙撃・不意打ち無効の七海先輩で、彼に気を取られた隙に他の隊員の奇襲で点を取るのが彼等の得意戦術です」

「しかも、七海先輩は機動力もメッチャ高いっすよね」

「ああ、狙撃が効かないから射線お構いなしに動いて来るんで狙撃手は見つかったらほぼ()()だ。一対多の乱戦が滅茶苦茶得意な上に、ダメージを与える事自体クソ難しい。これまでのログを見たって、七海先輩が落とされた事は殆どないのがその証拠だ」

 

 那須隊攻撃手、七海玲一。

 

 彼は感知痛覚体質という副作用(サイドエフェクト)を持ち、影浦同様狙撃や不意打ちが効かない。

 

 しかもグラスホッパーの二枚装備で機動力がべらぼうに高く、メテオラで爆撃も出来るという遊撃と攪乱に特化した駒だ。

 

 那須隊は彼が前に出て盤面をかき乱し、仲間の奇襲をやり易くするのが基本戦術である。

 

 彼に対しては狙撃手が抑止力にならないどころか見つかり次第撃墜され、不意打ちも効かないから意表を突く事が容易ではなく落とすのは更に難しい。

 

 故に、彼を相手にするには専用の対策が必要不可欠なのである。

 

「七海先輩への考えられる対処は二つ。特級の戦力をぶつけるか、七海先輩の副作用(サイドエフェクト)を抜けられるトリガーを使うかのどちらかだ。そして俺達には、後者の方法がある。それはなんだ帯島」

「はいっ! エスクードとスパイダーですねっ!」

「正解だ。この二つは、七海先輩のサイドエフェクトの感知にかからない。だから、紅月隊にとってこの二つを持っている俺達は簡単に機能停止して貰っては困るんだ」

 

 七海のサイドエフェクトは攻撃を感知出来るが、その能力には穴がある。

 

 それは即ち、ダメージが発生しないタイプのトリガーは感知出来ないという事だ。

 

 エスクードとスパイダーはどちらも攻撃能力を持たないトリガーであり、だからこそ七海の感知にはかからない。

 

 この二つの扱い方が、対七海の戦術の肝と言っても過言ではないのだ。

 

「暫くスパイダーは外していたが、俺がそれを使った事がある事と七海先輩に対してスパイダーが有効なのは知っているだろう。入れない理由はないし、今回はエスクードもスパイダーも両方セットしておく」

 

 加山はランク戦の序盤でスパイダーを使用していたが、現在はトリガーセットから外している。

 

 しかし使用した記録は残っており、尚且つ厄介極まりない駒である七海相手に有効となれば使わない理由はない。

 

 少なくとも、紅月隊は────────────────ライは、加山の思考をそのように読む筈だ。

 

 そう考えて、加山はスパイダーをセットする事を明言した。

 

「少なくとも七海先輩に痛打を与えるまでは、紅月隊とは疑似的な共闘が可能な筈だ。生存点を狙うなら、七海先輩の撃破は必須だからな」

「ですけど、確か鳩原先輩もスパイダーはセットしていましたよね。ライ先輩もエスクードをセットして来る時がありますし、無理にわたし達を利用する必要はないんじゃないですか?」

「勿論、そう割り切るケースも有り得る。けど俺は、利用しようとする可能性の方が高いと見ている。勿論、両方のケースに対応出来るよう作戦は立てておくけどな」

 

 成る程、と帯島は加山の説明に納得する。

 

 確かに鳩原はスパイダーをセットしているし、ライもエスクードを持ち出して来る事がある。

 

 七海対策の手札を向こうも備えている以上自分達だけで十分と割り切る場合も有り得るものの、加山は乗って来る可能性は高いと見ていた。

 

「鳩原先輩は、狙撃手だ。確かにワイヤーを張る事は出来るけれど、ワイヤー地帯が早期に那須隊に見つかればそれを辿って七海先輩が炙り出しにかかる可能性がある。向こうとしても、下手に鳩原先輩を動かすよりはそういう仕込みはこっちにやって貰いたい筈だ」

「確かにその可能性は高そうだな。だが、紅月も相当なタマだぜ? 七海を落とすのに全力を使い果たして、紅月を放置するような事になっちゃ眼も当てられねえぞ」

「分かっています。なので、七海先輩相手には紅月先輩に矢面に立って貰います。その為には」

 

 加山は隊の面々に対し、己の作戦を説明した。

 

 一通り説明を受け、帯島は納得し外岡はただ首肯する。

 

 藤丸は「いいんじゃねぇか」と肯定し、弓場は「いいだろう」と頷いた。

 

「おめェーの作戦は了解した。だが、紅月は狙撃手としても動ける。あっちも潜伏を選んだら、どうするつもりだ?」

「今回、それはないと思います。大駒である七海先輩に狙撃が効かないってのもありますし、正面から七海先輩に対抗出来るカードをみすみす後衛にするメリットがありませんからね」

 

 

 

 

「今回、僕は前に出て戦う事になると思う。二人とも、サポートを頼む」

「了解」

「了解しました」

 

 紅月隊、作戦室。

 

 そこで、ライの言葉に首肯する二人の少女がいた。

 

 一人は、鳩原未来。

 

 ()()()()()()()()C()()()()()()()()、紅月隊へ入隊した元二宮隊の隊員だ。

 

 彼女は紆余屈折あって紅月隊の狙撃手を務める事になり、そのサポート能力で隊の勝利に大いに貢献していた。

 

 一人は、忍田瑠花。

 

 紅月隊のオペレーターであり、()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 初期の紅月隊はライと彼女の二人だけの部隊であり、長く彼を支え続けた相棒である。

 

 今回もまた、彼を全霊で支えるべくその敏腕を振るってくれるだろう。

 

「前に出て戦う、という事は狙撃手としては動かない、という事ですね」

「ああ、今回の試合では下手に潜伏すると七海くんがメテオラで炙り出しにかかって来るだろうからね。それをされると鳩原が見つかりかねないし、最初から前に出るよ」

「七海先輩には、狙撃が通じませんからね。まあ、ウチの場合は関係ありませんが」

 

 紅月隊の狙撃手、鳩原未来は人を撃てない。

 

 代わりに相手の武器を狙って破壊し、味方をサポートするのが彼女の役目だ。

 

 そして、その性質上彼女は狙撃手でありながら七海に攻撃を察知されない。

 

 七海の武器は出し入れ自在なスコーピオンであるが、ここぞという時にブレードを破壊出来れば戦闘補助としては充分過ぎる。

 

 人を撃てないという鳩原の性質が、対七海においては逆に有効に働くのである。

 

「七海くんを相手にする時は、場合によっては君にサポートを頼む事もあるだろう。その時はよろしく頼む」

「うん。あたしに出来る事なら、なんでもやるよ」

「ああ、頼んだ」

 

 場合によっては勘違いされそうな字面であるが、本人同士は大真面目である。

 

 瑠花も既に鳩原の自己評価の低さから来る卑屈発言やライのどんな台詞でも素面で言ってしまう精神的イケメン力には慣れてしまっているので、今更どうとも思わない。

 

 まあ、自分を対象にして真正面から言われた場合はまた別なのだが。

 

「それから、弓場隊はきっと漁夫の利を狙って来るだろう。七海くんを相手にする時は彼等の仕込みを借りる事になるだろうけど、隙があれば駒を削っておきたい。特に、加山くんは最優先で落としておきたいな」

「こちらの嫌がる事を、的確にやって来ますからね。放置すれば泥試合になって、向こうにペースを握られかねませんし」

「ああ、高速で合成弾を使う事も出来るから、そっちにも注意を割く必要がある。転送位置にもよるが、場合によっては七海くんより優先して彼を落とす必要もあるだろう」

 

 加山はエスクード使いとしてのイメージが強いが、凄まじいスピードで合成弾を使う事が出来るという手札もある。

 

 合成弾は出水クラスでなければ合成までにある程度時間がかかるが、加山はそれを一瞬でやってのける。

 

 いきなり強力な合成弾がエスクード越しに降って来る可能性があるのは、脅威である。

 

 エスクードを利用した罠同様、注意を払わなければいけないだろう。

 

「その七海先輩がいる那須隊ですが、こちらはどう動いて来ると思いますか?」

「恐らく、那須隊は七海くんを中心に動いて来る筈だ。単純に、この組み合わせならそれをしない理由がないからね」

 

 

 

 

「試合では、俺がまず動く。転送位置にもよるが、基本はこれで行く」

 

 那須隊、作戦室。

 

 そこで七海は、作戦の方針を皆に告げた。

 

 初手での、七海の戦線投入。

 

 これまでも幾度かあったパターンだが、当然質問が飛んで来る。

 

「一応聞くけど、理由は?」

「単純に、弓場隊に時間を与えたくない。少なくとも、向こうが動くまでにその潜伏場所にある程度あたりは付けておきたいからな」

 

 弓場隊には、加山がいる。

 

 加山はエスクードを多用し、地形を利用した罠を張るのが得意な隊員だ。

 

 その性質は射手というより特殊工作兵(トラッパー)に近く、ゲリラ戦の名手である。

 

 壁やワイヤーの展開とメテオラによる罠を駆使した地形戦術は、今の弓場隊の代表的な脅威の一つと言える。

 

「でも、流石にそんな派手な真似をすれば止めに来るんじゃない?」

「そうだな。でも、そこも当然織り込み済みだ。きっと、止めに来るのは紅月さんだろう」

「紅月先輩ですか。狙撃手としても動ける人ですけど、あの人が来るんですか?」

「ああ、きっと今回彼は狙撃手として動く気はないだろう。間違いなく、俺に止めに来る筈だ」

 

 七海は確信に満ちた様子で、そう断言した。

 

 単純に、そうするより他に選択肢がない、という事もある。

 

 七海が爆撃を敢行し続ければ、弓場隊の戦略は崩壊する。

 

 狙撃や不意打ちが効かない彼を止めるには、単純に強力な駒をぶつける必要があるのだ。

 

 そして、その役割に誰よりも的確なのがライなのだ。

 

 彼は一騎当千の実力の持ち主であり、順当に一騎打ちをすれば恐らく七海ではなく彼に軍配が上がるだろう。

 

 そもそも七海は個人戦に向いた駒ではなく、その真価は集団戦でこそ発揮される。

 

 七海の持ち味はその攪乱能力と回避能力であり、大駒に一騎打ちで勝つには仲間のサポートが必要不可欠となる。

 

「でもそれは逆に、一番厄介な駒を足止め出来るチャンスでもある。状況にもよるけど、時間稼ぎに徹するのもアリだ」

「でも、それだと加山くんに好き放題罠を張られちゃうんじゃない? こっちの嫌がる事をやるのが、本当に巧い子だし」

「勿論、加山を放置するのは有り得ない。だから────────」

 

 七海は那須達に向けて、作戦方針を示した。

 

 全員がその内容に得心し、頷く。

 

 確かにそれならば合理的だと、小夜子もまた太鼓判を押す。

 

 というよりもこれは彼女の発案でもあるので、今更でもあるのだが。

 

「さあ、そろそろ時間だ。行こう」

「ええ」

「うん」

「はいっ」

 

 那須隊が配置に付き、転送される。

 

 向かうは、仮想の戦場。

 

 ()()()()()との戦いに、彼等は臨む。

 

 

 

 

「行くぞ」

「はい」

「はいっす」

「了解」

 

 弓場隊もまた、戦場へ赴く。

 

 彼等はいつも通り、各々のやり方で勝利を目指す。

 

 相手が未知のそれである自覚はなくとも、やる事は変わらない。

 

 それが、彼等の流儀(スタイル)なのだから。

 

 

 

 

「さあ、行こうか」

「うん」

 

 紅月隊の二人も、戦いの場へ向かう。

 

 片や、異世界からの来訪者。

 

 片や、本来の歴史では既に出奔した密航者。

 

 有り得ざる異邦人二人は、異なる世界線の強敵相手にその腕を振るう。

 

 三つの世界線、本来交わる事のない道筋が。

 

 夢の世界で交わり、そして。

 

 全霊を以て、ぶつかり合う時が来たのだ。





 というワケでクロスオーバーコラボ開催です。

 現在6話まで書き上がっていますが、今後時期を見て順次投稿していきます。


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クロスランク戦②

 

「────────」

 

 戦場となる空間へ転送が完了し、七海は視界に広がる街並みを見据える。

 

 彼が立つ家屋の上から見渡せるのは、大小様々な建築物が並んだ市街地。

 

 オーソドックスな住宅街が並ぶ市街地Aと比べ高低差のある建物が多く、射線が切れ易いバトルフィールド。

 

 市街地B。

 

 その戦いの地に降り立った七海は、通信を繋ぎ号令をかける。

 

「始めるぞ。予定通りだ」

『了解』

『了解よ』

『了解ですっ』

 

 三者三様の返答が成され、仲間の後押しを受けた七海はその身を躍らせる。

 

 異邦人との戦いが今、開始された。

 

 

 

 

「こちら加山。予定通り、七海先輩に見つからない事を第一に仕込みをやってきます」

『おう、見つかんなよ』

 

 加山もまた、現状を確認しつつ仲間と通信していた。

 

 彼が転送されたのは、東側の住宅街の一角。

 

 細い路地が多く、家屋を通れば上方からの視線を切りつつ移動出来る悪くない環境だ。

 

 現在彼は家の影に隠れながら、地道に仕込みを行っている最中だ。

 

 地形を利用した戦術こそが彼の真骨頂であり、他のチームの眼を掻い潜りながら罠を仕込んでいくのが今の彼の最優先事項だ。

 

 見つかっては元も子もないが、それでもまごついていてはいつ戦闘に巻き込まれるか知れたものではない。

 

 那須隊は中距離戦のエキスパートと言える部隊であり、メテオラや合成弾もある為火力も高い。

 

 紅月隊はとにかく隊長のライの移動・攻撃範囲が広く、油断すれば部隊ごと一蹴されても不思議ではない。

 

 加えて、それぞれの部隊のエースが厄介な副作用(サイドエフェクト)持ちだ。

 

 七海は感知痛覚体質の能力によって不意打ちや狙撃が効かず、それを最大限に活かした戦い方をする。

 

 狙撃を恐れずに大胆に立ち回り、乱戦で優位を取っていくそのやり方は放置すれば盤面を好き放題にかき乱されてしまう。

 

 ライは超高速精密伝達という、要するに超絶的な反射神経を持っているに等しい動きを行う。

 

 これによって生半可な攻撃は通じないどころか、凄まじい精度の攻撃が的確に標的に叩き込まれるのだからたまったものではない。

 

 七海は乱戦・攪乱特化の盤面操作能力が、ライはとにかく個人としての突破力の高さが突出している。

 

 対して、加山に出来るのはあくまでも仕込みを元に作戦を遂行し、部隊に有利なシチュエーションを作り上げる事だ。

 

 嵌まれば何もさせずに封殺出来るが、反面途中で妨害を受ければ瓦解しかねない脆さも孕んでいる。

 

 この試合は、加山が準備を終えるまで生き残れるかが、最大の焦点。

 

 故に。

 

「────────────────早速来ました」

 

 それを止めようとするのは、至極当然の理。

 

 有り得ざるマッチメイクの試合の第一手は、他ならぬ那須隊が駒を繰り出した。

 

 無論、彼の初手は決まっている。

 

 ()()である。

 

 

 

 

「────────メテオラ」

 

 バッグワームを脱ぎ捨てた七海は、眼下の住宅地へ向かって炸裂弾(メテオラ)を放つ。

 

 無数に分割され、叩き込まれる弾丸。

 

 それらが地面に着弾すると同時に爆発が起こり、家屋を吹き飛ばしていく。

 

 無論、一度で終わる筈もない。

 

 七海は屋根の上を足場としながら高速で移動を続け、跳躍の度にメテオラを撃ち放っている。

 

 目的は無論、加山の────────────────弓場隊の炙り出しである。

 

 現在、七海を除く全ての隊員はバッグワームを纏っておりレーダーには映っていない。

 

 仕込みさえ済んでしまえば試合を優位に進められる弓場隊の場合、これは当然の選択である。

 

 今回どのチームにも狙撃手はいるが、紅月隊の鳩原は人を撃てないという性質を持っている。

 

 そして那須隊の狙撃手である茜は最も得意とするのがライトニングによる高速精密狙撃であり、イーグレットやアイビスの使用頻度はそこまで高くはない。

 

 無論警戒をしなくて良いというワケではないが、少なくとも序盤は咄嗟の両防御(フルガード)が出来ないというリスクよりも位置を知られる事による思惑の看破の阻止を優先したという事だ。

 

 紅月隊の場合はタイミングを見計らっているだけだろうが、それも長くは続かないだろう。

 

 何故なら。

 

「小夜子、次は」

『今示したルートを爆撃して下さい。このまま、最短で加山さんを炙り出しましょう』

 

 加山に、弓場隊に残された猶予はそう長くはない。

 

 それを。

 

 彼等はすぐに、知る事になる。

 

 

 

 

(マズイマズイ…………ッ! このままじゃ、()()()()()()()()…………っ!)

 

 加山はその七海の動きに、内心で滅茶苦茶焦っていた。

 

 それは何故か。

 

 七海の行う、爆撃のルート。

 

 その破壊痕は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

 恐らく、加山のいる位置が大まかにであるが那須隊側にバレている。

 

 これは、そういう動きだ。

 

 このメテオラ包囲網が完成してしまえば、加山が外に出るには破壊され上から丸見えな瓦礫の上を通るしかなくなる。

 

 そうなれば、どうなるかは目に見えている。

 

 加山は自分という駒が、他の隊員よりも格段に()()()()()と自認している。

 

 何故ならば、彼は放置すれば間違いなく他部隊に大きな損害を与える駒だからだ。

 

 エスクードによる地形操作や、高速で生成される合成弾による奇襲。

 

 何よりも他チームの嫌がる事を的確にこなすその戦術スタイルが、見敵必殺の対象となるに充分過ぎる性質を備えているからだ。

 

 場合によっては敢えて姿を晒して自分を囮に相手チームを罠に嵌めたりもする加山だが、今回も場合はこの最序盤で居場所がバレてしまえばほぼ詰みだろうと考えている。

 

 七海は当然ながら、ライも加山を見つけたならば見逃すという選択肢はない。

 

 加山は生存率の高い駒であり、一度逃げに徹されれば仕留めるのは相当に難しくなる。

 

 故に、彼が隙を見せれば恐らく双方の部隊から狙われて終わりだ。

 

 他の仲間は離れた場所に転送された為にすぐに救援に向かう事は出来ず、孤立無援な状態で集中攻撃されれば流石に加山でも凌ぎ切れはしないだろう。

 

 彼の生存率が高いのはあくまでもリスクヘッジを常に意識しながら行動するからであり、対抗手段のない状態で狙われても堪え切れるような類の駒ではない。

 

 だからこそ、今の状況は最悪の類と言えた。

 

(なんでバレた…………? 開始と同時に全員がバッグワーム着たから、俺の位置に繋がるような情報は与えていない筈────────────────いや、待て。まさか)

 

 加山は一つ、仮説を思いつく。

 

 想起するのは、とある機会に国近から聞かされた話。

 

 曰く、彼女は────────。

 

 

 

 

『恐らく、那須隊のオペレーターは自分たちの転送位置から大まかに弓場隊の居場所を割り出したんでしょう。以前、私達も同様の事を行いましたが────────────────正直、誰一人として位置が分からない状態でやられるとは思いませんでした』

「成る程、そういう事か。そんな事まで出来るなんて、優秀な子なんだな」

 

 ライは瑠花の見解を聞き、得心して頷いた。

 

 通常、ランク戦では各隊員の間に一定の間隔を置いてランダムにMAPに転移させられた状態で試合が始まる。

 

 何処に誰が送られるかは完全な無作為(アトランダム)だが、その隊員間の()()だけは大まかにだが決まっている。

 

 故に那須隊は人数が多い四人部隊であるという特徴を活かし、仲間の転送位置を元に相手チームが隠れていそうな場所を割り出したのだ。

 

 無論口で言うほど簡単な事ではなく、精密な地形把握や距離の計算、立体的な座標の掌握等様々な技術を併用しなければ精密な位置特定は不可能だ。

 

 以前に瑠花も同様の技術を用いて相手部隊の位置特定を行っているが、あの時は既に二人の隊員の位置が割れた状態だった。

 

 それと比較すると今回小夜子は自部隊以外の全員がバッグワームを纏っている中、その位置特定を行っている。

 

 瑠花も状況次第では同じ事が出来るかもしれないが、流石に余程の好条件でない限り難しいだろう。

 

 そんな真似を、軽々とやってのける程の技術。

 

 果たして志岐小夜子というオペレーターはそこまで突出した技能を持っていただろうか、と瑠花は首を傾げる。

 

 小夜子は確かに優秀なオペレーターではあるが、国近のような天才性までは備えていたというイメージはない。

 

 彼女とは別段親しかったというワケではないが、記憶の中にある小夜子と今向き合っている部隊のオペレーターのイメージが、どうにも噛み合わない。

 

 些細な、しかし確かな違和感が瑠花の心に燻り。

 

 しかし些末な事だと、思考を次へ回す。

 

 今は、そんな事を気にしている場合ではない。

 

 此処での選択が、今後に大きく影響するのだから。

 

「じゃあ、今七海くんに追い込みをかけられているのは加山くんではない可能性もあるワケか」

『ええ、流石に個人を特定する事までは不可能だと思います。ですが』

「僕と鳩原でない以上、十中八九弓場隊の()()である事は間違いない。那須隊としては加山くん本人なら御の字、仮に他の隊員であったとしても加山くん側としてはみすみす落とさせるワケにはいかないから出ていかざるを得ない、という事か」

 

 そう、七海としては()()()()()()()のだ。

 

 追い込んでいる相手が加山なら、そのまま仕留めに行くだけ。

 

 他の他の隊員であっても、加山を釣り出す為に利用すれば良いのだから。

 

『あそこは地形的に、狙撃手が潜むような場所じゃありません。仮にライ先輩ならもう自分から出て行っている頃合いですし、那須隊は自分達が追い込んでいる相手が弓場隊だと確信を持っているでしょう』

「或いは、高所を取った狙撃手の観測情報で弓場隊の隊服が垣間見えたから、というケースもありそうだね。日浦さんはテレポーターを持っているし、気付かれずに上を取るのも得意だろうからね」

 

 そして、恐らく那須隊は今囲っている相手が弓場隊だと決め打っている。

 

 ライであればとうに迎え撃っているであろうし、地形的に狙撃手である鳩原が潜伏するような場所ではない。

 

 そもそも追い込まれている相手が鳩原であればライが既に飛び出しているであろうから、その可能性は考えてはいないだろう。

 

 彼の性格を抜きにしても、この試合ではサポーターである鳩原をこんな序盤で失うワケにはいかないのだから。

 

『どうしますか? 作戦では、もう少し潜伏する予定でしたが』

「流石にこれ以上は放置出来ない。出るとしよう。瑠花、サポートを頼む」

『了解しました。ご武運を』

 

 そして、弓場隊を利用するつもりでいるライとしてもこの七海の動きは看過出来ない。

 

 確かにライは一騎当千の駒であるが、彼は自分の事を無敵だなどと驕った考えは持っていない。

 

 むしろどんな試合であろうと負ける可能性が少しでもあるなら全霊を尽くし、対策を練るのが当然だと思っている。

 

 そして、この状況を見過ごす事が出来ない以上。

 

 やる事は、一つだ。

 

「────────さて、行こうか。相手をして貰うよ、七海くん」

 

 

 

 

(紅月隊は、まだ動かないのか…………っ! やりようがないワケじゃないが、出来れば手札はまだ温存しておきたい。けど、どう考えてもこのままじゃ包囲網の完成に間に合わない)

 

 加山は姿を見られないよう気を付けながら、思考を巡らせていた。

 

 このままでは七海による爆撃包囲網が完成し、彼は文字通り籠の鳥となる。

 

 しかし、姿を隠しながらという枷を背負った状態で狙撃を意に介さず高速で駆け回る七海の速度に勝てる筈もない。

 

 そして最大の計算違いが、紅月隊が未だに姿を見せない事だ。

 

 加山の予想では、ライは七海が爆撃を開始してすぐに迎撃に向かう筈だった。

 

 爆撃を継続されれば自分の隊のサポーターである鳩原の居場所まで炙り出されかねないし、弓場隊を対七海に利用する以上放置する択はないと思っていたからだ。

 

 だが予想に反して未だにライは姿を見せず、沈黙を保っている。

 

 七海による包囲網は、最早その半分以上が完成している。

 

 このまま手をこまねいていれば、加山の逃げ道はなくなってしまう。

 

 状況の打開策がないワケではないが、それはこんな序盤で切って良いような手札ではない。

 

 そもそも、七海とライを食い合わせるのはこの試合で弓場隊が勝つ為の大前提だ。

 

 流石に無傷の二人を落とすのは難易度が高過ぎるし、堅実な勝ちを狙うにはお互いのエースをぶつけて消耗させるのがベストだ。

 

 此処で手札を切ればこの場はどうにかなるかもしれないが、それは後々の為に用意していたリソースを吐き出す事を意味する。

 

 流石にそんな状態であの強力且つ厄介な二部隊に勝てるとは思えず、加山は舌打ちした。

 

(読み違えたか…………? 紅月隊の戦略傾向を()()限り、これで動かない筈がないんだが────────────────いや、冷静になれ。此処で動揺して、下手に動けば元も子もない)

 

 加山は内心で自身を叱咤し、冷静な思考を取り戻す。

 

 今一番やってはいけないのは、焦って下手に動いた挙句に居場所を晒してしまう事だ。

 

 どの道、自力での脱出が困難である以上自分の読みが間違っていない事を祈るしかない。

 

 まるで一夜漬けでもしたかのように所々紅月隊や那須隊に対しての脳内情報の鮮度が曖昧であるが、余計な思考だと切り捨てる。

 

 今肝要なのは焦らず、事態を把握し続ける事。

 

 そして、それは。

 

「────────ようやく、来たか」

 

 望んだ現実の到来となって、結実する。

 

 

 

 

「────────旋空弧月

 

 旋空、二連。

 

 神速の連続斬撃が、爆撃をしていた七海へと襲い掛かる。

 

 それを。

 

 七海は予め用意していたグラスホッパーを踏み込み、跳躍。

 

 避けようがなかった筈の二連撃を回避し、七海は離れた家屋の上へと着地した。

 

「────────」

「────────」

 

 視界の先には、濃い青に銀色のラインが特徴的なロングコートを身に纏う少年────────────────紅月ライ。

 

 その胸には、祈りを捧げる少女とそれを守る武器を象った隊章(エンブレム)が刻まれている。

 

 対するは、尾を食む蛇(ウロボロス)とそれを支える三つの武器が描かれた隊章を胸に刻む少年────────────────七海玲一。

 

 二人の視線が、交わる。

 

 異邦の世界の主演者同士が、戦場で対峙した瞬間だった。



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クロスランク戦③

 

「まず、弓場隊を狙う動きで紅月さんを釣り出す。転送位置に関わらず、初動はこれで行く」

 

 試合前、那須隊作戦室。

 

 そこで七海が語ったのは、戦術の大前提。

 

 即ち、弓場隊を────────────────加山を追い込み、それによってライを止めに来させるというもの。

 

 それを聞き、真っ先に熊谷が口を出す。

 

「じゃあ、加山くんを狙うのはフリで本命は紅月さんって事?」

「勿論止めに来ないようならそのまま落としに行くが、それはないだろうと踏んでいる。盤面を好き放題に荒らされれば鳩原さんまで炙り出されかねない以上、必ずやって来る筈だ」

「狙撃手は隠れる場所がなくなればなくなる程、不利になりますからね。私も渓谷地帯なんかじゃ正直、晴れの天候だとかなり厳しいですもん」

 

 茜の言う通り、狙撃手というのは隠れる場所があるという大前提があるからこそ、見えない脅威として働くのだ。

 

 隠れる場所がそもそも少ない渓谷地帯などでは、狙撃手は移動すらままならない。

 

 那須隊はランク戦で一度渓谷地帯での戦いを経験しているが、正直砂嵐という特殊な天候でなければ茜はかなり動き難くなっていただろう。

 

 テレポーターという特殊な移動手段があるとはいえ、流石に荒野のど真ん中を無防備に進む狙撃手が無事で済むとは思えない。

 

 同様に、七海が好き放題爆撃して隠れる場所をなくしていけば鳩原や外岡といった狙撃手は相応に動き難くなる。

 

 ライとしてもそれは困る為、十中八九出て来るだろうというのが今回の七海の見解だ。

 

 狙撃手の茜の太鼓判もあるので、この予測は少なくとも的外れではない筈である。

 

「でも、なんでわざわざ紅月さんを? 最優先で対処すべきは加山くんの方だって、さっき言ってたよね?」

「確かにそれは事実だが、だからといって紅月さんは放置出来ない。最悪なのは、弓場隊とかち合ったところを潜伏していた紅月さんに横から奇襲されるケースだ。これをやられると、各個撃破で落とされかねない」

「紅月さんの奇襲は、確かにかなりの脅威ね。旋空の技量がとにかく高いし、不意を撃たれれば厳しいわ」

 

 そう、加山を放置出来ないのは勿論だが、だからといってライを放置するというのも有り得ない。

 

 ランク戦の資料(データ)では、彼は旋空を用いた奇襲で複数人を一気に落とすという離れ業をやってのけている。

 

 ()()()()()()()()()()が、もしも弓場隊とやり合っている最中に横槍を入れる形で奇襲されれば一発で落とされる危険がある。

 

 故に、ライを潜伏させたままにするという選択肢は危険極まりないのだ。

 

「だから、紅月さんには早々に盤上に出て貰う。そこから先は、俺の仕事だ」

 

 七海は彼らしからぬ不敵な笑みを浮かべ、拳を握り締める。

 

 そして、己の意思を告げた。

 

「彼は、俺が足止めする。その間に、作戦を進めていこう」

 

 

 

 

(ようやく出て来たか。今の攻撃は、間一髪だったな)

 

 七海は視線の先に佇むライを見据え、その手に持つ弧月に視線を向ける。

 

 旋空を用いた、高速の二連撃。

 

 紅月旋空と呼ばれるらしいその攻撃の剣速は、七海の想像を超えていた。

 

 生駒旋空に匹敵、もしくは勝るかもしれない。

 

 そんな速度の旋空が、二連。

 

 正直、以前の七海であれば避け切れずに両断されてしまっていた可能性も捨て切れない。

 

「────────」

「────────!」

 

 そして、考える時間すら与えられない。

 

 ライは無造作に旋空を放ち、それを感知した七海は大きく横へ跳んで回避する。

 

 ギリギリの回避は、行わない。

 

 以前、村上は旋空の軌道を途中で変えるという離れ業を披露した事がある。

 

 ライの正確な剣の腕は分からないが、あんな旋空を実現する程の技量だ。

 

 村上と同じ事が出来ないとは、とてもではないが言い切れない。

 

 点の攻撃である射撃や狙撃よりも、線の攻撃である旋空は七海にとって避け難い攻撃の一つだ。

 

 単発であるならまだ何とかなるが、あの速度のものを連続で放たれれば避けるのは容易ではない。

 

 もし、他の隊員と戦っている時に横から奇襲で撃たれればその時点でやられていた可能性がある。

 

「────────!」

 

 故に、警戒は怠らなかった。

 

 七海はその場から、グラスホッパーを用いて全力で後退。

 

 その一瞬後に、彼のいた場所に無数の弾丸が降り注いだ。

 

 光弾の蛇のような不規則な軌道は、見間違える筈もない。

 

 彼の最も大切な少女の得意とする、変幻自在の弾丸。

 

 変化弾(バイパー)

 

 それが、旋空を囮として七海に向かって放たれていた。

 

 毒蛇は獲物を逃がさない。

 

 七海が回避した筈の弾丸は、まるで意思を持つように大きく円を描き、彼に向かって追い縋った。

 

(玲と同じ、リアルタイム弾道制御…………っ!)

 

 そう、これは那須の得意とする────────────────というよりも、彼女と出水以外は誰一人行えないと言われている高等技術。

 

 変化弾(バイパー)の、リアルタイム弾道制御だ。

 

 通常、変化弾は予め決めて置いた軌道に沿った弾道で撃ち出すのが一般的だ。

 

 バイパーは自由度が高い分制御が難しく、そうでもしないと見当違いの方向に弾が向かいかねない。

 

 だからこそ予め数パターンの弾道を決めておき、そこから選択する形で射出するのが普通だ。

 

 しかし、那須や出水はその常識を覆す。

 

 彼女達は文字通りのリアルタイムで弾道を引き、その場その場でバイパーの軌道を設定する。

 

 それ故に変化弾の名の通り変幻自在な軌道を描く弾を操る事が可能であり、通常射線の妨げになる障害物すら彼女達にとっては弾の隠れ蓑として利用出来るものに過ぎない。

 

 そしてその技術の応用として、一度撃った弾が空ぶった時に更に相手を追尾するような軌道で撃つ事が出来る。

 

 故に、この技術を持つ者のバイパーは一度避けたからと言って安心は出来ない。

 

 毒蛇は、獲物に食らいつくまでその動きを止めはしないのだから。

 

(バイパーが本命────────────────いや、違う。()()()()か…………っ!)

 

 七海は自らに追い縋るバイパーを回避しようとして、気付く。

 

 これは、本命の攻撃ではない。

 

 那須の戦いを間近で見ていたからこそ、分かる。

 

 この変化弾(バイパー)は、陽動だ。

 

 その目的は、七海に回避機動を()()()()事。

 

 そして、その先には────────。

 

「────────旋空弧月

 

 紅月旋空。

 

 鋭い軌跡を描く拡張斬撃、二連。

 

 それが、七海の行き先に置かれていた。

 

「────────!」

 

 本命の攻撃を予測していた七海は、バイパーを回避するのではなく広げたシールドで弾く。

 

 そして、グラスホッパーを用いた跳躍で旋空の檻から逃れ切った。

 

(危なかった。バイパーを回避していれば、やられていたな)

 

 今の攻撃は、七海がバイパーを回避する事を前提として軌道計算が行われていた。

 

 四方八方から飛来するバイパーを避ける為には、おのずと光弾の密度が低い場所へ向かって跳躍する事になる。

 

 だからこそライは敢えて光弾の薄い個所を設定しておき、そこへ七海が向かうように仕向けたのだ。

 

 土壇場でそれに気付けなければ、恐らく七海は回避軌道を取っていただろう。

 

 そして、今の旋空にやられていたに違いない。

 

(二宮さん相手に時間稼ぎをした経験が役に立ったな。あれがあったから、紅月さんの狙いにも気付けた)

 

 B級ランク戦の最終ROUND、七海は二宮相手に決死の遅延戦闘を行った。

 

 そこで長時間に渡り彼は二宮の猛攻を凌ぎ続け、その後の勝利に繋げてみせた。

 

 二宮は単なる力押しだけではなく、その高い技量を駆使した追い込みを行う。

 

 トリオン量によりごり押しで仕留められる相手であればそのまま削り殺すが、そうでない相手には追尾弾(ハウンド)を用いた陽動を用いる。

 

 ハウンドで動かされた相手に、高威力のアステロイドを叩き込む。

 

 それが二宮の両攻撃(フルアタック)の必勝戦術であり、これを受けて生き残れる者は殆どいない。

 

 七海も二宮が単独で尚且つ狙撃手が生き残っていた為に彼が両攻撃を控えていたからこそ時間を稼ぐ事が出来たのであり、そうでなければあそこまでの抗戦は出来なかっただろう。

 

 その経験があったからこそ、ライのバイパーの軌道から七海は彼の目的を看破する事が出来た。

 

 数々の戦闘経験が、自らの糧となっている。

 

 それを実感し、尚。

 

 目の前の相手は尋常なそれではないのだと、否応なく実感させられた。

 

(あの翁ほどとは言わないが、強い。まるで、忍田本部長を相手にしているみたいだ)

 

 ボーダー本部長、忍田真史。

 

 ライの放つ威圧感は、ノーマルトリガー最強の男と謳われる彼の存在を想起させる。

 

 忍田はあのヴィザ相手に抗戦を成功させていた、数少ない人物の一人だ。

 

 それも七海のようにガン逃げで時間を稼ぐのではなく、正面から斬り合って無事な時点で大分おかしい。

 

 神速の旋空を操るライの剣は、そんな彼を想起させた。

 

 というよりも、彼の剣筋は何処か忍田本部長に似ているのだ。

 

 細かい動きは違うものの、彼の剣は忍田のそれを模倣したような軌道を見せていた。

 

 もしかすると、直接本部長に指南を受けた可能性もある。

 

 分かってはいたが、一筋縄で行く相手ではない。

 

 全力で戦闘に集中しなければ、一瞬で落とされてしまうだろう。

 

(まずは此処で、彼を足止めする。俺の仕事は、彼を再び潜伏させない事だ)

 

 だからといって、逃げるという選択肢はナシだ。

 

 直に戦って実感したが、矢張り彼を潜伏させるワケにはいかない。

 

 あの旋空を不意打ちで撃たれれば、高い確率で各個撃破される。

 

 最悪、潜伏と奇襲を繰り返すだけで彼の独壇場になりかねない。

 

 そうさせない為にも、此処でライを足止めする必要がある。

 

 そして現状、それが出来るのは七海だけだ。

 

 爆撃する七海を正面から止められるのが、ライだけであるように。

 

 ライ相手に一人で時間稼ぎが出来るのも、また七海だけなのだ。

 

 七海は、彼を此処から逃がすワケにはいかず。

 

 ライは、七海にこれ以上爆撃をさせるワケにはいかない。

 

 互いの思惑は一致した。

 

 やるべき事は、変わらず。

 

 両雄は、瓦礫と街並みの境界線にて。

 

 高速戦闘を、続行した。

 

 

 

 

(七海先輩と紅月先輩がやり合い始めたか。これ以上の爆撃はない、と思って良いだろうな)

 

 一方、潜伏していた加山は遠目に垣間見える二人の戦う姿に思わず安堵の息を漏らした。

 

 ライは、他の事をやりながら片手間で相手に出来るような駒ではない。

 

 彼と七海が戦闘している間は、再度の爆撃はないと思って良いだろう。

 

(問題は、此処からどうするか、だな。一応包囲網は完成前に途切れたから、西側に抜ける事は出来る。けどそれは、向こうも分かり切っている事だ)

 

 七海による爆撃包囲網は、ライが止めに入った事で西側に穴が空いている状態だ。

 

 加山のいる場所から西へ向かえば、姿を隠したまま包囲網を抜ける事が出来る。

 

 だが当然、それは那須隊も承知している筈なのだ。

 

(恐らく、七海先輩は紅月先輩に止められる事を見越して動いていた。なら、そうなった時のリカバリーを用意していない筈がない)

 

 前提として、加山の大まかな居場所は既に那須隊に捕捉されている。

 

 少なくとも、包囲網の圏内には必ずいると確信しているだろう。

 

 だからこそ、包囲網の穴を()()()手段を間違いなく用意している筈なのだ。

 

(このまま西に抜ければ、十中八九待ち伏せを喰らう。というか、俺ならそうする。此処で俺を逃がすなんて真似は、絶対にしない)

 

 加山は、放置すればするだけ戦場の状況を悪化させる事が出来る駒だ。

 

 他チームからすれば何が何でも落として置きたい厄介者であり、集中して狙われ易い駒であるとも自負している。

 

 だから、那須隊の策がライの釣り出しだけで終わるとは到底思えなかった。

 

 仮に加山であれば、この包囲網の穴を埋める形で人員を配置する。

 

 それも、必ず加山を仕留められるような布陣で。

 

(このまま西に行けば、那須隊の仕掛けた罠が待っている。けど、だからといってこのままこの場所に留まればいつあの二人の戦闘の巻き添えで炙り出されるか分かったものじゃない。七海先輩達に見つかれば、最悪二人がかりで仕留めに来られる恐れもある)

 

 頭が痛いのは、加山を仕留めておきたいという方針は紅月隊も同じであるという事だ。

 

 ライもまた七海を落とす為に彼の仕掛けを利用したいのは事実だろうが、それは加山が落とし難く潜伏の得意な駒であるからという理由もある。

 

 言うなれば、加山の仕掛けを使うのは紅月隊にとって()()()()なのだ。

 

 加山が見つかり難く落とし難いから、逆にその仕掛けを利用する。

 

 その前提の上で、この疑似的な共闘は成り立っている。

 

 もしも、此処で加山が見つかるような事があれば七海とライは一時停戦してでも彼を仕留めに来る可能性が高い。

 

 それだけ加山の齎す盤面への影響力は大きく、どちらの部隊にとっても看過出来ないのだ。

 

 故に。

 

「弓場さん、俺はこれから────────」

 

 彼は仲間に指示を伝え、動き出す。

 

 判断は一瞬、迷う暇などない。

 

 加山は派手な戦闘が続く中、彼らしい戦いをやり遂げる為に。

 

 静かに、動き始めた。



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クロスランク戦④

 

(強いな。正直、さっきの旋空でダメージを与えられなかったのは驚いたよ)

 

 ライは相対する七海の姿を見据え、目を細める。

 

 現在、彼と七海は市街地の瓦礫の上で戦闘中だ。

 

 少し移動すればまだ爆撃の被害を受けていない家屋が存在するが、そちらは加山が潜伏している可能性のある区画だ。

 

 まだ弓場隊の誰が潜伏しているかは分からないが、仮に加山であるのならその陣地に迂闊に踏み入るのは自ら罠にかかりに行くようなものだ。

 

 故に、七海が破壊し罠が仕込まれている心配のないこの瓦礫の山の上で戦っているワケだ。

 

 加山の用いる罠は、主にエスクードと置きメテオラの二種類。

 

 場合によってはそれにスパイダーも追加されるが、流石にこうまで粉々にされている場所にそんな罠が残っているとは思えない。

 

 エスクードも、足場となる建物がない以上さほど脅威ではない。

 

 燃費の悪さという問題さえ解消出来ればエスクードは様々な状況で役立つトリガーではあるが、これを発生させるには相応の広さを持った()()が必要になる。

 

 今現在、この場所は七海が破壊した家屋の残骸が散乱し自分たちはその上で戦っている。

 

 無造作に転がる瓦礫の山では、エスクードを発生させられる足場を確保するのは容易ではない。

 

 七海がこの場でライを迎撃しているのも、そういう意図があっての事だろう。

 

 本来、彼は複雑な地形でこそ真価を発揮する攻撃手だ。

 

 その極めて高い機動力は、足場となる地形が立体的で尚且つ複雑であればある程捉え難くなる。

 

 しかしこの瓦礫の山の上では三次元機動は制限され、グラスホッパーの使用を半ば強要されている状態にある。

 

 そんな無理を推してこの場での戦闘に応じているのは、偏に加山の罠を警戒しての事だろう。

 

 加山の得意とするエスクードとスパイダーは、どちらも七海の副作用(サイドエフェクト)の感知にはかからない。

 

 狙撃も不意打ちも察知可能な七海の感知痛覚体質は、一見すると影浦の能力の上位互換のようにも思える。

 

 だが、影浦のそれが感情という攻撃だけではない相手の思惑を看破する事が出来るのと異なり、七海の能力はあくまでダメージの発生範囲を機械的に感知する。

 

 能力の発動条件がダメージを伴う攻撃の発生である以上、トリオン体への直接攻撃力のないエスクードやスパイダーはその感知の対象外。

 

 影浦であれば自分に視線を向けられた時点でその相手の感情を察知する為対応も可能だが、七海の能力ではそれは出来ない。

 

 故に、エスクードとスパイダーは七海という厄介な駒への明確な対策(メタ)の一つとなる。

 

 自身の能力を知り尽くしている七海は当然その弱点も承知しており、だからこそ警戒をしない筈がない。

 

 七海がこの場に留まっているのは、そういった理由だろう。

 

 また、ライにとってもこの場所での戦闘にはメリットがある。

 

 まず、視界が開けている為狙撃を察知し易いという事だ。

 

 七海と異なり、ライの副作用(サイドエフェクト)は攻撃を感知出来るような類のものではない。

 

 故に狙撃による不意打ちは当然警戒の対象であるが、周囲に何もないこのような場所であれば弾丸の到達までに気付く事は出来る。

 

 ()()()()では、掛け値なしの本物の戦場に立った事もあるのだ。

 

 遠距離からの狙撃は無論の事警戒しており、どんな地形が危険かも理解している。

 

 一見こういった開けた場所は射線を遮るものが何もない為狙撃の的とされがちだが、ライにはその超絶的な反射神経がある。

 

 超高速精密伝達。

 

 分類上副作用(サイドエフェクト)とされているライのその能力は、常人には比較にならない反射神経を利用した動きを可能とする。

 

 遠くから自分を狙った攻撃であれば、到達までに回避行動を取る事は容易い。

 

 逆に距離を詰められてからの狙撃では回避が間に合わない可能性もあり、だからこそこの場所は都合が良かった。

 

 七海が爆撃で蹂躙していた為、周囲一帯の建物は軒並み粉砕されている。

 

 無事な家屋のある場所までそこまで離れているというワケではないが、そちらに潜むという事は自分たちの射程範囲内まで近付かなければならない事になる。

 

 この場には、狙撃が効かない七海がいる。

 

 隠密特化の狙撃手である外岡としては、この距離で撃って居場所をバラせば七海に即殺されるであろう事が明白である為に近付く事は躊躇うだろう。

 

(けど、日浦さんはテレポーターがある。場合によっては転移からの近距離狙撃をやって来るかもしれないから、注意が必要だ)

 

 那須隊狙撃手、日浦茜。

 

 彼女に関しては、また別種の警戒が必要だ。

 

 茜には、テレポーターという移動手段がある。

 

 十数メートルの距離を一気に転移可能なそのトリガーは、撃った後で行方を晦ます手段としても有効であるし、場所を変えての転移狙撃といった荒業も可能だ。

 

 連続転移が出来ないという仕様上近距離まで転移すれば最早逃げる事は出来ないが、()()()()()()()()()()()()()()()話は別だ。

 

 捨て身の転移狙撃で、こちらを討ち取りに来る。

 

 そういった可能性も、充分にある。

 

 だからこそ、七海には少しでもダメージを与えてトリオンを削っておきたかったのだが。

 

(想定以上に、回避能力────────────────いや、危機感知能力が高い。これは、副作用(サイドエフェクト)に頼りっぱなしの動きじゃない。確かな経験に基づいた、血の滲むような努力の成果が形になったものだ)

 

 ライの予想以上に、七海の回避能力が飛び抜けて高かったのだ。

 

 影浦と同種の攻撃感知能力を持つと識って、警戒はしていた。

 

 普通に攻撃するだけでは、まず被弾させる事すら出来ないだろうと。

 

 だが、影浦がそうであるように回避系の副作用の持ち主といえど無敵ではない。

 

 感知出来ても避けられない攻撃はあるし、向こうの動きを上回る速度で刃を届かせれば躱す隙は与えない。

 

 そう考えて戦っていたが、ライはこの時点で自分の想定がまだ甘かった事を理解した。

 

 七海の動きは、決してサイドエフェクトに頼り切ったものではない。

 

 むしろ、副作用(サイドエフェクト)は最終的な警戒網として用いて、相手の攻撃は自分の眼で見た情報と経験則で対応する。

 

 あれは、そういう動きだ。

 

 ライは知らないが、七海のサイドエフェクトが攻撃を感知するのは相手の攻撃の発生が()()した瞬間だ。

 

 即ち、攻撃発生から着弾までが早過ぎる攻撃は七海といえどそう簡単には躱せない。

 

 そういった意味で、尋常ならざる剣速を持つ紅月旋空はこれ以上ない程七海にとっては有効な攻撃なのだ。

 

 されど、有効であるからといってそれを使われただけで落とされる程七海の培って来た経験の厚みは軽くはない。

 

 太刀川や出水を始めとした、敬愛する師の面々。

 

 ランク戦で相対した数々の好敵手達に、大規模侵攻でぶつかり合ったアフトクラトルの精鋭達。

 

 そういった者達との戦闘経験が、七海の動きをより鋭く精錬させていた。

 

 故に、ただ対策をした程度では彼に刃を届かせる事は出来はしない。

 

 彼の事情を知らずとも、刃を交わす内にライはその経験に裏打ちされた実力の程をある程度察していた。

 

 このまま何の策もなしに戦って落とせる程、甘い相手ではないと。

 

(認めよう。僕は、彼を侮っていた。正面からぶつかれば時間はかかるが倒せない相手ではないと、慢心していた。それなりに研鑽を積んで来た自負はあったけど、まだまだ精進が足りないって事か)

 

 自分に厳し過ぎるスタイルのライは自身の認識の甘さを悔い、そして頭を切り替える。

 

 戦力評価を見誤ったのは忸怩たる想いだが、今は戦闘中だ。

 

 戦場において結果を鑑みてそこから情報把握に努めるのは重要だが、()()をその場でやるのは悪手だ。

 

 そういった反省は戦闘終了後に顧みるべきものであり、一分一秒が状況を左右する戦闘中にそれをやるなど愚の骨頂だ。

 

 故に、ライは思考する。

 

 逐次瑠花と鳩原から送られてくる情報を元に、盤面を頭の中で整理して。

 

 此処から、どう戦況が動くのかを。

 

(そろそろ、弓場隊のアクションがあっても良い頃だ。幾ら僕たちがこの場で戦っているとはいえ、この包囲網の中にいるであろう弓場隊の()()はそこから抜け出したいと思っている筈だ)

 

 とはいえ、とライは思考を先に進める。

 

(それは、那須隊とて承知の上の筈だ。確実に、()()に伏兵を配置しているだろう。そして、弓場隊もまたそこまでは予想しているだろう)

 

 七海が作り上げた爆撃包囲網は、未完成だ。

 

 ライが途中で迎撃に出て来た為に、西側に穴が空く形で爆撃痕は止まっている。

 

 つまり、包囲網の中にいる隊員が建物に隠れながら外側に出るには西側を通るしかないという事だ。

 

 この西側の穴は、ある意味で意図的なものだ。

 

 初動とこれまでの動きから察するに、七海はライが出て来るのを半ば予想していた。

 

 ならば、包囲網が完成前に途切れるのは予測の範疇の筈だ。

 

 だからこそ、その穴に何も仕掛けていない筈がない。

 

 それは、弓場隊とて理解しているだろう。

 

(ただ西に向かうだけでは、那須隊の仕掛けた罠にかかる。けれど、瓦礫の道を通ろうと姿を晒せば高所の狙撃手に見られて即座に対応される危険がある)

 

 恐らくではあるが、那須隊の狙撃手である茜は何処かしらの高所に陣取ってこの包囲網を監視している筈だ。

 

 爆撃包囲網の穴が此処まで狭くなったのは、ライが出て来るまでに時間がかかったからだ。

 

 そうでなければ包囲網の穴はもっと広くなっていた筈であり、場合によっては包囲網と呼べない範囲で爆撃が停止していた可能性もある。

 

(その可能性は、多分切っていただろうけどね。僕がある程度出て来るのを遅らせる事自体は、那須隊も予想していた筈だ)

 

 しかし、那須隊と紅月隊には共通する利害がある。

 

 即ち、加山を此処から逃がしたくないというものだ。

 

 ライとしては加山の仕込みは利用したいが、だからといって得意の雲隠れをされては困る。

 

 加山は勝機が見えるまで、もしくは戦術上の理由がない限り幾らでも潜伏に徹する事の出来る隊員であり、一度逃げに徹した彼を炙り出すのは至難の業だ。

 

 だからこそ、爆撃包囲網という檻の存在は紅月隊にとっても都合が良かったのだ。

 

 故に、ライは姿を現すタイミングを包囲網が完成するギリギリまで遅らせた。

 

 勿論他にも理由はあるが、那須隊が加山らしき隊員の位置を捕捉したと断定した時点でそれを利用する方針に切り替えたのだ。

 

 加山の仕込みを利用するのは、あくまでも彼を発見出来ない時の次善の策である。

 

 もしこの包囲網の中に閉じ込められているのが加山本人であった場合、取るべき行動は一つだ。

 

 そしてそれは、きっと七海も同じ筈である。

 

(これは恐らく、加山くんも察しているだろう。だからこそ、そろそろ動きがあってもおかしくない)

 

 自分達が加山の位置を完全に捕捉すれば、どういった行動に出るか。

 

 それは、加山も承知しているに違いない。

 

 故に、そろそろ動きがあっても良い頃合いの筈なのだ。

 

(もしかして、この包囲網の中で陣地を作る心づもりなのか、それともこの中にいるのは加山くんじゃないのか。どちらにしろ、時間がない事は分かっている筈だ)

 

 このまま膠着状態が続いた場合、ライは敢えて七海の動きへの制限を緩めて爆撃を再開させるつもりでいる。

 

 居場所が割れていても、好き放題に罠を仕込まれていては何をされるか分かったものではないのが加山の厄介な所だ。

 

 だからこそこのまま弓場隊に動きがなければ、包囲網の完成を仕向けるつもりなのだ。

 

 この意図は、当然七海もすぐに察するだろう。

 

 極論、ライとしては序盤で加山が落ちても問題はない。

 

 利用出来るのなら利用はするが、そもそも彼がいなくとも那須隊の相手は出来るように戦術は複数用意している。

 

 得意な勝ち筋だけに頼るようでは、戦術家としては二流だ。

 

 戦場は常に変化する、生き物のようなもの。

 

 だからこそ想定される状況を無数にシミュレートし、最適な解答を適宜即座に実行する。

 

 それが出来る者が優秀な指揮官と呼ばれるのであり、必勝の策という思考停止に陥った者から脱落していくのが戦場の常識だ。

 

 そして、加山はそんな甘い相手ではないとライは認識している。

 

 これまでの彼の戦闘データを鑑みるに、間違いなくここらで何かを仕掛けて来る。

 

(…………! これは…………)

 

 そして。

 

 その予測は、すぐさま現実となった。

 

 レーダーに映る、無数の光点。

 

 それは他チームの隊員の反応を示すものではあったが、()()()()

 

 一つや二つではなく、確認出来るだけでも十数ヵ所。

 

 ダミービーコン。

 

 偽のトリオン反応を発生させ、レーダーによる索敵を妨害するオプショントリガー。

 

 それが、包囲網の()

 

 西側の区画で、無数に発生していた。



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クロスランク戦⑤

 

(来たか、ダミービーコン。けど、()()()に出るのか)

 

 七海は突如出現したダミービーコンの反応、その発生位置を知り目を細めた。

 

 ビーコンの反応が出たのは、彼等が戦っている場所から北西の位置。

 

 即ち、爆撃包囲網の()である。

 

 素直に考えれば、包囲網の中にいるのは加山ではなく別の隊員であり、このビーコン地帯にこそ彼がいるという事になるが。

 

(けれど、そこまで素直な動きを彼がするのか? ログを見た限り、かなり頭が回るタイプの隊員だ。自分の居場所をわざわざバラすだけの、迂闊な使い方をするとは思えない)

 

 ハッキリ言って、あからさま過ぎる。

 

 弓場隊でダミービーコンを駆使するのは加山ではあるが、だからといってビーコンのある場所に彼がいるとは限らない。

 

 ダミービーコンは、別段使用制限も何もない汎用トリガーに過ぎない。

 

 加えて、ただ設置して起動するだけなら誰でも出来る。

 

 使いこなすまで行くかどうかはともかく、ただ使用するだけであればどの隊員でも可能なのだ。

 

 故に、このビーコンの使用目的は加山が包囲網の外にいると思い込ませ彼の脱出をサポートする事だろう。

 

(逆に言えば、このビーコンの起動で彼が包囲網の中にいるのは確定したとも言える。けれど、本当にそんな露骨な策を打つのか…………?)

 

 しかし、これは少し考えれば分かるような作戦だ。

 

 こちらがそう読む事すら想定して、更なる策を仕込んでいる事すら有り得る。

 

 加山雄吾という隊員は、そういう相手だ。

 

 自分を囮にする事も厭わず、チームの勝利の為ならあらゆるものを利用する。

 

 だからこそ、どちらの可能性も有り得ると思えてしまう。

 

 単純に加山を逃がす為の策なのか、或いはそう思わせての奇襲が狙いか。

 

 どちらも有り得るからこそ、迷わざるを得ない。

 

 ブラフであると考え、包囲網を完成させるか。

 

 そちらに本命がいると想定し、動きを変えるか。

 

 果たして、どちらが正解なのか。

 

 加山は、このビーコン起動で強制的に二択を突き付けて来ている。

 

 無論、間違えればみすみす加山を逃がす結果となってしまう。

 

 そうでなくとも、手痛い一撃を喰らう事は間違いない。

 

 ミスが許されない選択の強制。

 

 それが、加山が那須隊に突き付けて来た宣戦布告だった。

 

(成る程、やり難いな。これが、加山くんか)

 

 今の弓場隊を指揮しているのは、加山だ。

 

 つまり、間違いなくこの戦術は彼が意図したものである。

 

 その狡猾な揺さぶりに、七海は加山の評価を上方修正した。

 

 彼は、データ上の性能(スペック)だけで計って良いような相手ではない。

 

 心理的な駆け引きを最大限に用いて、盤面を揺り動かして来る戦術家。

 

 それが加山雄吾なのだと、七海はこの時理解した。

 

 正直、心理的な駆け引きは七海にとって苦手な部類に入る。

 

 これまでは戦術を無数に用意し、こちらの得意分野を押し付ける事で勝って来たケースが多かった。

 

 半面、心理的な駆け引きとなるとそれまでの対戦の積み重ねから推察するしかなかった。

 

 那須隊は、加山の入った弓場隊と戦った事はない。

 

 彼等が知る弓場隊は神田がいた頃のそれであり、加山という新戦力が加入した弓場隊は未知の存在である。

 

 データとして識ってはいても、その脅威を肌で感じるのはこれが初。

 

 故に、警戒し過ぎという事は無い筈だ。

 

 ああいう手合いを放置すればどうなるかは、嫌という程理解しているのだから。

 

(考えろ。今の俺達にとって、()()なケースはなんだ? どちらを選んだ方が、よりリスクを軽減出来る?)

 

 ケース1.加山が包囲網の中にいると断定し穴を埋める為に動く。

 

 メリット/包囲網の中にいるのが加山でなくとも確実に一人、弓場隊の隊員の動きに制限をかけられる。

 

 デメリット/ビーコン地帯に加山がいた場合、そのまま雲隠れされる恐れがある。

 

 こちらの場合、やる事は単純だ。

 

 包囲網の穴を埋め、中にいる隊員を孤立させる。

 

 これを行えば中にいるのが加山以外の隊員であっても、その動きを制限出来る。

 

 しかし、仮に加山がビーコン地帯にいた場合にはそちらに雲隠れする隙を与えてしまう。

 

 可能性は低いとは思っているが、それでもリスクがあるのは確かだ。

 

 ケース2.ビーコン地帯に加山がいると仮定しそちらに攻撃を開始する。

 

 メリット/ビーコンを排除した上で、それを仕掛けた隊員を炙り出せる可能性がある。

 

 デメリット/包囲網の中にいる加山に逃げる隙を作ってしまう。

 

 こちらは優先してビーコン地帯に攻撃を仕掛け、その内部にいる隊員を炙り出す選択肢だ。

 

 ビーコンは存在するだけで邪魔な代物である上に、今起動しているもの以外にも使用せずに設置したまま隠蔽したものも存在する可能性がある。

 

 それら未起動のものまで纏めて薙ぎ払い、更に潜伏している二人目の隊員を炙り出すというメリットは魅力的だ。

 

 しかし、こちらへの対処を優先すれば包囲網の中にいる隊員を逃がす隙を与えてしまう。

 

 もし中にいるのが当初の想定通り加山だとすれば、七海達は千載一遇のチャンスを自ら逃す事になりかねない。

 

(逆に考えろ。これは、弓場隊から突き付けられている二者択一だ。けれど、何もその流れに完全に乗ってやる必要はない。要は、()()()()()()()()()()()()()()()()を考えれば良い)

 

 リスクを最小限に、尚且つ弓場隊がやられて嫌な事は何か。

 

 そう考えれば、選択肢は一つだった。

 

「────────メテオラ」

 

 ()()()包囲網の穴を埋め、中にいる隊員が逃げる隙を潰す。

 

 一度包囲網を完成させてしまえば、そのまま返す刀でビーコン地帯を爆撃すれば良い。

 

 恐らく、ライの邪魔は入らない。

 

 向こうとしても、加山を逃がす可能性を潰す事に関しては利害が一致するからだ。

 

 そう判断し、七海は上空へ跳躍。

 

 メテオラを、唯一残った包囲網の穴に向けて撃ち放った。

 

 

 

 

「────────そうですよね。七海先輩なら、そうしますよね」

 

 一方。

 

 それを見ていた加山は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

 これで、良いのだと。

 

 これで、()()()()()()()()と。

 

 内心で歓喜しながら。

 

予想通り(ビンゴ)。当たりだ」

 

 彼は。

 

 その引き金(トリガー)を引いた。

 

 

 

 

「な…………っ!?」

 

 七海が射出した、メテオラ。

 

 その射線上に、飛び出して来たものがあった。

 

 それは、恐らく駐車場にでも置いてあったのであろうバイク。

 

 乗り手のいない二輪車が、カタパルトか何かで撃ち出されたような勢いで飛んで来た。

 

 何が起こったか、考えるまでもない。

 

 (バリケード)トリガー、エスクード。

 

 それを用いて、駐車してあったバイクを空へ向けて射出したのだ。

 

 恐らく軌道計算もされていたであろう空飛ぶバイクは、正確にメテオラのキューブへ着弾。

 

 同時に、大爆発を起こした。

 

「く…………っ!」

「…………!」

 

 爆発が視界を覆い、七海達からは地上が見えなくなる。

 

 そしてそれは、この場を上から監視していた狙撃手達の眼を塞ぐ事をも意味していた。

 

 最初から、これが狙い。

 

 七海が包囲網の穴を爆撃すると読み、そのタイミングにエスクードを用いて障害物を射出。

 

 空中でメテオラを迎撃し、誘爆させて視界を潰す。

 

 トリオン強者たる七海の、分割なしのメテオラだ。

 

 当然爆破の規模は相当に大きく、視界を塞ぐには充分過ぎる。

 

 此処に来て、七海のトリオンの大きさが仇となった。

 

 この瞬間。

 

 内部にいる隊員────────────────加山は、千載一遇の脱出の機会を得る事になる。

 

 それを許す気は、七海にはなかった。

 

「熊谷…………っ!」

 

 

 

 

「了解…………っ!」

 

 七海の指示を受けた熊谷は、すぐさま動き出す。

 

 彼女は予め、包囲網から出て来る加山を迎撃する為にバッグワームを纏って待機していた。

 

 視界が塞がれたとはいえ、わざわざ障害物のない瓦礫地帯を通る理由はない。

 

 あそこから脱出するのであれば、十中八九この包囲網の穴から出て来る筈だ。

 

 爆発が収まり、視界が開けるまでの間は。

 

 他の隊員の援護は、期待出来ない。

 

 だからこそ此処を狙うだろうと、七海は判断した。

 

 それに、仮に外れたとしてもリカバリーは効く。

 

 何故なら、先程のエスクードはこの近辺で使用されている。

 

 ならば、少なくとも加山はあのバイクが視認出来る位置にはいた筈だ。

 

 故に、このタイミングで脱出するのであればこの穴かその近辺しか有り得ない。

 

 そして。

 

(来た…………っ!)

 

 熊谷が隠れる路地の向こうに、人影が垣間見えた。

 

 路地の向こうに、特徴的な弓場隊の白い隊服が見える。

 

 恐らく、まだこちらには気付かれていない。

 

 ならば、このまま旋空で不意打ちを行う。

 

 聞いた通りの副作用(サイドエフェクト)を持っているのであれば、奇襲だけで倒せるとは限らない。

 

(旋空弧月)

 

 故に反撃に備えてバックワームを解除し、熊谷は旋空を撃ち放った。

 

「…………!」

 

 路地の向こうの人影は、その旋空の一撃を跳躍して回避する。

 

 そして、その顔が露になった。

 

「え…………っ!? 帯島ちゃん…………っ!?」

「はいっす。お相手願います、熊谷先輩」

 

 弓場隊万能手、帯島ユカリ。

 

 熊谷が加山だと考えて攻撃を仕掛けた相手は、彼女だった。

 

 完全に予想外な事態に、熊谷は硬直しかけ────────────────思考を加速させる。

 

 此処で思考停止に陥るようでは、取り返しがつかなくなる。

 

 考えろ。

 

 今ある情報から状況を把握し、最善手を打て。

 

 一瞬でそう決意し、熊谷は思考を回す。

 

(さっきのエスクードを使ったのは、帯島ちゃんか…………っ! ダミービーコンも、多分そう。トリガーセットから考えて何かを外して二つセットしたんだろうけど、トリガーセット(そこ)を考えるのは後で良い)

 

 状況から考えて、ダミービーコンとエスクードを使ったのは帯島だ。

 

 加山を逃がす為の囮と考えられたビーコンの本当の役割は、帯島が包囲網の境界ギリギリまで移動するのを隠す為。

 

 エスクードは、近くに加山がいると誤認させる為。

 

 ならば、彼女の行動の真の狙いは。

 

「玲…………っ! 加山くんが、逃げたわ…………っ!」

 

 

 

 

「分かったわ」

 

 那須は熊谷からの報告を受け、キューブサークルを形成する。

 

 帯島の行動の意図は、最早明らかだ。

 

 即ち、彼女を影武者に仕立て上げ加山を包囲網から脱出させる。

 

 これしかない。

 

 このまま放置すれば逃げられてしまうだろうが、しかしまだリカバリーは効くのだ。

 

 もし、爆発から離れた場所から脱出しようとすれば狙撃手に見つかり位置を捕捉される。

 

 そして、七海達が戦っている南側へ逃げるのは有り得ない。

 

 故に、加山の逃走ルートは北西一択。

 

 ならば、そこに攻撃を叩き込めば良い。

 

変化弾(バイパー)

 

 那須は周囲に従えていたキューブサークルを射出し、標的目掛けて毒蛇の牙が襲い掛かった。

 

 

 

 

「やっぱ来たか」

 

 那須の想定通り、包囲網を抜け北西側の市外へ入り込んだ加山は空から降り注ぐ無数の弾幕を視認して舌打ちした。

 

 対処が早い。

 

 加山の記憶している那須隊とは、対応速度が段違いだ。

 

 その違和感に気付く事なく、加山はただ念の為に用意していた手札を切らざるを得ない事だけを不満に思う。

 

 最善は居場所が特定されない事だったが、この段階で攻撃が飛んで来たという事は十中八九位置がバレている。

 

 だが、恐らくあれは合成弾ではない。

 

 予め藤丸には、レーダーに他の隊員が映ったら即座に報告するよう言ってある。

 

 それがないという事は、那須は合成弾を使う為にバッグワームを解除してはいない事を意味する。

 

 つまり、あれはただの変化弾(バイパー)

 

 シールドを張れば防ぐ事が出来る、威力の低い弾丸に過ぎない。

 

 当てずっぽうで、市外に入り込んだ加山を炙り出すべく無差別に撃ったのか。

 

 そんなワケがない。

 

 この場所は、熊谷が潜んでいた近辺だ。

 

 ならば、確実に何かが仕込んである。

 

 というか、加山ならそうする。

 

 此処まで、熊谷には充分な準備期間があった。

 

 ならば、ただ潜伏していただけというのは考え難い。

 

(きっと、爆弾がセットしてあるんだろ。そして、那須さんのあれはそれを起爆する為の引き金だ)

 

 十中八九、置きメテオラが仕込んである。

 

 熊谷はメテオラの扱いは巧いとは言えないが、キューブを置くだけなら簡単だ。

 

 そも、那須隊は置きメテオラを好んで使う部隊だ。

 

 那須の使用する変化弾(バイパー)は応用性は限りなく高いが、反面威力が低いという欠点がある。

 

 鳥籠や一点集中攻撃、そして合成弾はその火力の低さを補う為の手札なのだ。

 

 故に、合成弾を使わずバイパー単体で撃って来た以上は、確実にその向かう先に()()()がされている。

 

 ならば、話は簡単だ。

 

 爆弾を、起爆させなければ良い。

 

 その為の手札は、既に加山が持っている。

 

「エスクード」

 

 家屋の隙間を埋めるように、無数の壁がせり上がる。

 

 加山が発生させたエスクードは、バイパーの軌道を的確に塞ぎ。

 

 強固な(バリケード)トリガーは、その弾幕の一切を弾き防ぎ切った。

 

「悪いけど、何処に爆弾を仕込むのが有効かは分かるんですよ。その場所に最速で弾を叩き込むならどの軌道(ルート)が有効かも、含めてね」

 

 確かに、置きメテオラは那須隊の使う得意技だ。

 

 しかし、戦場に罠を仕込みそれを利用する事にかけて加山の右に出る者はいない。

 

 故に、分かるのだ。

 

 何処に罠を仕掛け、どうやってそれを起動するのが最善かが。

 

 たとえ、これまで那須隊を支えて来た得意戦術であろうとも。

 

 こと罠の扱いに関しては、加山の方に一日の長があったワケだ。

 

「そろそろ、反撃開始だ。試合でやられたくない事は、文字通り嫌と言う程知ってる。これまで好き放題された分、存分にやってやるよ」

 

 檻から解き放たれた工作兵が、動く。

 

 盤面が、大きく動こうとしていた。



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クロスランク戦⑥

 

(防がれた…………っ! リスクを鑑みて普通の変化弾(バイパー)にしたけど、合成弾を使うべきだったかしら)

 

 自身の目論見が失敗に終わった事を茜からの報告で知り、那須は内心で舌打ちする。

 

 包囲網を敷き、慎重に封じ込めていた加山に脱出されるケースは幾つか想定はしていた。

 

 今の那須隊は確かに尖った駒を有用に扱い、自身の強みを押し付ける事で盤面を混乱させ、その隙に得点を掻っ攫う事が得意な強力な部隊だ。

 

 しかし、その戦術には自部隊の強みが通用する────────────────即ち、那須隊の得意とする盤面攪乱が有効であるという大前提がある。

 

 加えて、相手のデータから行動を読むのであればともかく、個々人の心理を利用した戦術というのはそこまで得手とはしていない。

 

 逆に、加山はその相手の心理を利用した戦術構築がすこぶる巧い。

 

 先程の帯島を陽動にした脱出策にしても、逃げた後の追撃への対処も、こちらの思惑を完全に読み切っていなければ不可能な事だ。

 

 特に、那須の撃った弾が合成弾ではなく通常の変化弾(バイパー)であった事を見抜いた点が大きい。

 

 出水との切磋琢磨(だんまくしょうぶ)で腕を磨いた今の那須は、彼に匹敵するスピードで合成弾を構築出来る。

 

 つまり、バッグワームを解除して合成弾を生成するまでの時間は僅かあれば事足りる。

 

 故に、その瞬間を見逃してしまえば那須の位置が分からないまま合成弾の斉射を喰らう事になる。

 

 加えて、先程のバイパーは置きメテオラに当てる為のものであった為、速度重心のチューニングを施していた。

 

 だから撃った直後に即座に反応しなければ、あの対応は間に合わなかった筈だ。

 

 それこそ、レーダーを逐一チェックし何かあれば報告するようオペレーターに指示でもしていなければ。

 

 恐らく、加山はそれをやった。

 

 予めレーダー反応があればすぐに報告するようオペレーターの藤丸に頼み、その通達がなかった時点で那須の弾を合成弾ではないと即断した。

 

 だからこそ、エスクードでの射線妨害という手に出たのだ。

 

 これが仮に合成弾、変化炸裂弾(トマホーク)であればエスクードを使ったところで大して意味は無い。

 

 エスクードそのものは破壊出来ずとも、その土台となる家屋を吹き飛ばしてしまえば良いからだ。

 

 故に先程の弾がトマホークであった場合、全力で逃げる以外に道はなかった筈である。

 

 しかし加山はそれをせずに、エスクードでの対処に踏み切った。

 

 結果として彼の目論見が功を結び、加山は自身の正確な位置を晒さないままメテオラの起爆を防ぐ事に成功した。

 

 あの周辺にいる事までは確定されたが、詳細な場所までは分からない。

 

 離れた場所へも起動出来るというエスクードの利点を、巧く使った形となる。

 

(此処からの対処は、凡そ二択ね。バッグワームを解除して合成弾を使うか、それともバッグワームを着たまま奇襲に向かうか。どちらにせよ、リスクはあるけれど)

 

 こうなると、那須に示された選択肢は二つ。

 

 一つは、バッグワームを解除し居場所を晒してでも合成弾を使って爆撃する事。

 

 こちらは、単純に加山の潜伏している周辺の建物を吹き飛ばし、その位置を炙り出す事が出来る。

 

 彼の位置さえ分かれば七海とライはそちらへ標的を変え、袋叩きにする事が出来る。

 

 爆撃さえ成功すれば、一気に加山を追い込めるのだ。

 

 成功した場合のメリットは、限りなく大きい。

 

 問題は、未だ弓場隊の狙撃手の位置が不明である事。

 

 弓場隊狙撃手、外岡は隠密行動に特化した隊員だ。

 

 その潜伏能力は尋常ではなく、一発目を撃つまでに位置が割れる事はまずないと言って良い。

 

 だから、那須がその位置を晒し合成弾生成という無防備な行動を取った瞬間、狙撃で撃ち抜かれる恐れがある。

 

 これは当然無視出来ないリスクであり、こちらの選択肢を全肯定出来ない大きな要因である。

 

 もう一つは、バッグワームを着たまま那須が加山の元へ向かい、奇襲で仕留める事。

 

 こちらは位置を晒す事なく近付ける為、狙撃に晒されるリスクは低い。

 

 しかしそれは、加山が得意とする地形戦術が既に仕掛けられているかもしれない場所へ自ら踏み込む事を意味する。

 

 流石にこの短時間で多くの仕掛けを設置出来るとは思わないが、エスクードの展開はリアルタイムで行えるのだ。

 

 狭い場所に誘い込まれ、エスクードで退路を封じられれば幾ら那須とて劣勢は免れない。

 

(いやらしいわね。どちらにも無視出来ないリスクがある上に、どちらも選ばなければ更に状況が悪くなる。こういう心理戦に長けた相手は、本当に厄介)

 

 どちらを選んでも、リスクがある。

 

 しかし、成功した場合のメリットの大きさは無視出来ない。

 

 いや、どちらにしろ二択を選ばざるを得ないという意味でこの仕掛けは悪辣だ。

 

 まず、彼を放置して逃がすというのは有り得ない。

 

 完全に加山に潜伏されれば好き放題にMAPに仕掛けが設置される上、どう動いて来るか読めなくなる。

 

 地形利用戦術が本格的に動き出せば、最早弓場隊の独壇場だ。

 

 何処に仕掛けてあるか分からない罠に翻弄され、弓場や加山といった高火力の駒の奇襲に常に警戒しなければならなくなる。

 

 その展開に至った時点で、ほぼ負けのようなものだ。

 

 故に、絶対に此処で加山を逃がすワケにはいかない。

 

 しかし、それに対処する為の行動はどちらも大きなリスクを孕んでいる。

 

 苦渋の選択。

 

 まさに、それを突き付けられた瞬間だった。

 

 

 

 

「流石に、那須先輩に好き放題動かれたらたまりませんからね。このくらい嫌がらせをしないと、あっという間に蜂の巣だ」

 

 加山は路地を走りながら、周囲の警戒を行っていた。

 

 居場所を大まかながら特定された事は、確かに痛い。

 

 だが、まだリカバリー出来る範囲ではある。

 

 この周辺にいる事は露見したが、まだ詳細な位置まではバレてはいない。

 

 だから、爆撃で炙り出されでもしない限りは七海やライに狙われる事はないだろう。

 

 故に、目下今の加山にとって最大の脅威は変化炸裂弾(トマホーク)という手札を持つ那須という事になる。

 

 仮に彼女の爆撃で周囲一帯が吹き飛ばされでもすれば、加山の位置は露見する。

 

 七海やライが直接加山を叩きに来ないのは、彼の正確な位置が特定出来ていないからだ。

 

 この周辺にいるという事は理解しているだろうが、その詳細な位置が分からなければ即座に追い込む事は出来ない。

 

 ライも一発の爆撃程度は見逃すだろうが、もしも七海がそれ以上に爆撃を敢行しようとすれば容赦なくその隙を突くだろう。

 

 彼にとっては加山は目下最優先で排除するべき対象だが、七海もまた同様に落とし難い駒であるが故に落とせる機会は逃したくはない筈だ。

 

 七海もまた、ライのそんな思惑は承知している。

 

 だからこそ、強引に爆撃をするという選択肢が取れないでいるのだ。

 

(だから、この状況下で動かせる駒は那須先輩一択。問題は、那須先輩が()()()を選ぶか)

 

 居場所を晒すリスクを承知で、バッグワームを解除して爆撃するか。

 

 もしくは、潜伏したまま直接加山を叩きに来るか。

 

 どちらを選んでも、大きなリスクがある事は分かっているだろう。

 

 しかし、どちらも選ばないという選択肢はない。

 

 加山は、そのように盤面を構築した。

 

 相手の動向を図る為の材料は、何も試合のデータや隊員の性能(スペック)だけではない。

 

 その個々人の好む戦術傾向や、その()()

 

 そこから相手の行動を推察し、対応するのが加山のやり方だ。

 

 そして、これまでの戦闘である程度()()()那須の性質は読み取れた。

 

(あそこで那須先輩は合成弾ではなく、通常のバイパーを撃って来た。これは、()()()()()()()()()()()では有り得なかった事だろう)

 

 現在の那須隊の中核とも言える隊員、七海玲一の有無はあの部隊にとって大きな要因(ファクター)だ。

 

 彼が入隊した事で、以前の那須隊に不足していた「那須に匹敵する機動力を備えたエース」兼「那須以外の点取り要員」が加わったのだ。

 

 それによって変わった事とは、何か。

 

 最大の違いは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事だ。

 

 それまでの那須隊は、点を取るには那須が無理をしてでも動くしかなかった。

 

 彼女以外のポイントゲッターがいなかった頃の那須隊では、そうする以外に勝ち筋がなかったからである。

 

 攻撃手の熊谷はどちらかといえば防御重視の駒であるし、茜もまたサポーターが本領だ。

 

 だからこそ那須隊は熊谷と茜が那須をサポートし、本来射手という後衛のポジションである彼女が強引に前に出て点を取るしかなかったのだ。

 

 しかし、今の那須隊は違う。

 

 七海という、攪乱に特化した攻撃手────────────────つまり、()()()()()()()()()()()()()()が入った事で、那須が無理に前に出て行く必要がなくなったのだ。

 

 故に、現在の那須隊の戦術は七海が前に出て盤面を攪乱し、そこから戦力を逐次投入する事で隙を突いて点を取る、という形が基本となっている。

 

 戦力の逐次投入は場合によっては愚策となりかねないが、那須隊はその性質上奇襲への適性がかなり高い。

 

 ハウンドという中距離戦が可能な手札が加わった熊谷は足止めと遊撃の両方の役割がこなせる駒として成長しているし、茜の転移狙撃の脅威は言うまでもない。

 

 そして、七海という頼れる前衛が加わった事により那須は本来の射手の動きに徹する事が可能になった。

 

 即ち、前衛をサポートする後衛として。

 

 確かに那須は機動力がウリだが、だからといって自ら攻撃手へ近付くのは当然ながらリスクが高い。

 

 以前はそうしなければ点が取れなかった為止む無く接近していたが、自分が無理に動かずとも点を取る事が可能になった以上徒に危険を冒す意味はない。

 

 だからこそ、那須はリスクを孕む合成弾ではなく堅実なバイパーという選択肢を取った。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()という、正しくはありながらある意味後ろ向きな思考によって。

 

 無論、彼女の選択が間違っていたとかそういう話ではない。

 

 隊のエースの一人である彼女が落ちる事は、那須隊にとって大きな損害だ。

 

 それを避けるよう行動するのは当然だし、合成弾という選択肢を選んだ事によって更に状況が悪化していた可能性は捨てきれない。

 

 しかし、それは。

 

 加山にとっては、非常に()()()()行動パターンでもあったのだ。

 

(隊の現状と、那須先輩自身の性格。加えて、狙撃手の外岡先輩が未だ潜伏している事。これらを鑑みれば、あの場面で合成弾を撃って来る可能性はかなり低いと思っていた)

 

 現在の戦況と、資料から分かる那須隊のデータ。

 

 更に那須自身の性格と、彼女の隊内での立ち位置。

 

 それらを考慮した結果、あの場面で合成弾を使う可能性は殆ど切っていた。

 

 勿論何かあれば報告して貰うよう藤丸に頼んではいたが、結局彼女からレーダーに反応があったという通達はなかった。

 

 だからこそ、あそこでエスクードによる妨害という最善手を打つ事が出来たワケである。

 

(さっきので、今の那須先輩の思考傾向は大体分かった。この場面で、那須先輩が選ぶのは────────)

 

 そして。

 

 加山は外岡からの報告を受けて。

 

 ニヤリと、不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

(────────此処なら、狙撃が来ても対処出来る)

 

 那須は、とあるビルの内部へと足を踏み入れていた。

 

 この建物は七海が敷いた爆撃包囲網の北側に位置し、場所的にも加山のいる位置を狙うには都合が良かった。

 

 元々、彼女が潜伏していたのはビルの北西に当たる場所だった。

 

 万一加山が包囲網を抜けたとしても、すぐに対処出来るように。

 

 不測の事態があった時に、即応出来る場所に潜んでいたのである。

 

 那須は先程の位置で爆撃を行うのでなく、この建物の中から合成弾を使う事を選択した。

 

 このビルは比較的広く、仮に窓越しに狙撃が飛んで来たとしても射線はかなり限定される。

 

 それに、相応の階数のある建物である為いざとなれば天井を吹き飛ばして立体機動で動く事も出来るので彼女を追ってやって来た相手を迎撃、もしくは状況を見ての撤退をする事も充分に可能だ。

 

 そう考え、那須はこのビルを利用する事を選択した。

 

 そして。

 

「────────来たか」

「────────っ!?」

 

 ────────────────ビルの中で待ち構えていた、二丁拳銃を携えた男。

 

 弓場拓磨の姿を目にした事で、那須は自らの失敗を思い知る事になる。

 

「…………!」

「遅ぇ…………っ!」

 

 那須はシールドを張ると共に、回避行動を取る。

 

 だが、一手遅かった。

 

 那須が、ビルに足を踏み入れた時点で。

 

 彼女と弓場の間の距離は、20メートル弱。

 

 既に彼の射程圏内に入っていた以上、気付いてから回避行動を取ったのでは遅過ぎる。

 

「く…………!」

 

 結果として、那須は弓場の12連射を防ぎ切れずに被弾。

 

 脇腹を大きく抉られ、そのままビルの上階へと撤退した。

 

 

 

 

「────────逃がしたか。だが、ダメージは与えた。あれなら、そう長くは保たねぇだろ」

『ええ、想定通りそのビルを使ってくれて助かりました。これで、那須先輩の行動には大きな制限がかかる。上出来でしょう』

 

 そう、弓場がこのビルの中に潜んでいたのは偶然ではない。

 

 加山が那須の行動を読んで、彼をこのビル内に配置していたのだ。

 

 結果として弓場の奇襲が通り、七海と同じく非常に落とし難い駒である那須に大きなダメージを与える事が出来た。

 

 読み合いは、一先ず加山の勝ちと言えるだろう。

 

『此処から、詰めていきます。追う側と追われる側は、もう逆転しました。俺達の戦いを、見せてやりましょう』

 

 通信越しに、加山は笑う。

 

 それは、獲物を前に舌なめずりをする類のものでは断じてなく。

 

 ただ、冷徹に標的を狙う。

 

 狩人の浮かべる、怜悧な微笑みだった。



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クロスランク戦⑦

 

(────────失態ね。まさか、あそこで弓場さんが待ち構えてたなんて)

 

 那須はビルの中を駆けながら、先程の失敗を思い返し歯を食い縛る。

 

 彼女としては、安全策を取ったつもりだった。

 

 狙撃の脅威を軽減し、尚且つ加山を狙える絶好の策。

 

 あの時点で那須が取れる作戦としては、最上のものを選んだつもりだった。

 

 だが。

 

(加山くんは、その()()を見抜いて来た。きっと、あそこに弓場さんを配置したのは彼の指示ね)

 

 その最良の策をこそ、加山は想定していたのだ。

 

 那須はあの時、加山を止めたいという思惑と狙撃の脅威に晒されるリスクを天秤に掛けていた。

 

 加山を炙り出すのであれば、変化炸裂弾(トマホーク)が最も有効。

 

 しかし、それをすれば何処に潜んでいるか分からない狙撃手の外岡に狙い撃たれる可能性がある。

 

 彼女は、自分の価値を間違えない。

 

 狙撃手が位置を晒すリスクと、相手チームのエースの片翼である那須を仕留める好機というメリット。

 

 どちらを取るかは、明白だ。

 

 那須隊の中距離戦術の中核は、彼女が担っている。

 

 前衛のエースは七海であるが、同時に後衛のエースは那須なのだ。

 

 彼女がバックアップに専念するからこそ、七海はその真価を発揮出来る。

 

 実際、那須と七海が巧く連携出来た試合は相応に有利な条件で戦いに臨む事が出来ていた。

 

 だからこそ、那須は簡単に落ちるワケにはいかないのである。

 

 故に、安全策を取った。

 

 立体的な構造の屋内という狙撃に対処し易い場所で、加山を炙り出す為の合成弾を使おうとした。

 

 しかし、その為に目を付けたビルには弓場が待ち構えていた。

 

 もし、弓場が彼女を追って外からやって来たのであれば幾らでも対応は出来ただろう。

 

 弓場は攻撃手殺しとしての特性を持つ強力な銃手だが、その射程は20メートル少々。

 

 射手としての強みを存分に活かす那須とでは、そもそもの射程距離が違う。

 

 故に、那須としてはその機動力を用いて距離を保ち、相手の攻撃が届かない距離から鴨撃ちを仕掛ければ倒すまではいかずとも時間稼ぎは充分に出来る筈だった。

 

 だが、那須がビルに足を踏み入れた時点で既に彼女は弓場の射程圏内に収まっていた。

 

 中距離での、鉢合わせ。

 

 それが銃手と射手の組み合わせで起こった時、有利なのは前者なのだ。

 

 何故ならば、銃手は射手がその性質上抱えているタイムラグが存在しない。

 

 射手は弾を撃つ時、トリオンキューブを生成しそれを分割、そして射出するという工程(プロセス)を踏まなければ攻撃に移れない。

 

 しかし、銃手の場合引き金を引くだけで攻撃を行う事が出来る。

 

 故に射手が銃手の射程の内に何の準備もなく入ってしまった場合、間違いなく先制攻撃を喰らってしまう。

 

 加えて、弓場は銃手の中でも特に早撃ちに特化したブレードの代わりに銃を用いる攻撃手とも言える存在である。

 

 あの距離に不用意に足を不見れた時点で、那須の被弾は必定であったと言えよう。

 

(今分かった。加山くんは、嫌がらせが得意なんじゃない。人の心理の隙を突く事が、とても巧いんだわ)

 

 盤面を見て相手の嫌がる事を的確に行い、仲間のサポートをする犬飼とはまた異なる戦術眼。

 

 相手の動向をその癖も含めて注視し、そこから分析(アナライズ)した思考傾向から次の動きを読む。

 

 そして、その相手が取るであろう行動に即した対処を行う。

 

 それが、加山のやり方だ。

 

 厄介なのは、戦況から推察しているのではなく、相手の思考傾向から行動を読んでいる事だ。

 

 理論的に最善の一手を、読むのではない。

 

 その相手個人が()()()()()()()をこそ、加山は読んでいる。

 

 それはきっと、犬飼の用いる戦術理論とは真逆の在り方。

 

 彼があくまでも盤面とこれまでのデータから戦況を推察し、自部隊にとって最善の行動を選択するのに対し。

 

 加山は、それまでに得たデータから相手の思考傾向を読み取り、その隊員()()がやりそうな手を読んでそれに対処する。

 

 二宮あたりからすれば、「相手の気まぐれで失敗する不安定な策」だと評価するだろう。

 

 だが、これは相手の心理ではなく盤面から戦況を読んで来た那須隊にとって天敵とも言えるやり方だ。

 

 那須は自分のチームの強さを疑ってはいないが、反面心理戦に関しては苦手な部類であると理解している。

 

 コミュ障の那須は勿論、七海も口が巧い方ではなく会話を通じた思惑の看破等は苦手な方だ。

 

 だからこそ徹底的に戦況とそれまでのデータを分析し、あくまでも論理的(ロジカル)な根拠に基づいて戦術を構築していた。

 

 那須の今回の選択もまた、そういった論拠から決めたものだった筈だ。

 

 まさかそれを、こちらの思考傾向そのものから読まれるとは予想の外にも程があった。

 

(やっぱり、彼は放置出来ない。この傷じゃあトリオン切れも遠くないけど、それまでにやれる事をやらなきゃいけないわ)

 

 改めて、理解する。

 

 加山は、今の那須隊の天敵だ。

 

 論理に基づいた戦術を、心理の側から攻略する。

 

 それは、各隊員の現場判断能力が高い那須隊だからこそ効果的だ。

 

 大本となる作戦は、勿論ある。

 

 しかし、その場その場での対処はいちいち仲間に伺いを立てていたのでは間に合わない。

 

 故にそういった瞬間的な機転は、各隊員の判断に任されている。

 

 そして加山は、そういった現場での判断をこそ読み取る。

 

 この状況であれば、この隊員はどのように動くか。

 

 それを先読みし、的確に対処の手を打つ。

 

 那須がビルを利用すると読み、そこに弓場を配置したように。

 

 思いも依らない方向から、加山は彼女の行動に対応してみせた。

 

 このまま彼を放置すれば、同じ事を他の仲間に対してもやりかねない。

 

 というよりも、やらない理由が無い。

 

 盤面攪乱を得意とし、戦場を縦横無尽に荒らし回る那須隊。

 

 ライという特化戦力を中核に、正面突破から絡め手までありとあらゆる手段を駆使して一騎当千の動きを見せる紅月隊。

 

 どちらも、まともにぶつかれば強力無比である事は間違いない。

 

 だからこそ、加山はその裏をかく。

 

 エースを無理をして狙うのではなく、相手の心理を読んで予想外の方向から横槍を刺して点を稼ぐ。

 

 自分が狙われている状況すらも利用し、相手を罠に嵌める策の一助とする。

 

 その性質は、自分達にとって厄介極まりない。

 

 今の弓場隊はある意味、エースを得て進化した王子隊とでも言うべき戦術スタイルとなっている。

 

 彼を放置すれば、どれだけ被害が広がるか分かったものではない。

 

 今の那須は、弓場から受けたダメージにより遠からず脱落する。

 

 急所は避けたものの、傷口が大き過ぎるのだ。

 

 既にかなりのトリオンが漏れ出しており、生身に置き換えれば出血多量の状態だ。

 

 当然、長く保つ筈がない。

 

(それはきっと、加山くんも分かっている筈。なら、私を放置してくまちゃんの所に向かう可能性も────────────────いえ、逆にそう思わせて私が何も出来ないよう更に追い込んで来るケースも有り得る)

 

 今の那須の状態は、当然弓場隊も看破している筈だ。

 

 故に、加山が取るであろう選択は二つ。

 

 既に致命傷を与えた那須を放置して、熊谷と戦う帯島の援護に向かうか。

 

 弓場と合流し、このまま那須を追い詰めるか。

 

 その、いずれかだ。

 

 これは、単純に消去法である。

 

 狙撃手である茜と鳩原の位置は、今現在を以て不明。

 

 そして、これまでの行動から察するに彼は七海とライを無理に狙うつもりはない。

 

 つまり、彼等の標的は那須か熊谷のどちらかだ。

 

 熊谷は現在、帯島と戦闘状態にある。

 

 報告によれば拮抗しているらしいが、防御重視の熊谷とサポータータイプの帯島の組み合わせであればなんらおかしな事ではない。

 

 そこに加山、もしくは弓場が加われば流石に熊谷とて厳しい筈だ。

 

 以前のランク戦では帯島と神田のコンビ相手に奮戦した熊谷ではあるが、攻撃手である彼女にとって攻撃手キラーである弓場や地形操作に長ける加山は天敵とも言える相手だ。

 

 優秀なサポーターである帯島に加え彼等まで参戦されては、熊谷の劣勢は明らかだろう。

 

 また、那須は大ダメージを負ったとはいえ合成弾を撃つ事は出来る。

 

 未だ潜伏している加山としては、後先を考えずに彼女に変化炸裂弾(トマホーク)を撃たれるのも困る。

 

 故にそれを阻止する為、確実に那須を削りに来る可能性もある。

 

 どちらも、充分有り得るパターンだ。

 

 そして、今度こそ失敗は許されない。

 

 此処で那須が何も出来ずに落とされれば、まず間違いなく那須隊は劣勢に追い込まれるのだから。

 

(迷っている時間はないわ。此処は────────)

 

 那須は考える時間さえ惜しいと、通信を開く。

 

 そして、頼れるオペレーターにそれを告げた。

 

「小夜ちゃん、お願いがあるんだけど────────」

 

 

 

 

(恐らく、那須先輩は捨て身で合成弾を撃って来る。この状況で無為に落ちる事を、彼女は良しとはしない筈だ)

 

 加山は、那須の思考を読みその為の対処に走っていた。

 

 現在、彼は弓場と合流する為にビルの前までやって来ている。

 

 先程いた場所には、無数のダミービーコンを仕込んで来た。

 

 後は頃合いを見てこれらを起動し、那須の合成弾を誘うだけだ。

 

(那須先輩は、責任感がかなり強い。さっきの失敗を自分の所為だと思って、何か戦果を残そうと躍起になるだろう)

 

 加山は先程の不意打ち成功で、那須に精神的ダメージを与える事が出来たと確信していた。

 

 彼が分析した那須の人物像は、責任感が強く抱え込みがちな女傑タイプだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()やこれまでの戦い方や資料から考えるに、那須は自分の失態を後まで引きずるタイプだ。

 

 彼女は試合で一度失態を冒した後は、無理をしてでも部隊に貢献しようとする傾向が見られた。

 

 そして、その結果として防御が疎かになるケースも当然あった。

 

 なら、此処からは無理をして戦果を挙げようとする那須の梃子を外して、最後の余力を無駄撃ちさせれば良い。

 

 あの傷であれば、合成弾を撃つのは一発が限度の筈だ。

 

 故に、ダミービーコンに紛れて姿を晦ますと見せかけて、那須の攻撃をこの場でやり過ごせば良い。

 

 残る可能性として加山ではなく帯島を狙うケースもあった為、必然的彼が逃げる先はこのビルとなった。

 

 まさか那須も、自分の足元に加山が潜んでいるとは思っていないだろう。

 

 弓場と組んで自分を追い詰める可能性くらいは考えたかもしれないが、ただ攻撃をやり過ごす為にビルの付近に隠れるとは思わない筈だ。

 

 場合によってはビルから逃げるという選択をする可能性もあるが、それならそれで弓場と二人がかりで仕留めれば良い。

 

 その為の準備は、勿論怠ってはいない。

 

 近くの路地には置きメテオラをワイヤーと共に仕込んであるし、逃げようとそちらへ向かった時点でドカンだ。

 

 あくまで万が一の為の備えである為、使わない可能性はあるがそれならそれで今後の為の仕込みとして利用すれば良いだけだ。

 

 試合は、那須を倒しただけでは終わらない。

 

 もしやすると彼女を助ける為に茜がやって来る事もある為、唯一の懸念事項だった彼女の動向が分かれば最上である。

 

「そろそろ仕掛けるか。藤丸先輩、ビーコンの起動お願いします」

『よし。任せろ』

 

 加山はオペレーターに頼み、先程いた場所に仕込んだビーコンを起動させる。

 

 MAP上に浮かび上がる、無数のダミービーコンの反応。

 

 これは当然那須隊側にも見えている筈であり、加山の予想通りであれば。

 

(来たか)

 

 ────────ビルの内部から、合成弾が放たれる。

 

 推測した通りの絵図に加山はほくそ笑み、物陰に身を隠しながらビーコン地帯へ向かう弾幕を見据える。

 

(これで、那須さんの最後の余力は尽きた。後はトリオン切れの緊急脱出を見届けて、帯島の援護に向かえば良い)

 

 加山の作戦は、成就した。

 

 とにかく厄介極まりなかった那須の排除は、これで完了。

 

 後はエース二人を食い合わせつつ、堅実に点を稼げば良い。

 

 そう考えた、刹那。

 

「な…………っ!?」

 

 ────────────────ビーコン地帯を狙った筈の弾丸が、弧を描いて軌道を変え加山の元へと降り注いだ。

 

 それは、加山にとって完全なる予想外。

 

 弾丸が軌道を変えた、それそのものは驚くに値しない。

 

 那須は、出水と同じリアルタイム弾道制御という高等技術の持ち主。

 

 弾丸の軌道を自在に描ける彼女は、外した弾がもう一度戻って来るよう設定する事すら朝飯前だ。

 

 問題は、このタイミングでビーコン地帯ではなく加山のいる場所をピンポイントで狙った事。

 

 加えて、どうやらこの弾は速度重視のチューニングが成されている。

 

 故に、一手。

 

 対応の為の刹那の時間が、足りない。

 

「く…………っ!」

 

 加山は止む無く、自身の周囲にシールドを広げる。

 

 合成弾とはいえ、あくまでも変化炸裂弾(トマホーク)はメテオラの亜種だ。

 

 爆発による攻撃範囲は広いが、反面貫通力はさほどでもない。

 

 素のメテオラそのものよりは威力が高いだろうが、広げたシールドであれば問題なく対応可能。

 

 故に、この弾で加山が落とされる事はない。

 

 

 

 

「────────なんて、考えているんでしょうね。でも、甘いですよ」

 

 那須隊、作戦室。

 

 そこでは画面を見据えながらキーボードを操作する小夜子が()()()()()()()()()を注視しながら、ほくそ笑む。

 

「悪だくみは、此処でお終いです。そろそろ、強制的に舞台に上がって頂きましょう」

 

 

 

 

「え…………?」

 

 加山は。

 

 本当に今度こそ、目を見開いた。

 

 自分に向かって、降り注ぐ弾幕。

 

 それは加山にぶつかる直前に、その軌道を変えた。

 

 その向かう先は、二ヵ所。

 

 弾が出て来たビルの根元と、()()()()()()()()()()()()()()

 

 完全に自分に対する防御のみの対処をしていた加山に、その弾の行く手を阻む手段はなく。

 

 吸い込まれるように着弾した変化炸裂弾(トマホーク)は、一斉に起爆。

 

 加山の仕掛けたメテオラを巻き込み、()()()()()()()()()()()

 

「うわ…………っ!」

「────────!」

 

 恐らく、ビルの内部にも炸裂弾(メテオラ)を仕掛けていたのだろう。

 

 変化炸裂弾の着弾によって、ビルの内部が連鎖起爆で倒壊。

 

 ダイナマイトによる爆破解体の如く、ビルは一瞬にして瓦礫と化した。

 

 間一髪で窓から飛び出し、弓場が地面へ着地する。

 

 しかし、既にそこは。

 

 周囲に瓦礫しか存在しない、()()()()()()()()()()と化していた。

 

「────────」

「────────」

 

 そして。

 

 当然、二人の姿は七海とライの二人の眼に捉えられる。

 

 ビルの跡地から那須のものであろう緊急脱出の光が上がる中、ようやく加山は察した。

 

 那須が────────────────否。

 

 ()()()が狙っていたのは、加山を直接落とす事ではない。

 

 そう思わせておいて、加山を誘き出し強制的に直接対決の場に引きずり出す事だった。

 

 今の攻撃で加山や弓場はダメージを受けなかったが、その代価としてこれ以上ない程明白な形で彼等の居場所は明らかとなった。

 

 スコーピオンを携え、不敵な笑みを浮かべる七海。

 

 表情を変えず、二人の姿を見据えるライ。

 

 舌打ちし、両者を見上げる加山。

 

 何処か嬉しそうな笑みを浮かべ、いつでも動けるよう構える弓場。

 

 四者のエースの視線が、交差する。

 

 舞台は、整えられた。

 

 前哨戦は、終わりを告げる。

 

 異邦の主演者同士が今、激突する。



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クロスランク戦⑧

 

(────────失敗した。以前の那須先輩のイメージに、完全に引きずられた)

 

 加山はこちらを睥睨する二人のエースを見据えながら、舌打ちした。

 

 この事態に至ったのは、偏に彼が那須の性格を読み違えた為だ。

 

 まず、加山は那須の思考傾向から「失態を取り戻そうと捨て身で無茶をする」と読んだ。

 

 那須は責任感の強い性格であり、仲間意識が強い。

 

 自分の所為で隊が劣勢になったと感じれば、そのミスを引きずって無茶をしてでも隊に貢献しようとする。

 

 少なくとも、()()()()()()()であればそのように動いていただろう。

 

 だが、今目の前にいる少女は違う。

 

 加山の与り知らぬ事ではあるが、彼女は彼の知る那須玲ではない。

 

 世界線の異なる、異邦の存在。

 

 本来であれば交わらぬ筈の者達が、何かの間違いでこの場に集った。

 

 そのうちの、一人である。

 

 故にこの那須は加山とは面識がないし、直接話した記憶もない。

 

 性質の根本は同じであっても、辿った道程がまるで異なるのである。

 

 正史の那須であれば、恐らく加山の想像通りの行動を取っただろう。

 

 失態を引きずって無茶をして、戦果を挙げられずに退場する。

 

 そのように、結果が収束した筈だ。

 

 しかし、()()彼女は違う。

 

 この試合に参加している那須は、本来の彼女にはない喪失を経験している。

 

 一度はそれが原因となって時計の針を止めて迷い葛藤していたが、そんな艱難辛苦すら乗り越えて成長したのが今の那須だ。

 

 だからこそ、彼女は人を頼る事を識っている。

 

 苦しみを、痛みを識ったからこそ、那須は一人で抱え込む事を止めている。

 

 仲間を頼る事は、決して恥ずべき事ではない。

 

 むしろ、そうしない方が信頼への侮辱であると。

 

 今の彼女は、理解している。

 

 だから、彼女は。

 

 自身の取るべき行動の選択を、信ずる相手に委ねたのだ。

 

 

 

 

「巧く行きましたね。お疲れ様です那須先輩」

「ええ、ありがとう小夜ちゃん。小夜ちゃんの指示がなかったら、きっとこうはならなかったわ」

 

 那須隊、作戦室。

 

 そこでは爆撃によってトリオンを使い果たして緊急脱出した那須が、小夜子の隣に座っていた。

 

 真っ先に落ちた事は悔しいようでため息を吐いてはいたが、その顔は晴れやかだ。

 

 何故なら、彼女は。

 

 ()()()()()()()()()()()()()、加山の位置を露見させる事に成功したのだから。

 

「急なお願いだったけど、流石小夜ちゃんね。私一人だったら、きっと思いつかなかった」

「本当に急でしたからね。()()()()()()()()()()()()()()なんて、不意に丸投げするんですもん。まあ、そう来ると思って準備していた甲斐はありましたが」

 

 そう、あの時那須が小夜子に行った依頼(オーダー)は単純明快。

 

 自身のこの試合での最後の仕事になるであろう作戦の内容を、小夜子に丸投げしたのだ。

 

 それは、思考放棄などでは断じてない。

 

 何故なら。

 

「加山くんは、私の思考を読み切ってた。だから、私の中から出る作戦案(アイディア)じゃ、裏をかけないと思ったの」

「ええ、そうでしょうね。あれ程心理戦に特化した相手っていうのは初めてですし、そういう駆け引きは那須先輩も七海先輩も苦手ですから」

 

 ────────────────自分の思考が読まれるのであれば、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 那須は、そう結論したからだ。

 

 加山は那須の思考傾向を読み切り、その行動に即した対応策を取っていた。

 

 彼女は加山の知る那須ではないが、それでもその性質の根本は同じだ。

 

 だから、那須一人であるならば彼女は加山の推測通りの行動を取っただろう。

 

 事実、あの場で何が出来るかと考えた時に、加山の潜んでいた周辺を爆撃する事を思いついていたのだから。

 

 しかし、それでは彼の裏をかく事は出来ないと那須は判断した。

 

 こちらの性格を読み、弓場のビル内部での待ち伏せという不確実性の高い作戦を取って来た相手だ。

 

 那須が最後の足掻きとして行うであろう事まで、読み切っているに違いない。

 

 そのまま行動に移っても、確実に対応される。

 

 那須は、そう考えたのだ。

 

 だからこそ、彼女は躊躇なく小夜子に頼った。

 

 自分の中から出る方法では、加山の裏をかく事は出来ない。

 

 だったら、自分以外。

 

 他の者の作戦を採用すれば、加山の裏をかく事が出来る。

 

 そして、自身の最後の仕事を委ねる相手として。

 

 小夜子ほど、適任な者はいなかったのだ。

 

「加山さんは、一度那須先輩を罠に嵌めています。だからこそ、その成功体験から()()()()()()()と思い込む。成功体験を経た人間の行動っていうのは、ワンパターンになりがちなんです」

 

 そして、小夜子はその信頼に見事応えてみせた。

 

 加山が那須に致命打を与える事に成功した事に目を付け、那須の性格を読み切ったと考えていると推測して。

 

 那須が取るであろう行動に、加山であればどう対応するか。

 

 それを知り得たデータから推測し、解答を導き出した。

 

 即ち、加山は堅実に、そして大胆に那須の攻撃をやり過ごす策を取るであろうと。

 

 あの状況下で、那須が取れる行動は多くはない。

 

 ビルの内部で弓場を迎え撃つか、加山を狙うかのどちらかだ。

 

 そして、あの傷で十全な戦闘が望めない以上、後者の可能性が非常に高い。

 

 だからこそ、加山は自分が狙われる事を考慮に入れた上で()()()()()に向かう筈だった。

 

 この場合、安全な場所とは何処か。

 

 まず、加山が最初に逃げ込んだ付近は真っ先に除外される。

 

 既にある程度の位置が露見していた以上、そこに留まれば確実に爆撃で炙り出されてしまうだろう。

 

 また、帯島の援護に向かおうとすれば那須がそう読んでそちらを狙って来る可能性があった。

 

 依然として狙撃手の茜や鳩原の居場所が割れていない以上、高所から姿を見られる可能性を0には出来ない。

 

 また、加山はその動きから七海やライを無理には狙わず、取れる点を稼ごうという意図が見える。

 

 なら、那須の脱落を確認した後は返す刀で帯島の援護に向かいたい筈である。

 

 その上で幅広い対応が可能なように、弓場との合流を優先するのは必然。

 

 加えて、那須がビル内部に攻撃を行う可能性は低いと踏んだ以上。

 

 そのビルの近辺こそ、安全な場所と踏む筈だ。

 

 また、那須がビルから脱出し奇襲を仕掛ける可能性もゼロではない。

 

 そういった可能性を摘む為にも、ビルの付近に仕掛けを施そうとする可能性は高かった。

 

 更に加山であれば陽動の為にダミービーコンを使う事も予想出来た。

 

 だから、小夜子は指示したのだ。

 

 ビーコンの反応があった場合、ビルの周囲を爆撃するようにと。

 

 結果として、読みは当たり。

 

 那須の爆撃は加山が仕込んでいたメテオラにも誘爆し、広範囲を爆破。

 

 加山の位置を、白日の元に曝け出す事に成功したのだ。

 

「これで、加山さんの位置は明白になりました。あそこから雲隠れするのは、もう不可能でしょう。那須先輩は、出来る中での最善の戦果を掴み取ったと言っても過言ではありません」

 

 ただ、加山を負傷させるよりも。

 

 ただ、ビーコンを吹き飛ばすよりも。

 

 余程重い戦果を、那須は持ち帰る事が出来た。

 

 エースの片翼である、彼女が落ちた事は確かに痛い。

 

 けれど。

 

 加山の完全な雲隠れという最悪のケースは、これで排除出来たのだ。

 

「あとは、こちらの仕事です。強制的に、大舞台の上で踊って頂きましょう」

 

 

 

 

(あの那須先輩が、俺の知っている那須先輩とは違うと何処かで分かっていた筈なのに、それを失念していた。一度の成功で、浮かれた結果か)

 

 加山は自身の失態を完全に把握し、すぐさま思考を加速させた。

 

 此処で後悔しても、意味は無い。

 

 重要なのは、これからどう動くか。

 

 それだけだ。

 

 以前の香取隊のような無様は、晒せない。

 

 あの時、向こうから求められたとはいえあそこまで彼等をこき下ろしたのだ。

 

 彼等と同じ失態を演じる事は、自身を案じ動いてくれた染井華(かのじょ)に誓って出来なかった。

 

(此処から姿を晦ます事は、もう出来ない。エスクードで逃げようとしても、狙撃で撃ち抜かれるのがオチだ)

 

 そして、認識する。

 

 此処から逃げる事は、最早出来ないという事を。

 

 加山の当初のプランでは、エース二人は食い合わせた上で他の隊員を各個撃破していく予定だった。

 

 勿論、出来る事なら七海やライも落としておきたい。

 

 あの二人は放置すれば戦場が好き放題に蹂躙される厄介極まりない駒であり、地形戦術を得意とする加山としても可能な限り早期に落ちて欲しい相手でもあった。

 

 しかし、現実として彼等を落とす事はかなり難しい。

 

 ライは単純に実力が凄まじく対応力が並外れており、七海は回避に利用出来る副作用(サイドエフェクト)を持ち機動力と回避力がずば抜けて高い。

 

 彼等二人を落とすには、相応の犠牲を覚悟しなければならないのは明白だった。

 

 ならば、話は簡単。

 

 誰を落としても、得られる得点は変わらない以上。

 

 無理にエースを狙うよりも、それ以外を狙って点を稼ぐ方が余程効率的だ。

 

 二人を放置する事は出来ないが、だったらエース同士で食い合わせればその動きは制限出来る。

 

 故に七海とライをぶつかり合わせた上で裏で動き、各個撃破で得点を稼ぐのが加山の立てた作戦であった。

 

 しかし、こうまで明瞭に姿を晒されてしまえばその手はもう使えない。

 

 無理でも無謀でも、目の前の二人のエースを相手取らなければ負けるだけだ。

 

 自分の失態を取り戻すには、此処を巧く凌ぐしかない。

 

 その為に、自分は────────。

 

「────────加山ァ、余計な事ァ考えんじゃねぇ。おめェーはただ、巧く俺等を動かして勝つ事だけ考えてろ」

 

 そんな風に考えている最中、加山の葛藤に気付いたのだろう。

 

 弓場が眼鏡をギラつかせ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてみせた。

 

「弓場さん」

「それに、俺としちゃあ願ったりだ。あの二人たぁ初対面だが、どっちも思わず震えて(ブル)っちまうような極上の相手だ。それを正面からぶっ潰せ(バチ)れりゃあ、爽快だろうよ」

「────────うっす、そうっすね。ありがとうございます。色々すっきりしましたわ」

 

 己が敬愛する隊長の叱咤激励により、加山は顔を上げる。

 

 いつの間にか自分の責任を重く捉え過ぎて思考の迷路に陥りそうになっていたが、なんて事はない。

 

 とんでもない強者を相手にするのなんて、いつも通りだ。

 

 ランク戦で勝ち上がり、あの二宮さえ下したといっても何が変わるワケでもない。

 

 勝てそうにない相手に勝つ為の方法を考えるのは、自分の仕事だ。

 

 神田という指揮官が抜けた弓場隊の穴を埋める為には、この程度で満足しているワケにはいかない。

 

 探せ。

 

 光明など、幾らでもある。

 

 ないなら作るだけだし、それは彼の得意分野だ。

 

 別に、七海もライも完璧な人間ではない。

 

 無敵というワケでもないなら、何処かに必ず突破口はある。

 

(こうなった時の対処も、考えていなかったワケじゃない。大分厳しい状況だけれど、やりようはある)

 

 転送運等も絡む以上、加山は自分の位置が露見する可能性もゼロではないと考えていた。

 

 流石にこうまで露骨に位置を炙り出されるとは思ってもみなかったが、何の対策も用意していなかったワケではない。

 

 自分達がいる位置と七海とライの立つ位置はある程度離れてはいるが、彼等であればすぐにでも到達出来る距離である事に違いはない。

 

 故に、一手目をしくじればその時点で終わりかねない。

 

 今度こそ、失敗は許されない。

 

 けれど、気負い過ぎても駄目だ。

 

 相手は、容易には落とせないA級クラスのエース二人。

 

 淀んだ思考では、抵抗すら許さず落とされる。

 

(この状況で、取るべき一手は────────)

 

 

 

 

(流石だな。あの那須さんがただで落ちるとは思っていなかったが、こうまで明瞭に加山君を炙り出すなんてね)

 

 ライは対峙する七海への警戒を続けながら、遠目にこちらを見据える加山達に目を向けた。

 

 彼等の位置を白日の元に曝け出した爆撃は、間違いなく変化炸裂弾(トマホーク)によるもの。

 

 この試合でそれを使えるのは、那須しかいない。

 

 故に、先程の光は彼女の緊急脱出の時のものだろう。

 

 詳細は分からないが、那須は弓場隊との戦闘で深手を負ったのだろう。

 

 故に最後のトリオンを用いて爆撃を敢行し、加山と弓場の位置を露見させた。

 

 その功績は、大きい。

 

 ライ達もまた加山を逃がすワケにはいかないという認識は共通していた為、爆撃と旋空で街を破壊しながら戦闘を継続してこの場にやって来たワケだが、それが功を奏したようだ。

 

 見る限り、加山と弓場の周囲は完全に瓦礫の山と化している。

 

 最も近い建物へ辿り着く為には、ある程度の距離を踏破しなければならない。

 

 加山も弓場も足の遅い隊員ではないが、それでも機動力に置いては自分と七海に分がある。

 

 自分達なら、二人のいる場所まですぐに辿り着ける。

 

 それは、彼等とて分かっているだろう。

 

 もっとも、だからと言って迂闊に近付くというワケにもいかない。

 

 少なくとも、弓場の射程である20メートル弱の位置まで近付けば不利なのはこちらだ。

 

 故に、相手が弓場だけであれば距離を保ったまま変化弾(バイパー)の鴨撃ちが最も効果的ではあるのだが。

 

(矢張り、そう来るか)

 

 それを、加山が分かっていない筈がない。

 

 加山は二つのトリオンキューブを展開すると、それを即座に合成。

 

 神速の発射工程(シークエンス)を完了させ、射出。

 

 無数の弾幕が、七海とライへ向かい降り注いだ。



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クロスランク戦⑨

 

(合成弾を、撃って来たか…………っ!)

 

 七海はこちらへ向かう弾幕を見据え、矢張りそう来るか、と現状を認識した。

 

 現在、位置が明らかにされている四人のエースのうち弓場は最も射程が短い。

 

 他三者が射撃トリガーをセットしているのに対し、彼が用いているのは銃手トリガー。

 

 弓場が扱うリボルバータイプのトリガーは射程と弾数を削って弾速と威力に特化したタイプであり、その射程は20メートル強。

 

 旋空が最長の攻撃可能距離である攻撃手に対しては中距離で一方的に有利に立てる弓場であるが、反面射程の長い射手に対しては決定打を持たない。

 

 彼が射手に挑む時は障害物を利用したり仲間と連携したりする等、様々な工夫が必要となる。

 

 もっとも、それは彼が射手に対して不利だと断言する根拠とは成り得ない。

 

 射手は基本的に近付かれる事を嫌い、弓場のような相手からはとにかく距離を取りたがる。

 

 そうやって逃げている間は勿論合成弾のような手間のかかる手段は使えないし、狙いの精度も甘くなりがちだ。

 

 それに、射手は基本的に()()()()()

 

 歩くMAP兵器(二宮匡貴)は例外として、射手が相手を仕留めてポイントを取る事は少なく、その役割は専ら隊のサポーターだ。

 

 弓場のリボルバーは射程と弾数は制限されているが、その反面威力と弾速は折り紙付きだ。

 

 故に彼の射程に入った瞬間、的確な防御か回避行動を取らなければその時点で落とされる。

 

 そういった接敵必殺の脅威を、弓場は持っている。

 

 対して、射手が相手を仕留めるケースというのは前衛に隙を作らせて横から弾を叩き込む等の絡め手が主だ。

 

 だからこそ、逃げながらの攻撃では弓場を仕留めるに足る一撃を入れる事は非常に難しい。

 

 それ故、弓場とかち合った射手は前衛がいなければとにかく逃げる事に徹する傾向がある。

 

 そんな相手は、弓場隊にとってカモに等しい。

 

 逃げた射手を足止めする為にチームメイトを送り込み、挟撃すればそれで終わる。

 

 弓場の対射手の戦術は、概ねそのようなものだ。

 

 しかし、七海とライは厳密には射手ではない。

 

 七海は攻撃手であり、ライは完璧万能手。

 

 そして、()()()()()()()()()()という特徴がある。

 

 ライは素の機動力が高い上にエスクードを装備しているのでいざとなれば瞬間的な加速を行う事が出来、七海はグラスホッパーを用いる事で三次元機動の強化が可能な為、一手で動ける範囲が尋常ではなく広いのだ。

 

 加えて七海の場合は副作用(サイドエフェクト)を用いた高精度な回避能力が、ライには一騎当千の突破力がある。

 

 トリオン量の差もある為、この二人に機動力で攪乱されつつメテオラやバイパーの鴨撃ちをされ続ければ一方的な蹂躙になりかねない。

 

 それを防ぐ為には、どうするか。

 

 無論、先制攻撃しか有り得ない。

 

 守勢に回った途端に劣勢になるのだから、彼等が動く前に攻撃を仕掛けその動きを制限しなければ近付かなければどうにもならない弓場という駒が浮く事になってしまう。

 

 この状況下でエースの弓場を浮かされるというのは、弓場隊にとっては最悪のケースだ。

 

 加山は確かに強力な駒だが、単独で何もかも出来るという万能性は存在しない。

 

 少なくとも、加山はライにはなれないのだ。

 

 彼の真価は、チーム戦。

 

 仲間と連携した時にこそ、発揮される。

 

 故に、この場で彼が取るべき手段は合成弾を使っての先制攻撃だ。

 

 というよりも、それ以外にこの局面で取れる手が無いとも言える。

 

 今現在、弓場と加山は周囲に障害物が一切存在しない場所で孤立している。

 

 少なくともあの場から移動するか少しでも有利な条件を構築しなければ、エース二人が揃っていたとしても確実に押し負ける。

 

 七海とライの二人を開けた場所で相手取るという事は、そういう事だ。

 

 故に、今七海が思案するべき事柄は一つ。

 

 あれは、一体()()合成弾なのかという事だ。

 

(あの合成弾には、俺達を足止めする意図が含まれている筈だ。けれど、誘導炸裂弾(サラマンダー)は爆発で視界を塞いでしまうし誘爆させられる恐れがある。なら、あれは────────)

 

 

 

 

(────────強化追尾弾(ホーネット)、か)

 

 ライもまた、七海と同じ事を推察していた。

 

 この局面で、二人の動きを制限する為に最適な合成弾の選択肢は何か。

 

 加山が扱う合成弾は、誘導炸裂弾(サラマンダー)強化追尾弾(ホーネット)の二種類。

 

 そのうち、サラマンダーには爆撃による視界封鎖を利用されるリスクがある。

 

 爆破によって生じる視界封鎖を利用して接近もしくは逃亡するという手もあるが、今この場には七海がいる。

 

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()七海が。

 

 彼ならば、爆撃の被害が及ばない個所を的確に移動し、瞬時に移動する事が出来る。

 

 故に七海がいる状態で炸裂弾(メテオラ)系統の合成弾を使用するのは、リスクが大きいのだ。

 

 半面、強化追尾弾(ホーネット)であれば彼等の機動力を以てしても避け難い弾幕を張る事が出来る。

 

 七海達に対する時間稼ぎとして、最も無難(ベター)な手と言えるだろう。

 

(加山くんは奇策を多く用いるが、その戦術思想は基本的に堅実だ。()()()()()()()は、イチかバチかの懸けは行わない。だったら、彼が用いるのは────────)

 

 

 

 

((誘導炸裂弾(サラマンダー)、だな))

 

 奇しくも、同時。

 

 七海とライは、同じ結論に至っていた。

 

 確かに、加山は基本的に堅実な手を好む。

 

 彼が用いる奇策の類は、その殆どが事前準備を経て充分な担保が確保された状態で使用されて来た。

 

 故に、普通であればこの場はホーネットが最も安定する。

 

 だが。

 

 加山は、たった今その()()()()()()を選んだ結果手痛い失敗を冒している。

 

 更に言えば、今の加山はこの試合始まって以来最も危険な立ち位置にいる。

 

 一歩間違えれば、詰みとなる局面。

 

 ()()()()()加山は、博打を打つ。

 

 堅実であれど、確実に読まれるであろう手を捨てて。

 

 懸けに近くとも、成功すればリターンの大きな一手を。

 

 確かに、爆撃は七海相手に行うのはリスクが高い。

 

 しかしそれは、彼がそれを想定していた場合だ。

 

 七海が加山の合成弾をもしもホーネットだと確信すれば、取り得る手は二つ。

 

 大きく離れるか、一気に近付くかである。

 

 前者は、単純に逃げの一手だ。

 

 普通に逃げるだけでは障害物の無い場所でホーネットを撒くのは困難を極めるが、七海の機動力ならやってやれない事はない。

 

 しかし、この場合標的である加山達を射程外に逃がす事になりかねない為まず取るべき選択肢からは除外される。

 

 後者の場合は、シールドを張って強引に弾幕を突破するというものだ。

 

 ホーネットは確かに避け難い合成弾であるが、威力そのものは高くはない。

 

 広げたシールドでも充分に伏せげる以上、七海であればピンポイントで自分に当たる弾だけをガードして弾幕を突っ切る事が可能だ。

 

 恐らく、加山はこちらを想定しているのだろう。

 

 仮に七海がこの方法を取り、尚且つ合成弾の正体が誘導炸裂弾(サラマンダー)であれば。

 

 七海は、自ら爆弾の中に突っ込む事となってしまう。

 

 それでダメージを与えられれば、御の字。

 

 もしくは、咄嗟にシールドを張ってその場に足止めが出来れば上等。

 

 加山の選んだ策は、そういったものだと七海は結論した。

 

 ならば、取るべき行動は一つ。

 

 弾幕の、誘爆だ。

 

 あの弾幕は、真っ直ぐこちらを照準している。

 

 七海の副作用(サイドエフェクト)は、弾丸の軌道を山なりに彼等に向かって降って来るものである事を感知した。

 

 被弾範囲が弾数に対して小さいのは、恐らく一点集中による一斉起爆を狙っている為だろう。

 

 ならば、その軌道にこちらの弾を置いてやれば。

 

 あの弾は空中で一斉起爆し、視界を爆発が覆う筈だ。

 

 七海とライはその隙に的確な位置へ移動し、優位な盤面を構築すれば良い。

 

 無論全員が敵同士である以上油断は出来ないが、今この場で加山を逃がす事は絶対に出来ないという見解は一致している。

 

 なら、こちらの手に乗って来る筈だ。

 

「────────メテオラ」

 

 故に、行動は即座に行われた。

 

 七海は無数に分割したメテオラのキューブを、加山の弾幕に向かって射出。

 

 彼の一手を利用すべく、無数の弾丸が飛んでいく。

 

 これが当たればあの誘導炸裂弾(サラマンダー)は誘爆し、視界を爆発が埋め尽くす。

 

 その時こそ、好機だ。

 

 那須の脱落という無視出来ない代償を支払った以上、戦果はきちんと持ち帰る。

 

 それがその身を賭してこのチャンスを作ってくれた那須に対する最大の貢献であり、自身の責務なのだから。

 

「え…………?」

 

 しかし。

 

 その思惑は、次の瞬間崩れ去る事になる。

 

 こちらへ向かっていた、加山の弾幕。

 

 その半数が、一斉に()()()()()()()()()()()()事で。

 

 ハウンドやバイパーと異なり、メテオラの軌道は直線のみ。

 

 下へ向かった弾幕に追い縋る事は出来ず、七海の弾は空に残った全体の数割ほどの光弾に触れ起爆。

 

 連鎖的な誘爆で空が埋め尽くされるのと、同時。

 

 地面に向かった無数の弾が着弾し、大爆発を起こした。

 

 

 

 

(そう来ると、思ってたぞ)

 

 加山は弓場と共に全力で駆け出しながら、作戦の成功に笑みを浮かべる。

 

 彼の思考の道程自体は、七海達が推測したものと大差はない。

 

 しかし、加山は自分の思考を読まれる事を前提に置いた上で一計を案じた。

 

 即ち、誘導炸裂弾(サラマンダー)で相手を直接狙うのではなく地面へ撃って爆発のカーテンとして利用する事を。

 

 馬鹿正直に彼等二人を狙えば、間違いなく撃墜される。

 

 その上で爆破の場所までコントロールされ、逆にこちらが追い込まれる事になる。

 

 故に、加山は撃ったサラマンダーの7割ほどを地面へ向かうよう誘導設定を調整しておいたのだ。

 

 流石に那須の変化弾(バイパー)の如き精密動作性は望めないが、この場合狙い事態は大雑把で構わない。

 

 要は爆発で視界を封鎖出来れば良いのだから、細かい狙いを付ける必要はないのだ。

 

 空中に留まる弾を残したのは、そうでもしなければ七海のサイドエフェクトによって狙いが看破されるからだ。

 

 彼のサイドエフェクトは影浦のそれとは異なり、相手の意図ではなくその行動の結果のみを察知する。

 

 故に視線を向けただけでブラフと本命を看破される事はないが、逆に言えば表面上でどう取り繕おうと()()()()()()()()()()だけは誤魔化せない。

 

 だからこそ、加山は数割の弾の標的として七海を設定し、彼の眼を欺いたのだ。

 

 合成弾を撃った本当の狙いを、隠す為に。

 

 結果として、目論見は成功。

 

 見事に爆発のカーテンを敷く事に成功した加山は、弓場と共に全速力で瓦礫の上を駆けていた。

 

 まずは、この爆撃痕から逃げなければ話にならない。

 

 開けた場所では、高い機動力を持つあの二人の独壇場だ。

 

 少なくとも、利用出来る地形の近くまで行かなければ勝負の土台にも上がれないだろう。

 

 加山は、そう結論していた。

 

 

 

 

「────────」

 

 この作戦に関して、弓場は異を唱えなかった。

 

 顔つきも声音もパンチが効いている弓場だが、仲間の意思は最大限尊重するし、その意図を理解すれば積極的に強力も行う。

 

 今の彼は己が好む一騎打ちを尋常に行う事よりも、加山の策に乗って勝ち筋を少しでも上げる事を優先したのだ。

 

 それは、このままでは厳しいと弓場自身が察していた為でもあるが。

 

 何よりも、吹っ切れた顔の加山が「そうしたい」と言ったのだから、従わない理由がない。

 

 漢、弓場拓磨。

 

 彼は一対一(タイマン)で戦うという趣味(コト)よりも、仲間(ダチ)の為に動く事を一切の躊躇いなく選んだ。

 

 それこそが、彼の。

 

 仲間を何より大事に想う、男としての矜持だった。

 

 そも、極論ランク戦では結果が全てだ。

 

 どう戦ったかという過程よりも、どういった結果を得られたかが重視される。

 

 しかし、その過程に満足出来たかは個々人の問題だ。

 

 弓場のやり方で尋常に戦い結果として彼が負けたとすれば、本人は満足であっても他はそうはいかないだろう。

 

 少なくとも、ようやくランク戦を楽しむという感覚を覚えてくれたこの後輩は。

 

 何がなんでも、勝ちたい筈なのだから。

 

 ならば、やるべき事は決まっている。

 

 加山が己のやり方で勝ちに行くのであれば、己はそれに全力で乗っかる(ブッこむ)だけだ。

 

 どれだけ不格好だろうと、どれだけ地味に見えようと。

 

 勝負の世界は、勝った方が正義なのだから。

 

「────────来たか」

 

 そして、ただで逃走を許す程彼等は甘くない事を。

 

 弓場は、本能で理解していた。

 

 爆撃のカーテン、その直近。

 

 誘導炸裂弾(サラマンダー)によって発生した爆発の隙間を縫う形で、七海が空へと躍り出た。

 

 尾を食む蛇の隊章を胸に刻む少年の瞳が、二人の姿を映し出す。

 

 逃がさない。

 

 その強い意志を込めた視線を向けたと、同時。

 

 七海はグラスホッパーを踏み込み、逃げる二人へ追撃を開始した。



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クロスランク戦⑩

 

(追って来たか。()()()()()

 

 加山は追撃を仕掛けて来た七海の姿を見据え、内心でガッツポーズを取った。

 

 誘導炸裂弾(サラマンダー)での目晦ましは、別に本気で逃げ切るつもりで行ったワケではない。

 

 無論、そう出来れば上々ではある。

 

 しかし現実問題として、突出した機動力を持つ七海相手にまともにやって逃走を成功させられるとは思っていなかった。

 

 加えて言えば、七海の得意とする戦術であるメテオラ殺法は爆撃の合間をすり抜けて相手を追い込むものである。

 

 つまり、爆発を起こしたところで七海にとってそれは通常の障害物と大差ない()()()()()()()の一種に過ぎない。

 

 故に、彼ならばすぐに爆発を抜けて追って来ると思っていた。

 

(七海先輩を落とすには、こっちから追いかけちゃ駄目だ。あっちから来させないと、まずまともな戦闘にすらならない)

 

 加山がわざわざ爆発のカーテンを敷いたのは、逃げる為ではない。

 

 七海()()に追撃をさせ、二対一対一を瞬間的に二対一に変えさせる為だ。

 

 爆撃をタイムラグなしに突破出来るのは、七海の専売特許だ。

 

 この爆破のカーテンは、ライにはしっかりと機能する。

 

 その証拠に、ライは未だに爆発の向こう側から動いていない。

 

 レーダーの座標は、未だに彼があの場に留まっている事を示している。

 

 矢張り、想定通りライは手堅く動くタイプだ。

 

 その高い技量からの蹂躙が目に付くライではあるが、その戦術の根底には精密な計算を元にした確かな戦術理論がある。

 

 傍から見れば滅茶苦茶な戦術であっても、彼から見ればしっかりとしたロジックに基づいたものなのだ。

 

 修めた技術が高過ぎる為に無茶な動きに見えるだけで、戦闘理論そのものは極めてロジカルなのだ。

 

 だからこそ、この場面で無理はしないと加山は読んでいた。

 

 あの爆発で双方共に足止めを喰らったのならば追撃に来る可能性もあったが、今その役割は七海が担っている。

 

 故にライは爆発を迂回、もしくはそれが収まってから動く筈だと加山は想定している。

 

 だからこそ、今しかないのだ。

 

 七海を仕留めるまでいかずとも、せめて手傷を負わせる。

 

 そうでなくては、この生存率が極めて高い七海を相手になど出来はしない。

 

(記録によれば、七海先輩がチームランク戦で落ちたのはたったの一度だけ。それも東さん相手に相打ちに近い形だったっていうんだから、普通にやったって落とすのは無理だ)

 

 七海玲一という攻撃手は、攻撃を凌ぐのであればともかく「落とす」という観点から見れば非常に厄介極まりない相手だ。

 

 例外的存在(東春秋)はともかくとして、二宮のような「とにかく個人として強い上に戦術も使って来るから落とされない」といったような単純な生存率の高さではない。

 

 基本的に、七海は()()()()()()のだ。

 

 同じく回避に使える副作用(サイドエフェクト)を持つ影浦の場合は乱戦で点を稼ぐ事を目的に動いている為、獲得するポイントも多いが落とされる事もままある。

 

 これは影浦隊のチームの構造として、サポーター二人の支援を受けて影浦が点を稼ぐというエース特化型の性質を持つ為だ。

 

 影浦隊は影浦が突っ込んで相手を乱戦に巻き込み、北添の爆撃やユズルの狙撃で揺さぶって点を稼ぐのが基本的な戦術思考(スタイル)だ。

 

 エースとして点を獲得する事を役割として期待されている影浦は、失点のリスクよりも得点を稼ぐチャンスを優先する傾向にある為、そう易々とは撤退しない。

 

 無論戦況が不利になれば撤退するだけの判断力はあるが、多少のリスクであれば呑み込んで点を取りに行くのが影浦という攻撃手の性質である。

 

 対して、七海は自分で点を取る事が絶対に必要だとは考えていない。

 

 彼の役割は、あくまでも遊撃と攪乱。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()という思考を大前提に動いている為、リスクが高過ぎると考えれば躊躇なく撤退するのが七海という少年のやり方だ。

 

 だからこそ、こちらから追うのでは七海は捉えられない。

 

 彼に匹敵する機動力や高い射程と攻撃速度がなければ、その機動力に翻弄されて終わりだ。

 

 場合によっては相手が有利な地形に誘い込まれる危険もあり、七海を追う事は極力止めた方が良いのだ。

 

 故にこその、この一手。

 

 ライという特級戦力が一時的に戦闘領域から排除され、七海一人に集中出来る今だからこそ。

 

 彼にダメージを与える、チャンスが生まれるのだ。

 

(勝負は一瞬。これを逃がせば、次は無い)

 

 弓場にアイコンタクトで合図を送り、加山はその場でキューブ二つを展開。

 

 それを瞬時に合成し、射出。

 

 先程と同じ、介入を許さない神速の合成弾。

 

 無数に分割された弾幕が、七海へと襲い掛かった。

 

 

 

 

(そう来るか。やっぱり、とんでもない合成速度だな)

 

 七海は、自らに向かう弾幕を見据え目を細めた。

 

 改めて、彼の合成弾の異常な生成速度に目を見張る。

 

 師匠の出水や恋人の那須が使用している為、合成弾そのものには見慣れている。

 

 しかし、そんな七海からしても加山の合成弾の生成速度は異常だった。

 

 合成弾は、天才射手出水が偶然生み出した高等技術である。

 

 今でこそ高い実力を持つ一部の射手が使えるようになっているが、そうなる前は真実彼の唯一無二の技術(ユニークスキル)だったのだ。

 

 この合成弾は出水は2秒程で合成可能だが、他の射手の場合はもう少し時間がかかる。

 

 しかも合成中は両攻撃(フルアタック)状態となり無防備となる為、使用する際には仲間を護衛に置いたり射線を切ってから使う等、何の準備もなしに出来るものではないのだ。

 

 だが、加山はその常識を覆す。

 

 こうして逃走している最中、こちらの対応が挟まる前に合成を完了し発射するなど、尋常に出来る事ではない。

 

 彼の副作用(サイドエフェクト)は、共感覚。

 

 音を色として認識出来る感知タイプの能力であり、ライの超高速精密伝達のように技術面にブーストをかけられるタイプのそれではない。

 

 だというのにあの技量は驚愕の一言に尽きるが、それを気にするのは今ではない。

 

 今はただ、現状を認識し最適解を打つべき時だ。

 

 こちらに向かって来る、無数の弾幕。

 

 あれの正体を、掴まなければならない。

 

 誘導炸裂弾(サラマンダー)か、それとも強化追尾弾(ホーネット)か。

 

 あの弾の種別は、いずれなのか。

 

(今、彼等はこの場から逃げる事を念頭に置いている筈だ。なら、今一番彼が避けたがる展開は────────)

 

 

 

 

「────────紅月先輩に、追撃に加わられる事です」

 

 小夜子は作戦室で、七海に対して通信でそう告げた。

 

 その眼は、確信に満ちている。

 

 隣に座る那須も、異論は挟まない。

 

 何故なら、彼女もまた。

 

 小夜子と、同意見だったからだ。

 

「ですから、七海先輩。今は────────」

 

 

 

 

「了解」

 

 七海は小夜子からの指示を受け、即応。

 

 グラスホッパーを踏み込み、上空へと跳躍した。

 

「…………!」

 

 それを見て、加山は瞠目する。

 

 そして、直後に応えは出た。

 

 彼の放った弾幕は七海を追う事なく空を切る。

 

 この挙動は、強化追尾弾(ホーネット)では有り得ない。

 

 つまり、この弾は十中八九誘導炸裂弾(サラマンダー)

 

 読み勝った七海は、その場でトリオンキューブを展開。

 

 眼下の加山達をその場に釘付けにするべく、爆撃の準備を完了させた。

 

 このまま爆撃で固めれば、足止めを喰らったライもこの場に追いついて来る。

 

 ライとも敵同士である為勿論警戒を怠らないが、この場での最優先事項が加山の排除であるという認識は共通している。

 

 疑似的な共闘さえ成立すれば、高確率で加山を落とす事が可能だ。

 

「────────甘ェ」

 

 だが。

 

 そんな七海の思惑は、弓場の一手で打ち砕かれた。

 

 ホルスターから抜き放った、二丁拳銃。

 

 そこから放たれた銃撃が、加山の弾を撃ち貫いた。

 

「────────!」

 

 広がる、爆発のカーテン。

 

 それは、七海から二人の姿を覆い隠し。

 

 既に爆撃の準備を完了させていた七海は、一手の遅れが出た。

 

 その場で爆撃を敢行しても、爆発に巻き込まれて誘爆するだけ。

 

 更に、相手の位置が分からない状態で迂闊に近付けば弓場の射程内に入ってしまう恐れもある。

 

 しかし、だからといって此処で止まってしまえば今度こそ加山を逃がしてしまう可能性が出て来る。

 

 故に、七海は即断した。

 

 炸裂弾(メテオラ)のキューブを破棄し、グラスホッパーを展開。

 

 爆撃の向こう、加山達が逃げていた方向へ跳躍。

 

 高度を極力下げず、上空を移動した。

 

 瞬間的とはいえ加山達の姿を見失ってしまったのは痛いが、それならば逃げる先に回れば良いだけの話だ。

 

 最悪なケースが加山の逃亡と雲隠れである以上、それを防ぐ為に先回りすればそれで済む。

 

『七海先輩…………っ!』

「…………!」

 

 だが。

 

 そんな七海の行動に、小夜子からの緊急警報(アラート)が鳴った。

 

 悪感を感じて、振り返る。

 

「────────」

 

 そこには、七海と同じ高度に到達しホルスターに手をかけた弓場の姿があった。

 

 何が起きたかは、瞭然。

 

 エスクード。

 

 瞬間的な加速装置としても使えるそれを用いて、加山が弓場をこの高度まで撃ち上げたのだ。

 

 既に、彼との距離は20メートルを切っている。

 

 弓場の早撃ちは、まさに神速。

 

 射程内に無防備に入ってしまった瞬間に被弾が確定する、恐るべき弾速。

 

 その脅威が、七海に向けられた。

 

 七海の感知痛覚体質(サイドエフェクト)は、相手の攻撃動作に移った瞬間に感知が作動する。

 

 ブレードならば、振り下ろす瞬間。

 

 銃撃であれば、引き金を引いた瞬間に彼のサイドエフェクトはその攻撃を感知する。

 

 故に、攻撃開始から着弾までが異様に短い攻撃速度の高い攻撃である程、七海に対しては有効なのだ。

 

 そういった意味で、弓場の早撃ちは七海に対する切り札(ワイルドカード)と成り得る。

 

 加山は、それを承知していたからこそ。

 

 その最大の脅威(シルバーバレット)を、此処で切って来たのだ。

 

 撃ち出された弓場という銀の弾丸は、狙い過たず七海に照準を向けている。

 

 間に合わない。

 

 七海はそう理解し、被弾を覚悟した。

 

 

 

 

「今だ。()()

『了解』

 

 されど。

 

 その瞬間こそを待ちわびていた者が、いた。

 

 彼は、ライは。

 

 己が信ずる狙撃手へ、その引き金を引く指示を下した。

 

 

 

 

「な、にィ…………ッ!?」

 

 弓場の顔が、驚愕に染まる。

 

 七海を撃ち抜かんとした神速の銃手は、その手に持つ二丁のリボルバーを穿たれて瞬時に無力化された。

 

 何が起きたかは、理解出来る。

 

 鳩原未来。

 

 紅月隊の狙撃手が、その精密狙撃で彼の武器を撃ち抜いたのだ。

 

 それも、一発の弾丸で二丁同時に。

 

 七海への攻撃を、阻止する形で。

 

 その技量は瞠目すべきものだが、弓場が驚いたのはそのタイミング。

 

 今の瞬間、弓場の攻撃が成功すれば確実に七海に痛打を与えられていた筈だった。

 

 だというのに、鳩原は己の位置を晒すリスクを承知した上で狙撃手の命とも言える最初の一発を七海を助ける為に使用した。

 

 その彼女の────────────────否。

 

 紅月隊の意図が、読めない。

 

 確かに、此処で七海が脱落すれば加山を逃がしてしまう可能性は上がる。

 

 しかし同時に、七海という落とし難い厄介な駒を排除出来る千載一遇の機会でもあった筈なのだ。

 

 それをふいにして、あまつさえ狙撃手の鳩原の位置を晒してまで七海を助ける意味。

 

 その意図が理解出来ず、困惑する。

 

「────────」

 

 だが、戸惑っている場合ではない。

 

 武器を破壊され、丸腰となった弓場は空中という無防備な場所で棒立ちに近い状態にある。

 

 回避も出来ず、恐らく防御も間に合わない。

 

 故に。

 

 弓場は躊躇なく、奥の手を。

 

 テレポーターを、切った。

 

「────────!」

 

 七海の目前から、弓場の姿が消失する。

 

 同時に、遥か下。

 

 加山の待つ地上に、その姿が現出する。

 

 万が一の時の為の、緊急回避。

 

 その為に弓場はテレポーターではなく、エスクードで空中に跳躍したのだ。

 

 今はそれが功を奏し、絶体絶命の危地から脱した事になる。

 

「弓場さん…………っ!」

「…………!?」

 

 されど、己が未だ危機から脱していない事を弓場は加山の叫びで思い知らされる。

 

 この状況下で、己に迫る危機とは何か。

 

 無論、この付近で未だに動いていなかった大駒。

 

 ライによる攻撃しか、有り得ない。

 

 振り返れば、自身に迫る無数の弾幕。

 

 変化弾(バイパー)

 

 ライの操る毒蛇の群れが、転移を終えたばかりの弓場の至近へ迫っていた。

 

「く…………!」

 

 弓場は瞬時に、シールドを広げて展開。

 

 迫り来る鳥籠を、間一髪で防御する。

 

 バイパーは、応用性は高いが威力の乏しい弾だ。

 

 広げたシールドであれば、余程トリオン差がない限りは凌ぎ切れる。

 

 紅月隊の不意打ちは、これで防げた。

 

「────────な、に…………?」

「…………っ!」

 

 否。

 

 鳥籠はあくまでも、囮だった。

 

 爆煙のカーテンの合間から高速で飛来した一発の弾丸が、弓場のシールドを撃ち抜きその胸を貫く。

 

 この威力、攻撃の正体は最早明瞭だ。

 

 イーグレット。

 

 狙撃トリガーの一種であり、集中シールドでもなければ防げない高威力の弾丸。

 

 しかし、それを装備している鳩原は人が撃てない。

 

 ならば、この弾の主は誰なのか。

 

 言うまでもない。

 

 紅月ライ。

 

 完璧狙撃手(パーフェクトオールラウンダー)である彼が、この試合に持ち込んでいたイーグレットを用いて弓場にその弾丸を叩き込んだのだ。

 

 確かに、彼は狙撃手としては動かなかった。

 

 しかし、だからといってトリガーセットからイーグレットを外したとは一言も言っていない。

 

 全ては、この時の為。

 

 変化弾(バイパー)を囮に、イーグレットの一撃を叩き込んで得点を掻っ攫う為に。

 

 弓場隊に点を稼がせず、自らが点を取る為に。

 

 不意打ちが通じない七海を排除する事よりも、弓場を討ち取りポイントを獲得する事をこそ優先したのだ。

 

『トリオン供給機関破損。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、弓場の敗北を告げる。

 

 弓場隊のエースの片翼は光となって、戦場から脱落した。





  紅月ライ 今試合トリガーセット

 メイン 弧月 旋空 エスクード イーグレット
 サブ バイパー メテオラ シールド バッグワーム


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クロスランク戦⑪

 

(弓場さんが、やられた…………っ! 完全に、俺のミスだ)

 

 加山は唇を噛み、己の失態に拳を握り締める。

 

 今回彼が取った作戦には、()()()()()()()()()()()()()という大前提があった。

 

 つまり、加山は少なくとも爆煙が晴れるまではライの横槍はないものと考えていたのだ。

 

変化弾(バイパー)は、まだ分かる。こっちの位置はレーダーで分かるんだから、ある程度当たりを付けて数を撃てば良いだけだ。けど、()()()()()()()()()ピンポイントで狙撃を当てるだなんて完全に想定外だ)

 

 とは言っても、一切の介入が有り得ないとまでは思っていなかった。

 

 今の攻防の最中、加山も弓場もバッグワームは纏っていなかった。

 

 確かに彼等が使用した戦術の要は弓場によるエスクードジャンプによる奇襲であるが、だからといって彼がバッグワームを纏う必要はない。

 

 レーダーには、対象の高低差は表示されない。

 

 今回、弓場が大きく移動したのは前後左右ではなく上下。

 

 向こうのレーダーには、弓場は僅かに右側へ移動しただけに見えていた筈だ。

 

 この高低差を利用した取得情報の誘導も、今回の作戦には組み込まれていたのだ。

 

 事実、弓場はあと一歩で七海を仕留める段階まで漕ぎつけられた。

 

 あの一瞬。

 

 鳩原が自らの位置を晒す危険を冒してでも、彼の攻撃を妨害しなければ。

 

 加山の計算違いは、そこだ。

 

 確かに、加山の排除は那須隊と紅月隊の共通目的だ。

 

 しかし、七海もまたランク戦では相当厄介な駒である。

 

 その彼を盤面から排除出来るチャンスに乗っかるのであればまだしも、それを防ぐべく自らの駒を動かすなど加山の戦闘論理(ロジック)では有り得ない選択肢だった。

 

 誰を落としても、一点。

 

 なら、ポイントを得る為に狙うのは落とし難いエースではなく撃破の難易度が相対的に低い他の隊員で構わない。

 

 故に他の部隊に得点を取られたとしても、厄介な駒は一刻も早く排除すべく動く。

 

 それが加山の戦術思考であり、過程よりも結果を重視する彼らしい方針であった。

 

 その加山の思考からすれば、あのタイミングで七海を救助する為に狙撃手という駒を切るのは有り得ない。

 

 むしろ、何かしらの形で七海を落とすサポートをしてくれるのではないかという思惑さえあった。

 

(紅月先輩の考えが、分からない。あの場面なら、七海先輩が落ちた後で弓場さんを狙っても問題はなかった筈なのに)

 

 そう、得点が欲しいのであれば七海が落ちた後で弓場を狙っても作戦上は問題なかった筈なのだ。

 

 少なくとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は。

 

 弓場は確かに強力なエースだが、まず落とせない駒というワケでもない。

 

 加えて、他の銃手と異なり弓場の射程は20メートル強と銃手にしては短い。

 

 バイパーという応用性の高い射撃トリガーを装備しているライからしてみれば、回避特化の能力を持つ七海よりはやり易い筈だ。

 

(俺との連携を警戒して、先に落としておきたかった…………? でも、七海先輩を排除する絶好の機会を捨ててまでやる事なのか…………?)

 

 対して、七海はある意味東や二宮と同じ()()()()()()()()()()()()()()()事を選択肢として提示せざるを得ないタイプの隊員だ。

 

 機動力・回避力が高く、本人の危機回避能力も一級品。

 

 彼が試合に参加するだけで、他のチームは生存点を狙う事が困難になる。

 

 まず被弾させる事すら難しく、落とすとなれば更に困難を極める。

 

 そんな七海を倒す機会があれば、普通であれば乗るだろう。

 

 それこそ、()()()()()()()()()()()()でもない限りは。

 

(まさか、紅月先輩は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のか? いや、だとしてもあそこで手を出さなければ労せず厄介な駒を消せた筈なのに────────────────いや、待て)

 

 そこで、気付く。

 

 確かに、ライが七海を単独で撃破する自信があるという可能性はある。

 

 しかし、彼はそれだけでこんな千載一遇の機会を逃すような甘い相手ではない。

 

 とすれば、何かある筈なのだ。

 

 先程の場面で、弓場隊に七海を落とされる事によって紅月隊が不利益を被る()()が。

 

(そんなの、一つしかない。弓場隊(おれたち)に得点が加わる事を、紅月先輩は嫌がったんだ────────────────つまり、俺とはそもそもの()()が違ったワケだ)

 

 そう、あの状況下で紅月隊が被る不都合となればただ一つ。

 

 弓場隊が、得点する事()()()()だ。

 

 七海を落とす事に成功すれば、既に那須の撃破によって一点を獲得している弓場隊に二点目が入る。

 

 それまで点を取れていなかった紅月隊として、この点差が広がるという結果を無視出来なかった。

 

 つまり、ライは七海の脱落による脅威の排除よりも、それによって弓場隊に点が入る事自体を忌避したワケだ。

 

 だからこそ、弓場を狙った。

 

 弓場隊への得点を防ぎ、自身の部隊がポイントを獲得する為に。

 

 ただ、それだけ。

 

 脅威が排除出来れば最悪どの部隊が対象を討ち取っても良い、と思考する加山に対して。

 

 ライは、七海という脅威は決して排除が不可能な駒ではない為、自部隊の得点を優先するという方針を取ったのだ。

 

 思考、戦術方針の違い。

 

 それを見抜けなかった為に、加山はライの作戦を読み切れずに弓場を落とされてしまったのだ。

 

(馬鹿か俺は。俺と紅月先輩じゃあ、そもそも単騎での突破力が違う。七海先輩は、決して無敵の隊員じゃない。実際に、個人戦なんかじゃ太刀川さんや鋼さんに落とされてるみたいじゃないか)

 

 チームランク戦では殆ど落ちる事のなかった七海ではあるが、こと個人戦での勝率となると決して常勝不敗というワケではない。

 

 太刀川や村上といった上位の攻撃手相手には何度も土を付けられているし、前者に至っては当然の事だが黒星の方が多い。

 

 七海がチームランク戦で落ち難いのはあくまでも集団戦という性質が彼の生存率を補強しているからであり、横槍のない一騎打ちともなれば彼とて()()()()()()()が出て来る。

 

 そこまで追い込む事が出来れば、七海は非常に落とし難い駒から機動力の高い一個の攻撃手に過ぎない存在となる。

 

 無論それでも撃破は至難の相手ではあるが、ライは間違いなくA級クラスの超抜的なエースだ。

 

 本当の意味での一騎打ちともなれば、彼を倒す事は不可能ではないだろう。

 

(要するに紅月先輩は、七海先輩以外の()()を倒して一騎打ちで倒すつもりなのか。紅月先輩の戦闘力ありきの脳筋気味の作戦方針とはいえ、決して不可能ってワケじゃないのが困りどころだな)

 

 そして、此処まで来ればライの狙いも見えて来る。

 

 彼は最初から、七海を()()()()()()としては扱ってはいなかった。

 

 七海の爆撃を止める為に現れている為、加山の仕込みを利用するつもりがある事自体は間違いないだろう。

 

 しかし、それはあくまでも()()()()()()()()()()()()といった程度の話であり、それによって弓場隊が得点を重ねそうになるのであれば瞬時に標的を切り替える。

 

 そのくらいの方針で、彼はこの試合に臨んでいたのだろう。

 

 少なくとも加山は、そう結論せざるを得なかった。

 

『加山ァ』

「弓場さん」

『何が言いてぇかは、分かってんだろな』

「はい、分かってます。此処からは切り替えて、点を取りにいきます」

『ああ、行け加山ァ! 借り返して(ケジメつけて)来い…………ッ!』

「うす」

 

 脱落した、弓場からの通信。

 

 それによって発破をかけられ、加山は戦いに勝つべく動き出す。

 

 エースの弓場を使った奇襲は、もう出来ない。

 

 故に、加山だけで正面から七海やライを相手取るのはほぼ不可能だろう。

 

 しかし、やりようはある。

 

 こちとら奇襲騙し討ち上等な、絡め手こそを得意とする戦術家。

 

 地力で下回っているならば、頭を使って出し抜けば良い。

 

 幸い、これまでの攻防で少なくともライの思考傾向は推測出来た。

 

 七海の方は基本的に受け身の動きが多い為に未だ正確な思考計測(リーディング)は出来ていないが、そこまで心理的な駆け引きが得意なようには見えない。

 

 恐らく、彼はあくまでエースであり、作戦立案の中心の一人でしかないのだろう。

 

 チームの中核を成す頭脳担当(ブレイン)は、恐らくオペレーターの小夜子の方だ。

 

 先程の那須にしてやられた際も、そして今の七海の行動も。

 

 彼女の指示で、二人は動いたのだろう。

 

 どちらの作戦行動も根幹となる思考傾向が似ている為、この読みで間違いは無い筈である。

 

(多分、俺に思考が読まれている事に気付いてオペレーターに作戦を全部委ねたんだろうな。随分思い切りが良いけど、那須先輩の時はそれにしてやられたのは事実だ)

 

 那須も七海も、決して指揮能力は低くはない。

 

 前者の那須はそこまで突出した指揮官ではないが、七海は違う。

 

 全体を俯瞰する立場であればまだしも、現場指揮官であれば充分優秀と言えるレベルに達している。

 

 その二人が、加山の行動推測に心理計測が含まれている事を悟った途端、部隊の指揮権をオペレーターに丸投げしたのだ。

 

 大胆な決断ではあるが、だからこそ那須に位置の露見という致命的な戦果を持っていかれたのである。

 

 その選択自体は、正解だったと言えるだろう。

 

(けど、華さんがそうだったように指揮とオペレートの両立はキツい筈だ。香取隊と違って部隊内での戦術レベルに大きな隔たりはないけど、それでもかなりの負担になっているのは間違いない。だったら、徹底的にその負担を増やせばいずれ読み逃がし(オーバーフロー)を起こす筈だ)

 

 しかし、指揮とオペレートの両立はかなりの難行だ。

 

 染井がそうであったように、指揮に処理能力を集中すればその分オペレートの精度は甘くなりがちになる。

 

 以前の香取隊は指揮をほぼ染井に丸投げした状態であった為、彼女にかかる負担が尋常ではなかった。

 

 香取が成長した今でこそ負担が減少してオペレート能力の精度も向上しているが、香取隊が燻り続けた原因の一つであった事である事は間違いない。

 

 今の小夜子は、その時期の染井に近い負荷がかかっている。

 

 ならば、その処理能力に更に圧迫をかけてやれば良い。

 

 幾ら小夜子が優秀なオペレーターといえど、人間である以上精神的な限界はある。

 

 迅が未来を視る事に夢中になって、攻撃を受けてしまう事があるように。

 

 人間的失敗(ヒューマンエラー)は、誰にでも起こるものなのだから。

 

(やるべき事に、優先順位を付けるべきだ。まず、鳩原先輩は今追っている暇は無い。放置するしかないな)

 

 先程の狙撃で、鳩原の位置は割れている。

 

 しかし、残念ながら外岡は彼女を狙える位置にはおらず、加山が向かうにしても相当な無理をしなければならない。

 

 帯島は熊谷と戦闘が拮抗状態で継続している為、動かせない。

 

 今鳩原を狙いに行ける駒がいない以上、此処は放置一択である。

 

(それに、鳩原先輩はスパイダーを装備している。迂闊に踏み込めば、罠に絡め取られてそのまま紅月先輩に仕留められる危険もある)

 

 加えて、鳩原はスパイダーをセットしている。

 

 人を撃てないという特性を持つ彼女は、自分なりに隊に貢献するべく多くの手段を模索して来た。

 

 スパイダーはその一環であり、彼女は地形戦術を駆使する事も可能なのだ。

 

 今強引に向かおうとすればそのワイヤー地帯に踏み込む結果になる可能性が高く、何より彼女を狙えばライからの集中攻撃が予想される。

 

 ハッキリ言って、武器破壊をメインとした狙撃手を排除する為に取るリスクとしては大き過ぎるのである。

 

(鳩原先輩のサポートは無視出来ないけど、武器破壊をメインとする性質上彼女の一番の標的と成り得ていた弓場さんはもういない。だから排除する優先順位は、そこまで高くはない)

 

 無論、放置していればライのサポートとして戦場に今後も介入して来るだろう。

 

 しかし、その介入方法が武器破壊一択であればやりようはある。

 

 幸いと言うべきか、今回加山は銃手トリガーを装備していない。

 

 合成弾という手札を優先し尚且つスパイダーまでセットした為、この試合では使いどころが殆どないと思われる銃手トリガーは外しているのだ。

 

 銃手トリガーは射撃トリガーと違い、応用が利かない。

 

 引き金を引くという一工程(ワンアクション)で攻撃を仕掛けられるメリットはあるが、そもそも今回のケースでは加山が銃の射程まで近付けるかどうかという問題があった。

 

 七海もライも、迂闊に近付けばその時点で仕留められる危険のある実力者だ。

 

 那須や茜はそもそも近付かせてはくれないだろうし、熊谷相手なら有効かもしれないがそれならば射程の有利を活かして射撃トリガーで攻めた方が効率的だ。

 

 そういった事情で、今回加山は銃手トリガーをトリガーセットから外している。

 

 故に、鳩原の武器破壊の被害を被る可能性は彼に限って言えば存在しない。

 

 だから、鳩原排除の優先順位はそこまで高くはないのだ。

 

 そもそも、今は彼女を追うだけの余裕が弓場隊にはない。

 

 狙撃手は迂闊に使うワケにはいかず、帯島は熊谷と戦闘中。

 

 そして加山は超級のエース二人に狙われており、まずはこの場を凌がなければそのまま負けすら見えて来る。

 

 此処で、選択を誤るワケにはいかない。

 

 今この場で、最善と言える────────────────否。

 

 ()()の選択とは、何か。

 

 加山はそれを思案し、そして。

 

「帯島。俺は────────」

 

 仲間に通信を繋げ、動き出す。

 

 劣勢は明白、しかし命運はまだ尽きてはいない。

 

(俺はやれる事を────────────────やるべき事を、やるだけだ)

 

 いつか聞いた、とある少年の言葉。

 

 それと同種の決意を、抱きながら。

 

 加山は、行動を開始した。





 加山 今試合トリガーセット

 メイン ハウンド メテオラ エスクード ダミービーコン
 サブ ハウンド シールド スパイダー バッグワーム


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クロスランク戦⑫

 

『すみません。私の想定が甘かったです』

「問題ない。小夜子に作戦を委ねると言ったのは俺だ。負い目を感じる事はない」

 

 七海は通信で謝って来た小夜子に対し、そう言ってフォローを入れる。

 

 加山の読んだ通り、七海もまた作戦内容をほぼ小夜子に任せていた。

 

 それは彼の思考を読まれる事で那須の時のように行動予測をさせない為でもあるが、先程七海が陥った窮地は純粋な加山の作戦勝ちと言える。

 

 あの場面で、加山を放置すると言う選択肢は存在しなかった。

 

 もしも街中へ逃げ込まれれば、折角那須が作ってくれたチャンスをふいにする事になる。

 

 これだけの好条件で加山を追い込める機会は、もう殆どないだろう。

 

 彼の盾となる障害物がないこの場所で追撃をかける事自体は、当然の選択だったと言える。

 

 しかし、だからこそ彼はそこに罠を張った。

 

 先程まで七海がいた高高度ではなく、エスクードによる跳躍で届く程度の距離まで。

 

 彼を引き寄せ、仕留める為に。

 

 あの一瞬は、本当に危なかった。

 

 もしも紅月隊の介入がなければ、七海は恐らく落ちていた。

 

 こればかりは、ライの方針に感謝しなければならないだろう。

 

(借りというワケではないが、このままだと少し収まりが悪い。この分はきっちり、戦いで返すとしよう)

 

 もっとも、だからこそ容赦も躊躇もするつもりはない。

 

 ライが七海を助けたのは戦略上の理由だろうが、彼等の干渉がなければ落ちていたという事実は覆らない。

 

 ならば、この借りは戦いによって返却を。

 

 そうする事が、彼への最大の返礼となるのだから。

 

「それよりも、加山くんはこれからどう動く? 弓場さんを失った事は、彼にとってかなりの痛手な筈だ」

『そうですね。恐らく、帯島さんとの合流を目指すのではないかと。彼は、仲間と連携してこそ活きる隊員です。帯島さん単体での脅威度はそこまで高いワケではありませんが、彼と組まれるとなると相当厄介な事になると予想されます』

「成る程。俺も同意見だ」

 

 それには、まず此処からどう動くべきかを考えなければならない。

 

 加山は今、弓場というチームの最大火力を失った形になる。

 

 基本的に弓場隊という部隊は、加山が盤面をコントロールして弓場という鉄砲玉をどう相手にぶつけるか、という方向性で作戦を練る。

 

 弓場は、攻撃手キラーとも呼ばれるエースだ。

 

 その早撃ちは近距離ではまず碌に反応は出来ず、中距離攻撃手段を持たない攻撃手相手には一方的に攻撃可能な鬼札となる。

 

 それ故に加山は相手を弓場の射程内へ向かわせるよう誘導し、必殺の早撃ちを以て仕留める。

 

 そういった方針を、彼等は取っていた。

 

 丁度、那須が彼の策に嵌まった時のように。

 

 弓場という弾丸を、策を用いて的確に相手に叩き込む。

 

 それこそが、弓場隊の得意とする戦略方針だった。

 

 しかし、現在弓場隊はその弾丸(エース)を失っている。

 

 となれば、取れる方針にも違いが出て来る。

 

 弓場隊の最大のポイントゲッターは隊長の弓場である事は間違いないが、それは他の隊員が点を取れないという事ではない。

 

 ただ、格上殺しがやり易いのがその戦術(スタイル)であるというだけで、香取隊と異なりエースがいなくなれば戦略が瓦解するという程極端なワケではないのだ。

 

 加山は合成弾と炸裂弾(メテオラ)トラップ、今回は持ち込んでいない可能性は高いが銃撃による奇襲等、点を取る為の決め技は無数にある。

 

 狙撃手の外岡は言うまでもなく、帯島もまた加山と連携して点を取るというケースもあった。

 

 しかし、弓場という最大火力を失ったというのは事実。

 

 その補填を、仲間との合流でカバーしようと考えるのはなんらおかしくはない。

 

「じゃあ、どうする? 此処は紅月さんに任せて、俺は熊谷の援護に向かうか?」

『いえ、これまでの行動を見るにそう思わせる事こそが狙いでその隙にこの場からの離脱を狙っている可能性もあります。紅月先輩が幾ら強いとはいえ、七海先輩の爆撃の圧がなくなるのは大きいですし』

 

 しかし、だからといって先んじて帯島を落とすべく七海が此処を離れればその隙を突いて加山が離脱してしまう可能性があった。

 

 以前にも加山は帯島にエスクードを使わせ、それを囮として逃走している。

 

 派手な動きやあからさまな最善の選択をこそ、彼は罠の仕込みとする。

 

 加山雄吾という少年は、そういう類の戦術家だ。

 

「ならどうする? 堅実に空から爆撃を続けるか?」

『それも良いですが、もう一手詰めたいですね。私に考えがあります』

 

 厄介なのは、その読みを外す為には最善の選択肢を捨てなければならないという事だ。

 

 巧く加山の裏をかければ良いが、そうでなければ堅実な勝ち筋を潰す結果にもなりかねない。

 

 加山の読みを外そうと思うのであれば、そういったリスクを許容しなければならなくなる。

 

 しかし、小夜子は。

 

 笑みすら浮かべて、七海に指示を告げた。

 

『まずは、逃げ道を()()()ましょう。これなら、一石二鳥ですよ』

 

 

 

 

(…………! 動いた…………っ!)

 

 加山は上空にいる七海が、グラスホッパーを展開。

 

 それを踏み込み、一気に前方へ。

 

 加山が目的地としていた市街地へ向かい、跳躍するのを見た。

 

 先回りをして、彼の道を塞ぐのが目的か。

 

(違う。それだけじゃない)

 

 否。

 

 それだけではない。

 

 七海は、メテオラのキューブを展開。

 

 それを分割すらせず、市街地へ向かって射出。

 

 着弾した弾丸は大爆発を起こし、その一角を吹き飛ばした。

 

(爆撃を使って市街地を瓦礫の山に変えて、目的地(ゴール)を遠ざける事そのものが目的か。それに、あのまま爆撃が続けば帯島が熊谷さんと戦ってる場所まで吹き飛ばされる。そうなれば、帯島の作ってくれた拮抗が崩れちまう)

 

 

 

 

『てワケだが、そっちはどうだ。やっぱり厳しいか?』

(はい、今は何とかエスクードを見せ札にする事で凌いでいますが、それが出来なくなると厳しいっす…………っ!)

 

 帯島は熊谷をハウンドで牽制しながら、加山の通信にそう答えた。

 

 彼女は今、熊谷と市街地で鍔迫り合いを繰り広げていた。

 

 加山の想定通りこの場で彼女の足止めの役割を担った帯島は、徹底的に遅延戦闘を行った。

 

 まともに鍔迫り合いを続ければ、受け太刀の名手である熊谷の方に分がある。

 

 故に、帯島が取ったのはヒット&アウェイを軸とした遊撃スタイル。

 

 ハウンドで牽制しつつ突っ込み、それが防がれれば即座に撤退。

 

 位置を変えて再びハウンドを撃ち、機を見て接近戦を仕掛ける。

 

 その繰り返しで、熊谷相手に拮抗状態を継続していた。

 

 熊谷を落とすのではなく遅延戦闘を行っていた目的は当然加山からの指示でもあったが、純粋に帯島だけでは彼女を撃破するのが難しいからだった。

 

 この熊谷は、以前にランク戦で戦った時よりも数段強い。

 

 太刀捌きも勿論だが、ハウンドという手札を自在に扱う事で以前は苦手としていた中距離戦も完全にカバーしている。

 

 しかも、これは帯島も同様だが彼女は決して無理をしない。

 

 彼女達のようなサポータータイプの剣士が点を取る際には、大なり小なり安定を捨てて攻め込む必要がある。

 

 故に、少しでも彼女に攻めっ気があればそこを突いて崩す事も出来た筈だ。

 

 しかし、熊谷はこれまで強引に帯島を攻め落とそうとはしなかった。

 

 敢えて隙を見せても、それに釣られては来ない。

 

 以前の熊谷であれば乗って来たであろう誘いにも、応じる素振りを見せない。

 

 それは、彼女がチームの駒として自身の役割に徹している事を理解させられた。

 

(多分、それだけじゃないですよね。熊谷先輩が攻めて来ないのは、こっちにエスクードがあるからだ)

 

 加えて、帯島は熊谷が攻めっ気を見せない理由にもう一つ心当たりがあった。

 

 今回、加山の指示でセットした(バリケード)トリガー、エスクード。

 

 先の交戦で帯島がこれを使った事で、エスクードによる奇襲を警戒しているからだ。

 

 エスクードは単純な盾としての運用や射出速度を利用した跳躍の他、地形を封鎖したり相手にぶつけて宙に浮かせるといった活用法がある。

 

 その真価は複雑な地形であればある程発揮され、屋内戦がメインである市街地Dなどではエスクードを十全に扱えば盤面を自在に操作出来る。

 

 熊谷の動きは、明らかにエスクードを警戒していた。

 

 帯島と撃ち合っている時も常に壁や地面に注意を払っていたし、一息でこちらを斬り伏せられる位置に誘導しても決して攻め込む事はなかった。

 

 あれはきっと、()()()()()()使()()()()()との戦いを想定────────────────否。

 

 ()()()()()()()()()()()からこそ、可能な動きだった。

 

(でも、七海先輩がいる那須隊と戦った記憶はないんですよね。加山先輩が入ってから那須隊とは戦いましたけど、その時はいなかった筈ですし────────────────いや、今はそんな事を気にしてる場合じゃないか)

 

 記憶と現実の齟齬に違和感を抱きつつも、帯島はそれを即座に一蹴。

 

 今考えるべき事ではないと思考を切り替え、対峙する熊谷を見据えた。

 

(加山先輩の作戦を成功させるには、熊谷先輩に何とか隙を作らないといけない。でも、それが簡単に出来るような相手じゃないすね)

 

 先程の加山の指示を実行する為には、熊谷相手に一瞬でも良いから隙を作らせなければならない。

 

 ()()()()がある以上、無駄な手は打てない。

 

 確実に、作戦を成功させる必要があるのだから。

 

(加山先輩の指示で一回、熊谷先輩相手に見せ札として二回。これだけで、トリオンをごっそり持っていかれたっす。エスクードはやっぱり、燃費が激しいです)

 

 これまでに三度、帯島はエスクードを使用していた。

 

 一度目は、加山の指示でバイクを吹き飛ばした時に。

 

 二度目と三度目は、熊谷相手にエスクードを見せる為に。

 

 それぞれ、使用している。

 

 加山の作戦遂行にはエスクードが必須であるが、正直あと一回か二回使えれば上々だと帯島は分析している。

 

 エスクードはその強度も然る事 ながら応用性が高く、様々な場面で役に立つ優秀なトリガーだ。

 

 だというのに使用者が少ないのは、偏にその燃費の悪さがある。

 

 エスクードは他のトリガーと比較しても、極端に燃費が悪い。

 

 加山のようにトリオンが豊富な者であればまだしも、帯島は彼のようなトリオン強者ではない。

 

 決して低い数値ではないが、それでも彼のようにエスクードを自在に扱える程ではない。

 

 加えて帯島は攻撃手段として弧月だけではなく、ハウンドを多用している。

 

 射撃トリガーは物質化すれば良いブレードと異なり、使用する度にトリオンを消費する。

 

 これまでに相当な数の追尾弾(ハウンド)を撃っている為、帯島のトリオン残量は相応に少なくなっている。

 

 これ以上、長々と遅延戦闘を続ける余裕はない。

 

 弓場が落ちた以上、此処から先は一手の間違いも許されないのだから。

 

(なら、自分が取るべき手段は────────)

 

 帯島はそう決意し、そして。

 

 その場で踵を返して、()()()()()

 

 

 

 

(…………! 此処で逃げる? いえ、加山くんと合流に向かうつもりね)

 

 熊谷は突然逃走した帯島を見て、即座にその意図を理解した。

 

 これまでひたすらに遅滞戦闘を行った帯島に付き合った熊谷であるが、弓場が落ちた事は既に聞いている。

 

 この状況下であれば、帯島の狙いは加山との合流にあるのだろう。

 

 正直、帯島と加山に組まれれば熊谷とて厳しいと言わざるを得ない。

 

 これまで遅滞戦闘が成立していたのは双方の思惑が一致していた事もあるが、両者共に攻撃に向いた駒ではない事も関係している。

 

 熊谷も帯島も、基本的な役割は隊のサポーターだ。

 

 チャンスがあれば点を取りに行く事もあるが、この試合での役割は専ら相手チームの防御役の足止めにあった。

 

 熊谷が那須のカバーに回れば弓場相手でも落とされなかった可能性はあるし、帯島が弓場と共にいれば彼の隙をフォロー出来ていた可能性もある。

 

 それをさせなかった以上、彼女達の遅滞戦闘には相応の意味があったのだ。

 

 しかし、弓場が落ちた事で帯島には時間がなくなった。

 

 これまではエスクードを警戒して無理に攻め込まなかった熊谷であるが、既に帯島にエスクードを連打するだけの余力がない事は理解していた。

 

(昇格試験での経験が活きたわね。あの時あの時選択肢の一つとしてエスクードも練習してみたけど、素の私のトリオンじゃ碌な数を使えなかったし)

 

 以前の昇格試験、第三試合。

 

 ビッグトリオンルールという特殊ルール下で行われる試合で、彼女は14という二宮と同等のトリオンを設定された上で参戦した。

 

 その時にビッグトリオンを活かす為にどんなトリガーを使うべきか色々と試していたのだが、その中に当然ながらエスクードという選択肢も挙がっていた。

 

 試しに元のトリオンのままエスクードを使ってみたのだが、結果としては数回しか碌に出せずにそのままトリオン切れに陥った。

 

 燃費が悪いとは聞いてはいたが、あれ程とは思わなかった。

 

 帯島はそれを、既に3度も使っている。

 

 彼女のトリオンは恐らく自分よりも高いだろうが、七海のようなトリオン強者ではない事はハッキリしている。

 

 燃費が最悪なエスクードを三度も使用し、ハウンドもあれだけ使っているのだ。

 

 残るトリオンはそう多くはないと、熊谷は察していた。

 

 そんな彼女が向かう先など、加山の所以外は有り得ない。

 

 つまり、この場で熊谷を抑える事よりも加山と合流した方が勝率が高いと帯島は────────────────否。

 

 弓場隊は、判断したのだ。

 

 無論、何の策もなく逃げを選ぶとは思っていない。

 

 恐らく加山から何かしらの策を授けられているだろうし、油断すれば一気に食われかねない。

 

(でも、折角孤立した加山くんにチームメイトを合流させるワケにはいかないわ。追うしかないわね)

 

 罠がある事は、承知している。

 

 しかし、追う以外の選択肢は残されていない。

 

 那須は落ち、茜も己の役割がある以上。

 

 この場で彼女を追えるのは、熊谷以外にいないのだから。

 

「小夜子、帯島さんを追うわ。ナビをお願い」

『分かりました。サポートします』

 

 熊谷はオペレーターにナビゲートを依頼しつつ、弧月を納刀。

 

 いつでも対応が可能なように警戒しながら、帯島が向かった路地へと駆け出した。



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クロスランク戦⑬

 

(帯島は動き出したか。じゃあ俺も、こっちをどうにかしないとな)

 

 加山は帯島からの連絡を受け、背後を警戒しながら前方へ走る。

 

 今の加山は後方をライ、前方を七海に挟まれた形となっている。

 

 この陣形は七海とライを食い合わせるにも適しているが、そう簡単にいくとは思っていない。

 

 何故なら、七海には回避に使えるサイドエフェクトが、ライには純粋に高い個人戦闘力と卓越した判断力が備わっているからだ。

 

 お互いへの被弾を考慮はしないだろうが、加山を狙った流れ弾に当たるような者達ではない。

 

 彼等はチームメイトではないが、この場に置いての利害は一致している。

 

 加山が落ちるまでは、お互いを積極的に狙う事はないだろう。

 

(俺が位置を晒されなければどうとでも出来たんだが、それを言っても仕方がない。今は、この状況から出来る事を全力でやるだけだ)

 

 試合は自隊にとって理想的とは程遠い展開になってはいるが、だからといって此処で諦める程加山は潔くはない。

 

 別に何かが懸かった戦いであるとか、負ければ何かを失うだとか、そういう戦闘でもない。

 

 けれど、やるからには勝ちたい。

 

 相手の鼻をあかして、ドヤ顔をしてやりたい。

 

 そんな欲が、今の加山には芽生えていた。

 

 だから、手段を選ぶつもりはないが一線は弁えている。

 

 ヒュースの時のように個人的事情が絡んだなりふり構わない戦いであったのなら鳩原の狙撃にわざと被弾し精神的揺さぶりをかける、といった手管も使っていたかもしれないが、この試合でそれをやるのは無粋というものだ。

 

 あの時はヒュースの件があったから一線を越えてしまったが、彼女は加山にとってなんら含む所のない相手である。

 

 何故か個人的に好感を抱き難い相手ではあるが、近界民に対するそれのような明確な嫌悪感は抱いていないので気の所為だろう。

 

 ともあれ、帯島に指示した作戦を実行する為には最低限此処から七海のいる場所へと近付かなければならない。

 

 無論接近すれば容赦のない攻撃に晒されるだろうが、このまま此処に留まっても状況は悪化するばかりだ。

 

 ならば、賭けに近い策であってもやり遂げるしかない。

 

(帯島に頼り切りにならないよう、俺も出来る事をやってやる。上からこっちを見下ろしてるエース二人に、目に物見せてやるよ)

 

 

 

 

『地形から帯島さんの逃走ルートを計測、表示します。そこは茜の監視の圏外ですので、あくまでも参照程度に留めて下さい』

「了解。助かるわ」

 

 熊谷は小夜子のナビゲートを受け、路地に消えた帯島を追っていた。

 

 かなり入り組んだ路地である為、帯島の姿は視認出来ない。

 

 しかし前方から足音は続いている為、そう離れた場所にいない事は分かる。

 

 足音の発生源は小夜子が提示した逃走ルートに沿っており、その事からもまだ追いつける範疇にいる筈だ。

 

(旋空で建物を斬る…………? いえ、その隙を突かれる可能性も0じゃないわ。私には、生駒先輩のように自在に旋空を使えるワケじゃない。一手を無駄どころか足を止めるだけの結果にもなりかねない以上、博打は打つべきではないわ)

 

 だからといって、旋空で建物を斬って進むというのも憚られる。

 

 生駒のように跳んだり跳ねたりしながらでも自在に旋空を撃てるのであれば別だが、熊谷は生憎そこまでの域には到達していない。

 

 旋空を撃つには、足を止める必要がある。

 

 その隙に距離を空けられたり、斬った建物を隠れ蓑に奇襲をかけられるリスクは冒すべきではない。

 

 それに。

 

(来た…………っ!)

 

 向こうからの攻撃も、想定しなければならないのだから。

 

 曲がり角の向こうから襲い来る、無数の弾丸。

 

 その軌道から、弾種は間違いなく追尾弾(ハウンド)

 

 これまで幾度となく帯島が使用していた弾が、自身を追う熊谷を足止めすべく降り注ぐ。

 

「このくらいっ!」

 

 熊谷はそれを回避するのではなく、広げたシールドを使って防御。

 

 足を止める事なく、路地の先へと突き進む。

 

(見えた…………っ!)

 

 路地の向こう。

 

 その曲がり角の先に曲がる、小柄な人影が垣間見えた。

 

 今の背格好からして、間違いなくあれは帯島。

 

 レーダーの反応も、曲がり角の向こうにある。

 

 追いつける。

 

 そう確信し、勢い込んで駆け出そうとして。

 

(────────────────待ちなさい。本当に彼女は、ただ逃げているだけなの?)

 

 これまで幾度も格上殺しに貢献して来た熊谷の経験が、帯島の行動の不自然さに気付いた。

 

 確かに、彼女が加山との合流を狙うのはおかしな事ではない。

 

 弓場を失った以上、単体の突破力で他の二部隊のエースに劣る加山はチームメイトと連携するしか勝ち筋がないように見える。

 

 加山の真骨頂が絡め手による奇襲である以上、これ事態になんらおかしな事ではない。

 

 問題は、果たして今の加山が単純な合流()()の指示を帯島に下すかという事だ。

 

 加山は報告によれば、障害物のない瓦礫の上を走っているらしい。

 

 しかも、その向かう先では今まさに七海による爆撃が継続している。

 

 帯島が加山に合流するのなら、七海の爆撃を潜り抜けるか、遠回りになるのを覚悟しつつ迂回するしかない。

 

 身内贔屓というワケではないが、七海の爆撃を帯島が突破するのは現実的ではないように思える。

 

 確かにエスクードを盾には出来るだろうが、爆撃で障害物を吹き飛ばされればそのまま削り殺されるだけだ。

 

 帯島には加山程のトリオンがない以上、エスクードを使用出来る階数には限度があるしシールドの強度も熊谷と大差はない。

 

 加えて、帯島はシールドを片枠エスクードに変えている可能性もある。

 

 帯島の基本のトリガーセットでは、空き枠は一つのみ。

 

 そこからエスクードとダミービーコンという二つのトリガーをセットするのであれば、何かしらトリガーを抜く必要がある。

 

 この場合、選択肢としては二択。

 

 アステロイドか、シールドだ。

 

 熊谷との戦闘が始まってから帯島はアステロイドを使う素振りはなく、両防御(フルガード)を行う事もなかった。

 

 しかし、両防御を行った方が良い場面でもそれをしなかった事から、シールドを片方エスクードに変えている可能性は高いと熊谷は考えている。

 

 その事からも、帯島が加山との合流と言う実現難易度の高過ぎる目標に向かっているのは違和感がある。

 

(帯島ちゃんは、加山くんとの合流が狙いじゃない…………? そういえば、帯島ちゃんはエスクードの他にもう一つ、普段は使ってないトリガーを使っていた。つまり、この反応は…………っ!)

 

 更に、この試合で帯島がエスクードの他にもう一つ新たにセットしていたトリガー。

 

 ダミービーコン。

 

 このトリガーは、トリオン反応を偽装しレーダーを攪乱する事の出来るオプショントリガーだ。

 

 確かに、帯島の反応はこの曲がり角の先にある。

 

 けれど、ただ反応を示すだけならば。

 

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 つまり、帯島の狙いは────────。

 

(ビーコンの反応を囮とした、不意打ち…………っ! なら、今のうちに建物ごと薙ぎ払う…………っ!)

 

 ダミービーコンでその場にいると見せかけ、その反応を追って来た熊谷を奇襲で仕留める。

 

 これに、違いないだろう。

 

 ならば、こちらが帯島の狙いに気付いた事を悟られる前に。

 

 旋空で、建物ごと両断する。

 

 恐らく、帯島は路地の向こうの目立たない場所でバッグワームを纏って隠れている筈だ。

 

 ならば、旋空で不意を突ければそれで仕留められる可能性もある。

 

 そうでなくとも、向こうの想定にない動きをすれば意表を突ける筈。

 

 先程はリスクを鑑みて使用を控えた手ではあるが、この状況で躊躇っている暇は無い。

 

(旋空弧月)

 

 熊谷は迷いなく弧月を抜刀し、そして。

 

 旋空を、撃ち放った。

 

 

 

 

(そうだ。()()の選択は、この場面ではそれだろう。犬飼先輩相手に勝ったってくらいだし、このくらいは読んで来る)

 

 加山は、七海の待ち受ける場所に向かいながら帯島の動向に意識を向ける。

 

 こちらの狙いがある程度バレる事は、承知の上。

 

 那須隊の練度が加山の知るそれよりも遥かに高いのは、既に理解した。

 

 故に、あからさまな釣りには乗らないだろうという確信があった。

 

(もう、あれは俺の知る那須隊じゃない。それこそ、A級部隊を相手取ると思って動くべきだ。なら、これが()()ハズ)

 

 それは、相手が優秀である事を前提とした策。

 

 最善を掴み取り、格上を打ち倒して来た相手にこそ効く罠。

 

 加山は、それを仕掛けた。

 

(帯島の狙いが熊谷先輩の撃破にある事には、気付いただろう。だからこそ、逆に不意を撃つべく旋空を使う。生駒さんがそうであるように、壁越しの攻撃ってのは奇襲に最適だからな)

 

 この状況下で自分と帯島の合流の達成が困難な事は、充分に理解している。

 

 故に、最初から帯島との合流を第一とするつもりはなかった。

 

 そんな無為な事に帯島を使い潰すよりは、きちんと役割を果たして貰った方が遥かにメリットがある。

 

 だからこそ、最初から目標は決まっていた。

 

 それを、読まれる事すらも。

 

 加山の中では、想定内なのである。

 

(那須先輩の時は違って、オペレーターに相談する時間なんか無い筈だ。今後の作戦の指示なら受けられるかもしれないが、モタモタしていると本当に帯島を見失いかねない以上は自分で機転を利かせるしかない)

 

 那須の時は、ある程度向こう側に準備する時間があった。

 

 その間にオペレーターの指示を受け、あの作戦を実行したのだろう。

 

 那須をターゲットとした心理分析を元に作戦を組み立てていた以上、加山の想定が外れたのは当然と言えば当然である。

 

 しかし、今回はそのような時間はない。

 

 帯島の機動力はずば抜けて高くはないが、低くもない。

 

 並程度の機動力しか持たない熊谷では、一度見失えばそのまま追いつけなくなる可能性がある。

 

 故に、即断で行動しなければ手遅れになる。

 

 それを分かっているからこそ、熊谷は自身の判断で動くだろう。

 

 彼女の心理傾向、それに則った形で。

 

(オペレーターの心理分析はこの試合じゃ難しいが、熊谷先輩の思考傾向はある程度推測出来た。だからこそ、これで良い)

 

 ニヤリと、内心で笑みを浮かべつつ加山は拳を握り締めた。

 

(那須隊にはやりたい放題やられた分、お返しをする時だ。やってやれ、帯島)

 

 

 

 

「え…………?」

 

 旋空を撃った、その直後。

 

 熊谷は、予想外の光景に瞠目した。

 

 確かに、彼女の推測した通り曲がり角の向こうには宙に浮かぶダミービーコンがあった。

 

 しかし、彼女の────────────────帯島の姿が、見当たらない。

 

 てっきり物陰に隠れているとばかり思っていた帯島が、何処にもいない。

 

 それは、刹那の思考の空白。

 

 完全な想定外に、虚を突かれる。

 

『熊谷先輩、()ですっ!』

「…………!」

 

 小夜子の緊急警報(アラート)で、気付く。

 

 上空。

 

 暗い路地の上方に、彼女はいた。

 

 バッグワームを脱ぎ捨て、弧月を構えた帯島が。

 

 屋上に手を付き、跳躍。

 

 こちらに向かって、剣を振りかぶっていた。

 

「く…………!」

 

 弧月は、旋空を撃った直後の硬直で迎撃には回せない。

 

 より広範囲を薙ぎ払おうと、全力で振り抜いたのが裏目に出た。

 

 如何に、熊谷が受け太刀の名手であろうと。

 

 剣が使えない状況では、その技能は発揮出来ない。

 

 加えて、あの体勢から放たれる攻撃は間違いなく旋空だ。

 

 通常の弧月では、そもそも旋空を防ぎ切れない。

 

 ならば、やる事は決まっていた。

 

「ハウンドッ!」

 

 射撃トリガー、ハウンドの射出。

 

 無数に分割した弾幕で、降下して来る帯島を迎撃する。

 

 当たらずとも、足を止められればそれで充分。

 

 その隙に体勢を立て直し、迎撃すれば良い。

 

 弧月を使用可能になりさえすれば、鍔迫り合いではこちらに分がある。

 

 対処出来る。

 

 熊谷は、そう考えた。

 

「な…………っ!?」

 

 だが。

 

 その思惑は、分厚い壁によって遮られる事になる。

 

 熊谷のハウンドが向かう先に突き出た、ボーダーのマークが刻まれたバリケード。

 

 エスクードが、家屋の壁から突き立っていた。

 

 分割や誘導設定が甘かった事もあり、熊谷のハウンドはエスクードによって弾かれ消滅する。

 

 オプショントリガーの中でも最高クラスの硬度を持つその壁は、ハウンド如きの威力では傷一つ付きはしない。

 

 されど。

 

「────────!」

「ぐ…………っ!!」

 

 ()()()()()()、別だ。

 

 高レベルの硬度を持つエスクードすら斬り裂く、防御不能の斬撃。

 

 それこそが、旋空。

 

 帯島が上段に振り下ろした斬撃が、エスクードごと熊谷を両断。

 

 壁によって斬線を見極められなかった熊谷はその一撃を受け、致命。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、熊谷の敗北を告げる。

 

 熊谷のトリオン体は罅割れ、崩壊。

 

 光の柱となり、戦場から消え去った。



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クロスランク戦⑭

 

 

「…………っ!」

 

 ポスン、と音を立てて生身の熊谷が緊急脱出(ベイルアウト)用マットに落下する。

 

 その何度も経験した感触により、熊谷は自身の脱落を改めて自覚する。

 

 彼女は、あの場面で読みを外し────────────────否。

 

 こちらの読みを当てられ、その裏をかかれた。

 

 最善を選んだつもりが、その選択自体が敗因に繋がった。

 

 結局、自分は那須と違い何の成果もなく脱落してしまった。

 

 あの大規模侵攻でも、ほんの少しの助力が出来ただけ。

 

 矢張り、自分は変われてはいないのか。

 

 壁を乗り越えたつもりで、本当は前に進めてはいないのか。

 

 そんな悲観的(ネガティブ)な思考が過り────────。

 

「いえ、今はそんな事を考えている時じゃないわ。今、出来る事をやらないと」

 

 ────────────────()()()()()()と切り捨て、すぐさまマットから起き上がり小夜子と那須の待つ部屋へ向かった。

 

 今の脱落が自身の力不足である事は分かっているが、それは今思案するべき事ではない。

 

 重要なのは、()()から。

 

 敗北を無為に帰するか、糧とするか。

 

 それは、これからの働き次第で決まって来る。

 

 自身が緊急脱出しても、試合はまだ続いている。

 

 ならば、自分だけが体感した事を情報としてチームに提供し、勝利への道筋を開く仕事が残っている。

 

 反省は、後でも出来る。

 

 戦闘が続いているのであれば、後ろではなく前を向く。

 

 それは、A級まで駆け上がった時に徹底的に遵守した当たり前の事(てっそく)なのだから。

 

「くまちゃん」

「熊谷先輩」

「謝罪は後で。それより、帯島ちゃんの事だけど────────」

 

 那須と小夜子に対し、熊谷は早速情報提供に入る。

 

 二人は共に彼女の意思を汲み、熊谷の語る内容を傾聴する。

 

 そして。

 

 

 

 

『という事で、帯島ちゃんの残るトリオンは僅かです。熊谷先輩から聞いた彼女の挙動からしても、間違いは無いかと』

「了解した。熊谷には感謝だな」

 

 小夜子から通信で伝えられた情報を聞き、七海は頷く。

 

 熊谷と帯島は拮抗状態が続いている事は聴いてはいたが、その戦闘内容まではまだ報告はされていなかった。

 

 帯島が他の戦場に介入する可能性が殆どなかった以上、他の情報の伝達を優先した結果である。

 

 しかし、その帯島を抑えていた熊谷がいなくなった以上彼女の対処も必要になる。

 

 エスクードとダミービーコンという普段セットしていなかった武器を持ち込んでいる事も含めて警戒していたが、帯島の現状が熊谷の口から伝えられた事で状況が見えて来た。

 

 帯島は無理にエスクードを用いた事により、トリオンは残り少ない。

 

 熊谷によれば攻撃に寄って痛打を与えられなかったが、エスクードは使えてあと一度か二度が限度だろうとの事。

 

 数を用いなければそこまでトリオンを食わないダミービーコンは未だ警戒する必要があるが、エスクードに対する脅威はそこまで感じる必要はないだろうというのが小夜子と熊谷の見解である。

 

『ええ、これは貴重な情報ですからね。勿論、それを加味した動きを弓場隊が取って来る事も想定しなければなりませんが』

「ああ、こちらに帯島の残存トリオン量が大まかに伝わった事は気付いている筈だ。なら、それを前提に策を用意している可能性がある」

 

 問題は、それすら加味して加山が作戦を立てているであろうという事だ。

 

 熊谷は帯島相手に瞬間的な機転を利かせる必要に迫られ、その極限状態下での思考を読まれて敗北した。

 

 帯島の戦闘記録とこれまでの動きを見る限り、彼女単体でそれ程の読みが出来るとは考え難い。

 

 十中八九、予め加山から策を授けられていたに違いない。

 

 無論熊谷がそうであったように瞬間的な機転は帯島自身が行わなければならないが、事前にそうなった時の行動を指示されていれば彼女はその通りに動くだろう。

 

 普通に作戦を立てたのでは、読まれる。

 

 そういう意識をしていかなければ、加山相手には裏をかかれて自滅するだけだ。

 

 心理戦に長けた相手との戦いの厄介さを、七海は改めて実感していた。

 

 まさか、堅実な論理だけではなく推測を含めた不確定要素塗れの戦術を使う相手が此処まで脅威だとは、考えてはいなかった。

 

 単体での戦力はそこまで突出しているワケではないが、チーム戦での厄介さは群を抜いている。

 

 七海同様、集団戦でこそ真価を発揮する駒。

 

 それが、加山雄吾。

 

 今自分達が相手にしている、狡猾な戦術家である。

 

「どうする? 今取れる選択肢は、多くはない筈だが」

『裏をかこうとして奇策ばかりを撃っても、安定性が消えますからね。此処はあくまで堅実に、地力を押し付けに行きましょう』

 

 しかし、その性質は既に理解出来ている。

 

 熊谷の時は帯島が単騎で熊谷を倒そうとする可能性を半ば捨てていたので、加山が何らかのアクションをするか外岡を投入すると考えていた為に読みを外してしまったのは痛恨だが、これで向こうの思惑は理解出来た。

 

 後は、それを前提に作戦を組み上げるのみ。

 

 とは言っても、熊谷が落ちた時点で既にそれは用意出来ている。

 

 熊谷の情報を得てリアルタイムでアップデートした情報を元にしているが故に、その精度は高い筈だと。

 

 小夜子は、そう自覚していた。

 

『まずは、帯島ちゃんを削り殺しましょう。爆撃を続けて、近付かせる間もなくトリオン切れまで追い込むんです』

 

 

 

 

「…………!」

 

 帯島は自身のいる一帯に向けて放たれた無数の光弾を見据え、すぐさま追尾弾(ハウンド)を放った。

 

 威力ではなく手数を重視している為か一つ一つの弾丸がさほど大きくはなく、代わりに数が多い。

 

 全てを迎撃するのは無理だと諦め、特に弾幕の密度の高い場所へ向けてハウンドを撃ち込む。

 

 帯島の弾は無数の光弾に着弾し、起爆。

 

 空中で連鎖的に爆発が起こり、同時に撃ち漏らした約半数の弾が飛来。

 

 建物に着弾し、次々に爆発が発生した。

 

「く、やっぱりこのまま削り殺すつもりっすか」

 

 この爆撃の意図は、すぐに分かった。

 

 恐らく、七海は熊谷から帯島の残りトリオンが少ないであろう事を聞き、爆撃を継続する事でトリオンが切れるまで封殺するつもりだ。

 

(この傷があるから、トリオン切れで落ちれば那須隊にポイントが入る。それは避けたいって、加山先輩は言ってたっすね)

 

 帯島は大きなダメージこそないが、熊谷との鍔迫り合いを続ける中で掠り傷程度の小さな傷は負っていた。

 

 トリオン切れで緊急脱出した場合、その隊員に試合中最も大きなダメージを与えた部隊にポイントが加算される。

 

 たとえ戦況に影響がない掠り傷であろうと、ダメージはダメージとして換算される。

 

 エスクードを三度も使った帯島の残るトリオンは、僅かだ。

 

 このままトリオン切れまで爆撃を続けられれば、彼女は脱落し那須隊に点が入ってしまうだろう。

 

 それは避けたいと、先程加山は言っていた。

 

『帯島、労う暇もなくて悪いが次の指示だ。お前は────────』

 

 そこに、加山から通信が入る。

 

 この状況を見越していた彼は、帯島に短く指示を伝える。

 

「了解」

 

 帯島は一言、返答を行い。

 

 信頼する指揮者の命に従い、動き出した。

 

 

 

 

(予想通り、帯島を削り殺しに来たか。単純だけど、だからこ効果的で裏をかき難いのが困りどころだな)

 

 帯島に指示を伝えた加山は、七海の方へと駆けながら舌打ちした。

 

 熊谷を敢えて加山の作戦だと分かる方法で仕留めた事でこちらの裏をかこうと奇策に走ってくれる可能性も期待していたが、矢張りこの程度では揺れてはくれないらしい。

 

 弓場を失った以上、正面切っての戦いでは自分達が明らかに不利だ。

 

 この状況でこちらがやって欲しくない事を、敵の指揮官は良く理解している。

 

 今回の場合、こちらの裏をかく奇策を投入されるよりも、正攻法のごり押しで来られるのが一番厄介なのだ。

 

 何せ、総合的な戦力の部分で負けている以上、正面から地力を押し付けられれば崩す隙が殆どないからだ。

 

 奇策は確かに決まれば効果的だが、反面読みを外したり期待していた程の効果が出なかった場合は却って状況が悪化する諸刃の剣なのだ。

 

 弓場の待ち伏せという奇策はああするしか盤面を覆す手段がなかったからこそ敢行したが、本来ああいった策はあまり採用すべきではないのだ。

 

 これに関しては、二宮隊がその見本である。

 

 彼等は二宮というMAP兵器じみた強さの駒を十全に動かす事を第一として行動し、その作戦行動は基本的に正攻法で王道を行くものだ。

 

 戦術面で相手の裏をかく事すらも、賭けなどではなく彼等にとっては自身の経験を元にした堅実な戦術に過ぎないのだ。

 

 自ら隙を晒すような愚を、彼等は決して冒さない。

 

 だからこそ、B級一位の王冠を被り続けていられたのだから。

 

 それと同じで、今の弓場隊は戦力がかなり低下している。

 

 エースの弓場は落ち、帯島はトリオン切れによる脱落が秒読みの状態。

 

 加山も単騎ではなくチーム戦を主軸とする駒である以上、帯島が落ちてしまえば残る駒は自身と外岡の二枚のみ。

 

 七海やライが健在である以上一度きりしか使えない外岡という伏せ札だけで戦うには、幾ら彼とて限界がある。

 

 それを見抜いているからこそ、那須隊は奇策に走るのではなく正攻法で帯島を潰しにかかって来た。

 

 作戦を読めたとしても対処そのものが難しい、力押しの戦略(ノースサウスゲーム)

 

 此処でその択を取れる相手は、強い。

 

 自分たちの強みと、相手の性質。

 

 それを良く理解出来ていなければ、取れない一手だ。

 

(けれど、そう来る事自体は分かっていた。それならそれで、こちらに出来る手を打つだけだ。問題は────────)

 

 そこで、加山をチラリと後ろに目を向ける。

 

 同時、既に待機させていた強化追尾弾(ホーネット)を射出。

 

 こちらの様子を伺っていたライへと、無数の弾幕が降り注いだ。

 

 そう、敵は七海だけではない。

 

 背後から迫るライもまた、同様に彼にとって大きな脅威なのである。

 

 普通であれば帯島の救援に向かいたい場面ではあるが、牽制のホーネットを撃ち続けなければライに距離を詰められて仕留められるのが目に見えている。

 

 今こうして合成弾を使っているとはいえライを牽制出来ているのは、此処が障害物のない瓦礫の上であり尚且つ彼が加山と同じくシールドの枠を片方エスクードで埋めている為に両防御(フルガード)が出来ない為だ。

 

 加山もライも、トリオンに余裕がある為トリガーセットは8枠全て使用している。

 

 しかし様々な状況に対応出来るようにトリガーを選んだ結果、使い方によっては防御に使用出来るエスクードをシールド片枠の代わりにする他なかったのである。

 

 無論、その選択のリスクは加山自身誰より承知している。

 

 両防御(フルガード)が出来ないという事は、もしも回避が不可能な状態でアイビスのような威力の高い攻撃を撃ち込まれれば巧くエスクードで防御出来なければ凌ぐ手段がないという事だ。

 

 特に、エスクードを使えない空中ではそれが顕著となる。

 

 故に加山は強化追尾弾(ホーネット)を用いて上方と下方から同時攻撃を行い、ライの進軍を阻んでいた。

 

 どちらも相手に当てるのではなく、相手に防御を()()()事を目的とした軌道に設定した上で。

 

 此処が複雑な地形であれば三次元機動で突破されていたかもしれないが、今この場は七海の爆撃によって更地となった地点。

 

 この場限りに置いて、彼の牽制は有効だった。

 

(この膠着も、長くは続かない。きっと今紅月先輩を無理をしてでも攻め込んで来ないのは、鳩原先輩が狙撃位置に着くのを待っているからだ)

 

 されど、これがいつまでも続かない事は理解している。

 

 今ライが強引に攻めて来ないのは、より確実に加山を仕留める準備を整えているからだ。

 

 先程の弓場の拳銃を破壊した際に、鳩原の居場所は割れている。

 

 だが彼女を追う余力はなかった為に、今鳩原はノーマークだ。

 

 恐らくライは、鳩原が新たな狙撃位置に着くのを待っている。

 

 彼女に人は撃てないが、逆に言えばそれ以外であれば何でも撃てる。

 

 あの局面で弓場の二丁拳銃を一発の弾丸で同時破壊した手並みを見る限り、その狙撃技術はボーダーの中でもかなりの上位にあるだろう。

 

 あんな変態技を成功させられる以上、東のようにこちらの弾を撃ち落とすような真似をやってのけても何ら不思議ではない。

 

 このまま鳩原の準備が完了してしまえば、彼女のサポートを得てライはこちらを圧殺しに来るだろう。

 

 それが出来るだけの力量を、彼は備えているのだから。

 

(どっちも奇策は使わずごり押しをして来る以上、もうこっちのやり口は読まれてるな。こちらの土俵に上がるんじゃなく、自分たちの強みを押し付ける事を専念して来た。こうなると、出来る事は少ないな)

 

 けど、と加山を顔を上げ慎重にこちらの様子を伺うライの姿を見据える。

 

 彼等の実力は、既に嫌という程思い知った。

 

 成る程、あれだけの地力があればそれを押し付けるだけで勝てるだろう。

 

 こちらが四苦八苦しながら頭を悩ませていたのに良いご身分だ────────────────とは、思わない。

 

 他人の事情なんてそう簡単に理解出来る筈はないし、彼等には彼等なりの苦難や葛藤があったのだろう。

 

 それは自分の与り知るところではないし、加えて言えば関係のない事柄でもある。

 

 憎むべき近界民であればともかく、相手はボーダーの隊員。

 

 その実力を羨みはするが、醜い嫉妬を表に出すなど格好悪過ぎる。

 

 少なくとも、ボーダーで戦うという決意を示して正隊員になった時点で、大なり小なり何かしらの事情は抱えているものなのだから。

 

 彼等は、相容れない()ではない。

 

 ただ、試合と言う形式で戦っているだけの同じ組織の仲間なのだ。

 

 ならば、今やるべき事は変わらない。

 

 自分なりのやり方でこの試合を戦い抜き、目に物を見せてやって気持ち良く勝つ。

 

 それだけだ。

 

(さあ、付き合って貰いますよ先輩方。泥臭いやり方でしょうが、こっちはそれが本領なんでね。エネドラ(あいつ)の言葉じゃねぇが、吠え面かかせてやりますよ)

 

 三者が、三様に動く。

 

 各々が死力を尽くす、異邦の戦場は。

 

 佳境に、突入しようとしていた。



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クロスランク戦⑮

 

 

『もうすぐ位置に着くよ。そっちはどうかな』

「加山くんは今は大きく動くつもりはないみたいだね。けれど、ユカリが落ちるのも時間の問題だ。だから、このまま手をこまねくだけって事は有り得ないな」

 

 ライは鳩原からの通信を受け、こちらに弾を撃ち続ける加山の姿を見据える。

 

 先程から加山は高速の合成弾生成を用いて、幾度も強化追尾弾(ホーネット)を撃って来ている。

 

 単なる追尾弾(ハウンド)ではないのは、恐らくそれだとライが突破してしまう可能性が高いと彼は踏んだのだろう。

 

 事実、ハウンドであれば無理なく突破は可能だとライ自身自負している。

 

 確かに彼はエスクードにシールドの枠を片方使っている都合上両防御(フルガード)は出来ないが、ハウンドだけならシールドを広げればそれだけで問題なく凌げる。

 

 エスクードによる瞬間加速もある為、その気になれば強引に加山に迫る事は不可能ではなかった。

 

 それをしないのは、偏に防御を固めた加山に不用意に近付くリスクを勘案しての事だ。

 

 加山には彼の代表的な手札であるエスクードの他、スパイダーやメテオラによる設置技に加えてこれまでに見せている合成弾の神速生成がある。

 

 1対1での突破力はそこまで高いワケではないが、何の策もなしに踏み込んで良い相手ではない。

 

 少なくとも、今はそのリスクを無視してまで強引に攻め込むべき時ではないとライは判断した。

 

『でも、本当に良いの? サポートするのはいいけど、加山くんの使うトリガーってエスクードか射撃トリガーのどっちかでしょ? 銃手トリガーは、今回持ち込んでなさそうだし』

「ああ、9割9分銃手トリガーはセットしていないと見ている。けれど、鳩原のサポートがなければならない理由がきちんとあるんだ。きっと、彼は────────」

 

 ライは当然の疑問を呈する鳩原に対し、自身の見解を説明する。

 

 その話を聞いて鳩原は成る程、と納得した。

 

『そっか。加山くんならそのくらいはやるよね』

「少なくとも、何の手も考えていない事は有り得ない。けれど、この状況下で出来る事には限界がある。最善の選択ってものは、状況によっては一択しかない場合もあるからね」

 

 だから、とライは笑みを浮かべる。

 

「僕たちは僕たちが出来る最善の中で、最良のものを選び取れば良い。良い手札を揃えるだけじゃなくて、その中から如何に正解を選び取るかが勝利の秘訣ってやつだからね」

 

 

 

 

(まだ出て来る気配はないな。加山の方も、紅月さんにかかりきりのようだ)

 

 七海は市街地への爆撃を続けながら、用心深く弓場隊の動向に警戒を張り巡らせていた。

 

 先程から帯島がいる市街地への爆撃を敢行しているが、時折ハウンドで迎撃はして来るものの弾数が多い為に完全に防ぐには至らず、街並みは徐々に瓦礫の山と化しつつあった。

 

 このままであれば、帯島はトリオン切れを待つ他ないだろう。

 

 だから、何か仕掛けて来るだろうと七海は考えていた。

 

「小夜子、どちらも動きはないか?」

『ええ、相変わらず帯島さんはバッグワームを着たままのようです。射線の切れている場所を移動している為か、茜の方からも正確な座標は把握出来ていません。狙撃手の方も、まだ発見には至っていません』

 

 そうか、と七海は頷き思案する。

 

 現在、不確定要素は二つ。

 

 帯島の最後の抵抗の有無と、狙撃手の存在。

 

 前者は当然加山から何かしらの策を授けられているであろう帯島の動きであり、これには最大限に注意を払っている。

 

 正直、彼女が単騎で熊谷を突破して来るというのは予想していなかった。

 

 帯島が熊谷を倒すには狙撃手の力を借りる可能性が高いとばかり思っていただけに、敢えて援軍を見送っていた面もある。

 

 熊谷を討ち取りに現れた外岡を釣り出し、そのまま仕留める為だ。

 

 しかし、予想に反して帯島は単騎で熊谷を撃破し、こうして七海が対処に回らざるを得なくなっている。

 

 加山に警戒を集中し、帯島への対応が少々甘かった結果と言っても良い。

 

 その事に対する反省は後で行うとして、問題は此処から弓場隊が何を狙って来るかである。

 

 現在、弓場隊は後が無い状況だ。

 

 人数の上では三チームの中で最も多く残留しているが、帯島はトリオン切れが秒読み段階。

 

 潜伏してこそ最大限に力を発揮出来る加山は現在ライとの戦闘の最中であるし、七海に狙撃は効かない為外岡を有効活用出来る機会は限られている。

 

 エースの弓場の欠落は、火力不足という致命的な瑕疵を弓場隊に生んでいたのだ。

 

 それでも戦えるのが今の弓場隊であるが、その戦術の肝となる加山の位置が晒されている以上出来る事は少ない。

 

(けれど、このまま終わるとも思えない。必ず、何か仕掛けて来る筈だ)

 

 七海は、加山を侮らない。

 

 最大の強みを潰した状態とはいえ、それでも彼の心理面を利用した戦略にはこれまで散々してやられて来た。

 

 幾ら有利な状況とはいえ、警戒を緩めれば間違いなくそこを突かれる。

 

 加山雄吾とはそういう相手だと、七海は既に認識していた。

 

「…………!」

 

 だから、それにはすぐに気付いた。

 

 正確には、()()した。

 

 加山の生成した、合成弾。

 

 ライへ向かうその弾の半数が、こちらを狙っている事に。

 

 七海の感知痛覚体質(サイドエフェクト)の反応が、それを教えてくれた。

 

 無数の弾丸が、上空へ向かった後山なりに落ちて来る。

 

 その軌道の、意図は不明。

 

 わざわざ上に撃ち上げた以上は、意味がある。

 

 少なくとも、ただの派手な攻撃とは思わなかった。

 

(迎撃は悪手。あれは追尾弾(ハウンド)系列の合成弾なら、変化炸裂弾(トマホーク)のような軌道変化はない。それなら)

 

 七海は、その攻撃に対する対処を即断。

 

 メテオラで迎撃するのではなく、グラスホッパーを使用。

 

 加山の撃った弾の軌道から外れるように、跳躍。

 

 彼から離れる形で、市街地上空付近へと移動した。

 

 

 

 

『今だ。帯島』

「了解っ!」

 

 しかし、それこそを彼等は待っていた。

 

 帯島は、加山からの合図を受けエスクードを起動。

 

 ()()()を、軌道計算に従って射出した。

 

 

 

 

(あれは、車…………っ!?)

 

 突然飛来して来た物体に、七海は思わず瞠目した。

 

 市街地から打ち上げられたのは、黒い乗用車。

 

 普通であれば空を飛ぶ筈のないそれが、エスクード発射台(カタパルト)により撃ち出されていた。

 

 無論、現実であればともかく此処は仮想空間。

 

 加えて、トリオン体に通常に物質による攻撃は無意味。

 

 生身の肉体であれば勢いの付いた車体が当たれば無事では済まないが、トリオン体であれば精々弾き飛ばされる程度で済む。

 

 だからこそ、七海の副作用(サイドエフェクト)はそれを感知しなかった。

 

 ぶつかってもダメージのない車であるからこそ、七海のサイドエフェクトは反応しない。

 

 あと一歩気付くのが遅れていれば、車体は直撃し彼はバランスを崩していただろう。

 

「────────メテオラ」

 

 しかし、何かして来ると警戒していた七海に限ってそれは有り得ない。

 

 七海は分割すらせずに炸裂弾(メテオラ)を射出し、それが車体に直撃。

 

 空飛ぶ車は爆発により、吹き飛ばされた。

 

 無論、七海の位置はその爆発に巻き込まれない。

 

 自身の放った爆撃であっても、被弾判定(ダメージ)さえ発生すれば七海の副作用(サイドエフェクト)の感知対象内。

 

 自分が爆発に巻き込まれない位置で爆破するなど、お手の物だ。

 

 背後で地面に着弾した加山の誘導炸裂弾(サラマンダー)の爆音を聴きながら、七海は依然上空で無傷を保っていた。

 

 

 

 

「ええ、七海先輩ならそこまで対処するでしょうね。それくらいは、読んでました」

 

 加山は、車の射出に難なく対処した七海を見上げ笑みを浮かべる。

 

 それは、作戦の失敗した者の浮かべる表情では断じてなく。

 

 ただ、己の目論見の成功を彼は思案していた。

 

「だから、当然二段構えです。行け、()()

 

 

 

 

「…………!」

 

 そこで、気付く。

 

 爆発の、その上。

 

 そこに、弧月を振りかぶった帯島がこちらに向かって迫っていた。

 

 何が、起きたのか。

 

 簡単だ。

 

 帯島はただ、車に捕まる形で跳躍し、車体を囮として七海の上を取ったのだ。

 

 車体の射出が迎撃されるであろう事は、計算の上。

 

 本命は、帯島を彼のいる高度まで上げる事。

 

 加山の誘導炸裂弾(サラマンダー)は、七海を帯島のいる場所へ近付ける事こそが狙い。

 

 エスクードジャンプで届く位置にまで、彼を誘導する事こそが狙いだったのだ。

 

(巧いな。けれど、対応は出来る)

 

 こちらも気付くのが遅れていれば間に合わなかっただろうが、このタイミングであればギリギリで対処は可能だ。

 

 旋空は確かに防御不能の斬撃であり空中では回避は難しいが、七海にはグラスホッパーがある。

 

 帯島の一撃を躱して彼女を仕留める事は、容易い。

 

 向こうにはグラスホッパーはなく、射撃トリガーは攻撃までにタイムラグがある為咄嗟の対応は不可能。

 

 七海はグラスホッパーを展開し、迎撃の構えを取った。

 

「…………っ!?」

 

 瞬間、七海の顔が衝撃で歪む。

 

 彼の副作用(サイドエフェクト)の感知の外からやって来た、それは。

 

 家屋の一部と思われる、拳大の瓦礫だった。

 

 ダメージはない。

 

 トリオン体は物がぶつかった程度では傷一つ付かないのだから、当然である。

 

 しかし、顎下に直撃した瓦礫の影響で、七海の視界は強制的に上を向かされる。

 

 その隙は、致命的だった。

 

 そもそも、帯島との距離はかなり近い。

 

 先程のタイミングで迎撃がギリギリのタイミングだった以上、一瞬であろうともそれが遅れる事は即ち致命の隙を生んだに等しい。

 

 帯島の旋空が起動し、刃が振り下ろされる。

 

 

 

 

『鳩原』

「了解」

 

 されど、それに待ったをかける者達がいた。

 

 アパートの屋上に上がっていた女狙撃手は、己の信ずる隊長の命を受け。

 

 迷いなく、その引き金を引いた。

 

 

 

 

「…………っ!」

 

 撃ち放たれた、一発の弾丸。

 

 それは狙い過たず、帯島の持つ弧月を撃ち砕いていた。

 

「────────!」

 

 そして、硬直から回復した七海が副作用(サイドエフェクト)の反応に従って身体を捻る。

 

 その直後。

 

 下方から飛来した弾丸が帯島の胸を貫き、致命傷を与えた。

 

 誰が撃ったかは、瞭然。

 

 爆風のカーテンの向こう側から、ライがイーグレットを用いて彼女を撃ち抜いたのだ。

 

 今回もまた、七海を助けたのはあくまでも弓場隊に点を与えない為。

 

 同時に、那須隊を出し抜いて帯島を討ち取る為であった。

 

『トリオン供給機関破損。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が帯島の脱落を告げ、トリオン体が崩壊。

 

 帯島は光となって、戦場から脱落した。

 

 

 

 

「ごめんね。紅月君が君を落としたいって言うから」

 

 それを見届けた鳩原は、彼女らしいコメントを呟きスコープから視線を外した。

 

 空中で動いている相手の武器のみを破壊するという絶技を難なくこなして見せた鳩原は、先程のライの言葉を思い返していた。

 

 ────────────────恐らく、弓場隊はユカリをエスクードで跳躍させて直接七海くんを狙って来る筈だ。だから、ユカリの弧月を破壊して隙を作って欲しい。僕は、そこを叩く────────────────

 

 結果として、ライの読みは的中。

 

 予測通り空中に跳び出し七海を狙った帯島の弧月を、彼女は正確に撃ち抜いた。

 

 人が撃てない。

 

 これはどうあっても覆せなかった鳩原の瑕疵であり、彼女自身その事について思い悩んだ回数は数えきれない。

 

 けれど、そうであっても彼女の狙撃手としての技術が卓越している事は事実。

 

 ボーダーでも最高峰のその技術は、たとえ直接点を取れなくとも紅月隊にとって充分過ぎる貢献を果たしていた。

 

 今回もまた、彼女は己の役割を果たし切った。

 

「え…………?」

 

 ────────────────だから、次の瞬間己の頭を弾丸が撃ち抜いた事に呆然となった。

 

 狙撃を終えた後の、一瞬の隙。

 

 そこに叩き込まれた弾丸によって、彼女は致命傷を負った。

 

 鳩原は、うそ、と驚きを露にした。

 

 先程弓場を狙撃した時に反応がなかった事から、他の部隊の狙撃手は自分を狙える位置にはいないと判断していた。

 

 それに、この場所は付近の建物の中でも最も高い建造物だ。

 

 今の一撃は、彼女のいるアパートに隣接している建物から放たれたものだった。

 

 最初から鳩原が此処に陣取ると分かっていなければ、この狙撃は有り得ない。

 

 そこに狙撃手を仕込めた理由が分からず、鳩原は困惑する。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、鳩原の脱落を告げる。

 

 紅月隊の女狙撃手は、混乱のまま光となって戦場から消え失せた。

 

 

 

 

「やれやれ、これで仕事完了っと」

 

 鳩原を撃ち抜いた弾丸の主、外岡はスコープ越しに彼女の脱落を確認しふぅ、とため息を吐く。

 

 これまで散々隠密に徹して来たが、この大一番で仕事が出来たのであれば何よりである。

 

「じゃあ、後は任せたっすよ加山くん。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 そして、予め与えられていた指示通りに外岡は自ら緊急脱出を敢行。

 

 弓場隊の狙撃手は、自分の意思で戦場から離脱した。





 もう最終話まで書き上げてるから今日も投稿。


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クロスランク戦⑯

 

 

(…………っ! まさか、此処で鳩原を狙って来るなんて────────────────いや、()()()()それが狙いだったのか)

 

 ライは鳩原脱落の報を聴き、内心で唇を噛んだ。

 

 彼の読みでは、弓場隊が取る戦略は残り少ない手札を使っての七海の打倒だった。

 

 以前の戦闘で七海が()()()()()()()()()ではない事を実感した彼等は、その時のノウハウを活かして今度こそ彼を仕留めようとする筈だと。

 

 そう、踏んでいた。

 

 だからこそ彼等が七海を落としに行くであろう事を予測し、そこに横槍を入れる形で帯島を点にする計画をライは立てていた。

 

 実際、それは成功した。

 

 七海への攻撃の瞬間という最大の好機は、それだけ第三者へ隙を見せる瞬間でもある。

 

 そこを武器破壊によって妨害し、副作用(サイドエフェクト)によってギリギリで回避するであろう七海の身体で射線を隠す事で躱せない一撃を叩き込んだ。

 

 イーグレットの弾丸は見事命中し、帯島の命運を刈り取った。

 

 此処までは、ライの作戦通りだった。

 

 予想外の事態が起きたのは、その直後。

 

 ライのサポートを行った鳩原が、最初から待ち伏せていたとしか思えない場所に潜んでいた外岡の狙撃を受けて脱落した。

 

 既に鳩原から報告は聞いているが、外岡は明らかに彼女が狙撃位置として陣取るであろう場所を狙撃するのに最適な場所に潜伏していたのだそうだ。

 

 それはつまり、こちらの作戦が弓場隊に完全に読まれていた、という事になる。

 

(狙撃に使える場所は、狙撃手なら分かる。だから鳩原が()()()()()()()に当たりを付けて潜伏する事は、可能だ。だから、その推測が当たったのだと考えれば一応説明はつく)

 

 けれど、とライは思考を進める。

 

(鳩原が言うには外岡くんが狙撃して来た場所は、彼女のいた建物に隣接する場所からだという。そこまでの近距離に潜んでいたという事は、単に当たりを付けただけじゃなく彼女があそこに陣取るという予測の元に成り立っていたに違いない)

 

 そう、狙撃手同士であればどんな地形が潜むに最適な場所かは理解している。

 

 それ故に()()()()()()()()()()()()()()()()というのは、MAPをきちんと把握していればある程度当たりは付けられる。

 

 ライもまた狙撃手の一員でもある為、そのくらいの事は分かる。

 

 しかし、今回ばかりは狙撃して来た場所がピンポイント過ぎる。

 

 外岡の潜んでいた場所は、付近の狙撃に適したポイント全てが見渡せる場所ではなく────────────────鳩原の陣取った位置()()を、最短で狙える場所だった。

 

 これは明らかに、彼女の動きを完全に読み切っていなければ不可能な芸当だ。

 

(つまり、弓場隊は鳩原があの位置に来る事を最初から承知していた。七海くんを狙ったのは陽動(フェイク)で、本命は彼女を落とす事にあったのか)

 

 

 

 

(その顔が見たかった。こっちの思惑に気付いたみたいだけど、後の祭りだよ)

 

 加山は視線の先で眼を見開いていたライを見据え、ニヤリと笑みを零した。

 

 そう、最初から彼は七海を落とそうとは考えてはいなかった。

 

 彼が帯島と外岡に下したオーダーは、こうだ。

 

 帯島には、「全力で七海を落としに向かえ。ただし、七海にだけは落とされるな」と。

 

 外岡には「鳩原が指定の場所に来て狙撃したら、彼女を撃って緊急脱出しろ」と。

 

 それぞれ、指示を下していた。

 

(最初から、七海先輩が落とせるとは思っちゃいない。さっきはそれをやろうとして、見事にアンタ達に漁夫られたからな)

 

 加山は今回の作戦で、まず七海は落とせないだろうと考えていた。

 

 そう結論したのは、先程の弓場が緊急脱出した時の顛末にある。

 

 あの時、紅月隊は七海を落とそうとした弓場を武器破壊で妨害し、その直後にイーグレットで彼を仕留めた。

 

 その事から、紅月隊の方針は弓場隊(かれら)に点を与えず、他部隊全員の撃滅である事を理解した。

 

 故に、もう一度七海を狙おうとすれば必ず横槍を入れて来ると、加山は読んでいた。

 

 紅月隊の妨害を防ぐ事は、かなり難しい。

 

 鳩原は熟練の狙撃手であり、A級部隊に所属していた経験もあって狙撃の直後でもなければ落とせる相手ではない。

 

 彼女は、スパイダーを装備している。

 

 たとえ位置が露見しても、あの手この手で妨害し雲隠れするくらいはやってのけるだろう。

 

 だから、鳩原を落とそうとするのであれば狙撃の直後────────────────攻撃完了から逃走までの短い間を、的確に狙う必要があった。

 

 故に、外岡には鳩原の狙撃を妨害はするなと言っておいた。

 

 欲をかけば、帯島を囮にしてまで釣り出した駒をみすみす逃してしまいかねない。

 

 そういった判断も、勿論あった。

 

(それに、あの攻撃が成功していたとしても七海先輩は致命傷は避けそうな気がしてならない。落とせると確信出来るのならまだしも、七海先輩の腕や足だけ斬って終わりってパターンが一番マズイ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って結果なら良いが、部位欠損させる可能性が高い以上危険な橋は渡るべきじゃねぇ)

 

 加えて、加山はとある理由で七海に部位欠損をさせたくなかった。

 

 そういった事情もあり、加山は徹頭徹尾鳩原を落とす事のみにリソースを注ぎ込み目的を完遂させた。

 

(とにかく、これで最低限の目標は達成出来た。確実に取れる点は、大体取り切った筈だ)

 

 これで、弓場隊は3点目を獲得。

 

 紅月隊は2Pt、那須隊は未だ0Ptであると考えれば現状での獲得点数はトップである。

 

 その代償として残る隊員は加山一人になってしまったが、まだ勝ちの芽は捨ててはいない。

 

 だからこそ、外岡には自ら緊急脱出して貰ったのだから。

 

(外岡の位置は、こっから約70メートル。自己緊急脱出(ベイルアウト)可能な60メートル以内に他チームの隊員がいないって条件を、ギリギリ満たせる場所だった。あの場で離脱しなきゃ、七海先輩に詰められて落とされていた)

 

 外岡は鳩原を狙撃で落とした代償として、その位置を露見させてしまった。

 

 七海の機動力ならば、此処からであればすぐにでも急襲して彼を落とせていただろう。

 

 狙撃が効かない七海相手に、外岡単体では成す術がない。

 

 帯島が落ちた以上七海をあの場に留まる理由はないし、彼の機動力相手では加山のフォローも間に合わない。

 

 複雑な地形であれば幾らでも手はあったが、それもない以上位置を晒した外岡はただ狩られるだけの獲物に過ぎない。

 

 故に、狙撃完了と同時に自己緊急脱出するよう指示しておいたのである。

 

 他部隊に、一点たりとも与えない為に。

 

 ただひたすら、己の部隊の勝利の為に。

 

(さぁて、必要な保険はかけたし正直言えば俺も逃げちまいたいが、まず無理だな。条件が悪過ぎるし、いい加減トリオンも厳しくなって来た。今すぐどうこうってワケじゃないが、もうエスクードも合成弾もそこまで濫用が出来ねぇな)

 

 加山は自身の状況を改めて把握し、溜め息を吐く。

 

 これまで加山はエスクードや合成弾も何度も用いて、攻撃を凌いで来た。

 

 最初の那須相手のエスクードの大量展開に始まり、その後の位置露見からの合成弾連発。

 

 幾ら加山がトリオン強者とはいえ、全力でトリオンを吐き出し続けていれば息切れも見えて来る。

 

 少なくとも、膠着状態が続いてしまえば真っ先に落ちるのは自分であると加山は理解していた。

 

 七海もメテオラを連打してはいたが、消耗は燃費最悪のエスクードを使用している加山ほど酷くはない。

 

 彼のトリオン量であれば、試合終了まで何の問題もなく保つと加山は推測していた。

 

(だから、最後の仕事だ。生き残るのは無理だろうが、やれる事はやってやる。さあ、ぶちかますぞ…………っ!)

 

 全ての覚悟を決めた加山は意を決し、即座に合成弾を生成。

 

 対峙する七海とライ、その双方に弾幕を射出した。

 

 

 

 

(来たか)

 

 七海は自らに向かって来る光弾の群れを見据え、駆け出した。

 

 撃ったのは、無論加山。

 

 帯島はライに落とされ、外岡も自ら緊急脱出したと聞いている。

 

 故に、弓場隊はもう彼一人だけしか残ってはいない。

 

 身を隠す場所もなく、孤立無援な彼は。

 

 未だ、その眼の闘志を消してはいなかった。

 

 あれは、まだ何かをやる気だ。

 

 その心意が、ひしひしと伝わって来る。

 

 これまでとは違い、最早加山は自らの闘志を隠していない。

 

 今までは自身の思惑を悟られぬようひたすら裏方で謀略を巡らせていた加山であるが、此処に来て腹を括ったような気配を感じる。

 

 あれはそう、七海が最強の剣聖(ヴィザ)を前にした時と同じような。

 

 決して退けない、そういった覚悟を秘めた眼だ。

 

 少なくとも七海は、加山の眼光をそう解釈した。

 

(なら、受けて立つだけだ。実質二人がかりだとか、そんな事は関係ない。手心を加える方が、よっぽど相手に礼を欠く)

 

 故に、七海はその挑戦を正面から受ける事に決めた。

 

 状況的には加山は不利ではあるが、獲得したポイントの事を考えれば最も厳しいのは那須隊だ。

 

 那須隊は未だ誰も落とせてはおらず、各得点は0。

 

 しかも残っているのは二人だけと、ランク戦が点の取り合いである事を考えれば一番マズイ位置にいるのは自分達である。、

 

 だが、諦めるつもりは毛頭ない。

 

 残る二人のうちどちらを倒した上で生き残れば3点で弓場隊と同点、両方倒せば4点獲得で勝利可能だ。

 

 まだ、勝ちの芽は残っている。

 

 ならば、足を止める理由にはならない。

 

 此処まで試合をかき回してくれた加山には、全力で当たる事こそが返礼となる。

 

 そう決意し、動く。

 

 七海は迫り来る弾幕を前に、グラスホッパーを展開。

 

 ジャンプ台を踏み、天高く跳躍。

 

 追い縋る強化追尾弾(ホーネット)を、引き離しにかかった。

 

 

 

 

強化追尾弾(ホーネット)か。なら、こうすべきだな)

 

 ライは自身を狙う加山の合成弾────────────────七海を追ったその軌道から、間違いなくホーネット。

 

 それを前に、足元の瓦礫を蹴り上げ1枚の壁とする。

 

 そして、壁に手を付きエスクードを展開。

 

 突き出たバリケードの加速を利用して、一直線に加山へと接近した。

 

「…………!」

 

 当然、その軌道はホーネットの群れに正面から突っ込む事になる。

 

 しかし、無論の事被弾などする筈もない。

 

 ライはシールドを展開し、自身にぶつかる弾を弾く。

 

 ホーネットは追尾性能自体は凶悪だが、威力はそこまで高くはない。

 

 故に防御するだけならばシールドを広げるだけで事足りるが、そうなるとその場に固められてしまい身動きが取れなくなってしまう。

 

 だが、足を止めずにシールドを張る事が出来れば関係はない。

 

 エスクード跳躍(ジャンプ)による加速は、直線移動であればグラスホッパーのそれを上回る。

 

 代わりに小回りは利かないものの、加速力自体はかなりのものだ。

 

 それ故、シールドはホーネットの群れに突っ切る時だけ維持出来ればそれで良い。

 

 如何にホーネットの追尾性能が高かろうと、追いつけなければ意味はない。

 

 そして、一瞬でも引き離せればライには充分だった。

 

(これ以上、余計な真似はさせない。何かされる前に、此処で落とす…………っ!)

 

 ライの加山への警戒度は、先程の鳩原撃破によって最大級に上がっていた。

 

 これ以上彼を、戦場に残してはならない。

 

 仲間の脱落によってそれを強く意識したライは、速攻で加山を落とす事を選択した。

 

 時間を与えれば与える程、加山が何かを仕掛けて来る確率は上がる。

 

 ならば、その前に有無を言わさず撃墜する。

 

 戦術家を自由にすれば、どれだけの事が出来るのかを彼は知っている。

 

 かつてあの世界での無二の友が、有象無象のレジスタンスを率いて軍に立ち向かった時のように。

 

 軍略に富んだ指揮官というものは、戦力差を容易くひっくり返す怖さがある。

 

 奇しくも、その知略を前に読み負け鳩原を落とされてしまったように。

 

 此処からも、何かを仕掛けて来る可能性は充分にあった。

 

 故に、此処で落とす。

 

 リスクの勘案も、最早度外視する他ない。

 

 次の行動を起こされる前に、撃破する。

 

変化弾(バイパー)

 

 ホーネットの群れを突破したライは、バイパーを展開。

 

 速度重視でチューニングしたそれを、加山に向けて撃ち放った。

 

「…………!」

 

 それに対し、加山はシールドを広げ対応。

 

 四方から襲い来る光弾を、加山のシールドが弾く。

 

 だが、当然これで攻撃が終わる筈もない。

 

 ライは即座に、その手にイーグレットを構えた。

 

 空中での狙撃となるが、彼ならばこの状態から当てる事など造作もない。

 

 現在、加山はシールドを広げてバイパーを凌いでいる。

 

 あそこから逃げるにはシールドを解除するしかないが、そうなれば残るバイパーが彼を撃ち貫く。

 

 最初から、バイパーの半数はやや遅れて着弾するように調整してある。

 

 あの場でシールドを張る事を選んだ時点で、彼に回避という選択肢は失われた。

 

「────────!」

 

 しかし、それで諦める程加山は潔くはない。

 

 ライがその手にイーグレットを手にした段階で、彼は地面に手を付けエスクードを起動。

 

 自身の周囲を守り固める形で、無数のバリケードを発生させた。

 

 幾ら威力の高いイーグレットと言えども、防御に使用出来るトリガーの中でも最高の硬度を誇るエスクードは突破出来ない。

 

 弓場のリボルバーのように連射が出来るのであればともかく、ライトニング以外の狙撃銃は単発式で再装填(リロード)にも時間がかかる。

 

 加えて、今回ライはイーグレットを弧月と同じメイントリガーにセットしている。

 

 イーグレットを使用している現在、旋空弧月は使えない。

 

 恐らくはそう考えて、一斉にエスクードを起動したのだろう。

 

詰み(チェックメイト)だ」

「…………っ!」

 

 されど。

 

 その目論見は、ライがイーグレットを()()()()()段階で失敗である事が明白となった。

 

 確かに、メインとサブではそれぞれ一つずつしかトリガーを起動出来ない。

 

 だが、それはあくまでも()()した場合だ。

 

 ライは最初から、イーグレットはオフにしていた。

 

 この試合、彼は2度もイーグレットで弓場隊の隊員を落としている。

 

 故に、加山の中では「ライが敵を仕留める時はイーグレットを使用する」という印象が植え付けられた筈だ。

 

 だからこそ、イーグレットを見せた段階で加山は反射的にそれに対応したのだ。

 

 エスクードという、イーグレットでは破れない盾を用いて。

 

 しかし、それこそが罠。

 

 ライは加山がイーグレットには必ず対応して来ると踏んで、それを囮にした。

 

 本命である、伝家の宝刀で仕留める為に。

 

「────────旋空弧月

 

 旋空、一閃。

 

 居合抜きの要領で放たれたライの拡張斬撃は、エスクードごと加山を両断。

 

 ほぼゼロ距離で放たれた斬撃は、回避の余地なく命中。

 

 弓場隊最後の一人を、一瞬で撃破した。

 

「…………!」

 

 そこでライは悪感を感じ、咄嗟に身体を捻る。

 

 しかし、一歩遅かった。

 

 エスクードの向こう側から地面スレスレの低高度で飛んで来た弾丸の一部が、ライの脇腹に着弾した。

 

 致命傷ではない。

 

 しかし決して無視出来ないダメージを負ったライは、自身が斬り捨てた弓場隊最後の一人────────────────加山を、見据えた。

 

「最初から、この状況で生き残れるなんて考えちゃいなかったさ。欲を言えば相打ちに持ち込んでおきたかったが、流石に欲張りだったか」

「いや、してやられたよ。まさか最初から、捨て身前提だったとはね」

 

 そう、ライに落とされる事は最初から承知の上。

 

 その上で、あわよくば彼を相打ちに持ち込むべく待ち構えていたのだ。

 

 エスクードを展開したのは、防御の為ではなかった。

 

 全ては、この攻撃を通す為。

 

 ライに痛打を与える為だけに、加山は自身を駒として使い潰した。

 

 鳩原を落とされたライが、自分を速攻で落としに来ると読んだ上で。

 

 彼は自身の脱落を視野に入れた上で、最後の罠を張っていたのだ。

 

「これで、アンタを落とすお膳立ては整った。自分でやれなかったのは心残りだが、結果良ければ全て良しだ。頑張ってくれよ、()()()()

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 加山は最後まで不敵な笑みを浮かべ、光となって消え去った。

 

 そして。

 

「────────」

 

 加山の強化追尾弾(ホーネット)を振り切り、地面に降り立つ少年が。

 

 七海玲一が、30メートル程の距離を置いてライと対峙した。

 

 弓場隊はこの瞬間、全員が脱落。

 

 残るは、那須隊と紅月隊。

 

 各々の隊のエースと、未だに隠れ潜む狙撃手一人。

 

 最後の戦闘が、始まろうとしていた。



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クロスランク戦⑰

 

 

「これで出来る事は全部やった。完全な相打ちに持ち込めなかったのは、少し残念だけどな」

 

 作戦室の緊急脱出(ベイルアウト)用マットの上で、加山はそう呟きため息を吐く。

 

 彼の脱落により、弓場隊は全滅。

 

 しかし、種は撒いた。

 

 七海を可能な限り万全な状態で生存させ、ライに痛打を与えた。

 

 戦闘が長引けばライの()()()()が機能してこちらの勝ちの芽が出て来るし、そうでなくとも紅月隊の単独勝ちを防ぐ事が出来れば上々だ。

 

 その為に、七海には余計なダメージを与えなかったのだから。

 

(お膳立ては整えた。後は、七海先輩次第だけど────────────────もう、賽は投げたんだ。あとは結果を待って、それを受け入れるだけだな)

 

 

 

 

(成る程、これはしてやられたな)

 

 七海は自身と対峙するライ、その脇腹の傷を見ながら拳を握り締めた。

 

 後がなくなり腹を括った加山の奇襲を警戒して強化追尾弾(ホーネット)の回避と第二撃に注意を払っていたが、その慎重な選択にこそ向こうの狙いがあったのだ。

 

 これまで弓場隊は、加山は、様々な方法で七海達の裏をかいてきた。

 

 故に、相応に彼に対する警戒度は跳ね上がっている。

 

 紅月隊の介入がなければ痛打を受けていた場面も、幾度かあった。

 

 ライの方針次第では七海が真っ先に脱落する可能性も、当然の如く有り得たのだ。

 

 那須の策で位置を曝け出されるという圧倒的不利な状況に陥っても尚、加山は思考を止めなかった。

 

 その結果として那須に続いて熊谷も討ち取られ、更には紅月隊の鳩原も落とされて弓場隊は三点を獲得した。

 

 現在の各部隊のポイントは、那須隊0Pt/紅月隊3Pt/弓場隊3Ptである。

 

 紅月隊は、弓場・帯島・加山を。

 

 弓場隊は那須・熊谷・鳩原を。

 

 それぞれ落として、同数のポイントを獲得している。

 

 そして、ライのあの傷。

 

 加山の捨て身の一撃によって穿たれた傷は、浅くはない。

 

 致命傷、というワケではない。

 

 しかし、かといって無視出来るレベルの傷でもない。

 

 行動に阻害はないだろうが、場合によっては時間経過でトリオン漏出による緊急脱出も充分有り得る。

 

 その場合、ポイントが加算されるのはそれまでにライに最も大きなダメージを与えた隊員の属する部隊となる。

 

 つまり、仮に七海との戦闘中にトリオン切れでライが脱落する事があれば、弓場隊は四点目を獲得する事になるのだ。

 

 そうなれば那須隊の場合はライを倒して更に生存点を得ても三点止まり、紅月隊の場合も茜を落とせなければ四点で弓場隊と同位となる。

 

 まだ、結末は決まっていない。

 

 この先は、どのような結果に至る事も有り得るのだ。

 

 全ては、此処から。

 

 七海とライ。

 

 二人の戦いが、全ての趨勢を決するのだ。

 

(厳しい相手だが、それでもあの剣聖(ヴィザ)よりはマシな筈だ。まだ、日浦も残っている。最後まで、諦める事はしない────────────────必ず、勝とう)

 

 

 

 

(最後の相手は七海くんか。紅月隊(ウチ)の単独勝利には彼に加えて日浦さんまで倒さなきゃならないけど、必要ならやるだけだ)

 

 ライもまた、状況は理解している。

 

 加山が残した爪痕は、想像以上に大きい。

 

 彼は恐らく、弓場が落とされた時点で選択肢の一つとしてこの展開を考慮に入れていた。

 

 即ち、自部隊の勝ちの芽を残し、最悪でも()()()()()に。

 

 帯島の弧月が破壊された時、外岡は既に狙撃位置に着いていた筈だ。

 

 にも関わらず、彼は帯島への狙撃を止めようとはしなかった。

 

 そういう指令(オーダー)が出ていたのだろうが、疑問は残る。

 

 何故彼は、帯島への狙撃を防がずみすみす七海に一撃を入れる機会を見逃したのか。

 

 なんの事はない。

 

 加山は、弓場隊は、七海を一撃で仕留める保証がなければ()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 七海の真価は、集団戦にこそある。

 

 茜のサポートがあるとはいえ圧倒的な単騎での突破力を持つライ相手の一騎打ちは、ただでさえ厳しいのだ。

 

 それに加えて腕や足を失っていれば、最早劣勢は明らかだろう。

 

 勝率は、今より遥かにか細いものになっていた筈だ。

 

 その場合、ライが那須隊を全滅させて弓場隊の得点を上回る可能性が出て来る。 

 

 だからこそ、加山は七海に余計なダメージを与えないよう鳩原の狙撃を妨害しなかったのだ。

 

 最初から、鳩原を落とす事だけに焦点を絞り。

 

 自分が落ちた後の展開を、少しでも自部隊の利益に繋がり易いように。

 

 盤面を、調整していたのだ。

 

 これが、弓場隊が鳩原の狙撃を()()()()()()意味。

 

 最後まで勝つ為の思考を止めなかった、加山の足掻きの結果である。

 

(見事だ。けれど、僕も負けてやるつもりは毛頭ない。勝利条件は、あと少しでクリア出来る────────────────なら、全力で事に当たるだけだ)

 

 ライは弧月に手をかけ、姿勢を低くする。

 

 それと同時に七海は身体を沈み込ませ、グラスホッパーを展開。

 

 二人の視線が、ぶつかり合う。

 

 祈る少女(マリア)のエンブレムを背負う少年が、闘気を纏い圧を放ち対峙する遊撃手を見据える。

 

 尾を食む蛇(ウロボロス)のエンブレムを刻む少年が、気配を消して静かに対峙する剣士を見据える。

 

 七海とライの視線が交差し、そして。

 

「────────」

「────────」

 

 ────────疾駆。

 

 瓦礫の山の最中。

 

 最後に残った二人のエースの戦闘が、始まった。

 

 

 

 

「────────メテオラ」

 

 初手は、七海。

 

 その手から展開されたキューブが無数に分割され、射出。

 

 こちらへ向かって来るライへと、弾幕が向かう。

 

 この試合で加山を散々追い込んだ、広範囲に及ぶ爆撃。

 

 トリオン強者たる七海が放つ弾は、直撃すればそのまま固められるだろう。

 

「────────バイパー」

 

 しかし、ライはそれに即座に対応。

 

 バイパーを繰り、無数の弾を空中で撃墜。

 

 瓦礫の山の上に、次々に爆発が連鎖。

 

 爆音が、周囲を席捲した。

 

「────────!」

 

 しかし、それで止まるような七海ではない。

 

 否。

 

 その爆発の隙間を縫うように移動し、曲芸の如き動きでライへと迫る。

 

 空中で撃墜されたとはいえ、トリオンを注ぎ込んだメテオラの爆破範囲は地上にまで及んでいる。

 

 それを躱すには相応に姿勢を低くするか、七海のように的確な移動経路を見付ける他ない。

 

 メテオラを至近で爆破し、それを相手の目晦ましとしながら行動を封鎖。

 

 副作用(サイドエフェクト)、感知痛覚体質。

 

 自身が被弾する攻撃の範囲を正確に察知出来るその力をフルに活用し、自身のみが有利な環境で立ち回る。

 

 メテオラ殺法。

 

 七海が得意とする、必殺の遊撃戦法である。

 

 これは巧く嵌まれば相手の行動を一方的に封殺し、徐々に逃げ道を塞ぐ事が出来る強力な固有戦術だ。

 

「────────そこか」

「…………!」

 

 しかし、万能の必勝戦術というワケではない。

 

 ライは、待機させていた無数の光弾を射出。

 

 爆発の合間を縫う七海へと、同じように爆煙の隙間を通り抜ける形で変化弾(バイパー)が飛来する。

 

 その光景に、七海は表情を険しくする。

 

 このメテオラ殺法は一見強力極まりない戦術に見えるが、弱点もある。

 

 それは、幾ら七海が爆発の合間を縫うように移動出来るとはいえ、爆破が発生している事自体は変わらない為自分自身の移動経路もおのずと制限されてしまう事だ。

 

 普通であれば、爆撃の隙間を移動する七海を射撃トリガーなどで狙える筈がない。

 

 射撃トリガーは弾体をカバーで包み込み、その覆い(カバー)が破損し外気に触れる事で炸裂。

 

 その場にダメージを発生させる、という仕組みだ。

 

 そして無論、このカバーは爆撃によっても破壊される。

 

 七海を狙おうとしても、炸裂弾(メテオラ)の爆発に触れてしまえばその場でかき消されて終わりなのだ。

 

(なんてコントロールだ。まるで、玲みたいだな)

 

 しかし、ライはそれを精密な弾道のコントロールによって実現した。

 

 爆発の間の細い道筋を、的確な軌道(ルート)に沿って射出。

 

 移動経路に制限がかかっている七海に、集中砲火を浴びせる。

 

 それを実現しているのは、彼の並外れた弾道制御能力だ。

 

 那須や出水以外にこれ程の精密な技巧を持つ射撃トリガー使いがいるとは、考えてもみなかった。

 

 七海の眼から見ても、ライの弾道制御は那須のそれと比べても差支えが無い程の練度を誇っている。

 

 まるで、彼女から直接教わったかのような。

 

 そんな、既視感を抱いた。

 

 無論、そんな事は有り得ない筈だ。

 

 那須は、ライと直接話した事も戦った事もないと言っていた。

 

 それなら、気の所為だろう。

 

 引っかかる事はあるが、それは今考えるべき事ではない。

 

 七海は冷静に、ライの攻撃への対処を導き出した。

 

 迫り来る無数のバイパーに対し、七海はシールドを張りつつ疾駆。

 

 グラスホッパーは使わず、己の機動力のみで変化弾の追撃を振り切る。

 

「まだだ」

「…………!」

 

 されど、その行動は既に予測されていた。

 

 ライは七海が向かった爆撃の道の出口に、無数の光弾を向かわせていた。

 

 どうやら、彼は予めバイパーの一部を迂回させ、この場所に来るよう設定していたらしい。

 

 爆発の間を進む以上、グラスホッパーのような加速補助の利用は厳禁だ。

 

 何せ、爆発隙間抜け(グレイズ)は七海の技術を以てしても相当に高度な技だ。

 

 繊細な制御が必要な曲芸に、加速の超過(ブースト)など以ての外だ。

 

 だからこそ、これは利く。

 

 加速が制限された状態であるからこそ、バイパーへ対処する為にはシールドを張って足を止めざるを得ない。

 

 無数の爆発の連鎖で視界も塞がれている以上、変化弾(バイパー)を察知するのは困難を極める。

 

 爆発を遮蔽幕(カーテン)として利用し、不意を撃つ戦術。

 

 それは、先程弓場隊相手に見せたそれと同じだ。

 

「こっちの台詞だ」

「…………!」

 

 ()()()()()、それは七海とて読んでいた。

 

 七海は、シールドをとグラスホッパーを同時に起動。

 

 シールドでバイパーを凌ぎつつ、グラスホッパーで上空へと跳躍した。

 

 今の攻防で、七海は即座にメテオラ殺法を悪手だと判断。

 

 空へと跳び上がり、メテオラを生成。

 

 上空からの爆撃に、戦術を切り替えた。

 

 ライの持つ最大射程のトリガーは、イーグレットだ。

 

 こいつがあれば上空にいる相手を狙い撃つ事も可能だが、そもそも七海にとって狙撃は視えている攻撃(テレフォンパンチ)に過ぎない。

 

 幾ら威力が高くとも、単発の攻撃など七海にとっては問題にならないのだ。

 

 加えて、ライは先程イーグレットをフェイントの為に投げ捨てている。

 

 再び撃つには再生成する必要があり、この状況下でそんな悠長な事をするとは思えない。

 

 もう一つ、七海のいる高度に追いつく為ならエスクード跳躍(ジャンプ)という手段もあるが、それはあくまでも一度きりの加速だ。

 

 グラスホッパーを持たない彼が空へ上がれば、攻撃を回避する事は難しくなる。

 

 故に、爆撃(これ)は利く筈だと七海は考えた。

 

 相手の攻撃が届かない上空からの、一方的な爆撃。

 

 これは、トリオン漏出による時間切れ(ゲームオーバー)が見えているライとしては焦る筈だ。

 

 早くこちらを倒したいのに、七海がいるのは上空。

 

 攻撃が届かない中、一方的に爆撃の雨に晒され続ける。

 

 それを回避する為に、何かしら無理をして来る可能性は大いにある。

 

 七海は、それこそを狙っていた。

 

 尋常な手段では、一騎打ちでライを突破する事は不可能に近い。

 

 実力が突出して高い事もそうだが、とにかく危機管理(リスクヘッジ)が巧い。

 

 ポイントゲッターが一名のみという、特殊な構成の部隊を率いている事もあるのだろう。

 

 彼は自分が落ちる可能性のあるケースを常に思考し、徹底して危険を排除した上で行動に移る。

 

 隙など殆ど存在せず、無理に攻め込もうとすればその瞬間鋭い攻撃によって倒される。

 

 それが、紅月ライ。

 

 かの剣聖には届かずとも、個人の隊員としては最上に近い位置にいる一騎当千の猛者である。

 

 その相手に対して、七海は自身が落ちないよう配慮しながら戦う事を強いられている。

 

 相打ちで良いのであれば、幾つか手段はある。

 

 しかし、那須隊のポイントを考えれば紅月隊にはこれ以上1Ptたりとも与えてはならないのだ。

 

 故に、自身の安全に配慮した上で追い込むのであればこれがベターな筈だ。

 

 少なくとも、七海は。

 

 そんな甘い幻想(くうそう)を、抱いていた。

 

「────────っ!?」

 

 瞬間、七海の背筋に悪感が走る。

 

 この感覚は、忘れもしない。

 

 あの時。

 

 大規模侵攻で、彼の剣聖と対峙した時。

 

 自身の喉元に円環の刃が迫った際に感じた、絶対なる死の予感。

 

 副作用(サイドエフェクト)による、感知ではない。

 

 ただ、ヒトとしての本能が叫ぶ。

 

 この場に座すれば、己の命運は尽きると。

 

 そんな警鐘が、己の脳裏を駆け巡った。

 

旋空────────

 

 その直感を、肯定するかのように。

 

 ライは逃走ではなく、弧月に手をかけ迎撃態勢に入った。

 

 普通に考えれば、届く筈のない距離。

 

 しかし、忘れてはならない。

 

 彼の扱う旋空は、通常のそれではない。

 

 生駒旋空ならぬ、紅月旋空の名を冠した彼の一閃は。

 

 文字通り、あらゆるものを斬り裂くのだと。

 

────────弧月

 

 旋空、()()

 

 これまで、敢えて二連撃に留めていたそれを。

 

 全力の剣速を以て、解放。

 

 地へ落ちんとする無数の光弾ごと全てを斬り裂く斬撃が、七海に向けて撃ち放たれた。 



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クロスランク戦⑱

 

 

(速い────────しかも、()()()。これは、間に合わない…………っ!?)

 

 振るわれた、ライの旋空。

 

 神速の三連斬が迫る最中、七海は体感時間の拡張を感じ取っていた。

 

 これは、そう。

 

 あの剣聖(ヴィザ)の振るう星の杖(オルガノン)を相手にした時に掴み取った、極限の集中からなる神経の鋭敏化。

 

 自らに迫る絶死の刃を前に、走馬灯の如き思考加速が発生した瞬間だった。

 

 ただ、この脅威に抗する為。

 

 七海の思考の全てが、最高速で駆動する。

 

(これまでに使った二連撃の旋空は、本気ではなかった。全ては、この攻撃────────────────()()()()()()()()を、決め手とする為か)

 

 たった今振るわれた旋空は、剣速も射程距離も────────────────加えて、斬撃の数もこれまでとは異なっている。

 

 先程のそれも充分に通常の旋空を凌駕する性能ではあったが、()()はモノが違う。

 

 これまでに使用された紅月旋空の射程は凡そ30メートル弱といったところだが、現在の七海の高度はそれを超えている。

 

 なのに七海の副作用(サイドエフェクト)が被弾の判定を下しているという事は、射程距離そのものを偽っていたという事だろう。

 

 更に、剣速も凄まじい。

 

 明らかに、これまでの旋空では加減をしていたと確信する攻撃速度。

 

 そのとんでもない剣速が、三連撃────────────────否。

 

 三連()()()()という、極地へと至らせたのだろう。

 

 無論、物理法則に従う以上全くの同時に三連撃が振るわれるワケではないが、極限までそれに近い速度での攻撃を実現させている。

 

 まさしく、必殺の技。

 

 絵物語に過ぎないそういった致死の極技を、技量と副作用(サイドエフェクト)の合わせ技で成立させている。

 

 これが、紅月ライ。

 

 文字通りの一騎当千を体現する、完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)

 

 これ程の相手は、A級でもそうはいない。

 

 七海が戦って来た猛者の中でも、間違いなく最高クラスの使い手だろう。

 

 あらゆるトリガーを使いこなすセンスに、的確な状況判断能力。

 

 そして、驚異的な技量の高さとそれを補佐する超高速精密伝達(サイドエフェクト)

 

 全ての面に置いて、隙のない最高峰の剣士。

 

 彼ならば、太刀川とも充分に斬り合う事が出来るだろう。

 

 それだけの、それ程の相手なのだ。

 

 自身に迫る致死の斬撃も、彼だからこそ放てたものだ。

 

 これと同じ攻撃を、果たしてどれだけの者が実現出来るか。

 

 そう、感嘆する他なかった。

 

(けれど、負けられない。あの大規模侵攻を乗り越えた者として、何よりも迅さんに認められた者として────────────────此処で、彼に負けるワケにはいかないんだ)

 

 されど、想う。

 

 確かに、ライは尋常ならざる使い手だろう。

 

 その実力に驕らず、勝つ為のあらゆる手段を駆使する所も好感が持てる。

 

 けれど、だからといってそれは彼に勝ちを譲る理由にはならない。

 

 夢世界の自己認識(きおく)は置換されていても、七海の本能が訴えている。

 

 あの局面を、自身の物語(たたかい)走り切った(おわらせた)者として、未だ戦い途上の者に負けるワケにはいかないと。

 

 理由は分からない。

 

 だけど、心が叫ぶのだ。

 

 此処で負けるようでは、自分を支えてくれた全ての仲間達に。

 

 何よりも、自分自身に申し訳が立たない。

 

 故に、負けるワケにはいかないのだと。

 

 成る程、全力の紅月旋空は最上級の脅威だろう。

 

 逃げ場のない空中では、この神速の三連撃を回避するのは至難の業だ。

 

 七海の感知痛覚体質(サイドエフェクト)が攻撃を感知するのは、それが放たれた()()()()()()()である。

 

 つまり、攻撃開始から着弾までの時間が異様に短い攻撃である程、彼の感知から回避に繋げるまでのタイムラグが致命的になる。

 

 そういう意味で、七海相手にこの旋空を選んだライの選択は正しい。

 

 他のどんな攻撃よりも、七海を仕留められる可能性の高い攻撃。

 

 それこそが、神速の拡張斬撃なのだから。

 

(いつもの回避方法では、間に合わない。かといって、身体を捻った程度で躱せるような攻撃でもない。けれど、まだ手はある。それに────────)

 

 七海は思考加速を終え、襲い来る三つの斬撃を直視する。

 

 その軌跡を、剣速を見据え。

 

(────────────────剣聖(ヴィザ)の斬撃よりは、遅い…………っ!)

 

 ────────────────かつて乗り越えた最強の剣士のそれには及ばないと、心の中で啖呵を切った。

 

 同時、七海はグラスホッパーを展開。

 

 普段通り、それを踏み込んで回避────────────────は、しない。

 

 加速台を踏む、という行為自体がこの斬撃の前では致命的なタイムロスとなる。

 

 故に、七海がグラスホッパーを展開したのは自身の()()

 

 正確には、肩甲骨付近。

 

 今の七海は、グラスホッパーの加速を得て上空へ跳躍した状態だ。

 

 即ち、静止状態ではなく上昇の最中にある動の状態。

 

 その勢いのまま自身の直近に展開したグラスホッパーに触れた事で、加速台の機能が発動。

 

 凄まじい加速を得て、七海の身体が地上に向かって跳ね飛ばされた。

 

 

 

 

「…………!」

 

 その光景に、ライは目を見開いた。

 

 今の攻撃は、間違いなく七海に届く筈だった。

 

 そうなるように仕込んでいたし、これまでに見せた七海の動きからも今度ばかりは回避出来ないと思っていた。

 

 けれど、躱された。

 

 絶対に当たる、そう確信した攻撃が。

 

 自分の体勢を崩してまで至近に展開したグラスホッパーに慣性の力を以て()()()()事で、不可能だった筈の回避を成功させた。

 

 地上へ撃ち出された七海のいた場所を、旋空の連撃が通過する。

 

 空振りに終わった渾身の攻撃が、ライの身体を硬直させる。

 

 今の旋空は、間違いなくこれまでで最高の出来だった。

 

 少なくともそう考えるに相応しいだけの手応えを、ライは感じていた。

 

 しかし、それは逆に言えば後先を考えずに己の持てる全力を今の攻撃に注ぎ込んでいた事を意味する。

 

 次の一手ではなく、この一撃で決める為に。

 

 ライの体幹(からだ)は、剣を振り抜いた体勢で硬直していた。

 

 無論、その停止は一時的なものだろう。

 

 時間にして、1秒以下。

 

 埒外の殺傷力を持つ攻撃の代価としては、微々たるものだ。

 

 されど、それはこの状況では致命的だ。

 

 相手は、七海玲一。

 

 自分の物語を、終わらせた者。

 

 相手が晒したこの隙を、彼が突けない筈がない。

 

 急降下して来る七海の手に、短刀型のスコーピオンが握られる。

 

 彼は、マンティスを使えるのだという。

 

 通常のスコーピオン使いと同じと考えていては、射程の外から斬られるだろう。

 

 既に、無理な加速によって崩した体勢は元に戻りつつある。

 

 急降下の最中でそれをやってみせるのだから、彼の動体視力も大したものだ。

 

 ライの硬直は、七海に既に気付かれている。

 

 いや、あれだけの攻撃を見せたのだ。

 

 自然と、その代償について考え至ってもおかしくはない。

 

 だからこそ、普段グラスホッパーを使う時のうような曲線軌道ではなく、最短距離の直線軌道を選んだのであろう。

 

 今ならば。

 

 この瞬間であれば、反撃はないと判断して。

 

(悪いけど、そうはいかない。新しい世界での物語(たたかい)は、確かに途上だ。けれど────────────────かつて僕の友(ルルーシュ)の信を受けた者として、それに恥じない成果を掴み取る。それが、僕が僕にかけた誓い(ギアス)だ)

 

 されど、七海は知らない。

 

 ライもまた、一つの物語を走り切った者である事を。

 

 確かに、新たな世界での彼の物語は途上であろう。

 

 しかし、彼が生を受けた世界でのライの物語は既に完結している。

 

 それに、彼には誓いがある。

 

 かつての世界で自分を信じてくれた、唯一無二の親友が。

 

 彼の力を、信じてくれていたから。

 

 だから、戦う以上は必ず勝利を。

 

 少なくとも、彼に受けた信に恥じない結果を見せると。

 

 ライは己自身に、誓約(ギアス)をかけた。

 

 それは超常の力に依るものではない、純然たる彼の()()だ。

 

 されど、侮るな。

 

 彼自身は、与り知らぬ事ではあるが。

 

 ライのいなくなった、その後の世界。

 

 そこで彼の友は、想いの力によって世界そのものに願い(ギアス)をかけた。

 

 気持ちだけでは、想いだけで勝てる事はない。

 

 それは太刀川が言うまでもなく、ライ自身も理解している。

 

 されど。

 

 だからといって、想いの力は決して軽視して良いものなどではない。

 

 想いは、全ての力の源なのだ。

 

 それがなければ人は努力をする事も、目的を見定める事もない。

 

 漫然と流れに身を任せるような者では、ある種の極地へは至れない。

 

 どれだけ言葉を重ねようと、どれだけ現実を突き付けられようと。

 

 目指すべき場所へ向かう為には、その原動力となる想いの強さが必要不可欠なのだから。

 

(────────これしかない)

 

 ライは、七海と同様の思考加速の末一つの選択を導き出した。

 

 この状況で使える手は、限られている。

 

 変化弾(バイパー)は発射までにタイムラグがある為、論外。

 

 シールドを張ろうとも、両防御(フルガード)が出来ない身では防ぎ切れる保証はない。

 

 エスクードで上空に逃げても、狙撃の的にされるだけだ。

 

 ならば、どうするか。

 

「…………!」

 

 ライは、エスクードを起動。

 

 それによって、彼は()()()()()()()()()()()

 

 刀を振り抜いた状態で固まっていた、ライの両腕。

 

 その腕が、直下から発生したエスクードによって弾かれる。

 

 当然、その手に握っていた弧月はその衝撃によって宙へ跳ぶ。

 

 しかし、エスクードによって強制的に硬直から解放されたライは、腕を引っ張り()()()()()()()()()()を手繰って弧月を掴み取った。

 

 ワイヤートリガー、スパイダー。

 

 ライは序盤に七海と接敵する前に一度鳩原と合流し、彼女のそのトリガーによって自身の腕と弧月を接続して貰っていたのだ。

 

 これは、戦闘中に弧月を弾かれた時等の為の保険であった。

 

 加山はエスクードを多用するし、七海や那須はグラスホッパーを使用する。

 

 何かの拍子で弧月が弾かれる可能性は、0ではなかった。

 

 だからこそライは各所に置きメテオラを設置しながら鳩原と一端合流し、その後に七海の前に姿を現したのだ。

 

 置きメテオラを仕掛けた殆どの場所は戦場にならなかった為そちらは無駄に終わったが、那須の爆撃によって加山の位置が露見した際の爆発があれだけ大規模になったのは丁度ライが仕掛けたメテオラの幾つかがあの場所にあった為だ。

 

 そういった経緯があり、ライは万が一の時の為の仕込みを怠らなかった。

 

 その成果の一つが、これだ。

 

 ワイヤーによって接続されていた弧月は弾かれて尚持ち主の手元に戻り、その手に収まった。

 

 既に、硬直は解かれている。

 

 七海はすぐそこまで迫っているが、問題はない。

 

 彼の真価は、その機動力と回避能力。

 

 純粋な()()()()であれば、ライの方に軍配が上がる。

 

 流石に先程のような三連撃を放つ時間はないが、そも至近の敵を倒すのならば一撃あれば事足りる。

 

 既に、七海までの距離は数メートルを割っている。

 

 ならば、刀身の拡張は最低限で構わない。

 

 ただ、防御不能の斬撃として剣を振るえばそれで良い。

 

 先程見せたような回避は、もうさせない。

 

 この至近距離であのような無理な回避をするようであれば、その隙に攻撃を叩き込むだけだ。

 

 茜が捨て身で狙撃に来ようと、それこそ迎撃してみせれば良いだけだ。

 

 一人たりとも落とされてはならない那須隊と異なり、ライはただ一人でも落とす事が出来ればそれで勝ちなのだ。

 

 現在の紅月隊のポイントは、3点。

 

 弓場隊が同位の3点であり、那須隊は0Pt。

 

 七海であっても茜であっても、倒せば一点には変わりない。

 

 どちらかを落とせば、紅月隊は四点。

 

 七海がライを落として生存点を得たとしても三点止まりであり、紅月隊の勝利に終わる。

 

 それを理解している為、茜はこの場では狙撃手の存在による牽制として伏せ札にするしかない。

 

 これだけ開けた場所にいる以上、長距離からの狙撃は丸見えだ。

 

 頭と胸部は常に意識して守っているし、イーグレットの弾速なら問題なく対応出来る。

 

 副作用(サイドエフェクト)として認識されているライの超絶的な反射神経は、実際にそれが問題なく可能である事を彼自身が認識している。

 

 ライトニングまでは流石に反応出来るかは分からないが、そもそもそちらの射程は他の狙撃銃と比べて短い。

 

 射程内にライを収める為には近くまで来る他なく、落とされる危険を冒してまで来るとは思えない。

 

 捨て身でも良いのであればともかく、絶対に落とされてはならない以上それはない。

 

 そう考えて、ライは旋空を起動し────────。

 

「な…………っ!?」

 

 ────────────────弧月を持ったライの手首が飛来した弾丸によってワイヤーごと消し飛ばされ、持ち手を失った刀が落下する。

 

 何が、起きたのか。

 

 遅れて理解したライは、狙撃のあった方角を見る。

 

 今の一撃が飛来したのは、後方。

 

 しかも、明らかに低所から放たれていた。

 

 そして。

 

(瓦礫の、下…………っ!)

 

 積み重なった、瓦礫の山。

 

 その下に、こちらに向けられた弾速特化の狙撃銃(ライトニング)の銃口が垣間見えていた。

 

 遠方からの狙撃であれば、対応出来た。

 

 至近に転移しての一撃であっても、ライは対処出来ただろう。

 

 だが。

 

 まさか、テレポーターを用いて瓦礫の下に潜んでいた茜からの狙撃があるとは夢にも思わなかったのだ。

 

 確かに、彼女の体格であれば乱雑に積み重なった瓦礫の中に潜む事も可能ではあろう。

 

 しかし当然転移の際には物音が聞こえるだろうし、狙撃の為のスペースを確保する為に動く必要もあった筈だ。

 

 そんな事をすれば、近くにいたライが気付かない筈が────────。

 

(いや、違う。七海くんがメテオラを撃ったのは、()()()か…………っ!)

 

 否。

 

 つい先ほど、放たれた七海のメテオラ。

 

 あれは、こちらの動きを制限する為だけのものではなかった。

 

 その本当の目的は、茜が近くに転移して来ていた事を気付かせない為だったのだ。

 

 警戒は、していた。

 

 しかし、その先を行かれた。

 

 これが、那須隊。

 

 七海を主演者として物語を終わらせた、乗り越えた者達の強さ。

 

 そして。

 

「────────負け、か」

「ああ、俺達の勝ちだ」

 

 ────────────────七海の付き出した右腕から放たれたマンティスが、ライの胸を貫いていた。

 

 咄嗟に張った集中シールドは、曲線軌道を描く刃の前に意味はなく。

 

 これ以上ない程正確に、彼の急所を穿っていた。

 

 七海の攻撃に対処しようとすれば、茜が。

 

 茜の追撃に対応しようとすれば、七海が。

 

 それぞれ、トドメを刺す算段だったのだろう。

 

 どちらを取っても、終わり。

 

 最初から、そういう作戦だったというワケである。

 

 彼にとっても予想外だった紅月旋空(さんれんげき)を凌いだ時点で、この結末は決まっていた。

 

 結果的に見れば、そう言って差し支えはないだろう。

 

「なんとか、同着か。勝てはしなかったが、生き残れただけ御の字か」

「勝負に勝って試合に負けた、ってのよりはマシだけどね。本当に、加山くんにはしてやられたよ」

「同感だ。本当に、彼にはかき回された」

 

 致命傷を負い、最早消えるのみとなったライは自分を刺した七海と笑い合う。

 

 そこには、何の蟠りもなく。

 

 ただ、互いの健闘を称え合う二人の戦士の姿があった。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 機械音声が、勝負の結末を告げる。

 

 ライのトリオン体は崩壊し、光となって消え去った。

 

部隊得点生存点合計
那須隊23
紅月隊 3 3
弓場隊 3 3

 

 

 

 ────────試合終了。

 

 ────────Result/Draw(引き分け)────────



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クロスランク戦After/交差路の邂逅

 

 

「ん…………? ここは…………」

 

 七海は目を開け、周囲を見渡すと見覚えのない光景が広がっていた。

 

 一面の、()

 

 まるで宇宙(ソラ)のただ中にいるような、広大で果てのない漆黒の闇が。

 

 何処までも、何処までも広がっていた。

 

(さっきまで、ランク戦をしていた筈だけど。確か、試合が終わったと思ったら急に意識が遠くなって────────────────此処は、一体なんなんだ…………?)

 

 改めて、七海は周囲を見回す。

 

 果ての無い闇の中、足元だけが妙に明るいその場所は。

 

 三つの枝分かれした、交差路の中心。

 

 眩い光によって形成された分かれ道の分岐路に、彼は立っているようだった。

 

(まるで、あの時姉さんと会った場所のような────────────────少なくとも、現実の光景とは思えない)

 

 想起するのは、大規模侵攻の終盤。

 

 七海が黒トリガー群体王(レギオン)起動に成功した時に、白昼夢のように見た光景。

 

 姉との、死者との一時の邂逅。

 

 刹那の歓談を成し得る事が出来た、あの空間に雰囲気は似ていた。

 

 あれがなんだったのかは、今でも分からない。

 

 けれど、感じるのだ。

 

 あの時と同じような、空想でありながら何かしらの意味を持つと思われる場所。

 

 そういった場所に、今七海はやって来てしまっているのだと。

 

「────────成る程、そういう事か。色々違和感はあったけれど、こういう事だったとはね」

「あ…………」

 

 不意に、近くから少年の声が聞こえる。

 

 その声は、つい先ほど聞いたばかりのものであるから間違えようがない。

 

 紅月隊隊長、紅月ライ。

 

 たった今下したばかりの、一騎当千の実力者。

 

 いつの間にか現れていたランク戦で鎬を削り合った好敵手が、苦笑を浮かべてこちらを見据えていた。

 

「えっと、紅月先輩」

「ライでいいよ。君とは、何処か不思議な共感を感じるからね」

「そうですか。では、ライ先輩と」

「ああ、それで構わない。先輩呼びを強要するつもりはないんだけど、どうやら君はそっちの方が慣れてそうだからね」

 

 ライはにこりと、七海に微笑みかける。

 

 その様子は、先程まで戦っていた凛々しくも雄々しい姿とはまるで異なっている。

 

 しかし、この程度日常と戦闘時の差異であれば些細なものであろう。

 

 戦闘モードに入るとまるで人格のスイッチが変わったような振る舞いをする者は、相応に存在するのだから。

 

「えっと、今の言い方ですとライ先輩はこの場所が何か知っているんですか…………?」

「あくまでもこういう場所かな、って予測はあるけどね。まあ、知ったところで何か役立つワケでもないから敢えては言わないでおくけれど」

 

 ただ、とライは続ける。

 

「元の世界にはきちんと帰れると思うから、心配はしなくて良い。多分、この道の先がそれぞれの世界に繋がっているんだろうからね」

 

 そもそも夢を見ているだけだから現実の肉体には影響は特にないだろうけど、とライは小声で口にするが幸いにもそれは七海の耳には入っていなかった。

 

 正直、七海としてはこの場所が何なのか興味が尽きなかったのだが、同時にライに説明をするつもりがない事を今のやり取りで察したので、それ以上の追及はしなかった。

 

(いや、待て。ボーダーに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()筈だぞ。なのになんで、俺達は彼等の存在を在って当然のように認識していたんだ…………?)

 

 それ以上に、先程までの記憶の不具合(バグ)とでもいうべきものが気になっていたという事もある。

 

 七海の記憶では、ボーダーの隊員に紅月ライや加山雄吾という人物は存在しない。

 

 ライは隊章(エンブレム)持ちである事からA級部隊、もしくはその経験があった部隊である事は確実な筈だが、A級に紅月隊なんて部隊は存在しないし勿論B級も同様だ。

 

 弓場隊の方も加山という隊員はいなかった筈であり、七海が知る弓場隊とは即ち神田がいた頃の弓場隊だ。

 

 神田が脱隊した今となってもそのイメージが未だに強い七海ですら、つい先ほどまで加山の存在に疑問を抱いていなかったのだ。

 

 これは、おかしい。

 

 七海は既に、混乱の極地にあった。

 

「心配せずとも、多分害はないよ。簡単に言うとこれは夢を見ているようなものだから、生身の肉体がどうこう、って事態にはならないと思う。与太話にしか思えない説明をするのもなんだし、そう納得してくれると助かる」

「そうですか。正直気になって仕方がありませんが、先輩がそう言うのであれば納得する事にします」

 

 ライの言葉に、七海は若干後ろ髪を引かれつつもそう答えた。

 

 気にならない、といえば嘘になる。

 

 しかし、七海から見てライは情報を隠蔽したい、というよりはどう説明していいか見当も付かない、といった様子をしていた。

 

 ならば、此処で問い詰めても有益な情報は得られないだろう。

 

 七海はそう割り切って、この話を打ち切る事にした。

 

「ごめんね。色々事情は予想出来たんだけど、巧い説明のやり方を思いつかなくてね。やっぱり、弁舌はルルーシュみたいに巧くいかないや」

「ルルーシュ…………?」

「あ、ごめん。独り言だと思って聞き流してくれると助かる。ちょっと、昔の友達の事を思い出しちゃってね」

 

 ライはそう言って、何処か遠くを見据えていた。

 

 彼の口から出た「ルルーシュ」という言葉は、誰かの名前だろうか。

 

 恐らくは彼の親しかった友人でも思い出していたのだろうが、そこは七海が突っ込んで良い所ではない。

 

 相手が望まない限り、不用意に懐には踏み込まない。

 

 それが、七海が自分に課している鉄則である。

 

 場合によっては踏み込んだ方が良いケースはあるが、今回の場合は深刻な悩みを抱えているというワケでもないので、これで構わない筈だ。

 

「とにかく、僕たちは別の世界から夢を介してこの場所にやって来た、って認識してれば良いよ。納得は難しいだろうけど、そうとしか言えないからさ」

「いえ、この場が尋常の空間ではない事は察しが付きましたし、きちんと帰れるのであれば文句はありません」

 

 それに、と七海は続ける。

 

「ライ先輩や()()ともこうしてゆっくりと話す機会を持ちたいとは思っていましたから」

「────────割と酔狂ですね、七海先輩」

 

 そう言って姿を現したのは、加山である。

 

 ライと同じくいつの間にか傍に立っていた彼は、不意に水を向けられた事に困惑しつつも苦笑する。

 

 どうやら、彼は彼で話しかけるタイミングを探っていたらしい。

 

 理解不能の状況に一先ず静観を選んだが、事態の究明に話が向きそうにないのでつい口を出したくなった、という所だろう。

 

 効率重視でありながら浪漫を解して超常の事態にもある程度経験があるライや、基本的に大抵の物事には寛容な七海と違い、未知の出来事に対しては何処までも現実的に推理を行い打開策を探そうとする加山とでは、スタンスの違いがある。

 

 しかし他二人に事態を究明する気がない様子であった為、加山としては一言物申したかった、というのもあるかもしれない。

 

「気にならないんですか? この空間を生み出してる絡繰りだとか、誰がこれを仕組んだんだとか」

「害があるなら色々調べてみるけれど、取り敢えず明確な被害はないからね。帰る事は可能なみたいだし、結果さえ分かってるなら細かい事は気にしないかな」

「そうっすか。いやまあ、本当に帰れるんならそれでいいですけども」

 

 何処か納得していないように、加山はそう言ってちらりとライに目を向ける。

 

 ライは明確に「帰れる」と断言しているが、その根拠については一切口にしていない。

 

 加山としてはそこの所はハッキリ言って欲しかったというのが本音であり、このあたりに基本的に人を信じる事から始める七海とのスタンスの違いが見える。

 

 七海はこう見えて試合で直接刃を交えた相手との肉体言語を重視するタイプであり、実際に矛を交えたライや加山の人柄もなんとなく把握している。

 

 だからこそのライの言葉に対する無条件の信頼なのだが、加山はそこまで頭が柔らかくはない。

 

 常識というものを捨て切れない加山にとっては論理的な説明こそが第一であり、そういったアバウトな信頼というのは中々肯定し難いものであるのだろう。

 

 しかし、それ以上の追及をするつもりはないようだった。

 

 この場で異を唱えているのが彼一人であり、無理に自分の意見を押し通しても利がさほど無いと考えたのもあるだろう。

 

 それに、直接戦って七海達の人格をある程度把握しているのは加山も同じだ。

 

 相手の性格を分析して戦術を組み上げる加山だからこそ、感情的な理由ではなくあくまで論理的(ロジカル)な根拠として、この場面で二人を疑う事自体無駄な労力であると理解しているのだ。

 

「取り敢えず負けはしなかったですし、蒸し返すのも良くないですしね」

 

 加えて、試合の結果が引き分けだったので割と満足している、というのもある。

 

 勝てはしなかったが、そもそもあの状況から弓場隊が単独一位を取る事自体が相当に細い道筋だったのだ。

 

 むしろ、同点に抑える事が出来ただけでも御の字といったところであり、ある程度は加山の思惑通りに試合が推移したのは間違いない。

 

 これで紅月隊が単独首位の結果になっていれば割と負けず嫌いな加山が大人気ない態度に出ていた可能性はあるものの、そうはならなかった。

 

 むしろ、してやったりといった感じで気分が良い加山であった。

 

「ああ、あれはやられたね。最初から、この結果を狙っていたのかい?」

「部位欠損をしてる状態なら別ですが、日浦先輩が生き残ってた以上生存点を取る可能性が一番高いのは那須隊だと思ってましたからね。だから紅月隊の戦力を可能な限り削って、少しでも七海先輩が戦闘で有利になる条件を整えました」

 

 長引けばライ先輩がトリオン漏出で緊急脱出(ベイルアウト)する可能性もありましたし、と加山は続ける。

 

 彼の言う通り、あの時点で紅月隊は狙撃手を失いライ単騎となっていた。

 

 狙撃手である茜が温存されていた事と、実際に体感した七海の生存能力。

 

 そのあたりを加味して、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のが加山なのである。

 

 最悪でも負ける事だけはないように、あの時出来る最善を行ったワケだ。

 

 その思惑の暴露に半ば予想していたとはいえ、二人は苦笑する他なかった。

 

「凄いな。まんまと利用されたって事か」

「相手の力さえ利用するその戦略眼は、大したものだね。ボーダーに来る以前は、何処かで軍事経験でもあったのかい?」

「あるワケないでしょう。こちとらただの三門市民ですよ。まあ、四年前色々あったし今じゃ黒トリガーも適合したのがあるんで、()()()ってのも語弊がありますけど」

「…………!」

 

 黒トリガー。

 

 ライの何気ない質問に呆れつつ答えた加山のその一言に、明確に二人────────────────特に、七海が反応を見せた。

 

 無意識に、七海は自身の右腕に視線を向ける。

 

 それに、気付いたのだろう。

 

 もしかして、と加山は七海の右腕を凝視した。

 

「…………あの、その右腕ってトリオン体のデザインとかそういうのじゃなくて、まさか」

「ああ、君の想像通り黒トリガーだ。君の適合した黒トリガーというのも気になるし、丁度良い」

 

 そう言って、七海はにこやかに告げた。

 

「お互いの立場やこれまでの経緯を、少し話しておかないか。貴重な機会だし、気になっているのも確かだからさ」

 

 

 

 

「あの大規模侵攻を、被害ゼロで…………? あの爺さんを正面から倒したって、マジか」

「ああ、と言っても黒トリガーの力だけじゃなく皆の協力あっての勝利だったよ。迅さんの期待にも応えられたし、誇れる結果であったと自負しているよ」

 

 その後、一通りお互いの事情を話した三人は七海の辿った大規模侵攻の経緯を聴き、目を見開いていた。

 

 それはそうだろう。

 

 未だ大規模侵攻未経験なライはともかく、加山は既にそれを経験している。

 

 あれを人的被害ゼロで抑える事がどれだけ大変だったかは、実感として理解している。

 

 上層部のスタンスの違いや各隊員の早期の地力上昇等様々な要因が重なったとはいえ、あの結果が奇跡のようなか細い可能性を掴み取った末の戦果である事は七海も理解している。

 

 だからこそ、彼は手にした未来を誇っている。

 

 何よりも、迅や姉の期待に応えられた事を。

 

 彼は、誇りに思っているのだから。

 

「しかし、迅さんが俺達のトコとはなんだか別物ですね。話を聞いてみても、同一人物とは思えないっすね」

「ああ、僕の知る迅さんとは誠実さが段違いだ。いや、表面上そう見えているだけで本質的には同じなのかもしれないな────────────────まあ、セクハラだけは許すつもりはありませんが」

「こちらこそ、迅さんがそんな真似をするなんて信じられませんね。あの人、そういった行為は軒並み嫌ってそうですし」

 

 尚、双方共に複雑な感情を向けている七海の世界線の迅の変わりように、加山とライは驚いていた。

 

 彼等にとって迅悠一とは常に飄々としている暗躍者であり、加山は反感を、ライは彼のセクハラを理由とする警戒を迅に向けていた。

 

 そんな彼等にしてみれば、色々拗れてはいても人間臭さが丸出しで尚且つ誠実な迅、というのは理解の外にあるのだろう。

 

 加山は立場上相容れないという理由で、ライは大切な仲間に手を出した奴は許すまじの精神で迅を好いてはいなかっただけに、聞かされても実感が持てないというのが正直なところだった。

 

 七海にしてみてもセクハラを堂々と働く迅という存在がそもそも理解不能であり、お互いに迅に対するイメージのギャップで固まる結果になったのだった。

 

「その玲奈という方の影響が、やっぱり強いんだと思います。誰かに懸想する迅さんってのも、あまり想像出来ませんが」

「旧ボーダーの人たちの話だと、ベタ惚れだったみたいですね。一緒に墓参りにも行きましたし、一途に想っていてくれた事は確かみたいです」

「あの迅さんがかぁ。恋愛一つだけで、そこまで変わるもんなのか」

 

 ふむ、と加山のコメントに対し七海は目を細める。

 

 そして。

 

「恋は全ての原動力になります。俺が玲を想う気持ちは、誰にも負けていませんし」

 

 全力で、無意識の惚気をぶちまけた。

 

「誰かに恋するって気持ちは、他の何よりもモチベーションを高める事になりますからね。玲には散々待たせてしまいましたが告白して付き合うようになった今では一緒にいてドキドキする事も多いですし何より俺だけに向けてくれる笑顔ってのがこれまで意識してなかったんですけど最高で、俺の為に手料理を振舞ってくれる姿もたまりませんし普段のちょっとした仕草も色々と────────」

 

 延々と、七海は那須との惚気を吐き出し続ける。

 

 普段は色々と抑え込んでいる分、今後の付き合いで揶揄される心配のない相手だからこそ制限(リミッター)なしで惚気られると思ったのかもしれない。

 

 感覚を取り戻して遅い思春期体感中の七海にとっては、色々悶々とする事も多かったのだろう。

 

 ここぞとばかりに惚気を話す七海にライは苦笑し、加山はげんなりしている。

 

「あ、すみません。俺だけ一方的に話しちゃって」

「いや、君の熱い想いは伝わって来たし誰かを想う気持ちが尊いというのは理解出来る。生憎恋愛を経験した事はないけれど、僕が誰かに恋した時にはその気持ちに正直でいたいと思ったよ」

 

 5分ほど話して自分の所業を自覚した七海ははっとなって謝罪するが、ライは苦笑したままそう答える。

 

 彼にしてみれば七海が那須を想う気持ちがこれでもかと伝わって来たし、恋愛経験を実体験として話す彼の体験談は貴重なものだったので特に苦痛ではなかったのだ。

 

 まあ、恋愛自体がいまいち理解出来ていない加山にとっては聞き流す一択の話ではあったのだが。

 

「しかし、中々ヘビーな人生送ってますね七海先輩。腕やお姉さんを失って、幼馴染とも色々拗れてたみたいですし」

「それを言うなら、君も相当苦しい経験をして来たみたいだ。こういうのはどちらが重い、という話でもないよ。俺は俺の、君は君の人生を精一杯足掻いて生きて来た事は変わらない。重要なのは過去に何があったかじゃなく、これからどうするか、だからね」

「…………成る程。ごもっともですね」

 

 加山は何処かはっとした表情で、七海の言葉を受け入れた。

 

 不幸自慢をする趣味は彼にはないが、ある意味割り切っている七海のスタンスに驚いたのは確かだ。

 

 なんだかんだで過去の経緯を引きずっている加山と、全て受け入れた上で覚悟を定めて駆け抜けた七海の違いでもあるのだろう。

 

 まあ、心配はあるまい。

 

 既に加山は、必要な出会いと経験を経て此処にいる。

 

 彼が本当の意味で前を向く日も、そう遠くはないだろうから。

 

「重要なのは過去に何があったかじゃなく、これからどうするか、か。確かに至言だね。その通りだと、僕も思うよ」

 

 ライもまた、七海の言葉に感心していた。

 

 後悔や反省で終わるのではなく、この先どうするかを考える。

 

 それは確かに、未来を生きる為に必要な割り切り方と言えるだろう。

 

 この考えは、ランク戦にも通じる。

 

 それを理解しているからこそ、七海は最後の生存者に成り得たのだろう。

 

 こと()()()()という事に関して、彼は特筆すべきものを持っていて尚且つそれを活かしてあの結果を掴み取るに至ったのだから。

 

「さて、そろそろ帰らなくちゃね。心配ないと思うけど、あまり長居すべき場所でもないだろうし」

「そうっすね。この光の先に進めばいいんですかね」

「ああ、お互いが帰る先はなんとなく分かるだろう? その直感に従って進めば、問題はないさ」

 

 ライの言葉に、二人は頷く。

 

 確かに、三人全員が自身が進むべき方角がどちらかは言われるまでもなく理解していた。

 

 一番超常現象に懐疑的な加山は一応確認はしてみたが、ライの太鼓判を得て安心した様子だった。

 

「じゃあ、お別れですね。次は勝ちます、って言いたいところですけどそうもいかないのが心残りではあります」

「まあ、もう二度と会う機会なんてのはないだろうからね。でも、変なしこりも残っていないし案外最良の結果かもしれないよ」

「そうっすね。まあ、負けてたら悔しかったでしょうし案外そうかもしれません」

 

 この出会いは奇跡のうようなもので、彼等の道が交わる事は二度とない。

 

 それは全員が理解しており、だからこそ名残惜しくはある。

 

 けれど、その寂しさを言及しても仕方ない事もまた、彼等は知っている。

 

 出会いと別れは必然的に訪れるものであり、この邂逅もまた刹那の奇跡には違いないのだから。

 

「さようなら。健闘をお祈りしています」

「ああ、ありがとう。此処を出たら全部忘れてるだろうけど、それでも嬉しいよ。さようなら、七海くん、加山くん。良い戦いだった」

「ええ、勝てはしませんでしたが貴重な経験を得られました。もう会う事はないでしょうけども、お互い頑張りましょう」

 

 三人はそれぞれにエールを送り、踵を返す。

 

 一歩、また一歩と進んでいくうちに、懐かしい気配が漂って来る。

 

 七海は、全力で駆け抜けた末の大団円の世界へ。

 

 ライは、戦火の予兆を前にした運命の世界へ。

 

 加山は、彼が答えを見つける為の葛藤の世界へ。

 

 それぞれ、戻っていく。

 

 刹那の邂逅は、此処で終わる。

 

 三人の主演者は、己が居るべき世界へと帰って行った。

 

 

 

 

<クロスオーバーランク戦~終~>





 これにてクロスランク戦本編は終了となります。
 
 おまけ回とあとがきもありますのでそちらもお楽しみに。


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特別編~総評/Parallel chat room


 
 思いついたからやる。それ以上の理由はない。


 

 

1俺が一番

てなワケで、今回の試合の総評やってくぞ。

 

2千発百中

いや、何がてなワケで、ですか。俺達がこんな事やっちゃっていいんです?

 

3俺が一番

いーだろ。師匠権限だ。

 

4千発百中

ま、いーっすけどね。丁度俺も、色々語りたかったトコですし。

 

5俺が一番

じゃ、まずこの試合の()()ってやつから話しとくか。

 

6千発百中

メタいっすね。けどまあ、まずはそこからっすか。

 

7俺が一番

ああ、このクロスランク戦がどういう前提で行われた試合なのか、そいつを説明しとくべきだろうな。

 

8千発百中

まず、このクロスランク戦はそれぞれの作品の世界線のキャラ達が()を通して不思議空間に集まって行われてたんだ。当然、記憶は互いの存在を不自然に思わないよう誤魔化された上でな。

 

9俺が一番

具体的には①「いきなりランク戦をやってる事を疑問に思わない」②「自分の世界の記憶と実際の相手との差異について言及しない」③「記憶の齟齬があっても気にしない」って感じだ。

 

10千発百中

①は言うまでもなく、突然ランク戦をやってる事を疑問を抱かずそのまま試合を進める為だな。②はたとえば紅月先輩や加山は自分の世界の那須さんの記憶はあるんだが、この試合に参加した那須さんは痛み世界線の那須さんだ。当然、彼方世界線やカラーズ世界線の那須さんとは色んな差異があるワケだ。

 

11俺が一番

けど、作中でそこらに気付いていてもその事自体を疑問に思う描写はなかったろ? あれはこの措置の影響っつーか、まあご都合主義みてーなモンだな。③も同様だ。

 

12千発百中

それなのに相手の事を知ってたのも、まあ記憶置換の影響だな。簡単に言えば、参加した面々は相手の試合ログを紙の資料でポンと渡されて、それを自動的に読み込んである、って感じだ。だから相手がその世界線で使った戦術やトリガーなんかの知識はあるって寸法だな。

 

13俺が一番

けど逆に言えば、データとしての情報しかなくて実際の試合映像なんかを見たワケじゃないから、データ上の動きと現実の動きなんかが噛み合わなくてそれが原因で読み違う事が何度かあったワケだ。

 

14千発百中

そのあたりで得してたのが、那須隊だな。他の部隊からしてみると、イメージしてた那須隊より数段上の完成度の部隊になってるからかなりやり難かっただろーぜ。

 

15俺が一番

ま、そういった理由で普段とはちょっと勝手が違って各部隊戸惑う事が多かったワケだ。この仕様の影響を一番受けてたのは、やっぱ加山だろうな。

 

16千発百中

ええ、加山は元々試合前に入念に準備を重ねてその情報リソースを本番で吐き出す事で試合を有利に進める戦術家ですからね。今回は事前準備ゼロの状態でイメージと実際の動きが違う相手と戦ったワケですから、相当きつかった筈ですよ。

 

17俺が一番

しかも傍目から見ても本人は悪さしかしないトリガーセットにそれまでの試合データから「こいつは生かしちゃおけない」って、集中的にヘイトを稼ぐ事になっちまってたからなあ。序盤で七海の爆撃が始まった時は、相当焦った筈だぜ。

 

18千発百中

狙われるのは想定内だったでしょうけど、あんなに早く捕捉されるとは夢にも思わなかったでしょうからね。しかも紅月が中々動かなかったモンだから、時間経過でどんどん不利になってくっつーオマケ付きだ。あれで良く勝負を投げ出さなかったモンだぜ。

 

19俺が一番

ぶっちゃけ、真っ先に位置がほぼ特定されてた時点で相当不利っつーかほぼ詰んでたよな。紅月先輩があのまま静観してたら、加山はあそこで終わってただろうし。

 

20千発百中

まあ、そこが一つ目の転換点であった事は間違いないでしょーね。けど、その可能性はほぼなかったと思いますよ。紅月先輩としても、あそこで加山が落ちると色々不都合がありましたから。

 

21俺が一番

そうか? 紅月は別段単独でも那須隊と戦り合えるだろうから、色々仕掛けて来る加山が落ちるのはむしろ万々歳だろ。実際、それでかき回されたんだしな。

 

22千発百中

太刀川さん、それ分かって言ってますよね。紅月先輩の強みは完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)としての万能性と高い地力が一番っすけど、変化弾(バイパー)と旋空っていう二つの手札を自在に扱えるってのがまず大きいです。でも、那須さんがいるとその片方を封じられちゃうんですよね。

 

23俺が一番

ま、そうだろうな。こっちの那須はお前と撃ち合いが出来るくらい技術が上がってるし、紅月のバイパーを相殺する事も出来ただろうな。流石に、そうなっちゃ厳しいのは間違いない。

 

24千発百中

だから弓場隊ってか加山に那須さんの排除、って役割を期待してたんでしょうね。実際、弓場隊のお陰で那須さんを盤面から排除する事には成功しましたし。

 

25弾幕少女

そうね。彼等にはしてやられたわ。次の機会があれば、手ずから蜂の巣にしてあげたいわね。

 

26俺が一番

お、噂をすればか。

 

27千発百中

お疲れ様っすね。やっぱ、あまり撃てずに落ちたから悔しかったですよね。

 

28弾幕少女

ええ、誰も直接蜂の巣に出来た相手がいなくて悔しいわ。まあ、置き土産として充分な働きはしたし玲一も褒めてくれたから後悔という程ではないけれど。

 

29俺が一番

実際、那須の貢献は大きかったからな。帯島を囮にして爆撃包囲網から逃げ出した加山を追って待ち伏せしてた弓場さんに痛手を喰らったけど、落ちる前にあいつを出し抜いて位置を曝け出させたからな。あれがなきゃ、あそこから弓場隊有利な状況になっててもおかしくなかっただろうぜ。

 

30弾幕少女

加山くんを逃がす事だけはしちゃいけない、って思ったの。小夜ちゃんが良い策を考えてくれて、本当に良かったわ。後は落ちるだけだった私があの場面で出来る、最善手だったでしょうね。

 

31千発百中

異論はありませんね。あそこで加山を逃がしてりゃ、本格的に地形戦を展開されてやりたい放題されてたでしょーし。あの一手で弓場隊の勝ち目が一気に薄くなった、ってのは間違いないっしょ。

 

32弾幕少女

あなたにそう評価して貰えたのなら嬉しいわ。それじゃあ私はこれで。また、機会があれば撃ち合い(あそび)ましょう。

 

33千発百中

お疲れー。いやあ、いきなりのゲストでびっくりしましたね。こんな感じでちょくちょく出て来るんです?

 

34俺が一番

一応その予定らしいぞ。まあ、そこまで多くはないだろうがな。じゃあ、次は加山が位置バレしてエース対決になった後の話か。

 

35千発百中

そっすね。加山は誘導炸裂弾(サラマンダー)で目晦ましをして七海に追って来させましたが、割と良い手だと思いますよ。少なくとも、七海と紅月先輩を同時に相手にするよりはずっと勝ちの芽があったでしょうし。

 

36俺が一番

実際、落とす一歩手前まで行ったからな。そこに紅月達に横槍を入れられて、完全に予定が狂ったワケだが。

 

37千発百中

これ、加山と紅月先輩の考え方の違いがモロに響いた形なんですよね。加山は最終的に自分達が勝てれば誰が誰を落とそうと頓着しないですけど、紅月先輩はポイントゲッターが自分一人って環境もあって取れる点は逃したくないし、相手にはなるべく点を与えたくないっていう点で方針の明確な違いがあったんです。

 

38俺が一番

別に、割と無茶な考え方でもないだろ。紅月は実際にそれが出来る実力があるし、取れる点を取っておきたいってのは自然な考え方だろーしな。

 

39千発百中

自分の実力に自信というか、自負があるからこその考え方でもありますけどね。その点幾らかマシになってたとはいえ、長年こびりついてたネガティブ思考からまだ離れきれてない加山には理解出来なくても仕方は無いでしょうね。まあ、すぐにそれに気付けたあたり彼も成長してるんだと思いますが。

 

41HANA

ええ、今の加山くんはちゃんと前に進めてるわ。その後の試合の展開を見ても、それが実感出来るもの。

 

42千発百中

お、あっちの方ですか。何やら加山くんとただならぬ関係にあるって噂の。

 

43HANA

そんなんじゃないわ。ただ、色々放っておけない相手というだけ。でも、だからこそ今回は良い機会だったと思っているわ。だって彼、楽しそうだったし。前の彼は、あそこまで純粋に試合を楽しめてはいなかったから────────────────本当に、良かった。

 

44千発百中

あ、行っちゃった。言いたい事だけ言ってったっていうよりただ気になった試合が終わって思わず本心が漏れたって感じですけど、なんだか珍しいものを見た気分っすね。

 

45俺が一番

ま、世界が変わればそういう事もあんだろ。で、その後は七海を追い込んだ所を鳩原が横槍して、弓場さんが紅月に狙撃で落とされたワケだが。

 

46千発百中

あれは意表を突かれたでしょうね。最初に紅月先輩は狙撃手としては動かない、って予想があったからまさかイーグレットをそのまま持ち込んでたとは思わなかったでしょうし。

 

47俺が一番

狙撃手としては動かない=狙撃トリガーは外してある、って普通考えるだろうからな。けど、イーグレットは引き金を引くだけで離れた場所から攻撃出来るし威力も高いから、不意さえ突ければ狙撃手として動かなくても充分得点のチャンスはあったってワケだ。

 

48千発百中

単発でしか撃てないって欠点はありますけど、射程距離も威力も優秀ですからね。しかもそれをテレポーターの転移先を予測して当ててるあたり、紅月先輩の狙撃手としての腕の高さが見えますね。

 

49俺が一番

腕といやあ、帯島も大したモンだったな。加山から策を貰ったとはいえ、単騎でこっちの熊谷を倒すとは思ってなかったぞ。

 

50千発百中

元々原作でも的確な判断をこなせる子でしたし、イレギュラーな未知さえなければ充分B級上位で戦える逸材ですからね。その点で言えば、今回熊谷さんは堅実に行き過ぎたかもしれません。

 

51俺が一番

まあ、その帯島を長時間抑え続けられた時点で最低限の仕事はしてるだろ。帯島が加山か弓場と合流してたら、また展開も違ってただろうからな。

 

52千発百中

そっすね。でもそれを差し引いても、今回の帯島ちゃんは光ってましたね。加山と組んでもう一度七海を追い込んで、自分を囮に鳩原を釣り出せたワケですから。

 

53俺が一番

此処での帯島と外岡の使い方については、向こうの作者さんからもお褒めの言葉を貰えたみたいだしな。ぶっちゃけ加山が位置バレした状態で弓場が落ちた時点で、これがある意味最適解ではあっただろ。

 

54千発百中

そっすね。このあたり、加山は一切ブレなかったって言えます。誰を落としても一点なら、確実に落とせる相手を狙う。これは終始一貫してましたからね。

 

55蝶の盾

ああ、オレの時とは違って意地を張る理由もなかったからな。あそこまで自らの作戦を徹底出来る者は、中々いない。色々思うところはあるが、この試合を見られた事は良い経験になったと言っても良いだろう。

 

56千発百中

お前は確か────────────────って、もういないか。今のは…………。

 

57俺が一番

色々あるみたいだし、気にしない方がいいんじゃねーか。それで、加山はあわよくば相打ち狙いで捨て身の攻撃をやったワケだがこいつはどう思う?

 

58千発百中

あの場面じゃ最適解だったでしょーね。本格的に二対一になったら加山に勝ちの芽がなかった以上、相打ちかそれに近い状態に持ち込むのがベストだったでしょうし。何せ、あの時点で那須隊が0Ptだった以上弓場隊から見て一番点を取って欲しくなかったのは紅月隊でしょうから。

 

59俺が一番

あの時点で弓場隊は3点取ってたし、紅月隊も加山を落として3点になったからな。那須隊はあそこから紅月を倒して生き残っても生存点含めて3点が限界だし、最低限紅月隊に点を与えない為にはあれがベストだったって事だな。

 

60千発百中

トリオン漏出で紅月先輩が緊急脱出(ベイルアウト)すりゃ、その時点で弓場隊の勝ちでしたからね。七海の得意なのが遅延戦闘だった事もあって、その可能性も充分有り得ると踏んだんでしょうね。

 

61俺が一番

最後の七海と紅月の一騎打ちは、まあ見たまんまの良い勝負だったな。日浦をあそこまで温存して、一番良い使い方をして勝ったワケだし。

 

62千発百中

紅月先輩も日浦ちゃんの事は警戒してただろーけど、テレポーターの練度と応用力を那須隊側が見せつけた形だな。瓦礫の隙間に転移しての狙撃、ってのはあの子の小柄な体格だからこそ出来た技だろーけど。

 

63俺が一番

敢えて紅月隊の敗因を挙げるとすりゃ、やっぱこの時点までに日浦の位置を炙り出せなかった事かもな。七海も成長してるとはいえ、流石に単騎じゃ紅月相手に勝つのは難しかっただろうからな。

 

64千発百中

確かにそうかもですね。弓場さん相手に七海が追い込まれた時に横槍のタイミングをズラしていれば、もしかしたら日浦ちゃんを釣り出せてたかもですが。

 

65俺が一番

とは言っても、それで日浦が出て来る保証はなかったからな。確実性を取った紅月の判断も、間違いって程じゃなかっただろうぜ。それこそ結果論だろ。

 

66千発百中

そっすね。しかし、どの部隊の戦いもホント見応えがありましたね。加山の戦術は面白いし、紅月とも一回撃ち合ってみたいですね。

 

67俺が一番

そういう意味じゃ、紅月と戦う機会があるあっちの俺が羨ましいかもな。けどまあ、ポイント自体は同点で終わったとはいえ俺達の弟子が最後まで生き残れたってのは誇るべきだろ。倒して取った点が一点で、残りが生存点ってのもあいつらしいけどよ。

 

68千発百中

ですね。あの二部隊相手に生き残って負けなかったあたり、大規模侵攻の経験が活きてますね。生きてりゃ勝ち、とも言いますし。

 

69俺が一番

そりゃそーだな。けど、本人は覚えてないとはいえ紅月程の相手とやり合ったんだ。今度個人戦に誘えば、面白いモンが見れるかもな。

 

70千発百中

そうでなくても、あのじーさん相手に勝てたんだから充分以上に成長してるでしょうしね。まあ、A級ランク戦でどの道戦えるでしょうし機会は幾らでもあるでしょ。原作でA級ランク戦の情報皆無だけど。

 

71俺が一番

取り敢えず、各部隊の今回の試合の振り返りとしちゃ、弓場隊は那須に痛打を与えた場面で追い打ちをせずに逃走に徹してればまた違った展開もあっただろうな。細かいミスもなくはなかったが、そこが最大の分岐点だっただろうぜ。

 

72千発百中

紅月隊の場合は、一度やった武器破壊からの狙撃の時に自分たちの作戦が弓場隊に読まれてたケースを想定すべきだったでしょうね。加山の性格を読めなかった部分もありますが、想定さえしてれば鳩原が落ちずに最後の一騎打ちにも介入出来たかもしれないですし。

 

73俺が一番

那須隊は、少し戦力を小出しにし過ぎたかもしれねーな。戦力の逐次投入が那須隊の基本戦法とはいえ、那須が最初から七海と合流して主戦場に関わってたら、単独勝ちも有り得たかもだ。まあ、外岡がどう動くか分からなかった以上結果論でしかないけどな。

 

74千発百中

まあ、それを言うならどれもこれも結果論でしかないっすけどね。そっちを選んで却って状況が悪化してた可能性もあるんですし。

 

75俺が一番

だから結果論って言ったろ。取り敢えず、こんな所だな。いやあ、良い試合だった。機会があれば俺もあいつ等と戦ってみたいな。

 

76千発百中

それはまず無理でしょうけど、気持ちは分かりますね。本当に、良い試合でしたし。じゃあ、これでこのコーナーも終わりですね。

 

77俺が一番

ああ、そうだな。まだあとがきとかはあるみたいだけど、そっちは俺等には関係ないしな。じゃ、行こーぜ。

 

78千発百中

てなワケで、急遽開催した掲示板式クロスランク戦総評でしたー。



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クロス企画を終えて/徒然語り

 

 

 おまけ回まで含めて全20話となったクロスランク戦は、これにて終了となります。

 

 改めまして、キャラの使用許可を下さった星月さん、丸米さんの両名には感謝を。

 

 毎回監修もして下さって、本当にありがとうございました。

 

 さて、では今回のクロスランク戦を描く事となった経緯からまずはお話しようと思います。

 

 私はとある創作者のコミュニティというか集まりに所属していまして、そこで星月さんや丸米さんと普段から関わる機会がありました。

 

 いつもワートリ談義等色々な話をしていく中で、以前に「各作品の主人公チーム同士で戦ったらどうなるのか」というディスカッションをした事があったのです。

 

 その時はまだ星月さんも丸米さんもコミュニティに参加する前でしたが、他のワートリ二次創作者の方々と実際に戦ったらどうなるかをシミュレートして語り合うのは楽しかったです。

 

 実はその時から「お互いの作品のチーム同士の戦いを実際に書いてみたいな」という欲求は燻っておりまして、機会があれば是非やりたいと思っていました。

 

 しかし当時はまだ本作「痛みを識るもの」が連載中であった為、連載に集中しきちんと完結させる為にも本編の更新を最優先させていました。

 

 ですが、先日今作が完結へと至り、そちらへ向けていた労力を別の事に使う事が可能となりました。

 

 良い機会だと思ってお二人に相談してみたのですが、お二方共に快く承諾して下さりました。

 

 こうして、このクロスランク戦を描く事になったワケです。

 

 クロスランク戦の内容自体は全て私が書き上げたものですが、一話書き上げる度にお二方に下書きを見せて違和感等ないかチェックして頂き、そうして書き溜めたものを順次投稿するという形にしておりました。

 

 私は書き溜めというものを初めてやりましたが、好きなタイミングで投稿出来るしストックが増えれば余裕も出来るのでこういう形式も悪くはないかなと思いました。

 

 でもまあ、今後連載をする時は基本的に今まで通り、その場で書いてその場で投稿するスタイルに戻ると思います。

 

 今回は別の方のキャラを使わせて頂くという都合上監修は必須でしたのでこのような形になりましたが、私がやり易い方は矢張りそちらですので。

 

 創作者としてはまだまだ精進中の私ですが、更新速度と継続力だけは中々のものだと自負していますので、その利点を活かす為にはやっぱりリアルタイム投稿が一番、という事情もあります。

 

 さて、では肝心のクロスランク戦の内容についてお話しましょう。

 

 最後まで読んで頂いた方は分かると思いますが、今回のクロスランク戦の舞台は夢を介した謎時空でのお話になります。

 

 掲示板形式の総評の方でも少し触れましたが、今回の参加者は突然のランク戦への参加に違和感を抱かないよう記憶を調整された状態で試合に臨んでいます。

 

 今回の企画の目的はあくまでもお互いの作品のキャラ同士で実際にランク戦をする事そのものにありますので、本格的に設定を練り込んだクロスオーバーを書きたかったワケではないので、こういう形式となりました。

 

 それに伴ってランク戦にも関わらず実況なしという状態になりましたが、これは各々の作品での交友関係があるので、それを加味した解説実況という完全な()()()の視点を描くのは少々厳しい、と考えてオミットした結果です。

 

 ランク戦といえば実況解説はなくてはならないものですが、流石にそこまでやるとキャパオーバーだと判断したので泣く泣くカットとなりました。

 

 ちなみにそれぞれの作品の主人公チームは自作「痛みを識るもの」の那須隊は、本編終了後。

 

 星月さん作「REGAIN COLORS」の紅月隊は、黒鳥争奪戦前後。

 

 丸米さん作「彼方のボーダーライン」の弓場隊は、B級ランク戦終了直後あたりの時間軸から参加した事になっています。

 

 どの作品のチームもある程度完成系が見えるor完成系に近い仕上がりとなっているのがそのあたりのタイミングなので、こうなりました。

 

 うちの那須隊はA級、紅月隊はA級経験者と実力的にはかなり高い部隊なので、それに肉薄するには弓場隊もランク戦を戦い抜いたタイミングがベストだと判断しました。

 

 三作品の中で唯一私の作品だけ完結してるので、うちの那須隊は本編を潜り抜けた完成系に至っている部隊でもあります。

 

 完璧とまでは言いませんが、現在の那須隊が実現できるチームとしての完成度は既に極限まで高まっていたと言える状態です。

 

 それを加味して、なるだけ公平な試合になるようにマッチメイクしたつもりです。

 

 MAPが市街地Bなのも、その一環ですね。

 

 高低差のある複雑な地形だと那須隊有利になりますし、閉所の複雑な戦場だと弓場隊有利となります。

 

 紅月隊は割とどんなMAPでも適応して来るでしょうが、他の二部隊は地形の影響をかなり受けるチームですので公平を期してスタンダードな市街地Bとなりました。

 

 市街地Aの決戦はうちの最終ROUNDでやったし、今回はBの方でという判断もありましたが。

 

 ランク戦の内容については、加山くんの扱いが割と難しかったかもしれません。

 

 作中で散々説明している通り、加山くんは放置すれば盤面に干渉しまくってワンサイドゲームが成立しかねない危険な駒です。

 

 ですが、だからこそ集中的に狙われる対象でもありました。

 

 エスクードにスパイダー、極めつけにダミービーコンと見事に悪さしかしないトリガー構成なのも相俟って、どう考えてもヘイトを稼ぎまくる展開しか見えませんでした。

 

 七海からしても好き放題される前に封殺すべし、という全会一致の判断で炙り出しに行ったのも至極当然な流れだと思います。

 

 まあ自分がランク戦で狙われ易い駒である事は加山くん自身自覚していてそれを利用して自分を囮にする作戦なんかもあちらの作中では使っていますが、今回は色々と条件が悪過ぎたという側面もあります。

 

 開始直後に那須隊に大まかな位置を特定された上に、狙撃を気にせず動ける七海が悠々と爆撃を敢行して来たのですから加山くん側としてはたまったものではなかったでしょう。

 

 ランク戦を書く時はいつも各チームの性能(スペック)やデータ、思考傾向なんかを頭に叩き込んで脳内で戦闘シミュレーションを展開してそこから出力してるのですが、どう計測しても七海の初手が爆撃以外有り得ないのでああなりました。

 

 加山くんの地形戦術はボーダーラインを見ていて楽しそうだなと思っていて暴れさせるつもりだったんですが、実際に好き放題しちゃうと弓場隊の蹂躙になってしまうのが誰の目にも明らかだったので、こういう形に。

 

 でも、加山くんらしい心理戦はきちんと展開出来たのでそのあたりは満足です。

 

 私の中の加山くん入りの弓場隊のイメージが「エースと新たな戦術を手にして進化した王子隊」だったので、なるべく作戦面で彼らしさを出そうと頑張りました。

 

 満点とまではいきませんが、それなりに描けたとは思っています。

 

 ライ君の場合は実は私は原作ゲームはやった事ないのですが、コードギアス自体は大好きな作品です。

 

 なので星月さんと相談しつつそちらの世界の事にも随所で言及して、ライくんがオリキャラではなくゲームとはいえ歴としたギアス世界出身のキャラである事を強調しています。

 

 まあ、私がルル関連に言及したかった、ってのもありますが。

 

 もしもライくんがR2終了時までの情報を持ってるならルルが何度も使った地形戦術からの経験で「悪いけど────────────────地形戦術(それ)には、慣れていてね。僕の大切な友人の、十八番でもあったからね」なんて台詞を言わせて加山くんに痛打を与える展開も考えていましたが、そうではないらしいのでこちらも没に。

 

 代替案も考えていたのですが、シミュレートの結果結局没案になってしまい残念でした。

 

 ちなみに隠密せずにイーグレットで点を取る展開はシミュレートの結果でありますが、一応事前に有り得る展開としてイーグレット使用は考えてはいました。

 

 何せこの試合では七海が爆撃を連打する機会が幾度も見られると予想出来ていた為、その爆煙に乗じて行動を起こすならイーグレットが最適であると考えたからです。

 

 イーグレットは数多くの狙撃手が標準セットしている事からも分かる通り、最も使い易くスタンダードな狙撃トリガーです。

 

 射程特化と言いつつも威力も充分にあって、「一撃目を成功させる」という狙撃手の至上命題を達成するにも最適なトリガーと言えるでしょう。

 

 うちの茜ちゃんは諸事情でライトニング特化型転移狙撃手となりましたが、次回作「香取隊の狙撃手」ではイーグレットをメインウェポンにする予定なのでその練習の一環でもありました。

 

 次回作主人公の木岐坂樹里ちゃんは狙撃トリガーと射撃トリガーの混合型の千佳ちゃんタイプの構成にしてあるので、狙撃も射撃トリガーも両方使うライくんを描写するのは良い勉強になりました。

 

 まあ、「狙撃手として動きはしないが────────狙撃トリガーを抜いているとは、言っていない」という展開がとても好きなので、趣味に走ったとも言えますが。

 

 ちなみに私の中のライくんのイメージは、「狙撃手の入った単騎式太刀川隊」でした。

 

 太刀川の突破力と出水の妨害力を併せ持ち、尚且つ精密狙撃のサポートを受ける剣の達人。

 

 それが、私がライくんに抱いていたイメージでした。

 

 真っ向勝負で太刀川さんに勝てるかはさておいて、とにかく「一騎当千」を体現するキャラであると思っています。

 

 当初はライくんが無双して独り勝ちになるというパターンも考慮していたのですが、シミュレートしてみた結果なんだかんだ加山くんが苦しい状況でも散々動いて状況を動かして、最終的に同点で試合終了となりました。

 

 「加山くんが三人の中で一番先に落ちる」という展開は決めていましたが、同時に「少なくともただで落ちるキャラではない」という考えもあったので、ああいう結果に。

 

 敵の力を利用する事を一切躊躇しない、加山くんらしい立ち回りだったと考えています。

 

 那須隊は今回、倒せた相手が一人しかおらず生存点でようやく同点、という結果になりましたが、これは彼等が弱いのではなく成長の方向性の違いも関係しています。

 

 紅月隊は単独での突破力がずば抜けて高いのでそこまで意識して相手を選ぶ事はしませんが、加山くんの場合は「取れる点を取る」事をとにかく徹底していて、「最終的に落ちても良いからポイントを奪取して相手になるべく得点させない」方針を最後までブレさせませんでした。

 

 一方、那須隊は作中での成長はとにかく「格上の相手を打ち倒す」事に特化していて、多少失点があっても最終的に生き残って相手を打倒出来ればそれで良い、というコンセプトの部隊となりました。

 

 ぶっちゃけると、加山くんが相手を倒す事での点を優先していたのに対し那須隊は生存点を取る事を最優先に動いていました。

 

 誰を倒しても一点ですが、生存点の二点はこれまで少しでも多くの点を取りつつ格上殺しを経験しておきたかった那須隊としては、これを逃がす手はなかったワケです。

 

 七海自身、これまでの経緯もあって「勝って生き残る」事に関しては人一倍敏感なので、得点のチャンスを得る事よりも「最後に残ったライをどう打ち倒すか」に焦点を置いて行動していました。

 

 大規模侵攻に向けて成長させていった部隊なので、()()で力が発揮出来るように調整した結果とも言えます。

 

 極論、那須隊は格上殺し(ジャイアントキリング)を行った上で生き残れるなら多少の失点には目を瞑ります。

 

 その方針の違いが、この結果を生んだと言っても過言ではないでしょう。

 

 長々と語りましたが、今回の企画はとても楽しくやれて満足しています。

 

 基本的に私含め一部のワートリ二次創作者は「ひたすらランク戦だけ書いてたい」という欲求があるので、それを素直に発散した結果がこちらとなります。

 

 ランク戦を書く事を「難易度が高い」と敬遠する方もいらっしゃるでしょうが、まずは一回書いてみてトライ&エラーでコツを掴んでいけばどうにかなります。

 

 ワートリの戦闘はとてもロジカルなので、パズルを組み上げるように盤面が構築されていくのが面白くて仕方ありません。

 

 一度嵌まると抜け出せない中毒性が、ランク戦にはあります。

 

 興味を持った方は、是非とも自分なりのランク戦執筆にチャレンジしてみて下さい。

 

 さて、それではこの辺で。

 

 コラボ先のお二方からもコメントを頂いておりますので、そちらを掲載して終了と致します。

 

 改めて、今回の企画は心より楽しめました。

 

 今後とも変わらず執筆を続けていくので、よろしくお願いします。

 

 

 

 

 ・『REGAIN COLORS』作者/星月さんより

 

 皆さんこんにちは。ご紹介に預かりました星月です。ハーメルンではREGAIN COLORSなどを執筆しています。デスイーターさん(以降デスさんと呼称)からコミュニティ内で声をかけていただき、この度のクロスオーバーランク戦に参加させていただきました。まずは20話と長い話を書ききったデスさんに、そしてここまで読んでいただいた皆さんに感謝を申し上げます。ありがとうございます。

 

コミュニティ内では私は新参の方であり、またデスさんや丸米さんの作品と比べると時系列が進んでいない事、二作品がオリ主作品であるのに対し自作のRCがクロスオーバー作品であるなど毛色が違うために最初は大丈夫かなと不安もあったのですが、デスさんが見事な手腕で綺麗にまとめてくれました。

私達も投稿前の段階で一足先に下書きを読んでいましたが、実際に投稿されて、そして皆さんの感想が来ているのを見てより実感がわき嬉しく思いました。 

 

今回の物語は三作品の主人公たちが所属する部隊同士のランク戦。特殊な設定、初の試みと難しいバトルでしたがそれぞれの部隊の強み、キャラの特色が出たという印象です。やはり皆ランク戦は気合を入れて書いているのでこうして新たな交流から展開が生まれていくのは楽しかったです。

特にデスさんは痛みだけでなく私や丸米さんの作品、原作を深く読み込んでいる、と感じた方が多かったのではないでしょうか。私の作品で言えば紅月旋空の使い分け、イーグレット単体での得点、バイパーの使い方など本編を彷彿させるような戦いぶりは見ていて爽快でした。キャラ同士の掛け合いも再現度が高かったと思います。ライと瑠花、鳩原の会話はもちろん終わった後の彼らの会話もこれぞクロス作品って感じでしたね。

 

他の方とのクロス作品は私にとって初めての事だったのですが、とても楽しませていただきました。

まだ自作は大規模侵攻編が始まっていませんが、この経験を活かし展開につなげたいと思います。

改めてこの企画に誘っていただいたデスさん、共に参加した丸米さん、そして読んでいただいた皆さん、本当にありがとうございました! 今後もデスさんや丸米さんたちと共に執筆活動に励んでいきます! これからもよろしくお願いします!

 

 

 

 

 ・『彼方のボーダーライン』作者/丸米さんより

 

 クロスランク戦のお話を頂いた時、嬉しい反面「本当にこいつでいいのか?」と思っていたのが正直なところです。

 加山というキャラの、私からの率直な感想といたしまして。クソ面倒くさい戦法を使う、クソ面倒くさい性格の、クソ面倒くさい経歴持ちという面倒三重苦に苛まれ生れ落ちた忌み子です。

 

 「他のキャラに被らないように......被らないように.....」という私の天邪鬼な心から生れ落ちたコイツは、エスクードとダミービーコンというあまりにもヒキが弱いトリガーをバラまきながら、逃げ回ってハウンドを撃ちまわるというせせこましさの極致にあるような戦い方をするキャラクターになりました。

 

 解りやすいカッコよさなど微塵もなく、そのくせ執筆労力は半端ではなく。バトルを書くたびに「何でこんな奴にしてしまったんだ....何で....こんなの嫌だ......攻撃手書きたい.....技名叫びながら弧月ぶん回したい.....クソが....」と呟き先を進めると「何でランク戦するたびにダミービーコンの説明しないといけないの....気持ち悪っ....なんだよダミービーコンって.....」とまた思考が巡る。

 

 その上経歴も重いわ。性格もなんか面倒くさいわ。書きやすさの対極にあるような造形をしています。誰がこんな子にしたんでしょうね。棒かなんかで頭をぶん殴ってやりたい。

 

 と。生みの私でさえも「めんどくせぇ~。カー、ペッ!」と毒づきたくなるようなコイツをわざわざチョイスし、他の作品とクロスし、あまつさえランク戦というバトルの場に用いるという話を聞いた瞬間。上記の通りマジでこいつでいいの?と思ったところです。こんなのを書いて頂くという事象の前に、私の心は申し訳なさで五体投地しっぱなしでした。

 

 そうこうしているうちに出来上がったものを読んでみると。もうほんとに文句のない出来栄えでございまして。私ではない別の方から見た加山はこんな風に読み取られているんだなぁ....とかなり新鮮な感覚もありつつ。ダミービーコンという書くだけで戦術的見地の説明を強いられるトリガーの描写に加え、更に心理戦の描写も一切手を抜かず書かれていて。序盤の内に取っていたけど次第に書かなくなった戦術だったりトリガーだったりも採用して頂いたりと。いやもう本当に作者冥利に尽きます。

 

 散々ディスってしまいましたが。二次創作上の代物とはいえ、加山は一応私が考えたキャラです。そのキャラが私ではない別の誰かが、どう捉えどう物語に運用するのかを見る事が出来て本当に嬉しかったです。

 今回のクロスランク戦を書いてくださったデスイーター様。そして読んでくださった読者の皆様。本当にありがとうございました。





 追加報告。

 「厨二なボーダー隊員」作者龍流さんより許可が頂けましたので、「クロスランク戦Stage EX/×厨二なボーダー隊員」を開催致しますのでお楽しみに。


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クロスランク戦EX/×厨二なボーダー隊員①

 

 夢幻の邂逅、有り得ざる交錯による戦いを終えた七海。

 

 彼は暗闇の果てに伸びる光の道を、自身が居るべき世界への帰路を歩いていた。

 

 ライの言葉通りなら、此処は夢の世界のようなものだという。

 

 ならばそこまで急ぐ必要はないだろう。

 

 彼の記憶が確かならば明日は休日だった筈だし、取り立てて予定もない。

 

 多少起きるのが遅れた程度で支障が出ないのであれば、この数奇な体験を少しでも長く実感しておきたい、と思うのは自然な事だ。

 

 以前の余裕がなかった頃の七海であれば考えもしなかった思考であろうが、自身の大一番である大規模侵攻を乗り越えた今の彼には充分な精神的な安定感がある。

 

 そういった感慨に耽る事も悪くはないと、今の七海は考えていた。

 

「あれは…………?」

 

 だからだろうか。

 

 ()()に、気付いたのは。

 

 果てなく続く、光の道。

 

 その中途に、おかしなものがあった。

 

 ()

 

 それも、見たところボーダー本部の部屋────────────────隊室に備え付けられているものと、同じものだった。

 

 最初はこれが夢の()()かとも思ったが、扉のある位置はどう見ても脇道。

 

 何よりも七海の本能が、この先は帰るべき世界(ばしょ)ではないと訴えていた。

 

 けれど。

 

(ちょっと、興味があるな。今度は、誰に出会えるのか)

 

 先の邂逅、得難い経験となった試合の記憶が色濃く残っている七海には。

 

 その()()が、どうにも魅力的に思えた。

 

 馬鹿な考えを抱いている事は、分かっている。

 

 ただでさえ、得体の知れない空間なのだ。

 

 無駄な寄り道をして、万が一にも帰れなくなれば目も当てられない。

 

 けれど、何故だろうか。

 

 多少の寄り道をしても大丈夫だと、根拠もないのにそう思えてしまえるのは。

 

「────────」

 

 気付けば、扉に手をかけていた。

 

 先程味わったばかりの、未知の好敵手との戦い。

 

 その興奮が冷めやらぬままだった彼は。

 

 もう一度、あれが味わえるかもしれないと。

 

 そんな願望を、抱き。

 

 未知へと繋がる扉を、開け放った。

 

 

 

 

「む? 誰だ?」

 

 少年、如月龍神(きさらぎたつみ)は突然開け放たれたドアから現れた相手を見て、目を細めた。

 

 今日は口うるさいオペレーターも、騒がしい三人組もいない。

 

 自分が何故隊室にいるのかという経緯は()()()()()()が、己が主である部屋に単独でいる彼が何をするかは明白だった。

 

 即ち、厨二(しゅみ)の時間である。

 

 彼はなんというか、本当であれば中学生で卒業すべきあれこれな特殊嗜好を抱えたまま高校生になってしまっているので、常人では理解し難い(したくない)行動に出る事がままある。

 

 コーヒーはブラックで飲むのが格好良い、意味深な台詞とか言ってみたい、とにかく見栄えが良い四字熟語を使いたい。

 

 そんな趣味を持つ龍神が一人きりの隊室で行う事など、決まっている。

 

 即ち、ハードボイルドごっこである。

 

 アニメやドラマで探偵とかがやってるムーブ、と言えば分かり易いだろう。

 

 ああいうのも悪くないと考えている龍神は常日頃からその機会を伺っているのだが、オペレーターの少女がいる時はすぐさま突っ込みが入る為やったとしても中々余韻に浸れないという事情がある。

 

 騒がしい三馬鹿トリオは中々ノリが良いのでむしろこちらを盛り立ててくれるのだが、如月とてたまには一人で黄昏たい時があるのだ。

 

 そういう意味で、今回は絶好の機会だった。

 

 故に一人でコーヒーブレイクを楽しみながら「フッ」と笑う暇潰し(あそび)に興じていたのだが、そこに現れたのが()だった。

 

 背はそこそこ高いが龍神程ではなく、体つきはスラリとしていて顔立ちは女子にモテそうな端正なものとなっている。

 

 何処か浮世離れした雰囲気もあって、「SF映画の舞台とか似合いそうだな、羨ましい」と一瞬思いもした。

 

 しかし、矢張り見覚えが無い。

 

 如月はボーダー内の交友関係はかなり広く、彼が関わっていない正隊員を探す方が難しいくらいと言っても決して過言ではないだろう。

 

 その如月をして、この少年は全く見た覚えがなかった。

 

 新入隊員かとも思ったが、そもそもC級隊服ではないし何より新人にしては雰囲気が落ち着き払い過ぎている。

 

 かといって部外者がボーダー本部に入れる筈もなく、ボーダーの関係者なのは明らかだろう。

 

「あ、すみません。まさか個室に繋がっているとは思っていなかったもので」

「ほう。見ない顔だな? しかし、ここはあえて────────ようこそ、と。そう言わせてもらおう」

 

 龍神は問い詰めるようなことはせず、鷹揚に告げた。

 

 見た感じ、特に悪意を持ってやって来たワケではないだろう。

 

 むしろ、向こうの方が困惑している様子さえある。

 

 何処か、既視感があった。

 

 確か、前にも何処かでこんな事があったような。

 

 そんな気がして、仕方なかったのである。

 

「えっと、俺は……」

「まあ、待て。そう焦るな。まずはコーヒーでもどうだ?」

 

 きょとん、とする青年に向けて、龍神は新しいマグカップを差し出した。

 

「無論、俺の驕りだ。代金として、自己紹介はしてもらうがな」

「……では、お言葉に甘えて」

 

 龍神の疑問を、向こうも察したのだろう。

 

 想定をは異なり彼は何かを知っているらしい態度を見せ、そして。

 

「────────此処は夢の世界だ、って言ったら信じてくれるかな?」

 

 己の事情を、打ち明けた。

 

 

 

 

「────────成る程、そういう事だったか。まさか夢の世界とは、文字通り夢が広がるなっ!」

「えっと、信じてくれるんだ」

「当たり前だろう。俺には空閑のようなサイドエフェクトはない。しかしこれでも、人を見る眼はあるつもりだ」

 

 七海の説明を受け、龍神は「ふふん」と得意気に頷いた。

 

 パラレルワールド、未知の相手との邂逅。

 

 それは如月龍神という人間にとって、ロマン以外の何ものでもない。

 

 控えめに言って、ワクワクが止まらない。

 

「しかし、流石の俺も夢の世界に来れるとは思っていなかったぞ。しかも、異なる世界線の相手との偶然出会うことになるとは。ふっ、やはり運命(さだめ)は俺を逃がしてはくれないらしい」

「それには同意します。普段会う機会のない、出会う事自体有り得ない出会いに巡り合える────────────────これ程貴重な経験は、もう二度とはないと思っています。運命的であるとさえも」

「っ! そうだろうそうだろう。お前────────────────いや、七海。お前は話が分かる奴だな」

「一応、浪漫というものに理解はあるつもりではありますので」

 

 だからこそ、予想外にノリが良かった七海の返答を聞いて龍神はすっかり上機嫌となっていた。

 

 彼の厨二(しゅみ)は独特であり、大抵の相手からはスルーされるか茶化されるか、馬鹿にされるかであった。

 

 しかし七海はそんな龍神の厨二ちっくな台詞回しも決して茶化さず馬鹿にせず、真摯に応対してくれた。

 

 三馬鹿のようにノリノリで乗って来るのも悪くはないが、こういう対応も中々に悪くはない。

 

 真面目であるが故に誠実な、七海という人間の一面が垣間見えた気がして。

 

 その寛容さを一瞬で看破した龍神は、アクセルを全開でキメる事を勝手に決断していた。

 

「良い機会だ、色々と語り合おうじゃないか。そちらの世界線についての情報も、大いに興味がある。もっとも、並行次元に影響を及ぼす危険を見過ごせないのであれば無理にとは言わないがな」

「ライ先輩の話だと全てが終われば記憶からは消えるとの事なので問題はないと思いますし、構いませんよ。こちらの世界がどうなのか、というのは俺も興味があります」

「決まりだな。では、この俺がボーダーで歩んで来た輝かしい運命の軌跡(クロニクル)を語って聞かせよう────────────────では、第一幕は」

 

 そうして。

 

 龍神はたっぷりと脚色しつつ要点だけは分かり易くした自分の経歴を、七海に話し始めたのであった。

 

 

 

 

「そうだったんですか。鋼さんやカゲさんとも、仲が良いんですね」

「ああ、こちらこそ驚いたぞ。まさか、カゲさんが弟子を取るとはな。まあ、元々世話焼きだから身内判定してしまえばそんなものかもしれないが」

 

 20分程の時間を使って自身の武勇伝(描写は脚色しつつも内容は忠実)を語った龍神の話を聞き、七海は予想以上の交友関係の重なりを感じてそう返した。

 

 聞けば、龍神は七海が慕っている影浦や荒船、そして好敵手としてしのぎを削り合う親友の村上とも懇意にしているらしい。

 

 加古とも親しいようだし、迅ともそれなりに交友があるようだ。

 

 加えて七海が師事している太刀川の事を不倶戴天の宿敵と評しており、龍神本人はあれこれ言っているものの相当重い感情を彼に対して抱いているらしい。

 

 そこは七海が指摘する事ではないのでさておくとして、問題は。

 

「玲とも、仲が良いんですね」

 

 七海の愛する少女である那須とも、割と親しい様子であった事だ。

 

 勿論、別の世界の事と割り切るのは簡単だが、とある事情で精神性が思春期のそれに寄っている七海にとっては彼女に親しい異性がいるというだけでもやもやするのだ。

 

 こちらの那須はそもそも七海以外の異性とは必要最低限の会話くらいしかしないのがデフォルトであった為、そのギャップもあるのかもしれない。

 

 何にせよ、多少面白くないのは確かであった。

 

「まあ、まて。わかる、わかるぞ、七海。お前の言いたいことはわかる。那須とはそれなりに親しいが、心配するな。お前の恋人に懸想するような不義理はしないとも。くまの奴があれこれうるさそうだしな」

 

 しかし、そんな七海の葛藤をすかさず察知した龍神のフォローで彼の心に燻りかけたもやもやは一瞬で霧散した。

 

「そうですか。すみません、気を遣わせてしまって」

「なに、それだけお前が那須を想っているという事の証左だろう。人を好きになるという気持ちが、間違いである筈はない。別の世界の那須には良きパートナーがいて、その那須が幸せだというのなら、それは俺にとっても喜ばしいことだ」

 

 龍神は言動は独創的だし語気も強いので俺様系とも思われがちだが、その実人との交流を大事にする気配り上手でもある。

 

 ただ趣味が特殊なだけの変人では、数多くのコネクションを築く事は出来ない。

 

 相手が本気で嫌がる事を察知し、その許容範囲の中で動く。

 

 礼が必要と考えれば準備は欠かさず、手回しもしっかりとやり遂げる。

 

 そういう事が出来るからこそ、彼は口では色々言われながらも多くの人間に慕われているのだ。

 

 傍若無人に見えて、世話焼きで配慮の出来る善人。

 

 それが、如月龍神という男の性格判定(パーソナリティ)だ。

 

 彼の交友関係が広いのには、それなりに理由があるのである。

 

「しかし、お前もあの翁と刃を交えたんだな。しかも正面から打倒するとは、実に大したものだ」

「いえ、それを言うならあの剣士相手に痛打を与えた如月さんこそ凄いですよ。俺の時は皆の力を黒トリガー(こいつ)で借りて、ようやく届いたんですから」

 

 そう言って、七海は右腕の義手────────────────黒トリガー、群体王(レギオン)に目を向ける。

 

 そこで、初めて。

 

 龍神は、彼の右腕に対して言及した。

 

「成る程、義手型の黒トリガーか。格好良いな」

「…………! ありがとうございます。なんだか、嬉しいですね」

「言っておくが、世辞ではないぞ。本心だ」

 

 ニヤリと笑いながら、龍神は己の言葉選びが間違っていなかった事を確信した。

 

 亡き姉が変じた、黒トリガー。

 

 その事情は、先程龍神が己の経歴を話した時にお返しとして話してくれた七海から聞いていた。

 

 唯一の肉親が遺した、形見でもある代物。

 

 しかも、その姉は彼の眼の前でそうなったのだという。

 

 だからこそデリケートな代物であると考え自分からは話題にしなかったのだが、七海が義手に視線を向けて話を振った事で龍神は彼がそれを話題に挙げたいのだと考えて言葉を選んだのだ。

 

 大変だったな、ではなく気持ちは分かる、でもなく。

 

 ただ、格好良いと、外見の称賛をする事で。

 

 七海の歩んで来た境遇は、過酷なものだ。

 

 その苦労や葛藤は彼だけのものだし、訳知り顔で知ったかぶりをするべきではない。

 

 それに、折角の奇跡の邂逅を好き好んで暗い空気にする趣味もない。

 

 だからこそ龍神は話題を外見の称賛のみに留め、七海が話したい範囲だけを話せるように誘導したのだ。

 

 こういった細かい所に、龍神の対人能力が光るのである。

 

「きっと、姉さんもそう言って貰えて嬉しいと思います。俺も、悪い気はしませんし」

「そうか、なら良かった。しかし、仲間の力をブーストする黒トリガーか。中々に特殊な代物だな」

「ええ、だからこそS級にならずに那須隊のままでいられたのでそこは幸いでしたが」

「一人では多少の出力アップしか出来ない、のだったか。確かにそう考えると、迅さんや天羽と同じ扱いには出来んな」

 

 龍神の言う通り、七海の黒トリガー群体王(レギオン)は単独で発動しても多少トリガー出力が向上するだけで黒トリガーに見合った戦闘力を引き出す事は出来ない。

 

 集団戦を前提とした能力であり、それを加味すれば文字通りの一騎当千を実現する他のS級隊員と同じように扱うのは無理があるだろう。

 

 彼自身の実力も相当なもののようだが、流石にあの面子と比べるのは────────。

 

「────────いや、そういえばお前は風刃を持った迅さんに勝ったんだったか。俄然、お前の実力に興味が湧いて来たな」

 

 ────────────────そこまで考えて、龍神は彼があの迅悠一に勝利した、という事実を思い出す。

 

 未来視を持ち、それを十全に活かせる風刃を装備した迅を倒す。

 

 同じ事をやれ、と言われて実行出来るかは未知数────────────────いや、限りなく不可能に近いだろう。

 

 しかし、七海はそれを成し遂げた。

 

 その事が、龍神の闘志に火を点けた。

 

「やはり、この機会は活かさなければ損というものだ。お前も、そう思うだろう」

「ええ、異存はありません」

 

 そして、それは七海も同じ。

 

 元より、刃を交わし合う事を最も分かり易い交流の場として来た七海だ。

 

 そういうノリは、彼とて嫌いではないのである。

 

「戦ろうか。此処からは、剣で語る方が好みだ」

「望むところです。如月さん」

 

 二人の意思は、合致を見た。

 

 共に立ち上がり、そして。

 

 戦いの舞台へと、歩を進めるのであった。



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クロスランク戦EX/×厨二なボーダー隊員②

 

 

「────────さあ、始めようか」

「ああ、問題ない」

 

 月光。

 

 ビル群の窓から放たれる文明の灯に比しても尚、煌煌と輝く月の光が戦場を照らす。

 

 黒雲の狭間に浮かぶ満月を背にするように立つ白コートの少年は、腰から己の愛刀を抜き放ち。

 

 向かい合うビルの屋上に立つ今宵の武踏の相手へと、開戦の合図を送る。

 

 MAP、摩天楼A。

 

 時刻、深夜。

 

 それが、龍神が選んだ戦場(バトルフィールド)

 

 特に何の異論もなく採用されたその地形は、彼が有利に戦いを進める為のものか。

 

 否。

 

 必ず勝つ必要のある、チームの勝利が懸かったランク戦であればともかくとして。

 

 異邦の、もう二度と出会えぬであろう好敵手相手に盤外の小細工など彼は好まない。

 

 理由は一つ。

 

 ただ、「見栄えが良いから」という一点である。

 

 夜の摩天楼という厨二的(シリアス)な戦いにこれでもかと似合う戦場で、気分に浸りながら戦ってみたかった。

 

 龍神がこのMAPを選んだ理由は、概ねそのあたりに集約される。

 

 彼の部隊のオペレーターであれば呆れてため息を吐き、例の三馬鹿であればノリノリで同意してくれるだろう。

 

 それくらい、彼を知る者であればこのMAP選択は「如月らしい」と口を揃えて言った筈だ。

 

 尚、七海は特に何の抵抗もなくこのMAP選択を受け入れた。

 

 特段自分が不利になる地形でもないし、むしろ割と得意な部類に入るMAPでもある。

 

 一応その旨を説明はしているが、対する龍神はただ一言。

 

 「俺も、(はや)さには自信があるんでな」と。

 

 そう言い放ち、選択を変えようとはしなかった。

 

 ならばと、七海は龍神の決定を尊重する事とした。

 

 説明責任は、しっかり果たした。

 

 それでも選んだのであれば、何も言うまい。

 

 それに。

 

 七海は荒船に付き合って、アクション映画をそれなりの数見ている。

 

 だから、彼の言う事も理解は出来るのだ。

 

 夜の摩天楼。

 

 これ程()()()戦場も、中々無いという事は。

 

「いくぞ。摩天の(いただき)で、雌雄を決しようじゃないか…………!」

「────────行きます」

 

 ノリノリで口上を告げる龍神に対し、七海は短く応答。

 

 同時、試合開始の刻限となる。

 

 七海は、短刀型のスコーピオンを。

 

 龍神は、腰から抜いた弧月を。

 

 それぞれ、携えて。

 

 ビルの屋上から、跳躍。

 

 刃を交え、鈍い金属音が開戦の鐘楼(ゴング)と化した。

 

 

 

 

「旋空壱式────────虎杖(イタドリ)

 

 一合。

 

 七海と刃を交わし、再び別のビルへと跳び移った龍神は即座に旋空を起動。

 

 大仰な技名()を叫びながら放たれるは、大上段から振り下ろされる旋空。

 

 されど、侮るなかれ。

 

 ただの旋空とはいえ、龍神はボーダーきっての旋空使いの名手の一人。

 

 その技のキレは上位の攻撃手陣も認めるところであり、何の変哲もない旋空であったとしてもその剣速・技巧は最上位のもの。

 

 常人が振るうそれよりも更に鋭く、的確な拡張斬撃が七海に向かって降り下ろされる。

 

「────────」

 

 しかし、七海には通用しない。

 

 振り下ろされた上段の旋空に対し、七海はグラスホッパーを展開。

 

 大きく横へ跳躍し、その攻撃を回避した。

 

「旋空弐式────────地縛(ジシバリ)

 

 だが、この程度躱される事は承知の上。

 

 龍神は七海と同じくグラスホッパーを展開し、跳躍。

 

 その勢いに乗ったまま、第二撃を放った。

 

 放たれたのは無論、旋空弧月。

 

 こちらも大仰な技名に反してただの旋空弧月ではあるが、その軌道は的確に七海の移動先へと置かれていた。

 

 七海は確かに、攻撃手としてトップクラスの機動力を持つ。

 

 それにグラスホッパーによる加速まで加わるのだから、只人がその動きを捉えるのは至難の業だ。

 

 しかし、龍神の戦闘センスと技巧はその動きを捕捉するに足るものを備えている。

 

 七海が踏み込んだグラスホッパーの角度や手足の動きから正確に彼の跳躍経路を読み取った龍神は、その移動先へと重なるように拡張斬撃を放つ事に成功した。

 

 今の七海は跳躍の直後という事もあり、精々身体を捩じる程度しか回避行動は行えない。

 

 加えて放たれたのが防御不能の旋空であるが故に、シールドでの回避という選択肢も使えない。

 

 絶死の刃。

 

 この一撃はそう謳うに足る、そういったもの。

 

「────────ほぅ」

 

 否。

 

 この程度、七海にとっては()()には至らない。

 

 七海は跳躍中にも関わらず身体を捻り、放たれた旋空を紙一重で回避(グレイズ)

 

 振るわれた斬撃を、間一髪で躱してのけた。

 

 傍から見れば、曲芸の如き回避を成功させた神業にも見えるだろう。

 

 しかし、この程度は七海にとって通常の技巧の範疇にしか過ぎない。

 

 何故ならば。

 

(これが副作用(サイドエフェクト)、感知痛覚体質か。成る程、厄介だな)

 

 敵の攻撃を感知出来る能力を持つ七海にとって、今の奇襲は単なる視えている攻撃(テレフォンパンチ)に過ぎなかったのだから。

 

 サイドエフェクト、感知痛覚体質。

 

 それが、龍神が聞かされた七海の性質(ちから)の名称だった。

 

 これは試合をするにあたり、最低限その程度は明かしておかなければフェアではないと七海の方から説明があったのだ。

 

 その能力の内容は、放たれた攻撃の軌道上に自身が居る場合その攻撃による被弾範囲が察知出来るというもの。

 

 それを聞いて龍神が真っ先に思い浮かべたのが、影浦のサイドエフェクト感情受信体質だった。

 

(だが、カゲさんの能力と違いも感じる。随分と機械的なようだな。相手の攻撃意思ではなく、攻撃()()()()に反応する。その分、味方の攻撃や無差別攻撃も問題なく感知出来るようだが、俺の見立てが正しければ────────)

 

 攻撃を感知可能と言う点で、影浦の副作用(サイドエフェクト)と似てはいる。

 

 しかし、決定的に違う部分が幾つか存在する。

 

「旋空参式────────姫萩(ヒメハギ)

 

 龍神は無理な体勢変更をしたばかりの七海に向け、腕を突き出し拡張斬撃を放った。

 

「────────!」

 

 その時、七海は目を見開き即座にグラスホッパーを起動。

 

 自身の身体そのものにジャンプ台をぶつける事で、強引な回避を行った。

 

 そして、その次の刹那。

 

 凄まじい速度の刺突が、彼のいた場所を通り過ぎた。

 

 旋空参式、姫萩。

 

 これはこれまでの二つの旋空と違い、明確な「技」として成立している彼の固有技能だ。

 

 その正体は────────。

 

 

 

 

(旋空弧月を利用した、()()か。線の攻撃じゃなく点の攻撃である分()()()()()ようだが、あの攻撃スピードは警戒すべきだな)

 

 旋空弧月を利用した、突き技。

 

 それが、旋空参式・姫萩の性質である。

 

 伸縮自在のオプショントリガー、旋空。

 

 その性質に着目した七海が編み出した、オリジナル技。

 

 これまでの、単に大仰な名前を付けただけのそれではない、紛れもない彼の固有技能。

 

 それこそが神速の刺突、姫萩だ。

 

 線ではなく点の攻撃である分ピンポイントで相手に当てなければならない以上技自体の難度は高く狙いも甘いようだが、それでも尚あの剣速は警戒に値する。

 

 それに。

 

(恐らく今の攻防で、俺のサイドエフェクトの()にも気付かれた筈だ。俺の副作用は────────)

 

 

 

 

(────────あのサイドエフェクトは、攻撃開始と()()にその軌道を読み取る。だからカゲさんのように予め攻撃個所を察知する事は出来ないし、攻撃開始から着弾までが短い攻撃であればある程被弾率も上がると見た)

 

 龍神は今の攻防で、七海の副作用の性質を看破していた。

 

 類似した能力を持つ影浦のそれとは異なる、決定的な差異。

 

 それは、感知の()()()()()だ。

 

 影浦の場合は攻撃意思が発生した段階────────────────つまり、攻撃の()()()()で彼を視界に入れていれば問答無用でその意図は筒抜けとなる。

 

 故に狙撃手が影浦をスコープ越しに見てしまえばその時点で大まかな位置が把握されるし、射撃トリガーはキューブを展開して照準を付けた時点でその軌道を看破される。

 

 だが。

 

 七海の副作用(サイドエフェクト)が攻撃を感知するタイミングは、あくまで攻撃の()()()()()した段階だ。

 

 つまり影浦のように事前に攻撃の軌道を知る事も、相手の位置を把握する事も出来ない。

 

 その分被弾範囲の感知精度そのものは上のようだが、こと1対1の戦いとなれば相手の意図も大まかに把握可能な影浦の能力に軍配が上がるのだ。

 

(恐らくこの能力が真に生きるのは乱戦────────────────それも、1対多の状況で最も輝くと見た。本人の戦闘スタイルもきっと、そちらに寄ったものの筈。七海の真価は、集団戦にこそあるんだろう)

 

 影浦は乱戦にも強いが、一騎打ちの状態になれば本人の体捌きもあってまともに攻撃を当てる事自体至難の業だ。

 

 弾幕飛び交う戦場で砲火を潜り抜けながら肉薄し、獰猛に牙を突き立てて来る戦い方は野生の獣の如し。

 

 影浦の戦いはつまるところ乱戦を強引に突破し、強制的に1対1の状態を作り上げてそのまま仕留めるといった戦術スタイルとなる。

 

 対して、七海の場合は真逆だ。

 

 一騎打ちはなるべく避けて、ヒット&アウェイで敵を攪乱。

 

 盤面を滅茶苦茶にした上で、仲間がその隙を突いて得点する。

 

 影浦と異なり強引に前に出る事がない為被弾率は彼よりも低く、チーム戦においては生きているだけで害悪となる厄介極まりない駒となる。

 

 しかし、個人戦の場合は全くの別だ。

 

 集団戦でない以上自分で得点しなければならない為、強引にでも前に出る必要が出て来る。

 

 回避に優れた反面突破力や爆発力は影浦程ではない為、攻撃のタイミングこそが隙となる。

 

 故に、個人戦では決して勝てない相手ではないだろうというのが龍神の下した評価だった。

 

(だが、それだけではあるまい。黒トリガーの力を借りたとはいえ、あのアフトの黒トリガーを倒したのだ。個人戦は集団戦と比べて得手ではないというだけで、ヤツの実力は紛れもなくトップ攻撃手クラスだ。油断はできん。気を引き締めていくか)

 

 

 

 

(この様子だと、油断はしてくれそうにないな。迅さんと同じく、口では色々言ってはいても本質的にはかなり考えて戦うタイプだろうな。見掛けや言動で侮っていては、痛い目を見るだろう)

 

 七海は龍神の眼に油断や慢心といった感情が一切宿っていないのを見て、警戒度を引き上げた。

 

 確かに七海の副作用(サイドエフェクト)や戦闘スタイルは、集団戦に特化している。

 

 しかしそれは、彼が個人戦を不得手とする理由にはならない。

 

 かつての未熟だった頃であればいざ知らず、今の七海はあの剣聖すらも打倒した経験値がある。

 

 集団戦でこそ彼の真価は発揮されるが、個人戦とて苦手というワケではない。

 

 サイドエフェクトの性質を見抜かれた事で七海が本質的にはチーム戦特化型である事には気付かれた様子だが、その情報を得て油断するのではなく警戒を強めているあたりに龍神の本質が垣間見える。

 

 彼は口では大仰な台詞やノリの良い事ばかり言っているが、その本質は冷徹な戦術家だ。

 

 自身の趣味を優先するところはあるが、それでも勝つ為の努力は決して怠らない。

 

 常に分析を続け、思考を止めずに勝利の為の最善手を模索する。

 

 そんな性質が、今の彼からは伺えた。

 

(加えて、旋空の練度がとんでもなく高い。今の突き技以外にも、何かしら手札を隠しているのは間違いないだろう)

 

 故に今見せた姫萩は、そんな彼が持つ無数の手札の中の一つに過ぎないと認識すべきだろう。

 

 あんな真似が出来る時点で、引き出しが一つだけと決めつけるのは早計過ぎる。

 

 少なくともあと二つか三つ、もしくは更に多くの手札を隠していると見るべきだ。

 

 それが何なのかは分からないが、グラスホッパーを利用した技の一つくらいはありそうだ。

 

 グラスホッパーの応用性は、他ならぬ七海自身が知っている。

 

 スコーピオン程応用の利かぬ弧月とはいえ、それを可能にする技量を彼は持っていると感じた。

 

(これがチーム戦なら、少なくとも日浦の援護は欲しいところだが────────────────それがない以上、今持てる手段を尽くすしか方法はない。成長の成果を、今こそ見せる時だ)

 

 それこそ昔の七海であれば、一騎打ちではまず勝ち目はなかっただろう。

 

 だが、今はそうではない。

 

 確かに、彼の真価が発揮されるのは集団戦だ。

 

 しかし、今の七海には数々の激戦を潜り抜けた経験値がある。

 

 戦いの成果は、これまで積み重ねて来た戦歴は嘘をつかない。

 

 かつて不得手だった1対1であろうとも、幾らでもやりようはある。

 

「────────メテオラ」

 

 七海は、不敵な笑みを浮かべ。

 

 グラスホッパーで、大きく後方に跳躍。

 

 それと同時に、摩天楼のビル群に向けて無数の爆撃を撃ち放った。



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クロスランク戦EX/×厨二なボーダー隊員③

 

(やはり来たか、メテオラ…………!)

 

 龍神は迫り来る無数のトリオンキューブを見据え、目を見開く。

 

 分割された状態とはいえ、その弾は大きい。

 

 トリオンが多い方であるという七海の自己申告は、むしろ控えめな表現と言えるだろう。

 

 二宮クラスとまではいかないが、それでも一般的にトリオン強者と呼ぶに相応しい出力を持っている事は間違いない筈だ。

 

 龍神はその弾幕を見て、即座に屋上の床を蹴り跳躍。

 

 その直後。

 

 無数の爆撃が、彼の立っていたビルへと着弾した。

 

 連鎖する、爆裂。

 

 それは建物の上部を大きく抉り、ミサイルが着弾したかの如き様相へと変貌させる。

 

「────────メテオラ」

「む…………っ!」

 

 だが、それでは終わらない。

 

 七海はその爆撃の合間を縫うように移動しながら、再びメテオラを射出。

 

 一見無差別に放たれたそれは爆破によって内部が剝き出しになったビルへと着弾し、起爆。

 

 更なる爆発が、空中を席捲した。

 

 そして。

 

 そのただ中を、一つの影が疾駆する。

 

 影の名は、七海玲一。

 

 痩躯の暗殺者は、爆発の間隙。

 

 狭間に出来た僅かな()を駆け、龍神へと肉薄する。

 

「く…………!」

「────────!」

 

 一閃。

 

 七海のスコーピオンによる斬撃を、間一髪で龍神の弧月が受け止める。

 

 そのまま斬り返そうとした時には、既に。

 

 七海はその場から後退し、即座にメテオラを起爆。

 

 爆煙のカーテンが、彼の姿を覆い隠した。

 

(名付けるならメテオラ殺法、とでも言うべきか。まさか、副作用(サイドエフェクト)をこんな形で利用して来るとはな…………っ!)

 

 その光景を見て、龍神はこの奇想天外な七海の動きの絡繰りを理解する。

 

 七海の副作用(サイドエフェクト)、感知痛覚体質は攻撃の被弾個所を自動的に察知出来る能力だ。

 

 彼はそれを用いて、自らが使用したメテオラによる爆破範囲を正確に感知。

 

 爆撃を隠れ蓑としながら敵に肉薄し、一撃離脱で再び爆煙へと身を隠す。

 

 加えて爆発によって相手の移動経路を制限し、場合によってはシールドの使用を強要する。

 

 影浦のそれではない、七海のサイドエフェクトだからこそ可能とした戦術。

 

 それが、このメテオラ殺法なのだ。

 

(被弾範囲の感知の精密さを、こうも巧みに活用するか! 確かにこれは、カゲさんには出来ないやり方だ)

 

 相手の意図の把握や攻撃察知のタイミングなど影浦のサイドエフェクトに劣る部分が見受けられる七海の能力だが、この戦法は間違いなく彼にしか出来ないものだ。

 

 影浦の能力はあくまでも相手の意思、感情がトリガーとなって発動する為自分の攻撃がどの程度まで被害を齎すかまでは察知出来ない。

 

 加えて感知の精度そのものも七海の感知痛覚体質(ちから)の方が優れている為、今見せたような曲芸じみた移動経路の確保を可能としている。

 

 戦闘スタイルの違いもあるが、これは七海のサイドエフェクトを前提とした戦術である事は間違いない。

 

 ある意味単純で、だからこそ対処し難い戦闘法。

 

 それが、このメテオラ殺法なのである。

 

(だが、だからといって対処が不可能というワケでもない。この場合は────────!)

 

 しかし、対処が難しい程度で諦める程龍神はヤワではない。

 

 そもそも、その程度で剣を下ろすくらいであれば一度も勝ち星を挙げられていないにも関わらず太刀川に繰り返し挑み続けてなどいない。

 

 対処が困難、それがどうした。

 

 そんなもの、龍神(かれ)にとっては日常茶飯事。

 

 目指す頂(たちかわ)との戦いで、数えきれない程経験済みだ。

 

 爆撃の中、迫る影を見据える。

 

 その軌道は複雑ながらも、微かにその道筋は垣間見える。

 

 如何に爆煙のカーテンといえど、向こうからこちらに迫って来るのであれば。

 

 姿を完全に隠す事は、不可能。

 

「旋空死式────────」

 

 故に。

 

 龍神は弧月を構え、迎撃態勢を取る。

 

 それを見て取った七海は、彼の一挙手一投足を見逃さぬよう凝視し。

 

 そして。

 

「…………!」

「────────赤花(アカバナ)

 

 一瞬にして背後に回った────────────────否。

 

 七海の後方へと()()した龍神より、旋空が放たれた。

 

 旋空死式・赤花。

 

 それは、テレポーターを利用した旋空弧月。

 

 転移と同時に拡張斬撃を放ち、相手の死角から致死の一撃を叩き込む初撃必殺。

 

 類稀な機動力と回避能力を持つ七海相手に長期戦は些か不利と悟った龍神は、早々に勝負を決めに行った。

 

 正しくは。

 

「────────」

「これも、躱すか」

 

 このレベルの攻撃で通用するのか、()()()()為に。

 

 七海は初見殺し極まりない筈であった龍神の転移旋空を、難なく回避。

 

 身体を捻る事で、紙一重で拡張斬撃を躱し切った。

 

 その光景を見て、龍神は悔しがるどころか更に闘志を燃やし滾る。

 

 これ程熱くなれる勝負は、早々ない。

 

 彼は、七海は。

 

 己が全霊で当たるに、相応しい相手であるのだと。

 

「良いぞ、全てを見せてみろ。試合は、まだまだこれからだ」

 

 

 

 

(────────昇格試験の時に、熊谷のあれを見ていなければ厳しかったな。旋空の練度自体は彼の方が上なようだし、初見であれば避けられなかっただろうな)

 

 七海は不敵な笑みで啖呵を切る龍神を前に、冷静に今の旋空の事を思い返していた。

 

 テレポーターを利用した、転移旋空。

 

 その技術自体は、昇格試験の時に熊谷が使用していた。

 

 昇格試験、第三試合。

 

 そこで弓場隊・風間隊と対戦した時に、熊谷はテレポーターと旋空の合わせ技で歌川を撃破している。

 

 その様子を見ていたからこそ、龍神が消えた瞬間に転移トリガー使用の可能性に思い至り回避が間に合ったのだ。

 

 旋空の練度自体は、それを主戦力として扱っている分龍神の方が上だ。

 

 再び迂闊に近付けば、今度こそ死角からの旋空を見舞われる羽目になるだろう。

 

(判断が速く、的確だな。でもそれならそれで、戦い方を変えるだけだ)

 

 しかし、七海はメテオラ殺法に頼り切りの弱兵ではない。

 

 幾ら強力な戦術とはいえ、あくまで手札の一枚に過ぎない。

 

 一つの()()戦術なんてものに拘った先にあるのは、固定観念の外からの不意打ちによる敗北しかない。

 

 少なくとも、彼はそんな甘えた考えが通用する類の相手ではないだろう。

 

 ならば。

 

 更に一手、加えるまでだ。

 

「────────メテオラ」

 

 

 

 

(また、メテオラだと…………っ!?)

 

 龍神は迫り来るメテオラのキューブを見据え、舌打ちする。

 

 今の攻防でメテオラ殺法の穴にこちらが気付いた事は察された筈だが、それでも尚七海の選択は同じ爆撃。

 

 先程の攻防を経て尚、得意戦法に固執する程頭が固かったのだろうか。

 

(違う。コイツは、そんな手合いではない…………っ!)

 

 否だ。

 

 此処に至るまでの攻防が、そして何より龍神の直感が。

 

 それは違うと、強く警鐘を鳴らしていた。

 

(何か、仕掛けて来る…………っ! ならば、こちらは一旦距離を取るまでだ)

 

 龍神はその感覚に従い、後退。

 

 後方に跳躍し、メテオラの軌道から跳び退いた。

 

 直後、爆撃が着弾。

 

 七海の立っていたビルが、爆発に呑まれて形を変える。

 

 そして。

 

「いない、だと…………っ!?」

 

 爆煙が晴れた、その直後。

 

 七海の姿は、忽然と消え失せていた。

 

(しまった。これが狙いか…………っ!)

 

 龍神は、悟る。

 

 今の爆撃は、次の攻撃へ直接繋げる為のものではない。

 

 爆煙で視界を塞ぎ、七海が姿を隠す為の()()()()だ。

 

 レーダーを見ても、恐らく反応はあるまい。

 

 今この瞬間、七海はバッグワームを使っている筈だからだ。

 

 何故ならば、彼の狙いは。

 

(個人ランク戦は、互いに近距離で対峙した状態で始まる故に、身を隠す事が困難。だが、俺はこれから強制的に、潜伏からの奇襲(ゲリラ戦)に付き合わされるというわけか)

 

 

 

(何とか、隠れられたか。さて、此処からが正念場だな)

 

 七海はビルの中を移動しながら、思考を巡らせる。

 

 彼がこうして身を隠す事に成功したのは、偏に摩天楼というMAPの広大さと爆撃の相性の良さが際立ったからでもある。

 

 このMAPは大都市の摩天楼がモデルとなっており、煌煌と輝く灯りに照らされたビル群がひしめく地形だ。

 

 大きく立体的な建物が多い為上下の移動範囲が広く、建物そのものも巨大である為隠れる場所にも事欠かない。

 

 その性質自体は、チームランク戦で既に経験していた。

 

 しかし、これは個人ランク戦。

 

 チームランク戦と違い、互いが視認可能な近距離に転移した状態から試合が始まる形式の戦いである。

 

 相手の目の前にいる状態で試合開始となる都合上、個人ランク戦で見を隠す事は非常に困難だ。

 

 七海はそれを、爆煙を隠れ蓑にする事で成功させた。

 

 恐らく、龍神は油断せずに堅実に動くであろう事を見越して。

 

(彼は行動は大胆に見えて、その実堅実で隙の無い性格をしている。俺があそこで爆撃を放てば警戒して距離を空けると思っていたが、予想が的中したな)

 

 龍神は言動こそ大仰ではあるが、戦闘スタイルそのものは堅実で手堅いやり方を好んでいる。

 

 リスクヘッジもきちんと計算出来ており戦闘中は常に思考を回しながら最適解を求める事を止めない。

 

 如月龍神とはそういった人物であると、七海はこれまでの攻防で理解している。

 

 だからこそ、それを利用した。

 

 そうでもしなければ、彼を打倒する事は出来ないと悟ったからだ。

 

 龍神は一騎当千というレベルには達していないが、それでもボーダー内でも有数の実力者と言って差し支えない相手である。

 

 言動が大仰であろうと、一見奇想天外な行動をしていようと。

 

 その実力は、嘘をつかない。

 

(恐らく、この場ではこれが最善の筈だ。勿論、相手の出方によってはやり方を変える必要はあるが────────)

 

 

 

 

(まずは、どの建物に七海が入り込んだか。それを突き止める必要がある。迂闊な行動は命取りだな)

 

 龍神は周囲を油断なく警戒しながら、思考を巡らせる。

 

 爆煙の発生からそれが霧散するまで、そこまで時間は経過していない。

 

 故に、離れた場所へ逃げる事は不可能。

 

 つまり、必然的に七海はこの周囲のビルのどれかの中にいる事になる。

 

 しかし、此処はビル群連なる摩天楼。

 

 中でもビルの密集地帯であるこの中央区域には、バカでかい建物が腐る程ある。

 

 その中から七海が跳び込んだ建物を探すのは、容易ではない。

 

(少なくとも、窓を突き破って入ったであろう事は間違いない。しかし、先程の爆撃で近辺のビルの上層部の窓は軒並み割れている。この事態も想定して、メテオラを乱打していたという事か)

 

 二人が戦っていたのは、ビルの屋上だ。

 

 摩天楼のビル群の上を跳び回りながら戦っていた為、その際七海が放ったメテオラにより周囲の建物上部の窓はほぼ破砕されている。

 

 矢鱈と派手に撃っていたのは、こうなった時の為に居場所を特定し難くさせる為だったのだろう。

 

 想定通り、一筋縄ではいかない相手である。

 

(周りのビルを、片っ端から旋空で斬るか…………? いや、イコさんならともかく俺の腕でそれをやれば隙になる。かといって、下手に当てずっぽうで突入すれば外から爆撃を叩き込まれて建物ごと爆破される恐れがあるな)

 

 生駒旋空が使えればビルを斬って炙り出すという方法も用いる事が出来たのだが、それが出来ない以上は隙を晒すだけだ。

 

 そも、彼が未だに上階に留まっている保証はない。

 

 七海の素の機動力は、明らかに自分よりも上だ。

 

 テレポーターを使えばまた違うだろうが、このトリガーは様々な制約の関係上考え無しに使って良いものではない。

 

 それがない状態では、スピード勝負では七海に分がある。

 

 この短時間であろうとも、ビルの下層部へ逃走していないという保証はないだろう。

 

(だが、このまま手をこまねいていては碌な事にならないのは目に見えている。考えろ、この状況を打開するには────────)

 

 思考を、加速させる。

 

 今は、一分一秒の遅れも許されない。

 

 七海のような手合いに時間を与えれば、間違いなく致命傷になる。

 

(…………! あれは…………!)

 

 その刹那。

 

 一瞬、向かいのビルの下方の窓に焦げ茶色の影が映った。

 

 それはまるで。

 

 七海が纏う、バッグワームを彷彿とさせる色合いだった。

 

 加えて、その階層の窓が一つだけ割れている。

 

 同じ階層の他の窓は割れておらず、そこだけが破砕されていたのだ。

 

(そういう事か)

 

 それを見た龍神は、即座に行動に移る。

 

 グラスホッパーを踏み込み、向かいのビル目掛けて跳躍した。

 

 

 

 

(来たか)

 

 柱の陰に隠れながら、七海はビルの下方目掛けて急降下する龍神の姿を視認して不敵な笑みを浮かべた。

 

 彼のいる場所は、ビルの30階層。

 

 龍神がバッグワームを思わしき影を見かけた15階層よりも、上の階層である。

 

 彼が見た布は、七海があの場所に置いて来たバッグワームだ。

 

 七海は一度バッグワームを脱いで窓際に置いた後、即座に上階へ脱出。

 

 龍神がビルへ視線を向けたタイミングを見計らい、バッグワームを解除。

 

 七海自身は上階に潜み、龍神がやって来るのを待ち受けていたワケである。

 

 あの階層の近辺には、大量のメテオラを設置してある。

 

 龍神は恐らく、旋空を用いてビルに突入する筈だ。

 

 そうなれば、それをトリガーとして置きメテオラが一斉に起爆。

 

 広範囲の爆発によって龍神を呑み込む手筈、という事だ。

 

 そうでなくとも、龍神が突入した時点でスコーピオンを投擲すれば起爆は可能だ。

 

 どちらにせよ、下層へ向かった時点で龍神の命運は尽きる。

 

 これは、その為の作戦だった。

 

「旋空伍式────────野薊(ノアザミ)

 

 だが。

 

 厨二剣士(かれ)は、その想定の上を行く。

 

 下方へ向かっていた龍神は、その中途でグラスホッパーを起動。

 

 それを踏み込み、上階目掛けて跳び上がると同時。

 

 旋空の連撃を放ち、外壁を両断。

 

 轟音と共に、ビルの内部へと突入した。

 

 メテオラが仕掛けてあるのは、ビルの下層のみ。

 

 この上層には何の仕掛けもない為、勿論起爆も発生しない。

 

 完全に、七海は思惑を外された形となった。

 

「────────気付いていたんですね。俺が、下にいない事を」

「その可能性も想定はしていた。お前は、中々に知恵が働くようだからな。警戒するに越した事はない」

 

 それに、と龍神はニヤリと笑みを浮かべて。

 

「上から派手に突入した方が、格好良いだろう」

 

 己の証たる、厨二病(きょうじ)を口にしたのだった。



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クロスランク戦EX/×厨二なボーダー隊員④

 

 

(想定外だな。まさか、こうもピンポイントに乗り込んで来るとは)

 

 七海は視界の先に立つ龍神の姿を見据え、素直な驚嘆を示す。

 

 囮を無視される可能性や、屋上から侵入される可能性くらいは考えてはいた。

 

 しかし、それらの予測を裏切り七海のいる階層へ壁を斬って乗り込んで来るとまでは思ってはいなかった。

 

 恐らく、この階層を選んで突入して来た理由に確たるものはあるまい。

 

 強いて言うならば、()だろうか。

 

 口では「その方が格好良いから」と言ってはいるが、言い得て妙だ。

 

 本人としては、あくまでも特別は理由はないのだろう。

 

 ただ、()()()()()この場所を選んだ。

 

 凡そ、その程度の認識である筈だ。

 

 しかし、その裏では無意識下で()()()()()()()()()()()()をシミュレートする予測演算が進められていたに違いない。

 

 その程度の事は出来るだろうと、七海は龍神の事を評価していた。

 

 これが過大評価だろうと、見当違いだろうと構わない。

 

 直視すべきは、龍神が七海の思惑を抜けてこの場に辿り着いたという事実のみ。

 

 故に。

 

「────────メテオラ」

 

 開戦の号令はない。

 

 必要とすら、感じない。

 

 七海は龍神が次の手を撃つ前に、躊躇なく爆撃を開始した。

 

 

 

 

「容赦がないな…………! だが、それでこそだっ!」

 

 龍神は迷いなく炸裂弾(メテオラ)を撃ち込んで来た七海へ、喜び勇んで相対する。

 

 こちらの口上に対する返礼は、躊躇の無い爆撃。

 

 少し寂しくはあるが、これはこれで悪くはない。

 

 此処は仮初とはいえ戦場であり、そこで戦士が相対したのであればやるべき事はただ一つ。

 

 即ち、敵の撃滅である。

 

 七海はその宿命に、従っているだけに過ぎない。

 

 ならば、こちらもそれに応じよう。

 

 それこそが、挑戦を受けてくれた彼への最大の返礼となるのだから。

 

「────────天舞」

 

 七海の爆撃が直撃する前に、龍神はグラスホッパーを起動。

 

 加速台の連鎖跳躍により、メテオラを迂回する形で七海へと肉薄する。

 

「────────」

 

 だが、それだけで接近を許す程七海は甘くはない。

 

 七海もまたグラスホッパーを起動────────────────はせず、床を蹴り疾駆。

 

 床から壁へ、壁から柱へ、柱から天井へと次々と足場を変えて跳躍。

 

 トリガーさえ使わない三次元機動により、すぐさま龍神の裏へと回った。

 

 確かに、グラスホッパーとテレポーターを駆使する龍神の機動力は驚異的だ。

 

 しかし、七海のそれも負けてはいない。

 

 戦場を縦横無尽に駆け回り、狙撃無効の性質も駆使して盤面をかき乱す遊撃手(トリックスター)

 

 それこそが、七海の真骨頂。

 

 この程度の芸当等、彼にとっては児戯に等しい。

 

 そして。

 

 七海が背後に回った直後、爆撃が壁へと着弾。

 

 轟音と共に、爆発が周囲を席捲する。

 

 その瞬間を狙い、七海が動く。

 

 右手にスコーピオンを携え、背後から龍神へ斬りかかる。

 

「甘いぞ」

「…………!」

 

 しかし、龍神とてこの程度の奇襲で仕留められる程ヤワではない。

 

 背後から急襲して来た七海に対し、龍神は身体を捻り弧月を振るう。

 

 無論、旋空を起動した状態で。

 

 刃の拡張は、最低限。

 

 されど確かな切断力を備えた斬撃が、七海の脳天へと振り下ろされる。

 

「…………!」

 

 七海はそれを、身体を捻る形で回避。

 

 即座に次の一手に繋げようとした、刹那。

 

「旋空六式────────鳶尾(イチハツ)

「…………っ!」

 

 突如として()()()()()()()龍神の腕が、その手に持つ弧月ごと着弾。

 

 弧月の柄によって七海の肩が殴打され、一瞬の硬直を生む。

 

 旋空六式・鳶尾。

 

 それは、グラスホッパーを用いた旋空弧月の派生技である。

 

 旋空を振り下ろした直後、グラスホッパーを用いて自身の手首を打ち出す。

 

 それによって弧月そのものが跳ね上がり、相手の身体を柄で殴打する仕組みだ。

 

 トリオン体を傷付けるにはブレード部分を当てなければいけない以上実質的なダメージは0だが、衝撃で意表を突く事は出来る。

 

 要するに牽制技の部類に入るが、この状況下では無視出来ない利点が存在する。

 

 即ち、七海の副作用(サイドエフェクト)の感知をすり抜けられる事である。

 

 ダメージが発生しない以上、七海の能力はこの攻撃を察知出来ない。

 

 しかも至近距離での連撃である為、仮に気付けたとしても対処は困難。

 

 更にこの瞬間、七海は龍神相手に致命的な隙を晒した事になる。

 

「────────毒尾・蹴式」

 

 弧月を振り抜き、更に腕を打ち上げた状態での追撃は不可能。

 

 そんな常識は、如月龍神(かれ)には通用しない。

 

 龍神はその足にスコーピオンを生やし、蹴撃を放つ。

 

 木虎の足スコーピオンに着想を得た、龍神の奇襲攻撃。

 

 最早ただの蹴りを用いたスコーピオンによる攻撃ではあるが、この場でそれが有効である事は変わらない。

 

 隙を見せた七海へと、毒持つ蹴撃が襲い掛かる。

 

「む…………!」

 

 だが。

 

 鳶尾と異なり、それは七海にとって視えている攻撃だ。

 

 故に、対処を行うのは必然。

 

 七海はシールドを展開し、そして。

 

 スコーピオンの軌道上に、メテオラのキューブを展開。

 

 勢いを止められず、龍神の刃がキューブへ接触。

 

 瞬間、起爆。

 

 爆発が、二人を呑み込んだ。

 

「く、やるな…………っ!」

 

 間一髪でテレポーターの発動に成功し、爆発から逃れた七海が油断なく爆心地を見据える。

 

 七海はメテオラのキューブと同時に、シールドを展開していた。

 

 故にこの爆発によって手傷を負っているというのは考えられず、此処から次の一手へと繋げて来る筈だ。

 

「────────メテオラ」

 

 その予測は、すぐさま現実のものとなる。

 

 爆煙の向こう側から、無数の弾丸が飛来。

 

 間違いなく炸裂弾(メテオラ)であるそれが、龍神へと迫る。

 

「ならば…………っ!」

 

 此処で待ち受け、爆発に巻き込まれる意味はない。

 

 龍神はグラスホッパーを展開し、跳躍。

 

 吹き抜けを伝い、爆発が届かない上階へと移動する。

 

 直後、爆撃が着弾。

 

 たったの今までいた階層が、大規模な爆発で覆われる。

 

「────────」

「く…………!」

 

 その、刹那。

 

 音もなく背後に忍び寄っていた七海の刺突が、龍神の頬を掠めた。

 

 下の爆発は、あくまでも目晦まし。

 

 爆煙をカーテンとしながら密かに上階へと移動していた七海は、同じようにそこへやって来た龍神へと奇襲を敢行したのである。

 

 無論、ただやられるワケはない。

 

 龍神もまた、弧月を用いて七海へ攻撃を仕掛ける。

 

 しかし七海は、何の躊躇いもなく後退。

 

 そして、どう考えてもスコーピオンの射程外である場所から腕を突き出した。

 

 それは。

 

 七海が師から教わった、スコーピオンの派生技術の一つ。

 

「マンティス、だと…………っ!?」

 

 マンティス。

 

 スコーピオン二つを連結させ、射程を伸ばす高等技術。

 

 少なくとも龍神の知る限り影浦の専売特許であるそれを、七海は披露してのけた。

 

 予想外の事態に反応が遅れ、龍神のコートを蟷螂の刃が浅く斬り裂く。

 

 更に。

 

「…………っ!」

 

 七海はマンティスを、連打。

 

 弧月の射程外から、鞭の如き斬撃が襲う。

 

 旋空弧月と、マンティス。

 

 どちらもブレードトリガーの射程を拡張する代物ではあるが、この二つの間には幾つもの差異がある。

 

 一つ目は当然ながら旋空はオプショントリガーを用いた()()()()であり、対してマンティスはあくまでスコーピオン二つを用いた()()である事。

 

 二つ目は旋空弧月が片腕しか使わない事に対し、マンティスはスコーピオンの両攻撃(フルアタック)を必要とする事。

 

 そして三つめは、()()の有無である。

 

 正確に言えば、予備動作とでも表現すべきだろう。

 

 旋空を放つ為には弧月を構え、振り抜くという手順が必要となる。

 

 その工程にはどうしても一瞬のタイムラグが生まれ、基本的に旋空を撃つ時は静止した状態で使用する事が求められる。

 

 太刀川や生駒と同じく旋空の名手である龍神はこの時に生まれる隙を極限まで減らし、移動しながらの旋空弧月すら可能とする。

 

 されど、タイムラグをゼロに出来るというワケでもない。

 

 対して、マンティスは本質的にはスコーピオンの通常攻撃の派生である為、構えも予備動作も必要としない。

 

 故に、弧月が届かずマンティスのみが届く射程での斬り合いに置いては、攻撃速度という一点で後者に軍配が上がるのだ。

 

 マンティスは両攻撃(フルアタック)の状態でなければ使えない為その間シールドを張る事が出来ないという致命的な欠点が存在し、普通のチームランク戦では迂闊に使えば幾ら七海といえど無視出来ない隙となる。

 

 しかし、これは個人ランク戦。

 

 第三者の横槍が存在しない以上、警戒すべきは目の前の対戦相手のみ。

 

 その相手を釘付けにしておけるのであれば、マンティス使用のリスクはある程度軽減出来る。

 

 並の弧月使いであれば、この距離を維持しながら斬りかかり続けるだけで制圧出来るだろう。

 

「旋空七式────────浦菊(ウラギク)

 

 相手が、()()弧月使いであれば。

 

 果たして如月龍神は、並などという言葉で言い表せる程度の使い手だろうか。

 

 否。

 

 確かに、頂に座しているワケではない。

 

 されど、弧月使いとしての龍神の実力はボーダーの上位陣の中でも無視出来ないものがある。

 

 そうでなければ、龍神の引き抜きに多くの部隊が腰を上げる事はなかっただろう。

 

 彼等は、知っていたのだ。

 

 言動に癖があるとはいえ、この少年は間違いなく強者の側に位置する存在であるのだと。

 

 そして、そんな彼が並の弧月使い相手ならば通じる戦法如きで、防戦一方になる筈もない。

 

 旋空七式・浦菊。

 

 それは、居合の要領で横薙ぎに振り抜く速度特化の旋空である。

 

 実態としては最早ただの旋空弧月ではあるが、その剣速・威力は驚異的だ。

 

 他の龍神旋空がオプショントリガーを利用した奇襲技であるのに対し、この浦菊はあくまでも旋空一本を用いた純粋な居合い抜きだ。

 

 余計な装飾、補助効果がない分速度のみに特化したその攻撃は予備動作を極限まで排した超速の斬撃を実現する。

 

 それこそ、マンティスの連撃の合間を潜り抜けて放てる程に。

 

 スコーピオンを両攻撃で用いてマンティスを使っていた七海に、これを防御する手段は無い。

 

 今この瞬間であれば、グラスホッパーを使ったところで間に合わない。

 

 マンティスと旋空とでは、そもそも射程距離の時点で明確な差がある。

 

 あくまでも敵と肉薄しない程度の近距離から放てるマンティスに対し、旋空は明確な中距離攻撃に該当する。

 

 その射程は20メートル程と剣士としては破格の攻撃範囲を誇り、銃手や射手が攻撃手から一定の距離を取りたがる一つの要因でもある。

 

 剣一本で戦うタイプの攻撃手にとっては、相手の中距離攻撃を抑止する為の必須装備が旋空であると言っても決して過言ではない。

 

 使いこなせるかはともかくとして、殆どの弧月使いが旋空をセットしている理由がそこにある。

 

 何故ならば、旋空がなければ弧月使いが銃手や射手に攻撃を届かせる為にはそれこそ肉薄するまで接近する必要があるからだ。

 

 それは威力特化のブレードトリガーの宿命とも言えるが、そもそも銃手や射手相手にそこまで近付けた時点で勝ったも同然のようなものだ。

 

 逆に言えば、それを理解しているからこそ銃手や射手は攻撃手の接近を徹底的に防ぐように動く。

 

 その際にある程度離れた場所から攻撃出来る旋空があれば、一定距離まで近付けた時点で相手は迂闊な行動が出来なくなる。

 

 隙を見せれば旋空で薙ぎ払われる危険がある以上、回避にも意識を割かなければいけないからだ。

 

 此処で、旋空の防御不能という特性が活きて来る。

 

 シールドを張っても斬り裂かれる以上、旋空に対する回答は回避一択。

 

 故に、旋空をセットしていればそれだけで攻撃手は銃手や射手に対して()()()()()が増えるのだ。

 

 その証拠に、旋空をセットしていない弧月使いは軒並み射撃トリガーや銃手トリガーといった別の中距離攻撃手段を用意している。

 

 射程持ちの武器の有無というのは、それだけ重要である事の証左である。

 

 中距離で放たれた旋空というのは、それだけ相手にとっては脅威となる代物なのだ。

 

 それは、相手が同じ攻撃手であろうと同じ。

 

 ()()()()()()という性質は、回避不能の状況に置いて絶死の刃と化す。

 

 防御不能、回避不能の刃が。

 

 七海へ向けて、振るわれた。

 

 並の相手であれば、この攻撃を凌ぐ事など出来ないだろう。

 

 両攻撃の状態で、尚且つ旋空の射程内。

 

 しかも攻撃直後の隙を狙われたのだから、回避出来る筈もない。

 

「────────これも、躱すか」

 

 だが。

 

 七海もまた、並のなどといった表現が適用出来る相手ではない。

 

 確かに、龍神の一撃は凄まじい剣速を誇っていた。

 

 攻撃直後の隙を突かれた事もあって、普通であればまず回避は出来なかっただろう。

 

 だが。

 

 七海は、識っている。

 

 今の一撃など比べ物にならない程、それこそ目にも映らない速度で振るわれる。

 

 剣聖の、刃を。

 

 彼は、七海はあの最強の剣聖との戦いを乗り越えて此処にいる。

 

 それが持つ意味は、果てしなく大きい。

 

「────────」

 

 口上はない。

 

 必要もない。

 

 七海はただ、明確な闘志を宿した瞳で龍神を見据え。

 

 次なる一手へ繋げる為、床を蹴り跳躍。

 

 蛇の如き暗殺者は、龍の名を冠する剣士へと再び挑みかかった。



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クロスランク戦EX/×厨二なボーダー隊員⑤

 

 

「────────メテオラ」

 

 七海は対峙する龍神に向かって、爆撃を敢行。

 

 無数の分割されたトリオンキューブが、弾丸となり襲い掛かる。

 

 弾数はかなり多く、それ故に一つ一つの威力はそこまで高くはない。

 

 だが、弾幕の密度に振り切ったその爆撃を回避のみで凌ぐ事は困難。

 

「────────天舞」

 

 しかし、それが発射された瞬間には既に龍神は行動に移っていた。

 

 グラスホッパーを展開し、それを踏み込む。

 

 龍神はその勢いを利用し、上階へと跳躍。

 

 その一瞬後、メテオラが壁に着弾し爆発が巻き起こる。

 

「────────」

 

 爆破と同時、七海が動く。

 

 先程と同じく爆音に紛れて龍神の背後に忍び寄った七海は、スコーピオンを無造作に振り抜く。

 

 爆音と爆煙で聴覚と視界を封鎖し、その隙に死角に回って仕留めるメテオラ殺法と無音戦闘術(サイレントキリング)の合わせ技。

 

 一騎打ちでの暗殺を可能とする七海の戦闘術が、龍神へと振るわれる。

 

「それは、一度見た」

「…………!」

 

 だが。

 

 如月龍神(かれ)に、一度見せた戦法は通用しない。

 

 村上のそれとは違うが、彼の学習能力はずば抜けて高い。

 

 それこそ、一度見た技であればその性質を看破し次は喰らわない、といった程度には。

 

 彼の学習能力は、他者と比べて高いのだ。

 

 流石に村上のように眠るだけで経験がフィードバックされる事はないが、龍神はその差を技術とセンス、そして人並み以上の鍛錬を以て埋めようと足掻き続けている。

 

 彼は、立ち止まらない。

 

 他者から見て終着点(ゴール)である場所に到達していたとしても、「まだ先がある」と貪欲に前だけを視続ける。

 

 普段飄々としていても、その内に眠るのはマグマのような熱い闘志だ。

 

 だからこそ、一度見た攻撃程度を喰らうワケにはいかない。

 

 龍神は再び、接近して来た七海に向かって弧月を振るう。

 

 上段からの、振り下ろし。

 

 その剣速は速く、剣筋は鋭い。

 

 龍神の斬撃が、七海へと襲い掛かる。

 

「────────」

 

 七海はそれを、迷う事のないバックステップで回避。

 

 予め来るのが分かっていたかのように、龍神の剣を躱してのける。

 

 否、分かっていたのだろう。

 

 七海とて、一度見せた方法が龍神に通用するとは思っていなかった。

 

「…………!」

 

 故に、この一手は陽動。

 

 今の攻防を以て時間を稼いだ七海は、グラスホッパーを踏み込み跳躍。

 

 吹き抜けを通り、下階層へと跳び去っていく。

 

「見え透いた罠だが、追いかける以外ないな…………っ!」

 

 その行動が罠である事は、理解している。

 

 中距離攻撃手段が旋空一本である龍神にとって、上を取られて延々と爆撃され続けるのは如何にも都合が悪い。

 

 だからこそ、七海は通常ならば上階へ向かうべきなのだ。

 

 にも関わらず、こよみよがしに下階層を目指している。

 

 明らかにあそこに何かあると、喧伝しているようなものだ。

 

 しかし、追わないという選択肢はない。

 

 此処で躊躇すれば、七海はすぐさまこの場を離脱し次の仕込みを始めるだろう。

 

 七海のようなタイプに時間を与えれば、碌な事にならないのは目に見えている。

 

 チームランク戦の時とは事情が違うが、彼がこの環境下でもゲリラ戦を行えるのは今まで見た通りだ。

 

 置きメテオラという厄介な手札もある以上、七海を自由にさせるワケにはいかない。

 

「────────」

「…………!」

 

 下へ、下へ。

 

 吹き抜けを通り、二人は下階層を目指す。

 

 彼との間の距離は、凡そ30メートル。

 

 旋空の射程では届かず、更に機動力でも遅れを取っている。

 

 七海も龍神も同じグラスホッパーの使い手だが、龍神の場合それを装備しているのは片側だけだ。

 

 その代わり龍神にはテレポーターというもう一つの移動手段があるが、こちらはグラスホッパーと異なり軽々に使うワケにはいかない。

 

 確かにテレポーターは優れた移動手段ではあるが、()()使()()()()()()()という致命的な弱点がある。

 

 テレポーターは一度に十数メートルを一気に転移可能だが、移動距離に比例して次の使用までにインターバルが必要となり、長距離を一気に跳んでしまえば相応の時間使えなくなってしまう。

 

 だからこそ、テレポーターの切り時は慎重に見極める必要があった。

 

 回避困難な攻撃からの離脱、もしくは必殺の一撃へ繋げる為。

 

 それらの条件を満たさない限り、テレポーターという手札を切るワケにはいかない。

 

(俺の予想だと、この先に仕掛けてあるのは────────)

 

 そして、龍神は七海の一挙手一投足を見逃さぬよう警戒しながら、彼の後を追う。

 

 七海はグラスホッパーを用いた三次元機動を行いつつ、ある程度最短ルートに近い形で下へと向かっている。

 

 テレポーターを使えば、追いつける可能性はある。

 

 しかし、それは今取るべき選択肢ではないと龍神は断じていた。

 

(この先は、俺がバッグワームらしき影を見かけた階層────────────────つまり、七海が俺を()()()()()()()()とした階層だ。必ず、そこに何かある)

 

 理由は、明白。

 

 15階層は、龍神がバッグワームを思わせる影を見掛けた場所だ。

 

 七海が実際にいたのが30階層だった事を鑑みれば、あれは陽動であった事は分かる。

 

 だからこそ、あの階層に何も仕掛けられていないとは思えない。

 

 何かが、ある筈だ。

 

 そして、それは────────。

 

(────────通り、過ぎた…………? いや、違う…………っ!)

 

 そうこうしている内に、七海が15階層を通過する。

 

 足を止める事なく、その下へと。

 

 その様子を見て龍神は一瞬読み違えたかとも考えたが、すぐさまそれを否定した。

 

 此処までお膳立てをしておいて、何もしない筈がない。

 

 龍神はそう確信し、決して注意を逸らさなかった。

 

(来た…………!)

 

 だからこそ、気付いた。

 

 七海が、その右腕を。

 

 横薙ぎに、振り抜いた事に。

 

 その、腕の先。

 

 そこには、細い槍のような形状のスコーピオンの姿があった。

 

 今の動作(モーション)で、投げたのだろう。

 

 こちらに気付かれないように、スコーピオンを投擲武器として。

 

 相当に細く形成したのか、刀身はまるでレイピアのようだ。

 

 あれでは大した強度は望めず、容易に破砕するだろう。

 

 だが、龍神の読み通りであればそもそもあれに威力は必要ない。

 

 何故なら、あのスコーピオンの役割は────────。

 

(仕掛けてあった置きメテオラの、起爆…………! 矢張り来るか…………っ!)

 

 ────────その進路上に設置された、メテオラの起爆。

 

 テレポーターで移動すればあの刃を止める事が出来るかもしれないが、その場合地雷原のただ中に転移と言う手札を切った状態で放り出される事になる。

 

 恐らく、設置してある炸裂弾(メテオラ)があれ一つという事はあるまい。

 

 間違いなく、あの階層付近には無数のメテオラが仕掛けてある。

 

 一つの起爆を妨害したところで、位置さえ分からない爆弾の起爆を全て防ぎ続ける事は不可能だ。

 

 故に、判断は迅速。

 

 スコーピオンがメテオラに到達する、直前。

 

 龍神はグラスホッパーを展開し、跳躍。

 

 その勢いを以て、窓を突き破り外へと跳び出した。

 

「…………!」

 

 直後、スコーピオンがメテオラのキューブに着弾。

 

 爆音と共にメテオラが爆破され、連鎖的に次々と同様の爆音がビルの内部から炸裂する。

 

 止まらない爆発、一瞬にして広がる亀裂。

 

 七海の炸裂弾(メテオラ)は正確にビルの支柱を破壊し、高層ビルの自重を支えるものが消滅する。

 

 すると、どうなるか。

 

「やってくれたな、七海…………!」

 

 七海が爆弾を仕掛けていた15階から10階にかけてのエリアを起点に、ビルが傾く。

 

 支柱を失った高層ビルは、斜めに倒れていく。

 

 ただ、一ヵ所を爆破されただけではこうはならない。

 

 しかし、このビルはこれまで散々七海の爆撃によって各所に穴を空けられている。

 

 加えて内部に吹き抜けという空洞があり、しかも爆破解体の手順を無視した乱暴な起爆をすればどうなるか。

 

 結果として、ビルは倒れ込む形で倒壊。

 

 巨大な建造物が、その質量を以て摩天楼を蹂躙する。

 

「────────」

 

 傾くビルが隣のビルに接触し、轟音と共に衝突。

 

 砂場の城の如く、あまりにも無造作に高層ビルが破壊される。

 

 その刹那。

 

 いつの間にか傾くビルの壁面を駆け出していた七海が、空中の龍神へ向かい疾駆する。

 

 崩落していくビルの壁という、不安定極まりない足場の中でも彼の動きに翳りはない。

 

 まるで普通の道路であるかのように、七海はビルの壁面を足場に蜘蛛の如き機動で自在に駆ける。

 

「面白い…………!」

 

 望むところだと、龍神はグラスホッパーを起動。

 

 加速台を踏み込み跳躍し、七海と同じ壁面へ着地。

 

 同時。

 

「…………!」

 

 龍神が旋空の構えを取った事で、七海は即座にグラスホッパーを起動。

 

 ジャンプ台を踏み込み七海が跳躍した直後、彼のいた場所を横薙ぎの旋空────────────────七式・浦菊が降り抜かれる。

 

 一瞬でも判断が遅ければ、今の一撃で七海の身体は両断されていただろう。

 

 龍神は口で告げた技名と違う技を使ったりはしないが、無言で技を放つ程度の事は行える。

 

 これは彼が「無言でクールに技を放つのもそれはそれで格好良いな」という判断をしている為であり、基本的に技名を叫んで攻撃するのが大好きである為早々行わないが────────────────逆に言えば、絶対に行えないという縛りもない。

 

 まあ、彼の「技」の実態は過半数がただの旋空弧月である為それが普通ではあるのだが、そこはそれ。

 

 厨二(しゅみ)に生きる彼にとって、そういった矜持は何より重要なのだから。

 

「まだまだ行くぞ」

「…………!」

 

 そして無論、これで終わりではない。

 

 龍神はグラスホッパーで跳躍し、即座に旋空を起動。

 

 上段振り下ろしの旋空────────────────弐式・地縛にて、七海を狙う。

 

 現在、七海は空中にいる。

 

 空中での移動手段があるとはいえ回避行動を取る事は困難であり、そもそもグラスホッパーの展開にはワンテンポのタイムラグがある。

 

 回避が間に合うかは、五分五分といったところだろう。

 

 それを鑑みれば、龍神の旋空の攻撃タイミングは的確と言えた。

 

 上空へ跳躍したという事は、上へ向かう慣性が働いている。

 

 それを打ち消すには相応の運動エネルギーが必要であり、急停止等をかければ致命的な隙となる。

 

「な…………!」

 

 だが。

 

 七海は、自身の至近にグラスホッパーを展開。

 

 それを腕で殴りつける事により、強引に軌道を変更。

 

 ジャンプ台と衝突した勢いで、七海の身体が旋空の斬線から逃れ去る。

 

 更に、続けざまに七海はグラスホッパーを展開。

 

 曲線軌道で空中を駆け、空を泳ぐように移動する。

 

 その間にもビルの亀裂は広がり続け、巨大質量に押し潰された隣のビルもまたミシミシと嫌な音を響かせながら加速度的に崩壊していく。

 

 七海はその機動力を見せつける形で龍神を翻弄しながら、倒れゆくビルの壁面へ着地。

 

「────────メテオラ」

 

 未だ空中にいる龍神に対し、七海は再度爆撃を放つ。

 

 今度もまた、密度重視の炸裂弾幕。

 

 それが一斉に襲い掛かり、龍神は止む無くグラスホッパーで大きく横へと移動する。

 

「…………!」

 

 そこへ、七海の背後に隠されていた無数の弾丸が跳躍した龍神へと殺到する。

 

 メテオラには弾道の誘導能力などはなく、ハウンドやバイパーのように自在に軌道を操る事は出来ない。

 

 だがそれは、あくまでもトリガーの性能だけを見た場合の話だ。

 

 メテオラもまた射撃トリガーである以上、()()()()使()()()のだ。

 

 そもそも、置きメテオラ自体その技術の派生のようなものである。

 

 置きメテオラは設置場所から離れる事でキューブとの接続をカットしこちらから動かす事が出来なくなる代わりに、「衝撃が加わりカバーが外れれば起爆する」という特性を残したまま、トリガーの使用枠を埋めずにその場に残す事が可能となるものだ。

 

 これは「衝撃によって起爆する」という特性を持つ炸裂弾(メテオラ)だからこそ実現出来る代物であり、他の射撃トリガーであればその場で霧散して終わりだ。

 

 そして、置き弾はカットした接続を繋ぎ直し、設置したキューブを再度操作可能にした代物だ。

 

 これは射撃トリガーであればどの弾種でも可能な技術であり、メテオラもまた例外ではない。

 

 派手な爆発とビル倒壊は、これを隠す為の陽動。

 

 これまで演じた空中戦も、その為の布石に過ぎなかったワケだ。

 

 無論、アステロイドと異なり突破力に乏しい炸裂弾(メテオラ)ではシールドを広げられればダメージは与えられない。

 

 しかし、その場でシールドを使わせて釘付けにする事は出来る。

 

 空中で足を止めるというのは、この状況ではほぼ致命に等しい。

 

 七海のメテオラは、速度重視にチューニングされている。

 

 それ故最早龍神にこれを回避する時間はなく、シールドを張ればその時点で固められて終わり。

 

「旋空八式────────捻花(ネジバナ)

 

 だが、その目論見さえ龍の牙は破砕する。

 

 龍神は自身の身体にグラスホッパーをぶつけ、その勢いで身体を回転。

 

 その慣性を利用する形で、旋空を撃ち放った。

 

 放たれた旋空は迫り来るメテオラの群れに接触し、起爆。

 

 爆撃は龍神に到達する前に、空中で全て爆発して消え去った。

 

 七海の豊富なトリオンと、弾の密集率。

 

 それが仇となり、七海の攻撃は凌がれた。

 

「旋空参式・姫萩『改』」

 

 そして、それだけでは終わらない。

 

 強引に空中で態勢を整えた龍神は、右腕を大きく引き。

 

「────────穿空虚月」

 

 必殺の一撃を、撃ち放った。



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クロスランク戦EX/×厨二なボーダー隊員⑥

 

 穿空虚月。

 

 龍神によってそう名付けられたその技は、参式・姫萩の()()()だ。

 

 元々、姫萩は線の攻撃であるが故に相手に当て易いという旋空のメリットを捨て、射程と剣速のみに特化した()の攻撃である。

 

 ただ薙ぎ払えば良い旋空と異なり、この技の場合相手にピンポイントで当てる必要がある為当然ながら命中確率は低くなる。

 

 加えて、伸縮するブレードによる攻撃という旋空の性質上、いきなり質量が激増した刃を振るっている為、通常の突きよりも扱いは遥かに難しい。

 

 故に、この姫萩は理論だけは出来ていても命中率が安定しない()()()()だった。

 

 それを、弛まぬ鍛錬によって完成に至らせたのがこの穿空虚月だ。

 

 龍神は厨二(しゅみ)に生きる享楽人ではあるが、自分が必要であると感じた事であればその目的を問わず全力を傾け、決して努力を怠らない。

 

 たとえ技の完成を目指した理由が()()()()を求めたものだったとしても、積み重ねた鍛錬は嘘をつかない。

 

 目的がどんなものであれ、過程と結果は確かに繋がっている。

 

 気持ちの強さは勝敗には関係なく、ただ積み重ねた成長の成果が現実となる。

 

 そして、気持ちの────────────────想いの性質に、善悪も強弱もない。

 

 たとえ強さを求める理由が違っていても、上を目指すという意味でそれらは等価。

 

 それが、善でも悪でも。

 

 高尚な理由でも、たとえ傍から見れば下らない理由であったとしても。

 

 鍛錬は、自身の行動の結果は現実となって現れる。

 

 そうして完成に至った奥義こそ、穿空虚月。

 

 空を穿ち、虚ろなる月を貫くという厨二(たつみ)なりの気概を込めた一撃。

 

 それこそが、たった今七海に向けて放たれた攻撃の正体であった。

 

 最初に撃った姫萩は、この完成版の囮とする為敢えて命中精度を甘くさせたもの。

 

 旋空による突きの命中率が安定しないという、錯覚を抱かせる為の一手。

 

 この本命の一撃を、難敵に叩き込む為の見せ札。

 

 その布石が、今此処に結実する。

 

 現在、七海との距離は凡そ20メートル前後。

 

 旋空の射程のギリギリの距離ではあるが、姫萩は突き技である為元々通常の旋空よりは射程が長い。

 

 無論生駒旋空のような劇的な射程の向上は見込めないが、今の七海を狙うには充分な代物である事は間違いない。

 

 たった今、龍神は七海の炸裂弾(メテオラ)を捻花で斬り払い視界は爆発で塞がっている。

 

 この一撃は、その爆発のカーテンを利用して放たれている。

 

 微かに視認出来た可能性はあるが、穿空虚月の剣速は神速の如し。

 

 副作用(サイドエフェクト)で察知してから動いたのでは、まず回避は間に合わない。

 

 だからこそ、この場この瞬間にて龍神はこの奥の手を開帳したのだ。

 

 千載一遇、七海を落とす事の出来る絶好の機会として。

 

 絶死の刃が、迫り来る。

 

 刮目せよ。

 

 其は、空穿つ虚ろなる月の槍。

 

 己が好敵手と定めた標的を屠る、絶殺の鏃。

 

 一人の剣士が積み重ねた、確かな時間(とき)の具現である。

 

 凡百尋常の手段によりては、決して凌ぐ事能わず。

 

 正しく必殺の意思を込めた、絶死穿通の神槍と知れ。

 

(殺った…………っ!)

 

 確信する。

 

 この一撃は、間違いなく七海に当たると。

 

 それだけの精度、それだけの速度。

 

 過去始まって以来最高の手応えを、龍神は己の剣から感じていた。

 

「な、に…………っ!?」

 

 だが。

 

 必ず(あた)ると確信した、絶殺の一撃は。

 

 七海が身体を捻り、紙一重の回避をした事で無に帰した。

 

 着弾を確信していた龍神は目を見開き、瞬時にその理由に思い至る。

 

「まさか、読んでいたのか…………っ! あの時の姫萩が、全力ではなかった事を…………っ!」

 

 

 

 

「────────生憎、似たような経験をしたばかりでね。そうでなくとも、違和感があった。こういう時の勘は当たるから、それを信じてみて良かったよ」

 

 公的なランク戦では、ないからだろうか。

 

 普段であれば戦闘中は決着が着くまで殆ど口を開かない七海が、龍神の言に律儀に応答している。

 

 そしてそれは、全くの虚勢というワケでもなかった。

 

 七海は、理解していたのだ。

 

 これまで戦った、如月龍神という人物の練度と────────────────あの時の姫萩の精度の低さが、釣り合わない事に。

 

 龍神は言動こそ大仰だが、その実力は確かなものだ。

 

 特に旋空の技量には目を見張るものがあり、これまで使用して来た数々の派生技の練度を見るに充分ボーダー上位陣に届き得る力を持っている。

 

 だからこそ、気付いた。

 

 序盤で龍神が放った姫萩の、他の技と比べた時に分かる不自然な精度の低さに。

 

 龍神の旋空弧月はどれもこれもちょっとした工夫を加えた旋空に過ぎないが、それでも幾つかは技としてしっかり成立している精度の高いものが並んでいた。

 

 それらと比較して、姫萩の精度は明らかに甘かった。

 

 最初は難しい技術を用いる為であろうと考えていたが、此処まで戦ってみた結果として()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思い至ったのだ。

 

 だからこそ、ここぞというタイミングで()()()を使って来ると、七海は確信していた。

 

 未完成版の姫萩でも、あれ程の剣速であったのだ。

 

 完成版となれば、それこそ神速の名を冠するに相応しい一撃と成り得るであろう。

 

 故に、龍神がそれを撃って来るであろう状況では決して気を抜かなかった。

 

 少しでもその兆候があれば、即座に動けるように。

 

 その思惑が功を奏し、七海はなんとか直撃を避ける形で回避に成功。

 

 代価として服の端が削れたが、ダメージはないに等しい。

 

 龍神の渾身、絶殺の一撃は無為に終わった。

 

 そして、龍神の攻撃の最高速度を見た以上、最早接近戦に付き合う理由はない。

 

「…………! 距離を取る気か…………っ!」

 

 七海は何の躊躇もなく、後方へ跳躍した。

 

 グラスホッパーとテレポーターという移動補助はあるが、根本的な機動力では七海の方が上だ。

 

 このまま逃げ回りながら堅実にメテオラで削っていけば、時間はかかるがトリオン量の差で七海が勝つ。

 

 正面からの打倒に拘りがちな龍神と違い、七海は勝てさえすれば手段は基本的に問わない。

 

 真っ向からの斬り合いでも、逃げまくった末の泥試合だろうと、勝ちさえ掴み取れば良い。

 

 それが七海の価値観であり、性質だ。

 

 そも、正面からの斬り合いでは旋空の名手である龍神の方が有利なのである。

 

 七海の戦術の基本は、ヒット&アウェイ。

 

 斬り合いに付き合う義理はなく、龍神の限界攻撃速度を見抜いた今であれば情報収集の為に敢えて近付く必要もない。

 

 あとは、テレポーターによる転移に警戒しながら逃げの一手を繰り返すだけだ。

 

 卑怯でも、姑息でもない。

 

 これは、明確な勝ちへと繋げる為の戦術。

 

 試合のルールに抵触していない以上、正々堂々戦えなどという戯れ言を考慮する必要すらない。

 

 正々堂々とは、正面からただ技術だけでぶつかる戦いの事だ。

 

 そんなもの、単純に技量が高い方が勝つに決まっている。

 

 つまり、正々堂々戦えというのは弱者は強者相手に何も考えずに負けて来いという宣告に他ならない。

 

 それは試合ですらなく、ただ相手に媚びるだけの醜態にしかならない。

 

 そんなものは、真っ当な戦いでは断じてない。

 

 故に、真に相手に敬意を払うのであれば取り得る手段の全てに手を伸ばし、貪欲に勝ちを狙うべきだ。

 

 七海はそれを理解しているからこそ、泥臭い戦術を選ぶ事にも躊躇しない。

 

 故に、彼は最大限の誠意を以て、逃げの一手を始めようとしていた。

 

 

 

 

(マズイ。此処で引き離されたら、もう追いつけないぞ…………っ!)

 

 龍神は、現状を正しく認識していた。

 

 今だからこそ、分かる。

 

 たった今放った穿空虚月は、七海に()()()()()ものであると。

 

 あれで恐らく、彼は龍神の限界攻撃速度を把握した。

 

 だからこそ、今は逃走に全力を尽くしこちらを削り殺す行動に出ようとしている。

 

 龍神は、それを卑怯だとは思わない。

 

 ルールには抵触しておらず、そもそも七海の思惑を見抜けなかった龍神の方にこそ責がある。

 

 龍神自身は格好良い正面からの戦いを好むが、かといって絡め手やルールの抜け穴を突くようなやり方を否定するつもりはない。

 

 自分が好む事を、自分が正しいと思う事を相手に押し付けるのはただの傲慢だ。

 

 だからこそ龍神は自身の趣味を隠しておらず、その価値観を誰かに強要した事もない。

 

 自分が好き勝手やる分には、迷惑をかけない範囲であれば何の問題もない。

 

 しかし、自分本位の価値観を相手に押し付ける事は間違っている。

 

 そのあたりの線引きがしっかり出来ているからこそ、龍神は多くの者達に慕われているのだ。

 

 七海の戦術にしても、彼はただ限られたルールの中で自身に出来る最善を選んでいるに過ぎない。

 

 故に、その選択を責めるような無様はしない。

 

 問題は、それをやられれば龍神の負けが濃厚になるという一つの事実のみ。

 

 此処で彼を止めなければ、地に伏すのは高確率でこちらの方なのだから。

 

(赤花を────────────────いや、迂闊に転移すればそれこそ相手の思うツボだ。きっと、あいつはそれを狙っている)

 

 かといって、焦って強引に距離を詰めれば間違いなくカウンターを喰らう。

 

 七海が逃げの一手に入ろうとしている理由の一つには、龍神を焦らせ無理をさせるという狙いもある。

 

 後先を考えずに突貫すれば、やられるのはこちらの方だ。

 

 七海には、攻撃を感知出来る副作用(サイドエフェクト)がある。

 

 サイドエフェクト、感知痛覚体質。

 

 これがある限り、転移斬撃は彼にとって奇襲には成り得ない。

 

 何せ、何処から攻撃が来るか察知出来るという事は────────────────龍神の転移した場所が、その時点で割れるという事なのだから。

 

 転移直後の隙の多い状態を狙われれば、流石の龍神でも痛打は避けられない。

 

 かといって転移から時間を置いて攻撃しようとすれば、そもそも転移による奇襲性は失われる。

 

 かといって、通常の手段ではグラスホッパーが1枚のみの龍神では機動力特化であり尚且つグラスホッパー2枚装備の七海には追いつけない。

 

 こと、撤退と回避に置いては七海の右に出る者はそうはいない。

 

 生存率、と言う点で東とはまた別ベクトルの強みを持っているのが七海なのだから。

 

(駄目だ、この場から直接攻撃出来る手段がない以上、どうしようもない…………っ! 生駒旋空が使えれば、なんとかなるかもしれないが…………っ!)

 

 生駒旋空。

 

 それは、ボーダーで唯一生駒達人のみが可能とした居合技術を用いた旋空の発展技。

 

 実家で祖父に居合いの手解きをされていた彼は、そのノウハウを用いて旋空の効果時間を極限まで削減した上での発射を実現。

 

 40メートルという驚異の射程と、尋常ではない剣速を持つ固有技術────────────────生駒旋空を、完成させたのだ。

 

 これは無論、誰にでも出来る事ではない。

 

 居合い技術という技能を身に着け、それを十全に活かす事が出来た生駒だからこそ可能となった超高等技術。

 

 当然ながら、そんな下地のない龍神にそれを使える筈もない。

 

 彼は特殊な技術も副作用(サイドエフェクト)も持たない、ただの人間に過ぎないのだから。

 

(ないものねだりをしていても仕方────────っ!?)

 

 ────────■■究■、枳■────────

 

 ────────────────そう、思っていた。

 

 その、刹那。

 

 脳裏に、身に覚えのない情景が浮かんだ。

 

 ハッキリとは、視えなかった。

 

 記憶にも、残っていない。

 

 あんな戦いをした事はないと、龍神の記憶は訴えている。

 

(今のは、なんだ…………っ!? いや、それよりも…………っ!)

 

 しかし、重要なのはそこではない。

 

 たった今、七海が「無理だ」と断じた手段。

 

 何故かそれを、使()()()気がしたのだ。

 

 根拠はない。

 

 この場に他の誰かがいれば、龍神の思考に、行動に、疑問を抱いただろう。

 

 何故ならば、「ただ出来ると思った」という論拠にもなっていない暴論に依って、彼は己に可能な筈もない技術に手を伸ばす事を決めたのだから。

 

「旋空、()()────────」

 

 言の葉が、彼の口から紡がれる。

 

 それは、白昼夢の中無意識に記憶された技の名。

 

 彼自身が究極の一刀とすると決意した、幻の秘奥。

 

 未だ辿り着いていない筈の、龍神の想いの果て。

 

────────枳殻(カラタチ)

 

 

 

 

「な…………っ!?」

 

 その一撃を、七海は回避し切れなかった。

 

 七海は、龍神がこの時取るであろう選択について、十中八九転移からの奇襲を狙って来ると考えていた。

 

 此処で彼を逃がす程、龍神は甘い男ではない。

 

 危険性を承知の上で、勝率を0にしない為にリスクを孕んだ行動であっても取らざるを得ない筈だ。

 

 加えて、龍神の限界攻撃速度を見極めたという認識もあった。

 

 だからこそ。

 

 だからこそ七海は、異様な長さに伸びた龍神の旋空の一撃に反応しきれなかった。

 

 それ程までに、その一撃の剣速は凄まじかった。

 

 明らかに、先程の穿空虚月を超えている。

 

 その様は、本物の生駒旋空にも決して劣ってはいない。

 

 粗削りな部分はあるが、仮に生駒がこの場にいれば大騒ぎをしたに違いない。

 

 それ程の、再現度。

 

 それだけの技量が、今の一撃には詰め込まれていた。

 

 奇跡の一刀は、七海の右足の膝から下を切断。

 

 これで、先程までの機敏な動きに大幅な制限がかかる事となる。

 

 しかし、七海には足スコーピオンという脚部の代替手段がある。

 

 トリガーの枠を片方潰すのは痛いが、機動力が減るよりはずっとマシだ。

 

 だからこそ、七海はすぐさま右足の断面からスコーピオンを展開。

 

 即座に、次の手に移ろうとした。

 

「旋空死式・赤花『連』────────」

 

 されど。

 

 その()を紡ぐ声が、すぐ傍から聞こえた。

 

 そこには、今の一瞬で至近へと転移した龍神の姿。

 

 未だ、七海の副作用は反応を示さない。

 

 攻撃動作が完了していないからか、否。

 

 その一撃を放つのに、一切の時間がかからないが故。

 

────────穿空紅月(センクウコゲツ)

 

 其れは、テレポーターを用いる斬撃、赤花と突き技である姫萩を組み合わせた連携技。

 

 転移した瞬間、最高速度で姫萩を放つ転移斬撃ならぬ転移刺突。

 

 その一撃は確かに、七海の胸を貫いていた。

 

 代価として、己の胸を彼の刃にて穿たれながら。

 

「ぐ、やられたな。まさか、土壇場で回避を捨てて相打ち狙いに切り替えるとは」

 

 間違いなく、双方共に致命傷。

 

 しかし、龍神は晴れやかな顔で七海を称賛した。

 

 今の瞬間、七海は攻撃が回避不能だと判断すると即座に回避動作を停止し全力で迎撃(カウンター)を放つ選択をしたのだ。

 

 そうする他ない程龍神の一撃は鋭く、また行動に移れたタイミングも紙一重であった。

 

 もし、どちらかの判断が刹那でも遅れていればこの結果には至らなかっただろう。

 

 それだけ、ギリギリの戦いであった。

 

「そちらこそ、まさか生駒旋空を使えるとは思っていませんでした。俺もまだまだですね」

 

 同様に、七海もまた龍神の健闘を称賛する。

 

 どちらも、全力を尽くした結果。

 

 悔いが無いとは言わないが、満足する戦いは出来た。

 

 それだけで、彼等にとっては充分だったのだ。

 

「「次は、負けない」」

『『トリオン供給機関破損。緊急脱出(ベイルアウト)』』

 

 二人の啖呵と同時、機械音声が双方の脱落を告げる。

 

 仮想の戦場にて雌雄を決していた二人は、同時撃破────────────────引き分けという結果を以て、戦いの幕を閉じたのだった。



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クロスランク戦EX/×厨二なボーダー隊員Ⅶ

 

 

「成る程、確かにこれは夢の世界以外有り得んな。如何に俺といえど、こんな光景は見た事がない」

「ああ、俺も最初はびっくりしたよ。ライ先輩の説明がなければ、途方に暮れていたと思う」

 

 龍神の言葉に、七海はそう言って同意する。

 

 今、彼等がいるのは先程までいた仮想の戦場でも、如月隊の隊室でもない。

 

 見渡す限りの、黒。

 

 果てなき漆黒の闇の中、光の道が遥か先まで続いている。

 

 二人は、そんな光の道の中途────────────────七海が龍神に出会う直前に入った、不可思議なドアの前に立っていた。

 

 無論、自発的に来たワケではない。

 

 試合が終わった次の刹那、気付けばこの場に立っていたのである。

 

 細かい理由や理屈を考えても、恐らく意味はないだろう。

 

 此処は、()()()()()なのだろうから。

 

「まあ、突然別れるよりはマシな状況ではある。流石に試合をして何の言葉も交わさず終わり、では寂しいからな」

「そうですね。俺も、このような機会が出来た事は僥倖だと思っています。今回は────────」

「待て待て、俺達は既に全力でぶつかり合った戦友(とも)だろう? 性分かもしれないが、少しは砕けた口調になっても良いんじゃないか? 見たところ、同い年だと見たが?」

 

 丁寧に謝辞を告げようとした七海に対し、龍神はそう言って笑う。

 

 そういえば、先程龍神は自分は17歳だと言っていた。

 

 彼の前に邂逅した加山は年下、ライは年上だった為、思えば今回出会った者の中では唯一の同年代となる。

 

 龍神の立ち振る舞いからなんとなく年上相手のような感覚で接していたが、確かに彼の言う通り同年代からあまり畏まって接されるのもやり難く感じるかもしれない。

 

「分かった。正直同年代の男子と接する機会が多くないから希望通りにはなれないかもしれないが、俺なりに遠慮を抜きに話させて貰うよ」

「それで構わん。別に、何から何まで無礼講にしようというワケじゃない。ただ、折角戦ったのにいつまでも他人行儀では寂しいと思ってな。もう会う機会もないだろうから、腹を割って話したかったという理由もあるがな」

 

 そう言って、龍神はニヤリと笑う。

 

 龍神とて、こう話しただけで七海が自分の良く知る友人達のような態度になるとは思っていない。

 

 これまで話して来た結果として、龍神は七海の性格をクソが付く程生真面目で誠実な人物のそれであると理解している。

 

 加えて、良く知らない相手との会話はどちらかといえば不得手であるようだ。

 

 コミュニケーション能力に若干の難がある相手との接し方については、ベクトルこそ違うが自隊のオペレーターで慣れている。

 

 そういう相手に自分と同じやり方の対人の振る舞いを強要するのは無理があるし、そもそも龍神としては必要以上に固くなって欲しくないというだけだ。

 

 相手が妥協をしてくれているのだから、此処はこちらが合わせるべき所だろう。

 

 太刀川相手でもあるまいし、やりたいようにやらせるのが一番良い。

 

 自分はただ、もう会う事はないだろうこの異邦人と親交を深めたいだけなのだから。

 

「しかし、感知痛覚体質だったか。中々に戦闘向きな能力を持っているとは思ったが、あそこまでとはな。正直、これまで戦った誰よりもある意味戦い難かったぞ」

「誉め言葉として受け取っておくよ。えっと、如月と呼ばせて貰って良いかな」

「無論構わん。好きなように呼ぶがいい」

 

 龍神としては名前の方で呼んで欲しかったが、これまでの話を聞くうちに七海は基本的に相手を名字呼びする事が殆どであると理解している。

 

 彼の話を聞いているうちに、誰かの名前を呼んだ時にそうだったからだ。

 

 例外は彼の恋人でもある那須くらいで、彼女だけは名前を呼び捨てで呼んでいる。

 

 恐らく、これは彼なりの那須とその他の人物を区別する区切りのようなものなのだろう。

 

 それ以外の人物に対してはチームメイトですら名字呼びやさん付けであり、彼の癖のようなものであると理解出来る。

 

 ちなみに、小夜子に関しては彼女の二人きりの時以外は名前で呼ばないという約束を徹底している為、那須以外の例外について龍神が気付く事はなかった。

 

 まあ、気付いていてもそういう事に疎い龍神は「何か理由があるのかもしれんな。詮索は止めておこう」くらいにしか思わないだろうが。

 

「じゃあ、如月。君も、相当な使い手だった。まさか、あそこまで旋空を使いこなせる相手が太刀川さんや生駒さん以外にいるとは思わなかったよ」

「あのくらい出来なければ、太刀川を倒すなど夢のまた夢だ。俺は、必ず太刀川を倒さなければならんからな」

「何度も挑んで、一度も勝てていなかったんだったか。君くらいの腕があれば、一本くらい取れてもおかしくなさそうだけど」

「悔しいが、事実として全敗だ。無論、それは諦める理由にはならない。太刀川を地に伏させるまで、俺の挑戦が止む事はない」

 

 何処か悔し気に拳を握り締めながらそう零す龍神に対し、七海は何処か違和感を持った。

 

 太刀川は、確かに一位の名に相応しいA級最強の剣士だ。

 

 その実力は他とは隔絶しており、並の剣士では万が一も有り得ない。

 

 彼に師事した七海はその力の程を充分過ぎる程知っており、太刀川に勝ち越す事がどれだけの難行であるかも理解している。

 

 しかし、だからといって龍神が()()()()()()()というのはおかしい。

 

 ハッキリ言って、龍神は並の、などという言葉が当て嵌まる剣士ではない。

 

 高い旋空使いとしての技量に、立ち振る舞いの迷いのなさ。

 

 そして道化を振る舞い(えんじ)ながらも物事の本質を見抜き、冷徹に的確な判断を下せる洗練させた思考。

 

 それらを鑑みても、太刀川から一本たりとも取れていない、というのはおかしい。

 

 聞けば、彼は影浦相手に勝ち越すまではしないもののこれまでの間にそれなりの数の黒星を挙げているという。

 

 影浦相手にそこまで戦える龍神が、太刀川に()()は負け越しているのはどうにもおかしい。

 

 何か、理由があるのではないか。

 

 そうは思ったが、同時にこれは自分が関わって良い問題ではない事も察していた。

 

(気にはなるが、これはきっと俺が踏み入って良いようなものじゃない。あまり、他者の物語(じじょう)に介入すべきではないからな)

 

 薄々と、これがデリケートな問題である事に七海は気付いている。

 

 その上で、あくまでも部外者である自分に立ち入る資格はないと判断した。

 

 これはきっと、彼の世界に生きる人々が解決すべき問題だ。

 

 完全なる第三者の自分が手を出したも、良い結果になるとは思えない。

 

 だったら、自分が言うべき事は。

 

「君なら、きっとやれるさ。太刀川さんは強いけど、無敵じゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からね。きっと、君にだって勝ちの芽は充分にある筈さ」

「────────そうか」

 

 ただ、当たり前の事実を突きつける事だけだ。

 

 太刀川は、確かに強い。

 

 しかし、ミスを一切しないというワケでもない。

 

 ただ、素の技量と機転の鋭さ、極限まで鍛え抜かれた集中によって多少のミスは力業でカバー出来ているに過ぎない。

 

 彼は四万以上というおかしな桁のポイントを保持しているが、あれは太刀川が大学の単位すらそっちのけにしてランク戦ブースに入り浸っている結果に過ぎない。

 

 つまり、太刀川は確かに最強クラスの使い手ではあるが、一切の黒星がないかと言われればそんな事はない。

 

 無論早々彼が負ける事態には成り得ないが、同時に絶対無敵の存在というワケでもない。

 

 故に、あとは地道な鍛錬と気持ちの持ちよう次第である。

 

 少なくとも、大抵の相手よりは余程太刀川を一騎打ちで討ち果たす可能性があると七海は見ている。

 

 先程見せた生駒旋空もそうだし、彼の剣は可能性の塊だ。

 

 何をして来るか、全く予想がつかない。

 

 そういう意味で、龍神は確かな格上殺し(ジャイアントキリング)の素質がある。

 

 どんな実力者だろうと、本当の意味で初見殺しが通じない相手は稀だ。

 

 通じていないように見えるのは、彼等がその有り余る才覚と地力を用いて強引に隙をカバーしているだけに過ぎない。

 

 どれ程勝てない相手に思えたとしても、必ず何処かに攻略法は存在する。

 

 その事を、七海は迅との戦いで学んでいる。

 

 故に、出来る筈だと。

 

 七海は、自信を持ってそう告げた。

 

「────────そうか。お前は、無謀だとも無茶だとも言わないのだな」

「ああ、むしろ無謀でも無茶でも手を伸ばさなければその先に至る可能性自体ないからな。だから、無茶無謀は当たり前だ。その上で、持てる力を全てぶつければ良い」

 

 それに、と七海は笑う。

 

「格上殺しは、達成感が半端ないからな。あの爽快感を知る為にも、努力を続ける事をお勧めするよ」

「成る程、確かにそれは通りだな。捕らぬ狸の皮算用はしないと決めているが、モチベーションの為ならば幾らでも狸の皮を剥ぐ算段をしてみても良さそうだ。安心しろ。空想に浸る(かっこいい)事は得意だ」

 

 そう言って、龍神はニヤリと笑みを浮かべる。

 

 太刀川を超えた、()

 

 言われてみれば、太刀川を倒すという目的ばかりが先行してその後の事など考える機会はなかった。

 

 しかし、彼の言う通り目標達成の快感には興味がある。

 

 長年の(精々数年だが)目的が達成されたその時、自分は何を思うのか。

 

 確かにそれには、興味がある。

 

 やっと倒せたとはしゃぎ回るのかもしれないし、もしくは燃え尽き症候群に陥る可能性もゼロではない。

 

 後者にならない為にも、()()()()()()を定める事は重要だろう。

 

(それに、さっきの生駒旋空────────────────()()()()()? 確かに興味を抱いて生駒さんに生駒旋空の事を聞きに行った事はあったが、実現には至らなかった筈だ)

 

 加えて、先程何故か使えてしまった生駒旋空という気がかりもある。

 

 元々旋空使いとして、生駒旋空には興味を抱いていた。

 

 自分にも出来ないかと生駒を訪ねてやり方を聞き、試した事もある。

 

 その時は、何度やっても手応えすら掴めなかった。

 

 最初から出来ないと思い込んでいた節もあるとはいえ、何の成果も得られずに終わったあの出来事は龍神にとって苦い経験だ。

 

 それ以降、思い出したように生駒旋空の練習をしても、具体的な手応えを掴む事は出来なかった。

 

 だというのに、今回の試合で龍神は「出来る」という()()を抱いて生駒旋空を使い、成功させてしまった。

 

 それがどれだけおかしい事なのかは龍神自身理解している。

 

 きっと、何か裏がある。

 

 龍神は、そんな気がしてならなかった。

 

(こっちについては、慌てても仕方あるまい。念頭に置いた上で────────────────と、そういえば此処での記憶は残らないんだったか)

 

 そこで、この場での記憶は恐らく残らないだろうという七海の話を思い出した。

 

 ならば、此処での会話に意味は無い────────────────とは、思わない。

 

 たとえ記憶に残らずとも、自身に刻んだ誓い(おもい)は消えない。

 

 龍神はそう信じているし、七海もそれは同じだろう。

 

 そうでなければ、このような交流などするまい。

 

(いや、そんな事はどうでもいいな。折角出会う事の出来た友人との別れに、水を差したくはない。理由など、その程度で充分だ)

 

 否、逆だ。

 

 だからこそ、この奇跡のような出会いを大切にする。

 

 そこに大きな理由はなく、強いて言えば「そうしたいと思ったから」だ。

 

 自分の問題だとか、今後の課題だとか、そういった事とは別に。

 

 ただ、得難い友人との一時を大切にしたい。

 

 龍神は心底から、そう考えていたのだから。

 

「しかし、楽しかったぞ。摩天楼ステージは前々から目を付けてはいたが、中々戦う機会がなくてな。今回は存分に堪能出来たし、今後も定期的にやってみるつもりだ」

「チームランク戦では、中々選ばれる事が少ないMAPだからな。その気持ちも分かる気がするよ。正直な話、ビルの合間を駆け抜けるのは気持ち良いからな」

「そのあたり、那須と似ているんだな。ああいった場で跳び回る快感は理解出来るし、当たり前か」

 

 ああ、と七海は頷く。

 

「玲も俺も、戦い易い地形は割と似てるからな。あのMAPで戦った荒船隊と柿崎隊相手には、コールドゲームが出来たし」

「確かにあのMAPでお前がエースを務める那須隊を相手にすれば、そうなるだろうな。荒船隊そのものが、お前とは相性が悪いワケだし」

 

 荒船隊は、三人全員が狙撃手という異色の部隊だ。

 

 隊長の荒船だけは弧月のマスタークラスでもある為近接にも対応可能だが、他二人は純粋な狙撃手である為接近を許せばそのまま落ちるしかない。

 

 しかし狙撃手三人体勢という構成は地形によっては鬼のように強く、MAP次第ではワンサイドゲームにもなりかねないチームである。

 

 だが、狙撃無効の七海相手にはその強みが死ぬどころか発見次第確定で落とされるのだから、相性が悪いどころの騒ぎではない。

 

 その上で七海が動き易い上下に広く複雑な地形の摩天楼で戦えば、結果を火を見るより明らかだろう。

 

 余程の策がなければ、自分とてチーム戦で七海相手にこのMAPを選ぶのは御免被る。

 

 それだけ、立体的なMAPと「自分が点を取る必要性が薄い」七海という組み合わせは厄介極まりないのだから。

 

「ああ、荒船さんにも散々愚痴られたよ────────────────さて、名残惜しいけどそろそろ行かなくちゃ。今回は、本当に楽しかった。また、機会があれば戦ってみたいよ」

「それはこちらの台詞だな。確かに個人戦では引き分けに終わったが、俺の隊が仕上がった時には是非ともチーム戦でお相手願いたい。まあ、あいつらが出来上がるまでには相当時間がかかりそうだからすぐには無理かもしれんがな」

「それなら、幾らでも待つさ。そもそも、もう一度会えるかどうかすら分からないんだ。なら、少しくらい都合の良い期待をしたってバチは当たらない筈さ」

「違いない」

 

 二人は顔を見合わせ、笑い合う。

 

 次、などというものが恐らくないであろう事は、七海も龍神も承知している。

 

 けれど、湿っぽい別れのシーンは彼等にはそぐわない。

 

 別れるのならば、後腐れの無い笑顔で。

 

 既に二人は、言うまでもなくそう決めていたのだから。

 

「じゃあな、如月。また会える日を楽しみにしてる」

「ああ、じゃあな七海。俺も、再び会える日を楽しみにしているぞ」

 

 それが、最後。

 

 二人は共に背を向け、己の在るべき世界へと帰っていく。

 

 七海は、綴り切った物語の先の未来へ。

 

 龍神は、彼の未来を決める運命の一戦が待つ世界へ。

 

 淀みない足取りで、歩んで行った。

 

 

 

<クロスオーバーランク戦EX/×厨二なボーダー隊員~終~>



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厨二コラボを終えて/徒然語りⅡ

 

 さて、全7話の厨二コラボもこれにて終幕となります。

 

 まずは、キャラの使用許可を頂いた龍流さんと此処まで見て下さった読者の方々に感謝を。

 

 私は読者に過度に媚びを売る事はしませんが、かといって読んで下さった方々への感謝は忘れておりません。

 

 自身の信条に従いアンケートで展開を決めたり「~方が良かった」といった要望は一切受け付けませんが、作品は読者あってのものである事はきちんと理解しております。

 

 ですので、評価を貰えれば喜びますしきちんとした感想には可能な限り返信します。

 

 基本的に創作というのは自分の書きたいものを書いてナンボだと思っているので、このあたりの方針は一切変えるつもりはございません。

 

 無理をして読者の意見通りの展開に舵を切れば、それは私の物語とは言えなくなります。

 

 当然そうなればクオリティやモチベーションも下がる為、そういった展開の是非に対する要望は一切受け付けない事にしております。

 

 これが商業作品であれば話はまた別となりますが、私の創作はあくまで趣味の範疇にあるもの。

 

 私の創作者としての矜持のようなものなので、ご理解下さい。

 

 それはそれとして評価は欲しいし感想も貰いたいと思っていますがネ。

 

 さて、前置きはこのあたりで良いでしょう。

 

 まず、この厨二コラボを描くに至った経緯からお話するとしましょう。

 

 前回のクロス企画で話した通り、他のワートリ二次とのコラボ企画については前々からやりたいと考えておりました。

 

 その念願は前回のクロス企画で叶った事になるのですが、私にはもう一つ前々からやりたかった事があったのです。

 

 それは、たつみーこと如月龍神を私の手で描く事。

 

 これに尽きます。

 

 ご存じワートリ二次創作のバイブル、「厨二なボーダー隊員」は当然履修済であり、同じコミュニティに所属しているので作者の龍流さんとも既知の間柄でした。

 

 なのでクロス先として真っ先に厨二は候補に挙がっていたのですが、ここで問題が一つ。

 

 「厨二なボーダー隊員」の主人公、如月龍神の率いる如月隊の彼以外の隊員の()()です。

 

 これを読んで下さっている時点で既にネタバレはOKと認識していますのでお話しますが、たつみーのチームメイトは原作でも登場した「C級三馬鹿」の三人組です。

 

 「厨二」では彼等は原作とは異なりたつみーが鍛え直した結果B級となり、彼の部隊に入っています。

 

 当然ながら原作の未熟極まりない状態からは脱しており、立派な戦力となってはいるのですが、あくまでもB級成り立ての練度であり上位はおろか中位チーム相手にも個人の戦力では見劣りするのが現状です。

 

 勿論、更なる成長を作品の中で重ねていくのでしょうが、現在はまだ彼等はB級下位には勝てるが中位以上の相手には1対1でガチると少々厳しい程度の実力しか持っていません。

 

 幾らたつみーが旋空の名手でボーダーの実力者達から一目置かれる程の存在とはいえ、前回のコラボ先の「REGAIN COLORS」の紅月隊はA級に一度上がった程の部隊であり、自作の那須隊はA級に昇格した部隊です。

 

 たつみー個人の戦力はともかくとして、他三人の練度を考えると現時点の如月隊でこの二部隊の相手をするのは厳しいという見解で龍流さんとも意見が一致しました。

 

 勿論これから先如月隊が成長していけばこの二部隊とも充分戦える部隊となるのでしょうが、あちらの本編で未だそれが描写されていない以上、こちらでそれをするワケにはいきません。

 

 なので泣く泣く厨二とのチームランク戦コラボは諦め、あの三作品によるクロスとなったワケです。

 

 最初から龍流さんと星月さん、丸米さんのうち許可の頂けた方の作品のみを参加させようと思っていたのですが、結果として全員に快く許可を頂けたのは望外の幸運でした。

 

 そんなこんなでチームとしての如月隊とのコラボは一時諦めたのですが、「それなら個人戦でコラボしたい」と思い至り、打診した結果OKが出たので開催に踏み切った次第です。

 

 前述の通り今現在の如月隊はたつみー以外の練度が少々足りないのですが、逆に言えば如月だけはB級としても上位に位置する実力を誇っています。

 

 なので、集団戦特化型のうちの主人公との対決ならば充分成り立つと考え、マッチングを決めました。

 

 今回もまた、下書きは全て私の手で仕上げ、それを龍流さんに手直しして貰ってから投稿する、という形にしておりました。

 

 最初の二話くらいは私の解像度が甘かった為結構修正が入ったのですが、本格的な戦闘に突入してからは殆どリテイクなしでいけた為、良いものを描く事が出来たと満足しています。

 

 ちなみにMAPが摩天楼なのは、「たつみーが個人戦をするなら此処だろう」と一瞬で決まりました。

 

 チームを率いる責任も関係なく、ただ相手と戦いたいという欲だけで試合に臨むのであれば、あのステージは如何にも好みそうとシミュレートの結果出たので即断です。

 

 摩天楼ステージは私のオリジナルMAPではありますが、その中でも特にお気に入りの地形なのです。

 

 煌煌と輝く摩天楼、というのは戦闘シチュとしてとても見栄えが良いですから。

 

 たつみーの趣味にも合致すると考え、ああなりました。

 

 あちらの本編でも深夜のバトルフィールドを選んだりしていますし、たつみーの趣味はそっち系だろうなと思っておりましたので。

 

 ちなみに、たつみーは厨二本編最新話付近の時間軸から夢という形でお越し頂いております。

 

 詳しい説明(ネタバレ)は省きますが、生駒旋空が使えたのはそれ関係です。

 

 勿論、こちらの説明についてはストーリーの中では可能な限りぼかしました。

 

 精々匂わせる程度の描写に留め、気になる人は厨二を見てね、という塩梅になるように調整したつもりです。

 

 このあたりは龍流さんとの協議の末決めた事ですので、ご了承を。

 

 試合の内容についてですが、最初からたつみーの「技」に関しては「壱式」から「八式」まで数字の順番通りに使わせ、その後で「穿空虚月」及び奥の手の「枳殻」を使用させる、という縛りを設けました。

 

 折角数字の名を冠した技なので、そちらの方が見栄えが良いと思ったからです。

 

 きのこ病の重度罹患者として、ああいう技名叫びながらの攻撃というのは大好物なので、そういう意味でのたつみーは前々から書いてみたかったのです。

 

 うちの子は基本戦闘中は無言スタイルなので、対照的とも言えるたつみーを書くのは楽しかったです。

 

 旋空とグラスホッパー、テレポーターまで装備しているので、立体的な機動も存分に描く事が出来ましたし、旋空のバリエーションが多いので書いていて飽きませんでした。

 

 流石龍流さんの主人公、良いキャラをしていますね。

 

 ちなみに作中で出した「毒尾・蹴式」と、「旋空紅月」は私のオリジナル案です。

 

 それを龍流さんが黙認したという形となりますので、こちらがあちらに逆輸入されるかは未定です。

 

 まあ、「毒尾・蹴式」はただの足スコーピオン、「旋空紅月」はテレポーターを使用した姫萩なので、後者はともかく前者は既に作中でも使用しているといえば使用しているので、逆輸入も何もありませんが。

 

 「旋空紅月」は「赫灼・穿空虚月」と二択で迷いましたが、「穿空虚月」のセンスを見る限りたつみーの趣味はこっちかなと思いまして。

 

 同じ読み方で別の漢字を使う方が好きそうだな、と。

 

 私もそういうの大好きですが。

 

 元々厨二には理解があるというかどっぷりな私なので、こういうアイディアには事欠かないのです。

 

 さて、試合の方ですが、七海がビルの下階層に爆弾を仕掛けまくったのは、囮に釣られて入って来たたつみーをビルの中で瓦礫の生き埋めにする為です。

 

 ぶっちゃけ、七海はたつみーは素直に下から来るか屋上から乗り込んで来るかのどちらかだと踏んでいました。

 

 七海としては下から来るようなら即座に爆弾を起爆させ、屋上から来るようなら下層へ逃げ込み誘い込んでからの起爆とするつもりでした。

 

 本編中の展開は、後者の展開へと舵を切った結果となります。

 

 しかし七海の予測に反してたつみーはピンポイントで彼のいる階層にエントリーして来た為、当初の予定からはかなり外れた展開となっています。

 

 論理として相手の行動を予測していても、たつみーの「格好良く乗り込みたい」という拘りまでは見通せなかったというワケです。

 

 七海は論理的な先読みは得意ですが、そこに感情が絡むと余程親しい相手以外の行動を読むのは難しくなります。

 

 作中で王子に指摘されている通り、そのあたりが七海の弱点ではありますね。

 

 だからこそ、前回のクロス企画で心理戦のエキスパートである加山くんに散々してやられたのですし。

 

 そんな七海ですが、あのヴィザ翁を乗り越えた経験は伊達ではありません。

 

 作中でマンティスの個人戦での優位点を解説しましたが、ぶっちゃけマンティスって個人戦ですと集団戦と比べてかなりリスクが軽減されるんですよね。

 

 マンティスはご存じの通り両攻撃(フルアタック)状態になるので、影浦や七海のうような回避系の副作用を持っていても迂闊に使えば奇襲や不意打ちで隙を突かれます。

 

 攻撃を察知出来るのと、それに完璧に対応出来るのとでは別問題ですからね。

 

 しかし個人戦であれば「第三者の介入」が存在しない為、隙の多いマンティスも比較的低リスクで使用出来るワケです。

 

 それを承知の上でリーチを生かした攻撃を繰り出したワケですが、たつみーも黙ってやられるばかりではありません。

 

 旋空の名手だけあって、その発射速度も相当なものです。

 

 今回は七海の攻撃の緩急を見極め、隙を突いて居合いで迎撃した形となります。

 

 最新話付近のたつみーであれば、それも出来るだろうとの判断です。

 

 その後の下層へ逃げる七海を追撃してからのビル爆破、倒れるビルを足場にした三次元戦闘は最初からやると決めていた展開でした。

 

 並び立つ高層ビルと、トリオン10の炸裂弾(メテオラ)

 

 これが揃っているのですから、やらない理由がありません。

 

 チーム戦ならば下手に障害物を壊しまくるのは下策ですが、今回は個人戦。

 

 普段のようにチームメイトにトドメを任せる事が出来ない分、七海は個人で相手の隙を作り出してそれを突く必要がありました。

 

 なので持てる技能をフルに使い、たつみーに挑んだワケですね。

 

 また、何気にメテオラの置き弾というのは初めて使った気がします。

 

 ギミックとしての置きメテオラはともかく、アステロイドやハウンドのように置き弾として使う描写はこれまで描いて来ませんでしたので。

 

 ですが射撃トリガーである以上当然置き弾は使えますし、実は置きメテオラは置き弾として設置したメテオラそのものなので、特段難しい技術というワケでもないです。

 

 まあ、キューブを狙われれば起爆するという欠点があるので危険度は高いですが、そのリスクも個人戦であればある程度目を瞑れるので遠慮なく使わせて頂きました。

 

 そして満を持して使用した穿空虚月は、最初に敢えて未完成状態の「姫萩」を見せる事で油断を誘い、この一撃を本命とするという目論見がありました。

 

 それが凌がれたのは七海自身の成長に加え、前回のクロスでライくんが似たような事をやっていて既視感があったからです。

 

 加えて回避の難度自体は紅月旋空の方が上なので、経験を活かす形で回避に成功したワケです。

 

 そしてその後、即座に泥試合を選択したのが七海が七海たる所以ですね。

 

 基本的に彼は戦いに置いては手段を選びません。

 

 ルールの範疇であれば、何をしようと最終的に勝った方が勝利者となる。

 

 この意識は、徹底しています。

 

 また、たつみーも趣味では無いとはいえその思考自体には理解があります。

 

 彼はああ見えてかなりの頭脳派なので、そういったシビアな側面もしっかり分かっているので、それを否定する事はありません。

 

 自分の主義主張を押し付けるだけでは、戦いに勝つ事など出来ませんからね。

 

 しかし、迂闊にテレポーターを使えば対応されかねない以上、離れた場所から一撃を加える以外に方法はありません。

 

 されど、自分にはその為の手段が無い、と追い込ませて、無意識の内に生駒旋空の再現が出来た、という流れです。

 

 こちらも詳しい説明は致しませんので、気になる方は「厨二なボーダー隊員」の方をお読み下さい。

 

 さて、奇跡の一撃で七海の足を削る事に成功したたつみーは、七海が次の手に移る前に勝負を決めに行きました。

 

 彼の足の切断に成功した以上、七海が脚部をスコーピオンで補填すると見越した上でその隙を突いたのです。

 

 足スコーピオン自体は木虎が使うのを見ているので、当然その可能性には思い至っており、だからこそ七海の動きを予測出来たんですね。

 

 そこで選択したのが、テレポーターを用いた旋空「赤花」の発展技、「旋空紅月」ですね。

 

 「赤花」の派生なので「赤→紅」「虚ろな月(虚月)→紅い突き→紅月」となったワケです。

 

 七海の副作用(サイドエフェクト)は、攻撃が開始して初めて感知が作動します。

 

 なので、テレポーターでほぼゼロ距離に転移されて攻撃を受けた時点で、七海は回避も防御も不可能だと判断。

 

 相打ち狙いに切り替え、捨て身の反撃でダブルノックアウトに持ち込んだワケです。

 

 最後の刹那の邂逅は、試合前に既に会話していた事もありあっさり終わらせました。

 

 多少の匂わせはしつつ、具体的な介入をしないのはこちらも同様。

 

 とにかく、書きたい事は大体書けたかな、と思います。

 

 楽しくたつみーを描く事が出来たので、個人的にも大満足です。

 

 では、コラボ先の龍流さんからコメントを頂いておりますので、そちらを紹介して締めと致します。

 

 今回の企画を楽しんで頂けたのであれば、何よりの喜びです。

 

 今後も暫くはAfter等を書きつつ次回作の準備を進めて参りますので、どうぞよしなに。

 

 

 

 

 ・「厨二なボーダー隊員」作者/龍流さんより

 

 今宵の祭りの場所はここか?(厨二なボーダー隊員作者の龍流と申します)

 

 死をも喰らう使者が運ぶ漆黒と純白の饗宴(今回、ありがたいことにデスイーターさんから申し出をいただき、厨二なバカがこちらの作品にお邪魔させていただく運びとなりました)

 

 世界の引き金を紡ぐは、撃鉄。弾丸は流麗なる火の花と共に加速し、我らが敵は痛みを識る(私は原作ワートリの作品はとりあえず大体読むので、痛みを識るものも読者として楽しませていただいておりました。ランク戦を一から丁寧に描ききり、神田が在籍していた頃の弓場隊や独自ルールを採用した合同訓練パートなど、本作独自の魅力が目白押しです)

 

 鋼鉄の意志は、物語を集結へと導く(特に、本作は大規模侵攻編を一つのゴールに据えた上で、そこを物語の区切りとして、きれいに完結しているのがとても印象的でした。どこで区切ったものか頭を悩ませることが多いワートリ二次の中で大規模侵攻編を一つのゴールに据えるのは、一つのスタンダードとして定着するのではないか、などと勝手に思っております。また、作者であるデスイーターさんの更新速度というか、速筆っぷりが尋常ではなく、同じ作者として尊敬するばかりです)

 

 名残惜しくも、今夜の舞台はこれにて閉幕(とても大切に龍神というキャラクターを書いていただいて、私もとてもうれしかったです。ここまで読んでくださった読者のみなさんに、感謝を!)

 

 ありがとうございました!



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