不思議の墳墓のネム (まがお)
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番外編 パンドラの箱


まずはユグドラシル編(本編)の方を先にご覧下さい。
こちらは時系列や本編との繋がりもあんまり考えていない、完全な番外編です。


 モモンガとナザリックがこの世界に転移してから何百年という年月が経過した。

 この先もナザリックはあり続け、この世界は永遠に続く――

 ――誰もがその事に疑問を思っていなかったが、突如として世界は崩壊の危機を迎える。

 

 

「……我はついに蘇った。今度こそ我が悲願、叶えさせてもらおう!!」

 

 

 かつて最初にこの世界の理を穢した元凶。

 竜王(ドラゴンロード)を超える最強の竜――竜帝が蘇り、この世界に牙を剥いた。

 竜帝はこの世界に生きる、ありとあらゆる生物の魂を無差別に喰らい、自然すらも破壊しながらその力を日に日に増していった。

 竜帝の目的はこの世界を喰らい尽くし、蓄えた魂を使って新たな世界へ渡る力を手に入れる事。

 

 

「このままではこの世界ごとナザリックが滅ぶか…… 皆よ、竜退治に出掛けるぞ。アインズ・ウール・ゴウンの栄光と存続を懸けた、大冒険の始まりだ!!――」

 

 

 それを知ったモモンガはナザリックの総力をかけて挑んだ。

 しかし、どれ程の数を揃えようが、召喚したモンスター共々NPC達はほぼ一撃でやられてしまった。

 そしてモモンガと共に最後まで戦った守護者達も、尽くが竜帝の力の前に敗れ去っていく。

 この世界の真なる竜王達が使う恐るべき魔法――始原の魔法(ワイルドマジック)

 それすらも超えた竜帝の使う魔法――世界魔法(ワールドマジック)

 世界魔法の唯一の使い手である竜帝には、ナザリックのレベル百のNPCが力を合わせても手も足も出なかった。

 

 

「くっ、ここまでか……」

 

「お前を守る者はもういない。終わりだ、ぷれいやー」

 

 

 全身の骨が砕け、地に伏したモモンガを見下ろす巨体。

 抵抗する術を失ったモモンガの眼前に、竜帝のトドメの一撃が迫る。

 並の魔法では防御も出来ない全属性複合ブレス――モモンガは避けることも出来ず、その破壊の奔流に呑み込まれた。

 

 

 

 

 明るいような、暗いような不思議な感覚。

 自分が立っているのか、浮かんでいるのか、天地すらもあやふやな世界。

 

 ――モモンガ、モモンガ……

 

 自分の事を呼ぶ懐かしい声が聞こえる。

 閉じる瞼などなかったはずだが、それを開くように意識すると、途端に目の前の光景が鮮明になった。

 

 

「――君は…… ネム、なのか?」

 

「そうだよ。一緒に沢山遊んだモモンガの友達――ネム・エモットだよ」

 

 

 自分の目の前でニコニコと笑っているのは、少女の姿をしたネム。

 どういう事だろうか。彼女はとうの昔に天寿を全うしたはずだ。

 だが、今見ているこの姿は、自分とネムが初めて出会った時のままだ。

 

 

「俺もいますよー、モモンガさん」

 

「ペロロンチーノさん!? 貴方までいるんですか!?」

 

 

 そしてその横から現れたのは、黄金の鎧を纏ったバードマン。

 ギルドメンバーのペロロンチーノだった。

 

 

「幼女がいるんだから俺がいるに決まってるじゃないですか」

 

「ペロロンチーノという理由だけで押し通すのやめて貰えます?」

 

「モモンガさん、褒めたって何も出ませんよ。あっ、エロゲなら貸しますけど?」

 

「……ふふっ、相変わらずですね、ペロロンチーノさん」

 

「俺はいつだって『エロゲーイズマイライフ』ですから!! それより、ネムちゃんが話したい事あるみたいなんで、俺は少し黙ってますね」

 

 

 自分の記憶と完全に一致するペロロンチーノの挙動と言動。

 本当に懐かしいやり取りをした後、待っててくれていたネムに向き直る。

 

 

「久しぶりだね、モモンガ」

 

「ネム…… あぁ、本当に久しぶりだ。何百年ぶりかな…… ここは死後の世界なのか?」

 

 

 死んだはずのネムがいる。何故かあの頃の装備を着けたペロロンチーノがいる。

 その二つの理由から、少しだけ確信を持って問いかけた。

 

 

「さぁ? もしかしたら、ここはモモンガの見てる夢かもしれないよ」

 

 

 しかし、ネムは可愛らしく首を傾げるだけだった。

 ネムが子供の姿でいるのだから、確かにそうかもしれない。

 どちらにしろ今の自分には確かめようもない。そしてその必要もない。

 

 

「モモンガはどうしてここに?」

 

「……私は竜帝と戦って、最後の一撃をくらって死んだ――はずだ……」

 

「モモンガは消えちゃうの?」

 

「さぁ、今の私はどうなっているんだろうな? でも、こうして久しぶりに友達に、ネムに会えたんだ。こんな終わりも悪くない……」

 

 

 本当に心からそう思う。

 自分は随分と長く生きた。アンデッドに生きるという表現が適切かは怪しいが、確かに自分はあの世界を何百年と冒険し続けた。

 良い奴もいれば悪い奴もいた。面白い奴も、面倒な奴もいた。そんな出会いと別れを繰り返しながら、NPCと協力してナザリックも維持し続けた。

 ――本当に楽しかったんだ。

 そんな自分が友が生きていた世界のために戦い、最後にかつての友と再会できたのだ。

 確かに負けたのは悔しいが、自分にとってこれ以上ない程贅沢な終わりだろう。

 

 

「それでいいの?」

 

「いいも何も、私はもう負けたんだ。無理だったんだよ」

 

 

 何かを確かめるように、懐かしい瞳が自分を見つめている。

 

 

「私はもう本気で戦った。私の魔法では竜帝を倒せない。どう足掻いても奴に勝つ事は出来ないんだよ」

 

「モモンガなら出来るよ」

 

「無理だ」

 

「出来るもん」

 

「無理なんだよ。ワールドエネミーに一人で挑むようなものだ。最初から勝てる可能性なんかなかったんだ」

 

 

 そうだ。奴は強すぎた。

 レベル百のプレイヤーが三十六人いても、勝てるかどうか怪しい。

 まさに世界級と言うべき強さだった。

 

 

「出来るもん!! 負けたならもう一回挑めばいいんだよ。それに一度負けたからって、次も負けるとは限らないよ!!」

 

「……くっくく、あははははっ!!」

 

「もう、笑っちゃ駄目だよ!! ……あははははっ!!」

 

 

 ネムも自分と同じ事を思い出したのか、二人して自然と笑いが溢れてしまった。

 

 

「ああ、懐かしいなぁ。でも、ごめんな。いくらネムに言われても、今回ばかりは無理だ」

 

 

 ――あー、俺も幼女に応援されたいだけの人生だった……

 おい、ペロロンチーノ。黙ってるんじゃなかったのか。

 そう自分の喉元まで出かかったツッコミを、ネムとの会話に集中して無理やりに飲み込んだ。

 

 

「むぅ、前はこれで頑張ってくれたのに……」

 

「残念だったな。私に同じ手は二度通用しないぞ」

 

 

 頬を膨らますネムの頭をそっと撫でた。

 あぁ、彼女と話す時間はいつも癒される。過度に気を使う必要もなく、居心地がいい。

 年齢に関係なく、やっぱり自分にはもったいない程の良い友達だ。

 ついでにペロロンチーノもいい友達だ。

 

 

「じゃあ特別に、今回だけ私がタレントでモモンガを助けてあげる」

 

「ネムにそんなタレントはないだろう?」

 

「いいからいいから。うーん、むむむ……えーいっ!! はい、これでモモンガに勝つ可能性が生まれたよ!!」

 

 

 ネムは突然体をギュッと縮め、それを解放するように自分に両手を伸ばしてきた。

 可愛らしい動きだが、特に何かが起こった訳でもない。

 

 

「おいおい、流石に……」

 

「可愛いは正義ですよ。この子が勝てると言ったら勝てるんです」

 

 

 キリッとした雰囲気を醸し出したペロロンチーノが、突然会話に乱入してきた。

 一点の曇りもない瞳で、この世界の真実を告げるように断言してくる。

 

 

「これで本当に勝てたらチートだな」

 

 

 何も変わった気がしない。でも何故だろう。

 もう一度だけやってみようと、立ち上がる気力が湧いてきた。

 

 

「そうだよ、ちーとだよ。タレントっていうのは何でもありだからね。私のタレントは『どんな可能性でも作り出せる』能力だよ」

 

「あっはっは!! つまりは不可能を可能にするって事か。ンフィーレアに負けず劣らずのチート能力じゃないか。ある意味超えているな」

 

「あくまで可能性だけどね。でも、だから私は夢の中でモモンガに会えた。だから私はモモンガとまた再会できた…… 私のタレント、間違ってないでしょ?」

 

「ああ、全くだ。ネムの考えは凄いな」

 

「えっへん。凄いでしょ。私の力はちーとなんだよ」

 

 

 その昔、自分がネムに教えた言葉を嬉しそうに連呼してくる。

 これは死ぬ間際に見ている走馬灯。もしくは既に死んだ自分が作り出した妄想かもしれない。

 自分が会いたかった友人達。彼らが優しく自分に語りかけてくる。

 ――あぁ、なんて都合の良い夢なんだろう。

 ネムがそんな生まれながらの異能(タレント)なんて持っていなかった事は知っている。

 でも、友達が背中を押してくれた事に違いはない。

 

 

「モモンガさん、イメージするのは常に最高の結末です。俺、バッドエンドとかより断然ハッピーエンド派なんですよ。バッドルートとかもプレイしますし、駄目じゃないんですけど、女の子が酷い目に遭うのは――」

 

「ペロロンチーノさん、もういいです。分かりましたから。」

 

 

 本当にどんな場所でもペロロンチーノは変わらない。いつも場を和ませようとしてくれる。

 

 

「はぁ、諦めていたのが馬鹿らしくなりましたよ…… ありがとう、ペロロンチーノさん」

 

「どういたしまして。頑張ってください、モモンガさん」

 

 

 偶に失敗して、姉であるぶくぶく茶釜さんに激怒されていたけど。

 自分にとってはそんな彼の姿も良い思い出だ。

 

 

「ネム…… 俺、もう一度だけ頑張ってみるよ」

 

「うん。頑張れ、モモンガ――」

 

 

 友達からこれだけの激励を受けたんだ。

 

 ――夢が覚めても、たとえ世界が違っても…… 私達は、ずっとモモンガの友達だよ。

 

 勝負を諦めて蘇生拒否などしていられない。

 もう一度やれるだけやってみよう――否、友達が出来ると期待する『モモンガ』に、敗北はありえない。そうだろう、ネム。

 さぁ、奴との決着をつけに行こうか――

 

 

 

 

 竜帝のブレスにより全てが消え去ったはずの大地。

 一度消滅したはずのモモンガは、その中心で再び立ち上がった。

 

 

「自動での蘇生…… アイテムか何かの効果か?」

 

 

 竜帝はモモンガが復活した事に対して首を傾げたが、大して驚いてはいない。

 他のプレイヤーから情報を得たのか、それとも似た効果のアイテムを知っていたのか。

 どちらにせよモモンガが復活した事は、竜帝にとって想定の範囲内だった。

 

 

「蘇ったところでどうするつもりだ? 過去のあいつらと違い、世界を冠する力を持たぬお前では、ぷれいやーと言えど我に勝つ可能性は皆無だ」

 

「随分とこちらの事情に詳しいじゃないか。確かに私にそんな職業(クラス)はない。だが、まだ手はある」

 

「ふむ、超位魔法でも使うのか? たとえ位階魔法を超えた力であろうとも、世界に干渉する事は出来ん。それにわーるどアイテムであろうとも、世界からの加護を持つ我には効かんぞ」

 

 

 竜帝はかつての経験から、プレイヤーの使う手口が粗方分かっていた。

 それ故に慢心とも取れる態度を崩さない。

 

 

「ふふっ…… クソ運営もふざけたアイテムを作った挙句に『世界の可能性はそんなに小さくない』とか言いきってたな……」

 

「お前何を…… この状況で何故笑える?」

 

「ふんっ、世界の加護だと? 笑うに決まっているだろう」

 

「世界の力を操る我に対抗する術など、お前にはないはずだが?」

 

 

 竜帝はモモンガを完全に圧倒して倒した。確かに一度は殺したのだ。

 しかし、何故か負けたはずのモモンガに諦めた様子が見えない。死ぬ前に見せた絶望の雰囲気がなくなっているのだ。

 先ほどまで死んでいたモモンガの余裕の理由が分からず、竜帝は僅かに苛立ちを見せる。

 

 

「今の私には友の加護がある。たかが世界如きに――私の友がくれた可能性が、負けるはずがない!!」

 

 

 だがその苛立ちも直ぐになくなる。

 竜帝には今のモモンガの言葉が、ただの虚勢にしか感じられなかった。

 

 

「くははははっ、死の恐怖でとうとう狂ったか。ぷれいやーよ、長きにわたって強者であり続けたお前は、いつの間にか自分に敗北はないと驕っていたのではないか?」

 

「私は驕ってなどいないさ…… 俺は今も昔もこれからも、何一つ変わらない」

 

「本気で言っているとしたら、とんだ思い上がりだな。そんな虚勢で我に勝てるなど、まったく無駄な事を……」

 

「本当に無駄かどうか、虚勢かどうか…… この魔法を見てから言うんだな!!」

 

 

 眼窩に赤黒い光を灯しながら、モモンガは竜帝に勝つための方法を考えていた。僅かでもいい、勝てる可能性がある手段を。

 モモンガ玉を使っても、恐らく同じ世界級(ワールド)アイテムを持つ竜帝には通用しない。

 たとえ〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉で相手の弱体化を願っても、世界の加護とやらに守られた竜王にはきっと弾かれる。

 だから竜帝に勝てる可能性を、自分が一番に信じるものを願う――

 

 

 

俺は願う(I WISH)!!――友よ、俺に力を貸してくれ!!」

 

 

 かつて自分のボーナスを全て課金に注ぎ込み、やっとの思いで手に入れた超々レアアイテム。

 流れ星の指輪(シューティングスター)を使い、モモンガは超位魔法〈星に願いを〉を発動させた。

 

 

「……」

 

「どうやらお前の最後の手段は不発に終わったようだな」

 

 

 巨大な立体魔法陣が現れ、それが光り輝き弾けた後――何も変化は起きなかった。

 竜帝はそれを見て僅かながら落胆し、モモンガを再び葬ろうと大きく息を吸い込む。

 

 

「今度こそ終わりだ、ぷれいやー」

 

「……これを使うなら、詠唱は必須って言ってましたよね――」

 

 

 モモンガを一度は消滅させた、竜帝の恐るべき全属性複合ブレス。

 その一撃がモモンガを再び呑み込もうとし――

 

 

「――弱者の嘆きよ。理不尽に抗う意思よ。世界に変革をもたらす決意よ…… 我が友の奥義となりて、世界を壊す力をここに顕現せよ!!――」

 

 

 ――〈大災厄(グランドカタストロフ)

 

 

 モモンガから放たれたのは、純然たる破壊のエネルギー。憎悪によって形作られ、呪詛が物理的な現象を伴うほどに凝縮された力とでも言うべきもの。

 その純粋にして膨大な力は竜帝のブレスを撃ち破り、そのまま竜帝の肉体を破壊の渦に巻き込んだ。

 

 

「ぐがぁぁあぁっ!? ……ぐっ、我のブレスが押し負けただと!? いや、その力はまさかっ!?」

 

「どうした。まだ終わりじゃないだろう?」

 

 

 モモンガの放つ覇気に竜帝は僅かに後ずさり、自身のとったその行為に怒りが吹き出した。

 ダメージは確かに大きいが、それだけだ。まだまだ致命傷には程遠い。

 竜帝は自らを奮い立たせ、不快な感情を吐き出すように切り札を切った。

 

 

「我のブレスを破ったくらいでいい気になるなよ…… 本気の力を見せてやる!! 世界魔法〈天地破壊撃(ワールドブラスト)〉!!」

 

 

 それは世界を破壊するかの如き魔法。

 その名が示す通り、天も地も破壊し尽くす事が出来る究極の一撃。

 その莫大なエネルギーは球状に圧縮され、モモンガという個に向けて放たれた――

 

 

「正義降臨――〈次元断層〉」

 

 

 ――だが、モモンガはその一撃に対して、腕を振るっただけで防いだ。

 全てを破壊し尽くすはずの球体は、モモンガを一切傷付けられず、次元の彼方へ消えたように消滅した。

 

 

「そんな馬鹿な!? あの一撃は我の最大攻撃だぞ!! ふ、不可能だ、防げるはずがない!!」

 

「不可能か…… 私はそんな不可能をやってのける人を知っているよ。そして可能性があるならば、今の私に出来ない道理はない」

 

 

 絶対破壊の一撃を防いだモモンガは、ゆっくりと竜帝に近づいていった。

 狼狽る竜帝に対して、まるで何事もなかったかのように静かに歩いていく。

 そして、竜帝の巨体に向けて、何も持っていないはずの両腕を構える。

 

 

「誰かが困っていたら、助けるのは当たり前…… 私には真似できませんよ。――仲間の敵が私にとっての悪だ。友情こそが私の正義だ!!――」

 

 

 ――〈次元断切(ワールドブレイク)

 

 

 真っ直ぐに振り下ろされたモモンガの両腕。

 竜帝にはモモンガが振るった手の中に、確かに一振りの剣が見えた――

 ――その瞬間、竜帝の世界がズレた。

 次元を切り裂く一撃は、強靭な耐久力を持つ竜帝の体に特大の裂傷を与えた。

 竜帝の巨体から血が間欠泉のように吹き出し、体を支えきれなくなって崩れ落ちる。

 

 

「――かはっ…… 何故、お前がその力を使える!? それは世界を冠する力を持つ者だけの技だ!! それを二つもだと!? ありえん、絶対にありえん!!」

 

 

 竜帝は血を吐きながら、自分に起こった現実を受け入れられずに叫ぶ。

 モモンガを常に見下ろしていた頭は地に落ち、戦いの中で初めて二人の視線が同じになった。

 

 

「答えを教えてやろう。課金アイ――友情パワーだよ!!」

 

「ふ、ふざけるなぁぁぁ!!」

 

 

 罵声を浴びせながらも竜帝は勝つ事を諦めず、残った力を集めて体の傷を再生させようとしていた。

 竜というのはどんな生物よりも頑丈で、生命力が高くしぶとい生き物だ。

 竜帝は自身の持つ能力を考えれば、一分もあればとりあえず肉体の血は止まるはず。それから反撃をすれば良いと考える。

 しかし、その前にモモンガは動き出した。

 

 

「私のMPも限界が近い…… これが私の最後の魔法だ――〈あらゆる生ある者の目指すところは死である(The goal of all life is death)〉〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉」

 

 

 モモンガは両腕を大きく広げ、自身の奥の手――即死魔法を強化する特殊技術(スキル)を発動させる。

 するとモモンガの背後には巨大な時計が現れた。

 そして、その時計の上には、薄らと少女の姿が――

 

 

『――いーち、にーい、さーん、よーん、――』

 

 

 時計の針が一つずつ進むのに合わせ、少女は勝利へのカウントダウンを刻む。

 モモンガにこの声は届かない。それでも少女は友達の姿を見守り、その勝利を信じている。

 

 

『――じゅーう、じゅういち…… やっちゃえ、モモンガ!!』

 

「竜帝よ、これで終わりだぁ!!」

 

 

 時計の針が回り切り、十二のカウントダウンが終わった時、モモンガは大きく広げた両腕を閉じようとする。

 その腕の中にあるのは――魔法の効果で竜帝の本物の心臓とリンクした――特大の心臓。

 それを押し潰そうと、モモンガは渾身の力を込めた。

 

 

「ぐぅぅぅうっ!! 我が、負けるはずがぁぁぁあ!!」

 

 

 しかし、竜帝の最後の抵抗により、その心臓を押し潰す事が出来ない。

 

 

「くっ…… このスキルで強化しても、抵抗されるのか!!」

 

 

 ――即死判定が失敗する。

 モモンガがそう思った時、誰かがその腕を支えてくれた。

 

 ――モモンガさん……

 ――ギルマス……

 ――モモンガお兄ちゃん……

 

 モモンガに力を貸すように、沢山の手が、触手が――様々な異形種達がモモンガの周りに集まった。

 

 

『モモンガ、お友達のみんなが手伝ってくれるよ。あと一押し、頑張れ――』

 

 

 そして小さな子供の声が、モモンガには聞こえた気がした。

 本当に声が聞こえた訳じゃない。

 本当に姿が見えた訳でもない。

 それでもモモンガは、確かに仲間の存在を感じる。

 

 

「みなさん…… 力をお借りします!!」

 

 

 モモンガは最後の力を振り絞るように、再び心臓に力を込めた。

 そして友の幻影と力を合わせ、竜帝の心臓を一気に押し潰した――

 

 

「――がはっ!? ……なぜ、この我が……たった一人の、ぷれいやー程度、に――」

 

「……一人ではない。たとえ住む世界が違っても、どれほど昔であっても…… 死して尚、私の友でいてくれた者達が力を貸してくれた」

 

 

 モモンガは既に事切れている竜帝に答えた。

 最後まで仲間もおらず、たった独りで野望のために戦い続けた竜帝に。

 

 

「貴様は私にではなく、私の友との絆の前に敗れたのだ――」

 

 

 こうして、世界を滅ぼそうとした竜帝との戦いは終わった。

 ナザリックの最高支配者。生と死を超越した至高なる存在。

 我が創造主モモンガ様によって世界は救われた――

 

 

 

 

「――という物語を作ってみたのですが、如何でしょう?」

 

「……」

 

「ネム様から聞いたモモンガ様との出会い。そしてお二人の冒険からインスピレーションを受けて執筆いたしました。いやぁ、ネム様と話す度に私の中の可能性という名の妄想の翼が空高く舞い上がり非常に美しく加速いたしまして――」

 

 

 ――なぁにこれ。

 モモンガは繰り返し精神抑制が発動し、開いた口が塞がらなくなっていた。

 

 

「――強大な敵に立ち向かうモモンガ様の勇姿。仲間が敗れていき、最後はお一人で戦いに挑む悲劇的なシーン。超絶スペクタクルな技の数々。そしてラストは熱い友情による勝利!! 全てを兼ね備えた完璧な仕上がりと自負しております」

 

 

 次々とポーズを変えながら、見所を力説するパンドラズ・アクター。

 ――黒歴史が更なる黒歴史を作ってきやがった。

 モモンガは精神を揺さぶられ続けながらも、なんとか再起動を果たす。

 

 

「守護者とかあっさり負けてるけどいいのか?」

 

「物語にインパクトを与えるため――というか、物量戦で勝っても面白くないので」

 

「あー、何というか、設定ガバガバじゃないか? 最後の魔法とかさ」

 

「それは確かに仰るとおりかと…… ですが、これはフィクションで御座います。なのでカッコいい演出を重視させて頂きました」

 

「カッコいいか、これ?」

 

「勿論ですとも!! それにこれはモモンガ様のこの地における、記念すべき一殺目の魔法!! 是非とも使うべきかと思いまして」

 

「いや、何だその一殺目って…… 私は人間だろうが何だろうが殺す事に躊躇いはないが、殺しが好きな訳でもないぞ」

 

 

 モモンガは自分が創造したはずなのに、パンドラズ・アクターのセンスについていけなかった。

 気になるところも、ツッコミどころも満載である。

 言いたい事が飽和して物語に対する意見の中から溢れ出し、むしろパンドラズ・アクターという存在にツッコミを入れたい気分であった。

 まぁ、そんな事をすれば全て自分に返ってくるので、モモンガに出来るはずもないのだが。

 

 

(なんて妄想だ…… 異形種が寄ってたかって特大の心臓を押し潰すとか、B級ホラー映画かよ。少なくとも見た目だけならこっちが悪役だよ。というか、コイツ目線でもペロロンチーノさんはああなのか。一体どこまで言葉の意味とか理解しているんだ?)

 

「一話目と最終話で同じ技を使うのは中々良いアイディアかと思ったのですが……」

 

「え? これ最終話なの!? 全部で何話あるんだよ!?」

 

 

 まさかの超大作。

 モモンガは思わず素の声が出てしまった。

 

 

(駄目だ。色々な意味で耐えられない。何この技の口上。ウルベルトさんは厨二病全開だから割と言いそうだけど、たっちさんのこれはないわー。はぁぁぁあ、だっさいわー。いや、正義降臨とかは普通にやってたけどね、あの人も――)

 

「お望みとあらば、一話目からダイジェストで語って――」

 

「いやっ、結構だ」

 

「Wenn es meines Gottes Wille!!」

 

 

 ドイツ語に罪はない。ついでにパンドラズ・アクターも一切悪くない。

 悪くないのだが、自身の創造物が口を開く度、モモンガは大ダメージを受けていた。

 

 

「我ながら中々の大作に仕上がったかと。これを本にしてこの世界で売れば、ナザリックの維持費も稼げ――」

 

「却下だ」

 

「これを劇に――」

 

 

 モモンガは全速力でパンドラズ・アクターを壁際に追い詰める。

 この作品を世に出す事。それだけはさせる訳にはいかない。

 

 

「却下だ」

 

「あっ、ドン」

 

「いいな、絶対だぞ。これを捨てろとは言わん。お前が頑張って書いた作品だ。だが、他人に見せるのは却下だ!!」

 

 

 モモンガは自分の作った作品でもないのに、まるで自分の黒歴史を晒すかのような非常に恐ろしい気分だった。

 NPCは創造主に似る。全員でもないし、完全とも言い難いが、NPCの中には似ている部分がある。それを知っているからかもしれない。

 しかしモモンガはこいつは違うと言いたかった。

 NPC達も日々成長している。と、いう事は、パンドラズ・アクターのやっている事も全てが自分の書いた設定のせいとは限らないんじゃないかと。

 

 

「さり気なく私の努力を認めてくださるところが素敵で――」

 

「分かったな」

 

「承知いたしました。モモンガ様」

 

「よし。では私はそろそろ行かせてもらう」

 

 

 しかし、それとこれとは別である。

 モモンガはパンドラズ・アクターに詰め寄り、この物語を外に出さないようにかなり強く念押しした。

 「はい」を選ぶまで先に進めないRPGの如く、死の支配者(オーバーロード)上位二重の影(グレータードッペルゲンガー)に「はい」しか認めない返事を要求し続けていたのだった。

 

 

(はぁ、無限増殖する黒歴史ってヤバくないか? 俺の精神的に…… あぁ、ネムに早くも愚痴りたくなってきた……一緒に冒険したい……)

 

 

 ――ナザリック内の誰にも言えないモヤモヤを晴らしたい。

 ナザリックの宝物殿を出たモモンガは大きく肩を落とす。

 小さな友達のもとへ、今すぐにでも行きたくなるモモンガだった。

 

 

「ふむ、我が創造主は他人に見せるのは駄目だと仰られた…… しかし、誰かに意見を貰わねば、これ以上のクオリティ向上は望めませんね……」

 

 

 

 パンドラズ・アクターはモモンガが去った宝物殿で、作品の出来を向上させる方法を一人で考えていた。

 他の守護者に見せれば面倒な事になるので却下。ならば――

 

 

「――ネム様に見ていただきましょう。彼女ならばモモンガ様の御友人ですし――他人ではありませんよね?」

 

 

 モモンガは詰めが甘かった。

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。


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ユグドラシル編(本編)
夢の中で出会ったお友達


転移後の話ではなく、異世界転移が起こるまでの部分をメインに短編を書いてみました。


 夢とは大抵がコントロール出来ないものだ。

 ある時は訳もわからない存在に追いかけられたり。またある時は死んだ人や有名人など、ありえない組み合わせの人が集まって登場したり。

 美味しそうな食べ物にかぶりつこうとした瞬間――味わう間も無く目が覚めてしまったりする事もある。

 意識はあるのに何も思い通りにはいかない。寝ている時に見るのはそんな夢ばかりだ。

 しかし、なんの変哲もない村に住む、ごく普通の少女――

 ――ネム・エモットはある日突然、変わった夢を見るようになった。

 

 

「……ここ、どこだろう?」

 

 

 今自分が立っている場所はとても大きな丸い机の上だった。

 その大きさは軽く走り回れそうな程で、光沢のある白い素材は何で出来ているのか分からない。

 そして自分の足下――机の中央には見たこともない模様がデカデカと描かれている。

 

 

「すごい綺麗……」

 

 

 キョロキョロと辺りを見回すと、これまた見た事がないほど豪華な造りの部屋だった。

 角のない丸い部屋で、所々に模様の描かれた白い壁に立派な黒い柱が立っている。おまけに一箇所だけ壁に長方形の窪みがあり、黄金の杖のようなものまで飾られていた。

 自分が今乗っている机だけで部屋の大半を占めているが、天井も非常に高く、この一部屋だけで自分の家よりも大きいだろう。

 

 

「えいっ。……全然痛くない。やっぱり夢だ!!」

 

 

 軽く頬を抓ってみるが痛みは全くない。

 自分は今夢の中で、どこかのお城にいるのだと思った。

 自分の意思で動ける夢なんて中々見られない。しかもこんなに素敵な場所の夢を見る機会もそうはないだろう。

 

 

「よしっ、探検だ!!」

 

 

 これは探検してみないと勿体ない。

 手始めにあの金ピカの塊を近くで見てみよう。

 机から降りるため、周りに並べられた高級そうな赤い椅子に足を下ろそうとした時――

 

 

「――はぁ、やっぱり誰もログインしてないか。今日も一人で金策かな…… っえ? 誰?」

 

 

 ――豪華な闇色のローブを着た骸骨が現れた。

 

 

「っおばけぇぇぇえ!?」

 

「はい、アンデッドですけど――っ危ない!!」

 

 

 何の前触れもなく現れた骸骨に驚き、下ろしかけていた足を椅子から踏み外してしまった。

 ――このままだと頭から地面にぶつかるっ!?

 

 

「――っ!!」

 

 

 自分の体が机から落ちていく感覚に恐怖し、思わず目をギュッと瞑ってしまった。

 夢だからこれもきっと痛くないよね――一瞬のうちに祈ってみたが中々衝撃が来ない。

 恐る恐る目を開けると、自分は真っ白な骨の手に優しく抱き抱えられていた。

 

 

「あっ!? いや、これは反射的に動いてしまって…… すみません!! 決して体に触ろうとした訳じゃ――」

 

 

 そして何故か骸骨はとても慌てていた。

 骨の顔に表情は存在しないが、その声から強い焦りが伝わってくる。

 

 

「助けて、くれたの?」

 

「――ですのでセクハラする意図はなくて…… え? いや、はい、そうですけど……」

 

 

 急ぎつつも丁寧に自分を下ろし、そっと立たせてくれた骸骨に向き直った。

 赤黒く光る骸骨の目――顔の目の部分の空洞が光っているだけなので、本当に目なのか分からないけど――を見つめながら、勇気を振り絞って尋ねてみる。

 

 

「……私のこと、食べたりしない?」

 

「食べるって、そんな事しませんよ。それにアンデッドは飲食不要だから、何も食べれませんし」

 

 

 アンデッドは人を襲うとても怖い存在だ。

 見かけても決して近づいてはいけないと、両親や姉から散々言い聞かされてきた。

 

 

(でも、ここは私の夢だからいいよね)

 

 

 しかし、この夢に出てきたアンデッドは優しいのかもしれない。

 今だってこうして自分を助けてくれた。

 それなら自分がするべき事は一つだ。

 

 

「助けてくれてありがとうございます!!」

 

「んん? あれ、よく見たらアイコンが無い? NPCなのか? いや、でも会話出来てるし…… 表情だと!? マップにも表示されないって、一体どうなって……」

 

「どうしたの?」

 

 

 自分がお礼を言うと、目の前の骸骨はよく分からない事を呟きながら考え込んでいる。

 

 

「――なるほど、中の人有りか。そういうイベント、それかテスターかな…… ごほんっ。……我がギルドに迷い込みし者よ。君は一体どこから来たのかな?」

 

「ぎるど? えっと、住んでる村はカルネ村だよ」

 

 

 さっきまでの優しげな声から一転、急に骸骨の声が低くなった。

 でも怖い感じがする訳じゃなくて、カッコよくて大人っぽい男の人の声だ。

 

 

「カルネ村…… 聞いた事がないな。人間種しか行けない場所にあるのか? いや、それとも未発見の――」

 

 

 再び骸骨が考えこもうとした時、急に自分の体が透け始めた。

 

 

「えっ、何これ?」

 

「なんだ、もう終わりか。結構短かったな。でも久しぶりにワクワクするイベントだったよ。運営も偶には粋な事をするんだな」

 

「うんえい?」

 

「いや、すまない。それを言うのは無粋だったな。……泡沫の如く一時だったが、中々面白かったぞ。少女よ、最後に君の名前を教えてくれないか?」

 

「私はネム、ネム・エモットです。バイバイ、骸骨さん――」

 

 

 自分の名前を伝え、骸骨にお別れを言うとすぐに視界がぼやけてきた。

 そして、何も見えなくなる。

 

 ――だよ……もう……ネ……

 

 真っ暗になった視界に段々と明かりが入ってくる。

 そして、自分を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

 

「――ネム、起きて。早くお母さん達のお手伝いしないと」

 

「……あ、お姉ちゃん。おはよー」

 

「うん、おはよう。さぁ、ネムも早く準備して」

 

「はーい……」

 

 

 自分を軽くゆする姉の声で目を覚まし、目元を擦りながらベッドを出る。

 眠気の残る頭でゆっくりと着替えていると、姉が心配そうに声をかけてきた。

 

 

「今日は珍しく寝起きが悪かったけど、体の調子でも悪いの? 大丈夫?」

 

「うん、大丈夫。あのねお姉ちゃん、お城に行く夢を見たの!! すっごく綺麗な部屋でね――」

 

 

 昨日見た夢は不思議な感覚だった。今まで見た事のある夢と違って、何があったか今も鮮明に覚えている。

 ネムは興奮で眠気を吹き飛ばしながら、夢の内容を楽しげに語るのだった。

 

 

 

 

 少女は夢の世界で変わった骸骨と出会った。

 交わした言葉はほんの少しだけ。その時間もほんの僅か。

 それはたった一度きりの不思議な夢――では終わらなかった。

 次の日の夜、ネムは再び同じ夢を見る。

 

 

「……昨日と同じ場所だ。骸骨さんはいないのかな?」

 

 

 ベッドに入って眠りについた後、いつの間にかまたこの場所に来ていた。

 辺りを見渡しても昨日見た夢と変わらず、大きな机がある広くて豪華な部屋だ。

 昨日と違いがあるとすれば、自分が机の上ではなく普通に床の上に立っている事くらいだろうか。

 

 

「――あれ、今日もいるのか?」

 

「あっ、骸骨さん」

 

 

 辺りを確認していたら、前と同じようにいきなり骸骨が現れた。

 

 

「こんばんは。やっぱり同じ夢なんだね」

 

「ああ、こんばんは。確かネムだったな。夢、とはどういう事かな?」

 

 

 この夢に出てくる骸骨は自分よりかなり背が高い。村に住む大抵の大人よりも大きいと思う。

 でも出来る限り自分と目線を合わせようとして、わざわざしゃがんでから質問をしてくれる。

 今も挨拶をしたらちゃんと返してくれたし、やっぱり親切な骸骨だ。

 

 

「違うの? ここは私の夢の中だよね?」

 

「夢の中? つまりネムは今寝ているのか?」

 

「うん。それにほら、ほっぺた抓っても痛くないよ」

 

 

 ほっぺたを両手で引っ張り、痛くない事を骸骨に向かってアピールしてみせる。

 すると骸骨はどこか納得したように「なるほど。そういう設定か……」と、小さく呟いていた。

 

 

「君はどうやら夢を見ている状態でここに迷い込んでいるようだな」

 

「ここは私の夢じゃないの? もしかして骸骨さんの夢?」

 

「私の夢…… ああ、そうとも言えるな。ここは私と仲間達で作った夢の結晶だ」

 

 

 どうやら自分は凄い体験をしているようだ。

 他人の――人ではないけど――夢の中に入れるなんて、まるで魔法のようだ。それも二回もだ。

 

 

「すごーい!! ここは骸骨さんがお友達と作ったお城なんだね。ねぇ、どうやって夢の中でお城を作るの?」

 

「ふっ、君は中々面白いな。本来なら侵入者には罰を与えるところだが、君は盗賊でもないようだし見所がある」

 

「あっ、ごめんなさい。勝手に入っちゃいました」

 

「はっはっは、君の場合は仕方ないさ。もちろん許すとも」

 

 

 この骸骨は見かけによらず優しい。

 やっぱり夢の中のアンデッドは普通とは違うみたいだ。

 それともこの骸骨が特別なのだろうか。

 豪華な服を着ているし、お腹に赤い玉が付いてるけど、他のアンデッドを見た事がないので違いもよく分からない。

 

 

「ここは元々あったダンジョンを仲間達と攻略して、拠点にするために色々と改造したのだ。物作りが得意な仲間が多くてな。みんな凝り性だったから、随分と時間をかけたものだよ……」

 

「へぇー、お友達はすごい人だったんだね」

 

「ああ、みんな凄いやつばかりだったよ……」

 

 

 夢の中で物が作れるなんて本当に凄い。自分はそんなこと出来ないし、試そうとする事すら出来なかった。

 もしかしたら今なら――夢なのに自分の意思で動ける――何か作れるかもしれないが、残念ながら手元に材料がない。

 お花があったら冠くらいは作れたかもしれないのに。

 骸骨の語るお友達の話に感心していたが、一つ大切な事を忘れていた。

 

 

「骸骨さんの名前、なんていうの?」

 

「おっと、こちらだけ名乗っていないのは失礼だったな。――我が名を知るがいい。我こそはギルド"アインズ・ウール・ゴウン"の長であり、このナザリック地下大墳墓の支配者――モモンガである!!」

 

 

 骸骨の見た目はちょっと怖い。

 そして低い声を出している時は、頼もしくてカッコいい感じがする。

 

 

「よろしくね、モモンガ!!」

 

 

 でも名前は意外と可愛かった。

 

 

 

 

 かつて日本国内で最高峰のDMMO-RPGと呼ばれたゲーム――『YGGDRASIL』

 しかし、それも最近はプレイヤーの過疎化が激しい。

 かく言うモモンガ自身がギルド長を務めるギルド――『アインズ・ウール・ゴウン』のメンバーも四十一人中、三十七人が引退してしまった。

 ギルドに籍があり、なおかつアカウントを残している者は僅か数名。それもここ数年はログインすらしていない者達だけだ。

 そんな状況でも、モモンガは仲間達との思い出が詰まったこのゲームを辞める事が出来なかった。

 かつての仲間達がいつ戻ってきてもいいように、日々の忙しい時間をやり繰りしてギルドの維持費を稼ぎ続けている。

 効率だけを考えた狩りを行い、稼いだ金貨を宝物殿に放り込む。つまらない金策のためだけにログインする毎日だ。

 しかし、ある日からほんの少しだけ、モモンガはユグドラシルにログインする楽しみが出来ていた。

 

 

「――こんばんは、モモンガ。今日もお喋りしよ!!」

 

「こんばんは、ネム。今日も夢の中に来れたようで何よりだ。さて、椅子を用意しよう。〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉」

 

「ありがとう!! やっぱりモモンガの魔法は便利だね」

 

 

 寝ている間だけモモンガの夢と繋がって、ナザリックの円卓の間に現れる――という設定の少女、ネム・エモット。

 肩くらいまで伸びた髪を二つ結びにした、十歳くらいの小さな女の子だ。

 初めて彼女を見た時はプレイヤーを示すアイコンがなかったり、表情が実装されていたりして驚いたものだ。

 

 

「お姉ちゃんったら酷いんだよ。ちょっと休憩してただけなのに、サボるなーって怒るんだもん」

 

 

 ネムが来るとモモンガはいつも魔法で特製の椅子を二人分用意し、それに座って向かいあって話していた。

 ネムは子供らしくコロコロと表情が変わり、その純真無垢な様子にはとても癒される。

 モーションキャプチャーを使っているのかと考えもしたが、表情や体の動きの出力が綺麗すぎる。

 恐らくアバターを動かしているのではなく、何かしらの方法で本人をそのまま投影しているのだろう。

 

 

「はっはっは、それはタイミングが悪かったな。それにしてもネムの世界は自然が豊かで楽しそうだ」

 

「普通だと思うけど? あっ、でも村の近くに大きい森があるよ。魔物が出るから入っちゃダメって言われてるけど」

 

 

 このネムという少女のロールプレイは非常に完成度が高かった。

 魔法や魔物など、ファンタジーな要素が入った世界観で暮らす普通の村娘。その設定を壊す事なく、されど自然体で話しているように感じられた。

 

 

「エンカイシっていう薬草があってね、カルネ村の特産品なんだ。潰して保存するんだけど、すっごく臭いんだよ」

 

「ほぅ、聞いた事のない薬草だな。そちらの世界特有のものかもしれんな」

 

 

 恐らく彼女は運営が表情を実装させるためのテスターとして用意したのだろう。

 まぁ、テスターにここまで練った設定を作るとは、運営はなんて無駄な所に力を注いでいるんだと思わなくもなかった。

 しかし、相手が本気のロールをするならば、こちらも本気のロールで返さなくてはならない――

 だが、いつしかモモンガはそんな事も忘れて、『モモンガ』として自然に『ネム・エモット』に接するようになっていた。

 

 

「はぁ…… 目が覚めても家の手伝いばっかり。雑草を抜いたりとか、畑の仕事はつまんないよ。私も冒険してみたいなー」

 

「残念、ここは夢の世界だからな。ネムがこの部屋から出られるなら、外の世界に連れて行ってあげたのだが……」

 

 

 以前この円卓の間から出られるのか試したが、ネムがいる間は扉が開かないようになっていた。

 テストプレイだからかもしれないが、きっと限定的な場所でしか表情などの高度な処理が出来ないのだろう。

 

 

「体が透けてきちゃった。今日はもうお終いだね」

 

「そのようだな。目覚めの時なのだろう」

 

 

 ネムが消える――夢から覚める時は、いつも体が徐々に透けていく。

 それがネムとのお別れの合図である。

 

 

「またね、モモンガ」

 

「ああ、またな、ネム」

 

 

 ネムの姿が完全に消え、モモンガは一人円卓の間に取り残された。

 

 

「またな、か…… こんな会話、いつ以来だろうな」

 

 

 久しく会っていないギルドメンバーとの思い出が蘇る。

 彼らとはこの円卓の間で、延々とくだらない雑談に時間を費やしていたこともあった。

 ちょうど今、ネムと話していた時のように。

 

 

「さてっ、ネムも帰ったし、金策のモンスター狩りに行きますか」

 

 

 癒しの時間は終わりだ。

 モモンガはギルドの維持費を稼ぐために、一人で狩場へと向かうのだった。

 

 

 

 

 ひょんな事から始まった、変わった骸骨――モモンガとの付き合い。

 夢の中で何度も会って話していると、自分の住んでいる世界とモモンガの世界は別物だという事が分かった。

 

 

「そちらの世界に名前はないのか? ユグドラシルとかヘルヘイムとか」

 

「ないと思うよ?」

 

「なるほど、異世界という概念がないのかもしれんな。他の世界を認識していなければ名前も付けないだろうし」

 

 

 モモンガはアンデッドなのにとっても優しい。それにいつも自分の話を真剣に聞いてくれる。

 

 

「私もモモンガみたいに魔法が使えるようになりたいなー。どうやったら使えるようになるの?」

 

「んー、モンスターと戦って強くなったら覚えられるんだが、ネムにはまだ危ないかもしれないな。ネムの周りには魔法とか変わった能力が使える人はいないのか?」

 

「村では誰も使えないよ。でも時々村に来るンフィー君は使えるみたい。タレントも持ってるよ」

 

「タレント? 何かのスキルか?」

 

「えっとね、生まれた時から持ってる能力みたいなモノ? どんな能力かは人によって違うみたいだけど、持ってない人の方が多いよ。ンフィー君は魔法の道具なら何でも使えるんだって」

 

「何だそのふざけた能力は。職業や特別な制約も無視出来るとなれば…… いや、どう考えてもチートだろ」

 

「ちーと?」

 

 

 でも偶によく分からない単語を使う事がある。起きてから姉や両親に聞いてみても分からない事の方が多かった。

 やっぱりモモンガは物知りだ。

 

 

「そういえばネムの世界にいるアンデッドってどんなの何だ? 最初に私の事をお化けって言ってたが」

 

「見た事ないからよく分かんない。だけど、お母さんは危ないから近づいちゃダメって言ってた。人を見ると襲ってくるんだって」

 

「アクティブモンスターみたいだな。ネムも私みたいなのを見つけても近づいちゃダメだぞ。これでも死の支配者(オーバーロード)、最上位アンデッドだからな」

 

「うん、モモンガが特別なんだよね。夢の事は話したけど、モモンガの事はお姉ちゃんにも言ってないよ。誰にも言ってない秘密のお友達だね」

 

「――っ」

 

 

 自分は何か変な事を言ったのだろうか。

 普段からモモンガは口も開かずに喋っているが、今は完全に固まっている。

 

 

「どうしたの?」

 

「……いや、何でもない。そうだな、夢の中とはいえ、周りにも秘密にした方が良いだろう」

 

「えへへ、お友達だけの秘密ってなんか楽しいよね」

 

「ああ、友と秘密を共有するのは楽しいものだ。俺とネムは、友達だものな……」

 

 

 秘密を持っている事が楽しいのか、モモンガはその時とても嬉しそうな声を出していた。

 

 

「じゃあ、今度はンフィー君の秘密も教えてあげる!!」

 

「おっ、他人の秘密をバラしていいのか?」

 

「どうせ周りは知ってるからいいもん。でも内緒だよ? ンフィー君はね、お姉ちゃんの事が好きなんだよ。隠してるつもりみたいだけどバレバレだもん」

 

「あっはっは、思い人の妹にバレているとは。ンフィーレアとやらも難儀なものだな」

 

「他にもね――」

 

 

 その日は自分の目が覚めるまで、お互いに色んな秘密を話して過ごしていた。

 

 

 

 

 不思議な少女、ネムとの付き合いは意外なほど長く続いていた。それこそユグドラシルのサービス終了まで会えるんじゃないかと思うほどに。

 ネムがこちらにやってくる時間はいつもバラバラだ。モモンガ自身も毎日同じ時間にログインしている訳ではないのに、なぜか毎回自分より先にいるのだ。

 ネム曰く、この場所に来たら割とすぐに自分が現れるらしい。

 自分の夢にネムが入り込む。そう設定されている事を考えれば、ほぼ同時に現れるのも道理なのだが、何とも不思議だ。

 

 

「一週間ぶりだな、ネム」

 

「えっ? 昨日も会ったよ?」

 

「あー、なるほど。私とネムの世界では時間の進みが違うらしい。いや、同じ時もあるから、この夢の世界はかなり変則的なようだな」

 

 

 ただし、二人の世界は時間的には繋がっていない設定らしい。

 これも夢の世界が繋がるという無茶な設定だからだろう。

 ネムとモモンガの感覚が同じ時もあれば、片方だけ早かったり遅かったりする事もあった。

 

 

「久しぶり、モモンガ!!」

 

「ふむ、私の感覚だと二日ぶりだな」

 

「そうなんだ? 今日はね――って、ええっ!? もう体が透けてきた!? まだ全然話してないのに!!」

 

「残念だが、どうやら今日は早起きみたいだな。また次の夢で会えるのを待ってるよ」

 

「うん…… またね」

 

 

 そしてネムがここにいられる長さもバラバラだった。

 五分とない短い時間の時もあれば、三十分以上お喋りを続けていた時もある。

 

 

「お馬さんいけー!!」

 

「ふふっ、手綱はしっかり持っておけよ」

 

「うん!! 負けないよー!!」

 

 

 ネムが現れるのは決まって円卓の間だったが、雑談以外にもゴーレムを使って遊んだこともある。

 円卓の周りを周回する早さを競う、ちょっとしたレースを楽しんだりする事もあった。

 

 

「いただきまーす!!」

 

「どうだ?」

 

 

 ある時モモンガは興味本位で、食べ物系のアイテム――インテリジェンスアップルをネムに渡してみた。

 

 

「――ん、何これ。味がしない…… 匂いもしないね。それにちゃんと齧ってるのに、齧ってないみたいな変な感じがする」

 

「んー、やっぱり夢だから食べられなかったか」

 

「せっかく甘いものが食べられると思ったのに……」

 

 

 ゲームと現実で起こりうる差異も、夢の中という設定のおかげで違和感もない。

 何度か情報サイトを漁ってみたりもしたが、ネムのような存在は噂にもなっていなかった。

 自分が数少ないアクティブユーザーだからだろうか、もしくは話相手をするプレイヤーはランダムに選ばれただけかもしれない。

 

 

「やはりネムのように他の人の夢と繋がるというのは、かなりのレアケースのようだな。調べてみたが、他に同じような人はいなかった」

 

「うーん、もしかしたら私、そういうタレントを持ってるのかも?」

 

「あー、あのゲームバランスぶっ壊れのチート能力か。何でもありすぎてビックリしたよ」

 

「えー、モモンガの魔法の方がすごいよ。絶対ンフィー君よりすごいもん」

 

 

 こうしてゲームの中でネムと会った回数は、もう数え切れないほどになっている。

 時たま本当にネムは異世界の住人で、夢の世界から来たのではないか――モモンガはそんな馬鹿な妄想すらも浮かぶようになっていた。

 本当に馬鹿げた妄想だ。

 

 

「あっ、時間みたい。またね、モモンガ」

 

「ああ、じゃあな、ネム……」

 

 

 金策に費やす時間より、この少女とのなんでもない時間の方がはるかに楽しい。

 しかし夢はいずれ覚める――ユグドラシルにも、静かに終わりの時が近づいていた。

 

 

 

 

 ある時から、ネムは夜になると早く寝るようになった。

 以前ならもっと起きていたいと、しぶしぶベッドに入っていたのに最近はやけに素直だ。

 それどころかまるで遊びに出掛ける時のように、寝るのを楽しみにしている節すらあった。

 最初は家族も不思議そうに思っていたが、一度その理由を聞くと納得したように笑い、気にする事はなくなった。

 

 

「今日は会えるかな……」

 

 

 自分には変わったお友達がいる。とっても優しくて物知りなお友達だ。

 それは村に住んでいる人ではない。その友達には夢の中でしか会えず、実は人ではなくアンデッド。別の世界に住んでいる豪華な服を着た真っ白な骸骨だ。

 だから骸骨――モモンガの事は誰にも言っていない秘密の友達なのだ。

 ――今日もモモンガに会えるといいな。

 そんな期待を持ちながらベッドに入り、目を閉じる。

 そして段々と眠気がやってきて、自分は気がつくと大きな机があるいつもの部屋にいた――と、思っていたら違う場所だった。

 

 

「あれ、いつもと違う…… 別の夢かな」

 

 

 天井はありえないほど高く、キラキラとした飾りがいくつもぶら下がっている。

 壁には沢山の大きな旗が垂れ下がり、見たところ全部別の図が描かれていた。

 左右に太い柱が立ち並び、中央には見たこともないほど長い絨毯が敷かれている。

 そしてその真っ赤な絨毯の先に階段のような段差があり――

 

 

「モモンガだ!!」

 

 

 ――黄金の杖を持ったモモンガが、大きな椅子に座っていた。

 ネムは体験した事のない感触の絨毯の上を通り抜け、すぐさまモモンガに駆け寄る。

 

 

「こんばんは、モモンガ。今日はいつもと違う場所なんだね。でも、ここもすっごく綺麗!!」

 

「ああ、ネムか。もう会えないかと思っていたよ……」

 

 

 いつもと違う場所だったから不安だったが、どうやらここもモモンガの夢らしい。

 モモンガのすぐ側には白いドレスを着た黒髪の女性がおり、少し離れた所には数人のメイドと執事が待機していた。

 

 

「あっちの人達もそうだけど、このお姉さんも動かないね」

 

「……そうだな。ここは夢だ。だから私とネム以外は、動かないのだろう」

 

「やっぱりそうなんだ。でもこのお姉さんすっごい美人だね」

 

「確かに美人だな。でも実はビッ――いや、何でもない。彼女はアルベドというのだが、どんな性格だと思う?」

 

 

 モモンガにクイズのように尋ねられ、アルベドという女性の事をじっと見つめてみた。

 頭に角が生えていて、腰には黒い翼がある。でもスタイルが良くて、髪が長くて綺麗で、本当にビックリするくらいの美人だ。

 

 

「うーん…… アルベドさんは――」

 

 

 どんな性格か考えていると、ふと最近姉に怒られた事を思い出す。

 そして、咄嗟に自身の願望が混じった答えをだした。

 

 

「――妹に甘くてとっても優しい!!」

 

「くっくく、そうか、妹に優しいか…… そういえばネムには姉がいるのだったな。はははっ、それはそれで良いギャップだろう。面白いし、そうしておこう。前のやつより何倍もマシだ」

 

 

 モモンガは自分の答えが面白かったのか、声を上げて笑うと素早く手を動かして、よく分からない何かをしていた。

 その後、少しだけ無言の時間が続く。いつもなら椅子を用意してくれて、すぐに雑談を始めるところだが、今日は何かおかしい。

 最初に声をかけた時も、モモンガはどこか元気が無いように思えた。

 

 

「ネム、一つ私の我儘を聞いてくれないか?」

 

「なぁに?」

 

「……私は今日、ここで消える。だから最後まで一緒に残っていてくれないか?」

 

 

 椅子に深く腰掛けたモモンガの言葉。

 その意味が一瞬分からなかった。

 

 

「消えるってどういう事?」

 

「そのままの意味だ。私も、そしてこのナザリックも消えてしまう。私はいつも見送る側だった。だから……」

 

「そんなっ、なんで、なんで消えちゃうの!?」

 

「夢はいつか覚める。当然のことなんだよ。……私はそんな当たり前の事にすら目を背け、いなくなった仲間を待ち続ける哀れな男だったんだ」

 

 

 モモンガの声はどこか疲れたようで、寂しげだった。

 

 

「また友達に会ったり、新しい友達を作ったりも出来ないの?」

 

「そんな事は出来ないさ。それに新しい友達なんか、こんな俺に出来るわけもない……」

 

「モモンガなら出来るよ」

 

「……無理だ」

 

「出来るもん」

 

「無理なんだよ。ここを作った仲間達も、もうここには――来ないんだよっ。ユグドラシルが、ナザリックが消えたら、もう会えないんだよっ!!」

 

 

 今まで聞いた事のないモモンガの叫び。

 私は我慢出来なくなって、椅子に座るモモンガに飛びついた。

 "はらすめんとこーど"とかいうのがあるらしく、抱きつくのは止められていたけど、今はガツンと言ってあげなくちゃいけない。

 

 

「出来るもん!! この夢が覚めるならまた次の夢を見たらいいんだよ。それに夢が覚めても、それで友達じゃなくなる訳じゃないよ!!」

 

「それは……」

 

「別の場所なら友達にまた会えるかもしれないよ。それに新しい友達もきっと出来るよ。私はここを作ってないけど…… 私とモモンガは、友達になれたよ?」

 

「――っ!?」

 

 

 モモンガはゆっくりと、恐る恐る私の頭に手を置いた。

 

 

「……ああ、どうして私は忘れていたんだろうな。そうだな、この場所がなくても友達は友達だ。『新しい別のゲームを一緒にしませんか(新しい別の夢を一緒に見ないか)』――そう誘われた事もあったじゃないか。みんな私を置いていった訳じゃない。私が、前に進む事を拒んだんだ……」

 

 

 その時、タイミング悪く私の体は透け始めてしまった。

 

 

「そんな…… 体が……」

 

「良いんだ。こちらも丁度終わる頃だ。ネム、本当にありがとう。君は俺に新しい可能性を教えてくれた。『またどこかでお会いしましょう』、か――ふふっ、仲間たちもこんな気分だったのかな」

 

 

 ――まだ起きたくない。

 今のモモンガを放っておけないと思ったけど、モモンガは穏やかにお礼を口にした。

 もう十分だと、まるで心残りが消えたみたいに。

 だから、モモンガが昔を懐かしむように呟いた一言に、私はあえて返事を返した。

 

 

「うん、また会おうよ。今度はモモンガが私の夢に来てくれても良いよ」

 

「あっはっは!! そうか、こんな私を誘ってくれるのか…… ありがとう。もし別の世界で会えたなら、今度は一緒に冒険をしよう。狭い部屋なんかじゃなくて、広い外の世界で一緒に遊ぼう」

 

「約束だよ!! 私、いっぱい寝るから、モモンガもちゃんと来てね」

 

 

 モモンガと指切りをしようと思ったが、残念ながら既に手首から先は完全に消えている。

 でも、モモンガはちゃんと口に出して言葉にしてくれた。

 

 

「ああ、約束だ。俺の四十一人目の友、ネム・エモットよ。君に会えて本当に良かった。どうかこの素晴らしい友に、ネムの未来に栄光あれ……」 

 

「またね、モモンガ――」

 

 

 最後に告げたのはさよならではない。

 

 

「ネム、またな――」

 

 

 モモンガは消えると言っていたが、私はその言葉より後からした約束の方を信じる。

 完全なお別れではなく、再会の約束を取り付け、私の意識は途絶えた。

 

 ――きて……もう朝……ム……

 

 真っ暗になった視界に、段々と明かりが入ってくる。

 そして、自分を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

 

「――ネム、起きて。今日もお手伝いしないと」

 

「お姉ちゃん、おはよう……」

 

 

 見慣れた家の天井。いつも通りの姉の姿。

 私は完全に夢から覚めた。

 

 

「あれ…… ネム、涙の跡がついてるけど、怖い夢でも見たの?」

 

「えっ?」

 

 

 心配そうに自分の顔を覗き込む姉。

 顔に手を当てると、乾いているが確かに目の下に跡がついていた。

 

 

「……全然怖い夢なんかじゃないよ。楽しい夢だったよ」

 

「そうなの? どんな夢だったの?」

 

「んー、内緒っ!!」

 

 

 今回の夢での出来事は姉に話さなかった。

 これは友達と私の、二人だけの約束だ。

 ――秘密にすると言った訳じゃないけど、()()との秘密は楽しいから。

 私が内緒にすると決めたのだ。

 

 

「次も同じ夢を見れたら、その時はお姉ちゃんにも教えてあげるね」

 

 

 大丈夫。ちゃんと約束もしてきた。だからきっと、また会える。

 ちょっとした願掛けを胸に秘め、私はベッドから飛び起きた。

 

 

 しかし、この日を境に、ネムが不思議な夢を見る事はなくなった。

 夜、どんなに早くベッドに入っても。

 昼間、何度お昼寝を繰り返しても。

 ネムが夢の中でモモンガに会う事は、もう二度となかった。

 

 

 

 

 寒い冬が終わり、カルネ村にも暖かな春がやってきた。

 最後に夢の中でモモンガと約束をしてから、私は夢を見ていない。

 厳密には夢を見る事もあったけど、モモンガに会う事はなかった。

 私にとっての楽しみが一つなくなり、いつもと変わらない――不思議な夢を見る前の――以前の平凡な生活を繰り返している。

 いつもの朝。

 普段と同じ昼。

 何度も期待しながらベッドに入った夜。

 どこの村にもあるような、普通の日々だ。

 しかし、その平凡な毎日すらなくなってしまう瞬間が、突然に訪れた。

 

 

「ネムっ、もうちょっとだけ頑張って!!」

 

 

 自分を励ましながら走る姉に手を引かれ、ただ必死に足を動かした。

 姉の声に応える余裕もない。もう敵が――二人の騎士がすぐ後ろまで迫っている。

 

 

(なんで、どうして……)

 

 

 今日もいつもと変わらない朝のはずだった。

 しかし、なんの前触れもなく、急に現れた騎士の集団が村を襲ったのだ。

 村のみんなは剣を持った騎士に斬られ、沢山の人が血を流して倒れていた。

 そして、自分たちを逃す時間を稼ぐため、騎士達に突撃した両親。

 

 

(お父さん、お母さんっ……)

 

 

 後ろを振り返る余裕はなく、父と母の二人が無事でいるかも分からない。

 それでも森まで行けば隠れてやり過ごせるかもしれない。

 それだけを信じて、自分は姉と一緒に走り続けた。

 

 

「――あっ!?」

 

「ネムっ!?」

 

 

 だけど現実はあまりもに残酷だ。

 私の体力は限界を超え、姉の足の速さについていけなくなり――とうとう足を地面に引っかけて転けてしまった。

 そんな私を姉は見捨てる事なく、私を守るように咄嗟に覆いかぶさった。

 

 

(怖い、怖いよ。お姉ちゃん……)

 

 

 数秒と経たず、二人の騎士は私達に追いついた。

 全身を鎧に包まれた騎士は、既に剣を振りかぶっている。

 ――ああ、ここで死んじゃうんだ。

 私を強く抱きしめる姉に、自分も離れないように強く抱きしめ返した。

 せめて姉と二人一緒に、出来るだけ痛くないように死ねる事を祈りながら――

 

 

 「――〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉」

 

 

 ――まだ自分は生きている。姉も斬られた様子はない。

 すぐ側で鉄の棒を落としたような、鎧を着た人が崩れ落ちるような金属の音が響いた。

 

 ――あの声は、もしかして。

 

 姉の体の隙間から恐る恐る顔をだす。

 倒れている騎士はピクリとも動かず、完全に死んでいた。

 そして、もう一人の騎士は凍りついたように固まり、私達の後ろにいる()()を見ている。

 握った剣の切っ先が震えているのが分かり、後ろにいる()()は余程恐ろしい存在なのかもしれないと思った。

 

 

「――ふぅ、何とか間に合ったか」

 

 

 でも違った。私には全く怖くない。

 

 

「私の夢はもう終わってしまったけど…… また、会えたな――」

 

 

 自分を抱きしめる姉も、鎧に身を包んだ騎士さえも、絶望を目にしたように震えている。

 そんな中、私にだけは別のものが見えていた。

 

 

「――約束を果たしに来たぞ、友よ」

 

 

 私の目には、間違いなく()()が映っていた。

 

 

 




モモンガに新しい友達が出来るルート。
ゲームにのめりこみすぎたモモンガならではの話でした。
呼び捨てに出来る関係性も意外と新鮮かもしれない。
あと個人的にネムは最強だと思う。





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異世界編
夢の外で再会したお友達


自分が書いた中で過去最高に綺麗に終わった――でも続きを書いた事に後悔はない。
ネムをメインに短編の続きを少しだけ書いてみました。
ナザリックも一緒に転移していますが、出来る限り現地人の目線のみで書いてみようとチャレンジしています。



 私を抱きしめる姉が、後ろにいる()()を目にして怯えている。

 鎧に身を包んだ騎士さえも、剣の先が震える程に怯える()()が後ろにいる。

 襲ってきた騎士から目を離すのは怖い。それでも聞こえた声の正体が気になってしまう。

 

 ――あの声は、もしかしたら……

 

 姉の体から顔を離し、二人の視線を追うようにゆっくりと振り向いた――

 ――でもそこに立っていたのは、私にとってちっとも怖い存在なんかじゃなかった。

 

 

「――約束を果たしに来たぞ、友よ」

 

 

 私の目には、間違いなく()()が映っていた。

 夢の中でしか会えないと思っていた、家族にも教えていない私の秘密のお友達。

 

 

「モモンガ……」

 

「まさか本当に異世界の住人だったとはな。こうして再会出来た事と言い、ネムの教えてくれた可能性には驚かされるよ」

 

 

 闇色の豪華なローブを身に纏い、黄金の杖を持った背の高い骸骨。

 その眼窩には赤黒い光が灯り、お腹には謎の赤い球体が浮かんでいる。

 あの夢の終わりに――最後に会って約束をした時と全く同じ姿だ。

 

 

「モモンガ、なんだよね……」

 

「そうだぞ。便利な魔法が沢山使える特別なアンデッド…… ネムと友達になったモモンガだよ」

 

 

 震える声で名前を呼ぶと、私を気遣う優しい声が返ってきた。

 

 

「んっ、痛い…… 夢じゃ、ないんだよね……」

 

「もちろんこれは夢じゃない。だが『夢が覚めても、それで友達じゃなくなる訳じゃない』そうだろう?」

 

 

 姉に抱きついたまま、片手でほっぺを抓ると鈍い痛みが走った。

 それにあの言葉は、私があの時モモンガに言った言葉だ。

 

 

「幻じゃ、ないんだよね……」

 

「ああ、私はここにいるぞ」

 

 

 私の側にしゃがみ込み、モモンガは手を差し出してくれた。

 真っ白な骨の手だ。硬くて、温かくなくて――でも、とっても優しい友達の手。

 私が握りしめる手の中に、確かにそれはあった。

 夢でも幻でもない。モモンガが現実に来てくれたのだ。

 

 

「あ、あなた様は、一体……」

 

「ん? どことなくネムと似ているな…… ああ、なるほど。君が姉のエンリ・エモットだな?」

 

「はい、そうですけど…… どうして私の名前を? それにネムとはどういう――」

 

「すまないが細かい説明は後だ。むしろ私の方こそ確認したい事が山ほどあるくらいなのだが……」

 

 

 モモンガはそう言って立ち上がると、私と姉を守るように一歩前に進み出た。

 

 

「一つ言えるのは、私は君達を助けに来た――君達の味方だ」

 

 

 やっぱりモモンガは凄い。

 さっきまであれだけ怖かったのに、その背中を見ただけで私はもう安心している。

 

 

「――ふぅ。感動の再会だというのに、余韻にすら浸れないとは…… 精神抑制も考えものだな」

 

「ば、化物……」

 

「どうした、その棒切れでかかってくるがいい。ここからは特別に私が相手をしてやろう」

 

「あ、ああっ、なんで、こんなっ、何故アンデッドが人間を庇って……」

 

「友を助けるのに理由がいるのか? くだらん問いかけだ…… 消えろ――〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 

 モモンガが冷たい声で魔法を唱えると、騎士はビリビリとした光に包まれて崩れ落ちた。

 鎧に包まれた体から焼け焦げたように煙が立ち上り、あんなに怖かった騎士が起き上がってくる事は二度となかった。

 

 

「ふんっ、この程度で死ぬとはな。あまりにも弱すぎる。……ちっ、やはりただの人間だと一人、二人殺しても何も感じない――っうおっと!?」

 

「モモンガーっ!! 助けてくれてありがとう…… ごわがっだよぉぉ……」

 

 

 私を止めようとする姉の腕を振り切り、モモンガに思いっきり飛びついた。

 この場に敵はもういない。極限状態だった緊張が解けてしまい、溢れてくる感情を止められなかった。

 

 

「よしよし、遅くなってごめんな。もう大丈夫だぞ。ネム、これで涙を拭きなさい」

 

「うん…… ありがとう」

 

「ネムっ!! ちょっと待って、その方は一体誰なの!? ああっ、助けていただいてありがとうございます。い、妹が無礼をっ!!」

 

「君もそんなに慌てる事はない。先程も言ったように私は味方だ。まぁこの顔では不安になるのも無理はないか。君達の村の事だが――」

 

 

 モモンガに渡された真っ白なハンカチで顔を拭いていると、後ろにあった闇――宙に浮いている、ぽっかりと空いた穴のような物――から何かが出てくるのが見えた。

 今まで気にする余裕がなかったけど、モモンガもアレから出て来たのだろうか。

 

 

「――モモンガ様、時間がかかってしまい申し訳ありません。敵勢力の排除、および村人の保護が完了いたしましたので、ご報告を」

 

「デミウルゴスか。ちょうど良いタイミングだ」

 

 

 現れたのは丸い眼鏡をかけた男の人。

 赤い服を着て、黒い髪をオールバックにしている。

 初めて見る人物にドキリとし、思わずモモンガのローブの裾を掴んで身構えた。

 

 

「――重ねてお詫び申し上げます。老爺八人、老婆二人、中年男性五人、中年女性四人、青年七人、子供四人――合計三十人の人間は治療が間に合わず……」

 

「そうか…… 私が気づいた時点で手遅れだったのだろう。お前が気に病むことではない」

 

 

 話している様子から、どうやらモモンガの知り合いらしいという事は分かった。

 一瞬こっちをチラリと見て表情が動いたような気がしたけど、この男の人は私の事を知っているのだろうか。

 

 

「ですが、モモンガ様の御命令を果たせなかったのは事実で御座います。どうか私に罰を…… この命で償いをさせて頂きたく」

 

「――やめよ。無理な命令を出した私にも責はある。それよりも村の様子を聞かせてくれ」

 

「おぉ、なんと慈悲深い…… モモンガ様の恩情に深く感謝いたします。現在の村の様子ですが――」

 

 

 モモンガの友達、いや友達にしてはちょっと言葉が固い。それにこの男の人からはモモンガに対する凄く強い尊敬を感じる。

 

 

「――村人は広場の中央に集め、その周りをアルベド、セバス、アウラ、数名のプレアデスで固めております。村の周囲には高レベルの隠密部隊、伏兵としてマーレが率いる部隊を控えさせております。ナザリック側の防衛戦力と速やかに動ける者を考え、このようにさせて頂きました」

 

「お、おぅ…… 御苦労だったな」

 

「勿体なきお言葉です。ですが指揮を執った者として、完璧な結果をお見せする事が叶いませんでした……」

 

 

 そういえばモモンガは前に自分の事を"アインズ・ウール・ゴウンの長"とか"ナザリックの支配者"だって言ってた。

 きっとこの人はモモンガの部下なんだ。

 部下に応えるモモンガは堂々としていてカッコいい。まるで王様みたいだ――本物の王様は見た事ないけど。

 でも、どことなく引いている感じがする。何でだろう。

 

 

「救援対象は人間種の村。よって見た目の印象も考慮しメンバーを選別したのですが、敵との戦力差が余りにも酷く…… いえ、はっきりと申し上げますと、セバスを筆頭に少々やり過ぎました」

 

「村にいた主力部隊がそれ程までに弱かったと?」

 

「はい。レベルで言えば大半が十にも満たない存在ばかりでした。ただ、モモンガ様からの御命令に、皆が張り切り過ぎていた事も一因かと」

 

「ぇぇ…… そうか」

 

 

 二人の話は難しくて私にはよく分からない。

 それでも何かの集団で村を助けに来てくれたという事だけは理解出来た。

 

 

(あ、尻尾がある…… でも、大丈夫だよね)

 

 

 たとえ人間ではなくても、彼はモモンガの仲間だ――それが分かると、不安で身構えていた私の緊張は解けていった。

 

 

「もちろんでございます。ナザリックでモモンガ様の御命令に奮起せぬ者などおりません」

 

「そうなのかぁ…… んんっ――報告を続けよ」

 

「はっ。敵の殲滅と村人の保護を優先した結果、村の建物にもそれなりに損害が出てしまい…… 申し訳ありません。モモンガ様の慈悲に救われておきながら、村人達は感謝と恐怖、半々くらいの感情を持っていると思われます」

 

「その程度の事を気にする必要はない。それにお前たちの考えも優先順位としては間違っていない。未知の敵を侮り、こちらが痛手を負うより遥かにマシだ。デミウルゴスよ、情報の少ない状況で良くやった。私はこの者達と村に向かう。隠密と伏兵だけ残して、残りは引き上げさせろ」

 

「ですが、それではモモンガ様の護衛が……」

 

「油断も慢心もするつもりはないが、村にいた敵は殲滅したのだろう? ……まさかとは思うが、私が村人に後れを取るとでも?」

 

 

 低い声を出している時のモモンガは凄い。

 モモンガの声に反応して、デミウルゴスの尻尾がびよんびよん伸びたり縮んだりしてる。

 

 

「いえ、至高の御方であるモモンガ様に対してそのような事は…… ですが、せめて即座に対応出来る形にして頂きたく」

 

「良かろう。ならば伏兵と合流させておけ。村の周囲の警戒も怠るな。何かあれば私に直接〈伝言(メッセージ)〉を寄越せ。デミウルゴスは引き続き全体の指揮を頼む」

 

「……畏まりました。私如きの意見を受け入れてくださり、感謝いたします」

 

 

 デミウルゴスはモモンガに深く頭を下げてから去っていった。

 でも去り際に私の顔を見たような気がする。やっぱり私の事を知ってたのだろうか。それとも顔に何か付いていたのだろうか。

 

 

「――はぁ…… よく考えたら早過ぎないか? 俺が飛び出してから十分も経ってないような…… あいつらどんだけ本気出したんだよ。いや、俺も魔法が効かなかったら逃げようと思ってたし、初手は本気の即死魔法を使ったけどさ。でもこの弱さは予想外だった……」

 

 

 デミウルゴスが闇の中に消えていくのを見届けた後、モモンガはがっくりと肩を落とした。

 モモンガは疲れてるのかもしれない。

 それなら後で私が肩でも揉んであげようかな――でも骨だから意味がないかも。

 

 

「――チュートリアルのスライムかよ。そんな雑魚にレベル百のパーティ使うとか、オーバーキル過ぎる…… あぁ、確かに『村の者達を確実に助けられる部隊を出せ』って言ったの俺だけど……」

 

「モモンガ、大丈夫?」

 

「っあ、ああ!! 私は大丈夫だ。村の方は私の配下の者が既に助けてある。だが、全員は救えなかったようだ……」

 

 

 申し訳なさが滲んだモモンガの声。

 さっきの会話で村の人達が全員助かった訳じゃないのは分かっている。でもそれはモモンガが悪い訳じゃない。

 

 

「すまない。私がもう少し早く気がついていれば……」

 

「そんなっ、モモンガのせいじゃないよ」

 

「妹の言う通りです。妹を、村を助けてくださり本当にありがとうございます」

 

「気にするな。村を救ったのは私ではないが、配下には後で礼を伝えておこう。さて、そろそろ私達も行こうか。〈全体飛行(マス・フライ)〉」

 

 

 お母さんとお父さんは無事なのか、それを確認するのは怖い。でもいつまでもここで待っていても仕方がない。

 いつの間にか黄金の杖をどこかに仕舞い込んだモモンガに促され、魔法でふわりと浮かび上がった私達は村に向かった。

 

 

「――はぁ、命令丸投げしてこっちに来たのは不味かったかなぁ。でもネムがピンチだったんだから仕方ないじゃないか。見つけて直ぐに動いてなかったらもっと被害が出たかもしれないし……」

 

 

 村に戻るまでの間、モモンガは悩むようにずっと一人で小さく何かを呟いていた。

 さっきも独り言が多かったし、凄いアンデッドでも色々苦労しているんだろうな。

 

 

「――あぁ、俺たちの事、なんて説明すれば…… うっ、建物どれくらい壊したんだろう。村の人達に謝らないとなぁ…… お詫びにこっちで建て直すか? あっ、顔隠さないといけないんだった」

 

 

 助けてくれたのはモモンガで、悪い事なんて何もないのに。モモンガはとっても責任感が強い。

 村に着いたら私がみんなに説明してあげよう。モモンガは悪いアンデッドじゃないんだよって。

 

 

「ねぇ、ネム。結局この方は何者なの?」

 

「私の友達だよ。夢にあるお城に住んでて、とっても綺麗なんだよ。あっ、寝てる時にモモンガとは会ったんだ。あとね、モモンガは魔法が色々使えて――」

 

 

 モモンガが一人で思考に集中している中、困惑した表情の姉が小声で尋ねてくる。

 私はとりあえず村に着くまでの時間で、精一杯モモンガの良いところを姉に頑張って伝えてみた――

 

 

「――それで約束したら来てくれたんだよ。凄いでしょ?」

 

「あはは…… モモンガ様は凄いお方なんだね。うん、凄すぎて何言ってるのか理解しきれないけど……」

 

「あー、ネムよ。姉も困っているようだし、私の正体は秘密にしておこうか」

 

「うん、分かった……」

 

 

 ――でも、結局モモンガの正体がアンデッドだという事は、村のみんなには秘密にする事になった。

 ごめんね、モモンガ。私じゃお姉ちゃんにすら上手く伝えられなかったみたい。

 

 

 

 

 村に着いてから両親を探すと、奇跡的に二人とも生きていた。

 どちらも剣で刺されて死ぬ寸前だったらしいが、突然現れたメイドが治癒の魔法で助けてくれたそうだ。

 

 

「お母さん、お父さんっ!!」

 

「ああ、ネム、エンリ!! 二人とも無事だったか……」

 

「エンリ、ネム、本当に無事で良かったわ……」

 

 

 この村を直接助けた人達は既に帰っており、今は誰も残っていない。だけどモモンガの部下である事は告げていたらしい。

 仮面を着けたモモンガがさっきまでいた集団の主人だと名乗っても、それ程怪しまれる事はなかった。

 でもモモンガは村のみんなから少し怖がられていたように思う。

 村長の家で報酬の事とか色々話していたみたいだけど、モモンガ曰く「営利目的の集団と思われた方が向こうも安心するだろう」との事だった。

 

 

「なんでそんなに怖がるんだろう。モモンガは優しいのに……」

 

「ネム、モモンガ様は村の事を心配してくれているの。だから本当の事は言っちゃダメよ」

 

「うん、言わないよ……」

 

 

 モモンガ達は魔法の実験に失敗して、この辺りに集団転移してきた旅人の集団。

 そして偶然近くの村が襲われている事に気がつき助けに来た――という設定の作り話を村のみんなに伝えていた。

 私とモモンガが友達であるという事も、不自然だから周りには秘密のままだ。

 

 

(モルガーさん…… それにあの子も…… っ私は生きてる。だからしっかりしなくちゃ!!)

 

 

 助からなかった人の中には近所に住んでいた人、一緒に遊んだ事のある友達――自分のよく知る人達も当然いた。

 家族を失った人は泣き崩れていたが、それでも今は立ち上がっている。

 亡くなった人達の葬儀も終わったばかりだが、それを悲しみ続けてもいられない。

 

 

「お姉ちゃん、こっちは終わったよ」

 

「ありがとう、ネム。次は村長さんの所にこれを届けてくれる?」

 

「うん、分かった」

 

 

 私に出来る事は少ないが、今は少しでも人手が必要とされている。子供だからと自分だけ休んではいられない。村のみんなも一生懸命働いているのだ。

 荒れてしまった村の片づけを手伝っている途中、私はモモンガと村長が不安気に話しているのを見つけてしまった。

 

 

「どうかされましたか、村長殿」

 

「ああ、モモンガ様。実はこの村に騎士風の者達が近づいているようで」

 

「なるほど…… 分かりました、それでは――」

 

 

 村長とモモンガだけを広場に残して、村のみんなは村長の家に向かっている。

 私も家に行くように言われたが、少しだけモモンガと話がしたかった。

 

 

「モモンガ…… 何かあったの?」

 

「この村に何者かが向かって来ているらしい。でも大丈夫だ。きっとこの村を助けに来てくれた人達だよ」

 

「本当?」

 

「ああ。それにもし悪い人達だったら、私が魔法でやっつけるから安心しろ。さぁ、もう行きなさい」

 

「うん、また後でね…… モモンガも気をつけてね」

 

 

 家族をこれ以上待たせる訳にもいかない。私は家族と一緒に、村のみんなが集まっている村長の家へと急いで向かった。

 走りながら後ろを振り向くと、私に軽く手を振るモモンガの姿が見える。

 そしてその背後に、馬に乗った人が近づいて来ているのが見えた。

 

 

「――私はリ・エスティーゼ王国"王国戦士長"ガゼフ・ストロノーフ――」

 

 

 襲って来た騎士達とは違う格好だ。それでも鎧姿は嫌な記憶が蘇ってくる。

 何も出来ない私は心の中で祈った。

 どうかあの人が悪い人じゃありませんように――もしもの時はモモンガが負けませんように、と。

 

 

 

 

 ガゼフは数十人の部下を連れ――帝国の騎士と思しき集団に襲われているとの報告があった――辺境の村を救うべく行動していた。

 しかし、駆け付けた村は既にどれも壊滅状態。悲劇を食い止める事は出来なかった。

 

 

「この村もか…… くそっ。周囲を警戒しつつ、生き残りを探せ!!」

 

「はっ。了解しました」

 

 

 焼け落ちた村で助けられたのは、息を潜めて地下の物置などに隠れていた数名のみ。その僅かな生存者のために、部隊から人を割いてエ・ランテルまでの護衛を用意した。

 そのため一つ、二つと襲われた村を見つける度、部隊の戦力は減り続けていった。

 

 

「ガゼフ戦士長、これは確実に罠です。戦士長もお気づきでしょう」

 

「だがここで退けば、それこそ確実に民は犠牲となる」

 

「ですがっ、貴族どものせいで明らかに戦力が足りていない…… 一度皆でエ・ランテルまで引き返すべきです。例え残りの村が犠牲になろうとも、最強の戦士である貴方を失う事に比べれば……」

 

 

 貴族の横槍が入り、ガゼフは本来の最強装備――王国の至宝を装備していない。

 そして王から出動を許可された人数もたったの五十名だけ。

 おそらくこれは罠に違いない。全て副長の言う通りだ。だが、それでも自分には退けない理由がある。

 平民であった自分を取り立ててくれた王に対する忠義のため。そして、この国を愛し、守護する者の一人として。

 

 

「私は平民出身だ。村の生活は死と隣り合わせ、モンスターに襲われる事も珍しくはない……」

 

「私も平民出身ですので、それは分かります。誰も助けに来てくれない事が当たり前でしたが……」

 

「そうだ。だが心のどこかで期待していただろう? 貴族や冒険者、力ある者が救いの手を差し伸べてくれないかと。だからこそ、我々が示そうではないか。危険を顧みず、弱き者を助ける――強き者の姿を」

 

 

 ガゼフは危険を知りながらも諦めず、一人でも多くの人を助けるために次の村へと進み続けた。

 そして最後に辿り着いた辺境の村――カルネ村を目にした瞬間、ガゼフは驚きとともに自らの無力さを嘆いた。

 

 

「なんだこれはっ!? くっ、我々は間に合わなかったのか……」

 

 

 酷く飛び散った血痕。壁が粉々に破壊された家。焼け焦げた地面。深く抉れた大地。

 ――まるで怪物が暴れ回ったような有様だ。

 今まで見てきた他の村の様子とはかなり違ったが、襲撃を受けた後である事は明白だった。

 

 

「ガゼフ戦士長、前方に人の姿が」

 

「なにっ、生存者か?」

 

 

 村の中へ馬に乗ったまま駆け込むと、広場に二人の人物が立っていた。

 一人は四十代半ばだと思われる男性。どこの村にもいる普通の平民だろう。

 

 

(あれは…… 何者だ?)

 

 

 だが、もう一人は異様な格好をしていた。

 身に纏っているのは豪華な闇色のローブ。その手は無骨な籠手に包まれ、顔には仮面を着けている。

 どう見てもただの村人には見えない。

 

 

「――私はリ・エスティーゼ王国"王国戦士長"ガゼフ・ストロノーフ。この近隣を荒らしまわっている帝国の騎士達を討伐するため、王の御命令を受け、村々を回っている者である」

 

「おお、王国戦士長様が……」

 

「この村の村長だな? 隣にいるのは一体誰なのか教えてもらいたい」

 

「はい、この方は――」

 

 

 村長に紹介され、彼こそがこの村を救った旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)であると教えてもらった。

 正確には彼の指示を受けた部下達が、襲われていたこの村を助けたそうだ。

 彼ら自身も転移の事故というトラブルの最中だったというのに、村を襲った騎士達を一人残らず殲滅し、その上村人達の治療まで行ったのだと言う。

 

 

「モモンガ殿。この村を救っていただき、感謝の言葉もない」

 

「いえいえ。私達も偶然に通りがかっただけですから。それに報酬もいただいておりますしね」

 

 

 助けた理由を気軽に告げるその姿に、なんと人徳ある御仁なのだと思った。

 神殿の神官達に魔法で治療してもらう場合、かなりの大金が必要だ。それこそ普通の平民ではまず払えない金額だ。

 村を救った事も考えれば、きっと彼らは正当な額の報酬など受け取っていないだろう。しかし、それを不満に思っている様子もない。

 

 

「申し訳ない。緊急だと判断し、仲間達も少々手荒にやってしまいました。証拠となる死体や鎧も、あまり状態が良いものは残っていないのですが……」

 

「はははっ、村を救っていただいたのだ。モモンガ殿がそのような事までに気にされる必要はない」

 

 

 体格に似合わず謙虚な物言いに思わず苦笑してしまう。だが、その誠実さはガゼフ個人としては非常に好感が持てた。

 冒険者などが無償で治療する事は法で禁止されているが、それは言わずに目を瞑った。

 村を救った事に比べれば些細な事だが、今の自分に返せる事などこの程度しかない。

 

 

「よければどこか話せる場所を貸していただけないだろうか。詳しい状況を――」

 

「――っガゼフ戦士長!!」

 

 

 もう少し詳しい話を聞きたい所だったが、その時部下の一人が真剣な様子で駆け寄って来た。

 

 

「どうした。何があった」

 

「戦士長、周囲に複数の人影が。村を囲うように接近しつつあります。魔法詠唱者と思われる者達が最低でも三十人以上かと」

 

「なんだと!?」

 

「天使のようなモンスターを召喚しているのも確認しております。このままでは完全に包囲されるのも時間の問題です……」

 

「不味いな。至急皆を集めろ」

 

 

 ――魔法詠唱者による天使の召喚。

 そんな事が可能な魔法詠唱者を大量に用意出来るとなると、相手は恐らくスレイン法国に違いない。

 それも神官長直轄の特殊工作部隊――六色聖典のいずれかだろう。

 ガゼフは思わず歯噛みする。

 

 

(貴族派閥だけでなく、他国――スレイン法国にまで命を狙われるとは……)

 

 

 つまりこれまで帝国の騎士と思われていた謎の集団が、王国の村を襲っていたのはスレイン法国の偽装工作。自分を誘き寄せるために法国が仕掛けた作戦だったのだ。

 

 

「モモンガ殿、よければ雇われ――」

 

 

 今の自分たちの戦力では勝てない。だが、この村を救ったモモンガの仲間達がいれば、協力する事で何とかなるかもしれない。

 そう判断したガゼフは向き直って声をかけようとした――が、先程まで話していたモモンガの姿は綺麗さっぱり消えていた。

 

 

「――なっ!? ……村長殿、モモンガ殿はどちらに?」

 

「も、申し訳ありません。私も気づいたら隣にいたモモンガ様がおらず……」

 

 

 まさか逃げたのか。いや、これで彼を責めるのは間違っている。

 そもそも彼らはこの国の者ではないはずだ。無関係にもかかわらず、義憤によって賊を討伐し、村人に治療まで施してくれたのだ。

 既に一度村を救ってもらっておきながら、何の恩も返さずに再び命を懸けてくれなど、国に仕える兵士として恥ずべき事だ。

 

 

(私は王国戦士長。王を御守りし、国を害する敵を倒すための剣だ。今度こそ自らの手で民を救わなければならない)

 

 

 ガゼフは集まってきた部下の顔を見て、村を救うために囮になる決意を固める。

 

 

「村長殿、我々は今から敵の包囲網を突破します。出来るだけ敵を引き付けますので、その間に村の者達は反対側から脱出を」

 

「戦士長様…… 分かりました」

 

 

 村長は一度驚いたような顔をしたが、生きるための強い意思を持って頷いてくれた。

 そうだ。私はこのような者達を救うために来たのだ。何も迷う必要はない。

 

 

「お前達、我々は今から村を出て敵に突進攻撃を仕掛ける!! 包囲網を突き破り、全ての敵を村から引き離せ。然るのちにそのまま撤退だ。いいか、絶対に生きて――」

 

 

 ――突如として空気を震わせる轟音が響いた。

 

 

「――今のは一体なんだ!?」

 

 

 部下に激励していたガゼフは音の正体を探るべく、咄嗟に村の外へ顔を向けた。

 村の外に広がる草原。その遥か先で何かが光り、再び爆音が連続して轟く。

 音が静まり返ってからしばらくの間、ガゼフ達は動かずに様子を見ていた。

 

 

「――突然席を外してしまい申し訳ない。偵察に出ていた仲間から連絡があったもので」

 

「モモンガ殿!?」

 

 

 すると唐突にモモンガが目の前に現れた。

 先程消えたと思ったのは魔法で転移していたのだろう。この魔法がどれほど凄い事なのか、魔法に詳しくない自分では判断が出来ない。

 だが、この正体不明の仮面の御仁からは、底知れぬ何かを感じる。

 

 

「転移の魔法か…… モモンガ殿、貴方は一体何を……」

 

「不快な連中が村の外にいましたので――撃退してまいりました。いやぁ、実に手強い相手でした。仲間達と協力して戦ったのですが、残念ながら一部は逃げられてしまいました」

 

 

 ――逃げられたというのは嘘だ。

 この短時間で撃退したという事の方が信じられないはずなのだが、それ以上に敵は全滅していると戦士の勘が告げている。

 だが、そもそも村を包囲していたはずの敵をどうやって集めたのだろうか。それとも仲間とやらが各個撃破していったのか。

 どのような方法を使ったのか全く見当もつかない。

 

 

「倒した敵の死体や装備はそのままにしてあります。同じ事の繰り返しで申し訳ないが、原型を留めていない物が多いと思います。証拠になるかは分かりませんが、好きにしてください」

 

「ああ…… 二度も村を救っていただき、感謝する……」

 

 

 この言葉の意味を真に理解するのは、ガゼフ達が村を出て帰路に就いた時だった。

 戦いが行われたであろう場所を見て、戦士団は全員絶句する。

 焼け焦げた地面。深く抉れた大地。バラバラに千切れた衣服鎧の切れ端。もはや肉片しか残っていない死体。

 ――まるで怪物が暴れ回ったような有様だ。

 

 

「モモンガ殿…… 本当に貴方は何者なのだ……」

 

 

 この村に来た時の違和感に答えは出たが、それ以上の謎は残ってしまう。

 かき集めても三人分程度にしかならなかった証拠を回収し、無傷の戦士団は王都に帰っていった。

 部下に犠牲が出なかったのは素直に嬉しい。だが、ガゼフはこの謎の魔法詠唱者の情報により、特大の疲労を抱える羽目になった。

 

 

 

 

 やっぱりモモンガは凄い。

 私達が村長の家に隠れている間に、モモンガとその仲間達が悪い人達を全部やっつけてくれたらしい。

 村はボロボロだし、やる事も沢山あるけど、とりあえず村のみんなもほっと一息つくことが出来た。

 

 

「モモンガ、もう行っちゃうの?」

 

「悪い人達はもういなくなったからな。そろそろ私も家に帰るよ」

 

「うん、分かった。モモンガ、今日はみんなを助けてくれて本当にありがとう。じゃあね……」

 

 

 家の前でちょっとだけ話をしていたが、とっくに夕日も沈んでいる。これ以上引き留めるのは私の我儘になるだろう。

 そう思って口にするのを我慢していたが、話したい事が顔に出ていたのだろうか。

 モモンガは黙っていた私に優しく声をかけてくれた。

 

 

「ネム、これからは夢の中じゃなく、この村に私から遊びに来てもいいか?」

 

「また来てくれるの?」

 

「もちろんだとも。お互いに今は忙しいだろうけど、落ち着いたら必ず来るよ」

 

「うんっ!! 待ってるね、約束だよ!!」

 

「ああ、すぐには来れないかもしれないが、約束だ」

 

「またね、モモンガ」

 

「またな、ネム――」

 

 

 あの時出来なかった指切りをしてから、モモンガは魔法で自分のお家に帰っていった。

 

 ――人じゃなくなった俺を、受け入れてくれてありがとう……

 

 魔法で姿が消える寸前、私に何か呟いていたような気がするけど、残念ながら声が小さすぎて聞き取れなかった。

 

 

「ネム、モモンガ様は帰られたの?」

 

「うん、今帰ったよ。また遊びに来てくれるって」

 

「そっか…… 色々びっくりしたけど、その時はまたお礼を言わないとね。ほら、そろそろ家の中に戻りなさい」

 

「はーい」

 

「……ネム、いつもみたいに早く眠りたいって、言わないの?」

 

「もう早く寝るのはいいかな」

 

「そうなの? うーん…… でも、もう少ししたら寝る時間だからね」

 

「うん、分かってるよ。そうだ、お姉ちゃんに前に見た夢の内容、教えてあげるね――」

 

 

 でも別に構わない。気になるけど、また次に会った時に聞けばいいのだ。

 絶対にモモンガはまた会いに来てくれる。

 だってモモンガは――夢が覚めても、私の()()だから。

 

 

 




虫「あの……セバスを見て私を思い出すシーンは? 精神の変化とか、仲間への執着とか、私の出番とか、結構大切な部分なんですが……」
鳥「え? 幼女がピンチなのに悩む必要ある?」
悪「回想で正義降臨出来なくて残念でしたねぇ」


転移前に友達認定しているので、異世界に転移してモモンガの精神が変化しても、ネムはもちろん友達枠に入ってます。
ギルドメンバーではないけど、友達がいる分モモンガの心労は少しだけ減る――かもしれない。
ナザリック側の活躍はカットしていますが、転移後はギルドの隠蔽だったりみんな結構働いていました。


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プレゼンをするお友達

モモ「――未知の世界を冒険し、一つ一つ制覇していくのも面白いかもしれないな」
デミ「っ!?」
モモ(夜空綺麗だなぁ。この世界を冒険とかしたら楽しそうだなぁ)
デミ(世界を制覇……なる程、世界征服ですね)

不思議の国のアリスをイメージして書いた一話完結の短編だったので、転移後の話は完全にタイトルと関係なくなってしまいました。



 騎士の集団に村が襲撃されて――私がモモンガと再会してから、一週間が経った。

 あの日、沢山の村の建物が壊され、多くの村に住む人が亡くなった。確かに一度、村はボロボロになってしまった。

 普通なら元通りになるのに何ヶ月も、もしかしたら年単位で時間が掛かっていたかもしれない。でも今のカルネ村は人口こそ減ってしまったが、既に以前と近い姿を取り戻している。

 実のところ村の井戸や倉庫、住んでいた家などは、全て数日前に修理が終わっているのだ。

 

 

「私の配下が壊した物は責任を持って修理、あるいは建て直しをさせて頂きます」

 

 

 村が襲われた次の日。朝早くから来てくれたモモンガは、村長夫妻の家を訪れてそう告げたらしい。

 そしてモモンガと一緒に来た集団が、村の物をあっという間に直してしまった。

 ただしその人達の正体は分からない。

 作業をしていた人達は、みんな体をスッポリと覆う上着を着ていたのだ。

 だから私達はどんな人か知らない。頭から隠していたので、彼らの顔すら見ていない。

 飲まず食わず休まずの超速作業。村のみんなもその人達の仕事の早さには驚いていた。

 

 

(多分、顔とか隠してるのって、モモンガと同じ理由なのかな?)

 

 

 でも私にはちょっとだけ正体に予想がつく。

 モモンガの仲間はきっと人間じゃない――私は別に気にしないけど、大人の事情とか気遣いというものなんだろう。

 

 

「おっと魔法が滑ったー。〈衝撃波(ショック・ウェーブ)〉あー、申し訳ない。私の不注意でまた壊してしまった。こちらも修理させて頂きます」

 

 

 それは誰の目から見ても演技だと分かった。

 仲間達が他の所で作業をしている時、モモンガは元から壊れていた場所――騎士達が壊した場所に魔法を撃ち込んでいた。

 そうする事で理由を作り――モモンガの仲間が壊した物だけでなく――騎士達が壊した物も、全て無償で直してくれたのだ。

 

 

(やっぱりモモンガは優しいよね……)

 

 

 その優しさが伝わったのか、それからモモンガの事を怖がる人はいなくなった。

 でも何かを思い出したように「あの美人だけどヤバいメイド達の主人とは思えない」「騎士の頭を拳で爆散していた執事が言ってたが、慈悲深いとは本当だったのか」「ダークエルフの鞭恐い」「黒い戦斧を振り回す女戦士恐い」って言う人はいっぱいいた。

 多分他の仲間の事だろうけど、どういう意味なんだろう。

 

 

「慌ただしくてすまんな。今度はちゃんと遊びに来るからな」

 

「うん、待ってるね。モモンガも無理しないでね」

 

「ああ、ネムも体には気をつけてな」

 

 

 作業をしている仲間をそのまま村に残し、モモンガはその日の内に帰っていった。

 そしていつの間にか作業を終えたのか、仲間の人達も数日以内にいなくなっていた。

 以来、私は家の手伝いを頑張りながら、今日までずっとモモンガが来るのを待っている。

 

 

「モモンガ、次はいつ来るのかな……」

 

 

 家でお昼ご飯を食べた後、私は一人で家の外に出ていた。

 村の人手が足りなくて、両親はとっても忙しそうにしている。もちろん、姉も同じだ。

 本当はもっと色々手伝いたいけど、今の自分に出来るのは邪魔をしないようにする事だけ。

 だからお昼の休憩くらいは、私に構わずゆっくりして欲しい。

 

 

(近所のおじさん、今日は凄い元気だなぁ)

 

 

 特に何も考えずに歩いていると、異様に機敏な動きで作業をしているおじさんを見かけた。

 遠目から観察すると姿がブレて見える。一つ一つの動作をする度にシュパッ、シュパッと音が聞こえてきそうだ。

 

 

(集中してるみたいだし、邪魔しちゃ悪いよね)

 

 

 昨日見た時はあんな風じゃなかった気もする。何があったのか気になるけど、忙しそうだし声をかけるのはやめておく事にした。

 一人でどうやって時間を潰そうか迷っていると――私の目の前に闇が現れた。

 

 

「――数日ぶりだな、ネム。元気にしていたか?」

 

 

 宙に浮かぶ闇から出て来たのは、私が待ち望んでいた友達だ。

 前と違って地味なローブを着ているし、変な仮面で顔も隠れている。

 でも私にはその声と雰囲気で分かった。間違いなくモモンガだ。

 

 

「モモンガ!! 遊びに来てくれたの?」

 

「ああ、これからは気兼ねなく遊べるぞ。時間はかかったが、やっと仲間達を説得出来たんだ」

 

「やったー!! あっ、説得って何?」

 

「いや、護衛がいないのは危険だ何だと、色々と言われて大変だったんだ……」

 

「あれ? でもモモンガは今一人だよね?」

 

 

 思わず喜んだが、モモンガは無理をしていないだろうか。

 モモンガは部下が沢山いるみたいだから、その人達から何か言われたのかもしれない。

 でも、その割にモモンガの周りには誰もいない。

 

 

「厳密には一人という訳でもないんだが…… まぁ気にしなくていい。ところでネムよ、前にしたもう一つの約束を覚えているか?」

 

「約束? ……っあ!!」

 

 

嬉しそうなモモンガの問いかけに一瞬首を傾げるも、直ぐにその約束を思い出した。

 

 

「冒険だ!!」

 

「そう、冒険だ!! この世界には冒険者というのがいるのだろう。ネム、私と一緒に冒険者をやってみないか?」

 

 

 冒険者の事なら知っている。

 薬師のンフィーレアが森に薬草採取をしに来る時――姉に会うための口実かも――一緒に連れて来ているのを何度か見た事がある。

 

 

「やりたい!!」

 

「それは良かった。じゃあ早速両親に許可を貰いに行こう。ネムはまだ未成年だから、こういうのはキッチリとしておかないとな」

 

「お父さんとお母さん、許してくれるかな?」

 

「そこは私に任せておけ。こう見えて営業、交渉にはそこそこ自信があるんだ」

 

 

 モモンガはとっても自信有り気に見える。

 もしかしたら色んな凄い魔法とかを使う時よりも自信に満ち溢れているかもしれない。

 

 

(営業とかよく分からないけど、モモンガなら大丈夫だよね)

 

 

 あの大きな机のある部屋で、私はモモンガの色んな冒険の話を聞いた。その時から私はずっと憧れていた。

 そんな冒険に、遂に自分がモモンガと行ける。そう考えるとワクワクした気持ちと期待が止まらない。

 

 

「うん、モモンガに任せる!!」

 

 

 それに、冒険者になってお金がちょっとでも稼げたら――私でも、少しは家族の役に立てるよね。

 

 

 

 

 これは一体どういう状況なのだろうか。

 目の前にいるのは地味なローブを纏い、仮面と籠手を身に着けた人物。総評すると全く地味ではなく、むしろ非常に怪しい人物。

 だが私達夫婦の命の恩人――赤毛のメイド――の主人であり、この村にとっても大恩人と言える方だ。

 

 

「お父さん、お母さん。私、モモンガと冒険者になる!!」

 

「突然の事ですみません、エモットさん。ネムと冒険に行きたいのですが、許可して頂けないでしょうか?」

 

 

 そんな凄い方――モモンガ様を連れて来たのは、非常に生き生きとした笑顔を見せる一番下の娘だ。

 何故か仲が良いとは聞いていたが、全く意味が分からない。

 

 

「あの、モモンガ様。流石にそれは……」

 

「もちろん大切な娘を心配するお気持ちは理解しております。そこで、先ずはこちらをご覧下さい」

 

 

 突然に取り出されたのは、材質が不明の白い板。

 何やら色々と書かれているが、まるで状況が理解出来ない。

 

 

「冒険と言えば危険が付きもの……やはり気になるのは安全面でしょう。ですが大丈夫です。こちらの指輪があれば――」

 

 

 更に二つの指輪を取り出して見せてくれるが、こちらはただの農民だ。

 価値がある物だとは分かるが、その先の効果の理解までは及ばない。

 

 

「私は『安全』『楽しい』『凄い』をモットーに冒険をしようと思っております。当然ネムの希望も――」

 

 

 一体私は何を見せられているんだろうか。

 恐らく魔法によるものだと思うが、空中に冒険者の絵が浮かんでいる。

 先程から隣に座っている妻や、長女のエンリも固まってしまい、二人とも目が点になっている。

 でもネムだけはキラキラと目を輝かせている。

 

 

「依頼を受ける際など、難しい大人との交渉は私が責任を持って行わせて頂きます。もちろん報酬はネムと完全に折半し、御希望であれば明細書を――」

 

 

 完全に理解するのは諦めた。

 ただ一つ分かった事は、この方は本気で娘と冒険に行きたいという事。まるで友人と遊びに行きたいと言っているかのようだ。

 その気持ちに裏表はなく、本当にそれだけだと感じる。

 

 

「私はホワイトな冒険を望んでいるので、長時間労働もありません。門限は親御さんの希望に合わせ、行き帰りの送迎も完備しております」

 

 

 モモンガ様が提案される事は、どれも限りなくこちらの事情を配慮してくれている。

 それは本当に冒険者なのか。ピクニックの間違いではないのか。思わずそう言いたくなる程に。

 

 

「――本企画は娘さんを成長させてくれる、そんな貴重な経験となる事でしょう。私、モモンガが自信を持ってお約束させて頂きます。……如何でしょうか?」

 

「凄い凄い!! 完璧だよモモンガ!! お父さん、お母さん、冒険者になってもいいでしょ? お金も少しは稼げるようになるよ?」

 

 

 仮面の人物に向けられた、本当に嬉しそうな娘の屈託のない笑顔。

 ――本当に内容を理解していたのか娘よ。

 そしてこちらを見た時の――私達、家族を気遣う様な表情。

 ああ、私はなんて情けない親なんだ。

 

 

「エンリ、ネムを連れて少しだけ出てくれないか。モモンガ様と私達だけで話したい事がある」

 

「お父さん…… 分かった。ネム、ちょっとだけ外に行きましょ」

 

「はーい」

 

 

 二人の娘達が家を離れた後、私と妻は真剣な顔をして姿勢を正す。

 

 

「モモンガ様……申し訳ありませんが、娘を冒険者にする事は出来ません」

 

「何かこちらに至らぬ点があったでしょうか?」

 

「そうではありません。貴方様の御力があれば、娘は冒険者となっても怪我一つしないでしょう」

 

 

 この方自身にも問題はない。私達のような平民に対しても、しっかりと礼を尽くしてくれる立派な方だ。そしてその力も申し分ない。

 きっと約束通りネムを守ってくれるだろう。

 

 

「ですが、それはあの子の力ではない。娘には、そんな無責任な仕事をさせたくないのです……」

 

 

 娘に寂しい思いをさせている自覚はある。

 娘が無理をしているのも知っている。

 そんな駄目な親であっても、子供には立派な大人になって欲しい。これが私の本音だった。

 これが既に十六歳のエンリであれば――本人が冒険者をやりたいと言えば――やらせたかもしれないが。

 

 

「……なるほど、確かにこれではネムの成長にはなりませんね。申し訳ない。私とした事が浮かれて失念していたようです」

 

「モモンガ様に非はありません。私も娘の気持ちを思えば、冒険に行かせてやりたいと思います。……最近のあの子はとても良い子です。良い子になってしまった……」

 

 

 あの日から、娘は我儘を言わなくなった。

 以前は天真爛漫で、よく私達を困らせていた快活な娘だった。そんなネムが、最近では自分から進んでお手伝いをするようになった。

 私達に迷惑をかけないように、気遣うようにいつも笑顔を作っている。

 

 

「モモンガ様と一緒に来たあの子は、久しぶりに心から笑っているように見えました。娘からのお願いも久々でした……」

 

「そうでしたか…… 話は変わるのですが、ネムと私の関係について、どの程度ご存知ですか?」

 

 

 今更だが、この方と娘の関係はよく知らない。

 ネムが心から信頼しているという事。本人も凄い魔法詠唱者(マジックキャスター)で、かなり力のある集団を率いる主人である事。それ以外はほぼ知らないと言っていい。

 

 

「いえ、長女のエンリからも何故か仲が良いとしか……」

 

「私もネムからは、モモンガ様は友達だと聞いているくらいで……」

 

「では、少し話を聞いて頂きたい。こんな怪しい風貌の私に、お二人は誠意ある対応をしてくださった。私も誠意を見せたいと思います」

 

 

 真剣な様子で、そしてどこか楽しそうに、モモンガ様は娘との出会いを話してくれた。

 

 

「あの子と初めて会ったのは、私の家の中でした。彼女は私の見ていた夢に迷い込んだのです」

 

「夢、ですか……」

 

「ええ、恐らくタレントか何かでしょう。無意識でしょうが、他人の夢に入れるのかもしれませんね。机の上に見知らぬ少女が立っていたので、私も驚きましたよ」

 

 

 荒唐無稽だが、嘘を言っているようには見えない。

 娘にそんな力があったとは知らなかった。

 でも以前、夜になると早く寝るようになった理由もこれで合点がいった。

 娘に言われた時は理解出来ていなかったが、本当にネムは夢の中で遊びに行っていたのだ。

 

 

「ネムは最初、私の顔を見たとき『お化け』だと言って驚いていましたよ」

 

「娘が大変失礼な事を……」

 

「気にしないでください。事実ですから。それでその後、ネムが机から落ちそうになったのを助けたのですが…… 二言目は『私の事を食べたりしない?』でしたね」

 

 

 割と最悪な出会いではないだろうか。

 だが、モモンガ様は別段怒っているようには見えない。むしろ微笑ましい思い出程度に捉えているようだ。

 モモンガ様は常に仮面で顔を隠されているが、その素顔はそれ程怖い顔だったのか――

 

 

「ですが、ネムは最後に私に向かって『助けてくれてありがとう』と、ちゃんとお礼を言いましたよ。こんな私にね――」

 

「っ!?」

 

 

 ――これは確かに怖い。思わず死を覚悟してしまった。

 あっさりと目の前で外された仮面。その下に隠されていたのは、皮も肉もない完全な骸骨だった。

 

 

「アンデッド、だったのですか……」

 

「ええ、その通りです。私はアンデッド……不死の肉体を持つ化け物です」

 

 

 眼窩に淡い灯りが灯った骸骨。

 穏やかな声に反して、その見た目は恐ろしいの一言に尽きる。

 悲鳴こそあげなかったものの、私も妻も体が僅かに震えてしまった。

 

 

「こんな私にネムは友達だと言ってくれたのです。だから私はこの村を救いました」

 

「全てではありませんが、色々と納得しました…… 正直なところ、貴方様の事を怖いとも感じています」

 

「……アンデッドは生者の敵。そんな存在と仲良くなるなど、あまり褒められた事ではありませんから。それが普通だと思います」

 

 

 モモンガ様はそれが当たり前だと言い、どこまでも穏やかな様子が崩れない。

 目を瞑ればそこに人間がいると、正体を知った今でもそう思うだろう。

 

 

「――ですが、改めてお礼を言わせて下さい。私達を、この村を救って頂きありがとうございました」

 

「本当にありがとうございました」

 

 

 確かに恐ろしいし、アンデッドは生者の敵だ。だが、目の前のアンデッドが私達を助けてくれたのだ。たとえ人間ではなくとも、この村を救った恩人である事実は変わらない。

 妻と一緒に頭を下げると、目の前のアンデッド――モモンガ様は驚いたようだった。

 そして変わる事のない表情のまま、優しい声で小さく笑った。

 

 

「やはりあなた方はネムの両親ですね…… 心配なさらずとも、あの子は前から良い子でしたよ」

 

「ありがとうございます……」

 

「いえいえ、育て方が良かったのでしょう。上の娘さんも、私のこの姿を見た上でお礼を言ってくれましたから」

 

 

 どうやらネムだけでなく、エンリも正体を知っていたらしい。

 だが、周りに話す事は出来ない。これは私達家族だけで秘密にするべきだと思った。

 

 

「おっと、大切な事を忘れるところでした。とりあえず冒険者になるのはやめておきます。ただ、ネムと森へ散歩に行ってもよろしいでしょうか?」

 

「トブの大森林ですか?」

 

「はい。ネムが以前行きたがっていたので、冒険の代わりにと」

 

 

 本来ならトブの大森林も危険な場所だ。

 だが、この方にとっては魔境の探索も森林浴と変わらないのだろう。

 

 

「モモンガ様、娘をよろしくお願いします」

 

「お任せください。ああ、それと一つだけお願いがあるのですが……」

 

「何でしょうか?」

 

「私の事を様付で呼ぶのをやめて頂けないかと――」

 

 

 ――友人の家族にそう呼ばれるのは、恥ずかしいですから。

 

 この方は人ではない。一般的には生者を憎むアンデッドと呼ばれる存在だ。

 しかし、それでもモモンガさんは――ごく普通の、ただの娘の友人なのだろう。

 

 

 

 

 あれだけ期待させておいて、この結果というのは流石に心苦しい。だが伝えなければならない。

 エモット夫妻と話し終わった後、外で待っていたネムに冒険者にはなれない事を告げた。

 

 

「そっか……残念だけど、仕方ないよね」

 

「ごめんな、ネム。代わりと言うわけではないが、今から森に行かないか?」

 

「行く!!」

 

 

 期待の表情から一転、ネムは非常に残念そうな表情を浮かべた。だが、代わりにトブの大森林へ行く事を提案すると、すぐに笑顔に戻ってくれた。

 こうなればもう決まっている。善は急げである。

 

 

「急がないと時間がなくなっちゃう。早く行こ、モモンガ!!」

 

「はははっ、慌てるな。森までは私の魔法でひとっ飛びだ――」

 

 

 村から一番近い場所――始まりの村の次に行く場所など、大抵は雑魚敵しかいないものだ。

 実際アウラ達の調査でも、脅威となるモンスターなどは見つかっていない。

 大した事はないかも知れないが、初めての場所に行くのだ。これも冒険には違いない。ネムと一緒に大自然を楽しませてもらおう。

 

 

「私も本物の森に入るのは初めてだが、結構薄暗いんだな」

 

「本物?」

 

「あー、この世界では初めてって意味だよ」

 

 

 森に入ってすぐの所は人の手が入っており、あまり危険なイメージはない。

 だが、森の奥へと歩みを進めると、その雰囲気が一変する。

 現在の時間帯は昼間で、太陽は一番高い位置にある。明るい時間帯にもかかわらず、背の高い木々が日光を遮り、森全体が薄暗く感じる。

 

 

「なんだかワクワクしてきたな。随分と歩き辛いが、ネムは大丈夫か?」

 

「絶好調だよ。モモンガって本当にいっぱい魔法が使えるね」

 

「まぁな。私ほど多くの魔法を覚えた人は、周りにも中々いなかったからな」

 

 

 太い樹木の根が飛び出た道はデコボコで、草木によって視界も悪い。

 暗がりや木の影から、突然モンスターが飛び出して来ても不思議ではない。

 多少は警戒しないといけないが、ネムの言葉につい気が緩んでしまう。

 

 

「あっ、薬草があった。お土産にしよっと」

 

「何がいるか分からんからな。周りにも気を付けろよ」

 

「はーい。こっちにもあった!!」

 

 

 人の手が届かない場所だからだろう。取り放題とばかりに、ネムはあちこちに生えている薬草を集めていた。

 一応ネムに声をかけたものの、実はありったけの補助魔法は既に唱えてある。正直不安もあまりなかったりする。

 

 

『――侵入者よ。某の縄張りに何用でござる?』

 

 

 一度ここらで引き返すべきか。そう考える程度には時間も経過してきた頃。

 二人で呑気に散策を続けていると、突如どこからか声が響き渡った。

 

 

「ネム、私の近くに……」

 

「うん……」

 

 

 声が反響していて相手の位置が掴めない。

 魔法で探知する手もあるが、若干隙が出来てしまうだろう。

 保険はいくつもあるが、念のため不意打ちでネムが狙われる事は避けたい。

 

 

「姿を隠してないで出て来たらどうだ? 私は逃げも隠れもしないぞ。それとも……姿を見せる事さえ出来ない臆病者か?」

 

『言うではござらぬか。ならば侵入者よ、某の威容に恐れ慄くがよい!!』

 

 

 ――コイツ意外とちょろいな。

 

 自分の挑発に予想よりあっさりと乗り、謎の声の主が二人の前にその姿を現した。

 

 

「こ、これは!?」

 

「凄く、大っきい……」

 

 

 樹々の間から飛び出すように現れたのは、モモンガを上回る大きさの四足歩行の魔獣。

 自分はその見た目に驚きを隠せず、ネムはその巨大さに呆然としている。

 

 

「ふっふっふ……某の姿を見て驚いているようでござるな」

 

 

 魔獣の見た目は非常にデカいジャンガリアンハムスターだった。

 情報系魔法をこっそりと発動してみたが、そのステータスも大したことはない。

 この妙なござる口調と言い、チュートリアル後に出てくる小ボスみたいなものだろう。

 

 

「色々とツッコミたいが、今はネムと散歩中だ。会話シーンはカットさせてもらうぞ!!」

 

「言葉は不要でござるな…… さぁ、命の奪い合いを――」

 

 

 ネムの前で少しだけカッコつけようと、特殊技術(スキル)でオーラを解放しながら――

 

 

「――ふぁぁぁあっ!? 降伏でござるー。某の負けでごさるよー」

 

 

 ――まだ何もしていないのに決着が着いた。

 厳密には〈絶望のオーラI〉を発動したが、本当にそれだけだ。

 

 

「えぇ……」

 

「どうするのモモンガ? 魔獣さん、寝転んじゃったけど」

 

「普通に魔法で殺そうと思ってたんだが……」

 

 

 ぶち殺す気満々だったのだが、この見た目でこうも降伏されるとやる気も削がれる。

 

 

「待ってほしいでござる!! その強さに感服したでござる。某、殿に忠誠を――」

 

「いらん。忠誠とかお腹いっぱいなんでいいです。結構です」

 

「そんなぁぁ……」

 

 

 これ以上は本当にいらない。悪いが即断る。

 涙目でお腹を見せる魔獣がネムの目にはどう映っていたのか。ネムはゆっくりと魔獣に声をかけた。

 

 

「魔獣さんは、悪い魔獣さんなの?」

 

「何をもって悪とするかは知らないでござるが…… むむむ、そうでござるな。自分から人間を襲いに行った事はないでござるよ? 某の縄張りに入った者は殺すと決めているので、別でござるが……」

 

 

 魔獣の言葉を聞き、ネムはじっくりと考えている。そして悩んだ末に、ネムは私にあるお願いをしてきた。

 

 

「うーん……モモンガ、この魔獣さん見逃しちゃ駄目?」

 

「別に構わないぞ。ぶっちゃけどうでもいいしな」

 

 

 本当にどうでもいい。どうせ自分はもうこれ以上経験値は貯まらないはずだし、こんな弱い奴を倒してもたかが知れている。

 ネムのお願いを無視してまで殺すメリットは皆無だ。

 

 

「魔獣さん、勝手に縄張りに入ってごめんなさい。でも、また襲われるのも嫌だから、私と友達にならない? 友達なら入っても良いよね?」

 

「なんと、某の命を助けるだけでなく、友になろうと言うのでござるか……」

 

「やっぱり嫌、かな……」

 

 

 なんてネムらしい発想だろう。流石は骸骨に向かって友達だと言い切っただけはある。

 もしまた魔獣が襲うと言うのなら、今度こそ殺してやろう。

 

 

「嬉しいでござる…… 某を倒して名声を得ようとする者は多かったが、友になろうと言ってくれた人間は、其方が初めてでござる。是非とも、某と友になって欲しいでござる」

 

「そうなの? じゃあ私が初めての友達だね。私の名前はネム・エモットだよ」

 

「ネム殿、よろしくでござる!!」

 

「よろしく!! 魔獣さんの名前も教えてよ」

 

「残念ながら、某にちゃんとした名前はないでござる。以前は森の賢王と呼ばれていたでござるが……」

 

「うーん、そのままじゃ呼び辛いね。じゃあ今から名前、考えようよ」

 

 

 目の前で繰り広げられるハートフルな光景。

 巨大なハムスターと少女の触れ合いは、見ていて非常に和む。

 良かったな魔獣。死なずに済んで。

 

 

「モモンガも一緒に考えよ!!」

 

「殿が名付けて下さるなら、某は一生の誇りにするでござるよ!!」

 

「ん? 名前か……あー、そうだな……」

 

 

 このハムスターのような魔獣につける名前か。ハムスケ、ダイフク、モリケン――いくつか思い浮かぶが、一体どれが良いか。いっそのことネムに決めて貰っ――

 

 

「っあ!!」

 

「思いついた?」

 

「思いついたでござるか?」

 

 

 ――ネムとこの魔獣を見て、名前とは別の事を閃いた。

 これ以上ないほどの素晴らしいアイディアだ。完璧な作戦だ。

 

 

魔獣使い(ビーストテイマー)ならいけるんじゃないか?」

 

 

 

 

 ――私は夢を見ているのか。

 

 森から帰ってきたネムとモモンガ、そして()()()()の存在を見て、エモット家は驚愕に包まれた。

 

 

「いくよ、ハムスケ!!」

 

「了解でござる!!」

 

 

 合図とともに跳び上がるネム――と言ってもそこは子供の筋力。大した高さではない。

 巨大な魔獣――相談の結果、ハムスケと命名された――はネムが跳んだ隙間に尻尾を滑り込ませ、その足を一気に持ち上げる。

 そしてそのまま流れるようにネムはハムスケに跨り、少女と一匹はドヤ顔をキメた。

 

 

「エモットさん、ネムにはどうやら魔獣使いとしての才能があったようです。これなら冒険者としてやっていけるのではないでしょうか?」

 

「ネムが、こんな恐ろしい魔獣を…… いや、しかし、これは……」

 

 

 モモンガからすれば可愛らしいサーカス程度だが、現地民からすれば違った見方になる。

 ハムスケの事を恐ろしい魔獣と認識しているので、それをネムが従えているように見えたのだ。

 

 ――あともう一押しだな。

 

 エモット氏が驚きを隠せない様子を見て、仮面の下でモモンガは笑う。

 

 

「ハムスケ、さん…… 貴方は、本当にネムに従っているのですか? モモンガさんにではなく?」

 

「もちろんモモンガ殿に敬意はあるでござる。しかし、某がネム殿と一緒にいるのは個人的な友誼故に」

 

 

 流石のエモット氏も疑いを隠せなかったのか、勇気を持って直接ハムスケに尋ねた。

 

 

「ネム殿は某を何百年の孤独から救って下さった…… その懐の大きさに感動したのでござる!! だからこそ某はネム殿の友に、いや相棒になったのでござる!!」

 

「ハムスケは私の相棒になったんだよ。さっきのも一緒に練習したんだから」

 

 

 ハムスケは染み染みとその思いを語り、そして強く断言した。そしてそれが間違いではないと告げるネム。

 

 

「エモットさん、私はハムスケに何もしておりません。全てはネムの友になろうという言葉がきっかけです。それに彼女が集めた薬草を見ましたか? あれは正真正銘ネムだけで集めたものです。私には薬草の知識はありませんから、彼女がいたからこそ出来た事です」

 

「娘には、それ程の能力があったのですね……」

 

「今回の事は偶然かもしれません。ですが、娘さんの才能を伸ばすと思って、旅立たせては如何でしょうか…… 週に一度だけでも構いません。私が一緒にいるので、毎日だってこの村に帰って来れますよ」

 

「モモンガさん……」

 

 

 モモンガはエモット氏の肩に手を置き、優しく語りかける。

 そして強張っていたエモット氏の体から、段々と力が抜けていく。

 

 

「ええ、娘の才能を伸ばしてやるのが親の務めです…… ネム、冒険者は危険な仕事だが、本当にやるんだな?」

 

「うん、私冒険者になる。モモンガもいるし、ハムスケも一緒だから大丈夫だよ!!」

 

「そうか……モモンガさんを頼るのは仕方ない。ただ、頼り切りにならないようにな。色んな事を学んできなさい。それからネム、約束だ。必ず無事に生きて帰ってきなさい」

 

「うん!! 私、頑張るよ!!」

 

 

 父と娘の約束、そして抱きしめ合う親子。

 母と姉が見守り、背後の魔獣すらも瞳を潤ませ感動するシーン。

 そんな中、仮面を着けた骸骨は、心の中でガッツポーズをとっていた。

 

 ――計画通り。

 

 今回の事は全てがモモンガの描いたシナリオ通り。

 冷静を装ってはいるが、モモンガの頭の中はネムとの新たな冒険でいっぱいだった。

 

 

(ネムとの冒険楽しみだなぁ。今回の戦い……俺の勝ちだ!!)

 

 

 モモンガというプレイヤーはユグドラシルのPvPにおいて、ロマンビルドでありながら勝率五割を誇る。一度目は負けても徹底して情報を集め、必勝法を見つけて次に繋げる。そんな戦術が得意だった。

 そんな彼が一度プレゼンが失敗したくらいで、友との冒険を諦める訳がない。

 何故なら彼は――リアルのブラック企業を生き抜いてきた、社畜の元営業マンなのだから。

 

 

 




ネム自身の力(ハムスケ&薬草採取)
これには父親も納得するしかない。情報量が増えすぎて判断能力も鈍ってたとは思いますが。
親が子を思う気持ちに心を打たれた――と思わせておきながら、そんな事はなくまるで諦めていないモモンガ様でした。アンデッドになると生き物の死に無頓着になってたり、やはり多少は性格が変わってますね。
モモンガ様に営業をやらせると営業(力技)みたいになってしまった。でもドアインザフェイスも立派な交渉術ですよね。
鈴木悟の時はどんな営業してたんでしょう。




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幕間 悪魔の誓い

今回はナザリック側の話をまとめています。
なのでネムは出ません……
能力確認とか18禁確認など、よくあるシーンは色々省略気味です。


「またね、モモンガ――」

 

 

 ユグドラシルのサービス終了時刻。

 最後まで一緒にいてくれたモモンガの友達――ネムは光の粒子が弾ける様に姿を消した。

 それを見たモモンガも、始めはゲームが終わったのだと思っていた。

 しかし、一向に自身がログアウトする様子がない。サーバーダウンの時間はとうに過ぎたはずなのに、未だに自分は玉座に座ったままだ。

 そして驚くべき事に――玉座の間にいたNPC達が喋り出したのだ。

 

 

(一体何が起こっているんだ……)

 

 

 モモンガはログアウトをするために思いつく限りの手段を尽くしたが、GMコールも繋がらず強制終了も行う事が出来ない。

 更には自身の焦りや興奮といった強い感情が起こった時、強制的に鎮められるという異常事態。もはや仮想世界のゲームという言葉では片付けられない事だらけだ。

 ゲームの世界が現実になったのか。それとも自分がアバターのまま異世界に来たのか。

 ネムはどういう理由で消えたのか。

 玉座の間にいたアルベド達以外のNPCも意思を持ったのか。その忠誠心は高いのか。

 拠点の外はどうなっているのか。NPCは外に出られるのか。

 今の自身の状態、手持ちのアイテム、魔法などの力は使えるのか。

 確認しなければいけない事は無数にある。

 未曾有の事態に巻き込まれた事を切っ掛けに、モモンガはナザリック内外の情報収集を始めるのだった。

 

 

 

 

 ギルド"アインズ・ウール・ゴウン"の拠点――ナザリック地下大墳墓の第六階層に存在する円形闘技場。モモンガの招集を受け、第四、第八階層を除いた守護者達がここには揃っていた。

 彼らがこの世界に来てから初めての忠誠の儀を終えた後。

 この場に集まった者は自らの主人――モモンガの持つ至高の支配者たる器を見て、誰もが身を震わせていた。

 

 

「凄かったね、お姉ちゃん。ぼ、僕もさっきはすっごく怖かったよ」

 

「うん。あたし達といた時は全然オーラ出してなかったけど、さっきのモモンガ様の力の波動は押しつぶされるかと思ったよ」

 

 

 

 その感動は本人が闘技場を去った後もしばらく抜ける事はなく、この場は至高なるカリスマを称賛する声で満たされていた。

 

 

「少し話したい事があるわ。みんな、心して聞いて頂戴……」

 

 

 しかし、一人だけ違う様子を見せる者がいた。守護者統括であるアルベドだ。

 

 

「なにやら大事な話のようだね」

 

「ええ。ここに来る前の事を皆で共有しておきたくて――」

 

 

 彼女にしては妙に覇気のない様子に、デミウルゴスは不吉なものを感じた。

 あまり良い話ではないのだろう。そう考えたデミウルゴスは、ほんの少しだけ身構えていた。

 だが、事は彼の想像を遥かに超えるものだった。

 

 

「――以上が、モモンガ様が玉座の間で仰られていた事よ」

 

「なんという事だ……」

 

 

 それは時間にすれば三十分にも満たない。玉座の間での本当に短い出来事。

 しかし、その内容はあまりにも重い。

 アルベドの話を聞き終わるまでもなく、デミウルゴスは即座に自害したくなる程の後悔に襲われていた。

 聞かされたのはユグドラシル、並びにナザリックは消滅の危機だったという事。

 そして何よりも衝撃だったのが、至高の御方であるモモンガすらこの地で消滅しようとしていた事だ。

 

 

「私は、私はっ……」

 

 

 そんな非常事態だったというのに、自分は守護領域である第七階層を見ていただけ。

 ――これではナザリックの知者であれと自分を創造して下さった創造主、ウルベルト・アレイン・オードル様に顔向け出来ない。

 なんたる無能か。自分は何もする事が、主人の苦悩に気づく事すらも出来ていなかった。

 デミウルゴスは悔しさを隠しきれず、強く奥歯を噛みしめ、拳をきつく握りしめた。

 

 

「皆の後悔も分かるわ…… けれどネムという少女のおかげで、モモンガ様は再び立ち上がられた。先ほどの支配者としての姿を見たでしょう?」

 

「ウム。マサニ至高ノ支配者ト言ウベキオーラヲ感ジタ」

 

 

 デミウルゴスはアルベドの言葉で彼女が何を伝えたかったのかを察した。

 今回のような事が二度と起こらない様にするためにも、この状況を皆で正しく理解しなくてはならない。

 

 

「……なるほど。シモベとしては非常に悔しいが、その者には感謝しなくてはならないね」

 

「それってつまり……どういう事でありんすか?」

 

 

 あまりの事に上手く情報を整理出来ていないのだろう。守護者の中でもシャルティア、アウラ、マーレなどはその様子が顕著に表れている。

 そんなシャルティアの質問に対して、デミウルゴスも頭の中の考えを整理するように順を追って答えた。

 

 

「至高の御方はリアルとユグドラシルを行き来なされている。言わばここナザリックは御方にとって複数ある拠点の内の一つにすぎない」

 

「確カニ、デミウルゴスノ言ウ通リダ。弐式炎雷様ハ異ナル世界デモ強者トシテ、上位二君臨サレテイルト聞イタ事ガアル」

 

 

 デミウルゴスの知る限りでは、至高の御方はユグドラシル以外にも複数の世界を渡られている。

 だが、モモンガ以外のメンバーはナザリックに姿を見せる事がなくなってから随分と久しい。恐らくこの地に来る事が出来なくなった理由があるのだろう。

 デミウルゴスは最も確率が高く、最も否定したい予想を思い浮かべる。

 モモンガも濁していたが――シモベとしては決して認めたくはないが――他の至高の御方は御隠れになられた可能性が高い。

 

 

『体ですか? もうボロボロですよ……』

 

『残業に激務、まじでブラック。そろそろ本気で死にそう』

 

『あー、ウチの方もそろそろヤバイかもしんない』

 

 

 同胞にこの考えを告げる事はしない。しかし、デミウルゴスはかつてギルドメンバー達が話していた内容を繋ぎ合わせ、これは正解に近いだろうと結論付けていた。

 

 

「だが、モモンガ様はあまり他の世界へは目を向けられず、ユグドラシルに来られる事が多かった。我々とこの地を守るため、お一人で残り続けて下さったのです」

 

 

 モモンガはこの地を守るため残り続けた。

 ギルドの維持費を稼ぐために日々戦い続けた。

 ナザリックさえ残っていれば、仲間は再び蘇る。そう信じ続けたのだろう。

 ギルドメンバーが帰ってくる日を、再び仲間が蘇る日を夢見ながら、このナザリックを維持して待ち続けた――

 

 

(至高の御方々は死亡しても大抵はナザリックで復活されていた。確か、りすぽーん地点と仰られていましたね…… しかし――)

 

 

 ――それが本当に夢物語だと知りながら。

 デミウルゴスはそれを愚かだとは思わない。それを笑う事など断じて許さない。

 本来は比べる事すら不敬――自身を遥かに超える頭脳を持つモモンガの事だ。本当は分かっていたはずなのだ。

 その類稀なる叡智が仲間の生存を否定した。どの様な魔法、アイテムを使ったとしても復活する事が不可能だと判断してしまった。

 

 

(――それでもモモンガ様は、最後まで諦める事が出来なかったのでしょうね……)

 

 

 あれ程慈悲深く、仲間思いの支配者だ。そう簡単に仲間との別れを受け入れられるはずがない。

 ――だからこそ待ち続けたのだ。

 デミウルゴスはモモンガの心中を察し、何も出来なかった自分を再び責めた。

 

 

「しかし、いくら至高の御方と言えど、世界の消滅――ユグドラシルそのものが無くなってしまえばどうしようもない。そして――」

 

 

 これより先の言葉はあまりにも恐ろしい。

 自らの不甲斐なさ、何よりもモモンガの心中を考えると、デミウルゴスは胸が張り裂けそうな程痛んだ。

 

 

「――モモンガ様は……私達ナザリックの者達と、心中しようとしていたのだよ……」

 

「そんなっ!?」

 

「ソノヨウナ事、断ジテアッテハナラナイ!!」

 

「も、モモンガ様がボクたちとっ!? だ、ダメです!!」

 

 

 やっとどのような状況だったか理解できたのだろう。あまりの衝撃に各守護者から、一人を除き悲鳴があがった。ただ一人、アルベドだけは悲痛に顔を歪ませるだけだった。

 おそらく玉座の間でモモンガの言葉を直接聞いたアルベドは、その事に薄々気がついていたのだろう。

 その気になればモモンガはリアルなど他の世界に行く事が出来た。ユグドラシルの消滅に巻き込まれずに済む方法は幾らでもあったのだ。

 それでも尚、最後までここに残っていて下さったのだと。

 その時の心情はどの様なものだったのか、デミウルゴスでは推し量る事も出来ない。

 

 

「落ち着きたまえ。モモンガ様が今も御健在なのは先ほど見ただろう? つまり……それを止めてくれたのが、そのネムという者なのだよ」

 

 

 悪魔であるデミウルゴスからすれば、ナザリックに属さない者など基本的に有象無象に過ぎない。

 しかし、その者にだけは本当に心から感謝していた。

 世界の消滅という至高の御方ですら諦めるような緊急事態。その状況でモモンガを助けようとしてくれたのだから。

 

 

「更にはその説得によりモモンガ様はもう一度立ち上がられ、何の因果かナザリックと我々は消滅を免れた」

 

 

 デミウルゴスの言葉を聞き、守護者達は僅かに安堵の表情を見せた。

 それも仕方のない事だろう。彼らにとって主人がいなくなる事は――仕えるために生まれた自身の存在意義の消滅に等しい――自分が死ぬ事よりも遥かに恐ろしい事なのだから。

 

 

「流石はモモンガ様が友と認められたお方。か弱い人間の少女でありながら、モモンガ様を奮い立たせようとする姿は非常に御立派でございました……」

 

 

 背筋をピンと伸ばした老執事は、恩人の事を呟くように褒め称える。

 玉座の間にいたセバスは、その時のモモンガとネムの様子を間近で見ていた。

 あの時第九階層に久しぶりに現れたモモンガから「付き従え」と珍しく命令され、プレアデスと共に玉座の間で待機していた。

 そこで聞いたのは主人の悲痛な叫び。

 そして何も出来なかった自分達と違い、モモンガの心を救ってみせた少女の姿を見た。

 セバスは鋭い眼光を潤ませながら、その時の光景を思い出して感極まっている。

 

 

「まさかモモンガ様が人間を友として認められていたとは…… いや、本当にそのネムという少女はただの人間だったのかな?」

 

「はい。私の目には確かに人間に見えました。肉体的な強さも全く感じられませんでした。ただ、確かにモモンガ様は彼女の事を、四十一人目の友だと……」

 

 

 至高の御方が友と認める程の人間がいる。

 悪魔であるデミウルゴスだけでなく、基本的にナザリックに属する者は人間を軽視する傾向がある。人間など所詮は下等生物。良くて玩具か餌にすぎない。

 そんな考え方の彼らからすれば、それは驚愕の事実だった。

 アルベドの話ではその少女が玉座の間から消えたと同時に、モモンガは今回の異常に気がついた。

 ――もしや、その少女とナザリックが転移した事に何か関係でもあるのか。

 ――モモンガ様の得た新たな可能性とは一体何なのか。

 

 

「……ふむ。出来る事なら是非とも会って話がしたいものだ」

 

 

 デミウルゴスはまだ見ぬ少女に感謝と共に興味を抱き、想像と考察を膨らませていた。

 

 

「そうね。私も会ってお礼を言いたいわ。モモンガ様を呼び捨てにしていたのは少し不敬だけれど、御友人なら仕方ないでしょうね。それにしても――」

 

 

 アルベドが人間を認めたような発言に、デミウルゴスは少しばかり違和感を覚える。

 彼女の性格上、ナザリック以外の者をそう簡単に認めるとは思えない。

 御方の御友人、それも命の恩人とあらばそういう事もあるのだろうか。

 デミウルゴスは何気ない言葉から、数多の思考を巡らせる。

 

 

「――モモンガ様…… はぁぁ、魂から痺れてしまうようなオーラ。最高支配者としての威厳あるカリスマ!! それにあの胸元が大きく開かれた服装、白磁の美しすぎる玉体…… あぁ、我慢出来ない。我慢する必要もないわ!!」

 

 

 しかし、その考えはより大きな言葉に邪魔された。

 暗いブルー一色だった空間が、アルベドの吐いた言葉で瞬時にピンクに染め上げられていく。

 

 

(心して聞けと、皆に言ったのは貴女なんですがね……)

 

 

 呆れるような思考の切り替え速度だ。

 玉座の間での出来事を知り、沈んでいたこの場の空気が一気に吹っ飛んでしまった。

 

 

「至高の御方でも側でサポートする者は必要よね? これはもう私が秘書として支えるしかないわ!! おはようからお休みまで!! お側で!! 近くで!!」

 

 

 想い人には決して見せられない表情で、テンションを上げて捲し立てるアルベド。

 ナザリックに属する女性ならば、誰もがモモンガの寵愛を望むだろう。

 デミウルゴスもそこに疑問はない。だが――

 ――これが守護者統括で大丈夫だろうか。

 至高の御方の采配に僅かながら疑問を感じ、デミウルゴスは不敬であると、その考えを即座に切り捨てた。

 

 

「はぁぁぁっ!? ふんっ、嫌でありんすねぇ。賞味期限の切れたオバさんは妄想が激しくて」

 

 

 モモンガがこの場を去った後も体勢を変えずに座り込み、一つの質問以外はほとんど沈黙状態だったシャルティア。

 彼女はアルベドの宣言を聞き、不快げに顔を歪めて叫んだ。

 

 

「あらあら、嫉妬かしら?」

 

「アルベドの戯言なんて真に受ける価値はありんせん」

 

「うふふ、理由に想像はつくけど、さっきまで黙りこくっていたビッチには分からないでしょうね」

 

「あぁ? 年寄のボケに付き合う気はありんせんえ?」

 

 

 シャルティアは勢いよく立ち上がり嫌味を浴びせたが、アルベドは怒鳴る事もせず澄ました表情のままだ。

 

 

「うぇぇ……アルベドのその余裕、なんだか気味が悪いでありんす……」

 

 

 ヤツメウナギ位の言葉は言い返してくると予想していただけに、シャルティアは理由が分からず戸惑いの表情を見せた。

 デミウルゴスも失礼だとは思いながら、アルベドの様子を不自然に感じている。

 それ程交友が深い訳ではないが、彼女の性格からすると怒鳴り返しても不思議ではないと思っていた。

 

 

「私はモモンガ様から『妹という存在に甘くて優しい』と定められたの。そしてモモンガ様は私の胸をお揉みになったのよ!!」

 

「なぁっ!? モモンガ様から……しかも胸を!? モモンガ様はまさか妹萌え? でも、それとアルベドに何の関係が……」

 

「くふふ……私は次女。つまり妹属性を持っているのよ!!」

 

「あぁぁぁぁあっ!?」

 

 

 恍惚な表情を浮かべた後、シャルティアに向かって勝ち誇るアルベド。

 驚愕に目を見開き、悲鳴を上げるシャルティア。

 デミウルゴスは非常に頭の悪い会話故に聞き流していたが、そろそろ止めに入るべきか悩んだ。

 しかし、こういう事は適任者に任せた方がいいだろうと思い至る。

 

 

「アウラ、こういうのは同じ女性の君に任せるよ」

 

「えぇ……デミウルゴス、あたしに押し付ける気? あの意味わかんない事言ってる二人を?」

 

「適材適所というやつさ。いざとなったら協力するとも――」

 

 

 ――コキュートスと一緒にね。

 デミウルゴスは守護者の中でも自身の戦闘力はかなり低い方であると自覚があった。

 もし力技が必要になった時、自分では間違いなくあの二人には勝てない。

 古来より女性の色恋話に男性が首を突っ込んでも、ロクな事にはならないと相場が決まっている。

 デミウルゴスは頭の中で理論武装をしていたが、本音は面倒の一言に尽きるだろう。

 

 

「っくぅ……ペロロンチーノ様が、モモンガ様は中々ご自身の性癖を暴露してくれないとは仰っていんしたが…… まさか、そんな……」

 

「悪いわね、シャルティア。そういう事だから私は自分に甘いの……甘くても良いのよ!! 職権濫用と言われようが、モモンガ様の側で秘書として四六時中控えさせてもらうわ!!」

 

「ず、ずるいでありんす!!」

 

「はんっ、何とでも言いなさい。これはモモンガ様が直々に私に定められた事よ。至高の御方の決定は絶対!!」

 

「こんのぉ……そんな横暴認めないでありんす!! ちょっと賢いだけの大口ゴリラがぁ!!」

 

「私に意見があるなら妹になってから出直してきなさい、このヤツメウナギがぁ!!」

 

「吐いた唾は飲めんぞ!! 秘書の座を懸けて決闘じゃあっ!!」

 

「あーら、良いのかしら? まぁ、頭も悪くて妹でもない貴女がモモンガ様に選ばれるとは思えないけど。勝負は目に見えてるわね」

 

「あぁぁぁぁあっ!? この、この……」

 

「くふっ、公私共に支える関係となって、私もゆくゆくはモモンガ様と…… くふ、くふふふふっ……」

 

「貴女達、話を飛ばしすぎでは? そもそもアルベドが秘書になる事は定められていないと思いますが…… いえ、それ以前に――」

 

 

 ――守護者統括としてそれでいいのか。

 そもそもモモンガ様が望まれたのは、そういう事ではないはず。

 デミウルゴスは危うく本音が漏れそうになったが、今のこの二人に巻き込まれるのは非常に避けたい。

 しばらくは口を閉ざした方が賢明だろうと、途中からまた聞いていないフリをした。

 

 

「……まだ、まだ勝負は終わってないでありんす!! チビ助!!」

 

「な、なによ……」

 

 

 頭の悪い会話はまだまだ終わりが見えない。

 それどころかシャルティアは――二人の様子を渋々見守っていた――アウラの方へ突然顔を向けた。

 

 

「あなた、わたしの姉になりなさい。元々弟がいるんだし、妹が増えても構わないでありんしょう?」

 

「はぁぁぁっ!? シャルティア、あんた何言ってんの?」

 

「妾の創造主であるペロロンチーノ様と、アウラ達の創造主であるぶくぶく茶釜様は御姉弟でありんす。なら何も問題ないでしょ!!」

 

「あるに決まってんでしょ。このお馬鹿!!」

 

 

 守護者達はギルドメンバーについてならば、どんな些細な内容でも知りたい。至高の御方の話が聞ける事は、NPC達にとって非常に嬉しい事なのだ。

 しかし、デミウルゴスはこの場に限って素直に喜べない。

 

 

(モモンガ様は既に動かれていると言うのに、一体いつまで続ける気なんですかね……)

 

 

 残念ながらアウラまで巻き込まれてしまった。こうなるといつ終わるかも分からず時間も惜しい。

 嫌々ながら、本当に嫌々ながら自分が止めに入るしかないだろう。

 デミウルゴスは三人の挙動に注意しながら、混沌に足を踏み入れる覚悟を決めた。

 

 

「どちらに行かれたかは分かりませんが、私はモモンガ様の側へ控えさせていただきます」

 

「……ああ、分かったよ。アルベド達が正気に戻ったら、君にも追加の指示を伝えよう」

 

 

 自分の覚悟に水を差す様な同僚の台詞。

 デミウルゴスはこの場から逃げ出せるセバスに僅かな苛立ちを感じながら、心の中である言葉を刻む。

 ――自分がしっかりしなければいけない。

 アルベドは自分と同等の頭脳を持つ知者である。更に言うなら守護者統括という重要なポジションだ。

 だが、ナザリックがこの地に転移してから、アルベドの様子が明らかにおかしい。

 

 

「非常に興味深い議論だが、今はそれ位にしてくれたまえ。アルベド、そろそろ私達にも命令をくれないかね」

 

「……えぇ、そうね。まずはモモンガ様にルベドの起動を――」

 

「今は緊急時だ。私欲の混じった冗談は控えてくれたまえよ?」

 

 

 デミウルゴスは少しだけ強めた口調でアルベドの言葉を遮った。

 そしてデミウルゴスの疑問は確信に変わった。

 アルベドの自身を律する能力が非常に下がっている。有り体に言ってしまえば、上に立つ者としてポンコツだ。

 これは今後のナザリックの運営に関して致命的ではないだろうか。

 

 

「守護者統括である君が……モモンガ様の信頼を裏切ってまで、そんな事をするとは思わないがね」

 

「……もちろんよ。皆、これからの計画を――」

 

 

 ――今の間はなんですか。

 アルベドを守護者統括に命じられたのは至高の御方々だ。

 しかし、この先彼女に指揮を執らせる事に、デミウルゴスは不敬ながら非常に不安を感じる。

 

 

(モモンガ様の仰った『各員、異常がないか確認せよ』とは、こういう事だったんですかね……)

 

 

 アルベドに極太の釘を刺し、忠義の悪魔は再度心に言葉を刻む。

 ――自分がしっかりしなければいけない。

 しかし、この問題が根本的に解決するのは随分と先になりそうで、デミウルゴスは思わずため息をついた。

 

 

 

 

「皆、緊急の任務、ご苦労だった。素晴らしい働きだったぞ。これからも諸君らの忠義に期待している」

 

 

 この地に来てから初めてモモンガ様より賜った仕事――カルネ村の救援。

 その任務を終えてナザリックに帰還した後、私達は玉座の間にてモモンガ様から直接お褒めの言葉を頂いた。

 

 

(モモンガ様は非常に御喜びになられていた…… だが、あれは御友人と再会出来たからに過ぎない)

 

 

 しかし、自分はそれを素直に受け取る事が出来なかった。頂いたお言葉に不満がある訳ではない。主からの言葉はどんな宝石にも勝る褒美だ。

 だがそれでも、自分が指揮を執った結果に納得が出来なかったのだ。

 モモンガ様が玉座の間を去られてからは、それが如実に表情に出てしまう。

 

 

「デミウルゴス、さっきからどうしたの? せっかくモモンガ様から褒めてもらったのに、嬉しくないの?」

 

「そんな事はありません。ですが……我々の仕事はこの程度で良いのかと、そう思うのです」

 

「どういう意味?」

 

「モモンガ様はこれまでお一人でナザリックを維持してこられた…… それは並大抵の事ではない。言葉に出来ない偉大さだよ」

 

 

 ギルド拠点の維持費は膨大。それもナザリックレベルの規模となれば、想像を絶する金額が必要となるだろう。

 これまで四十一人で行われていた事を一人で行っていた。単純に考えても四十一倍の仕事量。

 至高の御方四十一人分の仕事など自分では――いや、モモンガ様を除いてナザリックの誰であっても不可能だ。

 

 

「そりゃあ、モモンガ様は至高の御方々のまとめ役だよ? 凄いに決まってるじゃん」

 

「ではアウラ、君はこのままで良いと思うかい? 我々は与えられた階層を守護するだけで満足していた。だが、結局ナザリックが存続出来ていたのは、たった一人で維持費を稼ぎ続けたモモンガ様のおかげだ」

 

「それはそうだけど……」

 

「じゃ、じゃあデミウルゴスさんは、御命令以外に何をするべきだと?」

 

 

 難しい顔で疑問を浮かべる双子の守護者に、自分がこの地に来てから考えていた事を伝えた。

 

 

「我々が維持費を稼ぐべきだ…… そしてナザリックの運営も可能な限り我々がやるべきです」

 

 

 創造して頂いた以上、忠義を尽くすなど当たり前。ナザリックを守護する事も当たり前。

 そんな程度では駄目なのだ。

 あれ程慈悲深いモモンガ様がこの地を去るとは思えないが、その優しさに甘えるだけではいけない。

 

 

「モモンガ様は十分過ぎるほどにナザリックに尽くして下さった。だからこそ、今度はモモンガ様のやりたい事を、我々がサポートするべきだと思わないかい?」

 

 

 思わず熱くなって声が大きくなってしまう。しかし、これが自分の本心だ。

 ナザリックとシモベをお一人で守り続け、最後は共に消滅するなど、絶対にあってはならない。そのような考えを二度と主人に抱かせてはいけない。

 だからこそ、モモンガ様に我々は守られるだけの存在ではないとアピールするのだ。

 

 

「も、モモンガ様のやりたい事って何ですか?」

 

「皆はまだ知らなかったね。マーレがナザリックを偽装していたあの時……私は夜空の下で、モモンガ様の真意を聞いた」

 

 

 自分がお供をさせて頂いた時に、至高の御方が発した言葉だ。一言一句忘れるはずもない。

 

 

「モモンガ様はこう仰った。『――未知の世界を冒険し、一つ一つ制覇していくのも面白いかもしれないな』と。モモンガ様は最終的に世界征服を成し遂げるおつもりです」

 

 

 壮大なスケールの野望。常人が言えば失笑されるであろう夢物語。

 しかし、モモンガ様という筆舌に尽くし難いカリスマ的存在が、それを不可能に感じさせない。

 

 

「モモンガ様をサポートするためにやるべき事は沢山あります。私はそろそろ失礼するよ」

 

「デミウルゴスさん、何をするんですか?」

 

「なに、御方にちょっとした遊戯の時間をご提供しようかと思ってね。些末事を済ませておくのさ」

 

「勿体ぶらないで教えて欲しいでありんす。外の世界なんてモモンガ様に命じて頂ければ、わたしが即座に蹂躙して――」

 

「慌ててはいけないよ、シャルティア。我々が本気を出せば世界を捧げるなど簡単だ。でも一方的なゲームなどつまらないだろう? だから過程を楽しんで頂かなくてはね」

 

 

 今まで働き詰めだったモモンガ様に戯れ――世界を舞台にしたゲーム――を提供する。

 

 

「それにどのような形で献上するのが最適かも考えなくては。至高の御方に捧げる贈り物だ。包装にも手を抜く訳にはいかないからね」

 

 

 その計画の一端を知り、守護者達に激震が走った。そして、皆一様に頷いた。

 ――全ては至高なる御方、モモンガ様のために。

 

 

 




裏で色々やるけど、上手くやりすぎてナザリック側の出番はあまりない予定。
設定変更のせいでアルベドから不穏さがゼロになって、ある意味安心ですね。
デミウルゴスはモモンガを楽しませつつ、全力で世界征服する事を目指します。
もうコイツ一人で良いんじゃないかな状態ですね。
色々勘違いが起こってますが、ナザリック勢はネムに対して感謝してます。




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お友達との冒険者デビュー

冒険者になる許可を勝ち取った後、エ・ランテルにやって来たモモンガとネム。
そして宿屋で起こる定番のイベント……

みんな大好きモブ視点から始まります。


 リ・エスティーゼ王国で最も人の行き交う都市、エ・ランテル。

 バハルス帝国とスレイン法国の領土にも面している城塞都市であり、三国にとって貿易の要所となる場所である。

 

 

「良さげな仕事もなかったし、どうすっかな……」

 

 

 この街では冒険者御用達とも言える宿屋が複数存在する。自分が拠点として長年利用している宿もその内の一つだ。

 組合で初めて冒険者登録をした場合、その時点で冒険の準備が整っている者は少ない。

 そして必要な道具や知識、パーティを組む仲間など、足りない物を数え出したらキリがない。

 

 

「とりあえず戻って酒でも飲むか。どうせアイツらも居るだろ」

 

 

 宿屋とはそんな不足を補う事が出来る場所――冒険者にとっては社交場とも言える場所だった。

 

 

「おう、親父。いつもの頼むわ」

 

「お前もこんな早くから飲んだくれやがって…… ほらよ」

 

 

 ここはエ・ランテルの冒険者組合が新人によく紹介している宿の一つ――最低ランクの安宿である。建物の二階と三階が宿屋として使われ、一階は利用者の受付を兼ねた酒場となっていた。

 外観や中身はお世辞にも立派とは言えないが、そんな事を気にする利用者はいない。最低限の宿としての機能があればそれで良いのだ。

 

 

「相変わらずここの酒は薄いな。偶には良いやつ頼んでみるか?」

 

 

 昼と言うには少し遅く、夕方と言うにはやや早い時間。

 酒を持って飲み仲間――――もとい、冒険者仲間の座るテーブルへと向かう。

 小汚いが意外と広い酒場では、現在自分も含めて十人程の冒険者達がたむろしていた。

 依頼について仲間と情報共有していたり、仕事先で出会ったモンスターについて話したり――単なる愚痴をこぼしたり。

 

 

「味の違いなんかお前に分かりゃしねぇだろ。俺らはこれで十分だよ」

 

「そうだぜ。それにそんだけ飲んでりゃ薄くても一緒だろ。おっ、誰か来たぜ」

 

 

 酒を片手に話す内容は人それぞれだ。

 自分が二人の酔っ払いといつもの様に安酒を飲んでいると、店の扉を開く音が聞こえた。

 入り口に取り付けられたウエスタンドアを押し開け、入って来たのは身長差のある奇妙な二人組。

 

 

「紹介された宿はここだな」

 

「うん。ここで冒険の道具が揃えられるって、受付のお姉さんが言ってたよね」

 

 

 その二人の首元に光るのは、真新しい(カッパー)のプレート。つまりは最下級冒険者の証だ。

 この宿で今まで見かけなかった事を考えると、冒険者になりたての新人で間違いないだろう。

 しかし、本当に新人の冒険者か疑いたくなる姿だった。

 一人は金の模様が入った漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ戦士であり、面頬付き兜(クローズド・ヘルム)のせいで顔は全く分からない。

 おまけにやたらと目立つ真紅のマントを身につけ、重厚なグレートソードを二本も背負っている。本当にそれを自在に振り回せるとしたら、とんでもない剛力の持ち主だろう。

 

 

「なんだあの装備、スゲーな……」

 

「俺らには無理だよ。羨ましいこった」

 

 

 周りからは羨望の篭った視線が集まり、嫉妬混じりの声もチラホラと聞こえてくる。

 鎧も剣も恐らく超が付くような一級品。まるで物語に出てくる英雄を具現化したような見た目だ。

 自身の量産品の装備と比べてしまい、無意識に相手の実力が装備に相応しくない理由を探してしまう。

 

 

(ちっ、良い装備してやがんな、あの戦士。どっかのボンボンか?)

 

 

 とてもではないが、銅級の冒険者が買えるような代物ではないはずだ。

 金持ちの親か何かに買ってもらった物だろう。

 もしかしたら遺跡等で偶然に見つけた物か、先祖代々引き継がれている武具という線もある。

 あいつ自身は大したことないに違いない。

 

 

「おい、見ろ…… あれ、どう思う?」

 

「分からん。それより――」

 

 

 酒場の騒がしさは変わっていないが、この二人組が入ってきた時点で少しだけ雰囲気が変わった。周りの同業者も値踏みするように彼らを観察している。

 隅に座った一人の冒険者だけは尊敬の目を向けていたが、きっと装備に目が眩んでいるだけだろう。

 二人を完全に気にしていないのは手元のポーションをうっとりと眺め、そちらに意識を奪われている女冒険者くらいのものだ。

 

 

(それにしても……もう一人は何の冗談だ?)

 

 

 ある意味全身鎧の人物より更に異質だった。

 なにせどこからどう見ても――その首元のプレートを除けば――普通の少女だ。

 ワンピースタイプの服を着ており、その裾の下には短めのズボンが見え隠れしている。

 

 

「武器を持った人がいっぱいだ…… 凄いね、モモン」

 

「ここは冒険者向けの宿だからな。私達からすれば皆先輩と言ったところか」

 

 

 少女は酒場に入ってから、物珍しそうに辺りをずっとキョロキョロと見渡していた。

 若くとも十五、六歳ならば成人とみなせるが、それも程遠い。幼い顔つきからして精々十才程度だろう。

 戦士の方が大柄な事もあって、横に並ぶと少女はより一層小さく感じられた。

 どう考えても冒険者には見えず、外で遊ぶのが好きそうな子供としか思えない。

 二人を親子と思えばまだ納得出来る部分もあるが、その考えも子供の首にあるプレートが邪魔をしてくる。

 

 

「……子供を連れて泊まるには向かないぞ?」

 

「いや、泊まる気はない。冒険者をするための最低限の道具が欲しい。ここで準備してもらえると、先ほど組合で聞いたんだが」

 

 

 店主は二人を一瞥するなり、帰れと言いたげな表情を作っている。それを知ってか知らずか、表情の見えない戦士は怯むことなく淡々と返した。

 体格から予想はついていたが、その低い声からしても全身鎧の戦士は男性だろう。

 

 

「……冒険者は何があっても自己責任。お前さんはともかく、そっちの嬢ちゃんは分かってんのか?」

 

「ネムなら問題ないさ。それにこう見えて優秀な魔獣使いだ」

 

「私の相棒のハムスケは凄いんだよ。それにモモンはもっとすっごく強いから大丈夫だよ、おじさん」

 

 

 渋い顔をした店主とは真逆に、少女は冒険者をやる事に何の気負いもないようだった。

 

 

「はぁ、そうかい…… 自分で決めたんなら、まぁ俺がどうこう言う事でもねぇがな。命は大事にしろよ。道具は夕方までには準備しといてやる」

 

 

 それにしても中々見ない光景だ。強面の店主が珍しく客に気を使っている。

 それとも子供の冒険者にどう接したら良いか分からないが正解だろうか。

 意外と面倒見が良いのは知っていたが、流石に子供相手だといつものように強くも言えないらしい。

 

 

「だが嬢ちゃんのサイズだと、マントとかこっちじゃ用意出来ない物もある。その辺は自分で何とかしな」

 

「ああ、分かった。ではネムよ、後回しにしていた魔獣登録の方を先に済ませに行こうか」

 

「うん。ハムスケも待ってるもんね」

 

 

 予想はしていたが、店主との会話から新人である事は確定だ。

 ならば、ここらで俺が必殺の「おいおい、痛ぇじゃねぇか」をかましてやろう。

 新人の冒険者には必ず何かしらの洗礼が行われる。相手の対応能力などを見る一種のテストのようなものだ。

 同じ仕事を請け負えば、お互いに背中を預け合う可能性がゼロとは言えない。チームに欠員が出た者ならば、新しい仲間の候補を探すのに役立つ。

 理由は様々だが、新参者の能力を測るためにもこれは必要な事なのだ。

 

 

(こちとら伊達に万年鉄級(アイアン)じゃねえ。数多の新人達に足をぶつけてきた自負ってもんがあるんだよ)

 

 

 スキンヘッドに刺青――元から厳つい顔つきも合わせると、自分の容姿は人を十分に威圧出来る自信がある。それに冒険者として鍛えているから筋肉だってそれなりにある。

 自分より相手が多少デカかろうが、鎧を着ただけの新人をビビらす程度は簡単だ。

 ついでに子供の方にも冒険者の怖さを教えてやろう。夢見る少女にこの仕事を諦めさせるには良い機会だ。

 

 

(よし……そうだ。そのままこっちに歩いてこい…… まだだ、まだ――今だっ!!)

 

 

 相手の歩く速度を観察しながら、完璧なタイミングを見計らう。

 こちらに歩いてくる戦士の進路を塞ぐように、さっと足を突き出し――

 

 

「――あてっ」

 

 

 ――少女の方が引っかかった。

 

 

(……何でだよ!? さっきは後ろにいたじゃねぇか!!)

 

 

 前を歩く戦士に足をぶつけさせて難癖をつけるつもりだったが、突然少女の方が前に飛び出してきた。

 その結果、自分が出した足に引っかかり、戦士ではなく少女がそのまま転けてしまった。

 

 

「えへへ、転けちゃった」

 

 

 倒れた少女は床に手をつき、少し恥ずかしそうにしながら顔を上げた。

 自分もどうしていいか分からず、何も言えずに固まってしまう。

 この状況で「おいおい、痛ぇじゃねぇか」なんて言ったらただの馬鹿だ。

 

 

(おいおい、なんでガキの方が引っかかるんだよ…… ふざけんなよ、何でこのタイミングで……)

 

 

 子供は稀に突拍子もない事をするから、行動が本当に読めない。

 数秒経って一旦冷静さを取り戻すと、少女に対して苛々とした感情が湧いてきた。

 きっと飛び出した理由も前を歩く戦士に何か話しかけようとしたとか、多分くだらない事だろう。

 

 

「ちっ!!」

 

 

 自身の作戦を邪魔されたことで、思わず大きな舌打ちが出る。

 これでは洗礼が台無しだ。いや、今からでも適当に責任を取れとか言って、戦士の方に難癖をつけるべきか。

 自分は子供ではなく、こっちのデカイ方の実力を――

 

 

「――貴様……今、ワザと足を出したな?」

 

 

 この瞬間、今まで沈黙していた戦士から、建物全体を押し潰すような濃密な殺気が放たれた。

 ――おいおい、やべぇじゃねぇか。

 寒気がする程の恐ろしい圧が自身を襲い、気温が急激に下がったように感じる。

 頭の中で考えていた少女への文句も、迫り来る全身鎧のせいで何もかも吹っ飛んでしまった。

 

 

「どうした、何故答えない?」

 

「あ、か……」

 

 

 今の自分は竜に睨まれたゴブリンだ。

 突然声が枯れたように喉がひりつき、口の中がカラカラに乾く。

 恐怖のあまり指先一つ満足に動かせず、言葉も上手く出てこない。

 

 

(なんだコイツ!? 声が、出せねぇ……)

 

 

 先程まで見世物の如くこの状況を楽しんでいた者――彼らを値踏みしていた周りの者達の表情すら固まっている。

 洗礼を肴に酒を飲んでいた冒険者達が一斉に押し黙り、酒場の中は一気に静まり返っていた。

 

 

「こういった歓迎も予想はしていた。まぁ私を狙うのならば、それも笑って流してやったんだがな……」

 

 

 怒鳴り散らしているわけではない。

 むしろ呆れている様にも、笑っている様にも聞こえる程の落ち着いたトーンだ。

 だが、その声には獰猛で挑戦的な意思が滲み出ていた。

 

 

「私達の力が知りたいのなら、ちょっと模擬戦でもしてみないか――セ・ン・パ・イ?」

 

(おいおい、死んだわ俺)

 

 

 これが圧倒的な強者の覇気というものか。

 隔絶した格の違いを見せつけられ、現実逃避した思考はどこか他人事な考えに陥っていた。

 こんな怖い「先輩」の言い方は聞いた事がない。顔から嫌な汗が吹き出し、頬を伝って流れ落ちていく。

 この絶体絶命のピンチを切り抜けるべく、出来るだけ慌てず周囲の冒険者に救援を求める視線を向けた――

 

 

(――おいおいおいおい、なんで誰も俺と目を合わせねぇんだ。目線を逸らすな、下を向くな。反対向いて酒飲んでんじゃねぇ!?)

 

 

 ――だが、誰一人として自分と目を合わせやしない。

 一緒に飲んでいた二人の仲間も、お尻が椅子に固定されたかのようだ。戦士の放つ目に見えないオーラの前に全く動けないでいる。

 

 

「せめて謝罪くらいはして欲しいものだな…… ずっと黙っているが、喉に何か詰まったのか?」

 

(――やめて怖い、籠手が迫ってきてる。どうなっちゃうの俺? えっ、死んだ? マジで死ぬの? 足引っ掛けただけで? おいおい、頼むから俺を見捨てないで――)

 

 

 こちらにゆっくりと伸びてくる戦士の腕。

 解決策は浮かばないくせに、無駄に加速し続ける自分の思考。

 ――冒険者は何があっても自己責任。

 店主の言葉は正にその通りだった。

 しかし――

 

 

「大丈夫だよ、モモン。私も今日から冒険者だもん。これくらいへっちゃらだよ」

 

 

 ――(少女)は俺を見捨てなかった。

 

 

「ネムが大丈夫ならいいが…… ネムも周りをもっとよく見ないと、これから大変だぞ? 冒険では一瞬の油断が命取りだからな」

 

「うん、気をつけるね」

 

 

 少女が戦士に声をかけると、首元まで迫っていた死の気配は霧散した。

 膝をはたきながら立ち上がった少女が思わず女神に見える。いや、間違いなく自分にとっては救いの女神だったのだろう。

 

 

「わ、悪かったな、お嬢ちゃん……」

 

「怪我もしてないから大丈夫です」

 

 

 何事もなかったかのように笑顔を見せる少女に、何とか謝罪の言葉を絞り出した。

 どうやら自分は助かったらしい。

 だが精神的には三度は死んだ気がする。そして周りからの視線が妙に生温い。

 ――やめろ、そんな目で俺を見ないでくれ。

 周りに対しても、無邪気に笑う目の前の少女に対してもそう叫びたい気分だった。

 

 

「ハムスケの登録が済んだら軽く街を見て回るか。その後で道具を受け取って今日は一度家に帰るぞ」

 

「えー、お仕事しないの?」

 

「仕事をするには微妙な時間帯だからな。それに事前の準備はしっかりするべきだ」

 

「はーい……」

 

「そう残念がるな。仕事はまた次回のお楽しみだ」

 

「うん!! じゃあハムスケのとこ行こ」

 

 

 彼らは自分の事など既に気にも止めていない。あまりにも和やかな会話だ。

 戦士が少女を気にかける様子からは、あれ程の殺気を放った男と同一人物とは思えない。

 そのまま二人が宿屋を後にすると、宿全体が安堵の雰囲気に包まれていく。

 そして、静まり返っていた宿屋に段々と喧騒が戻ってきた。

 

 

「――ぷっはぁ…… なんだあの殺気。見てたこっちまで死ぬかと思ったぜ」

 

「見かけ倒しじゃねぇな。あんな全身鎧とデカブツ二本も装備しておきながら、全く体がぶれてなかったぞ」

 

「あのガキも中々ヤバいんじゃないか? 仲間とは言え、あの殺気だぞ。あんな空気の中で平然としてられるって、どんな神経してんだ」

 

「子供だと侮っていたが、ありゃ只者じゃないぞ」

 

「親子かと思ったが、呼び方からしてそれも変だな。どっかの孤児か?」

 

「魔獣使いって言ってたな。出任せかと思ったが、案外マジなんじゃ……」

 

「あり得るな。冒険者としては新人だが、二人とも相当な修羅場を潜ってそうだ……」

 

「また俺らを簡単に飛び越していきそうな奴が出て来たな。しかも今度は子供連れかよ」

 

 

 周囲からは先ほどの二人組に対して、あれやこれやと感想や意見が飛び交っている。

 かなり好き放題に言われているが、そのほとんどが賞賛や畏怖に溢れるものだ。

 

 

「あー、お前も災難だったな。ありゃ予想外だよ」

 

「そうだぜ、ありゃビビっても仕方ねぇ。俺もマジでビビっちまったよ。ほら、酒でも飲めよ」

 

「ああ、ありがとよ……」

 

 

 一緒に飲んでいた冒険者仲間が慰めの言葉とともに、酒の入ったジョッキを渡してくれた。

 

 

(このやり方、もうやめようかな……)

 

 

 長年愛用していた「おいおい、痛ぇじゃねぇか」はもう潮時かもしれない。

 洗礼の慣習は残したいが、あのやり方は不味い。何が不味いって、今回相手の力量を読み間違えた自分が一番不味い。新しい方法は追々考えよう。

 そんな事を思いながら、先の恐怖を振り払うように再び酒に口を付けた。

 

 

「ここの酒は、やっぱり薄いな……」

 

 

 先程までと変わらない安い味。

 その味は日常を感じさせ、自分がちゃんと生きていると安心させてくれた。

 

 

「おい、ブリタ。どうした、顔色が悪いぞ。さっきの圧にやられたか?」

 

「……おやっさん、どうしよう」

 

「なんだ?」

 

「ポーション、飲んじゃった……」

 

「……しらん」

 

 

 ちなみに先程の凄まじい殺気に耐えかね、思わず買ったばかりのポーションを飲んでしまった女冒険者がいたとか。

 倹約に倹約を重ねて買ったらしい、金貨一枚と銀貨十枚の治癒のポーション。

 決して安くない値段が一瞬にして消えた事実に、女冒険者はしばらく立ち直れなかったそうだ。

 

 

 

 

 冒険者としての登録、それからハムスケを連れて歩くための魔獣登録というのも済ませた。

 モモンガは自分で使わなそうな――睡眠も飲食も不要の骨だから――冒険者の初心者セットを何故かノリノリで買っていた。

 さぁ、これから冒険だ――そう意気込んでいたが、残念ながら今日は時間切れ。

 お金がもったいないから、私は冒険に必要な道具は出来るだけ家にある物で代用しようと思っている。だから残念と思いつつも、今日は仕事を受けなくて丁度良かったのかもしれない。

 街を出て人目につかない所まで移動し、その後は行きと同じモモンガの魔法でカルネ村の入り口まで帰ってきた。

 

 

「さて、今日はもう解散だな。初仕事は……そうだな、明後日にでも受けに行くとしよう」

 

「なら某は一度森に帰るでござる。それではネム殿、モモンガ殿、さよならでござる」

 

「バイバイ、ハムスケ」

 

 

 森に向かって走り去るハムスケを見送り、私も後は自分の家に帰るだけだ。

 しかし、どうにも気が高ぶっている。今夜は中々寝付けないかもしれない。

 

 

「楽しみなのは分かるが、今日はちゃんと寝て明後日の準備をしておくんだぞ」

 

「うん、道具の確認もしておくね」

 

 

 私が浮かれているのが分かったのだろう。

 モモンガは優しく笑いながらも、少し真剣な雰囲気を出した。

 

 

「ネム、改めて聞いてくれ。私は冒険者をやるにあたって、君に必要以上の手助けはしない。今日のようにすぐに手を貸さない時もあるだろう……」

 

 

 モモンガは悩ましげに言ってるけど、結構すぐに助けてくれた気もする。

 あの宿で会った冒険者のおじさんは、いきなりモモンガに詰め寄られて死にそうな顔になっていた。

 モモンガの行動は一つ一つがカッコいい。でも、周りの人たちは本気でびっくりしてたけど、あれは怒っているフリだったんじゃないだろうか。

 

 

(モモンガって人間になりきるの上手いし、ごっこ遊びとか得意そうだもんね)

 

 

 モモンガの低い声って本当に凄い。言葉だけで相手を圧倒できるのだ。

 私も冒険者をやっていれば、いつかあんな風に出来るようになるのだろうか。

 

 

「ネムの装備だってその気になればいくらでも用意出来るが、それでは面白くないからな」

 

「約束は覚えてるよ。自分の力で集めるのも冒険の醍醐味なんだよね」

 

「ああ、その通りだ。私も戦士としては完全に初心者。お互いに初めて同士、一から頑張ろう」

 

 

 これは冒険者をやると決めた時、モモンガと一緒に考えて決めた事だ。

 モモンガが魔法を使えば何でも出来る。でもそれでは意味がないから、あくまで戦士『モモン』として冒険する。

 そして私は出来るだけモモンガの力を借りずに、自分の力で出来る事を増やしていく。

 私達が一緒に成長するための約束だ。

 

 

「もちろん相談はしてくれて構わないからな」

 

「分かってるよ、私達は対等な冒険者仲間になるんだもんね。私もモモンガが困ったら助けるよ」

 

「その時は是非とも助けてくれ。さて、正式に冒険者になったお祝いだ。ネムにこれをあげよう。ちょっとした武器と、もしもの時のお守りだ」

 

 

 モモンガが差し出してきたのは、Y字型の棒にゴムがついた道具――パチンコだろうか。

 それともう一つは指輪だ。指輪は羊を模したデザインで、とても可愛らしい。

 でも嬉しいけど、受け取るのは少し迷う。

 

 

「いきなりルール破ってない?」

 

「そんな事はない。ほら、冒険者『モモン』ではなく、これは友達の『モモンガ』からの贈り物だ」

 

 

 そう言ってモモンガは両腕を広げ、着ている地味なローブをアピールしてみせた。

 街にいた時に着ていた鎧――実は魔法で作ってる――はもう着ていない。村に帰ってくる時にわざわざ解除していた。

 ちなみに鎧姿ではモモンと呼ぶ事になっているが、この姿になったらモモン呼びは終わりだ。

 

 

「もー、今回だけだよ。でもありがとう、モモンガ」

 

「どういたしまして。それは魔法のスリングショットでな、大抵の物を弾として使用する事が出来る。まあ、ネムからすればただのパチンコと思えばいい」

 

「へぇー、凄い…… 魔法の武器なんだ」

 

「だが、敵を倒す程の力は無い。それはあくまで牽制用にしかならないレベルの物だ」

 

「そうなの?」

 

「敵を倒す事だけが全てじゃないからな。それに、いきなり強い武器を押し付けるのも、ちょっとな…… 将来的に戦いたいなら、どんな武器を使うかはネムが自分で考えて探していくと良い」

 

 

 これでモンスターなどを倒すのは無理らしい。でも、自分がいきなり武器を持って戦えるとも思っていないから、問題はないかもしれない。

 やっぱりモモンガは親切だ。私の事をいろいろ考えてくれている。

 それにこのパチンコは初めて持ったのにとっても手に馴染む気がする。ハムスケに乗りながら使うのも良さそうだ。

 

 

「指輪も着けてみるといい」

 

「こう? ――凄い!! この指輪、私にピッタリだ!!」

 

「保険は大事だからな。武器は使わなくても構わないが、その指輪だけは外さないでくれ」

 

「うん、ずっと大切にするね!!」

 

 

 着ける前はサイズが大きいと思ってたけど、指に嵌めたらピッタリだった。

 よく分かんないけど不思議な指輪だ。

 モモンガと村の前で別れた後、貰ったパチンコを握りしめ、自分の指に嵌ったキラキラとした指輪を眺めながら家に戻った。

 

 

「ただいまー」

 

「ネム!? もう帰ってきたのか……」

 

 

 家に戻ると家族は凄くビックリしていた。

 ちゃんと晩御飯までに戻って来れたはずなのに、みんな何を驚いているんだろうか。

 

 

「どうしたの? 今日は冒険者登録してきただけだよ。ほら、このプレート見てよ」

 

 

 首のプレートを掲げて見せると、お父さんはそれを見つめながら怪訝な顔をした。

 

 

「いや、登録だけって…… エ・ランテルと村を往復したら結構な距離だぞ? 一泊してくるか、それかもっと遅いものだと……」

 

「モモンガの魔法ならすぐだよ?」

 

 

 そう言えばお父さんはモモンガの魔法を見た事がないのかもしれない。

 私も初めて体験した時は驚いたけど、闇を潜るだけで遠い距離を移動出来るのだ。

 もちろんハムスケもすっごく驚いていた。

 でもモモンガは魔法を使う度に鎧を脱いだり着たりを繰り返していたから、色々と制約はあるのかもしれない。

 

 

「送迎完備ってそういう意味だったのか……」

 

 

 モモンガの凄さに今更気づいたのだろうか。お父さんは苦笑いしていた。

 

 

「でもこの魔法の事は周りには秘密だってさ。それに村との移動に使うだけで、冒険中はちゃんと自力で移動するって言ってたよ」

 

 

 色々と説明してあげると、お父さんは額に手を当てて天を仰いだ。

 

 

「……ネム。仕事の時は宿泊してきて構わないから、モモンガさんにあまり迷惑をかけてはいけないよ……」

 

 

 それを見たお母さんは、隣で口を隠して可笑しそうに笑っている。

 お姉ちゃんは、前に見た顔――理解を諦めた顔だ。

 なんだかよく分からないけど、これは門限――冒険の時間制限が解除されたと、前向きに考えるべきだろう。

 

 

「うん、分かった。冒険者のお仕事頑張るね!!」

 

 

 これで出来る仕事の幅も広がるはずだ。

 でも明日は冒険にも行かないし、家のお手伝いもいっぱいしておこう。道具の準備もパチンコの練習もしなくちゃいけない。

 村はまだまだ大変な状態だ。みんな忙しく働き続けている。

 冒険をしたらお金をいっぱい稼いで驚かせよう。

 それなら私でもきっと家族の役に立てる――役に立ったと胸を張れる。

 

 

(私だって、やれば出来る!!)

 

 

 今はまだ迷惑をかけてばかりだけど――その時はちゃんと褒めてもらえるよね。

 

 

 

 

 待ちに待った冒険の日。

 前日はしっかりと寝たので体調は万全。必要な持ち物も事前に確認して、既に用意しているので準備も完璧だ。

 

 

「いってきまーす!!」

 

 

 朝ご飯を素早く食べ終えると、用意しておいた小さなリュックを背負う。

 服のポケットにはモモンガから貰ったパチンコが、すぐ取り出せるように入れてある。

 そして茶色のマント――村に住む野伏(レンジャー)のラッチモンさんが子供の頃に使っていた物を貰った――を羽織れば冒険者ネムの完成だ。

 私は家族に元気よく挨拶をすると、駆け出すように家を出た。

 

 

「二人ともおはよう!!」

 

「ネム殿、おはようでござる」

 

 

 村の外で待ち合わせしていたモモンガとハムスケに合流し、その後はちょっとだけモモンガの魔法の出番だ。

 

 

「おはよう、ネム。忘れ物はないか? 街の近くまで〈転移門(ゲート)〉を開くぞ?」

 

「うん、大丈夫」

 

 

 モモンガは少しだけテンションの高い声で魔法を唱え、宙に浮かぶ闇を生み出した。

 一昨日街に行った時も使ったが、これを潜れば一瞬で移動できるのだ。

 

 

「本当に便利だよね。これが使えたら朝の水汲みが楽になりそう」

 

「某も魔法は少々使えるでござるが、殿には全く敵わないでござる」

 

 

 モモンガのこの魔法はかなり凄いものらしい。ハムスケも魔法は少し使えるそうだけど、こんな便利な魔法は知らないようだった。

 

 

「第十位階の魔法を使ってやる事が水汲みとは…… ネムは中々大物だな」

 

「井戸を往復するのって結構大変だよ? お姉ちゃんも腕が太くなったらどうしようって言ってた」

 

 

 素直に思った事を言っただけだったが、モモンガはどこか感心したような、驚いたような雰囲気を見せた。

 自分では大きな瓶を持ち運べないため、水汲みのお手伝いをする事は少ない。それでも姉の姿を見ていれば大変さは分かる。

 

 

「あくまでも家族と仕事のためか…… ネムらしい、優しい使い方だ」

 

 

 色んな魔法が使えるモモンガにとっては不思議な理由だったのだろうか。

 確かにモモンガならわざわざ井戸を往復しなくても、直接水を生み出したりも出来るのかもしれない。

 モモンガの顔は今は仮面で隠れているけど、何故か自分のことを優しげな目で見ている気がした。

 

 

「どうしたの? 行かないの?」

 

「いや、何でもない。さぁ、行こうか!!」

 

「うん、しゅっぱーつ!!」

 

「出発でござる!!」

 

 

 みんなで元気よく声を出して、闇の中へ足を踏み入れた。

 こうしてお喋りしているのも楽しいけど、何はともあれ出発だ。

 ――どんな仕事があるんだろう。今日一日だとどれくらい稼げるんだろう。どんな物が見られるんだろう。

 今日から私、冒険者ネム・エモット、相棒のハムスケ、そして冒険者モモンの本格的な活動開始だ――

 

 

 

 

 意気揚々とカルネ村から街までやって来た二人と一匹。

 出発時の笑顔はどこへ消えたのか、ネムは眉を八の字にしながらモモンガと共に唸っている。

 

 

「これが依頼書か。ふむ、どうしたものか……」

 

「むむむ…… どうしよう?」

 

 

 辿り着いたエ・ランテルの冒険者ギルドで、ネムとモモンガは早速壁にぶつかっていた。

 魔法で作った鎧に身を包んだモモンガは顎に手を当て、掲示板の前でどうしたものかと考え込んでいる。

 

 

「読めん…… ネムは文字が読めるか?」

 

「読めない…… モモンも?」

 

「ああ、私の故郷とはまるで違う文字だ。言葉は翻訳されるのに、文字は違うとか不便だな……」

 

 

 冒険者登録をした時に、何故気付かなかったのか不思議なくらいの初歩的な問題。

 モモンガとネムは張り出された依頼書の文字が読めなかったのだ。

 モモンガは異世界の言葉故に。ネムは単純に読み書きを習っていないからだ。

 屋外に待たせているハムスケに聞いてみるという手もあったが、あの微妙に賢くない魔獣に文字が読めるとも思えなかった。

 そして、観念して二人で受付に依頼を見繕ってもらおうとしたが、そこで待ち受けていたのは新たな問題だった。

 

 

「申し訳ございません。現在は緊急時でして、銅級の方に紹介できる仕事はございません」

 

「……え?」

 

 

 返ってきたのは事務的な台詞。

 二人してポカンとしていたが、受付の女性はそんな事も知らないのかと言いたげな表情だった。

 

 

「昨夜より共同墓地からアンデッドが溢れ出し、その対応に追われているのです。そのため、他の依頼は一部停止させて頂いております」

 

「えぇ……」

 

 

 ネムとモモンガは二人揃ってガックリと肩を落とした。

 現在多くの冒険者はアンデッド退治や街の防衛の仕事を請け負っているが、それは一度も仕事をしたことがない新人に回せるようなものではなかった。

 厳密には荷物運びの仕事などはあるのだが、この緊急時に何も知らない奇妙な二人組に任せるのは良くないだろうと、受付嬢はあえて言わなかった。

 

 

「モモン、どうしよう?」

 

「選択肢は三つ……いや、この場合一つか。ネム、今日は訓練をしないか?」

 

 

 ネムはモモンガの提案を聞いて若干気分が落ち込んだ。

 本当はお仕事がしたい。お金をちゃんと稼ぎたい。せめて街に入る時の通行料分くらいは取り戻したい。でも、仕事がないのだから仕方がない。

 

 

「ネムはまだモンスターとちゃんと戦ったことはないだろう?」

 

「うん……」

 

 

 諭すようなモモンガの言葉に、ネムは小さく返事を返す。

 頭で分かっていても、ネムが気持ち的に納得出来るかは別問題だ。

 

 

「ハムスケと私を含めた連携を確認する必要もある。手ごろなモンスターを探して戦ってみよう」

 

「うん……」

 

 

 ネムもチームワークは大切だと思う。

 冒険者は基本的にチームで動き、お互いをカバーするのだと聞いた事がある。練習する必要性も理解している。

 ただ、今日も何の成果もなく家に戻るのは嫌だ――

 

 

「ゴブリンとかを狩れば報奨金が出るぞ」

 

「――やる!! モモンに昨日の練習の成果を見せてあげるね!!」

 

「おっ、もう自分で練習をしてたのか。偉いぞ。よし、じゃあ気を取り直して街の外に行くか!!」

 

「いくぞー!!」

 

 

 ――ゴブリン死すべし。

 ネムは二重の意味でやる気を漲らせた。

 

 

 

 

 エ・ランテル近郊の平野で、ネムとの実戦的な連携の訓練を始める事にした。

 お互いに出来ることを確認しながら、時折見つけたモンスターとも戦っている。

 その相手はもっぱら弱いゴブリンで、安全を考慮して群れからはぐれた個体を狙って狩っていた。

 

 

「ねぇモモン、ハムスケと新しい技を考えたの!!」

 

「某とネム殿の合体技でござる!!」

 

 

 訓練を始めてから数十分。ネムがゴブリンとの戦いの中で何かを閃いたようだ。

 何をするのか少しワクワクしながら見ていると、ハムスケが尻尾の先をネムに絡めた。

 いったい何をするつもりなのか。そのままネムの体を固定すると、空に向かって尻尾を垂直に伸ばしていく。

 

 

「私が上からパチンコで攻撃して」

 

「某がその隙をついて地上で攻撃するでござる」

 

「天才か」

 

 

 ハムスケの尻尾は堅い鱗に覆われているが、伸縮自在で伸ばせば少なくとも二十メートルはある。普段は鞭の様に敵に叩きつけて使っており、かなり自在に操れるらしい。

 それをそのまま武器として使うのではなく、ネムを空中に固定する道具にするとは中々面白い。

 

 

「ふむ、考えたな。これなら周囲の偵察にも使えそうだ」

 

「でしょでしょ!! でも、これまだ未完成なんだ……」

 

「何が足りないんだ?」

 

 

 制空権などネムは知らないはずだが、敵の頭上を取れれば有利だろうし、高い位置にいる分視野も広くなる。

 何より敵が飛び道具を持っていなければ、ネムが一方的に攻撃出来ることになる。

 尻尾から降りて来たネムは未完成だと言ったが、この世界のレベルを考えれば十分使える作戦だと思う。目立って的になりやすい事を気にしているのだろうか。

 

 

「尻尾を真っ直ぐに伸ばし続けるのは、某が少々疲れるでござる」

 

「ポンコツか」

 

 

 疲労のないアンデッドである自分には、ハムスケの苦労は分からない。

 だが、そこは頑張れと言いたい。

 

 

「あと、高すぎて怖いです……」

 

「盲点だった…… いや、あの高さだから当たり前か。むしろ良くさっきは我慢出来たな?」

 

 

 空中での恐怖を思い出したのか、ネムが怯えた表情を見せた。

 確かにあの高さは普通の人間には怖いだろう。自分は恐怖などの感覚も麻痺しているため、本当の意味では共感出来ないが。

 

 

「止まってる時はまだ良いけど、ハムスケが移動したら尻尾も揺れるから、すっごく怖いの……」

 

「尻尾でしっかりと体を掴んでいるゆえ、決してネム殿を落としはしないでござるが…… 極力揺らさないとなると、某は一歩も動けないでござる」

 

「まさかの移動不可……」

 

「爪くらいは振れるでござるよ?」

 

 

 尻尾はネムのために使っているので、必然的にハムスケの残りの武器は爪となる。

 超近距離武器しかなく、移動出来ない戦士――駄目かもしれない。

 

 

「面白い作戦だが、改良が必要だな」

 

「うん。あと高い所から撃つと難しかったから、もっと練習しなきゃ!!」

 

「某も特訓に付き合うでござるよ!!」

 

「よし、私も後衛をカバー出来る立ち回りの練習だ!!」

 

 

 その後もゴブリンを数匹狩り、色んな動きを試してこの日の訓練は切り上げた。

 見つけた中で一匹だけ攻撃が当たらず倒せなかったゴブリンがおり、見事に逃げられたことでネムはすごく悔しそうにしていた。

 そんな風に時には上手くいかない事もある。それもネムにはいい経験だろう。

 

 

(たかがゴブリン。雑魚モンスターだ……)

 

 

 今日戦ったモンスターは非常に弱く、戦士の真似事をしている自分でも一太刀で斬り殺せる。やろうと思えば戦術など皆無の力押しで、何千匹でも倒せる雑魚だ。

 自分一人どころか、ハムスケだけでも余裕で倒せる程度の相手でしかなかっただろう。

 報酬金にしたって銀貨で数枚程度。ユグドラシル金貨に換算すれば、一枚にも満たない僅かな額だ。

 しかし――

 

 

(でも、楽しかったな……)

 

 

 ――楽しかった。

 ユグドラシルでは強敵に挑んで負ける度に、試行錯誤を繰り返した。

 難しいクエストにチャレンジする時は、みんなで知恵を出し合った。

 強い戦術や面白い技などを編み出しては、仲間内で披露しあった。

 

 

(ああ、そうだ。俺はただ、こんな風にみんなと遊んでいたかったんだ……)

 

 

 かつての仲間と過ごしたあの頃を思い出し、自分としては今日の訓練は大満足だった。

 もし叶うなら、もし彼らがこの世界に来ているのなら、彼らともまた一緒にこんな風に遊びたい。

 

 

「ねぇモモンガ、今度はいつ行くの?」

 

「うーん、どうするか。あまりネムを連れ出し過ぎるのも、家族に悪いしなぁ」

 

 

 ネムをカルネ村に送り届け、別れる直前。

 次の冒険の予定を聞かれた。そう、ネムとはまだ次があるのだ。

 

 

「私はいつでも準備万端だよ!! 次はちゃんとお仕事をこなして、今度はみんなにお土産を買って帰りたいな」

 

「ふふふっ……了解だ。じゃあ次は――」

 

 

 自身に向けられた真っ直ぐな瞳を見て、思わず笑いがこぼれた。

 かつての仲間に会いたい気持ちは、自身の中に当然の様にある。

 張りぼてでも、支配者としてナザリックを絶対に守り抜いてみせる。

 自身の精神が変質している自覚はある。だが、たとえ何年、何十年経とうが、アンデッドとなったこの身が消える時まで、この想いは決して無くならないだろう。

 だけど今は――

 

 

(少しくらい、新しい友人との約束を楽しんでも、構わないですよね。皆さん――)

 

 

 ――ネムとの冒険を楽しんでも、罰は当たらないだろう。

 

 

 

 




名声とか興味ないので、モモンガは共同墓地の事件を放置です。
問題が起きればきっとデミウルゴスが何とかしてくれるはず……

――色んなフラグを折った結果――
シャルティアは洗脳されない(そもそも外に出てない)。
漆黒の剣はどこかでモンスターを狩ってる。
ンフィーレアは叡者の額冠を装備中。
カジっちゃんはアンデッド化に成功。
クレマンティーヌは無事に逃走。


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幕間2 忘却される護衛役

時系列としては幕間「悪魔の誓い」の後。
モモンガがネムの家族にプレゼンをする少し前です。



 ナザリック地下大墳墓の第九階層――ロイヤルスイート。

 ギルドメンバーの私室等が設置された階層であり、最高支配者のための執務室もそこにあった。

 執務室は高級な調度品が数多く備え付けられているが、一人で使うにはあまりにも広すぎる空間だ。本来ならメイドが一人控えていようが気にならない程度の広さである。

 だが、そんな広々とした場所にもかかわらず、この部屋の主は息が詰まりそうな状況に陥っていた。

 

 

(さて、どうする……)

 

 

 黒い革製の椅子に座った死の支配者(オーバーロード)は、出来るだけ冷静に思考を巡らせようとしていた。

 机を挟んで彼の向かいには、並々ならぬ熱意を漲らせた悪魔が立っている。正直なところ圧が凄い。物理的な熱気を感じてしまいそうなほどだ。

 

 

「ふむ、なるほど……」

 

 

 そんな部下の熱い視線を感じながら、モモンガは手に持った計画書をめくり続ける。

 余りに分厚すぎるそれは辞書のようで、まるで終わりが見えてこない。

 

 

(――ギルドの維持コスト削減案、防衛体制の見直し、ナザリックの戦力増強案、スクロール作成、採掘場、牧場、領地の取得、各種能力実験、ユグドラシル金貨の入手方法、G情報網の構築、偽ナザリック建設計画etc……)

 

 

 淀みなく優雅に読み進めるその姿は、まるでやり手の経営者。

 目の前で見ているデミウルゴスのみならず、こちらの様子を窺う一般メイドすらもその一挙手一投足に魅了されていた。上限だったはずの尊敬や忠誠心も爆上がりである。

 しかし、モモンガは優秀過ぎる部下が作った計画書を読んでいるフリをしながら、内心では頭を抱えていた。

 

 

 

(――駄目だ。書かれている計画が多すぎてサッパリ内容が頭に入らない…… 難しい単語だらけだし、概要だけで何ページあるんだよこれ)

 

 

 時折ページをめくりながら「ほぅ……」「これは……」などと呟き、内容に感心している演技もしていたが、時間稼ぎもそろそろ限界だろう。

 

 

「如何でしょうか。このデミウルゴス、全身全霊を以って作成させて頂きました」

 

「どれも素晴らしい計画だ。流石はナザリック一の知者と言えよう」

 

 

 ページをめくる手が止まる頃を見計らい、意見を求めてきた部下にとりあえず労いの言葉をかけた。モモンガの誤魔化しという名の戦いはここからが始まりだ。

 

 

「ありがとうございます。計画の立案にあたってナザリックのギミック、全NPC、傭兵モンスターの能力、及び保管された素材やアイテムなどの資源も確認済でございます」

 

「え、全部確認したのか?」

 

 

 部下の手際の良さに思わず素の声が出てしまったモモンガ。

 

 

「はい。後は外の情報を手に入れ、細部を調整するのみです。ご許可頂けるのであれば、即座に始めさせて頂きます」

 

「本当に凄いな、お前……」

 

 

 モモンガもナザリック内の事は粗方把握しているつもりだが、情報が多すぎて全てとは言い切れない。それを臆面もなく全て確認したと言い切るデミウルゴス。

 ナザリックが異世界に転移してから、まだ一週間も経っていないのにだ。

 感心を通り越して、もはやドン引きするレベルだった。

 

 

「ありがとうございます。ですがモモンガ様ならば、これ以上の計画を作る事も容易かと」

 

「ふふっ、謙遜はよせ。ところでデミウルゴスよ。お前は何を思いながらこの計画書を作った。お前自身の言葉で聞かせてくれないか?」

 

 

 モモンガは支配者らしい態度を維持しながら、頭を垂れるデミウルゴスに問いかけた。

 要約すると「この計画書の内容分かんないから説明してくれ」である。

 

 

「やはり私如きの考えなど全てお見通しでしたか……」

 

 

 デミウルゴスは一瞬だけハッとした表情を見せた。

 しかし見通すも何も、モモンガは何も分かっていないし何も考えていない。

 

 

「モモンガ様のお考えの通り――」

 

 

 一体何を察したのかは不明だが、デミウルゴスはモモンガに自身の気持ちを語ってくれた。

 

 

「――ですので、舞台を整える事をお任せいただきたいのです。モモンガ様にはこの世界を存分に楽しんでいただければと……」

 

 

 ――これまでギルドの維持を任せていた事が申し訳なかった。我々にも手伝わせて欲しい。モモンガ様はどうかご自身のなさりたい事をやって欲しい。

 デミウルゴスの言葉をモモンガはゆっくりと噛みしめる。

 

 

(要するに……ナザリックを維持する手伝いがしたいから任せてくれって事なのか。でも世界を楽しむってどういう事だ? もしかして俺が冒険者になろうとしてるのがバレてたか……)

 

 

 その内容はモモンガにとって、ある意味悪魔の囁きだった。

 ギルドマスターとしてそんな無責任な事は出来ないが、思わず「任せた」と言ってしまいたくなる提案だ。

 

 

(うーん、でも案外アリじゃないか? 俺なんて元々ただのサラリーマンだし、トップで考えて指示するより優秀な部下の案を採用する方がいい気が……)

 

 

 だが、客観的に自身の能力を判断すると、モモンガはデミウルゴスの方が正しいように思えてきた。自分がするべき事は大きな方針だけ決めて、もしもの時に責任を取る事ではないだろうか。

 一度そう考えてしまうと、モモンガはデミウルゴスの提案がますます魅力的に見えてくる。

 

 

「良かろう。この件はデミウルゴス、お前に()()()()する」

 

「おぉ、私に()()を任せて頂けるとは……ありがたき幸せ」

 

「忙しくなるお前には必要になるだろう。これを受け取るがいい」

 

「これはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン!? このような至宝まで…… 必ずや世界を、御身にご満足いただける結果を献上させて頂きます!!」

 

 

 ギルドの指輪を渡されたせいか、デミウルゴスも非常にやる気になっている。

 

 

「ん、世界? ……まぁ良い。そう緊張するな」

 

 

 部下のモチベーションを維持し、能力を引き出す事こそ理想的な上司の役目だろう。

 モモンガはどこか認識の噛み合わなさを感じつつも、デミウルゴスの熱意を信じる事にした。

 

 

「いくつか私から条件、注意事項の様な物を付けさせてもらう。それから、計画の責任を取るのはあくまで私だからな」

 

「その様な配慮まで……畏まりました。どのような条件であれ、完璧にこなして見せましょう」

 

「期待しているぞ。条件だが――」

 

 

 ナザリックの敵対者を出来るだけ作らないようにする。

 弱そうな現地人でも未知の存在に油断しない。

 この地に来ているかもしれない他のプレイヤーにも注意する。

 モモンガは大雑把にこのような内容を伝えた。

 

 

「ナザリックとして表に出ることはないと」

 

「仲間を見つける手としては良いかもしれない。だが、我らの悪名はユグドラシルでは広まりすぎていた。いらぬ敵を作りかねないからな」

 

「ではその条件に合うように、計画を幾つか修正させて頂きます」

 

 

 ギルドの名を出すか出さないか。モモンガとしても非常に悩んだ。

 しかし、かつての仲間には会いたいが、守るべき存在が多いため危ない橋は極力渡りたくないのだ。

 それに自分も彼らも異形種だ。寿命という時間制限がない以上、もしこの世界に来ていればいずれ会える。モモンガはそう前向きに考える事にしていた。

 

 

「うむ、頼むぞ。あー、それとだな。計画には大きく関係していないが……私はこの世界で冒険者をやろうと思っている」

 

 

 話が一区切りついた所で、モモンガは冒険者になることを切り出した。

 反対される可能性も考慮していたので、微妙に歯切れが悪くなる。

 

 

「畏まりました。近衛兵の編成は既に済んでおります」

 

「いや、出来れば護衛を連れるのは避けたい」

 

「お言葉ですが……流石に御身お一人では危険かと。最低でも一人以上は盾となる者がいなければ……」

 

 

 護衛の事は遠慮したいが想定の範囲内だ。だが、快適な冒険者ライフのためには何とか言いくるめなければならない。

 

 

「この冒険は一人ではなく、ネムを誘うつもりなのだ…… 理由は分かるな?」

 

 

 モモンガは威厳を感じさせる声でデミウルゴスに語りかける。まるで深い意味があると言わんばかりに。

 とんでもなく勿体つけているが「友達と遊ぶ姿を部下に監視されるのって恥ずかしいよね」と、モモンガは言いたいだけだ。

 

 

(頼む。察してくれ……)

 

 

 しかし、至高の支配者には似合わない理由のため、NPCに直球で言うのは躊躇われる。

 この優秀過ぎる部下なら伝わるだろうと、モモンガは遠回しにその意思を伝えた。

 

 

「……なるほど。そういう事ですか。モモンガ様の真意、理解いたしました」

 

 

 デミウルゴスは数秒ほど悩み、何かに気がついたようだ。

 そして表情を緩めると恭しく頭を下げた。

 

 

「話が早くて助かる。私はそれの準備に入るとしよう」

 

「畏まりました。それでは私も直ちに準備させて頂きます」

 

 

 デミウルゴスは深くお辞儀をすると、すぐに執務室を後にする。

 やはり出来る男は違うなと、モモンガはその後ろ姿を満足げに見送るのだった。

 

 

 

 

 ナザリック内の確認が終わり、モモンガがそろそろネムに会いに行こうと思った矢先の事。

 その日モモンガは「例の件の準備が整いました」とデミウルゴスから連絡を貰い、第六階層に向かっていた。

 

 

(計画書の事についてだったらどうしよう…… まだちゃんと読めてないんだが)

 

 

 さも分かっていた風に応えたが、当然モモンガは例の件が何の事か分かっていない。デミウルゴスに色々なことを一任してから、その後の確認もとれていなかった。

 

 

(もう少し報連相を徹底させるべきか。いや、でもなぁ……色々聞かれても、俺じゃ分かんないしなぁ)

 

 

 彼らの理想の支配者像を壊さないために、細かい内容を聞き返す事が出来なかったのだ。

 NPCの事が分かってきた今なら、多少の駄目な姿を曝け出しても忠誠心が落ちる事はないとほぼ確信している。しかし、それも今更だろう。

 モモンガ自身も彼らをガッカリさせたくないと思っているので、自業自得だが引くに引けない状況なのだ。

 

 

「ご足労頂きありがとうございます。モモンガ様」

 

「……うむ。今から例のアレをやるのだな?」

 

「はい。アレでございます」

 

「あー、あの時話していた件だな?」

 

「はい。あの時でございます」

 

 

 ――だからどれだよ!!

 

 モモンガは叫びたい気持ちをぐっと堪え、支配者らしく鷹揚に頷いた。

 辺りを見ればこの場にいるのはデミウルゴスだけではない。

 ガルガンチュアとヴィクティムを除く階層守護者が全員揃っている。更にセバス、プレアデスから三人、領域守護者などのNPCに加え、高レベルの傭兵モンスター達が集まっていた。

 皆一様にやる気を漲らせているが、特にアルベドとシャルティアが凄い。

 やる気と言うより欲望だろうか。二人とも目が血走ってて正直かなり怖い。

 

 

「デミウルゴスよ。念のためこの企画の趣旨を、改めて皆にも説明してあげなさい」

 

「畏まりました。では始める前に、改めてこの企画の説明をしよう」

 

 

 モモンガは伝家の宝刀「デミウルゴスよ、説明してあげなさい」を発動した。

 後はデミウルゴスが仲間にする説明を、モモンガが理解すれば万事解決である。

 

 

「モモンガ様は冒険者として活動を開始されます。しかし、我々はそれに参加しません」

 

(うんうん。流石デミウルゴスだ。俺の事をよく理解している。やっぱり気兼ねなく冒険したいからな。お供はいらないぞ)

 

 

 モモンガは彼らの事がもちろん嫌いではない。今はいないギルドメンバーの子供のような存在だと思っており、大切なナザリックの一員だと考えている。

 しかし、彼らは配下としての姿勢を貫き、モモンガに支配者としての姿を求めている。

 そうあれと生み出されたのだから、それはそれで構わない。

 だが、モモンガは遊びの一環――趣味として冒険者になりたいのだ。

 

 

「モモンガ様の大いなる計画のためには、冒険者としてのパートナーは現地人が望ましい。我々ナザリックの者ではない事に意味があるのだよ。そこで――」

 

(うんうん。四六時中支配者ロールをするのはちょっとしんど過ぎるからな――ん、計画?)

 

 

 だからそんなNPC達と一緒に冒険に行くのは、自分の求める物とはちょっと違うと思っている。プライベートは自由に楽しみたいのだ。

 そんな事を考えていると、デミウルゴスの説明の雲行きが怪しくなってきた。

 

 

「――モモンガ様に決して悟られず、護衛が出来る者を選抜したいと思います!!」

 

(どうしてそうなった!?)

 

 

 モモンガはツッコミを声に出すことなく何とか飲み込んだ。しかし、状況が好転するわけではない。

 モモンガは軽く考えていたが、忠誠心が天元突破しているNPCがそう簡単にモモンガを一人にするわけがない。

 特にデミウルゴスはモモンガ――自分達が仕えられる最後の支配者――がこの地を去らないか一番危惧していたNPCだ。

 例えモモンガに命令されたとしても、そう簡単に頷くわけがないのだ。

 

 

「これより『モモンガ様を護り抜くのは君だ!! 第一回ナザリック大、大、大、かくれんぼ大会』を開催いたします!!」

 

「「「うおぉぉおぉぉぉぉっ!!」」」

 

 

 デミウルゴスはいつの間にか握りしめていたマイクを使い、この場にいる者全員に向かって叫んでいた。

 悪魔の発した非常に耳障りの良い声。

 周りから上がる歓声。

 

 

「ぇぇ……」

 

 

 そしてかき消される骨の嘆き。

 デミウルゴスの声は心地よく耳に入ったが、モモンガは状況を理解出来なかった。例え多少の時間があっても理解は出来なかっただろう。

 

 ――お前、こんなキャラだったのか。

 

 NPCは程度に差はあれど、ギルドメンバーによって性格などが設定として書き込まれている。しかし、設定に書かれた文章が全てではないらしい。

 モモンガはNPCの新たな一面を知り、何とも言えない気分になった。

 

 

「ルールは簡単だ。まず事前に配ったリストバンドは――」

 

(うわぁ、準備万端。何故だ!? そこまで気遣いが出来るなら、何故その結論に至った!? 普通に一人で行かせてくれよ!!)

 

 

 モモンガの驚愕を他所に、デミウルゴスから今から行う大会のルール説明が行われる。

 一つ、モモンガから一定距離を離れない事。

 二つ、モモンガに気付かれない事。

 これらの条件に反すると魔法のリストバンドが壊れて自動的に失格となる。

 要は制限時間終了まで、モモンガに見つからずにストーキングすればいいのだ。

 少々変則的な部分もあるが、シンプルなルールと言えるだろう。

 

 

「そうそう、冒険者のパートナー役として私はモモンガ様と一緒に動きます。私に見つかっても当然失格だからね。……如何でしょうか、モモンガ様。一部の守護者を納得させるため、少々趣向を凝らしてみました」

 

「……誰もが納得する素晴らしい案だと思うぞ」

 

 

 ――俺は微妙に納得してないけどな。

 モモンガは心の中で愚痴りつつ、表情の変わらない骸骨になった事を感謝した。

 

 

「ありがとうございます。では、これからモモンガ様には森林内の所定の位置について頂きます。後はスタートと同時に自由に動き回っていただければ幸いです」

 

「ほぅ、森林内がフィールドか。参加者はどの程度いるのだ。既に姿を隠している者もいるのだろう?」

 

「流石はモモンガ様。素晴らしい慧眼で御座います。レベルとしては五十以上の者が数十名ほど……ナザリック内に同種が複数いるモンスターや、傭兵モンスターは代表一体のみの参加となっております」

 

 

 細かい人数は不明だが、かなりの人数が参加していると見て間違いない。

 プレアデスの内シズとソリュシャンが見当たらなかったが、シズはレベル的に不参加のはずだ。

 一方で盗賊の職業を持つソリュシャンはレベルの条件も満たしているため、既に森に潜んでいると考えられる。

 傭兵モンスターで気をつけるべきは、高い隠密能力を持つ忍者系モンスターだろう。

 あとはここの階層守護者でもあるアウラとマーレが警戒すべき相手だ。

 あの二人にとってここは有利すぎる場所。能力的に考えても申し分ない。

 

 

「なるほどな…… 魔法などを使っても良いのか?」

 

「はい。転移と攻撃魔法以外でしたら、アイテムなどを使っても構いません」

 

「……分かった。折角の機会だ。私も少々本気を出させてもらおう」

 

 

 この世界に来てから生産の目処は立っていないが、少々スクロールも使わせてもらおう。モモンガはこれは初期投資だと、自身に言い訳を重ねる。

 

 

「それでは、スタートです!!」

 

 

 森林内の所定の位置につき、デミウルゴスの合図でゲームが始まった。

 モモンガは肺のない体で深呼吸を行い、冷静になりつつも気合を入れる。

 

 

(ネムとの冒険に水を差されるわけにはいかない。――どんな手を使っても全員見つけ出してやるからな!!)

 

 

 モモンガは大人気なく本気を出す事を決意した。

 すべてはネムとの楽しい冒険のために――

 

 

 

 

「――そこまで!! ここでタイムアップです」

 

 

 異形種達のかくれんぼ大会は苛烈を極め、そして今終わりを迎えた。

 ――御方の圧倒的な力を見せつけられるという結果で。

 

 

(まさかこれ程とは。私はまだ至高の御方の力を甘く見ていた……)

 

 

 パートナー役として常に側にいた自分は、至高の御方の妙技を思い出していた。

 

 

『――飛ぶぞデミウルゴス!!〈飛行(フライ)〉』

 

 

 参加者から距離を引き離すべく、自分を抱えたまま華麗なアクロバット飛行をしてみせたモモンガ様。

 

 

『えーと、ぷにっと萌えさん考案の探知術は――』

 

 

 数々の情報系魔法を使いこなし、次々と参加者を発見していったモモンガ様。

 

 

『目を増やすか。スキル〈下位アンデッド創造〉〈中位アンデッド創造〉〈上位アンデッド創造〉ふむ、これだと足りないか? おまけに〈不死の軍勢(アンデス・アーミー)〉っと』

 

 

 召喚魔法を使い、人海戦術を披露して下さったモモンガ様。

 そのお言葉と魔法で罠を張り巡らせ、凄まじいオーラを撒き散らし、数々のアイテムを湯水の如く使い――参加者の尽くが脱落していった。

 

 

(やはり私如きの作戦では、モモンガ様には通用しませんか)

 

 

 自分の策がほとんど通用しなかった。悔しいと思う反面、主人の偉大さに誇らしくもある。

 実を言えばこの大会は守護者だけでなく、モモンガ様に護衛の同行を納得して頂くための場でもあったのだ。

 そのため公平性に欠けるとは思ったが、大会のルールはモモンガ様に不利な仕様で作った。

 予め森林内での活動が得意なモンスターを用意し、チームとして動くように指示も出していた。

 自分というパートナーがいる事で、移動を制限される仕組みも用意していた。

 

 

(あらゆる想定はしていたつもりでしたが、私も精進しなくてはなりませんね)

 

 

 モモンガ様が探索系の職業を修めていないのは承知している。その上で隠密に長けた者を参戦させていたのだ。

 更には転移と攻撃魔法を制限した以上、魔法詠唱者としての能力は十全に発揮出来ない。

 参加人数すらワザと正確には伝えなかった。

 これなら最低でも五人は残ると考えていた。

 考えていたのだが――

 

 

「中々楽しかったぞ、デミウルゴス。そろそろ私は行かせてもらうとしよう」

 

「はっ。ご協力ありがとうございました」

 

「あぁ、もし私が見つけられなかった者がいるのなら、そのままついて来るといい」

 

 

 ――最後の超位魔法は予想外だった。

 まさか〈天地改変(ザ・クリエイション)〉を使って大森林を一時的に作り変え、潜んでいた参加者を無理やり炙り出すとは思わなかった。

 こちらの作ったルールの穴を突いた見事な作戦の数々。まさに智謀の王。端倪すべからざる御方と言う他ない。

 

 

「どうするのよデミウルゴス!! このままじゃモモンガ様がお一人で行かれてしまうわ」

 

「そうでありんす!! ああっ、あの時アルベドが邪魔してなければ……」

 

「なんですって? それはこっちのセリフよ!!」

 

 

 アルベドとシャルティアが騒いでいるが、結果は結果として受け止めなければならない。というより、二人は勝手に自爆しただけだ。

 モモンガ様が装備を着替える瞬間を目に焼き付けようとして、二人してあっさりと見つかったのだから。

 二人の気持ちは分からないでもないが、あれ位は罠だと気がついて欲しい。

 そもそも隠密能力がない二人だから、最後まで残れるとも思っていなかったが。

 

 

「あー、後もうちょっとだったのになぁ……」

 

「お、惜しかったね、お姉ちゃん」

 

「アウラ、マーレ、二人ともお疲れ様。私も二人のコンビならいけると思っていたが……モモンガ様は我々の想像を容易く超えてしまわれたよ」

 

「流石はモモンガ様だよね。でもいいの? 本当にお一人で行かせて?」

 

 

 かなり悔しげだが、やり切った表情を見せるアウラに労いの言葉をかけた。

 事実この二人は本当に健闘してくれた。

 恐らく最後の超位魔法がなければ、樹々や地面に隠れ潜んだまま見つかる事はなかっただろう。

 

 

「問題はないさ…… お一人、ではないからね」

 

 

 念のための保険として用意していた最後の策。

 参加するように声をかけたのは自分だが、残ったのがその彼だけというのはかなり悔しい。

 

 

(モモンガ様の事を頼みましたよ)

 

 

 自分の感情はさておき、モモンガ様の護衛として信頼は出来る。

 まさか一人しか残らないとは思わなかったが、きっと彼なら大丈夫だろう。

 なにせ彼は――

 

 

 

 

 

 かくれんぼ大会を終え、ナザリックの地表部まで出て来たモモンガ。

 そこでモモンガは頭を抱えて自己嫌悪に陥っていた。

 自身の先ほどの所行を思い出し、精神抑制が三度ほど繰り返されている。

 その理由は単純――やり過ぎたである。

 

 

(うわぁぁ、やっちゃった……どうしよう。フィールドを更地にして見つけ出すとか、ないわぁ…… かくれんぼで隠れる場所を潰すとか、絶対ダメだろ……)

 

 

 ナザリックのシモベには見せられない情けない姿。

 しかし、そんなモモンガに近づく者がいた。

 

 

「モモンガ様!! 如何なさいましたか?」

 

 

 妙なイントネーションで呼ばれた己の名前。

 その声を発した者の姿を見て、モモンガは顎が外れかけた。

 

 

「ぱ、パンドラズ・アクター!?」

 

 

 誰もいないと思っていたモモンガの目の前に現れたのは、黄色い軍服を着た二重の影(ドッペルゲンガー)――

 ――モモンガが創造したNPCだった。

 

 

「はい、貴方様に創造して頂いた唯一の存在…… 宝物殿の領域、守護者!!」

 

 

 パンドラズ・アクターは肩にかけたコートをバサリとはためかせ、軍帽に手をかける。

 更にブーツの踵を打ちつけ音を鳴らし、つるりとした卵のような顔を斜めに傾けた。

 

 

「そして、今はモモンガ様専属の護衛!! パンドラズ・アクターでございます!!」

 

 

 おそらくキメ顔をしているのだろうが――顔の造形は黒い穴が三つ並んでいるだけ――その表情は全く変わらない。

 目の前で繰り広げられるオーバーアクションを前に、モモンガは先程よりも多く精神抑制が起こった。

 

 

「あー、久しぶりだな。元気だったか? というか、お前もさっきのに参加してたのか……」

 

「はい、元気にやらせて頂いております。先程の大会もデミウルゴス殿に誘われ、参加しておりました!!」

 

 

 モモンガが何とか気を取り戻すと、パンドラズ・アクターからテンションの高い応答が返ってくる。

 彼は宝物殿に引き篭もらせていたはずだが、デミウルゴスが呼び出したらしい。何気にこの世界に来てから会うのは初めてだったりもする。

 そこでモモンガは改めて気付いてしまった。

 

 

「お前が私の護衛なのか……」

 

「お任せ下さいモモンガ様!! ありとあらゆる手を尽くし、決して御身に気付かれずに、完璧に護衛して見せましょう。私は影となり空気となり、モモンガ様の冒険の邪魔には――」

 

「宝物殿の方は大丈夫なのか?」

 

「もちろんで御座います!! そちらの方の仕事も完璧ですとも」

 

 

 歌うように高らかに宣言し、大袈裟に両腕を広げ、くるりと半回転。

 そしてピタッと動きを止め、腕を交差し決めポーズをするパンドラズ・アクター。

 モモンガは全てのNPCの事をギルドメンバーの子供だと思っている。

 

 

「……任せるぞ。それから冒険中の出来事を他の者に細かく報告したりはするなよ?」

 

 

 しかし、自分が創造したコイツについては、どう接したら良いのか分からない。

 仮に創造主ではなくても、目の前で一人ミュージカルを繰り広げるような奴の接し方など分かるはずもないが。

 

 

我が神のお望みとあらば(Wenn es meines Gottes Wille)!!」

 

「……」

 

 

 突然のドイツ語に絶句するモモンガ。そして再び襲いかかる精神抑制。

 

 

(うぉぉぉっ……ドイツ語だったかぁぁぁ!? ――よし、さっさとネムに会いに行こう。前に話してた冒険の事覚えてるかなー)

 

 

 うん、取り敢えずコイツはいない者として扱おう。

 大丈夫だ。きっといつの間にか忘れているはずだ。気付かれない事が護衛の条件だしな。

 

 

「ではモモンガ様。一足先に先にカルネ村の様子を確認してまいります」

 

「分かった。少しだけ遅らせてから私も向かおう」

 

「現地の安全確保は完璧にして見せましょう。この先モモンガ様は私に決して気づくことなく、しかし私はその尊い雄姿を目に焼き付け、大いに冒険を――」

 

「はよ行け」

 

 

 モモンガは気持ちを切り替え、目の前の黒歴史から目を背ける。

 そして、パンドラズ・アクターが消えてから、少し間を空けて〈転移門(ゲート)〉を唱えた。

 闇を潜った先、最初に目に入るのは何でもない村の風景。

 

 

 

「――数日ぶりだな、ネム。元気にしていたか?」

 

 

 そして、何よりも待ち望んでいたもの――

 

 

「モモンガ!! 遊びに来てくれたの?」

 

 

 ――こちらに気がつき、花が咲いた様な笑顔を見せる、小さな友の姿だった。

 

 

 

 

 




ナザリックが一緒に転移している。つまりモモンガは一人になれないのでは?
しかし、原作通りナーベラルを護衛にすると冒険を楽しめないかもしれない……
と、いう事で考えた結果、護衛役はパンドラズ・アクターです。
彼ならきっと誰にも気づかれずに、尚且つ柔軟な対応をしながら見守ってくれる……はず。




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骨と少女と魔獣のわーきんぐ

前回のあらすじ

「冒険者になったよ!! でもお仕事がない……」
「おいおい、死んだわ俺」
「アンデッドは放置してネムと訓練するか」
「尻尾が疲れるでござる」

今回こそ普通にお仕事回です。
でも仕事してない部分が割と多い……


 リ・エスティーゼ王国の都市エ・ランテル。

 都市の外周部――西側の地区には共同墓地があり、現在は門と壁の修復作業が行われていた。

 

 

「こりゃひでぇな…… 一から作り直した方が簡単なんじゃねぇか?」

 

 

 一週間ほど前に起こった大規模なアンデッドの襲撃。その爪跡が一人の大工の目にまざまざと映った。

 頑丈な石材で作られた外壁は傷だらけで、至る所が崩れている。門に至っては大穴が空いており半壊状態だ。

 

 

「街を守ってくれた冒険者と衛兵さん達に感謝だな。しっかし、いったい何だったのかねぇ……」

 

 

 その襲撃には秘密結社『ズーラーノーン』の関与が疑われているが、墓地からアンデッドが大量発生した正確な理由は不明である。

 冒険者達が必死になって戦っていたら、いつの間にか襲撃が止んだのだ。

 黒幕も解決した者も一切分からない――何ともスッキリしない終わり方だったそうだ。

 

 

「お前達にはこっちの資材を運んでもらう。そこから半分に分かれて――」

 

 

 現場で班長を任されていた男は、日毎に変わる顔ぶれに声をかけていた。

 工事に参加する人数も毎回違うが、この程度の分担作業は慣れたものだ。

 

 

「――かなり重いから気をつけろよ。一度木箱から出して、そこの袋に詰め直して持っていけ」

 

 

 この場にいるのは建築の専門家ばかりではない。

 作業着を着た職人の他、日雇いの冒険者らしき者達が半分くらいを占め、彼らは雑用として働いている。

 集合したほとんどの者が動きやすい軽装で、首からタオルをかけている者も多い。

 ――しかし、一人だけ異彩を放つ存在がいた。

 

 

「これ、そのままでもいけそうですね」

 

 

 およそ工事現場には似つかわしくない、質の良さそうな重装備を着けた人物。照りつける太陽光が、その鎧をキラリと光らせる。

 漆黒の全身鎧を纏った男は、木箱を指して軽い口調で意見を述べた。

 

 

「はっはっはっ!! なんなら箱ごと持ってみるか、鎧の兄ちゃん――」

 

 

 班長が冗談だと笑い飛ばす中、男はあっさりと木箱に近づきしゃがみ込んだ。

 その正体はもちろん、ネムと仕事に来たモモンガである。

 

 

「では遠慮なく。よっこいしょっ、と」

 

 

 満身の力を込めている様子も、何か魔法を使っている様子も見られない。

 ただ掴んで持ち上げるだけ――その動作だけで、数百キロはあるであろう重量が、たった一人の手によって宙に浮かんだ。

 

 

「それで、これをどちらまで運べば?」

 

 

 まるで空箱を持ち上げる様な気軽さで、頭上に木箱を掲げるモモンガ。

 ヘルムで顔は見えないが、彼の声には明らかな余裕があった。

 その態度は如何にも「普通の事をやっていますよ」と言わんばかりだが、どう考えても異常だ。

 そのくせ冒険者にありがちな、力を見せつける意図すらも感じられない。謎の鎧の人物にとってはまさしく簡単な事なのだと、彼の纏う雰囲気が物語っていた。

 いっそ清々しいまでの怪力っぷりだ。

 

 

「おいおい、アイツの筋力どうなってんだよ……」

 

「ありゃ鎧の中身はきっと凄いぞ。『胸ではなく大胸筋です』よりもムキムキに違いねえ」

 

 

 どこからか発せられた小さな呟きは、この場にいる全員が思っていた事だろう。

 ――実際のところ、鎧の中身は筋肉どころか肉も皮もない骨だが。

 そして本職は戦士ではなく魔法詠唱者(マジックキャスター)である。

 

 

「あの、もしもし?」

 

「――っは!?」

 

 

 鎧姿を内心で馬鹿にしていた者も含め、周囲の人が全員絶句している。

 班長もどこかへ意識を飛ばしていたが、モモンガに声をかけられ現実に戻ってきた。

 

 

「あ、はい。あっちの骨組みをしている所に、頼み――ます……」

 

「了解しました」

 

 

 そして次に指示を出す時は、思わず口調が丁寧になっていたという。

 

 

(営業先の面倒な人間関係も、無茶ぶりしてくる嫌な上司もない。それにリアルじゃこんな肉体仕事絶対ありえないから、ちょっと楽しいな)

 

 

 普通の人間からすれば超が付く重労働だが、レベル百の肉体を持ち、アンデッド故に肉体の疲労すらないモモンガにとっては楽すぎる仕事。

 周りの驚愕をよそに、鎧の中で骨は意外とルンルン気分で働いていたとか。

 

 

 

 

 一方その頃、同じ現場で働いている少女と魔獣のコンビ。

 彼女達もまた、モモンガとは別の意味で異彩を放っていた。

 

 

「おーい、誰かロープを取って来てくれ」

 

 

 外壁周りには工事のため、五メートル程の高さの足場が組まれている。

 重労働という訳ではないが、一々降りて自分で道具を取りに行くのは少々面倒な高さである。

 そのため足場に乗った作業中の男は、下にいる者に道具を取ってもらおうと声を張り上げた。

 

 

「はい、ロープです!!」

 

 

 程なくして僅かな地響きと共に、工事現場には似合わない少女の可愛らしい声が聞こえてきた。

 

 

「おお、ありがとう。お嬢ちゃ……ん?」

 

 

 男が呼び掛けられた方に振り向くと、小さな少女がロープの束を抱えている。

 何も間違ってはいない。望みの物は予想よりも早く男の下に届いた。

 若干の違和感を感じながらも、それを受け取り少女に軽くお礼を告げた。

 

 

「また何かあったら言ってくださいね」

 

「あ、ああ……」

 

 

 たとえ小さな事でも仕事が早いのは嬉しい。最近の子どもは随分と勤勉なようだ。

 ――しかし、おかしい。

 自分のいる足場に誰かが登ってくる音も気配もなかった。そもそも、この子がいる方向に足場は存在しないはず――

 ――この少女、一体どこに立っているのだ?

 

 

「ハムスケ、ここは届けたから次行くよ」

 

「了解でござる!!」

 

 

 彼の疑問は直ぐに解決した。答えは少女の足元を見れば一目瞭然である。

 ――少女は浮いていた。

 それも魔法で浮いている訳でも、ロープで吊り上げられている訳でもない。

 

 

(魔獣!? しかも喋っただと!?)

 

 

 恐ろしく強そうな魔獣の尻尾を体に巻き付け、必要な高さまで運んでもらっていたのだ。

 高い知能を有する魔獣は器用に尻尾を操り、少女を優しく自らの背に戻している。

 

 

「あの子、一体何者なんだ?」

 

 

 魔獣の背に乗り去っていく少女を眺め、驚きがポツリと溢れる。だがその言葉に返事をくれる者はいない。

 ――あんな立派な魔獣を脚立扱いするなど、実はとんでもない存在ではないだろうか。

 

 

「――うん、真面目に働いてるみたいだし、どうでもいいか。俺も仕事だ仕事……」

 

 

 そんな不安にも似た思いが一瞬だけ頭をよぎった。

 しかし、彼女と一匹が行く先々で同じように小間使いを繰り返しているのを遠目に見て、男は深く考えるのをやめた。

 

 

「魔獣と働いちゃいけない、なんて法律はないしな……」

 

 

 王国では重要視されていないが、この世界には魔法だってちゃんと存在している。

 バハルス帝国では魔法を学ぶ大きな学校もあるし、軍隊では魔獣に騎乗する部隊もあるらしい。

 ならば、少女と魔獣が一緒に働く事も、あり得ない事では――ない。

 

 

「この調子でどんどん行くよー!!」

 

「某も頑張るでござる!!」

 

 

 現場では今も少女が元気な声を響かせながら、魔獣と共に駆け回っている。

 少女と魔獣は礼儀正しく、二人とも働き者だし何も害はない。

 ――気にしたら負けだ。

 働いている者達は皆、そう納得するしかなかった。

 

 

 

 

 今日はいっぱい働くことが出来た。

 疲れたけどそれだけじゃない。疲労感だけでなく、満足感が体に満ちているのを実感する。

 

 

「お疲れ様、ネム。怪我とかはしなかったか?」

 

「モモンもお疲れ様。疲れたけど全然大丈夫だよ。ハムスケもありがとう!!」

 

「なんの、某からすればこの程度は余裕でござるよ」

 

 

 今日やった仕事は工事現場でのお手伝い。

 仕事中はモモンガと離れて作業する事も多くて、最初は少し心細かった。

 だけどハムスケは一緒だったし、周りの大人はみんな親切だったから、不安はすぐになくなっていた。

 

 

「それは良かった。私も全部を見ていた訳ではないが、ハムスケと協力しながら色々工夫もしてたみたいだな」

 

「うん。ハムスケは細かい事出来なくて、私は力がないから、一緒に頑張ったよ」

 

「他の者と協力するというのも、中々新鮮な体験でござるな。それに、某もあともう少しで何か新しい力が目覚めそうな――」

 

 

 モモンガの顔は見えないけど、声の感じからしてニコニコしていると思う。

 私を乗せてくれているハムスケも、その活躍をモモンガに話せて楽しそうだ。

 

 

「――お前さん達、ちょっと待ちな……」

 

 

 今日の出来事をあれやこれやと話しながら歩いていると、私達の前に一人の男性が立ち塞がった。

 

 

「お、お前は――」

 

 

 モモンガはわざとらしく驚きの声を上げ、その男に向かって指を突きつけた。

 私もちょっと真似して驚いたフリをしてみる。

 ――そこそこ鍛えられた肉体。

 ――スキンヘッドに彫り込まれた刺青。

 ――あんまりカッコよくない顔。

 

 

「――オイオ・イテージャ・ネーカ!!」

 

「そんな・名前じゃ・ねぇよ!?」

 

 

 前に宿屋で会った、冒険者のおじさんだった。

 モモンガはいつもカッコいいけど、意外とお茶目なところもあるよね。

 

 

「すまない。ちょっとした冗談だ」

 

「お前冗談とか言うんだな…… いや、そもそもお前らにはそれ言ってねぇよ。何で知ってんだよ?」

 

「なに、飲んだくれ仲間が話していたのを小耳に挟んだだけだ」

 

 

 モモンガの付けたあだ名?が気に入らなかったのか、おじさんはガックリと肩を落とした。

 私はそんなに悪くないと思うけどなぁ。なんというか響きがしっくりきた。

 ハムスケの名前を思いついたのもモモンガだし、モモンガは名付けのセンスがあると思う。

 

 

「それでおじさん、どうしたんですか?」

 

「ああ、その…… ちょっと聞きたいことがあってな」

 

 

 私が尋ねると、おじさんは髪のない頭をポリポリと掻き、視線をどこかへ漂わせた。

 そして、ゴクリと喉を鳴らすと、こちらを見つめて意を決した様に口を開く。

 

 

「……お前ら、一体何者なんだ?」

 

「ネムです」

 

「モモンだ」

 

「ハムスケでござる」

 

「そうじゃねぇよ!?」

 

 

 流れる様に自己紹介をしたら、勢い良くツッコまれた。

 このおじさんは意外とノリが良いみたい。

 

 

「仕事場で見せた、お前の化け物じみた筋力。そこのやべぇ魔獣。それを操るお嬢ちゃん…… どう考えたって普通の新人冒険者じゃないだろ」

 

 

 ため息混じりに吐き出された言葉。

 モモンガは確かに凄いけど、他は色々勘違いしているようだ。

 

 

「私はアレだ。十二年程戦い続けて何やかんやしていたらこうなった」

 

「テキトーだな…… だけど冒険者は初めてってだけで、やっぱり経験は豊富か。実は意外と歳食ってんのか?」

 

「ふむ、今何歳だったかな? 歳なんて気にしてこなかったが…… 確か、三十歳くらいだったような…… いや、まだ二十代だったかな?」

 

「自分の年齢が曖昧って、どんな生活送ってきたんだよ!?」

 

「超過労働だが?」

 

 

 モモンガは首を傾げながら、慣れた様に正体をはぐらかしている。

 でも私も知らなかったな。モモンガはアンデッドだから、もっと何百歳とか長く生きてるのかと思ってた。

 意外とお父さんと近い。もしかしたら若いくらいかも。

 あれ? でも、もしかしたら今のは誤魔化すための嘘?

 どれが本当なのか後で聞かなきゃ。

 

 

「まぁまぁ落ち着くでござるよ。先ほどから何を恐れているのか分からんでござるが、某は元々『森の賢王』と呼ばれていた者」

 

「も、森の賢王……だとっ!?」

 

「断じてやべぇ魔獣ではないでござるから、安心するでござるよ」

 

「滅茶苦茶やべぇ奴じゃねぇか!? むしろ予想してたよりずっとやべぇわ!!」

 

「はぁ、騒がしい雄でござるな。モモン殿を見習ってほしいでござる。……それに某よりモモン殿の方がもっとやべぇでござる」

 

 

 ハムスケが安心するように言ったけど、おじさんには逆効果だったみたい。

 でも慌てすぎて、ハムスケが小声で呟いた後ろの言葉までは届いてなさそう。

 伝説になってるハムスケが言うくらいだし、やっぱりモモンガは本当に凄いよね。

 それはそうと、私も訂正しておかなきゃ。

 

 

「それとおじさん、私はハムスケのこと操ってなんかないですよ?」

 

「……は? この魔獣、実は首輪なし? ガチ野生?」

 

「ハムスケは私の友達で、相棒です!!」

 

「あー、はいはい。なるほどね? うん。お嬢ちゃんの言いたい事は完璧に理解しましたぜ」

 

 

 おじさん絶対分かってない。

 言葉遣いが怪しいし、考えるのを諦めたお姉ちゃんみたいな顔してる。

 ハムスケは魔獣登録の都合上、私のペットみたいに思われているけど全然違う。

 ここは譲れない大事なポイントなのに。

 

 

「聞きたい事はそれだけですか?」

 

「ああ、お前らを真剣に知ろうとした俺が馬鹿だった」

 

 

 何かを悟った様な、爽やかな笑顔で言い切られた。ちょっとむかっとする。

 このおじさん、本当に何しに来たんだろう。

 

 

「地味に失礼だな。私達は基本的に嘘をついていないというのに」

 

「わ、悪かったな。にしても、やっぱりこっちが素なのか? 宿で殺気を放った時とは、えらい違いじゃねぇか。……中身別人だったりしねぇよな?」

 

「もう一度やりましょうか?」

 

「すみません。勘弁してください」

 

 

 腰から九十度にピシッと折り曲げられた、とっても綺麗なお辞儀を見せるおじさん。

 太陽が頭に反射して微妙に眩しい。

 

 

「そろそろ行かせてもらいますよ」

 

「いや、もうちょっとだけ待ってくれっ。俺も賭けで負けて仲間から色々聞いて来いって――」

 

 

 冒険者としては私達の方が明らかに後輩なのに、モモンガの一言で完全に立場が逆転している。

 やっぱりこれもモモンガのカリスマのなせる業なのだろうか。

 

 

(今日の報酬で何を買おうかな~。半分は貯金でしょ。あとはお肉がいいかな。それとも保存食かな?)

 

 

 でも私はこのやり取りに既に飽きていた。

 ハムスケの上でおじさんの頭部を眺めていたけど、頭の中は家族へのお土産を何にするかでいっぱいだ。

 大人のよく分かんないお話、早く終わらないかな。

 折角お仕事してお金が手に入ったんだから、モモンガと早く買い物に行きたいのに。

 

 

(新しい包丁とか? 布とかの方がいいかな。でも甘いお菓子も欲しいなぁ。それから――)

 

 

 このお金は家族のために稼いだけど――ちょっとは自分の欲しい物を買っても良いかな?

 

 

 

 

 多くの人で賑わうエ・ランテルの中央広場。

 日用品から食材、ちょっとした装飾品を売る店など、沢山の露店がところ狭しと並んでいる。

 至る所で食べ物の美味しそうな匂いが漂い、思わず財布の紐が緩んでしまいそうな場所となっていた。

 

 

「それもいいなぁ…… こっちのも良い…… うーん、迷っちゃうなぁ」

 

 

 この広場は一般市民だけでなく、当然のように冒険者も利用している。

 今も一人の冒険者――一見すると普通の少女に見える――が感嘆の声を漏らしながら、嬉しそうに瞳を輝かせていた。

 

 

「買い物でテンションがここまで上がるとは、ネムもやはり女の子だな」

 

「某も雌でござるが、あまり理解出来ないでござるな。獲物を前にした興奮と似たような物でござろうか?」

 

 

 そしてその少女の後ろには、あまりにも存在感の強い者達がいた。

 漆黒の全身鎧を身に纏った戦士。人語を操る巨大な魔獣。もはや一番普通なはずの少女の方が浮いている。

 彼らは買い物客の中でも一際目立ち、一歩間違えれば騒動になりそうな三人組だった。

 

 

「今日はまだ時間があるから、ゆっくり見ても問題ないぞ」

 

「うん!!」

 

 

 モモンガとハムスケはゆったりとした歩調で、前を元気に走るネムについて行く。

 少女を見守る微笑ましげな雰囲気。そして冒険者である事を示す首のプレート。

 そのどちらかが欠けていれば、彼らは衛兵に通報されていただろう。

 

 

「おいしそう…… でも、食べ物以外にも色々あるしなぁ」

 

 

 ネムにとって惹かれる物は沢山あるが、資金は有限。無駄遣いは厳禁だ。

 あっちこっちに動き回り、店先に並ぶ商品を眺めながらも、よだれを飲み込み必死に誘惑と戦っている。

 

 

「一つだけなら…… あれ?」

 

 

 そんな中、ネムは広場の片隅で店を構える、一つの露店が目に入った。

 

 

「なんのお店だろう?」

 

 

 全体はパステルカラーで統一され、小さな灯りで飾り付けられたファンシーな店。

 見た目は派手な屋台のはずなのに、何故かひっそりとした印象を醸し出している。

 不思議な雰囲気の店で、そこの周りだけ何故か客が一人もいない。

 まるで、誰もその店がある事に気付いていないかのようだ。

 

 

「――モモン、ハムスケ!! こっち来て!!」

 

 

 ネムは好奇心に身を任せ、その店に小走りで向かった。

 手が届くほど近くまで寄れば、その店の正体もハッキリと分かる。

 色鮮やかな台の上で輝きを放っているのは、様々な装飾が施されたネックレスに指輪、髪飾り。その他にも用途の分からない物がいくつか並べられている。

 どうやらアクセサリー等の小物を売っている店のようである。

 

 

「キラキラして綺麗……」

 

 

 ネムは感嘆の声を上げつつも、並べられた商品を触る事は躊躇った。

 綺麗に配置された商品は、そのどれもが精巧で美しく、露店で売られている事が不思議なくらいの完成度だったのだ。

 

 

「ようこそお客様。私――のショップへ」

 

 

 ネムが後ろの二人を手招きしながら商品を眺めていると、いつの間にか近くに人が立っていた。

 露店の店主にしては上品過ぎる、村では見慣れない服を着た二十代前半くらいの男性。

 ネムの知る限りだと、以前見たデミウルゴスの服装が近いだろうか。

 男は優しそうな笑顔を浮かべ、少女に向かって優雅に挨拶をした。

 

 

「こんにちは。どれもとっても綺麗ですね」

 

「お褒め頂きありがとうございます。実はどの商品も私の手作りでして、自慢の一品です」

 

 

 ネムは元からあまり人見知りなどはしない。それに加えて店主の話し方も硬すぎず、大人にしては随分と話しやすそうに思える。

 そのため、ネムは普通に挨拶を返して店主と話し始めた。

 

 

「――すっごーい!! これとか凄く可愛いです!!」

 

「流石はお客様、お目が高い。それこそは……それこそは!! 私のおすすめ商品でございます!!」

 

「ところで、こっちのは何に使うんですか?」

 

「このアイテムはですね――」

 

 

 この店にあるのは初めて目にするものばかりで、好奇心旺盛な少女の質問は中々尽きない。そうやって話していると、二人が打ち解けるのにはさほど時間はかからなかった。

 ネムは目につく商品をどんどんベタ褒めし、店主の男が楽しそうに商品の説明をする。

 そんな流れを繰り返し、二人だけのお祭り騒ぎ状態である。

 

 

「わぁ、これとかお土産にしたら喜ぶかな……」

 

「ほっほーう、それをお選びになるので?」

 

 

 店主は時々妙なイントネーションで喋り、爽やかな見た目に反してテンションも高かったが、ネムは気にする事なく一緒に盛り上がっていた。

 

 

「これっていくらですか?」

 

「金貨五百枚でございます」

 

「五百枚? ……え、金貨で!?」

 

 

 ネムは鳥の翼を象ったネックレスを指差し、何気なく質問しただけのつもりだった。

 しかし、自分が見ていた物の値段を知り、冷や水をかけられた気分になった。

 一つが超高額だと分かれば、他の商品も自然と似たような値段ではないかと思ってしまい、腰が引けて僅かに後ずさってしまう。

 

 

「えっと、ごめんなさい…… 買えないです……」

 

 

 先ほどまで満開の笑顔だった表情も、どこかぎこちなく、引きつった様に硬くなる。

 それも仕方のない事だろう。幼いネムにとってはまさに桁違いの金額で、一生働いても買えそうにない。

 今日やってきたお仕事だと、何回分の報酬が必要かも計算出来ないくらいだ。

 

 

「おや、驚かせてしまった様ですね。これは失礼を…… 金貨五百枚というのは冗談です。とてもではないですが、そんな値段など付けられませんよ」

 

「な、なーんだ。すっごく綺麗だから本当かと思っちゃいました」

 

「そんなまさか。フフフ…… お客様が着けている指輪に比べれば、私の商品はどれも安価なものですよ」

 

 

 冗談だと笑う店主にほっとするネム。

 しかし、何となく聞いたら後悔する気がして「じゃあ本当はいくらなの?」とは聞けなかった。

 骸骨には物怖じしない少女であっても、根っからの平民である事には変わらない。

 金貨五百枚という具体的な値段は、村娘には少々刺激が強かった。

 

 

「驚かせてしまったお詫びに、こちらの商品でしたら格安でお売りしましょう。二つセットで、なんと銅貨六枚!! 姉妹でお一つずつ、如何ですか?」

 

 

 店主がどこからか取り出したのは、色鮮やかな二つの髪飾り。

 赤いリボンが付いた物と、花をモチーフにした淡いピンク色の物だった。

 

 

「わぁ、可愛い。えっと、どうしようかな……」

 

「うーん、困りました。私も今日はあまり時間が残されていないのですよ…… なので!! 今日初めての出会いを記念して、特別に銅貨四枚にまけましょう!!」

 

「買います!!」

 

「毎度ありがとうございます!!」

 

 

 自身を見上げる少女の前で、高らかに指を四本立てる店主。

 銅貨四枚というお手頃な値段もそうだが、髪飾りの見た目が好みだったため、ネムは即答してしまった。

 店主の演出にまんまとハマった感がなくもないが、欲しいと思ってしまったのでしょうがない。

 

 

「お兄さん、バイバイ」

 

「さようなら、お嬢さん。またのご来店を、お待ちしております。……本日はもう店仕舞いですね」

 

 

 店主に別れを告げ、良い買い物ができたと満足気なネム。

 しかし、店から少し離れたところで、ネムはどこか違和感があった事を思い出す。

 何かが間違っているとか、会話が噛み合わなかったわけではない。

 ただ、さっきの店主との会話、どこか変なところがあったような――

 

 

「――ここにいたのか、ネム。急に走るからどこに行ったのかと思ったぞ」

 

「人混みに紛れたから心配したでござるよ」

 

 

 自分を探していた二人が現れ、ネムはハッとする。声はかけたけど、そういえば二人とも追いついてはいなかった。

 買い物に夢中になってしまい、途中からモモンガとハムスケの事をすっかり忘れていた。

 

 

「ごめんなさい。でもそんなに離れてたかな? すぐそこのお店を見てたんだけど……」

 

「店? 何もないぞ?」

 

「あれ? もう片付けちゃったのかな?」

 

 

 ネムが店のあった方向に振り返ると、屋台は跡形もなく消えていた。

 もちろん店主の姿もどこにも見当たらない。

 

 

「まぁいいか。それで、何か良いものは見つかったか?」

 

「うん!! これ、お姉ちゃんへのお土産」

 

「おぉ、この色合いといい中々綺麗じゃないか。エンリもきっと喜ぶぞ」

 

「えへへ、他にもお父さんとお母さんに、もうちょっとだけ何か探そうかな――」

 

 

 ネムがモモンガに見せたのは、先程買ったばかりの花をモチーフにした髪飾り。

 これ以外にも両親へのお土産を探しに、もう少しだけ広場を見て回る事にしたネム達だった。

 

 

 

 

 少女は家に帰り、家族団欒の時間を過ごす。

 ネムが買ってきた髪飾りを渡すと、エンリはとっても喜んでくれた。

 

 

「わぁ、とっても綺麗ね。ありがとう、ネム」

 

「実はそれ、金貨五百枚なんだよ」

 

「あっはっは。良かったな、エンリ。超高級品だぞ? 大切にしないとな」

 

「ほんとね、エンリ。家宝になるわよ」

 

 

 他のお土産も家族は嬉しそうに受け取ってくれた。

 だが、両親が一番嬉しかったのは、それを渡す時のネムの笑顔だったのかもしれない。

 

 

「ふふっ。ネムの買ってくれた、このとっても高価な髪飾り、大切にするね」

 

「えー、なんで騙されないの? 私は一回騙されたんだけどなぁ」

 

 

 貰ったばかりの髪飾りをさっそく付けて、エンリは妹に優しく笑いかける。

 ネムはドッキリが成功しなかった事を残念に思いつつも、普段より少しだけ華やかに見える姉の姿を見て喜んでいた。

 家族が笑顔で過ごす何気ない時間。これにはお金で買えない価値がある。

 ――そして、少女が銅貨四枚で買った髪飾りの本当の価値は、誰も知らないままである。

 

 

 

 

おまけ〜至高の勝負〜

 

 

 ナザリック地下大墳墓の最深部。

 荘厳な雰囲気を醸し出す玉座の間にて、一人の少女と魔王が対峙していた。

 

 

「モモンガ、次で決めさせてもらうよ……」

 

「それはどうかな? 一度目の敗北は、私にとって真なる勝利を得るための餌に過ぎない」

 

 

 長いようで短い、しかし二人にとっては負けられない本気の勝負。

 

 

「ふふん、そう言えるのも今のうちだよ」

 

「はははははっ。勝ちを確信するにはまだ早いぞ。……三回の内残り二回、私が連続で勝てば良いだけのこと」

 

 

 骸骨の魔王を追い詰めた少女は不敵な笑みを浮かべる。

 それに対し、追い詰められているはずの魔王は、より尊大に声を上げて笑い返す。

 

 

「ネムよ、君は我が秘儀の前に敗れ去るのだ!!〈魔法無詠唱化(サイレントマジック)上位幸運(グレーターラック)〉」

 

「いくよ、モモンガ!!」

 

 

 魔王は力を溜めるように右腕を引き、それに合わせるように少女も右腕を引いた。

 そして、お互いが同時に言霊を紡ぎ、拳を突き出そうとする。

 その手に込められた、二人の意思が激突する戦い――

 

 

「「――ジャン、ケン、ポン!!」」

 

 

 ――すなわちジャンケンである。

 

 

「やったー!! 私の勝ちー!!」

 

「あぁっ、負けた!?」

 

 

 モモンガの繰り出した『チョキ』は、ネムの『グー』にあっさりと敗れた。

 二人がやっているのは、ノリで始めた勇者と魔王ごっこ。言ってみればただの三回勝負のジャンケンである。

 

 

 

「くっ、なんか絶妙な悔しさがあるな」

 

「えへへ、もう一回やってもいいよ?」

 

 

 さり気なく反則気味のモモンガ、見事にストレート負けである。

 レベル百の肉体能力、動体視力を利用した禁じ手をしていないだけ、まだマシかもしれないが。

 

 

「――素晴らしい。戯れとは言え、モモンガ様に勝利なさるとは…… お見事です」

 

 

 勝負の興奮冷めやらぬ中、心地の良い低音ボイスが玉座の間に響く。

 どこから見ていたのか定かではないが、赤いスーツを纏った悪魔が、ネムを称賛する拍手と共に現れた。

 

 

「デミウルゴスか。ふふっ、情けない所を見せたな。見事に負けてしまったよ…… いや、本当に」

 

「ご謙遜を。モモンガ様は敢えて、駆け引き無しで勝負されておりましたね?」

 

「さぁ? 敗北は敗北だ。潔く受け入れよう……」

 

 

 意味深な会話をする主人と悪魔。

 もちろんデミウルゴスの深読みであり、モモンガは本気で負けている。

 本当に――モモンガの望む通りの――魔法の効果が作用したかは不明だが、せこい手を使った上で負けている。

 

 

「さて、どうでしょう。次は私と勝負して頂けますか?」

 

「デミウルゴスさんと? いいですよ!!」

 

 

 デミウルゴスは何を考えたか、勝利の喜びでピョンピョン跳ねるネムに勝負を申し込んだ。

 ネムはそれを快諾し、笑顔で腕を構える。

 しかし、デミウルゴスは直ぐには構えず――

 

 

「では…… 私は『グー』を出すと、先に宣言しておきましょう」

 

 

 ――容赦なく頭脳戦を仕掛けた。

 

 

「先に言っても大丈夫なんですか?」

 

「ええ。信じるかどうかは貴方次第、ですがね……」

 

 

 問いかけるネムの目の前に、握った拳をチラつかせるデミウルゴス。

 忠義の悪魔は大人気ない。遊びとは言え、主人の仇討ちには本気である。

 まぁ、設定ではなく創造された日から計算すれば、十歳のネムと年齢差などあまり無いのだが。

 

 

「「ジャン、ケン――」」

 

 

 掛け声と共に振りかぶられる二人の腕。

 手が決まるまでの僅かな時間、デミウルゴスの頭脳は人知れず高速回転していた。

 

 

(――運のみの勝負とはいえ、先程の一瞬、貴方はモモンガ様を極々僅かながら上回った。その偉業は素直に称賛いたしましょう。しかし、知略を張り巡らした本物の駆け引きにおいて、運という不確定な要素が介在しない世界…… お優しいモモンガ様ではなく、私が教えてあげましょう。――『グー』を出すと宣言された事により、貴方の中に迷いが生まれる。それに勝つための『パー』、もしくは裏を読み『チョキ』を出すか、さらには裏の裏を読むか…… しかし!!『グー』を出せば取り敢えず引き分けを狙える。負けはしないという甘美な誘惑。その葛藤の中で、貴方は先程モモンガ様に勝利した『グー』の手を無意識に頼り――この知恵比べ、私の勝ちです!!)

 

 

 デミウルゴスの脳裏に浮かぶ、勝利への方程式。

 とてつもなく長い思考に思えるが、この間僅かコンマ五秒――

 

 

「――ポン!! やった、私の勝ち!!」

 

「なにっ!?」

 

 

 ――しかし、勝ったのはネム。

 悪魔が自信満々に出した『パー』は、少女の小さな『チョキ』にあえなく両断された。

 驚きに顔を歪めたデミウルゴスだったが、即座に表情を戻し、静かに口を開いた。

 

 

「少々甘く見ていたようです…… ここからは本気でいかせていただきます。――〈悪魔の諸相:豪魔の巨腕〉」

 

 

 デミウルゴスの右腕が膨れ上がり、原形からは想像もつかない強靭な鈍器となる。

 全てを撲殺し破壊せんとする、その禍々しい拳が示す形は――『グー』だ。

 

 

「驚くのはまだ早いですよ。――〈悪魔の諸相:鋭利な断爪〉」

 

 

 デミウルゴスの左手の爪が伸び、あらゆる物を切り裂く黒い刃と化した。

 その鋭い指先が生み出した形は――『チョキ』だ。

 

 

「すっごーい!! デミウルゴスさん、そんなこと出来たんですか!?」

 

「ふふふ…… 創造主により与えられた力、その一端ですよ。さて、私はこの右手と左手のどちらかで、次の勝負に挑みましょう」

 

 

 ネムはヒーローの変身シーンを見た子どもの様に瞳をキラキラと輝かせた。

 ただし、少女の目の前にいるのは最上位悪魔(アーチデヴィル)。完全な悪役である。

 まぁ、死の支配者(オーバーロード)が友達のネムにとっては、相手の種族くらい些細な事に過ぎないのだが。

 それに今からやるのはジャンケンだ。何の問題もない。

 

 

「「ジャン、ケン――」」

 

 

 掛け声と共に振りかぶられるネムの右腕。

 しかし、対面するデミウルゴスは「ケン」まで言い終わっても、ギリギリまで微動だにしなかった。

 「ポン」の掛け声を言い始める寸前、悪魔の頭脳は再び人知れず高速回転していた。

 

 

(無垢なる笑顔の裏に己の策を隠し切る手管。この私を欺くとは、まったくもって見事と言うほかありません。しかし、もう油断はしませんよ。――スキルにより変化させた両腕。予想外の一手により、貴方の思考に僅かな混乱をもたらし、判断力は低下する。さらに、貴方の脳裏には〈悪魔の諸相〉によって強烈に『グー』と『チョキ』のイメージが植え付けられた。ここで貴方はこう考える。『グー』と『チョキ』のどちらかが出てくるならば、『グー』を出せば負けはない、と。私がギリギリまで動かない事によって、その焦りは増大し、その一つの思考に囚われる…… 残念でしたね。私は右手と左手のどちらかで勝負するとは言いましたが――裏の裏の裏の裏を読み切りました。この読み合い、私の勝利です!!)

 

 

 デミウルゴスの脳裏に浮かぶのは、完全なる勝利へのロード。

 とてつもなく長い思考に思えるが、この間僅かコンマ三秒――

 

 

「――ポン!! ぶいっ、私の勝ちです!!」

 

「バカなっ!?」

 

 

 ――しかし、勝ったのはネム。

 自身の計算が外れた衝撃で、膝から崩れ落ちるデミウルゴス。

 特殊技術(スキル)により強化された、悪魔の凶悪な『パー』は敗れた。

 少女の勝利のピースサイン――何の力もない『チョキ』に呆気なく切り取られたのだった。

 

 

(なんという事だ…… モモンガ様のご友人は、幼き身でここまでの力を秘めていたとは――いや、モモンガ様の仰られていた可能性とは、もしや!? なるほど、そういうことですか。この方は原石、磨けば光る至宝の原石であると。遊びを通してその片鱗を感じさせ、私の中にある自分では気付かなかった人間種に対する致命的な慢心を悟らせ、さらには私達シモベの更なる成長を促し――あぁ、流石はモモンガ様。我らの至高なる支配者。たった一つの行動でこれほどまで多くの事を成し遂げるとは…… 一体どれほど先を見通しておられるのか……)

 

 

 デミウルゴスは頭の中で、自身がモモンガの掌の上で転がされているという、甘美な体験を味わっていた。自身の智謀が足元にも及ばない、そんな主人に仕えている幸せをこれでもかと噛み締める。

 全ての出来事にまったくのノータッチでも周りからの尊敬を集めてしまう。流石はモモンガ様、端倪すべからざる骨である。

 

 

「ありがとうございます。モモンガ様」

 

「……ぇ?」

 

「ネム()もありがとうございます。私の完敗です。非常に良い勉強になりました」

 

 

 モモンガの呟きは奇跡的に誰にも届かない。

 デミウルゴスは一人納得すると、素早く立ち上がりネムに握手を求めた。

 それに対して、えっへん、と言いたげな顔で握手に応えるネム。

 

 

「またやろうね、デミウルゴスさん。次はモモンガも入れて三人でやる?」

 

「三つ巴とは面白い。受けて立とうではないか。なぁ、デミウルゴス」

 

「おお、私も交ぜていただけるとは、光栄でございます。このデミウルゴス、今度こそ勝利を――」

 

 

 この出来事をきっかけに、デミウルゴスはネムに対して、さらなる尊敬を込めた呼び方をするようになった。

 究極的なまでに勘違いが起こっているが、少女が悪魔の予想を超えたという点では間違っていない。これもきっと少女の偉業と言えるだろう。

 

 

「――ポン!! また私の勝ちだね!!」

 

「流石です、ネム様。本当にお強い……」

 

「三人でジャンケンしてるのに、一発勝ちで三連勝…… ネムの幸運値どうなってんの?」

 

 

 ただのジャンケン。

 されど、親しい友と行えば、それは何よりも楽しい遊戯となる。

 ――ナザリックは今日も平和である。

 

 

 




ツッコミ役がいないので、モブのおじさんに頑張ってもらいました。
おまけ部分のテーマは「デミウルゴスの深読みを、ネムに対して全力で発動したらどうなるか」です。
そろそろタグにギャグを追加するべきかもしれない……




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未来のお義兄ちゃんを探せ 前編

三行でだいたい分かる。これまでのお話。

「さすモモ」
「すごネム」
「なるほど。そういうことですか」

こんな感じのノリでネタがある限り細々と続きます。
今回は仕事の導入部分です。


 ナザリックに存在するシモベ達の中で、最も幸せに満たされているNPCは誰か。

 それは己の存在意義を全うしている者――それすなわち、主人であるモモンガのために沢山働いている者と言っても過言ではない。

 一人はモモンガ専属の護衛として――創造主本人に忘れられつつも――エンジョイしているパンドラズ・アクター。

 

 

『仕事の様子、ですか? そうですね、短くまとめるならば…… 楽しそうなモモンガ様を合法的に眺められる最高の仕事であり――御身の舞台をサポートしているという満足感を得られるのです!! 宝物殿のマジックアイテムを愛でるのと同じくらい興奮いたします。いや、ですが実際にアイテムと触れ合う機会がゼロになるのは遠慮いたしますが。言うなればアイテムを磨き上げる時のジャストフィット!!の快感を――』

 

 

 本人からの報告については、特に深く考える必要もないので割愛する。

 彼は唯一創造主がナザリックを去っていないNPCであり、ある意味例外の者でもある。

 そして、真に働いている者。

 モモンガからナザリックの維持に関して、何だかんだで全権を一任され、超過労働を続ける悪魔――

 

 

「――モモンガ様。現在の運営状況のご報告に参りました」

 

 

――つまりはデミウルゴスである。

 

 

「――各階層の一部の罠、ギミック、フィールドエフェクトを停止する事によってコストを大幅にカット。代わりにユグドラシル金貨を使用しない、POPモンスターの配置などの変更により防衛体制は維持してあります。さらに臨時ではありますが、外の世界で穀物などの資源を確保いたしました」

 

「ほぅ、仕事が早いな」

 

「試算したところ、最低でも半年程の活動資金にはなるかと。今後はパンドラズ・アクターとも協力し、エクスチェンジ・ボックスを利用した永久的にユグドラシル金貨を獲得する体制を整えていきたいと思います」

 

 

 主人からかけられた労いの言葉に尻尾が震えだすが、デミウルゴスが表情を緩める事はない。

 モモンガから与えられてきた恩はこんなものではない。自分は配下もフルに活用しているが、モモンガはユグドラシル時代に一人で維持費を稼いでいたのだ。

 それもこの世界と違って、かなりの強者がひしめく環境でだ。

 自分の働きはまだまだ足りない。主人の成してきたことの足元にも及ばないと、貪欲に成果を求め続ける。

 

 

「回収していた陽光聖典での実験結果は、こちらに」

 

「あー、あの肉片だけ王国に渡した奴らか。分かった、確認しておこう」

 

「それからスクロールについてですが、低位の物は作成に成功いたしました。今後は必要な羊皮紙を量産するべく、牧場の規模も拡大していく予定です」

 

「素晴らしい!! この短期間でこうも成果を出すとは、流石はデミウルゴスだ」

 

 

 主人からのストレートな称賛の言葉。それだけで天にも昇るような気分である。

 デミウルゴスの尻尾は高速振動を開始した――が、モモンガにみっともない姿を晒さぬ様に努めた。

 同室で控えている同僚の執事――セバス・チャンにそんな姿を見せたくないというのも、表情を緩めない大きな理由ではあるが。

 

 

「ところで牧場と羊皮紙とあるが、どんな羊を仕入れたのだ?」

 

「そうですね…… 牧場自体はアベリオン丘陵にあるのですが、『王国両脚羊』とでも名付けましょうか」

 

 

 しかし、自身の種族的な趣味に関わることでは別だ。

 牧場を作るために拐ってきた『羊』を思い浮かべ、悪魔はニヤリと口元に笑みを浮かべた。

 

 

「羊皮紙の素材となる生き物を探していた頃、共喰いすら厭わぬ下等生物を発見いたしました」

 

「草食動物の羊ではなく、理性のない雑食の獣か……」

 

「おっしゃる通りです。弱った同族を苦しめながらも、自身は良心の呵責も感じぬ畜生ですので、研究材料には最適でした」

 

 

 デミウルゴスは本心からそう答えた。本当にアレは良い実験動物だ。

 管理は部下に任せている部分が多いが、視察した際には自分も存分に楽しんでいる。

 背中の皮を剥ぐ際に飛び出る悲鳴は、剥がし方によって変化する。

 それらが牧場内で絶妙に重なり合い、悪魔にとって非常に心地よい音楽となっていた。

 

 

「ふむ。乱獲や住処を汚すなど、生態系を破壊しないようにだけ気を付けてくれ。それから我々が関与している事は誰にも悟られないようにしろ」

 

「万事心得ております。こちらの存在がバレぬ様に、隠蔽工作にも万全を期しております。万が一の際は罪を被る黒幕の用意も既に準備してあります」

 

「お待ち下さい。デミウルゴス、それは……」

 

 

 セバスの眼光が僅かに鋭くなり、口を挟んできた。

 何かに気付いた様だが、デミウルゴスの知った事ではない。

 自分達の法である主人が黙認しているのだ。それ以上に必要な許可など、ナザリックには存在しない。

 

 

「なんだいセバス」

 

「周囲に不必要な敵を作る可能性があるのではないかと、愚考いたしました」

 

「話を聞いていなかったのかい? 我々がやったという証拠は何も残していない。回収してきた羊をどう扱おうが、外敵を作るようなヘマはしていないさ」

 

「万が一を考え、もう少し穏便な方法を取ることも出来るのでは?」

 

 

 デミウルゴスとセバスは相手を睨み、言葉を交わすたびに眉間のシワを深くした。

 

 

「それこそ十二分に配慮しているさ。私はわざわざ害獣を選んで駆除しているのだから、問題はないはずだよ。――君も好きだろう? 善良な人間のためになることはね」

 

「貴方のやり方はご自身の嗜好にいささか偏っていると、考えざるを得ませんね」

 

 

 互いに丁寧な言葉づかいを崩さず、されどピンポイントで相手を煽っていく。

 

 

「実験方法に私の趣味が全く入っていないと言えば、嘘になるがね。まさか、君は害獣にすら慈悲が必要だと言いたいのかね? 善人ぶるのは勝手だが、将来君がナザリックに仇なす者にすら甘い事を言いそうで私は不安だね」

 

「そんな事は言っておりません。貴方の考えは極端すぎます。私は必要以上に苦しめる理由はないと――」

 

 

 燻り始めた怒りで顔の血管がピクピクと浮かび上がり、両者とも段々とヒートアップしていった。

 二人の物言いはかなり感情的で、もはや完全に子供の口喧嘩だ。

 

 

「くくくっ、ああそうだ。時にはぶつかり合う事も必要だよな」

 

 

 その様子をモモンガはどこか懐かしい物を感じながら、微笑ましげに見ていた。

 

 

「――っ失礼しました。モモンガ様」

 

「申し訳ありません。お見苦しいところをお見せしました」

 

 

 主人の笑い声で慌てて我に返った二人。

 しかし、モモンガは何も怒ってなどいない。

 むしろNPCが設定のみに縛られた物ではなく、仲間の意思が生きている存在だと実感できて喜んでいるくらいだ。

 

 

「フハハハハッ、構わないさ。本音で言い合える相手というのは貴重なものだぞ。たまには存分に言い合うといい」

 

 

 揃って謝罪する二人の姿を見て、気にする事はないとモモンガは軽く手を振った。

 デミウルゴスとセバスは己の浅慮を恥じ、主人の懐の大きさに敬服するばかりである。

 

 

「さて、私はそろそろネムと遊び(冒険者の仕事)に行ってくる。留守は任せたぞ」

 

「はっ。いってらっしゃいませ」

 

「いってらっしゃいませ、モモンガ様」

 

 

 ナザリックでの確認を済ませ、部下に見送られながら執務室を後にしたモモンガ。

 

 

『はぁ…… 君の言い掛かりのせいで、時間を随分と無駄にしてしまったよ』

 

『私は事実を述べたまでですが』

 

『だいたい君のその――』

 

 

 一般メイドが扉を完全に閉めた後、部屋の中から僅かに声が漏れ始める。

 始めは小さな声だったが、段々と音量が増していき、内容も幼稚になっていく様子がモモンガの耳に伝わってきた。

 

 

「ふふっ、面白いものだ。設定にはそんな事書いてないはずなんだがな…… たっちさんとウルベルトさんが、きっとお前達の中に生きているのだな」

 

 

 喧嘩する二人の姿が彼らと重なり、今も壁越しにその光景が目に浮かぶようである。

 ――でも、たまには俺が仲裁しないのも、アリですよね。お二人の喧嘩を止めるのは大変なんですから。

 彼らの言い争いが廊下に聞こえる中、モモンガは再びほくそ笑むのだった。

 

 

 

 

 エ・ランテルの冒険者組合では、半ば名物になりつつある冒険者チームがいた。

 メンバーは新人の銅級(カッパー)が二人と、使役魔獣が一匹。

 魔獣を頭数に入れたとしても、小規模のチームと言えるだろう。

 週に一、二度くらいしか仕事をせず、チーム名すら存在しない。特別難しい依頼をこなしている訳でもない。

 しかし、それでもそのチームは――下手な白金級(プラチナ)の冒険者よりも遥かに――この街での知名度が高かった。

 

 

「さぁ、今日も張り切って依頼を受けよう」

 

「お仕事やるぞー!!」

 

 

 漆黒の全身鎧を身に纏い、威風堂々と腕を組んでいる大柄な戦士。

 かけ声と共に拳を高く突き上げている、一般人にしか見えない小さな少女。

 組合の中でも一際目立つ、楽しそうな雰囲気の二人組――モモンガとネムである。

 モモンガ達は依頼書の文字が読めないので、いつものように仕事を受付で見繕ってもらっていた。

 

 

「今日もお元気そうで何よりです。最近の依頼ですと――」

 

 

 最初は怪しんでいた職員も今では二人の人柄に触れ、丁寧に対応してくれるようになっている。

 情勢に疎いモモンガ達にも分かるように色々な補足を入れてくれたりと、正直かなりお世話になっていた。

 

 

「トブの大森林での薬草採取の依頼がいくつかございます。ハムスケ様がおられるので、普段なら比較的容易かと思います。ただ今回は……」

 

「何かあったのですか?」

 

「時期や詳細は不明ですが、森林内で大爆発が起こったそうで…… ここだけの話、今はあまりオススメ出来ません」

 

「ハムスケは何も言ってなかったよね?」

 

「まぁハムスケだからな」

 

 

 ネムは首を傾げているが、モモンガからすれば納得のいく話ではあった。

 なにせハムスケは食べる事と、自身の同族を見つける事以外に興味が薄い。

 さらに自身の縄張りを出た事がほとんどないらしく、森の中の事ですらあまり知らなかった。

 森の賢王という大層な二つ名は、本当に誰が付けたのだろうか。人語を喋れるという点以外、ハムスケには賢い要素がまるでない。

 

 

「他には何かありますか?」

 

「エ・ランテルにある倉庫の護衛任務はいかがでしょうか。最近倉庫内の食料などが盗難被害にあったらしく、複数のチームを募集されています」

 

「……エ・ランテルの治安、大丈夫ですか?」

 

「ここに限らず、ですね。王都の方でも似たような事件が多発しているようなので…… 戦争用の備蓄がなくなって、上は非常に困っているようです」

 

 

 受付嬢からは苦笑がこぼれた。

 その後もいくつか仕事を紹介してもらうが、どれもピンとくるものはなかった。

 モモンガとネムは少し悩んだが、時間をかけても新しい依頼が増える訳ではない。

 

 

「どうする、モモン?」

 

「そうだな。ネム、今日は好きなの選んでいいぞ――」

 

 

 いっそネムに直感で決めてもらおうかと思った矢先、組合の二階から必死に懇願するような声が聞こえてきた。

 そちらに視線をやれば、ここエ・ランテルの冒険者組合の組合長と、一人の老婆が部屋から出てきた様子がうかがえる。

 

 

「――頼む、この通りじゃ。もう一度、もう一度だけ孫を探してくれんか」

 

「バレアレさん。お気持ちは分かります。しかし、今はもう人手を割けないのです」

 

「見つけてくれたら報酬はいくらでも出す。だから――」

 

 

 階段を降りながらも言葉は止まらず、老婆――リイジー・バレアレは組合長に縋り付くように頼み続けた。

 

 

「お孫さんはあの事件に関わっている可能性が高い。それに、言いにくいですが、もう行方が分からなくなってからの期間が……」

 

「最悪の事態はわしも覚悟しておるよ…… じゃが、せめて亡骸だけでも、遺品だけでも、弔わせてはくれんか」

 

 

 白髪のアフロの様な髪型をした組合長――プルトン・アインザックは、リイジーの言葉になんと返すか悩んでいる様だった。

 無下には出来ないが要求も呑めない。そんな気持ちが混ざった顔をしている。

 

 

「バレアレさんの依頼で既に一度、ミスリルのチームが捜索した後なんです。彼らですら何の成果もあげられなかった。彼らの実力不足ではなく、そもそも達成が困難な事は分かり切っている」

 

 

 既に打てるだけの手は打ったと、これまでの経緯を丁寧に説明するアインザック。

 おそらくだが、これもリイジーには何度も伝えた事なのだろう。

 アインザックは一度言葉を切り、申し訳なそうに視線を落とした。

 

 

「――その上で、時間のかかる依頼を受ける事は、現在人手が足りていない組合としては許可を出せないのです。優秀な冒険者も無限にいるわけじゃない……」

 

 

 リイジーに対してキッパリと、そして周りにも言い聞かせるように、少しだけ声を大きくして言い切った。

 

 

「貴方の顔を立てて、一度目は引き受けましたが、上位の冒険者にしか出来ない依頼も数多く溜まっているのです」

 

 

 アインザックも組合長として中々のやり手な男なのだろう。

 金に釣られてこっそりと依頼を受けないよう、周囲の冒険者達に釘を刺しているようだ。

 最近は冒険者に死傷者が多いのか、それとも依頼の数が多いのか。詳細は分からないが、この組合では現在よほど人手が惜しいらしい。

 

 

「申し訳ない……」

 

「そうか、無理を言ってすまんかったの……」

 

 

 老婆の声には諦めが入り、その背中は実際の身長よりも小さく見えた。

 肩を落とし、弱々しく組合を後にしようとするリイジー。

 ――しかし、組合長の思惑を全く意に介さない存在が、今ここにいる。

 

 

「リイジーおばあちゃん!! 久しぶりだね。どうしたの? 困ってるならお話聞くよ?」

 

 

 突然ネムに声をかけられ、リイジーは目を見開いた。

 

 

「ネムちゃんじゃないか。どうしてここに…… いや、その首のプレート……」

 

「うん、冒険者になったんだ」

 

 

 顔見知りの幼い少女がいつの間にか冒険者になっていれば、そんな顔にもなるだろう。

 他人の空似ではないと理解しているが、すぐには納得出来ないのか、リイジーは目をパチパチとさせている。

 

 

「どうやらネムの知り合いのようですね。はじめまして、私の名はモモン。ネムの冒険者仲間です」

 

 

 モモンガは厄介ごとかもしれないと思いつつ、ネムをフォローするように会話に加わった。

 ――暗黙のルール? 空気を読め? そんなものは知らんな。

 あえて気づかないフリをするのも、社会人として鈴木悟が身に付けたスキルの一つだ。

 何かしら抜け穴があるのなら、グレーゾーンであれば大抵はみんな利用する。

 組織にマイナスを与えない範囲でルールを無視するのは会社でもよくあることだと、モモンガは自身に言い訳を重ねた。

 

 

「どうやら何かお困りのご様子。よろしければお話を聞かせて下さい」

 

「モモンは凄いんだよ。本当にすっごく頼りになるよ、おばあちゃん」

 

 

 後ろで組合長が額に手を当てているが、モモンガは見えていないフリをした。

 ネムがアインザックの意図に気づいていたのか、それとも本当に何も分かっていないまま、知り合いのリイジーに声をかけたのかは謎である。

 

 

 

 

 行方不明になった薬師の少年、ンフィーレア・バレアレの捜索依頼。

 ことの詳細を聞き終えた後、少年の祖母であるリイジー・バレアレからの指名依頼という形で、モモンガ達は依頼を受ける事になった。

 

 

「……モモン。お願い、ンフィー君を探すの、手伝ってくれない?」

 

「しょうがないな。今日は好きにしていいと先に言ったのは私だ。バレアレさん、ご指名頂ければ、我々が力になりましょう」

 

「お、おぬしらがかい?」

 

 

 リイジーも最初は悩んでいた。

 彼らは冒険者としては最下級の銅級で、経験や実力も怪しい。しかもリイジーにとって、ネムは知人であるエモットの娘だ。そして孫が懸想している少女の妹でもある。

 人探しとはいえ、こんな危険な仕事――『ズーラーノーン』が関わっているかもしれない――を頼んでも良いのかと。

 

 

「私達は手が空いている銅級ですから、組合長のおっしゃられていた問題も大丈夫でしょう」

 

「じゃが、おぬしらに頼んだとて……」

 

 

 そもそも孫のンフィーレアが見つからない事は、心の奥底では分かっている。

 あの事件の日にどこかへ連れ去られた最愛の孫。年老いた自分に残っていた唯一の家族。

 もう死んでいるのかもしれない。その後肉体はアンデッドになったのかもしれない。もう遺体すら残っていない可能性もある。

 

 

(情けない…… あれ程組合に探して欲しいと頼んでおったのに。いざ、本気で探してくれる者が出てきたら尻込みするとは…… わしも弱くなったの)

 

 

 諦めきれない自分の自己満足の依頼――労力が無駄になる可能性が高い――を頼んでも良いのか。受け止めたくない現実が待っているだけなのではないか。

 だが、ンフィーレアが今も生きていると、信じている事も事実だった。

 

 

「ンフィー君がいなくなったら…… おばあちゃん、任せて!! 絶対ンフィー君は見つけてくるから!!」

 

「不安はあるかもしれませんが、どうか任せて頂きたい。ネム、少し準備をしてくるから、先にハムスケの場所で待っててくれ。安心しろ、策はある」

 

「うん!! モモン、ありがとう!!」

 

 

 どこか別ベクトルで焦った様子にも見えるが、孫の生存を信じて疑わない少女の強い熱意。

 そのネムが全幅の信頼を寄せている事が分かる、並々ならぬ自信と気配を放つ漆黒の戦士。

 

 

「――頼む。孫を見つけておくれ」

 

「ああ。その願い、確かに引き受けた」

 

 

 そしてこの場にはいないが、ネムの相棒であるハムスケ――元『森の賢王』の存在を知り、リイジーは一縷の望みをかけた。

 かの伝説の大魔獣なら、何とかしてくれる知恵を持っているのではないかと。

 

 

「感謝するよ、二人とも……」

 

 

 それにリイジーも純粋に嬉しかったのかもしれない。

 死亡確認のために証拠を探すのではない。

 本気でンフィーレアが生きていると信じて、孫を見つけ出そうとしてくれる彼らの事が――

 

 

「ちっ、なんであんな奴らが……」

 

 

 ――しかし、彼らが依頼を受けた事に、強い不満を持つ者もいた。

 男は嫌悪の表情を隠そうともせず、冒険者組合を出たネムの背中を睨みつけている。

 

 

(組合長が断った依頼を横から奪い取りやがって。そもそも俺らが何の手掛かりも得られなかったのに、銅級風情がどうにか出来るわけねぇだろうが)

 

 

 少女を追いかける一人の不審者の正体。

 それはエ・ランテルには三組しか存在しない、この街では最高ランクのミスリル級冒険者チーム――『クラルグラ』。

 そのリーダーを務める男、イグヴァルジである。

 

 

(あのババアめ。見つからないと分かった上で俺らが一度受けてやったんだ。それで満足しろってんだよ)

 

 

 自分が失敗した依頼――本人は失敗だとカウントしていないが――を他人が受ける。

 それも自分より遥かに格下の銅級が受ける事に、イグヴァルジはどうしようもなくイライラしていた。

 

 

(あいつらもムカつくぜ。ガキが目立つ魔獣を連れてるだけじゃねぇか。戦士も装備が良いだけの木偶の坊だ)

 

 

 少女が魔獣に乗って移動する姿は、イグヴァルジも何度か実際に目にした事がある。

 伝説の魔獣に騎乗する――それこそ物語で語り継がれるような、まさに英雄的な偉業だ。

 

 

(けっ、何が伝説の魔獣だ。どうせデカいだけのネズミに決まってる)

 

 

 しかし、英雄になる事に昔から固執しているイグヴァルジは、自分以外が偉業を成し遂げる事を認めない。絶対に認めたくなかった。

 自身がトップに立つため、将来有望そうな冒険者は様々な手を使って潰してきた。

 もちろん自身を強くするために、正統派の鍛錬だって人一倍こなしてきた。

 血反吐を吐く思いで地道に依頼を達成し、長い時間をかけ、やっとの思いでミスリルまでのし上がってきたのだ。

 それだけの苦労をした自分よりも先に英雄になってしまいそうな、ぽっとでの存在が許せなかった。

 

 

(俺がアイツらの化けの皮を剥いでやる。ガキでもちっとは痛い目みてもらうぜ)

 

 

 この場所は人通りの少ない裏道で、少々手荒な事をするにはおあつらえ向きだ。

 鼻歌を歌いながら魔獣の待機場所に向かう少女を、イグヴァルジはバレないように慎重にストーキングする。

 街中だから当たり前とも言えるが、ネムからはまるで警戒心というものが感じられない。

 

 

(ふんっ、呑気なもんだ。敵の接近にも気づけないなんて冒険者失格だぜ。こんなガキに出来るなら、俺があの魔獣を従えてやる!!)

 

 

 フォレストストーカーという野伏(レンジャー)系の職業を習得しているイグヴァルジにとって、物音を立てずに尾行するのはそこまで苦ではない。

 森林での活動がより得意というだけで、街中でも問題なく培ってきた経験や能力は発揮できる。

 向けられた敵意に何も気づいていないネム。

 襲う機会を虎視眈々と狙うイグヴァルジ。

 

 

(……あんな奴ら絶対に認めねぇ。――俺は、俺が英雄になるんだ!!)

 

 

 ――そして辺りに人の目は完全になくなり、イグヴァルジを縛る最後の枷もなくなった。

 ネムはまだハムスケの待機場所に辿り着いてはいない。イグヴァルジにとって最高のチャンスだ。

 何も知らない少女の背後から、嫉妬に塗れた男の魔の手が迫り――

 

 

「――はい、ドーンッ!!」

 

「ぃぐゔぁっ!?」

 

 

 ――屋台が高速で突っ込んできた。

 

 速度を緩める気がゼロの屋台に轢かれ、イグヴァルジは派手に吹っ飛んだ。

 空中でくるくると見事なきりもみ回転を見せ、そのまま頭から不法投棄の山に突き刺さって動かなくなる。

 イグヴァルジの全身はほとんどゴミに埋もれ、目を凝らせばかろうじて足先が見えるくらいだ。

 ピクピクと痙攣しているので、ちゃんと生きてはいるのだろう。

 

 

「何の音?」

 

 

 ここまで盛大な衝突音は、流石に少女の耳にも入る。

 ネムが物音に気付いて後ろを振り向くと、そこにいたのは屋台のリヤカーを引いている男性が一人。

 

 

「――おぉ、これはこれは。このような場所で再び巡り合うとはなんという偶然。どうもこんにちは、お嬢さん」

 

「お店のお兄さん!!」

 

 

 以前ネムがモモンガ達と買い物をした広場で出会った、装飾品を売る露店の店主だった。

 ネムに向かって華麗にウィンクをキメており、相変わらず独特な服を爽やかに着こなしている。

 

 

「こんにちは。こんな所でどうしたんですか?」

 

「いえ、最近移動販売でも始めてみようかと思いまして。この辺りを回りながら、良い場所を探していたのですよ。夢中になり過ぎて、うっかり壁にぶつかってしまいましたが」

 

「そうなんですか。でもこの辺りは人通りが少ないですよ?」

 

 

 ハムスケという大魔獣を待機させておくには、人がいない場所の方が周囲に迷惑がかからず都合がいい。

 だが、人気のない所に店を構えるメリットはほとんど無いはずだ。

 

 

「こういう所にある方がカッコいいかと思いましたが…… ふむ、隠れ家スポット、秘密のお店、知る人ぞ知る――まぁ他を当たるとしましょう」

 

 

 少なくともネムはそう思っていたが、店主はぶつぶつと呟きながら真剣に悩んでいた。

 

 

「ああ、そうです。ここで会ったのも何かの縁。こちら、サンプルを差し上げますので、良かったら使ってみてください」

 

 

 店主がふと思い出したように荷物を漁り、ネムに差し出したのは筒状の物体。

 ネムが片手で持つにはやや太いが、特に重たい物ではない。丸い底にはクラッカーの紐のような物が付いている。

 

 

「なんですか、これ?」

 

「こちらはヒモを引っ張るだけで使える、簡易式の打ち上げ花火という物です。空に向かって放てばあら不思議!! 夜空に美しい光の花を咲かせる、使い切りのマジックアイテムでございます!!」

 

 

 大袈裟に腕を振り、全身を使ってアイテムの紹介をする店主。

 ネムからすれば見ていて楽しい動きだ。

 まぁ大多数の人間が抱く感想――動きがうるさいとは、まさにこの店主の様な状態を言うのだろうが。

 

 

「見たことないけど凄そう!! 本当に貰ってもいいんですか?」

 

「ええ、もちろん。宣伝でお配りしている物ですから。何かの記念日などに使うと、華やかで良いかもしれませんね。使ったら是非、感想を聞かせて下さい」

 

「ありがとうございます!!」

 

 

 ネムが貰った花火を大切に仕舞っていると、店主は指をぴっと立てて、注意事項を告げた。

 

 

「それと、人に向けて使ってはいけませんよ? とっても危険ですから」

 

「はーい」

 

 

 タダでアイテムを貰って得した気分のネム。

 そのまま特別何か起こるわけでもなく、ハムスケの待機している場所に向かうのだった。

 

 

 

 おまけ〜あくまで教師〜

 

 

 この場にいるのは少女と悪魔のみ。

 非常に珍しいような、ナザリック内では意外とそうでもないような組み合わせ。

 デミウルゴスの気まぐれ、ほんの戯れのようなひと時での出来事だ。

 

 

「ところでネム様、世界征服についてどう思われますか?」

 

 

 これは特に意味のある問いではない。

 モモンガに世界を捧げる事は確定事項であり、既に第一段階を実行する準備が整っていた。

 ――具体的には、リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国、竜王国の三国の玉座を、即座に奪い取る事が可能である。

 

 

「世界征服?」

 

「ええ。この世界のありとあらゆる存在がモモンガ様を讃え、平伏する世界。モモンガ様が全ての頂点に君臨するという事です」

 

 

 ただ、モモンガの友人がどう考えるのか、純粋に興味があったのだ。

 つまりデミウルゴスのこの問いは、自身の好奇心の域を出ないはずのものであった。

 

 

「すごいカッコいい…… モモンガが王様になるんだよね!! すごく良いと思います!!」

 

 

 少女の頭の中には、真っ赤なマントと黄金の冠を着けたモモンガの姿が浮かんでいた。

 優しくて賢くて強い。そんな凄い友達が人々から声援を貰って、威厳ある姿で手を振り返す――

 ――あくまでネムの想像の中では、だが。

 ネムはモモンガという特別な存在に慣れすぎていた。もし実際にアンデッドが王様になったら、ほぼ全ての人々は恐れ慄き、姿を目にすれば間違いなく悲鳴が上がるだろう。

 

 

「その通りです。ネム様もやはりそう思われますか。モモンガ様ほど上に立つことに相応しい方はおりませんからね」

 

「うん!! あ、でも……」

 

 

 少女も自身と同じ事を想像した――細部も方向性もかなり異なるだろうが――と考えているデミウルゴスは、満足げに頷く。

 だが、笑顔で賛同の意を示したはずのネムが何かに気づいたのか、僅かに表情が曇ったのを悪魔は見逃さなかった。

 

 

「どうしたのですか? 何でもおっしゃってください。私も貴方の出す意見に興味があります」

 

「えっと、モモンガが王様になったら、ちょっと寂しいかなって……」

 

「寂しい?」

 

 

 デミウルゴスが先を促すと、ネムは申し訳なさそうに、声を落として控えめに口を開く。

 

 

「たぶん王様になったらお仕事大変ですよね? もしそうなったら忙しくなって、もう一緒にモモンガと冒険できないのかなって……」

 

 

 普通は世界征服が可能かどうかで疑問に思うところなのだが、この考えが先に浮かぶあたり、ネムも相当モモンガによって感覚がマヒしている。

 しかし、その言葉は悪魔にとって衝撃的だった。

 

 

「――なっ!?」

 

「でもでもっ、全然反対じゃないです」

 

 

 デミウルゴスが驚いたのを見てぎこちなく笑い、慌てて付け加えるネム。

 少女の伝えた思いは、デミウルゴスにある一つの真実を突き付ける。

 ――自らの失策だ。

 

 

(なんということだ…… モモンガ様により良い物を献上しようとするあまり、当初の目的を見失っていたとは)

 

 

 これは悪魔が少女の悲しげな表情に絆された――なんて甘い話ではない。

 如何にネムがモモンガの友人といえど、デミウルゴスのカルマ値はマイナス五百であり、そんな人間染みた感傷はない。

 情に絆されるなど――相手がモモンガと創造主である場合を除いて――断じてあり得ない。

 単純に自身の目指していた世界征服の方向性が、モモンガの望むものと違っていた事を自覚しただけだ。

 

 

(モモンガ様を激務から解放し、自由に望まれる時間を作る事にこそ意味があったはずだ!! そのためにナザリックの維持を任せて頂いたのだ!! だというのに、私はなんと愚かな…… モモンガ様は誰よりも慈悲深く責任感のあるお方。たとえ表向きにでも王となってしまえば、その執務に励んでしまわれる――そうか!? それを伝えるためにネム様はあえて、寂しいなどと――)

 

 

 そしてデミウルゴスは全てを悟った。

 

 

「デミウルゴスさん?」

 

「いえ、なんでもありません。非常に貴重な意見、ありがとうございます。そうですね、やはりモモンガ様は、ナザリックだけの王であられる方が良いでしょう」

 

 

 頭にハテナを浮かべるネムの思考を置き去りにしつつ、デミウルゴスは新たな世界征服のプランを考える。

 これまで準備していたのは、デミウルゴスが『ヤルダバオト』として全ての国を支配下に置いた後、その王位を全てモモンガに献上するという方法だが、これは破棄である。

 

 

(――モモンガ様が直接支配される栄誉など、考えてみれば外の者には勿体ない代物だ。はっ!? ではモモンガ様のおっしゃられていた、ナザリックの名は出さずに世界を一つ一つ制覇する事の真意とは――なるほど、そういうことですか。表向きは平穏に変わらぬ日常があり、裏からの実質的支配と利益のみを得るという事ですね。確かにこれならばナザリックが背負うリスクは格段に――)

 

 

 ある程度の方向性を見出したデミウルゴスは、一度思考を中断してネムに向き直る。

 

 

「是非ともお礼がしたいのですが、何か要望などはありますか?」

 

「お礼? 何のですか?」

 

「ネム様のおかげで、仕事が上手くいくアイディアが浮かびましたから」

 

 

 デミウルゴスの述べた理由にイマイチ納得が出来なかったが、とりあえずネムは今欲しいものを考える。

 そして、相手が賢そうなデミウルゴスだからこそ、一つの提案を思いついた。

 

 

「じゃあ、デミウルゴスさん。文字を教えてくれませんか? 私もモモンガも王国の文字が読めないから、私が出来るようになったら役立つと思うんです」

 

「モモンガ様が、文字を? ……なるほど。分かりました。周辺国家の基本的な読み書きはマスターしてありますから、王国語でしたら問題ありません」

 

 

 デミウルゴスはモモンガに対して若干の深読みを発動させつつ、最短最高効率で文字を学ぶ手段を構築し始める。

 デミウルゴスは陽光聖典で一通りの人体実験を済ませてあるため、現地の人間に悪影響のないアイテムの使い方なども頭に入っていた。その気になれば脳をいじることも――

 ――もちろんネムに勉強を教える際、過激な手段を取る気はこれっぽっちもないが。

 

 

「毎日とはいきませんが、私が時々暇を見つけて指導しましょう。なに、甘い物を食べながらやれば、ネム様ならすぐに覚えられますよ」

 

「勉強したら甘い物が食べられるの!?」

 

 

 驚きの表情を見せるネムに、デミウルゴスは笑みを見せた。

 もしセバスがここにいれば、何を企んでいるのかと悪魔と喧嘩になった事だろう。それくらい穏やかな――悪魔には似合わない――笑顔だ。

 まぁ今回に限っては本当に裏はない。これはネムに対するデミウルゴスからの純粋なお礼なのだから。

 ネムに教えられなければ、主人の意に反する事をしていたかもしれない。それを考えれば文字を教える程度、非常にお安い御用だ。

 必要経費は自分が外の世界で確保した物で賄えばいいと、デミウルゴスは手早く必要な計算を終える。

 

 

「はい。糖分は脳を動かす際に必要ですから。さっそく料理長に作ってもらいましょう――()()()()()()を使ったデザートをね」

 

「やったー!! 勉強頑張ります!!」

 

 

 一瞬だけ悪魔的な笑みが見えた気がするが些細なことである。

 かくして、おそらく世界一お金のかかる授業計画が始動した――

 ――そして、成果は早くも表れる。

 デミウルゴスの教え方が上手かったのか。

 実はネムの地頭が良かったのか。

 それとも他の要因が大きかったのか。

 

 

「デミウルゴスさんに教えてもらってる時だけ、すごく頭が冴えてる気がする…… これが糖分の効果ですか?」

 

「さぁ、どうでしょう? コンポートのお代わりはしますか?」

 

「欲しいです!!」

 

 

 理由はさておき、ネムは驚異的な速度で読み書きを学習していったらしい。

 

 

「――俺も家庭教師欲しいなぁ。せめて、報告書が何書いてあるのかすぐに理解できる程度の頭は身に付けないと……」

 

 

 ちなみに、同じ方法で勉強が出来ないモモンガは、裏で密かに嘆いていた。

 誰かに習おうにも、モモンガは理想の支配者であるという、周囲の期待を裏切れない。

 ネムと同じくらいとは言わずとも、もう少し彼らがフランクであればモモンガも踏ん切りがつくのかもしれない。

 

 

「でも、俺も今できることをやらなきゃな。――騒々しい。静かにせよ!! せよ、せよ? こっちの方が支配者らしいかな?」

 

 

 ――モモンガは今しばらく、一人で支配者らしい演技の練習に励むしかないのだった。

 

 

 




ハッピーエンド?のために、危ないフラグは尽くへし折っていくスタイル。
ネムがいつの間にか表の世界を救いました。
でも異世界の人達的に優しいのか優しくないのかは、判断しづらい展開になってきました。

裏ではえげつない事をかなりやってるはずですが、オマケだと不思議と優しく見えるデミウルゴス。
ネムが勉強時に食べているのはバフ効果のある料理なので、現地人基準でとんでもなく金をかけた授業ですね。知力が上がるのは一時的でも、その時勉強した記憶は永久的に残る――なんて便利な勉強法なんだ。
ちなみにインテリジェンスアップルの効果は名前からの想像です。


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未来のお義兄ちゃんを探せ 後編

前回のあらすじ

「孫を見つけておくれ」
「とりあえず屋台で轢いておきました」
「読み書きのお勉強を始めたよ!!」

今回は前回の話の続きです。
骨と少女のハートフルな物語をご覧ください。




 エ・ランテルで最も腕の立つ薬師、リイジー・バレアレからの指名依頼。

 依頼者であるリイジーの孫――ンフィーレア・バレアレを捜索するため、大人の事情を無視して依頼を受けたモモンガ達。

 

 

「はぁ…… 君達のような将来性のある冒険者には、本当は他にしてほしい事があるんだがね」

 

「過分な評価には感謝いたします。ですが、私達はただの銅級(カッパー)ですから」

 

「昇級に興味のない冒険者なんて、前代未聞だよ……」

 

 

 白髪アフロのお小言を聞き流した後、モモンガは諸々の下準備を終えてから街を出た。

 時間短縮のために――本当に渋々だが――ネムと二人でハムスケに騎乗し、早速ある場所を目指して移動を開始する。

 

 

「ふふん。ついにモモン殿にも乗ってもらえて、某ちょっと感動してるでござる」

 

「良かったね、ハムスケ。モモンはあんまりハムスケに乗りたがらないもんね」

 

「そうでござる。某がこの背に乗せるのはお二人だけと、心に決めているのでござるのに」

 

「大人には色々あるんだよ……」

 

 

 モモンガが今までハムスケに騎乗するのを拒んできた理由はただ一つ。

 ――メリーゴーラウンドに一人で乗るオッサンには絶対になりたくない。

 周りからは凄い魔獣に乗っているように見えても、独身の成人男性であるモモンガの精神的には辛いのだ。

 だが、ネムと一緒なら絵面もそこまで悪くはないだろうと、モモンガは自分を慰めた。

 ――たとえ巨大なハムスターに自分が跨っているという事実に、なんの違いもないとしてもだ。

 

 

(予想通りではあったが、探知妨害も逆探知もなかったな。普通に魔法が通ったから、生きている事は確定、と……)

 

 

 本来ならネムと一緒に行う冒険者の仕事では、モモンガとしての力は使わない。

 だが、今回は事情が事情である。

 今はもう鎧を着直しているが、ネムとの相談の上、ンフィーレアの居場所を探知するために一度だけ反則技を使っていた。

 

 

(それにしても、彼は何故あんな遠い場所に……)

 

 

 そもそも魔法も無しに人探しとか、モモンガからすれば無理ゲーだ。

 現実ではゲームのイベントのように、都合よく目撃情報が集まる訳もないのだから。

 

 

(事件に巻き込まれたらしいが、普通に探してたら絶対に見つからなかったな)

 

 

 もしネムが冒険者をやる時の約束にこだわっていたなら、それもまた良いだろう。

 自力で探したいと希望していた場合、モモンガもそれに付き合う事自体はやぶさかではない。

 だが、早々に諦めていた事は確実である。

 

 

(そこに誘拐犯のアジトでもあるのか? 自力で逃げている途中――にしては、期間が長すぎるか……)

 

 

 実のところ、モモンガはンフィーレアの生死にあまり興味がない。

 精々レアな生まれながらの異能(タレント)の事が気になるくらいだろう。

 

 

「ンフィー君はこっちにいるの?」

 

「ああ、とりあえず生きてはいるようだ」

 

「良かった…… 早く見つけてあげなきゃ」

 

 

 だが、これはネムが珍しくお願いしてきた仕事なのだ。そういう意味ではンフィーレアが生きているという事実は喜ばしい。

 ネムがショックを受ける最悪の展開は避けられそうで、モモンガは内心でほっと胸を撫で下ろしていた。

 

 

「この平野を越えて、さらにずっとずっと先に行った所に反応があった。完全に国外だな」

 

「霧で真っ白だね。全然先が見えない……」

 

 

 ほぼ一年中霧が立ち込め、至る所でアンデッドが出現する呪われた土地――『カッツェ平野』。

 その手前まで辿り着いたモモンガは、霧で先の見通せない遥か遠く――エ・ランテルから南東にあたる方向を指差した。

 

 

「――よし。ハムスケ、ここを全速力で真っ直ぐ突っ切ってくれ」

 

「モモン殿、流石にそれは危険ではござらんか? この場所は嫌な感じがするでござる……」

 

「問題ない。お前のレベルならこの辺りの下級アンデッド程度、体当たりだけで倒せるから心配するな。これが最短ルートだ」

 

「某、スケルトンくらいならまだしも、ゾンビなどの腐っている奴にはあまり触りたくないでござるなぁ」

 

 

 ハムスターの顔で器用に困った表情を作り、難色を示すハムスケ。

 知能が高めなせいか、魔獣の割に妙なところで感性が人に近いようだ。

 だが、こんな所で立ち止まる訳にはいかない。

 モモンガはネムと一瞬でアイコンタクトを行い、渋るハムスケの説得を試みる。

 

 

「そっかー。ハムスケがいくら凄い魔獣でも、出来ない事はあるよね」

 

「そうだな。しかし、ネムの相棒である最強の魔獣、ハムスケなら出来ると思ったんだがなぁ」

 

「仕方ないよ。モモンガ以外のアンデッドは怖いもんね?」

 

「それもそうだな。かつて森の賢王と呼ばれたハムスケでも、苦手な物くらいはあるか。残念だが、私の見込み違いだったらしい……」

 

「うんうん。いつもと違って二人も乗せてるから、ハムスケも大変だもんね」

 

 

 ネムと一緒に胸の前で腕を組み、ハムスケの背中でうんうんと唸った。

 まぁ流石のハムスケでも、この程度の煽りでは――

 

 

「なぁっ!? そんな事ないでござる!! それくらい楽勝でござる!!」

 

「本当でござるか?」

 

「無理はしなくて良いんでござるよ?」

 

「出来るでござる!! 二人とも大船に乗ったつもりで、某に任せて欲しいでござるよ!!」

 

 

 ――ちょろい。

 これなら自分が魔法を使わずとも、移動に関しては何とかなりそうだ。

 ハムスケからは見えない位置で、骸骨と少女は笑顔でグッと親指を立てた。

 

 

「二人ともしっかり掴まったでござるか? 某の本気、とくと見るでござる!!」

 

 

 その後、ハムスケは数々のアンデッドを跳ね飛ばしながら、陽が沈むまでカッツェ平野を走り続けた。見た目はハムスターだが、猪突猛進という言葉が非常に似合う走りっぷりである。

 途中でモモンガの予想よりも強いアンデッドが出てきたが、それでもハムスケは果敢に立ち向かう。

 

 

「カッツェ平野、恐るるに足らずでござるー!!」

 

「ハムスケすごーい!!」

 

「ハムスターもおだてりゃ猫を噛むだな。……ん、微妙に違うか?」

 

 

 鎧袖一触――数々のアンデッドを打倒し、その日はハムスケの勝利の雄たけびがカッツェ平野に響き渡っていた。

 ちなみにモンスターを討伐した証――部位の回収を忘れていたと気づくのは、ネムが家に帰ってから数日後の事である。

 

 

 

 

 リイジーおばあちゃんの依頼――ンフィー君を探し始めて二日目。

 昨日の夜はモモンガの持ってきていた魔法の家で寝泊まりして、今日も朝早くから移動を始めた。

 

 

(あんな家があるなら、野営の道具ってモモンガには必要ないよね。なんで前に買ってたんだろう?)

 

 

 ふとしたモモンガへの疑問を思い出しつつ、周囲を軽く確認する。

 霧のある場所は抜けたけど、遠くに山が見えるだけでこの辺りはまだ何もない平野だ。

 だけど凄い勢いで景色が後ろに過ぎ去っていき、少しずつ周りの様子が変わっていくのが分かる。

 

 

「ハムスケ、まだ走れそうか?」

 

「某は、まだまだっ、平気でござる!!」

 

 

 激しい振動で体が揺さぶられ、強めの向かい風が自分の頬を絶え間なく叩く。

 ハムスケってこんなに速く走れたんだと、初日の頃は驚いていた。

 だけど二日目にもなると、そんな事を考える余裕もなくなってきた。

 

 

「ネムは大丈夫か?」

 

「――っうん!!」

 

 

 ハムスケにしっかりとしがみ付いているが、それでも常に風を浴びているため、口を開くのも大変だ。

 普段のハムスケは私を乗せてくれる時、スピードを随分と抑えてくれていた。だけど、今は本気の速度で疾走している。

 

 

(モモンガに魔法を使ってもらってまで探したんだもん。私もこれくらい我慢しなきゃっ)

 

 

 両手の力を緩めないように、自分を叱責して気合いを入れ直した。自分のせいで速度を落とさせる訳にはいかない。

 それでもモモンガが背中にいなければ、そしてハムスケの尻尾で固定されていなければ、私はとっくに振り落とされているのだろう。

 

 

「モモン殿、方向は本当にこのままで良いんでござるかーっ!!」

 

「ああ、今朝も一度確認した。ンフィーレアが移動していなければ、このルートで間違いない。もうそろそろ見えてくるはずだ」

 

「了解でござる!!」

 

 

 一人だけ平然としたモモンガの指示に従って、ハムスケはただひたすらに走り続ける。

 モモンガは骨だから、風を浴びて息苦しいとかもないのだろう。

 途中で何度か休憩を挟み、ついに目的の場所――『竜王国』のとある都市に辿り着いた。

 

 

「ひぃ、ふぅ…… こんなに走ったのは、生まれて初めてで、ござる」

 

 

 ここまで頑張り続けたハムスケは息も絶え絶えで、心なしか毛皮もふにゃりとしている。

 

 

「どうで、ござるか? 某、凄いで、ござ、ろう?」

 

「ありがとう、ハムスケ。ハムスケのおかげでこんなに早く着いたよ」

 

「なんのなんの。しかし、某は、ここまで、で、ござ――る……」

 

 

 べしゃりと音を鳴らし、地面と同化するように体を投げ出したハムスケ。

 二日に及ぶ全力疾走の繰り返しで、体力を使い果たしてしまったみたいだ。

 ここまで運んでくれてありがとう、ハムスケ。今はゆっくり休んでいいから――

 

 

「よくやった、ハムスケ。という訳で、これを飲むといい」

 

「むぐっ!?」

 

 

 モモンガはどこからか謎の液体が入った瓶を取り出し、瞳を閉じたハムスケの口に突っ込んだ。

 色々準備はしてきたって言ってたけど、それにしたって対応が早すぎるよ。

 

 

「――ぷはぁっ。おおっ、元気百倍でござる!!」

 

「これでよし。ンフィーレアが移動すると厄介だ。さっさと見つけてしまおう。さぁ、行くぞ」

 

 

 ――ごめんね、ハムスケ。

 もうちょっとだけ頑張って。帰ったらいっぱいブラッシングしてあげるからね。

 

 

「でも釈然としないでござる……」

 

「どうした? 一本では足りなかったか?」

 

 

 ハムスケの頬袋がぷっくりと膨らんでいる。

 でもちゃんとモモンガの言った通りに歩き出すあたり、私の相棒は素直すぎる魔獣だと思う。

 

 

「モモン殿はストイックでござる」

 

「あはは…… きっとハムスケの成長のために必要なんだよ」

 

「そうなのでござるか?」

 

「うん、モモンなりの期待の表れだと思うよ。……たぶん」

 

 

 普段のモモンガはとっても優しい。それは間違いないと、私が保証する。

 だけど、お仕事中は自分達の成長のために、けっこう厳しいのだ。

 

 

『うーん、やはり独学では無理か。私もコキュートスに前衛の動き、剣技を教えてもらわないとな……』

 

『ネムよ、まずは一度チャレンジしてみると良い。心配するな、私とハムスケがついているぞ』

 

『ふむ。ハムスケも武技を覚えられるか実験、もとい訓練をさせてみるべきか……』

 

 

 冒険者をやる時に「必要以上の手助けはしない。すぐには手を貸さない」と、モモンガは宣言していた。

 モモンガは現状に満足する事なく、常に自分達が成長出来るかを模索している。とっても努力家なのだ。

 

 

『――貴様……今、ワザと足を出したな?』

 

『怪我をしたら直ぐに言うんだぞ。ポーションは腐る程持ってるからな』

 

 

 だから私の事もだけど、ピンチの一歩手前…… 二歩かな? いや、三、四歩くらい前かもしれない。

 とにかくモモンガは最初は見守ってて、一度実際に困った後にしか手助けしない――

 

 

『門限は親御さんの希望に合わせ、行き帰りの送迎も完備しております』

 

『お腹が空いた? しょうがないな。ほら、どうせ俺が食べる事はないから、ハムスケにやろう』

 

『新しい技をまた考えたから見て欲しい? どれどれ…… おおっ、凄いじゃないかネム!!』

 

 

 ――あれ? 全然厳しくない。むしろ助けるのも早すぎないかな?

 ちょっと訂正。冒険中もとっても優しいです。楽しい思い出しかないです。

 やっぱりモモンガは本人が思っているより、かなり人に甘いかも。

 

 

(思い返しても、特に困った記憶がない…… 私、本当に成長出来てるのかな?)

 

 

 最終的には絶対助けてくれると、モモンガの事は信頼している。

 モモンガの全力は見た事ないけど、何でも出来るのだろうと本気でそう思う。

 でも、それに甘えないようにしなきゃ。

 家族の役に立つためにも、私はお金をしっかり稼がないといけないのだから。

 

 

「むむむ…… モモン殿はそこまで某の事を考えてくれていたでござるか。ならば、もうひと頑張りするでござる!!」

 

「うんうん、一緒に頑張ろう!!」

 

 

 ハムスケが完全復活したところで、ンフィー君探しを再開だ。

 私達は情報を集めるため、早速街の人に聞き込みを開始した――

 

 

「すみません。ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

 

「ああ、なんだい」

 

「実は――」

 

 

 老若男女を問わず、とりあえず片っ端から話しかける。相手は少し訝しげな様子だったけど、ほとんどの人は快く質問に答えてくれた。

 

 

「なんか、みんな元気がないね」

 

「ふむ。心なしか痩せている者が多いな。あまり豊かな土地ではないのか?」

 

 

 この街に着いてから小一時間。ンフィー君探しとは特に関係ないけど、少し気になる事がある。

 街の中ですれ違う人達は、みんなハムスケを見て驚いていた。だけどエ・ランテルの人達と違って、そこに明るさがない。

 全体的に活気がなく、俯いている人が多いように感じた。

 

 

「――ンフィーレア・バレアレ? いや、知らないな」

 

「えっと、じゃあこんな風に目が隠れてる男の人は見ませんでしたか?」

 

「ああ、それなら一応見覚えがあるぞ。最近この街にやって来た奴に、そんなのがいた気がする。ただ、アレは薬師って感じじゃなかったけどな……」

 

 

 何人もの人から情報を集めた結果、この街の住民ではない少年――ンフィーレアらしき人物が近くに滞在している事が分かった。

 最近この街に集団でやって来た旅人の内の一人らしいが、服装は作業着ではなかったそうだ。

 でも背格好や顔付きなどは似ているそうなので、ンフィー君の可能性は十分にある。

 

 

「本当にンフィー君なら、なんで別の国に来てるんだろう? 薬草集めかな?」

 

「事件に巻き込まれたらしいから、それはないと思うが…… 本物かは断定出来ないが、とりあえず泊まっている宿とやらに行ってみよう」

 

 

 話をしてくれた人の中には妙な表情をしていたり、会いに行くのはやめた方が良いと言った人もいた。

 だけど、確かめなければならない。何としてもンフィー君を連れて帰らなければならない。

 心配しているリイジーおばあちゃんのため、そして――

 

 

(お姉ちゃんをお嫁さんにしてくれる人、いなくなったら困るもんね!!)

 

 

 ――未来のお義兄ちゃんを捕まえるために。

 ただでさえ姉は恋愛ごとに疎いのだ。

 放って置いたら本人が気付かないうちに、チャンスと婚期を逃してしまうかもしれない。

 姉の周りには歳の近い男性がいないから、将来有望株のンフィー君を逃す訳にはいかないのだ。

 

 

「この部屋だね」

 

「さて。本人かどうか、ご対面だ」

 

 

 集めた情報から辿り着いた宿屋。

 その人物の部屋に案内され、軽く扉をノックする。

 

 

「――お待たせしました」

 

 

 返事と共に扉が開かれ、中から現れたのは――

 

 

「まさか、僕の事を最初に見つけ出すのが君だったなんてね」

 

 

 ――変態さんだった。

 

 

「へっ、んフィー君!?」

 

 

 その顔も声も、正真正銘ンフィーレア・バレアレだ。

 だけど、その格好がおかし過ぎる。

 ンフィー君は全身に妙な装飾品を付け、フリフリのスカートを履いている。

 

 

「ネムちゃんが冒険者になってたなんて驚いたな。そっちの人はお仲間かな?」

 

「う、うん…… 冒険者仲間のモモンだよ」

 

 

 一体ンフィー君に何があったのだろう。驚いたはこっちが言いたかったセリフだ。

 こんな服装をするくらいなら、薬草臭い作業着の方が何倍もいいと思う。

 

 

「いつかはこんな日が来る事も予想はしていたよ。思ったより随分と早かったけどね…… さぁ、中へどうぞ」

 

「お、お邪魔します」

 

 

 思わず「変態」と、口に出さなかった自分を褒めてあげたかった。私、えらい。

 ――でもこんなお義兄ちゃんは、ちょっと嫌だなぁ。

 

 

『――お揃いのを着てみたんだけど、変じゃないかな?』

 

『わぁ…… 綺麗だよ、ンフィー』

 

『ありがとう。エンリも体が逞しくなってきたね。腕なんか僕より太くて良い筋肉がついてるよ』

 

『そうかな? 毎日外で畑仕事を頑張ってるおかげかな』

 

『僕もエンリのために、家で――』

 

 

 ――駄目だ。とんでもなく不気味な未来だ。

 妙に生々しくて、少しあり得るかもと思ってしまった事が余計に嫌だ。

 

 

(あれ、普通逆だよね……)

 

 

 姉とペアルックのスカートを履いたンフィーレアを想像してしまい、私はほんの少しだけ鳥肌が立った。

 

 

 

 

 横並びに座るモモンガとネム。その対面には一応ンフィーレア・バレアレらしい少年。

 その少年の姿を初めて見た瞬間、モモンガはヘルムの中で顎が外れそうになった。

 あまりに驚き過ぎて、思わず精神の鎮静化が起こったほどだ。

 

 

(この意味の分からない格好。いや、これらの装備品はまさか……)

 

 

 少年の身につけている物は、和洋折衷なんて言葉ではすまなかった。

 和風、洋風、中華風など、リアルにある国の様々なテイストが混ざっている。

 さらには古代の物から近未来にありそうな物まであり、産み出された年代すらも異なっている。

 おまけに漫画に出てきそうなファンタジーな装飾、男物から女物のデザインまで、ありとあらゆる物をごちゃ混ぜに身に付けている。

 一言で言えばヤベーやつとしか言えない。

 

 

「あー、ンフィーレアさん。で、よろしいでしょうか?」

 

「そうですね。ンフィーレアとは捨てた名前。既に死んだ者の名ですが、私は元ンフィーレア・バレアレで合っています」

 

 

 しかし、一応確認のための会話を挟みながらも、モモンガはある確信があった。

 ――これはユグドラシルのアイテムだ。

 こんなチグハグな格好をする人達を、モモンガは以前にも見た事がある。

 それはユグドラシルの初期、まだ装備の見た目を統一する方法が一般的ではなかった頃。

 頭や腕などに分かれている装備の内、各シリーズの最も強い部分だけを組み合わせて、性能重視で装備していたプレイヤー達が少なくなかった。

 

 

(あれはおそらく装備条件が厳しい装備のはずだ。女性専用の装備まで使えるとは…… 本人のタレントも関係してるんだろうけど、これは凄いな)

 

 

 ユグドラシルではドロップ品だけでなく、プレイヤーメイドの装備品も普通に売り買いされている。

 そのため、それらの装備をそのまま混ぜて使うと、見た目に統一感がなくなる事はよくあったのだ。

 まぁそれでも、目の前の少年ほど酷い見た目は中々いなかったが。

 

 

「私達はあなたの祖母である、リイジー・バレアレさんから依頼を受けた冒険者です。孫である貴方を探して欲しいと」

 

「おばあちゃん、すっごく心配してたよ。一緒に帰ろう、ンフィー君」

 

 

 祖母からの依頼である事を告げると、彼は悲しさと嬉しさが混ざったような表情をした。

 

 

「……隊長、彼らに少しだけ事情を話す事を、許可していただけませんか?」

 

 

 少しだけ考え込み、真剣な顔付きに戻ったンフィーレアが軽く後ろに視線を向ける。

 そこには一人の青年が立っていた。

 ずっと同じ部屋にいたのに、モモンガは全く気が付かなかった。巧妙に気配を殺していたのだろう。

 

 

「……分かりました。与える情報は最小限に抑えてください」

 

 

 この辺では珍しい黒髪を長く伸ばした、隊長と呼ばれた十代くらいの若い男。彼はンフィーレアからのお願いに、やれやれと言うように頷いた。

 しかし、一挙手一投足すら見逃さないとばかりに、分かりやすくこちらを見つめている。

 室内でもみすぼらしい槍を手放さないあたり、彼はこちらを警戒しているのだろう。

 

 

「ありがとうございます。モモンさん、ネムちゃん。少しだけこれまでの事をお話しします」

 

 

 ンフィーレアは隊長に軽く頭を下げると、こちらに向き直って姿勢を正した。

 

 

「端的に言うと、僕は一度死にました。だけど、神のお導きによって蘇ることが出来たんです」

 

「蘇った…… まさか、蘇生魔法!?」

 

「ええ。ですから、僕は生まれ変わったんです。偉大なる六大神に仕える聖職者になり、人類救済の為に生きると決めたんです」

 

「そ、そうなのですか……」

 

 

 ンフィーレアから語られる突飛な経緯に、モモンガは無難な返事しか返せなかった。

 リアルではほとんどの宗教が廃れていたが、取引先のお偉いさんが熱心な信者だったこともある。その際は話題選びにもえらく気を使ったものだ。

 そんな経験からモモンガは「その格好のどこが聖職者だよ」とか、「現地に蘇生魔法を使える組織があったのか」とか、色々な言葉は何とか飲み込む事に成功していた。

 

 

(年中作業着のちょっと奥手な目隠れ系男子って聞いてたんだけどなぁ。ネムの反応からして本物なんだろうけど……)

 

 

 ネムから聞いていたンフィーレアの人物像と、目の前の彼はあまりにも違いすぎた。

 前髪を伸ばして目を隠しているところはそのままだが、見た目も思想も違い過ぎる。

 実は魔法か何かで洗脳されているんじゃないかと思うくらいだ。

 その可能性を考慮すると、死んで蘇ったという話すらも真実かどうか判断できない。

 

 

「ンフィー君、街には帰ってこないの? ……お姉ちゃんの事も、いいの?」

 

「……ネムちゃん、僕はもうンフィーレアじゃない。『万能魔具』として、神に信仰を捧げる一人の聖職者に過ぎないんだよ」

 

 

 ネムの問いかけに対する反応から、ンフィーレアにはほんの少しだけ未練があるように感じる。

 それでも彼の決意は固いようで、新しい人生を歩み続けるという気持ちは変えられなかった。

 

 

「エンリ達が安心して暮らせるように、この世界から亜人や異形種を滅ぼさないといけないんだ。実はこの街にいるのもビーストマンと戦ってきた帰りで――」

 

「そこまでです。それ以上は必要ありません」

 

 

 これ以上は不味いと判断したのか、それとも適当なところで切り上げさせたのか、隊長がンフィーレアにストップをかけた。

 ユグドラシル産らしきアイテムの出所など、彼らの所属してる組織の正体が気になるが、今のモモンガはモモンとして静観するしかない。

 

 

「すみません、隊長。そうだ、ネムちゃんにお願いがあるんだけど、いいかな?」

 

「お願い?」

 

「うん。おばあちゃんに手紙を、ンフィーレアの遺書を届けて欲しい。すぐに書くから、少しだけ待ってて――」

 

 

 ンフィーレアだった少年は過去と決別するように、素早くだが丁寧に手紙を書き始めた。

 その迷いを感じさせない様子に、モモンガはこれ以上の説得は無理だと判断する。

 

 

「ネム、残念だがンフィーレアの意思は変わらんだろう。結果を報告するために戻ろう」

 

「うん。そうだね……」

 

 

 ネムもそう感じたのか、少し寂しげな表情を見せた。

 そしてンフィーレアの手紙を受け取り、大切にリュックに仕舞い込むのだった。

 

 

 

 

「ネム殿、元気出すでござるよ。ネム殿はちゃんと依頼をやり遂げたでござる」

 

「うん……」

 

「そうだぞ、ネム。こうして手紙を預かる事も出来たんだ。戻ったらネムがンフィーレアの様子を伝えてやると良い。孫が生きていると知れるだけでも、きっとリイジーさんは満足するだろう」

 

「うん……」

 

 

 行きと違って緩やかな速度で進むハムスケ。

 ネムは下を向いて何か考え込んでいたが、モモンガは好きなだけ悩ませてあげることにしていた。

 仕事には成功も失敗も、よくわからない結末になる事もある。どう折り合いをつけるかは本人が決める事だ。

 まぁネムがあまりにも悩み続けるようなら、元気付けるためにモモンガはあの手この手を尽くすのだろうが。

 

 

「……ねぇ、モモン」

 

「ん、なんだ?」

 

「モモンは、えっと、モモンガはまだ結婚してないよね?」

 

 

 突然の質問。

 ネムの言葉は、モモンガの思考を一瞬だけ停止させた。

 

 

「……え?」

 

「恋人もいないよね?」

 

「まぁ、そうだが……」

 

「ふーん……」

 

 

 追い討ちの質問。

 ネムの言葉は、無意識にモモンガの急所を貫いた。

 ちなみに質問はこれで終わらなかった。

 やたらと異性に関する質問をされ続け、モモンガの心中はまったく穏やかではない。

 

 

(……なんだ!? この質問の意図はなんだ!? 彼女いない歴=年齢のアンデッドに、ネムは一体何を求めているんだ!?)

 

 

 ネムは普段から好奇心旺盛な子供だと思っていたが、今聞かれている事は明らかにいつもと毛色が違う。

 

 

「そっかー、モモンガには恋人もいないんだね」

 

「モモン殿も某と同じでござったか。お互いに早く番を見つけたいでござるなぁ」

 

 

 ネムの表情が一瞬だけニヤリと緩んだ気がした。心なしか声も弾んでいるように聞こえなくもない。

 残念ながら、ハムスケにネムと一緒に跨っているモモンガの位置からは、ネムの顔がしっかりと見えないので断言する事も出来ないが。

 

 

(これはアレか…… 交際経験の一つもない大人は頼りにならないと、言外に言われているのか?)

 

 

 前に乗ったネムは普通に笑っているのか。自分が笑われているのか。

 それとも、笑顔に見えたのは気のせいなのか。

 

 

(いや、もしかして営業に自信があると言いながら、ンフィーレアをちゃんと説得しなかった事を責めているのか? くっ、アイツを縛ってでも連れて帰るのが正解だったかもしれん……)

 

 

 話の意図が読めずに悩む骨。

 どこか悪戯っ子な表情を浮かべる少女。

 何も考えずに歩き続ける魔獣。

 

 

「じゃあ、モモンガは結婚に興味ある? もしかして今好きな人がいるとかは?」

 

「いや、急にそんなことを聞かれてもだな……」

 

 

 ネムとモモンガはハムスケの背にゆったりと揺られながら、数日をかけてエ・ランテルに帰還していくのだった。

 ――もちろん、その間もネムからモモンガへの際どい質問は、奇襲のように繰り返されていたとか、いなかったとか。

 

 

 

「おや、もう戻ったのかい。それで孫は、ンフィーレアは……」

 

 

 予想よりも早い帰還に驚きの表情を見せ、その後心配そうな声で尋ねてくるリイジー。

 リイジーは過去の経験から、最低でも二週間はかかると踏んでいた。にもかかわらず早すぎる結果報告のため、最悪のパターンを想定しているのだろう。

 

 

「……貴方のお孫さんは、宗教にハマってました」

 

「ンフィー君、スカートを履いてました。でも元気そうだったよ」

 

「はい?」

 

 

 モモンガは悩ましげに、しかし自分が見聞きしたままをリイジーに伝える。

 ネムもドストレートに、自分が見たンフィーレアの感想を伝えた。

 

 

「おばあちゃん。はいこれ、ンフィー君からのお手紙」

 

「我々も中身は知りませんが、遺書だそうです。おそらく貴方へのお別れの言葉などが、そこには書かれているのではないでしょうか」

 

 

 ぽかんとした顔のリイジーに、ネムはずいっと手紙を差し出した。

 リイジーは手紙を受け取ったものの、中々状況が飲み込めていないようである。

 

 

「ちゃんと生きてたから心配しないで!! ンフィー君、人類救済のために頑張るって言ってたよ!! 変な格好だったけど」

 

「今は薬師ではなく、本人は聖職者だと言ってましたね。いささか個性的な服装でしたが」

 

「ウチの孫、本当に大丈夫なのかい?」

 

 

 リイジーは懐疑的な表情になったが、手紙を開くとそれも崩れていった。

 孫の直筆の手紙を読み進め、筆跡と内容からそれを書いたのが本人だと分かると、ふっと口元に笑みを浮かべた。

 

 

「二人とも、感謝するよ。あんたらのおかげで、わしも胸のつかえが取れた。まったく、薬師としての道を捨てるなんて、あの孫は……」

 

 

 柔らかい笑みを浮かべるリイジー。

 モモンガも手紙の内容は本当に知らない。どんな言葉が綴られてあったのか、どこまで事情を説明しているのかも分からない。

 しかし、リイジーのその顔は、大切な孫を応援する優しい祖母としての顔だった。

 

 

「――どうせ神を信仰するなら両方を極めんか!! わしの教えを無駄にしおって、あの馬鹿孫が…… 聖職者になるなら薬師と両立しろと、次に会ったら締め上げてやるからね!!」

 

 

 天に向かって咆える老鬼も見えた気がしたが、モモンガとネムは華麗にスルーである。

 

 

「これで依頼は達成だな」

 

「うん!! 手伝ってくれてありがとう。でも私、全然力になれなくて……」

 

「なに、今回の依頼の成功はネムの協力があってのことだ。私一人ではあれほどスマートな聞き込みは出来なかっただろう。ネムが話しかけた時の方が、明らかに相手も警戒心が解けていたしな」

 

「そうかな?」

 

「そうだぞ。私とハムスケだけなら、話しかけても絶対逃げられていたぞ。竜王国でンフィーレアをすぐに見つけられたのは、間違いなくネムのおかげだ」

 

「えへへ、それなら私も役に立てて良かった!!」

 

 

 リイジー・バレアレからの指名依頼――『ンフィー君を探せ』――これにて完了である。

 

 

 

 

 

おまけ〜悪魔がアップを始めたようです〜

 

 

「――えっと、これが接続詞で、こっちの『らーじあ・えれ』の意味が邪眼で、主語がこれだから…… 『我が邪眼によって貴様は破滅する』かな? デミウルゴスさん、邪眼ってなんですか?」

 

「邪眼というのは、特殊な能力を有する眼の事を指す言葉の一つだね。魔眼などと呼ばれる類いの物もあるが、邪眼の場合は何かを見る力ではなく、視線によって相手に不幸、害、呪いなどを与える意味合いが――」

 

 

 普通の村ではあまりお目にかかれない、綺麗な紙とペンで真剣に勉学に励む少女。

 側にはインテリジェンスアップルを丸ごと使用した、美味しそうなリンゴ飴が置かれている。

 丁寧にコーティングされた飴が絶妙に光り輝いているこのデザートは、ナザリックが誇る料理長が特別に調理した至高の逸品である。

 ネムは時々それを舐め齧りながら、教鞭をとるデミウルゴスの話を熱心に聞いていた。

 

 

「――持ち主が死んだ場合、摘出された眼球は力を発揮しなくなる事も多い。つまり、それらの力は己の眼を媒体としたスキルと考える事も出来る。そういった能力を持つモンスターだと、例えばギガント・バジリスクの石化の視線は有名どころだね」

 

「へぇー。そのギガント・バジリスクは強いんですか?」

 

「ナザリックの者からすれば雑魚と言っていいが…… そうだね、ハムスケより少し弱いくらいだろう」

 

 

 王国語を学ぶために使っている教材は既製品ではなく、全てデミウルゴスのお手製である。

 そのため普通に生活していれば使わない単語や例文、その他の知識も多々盛り込まれているが、そこは悪魔の趣味だ。

 

 

「ハムスケもやっぱり強いんだ。ところでデミウルゴスさんの眼も魔眼ですか?」

 

「私の眼は魔眼ではないよ。偉大なる創造主によって創造された、自慢の眼ではあるがね」

 

 

 好奇心旺盛な少女の質問に対する返答として、デミウルゴスは指先で少しだけ眼鏡をズラす。

 そのさり気ない動作には、創造主に生み出された事に対する誇りが満ちていた。

 

 

「創造主さん、凄い…… とってもキラキラしてて、宝石みたいで綺麗です!!」

 

「お褒め頂き感謝します。ネム様は素晴らしい審美眼もお持ちのようですね」

 

 

 あくまで優雅にデミウルゴスはお礼を返す。

 至高の御方であるウルベルト・アレイン・オードルによって、頭の天辺から爪先まで創り上げられた肉体。

 その中でも創造主が細部までこだわりを持って作った眼が美しいのは当然である。

 当たり前の事と認識はしているが、それはそれとして少女の真っ直ぐな賛美は悪魔にも心地が良かった。

 

 

「ネム様に少しお聞きたいことがあるのですが……」

 

「なんですか?」

 

「これはちょっとしたクイズとしてお考え下さい――」

 

 

 その日の指導がひと段落ついたところで、デミウルゴスは少女の知恵を借りるために声をかけた。

 

 

「――貴方にとって大切な方達が、重要な仕事をするために家を出ました。貴方はその間、家を守るように留守を任されました」

 

 

 例え話として説明しながらも、これでは何を指しているか丸わかりだ。

 流石にネムにもバレバレだろうと、自分で話しながらデミウルゴスは思った。

 

 

「留守を任された者達のために、たった一人だけ主人が家に残ってくれました。その主人は素晴らしい方で、貴方の事も非常に大切にしています。それでも、貴方はもう一人の大切な方に会いたいという気持ちがあります」

 

 

 重い口を開くたび、気分が沈んでいく。

 この世界の情報を集めていく内に、デミウルゴスはこの世界に創造主達がいない可能性が高い事に気づいてしまった。

 ナザリックのシモベ達を危険な目に遭わせないように、目立つことを避けているモモンガならまだしも、それ以外の至高の御方が世界にその名を轟かせないはずがない。

 なのにその痕跡を全く見つけられない。

 

 

「しかし、どれだけ待ち続けても、大切な方は帰ってきませんでした……」

 

 

 つまり、至高の御方々が既に元の世界で亡くなっているという、最も外れて欲しかった予想が真実である可能性はより濃厚になった。

 自身を遥かに超越した叡智を持つモモンガでさえ、一度はもう会えないと諦めたほどだ。

 仮に御方々が生きていても、自分達は見捨てられたのかもしれない。

 ナザリックの仲間内でするにはあまりにもデリケートな問題である。一種の爆弾と言ってもいい。

 主人であるモモンガに負担を掛けないためにも、無策のままにそう易々と相談は出来ない。

 

 

「……そんな時、ネム様なら、どうなさいますか?」

 

 

 だからこそ、モモンガの友人であるネムに話を聞いて欲しかったのだ。

 ――モモンガを救ったネムならば、何か良い考えが浮かぶのではないか。

 このやり方はデミウルゴスらしくはない。

 しかし、希望的観測に過ぎないと分かっていても、デミウルゴスはネムの持つ可能性に賭けてみたくなったのだ。

 

 

「うーん…… その人を探しに行って、見つけたらそのお仕事を一緒に手伝います」

 

「一緒に、ですか……」

 

「力になれるかは分からないけど、仕事が早く終われば帰ってきやすいですよね。それに、もし大切な人が家族とかだったら、やっぱり力になりたいです」

 

 

 ネムが返したのは実にシンプルな回答。

 デミウルゴスは自身の固まった思考に、微かにヒビが入った音が聞こえた。

 心のどこかで、自分では至高の御方の役には立てないと、諦めてはいなかったか。

 帰って来てもらう事を望むばかりで、自らがその隣に立とうとは考えもしなかったのではないか。

 

 

「……世界中を探しても、その方を見つけられなかったら?」

 

「えっと、夢の世界みたいな別の世界に探しに行くとか?」

 

 

 自身の考えが音を立てて崩れていく。

 デミウルゴスはネムの答えに、新たな可能性を見出した。

 創造主達は亡くなった可能性が高いと勘違いしていたが、単に住む世界の繋がりが断絶されただけなのではないか。

 そうだ、必要な情報は既に示されていた。

 至高の御方のまとめ役、モモンガ様は仲間が死んだと明言した訳ではない。会えない事を嘆いておられただけだ。

 そして、私達シモベの成長を喜び、望んでいる節があった。

 

 

(至高の御方はリアルとユグドラシルを移動していた。『あーべらーじ』や、『えろげー』なる世界に移動されていた方もおられたはず…… つまり、我々も同じ移動手段を手に入れる事が出来れば――)

 

 

 自分達シモベは"そうあれ"と、完成された状態で生み出された。しかし、そこから更に成長し、至高なる御方と同じステージを目指すべきだった。

 対等の存在になろうとするなど、不敬と思われるかもしれない。

 だが、対等になろうとする努力を怠れば、サポートする事もままならないではないか。

 何も出来ないシモベ風情が、ただ創造主に帰ってきて欲しいと望むなど、傲慢にもほどがある。

 

 

(……なるほど。そういうことですか。モモンガ様の仰った『――未知の世界を冒険し、一つ一つ制覇していくのも面白いかもしれないな』の真意とは、ただの世界征服などという、ちっぽけな物ではなかった)

 

 

 欠けていたパズルのピースが埋まっていき、面白いように答えが見えてくる。

 そうだ、自分達は一度異世界に転移したのだ。二度目が出来ないはずがない。創造主達の住む世界に転移することも不可能ではないはずだ。

 

 

(――お言葉通り、未知なる世界を制覇する。まさかこの世界に来た時点で、他の異世界への移動を見越しておられたとは……)

 

 

 答えが分かってくると、それだけの未来を見据えていた主人に、これまで以上の尊敬の念を抱かずにはいられなかった。

 ――いったいあの方は、どれ程の高みにおられるのか。

 モモンガの真意に気づいた興奮で、デミウルゴスは段々と息すらも上がってきた。

 

 

「でも、お留守番もしないといけないんですよね…… そうだっ!! モモンガみたいに、お家ごと持っていくのはどうですか?」

 

「ははは、それは流石に――っ!?」

 

 

 ネムが笑顔で繰り出した提案。

 笑って否定しかけたが――デミウルゴスの脳に電撃が走った。

 ナザリック地下大墳墓はユグドラシルのヘルヘイムから、理由は不明だがこの世界に転移してきた。

 つまり、ギルドホームである()()()()()()()()()()()()()と、既に実証されている。

 

 

(なんという常識破りの発想…… これが普通の人間に出来る発想なのか!? あ、あり得ない。明らかに普通ではない…… モモンガ様のように洗練されていないとはいえ、流石はネム様。まったく、末恐ろしい方だ……)

 

 

 完全に盲点だった。

 この発想にある種の恐怖すら感じ、顔に一筋の冷や汗が流れた。

 これはデミウルゴスだけでなく、同等の知能を有するアルベドでも思いつかなかっただろう。

 

 

「……デミウルゴスさん?」

 

 

 拠点を防衛するために生み出された自分達では、拠点そのものを移動させる事など絶対に辿りつかないアイディアだ。ましてやこのナザリックを丸ごと動かすなど、誰が考えつくというのだ。

 

 

「あのー、デミウルゴスさーん?」

 

 

 この方法ならば、創造主より与えられたナザリックの守護という使命を放棄する事なく、その上で至高の御方を探しに行ける。

 自身の存在意義を保ったまま、創造主の手伝いにも行ける。なんと素晴らしい事か。

 

 

「もしもーし、聞こえてますかー?」

 

 

 万が一創造主達が既に亡くなっていたとしても、最後に死んだ世界を見つけ出せばいい。

 その世界で蘇生魔法を行えば、成功する可能性もかなり高まるはずだ。

 

 

「……フフフ、フハハハハっ!! 素晴らしい!! ありがとうございます、ネム様。おかげで私のやるべき事がはっきりいたしました」

 

「ど、どういたしまして?」

 

「少々急用が出来ましたので、失礼させていただきます」

 

 

 一点の曇りもない、実に晴れ晴れとした気分である。

 思わず優雅さに欠ける笑い声を上げてしまったが、今のデミウルゴスにそんな事を気にする余裕はない。

 異世界へ転移する方法。ギルドホームを移動させる方法。他にも研究すべき事は山のようにある。

 

 

(モモンガ様からあれだけヒントを頂いておいて、この体たらく…… これ以上お待たせする訳にはいかない。一秒でも早く計画書を作り、モモンガ様にお見せしなければ!!)

 

 

 デミウルゴスは感動でスキップしたくなる衝動を抑えながら、足早に自身の守護する階層に戻っていった。

 

 

 

「……結局、今のクイズの正解ってなんだったんだろう?」

 

 

 この場に取り残されたのは、状況を全く理解出来なかったネムただ一人。

 少女は疑問に満ちた声をぽつりと漏らしたが、それに応えてくれる者は誰もいなかった。

 

 

 




聖女クレマンティーヌならぬ、聖人ンフィーレアの誕生です。
でもンフィーレアの出番が今後もあるかは不明です。

無茶ぶりな研究を任せても、彼ならきっとやり遂げるに違いない。
そんな謎の信頼を感じさせる忠臣デミウルゴスでした。




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幕間 悪魔の肯定と否定

前回のあらすじ

「依頼は完了した」
「お家ごと持っていけばいいんだよ」
「なんという常識破りの発想……」

今回はほったらかしていたナザリック側の話と王国の話です。
残念ながらネムの出番はありません。



 ナザリック地下大墳墓の最深部、第十階層にある玉座の間。

 この場に集められたのは、至高の四十一人によって創り出された主要な役割を持つNPC達。

 彼らは全員片膝をついたまま、ナザリック最高支配者の言葉を粛々と待っていた。

 

 

「――さて、我らがこの地に転移してから早数ヶ月…… お前達の働きによって、ナザリックは今日まで平穏を保つ事が出来ている。まずはその事に感謝しよう」

 

 

 威厳と優しさの両方を感じさせるモモンガの言葉に反応し、感動で息を呑む音が周囲のシモベからは聞こえてきた。

 

 

「ナザリック最高の智者であるデミウルゴスよ、前へ」

 

「はっ」

 

「今のナザリックは当初の計画通り、順調に事を進めている。だが、将来的な事も見据え、今一度、現在の状況を皆に分かりやすく語れ」

 

 

 頼りになる男を側に控えさせ、モモンガは伝家の宝刀を抜いた。

 とりあえず順調とは言ったものの、実はただの予想である。

 なんなら「当初の計画って何だったっけ?」と、ここ最近ネムとの冒険に夢中だったモモンガは、数ヶ月前の事など完全にうろ覚え状態だ。

 

 

「まずは既に完了した計画からだ。質問がある者はその都度挙手せよ」

 

「畏まりました――」

 

 

 だが、デミウルゴスに色々丸投げした事は記憶にある。何かしらやっているのは確実のはずだ。

 

 

(よし、自然に流れは作れた。後はデミウルゴスに任せればいけるはずだ)

 

 

 モモンガは玉座にもたれながら、後はこのまま話を聞くだけだと、ほっと一息。

 実はこの場はモモンガが支配者としての威厳を損ねないように「今何やってるの?」と、部下に確認するために設けたものだ。

 

 

(こういった会議は定期的にやらないとな。デミウルゴスが今何をやっているのか、正直全然把握しきれてないし)

 

 

 任せた相手がデミウルゴスである以上、大きな失敗をしているとは思っていない。

 流石に何か問題が起こっていれば、デミウルゴスなら自分に報告してきたはずだ。

 ――全ての報告書にちゃんと目を通せている自信はないが。

 

 

(はぁ、部下のプロジェクトも管理出来てないなんて…… 俺、上司として失格だなぁ)

 

 

 仮に何か失敗していたとしても、許可したのは自分である。

 そのためモモンガはよほどの事がない限り、デミウルゴスを責める気は微塵もなかった。

 

 

「――諸君。恐怖公達の働きによって、王国、帝国での情報網の構築が終わった。今後も随時拡大予定だが、人間国家の全ての情報はこれから少しずつ集まってくるだろう」

 

 

 デミウルゴスが今説明しているのは『G情報網』についてのはずだ。

 モモンガは以前になんとなくだが、大量の計画書と共にそのタイトルの資料を見た覚えがある。

 

 

(あー、なるほど。確かに恐怖公の眷属なら見つかっても違和感ないし、諜報員としては最適か。死んでも替えは利くし、コストも大して掛からないからな)

 

 

 情報の精度や伝達方法は気になるが、デミウルゴスが報告してくるくらいだから大丈夫なのだろう。

 

 

「また、皆の協力によって各国の財を秘密裏に奪取し、向こう一年間のギルド維持費を用意する事が出来た!!」

 

「ん?」

 

「短期間に同じ手は使えないが、一時凌ぎとしては十分な成果と言えるだろう」

 

 

 思わず自分が挙手しそうになった。

 ――こいつ、今なんて言ったんだ?

 誰か代わりに質問してくれる者はいないかと、周りのシモベ達の顔を見渡したが、彼らは全員内容を理解しているようだ。

 いきなり自身の想定からは外れた事態である。

 

 

(うわぁ…… 敵対者は出来るだけ作らないようにって伝えてたから、そういう事なんだろうなぁ。バレなきゃ敵は増えないとか、流石はカルマ値マイナスの集団だよ……)

 

 

 この場に集ったNPC達からは、やり遂げましたオーラが出ており、頑張りましたと顔に書いてある。

 モモンガは自身に存在しないはずの胃が、一瞬だけ痛むのを感じた。

 

 

「さらに、半永久的な換金が可能となるアイテムを発見した。とはいえ、あの酒は換金効率が良いとは言えない。一日毎に生み出せるユグドラシル金貨は少量だ…… 今後も同様のアイテム、資源となるものは探し続ける必要があるだろう」

 

(ナザリックを守るために多少の事は仕方ない。でも、お前らいつの間にそんな事してたんだよ……)

 

 

 精神の鎮静化が発動しない――絶妙な驚きの連続で、モモンガは少し焦りが募った。

 これは自分が予想していた以上に、ナザリックの事を把握出来ていないのではないだろうか。

 この会議を開く前に資料にはざっと目を通しなおしたはずだが、膨大な量だったため、かなりの見落としがあるらしい。

 やはり支配者らしいポーズと台詞、判子を押すのだけ上手くなっても駄目なようだ。

 

 

「そして一つ、謝罪しなければならない事もある……」

 

 

 今までの誇らしげな報告から一転。

 デミウルゴスの表情が硬くなり、これから切腹を始める武士のような顔付きに変わった。

 ついでにモモンガの存在しないはずの胃も、再びキリキリと痛み始めた。

 

 

「私は以前、君達にモモンガ様の主なる目的は『世界征服』であると伝えたね。それは間違いだった…… 誠に申し訳ありません、モモンガ様」

 

「は?」

 

 

 土下座する勢いで深く頭を下げるデミウルゴス。

 ――自分の目的がいつの間にか世界征服だと思われていた。そして部下はそれが勘違いだったと気がつき、決死の覚悟で謝罪している。

 うん、これは不味い。思考が追いつかなくなってきた。

 

 

「――あ、いや、許す。お前にはこれまでの数々の功績がある。勘違い程度の些細な失敗など、お釣りが来る程だ。それに損害があった訳でもあるまい?」

 

「ですが私の功績など、今回の失態に比べれば……」

 

「よい。失敗は誰にでもある。重要なのはその失敗から何を学ぶかだ。お前は自らの間違いに気がつき、自分から正そうとしている。その姿勢は素晴らしい事だ。私はその行いを評価しよう」

 

 

 真面目なデミウルゴスの日々の頑張りは、上司として正当に評価すべきだろう。

 ――割と頻繁に主人を押し倒して、謹慎をくらっている妹推しのNPCもいるくらいだし。

 デミウルゴスは成果も十分に挙げているので、その程度は許容範囲内の失敗である。

 ネムの勉強も時々見ているようなので、過労死しないか心配なくらいだ。

 

 

(散々企業に文句を言ってた仲間たちが作ったのに、どうしてみんな社蓄属性が強いんだろう……)

 

 

 というか、ナザリックが全体的にブラック企業すぎて怖い。二十四時間フルで働きたいと望むNPCしかいない。

 ホワイト企業を目指すために、どうにかして休ませる方法を考えなければ――

 

 

「これ程の慈悲を頂けるとは…… ありがたき幸せ。このデミウルゴス、更なる成果をもって、今回の汚名をそそぐ所存でございます」

 

 

 ――なんて、別の事を考える余裕は微塵もなかった。

 なんとかしてこの場を凌がなければならない。

 

 

「うむ。私はお前の全てを許そう、デミウルゴス。皆も異論はないな?」

 

 

 とりあえず大仰に頷きながら、周りにも一応の確認という名の釘を刺す。

 ――主人の意を誤って汲み取った臣下を、慈悲深いモモンガ様は簡単にお許しになられた。

 そんな感動的な雰囲気が場を支配しているが、当の主人は絶賛テンパり中である。

 

 

(世界征服とか、一体どこからそんな話になってたんだよ!? ――ふぅ。あ、危なかった…… 本当に会議を今やっといて良かった)

 

 

 モモンガはこれ以上周りから突っ込まれる前に、上位者権限で強引に話を終わらせただけだ。

 あまり使いたくはないし、褒められた手ではないが、それくらい焦っていたのだ。

 

 

「では、改めてモモンガ様の真意を伝えさせて頂きます。それは――」

 

 

 しかし、精神の鎮静化が発動し、落ち着きを取り戻したのも束の間――

 

 

「――この世界に留まらず、全ての異世界を制覇する事です!!」

 

 

 ――どうしてそうなった。

 間違いを認めたはずのデミウルゴスが、更なる爆弾を投下してきた。

 日本語のはずなのに全く頭に入ってこない。

 

 

(……いせかいをせいはする? 異世界を制覇するだと!?)

 

 

 何故だ。モモンガは本当に心当たりが浮かばなかった。

 にもかかわらず、世界征服よりも計画の規模が遥かに大きくなっている。

 もはや凡人である自分の能力では処理出来ない。完全にお手上げだ。

 

 

「全ての異世界を制覇した暁には、我らがナザリックは真の栄光を取り戻す――」

 

 

 デミウルゴスから発せられたのは、希望に満ちた意味ありげな言葉。

 

 

「――この意味が分からなかった愚か者はいないな?」

 

 

 大きな野望を抱いた悪魔の挑戦的な笑み。

 待ってましたと言わんばかりに、周囲のNPC達は歓喜の表情で頷いた。

 

 

「……え?」

 

 

 ただ一人分からなかった愚か者は、間抜けな声を上げるしかなかった。

 ――表情のないアンデッドで本当に良かった。

 今日の会議の中で、自身の驚いた声が一度もNPC達に聞かれなかったのは奇跡である。

 骨の身でなければもう何度醜態を晒した事かと、自身の種族に心から安堵したモモンガであった。

 

 

(待て待て待て。どうして悪化してるんだよ!? 歴史上の偉人ですらそんな野望持ってなかったぞ。しかもみんな嬉しそうだし、俺にも分かるように教えてくれよ……)

 

 

 おそらく彼らの様子から、既に自分以外にはある程度の情報共有が行われていたらしい。

 つまり、引くに引けない状況。

 もしここでモモンガが間違いだと言おうものなら、デミウルゴスがどれだけ過激な自害を申し出ることか。

 

 

(制覇するって、具体的に征服するのと何が違うんだ? そもそもデミウルゴスは一体何を勘違いして……)

 

 

 それに彼らの喜びようからして、無理やり中止させれば全てのNPCが相当なショックを受ける事だろう。

 ここはさり気なくデミウルゴスの真意を引き出し、計画を修正するなり延期するなり手を打つ必要がある。

 

 

「ふむ。流石はデミウルゴス。よくぞ私の真意を見抜いた。……あの時に気がついたのだな?」

 

「そうでございます」

 

「あ、あの時なんだな?」

 

「そうでございます」

 

(どの時だよ!!)

 

 

 ――誘導失敗。

 返ってきたのは笑顔の肯定のみだ。

 デミウルゴスが何故その結論に至ったのか、モモンガは全く手掛かりを得ることが出来なかった。

 

 

 

(くっ、まだだ!! 勤続十年以上の元営業マンを舐めるなよ!!)

 

 

 しかし、ここで諦める訳にはいかない。

 モモンガはリアルで培った営業マンのトーク術を駆使して、何としても情報を引き出そうと再度会話を試みる。

 

 

「あー、デミウルゴスよ。異世界を制覇するというのは、難しいことだな」

 

「全くもって、その通りでございます」

 

「あれが難題だな」

 

「その通りでございます」

 

「あ、あれも困難だな?」

 

「その通りでございます」

 

(だから詳細を言えよ!!)

 

 

 返ってきたのは満面の笑みだけだ。

 ――こいつ、本当は分かっててやってるんじゃないだろうな。

 モモンガはこの世界に転移した直後以来、初めて彼らの忠誠心を疑ってしまい、不甲斐ない自分を恥じた。たとえそれが一瞬だとしても、主人である自分が彼らを信じないのは間違っている。

 これ程尽くしてくれているNPC達が、自分を裏切る訳がない。

 今も興奮した犬の様に、ブンブンと尻尾を振っているデミウルゴスなら尚更だ。

 

 

「それで…… お前は何を優先すべきだと思う?」

 

「複数のアプローチが考えられますが、まずは拠点に関する研究から始めるべきかと」

 

「そうだな……」

 

 

 モモンガは相槌を打ってみたものの、既に異世界を制覇する事との関連性が分からない。

 拠点の事なんか関係ないだろうとすら思っていた。

 

 

「――故に、私は『ナザリック移動要塞化計画』を提案いたします!!」

 

(い、移動要塞化計画だと!?)

 

 

 悪魔の心地の良い低音ボイスが玉座の間に響き渡り、他のNPC達をこぞって興奮させている。

 ――魔王は部下の心が分からない。

 これが一体感のある空気という物なのだろう。

 そして、これが疎外感という物なのだろう。

 

 

「念のため説明しておくが、全ては当初からモモンガ様がお考えになられていた事だよ」

 

 

 ――計画の責任は俺が取るって言ったけど、そういう事じゃないんだけどなぁ。

 悪魔のこれでもかというオーバーキル。

 より一層強くなる周囲からの尊敬の眼差し。

 モモンガの頭の中は真っ白になった。

 

 

(どこの誰だか知らんが、そのモモンガ様って奴は凄いなー)

 

 

 物理的に刺さってるんじゃないかと思う程の視線に晒されながら、モモンガはぼんやりと考える。

 

 

「これはナザリックの防衛力強化にも繋がる計画です。安全な研究のためには他のギルド拠点を探し出し、サンプルとして確保する必要があります。ですが、それはまだ時期尚早でしょう」

 

 

 賢いと思っていた部下は、一周回って馬鹿なんじゃないだろうか。

 そう、中二病という奴だ。難解な言葉を使いたくなるお年頃なのだろう。

 その証拠に、デミウルゴスは今も訳の分からない呪文の詠唱を長々と続けている。

 

 

「手始めにユグドラシルには存在しなかった技術、知識を現地から収集し――」

 

 

 デミウルゴスの生みの親は中二病の化身みたいな男だったし、きっとそうに違いない。

 

 

(蛙の子は蛙か。ウルベルトさんも魔法を放つ時の詠唱にはこだわってたもんなぁ……〈大災厄(グランドカタストロフ)〉を撃つ時なんか、特に長かったし)

 

 

 止まらない悪魔の熱弁。

 自身に突き刺さる期待感。

 繰り返される精神の鎮静化。

 

 

「今後の作戦の候補としては、『ATM』、『フェイクドラゴンロード』などを予定しております」

 

「うむ。期待しているぞ」

 

 

 モモンガは玉座に体を預けつつ、姿勢だけは支配者らしさを維持し続けていた。

 この精一杯の演技が、自分に残された唯一の防波堤である。

 しかし、それも気を抜けばあっさりと崩れてしまいそうな、非常に危ういものだ。

 

 

(落ち着け、落ち着くんだ俺。素数を、いや、ネムを思い出すんだ)

 

 

 モモンガは小さな友の姿を思い浮かべ――現実逃避――もとい、ゆっくりと心を鎮めようとする。

 

 

『――モモンガなら出来るよ!!』

 

 

 いや、どう考えても無理だろう。

 概要も分からない作戦名とかバンバン出てきてるし。本当に自分が承認した内容であるのかすら自信がなくなってきた。

 うん、これは手遅れというやつだ。

 

 

(今度は冒険じゃなく、普通にナザリックに招待してネムと遊ぼうかな……)

 

 

 最低限ナザリックの仲間達が無事であり、ギルドを維持出来ればそれでいい。

 自分より遥かに賢いデミウルゴスなら、きっと上手くやってくれるはずだ。

 

 

「お任せください、モモンガ様。まずは三年以内に、資金問題は完璧に解決して見せましょう」

 

(もう何やらかすのか確認するのも怖いな。はぁ、癒しが欲しい……)

 

 

 偉大なるナザリックの主人は考える事をやめた。

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国の首都にある王城――ロ・レンテ城。

 歴史を感じさせる円形の城壁に囲まれた、王都の最奥に位置する城である。

 国王のランポッサ三世を始めとし、第三王女であるラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフなどの王族のための住居だ。

 

 

「そろそろ来てくれるかしら……」

 

 

 美しい月が夜空を彩る時間帯。

 自室の窓を大きく開け放ちながら、ラナーはある存在が現れるのを待っていた。

 

 

(あちら側も私という存在には気付いているはず。後は最初の接触の際に、どれだけ自分の能力をアピール出来るか)

 

 

 ――可愛い子犬を永遠に鎖で繋いで飼いたい。

 ――愛する者と二人だけの世界を完成させたい。

 そんな自身のささやかな夢を叶えられる力を持つであろう存在を。

 

 

(初めて表に出たのは辺境の村。最近は各国で資源の収集を行っていた。つまり集団で動いているのは確定。組織力はかなりの高水準。軍事力は最低でも帝国の二倍はあるはず。これまでの行動から導き出される彼らの目的は――)

 

 

 自身が城の外に出る事はなくとも、貴族がスパイとして利用している使用人や、偶に会いに来る便利な冒険者から、自然と多くの情報は集まってくる。

 一つ一つが些細な情報でも、それらを正しく繋ぎ合わせ、真実を見極める事は自分にとって難しくはない。

 

 

(――王国と帝国の支配)

 

 

 ラナーは自身の辿り着いた答えが正解だと、確信めいたものを持っていた。

 そして、自分の能力が十分交渉材料になりうると判断していた。

 

 

「……やれやれ。下等生物のする事は理解に苦しみますね」

 

 

 開けていた窓の側に、唐突に何者かが降り立った。

 月明かりが逆光となっているが、その姿形はハッキリと見えている。

 

 

「――御方の持ち物である夜空に向かって何を願う、人間?」

 

 

 仮面で顔を隠しているが、発せられた声は一般的な人間同様に聞き取れる。

 その体型は成人男性に酷似しており、服装も赤いストライプのスーツと、珍しくはあるが一見すると普通の男性にも思える。

 しかし、その背にある蝙蝠の様な皮膜付きの羽と、腰の辺りから生えた銀色の尻尾が人ではない事を証明している。

 自身の持つ知識から判断するに、おそらく亜人種ではなくモンスターの類――上位の悪魔だろう。

 

 

()()()()()()()()()()

 

 

 目の前に現れた人外に向けて、ラナーは落ち着いてお辞儀をした。

 人ではない存在に通じるかは分からないが、理知的な雰囲気を感じさせる笑みも浮かべて見せた。

 並大抵の男なら間違いなく好意を抱く、とびっきり魅力的な表情のはずである。

 

 

「君が随分とわざとらしくメッセージをばら撒くものだから、一度だけ確認しておこうと思ってね。えらく自信があるようだしね」

 

 

 だが、目の前の存在にはまったく通用しなかったようだ。性別は男性だと思うが、相手の声に動揺は見られない。

 

 

「わざわざお越しいただき感謝いたします。お時間を取らせるのも申し訳ないので、早速本題に入りますね」

 

 

 国内外に向けて発信した政策などから、目の前の人外は自分の意図を正確に読み取った。

 少なくとも彼らの仲間の内の誰かが、自分の意図を完璧に看破した。

 だからこそ自分に接触しに来たのだろう。

 

 

「この国の全てを献上いたします。代わりに私のささやかな願いを叶えて欲しいのです。その方法として私は――」

 

 

 勝負はここからだと、ラナーは脳をフル回転させて売り込みを始めた――

 

 

「――そして、貴方達は王国を手に入れる。もちろん王国の掌握が完了した後も、可能な範囲で私もお手伝いさせていただきますわ」

 

 

 時間にして五分ほど。

 ラナーは自分の力が必要かつ、簡単に王国を手に入れられる方法を説明した。

 こちらが話している間、目の前の人外は時折相槌を打ちつつも、静かに聞いているだけだった。

 

 

(この提案が理解出来ない愚者じゃなくて良かった…… それに反応も悪くなかった。これならいける!!)

 

 

 初めて対峙する自身と同等の知能を有する存在。恐ろしくもあるが、自分の能力をアピールする相手としては申し分ない。

 

 

「悪くない案だと思いますが、どうでしょうか?」

 

「……なるほど。君の言いたい事は理解しました」

 

 

 確実にメリットを、自分の価値を伝えることが出来たはずだ。

 ラナーは相手の了承の返事を想像し、僅かに口角が上がりそうになり――

 

 

「期待外れですね」

 

 

 ――しかし、返ってきたのは落胆だった。

 

 

「……え?」

 

「所詮はその程度ですか。まぁ、あの子のような逸材は滅多にいないと分かってはいましたがね」

 

 

 確かな手応えを感じていただけに、ラナーは動揺を隠しきれなかった。

 

 

「な、何が足りないのでしょうか。王国を手に入れるのに、これ以上の作戦はないと思うのですが……」

 

「君の作戦はある程度の頭があれば、当たり前に到達する考えだ。言い換えれば、私でも似たような事は出来ます。――君の知恵程度、我々にとって希少でも何でもない」

 

 

 ありえない。

 これまで絶対の自信を持っていた自身の頭脳が、とるに足らない物だと一蹴された。

 自分の考えを理解できない周りの愚物にではなく、自身と同等の知能の有する目の前の存在にだ。

 

 

「君の作戦は効率的ではあるが、特に驚くような発想もありません。可能性も魅力も感じない。ましてや、至高の答えには到底届いていませんね」

 

 

 この言い方は虚勢ではない。

 この智者は知っているのだ――自身の遥かに上をいく智謀の持ち主を。

 仮面で顔が見えなくても分かった。これは完全に嘲笑されている。

 

 

「そもそもですが、君は我々が望む物を履き違えている」

 

 

 分からない。

 自分は一体何を読み間違えた。

 どこで判断を誤った。

 

 

「そんな…… 貴方達は王国を、帝国を手に入れるために動いていたのではないのですか?」

 

「籠の中の鳥というのは視野が狭いですね。国の一つや二つ、我々にとっては御方が望めば即座に献上出来る程度の価値しかないよ」

 

 

 分からない。

 どうすればいい。

 どうすればこの状況を切り抜けられる。

 

 

「まったく、無駄な時間を取らせてくれたお礼はどうしましょうか。おっと、そろそろ君の大事な子犬とやらが来る時間かな?」

 

「っ!?」

 

 

 分からない

 怖い。恐い。コワイ。

 とるに足らないと断じた自分の弱みを、相手は完全に調べてきている。

 

 

「君はこの国を肥え太らせなさい。私達が資源を奪うに値する国であり続ける限り、君と君の可愛い子犬の命は保証してあげよう」

 

「あ、あぁ……」

 

「それすら出来ないのなら、この国にはなんの価値もありはしない。――君自身にもね」

 

 

 黒い何かが相手の影から飛び出し、自分の影に入り込むのが見えた。

 目の前の人外は知能を抜きにしても、圧倒的に強者のはずだ。

 それなのに――

 ――相手を完全に下等生物と見下して尚、油断や慢心が微塵も感じられない。

 

 

「ああ、そうそう。最後に私の名前を教えてあげよう。私の名はヤルダバオト、しがない悪魔だよ」

 

 

 力の差を見せつけられた上で、一方的に要求を呑まされた。まさに悪魔の所業だ。

 許さない。こいつは自分とクライムの両方を馬鹿にしている。自分とクライムの世界を壊しかねない存在だ。

 目の前の悪魔はいつか絶対に消してやる。どんな手を使っても。

 殺す。殺す。絶対に、殺して――

 

 

「君のお友達に私の討伐を依頼してみるかい? ――『蒼の薔薇』程度の実力じゃ、何百チーム集めても無駄だがね」

 

 

 ――ふざけるな。

 弱者に対して油断しない強敵など、悪夢以外の何者でもない。

 その上で人類最高クラスの強者――アダマンタイト級の冒険者を敵とすら思っていない。

 

 

(これが敗北……)

 

 

 飛び去っていく悪魔をぼーっと眺めていたが、根本的な解決策が何も思い浮かばない。

 ラナーは生まれて初めて、完全な敗北というものを味わっていた。

 何も、本当に何も出来なかった。

 

 

「クライム、クライムとの生活だけは守らなきゃ……」

 

 

 今の自分に出来るのは、悪魔の望む通りに働き、死なない様に立ち回る事だけだ。

 悪魔が去ってから数分と経たず、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。

 

 

「――夜分遅くに失礼いたします。……ラナー様? ラナー様っ!? ど、どうされたのですか!?」

 

 

 クライムが部屋に入ってくるのと同時に、ラナーは膝から崩れ落ちてみせる。

 駆け寄って来たクライムに抱きつき、その慌てぶりにほんの少しだけ落ち着くことが出来た。

 

 

「クライム…… 貴方はずっと私の側にいてくれますか?」

 

「ラナー様? ……はい。勿論です。私の忠誠は永遠にラナー様お一人に捧げております」

 

 

 少年の体に腕を回して抱きつく少女。

 クライムが抱き返してくれない事に、ラナーは僅かに不満を感じる。

 しかし、改めて決心もついた。まだ自分は死ぬわけにはいかないと。

 

 

「ありがとう、私のクライム……」

 

 

 クライムからは見えていないその表情――ラナーの瞳は、どろりと暗く濁っていた。

 

 

 

 

おまけ〜救国の魔女〜

 

 

「お兄様、単刀直入に言います。王になってください」

 

「はぁ?」

 

 

 朝早くから腹違いの妹に呼び出された第二王子、ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフは、いきなり冷や水をぶっかけられた気分だった。

 

 

「妹よ、何の冗談だ?」

 

「冗談ではありません。この国はとんでもない存在に目を付けられました。早急に国全体の生産性を上げなければ滅びます」

 

「なんだと!?」

 

 

 ザナックはラナーが用意した紅茶にこれでもかと角砂糖をぶち込み、それを一息に飲んで一旦気持ちを落ち着かせた。

 

 

「……『八本指』が大きく動くのか?」

 

「そんな小悪党ではありません。彼らは文字通りこの国を滅ぼせる化け物です」

 

「化け物のお前がそこまで言う相手か」

 

 

 妹の冗談とは思えない様子に、思わず吐き気がこみ上げてくる。

 あの『八本指』を小悪党と言い切れる相手、どれほどの化け物だというのだ。

 

 

「彼らは資源を望んでいます。だから直ぐにでもこの国を豊かにしなくてはならないのです」

 

「国を豊かにしたいという願いが、ここまで汚く聞こえたのは初めてだよ。つまりこの国はそいつらにとっての牧場か」

 

「はい、その通りです」

 

 

 ニッコリと笑う妹の笑顔に、これ以上ない程の寒気を感じる。

 この国の未来が真っ暗だと思うと、本当に頭が痛くなってきた。

 

 

「もう一人の兄はどうするつもりだ? あんな馬鹿でも第一王子だぞ」

 

「バルブロお兄様の事なら心配いりません。数日以内に()()()しますから」

 

 

 これが『黄金』と称えられる王女の素顔とは、我が妹ながら恐ろしい。

 その顔を直視しているだけで、吐き気も頭痛も酷くなってきたように感じる。

 

 

「……分かったよ。お前の話に乗ってやる。どの道この国を存続させるには、表向きだけでも豊かにしないと無理なのだろう?」

 

「ご理解頂けたようで安心しました」

 

 

 ザナックは元より王位を狙っていた。

 だがそれは権力欲といった野心ではなく、兄が王になったらこの国は終わりだと思っていたからだ。

 

 

「ふんっ、断ったら俺も数日後には事故死してたんだろうが」

 

「そんなまさか――」

 

 

 国を守るために嫌々妹の手を取る事を決心したザナックを、クスクスと笑うラナーのどろりと濁った瞳が射抜く。

 

 

「――今、死んでもらうつもりでしたよ?」

 

「え?」

 

「断られなくて本当に良かったです。お兄様、これをお飲みください。解毒薬ですよ」

 

 

 ザナックは差し出された薬をひったくると、急いで口の中に流し込む。

 吐き気や頭痛は治ったが、寒気だけは変わらなかった。

 

 

「お、お前……」

 

「さぁ、お兄様。一緒にこの国を豊かにいたしましょう――」

 

 

 ――数日後、リ・エスティーゼ王国の第一王子の訃報が国中に広まった。

 死因は落馬による転落死であり、誰がどう見ても疑う余地の無い、完璧な事故死であったそうだ。

 息子の死に心を痛めたランポッサ三世は体調を崩し、そのまま王位を第二王子であるザナックへと譲った。

 

 

「誇り高きリ・エスティーゼ王国の民たちよ。私はここに新たな王として宣言する。私の目的はただ一つ、この国を豊かにし、お前たちに安寧をもたらそう!!」

 

 

 王となったザナックは精力的に働いた。

 各派閥の私利私欲の混じった思惑には一切乗らず、ただひたすらに国を豊かにする政策を実現し続けた。

 税率は下げたが、産業の効率と生産性を向上させ、結果的に全体から取れる税収の総額を増やして見せた。今後も農業の収穫量など、全てにおいて増えていく見込みだ。

 

 

「この国には化け物が潜んでいるからな…… 生きるため、国を豊かにするためには休めんよ」

 

「ええ、その通りですね。お兄様」

 

 

 そしてそんなザナックの参謀として、知恵を貸していたのが妹のラナーである。

 国は見違えるように良くなったはずだが「化け物が潜んでいる」――この言葉は王となったザナックの口癖となっていた。

 

 

 

「お兄様、それ以上太られては早死にしますよ? 今死なれると私がクライムと過ごせる時間が減るので、健康には気をつけてください」

 

「数少ない私の楽しみなんだ。食事くらい自由にさせろ。それに取られる以上に増やせばいいと言ったのはお前だろう」

 

「それは国を豊かにする話であって、食事の話ではないのですが…… それにお兄様の食べ物は誰にも取られてませんよ」

 

「食べ物の代わりに神経をすり減らしているんだよ。どっかの化け物のせいでな」

 

「あらあら、可哀そうなお兄様。紅茶でも飲んで落ち着かれてはどうですか?」

 

 

 

 働き詰めのストレスの影響か、前から豚のように太っていたザナックだったが以前にも増して食事をとるようになった。甘い物に至っては仕事中、ほぼ常に食べ続けている程だ。

 しかし、逆に一切口にしなくなった物もある。

 

 

 

「――紅茶など二度と飲むものか」

 

 

 元々ザナックは紅茶を好まなかったが、もてなしに出された際はマナーとして飲んでいた。

 しかし、彼は王となってから、一度も紅茶と角砂糖を口にしなくなったそうだ。

 

 

 




モモンガ様とデミウルゴスの「あの時だな?」「そうでございます」のやり取りが非常に好きです。
ラナーはプレゼンに失敗したので、ナザリックのために無償で働くことに。比べられる相手が悪かった……
ネムのおかげでデミウルゴスの人間に対する慢心が消えているので、ラナーは付け入るスキすら見つけられないほぼ詰みの状態です。
なのでザナックと二人で頑張って国を豊かにしてくれてます。




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お友達からのご招待

前回のあらすじ

「ナザリック移動要塞化計画だと!?」
「一つ目のATMゲットです。やはりネム様程の人間は中々いませんね」
「悪魔との交渉に失敗しました……」
「妹に毒を盛られた」

今回はエモット姉妹のほのぼの回です。


 エンリ・エモットにはある疑問があった。

 それは妹が日頃からお世話になっている――自分達家族や村の大恩人でもある――モモンガについてだ。

 

 

「モモンガの住んでるとこは広いんだよ。今日はね、一緒に家の中で雪合戦をしたの!!」

 

「へぇ、雪かぁ。楽しそうだね」

 

「うん、冷たくて楽しかったよ。かまくらは作ってないけど、元からいっぱいあったよ」

 

(アゼルリシア山脈の近くに家があるのかな。――あれ、家の中? 近くの間違いだよね……)

 

 

 ネムはモモンガと一緒に冒険者として活動するだけでなく、時々モモンガの家に招かれている。

 そして、帰って来たらその日の出来事を、いつも楽しそうに語ってくれていた。

 しかし、仕事の合間や寝る前などに話す事が多いため、そう長い時間聞いてあげられる訳でもなかった。

 

 

(ごめんね、ネム。お父さん達も私も、ちゃんと時間を作ってあげられなくて……)

 

 

 あの事件以来すっかり『いい子』になってしまい、家族に甘える事のなくなった妹。

 それどころか家族の役に立とうと無理をしている雰囲気があり、我が儘も弱音も言わなくなった。

 たとえ夜中に悪夢で魘されても、一人でじっと我慢していた事があったくらいだ。

 だが幸いと言うべきか、そんな妹にもモモンガという心の支えがある。甘えるのとは少し違う感じだが、モモンガに対しては友達として気兼ねなく接する事が出来ているようだ。

 

 

「モモンガの家にはね、森があるんだよ。こんな太くておっきな木があって、その中がお部屋になってるの!!」

 

「木がお家になってるんだ。見てみたいかも」

 

「素敵な家だったよ。あと、大っきい犬? 狼かな? とにかく、モフモフしたのも沢山いたよ。アウラお姉ちゃんが飼ってるのを見せてもらったんだ」

 

「ペットが飼えるなんて、やっぱりモモンガさんの家は裕福なんだね」

 

「住んでる場所はお友達と一緒に作ったって言ってたけど、たぶんお金持ちだとは思うよ?」

 

(……あれ、家に森がある? 森に家があるの聞き間違いだよね。ログハウスでも建ててるのかな。森に住むなんて危なそうだけど……)

 

 

 今はまだ村の復興に忙しく、両親も自分も日中はあまり構ってやれない。

 ネムが冒険に行っている日もあるので、落ち着いて話せる時間は本当に限られている。

 しかし、モモンガとの出来事を話す時、妹は屈託なく――家族を気遣うために見せる作られた笑みではない――笑っている。

 その時だけは以前の天真爛漫なネムに戻っているようで、両親も自分も嬉しく思っていた。

 

 

「今日はね、モモンガの家の湖を見せてもらったの」

 

「良かったね、ネム。私は湖って見たことないなぁ――ん、家の?」

 

「凄かったよ。この家より大っきなゴーレムさんが沈んでたの!!」

 

「ゴーレム!?」

 

 

 ――だが、話の内容が理解出来ない。

 より正確に言えば、ネムの話す内容が毎回変わっていて、モモンガの家がどんな所かイメージ出来ないのだ。本当に謎の多い方である。

 

 

(……家の湖って言い回し、よく考えたら変じゃない? なんかおかしくない? 家より大きいゴーレムってどういう事!?)

 

 

 モモンガの人柄を考えると、ネムに危険が及ぶような事はしていないと思うが、一体どんな様子で遊んでいるのだろうか。

 今のところ分かっているのは、大きな家である事。大自然に囲まれていそうな場所にある事。沢山の部下と一緒に住んでいる事くらいだ。

 

 

「――ねぇ、ネム。モモンガさんってどんなところに住んでるの?」

 

 

 村の復興も僅かながら軌道に乗り、少しだけみんなの心にも余裕が出来てきた頃。

 迷いに迷ったエンリはある日の午前中、自分からストレートに聞いてみた。

 

 

「うーん、お城?」

 

「お城!?」

 

「でもお城じゃなくて、お墓だって言ってたかな」

 

「お墓!? ――あ、そっか。モモンガさんってアンデッドだから?」

 

 

 エンリはモモンガの正体が骸骨であるという事実を久しぶりに思い出した。

 それを意識しないのも無理はない。村で見かける時は肌の見えない全身鎧かローブ姿であり、ネムと話している様子も非常に人間臭い。

 エンリがちゃんとモモンガの素顔を見たのは、初めて会ったあの日くらいのものだ。

 

 

「どうだろう? 外からだとお墓には見えなかったよ。近くに倉庫みたいなログハウスもあったかな」

 

「ふーん、案外普通な感じなのかな」

 

 

 しかし、アンデッドだから墓地に住んでいるというのは普通なのだろうか。

 以前に聞いた時はキラキラした城だと言っていた気もするが、流石にそれは妹が夢で見た事と混ざっているのだろう。

 

 

「今日も雑草いっぱいかな?」

 

「この時期はすぐ生えてくるからね。栄養が取られないようにしっかり抜かないと」

 

 

 ネムは用事の時間まで仕事を手伝うと言い、エンリと一緒に畑に向かっていた。

 ――その途中、見覚えのある闇が突然二人の目の前に現れた。

 

 

「――ネム、迎えに来たぞ」

 

 

 真っ黒な穴から出てきたのは、素肌を完全に隠す格好をしたモモンガ。

 エンリも慣れてはきたが、地味に心臓に悪い登場方法だ。

 

 

「おはよう、モモンガ!!」

 

「おはよう、ネム。エンリも一緒か。二人で何を話していたんだ?」

 

 

 どうやら今日はネムと約束があったらしい。

 最近は冒険やら遊びやらで良く来るので、今日もと言った方が正しいかもしれない。

 

 

「お姉ちゃん、モモンガの家が気になるんだって」

 

「そうなのか? なら丁度いい。今日はエンリも一緒に、我がナザリックに招待しよう」

 

「い、いえっ!! 私には家の仕事もありますので――」

 

 

 実はアンデッドだという事を忘れてしまうくらい、モモンガは穏やかで気さくな方だ。これも社交辞令ではなく、本心からのお誘いだろう。

 けれど、流石に家にいきなり行くのは悪いと思い、エンリは断ろうとした――

 

 

「――エンリ、折角のご好意だ。仕事は私に任せて行ってきなさい」

 

「そうよ、エンリ。今日くらいお父さんと二人でも何とかなるから。偶にはネムと一緒に過ごしてきなさい」

 

「ちょっと、二人ともどこから聞いてたの!?」

 

 

 ――が、一足先に畑仕事に向かったと思っていた両親がいきなり口を出してきた。

 二人は当たり前のようにモモンガと笑顔で挨拶を交わしているが――偶然忘れ物でも取りに戻って来ていたのかもしれないが――まるで示し合わせたかの様なタイミングの良さだ。

 

 

「今さっきだよ。今年は徴兵もないから少し余裕があるし、本当に問題ないぞ」

 

「お父さんの言う通りよ。最近は税も軽くなったしね」

 

「でも……」

 

 

 それにしても、両親が異様に乗り気なのは不思議である。

 むしろ両親の性格なら、迷惑を掛けないように止める方だと思っていた。

 

 

「エンリにも予定はあるだろうし、無理にとは言わないが…… まぁ、日を改めて招待しても、私は一向に構わないぞ」

 

「無理しないでもいいよ、お姉ちゃん。帰ったらまた教えてあげるね」

 

 

 モモンガの隣で笑っているネムの顔が、一瞬だけ曇った気がした。

 ――そうか、両親は普段寂しい思いをさせているネムのために言ってくれたんだ。

 仮面で表情は読めないが――無くても骨だから分からないけど――モモンガもそれを分かっていて、自分の事も誘ってくれたのだろう。

 

 

「……モモンガさん、やっぱり私もお言葉に甘えていいですか?」

 

「ああ、もちろん歓迎するよ」

 

「やったー!!」

 

 

 妹がとても喜んでいる。

 恩人であるモモンガの家に行くのは少し緊張するが、これで良かったのだろう。

 妹とゆっくり過ごすのは久しぶりだし、モモンガ達に改めて御礼を言う良い機会でもある。

 そのまま笑顔のネムと手を繋ぎ、姉妹揃ってモモンガの家に招待される事になった――

 

 

「――ここがモモンガのお家だよ、お姉ちゃん」

 

「ようこそ、我がナザリックへ」

 

「……え?」

 

 

 モモンガの魔法で転移を何度か繰り返し、瞬く間に辿り着いたナザリックと呼ばれる場所。

 ――これは本当に『大きな家』程度で済まされる物なのだろうか。

 エンリは今、妹に騙された気持ちでいっぱいだった。

 もしかしたら夢を見ているのかもしれないと、自分の意識すらも疑った。

 

 

「あは、あはは……」

 

 

 緻密な彫刻が彫られた巨大な扉が開き、妹に手を引っ張られながらその先へ一歩ずつ踏み出していく。

 モモンガから「ここは第十階層にある玉座の間だ」と告げられたが、もはやエンリの耳には届いていなかった。

 目の前に広がる常識を超えた光景に、エンリは引きつった笑いしか出てこない。

 

 

「あはははは…… こ、これは夢。夢なんですね……」

 

「夢じゃないよ、お姉ちゃん。ほっぺた引っ張ってあげようか?」

 

 

 一糸乱れぬタイミングで聞こえてきた「いらっしゃいませ」の挨拶。

 出迎えてくれたのは一人一人が美し過ぎる容姿を持った、何十人ものメイド達。

 磨き上げられた大理石のような床の上には、豪華な真紅の絨毯が敷かれている。

 そして高過ぎる天井を飾るのは、幾つもの旗と光り輝く高級そうなシャンデリア。

 

 

(ネムのばかぁぁぁあ!! 言ってた事と全然違うじゃない!?)

 

 

 エンリは泣きそうになった。

 自分はちょっと大きなログハウスに行く程度の心積もりだったのだ。

 森や湖などの自然に囲まれている場所を想像していたのだ。

 

 

(どうしよう…… 私、いつもの普段着なんだけど……)

 

 

 断じて、決して、絶対に、こんな神域に招待されるつもりではなかった。

 これならお墓に連れて来られた方が、まだ精神的にマシだったかもしれない。

 

 

「凄いでしょ、凄いでしょ!! もしお姉ちゃんがモモンガのお嫁さんになったら、きっとすっごい玉の輿だよ」

 

「ちょっとネムっ、何を言ってるの!?」

 

「モモンガは優しいし、すっごく優良物件だと思うけどなぁ」

 

「あっはっは、ネムは難しい言葉を知っているんだな。もしそうなったらネムは私の義妹だな」

 

 

 エンリはニタニタと笑う妹に、小さな角と尻尾が生えている姿を幻視した。

 ――小悪魔だ。

 我が妹ながら、とんでもない事を口走ってくれた。

 機嫌良さそうに話している二人は気付いていないのか、それとも自分にだけ向けられているのか。

 ネムが冗談を口にした瞬間から、自分は恐ろしい何かに見られているような気配を感じている。

 

 

(ネム、その冗談は不味かったんじゃないかな……)

 

 

 エンリは恐怖で背筋がピンと伸びていた。

 笑顔で控えているメイドからの視線ではない。獲物を狩るハンターの如き視線に、どこからか狙われている気がする。

 おそらくは嫉妬。それも殺気と思ってしまう程の凄まじい密度の嫉妬心だ。

 不幸中の幸いなのは、モモンガが先程の言葉をちゃんと冗談だと受け取ってくれている事だろう。

 

 

「――さて、立ち話はこれくらいにして、次は第九階層の娯楽施設に案内しよう」

 

「あ、あのっ!! やっぱり私はそろそろお暇させていただきます。え、えっと、私着替えてなくて、働いていたので汚れてて、今も汗臭いかもしれませんし!!」

 

 

 年頃の乙女としては最低の言い訳だ。

 だが、これはある意味まるっきり嘘という訳でもなかった。

 さっきから冷や汗が止まらず、服が湿って体に張り付いている。

 それに今着ている服もあまり綺麗な物とは言えず、こんな場所をこの格好のまま歩くのは自分の精神が耐え切れない。

 高そうな調度品を汚したらと思うと、さっきから気が気ではないのだ。

 

 

「あー、失礼。それは申し訳ない事をした。女性に身支度をする暇も与えずに連れてくるなど、配慮に欠けていたな……」

 

「いえいえ、お気になさらないで下さい」

 

 

 モモンガが紳士的なアンデッドで本当に良かった。これで何事もなく村に帰れる。

 ――ごめんね、ネム。

 妹を一人で置いていくのは心配だが、あれだけ仲良しで何度も来ているなら今回も大丈夫だろう。

 

 

「……お姉ちゃん、帰っちゃうの?」

 

「あはは…… 流石にこんな格好じゃね」

 

「ふむ。それなら――」

 

 

 ネムの顔を見て申し訳なく思ったが、エンリは既にこの家から退散する決意を固めていた。

 妹と過ごす時間は、また別の機会に作ろう。

 妹がお世話になっている事も含めて、恩人であるモモンガ達へのお礼などは、また日を改めてからしっかりとしよう。

 少なくとも私の心の準備が出来てから――

 

 

 

 

 辺りに立ち込める温かい空気と白い湯気。

 室内なのに開放感すら感じられる、豪華で広々とした空間。

 水気を帯びた床は石材が敷き詰められ、上質な桶や椅子が幾つも並べて置かれている。

 そして見た事もない巨大な浴槽に、なみなみと張られた綺麗なお湯。

 

 

「……なんで?」

 

 

 エンリは一糸纏わぬ生まれたままの姿で、ナザリックの大浴場に立ち尽くしていた。

 もちろんタオルは手に持っているが、体を隠そうとする羞恥心すら驚きで抜け落ちていた。

 まぁ妹と二人っきりなので、そこまで気にする必要性がないという理由もあるが。

 

 

「お姉ちゃん、こっちだよ」

 

「あ、うん」

 

 

 エンリは同じく裸の妹に手を引かれながら、先程のやり取りを思い出す。

 

 

『ふむ。それならうちの大浴場にネムと一緒に入ってくるといい。ネムも興味があっただろ?』

 

『すぱりぞーとなざりっくの事だよね!! いいの!?』

 

『ああ、姉妹でゆっくり寛いでくるといい』

 

『やったー!! ありがとう、モモンガ!!』

 

『ふふ、風呂は良いものだぞ。私も大好きでよく入るからな』

 

 

 ――いやいや、どうしてこうなるの。

 お風呂というのは、開拓村などに住む一般的な平民にはあまり縁のない物である。

 カルネ村ではお湯を沸かすのも大変なので、普段は濡れた布で全身を拭く程度なのだ。

 

 

(あれだけのお湯を沸かそうと思ったら、どれだけ薪が必要なんだろう……)

 

 

 エンリは諸々の手間や燃料にかかる費用を頭に浮かべ、怖くなって途中で考えるのをやめた。

 自分達は圧倒的にお世話になっている立場であり、手厚くもてなされる身分でもない。こんな豪華なお風呂に入るなど予想外だ。

 ――ここに来てから予想通りだった事など、ただの一つもないが。

 モモンガは快く勧めてくれたが、本当に自分なんかが使っていい物なのだろうか。

 

 

「まずはここで全身を綺麗にして、その後でお湯に浸かるんだって」

 

 

 ネムが蛇口をゆっくりと捻ると、備え付けられたシャワーから心地良い温度のお湯が雨のように降り注いだ。

 ――なんて贅沢な設備なんだろう。

 妹もここを使うのは初めてのようだが、以前モモンガに色々と使い方を教えてもらったらしい。

 

 

「先に私が洗ってあげるね」

 

「ありがとう、ネム。でも本当にいいのかな? 私達が使っても……」

 

 

 ネムの提案は正直ありがたかった。

 自分では使い方が分からない物だらけだし、知らずに壊したらと思うと手が震えて触れない。

 

 

「いいの、いいの。甘えてばかりはダメだけど、好意は素直に受け取った方がいいよ? モモンガもその方が喜ぶよ」

 

「ふーん…… そういう物なのかな。ネムはモモンガさんの事、よく知ってるんだね」

 

「友達だもん。それに変に遠慮したら、モモンガも寂しい顔になるよ」

 

「顔は変わらないんじゃないかな……」

 

 

 意外な話――という程のものでもないのかもしれない。

 ネム曰く、モモンガは友人と作り上げたこのナザリックという場所を誇りに思っており、それをネムに披露するのが好きらしい。

 今までは周りが敵だらけで見せる相手もおらず、モモンガ達は異形種の集団故、お客さんもほぼ来たことがなかったのだとか。

 色々作り込んでみたものの、ほとんど使う機会がなかった施設も多いと話していたそうだ。

 

 

「かゆい所はない?」

 

「うん、大丈夫」

 

 

 エンリは妹にされるがまま、頭からつま先まで全身をピカピカにされた。

 使っている石鹸が高級なのか、既に自分達の体からは良い匂いしかしない。

 

 

「あっ、凄い。髪もサラサラになってる」

 

「しゃんぷーのおかげだよ。モモンガは髪がないから上手く説明できないって言ってたけど、髪専用の石鹸なんだって」

 

「へぇー」

 

「あとはこんでぃしょなーの効果だって。私もちゃんとは知らないけどね」

 

 

 自身の髪に指を通すと、一切の引っ掛かりがなくなっていた。頭髪の隅々まで潤いを取り戻し、傷んでいた髪の一本一本が元気になったように感じる。

 流石専用の石鹸。凄い効果だ。

 

 

「ふわぁぁ…… このお湯、良い匂いだねぇ」

 

「そうだねぇ」

 

 

 黄色い果実が浮かんだお湯にゆっくりと浸かり、姉妹揃って緩み切った表情をしていた。

 お湯から漂う柑橘系の香りが、とても爽やかな気分にさせてくれる。

 

 

「ああぁぁ、疲れが溶けていく……」

 

 

 最初は自分が入る事でお風呂を汚してしまわないか不安で、端の方に小さく縮こまっていた。

 だが、段々とお湯に浸かる気持ち良さに負けてしまい、しっかりと足を伸ばして堪能してしまった。

 

 

「お風呂って、こんなに良いものだったんだぁ……」

 

「お姉ちゃん、他にも色んな種類のお風呂があるんだってさ」

 

「じゃあ、後でそっちも行ってみよっか」

 

 

 エンリはゆっくりと息を吐きながら、湯船の中で全身を伸ばした。

 温かさが体にじんわりと染みてきて、体中の筋肉がほぐれていく感覚がする。

 ――うん、この快感には誰も抗えない。

 普通のアンデッドが風呂を好むのかは知らないが、モモンガが大好きだと言った理由もよくわかる。

 

 

「こっちのお湯も気持ち良い……」

 

「よく分かんないけど、光ってて凄いお湯だね」

 

 

 普段は働いている太陽も高い時間から、この超がつく贅沢行為。

 数種類のお風呂を楽しむなんて、貴族でも簡単には出来ないのではないだろうか。

 自分は歴とした平民だが、まるでどこかのお姫様にでもなった気分だ。

 

 

(食べ物をお湯に浮かべるなんて、モモンガさんはどれだけお金持ちなんだろう…… ま、いっかぁ)

 

 

 すっかり色んなお風呂を堪能して、身も心も完全にリラックスしてしまった。

 エンリは緊張が緩み切っていたのだろう。

 ――そう、完全に油断していた。

 脱衣所に戻ると脱いだ服がなくなっており、メイドに新しい服を渡されても、エンリはさほど考える事なく袖を通した。

 

 

「では、そのままこちらへどうぞ。先程の服はお帰りになる際にお返ししますね」

 

 

 見た目はそれほど華美ではないが、渡された服は肌触りが良くて着心地も最高だ。

 そういった魔法が掛かっているのか、サイズも自分達にピッタリである。

 

 

「気持ちよかったね、お姉ちゃん」

 

「そうだね、ネム」

 

 

 エンリとネムは二人でお揃いの服を着たまま、少し緩んだ笑顔でメイドの後についていった。

 磨き上げられた廊下を歩いていると、エンリは段々と体の火照りが冷めてきた。

 

 

(――あれ? 私、何しに来たんだっけ。よく考えたら、今とんでもない経験してるんじゃ…… というか、私まで更にお世話になってどうするの!?)

 

 

 ついでに冷静な思考も戻ってきた。

 

 

「ふふふ。その様子だと、お風呂は満喫してもらえたようだな」

 

 

 だがもう遅い。

 ここはメイドが開いた扉の先。

 自分は既に、魔王(モモンガ)の部屋に踏み込んでいる。

 

 

「とっても気持ちよかったよ!! ね、お姉ちゃん」

 

「は、はい!! あんな豪華なお風呂を使わせて頂き、ありがとうございました。とても気持ちよかったです」

 

「そうかそうか。それは良かった」

 

 

 今は自分の家にいるのだから当たり前だが、モモンガは仮面を着けていない。見た目は完全に骸骨の魔王だ。

 恩人であるモモンガを怖がる気持ちなど、エンリには全くない。だが、恐ろしい白骨の顔で優しい声を発してくる事には、凄まじいギャップを感じていた。

 今更ながら妹の胆力に驚く。

 最初にどうやって仲良くなり、最終的に友達にまでなったのだろう。

 

 

「実はささやかだが昼食の準備をしていてな。そろそろお腹も空く頃だろう。二人ともここで食べていくといい」

 

「前に言ってた、お友達が考えた特別なご飯?」

 

「中々鋭いな。正解だ。ネムが食べてくれれば、考案したアイツもきっと喜ぶだろう」

 

 

 この流れは不味い。

 モモンガが嬉しそうな声で提案しているので、妹は喜んでご馳走になるだろう。

 だが、自分までこれ以上お世話になるのは本当に申し訳ない。

 

 

「エンリはどうする? ネムとは別の料理も用意出来るが、何か好き嫌いなどはあるかな?」

 

「そ、そこまでお世話になる訳には…… 私は大丈夫です!! 全然お腹も空いていな――」

 

 

 ――ぐぅぅ。

 

 さほど大きな音ではない。しかし、部屋にいる者には確実に聞こえる大きさの音。

 口にした言葉とは裏腹に、私のお腹は素直に自己主張してきた。

 

 

「お姉ちゃん……」

 

「エンリ……」

 

 

 骸骨と妹のとっても温かい視線。

 お風呂から上がって一度冷めたはずなのに、再び顔が火照ってくる。

 何故だろう。そんな事はあり得ないはずだが、二人が同じ表情をしている様に見えた。

 

 

「……妹と、同じ物でお願いします」

 

 

 耳まで真っ赤に染まっているであろう私は、そう呟くのが精一杯だった。

 

 

 

 

 食事の席に着いているのは三人。

 二人の少女は横並びに座り、テーブルを挟んだ向かいにはモモンガが座っていた。

 ネムはワクワクとした表情で、これから食べられる料理を心待ちにしているようだ。

 エンリは少し緊張した様子だが、それでも興味は抑え切れないのか、目の前に置かれた物をしげしげと見つめていた。

 

 

(エンリにはネムとは別の料理の方が良い気もしたが…… まぁ本人が同じ物を望んだんだし、それでいいか)

 

 

 銀で出来たドーム状の蓋――クローシュとかいう名前らしい――を給仕役のメイドが取り去ると、二人は揃って感嘆の声を上げた。

 

 

「本日のメニューは至高の四十一人のお一人、ペロロンチーノ様が考案された『至高のランチプレート』でございます」

 

 

 中から現れたのは美しく盛り付けられた料理――ハンバーグ、エビフライ、ナポリタン、フライドポテト、タコさんウィンナーにオムライスだ。

 そして用意されたデザートは、生クリームとさくらんぼが添えられたプリンである。

 どれも食欲をそそる香りを漂わせているが、村に住む人間には馴染みのない物ばかりだろう。

 

 

(へー、俺も実物は初めて見るな。でもこれって、完全にあの手のゲームからの知識なんだろうな……)

 

 

 一枚の皿の上にメインとなる料理が複数あるという、モモンガもリアルでは見た事も食べた事もない贅沢なメニューだ。

 これを考案したペロロンチーノも、恐らく二次元でしか見た事がないはずだ。

 

 

「うわぁ、凄い……」

 

「これを、私達が……」

 

 

 エンリとネムはどれから手をつけたら良いのか、二人して迷っている風に見えた。

 この料理を初めて食べる人にとって、それは当たり前に通る道と言える。

 料理の一つ一つはミニサイズになっているが、子供の好きそうな食べ物がこれでもかとワンプレートの中に凝縮されているのだから。

 

 

「さぁ、コース料理でもなんでもないし、マナーなど気にせず好きに食べてくれ」

 

「これも食べられるの?」

 

 

 そして極め付けは、オムライスに刺さった小さなギルドの紋章旗。

 ネムが疑問に思うのも無理はない。食べ物に旗が刺さっているなんて、普通に考えたら意味不明だ。

 この世界の人間――しかも辺境の村出身――からすれば、どうしたらいいか分からないに決まっている。

 

 

「その旗はただの飾りだから、食べる時は外していいぞ」

 

 

 モモンガが声をかけると、二人はフォークとスプーンが一つになった可愛らしい食器を手に取った。料理そのものだけでなく、細部のアイテムにも凝っているらしい。

 ちなみに小さなおもちゃもセットで準備されていたが、流石にそれはモモンガの判断で省いておいた。

 こんな物まで用意しているとは、ペロロンチーノはこの料理を再現するにあたって相当なこだわりがあったようだ。

 このレシピを何のために用意していたのかは、友人の名誉のために深く考えないでおくが。

 

 

「――っ美味しい!!」

 

 

 ハンバーグを口に入れた瞬間、カッと目を見開いたネム。

 噛み締めるように咀嚼して飲み込むと、満面の笑みで美味しさを表現してくれた。

 これにはモモンガも眼福である。

 

 

「流石はナザリックが誇る料理長だな。うむ。このお茶の香りも素晴らしいぞ、シクスス」

 

「あぁ、勿体なきお言葉に感謝いたします」

 

 

 モモンガは同席しているが食事は出来ないため、メイドが入れてくれた飲み物の香りだけ味わっていた。

 いつもの事なので自分は慣れつつあるが、一般メイドはモモンガの言葉に過剰に反応している。

 感激のあまり、目の端に涙が浮かぶほどだ。

 

 

(そこまで反応する程の事じゃないと思うんだけどな…… やっぱり活躍の場が少ないシモベ達にも、何か新しい仕事を考えるべきか)

 

 

 アンデッドの肉体になってから食欲などの欲求は消えたが、物を食べられない事を残念に思う気持ちがない訳ではない。

 だが、今は目の前の二人の顔を見るだけで、モモンガも十分に食事の時間を楽しめていた。

 

 

「ん〜、本当に美味しいです!!」

 

「こっちのも凄く美味しいよ、お姉ちゃん!!」

 

 

 エンリも緊張はどこかに吹き飛んだようで、すっかりナザリックの料理の虜になっている。

 美味しそうに料理を頬張る顔はネムとそっくりで、モモンガは姉妹の似ている姿を見て微笑ましく思った。

 

 

「……あの、私の顔に何かついてますか?」

 

「いや、すまないな。本当に美味しそうに食べてくれているものだから、嬉しくてね」

 

 

 食事の手が止まったエンリに、モモンガは軽く謝りながら反省する。

 エンリの年齢は確か十六か十七歳くらいだったはずだ。こんな風にまじまじと見られれば、気恥ずかしくもあるだろう。

 

 

「お姉ちゃん、ほっぺにソース付いてるよ」

 

「えっ、嘘!? って、ネムも付いてるじゃない!!」

 

「あ、本当だ。あははは――」

 

 

 姉妹で仲良く食事をしながら笑い合う少女達。

 きっとこの姿を見れば、ペロロンチーノは涙を流して感動するのだろう。

 もしかしたらタブラ・スマラグティナも、料理の内容も含めてギャップ萌えとして喜ぶかもしれない。

 

 

(それにしても、ユグドラシルでデータが存在しないはずの味はどうやって決まったんだろうな。食材ごとにあるフレーバーテキストも、そこまで詳細には書かれていなかったはずだが……)

 

 

 二人ともメインの料理を綺麗に平らげ、残すところは後一品。

 決して他所では味わえないであろう、至極のデザートだ。

 

 

「甘ーい」

 

 

 クリームの白色、カラメルのべっ甲色、薄いクリーム色の本体。プリンを彩る三色が織りなす甘美なハーモニー。

 その上質で強烈な甘みに、エンリは口の中を優しく蹂躙されていた。

 

 

「デザートもとっても美味しいっ。料理長さん、やっぱりすごーい!!」

 

「あぁ、こんな甘さがあるなんて…… 幸せだなぁ」

 

 

 村で食べられる甘味といえば、果物などが精々だろう。

 二人はプリンを口に入れる度、ウットリと幸福に満たされた顔をしていた。完全に骨抜きである。

 ――ちなみにプリンを食べた時の表情は、エンリの方が確実にネムより緩んでいた。

 

 

(ぶくぶく茶釜さん、やまいこさん達と同じで姉か…… まぁしっかり者でも、エンリだってまだまだ子供だよな)

 

 

 最後に残った一口、赤いさくらんぼまで二人はしっかりと味わってくれた。

 きっと二人ともこの料理を食べるのに相応しい少女だったのだろう。

 食べ終わった後の彼女達の幸せに満ちた表情は、何よりもそれを証明していた。

 

 

「ご馳走様でした。どれも本当に美味しかったです、モモンガさん」

 

「ごちそうさま。凄く美味しかったよ、モモンガ」

 

「ふふふ、ありがとう。私も見ていてお腹いっぱいになれたよ。二人が気に入ってくれて、本当に良かった」

 

 

 それにモモンガ自身は、どんな年齢の人間がこれを食べようと構わないと思っている。お酒と違って人体への影響がある訳でもないし、ちゃんとしたルールがある訳でもないのだ。

 

 

(これは言わぬが花、だよな……)

 

 

 モモンガは空気の読める紳士的アンデッドである。

 この料理の通称が『お子様ランチ』であるという事は、エンリには最後まで伝えなかった。

 

 

 

 

おまけ〜モモンガはモテモテ〜

 

 

 今日はモモンガに招待され、姉と一緒にナザリックを色々と見て回った。久しぶりにお姉ちゃんとずっと一緒だったので、とても楽しかった。

 ご飯も凄く美味しかったし、誘ってくれたモモンガには本当に感謝しかない。

 姉も驚かせることが出来て今日は大満足だ。

 

 

「もうこんな時間かぁ……」

 

「楽しい時間はあっという間だな。二人ともまた招待するよ。さて、家の前まで送るとしよう」

 

「ありがとうございます、モモンガさん」

 

 

 

 名残惜しいがもう直ぐ夕暮れになる。

 そろそろカルネ村に帰ろうと思った時――

 

 

「――あら、もう帰るところなのね」

 

 

 

 ――凄い美人が現れた。

 

 

 

「アルベド、何か緊急の報告か?」

 

「いえ、折角ですからお客様にご挨拶をと思いまして」

 

 

 久しぶりに会ったけど、やっぱりアルベドは凄い美人だ。白いドレスが良く似合っている。

 

 

「貴方がネムの姉のエンリね。私はナザリックの守護者統括、アルベドよ。そして――」

 

 

 あと、姉の前に立つと色々と差が凄い。

 

 

「――モモンガ様の妻です!!」

 

 

 アルベドがハッキリと姉に向かって宣言した。モモンガは独身だったと思うけど、最近結婚したのだろうか。

 本人に聞こうと思ったら、モモンガは口をぱっかりと開けてフリーズしていた。

 

 

「は、初めまして、ネムの姉のエンリ・エモットです。前に村を助けてくださり、本当にありがとうございました。モモンガさんには妹もいつもお世話になっていて…… えと、その、こんなお綺麗な方と結婚していたんですね」

 

「ええ、そうよ。私こそがモモンガ様のつ――ぐぼぉっ!?」

 

 

 美女が発してはいけない系の声が漏れた。

 声と一緒に鈍い音が鳴ったかと思ったら、急に視界からアルベドの姿が消えてしまった。

 

 

「――モモンガ様、わたしもご挨拶に参りんした」

 

「そうか…… 手短に頼むぞ」

 

 

 代わりに現れたのも、これまた超が付く美少女だった。

 前にペットを見せてくれたアウラもそうだけど、ナザリックには綺麗な人が多い。

 モモンガは諦めたような雰囲気で、どこか遠いところを眺めていた。

 

 

「初めまして、ネム・エモットです」

 

「うふふ、中々可愛らしい顔でありんすね。ネムとはいつか会ってみたいと思っていたでありんす」

 

 

 一瞬だけ何か鈍器の様な物を持っていたように見えたけど、きっと見間違いだろう。

 ニッコリと微笑み、優雅にスカートの裾を摘んでいる彼女の手には何もない。

 

 

「わたしの名前はシャルティア・ブラッドフォールン――」

 

 

 フリルやリボンの装飾が多いボールガウンに身を包んでおり、アルベドのドレスと違って肌の露出は全然ない。

 見た目は自分より少し年上くらいだろうけど、とても綺麗な顔をしている。髪は銀髪で、真っ白な肌に紅い瞳が特徴的だ。

 アルベドが妖艶な美女だとしたら、この人は可憐な美少女といったところだろう。

 

 

「――モモンガ様の妃でありんす!!」

 

 

 またしても似た様な宣言だ。

 モモンガのお嫁さんっぽい人が増えてしまった。

 

 

「モモンガのお嫁さんなんですか?」

 

「そうでありんす。さっきのアルベドの言葉は聞き流して構わないでありんすよ」

 

 

 どれが本当の事かは分からないけど、モモンガがモテモテだということは分かった。

 実はモモンガの顔って、人じゃない目線からだと凄くイケメンなんだろうか。

 

 

「そう、わたしこそがモモンガ様の真の――げぇっふぅ!?」

 

「シャルティアぁぁ…… 不意打ちとはやってくれたわね」

 

「くっ、最初にふざけた事をぬかしたのはそっちでしょ!! この大口ゴリラぁ!!」

 

「そっちこそ何が妃よ!! このヤツメウナギがぁ!!」

 

 

 いきなり目の前で取っ組み合いの喧嘩が始まってしまった。

 思わず姉と顔を見合わせるが、あまりの形相に割って入る気も起きない。

 美人はどんな表情でも綺麗だというけれど、限度はあるらしい。

 

 

「はぁ、アルベドもシャルティアも何をやってるんだか…… 二人の言ったことは冗談だ。気にしなくていいぞ」

 

「うん。モモンガはまだ結婚相手募集中って事だよね?」

 

「勘弁してくれ……」

 

 

 額に手を当てて、深くため息をつくモモンガ。

 とっても美人な部下の人達からこんなに好かれているのに、結婚願望はあんまりなさそうだ。

 でも、外堀を埋められそうになってて大変そう。

 

 

「お姉ちゃんじゃ無理だね」

 

「ん? ネム、何か言った?」

 

「なんでもないよ、お姉ちゃん。……いつか素敵な人と結婚出来るといいね」

 

 

 背後では何かがぶつかり合う音が連続で響いている。きっとあの二人が目にも留まらぬ速さで殴り合っているんだろう。

 

 

「……私、なんでそんなに心配されてるの?」

 

「周りに結婚出来そうな男の人、全然いないよ?」

 

 

 姉では色んな意味で対抗するのは無理だと、私は悟った。

 ンフィーレアを逃したのは、この姉にとってつくづく惜しかったかもしれない。

 

 

 




鳥「妹を利用して姉を家に連れ込み、両方ともひん剥くとは……」
蛸「姉の年齢が絶妙なところが素晴らしい。流石はギルド長、ギャップ萌えを分かってますね」
鳥「お子様ランチを使った時間差の羞恥プレイとか流石っすわ。いつ教えてあげるんですか? 妹の前でバラすんですか?」
骨「おい」

いつも沢山の感想&評価ありがとうございます。
小ネタへの反応、色んな共感、ツッコミ等があってとても嬉しいです。
モモンガ様に自分のいれた紅茶を振る舞えたり、直に褒められるチャンスが回ってくるので、ネムが来る事を一般メイドは大歓喜してます。
姉妹をスライム風呂に入れるネタは流石に書けなかったよ……




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課金の竜王

前回のあらすじ

「我が家へようこそ」
「聞いてたのと全然違う!?」
「モモンガ様の妻よ」
「モモンガ様の妃でありんす」
「お姉ちゃんじゃ無理だね」


今回は幻の薬草採取の話です。


 家の前に置かれた石臼をゴリゴリと鳴らしながら、ネムは籠から取り出した薬草を少しずつ投入していく。

 持ち手を両手でしっかりと握り、力を加減しながら石臼を一定の速度で回し続ける。

 

 

「うんしょ、よいしょ」

 

 

 薬草は種類によって保存方法が変わり、乾燥させる物もあれば、ペースト状にして保存する物もある。

 こうしてすり潰した薬草を壺に入れて街で買い取ってもらうのだが、これが中々の収入になるのだ。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 手のひらは指先まで薬草の色に染まっており、ネムはかろうじて綺麗だと思われる手の甲で額の汗を拭った。屋外で作業を続けていた自分の服は汗でびっしょりだ。

 しかし、石臼を中心に広がる薬草の強い臭いで、汗臭さなどは微塵も気にならない。

 

 

「うん、出来た」

 

 

 潰した薬草をヘラでかき集め、壺の中がいっぱいになるまで入れる。それを何度か繰り返して作業を終えると、ネムは満足げに頷いた。

 この仕事にも随分と慣れてきたのだろう。今回も素早く均一に、無駄なく薬草をすり潰すことが出来た。

 

 

(薬草はもうないし、明日からは別の作業かな……)

 

 

 作業中の臭いはキツく、意外と重労働なのだが、最近のネムはこの仕事が嫌いではない。

 普段はあまり力になれない自分が、自信を持って家族の役に立てていると実感出来る仕事だからだ。

 ネムが使った道具の後片付けをしていると、こちらに向かって何者かが近づいてきた。

 

 

「――こんにちは。貴女がネム・エモットさんよね?」

 

「はい、そうですけど……」

 

 

 初めて会った相手が、何故か自分の事を知っている。

 その事実に僅かに身構えながら、ネムは相手の反応をうかがった。

 

 

「私は『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュースよ。お仕事中に悪いんだけど、少しお話を聞かせてもらえないかしら」

 

 

 金色に輝く長髪を巻き髪にした、美人で凛々しい女性だ。全体的に活発な印象を受けるが、どこか品のある優しい笑みを浮かべている。

 そして、その首にあるのは見慣れない色のプレート――冒険者をやっているのが不思議なくらい綺麗な人だ。

 

 

「私達は万病に効く薬草を探しているの。昔トブの大森林の奥地で発見された物よ。聞いたことはあるかしら?」

 

「全然聞いた事ないです」

 

 

 初耳だ。そんな凄い薬草があるなら自分も欲しい。

 とっても高く売れそうだし、もし家族が病気になったら使いたい。

 

 

「そう…… じゃあ、貴女の使役する魔獣は『森の賢王』だと聞いたのだけれど、それは本当?」

 

「……確かにハムスケは森の賢王だったけど、使役なんかしてないです。ハムスケは私の友達で、一緒に冒険してる相棒です」

 

 

 ネムはきっぱりと言い切ったつもりだが、少しだけ声に不満が滲んでしまったかもしれない。

 これは時々聞かれる質問ではあるけど、自分としては非常に困るのだ。

 ハムスケと冒険をする都合上、使役魔獣としての登録は確かにしている。周りからすれば自分がハムスケを従えている様に見えるのだろう。

 だけど、ハムスケは自分にとって友達なのだ。主従関係がある様に思われるのは嫌なのだ。

 

 

「勘違いしてごめんなさい。ハムスケさんは貴女にとって大切なお友達なのね」

 

「うん!!」

 

 

 ラキュースは少し驚いたような顔をしたが、すぐに温かい笑みを見せた。

 自分が伝えたかった事を、彼女はすぐに理解してくれたのだろう。ラキュースは気分を害するどころか、何故か嬉しそうな雰囲気まで出している。

 きっとこの人は良い人だ。そう感じたネムは、少しだけ残っていた警戒心を解いた。

 

 

「ハムスケなら薬草の事を知ってるかもしれないです。会って聞いてみますか?」

 

「ええ、紹介してもらえるかしら。出来れば、ネムさんに通訳もお願いしたいのだけど……」

 

「ハムスケは普通に喋れますよ?」

 

「そうなの? 噂で人語を理解するとは聞いていたけど、流石森の賢王ね…… とにかく助かるわ。薬草の大まかな生息場所は知っているけれど、古い情報だし、ちょうど森林内の事も聞きたかったの」

 

「縄張り内の事なら、きっとハムスケは知ってると思います。今から会いに行きますか?」

 

 

 本当はモモンガの方が色々と詳しそうだと思ったけど、流石にそれを伝えるのはやめておいた。

 冒険者モモンではなく、魔法を使うモモンガの事はあまり広めない方がいいだろう。

 

 

「ありがとう、でも少しだけ待っててもらえるかしら。一緒に依頼を受けた仲間達を連れてくるわね」

 

 

 いや、そもそもモモンガなら「それなら持ってる」くらいの事は言いそうな気もする。

 もしかしたら、もっと凄い薬草も持っているかも。

 

 

(情報は大切だって、モモンガも言ってたもんね)

 

 

 うん。やっぱりモモンガの事は秘密にしておこう。下手に話せば余計なトラブルが寄ってきそうだ。

 どちらにしろモモンガは今いないし、モモンガにばかり頼るのも良くないよね。

 

 

「――彼女達が一緒にチームを組んでいる私の仲間よ。戦士ガガーラン、盗賊のティアとティナ、それに魔法詠唱者(マジックキャスター)のイビルアイよ」

 

「おう、よろしくな」

 

「惜しい。性別が反対なら完璧だった」

 

「愛嬌があって良い。数年後が楽しみ」

 

 

 数分と経たず戻って来たラキュースは、自身の冒険者仲間を紹介してくれた。

 豪快に歯を見せて笑っている、大きなハンマーを担いだ筋肉質で大柄な女性。

 言ってる事はよく分からないけど、顔と服装がそっくりな双子の女性。

 無言で腕を組んでいるのは、仮面を着けた赤いローブのちっちゃい人。

 ラキュースのチームは女性だけで構成されていて、みんなとっても個性的だ。

 

 

「それから、こちらは今回の仕事に協力してくれるミスリルのチーム。『クラルグラ』と『虹』の皆さんよ」

 

「ちっ。……銅級(カッパー)なんかの情報が本当に役に立つのかよ」

 

「おい。失礼な言い方はよせ、イグヴァルジ」

 

「銅級なのは事実だろうが」

 

「……はぁ、すまないね。難しい依頼の前だから、彼も気が立っているようだ。私はエ・ランテルで冒険者をやっている『虹』のモックナックだ。よろしく頼む」

 

 

 そして、その他いっぱいのおじさん達。

 多くて名前は覚えきれない。

 でも、イグヴァルジという人だけは覚えた。

 さっきから妙に睨まれている気がして、ちょっと怖い。

 

 

「えっと、じゃあ案内しますね」

 

「ハムスケさんが住んでいるのは森の中なのよね? もちろんモンスターが出たら私達が対処するけど、ネムさんは何か準備しなくていいの?」

 

「すぐそこだから大丈夫です。ハムスケがいるおかげで、モンスターとかも出ないよ」

 

 

 ラキュースが戻ってくるまでに後片付けは終わらせて、家族にも事情を話しておいたので自分はすぐにでも案内できる。挨拶もそこそこに村を出発し、蒼の薔薇の人達と軽く雑談しながら森に向かった。

 話をしていて分かったが、彼女達はアダマンタイト級の冒険者――王国で二組しかいない最上位のチームの一つだった。凄い。

 

 

「――ここからは森に入るわ。皆、気を引き締めていくわよ」

 

 

 最初は皆のんびりとした雰囲気だった。

 しかし、森に足を踏み入れた直後から、彼女達の放つ気配がガラッと変わる。周囲をかなり警戒しているようだ。

 

 

「着きましたよ」

 

「……えっ、この巣穴がそうなの?」

 

 

 しかし、その警戒も徒労に終わる。

 隊列を組むようにゾロゾロと進み、森に入ってから僅か五分ほど。私達はハムスケの今の住処に辿り着いた。

 短い時間だったが、ここに来るまでに魔物どころか大型の動物すら見ていない。

 あまりの近さに拍子抜けだったのか、ラキュースはポカンとした表情になった。

 

 

「ハムスケー、今いるー?」

 

 

 ハムスケの巣穴の周りは、穴を掘って余った土がこんもりと積もっている。サイズが大き過ぎる事を除けば、普通の動物の巣穴とあまり違いはない。

 私が穴に向かって声を出すと、程なくして地面を擦る音が聞こえてきた。

 

 

「――おおっ、ネム殿ではござらんか。こんなに沢山人を連れて来て、どうしたでござる?」

 

「このお姉さんが、ハムスケに聞きたい事があるんだって」

 

 

 そして、中から巨大な魔獣がひょっこりと顔を出した。

 周りからは「なんと強そうな魔獣だ」「あれがかの伝説の魔獣、森の賢王か……」「深い知性を感じる目をしているな」など、驚きの声が上がっている。

 それが聞こえているハムスケも、どことなく自慢げに見えた。

 

 

「初めまして。私は蒼の薔薇のリーダーを務めるラキュースと申します」

 

「某はハムスケでござる。それで、何を聞きたいのでござるか?」

 

「私達は依頼でとある薬草を探しに来ました。貴方の賢王と謳われる知恵を、私達にお貸し頂けないでしょうか。現在の森の情報と、万病に効くと言われる薬草について教えて欲しいのです」

 

 

 代表でラキュースがハムスケに質問しているけど、本当に丁寧で礼儀正しい人だ。

 もし目指すなら、私も将来はこんな感じの立派な女性になりたい。

 

 

「その薬草に心当たりはないでござるが…… 今、森の奥に行くのは危険でござるよ」

 

 

 ハムスケは苦い思い出でもあるのか、頭をかきながら困り顔になった。

 

 

「森で何かあったのでしょうか?」

 

「何かどころか、とんでもない事があったでござるよ。某は元々森のもっと奥にある洞窟に住んでいたでござる。……しかし、最近になってドラゴンが森に現れたのでござるよ」

 

「ドラゴンですって!?」

 

「遠目から見ただけでござるが、とてつもなく強そうでござった…… 某では絶対に勝ち目がないので、一旦元の縄張りは捨ててきたでござる」

 

 

 ハムスケの引っ越しの真相が判明した。

 そういえば「縄張り争いになったらヤバイでござる」って、前に言ってたかもしれない。

 

 

「ここならネム殿にもすぐ会えるから、そう悪い事ばかりでもないでござるよ。一緒に冒険に行く時も、村に近い方が楽でござる」

 

「もしそれが本当なら、森林内はかなり荒れてる可能性があるわね…… 魔物の行動範囲の変化や、森から逃げ出す個体も増えるでしょうし……」

 

 

 ハムスケの所に自力で行けるようになった嬉しさで、引っ越した理由を詳しく聞くのをすっかり忘れてた。

 でも、これは思ったより重大な事件かもしれない。

 もし今のカルネ村がモンスターに襲われたら、またあの時の様な悲劇が起こってしまう。

 

 

「被害が出たという情報は知らないけど、近くの村は大丈夫かしら?」

 

「カルネ村は多分大丈夫でござるよ? 偶にこっちに来たモンスターは、某が全部叩きのめして糧にしてるでござる」

 

「さ、流石ね……」

 

 

 ハムスケがいつの間にか、村の救世主になってくれていたようだ。

 一応村を囲む柵は作っている途中だが、完成にはまだまだ時間が必要だし、そもそもモンスターの襲撃に耐えられる程の物ではない。

 きっとしばらくの間はハムスケに頼る事になるだろう。

 

 

「ネム殿もそんなに不安そうな顔はしなくていいでござる。某の住んでいる場所にはモンスターも滅多に近づいて来ないし、仮に来てもここは通さないでござるよ」

 

「ありがとう、ハムスケ。よく考えたら、昔からハムスケは村の事を守ってくれてたんだね」

 

「そんなつもりは全然なかったでござるが…… まぁ、結果的にそうなっていただけなので、気にしなくていいでござる」

 

 

 当の本人は呑気にあくびをしているけど、話を聞いたラキュースは真剣に考え込んでいるようだ。

 他の冒険者も眉間にシワを作りながら、お互いに顔を見合わせている。

 

 

「そのドラゴンについてですが、森にいるという事はフォレスト・ドラゴンだったのですか?」

 

「種類までは知らないでござる。森に元からいたのか、それとも飛んで来たのか、ずっと森に住むつもりなのかも不明でござる」

 

「確かに、別の場所から来た個体の可能性もあるわね。そうなると、あえて種類を断定するのは危険ね……」

 

「あんな化け物と戦えるのは、きっとモモン殿くらいでござろうなぁ。いや、モモン殿でも剣じゃ勝つのは厳しいと思うでござる。お主達も死にたくなかったら、諦めて帰った方が賢明でござるよ」

 

「けっ、何が森の賢王だ。銅級如きが戦えるドラゴンがどこにいるってんだよ。ビビってデカい蜥蜴と見間違えたんじゃねぇのか?」

 

 

 ハムスケが何気なく言った言葉に反応して、イグヴァルジが噛み付いて来た。

 やっぱりこの人は好きになれそうにない。

 

 

「某、本当に見たでござる。黄金色の大きなドラゴンだったでござるよ」

 

「そうかよ。仮に本当にドラゴンだったとしても、最下級の戦士が戦える雑魚なら俺達が勝てないはずねぇな」

 

「聞く耳持たずでござるか…… まぁこれ以上は止めないでござるよ」

 

 

 ハムスケは親切のつもりだったと思うけど、上位の冒険者としてのプライドを刺激してしまったらしい。

 ハムスケも冒険者達にそこまで興味はなさそうで、それ以上は何も言わなかった。

 

 

「どうする、鬼ボス?」

 

「……どちらにせよ薬草を採取する必要はあるし、確認の意味でも行くしかないわ」

 

「それしかないだろうな。そのモモンとやらがどれ程の戦士かは知らんが、一口にドラゴンと言ってもピンキリだ」

 

「遭遇しないのが一番だけど、イビルアイの見立てでは勝算もあるのね?」

 

「この魔獣より強くても、竜王クラスという事はないだろう。若い個体ならば仮に遭遇したとしても、私達で十分対処出来るはずだ。古竜(エインシャント)あたりが相手だと厳しいが、最低でも逃げ出せる隙さえ作れれば問題ない」

 

「なら決まりね」

 

 

 少しだけ仲間達と相談した後、ラキュースは決断を下した。

 道中ほとんど喋らなかったイビルアイも口を開いたけど、妙に自信満々だ。

 もしかしたら過去にドラゴンと戦った事があるのかもしれない。

 それとも、モモンガみたいに凄い魔法が使えるのだろうか。

 

 

「イビルアイさんは凄い魔法使いなんですか?」

 

「ふん、わざわざ手の内を晒す気はない」

 

「うちのちびさんは凄えぞ。こんなナリだが、間違いなく王国で一番の魔法詠唱者だ」

 

「おい、ガガーラン、余計なことを…… はぁ、まぁいい。この程度の情報なら構わないか。――私は第五位階の魔法が使える」

 

 

 ――モモンガの半分しかないじゃん。

 イビルアイはぶっきらぼうだけど、隠し切れていない自信とともに言い放った。

 でもそれってモモンガの使っていた、椅子を作る魔法の位階より低かった気がする。

 

 

「す、すごーい?」

 

「あまりピンときていないようだな……」

 

「あっはっは!! ドヤ顔したのに残念だったな。イビルアイもそんくらいで拗ねるなよ」

 

「拗ねてなどいない!! 仮にも冒険者を名乗る者が、魔法の知識を全く持っていない事に嘆いただけだ!!」

 

「そりゃ仕方ねぇさ。この子は冒険者になりたてなんだし、そもそも王国で魔法に詳しいやつは一握りだろうよ」

 

 

 ガガーランが笑ってイビルアイをフォローしているけど、なんとも反応しづらい。

 確かに私は魔法に詳しくないけど、あんまり凄そうには思えなかった。

 本当に大丈夫かな。

 

 

「やっぱり行っちゃうんですか?」

 

「ええ、私達はトップであるアダマンタイト級の冒険者よ。それに彼らも凄腕のミスリル級冒険者。多少の危険で逃げる訳にはいかないわ」

 

 

 一度決断を下してから、ラキュースの表情には一切の迷いが感じられなかった。

 最高位冒険者と呼ばれるに相応しい、カッコいい姿だとは思う。

 

 

「無事に依頼が終わったら、この情報のお礼をさせてもらうから期待していてね」

 

「おう、俺らの無事を祈っててくれや。土産はドラゴンの鱗かもな」

 

 

 最後に少しお茶目な笑顔を見せた後、彼女達は薬草の生息地を目指して出発していった。

 

 

「――ねぇハムスケ。あの人達、無事に戻ってこれるかな?」

 

 

 蒼の薔薇と二つのミスリルのチームが森の奥へと姿を消した後、気になってハムスケに尋ねてみた。

 彼女達は良い人だったけど、私には人の強さなんて分からないし、どうしても不安はある。

 

 

「うーん、それなりに強そうな者達ではござったが…… もし某が見つけたドラゴンと戦えば、正直ひとたまりもないでござろうなぁ」

 

「そっか……」

 

「弱肉強食は自然の掟でござる。挑む相手を間違えれば、死ぬのは必然でござるよ。時には格上に挑まねばならぬ時もござろうが……」

 

 

 ハムスケは誤魔化さずに、自身が感じた事実を答えてくれた。

 厳しい大自然を長年生き抜いてきた――モモンガに会った瞬間に降伏した――大魔獣らしい意見だ。

 

 

「昔は某に挑んできた者もそれなりにいたでござるが、彼らも今の者達も同じ様に誇りがあったのでござろう。富と名声を求める人間も多いでござる」

 

「……よく分かんない。危ないお仕事は断れないのかな?」

 

「当然しがらみもあるでござろうな」

 

「上位の冒険者の人達も大変なんだね」

 

「無謀だとは思うでござるが、笑いはしないでござる……」

 

 

 あの人達に会えた事は、私にとって冒険者の仕事の危険性を知る良い機会になった。

 他の冒険者も自身にとって大切な物――お金、誇り、責任、名声――色んな物を背負って頑張っているのだろう。

 

 

「うーん、私は無理せず頑張るね」

 

「それがいいでござる。某も死にたくはないから、程々に頑張るでござるよ」

 

 

 ラキュース達が無事に帰って来る事を祈りながら、私は改めて思う。

 

 

「まぁ正直モモンガ殿が本気を出せば、ドラゴンがやって来ても何とかなると思うでござる」

 

「あははっ!! やっぱりモモンガが一番凄いよね!! そうだ、今日もブラッシングしてあげようか?」

 

 

 お仕事は大事。でも安全第一。

 やっぱりモモンガは世界一。

 

 

「おお、頼むでござる!! 一度ネム殿にやってもらってから、自分で毛繕いしても満足出来なくなってしまったでござるよ」

 

「そうなの? 私はいつでもしてあげるよ」

 

「ありがたいでござる。……でも先に手を洗った方が良いでござるよ」

 

「……気づいてた? この薬草の臭い、洗ったけど全然とれないんだよね」

 

 

 お金は欲しいけど、それは家族の役に立ちたいからだ。無理して怪我をしたら元も子もない。

 だからこれからも欲を出し過ぎないようにして、自分に出来ることを精一杯頑張ろう。

 とりあえずは、戻ったら畑の雑草取りから始めようかな。

 

 

 

 

 森の中を進んでいると時折モンスターが姿を見せるが、先に発見して先手を取ればこの戦力で負ける事はない。自分が手を出さなくても、無傷で倒せる程の余裕がある。

 ラキュース達の戦闘力を見るたび、尊敬と共に嫉妬心が湧き上がるが、今はそれもすぐに鎮火する。

 周囲の警戒を続けながら、イグヴァルジはニンマリとほくそ笑んだ。

 

 

(トブの大森林だろうが、俺の敵じゃねぇな)

 

 

 アダマンタイト級の引き立て役になるのは御免だが、この仕事自体は実績として悪くない。

 なんせ過去にこれを成功させたのも、ミスリル級のチームを二つ同行させたアダマンタイト級のチームだけだ。

 三十年振りの快挙に大きく貢献したとして、『クラルグラ』の――ひいてはリーダーである自分の名が上がるだろう。

 

 

(こりゃ、オリハルコンへの昇格もすぐだな)

 

 

 魔境と呼ばれるトブの大森林であろうとも、森の中は自分の庭も同然。自分の活躍は約束されているようなものだ。

 確かに戦闘面では彼女達の方が遥かに強い。

 だが、アダマンタイト級である『蒼の薔薇』の二人の盗賊に、自分もレンジャーとしては引けを取らない働きが出来ているはずだ。

 

 

「過去の記録だと、薬草があるのはこの辺りのはずなんだが……」

 

「これは、一体……」

 

 

 イグヴァルジ達は順調に目的地周辺まで進む事が出来た。しかし、目当ての薬草をそろそろ探そうかという段になって、全員が違和感を覚える。

 辺りに木が一本も生えていない、開けた明るい場所に出たのだ。より正確に言えば、葉のついた健康な木々が全くなかった。

 太陽光を遮るものが一つもなく、少し眩しいと感じる程の変化である。

 

 

「――周囲一帯の草木が完全に枯れている。人為的な物ではないと思うが、理由がさっぱり分からん」

 

「何があったのだろうな。森の賢王が見たという、謎のドラゴンが関係しているのか?」

 

 

 自分のチームのメンバーを含め、周りの冒険者が口々に考察を始める中、イグヴァルジは悪態をつくのを必死に堪えていた。

 

 

(くそっ、冗談じゃねぇぞ!! ここまで来たのに依頼失敗ってか?)

 

 

 周囲の状況から考えて、目当ての薬草を採取する事は絶望的だろう。トブの大森林を無事に踏破しようが、依頼としては失敗だ。

 これでは何も知らない奴らから、自分たちが過去の冒険者に劣っていると思われる可能性がある。

 英雄になる事を目標にしているイグヴァルジにとって、人から認められない事は何よりも許せない。

 

 

「どうする、ラキュース?」

 

「……無闇に探すのは危険ね。この現象の原因が不明なため、これ以上の捜索は困難と判断します。あと一時間だけ周りの枯れていない範囲を確認したら――」

 

 

 諦めるのは業腹だが、ここで独断専行して薬草を探す程イグヴァルジも愚かではない。素直に言うことを聞くしかないだろう。

 

 

(……ん、なんだ?)

 

 

 リーダーであるラキュースがテキパキと指示を出している途中、自分たちの頭上から影が落ちてきた。

 太陽が一番高い位置にあった時間はとうに過ぎているが、それでも先程までは雲もなく明るかったのだ。

 この急激な変化は、自然現象ではあり得ない。

 

 

「――っ上だ!!」

 

 

 誰かの叫びに反応して、全員が一斉に武器を構える。イグヴァルジも剣に手を添えつつ、即座に動ける様に腰を落とした。

 そして、影を作った正体を目にして驚愕する。

 翼を羽ばたかせる力強い音。

 それに伴って生まれる暴風。

 地響きと共に、空から大地へと降り立ったのは――

 

 

「人間如きがこの地に現れるとは……」

 

 

 ――竜だ。

 こちらを見下した様な重く低い声。

 磨かれた装飾品の金色ではなく、原始的な黄金色の鱗に覆われた体。

 森の賢王が比較にもならない巨体だ。

 こちらを射抜く鋭い眼光。大きな体を支える強靭な四肢と、太くて長い尻尾。

 どれも生命力に溢れたドラゴンの力強さを表している。

 

 

「それ相応の覚悟はあるのだろうな?」

 

 

 ドラゴンという種族を実際に目にするの初めてだが、それでも確信が持てる。

 自分達に降りかかるプレッシャーは尋常なものではない。

 目の前の生物こそ、数多の物語で最強の存在として描かれる、本物の竜だ。

 

 

「……逃げろ」

 

 

 息を呑む音が聞こえるほど静まり返った中、イビルアイのくぐもった声がポツリと漏れた。

 

 

「――っ早く逃げろ!! 私達の手には負えない!! こいつは、こいつは間違いなく竜王に匹敵する!!」

 

 

 イビルアイの二度目の言葉は指示ではなく、もはや絶叫に近い。

 

 

「――っ!!」

 

 

 イグヴァルジはその言葉を聞いて――この場の誰よりも早く――弾かれる様に反応した。アダマンタイト級を超える反射速度である。

 急速に吸い込んだ空気を肺に送り込み、爆発的な踏み込みで地面を蹴った。

 

 

(俺は死なねぇっ。絶対に死んでたまるか。英雄になるまで死んでたまるか!!)

 

 

 英雄への憧れが、生への執念が、イグヴァルジに大量のアドレナリンを分泌させる。

 長年冒険者として生きてきた人生の中で、最高の瞬発力を発揮して走った。

 

 

(たとえ全員を囮にしてでも、俺は――)

 

 

 極限まで研ぎ澄まされた感覚によって、時が止まっているかのように錯覚する。

 体は前に進んでいるはずなのに、目の前の景色がまるで動いていない。

 

 

(――生きる!!)

 

 

 イグヴァルジは湧き上がる高揚感に満たされていた。

 動かす足は羽を超え、重さのない空気の様に軽い。体が軽すぎて宙に浮かんでいるようだ。

 ――自分はまさか、土壇場で英雄の領域に足を踏み入れたのかもしれない。

 もはや地面を踏み締める感触すらなく――

 

 

「……あれ?」

 

 

 ――何故か迫りくる地面に、顔面から激突した。

 イグヴァルジは口に入った砂利を、不快さと共に荒っぽく吐き出す。そのまま即座に立ち上がろうとするが、何故か上手く立ち上がる事が出来ない。

 そして気付いてしまった。

 血塗れの地面に這いつくばった自分。その視界の左側――

 

 ――自分の下半身が転がっている。

 

 

 

 

 ラキュース達は皆、目の前のドラゴンに意識を集中させている。否、視線を外す事など出来なかった。

 しかし、辺りに漂う血の匂いは、嫌でも彼女達の鼻についた。

 

 

「――愚かな。この私の許可なく帰れるとでも思ったか?」

 

 

 協力して依頼にあたっていた『クラルグラ』のリーダー、イグヴァルジが一瞬で真っ二つにされた。

 ラキュースは先程まで目の前のドラゴンから、一秒たりとも目を離してはいない。にもかかわらず、気付いたら彼が血溜まりに沈んでいたのだ。

 何が起こったのか把握する事さえ出来なかった。ドラゴンとの実力差をまざまざと見せつけられ、この場にいる誰もが動けなくなっている。

 

 

(不味いわね、何も反応出来なかった…… くっ、闇の力を暴走させれば――なんて考えてる余裕もない)

 

 

 蒼の薔薇を結成して以来の――いや、間違いなくラキュース・アルベイン・デイル・アインドラにとって人生最大のピンチだ。

 ――今動いたら殺される。

 ラキュースはそんな確信めいた恐怖に支配され、いつもの妄想を頭の中で繰り広げることすら出来ない。

 握り締めた魔剣がこれ程頼りなく感じたのも、自分がこの武器を手にしてから初めての事だ。

 

 

「それで、貴様らは何故この人ならざる者の土地に侵入した。私を倒しにでも来たか? 私がここにいる事は、まだ誰も知らないと思っていたのだがな……」

 

 

 このドラゴンは一人の人間を殺した事など気にも止めていない。地面に這いずる虫を一匹潰した程度の感覚なのだろう。

 それ故に何の感慨もなく、心底不思議そうな声音で尋ねてきた。

 ――活路はここしかない。

 ラキュースは一瞬で判断し、手に持った魔剣を素早く地面に落とす。

 周りの仲間も即座に自分の意図を理解し、それぞれが持った武器を手放してくれた。

 

 

 

「私達は薬草を採取するためにこの地へ来ました。決して貴方と敵対するためではありません!!」

 

「ほぅ、たかが薬草のためにここへ来たと?」

 

「はい。貴方様のような偉大な竜がいるとは、全く存じておりませんでした」

 

 

 ドラゴンの瞳にじっと見つめられても、ラキュースは顔を逸らさずに耐える。

 心臓がドクドクと早鐘を打ち、相手の反応を待つ一秒一秒が異常に長く感じられた。

 

 

「――まぁ、よかろう。今の私は目覚めたばかりで気分が良い。虫ケラが草を集める程度、寛大な心で見逃してやろうではないか」

 

 

 ドラゴンから放たれる威圧感が僅かに和らぎ、この場の全員がほっと息を吐く。

 何とか賭けには勝った。まだ油断は出来ないが、首の皮一枚は繋がっただろう。

 

 

「だが、『課金の竜王(ガーチャー・ドラゴンロード)』であるこの私に、貢ぎ物の一つもない訳ではあるまいな?」

 

 

 イビルアイの竜王に匹敵するという言葉は正しかったようだ。

 『ガーチャー・ドラゴンロード』など聞いた事はないが、目の前のドラゴンが竜王である事に疑う余地はない。

 そこに存在するだけで感じ取れる力の量が、今まで会ったどの生物とも桁が違う。

 

 

「もちろんです。こちらを捧げさせて頂きます」

 

 

 当然の如く態度で要求されたが慌てることはない。これはまだ想定の範囲内だ。

 ラキュースは蘇生魔法の媒介に使う金塊を取り出すと、ドラゴンの前にゆっくりと差し出した。

 いつも持ち歩いている訳ではないが、今回の依頼では念の為持ってきていて正解だったようだ。

 ドラゴンという種族は共通して財宝を好む特性がある。

 それは目の前のドラゴンであっても例外ではないはずだ。

 

 

「この程度の量ではまるで足りんな。私はこの世全ての財を求める竜王だぞ? ……しかし、その勇気と素直さに免じて、今回に限り許してやろう」

 

「ありがとうございます」

 

「次に私に会えば、お前達の持つ全てを容赦なくもらう。他の人間共にも伝えておくのだな。そこのゴミを拾ってさっさと去るがいい」

 

 

 こちらに興味を失ったドラゴンの気が変わらない内に、ラキュース達は素早くその場を離れた。

 イグヴァルジの死体も安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)で包んで回収する事が出来たので、拠点に戻ったら蘇生を試みるべきだろう。

 

 

「――まさかあれ程のドラゴンがいたなんて…… これは組合どころか、国にも報告する必要がありそうね」

 

「あれはマジでやべぇ…… 俺にはこれっぽっちも勝てる気がしねぇ。仮にガセフのおっさんが国宝を全部纏っても、勝負にすらならねぇはずだ」

 

 

 比較的安全な所まで辿り着き、それぞれのチームは一息ついた。

 極度の緊張状態にさらされていたため、全員がかなりの疲労感を覚えている。

 

 

「周囲にモンスターの気配はない。なさ過ぎるくらいだ」

 

「ありがとう、ティア、ティナ。貴女たちも交代で休んでちょうだい」

 

 

 自分達はまだしも、『虹』と『クラルグラ』の二チームは口も開かずに意気消沈していた。

 無理もないだろう。いくら手練れのミスリル級とはいえ、あのドラゴンの力を間近で感じてしまったのだ。

 特にリーダーを殺されたクラルグラのメンバーは、各々の仕事の役割こそこなしているが、あの時から死の恐怖に怯えきっている。

 この分ではイグヴァルジの蘇生が成功したとしても、チームとして再起出来るかは五分五分だろう。

 

 

「すまない。あの魔獣の忠告を甘く見ていた…… だとしても予想外だっ。あれはかつて十三英雄が戦った魔神を優に超えている。どう足掻いても人の身では勝てんぞ」

 

「あれが森の外に出ない事を祈るばかりだわ。もし人の住む土地にやって来たら――」

 

 

 普段は尊大な態度でいる事の多いイビルアイだが、今回ばかりは流石にしおらしくなっている。

 ガガーランも似た様な事を話していたが、ラキュースもその考えに同意した。

 

 

「――人類の存亡をかけた戦いになるかもしれないわね」

 

 

 自分が妄想で呟くような台詞を、本当に言う日が来るとは思ってもみなかった。

 しかし残念ながら妄想と違うのは、今の自分には対抗する特別な力が無いという事。

 ラキュースは暗い気分を晴らそうと空を見上げるが、鬱蒼とした森の中では太陽を拝む事は出来なかった。

 

 

 

 

おまけ〜いつもの黒幕〜

 

 

「で、デミウルゴスさん。言われた通りドラゴンを一匹散歩させておきました」

 

 

 マーレはペットの拾ってきた金塊を片手に、デミウルゴスに作戦終了の報告をしていた。

 モモンガも同席しているのだが「まずはデミウルゴスへの報告を済ませよ」と、マーレは既に言い含められている。

 

 

「ありがとう、マーレ。私の部下からも報告は貰っているよ。君のドラゴンは中々の名演だったそうじゃないか」

 

「えへへ、でもデミウルゴスさんの作った設定通りに演じてもらっただけですから」

 

「謙遜することはないさ。ともかく無事に終わって良かった。万が一に備えて、不可知化した護衛を用意したとはいえ…… 君のペットに危険な囮役を頼んでしまって、すまなかったね」

 

「い、いえっ。ナザリックのためなら、何でも言ってください」

 

 

 デミウルゴスはカルマ値が極悪の悪魔だが、身内に対しては人一倍思いやりがある。

 組織として時に厳しい判断を下せるが、仲間思いの彼はこうした言葉も忘れる事はない。

 モモンガはそんなやりとりを眺めながら、顎に手を当てて何かを考え込んでいる。

 きっとこの間にも自分では考え付かないような、何か凄い作戦を練られているのだろう。

 

 

「ところで、何でボクのドラゴンだったんですか? デミウルゴスさんのところの魔将でも強さは十分だったんじゃ……」

 

 

 マーレはデミウルゴスに質問しつつ、ちらりと椅子に座る主人を見た。

 モモンガはその程度の事は簡単だと言わんばかりに、小さく笑う。

 そして、支配者然とした態度でゆっくりと頷いた。

 

 

「強さという点ではそうだね。あの冒険者達は一人を除いて弱過ぎた。だが、この世界にいても違和感のない強者だと、君のドラゴンの方が適任だったのだよ」

 

「あ、だから竜王を名乗らせたんですね。確かにあの人間達も納得してました」

 

 

 デミウルゴスが解説を入れてくれたが、モモンガは黙して語らない。

 当たり前のことだが、こうした反応も含めて全てお見通しだったのだろう。

 

 

「その通り。これは我々に匹敵する強者、強者に対抗する技術を炙り出す作戦だ。以前モモンガ様がおっしゃられていたように、我々と同じ様な別世界からの存在も考慮してだがね」

 

「……覚えていたのか」

 

「もちろんでございます。このデミウルゴス、モモンガ様からのお言葉であれば、どれ程の月日が経とうが一言一句記憶しております」

 

「そ、そうか。私は嬉しいぞ……」

 

 

 二人はいつもどのような会話をしているのだろうか。

 非常に悔しいが、自分では難しい内容の話についていける自信はない。

 

 

「そ、そんな先まで考えて…… 流石はモモンガ様です」

 

「正しく端倪すべからざる御方という他ありません。その遠過ぎる背中に一歩でも近付くべく、私も日々精進させて頂きます」

 

「ふふふ、お前ならば既に私を超えているとも。さぁ、報告を続けよ」

 

 

 流石はナザリックでも智者と名高いデミウルゴスだ。お世辞でもモモンガにここまで言われるシモベは中々いない。

 そして驚愕すべきは、遥か先の未来まで見据えていたモモンガの叡智だ。

 その上、謙虚さと慈悲深さまで溢れている。

 この世で最も偉大な支配者のシモベである事に、マーレは深く心の中で感謝した。

 

 

「先程の続きだが、以前監視していたトレントの件もある。あれはこの世界の人間では、対処する事が不可能なレベルのモンスターだった」

 

「お姉ちゃんもテイムは出来ないって言ってたやつですよね」

 

「ああ。それを支配した者達がいる以上、情報収集は必須だ。――もしかしたら我々にも通用する可能性だってあるのだからね」

 

「な、なるほど。冒険者を生きて帰したのも、情報を広めて欲しいからなんですね」

 

「まぁ他にも理由はあるが、概ねそんなところだ。今後もドラゴンに散歩してもらう事が出てくるかもしれないが、その時はまた頼むよ」

 

「はい、任せてください!!」

 

 

 ナザリックの輝かしい未来を想像しながら、マーレは元気よく返事をした。

 

 

「――今後は万一の事が起きても、天災ならぬ竜災に全て揉み消してもらう事が出来ます。実に楽しみですね……」

 

「も、もしボクの力が必要なら言ってください。ちゃんと天災も起こせますから、全部ペシャンコに出来ます」

 

「ああ、手札はあればあるほど良い。頼りにしているよ」

 

 

 そしてデミウルゴスはこれからの作戦を思い浮かべているのか、悪魔らしい笑みを見せる。

 しかし、我らが偉大なる支配者は一味違った。

 

 

「ぇ……」

 

 

 眼窩の灯を消し、完全な瞑想に入っている。

 神聖さすら感じる神秘的で美しい静の姿。

 浮き足立っている自分達に、油断はするなと優しく諭してくれているようだ。

 

 

(凄い…… ありがとうございます、モモンガ様!!)

 

 

 流石は至高の御方のまとめ役、アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターである。

 マーレもモモンガに倣って、静かに気を引き締めるのだった。

 

 

 




当時の状況は詳しく分からないけど、過去に薬草採取を成功させたチームってかなり凄そう。
課金ガチャのドラゴンが喋れるのか不明ですが、そのあたりは想像です。
ラキュースがそれっぽい事を呟いてますが、人類の存亡をかけた戦いは多分起きない。
ちなみにイグヴァルジは灰にならずにちゃんと蘇りました。




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悩める者達

期間が空いてしまったので、あらすじ&簡単な設定のおさらい

「ドーモ、課金の竜王です」
「イグヴァルジが死んだ!?」
「私は無理せずがんばろっと」
「流石はモモンガ様……」

モモンガ  :ネムの友達。この物語の主人公、もしくはヒロイン枠。骸骨。
ネム    :モモンガの友達。時々凄いクリティカルを起こす。普通の少女。
デミウルゴス:至高のお考えと奇跡の発想を形にする。事の原因は大体この悪魔。

今回はタイトル通り、色んな悩みを抱える者達のお話です。


 スレイン法国の最奥に位置する神聖不可侵な領域。

 この部屋に入る事が許されているのは、神官長や各機関の最高責任者など、合わせて十五名にも満たない限られた人間のみだ。

 法国では一定以上の立場の者は給料が安くなる――私欲に塗れた者が上に立たない様にするため――仕組みになっている。

 つまり、ここにいる者達は皆、身を粉にして人類を守護する気概のある者だけだ。

 

 

「はぁ…… 歳のせいか、会議の内容を聞くだけでも泣きそうになりますな。そろそろ後釜を考えるべきだな」

 

「それは大変だ。心臓に毛すら生えた皆様がそうおっしゃるなら、ますますこの会議は若者には任せられまい。是非とも長生きして、神官長を続けていただかなければ」

 

「老後の余生を楽しむ暇もないとは。まったく世知辛いものだ」

 

 

 そんな彼ら自身の手によって磨き上げられ、清められた特別な空間は、神秘的な輝きに満ちている。

 しかし、その輝きに反して、円卓の上は淀んだ溜息で溢れていた。

 

 

「――消息不明になった陽光聖典の扱いはどうなっている?」

 

「竜王国からも救援の催促が来ておる。このままだと国が滅ぶとな」

 

 

 竜王国――国境にもなっている巨大な湖で隔てられた、法国の東に位置する国だ。

 この国は長い間、近隣にあるビーストマンの国から侵攻されており、国家滅亡の危機に瀕している。

 事態はかなり切迫しており、自国の力だけでは都市の防衛も満足に出来ていない。法国が秘密裏に兵力を貸し出す事で、ギリギリ耐えている状態である。

 

 

「今は第一班の班長だったイアン・アルス・ハイムを隊長代理として、予備隊員を指揮させている。……だが、正直なところ部隊としての練度がまるで足りん。竜王国への援軍として送り出すのは厳しいぞ」

 

 

 その竜王国への援助として、法国が毎年派遣していたのが陽光聖典である。

 だが、光の神官長を務めるイヴォン・ジャスナ・ドラクロワの顔には、厳しいどころかハッキリと無理だと書いてあった。

 

 

「竜王国への援助は諦めるしかあるまい……」

 

「また人類の生存圏が大きく狭まるのか。我々にとって、いや、人類にとってあまりにも大きい損失だ」

 

「いっそ『一人師団』だけでも派遣するか? あの者ならビーストマンの軍隊が相手でも戦えるはずだ」

 

「他の任務との兼ね合いを考えると、悩みどころだな。やはり陽光聖典の抜けた穴は大き過ぎる……」

 

「仕方あるまい。ニグンは一人の戦士としても、隊長としても非常に優秀な男だった。陽光聖典が以前の戦力を取り戻すには、相当な時間がかかるだろう」

 

 

 消息不明とは言ったが、陽光聖典の隊員が生存している可能性は低いと、この場の誰もが理解している。

 巫女姫の大儀式により第八位階魔法――〈次元の目(プレイナーアイ)〉を使用し、一度は捜索も試みた。

 しかし、ニグンを対象に魔法を発動する事が叶わなかった。

 人類では決して届かない神域の魔法が失敗するなどあり得ない。不発に終わった原因も分かりきっている。

 ――見つける対象が既にこの世に存在しないという事だ。

 そのため、神官長達の言葉には亡き戦友を悼む気持ちが入り混じっていた。

 

 

「それで、陽光聖典を全滅させた者達の正体は判明したのか?」

 

「私の方でも進展はなしだ。王国内部の情報を密偵に探らせたが、あの国の上層部はロクに調べてもいない。戦士長の報告がほぼ全てと言っていい。それすら眉唾ものの話と思われているようだがな。全く愚かな事だ……」

 

 

 場の空気が変わり、神官長達の目にも険しさが戻る。

 気になるのは当然、陽光聖典を倒した存在についてだ。

 風花聖典が収集した情報に期待が集まったが、視線を向けられた風の神官長はゆっくりと首を横に振るう。

 

 

「リーダー格と思われる仮面の人物は、『モモンガ』と名乗る魔法詠唱者(マジックキャスター)。後は全身鎧の戦士、老齢の執事と魔法が使えるメイドが幾人か。……そして、左右で異なる色の瞳を持つダークエルフの子供。これ以上の情報は入っておらん」

 

 

 以前の会議でも伝えられた事が再度繰り返され、神官長達は苦しげに頭を捻る。

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ暗殺任務に従事した者達は誰一人帰らず、手を尽くしても僅かな情報しか得る事は出来なかった。

 

 

「一応過去数十年の記録も追ってみたが、該当する集団は近隣諸国には存在しない」

 

 

 この集団は非常に謎が多い。

 集めた数少ない情報によれば、転移の失敗により遠方からやって来た旅人とある。

 

 

「単なる旅人というのは、間違いなく嘘だな。ニグンには秘宝を託していたが、使う暇も与えずに倒したのだろう。惜しい事に秘宝も処分されてしまったのだろうな」

 

「我が国の精鋭中の精鋭を退けられる旅人など、早々いてたまるものか」

 

「もしや、二百年振りの神の降臨ではないか? 口伝で伝えられた周期的にはそろそろだろう」

 

「流石にそれはなかろう。村を救った後の行動があまりにも大人しすぎる。我らが六大神しかり、八欲王しかり、善悪にかかわらず神は強大な力を持つのだからな」

 

「その後の目撃情報が全くないのも異常だ。モモンガと思われる仮面の男は、時折カルネ村に現れているそうだが……」

 

 

 だが、この時点でかなり怪しい。

 失敗と言えど、複数人を長距離転移させる魔法を使ったと言うのだから。

 村人達は凄い魔法くらいにしか思わなかったのかもしれないが、これが本当ならば英雄の域を超えた逸脱者クラスの偉業だ。

 

 

「やはり、その者達はダークエルフの王族ではないか? 仮面を着けた王など聞いた事はないが、王族ならば護衛を兼ねたメイドや執事を連れていても、不思議ではあるまい。彼らの異常な戦闘力にも頷けるというものだ」

 

「あの裏切者と同じ瞳か……」

 

「エイヴァーシャー大森林のエルフ王とは別の血筋かもしれんな。どちらにせよ、特別な血を持っているのは間違いなさそうだ」

 

「目撃情報がないとすれば、トブの大森林に潜んでいる可能性も捨て切れないな。陽光聖典を全滅させる程の力があれば、あの森に住む事も可能だろう」

 

「業腹だが少なくとも敵対は避けるべきであろう。村を救う程度の正義感は持ち合わせているようだしの。場合によっては陽光聖典の件は水に流し、こちら側に勧誘する事も考えられますな」

 

 

 そして、神官長達が特に気にする情報の一つ――その場にいた闇妖精(ダークエルフ)の子供の瞳は左右で違う色だった。

 オッドアイは森妖精(エルフ)の王族に見られる特徴である。法国が現在戦争をしているエルフの国の王も同じ特徴を持っており、かなりの強者である事が知られている。

 故にその事を知る彼らは、陽光聖典を倒した事も含め、謎の集団の戦力に最大限の警戒をしていた。

 

 

「――そろそろ次の議題に移らせて頂きます。トブの大森林に現れた『ガーチャー・ドラゴンロード』なる存在ですが、エ・ランテルのミスリル級冒険者が一名殺害された以外の被害は報告されておりません。現在では――」

 

 

 多くの意見は挙がるが、どれも推測の域を出るものは無く、今後の方針を大きく動かす決め手とはならなかった。

 結局この謎の集団に対しては、情報を集めつつ静観の構え――つまるところ現状維持である。

 一つの議題で時間を浪費するわけにもいかず、明確な答えの出ぬまま会議は次々と進められていく。

 

 

「次に、ローブル聖王国に強大な悪魔が現れた件ですが…… なっ!?」

 

 

 議題を淡々と読み上げていた進行役の口が止まり、驚愕と嫌悪がその顔に浮かんだ。

 その様子を不審に思った参加者は、素早く次の資料に目を通す。

 そして、皆が進行役と似たような表情になった。

 

 

「……これはどういう事だ? いや、ここに書かれている事は事実なのか?」

 

「諜報部による裏付けも取れているようだ。……信じがたいことだが」

 

「一夜にして南北に連なる城壁が崩壊。現れた悪魔達を聖王国の人間と、アベリオン丘陵の亜人が協力して倒したとあるな。その後、亜人達との和解と共存を聖王女が目指しているとも……」

 

 

 ローブル聖王国――法国の西にある国で、巨大な湾によって領土が南北に分かれる形をしている。スレイン法国程ではないが宗教色の濃い国だ。

 しかし、宗教の違いから衝突することが無いとは言えない間柄だ。

 また、両国の間には亜人の住む地域――アベリオン丘陵が広がっているため、それほど強い国交がある訳でもない。

 しかし、それらを踏まえてもこの情報はあまりに突飛過ぎた。

 

 

「くっ、百歩譲って亜人と共同戦線を張るのは理解出来る。先に襲われたのは亜人どもの集落だったようだが、結局勢いが衰えることなく城壁まで破られておる。そうでもしなければ倒しきれない程の悪魔だったという事だ」

 

「それについては私も納得はしないが理解は出来る。生き残るための最善だったのだろう。だがっ、何故その後に和解まで踏み切った。いや、踏み切れたのだ!?」

 

 

 聖王国は南北に連なる巨大な城壁を築き、それによって長年亜人の侵攻を防いでいた。

 国民はアベリオン丘陵に住む亜人の襲撃に日夜悩まされていたので、彼らの持つ亜人への悪感情は強いはずなのだ。彼らと古くから親交のあった人魚(マーマン)などの亜人を除けば、手を取り合うなどあり得ない。

 

 

「人喰いの化け物と手を取り合うなど、一体何を考えているのだ。あの聖王女は本気で亜人と仲良く出来ると思っているのか?」

 

「カルカ・ベサーレスか…… あの王女は確かに善良だが、帝国と違って強行な政策が取れる性格の王ではなかったはずだ。南部の貴族達の反発を抑えられたとも思えんが……」

 

 

 そもそも今代の王、カルカ・ベサーレスは聖王国の歴史上初の女王だ。

 性別や即位の経緯などを理由として、内心では認めていない貴族も多く、国のまとまりも良くはなかったはずである。

 

 

「聖王女に反発していた南部の主な勢力は、悪魔の手によって大多数が死亡。悪魔に応戦した聖騎士団は、あの有名な団長も含めてかなりの数が戦死しておるな」

 

「この報告も見るといい。何とも都合の良い事に、亜人達の中でも積極的に聖王国に侵攻していた種族は、今回の戦争でかなり数を減らしたそうじゃ……」

 

「なるほど。どう足掻いても互いに争っている場合ではない状態という事だな」

 

「そして聖王女に反発しそうな勢力は軒並み墓の下と」

 

「いくらなんでも話が出来すぎている。まるで何者かが聖王国と亜人を結ぶために、悪魔の襲撃を起こしたみたいではないか?」

 

「だが、一体誰が得をするというのだ? レメディオス・カストディオを筆頭とする聖騎士団や、丘陵に住む亜人はかなりの強者が揃っていたはずだ。それを相手にこれ程の被害を出した悪魔を、使役していた者がいるとも思えんが――」

 

 

 希望という名の出口が見えない、彼らの憂鬱な会議はその後も続く。

 各国で人の手によるものとは考えられない、資材などを狙った大規模な盗難が起こり、盗みの神の再臨が噂されている事。

 帝国もその盗難被害に遭い、今年は戦争を仕掛けられず、王国を併呑させる計画が遅れている事。

 リ・エスティーゼ王国の新たな王となったザナックが妙に優秀すぎる件。

 エルフの国との戦争の被害状況。

 法国の秘宝を盗み出した裏切り者の行方。

 

 

「――はぁ。いっその事『破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)』を使えるなら、王国の悪徳貴族を一掃してやりたい気分だ。その方が戦士長を暗殺するより、早く人類が纏まるのではないか?」

 

「滅多な事を言うものではない。どうせなら亜人の国に送り込んでやりたいものよ」

 

「どれも手が足りぬな。引退した聖典の者を呼び戻すか?」

 

「心苦しくはあるが、良い考えだ。決して無理強いは出来んが、せめて儂ら並の給料を払ってやるとしよう」

 

 

 人類の守り手らしからぬ冗談が口から滑るほど、彼らは精神的に疲弊していた。

 会議の中で何一つ吉報と呼べるものはなく、彼らの溜息だけが増え続けていくのだった。

 

 

 

 

 ネム・エモットの朝は早い。

 ――と、私は個人的にそう思っている。

 太陽が昇って空が明るくなった頃に、いつも眠気を堪えて頑張って起きている。

 父や母はもっと早く起きているみたいだが、自分にはこれが精一杯だ。

 毎日の仕事が決まっている訳ではないので、とりあえず朝は早く起きて、母や姉の手伝いをするのが私の日課となっていた。

 

 

(よしっ、今日も一日頑張ろう!!)

 

 

 いつも通りの日常を過ごし、現在の時刻は昼過ぎだ。

 今日はモモンガと冒険をする予定もなく、家族から急いでするようにと頼まれた仕事も残っていない。

 昔なら空いた時間――偶に仕事をサボったりもしてた――は近所の子と遊んでいたが、アレ以来遊ぶ事はめっきり少なくなった。すぐに遊びに誘える相手もおらず、今は完全に手持ち無沙汰だ。

 一人で暇を潰すのは寂しいしつまらない。どうせなら母か姉に、何か手伝える事がないか聞いてみよう。

 

 

『――ネム、聞こえるか? 私だ、モモンガだ』

 

 

 そう考えた矢先、突然頭の中に直接声が響いてきた。

 

 

「っうん、聞こえてるよ」

 

 

 ほんの少しだけ驚いたが、声の主は間違いなくモモンガだ。

 私は慌てる事なく、頭に手を当てながら落ち着いて返事を返す。

 

 

『いきなり連絡してすまない。今は話しても大丈夫か?』

 

「全然大丈夫だよ。どうしたの?」

 

 

 虚空に向かって急に喋り出した私を、家族は一瞬だけ怪訝な目で見つめてきた。

 だけど、会話の相手に思い至ったのか、直ぐに納得した様子を見せた。

 

 

『緊急の用事という訳ではないが、少しネムと話がしたくなってな。……もし時間があればでいいんだが、ちょっとだけ会えないか? もちろん用事があれば別の機会で構わないんだが』

 

 

 優しいモモンガらしい、私に気を遣った控えめなお誘いだ。でも声に元気というか、覇気がない事が少し気になる。

 もしかしたら、これは相談事でもあるのだろうか。

 

 

「うん、いいよ!!」

 

 

 ――自分の事を頼ってくるかもしれない。

 力になれるかは分からないけど、どんな話でも聞いてあげよう。

 困っているモモンガには少し悪いけれど、私の声は少しだけ弾んでいた。

 

 

「お母さん、お姉ちゃん、ちょっと出かけてくる!!」

 

 

 背中越しに「いってらっしゃい」の声を聞きながら、私は家を飛び出した。

 

 

 

 

 村のほど近く、小鳥のさえずりや野良猫の鳴き声、風の音が聞こえる落ち着いた空間。モモンガはご丁寧に魔法を使ってまで、周りに人がいないかを確認していた。

 今日の話はよほど他の人に聞かれたくない事なのだろう。

 周囲に誰もいないことを確認した原っぱに座りながら、モモンガはぽつぽつと語り始めた。

 

 

「実はな、周りの期待がめっちゃ重いんだ……」

 

「うんうん」

 

 

 私は「知ってる」という言葉を飲み込みながら、相槌を打ってモモンガに続きを促す。

 

 

「特に賢すぎる部下の…… ぶっちゃけるとデミウルゴスの考えている事が、本気で分からないんだ」

 

 

 予想通り相談事があったみたいだ。

 地味な茶色のローブを纏い、ぼんやりと空を見上げるモモンガには、なんとも言えない哀愁が漂っている。

 

 

「デミウルゴスさんの?」

 

「ああ。この前なんか、危うく世界征服を始めようとしてたし…… 今でも異世界を制覇しようと画策したり、挙句の果てに『ナザリック移動要塞化計画』とか、もう意味が分からん!!」

 

 

 珍しい事に今のモモンガは完全に素の声だ。

 冒険中や部下の前で使っている低めの声ではなく、口調も仕草も全部砕けている。

 

 

「世界征服は分かるけど、移動要塞って何のこと?」

 

「俺にも分からん。あいつが何を思って提案してきたのか、頭の良いやつの考える事はさっぱりだ。一体どこからその発想が出てくるのやら……」

 

 

 お手上げとばかりに両腕を上げ、そのままモモンガは寝そべる様に後ろに倒れ込んだ。

 こんな姿を見せるのも非常に珍しい。

 モモンガは支配者だから、ナザリックではいつも気を張っているのかもしれない。

 きっとカルネ村の村長より何十倍も重い責任と期待を一人で背負い続けて、疲れてしまったのだろう。

 

 

「デミウルゴスさん、とっても賢いよね。そういえば、この間も勉強を教えてもらった時に何か思いついてたよ」

 

「そうなんだよ。頭良過ぎなんだよ。こっちが全く身に覚えのない作戦とか、ガンガン進めててさ。でも周りの部下はみんな優秀だから、上手くいってるみたいなんだ」

 

「上手くいってるならいいんじゃないの?」

 

「いや、深読みのし過ぎで何故か俺の手柄になってる時もあるんだぞ? ……そんな先の事まで考えてないって!! 端倪すべからざるってなんだよ!? こっちは小卒の一般人なんですけど!! ――ふぅ」

 

 

 モモンガは思いの丈をぶちまけ、糸が切れた様に突然止まった。

 本人がどう思っているかはともかく、学校を卒業したアンデッドは一般人に含まれるのだろうか。

 

 

「俺、みんなが思うような超人でも、完璧な存在でもないんだけどなぁ」

 

 

 モモンガは自信なさげに呟くが、そんな事はないと思う。

 少なくともモモンガ自身が思っているより、モモンガはずっと凄い存在のはずだ。

 

 

「でもモモンガも魔法とか色々出来るし、凄いと思うよ?」

 

「使える種類には自信があるが、魔法くらい俺以外の誰かでも出来るさ。はぁ、もう俺が支配者やらなくても、全部あいつに任せれば良いんじゃないかなぁ……」

 

 

 弱音を吐くモモンガと一緒に寝転がりながら、ナザリックにいる面々を思い出す。

 みんなモモンガの事をとっても尊敬していて、モモンガの事を大切に思っていて、モモンガの事が大好きだ。

 たぶん支配者を辞めるなんて言ったら、全員が大慌てになるんだろうな。

 

 

「正直に言ったら駄目なの? 分からないって伝えたら、ちゃんと教えてくれると思うけど。デミウルゴスさん、教えるの上手だよ?」

 

「それは――駄目だ」

 

 

 弱々しかったモモンガの声に、少しだけ力が戻った。

 

 

「どうして?」

 

「……失望、されるのが怖い。それに、彼らの期待を裏切りたくないんだ」

 

「完璧じゃなくても良いと思うけどなぁ。私もナザリックのみんなも、そんな理由でモモンガの事を嫌いになったりしないと思うよ?」

 

「それでもだ」

 

 

 私の横でおもむろに空へ向かって手を伸ばし、モモンガはそのまま何も掴んでいない手をぎゅっと握りしめる。

 

 

「――俺は我儘だから、彼らの前では理想の支配者であり続けたいんだ」

 

 

 モモンガはそう言って微笑んだ。

 仮面を着けていて顔は見えないけど、きっと優しい笑顔なのだと思う。

 

 

「いつバレるか分かんないけどな」

 

「きっと大丈夫だよ。それに本当になりたいなら、今から理想の支配者を目指せばいいんだよ」

 

 

 これは絶対になれる。

 だって、既にナザリックのみんなにとって、モモンガは理想の支配者なんだから。

 デミウルゴスがあれだけ色々絶賛していたから間違いない。むしろ誉め言葉しか聞いたことが無い。

 あとは本人が気付くだけだ。

 

 

「そうか、今からか…… ゲームが現実になったんだ。ロールも本物に出来るかも、しれないな」

 

「ろーる? 支配者なのは元からじゃないの?」

 

「いや――ああ、そうだな。私は『アインズ・ウール・ゴウン』のギルドマスターだ。……それだけは、今も昔も変わらない、誇っていい事だよな」

 

 

 モモンガはどこかスッキリした様子で、自分で発した言葉を噛み締めていた。

 

 

「随分と弱音を吐いてしまったが、ここで話した事は内緒だぞ?」

 

「うん!! 二人だけの秘密だね」

 

「ああ、私とネムだけの秘密だ」

 

 

 口元に指を一本立てるモモンガに、私も元気よく笑い返した。

 簡単なことだ。

 モモンガの気持ちは最初から決まっている。

 部下の信頼には応えたい。でも失敗したら、嫌われたらどうしようと、誰にも言えず不安だっただけだ。

 なら、私は今のモモンガをそのまま応援してあげればいい。

 いつかモモンガがみんなと話せる時が来たら、今日の悩みは杞憂だったと笑い話になるだろう。

 

 

「さてっ、そろそろ帰らなきゃな」

 

 

 会った時より元気を取り戻したモモンガは、勢いをつけて起き上がり、ローブに着いた草や砂利を払った。

 

 

「ありがとう、ネム。愚痴ばかりこぼしてしまったけど、聞いてもらえてすっきりしたよ」

 

「どういたしまして。モモンガが困ったらいつでも聞いてあげるよ」

 

 

 私は大した事は言っていない。

 でも、モモンガの力に少しでもなれたなら、ちょっとでも恩返しが出来たなら嬉しいな。

 

 

「頼もしいな。愚痴を聞いてもらう側になったのは本当に久しぶりだ。……私がネムの様に、素直に自分の気持ちを話せていたら、今頃、ヘロヘロさんくらいは――」

 

 

 私も立ち上がって胸を張っていると、モモンガが小さな声で何かを呟いた。

 私の顔をじっと見つめながら、誰か別の人の事を思い出しているみたいだ。

 

 

「――いや、考えるだけ無駄だな。こぼれたミルクは元には戻らない、か」

 

「え、なんて? 牛乳こぼしたの?」

 

 

 しかし、その懐かしむ様な雰囲気もアッサリと消えてしまった。

 一瞬ポカンとした様子だったモモンガは、直ぐに楽しそうに笑い始める。

 

 

「はははっ、何でもないさ!! 今の私にはネムという最高の友人がいて、幸せだと思っただけだ」

 

「えー、モモンガ絶対違う事考えてたでしょ!!」

 

「いやいや、嘘は言ってないぞ?」

 

「その顔は嘘をついてる顔です」

 

「仮面なんだが」

 

「仮面の下はお見通しだよ」

 

「ただの骨なんだが」

 

「えっと、じゃあ目が光ってるから――」

 

 

 その後も結局、取り留めのない事を二人で話し続けた。

 帰ると宣言してから話し込んでしまう。これは友達と一緒にいればよくある事だろう。

 ――暇だったはずの私の時間は、あっという間に過ぎていくのだった。

 

 

 

 

 何者かが近づく気配を察知し、ツァインドルクス=ヴァイシオンは閉じていた瞼を開く。

 そこにいたのは一人の人間だ。

 腰に立派な剣を携えた老婆が、老いを感じさせない足取りでこちらに歩み寄ってくる。

 

 

「久方ぶりじゃな、ツアー」

 

「相変わらず気配を消すのが上手いね、リグリット」

 

 

 久しぶりにこの地を訪れた友人――リグリット・ベルスー・カウラウ――は、悪戯が成功した子供の様にニヤリと口角を上げた。

 竜の感覚は他の生物より遥かに鋭い。ましてや『白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)』である自分は、他の竜と比較しても格段に知覚能力などが優れている。

 そんな自分に全く気付かれず、ここまで近づける者はそうはいない。

 そして竜王を驚かせるためだけに、その卓越した技術を使おうとする人間はもっと少ないだろう。

 

 

「まぁ、わしはあそこに置いてる友に会いに来ただけだがね」

 

 

 リグリットが部屋の隅にある中身の無い白金の鎧を見やりながら、いつもの皮肉を浴びせてくる。

 その話はそろそろ時効にしてもらいたいと思いつつ、変わらない友人とのやり取りに喜びを感じ、ツアーは牙をむき出しにして苦笑を返した。

 

 

「――ところで君に依頼があるんだが」

 

 

 かつて渡した指輪がなくなっている事。

 共通の知人をネタにした過去の思い出話。

 少しだけそれらの雑談に興じた後、ツアーは真剣味のある声で話を切り出す。

 

 

「冒険者はとっくに引退したよ」

 

「そうか…… それでも君にお願いがある。世界を汚す力――ユグドラシルのアイテムや、ぷれいやーに連なる者。それらの痕跡を探して欲しい」

 

「……百年の揺り返しか。会ったのかい?」

 

「明確にそうだと断言できる存在は見つけていない。ただ、何かが起こっている気がする」

 

 

 百年の周期でこの世界に現れるようになってしまった『ぷれいやー』の存在。

 強大な力を持つ彼らは、この世界の在り方すら容易く歪め、周囲に多大な影響を及ぼしてきた。

 これは自分の父である『竜帝』の過ちであり、だからこそ実子である自分の手でケリをつけなければならない問題だ。

 

 

「お前さんにしちゃ歯切れが悪いね」

 

「周期的にはそろそろだと思うけど、ぷれいやーらしい目立った者には会えていないからね」

 

「リーダーの様な例もある。今はまだ、成長前なのかもしれんの……」

 

「かもしれないね」

 

 

 愁いを帯びた表情を見せるリグリットは、昔一緒に旅をした十三英雄の仲間を思い出しているのだろう。『死者使い』と呼ばれたリグリット自身も十三英雄の一人だ。

 かつての十三英雄の中で、誰よりも弱く、最終的に誰よりも強くなった者。

 仲間達から『リーダー』と呼ばれていた者は、ユグドラシルから来たぷれいやーだった。

 

 

「依頼は分かった。わしも情報を集めるとしよう。願わくば、今回もリーダーの様に世界に協力する者である事を祈るよ」

 

「ああ、頼むよ。私も、そうであって欲しいと思うよ」

 

 

 六大神と呼ばれた者達がいた。

 八欲王と呼ばれた者達がいた。

 口だけの賢者、十三英雄のリーダー、呼び名すら残っていないぷれいやーも過去にはいたのだろう。

 善悪にかかわらず、自分は彼らを見極めなければならない。その者達が世界を歪める力を持つ存在なのかを。

 

 

「……どちらの側にせよ、放置するわけにはいかないからね」

 

「仮に悪の存在であろうと心配はいらんだろう。おぬしは己に縛りさえかけなければ、この世界で最強の存在なんじゃからな」

 

 

 リグリットは快活に笑いかけてくるが、ツアーは軽く返事を返す事が出来なかった。

 ぷれいやーの強さだけではない脅威を知っているだけに、慢心も軽視も出来ない。

 

 

「そうだと良いんだが……」

 

 

 ツアーはリグリットに曖昧に応えながら、決意を固めるように頭の中で別の事を考えていた。

 彼らに対して憎しみは無くとも、慈悲をかけるつもりもない。

 この世界に迷い込んだ責任はこちらにあるとしても、ぷれいやーがこの世界にとって異物である事実は変わらない。

 

 

(善悪など関係ない。ぷれいやーが世界を汚すという事実が重要なんだ。私が世界を守る――)

 

 

 ぷれいやーの中には話が通じる者もいた。

 悪と呼ぶに相応しい者も、心根から善なる者がいた事も認めよう。

 だが、彼らが世界を汚すなら、私は彼らを滅ぼす。決して蘇生などさせやしない。

 過去にもそうしてきたように、彼らを消す事に躊躇いはない。

 彼らが世界を歪める動機に興味はない。私は世界を歪める存在を許す訳にはいかないのだ。

 

 ――そう。私が世界を守るのだ。

 

 

 

 

おまけ〜やっぱり支配者は辛いよ〜

 

 

「モモンガ様、各国にまいた種が芽吹いてきたようです」

 

 

 まるで悪の組織の幹部のように――実際にその通りだが――何かを企む笑顔を見せるデミウルゴス。

 嗚呼、家庭菜園並みの気軽さで、悩みの種を国家事業並みにバラまかないで欲しい。

 

 

「ほぅ…… そのようだな」

 

 

 微妙に言葉の足りない報告会。

 モモンガは内心の不安を押し殺し、支配者らしい所作で静かに頷いてみせた。

 例の如く、モモンガはこの悪魔が何を話しているのか、一ミリも理解はしていない。

 

 

「今代のバハルス帝国の皇帝は歴代最高と言われているようですが、人間にしては実に素晴らしい。中途半端に賢いおかげで、非常に行動が読みやすくて助かっております」

 

「ナザリック一の智者であるお前にかかれば、手のひらで転がせぬ人間の方が少ないだろうに」

 

 

 何のことかはサッパリ分からないが、帝国の皇帝は被害者役として内定を貰っているらしい。

 酷い目には遭うのだろうが、国家滅亡といった派手な事にはならないはずだ。

 せいぜい物資やお金をナザリックに横流ししてもらうくらいだろう。たぶん。

 デミウルゴスにはナザリックの存在がバレない様に、敵対者を作らないようには言ってあるのだから大丈夫なはずだ。きっと。

 

 

(優先すべきはナザリックの存続だ。ある程度は仕方ない。だが、お前は出来る子だと信じているぞ、デミウルゴス!!)

 

 

 この世界に来てから自分の精神はアンデッドよりになり、人間に対して同族意識はない。鈴木悟の残滓とも言えるものが、心の片隅に少し残っているだけだ。

 それ故に未だ顔も知らぬ皇帝に対して、心の中で申し訳程度に合掌した。

 

 

「資金集めの作戦はどれも順調です。大局に影響は少ないと思いますが…… モモンガ様、現在の作戦状況ですと、どれから仕上げていくのが良いと思われますか?」

 

(俺が理解している前提なんだろうけど、もう作戦名すら言わなくなったな…… どの作戦も知らないよ!! お前の出した報告書いくつあると思ってるんだ。俺が覚えきれるわけないだろう……)

 

 

 デミウルゴスはモモンガの智謀を期待して楽しそうに尋ねてくるが、モモンガは心の中で悲鳴をあげていた。

 ネムと話して癒されたはずの精神が、ガリガリと音を立てて削られていく。

 

 

「……植物には旬というモノがある。そして旬とは、収穫量と質、二つの側面からタイミングが決まる。あとは分かるな?」

 

 

 もう破れかぶれである。

 モモンガはギルドメンバーの一人、ブルー・プラネットが熱心に話していた事をうろ覚えに引用し、デミウルゴスに答えを丸投げした。

 本当に自分は一体何を言っているのか。

 

 

「――なるほど。そういう事ですか」

 

 

 狙い通りだが悲しいかな。どうやらデミウルゴスの頭の中で、都合良く答えに変換されたようだ。

 お前は今の話から一体何を閃いたというのか。本当に会話の相手は自分なのだろうか。

 

 

「おぉ、流石はモモンガ様。無数にある選択肢の中から、こうも瞬時に最適解を導き出されるとは……」

 

「世辞は良い。これくらいお前もわかっていた事だろう?」

 

 

 デミウルゴスに心から褒められる度、騙しているモモンガの罪悪感は膨らんでいく。

 そして、教えて貰った知識をくだらない言い訳に使った事を、心の中でしっかりギルメンに謝罪した。

 ついでに早く詳細を教えてくれと、目の前の悪魔に本気で祈った。

 

 

「ご期待に添えず、誠に申し訳ありません。私の想定していたやり方では、モモンガ様の望む成果に遠く及ばず…… 私では――」

 

(分かってはいたけど、俺に対するハードルが高過ぎる…… その評価はどこから来ているんだ? 設定されている訳でもないのに)

 

 

 事実無根の高評価に、モモンガは頭をひねった。

 そして、悲痛な顔をしたデミウルゴスが下げた頭を眺め、モモンガの無いはずの胃が破裂しそうに痛みだす。

 

 

「――法国を人類の敵に仕立て上げるのに、最低でも倍の期間を要した事でしょう」

 

「ぇ?」

 

 

 悪魔の放った〈胃掌握(グラスプ・ストマック)〉は致命的な一撃となった。

 知ったかぶりの対価としてはあまりにも痛い。

 許容限界を超えたモモンガの幻想の胃は壊れ、精神の安定化が幾度となく繰り返される。

 

 

「矜持を奪われ、守るべき存在に石を投げられる。……その時に彼らがどんな表情を見せてくれるのか、非常に楽しみですね」

 

 

 顔を上げた悪魔の、非常に愉悦に満ちた笑み。

 ――これ、アウトなやつだ。

 自分が何か押してはいけないスイッチを押してしまった事を、モモンガは遅まきながら理解した。

 どうしようもなく、一分の隙も無く、完璧に自分の自業自得である。

 

 

(資金集めの話は何処いった!? もしかして異世界を制覇する方の話に繋がってたの!?)

 

 

 『理想の支配者』に至るまでの道のりは、果てしなく遠い。

 

 

(本当に俺はこんな調子で理想の支配者になれるのか? うぅ、無いはずの胃が痛い…… すまん、ネム。また愚痴らせてくれ……)

 

 

 されど、モモンガが再び『(ネム)』を頼るまでの道のりは、そう遠くなかった。

 

 

 




中々ネタがまとまらず、今回は少し暗めの話になりました。
基本的にネムを話に登場させる都合上、各国のあれこれとか守護者の出番が少ない事はご容赦ください。ネム優先です。
デミウルゴスがやっている全ての事を、モモンガ様が知る日は来るのだろうか……




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森の中の獣大墳墓を知らず

前回のあらすじ

「牛乳こぼしたの?」
「流石はモモンガ様」
「ぐふっ、俺の胃が……」

今回はハムスケの話。
サブタイの続きは「されど友の凄さを知る」です。



「ねぇ、モモンガ。ハムスケって何をあげたら喜ぶかな?」

 

 

 ある日の事。少し困った表情をしたネムから、モモンガは相談を受けた。

 

 

「ハムスケは食べ物なら何でも喜びそうだが…… 何かの記念日か?」

 

「ううん、違うよ」

 

 

 ネムは普段から好奇心旺盛なので――そのせいで偶に姉をドキッとさせる事もあるらしいが――自分に質問をしてくる事は珍しくない。

 だが、今回はいつもと少し毛色が違う。

 知識を求めて疑問をぶつけるというより、純粋に相談事のようだ。

 

 

「……今までハムスケと一緒に、何度もお仕事してきたよね」

 

「まぁそうだな。冒険者の依頼を受ける時は、基本的にハムスケも誘っていたからな」

 

 

 なんにせよ、モモンガの取る行動はこの時点で既に決まっている。

 ネムが何かに悩んでいるのだ。内容は分からずとも、協力するの一択だ。

 

 

「それがどうかしたのか?」

 

「あのね……」

 

 

 何かを言い辛そうにしているネムに、モモンガは先を促すように問いかける。

 ただでさえネムが自分に助けを求めたり、お願い事をしてくる事は滅多にないのだ。

 日頃からネムという存在に助けられているので、自分がお返しに手を貸したいと思うのは当然であった。

 

 

「私達、ハムスケに報酬渡してない……」

 

「……あっ」

 

 

 バツが悪そうに目線を外したネム。

 一拍置いて、モモンガも気づいてしまった。

 ハムスケは別にモモンガの部下ではない。ネムの友達兼、相棒枠にいる魔獣だ。

 だが、モモンガ達はハムスケを一人の冒険者仲間として扱っていたつもりのはずが、実際には分け前を全く渡していなかったのだ。

 

 

「忘れてたね……」

 

「私もだ。完全に忘れてたな……」

 

 

 これは会社で例えるなら、社員に給料を全く払っていないのと同義。

 ――究極のブラック企業だ。

 もはや会社とすら言えないレベルだ。あのリアルですらそんな会社は存在していなかった。

 社蓄として苦労しながら生きていた自分が、そんな物を認める訳にはいかない。

 

 

「よし、すぐに報酬を準備しよう」

 

「うん、私も手伝う!!」

 

 

 働けば報酬を貰えるのが当然。

 いずれはナザリックをホワイト企業化するためにも、自分がそれを実践していかなければ。

 

 

(あいつらも何か望みが出来ると良いんだけどな。『お仕え出来る事が何よりの褒美です』とか、みんな同じ事言うし…… やっぱり休暇だけでも取らせてみるか?)

 

 

 あわよくば、ハムスケに報酬を与える姿をNPC達にも見せて、ナザリック内の意識改革に使えないか考えるモモンガだった。

 

 

 

 

「――と、いう訳で、ハムスケは何が欲しい?」

 

「して欲しい事でもいいよ?」

 

「唐突でござるなぁ」

 

 

 いきなり自分の住処にやってきた二人の要求に、ハムスケは頭を捻った。

 ネムとモモンガの話を要約すると「今までの仕事の報酬を渡したい」そうなのだが、自分には使えもしないお金は必要ない。

 そしてドラゴンなどの種族と違い、ハムスケは財宝などにも興味はない。

 

 

「急に言われても難しいでござるよ。某は報酬が欲しかった訳でもござらんし……」

 

 

 そもそも自分はネムやモモンガと一緒にいるのが好きなだけだ。冒険者の仕事を手伝っていたのも、それが大きな理由である。

 いわば趣味でやっていただけなので、最初から見返りは求めていないのだ。

 

 

「何か望みはないのか? 大抵の願いなら叶えられるとは思うが…… 武器とか鎧とか、魔法の道具でもいいぞ?」

 

「某、武器は使わないでござる」

 

 

 寝床はある。食べ物も自分で手に入れられる。生きるために困っている事は特にない。

 森の奥深くに現れたドラゴンについては不安だが、これに関しては近づかなければ良いだけだ。

 

 

「ネム殿にいつもブラッシングしてもらっているので、報酬というならそれで十分でござるなぁ」

 

「うーん、出来れば私からも何かしてやりたいのだが……」

 

 

 他に唯一望みがあるとすれば、同族の番いが欲しいくらいか。

 だが、仕事の報酬で自分の伴侶を願うのは流石に気が引けた。

 

 

「お願い事、他に何もないの?」

 

「強いて挙げるなら、力が欲しいでござるな」

 

 

 このまま何も無いと言っても、二人は納得しないだろう。引け目を感じて冒険に誘われなくなるのはちょっと寂しい。

 よって、ハムスケはいくらあっても困らないモノを望んだ。

 

 

「ハムスケはもっと強くなりたいの?」

 

「そうでござる。生物として、生き残るために力を欲するのは当然でござる」

 

 

 自分は既にかなり強い。なので今すぐに更なる強さが必要かと言われると微妙だが、強くなりたいという願い自体は嘘ではない。

 物理的な物ではないので、自分の狙い通りなら「じゃあみんなで特訓しようか」と、そんな流れになるはずだ。

 

 

「――ほぅ、力が欲しいのか」

 

 

 ――魔王がニヤリと笑った。

 いや、仮面の奥の表情は見えないのだが、明らかにモモンガの声音が弾んだように感じた。絶対にこの骸骨は何か良からぬ事を考えている。

 もしかして、自分は何か判断を間違えただろうか。

 

 

「強くなる事が望みなら、私の家――ナザリックに来て、私の仲間達と修行をしてみないか?」

 

「モモンガ殿の仲間でござるか……」

 

「私の部下にも色々いるからな。きっとハムスケも得るものが多いだろう」

 

 

 思ったよりも予想通りのお誘いだが、自分の狙いとは若干ズレている。

 モモンガの提案について考えながら、チラリと自身の相棒の顔を見た。

 

 

「ハムスケと見た目は違うけど、モモンガの家には魔獣とかもいっぱいいるよ」

 

 

 なんて事のない、いつものニコニコとした表情だ。

 ネムは何度も行った事があると話していたし、この反応からすると危険な場所ではないのだろう。

 

 

「……ちなみに、そのナザリックなる場所には、モモンガ殿より強い者はいたりするのでござるか?」

 

「デミウルゴスさんはモモンガが一番凄いって言ってたよ。モモンガは至高の支配者で、自分達シモベでは足元にも及ばないんだって」

 

「ふむふむ。やはりモモンガ殿は別格なのでごさるな」

 

「あいつそんな事話してたのか。デミウルゴスの言葉はちょっと、いやかなり誇張があるんだが……」

 

 

 ハムスケは念のために確認したが、モモンガを超える存在がいるとは微塵も思ってはいなかった。

 その足元に及ぶような存在ですら、あの森の奥で見たドラゴン以外にいるとは考えてもいない。

 もしそんなのがポンポンいたら、この世界は終わりである。

 

 

「では、それでお願いするでござる」

 

 

 やや不安はあるものの、自分は『森の賢王』と呼ばれ、長年恐れられた大魔獣。

 ドラゴンという生まれながら強者である種族などの例外を除けば、自分はこの森でも最強であるという自負がある。

 正直なところ、森の外でも自分に勝てる者はほとんどいないと思っている。

 

 

 

「了解だ。まずはコキュートスあたりと模擬戦をさせて、戦士としての素質でも見てもらうか」

 

「モモンガの仲間はみんな優しくて凄いから、ハムスケもきっと強くなれるよ。特訓が終わったらまたブラッシングしてあげるね」

 

「それは嬉しいでござる。某、期待は裏切らないでござるよ」

 

 

 そんな自分が絶対に勝てないと断言するのが、目の前にいる顔を隠した骸骨だ。

 このモモンガという男は強い弱いの話ではなく、正直生まれる次元を七つくらい間違えたとしか思えない程の超越者(オーバーロード)だ。

 しかし、自分に対する扱いが少々雑な気はするが、なんだかんだ親切で優しい骸骨でもある。

 

 

「ハムスケもやる気は十分だな。では早速行こうか」

 

 

 ネム以外で自分に気安く接してくれる、唯一の存在と言っていいだろう。

 

 

「某の才能と成長に刮目するでござるよ!!」

 

 

 ここは一つ、修行の中でモモンガの部下とやらを圧倒して、少しは自分の事を見直してもらおう。

 魔獣も沢山いるようだが、同じ魔獣としてそんじょそこらの奴に負ける訳にはいかない。

 ネムにも自分の強くてカッコいい所を見てもらおう――

 

 

 

 

「――サァ、何処カラデモカカッテクルガイイ」

 

「これは無理でござる」

 

 

 ――そんな風に考えていた時が、某にもあったでござる。

 

 

 修行のために案内されたモモンガの家――ナザリック地下大墳墓。

 その第六階層にある闘技場で、ハムスケは一人の武人と対峙していた。

 

 

「……一見無防備ニ見エルガ、ソレガ構エナノカ?」

 

「はっ!? 思わずひっくり返ってしまったでござる!!」

 

 

 その相手の名はコキュートス。

 棘の付いた尻尾の生えた二足歩行の昆虫――ライトブルーの甲殻で覆われた巨漢の異形種だ。

 全身の甲殻はまるで鉄壁を誇る鋼の鎧のようだ。そして四本ある腕の内、一本には白銀のハルバードが握られている。

 その堂々とした立ち姿は一振りの剣を思わせ、遥かな高みにある戦士としての強さがありありと感じられた。

 

 

「ハムスケー、頑張れー」

 

「コキュートスよ。レベル差があり過ぎるから、加減を間違えるなよ」

 

「ハッ。オ任セ下サイ、モモンガ様。決シテ殺サズ、コノ者カラ潜在能力ノ限界ヲ引キ出シテ見セマス」

 

「お、お手柔らかに頼むでござる……」

 

 

 命の危険もありありと感じた。

 ネムの軽い声援に応えて、服従のポーズから何とか起き上がったが、近付けば一撃で真っ二つになる未来しか見えない。

 これほどの存在が絶対の忠誠を誓っているとは、自分はまだモモンガの事を甘く見ていたのかもしれない。

 

 

「っまずはこれでござる!!」

 

 

 本能は生命の危機を訴えているが、これはあくまで修行である。そのはずである。

 ハムスケは逃げ出したくなる気持ちを押し殺し、距離を取ったままコキュートスに自慢の尻尾を全力で叩きつけた。

 今までの経験上、この尻尾の一撃だけで大半は決着がついた。

 さらに、万が一初撃を防がれたとしても、そこから尻尾を折り曲げて追撃が可能。

 二段構えの完璧な技だ。

 

 

「フム、遅スギルナ……」

 

「なんとっ!?」

 

 

 しかし、そんな自慢の一撃も目の前の化け物にはあっさりと見切られた。

 ハルバードを動かす素振りもなく、淡々と空いた片手で尻尾の先を掴まれてしまった。

 

 

「自在ニ操レル尻尾ヲ武器ニスルノハ良イ。ダガ、ワザワザ真正面カラ打チ込ムノハ勿体ナイ。ソシテソノ程度ノ威力デハ、私ノヨウナ格上ノ相手ニハ――」

 

 

 掴んだ尻尾を強引に引き寄せられ、自身の巨体が軽々と宙に浮く。

 コキュートスとの距離が強制的に縮まっていく中、ハムスケは相手の動きがスローモーションになっている様に感じた。

 

 

「――通用シナイト知レ」

 

 

 さらば我が獣生。

 同族に会えなかった事、子孫を残せなかった事など、心残りが脳内を一瞬にして駆け巡る。

 コキュートスから漏れ出た吐息は、白い煙の様に広がり霧散していく。

 ハルバードを振りかぶり、自身の脳天めがけて真っ直ぐに振り下ろされ――

 

 

(人型の昆虫とは、もう二度と戦わないでござる……)

 

 

 ――役に立たない後悔と共に、自分の意識はそこで途絶えた。

 

 

 

 

 コキュートスとの模擬戦が終わってから数分後。

 無事に意識を取り戻したハムスケは、ネムに頭のあちこちを撫でられていた。

 

 

「ハムスケ、大丈夫? まだどこか痛いの?」

 

「体はピンピンしてるでござるよ……」

 

 

 ハムスケにとって死を覚悟する程の一戦だったが、その恐怖に反して自身の体には傷一つない。

 自分を心配そうに見つめる相棒の優しさが、今だけはとても痛かった。

 

 

「コキュートスはちゃんと寸止めしたから、怪我一つ無いはずだが?」

 

「うぅ、面目ないでござる」

 

 

 この場所の支配者、モモンガの容赦ないツッコミも痛い。

 武器が当たってもいないのに、イメージだけで気絶してしまった情けない自分の心に深く刺さる。

 

 

「さて。ハムスケが気絶している間に、コキュートスからアドバイスを貰っておいたぞ。『狩猟ではなく、戦闘経験を積め』だそうだ」

 

「戦闘、でござるか……」

 

「ハムスケって結構戦ってるよね?」

 

「作業ゲーではなく、対人戦をしろ――では伝わらんな。えーと、要するに同格以上の相手と戦えって事だ」

 

 

 中々手厳しい指摘だ。確かにここ百年近く、本当の意味で戦闘と呼べる物はしていない。

 食べ物を得るための狩りでも、基本的に自分より弱い存在しか狙っていなかった。

 そもそもハムスケと対等に戦えるような存在は、森の中にはほぼいないというのもある。

 

 

「最近は襲ってくる冒険者もいないでござるし、ちょうどいい相手はあんまりいなかったでござるよ」

 

「まぁ、ハムスケは三十レベルに近いからな。並みのモンスターでは相手にもならんだろう」

 

 

 一応自分の他にあと二体ほど、トブの大森林の東と西を支配している実力者がいるらしい。

 その者達ならいい勝負になるのかも知れないが、ハムスケは縄張りの外に興味がないので戦ったことはなかった。

 

 

「――っという訳で、あたしの出番だね」

 

 

 闘技場の席から突然響いてきた明るい声。

 そこから飛び降りてきたのは、左右の瞳の色が違う闇妖精(ダークエルフ)の子供だった。

 活発な子供にしか見えない普通の姿だが、彼女は十数メートルの高さを平然と飛び降りている。その身体能力は異常としか言えない。

 今更だが、やはりここはヤバイ場所だ。

 そんなナザリックの支配者であるモモンガはもっとヤバイと、ハムスケは生きている事に感謝しながらしみじみと思った。

 

 

「アウラお姉ちゃんが手伝ってくれるの?」

 

「そうだよ。実際に相手をするのは、あたしのペット達だけどね」

 

「結果は予想は出来るが…… うん、良い経験にはなるんじゃないか?」

 

「同じ魔獣同士なら、某ももうちょっと頑張れるでござる!!」

 

「へぇ、気合十分だね。おーい、出番だよ――」

 

 

 その話を聞いてハムスケは気合いを取り戻す。

 次の修行の相手は、アウラと呼ばれた闇妖精のペット――自分と同じ魔獣らしい。

 

 

(アウラ殿はペットと申した。ならば、そんなに化け物じみた者は出てこないはずでござる!!)

 

 

 先程戦ったコキュートスと違い、同系統の種族なら少なくとも同じ土俵には立てるはずだ。

 というか、あんな強さを持っている方がおかしいのだ。

 モモンガの言葉に若干の不安は残るが、今度こそ自分のカッコいい所を見せられるかも知れな――

 

 

「この子があたしのお気に入り、神獣のフェンリル。一応大雑把な分類では魔獣だから、ハムスケと近いのかな? 名前はフェンだよ」

 

「これは無理でござる」

 

 

 ――うん。某も分かってたでござる。

 アウラに呼ばれて現れたのは、自身と遜色ない大きさの獣。美しい漆黒の毛並みに、所々金の模様が入った巨大な狼だ。

 自分に近いと言われたが、自分と近いのはその大きさだけ。

 主人であるアウラに対して犬の様にじゃれついているが、真紅の瞳から感じる威圧感は自分と同じ魔獣とは思えないレベルだ。

 そして自分の相棒であるネムは、そんな神獣の毛皮に顔をうずめてモフモフしている。

 相棒のメンタルが強すぎてびっくりでござる。

 

 

「フェン、くれぐれもやり過ぎて殺さないようにね。――あとは好きにしていいよ」

 

 

 その一言を合図に、じゃれついていた犬は怪物に変貌した。

 フェンがこちらを見る目は、完全に獲物を見つけた捕食者のそれだ。

 先手必勝――ハムスケは相手が動き出す前に、全力で逃走を開始する。

 

 

「つ、捕まったら絶対に死ぬでござるー!!」

 

「ちょっとー、少しは戦わないと経験にならないでしょー」

 

「無理でござるよー!!」

 

 

 アウラが無理難題を言ってくるが、自分は足を止める気は無い。

 これはただの逃走にあらず。自分にとっては生きるための闘争だ。

 相手が飽きるまで延々と続く、地獄の鬼ごっこの始まりである。

 

 

「ふむ。この世界では敵を倒さずともレベルは上がるようだが、強敵から逃げるだけでも経験値は手に入るのか? どうなるか分からんが、結果が楽しみだな」

 

「フェンから逃げ切るなんて不可能なんだから、ちょっとくらい戦えば良いのに……」

 

「今のハムスケには酷だろう。うーん、少し可哀想だから、バフくらいはかけに行ってやるか」

 

 

 ちょっとだけ不憫に思えたモモンガは、ハムスケの手助けに向かった。

 だが、如何にモモンガの魔法によるサポートがあろうと、フェンとハムスケのレベル差は実に二倍以上。

 ハムスケがフェンに抵抗出来たかは、悲しいかな御察しの通りである。

 

 

「ハムスケ、大丈夫かな?」

 

「加減するように言ってあるから大丈夫でしょ。モモンガ様から魔法をかけて頂けるなんて、羨ましい奴……」

 

「モモンガの魔法、凄いもんね」

 

「その通り!! モモンガ様はこの世で最も偉大な魔法使いだからね。さてっ、おいで、ネム。待ってる間、あっちでハンバーガーでも一緒に食べよ」

 

「うん!!」

 

 

 ハムスケが命懸けで修行している一方で、こちらの少女達はほのぼのとした雰囲気で時間をつぶしていた。

 ネムはアウラと一緒に仲良くハンバーガーにかぶりつき、終始ご満悦だったとか。

 

 

 

 

おまけ〜守護者と話してみよう〜

 

 

 ナザリックの第九階層のとある場所に用意された特設スタジオ。

 クリーム色を基調とした、華やかで明るい雰囲気の空間――どこかのお茶の間で見た事があるようなセット――が、見事な完成度で作り上げられていた。

 もちろんソファーに座っているネムには、元ネタなど知る由もない事だが。

 

 

「始まりました、『ネムの部屋』。記念すべき第一回目のゲストは、アルベドさんです!!」

 

「トップバッターは私ね」

 

 

 元気な挨拶と共に「るーるるー」と、何処からか流れる肉声のBGM。

 『ネムの部屋』と題されたこの企画。

 これは異形種だらけのナザリック内に広がるある問題――行き過ぎた人間軽視やナザリック至上主義――をどうにかしようと、モモンガ自らが考案したものである。

 

 

(一応ネムと面識もあるし、最初は守護者達のまとめ役でもあるアルベドでちょうど良いだろう。これをきっかけに少しでも変わってくれると良いんだが……)

 

 

 NPC達に人間についてどう思うか尋ねると、返ってくるのは「下等生物」、「ゴミ」、「玩具」と、散々なものだ。

 そんな彼らでも最低限の演技くらいは出来ると思っているが、外で活動させる時に問題を起こさないか不安でしょうがない。

 

 

(あいつらが外で遊ぶ様子はあんまり思い浮かばないけど、もし道でぶつかられた程度で即抹殺とかやられたら困るからな。度々頼ってすまないが、頼んだぞ、ネム!!)

 

 

 そこで、外の世界の人間であるネムとの交流を通し、外部の者に対する嫌悪感や侮りを少しでも減らす。

 ――減らせたら良いなと、モモンガは魔法で完璧な黒子に徹しながら期待していた。

 

 

 

「くふふ、この機会を待っていたわ。今日はよろしく頼むわね」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 

 淑女然とした佇まいを見せるアルベド。

 普段と変わらない表情で微笑んでいるが、ネムがペコリと頭を下げたその一瞬、彼女の黄金の瞳は怪しく光った。

 しかし、この場にいる者は誰も気が付かない。

 

 

「今日はアルベドさんに質問したり、色々お喋りをしたいと思います」

 

「ええ、モモンガ様からも簡単なご説明は頂いているわ。それに他ならぬネムとのお話だもの。なんでも答えてあげるわよ」

 

 

 ちなみにナザリックの者達にとって、ネムは『至高の御方であるモモンガのご友人』にして『モモンガを救った大恩人』である。

 もはや外の世界のただの人間という枠からは、完全に外れた存在だ。

 つまり、企画段階でモモンガの計画は破綻しているのだが、残念ながら本人は気が付いていない。

 

 

「わぁ、ありがとうございます。いっぱい質問しますね!!」

 

「その代わりと言ってはなんだけど、後でちょっとだけお願いを聞いてもらえないかしら?」

 

 

 慣れない司会進行役に張り切るネム。

 そんなネムに優しく微笑みながら、アルベドはすかさず布石を打ち込んだ。

 

 

「お願い? なんですか?」

 

「簡単な事だから深く考えなくて大丈夫よ。さぁ、始めましょうか」

 

「は、はぁい」

 

 

 疑問の言葉はやんわりと流され、ネムはとりあえず頷く。

 

 

「じゃあさっそく、アルベドさんの好きな物は何ですか?」 

 

「モモンガ様よ」

 

「そ、即答…… えっと、普段はナザリックで何をされているんですか?」

 

 

 妖艶な美しさを持ちながら、強く凛々しい表情を見せるアルベド。

 短い言葉の中に込められた強い想いに、質問したネムは思わずたじろいだ。

 そしてこの話題が危険だと即座に判断し、深堀せずに話を切り替える。

 その切り替えの早さに、モモンガは内心で拍手を送っていた。

 

 

「守護者統括として、シモベの管理や実務の調整などを行っているわ。内務で私の右に出る者はいないと自負しているわよ。もちろんモモンガ様は別ですが」

 

「へぇ、すごーい。アルベドさんはとってもお仕事が出来るんですね」

 

「仕事だけじゃないのよ? 私は家事全般も完璧。裁縫だってお手の物よ」

 

 

 突然の女子力アピール。

 アルベドは腕前の証明として、どこからともなくデフォルメされた骸骨のヌイグルミを取り出す。もちろんモモンガをモデルにしたものだ。

 どうやらネムが気を遣おうと、アルベドとの会話ではモモンガ関連の話題から逃れられないらしい。

 これを隠れて見ているモモンガは、精神の沈静化が起こらない程度の微妙な羞恥心に襲われていた。

 

 

「うわぁ、モモンガにそっくりですね」

 

「他には抱き枕とか、もっと精巧に再現した物だってあるわよ。それ以外にも将来のために子供服だって、もう五歳までの分は作ったわ」

 

 

 少し興奮した様子のアルベドは、残念な美人と言って差し支えない表情をしている。

 そんな彼女を前にしては、普段から好奇心旺盛なネムであっても「何のための子供服ですか?」とは、軽々しく質問出来ない。

 

 

「あぁ、女の子でも男の子でも、何人でも、アルベドは大歓迎します。モモンガ様……」

 

「アルベドさん、凄いです……」

 

 

 感心したような、引いているような、どちらとも言えないネムの感嘆の声が、彼女の残念感を際立たせていた。

 そして、夢の中へトリップしていたアルベドが、突然現実のネムへと向き直る。

 

 

「ねぇ、ネム。仕事も家事も両方出来る女の方が、至高の御方であるモモンガ様には相応しいと思わない?」

 

「え?」

 

「さっきのお願いなんだけど、ちょっとだけで良いの。ほんの少しで良いから、モモンガ様に私の事をアピールしてくれないかしら」

 

 

 まだギリギリ肉食系の美人と言える表情で、アルベドはにじり寄りながらネムにお願いを告げる。

 別々のソファーに座っていたはずの二人。

 しかし、その距離は今、その気になれば手を握れる程の至近距離だ。

 

 

「貴女が推してくれれば、モモンガ様もきっと納得してくださるわ。そう、私を正妃に……」

 

「も、モモンガは結婚に興味なさそうだからっ、ちょっと無理だと思うなぁ」

 

「問題ないわ。それなら夫婦生活の素晴らしさも一緒に伝えてちょうだい。安心して、悪いようにはしないわ。ほんの先っちょだけよ。さり気なく私の魅力を伝えてくれるだけで良いのよ?」

 

 

 ゆっくりと離れようとしたネムの肩を、ガッチリとホールドしたアルベド。

 腰から生えた黒い翼がバサバサと動き、鼻息荒く少女に迫る姿はヒドインとしか言えない。

 

 

「あの偽乳で頭の悪いシャルティアより、モモンガ様に相応しいのは公私共に支えられるアルベドですと、そう伝えてくれるだけで良いの!! 上手くいけばもちろんお礼もさせて貰うわ。手付金としてこれを――」

 

「買収しようとするな!!」

 

 

 モモンガは思わず飛び出してしまった。

 勢いのままに手に持った杖でツッコミを入れてしまい、攻撃を行った事で〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉は解除され、黒衣を着たモモンガの姿があらわになる。

 ちなみに杖はアルベドの頭部にクリティカルヒットしていたが、完全にノーダメージ。怯みすら発生していない。

 流石は防御最強の守護者統括である。

 

 

「……アルベド、私の言いたい事は分かるな?」

 

「あぁ、も、モモンガ様!? これはその、えーと――そう!! 恋愛相談というものでございます!!」

 

「アルベド、謹慎三日間」

 

 

 モモンガは薄々そうじゃないかと気づいてはいたが、アルベドは自分が関わるとポンコツになるらしい。言い訳も下手すぎるし、普段の冷静で賢い彼女からは想像もつかない慌てぶりだ。

 慌てふためくアルベドを強制的に退出――レベル八十を超える本来は護衛用の忍者系モンスター五体がかり――させ、モモンガは深くため息をついた。

 これは元々の彼女の設定上、仕方のない事なのか。

 それとも、最終日に自分が少し弄ったせいなのか。

 

 

(いや、ビッチ属性を消して『実は妹という存在に甘くて優しい』って一文を追加しただけだぞ? それでこんな事になるのはおかしいだろ。元々の性格か、それとも創造主であるタブラさんの影響が強く出ているのか? でも、タブラさんはこんな暴走の仕方はしないし……)

 

 

 ゲームが現実となった事で起こる差異。いまだに明らかになっていないNPCの性格や能力と設定の関係性に、モモンガは頭を抱える。

 ――タブラさん、ギャップ萌えってなんですか。

 彼がアルベドにどんな思いを込めたかは測りかねるが、今は自分がどうにかするしかない。

 リアルでの上司とのやり取りを思い出しながら、モモンガは部下を教育する事の難しさを酷く痛感した。

 

 

「はぁ…… すまん、ネム。アルベドは少々疲れているようだ。三日ほど姉の所で休養してもらう事にする」

 

「あはは…… 愛されてるね」

 

「重いなぁ。そろそろ本気で食べられそうだ。私はただのアンデッドで、体も骨なのに……」

 

 

 ナニも無いモモンガでは、サキュバスであるアルベドの情熱的な愛に応えるのは無理だ。

 もちろんアルベドだけに限らず、シャルティアの変態的嗜好にも応えられないし、仮に普通に求愛されたとしても自分では応える事が出来ないだろう。

 元よりナザリックにいるNPC達は、ギルドメンバーの残した子供のように思っている。

 そのため、モモンガは彼女達の事をそういう対象としては見辛いのだ。

 そもそも強い感情はすぐに抑制されるので、自分には恋愛すら不可能だと思っている。

 

 

「よいしょっと」

 

「どうした?」

 

 

 モモンガが黄昏れていると、ネムはいそいそと靴を脱いでソファーに登る。

 そして、自分の肩にポンと手を置いた。

 

 

「頑張れ、モモンガ」

 

 

 友からの軽いエール。その気軽さが、今のモモンガには却ってありがたかった。

 アルベドの欲望に満ちた笑顔とは違う、慈愛に満ちたネムの笑みに僅かだがモモンガの心が軽くなる。

 少し情けなくもあるが、自分はやはり恋人よりも友を求めているのだろう。

 

 

「今日は上手くいかなかったけど、私はまた手伝うよ」

 

「ありがとう、ネム……」

 

 

 ネムの部屋、第一回目の結果。

 ――アルベドが氷結牢獄に入れられた。

 

 

 

 




ハムスケがついにナザリックの凄さを知りました。
今作のアルベドはマイルド仕様です。
設定を書き加えた際、それを考えたネムの優しさがほんの少し混じっているので、ギルメンへの憎悪とか裏切りとか不穏な要素は一切ありません。
ただしデミウルゴスの仕事は増えました。




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注目されるネム

前回のあらすじ

「ハムスケにも報酬あげなきゃ」
「これは無理でござる」
「アルベド、謹慎三日間」


今回は派手な功績は立ててないけど、色んな所からネムが注目されつつあるよという話。
あとモモンガ様もナザリックでちゃんと働いてますアピールの話。



 ナザリック地下大墳墓の第五階層「氷河」――その名が示す通りの氷雪地帯。

 現在は維持費節約のため、このエリアの吹雪等のフィールドエフェクトは完全に停止させている。

 そしてそれ以外にも、第五階層にはナザリックがこの地に転移してから、少しだけ様変わりした一角があった。

 

 

「さて、始めるか――」

 

 

 元サラリーマンの死の支配者(オーバーロード)――モモンガの目の前には、大量の死体が冷凍保存されているという、かなり猟奇的な光景が広がっていた。

 こんな光景を毎日目にしていれば、普通の感性を持つ者なら精神に異常をきたすだろう。

 しかし、今のモモンガはこれだけの死体に囲まれても、道端で潰れた虫を見つけた程度の感情しか湧かなかった。

 

 

「ラスト一回。特殊技術(スキル)〈中位アンデッド創造〉――死の騎士(デス・ナイト)

 

 

 もしネムが見たら泣き出すだろうなと思いつつ、モモンガは一日のスキルの使用回数を全て使い切る。

 これはナザリックの戦力増強のため――死体を媒介にした召喚モンスターが、制限時間を過ぎても消えないと判明してから――基本的に毎日行なっている事だ。

 モモンガは日課となっているアンデッドの作成を終えると、改めて周囲の死体の山を眺めた。

 

 

「なんというか、全然減らないな……」

 

 

 辺り一面銀世界の寒々しい空間で、モモンガはボソリと呟く。

 ――拾い物や墓荒らしだけで、本当にこれだけの数が集まるのか?

 気になったモモンガは顎に手を添え、ほんの少しだけ首を傾げながら考える。

 

 

(デミウルゴスは『戦場や墓地から拾って参りました』なんて言ってたけど、この世界ってそんなに戦争が多いのか?)

 

 

 事実、死体集めの活動を行なっていないモモンガからすれば、疑問に思っても仕方のない量がここには保管されている。

 リアルではとっくの昔に廃れた文化だが、築地に並ぶマグロを遥かに凌駕する数だ。

 

 

(まぁ、いくらデミウルゴスのカルマ値が低くても、流石に死体欲しさに戦争起こすような短慮はしないだろ。敵対のリスクを増やすだけだし。……むしろ裏から対立だけ煽ってその隙に、とかの方が――してないよな?)

 

 

 ナザリックが表に出ないように注意しろと、以前デミウルゴスには告げてある。

 しかし、デミウルゴスが外の世界で暗躍している様子が簡単に想像出来てしまい、報告書を流し読みしているモモンガは背中にヒヤリとしたものを感じた。

 

 

「やっぱりゲームと違ってどの死体も生々しいな」

 

 

 保存されている死体は人間だけでなく、森妖精(エルフ)蜥蜴人(リザードマン)、トードマン、ゴブリン、ビーストマン、その他の亜人種など、かなり多種多様だ。

 ――剥製にしたら立派な博物館が出来そうだなぁ。

 どうでもいい事を思い浮かべ、モモンガが先程の嫌な予感を忘れようとしていると、件の悪魔が軽やかな歩調で現れた。

 

 

「――モモンガ様。いつもナザリックの戦力増強に御力をお貸しくださり、誠にありがとうございます」

 

「デミウルゴスか……」

 

 

 やって来て顔を合わせるなり、深く頭を下げるデミウルゴス。

 モモンガは気にするなと伝えるため、軽く手を振って応えた。

 

 

「顔をあげよ。私はナザリックの支配者として、当然の事をしているまでだ」

 

 

 支配者然とした態度を取りつつ「一体どの口で言ってるんだ」と、モモンガは内心でセルフツッコミを入れる。

 理想の支配者への道のりは未だ遠いのだ。

 

 

「私の助力など、お前の働きに比べれば些細なものだがな」

 

「ご謙遜を…… モモンガ様のお力添えは、決して些細な物ではございません」

 

 

 ナザリックの維持に関する事はデミウルゴスに丸投げ。

 運営の大部分はアルベドを筆頭に守護者任せ。

 最近のモモンガの僅かな仕事は、最終決定のための書類――それもアルベドが精査済みの物――に判子を押すだけである。

 正直なところ、上司としての務めを果たせているとは言い難い。

 自分の勤務時間が非常に短いのは助かるが、これは普通に支配者失格だろう。

 

 

「現にモモンガ様にお作り頂いたアンデッド、『ショック・ウェイ=24』は現地の組織に入り込み、十分な成果を上げております」

 

「そ、そうか……」

 

 

 ――誰だよ。

 デミウルゴスの口から知らない固有名詞が飛び出し、モモンガは必死に頭の中の記憶を探る。

 しかし、作成時にノリで名前をつけたアンデッドなんか、モモンガが覚えているはずもなかった。

 

 

「ええ、それはもう素晴らしい働きでございます」

 

「ほぅ。デミウルゴスがそこまで言うとはな。念のため、お前の口から聞かせてもらおうか」

 

「はい。とある裏組織で、不敬にも『不死王』を名乗る愚か者がいたのですが……」

 

「ふむ」

 

「ショック・ウェイはその低俗なアンデッドを誅殺し、見事幹部の座を奪い取る事に成功いたしました」

 

「ふむ。……え?」

 

 

 良い顔をするデミウルゴスに対して、モモンガは非常に返答に困った。

 大胆過ぎる潜入捜査である。

 いや、どう考えても潜入の域を超えているだろう。

 

 

「組織内でもその力は畏怖され、評判も上々との事です」

 

「あー、お前の作戦の役に立ったなら何よりだ。一応確認するが、問題はないのだな?」

 

 

 ――アンデッドが力業で幹部に成り代われる組織って、絶対ロクなところじゃないだろ。

 面接に合格した新入社員というより、物理的に面接官を倒して入ってきた侵入者員だ。その組織のトップはなぜ認めたのか。

 モモンガが人事部なら、そんな奴絶対にお断りしたい。

 

 

「御安心ください、モモンガ様。彼は今『不死王』ではなく、『金の亡者』という二つ名を名乗っておりますので」

 

「私は他人がどんな二つ名を名乗ろうが気にしないが、その気遣いには感謝しよう」

 

「おぉ、なんという寛大な御心。勿体なきお言葉です」

 

 

 ――何に安心したらいいんだ。

 違う。そうじゃないと言いたいが、デミウルゴスの笑顔を前にそれも憚られる。

 NPC達とは出来るだけコミュニケーションを取ってきたつもりだが、モモンガは未だに彼らの琴線に触れるポイントを把握し切れていなかった。

 もし外の存在で偶然に『ウルベルト』や、他のギルドメンバーと同じ名前を名乗る別人がいたら、どこの誰であれ抹殺されてそうである。

 

 

(資金調達の名目でやってる計画だけで、一体いくつあるのやら…… やっぱり報告書を読み直した方がいいのか?)

 

 

 膨大な書類の束を読み直す自分の姿を想像し、モモンガは頭を抱えたくなった。

 こればっかりはネムを頼る事も出来ない。

 

 

(そもそも判子を押す時点でもう少し注意深く読むべきか…… でも、難しくて分からないんだよなぁ。急に処理が遅くなったら怪しまれるし、質問出来る人もいないし……)

 

 

 モモンガはギルドメンバーの中で、特に頭の良かった人達を思い出す。

 少し癖のある人ではあったが、ギルド内最年長だった『死獣天朱雀』がいれば確実に泣きついていただろう。

 リアルで大学教授をしていた彼の経験が、ナザリックの賢者達にどこまで通用するのかは疑問だが。

 

 

「それにしても、流石は御身お手製のシモベですね。ショック・ウェイは外貨の獲得、裏社会での情報収集など、マルチな活躍をしております」

 

「え、そんなに?」

 

 

 ――なんだその有能っぷり。

 モモンガは思わず本当に自分が作ったアンデッドなのか疑問を抱いた。

 デミウルゴスが胸を張るくらいだ。そのアンデッドは中々役に立っているのだろう。

 

 

(戦力を増やせればいいなくらいの考えだったのに、どんだけ有効活用してるんだ)

 

 

 そして自分よりスキルで作った量産型の方が優秀そうな事実に、モモンガは若干ショックを受けそうになった。

 だが、よく考えてみればナザリックのNPCも、大半が作った仲間達より優秀である。自分が生み出したパンドラズ・アクターも、アレな部分を除けば非常に優秀と言える。

 ――うん。現実が理想に負けるのは仕方がない事だ。

 モモンガはNPCと自分の能力の差に理由を付け、不甲斐なさを無理やり飲み込んで納得させた。

 まぁ、一部創造主よりポンコツなNPCがいる事は否めないが。

 

 

「ふふふ。私もより一層精進しなければなりませんね」

 

「ははは。これ以上デミウルゴスに働かれては、他の者達の立つ瀬がなくなってしまうな」

 

 

 ――既に自分は立つ瀬がないけどな。

 モモンガはこの世界に来てから自分がやった事を振り返るが、基本的にネムと遊んでいるだけだった。

 冒険で稼いだ額を全て合わせても、きっと一日分の維持費にもならないだろう。

 ナザリックの維持に関しては、本当に自分は役に立っていないと実感する。

 なのに自分に対しての高すぎる評価だけは覆らない。期待を裏切らずに済んで嬉しいやら悲しいやら、本当にどうしてこうなった。

 

 

(でも一度任せた事だし、今更もっと手伝うって言っても邪魔だろうしなぁ。……それにもし言ったら「自分達に何か不手際が!?」とか、本気で面倒な事になりそうだ)

 

 

 そしてこの先もデミウルゴスが万能過ぎて、自分が役に立てる事はあまり無いだろう。

 彼らに勝っていると自信を持って断言できるのは、精々PKに関する知識や技術くらいだ。

 しかし、それをNPCに伝授しなければならない様な事態は起こってほしくない。

 なのでネムを見習い、自分も出来る事をコツコツとやるべきだろう。

 

 

(うん、適材適所って大事だよな。支配者やってる俺が言えた事じゃないけど……)

 

 

 せめてアンデッド作成だけはこれからもやり続けようと、モモンガは心の中で固く誓ったのだった。

 

 

 

 

 エ・ランテルの冒険者組合の一角。

 大量の依頼書が張り出された掲示板の前で、一人の少女が背伸びを繰り返していた。

 その数歩後ろには、少女の奮闘を見守る漆黒の全身鎧を纏った大柄な戦士が待機している。

 組合ではお馴染みとなった銅級(カッパー)の二人組、ネムとモモンガである。

 

 

「と、届かない…… あとっ、ちょっ、と!!」

 

 

 目当ての依頼書に背伸びでは届かなかったのか、最終的にネムはぴょんぴょんと跳びながら手を伸ばしていた。

 

 

「取れたっ。モモン、これなんかどうかな?」

 

 

 自身の身長を超える絶妙な高さと格闘した末、ネムは何とか目的の紙を剥がすことに成功した。

 そのまま手に取った依頼書を隅々まで確認しながら、ネムは自分に問いかけてくる。

 

 

「採掘場で見張りをしてくれる冒険者を募集中だって」

 

「見張りか。それは作業員の監視という事か?」

 

「うーん…… どっちかっていうと、モンスターとか野盗に対しての見張りみたい。もし戦闘になったら、ランクが上の冒険者さんが代わりに対応してくれるって書いてあるよ」

 

 

 ネムがデミウルゴスに勉強を教わる様になってからしばらく経つが、読み書きはずいぶんと上達したようだ。

 まだスラスラと読めている訳ではなさそうだが、依頼書の説明はもっぱらネムの仕事の一つとなっている。

 本人も出来ることが増えたためか、読み上げる姿は心なしか誇らしげに見えた。

 

 

「後は、えっとね、色んな連絡係も兼任してやるみたい。簡単なお仕事だから、一時間で銅貨三枚だって」

 

「……安いなぁ。まぁ別に構わないぞ」

 

 

 報酬はかなり少ないが、モモンガの目的はネムと仕事をする事なので問題はない。

 依頼を選んだネムにしても、報酬は少しでも家計の足しになればと思っている程度だろう。

 

 

(ネムのチョイスはいつも謙虚だな。そこまで気にしなくても良いのに、基本的に自分が役に立てる内容の仕事を選んでいるように思える……)

 

 

 意外と聡いネムの事だ。もしかしたら余りにも多過ぎるお金を手に入れてしまうと、村という小さなコミュニティの中では、却ってマイナス要素になりかねないと考えているのかもしれない。

 

 

(そこがネムの良いところでもあるよな。みんなを騙して無理くり支配者やってる俺なんかより、よっぽど誠実だなぁ)

 

 

 おそらくこの依頼は初心者に向けた物だ。

 駆け出しが他の冒険者と知り合いになれるよう、組合が配慮として用意した側面もある物ではないだろうか。

 自分とネムは冒険者になってから一年未満。実際の能力はさて置き、駆け出し用の依頼を受けても周りから悪くは思われないだろう。

 

 

「――モモンさん、ネムさん、ちょっとすみません。組合長からお二人にお話があるそうです」

 

 

 確認を終えて依頼書を持っていこうとした時、小走りで現れた受付嬢から声をかけられた。

 銅級の冒険者を組合長が呼んでいる――モモンガは何となくだが、嫌な予感がした。

 上司からの急な呼び出しなんて、大抵は悪い知らせだと相場が決まっているのだ。

 

 

「モモン君、ネム君、わざわざ呼び出してすまないね。とりあえず二人とも座ってくれたまえ」

 

「お気遣い頂き、感謝いたします。冒険者組合の長である貴方から直々とは、おそらく重要な話と予想しましたが」

 

 

 冒険者組合の二階にある部屋に通され、二人は組合長のプルトン・アインザックと向かい合う。

ネムがほんの少し緊張しているので、モモンガは相手の視線を自分に向けさせるように、あえてどっしりと構えた。

 

 

「実は君達を指名した依頼が入ってね。その件で相談しておこうと思ったんだ」

 

「指名依頼、ですか?」

 

 

 リイジー・バレアレから指名された一件の様な例外を除けば、確かに銅級の冒険者に名指しの依頼がくるのはほぼあり得ない事だ。

 しかし、それでもその程度の内容なら、個別で話すほど重要な事だとは思えなかった。

 銅級である自分達相手にわざわざ組合長が説明をするのだから、まだ何か理由があるのだろう。

 

 

「ああ、それも三件もだ。竜王国に帝国、王国内の都市エ・レエブルからそれぞれ依頼が来ている」

 

「それは…… 素直に光栄ですと、受け取っていいのでしょうか?」

 

「モモン、それってどういう意味? 指名依頼って凄いんじゃないの?」

 

 

 モモンガの率直な意見は、怪しいの一言に尽きる。

 首を傾げたネムはキョトンとしていて、あまり複雑には考えていないようだ。

 ネムの反応に毒気を抜かれたのか、アインザックは少しだけ表情を緩めて口を開いた。

 

 

「そこまで身構えなくてもいい。組合でも依頼の裏は取ってあるとも。どれも真っ当な所からの依頼ではあったよ。……その上で、竜王国からの依頼と帝国からの依頼は、断ってくれて構わないと思っている」

 

「理由をお聞きしても?」

 

「竜王国からの依頼は、とある場所への物資の護送。だが、あの国の内情から考えて、間違いなく道中で戦争に巻き込まれる」

 

「戦争とは、それは穏やかではありませんね」

 

「君達を指名したのも、ネム君の相棒の噂を聞いてのことだろう。それに指名とはいえ、銅級なら安上がりという理由もあるだろうな」

 

 

 費用対効果を考えれば君達以上にお得な冒険者はいないと、アインザックは軽く笑う。

 

 

「なるほど。しかし、冒険者が国家間の争いに関わるのは禁止されているはず。私達もそれは当然理解しています。何故巻き込まれると断言するのですか?」

 

「……竜王国の戦争相手がビーストマンだからだよ。方便としてモンスターの討伐という依頼なら、冒険者が合法的に戦争に参加出来てしまうという訳だ」

 

 

 アインザックが溜息混じりに告げた理由は、確かになるほどと思わせるものだ。

 だが、冒険者組合の長であるアインザックからすれば、冒険者を国から切り離すルールに抜け穴があるのはあまり嬉しい事ではないらしい。

 

 

「相手の本命はそちらという事ですか」

 

「私はそう考えている。おそらく向こうに着いたら、そのままなし崩し的に戦線に加わってくれと頼まれるだろう」

 

 

 他国から依頼が来るのは怪しいと思っていたが、想像以上に危険な仕事だった。

 こんな依頼がくるなんて、伝説の魔獣――ハムスケの影響力は良くも悪くも大きいのだと、改めてモモンガは実感した。

 

 

「一応確認するが、受けるかね?」

 

「お断りします」

 

「私もあんまり受けたくないです」

 

 

 こんな依頼受けるはずがない。

 冒険者の仕事に多少の危険が付き纏う事は、自分も理解しているしネムも納得している。人やモンスターを殺すことに、モモンガ自身はさほど忌避感もない。

 だとしても、大勢の人が死ぬ血みどろの戦争なんかに、間違ってもネムを参加させてたまるものか。

 

 

「ああ、分かっているとも。こちらで適当な理由を付けて丁重にお断りしておこう。それで、帝国の方の依頼なんだが、帝国内を巡回する騎士の任務に同行して欲しいそうだ」

 

「こちらも何か仕事内容に裏が?」

 

「いや、仕事自体はそれ程危険な物ではない。ただ、単純に距離が遠いし、期間が少し長くてね」

 

 

 竜王国からの依頼を断ると、アインザックは随分と安心した様子を見せた。

 そしてその流れのまま、如何にもネムを気遣っています感のある表情で話を続けてくる。

 

 

「ネム君は今もカルネ村に住んでいるのだろう? 帝国に長期滞在するのは辛いのではと、老婆心で思ったまでだよ」

 

 

 しかし、この説明はどこか腑に落ちない。

 仮にも冒険者組合の長が、そんな理由で指名依頼を断らせるだろうか。

 ネムがまだ幼いという事を差し引いても、アインザックの対応は違和感があった。

 

 

「君達が良ければ、こちらの依頼も失礼のないように組合から断っておくが?」

 

「ふむ……」

 

 

 まるで、この依頼を受けて欲しくない――自分達を帝国に行かせたくないかのようだ。

 少しだけ考えこみ、モモンガは一つの考えに思い至った。

 

 

(ああ、なるほど。引き抜きを警戒しているのか…… この男も中々食えない性格をしている)

 

 

 自分の隣で少し不安気な表情で座っている少女――強大な魔獣を従えていると周りに思われている――ネムの将来性だ。

 わざわざ別室に呼んだ理由も自分達を気遣うフリをしながら、単にこの依頼を受けないように誘導するためだろう。

 

 

(会社にもそんな上司がいてたな。まぁ、直接対応してくれているし、この人は根が悪い人ではないと思うが)

 

 

 確かに会社としては、将来有望な若手社員の転職は防ぎたいと思うだろう。

 逆に考えれば組合長が自分達の鞍替えを危惧する程度には、帝国というのは良い国なのかもしれない。

 あくまでモモンガの想像なので、もしかしたら全く別の理由という可能性もあるが。

 

 

「……モモン、どうするの?」

 

「もちろんこれも受けないさ。帝国は流石に遠いしな」

 

 

 以前の依頼で遥か遠くの竜王国まで行った身でありながら、モモンガは何食わぬ顔で距離が遠いからと言い切った。

 組合長の思惑が何にせよ、モモンガは元々帝国へ行く依頼を受けるつもりは全くなかった。

 

 

「もしかしてネムは受けたかったか?」

 

「ううん、モモンが受けたくないならそれでいいよ!!」

 

 

 モモンガが何気ない口調で尋ねると、ネムは安心した様に強い口調で断言した。

 自分が受けたいと言えば、ネムは無理をして着いてきたかもしれない。だが、やはり内心では行きたくなかったのだろう。

 先程『帝国の騎士』というワードが出てから、ネムの様子が少しおかしかった。

 もしかしたら、カルネ村で帝国の騎士――実際は法国の兵士の偽装――に襲われた時の事を思い出していたのかもしれない。

 

 

「そうかそうか。では、最後のエ・レエブルからの依頼だが、これは是非とも受ける事をお勧めするよ。内容の方だが――」

 

 

 先程までとは打って変わった明るいトーン。

 明らかに最初からこれだけを受けて欲しかったのだと伝わってくる。

 あまりの分かりやすさに、ネムと顔を見合わせ苦笑いが出たほどだ。

 

 

「どうだね? 報酬も悪くないし、二人にとってきっといい経験にもなると思うよ。ああ、エ・レエブルに行くのは初めてかな。心配しなくても質問があれば聞こうじゃないか」

 

 

 アインザックの熱弁ぶりを聞いて、これは断れないと確信するモモンガだった。

 

 

 

 

 指名依頼の一つを受ける事に決め、エ・ランテルを出発してから数日。

 私達はあえて街道を使わず、おおよそ人が通れる道とは言い難い道を進んでいた。

 ちょっと危険な森の中で楽しくキャンプ――もとい野営を行ったり。

 獣道とすら言えない場所も無理矢理に通り抜けたり。

 たまに遭遇したモンスターをハムスケが倒したりもした。

 

 

「やっぱりハムスケは速いね」

 

「ふふんっ。某の足腰は修行により日々進化しているのでござる」

 

 

 そして、私達はついに大都市エ・レエブルにたどり着いた。

 道無き道を踏破してきたため、既に私は冒険者の仕事を終えた気分だ。

 

 

「へぇ、すごーい。前より走るのが上手くなったのかな? 乗っててもあんまり揺れなかったよ」

 

「それは良かったでござる。アウラ殿の魔獣から走り方について指摘されたのでござるよ。それにカッツェ平野を全力疾走する事に比べたら、あの程度の道は簡単過ぎたでござる」

 

「関所も一箇所しか通ってないから、ちょっとだけ節約にもなったな」

 

 

 本来なら先ずはエ・ランテルから西にあるエ・ぺスペルに向かい、そこから北へ進んでエ・レエブルを目指すのが普通らしい。

 でも、私は組合で地図を見せてもらいながら道筋を説明してもらった時、斜めに真っ直ぐ進んだ方が早いと思ったのだ。

 

 

(戻ったら組合長さんに、ちゃんと真っ直ぐでも行けたって自慢しなきゃ)

 

 

 その場で「一直線に進むのは駄目?」と、聞いてみたら、組合長は呆然としていた。

 馬鹿な子供を見ている様な、呆れながらも優しい目になっていたのを覚えている。

 たぶん、机上の空論みたいな事を言いたかったのだろう。

 

 

「結果的に早く着いたし、ネムの判断は正解だったという事だ」

 

「えへへ。モモンも聞いてくれてありがとう」

 

「なに、面白いと思ったから賛同したまでだよ」

 

 

 だけど、モモンガは私の提案を否定せずにゴーサインを出してくれたのだ。

 やっぱりモモンガは普通の大人より話が分かる。

 

 

「うんうん、現実になったせいでつい忘れかけてたけど、道中のショートカットはRPGの基本だよな。まぁ、私達にしか出来ないやり方だが」

 

「あーるぴーじー?」

 

「ああ、別に気にしなくていい。ハムスケのおかげだと言いたかっただけだ。個人的にはあんまり乗りたくはないけどな…… さて、早速依頼人に会いにいくとするか」

 

 

 私達は一息ついた後、指定された場所に向かって歩き出した。

 今回の依頼は、既に冒険者を引退した元オリハルコン級の人達に会う事だ。

 なんでも自分達が現役の頃、見る事が叶わなかった伝説――森の賢王をこの目で確かめてみたいとかなんとか。

 

 

「どんな人達だろうね?」

 

「どんな古強者であろうと、きっと某の威容に恐れ慄くはずでござる!! 普通はそうでござる!!」

 

「修行した時のこと気にしてるのか?」

 

 

 あとはハムスケと一緒に冒険するに至った経緯などを、後学のために直接聞かせてもらいたいらしい。

 でも、森に連れて行ってくれたのはモモンガだし、私はハムスケに「友達になろう」って言っただけだ。

 本当に何かの参考になるのだろうか。

 

 

 

 

「――こりゃ凄い。噂には聞いていたが、本当に何の誇張もなく強大な魔獣だ」

 

 

 とある屋敷の庭で、ハムスケを見上げた一人のおじさんが感嘆の声を漏らした。

 周りにいる他の四人のおじさん達も、似たり寄ったりの表情で驚いている。

 

 

「この気配…… 確かに伝承に違わぬ力を感じる。噂に尾ひれが付いていないとは、恐れ入ったよ」

 

「深い知性を感じさせる力強い瞳…… 賢王と呼ばれるのも納得だ」

 

「伝説になるのも頷ける。ははっ、そんなのが相棒だなんて、お嬢ちゃんは凄いな」

 

 

 指定された場所は大きな庭のある屋敷だったが、依頼人の持ち家という訳ではないらしい。

 おじさん達の今の雇い主が持っている、複数ある別荘の内の一つだと言っていた。

 こんな立派な家がいくつもあるなんて、おじさん達の雇い主は相当お金持ちなのだろう。

 

 

「挨拶が遅れてすまない。かの伝説の魔獣と対面して、みんな年甲斐もなく興奮してしまったよ。私はボリス・アクセルソン。このチームのリーダー的な役割をしている――」

 

 

 五人のおじさん達は職業には元が付くけれどと言いながら、簡単な自己紹介をしてくれた。

 えんじ色の鎧を着た聖騎士――ボリス・アクセルソン。

 剣を四本も持っている剣士――フランセーン。

 ハルバードを持ったちょっとゴツいめの神官――ヨーラン・ディクスゴード。

 緑のローブを着た如何にもな魔術師――ルンドクヴィスト。

 飄々とした雰囲気の盗賊――ロックマイアー。

 

 

「訳あってヘルムを外せないので、このままで失礼いたします。私の名はモモン。見ての通り戦士です」

 

「初めまして、ネム・エモットです。私は…… なんだろ? とにかくこっちが相棒のハムスケです」

 

「某がハムスケでござる」

 

 

 おじさん達はみんな人が良さそうで、尚且つ村の人達よりも精悍な顔付きをしている。

 見た目から予想すると、全員が四十歳は過ぎていそうだ。

 でも流石は元高ランクの冒険者。体付きはしっかりしていて、既に冒険者を引退しているとは思えないくらいだった。

 

 

「それにしても参ったな。後輩に落胆されぬように全員装備を整えてきたが、君の全身鎧やグレートソードと比べると見劣りしてしまうな」

 

 

 戦士として同じ鎧を着ているからか、ボリスはモモンガを眺めながら苦笑していた。

 確かに私もボリスの装備より、モモンガの方が強そうでカッコいいと思う。

 

 

「はははっ、まったくだ。最近の若いもんは凄いな」

 

「いえ、これは仲間のおかげで奇跡的に手に入れた物なので、恥ずかしながら私の実力とは無関係です」

 

「君は銅級とは思えないくらい落ち着いた雰囲気をしているな。冒険者にしては珍しいくらい物腰が丁寧で謙虚だし、大したものだ」

 

「俺の元盗賊の嗅覚が告げてるね。その武器も防具も、さぞかし名のある職人が作ったもんだろう。俺が現役だったら是非とも狙いたい程のお宝だ」

 

「ふふっ。では今日は一日、盗られないように気を付けておくとしましょう」

 

 

 残念ながらロックマイアーの鼻は調子が良くないみたいだ。

 その武器も防具も、モモンガが毎回魔法でパパッと作っている物だ。

 

 

「――ルンドクヴィスト殿は沢山魔法を覚えているのでござるな。某は数が少ない故、羨ましいでござる」

 

「それは光栄だ。私が使える魔法は確かに六十を超えるが、それをかの森の賢王に褒められるなんてね」

 

「それって多い方なんですか?」

 

「そうだね、並の魔法詠唱者よりは手札が多いつもりだよ。現役こそ引退したが、研鑽は怠っていないからね」

 

 

 情報は時として武器になる。それはモモンガもよく言っている事だ。

 だから私も冒険者として色んな知識を増やすために、ハムスケとルンドクヴィストの雑談に参加する事にした。

 ありがたい事に私の初心者丸出しの質問でも、ルンドクヴィストは優しく答えてくれる。

 

 

「日々錬磨を続けるその心意気は立派でござるな」

 

「私は第三位階までしか使えないから、位階で比べるとハムスケさんには負けてしまうけどね」

 

 

 個人で使える最高の魔法が第六位階。

 ごく一部の天才が長い修練の果てに、第五から第四位階を扱えるようになる。

 第三位階は普通の才能を持っている人が努力で覚えられる限界だと、この前デミウルゴスに教えてもらった。

 つまり、この人は凄く頑張った人だろう。

 

 

「便利そうだけど、ハムスケはあんまり魔法使わないよね?」

 

「尻尾で殴った方が早いでござるからな」

 

「そうなのかい? 種類が少ないとはいえ、第四位階が使えるのだろう?」

 

「某の魔法は格下にしか通用しない物ばかりでござるよ……」

 

 

 でも、魔法を使えない自分が言うのもなんだけど、ルンドクヴィストはベテランなのに使える魔法の種類が少なく感じる。

 それとも本当はもっと使えるけど、手の内を明かさないようにしているのだろうか。

 だってこれは秘密だけど、モモンガは七百個以上の魔法が使えるはずだ。

 やっぱり魔法を使える人が周りに少ないせいか、いまいち平均的な実力というのが分からない。

 

 

「ふふっ。ハムスケさんの魔法が通用しない相手など、ほんの一握りでしょうに」

 

「意外といっぱいいると思うでござる」

 

「確かにいっぱいいるかも」

 

「……君達は意外と慎重派だな。才能ある新人の冒険者にありがちな慢心がない。うん、冒険者としては良い心構えだ。その気持ちを忘れなければ、きっと長生きできるよ」

 

 

 他にもおじさん達は、色々と冒険の役に立つことを教えてくれた。

 それからハムスケとおじさん達が模擬戦をして、高度な連携のお手本も見ることが出来た。

 

 

「――くぅ、文句無しに強い!! 現役ならもう少しやれたと思うんだが、やはり歳には勝てんな……」

 

「いやはや、これ程とは…… 現役時代に会えなくてむしろ良かったかもしれんな」

 

「完敗だ。伝説をこの身で体験出来て、おじさん達も満足だよ」

 

「なんの、お主達のチームワークも見事だったでござる。某が今まで戦ってきた人間の中でも、トップクラスの強さでござった」

 

 

 結果はハムスケの勝ちだったけど、おじさん達も十分凄いと思う。

 上手く説明は出来ないけど、チームとして完成された動きだった。

 ちなみにモモンガとおじさんの一人が手合わせをしたら、一撃で木剣が折れてしまい、周りが大笑いする結果になった。

 受け止めたおじさんは腕をプルプルさせてて、全然笑ってなかったけど。

 

 

「ありがとう、モモンさん、ハムスケさん。本当に良い経験になった。さて、次はネムちゃんにお話を聞かせてもらおうかな」

 

「わかりました。えっと、ハムスケと出会ったのは――」

 

 

 今度は私の出番だ。依頼で頼まれていたハムスケとの出会いの話を、少しだけぼかしながら説明すると――

 

「嘘、だろ!?」「……まさかタレント?」「はははっ、そうか友達か!! それは盲点だった!!」「なるほど。討伐対象となる魔獣に対話を求める冒険者は稀だろうからな」「ましてや相手は伝説の魔獣…… 本当に凄い子だ」

 

 ――驚愕したり、真顔になったり、笑ったり、みんなバラバラの反応が返ってきた。

 参考になったのかは分からないけど、ともかくこれで依頼は達成だ。

 

 

(実はモモンガって私が思ってるより、もっともーっと凄い?)

 

 

 この依頼は学べる事がいっぱいあって、本当にお得な良い依頼だったと思う。

 ハムスケも何かの自信を取り戻せたらしく、凄く満足気だった。

 沢山お話を聞かせてくれたおじさん達や、この依頼を推してくれた組合長にもとっても感謝してる。

 だけど不思議な事に、他の冒険者のことを知れば知るほど、モモンガの方が遥かに凄いという結論に行き着いた。

 

 

(でも、前にモモンガは自分の事、中の上くらいの強さだって言ってたよね……)

 

 

 世界はとっても広いみたいだ。

 私の知らない事がまだまだ沢山ある。

 モモンガの言う自分より強い人達って、どんな姿をしているのだろうか。

 私は出来るだけ強い姿を頭の中で思い描こうとして――

 

 

『がおー。私こそが世界最強の魔法使い、ビックモモンガだ!!』

 

 

 ――山より大きい超巨大骸骨が誕生した。

 うん、今のモモンガよりも強そうだ。

 これはただの自分の想像だけど、可笑しくなって思わず一人でニヤニヤしてしまう。

 

 

「どうした、ネム?」

 

「ふふっ、なんでもないよ」

 

 

 大きくなってもモモンガはモモンガ。

 やっぱり私の中では、一番凄いのはモモンガのままだった。

 

 

 

 

おまけ〜モモンガを癒そう〜

 

 

 とある日の昼下がり。

 モモンガはネムに言われるがまま、楽なローブを着た格好で横になっていた。

 

 

「……えーと、なんでこの姿勢?」

 

「いいからいいから」

 

 

 ――ネムの膝枕で。

 それに加えて周りに誰もいないのでモモンガは仮面すら着けておらず、ネムの顔を下から直に見上げる形になって少しだけ恥ずかしい思いをしていた。

 しかし、ノリノリのネムに押し切られてしまう。モモンガは友人からの押しに弱いのだ。

 

 

(また何か思いついたんだろうけど、この状況は……)

 

 

 無心になる事も出来ず、友達に膝枕される骸骨ってどうなんだろうと考えてしまう。

 友達うんぬんを抜きにしても、歳下の女の子に膝枕されているという状況がモモンガとしてはかなり気まずかった。

 それでもアルベドやシャルティアから迫られる事に比べれば、「喰われる」心配がないだけ随分と安心は出来るのだが。

 

 

「支配者でお疲れのモモンガが休める良い方法を考えたんだ」

 

(休める方法、か。ナザリックの皆にも聞かせてやりたいよ。あいつら本当に休もうとしないんだよなぁ……)

 

 

 ネムの心遣いは素直にありがたいと感じる。本当に自分は助けてもらってばかりだ。

 でも、この状況は全く落ち着けない。

 悪い事をしている訳ではないのに、『たっち・みー』がサイレンを鳴らして飛んで来そうだ。

 

 

「ハムスケにブラッシングしてあげてる時、すっごくリラックスした顔をしててね。櫛の刺激が気持ちいいんだって。それで思いついたんだ。モモンガにもしてあげようって」

 

「私に毛皮はないぞ?」

 

「うん、知ってるよ。だから代わりにこれ!!」

 

 

 自分には毛皮どころか、髪の毛一本すら残っていない。

 モモンガの頭の中で一瞬だけ「ハゲ」の二文字が浮かびかけた時、ネムが高々と右手を掲げた。

 その小さな手には、一本の細い木の棒のような物が握られている。

 

 

「それは……」

 

「耳かきだよ。これならモモンガもきっとリラックス出来るよ!!」

 

「……なるほど。私は骨だから汚れる事はないが、耳の掃除は人にして貰うと落ち着くし、意外と良い案かもしれんな」

 

 

 ネムの言葉を聞いて、モモンガは嬉しさを感じると共に感心していた。

 モモンガは飲食が不可能だが、香りは感じるので紅茶やアロマを楽しむ事もある。

 代謝がないので体が汚れる事もほとんどないが、気分がさっぱりするのでお風呂にだって入る。

 自分はアンデッドの肉体になってから様々な娯楽が味わえなくなったが、耳かきはこれらに加わる新しい癒しになる可能性がある。

 

 

「じゃあ横向いて」

 

「ああ、せっかくだからお願いするとしよう」

 

 

 モモンガは少しだけワクワクしながら、頭の側面を上に向けた。

 他人に耳かきをされると、逆に不安になる人がいるかもしれない。

 だが、自分にはレベル百に相応しいだけの防御力と、常時発動型の特殊技術がある。

 仮にネムがどれだけ不器用でも、木製の耳かき棒程度でこの身を傷つける事は不可能だ。

 そもそもアンデッドは恐怖を感じにくい。

 よって自分はこの世の誰よりも安心して、耳かきを楽しめるはずだ。

 

 

「……ねぇ、モモンガ」

 

「ん、なんだ?」

 

 

 顔がとても近いせいか、ネムの息遣いがはっきりと分かった。

 骨に直接触れる指先が、これから始まる耳かきの期待感を精神の沈静化が起きない程度に高めてくれる。

 

 

「私の声、聞こえてるよね?」

 

「もちろん聞こえてるぞ」

 

「うーん……」

 

 

 すぐ側から聞こえる、ネムの息を潜めたような小声。

 なんとなくだが、耳をじっと見つめられている気配を感じた。

 しかし、一向に耳かきが始まらない。

 

 

「耳どこ?」

 

 

 

 困惑気味なネムの言葉でモモンガは悟る。

 骨でも楽しめる癒しの新規開拓は、まだまだ難しそうだ。

 

 

 




最終手段が巨大化とか、ベタな怪人が好きです。最後は爆発すると尚よし。
実は指名依頼の真の依頼人はレエブン侯でした。
愛する息子リーたんの将来を考え、引退後に力になってくれそうな若い冒険者を探してます。

ネムの思い付きも偶には上手くいかない事もある。
最後のおまけはモモンガ様に「耳を塞げ」って命令された場合、耳が無いシモベはどうするんだろうという疑問からのネタです。




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幕間 一を聞いて十を知り、百を深読みし、千の成果を出す悪魔

今回もほのぼの回。
ナザリック内でのお話です。



 ナザリック地下大墳墓の中でも、他の階層と物理的に繋がっていない特殊な空間。

 リング・オブ・アインズウールゴウンを使用しない限り、絶対に立ち入る事が叶わない特別な領域――宝物殿。

 あらゆる財宝が詰め込まれたこの場所は、ナザリックにおいて最重要施設と言っても過言ではない。

 そんな宝物殿に転移して来た二人の人物。

 赤いストライプのスーツを着こなす最上位悪魔(アーチデヴィル)――デミウルゴス。

 メイド服に身を包み、左目をアイパッチで隠した可憐な自動人形(オートマトン)――シーゼットニイチニハチ・デルタ。通称シズ・デルタ。

 

 

(やはりこの指輪を使うと、自然と気も引き締まりますね……)

 

 

 自らの指にある指輪を眺め、デミウルゴスは軽く呼吸を整えた。

 理由は定かではないが、モモンガを除くギルドメンバーはこの地を去ってしまっている。

 そのため、現在ここに入る資格を持つ者は非常に限られていた。

 一人は役職上当然とも言えるが、宝物殿を守護している者――モモンガが創り上げた唯一のNPC"パンドラズ・アクター"。

 

 

(我々は御方の慈悲に縋るばかりではいけない。モモンガ様のご期待に少しでも応えなければっ)

 

 

 そして、デミウルゴス自身も貴重な指輪を下賜された、数少ないNPCの内の一人だった。

 この指輪を着けていることは、自分の中で密かな誇りとなっている。

 ――ちなみに某守護者統括にも下賜されていたのだが、とある問題を起こして没収された。詳しくは言えないが、御方の寝室に忍び込んでナニかをしていた。

 

 

「……解除、完了」

 

 

 宝物殿のセキュリティは非常に高度であり、状態異常対策などのアイテムの準備を怠れば、一瞬で死に繋がりかねない。

 また、扉一つとっても難解なパスワードが施されている。

 ナザリックのギミックを全て熟知しているシズが居なければ、目的地に向かう事すら出来はしないだろう。

 

 

「助かるよ、シズ」

 

「……必要であれば、いつでも」

 

 

 口数の少ないシズと共に煌びやかな財宝の間を通り抜け、宝物殿の奥へと足を進めたデミウルゴス。

 お目当ての人物は開けた空間でソファーに座り、何かを熱心に磨いていた。

 

 

「おや? 多忙な貴方が直接ここに来られるとは……」

 

 

 自分達の気配を察知したのか、パンドラズ・アクターはこちらを見ずに声を上げると、ゆったりとした動きで腰を上げる。

 

 

「私の力を振るう時が――」

 

 

 手に持った道具をアイテムボックスにしまい――緩急をつけて自分の方へ振り向いた。

 四本の指先は軍帽に添えられ、顔は少しだけ斜めに傾けられている。

 この所作になんの意味があるのかは、デミウルゴスの優れた頭脳でも理解不能だ。

 

 

「――再びやって来たの、ですね……」

 

 

 非常に慣れた動きで靴の踵が打ち鳴らされ、ポーズを取った音が静かな空間に響き渡る。

 自らが守護する領域に足を踏み入れた者を、パンドラズ・アクターはオーバーリアクションと共に出迎えてくれた。

 歓迎してくれているのは分かるが、もう少しスマートに喋ってくれたら尚良かった。

 

 

「――デミウルゴス殿」

 

「話()早くて助かるよ」

 

 

 まるで相手の動きが目に入っていなかったかの様に、デミウルゴスは平然とした顔でパンドラズ・アクターと挨拶を交わす。

 「早く喋れ」という内心を全く表に出さない、実に紳士的な対応である。

 

 

「そしてご機嫌麗しゅう、お嬢様」

 

「……うわぁ」

 

「パンドラズ・アクター。早速で悪いが、本題に入らせて貰う」

 

「ええ、どうぞ。話が早いのはこちらも大歓迎ですので」

 

 

 しかし、それでも尻尾には感情が反映されてしまったのか、普段より少し垂れ下がっていた。

 元々無表情なシズは、少しどころか思いっきり不満が声に漏れていたが。

 

 

「ゴホンっ。君も知っているとは思うが、我々は今、新たな資源を探している最中だ。それを君にも手伝って貰いたい」

 

「外部での仕事ということですね」

 

「ああ、もちろん本来の仕事に支障が出ない範囲で構わない。言うまでもないが、モモンガ様の護衛は当然最優先だ」

 

 

 デミウルゴスは彼本来の仕事を奪うつもりは全くない。そしてモモンガから彼に与えられた使命を邪魔する訳にもいかない。

 あえて告げる必要もないが、その辺りは最初から融通を利かせるつもりだった。

 

 

「資源の調達、つまりはナザリックの財源にも関わる重要な仕事。……手伝う事も吝かではありませんが、財源確保自体は順調だとお聞きしておりますが?」

 

 

 今でも十分回っている仕事に対して、更に人員を増やそうとする事に疑問を抱くパンドラズ・アクター。

 体を捻ったポーズは意味不明だが、疑問自体は当たり前とも言える内容である。

 

 

「ただ順調なだけだ。至高の御方に捧げる成果としては、その程度では相応しくないだろう?」

 

 

 これまた当然の如く表情で、デミウルゴスは言葉を返した。

 御方に見せる結果が凡庸な物ではいけない。自分にとって極々当たり前の事だった。

 

 

「あー、なるほど。それもそうでしたね」

 

「それにこの仕事は君にしか任せられない。様々な観点から目利きが出来るのは、ナザリックにおいて君くらいだろう?」

 

「もちろんです。その手の事には一家言ありますとも」

 

 

 デミウルゴスにとって、パンドラズ・アクターは非常に信頼出来る仲間だ。

 モモンガに対する忠誠心は当然として、非常に頭も良い。能力面では申し分ない。

 しかし、性格などはまだ掴み切れていなかった。

 

 

「我々ナザリックの者にとって、外にある物の価値など等しく無価値。宝と言う意味では期待出来ないが、あくまでも換金目的なら、それなりの物が見つけられるはずだ」

 

「なるほど……」

 

「まぁ、ここを彩る宝の足下に及ぶ様な物があれば、モモンガ様に報告のしがいも出てくるのだがね」

 

 

 それ故に、自分は会話の進め方をほんの少し間違えたようである。

 自分のちょっとした言葉に反応させてしまい、パンドラズ・アクターの丸くて黒い目が輝いた気がした。

 

 

「――如何にも!! この宝物殿を彩る財宝の数々に比べれば、外部の宝石など石ころも――同っ然!!」

 

 

 パンドラズ・アクターは片手で軍帽を押さえながら、指をピンと伸ばして天を指し示す。

 アイテムフェチの魂に着火してしまったようだ。

 高らかに叫ぶその姿は、まさに舞台役者(アクター)

 目の前で見せつけられる者からすれば、うるさいだけの二重の影(ドッペルゲンガー)

 

 

(名前から推測するに、この言動は彼の魂と呼べるもの…… ですが、モモンガ様は役者の才までは与えなかったようですね)

 

 

 横で静かに控えてくれているシズの表情すら、心なしか険しい様に思えてくる。

 シモベとして非常に優秀でも、彼は役者としては二流。

 いや、観客をイラッとさせるところからして、精々三流のようだ。

 

 

「ぇえ、ええ、分かりますとも。デミウルゴス殿もアイテムには目がないご様子」

 

「違います」

 

「興味、持たずにはいられない!! 外にあるのは希望か、それとも絶望か…… あぁ、現地のアイテムの可能性や如何に!!」

 

「探して欲しいのは資源です」

 

「ふむ。アイテム作成のための素材や、鉱石の純度なども気になりますねぇ」

 

「話聞いてます?」

 

 

 まるで会話のドッジボールだ。

 デミウルゴスは創造主にそうあれと望まれた事を否定する気はない。

 シモベの中にはナザリックの支配を目論み、それを日々公言している執事助手のエクレアなどもいるが、彼も創造主に定められたことを遵守しているに過ぎないからだ。

 ――否定はしないが、周りがそれをどう受け取るかは別であるが。

 

 

「まぁそれはそれとして…… 我らにとって無価値でも、エクスチェンジボックスで換金するのなら、どんな物でも多少は価値がありますからね」

 

「その通りだよ。以前見つけたアレ――『酒が無限に湧く大壺』のように、掘り出し物がないとも限らないからね」

 

「近所で盗ん――もとい拾ってきたというアレですか」

 

 

 デミウルゴスは諸々の感情を飲み込み、仕事の話を進めた。

 

 

「私が偶然にも発見出来たのは僥倖だったよ。もしシャルティアが見つけていたなら、汚い壺だと言って見向きもしないか…… 叩き壊していたかもしれないね」

 

「込められた魔力量が低いのは事実ですし、皆様には中々価値が判断がしづらいのでしょう」

 

「だからこそ君にこの仕事を任せたい。ところで、壺は今どうしているんだい? 換金などの管理は君がしているはずだろう?」

 

「あの壺は今もちゃんと活用していますよ。それが私の役目でもありますから」

 

 

 マジックアイテムの話とくれば、急激に饒舌になるパンドラズ・アクター。

 アイテムの行方が気になったのは事実だが、今口に出したのは失敗だった。

 

 

「あぁ、現地のレアなアイテムというだけで心躍ります!! 一体どのようにして生み出されたのか…… 効果はナザリック基準だと大したことはないんですがね。しかし無限に使えるという点は素晴らしい!!」

 

(彼の前でアイテムの話は厳禁ですね……)

 

 

 前のめりになって近づいて来た顔面から、デミウルゴスは一歩退く事で距離を空けた。

 自分の横に控えていたはずのシズは、いつの間にか自分達から五歩は離れている。

 

 

「以前は私が『音改』様の御姿を借りて、一日中壺を抱えたままエクスチェンジボックスに酒を流し入れていたのですが……」

 

 

 パンドラズ・アクターはその時の様子を表すように、壺を抱えたジェスチャーをダイナミックに繰り出し始める。

 誰よりも仲間思いなNPCは、無の心でそれを眺めるしかなかった。

 アイテムの話を彼に振った、十秒前の自分を殴りたい。

 

 

「アレ、私がやる必要あると思います? 御方の力をお借りしても効率が悪すぎるので、今では適当なアンデッドにやらせているのですが」

 

「君じゃなくてもいいという意見には、全面的に同意しよう」

 

 

 表情の変わらないパンドラズ・アクターではあるが、その動きから換金が「面倒くさい」という意思だけは感じられた。

 強制的に一人オペラを鑑賞させられている自分も、全く同じ気持ちを抱いている。

 なんなら三割り増しくらい強く思っている。

 

 

「非常に興味深い話を遮って悪いが、話を戻させてもらうよ。君が資源の候補さえ見つけてくれれば、どんな物であれ採取、採掘、運搬などは私が手配しよう」

 

「それは助かります。ところで、私が動く事にモモンガ様は同意されているので?」

 

 

 軽い調子で放たれた問いかけ。

 しかし、そこだけは譲らないという強い思いが滲んでいた。

 

 

「当然だ。この通り、モモンガ様からのご許可も既に頂いている」

 

 

 だからこそ、自分も自信を持って断言する。

 そう言ってデミウルゴスが取り出したのは一枚の紙。

 細かな文字がびっしりと書かれており、読もうとすれば内容の把握には少々時間のかかる文章量だろう。

 内容の詳細はともかく、承認欄にはしっかりとモモンガの判子が押されてあった。

 

 

「この作戦の必要性。そして君に対しての信頼もあって、即座に決断なされたのだろうね。他の書類と合わせて、ものの一分もかからず押印されていたよ」

 

「……流石はモモンガ様。一瞬にして数多の情報を処理して判断なさるとは」

 

「あれほど早い判子捌きは、執務能力に長けたアルベドでも不可能でしょう」

 

「なんとっ、それ程ですか」

 

「ああ、まるで書類を全く見ずに、ただ流れ作業で押印されているかのようだった」

 

 

 モモンガの驚異的な作業スピードを思い出し、デミウルゴスは思わず震えた拳を握りしめる。

 

 

「くっ、どうやら本当に惜しいものを見逃した様ですね……」

 

「それは残念だったね。偶々報告のために伺っていた私は幸運だった。あの時は本当に瞬く間に作業を終えられて、その後すぐにネム様との冒険に出かけられたよ」

 

 

 意趣返しをしたつもりはないが、パンドラズ・アクターが悔しがる姿にほんの少しだけ愉悦を感じてしまった。

 まぁ自分は悪魔なのでこれくらいは許して欲しい。

 

 

「私も是非とも拝見したかったです。仕事の都合上、ナザリック内でのモモンガ様のご様子は中々見られないもので」

 

「君は外でのご様子を見られるのだからお互い様さ」

 

「それはそうなんですが、仕事中のお姿も見たいじゃないですか」

 

「いずれ君にも機会は来ると思うよ。……己の不甲斐無さを、悔いる事になるかもしれないがね」

 

 

 思わず自嘲の言葉が口をついて出てしまった。

 未だ影すら見えぬ遠い遠い御方の背中。

 しかし、自分は至高の御方と同じ領域に辿り着く事を諦める気はない。

 

 

「遥か空の彼方に輝く星――本当に、遠い背中を見ている気分になるよ」

 

「デミウルゴス殿……」

 

 

 そう思う事が出来るのは、モモンガの友人であるネムのおかげだ。

 幼い少女の言葉によって、自分は大切な事を気付かされた。

 ――後ろに付き従うのではなく、隣に立てる者を目指すべきだ。

 本当の意味で御方の力となるには、能力だけでも対等にならなければいけない。

 

 

「私もいずれあの境地に達したいものです。今の私では何もかもが足りていない……」

 

「そこまで悲観する程ではないと思いますが…… これまでの作戦を立案されたデミウルゴス殿の実績。それらを評価しているからこそ、モモンガ様もすぐに作戦を決められたのでは?」

 

 

 思わず吐いた弱音ではあったが、パンドラズ・アクターは真面目な意見をくれた。

 同僚からのささやかな気遣いの言葉は、デミウルゴスも素直に嬉しく思う。

 ――決めポーズさえなければ。

 

 

「だと嬉しいがね。さて、新たな資源の件は任せてもいいかい?」

 

「我が創造主が是とおっしゃった。ならば、私が断る理由はありませんね」

 

 

 パンドラズアクターは返答と共に、創造主への敬意を込めた敬礼をビシッと決める。

 

 

「――お任せを。その仕事、このパンドラズ・アクターが見事にやり遂げて見せましょう!!」

 

 

 真似したいとは思わない。

 だが、自らの誇りを全面に押し出すパンドラズ・アクターが、ほんの少しだけ輝いて見えた。

 

 

「ああ、そうです。お節介かもしれませんが、貴方に一つだけアドバイスを……」

 

「何かな?」

 

「貴方があえてリスクを負ってまで、モモンガ様に伝えていない事についてです」

 

 

 用件を伝え終え、宝物殿を去ろうとしていた自分の足が自然と止まる。

 言動にどれだけ「……うわぁ」な所があっても、その知性と能力は紛れもなく本物。

 そんなパンドラズ・アクターからの助言とあらば、無視する訳にはいかない。

 

 

「我々の立場から言い出しづらいのは分かります。ですが、モモンガ様に上申するべきでしょう……」

 

 

 勿体ぶるパンドラズ・アクターの言葉に、自分は黙って耳を傾け続けた。

 

 

「――世界級(ワールド)アイテムの貸し出しを」

 

「それはっ!?」

 

 

 しかし、その口から飛び出した単語は、デミウルゴスを驚愕させる。

 もしかしたら自分の聞き間違いかと、己の耳を疑ったほどだ。

 だが、七歩ほど離れた位置にいるシズも驚いている事から、聞き間違いなどではないだろう。

 

 

「……アレらはナザリックの最秘宝と言える代物。至高の御方が集めた世界に二つとないアイテムですよ?」

 

「もちろん分かっております」

 

 

 世界級アイテムの重要性は、マジックアイテムにそれほど詳しくないデミウルゴスでも分かる。

 宝物殿の領域守護者なら、それがどれほど価値がある物か、絶対に理解しているはずだ。

 にも関わらず、秘宝の持ち出しを勧めるパンドラズ・アクター。

 その真意を問わずにはいられなかった。

 

 

「世界を変えるぅ!! 強大な力…… 至高の御っ方々の、偉大さの証ぃぃ。すなわ――」

 

「パンドラズ・アクター。万が一があれば、我々の命程度で償える様な代物ではないのですよ?」

 

 

 再び始まる一人オペラ。

 言葉を遮らずにはいられなかった。

 

 

「……デミウルゴス殿。モモンガ様は、貴方からの提案を待っているのではありませんか?」

 

 

 パンドラズ・アクターはやれやれと頭を振ると、質問に質問で返してきた。

 しかし、そこにふざけた様子はない。

 ぽっかりとあいた穴の様な黒い目で、こちらを見透かす様にじっと見つめてくる。

 先程までの彼の騒がしさは、演技だったと思わざるを得ない程の真剣さだ。

 

 

「モモンガ様は非常に慎重な性格をしておられます。現地にもあるかもしれない強大な力。世界級アイテムの危険性を、忘れている筈はございません」

 

「それは、その通りだが……」

 

「貴方は魔樹の一件があった時点で、この地にも世界級アイテムがあると予想出来ていた。御方に世界級アイテムをお借りする事、それが最善と判断していたはずです」

 

 

 言い淀む自分に対して、パンドラズ・アクターは畳み掛けるように言葉を告げる。

 

 

「至高なる御方は我らの成長をお望み。ならば、どうするべきか…… もう言わずとも、貴方なら分かっているのでは?」

 

「私が、すべき事……」

 

 

 パンドラズ・アクターにビシッと指差され、デミウルゴスの心は揺れた。

 

 

「パンドラズ・アクター。我々は至高の御方に付き従うべく、このナザリックを守るべく創造されました」

 

 

 掻き乱された自身の心を整理する様に、言葉を選びながらゆっくりと吐き出した。

 

 

「えぇ。創造主は違えど、大体の者はそのような創造理由をお持ちでしょう」

 

「私は畏れ多くも今、ナザリックの維持に関する全権を任せて頂いている」

 

「えぇ。貴方ぶっちゃけ統括殿より権限多くなってますし」

 

「だが、いくら多くの権限を預けられようとも、シモベ風情が御方の宝を危険に晒すことなど許されない」

 

 

 これは知らず知らずの内に、主人が与えてくれた成長を示す機会ではないのか。

 

 

「……それでも君は、必要とあらば世界級アイテムの扱いにさえ、口を出すべきだと言いたいのだね?」

 

「はい、その通りです」

 

「簡単に言ってくれるね……」

 

 

 自分が本当に御方の隣に立ち、協力し合える存在になれるか否か。それを試しているのではないのか。

 これまでの主人の言葉を思い出しながら、デミウルゴスは悩んだ。

 

 

「もし貴方が一歩を踏み出すのなら、私も共に勇気を奮いましょう。私もモモンガ様に、あるお願いをしようと思います」

 

「お願い?」

 

 

 迷っている自分の背中を押すように、パンドラズ・アクターは提案をしてきた。

 これはおそらく、かつて御方達が話していた「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という金言になぞらえた提案だと思われる。

 それにしても、心なしか震えている様にも見えるが、パンドラズ・アクターは一体どんな事を言うつもりなのか。

 

 

「――『父上』と呼ばせてくださいと、申し出るつもりです」

 

「なっ!?」

 

 

 ――なんという豪胆さだ。

 パンドラズ・アクターは確かにモモンガによって創造された、唯一無二のNPC。

 故に、モモンガの子供と言っても過言ではない。

 だが、それでも自分達は所詮シモベに過ぎず、御方の血を分けた存在でもないのだ。

 

 

「パンドラズ・アクター、君は……」

 

 

 ――もしも否定されたら。

 彼は恐ろしくはないのだろうか。

 デミウルゴスは創造主から「お前など俺の息子ではない」と言われる自分の姿を想像し、震え上がるほどの恐怖を覚えた。

 

 

(私の背中を押すために、そこまでしてくれると言うのですか……)

 

 

 それをあえて口に出して確認しようとする事は、相当な勇気がいることだろう。

 たとえ自分の創造主がこの地に残っていても、簡単に真似できる自信は無い。

 

 

「分かりました。私もモモンガ様に、世界級アイテムの件を上申するとしましょう」

 

「おおっ!! デミウルゴス殿なら、きっとそう仰ると思っていましたよ」

 

「ふふっ。君の告げる内容に比べれば、ちっぽけかも知れないがね」

 

「Der Glaube kann Berge versetzen!! 共に頑張りましょう!!」

 

 

 デミウルゴスの迷いは消えた。

 ただ付き従う忠臣ではなく、御方の隣に立つ真なる忠臣を目指す。

 そのための具体的な一歩を、今こそ踏み出そうと覚悟を決めた。

 

 

(彼には感謝しなくては。さて、早急に世界級アイテムを持ち出すメリットとデメリットを整理するとしましょう)

 

 

 デミウルゴスは宝物殿を出た後、ついて来てくれたシズにお礼を述べた。

 その際、シズは何か言いたげな様子だったが、多分大した事ではないのだろう。

 デミウルゴスは清々しい気持ちで第七階層に辿り着き、早速やるべき事に取り掛かった。

 

 

「ふむ、こんなところですか。次はリスクに対処する方法ですね。費用と人選、必要な物を書類にし、て……」

 

 

 書類仕事によって冷静になった頭で、ふとパンドラズ・アクターとの会話を思い出す。

 あの場では雰囲気に流され、彼の提案を深く考える事が出来ていなかった。

 だが、よくよく考えてみれば。

 ――自分がモモンガに上申する事。

 ――彼が創造主への呼び方を変える事。

 この二つに、一体何の関連性があるのか。

 

 ――あいつが父上って呼びたかっただけでは?

 

 デミウルゴスの額がピクリと動く。

 パンドラズ・アクターは父上と呼ぶきっかけ作りを、計画的に狙っていたのか。

 それとも、本当に善意で自分の背中を押しただけなのか。

 もしかしたら、ついでくらいの気持ちで己の欲望を叶えただけなのかもしれない。

 

 

「やられましたね……」

 

 

 どちらにせよ、今のデミウルゴスに真相は計りかねる。

 答えは彼のみぞ知るだ。

 だが、少なくとも自分がダシに使われた事は確実だろう。

 

 

「パンドラズ・アクター。君は私が思っていたより、ずっと優秀だったようだ……」

 

 

 デミウルゴスは完成させた計画書を机に置き、深く息を吐く。

 

 

「――役者としてもね」

 

 

 そして、自分の中でのパンドラズ・アクターの評価を、色んな意味で上げるのであった。

 

 

 

 

おまけ〜一を聞いて万の奇跡を起こす少女〜

 

 

 『ネムの部屋』と名付けられた交流会。

 モモンガ考案のこの企画は、ナザリックのとある特設スタジオで不定期に行われていた。

 

 

「コキュートスさん!! 質問してもいいですか?」

 

「構ワナイ。私ニ答エラレル内容デアレバ答エヨウ」

 

 

 大きなカブトムシを見つけた子供の様に、瞳をキラキラと輝かせる幼い少女――ネム・エモット。

 そんなネムの好奇心が向かった先には、人間の大人でも見上げるほど大きな巨体――冷気を纏う二足歩行の昆虫の様な姿をした、ライトブルーの異形の姿があった。

 

 

「コキュートスさんは何ていう種類の虫なんですか?」

 

「何ノ、虫……」

 

 

 ネムはワクワクと期待に満ちた表情で自分の返答を待っている。

 そんな少女に対し、コキュートスはどう答えたものかと少しだけ悩んだ。

 

 

「質問ノ答エニナッテイルカハ分カラヌガ、私ノ種族ハ『蟲王(ヴァーミンロード)』トイウ」

 

「ゔぁーみんろーど?」

 

「ウム。私ハ蟲系統ノ種族ガベーストナッテイル。蟲王ハ私ノ保有スル種族レベルノ中デモ、最上位ニアタルモノダ」

 

「最上位?」

 

 

 ネムの呟きには、内容を理解し切れなかったという感情が、分かりやすく浮かんでいる。

 対面しているネムに冷気が届かぬように、コキュートスは注意を払いながら冷たく白い息を吐いた。

 ――自分では同じ守護者であるデミウルゴスの様に、理路整然とした説明は出来ない。

 創造主から与えられた力には何の不満もないが、こんな時ばかりは友人でもある同僚の頭の良さが羨ましかった。

 

 

「うーん、最上位…… モモンガは骸骨で、確かおーばーろーど、だったから……」

 

 

 ネムは腕を組み、目をつぶって唸っている。

 どうやら自分の拙い説明を、必死に頭の中で噛み砕こうとしているらしい。

 

 

「――とにかくいっぱい成長したら、そのゔぁーみんろーどになるんですね!!」

 

 

 しっかりと考え込んだ末、ネムはカッと目を見開いた。

 自信満々に披露された要約。

 ザックリとし過ぎていて、正しいとも間違っているとも断言しにくい。

 

 

「ウ、ウム。私ハ直接コノ姿デ創造サレタガ、ソノ解釈で概ネ合ッテイル」

 

「へぇ、コキュートスさんは生まれた時から大きかったんですね」

 

 

 そもそも本人が知りたかった内容から少しズレているのでは、と思わなくもない。

 だが、コキュートスはナザリックでは珍しく、カルマ値がプラスに寄っている存在である。

 少女の真っ直ぐな瞳に、ツッコミを入れる事など出来なかった。

 

 

「じゃあ、その辺にいる虫さんも鍛えたり修行すれば、コキュートスさんみたいに大っきくなりますか?」

 

 

 これまたぶっ飛んだ質問だ。

 なるわけないだろうと言い切りたいが、自分にはネムの考えを否定する根拠がなかった。

 自分は武人であり、御方の命令のままに敵を倒す一振りの剣。研ぎ澄まされた刀の様な存在。

 平たく言えば、戦う者である。

 頭を使うことは苦手なのだ。

 

 

「スマナイ。試シタ事ガナイノデ、私ニハ分カラナイ……」

 

「そうなんですね。じゃあ今度自分でやってみようかな……」

 

 

 考える事が苦手な自分に出来るのは、ただひたすら誠実に答えるのみ。

 しかし、こんな当たり障りのない答えしか出せなくても、ネムが気を悪くする事はなかった。

 

 

「色んな武器の扱いが上手だって聞いたんですけど、コキュートスさんのお気に入りの武器ってあるんですか?」

 

「創造主カラ賜ッタ武器ハ優劣ノ付ケヨウモナク、全テガ大切ナ宝ダ。ダガ、強サデ言ウノナラバ、中デモコノ『斬神刀皇』ハ、特二素晴ラシイ武器ト言エルダロウ」

 

 

 自分がアイテムボックスから斬神刀皇を取り出すと、ネムは息を呑み、その長さと美しさに目を奪われたようであった。

 刀身に光を当てて見せると、刀を見つめていたネムの瞳も同じように輝いた。

 

 

「綺麗でカッコいい……」

 

 

 実に素直で良い子だ。試しにちょっとだけ「爺」と呼んでもらいたい。

 

 

「あっ、ところでコキュートスさんの背中の氷って溶けないんですか?」

 

「コノ棘ハ厳密ニハ氷デハナク、私ノ外骨格ノ一部ダ。ダカラ自然二溶ケル事ハナイ」

 

「すっごーい!! 氷じゃなかったんですね。あの、ちょっとだけ触らせて貰えませんか?」

 

「問題ナイ。危険ナ特殊技術ヲ今ハ発動シテイナイノデナ」

 

「ありがとうございます!! わぁ、ツルツルしてて冷んやりしてる。でも氷じゃないんだぁ。じゃあ、コキュートスさん――」

 

 

 質問の内容はコロコロと変わり、自分への興味はなかなか尽きないようだった。

 ネムから聞かれる質問は、どれも自分がまともに考えた事もない内容ばかりである。

 少女の変則的な質問の嵐に、コキュートスは終始押されっぱなしとなるのだった。

 

 

 

 

「――私ノ方デハ、最近ネムト話ヲシテイタ」

 

「あぁ、モモンガ様が御考案された例の企画だね」

 

 

 ナザリックの第九階層にあるショットバー。

 落ち着いた大人の雰囲気が漂う室内には、グラスを傾ける二人の守護者の姿があった。

 

 

「武人である君にとっては、ネム様との会話は良い刺激になったんじゃないかい?」

 

「刺激ニナッタノハ間違イナイガ、私デハ上手ク答エラレナイ質問モ多カッタ。例エバ――」

 

 

 最初はお互いの近況を話していたのだが、コキュートスはデミウルゴスと違って特筆すべき仕事に今はついていない。

 そのため、自分はつい先日のネムとのやり取りを話のネタにしていた。

 

 

 

「なるほど。実に興味深い……」

 

 

 しかし、返ってきた反応は意外なものだった。

 自分は単なる話題提供のつもりだったのだが、デミウルゴスは予想外に真剣な表情をしている。

 

 

「ドノ部分ガ興味深カッタノダ?」

 

「ふむ…… コキュートス、君は自分の種族レベルの内訳は把握しているね?」

 

 

 思わずこちらから確認すると、デミウルゴスは少し考え込んだ。

 さらに質問にはすぐに答えず、逆に自分に問いかけてきた。

 これには彼なりの意図があると思い、コキュートスは率直に言葉を返す。

 

 

「己ノ力ハ全テ把握シテイル」

 

「では、それを念頭に置いて考えてみて欲しい。我々の常識では、上位の種族になるためには下位の種族を一定まで積み上げなくてはならない。職業レベルも同様に、上位の職を取るためには下位となる職業を修める事が必須だ」

 

「ウム、私モソノ様ニレベルヲ構成サレテイル。ソレガ当然デハナイノカ?」

 

「ユグドラシルではね。だが、この世界では基本となる下位の職業を取らずに、上位の職業を習得した者がいるのだよ。例えば、レベルが三十にも満たない忍者とかね」

 

「ソンナ馬鹿ナ!? 忍者トナルニハ、最低デモ六十レベルハ必要ノハズ……」

 

 

 デミウルゴスの説明を聞き、コキュートスは驚愕した。

 現地の者は低レベルばかりだと聞いていたが、実は侮れない存在もいるのではないだろうか。

 まずあり得ないとは思うが、あらゆる上位職ばかりを習得した者だっている可能性があるのだから。

 

 

「驚クベキ事デハアルガ、ネムノ話トドウ繋ガルノダ?」

 

「現地民のこの不可解なレベル構成は、職業だけに適用されると思うかい?」

 

「マサカ……」

 

「ネム様はただの虫が、コキュートスの様な蟲王になれるかと尋ねたのだろう?――つまり、『基本となる種族レベルを持たない者が、上位の種族を習得出来るのか』、という問いだったのだよ」

 

「アノ質問ニハ、ソンナ意図ガアッタノカ……」

 

 

 デミウルゴスに丁寧に説明され、自分もやっと理解出来た。

 思いつきと興味本位によるものだと思っていた、ネムの数々の質問。

 その実、あれらの質問は、非凡な発想と高度な考察に基づいたものだったのだ。

 

 

「おそらく君がその姿で創造されたと知った事で、疑問に思われたのだろうね。段階をとばす成長の仕方が、他の種族にも適用されるのではないかと考えられたのだろう」

 

「『骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)』ガ『死者の大魔法使い(エルダーリッチ)』ニナル段階ヲトバシテ、『死の支配者(オーバーロード)』ニナルヨウナモノダナ」

 

「全くもって面白い発想だ。この世界の職業レベルの可能性については私も考察していたが、種族レベルの方は考慮していなかったよ」

 

「デミウルゴスデモ考エツカヌ発想カ……」

 

「悔しいが閃きという点では、白旗を上げざるを得ない。ユグドラシルの常識に縛られた我々では、どうしても先入観が邪魔をしてしまう」

 

 

 デミウルゴスの心からの賞賛に、今なら自分も心から賛同出来る。

 流石は御方の友人にして恩人である。

 ちなみにこの評価は、決して創造主から受け継いだ刀を褒められて嬉しかったというだけではない。

 ひ弱な人間種ではあるが、その真価は内に秘めたモノにこそあるようだ。

 

 

「それに普通の虫を鍛えるという、ネム様の目の付け所には感服するほかないね」

 

「他ニモ何カ狙イガアルト?」

 

「成長出来る者、つまりは経験値を得られる存在と得られない存在。根本的にこの違いはなんだろうね? 魔獣と家畜、蟲系モンスターとただの虫。どちらも構造で言えば似た様な生物だ」

 

「ムムム…… 戦闘経験ノ有無デハナイノカ?」

 

「その考えだと矛盾が生じてしまう。多くの虫は他の生物を捕食しているのだから、戦闘経験があると言っても過言ではない」

 

「ソレモソウカ」

 

「これは極めて研究しがいのあるテーマだよ。我々がレベルを持っていないと認識している生物は、本当に成長しないのか? あるいは、経験値やレベルそのものを保有出来ないのか……」

 

 

 デミウルゴスは楽しそうに考察を膨らませていた。

 確かに考えれば不思議である。

 魔獣と家畜――似た様な生物でも、明らかにレベルを持つ生物と持たない生物がいるのだ。

 

 

「ただの虫を鍛える事は、その研究にも繋がる。また、虫は繁殖力が高く、成長速度も早い。実験を行う対象としてはうってつけだ」

 

「興味深イ題材ナノハ理解シタ。ダガソノ研究ハ何カノ、ナザリックノ利益トナルノダロウカ?」

 

 

 自分ではこれ以上深く考えるのは難しい。

 そのため、つい安易に結論を求めてしまった。

 

 

「そうだね、これは一つの理想ではあるが…… 実験の結果、経験値を得られない生物に、経験値を与える方法を見つけたとしよう」

 

「フム」

 

「それを応用すれば、我々にも利があると思わないかい? 我々NPCはレベルが上がらない――経験値を手に入れられない側の存在だからね」

 

「……オォッ。ツマリ、限界ヲ超エタ経験値ノ取得、レベルノ上限突破カ!! ソレナラバ我々ノ成長ニモ繋ガルヤモ知レヌ!!」

 

「そういう事だ。考えようによっては、レベル百であるモモンガ様に新たな力を得てもらう事も出来るかもしれない」

 

 

 デミウルゴスの説明により理解が追いつき、思わず歓喜の声をあげてしまった。

 レベル上限の限界突破。

 よもやあの少女の疑問が、それほど可能性に満ちたものだったとは。

 未知なる領域へ踏み込む事への期待に興奮が止まらず、コキュートスは白い息を激しく吐いた。

 

 

「マサカ、ネム()モソレヲ見越シテ?」

 

「かもしれないね」

 

「モハヤ言葉ニ出来ヌ。至高ノ御方ガ、更ナル高ミヘト登ラレルナド……」

 

「ネム様の発想は、それだけ可能性に満ちているという事だよ」

 

「凄マジイ才覚ダ。改メテ、ネム様ニ敬意ヲ感ジズニハイラレヌナ」

 

 

 ナザリックに所属しない存在を認め、その力を手放しで褒めるデミウルゴス。

 この世界へ来てからのデミウルゴスは、良い意味で変わった様に思う。

 

 

「やれやれ…… 外にある牧場での研究だけでは足りそうもない。追加で虫籠を作ることも検討しなければならないね」

 

 

 デミウルゴスは貪欲に成長を求め、何が御方の役に立つのか、常に自分で考え続けている。

 また仕事が増えたと首を振りながらも、その顔は非常に嬉しそうだ。

 

 

(私モ友ヲ見習イ、変ワルベキカ……)

 

 

 やはりただの剣では、平時にモモンガの役に立つ事は難しい。

 ユグドラシルとこの世界では事情が違う。現在ナザリックの存在は隠蔽され、表に出ないようにする方向で努力している。

 ナザリックを襲ってくる敵がいない以上、守護者として侵入者を倒す仕事がないのだ。

 苦手だからと諦めずに、自分も知恵を絞る必要性が出てきたのかもしれない。

 ――きっかけをくれた御方の友人に、気づかせてくれた目の前の友に、感謝を。

 コキュートスは「ただの戦う者」である自分との決別を決めた。

 

 

(己ノ新タナ可能性ヲ探究シテミセル!!)

 

 

 ――新たな事への挑戦。

 創造主に与えられたあり方を捨てるのではなく、武人としてのあり方はそのままに成長する事を目指す。

 コキュートスはさしあたって、自分の得意分野である戦闘に関連する内容から手を付けてみようと考える。

 自分は個で戦う存在だった。

 ならば、次は集団での戦い――指揮官としての勉強でも始めてみよう。

 それこそが、至高の御方であるモモンガが、自分達に望む成長であると信じて。

 

 

 

 

おまけのおまけ〜一を聞いて何も知れない普通の姉〜

 

 

「ネム、何してるの?」

 

「あ、お姉ちゃん。あのね、虫さんを戦わせてるの」

 

「へぇ、懐かしいなぁ。私も小さい頃、近所の男の子とそういう遊びをしてたよ」

 

「そうなの? じゃあ、その虫さんはコキュートスさんみたいに大っきくなった?」

 

「……えーと、どういう意味? コキュートスさんって?」

 

「ツルツルしてて、冷たくて、大っきくて、武器も使えて、すっごく強いゔぁーみんろーどの虫さん!!」

 

「それ本当に虫なのっ!?」

 

 

 

 




いつも通りの深読み連発でした。
もちろんネムは何も深く考えてません。最後のエンリの反応が、普通の一般人の反応ですね。
家畜や虫にレベルが存在しないというのは、原作だとレベルの有無が不明なのでオリジナル設定です。
次回はちゃんとモモンガも登場する予定。
デミウルゴスが有能すぎて、中々他のNPCが活躍する機会が作れない……




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それぞれの日常

前回の後日談

「モモンガ様、世界級アイテムをお貸しいただけないでしょうか!!」
「モモンガ様、父上と呼ばせてください!!」
「モモンガ様、私ハ指揮官トシテノ鍛錬ヲ始メマス!!」
(また俺の知らないところで何かが起こってる……)


今回もほのぼの&幕間っぽいお話です。
おそらく正体はバレバレですが、また奴が登場します。





 時たま死の支配者(オーバーロード)が訪れる事を除けば、何の変哲もない辺境の開拓村――カルネ村。

 ごく普通のこの村と、村に隣接するトブの大森林の境目あたりに、本日一匹の大魔獣が訪れていた。

 

 

「それじゃあ始めるよ」

 

「お願いするでござる」

 

 

 その正体は、かつて大森林の南部を縄張りとしていた元『森の賢王』。

 現在はネムの友達であり、冒険時の頼れる相棒にもなっているハムスケである。

 

 

「ハムスケ、どうかな?」

 

「もう少し上を頼むでござるよ……」

 

 

 ハムスケは自身の腕――前脚を枕にしながら、だらりと地面に寝そべっている。

 そして、ネムはそんな夢見心地なハムスケの背中の上に乗り、櫛を持った手を丁寧に動かして毛をすいていた。

 

 

「この辺?」

 

「あぁ、そこ、そこでござる……」

 

「この辺だね」

 

「ばっちりでござる。でも、もうちょっと強めでも構わないでござるよ」

 

「うん、じゃあちょっと強くするよ」

 

 

 ネムは日頃の感謝を込めて、時々こうしてハムスケにブラッシングをしてあげていた。

 一応伝説になるくらいの大魔獣なのだが、ゆるんだ声を漏らすハムスケからは、野生のカケラも感じられない。

 

 

「ふわぁぁ。やっぱりネム殿のブラッシングは最高でござるなぁ」

 

「えへへ、ハムスケは本当にこれが好きだね」

 

 

 ネムにされるがままになり、感嘆の声を漏らすハムスケ。

 気を抜いて半分以上目を閉じたその姿は、まるで少しだけ縦に伸ばした大福のような見た目であった。

 

 

「今の某にとって、これが一番の癒やしでござる」

 

「そうなの?」

 

「そうでござる。モモンガ殿の所で修行したら、数日は筋肉痛でござるからなぁ…… 某も休息が必要なのでござる」

 

 

 疲れた様に息を吐くハムスケの言葉に、ネムはクスリと笑った。

 どうやら仕事の報酬代わりに願い出た修行は、ハムスケにとって中々厳しいものらしい。

 

 

「ハムスケも大変なんだね」

 

「ここ百年で一番頑張ってるでござる。でもまぁ――」

 

 

 これは一種の毛づくろいなのか、それともマッサージなのか、はたまた別の効果があるのか。

 ネムとハムスケは一応「ブラッシング」と呼んでいるが、それが正しいかは分からない。

 

 

「――自分のために何かしてもらえるというのは、この上なく嬉しい事でござるな」

 

 

 何を目的にした行為なのか、正直なところネムはよく分かっていない。

 だが、それでもネムが手を動かす度、ハムスケは喜びの声をあげている。してあげる理由はそれで十分だ。

 ともかく、ハムスケはネムの行う「ブラッシング」にハマっているのだから。

 

 

「じゃあ、こっちの方もやってあげるね――」

 

 

 ハムスケの笑顔に嬉しくなって、ネムがせっせと櫛を動かし続けていると、不意に手元からポキリと嫌な音が鳴った。

 

 

「あーっ!?」

 

「ど、どうしたでござるか!? もしや某の毛が刺さったでござるか!?」

 

 

 突然の叫び声に反応して、ハムスケはジタバタと手足の先だけを動かした。

 慌てているのにネムが背中から落ちないのは、ハムスケが全身を揺らさない様に気を付けてくれたからだろう。

 ネムはハムスケの上からゆっくりと滑り降りると、その手に握っていた物を見せた。

 

 

「どうしよう。櫛、壊れちゃった……」

 

「あちゃー。申し訳ないでござる…… 某の毛や皮膚は硬い故、普通より櫛が痛みやすかったのかもしれないでござるよ」

 

 

 元々は人間用の道具なので、魔獣に使うのは無理があったのだろう。

 櫛の歯は根本から幾つも折れてしまっており、もう毛をすくのには使えそうもない。

 残念ながら修理も難しそうだ。

 

 

「――おや? こんなところで巡り会えるとは奇遇ですね、お嬢さん」

 

 

 少女と一匹がしょんぼりしていると、急に二人の背後から一人の人物が現れた。

 非常に目立つ黄色い服に、大きなリュックを背負った男性だ。

 

 

「……お主、何者でござる?」

 

「おっと。そう警戒なさらなくても大丈夫ですよ」

 

 

 至近距離に近づかれるまで、ハムスケは男の気配に気が付く事が出来なかった。

 いくらハムスケが気を抜いていたとしても、魔獣の鋭敏な知覚を掻い潜ることなど、ただの一般人に出来る芸当ではない。

 

 

「私、この通りっ、怪しい者ではございませんから!!」

 

「怪しいでござるなぁ」

 

 

 そのため、両手を大きく広げながら近寄って来た不審者に、ハムスケは少しばかり剣呑な声を向けていた。

 

 

「大丈夫だよ、ハムスケ。この人お店のお兄さんだよ」

 

「そうなのでござるか?」

 

「ええ、その通りです。以前エ・ランテルの方で少々縁がありましてね」

 

 

 しかし、そんなハムスケの警戒を解くように、ネムは男の正体を告げる。

 突然声をかけられたので少し驚きはしたが、ネムはこの人物を知っているのだ。

 この派手な服装の男は、エ・ランテルの市場で露天を開いたり、わざわざ人通りの少ない場所で屋台を引いていた店主だ。

 

 

「そうでござったか…… 疑って悪かったでござる。突然現れた様に感じたので、某びっくりしたでござるよ」

 

「どうやら驚かせてしまった様ですね。私、かくれんぼが趣味なもので、つい…… それで、いかがなさいましたか、お嬢さん?」

 

「えーと、実は――」

 

 

 改めて心配そうに尋ねてくる店主に、ネムは事情をかいつまんで説明する。

 話を聞き終えた店主はふむふむと頷くと、背中のリュックを地面に置いて中身を漁り出した。

 

 

「――ならばっ、これはどうでしょう!!」

 

 

 わざとらしい妙なダミ声を出しながら、店主は丸く握った左手を掲げる。

 リュックの中から取り出されたのは、不思議な金属光沢を帯びたブラシだった。

 

 

「本日ご紹介するのはこちらのブラシ!! このように全体のフォルムはお洒落かつ大変スマートな仕上がりです。歯の先は全て丸く加工しており、お肌を傷つける心配もございません。更に軽量化の魔化を施してありますので、子供から大人まで誰にでも簡単にご使用頂けます。また本体は半分に折り畳む事ができ、持ち運びにも非常に便利でございます。丸洗い可能でお手入れも楽チン。耐久性にも優れ、非常時には鈍器として扱っていただく事も可能です。もちろん魔獣だけでなく、人間の髪にもお使いいただけます。この性能でなんとお値段たったの銅貨四十一枚!!」

 

「凄いですね」

 

「もはや早口言葉でござるな」

 

 

 あまりに長い解説だったので、ネムはバッサリと感想をまとめた。

 

 

「今よりここは臨時の出張店です。この機会にお一ついかがですか?」

 

「ごめんなさい。とっても良さそうだけど、今はお金がないので買えないです」

 

 

 ネムは丁寧に断ったが、本音を言えば財布が手元にあっても買わなかっただろう。

 銅貨四十一枚という金額は、ネムにとって超大金なのだ。

 

 

「では閉店セールという事でタダで差し上げますよ」

 

「わっ!? 」

 

 

 しかし、取ってつけたような理由と共に、店主はネムに向かってブラシを放り投げた。

 店主の手元から離れ、緩やかな放物線を描いていくブラシ。

 ネムは反射的に両手でキャッチしてしまったが、直ぐに店主に返そうとした。

 

 

「あの、流石にこんな高い物は……」

 

「どうか遠慮せずに受け取ってください。どうせ売れなくて処分に困っていた物ですし、私も店以外にやる事が出来てしまいましたから」

 

 

 だが、ネムがブラシを返そうとしても、店主は苦笑を浮かべて首を振るだけ。

 既にリュックも背負い直しており、ブラシを受け取る気はなさそうだった。

 

 

「お店はやめちゃうんですか?」

 

「はい。少なくとも、しばらくはお休みです」

 

 

 綺麗で面白い物が沢山並んでいた、あのお店を見られなくなるのは少し寂しい。

 顔見知りと言っても、自分は一度買い物をしたことがあるだけだ。

 こうして高価な物を貰う事には申し訳なさがある。

 

 

「私は髪がな――ゴホンっ。私が持ち続けるより、きっと貴女に使って頂く方がブラシも本望でしょう」

 

「でも……」

 

 

 ネムはこのままプレゼントとして受け取っていいのか迷った。

 以前この店主は、店で売っている商品は全て手作りで、どれも自慢の一品だと言っていたからだ。

 

 

「……私のお店の最後を飾る商品、使ってくれませんか?」

 

 

 店主にとって大事なお店の締め括りが、本当にタダで良いのかは分からない。

 最後の客となるのが、本当に自分で良いのかも分からない。

 

 

「ありがとうございます。大切にしますね!!」

 

「いえいえ。 ……少しでもお礼がしたかったのは、私の方ですので」

 

 

 けれど、ネムはブラシを優しく握りしめ、店主の気持ちを汲んでお礼だけを伝えた。

 ――満足げに微笑んだ店主は、ネムにはよく分からない意味深なセリフを残したが。

 

 

「あのっ!! お店をやめたら、今度は何をするんですか?」

 

 

 人間働かなくては食べていけない。お店をやめるという事は、別の仕事を始めるという事だ。

 次にいつ会えるかも分からないので、ネムは率直に聞いてみた。

 

 

「んー、そうですね。私の新しい仕事を一言で表すなら――」

 

 

 店主は顎に手を当てて少し考え込んでいる。

 あれだけ素敵なアクセサリーが作れるのだから、きっと手先は器用なのだろう。

 裁縫に鍛冶、大工や家具職人、もしかしたら料理人なんて事もあるかもしれない。

 物作りが得意な神出鬼没の商売人は、次はどんな商売を始めるのだろうかと、ネムも予想しながら返答を待った。

 

 

「トレジャーハンターです!!」

 

「へ?」

 

 

 しかし、返ってきたのはあまりにも予想外な答えで、ネムは思わずポカンとしてしまう。

 

 

(物作り、関係ないんだ……)

 

 

 キメポーズ&キメ顔で言い切った店主は、ネムが再び口を開く前に、片手を振りながら颯爽と森の奥へと消えていくのだった。

 

 

「凄く良いブラシだね、これ」

 

「凄く気持ちの良いブラシでござったな」

 

 

 さっそくネムが新しいブラシの使い心地を試してみると、店主の説明通りとても良いブラシだった。

 何の金属で出来ているのかは分からないが、ハムスケも気に入ったようである。

 そして、ネムが貰ったブラシを何となく眺めていると、ふと、先程話していた店主が心配になった。

 

 

「あっ。ねぇ、ハムスケ。あのお兄さん一人で森に入っちゃったけど、大丈夫なのかな?」

 

「さっきの店主の事でござるか?」

 

 

 いつもハムスケが一緒にいるせいで忘れがちだが、トブの大森林は非常に危険な場所である。

 ここは森と村の境界あたりなのでそれほどでもないが、もう少し奥に足を踏み入れれば一瞬で人外の巣窟に早変わりだ。

 一般人だろうが冒険者だろうが、例外なく命の危険に晒される。

 ――もちろんモモンガは除くが。

 

 

「あれだけ気配を隠すのが上手なら、森のどんなモンスターにも見つからんでござろうな。だからそう心配しなくても大丈夫でござるよ」

 

「そっか。かくれんぼが趣味って言ってたもんね」

 

 

 だが、ハムスケが珍しく太鼓判を押したので、ネムの心配はすぐになくなった。

 ハムスケはこういった事で誤魔化しを言わない性格なので、あの店主はきっと無事なのだろう。

 

 

「それにしても、商売人にも凄い人間がいるものでござるなぁ。某に全く悟られずに、あれだけ近づける者はそうはいないでござるよ」

 

「そんなに凄かったんだ。実は元冒険者だったのかな?」

 

「そうかもしれないでござるな」

 

 

 整えたばかりの毛皮をモフモフしながら、ネムは店主の誇らしげな姿を思い出す。

 

 

「……私も宝探しとかしてみたいなぁ」

 

 

 最近家族の前では口にしない様にしている『我が儘』が、思わずポロリとこぼれ落ちた。

 

 

「モモンガ殿の家なら、宝くらいその辺に転がってそうでござるな」

 

「うん、ありそう。本当に転がってたりして…… むしろお家全部がお宝かも?」

 

「まぁ某は見つけるなら、宝より食べ物がいいでござる。金塊でお腹は膨れないでござるよ」

 

「あははっ、ハムスケらしいね。モモンガなら絶対食べ物より宝物の方だね」

 

 

 ハムスケと他愛のないお喋りをしながら、ネムは考える。

 自分は冒険者の仕事をたまにしているが、どれも出来る限り安全で堅実な依頼を選んでいる。

 そもそもモモンガがいなければ、冒険者になろうとも思わなかったはずだ。

 

 

「モモンガ殿はもとより食べ物を食べないでござるし、いつも豪華な装備をしてるでござる。貴重な物にも目がないので、確実に宝物の方が好きでござろうな」

 

「でもモモンガって、実は地味な服装の方が落ち着くから好きなんだよ」

 

「そうなのでござるか?」

 

「うん。あんな凄い所に住んでるのに、本当は部屋も小さめの方が良いんだって。不思議だよね」

 

 

 あんな店主の様な大人は珍しいのだろう。

 今ある仕事をやめてトレジャーハンターを生業にしようなんて、普通の人間はとてもじゃないが思わない。

 少なくともネムには、日々を生きるために必死な開拓村の村人では、夢やロマンを追う生き方は出来ない。

 

 

「モモンガ殿は存在自体が不思議過ぎでござる。あらためて何者なんでござろうな?」

 

「普通に別の世界で生まれたアンデッドじゃないの?」

 

「その時点で普通ではないでござる」

 

「えー、そうかなぁ。モモンガは凄いけど、結構普通なところも多いよ?」

 

「骸骨が普通…… ネム殿は大物でござるな」

 

「きっと元は普通の人間だったけど、死んじゃってからいっぱい頑張って、それで凄い骸骨になったんだよ」

 

「ふむ、あれは果たして努力でどうにかなるレベルでござろうか…… 顎も少し尖っているでござるし、本当に元は人間だったのでござるか? モモンガ殿の異常な強さと覇気は、生まれながらのものだと思うのでござるが……」

 

「溜息とか、時々深呼吸もしたりしてるし、少なくとも死んじゃう前は人間だと思うけどなぁ」

 

 

 ――けれど、友達を遊びに誘う事くらいは出来る。

 モモンガはレアな物やロマンのある物が好きだ。だからきっと宝探しにも興味があるだろう。

 ネムは今度モモンガに会ったら、宝探しに誘ってみようと思うのだった。

 

 

「もし修行の末に力を得たのだとすると、一体どれほどの時を過ごせばモモンガ殿の様な強さに至れるのやら…… 三百年も生きていない某には、皆目検討もつかないでござる」

 

「モモンガは三十歳くらいだよ」

 

「まさかの歳下でござるか!? やっぱりモモンガ殿は生まれながらの強者に違いないでござる!!」

 

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国、某所。

 防諜対策が施された一室に集まったのは、冒険者チーム『蒼の薔薇』の五人のメンバー達。

 室内にいる事もあって冒険者としての装備は外し、今は全員ラフな軽装で過ごしている。

 テーブルに紅茶が置かれている様は、まるでちょっとした女子会のようだ。

 しかし、見目麗しい女性達が顔を突き合わせていても、女子会にしては些か剣呑な空気が部屋には満ちていた。

 

 

「これまで潰した畑は六つ」

 

「だけど流通にほぼ変化なし」

 

「そう。やっぱり根本から断つしかないわね……」

 

 

 そしていつの間にか老婆が一人、誰にも気づかれずにこの部屋に侵入していた。

 老婆は彼女達の側の椅子に静かに腰掛けながら、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。

 

 

「――んで、結局どうすんだよ」

 

 

 男が羨む程の肉体美を誇る、見目逞しい筋肉質な女性――ガガーラン。

 彼女は手に持ったティーカップの中身を豪快に飲み干し、対面に座るラキュースに問いかける。

 彼女達が話し合っているのは、王国を蝕む裏組織『八本指』についてだ。

 

 

「奴らの拠点で手に入れた暗号の解読は自分達には無理だった。姫様の頭なら解けるかも」

 

「……ラナーは新国王であるザナック陛下の補佐、その他国内の事業で手一杯。現状では彼女に協力を頼むのは無理ね」

 

「ちっ、久々に眺めたかったのに」

 

「ならいっそゴリ押しでいくのはどうだ? 戦士団から手を借りてよ、堂々と殴り込みに行こうぜ。ラキュースの実家なら直接頼むツテくらいあんだろ」

 

「ツテ自体はなくもないけど…… ストロノーフ様はおそらく動けないわ」

 

 

 ラキュースは両手をぎゅっと握りしめながら、疲労の感じる声音で質問に答える。

 だが彼女の持つ正義感ゆえか、その瞳に諦めは微塵も感じられない。

 

 

「せっかく新しい王様に代わって国も良くなりそうだってのに。ちっ、八本指め」

 

「国の景気が良くなれば、当然悪党の懐も潤う。今は麻薬を買うだけの金が市民にも流れてる」

 

「むしろ悪党の方が潤う。奴隷部門以外は業績が右肩上がりのはず」

 

 

 眉間にシワを寄せ、思わず悪態をつくガガーラン。

 双子の忍者――ティアとティナは冷静なツッコミを入れた。

 

 

「ふんっ。これまでの様に奴らの小さな拠点を潰し続けても、嫌がらせにしかならんぞ」

 

 

 仮面を着けた赤ずきん――深紅のローブを纏ったイビルアイは、厳しい意見を述べる。

 残念ながらこれはイビルアイだけの私見ではなく、蒼の薔薇の皆が感じている事でもあった。

 

 

「やるなら最低でも幹部クラスを潰さないとな。だが、貴族との癒着が激しい奴らのことだ。すぐに釈放されて終わる可能性もあるぞ」

 

「それでも、以前よりはマシなはずよ。貴族派閥より、新王であるザナック陛下の方が発言力も強いわ」

 

「王派閥に奴らと繋がっている者がいないと良いがな」

 

 

 事実、ザナックが新国王となってから国の景気は目に見えて良くなったが、腐敗の原因が完全に消えたわけではない。

 汚職に手を染める無能な貴族と、それらを利用する八本指はまだまだ健在だった。

 あと二、三回ほど収穫期に戦争を仕掛けられたら、王国は国力が下がり切って完全に詰むだろう。

 今年は何故か帝国からの宣戦布告がなかったので助かっているが、ギリギリの状態に変わりはなかった。

 

 

「――相変わらず、ラキュースはおてんば娘のままだねぇ。むしろ前よりおてんばが増したんじゃないかい?」

 

 

 暗い雰囲気を打ち消すように、突然老婆が快活な声を出して場の空気を壊した。

 ラキュース達も話の手をピタリと止め、声の聞こえた方に顔を向ける。

 注目を集めた老婆――リグリット・ベルスー・カウラウは、彼女達の困惑する表情をそれは楽しそうに眺め返していた。

 

 

「久しぶりね、リグリット。――って歓迎したいところだけど、どうやって入ってきたのよ? 一応ここ、会員制のしっかりした宿なんだけど」

 

「気配がなさすぎて忍者もびっくり」

 

「むしろリグリットの方が忍者」

 

 

 ラキュース達に若干責めるような目を向けられても、リグリットは笑って受け流した。

 彼女達は他人に聞かれたくない話をするために集まっていたのだが、リグリットの人となりは知っているため、不法侵入された当の本人達もどこか気の抜けた対応だ。

 

 

「なんだ、婆さんは冒険者を引退したんじゃなかったのか?」

 

「もちろん引退したさ。わしをいくつだと思ってるんだい。泣き虫の嬢ちゃんに後を任せてからは、のんびり余生を楽しんどるよ」

 

「誰が泣き虫だ、リグリット!!」

 

「そりゃあんたに決まっとるじゃろ。なんなら昔話でもするかい? 一緒に旅をしてまもない頃、お前さんが夜に一人で――」

 

「そ、その話はやめろぉぉっ!?」

 

 

 普段の尊大な態度が崩れ、イビルアイは幼い少女のように悲鳴をあげた。

 今では伝説となっている十三英雄の一人にして、実は蒼の薔薇の初期メンバーでもあったリグリット。

 特にイビルアイとは古くから親交があった事もあり、リグリットがイビルアイをからかうネタには事欠かない。

 本気の実力なら王国最強と言っても過言では無いイビルアイなのだが、両者の力関係は明らかだった。

 

 

「んで、婆さんは何しに来たんだよ。昔話がしたいってんなら、後で酒場で付き合うぜ」

 

「たまにはそれも悪くないねぇ」

 

「はぁ、リグリット。本当にただ昔話をしに来たわけでもないんでしょう?」

 

「若いもんがせかせかするんじゃないよ。まあ、知人に頼まれて少し探し物をね。王国の近くを通ったもんだから、会えたらあんた達にも聞いてみようと思ったのさ」

 

 

 あっさりとここに来た目的を話すリグリット。

 八本指の対策会議で疲れていた彼女達は、休憩がてらリグリットの話を聞く事にした。

 

 

「最近現れた強い奴を知らないかい? 目立った存在なら、人でも魔物でもいいんだがね」

 

「目立つような奴?」

 

「何か心当たりはあるかい? ラキュースの魔剣みたいに、強いマジックアイテムを持ってる奴でもいいんだ」

 

「強いマジックアイテムねぇ…… パッとは思いつかねぇな」

 

「私のキリネイラムと同等っていうと、伝説に謳われるレベルよね」

 

 

 リグリットの質問に皆が首を傾げた。

 ラキュースの所有する魔剣は、かつて十三英雄の一人が持っていたとされる物だ。

 『四大暗黒剣』の一振りであり、夜空の闇を凝縮したかのような刀身を持ち、現代の鍛冶師では再現できない破格の性能を誇っている。

 そして暗黒剣というだけあって、それなりにいわく付きの武器だ。

 ――聖なる力を扱う神官であるはずのラキュースは、何故かこの魔剣を妙に気に入ってるようだが。

 

 

「これと同レベルのアイテムを持ってる人なんて、噂でも聞いた事ないわね」

 

「そうかい。まっ、強すぎる力を持つ物はあまり見つからない方が、世のためではあるんだがね」

 

 

 そう告げながら、リグリットは頭の中で別のあるアイテムを思い浮かべる。ラキュースの叔父、アズス・アインドラが所有する魔法の鎧だ。

 実はアズスの持つ鎧は、アダマンタイト級の持ち物としても群を抜いて希少で強力な物だ。

 ある意味その鎧の出どころを知っているリグリットは、同じようなものが見つかっていない事に少しだけホッとした。

 

 

「おい、リグリット。それはツアー絡みの探し物だな」

 

「そうだよ。時期的にそろそろだからね」

 

「そうか。もうそんなに経ったのか……」

 

 

 仮面でその表情は見えずとも、イビルアイの声にはどこか慎重さと哀愁が含まれている。

 深く考え込むその姿は、一人だけリグリットの事情を察している様でもあった。

 

 

「人以外でもいいなら、トブの大森林に現れたドラゴンはどうだ?」

 

「ドラゴンか…… どんな奴だったんだい?」

 

「あれは強いなんて生易しいもんじゃなかったぞ。偶々依頼で森に行った時に出くわしたんだけどよ。でも最近現れたというか、そいつは目覚めたって自分で言ってたけどな」

 

 

 ガガーランのドラゴンという発言に、リグリットは少しだけ目を細めた。

 そして、続きを話そうとしたガガーランよりも早く言葉を発したのは、目だけ笑っている双子の忍者だった。

 

 

「イビルアイが『私達で十分対処出来る。キリッ』って言った奴」

 

「でも実際に遭遇したらイビルアイが真っ先に『早く逃げろ』って泣き叫んだ奴」

 

「私は別に泣いてない!! それにあんなのは予想外だと言っただろ!?」

 

「『この魔獣より強くても、竜王クラスという事はない。キリッ』だっけ?」

 

「森の賢王がやめとけって、助言までくれたのに」

 

「お、お前らぁ……」

 

 

 真顔の双子が代わる代わる繰り出した煽りを受けて、ワナワナと震えだすイビルアイ。

 

 

「『私は第五位階の魔法が使える。最強の魔法使いだ。キリッ』って、子どもに自慢してたのに」

 

「『どんなドラゴンが相手でも、私なら問題ない。キリッ』ってドヤ顔してたのに」

 

「捏造するな!! そこまでは言ってないだろ!!」

 

 

 しかし、双子の忍者の口は止まらない。

 蒼の薔薇最強の魔法詠唱者(マジックキャスター)は、ここぞとばかりにイジられた。

 もっともティアとティナが付け足した内容のおかげで、リグリットはどんな状況になったか大体は察する事が出来たのだが。

 

 

「くっ、かかか…… 相手がドラゴンと知りながら慢心したとは、お前さんも随分と思い上がったもんじゃのう」

 

「ち、違うぞ。あれは慢心じゃなくて――」

 

 

 慌てて弁明をしようとするイビルアイを見て、リグリットは笑いを堪えるように口元を隠す。

 ちなみに今は抑えていてるが、リグリットも今度会った時はこのネタでイジル気満々である。

 

 

「はいはい。ティアもティナも、イビルアイをいじめるのはその辺にしなさい。あれは私達の総意よ。強いて言うならリーダーである私の判断ミスね」

 

「どちらにせよみんな無事で良かったじゃないか。目覚めたというなら、恐らくわしの探し物とは無関係だろうよ」

 

「尊い犠牲はあったけど」

 

「生き返らせたからノーカン」

 

 

 リグリットとしてはもう少し詳しく話を聞いても良かったが、イビルアイが完全にへそを曲げてしまっている。

 彼女はいつも以上にローブを深く被り、枕を握りしめて部屋の隅に行ってしまった。

 リグリットも情けとして、今日の所はこれ以上その話を蒸し返すのはやめておいた。

 

 

「ああそうだ。期待の新人って事なら、トブの大森林にいる伝説の大魔獣、『森の賢王』を使役してる冒険者がいるぞ」

 

「確かに期待の新人ね。でもあの子、あくまでも賢王とは友達のつもりだったわよ」

 

 

 ガガーランの挙げた冒険者の事を思い出したのか、ラキュースは笑ってそれに同調している。

 だがその表情は、屈強な冒険者を思い浮かべているというより、何か可愛らしいモノをイメージしている様な柔らかい笑みだ。

 

 

「今は銅級(カッパー)でも、その気がありゃ直ぐにのし上がってくるんじゃねぇか?」

 

「あの魔獣の力があるなら、最低でもミスリルはいけるでしょうね」

 

 

 二人の話を聞き、リグリットは考え込んだ。

 珍しい部類だが、魔獣を使役する者は普通に存在する。それこそ帝国の軍隊でも、魔獣に騎乗する部隊があるくらいだ。

 

 

「……それほどの存在を使役する冒険者がいるとはねぇ」

 

 

 それでも不可解な点はある。

 魔獣などの使役自体は不可能でなくとも、そういった能力や技術は、基本的に自分より弱い存在しか従える事が出来ないのだ。

 つまり、弱い人間が強力な魔獣を従えるのは、まず無理なのである。

 

 

(もし噂が本当なら、『森の賢王』は人が従えられるような存在じゃない…… 少しきな臭いね)

 

 

 自身もアンデッドを使役出来るので、ある程度は使役に関して必要な力量差の推測ができる。

 ユグドラシル産のアイテムの関与を疑ったリグリットは、心の中で調査対象としてメモをした。

 

 

「なぁ、そっちの話を続けるのもいいけどよ。俺たちの仕事もちょっと手伝っちゃくんねぇか?」

 

「こんな年寄りを捕まえて何やらせようってんだい。まぁいいか。情報のお礼に、ほんの少しだけ手伝ってあげるとするかね」

 

 

 ガガーランからの思い掛けない提案。

 少しだけ考えたリグリットは、ちょっとしたお礼と、裏社会での情報収集も兼ねるつもりで了承した。

 一応理屈をつけてはみたが、本当の理由の大部分は、彼女達に対する情があるからだろう。

 

 

「マジかよ。ははっ、こりゃなんでも言ってみるもんだな!!」

 

「これで私達も楽が出来る」

 

「諜報活動代わりによろしく」

 

「主体はあんた達だよ。わしはちょびっと手伝うだけさ」

 

「でも本当に心強いわ。ありがとう、リグリット」

 

 

 打倒八本指に向けての作戦会議。

 何か妙案が浮かんだ訳でもなく、状況が良い方向に進んでいる訳でもない。

 だが、まさかの展開でリグリットの助力が決まり、蒼の薔薇の面々は少しだけ歓喜の表情を見せるのだった。

 

 

「ふんっ。あんなのは例外中の例外だ…… 竜王クラスじゃなきゃ、私だってドラゴンの一匹や二匹くらい……」

 

 

 だだし、部屋の隅っこに蹲り、ぶつぶつと呟いているちびっ子は除く。

 

 

 

 

おまけ〜残念でポンコツで――そして可憐な吸血鬼〜

 

 

「――はじまりました『ネムの部屋』。今回のゲストはシャルティアさんです!!」

 

「よろしくでありんす」

 

 

 ネムの元気な掛け声と共に、何処からか流れる「るーるるー」という肉声のBGM。

 見た目だけで言えば、二人の少女が笑顔で座っている可愛らしい光景だ。

 

 

「わたしはアルベドと違って出来る女でありんす。気楽に楽しくお話しするとしんしょう」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 

 以前アルベドが謹慎を言い渡された事を知っているためか、シャルティアは自信満々な様子だ。

 

 

「じゃあ何からお話ししますか?」

 

「そうね、ならネムとモモンガ様のアレコレについて聞きたいでありんす」

 

「モモンガのこと?」

 

 

 二人の共通する話題を考えれば、それに行き着くのは必然とも言える。

 そして、モモンガの寵愛を狙うシャルティアが、モモンガと仲の良いネムに話を聞きたいのも当然である。

 なので今回はこの企画としては珍しく、ネムが質問される側になった。

 

 

「気になっていたのでありんすが、モモンガ様とはいつどこで知り合ったのでありんすか?」

 

「モモンガとはナザリックの円卓で会いました。初めて会ったのは、確か私がまだ九歳の時だったかな?」

 

「出会いはナザリックと…… それで、普段は会って何をしていたのでありんすか?」

 

「いつも私が寝てから会ってたけど、お喋りしてる事が多かったです」

 

「寝てからお喋り?」

 

 

 ネムの言葉をどう受け取ったのか。少し言葉を繰り返して考え込んだシャルティアは、急に両手を顔の前で組んだ。

 

 

「――なるほど。そういうことでありんすか」

 

 

 シャルティアはしたり顔で、某深読みの悪魔の様な事を呟いた。

 考えるまでもないが、まず間違った結論に至ったのだろう。

 

 

「ネム、大丈夫でありんす。今みたいにオブラートに包んでくれても、わたしはキチンと理解していんすよ」

 

 

 シャルティアは何かを察した優しい笑みを浮かべ、ネムに寄り添う聖女のような雰囲気を出す。

 

 

「寝てから会う――これは一種の隠語でありんすね」

 

 

 しかし実際は寄り添うどころか、相互理解から最も遠い存在となった。

 

 

「つまりピロートークというやつでありんしょう? そのまま言うのが恥ずかしいなんて、なんて可愛らしいんでありんしょうか」

 

「まくらのお話?」

 

 

 シャルティアの頭の中は淫靡な色で埋め尽くされており、もはや聖女ならぬ性女である。

 さらに残念なことに、お互い致命的なすれ違いに気付かぬまま、会話は進んでしまった。

 

 

「あら、失礼。わざわざぼかしたのに、確認するのは無粋でいんしたね。さぁ、そのまま話してくれて構いんせんから、続きを聞かせてくんなまし」

 

「えっと、あとはお喋りだけじゃなくて、モモンガの出してくれたお馬さんに乗ったり」

 

「モモンガ様の馬並みに!?」

 

 

 ネムはモモンガの持ち物である動物型ゴーレムに、遊びで乗せてもらった話をしただけだ。

 たったそれだけの話なのだが、シャルティアはゴクリと喉を鳴らす。

 シャルティアの異様とも言える食い付きに、ネムは少し不思議に思った。

 

 

「も、モモンガ様の馬並みは、一体どんなありんすでありんしょうかぇ!?」

 

「んー、普通の馬よりちょっと大きくて、石みたいに硬かったよ」

 

「ハァハァ、大きくて、硬いんでありんすね……」

 

 

 ネムの説明に目を見開き、言葉と息を荒くするシャルティア。

 馬を模した石のゴーレムなので、普通に大きいし硬いのも当たり前である。

 

 

「それでどっちが早くゴール出来るか遊んだりもしました」

 

「どちらが早くイケるかの勝負だなんて、羨まし過ぎるでありんす……」

 

 

 これはネムが夢の中でナザリックに遊びに来ていた頃の話だ。

 ゴーレムを使ったレースで勝負していたというだけの健全な話である。

 

 

「何回戦したんでありんすか?」

 

「その時は一回だけだったと思います」

 

「モモンガ様は回数より質を重視するんでありんすね。ちなみに勝ったのはどちらでいんしょう?」

 

「私の方が早くゴールしました!!」

 

「はぁ、流石はモモンガ様。その手の妙技に関しても、至高の領域におわすという事でありんすね」

 

 

 ネムは自慢げに答え、シャルティアは納得したように頷いた。

 円卓の周りを一周するレースをした際、勝ったのは確かにネムである。

 

 

「ネム、お願いでありんす。次にヤる時は私も誘ってほしいでありんす!!」

 

「いいですよ?」

 

 

 何故か土下座しそうな勢いで頼まれたネムは、深く考えずに了承した。

 当然ネムは純粋に遊びに誘われたと思っている。

 シャルティアの妄想は一ミリもあっておらず、ここまで会話が成立していたのは奇跡である。

 

 

「やったでありんす!! これで念願のモモンガ様との複数プレ――」

 

 

 歓喜しながら立ち上がったシャルティアは、いきなり背後からがっしりと頭を掴まれた。

 掴まれている頭に触れた硬すぎる指の感触、そして何よりも至近距離で感じる至高のオーラから、シャルティアは誰が自分を掴んでいるのか悟る。

 

 

「――そこまでだ、シャルティア」

 

 

 ――魔王(モモンガ)降臨。

 自らを支配する圧倒的な上位者としての声で、モモンガに耳元で囁かれたシャルティア。

 ご褒美にしかならない仕打ちを受け、シャルティアの下着は少し不味いことになった。

 

 

「あっ、モモンガ」

 

「すまないな、ネム。シャルティアも非常に疲れている様だから、今日のところはここまでだ。分かっているな、シャルティア?」

 

「は、はいでありんす……」

 

 

 深読みと勘違いを重ねた結果、シャルティアは謹慎三日となった。

 ちなみに氷結牢獄に入れられたシャルティアは、モモンガにネムとの会話の中での勘違いを教えられたが、それでも満足した表情をしていたらしい。

 

 

「あれほどのご褒美を頂けたのでありんす。これっぽっちも悔いはありんせん」

 

 

 ことの経緯を知ったアウラからは「馬鹿じゃないの?」と、呆れながら言われたそうだ。

 

 

 




そういえば国王は第二王子ザナックに変わったけど、『八本指』がまだ壊滅してないと思い出したので、ちょろっと話に出してみました。
おまけではついにシャルティアが深読みスキルを発動です。
この世界の翻訳が上手く働かなかったのか、それともシャルティアの煩悩が強すぎたのか、結果はご覧の通りでした。


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【NAS】骸骨と少女の宝探し

前回のあらすじ


「閉店セールです」
「凄く良いブラシだね」
「凄く気持ちの良いブラシでござるな」
「なるほど。そういうことでありんすか」


今回はネム待望の宝探しをするお話。
「TAS」ならぬ「NAS」による超展開で進みます。
もちろん「NAS」はNemu-Assisted Superplayの略です。




「ねぇ、モモンガ。宝探ししない?」

 

「よし、やろう」

 

 

 即断即決。

 ネムに誘われた後、モモンガの行動は早かった。

 

 

「すまないがちょっとだけ待っててくれ。道具を取ってくる」

 

「はーい」

 

 

 モモンガは声を弾ませ、詳しい理由も経緯も聞かず、すぐさまナザリックに戻っていった。

 ネムと会話を始めてから、ここまで僅か十秒。見事なとんぼ返りである。

 

 

「――待たせたな。これが探索&採取向けの装備一式と必要なアイテムセットだ」

 

 

 骸骨再臨。

 僅か数分で戻ってきたモモンガは、小さな山が出来るほどのアイテムを抱えていた。

 帽子、首飾り、腕輪、手袋、外套、ピッケルetc…。

 これらの多種多様な装備は全てユグドラシル産。やり過ぎである。

 

 

「ほい、こっちがネムの分だ」

 

「ありがとう、モモンガ」

 

 

 これから行うのは冒険者の仕事ではなく、単なる遊び。

 そのため、モモンガはネムに惜し気もなく高性能な装備を貸し出していた。

 控えめに言って、どれもこの世界では伝説になるレベルである。

 

 

「でも多くない?」

 

「そうか? 私が友人から教わった『誰でも楽々レアドロ術』だと、これでも必要最低限だぞ」

 

「宝探しって必要な道具が多いんだね」

 

「根気も必要だがな。レアドロップ目当てに課金アイテムでドロップ率を上昇させたり、面倒なクエストやボスを無限に周回したり…… 全然楽々じゃなかったな」

 

 

 モモンガが遠い目をしている隣で、ネムは黙々と装備を身につけ始めた。

 首飾りや腕輪など、普通に考えれば必要な物とは思えない装飾品も多い。

 それに『誰でも楽々レアドロ術』とやらも、ネムからすれば全く何か分からない。

 でも、モモンガが必要だと言うならきっとそうなのだろう。

 モモンガを信頼するネムにとっては、それくらいのゆるい認識であった。

 

 

「ホントあのクソ運営、確率絞りすぎだろ。欲しい時に出ない癖に、必要数が溜まってからはポンポン落としやがって。ギルド武器作る時だってどんだけ苦労したか――」

 

「モモンガ、もう準備できたよ?」

 

 

 準備を終えたネムにローブの裾を引っ張られ、モモンガは現実に引き戻された。

 一定レベル以下の物理攻撃と魔法の無効化。

 状態異常、行動阻害、精神干渉系など、あらゆる妨害に対する完全耐性。

 ここまで防御を固めておきながら、もはや必要なのか疑問のある生命力持続回復(リジェネ―ト)まで付与されていた。

 この世界では無敵状態と言っても過言ではない、トレジャーハンターネム・エモットの完成である。

 

 

「――っゴホン。すまない、つい昔の事を思い出してしまった。さぁ、行くか!!」

 

「うん!!」

 

 

 宝探しに相応しい服装に変わり、早くもテンションの上がったネムとモモンガ。

 二人は仲良く拳を突き上げながら、一歩目を同時に踏み出した。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……ところでネムよ」

 

「なぁに、モモンガ」

 

 

 しかし、そこからは一歩も先に進んでいない。

 互いに顔を見合わせる事もなく、まっすぐに前を向いたまま固まっていた。

 

 

「宝探しって、どこで何を探すんだ?」

 

「分かんない」

 

 

 いっそ清々しいネムの返答。

 言葉以上にその真っ直ぐな瞳が告げていた。

 最初に言った通り、『宝探し』がやりたかっただけなのだと。

 具体的な計画なんてある訳がない。

 

 

「流石に目標くらいは決めてから移動した方が良いと思うんだが」

 

「じゃあ、あっちの山でも探してみる?」

 

「確か、アゼルリシア山脈だったか。デミウルゴスの資料に名前があったような無かったような……」

 

「上手く掘ったら金塊が手に入るかもなって、前にラッチモンさんが言ってたよ」

 

「誰だそれ」

 

「たまにお肉をお裾分けしてくれるおじさん」

 

 

 信憑性皆無の情報。

 早く行こうと訴えるネムの表情。

 モモンガは一つの境地へ達した。

 

 

「モノは試しでやってみるか」

 

「うん、目指せお宝!!」

 

 

 ――楽しいならなんでもいいや。

 無計画、ここに極まる。

 

 

 

 

 失態だ。

 精神の沈静化までは起きていないが、自分はよほど浮かれていたらしい。

 モモンガは探索場所も目標も決めずに、つい先走ってしまった己を心の中で叱責していた。

 

 

(馬鹿だなぁ、俺。この世界とユグドラシルは違うってのに。ネムに何やってんだコイツとか思われてないと良いけど……)

 

 

 ユグドラシルと同じノリで準備もしてしまったが、この際それは置いておくとしよう。

 重要なのはネムと『宝探し』をするという事。

 次に、どうやってお宝を見つけるかだ。

 ネムが聞いたラッチモンなる人物の話など、どうせ冗談か夢物語に近いものだろう。

 とは言え、アゼルリシア山脈がもし鉱山であるならば、金や希少な鉱石を見つけられる可能性もゼロとは言えない。

 

 

「――〈上位幸運(グレーターラック)〉、〈超常直感(パラノーマル・イントゥイション)〉。これで良し」

 

「何にも変わってないよ?」

 

「まぁ、気休めだから問題ない」

 

 

 むしろ現状では一番マシな選択肢と言えるだろう。

 さらにモモンガは苦肉の策として、ネムに魔法をかけた。

 そしてデミウルゴスお手製の地図を、ネムの前に広げる。

 

 

「さぁ、ネム。山のここだと思う所に指を差してくれ」

 

 

 後はネムの直感に任せるのみ。

 要するに当てずっぽうだ。

 闇雲に探すよりはマシ程度の、本当に気休めにしかならない方法である。

 

 

「うーん、じゃあ――ここっ!!」

 

「えーと、だいたい山の中腹あたりか」

 

 

 気合の入った声と共にネムが指を差した場所は、王国側ではなく帝国側に寄っていた。

 アゼルリシア山脈の中心からすると、山の南東方面だ。

 

 

「とりあえず目的地周辺までは魔法で移動だな。そういえば、ハムスケは誘わなくて良かったのか?」

 

「ハムスケは筋肉痛だから、『しばらくはゆっくり休みたいでござる』って言ってたよ」

 

「あいつホントに賢王らしくないな」

 

 

 モモンガは〈全体飛行(マス・フライ)〉を使って、ネムが指を差した地点に向かって飛んだ。

 

 

(足を使って探すなんて、なんだか懐かしいなぁ。さて、内部に入れる洞窟か坑道でもあると良いんだが……)

 

 

 GPSなんて便利な物は存在しないので、あくまで感覚頼りではある。

 幸いデミウルゴスの作った地図が見やすい物だったので、モモンガもさほど迷う事なく目的の場所へ行く事が出来た。

 

 

「――あったな。入れそうな場所」

 

「あったね。洞窟、でいいのかな? なんだか裂け目みたい」

 

「まさかこんな簡単に見つかるとは……」

 

「やっぱりモモンガの魔法は凄いね」

 

「そ、そうか?」

 

 

 ネムと空の旅を楽しむこと数分。

 降り立った場所は岩だらけで、ゴツゴツとした山肌が露出していた。

 

 ――決定的成功(ネムティカル)

 

 さらに、ちょうど近くに山の中に繋がっていそうな裂け目も開いている。

 ネムの勘はドンピシャだったという事だろう。

 

 

(本当に魔法の効果が発揮された結果なのだろうか…… それとも元からネムの運が良かっただけか?)

 

 

 軽く中を覗いてみると、どうやら自然に出来たもののようだが、問題なく進む事が出来そうだった。

 どこまで続いているのか分からないが、一度入ってみるのも一興だろう。

 そう思ったモモンガはあえて何も調べず、ネムと共に暗闇の中に足を踏み入れた。

 

 

「この頭の光るやつ、凄く明るいね!!」

 

「洞窟内を探検する時のお約束アイテムだ。あくまで飾りだったんだが、ちゃんと機能している様だな」

 

 

 自分達から発せられる音がよく響く、静かで真っ暗な自然の通路。

 帽子に取り付けられたヘッドライトが気に入ったのか、ネムは洞窟内に入ってからやたらと首を動かして周囲を照らしていた。

 科学技術が発達していないこの世界では、光る道具そのものが面白いのだろう。

 

 

(ネムには〈闇視(ダーク・ヴィジョン)〉よりこっちで正解だったな)

 

 

 流石にもうオッサンで死の支配者(オーバーロード)な自分に、そんな無邪気な感性は残っていない。

 だが、興奮するネムの気持ちは何となく理解出来た。

 押し入れや布団の中など、暗い所で懐中電灯などを使う。

 まだ自分が幼く、母親が生きていた頃は、ただそれだけで楽しかった記憶がある。

 

 

「家のランプよりずっと凄いよ。モモンガは使わないの?」

 

「私は元から種族特性で暗闇の中でもハッキリと見えるんだ。便利ではあるが、こういう時には情緒がなくて微妙に感じるぞ」

 

「そうかな? 私はいつも見える方が便利で良いと思うけどなぁ」

 

 

 洞窟内の探索は順調だった。

 虫除けくらいの気持ちで〈絶望のオーラ〉を垂れ流していたので、魔物とのエンカウントを心配する必要性は皆無。

 途中で道が分岐すれば、基本的にネムが進む先を決めた。

 時々気になった壁を、お互いテキトーにピッケルで削ってみたりもした。

 当然こんなやり方では、お宝どころか鉱石の一つも手に入らない。

 

 

(あぁ、楽しいなぁ)

 

 

 でも、モモンガは楽しかった。

 ネムとワイワイ喋りながら、自由気ままにピッケルを振り回して遊んでいるのが楽しかった。特に部下の視線もなく、重圧が全くないのが最高だった。

 宝探しの事など半ば頭から抜け落ちていたが、モモンガは既に満足したと言ってもいい。

 

 

「また別れ道だな」

 

「じゃあ、次はこっちにしよ!!」

 

 

 何度目かの分岐点。

 暗い洞窟内にも慣れてきたのか、ネムの表情に緊張感はカケラも残っていない。

 そして、ネムが選んだのは今までと比べるとかなり細い道だった。地殻変動か何かの影響で出来たのか、道というより割れ目に近い。

 ネムくらい小柄ならまだ余裕もあるが、大人が二人同時には通れないだろう程度の幅しかなかった。

 

 

「あー、行き止まりになってる。あれ、でもこの壁……」

 

「残念、この道はハズレだったようだ。さっきの所まで戻るぞ」

 

 

 十メートルほど進む事は出来たが、そこまでだった。

 満足にピッケルも振れないような狭い空間まで辿り着き、引き返そうと思った時。

 何を思ったのか、ネムはピッケルで右側の壁を突きだした。

 

 

「ねぇモモンガ。この部分なんか硬いよ?」

 

「硬い?」

 

 

 ネムの「硬い」という言葉に、モモンガは疑問を抱く。

 ネムに持たせているピッケルは聖遺物級(レリック)のマジックアイテム。ただの岩程度なら、子供の力でも容易に削る事が出来る。

 現に今までの道中では、ネムもそこら中の壁を好きに削る事が出来ていた。

 

 

「確かに硬いな。ここだけ材質が違うのか? いや、何かの壁か?」

 

 

 狭い場所だがなんとかネムと入れ替わり、モモンガも壁に触れてみた。

 よくよく見れば、確かに周りの岩と質感も違う。

 まるで岩のメッキが剥がれたように、一部だけ硬い壁が露出しているようだった。

 

 

「掘ってみようよ!! もしかしたらお宝が埋まってるかも!!」

 

「そうしたいのは山々だが、狭すぎてピッケルが使いづらいな」

 

 

 この狭苦しい場所だと、モモンガに取れる手段はそれほど多くない。

 期待の視線を背中に浴びながら、モモンガは力技を選択する。

 

 

「ネム、ちょっと下がってくれ――〈魔法三重化(トリプレットマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉、〈魔法三重化(トリプレットマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉」

 

 

 モモンガの手から魔法の刃が放たれ、硬い壁をあっさりと切り裂いた。

 ただ破壊するだけならもっと効率の良い魔法もあるが、これなら周囲にあまり影響を与えないだろう。

 第十位階魔法の大盤振る舞いだが、爆発系を使って崩落が起こったら目も当てられない。

 

 

「うわぁ……」

 

「おおぉ……」

 

 

 何重にも重なった切れ目に負荷がかかり、壁はピシリと音を立てて崩れ落ちた。

 目の前の光景にネムは目を見開き、モモンガと揃って感嘆の声を漏らす。

 

 ――決定的成功(ネムティカル)

 

 魔法によって切り刻まれ、崩れ落ちた壁の向こうから――黄金の光が溢れ出していたのだ。

 

 

「凄い、これは凄いぞネム!!」

 

「凄い凄い凄い!! お宝だよ、モモンガ!!」

 

 

 地下遺跡の宝物庫でも掘り当てたのだろう。

 もしくは大昔の人が埋めた埋蔵金というやつかもしれない。

 意外と分厚かった壁の向こう側に足を踏み入れてみると、その空間は金銀財宝で埋め尽くされていた。

 ナザリックの宝物殿には遠く及ばないが、それでも莫大な量である。

 

 

「わぁ、金貨とか武器とか色々ある!! 金塊より凄いの見つけたね」

 

「ああ、ネムの幸運に感謝だな。ダンジョンを突破せず宝の部屋に直行なんて、運営が聞いたら卒倒してるぞ。さて、まずはどうするか……」

 

「ピカピカすっごーい!!」

 

「あ、ズルっ!!」

 

 

 もはや自分の言葉が届いていないのか、興奮を抑えきれず、ネムが叫びながら宝の山に飛び込んだ。

 金貨のクッションはあまり衝撃を吸収してしてくれなかったようで、膝をさすっている。

 でもその表情は笑顔のままだ。

 

 

「よーし、俺も!!」

 

 

 先程から精神の沈静化は繰り返されているが、この喜びは早々消える気配もない。

 自分もネムのように感情のまま、金貨の山に飛び込んでみた。

 予想通り貴金属の硬い感触しか返ってこなかったが、体で金貨を撒き散らすのは思いのほか達成感があった。

 

 

「あはは!! モモンガ、体の中に金貨が入ってるよ」

 

「ははは!! ネムこそ、頭にネックレスが引っかかってるぞ?」

 

 

 その後も二人はお宝を物色し続け、モモンガでも装備可能な不思議な剣を見つけたりもした。

 金貨の彫刻から宝物庫の正体を考察したり、どうやって持って帰ろうか相談したりもした。

 二人の『宝探し』は、大成功に終わったのだった。

 

 

「あーあー、でもこんなに沢山あると、家にも置いとけないね」

 

「置き場所が気になるなら、ネムの分はナザリックで預かろうか? いつでも取り出せるようにするし、もちろん宝は山分けだ」

 

「いいの? でもそんなにはいらないかな。ここに来れたのはモモンガのおかげだし」

 

「おいおい、遠慮しないでくれ。それを言ったら、ここを見つけられたのはネムのおかげだぞ?」

 

 

 ちなみに、これは古代の遺跡の一部などではない。

 もちろん貯めこまれた宝物は埋蔵金でもない。

 訳あって放置されている状態だが、実は現存する国の宝物庫である。

 

 

「宝探し、楽しかったね、モモンガ」

 

「ああ、またやろうな、ネム」

 

 

 ――とある国の宝物庫に、壁を壊して侵入していたのだと、少女と骸骨は最後まで気付く事はなかった。

 

 

 

 

「ふむ。財源の確保は今日も順調だね。この分だと、あと三日もあれば今月のノルマを達成できるだろう」

 

 

 誰よりも日々忙しく働いているナザリックの階層守護者、デミウルゴス。

 デミウルゴスは第九階層の廊下を歩きながら、部下から提出された資料に目を通していた。

 パンドラズ・アクターの協力によって、財源の確保は以前より一段と成果をあげているようだ。

 

 

(今日もモモンガ様に良い報告が出来そうですね)

 

 

 資料を脇に抱え直したところで、至高の御方の気配を感じて振り返る。

 どうやらネムとの冒険から帰ってきたのだろう。

 

 

「お帰りなさいませ、モモンガ様」

 

「おお、デミウルゴスか。ちょうど良かった。実はさっきネムと財宝を見つけてな、それを宝物殿に運ばせた」

 

「財宝、でございますか」

 

 

 今回も非常に満足げな様子だ。

 しかし、財宝とはいったいどういう事だろうか。

 これは何かの比喩表現なのか。確かに御方の働きによって得られた貨幣は、金額に関わらず財宝と言っても差し支えない価値がある。

 はたまた、冒険者の仕事先で実際に何かを見つけられたのか。

 

 

「一部のマジックアイテムは換金しないように言ってあるが、それでもそこそこの維持費にはなると思うぞ」

 

 

 デミウルゴスが思考を巡らせていると、モモンガは嬉しそうに一枚の紙を見せてくれた。

 おそらくパンドラズ・アクターが計算したであろうそれには、モモンガの手に入れた財宝の合計金額の見積もりが記載されていた。

 ご丁寧にエクスチェンジボックスを利用しない場合、人間社会での相場まで算出されている。

 

 

「流石はモモンガ様。一度の行動でこれ程の稼ぎを得られるとは、お見事でございます」

 

「今回は運が良かっただけだ。大体はネムのおかげだしな」

 

 

 デミウルゴスは並んだ数字を確認し、叫びそうになった気持ちを無理やり抑え込んだ。

 なんだこの金額は。明らかに桁がおかしい。

 パンドラズアクターがミスをするとは思えないが、本当に桁がおかしい。

 国一つ潰して回収してきたとしか思えないような、馬鹿げた金額だ。

 

 

 

「ああ、そうそう言い忘れていた。半分はネムの物だから、きっちり分けるようにパンドラズ・アクターに追加で伝えておいてくれ」

 

「畏まりました」

 

「うむ、頼んだぞ。それにしても、今日は本当によく遊んでしまったな」

 

 

 ――遊び。

 これ程の成果も、御方にとっては遊びでしかないと言うのか。

 

 

「時にデミウルゴスよ。仕事ばかりで疲れていないか? お前の忠勤にはもちろん感謝しているが、偶には休憩して、遊んで英気を養うことも大事だぞ」

 

「御心遣い感謝いたします」

 

 

 デミウルゴスは取り乱さないように歯を食いしばり、それを悟られぬよう恭しく頭を下げ続けていた。

 そして、モモンガの気配が完全に消えた後、デミウルゴスは膝から崩れ落ちた。

 

 

「馬鹿な!? たった一日で、いや、ネム様と出かけられていた時間は半日。実際に動かれた時間はそれ以下だ!!」

 

 

 もちろんナザリックの総力を発揮すれば、国の一つや二つ滅ぼす事は容易い。財宝でも国庫でも何でも回収出来るだろう。

 だが、モモンガとネムはたった二人で、誰にも気づかれる事なくこれを成し遂げたのだ。

 

 

「僅かな時間でこれ程の成果を上げるなど――御身の御力、改めて示していただき感謝致します」

 

 

 デミウルゴスは膝に喝を入れて立ち上がった。

 これは御方からの激励だ。

 小さな成果を積み上げる事で僅かに緩んでいた自分に、更なる上を目指せと仰せなのだろう。

 

 

(モモンガ様のお言葉には他にも意味があるのでは? 深淵なる御意思の一端でも――思い出せ、そして考えるのですっ!!)

 

 

 思考を限界まで加速させる。

 創造主に与えられた知能の限界、その先へ。

 至高の領域に辿り着かんと、持ち得る全ての知識、経験、発想を爆発させる。

 ――財宝、仕事、遊び、ネム、財源、楽しい、パンドラズ・アクター、オーバーアクション、疲れ、英気、養う、人間、循環、搾取――

 

 

 

 

「モモンガ様。テーマパークを作り、人間達から財を回収するのは如何でしょうか?」

 

「……一度休暇を取りなさい、デミウルゴス」

 

 

 ――大失敗(ファンブル)

 

 心配したモモンガの一声で、デミウルゴスは強制的に休暇を取る事が決定した。

 

 

 

 

おまけ〜夜更かし大人体験〜

 

 

 淡い輝きを放つ天井のシャンデリアと、カウンターに設置されたお洒落な間接照明。

 それらの薄い明かりに照らされ、落ち着いた雰囲気を醸し出している大人の空間。

 ここはナザリックの第九階層――『ロイヤルスイート』に存在するショットバーである。

 

 

(シャルティア様とアルベド様が来られた際にお酒が随分と減ってしまいましたが、在庫の補充は問題ない様ですね。……不毛な争いを見るのはもう二度とゴメンですが)

 

 

 バーカウンターの奥で棚に陳列されたボトルの確認をしているのは、茸生物(マイコニド)の副料理長。

 とあるキノコにそっくりな見た目のため、周りから『ピッキー』という愛称で呼ばれているNPCだ。

 その胴体はスラリとして細長く、ボトルを握る手は三本の触手のようである。

 

 

(さて、今夜はどなたが来られますかね……)

 

 

 副料理長の主な職務は、ナザリック内の食堂で料理長と共に料理を作る事である。

 料理と言っても彼自身はドリンクが専門であり、むしろドリンク系しか作る事は出来ない。

 また、利用者がそれ程多い訳ではないが、こうして週に何度かはバーのマスターとしても働いている。

 

 

(出来ればデミウルゴス様のように、落ち着いた方が来られるといいのですが)

 

 

 副料理長はグラスを磨きながら、常連の一人が優雅に酒を嗜んでいた姿を思い出す。

 肩書きは同じ守護者でも、すぐに喧嘩を始める女性陣とは立ち振る舞いに雲泥の差があった。あれこそ出来る大人の男というものだろう。

 そのまま静かに客の訪れを待っていると、店の扉がゆっくりと開く音がした。

 

 

「いらっしゃ――っ!?」

 

 

 客を出迎えるため、副料理長はカウンター内の定位置に素早く戻る。

 そして、入り口に向けていつもの様に声をかけようとした――が、入ってきた存在を認識して思わず息を呑んだ。

 

 

「驚かせてすまないな」

 

 

 神器級(ゴッズ)の豪奢な漆黒のローブではなく、洗練された黒いジャケットを身に纏った死の支配者(オーバーロード)

 シックな装いでバーの扉を開き、現れたのはナザリックの唯一にして絶対の支配者。

 至高の御方であるモモンガだ。

 

 

「っモモンガ様。お出迎えも出来ず、誠に申し訳ありません」

 

「よい。今の私はただの客として来ている。配下としての過度な気遣いは無用だ」

 

 

 たとえ服装が違えど、他を圧倒するその威光は微塵も衰えていない。

 副料理長はすぐに跪こうとしたが、モモンガに片手で制される。

 だがその際に視線を下げた事で、モモンガの気配に埋もれていた、隣の小さな存在にも気づくことが出来た。

 

 

「だから普段通りの姿で振る舞ってくれ、副料理長。いや、ここではマスターと呼ぶべきかな?」

 

「こんばんは、マスターさん」

 

 

 モモンガの連れは、寝巻きと思われる服の上から上着を一枚だけ羽織った少女。

 ナザリックに所属するシモベの中で、もはやその存在を知らぬ者はいない。

 モモンガの恩人にして友人、ネム・エモットだ。

 

 

「失礼いたしました。まさかモモンガ様がこちらにいらっしゃるとは…… 本日はネム様もご一緒のようで」

 

「なに、ちょっとした夜遊びだ。な?」

 

「うん。想像してたよりずっと凄い!!」

 

「ははは、そうだろう。ここも私の仲間達がこだわりを持って作った場所だからな」

 

「ネム様にも気に入って頂けたようで、私もバーのマスターとして鼻が高いです」

 

 

 モモンガとネムのやり取りからは、本当にただバーに遊びに来ただけのように感じられる。

 副料理長は急いで気を取り直し、御方の望み通りバーのマスターとして、畏まりすぎないように接客した。

 

 

「ナザリックってたくさん凄い場所があるし、モモンガの友達は凄い職人さんばっかりだね」

 

「ああ。確かにクリエイター系の仕事をしている人も多かったぞ。リアルでの職業聞いてマジかと思った人もいたが……」

 

 

 遊びに来ているという感覚が強いのか、モモンガの口調は普段より柔らかい。

 畏れ多くも親しみを覚えてしまうその姿は、個人的に非常に好ましかった。

 

 

「まぁ飲食が出来ない私と酒が飲めないネムでは、色々とこの場にそぐわないかもしれんが…… その辺は目を瞑ってくれ」

 

「とんでもありません。バーはお酒だけでなく、雰囲気や会話も楽しんで頂ける場所ですので。どうぞこちらのお席の方へ」

 

 

 確かにネムの年齢だとバーに来るには早いかもしれないが、人外魔境のナザリックにおいて年齢など然程重要ではない。

 至高の御方の意思が法であり全てである。

 そもそもモモンガのする事に文句を言うシモベなど、ナザリックにいる訳がないのだ。

 

 

(あぁ、なんという幸せっ!! アンデッドである御方に、マスターとして接客出来る日が来るとは……)

 

 

 副料理長は目の前の光景を脳裏に焼き付けながら、望外の幸福を噛み締めていた。

 見る者全てが惹きつけられる自然な動きで、華麗に椅子に座ったモモンガ。

 流石は至高の御方である。座る動作一つとっても高いカリスマを感じる。

 まるで何度も練習を重ねたかのような、スマートで淀みのない座り方だ。

 

 

「届かない……」

 

「ははは、ここはギルメンの男性陣を基準にして設計したからな。ネムだと身長が足らないのはしょうがない。ほら、手を」

 

「ありがとう、モモンガ。んー、よいしょっと」

 

 

 一方で子供のネムにとっては、このバーに置いてある椅子は少々高かったようだ。

 席に座るためにモモンガの手を借り、一生懸命よじ登ろうとしている。

 

 

(大人に憧れるネム様と、その手をそっと引いて差し上げるモモンガ様ですか――)

 

 

 副料理長は沈黙したまま思案した。

 自身の理想とするバーで飲む客の像は、デミウルゴスの様な知的で大人の男である。

 

 

(――アリですね)

 

 

 だが、二人の様子を静かに眺めながら、少女に火遊びを教える大人もアリなんじゃないかと思い始めた。

 ぶっちゃけナザリックのNPCからすれば、モモンガが何をしてもカッコよく映るのである。

 

 

「では、何になさいますか?」

 

「カクテルが飲みたいです!!」

 

「ふふっ、そういう訳だ。私もあまり詳しくはないが……」

 

 

 元気よく手を挙げて注文するネム。

 こちらにそっと目配せをするモモンガ。

 

 

「ネムでも飲める甘い物で、チョコレートやクリーム系より、果物を使ったサッパリした物を頼む。寝る前だからな」

 

「かしこまりました」

 

 

 ほんの僅かな会話だが、ネムが求めている事はおおよそ把握できた。

 ならばやる事は一つ。

 バーのマスターとして、全力で客に楽しんで貰うだけだ。

 

 

(腕の見せ所ですね)

 

 

 副料理長は素早くシェイカーを取り出し、林檎ジュースとレモン果汁、シロップを手際良く入れる。

 そして、ネムにもよく見える角度で、普段より少しだけ大袈裟な動作でシェイクを行った。

 氷を入れたグラスにシェイクした物と炭酸を注ぎ入れ、仕上げに軽くステアしてからネムの前にそっと置く。

 

 

「こちら、アップルフレーズルでございます」

 

「わぁ、本当にカクテルだ」

 

 

 普通にノンアルコールドリンクなのだが、カクテルを作る様子に釘付けだったネムの反応は上々だ。

 どうやら期待通りの品を出せたようである。

 しかし、ネムはグラスに手を伸ばしかけるも、中々飲もうとはしない。

 理由を察した副料理長は、モモンガにも声をかけた。

 

 

「モモンガ様も何か一杯いかがでしょうか?」

 

「そうだな…… では、香りが良い酒を頼む。種類などは任せるとしよう」

 

「かしこまりました」

 

 

 モモンガに酒を振る舞える機会など、もう二度と訪れないかもしれない。

 副料理長は平然と応えながら、心の中で燃えていた。

 

 

「――オリジナルカクテル『ナザリック』でございます」

 

「おぉ、これは凄いな」

 

 

 副料理長がモモンガに出したのは、ナザリック地下大墳墓をイメージしたオリジナルカクテル。

 少し背の高いグラスの中に、十種類のリキュールで色とりどりの美しい層が作り上げられている。

 さらに最後にバーナーでつけた青い炎が灯っており、特別性で渾身の逸品だ。

 

 

「すっごーい!! とっても綺麗…… しかも火がついてるよ、モモンガ!!」

 

「ああ、本当にな。それに良い香りだ」

 

 

 モモンガだけでなく、ネムにも喜んでもらえたようだ。

 一応騒いではいけない場所だと認識しているからだろう。先ほどから声を小さく潜めながらも、興奮を隠せていない姿は微笑ましい。

 ちなみにこのカクテルは、いつもなら火はつけずに提供している。

 目で見て楽しんで貰うのと、より香りを立たせる目的で、今回のみあえてそうしていた。

 

 

「楽しい夜に乾杯、だな」

 

「うん、乾杯!!」

 

 

 軽くぶつけられ、大小二つのグラスが小さく鳴った。

 バーでの乾杯は音を鳴らさず、グラスを傾ける動作だけで行う事が多いが、今はこれが相応しい。

 嬉しそうに笑う二人を見て、副料理長は不思議と何の疑問もなくそう思った。

 

 

「――さて、そろそろ帰らねばな。アンデッドの私と違って、早く寝ないとネムは明日に響くぞ?」

 

「……うん、私もちょっと眠たくなってきたよ」

 

 

 他愛もない会話を楽しみながら、ネムは名残惜しそうにカクテルを飲み終える。

 時間にしてほんの二十分程度だ。

 副料理長にとっても貴重で至福だった時間は、あっという間に終わってしまった。

 

 

「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです!!」

 

「それは良かった。また来てくださいね」

 

 

 少し眠たげな目をしながらも、満面の笑みを見せるネム。

 若干目線がズレているのは、自分の顔の正面が分からないからだろう。

 

 

()()()()()()。素晴らしい一杯だったぞ、マスター」

 

「っ!? ……ありがとうございます。ご満足いただけたようで、何よりです」

 

 

 そして、モモンガからも告げられた「ごちそうさま」の言葉。

 御方からお褒めの言葉を賜ったNPCはそれなりにいるだろうが、これほど貴重な褒美が他にあるだろうか。

 副料理長は感動のあまり、危うく姿勢を崩すところだった。

 

 

「それと、今日は秘密の夜遊びなのでな。私達がここに来た事は、周りには内緒だぞ?」

 

「はい、モモンガ様のお望みとあらば。お客様のプライバシーを守る事も、マスターの務めですから」

 

 

 指を一本立てて、茶目っ気を見せるモモンガ。

 またしても非常にレアな姿である。

 今夜の事を誰にも自慢出来ないのは惜しいが、それを上回る満足感で自分は満たされていた。

 

 

「またのご来店を、心よりお待ちしております」

 

 

 副料理長は今の自分に出来る最大の気持ちを込めて、ネムとモモンガを見送った。

 バーの扉が閉まり、転移によって二人の気配が完全に消えるまで、副料理長はあくまでもマスターとして振る舞い続けたのだった。

 

 

 

 

おまけのおまけ〜ゆるせ、エクレア〜

 

 

「――やぁ、ピッキー」

 

「いらっしゃい」

 

 

 モモンガとネムが帰った直後、執事助手のエクレアが一人の部下を連れてやって来た。

 実はこのイワトビペンギンの姿をしたバードマンも、デミウルゴスと同じくバーの常連の一人である。

 部下の脇に抱えられて運んで貰っている事。

 足のつかない椅子に座りにくそうにしている事。

 どれもいつも見ている光景だ。

 

 

「今日もアレを――んっ? 私が一番乗りかと思っていたが、誰か先に来ていたのかな?」

 

 

 もはや聞き慣れた注文を口にするエクレア。

 その時、ふとエクレアの視線が、カウンターに置かれたままになっていたカクテルに止まる。

 

 

「いいえ、今夜はまだ誰も来ていませんよ」

 

「ならカクテルの練習でもしてたのかい? それに、いつもより随分と嬉しそうだが……」

 

「気のせいでしょう」

 

 

 副料理長は勘繰りの視線を受け流し、エクレアがいつも注文するカクテルを作り始めた。

 

 

「オリジナルカクテル『ナザリック』でございます」

 

「練習の成果が出ているのか、いつもより素晴らしい出来だね、ピッキー」

 

「いえ、先程の一杯の方が確実に良い出来でしたよ」

 

「え、それ言うの酷くない?」

 

 

 ドヤるペンギンを一刀両断。

 副料理長は悪いと思いつつ、これだけは譲る訳にはいかなかった。

 なにせアレは御方に直接「素晴らしい一杯だった」と評価された物なのだから。

 

 

「じゃあその練習作も飲ませてくれたまえ」

 

「ダメです」

 

「えぇ……」

 

 

 既に他の客に出した品を横流しするなど、マスターとしての矜持が許さない。

 特にモモンガに出した一品を誰かに渡すことなどもってのほかだ。

 

 

「の、飲みたい…… 一口だけダメ?」

 

「ダメです」

 

 

 エクレアの恨めしそうな視線は、カウンターに置かれた既に火が消えている『ナザリック』に注がれ続けたのだった。

 

 

 




ドワーフもクアゴアもフロストドラゴンも出てないけど、ドワーフ編完。
ぶっちゃけ宝を盗んだだけとも言える。

今回は超展開でかなりぶっとんだオチになりました。
でもネムの起こす奇跡をさんざん見ているので、デミウルゴスは不屈です。
アイドルのプロデュースとかデミPとかやるくらいだから、デミウルゴスはエンタメ的な事も普通に得意なのかもしれない。




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ぶれぶれあんぐらうす

前回のあらすじ


「お宝発見!!」
「テーマパークを作りましょう!!」
「休め」


タイトル通り、あの男に関連するお話です。





 エ・ランテルの端に位置する小さな一区画。

 ここには薄汚れたボロ布を纏った者達が多くおり、大人も子供もそこかしこに力なく座り込んでいる。

 俗に言うスラム街だ。

 第二王子であったザナックが新たな王位を継承してから、リ・エスティーゼ王国も全体で見れば発展を続けている。治安も少しずつ良くなってはいる方だろう。

 だが現状では、これはどこの都市にも存在する光景である。

 そんな持たざる人間たちが集まる所で、何故か使い込まれた武具を身に付けた者達がいた。

 

 

「どうして、こんな事になっちまったんだろうな」

 

「知らん。ある意味自業自得だろ」

 

 

 周りの貧民と同じく、地面に力なく座り込んだ三人の男達。

 揃ってチンピラ顔の彼らは皆、不安げな表情で内心を吐露していた。

 一見どこにでもいる冒険者チームのようだが、その首には冒険者の証であるプレートが存在しない。

 

 

「くそっ。残った金はこんだけか……」

 

「これからどうするよ」

 

 

 ここにいる男達は『死を撒く剣団』という名の傭兵団――の残党である。

 元は六十人を超える構成人数を誇り、そこそこ有名な傭兵団だったが、その実態は野盗の集団に近かった。

 王国と帝国が戦争を行う時以外は、街道を進む商人や貴族の馬車を襲い、略奪や人攫いなどの犯罪行為に明け暮れていたのだから。

 

 

「さぁな。団長も捕まっちまったしよ」

 

「帝国辺りでワーカーでも始めるか?」

 

「それよりどっかの傭兵団に入るとかどうよ」

 

 

 しかし、あまりにも精力的に行動し過ぎたのだろう。彼らは都市の権力者から目を付けられてしまった。

 以前はエ・ランテル近郊の森にある洞窟をアジトにしていたのだが、少し前に多くの冒険者が派遣されてきたのだ。

 そして、傭兵団は抵抗も虚しくあっさりと壊滅した。

 この場にいるのは、幸運にも捕まらずに逃げる事が出来た少数派だ。

 

 

「アイツが、アイツさえ残ってりゃ、こんな事には……」

 

 

 一人の男が憎々しげに呟く。

 それを聞いて同調するように頷く者、忌々しげに舌打ちする者に反応は分かれた。

 実はこの傭兵団には、少し前まで凄腕の用心棒がいたのだ。

 冒険者がアジトに殴り込んで来た時、その男さえ残っていれば結果も違っただろう。

 その男は、そう信じさせてくれる程の強者だった。

 

 

「いざって時にいないなんてよ」

 

「ちょっとくらい、残ってくれりゃ良かったんだ」

 

 

 用心棒が残っていれば――彼らのそんな恨み節は止まらない。

 そうは言っても、非があったのは彼らの方だ。

 用心棒がいなくなった理由はシンプルである。金だ。

 

 

「所詮は金だけの繋がりだ」

 

「金の切れ目が縁の切れ目か。あの野郎、ちょっと強いからってイキがりやがって」

 

 

 王様が代替わりした頃からか、傭兵団の収入は目に見えて落ちた。

 理由は定かではないが、エ・ランテル周辺の街道で襲えるカモが捕まらなくなったのだ。

 さらに毎年恒例となっていた、王国と帝国の戦争が行われていない事も大きい。

 その後の展開は言うまでもなく、用心棒に報酬を払えなくなってしまい――

 

 

『ここで得られる物はもう何もない』

 

 

 ――そんな台詞を残して、用心棒の男は彼らの前から消えたのだ。

 

 

「おーい、お前ら!! 見てくれよ、これ」

 

「ん、なんだぁ?」

 

「どうしたんだよ、それ」

 

 

 誰もが過去に浸っていた時、仲間の一人が興奮した様子で戻って来た。

 その手には小さいが、財布がわりの皮袋も握られている。

 思えばちょっと出掛けてくると言ってから、かれこれ数時間は時間が経っている。

 一体何をして来たのだろうか。

 

 

「へへっ、そこらでちょいと冒険者から頂いてきた」

 

「マジかよ。お前一人でやったのか?」

 

「おうよ。脅せば簡単に置いてってくれたぜ」

 

 

 恐喝して巻き上げたのだろうが、仲間達は不思議に思う。

 その男は取り立てて体格が良い訳でもなく、顔に凄みがある訳でもない。

 武力だって一般人よりちょっと強いだけ、冒険者のランクだと鉄級(アイアン)程度だったはずだ。

 荒事を仕事とする冒険者相手に、こいつ一人で恐喝が上手くいくのだろうかと。

 そんな周りの疑問を感じ取ったのか、男は得意げに語り出した。

 

 

「俺はあの『八本指』の一員だぞって、言ってやったんだよ」

 

「……おいおい、『八本指』の名前を使うのは不味いんじゃないか?」

 

 

 その名を聞き、仲間の一人が顔をしかめた。

 『八本指』――王国の中枢、大貴族にまで太いパイプがあると噂される裏組織。

 邪魔者には一切の容赦をせず、窃盗、暗殺、誘拐、奴隷売買に麻薬の密売など、非合法の限りを尽くしているという話もある。

 裏の知識が少しでもある人間なら、誰もが恐れる裏社会の一大組織だ。

 

 

「分かってるよ。ちょっとの間使うだけだって。次の活動のための資金が溜まれば、こんな綱渡りはやめるさ」

 

「だがな……」

 

「流石にいつまでもエ・ランテルに長居する訳にもいかないだろ? さっさと稼いで、帝国辺りにでも行こうぜ」

 

 

 男達は顔を見合わせた。

 本物の組織にバレたら命はないが、確かに手っ取り早く稼ぐ手段ではある。

 何せ今の自分達にはロクな力がない。

 自分達の実力もそうだが、武装だって古くなっているので新調したい。

 そもそも新天地を目指そうにも、移動だけでそれなりの費用がかかる。

 今後の活動のためには、何よりも金がいるのだ。

 

 

「でもよ、そんな風に露骨に脅したら、逆に襲ってこないか? 相手は冒険者だろ?」

 

「いや、この名前を知ってる冒険者なら、まず失敗しない。身ぐるみ全部じゃなくて、ちょっと貰うだけにしとくのがポイントなんだ」

 

「なるほどな。この程度で済むならって、相手も諦めるのか」

 

 

 男達は悪魔の囁きに心が揺れ動き始めていた。

 これまでも散々悪事には手を染めていたので、今更恐喝程度どうってことはない。

 それにこの方法で恐喝している事が冒険者組合にバレたとしても、すぐには捕まらないだろうという打算もあった。

 

 

「意外と良い方法じゃないか? 商人や一般人を狙うより、冒険者に狙いを絞れば権力者が出てくる確率も減るかもしれないぞ」

 

「冒険者にもメンツがあるからな。後は本物の『八本指』の耳にさえ入らなけりゃ……」

 

 

 組合ですら八本指と真正面から事を構える気はないはずだ。

 ならばそんな組織の名を使う者に、即座に手を出す事は躊躇うだろう。

 それに八本指の主な活動拠点は、王都とその周辺だと聞いた事もある。

 

 

「――よし、やるか」

 

 

 彼らは決意を固めた。

 だが残党の寄せ集めである彼らには、リーダー的存在はいない。

 そのため、誰もが対等に意見を出し合った。

 

 

「ああ、ただし期間と目標金額は最初に決めとくぞ。調子に乗ったら俺らもやばい」

 

「分かった。期間は最長でも二週間。帝国までの旅費と、初期の活動資金が溜まったら即終了でどうだ」

 

「了解。帝国行ったらワーカーチーム結成だな」

 

「いいぜ、当面の目標はそれでいこう。ワーカーをやるかまでは分からんが、残りは金が溜まってからだ」

 

 

 これから行う事のリスク。

 そして、得られる物に対する期待感によって、彼らの精神は段々と高揚し始める。

 

 

「いくぞ。俺達は今から――『八本指』だ」

 

 

 男達はゴクリと喉を鳴らし、全員で頷きあった。

 

 

 

 

 今日はモモンガと冒険をする日だ。

 いつもの様に冒険者組合に行き、私が依頼書を読み上げてモモンガに説明してあげる。

 受ける仕事を二人で決めて、依頼書を受付の人に渡したら受注完了だ。

 その後は組合を出て、少し離れた裏通りの広場に待機中のハムスケを迎えに行った。

 

 

「――ほぉ、いいねぇ。お前さん、銅級(カッパー)にしちゃ、いいもん持ってるじゃねぇか」

 

「くくっ、これ見よがしに二本も大剣背負いやがって」

 

「はっはっは!! 馬鹿かよ。そんな武器二本も持ったって、まともに振れる訳ねぇのによ」

 

「ガキの方はボロいマントなんか着けて、冒険者ごっこってかぁ?」

 

 

 だけどその途中、変な四人組に遭遇した。

 男達は武器や防具を装備しているけど、首にはプレートがない。

 ――怪しい。

 最近は冒険者を狙った恐喝が増えているから注意してと、受付の人にも言われたばかりだったのを思い出した。

 

 

「にしても、マジで高そうな装備だ。冒険者に憧れたどっかの金持ちか? でも残念だったな」

 

「おい、痛い目にあいたくなけりゃ、有り金と装備を置いていきな」

 

「俺らも鬼じゃねぇ。大人しくすりゃ、命までは取らねぇからよ。装備も全部寄越せとは言わないさ。大剣の一本で許してやる」

 

「そっちのガキは…… まぁ安モンだろうが、その手にある指輪を寄越せば勘弁してやるよ」

 

 

 この台詞からしてやっぱり悪者だ。

 品のない顔をニヤニヤとさせながら、こっちを品定めする様な視線を向けてくる。

 自分一人の時なら恐ろしくて仕方なかったと思うけど、今は隣にモモンガがいる。

 正直なところ、恐ろしいという感覚よりも、残念な人達だなぁという気持ちが勝っている気がした。

 

 

「うわぁ。まだこんな絡み方をしてくる奴がいたんだな」

 

「本当だね、モモン」

 

 

 モモンガも似たような感じらしい。

 珍しい生き物を見つけた様な、恐怖ではなく感心した声をあげている。

 まぁ元々モモンガみたいに凄いアンデッドなら、相手が誰であれ恐怖なんかする訳もないのだろうけど。

 

 

「もうエ・ランテルではそこそこ有名になったと思ってたんだが、自意識過剰だったか?」

 

「ハムスケが一緒じゃないからかな?」

 

「あぁ、そもそも私達自身は強いと思われていないのか。確かにあまり討伐依頼もしていないし、まだ銅級だからな」

 

 

 モモンガは納得した様に頷いているが、私はちょっと腑に落ちない部分もある。

 本当になんで自分達を狙ったんだろうか。

 私自身は確かに弱い。と言うより、ほとんど戦えない。

 冒険者を始めてから、パチンコを打つのが少し上手になったくらいの自覚しかない。

 ある意味、悪い人からしたら狙い目なのかもしれない。

 

 

(お金持ちだと思われた? そんな訳ないよね…… 脅したらいけると思ったから?)

 

 

 でも、モモンガはとっても強い。

 それを知らなくても、漆黒の全身鎧を纏ったモモンガは凄く強そうに見えるはずだ。

 もしかしたら銅級のプレートだから、見掛け倒しに思われているのだろうか。

 

 

「無視してんじゃねぇぞ、コラァ!!」

 

 

 四人組を無視してモモンガと話していたら、痺れを切らした相手の一人が脅すように叫んだ。

 人数の差から生まれているだけとは思えない、圧倒的な余裕が男達の顔には見える。

 お世辞にも凄く強そうには見えないが、実はかなりの実力を持った人達なのだろうか。

 

 

「どうやら悪名高い裏組織の一員である、俺らの事を知らんらしいな……」

 

「俺らに楯突くってことは、上を敵に回すって事だぜ?」

 

「聞いて驚くんじゃねぇぞ」

 

 

 男達のテンションはちょっと高い。

 まるでこれから切り札を切りますよと、言わんばかりの態度だ。

 

 

「俺達は――『八本指』だ!!」

 

 

 指の数が多いと強いのだろうか。

 自信満々の顔には、デカデカと「勝った」と書いてある。

 

 

「えっと、私は五本指です」

 

 

 なんて反応したら良いか分からないから、自分の手のひらをパーにして相手に見せた。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 こちらの反応は予想外だったのか、相手は薄らと顔を赤くして黙り込んでしまう。

 何とも言えない空気が漂い、静寂が場を支配してしまった。

 自分が何か間違えたというのは嫌でも分かる。

 だって、モモンガが隣で笑いを堪えてるから。

 

 

「えいっ」

 

「えっ!? ……いや、その、すまん」

 

 

 誰も口を開いてくれないのは辛い。

 行き場を無くした手のひらで、何となくモモンガを叩いておいた。

 

 

「――クソがっ!! こっちは遊びでやってんじゃねぇんだよ!!」

 

「お、おうよっ!! 冒険者の癖に、八本指の名前も知らねぇのかよ!!」

 

「こちとら貴族だって手を出せねぇ、王国最大の裏組織だぞ!!」

 

 

 ぺちりと鎧を叩いた音で気を取り戻したのか、男達が一斉に武器を抜いた。

 なんだか八つ当たりじみた勢いで、顔を真っ赤にさせて激昂している。

 今にも斬りかかってきそうな雰囲気に、私は少しだけ固まってしまった。

 

 

「こっちが何もしないとでも思ってんのか? 甘く見んじゃねぇぞ!!」

 

「世間知らずの銅級風情が!! さっさと有り金全部置いてけやコラァ!!」

 

「早くしねぇと――」

 

 

 しかし、一人の男が私に剣を突きつけようとした瞬間、黒い残像が乱暴に風を巻き起こした。

 その風にふわりと乗り、男の前髪から数本の髪の毛が散っていく。

 

 

「あー、ちょっと上に当たってしまったか。首元で寸止めするつもりだったんだがな」

 

 

 それをやったのは当然モモンガだ。

 相手より後から動いていた気がするけど、モモンガの方が男に大剣を突きつけている。

 相変わらず凄い身体能力だ。

 体は骨しかないのに、なんであんなに動けるんだろうか。

 

 

「……はぇ?」

 

「本当に、あのデカイ大剣を片手で?」

 

「う、嘘だろ。なんでこんなのが銅級なんだよ!?」

 

 

 目の前に大剣が迫ったままの男は、何が起こったのか理解が追いついていないらしく、呆然と抜ける様な声を出していた。

 我に返った様子の周りの男達も、現実を否定するように叫んでいる。

 残念ながらこれは現実です。モモンガはとっても凄いのです。

 

 

「コキュートスと剣技はかなり訓練したんだが、私もまだまだ甘いな。――それで? 早くしないと、なんだ?」

 

「あぁ、い、いいのかっ!? 俺達は八本指の一員なんだぞ!?」

 

「知らんな。生憎と私も、指の数には興味がないのだよ」

 

 

 もはや後ずさりを始めている男は、再度同じ台詞をヤケクソ気味に叫ぶ。

 だが、モモンガが「知らない」と言い切るや否や、男達は全員脱兎の如く走り去っていった。

 

 

「変な奴らだったな。人を脅したいなら、非武装の一般人を狙う方が安全で効率的だろうに」

 

「普通はそうだよね。……あれ?」

 

 

 相手の姿が見えなくなると、私は急に尻餅をついてしまった。

 全然大丈夫だと思っていたのに、やっぱり襲われて緊張していたのだろうか。

 敵がいなくなったと安心したら、つい力が抜けてしまったようだ。

 

 

「大丈夫か、ネム? どこかで少し休むか?」

 

「ううん、大丈夫。ちょっと気が抜けただけだよ」

 

「それなら良いが…… まぁ、人数差がある状況は逃げる方が無難だからな。無理もない。きっと無意識に緊張していたんだろう」

 

 

 モモンガに差し出された手を握る――それだけで力が戻ってくるのを感じる。

 その手を支えに立たせてもらい、パンパンとお尻を軽くはたく。

 

 

「さぁて!! 余計な茶々は入ったが、気を取り直して行こうか!!」

 

「うん!!」

 

 

 元気付ける様なモモンガの明るい声に、私は負けじと元気よく応える。

 ――ありがとう、モモンガ。

 そして、私達は何事も無かったように、再びハムスケの所へと歩き出したのだった。

 

 

 

 

 あの場からかなり離れた路地裏の一角で、全力で逃げてきた男達は息を切らして喘いでいた。

 

 

「ちくしょう!! 何だったんだよ、アイツは!?」

 

「お前のせいだ!! 今までみたいにもっと弱そうな奴を狙えば良かったんだ!!」

 

「はぁ? みんな納得してたじゃねぇか。散々冒険者襲って、調子に乗ってたのはお前もだろ!!」

 

 

 獲物だったはずの漆黒の戦士は、とんでもない強者だった。

 この一週間、冒険者から楽に金を巻き上げる事に成功し続け、自分達は知らずに増長していたのだろう。

 高価そうな装備を纏っている時点で、銅級であれ警戒すべきだった。

 というか、子供を連れた冒険者という時点で何かおかしいと怪しむべきだった。

 

 

「落ち着けよ!! 全員無事なんだから今回はそれで良いだろ!!」

 

「……悪りぃ、頭に血が上ってた」

 

「こっちも、悪かった……」

 

「ふぅ。目標金額までもうちょっとなんだ。次は少し落ち着いてから行動するぞ」

 

「そうだな。ある程度の下調べもした方がいい。さっきの二の舞になるのは勘弁したい」

 

 

 落ち着いてくれば、多少は頭も回るようになる。

 今回の失敗の理由は、単純に情報不足だ。

 自分達は今まで森の洞窟に拠点を置いていたので、エ・ランテルの都市内で活動するのも久々だった。

 そもそも冒険者をターゲットにするのだから、下級でも有力な冒険者くらい調べておけば良かった。

 それに八本指の名前を過信し過ぎていたのも失敗だった。

 

 

「――まったく。あの御方の冒険を邪魔しておいて、呑気なものですねぇ」

 

 

 各々が反省点を挙げ、前向きに次の計画を考えていた時。

 突然、よく通る声が路地裏に響き渡り、全員が弾かれるように声の発生源へ顔を向けた。

 

 

「亜人? いや、違う!!」

 

「ば、化け物だ!?」

 

「なんで街中にモンスターがいるんだ!?」

 

 

 それは見た事も聞いた覚えもないモンスターだった。

 見た目は人型で、きちんと服を着て、人の言葉を操っている。

 だが、卵の様なツルリとしたその顔は、目と口の位置に穴が三つ空いているだけだ。

 その穴はどこまでも黒く、奈落の底に繋がっているような、覗き込んではいけない雰囲気があった。

 

 

「何者なんだ、お前……」

 

「うーん。では、『四本指』とでも言いましょうか」

 

 

 仲間の一人が勇気を振り絞り、少しでも目の前のモンスターから情報を得ようとした。

 しかし、返ってきた答えを聞いても、全員の冷や汗が増えるだけだった。

 

 

(コイツ、見てやがったのか!? 一体どこまで知ってる。何が目的だ?)

 

 

 古来より理性のない化け物に、力で劣る人間は知恵で対抗してきた。

 それを考えれば、知性あるモンスターというのはそれだけで恐ろしい。

 そして目の前の存在は、未知の存在であるが故に強さすらも不明だ。

 

 

「貴方達は大罪を犯した。そして、消えてもまったく問題ない存在です」

 

「何を――」

 

 

 妙に芝居がかった動きで指を差される。

 何を言ってるんだと思ったが、その疑問を口に出す前に急に意識が遠のいていった。

 これは何かの魔法なのか。

 それともこのモンスターの特殊能力なのか。

 知識に疎く、それすらも判断がつかない。

 

 

(……あれ、周りのみんなも担がれてる? モンスターは、いつ増えたんだ?)

 

 

 異変はそれだけではない。

 いつの間にか、自分達は悪魔の様なモンスターに周囲を囲まれていた。

 どんどん思考に靄がかかり、上手く考えがまとまらない。

 自分の体が持ち上げられ、暗い闇へと連れ去られようとしている。

 

 

「これなら直接牧場へ送っても問題ないでしょう。運搬はお任せします」

 

「畏まりました」

 

 

 どうやら周囲のモンスターに、指示を出して運ばせているらしい。

 

 

「我が父に手を出した報い、その身でじっくりと味わってください」

 

 

 ぼやけた頭で最後に見えた相手の手は――『四本指』だった。

 

 

「やれやれ…… 私も早く戻るとしましょう。こんな奴らより、何億倍も重要ですからね」

 

 

 その後、エ・ランテルでその男達を見た者は誰もいない。

 被害に遭う者が増えなくなったため、徐々に冒険者達の記憶からも忘れられていった。

 

 ちなみに、彼らはとある牧場で精神が壊れるまで働き続け――最後には()になったそうだ。

 

 

 

 

 暗雲立ち込める王都の空。

 ほんの僅かな時間も待たず、きっと激しい雨が降り始めるだろう。

 そんな天気にも関わらず、鋭い目をした軽装の男――ブレイン・アングラウスは雨具も持たずに大通りを歩いていた。

 

 

(待っていろ、ガゼフ・ストロノーフ)

 

 

 ブレインが王都に来た目的はただ一つ。

 再びガゼフと戦い――勝利する事。

 周辺国家最強の名が欲しいのではない。ガゼフという一人の男を超える事が目的なのだ。

 

 

(もうあの頃とは違う……)

 

 

 自らを剣の天才だと自惚れ、鍛錬もロクにしていなかった自分はもういない。

 かつての御前試合で味わった屈辱を晴らすべく、ただの天才は努力する天才へと変わった。

 そう、自分は強くなったのだ。

 

 

(本当の意味で剣士となった今こそ、決着をつけさせてもらうぞ)

 

 

 その道のりは、決して褒められる様な事ばかりではなかった。

 自らに最も適した武器を手に入れ、技を磨いてきた。

 命懸けの実戦を繰り返し、数え切れない数の人間を斬ってきた。

 己の手を汚しても、ブレインは貪欲に力を求め続けた。

 愛情、友情、娯楽、倫理に道徳。強さ以外の全てを切り捨て、血の滲むような鍛錬を行ってきたのだ。

 

 

「お前は……」

 

「よう、久しぶりだな」

 

 

 会う約束をしていた訳ではない。

 それでも鍛え抜かれた戦士の勘が、今日なら奴に会えると告げていた。

 どうやらそれは正しかったようだ。

 おそらく仕事帰りだろう。王城の方向から足早に歩いてきた男は、ブレインの望む相手だった。

 

 

「ブレイン、ブレイン・アングラウスか」

 

「覚えててくれて光栄だ。ガゼフ・ストロノーフ」

 

 

 自らの好敵手(ライバル)と定めた男。超えるべき存在。

 ――王国戦士長ガゼフ・ストロノーフだ。

 

 

「あの試合を忘れるものか。あれから俺は、お前以上の才能に出会った事がない」

 

「そうかい」

 

 

 相手も自分の事を認めてくれていたと知り、ブレインは薄く笑う。

 それにしても、自分の期待以上だ。

 あの時より遥かに鍛え上げられた肉体。

 剣を握っていなくとも、その目から感じる力強い覇気。

 ガゼフが御前試合の時より更に高みに登っていると分かり、ブレインは静かに歓喜した。

 そうでなくては、倒し甲斐がないと。

 

 

「俺と勝負しろ、ストロノーフ」

 

「アングラウス……」

 

 

 好敵手同士、多くは語らない。

 ガゼフを真っ直ぐと見据えるだけで、全てが伝わるはずだ。

 僅かに顔をほころばせ、そして歪めたガゼフの返答を待つ内に、とうとう雨が降り出した。

 

 

「……俺は、いや、私は王の剣だ。かつて忠誠を捧げたランポッサ三世の御意思のもと、私は今の国王、ザナック陛下にも剣を捧げている」

 

 

 濡れた髪をかき上げる事もせず、相手の言葉に耳を傾けた。

 きっとガゼフの言葉には、まだ続きがある。

 

 

「王国戦士長の地位を預かる者として、私情で剣を振るう事は許されない。特に部外者と剣を交える事は難しい」

 

 

 ブレインには確信があった。

 この男は、自分との勝負を断らない。

 

 

「だから陛下に話を通す。それが叶えば……」

 

「十分だ。話がまとまったら、――の宿に伝言でも寄越してくれ」

 

 

 ブレインはすぐに背を向けた。

 打ちつける雨は体を冷やしてくれるが、内からくるこの火照りは中々治まる事はないだろう。

 

 

「――アングラウス!! 良い勝負をしよう」

 

 

 去り際の背中に投げつけられた言葉。

 この男はどこまでも期待させてくれるようだ。

 思わず歓喜する表情を見せないように、決して振り返りはしない。

 

 

「……ああ、楽しみにしている」

 

 

 そして、今すぐにでも斬り合いたい自分を抑えるため、ブレインは弾む足取りで宿へと戻るのだった。

 

 

 

 

 ――今日こそ決戦の時だ。

 あれから思いのほか早く、ブレインの泊まる宿に遣いが来た。

 条件付きではあるが、ガゼフとブレインの決闘を認めるとの事だった。

 その条件はたった一つ。ブレインが敗北したら、ガゼフの部下となって王家に仕えるというものだった。

 それしか条件を付けないなんて、今の王は余程ガゼフを信頼しているのか。

 もしかしたら、戦士としての矜持が分かる王なのかもしれない。

 

 

「ようやく、ようやくだ……」

 

 

 決戦の場へと赴くブレイン。

 装備は普段通り、鎧着(チェインシャツ)を内側に着込んだだけの軽装だ。

 そして武器は、腰にさげた一振りの刀だけである。

 傭兵の用心棒をする時に使っていた、魔法のポーションなどは必要ないと置いてきた。

 磨き上げた己の力のみで、ガゼフを倒すためだ。

 

 

(お前のために編み出した秘剣。俺の人生を、試させてもらう!!)

 

 

 戦士長であるガゼフとの決闘を公には出来ない。

 そのため、戦う場所は王家が保有する屋内の訓練場と決められている。

 ブレインとしては室内だろうと街中だろうと、ガゼフと一対一で戦えるならどこでも構わなかった。

 

 

「来たぜ、ストロノーフ!!」

 

 

 指定された訓練場の扉を開け放ち、宿敵と対面する――

 

 

「……おい。その装備はなんだ?」

 

「ああ、来たかアングラウス」

 

 

 ――が、これから戦うガゼフの後ろ姿を確認して、一瞬だけ固まってしまった。

 この男は、鎧にマントなんて付けるような奴だったろうか。

 

 

「ああ、じゃねぇ!! 答えろ、ストロノーフ!!」

 

「この装備か……」

 

 

 ガゼフは自らの体を覆う鎧と、腰に下げた剣に視線を向けた。

 その何とも言えない表情に、ブレインは裏切られたような気持ちだった。

 ――ガゼフの装備が豪華過ぎる。

 もしやあれは、噂に聞く王国の秘宝『五宝物』とやらじゃないだろうか。

 

 

「この身に纏っているのは、王家の秘宝だ」

 

 

 ガゼフの返答は想像通りであり、自らの希望とは正反対の内容だ。

 嫌な予感は当たってしまった。

 

 

「なぁ、それはストロノーフとしての、お前の意思なのか?」

 

 

 ブレインは震える声で言葉を紡ぐ。

 もしこれが自分の勘違いなら、詫びなければいけない。

 どうか詫びさせてくれと、そう願いながらガゼフの返答を待った。

 

 

「……すまない」

 

 

 一瞬にしてカッと顔が熱くなる。

 何がだ。それは何に対しての謝罪なんだ。

 

 

「ふざけるな!! あれから俺は、俺は本気で修行して、お前を剣で超えたくて!! この戦いだって、純粋な剣技のみで勝つ気でいたんだぞ!?」

 

「その気持ちは、私も変わらない」

 

 

 確かにルールには抵触していない。

 もしあれがガゼフの持ち物なら、それを手に入れた過程を讃えただろう。

 俺の刀も負けてはいないと、啖呵を切る事もしただろう。

 ガゼフの意思で王から武具を借りたというのなら、何がなんでも勝とうとする執念に拍手を送っただろう。

 

 

(俺との決闘は、他人の横槍を受け入れても構わないってのか。その程度のもんだって言うのか……)

 

 

 だが、ガゼフの表情とは裏腹に輝く装備は、ブレインの目に酷く醜く映った。

 借り物の力を使う事にガゼフ本人が納得し切れていない様子なのが、尚のこと自分を苛立たせた。

 

 

「じゃあその装備はなんだ!! 俺の剣士としての誇りに対する答えがそれか!!」

 

「私としても不本意ではある。出来れば己の実力のみでお前と戦いたかった。だが、この身に纏う四つの秘宝は、今回の決闘で使うように賜ったものだ。王の命令なくして外す事は出来ない」

 

 

 ブレインは己のためだけに力を磨いてきた人間だ。

 他人のために剣を振るう者の気持ちなど分からない。

 自分には忠誠心などカケラも理解出来ない。

 しかし――剣士としての誇りより、王への忠義を選んだガゼフの覚悟の重さだけは感じ取れてしまった。

 

 

「っそうかよ。それがお前の答えか」

 

「そうだ。陛下と王女は仰った。『五宝物を装備し、ブレイン・アングラウスに勝て』とな!!」

 

「そんなに、俺を部下にしたかったのか……」

 

「帝国との戦争がまたいつ起こるか分からない。王を、この国を守るためには力が必要なんだ。お前の様な、強い男が」

 

 

 そして、もう一つだけ分かった事がある。

 ガゼフに装備を渡した奴はクソ野郎だ。

 誇りある戦いを人材確保の手段に貶め、その癖に臣下であるガゼフの力を信じ切れなかったのだ。

 

 

「ガゼフっ、ストロノォォォオォフゥッ!!」

 

「来いっ、ブレイン・アングラウス!!」

 

 

 あれほど望んだ戦いだというのに、なんてやるせないのだろうか。

 試合開始の合図は必要なかった。

 一粒の雫が床に落ちた瞬間、刀を握る腕と脚の力を爆発させる。

 憎しみにも悲しみにも似た闘志を漲らせながら、ブレインはガゼフに斬りかかった――

 

 

 

 

おまけ〜ぶれぶれあんぐらうす 逃亡と運命の転職編〜

 

 

 リ・エスティーゼ王国の各都市を繋ぐ街道。

 整備が行き届いているとは言えないその道を、とある人物が歩いていた。

 ボサボサの髪と無精髭を顎に生やした男が、刃こぼれした刀を振り回しながらブツブツと呪詛を呟いている。

 

 

「クソがクソがクソがクソがクソがっ」

 

 

 俺の名はブレイン・アングラウス。

 王国にある開拓村の元農夫で、かつて行われた王国御前試合の準優勝者。

 そして、傭兵団『死を撒く剣団』の元用心棒。

 はっきり言って、かなり強い方だとは思っている。

 自分で言うのは恥ずかしいが、周辺国家最強との呼び声高いあのガゼフ・ストロノーフと比肩される程の剣士だ。

 つい先日、念願かなってそのガゼフとの再戦を果たした訳だが――

 

 

「あんな装備、まともな戦いになる訳がねぇ」

 

 

 ――あの野郎、王家の秘宝である五宝物をフル装備してきやがった。

 

 

「俺は純粋に剣の腕を競い合いたかったんだ!! ってか、決闘に国宝持ち出してんじゃねぇよ!!」

 

 

 剣だけならまだ許せた。自分が使う刀だって、並の剣とは比較にならない希少品だ。

 あの剣がガゼフの実力を一番発揮出来るというなら、国宝を用意してくれた事に感謝すらしただろう。

 しかし、どちらかと言うと、ガゼフはあの剣を使い慣れてはいない様だった。

 それに問題は残りの装備だ。

 

 

「なんだよ致命的な一撃を避ける鎧って。俺の刀対策か!? 疲労無効の籠手とか常時体力回復の護符とか、そんな超級のマジックアイテム聞いた事ねぇわ!!」

 

 

 鎧の性能が高過ぎて、ブレインの刀はロクに通らなかった。

 ガゼフだけ疲労しないせいで、短期決戦をせざるを得なくなった。

 ガゼフだけは少しずつ体力を回復していくので、ちまちまとしたダメージは無駄に等しかった。

 

 

「結局、勝負は引き分けになっちまうしよ……」

 

 

 それでもブレインにとって一番不満だった事は、ガゼフが実力を出し切れていなかった事だろう。

 ガゼフの振るう剣や動きには、装備の差があるという負い目からなのか、ほんの微かに迷いがあった。

 その僅かな隙を突いて、ブレインが〈四光連斬〉を不意打ち気味に叩き込んだからこそ、なんとか引き分けに持ち込めただけだ。

 本来なら使うつもりのなかった技であり、元々はガゼフの技だ。さぞや驚いてくれた事だろう。

 

 

「はぁ。なんかもう、疲れちまったな……」

 

 

 ブレインは大きく肩を落として息を吐いた。

 自慢の刀も『剃刀の刃(レイザーエッジ)』とかいうアホみたいな切れ味の剣と打ち合ったせいで、随分と傷んでしまった。

 長年使い込んで愛着もあったのだが、それをどうでも良いと思ってしまう自分もいる。

 

 

(国宝に匹敵する装備が俺にもあれば、ストロノーフも全力が出せたんだろうか……)

 

 

 ブレインはとにかく王都から離れたくて、ここ数日はアテもなく都市から都市へ街道を突き進んでいた。

 まるで自分の心にぽっかりと穴が空いたようで、どうにも次の目的を決められていない。

 いや、やりたい事など分かっているのだ。

 でも、それをするための方法が分からない。

 

 

「――ねぇ、モモンガ。さっきの人が持ってた武器、コキュートスさんの持ってたやつに似てるね」

 

「多分刀じゃないか? そういえば私の友人の一人も、少し大きい似た物をよく使っていたな」

 

「モモンガ殿の友人でござるか。さぞや強い戦士だったのでござろうな」

 

 

 そんな時、珍しいものに出会った。

 というか、すれ違った。

 

 

(随分と良い装備だ。冒険者、なのか?)

 

 

 一人は漆黒の全身鎧と真紅のマントを身に纏い、身の丈程の大剣を二本も背負っている。

 その隣には深い知性を感じる瞳を持つ、四足歩行の巨大な鼠型の魔獣がいた。

 そして、その上には少女が一人乗っていた。一応マントは着けているが、普通の子供にしか見えない。

 あまりにもチグハグなグループだ。

 

 

「おい、ちょっと待ってくれ!!」

 

 

 魔獣や少女の方がある意味目立つが、ブレインの目は漆黒の戦士に釘付けになっていた。

 その身に纏った見事な装備を見て、自分の中で火がついたのだ。

 そして、ブレインは気付けば声をかけていた。

 

 

「なんでしょうか?」

 

「突然すまない。こういうのはマナー違反かもしれないが、その武装はどこで手に入れたんだ?」

 

「いきなり聞かれても……」

 

 

 道で刀を振り回していたブレインに声をかけられたからか、戦士の声には警戒の色が見えた。

 

 

「俺は、俺も強い装備が必要なんだ。頼む、教えてくれ!!」

 

 

 しかし、ブレインはなりふり構わず頭を下げた。

 これしかない。きっと次に勝負を挑んでも、同じ条件を突きつけられるだろう。

 奴が王家の秘宝を使わざるを得ないというなら、自分がそれに匹敵するものを用意するしかない。

 今度こそガゼフと悔いのない勝負をするために、何としても強い武具を手に入れなければならない。

 

 

「……これは既製品ではありません。本当に強いアイテムが欲しいなら、未知の場所や伝承にある古い遺跡などを探すしかないでしょうね。後は、人間以外の種族に伝わる伝説のアイテムとかですかね」

 

「やはりそうか。自分で探すしかないってことだな」

 

「それとこれは忠告のようなものですが、万が一古い遺跡を見つけたとしても、アンデッドのいる墳墓はやめた方が良いでしょう。経験上、宝はありません」

 

「アンデッドのいる場所に宝は眠っていないのか……」

 

「本当に危険なだけなので、入らないでください。調べるだけとかもダメですよ。それから宝と言えばドラゴンですが、こちらも危険には変わりありませんね」

 

「わざわざ忠告までくれるとは、恩に着るよ」

 

 

 漆黒の戦士は、躊躇いがちにだが教えてくれた。

 なんの義理もないと言うのに、この戦士はなんと器が大きいのだろうか。

 妙に実感のこもったアドバイスまでくれるとは、本当に親切な男だ。

 ともかく、これで自分の腹は決まった。

 

 

(待っていろ、ストロノーフ。お前に負けない装備を集めて、今度こそ本当の意味でお前を打ち負かしてやる!!)

 

 

 ブレインは農夫から剣士へ、そして――秘宝を求める真の冒険者(トレジャーハンター)になった。

 

 

 

 

「はぁ、ビックリした。一瞬魔法で作った装備だってバレたのかと思ったよ」

 

「あの人凄く真剣そうだったけど、テキトーな事言って良かったの?」

 

「あながち嘘でもないから大丈夫だ。宝探しの時、凄い剣とか見つけたしな」

 

「墳墓が危険というのは、真実でござるよ。某も思い知っているでござる……」

 

 

 

 




サブタイトルで何となく察していたと思いますが、真面目に見せかけてシリアルなお話でした。
忘れられつつある護衛は、いつも絶妙な塩梅でモモンガの冒険を見守っています。
ちなみにガゼフに五宝物を使うように仕向けたのは、ザナックではなくラナーです。
手の届かない圧倒的高み(装備の差)を知り、宝を求めて旅立ったブレイン。
結局はガゼフに対抗するためなので、あまり以前と変わってない気がする。




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幕間 小話カルテット

前回のあらすじ


「俺たちは八本指だ!!」
「私は五本指です」
「転職してトレジャーハンターになる」
 

今回は色んな話の詰め合わせです。





〜そんな変装で大丈夫か?〜

 

 

 難攻不落のナザリック地下大墳墓――第九階層の某所。

 そのとある部屋では現在、少女と悪魔による意味不明なやり取りが繰り広げられていた。

 

 

「ネム()()。これならどうでしょうか()()?」

 

「うーん、やっぱりデミウルゴスさんのままかな」

 

「やはりネム()()()の目を欺くには、この程度では不足という事()()()

 

 

 変な語尾をつけて話す、赤いスーツを着た仮面の悪魔――デミウルゴス。

 真剣な眼差しで悪魔の言葉に耳を傾け、率直な評価を下す普通の少女――ネム・エモット。

 

 

「……二人とも何をやっているんだ?」

 

 

 少しだけ見ないフリを検討した後、モモンガは控えめな声量で二人に声をかけた。

 

 

「あのね、デミウルゴスさんが変装したいんだって。だからどのくらい頑張ればバレないか練習してたの」

 

「なるほど。そうだったのか」

 

 

 ネムの説明に、モモンガは少しだけ緊張を解いた。

 デミウルゴスが過労でおかしくなってしまったのかと心配もしたが、杞憂だったようで一安心である。

 

 

「その通りでございますもじゃ、モモンガ殿」

 

「もじゃ!? 殿!?」

 

「魔法による幻術を看破するタレントの存在を確認しましたので、魔法に頼らない偽装方法を検討しておりましたぞなもし」

 

「ぞなもし!?」

 

 

 それでもこの語尾はどうかと思うが。

 決して悪ふざけをしている訳ではなく、実用的な検証だと言われても違和感が半端ない。

 

 

「お耳汚しかもしれませんが、この語尾はあえて、あえてでございますなのだ。よろしければ、是非ご意見を聞かせて頂きたく存じますだべ」

 

「モモンガはどう思う? 顔を隠しても喋り方でバレるかもしれないから、色々試してるんだって」

 

「魔法を使わない変装、偽装か……」

 

 

 デミウルゴスの声は真剣そのものだが、本気でやっているのか疑う要素が満載なのだ。

 

 

(本当にバレたくないなら、口調より先に改善すべき点があるだろ……)

 

 

 フルフェイスのマスクを使えとか、トレードマークの赤いスーツを脱げとか、モモンガは言いたい事が山のように思い浮かんでしまう。

 これではただ語尾が変なだけのデミウルゴスである。

 ネムと遊んでましたと言われた方が、まだ納得出来るというものだ。

 

 

「モモンガ皇。この世界の情報を収集する内に、私は実感したのでし。ユグドラシルでの常識や定石、能力が必ずしも通用するとは限らないとにゃは…… 我々階層守護者クラスでも、油断するわけにはいかないのぜよ!!」

 

「た、確かに油断は禁物だな」

 

 

 しかし、モモンガは謎の圧力を感じて言えなかった。

 あのデミウルゴスがあえて変な語尾をつける。それだけ真剣なのだろう。

 ならば自分も部下の熱意に応えて、真摯に対応しなければならない。

 これは決して自分を笑かしにきている訳ではないのだと、モモンガは自分に強く言い聞かせた。

 

 

「デミウルゴスさん、やっぱり服装を変えた方がいいんじゃないですか?」

 

(えっ、それ言っちゃうの? 言って良かったの?)

 

 

 だが、モモンガのそんな内心を無視して、ネムは容赦なくデミウルゴスにツッコんだ。

 

 

「くっ、確かに正論であーる。しかし、これは我が創造主から賜った私の正式な一張羅だぜ。そう簡単に脱ぐ訳にはいかないのだすよ」

 

「でもいつもの服を着てたら、言葉遣いを変えても目立っちゃいますよ?」

 

「それは……」

 

 

 苦悩するデミウルゴス。

 当たり前の事を畳み掛けるネム。

 私は何を見せられているんだ。

 

 

「お前達の装備はどれも一点もので、デザインもこちらの世界では珍しいからな」

 

「我が君……」

 

「デミウルゴスよ、木を隠すなら森の中だ。私も冒険者をしている時は、全身鎧で人間の戦士になりきっている。状況や相手によって装備を変えるのは、戦術の基本だ」

 

 

 彼らの創造主に対する思いは知っている。

 生み出された容姿。

 そうあれと定められた設定。

 創造主が用意してくれた装備。

 その全てが彼らの誇りであり、彼らのアイデンティティだ。

 

 

「一時的に装備を変えるくらい、ウルベルトさんは許してくれると思うぞ。設定を捨てる訳ではないのだからな。当然私も許す」

 

「……畏まりましたでござる。であれば――」

 

 

 その意思を尊重してあげたいが、彼らが危険な目に遭う事は許容出来ない。

 誇りも安全には代えられないので、モモンガはデミウルゴスを優しく諭そうとした。

 

 

「――そうだ!! 同じ服着てる人を増やしたらいいんじゃない? そうしたらデミウルゴスさんも目立たないよ」

 

 

 デミウルゴスが苦渋に満ちた顔で納得しかけた時、ネムはポンと手を叩いた。

 ――木を隠すために森を作ろうとしている。

 流石はネム。自分のスライム風呂に匹敵する、実に画期的かつ独創的な意見だ。

 残念ながら目立たないように変装するという最初の目的が、行方不明になりかけているのが玉に瑕だが。

 

 

「ネムよ。木は森に隠せと言ったが、そもそもデミウルゴスの服装は周辺国家だと一般的ではない。スーツそのものが広まってないから無理じゃないか?」

 

「そっかぁ。じゃあ、みんなに知ってもらうところから始めないといけないんだね」

 

「そういう問題でもないと思うが……」

 

 

 自分が周りに溶け込むのではなく、周りを自分に合わせようとするとか、どこの暴君だ。

 ナザリックの力ならそういう事も出来なくはないかもしれないが、あまりにもコストが高く、メリットとデメリットが釣り合わない。

 本末転倒というか、どう考えても偽装する側のやり方じゃない。

 

 

「――なるほど。そういうことですかぞなもし」

 

 

 しかし、デミウルゴスは何かを閃いたようだ。

 

 

「ほぅ。デミウルゴスは何か気づいたようだな」

 

「はい。モモンガ神とネム女史のお言葉で、気付かせて頂きましたでごわす」

 

「よかろう。その内容を話してみなさい。あとその語尾はそろそろやめていいぞ」

 

「畏まりました。モモンガ様、私は――」

 

 

 このパターンはこれまで幾度となく経験している。

 モモンガはもう慣れたものだと、驚かないように先に自身の感情のスイッチを切った。

 

 

「ナザリックのオリジナルファッションブランドを作り上げる事を提案いたします!!」

 

(なんでだよっ!?)

 

 

 ――精神の安定化、無事発動。

 こんなもん驚くに決まってるだろ。

 変装する話だったのに、何故ファッションブランドを作る話になるんだ。

 絶対に自分の服装を変えた方が早いだろう。

 

 

「う、うむ。確かにメリットも大きいだろうな…… 主に二つ、いや三つほどか」

 

「流石はモモンガ様、即座にそこまで見抜かれるとは」

 

「あれが第一のメリットだな?」

 

「そうでございます」

 

「あれも重要な点だな?」

 

「そうでございます」

 

(一つも分からん!!)

 

 

 モモンガは思わず知ったかぶりをしてしまった事を後悔した。

 ネムのいる前で、自分はなぜ部下と漫才をしているのだろう。

 この行動が自分の首を絞めると分かり切っているのに、つくづく自分は成長していないと実感する。

 

 

「――それにこの作戦が成功すれば、もうあの男に質の低い情報収集を頼む必要もなくなるでしょう。当分は恐怖公の眷属だけで十分です」

 

「よく分かんないけど、凄そうなことするんですね!!」

 

 

 デミウルゴスの最後の言葉も何故かトゲがあるし、ネムのキラキラした目も気になるし、もうてんやわんやだ。

 

 

「素晴らしいぞ、デミウルゴス!! ナザリック一の智者に相応しい、見事な提案だ。その頭脳は既に、この私を遥かに超越しているだろう……」

 

「何をおっしゃいますか。この発案が出来たのは、モモンガ様、それにネム様のおかげでございます。私が新たな視点を持てるよう、会話を誘導してくださったのですね?」

 

「そうなのモモンガ? 私、全然分からなかったよ。さっすが理想の支配者だね!!」

 

(やめて!? ネムまでそっち側に行かないで!?)

 

 

 さり気なく自分を下げようとしたが、あっさりと否定される。

 素直に分からないと言えるネムが羨ましい。

 そして、デミウルゴスの深読みはいつもの事だが、今回はまさかのネムまで自分の事を褒めちぎってきた。

 

 

「同感です。モモンガ様より偉大で優れた支配者は、この世にはいないでしょうね」

 

「うん、モモンガは凄い!! もう絶対誰もが認める理想の支配者だよ!!」

 

「よし!! 今回の件についてはデミウルゴスに一任する。後日、企画書にまとめて提出しろ」

 

 

 このままでは色々と不味い。

 自身の心の平穏と、無いはずの胃は自分で護らねばならない。

 

 

「おおっと、もうこんな時間か。ネム、そろそろ冒険の時間だ。さぁ行くぞー」

 

「わっ!?」

 

 

 三十六回逃げるが勝ちさ。ぷにっと萌えさんは実に良い言葉を残してくれた。

 ネムの誤解を早急に解くべく、モモンガはネムを脇に抱えて部屋から飛び出していくのだった。

 

 

「またねー、デミウルゴスさーん!!」

 

「ええ、またご意見を聞かせて下さい。どうか気を付けていってらっしゃいませ」

 

 

 誘拐の如く連れ去られながら、別れの挨拶に手を振るネム。

 ちなみにネムはネムでモモンガに伝えようと頑張っていた事があったのだが、当のモモンガは最後までそれに気づくことはなかった。

 ――理想の支配者への道のりは、限りなく近く、とてつもなく遠い。

 

 

 

 

〜イグヴァルジは見た〜

 

 

 エ・ランテルを拠点に活動しているミスリル級の冒険者、イグヴァルジ。

 彼は死の淵から這い上がった――というか、普通に一度死んで生き返った男である。

 竜王に殺されるという貴重な体験をしたイグヴァルジは現在、エ・ランテルの通りを歩きながら仲間に慰められていた。

 

 

「気にすんなよ、リーダー」

 

「そうだよ。まだ本調子じゃないだけだって」

 

「当たり前だ!!」

 

 

 いつにも増して機嫌の悪いイグヴァルジは、仲間に怒鳴るように返事を返す。

 一緒に依頼を受けていたという縁で『蒼の薔薇』のラキュースに蘇生してもらえたが、全てが元通りになる訳ではない。

 〈死者復活(レイズデッド)〉の魔法で蘇る場合、魂や肉体にかかる負荷に耐え切れず、そのまま灰になる者もいるくらいだ。

 弱い者はそもそも生き返れず、生き返れても大量の生命力を消費する。

 それが世間一般で知られている蘇生魔法の鉄則だ。

 

 

「……前なら、あんな程度の魔物に苦戦する事はなかったんだっ」

 

「ああ、分かってるよ。力が戻るまではじっくりやろう」

 

 

 そのため使える魔法の位階が下がったり、剣術の技量が落ちたり、筋力や体力に魔法力の低下など――つまりは能力が著しく下がるのである。

 今日の仕事は問題なく完遂することが出来たが、仲間からのフォローが入る度に、イグヴァルジのプライドはズタズタに傷ついていた。

 

 

(クソっ、なんで俺がこいつらのお荷物に……)

 

 

 蘇生されてからそれなりの期間は経過したのに、自身の実力はまるで戻っていない。

 イグヴァルジは今も『クラルグラ』のリーダーを務めているが、チームメイトと実力が開いた事に強い焦りがあった。

 英雄を目指す自分が、仲間の中で最も弱い。

 認めたくはないが、今の自分はミスリル級冒険者の領域にいないのだろう。

 

 

「――ねぇ、モモン。ハムスケの待ってるとこ、やっぱりちょっと遠くない?」

 

「ああ、そろそろ場所を変えてもいい頃合いかもな。みんなもう慣れただろうし、組合の裏に待たせてもいいか今度聞いてみるか」

 

 

 仲間の言葉も話半分に聞き流していた時、とある二人組が歩いているのを見つけてしまった。

 普通過ぎる少女と、豪華な漆黒の全身鎧を装備した男。ネムとモモンだ。

 

 

「おっ、あの子は相変わらず元気だな」

 

「だな。頻度は高くないが、受けた依頼はキッチリこなしてるそうじゃないか」

 

「将来有望ってやつだな」

 

「けっ、あんな奴ら冒険者じゃねぇよ。装備も魔獣もある癖に銅級(カッパー)のままなんて、やる気がないのさ」

 

「まぁまぁ、新人ならそんなもんだって」

 

 

 自分のイライラが高まっている時に、一番会いたくない人物を見かけてしまった。

 向こうから何か言ってきた事は一度もないが、内心で魔獣のアドバイスを無視した自分を嘲笑っているはずだ。

 ――大見得を切った癖に、あっさり殺された冒険者だと。

 妄執に囚われたイグヴァルジには、ネムの笑顔が自身に対する嘲笑にしか見えなかった。

 

 

(こっちは命懸けで冒険者やってんのに、楽しそうに笑いやがって!! ――っあ!?)

 

 

 イグヴァルジは怒りのままに、ちょうど道端に転がっていた石を蹴り上げる。

 すると思いがけず勢いがつき、ネムの後頭部目掛けてすっとんでしまった。

 

 

(ま、不味い!!)

 

 

 咄嗟に手を伸ばすが、それで蹴飛ばした石が止まるわけもない。

 曲がりなりにも英雄を目指すイグヴァルジは、世間体を気にするタイプだ。

 裏では色々やってきたが、表立って子供に怪我をさせる真似は自分の経歴に傷がつく。

 だが、イグヴァルジはなす術もなく石の行方を目で追いかけるしかなく、その石が何も気づいていないネムの頭に当たる――

 

 

「そいやっ!! あ、にゃー」

 

「っえ!?」

 

 

 ――寸前、猫が蹴り返してきた。

 ありえない。なんか鳴き声も変だった。

 そして速すぎて返ってきた石が躱せない。

 狙い済ませたように自らの顔面に石が直撃し、イグヴァルジは悶絶した。

 

 

「っいぐゔぁ!? ――っっぐぅぉぉ、っ痛ってぇ」

 

「ん、どうしたイグヴァルジ? 鼻血出てるぞ」

 

「ね、猫が急に飛び出してきて、石を蹴り返してきやがった!! お前らも見ただろ!?」

 

「いや、悪い。見てないが……」

 

「俺も見てないな。猫って石蹴れるのか?」

 

「無理じゃないか? 前足でひっかくくらいだろ」

 

 

 イグヴァルジは仲間を殴りつけたくなった。

 このポンコツどもが。何故見ていない。

 今だってこっちに向かって妙にムカつくポージングをしてる変な猫がいるだろうが。

 

 

「だからあの変な猫だよ!!」

 

「猫だな」

 

「野良だな」

 

「普通の野良猫じゃないか」

 

 

 イグヴァルジは片手で鼻を押さえながら必死に指を差したが、仲間の目には普通の野良猫としか映らなかった。

 タイミングが悪過ぎる。いや、良過ぎるとも言えるだろう。

 

 

(そうかあのガキ、猫をけしかけやがったな!!)

 

 

 イグヴァルジは気づいた。

 あの猫は仲間が見てる時だけ普通を装い、自分が見ている時は踊っているのだと。

 あんなのが普通の猫なはずがない。

 あの魔獣を従えるテイマーに、ネムに操られた猫に違いない。

 

 

「猫が石なんて蹴る訳ないだろ。自分で蹴った石が当たったんじゃないか?」

 

「確かに俺が蹴ったけど、そうじゃないんだ!! 蹴ったやつを跳ね返されたんだって!? きっとあのガキが操ってるんだ!!」

 

「イグヴァルジ……」

 

「流石にないだろ」

 

 

 イグヴァルジが必死に説明しても、仲間達はまともに取り合ってくれなかった。

 言葉を重ねるごとに、仲間からの生温い視線が自分に突き刺さるだけだ。

 

 

「魔獣を従えられるんだ。あのガキなら猫を操るくらい簡単だろうが!!」

 

「落ち着けよ。仮に猫をテイムしたって、猫にそんな事出来ないだろ?」

 

「……疲れてるんだよ、イグヴァルジ。今日はもう休んだらいい」

 

「愚痴なら酒場で聞いてやるからさ」

 

「ち、違う。待ってくれ、本当に違う。違うんだ……」

 

 

 魂のこもった叫びも虚しく、自身の言葉は誰からも信じてはもらえない。

 イグヴァルジは鼻血を噴き出しながら、込み上げる怒りと共に天を仰いだ。

 

 

「俺はっ、俺は見たんだぁあ!?」

 

 

 虚しい咆哮が大通りを駆け抜け、通行人の訝しげな視線が集まる。

 自身のレベルだけでなく、信頼もちょっぴり下がってしまったイグヴァルジであった。

 

 

 

 

致命的失敗な遭遇(ファンブルエンカウント)

 

 

 空気を入れ換えるため、一時的に扉が開きっぱなしとなっている家の倉庫。

 その薄暗い空間の中でエンリは一人、備蓄などの確認を黙々と行なっていた。

 

 

「うん。この鍬は軽く手入れすれば、まだまだ使えそうね。こっちの服も虫食いは無し、と」

 

 

 農具や防寒具、保存食に、灯りや暖を取るための燃料。この先訪れる冬を越すためには、どれも必要不可欠な物だ。

 もし足りない物があるなら、余裕がある今の内に準備しておかなければいけない。

 今すぐ買わないにしても、どれくらいの出費になるのか確認は必須だ。

 まだ秋にもなっていないからと、油断は禁物なのである。

 

 

「うーん、今年は念のために保存食を買わないといけないかなぁ。でも早く買いすぎて古くなっても困るし……」

 

 

 なにせ急に必要になった場合でも、カルネ村ではそれらを手に入れる手段はない。

 開拓村の冬季は非常に厳しく、冬が始まってから準備したのでは遅いのだ。

 昔より納める税が軽くなった今でも、開拓村故の生活の厳しさは何も変わっていない。

 

 

「――よし。足りない物はネムが街に行った時、ついでにお遣いを頼めば大丈夫よね」

 

 

 作業も一旦区切りがついたので、エンリはほんの少しだけ体と頭を休める事にした。

 肩を回したり腕を伸ばしたりと、同じ姿勢を続けたせいで固まった体をほぐす。

 ほどよい疲労感で少し眠気もあるので、体を動かし眠気も一緒に振り払おうとした。

 

 

「んーっ。ネムも今頃、モモンガさんと頑張ってお仕事してるのかな……」

 

 

 エンリは軽くストレッチを続けながら、ぼんやりと自分の妹の事を考える。

 今朝も元気いっぱいに家を出た、我が家の可愛い冒険者だ。

 

 

(あの日、村が騎士達に襲われて…… モモンガさん達に助けて貰って…… 本当に、色々大変だったなぁ)

 

 

 村人が何人も亡くなったあの事件が起こってから、ネムは変わってしまった。

 我が儘を言わなくなり、遊ぶ事もなく家の手伝いを率先してやる、手のかからない良い子になってしまった。

 生来の天真爛漫さが鳴りを潜め、家族に迷惑を掛けまいと、寂しそうに無理やり笑う事が多くなったのである。

 

 

(冒険はちょっと心配だけど、元気になってきたのは良い事だよね)

 

 

 あれからまだ一年も経っていない。その事を思えば、ネムも随分と元気になったものだ。

 きっかけはやはりモモンガなのだろう。

 ネムが冒険者となってお金を稼ぐと言い出した時など、家族で随分と驚かされた記憶もある。

 ――どちらかと言うと、一緒に説明に来たモモンガに驚かされたのかもしれないが。

 

 

(……やっぱり友達、モモンガさんの存在は大きいんだろうな)

 

 

 仕事ばかりを優先するようになったネムが、最近は楽しそうに遊んでいる事もある。

 モモンガの家に行ったり、虫を捕まえて戦わせたり、モモンガと宝探しに出かけたり、ハムスケとゴロゴロしていたり。

 がむしゃらに家の手伝いをしようとするだけでなく、休憩時間を楽しむようになった。

 一部普通の子供がやる遊びから逸脱しているけれど、ネムが心からの笑顔を見せるようになったのだ。

 

 

「――おや、サボりかい?」 

 

「ひゃっ!?」

 

 

 エンリが穏やかな気持ちで物思いに耽っていると、突然倉庫の扉が閉められた。

 その音に慌てて振り向くと、自分の背後にフードを深く被った老婆が立っており、悪戯が成功した子供のようにニヤリとしていた。

 

 

「い、いきなり勝手に入ってくるなんて、あなた誰ですかっ!?」

 

「なんだい、寂しいこと言わんでおくれ」

 

 

 カルネ村は規模が小さいので、村人ならほとんど顔見知りと言っていい。

 しかし、自分はこの人を村で見かけた事がない。

 ――怪しい。

 剣を携えた老婆なんて、村にいたら話題にならないはずがないのに。

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 老婆が自分の目を見つめながら、戯けたように笑った。

 自分は何を慌てていたんだろう。

 名前を知っている訳ではないけど、この老婆は自分の()()だ。

 

 

「あれ? そうですよね。お婆さんと私は友達なのに」

 

「……すまないね、こんな真似して」

 

「そんなっ、勝手に入った事ならもう気にしてませんから」

 

 

 突然現れたので驚きはしたが、警戒するような相手ではない。

 少し悲しそうな顔で謝っているし、ほんのちょっと悪戯心があっただけなのだろう。

 そんなに申し訳なさそうな顔をされると、自分も逆に困ってしまう。

 

 

「ちょっと顔を見に来たんだが、妹は元気にしとるかい?」

 

「はい。ネムは今日もモモン――さんと一緒に冒険に出かけてます」

 

「あの魔獣、森の賢王も一緒かい?」

 

「もちろんハムスケさんも一緒ですよ」

 

「ああ、今はハムスケという名だったね。ところでネムは――」

 

 

 老婆が再び快活な顔を見せると、何気ない雑談が始まった。

 質問の頻度がちょっぴり多い気はするが、変な事を聞かれている訳でもないのでエンリも気にせず会話を続ける。

 まだ倉庫の整理も途中だし、何となく違和感はあるけれど、友人と少し喋るくらいの休憩は構わないだろう。

 

 

「大魔獣を友達に…… にわかには信じがたいね。妹は魔獣を手懐けるタレントでも持っとるんじゃないのかい? それかマジックアイテムとか」

 

「あはは、まさか。ネムはそんなの持ってませんよ」

 

「そうかい。なら冒険者仲間の片割れ、モモンとかいうのは何者なんじゃ?」

 

「一言で言うなら、ネムの友達ですね。私も詳しくは知らないんです」

 

「この村の者ではないのか?」

 

「違いますよ。本当にどこで知り合ったんでしょうね? 遠い所から来られたみたいですけど」

 

 

 流石に友人と言えど、冒険者モモン――モモンガについては詳しく話せない。

 その正体やモモンガ自身の仲間についても、わざわざ言うべきではないだろう。

 カルネ村を救ってくれた恩人でもあるが、その辺りを説明すると話がややこしくなってしまう。

 そもそも自分がモモンガについてあまり知らないので、上手く説明が出来ないというのもあるが。

 

 

「でもあの子ったら、前に聞いた時は『夢で会った別の世界の友達が、約束したら来てくれた』なんて言ってたんですよ」

 

「……別の世界、じゃと?」

 

 

 ネムから聞いたうろ覚えの話を冗談めかして伝えたら、急に老婆の目つきが変わった気がした。

 剣呑とまでは言わないが、少し身構えたような姿勢になっている。

 エンリは老婆の反応を不思議に思った。

 モモンガが立派なお城に住んでいる事も、その正体がアンデッドである事も話していないのに、と。

 

 

「それは本当か?」

 

「え、その、ネムが見た夢の話ですよ?」

 

「あ、ああ、分かっとるよ。わしも御伽噺なんかは好きだからね」

 

 

 真剣味の増した表情で、老婆がわざわざ確認してきた。

 まさか夢の世界から来たなんて与太話を、そのまま信じた訳でもないだろうに。

 ネムの話も所詮は空想、子供の想像力の産物だ。

 

 

(まぁ、ネムが誤魔化そうとしたのも無理ないよね。相手が相手だし)

 

 

 人に優しいアンデッドが存在するというだけならまだしも、夢の別世界から来たという話は流石に自分も信じられない。

 実際に自分も一度だけ城に招いてもらった事があるので分かる。モモンガが住んでいるのは確かに夢のような空間だが、夢ではなくちゃんとした現実にある城だ。

 

 

(アンデッドと仲良くなったなんて言ったら、普通はお説教じゃすまないもんね)

 

 

 エンリからすれば夢の話云々は、日頃から近づいてはいけないと注意していたアンデッド――実際は危険どころか命の恩人で紳士的な方だった――と友達になった事を誤魔化すために、ネムが作った作り話だと思っている。

 

 

「その妹の話では、妹がその者を連れてきたのかい?」

 

「うーん、約束というか、誘ったみたいな感じでしたけど…… ごめんなさい。だいぶ前に聞いたので、正直あんまり覚えてなくて」

 

 

 老婆の質問がやけに細かい。

 夢の世界から友達が来たという部分だけを切り取れば、それなりに感動的だろう。

 微笑ましく笑うところはあれど、老婆が不審に思う要素など何も無いはずなのだが。

 

 

「ああ、いいんじゃよ。子供の想像力は凄いもんじゃな。ところで、その夢の世界の名前は――『ユグドラシル』という名じゃないかい?」

 

「何か知ってるんですか?」

 

「ちょっとした御伽噺に出てくる名前でね。妹さんもどこかで聞いたのかもしれないと思ってねぇ」

 

「へぇ、そうだったんだ」

 

 

 夢の話にここまで食いつくのは意外だったのだが、老婆はその事が気になっていたのだろう。

 ネムの作り話にはちょっとしたモデルがあったのかと、エンリも今更ながら納得する。

 

 

「ええ、多分ネムが言ってたのは、そんな名前だったと思いますけど……」

 

「そうかい。揺り返し以外にもやって来るとは…… 出来れば違っていて欲しかったんだがねぇ」

 

 

 エンリが曖昧に頷くと、老婆は憂いを帯びた表情を見せ――

 

 

「あれ? お婆さんはどこに? ――っあの人別に私の友達じゃなかった!?」

 

 

 突然思考がスッキリしたエンリは、先程までの異常な感覚に気づいた。

 なぜ自分は初対面の人を、友人などと思い込んでいたのだろうか。

 当人に問い詰めたいが、話していたはずの老婆の姿はもうどこにもない。

 

 

「あら、どうしたのエンリ?」

 

「あっ、お母さん!! 剣を持ったお婆さん見なかった? こう、フードを被ってて、白髪で私より長めの三つ編みにしてる人なんだけど……」

 

「そんな人家にいる訳ないでしょ。私はずっとそっちで裁縫してたけど、お客さんも来てないわよ?」

 

 

 ちょうど様子を見にきた母親に尋ねても、そんな人物は見ていないと言う。

 あの老婆が本当に存在したのなら、母に気づかれずに倉庫に来るのは難しいはずだ。

 さっきの妙な内容の会話は、自分の見た夢だったのだろうか。

 

 

「変だなぁ、白昼夢でも見てたのかなぁ」

 

「今は村に冒険者の人も来てないし、きっと寝ぼけてたのね。エンリだっていつもしっかりしてるけど、偶にはお昼寝してサボりたくなる日もあるわよね」

 

「……うん、そうだよね。って、私サボってないよ!?」

 

「うふふ、じゃあ倉庫の整理は終わったの?」

 

「うっ。……それは、あとちょっとです」

 

 

 エンリは違和感を拭いきれなかったが、母親の言う通り少し寝ぼけていたのだろうと無理矢理に納得する。

 それから日が経つに連れて、そのまま老婆の事は段々と記憶の片隅に追いやられたのだった。

 

 

 

 

〜話し合いは大切です〜

 

 

「――はじまりました『ネムの部屋』。今回のゲストは、執事のセバス・チャンさんです!!」

 

「よろしく、お願いいたします」

 

 

 ネムの元気な掛け声と共に、何処からか流れ出す「るーるるー」という肉声のBGM。

 『ネムの部屋』――ナザリック内では噂に色々な尾ひれがつき、今では誰もが興味を持つイベントだ。

 そして同時に、参加者の約半数が謹慎をくらった恐ろしい企画でもある。

 

 

「よろしくお願いします、チャンさん」

 

 

 明らかに老齢である自分に対して、ネムなりに丁寧な呼び方をしたつもりなのだろう。

 その結果、今まで経験にない名前の呼ばれ方をされ、セバスは思わず苦笑した。

 

 

「ネム様、私の事はどうかセバスとお呼びください。申し訳ありませんが、それ以外で呼ばれる事には慣れていないものでして」

 

「分かりました、セバスさん」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「それじゃあ質問なんですけど、私がナザリックの方達からたまに様付けで呼ばれるのって何でですか?」

 

 

 ネムからの早速の質問に、セバスは折り合いの悪い同僚の顔を思い出してしまう。

 確かあの男もネムを様付けで呼んでいた気がする。

 栄えあるナザリックの執事としての矜持で、顔には一切感情を出さなかったが。

 

 

「不思議だなぁって思ってたんです。セバスさんもネム様って、言ってましたけど」

 

「私はモモンガ様に仕える執事でございます。ですので、主人のご友人であるネム様には、敬意を持ってそう呼ばせて頂いております」

 

 

 かつて玉座の間で見た芯のある表情とは違い、今のネムの顔には子供らしさが溢れている。

 セバスは微笑を浮かべながら、ネムの質問に答えた。

 

 

「他の者も少なからず、ネム様を敬う気持ちがあるのでしょう」

 

「私、全然偉い人じゃないですよ? 普通の村に住んでる平民なのに」

 

「ふふっ、外の世界ではそうかもしれませんね。ですが、ナザリックは少々特殊ですから」

 

「異形種の方が集まっていると、やっぱり考え方も違うんですね」

 

 

 ナザリックは外の世界とは違うという理由に、ネムは納得したように頷いた。

 どこまで理解しているかは不明だが、それについてセバスはあえて何も言わない。

 

 

(あのデミウルゴスですらそうなのですから、本当に大したものです……)

 

 

 ナザリックに属する者が外の人間に敬意を持ったり感謝するなど、普通はあり得ないのだ。

 それがどれ程の偉業か、ネムは知らなくても良い事だろう。

 

 

「セバスさんは確か竜人っていう種族なんですよね。変身出来るってモモンガに聞いたんですけど、どんな感じですか?」

 

「この場でお見せするには不都合があるのですが…… 強いて言うなら竜の鱗が生え、肉体全てが強化されるとでも申しましょうか」

 

「へぇ、凄く強そうです。なんだかデミウルゴスさんの腕が変化するやつと似てる気がします」

 

「私の方が圧倒的に強いですけどね」

 

 

 それからしばらくの間、子供の好奇心をそのまま形にした質問の数々に、セバスは優しく紳士的に対応し続けた。

 

 

「――そういえば、セバスさん。お仕事中に趣味を優先する人ってどう思いますか?」

 

「言語道断ですね。己の欲に負けて使命を全うできない者など、愚かとしか言えません」

 

 

 一体どんな意図があるのか。

 何かを思い出した表情のネムから、これまでの流れを無視した質問がでてきた。

 

 

「じゃあ、どうすればその人は真面目に仕事をするようになると思いますか?」

 

「そうですね…… まずは話し合いでしょうか。相手が仕事をサボっている理由、原因を聞きます。その上で対策を考え、仕事の重要性を言い聞かせる必要があるでしょう」

 

 

 ネムの質問は突飛なものが多いと他の者から聞いてはいたが、これは流れ的にも変な内容だ。

 セバスはハッキリと自分の意見を答えたものの、薄らとした違和感を感じずにはいられなかった。

 

 

「それでも仕事をしてくれなかったらどうしますか?」

 

「それで聞かないとなると、相手も何か譲れない信念があっての事でしょう」

 

 

 何故か座問答のようになってきたが、セバスは一つ一つを真剣に考えて言葉にする。

 正しい行いとは一つではない。

 己の創造主は間違いなく立派な正義を掲げる方だったが、他のギルドメンバーとの衝突がなかった訳ではないと聞いている。

 時には意見が食い違い、他の仲間と喧嘩もしてきたそうだ。

 至高の四十一人ですらそうなのだから、正義とは一つではないはずである。

 

 

「その場合は互いの信念、正義をかけて…… 殴り合い、ですかね?」

 

「おぉー。セバスさんは意外と熱い方なんですね」

 

「老体でございます故、それ程ではございませんよ」

 

 

 セバスは少しだけ冗談めかして、質問の回答を締めくくった。

 先ほどは訝しんでしまったが、なんとも心地よい語り合いだ。

 ナザリックの仲間は大切で、もちろん嫌いな訳ではないが、カルマ値が極善のセバスはナザリック内では異端と言える。特に外の人間に対する価値観などが違い過ぎるのだ。

 そのため、こうした純粋な存在との会話は心躍るものがある。

 

 

「それでネム様、これらの質問の意図を聞いてもよろしいでしょうか?」

 

「デミウルゴスさんが、是非セバスさんに聞いてみてくれって言ってたんです」

 

 

 ニッコリと笑ったネム。

 セバスは一瞬だけ表情が石化し、再び同僚の悪魔の顔が脳裏をよぎった。

 

 

「デミウルゴスが?」

 

「はい。えっと確か…… お仕事中なのに『道案内』とか『ゴミ拾い』をしたり、『見知らぬ少年の修行の手助け』とか、全然関係ない事をしてる同僚がいるそうなんです」

 

「そ、それは……」

 

 

 真っ直ぐに伸びた自身の背中に、冷や汗が流れ落ちる。

 さっきまでの心地よさなど、簡単に吹っ飛んでしまった。

 なにせネムの口から出た情報に、セバスは心当たりがあり過ぎた。

 

 

「その同僚のせいで困ってるらしいんですけど、デミウルゴスさんとその人は意見が合わないらしくて。でもセバスさんならきっと良い方法を教えてくれるはずだからって」

 

「なるほど、なるほど……」

 

「良いお話が聞けたので、これならきっとデミウルゴスさんもその人と上手くやれますね!!」

 

 

 この様子から察するに、ネムは皮肉を言っている訳ではない。

 むしろ何も知らずにいるのだろう。

 

 

「でもなんでデミウルゴスさんは、セバスさんに直接聞かなかったんでしょう?」

 

「さて、あの男の考えは、私には分かりかねます。もしかしたら、彼も自身の趣味に時間を取られているのかもしれませんね」

 

「あっ、デミウルゴスさんの趣味なら知ってます。骨細工が好きだって聞いたことあります!!」

 

 

 三度脳裏をよぎるあの野郎。

 天地がひっくり返ってもネムとデミウルゴスの性格は合わないと思うのだが、一体どんな印象操作をしたのか。

 デミウルゴスに対するネムの好感度は中々高いようだ。

 

 

(あの男、やってくれましたね……)

 

 

 それにしても、直接自分に言うのではなく、ネムに言わせるというのが憎らしい。

 底意地の悪さが滲み出ている。まさに悪魔。

 自分を手のひらで転がし、高笑いしている姿が目に浮かぶようだ。

 

 

「――残念ながらそろそろ終わりのお時間です。セバスさん、今日はありがとうございました」

 

「こちらこそ、ネム様とお話が出来て楽しかったです」

 

「私も楽しかったです!! さっきのお話は今度デミウルゴスさんに伝えておきますね」

 

「いえいえ、折角ですから私が直接伝えますよ。ちょうどこの後、彼に用がありますから」

 

「分かりました。では、またの機会にお会いしましょう!!」

 

 

 非常に和やかなエンディング。

 今日は上手くいったと、ネムが分かりやすい笑顔で部屋から出ていった直後。

 セバスは顔から笑みを消し、ゆっくりと拳を握りしめた。

 

 

「……さて、まずは話し合いに行きますか」

 

 

 当然、その足が向かう先は――第七階層。あの悪魔の守護する領域である。

 ネムに伝えた事を、きっちりと実践しに行ったセバスだった。

 

 

「デミウルゴス、貴方のやり方は捻くれていて卑怯すぎます!!」

 

「セバス、そういう君は馬鹿正直すぎる!!」

 

「モモンガ様のご友人であるネム様を利用するのは、いかがなものかと思いますがね!!」

 

「利用とは心外だね。君に対して最も効果を発揮出来る存在に協力してもらったまでだよ。もちろん無理強いもしていない!!」

 

 

 その後、悪魔と竜人の話し合い兼殴り合いが勃発したり、二人に熱い友情が一切芽生えなかったり――

 

 

「流石あの二人が作ったNPCだな。うーん、内輪で争い合うのは見たくないけど、あの二人だしなぁ…… 仲良く謹慎? いやいや、ここは喧嘩両成敗で終わらせるべきか? ことの発端も微妙だしなぁ」

 

 

 ――二人して謹慎を言い渡されたりされなかったり。

 

 

「信賞必罰は世の常。でも罰を与えるとか、俺向いてないよ。みんなに褒賞すら渡してないのに…… 支配者って大変だなぁ」

 

 

 モモンガも支配者として、部下の指導に悩む事になったとさ。

 

 

 




今回もギャグ要素強めでした。
色んな話を詰め合わせたので、時系列とかは深読みしないでくださると嬉しいです。
デミウルゴスはあえて変な語尾を付けたりとか、普段の優秀さとのギャップが最高です。




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霜(降り)の竜

前回のあらすじ

「なるほど。そういうことですかぞなもし」
「あのお婆さん友達じゃなかった!? 私寝ぼけてたのかなぁ」
「これでデミウルゴスさんもその人と上手くやれるよね!!」
「流石あの二人が作ったNPCだな」

ネムの行動範囲内かつ、何か起きても不思議ではない。そんな大変都合の良い場所……
お馴染みトブの大森林からスタートです。


 カルネ村より北方面に少し進んだ森の中、トブの大森林のとある場所――

 

 

(どうしよう)

 

(どうするでござるか)

 

(ど、どうすれば)

 

 

 ――一人と一匹と一体は、それぞれ予期せぬ出会いに頭を悩ませていた。

 お互いに顔を合わせてから、かれこれ一分くらいは無言で固まったままである。

 この異様な光景の始まりは、遡ること少し前――

 

 

 

 

 今日は冒険者の仕事もなく、今やるべき家での手伝いも終わっている。そしてモモンガと遊ぶ予定もない。

 端的に言って暇だったネムは、ハムスケを誘ってトブの大森林に散歩に来ていた。

 

 

「この辺に来るのも久しぶりだね」

 

「そうでござるなぁ。一時期とんでもない竜がうろついていたせいで、中々森の深くへは行けなかったでござる」

 

「もうそのドラゴンはいないんだよね。お家も戻さなくてよかったの?」

 

「うーん。某の使っていた洞窟も、今頃は他の者が住んでると思うでござるよ」

 

 

 ハムスケの背に揺られながら、のんびりとお喋りに興じるネム。

 甘そうな木の実を見つけて二人で食べたり、背負ったリュックから水筒を取り出して飲んだりと、なんとも気楽な散歩である。

 ここまで気を抜ける理由は単純明快。

 多くの魔物が住まう危険な森であろうと、ハムスケと一緒にいるネムが狙われる事はまずあり得ないからだ。

 

 

「一々取り返すのは面倒でござるし、このままでいいでござる」

 

「じゃあ今まで通りいつでも会いに行けるね」

 

 

 万が一魔物が襲ってこようとしても、知覚能力に優れたハムスケなら事前に察知して余裕で対処出来る。

 『東の巨人』、『西の魔蛇』、そして『南の大魔獣』――トブの大森林を支配する『三大』の異名は伊達ではないのだ。

 

 

「むむ、この先はちょっと魔物の気配が濃いでござるな。迂回するでござるよ」

 

「うん、分かった」

 

 

 それはそれとして、わざわざ危険に飛び込むつもりは全くないので、二人は他の生物の縄張りに入らないように気を付けていた。

 もちろん、それ以外にもちゃんと気を配っていたのだが――

 

 

「――っ!? ネム殿、上から何か来るでござる!!」

 

「え」

 

 

 ――いきなり巨大なモノが降ってきた。

 流石の二人もこの展開は完全に予想外である。

 ハムスケが叫ぶや否や、正体不明の何かは樹木を薙ぎ倒しながら近くの地面に激突し、その衝撃で周囲に突風が巻き起こった。

 

 

「っぬぅ!!」

 

「わっぷ!?」

 

 

 咄嗟に離れるのが間に合わなかったハムスケは、体勢を低くしながら薄く目を開いて未知の事態に対応した。

 同じくネムもハムスケの背中に慌ててしがみ付き、地面から伝わる揺れと突風に耐えた。

 

 

「イテテ…… まさか翼がつって落ちるなんて。久しぶりに飛んだせいかなぁ」

 

 

 突発的な風と揺れはすぐに収まり、代わりに聞こえてきたのは疲労混じりの呟き。

 ほんのりとした冷気を纏う青白い巨体――大きな音を立てて落下してきたのは、ハムスケを遥かに超えるサイズの生物だった。

 二人との距離は僅か三メートル程しか離れておらず、もし真下にいたらネムとハムスケはぺしゃんこに潰されていただろう。

 

 

「この分だと本気でダイエットも考えなきゃな不味いかも…… あぁ、良かった。眼鏡は壊れてないみたいだ」

 

 

 巨大生物はどこか情けない印象の声を出しつつも、落下の衝撃をその身に受けてピンピンしている。

 見た目通りの凄まじい肉体強度と生命力だ。

 

 

(もしかして……)

 

(っ不味いでござるな。これは迂闊に動けないでござる)

 

 

 ネムとハムスケが捉えた全貌は、分かりやすくその正体を語っていた。

 ――皮膜のついた翼と全身を覆う鱗。

 ――爬虫類を巨大化したような見た目。

 ――大切そうに持っている小さな眼鏡。

 正直なところ眼鏡はよく分からないが、二人は相手の正体に思い至り息を呑む。

 

 

(想像してたのとちょっと違うけど、多分ドラゴンだよね)

 

(以前見たドラゴンよりはだいぶ弱そうでござるが、某でも勝てるかどうか……)

 

 

 数多の伝説で語られる最強の種族――(ドラゴン)

 ネムとハムスケの目の前にいるのはフォルムが丸いというか、お腹周りが弛んでぽっちゃりしているようにも見えるが、間違いなくドラゴンであった。

 そして運の悪いことに――

 

 

「よし、フレームも歪んでな――」

 

「あ」

 

「あっ」

 

 

 ――目が合ってしまった。

 ドラゴンが眼鏡の調子を確かめた時、ネムとハムスケは完全に存在を認識されてしまった。

 

 

(こっち見た…… 睨まれた!? 私とハムスケ、食べられちゃう!?)

 

 

 当然ネムは焦ってしまい、頭の中は大混乱。

 ナザリックでは神獣すらモフった経験のあるネムだが、いくら好奇心旺盛でも分別はある。

 ナザリックにいる異形種は特別――モモンガの仲間だから大丈夫なのだと、ちゃんと理解しているのだ。

 この森で初めてハムスケと出会った時も、恐らくモモンガが一緒にいなければあの対応は出来なかっただろう。

 

 

(ハムスケに全速力で逃げてもらう? でも、もし村まで追いかけてこられたら……)

 

 

 ネムにとって野生の魔物はもちろん恐ろしいし、ハムスケが警戒する程強そうなドラゴンともなれば尚更である。

 モモンガとの出会いから始まる様々な経験。

 ハムスケがいるという最後の希望。

 それらを心の支えにし、ネムはなんとか思考を止めずに己を奮い立たせているに過ぎなかった。

 

 

(ネム殿を守りながら戦うのは、流石に無理そうでござるな)

 

 

 一方、現状頼みの綱であるハムスケも、流石にドラゴンが相手では余裕がない。

 

 

(隙を見て逃げるしかないでござる!! ……ドラゴンに隙があるのでござるか!? いやいや、それでも逃げ切ってみせるでござる!!)

 

 

 妥当な判断と言うべきか、それともナザリックでの修行の成果と言うべきか。

 ハムスケの頭の中は逃走一色に染まっていた。

 まぁ仮に名も無き魔獣だった頃であっても、ハムスケはきっと即座に逃げる事を選んでいただろう。

 『森の賢王』と謳われた伝説の魔獣であっても、ドラゴンとは恐ろしい存在なのだ。

 

 

(駄目だ。このままじゃ逃げられないっ)

 

(しかし、逃げるとしたらどこに…… 某、モモンガ殿の家の場所は知らないでござる)

 

 

 竜に出会ってしまった少女と魔獣。

 普通ならこの時点で詰み。万事休すである。

 ――しかし、この状況に焦っているのは二人だけではなかった。

 

 

(……えっ、落ちたとこ見られてた!? しかも魔獣!?)

 

 

 翼の筋肉がつるという、非常に情けない理由で落ちてきたドラゴン。

 霜の竜(フロスト・ドラゴン)のへジンマールも同様に、あるいはネムとハムスケ以上に焦っていた。

 

 

(うわぁ、なんて強そうなんだ。それに深い知性を感じる瞳だ。体も土掘獣人(クアゴア)よりずっと大きい)

 

 

 へジンマールは思わず目を細め、ハムスケの姿を隅々まで観察する。

 実は最強種のドラゴンでありながら、へジンマールは荒事が苦手であった。

 世界中にいるドラゴンの中でも、自分は最低クラスに弱いとすら自覚していた。

 

 

(この森にはこんなのが普通に生息してるの? 本にも載ってなかったし、初めて見るんだけど……)

 

 

 元より本を読む事が好きという、ドラゴンにしては知識欲が高い珍しい性格で、そもそも戦闘経験もほとんどない。

 へジンマールにあるのは書物から得た知識と、長年の引き篭もり生活で蓄えられた分厚い脂肪だけだ。

 

 

(尻尾はかなり柔軟に動いてるのに、表面は岩みたいに硬そうじゃないか。毛皮もしっかりしてるし、俺のブレスとか効くのかな…… 爪も鋭いし、引っ掻かれたら痛そうだなぁ)

 

 

 純粋にレベルだけで比較した場合、へジンマールのレベルはハムスケより少しだけ低い。

 しかし、それを差し引いてもドラゴンという種族は、生まれながらあらゆるスペックに恵まれている。

 

 

(うわぁ、凄い見られてる。勝手に逃げてくれないかなぁ)

 

 

 そのため、実際にハムスケと戦ったとしても勝負にならない戦力差ではない。

 むしろ現状――守るべき友がハムスケの背中には乗っている――では、へジンマールの方が有利と言えるだろう。

 

 

(お腹を引っ込めて威嚇すれば――いやいや、もう見られてるから無理でしょ)

 

 

 だが、へジンマールは闘争本能を母親のお腹に置いてきたのか、根本的に戦う意志が欠けていた。

 

 

(うぅ、戦うのとか嫌過ぎる……)

 

 

 本人の自信のなさも相まって、初めて見る魔獣を前に戦意喪失するのも無理はなかったのだ。

 

 

(それにしても、上に乗っているのは髭がないからドワーフじゃないよな。人間種の、子供? ……意味の分からない組み合わせだ)

 

 

 そして、へジンマールが気後れしている理由はそれだけではなかった。

 ――肉体の不調。

 久しぶりの外出で体力を消耗しているだけでなく、現在へジンマールは筋肉痛で飛べない。

 唯一にして最善の戦法、『空から一方的にブレスを吐く』が使えないのだ。

 

 

(本当にただの人間なのか? なんか恐ろしいくらい力を秘めてそうな指輪も着けてるし……)

 

 

 さらに、ネムがいつも身につけている指輪に、ドラゴンの財宝を求める嗅覚が反応してしまった。

 デブっても竜。

 へジンマールは指輪の異常な質の高さを本能的に理解出来てしまい、これがまた酷い誤解を生んだ。

 

 

(あんなマジックアイテム普通じゃない。それを持っているという事は――あの子供も俺より強いのでは!?)

 

 

 人間の少女と魔獣と竜。

 そこには本来なら決して覆せない、種族としての絶対的な力の序列が存在する。

 しかし、偶然と必然が絡み合った結果――

 

 

(どうしよう)

 

(どうするでござるか)

 

(ど、どうすれば)

 

 

 ――お互いに相手を恐れあう、謎の状況が生まれてしまったのであった。

 

 

 

 

 早鐘を打つ心臓の鼓動。

 風の囁きがはっきりと聞こえる静寂。

 一秒一秒がやけに長く感じる膠着状態。

 

 ――食べられる。

 ――隙がないでござる。

 ――殺される。

 

 三者三様に命の危機を感じている中、まず最初に沈黙を破ったのはヘジンマールだった。

 

 

「い、いい天気ですね!!」

 

 

 へジンマールが選んだのは、戦うでも逃げるでもない。ましてや平伏するでもない。

 ――友好的接触(フレンドリー)

 ドラゴンらしからぬ逃げ腰――実に平和的な対応だった。

 

 

「っ!? そ、そうだね……」

 

「……森の中であろうと、こちらの姿は丸見えでござろうな。逃さないという訳でござるか」

 

 

 しかし、少女と魔獣の反応はイマイチ。

 人間と魔獣の表情にはあまり詳しくないが、それでも警戒されている事くらいは分かる。

 魔獣に至ってはこちらの意図を勘違いしている節すらある。

 

 

(あれぇ? 天気の話は鉄板だって、昔読んだ本に書いてあったはずなのに……)

 

 

 へジンマールは口を大きく開けて、優しくハキハキと話したつもりだ。

 ドラゴン基準で出来る限りの笑顔も浮かべたつもりだったが、二人には通じなかったようだ。

 

 

(魔獣も返事はしてくれたし、言葉自体はちゃんと伝わってたよな。なんでだ?)

 

 

 へジンマールは怪訝な顔をしているが、時と場合に相性やらの全てが悪かった。

 前提として人間や魔獣からすれば、ドラゴンとは自身を丸呑みに出来るほどの体格差がある。

 ただでさえドラゴンは恐ろしいのに、近距離で大口を開けられたら誰だってビビるに決まっているのだ。

 

 

(……しまった!? 挨拶と自己紹介が先だったか!!)

 

 

 だが、へジンマールの閃きは見当違いの方向に突き進んでいた。

 予想外の出会いに焦っていた事。

 長年に渡って他者とのコミュニケーションをロクにとっていなかった事。

 それらに加えて、少女と魔獣が初めて出会う種族だったという弊害もあったのだろう。

 

 

「おっ、わ、私はヘジ――」

 

 

 己の致命的な間違いに気付かぬまま、一人称を丁寧にするという詰めの甘い気遣いを付けたし、へジンマールは再び口を大きく開く。

 

 

「っ!? と、止まれってくださいです!?」

 

 

 しかし、同時に体が前のめりになってしまい、怯えた少女によってへジンマール渾身の挨拶は遮られた。

 そして、状況はさらに悪化する。

 

 

「そ、そそ、それ以上近づいたら――危ないことします!!」

 

 

 どう解釈しても不穏過ぎる叫び。

 少女は荒い呼吸を繰り返し、大きく開かれた目は潤みながらも据わっていた。

 

 

「ちょっ、えぇぇ!?」

 

「ネム殿!? ま、待つでござる!!」

 

「やるよ…… っ本当にやるよ!?」

 

「落ち着くでござる!! 某の背中で何かするのは勘弁して欲しいでござるよ!?」

 

 

 軽い錯乱状態だと思われる少女は、背負ったリュックを大急ぎで漁りだす。

 慌てふためく魔獣の制止も聞かず、少女は縋るような表情で何かを引っ張り出した。

 

 

(なんだアレ。棍棒、じゃなくて筒か? 微かに魔法の力を感じる…… マジックアイテム!?)

 

 

 勢いよく取り出されたのは、短い紐の付いた筒状の物体だった。

 そして、少女はその筒をへジンマールに突きつけると、反対側から伸びる紐を片手で強く握りしめた。

 

 

「人に向けたらダメって言われたやつだよ。何が起こるか私もよく知らないけど…… 多分凄い危険です!!」

 

「知らないんでござるか!? 余計に怖いでござる!! ネム殿っ、ほんとにやめるでござる!?」

 

 

 少女は涙目になりながら、へジンマールを精一杯睨んでいる。

 挙げ句の果てに、脅し文句のようなものまで言い始めた。

 

 

(あの魔獣ですら本気で怯えるマジックアイテムだと…… 不味い。これは不味いぞ)

 

 

 筒に繋がった紐は緩く引っ張られており、些細な切っ掛けがあれば今にも何か起こりそうな雰囲気である。

 強力な攻撃魔法。竜にすら効果を発揮する猛毒。解呪不可能な呪い。

 引き起こされる悲劇はいくらでも想像が出来る。

 魔獣の尋常じゃない様子から、この少女の行動はきっとブラフではないのだろう。

 

 

「待って、待って下さい!? 私に争う気は一切ありませんから!!」

 

 

 ――迷っている暇はない。

 そう直感したへジンマールは即座に後退り、敵意がない事を必死でアピールする。

 

 

「……えっ? 食べないの?」

 

「いきなり現れたのはそっちでござろう。油断を誘っているのでござるか?」

 

「誤解です!! 私は人間を襲った事も食べた事もありません!!」

 

 

 怪しまれているがこの際魔獣は無視だ。

 少女の表情に微かな余裕と正気が戻った瞬間、へジンマールは畳み掛けるように頭を下げた。

 

 

「さっきも翼がつって落ちただけなんです!! 今も筋肉痛で飛べないし――そもそも私は弱くて戦えません!!」

 

 

 ――へジンマール、魂の雄叫び。

 ほんの僅かに残っていたかもしれない、竜種としてのプライドは綺麗に捨てさった。

 

 

「……どう思う、ハムスケ?」

 

「流石に怪しいでござるな」

 

「とりあえず話を聞いてください!! 実は――」

 

 

 だが、結果的にこの選択によって、生きる希望と僅かな猶予が生まれる。

 ヘジンマールは困惑している少女と魔獣に――ちょっとだけ都合良く脚色した――事情を説明するのだった。

 

 

 

 

「――と、いう訳なんです」

 

 

 長いようで短い、孤独で悲しい竜の物語。

 相手が話し終えるまでしっかり耳を傾けた後、ネムは握りしめていた『打ち上げ花火』をリュックに仕舞った。

 

 

「勘違いしてごめんね。へジンマールも大変だったんだね」

 

「そんな、急に落ちてきて驚かせたのはこっちですから!!」

 

 

 アゼルリシア山脈から来た霜の竜、へジンマールの話は中々辛いものだった。

 山の中にある城で生まれ、ずっとそこで勉学に励みながら暮らしていたへジンマール。

 他の親兄弟はともかくとして、本人は争いを好まず、本を読みながら平和に過ごしていたらしい。

 ――しかし、一緒に暮らしていた父親の機嫌が、()()()ある日から急に悪くなった。

 その後、へジンマールは些細なことで父親の逆鱗に触れてしまい、住処から追い出されてしまったそうだ。

 

 

「ふむ。血の繋がった親子で争うとは、ドラゴンとは厳しい種族なのでござるな」

 

「いやぁ、本来ドラゴンは集団で生活しないし、血の繋がりとか関係なく縄張り争いするのは当たり前で」

 

「でも急に追い出すなんて酷いよ」

 

「むしろ父上は甘いというか、時間をくれてた方というか、なんというか…… その、あはは……」

 

 

 自分とハムスケが同情しても、へジンマールは牙を見せて苦笑しただけだった。

 怒るでもなく、悲しむでもない。ただ仕方がなかった事だと認識しているようだ。

 父親に対する愚痴すら言わないなんて、ヘジンマールは本当に優しいドラゴンなのだろう。

 

 

「へジンマールはこれからどうするの?」

 

「どうしましょう。安全で静かに暮らせる所があれば良いんですけど……」

 

 

 一瞬モモンガを紹介しようかとも思ったけど、ナザリックは秘密にしなきゃいけない集団だ。自分が勝手にへジンマールに教える事は出来ない。

 もし良い案が纏まらなかったら、今度こっそりモモンガに相談するだけにしておこう。

 

 

「出来れば本とかも読みたいなぁ。ついでにご飯も楽に手に入る場所とか知りませんか?」

 

「ないと思う」

 

「弱いと言ってもドラゴンでござろう? へジンマール殿なら、この森でも問題なく生きていけると思うでござるが…… はっ!? この気配は――」

 

 

 へジンマールの今後をみんなで話し合っていると、急にハムスケが振り返った。

 それに釣られて自分も後ろを確認したが、ハムスケの視線の先に特に変わった様子はない。

 雑多な草木が生い茂っているだけの、森林内によくある光景だ。

 

 

「どうしたの? 何もないよ?」

 

「いや、すぐに分かるでござるよ」

 

「確かに、もの凄い宝の気配が近づいて来てるような……」

 

 

 しかし、ハムスケだけでなくへジンマールも何かを感じ取ったらしい。

 再度自分も集中してみるが、気配なんてものはさっぱり分からない。でも念のため一緒になって身構えておく。

 そのまま全員でその場所を見つめ続けていると――草木が捻じ曲がって左右に分かれた。

 

 

「ヒィッ!?」

 

「あー、やっぱりでござるか……」

 

 

 無理やり草木をかき分けたのではなく、草木の方がその存在を避けて動いた。

 そんな不思議な光景と共に現れたのは、大きな黒い狼――神獣のフェンリル。

 植物が動く光景に驚いたのか、それとも出てきた存在を恐れたのか。へジンマールは短い悲鳴をあげて震えている。

 ハムスケは苦手な知人に会った時のような、何とも言えない感情を吐き出していた。

 

 

「あれ? ネムとハムスケじゃん。こんなとこで何してんの?」

 

 

 そして、そのフェンリルに当然の如く跨っているのは、自分と似たような背丈の飼い主。

 特徴的なオッドアイの瞳を持つ闇妖精(ダークエルフ)、モモンガの部下の一人であるアウラだった。

 

 

「暇だったから散歩してたの。アウラお姉ちゃんは?」

 

「あたしは巡回のお仕事だよ。この森には資材置き場とかもあるし、定期的に異常がないか確認しないとね」

 

 

 アウラはそう言いながら手で輪っかを作ると、そこからヘジンマールを覗き込んだ。

 何に納得したのかは分からないが、同時にへジンマールに対する警戒心も消えたように見える。

 気が抜けた様子のアウラは無造作にフェンリルから飛び降りると、危なげなく私の隣に着地した。

 

 

「ところでそのドラゴン、ネムのペット?」

 

「その通りです!!」

 

「違うよ?」

 

「間違えました!! 私はネム様の下僕でございます!!」

 

「もっと違うよ?」

 

「アレに所属する超越者の方々を前にした時の感覚…… へジンマール殿の気持ちは、某にもよくわかるでござるよ……」

 

 

 流石はナザリックの階層守護者。野生のドラゴンが相手でも全く気負いがない。

 でもそんなアウラとは対照的に、へジンマールは緊張と怯えでガチガチだ。

 頭も回っていないのか、ものすごい勢いで間違った返事を返している。

 

 

「冗談です!! 本当は友達です!! そうですよねっ、ネムさん!?」

 

「うん。へジンマールは友達だよ」

 

 

 ドラゴンの表情は読み取りにくいけど、今のへジンマールは非常に分かりやすい。

 きっとこの目が伝えているのは『懇願』だろう。

 なんでそんなに必死なのかは分からないけど、私は空気を読んでみた。

 

 

「ふーん。弱いけどドラゴンだし、良い皮が取れそうだから持って帰ろうかなって思ってたんだけど…… ネムの友達ならしょうがないか」

 

「か、皮!? で、でも、つまりは見逃していただけるん、ですよね?」

 

「ちょっと勿体無いけどね」

 

 

 実は危機一髪だったみたい。

 アウラの感覚的には、人間が鹿などを獲るのと同じようなものなのだろうか。

 ドラゴンであるへジンマールですら、狩猟の獲物認定されていたようだ。

 

 

「た、助かったぁ。本当にありがとうございます!!」

 

「うんうん、力の差が理解出来るのは賢い証拠だね。面倒がなくてこっちは助かるよ。でもさ、姿というか性格というか…… アンタ本当にドラゴンなの?」

 

 

 やっぱりナザリックに所属しているのは、色々と凄い方達ばかりだ。

 アウラは異形種ではないけれど、異形種の集団の一員なだけあってスケールが違う。

 

 

「あ、はい。他の兄弟より争いを避けてきた自覚はありますが、間違いなく自分を産んだ親は霜の竜です」

 

「へぇ、育ち方でこんな差が出るんだ。経験値の量が違うのかな? まっ、いいか。うん――」

 

 

 助かったと安堵するへジンマールに、悪意のない表情でニッコリと笑いかけたアウラ。

 

 

「――()()()()()()()()()()()()、見逃しといてあげるよ」

 

 

 その後、へジンマールは安住の地を求めて、遠い遠い土地へ旅立っていったそうだ。

 

 

 

 

「――ってことがあって、すっごいビックリしたよ」

 

「うわぁ。アウラからも報告は聞いてたけど、よく無事だったな。でも花火でドラゴンを脅すとか、そっちの方に驚きなんだが…… ネムはブラフの天才か?」

 

「え? ブラフってなんのこと?」

 

 

 森でドラゴンに出会った話をモモンガにすると、別の意味で驚かれてしまった。

 ちなみに花火を使っても精々火傷を負わせられる程度で、間違いなくドラゴンは倒せないと教えられた。

 自分は本当に綱渡りの状態だったようだ。あんなことをすれば普通は火に油を注ぐだけだから、次からは冷静に対処出来るように気を付けないといけない。

 まぁドラゴンと遭遇するような事態はもう二度と起きないと思うけど。

 

 

「いや、何でもないよ。そのアイテムは天気の良い夜に使えばきっと綺麗に見えるぞ。あとは大きな音が鳴るから、周りの人にはあらかじめ説明しといた方がいいかもな」

 

「うん、わかった!! せっかくだしモモンガも一緒に見ようね。今日の夜とかはどう?」

 

「一緒に…… っあぁ、そうだな。私も今日の夜は空いている」

 

 

 どんな道具もちゃんと使うのが一番だ。

 今まで中々使う踏ん切りがつかなかったから、これを機に使ってしまおう。

 それで花火をくれたお店の人に、いつかまた会えたら感想を伝えよう。

 

 

「楽しみだなぁ。早く夜にならないかな。でも、もし雨が降ったらどうしよう?」

 

「その時は天気くらい、魔法でちょいと変えればいいさ」

 

「やっぱりモモンガは凄いね。うん、モモンガならそう言うと思ってた!!」

 

 

 家族や村のみんなも、きっと花火を見た事がないから驚くだろう。

 花火って、どんな音が鳴るんだろうか。

 夜空に咲く花って、どんな匂いがするんだろうか。

 

 

「……なぁ、ネム。実は、私も花火を沢山持っているんだ。だから…… それも一緒に使ってもいいか?」

 

「モモンガも持ってるの? じゃあみんなでいっぱい見れるね!!」

 

「……ああ、是非とも一緒に見て欲しい。――ふふっ、はははっ!! うん、任せてくれ。何発でも、何十発でも、何百発でも派手に打ち上げてやろうじゃないか!!」

 

「あはは、それはやり過ぎだよー」

 

 

 モモンガは見た事があるみたいだけど、花火をやると決まってとても嬉しそうだ。

 どれくらい長く咲く花なんだろうか。

 空のどの辺に咲くのだろうか。

 光の花には触れるのだろうか。

 種はあるのか、大きさは、色は、形は――本当に楽しみだ。

 

 

「一緒に花火を見よう、か。 ……俺に機会をくれて、本当にありがとう、ネム」

 

 

 

 

おまけ〜少女の特訓〜

 

 

 報酬と称した実験――もとい強くなるための修行で、ハムスケがフェンリルを筆頭に数々の魔獣に追い回されている時。

 

 

「……説明は以上。あとは練習あるのみ」

 

「はいっ」

 

 

 相棒であるネムはというと、毎回遊んで過ごしていた訳ではない。

 同じくナザリックにある闘技場で、ネムは的にむかって一心不乱にパチンコを撃ち続けていた。

 

 

「……ネムが使っているのはマジックアイテムのパチンコ。必要以上に強く引き絞っても威力や飛距離は変わらない。……だから必要最小限の動作で撃てばいい」

 

「こうですか?」

 

「……そんな感じ。それを連続で行う」

 

 

 そして指導にあたっているのは戦闘メイドの一人、シズ・デルタ。

 ユリ・アルファを長女とする『プレアデス』の姉妹の中では――エントマとどちらが姉かを日々争っているため――五番目か六番目の妹である。

 『ガンナー』や『スナイパー』などの職業(クラス)を保有しており、遠距離武器の扱いに長けた狙撃手である。

 

 

「……うん、上手。でも弾を手に持つ時、標的から目を離してはダメ。……標的を視界に捉えたままリロード、弾の補充を出来るようにならないといけない」

 

「はいっ!! 頑張ります!!」

 

「……えらい」

 

 

 無表情で淡々とした物言いだが、ここにシズの姉や親しい者がいれば、彼女の機嫌の良さに気が付いただろう。

 指導のためというのもあるが、今のシズは普段よりも何割か増しで饒舌だ。

 それにネムと接する際にどことなくお姉さんぶっており、本人の発する雰囲気も随分と柔らかい。

 

 

「弾を見ないで構えて、そこからすぐに狙うの難しいなぁ」

 

「……精密射撃も大切だけど、牽制のための早撃ちも必要。相手を近寄らせないために、多少外してもいいからとにかく数を撃つべき。……大丈夫、ネムなら出来る」

 

 

 理由として挙げられるのは、ナザリックにおけるシモベの共通認識――ネムが御方の友人であり恩人であるという事。

 他にもシズがモコモコした物や可愛い物が好きで、ネムがストライクゾーンに入っている事。

 そしてなによりも、ネムから「シズお姉ちゃん」と呼ばれた事が大きかった。

 

 

「……長距離狙撃の場合は狙撃位置も重要。狙いやすいのは標的と水平の場所。でも索敵も兼ねるなら相手より高度を取る方がいい。……逆に標的より低い位置からは弾道の関係で難しい」

 

「じゃあ低い所から高い所を狙うより、高い所から低い所を狙った方がいいんですか?」

 

「……断言は出来ない。遮蔽物や天候、使用する武器、周囲や相手の状況による。……それにこの世界の物理法則は不可思議。落下による加速度が無限に上がっていく可能性、空気抵抗の存在等、証明や計算が出来ていない事象も多い」

 

「……つまりどういうこと?」

 

「……ネムのパチンコで狙える範囲なら、何も気にせず撃てばいい」

 

「わかりました!!」

 

「……うん。頑張って」

 

 

 そんなこんなで二人は終始真面目に、和やかに訓練を続けたのであった。

 

 

 

 

「ただいまー!!」

 

「お帰りなさい、ネム。今日もモモンガさんの所で遊んできたの?」

 

「もぉ違うよー。今日はちゃんと特訓してきたもん」

 

「そうだぞエンリ。ネムも冒険者なんだから、特訓くらいするさ」

 

「ふふ、そうだったね。あれ、襟のところ何か光ってない?」

 

「これ? これはシズお姉ちゃんにね――」

 

 

 家に帰ったネムの服には、真新しい『1円シール』がきらりと輝いていたとか。

 

 

 




モモンガがいなかったら、流石のネムでも異種族交流は苦労するというお話でした。
ネムの幸運も凄いけど、へジンマールの地雷回避能力も大概凄い。
ちなみに花火はネムだけでなく、村人やナザリックの仲間達(不可視化した状態)と共に鑑賞し、モモンガにとってとても嬉しい思い出となりましたとさ。




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交渉人ネム

前回のあらすじ

「動いたら撃つぞー」
「この子供、強いのでは!?」
「色々と危機一髪でござった」
「一緒に花火をしてくれてありがとう」
「……ネム、特訓頑張った。可愛いからシールをあげる」

今回はナザリック内でのお話です。


 目に映る全てが非日常。

 触れる全てが豪華絢爛。

 出会う全てが人ならざる者。

 感動する気持ちは未だ薄れずとも、今では慣れ親しんだ友達の家――ナザリック地下大墳墓。

 どこを見てもお墓とは思えない、夢のような凄い場所だ。

 まぁ全部で十層もあるらしい階層の内、自分はまだ半分くらいしか見た事はないけれど。

 

 

(あれもこれも全部ピカピカしてる。やっぱりどの部屋も凄く綺麗だなぁ……)

 

 

 割と色々な用事でナザリックに来ているネムだが、今回は『ネムの部屋』の企画ではない。

 冒険者としての訓練に来たという訳でもない。

 実はモモンガからではなく、その部下であるデミウルゴス経由で呼ばれたのだ。

 

 

「本日は私達一般メイドのためにお越し頂き、誠にありがとうございます」

 

「全然気にしないでください。それで、相談ってなんですか?」

 

 

 そして第九階層にある応接室で、何故かメイドから相談を受ける事になっていた。

 本当になんでだろう。

 

 

「御方のご友人であるネム様に、このようなお願いをするのは非常に心苦しいのですが……」

 

「実は私達一般メイドは、モモンガ様に労働条件の変更をお願いしようと思っているのです」

 

「ですが、何の考えもなくモモンガ様にお伝えする訳にもいかず、途方に暮れていたのです」

 

 

 対面に座って真剣な表情で口を開いたのは、右から順にシクスス、リュミエール、フォアイルという名前の一般メイド達。

 お揃いのメイド服を着ており、タイプは違うが三人とも凄い美人だ。

 でも、もう美人くらいで驚く事はない。

 だってここナザリックで、美人じゃないメイドを見た事がないから。

 

 

「そこで、是非ともネム様にご意見を頂ければと」

 

「私に?」

 

「はい。ネム様の天才的な閃きは、あのデミウルゴス様をも唸らせたと聞いております」

 

「智謀の王であらせられるモモンガ様も、ネム様の可能性を絶賛されたとか」

 

 

 メイドから聞かされたあまりの高評価に、もしや人違いではないかと思った。

 自分はモモンガやデミウルゴスと違い、知識も知恵も持っていない。

 当然、そんな風に褒められる心当たりもない。

 相談相手が本当に自分で合っているのか、ちょっと疑問に思ってしまう。

 

 

「どうかお願いします。モモンガ様からお許しを頂けるよう、ネム様の知恵をお貸しください!!」

 

 

 だけど、メイド達は本気で悩んでいるみたいだ。

 きっと異形種の集団であるナザリックだと、人間の意見も偶には聞きたくなるのだろう。

 少し迷った末に、ネムはそう結論づける事にした。

 

 

(何を変えてもらいたいんだろう? ナザリックでお仕事してる方達って、みんな嬉しそうに見えたんだけどなぁ)

 

 

 それにしても、労働条件の変更とはどういうことだろうか。

 あの仲間思いで優しいモモンガが、部下に酷い条件で無理やり働かせているとは到底思えない。

 メイドが実際に働いている様子も見た事があるけれど、みんな笑顔で生き生きしていたように思う。

 モモンガから直接指示を出された人なんかは、特にそれが顕著だったはずだ。

 

 

「そんなに大変なんですか?」

 

「それは……」

 

 

 ちょっとした確認のつもりで軽く質問しただけなのに、シクススの表情が悲痛に染まってしまった。

 同じようにリュミエールとフォアイルも、苦しげな表情で顔を見合わせている。

 

 

「私達の考えが不敬であるのは百も承知しております。御方の決定に異を唱えるなど、本来あってはならないことだと」

 

「メイド一同、御方のご命令ならどのような内容であれ、命を懸けて全うする覚悟は当然あります。ですがモモンガ様は……」

 

 

 一度深く息を吸ってゆっくりと吐いた後、神妙な表情を作って語り始めるメイド達。

 ――聞いてはいけない質問をしてしまったのかも。

 何か恐ろしいことを聞かされる気がして、ネムはゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 

「休みを取るようにと仰るのです!!」

 

 

 聞き間違いだろうか。

 メイドの表情とセリフが合ってない。

 

 

「……お休み?」

 

「はい。四十一日の内、最低一日は休めと厳命されてしまったのです!!」

 

「他にもっ、れ、連休なんて恐ろしいものまで提案されてしまい……」

 

「二十四時間でも辛いのに、それ以上の時間を御方のために働けないなんて。私達には耐えられません!!」

 

 

 これは困った。

 自分にはメイドの気持ちが全く理解出来ない。

 生きていくために毎日働かないといけないのは当たり前だけど、それでも自分は休めるなら休みたいと思う。むしろ遊びたい。

 休むのが嫌だなんて、ちょっとビックリだ。

 

 

(みんな優秀だけど放っておくと心配だって、こういう意味だったのかな)

 

 

 前に愚痴っていたモモンガの気持ちが、今ならよく分かる気がする。

 モモンガはちゃんと休ませたい。

 メイドはもっと働きたい。

 互いを思い合った主人と部下なのに、意見が真っ向からぶつかっている。

 

 

「その上モモンガ様は、使用していない部屋の掃除の頻度を減らせとも。このままでは日々の仕事量すら少なくなってしまいそうで……」

 

「せめて休みを百年に一度、四十一年に一度くらいならば…… 出来ることなら、休日は完全になくして頂きたいくらいなのです」

 

 

 モモンガはこの上なく普通な提案をしていると思う。

 だけどメイドの熱意が凄い。仕事したい欲が凄すぎる。

 このメイド達も実は人間じゃないそうだが、これがナザリックでは当たり前の感覚なのかもしれない。

 

 

「えっと、皆さんはお休みの日にしたい事とかないんですか?」

 

「ないですね」

 

 

 真顔で即答された。

 なんて真っ直ぐで曇りのない瞳だろう。

 ここまで言い切れるのは正直凄いとも思う。

 

 

「二人もそうよね?」

 

「ええ。休日なんてあっても特にする事はありません。ナザリックのシモベ全員が同意するでしょう」

 

「御方のために働く事が私達の生き甲斐ですから。それに――お休みを頂いても、何をしていいか分からないし……」

 

 

 きっとモモンガとメイド達の間には、何かすれ違いがあるのだろう。

 それとメイドの返答で一つ気になったこともある。

 助言という程のものでもないけど、とにかく自分の考えはまとまった。

 

 

「じゃあ、こういう時はやっぱりアレです!!」

 

「アレ、ですか?」

 

 

 想像もつかないのか、頭上にハテナを浮かべて首を傾げるメイド達。

 自分の思いついた内容は、とっても簡単で非常にシンプルなもの。

 そもそもお願いをしたい相手は、話の分かる優しい支配者モモンガだ。

 だから私の提案する、メイド達がやるべき事は――

 

 

 

 

 ナザリックの第九階層には、凡人の感覚からすると広過ぎるとしか言えない執務室が存在する。

 特筆すべきは広さだけでなく、その中身もだ。

 内装は高級感に溢れ、調度品の一つ一つに至るまで厳選された物が使用されている。

 その上部屋のどこを見ても塵一つなく、細かな所まで清掃が行き届いている。

 

 

「ふむ。なるほど」

 

 

 そんな絶妙に落ち着かない空間の主、死の支配者(オーバーロード)は意味深な独り言を呟いていた。

 

 

(流石はデミウルゴスの書類…… さっぱり分からん)

 

 

 もちろん、この独り言に意味などない。

 日々理想の支配者を目指すモモンガは、空いた時間に執務室で自分専用の椅子に座り、書類と睨めっこをするのが日課なのだ。

 

 

(はぁ、文句言っても変わらないんだけどな。えーと、王国の第三王女に首輪を付け、国全体の生産力向上を確認。これまでの作戦により皇帝の思考誘導に成功。帝国は立て直しを優先し、軍事行動を見送る方針を固める。現時点での人的資源、資源埋蔵量――)

 

 

 自身の斜め後ろに立ったまま微動だにしない、部屋付きのメイドから感じる熱い視線。

 こちらの一挙手一投足も見逃すまいとする気合の入りよう――もはや監視だ。

 おかげで読めない漢字や意味の分からない専門用語があっても、気軽に辞書を引く事すら出来ない。

 

 

(――よって両国からは約二十年間、一年毎に安定した資源の収奪が見込める、と…… え、どゆこと?)

 

 

 とにかく不審に思われないように演技をしているため、一枚一枚にかけられる時間も非常に短いのだ。極々平凡な自分の頭では、とてもではないが理解が追いつかない。

 せめて最初から少し時間をかけるようにしておけばと思っても後の祭りだ。

 

 

(っいかんいかん、次だ次。諦めるな、俺!! ……魔将という共通の敵を用意し、聖王女に人間種と亜人種の共存思想を植え付ける事に成功。資産家の貴族と商人から財を奪取し、南北の派閥の均衡を破壊――)

 

 

 つまり何が言いたいかというと、モモンガは大事な書類を流し読みせざるを得なかった。

 なんなら文章を読んだというより、紙に文字が並んでいるのを眺めているだけ。

 目が滑っているどころの話ではなかった。

 

 

(――にて特殊工作員の潜入を確認。また、聖王国で内乱の兆しあり。異形種動物園(仮)を作り上げ――んん? これ何の報告書だっけ?)

 

 

 内容など三割も頭に入っていない自信がある。

 流石に致命的なミスは犯してないと信じたいが、既に一昨日処理した内容は記憶の彼方だ。

 

 

「……どれも順調のようだな」

 

 

 モモンガは吐き出したい溜息の代わりに、虚しい強がりを漏らす。

 日々積み重ねられていく山のような書類を前に、記憶力なら多少自信のあったモモンガもお手上げである。

 平凡な営業職だった元サラリーマンに、会社の幹部クラスの仕事がいきなり出来る訳がないのだ。

 

 

(色々見て一つだけ分かった。デミウルゴス、めちゃくちゃ暗躍してる)

 

 

 難解な報告書と企画書の読解。

 自分を見守るメイドへの支配者アピール。

 肉体的には疲労しないアンデッドだが、二つの苦行を同時にこなす事で、モモンガの精神は少しずつ削られていくのだった。

 

 

(――ん? また書類の追加か?)

 

 

 その後も諦めずに書類と格闘を続けていると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。

 すると、部屋付きのメイドは待ってましたとばかりに、意気揚々と自らの仕事に取り掛かる。

 

 

「モモンガ様。メイドとネム様が面会を求めております。労働体制の件についてご相談があるとのことです」

 

 

 部屋に誰かが訪ねて来るたびに、まずはメイドが確認して、それから自分に許可を求める。

 モモンガからすれば意味のない、正直二度手間としか思えないやり取りだ。

 

 

(俺が直接返事をした方が早いのに…… こういうのが上に立つ者の威厳に繋がるのか? 偉い人の感覚は分からんな。……誰か本気で俺に帝王学とか教えてくれないかなぁ)

 

 

 しかし、メイド達はこの行為を非常に好んでいるようなので、何も言わず彼女達の好きにさせている。

 だが、日頃からそんな風に思っていたせいだろう。

 

 

「通せ」

 

 

 モモンガは深く考える事もなく、反射的に入室許可を出してしまっていた。

 ちなみに、この如何にも支配者らしい傲慢な返事も、メイド達からは大変好評である。

 聞くところによると、支配されている感があって最高らしい。

 

 

(全部が全部似るって訳でもないだろうけど…… うん。これ以上考えるのはやめとこう)

 

 

 ――彼女達の創造主は、少しMっ気でもあったのだろうか。

 モモンガは軽く頭を振って嫌な想像を振り払うと、少しでも威厳が出るように座る姿勢を調節し、訪問者が現れるのを待った。

 

 

「モモンガ様。この度は私達一般メイドに拝謁の機会を与えて頂き、ありがとうございます」

 

「よい。顔をあげよ。お前達が何を考えているのか、率直に聞かせてくれ」

 

 

 並んでお辞儀をする三人のメイドからは、普段接している時とは違う緊張が感じられる。

 一般メイドは四十一人もいるので名前を覚えるのに苦労したが、努力の甲斐あって今では全員の顔と名前が一致しているのだ。

 ――部下の名前を覚えられない上司は嫌われる。

 ハウツー本にも書かれていた内容だが、鈴木悟の社会人経験から考えても必要な事だった。

 

 

(……短髪がフォアイル、眼鏡ロングがリュミエール。もう一人はシクスス、だったよな)

 

 

 この三人は一体どういう人選なのか、モモンガは声を出さずに軽く頭を捻る。

 リボンの色からして創造主もバラバラのはずだが、たまたま手の空いている三人が来たという認識でいいのだろうか。

 

 

「貴重なお時間を割いて頂き、その上でこのようなことを申し上げる無礼を先にお詫びいたします。――っ私達は、現在の業務について、モモンガ様にお願いがございます!!」

 

「丸一日の休日を廃止して頂けないでしょうか!!」

 

「日々の仕事量も減らさないで欲しいのです。私達を、もっと御方のために働かせてください!!」

 

 

 決死の表情で言葉を紡ぐメイド達。

 あらかじめ打ち合わせでもしていたのか、三人は言葉を詰まらせる事もなく、テンポ良く順番に意見を伝えてくる。

 自分に意見する――悪く言えば命令を拒否する三人の姿に、モモンガは良い意味で驚いた。

 

 

(おおっ。内容はアレだけど、これはNPCにとって大きな進歩、成長じゃないか?)

 

 

 もし部屋に来たのが彼女達だけならば、ナザリックにもついに労働組合が出来たのかと、ホワイト企業化が進んだ事をもっと素直に喜んだだろう。

 NPC達の自主性が発揮された事――嘆願内容は理想の真逆だが――にも心から称賛しただろう。

 

 

「お前達の気持ちは理解した。それで……」

 

 

 メイド達の言葉をしっかりと受け止めた後、モモンガは彼女達から視線を少しだけ下にずらす。

 

 

「お仕事中に邪魔してごめんね。モモンガ」

 

「いや、丁度休憩するつもりだったから気にしないでくれ」

 

 

 そこには、興味深そうに執務室を見回しているネムがいた。

 メイドが命懸けの嘆願に来る。そんなことで命を懸けて欲しくはないが、NPCなのでそれはまだ理解出来る。

 

 

「……ところで、何故ネムも?」

 

 

 だが、ネムがいる理由は皆目見当もつかなかった。

 そもそもネムはナザリックの位置を知らないし、仮に知っていても気軽に入れるような場所でも構造でもない。

 つまり仲間の誰か――おそらく指輪を所持しているデミウルゴス――が連れて来たのだろう。

 

 

「メイドさんからお仕事のことで相談されたの。だから話し合いのお手伝いをしようと思って」

 

「な、なるほど」

 

 

 両手を腰に当てて堂々と胸を張るネムを見て、モモンガは困惑した。

 ここに至るまでの流れを、正直まるで察する事が出来ない。

 しかし、ネムを交渉人として全面に押し出すとは、仕向けた奴は中々の策士に違いない。

 メイドがそんなことを考えるとは思えないので、諸々の黒幕もきっとデミウルゴスだろう。

 

 

「ねぇ、モモンガ。モモンガはメイドさんに休んで欲しいんだよね?」

 

「その通りだ。今のままではあまりにも休みが少ないからな」

 

「でもメイドさんはお休みにする事とか、やりたい事がないんだって」

 

「……そうなのか?」

 

 

 唐突に始まったネムの交渉――というより、教えてもらった事実をそのまま告げているような感じがした。

 モモンガがメイドの方に顔を向けると、その表情からは肯定の意思が見てとれる。

 

 

「他の者が御身のために働いている時に、無為に過ごす事は非常に耐え難く…… 上手く休むという事が出来ませんでした」

 

「御身にお仕えする事が私達の存在意義です。休みを過ごせと申されましても、それ以外のことには疎くて何も思い付かず…… 私も自室で二十四時間ただ待機していました」

 

「休日を用意されたのは、何か御身の深き御考えがあってのことだとは理解しております。ですが、私も何をするべきかまでは分からず……」

 

 

 普段はメイドとして完璧な立ち振る舞いを見せる彼女達が、スカートの裾を握りしめている。

 それに加え、思い思いの言葉で伝えられた気持ちには、どれも共通する点があった。

 

 

「モモンガ様のご期待に添えず、誠に申し訳ありません!!」

 

 

 三人の謝罪の言葉が自身の耳に強く残る。

 創造主より与えられた役割が、NPCにとって何よりも誇りに思っている事は知っていた。

 仕事を奪い休みを与える事が、メイド達から不評である事も分かってはいたのだ。

 

 ――何をしたらいいか分からない。

 

 だが、メイド達の抱える心の底からの本音を、モモンガは今初めて理解出来た気がした。

 

 

「そうか。そうだったのか……」

 

「っ!!」

 

 

 モモンガはゆっくりと立ち上がり、口をキツく結んで俯いたままの三人に近づいていく。

 自分が目の前に立ったことで、メイド達は親に叱られそうになる子供のように体を硬くした。

 そして、モモンガはそんなメイド達の頭に手を伸ばし――

 

 

「すまなかったな」

 

 

 ――そっと撫でるように優しく触れた。

 

 

「私はナザリックに住まう皆を、お前達のことを家族のように思っている。……子供のような存在であるお前達には、仕事以外の時間も持って欲しかったんだ」

 

 

 モモンガの脳裏に浮かんだのは、メイド達の創造主の一人であり、仕事に忙殺されていたギルドメンバーのヘロヘロ。

 モモンガは嘘偽りのない本音を告げながら、今だけは支配者としてではなく、親代わりのつもりで順番に彼女達の頭を撫でていった。

 

 

「しかし、与えるべきは中身の無い休息ではなかった。休みを有意義に使うための知識を、楽しいと思える喜びを先に教えるべきだった」

 

 

 気付いてみればひどく簡単なことだった。

 休みを与えて丸投げする事は、NPCにとっては灯りも持たず暗闇に放り出されるようなものだ。

 

 

「……体を休めるだけの休日なんて、つまらないよな」

 

 

 彼らはもうギルドの付属品ではなく、意思のある生きた存在。

 ――されど、与えられた設定(生き方)以外を知らない。

 生まれたての子供のような存在なのだから。

 

 

「だったらメイドさんも一緒にモモンガと遊べばいいと思うよ。今からでも!!」

 

 

 メイドはモモンガの言葉に感極まって目尻が光っていたり、頭を撫でられた衝撃で赤面して口をパクパクさせている。

 そんなシモベ達の過剰な反応にはもう慣れたのか、ネムはメイドの反応を気にすることなく、目をキラキラと輝かせながら提案してきた。

 

 

「楽しかったらきっとまた休みたくなるよ。お仕事もしたいならその分後でいっぱいしたらいいんだよ!!」

 

「遊びと仕事の両立、か」

 

 

 ネムの願望が若干入っている気がしなくもないが、なんて真っ当な意見だろうか。

 しかし、忠誠心の塊であるナザリックのシモベ達が、そう簡単に休みを選んでまで遊ぶとは思えない。

 

 

「うん。両方の意見のいいとこ取り」

 

「……私の意見はどの辺だ?」

 

「メイドさんを遊びに誘うところ。ちょっと強引だけど、一回くらいは支配者だしいいよね?」

 

「なる、ほど…… ん? 俺遊びに誘いたいって言ったっけ? いや、自主的に休むという目的を考えればあながち間違いでもない、のか?」

 

 

 思えないのだが、ネムの自信満々の態度を前に、何故か反論が出てこなかった。

 それどころか段々とネムの案に乗っても良いんじゃないかと思えなくもない気がしてきた。

 

 

「ゴホンッ。悪くない提案だが、それでは問題の解決にはならないな」

 

「えー、なんで?」

 

 

 なんて巧みな交渉術――モモンガが友達という存在に甘いだけ――だと思いながらも、モモンガはなんとかネムの雰囲気に流されずに踏みとどまる。

 いくら友人の提案でも、公私混同でナザリックに関わる事を決める訳にはいかない。

 

 

「仮に一度は私の誘いで遊んだとしても、結局仕事だけを続ける者もいるんじゃないか?」

 

「遊ぶよりお仕事の方が好きなら、それはそれでいいんじゃないの?」

 

 

 ――仕事が生き甲斐で何が駄目なの?

 だが、自分の反論はネムに一刀両断された。

 それはモモンガの今の価値観を打ち壊す考え方だった。

 

 

「モモンガもメイドさんがお仕事すること自体は反対じゃないでしょ」

 

「それは、そうだが……」

 

 

 メイド達の無言の応援を背中に浴びながら、ネムは自然体でモモンガにたたみかけてくる。

 ナザリックの存在に言われても決して納得は出来なかっただろうが、外部の存在であるネムに言われたのは衝撃だった。

 

 

(確かに、ホワイトブリムさんのように好きな事を仕事にしている人もいる。忙しくても、警察官という仕事に誇りを持っていた、たっちさんだって……)

 

 

 ゲームが現実となったこの世界で、ナザリック内で相談できる相手のいなかった自分の思考は、どこか凝り固まっていたのかもしれない。

 

 

「モモンガはみんなに好きな事をして欲しいんだよね?」

 

「……ネムの言う通りだ。ははは、まったく、ぐうの音も出ない――私の負けだな」

 

 

 年中無休のナザリックの現状を知った時、無意識に鈴木悟の心はそれを良くないものだと断定していた。

 休みがない事を勝手に不幸だと決めつけ、形だけの休日を押し付けた。

 

 

(馬鹿だなぁ俺。なんで最初に考えなかったんだろう。休めって命令を出す前に、もっと話し合えば良かった……)

 

 

 いや、もしかしたら自分が嫌だっただけかもしれない。

 ナザリックのために働き続ける彼らを見る事が――誰も自分と同じ気持ちを共有してくれない事が。

 

 

(支配者らしくある事と、俺の理想を押し付ける事は別だよな。……有給取る日を勝手に決めてくるクソ上司じゃあるまいし)

 

 

 しかし、無理に自分の知るホワイト企業を真似する必要はなかったのだ。

 みんなが幸せになれる、ナザリック流のホワイトな環境作りを目指せばいい。

 

 

(自分の思う幸せと、彼らの望む幸せが違っても良かったんだ……)

 

 

 働きたいだけ働かせて、それ以外の楽しみは自分が新たに教えればいい。

 自分はきっかけを、彼らに知る機会を用意する。それくらいのお節介は許されるだろう。

 

 

(ただ少しだけ、NPCにも俺の思う楽しさを知ってほしいと願うくらいの我が儘は、言ってもいいですよね。皆さん……)

 

 

 それでもナザリックに奉仕する生き方を望むなら、そこから先は自分が強制する必要もない。

 

 

「よし!! お前達、休日の件は一度白紙に戻そう。後日改めて協議すると約束しよう」

 

「あ、ありがとうございます!!」

 

「その代わりと言ってはなんだが、すまないが今は私の休憩に付き合ってくれ。早速だが、一緒に遊ぶとしようじゃ――」

 

 

 一番重要なのは、彼ら自身が幸せに感じるかどうかなのだから――

 

 

「っ話は聞かせてもらいましたぁぁあ!!」

 

 

 新たな一歩を踏み出すモモンガの宣言と、メイド達の歓喜の声をかき消すように飛び出してきたのは、一つの人影。

 モモンガは即座に察した。至高の御方であり、唯一絶対の支配者であるモモンガの言葉を遮る者など、ナザリックではそうはいない。

 

 

「……さぁ刻は満ちた。今こそナザリックの歴史が動く瞬間!! この場に皆様方が集ったのはまさに運命!!」

 

 

 片方だけ袖を通した黄色い軍服。

 頭から爪の先まで演技が染みついた動き。

 埴輪顔の丸い口から溢れ出る厨二ワード。

 未だ心の折り合いつかぬ自らの過去を前にして、モモンガは目を離せない。

 というか、周りのメイドやネムの反応が怖くて見れない。

 

 

「ならば、私の力を振るうに相応しい…… ですよね?」

 

 

 彼こそナザリックの全NPCの中で、誰よりも自分の子供であると言えなくもない存在。

 

 

「私の創造主、モモンガっ様!!」

 

「うわぁ」

 

 

 ――パンドラズ・アクター。

 避けては通れぬ息子の奇行に、モモンガのやる気はグッと下がった。

 

 

 

 

「ぅおぉ、まさに感無量。『話は聞かせてもらった』――このセリフ、一度言ってみたかったのですが、中々良いものですね!!」

 

 

 ポーズをキメながら踵を打ち鳴らし、派手に登場した乱入者に困惑するネムとメイド達。

 同じナザリックに属する者だと気配で察しているようだが、メイドの「誰だコイツ」的な視線は冷え切っていた。

 自らの頭に触れ、モモンガの手の感触を名残惜しげにしているメイドに至っては、視線に殺気すら混ざっている。

 

 

「あれ? なんか見たことあるような、どこかで会ったような…… 気のせい?」

 

 

 何も知らないネムだけが、首を傾げつつも純粋な好奇心でパンドラズ・アクターを見つめていた。

 初めて見る異形の者に対しても、その目に不安や恐怖といった感情はほとんど浮かんでいない。

 これまで数々の異形種と出会っているだけあって、素晴らしい順応能力である。

 

 

「お前ちょっっっと、こっち来い」

 

「あーれー」

 

 

 そんな彼女達を置き去りにし、モモンガは流れるような動きでパンドラズ・アクターを壁に追いやった。

 いわゆる『壁ドン』――魔法職とは思えない、実に見事な体捌きである。

 コキュートスとの訓練の成果がこんなところで活かされるのは、モモンガとしても非常に不本意であったが。

 

 

「――で、何しに来たんだ?」

 

 

 モモンガは周りに聞かれないように、少し離れた壁際で声を潜めてパンドラズ・アクターを問い詰める。

 

 

「oh、この超近い距離感。やはり私はモモンガ様にとって特別なのでございますね。なにせ私はモモンガ様がお造りになられた唯一のMU・SU・KO。……仕方ありません。皆様からの嫉妬は甘んじて――」

 

「はよ言え。というか、いつから居たんだ?」

 

 

 空気が読めるのか読めないのか、一応パンドラズ・アクターも声量は抑えてくれている。

 身振り手振りのうるささに関しては、言うまでもないが。

 

 

「ネム様がお越しになられた時点からです。もしや私のsecret missionの出番かと思い、ずっと不可知化してスタンバイしてました!!」

 

「最初からじゃねーか」

 

 

 小声でツッコミながらも、モモンガは諦めの気持ちが混ざった溜息を吐いた。

 

 

「聞けばモモンガ様は遊興、遊戯をお望みとのこと。ここは私の出番だと思い、差し出がましくも羨ましい空気をぶち壊して混ざるべく派手に登場させて頂きました」

 

「申し訳ないのか開き直ってるのかどっちだ? まぁいいや。それで、何か良い案でもあるのか?」

 

「それはもう、もちろんでございます!! これでも私、一人チェスに一人オセロ、一人ツイスターゲーム、一人スゴロクまでやり尽くした遊びのプロを自認しておりますので」

 

「あ、うん。じゃあなんか良さげなゲーム持ってきてくれ。あとそれ人前で言うのは禁止な」

 

「畏まりました!!――」

 

 

 キリッとした雰囲気を見せる、パンドラズ・アクターの普段と何一つ変わらないドヤ顔。

 段々と悲しくなってきたので、モモンガはツッコむのをやめた。

 

 

「この人数ならやはりコレでしょう!! ルールも至ってシンプル。サイコロを振り、その目に従って進み、誰よりも早いゴールを目指すのです!!」

 

 

 その後、パンドラズ・アクターが宝物殿から持ってきたのは、ギルドメンバーの誰かが作ったであろうオリジナルのスゴロク。

 モモンガも初めて見るそれのサイズは中々大きく、テーブルの大部分を占領している。

 使用するサイコロや駒、ボードの隅々まで凝った意匠を凝らしていることから、製作者の強いこだわりが感じられた。

 

 

「これが至高の御方々の遊戯……」

 

「面白そう!!」

 

 

 メイドは色んな意味で畏れ多いと緊張気味。

 ネムは通常運転で知らない遊びに興味津々。

 

 

「いささか運の要素が強い遊びではありますが、これならば皆が平等に楽しめると思います」

 

「ギルメンが作ったって聞くと、そこはかとなく不安はあるが……」

 

「では、早速始めましょう!!」

 

 

 しれっと自分の隣の席に着いたパンドラズ・アクターも含め、モモンガ達は六人で遊び始めた。

 

 

「――四、五、六!! このマスはなんて書いてあるの?」

 

「えー、なになに『左隣のプレイヤーは、自分の二つ左隣の人をお姫様抱っこする』だな。なんだこの内容……」

 

「お、御方に私がですか!?」

 

「えー、シクススずるーい!!」

 

「これは羨ましい!! お嬢様、今だけ私と席を交換しましょう!!」

 

「あははっ。メイドさんにもモテモテだね、モモンガ」

 

 

 最初はぎこちない雰囲気だったが、パンドラズ・アクターとネムが程よい緩衝材となり、意外なほどゲームは盛り上がった。

 創造主としては手放しで喜べないが、パンドラズ・アクターの芝居がかった言動――他のシモベからすれば完全に不敬――も良かったのだろう。

 それらはメイド達が気兼ねなくゲームに参加するのに、一役も二役も買っていた。

 

 

(こういうのも、悪くないな……)

 

 

 他の業務に戻らねばならないからと、メイド達が参加出来たのは一度きりだったが、短い時間でも楽しんでくれたように思う。

 そしてモモンガ自身も、かつて自分が仲間達と過ごした時間のようで楽しかった。

 

 

「初めてやったけどスゴロクって面白いね」

 

「製作者の意図というか願望が透けて見えたが、ゲームとしては中々面白かったな」

 

「はい!! Ich bin sehr zufrieden(とっても大満足)!! でございますっ!!」

 

 

 今後彼女達が自主的に休みを欲しがるかは分からないが、NPC達にも少しだけ遊びの良さを伝える事が出来ただろう。

 モモンガはじんわりとした温かさを感じながら、休憩時間を満喫したのだった。

 

 

 

 

おまけ〜伝言ゲーム〜

 

 

 モモンガへの直談判という大役を任され、結果的に御方の遊び相手という極上の褒美を賜った三名のメイドがいる。

 ナザリックに属する者なら誰もが羨み、興味を持たずにはいられない内容である。

 

 

「ねぇ、もう聞いた? シクススの話」

 

「あ、ネム様にもご協力頂いた件よね?」

 

「うん、私も聞いた。リュミエールとフォアイルも一緒に行ったやつでしょ?」

 

 

 当然、その噂は瞬く間に広まった。

 事の始まりが一般メイドだったということもあり、一般メイドの間で情報が浸透するのは特に早かった。

 今や三名のメイド――シクスス、フォアイル、リュミエールの行動の結果は、ナザリックの食堂で最も耳にする旬な話題と言えるだろう。

 

 

「羨ましいわよね。でも私達のような一般メイドにまで目をかけて御慈悲をくださるなんて、流石はモモンガ様だわ」

 

「私達のことを家族だって。お仕事の件も聞き入れてくださったみたいだし、なんてお優しいのかしら……」

 

「じゃ、じゃあアレも聞いた? モモンガ様の御手に触れられると、天にも昇るような――」

 

 

 ――ただし、噂には尾ひれがつきもの。

 互いに興奮し切った状態で話せば、全てが正確に伝わる訳がない。

 メイドからメイド、その他のNPC、そして守護者達へと、内容が伝言ゲームのように伝わり――

 

 

「モモンガ様!! ここは私と二人っきりでご休憩はいかがでしょうか? モモンガ様の妙技を是非この身で体験したく!!」

 

「え?」

 

「モモンガ様!! そんな事より、わたしと野球拳で戯れるのはいかがでありんしょうかえ?」

 

「んん?」

 

 

 ――最終的に『休みを取れば御方に抱いて貰える』に改変されていた。

 あまりの報連相の噛み合わなさに、モモンガも絶句である。

 

 

「あーら、シャルティア? いきなり会話に入ってきて邪魔をしないでくれるかしら。私はモモンガ様と大切な話をしているの」

 

「ふんっ。なにが大切な話でありんすか。わたしは器の小さいアルベドと違って御身を独り占めしようとは思いんせん。懐の大きさが違いんす!!」

 

「ぷっ、懐の大きさ? そんな小さな胸を張っても説得力がないわよ。兄か姉を作って出直してきなさい」

 

「こんな性悪が妹だなんて、ニグレドも大変だこと」

 

「……偽乳が」

 

「……指輪没収されたくせに」

 

「なんだとこのヤツメウナギぃ!!」

 

「やんのかこの大口ゴリラぁ!!」

 

(よし。今のうちに逃げるか)

 

 

 ナザリック内でモモンガとの休日を巡って一悶着も起こったが、それはまた別のお話。

 

 

 

 

「己ノ為ニノミ時間ヲ費ヤス。守護者トシテ許シ難イガ、大局ヲ見据エレバ或イハ…… 私モ休日ヲ利用シ、更ナル武ノ高ミニ挑戦スルベキダロウカ」

 

「いいんじゃない? あのバカ二人と違って、コキュートスのは立派な戦力増強の一環になるでしょ。あたしも休みを貰って、久しぶりにペット達と集団行動の練習でもしようかな」

 

「ぼ、ボクも図書館で勉強してみようかな。至高の御方が残された資料もあるみたいだし」

 

「それが良いと思うね。休日を用意されたのには複数の意図があると思うが、我々の成長を促すのもその一つだろう」

 

「じゃあデミウルゴスは他にどんな意図があるって気づいたの?」

 

「私如きでは全てを読み取ることなど出来ないが…… モモンガ様は『遊び』を重要視されていた。我々の通常時の防衛に遊び――つまりは余裕を持たせることで、非常時における柔軟性を持たせたかったのではないかな。望ましくは無いが、守護者の何人かが動けない非常事態も今後は起こるかもしれない。休日の導入は、そんな時に対応するための予行演習とも捉えられるだろう」

 

「なるほどー。流石はモモンガ様。本当に色んな事をお考えになられてるんだね」

 

「フム。戦場デハ常ニ五体満足デ戦エルトハ限ラナイ。場合ニヨッテハ不足シタ戦力デ挑マネバナラヌ時モアルダロウ。ソノ際ノ訓練ダト思エバ実ニ理ニ適ッテイル」

 

「私も初めはここまでは想像できていなかったがね。もしかしたら、メイド達が休日について私に相談を持ち掛け、私がネム様を紹介するまでの流れすらも、御方のご計画通りだったのかもしれない」

 

「最初から休日の意図を伝えなかったのも、一般メイドにも考える力を付けさせようとしたからかな?」

 

「その可能性は非常に高いと思うよ。己の力で問題を解決しようとする能力というのは重要だからね」

 

 

 モモンガの気持ちが正しく――「なるほど。そういうことですか」――広まり、自主的に休みを取ろうとするNPCが、ほんの少しだけ増えたとか増えなかったとか。

 

 

 

 

「固定の休日の制度を廃止したら、何故か自主的な休みを希望する守護者が増えたんだけど……」

 

「良かったねモモンガ。きっとみんなにもモモンガの気持ちが伝わったんだよ」

 

「なんかそんな雰囲気でもないような気がするんだよ」

 

「じゃあメイドさんから話を聞いて自分も遊びたくなったとか?」

 

「アルベドとシャルティアのは、遊びじゃ済まなそうで怖いんだが…… それにコキュートスは休日使って戦闘訓練してるんだぞ? それもえらくハードな内容で」

 

「戦うのが好きなんじゃない?」

 

「うーん。まぁ本人が望んで好きなことしてるなら良いか」

 

「うん。良いと思う!!」

 

 

 ホワイトナザリックへの道のりは、まだちょっぴり遠い。

 

 




ネムの提案――小細工抜きでお願いする。
リアルで生きていたモモンガ、ナザリックのNPC、現地人のネム。
それぞれの仕事や休日に対する価値観の違いをイメージして書いてみました。
ネムの後押しもあり、原作とは違ってアインズ様当番を作らず休日を強制しない方向に。
日々重要な職務(掃除)に励み、昇進(支配者の簒奪)を目指す向上心もある。
仕事だけでなく、プライベート(バーの常連で普通にお酒とか飲む)も充実。
モモンガ様のご意志に一番沿ってるシモベって、実はエクレアでは?



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組合長の企み

前回のあらすじ

「休日を廃止していただけました!!」
「スゴロク楽しかったね」
「NPC達と遊ぶ時間も悪くないな」

今回は冒険者モモンとネムのお話です。



 ほぼ年中無休。今日も今日とて様々な人が訪れている、エ・ランテルの冒険者組合。

 一階は仕事を探す冒険者や、登録に訪れた新参者、仕事を頼みに来た依頼人で賑わっていた。

 二階は一階の喧騒に反して会議などに使われているスペースが多く、あまり騒がしい印象はない。

 

 

「二人ともよく来てくれた。いきなり呼びつけてすまなかったね」

 

 

 そんな二階にある応接室の一つに、現在一組の冒険者チームが呼び出されていた。

 

 

「早速だが、今日ここに来てもらったのは他でもない――」

 

 

 三人の役者が揃い、全員がソファーに座る。

 そして、静かな一室に緊張した空気が満ちる。

 組合の長であるプルトン・アインザックによる謀略――もとい真っ当な話し合いが、今始まろうとしていた。

 

 

「モモン君、ネム君。昇級試験となる依頼を受けてくれたまえ」

 

「いきなりですね」

 

 

 いつになく真剣な雰囲気を漂わせ、アインザックは対面に座る二人の銅級(カッパー)冒険者――モモンとネムに本題を切り出す。

 この交渉は組合長にとって一種の戦いであり、組合の将来に関わる重要な案件だ。

 それ故に準備は万全。話す内容も数パターン用意し、個人的に譲歩出来ることも事前にかなり練り込んでいた。

 

 

「これは組合からの命令と受け取って貰っても構わない」

 

 

 まずは流れを掴むための先制パンチ。

 顔の前で手を組んだまま、アインザックは表情の見えないモモンを見つめ続ける。

 

 

「緊急時を除き、依頼を受けるかどうかは個人の自由のはずです。組合長、何故このタイミングなのでしょうか?」

 

「本来ならその通りだ。うーむ、どこから話したものか……」

 

 

 モモンの纏う漆黒の全身鎧からは、僅かな動揺の音も鳴ることはなかった。

 想定通りと言うべきか、相手は軽い威圧を込めた「命令」の言葉に怯みもしない。

 

 

(性格は至って真面目。謙虚で理知的だが、商人のようにしたたかな面もある。それにこの質の高い装備。噂では尋常じゃない殺気を放ち、かなりの怪力を誇るらしいが……)

 

 

 非常に落ち着いた様子のモモンに、アインザックは他の冒険者と一線を画すものを感じる。

 巷では魔獣を操る少女の方に注目が集まりやすいが、やはりパートナーであるこの男もただ者ではないようだ。

 

 

(こっちは見れば見るほど普通だ。……運良く魔獣という力を得ただけの子供だな)

 

 

 当然モモンの隣には相方であるネムも座っているが、アインザックは意図的に視線をやらなかった。

 きっとこの少女が口を開けば、自分が意識して作り上げた場の空気は崩れるだろう。

 幸いにも少し緊張した表情ながら、今はお行儀良く座ってくれている。

 

 

(『蒼の薔薇』といい、時代も変わったものだ…… 私の現役時代でも、ここまで若い冒険者はいなかったからなぁ)

 

 

 海千山千のアインザックと言えど、ただの子供相手はやりづらいことこの上ない。

 だが、基本的にこういった交渉はモモンに任せている事も知っているので、ネムに話を振らなくても不自然には思われないだろう。

 

 

(元オリハルコン級冒険者の見立てでは、魔獣の力は間違いなく英雄級以上。かの戦士長にすら匹敵すると聞く。あのレエブン侯が御子息の将来の配下に欲しがるわけだ……)

 

 

 アインザックは二人の観察を切り上げ、たった今考えをまとめたようなフリをして再び口を開く。

 

 

「最近組合に、内外から少し苦情が来ていてね。知っているかね? まぁ愚痴にも近い内容だが」

 

「愚痴、ですか?」

 

「例えば…… 『同じ銅級なのに、あの二人より遥かにショボい冒険者が来た』、『あの二人と同じランクに思われるのは辛い』などだ」

 

 

 アインザックは複数の思考を続けながら、少しだけ内容を誇張して伝えた。

 誇張していても嘘は言っていないのだから、この二人はそれだけ異質な冒険者ということだ。

 

 

「端的に言えば、君たちの能力は銅級に相応しくない。無論、褒め言葉の意味でだが」

 

 

 裏を返せば、組合始まって以来の逸材とも言える。事実、それだけの可能性はあるだろう。

 

 

「私達としては、無理せず堅実に仕事をこなしていただけなのですが…… そう言われると、少し申し訳なく感じますね」

 

「勘違いしないで貰いたいが、誰も君達を非難している訳ではない。当然組合としても君達を責める意図はないよ」

 

 

 素振りと声音だけは実にそれらしい。

 しかし、顔を隠したモモンが本当に申し訳なく思っているのかは、アインザックには判断しかねた。

 隣のネムをチラリと見れば「内容がピンときませんでした」と、顔に大きく書いてある。

 あんな魔獣を使役している割には、自己評価が低いのかもしれない。

 

 

「しかしだね、組合が優秀な冒険者を正しく評価していないと噂されるのは困る。そこで最初の話に戻るわけだ」

 

「そういうことですか…… ネムはどうしたい? 組合長はこう言っているが、規則として受けなければいけない訳ではないぞ」

 

「えっ、そうなの?」

 

 

 親しみのこもったモモンの気さくな問いかけに、黙っていたネムも自然な反応を返す。

 二人の醸し出すゆるい空気に緊張感が途切れそうになり、アインザックは空気を引き締めるタイミングを待った。

 

 

「昇級に関する規則には一言も強制だと書いていないからな。今回の話はあくまでも組合からのお願い、ですよね?」

 

「う、うむ。その通りだ」

 

 

 しかし、規則を盾にしたモモンの鋭い指摘に、組合長である自分は頷く事しか出来ない。

 組合から推薦する形での昇級もなくはないが、残念ながらそれをするには実績が足りない。

 

 

(くっ、規則を細かく確認している新人などいつぶりだ。しかも昇級にやる気が感じられん。もしやモモン君は富や名声に興味がないのか? 一体何を求めて冒険者になったんだ……)

 

 

 どうにもこのモモンという男は――以前話した時にも感じた事だが――相方であるネムの意思を最大限尊重したいらしい。

 

 

(女を使うという手もあるが、子供の前でそれを仄めかすのも不味いな。どう転ぶかは未知数でも、ネム君を説得する方が早いか……)

 

 

 二人は同じ村の出身という訳でもなく――モモンは出身地などが不明。正直顔もよく分からない――師弟関係などでもない。

 リーダーは間違いなくモモンの方だが、力関係は対等と考えていいだろう。

 魔獣を操る少女のインパクトで隠れているが、ネムよりモモンの方がよっぽど謎が多い存在だ。

 

 

「どうかな、ネム君。ランクが上がれば受けられる依頼の種類も増える。当然報酬もより高額になるぞ」

 

 

 ここはキッパリと路線変更するしかない。

 アインザックは厳格な雰囲気を消し、出来るだけ柔和な表情を作った。

 

 

「まだ少し遠い話だが、より上位の冒険者になればこちらも色々と融通を利かせられる。決して悪いようにはしないよ」

 

「あの、組合長さん。昇級試験って何をするんですか?」

 

「普段の依頼とさほど違いはないよ。組合から指定された仕事をこなすだけでいい」

 

 

 友人の魔術師組合長に見られたら「何を企んでいるのか」と、間違いなくツッコミを受けるだろう。

 だが、全ては組合を発展させるためだ。

 この二人には広告塔、組合の看板になってもらいたいのだから。

 

 

(モモン君とネム君なら人格は問題ないだろう。魔獣もいるから組合の名を広めるには申し分ない)

 

 

 今の組合にはミスリル級までの冒険者しかおらず、高難易度の依頼を多くこなす力はない。

 そのミスリル級の彼らでさえ、正直あまり伸び代が残っているとは思えない。

 きっと成長しても精々がオリハルコン止まり。最高位冒険者、アダマンタイト級になれる器ではないだろう。

 だからこそなんとしても二人のランクを上げ、難易度の高い依頼を受けてもらえるようにしたいのだ。

 

 

(……それに伝説の魔獣、『森の賢王』の力を遊ばせておくのは勿体ないからな)

 

 

 ネムの手持ちの魔獣は強くて話題性もある。組合としてこれを利用しない手はない。

 年齢不詳のモモンはともかく、ネムの年齢ならこの先長く冒険者を続けられるだろう。

 少なくとも自分が組合長を引退するまでは、一線級の活躍が見込めるはずだ。

 

 

「どうしようかな…… 私、まだあんまり経験積んでないし、成長出来てるか分かんない……」

 

「私としては銅級のままでも構わないぞ。昇級を急ぐ理由もないしな」

 

「まぁまぁ、そう結論を急がなくてもいいじゃないか。君達はとてもよくやっているとも」

 

 

 二人揃って冒険者らしからぬ謙虚な姿勢に、アインザックは新鮮味を覚える。

 傲慢で荒くれ者の冒険者より、個人的には人として好感も持てる。

 だが、ここで足踏みされては困るのだ。

 

 

「本当に悪い話ではないんだ。仮に依頼を失敗したとしても、普段の仕事以上にペナルティがある訳でもないしね。やるかどうかは依頼内容を聞いてから考えても遅くはないさ」

 

 

 素早く昇級させる事を目的とした、あからさまに怪しい依頼は頼めない。流石に他の冒険者も反発するだろう。

 裏を感じ取られれば、モモンが先んじて拒否する可能性もある。

 

 

「組合長。何か企んでませんよね?」

 

「おいおい、急にどうしたんだい、モモン君。企むだなんてとんでもないよ」

 

 

 アインザックが頭の中で様々な考えを巡らせていると、モモンが早くも踏み込んできた。

 やはり頭が回るようだ。

 この様子だと、こちらの意図にも薄々気づいているのかもしれない。

 

 

(ちっ、中々鋭い。普通なら飛び付くだろうに、昇級にどれだけ慎重になっているんだ…… しかーし!! 私を甘く見てもらっちゃ困るよ、モモン君)

 

 

 だが、気づいていようがいまいが問題はない。

 要は彼らの力を分かりやすく周りに示せればいいのだ。

 如何に実力を隠そうとも、依頼の道中などで()()強大な敵と遭遇してしまえば――

 

 

(森の賢王なら、きっと二つ名持ちの亜人でも討伐出来るはずだ。そして、そこまで有名な存在を倒せば、その事実は隠蔽出来ない。そうすれば……)

 

 

 ――強敵の討伐を理由にして、文句なしの昇級が出来る。

 上手くいけば簡単に飛び級すらさせられる。

 冒険者は実力主義だ。たとえ魔獣の力に頼りきりだろうが、強大な敵を倒したという実績さえあれば問題ない。

 今はまだ幼く侮られようとも、力に見合った評判など後からついてくるだろう。

 

 

「私は二人ならもっと上を目指せると確信しているよ。そんな君達の能力を鑑みて、今回の依頼は――」

 

 

 ――魔獣を使ってさっさと偉業を成し遂げてこい。

 アインザックは腹黒い本音を笑顔で覆い隠し、二人に昇級依頼を受けるよう促すのだった。

 

 

「ねぇ、モモン。これ前にもあったよね」

 

「ああ。受けるのが確定しているパターンだ」

 

「ん? 二人とも何か言ったかね? 質問ならいくらでも聞こうじゃないか。そうそう、おすすめの携帯食料だが――」

 

 

 

 

 なんやかんやで昇級試験を受ける事になってしまった私達。

 試験用の依頼というだけあって、行き帰りも含めるとそれなりに長い期間を必要とする仕事内容だった。

 ハムスケは気にする素振りもなかったけど、事後承諾になってしまったのが申し訳ない。

 

 

「報酬は普通のお仕事とあんまり変わんないんだね」

 

「仕事自体も難しくはなさそうだ。おそらくこの試験の本質は、見知らぬ土地でも問題なく行動出来るか、といったところか。でも行くだけで一週間かかるかもって、詐欺じゃないか?」

 

「その辺は組合長さんも曖昧だったよね。時期とか行く人によっても変わるのかな?」

 

「某が全力疾走すれば、もっと早く着けると思うでござるよ!!」

 

「だとしても時給で割ったらいくらだよ…… とりあえず夜ごとにネムは家に帰れるようにするべきだな」

 

 

 だけどモモンガの大人の事情――「通勤時間とか仕事の拘束時間が長過ぎるのはブラックだよな」――によって、今回だけちょっとズルをする事にした。

 

 

「よし。場所の確認完了っと――〈転移門(ゲート)〉」

 

 

 王国と目的地の間には、とても広い丘陵地帯――アベリオン丘陵が存在する。

 そこには魔物や沢山の亜人が暮らしており、人間にとって超の付く危険な場所らしい。

 ハムスケなら勝てない事もない。倒しても問題のない強くて有名な亜人もいると、組合長が何故か色々と力説していた気がする。

 一応、闇小人(ダークドワーフ)のような人間種も多少は住んでいるとかいないとか。

 ともかく地道に歩いて進むとしたら、丘陵を抜けるのに早くても数日はかかっただろう。

 

 

「うーん。どこも情報系魔法の対策がほとんどされてない。これでは鏡と〈転移門〉を使えばどこでも簡単に行けてしまう」

 

「もう着いちゃった」

 

「相変わらずデタラメな魔法でござるな」

 

 

 しかし、自分達の移動時間はまさに一瞬。

 長い道のりをモモンガの魔法で丸々無視して――組合長の思惑も知らず知らずにぶち壊して――辿り着いたのは、王国の南西にある『ローブル聖王国』という国。

 モモンガの魔法を見られないようにするため、厳密には国の少し手前辺りというべきか。

 

 

「どちらにしろ、やはりこれは自重しないと面白みに欠けるな」

 

「うん。魔法は便利だけど、なんかもったいない気もするね」

 

「楽なのは良いのでござるが、某の出番もなくなってしまったでござる……」

 

 

 私達の昇級試験に指定された依頼は、この国の工事現場でのお手伝い。資材の運搬に見回りなどを加えた、いわゆる雑用係である。

 なんでも丘陵と国土の境目にある大事な城壁が壊れてしまったらしく、ものすごく人手が必要になっているらしい。

 でも、冒険者の昇級試験がそんな内容で本当にいいのだろうか――

 

 

「うわぁ、すっごーい。エ・ランテルの門よりずっと長くて大っきい」

 

「ほぉ、デカイな。まるで万里の長城のようだ」

 

 

 やっぱりハムスケの姿は周りの注目を集めたりもしたけど、何事もなく仕事場に辿り着いた。

 そして、私とモモンガは二重の意味で息を飲む。

 

 

「デッカイでござるなぁ。某もこんなに大きな物は初めて見たでござるよ」

 

「ねー、すっごく大っきいよね!!」

 

 

 視線の果てまで続く長大な城壁の感想は、ただただ大きいの一言に尽きる。

 ハムスケも魔獣の感性なりに、目の前の建築物が凄い物だという事は理解しているみたいだ。

 しかし――

 

 

「だが、一体何があればあんな風に壊れるんだ? 自然に劣化して崩れたようには見えないが……」

 

 

 ――城壁は文字通り穴だらけであった。

 古くなって自然と壊れたのではなく、強い力で無理やり吹き飛ばしたような壊れ方だ。

 モモンガも壁の状態を見て、首を傾げて不思議そうにしている

 

 

「凄いけどボロボロだよね。いっぱい焦げ目も付いてるし、どうやって壊れたんだろう。火事?」

 

「もう壁として機能してないでござる。あそこなんて人の群れが普通に素通り出来るぐらい、大穴が空いてるでござるよ」

 

 

 ネムが指を差した所は壁が黒く変色しており、城壁の一部は融解したように形が歪んでいた。

 ハムスケが言うように損傷が酷いところでは、横に五十メートル程の範囲で壁がごっそりとなくなっている所さえあった。

 

 

「正直に言えば、壊す方法はいくつか思い浮かぶ」

 

「やっちゃ駄目だよ?」

 

「自白でござるか?」

 

「いやいや、そんな無駄なことしないし、してないから。あくまで私にも可能というだけだ」

 

「これだけの破壊痕を見て平然と自分にも出来ると言えるのが、モモン殿のヤバいところでござるな。もはや驚きもないでござる」

 

 

 モモンガの凄さは今に始まった事ではないので、正直私もあんまり驚かない。

 そこまで派手な魔法を使っているところは見た事がないけど、モモンガが出来ると言うならその通りなのだろう。

 

 

「うーん。この規模の破壊が行えるとしたら、やはり現地の存在も侮れないな。ナザリックは表に出さなくて正解だった。仮にこのレベルの敵対勢力が出て来た場合の対処は……」

 

 

 少し気になるとすれば、そんな凄いモモンガでも過去には何度も色んな人に戦いで負けているらしい。

 特に友人の一人である聖騎士には、ただの一度も勝てなかったそうだ。

 やっぱりアンデッドだから、いくらモモンガが凄くて優しくても、聖なる力みたいなのには弱いのかもしれない。

 

 

「――っゴホン。まぁわざわざ調べずとも、噂くらいは勝手に入ってくるだろう。さぁ、早速仕事の手続きに行こうか」

 

「はーい」

 

「道中で活躍できなかった分、某も頑張るでござるよ!!」

 

 

 考え事に没頭しかけたモモンガが咳払いをしたところで、私達は再び歩き出す。

 この国は神官や聖騎士がいっぱいいるみたいだし、もしモモンガの正体がバレたら大変なことになりそうだ。

 自分達が目立つチームだという自覚はある。

 うっかりバレないよう、私がモモンガの分も気を引き締めなくちゃ。

 

 

 

 

 初めて訪れる国での仕事だったが、エ・ランテルで似たような現場は経験済み。

 その時と同じようにすればいいと、ネムとモモンガは二手に別れて効率よく作業を進める事にした。

 そして、モモンガが異常な怪力を見せつけ、周囲の度肝を抜いている頃。

 別の作業をしているネムとハムスケのペアも、さほど苦労する事なく仕事をこなしていた。

 

 

「ハムスケ、次はあっちだって」

 

「分かったでござる」

 

 

 国が違ってもネムのやり方は変わらない。

 いつものようにハムスケの背に乗り、工事現場を右へ左へ忙しく動き回っていた。

 

 

「――聞いたか。また死体と行方不明者が出たってよ」

 

 

 そんな折、休憩中の人達の雑談が偶々二人の耳に入った。

 

 

「もうこれで何人目だ。……やっぱり亜人どもが出入りし始めたからじゃないのか?」

 

「バカ。それ以上はやめとけ。融和政策の批判、下手すりゃ王族批判につながるぞ」

 

「分かってるけどよ。犯人は亜人だと思わないか? 腹の中に収まっちまえば、証拠なんか見つかりっこないだろ」

 

「いや、中には食われずに滅多刺しにされてた死体もあったらしい。一口も食べないなんて、亜人にしては手口が変だと思うね、俺は」

 

「先の悪魔との戦いでは協力したんだし、全員が話の分からんやつではない証拠だろう」

 

「城壁を破壊した悪魔を倒せたのも、亜人と聖騎士様や神官様が協力したからだしな」

 

「どーだか。俺は正直言って亜人達を信用しきれない。つい最近まで丘陵の奴らとは争ってたんだからな」

 

 

 男達は木陰に座り込み、集中すれば少し離れていても聞き取れる声量で話している。

 真偽はどうあれ、徹底して内緒にする程の内容ではないのだろう。

 

 

「行方不明の奴も、早いとこ弔ってもらえると良いんだが……」

 

「そういや、この間めちゃくちゃ可愛い神官様を見かけてよ。俺も死んだらあんな人にお祈りしてもらいたいね」

 

「不謹慎なやつだな。……で、どこで会った?」

 

「城壁に近い、家屋も残ってないような被害の大きかった辺りで――」

 

 

 ネムは通り過ぎる際にちらりと顔を見た程度だが、その表情は興味と猜疑、嫌悪感がないまぜになっていた。

 後半は言うまでもなく、女性への興味が十割だったが。

 

 

「城壁を壊したのは悪魔の仕業だったんだね。でもあんまりイメージ出来ないなぁ」

 

「そうでござるな。あと気になるのは、行方不明者に亜人との確執でござるか…… 場所が場所なだけに、普通にあり得そうな話でござる」

 

「争っても良いことないのに……」

 

「縄張りやら食料やらの事情があるのでござろう。生きるとはそういうものでござる」

 

「モモンガのところはみんな仲良しなのにね」

 

「アレは例外ではござらんか? 普通は異なる種族で仲間になるなどありえないでござる」

 

「えー、ハムスケと私も普通に友達になれたよ?」

 

「自分で言うのもなんでござるが、某は理性的で賢いでござるからな」

 

「あはは、『森の賢王』だったもんね」

 

 

 ネムとハムスケが雑談をしながら次の作業場に向かっていると、二人に真っ直ぐ近づいてくる気配があった。

 

 

「少しよろしいでしょうか?」

 

 

 迷いのない声で自分達を呼び止めたのは、一人の女性。

 全体的に肌の見えない地味な服装で、その上フードを深く被っているため顔が見えない。

 体型と声で女性だと判断はしたが、少し怪しげである。

 

 

(綺麗そうだけど、顔を見られたくないのかな?)

 

 

 しかし、フードに押し込むように隠された金髪には艶と光沢があり、微笑を浮かべた口元はとてもきめ細やかな白い肌をしていた。

 少なくとも、日頃から農作業に明け暮れるような農民ではないのだろう。

 工事現場が似合う人とも思えないが。

 

 

「はい、なんですか? 現場のお手伝いなら何でも言ってください!!」

 

「いえ、そうではないのです。貴女とその魔獣がとても親しげに見えたものですから、気になってしまって」

 

「某とネム殿がでござるか?」

 

 

 ネムは返事をしながら素直に凄いと思った。

 荒事に慣れた冒険者ですらハムスケと会えば身構えるというのに、この女性は凛とした様子を崩さない。

 目の前でハムスケが喋った事には少し驚いたようだが、それでも怯えは感じられない。

 

 

「はい。私は知らなければならないのです。弱き民に幸せを、誰も泣かない国を。そして、亜人達とも手を取り合える未来のため……」

 

「未来のため?」

 

「私が聖お――っおほん。えっと、そうね。難しいことは抜きにして、お二人はどうやって仲良くなったのかしら?」

 

 

 一瞬だけ思い詰めた雰囲気を感じたが、女性はすぐに明るい調子に切り替えた。

 

 

「どうやって…… どうやってだっけ、ハムスケ?」

 

「別に特別なことはしてないと思うでござる。自然とネム殿とは仲が深まったでござるよ」

 

「一緒にお散歩したりとか、お昼寝とかはしたよね」

 

「そうでござるな。某はネム殿にブラッシングしてもらう時間も好きでござるよ」

 

 

 参考になりそうな話は伝えられなかったが、女性は頷きながら真剣に耳を傾けてくれる。

 どうやらよほど亜人と仲良くなりたいらしい。

 

 

「とにかく色々お話ししたりとか、一緒にいてたら仲良くなりました。人と仲良くなるのと、そんなに変わらないと思います」

 

「そうですか。やはり歩み寄り、互いを知る事から始めなければなりませんね。人も亜人も、心がある事は変わらないのですから」

 

「うん!! 亜人だけじゃなくて、きっと仲良くなれる悪魔とかアンデッドも探せばいると思うよ!!」

 

「悪魔と、アンデッドですか……」

 

 

 女性がぽかんとしてしまい、ネムは口走った事を軽く後悔した。

 しまった。本心から出た言葉だったが、少なくとも最近悪魔に襲われたばかりの国の人に言うべきではなかった。

 

 

「えと、その…… ごめんなさい」

 

「あ、すみません。怒っている訳ではないのです。まさかこの国でそんな言葉を聞けるとは思ってもみなかったので」

 

「世界は広いでござるからな。どの種族にも変わり者はいるでござるよ」

 

「ええ。実際に人と仲良くしている貴方が言うと、とても説得力がありますね」

 

 

 どう謝るべきか迷ったが、女性は気分を害した様子もなく大丈夫だと笑ってくれた。

 

 

「善なる悪魔、生者を憎まないアンデッドも探せばいるのかもしれません。もしかしたら分かり合うことも…… そのような存在と仲良くなる事は、立場上推奨は出来ませんけど」

 

 

 常識と異なる意見を真っ向から否定せず、きちんと受け止めてくれている。

 苦笑で濁してくれた女性の対応には、偏見を持たない優しい性格が表れているようだった。

 

 

「……実を言うと私も、亜人達と分かり合いたいと願いながら半信半疑だったのです。ですが、貴女の言葉に勇気をもらいました。ありがとうございます。小さな冒険者さん」

 

「お役に立てたなら良かったです」

 

 

 嘘ではないのだろう。

 どんな理由で亜人と仲良くなろうとしているかは分からないが、女性の声は決意に満ちている。

 

 

「それとごめんなさい。訳あって私は顔を見せる事も名乗る事も出来ないけれど、これは貴女へのお礼です――」

 

 

 女性がそっと腕を伸ばし、自分の頬に手を翳した。

 そして女性が小さく何かを呟くと、手の平から暖かい光が僅かに発せられる。

 

 

「なんですか、今の?」

 

「ふふっ、綺麗になれるおまじないですよ。でも内緒にしてくださいね。多分私しか使えない、特別なものなので」

 

 

 最後まで顔を見る事は出来なかったが、女性はとても嬉しそうに去っていった。

 

 

「さっきの者、もしかしたら貴族など、高貴な身分の者かもしれないでござるな……」

 

「え、どうして?」

 

 

 改めて次の作業場に向かっていると、ハムスケが自分にだけ伝わるように小声で呟いた。

 

 

「某達が話している間、少し離れた位置から複数の見張るような視線を感じたでござる。おそらくはあの女性の護衛でござろう」

 

「へー、全然気づかなかった」

 

 

 流石はハムスケ。視線や気配には敏感だ。

 今も物珍しさから多少の視線は集めているはずなのに、僅かな違いが分かるのだろう。

 

 

「でも本当に偉い人だったのかな?」

 

「少なくとも護衛はいたと思うでござるよ」

 

 

 しかし、貴族がこんな現場に足を運ぶわけがない。お忍びで出かけるにしても、もっと楽しそうな場所を選びそうなものだ。

 そう思いかけたが、ネムは一緒に仕事をしている支配者(モモンガ)のことを思い出した。

 

 

「じゃあ領主様とか? 国がどうとか言ってたし。誰かのために真剣なところとか、ちょっとモモンガに似てたかも」

 

「ふむ。ならきっとあの者も支配者――この国の女王でござるな」

 

「えー、流石にそれはないよー」

 

 

 ハムスケと冗談を言い合いながら、ネムは先程の女性を思い返す。

 妙に真剣で、真面目で、言葉には重みがあった。

 それでいて、何か大きなものを背負っているような不思議な人だった。

 

 

「ネム殿、何してるでござるか?」

 

「んーん、なんでもないよ」

 

 

 ふと、自身の頬を触ってみる。

 思い込みかもしれないが、おまじないの効果は本当にあるのかもしれない。

 

 

 

 

おまけ〜気になる乙女心〜

 

 

「ただいまー」

 

「おかえり、ネム」

 

 

 夕陽が沈んだ頃、我が家の小さな冒険者が家に帰ってきた。

 仮にも仕事帰りだというのに、元気な笑顔を見せる妹の姿は微笑ましくもあり、同時に冒険時の様子がちょっぴり心配にもなる。

 ないとは思うが、モモンガやハムスケに仕事を任せっぱなしにしていないだろうか。

 

 

「今日のお仕事はどうだった?」

 

「あのね、今はローブル聖王国で昇級試験を受けてる最中なんだよ。でも夜くらい家に帰って家族に顔を見せた方が良いって、さっきモモンガが送ってくれた!!」

 

(モモンガさん、相変わらずだなぁ。でもそれって、冒険者としてどうなの……)

 

 

 まるで軽い休憩に立ち寄ったと言わんばかりだが、妹が告げた国はカルネ村から遠すぎる。

 並の人間より人間らしい――少々やり過ぎな――配慮をしてくれるモモンガに、エンリは心の中で苦笑した。

 

 

「へぇ、凄いね、ネム。無事に昇級出来るといいね」

 

「うん!!」

 

「でも頑張るのもいいけど、無茶はしちゃダメだよ? お父さんもお母さんも、ネムが無事に帰ってきてくれる事の方が大切なんだから」

 

 

 指摘するべきなのかもしれないが、妹の笑顔を前にそれも憚られる。

 自分達家族もネムと毎日会える方が安心するし嬉しいので、結局モモンガについ甘えっぱなしになってしまう。

 

 

「ちゃんとやってるから大丈夫だよ。モモンガとは別々に作業する事もあるけど、ハムスケとはいつも一緒だし」

 

「それなら安心だね」

 

「モモンガより私の方が色々気を付けてるくらいだもん」

 

 

 なんとも自信有りげな様子だ。

 色んな体験を通して、妹も立派に成長しているのだろう。

 

 

「お姉ちゃん?」

 

 

 ふと、エンリは衝動的に妹の頬をつついた。

 子供らしいハリと潤いがある。健康的なもちもちとした肌だ。

 しかし、なんだか綺麗になっていないだろうか。

 今朝よりもツルリとしていて、きめ細やかな気さえする。

 

 

(気のせいかな…… 私とネムの肌、こんなに違いがあったっけ?)

 

 

 次に自分の頬に手をやった。

 当然シワがあるわけもなく、妹の肌と同様にハリもある。

 年齢もさほど離れておらず、ほぼ同じ生活をしている血の繋がった姉妹だから当たり前だ。

 だが、今触れた妹の頬と比べると明らかに違いがあった。

 

 

「ねぇ、ネム。最近モモンガさんのところで何かやった? その、美容に関するようなこととか……」

 

「何もしてないよ?」

 

 

 自分だってまだ十六歳。肌のトラブルを必死なって気にするような歳ではない。

 しかし、若くとも自分はもう成人の年齢だ。

 念入りにお手入れをするような性格ではないが、少しでも綺麗でいたいという女性として人並みの願望はある。

 ナザリックの美人過ぎるメイドを見た時は、ちょっぴり憧れも抱いた。

 

 

「お姉ちゃん。私、ハムスケみたいにほっぺに物は入れてないよー」

 

「もうちょっとだけ触らせて」

 

 

 姉妹同士のスキンシップを言い訳に、なけなしの乙女心はご利益を求める。

 急に綺麗になった理由が分からないエンリは、六つ歳下の妹の頬を暫くムニムニし続けたのだった。

 

 

 




組合長ならネムとモモンに対して何か手を打つだろうと考えましたが、飛び級の思惑は初手でご破算となりました。
謎の女性が使ったおまじないは信仰系の魔法。本職より美容技術の方に秀でた凄く良い人です。
次回も引き続き昇級試験編の予定です。


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狂気vs勇気

前回のあらすじ

「聖王国で昇級試験だ」
「某の出番が無くなってしまったでござる」
「仕事の調子も肌の調子も良いよ」

引き続き昇級試験編です。



 ローブル聖王国での仕事も、連日続けばある程度流れが出来てくる。

 午前は主に工事現場を手伝い、午後からは三人で城壁周辺の見回り。

 その日の仕事が終わるとモモンガに魔法で送ってもらい、自分はこっそりと家に帰って寝ていた。

 そして朝になると、また魔法で迎えに来てもらっていた。

 

 

「もうちょっとでお仕事も終わりだね」

 

「正直少し拍子抜けだったけどな。まぁ鉄級(アイアン)への昇級試験だからこんなものか」

 

 

 今日も午前中は工事現場の仕事を担当し、主に資材を運ぶ手伝いをしていた。

 自分もハムスケと協力してしっかりと働き、お昼を跨いでそろそろ陽が傾き始めている。

 

 

「国が違うと当然文化や風習も違うが、特に困ることはなかったな」

 

「うん。周りの人もみんな親切だったよ」

 

 

 今は最後の仕事として、三人で城壁の内側の見回りをしている最中だ。

 長いような短かったような仕事も今日で最終日。

 あとは残りの砦を回って、最後に担当の人に報告をすれば終わりだ。

 

 

「壁の件については、大した情報はなかったでござるな。突然現れた悪魔を亜人と人間が協力して倒した事くらいでござる」

 

「この国が襲われるちょっと前に、亜人の集落とかも襲われてたんだって。それもあってこの国の人と亜人が協力したみたい」

 

「私の方もそちらについてはほとんど収穫なしだ。耳にしたうわさから予想すると、壁を壊したのは炎系の魔法かスキルだったようだが……」

 

 

 見回りと言っても、ぼぼ等間隔で並ぶ小砦にいる人達に声をかけるだけの簡単な仕事。

 そもそも常に気を張らずとも、何かあれば誰よりも早くハムスケが気づいてくれる。

 大体は「異常無し」の一言で済んでしまっていたので、自分達は完全にお気楽モードだった。

 

 

「こちらの周辺は異常無しです」

 

「報告ご苦労さん。そうだ、アンタら国に雇われた冒険者だろ? 見回りの途中で悪いんだが、ちょっと手を貸してくれ」

 

 

 このまますんなり終わるかと思いきや、何個目かの小砦に行った時、近くの工事現場の助っ人を頼まれた。

 どうやら内容的にモモンガの出番らしい。

 

 

「全員で残ってもいいが、時間が無駄になるな…… 私がここに残って作業をするから、残りの報告は任せていいか?」

 

「うん。ハムスケと行ってくるね」

 

「見回りは某達に任せるでござる」

 

 

 モモンガからの信頼に少しだけ胸を弾ませ、自分はハムスケと先を急いだ。

 そして、更に二つの砦で問題なく報告を終わらせ、残るは一箇所。

 モモンガは手伝いが終われば直ぐに追いかけると言っていたが、まだ追いついていなかった。

 

 

「もし早く着いたら砦で待ってようか」

 

「その方が良さそうでござるな。……むむ?」

 

「どうしたの?」

 

 

 この分だと急いで戻るより最後の砦で待機している方が、途中で入れ違いにならなくて良いかもしれない。

 そう思ってゆったりと進んでいたのだが、最後の砦向かう途中、急にハムスケの足が止まった。

 

 

「……ネム殿。多分でござるが、なにやら向こうの方から悲鳴のようなものが聞こえた気がするでござる」

 

「えっ、誰か怪我したのかな?」

 

「そこまでは分からないでござる。かなり微かな声だったので、某の思い過ごしかもしれないでござるが……」

 

 

 ハムスケも今回は自信がないのだろう。

 今はもうその声が聞こえないのか、難しい顔で悩んでいる。

 

 

「もしもの時のポーションもあるし、とりあえず急いで確認しに行こう!!」

 

「了解でござる!!」

 

 

 でも、自分達の役割は見回りだ。

 緊急事態かもしれないし、モモンガを待っている余裕はないかもしれない。

 目的地からは少し離れるが、声が聞こえた方向に向かってハムスケは勢いよく走り出した。

 

 

 

 

 ハムスケの感覚を頼りにぐんぐんと進んできたが、この辺りにはもう人気がない。

 仮設の休憩所なども見当たらないので、工事もまだ手を付けていない範囲なのだろう。

 特に被害が大きかった場所なのか、周りにある建物もほとんど残骸のような有様だ。

 

 

「この匂い…… 嫌な予感がするでござるな」

 

 

 途中からハムスケの進み方に迷いがなくなったけど、その代わり鼻を鳴らして何かを気にするようになった。

 自分には分からないけど、魔獣の嗅覚は鋭いから嫌なものを察知したのかもしれない。

 そうしてハムスケに揺られてしばらく進んだ先で、ぽつんと立つ人影を見つけた。

 

 

「――あら?」

 

 

 こちらに振り返り優しい微笑みを見せたのは、白を基調とした修道服を着た人物。

 猫をイメージするような可愛らしい容姿で、金色の髪をボブカットにした女性だ。

 

 

「……まぁ。こんなに小さな冒険者さんは初めて見るわ。それに立派な魔獣を連れているのね」

 

 

 女性は見た目通りのお淑やかな声をしており、所作からもどことなく育ちの良さが窺える。

 

 

「迷子という訳でもなさそうですが…… こんな所までどうされましたか?」

 

 

 自分の首にあるプレートに気付いていたからか、はたまたこの地の女性はみんな肝が太いのか。

 ハムスケに乗ったまま近づいても、女性が怯えるような事はなかった。

 寛容な聖女といった佇まいを崩さず、にっこりとこちらに問いかけてくる。

 

 

「あの、実はハムスケが悲鳴みたいな声に気づいて、それで……」

 

「ああ、驚かせてごめんなさいね。私がさっき叫んでしまったの。お祈り中に変な虫が飛んで来たから、つい――」

 

「ネム殿、気をつけるでござる」

 

 

 ハムスケが短く後方に飛び、女性の言葉を遮った。

 危ない。本当にいきなりだったから、危うくハムスケの背中からずり落ちるところだった。

 

 

「もう、急にどうしたの? ……ハムスケ?」

 

 

 ハムスケは何も答えない。

 普段は気ままに揺らしている尻尾を盾のように構え、明らかに目の前の女性を警戒している。

 荒事なんて全く出来そうもない、どう見てもか弱そうな修道女を相手に、あのハムスケが脅威を感じて距離を取ったのだ。

 

 

「……某が聞いたのは、"男の悲鳴"でござるよ」

 

「へぇ、驚いた。喋れるなんて、かなり賢い魔獣なのね」

 

 

 緊張を孕んだハムスケの指摘に、明るかった女性の声がワントーン低くなる。

 浮かべた笑顔は変わっていないが、その瞳には薄らと獰猛さが宿っていた。

 

 

「その女の気配、ただ者ではござらんよ。――血の匂いが染み付いているでござる」

 

「――ぷっ、ふふ。アハハハハッ!! あーあー、バレちゃったかぁ」

 

 

 まさに豹変という言葉が相応しい。

 聖女から狂人へ。小さな笑みを湛えていた口は、裂けるように吊り上がった。

 辺りに響き渡る甲高い笑い声には、不安を煽る狂気が満ちている。

 

 

「まさか魔獣如きに看破されるなんてねぇ。せっかく風花のやつらを撒いたのにぃ…… まぁ撒いたっていうか、殺しちゃったんだけどね」

 

「え?」

 

「なぁに驚いてんの? もしかしてまだ理解出来てなかった?」

 

 

 恐ろしい自白にネムは呆然となった。

 ただの修道女ではなく、この女性は殺人鬼だ。

 聞き間違いではないかと思ったが、相手の態度がそれを明確に否定している。

 

 

「もうちょっとこの街で遊んでたかったんだけどなぁ。ここならテキトーにやっても、外に捨てれば亜人の仕業になって都合が良かったのに。そういやここだけで何人殺したかなー?」

 

 

 女性は一人二人と人数を数え始める。

 指折り数える動作が五つを超えたところで、もう覚えてないとでも言うように首をすくめた。

 

 

「みんな拷問される直前までは『おお、神よ』とか、『天罰がくだるぞ』なんて言っちゃってさ。大爆笑だったよ。――神が助けにくるかっての。ちなみに一番新しいのは、そっちの瓦礫の下だよ」

 

 

 世間話でもしているかのような女性のトーンに、ネムは背筋が凍る感覚を覚える。

 この女性は目的のために殺すのではない。

 まるで趣味のように――殺すために殺すのだ。

 それに気がついた時、ネムは無意識の内にハムスケにしがみ付く手に力が入っていた。

 

 

「近づいて来る某達に気づいて、慌てて隠したようでござるな。血の匂いと本性は隠し切れなかったようでござるが」

 

「なんでそんなこと……」

 

「人を殺すことに恋していて愛しているから、なんちゃって。うふふ、君はどう思う?」

 

 

 女性の表情は笑ったり残念がったり、コロコロと変わり続けている。

 

 

「いやぁ、神に仕える神官とか聖騎士ってアホだよね。盗んだこの服着てるだけでそれなりに信用されちゃうし。まっ、別に貴女に恨みがある訳じゃないけど……」

 

 

 何を考えているのか全く分からない。

 最初は違和感のない修道服姿だったはずなのに、今ではこの女性が修道服を着ている事が不自然極まりない。

 

 

「――目撃者は消さないとね」

 

 

 一瞬だけ真顔になった女性は、自分にも分かるくらい明確な殺気をこちらに向けた。

 こんなのは普通の人間が出せるものじゃない。

 自分が感じているこの感覚は、武器一つ持ってない人間に感じるものじゃない。

 

 

「お、お姉さんは……」

 

「自分を殺す相手の名前くらいは知りたいって? いいよー、教えてあげる。私の名前はクレマンティーヌ、よろしくねー」

 

 

 言葉が上手く出てこない。

 自分の形を成さない問いかけに、心底愉しげな女性――クレマンティーヌはニンマリとした笑顔で名を名乗った。

 

 

「元漆黒聖典で、元ズーラーノーン十二高弟だったりもしたかな。こう見えてかなり強い戦士だよ? 好きなことは人殺しでーす。あっ、拷問も大好きだよ。だけど、私ね――」

 

 

 ハキハキと元気よく、時に囁くように。

 質問もしていないのに、クレマンティーヌは自身のことをペラペラと喋り続ける。

 ――怖い。

 悪い人という括りでは同じかもしれないが、そこらにいる野盗やチンピラとは質が違う。

 

 

「ビーストテイマーって、大っ嫌いなんだよねぇ!!」

 

 

 残忍で恐ろしい自己紹介の途中、クレマンティーヌの嘲笑で歪んだ顔が憤怒に染まった。

 

 

「弱いクセに、たまたま持って生まれた才能ってやつ? ご立派な魔獣なんか使役して、ムカつくんだよ。強い道具に頼るだけの雑魚がっ」

 

 

 これが彼女の本性なのかもしれない。

 先程までの愉しそうな様子と違い、クレマンティーヌは明らかにイラついており、そこに彼女の本音を感じる。

 でも初対面の自分相手に、どうしてここまで怒り抱いているのかは不明のままだ。

 魔獣に嫌な思い出でもあるのか。いや、それにしては自分を見る目が憎々し過ぎる。

 

 

「は、ハムスケは道具じゃない!! 友達だもん!!」

 

「その通りでござる!! 某にとってもネム殿は友であり、大切な相棒でござる!!」

 

 

 相手の狂気に呑まれまいと、ネムは勇気を振り絞った。

 ――大丈夫。自分は一人じゃない。

 モモンガは今いないけど、頼りになる相棒が一緒だ。

 

 

「ネム殿。この者に対して加減は出来ないでござる。捕縛は諦めて、最初から首を取る気でやるでござる!!」

 

「う、うん!!」

 

「おっ、もしかしてやる気? このクレマンティーヌ様とやり合おうっての?」

 

 

 精一杯の威嚇としてポケットからパチンコを取り出し、照準を合わせる。

 同時にハムスケも臨戦態勢となり、全身に力を漲らせてクレマンティーヌを睨んだ。

 

 

「この服動き辛いんだけど、まぁ丁度いいハンデ…… 全然足りないくらいかな? 武器も一本でいっか」

 

 

 クレマンティーヌは自身の服装を一瞥すると、余裕を取り戻した表情で笑う。

 そして、服の袖に隠し持っていた武器を取り出すと、片手でもてあそび始めた。

 

 

「んふふ。それじゃあ、遊んであ・げ――」

 

 

 その右手に握られた武器は短剣のようだが、よく見れば刃の部分が太い針のようになっている。

 斬撃ではなく刺突に特化した武器、スティレットだ。

 恐ろしく鋭い先端をチラつかされ、ネムは無意識に視線を引き寄せられる。

 

 

「――るっ!!」

 

 

 瞬きの間にクレマンティーヌの姿が消え、気づいた時には目の前で腕を引いた彼女がいた。

 ――速すぎる。

 全く反応出来なかった。あまりのスピードにパチンコを構え直す暇もない。

 

 

「ぁ……」

 

 

 ハムスケの背中でネムは口をポカンと開けてしまい、完全に体が固まっていた。

 時が止まったような感覚の中、自分はこのまま刺されると、ネムは他人事のように理解する。

 それでも動けない。僅かばかりの気の抜けた声が出ただけだ。

 

 

「っ甘いでござるよ!!」

 

 

 だが、友が襲われるのをそう簡単に見過ごすハムスケではなかった。

 スティレットがネムの体を貫く前に、ハムスケの尻尾が頭上からクレマンティーヌを強襲する。

 相手は既に飛び上がった状態。

 空中での回避は物理的に不可能。

 多少の重量と幅がある剣と違い、細く軽量なスティレットでは防御も不可能と思われた。

 

 

「そっちがね――〈不落要塞〉」

 

「なんとっ!?」

 

 

 しかし、その予想は容易く覆されてしまい、ハムスケも驚愕を隠せない。

 ――尻尾がスティレットに弾かれた。

 咄嗟に放った一撃とはいえ、スティレットの何倍もの太さと重さがあるハムスケの尻尾を、クレマンティーヌは受け流さずに真正面から防いだのだ。

 しかも、尻尾を弾いた後もクレマンティーヌの体勢は全く崩れていない。

 

 

「はーい残念でした。私が本気なら今ので二回は死んじゃってるねー」

 

 

 クレマンティーヌは間近で勝ち誇った笑みを見せつけると、ハムスケの顔を踏みつけて大きく後ろに飛び退いた。

 

 

「某の尻尾を完全に防ぐとは、なんという剛力。それでいて獣のような身のこなしでござる……」

 

「ちょっとー、力だけで防いだみたいに言わないでよぉ。今のは武技に決まってんじゃん」

 

 

 これは駄目だ。あまりにも相手が悪すぎる。

 自分はクレマンティーヌの動きを目で追う事すら出来なかった。

 伝説になるくらい強いハムスケの攻撃ですら、簡単に防がれてしまった。

 

 

「でも見れて良かったねー。〈不落要塞〉が使える戦士って滅多にいないから」

 

 

 前にデミウルゴスから教えてもらった話だと、武技とは鍛錬を積んだ才能ある戦士だけが使える技らしい。

 つまりこのクレマンティーヌは――凄く強い戦士だ。

 

 

「――あの世で自慢したら?」

 

 

 修道服を纏った獣はスティレットをぺろりと舐め、爛々とした瞳で獲物を見つめている。

 自分とハムスケが無事なのは、クレマンティーヌの気まぐれの結果。

 相手は今の攻防で自分達を殺せたのに、わざと見逃しただけだ。

 

 

(この女の人、危険すぎる……!!)

 

 

 敵前で固まってしまった自分を叱責しながら、ネムはどうするべきか考える。

 自分達は完全に遊ばれている。即座に勝負をつけないというのは、いつでも殺せるという自信の表れだろう。

 正直なところ、逃げの一択かもしれない。

 

 

「ならばっ〈全種族魅了(チャームスピーシーズ)〉、〈盲目化(ブラインドネス)〉!!」

 

「ちぃっ、精神系か!? こんな、手が……」

 

 

 クレマンティーヌが再び距離を詰めてくる前に、ハムスケは即座に次の手を打った。

 魔法の発動に合わせてハムスケの体にある模様が光り、油断していたクレマンティーヌの動きが僅かに鈍る。

 凄い。モモンガといつも一緒にいるせいですっかり忘れかけていたが、ハムスケも魔法が使えたんだった。

 

 

「――効くかぁ!!」

 

 

 しかし、咆哮を上げてクレマンティーヌはハムスケの魔法を抵抗(レジスト)した。

 なんて無茶苦茶な人間だろうか。

 何かタネがあるのかもしれないが、気合いで振り払ったようにしか見えない。

 

 

「ネム殿、ここは一時撤退でござる!!」

 

「うん!! 逃げよう!!」

 

 

 手札を使い切ったハムスケの判断は早かった。

 力強く大地を蹴り、一番頼りになる存在と合流するべく全速力で走り出す。

 その反動で体が振り回されそうになるが、自分だって同じ失敗はしない。

 こんなこともあろうかと、ネムはあらかじめハムスケの背中にしっかりとしがみ付いていた。

 

 

(っ早く砦の人達に、モモンガに伝えなきゃ!!)

 

 

 見回りを任された以上、こんな危険人物は放置出来ない。

 でも、自分達で相手をするのは危険過ぎる。

 力になれなかった無力感に苛まれ、気持ちだけが先走る中、ネムはしがみ付く両手に力を込め続けた。

 

 

 

 

 走りながら背中にしがみつくネムを尻尾で固定し、ネムの体が耐えられるギリギリの速度までさらに加速しようとするハムスケ。

 行きと同じ道を折り返しているが、モモンガと合流出来そうな場所まではまだ距離がある。

 それでもこの速さなら、五分もしない内に辿り着けるだろう。

 

 

「しばしの我慢でござるよ!! この速度なら、あの女には追い付かれないはずでござるっ」

 

 

 ハムスケは先ほどの攻防でクレマンティーヌの瞬発力を体感したため、仮に追いかけられても振り切れる想定の速度を出している。

 おかげで吹き付ける風と振動が強すぎて、もはやネムはまともに返事をするのも難しい。

 だが、乗り心地は最悪でも安心は出来る。

 土煙をあげ爆走するこのハムスケに追い付ける人間など、普通はいないはずだ。

 

 

「――逃すかよ」

 

 

 しかし、風の唸りに混じった冷淡な声を、ネムは聞いてしまった。

 

 

「っぁが!?」

 

「ハムスケっ――!?」

 

 

 意識外から体に走った鋭い痛みに、全力疾走中のハムスケは驚きも含んだ悲鳴をあげる。

 驚異的な速度で追いついてきたクレマンティーヌが、ハムスケの右後ろ脚をスティレットで突き刺したのだ。

 一度相手の動きを見たからこその、人間相手には追いつかれないという僅かな油断。

 そしてネムを気遣い、走る事に意識を割き過ぎたのが仇となった結果だ。

 

 

「これでおーしまいっ!!」

 

 

 狩人の如き目をしたクレマンティーヌの追撃は止まらない。

 そこから跳ねるように跳び上がると、スティレットを逆手に持ち替え――

 ――ネムの無防備な背中に突き出した。

 

 

「――んぐぐっ。……ね、ネム殿っ!! ネム殿大丈夫でござるか!?」

 

 

 ハムスケは体勢を崩し、勢い余って顔から地面を引きずるようにして止まる。

 背中に乗っていたネムも急停止と背中に受けた衝撃には耐えきれず、ハムスケの前方へ転がり落ちていた。

 

 

「――う、ん。い、痛い……けど大丈夫。でもハムスケが……」

 

「ネム殿ぉ、すまないでござる。某が油断したばかりに…」

 

 

 ネムは軽く咳き込みながらも顔をあげる。

 背中に受けた一撃は呼吸を忘れるくらいの衝撃だったが、奇跡的に軽い打撲と擦り傷で済んでいる。

 一方でハムスケが後ろ脚に受けた傷は深く、傷口からはとめどなく血が流れていた。

 即座に体勢を整えてはいるが、もう先程のように走るのは無理だろう。

 

 

「もう、いきなり逃げるなんて酷いじゃん。追いかけるの大変だったよ?」

 

 

 ネムがふらついた意識をはっきりさせるまでの間、幸いにもそれ以上の追撃はなかった。

 軽口を叩きつつも、クレマンティーヌが襲いかかる気配はない。

 

 

「それにしても、硬かったなぁ。今、肉に刺さんなかったよね?」

 

 

 クレマンティーヌも平然を装ってはいるが、武技を重ねがけして全力でハムスケを追ったため、かなりの体力を消耗していたのだ。

 もう一つの理由として、ネムが予想外に軽傷だった事も関係している。

 

 

(武器に異常はない。防御系の武技で防がれた? ……んなわけないか。あんなガキに武技が扱えるはずもないし)

 

 

 少し息を切らしたクレマンティーヌは目を細め、手に持ったスティレットの先を眺めた。

 本体は上質なミスリルで出来ており、さらに希少金属のオリハルコンでコーティングまで施された強力な武器。

 これまで何人もの命を奪ってきたお気に入りの凶器でもあり、自身の手に非常に馴染んでいる。

 

 

「魔獣にはちゃんと刺さったんだけどなぁ。魔法で防御された感覚でもなかったけど……」

 

 

 馬鹿にしたような台詞とは裏腹に、クレマンティーヌは真剣に考察していた。

 自身の鍛え上げられた技と力を合わせれば、鉄板程度なら容易く貫通出来る。それだけの鋭利さがこの武器にはあるのだ。

 現に魔獣にはしっかりと傷を与えている。

 防具も装備していないただの少女を貫けず、疑念を抱くのは当然だ。

 

 

「お嬢ちゃん背中に何背負ってんのさ。魔獣の皮膚より硬いとか、もしかしてアダマンタイトの板でも仕込んでた?」

 

 

 即死させるほど強く刺したつもりはないが、無傷で済ませるほど優しくしたつもりもない。

 狂気的な行動や性格に反して、クレマンティーヌの戦闘に関する判断は冷静で慎重だ。

 クレマンティーヌは自身でもありえないと思いながら、うつ伏せに倒れたネムの背中を凝視した。

 

 

(……残りの可能性としてはマジックアイテムくらいか。マントの下に見えてるのは、バックパック?)

 

 

 ネムが着ている特筆すべき点のないマントと、その下にある荷物袋――背負っていたリュックには、ちょうどスティレットの幅と同じサイズの穴が空いていた。

 しかし、服に血は一滴も滲んでいない。

 

 

「っハムスケ、早く手当てしなきゃ」

 

「これくらい問題ないでござる。それよりも隙を見せない方がいいでござる。薬はまだ温存するでござるよ」

 

 

 クレマンティーヌが訝しげに観察を続ける中、ネムは痛みを堪えながら起き上がろうとする。

 その時、衝撃で開いていたリュックの口から、ネムを守った物の正体がこぼれ落ちた。

 

 

「あ、これ……」

 

 

 ネムが拾い上げたのは、金属光沢を放つ折り畳まれた物体。

 ハムスケをブラッシングする時にネムがいつも使っているブラシで、とある露店の店主から閉店の記念にと貰った物だ。

 

 

「は? なにそれふざけてんの?」

 

 

 それを目にしたクレマンティーヌのこめかみに、ピクリと血管が浮かび上がる。

 まさかとは思うが、状況証拠が信じ難い奇跡を彼女に叩きつけていた。

 

 

「偶然剣先がブラシに当たった? そんな理由で……」

 

 

 英雄の領域に足を踏み入れた、戦士として超一流の自負がある自分の刺突。

 ――それが日用品如きに防がれた。

 

 

「運が良いだけで、この私のっ!! クソがクソがクソがぁ……」

 

 

 しかも、本気でなかったとはいえ、自分の一撃を受け止めたはずの道具には、目立った傷すら付いていない。

 ――クレマンティーヌの中で何かが切れた。

 もはやネムを守った物が本当にブラシだったのかどうかは関係ない。

 事実として、自分の攻撃で無傷の少女がいる。

 既にクレマンティーヌのプライドはズタズタに傷付けられていた。

 

 

「ムカつくにも程があんぞ。……ぁあ、もう簡単には殺してあげないよ」

 

 

 クレマンティーヌは怒りで歪んだ顔を意志の力で一旦真顔に戻し、不敵な笑みを浮かべ直す。

 だが、その内側では煮えたぎる感情が渦巻いていた。

 銅級程度の小物に抱く感情ではない。なんて殊勝な考えは、クレマンティーヌの中には微塵もなかった。

 そもそもビーストテイマーというだけで、ネムはクレマンティーヌの思い出したくない過去に触れているのだから。

 

 

「……この威圧感。人間でこれ程のものを発する存在には、某も今まで会った事がないでござる。本気で不味いでござるな」

 

「うん。何考えてるのか分かんないし、あの人、変だよ……」

 

 

 呪詛のような苛立ちを吐き出し、今日一番の作り笑顔で少女と魔獣に微笑みかけた。

 そして、クレマンティーヌは誓いにも似た決意を固める。

 ただ拷問するだけでは腹の虫が治らない。

 その瞳から光が消えるまで、決して殺しはしない。

 じっくりとゆっくりと追い詰めて、僅かな希望すら奪い尽くして、絶望させてからが本番だ。

 

 

「全力で苛めてあげるから、精々死なないように頑張ってね?」

 

 

 ――二人の身も心も、徹底的に壊してやる。

 

 

 

 

 まさに絶体絶命の大ピンチ。

 狂った殺人鬼から逃げる事も叶わず、ハムスケも負傷してしまった。

 きっとまともに戦っても、自分達が無事でいられる確率は低い。

 

 

「ハムスケ、耳貸して――」

 

 

 だけど諦める訳にはいかない。

 首にある冒険者プレートを握りしめ、ネムは密かに覚悟を決めた。

 一つ思いついた事があるが、上手くいく可能性は低い。でも、やるしかないのだ。

 クレマンティーヌの憎悪の高まりを感じ取りながら、ネムは今しかないとハムスケに顔を近づける。

 

 

「――なっ!? 無茶でござる。今の某でも、足止めならなんとかやってみせるでござる。ネム殿だけでも先に逃げた方が……」

 

「ダメ!! それだとハムスケがやられちゃう!! 早くやるの!!」

 

「わ、分かったでござる」

 

 

 いつまでもこうしていられる保証はない。

 自分の提案を拒むハムスケを、ネムは勢いで押し切った。

 

 

「まさか作戦会議? アハッ、まだ何とかなるとでも思ってんの? いーよー、待っててあげるから好きにすれば」

 

 

 相手の考えは分からないが、クレマンティーヌは今ダラダラしている。

 気は抜けないけど良かった。今襲い掛かられたら、一巻の終わりだった。

 

 

「こうなれば一蓮托生。某も賭けに乗ったでござる!! さぁ、気合を入れるでござるよ、ネム殿!!」

 

「うん!! お願い!!」

 

 

 言うが早いか、ハムスケはネムに尻尾を巻き付け、空に向かって真っ直ぐに伸ばしていく。

 普段のネムが耐えられる高さを軽く超え、それでも上昇は止まらない。

 震えが尻尾を通して伝わってきても、ハムスケはネムを信じて尻尾が伸ばせる限界まで、高く高く伸ばしていった。

 

 

(こ、こわっ――いけど怖くない!!)

 

 

 地に足がつかない浮遊感。

 いつもより強く肌で感じる風。

 そして圧倒的な高さ。

 落ちたら死ぬという恐怖を生きる希望で無理やり押し潰し、ネムは辺りを見渡した。

 視界を遮る物は何もない。シズに教えてもらった通り、これだけ高ければ遠くまで見えるはず。

 

 ――見つけた。

 

 自分の手のひらよりも小さいサイズだが、遠くの地表に黒い塊が見える。

 早歩き程度の速度で、ゆっくりと小砦の方向に向かっている。

 あの黒光りした塊は、きっと鎧を着たモモンガのはずだ。

 

 

「っモモンガーーっ!!」

 

 

 遠過ぎて声が届かないのは分かっている。

 それでも届けと願いながら、ネムは思いっきり息を吸い込んで力の限り叫び――パチンコを撃った。

 

 

(お願い。気づいて……)

 

 

 石でも木の実でも、何でも同じように飛ばせるのが、この魔法のパチンコの凄いところだ。

 だからネムは首から外したプレートに、自分の血を付けた上で飛ばした。

 たとえ声は届かなくても、高い所からなら弾は届くかもしれないと信じて――

 

 

「いやぁ、さっきのは大道芸? 休憩にちょうど良かったし、けっこう面白かったよー」

 

 

 ハムスケに地面に下ろしてもらっても、早鐘を打っていた心臓の鼓動は中々戻らない。

 一番心配していたのは妨害だったが、自分が戻るまでクレマンティーヌは動かなかったようだ。

 

 

「ああん、でもどうしよう。お仲間を呼ばれたら流石の私も困っちゃう!!」

 

「ぐぬぬ…… いちいち癇に障る女でござる」

 

 

 クレマンティーヌは自身を抱きしめるようなポーズで体をくねらせ、わざとらしい悲鳴を上げた。

 自分達が何をしていたのか、相手にもしっかりバレている。

 でも、クレマンティーヌはカケラも困っていない顔だ。むしろ獲物が増える事を楽しんでいるのだろう。

 

 

「笑ってられるのも今のうちだよ!!」

 

「そうでござる。モモン殿が来てもその余裕が保てるか、見ものでござるな」

 

「うわー、あんなやり方で助けが来るとかマジに思ってる? モモンとか知らないし、そもそも私とまともにやりあえる奴なんて、世界中探してもほとんどいないよ」

 

 

 少しだけ分かった事もある。

 クレマンティーヌは戦士として自信家で、凄くおしゃべりだ。

 実力に見合った高いプライドがあるのだろう。

 こちらが何か反応を示せば、必ずと言っていいほど言い返してくる。

 だから少しでも長く時間を稼ぐため、自分はちょっとでも口を開き続けた。

 

 

「モモンはすごいもん」

 

「だからそんな無名の奴なんか知らないって。仮に誰かが来ても無駄。この国だと…… レメディオス・カストディオとかなら良い線いってたけど、一回死んで弱っちゃったらしいし、今は相手にならないだろうなぁ」

 

 

 もしかしたら、時間稼ぎをしている事すらお見通しなのかもしれない。

 こちらに打てる手を全て使わせて、その上で全部叩き潰してやるとでも言いたげな瞳だ。

 だとしてもこっちはその油断と慢心につけ込むしかない。

 

 

「でも、助けが来るかもとか信じてる奴をいたぶるのって、最高に笑えるんだよねぇ」

 

「来るかもじゃなくて、来るよ。絶対に」

 

「へー、随分と信頼してるのね」

 

 

 クレマンティーヌは無駄な足掻きと決めつけたように、ニヤニヤと笑いながらこちらを眺めている。

 

 

「お仲間が来た時に君がボロボロになってたら、そいつどんな表情するんだろうね? よくも仲間をっ!! とか言って激昂したり? すっごい楽しみー」

 

「そんなこと某がさせないでござる!!」

 

 

 クレマンティーヌの挑発をかき消すように、脚を負傷しているハムスケは無理して力強く立ち上がった。

 苦痛に顔を歪めたが、ハムスケの闘志は死んでいない。

 自分もそんなハムスケを援護するべく、しっかりと相手を見据えてパチンコを構えた。

 

 

「おっ。てっきりオモチャかと思ってたけど、もしかしてそれ魔法の武器?」

 

「当たったら痛いよ」

 

「ふーん。じゃあ、そろそろサービスタイムはおしまい。当てれるもんなら、当ててみな――!!」

 

 

 狙いを付けていた場所から、突然クレマンティーヌの姿が消えた。

 本当に同じ人間とは思えない、目にも止まらぬ移動速度だ。

 でも、自分には無理でもハムスケなら対応出来る。

 

 

「そこでござる!!」

 

 

 クレマンティーヌの突進を妨害するように、ハムスケの尻尾が横薙ぎに振るわれた。

 ――〈不落要塞〉

 尻尾と金属がぶつかり合う音が響く。

 あんな細い腕でどうやって受け止めているのか、クレマンティーヌはまたしてもハムスケの攻撃をスティレット一本で防いだ。

 

 

「ネム殿!!」

 

「当たれ!!」

 

 

 だけど自分達の攻撃はまだ終わりじゃない。

 ハムスケの声を合図に、相手の足が僅かに止まったところへパチンコを二連射。

 一発目は外してしまったけど、もう一発はクレマンティーヌの胸元に向かってちゃんと飛んでくれた。

 しかし、それもあっさりとスティレットで弾かれてしまう。

 

 

「なーんだ。期待して損しちゃった。魔法の武器なんか使ってる割に、しょっぼい攻撃ねぇ。ていうか、ほんとに攻撃?」

 

 

 悔しいなどの感情はもはや湧いてこない。

 ネムは少しでも時間を稼ぐべく、ハムスケの尻尾攻撃に合わせてがむしゃらにパチンコを撃ち続ける。

 ストックしている弾が尽きそうになれば、そこらに落ちている石でも木片でも、それこそ何でも拾って撃ち込んだ。

 でも、一発も当たらない。擦りもしない。

 自分達の攻撃を同時に捌きながらも、クレマンティーヌには明らかな余裕があった。

 

 

「ほらほら、ちゃんと狙わないと当たんないよ? 魔獣の方も精度が落ちてんじゃない?」

 

 

 相手は挑発を続けながら、動き辛い修道服で軽やかにステップを刻んでいる。

 いくらでも隙はあるはずなのに、クレマンティーヌは仕掛けてこなかった。

 襲い掛かるフリだけして、自分達が右往左往するのを見て楽しんでいる。

 攻撃をスティレットの先端で弾くという、無意味に高度な技を見せつけて、こちらの心を折ろうとしてくる。

 

 

「なんか疲れてきたなぁ。もう他に作戦とかないの?」

 

 

 無残な攻防が続き、どれくらい時間が経過したのか。

 相手は微塵も疲れていない態度で欠伸をして、言外にこちらの行動が無駄だと伝えてくる。

 事実、いくらパチンコを撃っても手応えがなさ過ぎて、他の不安まで連鎖して頭に浮かび始めていた。

 

 

「全然当たんない……」

 

「当たらずとも牽制にはなっているでござる。それに諦める程ではないでござるよ、ネム殿。あの方々に比べれば、こんな奴雑魚に等しいでござる」

 

「あァ?」

 

 

 アレがちゃんとモモンガに届いたのか。

 届いていたとして、意図がちゃんと伝わるのか。

 助けがいつ来るのかも分からない状態で、延々と耐え続けるのは精神を削られる。

 

 

「ここを耐え凌げば某達の勝ちでござるよ。もう一踏ん張りでござる!!」

 

「うん!!」

 

 

 ハムスケは励ましてくれるが、返した返事と裏腹に自分の体は重い。

 気力と体力を激しく消耗したせいで、段々とパチンコを操る動作も遅くなってきた。

 

 

「……尻尾振るしか能がない獣が、この私に向かって雑魚だぁ? そっちのガキも強がってないで、そろそろ諦め――」

 

「まだまだでござるよ!!」

 

 

 不意に、後ろ脚を負傷しているハムスケが片脚だけで地を蹴って、クレマンティーヌに飛びかかった。

 尻尾で攻撃するばかりでハムスケ自身はもう動けないと思っていたのか、急激に迫る巨体にクレマンティーヌの目が少しだけ見開かれる。

 

 

「ちぃっ!!〈不落要塞〉!!」

 

「今度こそ、もらったでござる!!」

 

 

 繰り出されたのは、尻尾と爪を合わせた多段攻撃。

 散々尻尾を武技で防がれ続けたからこそ、ハムスケが見つけた僅かな勝機。

 ――この武技の連続発動には限界がある。

 先程までと同じように尻尾は一方的に弾かれてしまったが、続くハムスケの爪はクレマンティーヌを射程内に捉えた。

 

 

「――〈流水加速〉」

 

 

 しかし、両手を交差するように放たれた叩きつけは、ほんの僅かな隙間を縫うようにして躱されてしまう。

 まるでクレマンティーヌの時間だけが加速して、ハムスケの動きが遅くなったようだ。

 

 

「てめぇの策なんか無駄なんだよ!!」 

 

「がっ――!?」

 

 

 躱した勢いそのままにスティレットが振るわれ、鋭い先端がハムスケの鼻先を切り裂いた。

 そして、クレマンティーヌが隠し持っていた二本目のスティレットを手にする。

 

 

「死ね」

 

 

 ぞっとする言葉を添えて、怯んだハムスケの肩に二本のスティレットが突き立てられた。

 

 

「まだ終わりじゃないんだよ!!」

 

 

 さらに、クレマンティーヌが捻るようにスティレットを動かした瞬間――真っ赤な炎が刀身から溢れ出した。

 

 

「アハッ、アハハハハッ!! ついでにコイツも喰らっとけ!!」

 

 

 爆炎に包まれ、もう片方のスティレットからは電撃まで迸り、ハムスケの悲鳴はかき消される。

 代わりに響き渡ったのは、狂ったように笑う女の声。

 そして、それを目にした自分の悲鳴だった。

 

 

「……ぐっ、がはっ」

 

「おー、さすが魔獣。生命力すごいねー。〈火球(ファイヤーボール)〉と〈雷撃(ライトニング)〉の両方が直撃したのに、まだ全然生きてるじゃん」

 

「……無念で、ござる」

 

 

 焼け焦げた匂いが周囲に広がり鼻につく。

 クレマンティーヌが飛び退くと同時に、巨体を包んでいた炎と電撃が消え、ハムスケは仰向けに崩れ落ちた。

 

 

「ネム殿…… 早くっ、に、逃げるでござる……!!」

 

 

 苦しさと悔しさが混ざった目で、ハムスケは自分に訴えかけてくる。

 しかし、自分はすぐに動けなかった。

 今の一瞬で何が起こったのか、まるで飲み込めなかった。

 ハムスケが突進したと思ったら、急に燃えてビリビリと光って倒れた。そんな風にしか見えなかった。

 

 

「ハム、スケ…… っすぐに、すぐポーションを使うからっ!!」

 

「来ちゃ、ダメで、ござる……」

 

 

 呆然と相棒の名前を呟き、一拍置いてネムは意識を再起動させる。

 一刻も早くポーションを使わないと不味い。

 ハムスケの肩周りは黒く焼け焦げ、部分的に毛皮がなくなりピンクの肉が見えている。

 痺れたようにぴくぴくと体を痙攣させている。

 いくらハムスケが頑丈な魔獣でも、このまま放置すればきっと命に関わる。

 

 

「させると思う?」

 

 

 ハムスケの言葉を無視して近づこうとした自分の前に、両手にスティレットを持ったクレマンティーヌが立ち塞がった。

 あと少しで手が届くのに、自分とハムスケの距離はずっと遠くなってしまう。

 

 

「もう助けてくれる人はいないよー。あっ、そいつは人じゃなくて魔獣だったか。ごめんね、お姉さん間違えちゃった」

 

 

 腕をだらりと脱力させ、裂けるような笑顔を見せるクレマンティーヌ。

 先端からポタポタと血が垂れている二本のスティレットは、ネムが意識しないようにしていた"死"を思い起こさせた。

 

 

「ぁあ、ぁぁ……っ!!」

 

 

 ――ここで泣いたら折れてしまう。

 邪魔しないでと、ネムは消えかけている戦意を込めてパチンコを撃ち込んだ。

 至近距離からの射撃。これなら絶対に外さない。

 痛手にはならないだろうが、ちょっとでも怯んだ隙にポーションを使えれば――

 

 

「当たるわけねーだろ。武器を持つんなら、せめて()()くらいしなよね」

 

 

 駄目だった。目の前の敵にとって、距離など関係なかった。

 クレマンティーヌのお腹辺りに飛んだ弾は、あっさりと片手でキャッチされ、握り潰された。

 

 

「さっきから気になってたんだけどさぁ。それ、ちゃんと使ったことないでしょ」

 

「……あるもん。いっぱい練習したもん!!」

 

 

 自然と構えていた腕は下がり、視線も地面を向いていた。

 自分はまだ五体満足で、武器だってある。

 なのに、パチンコを強く握り締めているのに、次を撃つ気力が湧いてこない。

 相手の顔をまともに見ることも出来ず、残された僅かな意地で、項垂れたまま言い返す事しか出来なかった。

 

 

「アホか。アンタ戦い舐めてんの? 下手くそなのか無意識なのか知らないけど、顔とかの急所、全然狙ってないよね?」

 

 

 根本から間違えているのだと、馬鹿にしたように言葉を吐き捨てられる。

 絶望的な状況での指摘は、嘘か本当か分からずとも自分を酷く混乱させた。

 

 

「ぬるすぎて反吐が出る。テメェの攻撃には殺意がねぇんだよ。相手を殺す意思も、戦う覚悟もない」

 

「そん、な……」

 

 

 クレマンティーヌから放たれる、体を射抜くような威圧感。

 たとえ目を合わせずとも、それは自分の体の自由を簡単に奪った。

 

 

「ビーストテイマーだろうがなんだろうが、戦う者として失格ね」

 

 

 自分はダメな冒険者だったのだろうか。

 こんな命の懸かった瀬戸際でさえ、覚悟が持てない弱い存在だったのだろうか。

 

 

「君がもう少しまともに支援できてたら、そこの魔獣も負けなかったかもねぇ」

 

 

 その姿が見たかったと言わんばかりに、クレマンティーヌは楽しそうに語りかけてくる。

 家族には守られて、友達にも助けてもらうばかりで、自分は一つも役に立てない。

 せっかく冒険者になったのに、約束したのに。

 結局あの時から、自分はちっとも成長出来ていなかったのか。

 

 

「手札はぜーんぶ使い切って、何も出来ないってどんな気分? 自分の弱さに絶望しちゃったぁ?」

 

「……某の友を、侮辱するなでござる」

 

「魔獣のいないビーストテイマーとか役立たずでしかないでしょ。……あの男も、このガキもっ、ビーストテイマーなんて所詮は自分一人じゃ戦えないゴミなんだよ!!」

 

「ネム殿は、戦うために冒険者になったのではござらん。ゴミなんかじゃないでござる!!」

 

 

 ガリガリと土をひっかく音が聞こえる。ハムスケはまだ頑張ろうとしている。

 でも体を震わせるのが精一杯で、まともに立ち上がれていない。

 ――自分がもっと強かったら。

 煽り言葉だと頭で分かっていても、クレマンティーヌの嘲笑は自分の心に深く突き刺さる。

 

 

「……そーだ。コイツ見捨てるなら、君は見逃してあげよっか?」

 

 

 優しい声で紡がれる、甘い毒のような台詞。

 生存という、一筋の希望が急に目の前にぶら下げられた。

 きっと罠だ。

 罠に、違いないのに。

 

 

「ほら、友達だか相棒だかを見捨てて逃げればいいじゃん。しょせんは使役してるだけの魔獣でしょ?」

 

「ち、違う。ハムスケは……」

 

「ネム殿。某は気にせず、行くでござるっ。早く!!」

 

 

 ――やめて。

 弱い心が内側から溢れそうになる。

 ――やめて。

 これ見よがしなクレマンティーヌの言葉は、自分の死にたくないという気持ちを、これでもかと刺激してくる。

 ――やめてっ。

 そんな自分に、苦しそうに掠れた声で、ハムスケは必死に逃げろと伝えてくる。

 

 

「ほら、魔獣も逃げろって言ってる事だしさぁ。逃げてもいいんだよぉ?」

 

 

 可能性は低いけど、今逃げれば本当に助かるのかもしれない。

 そうだ。家族とは必ず無事に帰ると約束していた。

 今逃げたって、モモンガさえ来てくれれば後からなんとかなるかもしれない。

 ごめんね、ハムスケ。自分が残っても――

 

 

「……ぃ、ゃだ」

 

 

 口から漏れた小さな本音は、折れかけた自分にとって意外なものだった。

 弱くて役に立てなくても、自分は家族に顔向けできないような最低な存在ではなかったようだ。

 

 

「声が小さくて聞こえないなぁ…… 最後のチャンスだけど?」

 

 

 クレマンティーヌの脅すような声に、自分の体は震えて負けそうになる。

 だけどあの日、騎士に立ち向かった両親はきっとそんなこと考えなかった。

 自分の手を取って走った姉は、命を捨てて盾になろうとした姉は、こんな気持ちに負けなかった。

 

 

「嫌だっ!!」

 

 

 ネムは顔を上げて叫んだ。

 もし倒れているのが見知らぬ誰かなら、自分は逃げていたかもしれない。

 自分のこれは、意味のない我儘かもしれない。

 だけど、家族や友達が危ない目に遭っているのに、見捨てて自分だけ逃げるのは――もう嫌なのだ。

 

 

「ふーん。それでいいんだ」

 

「……っ!!」

 

 

 顔を上げた自分の視線と、こちらを見下ろすクレマンティーヌの視線がぶつかり合う。

 まとわりついてくる肉食獣じみた気配。

 次の瞬間にも、自分はあの凶器で貫かれているのだろう。

 それでも自分はただ真っすぐ、今にも涙が零れそうな顔に力を入れて、クレマンティーヌの冷たく残忍な目を真正面から見つめ返した。

 

 

「つまんないの。……弱い奴が意地張っても意味なんかないんだよ」

 

 

 お互いに動かぬまま、一秒が経ち、二秒が経ち、三秒が経ち――クレマンティーヌは当てが外れたように悪態をつく。

 

 

「あーあー。仲間見捨てて逃げる馬鹿を後ろから刺すのが最高なのに……」

 

 

 そして、心底つまらなそうに視線を逸らした。

 

 

「ホント興醒め。魔獣も無駄に足掻くし。友情ごっことかくだらない。テメェも役立たずの雑魚らしく、手足潰してさっさと拷問して――」

 

 

 再びこちらを向いたクレマンティーヌが短く息を吐くと、一際強い強い殺気が溢れ出す。

 段々と勇気が底をつきかけ、ネムの目から涙が零れそうになった。

 しかし、その前にスティレットを構えたクレマンティーヌの体が、何かを察知したようにピクリと動く。

 

 

『――それは違うな』

 

 

 風に煽られた布がバサバサとはためく音が聞こえ、自信に満ちた力強い声が木霊する。

 ネムとクレマンティーヌの間に黒い影が落ち、点のようだった影は急速に大きくなっていく。

 

 

「某達の、勝ちでござるな……」

 

「うん…… うん!!」

 

 

 顔を顰めて警戒するクレマンティーヌとは真逆に、満身創痍のハムスケは力を抜いて安心したように呟く。

 ネムも同意するように頷き、待っていた希望に顔をゆるませた。

 

 

「どこから…… まさかっ!?」

 

 

 一瞬だけ空を見上げたクレマンティーヌは、舌打ちをして後ろに飛び退く。

 ――次の瞬間、盛大な地響きを立てながら、漆黒の全身鎧がネムの前に着地した。

 

 

「……ハムスケの行動は無駄ではない。ネムも決して役立たずなどではない」

 

 

 土埃の中で漆黒の輝きが希望のように煌めく。

 来てくれた。

 自分に勇気をくれる優しい背中。

 いつも自分を助けてくれる、心強い友達が来てくれた。

 

 

 

「他にも色々と言ってやりたい事はあるが――」

 

 

 着地の衝撃に身を屈めていた、漆黒の全身鎧を纏う戦士――モモンガが、真紅のマントを翻して立ち上がった。

 

 

「私の敵は、お前だ――なぁぁあっ!?」

 

「いきなり出て来て説教とか、興味ないんだけど」

 

「モモーンっ!?」

 

「モモン殿ぉお!?」

 

 

 ――そして顔面をスティレットでぶっ刺された。

 

 

 




人類最高峰の戦士、クレマンティーヌとの戦い。
どうあがいても勝てないので、ネムとハムスケにとってかなりの試練になりました。
モモンガも冒険者中はある程度の怪我などは仕方ないと考えています。
それでも、もしネムが重症を負わされてたら相手は悲惨な結果になってたはず。
モモンではなく、モモンガとしてネムと遊んでいる時に遭遇していたら、クレマンティーヌは即殺されてるかも。



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チームの力

前回のあらすじ

「まさかの着地狩りされた」
「説教とか興味ないから刺しちゃった」
「思わず叫んじゃったけど、モモンガなら無事だよね?」
「モモンガ殿にあんなの効く訳ないでござるな」

長かった昇級試験編もついに決着です。





 

 

「……ハムスケの行動は無駄ではない。ネムも決して役立たずなどではない」

 

 

 どうやってか空から降ってきた男は、衝撃で舞い上がった土煙の中からゆっくりと立ち上がった。

 虚飾のない自信に満ちた物言い。

 漆黒の全身鎧に真紅のマントという出立ち。

 重厚なグレートソードを二本も背負いながら、その重さを全く感じさせない自然な動き。

 なるほど。こいつが少女と魔獣がしきりに凄いと言っていた、モモンとかいう奴に違いない。

 

 

(クソが……)

 

 

 クレマンティーヌは本当に現れた救援を前に、驚きよりも憎悪や苛立ちに似た感情を抱いた。

 助けに来た目の前の戦士に対してではなく、打って変わって希望に満ちた表情をしている少女――ネムの方にだ。

 

 

「他にも色々と言ってやりたい事はあるが――」

 

 

 魔獣を操る稀少な才能。

 土壇場で助けが来る天運。

 甘い性格からして、どうせ家族にも愛されて育っているのだろう。

 孤独な努力の末に今の力を身に付けた自分と違い、ただ恵まれただけの少女に激しい不快感が湧き上がる。

 

 

「私の敵は、お前だ――なぁぁあっ!?」

 

「いきなり出て来て説教とか、興味ないんだけど」

 

「モモーンっ!?」

 

「モモン殿ぉお!?」

 

 

 とりあえず腹いせに少女の希望とやらを即殺。

 狙えそうな箇所が少なかったので、ヘルムのスリットにスティレットを深々とぶっ刺してやった。

 

 

「――くっ。いきなり刺すとか、登場シーンなんだから少しくらい話聞けよ。その服は飾りか?」

 

「宗教家に夢持ちすぎなんだよ。ていうか、何で死なないの?」

 

「企業秘密だ」

 

 

 またかよと思いつつ、クレマンティーヌは乱暴に振るわれた腕を躱す。

 自分の一撃は相手の目の部分、少なくともヘルムの下の顔面には届いたはずだ。

 しかし、どんなカラクリがあるのか、モモンは全くダメージを受けていないようだった。

 

 

(コイツ、空から降ってきやがった…… 『飛翔の靴(ウイングブーツ)』みたいなマジックアイテムでも持ってんのか? 装備も良いし、今の攻撃を防いだのも武技よりマジックアイテムの可能性が高いか)

 

 

 クレマンティーヌは一旦不要な感情を振り払うと、改めて漆黒の戦士を値踏みした。

 確かに見かけの上では、これ以上ないというほど英雄然とした雰囲気がある。

 ――だが、強者特有の気配はまるでない。

 

 

「それにしても、よく助けに来れたね。どうやってここが分かったの?」

 

「なに、途中でコレを拾ったからな。二人の救援信号に気が付いたという訳だ」

 

 

 というか、緊張感もない。

 仮にも人類最高峰の戦士である自分を前に、この舐め切った態度。

 戦士なら相手の気配や動きを見て、少しくらいは強さを推し量って然るべきだ。

 この男、相手の力量が読み取れないにも程がある。

 

 

「正直なところ、私だけだと気付くのが遅れたかもしれんが、パンド――猫の知らせがあったのでな」

 

「タイミング悪過ぎ。あともうちょっとであのガキをズタズタにして、殺すところを見せてあげられたのに」

 

「それはどうかな。お前如きにネムを殺せたとは思えんな。仮に私が気付かずとも、ネムのHPが四割を切ることは絶対になかったと思うぞ」

 

「ふーん。ま、なんでもいいや。随分と良い装備してるみたいだけど、どうせ私の敵じゃ――っ!?」

 

 

 はっきり言って魔獣の方が強い。

 どうせこいつも装備頼みの大した戦士じゃない――そう思ったのも束の間。

 不意打ちで抜刀された二本のグレートソードが、あわや自分の首を落とす寸前だった。

 

 

「お返しだ」

 

「てめぇ……っ!!」

 

 

 反射的に仰け反って躱した顔の近くをグレートソードが通り抜け、剣圧で生じた風が頬を撫でる。

 危なかった。ほんの僅かでも反応が遅れていたら、あと少し油断が大きければ、頭と胴体がお別れするところだった

 

 

「どうした。早速余裕が崩れたぞ?」

 

「……確かにお仲間が信頼するだけの事はあるね。上手く隠してたみたいだけど、凄い身体能力だと思うよ。そりゃ自慢したくもなるだろうね。で・も……」

 

 

 数瞬前の自分を棚上げし、クレマンティーヌは力を隠していたモモンを呪うように睨んだ。

 思考を素早く切り替え、一度大きく後退すると意識を戦闘一色に染め上げる。

 

 

「このクレマンティーヌ様を舐めんなよ」

 

 

 クレマンティーヌは身につけていた修道服を引き千切って投げ捨てると、下に着ていたビキニアーマーのような軽装鎧をさらけ出した。

 大きく露出した足やお腹に新鮮な風を感じ、自分を縛る枷から解き放たれた感覚さえしている。

 

 

「ハンティングトロフィーか。悪趣味なものだ……」

 

「女性の体をじろじろみるなんて、変態だね」

 

 

 モモンの視線が自分の体に吸い寄せられたが、言動からして下心ではなさそうだ。

 自分の鎧に打ち付けられた冒険者プレート――大量の遺品に気が付いたからだろう。

 

 

「うんじゃ、いっきますよー」

 

 

 本来の動きやすさを取り戻したクレマンティーヌは、片手を地面に着けるほど前のめりになり、独自の突進の姿勢に入る。

 ――〈能力向上〉

 ――〈能力超向上〉

 魔獣と少女相手には、ここまでする必要はなかった。

 だが、異常な身体能力を持つモモンに対しては、手を抜くと足元を掬われる可能性があると判断したためだ。

 

 

(相手は大剣と全身鎧。至近距離で関節を潰す!!)

 

 

 体のバネを最大限に利用し、たった一歩の踏み込みで相手の懐へ入り込む。

 モモンの驚愕する顔が透けて見えるようだ。

 そのまま相手の武器のリーチを潰すように、密着状態で攻撃を繰り出した。

 

 

「ほらほらほらぁ!! さっきまでの威勢はどうしたのかなぁ!!」

 

「くぅっ!!」

 

 

 首、肩、肘、膝、どれも面白いくらいに攻撃が通る。

 全身鎧の中でも比較的防御の薄そうな、関節部分を狙った連撃をモモンは防ぎきれていない。

 

 

「はぁっ!!」

 

「そんな大ぶりじゃ当たんないよー」

 

 

 一撃必殺の急所狙いとヒットアンドアウェイが自分の基本戦法だが、相手の防御力の高さとマジックアイテムの存在を考慮し、今は手数を重視していた。

 攻撃や魔法などの完全無効化といった強力なマジックアイテムは、基本的に回数制限があるからだ。

 

 

(こいつ、全身鎧とは思えない動きだな……)

 

 

 クレマンティーヌは戦いながら、モモンの戦士としての技量を見極める。

 モモンの剣技は一見すると力任せの暴風のような、荒々しい大剣二刀流の乱撃。

 しかし、太刀筋には基本的な型、剣術の基礎と呼べるものがあった。

 言ってしまえば基本を修めただけの動きだ。

 

 

「これが英雄の領域に足を踏み込んだ私と、装備が強いだけの偽物との差だよ」

 

 

 小休止にクレマンティーヌは一度距離を取った。

 防具が硬過ぎて致命傷は負わせられなかったが、モモンの全身鎧には無数の傷が付いている。

 どの攻撃も鎧は貫通せずとも、あれだけ滅多刺しにしたのだ。

 悲鳴も上げずに我慢しているようだが、おそらく衝撃で体中が痛んでいることだろう。

 

 

「なるほど。二人を倒すだけのことはあるな」

 

「そっちは戦士としては駆け出しだね。うん、銅級(カッパー)のプレート似合ってるよー」

 

 

 戦いの組み立て方は少し光る物があるかもしれないが、剣を振るう技量自体は大したことがない。

 クレマンティーヌは冷静な評価として、モモンを身体能力が異常に高い初心者剣士と判断した。

 

 

「それで、その初心者を倒し切れない貴様はなんだ? まさか本職はシスターです。とでも言うつもりか?」

 

「役立たずのガキと冒険者ごっこしてるお山の大将が。装備が強いからって調子に乗ってんじゃねぇぞ」

 

「はははっ!! 負け犬の遠吠えとはまさにお前のことだな。お前はその役立たずと罵る相手に時間を稼がれ、救援まで呼ばれてしまったのだからな」

 

「そんなに早く死にたいの? 武技すら使えない半端な技量のくせに……」

 

 

 しかし、何故か底が見えない相手の余裕に、一種の不気味さを薄らと感じる。

 このまま会話を続けても苛立ちが増すだけだと、クレマンティーヌはわざと見逃してやったという台詞を飲み込んだ。

 

 

「それが何か? こちらは一人も欠けていないんだ。私達とお前、どちらが優秀かは言うまでもないよなぁ?」

 

「あァ? 偉そーに言っても、ただの負け惜しみじゃん。役立たずが何人集まろうが、このクレマンティーヌ様に勝てるはずがねぇんだよ!!」

 

 

 場数だけは踏んでいるのか、ムカつくほどに口が達者な奴だ。

 

 

「ならば三分だ。三分以内に作戦を立て、私達チームの力でお前を倒してやる。それをお前に対する復讐としよう」

 

 

 モモンが急に指を三本立てたかと思えば、自分に背中を向けて堂々と仲間の元へ駆け寄っていった。

 敵を完全に視界から外すあまりの無謀さに、神経を尖らせていたクレマンティーヌですら呆気に取られてしまう。

 

 

 

「負けるのが不安ならば、今すぐ邪魔しに来ても構わないぞ?」

 

 

 しかも、ムカつく捨て台詞のおまけ付きだ。

 

 

「……いいよ。その安い挑発に乗ってあげる」

 

 

 クレマンティーヌは伝わるかも分からないくらいの声量で、独り言のように小さく呟く。

 向こうがその気なら、最後の悪足掻きも真正面から潰してやる。

 相手の策を全て打ち破った上で殺せば、この苛立ちも少しは晴れるだろう。

 

 

(何がチームだ。ビーストテイマーなんかに、仲間に頼る甘ちゃんに、私が負けるはずねぇんだよ……)

 

 

 クレマンティーヌは怒りを募らせながら、無防備なモモンの背中を穴が空くほど睨み続けた。

 

 

 

 

 息を呑むような激しい剣戟の応酬の末、モモンガは軽い足取りで戻ってきた。

 

 

「ネム、ハムスケ、力を貸してくれ。戦士の私だけでは、アイツを倒すのは少々難しい」

 

 

 助けに来てくれたモモンガも、クレマンティーヌを倒す事は出来なかった。

 むしろ戦士としての戦いなら、追い込まれてすらいたのだろう。

 

 

「……すまないでござる。某はもう動くのも厳しいでござる。あの女の武器から出た火と雷の魔法にやられてこの様でござる」

 

「ふむ。それは使える情報だな。ネムはまだやれるか?」

 

 

 きっとここで自分が無理だと言えば、モモンガは鎧を脱ぎ去ってしまう。

 冒険者モモンとしてではなく、モモンガとしてあっさり敵を倒してしまうのだろう。

 

 

「もしもまだ動けるなら、一人で勝てない俺を手伝ってほしい」

 

 

 本音を言えば戦うのは怖い。

 魔法でやっつけてくれと、モモンガに縋りたくなる自分がいる。

 だけど、モモンガは「力を貸してくれ」と言った。自分なら出来ると信じてくれている。

 冒険者を始めた頃、自分はモモンガが困ったら助けると約束したのだ。

 何が出来るか分からないけど、モモンガが一緒ならまだ頑張れる気がする。

 

 

「うん!!」

 

 

 冒険者ネム・エモットは、借り物の勇気を胸に再び立ち上がった。

 

 

「ありがとう、ネム。これで私達の勝利は決まったな」

 

「でも、どうしたらいいの?」

 

「よし、二人ともよく聞いてくれ」

 

「某もでござるか?」

 

「クックック…… 奴の弱点は短絡的な思考、煽り耐性のなさ、防御の薄さ、攻撃バリエーションの少なさ、挙げればキリがないな。二人には重要な役割を担ってもらう。さぁ、存分に嫌がらせをしようじゃないか――」

 

 

 なんだか悪い顔をしているモモンガを見て、不思議と勝てる自信も湧いてきたのだった。

 

 

 

 

 似た者同士でチームを組んでいるのか、モモンはネムと似た方法で作戦会議をしている。

 顔を寄せ合ってコソコソと、まるで子供のお遊びだ。

 何を話しているかまでは聞こえないが、どんな作戦を立てても無駄に決まっている。

 魔獣は既に戦闘に参加出来ないほどボロボロ。

 ネムは操る魔獣がいなければそもそも戦力外。

 救援に来たモモンはただの脳筋。

 技術はないがやたらと硬いモモンを囮にして、さっさと逃げ出すのが一番現実的な策だろう。

 

 

「待たせたな。では早速、私達の本気を見せてやろう!!」

 

 

 話し合いは終わったのか、モモンは両手を大きく広げながら一人で突っ込んで来た。

 さっきの攻防で何も学んでいない馬鹿なのか、それともこちらを馬鹿にしているのか。

 虚仮威しでしかない、正直隙だらけの動きだ。

 

 

「……本気も何も、さっきと全然変わってないじゃん」

 

 

 自分が待ってやった三分を返せ。

 クレマンティーヌは激昂しかけた精神を鎮め、この戦士モドキに格の違いを分からせることにした。

 

 

「距離ってのは、こうやって詰めるんだよ!!――〈疾風走破〉」

 

「っ!!」

 

 

 武技による爆発的な加速で距離を縮めた自分に、反射的な動きでグレートソードが振るわれる。

 やはりこの男は咄嗟の判断が甘い。

 反応が遅い訳ではなく、変な話が剣士になりきれていない歪な動きだ。

 ――〈不落要塞〉

 ――〈流水加速〉

 甲高い音を立てながら右のグレートソードを弾き、神経を加速させて左のグレートソードを掻い潜る。

 

 

「っ!? ゔぇっ、目が、って砂利!?」

 

「隙アリだ!!」

 

 

 そのままモモンの首を刺し貫き――とはいかなかった。

 顔の周りを舞い散る砂が視界を滲ませ、口の中にジャリジャリとした不快感をもたらす。

 いくら〈流水加速〉を使っていても、空中に舞う砂粒を一つ一つ躱すのは物理的に不可能だ。

 モモンの方はヘルムの下にゴーグルでもしているのか、その中でも平然と斬りかかってきた。

 

 

「ふざけやがって……」

 

 

 馬鹿力で振るわれたグレートソードを〈不落要塞〉で弾き返し、一度仕切り直す。

 砂が入った痛みに目を細め、口に入った砂を吐き出した時、不自然に舞った砂の正体に気づいた。

 

 

「これでもくらえー!! ばーか、あほー、まぬけー」

 

 

 モモンの頭上に、魔獣の尻尾で支えられたネムが浮いていた。

 さらには見え見えの挑発と共に、握りしめた砂をせっせと投げつけてくる。

 ハムスケはネムを降ろしては持ち上げてを繰り返し、砂を補充させる動きに淀みはない。

 ぐったりとした様子から体は限界だと思っていたが、まだ尻尾は動かせたらしい。

 

 

「目潰しなんて小賢しい真似しやがって」

 

「相手の嫌がる事をするのは戦いの基本だろう?」

 

「こんな砂遊びで腕が鈍るほど、戦士は甘くねぇんだよ!!」

 

「唾を吐き散らしながら言っても説得力はないぞ。随分と精彩を欠いているようだが?」

 

 

 舞い散る砂を無視し、クレマンティーヌは再びモモンに接近する。

 相手のグレートソードを紙一重で捌き、徹底的に関節を狙い続ける。

 極限の集中力を持ってすれば、こんな砂遊び如き妨害にはなりえない。

 

 

「おへそ丸出しの変な服ー。プライド高いのに余裕がなくて、モモンに手も足も出てないぞー」

 

 

 上から浴びせられる挑発も同様だ。

 反撃されない絶妙な高さを維持しているのが、憎らしいと言えば憎らしい。

 だが、子供の言葉に乗せられるほど、自分の精神力は弱くない。

 

 

「えーと、あとは…… 自分で自分の服破いてもったいない。縫い物下手そう。犬とか苦手そう」

 

 

 ――しかし、非常に鬱陶しい。

 戦闘中にノイズが走っているのも事実だった。

 防御の薄い箇所に段々と攻撃が直撃しなくなってきている。

 さっきは圧倒出来ていたモモンに対し、互角とも言える戦いになってしまっていた。

 

 

「攻撃が直線的だな。読みやすくて助かるぞ」

 

「てめぇみたいな雑魚に小細工は必要ないだけだっつうの」

 

 

 目の前のモモンに集中しなければならないのに、上から絶え間なく降ってくる砂と罵声――半分くらいただの感想じゃねぇか――に、クレマンティーヌは僅かだが調子を狂わされていた。

 

 

「性格が悪い。口も悪い。自分で自分のことお姉さんとか言っちゃう。顔が砂まみれ。若づくり」

 

「あーもうっ!? ビーストテイマー風情がっ!!」

 

 

 そして、モモンという底の見えない化け物との戦闘において、その僅かな調子の狂いは致命傷となる。

 

 

「意識をそらしたな?」

 

「っ〈不落――!?」

 

 

 ――武技が間に合わない。

 自分の意表をつき、直前まで打ち合っていたグレートソードを捨てたモモンの拳が、ゼロ距離から腹部にめり込んだ。

 

 

「――がはっ!? ぉお、おぇ、ぐぞ、クソがぁ……」

 

「勝負あったな」

 

 

 溜めのないパンチとは思えない威力が腹から広がり、自分の体に異音を響かせる。

 まるで負のエネルギーを直接ぶち込まれたような、痛覚だけでは表す事の出来ない苦しみ。

 クレマンティーヌは思わず後ろへ数歩よろめき、蹲るように膝をついた。

 

 

「今の私は冒険者だ。非常に不本意だが、このまま降伏するなら、抵抗する力を奪った後で衛兵に突き出してやろう」

 

「まだ、まだ終わってない……」

 

 

 内臓を掻き回されたような不快感を、胃液と一緒に血反吐として吐き出す。

 こんな仲良しごっこをしてる奴らに負けたくない。

 あんな子供の援護のせいで負けたなんて、断じて認めない。

 兄と同じ魔獣使い(ビーストテイマー)なんかに、死んでも負けるものか。

 

 

「こんくらいで!!――」

 

 

 お腹の鈍痛を精神力でねじ伏せ、全身の筋肉に力を込める。

 クレマンティーヌは自分を見下ろしているであろうモモンを睨むべく、憎悪を込めた表情で顔を上げた。

 

 

「一体いつから、某が動けないままだと思っていたでござるか?」

 

 

 しかし、自分を見下ろしていたのはモモンだけではなかった。

 深い知性を感じる魔獣の瞳。

 その瞳の奥に、完全に復活した闘志が見える。

 

 

「これなーんだ」

 

 

 自分の頭に浮かんだ疑問に答えるように、少女が空になっているポーションの瓶を自分に見せつけてきた。

 

 

「嘘っ、あの重症であり得ない!!」

 

 

 クレマンティーヌは即座に現実を否定する。

 あり得ない。砂を集める合間にネムがポーションを使ったのだとしても、こんな短時間に重症を治せるポーションなんかある訳がない。

 

 

 

「PvPにおいて重要なのは、どれだけ上手く相手に虚偽の情報を掴ませるかだ」

 

「苦しませるのは趣味ではないので、さっさと諦めるでござるよ」

 

 

 モモンの淡々とした物言いが、クレマンティーヌの精神を追い詰める。

 ハムスケの飄々とした物言いが、クレマンティーヌを苛立たせる。

 何も言わないネムの眼差しが、クレマンティーヌの憎悪を掻き立てる。

 今のこのコンディションで、魔獣とモモンを同時に相手取ることは難しい。

 個々ならば絶対に負けないのに、何故、どうしてこうなった。

 

 

「ネムに気を取られ過ぎて、ハムスケを回復させていたのには気づかなかったようだな?」

 

「……く、なめるなぁぁあっ!!」

 

 

 違う。ネムの存在なんて関係ない。

 違和感を訴える体の悲鳴を無視し、クレマンティーヌは三本目のスティレットに手をかけた。

 限界を超えた力を振り絞り、モモンの全身鎧の隙間目がけて一直線に刺突を叩き込む。

 ――〈人間種魅了(チャームパーソン)

 自分のスティレットには〈魔法蓄積(マジックアキュムレート)〉の付与が施されており、第三位階までの魔法を込めることが出来る。戦士である自分の切り札だ。

 そして、自分が今使ったのは攻撃系ではなく、()()()()の魔法だ。

 

 

「……」

 

「……アハ。アハハッ!! ざまぁみろ。油断してるからだよバーカ!!」

 

 

 スティレットが深く刺さったまま、無様にも棒立ちするモモンに勝ち誇る。

 勝利の女神なんてものは信じていないが、自分は賭けに勝った。

 魔法の効果に抵抗される心配もあったが、結果は見ての通りだ。

 

 

「さぁ、モモン。武器を遠くに投げ捨てて」

 

「ああ、分かった」

 

「回復手段があるなら、それもちょうだい」

 

「ああ、分かった」

 

 

 モモンはあっさりとグレートソードを手放した。

 あくまで友人と認識させる程度なので過激な事はさせられないが、武器を捨てさせたりポーションの受け渡しくらいなら可能だ。

 だが、自分の命令に躊躇いなく了承する仲間の姿に、きっとネムとハムスケは絶望しているだろう。

 

 

「あー、うん」

 

「相手が悪かったでござるな……」

 

 

 しかし、二人は自分に憐れむような視線を向けている。

 ――不味いと気付いた瞬間、自分の両肩はモモンにがっしりと掴まれていた。

 

 

「お、お前……っ!?」

 

「言っただろう? 如何に虚偽を掴ませるかだと」

 

 

 拘束から逃れようとすると万力のような力で締め上げられ、肩が砕けて激痛が走る。

 だらりと垂れた腕には力が入らず、もう武器を握ることも出来なくなった。

 

 

「お前らが私に勝てたのは、装備が良かっただけだ……」

 

「はいはい。ハムスケ、尻尾でこいつを拘束してくれ。このまま衛兵の詰所に持っていこう」

 

 

 逃げる力も残ってはいない。

 それでも最後に残ったプライドで、悲鳴をあげることも命乞いもしなかった。

 

 

「チームの力なんて認めない。そこのガキの弱さで、いつかアンタ死んじゃうかもねぇ」

 

「大した強情さだ。理由は知らんがネムだけは認めたくないらしいな」

 

「魔獣や仲間に頼るだけの奴が強いわけない」

 

「ネムは私なんかより立派な強さを持っているさ」

 

「綺麗事ね。どうせいつか本当に弱い奴は切り捨てられる…… 魔獣がいなきゃ、そのガキに価値なんてないんでしょ?」

 

 

 そもそも命が惜しいとも思わない。

 自分に残った運命はどれにせよ極刑だけだ。

 

 

「流石の私も、こう何度も友を侮辱されると我慢の限界だな……」

 

「冒険者だからどうのこうの言ってたのはどうしたのかなぁ? まぁ殺したかったら殺せばー?」

 

 

 モモンの纏う雰囲気に怒気を感じ、少しだけ苛々をやり返せた気がした。

 しかし、気分が良かったのもここまで。

 自分は凶悪な自爆スイッチを連打していたらしい。

 

 

「……貴様がネムより強いというのなら、この私に立ち向かってみろ!!――〈絶望のオーラⅡ〉」

 

「っ!?!?」

 

 

 ドスの利いた声を出した漆黒の戦士は――漆黒のローブを纏う本物の化け物に変身した。

 骨の手にはまった指輪が一つ外され、今まで感じていなかった強者の気配が溢れ出し、濃密すぎるそれは"死"の気配と同じだった。

 さらに、漆黒聖典として活動していた頃にも味わったことのない、本物の恐怖を体に注ぎ込まれた。

 

 

「ふん。口ほどにもない」

 

「モモン!! ハムスケが泡吹いて倒れた!?」

 

「あっ」

 

 

 あまりの衝撃に心がヒビ割れ、長年培ってきた人格もろともガラガラと音を立てて崩れていく。

 発狂する程の恐怖から心を守るため、自身の肉体が静かに意識を閉じようとする。

 完全に意識が落ちる前に、クレマンティーヌはモモンに臆面もなく話しかけるネムを目にして思った。

 

 

(……だからビーストテイマーなんて嫌いなんだよ。そんな奴受け入れるとか、お前の方が、よっぽど狂ってるじゃん――)

 

 

 確かに、この少女は強い。

 

 

 

 

 

 クレマンティーヌとの死闘が終わった後、事後処理が非常に面倒だった。

 自分が勢い余ってアンデッドの姿を見せてしまったため、非常に燃費の悪い魔法で記憶を修正。

 連続殺人犯として衛兵に突き出したはいいが、意識を取り戻したクレマンティーヌは非常に澄んだ目をしていた。

 

 

「お花、綺麗……」

 

 

 自分達ですら「誰だコイツ」と言いたくなる程の変わりようだった。

 そのせいで逆にこっちが犯人を偽装しているんじゃないかと、真面目に疑われたりして大変だった。

 クレマンティーヌの身に付けていた証拠。

 そしてネムによる見事な弁明がなければ、どうなっていたことやら。

 

 

「まずは御礼を。この地の平和を乱す凶悪犯を捕まえていただき、本当にありがとうございました」

 

 

 次に、クレマンティーヌを捕らえた事に関連して、聖王国の冒険者組合で秘密裏に会談することとなったこの女性――ケラルト・カストディオ。

 

 

「そして、申し訳ありません。御三方の功績を奪う事になるのですが、あの者のことは、どうか内密にしていただけないでしょうか」

 

 

 茶色の髪を長く伸ばし、整った顔立ちをしている神官なのだが、親しみは全く抱けない。

 

 

「極秘ですが、犠牲者の中には一般人や亜人だけでなく、神官や聖騎士も含まれております。あとは…… お分かりいただけますか?」

 

 

 裏のある善人とでも言うべきか。

 言質を取らせない話し方や、理知的な雰囲気と合わせて、どこか腹黒い感じがする。

 要はメンツを守るため、下級の冒険者ではなく自分達が捕らえた事にしたいのだろう。

 

 

「ええ、まぁ、そういうことなら。ネムも構わないか?」

 

「うん? よく分かんないけど別に良いよ」

 

 

 面倒ごとは避けたいので、モモンガは二つ返事で了承した。

 本当になんでこんな人がここにいるのか。

 見たところ高位の神官のようだが、そういう人は首都の方にいるものとばかり思っていた。

 

 

「ありがとうございます。ほんの気持ちですが、本来の報酬に加えて褒賞も追加させていただきます。ああ、お二人が聖王国の人間なら、本当はスカウトしたいくらいです」

 

「あはは…… ご冗談を」

 

「うっふっふっふ……」

 

 

 慈悲に満ちた笑顔だが、見せかけ過ぎてこれっぽっちも安心出来ない。

 これは口止め料だ。「分かってますよね?」と、モモンガは物凄い圧をかけられている気がした。

 

 

 

 

「はぁ、なんだかカルネ村の風景を見ると安心するな」

 

「昇級試験、最後は大変だったもんね」

 

 

 カルネ村付近に転移で戻り、ハムスケは一足先に森の住処へ。

 村の牧歌的な雰囲気を噛み締め、モモンガはほっと一息をつく。

 

 

「なぁ、ネムは…… その、何歳くらいまで冒険者をやろうと思ってる?」

 

「私?」

 

 

 一応普段通りに見えるネムと別れる前に、モモンガはおずおずと切り出した。

 あんな目に遭ったばかりなのに「冒険者をやめてもいいんだぞ」と言えない自分を、心底卑怯だと思いながら。

 

 

(本当に弱いな、俺は……)

 

 

 ネムが冒険者をやる大きな理由は、興味もあるだろうが、家族のためだったはず。

 つまりはお金を稼ぐためだ。

 本人は忘れているのかもしれないが、ネムには既に莫大な財産がある。

 はっきり言って、冒険者を続けなければいけない理由はないのだ。

 

 

「うーん。大人になるまでかな? 大人になったら村でやらなきゃいけない事も増えると思うし」

 

「そうか……」

 

 

 大人になったらもう遊べない。

 そんな気がして、モモンガは少し寂しく思った。

 

 

「でも、冒険者をやめても偶には冒険に行こうね」

 

「え?」

 

「行かないの?」

 

 

 しかし、そんな自分勝手な気持ちを、ネムはあっさり吹き飛ばしてくれた。

 

 

「……ああ、もちろん行くとも。支配者にも村人にも、休日や息抜きは必要だからな!!」

 

「うん。やっぱり休みは遊ばなきゃ!!」

 

 

 全く、自分は何度ネムに教えられたら気が済むのか。

 こんな単純な事さえ忘れているとは情けない。

 生きるだけで精一杯のリアルではないのだから、理由など抜きに自分から誘えば良かったのだ。

 

 

「ネムが大人になっても、よぼよぼのお婆さんになっても…… ハムスケも連れて、俺と一緒に冒険に行こう」

 

「えー、お婆ちゃんになったら流石に足腰が辛そう」

 

「ははは、魔法で大体はなんとかなるぞ」

 

 

 だって、自分達は友達なのだから。

 誘うくらい、遠慮なくすればいい。

 断られたら、その時はその時だ。

 

 

「なんなら死んだ後もどうだ?」

 

「もう、そんな先のことは気が早いよー」

 

 

 夢の続きはまだまだ終わらない。

 この世界では自分達が望む限り、ずっと一緒に遊べるのだから。

 

 

 

 

おまけ〜ifルート 保険が発動していた場合〜

 

 

「ホント興醒め。魔獣も無駄に足掻くし。友情ごっことかくだらない。テメェも役立たずの雑魚らしく、手足潰してさっさと拷問してやんよ!!」

 

 

 殺気立ったクレマンティーヌがネムに襲いかかり、スティレットが柔らかな皮膚を突き破りそうになった瞬間――ネムの手にある指輪が眩い光を発した。

 ――モフり。

 クレマンティーヌは突然の出来事に驚愕する。

 スティレットから伝わる手応えは、明らかに人体を貫いた感触ではない。

 

 

「魔獣の、召喚?」

 

 

 赤、青、オレンジ、ピンク色をしたカラフルな丸い体型の魔獣が、クレマンティーヌの前に四体も現れていた。

 その内の一体にスティレットが突き刺さったわけだが、羊のようにも見える魔獣は鳴きもしない。

 絵に描いたような糸目のまま、こちらを向いて静かに佇んでいる。

 

 

「え、前が見えない!? モフモフのこれなんなの!?」

 

「こ、これは何でござるか、ネム殿!?」

 

 

 ネムはその魔獣達の中央で埋もれているのか、困惑の声は聞こえても姿は全く見えなかった。

 クレマンティーヌは現れた魔獣から距離を取り、現状の把握に努めようとする。

 最初はこの少女が呼び出したのかと考えたが、守られている本人すらも知らぬ事態らしい。

 

 

「――『身代わり羊の指輪(リング・オブ・スケープシープ)』が発動したという事は、ネム様が致命傷を受けそうになったという事……」

 

 

 突如として鋭く響いた指パッチンにより、クレマンティーヌは音が鳴った方向へ意識を持っていかれた。

 そして、全く状況を整理出来ぬまま、さらなる急展開がクレマンティーヌの脳を強く殴りつける。

 

 

「発動を知らせる細工をしていて正解でしたね。御方が楽しめる範囲を超えたトラブルですので、僭越ながら私が直接処理させていただきます」

 

 

 そこに立っていたのは四本指の異形。

 黄色い軍服に身を包んだ、人型の怪物。

 

 

「――覚悟はよろしいですか。お嬢さん(Fräulein)?」

 

 

 真っ黒な二つの穴が、終わりを告げるように自分を見ていた。

 

 

 




ナザリックも認める御方の友人ネムですが、実は日頃は専用の監視や護衛はいないのです。
冒険中はともかく、普通にカルネ村で暮らしてたら危険はほぼないですし。
原作のモモンガ様ならガチガチに用意しそうですが、今作ではネムは庇護すべき存在というより、普通の友達として対等でいたいという願いをイメージした扱いです。
友人を監視するのは気分も良くないはず。過剰に敬われるのも嫌なので村も要塞化してません。
なんて思いつつ、保険は必ずかけているのがモモンガ様ですね。




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悪魔の贈り物

前回のあらすじ

「砂をかけて悪口を言います」
「嫌がらせは戦いの基本だ」
「お花、綺麗……」
「相手が悪かったでござるな」


今回はデミウルゴスが玉座を献上するお話です。
おまけは前回の昇級試験をアインザックに報告した際の出来事です。


 灼熱の空気漂う赤い世界、ナザリック第七階層――『溶岩』。

 この階層の最奥にある赤熱神殿にて、マグマにも劣らぬ熱い情熱をもって作業に没頭する悪魔がいた。

 

 

「……完成です」

 

 

 デミウルゴスは道具を置き、万感の思いが込められた言葉を噛み締めるように呟く。

 彼の視線の先にあるのは白い玉座。

 それもただの玉座ではなく、様々な生物の骨で作られた玉座だ。その精巧さは見事という他ないが、シンプルに言えば呪われそうな見た目をしている。

 

 

「図面通り。完璧な仕上がりですね」

 

 

 あらゆる角度から玉座を見据える眼光は、完全に職人のそれ。

 無論、これはデミウルゴス自身が座るために作製した物ではない。

 至高の御方であるモモンガに献上するための物だ。

 

 

(いつ必要になるかは分かりませんが、御方がナザリック外で座られる際の玉座としては及第点でしょう)

 

 

 素材に妥協はしなかった。

 かけた時間も、持てる技術も、自分が捧げられる全てを惜しみなく注ぎ込んだ。

 この玉座が自身の製作物の中でも、最高傑作である事に疑いはない。

 むしろ最高傑作以外を献上するなど、不敬の極みだ。

 

 

(ですが……)

 

 

 完成させた玉座を前に、デミウルゴスは顎に手をやり考え込む。

 自画自賛にはなるが、玉座の完成度はかなり高いと思っている。

 少し前のデミウルゴスならば、すぐにでもモモンガに自身の成果を披露していただろう。

 

 

(――御方がお気に召すかは別だ。念には念をいれるべきでしょう)

 

 

 しかし、この世界で様々な失敗と成功を積み重ね、油断と慢心を捨てさり、一回りも二回りも成長したデミウルゴスは一味違った。

 

 

「期限がある訳でもありませんし、他人の目でも評価してもらう方が万全ですね」

 

 

 モモンガへの献上品に万が一の不備も許さないと、客観的な意見を取り入れようとしたのである。

 

 

「もしかすると、より良い物を作るヒントになるかもしれません」

 

 

 当然、問題があれば一から作り直す気も満々だ。

 既に最終工程を終え、玉座が完成しているにもかかわらずこの念の入れよう。

 慎重を通り越して狂気的とも言える、御方へ捧げる情熱がそこにはあった。

 日々更新されていくデミウルゴスの忠誠心と知力は、今日も天井知らずである。

 

 

「この場合適任なのは…… やはりあの方でしょう」

 

 

 自身が作り上げた玉座を評価するのに相応しい相手を思い浮かべ、デミウルゴスは早速その人物を招待する準備を始めるのだった。

 

 

 

 

 モモンガに関係することで外部に助言を求める。

 そうなれば誰が呼ばれるかなど、もはや今のナザリックにおいては自明の理。

 

 

「モモンガ様に献上するべく製作した玉座でございます。是非とも忌憚のない御意見をお願いします」

 

「うわぁ。すごく、骨だ……」

 

 

 アドバイザーとして選ばれたのはモモンガの友人であり、時として類稀な閃きと奇跡を無自覚で起こす少女――ネム・エモットだ。

 なお、ネムを第七階層に招待するにあたって、地形ダメージなどを無効化する装備はしっかりと貸し出している。

 

 

「ええ。組木の技法を用いましたので、純度百パーセント、全てが骨で出来ています。素材もグリフォンやワイバーンなどの上質な骨の中から、更に良い部分だけを厳選しました」

 

「すっごーい。デミウルゴスさん、本当に器用だね」

 

「ありがとうございます」

 

 

 デミウルゴスの説明を聞き、ネムは只々その技術力に感嘆の声をあげる。

 日々モモンガと接し続けた結果、ネムは骨系のホラーには高い耐性を獲得していた。

 そのため普通の人間なら絶句するような骨で出来た玉座を見ても、恐れる要素はあまりないのだ。

 

 

「さぁ、遠慮はいりません。どんな些細な事でも構いませんので、ネム様の感じた事をそのままお聞かせ下さい」

 

「うーん…… 触ってもいいですか?」

 

「ええ、どうぞ。全力でお確かめ下さい」

 

 

 ネムは玉座の周りをぐるりと一周しながら、手すりや背もたれの形状などを確認していった。

 言われた通りに遠慮なく、色々な所を触りながらまじまじと見ている。

 もちろんあらゆる面で自信はあるが、ネムが細部にまで真剣に目を光らせる様子を見て、デミウルゴスに僅かばかりの緊張が走った。

 

 

「凄くよく出来てるし、モモンガの見た目には似合うと思います」

 

 

 まずは中々の高評価。

 しかしまだ気は抜けない。ネムはまだ何かを言いたそうにしている。

 

 

「だけど…… なんとなくだけど、モモンガには合わない気がする、かも?」

 

「なるほど。似合うけど、合わないですか……」

 

 

 ネムの少し遠慮がちな指摘から、デミウルゴスは素早く言いたい事の本質を悟った。

 

 

「つまりは死の支配者たるモモンガ様とデザイン面では調和が取れているが、モモンガ様の内面とは一致しないという事だね」

 

「うん。きっとそんな感じです」

 

 

 モモンガの持つ魅力は語ればキリがない。

 代表的なものを挙げれば、至高の叡智、圧倒的な力、絶対的な恐怖、畏れ多い程の慈悲深さ、それらを内包した筆舌に尽くし難いカリスマなどがある。

 

 

(ふむ。これはシモベとして仕える我々と、友人であるネム様の認識の違いでもあるようですね)

 

 

 自身が製作した玉座は、きっと支配者としての御方の魅力を強く引き立たせる事だろう。

 しかし、強さの中にあって温かく光る慈悲深さこそ、モモンガの真なる魅力であるとネムは考えたようだ。

 

 

(どちらも正しいですが、ネム様にとっては優しいモモンガ様の方が、より印象深いのでしょう)

 

 

 参考になる意見ではあったが、この玉座の欠点という訳ではない。

 完成度には太鼓判を押してもらえたので、この分なら問題はないと判断して良いだろう。

 

 

(これなら今日にでもモモンガ様にお渡しする事が――)

 

 

 少しばかりの思案の末、デミウルゴスは自身の作品に不備がないことに安堵しかけた。

 

 

「ところでモモンガの体も骨だけど、骨で作って大丈夫なんですか?(骨が骨に座るのは座り心地が悪そう)」

 

「っ!? ……私としたことが、迂闊でした」

 

 

 だが、ネムの口から出た何気ない指摘に、デミウルゴスは衝撃を受ける。

 やはり彼女に意見を聞いて正解だった。

 

 

(何故気が付かなかった。御身を超える骨などこの世には存在しない。骨を素材として用いれば、必然最高の素材とは決して言えない物で作ったことに……っ!!)

 

 

 デミウルゴスは自分の迂闊さを猛省する。

 問題は素材の質の良し悪しだけではない。

 コスト面で用意出来る素材に限界があるのは当然だが、少なくともモモンガに贈る物で骨を素材とするのは間違いだった。

 

 

(御方に手ずから作った物を贈るという行為に、私は知らず知らずの内に浮かれていたのか。送る相手の事を考える。そんな初歩的な事すら見落としていたとは!!)

 

 

 自分が製作した玉座は、相手にとって絶対に最高になり得ない素材を使っている。

別の至高の御方ならまだしも、究極の美骨を持つモモンガに骨をプレゼントするなど、無謀にも程がある。

 なんと恐ろしいことか。この欠点をネムに指摘されなければ、自分は二流品をモモンガに献上してしまっていただろう。

 

 

「そうなると、設計は元より素材から吟味し直す必要がありますね……」

 

 

 改めて作るとなると、素材は何が良いだろうか。

 様々な生物の死の瞬間を剥ぎ取り、恐怖と苦痛に彩られた死相の革張りはどうだ。

 血管を編み込んで刺繍をするという手もある。

 もしくは血液を魔法で凝固させ――

 

 

「じゃあ木で作るのはどうですか?(モモンガは珍しい物が好きだけど、家具は落ち着く物も好きって言ってた)」

 

「木製? ……なるほど!! とても良い案です」

 

 

 ――素晴らしい。

 

 

(木とは何を指しているのか、これは明白ですね。世界を体現する樹木――すなわち世界樹(ユグドラシル)

 

 

 ネムの提案には脱帽するしかない。

 自分は御方の死のイメージに引っ張られて安直に素材を選んだが、彼女はしっかりとモモンガという存在の本質を理解して選んでいる。

 

 

(流石ですね、ネム様。世界に座すると考えれば、なるほど至高の支配者にのみ許されるだろう。ユグドラシルは実に御方に相応しい素材だ)

 

 

 相も変わらず素晴らしい発想だ。

 そのセンスもさることながら、モモンガは世界に腰掛けて当然という、揺らがぬ信頼が垣間見えるチョイスである。

 まるで何も深く考えていないような表情で、これ程のアイディアを生み出すとは。

 シモベとして素直に悔しいが、自分も見習いたいものだ。

 

 

「しかし、それは少々難しいかと」

 

「骨より木で作る方が難しいんですか?」

 

「いえ、そちらの加工の心得もありますし、協力者にもアテがあります。ですが技術面ではなく、最高の木材を用意する事が困難でして……」

 

 

 だからこそ惜しい。

 こんなにも素晴らしい案があるというのに、今の自分にはユグドラシルという最高の木材を手に入れる方法がない。

 元の世界ならいざ知らず、この世界でユグドラシルという素材は稀少過ぎる。

 研究は続けているが、世界を移動する技術はまだまだ確立できていないのだ。

 

 

「せっかくの提案を無駄にして申し訳ない。我が身の力の無さを悔いるばかりだよ」

 

 

 この世界にユグドラシルが自生している可能性がない訳でもないが、一から探すのは困難を極めるだろう。

 酷似した樹木の情報すらない現状では、ほとんど不可能と言ってもいい。

 

 

「別に最高級の木じゃなくても大丈夫だよ」

 

 

 デミウルゴスが悔しさに拳を握りしめていると、ネムは笑って問題ないと言い切った。

 

 

「プレゼントなら気持ちも大事だと思います。それにこんなに作るのが上手なんだもん。デミウルゴスさんが頑張って用意した物なら、きっとモモンガも喜んでくれるよ!!」

 

「ネム様……」

 

 

 自信有りげに胸を張ったネムによる激励が、デミウルゴスの心に深く響く。

 ――お前の忠誠心はその程度なのか。

 ――素材による不足は、技術と情熱で補え。

 ――たとえユグドラシルという素材が用意出来ずとも、モモンガのために今出来るベストを尽くせ。

 きっとネムはそう言いたいのだろう。

 

 

(ナザリックに保管された素材を使うのは論外。この世界で最も稀少な素材はなんだ? アダマンタイト? いっそ同意を得てからハムスケの皮を剥ぐべきか? いや違う。ネム様が木を勧められたのには、何か必ず意味があるはず……)

 

 

 ならば考えるべきだ。

 至高のベストとは言えずとも、限りなくそれに近い至高のベターとはなんだ。

 現状において最高の素材。自分が最大限の努力をすれば手に入れられる最高の木材は――

 

 

「――っ!! ありがとうございます、ネム様。このデミウルゴス、御方のために全身全霊でやり遂げてみせましょう!!」

 

「うん。頑張ってください!!」

 

 

 ――なるほど。そういうことですか。

 

 

 

 

「――と、いう訳で、スレイン法国を襲撃しようと思います」

 

 

 ナザリック第九階層のとある会議室。

 デミウルゴスは集まってもらった守護者達とパンドラズ・アクターに向けて、急遽決まった作戦の説明を始めた。

 

 

「目的は配布した資料にも書いてある通り、法国が支配下に置いている巨大なトレント型モンスターの討伐、及び素材の確保となります」

 

「あー、そういえばトブの大森林に一体だけデカイのがいたね。人間達がテイムか支配か分かんないけど、なんかしてたから隠れて様子見だけした奴でしょ?」

 

「ソノ時ノ報告書ハ私モ目ヲ通シタ。タダ倒スノデアレバ、守護者ヲコレ程集メル必要モナイ強サダト思ウガ……」

 

「なんでわざわざそんなの狩るんでありんすか?」

 

「モモンガ様に献上する玉座を作るためです」

 

 

 モモンガのためと聞き、皆の目の色が変わる。

 いきなりの招集で僅かにダラけた雰囲気を見せていたシャルティアも、仮面を付け替えたかのように真剣な表情になり、背筋がピンと伸びた。

 

 

「至高の木材は入手出来ずとも、この世界において最強の木材なら手に入るんだ。妥協する訳にはいかないだろう?」

 

「そういう理由なら当たり前ね。御方への贈り物で手を抜く者などナザリックにはいないわ」

 

「当然でありんすね。もしそんな不忠者がいたら、わたしが即刻首を刎ねるでありんすえ」

 

「守護者の皆様方に加えて私が呼ばれた理由も分かりました。素材の採取、鑑定であれば、お任せを!!」

 

 

 玉座の話がどこから出てきたのかなど、モモンガに仕えるNPCにとっては些事だ。

 手のひら返しのようにも見えるが、御方の役に立てるという事実の方が重要なのだから。

 

 

「モモンガ様は以前『植物には旬というモノがある。そして旬とは、収穫量と質、二つの側面からタイミングが決まる』と仰られた。遅ればせながら、その真意の一端をようやく理解しました。――あのトレントの『旬』は今です」

 

 

 デミウルゴスは過去のモモンガの言葉を引用し、この作戦の利点とモモンガの素晴らしさを語る。

 今後強敵と戦う際の演習になること。

 未知の資源を確保できること。

 法国の秘匿された戦力を知る手がかりとなること。

 法国の上層部にプレッシャーをかけられること。

 万が一が起こっても、全て法国の責任にして有耶無耶に出来る状況であること。

 つまるところ一石二鳥以上という訳だ。

 

 

「素材ノ収集ヨリモ、法国ヘノ牽制ト情報収集ガ主目的トイウ訳ダナ?」

 

「ああ。だが御方への献上品にも関わると言った方が、君達もやる気が出るだろう?」

 

「モモンガ様に対しても、法国に対する攻撃としても、今が最大の成果を得られるということね」

 

「その通り。これ以上この国に動かれると、周辺国家のバランスが崩されてしまうからね。介入するなら今だろう。もちろんモモンガ様にも確認に伺ったが、この作戦の許可は即座に頂けたよ」

 

 

 デミウルゴスはアルベドの確認に頷きながら、モモンガの執務室を訪ねた時のことを思い出す。

 

 

『モモンガ様。例の件ですが、今動くべきと確信いたしました。よろしいでしょうか?』

 

『あの件だな?』

 

『あの件でございます』

 

『あの点が難しかったと思うが、どうだ?』

 

『あの点も、万事抜かりなく』

 

『……良かろう。私もそろそろだとは思っていた。デミウルゴス、お前に任せる』

 

『はっ。御身の御期待に恥じぬ結果をお約束いたします』

 

『うむ。ああ、そうそう。後で他の者も確認するかもしれんからな。報告書は分かりやすく、目的と内容と結果を端的にまとめて提出せよ』

 

 

 実に無駄のない、非常に洗練されたやり取りだった。

 本音を言えばもう少しモモンガとの会話を楽しみたかったが、それは自分の我が儘だろう。

 

 

「モモンガ様はこのトレントへの襲撃タイミング、私が立案する作戦を見越しておられた。つまりは法国の動きすらも完璧に予想していたという訳だ」

 

「ぉおっ!! 流石は我が創造主。情報の少ない法国すら手の内とは」

 

「す、凄すぎてボクには、ちゃんと理解できないです」

 

 

 まさに端倪すべからざる御方。

 デミウルゴスは誇らしげに語り、モモンガを褒め讃える感嘆の声が守護者達からもあがる。

 

 

「今回の作戦では、参加者全員に世界級(ワールド)アイテムを所持してもらうつもりだ。心して掛かるように」

 

 

 しかし、突如として守護者達は水をかけられたように驚き、会議室に異様な緊張が走った。

 何故ならデミウルゴスは、ナザリックにある世界級アイテムの大半を持ち出すと言っているのだから。

 

 

「そこまでする必要があるのでありんすか?」

 

「直接戦闘をするつもりはないが、念のための保険だよ。法国には世界級アイテムに匹敵する切り札が、最低でも三つはあると予想している。我々レベル百に近い存在も、恐らく一人か二人はいるでしょう」

 

 

 眼鏡の奥に光る、冗談とは思えない凄味。

 

 

「この世界で弱小種たる人間が絶滅していないという点が、どうにも引っかかってね。過大評価している可能性もあるが、油断や慢心は捨てるべきだ」

 

「わ、分かったでありんす」

 

 

 法国を大した国だと思っていなかったシャルティアも、流石に二の句が継げなかった。

 そして、デミウルゴスがそこまで言うならばと、他の守護者達も改めて襟を正した。

 

 

「まあ法国を襲撃とは言ったが、全面戦争をするつもりは勿論ないよ。厳密には法国の手札を一つ潰すが正しい。そのトレントは現在、エイヴァーシャー大森林付近に潜伏させてあるようだからね」

 

 

 皆の頭に冷静さが戻ったのを確認したデミウルゴスは、落ち着いた口調で説明を再開した。

 

 

「法国は周辺国家の中であまりにも異質だ。六大神と呼ばれる存在、成り立ち、思想、軍事力、所有しているアイテムなどが不自然なのだよ。手札を潰して尻尾を出させる必要がある。恐怖公の眷属による情報収集の準備も進めてはいるし、全貌はいずれ掴めるだろう」

 

 

 目的も理由も共有し、残るは具体的な作戦内容の説明を残すのみ。

 

 

「デミウルゴス、ちょっといい?」

 

 

 会議が終盤に差し掛かった時、手を挙げる気配があった。

 

 

「前にモモンガ様がナザリックは表に出さないようにって、命令されたよね。野良のモンスターならともかく、国の支配下に置いてあるモンスターを狙うのはどうなの?」

 

「それもそうね。御方の御許可はいただいているようだけど、確かになんで許可が出たのかは聞いていなかったわ」

 

 

 これまでの話をひっくり返すようだが、アウラの発言は至極まともだ。

 ナザリックにおいて、モモンガの命令を無視する行動は許されない。

 モモンガの名前に反応してか、パンドラズ・アクターの穴のような瞳がギラリと光っている気さえする。

 

 

「それに関する解決策も、既にモモンガ様とネム様が手本を見せてくださっている」

 

「手本?」

 

「ああ、なるほど。宝探しの件ですね?」

 

「その通り。モモンガ様の懸念はナザリックの存在が表に出る事によって、直接または間接的に敵対者が生まれることだ。我々は異形種の集団故に、何もせずとも相手は大義名分が成り立ち、敵対されやすいからね。ならば答えは簡単だよ」

 

 

 パンドラズ・アクターだけが先に納得の様子を見せる中、他の守護者全員がデミウルゴスの言葉の続きを待った。

 

 

「――我々の存在を悟らせなければ良いのです」

 

 

 アウラのもっともな疑問に対し、デミウルゴスは悪の組織の幹部らしい笑顔で応えるのであった。

 

 

 

 

 スレイン法国が秘密裏に支配下に置き、エルフの国殲滅作戦に利用されようとしていた巨大な樹木型モンスター――『ザイトルクワエ』。

 その巨体は三十メートルを超え、触手による攻撃範囲は百メートルにも及ぶ。

 さらにはステータスの中でもHPが測定不能レベルで異様に高く、ユグドラシルにおけるレイドボス級の存在といえる。

 現地の者がまともに太刀打ちできるはずもなく、世界を滅ぼす元凶として法国からは『破滅の竜王』とさえ称されていた。

 

 

「――終わってみれば、図体と体力がデカいだけの雑魚でありんしたね」

 

「でもただ勝つだけでなく、周囲に悟られずに暗殺するのには骨が折れたわ。私達の連携もまだまだ改善する必要があるわね」

 

「確カニ。派手ナ大技ヲ使エヌ状況デノ戦闘ハ、マダ不慣レト言ワザルヲ得ナイナ」

 

「ぼ、ボクも広範囲魔法に頼らない戦い方をもっと研究しなきゃって思いました」

 

「あたしも同じだなぁ。魔獣を大量に動員する訳にはいかなかったし、戦い方を考えないと」

 

「各々今後の課題は見つかったようだね。素材も確保する事が出来たし、十分な成果だよ」

 

 

 つまりはこの世界で間違いなく最強の『木』だった訳だが、ナザリックの誇るレベル百の守護者達を相手にしてはひとたまりもなかった。

 有体にいうと訓練のためにサンドバッグにされたのである。

 

 

「あの人間達の装備は奪わなくて良かったでありんすか?」

 

「迷いどころだったが、深追いすればどんな罠があるか分からないからね。時間も限られていたし、万が一装備やアイテムに盗聴や発信機となる機能があれば目も当てられない」

 

「この世界独自の魔法やタレントは、まだ調査不足のものが多いから仕方ないわ」

 

「法国は特に警戒が必要な国だ。『特定条件下で自殺させる魔法』のように、我々の知らない力は厄介なものだよ」

 

「あぁ、アレね。この世界に来てすぐの頃、ニューロニストが情報源をすぐに殺しちゃって大分ショックを受けてたよね」

 

「そうでありんしたね。はぁ。もう少し活躍して、モモンガ様に成果をお披露目したかったでありんす……」

 

「焦りは禁物だよ、シャルティア。今回は法国が洗脳系の世界級アイテムをほぼ確実に所持している事が分かっただけで良しとしておこう」

 

 

 ザイトルクワエという名前すらも知られず。

 そもそも脅威とすら認識されず。

 法国にも悟られず。

 素材だけ剥ぎ取られ、破滅の竜王は綺麗さっぱり消滅したのだ。

 

 

「……作戦中は確信がなかったので今言いますが、人間達の装備の件で、私一つ気になっている事があるんですよね」

 

 

 反省会も兼ねた集まりのため、作戦に参加していた者は全員この場にいる。

 そんな中、パンドラズ・アクターはオーバーアクションもせず、今まで不気味な程に空気と同化していた。

 そして、神妙な雰囲気を醸し出していたが、意を決したように静かに口を開いた。

 

 

「漆黒聖典と思われる隊員の中で、ンフィーレア・バレアレ氏の装備が以前見た物と変わっていまして……」

 

「それがどうかしたのかい、パンドラズ・アクター」

 

 

 普段の言動はどうあれ、その頭脳は優秀そのもの。そしてアイテムに対する造詣も、作戦参加者の中では最も深い。

 作戦を指揮したデミウルゴスとしては、詳細を聞かないわけにはいかなかった。

 

 

「彼自身の強さはタレントを加味してもそこまででしたが、アレ、質が異常です。鑑定した訳ではないので、確かな事は私も言えませんが……」

 

 

 いつも自信に満ち溢れた彼にしては珍しい。

 歯切れの悪いパンドラズ・アクターに、デミウルゴスは視線で続きを促す。

 

 

「失礼。勿体ぶらずに言います。彼が装備していたものは、我々の装備よりも格上でした」

 

 

 祝勝ムードの守護者達に、波紋が広がった。

 ただ一人、法国の異質さを予想していたデミウルゴスを除いて。

 

 

 

 

「皆様も既に耳にしているでしょうが、本日の議題、エルフの国の殲滅作戦について。誠に残念ながら延期となりました」

 

「延期ではなく、もはや続行不可能だがな」

 

「おのれ…… 一体何があったというのか」

 

 

 スレイン法国の某所、神聖不可侵な領域。

 円卓に座った神官長達、並びに各機関の長達の顔には、皆一様に何故だという疑問が満ちていた。

 

 

「支配した『破滅の竜王』。カイレと共に同行させた四名の漆黒聖典。先行して現地で行動していた火滅聖典の隊員達。これだけの人員を投入して失敗とは……」

 

「トブの大森林から秘密裏に移動させた苦労が水の泡だ」

 

「新たに漆黒聖典に加入させたあの者に、これまで誰一人扱えなかった曰く付きの武装まで持たせたのだがな」

 

「嘘か真か、大罪者の忌まわしき遺産と呼ばれるあれらか」

 

 

 神官長の一人が悔しげに呟く。

 法国としてもエルフを殲滅する大規模な作戦だったため、作戦の前後で出来る限りの手を尽くした。

 にも関わらず、作戦は始まる前に失敗。

 その上、破滅の竜王を利用した作戦が失敗した理由は、謎に包まれている部分が多いからだ。

 

 

「運が悪かったと言えばそれまでだが、あまりにも口惜しい!!」

 

 

 失敗の始まりは、小さな不運から。

 破滅の竜王を連れてエルフの国に向かう途中、()()にもゲリラ部隊のエルフ達と法国の実行部隊が鉢合わせしてしまい、これと交戦。

 そこで最悪な()()が起き、戦闘時の流れ弾と思われるものが後方にいたカイレに被弾。

 不幸中の幸い、カイレは気絶程度の軽傷で済んだが、破滅の竜王に指示を出してコントロールする事が出来なくなった。この時点でエルフの国を殲滅する作戦は破綻している。

 さらにこれまた()()、そのタイミングで魔獣の群れと遭遇してしまい、現場は大混乱。負傷したカイレを含めた部隊は、やむを得ずに全員一時撤退。

 交戦していたゲリラ部隊のエルフも取り逃してしまったらしい。

 

 

「もう言うな。カイレや秘宝は無事なのだ。こちらの人員に損失がほぼなかった事を喜ぶしかあるまいよ」

 

「せめて、破滅の竜王が消滅した原因くらいは知りたいものだったが……」

 

 

 ここから先は完全に未知の部分だ。

 法国の部隊が一時撤退してから数時間もしない内に、カイレが『ケイ・セケ・コゥク』で支配下に置いていたはずの破滅の竜王が消滅していたのだ。

 魔獣の乱入のせいで破滅の竜王を監視しておく斥候すら一時的に撤退していたので、現場を見ていた者は誰もいない。

 カイレも意識を失っていたため、いつ、何が、どのように消滅させたのかが完全に不明なのだ。

 

 

「あんな化け物を消滅させたとなると、手を下した者の予想はある程度出来るがな」

 

「エルフ王では流石に無理だろう」

 

「では、あれを滅ぼせる強さとなると『白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)』か?」

 

「以前トブの大森林で発見された『ガーチャー・ドラゴンロード』なる存在かもしれんぞ。強さは不明だが、今は行方知れずのはずだ」

 

 

 三人寄れば文殊の知恵と言えど、判断すべき情報がなければ何人いようとまともな答えなど出るはずもない。

 各々が想像に想像を重ねただけの意見が飛び交い、任務失敗の焦燥から次第に収拾がつかなくなっていく。

 

 

「人類の敵ではなく、我らの神が再臨して倒してくださったと思いたいものだ……」

 

 

 そんな時、一人が漏らした愚痴をきっかけに、全員から弱々しいため息が出た。

 答えの出ない議論を続ける気力も失せ、会議はお開きとなるのだった。

 

 

 

 

おまけ〜ちょっとした後日談〜

 

 

「モモンガ、今日はなんか嬉しそうだね?」

 

「分かるか? 実は部下の一人からプレゼントをもらってさ」

 

 

 デミウルゴスから玉座を貰った次の日のこと。

 機嫌の良さが溢れていたのか、ネムにあっさりと指摘されたモモンガはちょっとだけ自慢したくなった。

 

 

「へー、どんな椅子を貰ったの?」

 

「緻密な彫り物がされたアンティーク風の木の玉座なんだが、これが中々趣があるんだよ。硬い木製なのに、座ると凄いしっくりくるし。私の友人、ウルベルトさんの趣味を思い出すデザインが所々にあったりしてさ――」

 

 

 あれは本当に凄い出来栄えだった。

 非常に丁寧に作り込まれ、自分が座るともの凄くフィットする。座る人の事を第一に考えた形状で、その上デザインにも妥協を感じさせない。

 芸術性と実用性の両方を兼ね備えた、本気の情熱を感じる作品とすら思えた。

 

 

「良かったね、モモンガ」

 

「ああ。ぶっちゃけ使うタイミングには困るんだけど、心を込めた贈り物って感じで嬉しかったな…… あれ、俺最初に椅子を貰ったなんて言ったっけ?」

 

 

 ニコニコしているネムを前に思わず饒舌になってしまったが、モモンガはふと最初の会話を思い出す。

 

 

「えーと、言ってたよ。それよりっ、デミウルゴスさん、作るのにすっごく頑張ったんだろうね!!」

 

「デミウルゴスが作ったって言ったか?」

 

「言ってたよ」

 

「……なんか知ってるよな?」

 

「知らないよ?」

 

 

 絶対にネムは一枚噛んでいる。

 しかし、モモンガに半ば確信を持たれつつも、ネムは頑なに認めない。

 

 

「そうか。まぁいいや。ありがとう、ネム」

 

「なんで私に?」

 

「なんとなく、言いたくなっただけだよ」

 

 

 本当に勘のようなものだが、自分はまた助けられた気がしていた。

 

 

 

 

おまけ〜組合での報告〜

 

 

 エ・ランテルの冒険者組合の長、プルトン・アインザックが未来のアダマンタイトを昇級試験に送り出して数日後。

 

 

「おや? モモン君、ネム君、忘れ物かい? 君達は数日前に出発したばかりだと思っていたが」

 

「依頼を終わらせてきました」

 

「……は?」

 

 

 新品同様、傷一つない全身鎧を纏ったモモンが組合に現れた。

 ジョークにしては少々出来が悪い。

 もしやまだ出発していなかったのか、理由があって途中で引き返して来たのかもしれない。

 さてはこの男、頭は回るがジョークのセンスは少しズレているな。

 

 

「あー、何か手違いがあったのかな。指定された場所は聖王国だが…… 場所か日数を間違えたのか?」

 

「ちゃんと聖王国で三日間お仕事してきたよ。おっきい城壁がある国ですよね? 内側には小さな砦も並んでました」

 

 

 肌の調子も良く、疲れた様子が微塵もないネムが、まるで実物を見てきたかのように説明してくる。

 情報収集もしていて偉いな。その通り、聖王国は亜人の侵攻を防ぐために城壁がある国だ。でもここからだと凄く遠いんだ。

 そろそろ嘘だと言ってくれ。

 

 

「あ、アベリオン丘陵を往復する経路だぞ。仕事も含めてたった五日で帰って来たのか!?」

 

「急ぎましたので」

 

「ハムスケが凄く頑張って走ってくれました」

 

 

 おいやめろ。そんなの誰が信じるんだ。

 この話をそのまま記録したら、書類に不備があると思われてしまうじゃないか。

 

 

「そんな馬鹿な!? っゴホン。すまない、取り乱した。それで、道中で何か起きなかったかね? 強大なモンスターに襲われたりとか、名のある亜人と戦ったりとか!!」

 

「特には何もなかったですね。なぁ、ネム」

 

「うん。これっぽっちも戦わずに働いただけですよ」

 

 

 一縷の望みをかけて確認してみたが、私の計画は失敗したようだ。

 もういい。心を落ち着けて淡々と処理しよう。

 一応問題なく依頼はこなしたのだから、普通に昇級はさせられるはずだ。

 

 

「それから組合長。向こうの冒険者組合で追加報酬をいただいたので、こちらがその証明書です。なんでも仕事をすごく頑張ったことへの褒賞だとか」

 

「っ褒賞!? えっ、何故? いや、頑張ったから?」

 

 

 落ち着けるか。

 なんで工事現場の仕事を頑張っただけで追加報酬が貰えてるんだ。

 しかもなんだこの署名。自分の記憶違いでなければ、超大物の神官の名前が記載されているんだが。

 ケラルト・カストディオといえば聖王国の最高司祭で、女王の片腕的存在じゃなかっただろうか。

 二人は何をしてきたんだ。こんなものを見せられて、私は一体どうすれば――

 

 

 

 

「組合長の顔がコロコロ変わってたのは気になるが、無事に昇級できたな」

 

「うん。これからは鉄級冒険者だね!!」

 

 

 哀愁漂う組合長から「おめでとう」の言葉を貰い、無事にモモンガとネムは鉄級への昇級を果たしたのだった。

 

 

 




モモンガは素敵な椅子をゲットしました。
ネムの提案がなければ「私自身が椅子になる事こそが正解だったのだ」なんて展開もあり得たかも。
ちなみにネムが最後知らないフリをしていたのは、意見を言っただけの自分がデミウルゴスの努力に水を差したくなかったからです。
おまけでのやり取りを経て、モモンガとネムはついに鉄級冒険者になりました。
一応モモンガ達も聖王国での三日間の仕事を三日目の夜に報告するのはまずいと思い、報告自体は日をずらしました。移動時間の違和感はハムスケを理由にしたゴリ押しです。


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ハムスケの武者修行

前回のあらすじ

「大事なのは気持ちだよ!!」
「なるほど。そういうことですか」
「さて、この椅子はいつ使ったらいいんだろうか……」

今回はハムスケの修行っぽいお話です。


 カルネ村に程近いトブの大森林の一角。

 ちょうど良いサイズの切り株を椅子にし、雲の多い昼下がりの空を見上げているのは一人の少女と一匹の魔獣。

 

 

「空は広いでござるなぁ」

 

「そうだね」

 

 

 ネムとハムスケの間には、いつもであれば和気藹々とした会話があるはずだった。

 しかし、並んで座る二人の表情には揃って陰りが見える。

 

 

「……ネム殿。某は、自分の弱さを思い知ったのでござる」

 

「ハムスケ……」

 

 

 別にネムとハムスケは喧嘩をしているわけではない。

 ただ今は、どこか物悲しい空気が二人を包んでいた。

 

 

「森では長い間某の敵はいなかったでござる。モモンガ殿の所以外なら、特に人間には負けないと――驕っていたのでござるよ」

 

 

 ハムスケが何を言っているのか、ネムには直ぐに分かった。

 前回の冒険でクレマンティーヌと戦った際、自分達二人はモモンガが来るまで手も足も出なかった。それを悔しく思っているのだろう。

 

 

「もう同じ後悔はしたくないでござる」

 

 

 ハムスケは噛み締めるように呟いた。

 ネムはハムスケが弱いなんてちっとも思わない。むしろ弱いのはどう考えても自分の方だった。

 しかし、悔しかった気持ちは同じなので、安易に慰めの言葉もかけられない。

 

 

「だから某は修行の旅に出るでござる!!」

 

 

 ハムスケは拳を握りしめ、力強く立ち上がった。

 黒くて大きな瞳には、揺らがぬ覚悟が宿っていた。

 

 

「今のままでは駄目でござる。某は人間の強さを学んで、今より強くなるのでござる!!」

 

 

 報酬代わりにナザリックで修行をする事になった時とは違い、今回は強くなる事を心から渇望しているのが分かる。

 普段ネムと一緒にいる時は意識的に気を抜いて柔らかくさせている毛皮すら、ハムスケの決意を表すように硬く逆立っていた。

 

 

(本気なんだね、ハムスケ)

 

 

 寂しくなるけど、自分には止められない。

 強さを求めて修行の旅に出るなら、きっと長い旅になるのだろう。

 ――もっと一緒に遊びたかった。

 ――もっと一緒に冒険もしたかった。

 だけど我が儘を言わずに快く送り出してあげるのが、友達であり相棒である自分の役目だ。

 次はいつ会えるかも分からない。

 しばらくの間、ハムスケとはお別れなのだ――

 

 

「でも某だけでは人間の街に入れないので、ネム殿にもついて来てほしいでござる」

 

「じゃあモモンガも誘って一緒に行こっか」

 

 

 ――なんてことはなかった。

 ネムは安堵し、心からの笑顔を見せる。

 修行という目的はあるけれど、結局いつも通りの冒険みたいなものだ。

 

 

「次の冒険は三日後の予定だから、その時に聞いてみよ!!」

 

「ネム殿、かたじけないでござる!!」

 

 

 ネムはハムスケの爪先を掴み、がっしりと握手を交わす。

 晩御飯までに帰れるかは不安だけど、モモンガも一緒に行けたらきっと大丈夫だろう。

 もしもの時は家族に相談してお泊まりも検討しよう。

 

 

 

 

 バハルス帝国――リ・エスティーゼ王国の東に位置し、優秀な若き皇帝が治める専制君主制の国。

 その首都の名は、帝都アーウィンタール。

 

 

「どうしても注目されてしまうな」

 

「初めての場所だもんね」

 

 

 ナザリック外ではすっかり着慣れた鎧を纏い、モモンガはネムとハムスケと共に活気ある帝都の通りを進んでいく。

 

 

「モモン殿、ネム殿。改めて今日は某のためにありがとうでござる」

 

「モモンも一緒に来てくれてありがとう。私とハムスケだけだったら行くだけで日が暮れちゃってたよ」

 

「なに、私も帝国には興味があったからな」

 

 

 今回この国を訪れた目的は冒険者の仕事ではなく、ハムスケの武者修行である。

 ネムとハムスケが修行の地に選んだ理由も、闘技場があるからという安直な理由だ。

 

 

(組合長が俺達を遠ざけようとしてた国でもあるしな)

 

 

 正直なところ修行の効率が良いとは思えなかったが、たまには他国で見聞を広めるのも悪くないと、モモンガは二つ返事で同行を了承していた。

 そもそも基本的にモモンガは友人からの誘いを断らないのだ。

 

 

「それにしても王国とは随分と様子が違う。道は石畳みできちんと舗装されているし、街灯まであるぞ」

 

「ね、建物も新しいのが多くてすごく綺麗だよね」

 

「前に行った聖王国と比べてもかなり発展しているでござるな」

 

「首都であるというのも大きな理由だろうな」

 

 

 やはり治める者が優秀だと、街並みからして差が出るようだ。

 道ゆく人々の表情は明るく、店頭に立つ商売人達も希望に満ちた顔をしている。

 見回りをしている騎士や兵士からは、誇りとやり甲斐を持って仕事をしているのが感じられた。

 

 

(あれは…… カルネ村で見た偽装と同じタイプの鎧か)

 

 

 その中に見覚えのある鎧姿を見つけたことで、モモンガは思わずハムスケに乗ったネムの様子を窺った。

 

 

「今更だがネムは帝国に来て良かったのか?」

 

「なんで?」

 

「その、一応王国とは戦争をしている間柄だが……」

 

「大丈夫だよ。冒険者の仕事でまた来ることがあるかもしれないし、私もそろそろ克服したから!!」

 

 

 ネムは胸の前で拳を握りしめて、大丈夫アピールをしてくる。

 モモンガは言葉を濁したが、本当に気にしていた部分は見抜かれたようだ。

 なんでもないような笑みを作るネムに、モモンガもそれ以上は何も言えなかった。

 

 

「この街の元気な様子を見るに、闘技場も期待出来そうでござるなぁ。血が滾るでござる!!」

 

「飛び込み参加はあんまり期待しない方がいいぞ。そんな都合よく演目の調整とかしてくれないだろうしな」

 

 

 ハムスケはこれから向かう闘技場にかなりの期待を寄せているらしい。

 ネムを乗せていなければこの場でシャドーボクシングでも始めかねない勢いだ。

 分かりやすく言葉に熱がこもっているハムスケに、モモンガは落胆が大きくならないように軽く水を差しておいた。

 

 

「そうでござるか…… そ、それでも猛者達の戦いぶりを見るだけでも、修行にはなるはずでござる!!」

 

「ハムスケやる気満々だね」

 

「確かに他人の戦いを見るのも良い勉強にはなるからな。種族ごとの耐性の有無。職業ごとのよく使われるスキルの知識。集団での基本的な立ち回りや戦法。知識はいくらあっても困らない」

 

「モモン殿の言葉には並々ならぬ含蓄を感じるでござるな。本当に百年も生きてないのでござるか?」

 

 

 モモンガもハムスケの意見には同意するところがあった。

 ユグドラシルでのPvPにおいて、相手の使う技を知っているのと知らないのでは勝率に大きな差があったからだ。

 

 

(『相手の攻撃を上手く避けるコツは、ヒヤッとした気配を感じた時に、すかさず身を躱すことだ』なんてことを真顔で言ってのける、全然参考にならない人もいたけどな……)

 

 

 ――情報があろうがなかろうが、何度戦っても勝てない某ワールドチャンピオンのような例外の猛者も存在したが。

 

 

「戦士としてはまだまだひよっこさ。私もこの世界のレベルや技を、今一度勉強させてもらうとしよう」

 

「モモン殿はどこを目指しているのやら……」

 

「上には上がいる。私なんて精々中の上だ。そもそも私は自分だけが特別強いとは思っていないからな」

 

「モモンはいっつもそう言うよね」

 

 

 モモンガは本物の特別を脳裏に思い浮かべ、ハムスケとネムの訝しむ視線にしみじみと応える。

 本当にあの人は強かった。

 いくらユグドラシルがDMMO-RPGとはいえ、仮想世界で攻撃の気配を感じ取れるのは人間を辞めてるとしか思えない。

 

 

「本当に上なんているのかな?」

 

「あの地のことを思うと、いないと言い切れないのが恐ろしいでござるなぁ」

 

「でもモモンより上って、もう戦ったらダメな相手だよね」

 

「同感でござる。きっとモモン殿の基準で下の下くらいでも、某達が戦ったら手も足も出ずに死ぬでござる」

 

「そんなに強くなって何と戦うんだろうね?」

 

「コソコソ言っても聞こえてるからな?」

 

 

 なんだか散々な言われようだが、ハムスケの予想は概ね当たっている。

 モモンガが下の下と評価するのは、プレイヤースキルもなく職業構成もめちゃくちゃな者。

 つまりは最低限レベルをカンストさせただけの存在である。

 

 

「こほんっ。……遠すぎる高みは一旦忘れるとして、某はこの地で一回り成長してみせるでござるよ!!」

 

 

 モモンガの強さ談義はさておき、闘技場は帝国の一大観光スポットであり、日々多くの選手がしのぎを削っている。

 人間の強さを学びたいというハムスケの希望を叶えるにはうってつけだろう。

 

 

「ネムは運も良いし、ギャンブルでもしてみるか?」

 

「そういうお金の使い方はしないって決めてるからダメ。見るだけでも楽しめるし、きっと勉強になるよ」

 

「そ、そうか」

 

 

 軽い提案のつもりだったが、キッパリと断るネムの真面目さがモモンガには少々眩しかった。

 というより、グサグサと鈴木悟の心に刺さった。

 一応モモンガ自身はリアルでもパチスロや競輪など、賭博に手を出したことは一度もない。

 ――が、ユグドラシルの課金ガチャに給料のボーナスを全額つっこんだ前科はあるのだ。

 

 

「いや、うん。そうだよな。今日の主な目的は戦いを学ぶことだ。欲に負けずに頑張るとしよう」

 

「うん!!」

 

 

 ネムの言葉を受け、モモンガは本題を心に刻む。

 情けない姿を晒すのは今更だが、それはそれとして積極的に駄目な所を見せたい訳ではない。

 モモンガは今日は大人として、節度ある振る舞いを心がけようと誓った。

 

 

「まだ見ぬ強者よ、待ってるでござるよー!!」

 

「ねぇモモン。今気づいたんだけど、ハムスケって闘技場にお客さんとして入れてもらえるのかな?」

 

「場所さえ空いてれば、多分……」

 

 

 帝都には闘技場だけでなく、帝国魔法学院、帝国魔法省、マジックアイテムが並ぶ市場など王国にはないものが沢山ある。

 目移りしたくなるものは多いが、寄り道もそこそこにモモンガ達は闘技場へと向かうのだった。

 

 

 

 

 関所を通った際の通行料――モモンガの魔法で近くまで転移して来たから、正規ルートだと本当はもっと払わないといけないはずだった――と闘技場の入場料。

 前回の仕事では追加褒賞を貰ったため、懐はかなり潤っている。

 とはいえ、この出費はネムにとって大きいものだ。

 

 

(ちゃんと見てしっかり勉強しなくちゃ!!)

 

 

 それだけにネムは今回の観戦を楽しいだけでなく、実のあるものにしたいと思って意気込んでいた。

 デミウルゴスから貰ったノートとペンも持ってきており、本気で戦闘の勉強をするつもりだ。

 

 

「魔獣の当日参加枠はなかったでござるかぁ。予想はしていても残念でござる。それに某だけ入場料を多く取られたでござる。場所を取りすぎてるからでこざろうか?」

 

「くっ、情報収集が甘かった。今日の試合の賞品にルーン文字の刻まれた武具があると知っていたら、私も参加したのにっ」

 

 

 そんな真面目な少女の隣では、早くも諦め切れなかった煩悩まみれの二人が項垂れている。

 

 

「戦ってみたかったでござるなぁ……」

 

「現地産欲しかったなぁ……」

 

「もう試合始まるよ?」

 

 

 周りに人の少ない角の席を用意してもらったが、ここだけ明らかに会場の熱気とかけ離れた空気感だ。

 こんな調子でちゃんと試合が見られるのか、ネムは少しだけ心配になった。

 

 

「――はぁ、なるほど。人間達はあんな風に某の周りを動いていたのでござるか」

 

「レベルは低そうだが堅実な連携だな。前衛が無理なく後衛をカバー出来ている」

 

「みんな相手の周りをぐるぐる回ってるね。足を止めないのが基本なのかな?」

 

 

 しかし、試合が始まるとモモンとハムスケは気持ちを切り替え、三人はそれぞれ別の視点で真剣に試合を観戦していた。

 

 

「おおっ、死角を突いた見事な一撃なござる!! こうして見ると実戦じゃなくても学ぶことが多いでござるなぁ」

 

「中々上手いな。〈閃光(フラッシュ)〉を使った目潰しのタイミングも悪くない。まあかつての私の仲間ほどではないけどな」

 

「お互いに細かい指示は何も言ってなさそうなのに息ぴったりだ。すごいチームワークだね」

 

「色々と工夫があるのでござるな。昔人間と戦った時は尻尾で全部薙ぎ払っていたから、相手の意図とか全然考えてなかったでござるよ」

 

 

 全身鎧をつけた重装備の人間対人間の、力と技巧を凝らした真剣勝負。

 凶暴なモンスター同士が己の爪や牙、肉体をぶつけ合う原始的な戦い。

 冒険者のような格好の人達がチームを組んで、一体の強そうなモンスターに挑む。

 観客を飽きさせないように、命懸けの試合内容は多岐にわたっていた。

 

 

「あの魔法使いの人、モモンガに比べたら魔法が地味だね。普通の人が使う魔法ってやっぱりあんな感じなの?」

 

「第三位階までが主流らしいからなぁ。〈魔法の矢(マジック・アロー)〉の弾数からの予測だが、あれでもこの世界だと十分優秀な部類だと思うぞ」

 

「個人の技量も中々でござるが、弓使いも神官も含めて確かに連携が上手いチームでござる。あの二刀流の戦士みたいに、某も武技が使えたらいいのでござるが……」

 

 

 ネムも次々と繰り広げられる戦いに目を凝らし、たまに疑問をモモンガ達に伝え、時には感動のままに声援と拍手を送った。

 目で追い切れない場面も多くあり、試合の全てを理解できたとは言い切れない。

 それでもネムは必死で戦う人々の熱量に圧倒された。

 

 

「モモンガ、今の魔法は何であっちの方を狙ったの? ピンチなのはもう一人の方だったのに」

 

「目の付け所が良いな。さっきのは一見すると戦士が優勢に見えるが、実はあのモンスターには斬撃が通りづらいんだ。だからもう一人の神官戦士の方はワザと隙を晒して――」

 

 

 そして、見聞きした内容をノートにまとめながら、自身の体験として少しずつ積み重ねていった。

 

 

「大っきい狼みたいなモンスターとの戦い凄かったね!!」

 

「人数差のある多数対一の戦い。狼殿はあと一歩でござったなぁ。某、非常に勉強になったでござる」

 

「ハムスケのそれは冒険者目線か? それとも狙われた側としてか?」

 

 

 こういった試合に事故はつきものだが、幸いにも今日は目を覆うようなケガ人は出ていない。

 おかげで流血がそこまで得意ではないネムでも、純粋な競技としての側面を楽しめている。

 一応勉強という名目で訪れてはいたが、普段はお目にかかれない演出のある戦いに三人は夢中になっていた。

 

 

『ご来場の皆さま。大変お待たせいたしました。これより本日のメインイベント!! 登場するのは"天武"のリーダーにして闘技場無敗の天才剣士――エルヤー・ウズルス!!』

 

 

 いくつかの試合が行われて小休止があった後、司会者が今日一番のテンションで声を張り上げる。

 魔法の道具で大きく拡散された声は、闘技場中に興奮を伝播させていった。

 

 

『そして対する挑戦者は、かの有名な王国戦士長に匹敵するといわれる凄腕の剣士――ブレイン・アングラウスだぁ!!』

 

 

 誰もが知るビッグネーム――私達は両方とも知らない――らしい二人の剣士の登場に会場が沸き上がる。

 そんな中、ネムは戦いの場に立った無精髭の男を見て、薄ぼんやりとした記憶がよみがえった。

 

 

「あっ。あっちのおじさん、道端で刀をぶんぶん振り回してた人だよ」

 

「……どこかで会ったか?」

 

「モモン殿に強い武具が欲しいと頭を下げた者ではござらんか?」

 

「モモン、色々アドバイスしてたよ?」

 

「あー、思い出した。そんな人いたなぁ。ならこの試合に出てるのも納得だ。けどそんなに有名な人だったのか……」

 

 

 あの時は何事かと思ったが、ブレインは今も強い装備品を求めて頑張っているらしい。

 記憶が鮮明になり、ネム達の気分がスッキリしたところで司会者から両選手の補足説明が入った。

 ブレインの対戦相手であるエルヤーには仲間がいるようだが、今回は一対一で戦うみたいだ。

 

 

『――さらに今回はなんと、特別ルールを設けております!! 両選手の提案と同意により、賭けが成立いたしました』

 

 

 どよめきで一瞬だけ会場が騒がしくなる。

 闘技場に通い慣れてそうな人も含め、ほぼ全ての観客が驚いていることから、どうやら異例の発表らしい。

 司会者の続きの言葉を聞き漏らすまいと、先程よりも会場全体が静まっていくのが分かる。

 

 

『……勝者は全てを手に入れ、敗者は名誉だけでなく富も失う。お金、アイテム、そして武具――お互いに所有する財産を全て賭けていただきます!! まさに魂を賭けた一世一代の大勝負だぁ!!』

 

 

 司会者が発表した選手同士の賭けの内容に、静まっていた会場は再び爆発的に沸き上がった。

 これまでにないギリギリの試合が見れると、観客は大歓声をあげて非常に盛り上がっている。

 ネム達はその波に乗れなかったが、まるで建物すら震えているようだ。

 

 

『まさかこの大一番に賭けてない方なんていませんよね? 賭けの締め切りはもう間もなくです。まだの方はどうかお急ぎを』

 

 

 司会者の煽り言葉につられ、慌ただしく席を立って受付に走る人の姿も見えた。

 きっとあの人達も少なくない金額をこの試合に賭けるのだろう。

 会場を包む興奮とは裏腹に、自分に置き換えて考えると一周回ってネムは怖くなった。

 頑張って貯めている貯金。

 お気に入りのブラシ。

 なによりモモンガに貰ったパチンコと指輪――たった一度の試合で全てを失うなんて嫌だ。

 

 

「うわぁ。ドロップアイテム一つどころか、持ち物全賭けのPvPとか絶対やりたくねぇ……」

 

 

 モモンガも自分の立場で想像したのか、素の声を漏らしながらブルリと震えた。

 絶対負けるはずがないモモンガが拒否するくらいだ。

 会場の反応からしても、彼らがやろうとしている事は異常なのだろう。

 

 

「持ち物を取られるのは辛いでござるが、そもそも戦いで負けたら全てを失うのは当たり前でござろうに。そんなに興奮するところがあるでごさるか?」

 

「そう考えると自然界の掟って怖いな」

 

「ハムスケは肝が据わってて凄いね」

 

「そんな風に改まって感心されると照れるでござるよー」

 

 

 ハムスケは弱肉強食の自然界を生きてきただけに、司会者の話を聞いても首を傾げてケロリとしていた。

 流石は元『森の賢王』。戦いに対する認識と覚悟が人間とは全然違う。

 ハムスケの疑問はさておき、ネムも最後の試合を目に焼き付けようと、中央に立つ二人を注視した。

 

 

『それでは――試合開始ぃぃ!!』

 

 

 熱狂する会場の空気が冷めやらぬまま、ついに試合開始が宣言された。

 呼応するように観客席からブレインとエルヤーの名前が連続して叫ばれる。

 純粋な声援ばかりでなく「お前に有り金全部賭けたんだぞー!!」、「負けたら破産だぁ!!」などの、必死すぎる声もちらほらと聞こえてくる。

 

 

「これが、全部賭けちゃった人達の戦い……」

 

 

 本日最注目の試合。

 凄い剣士の真剣勝負。

 両者共に使う武器は一振りの刀のみ。

 ネムは非常にハイレベルだと思われる戦いに、ゴクリと唾を飲み込む。

 

 

「速くて全然わからないや」

 

 

 これまでの試合とはまるで違う。

 薄々予想はしていたが、まさしく目にも止まらぬ――目に映りすらしなかったクレマンティーヌよりは遅いかも――戦いだ。

 ネムに理解出来る数少ない情報は、金属をぶつけ合うようなキンキンとした音がする事だけであった。

 

 

 

 

 昼の時間はとうに過ぎたが、夕暮れにはまだまだ遠い時間帯。

 闘技場では目ぼしい試合が全て終わり、客席からぞろぞろと人が動き出している。

 そんな人混みの中、聞こえてくる話題は今日の試合のことばかりだ。

 

 

「いっぱい見れて楽しかったね!! 最後の試合だけちゃんと見えなくて残念だったけど。でもやっぱりちゃんと見えなくて良かったかも……」

 

「無敗の剣士エルヤーだったか? 思いっきり両腕が斬り飛ばされてたからな」

 

「しかも瀕死のところをチームメイトらしき者達に足蹴にされて、酷い有り様だったでござる」

 

 

 モモンガ達も例に漏れず、試合の感想を言い合いながら闘技場を後にしようとしていた。

 

 

「あれは驚いたな。試合が終わって助けに来たのかと思ったら、『もうお前の物じゃない』とか叫びながらゲシゲシ蹴ってたな」

 

「そんなこと言ってたんだ。仲間の人と喧嘩してたのかな? あの人ツルツル滑ってて凄かったのに」

 

「実力は中々のモノでござったが、どう見ても嫌われてたでござるな」

 

「痴情のもつれでもあったのかもな。そういえば武人建御雷さんと弐式炎雷さんは、あんな感じの忍者とか侍系の技が好きだったな」

 

「モモンの友達?」

 

 

 多くの人が並んで進んでいるため、一般客は闘技場から出るだけでも少し時間はかかる。

 ハムスケの巨体を警戒しているのか、モモンガ達の周辺は心なしか歩みも遅い。

 

 

「ああ。なんだったか、足を動かさない歩法となると『すり足』だっけ? でもあいつは〈縮地・改〉とか言ってたような……」

 

「某もあの妙な足捌きは気になったでござる。もし習得できたら、今より快適に二人を乗せて動けるはずでござる」

 

「じゃあ頑張って覚えてね!!」

 

「任せるでござる!!」

 

「どんだけ快適でも私はあんまり乗りたくないぞ」

 

 

 雑談を続けながら狭くも広くもない通路をゆっくりと進んでいき、ついに闘技場外の空気に触れた。

 会場は熱気がこもっていたためか、新鮮な外の空気はほんの少し涼しく感じる。

 

 

(ん? この人だかりは……)

 

 

 解放感から三人揃って深呼吸をしていた時、モモンガは日常の喧騒とは少し異なる様子を周囲から感じ取った。

 

 

「どうやら間に合ったようですね。皆さま、お騒がせして申し訳ありません。道を空けていただけますか?」

 

 

 人混みのカーテンが左右に別れた。

 その中心に立っているのは、爽やかな声に劣らぬ淡麗な容姿をした金髪の男性騎士。

 少し後ろには、その騎士が乗ってきたであろう馬車も一台止まっている。

 

 

(これぞ騎士って見た目だな。……巡回の兵士達とは明らかに装備が違う。階級が高いのか?)

 

 

 モモンガの予想通り、その騎士の纏うアダマンタイト製の全身鎧は皇帝直属の『四騎士』の証。

 高い実力と地位を示すものであり、人々が素直に彼の指示に従った理由だった。

 羨望の眼差しを集める騎士は堂々とした歩みで、そのまま真っ直ぐこちらに向かってくる。

 そして、通り過ぎる事なくモモンガ達の目の前で止まった。

 

 

「皇帝陛下からの使いで参りました。ニンブル・アーク・デイル・アノックと申します。モモン様、ネム様、ハムスケ様ですね。よろしければ、これから一緒に来ていただけないでしょうか?」

 

 

 物腰柔らかなお誘いでありながら、断れなさそうな雰囲気を醸し出す『皇帝』の二文字。

 モモンガとネムは衝動的に自身の背後をチラリと確認した後、お互いに顔を見合わせる。

 ここに至って間違えようもなく、ニンブルが見ているのは自分達のようだ。

 

 

「私達、なんかしちゃった?」

 

「身に覚えはないでござる」

 

(魔法で国境は越えたけどな)

 

 

 まるでアポ無しで取引先の社長秘書が会いに来たかの如く衝撃。

 わざわざハムスケの名前まで呼ばれた事から、相手がこちらを多少なりとも調べているのは明白だ。

 

 

(皇帝の使者を無視するのは流石に不味いか…… ネムと一緒にいると本当にイベントに事欠かないよ。――よし。冷静になるんだ、俺!!)

 

 

 このまま黙り続ける訳にもいかず、モモンガは小声でヒソヒソと話しているネムとハムスケから離れるように一歩前に進み出る。

 

 

「――ゴホンっ。いきなり質問を返すようで申し訳ありません。我々はただの冒険者なのですが、一体どのような御用件でしょうか?」

 

 

 モモンガは内心でビビりまくりながらも、冒険者モモンに営業マンをプラスした仮面を意識して被り直すのだった。

 

 

 

 

 帝都アーウィンタールの中央に位置する皇城。

 馬車から降りたモモンガとネムは、これから足を踏み入れる城の威容に圧倒された。

 ちなみにハムスケは馬車に乗れるはずもなかったので、自力で馬車と並走してついて来た。

 

 

「どうぞ、こちらへ」

 

 

 心なしか凛とし始めたニンブルに先導されて敷地に入ったモモンガ達は、互いに口も開けず黙々とその背中について行く。

 

 

(こんなに広いのに息が詰まりそうだ。ただ話がしたいだけって、絶対嘘だろ)

 

 

 率直に言えばこの城よりナザリックの方が数段豪華な内装をしているとは思う。

 しかし、自分達で作った物かどうかの差は大きい。自分には縁の無い場所だという自覚もあり、モモンガは精神の安定化が起きない程度に緊張していた。

 そして、緊張しているのは隣のネムも変わらないようだった。

 礼儀としてハムスケに乗るわけにもいかず、自分の足で歩いているネムの表情はかなり硬い。

 どこに意識を割いているのか、左右の手と足を同時に動かす見事な緊張っぷりだ。

 

 

「いやぁ、闘技場と違ってここの通路は某にも通りやすい広さでござるなぁ」

 

 

 普段と変わらないのはハムスケくらいだろう。

 魔獣に同じ感覚を求めるのは無理だろうが、その神経の太さが今は少し羨ましい。

 

 

「そこまで緊張なさらずとも大丈夫ですよ。陛下は寛大なお方ですので。特にネム様のような子どもにはお優しい方です」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

 こちらの緊張を察してか、ニンブルは歩き続けながら優しい視線を送ってきた。

 その気さくな声かけのおかげで、ネムは僅かながら表情が緩んだようだ。

 

 

(会社で聞く「無礼講」と同じくらい信用出来ないセリフだ…… 念のためハムスケが何か壊さないか見張っとくか)

 

 

 まあその言葉を鵜呑みにするほど、社畜経験者であるモモンガは能天気ではなかったが。

 そのままニンブルに従い歩き続けること数分。

 ハムスケが同席する事も考慮されたのか、モモンガ達は城の中庭に案内された。

 

 

(どこまで本気かは分からないけど、一応歓迎はされているようだな)

 

 

 派手さはないが花壇には季節の花が咲き誇り、全体的にシンプル目に整えられている。

 一角には日差しよけのパラソル、白い丸テーブルと椅子も一揃い用意されていた。

 側にはワゴンと給仕も控えていることから、ここで話をするつもりなのだろう。

 

 

「陛下、御三方をお連れいたしました」

 

「ご苦労。後ろに控えていろ。さて、君達がエ・ランテルで有名な魔獣のいる冒険者チームだね」

 

 

 モモンガ達を出迎えるように反対側から現れたのは、二十代前半と思しき好青年。

 主従関係が感じられるニンブルへの返答とは違い、こちらには分かりやすい好意が声音から伝わってくる。

 

 

「こんなに早く会うことが出来て嬉しいよ。この場は非公式なものだ。君の兜もそのままで構わないから、どうか気を楽にしてほしい」

 

「お気遣い頂きありがとうございます。こちらこそお会いできて光栄です。私の名はモモン、それから仲間のネムとハムスケと申します」

 

 

 急な呼び出しはともかく、表面上だけでも礼節のある人物のようだ。

 暴君でなかったことに内心で少しホッとしつつ、モモンガはネムの負担を減らすべく一人で紹介を済ませた。

 

 

(この若さと見た目で王様やってるのか。しかも超が付くくらい優秀とか……)

 

 

 それにしてもなんと絵になる男だろうか。

 艶のある金髪に鮮やかで切れ長の瞳。

 リアルの芸能界でもアイドルとして十分に通用しそうな顔の造形。

 威厳ある服装を難なく着こなし、モデルのようにスタイルも良くて足も長い。

 

 

「噂でしか聞いたことがなかったが、実際に会うと三人とも期待以上のものを感じるよ。おっと、今更だがこちらも一応名乗っておこう」

 

 

 まさに眉目秀麗。

 爽やかで親しみやすい笑顔が印象的で、顔面偏差値の高いこの世界でも更に容姿が整っているように思えた。

 

 

「私がこの国の皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスだ」

 

 

 自然体に見えながらも自信に満ちた所作。

 民から畏怖と尊敬の両方を得ている、歴代最高と名高い帝国の統治者。

 ――自分とは違う、生まれながらの本物の支配者。

 

 

(天は二物を与えずって、嘘じゃん……)

 

 

 この男こそ、モモンガ達を呼び出した張本人。

 バハルス帝国の皇帝である。

 

 

 

 

「いやぁ、冒険者の貴重な休息日にすまないね。突然の呼び出しに応じてくれたことに、あらためて心から感謝するよ」

 

 

 私は今、人生で二番目くらいに貴重でビックリするような体験をしている。

 

 

「皇帝陛下直々のお話しがあるとのことでしたが……」

 

「そう身構えなくても大丈夫だ。拍子抜けさせてしまうかもしれないが、本当に会って話がしてみたかっただけなんだ」

 

 

 私達を呼び出したのは、この国の皇帝。

 この国で一番偉い人が、私の目の前で朗らかに笑っている。

 

 

「私は前々から君達に興味を抱いててね。伝説の魔獣を仲間にしている冒険者チームなんて、他に聞いた事もなかったのさ」

 

「なるほど。確かにハムスケほどの魔獣は探しても中々いないかもしれません。冒険者チームの一員ともなれば、唯一無二と言っても過言ではないでしょう」

 

「某の同族がどこかにいるなら、某が知りたいくらいでござる」

 

「残念ながら帝国でもハムスケ殿ほど立派な魔獣の目撃情報は聞いた事がないな」

 

 

 城の中庭で皇帝と同じテーブルを囲み、私はモモンガやハムスケと共に談笑している。

 

 

「噂によればモモン殿もその鎧に恥じない剛力の戦士なのだろう? 是非ともこれまでの君達の活躍を聞かせて欲しい」

 

「陛下のご期待に添えるものかは分かりませんが…… そうですね、これまでやった仕事で――」

 

 

 といっても、緊張で何を話せばいいか分からないから、自分はひたすら軽食とお菓子を食べて果実水を飲んでいる。

 どれもこれも自分一人で食べるのが勿体無いくらい美味しい。

 ナザリックで食べた物とそっくりなプルプルしたデザートもあった。甘くてとっても美味しいけど、味や舌触りは少し違う物のようだ。

 

 

「――ふ、くくっ。あははっ!! まさか伝説の魔獣と一緒に工事現場の手伝いをしていたとは!! そんな活躍は予想もしていなかったよ」

 

「ハムスケが仲間でも、我々が駆け出しの冒険者という事実に変わりはありませんので。それに仕事が早くて真面目だと、二人とも現場で評判が良かったんですよ?」

 

「それはそれは。その仕事ぶりを私も生で見てみたかったよ。かの大魔獣が題材だというのに、今の話を聞けば吟遊詩人も歌う際に苦労しそうだ」

 

 

 ユーモアを交えたモモンガの分かりやすい説明を聞き、皇帝は心から楽しそうに笑っている。

 皇帝と対面しても気負いなく話せるなんて、流石はモモンガだ。

 

 

「君達なら強力なモンスターを相手にしても十分対応できると思うが、あまりそういった依頼を受けていないのには何か理由があるのかい?」

 

「特に理由はありませんが…… 堅実に経験を積もうとは考えております。あとは、単に機会に恵まれなかったのもありますね」

 

「君達がまだ鉄級(アイアン)とは組合も見る目がないな。これから噂されるであろう活躍を楽しみにしておくよ。……ところで今日の午前中は闘技場を見物していたそうだね。ネムさん、我が国の誇る大闘技場はどうだったかな?」

 

 

 会話に入っていない自分を気遣ってくれたのかもしれない。

 モモンガとの会話がひと段落すると、皇帝は自分にも話題を振ってくれた。

 

 

「色んな戦いが見られて凄かったです。とっても勉強になりました」

 

「ネムは熱心に記録も書いていましたから。演目も多彩で私も楽しめました」

 

「それは良かった。あれは我が国でも人気の観光地だ。君達にも気に入ってもらえて嬉しいよ。それにメモまでとってるなんて、ネムさんはとても勤勉だね」

 

「今日は勉強目的だったので頑張りました!!」

 

「ふふふ。闘技場に来て賭け事以外に熱心になる人なんてそうはいないよ。うちの部下にも見習わせなくては」

 

 

 ニンブルから聞いていた通り、皇帝は優しくてとても話しやすい。

 偉い人はもっと近寄りがたいのかと思っていたけど、真に立派な王様はみんなこうなのかもしれない。

 

 

「私も時々闘技場には足を運ぶんだが、最近はあまり行けていなくてね。冒険者目線での見方にも興味があるし、少しそのメモを見せてもらっても構わないかな?」

 

「はい。どうぞ」

 

 

 リュックからノートを取り出して見せると、皇帝はパッと顔を輝かせた。

 見られて困る内容は何も書いていない。ただ文字の勉強にも使っていた物だから、最初の頃の形の悪い字が見られないか少し緊張する。

 

 

「ありがとう。……うん。少し見ただけでもネムさんが真剣に試合を観察していたのがよく分かる」

 

 

 皇帝は真剣な顔でノートを少しだけペラペラと捲ると、成果を褒めるように微笑んでくれた。

 

 

「ちなみに今日の試合だと、どれが一番印象に残ったんだい?」

 

「えっと、今日のだと――」

 

 

 すっかり緊張が取れたネムは、モモンガやハムスケも交えて皇帝と色々なことを談笑した。

 皇帝の仕事の時間が来るまで、楽しいひと時を過ごす事が出来たのだった。

 

 

 

 

「あのネムという少女、怪しいな」

 

 

 限られた側近しかいない静かな執務室。

 親しみやすい好青年という仮面を置き、辣腕を振るう皇帝としての顔でジルクニフは断言した。

 

 

「全身鎧のモモンではなく、子供の方がですか?」

 

 

 側にはニンブルと秘書官のロウネ・ヴァミリネンが控えており、実際に歓談の場を見ていたニンブルの方は少し驚いたような反応を返した。

 

 

「モモンにも多少の隠し事はあるだろうな……」

 

 

 ジルクニフは前々から魔獣を使役する冒険者には目を付けており、出来ることなら配下に引き入れようと考えていた。

 まだまだ冒険者としてのランクが低い現状で、直接会う事が出来たのは僥倖といえるだろう。

 情報局があらかじめ得ていた情報と比較しても、モモンから直接聞いた話に齟齬はない。

 むしろ誇張が抜けて控えめですらあった。

 

 

(冒険者というより、私に顔を覚えられたくない商人のようだった)

 

 

 モモンは礼儀を弁えているのに最後まで兜を外さなかった。そこに違和感はあるが、国家権力という面倒ごとに巻き込まれるのを嫌っての防衛反応だろう。

 謙虚な者や自分の力に自信がない者、もしくは脛に傷を持つ者がやりがちな行動だ。

 

 

「だが奴はこちらを警戒して一線を引いていただけだ。会話に慣れた様子ではあったが、いきなり呼び出された冒険者としては妥当な反応だな。それに引き換え、魔獣を従えていたあの少女はどうだ?」

 

「なるほど。戦った訳ではありませんが、確かにあの魔獣の強さとあの少女は釣り合いが取れているとは思えませんでした」

 

「我が国の騎獣部隊でも己より強い魔物は従えられないのは常識。どちらがより怪しいかと言われると、確かに少女の方になりますね」

 

「……正直ヒヤリとしていましたね。護衛が私だけでは、いざとなれば十五分も保たなかったでしょう。アレに対して友達など、よく言えたものです」

 

 

 ニンブルとロウネはそろって頷いた。

 武官と文官。分野は違えど二人は自分が認めるほど優秀で、理解も頭の回転も早い。

 

 

「あの子がお菓子や飲み物を目にし、口にした時の反応を覚えているか?」

 

「覚えてるも何も、普通に美味しそうに食べていたと思いますが……」

 

「年相応で子供らしい反応だったと思います」

 

 

 だが、常識人過ぎて少女の外見に騙されている。

 真実を見抜く直感や洞察力はまだまだ甘いようだ。

 

 

「あの目は未知への興味ではなく、菓子や飲み物の味を元から知っている者がする期待の目だ。それに口に入れた瞬間、ほんの僅かだが落胆があったぞ。想像した味と違ったとな」

 

 

 ジルクニフは王族として生き抜く中で、幼い頃から培った観察眼には自信があった。

 あの少女は以前にもアレを食べた事があったのだろう。

 ――開拓村の平民には決して手が届かない、高級な嗜好品であるはずのプリンを。

 

 

「それは…… 流石に陛下の考えすぎではありませんか?」

 

「お前はそう思うか。まあ冒険者をやっているのなら、街で甘味に触れることもあろう。では、あの子が書いた試合の記録を見てどう思った?」

 

「陛下が見ていたノートですか。私は少し離れていたので内容をしっかりとは見ていませんが、一般的な王国語で子供の割には綺麗な字を書いてるとしか……」

 

「もしや陛下が気にされるほど優れた内容だったのですか?」

 

 

 現場にいなかったロウネはしかたないにしても、実際に会ったニンブルはまだ違和感に気づけないようだ。

 あの如何にも純真無垢な少女の姿を見たからこそかもしれないが。

 

 

「文法を含め、文字、文章が綺麗すぎる」

 

 

 ノートの内容を思い出そうとしていたニンブルに、ジルクニフはピシャリと言い切った。

 

 

「王国の識字率は我が国よりずっと低いんだぞ。教育機関もない辺境の村に住む子供が、何故そこまで読み書きが出来る? それに随分とノートの紙質も良かった」

 

「っ!?」

 

「なるほど。素質云々ではなく、環境と本人の能力が噛み合っていませんね」

 

「そうだ。あの子は生まれながらに才能があり、魔獣を従える事が出来た。そこまではいい。タレントの可能性やマジックアイテムを考慮すれば、年齢を除けば冒険者としてあり得なくはない話だ」

 

 

 二人とも自分の言わんとしている事を遅まきながら理解したようだ。

 この手の話はロウネの方が精通している分、衝撃も大きかったらしい。

 

 

「――だがあの子は、いや、彼女はどこで読み書きを習ったんだ? あの書き方は独学で自然と覚えたものではなく、学問として教えを受けて学んだ者の書き方だ」

 

 

 田舎特有のなまり、いわゆるローカルな癖や荒さがない丁寧な文章の書き方。

 ネムという少女が書いていたノートの中身は正しくはあるが、正し過ぎて怪しい。

 上質な紙なのに文字の練習として使われた痕跡もあった。貴族でもない辺境の地に住む平民の子供が使う物としては不自然だ。

 

 

「あの子の両親は村長のような役職でもなく、普通に畑を耕していると言ったのだ。それが真実なら、読み書きを学べる環境があるとは思えんな」

 

「情報局にもう一度情報を精査するようにお伝えしておきます」

 

 

 自分の意図を理解し、言葉にせずともロウネは動いてくれる。やはり優秀な秘書官だ。

 少女の不自然さを暴いただけで満足したいところだが、自分はこの国の皇帝だ。

 相手に裏があるならあるで、それすらも飲み込んでこの国の利益を考えなければならない。

 

 

「あのガゼフ・ストロノーフすら戦場で勧誘した陛下が、何故声をかけなかったのか理解致しました」

 

「ああ。初めはあの魔獣の力を取り込もうと思っていたが、少し様子見をさせてもらう。私は身分や種族にはこだわらないが、獅子身中の獣になられては困るからな」

 

 

 あれ程の力だ。何故冒険者をやっているのかは分からないが慎重に動くべきだろう。

 高待遇で囲う。恩で縛る。弱みを利用する。

 どれにせよ帝国の力になるなら、相手の正体が何であっても構わない。

 

 

「他国の間者か。没落貴族の末裔か。はたまた謎の組織の一員か…… あの少女の背景には、少々裏があるようだ」

 

 

 ジルクニフは真実に迫る探偵のように確信をもって呟いた。

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、ただいまー!!」

 

「お帰りなさい、ネム。今日はどうだった?」

 

「うん。帝国の闘技場に行って、いっぱい勉強して、その後皇帝陛下にお城でお茶とお菓子をご馳走してもらったよ!!」

 

「へぇ…… なんで皇帝が出てくるの!?」

 

「ハムスケが有名だからかな?」

 

 

 一部の隙もなくただの平民であるエモット家は、今日も平和だった。

 

 

 

 

おまけ〜初めての武技のお披露目〜

 

 

「見聞を広め、特訓に特訓を重ねた某の新しい技。とくとご覧あれでござる!!――武技〈縮地・未完成〉」

 

 

 気合いを入れて叫んだハムスケは、四足歩行の体勢のまま微動だにしていない。

 ――しかし、体はきちんと前に進んでいた。

 

 

「凄いよハムスケ!! 全然揺れてない!!」

 

「そうでござろう。そうでござろう?」

 

「武技、なんだよな?」

 

 

 歓声をあげるネムにハムスケは非常に得意げになって応えた。

 ハムスケは手足を全く動かさず、背中に乗せたネムに一切の振動を与えることなく、まるでホバークラフトのようにスライド移動しているのだ。

 

 

(これは…… 昔あった百円で動く乗り物みたいだ)

 

 

 ――しかし、遅い。

 ネムが普通に歩いた方が速いんじゃなかろうか。

 遊園地で遊ぶ子供を見守る親の気持ちはこんな感じなのだろうと、モモンガは至極どうでもいい事を思った。

 

 

「ハムスケ、それは真っ直ぐ以外には進めないのか?」

 

「ちょっとまだ無理でござる」

 

「じゃあせめて、もうちょっと速く動くとか……」

 

「それもまだ無理でござる」

 

(乗り物にすら負けてる……)

 

 

 ついに武技を習得したハムスケ。

 しかし、強くなる道のりはまだまだ遠かった。

 

 

 




ハムスケの乗り物としての性能が少しだけ上がりました。
マークしていた冒険者が帝国に現れたので、勧誘しにきた皇帝。
ジルクニフは超優秀で洞察力とかも凄い。
でもナザリックが絡むと何故か深みにハマってしまう苦労人イメージです。



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不完全なる狂騒

前回のあらすじ

「闘技場で勉強だ!!」
「武技を習得したでござる!!」
「ネムと一緒だと、イベント遭遇率高いな」
「皇帝の眼は誤魔化せない。あの少女には裏がある!!」

今回はあのアイテムが登場するおふざけ回です。


 優秀過ぎる部下の手腕により、さしたる問題もなく日々を過ごすナザリック地下大墳墓。

 その絶対的支配者たるモモンガは、大層な肩書きに似合わぬ軽い業務を行っていた。

 

 

(承認。承認。こっちのは、何だこれ? 一応アルベドが一度見てるはずだし…… よし。承認だな)

 

 

 ナザリックの運営に関わる書類――アルベドによる精査済み――の決裁である。

 

 

(働く時間すら自由って、俺だけホワイト過ぎるな。まあ今の俺は社長みたいなものだし、責任は営業時代の比じゃないが……)

 

 

 詳細を一部でも理解していれば、あるいは内務に長けた部下の補助がなければ、モモンガが感じる重みも違ったものになっただろう。

 しかし、軽快なリズムで押されるギルドマークの判子は、モモンガの晴れやかな心情とリンクしているようだった。

 

 

(地下農場計画と虫籠計画? 農場はいいとして、虫なんか育ててどうするつもりだ。誰かの餌か? 発案者は――ですよね)

 

 

 実質的な運営を部下に任せっきりな事に対して、モモンガも多少の負い目はある。

 しかしながら自分にそういった能力はなく、逆に自分が先頭に立って指示を出せばナザリックが崩壊する未来が見える。

 

 

(絶対デミウルゴスは働き過ぎだろ。営業一本だった俺からすれば絶対真似出来ないし、あいつはいつ休んでるんだ?)

 

 

 そう。つまりこれは適材適所。

 自分の適所が支配者かどうかは甚だ疑問だが、仕方のないことなのだ。

 

 

(上司である俺が率先して仕事をしない姿を見せれば、周りも休みやすいと思ったんだけどなぁ)

 

 

 ついでにネムと遊んだり、冒険者として活動するための自由な時間は捨て難い。

 精神の健康は仕事の効率を高めるというし、全くもって仕方のないことなのだ。

 

 

(……俺が遊んでたらより熱心に働くってどういうことだよ。もう休みを強制する気もないけどさ)

 

 

 完璧な自己弁護を頭の中で繰り返した後、モモンガは再度の手元の書類に意識を戻した。

 

 

「フィース。次の書類を」

 

「はい。モモンガ様」

 

 

 モモンガは支配者ロール兼部下へのサービスとして、必須ではない小さな命令を時々与える事がある。

 労力を伴わない自分の言葉一つで部下の笑顔が見られるなら安い物だ。

 

 

(転移直後ならまだしも、こんな調子で何故俺の評価は一向に落ちないんだ?)

 

 

 フィースが背中を見せた瞬間、モモンガは形だけの溜め息を吐いた。

 心情を悟られにくいアンデッドの肉体は本当に便利なものだ。

 その後も疲労しない体を良いことに、自分に出来る範囲の仕事として――責任だけは果たすため――モモンガはひたすら書類に目を通し続けた。

 

 

「モモンガ様。パンドラズ・アクター様がお目通りを希望されています。……これは私見ですが、かなり動揺されているようにも見受けられました」

 

「あいつが?」

 

 

 決裁を終えた書類のファイルを六つほど机に積み上げた頃、部屋付きのメイドがモモンガへ意外な来訪者の名を告げてきた。

 

 

「至高の御方にして我が創造主たるモモンガ様。急な来訪の無礼をお許し下さい。至急お耳に入れたいことが御座います。ですが……」

 

 

 畏まった態度で敬礼する軍服姿のNPC。

 この時点で薄々嫌な予感はしていたが、パンドラズ・アクターを部屋に招き入れるや否や、それはより確実なものとなる。

 部屋付きのメイドや護衛を下がらせなければ話せない内々の話があると言われ、モモンガは即座にそれを聞き入れた。

 

 

「さて、人払いは済んだ。極秘で伝えたい事があると聞いたが…… そもそもお前が宝物殿から出ているのは珍しいな?」

 

「いえ。今は指輪もありますので、結構好きに行動させていただいております」

 

 

 パンドラズ・アクターと改めて顔を合わせたモモンガは、少しばかりの安堵と疑念を覚える。

 ――大人しい。

 あのオーバーアクションの化身のようなパンドラズ・アクターが、控えめな言動をしているのだ。

 

 

「……そうか。すまない、話の腰を折ってしまったな。それで、一体何があった?」

 

「じ、実はですね――」

 

 

 何かあると感じたモモンガは、早々に本題を聞き出す事にした。

 決まりが悪そうなパンドラズ・アクターが口を開きかけた時、その背中からひょっこりと見慣れた顔が現れる。

 

 

「にひひー、驚いた?」

 

「えっ」

 

 

 パンドラズ・アクターの体をよじ登って登場したのは、十歳くらいの女の子。

 不可視化の魔法でも使われていたのか、モモンガは今の今まで全くその存在に気がつけなかった。

 ――どう見てもネムだ。

 自分を驚かせたのが嬉しかったのか、ネムはいつになく悪戯っ子な表情で笑っている。

 

 

「よいしょ、よいしょ」

 

「申し訳ありません、モモンガ様!! 処罰は後程、如何なる内容でもお受けいたします!!」

 

「待て、早まるな。とりあえず説明をしてくれ」

 

 

 さらに、ネムは無造作にパンドラズ・アクターの頭を掴むと、そのまま勝手に肩車の体勢に移行していた。

 如何にも子供らしい自由奔放さと天真爛漫さだが、遠慮のなさにモモンガは違和感を覚える。

 

 

(前に一緒に遊びはしたけど、ネムとパンドラズ・アクターってここまで気安い関係だったか?)

 

 

 ネムは元からナザリックに住まう異形種にも、そこまで怯える様子はなかった。

 よほど恐ろしい姿をしていなければ、とりあえず自分から挨拶していたくらいである。

 

 

「あぁっ、ネム様。私のアイデンティティですので、軍帽は取らないようにお願いします」

 

「はーい」

 

(基本的にどのNPCとも良好な関係だったとは思うけど、今の態度は変だよな)

 

 

 ただしいくら肝が据わっていても、流石に断りもなく人の体をよじ登るほど不躾ではなかったはずだ。

 ナザリック内や冒険中に限らず、村でもネムのそんな姿は一度も見た事がない。

 

 

「話は数時間ほど前に遡ります。日課であるマジックアイテムとのふれあいを終えた私は、とあるアイテムの作製、改良をしておりました」

 

(俺の書いた設定通りのアイテムフェチだな)

 

「しかし、基となった『完全なる狂騒』は精神に作用する非常に複雑なアイテム!! ……作業は難航。纏まらぬ思考。己の無力さに私は咆哮!!」

 

「ふむふむ」

 

「様々な方法を試みましたが、望む効果を持たせる事は中々出来ませんでした」

 

 

 肩車されたネムが視界に入って非常に気になるが、モモンガはパンドラズ・アクターの言葉に耳を傾ける。

 集中して聞いているつもりだが、今のところ話にはネムのネの字も出てこない。

 

 

「そのまま行き詰まっていたところ、ふと思ったのです。そうだ、ネム様に話を聞こう!!」

 

「ふむ…… ん?」

 

「新たなインスピレーションを得るべく、招待したネム様と談笑しながらアイテムをあれやこれやと弄っていたのですが……」

 

 

 ――と、思っていたら何の脈絡もなく登場した。

 外部との交流を推奨したのはモモンガだが、下手をすれば自分以上にネムはNPC達からの相談を受けているんじゃないだろうか。

 あの人間嫌いのNPC達から信頼を勝ち取るなど、どんなコミュニケーションをすればそうなるのか教えてもらいたいくらいだ。

 

 

「試作品が暴発しました」

 

「えぇぇぇっ!?」

 

 

 モモンガは予想外の奇襲を喰らい、凡人らしく思いっきり叫んでしまった。

 思考が僅かに脱線していたとはいえ、起承転結の展開速度が早すぎる。

 雲行きが怪しくなったかと思えば、身構える前に一瞬でこのオチだ。

 

 

「え、ちょ、暴発だと!?」

 

「はい。特殊な条件を満たすと自動で発動してしまう隠し機能が元からあったようで…… 誠に申し訳ありません!! アイテムフェチとして一生の不覚でございます!!」

 

 

 ネムを肩車したまま、器用に土下座を披露するパンドラズ・アクター。

 肩に乗っているネムは上下するアトラクション気分で少し楽しそうだ。

 だが、アイテムの暴発と聞かされたこっちはそれどころではない。

 変な仕様作りやがってクソ運営と、モモンガは心の中で盛大に罵った。

 

 

「あぁ、私は、なんと罪深い事をしてしまったのでしょう。まさか、ネム様にあのようなことが起こるなんてっ!!」

 

「おい、それで結局ネムに何が起こった!? そのアイテムの効果はなんだ!!」

 

「はっ。確認したところ、精神の高揚とカルマ値の変動が起こっております」

 

「なんだとっ!? ……ん? 精神の高揚と、カルマ値の変動?」

 

「はい。『完全なる狂騒・改(試作)』により、ネム様の欲望が増幅し、カルマ値がマイナスになってしまったのです!!」

 

 

 いつの間にかパンドラズ・アクターの言動も普段の派手なものに戻っている。

 ネムはパンドラズ・アクターの頭に指で角を生やして遊んでいる。

 モモンガはそれらを努めて無視し、説明を頭の中で咀嚼して変化が起きた点を整理していった。

 

 

(つまりは、悪い子になったってことか?)

 

 

 別に大丈夫じゃないだろうか。

 命に関わるような緊急性はないし、多少理性のタガが外れても大した問題は起こらない気がした。

 ――だってネムだし。

 これがアルベドやシャルティアなんかだったら、自分は即座に宝物殿での籠城を決定したかもしれないが。

 

 

「あー、なるほど。それが今のネムの状態なのか。思ったより喫緊の危険はなさそうだな?」

 

「副作用もなく、永続性もありません。時間が経てば元に戻ることは保証いたします」

 

 

 もちろん、巻き込まれたネムにとっては迷惑極まりないだろう。

 だが、少なくとも時間が経てば元に戻るのだ。それを思うと、モモンガはほんの少しだけ気が抜けた。

 

 

「ねー、二人だけのお話長いよー」

 

 

 パンドラズ・アクターの肩車に飽きたのか、スルリと滑り降りたネムは口を尖らせる。

 

 

(状態異常を強制解除するアイテムも有るにはあるが……)

 

 

 精神への介入は繊細なものだ。無理に解除すればどんな変化が起こるか分からない。

 バッドステータスを治しさえすれば、何もかもが即元通りのゲーム時代とは違うのだ。

 

 

「ごめんごめん。せっかく来たんだし、ちょっと遊んでいくか?」

 

「うん!!」

 

「僭越ながら、私も経過観察のために参加させていただきます。こうなった責任がありますので!!」

 

 

 それならばネムの状態を見守りつつ、一緒に遊んだ方が有意義だろう。

 普段より割り増しでテンションの高いネムの了承もとれた。

 パンドラズ・アクターの参戦とポーズも決まった。

 

 

「よろしい。今日の仕事はここまでだ!!」

 

 

 こうして、モモンガの午後の新たな予定が決定したのだった。

 

 

 

 

 昼夜を問わず侵入者を警戒する、二十四時間営業のコンビニエンスな大墳墓。

 そんなナザリック内を闊歩するのはネム、モモンガ、パンドラズ・アクターの三人だ。

 先頭を歩いているのはネムで、モモンガ達が付き従う形となっている。

 

 

(本当に誰とも遭遇しない。どうやったんだ?)

 

 

 こんな姿を誰かに見られたら多少なりともトラブルが起こりそうだが、その点に抜かりはない。

 パンドラズ・アクターが他のシモベに遭遇しないよう根回しをしたため、周囲に自分達以外の姿はなかった。

 

 

「ふふん。今の私は悪い子だから、遠慮なく我が儘を言うよ。いいよね、モモンガ?」

 

(そこで確認を取るあたり、悪い子になり切れてないけどな)

 

 

 第九階層の廊下のど真ん中を我が物顔で歩くネムは、振り返りながら上目遣いでモモンガを見てきた。

 一応パンドラズ・アクターからの説明で、自身に起きた変化は自覚しているのかもしれない。

 

 

(カルマ値がマイナスになったって言っても、辛うじて程度じゃないか、これ?)

 

 

 元の性格故か。それともカルマ値がそれ程大きく変化していないのか。

 ネムの言動に隠し切れない遠慮が見える。

 多少のカルマ値が変動しようが、ネムはやっぱりネムだと確信した。

 

 

「もちろんだ。パンドラズ・アクターが迷惑をかけたようだし、お詫びも兼ねて何でも聞かせてもらおう」

 

「私も全身全霊でお付き合いいたします!!」

 

「やった!! じゃあ、最初はね――」

 

 

 むしろいつもより本音が出やすいネムが何を言うのか、モモンガはそちらの方に興味を抱いていた。

 そして、自称悪い子のネムにせっつかれて向かったのは――

 

 

 

 

「マスターさん、カクテルが飲みたいです!!」

 

 

 第九階層にあるショットバー。

 いきなり現れた支配者と領域守護者に副料理長が困惑している中、ネムは遠慮なくドリンクを注文した。

 どうやら前回飲んだカクテルがよほどお気に召したらしい。

 

 

「かしこまりました。どうぞ、モモンガ様とパンドラズ・アクター様もこちらのお席へ」

 

 

 困惑していてもそこはプロ。

 副料理長の立ち振る舞いは、バーのマスターとして微塵も動揺を感じさせない。

 完璧なポーカーフェイス――元から顔の造形はキノコなので、動揺が顔に出ることはまずあり得ないのだが――を貫いている。

 

 

「お待たせいたしました。こちら、シンデレラでございます」

 

「しゅわしゅわしてないし、見た目は普通の果実水みたい。でも色が濃い?」

 

「はい。こちらは炭酸を使用しておらず、果実の果汁のみで作られております。その分炭酸で割ったものや果実水より濃厚なフルーツの味わいを楽しんで頂けます」

 

 

 さらに副料理長は素早くネムの要望を把握し、今のネムに相応しいノンアルコールのカクテルを作った。

 ネムは受け取ったグラスをしげしげと眺めると、味を確かめるように一口だけ口に含む。

 

 

「……ぷはぁっ!! 甘くてさっぱりしてて凄く美味しい!!」

 

 

 好きな味だったのだろう。

 以前はちびちびと飲んでいたノンアルコールカクテルを、ネムはそのままゴクゴクと豪快に飲み干した。

 さらに、一度モモンガの方を向いたかと思えば――ニヤリとした笑みを浮かべた。

 

 

「お代わりが欲しいです!!」

 

 

 副料理長に空となったグラスを掲げ、ネムは堂々とお代わりを要求する。

 その様子を温かい目で見守りながら、モモンガは無言で頷いた。

 ジュースくらい好きなだけ飲むがいいさ。

 

 

「軍服とバー。粋なマスターに可憐な少女。そして偉大な父上と語らうカッコいい息子の私!! どれも中々絵になる組み合わせですね。それにどうですか私のお酒選びのセンス!!」

 

「少し声量を落とそうな」

 

 

 何気にパンドラズ・アクターもバーを満喫しているのか、「ブルドッグ」や「ラモス・ジン・フィズ」等のお洒落な名前のカクテルを注文していた。

 自分の書いた設定をどう解釈すればこうなるのか、本気でこの世界の運営に問いたい。

 

 

「モモンガ様とネム様に向けた私の心からの気持ちでございます!!」

 

「へぇ」

 

「まぁ飲むのは私ですし、味の違いは分かりませんけど」

 

「あっそ」

 

 

 自分は父親という存在を知らないに等しいが、息子と酒を飲む父親の気持ちは、絶対こんな羞恥に満ちた感覚じゃない事だけは分かる。

 キザったらしくグラスを持つポーズと目配せが気持ち悪かったので、モモンガは華麗にスルーし続けた。

 

 

「カクテルって何種類くらいあるんですか?」

 

「私が作れる物だけでも千種類以上ございます。僅かな違いやオリジナルも含めれば、無限にあると言っても過言ではないでしょう」

 

「すっごーい」

 

 

 隣はバーとは思えない和やかさだ。出来れば自分もそちらへ交ざりたい。

 副料理長もネムとの会話に付きっきりと見せかけて、パンドラズ・アクターを若干無視しているのではないだろうか。

 

 

「ごちそうさまでした。モモンガ、次はやってみたいことがあってね」

 

 

 二杯目を飲み干したネムは副料理長に笑顔でお礼を告げると、元気よく椅子を飛び降りた。

 喉を潤し気分も乗ってきたのか、ここからネムは新たな願いを次々と口にしていく――

 

 

 

 

「コーラに『めんとす』を入れたい!!」

 

「どこで知ったんだそんな遊び」

 

 

 自称悪い子ネムのお願い第二弾は、リアルの人間なら誰もが知る――勿体なくて貧民には絶対出来ない――実験、もとい遊びだった。

 

 

「前にアウラお姉ちゃんが教えてくれたよ。シャルティアさんがそれをやってすっごく噴き上がったんだって!!」

 

「コーラもアウラから教えてもらったのか?」

 

「うん。アウラお姉ちゃんとハンバーガー食べた時に飲んだよ。ナザリックの飲物って、甘くてしゅわしゅわしてて美味しいよね!!」

 

 

 ネムはどんな光景を想像したのか、身振りで山のようなサイズの噴水を伝えてくる。

 友達の期待を裏切りたくはないが、そこまでいくと飲み物ではなく兵器だ。

 

 

「冗談なのか本気なのか、シャルティア様がやったと言われると微妙に判断がつきませんね」

 

「流石に人が吹き飛ぶ程とは思えないが、ユグドラシル産ならもしかしたらありえる、のか? あの運営だしなぁ。変なフレーバーテキスト書いてたりして……」

 

 

 守護者最強は違う意味で信頼があるのか、NPCであるパンドラズ・アクターは神妙な表情で考え込んでいる。

 その様子に釣られて、モモンガも運営の数々の悪ふざけを思い出した。

 

 

「モモンガも知らないならやってみようよ!!」

 

「コーラはともかく、メントスはナザリックにあるのか?」

 

「お任せください。ネム様のなさりたい事は概ね把握いたしました。必要なお菓子でしたら、すぐにご用意させて頂きます!!」

 

 

 流石は自由度がウリのユグドラシル。

 ナザリックも無駄に作り込んだだけあって、娯楽施設や飲食物ならなんでもあるようだ。

 パンドラズ・アクターはピシッと敬礼すると、指輪を見せつけるようにして一足先に転移していった。

 

 

「――お待たせいたしました。こちら準備は万端でございます!!」

 

「ありがとうございます!!」

 

(仕事に関しては有能なんだよなぁ)

 

 

 ところ変わってナザリック第九階層のどこかにある実験室風の部屋。

 作業台の上には少し温められたコーラと、白くて丸い菓子が積み上げられていた。

 

 

「……じゃあ、入れるね」

 

 

 ネムは緊張と期待に満ちた表情で、コーラの中にメントスのような物をそっと落とす。

 モモンガはなんとなく予想がついていた。

 パンドラズ・アクターは未来を確信していた。

 ネムは心臓が高鳴っていた。

 

 

「流石はナザリック産のコーラ。炭酸の勢いが違いますね」

 

「私も初めてやったが、予想より噴き上がったな」

 

「ちょっと勿体無いけど、すっごく面白かった!!」

 

 

 そして三人は仲良くコーラを浴びた。

 ちなみに床に零した分のコーラは、後で恐怖公の眷属(スタッフ)が美味しくいただいた。

 

 

 

 

「モモンガのお腹の玉に触ってみたい!!」

 

「これか? 触る程度なら別にいいぞ」

 

 

 モモンガが普段から腹部に装備している世界級(ワールド)アイテム、通称"モモンガ玉"。

 実験をする事で探究心が膨れ上がったのか、次なるネムのお願いは至極シンプルなものだった。

 

 

「んー、思ってたより普通。ツルツルした石みたい」

 

「ははは、少し期待外れだったかな。一応世界に二つとない希少な物ではあるんだがな」

 

「そんなに凄い物なの?」

 

「自分で言うのもなんだが凄いぞ。まあこれの真価は能力を発動させないと分からないものだ。とっておきだから流石に能力は見せられないけどな」

 

「ふーん」

 

 

 好奇心旺盛なネムのことだ。もしかしたら初めて出会った時から、球体の正体が気になっていたのかもしれない。

 しかし長い間期待していた分、ペタペタとモモンガ玉を触るネムはちょっぴり残念そうだった。

 

 

「モモンガ様!! 私も、私も触ってもよろしいでしょうか!?」

 

「お前はダメだ。なんか息が荒いし手つきが怖い」

 

「Noooッ!! なんとご無体な……」

 

 

 そして腕をワキワキとさせたパンドラズ・アクターは、辛辣な断りに膝から崩れ落ちていた。

 

 

 

 

 再び場所は変わって、第十階層の玉座の間。

 長く伸びた絨毯の先に段差があり、その最上に巨大な玉座が鎮座している。

 

 

「あの大っきい椅子に私も座ってみたい!! ……けど、やっぱり駄目?」

 

 

 カルマ値がマイナスに変化しても、やはり元の性格や分別はしっかり残っているようだ。

 流石に玉座ともなれば自重があるのだろう。

 最初の勢いが直ぐに消え、もじもじとしたネムの様子がそれを物語っている。

 

 

「誰にも言わないならいいぞ」

 

「っ!! ありがとう、モモンガ!!」

 

 

 モモンガの返答を聞いたネムは顔を輝かせると、両手を広げて玉座に向かって走り出した。

 

 

「……パンドラズ・アクター。お前も口外は禁止だ」

 

「モモンガ様がそう仰るのであれば」

 

 

 その後をゆっくりと追いながら、パンドラズ・アクターにも釘を刺す。

 モモンガは玉座に飛びつくネムに既視感を覚えて、吐息に近い自嘲的な笑いが小さく漏れた。

 

 

「あぁ、私はなんと恐ろしいアイテムを生み出してしまったのか。まさかネム様が『諸王の玉座』に座ると言い出すとは……」

 

「何も減る訳じゃない。人払いは済んでいるし、座るくらいならいいだろ」

 

 

 自分の機嫌が悪くない事は伝わっているはずだが、事の発端であるパンドラズ・アクターはかなり取り乱している。

 一般的な王様にとって玉座を他人に座らせるなど、普通は言語道断だからだろう。

 

 

「なるほど。己の在り方こそが重要であり、真なる王は玉座に執着しないのですね。確かに誰があの玉座に座ろうが、モモンガ様の御威光は微塵も揺らぎません」

 

「ああ。そんなところだ」

 

「正しく至高の王!! その海よりも深く空よりも広い度量に、このパンドラズ・アクター心より敬服いたします!!」

 

 

 モモンガも頭では理解している。

 自分に忠誠を誓ってくれるシモベ達の心情を考えれば、他のNPCの前ではこんなこと絶対に出来ない。

 未だに彼らの前で支配者ロールを崩せないのと同じだ。

 

 

「それはそれとして、モモンガ様が今お座りになられる椅子がございません。どうぞ、私にお座り下さい!!」

 

「やだ」

 

 

 ――が、バレなければ良いのだ。

 元よりモモンガにあるのは王としてのプライドではなく、ギルドマスターとしての責任感だけである。

 生粋の支配者ではなく、自身にその器すらないと思っているモモンガは割と軽く考えていた。

 

 

「なんかすっごーい!! でも私には大きすぎるね。ちゃんと奥まで座ったら全然足がつかないよ」

 

 

 諸王の玉座は装備して使う物ではなく、常時効果を発揮している設置型の世界級アイテム。

 ネムが触れたところで特に何かが起こるわけもなく、玉座に座ったネムは興奮した様子で足をプラプラさせている。

 もう使えないのが悔やまれるが、スクリーンショットを撮りたい衝動に駆られる光景だ。

 

 

「なんという悪逆っぷりでしょう。あれ程の所業、カルマ値マイナス五百では足りません。まるで王位簒奪者のようです!!」

 

「悪逆か? エクレアより可愛げがあるし、どう見ても大きい椅子にテンション上がってるだけだと思うが」

 

「あんな涎が出るほど羨ま――不敬な事を…… 不敬過ぎて辛抱たまりませんね」

 

「本音がダダ漏れだぞ」

 

 

 モモンガは段差の下からネムを眺めていたが、四つん這いから立ち上がったパンドラズ・アクターが非常に騒がしい。

 無類のマジックアイテム好きとして、今日だけで二つも世界級アイテムに触っているネムが羨ましいのだろう。

 

 

「くぅぉぉ、この生殺しのような仕打ち。宝物殿の管理者でありながら、アイテムの効果一つ見抜けなかった私に相応しい罰ですねっ」

 

(NPCの性格は創造主に似るところもあるけど…… まさか俺、心の奥底ではこんな奇行に走りたいと思ってるのか?)

 

 

 パンドラズ・アクターはネムには見えない位置で拳を握り、悔しそうに体をくねらせている。

 自分は本当にこんな行動を起こさせるほど、濃い設定をこいつに書き込んだのだろうか。

 

 

「モモンガの目線ってこんな感じなんだ。椅子に座ってるのに他の人を見下ろすって、不思議な感覚」

 

「ハッ!? 普段から至高のマジックアイテムに囲まれてる私にとって、目の前にあるのに触れられないというのも新たな愛で方なのでは!?」

 

(いやいや、ないわー。絶対にない。軍服は今でもカッコいいと思わなくもないんだけどさ)

 

 

 はしゃぐネム。

 騒ぐ黒歴史。

 考える骸骨。

 モモンガはNPCの性格と設定について、何度目かも分からない自問自答を繰り返していた。

 

 

「ふぅ、満足。ねぇねぇ、モモンガも座ってみて」

 

「ん、これでいいのか?」

 

 

 モモンガが自らの過去に向き合うこと数分。

 玉座を堪能してご機嫌なネムが急に降りて来て、モモンガの手を取った。

 そのままネムに促されるまま、モモンガは体に染み込ませた支配者らしい座り方を披露する。

 

 

「うん。やっぱりこれはモモンガが一番似合うね!!」

 

「……面と向かって言われると照れるな」

 

「あぁあぁぁっ!! 至高のアイテムと至高の王の織りなすハーモニィッ!! まごうことなき究極の芸術。最高でございます、モモンガ様!!」

 

「騒々しい。静かにせよ」

 

 

 そしてネムは理想の支配者の姿を見た。

 

 

 

 

「モモンガの一番凄い魔法が見てみたい!!」

 

 

 王様気分を味わったネムはもう止まらない。

 今度のお願いは魔法の実演だ。それもただの魔法ではない。

 モモンガは魔法詠唱者(マジックキャスター)なのに戦士ロールで冒険しているため、ネムが意外と見る機会のなかった本気の魔法である。

 

 

「それは良いですね。第八階層を使えるように手配しましょう。私も中々目にする事がないので、是非ともお願いいたします!!」

 

「お前はどっち側だ?」

 

 

 頭が良いと明確に設定されているNPCなだけあって、理解も行動もとてつもなく早い。

 ネムに向けてナイスアイディアとばかりに指を鳴らし、パンドラズ・アクターはそそくさと何処かへ転移した。

 

 

「雷がビリビリするやつより、もっともっと凄いの見せてね!!」

 

「いや、うん。良いんだけどさ」

 

 

 ナザリックで一番偉い支配者を置き去りにし、とんとん拍子に準備が整っていく。

 有能な部下が勝手に物事を進めていることなど、モモンガはもう慣れたものだ。

 

 

 

 

「第八階層って初めて来たよ。けど、何もないんだね?」

 

「何も無いわけではないんだが、まあそうだな」

 

 

 ナザリック第八階層――『荒野』

 その名が示す通りの景色を前に、ネムは意外そうな顔をしていた。

 今まで見てきた他の個性豊かな階層に比べて、ここがあまりにも殺風景だからだ。

 一応領域守護者が待機している場所は華やかで建物もあるのだが、この階層のほとんどは実際荒野である。

 

 

「我々もほぼ利用する事のない階層です。現在は実質封鎖状態ですし、モモンガ様の許可無く立ち入るのは危険なエリアでもあります」

 

「お願いしたのは私だけど、魔法を見るためだけに使って良かったの?」

 

「第六階層でもいいのですが、周りの影響を考えればこちらの方が都合が良いのですよ」

 

「一度魔法の実験にも使っているから大丈夫だ。さぁ、巻き込まれないように少し下がっていてくれ。早速始めるとしよう」

 

 

 二人がほんの少しだけ離れると、モモンガは超位魔法の立体魔法陣を展開した。

 自身を囲む円形の魔方陣は、複雑な模様を描きながら形を変え続ける。あとは発動までの時間をただ待つだけ。

 狙いはだだっ広い荒野にぽつんと設置された一体の案山子である。

 

 

「すっごく綺麗!! モモンガの一番凄い魔法ってキラキラする魔法だったんだね。でも何の効果があるの?」

 

「ネム様。確かに綺麗ですが、これはまだ予備動作です」

 

 

 モモンガは既にネムが目を輝かせている気配を背中に感じていた。

 その様子がまるでゲーム初心者のようで、自分が初めて〈次元断切(ワールドブレイク)〉や〈大災厄(グランドカタストロフ)〉を見せてもらった時のことを思い出す。

 

 

「その通り。本番はこれからだ!!」

 

 

 ――時間だ。

 絶えず形を変え続けていた魔法陣の輝きが増し、より高く大きく広がりを見せる。

 モモンガは期待以上のものを見せようと両腕を振り上げた。

 

 ――超位魔法〈失墜する天空(フォールンダウン)

 

 選択したのは純粋に高火力な攻撃魔法。

 莫大な熱量がモモンガの前方に光と共に降り注ぎ、円形の効果範囲のみを案山子もろとも焼き尽くす。

 巨大なエネルギーの衝撃で地鳴りを起こしつつ、白くなった視界から段々と光が収束していった。

 光が完全に消えた後、荒野に残された巨大なクレーターは一部がガラス状になるほど熱せられていた。

 

 

「どうだ? これが私の使える最高火力の魔法だ」

 

 

 見栄えする派手なゲームの技も、現実になると凄まじい破壊の爪痕を残している。

 超位魔法自体は魔法職のプレイヤーなら誰でも使えるのだが、モモンガはつい得意げになって後ろを振り返った。

 

 

「……」

 

「っ素晴らしい。至高なる御方のお力、しかとこの目に焼き付けました!!」

 

 

 ネムは小さな太陽が落ちる光景に度肝を抜かれ、口をポカンと開けたまま目が点になっていた。

 パンドラズ・アクターはモモンガの超位魔法に感動し、涙を流さんばかりに震えて盛大に拍手していた。

 

 

「あ、あの時も出来るって言ってたけど…… 聖王国の壁を壊したのって、やっぱりモモンガだったの?」

 

「違うぞ!?」

 

 

 そしてモモンガは冤罪をかけられた。

 

 

 

 

 幾つもの願いを叶え、るんるん気分な普通の少女。

 ある時から家族に迷惑をかけまいと頑張り続け、日頃から抑圧された気持ちがあったからだろう。

 いつも以上に気兼ねなく遊んでいるその表情は、年相応でとても晴々としていた。

 

 

「じゃあ次は…… っ!?」

 

「どうした、ネム?」

 

「何か忘れ物でもございましたか?」

 

 

 この調子なら当分やりたい事も尽きまい。

 ずっと付き合うのもやぶさかではないが、遅くなれば家族も心配する。夕暮れまでに家に帰せるか、モモンガはそちらの方が心配なくらいだった。

 しかし、急に立ち止まりこちらを振り返ったネムは、顔を紅潮させてぷるぷると震えだした。

 

 

「モモンガぁ。私、どうしよう……」

 

 

 この我に返ったような表情。

 おそらくアイテムの効果が切れ、今までの振る舞いが急に恥ずかしくなってきたのだろう。

 

 

「ネム、何も気に病むことはないぞ」

 

「でも……」

 

 

 これはモモンガの本心だ。

 元々ネムに何か非があった訳でもないし、されたお願いはどれも可愛いものだった。

 だが当の本人はそうはいかないのだろう。

 きっとこのままでは友達に迷惑をかけたと、ネムの中に罪悪感が残る。

 一応記憶を弄る魔法もあるが、そんなものをネムに使いたくはない。

 

 

「ははは、本当に気にすることはない。なぜなら――これは全て夢なのだからな」

 

「えっ? ゆ、め……?」

 

 

 ――〈魔法無詠唱化(サイレントマジック)睡眠(スリープ)

 そんな思いから子供騙しのような手段をとった。

 

 

「急に切り上げてごめんな。今度は元のネムのままで、また続きをしよう」

 

 

 意識を失い崩れ落ちそうになったネムを、モモンガはそっと受け止める。

 ネムは元々不思議な夢を見る才能があった。

 ならば夢オチにしてしまう――仮にこれでネムが納得しなくても、支配者特権で無理やりゴリ押しすればいいのだ。

 

 

「パンドラズ・アクター」

 

「はっ」

 

「ネムにアイテムの効果が発揮してから、今まで見た事の全ての口外を禁ずる」

 

「畏まりました。ネム様はアイテムの暴発に巻き込まれ、眠ってしまわれた。そういう筋書きにさせていただきます」

 

 

 なにせモモンガがカラスは白であると言えば、ナザリックではそれが真実となる。

 世界中のカラスを塗り潰せと言えば、ナザリックは本気でそれを実行しようとする程だ。

 特に今回は事実を知っているのがパンドラズ・アクターだけだし、なんとかなるだろう。

 

 

「うむ。全てが無かったことになるのだから、お前に対する罰も無しだ。分かったな?」

 

「それは…… 承知いたしました。副料理長とも口裏を合わせておきます」

 

 

 同じくこの流れでゴリ押しし、パンドラズ・アクターに与える罰も面倒なので帳消しにしておいた。

 パンドラズ・アクターがごねる事はなかったが、明らかに消化しきれていない本人のためにモモンガは妙案を思いつく。

 

 

「では、罰の代わりに一つ仕事を命じる。今日の時間を無駄にしたネムに対するお詫びを考えておけ。――なにせ、ずっと寝てしまっていたのだからな?」

 

「なるほど。モモンガ様の仰せのままに」

 

 

 愉しげなモモンガにつられて、パンドラズ・アクターも思わず声を弾ませる。

 表情がないはずの死の支配者(オーバーロード)二重の影(ドッペルゲンガー)は、血の繋がりを感じさせる揃いのニヤリとした笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

「……あれ? モモンガは?」

 

「おや、お目覚めになられましたか」

 

 

 最初に通された応接室のソファーで、ネムはパチリと目を覚ました。

 さっきまでモモンガ達と一緒に色々遊んでいたはずなのに、場所も変わっているし側にはパンドラズ・アクターしかいない。

 しかも自分の体には肌触りの良い上質なタオルケットがかけられ、頭の下には枕まで用意されていた。

 もしかしたら、自分は結構な時間を寝ていたのかもしれない。

 

 

「誠に申し訳ありません。こちらのアイテムが暴発してしまい、ネム様は今まで深い眠りに落ちておられました」

 

「私、ずっと寝てたの?」

 

「はい。ずっと寝ておりました」

 

「……本当に?」

 

「モモンガ様に誓って本当でございます」

 

 

 なんとなく違和感はあるが、自分は夢を見ていたようだ。

 パンドラズ・アクターも嘘を言っている風には見えないし、モモンガの名前はナザリックにおいて特別だ。きっと本当のことなのだろう。

 

 

「本人の望みに近い夢が見られるアイテムらしいのですが、体に不調などはございませんか?」

 

「そっか…… うん、大丈夫です。楽しい夢が見られたよ。でも夢だったのは残念だなぁ」

 

 

 まるで以前に見た夢のように妙にリアルで、とても楽しい体験だった。

 夢の中だからか、自分はちょっと我が儘にはしゃぎ過ぎていたが。

 しかし、どれほど楽しくとも夢は夢。誰とも共有出来ないのは少し寂しくもある。

 

 

「貴重な時間を浪費させてしまい、本当に申し訳ない。つきましてはお詫びがしたいのですが、何か御希望はありませんか?」

 

「何でもいいんですか?」

 

「はい。私に叶えられる範囲なら」

 

「じゃあ――」

 

 

 パンドラズ・アクターの表情はモモンガと同じで全く変化しないけど、申し訳なさそうにしているのが分かる。

 夢の中ではモモンガと三人で、あんなに楽しそうだったのに。

 

 

「コーラに『めんとす』っていうのを入れてみたいです。モモンガも呼んで一緒に!!」

 

 

 だからもう一度現実にしてしまおう。

 

 

「っ承知いたしました。ネム様がお望みとあらば!!」

 

 

 パンドラズ・アクターも少し呆気にとられていたが、ビシッと敬礼までして了承してくれた。

 ネムから見たその顔は、心から喜んでいるような気がした。

 

 

 

 

「流石はナザリック産のコーラ。この実験は()()()行いましたが、炭酸の勢いが違いますね」

 

「私も()()()やったが、予想より噴き上がったな」

 

「ちょっと勿体無いけど、やっぱりすっごく面白かった!!」

 

 

 そして夢と同じ結果になり、ネムはコーラ塗れになりながらも楽しい思い出を共有出来たのだった。

 

 

 




今回も色んなところからネタをぶっこみました。気づいて笑ってもらえたら幸いです。
モモンガの対応ですが、友達の家でやらかしたことって、相手は気にしてなくても本人からすれば黒歴史になるよね。
という、現在進行形で黒歴史に苦しんでいるモモンガならではの気遣いでした。


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四武器との合同依頼

前回のあらすじ

「『完全なる狂騒・改(試作)』が暴発しました」
「悪い子だからわがままを言うよ」
「夢オチって便利だな」

今回は別の冒険者チームと仕事をするお話です。


 

 

「今日も楽しく安全に冒険といくか」

 

「うん!!」

 

 

 聖王国での一件以来、初となる仕事の日。

 真新しい鉄のプレートを身につけた少女は、以前よりも少しだけ胸を張って冒険者組合の扉をくぐった。

 

 

「おいおい、すげぇじゃねぇか」

 

 

 そんなやる気に満ちたネムの前に、意味深な顔をしている男が現れた。

 背中を壁に預け、ゆるく腕を組んだハゲ。

 もといスキンヘッドに刺青がトレードマークの名も無き鉄級冒険者(おいおい、痛ぇじゃねぇか)だ。

 

 

「まさかもう追いつかれちまうとは。まっ、俺は初めから二人の凄さは分かってたがな。――けど油断は禁物だぜ?」

 

 

 少しの諦めと羨望が入り混じった眼差しが、モモンガとまだ幼いネムに向けられる。

 朗らかに笑った男は意識を切り替えるように、スッと表情を引き締めた。

 

 

「昇格して自信をつけ始めた頃が一番危ないんだ。……調子に乗って痛い目にあった奴も、反省すら許されなかった奴も、俺はごまんと見てきた」

 

 

 男はどこか遠くを見つめている。

 決して老いてはいない。

 だが、若々しいとも言えない。

 それなりに歳と経験を重ねているこの男も、昔は色々あったのだろう。

 ポカンとした様子の二人に背中を向け、名も無き冒険者は軽く片手を上げて歩き出す。

 

 

「二人はそうならないことを祈ってるよ」

 

 

 万年鉄級(アイアン)の先輩は、足ではなく口だけ出して颯爽と組合を去っていった。

 きっと今のは彼なりの激励であり、若過ぎる芽に生き残って欲しいという親切心だったに違いない。

 

 

「あのおじさん、何しに来てたんだろう?」

 

「さぁ?」

 

 

 それはそれとして、彼はネムやモモンガと違って冒険者が本業のはずである。

 ――今日はお仕事しなくていいのかな?

 ネムは眩しく光る後頭部を眺め、モモンガと揃って首を傾げていた。

 

 

 

 

 冒険者組合の二階にある簡素な応接室。

 自分の隣には膝に手を置いて行儀よく座るネム。

 対面には初めて見る顔の女性冒険者。

 そして年季の入った長テーブルの横には、いつもより険しい顔をした組合長プルトン・アインザックが鎮座している。

 

 

(呼び出されること多くない?)

 

 

 モモンガは思わず溜め息をつきたくなった。

 何故自分たちがここにいるのかなど、長々と語るまでもない。

 いつも通りネムと依頼を選ぼうとしていたら、待ち構えていた受付嬢に捕まったのだ。

 

 

(ちゃんと試験を受けて鉄級になったばかりなのに、一体何が不満なんだか……)

 

 

 呼び出しといい、説明が足りないことといい、昇級試験を受けろと言われた時とひどく状況が似ている気がする。

 組合長とは数える程しか会ったことがないはずなのに、モモンガはこれが既に見慣れた光景にすら思えていた。

 

 

「君たちのホームではないにも関わらず、わざわざ来てもらってすまない。早速だが君たち『四武器』が見た情報を共有したい」

 

「はい。私たちはとある依頼でエ・ランテル南部の山岳地帯へ向かっていたのですが、その帰りに――」

 

 

 自分の嫌な予感をよそに、組合長と見知らぬ冒険者の話はあれよあれよと進んでいく。

 ふーん、南方の様子が変なのか。

 へー、普段現れないモンスターが街道に出没していたのか。

 ほー、念のため調査が必要なのか。

 おー、ネムはちゃんと耳を傾けてて偉いなー。

 ――で、この流れはまさかのまたアレなのか?

 

 

「……うむ。ことはエ・ランテル全体の危機にも繋がりかねないな。何もなければいいが、早急な調査が必要だろう。組合から君たち『四武器』に依頼する。原因の究明と解決を目的とした調査を頼みたい」

 

「了解しました。足が確保でき次第、至急調査に向かいます」

 

「頼んだ」

 

 

 緊急の依頼だというのに、指名された冒険者の返事は実に淡々としていて迷いがない。

 この情報を伝えに来た時点で、ある程度はこうなることも予想していたのだろうか。

 神妙な顔をした組合長は小さく頷くと、そこで一度言葉を区切る。

 

 

「あー、それとだ。ミスリル級である君たちの実力は重々承知の上なんだが、この街の危機に我々エ・ランテルの冒険者組合が、何も手を貸さないという訳にもいくまい」

 

「それはつまり、サポートの人員を用意していただけると?」

 

「そのつもりだ。しかし困ったことに、今ウチの上位の冒険者は他の仕事に出ている者が多い……」

 

 

 組合長の建前だらけの言い分に、指名された冒険者の面々も何かあると勘付いたのだろう。

 若干怪訝な顔をしつつ、静かに成り行きを見守っている。

 

 

「だが、案ずることはない!! ここに一組だけ適任がいる。……やってくれるね?」

 

 

 満を持してと言うべきか。

 何も知らされずにこの部屋に連れて来られ、今まで無言を貫いていたモモンガたちに、組合長は急に目を向けた。

 緊急時だから組合の規定通りだよ。そんな言葉が組合長の満面の笑みに書かれている気がした。

 

 ――おのれアインザック。

 

 この敏腕上司またやりやがった。

 仮にもミスリル級に頼む依頼の増援に、鉄級を放り込むとか何を考えているんだ。

 実力云々じゃなくて、他の冒険者との軋轢とか人間関係を考えたことはあるのか。

 異動先で上司と同僚の板挟みに苦労した営業マンの苦しみがお前に分かるのか。

 その無駄に毛根が強そうな白いアフロも早々に薄くなってしまえ――

 

 

「最善を尽くさせていただきます」

 

「私もがんばります!!」

 

 

 なんて言えたらどれだけスッキリするだろう。

 一定のラインに達していないせいか、精神の沈静化が発動する気配もない。

 モモンガは目上の人物である組合長に、何食わぬ顔をしながら心の中で暴言を吐くしかなかった。

 

 

「君たちならそう言ってくれると信じていた。では諸君、吉報を期待しているよ」

 

 

 組合長は話は終わりだと手を叩く。

 少し困惑気味の冒険者たちを無視し、緊急の会議はこれにて締めくくられた。

 

 

(呪術師の職業も取っておけばよかったかな……)

 

 

 レベル百である自分の恨み言なら、多少は呪いとして届いたりするのだろうか。

 純粋に頑張ろうと奮起しているネムの隣で、やさぐれ気味のモモンガはそんな詮のないことを思うのだった。

 

 

 

 

 エ・ランテルより南側の城門の外。

 これから街に入ろうと検問に並んでいる商人たちの列を横目に、モモンガは肩が落ちそうになるのを堪えた。

 相手チームの移動手段も滞りなく用意できたようで、立派な体躯の馬が鼻を鳴らして待機している。

 少し落ち着きがないように感じるのは、近くにハムスケがいるせいでもあるのだろう。

 

 

(コネで仕事に割り込んだとか思われてたらやだなぁ……)

 

 

 組合の応接室にいた相手チームのリーダーらしき人物が近づいてくるのが見え、モモンガはますます気が重くなった。

 今さら嘆いても遅いのは理解しているのだ。

 ただ頭で理解はしていても、無いはずの胃が重くなるのは止められない。

 軽い挨拶代わりの自己紹介ですら、相手側から何を言われるのか戦々恐々だ。

 

 

(組合長も何考えてるんだか…… あんまりでしゃばる訳にもいかないし、寝ずの番以外で役に立てるか、俺? 今回は途中でネムを帰すのも無理だよなぁ)

 

 

 相手は『四武器』という名のミスリル級冒険者チームで、普段はエ・ナイウルなどの他の街で活動しているらしい。

 実績もさる事ながら、女戦士、女神官、男の盗賊、男の魔法詠唱者(マジックキャスター)と、チーム内の職業バランスもいい。

 異常の調査という依頼の内容から考えても、正直言って自分たちが無理やり付け足された感は強い。

 

 

「時間通りね。改めて、私が『四武器』のリーダー、スカマ・エルベロよ」

 

「ご丁寧にありがとうございます、エルベロさん。こちらも改めまして、代表のモモンと申します」

 

 

 堂々とした立ち振る舞いで握手を求められ、モモンガは社畜の条件反射で挨拶を返した。

 威圧感や厳つさはないが、はっきりした顔立ちで頼り甲斐を感じる女性だ。

 思わず取引先の仕事のできるキャリアウーマンを連想し、腰を曲げて名刺を渡すポーズを取りそうになったのは内緒である。

 

 

「今回の指揮は基本的にウチらが取らせてもらうけど、意見があれば遠慮なく言ってちょうだい」

 

「了解しました。自分たちはまだまだ駆け出しの鉄級の身ですので、方針を決めていただけるのはありがたい限りです」

 

 

 戦士であるスカマは鈍色のプレートアーマーに青いマントを装備しており、センター分けの長い黒髪が印象的だ。

 ちなみに髪色はチームの宣伝目的で染めているだけで、元は王国民によくある普通の金髪だったらしい。

 

 

「こちらはチームのバランスも少々歪ですが、力になれるよう尽力いたします」

 

「あの魔獣が仲間なんだから、バランスもへったくれもないわよね…… でも貴方の剣にも期待しているわ」

 

「ありがとうございます。戦闘時には期待にお応えできるよう、張り切らせてもらいます」

 

 

 ネムの側で待機しているハムスケを見やり、スカマは苦笑を漏らした。

 冷静に分析して勝てないと判断したのだろう。

 しかし、その声に侮りや嫉妬などの悪感情は感じられない。

 ミスリル級からすれば明らかに格下である鉄級の自分たちにも、一定の敬意を払っているのが分かる。

 色々な意味でありがたいことに、人間ができた理性的なリーダーのようだ。

 

 

「はじめまして。私は見ての通り神官をしてるリリネット・ピアニよ。怪我しちゃってもちゃんと治すから、気軽に言ってね」

 

「はい。ネム・エモットです。よろしくお願いします!!」

 

 

 視線を悟られないフルフェイスの兜を最大限に利用し、モモンガはネムの方を確認した。

 ちょうどネムと挨拶を交わしている女性の神官は、優しげで慈愛に満ちた笑みを浮かべている。

 

 

(見かけで判断するのは良くないが…… あの見た目で?)

 

 

 だが全体の印象としては、聖職者であることが疑わしいほどに色気が溢れている女性だ。

 ケープとチューブトップを合わせたような服の構造のせいか、背中から脇にかけて素肌がチラチラと見えている。

 大きくスリットの入った脚部は、網タイツに包まれた太ももがよく見える。

 ――本当に神官の格好か?

 美人な顔立ちも相まって、口元のほくろすら扇状的な魅力を後押ししているようだった。

 

 

(アルベドと同じくらいありそうだな……)

 

 

 そして何よりデカい。

 服の胸元を押し上げて強烈に主張している二つの果実が、首から下げた土神の聖印を挟んでいる。

 ちゃんと修道女の頭巾も被っているのに、その他が冒涜的過ぎてコスプレに見えるくらいだ。

 

 

「よろしく、ネムちゃん。ところでまだ成人はしてないと思うんだけど、何歳かな?」

 

「十歳です」

 

「十歳!?」

 

 

 ネムの外見からある程度は予想は出来ただろうに、何が彼女の琴線に触れたのだろう。

 驚きの声を上げたリリネットは何度か「十歳、十歳……」と呟き、重要なことを閃いたような顔に変化した。

 その顔つきの変わりようは凄まじく、少なくとも十歳の子供に向ける真剣さではない。

 

 

「……ゴホンッ。ねえ、君と同年代の男の子を私に紹介してくれな――あたぁっ!?」

 

「そこまでにしときなさい、リリネット」

 

 

 子供に対して真顔で男(の子)を紹介してくれとのたまう聖職者に、リーダーであるスカマから叱責のチョップが振り下ろされた。

 籠手での一撃は加減されても痛かったようで、リリネットは何度も後頭部をさすっている。

 一連のコントを見せられたネムは首を傾げつつ、なんとなく笑ってお茶を濁していた。

 

 

「もう、叩くことないじゃない。私は真剣なのよ?」

 

「あんたが真剣(マジ)だから殴ったのよ」

 

 

 モモンガは業の深い女性の嘆きを聞き、ピンクの粘体と金色の鳥人間の姉弟を思い出す。

 姉はアウラとマーレ(男装少女と男の娘)を、弟はシャルティア(性癖詰め込み過ぎ)を創造した者たちだ。

 

 

「フォローする訳じゃないが、あいつはあれで頭が回るし性格も良い。神官としての力量も確かだから安心してくれ」

 

 

 濃い性格はギルドメンバーで慣れているのでドン引きとまでは言わないが、自分の「……えぇ」と、言いたげな視線を察したのだろう。

 頭に布を巻いた軽装の盗賊は軽口を叩きつつ、ざっくりと仲間のフォローを入れてきた。

 

 

「それに中々の美人だろ? 男の趣味、つーか性癖を除けば文句なしの良い女だ。結婚すれば良い奥さんになるって、うちのリーダーも言ってた」

 

「そのたった一つが致命傷な気が…… っ失礼しました」

 

「ははっ、気にすんな。俺もそう思うし、知った時はみんなそんな反応だよ。まあ子供に直に紹介してくれって頼んでんのを見るのは、流石に俺も初めてだが……」

 

「……一応だが、リリネットが道を踏み外した事はない。……恐らく」

 

「今恐らくって付けませんでした?」

 

「ゴホンっ。彼女は仮にも聖職者だ。根が善良なのもあるが、ことの前に同意を得るのは大人としての常識らしい」

 

 

 眉の辺りと耳にピアスを付けた如何にもな格好の魔法詠唱者も、難しい顔をしながらフォローを追加してきた。

 仲間に対する信頼と不安がぶつかり過ぎである。

 普段から割とツッコミ役に回りやすいモモンガだったが、それ以上の言葉を口にするのは避けた。

 合法なら遠慮なく獲物に飛びつきそうなリリネットの性癖はともかく、なんだかんだ全員人は好いのだろう。

 

 

「お互いの緊張も解けたし、早速出発するわよ。目的地近郊の村で一度馬を預けてから調査を開始するわ。細かい打ち合わせはそこで――」

 

 

 身内の性癖を晒したくないのか、それとも時間を無駄にしたくないのか。

 スカマは軽く咳払いをすると、テキパキと指示を出して出発を促した。

 

 

「貴方たちは馬が怯えない程度の距離と速度を維持しながら付いてきてちょうだい」

 

「その辺りは心得ているでござるよ。委細、このハムスケにお任せでござる!!」

 

 

 四武器の面々は馬で移動するが、自分たちはそんな手段を用意していない。というより、モモンガに乗馬のスキルなどない。

 マジックアイテムを使用する手もあるが、他の冒険者の前でポンポン使うのも憚られた。

 よってネムは元より、今回は必然的にモモンガもハムスケに乗ることになる。

 

 

「ささ、モモン殿も乗ってくだされ」

 

「モモン、置いてかれちゃうよ?」

 

「俺も変わらないか……」

 

 

 巨大なハムスターに跨るおっさん。

 断じて自分が望んでのことではないが、自分も人のことを笑えない状態だなと、モモンガは心を無にするのだった。

 

 

 

 

 

 幸いにも道中はモンスターの襲撃もなく、スカマたち一行は午前中に森林の調査を始めることができていた。

 現在地は森林外周部の開けた場所。

 隠密行動に優れた盗賊がとあるポイントの偵察に向かっているので、今は彼が戻るまで待機している状態だ。

 

 

(空気がピリついてる。付近で異常が起こってるのは間違いなさそうね)

 

 

 スカマは肌で感じ取った感覚に目を細めた。

 染みついた戦士の勘とでもいうべきものが、身を置く森林の異常を知らせてくる。

 この森はトブの大森林ほどの魔境ではないが、危険なモンスターとの戦闘は覚悟しておくべきだろう。

 

 

(彼は本当にただの新人なのかしら)

 

 

 スカマは他の仲間と交代で休息を取りながら、今後の行動と謎の多い助っ人のことを考える。

 戦闘になればあの魔獣はかなりの戦力になるはずだ。それは間違いないだろうが、モモンの方は実際どの程度動けるのだろうか。

 

 

(装備はどう見ても駆け出しの鉄級が使うレベルじゃないのよね)

 

 

 道中に彼の剣の腕を見る機会がなかったのは、幸運でもあるが悔やまれる。

 落ち着いた立ち振る舞いはベテランを思わせるが、単に歳を食っているだけで強さもそうとは限らない。

 もし鉄級の戦士に毛が生えた程度の実力なら、サポートに回らせるのが無難だろう。

 

 

(元傭兵? でも話し方には学というか礼節を感じる…… 付け焼き刃でもなさそうだし、要人お抱えの元騎士とか? そんなのよりもっと…… まさか、ね)

 

 

 しかし、これまた戦士の勘――よりも更に本能に近い部分が警鐘を鳴らすように、モモンの得体の知れない強さを想像させた。

 まるで未知の怪物に恐怖するような――

 

 

「さっきから何考えてるのかな。仕事のこと? それとも彼らの素性が気になってるとか?」

 

「両方よ」

 

 

 仲間に話しかけられ、スカマの思考は途切れる。

 自分が悩んでいる風に見えたのか、何の気なしに近づいて来たリリネットはそのまま隣に腰を下ろしてきた。

 

 

「モモンさんは真面目で紳士的だし、ネムちゃんもすっごく素直で良い子よね。……魔獣を"力"として捉えていないのは危なっかしくもあるけど、私は真っ直ぐで好きよ」

 

「それは同感ね。こう言ったら失礼だけど、二人とも冒険者じゃないみたい」

 

「それも純粋で夢があって結構結構。あとは私に男の子を紹介してもらえれば言うことないわね」

 

 

 冗談めかして――半分くらい本気だろうが――とぼけるリリネットのおかげで、ほんの少し自分の気分も晴れた。

 冒険者同士の余計な詮索は御法度。正面切って聞く気がない以上、悩むだけ無駄ということだろう。

 

 

「……まったく。せめて仕事が終わってからにしなさい」

 

「はーい。そのためにも無事に仕事を終えないとね。私の幸せのために!!」

 

 

 人の機微に寄り添える彼女のこういうところは、同性から見ても本当に良い女だと思う。

 リリネットの視線の先には、魔獣の背中に乗りながら辺りを警戒している少女がいる。

 そしてその少女を優しく見守るように、さり気なく側に立っている全身鎧の姿がある。

 チームメイトというより、親戚の子供を見ているおじさんのようだ。それとも歳の離れた兄妹だろうか。

 途端にさっきまでの自分の想像が馬鹿らしくなってきた。

 

 

「そういえば彼の黒髪は珍しかったわね。あなたと違って地毛みたいだし」

 

「本人もあまり知らないみたいだけど、多分南方の血が入ってるんでしょう。王国戦士長もそっちの血が混じってるって噂もあるし……」

 

 

 冒険者組合での顔合わせの際に、モモンが少しだけ兜を外したことを思い出す。

 顔付きは良く言えば穏やかで、若くも老いてもいない三十前後の冴えない男性。

 『今すぐ動ける中で最高の冒険者たちだよ』という、エ・ランテルの冒険者組合長からの強引な紹介。

 最初は自分たちミスリル級の受けた仕事に、駆け出しの鉄級が加わることは懐疑的だった。

 助っ人というより、点数稼ぎや箔付けのために参加させたのではないかと。

 

 

(アレは反則よね。まあ少なくとも、本人たちが力に驕った冒険者じゃないことだけは確かだったけど)

 

 

 しかし、彼らが連れている大魔獣を見て理解した。

 ――アレは強い。勝てないと断言できる。

 軽く彼らと言葉を交わしてからは、組合長も考え無しに推薦した訳ではなかったのだと、スカマも考えを改めていた。

 仕事をするなら今はそれで十分だ。

 彼らのチグハグさが無性に気になるという点は一向に変わらないが、仕事のパートナーとしては多少信用してもいいだろう。

 

 

「――おおーい、戻ったぞ」

 

 

 ちょうど良いタイミングだ。

 若干疲れが滲む仲間の声を聞き、スカマは余分な考え事を切り上げる。

 

 

「ふぅ、やっと気が抜けるぜ。見つかるようなヘマはしなかったが、今回の調査は中々骨が折れそうだ」

 

「お疲れさま。とりあえず一息ついてちょうだい」

 

 

 一仕事を終えた仲間の顔には、安堵と困窮が入り混じっていた。

 どうやら無事に持ち帰ったのは、朗報ばかりではないらしい。

 

 

 

 

「モンスターの行動範囲はかなり変化してると見て間違いない。俺が見たのはゴブリンが大半。あとはオーガとトロールが少々ってとこだ」

 

 

 ハムスケを含めた大勢の移動だと森にいる存在を刺激し過ぎるため、一人で偵察に向かってくれた盗賊が帰ってきた。

 報告を始めた彼の顔からは、ベテラン冒険者特有の落ち着きが感じられる。

 初の合同依頼で緊張気味の自分とは大違いだ。

 

 

「そいつらに追いやられたのか、本来森にいるはずのモンスターの姿があまり見えなかった」

 

「一時的でも生息地が変わるほどか」

 

「ああ。奴ら、森林内をかなり広く陣取ってるぞ。おかげでリーダー格の棲家と思われる洞窟は手付かずだ。流石の俺もお手上げだよ」

 

「良くない状況なのは察してるわ。覚悟は出来てるから、もう少し具体的に言いなさい。悪い知らせがあるんでしょ?」

 

 

 どうやらこの付近の異変の原因は、森の中にいるゴブリンたちが関係しているようだ。

 盗賊の報告をみんなで円になって聞きながら、ネムは段々と不安が高まってくるのを感じ取っていた。

 

 

「悪いな。……実は目視で確認した範囲だけでも、千はくだらないゴブリンがいた」

 

 

 盗賊の神妙な声音に、一人と一匹を除いて皆が息を呑んだ。

 ネムも冒険者になりたての頃、連携の訓練と称して三人でゴブリンと戦ったことを思いだす。

 その時は群れからはぐれた個体だったり、多くとも精々二、三匹の集まりだったから、そこまでの脅威には思えなかった。

 

 

(カルネ村に住んでる人よりずっと多い……)

 

 

 だけど数の暴力とはよく言ったものだ。

 相手が弱いモンスターの代名詞であるゴブリンとはいえ、戦いにおいて数とはそのまま強さである。

 例えば単に石を投げるだけでも、数が増えれば立派な攻撃になる。

 千匹から同時に石を投げつけられたら、盾も鎧も無い自分だとあっさり死んでしまうかもしれない。

 

 

「まったく、どっからかき集めたんだか。あんだけいりゃあ、ゴブリンの討伐報酬でも小金持ちになれるぜ」

 

「他のモンスターが追いやられて森から溢れるのも納得の数ね」

 

 

 途方もない数の敵を実際に見てきただけに、盗賊の声には呆れすら含まれていた。

 自分としては、ゴブリンを狩って小金持ちというのもアリかもしれない。

 

 

「繁殖しやすいゴブリンだとしても、流石に多すぎる。複数の部族が集まったと考えるのが妥当か」

 

「それ程の規模だと纏めているのはトロールかしら? もしかして上位種?」

 

「俺が確認したトロールは六体。そん中に上位種はいなかったな」

 

 

 それだけの数のモンスターを、一体どんな存在が率いているのだろう。

 異形種の集団であるナザリックのことが、チラリとネムの頭をよぎった。

 

 

「六体なら私たちだけでもやりようはあるわ。一体ずつ仕留めていけばいいし、心強い助っ人もいることだし」

 

「でも遠目に見たが洞窟の方もモンスターが頻繁に出入りしてた。そこにまだまだ潜んでる可能性はある」

 

 

 もしモモンガみたいな凄い存在が相手なら、正直撤退するしかないんじゃないだろうか。

 下手をすれば逃げることすら無理だ。

 スカマとリリネットが得られた情報から考察を続ける中、魔法詠唱者の男は無言で渋い顔をしている。

 

 

「……偵察を任されておきながら情けないが、正直戦力の上限が読めない。オーガくらいならまだしも、トロールがあと十体も二十体も出て来たら流石に不味いぞ」

 

「根こそぎ討伐して問題解決というのは難しそうね。ゴブリンが集まった原因の調査だけして戦闘は避けたいところだわ」

 

 

 ゴブリンは言わずもがな。一般人からすれば恐ろしい巨体を持つオーガも、冒険者であれば鉄級や銀級程度の力で十分倒すことが出来る。

 ただし、問題はトロールだ。

 オーガと同等の巨体に、オーガ以上の筋力。

 さらには高い再生能力まで持っている。

 冒険者でも金級(ゴールド)以上でなければ倒すのは厳しいと言われる強敵だ。

 

 

「トロールに有効な酸や炎系の魔法ならば私も扱える。万が一遭遇して戦闘になっても勝てぬ相手ではない。……それでも敵の数によっては魔力が先に尽きてしまう可能性の方が高いだろう」

 

 

 ようやく口を開いた魔法詠唱者も、殲滅は現実的ではないという結論に至ったのだろう。

 最近少しは魔法についても勉強したので、普通の人の魔法が万能でないことはネムも理解している。

 闘技場を観戦したことで実感したが、魔力というのは本気で戦えば簡単に尽きるらしい。

 

 

「ただのトロール程度なら何匹いようが負ける気はしないでござるが、某は炎も酸も使えないでござるからなぁ。倒すのに時間がかかりそうでござる」

 

「工夫すればなんとかなるぞ。斬撃や殴打が効きにくいなら尻尾で絞め落とせばいい。呼吸を封じて窒息死させれば再生能力など関係ない。即死技というやつだな」

 

「おおっ、それなら某でも余裕でござるな」

 

 

 こんな時でも二人の安心感はすごい。

 ハムスケはこれまで野生で戦い続け、生き抜いてきた実績と自信がある。

 モモンガは慎重派な割に色々と凄すぎるから、どんな相手でも負ける不安とは無縁そうだ。

 それを抜きにしても対応力が高いというか、モンスターとの戦いを熟知している。

 魔法以外でも本当に知識が豊富だ。

 

 

「引き際を見誤る訳にはいかないけど、現時点ではまだ調査不足ね。戦闘を考慮して、一度戻って応援を要請することも視野に入れるべきか……」

 

「これ以上の冒険者が集まれば、ゴブリンたちも勘づくんじゃないか?」

 

「どこかで戦闘を行うにしても一度撤退するにしても、敵のリーダーくらいは確認しときたいわね」

 

 

 冒険者たちが議論しながら頭を捻る中、ネムも真剣に現状を打開する方法を考えていた。

 モモンガが突撃すれば勝てる――なんて身も蓋もない考えは捨て去り、冒険者として自分たちに出来ることはないか。

 

 

(とにかくトロールの数とか、洞窟の中の様子がわかればいいんだよね……)

 

 

 状況を整理してみよう。

 森にはゴブリンやオーガ、トロールなんかのモンスターがたくさんいる。

 敵に見つかる度に戦ってはキリがないし、いずれは数の差に押しつぶされてしまう。それに冒険者が来ていることも悟られない方がいい。

 でも気になる洞窟は森の中心部にあって、そこに警戒対象のトロールが何体くらいいるのか知りたい。

 できれば集団のリーダーも確認したい。

 

 

(戦ったら音でバレちゃうから、すぐ周りから集まってくるよね。でも全く見つからないのは無理だし……)

 

 

 こんな状況で、洞窟の内部を探るにはどうすればいいか。

 ――かなり無理がある。

 ゴブリンたちに見つからずに森の中心部に行くのは、よほど運が良くない限り不可能だ。

 誰か囮役の人がわざと騒いで、その隙に探ってみるのはどうだろう。

 多分これも無理だ。流石に全部の目が向くわけじゃないだろうし、囮をした方が死んでしまう。

 

 

(なんだったっけ。たしか前に聞いたのは、木を隠すには森の中?)

 

 

 自身の持つ数少ない知識を総動員し、ネムは熟考を重ねる。

 テキトーなゴブリンを捕まえて、ハムスケの魔法で情報を聞き出すのはどうだろう。

 賭けの要素が強いのでダメだ。ゴブリンはあまり頭が良くないので情報の信憑性が薄いし、都合よく情報を持ってるかも分からない。余計に警戒されるのがオチだろう。

 

 

(やっぱり自分たちの目で確認しないと、知りたいことは分からないよね……)

 

 

 もっと単純に考えてみよう。とにかく洞窟に入れたらいいんだ。

 見つかったらダメなんじゃなくて、戦闘になったらダメなんだ。

 そもそも調査に来た人間がいるとさえバレなければ――閃いた。

 

 

「はい!! 洞窟の中を調べる作戦を思いつきました」

 

 

 思いついた勢いのまま、ネムは真っ直ぐに手を挙げた。

 冒険者とはいえ紛れもなく子供の自分に、興味と懐疑的な視線が集まる。

 

 

「ありがたい。今はとにかくアイディアが欲しいからな。ネム、聞かせてくれ」

 

 

 尻込みしかけた自分を予想していたかのように、助け舟は自然とやってきた。

 話しやすいようにモモンガが作ってくれた流れに乗り、ネムは意を決して考えた作戦を口にする。

 

 

「――これなら洞窟に入れると思うんですけど、どうですか?」

 

 

 周りの反応は分かりやすかった。

 無言で考え込む者。

 流石に無理があるのではと困惑する者。

 意外に上手くいくのではと感心する者。

 作戦の実行者。つまりはネムの身を心配する者。

 

 

「なるほど。盲点をついた良い考えだと思うでござるよ」

 

「確かにハムスケの存在って、普通に考えたら野生側だよな。馴染みすぎて考え付かなかった……」

 

 

 そんな中でモモンガとハムスケはしきりに感心してくれた。

 ネムは思わず緩みそうになった顔を、仕事中だと引き締め直す。

 

 

「失敗してもこちらの存在はバレないでござろうし。某はネム殿に従うでござる」

 

「私も良い案だとは思う。それなら人間の襲撃を警戒されることはない。微妙なラインだが内部の偵察も可能だろう。……情報漏洩という面でのリスクは低いが、危険はあるぞ」

 

「大丈夫だよ。任せて!!」

 

「……分かった。私もネムの案に一票だ。どうでしょう。他に有力な案がなければ、一度この作戦を試させてもらえないでしょうか?」

 

 

 『四武器』たちの考えが賛成と反対で分かれる中、モモンガとハムスケは自分の意を汲んで賛成してくれた。

 根拠のない自信しか示せなかったけど、それを信じてくれたのだ。

 気を緩めまいと思っていたが、結局ネムはその言葉に破顔していた。

 

 

「わかったわ。代案もないことだし、一度やってもらいましょう」

 

 

 最後までリリネットは心配そうな顔をしていたが、それを口にすることはなかった。

 冒険者として過度な心配は礼儀に反すると思ったのかもしれない。

 

 

「準備を整え次第、出発よ」

 

「はい!!」

 

 

 ネムは意気込みを示すように強く返事を返す。

 全体の意見がまとまると、チームリーダーのスカマの号令で自分たちは作戦に向けて動き出した――

 

 

 




相変わらずの組合長でした。
モモンガが『漆黒の英雄』になってないので、スカマは黒髪のままだったり、地味に色んなズレが出てくる・・・
『四武器』は良いキャラなので、是非ともネムと組み合わせたくてやりました。
原作だとナーベラル一人で片付けたらしい?ゴブリン部族連合の話が元なので、かなり想像で書いてます。


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激闘ゴブリン部族連合の王

前回のあらすじ

「組合長またやったな」
「千を超えるゴブリンがいるぞ」
「作戦を思いつきました」

『四武器』との合同依頼、決着編です。


 リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国、スレイン法国。この三国の中間点に位置する城塞都市エ・ランテルより南方。

 都市と法国との間に広がる山脈付近の森林内は、明らかに例年と様子が異なっていた。

 

 ――ゴブリンだ。

 

 数メートル歩く毎に遭遇するのではないかと錯覚するほど、ゴブリンが異常に出没していた。

 森林内に大量にいるゴブリンの大半は、外敵に備えて巡回しているというより、トップの命令でとりあえずその辺に集まっているだけだ。

 そもそもゴブリンは人間に比べると知能が低く、集団で狩りなどはしても軍隊のように統制のとれた動きは基本的に出来ない。

 逆に言えばそんな彼らがある程度の纏まりを見せているだけでも、トップの影響力の強さが窺えた。

 

 

「な、何者だ!?」

 

 

 短絡的な他の同族とは違い、多少は知性を感じさせる顔付きをした一匹の幼いゴブリン。

 ゴブリンの亜種であるホブゴブリンは、思わぬ事態に刃の欠けたナイフを構える。

 ややカタコトの言葉で未知の相手を威嚇するも、その腰は恐怖で完全に引けていた。

 

 

「驚かせてすまないでござる。某は通りすがりのただの魔獣でござる。争うつもりはないので気にしないでほしいでござるよ」

 

「と、通りすがり?」

 

 

 獣道を悠々と歩いて現れたのは、オレンジ色の風呂敷を背負った四足歩行の大魔獣だった。

 太く発達した四肢に、頑丈そうな毛並み。

 全てを見透かすような黒く澄み切った瞳でこちらを見据え、大蛇のような長い尻尾をしならせている。

 それもただ強そうなだけではない。

 ゴブリンとは比べ物にならない知性を宿しているのを示すように、大魔獣は流暢に言葉を返してきた。

 

 

「随分と多くの者が集まっているようでござるが、何の集まりでござる?」

 

「決まってる。ニンゲンと戦いに行くんだ!!」

 

 

 完全に警戒を解くことは出来ない。

 しかし理性が高く敵意もないのが分かると、ホブゴブリンは調子に乗って大魔獣の質問に答えた。

 

 

「それは凄いでござるな。ゴブリンが多いようでござるが、他の種族の者はいないのでござるか?」

 

「聞いて驚け。俺たちゴブリンは三十の部族が集まって沢山いるんだ!!」

 

 

 目の前の存在や自分たちの"王"とは比べるべくもないが、それでも他の同族より自分は頭が良い自覚があった。

 そのため、ホブゴブリン――本人は自分の種族をただのゴブリンだと思っているが――は三十という数字に自信を持って答える。

 

 

「オーガも俺たちより少ないが沢山いる。トロールの奴らはもっと少ない。十体もいないくらいだ」

 

「ふーん。そうでござるか。こっちも森を通る以上、お主たちの長に挨拶だけさせてもらうでござる。間違いで襲われたら面倒でござるからな」

 

 

 トロールは正直近寄りたい相手ではないため、実はホブゴブリンも正確な数字は把握していない。

 ただ十体という戦力を聞いても、目の前の大魔獣は面倒という感情しか見せなかった。

 やはりトロールを一蹴出来るくらいの相当な実力があるのだろう。

 

 

「それもそうか。……わかった。多分、洞窟にいると思う。ここを真っ直ぐ行った先にある洞窟だ」

 

 

 争いを望んでいないのは自分も同じだ。

 これから人間の街に戦いを挑むのに、意味もなく戦力を減らす必要はない。

 それに"王"の居場所を伝えても問題ないと、ホブゴブリンは楽観視していた。

 

 

「でも態度には気をつけろよ。俺たちの"王"は()()だからな」

 

「忠告感謝でござる」

 

 

 ――仮にこの大魔獣が"王"に挑んだとしても、どうせ返り討ちに遭うのだから。

 

 

 

 

「すんなり通してもらえてよかったでござる」

 

 

 最初に出会ったゴブリンに教えられた洞窟を散策しながら、ハムスケは独り言のように呟く。

 するとそれに対して同意するように、僅かに背中を叩く感触が返ってきた。

 そう。実は今、ネムはハムスケの背負う風呂敷の中に隠れているのだ。

 

 

(本当にいっぱい。ゴブリンを数えるのは無理そう……)

 

 

 怪しまれないように前を向いて歩き続けるハムスケに代わって、ネムは慎重に辺りの様子を探っていた。

 ハムスケを見てギョッとした反応をするゴブリンやオーガが、そこら中にうろついている。

 自分まで見られているようで落ち着かないが、どうやら自分の存在はバレていないようだ。

 

 

(トロールは鼻が良いから、ちょっと危なかったなぁ)

 

 

 途中で一度だけトロールに怪しまれかけたが、「非常食が入ってるだけでござる」という、ハムスケの見事な機転で事なきを得た。

 ついでに冒険者が特に危険視していたトロールを数えてみたら、少なくとも十二体は見かけた。

 最初に出会ったゴブリンはよく喋るゴブリンだったが、感覚は随分と大雑把らしい。

 

 

(うぅ、ひどい臭い……)

 

 

 ハムスケが奥へと進むたびに、結構な頻度で足元からパキパキと小骨が折れる音が鳴っている。

 そこら中に散らばった骨などから腐敗臭がしており、ネムは鼻を摘んで顔を顰めた。

 

 

(この臭いの中で私に気づきかけるって、相当鼻が良くないと無理だよね。その割にコレが平気だなんて変なの)

 

 

 ここの魔物は掃除をしたり、臭い消しを使ったりはしないらしい。モモンガのピカピカな家を少しは見習ってほしいものだ。

 これなら薬草のキツイ匂いの方がマシな気もするが、鼻が良いトロールなどは腐臭を気にしないのだろうか。

 

 

「入り口で見た感じより、中は広いでござるな。わざわざ灯りを置いているのは、人間の真似ごとでござろうか……」

 

 

 洞窟内は真っ暗かもと今更ながら心配していたが、ネムが問題なく見通せる程度には灯りがある。

 雑な造りの松明や古びたランプなど、統一性のない光源が沢山置かれていた。

 おそらく拾ったり盗んだりして手に入れた物を、適当に配置しているのだろう。

 

 

「ト、止マレ。誰モ通スナ、言ワレテル。ココ、王ノ場所」

 

「某は挨拶に来ただけでござるよ。王とやらは不在でござるか?」

 

 

 洞窟内をある程度進んでいったところで、一匹のトロールがハムスケの前に立ち塞がった。

 ハムスケを相手に中々の度胸だ。

 その先に扉はないが、門番のような存在なのだろうか。

 

 

「今、イナイ。太陽、沈ム前ニ戻ル」

 

「タイミングが悪かったでござるなぁ。ちなみにどこへ行ったのでござる?」

 

「太陽、沈ム方。闇小人(ダークドワーフ)ニ会イニ、一人デ出テ行ッタ」

 

「ふむふむ。じゃあ某はもう帰るでござる。ところで、洞窟を出る道はこの一本のみでござろうか?」

 

「ソウ。コノ洞窟、アンマリ道ナイ」

 

 

 不審がられない程度に話を引き延ばし、ハムスケはゆっくりと反転しようとしている。

 ネムはその隙に風呂敷に空けてある穴の狭い視界から、出来るだけ情報を持ち帰ろうとしていた。

 岩の壁。不揃いな松明。水が入っていそうな甕。歪んだ木製のテーブル。

 王の場所と言いつつ、多少の家具があるだけで、あまり他の場所と違いがないようにも思える。

 ネムがギリギリまで目を凝らして観察していると、トロールの斜め後ろの壁際に気になる物を見つけた。

 

 

(あの椅子…… もしかして玉座?)

 

 

 テーブル近くの小さなボロ椅子とは違う。

 かなり粗い作りだが飾り付けがしてあるため、上位者が座るような椅子に見えなくもない。

 ネムの知る玉座との完成度は天と地ほども差がある。ここにはデミウルゴスのように手先が器用な者はいないらしい。

 モンスターとはいえこれ程の規模の集団。そういう物があること自体は不思議ではないが、どうにも違和感がある。

 

 

(リーダーはトロールじゃないかって話してたけど、あれじゃ絶対座れないよね……)

 

 

 なにせ椅子が小さ過ぎるのだ。

 人間でも大柄な大人が座るにはちょっと窮屈そうで、ちょうど自分くらいならぴったりと思われるサイズ感だ。

 

 

「早ク帰レ。王、忙シイ。明日、朝、戦イニ行ク」

 

「なんと。それに巻き込まれるのはごめんでござる。どこを襲うのでござる?」

 

「知ラナイ。王、決メル」

 

「……王とは何者でござる?」

 

「ワカラナイ。見タ目、ゴブリン。デモ、有リ得ナイ。王、強イ」

 

 

 聞き取りにくいトロールの言葉が、ワンテンポ遅れてネムに状況を理解させる。

 なんて雑な王様だ。モモンガが聞けば、きっと部下との"ホウレンソウ"がなってないと指摘するだろう。

 

 

(朝から…… しかも明日!? どこ狙うかも知らないの!?)

 

 

 ゴブリンの話と合わせると、ここのモンスターたちは人間を襲うために集まった。

 王とやらは夕方頃に西から戻ってきて、明日の朝には人間の住む場所へ進軍を開始する。

 

 

(明日なら場所くらい伝えといてよ!!)

 

 

 動けないもどかしさを感じながら、ネムは頭の中で憤慨する。

 どうしよう。今はもう正午を過ぎている。

 ネムはハムスケの背中を押して合図し、出来る限り早く戻ってほしいと伝えた。

 相手の王と鉢合わせするのも危なそうだし、何よりすぐに今の話をモモンガたちと共有しないといけない。

 

 

(ちょっとくらい怪しまれてもいいから、急いでハムスケ!!)

 

 

 ネムの気持ちに同調するように、ほんの少しハムスケの歩幅が広がった。

 彼らのテリトリーから離れるにつれ、ハムスケの速度は速歩きから駆け足へと段階的に上がっていく。

 それでもネムの逸る気持ちは、もっと速くもっと速くとハムスケにせがみ続けていた――

 

 

 

 

 

「――あと王様が座る玉座みたいなのがあったけど、小さかったです。ゴブリンが座ったらちょうど良さそうな大きさでした」

 

「なんだそりゃ。ただの戦利品ってことか?それとも率いているのがトロールじゃない?」

 

 

 ネムとハムスケが大体な潜入調査に向かってから、そろそろ一時間が経とうとしたころ。

 駆け込むように戻って来た二人を労う間もなく、「大変です!!」との第一声から急ぎ報告会と作戦会議が始まっていた。

 

 

「見た目はゴブリンだって言ってたけど、強くて分からないそうです」

 

「トロールがいるのにゴブリンが率いているなんてことがあるのか?あの規模だぞ?」

 

「にわかには信じ難いけど、突然変異でトロールより強いゴブリンがいるってことかしら…… それともゴブリンに似た小柄な魔物が?」

 

「ダークドワーフに会いに行くなら、そいつも同族の可能性はあるんじゃない?ドワーフは小柄な種族だし」

 

「周囲のモンスターが勘違いしているパターンか。肌の色も違うし、そこまで馬鹿とは思わないが…… いや、茶色に近い肌のゴブリンもいるにはいるか」

 

「王とやらの正体は判然としないでござるが、目的を共有している感じでもなかったので、その者がいなければ烏合の衆でござろうな」

 

 

 洞窟内部の状況。トロールの最低数。王と呼ばれる者の存在。そして集団の目的。

 スカマは二人から挙げられる情報を吟味しながら、口数少なく考え込む。

 

 

「スカマ、どうする?」

 

「そうね……」

 

 

 二人は短時間で予想以上に質と量のある情報を集めてきてくれた。文句なしの働きだ。

 しかし、スカマが手放しで称賛していられないほど、想定より状況は悪い。

 

 

(増援を集める時間はない。街か村で籠城しようにも、相手の狙う場所が不明でそれも出来ない)

 

 

 単純に敵戦力が多い。

 ゴブリンたちを率いる存在が正体不明なことも痛いが、それ以上に時間がなかった。

 リスクと人々の被害を天秤に乗せ、リーダーであるスカマは決断を迫られる。

 

 

「――"王"とやらが戻って来たところを叩く。配下のモンスターと合流される前に、森の外で見つけて迎え撃つわ」

 

 

 選択したのは今ある戦力での迎撃。

 敵の首魁のみを狙い、集団を瓦解させることを目的とした攻めの作戦だ。

 

 

「まっ、それしかねーか」

 

「私はこれまで何も消耗していない。魔力も万全だ。むしろ好条件で戦えるくらいだ」

 

「あら。調査も全部ネムちゃんたちに任せてたから、私なんて体力も万全よ」

 

 

 被害を最小限に抑え、見知らぬ街や村を救うにはこれしかない。

 チームメイトたちからも心強い返事で賛同され、スカマは自らの判断に確信を持つ。

 

 

「幸い相手がどの方角から洞窟に戻るのかは判明してる。森の外の立地を考えても、見逃すことはないはずよ。そちらも異論はないわね?」

 

「は、はい!!」

 

「戦闘なら任せるでござる!!」

 

 

 初めて組む相手なので高度な連携は望むべくもないが、こちらの士気も悪くはない。

 ネムの顔が少しこわばっているが、実質の戦闘力である魔獣は戦意に満ちている。戦闘に支障はないだろう。

 

 

「了解しました。私たちもその決定に従います」

 

 

 そしてこの男、余裕の態度である。

 ハムスケの存在があるからか、それとも危険度が理解できていない馬鹿なのか。

 ――はたまた常識はずれの傑物か。

 モンスターが群をなす場合、それを率いる者の素質とは純粋な強さ。集団の規模がトップの強さの表れである。

 ならば、前代未聞の数を率いる"王"とやらの強さは如何程であろう。

 

 

「ようやく貴方の大剣二刀流が見れそうで嬉しいわ」

 

「それは緊張しますね。一流とは口が裂けても言えませんが、この剣が飾りでないことはお約束します」

 

 

 モモンのやけに落ち着いた反応が、スカマの誇りに火をつけた。

 実は撤退の可能性も残してはいるが、それをおくびにも出さずにスカマは不敵な笑みを返す。

 

 

「さあ、お供も付けずに呑気に散歩してる、自称"王"とやらを討ち取りに行くわよ」

 

 

 冒険者の先立として、可愛い後輩たちに『四武器』の力を見せてやろう。

 

 

 

 

 空が僅かにオレンジ色に染まり始めた頃、森林付近の平野に一つの小さな影が現れた。

 頭には黄金の冠。

 煌びやかな装飾の服装

 たなびくは紫紺のマント。

 十人に聞けば九人がそれを"王"、または勇者などと形容するような見た目だ。

 

 

「……標的確認。攻撃を開始する。〈雷撃(ライトニング)〉!!〈火球(ファイヤーボール)〉!!」

 

 

 ――もっともその肌が薄い緑色、つまりはゴブリンでなければの話だが。

 

 

「二発とも命中。盾や魔法で防御された気配もない。……だが妙だ。相手からもこちらは見えていたはずだが、躱す素振りがなかったように思える」

 

「ビビって固まったとかか? マジでゴブリンだったのにはこっちも驚きだよ。ついでにこれで終わってくれたら楽なんだがなぁ」

 

「煙が晴れるまで待機。まだ抵抗してくると思って気は抜かないで」

 

 

 その存在を視認し射程に捉えた時点で、四武器の魔法使いは異なる属性の魔法を二つ放った。

 「お前はモンスターを率いる"王"なのか?」なんて聞くこともなく、問答無用の不意打ちである。

 スカマは耳に届く爆音を聞き、仲間の優秀さに頼りがいを感じた。やはり何度見ても凄まじい威力だ。

 

 

「――人間を配下に加えた記憶はないが、そっちの魔獣も初めて見る顔だな。俺の出迎えか?」

 

 

 しかし、〈火球〉による爆炎と煙が晴れた時、そこには焦げ目ひとつない無傷のゴブリンが平然と立っていた。

 奇襲に驚くでも怒りを見せるでもなく、何事もなかったかのように首を傾げている。

 軽口を叩いていた四武器の盗賊は、「嘘だろ」と思わずぼやいた。

 

 

「っ怯むな!! 打ち合わせ通りに!! 前衛、前に出るわよ!!」

 

 

 不意の攻撃から味方を守るべく、モモン、ハムスケと共に並び立って壁となるスカマ。

 だが、毅然とした声で指示を飛ばす彼女のヘルムの下では、眉間に深く皺が寄っていた。

 

 

(あの威力で無傷!? 炎と雷が効かない? それとも回数限定の魔法無効化? いや、当たったように見えて本当は躱されていたの?)

 

 

 いくら高位の第三位階魔法とはいえ、遠距離攻撃の二発だけで倒し切れると考えるほど、スカマも楽観視はしていなかった。

 最初は相手の弱点を探るため、色々な属性や攻撃方法を試すつもりだったからだ。

 しかし、無防備に魔法が直撃しておきながら、目に見えてダメージが無いのは想定外だった。

 

 

「次は某の番でござる!!」

 

「まだ街襲ってないんだけど、もう討伐隊が組まれちゃったのか」

 

 

 一度攻撃されたにも拘らず、ゴブリンは暢気にも武器すら構えず近寄ってくる。

 切り結ぶにはまだ遠すぎるため、追撃として陣形の一番前に出たハムスケの尻尾が相手を殴り潰さんと高速で弧を描く。

 

 

「ま、無駄なんだけどな」

 

 

そして、そのままゴブリンの側頭部に吸い込まれるように直撃した。

 

 

「……今の感触、手応えなしでござるな。皮膚が硬い訳でもござらんし、武技でござるか?」

 

「悪いな。俺は生まれつき"無敵"ってやつなんだ。そこらの有象無象とは格が違うんだよ」

 

 

 しかし、先程と同じ結果に終わった。

 ゴブリンはハムスケの一撃によろめくこともなく、再び何事もなかったかのように歩き出す。

 ものは試しと放たれたネムのパチンコによる射撃、魔法使いの〈酸の矢(アシッドアロー)〉と〈魔法の矢(マジック・アロー)〉、リリネットの〈衝撃波(ショック・ウェーブ)〉も、当然の如く意に介さない。

 

 

「……いい加減理解したか? 人間は学習する生き物なんだろう?」

 

「くそっ!! 外してるわけじゃねぇ。確かに当たってんのに、どうなってんだ!!」

 

 

 目を見開き、観察に徹していた盗賊が叫んだ。

 奇襲で得た一方的な攻撃の機会というアドバンテージはあっという間になくなり、気づけば互いの距離は十メートル程にまで縮まっている。

 

 

「くっ、本当にゴブリンなのか? これだけ浴びせて一つも通じないなんて、一体どんなカラクリが……」

 

「雷・炎・酸・無属性の魔法は効かず、殴打属性の尻尾も効果なしか。ふむ、どれもゴブリンの種族特性ではないな。装備の力か?」

 

 

 どんな攻撃が当たっても微動だにしない。

 最も多くの攻撃手段を試した魔法使いが、焦れたように疑問を口にする。

 モモンも魔法使いと同様の疑問を抱いているのか、珍しげにゴブリンを観察している。

 

 

「こんな奴が今まで森に潜んでたなんて……」

 

「俺は正真正銘ゴブリンだが、まさか何も知らずに俺の首を狙ったのか? お前ら人間でも、俺の名前くらいは知ってると思ったが……」

 

 

 ゴブリンは相変わらず警戒心のない顔で、ぽりぽりと頭を掻いていた。

 これだけの人数差がありながら、脅威と思われていない事実が余計にスカマを焦らせる。

 

 

「死ぬ前に餞別として教えてやろう。……我こそは、竜すら屠ったゴブリン王の血を引く者。種の限界を超えた、伝説の英雄の末裔……」

 

 

 人間にも知られているという、絶対の自信があるのだろう。

 まだ少し遠い位置に立つゴブリンから開示されていく情報に、スカマも正体を想像せざるを得なかった。

 

 

「すなわち、『ジュゲム』の名を継ぐものである!!」

 

 

 ――ありえない。

 スカマの額から一筋の汗が流れ落ちる。

 王に相応しい堂々たる名乗りに合わせ、その身に纏う気配も威圧的になったようにすら感じた。

 

 

(不味い。トロールより強いのは覚悟してたけど、比較にならない危険度じゃないっ。あの不可解な防御が突破出来なければ……)

 

 

 英雄となったゴブリン『ジュゲム・ジューゲム』の物語なら、スカマも幼い頃に耳にして記憶している。

 内容は朧げだが、ドラゴンと一騎討ちをした。武器は木の枝だった。人間の姫と結婚したなど、話が無茶苦茶過ぎて単なる御伽話の一つだと思っていた。

 

 

(倒し切れるとは思えない。せめて機動力を削いで撤退するチャンスを作る!!)

 

 

 しかし、目の前の小さな存在は荒唐無稽な伝説が真であると、その片鱗を感じさせてくる。

 トロールやオーガの半分にも満たない大きさでありながら、その存在感はスカマがこれまで出会ったどのモンスターよりも大きい。

 

 

「どうだ。俺の偉大さが分かったか?」

 

「先祖が凄くて何が偉いのか、某にはさっぱりでござる」

 

 

 相手はこちらの味方である『森の賢王』に勝るとも劣らない、伝説的な強者の気配を発している。

 だが敵対している分、スカマには相手の方が強いとすら思えた。

 それでも当のハムスケは臆さず、賢王らしく無知な者への哀れみすらあるようだった。

 

 

「それが事実なら色々と聞きたいくらいだが、これも仕事だからな。私情を挟まず一旦討伐させてもらおう」

 

「過去の栄光では、現実の強者に太刀打ち出来ないと思い知るがいいでござるよ。いや本当に」

 

「吠えたな、人間に魔獣? 望み通り皆殺しに……」

 

 

 己を無理やり奮い立たせている隣で、モモンは淡々と両手に大剣を構えた。

 隙のない構えは堂に入っており、苦もなく片手で大剣を持ち上げる筋力には目を見張るものがある。

 ジュゲムに異常な能力を見せられた後だというのに、敗北を考えていないのは――自分と同じでそう見せているだけだとしても――大した胆力だ。

 

 

「……ほう!! デカすぎるホブ人間しかいないかと思えば、妙齢の雌もいるじゃないか」

 

 

 急に何かに気づいたのか、ジュゲムが顔を輝かせた。

 下卑た視線をこちらに向けながら、舌舐めずりまでしている。

 いやらしい顔つきだ。こっちは命懸けで戦おうというのに、相手からすれば欲を満たす手頃な獲物でしかないのだろう。

 

 

(ちっ、気色悪いゴブリンめ)

 

 

 スカマもこういう手合いは知っている。野盗などの犯罪者と対面した時によくある反応だ。

 魔物や亜人種が人間をそういう目で見るのは珍しいが、どの種族にも変わり者の変態はいるということだろう。

 予想通りその醜悪な瞳は、豊満な体をした仲間のリリネットを捉えて――

 

 

「そこの魔獣に乗った雌。大人しく降伏するのであれば、お前は俺の愛玩動物として飼ってやろう。命だけは保証してやるぞ?」

 

「……え、私?」

 

 

 ――いなかった。

 スカマは戦闘中だというのに、頭が一瞬だけフリーズする。

 スカマだけでなく、周りの仲間も反応できずに固まっている。

 指を差されたネムは、年齢の割に聡い少女だ。

 それでも今回ばかりはすぐに理解出来なかったようで、眉を八の字にして困惑している。

 

 

「せ、戦略的後退でござる!!」

 

 

 そして、ネムが相手の意図をはっきりと理解する前に、顔を青くしたハムスケが器用に素早く後退りしていた。

 前衛としての陣形を崩す程ではないにしろ、何故だと言いたくなるくらい必死の全力後退である。

 

 

「……この変態ペドゴブリンが。斬撃耐性もあるかどうか――試してやる!!」

 

 

 理由は一目瞭然。

 背後に控えるモモンが右腕を大きく引き、その手に持った大剣を投擲する体勢に入っていたからだ。

 迫力がありすぎて、どこの魔王だと言いたくなる。

 射線上からハムスケが離れた直後、ジュゲムに向かって一直線に大剣が飛び、唸りを上げる黒い弾丸と化した。

 

 

「えぇ…… 飾りじゃないって、そういう使い方? なんて馬鹿力……」

 

「すげぇじゃねえか、モモンさんよ。こりゃあのゴブリンでも風穴あいて真っ二つだろ」

 

 

 その荒技に盗賊は口笛を吹いて賞賛した。

 他の仲間も呆気に取られており、この場にいる誰もがジュゲムの最期を期待する。

 

 

「おいおい、新調したばかりの装備が破けるかと思ったじゃないか。剣を投げるとは野蛮だな」

 

 

 だが、その期待はあっさりと裏切られる。

 ジュゲムも分かりきっていたことを確認しただけのような、わざとらしい驚き方だ。

 

 

(嘘でしょ。あの重量を受け止めてよろめきもしないの?)

 

 

 棒立ちしていたジュゲムに、モモンの投げた大剣は確かに直撃している。

 しかし、大剣は腹部に触れただけで突き刺さらず、数秒ほどで勢いが止まって地面に落ちた。

 ジュゲムは当たった箇所をさすっているが、傷一つ見当たらない。

 

 

(もし魔法だけじゃなく、打撃も斬撃も通らないんだったら……)

 

 

 スカマの持つトマホークも、分類としては斬撃のダメージを与える武器。

 最悪の想像に唾を飲んだ。

 自身の武器がこれほど頼りなく感じたのは、冒険者になってから初めての経験だった。

 

 

「ダメージの軽減じゃないな。ノックバックも発生していないところを見ると、やはり無効化の類いか」

 

「違うな。無敵だ。そう言っただろう?」

 

 

 ジュゲムはモモンの言葉に口の端を歪める。

 スカマが一挙手一投足に注意していると、おもむろに背中に手をやり、マントの下から木製の細い棍棒のような物を取り出した。

 樹皮が付いたままの未加工な造形にも見えるが、独特の輝きを纏っている。

 間違いなく魔化が施された武器だ。

 

 

「まあいい、久々の挑戦者だ。ちゃんと武器を交えて遊んでやるよ。さあ、我が力の前に恐れ慄くがいい!!」

 

「何百年も薄まった伝説が、どれ程のものか見せてもらおうじゃない!!」

 

 

 ――〈二重(ドッペル)

 スカマはジュゲムの挑発に応えるように、トマホークに込められた魔法を発動する。その効果により、本体に追従する形で自動で攻撃をしてくれる、半透明の全く同じ形のトマホークが現れた。

 そして、スカマは魔法の武器による斬撃なら通るかもしれないという、僅かな希望をこめて相手の反応を窺う。

 

 

「魔法とか剣が効かない人くらい、いっぱい見たことあるもん。お前なんか全然怖くないぞー!!」

 

「無効化はされたが、実体があるのは確かなようだ。直に首をへし折られても死なないのか試してやろう」

 

「締め落とせば窒息して死ぬ作戦でござる!!」

 

「……ぇぇ、正気か? お前らゴブリンより野蛮すぎない?」

 

 

 ジュゲムはモモンたちのギラついたやる気に困惑しているだけで、自分が眼中にも無いことだけは理解した。

 後輩たちの戦意が消えていないのは良いことだと、スカマは腑に落ちない気持ちに蓋をするのだった。

 

 

 

 

 ハムスケが全力で動き回れるよう、ネムはその背中から降りてコソコソと相手の側面に移動していた。

 そこから仲間に誤射をせず、確実にパチンコを当てられる機会を窺う。

 人数差があるとはいえ、相手は小柄なゴブリン。三人の前衛が同時に攻撃をするには的が小さ過ぎるようだ。

 

 

(モモンガたち、相手が小さくて戦いにくそうだけど、凄い……)

 

 

 そのためリーチは長いがある程度大振りなモモンガの隙を、小回りの利くスカマが埋める形で連携をとっている。

 即興とは思えないレベルで交互に攻撃を繰り出せるのは、モモンガがチームでの戦いには慣れていることと、純粋にスカマの経験と技量の賜物なのだろう。

 

 

「〈太陽光(サンライト)〉!!」

 

「〈能力向上〉、〈斬撃〉!!」

 

「そこでござる!!」

 

「眩しっ!? っと、ちょこまかと鬱陶しい尻尾だ。つい無意識に反応してしまった」

 

 

 さらに相手の意識外を狙うように、ハムスケの尻尾による攻撃が追加される。

 それに後衛による補助魔法などの援護――一応自分のパチンコも――まであるというのだから、こちらが優勢でなければおかしいくらいだ。

 

 

「無敵の癖に上手いこと防ぐんだな」

 

「驚いたか? ただ力任せに得物を振り回すだけのトロールなんかと同じと思うなよ。無敵でも技術はあるんだぜ」

 

 

 しかし、常人どころか某戦士長ですら仕留められそうな連撃を、ジュゲムは軽々と捌ききっている。

 的確にハムスケの尻尾を武器で弾き、小柄な体格を活かして二人の攻撃に挟まれないように動いている。

 

 

「そろそろこっちの番だ」

 

 

 モモンガの振り下ろしを受け流した後、ジュゲムは連携の繋ぎ目を捉えた。

 スカマが追撃するために前に出た瞬間、その踏み込みに合わせ、斜めにステップして彼女の側面に回り込んだのだ。

 

 

「そこらのゴブリンとは一味違うぞ――〈ゴブリンの一撃〉」

 

「っ!? 〈重要塞〉!!――っぐぁ!?」

 

 

 ジュゲムが横薙ぎに振るった一撃を、スカマは咄嗟に武技とトマホークで受け止めたように見えた。

 だがその拮抗は二秒と持たず、メキっという嫌な音と共にスカマは大きく吹き飛ばされてしまう。

 怪しい能力や技術だけでなく、体格差が意味をなさない程のパワーもあるなんて反則的だ。

 

 

「一度態勢を整えてください!! 今はこちらで時間を稼ぎます!!」

 

「はっ。お前も防げるか試してやる。そら、〈ゴブリンの一撃〉!!」

 

 

 盗賊を除いた四武器のメンバーがスカマに駆け寄る中、モモンガはハムスケと共に相手に向かって踏み込んだ。

 両手で握ったモモンガの大剣とジュゲムの棍棒がぶつかり合い、その衝撃で小さな爆発が起こったように風が吹く。

 ジュゲムは反動で一歩下がりつつ、不意をついたハムスケの尻尾すら躱しきった。

 一方でモモンガは後ろに数歩分たたらを踏み、地面を踵で抉っていた。

 ――モモンガの方が力負けしている。

 

 

「大抵のやつはこれで死ぬんだが、さっきのもお前も大したもんだな。トロールよりずっと馬鹿力だ」

 

「ちっ、本当によく防ぐやつだ。中々体には触れさせてくれないんだな」

 

「さっきから某の尻尾も弾かれたり避けられてばかりでござる。本当に無敵でござるか?」

 

「王様がそう簡単に他人に体を触れさせると思うか? 最初の尻尾はサービスで当たってやっただろ……っ」

 

 

 ここは闘技場とは違う。安全とは言い難い距離で自分も争いの場に立っている。その上相手はモモンガより力も強いらしい。

 二つの事実に心臓の鼓動が早くなるが、ネムも負けじと視覚の外から不意をついてパチンコを放つ。

 本当に気づかなかったのか、防ぐまでもないのか。相変わらず自分の攻撃をジュゲムは避けようともせず、真っ直ぐに飛んだ弾は耳に当たった。

 

 

(あれ、今ちょっと反応した?)

 

 

 ネムはほんの少しだけ違和感を感じた。

 デコピンされた程度の反応かもしれないが、自分の放った弾で耳が動いた気がしたのだ。

 外さないように出来るだけ近づいていたから、たまたま気付けた程度の微妙な動きだ。

 

 

(さっきも似たようなところに当たった気がするけど、気のせい?)

 

 

 ネムは離れたり近づいたりを繰り返しながら、色んな部位に何度もパチンコを撃ってみた。

 自分が何かを確かめようとしているのを察してか、モモンガとハムスケは派手な動きでジュゲムの意識を釘付けにしてくれている。

 盗賊も同じように投げナイフで援護してくれている。

 

 

(……やっぱりそうだ。きっとこのゴブリン、無敵なんて嘘だ)

 

 

 おかげで確信が持てた。

 自分のパチンコは魔法の武器なので、距離で威力が変わることはない。それなのに、ジュゲムの反応が僅かに変わる時がある。

 

 

「おーい!! 本当に無敵なら、私の攻撃くらい当たってくれてもいいよね」

 

「は? なんだいきなり?」

 

 

 ネムの目論見通り、ジュゲムは今気づいたと言わんばかりに、自分の方に顔を向けてきた。

 モモンガとハムスケも驚きつつ、攻撃の手を止めて様子見してくれている。

 ネムは一度お守りの指輪を意識しつつ、ギュッと手を握りしめた。

 そして、ある作戦を実行するため、震えを隠して自分からジュゲムに近づいていった。

 

 

「もしかして直撃するのは怖い?」

 

「水浴びもしてない手で触れられるのはゴメンだが…… まあお前なら一撃くらい許してやってもいいぞ。そら、そんなに疑うなら撃ってみろよ」

 

 

 ジュゲムは予想通り無防備に体を広げた。

 やはり当たってもいいと思ったのだろう。

 この場にいる中で、最も弱い自分にならそうしてくれると信じていた。

 

 

『――下手くそなのか無意識なのか知らないけど、顔とかの急所、全然狙ってないよね?』

 

 

 ネムは聖王国でクレマンティーヌに言われたことを思い出す。

 自分には覚悟がなかった。

 自分が傷付くことだけじゃなく、相手を容赦なく傷付ける覚悟が。

 

 

(私だって……)

 

 

 自分の攻撃は牽制にしかならない弱いものだ。

 でも相手を怯ませるためには、脅威だと認識してもらわないといけない。

 なのに、自分には敵を倒そうという気概が足らなかった。

 牽制さえすれば、あとはモモンガやハムスケが倒してくれる。役割分担としては正しいが、それに甘えて自分の攻撃は気の抜けたものになっていたのだろう。

 

 

「外したくないから近くで撃つね」

 

「……どこからやっても同じだ。そんな玩具は毛ほども効かんぞ」

 

 

 ジュゲムは一瞬だけ嫌な顔した気がする。

 傲慢な嘲笑を無視し、ネムは黙ってパチンコの弾受けを引き絞った。

 後は自分の予想が当たっていることを祈るだけ。

 弾も挟み込まず、限界まで伸ばされたゴムがギチリと音を鳴らした。

 

 

「っ……」

 

「わからんやつだ。恐怖で弾をつがえることすら忘れたか?」

 

 

 こちらの意図が読めずに怪訝な顔をするジュゲムに向かって、ネムはさらに一歩踏み込む。

 正直とても怖い。何かあればモモンガたちがカバーしてくれると信じてるけど、こんな距離まで敵に近づいた経験は全然ない。

 ネムは短く息を吐き、相手に手で触れられるほどの距離に近づき――

 

 

「弾がなくても痛いんだよ?」

 

 

 ――パチンコをすっと下半身に向けると、伸び切ったゴムを手から離した。

 ジュゲムは何かに気づき、目を見開いた。

 ハラハラしながら見守っていた盗賊の表情は凍りついた。

 

 ――致命的な一撃(スーパーネムティカル)

 

 弾受けが直接ジュゲムの股間部分に直撃し、バチンという鞭を叩きつけたような鋭い音が弾けた。

 

 

 

 

「おーい!! 本当に無敵なら、私の攻撃当たってくれてもいいよね」

 

「は? なんだいきなり?」

 

 吾輩は小鬼(ゴブリン)である。名前はジュゲム。

 当たり前だが、自分は無敵ではない。

 どんな攻撃も無効化するような生物は、この世に存在する訳がない。

 ジュゲムの持つ本当の生まれながらの異能(タレント)は、『一定以上離れた相手からのダメージをゼロにする』というものだ。

 大変便利な力である。しかし弱点もある。

 例えば遠距離攻撃の魔法や弓矢などでも、近い距離から放たれれば当然ダメージを喰らってしまう。

 だとしてもこの人間の飛び道具は弱過ぎる。

 自分の素の防御力だけでも、ほぼ無傷で耐えられる程度でしかなかった。

 

 

(さっきからちょくちょく当たってたが、あれならどんだけ近距離でも負傷するほどじゃないな)

 

 

 自身が無敵であるという演出のため、ある程度無防備になるのは仕方ない。

 小柄な人間の行動に一々警戒の動きを見せれば、無敵にはタネがあると気づかれかねないからだ。

 だが接近戦が思ったより長引いているため、漆黒の戦士と魔獣に怪しまれかけている。

 そのためジュゲムはこの人間の提案を呑んで、無敵の力を改めて信じ込ませるつもりだった。

 

 

「弾がなくても痛いんだよ?」

 

 

 しかし、その演出の対価はあまりにも大きかった。

 

 

「――っぅゔゔ!?」

 

 

 パチンコの弾受けが自分の急所に当たった瞬間、ジュゲムは脳が弾けて頭が真っ白になった。

 世界から音が消え、永遠にも思える一瞬が過ぎた後、一拍遅れて脳が現実を認識する。

 ジュゲムは力尽きたように蹲った。

 頭に浮かぶのは言葉にすらならない"痛い"という事実のみ。

 痛い。痛い痛い痛い。痛すぎる。他に何も考えられない。吐き気すら催す痛みだ。

 

 

(い、痛い。なんだこれは痛すぎるっ!!)

 

 

 自分より格下の存在からの攻撃など、通常はなんの痛痒も感じない。仮に寝込みにナイフを突き立てられようが、相手が雑魚なら血の一滴すら流すか分からないほどだ。

 この世界の強者と弱者の間には、それくらい隔絶した差が存在する。

 

 

(こいつ、躊躇いもなく雄の象徴をっ……)

 

 

 しかし、何事にも例外はある。

 これはどんなに肉体が強くなっても駄目だ。

 鍛えられない部位だ。雄ならば耐えられない。雄にしか分からない。久しく味わっていなかった痛みだ。

 

 

(内部から破裂したような、灼熱か!? 芯まで凍りついたように痛い!! 悪魔っ!? 雄を誘惑し、雄の雄を破壊する悪女め!!)

 

 

 ジュゲムは在らん限りの罵倒を尽くす。

 しかし、あまりの苦しみに言葉として口から出すほどの余裕が持てない。

 魔法の武器というのが災いしたのか、何か別の補正があったのかは分からないが、通常のスリングショットでは起こり得ない程の痛みが襲ってきている。

 

 

(伝え聞く八欲王をも超える外道がぁ……)

 

 

 自分の中にこんなにも苦しみを表現する語彙が眠っているなど知りもしなかった。

 悶絶したジュゲムは啜るように息を吸って、辛うじて汚い悲鳴を呑み込む。

 いや、呑み込んだつもりで漏れているのかもしれないが、それも自分では認識できない。

 

 

「フーッ、フーッ……」

 

 

 呼吸を整えようとするが、嫌な汗は止まらない。

 剣で斬られたことはある。

 棍棒で殴られたことも、槍に貫かれたこともある。

 魔法による攻撃も近距離なら通るため、焼かれるようなダメージすら経験済みだ。

 

 

「……ぅおぇ、はぁ、はぁぁっ」

 

 

 しかしそんなもの比較にもならない。

 これまで戦いで負ったどんな傷より痛く、屈辱だ。

 なにより痛い。それしか分からない。

 戦闘で負う斬撃や殴打より遥かに軽傷なのに、皮膚で感じた瞬間的な痛みは涙を滲ませるものがあった。

 

 

「おのれぇぇっ!! 人間如きがぁぁっ!!」

 

 

 両腿をバチンと叩き、新たな痛みで股間の激痛を誤魔化しながらジュゲムは立ち上がった。

 王の矜持を示したかったが、前屈みの内股で叫ぶ様はどうにも締まらない。

 卑劣な一撃を放った人間の雌は、いつの間にか仲間のもとに駆け込んでおり、狡猾にも既にこちらに反撃させない距離をとっている。

 

 

「ええぃ、今すぐにでも――ちっ、なんだこれは?」

 

「へへっ、これが盗賊のやり方ってな。お嬢ちゃんが根性見せたんだ。俺だって良いとこ見せなくちゃな」

 

 

 ジュゲムの肉体能力なら、すぐにでもあの雌に向かって飛び込める。

 そう思って足に力を込めた時、ネバネバとした物が足元に絡みついていることに気がついた。

 

 

「特製の粘着剤だ。無敵のゴブリン様でも、ダメージ以外は無効化できないらしい」

 

「小癪な!! こんなもの邪魔のうちにも入らん!!」

 

「地面がこれだから効果半減は認めるが、少しでも動き辛いなら儲けもんさ」

 

 

 どうやら自分が痛みに苦しんでいる隙に、錬金術で作られる特殊な薬剤か溶液を撒かれたらしい。

 土や雑草の地面に固定されるほどの粘着性はないが、足同士がくっ付くと非常に煩わしい。

 

 

(クソがっ!! あの人間だけは許さん。愛玩動物ではなく文字通り玩具にしてくれる!!)

 

 

 ジュゲムの頭の中は怒りでいっぱいだった。

 あんな攻撃は油断しなければ、当てさせようとしなければ当たるものではない。この粘着剤にしたってそうだ。

 そもそも股間以外の場所であれば、精々チクリとした一瞬の痛み程度で、自分は無敵だと笑い飛ばせたはずだ。

 欲を出して追撃してくれれば、次の一撃は確実にカウンターしてやれたものを。

 

 

「……ネムの一撃で確信が持てたよ。お前は斬撃や打撃、魔法などに耐性がある訳ではない。もちろん飛び道具にもな」

 

 

 不意に向けられた漆黒の戦士の言葉で、ギクリと心臓が高鳴る。

 怒りで昂った感情が、急速に冷えていく。

 

 

「粘着剤が僅かでも効果があるところをみるに、重要なのは攻撃の威力や系統じゃない。――距離なんだろう?」

 

「な、何を根拠に。私は無敵だ!!」

 

「いや、あれだけ醜態を晒しておいて今さら無敵は無理だろ」

 

 

 先程までは緊迫した空気が流れていたはずだ。

 人間たちからは伝説に挑む覚悟が感じられたのに、今は残念な物を見る目が混じっている。

 まるで取るに足らない手負いのゴブリンと同一視されているようだ。

 

 

「思えば始めから違和感はあった。最初のハムスケの尻尾は無防備に受けたのに、接近戦を始めてからの尻尾は躱したり防いでいたよな」

 

「っ!?」

 

「というか、接近戦を始めてから攻撃を綺麗に防ぎ過ぎだ。PvPの基本がなってないぞ」

 

「簡単に防げる程度だと教えてやったまでだ!!」

 

致命的な一撃(ネムティカル)防げてないじゃん。……ゴホン。つまりお前の能力の正体は、遠距離攻撃を無効化するものではない。一定以上距離が離れた者からの攻撃を無効化することだ!!」

 

 

 漆黒の戦士の周囲に響く無駄に大きな宣言。

 完全に自分の能力を見破られ、ジュゲムは言葉に詰まった。

 チラリと敵の後方を見ると、先ほどダウンさせた雌の戦士がもうそろそろ復活しようとしている。

 

 

「やっぱり無敵は嘘でござったか」

 

「接近戦で俺の方が強いのには変わらん!!」

 

 

 ジュゲムはベタベタとした足の感触を無視して、漆黒の戦士に向かって距離を詰める。

 能力がバレた以上、相手が復活してくる前に一人でも多く前衛を削らなければならない。

 特に人数が増えれば、魔獣との戦闘で厄介なことになると判断したからだ。

 

 

(鎧ごとぶち抜いてくれる!!)

 

 

 行手を阻むように飛んできた尻尾と投げナイフを躱すと、ジュゲムは渾身の力を込めて〈ゴブリンの一撃〉を漆黒の戦士に放った。

 

 

「馬鹿な!?」

 

「これが基本の一つ、虚偽を掴ませるってことだ。勉強になったな?」

 

 

 ジュゲムは驚愕に目を見開く。

 一度目の鍔迫り合いは、確実にこちらの力で押し切れていたはずだ。

 しかし、掬い上げる軌道を描いた一撃は、漆黒の戦士に受け止められている。

 押し飛ばそうと力を込めているはずなのに、相手は微動だにしない。

 そう、まるで本物の無敵であるかのように。

 

 

「――〈負の接触(ネガティブ・タッチ)〉。せめてお前は彼らに討伐されてくれないと、困るんでな」

 

「うっ、力が…… お前何を!?」

 

「皆さん、敵は能力がバレた反動で弱っています!! あとはお願いします!!」

 

 

 漆黒の戦士は残った一本の剣も手放し、小さく何かを呟く。

 その両手に掴まれた途端、体から力が抜けていくのが分かった。

 握力もみるみるうちになくなり、棍棒まで取り上げられた瞬間、体に浮遊感を覚える。

 ――こいつ、俺を投げやがった。

 

 

「距離が近ければ魔法も物理も通るそうだ。――〈下級筋力増大(レッサー・ストレングス)〉。いけるな、スカマ?」

 

「ええ、もちろん。最後くらい先輩らしく仕事をしましょうか。〈能力向上〉」

 

「回復で結構魔力を使ったから、仕上げは二人に任せるわ」

 

 

 どんどん縮まっていく着地点に待ち構えるのは、三人の人間。

 漆黒の戦士が無駄に大声で叫んでいたのは、後方にいるこいつらに情報を伝えるためでもあったらしい。

 完全に復活した雌の戦士は魔法で強化され、片手で持っていたトマホークを両手で持ち直し、大上段に構えている。

 

 

(受け身を!? いや、防御を、くそっ体が重い!? あの黒いやつ何しやがっ――)

 

 

 地に足がついていなくても、万全の状態なら素手で攻撃を受け流すくらいはできたはずだ。ジュゲムは妙にゆっくりに感じる思考で毒づいた。

 しかし、ジュゲムはそのまま空中でなす術もなく、能力が発動しない的確な距離で〈雷撃〉をくらう。

 とどめに怒りのこもった雌の戦士の一撃で、王冠ごと頭をかち割られた。

 

 

 

 

おまけ〜仕事が終わったら〜

 

 

「まったく、いきなり近づいて来てヒヤヒヤしたぞ。敵のカラクリを見抜いたなら、先に言ってくれても良かったんじゃないか?」

 

「それは、うん。ごめんなさい……」

 

「でも、お手柄だったよ。よく気づけたな。凄かったぞ」

 

「そうでござる。某もどうなることかと…… でも結果的に生きてるんでござるから、反省は次に活かして今は胸を張るでござるよ」

 

「うん!!」

 

 

 小さな反省会をしているモモンたちの元に、スカマは兜を外しながら近づいた。

 

 

「お疲れ様。本当に三人とも良い仕事ぶりだったわ」

 

「ありがとうございます、エルベロさん。最後に頼って無理をさせてしまいましたが、もう体の方は大丈夫なのですか?」

 

「あらかた回復してもらったし、問題なかったわ。それより、最後に譲ってくれなくても、貴方なら倒し切れたんじゃない?」

 

「いえ、気合いで投げましたが、敵の一撃を受け止めた時に、実は結構体がキツくて……」

 

「……そう。そういうことにしておくわ」

 

 

 ハムスケにとどめを刺させる方法もあっただろうに。

 腕をぷらぷらとさせるモモンに、あえてそれ以上の追及はしなかった。

 ふと、スカマはリリネットが妙に静かなことに気付く。

 負傷はしていないはずだが、自分の回復にかなり力を使ってもらったので、疲れているのだろうか。

 

 

「モモンさん……」

 

 

 リリネットがモモンに向ける視線に、熱がこもっているのを感じた。

 ――まさか惚れたのか?

 スカマはジュゲムの名を聞いた時以上、今日一番の衝撃と混乱を覚える。

 

 

「あの、モモンさん」

 

「ああ、ピアニさん。お疲れ様でした。あれ程早くエルベロさんが復帰できたのは、貴女の回復魔法のお陰ですね。助かりました」

 

 

 あの筋金入りのショタコンが?

 地方領主の子供の人数性別年齢まで全て把握しているこいつが?

 休日は孤児院にボランティアに行き、密かに涎を垂らしまくっているこいつが?

 モモンに声をかけた今のリリネットからは、そんな残念さなど微塵も見えない。

 

 

「……私、気づいてしまったの」

 

「あの、ピアニさん?」

 

 

 確かに力強い戦いっぷりだった。二枚目とは言い難いが、誠実な人柄だ。

 ――でもあのリリネットが、歳上の男に?

 リリネットは神妙な顔で何かを言おうとしている。

 性癖と真反対の男に近づいていく仲間の姿を、スカマはゴクリと唾を飲み込み見守った。正直今日の戦闘よりも緊張している自分がいる。

 

 

「貴方も小さい子が好きなんでしょ」

 

「……は?」

 

 

 リリネットの真剣味のこもった言葉に、モモンの素の困惑が伝わってきた。

 ――なんて残念な女だ(やはりリリネット)

 一緒に死線を潜り抜けた相手に、どうしても伝えたいことがそれなのか。

 他人の機微に聡い、良い女要素が一瞬で抜け落ちた。

 

 

「分かってしまったの。あの時のゴブリンに向けての啖呵、『俺の女に手を出すな』ってことでしょ?」

 

「いや違います」

 

「ネムちゃんに不埒な視線を向ける輩が許せなかったのよね」

 

「合ってるけど違います」

 

「大丈夫、理解してるから。貴方は欲望のために相手の気持ちを踏み躙る下衆とは違うわ。熟れてない果実が好きなだけの紳士。つまり私の同士ね!!」

 

「違います。ペロロンチーノ(ロリコン)じゃありませんから」

 

 

 なぜこんな奴が信仰系魔法を第三位階まで使えるんだ。本当に土神を信仰しているのか。

 ピンチに治療してもらったばかりにも拘らず、スカマは今更ながら仲間に対して辛辣に思った。

 

 

「モモンさん、どうやってあんな素敵なパートナーを見つけたの? ネムちゃんに紹介してもらえなかったら、私次はどうするべきかしら」

 

「ネムにはそんなこと頼まないでくださいね」

 

「孤児院以外にも子供と合法的に触れ合える場所があるといいんだけど…… どこに行けばいいと思う? おススメがあるなら国境を越えても行くわ!!」

 

「衛兵の詰め所に行かれては?」

 

 

 勘違いでも真っ当な同好の士を見つけた喜びか、口の端に涎が垂れかけた本当に酷いツラだ。

 あれを見て美人だと思う奴はいないだろう。百年の恋も覚めそうだ。

 

 

「ねえ、どうして私の耳を塞いでるの?」

 

「悪いなお嬢ちゃん。仲間ってのは、こうしてフォローしてやるもんなんだ」

 

「すまない。私が〈静寂(サイレンス)〉を使えたら迷わず使うんだが、しばらくそうしていてくれ」

 

 

 やれやれといった顔の盗賊が、見事な機転を利かせている。

 今回は死にかけたこともあり、仲間の大切さを非常に噛み締められる。

 

 

(こんなことが考えられるのも、生きてこそよね)

 

 

 リリネットが自らの幸せのために暴走する姿を見て、スカマは仕事が終わったことを実感するのだった。

 

 




圧倒的物量差があるピンチから始まったのに、一人を袋叩きにする形になりました。
だって普通にぶつかったら『四武器』が全滅してしまうから・・・
ちなみに森に残ったモンスターたちは、ハムスケがジュゲムの死体を持って行って解散させました。
絶対に二度は成功しない、奇跡の一撃を放つネムでした。
無茶は注意されたので、もう二度とない戦闘シーンで真っ当に活躍する貴重なネムですね。
あと不名誉と共に、リリネットからの仲間意識が上がったモモンガでした。



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幕間 ねむねむぷれあです

前回のあらすじ

「無敵のゴブリンなんて嘘だったね」
「なんとか功績は四武器に押し付けれた・・・」
「モモンさんは紳士で私の同志」

今回はギャグ回の詰め合わせです。


〜特別講師ネム・エモット〜

 

 

 どこにあるかは知らない謎の場所。

 けれど魔法なら一瞬で招待してもらえる友達の家――ナザリック地下大墳墓。

 

 

(ナザリックのメイドさんに教えることなんてあるのかな?)

 

 

 本日のネムは、なんと教える立場。

 なんでも対人間用のコミュニケーション能力向上のため、特別講師をしてほしいとのことだ。

 

 

「……いらっしゃい。……今日は、ネムも覚悟しておいた方がいいかも」

 

「わ、わかった」

 

 

 あの洗練されたメイドたちが、これ以上何を学ぶ必要があるというのか。

 腑に落ちないけれど、来た以上はわかったと言うしかない。

 部屋まで案内してくれるシズに念押しをされ、ネムは少しドキドキしながら応接室へ足を踏み入れた。

 

 

「いらっしゃいませ。上等生物(ネムリユスリカ)――ゔっ!?」

 

 

 

 お辞儀をしながら出迎えてくれたのは、とっても美人な戦闘メイドの一人。黒髪ポニーテールがトレードマークのナーベラル・ガンマだ。

 しかし、ナーベラルが聞き慣れない言葉を口にした瞬間、ごつんという鈍い音が鳴った。

 

 

「ゆ、ユリ姉様……」

 

「メイドがお客様のお名前を間違えるとは何事ですか。全くこの子は……」

 

 

 ナーベラルの頭に目にも留まらぬ速さで拳骨を落としたのは、同じく戦闘メイドで長女のユリ・アルファ。

 眼鏡の縁をくいっと上げ、粗相をした妹を軽く睨んでため息を吐いている。

 ナーベラルは痛みをこらえるように両手で頭を抱えており、口元が一瞬ばつ印になったようにも見えた。

 

 

「ネム様、申し訳ありませんでした。ご覧の通り、ナーベラルは人の名前を覚えるのが非常に苦手でして……」

 

「も、申し訳ございませんっ。御方の御友人がガガンボでないことは、十二分に理解しているのですがっ!!」

 

「あはは…… 部分的には合ってたし、もうちょっとで覚えられると思います」

 

 

 自分も両親や姉に注意されたり怒られることは度々あったが、叩かれることはそうなかったと思う。

 戦闘メイドの副リーダーだけあって、中々厳しいお姉さんのようだ。

 あとガガンボってなんだろう。

 

 

「寛大なお心に感謝いたします。本当にお客様に思うところがある訳ではないのです。ただ、人間を見るとつい……」

 

「人間を見ると? 不思議だね?」

 

 

 講師といっても普段通り、少し正確に言えば自然体でお客様になってくれればいい。

 モモンガからはそう聞いていたが、自分が呼ばれた理由も分かった気がした。

 身に付いた所作は完璧なのに、人間相手だと上手く発揮出来ない。ナーベラルはそんなメイドなのだろう。

 ナザリックあるあるとでも言えばいいのか、異形種だから人間に対する慣れが必要なのかもしれない。

 

 

「じゃあ、どんどん特訓しましょう!! 私で良かったら練習相手になります」

 

「ありがとうございます。御方に頂いたこの機会、必ずやものにしてみせます!!」

 

 

 ならば練習あるのみだ。

 ナーベラルも根は真面目らしい。目尻に涙が浮かんでいても、その瞳はやる気に燃えている。

 こうして、来客に普通に接するだけという、ナーベラルにとっては非常に困難な特訓が始まった――

 

 

「ようこそいらっしゃいました。……ね、ね、ネムノキマメゾウムシ様!!」

 

「長いです!!」

 

「申し訳ありません!! ね、ネムスガ様!!」

 

「あとちょっと短く!!」

 

「ネムリブカ!!」

 

「それはサメ!!」

 

「失礼いたしましたっ!! ね、ぬぅ、ぬぇ…… ねぇーむさーま!!」

 

「おしい!! がんばって!!」

 

 

 口をモゴモゴさせながら、何度もネムの名前を言い直しては間違え続けるナーベラル。

 自分の名前はそこまで珍しくはないはずだし、短くて発音も難しいとは思えない。少なくとも、ンフィーレアなんかよりは簡単だと思う。

 何故そこまで言い間違えるのかさっぱり理解出来ないが、ナーベラルの必死の形相を受け、ネムの応援にも段々と熱が入っていった。

 

 

「必死な手前止めづらいけれど、あれは意味があるのかしら?」

 

「どうかしらね。ナーベラルは本当に人間の相手が駄目よね。私は人間、特に無垢な者って大好きだけど」

 

「私もぉ、お肉(人間)は好きぃ」

 

 

 特訓を見守り、冷静に納得の反応を見せるバリエーション豊かな美人メイドたち――ソリュシャン・イプシロン、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。

 ユリやシズも含め、悪戦苦闘するナーベラルの姿に誰も驚いていなかった。

 

 

(確かここにいる人たち以外にも、まだ一人か二人姉妹がいるんだっけ?)

 

 

 実はユリが長女であるということを除き、誰が何番目の姉妹かはよく分かっていない。

 双子じゃないのに三女が二人いたり、シズとエントマがお互いに自分の方が姉だと言い張っていたり、この姉妹は謎がいっぱいだ。

 ソリュシャンとエントマの台詞にも、何となく含みがある気がした。

 でも触れぬが吉という自分の直感に従って、詳しくは聞かないでおこう。

 

 

「……ネム。この三人の言うことは気にしなくていい。……無視を推奨する」

 

「いいの? わかんないけど、わかった。じゃあナーベラルさん、もう一回です!!」

 

「はいっ!! もう一度お願いします!!――」

 

 

 シズからも気にしないようにお墨付きを貰ったので、ネムは再びナーベラルに向き直る。

 そして冒頭の流れを繰り返すこと四十一回。

 試行錯誤の末、ナーベラルが発する謎の単語のボキャブラリーも尽き、ついに――

 

 

「――いらっしゃいませ。NEMU様」

 

「……できた。出来てます!! ちゃんと言えてますよ、ナーベラルさん!!」

 

「ありがとうございます。これもNEMU様のご助力のおかげです」

 

 

 綺麗なお辞儀と共に、確かに紡がれた「ネム」という名前。

 妙にアクセントは強いが、はっきりと名前が言えるようになった。

 ナーベラルも一つ壁を越えたようで、その顔は実に晴々としている。

 

 

「……凄い。とても頑張った…… ネムが」

 

「ええ、こんなことに何十回も付き合ってくださったネム様が一番凄いわ」

 

「流石は御方の友達ぃ。私ならぁ、とっくに諦めてるぅ」

 

「まあナーベラルも頑張ったんじゃない? でも種族的に真似るのは得意なはずなのに、なんでこんなにも人間に溶け込む演技が苦手なんでしょうね」

 

 

 姉妹の反応は何とも言えない。

 でも、こういうのは少しでも成長したという事実が大切なのだ。

 きっとモモンガならそう言ってナーベラルの頑張りを褒めてくれるだろう。

 

 

「そういえばぁ、ルプーはどうしたのぉ? 今日はネム様がナーベラルの講師をしに来るって聞いてぇ、楽しそうな顔をしてたはずだけどぉ?」

 

「ああ、あの子なら……」

 

「……そこに転がってる。……練習に付き合ってるネムにイタズラしようとして、ちょっと前にユリ姉に殴り倒されてた」

 

 

 ここに集まる予定のメイドがもう一人いたようだ。

 ソリュシャンが視線を向け、シズが指を差したのは、自分が今座っている座り心地のいいソファー。

 一拍置いて合点がいき、ネムはソファーの後ろを覗き込んだ。

 

 

「うぅ、シクシク…… 加減なしで殴るなんて、ユリ姉酷いっす…… ちょーっと冗談で驚かそうとしただけなのに……」

 

 

 帽子を被った赤毛のメイドが、お尻を突き出す姿勢でうつ伏せに倒れていた。

 ナーベラルの方に集中していて気がつかなかったけど、軽く事件が起こっていたみたいだ。

 でもちょっと失礼だけど、叱られた大型犬を連想してしまう。

 

 

「はぁ、頭が割れるかと思ったっす。〈大治癒(ヒール)〉っと、これでよし」

 

「……自業自得」

 

「これでも私、ネムちゃんの両親の命の恩人っすよ? もうちょっと優しくしてくれてもよくないっすか?」

 

「それとこれとは別です。お客様に対する礼儀がなってないわ。特にモモンガ様の御友人に無礼を働くようなメイドは許しません」

 

「もー、ユリ姉は堅過ぎっす」

 

 

 驚愕の事実。

 この明るくフレンドリーな口調のメイドが、あの時自分の両親を治療してくれたメイドだった。

 つまり、村のみんなにとっても恩人だ。

 

 

「あの、お父さんとお母さんと村のみんなを助けてくれてありがとうございました!! お礼が遅くなっちゃったけど、本当にありがとうございます!!」

 

「ふふーん。あの時はモモンガ様の御命令で動いただけだから、礼には及ばないっす。でももっと褒めてくれてもいいっすよ」

 

 

 ネムは心からの気持ちをこめて頭を下げた。

 あの事件からは随分と時間が経ってしまったが、感謝の念は当然ながら今も変わらずにある。

 

 

「みんな酷い怪我だったのに、どんな怪我でも治せるなんて本当に凄いです!!」

 

「こっちの妹と違って素直でいいっすねぇ。ネムちゃん最高っす!!」

 

 

 素直な感謝と称賛にうんうんと頷き、ルプスレギナは鼻高々に胸を張った。

 怪我や病気を回復させる信仰系の魔法は、立派な聖職者にしか使えないと聞いたことがある。

 ネムは犬っぽいと思ってしまったことを、心の中でこっそりと謝った。

 

 

「王国だと四大神が一般的だけど、ルプスレギナさんが信仰してる神様も同じなんですか?」

 

「ん? 信仰する神かぁ…… 私は強いて言うなら、獣の王ってところかしらね。――なんちゃって!! 乙女の秘密っすよ」

 

 

 ネムの何気ない疑問に、ルプスレギナは一瞬遠くを見た。

 はぐらかすような笑顔の隙間には、心からの敬愛と寂寥感がこもった大人の顔がチラリと垣間見えた気がした。

 

 

「でも代わりにネムちゃんには、良いことを教えてあげるっす」

 

「えっ、なんですか?」

 

「一部の人、特に男性限定で元気にさせる方法。ある意味回復させる魔法っすよ。まずは――」

 

 

 ニヤニヤと笑うルプスレギナからは、もう先ほどのような大人びた気配は微塵も感じられない。

 太陽のように明るく、それでいて信仰心のあつい人には見えないけど、やっぱり人は見かけによらない。改めてそれを学んだネムであった。

 

 

「――それで? ネム様に不適切な何かを吹き込もうとしたようだけど、申し開きはあるかしら? くだらない理由なら殴るわよ」

 

「……殴る前に聞いてほしかったっす」

 

 

 ちなみにルプスレギナが再度調子に乗った結果、再びユリの鉄拳が飛んだのは言うまでもない。

 何を教えようとしたのかは、まさに神のみぞ知るところである。

 

 

 

 

 第九階層の執務室にて、部下からの報連相を受け取る心配性な死の支配者(オーバーロード)

 

 

「さて、ナーベラルよ。ネムとの特訓はどうだった?」

 

「はっ!! 特訓の結果、NEMU様のお名前を間違えることなく言えるようになりました」

 

 

 ネムからは「ナーベラルさんとっても頑張ってたよ」という、ざっくりとした話しか聞いていない。

 そのため、モモンガは当人からも話を聞いてみようと思ったのだが、真っ先に出てきた台詞がこれである。

 

 

「……どんな内容の特訓をしていたのだ?」

 

「正しくお名前が言えるまで、ひたすらNEMU様を客人に見立ててお名前を呼び続けておりました」

 

 

 動揺が声に出ないように気をつけながら、モモンガはナーベラルの報告に耳を傾ける。

 誇らしげに特訓の成果を語るナーベラルを見て、モモンガはおおよその状況を察した。

 

 

「そ、そうか。ネムにも来てもらった甲斐があったな。お前が成長を実感出来たのなら何よりだ……」

 

「勿体なき御言葉です」

 

 

 この台詞を聞いて本当に勿体ないかもしれないと思ったのは初めてである。

 

 

(……ネム、軽い気持ちで頼んでごめん!!)

 

 

 いつの間にかこの手の問題では、他に適任がいなくてついついネムを頼ってしまう癖がついていたのかもしれない。

 ――ネムにはお礼とお詫びも兼ねて、またナザリックで美味しい物でもご馳走しよう。

 友達に無理難題を依頼していたことを、モモンガは深く反省するのであった。

 

 

 

 

〜悪魔と少女のwin-winな勉強会〜

 

 

 部下がいつも自分の知らない何かを考えているのだと、モモンガは困った顔でぼやいていた。

 ――特に「なるほど。そういうことですか……」の台詞が怖い。

 デミウルゴスには数え切れないほど助けられているけれど、それ以上にその深読みがどこに辿り着くのかが心配らしい。

 

 

「デミウルゴスさん、今は何を考えているんですか?」

 

「おや、変わった質問の仕方だね」

 

 

 それが気になったネムは、ある時ちょっとした好奇心で本人に尋ねてみることにした。

 やっぱりこういうことは直接聞くに限る。

 

 

「複数あるが…… 一つは戦闘シミュレーションだね。格上の敵対者が現れた時、どう対処するかは重要な課題だ」

 

「ナザリックのみんなでも勝てないような相手っているんですか?」

 

「いないと断言出来ないのは口惜しいが、慢心する訳にはいかない。戦いには相性もあるし、そもそも対応可能な戦力が都合よく動けるとも限らないからね」

 

 

 もちろんネム様の勉強もちゃんと考えていますよ、と付け加えながら、デミウルゴスは答える前に少しだけ考える素振りを見せていた。

 おそらくナザリックの仕事の関係上、自分に話しても問題のない話題を選んだのだろう。

 

 

「へぇ、みんな凄いのに慎重派なんですね。モモンガも準備はしっかりするタイプだし、凄い人ほど準備を大切にしてるのかな?」

 

「御方を引き合いに出されるとは畏れ多い…… 私のしている準備など、未来全てを見通したモモンガ様からすれば児戯に等しいでしょうがね」

 

 

 守護者の中ではデミウルゴスと話す機会が一番多いが、相変わらずのストイックさだ。

 モモンガの心配にも頷ける。

 努力に努力を重ねてもの凄い高みを目指していそうだし、なんならモモンガを越えようとすらしている気がした。

 

 

「ですが御方のように全知全能ではないからこそ、あらかじめ策を練るのです。私は防衛時の責任者でもあるからね」

 

「それだけ真剣に考えてくれてたら、ナザリックのみんなも安心だね」

 

 

 ――デミウルゴスさんの役職っていくつあるんだろう?

 防衛責任者。牧場経営者。昆虫研究家。採掘現場指揮官。物資調達管理人etc ……

 勉強を教えてもらう際など、仕事について断片的に聞いたことがあったネムは、ぼんやりとそんなことを思った。

 それに相変わらずモモンガへの信頼と評価が凄い。忠臣とはまさに彼のことを指す言葉に違いない。

 

 

「モモンガがいつも頼りにしてるだけあって、デミウルゴスさんはやっぱりすごいです!!」

 

「悪魔を褒めてもデザートくらいしか出ませんよ。よろしければどうぞ、いつもの林檎を使った料理長の新作です。今回は趣向を凝らしてパフェにしたそうですよ」

 

「わぁぁ、美味しそうっ!! いただきます!!」

 

 

 デミウルゴスがどこからかパフェを取り出した瞬間、ネムの思考のリソースは全て奪われた。

 飾り切りにされた美しい黄金のリンゴ。

 精緻に盛り付けられた純白のクリーム。

 パフェグラスという額縁の中から溢れんばかりに、黄金と純白の芸術が自分の顔よりも高く積み上げられている。

 

 

(……うん。美味しい)

 

 

 ネムは一口一口の幸福を噛み締めるように、静かに口へ運んだ。

 甘い。甘酸っぱい。それでいて甘さと酸味の調和が完璧だ。とにかく美味しい。すごい。ずっと堪能していたい。

 

 

(デミウルゴスさん、別に悪いこと考えてる訳じゃないし、モモンガもそんなに深く悩まなくても大丈夫じゃないかなぁ)

 

 

 ネムはあっさりと目的を見失った。

 普通の林檎に満足できなくなってしまいそうな、語彙力すら失われてしまいそうな、まさに人を堕落させる悪魔的な美味しさだ。

 

 

「さて、少し話を戻すが、たとえば純粋な単独戦闘だと、シャルティアやコキュートスはかなり頼りになる。おまけでセバスもそこそこだが、もし彼らが不在の時に敵が現れたら?」

 

「デミウルゴスさんも腕を大っきくしたりできますよね?」

 

「……私自身、直接戦闘は不得手でね。守護者の中ではかなり弱い部類だ。正面から戦えば勝てない存在もそれなりに現れるだろう」

 

 

 デミウルゴスはかつてギガントバジリスクを雑魚だと言い切った口で、悔しげに戦闘には自信がないと言った。

 ナザリックは凄い異形種が集まっている分、得意のハードルが高いようだ。

 

 

「周りが凄い人ばっかりだと、気にしちゃうよね……」

 

「ええ。至高のお手本は目の前にありますが、その身に並ぶには余りにも遠い……」

 

「……うん。これ本当に美味しいね」

 

「料理長にも伝えておきます」

 

 

 至高のパフェに舌鼓を打ちながら、ネムは少しだけデミウルゴスに共感を覚える。

 無力さに荒みかけた少女の心すら、即座に癒やしてくれる甘味の力は偉大であった。

 

 

 

 

「極端に言えば守護者が私しかいない時、どうやって強敵を倒すかが悩みどころだが…… 地力の差を覆すのは、生半可な戦術では難しい。ネム様ならどんな方法を取りますか?」

 

「えぇ、強敵の倒し方かぁ……」

 

 

 ネムが知的好奇心を満たそうとしていた一方で、デミウルゴスは別のことを画策していた。

 ――戦闘職のレベルの高さは、戦闘に関係する思考能力にも影響を与えるのか。

 いわゆるステータスとして看破できない部分の検証だ。

 

 

(賢くあれと設定されていないシャルティアでさえ、こと戦闘においてなら頭の回転は早くなる。ならば、ネム様の場合は……)

 

 

 これまで幾度となくデミウルゴスを唸らせてきたネムだが、はっきり言って戦闘力は皆無だ。

 自分の仮説が正しければ、戦闘系の職業レベルを持たないネムの場合、この手の内容では閃きを発揮しにくくなるはず。

 それを確かめるために、偶然を装ってこの状況を作り出した。

 魔法の食材で一時的に知力にバフまで与え、コンディションを整えさせる徹底ぶりである。

 

 

「シズお姉ちゃんは高いところから狙う方が強いって言ってました。あの大っきいゴーレムさんを使うとか……」

 

「大きいゴーレム? ああ、ガルガンチュアですか……」

 

 

 ネムが提案してきたのは、ナザリックにある戦略級ゴーレムを使うこと。

 ガルガンチュアはナザリックでも最上級の戦力。ネムが知っている内部事情の少なさを考えれば、目の付け所は悪くない。

 だが、これまでの妙案奇策と比べれば、これと言って驚くようなアイディアでもない。

 

 

(ネム様は普段からハムスケに騎乗している。となると考えられる手は――ガルガンチュアに乗り、上から一方的に攻撃しようというのだね)

 

 

 そして「高いところから狙う方が強い」――デミウルゴスはその言葉から、ネムの思考の一手先を読んだ。

 制空権の掌握。敵を俯瞰し行動を把握するという意味でも、敵戦力の頭上を取ることは悪い手ではない。反撃もされにくいだろう。

 しかし、ガルガンチュアは機動力に欠ける。

 移動式の土台に使うくらいなら、初めから空を飛べるシモベを使った方が強い。

 

 

(ネム様ならあるいはとも思ったが…… 戦術についてはこんなものか)

 

 

 今回のネムの閃きにはいつものキレがない。自分が簡単に読み切れてしまう程度だ。

 新たな発見を期待していたことは否めず、デミウルゴスは僅かに落胆した。

 やはり自分の仮説通り、職業レベルは一部の思考能力にも影響があると見るべきか。

 

 

「そのガルガンチュアさんを空から落としたら? 大っきいから誰も避けられないと思うよ」

 

「が、ガルガンチュアをそのまま?」

 

 

 ――読 め て な か っ た。

 なんてことを考えるんだこの少女は。

 真面目な顔のネムから繰り出されたのは、戦車で戦おうではなく、戦車を投げつけようというレベルの常軌を逸した発想。

 しかも弾となるその戦車は超特大だ。

 

 

(レベルの低さはステータスの低さと直結しても、思考力の低さには繋がらないっ。逆に高レベルでも愚者がいることの証明にもなりうるか…… あの王女の例もあることですし、やはり低レベルでも侮ってはいけないということですね)

 

 

 落胆はたやすく吹き飛ばされ、デミウルゴスは何度目かもわからない畏敬の念を抱いた。

 同時に数値化できるステータスのみが、絶対の指標ではないと心に刻み付ける。

 

 

(読み合いはまたしても私の負けですか。まったく、予想の斜め上と見せかけ下から奇襲してくるとは…… 意表を突くどころか精神すら抉られた気分ですよ)

 

 

 勝手に仕掛けた知恵比べに負けたというのに、デミウルゴスは気分の高揚を感じていた。

 敗北を繰り返し、そこから新たな知見を得る。これこそが自分の成長に必要な経験に違いない。

 

 

「モモンガも魔法で太陽を落としてたし、大っきくて頑丈な物をぶつけたら強いと思うんだけどなぁ」

 

「シンプルですが真理をついてますね……」

 

 

 ネムの案は悪魔のように敵を苦しめるといった遊びや余分は一切なく、目的を果たすことに振り切れている。

 「大は小を兼ねる」、「レベルを上げて物理で殴ればいい」など、かの至高の四十一人の金言にも似たような内容があったはずだ。

 まさに狂気と紙一重。絶対に敵に回したくないタイプの戦略家だ。

 

 

(――なるほど。そういうことですか。手段を選ばず、矜持すらも捨てさり、ただひたすらに目的を完遂する姿勢…… いざという時は、私も見習わなくては)

 

 

 現実は人形遊びじゃないと指摘したいところだが、デミウルゴスは念のため実行可能かどうかを吟味する。

 守護者が出払っているというシチュエーションにおいても、ガルガンチュアはある意味例外。変わらず第四階層の湖の底にいるだろう。

 前提条件はちゃんとクリアされている。

 

 

(ガルガンチュアの膨大な耐久力を加味しても、落下の反動は相応にある。着地点で脚部が負荷に耐え切れず崩壊する可能性は高い)

 

 

 敵勢力の頭上までガルガンチュアを運ぶ魔法はデミウルゴスには使えない。

 しかし、代わりにデミウルゴスには〈魔将召喚〉がある。

 召喚された魔将が一度だけ使えるスキル、〈魂と引き換えの奇跡〉ならば、好きな魔法を一つだけなら発動できる。

 転移系や飛行系魔法の限界高度はまだ未確認。

 データは不足しているが、この世界は空気抵抗の存在など、物理法則で不可思議な点もある。

 

 

(だが、出来るかどうかで言えば……)

 

 

 仮に敵の上空まで運ぶことさえできれば。

 後々の修復コストにさえ目を瞑れば。

 無限に加速し続け、隕石のように敵に衝突するガルガンチュア――

 ――もしやいけるのでは?

 

 

「ネム様、『今の案は、他言無用でお願いします』。かなり無理がありますので」

 

「うん、わかりました? いくら魔法でもやっぱり無理かぁ……」

 

「はい。流石に(防ぐのが)無理ですので」

 

 

 デミウルゴスは無邪気に笑う少女に、脱帽を通り越して若干の恐怖すら感じた。

 自分のスキルがアイテムで防がれていることに、気づかない程度には動揺もしていた。

 固定観念のない自由な発想とは本当に恐ろしいものだ。

 なにせネムは今、レベル百のプレイヤーすら圧殺しうる手段を考案したということになる。

 

 

(格上の敵とは言ったが、一体ネム様はどれ程の強敵を想定されたのだろうか……)

 

 

 万が一誰かが同様の方法で襲撃してきたら、ナザリックの表層くらいは容易く消し飛ぶだろう。

 ダメージ無効化系の特殊なスキルでも使用しない限り、巻き込まれれば守護者最高の防御力を誇るアルベドですら、無事に済むとは思えない。

 

 

「ですが非常に参考になりましたよ。また機会があればご意見を聞かせてください。私はそろそろ仕事に戻ります」

 

「うん。今日も色々教えてくれてありがとう。パフェもごちそうさまでした!!」

 

 

 面白いアイディアではあるが、幸いにして自分たちが実行することはまずないだろう。

 こんな方法を実行しなればならない敵など、それこそ朧げな知識にあるワールドエネミーのような規格外の相手だけだ。

 

 

(有象無象がこんな発想をしてくるとは思わないし、実行できるとも思えない。しかし、それこそ万が一というのはある。早急に防衛体制の見直しをしなければっ!!)

 

 

 ――それはそれとして、可能性として知ってしまった以上、やられた場合の対策構築に奔走するデミウルゴスであった。

 

 

 

 

おまけ〜パラレル時空 逆転ナザリック裁判〜

 

 

 ナザリック第九階層のどこかにある法廷風の部屋。

 公正さと厳粛な雰囲気を醸し出すこの場に、何故かナザリックの主人が被告人として立たされていた。

 

 

(俺、一応ナザリックの支配者だよな?)

 

 

 一周回って冷静になった頭で、モモンガは自問自答する。

 太い白黒のボーダー服と首輪に繋がれた鎖が、よりいっそう自らの罪人具合を煽っていた。

 実際にこの世界でやらかしていることを考えれば、あながち間違いでもないのが難しいところだ。

 

 

「これから聖王国の壁を壊した犯人を見つける裁判を始めます」

 

「私の格好が既に囚人仕様なんだが。まだ判決出てないよな?」

 

「ごめんね、諸事情によりお答えできません。裁判に関係のない言動はつつしんでください」

 

 

 法壇の上に座る小さな裁判長――ネム・エモットは漆黒の法服を纏い、ノリノリでガベルと呼ばれる木槌を叩いている。

 思ったより鋭い音が鳴ったからか、自分でやったのにネムの体がピクリと跳ねていた。

 ところで犯人を探す裁判ってなんぞや。

 

 

「ひこくにんモモンガ。あなたはすごい魔法で壁を壊しましたか?」

 

「それは本当にやってないぞ!?」

 

 

 ネムなりに精一杯空気に合わせた表情を作っているつもりなのだろう。

 実際は当人の幼さやら服装やらのギャップで、大変愛らしい印象しか受けない。

 続けてネムは真面目な顔で淡々と起訴状らしきものを読み上げた。

 被告人の本人確認もなければ、黙秘権の説明もない。順序も怪しい。

 

 

(たっちさんは職業柄色々知っていたし、タブラさんにぷにっと萌えさん、あとは死獣天朱雀さんも地味にこういうの詳しかったなぁ……)

 

 

 モモンガも過去にギルドメンバーの蘊蓄を聞いたことがある程度で、裁判に詳しい訳ではないのだが、とんでもないガバガバさである。

 そもそもこの裁判、誰が起訴したんだ。

 

 

「なるほど…… わかりました。それでは重要なしょうにんを呼びます。ハムスケ、どうぞ」

 

「裁判なのに身内の証言はアリなのか?」

 

 

 検察官なんてものはいなかったのか、いきなり裁判長であるネムがハムスケを招き入れた。

 被告人の自分が骸骨なので、証人が人ですらない事に突っ込むのは野暮なのだろう。

 でも巨大ハムスターの証言で運命が決まりかねないというのは、流石にどうなんだろうか。

 

 

「これは某がモモンガ殿とその城壁を見た時に聞いたことでござる…… 『クックック…… この程度の壁なら、私の力でも簡単に壊す事が可能だ。手段も無数に思い浮かぶな』と、モモンガ殿は余裕たっぷりに言っていた気がするでござる」

 

「そんな風に言ったか?」

 

「聖王国はアンデッドにとって天敵も同然の国でござるからなぁ。それに聖騎士や神官はアンデッドにあたりが強いでござろう。モモンガ殿もついカッとなって、やってしまったのかもしれないでござるな……」

 

「おい、如何にもそれっぽいことを言うんじゃない。そもそもそれを言ったら聖王国だけじゃなくて、生者全てに敵扱いされてるからな」

 

 

 存在自体が犯行動機になるという、種族故の圧倒的な理不尽。

 この裁判負け確じゃないだろうか。

 

 

「せいしゅくに。弁護人のデミウルゴスさん、何か反論はありますか?」

 

「ええ、勿論です。この状況を覆すのは実に簡単ですね」

 

 

 絶体絶命かと思われたが、自分にも弁護人という救いの神がいたらしい。

 デミウルゴスの普段の服装と法廷が似合い過ぎて、今まで居たことにも全く気がつかなかった。

 

 

「モモンガ様は誰もが認める絶対的な至高の御方。故に、人間の作った壁を壊すことも自由!! よって無罪を主張いたします」

 

「さいばんちょう的にそれはダメです」

 

 

 裁判長が雑に強い。

 まるでユグドラシルにおける運営のようだ。

 

 

「……ふむ。流石はネム裁判長。一筋縄ではいきませんね」

 

(俺を置き去りにするいつもの頭の良さはどうした!!)

 

 

 そしてデミウルゴスは知性を法廷の外に忘れて来たようだ。

 あんなインテリな見た目の癖に、ポンコツ過ぎる言動である。

 巷ではデミえもんと呼ばれるだけあって、重要な局面では道具(能力)を落とすらしい。

 

 

「――では、ここからは本気でいかせていただきます」

 

 

 もはやここまでかと思われたが、眼鏡を中指で掛け直したデミウルゴスの目が光った。

 最初から全力で弁護してくれよという愚痴を呑み込み、モモンガは心の中で応援を再開する。

 

 

「あの事件当日、モモンガ様はナザリックにおられました。城壁の破壊に使用された魔法〈隕石落下(メテオフォール)〉発動時、つまり犯行時刻には執務室で書類の決裁をなさっている御姿を一般メイドが目撃している」

 

 

 理路整然とした完璧な弁護。

 デミウルゴスは完全に流れを掌握している。

 むしろ何故これを最初に言わなかった。

 

 

「そして犯行現場である聖王国でモモンガ様の目撃情報は無い。――聖王国からナザリックまでの距離については、言うまでもないね?」

 

 

 完璧だ。

 事件について妙に詳し過ぎるような気もするが、誰が聞いても自分がやっていないと信じてもらえる内容だ。

 

 

「私はナザリックの場所を知らないから、言うまでもあるよ?」

 

「失礼、ナザリックの所在については黙秘させていただきます。ですがこのように、モモンガ様には完璧なアリバイがあるのです!!」

 

 

 デミウルゴスの宣言にも熱が入る。

 勝ちを確信した顔だ。

 

 

「いぎあり!! モモンガは色々魔法が使えるから、距離とか時間とか意味ないと思います!!」

 

「そ、それはっ!?」

 

 

 でも一瞬で崩されてしまった。

 裁判長が検察官を兼ね役してるって、裁判において無敵じゃないだろうか。

 ワールドチャンピオンすら裸足で逃げ出しそうなチートっぷりだ。

 

 

「デミウルゴスさん。あんな大きい壁を壊せるような、モモンガみたいにすごい魔法使いが他にいるんですか?」

 

「モモンガ様に並ぶどころか、足元に及ぶ魔法詠唱者(マジックキャスター)すらこの地にいる訳がないでしょう――っは!? しまった!?」

 

(確かに魔法ならどうにでもなるよね。ファンタジー世界の裁判ってクソゲーだな。リアルの裁判も別の意味でクソだったが……)

 

 

 誘導尋問に聞こえなくもない、ネムの純粋な疑問にデミウルゴスが自爆した。

 今さらどうでもいいが、裁判長が「異議あり」って言っていいのだろうか。

 

 

「今のは失言でした。この私を誘導するとは…… 恐ろしい裁判長だ」

 

(今のところ失言しかしてないぞお前)

 

 

 モモンガはこの時点でもうダメだと、九割くらい敗北を確信していた。

 

 

「ここは一つ、料理長特製プリンで手を打ちませんか?」

 

「だ、だめです……」

 

(結構揺れたな?)

 

「それでは奥の手です。『無罪を言い渡したまえ』」

 

(躊躇いなくやりやがった)

 

「判決はまだですよ?」

 

「馬鹿なっ。このレベル差で、精神攻撃を防いだだと!?」

 

(精神攻撃したことすら自白しちゃってるよ)

 

「モモンガに貰ったお守りの指輪のおかげかな? 精神に影響するやつを無効化するらしいよ」

 

(そういやそんな効果もあったな)

 

「まさか私の『支配の呪言』すらも防がれるとは…… この展開を見越していたというのですか!?」

 

「よく分かんないけど、ズルはダメだよ?」

 

(冒険中にうっかり〈絶望のオーラ〉とかに巻き込まないようにしたかっただけなんだけど……)

 

 

 ハイスピードに繰り広げられる一退一退の攻防。

 論破されている訳でもないのに、結果的に悪魔が少女にいいようにボコられている。

 

 

「力及ばず、誠に申し訳ありません…… モモンガ、様……」

 

 

 弁護人デミウルゴスは膝から崩れ落ち、なす術もなく敗れ去った。

 

 

「そろそろ判決を言い渡します……」

 

 

 再び真面目な顔を作り始めたネム。

 真っ白に燃え尽きたデミウルゴス。

 開き直ったモモンガ。

 ネムの考える有罪の罰が良い案なら、ナザリックに導入出来ないか参考にしようとする余裕すら今のモモンガにはあった。

 

 

「モモンガを信じて無罪です!!」

 

「あ、ハイ。ありがとう、でいいのかこれ?」

 

 

 おそらく現地語で「無罪」と書かれている紙を笑顔で掲げるネム。

 ――確かに俺、やってないって言ったもんな。

 こうして数十分の茶番劇は終わりを告げた。

 

 

「じゃあ次は…… えーと、情報収集と偽り、ナザリックの仕事をサボった執事さん?の裁判だって」

 

「ほぅ、腕が鳴りますね。今度は私が検察官をやりましょう」

 

「よし。ネム、避難するぞ」

 

 

 ――しかし、ネムが資料に書かれた次の内容を読み上げた途端、燃え尽きていたデミウルゴスの眼鏡の奥が再び光った。

 モモンガとネムが去った後、法廷では裁判という名の熱い殴り合いが起きたとか起きなかったとか。

 

 




ナーベラルの言葉が現地人にはどう聞こえているのかとか、深く考えたら負けな内容が満載な回でした。
見合った能力や才能があるから職業レベルとして昇華されるのか、職業レベルを取ったからその能力が研ぎ済まされていくのか・・・卵が先か鶏が先かですね。
もし能力ではなく経験をもとに職業レベルが決まるなら、明らかに能力が足りてなさそうなバルブロ王子も、王になれてたらキングの職業レベルが手に入ったり?。
ネムだとある意味メシアやセイヴァーになれそうとか、やっぱり二次創作は想像が膨らみます。


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