DIE HARD 3.5 : Fools rush in where angels fear to tread. (明暮10番)
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Sequence 1・Fear, and Loathing In Roanapra
Fools Rush In 1


 最初はデカいタワーで、一人でテロリストどもをやっつけた。

 

 その一年後には空港で、軍人御一行様を丸ごと吹っ飛ばした。

 

 つい五年前はニューヨーク走り回ってクソどもをぶっ殺した。

 

 

 

 

 俺はもう三回も事件に巻き込まれて、その都度なんとか生き残ってこれた。

 

 刑事として、誰よりも貢献している。

 

 だが得られるのは、ちょっとの間の人気と、ちょっとした奴らからの称賛だけ。

 

 

 給料は上がらない。

 

 警部補から出世できない。

 

 離婚の危機は避けられない。

 

 酒とタバコはやめられない。

 

 

 そんなもんだ。

 

 

 不休で仕事したって、

 

 テロリストを殺したって、

 

 国を救ったって、

 

……妻を守れたって、

 

 

 結局は俺。

 

 そうだ、俺が俺のまんまじゃ、何も変わらない。

 

 

 

 戦場で敵兵数百人をやっつけた大英雄が、

 

 退役後はとんだロクデナシになった話は腐るほどある。

 

 

 俺は確かに、何か起きても生き残れる技量はあるかもだが、

 

 人間として大事な、世間様に順応する頭がなかっただけだ。

 

 

 

 最高にツイてないのは、事件に出くわすからだけじゃない。

 

 それ以外の全てに、徹底的に見放されているところも含めてだ。

 

 つまりは運も生き方も、自分次第ってこった。

 

 

 

 

 

 つまり俺は、どっちにしても持っちゃいないのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タイ、バンコク北部、ドンムアン空港に到着。

 時差ボケから生じる眠気と虚脱感に悩まされながら、男はターミナルを出る。

 

 

 ポケットを弄り、タバコの箱の中を覗いた後で、売店に寄った。

 

 

「えー、あー……」

 

「英語で結構ですよ」

 

 

 店員は英語で話しかけて来た。

 安心して懐から抜き取りかけた、タイ語入門書をしまう。

 

 

「おたく、英語話せるの?」

 

「えぇ。僕はタイの南部出身でして」

 

「それがなんで?」

 

「南部はマレーシアやシンガポールに近く、外国人の流入が多くて。母国語より、英語を話せた方が都合良かったんです」

 

「そりゃ殊勝なこった……あー、マルボロは?」

 

「もちろん」

 

 

 カウンター後部にあるシャッターを開くと、タバコ陳列棚が現れた。

 棚からマルボロを取り出し、彼の前に置く。

 

 表紙には歯が抜け落ちて、洞穴のようになった人間の口内写真がプリントされていた。

 

 

「趣味わりぃなぁ、おい。なんじゃこりゃ? タイじゃこれがグッドデザイン賞ものなのか?」

 

「タイはタバコに厳しいですから。喫煙抑制の一環で、癌患者の皮膚やボロボロの歯とか、喫煙で起こりうる症状を写真にして貼り付けているんです」

 

 

 陳列棚に置いてあるタバコは全て、同じような表紙ばかり。

 思えばシャッターで陳列棚を隠していた事も、喫煙抑制の一環なのだろう。

 

 

「どうします? 一応、マシなデザインのタバコもありますが」

 

「いやぁ、いい。これでいい」

 

「ありがとうございます」

 

 

 空港でドルから換金したバーツ紙幣を出し、代金を支払う。

 すぐに一本取り出し、吸おうとしたところを止められた。

 

 

「路上喫煙は罰金刑ですよ」

 

「本気かぁ? ニューヨークより厳しいんだなタイってのは」

 

「ニューヨーク……じゃあお客さん、アメリカから?」

 

「あぁ」

 

「旅行……と言う感じではなさそうですが」

 

「仕事だよ。向こう一年半も滞在だ。俗に言う、単身赴任って奴だ」

 

 

 そう言ってから彼は、「いや」と訂正した。

 

 

「……ただの赴任だった」

 

 

 左手の薬指を見やる。

 何も嵌っても欠損してもいない、変哲もない指だ。

 しかし彼からすればポッカリと抜き取られたような虚無感があった。

 

 

「離婚されて?」

 

 

 図星だったようで、彼は乾いた声で笑い出した。

 

 

「よく分かったなぁ」

 

「意味もなく何もない薬指を見る人はいませんよ、普通」

 

「ははは……俺が単純過ぎるだけか」

 

 

 取り出していたタバコを紙箱に戻してから踵を返す。

 男は売店から立ち去ろうとする。

 

 

「ありがとよ」

 

「しかしアメリカからタイに赴任と言うのは珍しい。お仕事は何を?」

 

 

 店員からの最後の質問に、彼は横顔だけ向けて答えた。

 

 

「……おまわりさん」

 

 

 ぽかんとする店員を無視し、売店から離れる。

 そのままロータリーに出て、タクシーを捕まえた。

 

 さすがにタクシーの運転手まで英語を熟知してはいないだろうと、無駄なお喋りは避けて、行き先だけを告げた。

 

 

「えーっと? パトゥ、ムワン区、のぉ……ラーマ、一世通り……って読むのか?」

 

 

 通じたようで、運転手は二、三度頷いてから車を走らせる。

 

 

 車道にしたり、建物にしたり、人種にしたり、空の色にしたり、全てが違う異国の地。

 目的地まで、彼は虚ろな目で窓からのその景色を眺めていた。

 

 

「……とうとう俺も、島流しってか。クソッタレ」

 

 

 財布を出そうとして、不用心でパスポートを落としてしまう。

 

 

 彼の名前は、「ジョン・マクレーン」。

 

 パスポートを拾い上げ、相変わらず無愛想な表情をしている顔写真を、憎々しげに撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第二次世界大戦以降、欧州勢力から離れたタイにとって、アメリカは大事な外交相手だ。

 

 五十年代にタイの軍政をサポートしたり、冷戦期にも東南アジアで重要な国として位置付けていたりと、アメリカもタイを友好的な目で見ていた。

 と言うのも四十年代の終わりに成立した中華人民共和国による、東南アジアの共産化を恐れたアメリカ及び西側諸国が、大急ぎでタイを抱き込んだ次第でもある。

 

 

 しかし現在は、タイが軍事政権下にあるミャンマーとの外交を継続した事により、アメリカとタイの両国関係は冷え込みつつある。

 

 

 そんなさなかに飛び出した、「海外視察」の話。

 タイ地方警察の様子や装備、形式や事件解決能力をニューヨーク市警が視察する件だ。

 

 ここのところニューヨークは、世界各国の主要都市と友好関係を結ぶ事に前向きだ。

 九十年代だけでもローマ、ブダペスト、エルサレムとも姉妹都市提携を締結している。

 

 

 タイ警察への視察も、その一環だ。

 前述の米泰関係の冷え込みもあって、せめてニューヨークとの関係だけはと焦ったのだろう。

 連日、市警には要請と催促の電話が来ていたようだ。

 

 

 

 問題は、誰が行きたがるのか。

 タイのあちこちを巡るため、視察期間は一年半になる予定だった。

 

 腹が空けばタイムズスクエアに行けば良いだけの場所から、パン屋さえあるのか分からない異国に、しかも一年半も滞在したがる刑事はいなかった。

 特別手当が付いても同様だ。

 誰しも何やかんだ言いつつ、自分の国が一番快適だ。

 

 

 視察員の選出に低迷した挙句、署長がついポロっと名前を出してしまった男がいた。

 

 それが彼、ジョン・マクレーン警部補だった。

 

 

 

 

 彼は停職どころか、免職の危機にさえ陥っていた。

 燻っていた妻との関係が更に拗れ、一年前にとうとう離婚。

 その件でかなりやさぐれ、飲酒運転やら同僚を殴ったりなど問題行動が目立っていた。

 

 

 

 免職か、バンコクか。

 

 半ば脅迫のような形で、マクレーンは渋々視察員となってしまった訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 タクシーが目的地に停車する。

 パトゥムワン区のラーマ一世(いっせい)通りとは、タイ王国国家警察庁本庁の所在地だ。

 

 安いマンションみたいな建物を想像していたが、意外と大きく綺麗だ。

 

 

「んまぁ、田舎のホテルぐらいか」

 

 

 門番をしていた警官にニューヨーク市警の警察手帳を見せると、既に視察の話は通っていたようで、巡査部長のいる客室へ案内された。

 警察とは言うが、胸に付けられた勲章や灰色の制服からして、どうにも軍人にしか見えない。

 

 

「あのー、あー」

 

「英語で結構ですとも! ようこそ、遥々ニューヨークから!」

 

 

 巡査部長からの手厚い歓迎を受け、つい苦笑いをこぼしてしまう。

 

 

「お会いできて光栄です、マクレーン刑事!」

 

「えぇ、えぇ。私も光栄ですよ」

 

「あなたの話は伺っております! 何でも、金塊泥棒を一網打尽にしたとか!」

 

 

 不良刑事ではあるものの、経歴だけは折り紙付きだった為に、署長のお眼鏡に叶ってしまった事も選出理由だった。

 

 

「もう五年も前の事です」

 

「栄光に年代は関係ありませんとも! ささ! 早速、我がタイ王国国家警察庁を案内します!」

 

「……えぇ。関係ありませんとも……ってか」

 

 

 見慣れたニューヨーク市警の光景とは何もかもが違う。

 全員が制服を着て、またタイ国王の写真が立て掛けられていたりもした。

 一番マクレーンを驚かせたものは、警官制服やバッチがグッズとして売られていた事だ。

 

 

「売れるんです?」

 

「意外と、売れ行きはいいんですよ。ニューヨークでは問題ですかね?」

 

「いかがわしい店で売られるよりは健全じゃないですか? 寧ろこりゃ、ニューヨークでも導入するべきだ」

 

「なかなか楽しい刑事さんだ! どのようなアドバイスをいただけるか、楽しみですよ!」

 

 

 食堂や射撃場を見て回った後、また客室に戻り、視察の計画を伝える。

 

 

「視察と言っても、そんな小難しい事はしませんよ。あー、ただ、交通違反の指導方法とか、他支部との連携のアレコレを見なきゃなりませんもので」

 

 

 渡された資料にある、ズラリと並んだチェックリストを見て頭痛がする思いだ。

 マクレーンの説明を受けながら、巡査部長は納得したように頷く。

 

 

「警官のモラルも、士気に繋がります! 良き警察官とは何かをぜひ、向こう一年半まで教示してもらえたらなと!」

 

 

 ついマクレーンは笑ってしまった。

 それを自分が指導するのかと、ついついおかしくなってしまう。

 

 

「視察は首都圏だけですか?」

 

「いや。地方へも、プラスアルファってやつで。あと特別に、『治安の悪い場所』の警察署も見なきゃならないもんでしてね。余計なお世話だって、俺は言ったんですが」

 

「治安の悪い場所……ふーむ」

 

「どこかありますかね? ないなら私も、仕事が減るんでいいんですが」

 

 

 巡査部長は言おうか止めるべきか、迷ったように首をひねる。

 その内、別に話したって構わないかと考え直し、「治安の悪い場所」について語り始めた。

 

 

「タイ南部にある港町で、『ロアナプラ』と言う街があるんですよ」

 

「ロアナプラ? そりゃどんな街で?」

 

「タイ随一の犯罪率で、とうとうワースト一位ですよ! 噂によると、世界中の悪人の見本市みたいな場所だとか!」

 

「つまりスラム街?」

 

「スラム街の方がマシとも言わんばかりです。あまりに悪が集まり過ぎて、現地の警官も疲弊しているとか何とか」

 

 

 そこに行くハメになるのかと、マクレーンは頭を掻いた。

 どんどんと薄毛が進行しており、そろそろ丸刈りにしようかと考え始めていた頭だ。

 

 

「まずバンコク内の視察が済めば、軽く見に行きますよ」

 

 

 きっちりとこの仕事だけはしなければ、待ち受けるものは免職だ。

 面倒に思いながらも、忠実にこなさなければと肩を竦める。

 

 

「今日は時差ボケを何とか治さんといけませんでね」

 

「では、また明日からですね! どこに滞在なさるのですか?」

 

「市内のアパートです……ああ、そうだそうだ。銃とかは支給されないもんで?」

 

「もちろん、支給いたします。一応はウチの管轄下になりますから、手錠と臨時の警察手帳もお渡しします」

 

「なら大丈夫だ。銃と警察手帳があれば十分です」

 

「視察終了時には、お土産にお渡ししますとも!」

 

 

 立ち上がりながらマクレーンはにんまりと笑う。

 

 

「えぇ。自宅に飾って、タイを思い出しながらシンハービール、でしたっけ? それを飲むのが楽しみです」

 

 

「俺はとっととニューヨークに帰りたいんだ」と皮肉を込めた言い方だった。

 巡査部長は彼の皮肉に気付く様子はなく、人懐っこい笑みで笑うだけだった。

 

 

「上司に銃と手帳の手配をお願いしておきます。もしかしたら、書類とか書くかもしれませんが」

 

「ありがとう。では、また明日」

 

「ええ! また明日!」

 

 

 握手を交わし、本庁から出た彼の顔付きはすっかり疲れ切っていた。

 

 

「……楽しい一年半が始まるぜぇ、ボケぇ」

 

 

 悪態を付きながら、本庁前で堂々とタバコを吸い始める。

 

 

 

   DIE HARD 3.5   

Fools rush in where angels fear to tread.




時代設定は2000年。
「ダイ・ハード3」から五年後の世界観です。


正式名称は「Fools Rush In(Where Angels Fear To Tread)」
作詞「ジョニー・マーサー」、作曲「ルーベ・ブルーム」による楽曲。
1940年発表のスタンダード・ナンバー。
その後、「リッキー・ネルソン」や「エルヴィス・プレスリー」がロックスタイルでカバーしている。


「バカは天使さえ踏み入らない所に堂々と突っ込む」


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Fools Rush In 2

 ロアナプラ警察署に届いた通達書を見て、男は眉間を押さえた。

 

 

「マジかよクソ」

 

 

 乱れた髪をかきあげながら、その通達書を持って署長室に行く。

 そこには怠そうに書類仕事をサボっている、小太りの男がサングラスを拭いている。

 

 

「ピンチだ、『ワトサップ大佐』」

 

 

 ワトサップと呼ばれた男はサングラスをかけ、どんよりとした目で男を睨む。

 

 

「なんだ『セーンサック中尉』。俺は今、楽しい楽しい書類作業中なんだ」

 

「そりゃ最高ですね、椅子に座ってコーラ飲むのが今どきの書類作業って訳で」

 

「機嫌が悪いな。どした?」

 

「書類どころじゃない、マジに。ほら、本庁からの速達です」

 

 

 セーンサックが通達書を机の上に置くと、ワトサップはすぐに目を通す。

 

 

 最初は机に置いたまま。

 

 次は紙を手に取って。

 

 そしてサングラスを外して裸眼で読む。

 

 最後はセーンサックもそうだったように、眉間を押さえた。

 

 

「……なんだこりゃ? ウチでフルメタル・ジャケットの再現しろってか?」

 

「いいっすね。最後はズドンだ」

 

「こんな、ほぼ内偵と同じじゃねぇか。拒否出来ないか?」

 

「タイとアメリカの偉大なる親善交流ですと。上の上からのお達しだ、拒否できませんぜ」

 

 

 通達書には、ニューヨークから来た刑事による視察の予告が記されていた。

 一週間以内に来る予定で、来訪の二日前に改めて決定通知が来るそうだ。

 

 

「何人だって? 刑事が一人か?」

 

「一人です」

 

「視察期間は三日。主な視察対象は交通指導、射撃、検挙率、モラルの教示……くそッ。小学校と間違えてやがるぜ」

 

「どーにもこーにもなりせんぜ。別に署内を荒らす訳じゃねぇし、三日だけ尻の穴締めて大人しくするしかねぇですぜコリャ」

 

「今さら西側様に媚びても仕方ねぇーだろ。わざわざ金出してヤンキー呼んだのか?」

 

「あんたがあーだこーだ言うのも仕方ねぇでしょ。たった三日ですって」

 

「あークソッ。『バラライカ』の奴らを大人しくさせねぇと」

 

 

 ワトサップは苛つきを募らせながら、机に足を乗せて踏ん反り返る。

 同じくイライラとしているセーンサックは嫌味をぼやいた。

 

 

 

 

「あいつら大人しくさせたって無理ですぜ。この街は『仕上がって』んだ」

 

 

 彼のぼやきを聞いたワトサップは、諦めたように被っていた帽子で顔を覆った。

 

 

「……今のうちにやべぇ代物は隠しとけ。あとバラライカらにも、指定した日に『封筒』は持ってくんなってな」

 

 

 セーンサックは面倒くさそうに溜め息を吐く。

 

 

「仕事が増えたぜクソッ……了解しやした」

 

 

 髪をぼりぼり掻きながら、署長室を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意外にも思われるだろうが、タイは東南アジア随一の銃社会でもある。

 しかもタイは徴兵制を適用している為、国民の殆どは銃の扱いを心得ていたりもする。

 下手をすればアメリカの平凡な警官よりも射撃が上手い。

 

 

 街のあちこちには銃の販売店が存在し、金さえ払えば警察署の射撃場で一般人が試し撃ち出来るほどだ。

 

 警察官は免税の特権が与えられるらしく、どの警官も支給品ではなく専門店で買ったもっと性能の良い銃を買っていた。

 

 

 一人がベレッタを持っていたと思えば、隣の者はグロック。

 

 この部署はピストルかと思えば、隣の部署はリボルバー。

 

 

 その為、この国でお気に入りの銃を揃える事はとても簡単だった。

 

 

「マクレーンさん!」

 

 

 巡査部長が、廊下を歩くマクレーンを笑顔で呼び止める。

 署長などではなく彼がマクレーンの接待係に就任しているのは、この署で誰よりも英語が上手く通訳も出来たからだ。

 

 

「もう四日目ですね。どうですか? タイには慣れました?」

 

「お陰様で。時差ボケも治りましたよ。シンハービールもなかなか美味い」

 

「満喫されて何よりです! それで、視察の方は……」

 

 

 ちらりと、彼のホルスターを見やる。

 

 

「……支給した銃とは、違うようですね? あれはお気に召しませんでした?」

 

「ずっとこればっか使っていたんでね。仲良くなった警官に、店を教えてもらったんです」

 

 

 昨日買った、「ベレッタM92F」をチラリと見せつける。

 苦笑いする巡査部長を安心させるべく、にっこりと笑いかけた。

 

 

「貰った『S&W M60』はキッチリ保管していますとも。友好の証ですから」

 

「あぁ、良かった! 末長く、お使いくださいね!」

 

「まぁ出来れば、使わない方が良いとは思いますが」

 

「それもそうですね! はははは!!」

 

 

 話が逸れ、ひとしきり笑った後に巡査部長は改めて本題を切り出す。

 

 

「それで、視察の件ですが。うちの署はどうでした?」

 

「検挙率目当ての誤認逮捕が多いみたいで」

 

 

 じわりと、冷や汗が噴き出る巡査部長。

 

 

「……そ、それは、いけない事ですな……」

 

「ただ真面目な警官も多い。その人たちはきっちりと、規律を守っています」

 

「そうでしたか!」

 

「それでも駐車違反のドライバーとすぐ口論に持ち込むのはいけない事です」

 

「は、はは……」

 

「当分はちゃんとしたー……あー……研修をやる事を勧めますよ。どうにも気性が荒い奴が多い」

 

 

 それだけ告げてから、彼はまた廊下を歩き始める。

 どうやら署の外に出るようだ。

 

 

「お出かけですか、マクレーンさん!」

 

「視察の結果を届けただけなんで。これから二時間かけて南部まで行かなきゃで」

 

「南部ですか?」

 

「例の、ロアナプラ警察署に」

 

 

 昨日教えてあげた、タイ最悪の街の事だと巡査部長は気付いた。

 

 

「もうそこに行かれるのですか?」

 

「面倒な事は先に済ましたいタイプなんで」

 

 

 本音を交えると、視察が早く終われば半年で帰れるからだ。

 長くなりそうな場所から終わらせたかった。

 

 

「通訳は向こうでも雇えますかね?」

 

「あの辺は英語の方が良く使われていますから不要ですよ。道中、パトカーを出しますか?」

 

「タクシー使いますよ。手は煩わせません」

 

 

 そう言い残して署を出る。

 通りかかったタクシーを両手広げて引き止め、乗車した。

 

 

 出来るだけタイ語に近い発音を心掛け、行き先を指定する。

 

 

「ロアナプラ」

 

 

 行き先を聞いた瞬間、運転手の半開きの目が驚きで見開かれた。

 マクレーンの方を振り返り、彼をまじまじと睨み付ける。

 

 

「一体なんだ? 聞こえなかったのか? あー、ロアナプラ」

 

 

 運転手は手を大きく振って、辿々しい英語を使って拒絶した。

 

 

「ノー! ノー! ダメ! オリル!」

 

「あ?」

 

「ロアナプラ、キケン! イカナイ!」

 

「そんなにか?」

 

 

 国内ワーストの犯罪率とは聞くが、ここまで運転手を怯えさせるほどかと少しだけ戦慄。

 しかし彼も仕事だ。

 乗車拒否を続ける運転手に、警察手帳を突き付ける。

 

 

「ほら、良く見ろ! レプリカじゃねぇ、本物だ!」

 

「ケイサツ!?」

 

「あぁ、おまわりさんだ」

 

「ハクジン! マレージン、チガウ! ニセモノ!」

 

「あー、クソッ。参ったぜチクショー! 本庁で売り物にしてるからこーなるんだ……!」

 

 

 タイ語入門書を取り出し、マクレーンも片言でタイ語を話し始めた。

 話しながら幾らかのバーツの札束を突きつけてやる。

 

 

「イイカラ、イケ! あー……チップ、ダス! オレ、カネモッテル! えーっと、OK!?」

 

 

 金で黙らせられるのは、万国共通らしい。運転手はそれっきり黙り、ハンドルを握った。

 実際、視察の予算はたんまり貰っており、懐には余裕がある。

 

 

 一悶着の後にやっと走り出したタクシーの中で、車窓にひたいを当てながら疲れ切った声でぼやく。

 

 

「オイオイオイオイ……どんな街なんだよぉ」

 

 

 首を振りながら、まだ見ぬロアナプラを思い気重になる。

 走り続けるタクシーの走行音を聞き、暫し眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 タイにも近代化の波は到来している。

 一九八◯年より着手されたハイウェイの設置はほぼほぼ完了し、バンコクを中心としたインフラはかなり整っている。

 ハイウェイに乗れば、ハイウェイからラオスにもミャンマーにもマレーシアにも、短時間で走り抜けられた。

 

 

 所要時間は約二時間半。

 海沿いの道を走り続け、とうとう「ロアナプラ」と記された英語表記の看板を見つけた。

 

 

 あと少し。

 街の入り口に行こうとした時に、タクシーは勝手に停まった。

 

 

「おいおい! 街中まで行ってもいいだろぉ?!」

 

「ダメ! トマル! イケナイ!」

 

「クソッたれ……ほら、取っとけ」

 

 

 料金とチップを渡し、荷物を持って車を出る。

 扉を閉めた瞬間に、タクシーは逃げるように颯爽と走り去ってしまった。

 

 

「どんだけ嫌なんだ。嫁を寝取られたか?」

 

 

 運転手の怯えっぷりに呆れながら、マクレーンはバッグ片手にロアナプラを目指す。

 

 

「たった三日だ。この調子でさっさと済ませりゃあ、一年半と言わず半年で帰れんだ……頑張れジョン」

 

 

 車内では全く吸えず、我慢していたタバコを一本、やっと吸えた。

 一気に暑くなった気候にうんざりしながらも、マクレーンは一歩一歩、街へ突き進んで行く。

 

 

 

 

 

 

 

 この時は思いも寄らなかっただろう。

 

 たった三日で終わるはずだったロアナプラ警察署視察は、期間いっぱいの一年半後まで延びる事になるとは。

 

 御免被りたいと思っていた、血と硝煙と暴力ならびに陰謀の世界へ、再び立ち入ってしまうとは。

 

 

 

 世界一ツイていない男は、世界一危ない街に来てしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 街は海を拝められる高台に、植え付けられていた。

 建物は他の場所と同じように、典型的南国テイストな、アパートみたいな四角く漆喰の建造物ばかり。

 しかしなぜか中国や韓国のような形相をした、古めかしい木造建築も見て取れた。

 

 

 ただ経済的には豊かな方なのか、高層ビルが楔のように幾つか立っている。

 そのビルの周りとビーチ近郊だけは小綺麗だが、港へ近付くほどにドブ臭さの目立つ、イメージ通りの「スラム街」と化していた。

 

 

 なまじ、リゾート地としての開発をしてしまったのだろう。

 木造建築、リゾート、スラム。

 どこかパッチワークのような印象を受ける街だ。

 

 

 

 港町ロアナプラ。

 国内最悪の犯罪率を誇る、恐らく東南アジアで一番危険な街。

 

 

「汚ねぇマイアミみてぇだなぁ、おい」

 

 

 ヤシの木が点々と並ぶ道路沿いを歩きながら、地図と睨めっこ。

 海がちょうど良い指標になる為、現在地の把握は容易だった。

 

 

「えーと? あー? なんだ? ロシアもいんのか?」

 

 

 通りかかったバーから、赤ら顔の男たちが出て行く。

 それから気付いたが、辺りを見渡すとアジア系、イングランド系、イタリア系、アフリカ系……と、様々な人種が闊歩している。

 

 本来住んでいるべきマレー系の方が割と少なめ。

 南部は外国人の流入が多いと聞くが、これでは公用語が英語になってしまう事も納得だ。

 

 

「まるでロンドンだ。適当にしょっ引いても密入国者が見つかりそうだぜ」

 

 

 皮肉を漏らしながらも、街中に入る為にタバコは消しておこうと捨てた。

 しかしすれ違った男が堂々と紫煙を燻らせていた為、罰金刑は本当に機能しているのかと疑ってしまう。

 

 

「…………いや、やめとこ」

 

 

 吸おうか逡巡したが、問題を起こして期間を長引かせたくはない。

 せめて警察署まではと、我慢してタバコをポケットに突っ込んだ。

 

 

「……暑い」

 

 

 それにしてもここは、ジメジメとしている。

 タイは基本的に熱帯気候の国だ、仕方ない。

 とは言え渇く喉にまで抗う事は出来ないだろう。

 

 まだ少し時間があるので、売店でコーラでも買おうと走る。

 

 

「おと」

 

「おっと」

 

 

 前方から来た屈強な身体つきの、ゴーグルサングラスが特徴的な黒人男性と鉢合わせる。

 お互いに相手を避けようとしたものの、どちらも相手と同じ方に避けてしまい、また鉢合わせ。

 

 

「すまないねぇ」

 

「構わんよ」

 

 

 また避けようとすれば、また二人とも相手の避けた方に行き、結局鉢合わせ。

 

 それから三度、同じように間抜けな譲り合いをしてしまった。

 

 

「あぁ、悪かった」

 

「こっちこそ」

 

 

 今度は相手を尊重しようと道を譲るが、二人ともが譲り合った為に結局、どちらもすれ違えていない。

 

 

「……こんな事があるんだなぁ、ええ?」

 

 

 自嘲気味にマクレーンがぼやくと、男も肩を竦めて呆れ返る。

 

 

「モダン・タイムスの監獄シーンみてぇなコメディだったな。ツイてねぇなぁ、あんた」

 

「それはそっちも言えるだろ?」

 

「よしてくれ。この後仕事なんだ、幸先悪い兆しは冗談でも勘弁だ」

 

 

 ここで仕事という事は、タイ人ではないがロアナプラの住人なんだろう。

 

 

「おたくはここの住人?」

 

「あぁ。あんたは? 見ない顔だが」

 

「単なる出張だ」

 

「出張でこんな街に来るのか? それ本当に出張? 会社の陰謀だぜ絶対」

 

 

 タイに来て、ここまでジョークを飛ばせる人間は初めて出会った。

 マクレーンが口を開いて笑うと、男もニヤリと忍び笑いを浮かべる。

 

 

「俺もそう思い始めていたところなんだ。実は流刑だったのかなってなぁ」

 

「この街は最悪だが、普通にしてりゃ普通に帰れる場所だ。住人としてのアドバイスだが、ここはトゥームストーンより酷い。アープとドクみてぇな事しなけりゃ、最低でも二本足で飛行機に乗れる」

 

「腕二本無くなるのも普通の内ってか?」

 

 

 男は周りを憚るようにしながら、マクレーンに顔を近付けて囁くように忠告する。

 

 

「新参者のあんたに言っておくが、この街は他と違う。ラスベガスでもなきゃ、マサチューセッツでもねぇ」

 

「おたくアメリカ生まれか?」

 

「あんたそうか? ならヨシミとして忠告するぜ。仕事にしろ旅行にせよ、ここの人間には基本従っておけ。この街には『掟』がある。郷に入れば郷に従え(ローマではローマ人みてぇにしろ)って言うだろ? それだけだ」

 

 

 伝え終えると、愉快そうな笑顔を見せて手を上げた。

 

 

「そうすりゃ五体満足で帰れるぜ。それじゃ、俺はこれで」

 

 

 マクレーンが譲った道を抜け、男とやっとすれ違えた。

 だがマクレーンはクルリと振り返り、彼の背中に呼びかける。

 

 

「ご忠告どうもー! もう一ついいか!?」

 

「なんだぁ?」

 

「この街で行っちゃいけねぇ場所ってのはどこだー!?」

 

 

 男は考える隙も見せず、ほぼ即答してみせた。

 

 

「『イエロー・フラッグ』ってバーだ。あんたみてぇな、メル・ギブソンを更に疲れさせたような人間にはオススメしねぇぜ」

 

 

 

 それだけ言い残し、彼はまた歩き出し、街の角で消えた。

 マクレーンは折り畳んだ地図をうちわ代わりにパタパタ扇ぎながら、売店に近付く。

 

 

「ご親切にどうも。俺が知り合う黒人はみんな優しくていいねぇ」

 

 

 買ったコーラをボトルで飲みながら、あと数キロ先にある警察署まで歩き続けた。



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Fools Rush In 3

 署長室に、セーンサックが入る。

 それだけで何が起きたのか、ワトサップには理解出来た。

 

 

「来たか?」

 

 

 溜め息混じりに頷いてみせる。

 

 

「待合室で待たせてる」

 

「どんな見た目だ?」

 

「ユル・ブリンナーがアル中になったみてぇな顔してますぜ」

 

「頭悪そうか?」

 

「来て早々言ったのが、『喫煙所どこですか?』。しかもコーラの空き瓶片手に、ドナルド・ダックが張り付いたボストンバッグとヨレヨレのシャツ。密入国者かと思ったぜ」

 

 

 思わずワトサップは吹き出してしまった。

 想像しただけで間抜けな風貌だったからだ。

 

 

「まぁ、なんですか。女神のお膝元からクソみてぇな僻地に飛ばされた奴だ。とんだ無能でしょうよ」

 

「全く、ヒヤヒヤしたぜ。エリオット・ネスが来るんじゃねぇかってな」

 

「名前は聞いてますか?」

 

「通知に紹介されていた。ジョン・マクレーンってコップ(おまわりさん)だ」

 

 

 椅子からのっそりとワトサップは立ち上がり、署長室を出る。

 その彼の後をセーンサックが付いて行く形で、二人は待合室にいるマクレーンの元へ向かう。

 

 

「どんな間抜け面か拝んでやるぜ」

 

「すっとぼけた顔でしたよ」

 

「しかし刑事には違いない。署内にいる間は奴のケツ持ちして見張ってろ」

 

「言わんでも全員、そうしますっての」

 

「俺の部下は有能ばかりでいいぜ。タイ王国海軍特殊部隊(SEALs)に志願するか?」

 

「馬鹿言わんでください」

 

 

 廊下の角を曲がり、談笑する警官らとすれ違う。

 ワトサップはサングラス越しに彼らの背中を睨みつけ、ぐちる。

 

 

「俺はこの署のなんだ?」

 

「キングです」

 

「見ろ。キングとすれ違ったのに、挨拶も無しだ。俺をチェ・ゲバラにしてくれねぇのか?」

 

「あんたがゲバラになれるんなら我々はラーマ九世になれますぜ」

 

「はっはっ。笑えねぇ」

 

 

 待合室が見えて来た。

 大して来訪者が来ない為、いつも客席はがらんとしている。

 

 

「しかしジョン・マクレーンね。向こうでの階級は?」

 

「警部補って階級だそうで」

 

「タイ警察で言うと?」

 

「えぇと……警察少尉辺りか」

 

「永遠の中間管理職って感じだな。いかにも冴えねぇ」

 

「しかしジョン・マクレーンか……」

 

 

 セーンサックは髪を掻きながら、頭の中で引っかかったものを取り出そうと唸っていた。

 

 

「どっかで聞いた覚えがあるんですが」

 

「奇遇だなセーンサック中尉。俺も聞き覚えがあるんだ」

 

「なんかの映画でしたっけ?」

 

「コマンドーか?」

 

「あれはジョンはジョンでも、メイトリックスでしたぜ」

 

「まぁ、お互い気のせいだろ」

 

「そうっすね。んじゃ、いざ邂逅と行きましょ」

 

 

 二人が待合室に入る。

 

 

 人のいないそこで、制服を着ていない冴えない男一人を見つけるのは、あまりにも簡単だった。

 床に据え付けられた椅子に座り、ぼんやりタバコを吸っているマクレーンがいた

 

 二人は目を見合わせて小馬鹿にした薄ら笑いをした後に、彼の方へ歩み寄る。

 

 

「あんたがマクレーン少尉で?」

 

 

 ワトサップが声をかけると、彼は大慌てでタバコを吸い殻入れに突っ込み、立ち上がる。

 

 

「えぇ、視察員のジョン・マクレーンです……あー、少尉?」

 

「タイ王国警察で警部補とやらは、警察少尉(ローイ・タムルワット・トリー)になるんだ。現在あんたはタイ王国警察のネームバリューで警官になっているから、マクレーン少尉って事になる」

 

「タイ警察の階級は軍みたいでしたっけ」

 

「慣れ親しんだ方で呼びたくてね。そして俺は、警察大佐(パン・タムルワット・エーク)……署長のワトサップだ。こっちは警察中尉(ローイ・タムルワット・トー)のセーンサック」

 

 

 握手を求めるマクレーンだが、二人は無反応を気取った。

 わざとなのか文化なのかと、判断しかねているマクレーンに、セーンサックが嫌みったらしく話しかける。

 

 

「タイ人は不浄が嫌いなんだ。脂ぎったその手に触れたくないね。あんたの手からハンバーガーかターキーの匂いがするぜ? マクドナルドかケンタッキー寄ったか?」

 

 

 ワトサップが目で窘めるものの、彼は言ってやったと口元を綻ばせる。

 

 言われるだけ言われ、思わずマクレーンは鼻で笑った。

 握手の拒否は文化ではないと分かり、当惑は消え去る。

 

 

「アメリカ人は口臭にうるさいって知りませんか? おたくが喋るたびにエビ臭いんだ。トムヤムクン食ったか? 俺の手の匂いを嗅げたのに、自分の口の匂いは嗅ぎ取れませんのでしたですか? ミントガム噛むですか?」

 

 

 無駄に丁寧な言葉を選んで煽るなど予想以上に饒舌なマクレーンに、セーンサックは若干の驚きから、訝しげに彼を見ていた。

 そのやり取りを見ていたワトサップは愉快に思えたようで、手を叩いて口を開けて笑う。

 

 

「マクレーン少尉、気にしないでくれ。連日の仕事で彼、オープンシーズンの雌鹿みてぇに敏感になっていてな」

 

 

 セーンサックは勘弁してくれよと言いたげに目線を逸らした。

 

 

「あんただって、ニコチンが足らなかったら同じようになるだろ?」

 

「まぁ、そうですね」

 

「これも親しさって事にしといてくれ。さぁ、署内を案内する。付いて来い……あぁ、セーンサック。お前は仕事に戻って良いぜ」

 

「クソ……了解です」

 

 

 苛立だしげに二人を見やりながら、セーンサックは自分の持ち場に戻る。

 立ち去る彼を得意げに眺めていたマクレーンだが、ワトサップに肩を叩かれ、彼の方に注意を戻した。

 

 

「それで視察ってのは、どこまでするんだ? 囚人相手じゃあるまいし、ケツの穴までは確認しねぇよなぁ」

 

「事前に送った速達通りですよ。まずは全員の勤務態度を見てから、ちょっとアドバイスしてバンコク本庁に報告しておしまいです」

 

「多忙だなぁ。経験ありそうだ、刑事になって何年目?」

 

「二十三年目になります。二◯◯七年には、とうとう三十年目の予定です」

 

「ほぉ。ウチの古株と同じくらいか」

 

 

 廊下を歩き、一通り部署や設備を見て回る。

 警官たちとすれ違うたびに、マクレーンは違和感を覚えていた。

 

 

「どうにも視線を感じますねぇ」

 

「ニューヨークからの客だ。みんな気になっているだけだ」

 

「ロアナプラの人間は外国人慣れしていると思っていたんですがね。さっきも黒人やロシア人を見た」

 

「署の外でしょっ引くのと、署の中を歩かせているとじゃ全く違うだろ」

 

「まぁそうか」

 

 

 納得したマクレーンは、それからは視線を無視出来た。

 一方のワトサップは、彼がなかなか勘の利く人間だと気付き、曲がりにも刑事なのだと思い知らされた。

 

 

「下宿先は?」

 

「まだ見つけていませんが」

 

「そこらのモーテルはやめた方がいい。控えめに言ってクソだ。異臭、騒音、害虫、害獣、割高。クソのロイヤルストレートフラッシュだ」

 

「良い所はありますか?」

 

「街中に行けばまだマシなホテルがある。外国人労働者を多く受け入れているから、下宿屋も多い」

 

「ほぉー」

 

「まぁ、スイッ・パーク・ワーマイタウ・ター・ヘン」

 

「え? なんですって?」

 

スイッ・パーク・ワーマイタウ・ター・ヘン(十の口は一見に如かず)って意味だ。ご自分で宿を選んだ方が早い」

 

「あぁ……百間は一見に如かず(一枚の絵は千語に匹敵する)、ね。勉強になりますよ」

 

 

 

 

 それからは交通課、警務課、留置所、武器保管庫を確認し、また待合室へ戻る。

 今日は案内のみで、視察はまた明日からだ。

 

 

 案内口に置かれていたアルコールを取ると、マクレーンは手に吹きかけた。

 

 

「なにやってんだ?」

 

「潔癖症のタイ警察さんと握手する為に、除菌してんですよ」

 

「まだ根に持ってんのか。あれは中尉なりのジョークだ」

 

 

 シニカルな笑みを浮かべ、マクレーンはアルコールが乾き切っていない手を、ワトサップに差し出す。

 

 

「こう見えて引き摺るタイプなんでね」

 

 

 全く愛想を窺えない微笑みを作ってから、ワトサップは彼の手を取って握手を交わした。

 

 

「あと、聞きたい事があんです」

 

「聞きたい事?」

 

「行きしなに、住民に言われたんだ。この街には掟があるってな。何か、ご存知で?」

 

 

 折角作った微笑みを崩し、彼はアルコール塗れの手から離れる。

 

 

「……ゴン・カウィアン・ガム・ガウィアン」

 

「それはどう言う意味で?」

 

 

 上目遣いでサングラスの隙間から、マクレーンを睨み付けた。

 曇った瞳だ。この世の底を覗いて来たかのような眼差し。

 

 

ゴン・カウィアン・ガム・ガウィアン(牛車の外輪と車幅はついて回る)

 

「なに?」

 

「罪はタイヤとスポークみてぇに付いて来るって意味だよ。『罪業は罪業で報われる』って言葉にもなる」

 

「つまり……因果応報(カルマ・イズ・ビッチ)って事ですか?」

 

 

 ワトサップはそこで、やっと楽しげに笑った。

 

 

「その通りだ。やられたら、絶対の報復が待っている。それが掟だ」

 

「ゴッド・ファーザーですか? タイかと思えば、俺はまだニューヨークにいたんですかね?」

 

「あんまりそう言う口を、街中で言わないこった」

 

 

 彼はそれから何も言わず、手を差し出して出口へ行けと促す。

 マクレーンはバッグを持ち上げ、何度も訝しげにワトサップへ振り返りながら、ロアナプラ警察署を出て行った。

 

 

 

 扉が閉まったと同時に、セーンサックがまた現れる。

 

 

「カウボーイ気取りはどんな奴で?」

 

「見た目は惚けた奴だが、馬鹿ではなさそうだ。注意するに越した事はないな」

 

「万が一に気付かれたらどうします?」

 

 

 ワトサップはまたどんよりとした目で、マクレーンが出て行った扉を睨む。

 

 

「地獄に堕としてやりゃあイイ」

 

 

 セーンサックは頷き、意地の悪さを窺えるようなしたり顔を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 落日を迎えつつある空を見上げて次に、彼女は死んだ目で街を見下ろす。

 そこは街の高台にある道路だ。

 ありとあらゆるものが暮れ泥む様子を、十分に眺められる。

 

 

「……それで、あっち側は?」

 

 

 隣の席に座っている、右のひたいから左頬にかけての長い傷痕が特徴的な大男に尋ねる。

 言語はロシア語だ。

 その声は突き刺すように冷たい。

 

 

「交渉には前向きですが、どうにもこっちに従順過ぎる。もう少し、躍起になっても良いとは思いますが」

 

面従腹背(舌の上には蜂蜜、舌の裏には氷)って良く言う。ビジネスマンらしいと言えばそうだが」

 

「そう言うことになりますか」

 

「引っかかるな。まだこちらが『ディスク』を受け取っていないと気付かれたかもしれん」

 

「……密告されたと言う事でありますか?」

 

 

 女は見た目こそ御誂え向きのビジネスウーマンだ。

 だがサメのように濁った瞳と、右顔面に剥き出した火傷痕が、堅気の者ではないと警告している。

 

 

「この件を知っている者は多くはない。イタリア、中国、コロンビア……」

 

「その中で日本企業にパイプを持っているのは、三合会(トライアド)ですか」

 

「聞き出す必要があるな」

 

「早速、調べさせます」

 

 

 男は携帯電話を取り出し、仲間に命令を送る。

 その最中、また女は車窓から街を見下ろした。

 

 

「……ワトサップが言っていたが」

 

 

 男が電話を切ったタイミングで、再び尋ねた。

 

 

「アメリカから刑事が視察に来たって?」

 

「えぇ。こちらに自粛を求めて来ました……自分がこの街を仕切っていると勘違いしているな」

 

「この街の事は既に米国も把握している。今更よそ者のコップを気にする必要はないさ」

 

「同感です、大尉殿」

 

 

 男はそのまま、「あと」と付け加えた。

 

 

「その刑事についても、経歴を取り寄せられました。CIAの線がないか裏を取りたかったもので」

 

「結果は?」

 

「正真正銘、ニューヨーク市警の……一時はロサンゼルス市警にいたようですが、CIAと何の関係もない男です。寧ろ問題だらけの、不良刑事だ」

 

「なら放っておいても構わない」

 

「ただ、普通じゃない経歴が三度あります。そこが少し注意かと」

 

「普通じゃない?」

 

 

 女は葉巻を咥え、火を灯す。

 煙を吸い込みながら、男の報告の続きを待つ。

 

 

「まずは八十八年と、八十九年のクリスマスにそれぞれ米国で起きた事件。もう一つはつい五年前の事件です」

 

「……ちょうど、我々が『アフガン』より撤退する直前と直後の年か」

 

「えぇ、懐かしいもので……八十八年の方は強盗グループによる──」

 

 

 それからは男が読み上げる、刑事の「普通じゃない経歴」を黙って聞いていた。

 

 最初は聞き流しても良いとも思っていたが、それもほんの一瞬。

 

 読み終わる頃には、女の死んだ目に好奇の念が宿っていた。

 

 

「……名前は?」

 

「ジョン・マクレーン、階級は警部補。タイに滞在中は警察少尉の立場になっております」

 

「……このタイミングで、ロアナプラに来訪?」

 

「えぇ。私も最初そう思いましたよ、大尉殿」

 

 

 吸い込んだ煙を、愉快そうにホウっと吐き出す。

 

 

 

 

「……よほどサディスティックな死神に好かれているようだ」

 

 

 

 太陽が地平線に沈み行く様を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 街中を練り歩いた挙句、マクレーンは下宿先を見つけられずにいた。

 

 

「チクショー! あのデブ署長、デタラメ言いやがって!……こんな街の何が人気なんだ! どこ行っても満席満席満席……」

 

 

 ロアナプラに着いてから、ほぼ歩いてばかりだ。

 そろそろ疲労が限界を迎える。とりあえず休まなければと、酒場でも探す。

 

 

「……女房と別れ、タイに飛ばされ、辺境でゾンビダンスか、えぇ? 酒でも飲まねぇとやってられっか……」

 

 

 市内の方は全くと言っていいほど、宿が取れない。

 たった三日ならば安いモーテルでも構わないと考え直し、港の方までやって来ていた。

 

 それでも宿が見つからないので、やさぐれる。

 

 

 宿より酒場だ。

 そう思い、港を歩いていた時に大きな建物が目に映る。

 

 

「なんだ? 酒場っぽいな」

 

 

 派手なライトと、酔っ払いが出て行く様を見て、バーだと判断した。

 

 

「空いてそうだな。よし決めたぁ、飲むぞ」

 

 

 彼はそう決め、店名をよく確認せずにドアを潜ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 外はもう暗い。夜が訪れる時間。

 明るい人工の光に照らされる店の看板には、こう記されていた。

 

 

 

『YELLOWFLAG』




『コマンドー』の製作者と脚本家が、後に『ダイ・ハード』を生み出した。
ダイ・ハードは原作小説を踏襲しつつも、叶わなかったコマンドー続編のプロットも織り込んでいる。


コマンドーとダイ・ハード2にも出てくる架空の国「バル・ベルデ」については、今作では勿論、存在する体で進めます。


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Me and the Devil Blues 1

 彼は何も、意図していない。

 先回りしただとか、事前に調査していた訳でもない。

 しでかした訳でも、企んだ訳でもない。

 

 ただ、いてしまっただけだ。

 いてはならない時に、本当ならいる必要もない場所に、いてしまっただけ。

 

 

 

 

 日本企業の闇取引も、ロシアンマフィアの陰謀も、運び屋の事情も、ロアナプラの掟も、何一つ知らない。

 

 

 なのに、彼はまた巻き込まれてしまう。

 

 

 

 十字路で悪魔に魂を売り、名声を得た男がロバート・ジョンソンなら、

 

 

 前金の運を持ち逃げされた男がジョン・マクレーンだ。

 

 

 

 

 ここからが彼の受難の始まりであり、

 

 ロアナプラと言う街の真骨頂でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 店内はウェスタンとカリビアンが一緒になったような造りだ。

 南国らしい涼しげで広く取った内装と、開拓時代らしい無骨で小洒落た装飾が良い塩梅で合わさっている。

 

 

 マクレーンが中に入った瞬間、隣から倒れかかって来た酔っ払い客に絡まれた。

 

 

「おいテメェッ! 俺様の服に触んじゃねぇッ!」

 

「やめろオイ。こっちまで出禁食らっちまうんだぞ」

 

 

 仲間に宥められ、事無きを得る。

 呆れた目で彼らを見送った後に歩き出し、今度はテーブル客からタバコの煙を吐きかけられた。

 

 

「煙は嫌いだったか?」

 

「…………」

 

 

 テーブルの上には堂々と、拳銃が置かれている。

 

 

「……喫煙者(スモーカー)にとっちゃ酸素と一緒さ」

 

「そうかい」

 

 

 煙は天井のシーリングファンに巻き込まれ、揺蕩い消えた。

 その様を見届けた後にまた歩き出すが、カウンター席前にあるアルコーブから飛び出した女に声をかけられる。

 

 胸元や足を晒した煽情的な服からして、娼婦だろう。

 

 

「ねぇ、素敵なおじ様。二階で楽しい事しない?」

 

「……悪いね。俺は酒が飲みたいんだ」

 

「あら。『バオ』さんのお客を取ったら怒られちゃうわ。じゃあまた後で」

 

「あぁ」

 

 

 そのまま彼女は奥にある階段を上がって見えなくなった。

 ただのバーにしては大き過ぎると思っていたが、恐らくは二階にある娼館との複合店らしい。

 

 

「………………」

 

 

 周りを見渡してみる。

 酔い潰れた者、あからさまにポーカーで賭博に興じる者、何かを打っているのか危ない目をしている者、見るからに堅気ではない者。

 自分が入り込んだここは、普通ではない事に薄々と気付き始めていた。

 

 

「……ちゃんと取り締まってんのか?」

 

 

 若干、店内に蔓延る悪い空気に圧されながらも、カウンターチェアに座る。

 愛想の悪そうな店主が、カウンター越しにマクレーンの前へやって来る。

 

 

「なんにする?」

 

 

 彼の後ろの陳列棚に置いてある酒瓶に目を通す。

 ラム、ウィスキー、バーボン、スピリタス。何でもござれだ。

 

 

「……あー……アイリッシュ。ロック」

 

「あいよ」

 

 

 席を少し引いた時に、足がカウンターを蹴ってしまった。

 

 

「おいおい。傷付いてたら修理費追加するからなぁ?」

 

「悪かった、わざとじゃない」

 

 

 そこでマクレーンは気付いたが、木材にしてはやけにぶつけた時の音が鈍い。かなり厚いようだ。

 またやけに堅い。中に何かを仕込んでいるようだ。

 

 

「………………」

 

「あいよ、アイリッシュ」

 

「ありがとう」

 

 

 グラスを受け取った時に、目の前にいる店主に話しかけた。

 見た目はアジア系。恐らくはベトナム人だろう。

 

 

「ちょっと、聞きたいんだが」

 

「なんだ? カウンセリングならお断りだ」

 

「違う違う。あれを見てくれ」

 

「あれだぁ?」

 

 

 ポーカーで賭博をしている者たちだ。

 賭け金を机に放り出し、隠し立てすらしていない。

 

 

「あれがなんだ?」

 

 

 そして店主も一切、取り繕う気もない。

 

 

「あー……タイじゃ、カジノは全面禁止だとさ。アレは……マズいんじゃないのか?」

 

 

 マクレーンの質問に対し、店主は小馬鹿にしたように失笑した。

 

 

「見た事ねぇと思ったが、やっぱ新参者かよ」

 

「今日来たばっかだ」

 

「なら尚更だ。余計な詮索はやめとけ。この街じゃ、普通だ」

 

「上も娼館らしいが許諾は?」

 

「言ったそばから詮索かよオイ。てめぇマクロードかコロンボかぁ?」

 

 

 言い得て妙だと、マクレーンは薄ら笑いを浮かべる。

 

 

「この街でマジメぶるんならやめとけ。ヤク中(ジャンキー)より頭の弱い馬鹿だ。はっきり言ってみっともねぇ」

 

「警察は知ってんのか?」

 

「まだ言うか!」

 

 

 突如として、盛大に何かを倒す音が響く。

 さっきポーカーをしていた者たちの方からだ。

 イカサマでもしたであろう、一人の男を何度も何度もぶちのめしていた。

 

 

 罵声と囃し立てる声が店内に木霊する。

 

 

「………………」

 

「もう一度、はっきり言うぞ、みっともねぇ。あの連中よりオメェの方がな。この街じゃ普通なンだよ。誇張も謙遜もねぇ、普通、日常。そのまんまだっつの」

 

「てことは、警察には隠してんだな」

 

「隠してねぇよ。今度はハリー・キャラハンの真似かぁ?」

 

「だははは。さあ撃て、相手になるぜ(Go ahead, make my day)

 

「ポリス映画の見過ぎなんだよアホタレ。それ飲んだら金払って、とっとと出て行きやがれ」

 

 

 店主はそう吐き捨て、彼の前から立ち去った。

 琥珀色のウィスキーへ目を落とし、水面に映る自分の「みっともない顔」を眺めた。

 

 

「……ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカかっつの」

 

 

 マクレーンもそう吐き捨て、背後から聞こえる暴力の饗宴を聞きながらアイリッシュを流し込んだ。

 

 

 

 黙って酒を嗜もうとする時さえも、上手くいかない。

 隣に座った客が乱暴で、ガツッとマクレーンの肩に当たる。

 

 

「さぁー飲むぞー」

 

 

 ウィスキーを半分、溢してしまった。

 文句の一つ言ってやろうとした時、その人物は拳銃一丁をカウンターに置いて見せ付けて来た。

 

 モデルはマクレーンの所持する、ベレッタM92Fと同じだが、それよりも色々とカスタムされている。

 

 

「…………」

 

「ほらよ。拭かなきゃ清掃費もふんだくるぞ」

 

「……どおも」

 

 

 すかさず店主が布巾を投げつける。

 散々な目に遭わされ、苦笑いさえ浮かべる余裕も消えた。

 溢したウィスキーを拭き取りながら、ぶつかった人物を睨む。

 

 

 右肩いっぱいの刺青が印象的な、中国系の女だ。

 ホルスターを隠し立てもせず晒し、拳銃を見せびらかしているようだ。どう見ても堅気ではない。

 

 吸っていたタバコを灰皿に押し込み、店主から渡されたラム酒を注ぐ。

 

 

「…………」

 

「なんだ。文句がお有りなら表で話そうか?」

 

 

 女と目が合う。

 彼女がグラスに酒を注ぎ終わると同時に、マクレーンは呆れた顔で目を逸らした。

 

 

「……いや。もういい」

 

「哀れだから良い方法教えてやる。布巾をグラスの上で絞りゃ、溢した分が戻るぜ。ひひひ!」

 

「そりゃ良い事聞いた、ありがとよ。その酒ぶちまけて、俺のシャツで拭いて絞って飲ませてやろうか?」

 

「あ? なんつった?」

 

「聞こえなかったか? よく聞きてぇなら表行くか?」

 

 

 席を立ち上がり、表に行くまでもなく今にも殴りかかろうとする女を、後ろから来た男が止めた。

 無精髭を生やした、眼鏡をかけた白人の優男だ。

 

 

「やめなって『レヴィ』。クライアントが来るんだ、面倒ごとはマズい」

 

「『ベニー』、ダッチは?」

 

「向かいの売店でタバコ買ってるよ。他の客に絡んでるって知ったら、カンカンだろね」

 

「……クソが。席変えるぜ」

 

「いや構わねぇ。とっとと出るからよお」

 

 

 ベニーと呼ばれる男がマクレーンを宥めるように肩を叩いて、耳打ちする。

 

 

「あんた口は悪いけど堅気だね」

 

「よく分かったな」

 

「そんな雰囲気したからさ。彼女と喧嘩なんてするもんじゃないよ。女だが、そこらの男より断然強いし怖い。僕が止めてなかったら、頭にズドンといかれていただろうね」

 

「……ご忠告どうも」

 

 

 それだけ警告してから、少し離れた席に座る。

 レヴィと呼ばれた女に睨まれながら、せめてもの反抗で敢えてちびちび酒を飲んで挑発してやる。

 

 

 そうこうしている内に、マクレーンの隣にまた誰かが座る。

 ラフで汚れた格好をした連中が多い中で、その人物のワイシャツとネクタイ姿は浮いて見えた。

 

 

 

 

「どうしてこうなっちまったんだ……」

 

 

 

 

 アジア系の男だ。

 頭を抱え、何か悩みも抱えている様子だ。

 ベニーが注いだ酒を並々と飲み、鬱屈とした瞳で虚空を見つめる。

 

 

「いつまで辛気くせぇ顔してんだ日本人。酒ぐれぇ陽気に飲め」

 

 

 マクレーン越しに、レヴィが彼に茶々入れる。

 相手する気力もないのか、カウンターに突っ伏しながら彼女を見やるだけ。

 

 

 その時にマクレーンとも目が合う。

 日本人としてかビジネスマンとしての性分なのか、つい会釈してしまう。

 

 

「ど、どうも」

 

「おたく、日本人?」

 

 

 やっとまともに会話できる人間だと察知したマクレーンは、ついつい話しかける。

 

 

「はは、はい」

 

「仕事か?」

 

「え、えーと……まぁ、そう、なんですけど……」

 

「なんだ歯切れの悪い」

 

 

 彼はまた、マクレーンと向かい合った。

 

 その時に突然として、怪訝そうに眉を寄せる。

 

 

「……あれ? ん?」

 

「なんだ?」

 

 

 口元に手を置き、何かを思い出そうとしている。

 

 

「……その。他人の空似、かもしれないんですけど……あなた、どこかで見た事あって……」

 

「こないだやってた『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』って映画に似た俳優がいるって、仲間に言われたぜ」

 

「いやいやいや、そうじゃなくって……え、でも、テレビに出てませんでした?」

 

「…………いや? 俺がハリウッドスターに見えるか?」

 

 

 彼が真剣に思い出そうとしていたので、気になったレヴィもマクレーンの顔を眺め始めた。

 

 

「どしたどしたぁ? お気に入りのポルノに出てた男優だったかぁ?」

 

「クソ……」

 

「そ、そんなんじゃないっ!」

 

 

 睨むように見て来るレヴィに、マクレーンは嫌味を込めた表情で見つめ返す。

 最初はその表情に苛ついていたようだが、次第に日本人の男と同じような表情となる。

 

 

「……どうしたもんだ。あたしも見た事あるな」

 

「ひと昔前のロブ・ハルフォードって言いてぇのか?」

 

「全然似てねぇよ。どこで見覚えあんだ……?」

 

「……この日本のお客様の言葉を借りれば、他人の空似って奴だ。それかお前の言葉を借りれば、お気に入りのポルノの男優か?」

 

「口の減らねぇオヤジが。カウボーイ気取りか?」

 

「うぅ〜。イピカイエ〜」

 

 

 再度一触即発のムードになった二人を引き止めた者は、野太い声の男だ。

 

 

 

 

「なに突っかかってんだレヴィ。絡み酔いするタイプじゃなかっただろ」

 

 

 マクレーンが振り向くと、見覚えのある黒人が立っていた。

 向こうもマクレーンを覚えていたようで、互いに「あっ」と声をあげる。

 

 

「今朝のアメリカ流刑者さんか?」

 

「言いやがるぜ……おたくの仲間か?」

 

「まぁ、そうだ」

 

「やけに国際色豊かじゃねえか」

 

「良いだろ? 俺ぁグローバル人だ。そろそろマイクロソフトから内定が来そうだぜ。来年はビル・ゲイツと晩餐会か?」

 

 

 彼の登場により、レヴィはマクレーンに絡む事をやめた。

 黒人は彼女の後ろに移動し、お目付役を担う。相変わらず付けっ放しのゴーグルサングラス越しにマクレーンを見た。

 

 

「ダッチの知り合いかよ」

 

「知り合いってほどの仲じゃねぇよ」

 

「僕も見た事がないね。ようこそ、こんな街に」

 

「俺は本当にどっかで見たんだよなぁ……」

 

 

 メンバーが揃い、口々に話し始める。

 賑やかになって来たところでお暇しようと酒を飲み干したマクレーンに、黒人は渋い表情で話しかけた。

 

 

「あんたは相当、捻くれてんだなぁ」

 

「どう言うこった?」

 

「俺に聞いといて、自分からみすみす来ちまうなんてな」

 

「あ?」

 

「覚えてねぇのか? ロアナプラで一番危険な云々の話……ここがそうだよ」

 

 

 彼が忠告した「イエローフラッグ」と言うバーこそが、ここだった。

 驚きよりも、納得が先に出てしまう。

 

 

「……どおりで。全く、納得だぁ」

 

「おいおい『ダッチ』」

 

 

 店主が黒人……ダッチに突っかかる。

 

 

「勝手に俺の店を危険地帯にしてんじゃねぇ」

 

「俺は事実しか言わねぇぜ。それより、電話借りて良いか?」

 

「はぁ……あいよ。奥のを使いな」

 

 

 ダッチが電話をしに、店の奥に行く。

 その隙にマクレーンは金を出し、支払いを済ませた。とっとと退散したかった。

 

 

「それじゃあな、日本の人……あー、名前は?」

 

「自分ですか?『岡島 緑郎』です」

 

「OK。オカジマ、あのダッチってのにもよろしく言っといてくれ」

 

「いや……俺も友達って訳じゃないんですけど……」

 

 

 荷物を持って椅子から立ち、その場を後にしようとするマクレーン。

 大急ぎで緑郎が名前を聞く。

 

 

「あの……」

 

「あん?」

 

「あなたの、お名前を伺っても……」

 

「俺か? クリント・イーストウッドだ」

 

「またまた……」

 

 

 悪戯に成功した子どものような笑みを浮かべながら、ポケットからタバコを取り出して咥える。

 そしてライターを探しつつ、緑郎へ名前を言おうとした。

 

 

「ジョンだ。ジョン・マ──」

 

 

 

 

 電話を使っていたダッチが受話器を置き、急いで振り返った。

 その彼と目が合った瞬間、バーの入り口が勢い良く開かれる。

 

 

 

 

「イェアッ! 楽しく飲んでるかクソ共!?」

 

 

 

 

 威勢の良いダミ声と、大勢の足音。

 バーにいる何もかもの人間が、そちらの方を見ている。

 

 

 マクレーンもまた、タバコを咥えたまま振り返った。

 

 

 

「俺からの素敵なプレゼントだ!」

 

 

 

 迷彩柄の服に身を包んだ男たちが大挙していた。

 彼らの手には自動小銃が握られている。

 

 それよりも異色を放つのは真ん中の、リーダー格と思われる男。

 火の付いたタバコ咥えた口元をクッと吊り上げ、愉快そうに笑っていた。

 

 

 

「受け取れ!」

 

 

 

 その両手に、握られていた物は、ピンを抜いたばかりの、手榴弾。

 

 

 

 

 

「……あぁ、マジかよクソッタレ」

 

 

 

 

 悪態つこうが懇願しようがもう遅い。

 男は何の躊躇もなく、二つの手榴弾を大勢の客に向かって放り投げた。

 

 マクレーンもまた、その大勢の客の一人である事は言わずもがなだろう。

 

 

 

 

 

 

「アメリカの裏でもこうなのか……?」

 

 

 口からぽろりと、タバコが落ちる。

 

 

 同時にマクレーンは、店内にいるどの客よりも素早く、カウンターの方へ身を翻す。

 

 

 

 

 

 

 起爆はその、二秒後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聞いてくれよ、ワトサップ大佐」

 

 

 終業時間も目前。タバコをふかし、その時間まで暇潰しをする彼の元にセーンサックが訪れる。

 

 

「なんだ仕事か? ウチは日本と違って、残業禁止だぞ」

 

「俺も仕事はクソ喰らえですよ……そうじゃなくてだな、あのコップについてだ」

 

「マクレーン少尉か?」

 

「さっきバラライカの仲間からそいつの資料が来ましたぜ。なんだ、頼んでたのか?」

 

「首都警察のスパイかCIAかもしれんからな。こう見えて慎重派なんだ。例えるなら……」

 

「オープンシーズンの雌鹿っすか?」

 

「クソっ、今朝の仕返しかよ……それより、結果は?」

 

 

 受け取った資料を机に置いてから報告する。

 即座にワトサップは机に乗せていた足を下ろし、資料を読む。

 

 

「なんてこたぁねぇ、ニューヨーク市警本部のモンだ。しかもバツイチ。離婚なんてヘマ、諜報員は絶対にしねぇでしょ」

 

「停職も何度か食らっているな。飲酒運転、暴行、無許可発砲、度を超えた反発行為……こんなんで停職とは、地球の裏側は平和でいいねぇ」

 

「CIAとの関わり無し。イーサン・ハントともジェームズ・ボンドともお友達じゃないな」

 

「まぁ、ロアナプラ警察に相応しい不良刑事ってのは分かった。少し勘は良さそうだが、憂慮するほどでもねぇか」

 

 

 ワトサップが安心したように資料を手放した時、セーンサックは言い辛そうに話し出した。

 

 

「……と、言いたいんすけど」

 

「なんだ?」

 

「……大佐。俺らあの男の名前と顔を見て、どっかで覚えがある気がしたっすよね」

 

「あぁ。多分、アラン・ラッドかなんかと見違えたんだろ」

 

 

 セーンサックは頭を掻いてから、彼に次のページを読むように手で促した。

 再び資料を取り、促されるままに開く。

 

 

 思わず、かけていたサングラスを外してしまった。

 

 

「……思い出した。確か十年以上前ぐらいだ。南米の独裁者のシンパが起こした重犯罪って事で、こっちでも丸々が生放送されていた。旅客機に飛び乗っていた映像だ」

 

 

 ワトサップは信じられないと言わんばかりの目で、セーンサックを見やる。

 

 

「こいつがあの、『バル・ベルデの麻薬王』をやった?」

 

「……えぇ。あの、バル・ベルデの麻薬王をやった」

 

「………………」

 

「しかも軍隊付きを、ほぼ一人」

 

 

 灰皿に取り置きしていたタバコを再び咥え、頭部に手を置き考え込む。

 

 

「……一気に危険人物になったな」

 

 

 それから暫し、黙り込む二人。

 マクレーンに対する意識を警戒へと変えたようだ。

 

 

 

 

 

 時計の音のみが支配する署長室。

 そこに慌ただしく飛び込んで来た、一人の警官。

 

 

「ワトサップ大佐、通報です。デカい事件だそうで」

 

「なんだ? もう終業ってのに。クソッ……犯人皆殺しにしてやる」

 

「イエロー・フラッグに武装勢力の襲撃があったと」

 

「またあそこか……大方、どっかのギャングの抗争だろ。そんならマフィアどもに任せて、ほとぼり冷めた頃に行ったら良い」

 

「それが、あの……通報者がワトサップ大佐をお呼びでして……」

 

「なに? どこのどいつだ?」

 

 

 警官は、通報者の名前をおずおずと告げる。

 

 

 

 

 

 

「……ジョン・マクレーン少尉……」

 

 

 

 ワトサップとセーンサックは同時に目を丸くし、資料にあるマクレーンの顔写真へ視線を落とす。

 

 

 

「……あいつは悪魔かなんかを連れて歩いてんのか?」

 

 

 思わずセーンサックは、そう呟いた。




「Me and the Devil Blues」
1938年リリース。
「ロバート・リロイ・ジョンソン」の楽曲。

『20世紀少年』でご存知、「十字路で悪魔に魂を売った」の話で有名なシンガー。
その裏付けのように、彼は27歳で亡くなっている。

彼の楽曲はブルースだったが、類い稀なるギターの演奏技術は現在のロックに多大な影響を与えている。


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Me and the Devil Blues 2

 ドカン、

 

 の次は、

 

 ドドドドドッ。

 

 

 

 

 投げられた二つの手榴弾は天井付近で盛大に起爆し、客とテーブルと椅子と……店にある万象を吹き飛ばした。

 

 カウンターの方へ走ったマクレーンだが、爆風に巻き込まれてしまい、彼も酒瓶の陳列棚まで吹っ飛ぶ。

 そして陳列棚に背中から衝突し、瓶の破片と共に床に落ちる。

 

 

「うぐぉ……クソッ!!」

 

 

 割れた瓶から流れた酒を浴びる。

 ジンジンと痛む耳の奥だが、何とか聞き取れた声があった。

 

 

「野郎どもッ! パーティ・タイムだッ!! 逃げる奴にゃ尻の穴をも一つこさえてやれッ!!」

 

 

 宴は続く。

 今度は所持していた自動小銃の乱射が始まる。

 

 際限無く撃ち放たれる弾丸は、壁やテーブルや床を簡単に蜂の巣にして粉砕して行く。

 

 

 

 弾丸は酒瓶を割り、更に酒を浴びる。

 

 

「うあーッ!! この、クソッタレェーッ!! 危ねぇだろぉぉッ!!」

 

「おー。念願の酒じゃねぇか。浴びるほど飲めや」

 

 

 顔を上げるとレヴィがいた。敵の襲来を知るや否や、カウンター裏に飛び込んだのだろう。

 この状況なのに、涼しい顔でまだ酒を飲んでいる。

 

 

 彼女の隣には店主と緑郎。

 店主はカウンター下にでも隠していたであろう、散弾銃を持って怒りの形相だ。

 

 

「もう嫌だぁ!! もうたくさんだぁああ!!!!」

 

 

 一方の緑郎は耳を塞いで縮こまり、パニックに陥っている。

 

 

「喚くなバカ。しかしおっさん、カウンター裏に逃げたのは賢い」

 

「蹴った時、かなり厚いと分かってた! ここまで盾になるとは思わなかったがな! どーだ見直したかぁ!?」

 

 

 

 カウンターの板にも弾丸は食い込むが、貫通しない。

 

 

 マクレーンはあの状況で、カウンターの板がやけに厚く強固だった事を思い出していた。

 バーの客席用の薄い丸テーブルよりも、そこの方が爆風や銃弾から逃れられると判断したからだ。

 

 

「まぁ、パチンコ玉みてぇに吹っ飛んでたがね」

 

「結果オーライだろ!」

 

「こっちとしちゃ、露天の挽き肉みてぇーにグチャグチャになったおたくを酒の肴にしても良かったぜ」

 

「言ってろ、バカ女ッ!!」

 

 

 レヴィは自分がもたれている遮蔽物を小突く。

 

 

「この店、何度も襲撃とかされてんから、カウンターのココに鉛板入れて防弾仕様にしてんのよ」

 

 

 グラスに入ったラム酒を喉に流し込む彼女に、木屑を浴びながら応戦する店主が怒鳴りつける。

 

 

「なにテメェが得意げに説明してんだッ!? その『何度も襲撃された』ってのに、おめぇが原因なのは何度あんだボケェッ!?」

 

「これは知らねぇよ」

 

「知らねぇ訳ねぇだろがッ!? 出てけこの野郎ぉッ!!」

 

 

 カウンターを乗り越えてこちらを狙って来た敵に、店主は散弾銃「レミントン M870」をぶちかましてやった。

 

 

「あんた上手いな!」

 

「元南ベトナム兵だ、舐めんなッ!!」

 

「あー……なるほど。だから『イエロー・フラッグ』な訳ねぇ……」

 

 

 ベトナム戦争時、ソ連など東側諸国が援助した赤旗の「ベトナム民主共和国」に対し、西側が援助した「ベトナム共和国」側の国旗は黄色を基調とした物だった。

 

 余談だが、このベトナム戦争には米軍も派遣されていた。

 しかし世界各国の反戦運動やアポロ計画、オイルショック、ウォーターゲート事件などなどの要因もあって十四年後に撤退。

 その後、アメリカの援助を失ったベトナム共和国は、依然として東側の傘下にあるベトナム民主共和国に敗戦した。

 

 

 

「……てこたぁあんた、敗残兵?」

 

「今それ聞いてどうすんだアホタレッ!? てめぇ銃持ってんなら応戦しろぉッ!!」

 

「さぁーて、そろそろあたしもやるかね」

 

 

 酒を飲み干し、グラスを捨てて銃を構える。

 一挺ではない、二挺をそれぞれの手で持っていた。

 

 

「クソッ……ロアナプラ初日からツイてねぇよぉオイ……」

 

 

 降り注ぐガラス片で切ったひたいを押さえながら、マクレーンは片手間にホルスターからベレッタM92Fを抜く。

 銃声と硝煙が立ち込める店内で、マクレーンは突然叫んだ。

 

 

「おぉーーいッ!! 今なら許してやるから出て行きやがれ、極悪小隊(バッド・カンパニー)ッ!!」

 

 

 向こうからの応答はない。

 レヴィは薄ら笑いを浮かべて、マクレーンを見ていた。

 

 

「なに言ってんだおっさん?」

 

「いいんだなぁ!? 撤退しないんだなぁ!?」

 

「これで撤退したらアカデミー賞モンだな」

 

 

 応答はない。

 

 一人の敵兵が、殺した人間を踏み台にカウンターを乗り越えようとする。

 その後ろにはもう一人が付いて来ていた。

 

 店主は弾の装填の為、対応出来ない。

 

 一人がカウンター裏に隠れる者たちへ小銃を向けた。

 

 

 

 

 

 二発の銃声が響く。

 最初にカウンター上に立っていた方が膝から崩れ、床に落ちる。

 次に後ろにいたもう一人も、身体を仰け反らせて倒れ伏す。

 

 

 

 後には拳銃を構えた、マクレーンが立っていた。

 

 

 

「上等だ、ぶっ殺してやるッ!」

 

 

 

 合わせてレヴィも、口角吊り上げ拳銃を掲げた。

 

 

 

「OH YEAH!! 見直してやるぜおっさん!」

 

 

 

 彼女はカウンターから飛び出し、二挺拳銃で横から迫る敵兵を撃ち抜いた。

 

 

「あれでどうやって当ててんだ?」

 

 

 右手左手で軽々とベレッタを振り回し、的確に着弾させて行くレヴィを呆然と見ている。

 だがそんな暇はなかった。

 彼を掠めて、一発の銃弾が飛んで来る。

 

 

「うおぉあっぶねぇー!」

 

 

 一度カウンター裏に隠れてから移動し、射線から外れた箇所からまた撃ち込む。

 敵兵の胸部に三発。彼は身体を揺さぶり、崩れ落ちる。

 

 

「喧嘩売る奴ぁ選べ、こんちくしょぉおおッ!!」

 

 

 迫るもう一人を撃ち殺した時に、マガジンにあった分は撃ち尽くしてしまった。

 取り替えようと予備のマガジンを出した時、七人でフォーメーションを組んだ敵兵がマクレーン目掛けて照準を合わせる。

 

 

「うおおおヤバイヤバイヤバイヤバイ……!」

 

 

 身を屈め、頭を抱えながら、一斉射撃による鉛の雨から逃げる。

 

 その時に、倒した敵兵の自動小銃を拾い上げ、命からがら柱の裏に隠れる。

 

 

「『M16A1ライフル』……いいねぇ〜」

 

 

 射撃の合間を読み、マクレーンは柱からまた飛び出し、M16A1のトリガーを引き続ける。

 引いている間は弾が発射されっ放しの、フルオートマチック銃だ。

 

 

「さっきからドンパチしやがってッ!! 俺にもさせろぉーーッ!!」

 

 

 マクレーンは弾丸を敵兵に撃ち放ちながら、横に飛ぶ。

 巧みに自動小銃を扱う彼に対応出来なかったようで、五人が撃ち抜かれ息絶えた。

 

 

 そのままマクレーンは、足の折れた木製のソファの後ろに隠れる。

 

 

「どーだ参ったか! 生まれ変わって、赤ん坊からやり直せボケーッ!!」

 

「クソっ……!! 調子こきやがって……!」

 

 

 即座にマクレーンへの反撃を開始しようとした残りの二人。

 

 

 しかし、

 

 

 

 

「どぉーこ見てんだ、あたしも相手してくれよ」

 

 

 背後に迫っていたレヴィにそれぞれ、頭部を撃たれる。

 二人とも似た姿勢のまま、バタンと倒れ伏した。

 

 

「おーい、ダッチ!! いつまでやりゃ良いんだぁ? あたしはいくらでもOKだぜーッ!!」

 

「ケバブなら幾らでもイケるが、これはもう腹いっぱいだ」

 

 

 リボルバーを構えたダッチが、敵兵を撃ちつつ緑郎を引き摺りながら現れた。

 

 

「ベニーが車を取りに行った。ここから出るぞ!」

 

「他はどーすんだ!?」

 

「そうだな……」

 

 

 チラリと、前方を見る。

 小銃を構え、ひたすら撃ちまくるマクレーンの姿があった。

 

 

「……アレにデコイになってもらう? 裏から逃げるか」

 

「いいねぇ。名誉勲章モンだ」

 

「え? ええ!? ジョンさん見捨てるのかあんたたち!?」

 

 

 緑郎を銃声で黙らせ、三人はバーからの脱出を図る。

 

 

 

 残されたマクレーンは、どんどんと現れる敵兵らに囲まれ、厳しい状況へと追い込まれていた。

 

 

「そろそろマズいか……!?」

 

 

 とうとうライフルも弾切れだ。

 マクレーンは、ただの鉄とプラスチックの塊に成り下がったM16A1を放棄する。

 

 元から持っていたベレッタにマガジンを挿入し、射撃準備は整えておく。

 

 

「どっか……どっか、逃げ道は……あッ!!」

 

 

 振り返った時に、二階へ続く階段を見つけた。二階は娼館になっていたハズだ。

 出口付近が敵兵で大挙している。逃げるならもう、そこしかない。

 

 

「『後でね』って言わしちまったな! 今から行くぜベイビーッ!!」

 

 

 拳銃を乱射しながら後方に走る。

 

 ライフル、サブマシンガン、ピストル。数多の銃弾を躱しながら、息も絶え絶えに階段を駆け上がる。

 皺だらけのシャツは血や木屑や酒に汚れ、クリーニング屋もお手上げな状態だ。

 

 

「風俗なんていつぶりだ……!」

 

 

 二階に上がると、ホテルのように廊下を挟んで幾つもの部屋がある。

 下の騒ぎを恐れ、客や娼婦は逃げた後だろうか。

 

 

「落ち着け、ジョン! 別に高層ビルでも、爆弾積んだ貨物船の中でもないんだ……! 誰もいないって事は、裏口に出られる階段があるハズだ……! その気になりゃあ、たった二階の高さなんざ──」

 

 

 その出口を探そうと廊下を走った時に、背後にやって来た兵士が拳銃を撃つ。

 弾丸はマクレーンに当たらなかったが、このまま馬鹿正直に真っ直ぐ走るのは危険と思い知らされる。

 

 

「だぁーッ、クソぉッ!!」

 

 

 大慌てで、近くにあった部屋に飛び込んだ。

 即座にその部屋へ向かおうとする敵兵二人を、マクレーンは半身を出して迎撃してみせた。

 

 

 

「クソッタレーッ!! そもそもテメェら、なんなんだぁーーッ!!!!」

 

 

 

 魂の叫びに似た、彼の主張。

 だがその声が届く事はない。

 

 一人の敵兵が放った銃弾が、マクレーンの手に当たる。

 

 

「ぅうッ!?」

 

 

 直撃は免れたが、ベレッタに当たってしまった。

 その衝撃で、拳銃を手放す。

 

 

「うあぁあやっちまったよぉー!」

 

 

 マクレーンは迎撃を諦め、部屋の中に逃げ込んだ。

 

 それを見逃す、敵ではない。

 

 

「隠れやがった! 行くか!?」

 

「いや、俺が行ってくる! あの間抜け声聞いたか!? 奴は丸腰だ!」

 

 

 銃をしまい、コンバットナイフを抜き取る。

 

 

「仲間がやられた。臓器を一つ一つ抉り抜いて、捧げてやるぜ。へへへへへ!!」

 

 

 下衆な笑い声を上げ、男はナイフを片手にマクレーンが逃げた部屋の前に立つ。

 

 

 壁に耳を当て、気配を探る。

 相手はもはや、何も待っていない。銃もナイフもあるこちらに、一縷の心配は必要ない。

 

 

 

 

 

 

「だから言ったんだ。出来損ない小隊(バッド・カンパニー)ってな」

 

 

 

 壁越しの、マクレーンの声。

 瞬間、その壁を抜けて放たれた二つの銃弾が、彼の胸と腹に直撃。

 

 

「なにッ!?」

 

 

 丸腰かと思っていたのに、彼はまだ銃を持っていたのか。

 倒れた仲間をカバーしに向かった時、部屋から飛び出したマクレーンが銃を撃つ。

 

 

「うぉああぁッ!?!?」

 

 

 彼は突っ込み過ぎた。

 引き金を引く暇もないほどの近距離で、二発の銃弾を首と頭部に受けた。

 

 

 

 

 マクレーンが握っていたもう一つの拳銃とは、「S&W M60」。

 

 

 

 

「友好の証だ、参ったか!」

 

 

 マクレーンはすぐ立ち上がり、ベレッタを回収した。

 スライドの確認などをしてみたが、問題はないようだ。

 

 

「……よし! さっさと逃げて、応援を……!」

 

 

 次の敵兵が来る前に退散しようとした時、別の部屋から飛び出した人影にぶつかった。

 

 

「おとととと!?」

 

「あ、あなた、下で見た……!」

 

 

 出て来たのは、半裸の女性。

 マクレーンをバーで誘った、あの娼婦だ。

 

 

「何やってんだ!? みんな逃げたんだろ、早く逃げろッ!!」

 

「えぇ、そうしたかったわ! でもこの──」

 

 

 

 

 同じ部屋から、全裸の男が出て来た。

 

 

「なぁ〜ベイビ〜、最期の時を俺と過ごそ──おうっ!?」

 

 

 娼婦は男の股座を蹴り上げ、沈黙させる。

 

 

「──この、イカれ短小ポンチの遅漏ジャンキーのせいで逃げ遅れたのよッ!!」

 

「…………そいつはぁ……めちゃくちゃ大変だったなぁ……」

 

 

 ともあれ、これで逃げられる。

 マクレーンは彼女に二階から逃げられる出口を聞き出そうとした。

 

 

「下は武装勢力でたくさんだ。ここから出る場所は!?」

 

「この奥に裏口があって、そこの螺旋階段から降りられるけど」

 

「分かった、ありがとう! さぁ、逃げるんだ!!」

 

「でも待って、そこから出られない!!」

 

 

 早とちりするマクレーンを抑え、彼女は伝える。

 

 

「出られない?」

 

「さっき、この部屋の窓から裏口が見えたの! 逃げたダッチたちを追って、奴らが大挙してるわ!」

 

「……なに?」

 

 

 即座に、妙案を思い付く。

 マクレーンは倒れた男を踏み越えて部屋に入り、中にあったエロ本の一ページを破り、抜き取った。

 

 

「ちょ、ちょっと、何するつもり!?」

 

 

 彼女に向けて、マクレーンはニヤリと悪い笑みを浮かべる。

 

 

 

 

「バーベキュー好きか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は少し戻る。

 マクレーンが二階で激戦を繰り広げている内の頃だ。

 彼が派手に暴れてくれたお陰で殆どの者が階段の方に行き、ダッチたちへの敵は少数で済んだ。

 そのままこっそり、裏口に出る。

 

 

 裏口には車が一台、停まっていた。

 

 

「ほら、乗って!!」

 

 

 ベニーが車窓から顔を出し、三人に乗車を促す。

 

 

「死にたくなきゃさっさと乗れ!」

 

「うわぁ!?」

 

 

 モタモタとする緑郎の尻をレヴィが蹴り上げ、後部座席に押し込む。

 助手席にダッチが乗り込み、ベニーは急いでアクセルを踏み込んだ。

 

 

 

 

「裏だッ!! 日本人は裏にいるぞぉおッ!!」

 

 

 彼らに気付いた敵兵が、大声で仲間を呼ぶ。

 車の発車と同時に、彼らは一斉に発砲した。

 

 

「こりゃマズい。レヴィ!! 裏にグレネードあるよな?」

 

「裏口ごと吹っ飛ばすのか? バオの奴、ブチギレだろなぁ」

 

 

 銃弾が飛び交う中、必死に走らせる。

 窓を開け、後方を見やると、兵士が大勢大挙していた。

 追跡用の車の準備もしている。

 

 

 

 

 

 このピンを抜いて、丸ごと吹き飛ばしてやる。

 

 

「……あ?」

 

 

 そうしようと手榴弾を手に取った時、ある人物が視界に入った。

 

 

 

 

 

 

 その人物の手には、ある物が握られている。

 

 酒瓶だが、その瓶の口には、千切り取って捻った紙が突っ込まれていた。

 

 徐に、持っていたライターで、紙の先端に火を灯す。

 

 

 その人物が立っていたのは、軍隊たちの真上、二階の裏口だ。

 

 

 

 

 

 

「……マジかよおっさん。バックドラフトの見過ぎだろ……」

 

 

 

 

 

 

 マクレーンは下界を見下ろし、こっちに気付かずに小銃を撃つ敵兵らを嘲笑う。

 

 彼の持っている酒瓶のラベルには、こう記されている。

 

 

『SPIRYTUS 96%』

 

 

 マクレーンは、彼らに向かって叫んだ。

 

 

「よお、喉渇いてねぇかぁ!?」

 

 

 銃声や集中状態で、気付ける者は一人だけ。

 唯一気付けた男は、しっかりとマクレーンの姿を見れた。

 

 

 それが最後の光景とも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

これでも食らえ(イピカイエー)MOTHER FUCKER(クソッタレ)ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 スピリタスの詰まった酒瓶を、その男に向かって投げ付けた。

 

 

 瓶は一回、二回と回転し、真っ直ぐ、真っ直ぐと、落ちて行く。

 

 

 紙に着けられた火が、赤々と揺蕩っている。

 

 

 

 そしてそのまま、呆気に取られていた男の顔面に直撃した。

 

 

 

 

 

 

 一瞬だった。

 

 

 破裂し、飛び散ったスピリタスに、紙の火が伝播する。

 

 

 まるでボルケーノのように火柱が上がり、そのまま小隊を包み込んだ。

 

 

 火はアスファルトにも残り、タイヤを焼き溶かす。車も走行不能にしてやった。

 

 

 

 マクレーンの眼下では業火に包まれる「バッド・カンパニー」の、阿鼻叫喚の惨状が広がっていた。

 

 

 

 

 

「十一年ぶり二度目か。焼き過ぎたな。俺はレア派なんだよぉ〜」

 

 

 

 ぽつりと呟くと、彼は再び、建物の中に消える。

 階下で響く、悲鳴と炎のはためきを聞きながら。



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Me and the Devil Blues 3

 暫くして、辺りから銃声や喧騒が消えた頃。

 今も燻り続ける、アルコールと火と、焼け爛れた臭いが充満する中に立つ男に部下が報告する。

 

 

「……大尉、被害は甚大です。死者だけでも、全チーム中半数以上です」

 

 

 男はあの時、手榴弾を二つ投げつけ、地獄の切符を切った者だ。

 武装勢力のリーダー格でもある。

 

 

「……これをやったのはあの海賊どもか?」

 

 

 まさに焦土と呼ぶに相応しい光景が広がっている。

 もはや身体が炭化している者や、全身火傷によって身体中から血を流し絶命している者。焼け跡にはおぞましい死体が並んでいる。

 

 

「いえ。車の中にいて火から逃れられた者から聞きましたが」

 

 

 部下は否定し、この惨状を作り出した悪魔の存在を報告する。

 煙と腐臭の中に立っており、少し息苦しそうだ。

 

 

「……店の客と思われていた、四十代の男でした。ここでディスクの受け渡しが行われると言う情報でしたから、敵側の用心棒かと」

 

「用心棒だと?」

 

「ここまでする人間なんて、相当イカれてるとしか思えない。マフィアの人間ですよ」

 

「そいつはどこに消えたか分かるか?」

 

「火炎瓶で……それもスピリタスで作ったとびきりの奴で火事を起こし、隊がパニックに陥っているさなかに逃げられました。店主も同様です」

 

 

 男はずっとかけていたサングラスを外す。

 左頬にある、蛇がうねるように出来た縫い痕が目立つ男だ。

 

 

「……海賊の奴らもそうだが、こいつらは殺し慣れている。まともな殺し合いが出来る連中だ」

 

 

 ニタリと笑う。

 開かれた目には獣性が宿っている。

 

 

「今までの奴らは張りがなかった……こいつみてぇにな」

 

 

 裏口の螺旋階段からこっそり逃げようとする、全裸の男を射殺した。

 

 

「今回の連中は張りがある……これから海賊どもを始末しに行くが、ちょびっと残念だな」

 

「残念……?」

 

「あぁ。その正体不明のオヤジと、本気でやり合いたかったもんだぜ」

 

 

 拳銃をしまい、歯を閉めてクククと笑う。

 

 

「また撃ち合えるのなら、最高だがなぁ」

 

 

 

 

 

 だがこの男が、その「正体不明のオヤジ」と邂逅をする事は二度となかった。

 

 

 彼は後に「ネクタイを締めた海賊」と呼ばれる男のイカれた策略によって、「戦闘ヘリ」で飛んだまま「魚雷」で撃墜されたのだから。

 

 

 木っ端微塵になり、南シナ海に散った彼が、オヤジの正体を知る事は永遠になくなってしまった訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、その正体不明のオヤジことジョン・マクレーンは、ボロボロの姿を晒したまま店主、娼婦と並んで歩いていた。

 

 

「クソォ!! また改修工事だクソッタレッ!! レヴィの奴、弁償しなかったらフォアグラみてぇにスピリタス詰めて火ぃつけてやるッ!!」

 

「火をつける前に死んじゃうわよ、バオさん」

 

 

 店主の名前はバオと言うらしい。

 

 

「とにかく、公衆電話さえあれば助かる! あいつらは見境がねぇ、また追って来る可能性もある!」

 

「構うもんか。全身ぶっ殺して、保険料ふんだくって修繕費に充ててやる……あ、そいや『フローラ』は大丈夫か?」

 

「オーナーは運良くお休みでしたよ……あ。そう言えばあのジャンキー放ったらかしだけど……まぁいっか」

 

 

 バオの案内で、店から離れた箇所にある公衆電話に辿り着いた。

 すぐにマクレーンは金を入れて、ある番号にかける。

 

 

『こちら、ロアナプラ警察署。事故ですか、事件ですか』

 

「ジョン・マクレーンだ! 警部補……じゃなくて、警察少尉の!」

 

 

 彼のその言葉に、勿論だがバオも娼婦も驚く。

 

 

「あんた警官(ポリス)だったのかぁ!? 道理で撃ち方がしっかりしていると思えば……」

 

「でも、なんで白人のあなたがタイ警察の称号持っているのよ?」

 

「質問は後にしろぉ!!……あぁ、すまない。個人番号は……あ、そうか。タイの警察手帳には番号ないのか」

 

 

 マクレーンはイエロー・フラッグでの襲撃事件と、自身も攻撃された事を伝える。

 

 

「ワトサップ署長を現場に呼んでくれ! テロの可能性もある!」

 

『しかし、もう終業時間で……』

 

「終業時間だぁ!? テロの可能性もあるっつってんだッ!! 現場で署長が来てなかったら、職務怠慢でてめぇを首都警察に吊り上げるぞぉ!!」

 

『わ、分かりました』

 

 

 電話口の警官は了承し、ブツッと音が鳴って通話が終わる。

 受話器を定位置に戻し、マクレーンはバオと娼婦の方へ向き直って説明した。

 

 

「海外視察だ。バンコクとニューヨークの友好交流だとかで、俺がタイ中の警察署を見て回る事になってんだ。その間、俺はタイ警察に身を置くから、ここの称号を貰ってる訳」

 

「オーライ、理解したわ。あなたも散々ね」

 

 

 少しだけ同情する女に対し、バオは鼻で笑うだけ。

 

 

「ヘッ。アメリカ様のコップ(おまわり)が従属国家の見回りかよ。ご苦労なこった」

 

「バオさんったら……」

 

 

 嫌味を言う彼に対し、マクレーンは苦笑いを浮かべて言い返す。

 

 

「助けてやったんだ、仏教徒みてぇに口を慎みやがれ」

 

「俺ぁ仏教徒じゃねぇよ。キリストでもイスラムでもねぇ。どー見たらそう思んだ」

 

「誰もテメェが仏教徒だなんて決めてねぇだろ。みてぇにっつったんだ。英語話せて直喩分かんねぇのか? もっと分かりやすい表現にしてやろうか? ザ・ドライバーみてぇに黙ってろ」

 

「おめぇ、酒飲んでた時と性格違うな? 躁鬱ってやつか、ノーマン・ベイツと同じやつじゃねぇのかぁ? 一般市民にそんな口利いていいのかよ。頭の病院すすめるぜ、アホタレ」

 

「ははは! 自分で一般市民だと思ってんのか? 法律知らねぇ能天気バーテンさんに教えてやるが、違法カジノの黙認はタイでも罪だ。おたくのバーが壊れて良かったなぁ。警察署に報告すりゃ営業停止で、サラ地決定だバカヤロー」

 

「二人ともちょっと、落ち着いて!」

 

 

 道の真ん中で罵り合いの怒鳴り合いを始める、マクレーンとバオ。

 娼婦は何とか宥めようとするが、二人はヒートアップしてしまい口が止まらない。

 

 

 そんな折に、バオがとうとう話してしまう。

 

 

「警察がそんなに偉いのかぁ!? この街じゃ警察なんざ、居て居ねぇもんだッ!! 暴行、賄賂、怠慢の汚職ストライクでターキーだぜ!!」

 

 

 彼のその言葉を聞き、マクレーンの饒舌な口はやっと止まった。

 

 

「なに?」

 

「おかしいと思わねぇのかぁ? どいつもこいつも銃を持って撃って、堂々と裏カジノしてラリった奴が娼館に来る。取り締まってるわきゃねぇだろ!」

 

「……は?」

 

「そんなに視察してぇなら署の奥を見やがれってんだ! すーぐ証拠見つかるぜ!」

 

「………………」

 

「まぁ、この街に警察はいらねぇよ。なんてったって、ホテル・モスクワが──」

 

 

 バオが言い切る前に、マクレーンは怒りに顔を歪め、叫んだ。

 

 

 

 

「……あの、クソタヌキめッ!!」

 

 

 途端、彼はいきなり走り出し、道路の真ん中に立つ。

 

 

「ちょ、ちょっとあなた!?」

 

 

 娼婦が引き止める声も無視だ。

 やって来た車を無理やり停車させ、警察手帳を見せながらドライバーを引き摺り出す。

 

 警察だ、緊急事態だ、後で返すだの言ってはいるが、その光景は完全に自動車強盗。

 

 

 バオと女は呆れた顔で言った。

 

 

「……ありゃ、ニューヨークじゃハミ出し者だったな。間違いねぇ」

 

「……色んな意味でこの街に合ってると思うわ」

 

 

 車を掻っ払って行ったマクレーンを、運転手だった男は中指立ててひたすら罵っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現場に出て行ったワトサップらがロアナプラ署に戻ったのは、それから三十分後。

 パトカーが署の前に停まった時、見慣れない車が乱暴に駐車させられている様を見て取れた。

 

 

「……クソッ。俺を呼んでおいて、自分はお宝探し(トレジャーハント)に洒落込むとはな。インディ・ジョーンズのつもりか? 笑えねぇクソ野郎だ」

 

「証拠を取られたらどうします?」

 

「言った通りの奴をすれば良いだけだろ。奴を見逃しゃ、こちとら一家心中だ」

 

「そいつは愉快っすね。逃してみましょうか」

 

「馬鹿言ってねぇで、さっさと行くぞ」

 

 

 ワトサップに続き、セーンサックや他の警官がホルスターの拳銃に手をかけながら、一斉に署に向かう。

 扉を叩きつけてやるように開き、大勢の足音を響かせてエントランスに踏み入る。

 

 

 マクレーンを探すべく警官を散らすつもりだったが、その手間は省けた。

 彼の方からワトサップらの前に現れたからだ。ひたいから血を流し、汚れとシワだらけのシャツ姿で。

 

 

「……ひでぇ格好だな。ベトナム帰りか?」

 

「あぁベトナム帰りとも、このゲスどもが」

 

 

 マクレーンは印刷した資料を見せつけ、近くにあった椅子の上に叩きつける。

 拘留記録の印刷だ。

 

 

「見ろ。米国で指名手配中の大物フィクサーだ。余裕でデータベースに出て来る。そいつがこのロアナプラ警察署に拘留されてたってのに、勝手に釈放だとぉ? てめぇ、タイとアメリカは犯罪人引渡し条約を結んでいる事知らねぇのか?」

 

 

 ワトサップは何も言わず、バツが悪そうに口角をキュと結んだ。

 

 

「それだけじゃねぇ! 会計部署調べたら、不自然なほど資料が少ないんだ! 明らかに汚職を隠蔽してんだろ!!」

 

「待て待て。そいつぁ、あんたの言い掛かりだろ」

 

 

 セーンサックが横槍を入れる。

 

 

「確かにさっき言ったのは、こっちの職務怠慢だ。んだが、だからってウチ全体の汚職に繋がるのは早計過ぎるっての。シャーロック・ホームズでももうちょい時間かけて捜査するぜ? 捜査時間はたった三十分だろ?」

 

「たった三十分で確信出来るほど、この署は臭いまくってんだよ。証人もいる」

 

「……なに? 証人?」

 

 

 マクレーンが背後に目配せする。

 奥の部屋から現れた者は、一人の警官だった。両手を挙げ、降伏を示している。

 

 それの意味する事を理解し、セーンサックも目を瞑って苛つきを見せつけた。

 

 

「この巡査さんが教えてくれたよぉ」

 

「すみません、大佐、中尉……銃を持っていたので、仕方なく……アレを……」

 

 

 警官が持って来た資料を受け取り、マクレーンはしてやったり顔を浮かべる。

 

 

「ロアナプラ警察署口座の取引履歴だよ。この署は補助金の他に、毎月ウン十万ドルの助成金を貰えんのかぁ? 良い『封筒』じゃねぇか」

 

 

 その資料を、ワトサップに投げ付けた。

 彼は身動ぎ一つしない。サングラス越しに、マクレーンを睨むだけ。

 

 

「拘留者へのリンチもあったって聞いたぜ。おいおい、どんどん叩けば埃が出てくるぞぉ? これを全部バンコクに持って行きゃどうなるか?」

 

「……マクレーン少尉。一つ、取り引きしないか?」

 

「やなこった! 警察が取り締まらねぇからこの街は最悪って言われんだ! 今日みてぇな戦争が堂々と始まるようじゃ、命がいくつあっても足りねぇよ」

 

「まぁ待て、聞け。考えてみな。あんたは結局、他国の刑事だ。ここを出て行って二度と来なけりゃ、その戦争に巻き込まれるこたぁねぇ。俺らも職を失わない、あんたはこの街を忘れる。このまんまじゃ、誰も得しねぇぜ」

 

「いいや、バンコクには報告する。マフィアと繋がってんのが気に食わねぇ」

 

 

 ワトサップはとうとう、溜め息を吐いた。

 

 

「俺には家族がいるんだ」

 

「離婚すりゃいいだろ」

 

「簡単に言うんじゃねぇ」

 

「うるせぇ。自分の弁解に家族使う奴ほど信用ならねぇ」

 

 

 二人の鋭い視線が交差した。

 

 

「どうしても聞かねぇんだな」

 

「どうしても聞いてやらねぇ」

 

「……そうかよ」

 

「俺を処理するつもりならやめとけ。特別VIPの俺が事故死だの行方不明だのになりゃ、結局バンコク警察はロアナプラに来るぜ」

 

「いや。そんな手間は必要ねぇよ」

 

 

 

 

 

 配下の警官隊が一斉に、マクレーンへ銃を向け、包囲する。

 準備もなしにこの相手は無理だ。

 

 

「なんだなんだ、なにすんだてめぇ!?」

 

「ジョン・マクレーン警察少尉。こっちも聞き込みで面白い事が分かってなぁ」

 

「は?」

 

「麻薬の所持と使用が疑われてんだよ。だからな、てめぇを逮捕する」

 

「……なんだとぉ!?」

 

 

 彼を包囲した警官隊が、マクレーンを寄ってたかって取り押さえる。

 暴れる彼だが、既に疲れ切った身体と多勢を相手に成すすべはない。

 

 

「俺がラリってんように見えんのかぁ!?」

 

「見えるね」

 

「チクショーッ!! てめぇら汚ねえぞッ!! 俺をここに留めとくつもりだなぁ!? 言っておくが、んなのはその場凌ぎだッ!!」

 

「後は考えとくよ。視察に来たんだろ? ウチの牢屋をたんまりと視りゃいい」

 

 

 マクレーンは警官隊に連行され、罵声と暴言を吐きながら留置室の方へ消えた。

 後に残ったワトサップとセーンサックは、同時に溜め息を吐く。

 

 

「あいつが牢屋にいる間に、手筈を整えておけ」

 

「バラライカらに頼むんすか?」

 

「ウチにバンコクからの調査団が来る方が面倒だろって言っとけ」

 

「クソッ……最悪な日だぜ」

 

 

 そう言ってセーンサックは電話を探して去って行った。

 

 一人ワトサップはサングラスを取り、ぼやく。

 

 

 

 

「……ツイてねぇ男だぜ。この街は仕上がってんだよ」

 

 

 不敵に笑い、彼は署長室へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暁天を背景に、四人組が並ぶ。

 全員、痣と血などでボロボロ。

 

 

 壮年の男が、車内にその一人を促す。

 しかしその一人は、締めていたネクタイを解いて宣言した。

 

 

「俺はね、もう死んでるんですよ。あんたがそう言った」

 

 

 その目には確固たる意志が宿っている。

 

 

「……俺の名は『ロック』だ」

 

 

 立っていた青年は、岡島緑郎だった。

 彼にそう言われ、男は従者を連れて車内に消える。何を言うのも疲れているようだ。

 無理もない。会社の命運を賭けた戦いに負けたのだから。

 

 

 

 車が走り去る。

 見送る緑郎……こと、ロックの傍に、別の車が停車した。

 

 助手席の窓が開き、中にいた女性が彼へ労いの言葉をかける。

 

 

 その女性は、右顔面にある火傷痕が特徴的だ。

 

 

 

日本人(ヤポンスキ)にしとくのは勿体無いほどのタフガイだわ、あなた」

 

「……ありがとうございます」

 

「困った事があったら、いつでもウチにいらっしゃいな」

 

 

 それだけ言い残し、去って行こうとした。

 

 

 

 だが何かを思い出したのか、「あぁそうだ」と言ってロックらに向き直る。

 

 

「ねぇ、あなたたち。アメリカ人(アメリカーニェツ)の男、見てない? 四十くらいの」

 

 

 彼女の質問に、ロックの後ろに並び立つ三人は互いに顔を見合わせる。レヴィ、ベニー、ダッチだ。

 ダッチが思い立ったように聞いた。

 

 

「あの、ジョンとか言ってた男か?」

 

「あの頭トンでたおっさん? あいつはヤベーよ。ヘルナイトの殺人鬼ぐらいヤバイ」

 

「一体何をしでかしたんだか……」

 

 

 ダッチが挙げた名前を聞き、彼女は「そうそう」と頷く。

 ジョンの事だと知り、ロックから質問した。

 

 

「あの人がどうかしたんですか?」

 

「どうかした、って言ったらそうなんだけどね……あぁ、そうだ。私、そのジョンって人の活躍を見た事ないから聞きたいんだけど」

 

「え?」

 

「日本とアメリカじゃ、結構有名らしいじゃないの。あなたたち、知らない?」

 

 

 今度はロックを交えて顔を見合わせる四人だが、その内にベニーが最初に「あっ!!」と合点がいった声をあげる。

 

 

「実は僕も、どっかで見た事あるって思ってたんだ!! 子どもの時アメリカで、何回もクリスマスの特番で見たよ!!」

 

「クリスマスに特番だぁ?…………待て。待て待て待て……あの、空港の奴か?」

 

「空港の奴だと?……オーマイ。あの伝説の刑事とやらか?」

 

 

 彼らの話を聞いている内に、ロックにも古い記憶が蘇った。

 もしかして、と思い、彼女にジョンの苗字を伺う。

 

 

「……あの……その、ジョンって人の本名は……?」

 

 

 フルネームを聞き、確信に至った。

 

 

「マクレーンよ。ジョン・マクレーン。あいにく、私は昨日に初めて知ったけど。なんかの英雄っても言われてたのよね」

 

 

 

 

 見覚えに、合点が行く。

 クリスマスに何回も、「日本の企業を救ったアメリカ人」と言うタイトルで、当時の生中継映像と共に紹介されていた人物。

 

 

 

「……な、な、『ナカトミビル』の英雄……?」

 

「そうそう。やっぱりナカトミって日本人名だったわ」

 

 

 彼女は優しい微笑み、されど目の奥に愉悦を煮えさせながら告げる。

 

 

 

 

「彼ちょっと、踏んじゃ行けない所を踏んじゃったのよ……天使さえ忌み嫌う場所に、堂々とね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

またまた戦場に踏み込んでしまった、あの男!!

世界一運の悪い男が、世界一最悪な街で暴れ回る!

 

      ダイ・ハード 3.5

 

NOW SHOWING!!!!   NOW SHOWING!!!!




先日は日間一位と相成りました

反響故に感想がお盆シーズンの帰省ラッシュみたいにえげつない量でして、さすがに返信しきれません

自分が気になった方のみ返信する形となりますが、皆様の感想は全て読み、同時に励みともさせていただいております

この場を借りて、お礼申し上げます。本当にありがとうございました

また次回もよろしくお願いいたします
だからよぉ、メリークリスマス(?)


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Cortez the Killer 1

 一週間後、夜の街。マクレーンは公衆電話に噛り付いていた。

 何日も剃っていないのか髭は伸び放題で、シャツは相変わらずヨレヨレだ。

 絹製の汚れた上着を肩にかけ、番号を押して受話器を耳に当てる。

 

 

「コレクトコールで……アメリカに」

 

『お電話番号をお願いします』

 

「ニューヨークの……」

 

 

 電話口のオペレーターに情報を伝え、少し待たされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃のニューヨーク市警、重犯罪捜査課。

 現在二十時であるタイだが、こちらは朝の十一時だ。

 アメリカとタイでは、十五時間の時差がある。

 

 

 かかって来た電話に、担当者の女性が応対。

 内容を聞いた後、事務所でコーヒーを飲む男に問いかけた。

 

 

「警部にコレクトコールです。お繋ぎしましょうか?」

 

「なに? コレクトコール?」

 

 

 整った髪と、綺麗に切り揃えられた髭が印象的な男が、胡散臭そうな電話に訝しむ。

 

 

「どこだ? 誰からだ?」

 

「タイからです」

 

「タイ?……あぁ、まさか」

 

「そのまさか。ジョン・マクレーン警部補です……あぁ。今はジョン・マクレーン、警察少尉でしたっけ?」

 

「何かあったのか? 回してくれ」

 

 

 彼の個室にある電話へ回される。

 男は受話器を取り、オペレータに通話の許可を入れ、マクレーンの電話と繋いでもらった。

 

 

「マクレーンか?」

 

「『コッブ警部』!! 良かった、繋がった……!」

 

 

 間違いなく相手の声だと、お互いが認識しあった。

 彼、「アーサー・ウォルター・コッブ」はマクレーンの上司に当たる人物だ。

 

 

「一体どうしたんだ? ウチの経費で電話をしているんだ。ホームシックになっただのつまらん内容だったら、帰って来た時に通話料を払わせるからな」

 

 

 この時の彼は、何事かと心配しながらも大事とは思っていなかった。コーヒーを啜りながら話を聞く。

 一方のマクレーンは電話ボックスに寄りかかりながら、辺りを警戒しつつ話を続けた。

 

 

「警部、ピンチなんだ……」

 

「なにが?」

 

「俺ぁ今、ロアナプラって所にいる。そこの汚職警官どもに、濡れ衣を着せられちまった……」

 

「……なんだって!?」

 

 

 思わずコーヒーをカップごと落としかけた。

 

 

「一体、どう言う経緯でそうなったんだ!?」

 

「俺がその警察署の汚職を……クソッ。奴らの前で、間抜けにも堂々と晒しちまったんだよ……んで麻薬常習犯とかで三日ほど、勾留されてた」

 

「まさか本当にしてないだろうな?」

 

「する訳あるかッ!! だがあいつら、色々と細工しやがって……! 尿検査や荷物も偽装された! 俺ぁこの国じゃ、ジャンキー扱いだッ!」

 

「分かった分かった、私は信じよう。だが不当な逮捕を受けたなら、こっちに電話するよりも大使館に相談するんだ。担当者がきっと、力になってくれる」

 

 

 マクレーンを苛立たしげに頭を掻いた。

 荒い息遣いから、彼が静かに怒っているとコッブは察する。

 

 

「まさか警部は、俺がいの一番にニューヨーク市警へ泣き付いたって思っておいでで? 留置所出た瞬間に大使館にも、バンコクの警察本部にもかけたに決まってんだろ!」

 

「なに? 向こうはなんと?」

 

「警察本部は全く相手にしやがらねぇ! ロアナプラ署の奴らが、既に俺の事を麻薬常習犯って事で報告しやがったッ!! 大使館も同様だッ!!」

 

「そうだとしても、君は来賓だ。バンコク側がこっちに連絡するハズ。それに麻薬常習犯として報告されたとしても、大使館は多少は動くだろう。双方からの使いは来ないのか!?」

 

「留置所を出てすぐにかけたが、もう四日目だ……下宿先の電話番号を教えといたのに、一向に反応がない……!」

 

 

 コッブは訳が分からず、一旦整理しようとひたいに手を置いて考えを巡らせた。

 その間、眉間を押さえて冷静になろうと努めていたマクレーンが、先に憶測を伝える。

 

 

「……きっと、バンコク本部の方もニューヨークとの友好関係に敏感なんだ……事を荒立てないよう、滞在期限いっぱいまで秘匿するつもりだ」

 

「じゃあ、大使館の方は? タイ警察が大使館に介入は出来んだろ」

 

「…………警部。聞いて欲しい事があんだ」

 

 

 真剣な口調の彼に対し、コッブも親身になっていた。

 個室に報告で入って来た刑事を追い出し、声を聞き漏らさないように注意する。

 

 

「……ロアナプラって街はご存知で?」

 

「いや、初耳だ」

 

「アメリカで言う所の、ニューアークみてぇな場所だ……いや、そこよりひでぇ」

 

 

 ニューアークとは、ニュージャージー州にある街だ。

 移民系の貧困層が多く住んでおり、ギャングの存在もあるなどスラム街化していた。

 一九九六年には「全米で最も危険な都市」として紹介された事もある。

 

 現在でも車両盗難率は全米ワーストだ。

 

 

 コッブはそこよりも酷いと聞き、少しだけ想像が出来た。

 

 

「ニューアークより酷い?」

 

「下手すりゃ、全米のスラム街全てと比較しても全然だ。警察が全く機能してねぇ。毎日毎日、あっちこっちで犯罪だらけだッ!! 一昨日もホテルで爆破騒ぎだぞ!? マーシャル・ローの真似でもしてんのかッ!?」

 

 

 どこからか、銃声が鳴った。

 それはコッブの受話器からも十分に聞こえ、二人は同時に溜め息を吐く。

 

 

「つまり……警察を黙らせ、その街を治めている連中がいるんだな?」

 

「あぁ、ご明察っ!! ここだけゴッド・ファーザーの世界だクソッタレッ!!」

 

「どのマフィアだ? 国際的に有名か?」

 

 

 マクレーンはコッブに電話をするまで、何もしていない訳ではなかった。

 街について調査をし、メモに纏めている。

 腐っても彼は、刑事だった。

 

 

「聞いて驚くな? 俺は最初、笑ったからな」

 

「こっちも移民街のマフィアどもと戦ってる。今更驚かんよ」

 

「まずはイタリアン(コーサ・ノストラ)チャイニーズ(トライアド)コロンビアン(マニサレラ・カルテル)

 

 

 どれも悪名高いマフィアだ。

 それが三つ、街で犇めき合っている。こんな事はニューヨークのスラムでもそうそうない。

 ついコッブは吹き出してしまった。

 

 

「笑うしかないだろ?」

 

「どうなってるんだ!? 国際色豊かなゴッド・ファーザーか!?」

 

「あぁ、マフィアの万博だ。あっちこっちで『悪いお仕事』だらけ。こんな街が現実にあるなんざ、地獄だぞマジに。イラクより、こっちに爆弾落とした方が世界の為になるぜ」

 

「視察で行ったとは言え、気の毒としか言えんな……」

 

「あぁ。こんな街と知ってちゃ、死んでも行かなかった」

 

「……それで。その、ロアナプラには多くのマフィアが統治している事は把握した。大使館の対応と、どう言う関係があるんだね?」

 

 

 マクレーンは指に涎を付けて、紙を捲る。

 

 

「……あと一つ。この街で絶大な影響を持っているマフィアがある。ロアナプラの大半は、ほぼこいつらが仕切ってやがる」

 

「そのマフィアとは?」

 

ロシアン(ホテル・モスクワ)

 

 

 その名を聞き、コッブは眉間に皺を寄せた。

 

 

「ホテル・モスクワ……いけすかん連中だな。こっちもこないだ、チャイニーズマフィアとの抗争があったぞ。まぁ摘発してやったが、押収した武器のゴツさと言ったら! チャック・ノリスかジャン・クロード・ヴァンダムにでもなったつもりか!」

 

「俺もまだ調べ切れていねぇが……このホテル・モスクワ、人脈が異常に広いんだ」

 

「もしかすると、元KGB(ソ連国家保安委員会)がいるのかもな…………待て待て。まさかな、マクレーン」

 

 

 大体、推察出来てしまった。

 予想を超えるほどの闇と陰謀が深い事実に、コッブは椅子から転げ落ちそうになる。

 

 

 

 

「……大使館は、既に口説かれてんだ」

 

 

 

 

 そのホテル・モスクワが、大使館にマクレーンの件についての不干渉を言い付けたのだろう。

 大使館のトップである全権大使が関わっているのなら、電話越しでの懇願は不可能だ。

 

 

「思った以上、以上だな……しかし、我が国の全権大使がロシアンマフィアに靡くなんて事は考えられにくい。金を積まれたとしてもな。恐らく何か、弱みでも握られているに違いない。それさえ破棄出来れば──」

 

「俺にマフィアのアジトへカチコメって言ってんのかぁ!?」

 

「君なら出来そうなものだが」

 

「ベレッタ一つで出来るわきゃねぇだろッ!!」

 

「武器は持たされているのか?」

 

「あぁ。せめての情けって事でな……リボルバーの方は取られたが」

 

 

 ホルスターからベレッタを取り出し、ボックスの上に置く。

 コッブの方も冗談はさて置きとして、彼に提案する。

 

 

「なら滞在期間満了まで生き延びるしかないな。満了になれば、バンコクは君をさっさと追い出すだろうからな」

 

「麻薬所持の経歴を背負わされてなぁ」

 

「同僚には黙っといてやるから。満了までの間にその街から出る……のは、無理だな」

 

「その通り、無理だ。向こうは保護観察のつもりらしい。管轄下から出たら、タイ中が俺を探してロアナプラに送還だ。逃走犯みてぇな事はしたくねぇ」

 

 

 文字通り、八方ふさがりだ。

 同じタイミングで、二人は頭を抱える。

 

 

「なら、その街で出来るだけ閉じこもるしかないな。金はあるのか? バンコクからの送金は生きているのか?」

 

「減額された。二万バーツ。月でだ」

 

「ドルにすると?」

 

「えぇと……大体、五百ドルか」

 

「……ちょっと待ってくれ」

 

 

 机の中から資料を取り出し、マクレーンへの給料についての項目を読む。

 

 

「……君の給料分は月々千ドルほどを渡せるよう、バンコク警察に保険料などしょっ引いた年収分四万ドルを預けているハズだが」

 

「なに?……クソッタレッ!! 俺の給料を盗りやがったッ!!」

 

「資料に書いていただろ? バーツへの換金含めて委託していると」

 

「真面目に読んどきゃよかった……」

 

「まぁとりあえず、ロアナプラもロアナプラだが、バンコクもバンコクと言う訳だな」

 

 

 その件についてが、マクレーンがニューヨーク市警に電話をした理由だ。

 生き延びるにせよ金が必要なのは、万国共通の掟だろう。

 

 

「ドルでも良い……何とか、バンコク警察から俺の給料を取り返して、直接俺に来るように出来ないもんか?」

 

「私にその権限は……」

 

「頼む……こんな知らん内に犯罪に加担するかもしれない街で、あんただって副業はしたくないだろ」

 

「………………」

 

 

 警部は少しの間だけ考え込んだ後に、観念したように溜め息を吐く。

 

 

「……分かった。君の、そっちでの口座番号を教えてくれ。渡された額が少ないらしいと、担当部署に掛け合ってみよう」

 

 

 マクレーンは嬉しさから、ボックスを叩く。

 鈍い音が受話器から響き、コッブは顔を顰める。

 

 

「ホントかッ!?」

 

「アメリカを舐めやがって。何としてでも取り返してやる」

 

「最高だぜアーサーッ!!」

 

「ただしマクレーン、条件だ」

 

 

 コッブはニヤリと笑った。

 

 

 

「何としてでも、五体満足で帰って来い。指一本でも欠損してりゃ、給料は返してもらうからな」

 

 

 

 電話口で互いの表情は見えない。

 だが二人は確かに、笑い合っていた。

 

 

「……ありがとう。本当に助かった」

 

「送金が確認されなかったら、また私に連絡を入れるんだ。分かったな? そろそろ切るぞ」

 

「あぁ。本当にありがとう」

 

「では、ニューヨークで会おう」

 

 

 

 

 そこでやっと、コッブは受話器を置いた。

 湯気が立っていたコーヒーは、すっかり冷めてしまっている。

 

 

「……五年前と言い、本当に運のない男だ」

 

 

 コーヒーを温め直そうと、個室から出た。

 その時に電話を回してくれた女性職員が、不機嫌そうな顔で彼の前に立つ。

 

 

「な、なんだ?」

 

「請求金額、四十ドルほどですが?」

 

「……しまった。コレクトコールだった……」

 

 

 経理部署への言い訳を考えなければならなくなったと、悩みの種が増えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方のマクレーンは、有頂天だった。

 大笑い声をあげ、二、三度また電話ボックスを叩いた後にノシノシと歩き始める。

 

 

「ハッハッハッー!! クソッタレざまーみやがれロアナプラッ!!」

 

 

 金の問題が解決したなら、後はどうとにもなる。

 今の彼は、下宿先の家賃と飲食代さえあれば生き延びられる。

 

 

 だが次の問題は、自分の濡れ衣をどうするかだ。

 彼は自身がジャンキー扱いを受けている事が何よりも我慢ならなかった。

 

 

「バンコクまで行けるんなら、どうとにもなるんだがなぁ」

 

 

 そして可能ならば出来る事と言えば、ホテル・モスクワから大使館全権大使の「弱み」に関した証拠を消す事。

 これが出来たなら、明日にでもロアナプラからおさらばなのだが。

 

 

「………………」

 

 

 ベレッタと、弾が充填されたマガジンが二本。

 さすがのマクレーンと言えども、この装備でマフィアの本拠地に行く勇気はなかった。

 

 

「……ありかもな」

 

 

 それでも少し前向きに考えてしまった。

 ホルスターに拳銃をしまって、肩にかけていた上着をはおる。

 

 

「当分はホテル・モスクワを調べてみるか」

 

 

 口笛を吹きながら、暗がりの中を歩いて行く。

 

 

 

 

 暫く歩いた時、誰も通らない路地の入り口であるものを見つけた。

 マクレーンはさっと隠れ、忍び足で気配を消す。

 

 

 

 

 この街は犯罪だらけの街だ。

 例えばひと気のない通りで、女性を狙うような不届き者など。

 

 

「よぉ〜、変わった格好のおねぇさん」

 

 

 ヒスパニック系の男三人が、一人の女に絡んでいる。

 ただお茶に誘っているような雰囲気ではない。

 それよりももっと黒く、物々しい。

 

 

「そう言う格好の女の場合、一番困る事はな、どう『脱がせられるか』ってとこだな」

 

「嬢ちゃんは全くエロくねぇが、俺たちは仲良く妥協してやろうっての」

 

「まぁとりあえず荷物見せろ。金出せ。そしたら悦ばしてやる」

 

 

 わざとらしいほど、一人の男は折り畳み式のナイフを出したり引っ込めたりして、耳障りな金属音を鳴らしている。

 もう一人に関してはあからさまに、拳銃を見せつけていた。

 

 

「………………」

 

 

 女は黙ったままだ。ちょうど建物の影にいて、姿が見えにくい。

 その内に男たちは苛つきを見せ始める。

 

 

「おっと、警察ならこねぇぜ。だから諦めな」

 

「なんなら俺がこのナイフで剥いてやろうかぁ〜?」

 

「さっさとしねぇと、俺アル中でよぉ。手が震えて、不本意だがバーンってしちまうかもなぁ? まぁ、俺は死体とでもいいぜぇ?」

 

 

 一歩更に詰め寄る男たち。

 そこで初めて、女は喋った。

 

 

「娼館に行かれた方がよろしいのでは?」

 

 

 状況を理解していないような、淡々とした口調。

 耐え切れずに男たちはケタケタ笑う。

 

 

「悪いなぁ〜? 俺よぉ、女を殴りながらスるのが好きでさあ〜、出禁なんだ〜」

 

「それに今、金がねぇ。だからこうやって、無理やりしなきゃいけねぇんだよ」

 

 

 また女は黙る。

 なかなか言う事を聞かない彼女に、とうとう拳銃を持っていた一人が銃口を向けた。

 

 

「てめー、ダンコンよりもダンガンをご所望ですかぁ? 言ったよなぁ、俺は死体でもイケるってなぁ」

 

「………………」

 

 

 引き金に指をかける。

 

 

「てめぇを道端で轢かれた野良犬のようにしてから、内臓にブッかけてやる。まずは、てめぇの穴と言う穴にブチ込んでよぉ〜?」

 

「んじゃあ、まずてめぇの穴にブチ込んでやるか?」

 

 

 尻に硬い物が当たる。

 振り返ると、いつの間に立っていたのか、拳銃を構えた男が立っていた。

 

 マクレーンだ。

 

 

「なぁっ!? なんだおめぇ!?」

 

「おいおいおいおい、動くな動くな。おたくと同じアル中気味でなぁ、指が震えんだ。ビビらせちまったらバーンってしちまう」

 

 

 マクレーンは薄ら笑いを浮かべ、引き金に指をかける。

 

 

「クソッ!! なんだオヤジ!?」

 

「ちょっと通りかかったもんだ。どうにもフィウミチーノ空港前で、旅行客口説きまくるイタリア野郎みたいな感じに見えねぇもんでな」

 

「てめぇ死んだぞゴラァッ!!」

 

 

 ナイフを持った男が、マクレーンに切りかかる。

 

 

 しかし突然女が、持っていた傘を前に突き出し、その男の足にぶつけた。

 途端にすっ転び、ナイフの刃先が隣にいた仲間の胸を切る。

 

 

「いっでぇえーーッ!!」

 

「やるってのか?」

 

 

 マクレーンは銃口を向けて来た男の足を撃ち、地面を這わせる。

 そのまま胸を切られて動揺している男の方から、拳銃の銃床で三回殴って気絶させた。

 

 

「この……刺し殺してや」

 

 

 すっ転んだ男は、女にトランクケースで思いっきり後頭部を殴られ、意識を失う。

 

 

「なんだ! なかなかやるな嬢ちゃん!」

 

「てめぇよくもぉぉ足を」

 

 

 足を撃たれて跪いたまま、マクレーンを撃とうとする。

 しかし今度は利き手を撃たれ、拳銃を手放してしまった。

 

 

「ああぁあッ!?」

 

「どうだ? 二発ブチ込まれた気分は?」

 

 

 痛みに悶絶し、地面に伏す。

 これで三人ともを制圧できた。

 

 

「いっでぇえええッ!? てめぇ殺してやるぅうッ!!」

 

「そりゃ威勢が良いな。次会ったらタマ吹っ飛ばして、二度とデキねぇようにしてやる」

 

 

 マクレーンは女の方へ向き直る。

 

 

「なかなか筋が良さそうだが、この街の夜は危ない。どっか早々に泊まる場所を──」

 

 

 街灯の下に、女は現れた。

 姿がはっきりと見え、そして目を疑った。

 

 

 

 その服装は、やけに古い給仕用の服。

 黒と白がくっきりした、エプロンドレス。頭にはフリルのヘッドギア。

 所謂、「メイド服」と言う物だ。

 

 

 どこかの屋敷ならば違和感は薄いだろう。

 だがここは、最悪な街の路上。

 傘とトランクケースを持ち、丸眼鏡をかけ、その上でこの衣装だ。違和感しかなかった。

 

 

「……あー……どこかの家政婦だったか?」

 

 

 女はまた、淡々と無表情で話し始める。

 

 

「助けていただき、感謝いたします。危うく酷い目に遭うところでした」

 

「……の割には落ち着いてるもんだな」

 

「性分ですので。それと恩人に対し頼み事は失礼と思いますが、聞きたい事が──」

 

「てめぇも女ももう終わりだぁぁぁあッ!!」

 

 

 芋虫のように這いながら、男は叫ぶ。

 ここで会話は無理だと考え直し、女性は指をピッと向かいの通りを差し、移動を促した。

 

 

「…………あぁ、構わないが──」

 

「明日にはおめぇらを殺しに行って────ッ!!」

 

「明日に治る怪我じゃねぇ、寝てろ」

 

 

 マクレーンは男を蹴り付け、黙らせる。

 それから先々と歩く女の後を追い、静かになったところで話しかけた。

 

 

「言っちゃなんだが、街中でその服は目立たないもんか?」

 

「目立ちます」

 

「自覚はあるのかよ」

 

「それよりもお願いがございまして」

 

「あぁ、構わない。出来る事と言ったら、街の案内ぐらいだが」

 

「十分です」

 

 

 女は訝しがるマクレーンと目を合わせずに、彼に質問した。

 

 

「イエロー・フラッグは、ご存知でしょうか?」

 

 

 こっちを向く。

 街灯の光でレンズが反射し、目が見えない。

 ただ、どこまでも冷たく無表情な顔が、どことなく不気味だった。

 

 

 マクレーンは経験上、この手の人物は何かあると知っている。

 

 

「……イエロー・フラッグ? あぁ、良く知ってる。ちょうど酒が飲みたいし、案内しようか?」

 

「ありがとうございます」

 

「良いって事よ。それに女一人じゃ危ない」

 

 

 彼女から目を離さないように、努める事とした。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 マクレーンが先導して歩いている時に、女はジィッとこちらの顔を見てくる。

 それが気になり、マクレーンから聞いた。

 

 

「……どうした? 髭剃ってないから、見窄らしいだろ?」

 

「いえ。お聞きしたいのですが」

 

「なに?」

 

「お名前は?」

 

 

 唐突に聞かれて怪しんだものの、そう言えば名乗っていなかったなと思い直す。

 

 

「ジョンだ。ジョン・マクレーン。アメリカ人だ」

 

「マクレーンさんですね」

 

「おたくは? 見たところ……南米人か?」

 

 

 

 女は少しの間を置いてから、ポツリと名乗る。

 

 

 

 

「……『ロベルタ』とお呼びください」




「Cortez the Killer」
「ニール・ヤング」の楽曲。
1975年発売「Zuma」に収録されている。

世界最高峰のシンガーソングライターの一人。
このCortez the Killerは初期の彼の代表曲。


フローレンシアの猟犬 VS ニューヨーク市警の狂犬


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Cortez the Killer 2

「ロベルタね、よろしく」

 

 

 奇妙な迷い人を引き連れ、マクレーンは夜の港町を歩く。

 表情もなく、どこか規律正しさを感じさせる歩き方も含めて、あまりに冷たい。

 背後のこの女は人形かロボットではないかと思い始めて来る。

 

 

 マクレーンから人に雑談を持ちかける事はあまりない。

 しかし底の知れない彼女に探りを入れようと、そのまま会話を続行した。

 

 

「……この街へは?」

 

「前の雇い主が経費削減で私を解雇してしまいまして。コロンビアの友人を頼って、今朝こちらに」

 

「そりゃ難儀なこった。よりによってこんな街とはね。おたくも災難だったなぁ」

 

「護身術は会得しております。何とかなるかとは思っておりましたが」

 

 

 傘を突いて転ばし、トランクケースで殴って気絶させていた。

 割と状況把握能力が高い。これも使用人としての技能なのだろうか。

 

 

「だとしても銃持ち相手は危ない。拳銃一つは持っていた方が良い、この街に住むんなら」

 

「前向きに検討いたします」

 

「そんで……仕事は見つかりそうか?」

 

「いえ。バーの店主なら街の事を知っていると聞きました。これからイエロー・フラッグに赴き教えていただこうかと思っております」

 

「あの店主にかぁ? 愛想の対義語みてぇな男だぞ? 別の奴が良い」

 

「知人と会う約束もございます」

 

「あぁ、そうかい……」

 

 

 波の音が聞こえ始め、湾岸が近いと気付かされる。

 そろそろイエロー・フラッグが近付いて来た。次の角を曲がれば、店が見えて来る。

 

 

「……変な事聞くかもだがぁ……」

 

「どういたしましたか」

 

「嬢ちゃん……元は軍人とか?」

 

 

 突飛な質問で呆気にでも取られているのか、ロベルタに少しの間が出来た。

 

 

「……どう言う経緯で、そのようにお思いで?」

 

「いや、完全に直感だ。あー、その……歩き方とか、話し方とかが、昔会った軍人たちに似ていたからよぉ」

 

「いえ。多少の護身術は心得ておりますが、クラなんとかとか、シスなんとかなどはとても」

 

「……イスラエル式(クラヴ・マガ)ロシア式(システマ)か?」

 

「よくご存知で」

 

「ロサンゼルス市警の……あー、昔馴染みの友人に聞いた。お前は色々巻き込まれんだから、そろそろ格闘術を習えと……余計なお世話だよなぁ」

 

「ともあれ、兵役に服していたと言う事実はございません」

 

 

 気のせいだったのかと、釈然としない様子でマクレーンは鼻を掻いた。

 

 

「なら良い。変な事を聞いた」

 

 

 犬の小便や嘔吐物でまみれた角を曲がると、真っ直ぐ行った道の向こうにイエロー・フラッグが望められる。

 一週間前は派手に破壊されていたが、今はほぼ元通りだ。

 

 

「ほら、見えて来た。あれがイエロー・フラッグだ」

 

「……こちらも、変な質問をしてよろしいでしょうか」

 

「あ? あぁ、構わないが」

 

「マクレーン様は警察の方ですね?」

 

 

 いきなり図星を突かれたせいで、マクレーンは三秒ほど固まった。

 

 

「銃の撃ち方がしっかりされていましたから」

 

「……おたく銃に縁のない格好してるが、銃の撃ち方なんざ分かるもんか?」

 

「マイアミ・バイスで」

 

「ドラマでか……」

 

「あと、質問が多いところですか」

 

 

 思わずマクレーンは苦々しく笑った。

 刑事の性が前に出過ぎていたかと、頭を掻いて反省する。

 

 

「その通り。俺ぁ刑事だ。訳あって休職中だが」

 

「ご旅行か何かで? どう見ても旅行に向かない場所ですが」

 

 

 まさか赴任して麻薬常習犯にされたなんて言えない。

 旅行と言う事で話を合わせた。

 

 

「いやいや、ホントに旅行だ。誰も行きたがらない所に行くのが好きなんだ」

 

「てっきり、ドラマでやるような潜入調査かと」

 

「マイアミ・バイスの見過ぎだ嬢ちゃん。それに俺ぁ、潜入調査って柄じゃねぇ……変に有名になっちまったしなあ」

 

 

 酔った男二人が、道端で殴り合いの喧嘩をしていた。

 それを傍目に、イエロー・フラッグの前まで到着する。

 

 

 破壊された箇所は修繕していた。

 一週間前は弾痕と爆破跡だらけだったが、何とか二日前に営業再開までこぎつけていた。

 

 ただ材木がオークだったりラワンだったりをツギハギにしており、パッチワークのようだ。クオリティよりもスピードを重視したのだろう。

 相当安い建築屋に頼んだようだ。

 

 

「いいか。バーの中とは言え、ここの客はさっきみてぇな暴漢ばかりだ。犬や猿と相手するように、目は合わせるな」

 

「ありがとうございます。是非、助けていただいた分も含めてお礼をしたいのですが」

 

「いや、いいよ、気にしなさんな。悪漢退治も道案内も、おまわりさんの義務だっての」

 

「なら、一杯だけでも奢らせてください」

 

「……まぁ、それなら良いか。お言葉に甘えるよ。ほら、入った入った」

 

 

 相変わらず読み上げるように淡々とした口調でお礼をする。

 マクレーンは彼女を店内に促し、自身も扉をくぐって入店した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 罵倒、談笑、猥談、喧嘩。

 客たちの様々な話と声がタバコの煙と一緒に混ざる、イエロー・フラッグの店内。

 その中でも些か異様な声音が、パッと発せられた。

 

 

「喉乾いた。僕にも何か飲ませろ」

 

 

 大人たちの酒焼けした濁声に混ざった、子どもらしい高く澄んだ声。

 不機嫌そうな目で睨み付ける齢十二前後の少年は、飲み物をダッチらにねだる。

 

 

「こんのガキ……! オーケーオーケー、口開いてな。今からてめぇのデコに穴開けて、そこから血ぃ流させて飲ませてやる」

 

「落ち着けっての!!」

 

 

 拳銃を抜こうとするレヴィを、ロックは止める。

 呆れた様子でダッチとベニーは、酒を口に含んだ。

 

 

「こっちはここに来てから一滴も飲んでないんだぞ」

 

「それは君が、渡した食べ物とか水も全部投げたからで……」

 

「うるさい! 誰か待っているんだろ? 僕にも待たせている時ぐらい何か出せ! 自分たちだけお酒飲んでるくせに!」

 

 

 もう一度拳銃を抜こうとするレヴィを、ダッチは襟を掴んで彼女を無理やり引き、少年から離して阻止する。

 

 

「レヴィ。ペプシかジンジャーを」

 

「僕はペプシが良い」

 

「……オーケー。レヴィ、ペプシ持ってこい」

 

「あたしがかぁ!?」

 

 

 断固反対の姿勢をとるレヴィを、次はベニーが窘めた。

 

 

「どうやってもソリが合わないんだからさ……ちょっとぐらい離れて頭冷やしなよ」

 

「ガキの使いっ走りなんざごめんだぜボケ」

 

「こっちだって死体処理はごめんだよ。ほら、一杯奢ってあげるから」

 

「クソッ!! 物で釣りやがって……」

 

 

 とは言いつつも、彼女はバオの方へ行った。

 レヴィの後ろ姿を、ロックとダッチは呆れた目で見ている。

 

 

「悪態つきながらも行くのかよ……」

 

「やれやれ。あいつのガキの頃の方が絶対酷かったと思うぜ」

 

「おい。お手洗いはどこにある」

 

 

 また注文を飛ばす少年。

 レヴィに向いていた呆れた目を、今度は彼へ戻す。

 

 

「……今ぁ?」

 

「ずっと行ってないんだ! それとも漏らせなんて言うのか?」

 

「……はぁ。ダッチ、俺が連れてくよ」

 

「しっかりエスコートしてやりな、ロック」

 

 

 ロックは立ち上がり、少年をトイレまでの案内役兼見張りを引き受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 一方で、マクレーンとロベルタはカウンター席に着いた。

 店員の態度を一々気にする輩はいない店とは言え、バオは堂々と新聞を読んで暇潰しをしている。

 

 

「おい店主」

 

「あ?……あぁ!? こないだのチンピラ刑事じゃねぇか!」

 

「チンピラ店主の癖にチンピラ刑事はねぇだろよ」

 

「うっせぇ!…………てか、なんだこの姉ちゃん」

 

 

 彼の隣にいるロベルタを見た。

 ヨレヨレの格好をしているマクレーンと、ピシッとしているがあまりに時代錯誤な格好のロベルタとは、ギャップがあり過ぎる。

 現に二人は近くにいる客の注目を浴びている。

 

 

「……真昼の死闘か?」

 

「あれは尼さんとカウボーイだろが。飲みに来たんだ、客だぞ客」

 

「またウダウダ何も知らねぇ女みてぇに聞いてこねぇよなぁ?」

 

「ロアナプラには慣れたつもりだ。俺としてはこの店がサラ地になってくれりゃあ、全ての犯罪を赦してやっても良いぜ」

 

「言ってろバカ刑事」

 

「今日はスコッチだ。この嬢ちゃんが一杯だけ奢ってくれるんだと」

 

「なんだ。刑事かと思ったら乞食に成り下がってたのかぁ?」

 

「うるせぇ敗残兵。もう一度ベトナム行きやがれ」

 

「くたばれクソ野郎が。そんで、そっちの召使いさんは?」

 

 

 傘とトランクケースを傍らに置き、ロベルタも注文する。

 

 

「ミルクを」

 

「おいおいホーガンもどき。このサラの出来損ないは、ここが酒場だって事分かってねぇのか?」

 

「誰がホーガンもどきだ。カルーアミルク用のモンがあるだろ」

 

「酒場だぞ。酒を頼めアホタレ」

 

「スコッチ一杯頼んでんじゃねぇか」

 

「それはてめぇへの奢りだろうが!」

 

「頭のかてぇオヤジめ」

 

「融通利かねぇのはベトナム時代から有名だ。ざまーみやがれ」

 

 

 困った顔でマクレーンはロベルタに話しかけた。

 

 

「おたく、酒は飲めないのか?」

 

「訳あって絶っておりまして」

 

「あー……俺も四年前は禁酒会に参加してたから分かる」

 

「ぜってぇおめぇのソレとコレとは違うだろ」

 

 

 出してやれとマクレーンから目で訴え、折れたバオが大きな溜め息を吐いた後に、グラスに入れたミルクをロベルタに出す。

 ただ相当腹が立っていたのか、あからさまに強く叩きつけ、少し溢れてしまった。

 

 

「言ったろ、愛想の対義語だってな……おい。これはこの前みてぇに拭かねぇからな」

 

「勝手に言ってろボケ。そんで、あんたはスコッチだったな? まぁ、一週間前にクソどもをローストしてくれた件もある。もう追い出しはしねぇよ」

 

「ありがたいね……ああと、その前にトイレ借りるぞ。どこだ?」

 

「まともに感謝した瞬間、図々しい客だなぁオイ。この奥行った所だ」

 

 

 マクレーンは立ち上がり、ロベルタに手だけ動かして待たせてから、トイレへ走る。

 

 

 

「おい。ペプシを一本」

 

 

 入れ違いに現れたレヴィが、バオにペプシを頼んだ。

 ロベルタの肩にドカッと当たったが、当たり前だが謝罪は無し。

 

 

 レヴィを見やる。

 眼鏡越しに一瞬だけその目が、狂暴的な光を鈍らせたかのようにみえた。

 

 

 

 

 

 

 

 レヴィがペプシを注文した頃合いに、ロックと少年はトイレへと向かう。

 

 

「ほら。ここだよ」

 

「……先客がいる」

 

 

 この店のトイレは男女兼用で、三つだけ。

 今は運悪く、その三つともが使用中だった。

 

 

「我慢出来るだろ? 無理なら外でしてくるか?」

 

「バッ……!? 僕がトイレ以外でする訳ないだろ! 下品な奴だな!」

 

「ちょっと言っただけだろ……まさかここまでお坊っちゃんとは」

 

 

 とは言え限界が近いのか、しきりに足をモジモジと動かしている。

 表情にも余裕が消えた。

 

 

「ま、まだなのか?」

 

「もう少し待ちなって。口は達者でも、膀胱のサイズは子どもだったね」

 

「当たり前の事を言うな」

 

「まぁ、我慢するしかないな。それにオシッコの我慢は身体にとって得だよ。我慢する事で膀胱が拡張して、もっと尿が溜め込められるようになるって聞いた事がある」

 

「それだって長い目で見た時のだろ!?」

 

「そうだよ、良く分かってるね。ヤバイなら見栄張らずに、外に行くかい?」

 

「この僕が外でしてたまるか!」

 

 

 ジャー、ガチャリ。

 限界を前にした人間にとって、何よりも待ち望んでいた音が聞こえる。

 

 トイレのドアが開いた瞬間、少年はバッと走り出す。

 

 

「どいてっ!!」

 

「うおっとと!?」

 

 

 先客を押し退け、トイレの鍵を閉めた。

 押し退けられた男は洗った手をピッピッと振って、水切りしている。

 

 

「なんだありゃ? こんな時間にバーに子どもか?」

 

「あぁ……いや、すいません。俺の連れなんで……」

 

 

 振り返り、目が合った瞬間にロックは「あっ!」と声をあげた。

 トイレから出て来た男こそ、マクレーンだったからだ。

 

 

「ま、ま、マクレーンさん!?」

 

「あぁ、オカジマだっけな……あ? 俺おたくに苗字を言ったっけ?」

 

「やっぱり、あのジョン・マクレーンさんなんですね!?」

 

「……あー。その様子じゃ俺の事思い出したんだな」

 

 

 ロックは興奮した様子でマクレーンに握手を求めた。

 少し戸惑ったものの、半乾きの手を差し出す。

 

 

「知ってますよ! ナカトミビルに人質と共に籠城したテロリストを、一人でやっつけた! 俺が十五の時凄い話題でしたし、今でもクリスマスになるとたまに特番組まれますよ!」

 

「『日本企業を救った英雄』とかだろ?」

 

「知ってたんですか?」

 

「この十二年間毎年毎年、絶対に日本のメディアから取材させろって連絡がくる。本国じゃ四年後にメディアも忘れていたがね」

 

 

 ロックは乾いた笑いしか出なかった。

 日本のテレビ業界は、やけにエネルギッシュな事で有名だ。

 

 

「それにダレス空港の事件も知っていますし、一週間のあの時もマクレーンさん──」

 

「あー、悪い。人を待たせてる。また今度で構わないか」

 

「あ……そ、それはホント、失礼しました」

 

「金に余裕が出来たら奢ってやる。そいよか、あの子どもは?」

 

 

 トイレに入った少年の事を示している。

 彼がそれを聞くと、ロックは一気にバツの悪そうな顔つきになった。

 

 

「えーーっと……し、仕事仲間の子です。お守りを引き受けちゃいまして……」

 

「そうか? それは結構だが、あんまりこんなバーへ連れて来ない方がいいぞ?」

 

「すいません、善処します」

 

「んじゃ。俺はこれで」

 

 

 マクレーンがロックに背を向けたと同時に、少年はトイレから出て来た。

 彼が立ち去ろうとした時に、思い出したかのようにロックはマクレーンを引き止める。

 

 

「あぁ、そうだマクレーンさん!」

 

「あ? どした?」

 

「レヴィは覚えてます? あの時、あなたの隣に座っていた、刺青の女……」

 

「あのイカれ女?」

 

「あいつには出来るだけ、会わないように……」

 

 

 ロックの奇妙な忠告に、怪訝な表情で訳を聞く。

 

 

「そりゃなんで?」

 

「俺も良く知らないんですけど……なんか、アメリカの刑事嫌いだのとか」

 

「なんじゃそりゃ。どう言う、アレなんだ?」

 

「とにかくレヴィ、マクレーンさんを毛嫌いしている感じでしたから気をつけて。目も合わさないように!」

 

「犬か猿を相手すんのと同じようにか。分かった分かった」

 

 

 手をプラプラ振って、ロベルタの元へ戻る。

 二人のやり取りを見ていた少年はロックに聞く。

 

 

「今のもお前たちの仲間?」

 

「彼は違うよ……そう言えば君、南米だったね。ジョン・マクレーンは?」

 

「誰?」

 

「君の年代は分からないか……」

 

 

 マクレーンの姿が見えなくなった頃に、二人は席に戻った。

 

 

 

 

 

 

 既にスコッチが置いてある席に着く。

 チラリとロベルタの方を見ると、カウンターいっぱいにミルクが溢れていた。

 バラバラに砕けたグラスの破片もある。

 

 バオの表情も、些か青かった。

 

 

「…………何があったんだおい?」

 

「グラスにヒビが入っていました」

 

「…………そうなのか?」

 

 

 バオに目を合わせると、彼はマクレーンに耳打ちする。

 

 

「てめぇ、なに連れて来やがった……!?」

 

「なんだなんだ? ただのメイドさんだろ」

 

「ただのメイドはなぁ、片手でグラス握り潰さねぇだろ……ッ!?」

 

「は?」

 

 

 バオから真意を聞き出そうとした時だった。

 それは思わぬ来客によって止められる。

 

 

 

 

 

 

 

「女、てめぇに用がある」

 

 

 振り向かないロベルタの代わりに、マクレーンが振り返った。

 そして次には、仰天の表情に変わる。

 

 

 柄の悪い、ラテン系の男たちが十一人。

 そんな男たちが敵意に篭った目でロベルタを睨み付けていたからだ。

 

 マクレーンにはすぐに彼らが何者なのかが理解出来た。

 コロンビア・マフィアの、マニサレラ・カルテルの人間だ。

 

 

「……おいおっさん。怪我したくねぇなら、ちと席を外してくれ」

 

 

 マクレーンに移動を命じる、兄貴分の男。

 だがそれに応じるマクレーンではない。

 こっそりホルスターのベレッタに手をかけながら、話しかける。

 

 

「……待て待て待て。ラテンアメリカンの連中が揃いも揃ってなんだ? 今日はカーニバルか、死者の日(デイ・オブ・ザ・デッド)だったか?」

 

「なんだてめぇ? 席を外せと言ってんだ。てめぇが望むんなら、死者の日(ディア・デ・ムエルトス)をここで執り行ったっていいんだぜ?」

 

 

 兄貴分は拳銃をチラつかせ、威嚇をする。

 間違いなく筋金入りのギャングたちだ。

 この彼らがわざわざ取り囲む理由と、発端であろうロベルタは何をしたのかなど、疑問だらけだ。

 

 

「てめぇらマニサレラ・カルテルか?」

 

「俺らを知ってんのか? なんだ、女の連れだったか?」

 

「あぁ。このスコッチを奢ってもらった」

 

 

 余裕を見せつけるように、微笑みながらスコッチを飲む。

 横目でロベルタを見るが、彼女はまるで気付いていないかのように背後を一瞥もしない。

 カウンター越しに控えているバオは姿勢を低くし、これから起こるかもしれない戦争に備えているようだった。

 

 

「彼女が何をした?」

 

「出しゃばるんじゃねぇぞ。俺は女に話しかけてんだ」

 

「俺ぁお前に話しかけてんだ。人が気持ち良く酒を飲んでるってのに、ロマシング・ストーンに出て来たような奴らに囲まれてんだ。誰だって知りたがるだろ」

 

「てめぇじゃ話にならねぇ。おい、この呑んだくれを夜風に当たらせてやれ」

 

 

 控えていた部下たちが一斉にマクレーンの方へ寄る。

 渋々だが、この人数では難しいと判断した彼は、のっそりと立ち上がった。

 せめてもの反抗をしてやろうと、口にスコッチを含む。

 

 

 

 同時、ロベルタも立ち上がる。

 

 

「お待ちしておりました。マニサレラ・カルテルの皆様」

 

 

 置いていた傘と、トランクケースを手に取る。

 

 

「私めは『ラブレス家』の使用人でございます」

 

 

 突如として名乗り始め、さすがのマクレーンもポカンとしていた。

 

 

「お聞きしたい事が幾つかございます……が、今しがたとても不愉快な出来事がございまして」

 

 

 無表情のまま、男たちを見据える。

 

 

 

 

「失礼ながら少々……いえ。かなり手荒な聞き方をいたしますので、一つ御容赦を」

 

 

 

 

 場が一瞬だけ静まり返る。

 その静寂の後に、ドッと笑いが起きた。

 当たり前だろう。およそ暴力とは縁のなさそうなメイドが、まるで自分が彼らを拷問にかけるかのような物言いをしたからだ。

 

 

「手荒な聞き方だぁ!? ハーッハッハッハ!!」

 

「お笑いだぜ! なぁ、どうするってんだ姉ちゃん!?」

 

 

 兄貴分が下卑た笑い顔を見せながら、ロベルタに話す。

 

 

「ラブレス家ってこたぁ、あの『ガキ』の事かぁ?」

 

「……?」

 

「どうやってロアナプラまで掴めたか知らねぇが、ちと遅かったなぁ? 今頃、フィリピンなんじゃねぇのかあ?」

 

 

 兄貴分が部下に目配せすると、一人がロベルタの前にやって来る。

 

 

「なんならてめぇも売っ払っちまうか? えぇ?」

 

 

 拳銃に手をかけながら、ロベルタへと手を伸ばす。

 

 

 

 マクレーンは我慢の限界だ。

 口に含んでいたスコッチを、男の顔面に吹きかけた。

 

 

「んぐぁ!?」

 

 

 直のアルコールを眼球に喰らい、悶えている隙にとうとうマクレーンは拳銃を抜く。

 男に詰め寄り、顎の下に銃口を突き付け、人質にしてやろうと飛び出した。

 

 

 

 

「良いタイミングでした……が、マクレーン様は席を外すべきでした」

 

 

 ロベルタは傘の先を、男に向ける。

 

 

 

 

「残念ながら、巻き込まざるを得ません」

 

 

 

 

 

 次の瞬間、まるで爆弾でも弾けたかのような銃声が響く。

 その場にいた、誰も彼もが目を疑った。

 

 

 

 

 

 メイドの傘先が、火を噴いたからだ。

 

 

 

 放たれた弾丸が、その男を三メートルも吹き飛ばしたからだ。

 

 

 

 後ろに立っていた他の者をも巻き込んだからだ。

 

 

 

 メイドがマフィアを、ぶっ殺したからだ。

 

 

 

 

 

 

「御容赦、願います」

 

 

 

 

 

 

 マクレーンは見た。

 傘の取っ手部分が上に折れ、銃のストックに様変わりしていた。

 これは傘ではない。

 

 

「SPAS12」

 イタリア製の軍用ショットガン。ポンプもセミオートも自由自在。

 別名、「小型の大砲」。

 放たれた一撃のスラッグ弾。

 

 

 

「…………俺が案内していたのはメイドじゃなくて」

 

 

 

 事態を把握した兄貴分が、拳銃を取り出し部下全員に命ずる。

 

 

 

「かまうこたぁねぇッ!! ()()()()をぶっ殺せッ!!!!」

 

 

 男たちの銃口がロベルタと、ついでに間抜け面のまま立つマクレーンへ向けられた。

 完全、彼女の仲間として認識されたようだ。

 

 

 

 

 

「……ターミネーターって訳か」

 

 

 

 ギャングたちは一斉に、引き金を引く。

 また彼は、戦争に巻き込まれてしまった。

 

 

 

「クソッた──うおおい!?」

 

 

 ロベルタはマクレーンを引き寄せ、自身の前に倒す。

 そのまま彼ごと守るかのように、傘を開いた。

 

 

 さっさとカウンター裏に逃げたかったマクレーン。

 しかし驚く事に、この傘の布が銃弾を全く通さない。

 

 

「なんだぁ!? 防弾繊維(ケブラー)かぁ!?」

 

「マクレーン様」

 

「おおお!? な、なんだぁ!?」

 

 

 引き金を引くと、また特大の銃声が響き、潰れた音と悲鳴が轟く。

 巨大なショットガン。恐ろしいほどの反動が来るハズだが、ロベルタはそれを片手一つで扱っている。

 恐ろしいのは銃よりも、彼女の怪力だろう。

 

 

「マジかよ!? おたく人間か!?」

 

「私のしている事は正当な行為だと、ご説明させていただきます」

 

「待て待て待て!? なんだ、どう言うこったぁ!?」

 

「単刀直入に言いますと、御当主様の御子息様、名前は『ガルシア・ラブレス』。若様は彼らに誘拐されております」

 

「……なに!?」

 

 

 ここで兄貴分が言っていた、ガキだの今頃フィリピンだのの意味が繋がった。

 

 

「彼らから若様を取り戻すのが、私の任務でございます」

 

「………………」

 

「私からあなたへのお願いと言うのは、どうか警察への説明、応援を行わないで欲しい事です」

 

「……おたく俺に、撹乱をしろってか? なあ、その話は信じて良いのか?」

 

「信じる信じない別に、あの方々はマフィア。つまりは警察の敵では?」

 

「そうだがなぁ」

 

「ともあれ、ここで私を逮捕するなり発砲するなりはご自由ですが」

 

 

 引き金を引き、重厚な銃声をまた響かせる。

 その銃声が、マクレーンがロベルタに刃向かった場合のアンサーだ。

 彼女は間違いなく、マクレーンを殺すだろう。

 

 

 

 

 彼は拳銃を取り出した。

 

 

 

「あいにくなぁ、頭脳プレイは苦手でよぉ」

 

 

 ロベルタがキッと彼を睨んだ瞬間、マクレーンは立ち上がって銃を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 撃ったのは、ギャングだ。

 彼は傘から少し身体を出し、マニサレラ・カルテルの構成員へ発砲する。

 

 

「こっちの方が性に合ってんだ! この外道どもめッ!! 子どもを巻き込むってのが何よりも嫌いなんだッ!!」

 

 

 ロベルタは少しだけ驚いたように口を開いた後に、またあの無表情に戻る。

 

 

「……ご協力に感謝いたします。さすがは()()、ジョン・マクレーン警部」

 

「残念だが警部補だッ!……ん? 嬢ちゃん、俺を知ってんのか!?」

 

「全ては神の思し召しやもしれません」

 

「……変に有名になっちまったもんなあ」

 

 

 もう一度傘から身体を出し、敵を撃つマクレーン。

 同時にロベルタも、弾丸を発射した。

 

 

 

 

 

「クロケット刑事とタブス刑事ってか。マイアミ・バイスは最高だぜクソッタレッ!!」

 

 

 

 

 二人の「狂犬」が、ロアナプラで手を組んでしまった瞬間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼らを見る、テーブル下に隠れていた少年。

 怯えた目で、店内の惨状を見る。

 

 誰かが倒れ、誰かが吹き飛び、誰かが血を流す。

 

 

 だがそれよりも、惨状の中心にいた彼女に、愕然とした視線を向け続けていた。

 

 

 

 

 

「……ロベルタだ」

 

 

 ガルシア・ラブレスはフィリピンではなく、テーブルの下にいた。




めちゃくちゃ長くなりました、申し訳ありません
VSはVSでも、ルパンVSコナンぐらいでしたね


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Cortez the Killer 3

 防弾繊維の傘を盾に、SPASとベレッタが火を噴く。

 的確に間髪なく狙い撃つマクレーンと、遮蔽物さえ粉砕する一撃を放つロベルタによる攻撃は、たった二人でありながらもカルテルの構成員らを押していた。

 

 

「どうしたぁ!? 一発も当たってねぇぞぉ!! パブロ・エスコバルに会わしてやるぜラテンのチンピラどもぉーーッ!!」

 

「クソッタレ……! 調子に乗るなアメ公がぁぁあーッ!!」

 

「うおお撃って来た撃って来た!」

 

 

 挑発に乗って撃つも、その弾は彼女の傘に防がれる。

 身体を出した瞬間を見計らい、マクレーンは頭部を撃ち抜いてやった。

 

 

「麻薬カルテルは個人的に恨みがあんだ。バル・ベルデマフィアだったらもっと派手にぶっ殺してやれたがなぁ」

 

 

 戦闘中のロベルタは寡黙だった。

 

 傘が照門と照星とを大きく分断していると言うのに、命中率はかなり高い。

 使っているスラッグ弾にライフリングが刻まれているのか、真っ直ぐ長い射程を誇る。

 

 彼女のショットガンから銃声が鳴ると、何かがぶっ壊れて誰かが吹っ飛ぶ。

 死のラッパを吹き鳴らし回っているようだ。

 

 

「んで! その、若様ってのに──横から回り込んでんじゃねぇ縮毛野郎ッ!!」

 

 

 カウンターに乗って二人の背後に回ろうとした構成員を撃ち殺す。

 今ので撃ち尽くしたと察したマクレーンは、いそいそとマガジンを交換。

 持っている物では、このマガジンが最後だ。

 

 

「クソッ、弾切れだ……話戻すぞぉ! その、若様……ガルシアだっけか? その子の居場所を探るには!?」

 

 

 彼女も弾切れを迎えたようで、懐から取り出した弾をスルスルと装填する。

 代わりにマクレーンが撃ち、牽制を担当した。

 

 

「全滅させ、生き残りから聞き出します」

 

 

 マクレーンは呆れから、撃ちながらつい笑ってしまった。

 ロベルタは説明を続ける。

 

 

「この格好で彼らの事を聞き回ったのは、印象付けさせる為。そしてここを選んだのは、一番彼らが集まりそうだった為です」

 

「つまりハナから釣る気だった訳か!? イカれてるぜクソッタレ!」

 

「それはマクレーン様にも言えます」

 

「ハハハーッ! なぜか良く言われるぜ!」

 

 

 装填完了。

 再びロベルタは引き金を吹き、銃弾を発射した。

 

 

「この街では、これが一番効率的です。あのような小物集団を、ロシア人は助けるのか──否」

 

 

 一人を吹き飛ばす。

 

 

「イタリア人は──それも否」

 

 

 テーブルをぶっ倒す。

 

 

「警察は──これはマクレーン様に失礼でしょうか」

 

「いや。おおよそ合ってるぜチクショー」

 

「つまり彼らを助ける者は、カルテルしかおりません。他の勢力の心配もせず、彼らだけを吸い出せる極々単純で至極効果的な方法がこれです」

 

 

 銃声の合間を縫って、マクレーンは呟いた。

 

 

「まともじゃねぇよぉ……参戦したの、ちょっと後悔しちったぜ」

 

 

 とは言え向こうも、マクレーンを敵と見なしてしまった。

 スコッチを吹きかけたのが悪かった。ロベルタの射撃開始のお膳立てと捉えられても仕方ない。

 

 今更、手を上げて弁明しても遅い。

 誰にも聞こえないよう、ボソリと呟いた。

 

 

 

 

「……一応、二児の親だぞチクショー。子どもが巻き込まれただのはキレていいぜ、ジョン・マクレーン」

 

 

 今でも悪夢で、「燃え盛る旅客機と、頭だけ残った人形」が出て来る。

 マクレーンは感傷を思考の外に追いやって、目の前に集中した。

 

 

「だが、残念なお知らせだーッ! 俺にはあと五発しか──」

 

 

 また横回りをして来た輩に、三発撃ち込んでやった。

 

 

「──だあクソッ! 訂正、あと二発!」

 

「袖の下に拳銃がございます。『インベル・モデル911』。お渡しいたします」

 

「袖の下だあ!?……うぉっとと!?」

 

 

 彼女が右腕を振ると本当に拳銃が一挺、マガジンが二本、落っこちて来た。

 マガジンも貰ったが、ベレッタに使える9mm弾ではないので代用不可。

 

 

「どうなってんだその服。あいにくだがこりゃ右……いや待て」

 

 

 マクレーンは何かを見つけた。

 カウンターの向かいからショットガンで応戦する、バオの姿だ。

 

 

 良くない事を思い付いたマクレーンは、銃弾の間をすり抜けてカウンターを飛び越え、何とか彼の近くまで寄る。

 

 

「ひぃー怖ぇぇー!」

 

「クソッタレどもがぁーーッ!! 修繕費が無駄になったぞコンチクショーーッ!!」

 

「おいおい敗残兵!!」

 

「誰が敗残兵だ、あぁ!? この野郎がぁッ!! てめぇがあの女を連れて来たからこうなっちまったんだッ!!」

 

「俺が連れて来なくても勝手に来てたってのッ! それより貸せ、それッ!!」

 

 

 バオの愛銃、レミントンM870を強奪する。

 

 

「何しやんだ!? 返せボケッ!! 何で身を守りゃいいんだッ!?」

 

「代わりにこれをやる。ほら、マガジン二本もオマケだ!」

 

「てめぇコレ、M19……インベルかよッ!! ブラジル産のパチモンだろがぁ!?」

 

「実質M1911だ。ベトナムを思い出すかぁ? 釣りはいらねぇ!」

 

「まずてめぇからぶっ殺すぞッ!!」

 

 

 強情にレミントンを取り戻そうとするバオだったが、二人に気付いた構成員がこちらにサブマシンガンを乱射。

 割れた酒瓶が降りかかった事で気を取られ、マクレーンはレミントンを持って逃げる。

 

 

「はいはい、交渉成立」

 

「あ、てめぇ!? くたばれクソポリッ!!」

 

 

 ちゃっかり、カウンター下にあった弾倉箱も貰い受けた。

 弾を確認しながら、ロベルタの足元に舞い戻る。

 

 

「勝手に物々交換に使って悪いな」

 

「お気に召さなかったようですね」

 

「いやぁ、M1911は好きなんだが」

 

 

 ハンドグリップを引き、薬室に薬莢を送る。

 

 

「ありゃ『右利き用』だ。俺ぁ、『左』なんだ」

 

 

 立ち上がり、構成員らに向かって引き金を引く。

 チョークで絞られた銃口より放たれる散弾はあまり広がらずに飛び、集中的に人間一人を破損させる。

 

 マクレーンのレミントンの餌食となった男は、腹部に大きな穴を開けて倒れた。

 

 

「ポンプアクションなら関係ない」

 

「左用もございましたのに。気が回らずに申し訳ありませんわ」

 

「いいやもう、問題はない。しかもこっから本番だ」

 

 

 ロベルタは強度が限界を迎えた防弾繊維の傘を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 構成員らの眼前には、SPAS12構えたメイドと、レミントンM870を構えた刑事が並んでいた。

 

 

 

 

祝祭(フェスティバル)だガイコツどもッ!! 死者なら踊って笑えッ!!」

 

 

 

 

 同時に各々のショットガンを、祝砲のようにぶちかましてやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十二人いた部下が、気付けば五人。

 兄貴分はいよいよ顔を青くさせ、いつ破壊されるか分からないテーブルの後ろに隠れながら考えを巡らせていた。

 

 

「クソクソクソォぉッ!! イカれてんのかあいつらッ!?」

 

「言われた通り何とか一人出て行かせて、応援を呼ばせました」

 

「あぁそりゃでかしたが、来るまでに生き残れるのかどうかだッ!!」

 

「身を隠しながら撃てばなんとか──」

 

 

 散弾を左腕に受けて怯んだ隙に、スラッグ弾を腹に受けて一人が吹き飛んで来た。

 無惨な死体を前に、部下もまた顔を青くする。

 

 

「……正直、逃げた方が得策かもしれません」

 

「まぁいい……ガキは既にダッチの奴らが──」

 

 

 途端、部下は何かを見つけ、更に更に顔を青くする。

 青の街(シャウエン)もびっくりな青さだ。

 

 

「……おいマジかよ」

 

「あ? どした!?」

 

「その、アレ……」

 

 

 部下が何かを目撃し、そちらに彼を注目させる。

 

 その方向を見た時に、彼は気でも狂いそうなほどの驚愕と怒りで唇を噛んだ。

 

 

「……なんで…………」

 

 

 

 

 遮蔽物から顔を出す、レヴィとロック。

 先導して逃げようとするダッチとベニー。

 

 そして何より、テーブル下で涙目で頭を抱えるガルシアの姿。

 

 

 

「どうしてオメェぇら、そこにいんだぁぁあッ!?」

 

 

 誘拐した子どもが、運搬を引き受けた業者共々、自分たちと同じ空間にいる。

 

 途端、彼の隣をスラッグ弾が突き抜け、部下が死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、見つかった!」

 

「嘘だろおい……!?」

 

 

 兄貴分に怒鳴られ、とりあえずロックとレヴィは手をヒラヒラとさせる。

 彼らの存在を、マクレーンは確認した。

 

 

「イカれ女にオカジマ? なんだまだいたのか!」

 

「クソッタレがぁぁあッ!!」

 

「うぉっ!?」

 

 

 前方にいた構成員が拳銃を向け、引き金を引く。

 しかし弾切れ。興奮のあまり、残弾確認を怠った。

 

 

「あぁ、マジかッ!?」

 

「ふぃーっ! ヒヤヒヤさせやがって!!」

 

「うあー!?」

 

 

 マクレーンはショットガンを構え、引き金を引く。

 これも弾切れ。暴走のあまり、残弾確認を怠った。

 

 

「……ツイてねぇ」

 

「は、はは! 助かった!」

 

「そりゃ良かったな。ご褒美だッ!!」

 

「グェッ!?」

 

 

 銃身とストックをクルッと持ち替え、バットのように銃床で殴ってやった。

 折れた歯が勢い良く飛び、床に突き刺さる。金歯だ。

 

 

「俺のレミントンだぞッ!?」

 

「おめぇだってどうせ、ベトナム時代やっただろ!」

 

「……まぁ、やったが」

 

 

 バオを黙らせてから、スラッグ弾を撃ち続けるロベルタに中断を言い渡す。

 既に敵は沈黙している。それは彼らの視線が、一点に注がれているからだ。

 

 

「ロベルタ、ストップストップ! 知り合いがいる!! 子どもも巻き込まれてる!!」

 

「馬鹿ッ!? あいつを呼ぶなッ!!」

 

「あ?」

 

 

 レヴィの忠告虚しく、ロベルタは攻撃の手を止め、彼女らの方を向く。

 

 その目は、テーブル下にいた少年にまず向けられた。

 今、この場にいるカルテルのメンバーも、同様だった。

 

 

「……そういやその子、ラテン系か?」

 

「ま、マクレーンさん……! その……!」

 

 

 弁明を図ろうとするロックだが、もう遅い。

 兄貴分が指差し、怒りの形相で罵る。

 

 

「この前金泥棒どもがッ!! フィリピンまで連れてけって言ったよなぁ!?」

 

「……あ?」

 

「バッ!? てめぇッ!! 今それ言うなッ!!」

 

「……なに?」

 

「オーマイ……終わったかもな俺たち」

 

「……おい、おい。じゃあ、ダッチら、お前ら……!?」

 

「あぁ……僕らは生きて出られるんだろうか……」

 

「まさか、この子どもが……!?」

 

 

 マクレーンも少年の方を向く。

 縋るような目つきで怯え、震えるこの少年こそが、「もしや」と全てを理解した。

 

 

 

 

 暫しの静寂が訪れた店内。

 その静寂を破ったのは、ロベルタの愛おしげな声だった。

 

 

「…………若様」

 

 

 震えた声で応えた。

 

 

「ろ……ロベルタ……」

 

 

 ロベルタに気付かれたガルシアは、一歩だけ後退り。

 安心よりも、ずっと自分の側にいたメイドが殺しを厭わない存在だと言う事への恐怖が強い。

 

 

 感情の起伏が全く伺えないロベルタだが、その時ばかりは寂しげな表情になる。

 

 

 マクレーンはそれに気付き、代わりに自分がガルシアを回収しようと近寄った。

 

 

「あぁ、怯えるな! 俺は警察だ!」

 

 

 レミントンを下げ、駆け寄る。

 

 

「け、警察……? でも、白人……」

 

「現地人じゃない」

 

 

 彼の存在を狙う、一人の人物。

 

 

 

 

「休職中の、ニューヨーク市警のおまわりさ──」

 

 

 発砲。

 レヴィが、マクレーンの右肩を撃った。

 

 

「──ぐぉッ!?」

 

 

 肩を撃たれたマクレーンは床に倒れた。

 次に響いた声は、ロックの叫びだ。

 

 

「マクレーンさんッ!? れ、レヴィッ!? お前なにやってんだよッ!?」

 

「勝手に街で正義ヅラかましてる、勘違いアメポリ野郎を分からせてやったんだよ!」

 

 

 そのままレヴィは飛び出し、ガルシアを捕まえコメカミに銃口を突きつける。

 

 

「クソッタレが……二度とニューヨーク市警って掃き溜めの名前を言うんじゃねぇ。次は頭を吹っ飛ばすぞ」

 

「……いきなり、何しやがんだイカれ女ぁ」

 

「うるせぇ、動くんじゃねぇッ!! このガキの、てめぇより皺が多そうな脳を見せつけてやろうか?」

 

 

 ロックが彼女を引き止めようと飛び出す。

 

 

「お前、何もマクレーンさんを撃つ事はないだろ!?」

 

「黙ってろッ!!」

 

「黙れるかッ! それに今やっているのは、火に油だぞ!?」

 

 

 レヴィは彼を無視して、ガルシアを拘束しながらロベルタに銃口を向ける。

 

 

「どう言う事だこの野郎、レヴィッ!?」

 

 

 これ見よがしに姿を現した兄貴分もロベルタに照準を合わせる。

 

 

「………………」

 

 

 ロベルタも黙って、SPASをレヴィの方へと持ち上げた。

 

 

「最悪だクソッタレ……! てめぇら、運び屋(ミュール)かぁ!?」

 

 

 マクレーンは右肩から血を流しつつも、ロベルタの代わりに兄貴分へとベレッタを構えた。残弾は二発なのが心許ないが、構えないよりマシだ。

 

 

 レヴィ、カルテルの男、ロベルタとマクレーン。三竦みが出来上がってしまう。

 

 

「クソが……! 散々やってくれなぁ、ええ? メイドも、オヤジも、ラグーンの奴らもなぁ!!」

 

「あたしはさっさと売り飛ばせって言ったさ。そっちが荷物の明細に下手くそな嘘書いたせいでこうなっちまったんだよ」

 

「若様を、解放してください」

 

「だぁ、イッテぇクソッタレ……! 覚えてやがれよクソ女……!」

 

 

 ロベルタからマクレーンに、レヴィの銃口が、

 

 兄貴分からレヴィに、マクレーンの銃口が、

 

 レヴィから兄貴分に、ロベルタの銃口が、それぞれ動く。

 

 兄貴分だけはそのままだ。

 

 ロックは固唾を飲んで、見届けるしかできない。

 

 

「てめぇら全員、ぶっ殺してやる……! 今、応援が来ている最中だ……!」

 

「ここで固まってたって、どの道デッド・エンドだ。その馬鹿デケェ銃を放って、お月さんに向かって走って行きな」

 

「……ご意向には添いかねます」

 

「血が止まんねぇよクソッタレ……! あぁ、低血圧でボーってしてきた……」

 

 

 マクレーンからガルシアへ、レヴィの銃口が、

 

 兄貴分からレヴィに、ロベルタの銃口が、

 

 レヴィから兄貴分に、マクレーンの銃口が、

 

 ロベルタからマクレーンに、兄貴分の銃口が、また移動した。

 

 

 

 

「ロベルタぁ……!」

 

 

 とうとう、ガルシアが震えた涙声で彼女の名を呼ぶ。

 

 

「──ッッ!!」

 

 

 ロベルタは口を閉じたまま、歯を食い縛った。

 ひとしきり噛んだ後に、彼女は唱えるように、何かを口ずさむ。

 

 

 

 

 

「……Una vendicion por los vivos,(生者の為に施しを、)

 

「……なんだぁ?」

 

una rama de flor por los muertos.(死者の為に花束を。)

 

「……おい。やる気かよ」

 

Con una espada por la justicia,(正義の為に剣を持ち、)

 

「スペイン語か?」

 

un castigo de muerte para los malvados.(悪漢共には死の制裁を。)

 

「やめて……ロベルタ……」

 

Asíllegaremos, en el altar de los santos.(しかして我ら、聖者の列に加わらん。)

 

 

 

 ゆっくりと、ロベルタの銃口が、レヴィの頭部へ持ち上がる。

 彼女はガルシアを避け、撃ち抜くつもりだ。

 

 

 

 

 

「──サンタ・マリアの名に誓い、全ての不義に鉄槌を」

 

 

 

 

 

 最後の一文を読み上げた時、とうとう引き金に力が篭る。

 

 

 途端、兄貴分が何かを思い出したかのように目を見開いた。

 

 

 

 

「……ッ!? てめぇ、さっきの科白……まさか、『猟犬(エル・プロエ・ガサ)──」

 

 

 銃口が兄貴分に向き直り、発砲。

 スラッグ弾が彼の胸を貫き、絶命させた。

 

 

「──ッ!!」

 

 

 レヴィがロベルタを撃とうとする。

 

 だが、早かったのは、マクレーンだ。

 

 

 伸びたその右腕の真ん中を、瞬時に撃ち抜いてやった。

 彼女の手から、拳銃が弾かれる。

 

 

「ウグッ……!?」

 

「これでチャラだ、クソッタレッ!!」

 

「こ、こんの……クソポリがあッ……!!」

 

 

 まだガルシアを掴んだままだが、もう一挺を抜く暇はない。

 再びレヴィへ銃口を向けるロベルタ。

 

 

 

 だがその引き金は、弾切れを迎えて引かれなかった。

 既に全員、タイムオーバーだ。

 

 男が呼んだカルテルの応援が、雇った殺し屋を交えて突撃して来る。

 その数は優々、二十は超えている大軍隊だ。

 銃を乱射し、イエロー・フラッグに突入。

 

 

「長居し過ぎたロベルタッ!! こりゃ、引くしかねぇッ!!」

 

 

 撤退を促すマクレーン。

 ロックらはガルシアを連れて、この騒ぎに乗じ既に逃げていた。

 援軍はロベルタとマクレーンの事しか知らされていない。まんまと逃してしまった。

 

 

 ロベルタはSPASを捨て、両手でスカートの裾を掴む。

 

 

「マクレーン様」

 

「なにやってんだ!? これでショーは終わりってか!?」

 

「今すぐあそこの窓まで走ってください」

 

「な、なんて!?」

 

 

 裾を引いた。

 

 恭しくお辞儀をした。

 

 

 コロコロと、スカートの下から何かが多数転がり落ちる。

 

 

 ピンの抜けた手榴弾が、一つ、二つ、五つ六つ十、十一、十二…………

 

 

 

 

 

 

「……イカれ過ぎだぜ、このメイドさん」

 

「第一幕は終了。御機嫌よう」

 

「逃げろぉぉぉーーーーーッッ!!!!」

 

 

 

 

 

 マクレーンの叫びと共に、大量の手榴弾を確認した全ての人間が、一目散に逃走。

 

 

 

 

 

 

 

 イエロー・フラッグの正面部が木っ端微塵に吹き飛び、全ての窓ガラスが割れ、地響きを伴う大爆音がロアナプラの夜空に響いた。

 

 外に逃げていたラグーン商会の面々は、車に乗り込んでいる。

 

 

「クソがぁあぁッ!! あのメイドもクソポリも殺すッ!! 特にあのクソポリは絶対に殺すッ!! この穴の百倍は返してやるチクショウッ!!」

 

「もうさすがに死んだろアレは! 今は逃げるのが先決だぜ!!」

 

 

 

 激昂し、興奮するレヴィを押さえ込み、車の中にダッチは放り込む。

 ベニーがエンジンを起動させると、とっとと走り出した。

 

 一人、ロックだけが不安げだ。

 

 

「あの人は生きてそうなもんだけど……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 破壊された窓から飛び出す、マクレーンとロベルタ。

 

 信じがたい事だが、二人は生きていた。

 

 ラグーン商会を追って駐車場までひた走るが、既にバックナンバーを見せつけて走り去る頃。

 

 

「クソッタレが、逃したッ!!」

 

「追跡します」

 

 

 ロベルタは隠していたもう一挺のインベル・モデル911と、そう言えば持って来ていたトランクケースを握っていた。

 ボロボロのマクレーンに対し、彼女の姿は全然綺麗だった。

 

 

「車は!?」

 

「持って来てくださいましたわ」

 

 

 二人に気付かず、傍に停車したカルテルの改造車。

 確認するや否や、ロベルタとマクレーンは車に向かって撃ち込み、運転席と助手席、あと後部座席にいた三人を射殺する。

 

 

「よぉしッ!! 俺が運転してやるッ!!」

 

 

 運転席の死体を放り捨て、ハンドルを握る。

 ロベルタはトランクケースを後部座席に置いてから、同様に助手席の死体を降ろして隣に座る。

 

 

「乗ったか!? 早速行くぞぉ!!」

 

 

 アクセルを踏み込み、全速力で走る。

 まだ視界には、ラグーン商会の車が見えていた。

 

 

 だが邪魔をする存在は、まだまだいる。

 

 彼女らに気付いた、カルテルの生き残りが各々、車に乗って追跡を開始。

 

 

 

「カルテルの奴らだ!」

 

「排除しながら捕まえます」

 

「あぁ……冷静になって来ちまった……俺は何をしてんだ……」

 

 

 追って追われての、デッドヒートが巻き起こる。

 ロベルタは今一度、マクレーンに聞く。

 

 

「追い付けますか?」

 

 

 マクレーンはニンマリと笑って、シフトチェンジ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「通勤ラッシュのアッパー・ウェスト・サイドからウォール・ストリートまで、三十分で走り抜いた男だぞ」

 

 

 エンジンが雄叫びをあげ、二人を乗せた車は一気に加速した。



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Wonderful Tonight 1

 草木も眠るとは言うが、ロアナプラが眠る事は決してない。

 例えば夜道で喚く、この三人のように。

 

 

「足と腕がやられたクソぉぉぉおッ!!」

 

「俺は鼻やられた」

 

「あのクソ女め! 頭の後ろにコブが出来たぞ!!」

 

 

 ロベルタに言い寄ったばかりに、彼女とマクレーンによって成敗された男たちだ。

 足を撃たれた一人を両脇から二人が抱え、逆恨みを拗らせながら歩いている。

 

 彼らが目を覚ましたのは、一分前。

 フラフラと、大通りの方に停めている車を目指す。

 

 

「殺す殺す!! まずあのクソを殺すッ! 殺す前に女をオモチャにしている様を見せつけて殺すッ!! 殺したら車に繋げて、市中引き摺り回しにして見せつけてやるッ!!」

 

「あのポール・カージーのパクり野郎を殺さねぇと気が済まねぇ!!」

 

「どこにいやがる、クソッタレめ!」

 

 

 三人は停めていた車に乗る。

 マクレーンに撃たれた男は、とりあえず怪我を布で縛って塞ぎ、後部座席に寝かされた。

 

 

「病院行くか?」

 

「夜中に開いてんのか?」

 

「知らねー。急患だって言えばいいだろ」

 

 

 銃床で殴られた男が運転手のようだ。

 ハンドルを握り、エンジンをかける。

 後方から見える破壊されたイエロー・フラッグからの黒煙も気付かない。

 

 

 

 

 その時、車が道の真ん中を全速力で走り、三人の車のサイドミラーを掠った。

 

 

「おいッ!! クソッタレ!! 殺してやるぞッ!!」

 

 

 助手席の、ロベルタにケースで殴られた男が窓から顔を出し、怒鳴りつける。

 

 

 後ろから響く、盛大なエンジン音。

 何事かと振り返った時に、さっきの車を追うようにして走る、改造を施された車が通る。

 その車は何の問題もなく三人を通り過ぎて行ったが、助手席の男は目を見開いて驚いていた。

 

 

「おい! 見えたぜクソッ! あの女だ、間違いねぇッ!!」

 

「なに?」

 

「あんな目立つ服着てりゃ、一瞬でも分かるぜッ!! さっきの車に乗ってやがった!!」

 

「なんだって!?」

 

 

 彼が報告を終えたそのすぐには、ザッと十台ほどの車が更に走り去って行った。

 

 

「おい! 追われてんじゃねぇのか?」

 

「いいぜ! 俺たちも追おうぜ! 殺そうぜッ!!」

 

 

 後部座席の男が拳銃を片手に、のっそりと座る。

 失血して青い顔をしていたのに、今は目をギラギラ光らせ、怒りで真っ赤だ。

 

 

「撃ってやるぜぇ〜ッ!! 俺がぶっ殺してやるぜぇ〜ッ!!」

 

「その意気だッ!! 俺たちはロアナプラいちの殺し屋になる男たちなんだッ!!」

 

 

 二人に触発され、運転手もカッと目をこじ開け、狂った笑い声をあげながらアクセルを踏んだ。

 

 

「YEEEEAAAAAHッ!! リアルなマッドマックスを見せてやるぜぇえええッ!!!!」

 

「俺がナイトライダーってかぁあああッ!? 最高だぜぇぇFooooooooooッッ!!!!」

 

「殺してやるぅうぜえッ!! 俺が、俺が撃って殺してやるHAAAAHAHAHAッ!!!!」

 

 

 三人のイカれた男たちは復讐の為、深夜のカーチェイスへの参戦を決めた。

 爆音を吹かし、身体が持ち上がるほどの急発進をかまして颯爽と追跡を始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 必死にハンドルを握るベニーは、震え声で呟く。

 

 

「ダッチ……これは悪い夢なんだろ? 多分僕は、こないだ浴びるほど飲んだ時から、ずっと眠ってんだろ?」

 

「俺もそうである事を願ってるぜ。じゃなきゃこれはベトナム帰り特有のPTSDだ、クソッタレ」

 

「僕はベトナム行ってないよ」

 

「じゃあ夢だ。夢だと願っておこう」

 

 

 レヴィが後部の窓を肘打ちで割り、後方に銃を向けた。

 

 

「これが夢だろうがなんだろーが上等だクソォッ!! 二人まとめて殺してやる殺してやるッ!! クソポリは心臓に、アバズレには脳みそだゴラァッ!!」

 

 

 ロックはガルシアを庇ったまま、横の車窓から顔を出し、後ろを見やる。

 

 

「……なんてこった。これじゃ、まるで……」

 

 

 運転席にマクレーン、助手席にロベルタを乗せた車が追跡していた。

 そしてその更に後方には、カルテルや殺し屋の車が数台、マクレーンらを追っかけている。

 

 暗い夜道が、スポットライトとテールライトで煌々と照らされていた。

 

 

 ガルシアを追い、カルテルに追われ。

 狭間にいながらも、明確な敵意と意志を持ってエンジンを噴かすマクレーンとロベルタ。

 はっきり言って、正気の沙汰ではない。

 

 

 

 

「……ターミネーターとマックスのドリームタッグだ」

 

「シュワルツェネッガーとメル・ギブソンじゃねぇだけか。ロアナプラじゃなくてハリウッドでやれ」

 

 

 ダッチは愛銃、「S&W M29」を取り出し、レヴィと同じく後方へ構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 撃たれた肩を何とか持ち上げ、両手でハンドルを握るマクレーン。

 右手の助手席にいるロベルタが器用に彼の肩へ包帯を巻いてはくれていたが、痛いものは痛い。

 

 

「クソッタレ、あんの中華女……!」

 

「弾は貫通しております」

 

「あぁ、悪い……しかし参ったなこりゃ」

 

 

 バックミラーとサイドミラーを交互に覗く。

 カルテルと殺し屋が、二人を追跡していた。

 

 

「カーチェイスのご経験は?」

 

「五年前に。その前はスノーモービルでやったっけな。仕事では意外と無い」

 

 

 ロベルタは隣で、殺した男たちから奪ったサブマシンガン「Wz63」を確かめていた。

 弾倉を抜いて弾数を見たり、安全装置は解除されているかの確認が済むと、突然フロントガラスを撃って破壊する。

 

 

「うわぁああ!?」

 

 

 ストックでガシガシと殴り、残ったガラスを外しはじめる。

 剥き出しの運転席に容赦なく風が入り込む。

 

 

「なにしやがんだッ!?」

 

「邪魔でしたので」

 

「せめて一言かけやがれッ!」

 

「申し訳ありません」

 

 

 そう言いながらも、淡々と奪った拳銃や弾倉を手際良く装備して行くロベルタを見て、マクレーンはついつい失笑してしまう。

 

 

「やっぱり元軍人か?」

 

「………………」

 

「なんでそこで黙るんだ……まぁ良い。一つ気になっていた事聞くぞぉ」

 

「何でしょうか?」

 

「お前、やけに俺に信頼置いてるな。そりゃ、どして?」

 

 

 ロベルタは左手にインベル・モデル911、右手にWz63を持ち、座席の上で膝立ちになる。

 

 

「……マクレーン様のご活躍は、ベネズエラでも有名です。単身で二度もテロ事件を解決なさった、その手腕を見込み──」

 

「違う違う。パッとしねぇんだ。嬢ちゃんの装備と腕なら多分一人でやれたろうし、寧ろ仲間は足手まといだと思っても良いハズだ」

 

「………………」

 

「確かに俺は巻き込まれたし、奴らに敵と思われた。でも、そこまでだ。別に俺を引き込む理由も守る義理もなかった。ここは警察だって腐敗しまくりだ、撹乱の必要もねぇ。そうだろ?」

 

「……それは」

 

「だから思ったんだ。あんた、もしや俺を──」

 

 

 銃声が響き、車の壁に弾が当たる。

 追跡するカルテルと殺し屋が、車窓から身体を出して射撃して来た。

 アクセルを踏み込み、何とか距離を離す。

 

 

「……話は後にするかぁ。お互い、生きてたらなぁ」

 

「……そうして頂けますと、助かります」

 

「ついでに残念なお知らせだ。俺ぁさっき、後ろのあいつを撃った一発で、残弾尽きた。レミントンは撃たれた時に落とした。運転しか出来ねぇからな」

 

 

 後部座席には、白目を剥いて首から血を流す死体が鎮座している。

 その膝の上に、ロベルタが持って来たあのトランクケースが乗っていた。

 

 

「あのケースに何が入ってんだぁ? まぁ、着替えは大事か」

 

「ミニミ軽機関銃とグレネードランチャーを仕込んでおります」

 

「………………爆撃のせいで、耳がやられたようだ。なんつった?」

 

「持ち手の所にあります、赤い引き金を引くとミニミ軽機関銃が、青い引き金はテストンブリントンMP37が作動するように改造しておりますわ。持ち手側を上面として、側面上部にある穴から5.56mm×45 NATO弾、反対下部の穴から37mm弾が発射されます」

 

 

 マクレーンは頭を振りながら呆れ返る。

 

 

「……お前最初、爆弾入ったトランクケースで殴ってたのか?」

 

「あの程度の衝撃では誤爆いたしません」

 

「……本当に俺は必要だったか、これ?」

 

 

 大通りを走り抜け、市街の方を目指すダッチたち。

 何とか追い付こうとエンジンを駆動させ続けるが、先にカルテルの連中が隣に着いてしまった。

 

 

 助手席から一人、後部座席からもう一人が拳銃を二人に向けて撃ちまくる。

 

 

「クソッタレ。押して駄目なら、何とやら」

 

 

 マクレーンは一度減速し、敵車両の後方まで下がる。

 そのまま思い切りハンドルを切り、フロントをぶつけてやった。

 

 

 前輪と後輪とのバランスを大きく崩され、コントロールを失った車はグルリとアスファルト上に弧を描く。

 マクレーンらの車のフロントを撫でるようにスピンし、端に停められていた車と激突した。

 

 

「ケツにつけられた!」

 

 

 別の敵車両が、二人の車を後方からぶつける。

 そのまま車窓から、銃を乱射してきた。

 

 

「片付けて来ますわ」

 

 

 ロベルタはドアを開け、右手一本でしがみ付きながら一緒に車外へ飛び出し、そのまま後方の車に目掛けて拳銃を撃つ。

 

 弾は的確に運転手と助手席の狙撃手を殺害し、車はスピン。

 後ろに並んでいた仲間の車を巻き込んでクラッシュした。

 

 

「そんまま右のも片付けてくれいッ!!」

 

 

 ロベルタ側に並ぶ、殺し屋の車。

 彼女は瞬時に左足を窓枠に引っ掛けてから右手を離す。

 足だけで宙ぶらりんになりながら、サブマシンガンを乱射。

 

 

 乗っていた者が全員やられ、脇に並ぶ雑貨屋に突っ込んで沈黙した。

 

 

 

 次は左、運転席側から刺客。

 マクレーンは頭を下げて銃弾を避けながら、車体を思い切りぶつける。

 

 押された敵車両は、街灯に衝突。一気に五台を片付けた。

 ぶつけた際の衝撃でドアはまた閉まり、ロベルタは車内に戻る。

 

 

「感謝いたしますわ」

 

「最高だろ? マクレーンタクシーは」

 

 

 忍び笑いを浮かべながら、前方を見やる。

 

 

「目的地は目の前だぜぇ」

 

 

 ガルシアを乗せた車は、もう三メートルほどの距離だ。

 

 

 

 

 

 一方、ラグーン商会らの車。

 どんどん距離を詰めるマクレーンとロベルタを前に、戦闘準備に入る。

 

 

「ガキがいる! 無闇には撃ってこねぇッ!!」

 

「関係ねぇよぶっ殺すッ!!」

 

 

 レヴィは「ソード・カトラス」と名付けられた、ベレッタM92Fのカスタムモデルを構えた。

 そして照準を瞬時に合わせ、二人目掛けて引き金を引く。

 

 助手席より半身を出し、ダッチもリボルバーで援護する。

 

 

「うおっと!?」

 

 

 マクレーンもロベルタも姿勢を低くし、回避。

 ビシバシとフロントや、頭のあった座席の上部に弾痕が出来る。

 

 

「おっかねぇーッ! 確か、レヴィって奴か!? あいつは相当、腕が立つぞ!」

 

「若様に当てたくはありません」

 

「どうすんだ!?」

 

 

 ロベルタは射撃の合間を狙って身体を現し、インベルを撃つ。

 危険を察知したレヴィは身体を引っ込め、座席に戻った。

 直後、リアガラスを抜けた弾丸が椅子の間を縫って、フロントガラスから抜けた。

 

 

「当てないように、撃ちます」

 

「…………もう俺はなにも言わねぇよぉ〜……」

 

 

 先ほどの驚異的な射撃スキルを見たダッチは、レヴィに警告した。

 

 

「前言撤回するぜクソッタレ! 奴はガキを避けて撃てるようだぜッ!!」

 

「上等じゃねぇか……おいロック!!」

 

「なんだよ!?」

 

「助手席の下にもう一挺、拳銃がある! それ寄越せッ!! さっさと渡さねぇとオメェから殺すぞッ!!」

 

「物騒過ぎるだろ……!」

 

 

 一瞬だけ躊躇したものの、状況はやるかやられるかだ。

 ロックは頭を下げて助手席に潜り、紐で固定されていたベレッタを抜き取り、レヴィに放り投げた。

 

 

 彼女は上手くキャッチし、「二挺拳銃(トゥーハンド)」となった。

 

 

「あぁ、物騒だろ……もっと恐ろしいモン見してやるぜ……!」

 

 

 完全に火の付いたレヴィは、一回の呼吸の後に窓へ飛び出し、片足をトランクに出すほどにまで身体を出した。

 そのままマクレーンとロベルタへ、間髪なしに拳銃を撃ちまくる。

 

 

「クソッ!! やべぇえーーッ!?」

 

「スピードは出来るだけ落とさず、蛇行運転を」

 

 

 マクレーンは頭を下げながらもハンドルに縋り付く。

 ロベルタは回避してばかりでは勝てないと踏んだのか、何とレヴィ同様、フロントに片足を出すほど姿を晒し、応戦した。

 

 

 車を左右に操作し、出来るだけ被弾率を下げてやる。

 それでもロベルタはバランスを崩す事なく姿勢を保ったまま、自前のインベルで撃つ。

 

 

RONIN(ローニン)でもやってねぇよなぁ、こんなカーチェイスはよぉッ!!」

 

 

 マクレーンは必死に車の舵を切りながら、それでもスピードだけは落とさないように努力した。

 

 だが近付けば近付くほど、被弾のリスクは高まる。

 近付いてどうするのかと疑問に思っている内に、もうラグーン商会の車は目と鼻の先。

 

 

「あの女から殺しますわ」

 

「あの女ぶっ殺してやる」

 

 

 二人の銃口が、各々の眉間を捉えた。

 

 

 

 

 

 その瞬間、マクレーンの車は大きくバランスを崩した。

 ロベルタもそれには耐えきれられず、フロントに掴まって姿勢を乱した。

 

 

「クソッタレぇッ!!」

 

 

 レヴィの放った弾丸は、アスファルトに落ちる。

 

 

 

 

 

「追い付いたぜぇ〜〜〜!?!?」

 

 

 

 あの、三人の男たちだ。

 ニトロブーストを使用しているのか、異常な馬力で運転席側から車体をぶつける。

 

 

 

「あいつら、あん時の……ッ!!」

 

 

 後少しと言う距離なのに、思わぬ邪魔が入ってしまった。

 無表情なロベルタだったが、その時に初めて、悔しげに歪められた。

 

 

「……そのまま、真っ直ぐ突っ込んでください」

 

「はぁ!? 正気かお前!?」

 

「黙ってその通りにしてください」

 

 

 ロベルタは一瞬だけ車内に潜ると、後部座席からトランクケースを持ってまた、フロントに出た。

 ケース自体も防弾仕様なのか、レヴィの弾丸を防ぐ盾になっている。

 

 

「おいおい、ホプリタイのつもりかてめぇ!?」

 

 

 ますます接近するロベルタへ、何発もの銃弾を浴びせる。

 ケースで防ぎつつ撃ち返すロベルタ。

 

 

 その内、三人の男たちの車は、マクレーンらの車の後方まで下がる。

 スピンさせるつもりだ。

 

 

「ロベルタッ!! 駄目だッ!! 戻れッ!!」

 

 

 彼女を引き摺り入れようと、マクレーンは手を伸ばした。

 

 

「女を車から落としてやるぜええええええッ!!!!」

 

 

 勢いを付け、車へ突撃した。

 

 

 ロベルタを掴もうとしたマクレーン。

 代わりに掴んだ物は、投げられたトランクケースだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 車がスピンする刹那、何とロベルタはフロントを走り、ラグーン商会の車へ飛んだ。

 拳銃を撃ちながら、ゆっくりゆっくりと、トランクの方へ落ちる。

 

 

 

 ロベルタがレヴィの腕を掴んだ。

 トランクに叩きつけられた。

 

 

 

 コントロールを失ったマクレーンの車が電話ボックスへ突っ込んだ時には、彼女はラグーン商会の車への乗り込みに成功していた。

 

 

 

「乗りやがったよダッチぃッ!?!?」

 

「何とか振り落とせッ!!」

 

 

 ベニーは車体を振り、ロベルタを落とそうと試みた。

 だが彼女はレヴィを掴んでおり、簡単には落ちない。

 

 

「てめッ……!!」

 

 

 もう片方の銃で撃とうとするも、瞬時にロベルタはもう片方の手で組み伏せ、阻止する。

 レヴィは踠いて腕を外すが、ロベルタは既に銃を向けており、引き金を引いた。

 

 大きく身体を揺さぶって、回避するレヴィ。

 至近距離過ぎるが故に、互いに照準が定められにくい状況と化していた。

 

 

 

 

 

 

 一人置いて行かれたマクレーン。

 カルテルらの車が通り過ぎる最中、一台の車が停まる。

 

 

「奴はどうする?」

 

「無視だ、無視ッ!! あのメイドを殺せば、遊んで暮らせる金が手に入るらしいぞ!!」

 

「マジかよ!! そりゃ行かねぇとなぁ!!」

 

 

 クラッシュしたマクレーンの車を無視し、他の四台を追って、ロベルタを追いに行く。

 

 

 

 そのすぐ後に、傷だらけの身体でマクレーンは車から這い出した。

 

 

「だああぁ……! 死ぬかと思った……!」

 

 

 エンジンの確認をするが、この車は頑丈に改造されており、まだ走れるようだ。

 その時に、ハンドル下にあるレバーに気付いた。

 

 

「……ニトロ使えるのかぁ? そりゃ良い、すぐに追い付いて……」

 

 

 追い付いて、どうする。

 

 カルテルや殺し屋の車が五台、イカれた奴らの車が一台、ガルシアを奪われないよう必死のラグーン商会。

 

 武器もない、手負いの自分に何が出来る。

 しかしこのままでは、ロベルタはおろか、ガルシアも危険だ。

 

 

「……クソッ!! 何か、何かねぇか……!?」

 

 

 縋る気持ちで武器を探そうとするマクレーンだが、車内にある物を見つけて、歓喜する。

 一気に全てがどうにかなる、一つの方法を思いついた。

 

 

「……ハッハーッ!! 俺もイカれてるぜ全く!!」

 

 

 マクレーンはすぐに後部座席のドアを開き、ずっと座らせていた死体を車外に引き摺り出した。

 

 

「今に見てやがれ。フェスティバルのフィナーレを飾ってやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃口を向けては逸らされ、を繰り返すレヴィとロベルタ。

 その時にロベルタの足元へ、銃弾が当たる。

 三人の男の狙撃手が、狙い撃っている。

 

 

「近付けぇぇえッ!! ファックしてやるぅぅぅううッ!!」

 

「なんか分からねぇが全員殺すぅぅうッ!!」

 

「ヤッハーーーーッ!! 死ねぇえええッ!!」

 

 

 彼らには一欠片の理性もないようだ。

 ブーストさせた車で小突いて来ながら、狙撃手の男は弾を入れ替えている。

 

 

「ダッチ、ダッチダッチ……! マズい事になってるぞ……!!」

 

 

 ベニーは顔面蒼白で、サイドミラーを見やった。

 

 

 カルテルや殺し屋の残りの車が、包囲するように並走していたからだ。

 そのままロベルタもラグーン商会も無関係に、銃を撃ちまくる。

 

 

「あいつら、僕らも巻き込むつもりだぁ!? もう子どもは捨てるつもりか!?」

 

「狙いは彼女なのか……!?」

 

「伏せろッ!! 伏せるんだロックッ!!」

 

 

 ダッチの叫びに合わせ、ロックはガルシアと一緒に屈む。

 席の上部には、幾多もの銃弾が飛び交っていた。

 

 

「ああ、聖母マリア様……!」

 

 

 ガルシアは祈るしかない。この地獄のど真ん中で。

 しかしそれでも、顔を上げた。

 

 

 

 

 

 依然としてレヴィと組み合う、ロベルタの姿だ。

 

 いつも笑顔で自分と接し、遊んでくれたあのロベルタ。

 

 今は鋭く、憎しみに満ちた眼差しで、人を殺そうとしている。

 

 

 こんな彼女の姿は、見たくなかった。

 だからこそ自分は一緒に逃げ出した。

 逃げ出した先がこの惨状だった訳だ。

 

 

 最初から抵抗せずに受け入れ、遠い国に行けば良かったのか。

 

 悪漢を蹴散らす彼女に安堵の息をすれば良かったのか。

 

 バーの時にて彼女の胸に飛び込めば良かったのか。

 

 

 

 

 

「……どうしてだよぉ……!」

 

 

 

 ただただ、月だけ綺麗な最悪な夜を、呪うだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「素敵な夜だぜ、コロンビアンどもぉ」

 

 

 車の群へ、猛スピードで向かって来る一台の車。

 ニトロブーストによって、まるでジェットのように火を噴く車の後方。

 

 

 

 運転席には、あの死体が座っていた。

 死体の腕でハンドルを固定させ、アクセルを踏みっぱなしにさせる。

 真っ直ぐだけだが、これで車を自動的に走らせられた。

 

 

 

 

 では、マクレーンはどこなのか。

 

 

 

 彼はフロントに堂々と座っていた。

 

 

 

 ロベルタの、「トランクケース」を構えて。

 

 

 

 火を噴いて爆音を響かせ迫るその一台の車は、全ての車のミラーに映った。

 

 楽しげに笑う、マクレーンの姿も。

 

 

 

 

 

 

これでも食らえ(イピカイエー)MOTHER FUCKER(クソッタレ)

 

 

 

 

 

 

 赤い引き金を、引いた。

 

 

 

 

 次の瞬間、連続的な射撃音が響く。

 

 発射された徹甲弾は、簡単にカルテルや殺し屋の車を蜂の巣にして行く。

 

 薄い鉄板を突き抜け、中にある人間はただの肉塊と化して行く。

 

 三台が盛大にクラッシュした。

 

 命からがら生き残った二台が、マクレーンを止めようと急停車する。

 

 

 

 そのまま彼はケースを返し、今度は青い引き金を引く。

 

 ボンッとくぐもった音が響き、発射されたグレネード弾が二台の車の足元に落ちた。

 

 次の瞬間、夜空に車が舞い上がった。

 

 爆発、炎上し、夜を激しい光で包む。

 

 

 

 破壊された車と、立ち昇る炎と煙の隙間を、車は走り抜ける。

 

 

 ジョン・マクレーンはたった一分で、五台の車を葬った。

 

 

 

 

 

 騒動を聞き、ロベルタは振り返る。

 

 愕然とする三人の男たちの車の後ろに並ぶ、一台の車。

 

 

 フロントに座るマクレーンはケースを下ろし、高々に腕を掲げた。

 

 

 

 

「見たかヤク中どもぉッ!! 死者の日の最後を飾ってやったぜぇッ!!」

 

 

 

 

 輝く月と、赤々と燃え盛る炎を背景に、マクレーンは叫ぶ。

 

 その様を、割れた眼鏡越しにロベルタは見つめていた。

 

 車窓から顔を出した、ガルシアとロックは見ていた。




「Wonderful Tonight」
「エリック・クラプトン」の楽曲。
1977年発売「Slowhand」に収録されている。
言わずと知れた、ギターの神様。
甘く情緒豊かで官能的な音色は必聴。


「ポール・カージーのパクり」とか言ってたけど、「狼よさらば」のリメイクでブルースはマジにポール・カージーになっております


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Wonderful Tonight 2

 女性が通路の真ん中を歩く。

 携帯電話を耳元に付けた。

 

 

「状況を」

 

 

 彼女が廊下に均等に並ぶ扉の前を抜ければ、まるで陽の光を浴びて開花するかのように、バタバタと開け放たれ男たちが出て来る。

 その手には皆、小銃を掲げていた。

 

 

『イエロー・フラッグは半壊。主人の無事は確認しました』

 

 

 羽織ったコートを靡かせる女の後を、男たちは追従する。

 

 

『「猟犬」、「刑事」、「ラグーンクルー」、共に消失』

 

 

 気付けば廊下には、規律の整った靴音が響いていた。

 軍靴のようだ。

 

 

『先ほど、商店エリアの方へ向かったとの報告があります』

 

「そこを離れるな伍長、情報収集を継続せよ」

 

『了解……あと、カルテルの追っ手は「刑事」が処理したとの事』

 

 

 冷たい表情をしていた女だが、その時だけは口元を綻ばせた。

 

 

「部隊を連れて商店街に向かう。定時報告を十分おきに。以上だ」

 

『了解』

 

 

 通話を終え、後ろに控えていた、顔に傷痕のある男に渡す。

 

 

「正直、出来過ぎているように思えますが」

 

「あれは相当、死神に好かれているよ。しかも我々の楽しみを半分、奪って行った」

 

「ワトサップらの言いなりで良かったのですか?」

 

「その分、楽しみを提供してもらう予定だ」

 

 

 多くの「兵」を従え、顔面に火傷痕を携えながら女は建物を出る。

 

 

 やけに月が綺麗な夜だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰しもが彼の凶行に唖然とする中で、ベニーは髪をぐしゃぐしゃに乱しながら呟く。

 

 

「……ダッチ。彼、前々からロアナプラに住んでいたって事はないかい? 今、僕の『ロアナプラでイカれている奴ランキング』上位に彼を割り込ませたいんだけど」

 

「ニューヨーク用のを設けとけ。チャック・ノリスも無理だろ、あんなイカれたアクション」

 

 

 とは言えマクレーンも危険だと承知だったのか、いそいそと運転席に戻っていた。

 ニトロを切り、トランクケースと一緒に助手席に座り、ハンドルを握りながら死体を蹴飛ばす。

 

 蹴飛ばされた死体は、壊れてロックのかからないドアから高速の状態でアスファルトに放棄された。

 

 

「死んで役に立てたなぁ、間抜け」

 

 

 邪魔者を大勢処理したところで、マクレーンは再びドライバーに戻る。

 彼の方を見ていたロベルタだったが、レヴィの攻撃に対しての警戒は怠っていない。

 そっぽ向いたまま身体を逸らし、銃弾を避ける。

 

 

「なんだてめぇ!? 頭の後ろに目でもあんのかぁ!?」

 

 

 矢継ぎ早に発砲しようとするレヴィだが、残ったもう三人の邪魔者によって阻止される。

 弾を装填した後部座席の男が、ラグーン商会の車を撃ち始めたからだ。

 

 

「おいッ!? 後ろに怪物が追って来てんだぞ!? 逃げようぜッ!?」

 

「うるせぇーーッ!! クソックソッ、皆殺しだぁーーッ!!」

 

 

 男は身体を窓から出して、今度はマクレーンの車両を撃つ。

 

 

「見境いなしかクソッタレども!」

 

 

 片手でハンドルを操作しながら、もう片方の手でトランクケースを持ち上げ、ミニミ機関銃を発射する。

 

 フロントで両手で発砲していた時より、取り回しが難しい。

 右へ左へ避ける三人を乗せた車には、笑えるほど当たらなかった。

 

 

 

 その内の一発が、ラグーン商会のトランクに着弾。

 

 ロベルタの足元だ。

 

 ニトロで一気に駆け迫れた為、下手をすれば彼女やガルシアを巻き込みかねない距離まで来ていた。

 

 

 またこの車は前方の車のバックに張り付いているので、グレネードを使うなんて自殺行為だ。

 撃つ為に距離を置く必要があった。

 

 

「クソッタレ。仕留め損ねたのが痛かったぜ」

 

 

 マクレーンはアクセルを思い切り踏み、出来る事ならスピンさせてやろうと前方の車にぶつけてやる。

 三人は前のめりに倒れた。

 

 

「うぃ!?」

 

 

 衝撃でつい引き金を引いた狙撃者の銃弾は、レヴィの耳元を掠めた。

 それを見たダッチが、後方の三人へ同情する。

 

 

「……誰か死んだな」

 

「やりやがったなウスノロジャンキーどもッ!!」

 

 

 キレたレヴィが片方のベレッタで、三人を狙った。

 照準が向けられている事に気付いた運転手は、左にハンドルを切る。

 

 

 

 レヴィの弾丸は、真っ直ぐ発射された。

 左へ車が避けたばかりに、助手席の男が撃たれて死んでしまう。

 

 

「ああぁ!? あいつ、仲間を殺しやがったッ!?」

 

「これで逃げるだのは無しになったぁあッ!! 殺すぜぇ〜〜〜ッ!!」

 

「……ああ! 轢き殺してやるぅぅーーッ!!」

 

 

 ラグーン商会とは五メートルほど、距離が空いてしまった。

 その距離を埋める為に、運転手は再びニトロのレバーへ手をかける。

 

 

「まだだ、まだだ……ふへへ……」

 

 

 

 

 

 

 ロックは耐えきれずに運転席側へ顔を出し、ベニーに尋ねた。

 

 

「ベニー! どこまで逃げるつもりなん……うおっと!?」

 

 

 ロベルタの撃った弾が髪を掠めた。

 ダッチが応戦する隣で、ベニーは叫ぶ。

 

 

「ガソリンがあるなら、北京にだって行ってやるよッ!!」

 

「質問が悪かった! どこへ向かってんだ!?」

 

「ええと……商店街方面だ! 入り組んだ所に行けば、最低でも後ろの追っ手は撒ける!」

 

「………………」

 

「どうしたんだロック!? 何か、考えがあるのかい!?」

 

 

 頭の中で、商店エリアの地図を描く。

 たった一週間で、彼はロアナプラの地理を把握していた。

 その上で、この先にある「一つの道」を思い出し、邪悪な作戦が浮かぶ。

 

 

「……あぁ、クソッ。とうとう、俺もイカれて来たかもな。一週間前に船の中で頭をぶつけてから、脳みそがおかしくなったかもしれないなチクショウ」

 

 

 ロックは誰にも聞こえないようにぼやきながら、銃弾が飛び交う中なんとかベニーの耳元にまで寄る。

 

 

「この先にある、路地に入るんだ」

 

「路地!? あんな車一台しか入らないような……」

 

 

 そこまで言ったところで、ベニーは察してしまった。

 

 

「……嘘だろ?」

 

「勝負は、奴らがニトロをかけた時だ。俺の指示通りにスピードをコントロールしてくれ」

 

「……あぁ。サンタマリアでも何でも良いから、僕も祈りたいよ」

 

 

 引き攣った顔で承知し、彼は思い切りハンドルを傾け、路地に入って行く。

 ロックはガルシアを抱え上げ、運転席の方へ押し入れた。

 

 

 

 

「お祈りなら、この子が済ました。後は神のご判断に任せるしかないぜ」

 

 

 目には恐怖が宿っている。

 しかしロックの口元は、楽しげに釣り上がっていた。

 

 

 

 

 弾の回避と、ロベルタの振り切りを目的に激しく蛇行を繰り返していたラグーン商会の車。

 

 だが突然、車体の姿勢が整った。

 その状態のまま、狭い路地へ突っ込んで行く。

 

 

「おいおい! 撒くつもりかぁ!?」

 

「その道は一直線だ! デッドエンドだよぉ〜〜ッ!!」

 

 

 三人の車も路地に侵入する。

 一台入れば、後は人間一人分のスペースしかなさそうな狭い路地。サイドミラーを片方ぶつけて、破損させた。

 

 

 

 

 マクレーンも続こうとしたが、きな臭さを感じて路地を通り過ぎる。

 

 

「なんだ? なんでわざわざ狭い一本道を……」

 

 

 次にマクレーンは「あぁ、そういう事かよ!」と察知し、ハンドルを殴った。

 

 

「回り込めねぇか!? ロベルタがヤベェぞッ!!」

 

 

 ニトロを再び起動させ、超高速で道を突き進む。

 あの二台よりも、ラグーン商会よりも先に行かなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 道は直線。

 深夜で閑散とした路地に、爆音が轟く。

 

 

 ラグーン商会と、三人──二人の車とは、六メートル離れていた。

 

 

「ガルシアくん。ダッチに掴まってろよ」

 

「待って……なにするつもりなんだ……?」

 

「最初に言っておくけど……結果次第で俺を恨んでくれて構わないからな」

 

 

 ベニーは後方から飛んで来る銃弾に怯えながら、バックミラーを覗く。

 

 

「あいつらの車しかないよ!?」

 

「さすがはマクレーンさんだ。気付いたか?……でも、二が一になっただけだ。構わない、実行だ」

 

 

 ダッチはガルシアを抱えながら、溜め息を吐く。

 

 

「ジョン・マクレーンがアクションヒーロー的なイカれ具合なら、お前はヒール的なイカれ具合だよ。タイムコップの黒幕か?」

 

「軽口は後にしてくれ。もう、いっぱいいっぱいなんだ」

 

 

 レヴィとロベルタの撃ち合いは続く。

 

 

「クソッタレぇぇえッ!! いい加減にくたばれボケッ!!」

 

 

 互いに腕を掴み合い、とうとう膠着状態となる。

 

 

 後を追う男二人。

 気付けば狙撃者はマクレーンの真似をするかのように、フロントにヨタヨタと身体を這わせていた。

 

 

「今だぁッ!! ブーストしろぉ!! 近付いて、撃ち殺すぜぇ〜〜ッ!!」

 

 

 運転手は、助手席に座る死んだ仲間を抱き寄せ、レバーに手を掛ける。

 

 

「おめぇの仇は取るからなぁッ!! 取るからなぁッ!! 取ってやるうううううッ!!!!」

 

 

 とうとう、レバーを引く。

 

 ナイトラス・オキサイドがエンジンに注入。

 

 爆発するような急加速。

 

 ラグーン商会の車へ、一気に飛び込む。

 

 

 

 

 その様を見て、ロックはニタリと笑った。

 

 距離、あと一メートル越して数センチ。

 

 

「……三秒後だ、ベニー」

 

 

 ガルシアは堪らず、ロベルタへ叫ぶ。

 

 

「駄目だロベルタっ!! 降りてッ!?」

 

「──ッ!!」

 

 

 彼の声を聞き、ロベルタは瞬時にレヴィの腕を解放してから天井上へ乗る。

 彼女も何が起きるのかを理解したようだ。

 

 

「てめぇッ!? どこ行きやが──」

 

「レヴィ、掴まれぇッ!!」

 

「あぁ!? なにしやがんだロック!?」

 

 

 ロックはレヴィを羽交い締めにし、運転席側へ一緒に倒れた。

 

 

 二人が座席の下の隙間に落ちた事を確認すると、ベニーは────

 

 

「神のみぞ知るってか、クソッタレ」

 

 

──ブレーキを踏んだ。

 

 

 

 

 

 

 急ブレーキがかかり、車内の全員は前方へのめり込む。

 

 

 ロベルタはリアガラスの窓枠を掴み損ない、前方へ吹き飛ぶ。

 

 

 しくじったか。

 しかし眼前に迫る、「ニトロで暴走した車」を見て、このブレーキは前章に過ぎないと把握した。

 

 

「止まんねぇえクソぉぉぉおおおおおおッッッッ!!??」

 

「あああああああああああああああああッッッッ!!??」

 

 

 

 

 

 

 一直線の狭い道、横に避けるなんて出来ない。

 

 

 二人の車は、ラグーン商会の車と衝突した。

 

 

 三つ足の姿勢でフロントに這っていた男が吹っ飛び、車と同じ速度でぶつかって砕けた。

 

 

 

 

 四肢の力を抜き、ロベルタは慣性の法則に従った。

 

 彼女が前へ吹き飛んだと同時に、この車の後部が持ち上がる様を眺められた。

 

 このまま残っていれば、自分はプレスされていただろう。

 

 

 

 とは言えこのままでは、自分はアスファルト上で擦りおろされてしまう。

 

 受け身の姿勢を取る最中、運転席からこちらを見る、ガルシアの姿が窺えた。

 

 

 愕然とした面持ちで、声は聞こえないが「ロベルタ」と叫んでいる。

 

 

 

 

 自分は出来るだけやった。

 

 後は、神のみぞ知る。

 

 

 

 

 

 

 

「到着だぁぁぁぁあッ!!!!」

 

 

 傍の小道から出て来た車。

 停車してすぐに運転席からフロントを走り、地面へ落ちようかとなるロベルタの前へ飛び込む。

 

 

「クソッタレぇぇえええッ!!!!」

 

 

 ロベルタと衝突し、彼女の速度を軽減。

 そのまま自身の身体で受け止める。

 

 一度だけガツンとフロントに倒れてから、ポタリと地面に落ちた。

 

 

 一頻り衝撃は止まり、即座にロベルタは救出者から離れる。

 

 

 

 苦悶の表情で怪我だらけでうめく、マクレーンの姿があった。

 

 彼は間に合ったようだ。

 

 

 

「……大丈夫でしょうか?」

 

「大丈夫に見えるかぁ……?」

 

「……マクレーン様、なぜ……」

 

「イテェよぉ〜……それより、やる事やるぞ」

 

 

 ロベルタは拳銃を、マクレーンは助手席に置いてあるトランクケースを持って、ラグーン商会の車へ近付いた。

 

 

 

 

「クソがぁ……! 仇取ってやるぅ……!」

 

 

 最早、人間の形を取っていない狙撃者の死体を横目に、エアバッグのお陰で何とか生き残った運転手がヨタヨタと車から出る。

 最初にマクレーンに折られた鼻が、更に曲がってしまっていた。

 

 死んだ仲間の形見でもあるナイフを握り、ぶつかった車の中にいる者を刺し殺すつもりだ。

 

 

「女から殺してやるぅ……!」

 

「おい」

 

「あ?」

 

 

 マクレーンは容赦なく、ミニミ軽機関銃の徹甲弾を浴びせ、引導を渡してやった。

 

 弾がまだ出る事を見せ付けてから、再びラグーン商会の者らへ銃口を向ける。

 

 

「子どもぉ〜……あー……名前はなんだっけ?」

 

「ガルシア・ラブレス様です」

 

「オーケーオーケー。ガルシア少年を解放しろぉい。さもなきゃ近付いて、少年以外は全員挽き肉にしてやるぞぉ!」

 

 

 二人は迎撃を警戒しながら、ゆっくりと大破した車の方へ近付く。

 

 

 

 

 

 

 

 車内は滅茶苦茶だった。

 

 後方の車から吹っ飛んで来た男の一部や、ガラスだので酷い有り様だ。

 

 

 ロックとレヴィは、痣だらけの状態で狭くなった後部座席より顔を出す。

 

 

「シェイカーに入れられた酒の気分が知れたぜ、クソッタレ……」

 

「べ、ベニー、ダッチ、ガルシアくん……だ、だ、大丈夫か?」

 

 

 頭をフラフラさせながら、ダッチとベニーが親指を突き出して腕を上げる。

 

 

「衝突実験の被験者に、世界で初めてなれたよ」

 

「シートベルトの有り難みを感じられたぜ……はち切れそうだったが……」

 

 

 そこでダッチは、自分が抱えていたハズのガルシアがいない事に気付く。

 

 

 彼はヨタヨタと、覚束ない足取りで、外に出ていた。

 

 

 

 

 その先には、凶器抱えた怪物が二人。

 

 

「……ロック。お守りが風で飛んでった。もう容赦はされねぇぞ」

 

 

 レヴィは急いで、衝撃で手放してしまった二梃の拳銃を探し、何とかカトラス・ソードだけを見つけ出す。

 

 

「やられる前に、やってやるぜチクショー……!」

 

「ま、待てってレヴィ……! お前も見ただろ、カルテルの連中が吹き飛んだ様をなぁ……! ミンチにされて終わりだぞ……!?」

 

「ガキがあっちに行ったらどの道終わりだボケ……! こっから……撃ち殺す……!!」

 

 

 マクレーンらに悟られないよう、ゆっくりと照準を向ける。

 

 

 

 

 

 

 

 フロントガラスから這い出したガルシアを見て、ロベルタは銃の構えを解いた。

 

 

「あの子だな。無事そうか?」

 

「若様っ!?」

 

 

 およそ今日初めて聞いたであろう、彼女の血の通った声。

 小さな身体では強過ぎた衝撃で、フラフラと覚束ない。

 

 

「あ……う……ロベルタ……? 怪我、は?」

 

「……ッ!」

 

 

 耐え切れずに、ロベルタから彼の方へ駆け寄る。

 車内からの射撃を警戒していたマクレーンは、彼女を止めようとした。

 

 

 

「ああ、バカ女。そのまま、その間抜けツラ持って来い」

 

 

 レヴィは、完全に油断しきった彼女の頭部に照準を合わせ、引き金に手を掛ける。

 

 

 

 

 

 それを、ロックは止めた。

 

 

「何しやがる!? てめぇごと撃たれ……!」

 

「いいやレヴィ……銃を向けるのがマズい状況になった」

 

「は……?」

 

 

 

 

 いつの間にか、暗がりの路地に眩い光が差し込んでいた。

 

 逆光を浴び、多くの者と並び立つ存在の姿も確認された。

 

 

 膝をつきかけたガルシアを、ロベルタは支える。

 

 

 マクレーンは敵かと思い、銃口を向ける。

 

 

 だがすぐに、彼から武装を解いた。

 

 

「……クソッタレ」

 

 

 空を見上げると、月光に照らされ、建物の屋上からこちらを狙う者たちの姿が。

 

 手練れのスナイパーだろうか。

 とてもどうにかなる相手ではない。トランクケースを落とし、両手を上げて頭の後ろに組む。

 

 

 

「動くな」

 

 

 

 コートを靡かせ、彼の元へ一歩一歩近付く女性。

 

 逆光の影で隠された顔が、次第に鮮明になる。

 

 

 

 彼女の、右顔面に出来た「火傷痕」を確認した時には、マクレーンとは目と鼻の先だ。

 

 

「ご協力に感謝しますわ」

 

「……ロシア人か?」

 

「お初にお目にかかるわ。是非一度、お会いしたかったもので」

 

 

 マクレーンと向かい合わせになる。

 

 

「私の事は『バラライカ』と呼んでもらって構わないわ」

 

 

 光なく、狂気に爛々とした瞳。

 

 愉悦を滲ませたサディスティックな微笑み。

 

 そして視線を受け、近くに立たれるだけで浴びせられる威圧感。

 

 

 

 

「ジョン・マクレーン警部補さん」

 

 

 マクレーンは下唇を噛みながら、しかと彼女の人相を目に焼き付ける。

 

 

 

 

 バラライカ、間違いない。

 

 彼女こそが、このロアナプラの実質的な支配者。

 

「ホテル・モスクワ」、タイ支部のトップ。

 

 

 

 

 

「バラライカさんねぇ。はじめまして」

 

 

 噂に聞くなら、「死神も泣いて許しを請う怪物」らしい。

 

 マクレーンは場違いに笑って、挨拶を交わした。



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Living Loving Maid

 盛大にひしゃげた二台の車を、レッカー車が運んで行く。

 辺りは小銃を持った男たちが仕切り、事後処理が続く。

 

 これだけの騒ぎだと言うのに、近隣から野次馬が一人も現れない。

 それはこの彼らが、この最悪な街で最も恐ろしい連中だと周知になっているからだ。

 

 

 目が据わったロシア人の集団を見たなら、後ろめたい事がなくても触れてはならない。

 一つそれが街に住む無法者たちにとっての暗黙の了解となっていた。

 

 

 

 

「船の燃料費、レヴィの医療費、車のスクラップと新車の費用、イエロー・フラッグへの修繕費……」

 

 

 運ばれて行く車を見ながら、ダッチはタバコを燻らし頭を掻く。

 隣にいたバラライカへ、愚痴をこぼしているようだ。

 

 

「全く。たった一日で大損だ。陳の野郎の件に続いて、最近はツイてねぇ。仕事は選んでいるつもりなんだが」

 

「まあまあ。あなたには色々と借りがあるし、私から慰問金って事で立て替えてあげるわよ」

 

「そりゃありがたい。ラグーン商会存続の危機は脱した訳だ」

 

「その分、今度大きな仕事があるから、またお願いするわね」

 

「あんたは飴と鞭が上手いな。オーケー、また連絡をくれ」

 

 

 短くなったタバコを道に捨てて踏み付け、ダッチはその場を離れようとする。

 その時、不意にバラライカに呼び止められた。

 

 

「でもあなた、ツイているって言ったらツイているんじゃないかしら?」

 

「あぁ。バケモン二人から逃げ切ったんだ。五体満足でいられる事に感謝するぜ」

 

 

 疲れ気味に苦笑いをこぼして、ダッチはまた足を動かした。

 

 

 

 後に残ったバラライカ。

 彼女の視線は、表通りへの道に注がれている。

 

 

 

 

 

 

 

 最早、大きな鉄屑と化した二台の車がレッカーされて行く様を、マクレーンは表通りの路肩で眺めていた。

 マルボロを取り出して口に咥え、ライターを探そうとポケットを探る。

 

 

「……あー、クソッ。マジか」

 

 

 しかし、あれだけ暴れた後だ。

 

 ポケットからはぐしゃぐしゃにへこみ、オイルが漏れ切ったライターが出て来る。

 マクレーンは舌打ちをかまし、壊れたライターを路上に投げ捨てた。

 

 

 予備の物はなかったか。

 すっかりボロボロになってしまった服を弄っていたところで、隣に誰かがやって来た。

 

 その人物はピシッと立っている。

 

 

 割れた眼鏡が窺える、共にここまで突っ切った仲間の横顔だ。

 

 

 ロベルタ。

 

 いや、彼女の本名は、別にあった。

 

 

「……どっちで呼んだらいいんだ?」

 

「………………」

 

 

 眼鏡を取り、持っていたハンカチで拭き始める。

 マクレーンは少しだけ、さっきの事を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「えぇ。よろしくね。そしてようこそ、ロアナプラへ」

 

 

 表面上はにこやかだ。

 だがどうやっても、目の奥に潜む狂気は隠せまい。

 

 

「武器はもう持ってないわよね?」

 

「……拳銃が腰に。だが弾切れだ」

 

「ないなら良いわ。また後でお話しするから……少し待っててくださらない?」

 

 

 バラライカは腰より、「スチェッキン・フル・オートマチックピストル」を抜くと、ロベルタへ構えた。

 即座にマクレーンは止めようとしたものの、彼女の部下が彼を囲み、銃口を突き付ける。

 

 

「撃たないわ。これは保険よ」

 

 

 ロベルタはガルシアを支えつつ、キッと睨み付けていた。

 一度は降ろしていた銃を構えようとしたものの、ぐったりとしているガルシアを思い出し、引き金まで指を動かせずにいる。

 

 

「……良い事を教えてあげる、メイドさん」

 

 

 バラライカから聞かされた話は、物騒ながらも吉報だった。

 

 

 

 彼女が所属するホテル・モスクワはどうやら、最初からマニサレラ・カルテル相手に「仕掛ける」つもりだった。

 各地の主要な拠点を各々の支部が押さえ、麻薬と武器のルートを乗っ取る算段だ。

 

 

 つまりガルシアを攫った犯人たちは、海を越えたベネズエラの本拠地からすでに壊滅。

 もう彼を追う者は誰一人、いなくなった。

 

 

「タイの受け持ちは私の役目だったけど……正直、驚いたわ。あなたたち二人でほぼ、やっつけたのだもの。お陰様で向こうが混乱している内に、楽々制圧したわ」

 

 

 彼女の表情には愉快が半分、つまらなさが半分だ。

 そんな曖昧な顔で、全ては解決したと聞かされて唖然とするマクレーンを見やる。

 

 

「私がやりたかった事をやっちゃって、少し羨ましいわね。楽しかったかしら、マクレーン警部補さん?」

 

 

 話しかけられ、マクレーンは鼻で笑う。

 この時は何も答えなかった。

 

 

「まぁ、仮にホテル・モスクワの介入がなくても、あなたたち二人で奪還しちゃってたかもね。残党も吹っ飛ばして、ロアナプラから脱出? まさに噂通りね」

 

 

 バラライカは冷たく微笑み、ロベルタを眺める。

 彼女の言った「噂通り」の意味を察知し、ロベルタは今まで見せなかったような凶暴な表情を現した。

 

 明確で強靭な殺意を纏った、鋭い眼光。

 マクレーンは驚き、目を見開く。

 

 

「やめろ……!」

 

「ねぇ?『フローレンシアの猟犬(エル・ブエロ・ガザ・デ・フローレンシア)』さん?」

 

 

 ロベルタは躊躇していた引き金へ、指をかけた。

 だが部下たちの銃口は彼女の他に、ガルシア、マクレーンへ向けられている。

 

 抵抗する闘争心を、必死に堪えた。

 

 

「フローレンシアの……猟犬?」

 

 

 ガルシアは何とか顔を上げ、ロベルタを見つめる。

 何も知らない、無垢な声。それを聞きバラライカは、実に楽しそうな笑みを浮かべた。

 

 

「坊やはご存知ないのね。マクレーン警部補さんは?」

 

「なんで俺に聞くんだ。知る訳ねぇだろ、今日初対面だ」

 

「本当に面白いわね。初対面なのに、素性不明の女と地獄の一歩手前までドライブした訳?」

 

「南米の麻薬カルテルだのは嫌いなんだ。昔そいつらを牛耳っていたらしい、『クソ独裁者』を思い出す」

 

 

 それを聞いた瞬間、ロベルタはスッと、目を逸らした。

 バツの悪そうな彼女の様子を見て、バラライカは拳銃を持ったまま、楽しそうにパチンと手を叩く。

 

 

「そう、二人は初対面なのに、実は一つの糸で結ばれていたのよ」

 

「あん?」

 

「あなたも一枚噛んでいるのよ? 彼女の『本性』に、ね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこからバラライカがつらつらと挙げていった、ロベルタの正体を聞き、マクレーンは愕然とした。

 その時の衝撃と内容を思い出しながら、咥えていたタバコを取って、話しかける。

 

 

「……一応、おさらいさせてくれ。これでも俺ぁ、気が動転してんだ」

 

「………………」

 

「『ロザリタ・チスネロス』だっけか? まさかおたく、『コロンビア革命軍(FARC)』だとはねぇ」

 

 

 

 

 コロンビアは建国以来、保守党と自由党の二党が政権を巡って争っていた。

 争っていたと言っても、選挙活動や投票数なんかではない。この両党による内戦も勃発していたほどだ。

 

 それが更に激化したのが、一九四六年。

 支配的な保守党政権が発足すると、彼らは自由党に対し度々攻撃を仕掛けてきた。

 

 

 二大政党によるイザコザが、国民にまで火が移ったのが、一九四八年。

 労働者からの圧倒的支持を受け、当選を確実な物としていた自由党党首が暗殺された。

 

 これにより暴徒化した、自由党派と保守党派の市民が対立。暴動に発展。

 一九五八年までに多くの内戦が発生し、クーデターによる独裁政権の発足を経て、二十万人もの犠牲者を出した「暴力の時代(ラ・ビアレンシア)」の幕開けだった。

 

 

 

 

 そのように混沌としたコロンビアに於いて、一九五九年にハバナを革命軍が占有し新国家を樹立した「キューバ革命」は強力な起爆剤だった。

 キューバを習い、ゲリラ活動を行う組織が次々と現れた。

 

 一九六六年に発足した、「コロンビア革命軍」もその一つだ。

 彼らは自由党派の武装農民らで構成され、社会主義国家の樹立を悲願とし、活動を始めた。

 

 そしてそれは、現在でも継続されている。

 活動資金源の調達として、外国人の誘拐や、交渉決裂による殺害も起きていた。

 

 

 

 

 ロベルタ──ロザリタ・チスネロスは、そのコロンビア革命軍に於いて謂わば、英雄のような存在だった。

 

 同志でもあるキューバの特殊部隊下で暗殺訓練を受けた後、彼女は革命の為に幾度も残虐なテロを繰り返した。

 

 南米中を駆け抜け、後には死体しか残さない。

 

 血を求め、どこまでも食らい付き、絶対に仕留める。

 

 

 まさに「猟犬」と言う二つ名に相応しい戦いぶりだったとの事だ。

 

 

 

 

 

 キューバの影響なのか、アメリカに対し敵対的だ。

 事実、米国大使館の爆破も実行していたらしい。国際指名手配もされた。

 

 

 マクレーンは、テロリストに、手を貸していた訳だ。

 

 

「……そりゃ、数十年来の戦士ならあの戦いぶりは納得だわな」

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 ロザリタは眼鏡をかけず、足を折り畳んで右手の中にしまった。

 今になって良く窺える彼女の目は、あまりに鋭利で冷たく暗い、「戦士の眼差し」だ。

 

 

「……これを言って良いのかですが、マクレーン様はFARCでは『英雄視』されていました」

 

「あぁ、そりゃそうだろなぁ」

 

 

 マクレーンは嫌な事を思い出したかのように、顔を顰める。

 

 

 

 

「……吹っ飛ばしちまったんだよなぁ。あんたらのターゲット」

 

 

 

 

 一九八九年のクリスマスの悲劇がよぎる。

 彼はその日、中南米の独裁国家「バル・ベルデ」の独裁者を、仲間も一緒に全員殺した。

 

 

 

 

「……『ラモン・エスペランザ』。彼は我々が掲げる社会主義に反対し、米国の支援を受け、南米内の共産・社会主義組織と対立していた人物。FARCの同志も、彼の軍隊と、支援する米軍に殺された事もあります」

 

 

 

 独裁者エスペランザは、反共主義を掲げていた事により、冷戦期のアメリカより支援を受けていた。

 しかし冷戦が終わると彼の「もう一つの顔」が発覚し、アメリカは一転して彼を拘束。

 

 

 それが、一九八九年の悲劇の引き金となった。

 

 

 

 

「……あぁ。カリスマだの親米家の反共主義者だの言われたが……あいつは、南米の麻薬を牛耳っていた『麻薬王』だったんだ」

 

 

 

 

 エスペランザは南米中の様々なカルテルと繋がり、麻薬のマーケットを拡大させた黒幕でもあった。

 支援金がこの裏稼業に使い込まれていた事実も発覚しており、米国の逆鱗に触れ、エスペランザは逮捕。

 

 

 

 

「んで、バル・ベルデからアメリカに運ばれ、裁判にかけられる……手はずだった」

 

「……その時の様子は、向こうで何度も放送されておりました」

 

「まさか、当時駐屯していたアメリカ陸軍の元兵士たちが、奴に感化されていたとはな」

 

 

 

 

 スチュアート大佐率いるエスペランザのシンパが、ダレス国際空港のシステムを占領。

 

 空港に到着予定の全旅客機を空に孤立させ、エスペランザの解放を迫る暴挙を起こした。

 

 

 この事件で一機の旅客機が見せしめとして、墜落させられる。

 また空港内でも暗躍し、大勢の犠牲者を出した。

 

 米国に於ける、最悪のテロ事件の一つだ。

 

 

 

 

「んで、最後は俺が」

 

「彼らを乗せた飛行機の翼に飛び乗り燃料を開け、そこに点火。爆破させてエスペランザらを葬っただけでなく、その火で滑走路の位置を示し、残りの旅客機全てを着陸させる事に成功」

 

「……あぁ、そっか。最後は生中継されてたっけな。改めて聞くと、すげぇ事したもんだなあ」

 

「私がFARCに加入したのは、ちょうどその頃でした……米国であなたがした偉業を繰り返し、聞かされました。たった一人で反共主義者のテロを駆逐し、罪無き者たちさえ救った英雄……」

 

 

 

 

 ロザリタは一呼吸置き、次に暗い表情を見せた。

 

 

 

 

「……そう。異常にあなたの事を持ち上げておりました。その原因は……」

 

 

 辛そうな彼女に代わり、マクレーンから話してやった。

 

 

「あの後、妙な噂が立っていてな。『エスペランザの遺産』の話だ」

 

 

 彼女は観念したかのように、俯く。

 

 

「奴はダレス国際空港からアメリカを脱出した後、また麻薬王として返り咲くつもりだった。その為の準備を整えていない訳がなかった──が、その『整えていた準備』ってのが本人が死んだ事で、フリーな遺産になってしまった」

 

「………………」

 

「次に、一九八◯年までは千人未満のFARCが、八十年代後半に突如として金回りが良くなって勢力が拡大した」

 

「………………」

 

「エスペランザの遺産を掘り当てたのは、おたくらだ。その遺産が──」

 

 

 ロザリタが言葉を遮った。

 

 

 

 

「麻薬です」

 

 

 

 

 偶然通った車が、ヘッドライトで二人を照らす。

 

 照らし、通り過ぎ、また影を作る。

 

 

「……FARCが、エスペランザが隠していた大量のコカインとカルテルとのコネクション、そして密輸ルートを手にしたんです」

 

「………………」

 

「……革命の朝を信じて戦い続けていた私は結局、マフィアとコカイン畑を守る番犬だったんですよ」

 

 

 彼女が吐き捨てるように呟いた後に、マクレーンは皮肉を込めて喋り出す。

 

 

「……ジョン・マクレーンは反共主義者を殺した上、組織を繁栄させる礎まで渡してくれた。そりゃ『英雄』にされるわな」

 

 

 火もついていないのに、また彼はタバコを咥え始める。

 吸う吸えないは関係ない。

 ただこの重苦しい空気に堪える為に、食い縛る何かが欲しかっただけだ。

 

 

「……もはや、革命は成せない。私は四年前に軍を抜けました。その時、私を匿ってくださったのが……若様のお父上様であり、亡き父の親友であったディエゴ・ラブレス様でした」

 

 

 ラブレス家は「南米十三家族」と呼ばれる、由緒ある一族の一つに数えられていた。

 このラブレス家が保有している土地で「レアアース」が発見され、強引に土地を買い取る為にマフィアが悶着を起こしていたようだ。

 

 それでもディエゴ・ラブレスは、先祖代々から譲り受けて来た土地を渡す気は無かった。

 マフィアは強行手段として、ガルシアを誘拐し、人質に取ろうと企てる。

 

 これが今回の事件の発端だった。

 

 

「……私はもう二度と、あの時の私に戻るつもりはありませんでした。しかし若様を取り戻す為には、私が戻るしかなかったのです」

 

「………………」

 

「……だから」

 

 

 彼女は、マクレーンと目を合わせた。

 

 泣きそうな目をしている。

 

 その時ばかりは、ロザリタが一人のただの女性に見えた。

 

 

 

 

「……一度捨てた自分に戻った時に、かつてFARCにいた頃、英雄として尊敬していた……あなたと出会った事が、偶然に思えなかったんです」

 

 

 マクレーンはタバコを咥えながら、ジッと彼女の言葉を待つ。

 

 

「……驚きましたよ。この街に着いて、私を普通の女だと思って助けに来た男が、あのジョン・マクレーンだなんて……およそ会う事はないタイの僻地に、あなたがいたのです。冷静でいられませんでした」

 

「……結構、冷静に見えたがなぁ……」

 

「何かの兆しか、それとも過去が私に『消す事なんて出来ない』と示しに来たのか……正直、あの遭遇に恐怖さえ感じておりました。同時に、本当にあのジョン・マクレーンなのかとも」

 

「あぁ、やっぱりか。お前、俺の事を……」

 

「……えぇ。『試させていただきました』」

 

 

 ロザリタから正直に聞かされ、マクレーンは乾いた笑いをあげた。

 

 

「若様を取り戻すと言う任務の最中でしたが、それでもマクレーン様は人々を救った『真の英雄』なのかと。私にさえ手を差し出してくれる強き人なのかと、試してみたかったのです」

 

「それで結果は? こんなボロボロになっちまったんだ。お眼鏡に叶わないってんなら暴れるぞ」

 

「………………」

 

「……あ? どした?」

 

 

 ロザリタは呆気に取られている様子だ。

 信じられないと言いたげな表情をしていた。

 

 

「……失望されないのですか?」

 

「必要ねぇ。カルテルのクソどもをやっつけて、攫われたお坊ちゃんを助けたんだ。結果オーライか?」

 

「そうではなくて……私は何人も人を殺した猟犬ですよ。何も思っていない訳はありませんよね」

 

 

 マクレーンはまたタバコを口から離し、少し考え込むように俯いてからまた、ロザリタと目を合わせる。

 

 

「俺ぁ刑事だ。インターポールも追っている国際指名手配犯を見過ごす訳にはいかない」

 

 

 だが、とすぐに続け、ニヤッと疲れ気味に笑う。

 

 

 

 

「……今は権限もねぇし、ジャンキー扱いされてるからなぁ。見過ごすしかねぇよ」

 

 

 ただし、とタバコの先をロザリタに向ける。

 

 

「俺が復職した時に会ったら、殺し合ってでも捕まえてやる。だからもう、ベネズエラから出て来んな。二度と俺と会うな」

 

 

 それだけ告げ、更にタバコを突き付けた。

 

 

「……火。持ってない?」

 

 

 ロザリタは驚いた顔の後に、悟ったようにまた眼鏡をかけた。

 

 立っていた人物は今日一晩、生死の狭間を駆け巡った戦友、ロベルタだ。

 

 

「……喫煙しておりませんので」

 

「クソッタレ。さっさと帰りやがれ」

 

「……えぇ。もう、お会いする事はないでしょう」

 

「あぁ。さよなら」

 

「えぇ。さよなら」

 

 

 ロベルタは踵を返し、マクレーンに背を向けた。

 最後に見えた横顔は、楽しそうに笑っているように見えた。

 

 

「あー、それと」

 

 

 最後にマクレーンは呼び止める。

 

 

 

 

「俺は『英雄』ってもんじゃない。なんでか分かるかぁ?」

 

 

 聞こえなかったのか、聞こえたのか。

 彼女は返答も聞き返しもせず、そのまま歩き去ってしまった。

 

 マクレーンは二度と会う事のない彼女の背を眺めながら、一人悲しい記憶を辿り続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後にマクレーンは、この瞬間を後悔する日が来てしまう。

 あんな事になってしまうとは、微塵も思い付かなかった。

 

 

 マクレーンは再び、ロベルタと邂逅するハメになる。

 

 

 

「ロザリタ・チスネロス」としての彼女と、「本当に殺し合う」事になる。

 

 それはまだ、この時点で想像にも及ばない未来の話だ。




「Living Loving Maid」
「レッド・ツェッペリン」の楽曲。正式には「She's Just a Woman」が後に続く。
1969年発売「Led Zeppelin Ⅱ」に収録されている。
大人しそうなタイトルに反して、ノリノリなロックテイスト。
リビン♪ ラビン♪ シジャスアウーマン♪

次回より、私もヒヤヒヤ双子編の予定です


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Sequence 2・Nothing Lasts Forever
Gemini Dream 1


 必死に火を振った。

 

 叫んだ。

 

 顔にかかる吹雪も気にしない。

 

 轢かれる恐ろしさもなかった。

 

 

 やるだけやった。

 

 でも、気付かれなかった。

 

 あまりにも灯りが小さ過ぎたんだ。

 

 

 

 

 数秒後に、頭の上を猛スピードで旅客機が通り過ぎた。

 

 その更に数秒後には、轟音と炎が目の前に広がった。

 

 

 

 残骸だ。

 

 燃えた惨状の中で、焦げた鉄屑が散らばった。

 

 俺は茫然としたまま、その中へ足を踏み入れる。

 

 

「……酷過ぎる……」

 

 

 足元を見た。

 

 

 

 

 

 頭だけになり転がった、人形が落っこちていた。

 

 悲しんでいるのか、訴えているのか分からない。

 

 ただ俺を、割れたプラスチックの目で見ていた。

 

 

 

 

 

 その目に、火が着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 物思いに耽っている最中に突然、目の前に火柱が上がり、マクレーンは少し身体を震わした。

 小さな赤い、ライターの火だ。咥えていたタバコの先端が燃やされる。

 

 

「お疲れ様ね」

 

 

 火を着けた人物は、バラライカだった。

 

 この街を実質的に仕切る「大ボス」が隣にいた為、呆気に取られてしまった。

 

 

「猟犬とは何を?」

 

 

 マクレーンは辺りをつい見渡す。

 

 そこは商店エリアの表通り。さっきロベルタと別れた後だと、思い出した。

 

 

「……いや。別に。おたくには関係ない」

 

「一緒に死線を潜り抜けた仲だものね。労いの言葉でもかけあった?」

 

 

 パチンとライターの蓋を閉じ、彼女はそれを懐に戻した。

 

 

「彼女と坊やは、我々ホテル・モスクワが空港まで護衛するわ。カルテルを半壊させた大手柄、こっちも敬意を払わなければ」

 

「なら俺も空港まで願いたいねぇ。死にかけ寸前まで手伝っただろ」

 

「死体に運転させて、機関銃とグレネードを撃ちまくったって聞いたけど、ほんと?」

 

「いつクラッシュするかヒヤヒヤしたぜ。ほれ、帰してくんな」

 

「でもごめんなさいね。無理」

 

 

 あっさりと、あっけらかんと、バラライカは断った。

 紫煙を吸い込みながら、マクレーンは不機嫌な表情で睨み付ける。

 

 

「その代わりほら、ウチの傘下のこのお店に。話は通しておくから私たちからの奢りって事で、入店四回分は好きなだけ飲んで良いわ」

 

 

 バラライカはその店のカードをマクレーンに渡す。

 ペラリと返すと、裏に地図が載っている。ブラン・ストリートの方らしい。

 

 

「……おい待て。俺ぁ、さっさとニューヨークに帰りたいんだ。俺に渡すのはこんな飲んだくれクーポンじゃなくて、ケネディ空港行きのチケットのハズだ」

 

「あら。でもあなた、キメちゃったって聞いたわよ?」

 

「冤罪だ! あのクソ署長にハメられたんだよ!」

 

「さっきの話が本当なら、キメてるって思われても信憑性あるけど」

 

「アレはアレだッ!」

 

「まぁまぁ、信じてあげるわ。殆ど自由に歩かせているみたいだし。でも、冤罪でも保護観察にしては破格の待遇よ? もっと感謝した方がいいんじゃない?」

 

「この街で野垂れ死ぬまでを楽しんでいるだけだろ。クソ喰らえだ」

 

「野垂れ死ぬまでね……ふふふっ」

 

 

 意味深長な含み笑い。

 何が笑えたのかと疑問を込めた目で眺めるマクレーンに、彼女は応答する。

 

 

「あなたの経歴は見たわ。十二年、十一年前と、つい五年前の事件」

 

「だったらさっさと、俺をこの街から出しやがれ。じゃなきゃ今までみてぇに、全員吹っ飛ばしてやる。ホテル・モスクワからホテル・マクレーンへ乗っ取ってやろうか?」

 

 

 次にバラライカは愉快そうに笑った。

 

 

「さすがのあなたでも、拳銃一本では無理でしょ? 仲間もいないし、何よりこの街全てが私たちのホームグラウンドよ」

 

「………………」

 

「お分かり? あなたはアウェイ。その気になれば私が一声かけるだけで、この街の全ての人間から狙われるわ。あなたが三回も大事件を解決したって言っても、元から『仕上がった場所』じゃどうにもならない。そうでしょ?」

 

 

 ロアナプラのあちこちには、金さえ払えば恨みなくとも人を殺せる奴らがいる。

 ホテル・モスクワがもし、マクレーンに莫大な懸賞金をかけたのなら……想像は簡単に出来た。

 

 

 

 言葉遣いさえ大人しいが、根本に宿る本性は残酷で凶暴。

 バラライカから放たれる、ある種の狂気と言うのがピリピリと肌を焼くようだ。

 マクレーンにはすぐに分かった。こう言う人間は何度も見てきたからだ。

 

 

「……なぁ。教えてくれ」

 

 

 煙を吐き、タバコを口から離した。

 

 

「俺をここに閉じ込めている手伝いしてんだろ。なんでなんだ?」

 

 

 バラライカはわざとらしいまでに、考え込む仕草を取る。

 

 

「さぁ。気まぐれ?」

 

「気まぐれで明日殺されるかもしれねぇ街にいられるか!」

 

「辛抱するしかないわね」

 

 

 のらりくらりとかわされた気分だ。

 睨み付け、納得していない様子の彼を見て、バラライカは仕方なく告げてやった。

 

 

「出来過ぎよね」

 

「なに?」

 

「たまたま非番で、たまたま立ち寄ったビルがジャックされたなんてある? たまたま待ち合わせた空港で、たまたまテロが起こるなんて? たまたま殺した犯人に兄がいて、巻き込む必要のない犯行にあなた巻き込んだって事も?」

 

 

 生々しい火傷痕が残る左顔面を晒しながら、彼女は続ける。

 

 

「これら全てを解決したと言うよりも私は──これら全ての中心になぜか立てていた、無関係なあなたに興味が湧いた」

 

「俺が全部意図して、前以ていたと思ってんのか?」

 

「最初はそう考えた。明らかにありえない。しかし、ここに閉じ込めてから今日、やっと分かったわ」

 

 

 マクレーンと目を合わせた。

 

 

「あなたはピンポイントでFARCの元暗殺者と遭遇し、しかも向こうはあなたを認知していた。だから今回の騒動に巻き込まれた。最早それは才能よ」

 

 

 その目は狂気の灯火を浴びていた。

 光なき碧眼の奥より、閉ざされた扉の隙間から漏れるように、赤々とした灯火がちらついている。

 

 

「私はただただ──」

 

 

 マクレーンは悟った。

 目の前の女は、人の皮を被った獣だと。

 

 

「──羨ましいのよ。行く先々で、戦争を前列から楽しめるあなたが。死神に愛されたあなたが。どこまで生き残れるのか、見てみたい」

 

 

 強い怒りが噴き出た。

 この女にとって、マクレーンが潜り抜けてきた死線とは娯楽同然らしい。

 

 

「……楽しめるだと?」

 

 

 タバコを捨て、踏み付けた。

 

 

「ふざけるなサイコ野郎」

 

 

 ワンブロック先まで響くような怒鳴り声を吐き散らした。

 

 

 

 

「『救えなかった瞬間』が、ふとした時に頭ん中で流れんだッ!! 楽しんでいるわきゃねぇだろッ!?」

 

 

 

 

 目の前で撃たれた社長。

 

 無線の向こうで響く銃声。

 

 頭の上を通り過ぎ墜落する旅客機。

 

 死体となって運ばれる同僚。

 

 

 一気に頭の中を流れ、マクレーンは怒りから一転、当惑から頭を振った。

 

 

「……ッ!」

 

「あら、大丈夫?」

 

 

 青い顔になったマクレーンを見て、バラライカは怪訝そうに尋ねる。

 

 この女にだけは心配されたくない。

 マクレーンは無理に彼女から離れ、そのまま下宿屋まで帰ろうとする。

 

 

「あなたはこの街に合うハズよ」

 

 

 知った顔で話す、バラライカ。

 

 

「また楽しませてね。向こう一年半先まで、よろしく」

 

 

 無視し、夜の街に消えようかと歩き出す。

 

 

 

 

 

 隣の車道を、数台の車が通る。

 ロベルタとガルシアを乗せた車を、ホテル・モスクワの者たちが護送していた。

 

 

 こちらを眺めていた、ガルシアと目が合う。

 

 目を丸くさせ、まじまじとマクレーンを見ていた。

 

 彼に何を、ロベルタは話したのか。

 

 

 マクレーンはまず、救えた事に安堵し、もう会う事はない──と思っていたガルシアへ、ひょこりと手を上げて別れの挨拶を交わす。

 

 

 

 

「親の元に帰んな。それが一番良い」

 

 

 

 

 一人呟き、視界から消え行く車列を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バラライカから貰ったカードを捲る。

 バーの名前はとてもシンプルで、すぐに覚えた。

 

 

 

 

「……ラム酒だけだったら店で暴れてやる」

 

 

 目下、銃弾の補充と、ライターと酒の購入、撃たれた肩の治療が最優先だ。

 それからこの悪が蔓延る街で、自分が何を出来るのかを考え続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒーローは、

 

 人々を救う為に、

 

 その痛みを引き受ける羊。

 

 

 

 その正義の心に、

 

 賛否を送り付けるのは、

 

 大衆と言う羊飼いだけ。

 

 

 

 ヒーローは結局、

 

 羊を守る番犬ではなく、

 

 羊飼いに縛られた羊だ。

 

 誰よりも縛られた羊だ。

 

 

 

 正義か悪かは、

 

 従順な羊のまま甘んじるか、

 

 油断した羊飼いを谷へ落とすか、

 

 どちらかでしかない。

 

 

 

 誰よりも優しいヒーローとは、

 

 誰よりも醜悪なヒールらしい。

 

 だから羊飼いは、羊を捧げる。

 

 羊が悪魔の生贄にならぬよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄気味悪い、粘り着いた液体の音が響く。

 

 

「誰だったかしら、兄様」

 

 

 鉄の床と壁は、凍て付いていた。

 

 

「究極の愛は人肉嗜好(カニバリズム)だと言ったのは?」

 

 

 無音を撫でるような、布の擦れる音が続く。

 

 

「エドガー・アラン・ポー?」

 

 

 相手の輪郭さえ曖昧な暗闇の中にいた。

 

 

「違うよ、姉様」

 

 

 時間と昼夜の消えた世界だ。

 

 

「彼は屍体嗜好(ネクロフィリア)だったんだ」

 

 

 液体からすえた臭いが立つ。

 

 

「リチャード・マシスン?」

 

 

 暴力的な予感を感じさせる、凶器の輪郭。

 

 

「だったかもしれないね」

 

 

 音が近付いて来る。

 

 

「彼らはこの匂いを嗅いだのかしら?」

 

 

 オイル切れの喧しいエンジン音。

 

 

「命の流れる匂い、鉄錆の潮の匂い、事切れる刹那の匂い」

 

 

 音が消え、足音がやって来る。

 

 

「彼らは贅沢なんだ、姉様」

 

 

 話し声が延々と続く。

 

 

「そろそろこの街のみんなが、動き出すかしら?」

 

 

 暗闇の世界に、鉄の擦れる音と共に光が差し込む。

 

 

「これで五人。予定にない者も殺してしまったからね」

 

 

 隙間からウミネコが見えた。

 

 

「皆が僕らを殺しに来るよ」

 

 

 何者かが光を遮る。

 

 

「楽しみだね、姉様」

 

 

 足元に、肉の塊が落ちていた。

 

 

「ああ、兄様」

 

 

 それが人だと、光が教えてくれた。

 

 

「本当に楽しみ」

 

 

 

 

 

 

 暴力が外の澱みに混じった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おおーーーい、職務怠慢のクソどもーーっ!」

 

 

 警察署の扉を蹴飛ばして開け、マクレーンが叫ぶ。

 

 

「俺が検挙のお手本を見せてやるぜ税金ドロボーーっ!」

 

 

 彼だけではない。

 手錠を嵌めた二人組を連行していた。

 

 

 騒ぎを聞きつけ、ワトサップがエントランスにのしのしとやって来る。

 

 

「……どう言うことだ、ジャンキー」

 

「ジャンキーはそっちの言いがかりだろが。俺は正義のおまわりさんだ」

 

「正義のおまわりさん? 自分を警官と思い込んだヤク中の間違いだろ」

 

「こりゃ凄い、ここはサーカスだったか? 自分を人間と思い込んだタヌキがいるなあ」

 

「言いやがったなてめぇ。またぶち込まれたいか?」

 

「幾らでもぶち込みやがれ。その十倍、ぶち込んでやるからよ」

 

 

 ワトサップは呆れ果てながら、マクレーンが連行してきた二人組を見やる。

 一方はドラマのコメディアンのように大袈裟な表情で、もう一方は死んだ目の無表情。

 

 

「……この四週間で何度目だ?」

 

「もう二桁はいったな。すげぇぞ、街を歩くだけで検挙率が上がる。ボーナス貰えるか?」

 

「結局、明日には証拠不十分で釈放だ」

 

「俺は逮捕して警察署に連れて行くのが趣味なんだ」

 

「……お前、マジにキメてんじゃねぇのか?」

 

 

 マクレーンは捕まえた二人組を、ワトサップに突き出す。

 すると一人の方が喚き出した。

 妙な訛りのある英語だ。

 

 

「あのぉー、刑事さーん。オラたちゃ、ただカーペット運んでただけですだーよ?」

 

「そのカーペットを広げたら、血と髪の毛が着いてたんだ。こいつら、不法に死体の処理をしてやがる」

 

「あれはー……オラが転んでぶつけたモンだって言ったんだーよー!」

 

「どこも出血してねぇよこいつ」

 

「吐血ですってぇ〜!」

 

 

 ワトサップは男に質問する。

 

 

「見ない顔だな。欧州人か?」

 

「自分、ヤーコプと申しますだーよ! ヤーコプ・ファン・フリート! こっちは弟のエフェリン」

 

「ドイツ人?」

 

「惜しい! オランダだーよ! ここにはつい最近来たばっかで、ダッチマンブラザーズって名前で清掃屋を──」

 

 

 マクレーンがヤーコプの頭を叩いて黙らせる。

 

 

「こいつ喋ると止まらねぇぞ。連行中もずっとペラペラ、ラジオみてぇに一人でも喋るからな」

 

「ただの清掃屋だろ」

 

「じゃあただの清掃屋がなんで血塗れのカーペット運んでんだぁ? え?」

 

「私物なんだろ」

 

「なんだあんた、性善説信者だったか? その太々しい見た目に合わねぇからやめとけ」

 

 

 ワトサップは少し考えた末に、観念したように頭を振ってから、控えていた警官に二人を引き渡した。

 

 

「だーかーらー無罪ですっての! なぁエフェリン、そうだーよなぁ!?」

 

「………………」

 

「ほら、無罪だって言ってるだーよ!」

 

「おめぇ、母さんの腹ん中で弟の分までお喋り吸い取ったんじゃねぇのか?」

 

 

 マクレーンの悪態を受けながら、二人は留置所に送られる。

 してやったり顔の彼へ、ワトサップはひたいを押さえながら咎めた。

 

 

「てめぇのせいで、この署が出来て以来恐らく初の、留置所のパンクが起きたぞ。ポン引きにギャンブラー、手当たり次第に連れて来やがって」

 

「俺は観光じゃねぇ、視察に来たんだボケ。俺がお手本になってやるってんだ」

 

「なぁ、ジャンキーにされた腹いせならそう言え。保護観察が終わったら、間違いでしたって弁明してやる。だから止めろ」

 

「口約束なら幾らでも出来るよなぁ。生憎、俺はこの街の人間の言葉は信じねぇ事に決めたんだ。俺は俺の役割を果たすだけだぜ」

 

 

 苛つきを、サングラスを弄って表現するワトサップ。

 その様を楽しんでいるのか、マクレーンは忍び笑いを浮かべた。

 

 

「……四週間前の騒動以来、あんたはこのロアナプラで話題沸騰中だ。まだ目立ちてぇのか?」

 

 

 彼がベネズエラから来た、狂犬メイドと一緒に暴れた話は広まっていた。

 

 

 曰く、「傭兵集団をローストした男」。

 

「ターミネーターのマブダチ」。

 

「リアルマッドマックス」。

 

「美女と野獣のどっちも野獣だったパターン」。

 

「死体に車を運転させて、機関銃とグレネード弾をマフィアにぶっ放した男」。

 

 

 枚挙に暇がない。

 街を去ったロベルタが畏怖の対象となっていたのに対し、街に残った彼は「ロアナプラ一、不幸な男」の称号を貰っていた。

 

 と言うのは、ジョン・マクレーンが関わった過去の事件が広まったからだ。

 つまりは「歩く厄介者」扱いだ。

 

 

「あぁ、良い気分だぜ、目立つってのは。ただ、イエロー・フラッグには出禁食らわされた」

 

「当たり前だろうが。あんた噂が立ってから、あちこちで厄介者扱いになってんだろ。ここでもそうなってんだぞ」

 

「金にはギリギリ困ってねぇから生活は出来る。暇なのが嫌なんだ」

 

「暇潰しで検挙率上げんじゃねぇ」

 

 

 マクレーンがニューヨーク市警に頼んだ金の問題は、どうやら解決したらしい。

 口座を確認すれば、ひと月の給料分が振り込まれていた。

 

 

 生活費の確保が出来たのなら、もうマクレーンに怖いものはほぼ無い。

 弾薬の補充、新しい銃の購入などをして自衛手段を整えた上で、刑事の仕事を開始。

 

 言えども、ワトサップらへの嫌がらせの側面が大きいが。

 

 

「そんじゃ、仕事しねぇあんたらに代わって仕事して来るぜ。あばよぅ」

 

「待て、待て待てクソッタレ。フレンチ・コネクションの真似事すんじゃねぇ」

 

「あれは主人公はFBIを撃っちまったが、俺はFBIに撃たれかけたって違いがある」

 

 

 それだけ言い残し、マクレーンは警察署を揚々と出た。

 

 

 夕暮れ時の良い天気だ。

 合わせて、夜でも非常に暑い日だ。喉が乾く。

 

 マクレーンはタバコを咥え、ライターで火をつける。

 美味しそうに蒸しながら、市内を歩く。

 

 

「バオの奴め。そんなにレミントン取ったのが嫌だったのかってんだ。しれっとM870から1100に変えていた癖に」

 

 

 とは言え、今の彼は酒に困ってはいなかった。

 バラライカから四回分の飲み放題を貰っていたからだ。

 

 

 もう三回目。最後の一回。

 

 すっかり顔馴染みになったバーテンの元へ、今日もフラフラと向かう。

 週に一回、ここに行って夜明けまで飲むのが楽しみになっていたが、それも最後だ。

 

 

「バオより愛想良いし、俺もこっちに変えるかなぁ」

 

 

 通いも手だと考えながら、そのバーへ向かう。

 

 

 

 

 

 三十分後、すっかり暗くなった頃。

 マクレーンはカードを片手に、バーの前に立つ。

 

 大通り沿いにある、お洒落で小綺麗な店だ。

 

 

 良い天気だったのに、いきなり黒雲が立ち込め始めた。

 どうやら雨が近い。

 

 

 

 

 店名は、「カリビアン・バー」。実にシンプルだ。

 

 

「さぁー! 今日も棚の酒、コンプリートしてやるぜぇ〜!」

 

 

 意気揚々と扉を潜る。

 

 

「最悪な街の、唯一の天国だ」

 

 

 

 

 

 

 

 そしてまた、巻き込まれる事となる。

 

 

 ここに来て最悪な目に遭って来たが、最も最悪な事件に。




「Gemini Dream」
「ムーディー・ブルース」の楽曲。
1981年発売「Long Distance Voyager」に収録されている。
全米1位に輝いた名盤。
シンセとロックの融合。コスモでダンサンブルな一曲。
邦題ではなぜか「ジェミニ・ワールド」。アルバム名も「ボイジャー・天海冥」。


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Gemini Dream 2

 翌日、朝の六時。

 大破したバーで、大勢の警官が見分をしていた。

 

 六メートルほど離れた位置には、店を囲むよう等間隔にポールが並べられ、それらをバリケードテープで繋いで立ち入りを規制する。

 およそ制服を着た警官しか入れない。

 

 

 だがその区域の中に堂々と入り込む、堅気ではない雰囲気を醸し出す二人の人物。

 バラライカと、彼女の側近でもある、顔の大きな傷が特徴の「ボリス」だ。

 

 

 割れたガラス、砕けた看板、吹き飛んだ扉。

 店内はもっと酷く、今も血の匂いが漂っていた。

 そんな惨状を前に顔を顰める、ワトサップの方へ近寄る。

 

 

「よぉ、ご苦労さん」

 

「あぁ」

 

 

 気の抜けた彼への挨拶を簡単に済まし、バラライカは単刀直入に情報を聞き出す。

 

 

「情報はあるのか?」

 

「生き残りが三人いた。一人は給仕、こっちからは既に色々聞けた。もう一人はあんたん所の人間だが、重傷だ。口は利けねぇな」

 

「もう一人は誰だ」

 

 

 ワトサップは頭を掻き、なぜか苦笑いを浮かべていた。

 

 

「……まず、事実確認をするが……あんた、入店四回分は奢ってやるって約束をしたんだよな?」

 

「………………」

 

 

 その質問で全てを察したバラライカは、辺りを見渡す。

 

 

 

 すると、見つけた。

 離れた所に設置された椅子に座り、怪我の手当てをされている見知った人物を。

 

 

「……大尉殿。もう自分は驚くまいと踏んでおりましたが……彼は一体、なんなのですか?」

 

「……こんな状況なのに笑えるよ。とんでもない遭遇率だ」

 

 

 二人はワトサップを引き連れ、その人物へと歩み寄る。

 

 

 タバコを吹かし、貰った消毒薬とガーゼで応急処置をする男。

 薬が傷に沁みて顔を上げた時に、バラライカらに気付いた。

 

 気付いた途端に、失笑を見せる。

 

 

「……おたくが俺に、イカれた殺し屋を差し向けたのかと疑ってたところだぜ」

 

 

 そのまま足元に置いていた、ウィスキーのビンを取ってラッパ飲み。

 

 

 

 

「……ッかぁあぁ〜。うぅ〜、これもおたくの奢りで良いよなぁ?……店主も伝票も、めちゃくちゃになっちまったが」

 

 

 その男とは言わずもがな、ジョン・マクレーンだった。

 思わずワトサップはビンを引ったくり、彼を咎める。

 

 

「おいおい。もう飲むんじゃねぇ。酔っちまったら聴取できねぇよ」

 

「知ってるかぁ。アル中一歩前まで来れば、なかなか酔えねぇんだ。これ、覚えとけ」

 

「知りたかねぇ、飲兵衛が……あぁ、バラライカ。こいつの事情を話すとな」

 

 

 なぜその場にマクレーンがいたのかを代弁する。

 薄々気付いてはいたが、バラライカはそのまま静聴を決め込んだ。

 

 

「あんたがこの男に、ここ『カリビアン・バー』での飲み放題を約束していたんだよな。んでこの男、昨夜の八時から──」

 

「違う違う。開店と同時だから、六時だ」

 

「……六時だそうだ。それから、あー……なんだてめぇ、十時間も飲んでたのかぁ?」

 

「最後の飲み放題だからなぁ。人生最高の十時間だったぜ」

 

 

 タバコを一服してから、マクレーンは昨夜からつい二時間前の出来事を想起する。

 

 

「……十時間後、まではな。今でも信じらんねぇよ、ありゃ。おたくでもたまげるぜ」

 

 

 彼は自分の身に起きた事と、その「十時間後の地獄」について語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PM 18:01

 

 

 マクレーンは我が物顔で、入店する。

 彼を認識した瞬間、店主は一気に不機嫌そうな表情となる。

 

 

「なんだ、あんたか。集金係に伝票見せたら驚かれたぞ! 加減ってもん知らねぇのかぁ?」

 

「あんたがビクビク従ってる〜……バラバララだったか?」

 

「バラライカだ!」

 

「そうそう。そいつが良いって言ってんだ。言われたからには有り難く使わな失礼ってもんだろ」

 

「クソッタレ……まぁ、あんたの噂が広がったせいで、一目見ようとウチに来る客がいる。良い看板にはなっているがね」

 

「お互いwin-winの関係だ。ほら、今日はラストだから朝まで飲むぞぉ」

 

 

 店主は「マジかよ」と呆れ果てながら、スコッチをロックで淹れてやる。

 

 

 

 

 

PM 20:19

 

 

 彼の座るカウンターの横に、来店した客がやって来た。

 その頃のマクレーンは、カクテル片手に頭をクラクラさせている。

 

 

「おい! あんたジョン・マクレーンだろ!? マニサレラ・カルテルを吹っ飛ばした男ってな!」

 

「あんな奴ら、大した事ねぇよ! 麻薬売って、ちょっと銃が撃てるだけのボケどもだった! はっはっはー!」

 

「イカれてるぜあんた! なんかの縁だ、奢らせてくれよぉ」

 

「いやぁ、良い。今飲んでるこの酒は、ホテル・モスクワ持ちなんだ」

 

「マジかよ!? つまり、あのバラライカに奢られてるって訳か!? ヤベーぜあんた!」

 

 

 飲み仲間が出来たところで、更に酒が進む。

 彼の噂を聞いた者が入れ替わり立ち替わりでカウンター席に座る。

 

 

 

 

 

PM 21:38

 

 

「飲んでるか野郎どもおおおおおおおおッ!!!!」

 

 

 いよいよ増えた飲み仲間たちと、パーティー状態だった。

 酒をストレートで飲む勝負をしたり、下手な歌を歌ったりと楽しんでいた。

 

 カウンター席に寝そべり、その状態で口にウィスキーを注がれたりもした。

 フラフラ踊って、クラクラ飲んで、気付けばマクレーンは眠っていた。

 

 

 

 

AM 00:40

 

 

 日付けが変わり、酔い過ぎてギブアップした客が減っていく中で、マクレーンは気絶に近い眠りから覚めた。

 覚めたと同時に、グラスを店主に出す。

 

 

「あんた、やめた方がいいぞ。アル中の介護はごめんだぜ」

 

「まぁあだ、飲めるっての。俺を誰だと思ってんだあ? あの、ジョン・マクレーン様だぞぉお!!」

 

「全く……なにが『あの』だ。ただの飲んだくれじゃねぇか」

 

 

 バカルディを注いでやった。

 マクレーンはそれを、一気に飲み干す。

 

 

 

 

 

AM 02:22

 

 

 すっかり彼と飲んでいた者たちは帰宅し、店内には数人の客と店主、マクレーンしかいなかった。

 

 

「ホリぃい……俺を……ゆるしてくれよぉお……」

 

 

 あと少しだけ残った酒を飲み下し、マクレーンは二度目の睡眠……もとい、気絶に移る。

 

 

「……俺が、ふがいなかったんだ……だからなぁ……ルーシーとジャックに、もういっ回だけ、あわせてぇえくれよぉ〜…………」

 

 

 微睡みから、瞳を閉じた。

 

 

「……もう一回、家族でクリスマスパーティーをすんだ……こんな、クソみてぇな酒場じゃなくてな……実家で、あの馬鹿でかいクリスマスツリーを飾って……」

 

 

 それからざっと、二時間ほど眠りこける。

 悲しい気分を忘れるかのように、夢の中へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AM 04:08

 

 

 マクレーンはほぼ、ショックを与えられたかのように目を覚ました。

 あまりに派手な起き方の為、店主も身を縮こめる。

 

 

「なんだなんだ? 悪夢でも見たか?」

 

 

 脂汗を流し、荒い呼吸だ。

 心配になった店主が、手拭き用のタオルを手渡してやる。

 

 

「おい、どうしたんだ? とうとう急性アルコール中毒か?」

 

「……いや、大丈夫だ」

 

 

 汗を拭い、カウンター上を見やる。

 

 

「……グラスがねぇぞ」

 

「まだ飲むのか……あと三十分でラストオーダーだぞ」

 

「……あぁ。なんでも良い。ギリギリまで飲ませてくれや」

 

 

 バーボンを淹れてもらい、次は物思いに耽るかのように、ちびちびと飲む。

 

 

「……クソッ。また見ちまった……」

 

 

 また彼は、「救えなかった瞬間」を夢で再生させてしまった。

 それを忘れたいが為に、もう一度酔い直そうと二杯飲んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえず彼が、閉店間際まで飲んでいた事は分かった。

 別の警官に渡された、ペットボトルの水を飲み干しながら、手渡された頭痛薬を眺める。

 

 

「おぉ〜、アスピリンかぁ。これには世話になったなぁ」

 

「それは二日酔いにって事か? おめぇ、どんだけ飲んだくれてんだ」

 

「それもだが。まぁ、世話になったってのは、二重の意味でだ」

 

「アスピリンジャンキーだったのか?」

 

「うるせぇ、殴るぞ」

 

 

 三錠ほど水と共に飲み込み、目をパチクリさせる。

 話を聞くだけに徹していたバラライカだが、やっと彼に話しかけた。

 

 さっきまでと違い落ち着いた、御誂え向きの口調だ。

 

 

「……それで、店と私の仲間を襲った連中と言うのは?」

 

「連中は……あぁ、二人組だ」

 

「人種は? イタリアン、アフリカン、ラテン、アジアン……ロシアン?」

 

「ありゃ、感じ……そうそう、イタリアンかロシアンが近い。アメリカンって言うか、おたくらと同じ感じの白人。あーでも、ロシアンっぽくねぇ訛りだった」

 

 

 チラリと、彼女はワトサップを見やる。

 こちらを快く思っていないマクレーンの証言だ。嘘ではないかと聞きたいのだろう。

 

 

「概ね、生き残った給仕と同じ証言だ。信憑性あるぜ」

 

「性別と年齢は分かるかしら?」

 

「なんだおたく、そこのボケ署長よりも警察向いてるなぁ」

 

 

 彼女の後ろで、ワトサップが舌打ちをする。

 その様を愉悦に思いながら、マクレーンはポケットを探った。

 

 

「……ほらよ」

 

 

 彼がバラライカに投げ渡した物は、小さな女の子の人形。

 ストラップにして吊るせるような物。

 

 

「……これが?」

 

「それが、襲撃者の私物だった」

 

「まるで子どもだわ」

 

 

 マクレーンはフツフツと笑いながら、タバコを吸う。

 

 

「どうしたの?」

 

「まるで子ども……くっはっはっは……証言者がいるから、隠し立ても騙したりもしねぇけどよ」

 

 

 疲れた瞳で、バラライカと視線を交える。

 

 

「……まるで子どもじゃねぇ、『子ども』だったんだ」

 

 

 マクレーンは、「最後の三十分」の話に移った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AM 04:21

 

 

 また酔いが回って来た頃。

 ラストオーダー直前だと言うのに、店に入る人物がいた。

 

 店主は客が来たのかと見やったが、すぐ怪訝な表情になる。

 

 

「おい。ガキの来る所じゃねぇ。迷子なら警察署に行きやがれ」

 

 

 フラフラと飲んでいたマクレーンは、店主のその言葉を聞き、入店者の方へ顔を向けた。

 

 

 入店者は名刺を取り出し、店主に渡す。

 

 

「ブーゲンビリア貿易……なんだ? バラライカの名刺じゃねえか。なんでこんなガキ……」

 

 

 酔った頭を回転させ、カウンター前に立つ小さな来訪者を認識するマクレーン。

 一瞬だけ、目を疑った。

 

 

 変わった黒い洋服を着た、そっくりの顔立ちの子どもがいたからだ。

 

 

「私たち、バラライカさんの所で『お客』を取ってるの。今夜はここでお客を取っていいって。聞いてない?」

 

 

 布で覆った、身長よりも大きな細長い何かを抱きかかえるドレスの少女。

 

 およそ吸血鬼ドラキュラが着ているような、改造したタキシードの少年。

 

 およそこんな店に似つかわしくない、可愛らしい双子がチョコンと立っていた。

 

 

「……奥に行きな」

 

「……ええ、ありがとうおじさん」

 

 

 疑わしく思いながらも、店主は二人を客席の方へ促す。

 それを聞くと、双子はニッコリ笑ってお礼を言う。

 

 

 マクレーンの後ろを通った。

 

 

 

 

「待った待った」

 

 

 つい、彼は二人を呼び止める。

 ピタリと、同時に足を止め、同じく同時にマクレーンへ顔を向けた。

 

 目をパッチリさせ、微笑み気味。

 可愛らしいが、同じ顔が同じ表情で並んで見ている点だけがどうにも、不気味だった。

 

 

「どうしたの、おじさん?」

 

 

 少年の方がマクレーンに話しかける。

 飲み過ぎで頭痛が出てきたのか、頭を押さえながら彼は続けた。

 

 

「あー……なんだ? 客を取るとか何とか、聞こえたようなぁ……」

 

 

 店主は慌てて、話を遮る。

 

 

「そ、その二人は親戚の子なんだ! 朝方、預かる予定だった!」

 

「あ? でもおたくさっき、ガキは来るな〜とか」

 

「酔って聞き間違えたんじゃねぇかあ?」

 

 

 店主は話を合わせるように、二人へ目配せする。

 双子はまたキョトンとした後に顔を見合わせ、意図に気付いたのかお互いに笑い合う。

 

 

「えぇ! お父さんが朝に帰ってくるから、お迎えするの」

 

「いつもこのバーで少しだけ飲むんだってさ。だから、ここで待ち合わせしているんだよ」

 

 

 酔っている為か、店主と双子の話が若干、噛み合っていないと気付かなかった。

 マクレーンはただ、「お父さんを待つ子ども」と知って、つい微笑んだ。

 

 

「……そうか」

 

「もういいかな、おじさん?」

 

「あぁいや、待った待った」

 

 

 マクレーンは隣の席を叩く。

 

 

「どうせ待つんなら、ここに座れば良いさ。入り口に近いからすぐに来た事分かるだろうしなぁ。ほら、俺がジュース奢ってやる」

 

「おいおい、あんた……!」

 

「まぁまぁ、良いじゃねぇかよお。ジュースの分は俺が出すからなぁ?」

 

 

 椅子を引き、二人を促す。

 少しだけ驚いたような表情をしていたが、すぐにニッコリ笑ってそっちへ行く。

 

 

「いいの? おじさん」

 

「奢ってくれるんだ!」

 

「構わねぇ。飲み仲間がいなくなって、寂しくしてたところだ」

 

 

 居心地の悪そうな店主を傍目に、二人はマクレーンの両脇に座る。

 向かって左手に少年、右手に少女。

 

 

「ありがとう、おじさん!」

 

「何にすんだ? コーラか?」

 

「僕、炭酸が苦手なんだ。オレンジジュースが良いなぁ」

 

「オレンジジュースか、良いぞぉ。おーい店主! カシスオレンジ用のがあるだろー?」

 

 

 マクレーンに注文され、観念したように天を仰いだ後、オレンジジュースをグラスに注ぎ始めた。

 

 次に少女の方を見る。

 持っていた荷物を傍らに立て掛けた。

 くっ付いていたクマのストラップが、ユラユラ揺れる。

 

 

「……あー、なんだこりゃ?」

 

「釣竿よ。お父さんの仕事終わりに、魚釣りへ行く約束なの」

 

「……やけに重そうだな」

 

「見た目ほどは重くないわよ、おじさん? あ、私はグレープフルーツジュースが飲みたい!」

 

「最近の子は炭酸嫌いなのか? まぁ、構わねぇが……おーい。酔い覚め用に置いてんのは知ってんだぞー!」

 

 

 不機嫌そうに、グレープフルーツジュースを注ぐ。

 注ぎ終えるとストローを添え、二人の前に出される。

 

 双子は幸せそうに、ジュースを飲み始めた。

 

 

「んー! 美味しい! 喉カラカラだったの!」

 

「バーのカウンターでドリンクを飲んでみるのが夢だったんだ。へぇー、こんな感じねぇ。大人になった気分!」

 

「俺から言っておくが、バーのカウンターで飲むような大人にならねぇ方が良い」

 

 

 残った酒を少しずつ飲みながら、マクレーンは苦笑いを溢す。

 そんな彼の横顔を、少年は不思議そうに見つめていた。

 

 

「そうなの? どうして?」

 

「よぉし。二人とも、社会勉強だ。ここでぼんやーりと酒を飲む俺をどう思う?」

 

 

 両方からジーッとマクレーンを観察し、クスクスと笑い合う。

 

 

「ちょっと、情け無いかな? どう、姉様?」

 

「えぇ、兄様! 怒られた子犬みたい!」

 

「ひでぇ例えすんだな……待て待て。姉様? 兄様? どっちが先に生まれた方だ?」

 

 

 少女が彼の質問に答えた。

 

 

「さぁ、分からないわ。でも弟とか妹って、どちらかを下にしたくないじゃない?」

 

「そうそう。僕らは同じお母さんから生まれた。それで十分さ」

 

 

 マクレーンは少し、飲んだ酒を吹き出しかける。

 やけに達観した二人に驚いたからだ。

 

 

「やけに大人びてんだな。手がかからなそうで羨ましいな、君らの親は……」

 

「おじさん、子どもがいるの?」

 

 

 少年が興味津々に聞いて来る。

 マクレーンは心に蟠りを抱えたまま、少しの間を置いて話す。

 

 

「……あぁ。二人な。姉と弟だ」

 

「男と女? じゃあ、僕らと同じだね!」

 

「双子じゃなかったがな。名前はルーシーとジャックで……そういや、二人の名前は?」

 

 

 待ってましたと言わんばかりに、二人はそれぞれ口々に名乗る。

 

 

 

 

「僕は『ヘンゼル』」

 

「私は『グレーテル』」

 

「ヘンゼルとグレーテル? あの童話のか? ちょっとそりゃ、メルヘン過ぎる。センス疑っちまうよぉ」

 

「あら、そうかしら? 私は気に入っているわ?」

 

「うん! 二人はずっと一緒で仲良しだし、ピッタリだよ!」

 

「んまぁ……気に入ってんなら良いんだが……」

 

 

 オレンジジュースを一口飲んでから、また少年こと、ヘンゼルは質問する。

 

 

「それで、おじさんの子どもはどんな感じなの?」

 

「ルーシーはおませさんだったが、まだ聞き分け良かった。ただジャックは誰に似たのか、とんだ悪ガキだ。何回、留置所へ迎えに行ったか……一度、街の半分焼いちまう事件起こしてな」

 

「わぁ。それはとんでもない。僕でもやったこと無いよ」

 

「これからもやんじゃねぇぞ。あの時は保釈金の為に家を抵当に入れて……思えばその時からホリーとの仲が悪くなったな」

 

「そのホリーって人が奥さんかしら?」

 

「…………あぁ。二度も命張って守った、大事な妻だぞぉ?」

 

 

 今度はグレーテルが目を輝かせて話しかける。

 

 

「守ったって? 何が起きたの?」

 

「一回目は悪い奴にこう、人質に取られてたんだ」

 

 

 隣にいたヘンゼルを抱き寄せ、指で作った拳銃を突き付ける。

 

 彼は楽しげに、ふざけて「助けてー!」と可愛い悲鳴をあげた。

 

 マクレーンは手で促し、グレーテルに両手で拳銃を作らせ、向けさせた。

 

 

「俺には二発しか弾がなかった! しかし悪い奴は二人……だが俺はなんと! それぞれ一発ずつ当ててやっつけたんだ!」

 

「奥さんには当てなかったの?」

 

「当てる訳がねぇ! 一瞬で狙いを定めて、悪い奴だけを……ほれ、撃て!」

 

「ばずーんっ!」

 

「うわー!」

 

 

 マクレーンはやられた振りをして、ヘンゼルを解放。

 その様を見て二人はケタケタと笑い、マクレーンも釣られて笑った。

 

 

「こんな感じに助けたんだ」

 

「凄いや! カッコいい!」

 

「どうせ大人になんならヘンゼル。そんな男になった方が良いぞぉ? グレーテルもそんな男とデートしてみたいよな?」

 

「そうね……確かにデートするなら、優しくて強い人が良いわ」

 

「姉様姉様、僕はどう?」

 

「うーん。ちょっと頼りないかしら?」

 

「はっはっはっはっ! まだまだだなぁ!」

 

 

 拗ねたように口を尖らせる彼の頭を撫でながら、マクレーンは笑い声をあげる。

 

 

「………………」

 

 

 突然、押し黙るヘンゼル。

 さすがに馴れ馴れし過ぎたかと、すぐに手を離す。

 

 

「おっとと……あー、嫌だったか? いやぁ、悪かった。酔っちまっててなぁ」

 

「……ううん。何でもないよ」

 

「それでおじさん。二度目は?」

 

「二度目か? 二度目はちょっとだけ話すのが難しいが──お? おい、来たんじゃねぇか?」

 

 

 

 

 

AM 04:36

 

 

 ホリーを助けた話をしようとした時、また誰かが入って来る。

 もうラストオーダーは過ぎた。

 やっと二人の父親が来たかと視線を向けたが、入店したのは二人の男。

 

 

「景気はどうだ?」

 

「あぁ。そう良くはねぇな……まぁ、例のあいつのお陰で、最近は繁盛したがね」

 

 

 二人の男は店主が促した先の、マクレーンを見やる。

 もう四度もここで飲んでいた為に、見知った顔だった。

 

 

「なんだ、集金か……親父さん、ちと遅いな? もう外が青いぞ」

 

 

 

 

 突然、グレーテルはクマのストラップにキスをし、椅子から降りた。

 まだジュースは、半分残っている。

 

 

「あ? おいおい、トイレか?」

 

「ごめんね、おじさん」

 

 

 彼女は釣竿を手に取り、集金人たちの方へ近付く。

 クマのストラップの紐を、指でかけながら。

 

 

 

 

「ねぇねぇ、私たちと遊ばない?」

 

 

 

 

 集金人に話しかけ始めた、グレーテル。

 その声は年不相応に、艶やかだ。

 

 

 

「ねぇおじさん。遊びましょ?」

 

 

 釣竿を向ける。

 

 

 

 集金人の男の表情が、鬼気迫るものに変貌した。

 

 

 

「サハロフッ!! こいつらだッ!!」

 

 

 懐に手を入れる。

 

 その行動の意味を理解したマクレーンは、腰のホルスターに手をかけた。

 

 

「なんだオイッ!? やるってのかッ!?」

 

 

 彼よりも早く、ベレッタを抜くマクレーン。

 

 

 

 

 

 

 

「へえ、凄いや。ホントに一瞬で狙いを定めてる」

 

 

 背後から無邪気な、ヘンゼルの声。

 

 ピッと、クマを引っ張って布を取り払うグレーテル。

 

 

 

 

「奥さんも、そうやって助けたんだね」

 

 

 

 彼女が持っていた物は、釣竿なんかではない。

 

 

 

 

 ブローニング・オートマッチ・ライフル。通称「BAR」。

 

 巨大な、銃だ。銃口に女の子の人形が吊り下がっている。

 

 レプリカではない。本物の。

 

 

 

 

 

「は?」

 

 

 

 

 背後から、冷たい感覚。

 横目で見る。

 

 

 

 

 

「おじさん、とっても楽しかった」

 

 

 

 

 

 カウンターに乗り出し、両手で斧を構えたヘンゼルの姿。

 刃先は、マクレーンの首に向けられている。

 

 

 

 

「本当にありがとう──お休みなさい」

 

 

 

 

 次の瞬間に響いたのは重厚な銃声と、男の悲鳴だった。




ネバー・ダイ・ハード


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Gemini Dream 3

「待て待て待て、おい」

 

 

 ワトサップがマクレーンの話を遮る。

 眉間を押さえ、理解に時間をかけている様子だ。

 

 

「斧を持って、後ろから襲われた? 泥酔中に?」

 

「あぁ。完全に不意を突かれた」

 

「そうじゃねぇ。何があって、そっから生き残れたんだおめぇは。ホラ話は興味ねぇぞ」

 

「ホラじゃねぇよ。マジだ。完全に運が良かったんだ」

 

 

 どう思う、と言いたげにバラライカとボリスを見やる。

 ボリスの方は些か、半信半疑な様子だったが、バラライカは顔色一つ変えずに聞き込んでいた。

 

 二人とも、犯人がまだ十代前半の子どもだと言う点を怪訝に思っているようだ。

 

 

「子どもだってのは本当だ。給仕も言っていたからな。夜勤の休憩中で、最初の襲撃を逃れられたんだ。今聞きたいのは双子の手口と、どう生き延びたのかだ」

 

「……本当に、自分でも驚くほど運が良かった。言っちゃなんだが、一歩違っていれば死んでいたな」

 

 

 マクレーンは最後の証言に移る。

 その目はいつもの彼以上に、どんよりと濁っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

AM 04:38

 

 

 ヘンゼルが構えた斧が、マクレーンの背中を掻っ切ろうとする。

 完全に不意を突かれた彼は、対応が遅れてしまった。

 

 このままならば肩甲骨から刃が入り、腰へ抜けて背骨が外気を浴びていただろう。

 

 しかしそうはならなかった。

 一瞬早くBARを構えたグレーテルが、拳銃を構えたメニショフの右肩を撃ち抜く。

 

 

「があッ……!?」

 

「うっ……!?」

 

 

 その痛みと反応により、彼は拳銃の引き金を引いた。

 照準はグレーテルから外れていた。だが銃弾は彼女の後ろの、マクレーンとヘンゼルの方へ向かって行く。

 

 

「おっと! 危ないよぉ!」

 

「うおぉ危ねぇッ!?」

 

 

 ヘンゼルは斬りかかりを中断し、カウンター側へ横飛び。

 マクレーンも弾丸を回避すべく、通路側へ転げていた。

 

 

 一方、肩を狙撃された彼。

 かなりの威力なのか、撃ち抜かれた右肩の骨をも粉砕する。

 

 

「ぐぅ……クソッ!! 肩が……ッ!!」

 

「メニショフ伍長ッ!?」

 

「サハロフッ!! 逃げろッ!!」

 

「……ッ!!」

 

 

 床に落ちた、メニショフの拳銃が足元にある。

 一瞬躊躇したものの、それを取って応戦しようとするサハロフ。

 

 

「な、なんてこった……!」

 

 

 カウンターでは怯えた店主が、裏手にいる応援を呼ぼうと走り出す。

 

 

 

「まぁ。おじさんの真似はしないものね。外しちゃったわ!」

 

 

 銃口が真っ直ぐ、拳銃を持ち上げたサハロフらへ向けられる。

 

 

「おじさん、運が良かったね。幸福の天使が見守っているみたいだ」

 

 

 斧を掲げ、店主へ飛びかかる。

 

 

 

 それらを眼前で確認した、マクレーン。

 もう間に合わない。

 

 

 

「よせッ!? 逃げろッ!?」

 

 

 忠告は、遅かった。

 

 

 

 

 

「ッガ──」

 

 

 次の瞬間、サハロフはグレーテルの銃弾を受け、胸と腹に風穴を開けて絶命した。

 

 

「ぁッ──」

 

 

 次の瞬間、店主はヘンゼルの斧で顔面を裂かれ、脳を撒き散らして息絶えた。

 

 

 たった一瞬で、二人の人間が、双子に殺されてしまった。

 

 

 

「クソッタレ……! 殺しやがった……ッ!!」

 

 

 即座にベレッタを構える。

 

 狙いはすぐ目の前にいるグレーテルだが、店主を殺害したヘンゼルが血塗れの斧を振り回し、こちらへ跳躍する。

 返り血を着けた姿もあいまって、その姿は吸血鬼だ。

 

 

「うぅ!? 嘘だろぉい!?」

 

 

 人間離れした動きに、引き金を引く暇さえなかった。

 横へ転がり、何とか回避。

 顔のすぐ真横に、二つの斧が床にダンッと降ろされた。

 

 

「駄目だよおじさーん!」

 

 

 すぐに引き抜き、無様に転がっているマクレーンへ刃先を向けた。

 

 

「ジュースのお礼だよっ! 楽に天国へ送ってあげるね!」

 

「ふざけんなッ!!」

 

 

 床を這うように逃げ、追撃から逃げる。

 無様な格好だが、今は生き抜く事が重要だった。

 

 

「すばしっこいなあ! 待て待てーっ!」

 

「やめろやめろやめろクソォォーッ!!」

 

 

 逃げた先、逃げた先に斧を振り下ろすヘンゼル。

 何とか縦横無尽に転がり、回避を繰り返す。

 

 

「どうしちまったんだ……ッ!!」

 

 

 次にマクレーンが顔を上げると、そこにはライフルを持ち上げるグレーテルの姿。

 その照準は、倒れた状態で睨み付ける、メニショフの頭部を狙っている。

 

 

 彼の足が撃たれていた。恐らく、サハロフへの流れ弾を食らったのだろう。

 後ろへ這うが、カウンター裏まで間に合わない。

 

 

「クソガキがぁ……よくもサハロフを……ッ!!」

 

「あぁ、駄目よ。動いたら駄目」

 

 

 引き金にかかった指に力がこもる。

 

 マクレーンはヘンゼルの斧をまた避けてから、追撃を受ける覚悟でBARの方へ飛ぶ。

 

 

 

 

「動けクソッタレぇえッ!!!!」

 

 

 彼は銃身にぶら下がっていた、人形を掴む。

 グンっと引き、照準を狂わせてやった。

 

 

「キャっ!!」

 

 

 引き金が引かれたのは同時だった。

 銃弾はメニショフを外れ、死んだサハロフに三発ほど当たる。

 

 

「どう言うつもりだ!? なんなんだ二人ともッ!?」

 

 

 BARの銃身を脇に抱えて照準を阻害し、ベレッタをグレーテルへ向けた。

 

 だが、もう一人の刺客を思い出す。

 ヘンゼルが手斧を持って、迫っていた。

 

 

「うひぃッ!?」

 

 

 咄嗟に銃身の下へ潜り、盾代わりとして斧を止めた。

 この機転にはさすがのヘンゼルも驚いたのか、目を丸くしている。

 

 

 その隙にマクレーンはBARを押さえつけつつ、ヘンゼルの片腕を掴む。

 彼もまた銃身に乗っかかるような姿勢だった。

 

 

「おじさんったら、もう酔いが覚めちゃったのかしら?」

 

「あっちへピョンピョン、こっちへピョンピョン。ネズミのようにすばしっこいや」

 

「おい、なんだお前たち!? 一体……」

 

 

 グレーテルが頬を膨らませ、連射しながらBARを振り回す。

 合わせてヘンゼルも、彼女に合わせて楽しげに動かし始める。

 

 

「うおおおおやめろぉおーーッ!?」

 

「ははははははは!! まるでメリーゴーランドだね!」

 

「あはははははは!! 振り落とされないように気をつける事ね!」

 

 

 何とか取り上げようとするものの、振動と間近で鼓膜を揺らす銃声のせいで力が入りにくい。何よりもヘンゼルの存在が強いプレッシャーだ。

 

 マクレーンはBARにしがみ付いてあっちこっちへ振り回される。

 

 

「頑張ってねおじさん。離れたら撃たれちゃうわ」

 

「クソッタレえぇーーッ!!」

 

 

 発射された弾丸が、床、天井、陳列棚、酒瓶にテーブルと縦横無尽に破壊。

 

 何とか奪い取ってやろうとマクレーンも抵抗し、構えを狂わせてはいた。

 

 三人はクルクルと回り、断続的で重厚な銃声を鳴らし続ける。

 

 

「う……ッ!?」

 

 

 カウンター上の、オレンジとグレープフルーツジュースの入ったグラスが銃身と当たって床に落ちる。

 

 途端、しがみ付いていたヘンゼルが、真下にあった椅子に立って姿勢を正し、再び手斧を構えていた。

 

 

「もう無理だ……!」

 

 

 マクレーンは奪取を諦め、身を引いた。

 ライフルから身体を離し、後ろに倒れ込む。

 

 

「いてぇッ……! 買ったばかりのシャツだぞッ!!」

 

 

 左胸の皮膚を掠めた。

 血が流れ、シャツを赤く染める。

 

 

「あーあ、惜しかった」

 

「それじゃあ、私の出番ね」

 

「よぉく狙って、姉様」

 

「えぇ、任せて兄様」

 

 

 銃口が、マクレーンへ向けられる。

 

 

「あぁ、なにが幸福の天使が見守ってるだクソッ……!!」

 

 

 即座に立ち上がり、店の奥へと逃げた。

 

 発砲されたのはその直後だ。

 姿勢を低くし、必死に走る彼のすぐ背中を銃弾の雨が抜けて行く。

 

 

「こいつら人じゃねぇよぉおーーッ!?」

 

 

 壁を粉砕し、煙が上がる。

 破片と粉末を浴びながら、死に物狂いでマクレーンは裏口を目指し走り続けた。

 

 

 

 裏口の方から、数人の男たちが現れる。

 裏カジノに興じていた連中だろう。

 

 

「なんだ!? 襲撃か!?」

 

 

 こちらへ駆けて来るマクレーンと、巨大なライフルを撃ちまくるグレーテルを視認し、一斉に拳銃を抜く。

 

 

「なんで今出て来るんだクソッタレッ!?」

 

 

 意を決して振り返り、拳銃を構えた。

 

 

 また引き金が引けない。

 すぐそこに、斧を振り上げたヘンゼルが迫っていた。グレーテルは彼を避けて撃っている。

 

 

「インディアンかよ……!」

 

 

 射撃準備を取りやめ、後ろへ飛んだ。

 

 

「伏せろぉおおおおおッ!!!!」

 

 

 マクレーンへ振られた斧は彼に当たる事はなかった。

 だが振り切る前にヘンゼルは手を離す。

 

 

 投げられた手斧が、拳銃を構えた男の胸に直撃。

 突き刺さったそれによる苦痛で、彼は膝から崩れ落ちた。

 

 

「あは、ダーツで言うキャッチってやつだね」

 

 

 ヘンゼルは追撃せず、横へ跳ねた。

 

 

「ナイスキャッチ。それなら私は、オーバーキルを狙おうかしら?」

 

 

 いつの間にか弾倉を交換していた。

 

 照準が、男たちを捉える。

 

 仲間の凄惨な死が動揺となり、一瞬の差を生んだ。

 

 どうやっても現状、彼女より先に撃つ事は出来ない。

 

 

「あぁ、やめてくれ……!」

 

 

 四つん這いで逃げ、そのまま前に跳ぶ。

 

 

 

 

 

 

 カチャリと、トリガーの音。

 

 ドンッ、ドンッ、ドドドドドッと空気を揺さぶる射撃音。

 

 バタバタバタと次々と倒れて行く、男たち。

 

 

 血と硝煙と数多の銃弾、そして銃声と悲鳴が降り注ぐ、地獄が広がっていた。

 

 

 男たちは何とか拳銃で応戦するものの、弾丸は全てあさっての方向へ。

 

 後ろに吹っ飛び、血を吐き、指から拳銃が抜けて宙を舞う。

 

 グレーテルのBARは圧倒的な破壊力を以て、敵を粉砕して行く。

 

 

 

 

 

 

「クソッ、なんてこった……!」

 

 

 マクレーンはカウンターの角まで逃げ果せ、途切れなく撃ち放たれる銃弾を回避していた。

 

 

「なにやってんだマクレーンッ!! 一発も撃ってねぇぞッ!?」

 

 

 自問自答で責め立てる。

 しかしそれも仕方がない。ヘンゼルの存在が、発砲を許してくれない。

 

 

 

 ヘンゼルに注目すれば、グレーテルに射抜かれる。

 

 グレーテルに注目すれば、ヘンゼルに寸断される。

 

 それを人間一人が対応出来る訳がない。

 

 

 二人はこれらを最高のコンビネーションで実行していた。

 

 マクレーンが相手をしているのは、これまでのテロリストたちとは訳も違う怪物だ。

 

 

二兎を追う者は一兎をも得ず(椅子と椅子の間に落ちる)ってか? クソッ!」

 

 

 あまりにも分が悪い。

 マクレーンはもう一度裏口に入り、逃走するべく、隙を窺う為に息を潜めた。

 

 

 

 銃声が止む。

 二人の声が聞こえた。

 

 

「優しくて強いおじさんはどうなったかしら?」

 

「生きていてくれたら良いな」

 

「それはどうして兄様?」

 

 

 再び斧を持ち上げ、カウンター上に立つヘンゼル。

 峰の部分を撫で上げ、死体の山となった店の奥へ一歩一歩寄る。

 

 キャットウォークを歩くように、しなやかで妖艶だ。

 

 

「次のお仕事まで一緒に遊ぶんだ」

 

 

 灰皿を蹴飛ばし、道を開ける。

 

 

「まずは足の指を一本一本」

 

 

 並べられた酒瓶を蹴飛ばし、道を開ける。

 

 

「次は手の指を一本一本」

 

 

 乾かしている最中のコップを蹴飛ばす。

 

 

「次は右腕。その次は左腕」

 

 

 皿を蹴飛ばす。

 

 

「左足」

 

 

 メニューを。

 

 

「右足」

 

 

 吹き飛んだ血肉を。

 

 

「そうやっておじさんを『軽く』したら、お人形さんみたいに抱っこしたり、着せ替えたりしてから」

 

 

 カウンターの最後まで到達した。

 

 

「家族の所に送り届けてあげる」

 

 

 角を覗き込んだ。

 

 

 

 

「楽しそうでしょ? 姉様?」

 

 

 そこには、誰もいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 裏口の扉の裏に隠れながら、マクレーンは戦慄していた。

 

 

「そんな形で再会したかねぇよぉ……!」

 

 

 ぽつりと呟いてから、マクレーンはこっそりと逃げる。

 

 壁はグレーテルの攻撃によって、弾痕による穴だらけだ。

 存在を悟られないよう、穴を器用に避けて進む。

 

 

 通路には、壁抜けで撃たれて死亡した者もいた。

 その死体の中で、蹲って震えている生存者を発見する。

 

 

「おい」

 

「ひぃッ!?」

 

「しっ! 静かにしろ、敵じゃねぇ!」

 

 

 休憩をしていた給仕だ。マクレーンとは、彼が酒を飲んでいた時に知り合っていた。

 運良く、あの銃弾の雨をやり過ごせていた。

 

 

「運の良い奴だな」

 

「と、扉の隙間から見ていたよ……! なんだよあの双子は……!?」

 

「俺にも分からん。とりあえず、裏から一緒に逃げるぞ」

 

 

 二人の様子を確認するべく、穴から覗く。

 辺りを見渡すヘンゼルと、銃の点検をしながら待つグレーテルの姿がバッチリ見えた。

 

 

「じきに裏口も探って来やがる。逃げるなら今しか…………」

 

 

 

 

 

 グレーテルの後ろで、何かがゆっくりと倒れた。

 

 

 

「……ッ!」

 

 

 彼女に撃たれ、重傷を負っていたメニショフだ。

 微かに動いており、まだ生きているものの、やけに弱体化している。

 動脈から出血してしまったのか。

 

 

 

 

「撤回だ」

 

 

 息を大きく吸い込み、なぜか構えていたベレッタをホルスターにしまう。

 

 

「え?」

 

「お前だけ逃げて警察を呼べ」

 

「なにを……あんたまさか……!?」

 

 

 引き攣った笑い顔を見せつけるマクレーン。

 

 

 

 

「ジョン・マクレーン主演で、フロム・ダスク・ティル・ドーンだ」

 

 

 

 

 覚悟を決め、彼は一思いに再び店内へ駆け込んだ。

 マクレーンの姿を確認したヘンゼルは、嬉しそうな満面の笑み。

 

 

「あははっ!! 凄い凄いっ!! 全然綺麗だっ!!」

 

 

 持っていた一本の手斧を持ち上げ、彼へ斬りかかろうとするヘンゼル。

 

 

 マクレーンは死体に突き刺さっていた、ヘンゼルが投げた方の手斧を抜き取ると、それを掲げて対峙する。

 

 

 

 

「やってやるぅうううウオオオオオォおおッッ!!!!」

 

 

 斧を使って襲い来た為、ヘンゼルは攻撃から防御に移る。

 

 マクレーンが振り下ろした刃を、ヘンゼルは斧の側面で受け止めた。

 

 

「まだまだだよ、おじさん。腰が入っていな──」

 

 

 懐から何かを取り出し、ヘンゼルの左手首につける。

 

 

「──へ?」

 

 

 

 手錠だ。

 暇潰しの検挙に使っていた代物。

 

 

 

 

 唖然としている内にマクレーンはそれを思いっきり引く。

 ヘンゼルを倒してやり、足元に倒れていた死体の手首に反対側の手錠をかけてやる。

 

 

「悪趣味な手枷の完成だクソッタレ」

 

 

 身体の力が抜け切った死体は、言わずもがな重いものだ。

 これでヘンゼルの動きを一時的に止めてやる。

 

 

 マクレーンは斧を捨て、グレーテルの方へ走る。

 

 

「キャーっ! 映画のワンシーンみたい! とっても素敵よ!」

 

 

 彼の敗北を確認した彼女は、満面の笑顔で即座にBARの銃口を向けようとする。

 

 

 

 しかし彼女が銃口を向けるよりも、マクレーンが拳銃を抜く方が早い。

 ヘンゼルを避けて照準を合わせる前に、ベレッタの照門と照星が一直線にグレーテルに向く。

 

 

「これが大人だぁぁーーッ!!」

 

 

 そのまま彼は引き金を引き、グレーテル目掛けて撃ちまくる。

 危険だと判断した彼女は、BARを抱えたままカウンター上に乗り、向こう側へ隠れた。

 

 

 それでもマクレーンは威嚇射撃を続け、メニショフの方へひた走る。

 

 

 

 

 カウンター越しに、グレーテルはBARを構え、発砲する。

 銃弾はカバーを通過し、ちょうど横を走るマクレーンへ襲いかかった。

 

 

「鉛を入れとけよぉおーーッ!? イエロー・フラッグみてぇにッ!!」

 

 

 マクレーンは前へ、覚悟を決めて飛んだ。

 

 グレーテルの視界が遮蔽物によって塞がれていた事が功を奏した。

 

 

 デタラメに飛び交う銃弾を、命からがらすり抜ける。

 

 

 全てがゆっくりになった感覚だ。

 

 木屑と、硝煙を浴びながら、メニショフの隣に倒れ込む。

 

 

「逃げるぞッ!! しっかりしとけッ!!」

 

 

 彼の脇から腕を入れ、出入口まで引き摺る。

 グレーテルらを牽制する為に、ベレッタは撃ち続けた。

 

 

 店を出た瞬間、カウンターから顔を出したグレーテルが銃口を向ける。

 

 

「うおお、やべぇッ!?」

 

 

 メニショフを両腕で引き摺り、急いで離脱する。

 

 彼女の追撃をかわすべく、店から斜め方向に逃げ、向かいの歩道まで退避。

 

 銃弾が、店の扉やガラス、看板を破壊した。

 

 

「あぁ、どうするマクレーン!?」

 

 

 二人の前に、車が停まる。

 

 無事に脱出した給仕が運転していた。

 

 

「ほら、早く乗って乗って!!」

 

「ありがてぇッ!!」

 

 

 後部座席に、重体のメニショフだけを乗せる。

 傷口は上着で縛り、一応の応急処置だけは施す。

 

 

「あんたは!?」

 

「良いから行けッ!! すぐそこの病院にだぞ!?」

 

 

 グレーテルが店から出て来た頃に、給仕は恐怖からアクセルを踏んで逃走を図った。

 

 

 

 

 

 BARを向ける。

 

 

 しかし、グレーテルは引き金を引かなかった。

 

 

 

「残念、弾切れなの」

 

 

 

 

 この隙に二人を乗せた車は、一目散に逃げて行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 車道を見渡す。誰もいない。

 車が盾になっていたせいで、マクレーンが乗っていなかった事に気付いていない。

 

 

 彼は路肩に停められていた誰かの車の後ろに、身を潜めていた。

 

 

「……逃げちゃったわ、兄様」

 

 

 店内から斧を持ったヘンゼルが出て来る。

 切断した死体の手首をぶら下げ、血塗れの姿だ。

 

 

「おじさんの話、本当みたいだね。悪い奴らをやっつけて、奥さん助けたって」

 

「この街に来て初めて。私たちから逃げられた人は」

 

「おじさんには神様が味方しているのかな?」

 

「良い人だからよ。私たちにジュースをくれたから、神様が味方したのだわ」

 

「あはは、羨ましいなぁ」

 

 

 マクレーンはこっそり、二人を確認する。

 

 次に、見なきゃ良かったと後悔した。

 

 

 

 

 

AM 04:53

 

 

 

 破壊されたカリビアン・バーの前に佇む、妖艶な笑みを浮かべる双子。

 

 ヘンゼルの片手にぶら下がった死体の手首と、血だらけの斧。

 

 グレーテルの両手に抱えられているのは、巨大なライフル銃。

 

 

 マクレーンでさえも目を疑うほど、光景の全てが狂っている。

 

 コキュートスを覗いた気分だ。戦慄から思わず彼は息を飲む。

 

 

 

「また会いたいな。お仕事が終わったらどこまでも追っかけようよ、姉様」

 

「ええ、兄様。絶対にまた会いましょ」

 

「心臓を見てみたい」

 

「どんな脳をしているのかしら」

 

「筋肉はあるのかな」

 

「アソコはどうかしら」

 

「綺麗な目をしていたね」

 

「お鼻もくっきりしていたわ」

 

 

 二人は店の近くに停めていた、車に乗り込む。

 

 マクレーンはしゃがみ込み、隠れている車の下からナンバープレートを覗く。

 

 

「今度は名前も聞かないと!」

 

「えぇ! あぁ、楽しみだわ!」

 

 

 車は走り去って行く。

 マクレーンには気付かなかったようだ、ホッと胸を撫でおろす。

 

 

 安全を確認し、遠くからサイレンが聞こえた頃に、彼は立ち上がってバーの前に立つ。

 

 中の惨状を、改めて確認する。

 

 

 

 

 

 あんな子ども二人がやったなんて、信じられない。

 

 

 

 

 

「……一体、なんなんだ、ありゃ……どうしてこんな事、出来るんだ……」

 

 

 マクレーンは足元に落ちていた、壊れて時間を止めたデジタル時計を見下ろしていた。

 

 

 

 

AM 04:54



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There Is a Light That Never Goes Out 1

 マクレーンの証言が終わる。

 前に会った時よりやけに口数の少ないバラライカだったが、やっと彼女から纏まった話がされた。

 

 

「本当にあなたは凄いわ。噂通りの男ね」

 

「クソッタレ。おたくに貰った優待券が、地獄への切符とは思わなかった。てっきり飲み過ぎて金庫の中が寒くなったから、俺の保険金で賄いに来たんじゃねぇかと思っちまったぜ」

 

「三回で二千七百ドル使ったとしても、全体の十分の一も減らないわ。それこそ、あなたが今まで払って来た保険金よりまだまだ潤沢よ」

 

「嘘だろバラライカ? つまりこいつに、一回九百ドルも奢ったのか!?」

 

「集金額より払うハメになったと、伍長がごねていたよ」

 

 

 ワトサップは少し羨ましげにマクレーンを睨む。

 優越感に浸った表情で、本人はまた水を飲む。

 

 

 

 背後に連絡を取っていたボリスが、電話を切ってバラライカの元に戻る。

 

 

「メニショフの手術が終わったようです。まだ意識は戻っていませんが、容態は安定傾向との事です」

 

 

 バラライカの表情は冷たいままだ。

 だが気のせいか、ホオッと、安堵の息を溢したような。

 

 

「……マクレーン警部補、あなたに感謝しないといけないようね」

 

「助かってよかったな……まぁ、そいつと給仕しか無理だったが」

 

「十分よ。あなたは死んでいるハズだった命を救った。事が落着したら、別の店でまた奢るわ」

 

「良いねぇ」

 

 

 その上でもう一度、質問をする。

 

 

「それで、車のナンバープレートは見たの?」

 

「………………」

 

 

 マクレーンは少しだけ考え込む仕草を見せた後に、首を振った。

 

 

「……見えなかったぜ。残念だ」

 

「それなら、車種は?」

 

「あー……車に詳しくなくてなぁ」

 

「刑事なのに? 追跡車両の車種が言えなきゃ問題でしょ?」

 

「そりゃ、ゼネラルモーターやフォード、クライスラーは分かるさ。見慣れねぇ車だったってだけだよ。悪かったな」

 

「いや、良い。アメ車じゃないとは分かった」

 

「アメ車って言い方は気にくわねぇな……」

 

 

 なら、とバラライカは続ける。

 

 

「独特な訛りと言っていたわね。どこかは分かるかしら?」

 

「……なぁ、おたく、もしかして──」

 

「質問が聞こえなかった?」

 

 

 途端に彼女の声が、鋭利なものに変貌。

 一瞬だけ、苛ついたような眼光がマクレーンを貫いた。

 さすがのマクレーンと言えども、その目にはたじろいだ。

 

 

 

「……さぁ。覚えがねぇな」

 

 

 

 しかし、全てを知っている訳ではない。

 申し訳なさそうに眉を下げ、彼は頭を振る。

 

 バラライカはいじらしさを堪えるように、目を瞑った。

 

 

「その双子に繋がるもんと言ったら、本当にそれしかねぇ。引っ張った時に切れて、なんかに使えねぇかとポケットに入れといた」

 

 

 彼女はマクレーンから受け取った人形を、ワトサップに見せる。

 

 

「……あー、駄目だ。こんな下手くそな編みモン、ウチの家内でもそうそう作れねぇぜ。網目が乱雑で、しかも毛糸。『指紋』は取れるだろうが、断片過ぎて使いもんにならねぇだろな」

 

 

 そうか、と呟いた後にバラライカは人形を、マクレーンに返す。

 怪訝な表情で、おずおずと受け取った。

 

 

「何かそれで、奴らの正体が分かったなら教えて欲しいわ」

 

「俺がか?」

 

「五年前も、金塊強盗の本拠地を特定したのはあなただってのは知っている。その勘の良さを信じてよ」

 

「あれこそ本物の奇跡だったぜ……あんまり信用してくれるな」

 

 

 人形をクルクル回しながら観察するが、何か分かる物でもない。

 バラライカはもうこれ以上聞くのも野暮だと決めたのか、質問責めをやめた。

 

 

「その双子に今後も襲われる可能性があるわ。『連絡会』が終われば、すぐに護衛を拵えてあげる」

 

「連絡会?」

 

「面倒な馴れ合いよ」

 

「別に護衛はいらねぇ」

 

「いえ、付けさせてもらう。お礼とは別に」

 

 

 踵を返し、現場を後にしようとするバラライカ。

 特に呼び止める理由もなく、マクレーンはぼんやりと彼女とボリスの後ろ姿を眺めるだけに留めた。

 

 

 

「……それと、一つ」

 

 

 不意に向こうから再度、話しかけられる。

 

 

「引き金を引く暇がなかったと言っていたけど、本当に?」

 

「え? あ、あぁ。あれはさすがに──」

 

「いいえ。あなたなら僅かな隙で撃てたでしょ?」

 

 

 足を止め、流し目にこちらを見るバラライカ。

 愕然とするマクレーンと視線が合う。

 

 

「やっと撃ったと思えば、逃げる為の牽制。それに車の影にいて、向こうは弾切れ。不意を打てる一番の好機を逃した……どうしてなのかしら?」

 

 

 それだけ言い残し、バラライカは去ろうとする。

 言われてばかりでは性に合わないのか、マクレーンも返してやった。

 

 

「おたくも同志の敵討ちってか? 護衛と言いつつ、俺を餌に監視するつもりだろ。意外と情に厚いんだなぁ、えぇ?」

 

 

 彼女は一瞬だけ足を止め、また再び歩き出す。

 ボリスが引き上げてやったテープの下をくぐり、去って行く。

 その姿が消えるまで、視線を送り続けた。

 

 

 

 

「……クソッタレ。言われなくても自覚してたっつの」

 

 

 マクレーンは、ベレッタの弾倉を確認する。

 弾は、まだ数発残っていた。十分、まだ撃てたハズだ。

 

 

 拳銃をしまってから、マクレーンはワトサップにぼやく。

 

 

「この街に来てから、もう三回もドンパチに巻き込まれた。その三回とも、バーで飲んでた時にだ。なんだ? この街じゃとりあえずバーを襲えと義務付けられてんのか?」

 

「イエロー・フラッグ以外じゃ珍しいな。ここまでハズレをピンポイントで引いてんのもスゲェが、ほぼ一人で逃げ切ってる方がもっとヤベェな。そんな奴、ロアナプラでもそうそういねぇぞ。本当に普通の刑事か?」

 

「ずっとツイてねぇ……ツイてねぇが、今日が本当にヤバかった」

 

「シャイニングの双子と、フロム・ダスク・ティル・ドーンのゲッコー兄弟が合体したような奴だもんなぁ。さすがに同情してやる」

 

「…………なんだ? あんたもあの映画みたのか? 酒場の下りから俺ぁ、なに観てんのか分かんなくなったぜ」

 

「古き良きクライムアクションかと思えば、いきなりヴァンパイアだもんな。まぁ、俺は結構好きだったがね」

 

 

 そこまで話してから、特別話す事もなくなったので、ワトサップは見分に戻ろうかと離れた。

 マクレーンは急いで彼を引き止める。

 

 

「おいおいおい、待った待った」

 

「なんだ?」

 

「酒返せ」

 

 

 没収していたウィスキーのビンの事を思い出し、ワトサップは彼に投げ渡して返してやった。

 受け取った途端、すぐにフタを開けてラッパ飲み。

 

 

「……気になったんだが、そのウィスキー、店の物か?」

 

「んぐっ、んぐっ……ぁあ〜……あぁ、そうだが?」

 

「なら双子から逃げ切った後、また店内に入ったって事になるだろ? 何か、探し物でもあったのか?」

 

 

 両手を広げ、片眉を上げてすっとぼける。

 マクレーンの酔って眠たげな目を見て、ワトサップは追及する気分を無くす。

 

 ただ、気がかりなのか、もう一言だけ話す。

 マクレーンがグレーテルから取った、小さな女の子の人形についてだ。

 

 

「……しかしなんだ、その人形……」

 

「これか? おめーの子どものモンか? もしかして双子か?」

 

「俺の倅をイカれ野郎にすんじゃねぇ……うーん。見た事あるような、ないような……まぁ、似たようなのは幾らでもあるか」

 

「なんだ期待させやがって」

 

「それより、てめぇにタイ語の勉強だ」

 

「あ?」

 

 

 ワトサップは意地の悪そうな笑みを浮かべ、視察当初のようにあるタイ語の格言を教えてやる。

 

 

「クラドゥー・ケング。『硬い骨』って言う」

 

「意味はなんだ?」

 

「てめぇの事だよ、クラドゥー・ケング(ダイ・ハード)。署内じゃみんな、てめぇをそう呼んでる」

 

 

 そう言って彼は背を向け、見分の様子を見に行った。

 

 

 

 

 

「…………よしっ!」

 

 

 彼が現場に戻ったのを確認した途端、マクレーンは大急ぎで近くのパトカーへ走る。

 警官の目を憚りながら、車内にある箱から三つの物をくすねた。

 

 

 ハケ、アルミニウムパウダー、ゼラチン紙。

 

 

 マクレーンはそれらをポケットに入れ、何食わぬ顔で現場を後にする。

 

 

 

 下宿先に帰るなり、彼は部屋に鍵をかけ、足がすり減ってガタガタと安定しないテーブルに向かった。

 

 

「これをやんのは、久しぶりかなぁ〜」

 

 

 マクレーンはティッシュを三枚手に取って手袋代わりにし、懐に隠していた物を取り出す。

 

 

 

 二つのグラスだった。

 

 

 

 双子に奢った時に使われた物。

 割れずに残っていたそれを、マクレーンは双子が去った後に店内で見つけていた。

 

 

「店主に……それよりも、双子の指紋が取れるハズだ、が……」

 

 

 ハケにパウダーを付け、そのままトントントンと、グラスの表面を叩く。

 慣れない手付きだが、時間をかけてゆっくりと指紋を探す。

 

 

「……あー、クソッ。天気が悪いなオイ。そういや五時前まで小雨降ってたな」

 

 

 

 部屋の中が暗くなる。

 太陽を雲が隠したようだ、じきに雨が来る。

 

 マクレーンは作業をやめて、電灯の明かりをつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋に入る。

 ブラインドカーテンで締め切られた、家具も何もない殺風景な部屋。

 

 数人の男たちが中に恐る恐る入る。

 服を取り替える、半裸の双子がいた。

 

 

「……おい。話は聞いたぞ。今度はバーを襲ったって? えぇ? こないだは中国人どもの売春宿、その次はラテンジャンキーどもの事務所。街でよろしくやりやがって。俺は最初、なんて命令した?」

 

 

 惚けたように微笑む二人を前に、返答を待たずに男は続ける。

 

 

「……あの女狐(バラライカ)を殺せって言ったよなぁ……? 誰か『黄金夜会』の紳士どもに喧嘩売れつったかぁ?」

 

 

 黄金夜会とは、ロアナプラで力を持つマフィアたちを一括りにした通称だ。

 ホテル・モスクワ、三合会、マニサレラ・カルテル、コーサ・ノストラ。主にこの四つのマフィアを指す。

 

 昔は街の支配権を巡り、血で血を洗う抗争が毎日起きていたらしい。

 しかしこう言うものは、戦争と同じだ。

 長引けば長引くほどグズグズ引き摺って、最後は大赤字。

 誰がロアナプラを手にするかよりも、本部に大目玉食らわされ粛清される方が先だ。

 

 

 ならば支配権や資本を分散すれば良い。

 

 四者の均衡を等しくさせれば良い。

 

 利益は出る。本部にも顔が立つ。

 

 

 それがマフィア同士の協定、黄金夜会の始まりだ。

 

 

 

──表面上は。

 

 

 それは先に起きた、ホテル・モスクワとマニサレラ・カルテルの戦争が良い例だ。

 

 隙を見せれば、一気に食われる。

 

 協定だが、仲良しこよしな訳はない。

 

 

 協力と言うより、三竦みならぬ四竦みだ。

 

 水面下では、どう相手を出し抜くかの暗躍や思惑が巻き起こっている。

 

 

 

「この間も、どこの馬の骨か知らねぇ奴を、殺して持って来やがって。掃除屋も呼べねぇんだ。何も知らねぇ田舎の清掃屋を何とか騙して、処理させたんだぞ」

 

「あの時は本当にご苦労様。私も兄様も感謝しているわ」

 

「だったらとっとと、バラライカを殺せ。連絡会からボスが帰って来たら、下手すりゃ俺らが殺されんだぞ?」

 

 

 男は、ヘンゼルが何かを後ろ手に持っている事に気付く。

 アヒル座りの彼の膝元には、血の付いた手錠が落ちている。

 

 

「……おい。何持ってんだ」

 

「これ?」

 

 

 

 

 切り取った、誰かの腕だ。

 生乾きの血が、ポタポタと床に点々を付ける。

 

 

 その場にいた男たちの、肝が冷える。

 

 

「……なんでンなもん、持ってんだ」

 

「ちょっとしたお土産。ほら見て。硬直しちゃって、彫刻みたいだよ?」

 

 

 自身の顎下に、死体の手のひらを添えて頬擦り。

 笑ってそれをやってのけたヘンゼルの狂気にたじろいだ。

 

 

「クソッ、病気だ……てめぇら、とっととケリを付けて街から出て行け……てめぇたちのお守りにゃもうウンザリだ……!」

 

 

 逃げるように男たちは、部屋から出ようとする。

 それを引き止める、ヘンゼル。

 

 

「ねぇ、待ってよ」

 

「あ?」

 

「白人のおじさんなんだ。ちょっと疲れた顔していて、銃を撃つのがとても上手い人。この手錠はその人の物だよ。この街の人っぽくなかったんだ……心当たりある?」

 

 

 男たちは顔を見合わせる。

 一体、誰の事を言ってんだと当惑した様子だ。

 

 十秒ぐらい経って、「もしかしたら」と一人が答えた。

 

 

「……あいつじゃねぇか? 新参者で、一番ヤベェ奴って噂の。アメリカの刑事らしいぜ」

 

「マニサレラ・カルテルの奴らを、メイドと一緒に吹っ飛ばしたって話のか? 死体に車を運転させたとかの……」

 

 

 興味ありげに視線を注ぐ二人。

 一刻もその目から逃れたかった彼は、さっさと名前を教えてやる。

 

 

 

 

「ジョン・マクレーンか? そいつかは知らねぇぞ」

 

 

 

 

 教えてすぐ、男たちはそそくさと部屋を出て行く。

 入る前よりも幾分か、疲れた顔で廊下を歩く。

 

 

「またあの腕も、片付けなきゃなんねぇのかよ『モーリー』!」

 

 

 一人がぼやく。

 双子に命令を飛ばしていた男、モーリーは気怠げに呟く。

 

 

「あの清掃屋に任せりゃ良い……あぁ、気分悪ぃもん見ちまった」

 

「そういや、これから運び屋ん所に行かなきゃなんねぇんだろ?」

 

「ボスの帰りが恐ろしいってのに仕事か……いよいよ俺も、おかしくなりそうだ」

 

 

 男たちは、建物を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 二人、残されたヘンゼルとグレーテル。

 疲れ気味に床へ、絡み合うようにうつ伏せで横になった。

 

 

「ジョン・マクレーンだって、姉様」

 

「違うかもしれないわよ?」

 

「ううん、間違いないよ。死体に車を運転させたって言ってた……僕も、死体を使って動けなくさせられたし」

 

「あははっ! 死体を使うのが上手い訳ね!」

 

「ジョン・マクレーン、ジョン・マクレーン、ジョン・マクレーン……」

 

 

 二人は顔を見合わせ、微笑んだ。

 

 

 

 

「また会いたいな」

 

「えぇ。必ずまた会いましょ」

 

「コース料理は、ボルシチ、マカロニ、ステーキ」

 

「前菜はマカロニね」

 

「ステーキの後にスープは、美味しくなさそうかな」

 

「じゃあ、メインはステーキ。食前のスープに、ボルシチはどう?」

 

「それが良いや。決まりだね、姉様」

 

「決まりね、兄様。楽しくなりそうだわ」

 

 

 足を互いにパタパタと動かし、ひたいとひたいを当てて笑い合う。

 

 

「もう一度あそこには行く?」

 

「そうだね。お気に入りの場所だし、最後にもう一回行きたいな」

 

「また楽しみが増えたわね」

 

「うん。こんなに楽しいのは久しぶりだよ」

 

 

 クリスマス・イヴに、サンタクロースを待ち望む子どものように、これからの事を楽しみに取っておく。

 

 来たる殺戮に、望む結末に、焦がれるほどの再会に。

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 ヘンゼルはぼんやりと、持っていた死体の腕を見る。

 

 何を思ったのか、死体の手のひらを自分の頭に置いた。

 

 

「どうしたの? 兄様?」

 

「…………ううん。何でもない」

 

 

 そう言って、死体の腕をポイッと捨てる。

 

 

 

 

 

 

 

「……冷たいや」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃のマクレーンは、鼻唄で「Wonderful Christmastime」を唄いながら、作業を終えた。

 外は既に、雨が降りしきっている。

 

 

「……よし。採取完了ぅー」

 

 

 ゼラチン紙で、グラスに浮き出させた指紋をセロハンテープのように取り、画材屋で買った黒いカーボン紙に貼る。

 それなりに状態の良い指紋を、幾つか採取出来た。

 

 

「あんだけ暴れられんだ。何か、前にも起こした事件がある」

 

 

 これからこの指紋を、どう照合にかけようかを思案する。

 どこでやるかはもう決まっていた。

 ロアナプラ市警の鑑識課なら設備が整っているハズだ。

 

 

 問題は、どう怪しまれずに入り込むか。

 

 マクレーンはどうしても、双子の正体を誰よりも先に知りたかった。

 

 そしてこの情報を、警察に知らせたくない。

 奴らはすぐに、バラライカらへ流すだろう。

 

 

 

 そうなれば────

 

 

 

 

「……撃てるか?」

 

 

 自問に、自答が出てこない。

 正直、自分が何をしたいのかの結論が出せずにいる。

 

 ただ先行して、「誰よりも先に」と言う強迫観念があるだけだ。

 これを直感と受け止め、従うしかないと、彼は一旦開き直る。

 

 

 

 マクレーンは黙ったまま、採取した指紋を前に考え込む。

 

 

 その時、部屋のドアをノックする音が響く。

 

 

「あ? なんだ?」

 

 

 すぐに拳銃を握り、ゆっくりとドアへ近付く。

 

 こんな街だ。普通じゃない人間なのは明らかだろう。

 

 

「………………」

 

 

 ゆっくり、ゆっくり、近付き、ドアノブに手をかけた。

 

 

 

 一回だけ、深呼吸。

 

 そのまま勢い良くドアノブを回し、また勢い良く開けた。

 

 

「誰だぁッ!?」

 

 

 ベレッタを構えて、来訪者の姿を確認する。

 次に彼は、唖然とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わわわわ!? う、撃たないで!?」

 

「あ!? てめぇ、オカジマ!?」

 

「ろ、ロックって呼んでください!」

 

 

 ロックだ。

 

 ラグーン商会に入り、すっかり悪党稼業に身を染めた日本人だ。




「There Is a Light That Never Goes Out」
「ザ・スミス」の楽曲。
1986年発売「The Queen Is Dead」に収録されている。
たった五年の活動で、その後のUKオルタナティブロックの方向性を示したスーパーバンド。その代表曲で、どことなく漂う歌謡曲っぽさがクセになる。
そっけないフルート、寂しげなストリングス、ご機嫌なギターとベースが幻想的。
「二階建てバスに衝突されたって、君のそばで死ねるなら幸せだよ」の歌詞が有名。


メリークリスマス、リンゴン♪ リンゴン♪ リンゴン♪
ナカトミビルの惨劇から、31年目やぞ


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There Is a Light That Never Goes Out 2

 マクレーンは拳銃を向けたまま、両手を上げて無抵抗を示すロックに問う。

 

 

「なんで俺がここにいるって知ってんだぁ?」

 

「そりゃ、あれだけ噂になったら……ここの主人、口が軽い事で有名ですし」

 

「あの、ブタ野郎が……それで、何しに来やがった?」

 

「とりあえず、銃を降ろしてくださいよ……あの、この間の件も含めて、お話しますから」

 

 

 ベレッタは構えたまま、ロックの身体検査をする。

 銃や凶器の類が無い事を確認すると、やっとホルスターにしまった。

 

 

「で、なんだ?」

 

「と言うかマクレーンさん、その怪我……」

 

「俺は何を話しに来たんだ、と聞きてぇんだ」

 

「あぁ、すみません。ちょっと廊下では話しにくい内容ですんで……あの、中に入っても?」

 

「いいや駄目だ、ここで話せ」

 

「今日、ブラン・ストリートのカリビアン・バーで襲撃事件があったのはご存知で?」

 

 

 つい、腕時計を確認する。

 時刻は既に、十時前。噂が広がるには良い頃合いだろうか。

 ロックからその件を、巻き込まれた自分に持ち込んで来たのは偶然じゃないハズだ。

 

 マクレーンは少しだけ躊躇した後に、諦めたように顔を顰め、彼を室内に招き入れた。

 

 

 テーブルの上に置いてある吸い殻が山積みの灰皿と、指紋採取キットを見て、彼はまず目を丸くする。

 

 

「おー……ドラマで見る奴だ」

 

「アイアンサイドか、ホミサイドとか見るのか?」

 

「あー、先輩から勧められたなぁ……僕はもっぱら、日本のばっかですけど……ダメ元で聞きますけど、警視庁鑑識班と、はみだし刑事情熱系って」

 

「は? ああ?」

 

「じゃ、じゃあ、ブラック・レイン」

 

「あのイカれた日本人がいたやつ? 名前なんて言ったか」

 

「名優、松田優作の遺作です!」

 

「そんな名前だったか」

 

「……って、映画やドラマの話じゃなくて……これ、どうしたんですか?」

 

 

 マクレーンは何も言わず、腕を組んでロックの前に立つ。

 彼からの質問には答えない姿勢のようだ。

 

 

「はぁ……まぁ、そうですよね。えぇと……ここ四週間で、マフィアの人間が六人殺されてるって知っていますか?」

 

「……!」

 

 

 頭を横に振る。

 話自体は初耳だが、すぐに誰の仕業かが頭によぎった。

 

 

「いいや……初耳だ」

 

「かく言う僕も、今朝レヴィに聞いたのが初めてなんですけど」

 

「それがどうした?」

 

「実は一昨日から賞金が出ているって知ってました? その犯人を仕留めたら、五万。しかもバーツじゃなくてドル」

 

「なに? 五万ドルだぁ!? ウチの懸賞金でも出ねぇ額だぞ」

 

「でも金額のインパクトに引き寄せられた殺し屋は多いみたいで。街の住人は勿論ですけど、世界各地の有名な殺し屋がロアナプラに集結しているって。バオが言っていました」

 

 

 マクレーンは頭を抱えた。

 

 

 間違いない。六人を殺した人間とは、あの双子だ。

 つまりヘンゼルとグレーテルの首には、五万ドルが懸けられている事になる。

 

 

「クソッタレ、知らなかった……車種とナンバー言ってなくて正解だったな」

 

「え?」

 

「そいよか、オカジマ」

 

 

 彼に「オカジマ」と呼ばれ、ロックは居心地悪そうに苦笑いをする。

 

 

「出来るならロックって呼んで欲しいんですけど〜……」

 

「あ? なんでロックなんだ?」

 

「名前が『緑郎』で、そこからロックって街の人には言われているんです」

 

「知ったこっちゃねぇ。ロックじゃ、ヴァン・ヘイレンとかラシャモア山の話をした時にややこしい」

 

「言って限定的じゃないですか……」

 

「いいや。ロックンロール(Rock)だか(Rock)にせよ、その話をした時に俺がてめぇを思い出して、それこそ元暗殺者のメイドとカルテル吹っ飛ばした夜をいちいち思い出すのが嫌なんだ」

 

「もう好きに呼んでくださーい……」

 

 

 マクレーンの変わった拘りに根負けし、彼には「捨てた名前」を呼ぶ事を認可してしまった。

 その上でまたオカジマの名を呼び、改めて質問する。

 

 

「なんでそれを、俺に? あの夜で俺ぁてめぇらのやってる事を知ったんだ。会おうなんてよく思ったな」

 

「僕らも向こうに騙されて……」

 

「騙されていなかったら、子どもを言う通り売っていた訳か?」

 

「……えぇ。それについては何も言いませんよ。それが、僕らの仕事ですから。ただガルシア君の件は、『結果的に僕らのおかげ』で解決した事も知っているハズですよ」

 

 

 開き直りにも似た彼の発言に、マクレーンはほとほと呆れて問いただす気にもなれなかった。

 

 それが刑事としての正しい反応だ。

 説教でどうにかなるなら、出所後のマフィアがボスの元に戻るハズがない。それが出来ないからこそ、「再犯」の言葉が世界中で蔓延っている。

 

 

 

 ロックはそこまで言ってから、「あっ」と口元を押さえた。

 

 

「……すみません。訪ねて来たのはこっちなのに」

 

 

 その彼の反応を、マクレーンは注目した。

 

 

「……この稼業に手を出したのは、割と最近だな? 初犯の奴みてぇな青さがある。ロックって呼ばせてんのも、関係あんのか?」

 

「……ははは。やっぱ、一人で十二人のテロリストをやっつけた人は違いますね。とても鋭いです」

 

「好きでやったんじゃねぇよ、ありゃ」

 

「僕の事は、今は話せませんよ。代わりに、質問の答えを言いますね」

 

 

 マクレーンがマルボロを吸い始めたと同時に、喫煙可能と知ったロックもマイルドセブンを口に咥え火をつける。

 

 

「図々しい奴め」

 

「このタバコを売ってる店探すの、大変でしたよ」

 

「それより早く言え」

 

「分かってます、分かってますって……」

 

 

 煙を吸い込み、ふうっと吐き出してから話し始めた。

 

 

「……僕は全然、五万ドルの懸かったパニッシャーを撃ち殺そうなんて興味はないですよ。まず僕、この街に来てフレア弾しか撃ってないですし。無理ですよ」

 

「………………」

 

「でも何者なのかって言うのは凄い、興味があるんです。レヴィにイエロー・フラッグで聞いたけど、『何かを憎んでいるクセに、何を憎んでいるのか結局分かってない馬鹿に違いない』って言ってて、本当にそんな人間がいるのかって思いましてね」

 

「好奇心か?」

 

 

 簡単に言えばそうだろう。

 ロックは気恥ずかしそうに、はにかんだ。

 

 

「今日は預かっている荷物の受け渡しぐらいしかなくて、僕らはお休みになったんですよ。だったら興味の行くままに、私立探偵スペンサーみたいな事をしたいと思いましてね」

 

「マイアミバイスに視聴者吸われてた方じゃねぇか」

 

「ひょうきん族に吸われた、八時だよ全員集合みたいな?」

 

「何言ってんだ?」

 

「分かりっこないか……」

 

 

 ロックは煙を吐きながら、困ったような顔で笑う。

 

 

 やけに余裕を持っている。

 最初に出会った時は銃撃戦の中で泣き喚いていたような男だったが、たった一ヶ月でここまで変われたのか。

 

 

 いや、変われた訳ではない。

 世間一般に言う変われた人と言うのは、結局は本人の本性だと言う事をマクレーンは知っている。

 

 

 もしかしたら日本、それよりも法律と言う縛りのある場所よりも、こう言った掟や暗黙の了解だのの世界が彼に似合っていたのかもしれない。

 適材適所、言うなれば「解放」と言うものか。

 

 

「おいオカジマ。好奇心だの暇潰しだので、俺と組んで探偵ごっこなんざ悪趣味過ぎる。ふざけてんのか?」

 

「停職中で権利もないのに、指紋採取までして通り魔を追っているマクレーンさんも、趣味になりません?」

 

「クソッタレ……中に入れてやるんじゃなかった……おい待て。停職中ってのは誰から聞いた!?」

 

「バラライカさんから。キメたとか何とかですよね?」

 

「濡れ衣だッ!」

 

「あと、数日前にレヴィと一緒にムショ入れられましてね。色々、警官の人から聞かされましたよ。勝手に犯罪者捕まえて、嫌がらせで留置所パンクさせてるとか?」

 

 

 一番知られてはならない者に、知られてしまった感じがする。

 マクレーンは燃え尽きてポッキリ折れたタバコの先を気にする事なく、ぽかんとしていた。

 

 次にはそっぽを向き、歯を締めたまま笑う。

 

 

「……まぁ、おたくが俺を訪ねた理由は分かった。この街でまず金だの殺しだのに興味はなく、その犯人をとりあえず捕まえたいだけの変人はと言ったら、俺しかいねぇもんな」

 

「話したら乗ってくださるかなって思っていたら、まさかもう乗っていたってのは予想外でした」

 

「俺かててめぇが乗ってくるなんざ予想外だ」

 

 

 即興だが、この街で一番ホットな話題に乗り合わせるコンビが結成された。

 澄ました顔の日本人と、ややアルコール中毒気味のアメリカ人と言う、感じも生まれた国もちょうど真逆。

 

 ただこの二人の共通点は、まだまだロアナプラに染まりきっていない事だろうか。

 

 

 

 ロックは採取した指紋を並べた、黒カーボン紙を指差す。

 

 

「その指紋が、例の通り魔のですか?」

 

「あぁ。まぁ、店主のも混じっているとは思うが、照合にかけたら一発だ」

 

「警察には知り合いがいるんです。僕から言ってみましょうか?」

 

「いいや、駄目だ。奴らはバラライカらと繋がっている。指紋の照合をしたいだの頼んだら、俺だろうがおめぇだろうが、怪しんですぐ報告しやがるぜ」

 

「金で黙らせられ……あぁ、駄目だ。チンケな賄賂より、懸賞金の方が良いよな……」

 

「その通りだ。だから、怪しまれずに市警に忍び込む方法を…………」

 

 

 そこまで言った辺りで、マクレーンは口を止めた。

 タバコを指に挟んだまま、ロックの顔を凝視する。

 

 

「……え? な、なんですか?」

 

「……忍び込む必要はねぇ。堂々と入っちまえば良いんだ」

 

「で、でも、多分鑑識課は奥の方で、人目を避けて向かうのは難しいんじゃ……」

 

「だからその必要はねぇっての。良い方法がある」

 

 

 マクレーンはタバコを灰皿に捨て、鬼気迫る表情でロックの眼前に立つ。

 何をするのかと困惑する彼のネクタイを、突然ほどき始めた。

 

 

「え? え!? なに!? なんですか!?」

 

「そういやオカジマ。おめぇ、日本人だよなぁ」

 

「そ、そうですけど、それが?」

 

 

 ほどいたネクタイを眺めつつ、ピッと張って強度を確かめるマクレーン。

 

 

「日本の企業は、家族持ちの女は煙たがられるって聞いたが、そうなのか?」

 

 

 ネクタイをほどく意味は何なのかを考える前に、ロックはおずおずと彼の質問に答えた。

 

 

「えー、あー……まぁ、そうですね。ウチの部署でも、出産した女性社員さんが露骨に切られていましたし……そう言うところはあるかもですね〜……」

 

「あー、そうなのか」

 

「えーーっとぉ……それとこれとは関係は?」

 

「いや、無い」

 

 

 ネクタイからロックへ視線を変え、ニヤリと笑う。

 

 

 

 

「十二年来の疑問が解けた」

 

 

 ロックの肩をガシッと掴み、クルッと振り向かせた。

 あっと口を開け、咥えたタバコが床に落ちた頃に、やっと彼の意図を察せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日も来たぜぇーーッ! 給料泥棒どもーーッ!!」

 

「なんでこんな目に……」

 

 

 数分後、マクレーンは宣言通り、堂々と警察署のドアを開け放って入って来た。

 隣には、ネクタイを手錠代わりに手首を縛られたロックが連行されている。

 

 

 彼らを見た警官たちの反応は、冷ややかで疎ましげだ。

 

 

「おおーい。ワトサップの野郎はいねぇか?」

 

 

 近くにいた巡査を適当に呼び止める。

 

 

「まだ帰って来ていませんよ。通り魔事件の調査で、出払っています」

 

 

 マクレーンとロックはチラリと、目配せし合った。

 無気力な警察署にしては精力的。やはりロアナプラ市警も、懸賞金を狙っているようだ。

 

 

「あぁ、そりゃ良いこった。やっと俺に触発されたって訳だなぁ?」

 

「それとは違うでしょうけど……てか、どうしたんすか、そいつ?」

 

 

 彼の言い付け通り、表情を暗くして犯行を後悔するようにしているが、どう説明するのかは聞かされていない。

 マクレーンはニタリと笑った。

 

 

「婦女暴行! 南米から来た家政婦を怪我させたんだ。あぁ、あと、子どもの誘拐」

 

「それはよしてくださいよ……!?」

 

「こんな見た目で凶悪犯だ! 手錠が無かったから、こいつのネクタイ使って捕まえてやったが、縛るまで苦労したぜ。見ろ、この傷をよぉ〜。公務執行妨害にもなるよなぁ」

 

 

 カリビアン・バーで受けた顔の傷を、ロックのせいにする。

 あまりにも擦り付けが酷過ぎて、思わず笑ってしまう。

 

 

「……停職食らっている身で、公務執行妨害は無理でしょ」

 

「じゃあ暴行罪だ」

 

「……はぁ。分かりましたよ。留置所にぶち込んで、調書取れば良いんですか?」

 

「牢屋までは俺が連行してやるよ。この間みてぇに。調書はおたくらが取れ」

 

 

 至極面倒くさそうな表情を浮かべてから、巡査は牢屋までの道を指で示した。

 マクレーンは笑顔で感謝し、執拗に傷を痛がるような仕草を取りながら、ロックを連行する。

 

 

 

 

「……よし。留置所の途中に鑑識課がある。まずお前をぶち込んでから、そこに忍び込む」

 

 

 ジャケットの内側に、指紋を貼ったカーボン紙が隠されていた。

 

 

「あのぉ……僕の罪状、あんまり過ぎません?」

 

「事実だろ」

 

「四週間前の一件は、正当防衛ですよ!?」

 

「何だって良いだろぉ、どうせ証拠不十分でさっさと釈放だ。問題ない」

 

「うぅ……訪ねるんじゃなかった……」

 

 

 留置所まで誰かを運ぶ彼の姿自体は、もはや風物詩になりつつあった。

 通りかかる警官らは誰も、マクレーンの姿を疑問に思っていない。

 注目こそはされたが、「またあいつか」と言った冷ややかで、一過性なものばかり。

 

 

 侵入は成功だ。

 目的の鑑識課前に来ると、近くにいた警官を呼び止めた。

 

 

「おーい。こいつを留置所にぶち込んどいてくれ」

 

「え"ッ!?」

 

 

 愕然とするロックを傍目に、マクレーンは腹を押さえて苦悶の表情を作る。

 便意を催したと、演技だ。

 

 こう言う生理的なものは、割と万人に共感されやすい。

 警官は同情するような目を彼に向け、ロックを引き取った。

 

 

「そんじゃ、頼んだ」

 

「ちょ、ちょちょ!? え!?」

 

「あー、気を付けろー。そいつ、子どもを売り飛ばすようなクソ野郎だからな。気を付けろ」

 

「なんてグチグチ引っ張る人なんだ……」

 

 

 トイレに行く振りをしつつロックと警官を見送ってから、マクレーンはサッと鑑識課に忍び込む。

 

 腕時計を確認する。時刻は十一時過ぎ、そろそろ昼休みだ。

 狙い通り、鑑識課には三人ぐらいしか人がいない。

 

 

 タイ語で談笑する彼らを、こっそりとやり過ごしながら、マクレーンは指紋照合システムの前に到達した。

 パソコンと、ライブスキャナー。機材だけは最新鋭だ。

 

 

「マフィアに情報を流す為だけに使われてんじゃ、宝の持ち腐れだよなぁ、ったく」

 

 

 辺りを憚りながら、スキャナーに持って来たカーボン紙を挟み込み、パソコンを起こす。

 アナログ世代の彼は少しだけ四苦八苦したものの、何とかシステムの起動までこじ付けた。

 

 

「さぁ、さっさとしろよ」

 

 

 採取した三人の指紋が読み取られる。

 その内、ヒットした一件の事件と、データベースにある人物のプロフィールを見た。

 

 

「なんだ。これはあの店主じゃねぇか……万引きだぁ? チンケな事してたんだなぁオイ」

 

 

 これは違うと、次に別の指紋を探らせた。

 

 

 

 プロフィールは無かった。

 しかし、ある未解決事件の現場で採取されたものと一致した。

 事件簿を見て、マクレーンは目を丸くする。外国語だったからだ。

 

 

「あ? こりゃ……イタリアか?」

 

 

 言語は理解出来ないが、単語のニュアンスからそう判断する。

 即座に彼は資料を印刷し、スキャナーの中の指紋と一緒に丸めて懐に隠した。

 

 

「……よし」

 

 

 してやったり顔を浮かべ、マクレーンは鑑識課を出る。

 次は今頃留置所でわんわん喚いている、ロックの元へ向かう予定だ。

 

 

 

 

 

 留置所に着くと、彼は取り調べ室の前で二人組の男と会話をしていた。

 束縛に使われていたネクタイは解かれ、ヨレヨレの状態で首にまた下げられている。

 

 マクレーンはその二人組を知っていたようで、興味深そうな顔になる。

 

 

「おい」

 

「あ、マクレーンさん」

 

 

 二人組がマクレーンを確認すると、愕然とした表情になる。

 その表情になったのは、二人組の内の一人だけだが。

 

 

「ウソだろぉ!? あんた捕まえたの、この悪徳警官かよぉ!?」

 

 

 昨日、マクレーンがひっ捕らえた、清掃屋を自称するオランダ人兄弟だ。

 相変わらず弟は無表情で、兄はお喋り。

 

 

「誰が悪徳警官だ。なんだてめぇら、釈放か?」

 

「証拠不十分だすってさ。残念だすたなぁ!」

 

「ちったぁ、英語の精度を上げやがれ。ロック、こいつらとどうした?」

 

「手続きしている時に、話しかけられちゃいまして」

 

 

 苦笑いするロックを無視し、兄のヤーコブが立ち上がった。

 かなり背が高い。オランダ人は世界的に見ても、身長の平均値が高い事で有名だ。

 

 

「あんたのせいで、こちとら大損だぁ! 仕事を抱えていたってのに! 世界でビッグになる夢がおしまいだーよ!」

 

「あ? ビッグだぁ?」

 

 

 ロックが説明してくれた。

 

 

「この人たちの故郷は、オランダのぉー……スケベニンゲン?」

 

「スケフェ()ニンゲンだーよ、日本人(ヤパンナー)! ドイツ人と日本人は、スケフェニンゲンの発音がおかしいんだ! ちな、ドイツ人はシュ()ケフェニンゲンって呼ぶ。あのゴッホも絵画に残した、最高の街だーよ!」

 

「……だ、そうです。親父さんが、ホテルを経営しているとか?」

 

「そうそう! ヤパンナーは説明上手くて良いな! ホテルを継ぐのが嫌だから、弟連れて出て来たんだーよ! 結果、こうなんだすけど……」

 

 

 マクレーンは呆れた顔をして、座ったままのロックを立たせる。

 この中じゃ一番背が低い為、少し窮屈そうだ。

 

 

「終わったぞ、オカジマ。んじゃ、これで」

 

「待ってくれよ、ヤパンナー! さっきの合言葉を思い出せ!」

 

「え?……えーと、『ワットゥ・ヘヴュールドゥ・イズ、イズ・へヴュールドゥ』?」

 

 

 満足げにヤーコブは頷いた。

 

 

Wat gebeurd is, is gebeurd(起こった事は、起こった事だ)! 困ったら、教えた番号の電話で言ってくれだーよ! すぐ助けに行けるよぉー。お金、厳しいから助けるつもりで、よろしくだーよ!」

 

「は、ははは……ええと、考えておきます……」

 

「おい、行くぞ」

 

 

 両手を振るヤーコブと、小さくヒラヒラ振るエフェリンに返しながら、困り顔のロックと来た道を戻る。

 

 

「んで、あの番号と合言葉ってのは?」

 

 

 ロックは首を振りながら、苦笑いをこぼす。

 

 

「ニュアンス的に……死体処理ですね」

 

「クソッタレ! やっぱりあいつら、そうじゃねぇか!」

 

「と言っても、既にロアナプラには腕利きの掃除屋がいるみたいで、お金がピンチみたいですけど」

 

「ビッグになるだとかで、こんな事しやがって。ホテル経営してるだとかの親父さんは泣いているぞ」

 

「………………」

 

 

 その話を聞いた瞬間、曇った表情に変わる。

 マクレーンは表情の変化に気付き、尋ねた。

 

 

「……どうした?」

 

「……いえ。なんでも」

 

 

 妙に重い空気を漂わせながら、エントランスに着く。

 偶然、休憩を終えたセーンサックと鉢合わせた。

 

 

「あぁ!? てめぇ、マクレーンじゃねぇか!? まぁた、適当にひっ捕らえて来やがったのかぁ!?」

 

「間違いだった。まぁ、許してくれ」

 

「そもそもてめぇにその権限はねぇからなぁ!? てかコイツ、レヴィん所のか?」

 

「お久しぶりですね……たはは」

 

 

 面倒臭い奴に当たったと、マクレーンは溜め息を吐いてからさっさと引き上げようとする。

 

 

「悪いなぁ。これから、お詫びに奢るつもりなんだ」

 

「真昼間から飲みやがって。羨ましいぜ、ったくよぉ」

 

「俺からしたら仕事してる振りして、年中プラプラしてるおめぇが羨ましいぜ」

 

「口開けば腐った戯言しか言わねぇオヤジだな。さっさと行きやがれ」

 

「言われなくてもそうするつもりだったっての。お前が呼び止めたんだろ?」

 

「早く出て行きやがれ!」

 

 

 不機嫌な彼にケタケタと笑い声を響かせ、マクレーンは出て行く。

 ロックも彼の後をおずおずと付いて行く。残ったセーンサックは、怪訝な表情のまま呟いた。

 

 

「……クソ野郎が。まじに自分をダーティーハリーと思い込んでんな」

 

 

 悪態を吐いた後に、また自分の個室に戻る。

 彼が指紋の照合を完了し、役目を終えた事も知らずに。




指紋照合の機械は、映画『処刑人』でスメッカー捜査官が使っていた物を想像しております。
若干の映画的脚色ですが、ご理解いただけるようお願いいたします。

スメッカー捜査官役ウィレム・デフォーの割と似合っている女装姿が拝める、唯一の作品ですよ。オススメです


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There Is a Light That Never Goes Out 3

 警察署を脱出した二人は、小雨の中を歩きながら話し合う。

 

 

「それで、何か見つかったんですか?」

 

「四件ヒットした。全部印刷したが、どれもこれもイタリア語だ。全く読めねぇ、辞典を買うぞ」

 

「イタリア語? じゃあ、イタリアの事件ですか?」

 

「多分、そうだ。指紋は見つかっているが、何者かまでは特定されていなかった。その正体が、今回の通り魔の可能性があるな」

 

 

 目の上に手を添え、視界を雨から守りながら、ロックは質問する。

 すぐ隣では甲高いエンジン音を立てる車が往来していた。自然と、叫ぶような声になる。

 

 

「あの、マクレーンさん!」

 

「なんだ!?」

 

「今朝に起きたって言う、襲撃事件ですけど! マクレーンさん多分、当事者ですよね!?」

 

「じゃなきゃ指紋の付いたグラスを持っていねぇからなぁ!」

 

「では見たんですね!? 通り魔の正体を!」

 

「………………」

 

 

 マクレーンはまず答えない。

 少し歩いた所に路地があり、静かなそこで声量を落としてから答えてくれた。

 

 

「……見た」

 

「どんな人物だったんですか?」

 

「……俺からは言ってやらねぇ。いずれ、バラライカらが流すだろが」

 

「もしかしてですけど、知り合い……いや、それなら指紋の照合はしない。子どもですか?」

 

 

 図星だ。

 ピンで言い当てたロックに驚き、マクレーンは足を止めて振り返る。

 

 

「……なんでそう思った?」

 

「マクレーンさんの入れ込み具合から、そうじゃないかなと。犯行と見た目が合わない相手だから、バラライカさんたちより先に掴もうとしていると、考えまして」

 

「……知ったような口じゃねぇか。俺とおめぇはもう、そんな仲だってのか? 去年の夏に抱き合ってバーベキューでもした仲だっけ?」

 

「こっちは一方的に知っていますよ。何てったって、クリスマスの特番で何度も見たんですから」

 

 

 あぁそうだ、こいつ日本人だったと彼は天を仰ぐ。

 とっくに自分の家族構成や経歴は、お茶の間に流出し尽くされていた。

 

 特にナカトミビルの件は、人質に取られた妻を救う為に奮闘する、愛と正義の美談として語られている。

 自ずとマクレーンが、「家族思いの正義漢だ」と認知させられていた。

 

 

「クソッタレ……マスコミの報道が全てって訳じゃねぇっつの」

 

「特番でありましたよ。お子さんたちも、生中継で出演していましたね。あの映像は当時、見ていたりしますか?」

 

「いや」

 

「見ていたら、励みになっていましたか?」

 

「代わりに生中継を見ていたのはテロリストどもで、ホリーが俺の妻だとバレて人質に取られた。事が終わった後にウチに押し入ったレポーターが妻に殴られていた箇所、どうせカットされてんだろ?」

 

 

 衝撃の事実に、ロックは絶句。

 その彼の姿を愉快そうに見届けてから、またマクレーンは歩き出した。

 

 

「日本は知らんが、ニューヨークのマスコミどもはこぞって、俺をヒーローに仕立て上げやがる。その癖して、勝手に作った俺のヒーロー像だのに反論だとか批判も飛ばしやがった。やれ危険に晒したとか、やれ恐怖を与えただとか……」

 

 

 少しの間を置き、やけに暗い声音で話す。

 

 

 

 

「……やれ、見殺しにしたとか」

 

 

 

 

 フラッシュバックする、数多の出来事。

 マクレーンは頭を振り、記憶を掻き消す。

 

 

「おたくの国であった特番とやらもそんな感じか?」

 

「……です、ね。討論番組で、テロリストをほぼ皆殺しにする必要はあったのか、とか」

 

 

 それを聞いて、鼻で笑う。

 

 

「オカジマ、てめぇここに来て分かっただろ?『言っても聞かねぇ奴はいる』」

 

 

 小雨が宙を舞うように降る中、彼は縷々と語る。

 

 

「話して分かり合えるってんなら、そもそもナカトミビルの事件も、ダレス国際空港の惨事も無かったんだ。だが、起きた。未然に防ぐなんて無理だったし、人の話を聞いて思い留まれる奴がテロを起こす訳がねぇ。だから──」

 

 

 

 

 マクレーンは徐に、ホルスターからベレッタを取り出し、見せ付ける。

 

 

 

 

「──言って聞かせるにゃあ、これしかねぇんだ」

 

 

 再び立ち止まり、唖然とするロックと目を合わせる。

 

 

「俺は今ぁ、決めたぞ」

 

「……え?」

 

「クソッタレのマフィアや、復讐者(リベンジャー)気取りのバラライカや、自分が最高だと思い込んでやがる殺し屋どもより先に──」

 

 

 疲れた目をしているが、瞳の奥に狂気にも似た信念が宿っているように見えた。

 

 

 

 

「──俺がぶっ殺してやる。最後は目の前で、五万ドルを焼いてやんだ。全部な?」

 

 

 

 

 決意表明の為に見せ付けたベレッタを、またホルスターに戻した。

 ロックがハッと我に返った頃には、マクレーンは既に六歩先を進んでいた後だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今朝より降り出した雨は、そろそろ傘が必要なほどにまでなる。

 二人は書店に寄った後に、雨を凌げるカフェに入っていた。

 

 

 ここはロアナプラだ、喫煙席などは関係ない。

 タバコを吸いながら、書店で買ったイタリア語辞典を片手に難しい顔をして資料を読むロックと、頼んだコーヒーに手をつけず、同じくタバコを燻らせるマクレーンの姿があった。

 

 

「マンハッタンにも、マズいコーヒーを淹れる店はあるがぁ……ここは最悪だな。どう淹れたらこんなマズくなんだ。寧ろ難しいだろクソッタレ」

 

「………………」

 

「……どうだ?」

 

 

 吸い込んだタバコを天井に向かって吐き出し、ロックは疲れたように目を擦る。

 

 

「欧州課の人に、イタリア語の文法だのは軽く教わっていたので……単語さえ分かれば、大雑把ですが翻訳出来ました」

 

「さすがは大卒様だなぁ」

 

「よしてくださいよ……もう学歴も無駄になっちゃったんですから」

 

 

 そのまま時計を見る。

 

 針は頂点を越していた。一時間半も、作業に没頭していたようだ。

 既に一日の半分が過ぎた。そろそろバラライカも、給仕やマクレーンから聞いた犯人像を殺し屋たちに公表している頃だろうか。

 

 

「それで、どうだ?」

 

「……えぇ、分かりやすい事件です。どの事件も、被害者はマフィアの構成員だったり、潜入捜査官だったり」

 

「どこのマフィアか、分かるか?」

 

「……コーサ・ノストラ関連の組織です。しかしこれは……」

 

「どうした? 何かあったか?」

 

 

 やや気分の悪そうな表情を浮かべ、タバコを一服してから話し出す。

 

 

「……異常だ。頭がおかしい。死体が、普通じゃないんですよ」

 

「あ?」

 

「一軒目の事件は、コーサ・ノストラ内のファミリーの構成員。敵対組織と繋がりがあり、その制裁と見せしめが理由でしょうけど……」

 

「………………」

 

「……路上に、内臓を全部抜かれて……絨毯みたいに広げられて放置されていたようです」

 

 

 一瞬だけマクレーンも、タバコを持ったまま固まった。

 先から灰がポロリと、刹那の火花を散らして落ちた。

 

 

「二件目は潜入捜査官。多分バレて殺されたって感じでしょうけど……身体中にくり抜いたような穴が何箇所も。発見時はまるで、チーズみたいらしく……」

 

「…………尋常じゃねぇよぉ。イタリアの警官じゃなくて良かった。そんな現場はごめんだ」

 

「僕だってごめんですよ……写真付きじゃなくて良かった」

 

 

 三件目も四件目も、似たような感じだ。

 だが死体の状態があまりにも酷い。

 まるでオモチャにしたかのように、ボロボロにされていた。

 

 

「……これらの事件はどうにも、あえて死体を見せ付けているように思えます。反乱分子への見せしめも兼ねているんでしょうけど……」

 

「……で、それらの現場から見つかった正体不明の指紋が、なぜかここロアナプラで発見ってか」

 

「間違いない。マクレーンさんを襲った、通り魔の犯人です……こんな、セブンがコメディ映画に思えるほどのサイコとは思わなかったが」

 

 

 マクレーンは、今朝聞いた双子の発言と様子を思い出す。

 

 

 残酷で、罪悪感の欠如した、命を奪う事に後悔の欠片もない様子。

 

 銃殺、斧による斬殺と、妙に手慣れた手際。

 

 決してジョークで言った雰囲気ではない、マクレーンの死体を玩ぼうとした発言。

 

 

 

「……あぁ。そうだな、間違いねぇ。奴らの犯行だ」

 

 

 指紋の一致と、あまりにも共通点が多い手口と、偶然で片付けるには無理がある証拠の数々。

 

 マクレーンはこの、四件の事件はヘンゼルとグレーテルの犯行だと断定した。

 

 

「これで、捜査は一歩進んだ。ロアナプラに召集し、マフィアを殺して回らせているんはコーサ・ノストラだ」

 

「……黄金夜会の一つ、ヴェロッキオ・ファミリーだ。そうか……! ヴェロッキオらは黄金夜会を崩壊させるつもりなんだ。ロアナプラを乗っ取るつもりなんですよ!」

 

「あぁ。だが、そのヴェロッキオとやらも危険だなぁ」

 

「え?」

 

 

 タバコを灰皿に押し付け、潰す。

 

 

「現状を見てみろ。崩壊どころか、暗殺者の存在はバレて全組織が動いていやがる。それに殺させんなら、俺なら穏便にボスを狙わせる。そんで組織を混乱させて、それに乗じて潰してやるぜ。なのに派手に大暴れして賞金かけられ、市警にも世界中の殺し屋にも狙われている」

 

「……あっ」

 

「奴らもコントロール出来てねぇんだ。終いにゃ、飼い犬に喰われるぞ」

 

 

 灰皿の上には、屹立したタバコだけが残る。

 マクレーンはすぐに立ち上がり、お代を払った。

 

 

「え? ど、どうしたんですか?」

 

「マズいコーヒーでも払うもんは払わなダメだろ」

 

「そうじゃなくて……これから、どうするつもりで?」

 

「構成員見つけて、尋問だ。居場所を聞き出し、誰よりも先に次の犯行前で叩くんだ」

 

 

 あっさり言い放つマクレーンに、ロックは広げた資料を掻き集めながら制止させる。

 

 

「ちょちょ、ちょっと待ってください!!」

 

「なぁんだ?」

 

「本当に、やるんですか……!? マフィアの関係者だけでも六人……いや、巻き添えを含めると二桁はくだらない。そんな大量殺戮者(スプリーキラー)に、一人で……!?」

 

 

 一瞬、逡巡した。双子の姿がチラついたからだ。

 だが振り切るように深呼吸し、ただ一言「そうだ」と告げる。

 

 

「止めねぇと、増えるぞ」

 

 

 ロックの役目は終わった。

 そう考え、マクレーン一人が雨の中出て行こうとする。

 

 

 先から二歩離れた所で、彼は後ろからまた話しかけた。

 

 

 

 

「……今日の仕事、荷物の受け渡しだけって言いましたよね」

 

 

 重要な含みを持たせた言い方。

 マクレーンは怪訝そうな表情を浮かべつつ、足を止めて振り返る。

 

 そこには冷や汗をかきながらも、場違いにニヤリと笑うロックの姿。

 心底、楽しそうな事を思い付いたような表情だ。

 

 しかしどこか、深憂を滲ませた空気を漂わせている。

 

 

 

 

「……相手はイタリア人なんですよ、コレが」

 

 

 

 

 牢屋にブチ込まれかけた腹いせと言わんばかりに、マクレーンを愕然とさせてやった。

 

 

 雨が止んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分後、ロックはラグーン商会に戻り、渡す荷物の準備をしていた。

 ダッチと共に四十キログラムほどの大きな木箱を四個、港に運び入れる。

 

 

「ひぃ〜、なんつー重さだ……」

 

「ホワイトの格好でこう言うのは似合わねぇなぁ、ロック」

 

「もうちょっと鍛えておけば良かったな……」

 

 

 ひと段落ついたところで、二人はタバコで一服する。

 

 

「そいよかロック。助かったといっちゃ助かったが、どう言う心境の変化で手伝う気になったんだ? レヴィと、例の通り魔を探しに行ってたんだろ?」

 

「朝からベロベロに酔いやがったアイツの世話より、仕事やってる方がマシだって気付いたんだよ」

 

「あー、なるほどな。バーボンとスピリッツを胃の中でカクテルしちゃ、すぐにマーライオンだ」

 

「そんな綺麗なもんじゃない。あれはガーゴイルだ」

 

 

 西欧の建築物で良く屋根に設置されているガーゴイルは、雨水を口から排出する雨樋の役割を持っている。

 ダッチは煙を吐きつつ、思わず吹き出した。

 

 

「確かに上から目線だもんな。面白かったぜ、今度使わせてくれ」

 

「俺の皮肉はフリーだ。それとも使用料くれるのか?」

 

「手伝った礼も込めて、給料に反映させてやる」

 

「そりゃ良い。あんたの言う通り、労働は尊いな」

 

 

 木箱の上に腰掛け、上面をコツコツと叩きながらダッチに尋ねる。

 

 

「そう言えばこれはなんだ? 大層な荷物だな」

 

「そういや非番だったな。これはフィリピン軍の横流しだ。湾岸警備隊を避けるのに苦労したぜ」

 

「じゃあ、銃?」

 

「いいや。C4爆弾だ」

 

「爆弾ッ!?!?」

 

 

 大慌てでロックは木箱から飛び降り、退避する。

 咥えたタバコも落とすほどの暴れっぷりに、またダッチは愉快そうに笑う。

 

 

「安心しろ。C4は信管でしか起爆しねぇ。癇癪起こして床に叩きつけようが暖炉に焚べようが、絶対に暴発はしない」

 

「そ、そうなのか……?」

 

「ベトナム戦争の時は炭代わりにしたもんだ。ただ運ぶ分には世界一安全な爆薬だぜ」

 

「なんでそんな物をイタリア人は……」

 

「さぁなぁ。戦争でもすんじゃねぇか? それか、他のヤツに転売するかだ」

 

 

 吸いきったタバコを路上に捨て、ダッチは事務所に戻ろうとする。

 

 

「あと二十分ほどで来る。俺は金を受け取るから、案内は任せた」

 

「あ、あぁ……分かった」

 

 

 フラッと手を振り、ダッチがいなくなる。

 その様子を見届けた後すぐに、置いていたバッグを持ってロックは走り出した。

 

 

 

 

 

 

 ラグーン商会事務所の近くに隠れていたマクレーンの元に戻る。

 足元には数十本のタバコが捨てられていた。

 

 

「遅かったな。一時間立ちっぱなしにさせやがって」

 

「こっちも腕がヘトヘトですよ……」

 

「それで、どうだった? 来るか?」

 

「あと二十分後に。他の連中には荷物を渡してさっさと行ってもらいますから、マクレーンさんはダッチとの取り引きを終えた奴らを狙ってください」

 

「頼りになるなぁ、オイ。遅くはねぇ、日本に戻ろうと思わねぇのか?」

 

「……便利な暮らしが、イコール幸せって訳じゃないですから」

 

 

 困り顔で笑い、次に彼は持って来たバッグを開く。

 

 

「あと、言われてた、変装道具ですけど。事務所から使えそうなのは幾つか」

 

「……おいおいおいおい。なんだぁ、このダセぇアロハシャツ!? もっと無かったかぁ!?」

 

 

 派手な色合いで、薔薇と茎しかない。およそこれを着て外を出歩く事に抵抗が出るほどだ。

 

 

「僕だってダサいと思いましたよ。貰ってください」

 

「てめぇのゴミ処理かぁ!?」

 

「それとほら、サングラスと帽子も」

 

「クソッタレ……ラスベガスをやっつけろで観たぞ」

 

「禿げたジョニー・デップの奴ですよね」

 

 

 琥珀色のグラスと、ハンターハット。

 まるでベトナムの漁師だ。

 

 

「あぁ、あと……前にレヴィが拾って来た銃を……なんか、使えるかと思ったけど、ピーキー過ぎてギブアップした物らしいです」

 

 

 渡された銃を見て、マクレーンは唖然とする。

 普通の拳銃より一回り大きく、伸びに伸びた銃身とゴテゴテの彫刻。

 馬鹿が考えたような銃だった。

 

 

「なんじゃこりゃ!? ルガーか!? 誰が作ったんだ!?」

 

「まぁ、色々あったみたいでして……」

 

「弾は……七発か……おいおい、パラベラム弾じゃねぇぞこりゃ!? なんだこの…………なんだぁ!?」

 

 

 見た目ルガーの、中身リボルバーと言う常識知らずの機構。

 カスタムと言うレベルではない。

 

 

「イカれてやがる……」

 

 

「ルガーP08」の特徴でもある、トグル・アクションは健在だ。

 マクレーンはそこを摘み、目一杯の力を込めてトグルを引き、装填。

 

「尺取虫」の異名の通り、ギリギリとトグルが逆V字に折れ曲がる。

 思わず笑ってしまった。

 

 

「こんなモン、よほどの大男じゃなきゃ反動で銃がすっ飛んじまうぞ。重いし、取り回すのも一苦労だ。無理だ無理だ、いらねぇ」

 

備えあれば憂いなし(準備してから笑え)って言うじゃないですか」

 

「……おめぇ、俺にゴミ押し付けてんだろ」

 

「まぁ、正直に言うとそうですね……って、あ、来たッ!?」

 

 

 三台ほどの車が、車列を組んで事務所前に現れた。

 ロックは急いで、持ち場に戻ろうとする。

 

 

「それじゃ、手筈通りに……!」

 

「あぁ、クソッ……貰っといてやる……!」

 

 

 四苦八苦しながら、アロハシャツの下のホルスターに隠し、帽子を目深に被ってチャンスを待とうとする。

 

 

 不意にロックはピタリと足を止め、最後にマクレーンに話しかけた。

 

 

「……マクレーンさん」

 

「あ?」

 

「誰よりも先に殺すって……それは、マクレーンさんじゃなきゃ駄目なんですか?」

 

 

 振り返るロック。

 

 

 晴れ始め、切れ間の見える雲から光が注ぐ。

 それに照らされた彼の目には、どこか失望の念があった。

 

 

「……言っただろ。止めねぇとまた誰かが──」

 

「マクレーンさんじゃなくても良いじゃないですか。バラライカさんたちに任せたら、いずれ仕留めてくれますよ」

 

「………………」

 

「……犯人は、どんな感じだったんですか?」

 

 

 マクレーンは、口籠もった。

 

 

 車が停まり、ドアが開いて、バタンと閉まる音が連続して響く。

 

 

「……また後で話す」

 

「……分かりました」

 

 

 彼の言葉を信じ、またロックは駆け出して行く。

 

 

 

 後ろ姿を眺めながら、マクレーンはもう一本だけタバコを吸う。

 

 結局、自分を突き動かしているものは何なのか。

 その答えを、延々と頭の中で巡らせていた。



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World of Pain 1

 停まった車から、十人ほどの男たちが降りてくる。

 

 その中の一人が、バタバタと走って来た忙しないロックに気付いた。

 

 

「すみません、お待たせました?」

 

「別に気にしちゃいねぇよ。しかし日本人はすぐ謝るって聞くが、本当なんだな」

 

「良く言われますけど、それはExcuse meとI'm sorryが同じ言葉なだけですよ」

 

「そうかよ」

 

 

 表面上はあっさりとしているが、彼の頭の中はボスへの釈明にどの言葉を使おうかでいっぱいだった。ロックから受ける説明も、どこか上の空だ。

 

 

 早速、やって来たイタリア人に荷物の場所を示し、責任者と思われる二人を事務所に通した。

 チラリとマクレーンの方を一瞥して、彼の準備を確認しておく。

 

 

 

 

「クソッタレ。ダセェだろうがよぉ……どっからどう見てもジャンキーの格好だろが。センス疑っちまうぜぇ、なあ?」

 

 

 ロックから受け取ったアロハシャツ、サングラス、ハンターハットの一式を着用する。

 噂の人となり、顔を知られている可能性がある。念には念をの、変装だ。

 

 

「あんな大所帯でなに運んでんだか。港で勝手に荷物運び出しちゃあ労働組合に襲われるぞぉ、イレイザーみてぇに。運び出してんのは電気の銃か?」

 

 

 最後のタバコを捨て、「その時」をぼんやりと待つ。

 一日ロアナプラの空を隠すかと思われていた雨雲は散り、晴天に移り変わる。

 

 

「………………」

 

 

 空を見上げ、物思いに耽る。

 たまに自分が哀れに思えて来たりする。

 

 英雄だのヒーローだのと持て囃された八十年代の終わりと、これからやり直そうとしていた矢先に家族を手放した九十年代。

 

 

 気付けば世界は二十一世紀。やって来た二◯◯◯年代。

 自分がくたばるまで、もう五十年もないだろう。

 

 

 後悔のないように生きて来たし、だからこそ戦い抜けた。

 

 でも結局は、後悔ばかりだ。

 

 心にあるのは過去ばかりだ。

 

 辛く悲しい、呪いばかりだ。

 

 

 

 

 妻におはようのキスをし、子どもたちにいってらっしゃいのハグをする。

 そんな未来は、もう来ないだろうな。

 

 

 

 

「……クソッ。やっぱタバコがないとナイーブになっちまうなぁオイ」

 

 

 空っぽになった紙箱を覗き、苛つきのままに投げ捨てた。

 さっきのロックの言葉が影響しているのだろう。

 結局、今が自分史上一番意味が分からない場面だ。

 

 

 

 

「……いいや、答えは決まってんだろ、ジョン・マクレーン」

 

 

 サングラスに着いていた埃を、息を吐きかけて吹き飛ばした。

 

 

「……今までと同じで良いんだよぉ。ちょっと気を付けるだけだ」

 

 

 もう一度サングラスをかけ、車列に目を向ける。

 

 

 

 

 荷物は積まれ、事務所に行った二人以外は車に戻っていた。

 大急ぎで服を整えるマクレーン。

 

 

「うおおお、始まるぞぉ!」

 

 

 ロックが、車内にいた人間に何かを話している。

 少しばかり話した後に、荷物を満載した車だけが走り去って行く。

 何を言ったのかは分からないが、上手く邪魔者を口車に乗せたようだ。

 

 

 

 

 そのほんの二分後、ダッチとの交渉を終えた二人が戻る。

 自分たちと車が一台だけと知るや否や、怪訝な顔を見せた。

 

 

「あ? 勝手に行きやがったのかオイ……なぁ、日本人」

 

 

 側に控えていたロックに尋ねる。

 

 

「あいつらは?」

 

「先に行くってしか聞いてないよ」

 

「俺を置いて行きやがって……まぁ、どうせ目的地は同じか」

 

 

 特別、何の警戒もせずに彼は車の後部から近付き、助手席に乗り込んだ。

 その隙にロックは、バレないようアイコンタクトで合図を送った。

 後は何食わぬ顔でその場を離脱する。

 

 

「おい、さっさと追い付くぞ」

 

「あいよ、モレッティ」

 

 

 同じく相棒も後に続こうとする。

 

 

 

 

 

 先に乗ったモレッティと言う男。

 窓枠に肘を置き、頬杖をしながら頭を抱え、イタリア語でボヤき始めた。

 

 

クソッタレ(ヴァッファンクーロ)……連絡会の議題は多分、アレだ……帰ったらボスはお冠だろな……こりゃヤベェぞ……」

 

 

 モレッティは気付いていないが、車の後部で相棒が誰かに呼び止められていた。

 

 

「そもそもあいつらを呼ぶのが間違いだったんだ」

 

 

 眉間を指で摘み、思考をぐだぐだ巡らせる。

 

 モレッティは気付いていないが、相棒はダサいアロハシャツを着た陽気なおじさんに「落し物だよ」と話しかけられていた。

 

 

「あっちでも一人だけ殺せって命令なのに、レストラン(リストランテ)を吹っ飛ばして虐殺したって噂があったのによ」

 

 

 モレッティは気付いていないが、相棒は豹変したおじさんに掴みかかられ顔面を殴られていた。

 

 

「そんなに最高幹部会(クーポラ)が怖ぇのかよ」

 

 

 顔を手で覆い、溜め息を吐く。

 

 モレッティは気付いていないが、相棒はおじさんに後頭部を掴まれ、リアガラスに顔面をぶつけられ気絶させられていた。

 

 車が衝撃で揺れる。

 

 

「……おい! 何やってんだ!!」

 

 

 ガチャリと、助手席側が開く。

 相棒かと思えば、あまりにもダサいアロハシャツを着た変なおじさんだった。

 

 

「なんだてめ──」

 

 

 言い切る前にその謎の人物に顔面を殴られ、そのまま前方に叩きつけられた。

 痛みと頭部への衝撃でボンヤリとしている内に、ホルスターの銃を抜かれて捨てられる。

 

 気が付けばその男に、ベレッタを突き付けられていた。

 

 

こんにちは(ボンジョールノ)イタリア野郎(イタリアーノ)め! これからローマの休日だ!」

 

 

 モレッティは事態を把握すると、両手を挙げて無抵抗を示す。

 銃口は向けたまま、おじさんはボンネットを回り込んで運転席に座る。

 

 彼の相棒から奪ったキーでエンジンをかけ、薄ら笑いを浮かべながら片手でハンドルを握った。

 

 

「相手はアン女王じゃねぇがな」

 

「なんだてめぇは!? 誰だ!? おい、あいつは!?」

 

「あの豚と猿のキメラ野郎か? 後ろで伸びてるぜ」

 

 

 おじさんはサングラスを取る。

 露わになった彼の顔を見て、モレッティは「あっ!」と声をあげた。

 

 

 

 

 そこにいたのは、ジョン・マクレーン。

 カルテルとの一件で名と顔が知れ渡っていた男だ。

 

 

「てめぇ、ジョン・マクレーン!? なんで……!?」

 

「おおっと動くんじゃねぇ。俺はおたくらの国の銃は好きだが、マフィアは(でぇ)っ嫌ぇなんだ。なんなら今すぐにベレッタ様を味わらせてやるぜぇ? 祖国の味だ。スパゲッティとエスカルゴを添えてやろうか? 好きだろ?」

 

「エスカルゴはフランスだろが!」

 

「あ? そうなのか? まぁ、隣の国だ。そんな変わんねぇ」

 

 

 マクレーンはそのベレッタを構えたまま、アクセルを踏んで車を発進させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 手はず通りのカージャックを見届けた後に、ロックはこっそり現場に戻る。

 足元で伸びている、モレッティの相棒を見て頭を抱えた。

 

 

 どうするか迷った挙句に、彼は近くにあった公衆電話から電話をかける。

 

 

「ワットゥ・ヘヴュールドゥ・イズ、イズ・へヴュールドゥ。ロックだ、すぐに頼む」

 

 

 死体ではないが、どうにかしてくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モレッティを乗せて車を走らせるマクレーン。

 右手でベレッタを構えながら、左手でハンドルを操る。

 片手運転の危なっかしい操作のまま、フラフラ表通りに出る。

 

 勿論、拳銃の位置を車窓より下にしている為、カージャックしているとはそうそう気付かれまい。

 スピードも上げてやり、飛び降りられなくさせた。

 

 

「……なんだってんだオイ。イカれたメイドと一緒にコロンビアンどもで花火を上げたってのに、お次は俺たちか? 言っとくが俺たちヴェロッキオ・ファミリーはマニサレラ・カルテルとは訳がちげぇ。こんなのがバレたら、明朝には豚の糞に早変わりだぞ」

 

「そうなる前にてめぇをピザにしてやる。プレス機に入れて薄っぺらにしてよぉ、上からチーズとソースかけてマルゲリータにしてやんだ。キチンと丸ノコで八等分に切り分けてやるぜ。そのまま、てめぇのボスに送ってやるよぉ」

 

 

 行き交う車に請うような視線を向けるが、誰もこの事態を察知してくれやしないだろう。

 

 

「要件はなんだ。ブツだったら、この車にはねぇぞ。金ももう払っちまってスッカラカンだ」

 

「ブツも金も興味ねぇ。俺は刑事だ。刑事と言ったら捜査だろぉ? ヒルストリート・ブルース見てねぇのか?」

 

「映画に興味ねぇよ」

 

「ドラマだボケ。いいか、正直に言うんだ。ヘンゼルとグレーテルに聞き覚えは? 童話じゃねぇぞ」

 

 

 その名を言った途端、モレッティは分かりやすく動揺を見せた。

 まさかマクレーンの口から飛び出るとは、思いもよらなかったからだ。

 

 

「……おい……なんで、その名前を知ってんだ……!?」

 

「本人から聞いたんだよ」

 

「は!? 本人だぁ!?」

 

「今朝、カリビアン・バーを襲わせただろ? そこで気持ち良〜く飲んでいただけなのに殺されかけたんだ!」

 

 

 モレッティはハッと思い出す。

 あの時ヘンゼルが聞いていた人物とはまんま、マクレーンの事だったのだと。

 

 

「嘘だろてめぇ!? 逃げ切ったのかぁ!? どうやったんだよ……」

 

「そんで双子の指紋だのを調べたら、なんとおたくらの組織と関係した事件がヒットしてなぁ? ちょーっと、尋問しようと思いましてなぁ?」

 

 

 冷や汗を流し、頭を抱えた。

 ただでさえ双子のせいで問題だらけだと言うのに、突然やって来たあのマクレーンに嗅ぎ付かれたとあっては、下手をすれば豚の糞になっているのは自分の方になる。

 

 

「正直に答えろ。あの二人は何者で、おたくらの組織とどんな関係だ? そんで次は、どこを襲わせる?」

 

 

 銃口を突き付けて脅す。

 しかし彼も、筋金入りのギャングだ。やすやすと口を割るような男ではない。

 

 

「お、俺も良く知らねぇよ! ただ噂を聞いたとかぐれぇだ!」

 

「知らねぇ訳はねぇだろ〜? 黄金夜会をお開きにして、自分一人甘い汁を吸おうとしてんのはお見通しなんだぁ。なんなら他の組織にチクってやろうか?」

 

「双子はファミリーとは関係ねぇ! 確かにコーサ・ノストラとは関係してるが、ここにいんのは偶然だ! イタリア系のギャングなら、まだ他にもロアナプラにいるだろ!?」

 

「どうしても話さねぇんだな?」

 

「話すも何も、てめぇの思い違いだ!」

 

「そうか」

 

 

 マクレーンはハンドルを一瞬手放し、サッとシートベルトを締めた。

 そのままニヤリと笑う。

 

 

 

 

「良い車なのに勿体ねぇよなぁ」

 

 

 

 

 突然、アクセルを一気に踏み込んだ。

 

 スピードが更に上昇し、走行音が車内を甲高く満たす。

 

 

「おい!? おい、おい!?」

 

 

 揺れ始める車に驚き、彼もシートベルトを着用しようとする。

 しかしマクレーンはベレッタで撃ち、的確にシートベルトの巻き取り口を破壊してやった。

 

 

「だあぁあッ!? 何やってんだてめぇえッ!? 危ねぇッ! イカれてんのかッ!?」

 

「今から最高のドライブだぁ! バニシングin60超えを目指してやるぞぉーーッ!!」

 

 

 ハンドルを大きく切り、右へ左へ暴走を始めた。

 対向車線だろうが御構い無し。逆走し、前方から向かって来た車を紙一重で避けたりと、危険運転を繰り返す。

 

 

「よせよせよせよせやめろぉ!? 俺もお前も死ぬぞぉ!?」

 

「てめぇが話せばそうはならねぇがぁ?」

 

「だから知らねぇんだよぉッ!!」

 

「オーケー、そんなに楽しみたいんだな」

 

 

 ギアを変え、更にスピードを上げる。

 赤信号を無視し、車が行き交う十字路の真ん中を走り抜けてやった。

 

 

「正気じゃねぇよてめぇッ!?」

 

「おたくが花嫁だったらトランザム7000の再現なんだけどなぁ!? 良いぜ、なんならスティーブ・マックイーンもやった事ねぇようなカーアクションでも始めるかぁッ! Fooooooッ!!」

 

 

 どんどんと他の車を追い越し、豪快にドリフトをかけて急カーブ。

 その時に対向車が眼前に迫っており肝が冷える。

 

 路上に置いてあったゴミ置き場に突っ込んだ時も同様だ。

 

 

「ぅおおッ!? イデェッ!! クソォッ!!」

 

 

 シートベルトも無いのに、この暴走運転。

 モレッティは車内でシェイクされる。

 

 

「話す気になったかぁ!?」

 

「止めろぉッ!! てめぇ、ただじゃ済まねぇからなぁ!?」

 

「あーそうか! もっとヤベェ体験してぇんだな! とっておきのを見せてやるかぁ!」

 

 

 マクレーンは車を乱暴に方向転換させ、どこかへ全力疾走で走り出す。

 市内から、更に街の外れまで。

 

 

「おい! どこ行くつもりだ!?」

 

「この先に崖があって、下にデカい水路があんだ」

 

「それがなんだよ!」

 

「まぁ、見てろ。下手すりゃ、どっちか死ぬかもな?」

 

 

 崖が見えて来た。

 マクレーンはスパートをかけるかのようにアクセルを目一杯踏み込み、車内が歪に軋むほどの速度で突っ込む。

 

 

 そのまま行くと、薄っぺらいフェンスを越して真っ直ぐ続く乾いた水路へ落ちるだろう。

 やっとモレッティは察した。

 

 

 

 

「……ふざけんな……! お、降ろせぇッ!?」

 

 

 時速百二十キロ超えである事を忘れ、恐怖に耐えきれなくなった彼は車から飛び降りようとする。

 しかしマクレーンは、彼をガシッと掴んで逃さない。

 

 

「さぁ言え! 双子は何者だぁ!?」

 

「イカれ野郎ぉッ!? 止めやがれクソォッ!!」

 

「イタリア系には見えなかった! なに人で、今はどこだぁ!?」

 

「くたばれッ!!」

 

 

 威勢は良いものの、迫り来るフェンスに恐怖心を煽られてしまった。

 顔面蒼白の状態で、座席に抱き着くような姿勢のまま叫ぶ。

 

 

「分かった、分かったッ!! 言う、言うから止めろ、止めろぉおッ!!」

 

 

 

 

 ハンドルを握りながらマクレーンは、残念そうに頭を振った。

 

 

 

 

「あー。二秒遅かったな。舌噛むなよ」

 

 

 

 

 

 

 一秒後、車は猛スピードでフェンスを突き破る。

 

 

 寂れた工場に囲まれた水路の先には、輝く海が遥かに見えた。

 

 

 晴れ渡った空、灰色の街。

 

 

 その二つの狭間を、散乱した網と共に、二人を乗せた車は飛んだ。

 

 

 

 

 間抜けに歪む、モレッティの表情。

 

 

 心底楽しそうな顔で笑うマクレーン。

 

 

 ロケットのように空を走ったかと思えば、景色は一気に落ちる。

 

 

 

 

「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬあああああああッ!?!?!?」

 

 

 

 身体を固定する物がないモレッティの身体が浮く。

 

 必死にドアの上にあるグリップに掴まるものの、気休めだろう。

 

 

 視界にある寂れた工場も海もどんどんと上へ行き、コンクリートの道が眼前に近付く。

 

 

 

 

 

 

 

 車は前のめりのまま、水路に着地。

 

 

「ぉぐォッ!?」

 

 

 激しい衝撃により、モレッティは天井にぶつかってから、ストンと座席に落ちる。

 その際にグローブボックスへ顔面をぶつけた。

 鼻血を出しながら、絶え絶えな様子で呼吸を整える。

 

 

「フォーッ!! スタント成功ぉーッ!! やっぱシートベルトは大事だなぁ?」

 

 

 マクレーンはヘラヘラと、何食わぬ顔だ。

 着地と共にまた車を走らせ、スピードを上げる。

 

 

「それで? 話すって聞こえたが?」

 

「このッ……クソオヤジがぁ……! ぜってぇに殺してやるうぅうぅッ!!」

 

「おー、おっかねぇなぁ」

 

 

 車を転換させる。

 

 今度は何をするのかを警戒するが、次の脅し方はシンプルだった。

 

 

 

 車の進行方向には、巨大な排水パイプ。

 しかし、びっしりと厚い鉄格子で遮られていた。

 実質、壁だ。

 

 

 

 つまりはチキンレースだ。

 

 直前で止まれるか、勢い余って正面衝突か。

 

 

 

 マクレーンは躊躇せず、アクセルを踏む。

 

 ハイスピードでそこに突っ込もうとする。

 

 

 

「こんなの自殺だぞぉッ!?」

 

「ほら言えッ!! 先に言うが、俺はシートベルトもエアバッグもある! てめぇより生存率は高いからなぁあッ!!」

 

 

 壁が近付いて来る。

 

 恐怖で固まるモレッティ。

 

 マクレーンもさすがに焦って来たのか、妥協してやる事にした。

 

 

「じゃあ居場所で良いッ!! それで許してやるッ!!」

 

 

 もうあと数メートル。

 

 モレッティは血だらけの顔面で、泣くように叫ぶ。

 

 

「に、西の街外れのモーテルだぁあっ!! 俺たちが買収して、無人のっ!!」

 

 

 

 

 急ブレーキを踏む。

 

 激しいスキール音を響かせ、鉄格子の二センチ前で停車した。

 

 

 シートベルトのないモレッティは慣性の法則に従い、前へすっ飛びフロントガラスに衝突する。

 

 潰れた悲鳴をあげる彼の隣で、マクレーンは大きく息を吐いた。

 

 

「ふぃ〜〜……死ぬかと思ったぜ」

 

「ぁ……ぉ……」

 

「西にある街外れのモーテルだな? ありがとよぉ〜」

 

 

 すぐに車をバックさせ、比較的穏やかな速度で水路の出口へ向かう。

 

 隣で血塗れで伸びているモレッティを注意しながら、厳しい顔つきでハンドルを操る。

 

 

「……早速、やるハメになりそうだな」

 

 

 ここは稼働を止めた、工場ばかりだ。

 退廃した地区を抜け、再びマクレーンは車道へと出る。

 

 

 

 

 目指すは悪の根城、言い様もない邪悪の巣窟。

 静かに息を飲んだ。




「World of Pain」
「クリーム」の楽曲。
1967年発売「Disraeli Gears」に収録されている。
ギタリストのエリック・クラプトン、ベーシストのジャック・ブルース、ドラマーのシンジャー・ベイカーと言うロック界を代表する奏者が揃った奇跡のバンド。純度100度の世界レベルを体験出来る。
物悲しくゆったりとしたリズムだが、三者の演奏力の高さ故に一筋縄ではいかない進行を炸裂させるミラーボールのような一曲。
ジャックは2014年に。シンジャーは今年の10月に亡くなり、存命なのはクラプトンのみと言うのが惜しいです。


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World of Pain 2

 まだ気絶している男を、車の荷台に詰める。

 一安心したように息を吐くロックに、駆け付けたダッチマンブラザーズの兄貴が不機嫌そうにぼやく。

 

 

「死体かと思ったら、生きてる人間だーよ! ヤパンナー、あんたオラたちの使い方間違えてる!」

 

「すっ裸にして、海岸にでも寝かせていたら良いよ。追い剥ぎのせいに見せてやったら御の字だ」

 

「金は貰うかんな!」

 

 

 ロックから金を受け取り、弟のエフェリンを連れて二人は帰って行く。

 車内で兄のヤーコブは、オランダ語で話し出した。

 

 

「この街はもう駄目だな。エフェリン、オランダ帰るぞ」

 

「…………にいちゃんが言うなら」

 

「その為には金が必要だ。一気に儲ける方法はないもんかね」

 

 

 車で走り去って行くダッチマンブラザーズを見送った後に、ロックは急いで事務所に戻る。

 

 

 中ではダッチとベニーが寛いでいた。

 一仕事終え、退屈なのだろう。

 

 

「なんだ、遅かったな? どこ行ってた?」

 

「タバコ買いに。ほら、二人の分も」

 

 

 ちゃんと理由付けも用意している。

 ポケットからタバコを取り出し、二人に投げ渡す。銘柄も、それぞれの好みの物だ。

 

 

「ありがたい、タイムリーだよロック。暇過ぎて吸い尽くすところだったんだ」

 

「後で払ってくれよ。奢りじゃないんだ」

 

「ははは……現金だな君は」

 

 

 様子もいつも通りを演じてみせた。

 お陰でダッチにもベニーにも、勘付かれる事はなかった。

 お得意様を刑事に売ったなんて知られたら、南シナ海の名もなき無人島に流されてしまうだろうか。

 

 

「レヴィは戻らないか?」

 

「下宿に戻ってねぇな。どうせバオの所でベロベロなんだろ。そんな状態のあいつを見に行く勇気はねぇな」

 

「僕も勘弁したいよ。こうやって、ぼんやり雑誌を読むのが一番さ」

 

 

 ソファに寝っ転がり、くだらない三流雑誌を眺め続ける。

 その内にダッチは船の点検に戻って行った。

 

 

 自分もとうとう、やる事はなくなったな。

 ロックも寛ごうかと、ベニーが淹れていたコーヒーをコップに注ぐ。

 

 

 

 

 その時に、事務所の電話が鳴る。

 ベニーが立ち上がろうとしたのを、ロックは止めた。

 

 

「俺が出るよ」

 

「悪いね」

 

 

 コーヒーを一口飲みながら、部屋の奥にある電話を取る。

 

 

「はい?」

 

 

 仕事だろうかと、相手の名乗りを待っていた。

 しかし完全に、その相手を予想しきれていなかったようだが。

 

 

『あー、ラグーン商会さん?』

 

「どちら様でしょうか?」

 

『オカジ……ロックに代わって欲しい』

 

「え? あの、僕ですけど」

 

 

 

 

 

 寂れたモーテルの前にある公衆電話から、男がかけていた。

 

 

「ならタイムリーだ! 俺だ、マクレーンだ!」

 

「あぁ、マク……ブゥッ!?」

 

 

 口に含んだコーヒーを吹き出しかける。

 例の一件以降、ラグーン商会でも畏怖の対象となっているマクレーンから、連絡が来たからだ。

 

 

「どうしたんだいロック? 誰から?」

 

 

 身体を起こしかけたベニーを、何とか留まらせた。

 

 

「な、なんでもない! 気管に入って、噎せただけ! えぇと、仕事の依頼!」

 

「……? そうか?」

 

 

 はぐらかし、息を吹いた後に声を落として訴える。

 

 

「なんですかマクレーンさん……! ここに連絡しちゃマズいですって……!」

 

「すぐに済む。それよりオカジマ。俺は今、例の通り魔が潜んでいる場所の前にいんだ!」

 

「……え!? き、聞き出せたんですか……!?」

 

「ちょっとドライブして、説得出来た」

 

 

 マクレーンはチラリと、隣に停めてある車の中を見る。

 助手席には血塗れで意識朦朧のモレッティがいた。

 

 

「いいか、オカジマ。俺ぁてめぇを、とりあえず信頼する。場所は西の街外れにあるモーテルだ」

 

「西の街外れ……あぁ、なるほど。確かにヴェロッキオ・ファミリーの息がかかった地域ですよ」

 

「決して誰にも言うなよ。俺がわざわざ連絡したのは、もしかしたら犯人らと殺し合いになってくたばるかもしれないからだ。一時間経っても連絡がなかったら、仕方ねえ。通り魔の正体とイタリアどもとの関係を暴露してやれ!」

 

 

 電話を切ろうとするマクレーン。

 しかし急いで、ロックはそれを止めた。

 

 

「ま、マクレーンさん! 報告の連絡はここじゃなくて、イエロー・フラッグにかけてください。レヴィを見に行く(てい)で、これから向かいますから。ダッチやベニーに電話を取られたらマズい」

 

「あぁ……そうか? ならそうするが……」

 

 

 備え付けられていた電話帳を開き、イエロー・フラッグの連絡先を探す。

 その間、ロックは神妙な顔付きでもう一つだけ尋ねた。

 ずっと聞いていた事だ。

 

 

 

「そろそろ教えてください……通り魔は、どんな見た目なんですか? 多分、若い人物なんですよね?」

 

 

 彼が求めているのは、最初から通り魔の正体だ。マクレーンも話してやる事を約束していた。

 

 頭を掻き、眉間に皺を寄せ、少しだけ迷った挙句に話してやる。

 

 

 

 

「……双子だ。ヘンゼルとグレーテルって名乗っていた。殺しを遊びか何かだと考えている……恐らく十代前半の子どもだ」

 

 

 電話口で絶句している内に、マクレーンは「切るぞ」と言って受話器を置いた。

 残されたロックは呆然と、通り魔の正体を頭の中で繰り返す。

 

 

「……本当かよ……」

 

 

 確かに子どもだとは予想していたが、そこまでだとは思っていなかった。

 双子で、サイコパスじみた存在。何があったら、そんな人間が出来上がるのか。

 

 

「ロック?」

 

 

 心配そうに、ベニーが聞いて来る。

 何とか頭を上げ、愛想笑いを作ってみせられた。

 

 

「……ヨーロッパまで行けるのかって。さすがに無理だと言っといたよ」

 

「僕らにバスコ・ダ・ガマと同じ事をさせるつもりだったのかぁ? もう海よりも空を考えるべきだよ、それは」

 

 

 イエロー・フラッグに行く準備をしなければ。

 マクレーンがくたばらない事を、願いつつ。

 

 

「……やっぱりあの人は、ジョン・マクレーンだ。思った通りの人で良かった」

 

 

 少しだけ、彼がそのヘンゼルとグレーテルに執着する理由が、知れた気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マクレーンは上着にしていたアロハシャツを脱ぎ、ベレッタを構えたままモーテルへ入って行く。

 緊張感と興奮で、手汗が驚くほど流れ出る。

 

 

「落ち着けマクレーン……お前なら、やれる……!」

 

 

 ずっと言い聞かせながら、入り口を開けた。

 

 

 

 

 

 残されていたモレッティ。

 彼は頭部の怪我を押さえながら、意識を取り戻す。

 

 

「イッテェ……アア、クソォッ……!! あの、イカれポンチがッ……!!」

 

 

 マクレーンへの怒りが、極限にまで達する。

 車からヨタヨタ降りると、自分の今いる場所を把握した。

 

 

「……あいつらにやられちまう前に、俺がぶっ殺してやる……ッ!!」

 

 

 ドアを開けて後部座席に入り、肘掛けに這い寄る。

 この車は、後部座席のコンソールにもボックスが付いていた。

 そこを開けると、一挺のリボルバー。

 

 シリンダーを開けば横から垂れ下がるように飛び出るのではなく、なんと照星の前まで上がる変わった機構のリボルバーだった。

 一緒に入っていた弾を込めながら、殺意に満ちた目でモーテルを睨む。

 

 

殺してやる(ティ・アンマッゾ)……ッ! 舐めやがって、絶対に俺が殺してやる……!! あのクソの双子(ジェメッリ)も怖かねぇ、皆殺しにしてやるぜ……ッ!!」

 

 

 彼はふらつきながら、入り口を目指す。

 持っている銃は、「マテバ 2006M」だった。

 

 

「イタリアの味を覚えさせてやる……!」

 

 

 マクレーンに続く形で、モレッティも扉をくぐる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下は暗がりにあり、電灯一つも点いていない。

 マクレーンは外からの日光を頼りに、ゆっくりと、ゆっくりと進む。

 

 

 緊張からか、涎が分泌せず、口内はカラカラだ。

 その癖、汗だけは異様に噴き出る。

 

 

 不意を打てば、勝機はある。

 俺なら引き金を引ける。

 やれるぜ、ジョン・マクレーン。

 延々と頭の中で、言って聞かせた。

 

 

 

 部屋が多く、どこに潜んでいるのかが分からない。

 

 だが、その問題はすぐに解決した。

 一つの部屋の扉だけ、半開きだったからだ。

 

 

 

 

「……そこか?」

 

 

 

 

 小さく呟き、浅い呼吸を繰り返す。

 

 扉の前で一旦、深呼吸し、目を閉じて覚悟を決めた。

 

 ベレッタを撫で、引き金に指を回す。

 

 

「……よしッ!」

 

 

 カッと目を開き、扉を蹴って開く。

 銃を構え、一気に突撃した。

 

 

 

 

 部屋は風呂付きのワンルーム。

 ブラインドカーテンで窓を遮った、薄暗い部屋の中。

 

 

 ジメついた空気の中にある、不愉快な臭い。

 

 

 部屋の真ん中には、切り取られた人間の腕と、見覚えのある血だらけの手錠が転がっていた。

 そして脱ぎ散らかされた、あの変わったタキシードとドレス。

 

 風呂場を覗くと、床や壁が湿っていた。そんなに入浴後からの時間は経っていない証拠だ。

 

 

 間違いない、ここに二人はいた。

 

 

 

「……なんだ? いねぇじゃねぇか」

 

 

 しかし、今はいない。

 もぬけの殻だ。

 

 マクレーンは銃を下げ、拍子抜けしたように息を吐いた。

 

 

「……他の部屋か? それとも、二階か? どっかに隠れてやがんのか……!?」

 

 

 困惑し、混乱するマクレーン。

 

 

 

 突然、静まり返った室内でカチャリと、撃鉄を起こす音が響く。

 背後から聞こえたその音に、すぐに反応しようとした。

 

 

「銃を捨てやがれ、クソ野郎」

 

 

 マクレーンは振り返り、迎撃しようとするのをやめた。

 向こうは既に、準備を整えている。動けば、すぐに撃たれるだろう。

 

 双子にばかり神経を使っていただけに、完全に油断していた。

 目を閉じ、後悔するように頭を振る。

 

 

「……てめぇ、起きたのか? どこに隠していやがった?」

 

「後部座席にだ。いつも仕舞っていた、お気に入りなんだ。詰めが甘かったなぁ、ドグサレが」

 

 

 マクレーンは両手をあげ、持っていたベレッタを足元に落とし、後ろにいるモレッティの方へ蹴飛ばした。

 

 

「もう一挺持ってやがんじゃねぇか。それも捨てやがれ」

 

 

 ロックから貰った、ルガーのようでルガーではない銃。

 上着を捨てて、ホルスターを晒してしまった事を後悔する。

 銃を抜こうとしながら、チラリとモレッティを横目で見やった。

 

 

 

 血だらけで、折れた歯を見せ付けながら、勝ち誇ったように笑っている。

 

 持っている銃を見た。

 リボルバーのようだが、妙にノッペリとした銃身。

 それよりも目に付いたのは、銃口が普通の物よりもやけに下に付いている事だ。

 

 変わったその銃を見て、マクレーンは笑う。

 

 

「おかしな銃かと思ったら、悪評高いマテバ様じゃねぇか」

 

「うるせぇ。俺はマテバが好きなんだ。確かてめぇ、イタリアの銃が好きなんだろ? 良かったなぁ、最後の晩餐に食わせてやれるぜぇ」

 

 

 ルガーを抜き取る。

 そう言えばロックから貰った時に、装填は済ましていたなと思い出す。

 

 

「……なんですぐ撃たねぇ?」

 

「てめぇのその、舐めきったムカつく顔にぶち込んでやる為だよ。銃を捨てたら、こっち向きやがれ」

 

 

 モレッティは命中率を上げる為、マクレーンのベレッタを踏み越えて一歩近付く。

 

 

「散々、イカれたドライブに付き合わせやがって。脳がシェイクされて、ドロッドロになる寸前だった。今度は俺が、ありったけの弾丸をてめぇの頭ん中にぶち込んで、シェイクにしてやる番だ」

 

「双子はいねぇぞ。さっきまでいたようだがなぁ」

 

「クソッタレ。どこ消えやがった……たまに二人だけで、『ルーマニア語』で内緒の話しやがって」

 

 

 彼のその言葉を聞き、ピクリとマクレーンは目を細めた。

 

 

「……ルーマニア語? あの双子は、ルーマニア人か?」

 

「あぁ。クソ以下の『チャウシェスクの落とし子』どもだ。とっとと死ねば良かったんだよ、あいつらは」

 

「チャウシェ……なんだそりゃ?」

 

「うるせぇてめぇッ!!」

 

 

 銃床で、頭部を殴る。

 痛みと目眩で、マクレーンは苦悶の表情のまま、跪く。

 

 

「あー……クソッタレ。今のは効いたぞぉ……」

 

「ほら、立ち上がれ! 銃を捨てたら、こっちを向けッ!! 折れた歯の数と同じだけ、ぶん殴ってやるッ!!」

 

 

 側頭部から流血させつつ、何とか立ち上がる。

 そのままスッと、ルガーを掲げた。

 

 

「なんだてめぇ。ドイツじゃねぇか? 弾数と威力さえあれば無敵とか思ってやがる、勘違いどもの銃かよ」

 

「そこはちょっと同意してやるが、ドイツの銃は良いぞぉ?」

 

「あ?」

 

 

 引き金に指を入れたまま持ち上げ、銃口を窓の方に向けた。

 

 

 

「弾だけが武器にならねぇからな」

 

 

 手首に全く力を入れていない状態で、引き金を引く。

 

 

 

 まるで爆発音のような銃声が響き、発射された弾丸がブラインドカーテンと窓を盛大に破壊。

 

 それよりも驚きなのは、反動だ。

 

 しっかりと構えられていない改造ルガーは、まるでロケットのようにマクレーンの後ろへ吹っ飛んだ。

 

 

 油断し、近付いていたモレッティの顔面に当たる。

 

 

「うぐぉあッ!?」

 

 

 視界を奪い、不意をついてやった。

 すかさずマクレーンは振り返り、モレッティに襲いかかる。

 

 

「この、クソ()()()野郎ぉッ!! 本当にシェイクしてやるぅうッ!!」

 

 

 彼のマテバを握る手を掴み上げ、顔面を殴る。

 怯み、指の力が抜けたところで腕を掴んで、壁に叩きつけてやった。

 

 マテバが落ちる。

 これでお互い、丸腰だ。

 

 

「……やりやがったなヤンキーがぁッ!!」

 

 

 完全にブチギレたモレッティ。

 マクレーンの腕を掴んで、押し返す。

 それで体勢を崩してやった隙に懐へ潜り込み、鼻っ面へ一撃加えた。

 

 

「おぐぅッ!?」

 

「このイカれやろぉッ!! パスタはイタリア語で『ケーキ』なんだよぉおッ!!」

 

 

 背中を何度も殴りつける。

 とうとう膝を突くマクレーンだが、目の前にあったモレッティの股間を思いっきり鷲掴み。

 

 

「おぉおぉおおーーッ!?」

 

「勉強になったぜぇーーッ!!」

 

 

 モレッティの拘束を抜け、すかさず顎にアッパー。

 

 

「これは受講料だッ!! ピザにしてやるぅうーーーーッ!!」

 

 

 壁に背中からぶつかるモレッティ。

 目の焦点が合っていない彼へ、マクレーンは襟元を掴んで何度も殴ってやった。

 

 

「このやろぉッ!! イタリアに帰りやがれッ!!」

 

 

 五発ほど殴られたモレッティだが、六発目を入れたマクレーンの拳を、頭を逸らして避ける。

 壁を殴り、動揺を見せた彼の顔面に頭突きをかます。

 

 

「おうっ!?」

 

 

 仰け反り襟元を離した瞬間、モレッティは水を得た魚のように襲いかかる。

 身体を大きく動かし、荒削りなパンチを何度も何度もマクレーンに浴びせた。

 

 

「バカ野郎めぇーッ!! 四十路が若い奴に敵う訳ねぇんだよぉおッ!!」

 

 

 すっかり腫れ上がったマクレーンの顔。

 容赦なしにモレッティの追撃は続く。

 

 

「ぶっふぅッ!?」

 

「ミンチにして、ハンバーグにしてやるぅッ!!」

 

 

 渾身の力を込めて殴った一発が、マクレーンを吹き飛ばす。

 目の前をチカチカさせて、部屋の真ん中で大の字で倒れた。

 

 

「殺してやるぅ……!」

 

 

 彼の足元に、落としたマテバが。

 身体を横にし、立ち上がろうとするマクレーンより先に、それを拾い上げようと走る。

 

 

「殺してやるぜ薄らボケェーーッ!!」

 

 

 飛び込んでマテバを取り、ゼロ距離で頭を撃ってやろうと銃口を向けるモレッティ。

 

 

 だが、背を向けていたマクレーンが突然振り向いたと同時に、顔の側面に強い衝撃が。

 

 

「おぉう!?」

 

 

 脳を揺らすほど一撃。

 何で殴られたのかと顔を上げれば、死体の腕をバットのように担いだマクレーンの姿。

 

 

 

 

「また死体を使っちまったぜクソッタレッ!!」

 

 

 足を振り上げ、再びモレッティが銃口を向けるよりも先に、ゴルフスタイルで死体の拳を叩きつけてやった。

 

 

「ォッ──」

 

 

 鼻に一発、強力な物を食らった彼は真後ろに吹っ飛び、倒れる。

 ダメージが許容量を超えたのか、とうとう彼は気絶した。

 

 

「ゼェ……ゼェ……かぁー、イテェ〜よぉ〜……!」

 

 

 何十発も殴られた顔を触ろうとすると、冷たい感触と腐った臭いがする。

 

 持っていた死体の腕を、顔に付けてしまった。

 

 

 

 

「……ウェッ!」

 

 

 すぐに捨てる。

 

 

 マクレーンは一緒に落ちていた手錠を拾うと、モレッティの手首にかけて、戸棚の引き手と繋げてやる。

 勿論、落としたベレッタとルガーも回収済み。

 

 

「ボコボコだクソが……! あぁ〜、イテェ〜……!」

 

 

 彼のマテバは、破壊した窓の外に捨ててやる。

 これで手錠を破壊して逃げると言った事も出来なくなった。

 

 

「……どこ行きやがった……」

 

 

 一旦、風呂場に入り、シャワーで顔の血を洗い流す。

 軽く流したら、すぐに出て行くつもりだった。

 

 

 当たり前だが、こんな場所でイタリアンマフィアとボクシングをする事が目的な訳がない。

 双子がいないのなら、長居は無用だ。

 

 再び廊下に出て、覚束ない足取りでモーテルを後にしようとする。

 双子の様子を見に、組織の人間が来るかもしれない。

 

 

「……くたびれ損じゃねぇか」

 

 

 薄暗いモーテルから、明るい日の下へ。

 相変わらず暑い気温と、晴れ渡った空。少し太陽が西に傾いている。

 

 

 結果、何も得られなかった。

 双子はいなかったし、モレッティの様子からして聞き出す以前に居場所を知っていないのだろう。

 ここで追跡は終わりか。

 

 

「……いいや。まだ、可能性はある」

 

 

 フラフラ歩きながら、少しぼんやりとする頭でモレッティの話を思い出す。

 

 

「……双子はルーマニア人。あと、チャウシェスク……だっけか?」

 

 

 手掛かりはまだある。

 とりあえず、ロックに相談だ。



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World of Pain 3

原作でもかなり重要なエピソードとして描かれていた為、これにリソースを集中させている点をお許し願いたいです


 ここはこの街のどこか。

 

 埃を被った窓より、一筋の光が入り込む。

 古ぼけたミシンが並び、その合間に捨て置かれた布と毛糸玉。

 

 寂れた建物の中で、射し込む陽の光をスポットライトとして浴びる二人。

 

 

 幼気で、あどけない。

 

 無垢なまま、純粋で。

 

 白肌で、可愛らしい。

 

 楽しそうに、微笑み。

 

 

 ミシン台の上に座る、ヘンゼル。

 

 布を敷き、その上に座るグレーテル。

 

 木板で遮られた窓の、唯一の隙間から空を望む。

 

 

「……良い天気だね、姉様」

 

 

 間色の青に、真っ白な雲が流れる。

 カッチリと窓枠に収まった晴れ空は、絵画のようにも思えた。

 

 

「えぇ、兄様。今日は良く晴れているわ」

 

「絶好の日だと思わない?」

 

「私もそう思っていたところ」

 

 

 雲が流れて、窓の中から消えてしまった。

 

 

「懸賞金は幾らだって?」

 

「五万ドルよ」

 

「僕らの正体は?」

 

「双子だってバレちゃった。みんなが私たちを殺しに来るわ」

 

 

 通り抜けた雲が太陽を隠したようだ。

 

 一筋の光が絞られ、辺りは暗がりに落ちる。

 

 

「おじさんも、やっぱり来るかな」

 

「マクレーンおじさん?」

 

「そうだよ。あの人もやっぱり、お金が欲しいのかな」

 

「お金が無さそうだったものね」

 

「なら、必ず殺しに来るよ」

 

「えぇ。必ず来るわ、兄様」

 

 

 太陽がまた顔を出す。

 

 辺りが鮮明になった。

 

 宙を舞う埃が見える。

 

 

「これから楽しいお祭りが始まるよ」

 

「最初で最後のお祭りね」

 

「飛行機みたいに銃弾が空を飛んで、雨のように血が降って、写真の閃光みたいに……」

 

 

 楽しそうに笑うヘンゼル。

 

 グレーテルも近くに落ちていた毛糸玉を広げて遊びながら、釣られて笑う。

 

 

「最後の夜が来るよ」

 

「最後の夜が来るわ」

 

 

 ヘンゼルは彼女を見下ろした。

 

 グレーテルは彼を見上げた。

 

 お互いの顔が近付いて行く。

 

 

「殺し屋も、イタリア人も、ロシア人も、マクレーンおじさんも」

 

「みんなみんなの、命が私たちの物」

 

「楽しみだね、姉様」

 

「楽しみね、兄様」

 

 

 口付けをした。

 

 ここはこの街のどこか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 半分まで飲み進めた、グラスを前にタバコを吸い続ける。

 

 吸い殻で盛り上がった灰皿と、些か疲れたような表情が、長い長い待ち惚けを証明していた。

 

 

「誰か待ってんのかぁ?」

 

 

 辛気臭い顔つきのロックを見かね、バオが話しかける。

 

 

「レヴィの奴なら、あの『シスター』と一緒に人狩り(マンハント)だ。ターゲットの詳細が広まったんだ。欧州系の白人で、まさか双子のガキだとはなぁ」

 

「あいつを待っててもしょうがないし、俺は執行人ごっこなんざ興味ない」

 

「じゃあ、誰を待ってんだ?」

 

「バオ」

 

 

 煙を吐き捨て、タバコを灰皿に擦り付けた。

 仕草が荒っぽく、苛つきを見せている。

 

 

「そんなに詮索が好きな性格だったか?」

 

「どうしたどうした。レヴィなら分かるが、おめぇが機嫌悪いのは初めて見たぞ」

 

「………………」

 

 

 酒を一気にあおる。

 空のグラスを、バオの前に突きつけた。

 

 

「……もう一杯だけ貰うよ」

 

「へいへい、俺の話には一切付き合わないつもりなんだな。そんじゃ俺は、てめぇから飲み代踏んだ来るだけに努めてやるぜ」

 

 

 グラスを持って、カウンターの奥へと向かう。

 それを見届けてから、溜め息を吐いた。

 

 

 店の備え付けの時計を見やる。

 約束の時間の、もう十分前だ。

 

 

「……止めておけば良かっただろうか」

 

 

 いや、彼の意志の強さは知っている。

 テレビでやっていたような、赤の他人たちの評論ではなく、ヒリつくほどに間近でこの目で見た。

 

 止めても聞かないだろうし、まず自分を恨む事はないだろう。

 自分に責任はない。全ては彼の自己責任だ。

 

 

「………………」

 

 

 今、自分はこのバーにいる有象無象どもよりも、五万ドルに近い人間だ。

 

 

 双子のガキ、それ以上の情報がある。

 

 コーサ・ノストラの人間が抱えた双子の殺し屋が、黄金夜会を崩壊させようとしている。

 この情報をバラライカらに流せば、情報料として幾らか手に入るだろう。

 

 全てを把握したホテル・モスクワならば、三合会やマニサレラ・カルテルらと結託し、敵の制圧はあっという間に終わる。

 

 

 双子も殺され、自分には情報料が入り、イタリア人たちの報復を恐れる必要もなく、勝ち逃げで終われる。

 

 

 

 

「……出来る訳ないだろ」

 

 

 眉間を摘んで、邪な考えを打ち消す。

 

 年端もいかない子どもが、街を騒がしている事実に動揺が続く。

 

 そしてマクレーンは恐らく──

 

 

「ほらよ」

 

 

 頼んだ酒の追加が、目の前に置かれる。

 

 

 同時に、公衆電話が鳴った。

 

 

「っ!!」

 

「うぉ!?」

 

 

 ロックは酒に手を付けず、大急ぎで電話口まで駆けた。

 呆然とするバオを無視し、受話器を取る。

 

 

「もしもし!? ロックです!!」

 

 

 

 

 

 彼の名前を聞き、安心したような吐息が聞こえた。

 

 

「おぉ〜、オカジマぁ。待たせたな、クソッタレ」

 

 

 マクレーンの声だ。

 彼はモーテルから三ブロックほど離れた場所にある公衆電話からかけていた。

 コーサ・ノストラの息のかかった地域で行動はしたくない。その移動の為に、少し時間をかけたようだ。

 

 

「あぁ、良かった……!」

 

「何が良かっただ、お気楽な奴め。こちとら、死にかけたばかりだぞ。一日で二度も死にかけるなんざ、一般人の人生としてどうなんだ。えぇ?」

 

 

 マクレーンは電話にもたれるような形で、やっと立てていた。

 顔は痣だらけの血塗れだ。

 血の滲んだ口角と、切った口内からダラダラ流血する。

 

 道行く者が彼の様子を見てギョッとするが……さすがはロアナプラだ。関わり合いを露骨に避けてくれた。

 

 

「な、なんか、喋り方がモゴモゴしていますね」

 

「クソッタレ。イタリア野郎とタコ殴りだ。逆に歯を折ってやったがなぁ……そうそう。あのルガー、早速役に立ったぞぉ」

 

「大丈夫なんですか……? と言うより、双子は?」

 

「いや、いなかった。一歩遅かったなぁ……どうやら、二人だけの秘密基地ってもんがあるようだ」

 

 

 ロックからすれば、不幸中の幸いにも思えただろう。

 もし双子とマクレーンが邂逅していたならば、間違いなくこの電話は無かった。

 

 

「どうするんです? 張り込みますか?」

 

「いいや、意味がない。部屋の中はもぬけの殻だぁ……イッテェなぁおい……身支度も済ましていたようだ。もう戻るつもりはないんだろ」

 

「こっちでも動きがありました。双子の白人の子どもって詳細が出ています」

 

「とうとう公開か。俺たちは多分、この街の誰よりも双子に近い。クソどもより先に辿り着くぞぉ」

 

 

 マクレーンは散々殴られた鼻をかんで、血を吐き出させる。

 

 

「あー、クソ……オカジマ。双子の居場所はもう、掴めない。掴めないが、手段は二つある。一つはコーサ・ノストラの方に突撃だ」

 

「待ってください!? ヴェロッキオは凶暴な事で有名です。無許可で堂々とオフィスに行けば、殺されますよ!?」

 

「だから、殺されない為の『保険』をお前に預ける。ここまで言えば分かるな?」

 

 

 そこまで聞いて、ロックは彼の魂胆が読めた。

 

 

「……そう言う事ですね。了解しました」

 

「あぁ。頼めるか?」

 

「任してくださいよ」

 

「次に二つ目だ。こっちは正直、確実ではないんだが……もしかしたら今の居場所に繋がるかもしれねぇ。双子の人種とかが分かったんだ」

 

 

 人種が分かった。

 ここまでは、ホテル・モスクワも誰も知らない情報になる。

 ロックは受話器をもっと口元に寄せ、声が漏れないように努めた。

 

 

「……教えてください」

 

「ルーマニア人らしい。ロシアの方に近いって思っていた俺の勘は当たってたんだ」

 

「ルーマニアか……十年前に、革命が起こった国ですね」

 

「あ? そうなのか? あの辺には詳しくなくてなぁ……あぁ、そうそう。イタリア野郎は、双子の事を『チャウシェスクの落とし子』って言ってたんだ。分かるか?」

 

 

 聞き覚えのある言葉だが、どうしても記憶の想起に至らない。

 コメカミを指先で叩きながら、思い出そうとする。

 

 

「チャウシェスク……うーん……どこかで聞いたんだよなぁ……多分、ルーマニアの誰かだと……」

 

「なら、落とし子ってのは?」

 

「チャウシェスクの落とし子、チャウシェスクの落とし子……テレビか何かで見たんだっけな……」

 

 

 電話口から聞こえるロックの呻き声を聞き、これは長くなるなと踏んだマクレーンは話題を変えた。

 

 

「とりあえず、また合流するぞぉ。資料を読んだ時に入った、あのカフェで良いか?」

 

「……分かりました。それまでには、何とか」

 

「決まりだ。三十分後に会うぞ」

 

「えぇ。お気を付けて」

 

「おたくもなぁ」

 

 

 

 

 ガチャリ。

 マクレーンの声や、その周囲の雑音は途切れ、無機質な信号音が流れるだけとなった。

 

 大きく息を吐き、受話器を戻すロック。

 必死に「チャウシェスクの落とし子」についてを、思い出す。

 

 

「……なんだったっけ。だいぶ、古い記憶なんだろうなぁ……」

 

 

 アレコレ考え、脳を回転させながら、カウンター席に戻る。

 ここからマクレーンの言っていた待ち合わせ場所まで、十分も必要ない。それに注がれた分の酒を飲んでおかなければ、バオにどやされる。

 

 

「誰だったんだ? 血相変えて、電話に齧り付いていたが?」

 

 

 相変わらず詮索好きのバオ。

 言い訳を思い付くのも面倒だった為、彼に尋ねてみた。

 

 

「チャウシェスクの落とし子って、聞いた事は?」

 

「チャウ……なんだってぇ?」

 

「もう良いよ」

 

「なんなんだてめぇは……」

 

 

 勝手に失望されたバオは、他の客に酒の催促をする為に離れて行った。

 アルコールで引き出せるのかと、根拠もない理屈を立てて一口飲もうとする。

 

 

 

 

「おーい」

 

 

 背中をバンッと叩く、誰かの存在。

 酒を零しかけ、その人物を睨み付ける。

 

 

「なんだ、あんたも戻って来たのかぁ? ロックよぉ」

 

 

 レヴィだ。

 事務所でダッチらに話した、呑んだくれレヴィの話は仕事に戻る口実に過ぎない。実はそこまで酔ってはいなかった。

 

 とは言いつつ、近付けば酒臭い。

 酒瓶でも飲みながら、双子探しに興じていたのだろうか。

 

 

「……レヴィか。首尾は? 例の通り魔は見つかりそうか?」

 

「いいや、からっきし。相当に囲みが強いのか、相当に人目のねぇ所にいるかだなこりゃ。『エダ』の奴も情報屋に聞き回っていんが、とーんと」

 

「……そうか」

 

 

 ロックは自分のグラスを、レヴィの前にカウンターを擦らせて置く。

 

 

「お? くれんのか?」

 

「どうせこれから、ダッチらの所に戻らなきゃ。今日はあまりに暇過ぎる」

 

「そりゃサンキュー」

 

 

 貰った酒を、即座にグビッと飲み込む。

 彼女のその様子を見た後に、少しだけ躊躇した後に、双子の話題を振る。

 

 

 

 

「……子どもが、イカれた殺人鬼に変わるのって、何が原因だと思う?」

 

 

 

 

 重く、甲高い音が響く。

 驚いて隣を見ると、レヴィが持っていたグラスを強くカウンターに叩きつけたようだ。

 

 

「……双子の事か? そいつぁ、あたしへの当て付けも兼ねてんのか?」

 

 

 ロックは潜水艦の中で聞かされた、「秘密の小話」を思い出す。

 

 下手をすればマーケットの一件のような騒ぎが──

 

 

 

「………………」

 

「…………いや」

 

 

──そんな事は無かった。

 

 レヴィは沈んだ目となり、ぼんやりとロックを見やる。

 

 

「……悪かった。あんたにそのつもりはないよな……クソが。ここんところ、あの『ポリ公』のせいで」

 

「マクレーンさんか?」

 

「その名を出すな、やめろ」

 

 

 彼女はまた真っ直ぐ向いて、酒をちびちびと飲み始めた。

 少しの間を空けて、やっとロックの質問の答えを告げる。

 

 

「そりゃあんた、イカれた場所とクソに育てられりゃイエスの子どもだろうが、ダーティ・ハリーのスコーピオンに早変わりだろ」

 

 

 ピクリと、ロックは眉を上げる。

 何かが記憶の琴線に触れた。

 

 

「『ヘンリー・リー・ルーカス』は?」

 

「……ハンニバル・レクターの元ネタの一人ってしか」

 

「それ知ってりゃ十分だ。そいつのママはとんだイカれの淫売で、そいつを女装させるわ目の前でセックスを見せつけるわ。極め付けがロバを飼わせて、ヘンリーに懐かせたところでぶっ殺すとかだ。ムショにいたインテリからこの話聞いた時ぁ、さすがのあたしも自分の方がマシって思っちまったなぁ」

 

「……その、ヘンリーは何をしたんだ?」

 

「どの女もママに見えちまって、殺して回ったみてぇだ。今はアメリカのムショにいるってさ」

 

 

 話を締めくくるように、酒を嗜みながら「まぁ」とレヴィは続ける。

 

 

 

 

 

 

「あたしらさえも関わりたくねぇような変態に手をかけられりゃ、インにもアウトにもなれねぇモンスターの出来上がりさ。誰にも望まれないまま生まれた、二本足で歩けるクソだ」

 

 

 

 

 

 ロックの目が見開かれる。

 思い出したようだ、チャウシェスクの落とし子を。

 

 そして双子の正体への、推察も。

 

 

「……レヴィ。満点の答えだ」

 

「あ?」

 

 

 ポケットから財布を取り出しつつ、勢い良く立ち上がった。

 あまりに突拍子もなく、妙に滾った様子の彼を前に、さすがのレヴィもポカンと口を開けっ放し。

 

 

 

「バオ!! 代金はここに置いておくぞぉ?! 釣りはいらない! なんならレヴィにやれ!」

 

「お、おい? ロック? 大丈夫かあんた? 暑さと酒でやられたか?」

 

「そろそろ俺は出るぞ。じゃっ!」

 

 

 それだけ言い残し、バタバタと忙しなく彼はイエロー・フラッグを飛び出して行った。

 その後ろ姿を呆然と眺める、レヴィとバオ。

 

 

「……なんだあいつ?」

 

「おめぇにも分からねぇなら、俺にも分かんねぇよ」

 

 

 彼から貰った酒を、ゆっくりと飲んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三十分後、大急ぎでカフェの前に飛んで来たロック。

 マクレーンの姿はすぐに分かった。街灯に寄りかかる彼の方に近寄る。

 

 

「マクレーンさ……うわぁ!?」

 

 

 こちらに振り向いたマクレーンの顔は、痣と腫れと血で物凄い事になっていた。

 試合を終えた、ボクサーみたいだ。

 

 

「おぉ、オカジマぁ。誰にも付けられてねぇよな?」

 

「つ、付けられてはいないですけど……大丈夫なんですか!?」

 

「大丈夫じゃねぇが、治療する暇も金もねぇ。作戦をさっさと立てるぞ」

 

 

 場所を移そうと歩き出すマクレーンに、鬼気迫る声でロックは呼び止めた。

 

 

「マクレーンさん、思い出したんです!『チャウシェスクの子どもたち』!」

 

 

 微かなイントネーションの違いに反応し、足を止めて振り向く。

 

 

「子どもたち? 落とし子じゃなくてか?」

 

「僕らの国の方で、一回そのタイトルの特番があったんです。だいぶ昔の事だったもんで、やっと思い出せたんですが……」

 

「とにかく、その話を聞きてぇ。一体どう言うもんかってのも含めて、この先に行った所にあるバーで──」

 

 

 

 

 また歩き出そうとする彼の肩を掴み、強制的に引き止める。

 驚いて彼の顔を見た時に、また別の驚きが訪れた。

 

 澄ました顔の日本人の表情は、焦燥と歓喜に歪んでいたからだ。

 キッと睨むような目と、確信に至れて吊り上がる口角との、ちぐはぐとした表情。

 

 

 彼は何かを思い出せただけではなく、何かを掴めたようだ。

 

 

「バーじゃない。アテがあるんです、そっちに行きましょう」

 

 

 決意を込めた目と声で、目的地を決める。

 

 

 

 

「……ラチャダ・ストリート」

 

 

 

 辺りが暗くなって行く。

 太陽を、雲が隠した。

 

 

 

 

 

「……『ジャック・ポット・ピジョンズ』」

 

 

 

 

 マクレーンは訝しむように聞く。

 

 

 

 

「……本当に、『大当たり(ジャック・ポット)』なんだろな?」

 

 

 

 

 

 

 

 雲が太陽に、空を明け渡した。

 

 二人はこれから、「苦しみの世界」に触れてしまう。



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Goodbye Blue Sky 1

「ニコラエ・チャウシェスク」。

 一九六五年、彼はルーマニア社会主義共和国の国家元首に上り詰めた。

 就任時の彼の人気は凄まじかったと言う。

 

 社会主義を標榜していたものの、彼はかつてルーマニアを支配していたソ連とは距離を置き、西側諸国に対し友好的な姿勢を示した。

 アメリカ側も大統領直々にチャウシェスクを迎え入れ、共産主義国にも関わらず国際通貨基金(IMF)などの米国主導の条約にも加盟する。これは冷戦時の当時としては、異例の待遇だ。

 

 

 東側諸国がボイコットする中で、ロサンゼルスオリンピックへの参加を表明。

 アメリカは勿論、イギリスやスペイン、日本を訪問し、ニクソン大統領やエリザベス女王、昭和天皇とも交流を深めた。

 こうしてチャウシェスクは、外交面に於いて先進国と並び立つ水準にまで、ルーマニアの名を押し上げた。

 

 

 

 しかし年代を追うごとに、その絶頂は暗い影を落とす事となる。

 

 同じ共産主義国でもある中国に影響を受けていた彼は、国の発展を促す為には人口を増やすべきだと考えていた。

 彼は国民に対し、「堕胎と離婚の禁止」、「子どもの数に応じた優遇措置」を発令。

 避妊具の発売も禁止にする徹底ぶりだ。

 これによりルーマニアの人口は、発令後三年で四十万人以上も増加した。

 

 しかし、あまりにもタイミングが悪かった。

 この時の国内経済は酷い有り様だったと言う。

 

 

 前述の通り、チャウシェスクは西側諸国からの人気が集まっていた。

 西側諸国はルーマニアこそ、対東側諸国の決定打になると考え、積極的な資金援助を行なった。

 

 早い話が、東側の内部分裂を狙ったものだ。

 

 

 この融資が、国にとって莫大な債務に変貌し、ルーマニアは最大で一三◯億ドルの借金を抱えてしまう。

 返済の為に無理な輸出を繰り返し、国内を困窮させていた。

 

 

 

 

 とうとう食料などは配給制となり、子どもが多い家庭ほど生活が苦しくなる事態に。

 

 

 

 

 そんな状況でも人口増加政策は継続され、養育する経済能力がないと判断した親たちは、子どもを捨てた。

 

 孤児院には捨てられた子で溢れかえり、街中にはストレートチルドレンが目立つようになった。

 

 そうなると次は孤児院が困窮するようになり、破綻した施設から更に多くの子どもが路頭をさまよう事態となった。

 

 だのにテレビの向こうでは、楽しい家族団欒に耽るチャウシェスクの姿が映っている。

 

 

 

 

 

 今尚、その影響が尾を引いている、ルーマニアの社会問題だ。

 

 この政策で生まれた子どもは「チャウシェスクの子どもたち」、或いは「チャウシェスクの落とし子」と呼ばれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「その後一九八九年に革命が起こって、チャウシェスクは妻と一緒に処刑。あれだけ西側にも迎え入れられたのに、最後はソ連のゴルバチョフが冷戦終結に動き出し、独裁に拘り続けた彼は西側にも東側にも爪弾きにされていたそうです」

 

「……いわゆる、冷戦の爪痕って事にもなる訳か。バル・ベルデの件と似たもんだな。いたたまれねぇ」

 

 

 二人はラチャダ・ストリートに入る。

 マクレーンはモレッティから掻っ払った車を、ロックに運転させていた。

 

 助手席から腫れた目で、空を見上げる。

 綺麗な青空が、憎たらしく思えた。

 

 

「……オカジマ。おめぇの考えってのは?」

 

「これから……お、おぉ?」

 

 

 次の角をカーブする。

 ロックはハンドルを切りながら、険しい顔つきになった。

 

 

「……なんか、やけにハンドルが重いな……スピードも全然出ないし……」

 

「ちと無茶させたからなぁ」

 

「まぁ、走れるから良いか……あぁ、それで僕の考えって言うのは」

 

 

 あまりに速度が出ない為、後続の車に激しくクラクションを鳴らされた。

 二人は鬱陶しそうな顔を見せ合ったものの、無視を決め込む。

 

 

「双子は、チャウシェスクの子どもたち……なら、間違いなく孤児から誰かに拾われた人間と見て良いでしょう」

 

「……まぁな」

 

 

 マクレーンは暗い表情を浮かべていた。

 

 

「これは僕の見立てですが、双子は拾われた後に『殺し』を覚えさせられたんだと思います。けれど、間違いなくロザリタとは──」

 

「……ロベルタだ」

 

「え? あ、はい……? 訓練として仕込まれた彼女とは、また別の方法で覚えさせられたと。それは恐らく、今日までに『大量殺人者』と呼ばれる人たちの多くがそうだったように、虐待と強制によるもののハズ」

 

「……今から向かう場所と関係は?」

 

 

 車が停車する。

 ロックが指差した方を見やると、すぐに唖然とした顔になり、すぐに呆れたように失笑。

 

 

「……あー、俺の目に狂いがなけりゃぁよぉ……」

 

 

 派手な店構えと、色鮮やかでこれまた派手なネオンライト。

 やけに扇情的なキャッチセールスと、スケべな顔をした男たちの来店。

 何よりもハートの中に描かれた、セクシーポーズの女のマーク。

 

 

 

 

「……ありゃ、ストリップクラブだろ」

 

「大正解です」

 

 

 車を降りるロック。彼に続き、マクレーンも降車。

 

 

「ここの店主とは馴染みでしてね。『世界中の裏ビデオは俺ん所にある』って、この間豪語していました」

 

「……裏ビデオ……クソッタレ。そう言うことか」

 

「双子がマフィアに連れられ強制的に殺しを、と言っても……例えマフィアでも、子どもに暗殺訓練をなんて考えませんよ。革命家と違って、無駄にリアリストな集団ですから。なら双子の利用価値は、一つだけです」

 

 

 先に店の中は入って行く彼を追いながら、マクレーンは死んだ目で看板を眺めていた。

 

 

 

 

「……『キッズ・ポルノ』か」

 

 

 

 

 意を決して、扉をくぐる。

 青空は隠され、薄暗くエロティックなネオンの世界へと入って行く。

 

 

 

 

 

 

 

「YEAHHH!! ロックじゃねぇか……うおぉ!? なんだそのボコボコのおっさんは!?」

 

 

 マクレーンの仏頂面が、殴られ叩かれで腫れ傷だらけ。

 更に酷い表情になっていた。

 驚かれて仕方ないだろう。

 

 

「やぁ、『ローワン』。今日は頼みに来たんだけど……あー、応急キットとかないか?」

 

「ウチはどっからどう見ても風俗店(おピンク)だろぉ? 病院(ホワイト)と間違えるか?」

 

「割高で特殊な人しか来ないって点では、病院と同じさ」

 

「相変わらず言うねぇ〜」

 

 

 サングラスをかけた、アフロヘアーの陽気な黒人男性だった。

 なんだかんだ言いつつも、後ろに控えていた半裸の女性に持って来るように伝えてくれる。

 

 

 

 マクレーンは苦笑いしながら、周りを見渡した。

 

 腹の底まで響くような重低音で流される、ディスコミュージック。

 

 ホールに点在するお立ち台の上で、ポールダンスに興じるセクシーなダンサーたち。

 

 それを眺めながら、下品な掛け声をかけつつ酒をあおる中年男性たち。

 

 

 久しく来てなかった「こう言う場所」の空気が、どうにも慣れない。

 ただでさえ今は、胸の中に蟠りが詰まった状態だと言うのに。

 

 

「……出来るならさっさと出てぇよぉ」

 

「そんでロックよぉ、そのおっさんは? 八百長試合でさんざ殴られたボクサーかぁ?」

 

「彼についてはまた話す。それより、頼み事があるんだ。難しい事じゃない」

 

 

 喧しいガヤやどんちゃん騒ぎのBGMが、寧ろ良いノイズとなってくれた。

 ロックはローワンに、周りの人間を憚る事なく「頼み事」を告げる。その声はマクレーンにも聞こえない。

 

 

 頼み事を聞いたローワンは、ポカンと口を開けたままロックを見つめ、全てを理解した数秒後にはニヤッと笑う。

 

 

「ウェイトウェイト。そいつぁ……あー、ここじゃマズい。裏へ行こう」

 

 

 侍らせていたストリッパーたちを引き離し、ロックだけを従業員専用口へ案内する。

 

 

「おいオカジマ?」

 

「双子の件とかは話しませんよ。ただ、『レンタルしたい』ってだけ」

 

 

 そう言ってから、彼も従業員専用口へ。

 一人待たされたマクレーンは、応急キットを持って来た従業員から治療を受ける。

 

 

 

 

「……おーい。俺は変態に囲まれながらおっぱい見て、傷の手当てをしとけってか?」

 

 

 

 

 貰った消毒薬を怪我に塗り、ガーゼで押さえつける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 裏に入り、ダンサーたちが行き交う廊下の端で、話を続けた。

 

 

「女たちは口が硬いし、中には英語が聞き取れねぇ奴もいる。ハッキリ話して大丈夫だ。しかし兄ちゃんも隅に置けねぇ変態だなぁ!」

 

「頼むぜローワン! 今度、レヴィを何とかやり込めてSMショウに引っ張り出してやるからさぁ!」

 

「別にビデオの貸し借りなんかに恩とか擦り付けてやんねぇよ。あー、ただ広まるとヤベェもんもあるから、二、三本な?」

 

「あぁ……ただ、ちょっとマニアックな事を聞くよ」

 

 

 ロックは次に、要求するビデオの条件を告げる。

 

 出演者はルーマニア人で、イタリアマフィアが発売元のキッズ・ポルノ。

 

 双子の件を言えば街のお尋ね者の事と疑われかねないので隠したものの、あまりに詳細な為にさすがのローワンも疑いの目を向ける。

 

 

「マニアックと言うか、妙に細かいって言うか……」

 

「あるか?」

 

「ない事はないぜ。キチンとコレクションはカテゴライズしてるから、すぐに見つかるっちゃ見つかると思うけど……えー? 他意とかないかぁ? ホントに?」

 

 

 ローワンを渋らせてしまった。

 元営業マンの癖が抜けないのか、要点をさっさと言ってしまう。早とちりな点を少し、「シスター」に指摘された事を思い出す。

 

 まだ言い訳は効く。

 どうにか頭の中で、交渉の筋道を立てた。

 

 

 

「ルーマニア人の双子が出てるビデオだ」

 

 

 その筋道を、完全に粉砕する一言。

 顔にガーゼを貼り付けた、マクレーンが二人の前に現れた。

 

 

「ちょっ……!? マクレーンさん!?」

 

「なに? マクレーン……ウッソだろ!? このおっさんがあのジョン・マクレーンかよぉ!? 顔ボコボコで分からなかったぜ、オイ……」

 

 

 マクレーンは即座にローワンへ詰め寄る。

 彼は驚き、少し後ずさる。それほどまでに、マクレーンの威圧は凄まじかった。

 

 

「もう一度言う。ルーマニア人の双子だ。オカジマの言っていた条件とも該当する、キッズ・ポルノを出しやがれ」

 

「双子でキッズ・ポルノ……おいおいおい!? まさか、例の……!?」

 

 

 悟られてしまったと、ロックは天を仰ぐ。

 しかしマクレーンは憚る様子を見せず、ガンガン話を続けた。

 

 

「あぁ、例の双子だぁ。イタリアン・マフィアと繋がっているって分かってなぁ? もしかしたらビデオに出演してて、居場所のヒントになるって考えてんだこっちは」

 

「お、俺の店はホテル・モスクワの傘下だぜぇ? 多分あんた、バラライカらの仲間じゃねぇだろぉ? それを秘密にしてあんたらに味方したってバレちゃ……」

 

「なんの問題にもならねぇよ。おたくが俺らを手助けして、そんで俺らが双子を始末する」

 

「あんたが!?」

 

「懸賞金が入れば、おたくにも山分け。ロシアンどもは寧ろ、奨励すると思うがなぁ?」

 

 

 とどめの一撃と言わんばかりに、マクレーンはローワンのひたいに指をぶつけてやった。

 

 

 

 

「ただし、これを他に漏らすんじゃねぇぞ? 後でそれが分かったら、この店ごと吹っ飛ばしてやる。俺の噂はぁ、知ってんだろ? え?」

 

 

 

 イカれたメイドと結託し、マニサレラ・カルテルを半壊させた噂はロアナプラで持ちきりだ。

 上手い話と、現実味がやけにあるマクレーンの脅しを前に、ローワンは考え込む。

 

 

 良く良く考えれば、これは良い取り引きだ。

 懸賞金は五万ドル、三人で平等に山分けでも相当の額だ。

 

 

 元々、人狩りに参加する気もなかったローワンにとって、思っても見なかったボーナス。

 それにホテル・モスクワに対しての造反と言うほどにもならない。

 ただビデオを貸すだけ。

 

 

 

「……わ、分かったぜ、スーパーマン。オーケーオーケー……本当に、山分けか? ビデオ貸すだけで?」

 

「そのビデオが有益なモンなら五万ドル、三等分だ。オカジマ、それで良いよなぁ?」

 

 

 唖然としていたものの、やっと気を取り直し、首肯する。

 それを見てマクレーンは、満足げなしてやったり顔。

 

 

「悪い話じゃねぇハズだ? 別に何の手掛かりにもならなかったら、お互いにこの話は忘れりゃいいんだ」

 

「オーライ、協力するぜブラザー。家じゃ置けねぇほどあってよぉ、店の空き部屋を倉庫代わりに使ってんだ。来てくれ」

 

 

 裏ビデオの収納部屋まで先導するローワン。

 マクレーンはピュウっと口笛を吹き、ロックに向かってチャーミングにウィンクしてみせた。

 

 

「こう言う場合は、手の内明かして押せば良いんだよ」

 

「ははは……ありがとうございます。隠すばっかり頭にあったんで」

 

「良いってこった」

 

「でも懸賞金、マクレーンさん確か……」

 

「言うな言うな」

 

 

 五万ドルは受け取って燃やすと言っていた。

 これが本当なら、山分けの取り分以前の問題。ローワンはまんまと騙された訳になる。

 

 この人は本当に刑事さんなのかと、ちょっと疑ってしまうほどの狡猾さだ。

 

 

「しかしオカジマ、聞きてぇんだが……ビデオを見つける必要はあんのか?」

 

 

 歩きながらマクレーンは、声を顰めてロックに聞く。

 

 

「ヴェロッキオらに殺されない為の、強力な保険になりますよ」

 

「あの資料で十分だ……なんだ? これもてめぇの好奇心か?」

 

「まぁ、そうですね。最初に言った通り、僕は通り魔の正体にしか興味ありませんから」

 

 

 なぜか乾いた笑いを出すマクレーン。

 どうしたのかと横顔を見ると、彼の表情は呆れたものになっていた。

 

 

「今度はてめぇが白状してくれ。ただ俺がどう動くか、見てみてぇんだろが?」

 

「………………」

 

「双子のあられもない姿を観させて、俺の考えが変わるか試したいのか?」

 

 

 丸い目になるロック。

 次には顔を伏せ、困ったように首を振る。

 

 

「……試したい、ってのは、確かにそうですね。マクレーンさんを訪ねて協力した理由は、それですかね」

 

「ロベルタと同じ理由かよ」

 

「……でも、双子の正体が気になるのは本音です」

 

 

 驚かされたのは、マクレーンの方だ。

 パッとロックを見る。

 虚しい目付きで、ぼんやりと前を向いていた。

 

 

「……僕はまだまだ、この街に染まれていないなって、電話で双子の子どもだと聞かされた時に思い知らされましたよ」

 

「どう言うこった?」

 

 

 次に見せた表情は、自嘲気味な笑みだった。

 

 

「そんな少年少女が殺人鬼にされて、しかも利用するマフィアと、何の事情かも調べる気もなく殺そうとする奴らとか……ちょっとだけ、この街が嫌になりまして」

 

「………………」

 

「……だから最初、僕は」

 

 

 声が暗く、落ち込む。

 また目を合わせなくなり、前だけを眺め始めた。

 

 

 

 

「……マクレーンさんの『殺す』発言は、正直ショックでしたね。てっきり、双子を止めに行くのかなと思っていたもので」

 

 

 

 

 つい、足を止めてしまうマクレーン。

 ロックは構わず、先々とローワンに続いて行く。

 

 ストリッパーたちが訝しむような視線を向けて通り過ぎて行くその真ん中で、一人立ち竦んでしまった。

 

 

 彼が止まった事に気付いたロックは振り返る。

 

 

「なら結末だけでも知っておきたいじゃないですか。双子もそうですし、『正義の味方のマクレーンさん』がどんな結論を出せるのか。ビデオがあるなら、良い判断材料ですよ」

 

 

 また前を向き、歩き始めた。

 

 

 残されたマクレーンは我に帰ると、途中で買ったばかりのマルボロを一本取り出し、火を付けて喫煙する。

 煙を吐きながら、誰にも聞こえない声でぼやいた。

 

 

 

 

「……クソッタレ。それをまだ考え中なんだぞ、ジョン・マクレーンは」

 

 

 

 

 自分は双子と再会し、どうしたいのかのビジョンがない。

 

 ただ腐った街の腐った者たちに殺されるであろう現状に、納得がいっていないだけだ。

 

 それでも自分の性格を予想した、高確率で起こり得る結末は見えていた。

 

 

 

 

 

 間違いなく、俺は双子を殺す。

 

 

 正義を、悪をだのではない。

 

 自分を尊重した答えならば。

 

 

「結論」ではなく、「結末」の話ならば。




「Goodbye Blue Sky」
「ピンク・フロイド」の楽曲。
1979年発売「The Wall」に収録されている。
イエスやキング・クリムゾンなどで有名な「プログレッシブ・ロック」を世に広めたバンド。今としても当時としてもプログレはニッチなジャンルではあるが、それでもメガヒットを連発させ、ロック史に於ける伝説的バンドの一つとして君臨している。
小鳥の囀りと、「お母さん、飛行機が飛んでるよ」と語りかける子どもの声から始まる物悲しい一曲。
暗く落ち込んだギターとボーカルが続くが、最後の「Goodbye, Blue Sky」はどこか諦めきったような明るさを滲ませている。
何が青い空を汚したのでしょうか?


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Goodbye Blue Sky 2

お待たせしました


 ローワンのコレクションルームとは言ったものの、感じとしては普通の物置きだ。

 鉄製の棚が並び、その上に大きめの段ボール箱でカテゴリー分けされていた。

 

 その段ボールに書かれた物でキッズ・ポルノ物のみを降ろし、ローワンとロックは一つ一つビデオのラベルを確認して行く。

 既に一時間ほど、この作業に集中していた。

 

 

「ロック。またイタリア製を見つけたぞ」

 

「ひとまず、該当するビデオを全部取り出すんだ」

 

「取り出して?」

 

「一つ一つ確認するしかない」

 

「マジかよ! 余裕で百本行くぞぉ!?」

 

「運良く引いたら、一本で終わる」

 

「……先が思いやられるってもんだ」

 

 

 マクレーンも、ビデオが満載した段ボールを降ろしたりと捜索を手伝う。

 違法ビデオの摘発は何度か参加した事はあるものの、これだけの量を相手にした事は滅多にない。

 

 

「こんなモンより、映画の方が良いぞぉ?」

 

「そりゃあんた、そこは嗜好の違いってもんだろ。あんたが映画を愛するように、俺はポルノを愛してんだ!」

 

「ドンパチと馬鹿みたいな展開は、おたくも好きだろぉ」

 

「悪いね。ポルノ俳優の三文芝居より、とっとと本番を見たい派なんだ。話に興味ねぇんだな、こりゃ」

 

「……見てきた人間の中で断トツにおピンク屋だなぁ、おたくは」

 

 

 呆れ返りながらマクレーンは持っていた段ボールを床に置き、腰を押さえながら背伸びをする。

 

 その時に倉庫奥に置かれた、ドクロマークのシールが貼られた段ボールに目が行く。

 

 

「ありゃなんだ? なんのラベリングだ?」

 

 

 ローワンが目を向けると、うんざりした顔で手を振った。

 

 

「あれはポルノと騙されて買わされたもんだ。いや、ポルノっちゃポルノだが、俺でもあれじゃ抜けねぇよ」

 

「どうしたんだローワン。あの段ボールに何があるって?」

 

「まぁ〜、その、なんだ。R指定にGが入る奴だな。エロじゃない方向でヤベェもんになる。曰く付きの、更に曰く付き。金もかけたし、捨てるのも気味悪くてよぉ」

 

 

 釈然としないロックだったが、彼の言葉を聞いてマクレーンは合点がいったように目を細めた。

 

 

「……『スナッフ・ビデオ』か?」

 

「す、スナッフ……?」

 

 

 初めて聞く単語なのか、ロックは眉を寄せていた。

 対してローワンは図星を突かれたのか、戯けるように両手を開いて顔を曲げる。

 

 

「さすがは元刑事さんだなぁ」

 

「元じゃねぇ。現役だボケ」

 

「どんなビデオなんだ?」

 

「ロックよぉ。スナッフ・ビデオのスナッフてぇのは、蝋燭を吹き消す時のフッ!……って音の擬音語なんだ。んだがなぁ、裏の世界じゃあ──」

 

「『殺人ビデオ』って意味だ」

 

 

 次の瞬間にロックは「え?」と呟き、冷や汗を流した。

 マクレーンは御構いなしに、そのスナッフ・ビデオが満載した段ボールを引っ張り出す。

 

 

「サディストもいよいよヤバくなると、人間が血だらけで死んでいる様を見てやっと興奮するってよぉ。『テッド・バンディ』とかがそうだな。昔にマンハッタンで裏ビデオ業者を摘発した時に、ウジャウジャ出てきたもんだ」

 

 

 汚物を触るような手つきで、中にあるビデオを漁るマクレーン。

 ロックは彼の元へ駆け寄り、話しかける。

 

 

「ええと……そ、それも探すんですか?」

 

「正直、ポルノなんかより可能性あるだろ」

 

 

 淡々と述べるマクレーンだが、どこかその声音は感情を押し殺しているかのようだ。

 同時に祈っているようでもある。

 

 

「……出て来るんじゃねぇぞぉ〜」

 

 

 数多の言語で書かれた、ラベル部分のタイトルを注視しつつ、一本一本取り出しては探し続けた。

 

 ないならそれで良いと願いながら、後半からはルーティーンで手と目を動かす。

 

 

 

 ガシャガチャとビデオテープを掻き分けるマクレーン。

 

 ずっと心の中で唱えていた祈りは、途端に止んだ。

 

 同時に手も止まる。一本のビデオを掴んだまま。

 

 

 

 

「…………これじゃない事を祈るぜ」

 

 

 憂いを帯びた目でタイトルを見やり、すぐに隣にいたロックに差し出した。

 

 

 

 

『 Hansel e Gretel 』

 

 

 

 そこにはイタリア語で、「ヘンゼルとグレーテル」とある。

 

 一応、条件には一致した。

 マクレーンは下唇を噛んで苦しげな表情となり、それを隠すようにすぐ立ち上がる。

 

 

「もう夕方だ。双子が動くとしたら、間違いなく夜に違いねぇ。それを観るぞ」

 

「え、えぇ……ローワン、ビデオデッキとテレビはあるか?」

 

「俺の事務所にあるぜぇ。たまにそこで観てんだ」

 

 

 彼がそう言うなりマクレーンは背中を叩いて、案内を促せる。

 当惑しながらもローワンは顎をしゃくり、付いて来いと合図。

 

 

 コレクションルームから出た時、ロックにマクレーンは質問した。

 

 

「おい、オカジマ」

 

「はい?」

 

「おめぇも観るのか?」

 

「ここまで来て、マクレーンさんに丸投げは失礼ですよね」

 

「……俺ぁなぁ、オカジマ」

 

 

 溜め息を吐いて俯き、言おうか言うまいか迷った末に、構わないと前を向く。

 

 

「こっからは俺一人で良いと思ってんだ」

 

「……え?」

 

「他人から勝手にあーだこーだ言われんのはウンザリって意味だ。てめぇみてぇな、押し付けたがりとはもっとな」

 

 

 つい一時間前の意趣返しとも言わんばかりに、本音をロックへ吐露してやった。

 しかし彼はまるで、動揺していない。自嘲気味に口を曲げて、困ったような表情になるだけだ。

 

 面食らうかと思っていたマクレーンは、その予想外の反応に不快感を隠せない。

 

 

「なんだぁ、その顔は?」

 

「いいや。そろそろ言うだろなって思っていたもんで」

 

「クソッタレ。てめぇの予想通りかよ」

 

「そりゃ、特番で観てましたから。関係者と協力して鉄火場を見つけるけど、飛び込むのはいつもマクレーンさん一人。空港の事件もそうだったんですよね?」

 

「またてめぇの勝手なイメージか。民間人は巻き込めねぇだろ。五年前のは仕方なかったがぁ……」

 

「今は、別に『率先して巻き込まれる立場』ではないハズですし、僕もまた『民間人』ではない」

 

 

 また面食らわせられてしまった。

 睨むようにロックを見てから気付き、そんな短絡的な自分にウンザリして天を仰ぐ。

 

 

「マクレーンさんは今、国から一時的に解放されている身です。しかも法律なんて有って無いような、東南アジアのゴミ溜めに」

 

「………………」

 

自由の国(リバティ)からの解放(フリーダム)ですよ。恐らくマクレーンさんは今、誰よりも自由のハズです。対岸の火事には触れなくて良いし、喧騒に巻き込まれたら逃げても良いし。でもマクレーンさんは、『刑事である自分』に拘り続けている」

 

 

 とどめを刺すように、ロックは言い放つ。

 

 

 

 

「あなたは自分のイメージを、自分で押し付け守っている。それが、『世界で唯一誇れるもの』だからですよね?」

 

 

 

 

 絶句する彼に、ロックは突然立ち止まって話を続けた。

 

 

「さっきはあぁ言いましたけど、当たりのビデオを観て、それでもマクレーンさんの考えが変わらないのならそれが、『刑事としての誇りに従った結論』なんでしょう。恐らく──」

 

 

 暗い目をしたまま、彼はニッと笑う。

 

 

「──『国を捨てた()』より、遥かに正しい選択のハズだ」

 

 

 マクレーンが物申す前に、ローワンが叫ぶ。

 

 

「おおい! 早く来いよぉ!!」

 

 

 待たせる訳にもいかない。

 ロックとローワンとを視線を行ったり来たりさせた後に、渋々彼はローワンの事務所へ走って行く。

 

 

 少し寂しげな目を浮かばせた後に、ロックも続いて走り出した。

 

 

 

 案内された事務所は、真ん中に机と椅子が置かれ、そこを中心に書類棚が並べられた極々普通の空間だ。

 机の真向かいに設置された、およそ事務に必要なさそうな、大きめのテレビを除けば。

 

 

「確認したら、すぐにイタリアどものアジトに突っ込むぞ。殴られまくった鬱憤を晴らしてやる」

 

「コーサ・ノストラに喧嘩売るのかぁ? おっさん、正気じゃねぇぞぉ。ここのボスのヴェロッキオはメチャキレやすいで有名だぜ?」

 

「メチャキレやすくても、自分の命ぁ可愛いもんだろ。バラされるか、双子を呼ぶかで脅せば完璧だ」

 

「ひぃー。噂通りにキレてんなぁ、おまわりさん。最近のアメポリはみんなそうなのか?」

 

 

 ビデオデッキを起動し、赤と黄色の端子をテレビに繋ぐ。

 電源を入れてチャンネルを操作し、出力を入れ替える。

 画面に真っ青な映像が流れれば、準備は万端だ。

 

 

「………………」

 

 

 件のビデオを手に、一瞬だけ躊躇するマクレーン。

 胸中は、「間違いであってくれ」でリピート状態。

 

 

 

 

「……入れるぞ」

 

 

 椅子に座り、机で頬杖つくローワンは、どうぞと手を動かす。

 

 その机に凭れかかって立つロックも、一回だけ頷いてみせた。

 

 

 異議はない。

 マクレーンもまた覚悟を決めて、ビデオを挿入口に押し込んだ。

 

 

 

 

 

 ガガガーッ、とビデオデッキから音が鳴る。

 

 ブルースクリーンにノイズが走り、暗転した。

 

 次には、荒れた画質の中で、眩しいライトに照らされた暗い部屋が映り込む。

 

 

 

 スピーカーから響くイタリア語の怒鳴り声に、一同は身体を強張らせた。

 

 

 その声の主が、カメラの後ろから誰かを蹴り上げ、映像へ晒す。

 声を殺すように泣くその者は、すぐに幼い人物だと分かった。

 

 

 泣き腫らした顔で、カメラの方へ向く。

 

 痣と血、涙と鼻水に汚れたその顔を見て、マクレーンは目を見開いた。

 

 

 

 

「…………当たりだ」

 

 

 

 ヘンゼルか。グレーテルか。どっちかは分からない。

 

 服装が汚れたキャミソールと言うだけだが、その骨格は男らしい。

 

 ヘンゼルと思ったが、髪が長く、グレーテルとも判断付かない。

 

 

 

 だが間違いなく、バーで嫌と言うほど確認した二人の顔だ。

 

 マクレーンの祈りは、神にもクソにも届かなかった。

 

 

「……この子が、例の……?」

 

「お〜いおい! 一発で当てちまったよぉお!! マジかッ!? これで五万ドルは三等分かあ!? Foo!!」

 

 

 歓喜の声をあげるローワンだったが、マクレーンは衝撃から誰の声も聞こえていなかった。

 

 視線はテレビ、聴覚はスピーカー、脳は双子の事に向けられている。

 

 

「……なんだ……おい……」

 

 

 そこで終われば良かったと、後悔する羽目になる。

 

 映像は無慈悲に続く。

 

 

 映像に映るヘンゼル、或いはグレーテルは、分厚い手錠で両手がくっ付くほどに固定されていた。

 その顔面に、何かが投げ付けられる。

 金属バットだ。

 

 

 スポットライトがもう一台、照らされる。

 そこには手足を鎖で繋がれた、もう一人の子ども。

 

 双子の片割れではない。全く知らない子ども。

 恐怖に顔面が歪み、どの言語でもない本能からの恐怖を叫んでいた。

 

 

 

 室内には、その悲痛の叫びが響き渡る。

 

 助けを請うような声が、マクレーンらを揺さぶった。

 

 

「まさか、あの子を……!?」

 

 

 ロックの推察は、残念ながら正解だ。

 

 いやいやと首を振る彼、或いは彼女を、屈強な男が蹴飛ばした。

 

 倒れたところを、何度も何度も踏み付ける。

 

 潰れた悲鳴が混ざった。

 

 

「……ッ!」

 

 

 凄惨な光景に、誰もが言葉を失う。

 

 

 

 一頻り蹴られ続けたその子に、また覆い被せるようにもう一人が投げ込まれた。

 

 

 長靴下しか身に付けていない、痩せ細った裸の身体を晒すもう一人。

 

 

 全く同じ顔。痣の位置と、短めの髪が差異だろう。

 

 どっちがどっちかは別として、ヘンゼルとグレーテルが揃った。

 

 

 バーで見た姿とは違って、まだ理性のある表情。

 

 

「おいおいおい……なんだ、双子はどっちも……」

 

 

 ローワンは前のめりになり、映像を注視する。

 

 

 

 

 

 

 思えばそうだ。

 

 本来、一卵性の双子は「同性同士」で生まれて来る。

 一つの受精卵が基になっているのだから、当たり前だ。

 一卵性双生児は遺伝子学的に同じ人物らしい。

 

 同じ血液型と、同じ性別、顔付き。

 指紋や声には差異はあるが、ほぼ同じだ。

 

 

 男女ではありえない。

 

 つまり、ヘンゼルとグレーテルは──

 

 

 

──そこからは、考えたくはなかった。

 

 

 

 

「……なんで、こんな事……出来んだよ……」

 

 

 ロックの呟きを聞きながら、マクレーンは頭を抱えた。

 

 ビデオは進み、髪を引っ張られて無理やり立たされる双子。

 

 

 二人揃ってバットを握らされ、拘束された一人の方へ連行された。

 

 

 イタリア語で、怒鳴るように指示を出す。

 

 その表情にこもった愉悦に、マクレーンは怒りを覚える。

 

 

「……俺がこの場にいなくて良かったな、クソッタレ。てめぇを滅多打ちにしてやれたのによぉ……」

 

 

 男が目配せをすると、控えていた男たちが銃を構えた。

 

 二人に向けられた銃口。

 双子はそれらを見て怯えた顔になり、歯をガチガチと震わせながらバットを持ち上げる。

 

 

 一歩、一歩、二人は足並みを揃えて、逃げられない「受け」の子の方へ。

 

 

 震える腕で、バットを頭の上まで。

 

 

 悲鳴が耳を劈く。

 それを、いっせいので、の合図として、双子はバットを振り下ろした。

 

 

「うっ……!?」

 

 

 一回目。

 血が飛び散る。

 悲鳴が潰れて、醜くなった。

 

 

「おぉう……ハード過ぎるぜ、こりゃあ」

 

 

 二回目。

 男たちの汚い歓声があがる。

 子どもは地面に這い蹲って立たなくなった。

 

 

「………………」

 

 

 三回目。

 床に血溜まりが広がる。

 声も出さなくなり、痙攣を起こす。

 

 

 

 

 二人は錯乱状態なのだろう。

 四回目、五回目、六回、七回、八、九、十、十一、二十三十……と、殴り続けた。

 

 

 床に寝ていた子どもは既に、人の形をしていない。

 その時に限って男らは、「ホームラン!」と英語で悦ぶ。

 

 

「………………」

 

 

 マクレーンは黙っていた。

 いや、絶句していた。

 早鐘打つ心臓の音が、鼓膜を振動させていた。

 

 

 見物していた、三、四人の男たちが双子に近寄る。

 

 服を脱ぎ出した。「本番」に入るのか。

 

 それらの隙間を縫って、振り返りカメラを見た片割れと、目が合う。

 

 

 

 

 

 白肌にべっとりと血を付けて、涙まみれの顔。

 

 

 その表情は、狂ったように笑っていた。

 

 

 

 

 

 男たちが、双子を掴む。

 

 

「やめろ、おい」

 

 

 グッと、乱暴に引き寄せ────

 

 

 

 

「やめろってんだろクソッタレぇッ!!!!」

 

 

 マクレーンは端子を引き抜いた。

 テレビとビデオデッキとの繋がりが分断され、ブルースクリーンに戻る。

 

 

 その瞬間、彼を通り越してロックが、口元を押さえて事務所を出て行った。

 あんな惨殺死体、ロアナプラにいてもそうそう見られないだろう。吐き気を催すのも致し方ない。

 

 

「ひぃー! とんだ代物だぁ! これで抜ける奴、イカれてるぜ全く!」

 

 

 ローワンはこの手のスナッフ・ビデオを観て来たからか、こなれている様子だ。

 振り返るマクレーンの、鬼気迫る表情を見るまでは戯けた顔をしていた。

 

 

「おいおい、真っ青な顔だなぁ。そのブルースクリーンと見分けつかねぇよぉ〜」

 

 

 黙ってマクレーンはビデオを取り出した。

 目元を押さえ、息を吐く。

 

 

「……この事は内密だぞ。誰かに言ったら、店を吹っ飛ばしてやる」

 

「あいよぉ。それより、ロックは良いのか?」

 

 

 ビデオを持ったまま、マクレーンも事務所を出て行く。

 突き当たりを進んだ所にあった、従業員用のトイレに入ると、洗面台でえずくロックがいた。

 

 

 吐き気があったが、運良く嘔吐はしなかったようだ。

 口からダラダラ涎を吐き出し、蛇口から出した水を顔に当てる。

 

 

「……やめときゃ良かっただろ?」

 

「ぁぇ……ッ!」

 

「ビデオはてめぇに預けとく。あー、今からイタリア人どもの事務所に行くが、一時間経っても連絡がなかったら、ビデオをバラライカらに引き渡せ……連絡は、イエロー・フラッグで良いか?」

 

 

 シンクの上にビデオを置き、出て行こうとする。

 ロックは急いで彼を引き止め、マイルドセブンの紙箱を取り出しペンで何かを書く。

 

 

「こ……これ……」

 

 

 渡された紙箱には、数字が並んでいた。

 電話番号のようだ。

 

 

「……街外れにある、公衆電話の、番号です……」

 

「……なんでこんなモン覚えてんだ?」

 

「バオに怪しまれてますから、次からこっちに電話かけて貰おうと……時間によっては、出られないかもですけど……」

 

「……これにかけりゃいいんだな? 分かった」

 

 

 箱をポケットにしまい込み、再び出て行こうとするマクレーン。

 だがロックはまた、呼び止めた。

 

 

「や……やるん、ですか?」

 

 

 マクレーンは立ち止まった。

 躊躇が脳裏をよぎり、頭を振って払う。

 

 

「……最後の、奴の笑顔は見たか?」

 

 

 振り返ったヘンゼルかグレーテルの、狂った笑み。

 刑事であり、修羅場を幾多も乗り越えて来たマクレーンでも、思わず底冷えを引き起こしてしまった。

 

 

 

 

「……あれはもう、駄目だ」

 

 

 

 あの瞬間、双子は「怪物」になった。

 人でなくなってしまった。

 

 

 それだけ言い残し、マクレーンはトイレを飛び出す。

 

 

 

 

「……それが、あんたの結論なんだな……了解」

 

 

 一人残ったロックは、手前になる鏡を見た。

 

 酷い顔をした自分の姿。

 今日は散々な日だと、濡れた前髪から落ちる水滴を見て、思った。

 

 

 

 

 

 

 

 ジャックポット・ピジョンズを出たマクレーンは、即座に停めていた車に乗る。

 エンジンをかけ、ハンドルを握ってから、苦しげに俯いた。

 

 

「…………俺ぁ、正しいのか? 本当に二人は、『終わっちまった』のか……?」

 

 

 不意に想起されたのは、バーで楽しく飲んでいた頃。

 

 ジュースを奢ってやり、自慢げに自分の事を話していた光景。

 

 年相応に笑う二人の姿。

 

 撫でたヘンゼルの髪の感触。

 

 

 そんな事を思い出して、何になるんだ。

 マクレーンは前を向いて、ストリートを眺めた。

 

 

 

 斜陽の橙に沈む街。

 もう時間はない。考える暇は、殆ど残されていない。

 マクレーンは刑事として、次の殺戮を止めるべく、全うするだけだ。

 

 

 

 

「……限りなくフリーだ。なんだってやれるぜ」

 

 

 アクセルを踏み、車を走らせた。

 少しスピードが心許ないが、夜までには間に合うだろう。イタリアン・マフィアのアジトは、リサーチ済みだ。

 

 

 

 

 空を見上げる。

 

 

 

 青空とは、おさらばだ。

 ここからは血生臭い、ロアナプラの夜が待っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人事務所に残ったローワン。

 ずっとコレクションルームで作業していた為に、疲れてしまった。あくびをかます。

 

 

「ふぁ〜……グロいもん観ちまったし、女抱いて中和しなきゃなぁ」

 

 

 そう思い、椅子から立ち上がった。

 

 

 その時、良いタイミングで電話が鳴る。

 こんな時間に誰からだと、ローワンは受話器を取って耳に当てた。

 

 

「イェア。ローワン・ジャックポット・ピジョンズだ。デリバリーは受け付けてねえよ」

 

 

 呑気に応答した彼だったが、電話越しに聞こえた声を聞いて、顔を真っ青にさせた。

 テレビのブルースクリーンと、見分けがつかないほどに。

 

 

 

 

 

 

「……ば、『バラライカ』……か!?」

 

「えぇ。バラライカよ」

 

 

 受話器を片手に、机に向かい合うバラライカ。

 

 その目は、全てを凍てつかさんばかりに冷たく、鋭利だった。



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Goodbye Blue Sky 3

 車を走らせ、約二十分ほど。

 スピードが出ず、思ったよりも時間をかけてしまった。

 

 辺りは暗い。

 ビルから漏れる光だけが、頼りない月明かりの代わりとなっている。

 

 

「確か、ここだったか」

 

 

 一階はイタリア料理のレストランだ。

 マクレーンは一ヶ月ほどこの街に滞在し、出来るだけ情報を集めていた。

 場所は知っている。このレストランの厨房を抜け、裏手の階段から登って三階にコーサ・ノストラのオフィスがある。

 

 

「……裏から回るか」

 

 

 ドアを開けようとしたところで、思い出したかのように振り返る。

 

 

「おおっと。ホルスターは隠しとくもんだな……うわ。いつ見てもダセェ」

 

 

 後部座席に置いていた、ロックから貰ったダサいアロハシャツを羽織り、すぐドアを開けた。

 

 

 

 

 降車し、マクレーンは路地からビルの裏口へ向かう。

 裏口は酒や食品の搬入口だ。

 シャッターの降りた搬入口の前に、二人の見張りがいた。

 

 

 タバコを吸いつつ、イタリア語で会話中だ。

 

 

「言って案内させりゃ良いが、銃を取られんのはマズいよなぁ……」

 

 

 自分のアジトへ、やって来た馬の骨に好き勝手銃を持たせたまま、中に入れる不用心なマフィアはいない。

 銃を持ったままオフィスに行くには、忍び込む必要がある。

 

 

「気を逸らす必要があるかぁ」

 

 

 即座に陽動作戦を思い付いたマクレーンは、来た道を戻って再び、車に乗り込む。

 

 

 

 

 

 

 

 暫し、談笑を交わしていた、見張りの二人。

 二人の口は、突然響いた車の走行音によって止まる。

 

 

 裏口の前に敷かれた車道を、かなりのスピードで走る一台の車。

 脇目も振らない直線のまま、ゴミ置場へ突っ込んだ。

 

 

「おいおい? 酔っ払いかぁ?」

 

 

 様子を見に、二人は車の方へ行く。

 

 その隙を見計らい、路肩の影に隠れていたマクレーンが裏口の扉へこっそりと向かう。

 

 

 

 

「車は返すぜぇ」

 

 

 作戦は簡単だ。

 乗って来た車を裏の車道まで操縦し、後はスピードを上げた段階で乗り捨てるだけ。

 

 

 

 思惑通りにゴミ置場に突っ込み、訝しんで持ち場を離れた見張り。

 そんな彼らを横目にマクレーンはゆっくりと、扉を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

「どうなってやがるんだッ!! クソッ!!」

 

 

 オフィスに怒号と、投げ付けられ割れたグラスの破壊音が響く。

 強面の男たちの身を縮めさせる怒号の主は、乱れたオールバックの男。

 

 彼がコーサ・ノストラの、タイ支部を仕切る「ヴェロッキオ」だ。

 

 

 ひたいやコメカミに青筋を立て、凶暴な言動と剥き出しの焦燥感を惜しみなく発している。

 

 

「とっとと女狐だけを片付けりゃ良いものを……余計な死人ばっかしこさえやがってッ!! 双子だとバレちまってんじゃねぇかッ!? ビデオだの人種だの調べられたら、マフィアも殺し屋もここに大挙だぞクソがッ!!」

 

 

 苛つきを募らせた眼光を構成員らに差し向けながら、怒鳴るように質問する。

 

 

「おいッ!? モレッティの奴はッ!? 双子のお守りはあのクソ野郎の仕事だろがぁッ!?」

 

 

 困ったような表情で、男たちはお互いをチラリチラリと目配せさせた。

 

 だんまりすれば、次に響くものは銃声だ。

 意を決したように、一人の構成員がおずおずと答えた。

 

 

「……その、ラグーン商会からC4を持ち帰る途中で……行方不明らしく」

 

「なんだとぉ!?」

 

「相方のバイキーは、素っ裸で海岸にいたとかで……今は病院に……」

 

「とことん無能な奴らめ……ッ!! 自分の身すら守れねぇのかッ!?」

 

 

 椅子を蹴り、床に叩きつける。

 その音を聞き、男たちは顔を顰めた。

 

 

「いつの話だぁ!?」

 

「ひ、昼頃の話で……! ボスにも報告しようとしましたが、連絡会で──」

 

 

 話を続ける構成員の襟元を掴み、勢い良く机に顔面をぶつけてやる。

 鼻面から食らった衝撃で、そのまま男は倒れ伏す。

 

 

「ふざけるなボケどもッ!? すでに勘付かれて、モレッティの奴がゲロってたらどうすんだッ!? もう既にバレてりゃ、明朝までに戦争だろがッ!!」

 

「お言葉ですが……ば、バイキーが無事でしたので、捕まった訳ではなさそうでは……!」

 

 

 別の構成員が声をかける。

 慰めのつもりで言ったのだろうが、今のヴェロッキオへは火に油だ。

 

 

 懐から拳銃を取り出し、銃口を向ける。

 場の空気が一層、冷え込んだ。

 

 

「なんだてめぇら? 俺のファミリーの癖に、ガキが見るカートゥーンキャラクター並みに能天気じゃねぇか? え? 腐ったブリーフからオムツに穿き戻してたか?」

 

 

 怯える男を掴み寄せ、銃口をぴったりと唇に押し当てる。

 

 

「バイキーが無事? 無事じゃねぇ、病院行きじゃねぇか。あ? ロシアどもがなんかの気まぐれで、あいつだけ逃したって考えは出なかったのか? いつからてめぇ、赤ちゃん返り決め込んでんだ? マンマの乳首が恋しいなら、好きなだけコイツ吸わせてやろうか?」

 

 

 グッと銃を押し込み、開いた口内に入る。

 歯茎で感じる冷たい感触と、引き金にかかった指を見れば、例えギャングの男と言えども震えてしまう。

 

 

 

 

「パレルモの親分衆はなぁ? このクソッタレのチンケな街をえらく気に入ってやがる」

 

 

 爆発を押し殺したような声で、囁くように話すヴェロッキオ。

 

 

「この街で身動きの取れねぇ俺に、連中はキレかけてる」

 

 

 鋭い眼光は、その場にいた全員に対して向けられた。

 

 

「今、何とかしなけりゃ、次の最高幹部会(クーポラ)で俺は……カモメの餌にされる」

 

 

 銃口を口から引き抜く。

 安心した男だったが、ぽかんと開きっぱなしだった口を銃床で殴ってやった。

 

 折れた歯が喉に入ったのか、呻き声と嗚咽を同時に発する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、ロックはラグーン商会に戻っていた。

 

 

「すまない。ちょっと寄る所があって……」

 

 

 出迎えたのは、人狩りに出ていたハズのレヴィだった。

 双子はどうしたのか、と聞こうとした口が開かなくなる。

 

 

 彼女の目が、不機嫌を通り越して憤怒を滲ませていたからだ。

 

 

「……えと、レヴィ? どうしたってんだ一体……キレてるのか?」

 

 

 レヴィは怒りと呆れを同時に表すような、小さな溜め息を吐いてから詰め寄る。

 心なしかそこに、彼女らしからない焦燥も混ざっている。

 

 

「……おいロック」

 

 

 目と鼻の先まで詰めると、怒りで震えた声で囁き出す。

 

 

「……てめぇはまだ、悪党としちゃ青いってのは承知だ。喧嘩を売る奴を間違えちまうってのもあるだろな」

 

「な、何を言って……」

 

「そんでちょっとした火遊びに、ウキウキになるガキ臭さもある。てめぇはそれを、硝煙と自分の血で掻き消そうってのか?」

 

「レヴィ、冷静に話してくれ! 何があったのか──」

 

 

 襟を掴み、首が締まるまで持ち上げられた。

 

 

「てめぇが誰とツルもうが勝手だ。だがな? こっちが我慢ならねぇんだよ。おかげであたしらのケツにまで火が付いちまったじゃねぇか?」

 

 

 激昂するレヴィと、困惑するロック。

 だが彼女の語り口から薄々、彼は勘付いてはいた。

 その上で頭の中では、「なぜだ」「どこでだ」がリピートする。

 

 

「……レヴィ。そこまでだ」

 

 

 後ろに来ていたベニーが、レヴィを止める。

 

 

「……そこで引き止めても、どうにもならない」

 

「……ベニー、一体なにが」

 

「ロック。これは君のやった事だ。誰にも助けられないよ。君が火を消すしかない」

 

 

 ダッチもその場に現れる。

 目を隠したサングラスで相変わらず表情は読み取り辛いが、不機嫌な様は雰囲気で分かった。

 

 

「……レヴィ、とっとと離してやれ。そんでロック。てめぇに客だ」

 

 

 彼の命令に、レヴィは黙って従う。

 突き放すように襟元から手を離し、ロックを解放した。

 

 前にいたベニーとダッチが、一言も喋らずに道を明け渡す。

 

 

 ロックは心臓を握られたかのような感覚を覚えつつ、事務所に行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗がりの中、ペチペチと頰を叩かれて目を覚ます。

 意識を取り戻した途端に、身体中の痛みが脳に流れ込んだ。

 

 

「いっつぅぅ……! あの、クソ親父め……やりやが──」

 

 

 視界を前に向け、そのまま絶句する。

 

 

 

「おはよう……あぁ。もうこんばんは、だね」

 

 

 そこには、シャツを一枚だけ着たヘンゼルが立っていた。

 起こされた男とは、モレッティだ。モレッティはヘンゼルに気付いた瞬間に離れようとしたが、手錠で腕を固定され動けない。

 

 

「酷いお顔だね! 僕らの部屋で寝ていてたから、ビックリしたよ」

 

 

 目の前で服を着替えるヘンゼル。

 その服を見て彼は、当惑したように目を細めた。

 

 

「て、てめぇ……や、やっとバラライカを()る気になったか……?」

 

「うん。僕らが双子だってバレちゃったし、どっちみち長居は出来ないし」

 

「……この手錠を取ってくれよ。その斧でよ」

 

 

 ヘンゼルは傍らにあった二本の手斧を持つ。

 彼はそれをじっとりと眺めた後に、後ろの方へぽいっと投げた。

 

 

 投げられたその手斧を、上手く柄を掴んで取った人物。

 闇から現れたその人物を見て、モレッティは暫し混乱した。

 

 

「まぁ、酷い! うーん、その腫れ具合からして、三日は引かないわよ」

 

 

 そこにいた人物は、長い髪を振るグレーテル。

 だが衣装が違う。彼女が着ている服は、「ヘンゼルの着ている燕尾服」だ。

 

 

「……なに? 服の取っ替えっ子して遊んでんのか?」

 

 

 そしてヘンゼルは、「グレーテルの着ているドレス」を慣れた様子で着た。

 ここまですると、髪の長さでしか性別が分からなくなる。

 

 

「えーと、モーリーさんだっけ?」

 

 

 ヘンゼルがしゃがみ込み、モレッティと目を合わせる。

 武器もなく、身体のダメージも酷く、身動きも出来ない状況。恐怖が出て来るのは当たり前だ。

 無意識に、彼から距離を取ろうとするも、すぐ後ろは壁だった。

 

 

「確かにロシア人は殺しに行くさ。でもちょっと、寄り道しなきゃいけなくなってね」

 

「よ、よ、寄り道だ……?」

 

「ご協力を、お願いするわ」

 

 

 ヘンゼルの隣に、グレーテルも並ぶ。

 ジッと同じ二つの顔が、固めたような微笑み顔で眺めてくれば、妙な不安が現れる。

 

 

「……協力ってなんだ。なにをすれば良い……」

 

 

 満足げに、同時にニッコリと笑う。

 

 すると突然、グレーテルが自分の頭部を抱え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 マクレーンは三階まで一気に駆け上がり、ヴェロッキオのいるオフィスを探す。

 

 

「どこだ? どの部屋だぁ?」

 

 

 迷う必要は、すぐになくなった。

 フロア全体に響き渡るような怒号が聞こえて来たからだ。

 

 

「ふぅ〜! どうやらお説教中みてぇだなぁ」

 

 

 耳を研ぎ澄ます必要もないほど、音源と場所はあっさり把握出来た。

 マクレーンはこっそりと、その部屋の前まで移動する。

 

 

 中で人を殴る音が聞こえたりだの、物騒な空気が扉の隙間から流れている。

 嫌な音に顔を顰めて、呆れた顔でドアノブに手をかけた。

 

 

「さぁて。行くとするか」

 

 

 覚悟を決めるように息を吹いてから、ガチャリと扉を開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 ロックは意を決して、事務所に入った。

 

 そこには、さすがに予想外の人物が堂々と、ソファに座って待っていたからだ。

 

 部屋には数名の男たち。

 全員見知った顔の、ロシア人ばかりだ。

 

 

 ボリスを後ろに控えさせ、唯一ソファに腰掛けていた人物がロックに視線を向ける。

 優しく微笑んでいるものの、目は笑っていない。

 

 

「……バラライカさん?」

 

「何しに来たのかは分かるわよね」

 

 

 指を組ませた両手に顎を置き、葉巻から紫煙を燻らせるバラライカの姿。

 彼女の姿こそ予想外だったものの、彼が呼ばれた理由の予想は当たってしまった訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 モレッティは目を疑った。

 グレーテルの女性らしい長髪は、ウィッグだった。

 彼女はそれを取ると、その下からはヘンゼルと同じ髪型。

 

 もう、服でしか性別を判断出来ないが、それではおかしい。

 

 

「てめぇら……マジかよ……!」

 

 

 モレッティは目を丸くし、眼前の狂気に震えるしかなかった。

 双子は、「男女を決めていない」。

 

 

「さぁ、兄様……『どうぞ、姉様に』」

 

 

 グレーテルから差し出されたウィッグを被るヘンゼル。

 その瞬間、グレーテルの口調に男性らしさが宿る。

 

 

「えぇ……『兄様』」

 

 

 ウィッグを整えるヘンゼル。

 その瞬間、ヘンゼルの口調は女性らしいものに変貌する。

 

 

 

 一瞬で双子は、別々に成り代わった。

 

 

「……イカれてる……てめぇら、脳の奥までイカれてやがる……!」

 

 

 そしてそのまま「グレーテル」はニッコリと、彼へと笑いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然、開け放たれた扉の音。

 部屋にいた全員が、一斉に後ろを向き、視線を合わせる。

 

 

「よぉ」

 

 

 入って来たのは、ダサいアロハシャツと既に顔が傷と痣だらけの、情けない姿をした男だった。

 何とも間抜けな姿がこの空気に会わず、寧ろ困惑をする構成員ら。

 

 それでもやはり警戒は怠らないのか、一斉に拳銃を構えた。

 

 男は両手を上げ、惚けた顔でニヤニヤ笑う。

 

 

「……なんだてめぇ? ここがどこか分かってんのかぁ?」

 

 

 ヴェロッキオが、構成員らの前に躍り出る。

 近付いた時に彼の顔を見て、すぐに何者かに気付いた。

 

 

「……おい。お前、ジョン・マクレーンじゃねぇか?」

 

 

 街を賑わす、噂の男がこんな時にやって来た。

 察したヴェロッキオは銃口を彼の眼前へ向ける。

 

 

「来ちゃいけねぇ時に、居ちゃいけねぇ場所に現れやがって。何しに来やがった……?」

 

 

 マクレーンはにやけ顔を止めずに、飄々と言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 バラライカはすっと表情を消して、淡々と言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 グレーテルは彼の頰に手を置いて、嬉々と言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

「お話に来たのよ、日本人(ヤポンスキー)

 

 

 

「ちょっとお話しましょ、モーリーさん?」

 

 

 

「ピザの配達に来たんだ、クソッタレのミートソース野郎ども」

 

 

 

 マクレーンは懐から取り出した、「双子の起こした事件の資料」を見せびらかした。

 

 

 

 

 戦争が始まる。



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Return of the Giant Hogweed 1

 場にいる全員が、静まり返った。

 今、いつもより凶暴なヴェロッキオを前に、気の良い友人にかけるような罵声を堂々飛ばしたからだ。

 

 

「……おい、ヤンキー。今、なんつったぁ……?」

 

「ミートソース野郎って言ったんだ。マジに耳ん中ソースで詰まってんのか? イタリア人はスパゲッティなら、耳からも食えるってか?」

 

 

 ヴェロッキオが彼へ向けた拳銃の引き金を引こうとする。

 それをマクレーンは、持っていた資料をヒラヒラさせて止めてやった。

 

 

「待て待て、よせ。俺を殺したら、一瞬でロアナプラ中のクソどもがここにやって来るぞ」

 

「なに……!?」

 

 

 彼から渡された資料を見やる。

 その内容に見覚えがあった。双子を呼び寄せる際に聞いた、事件と一致したからだ。

 

 

「……ッ!? てめぇ、どこでそれを……ッ!?」

 

 

 資料を引ったくり、間近で読む。

 間違いない。本物の調書だ。記憶通りの事件だ。

 

 

「双子の指紋を採取して、警察署で照合したんだよ。もう一件、コピーした物は仲間に預けている」

 

「預けているだと……!?」

 

「あと、ビデオも。誰か、双子の出演作をローワンに売ったろ? そいつも預けたまんまだ」

 

 

 ビデオの話をすると、一同がざわつき始める。

 双子のスナッフ・ビデオに関しては共通認識だったようだ。資料云々の話よりも、信憑性を高めてやった。

 

 

「……ッ! ビデオはどうやった!?」

 

「おたくの所、誰か行方不明になってねぇか?」

 

 

 その一言で、すぐに合点が行く。

 

 

「…………あぁ、分かったぜ。モレッティの奴を拉致ったのはてめぇか……」

 

「そいつがヒントをくれたんだよ。今頃、暗いモーテルで、顔パンパンで泣いてやがんぜ? 本当だったら、奴のシェイクした脳みそでジェラート作って、てめぇに振る舞ってやるつもりだったんだがなぁ」

 

 

 引き金にかけた指に力を入れるヴェロッキオを、マクレーンは諭してやる。

 

 

「仲間には、俺が一時間経っても戻らないなら、資料とビデオをバラライカに渡せって伝えてある。ここで俺を殺すなら勝手にすりゃ良いが、その分は高くつくハメになるぞ?」

 

 

 彼の言っていた「保険」とは、これらの事だった。

 殺してしまえば、ヴェロッキオらの企みは白日の下に晒され、一時間後にはホテル・モスクワ、三合会、マニサレラ・カルテルの連合と大戦争だ。

 いや、戦争にもならない。一方的な蹂躙に晒される。

 

 

「ぐっ……!」

 

「ここに来るまで、三十分かけちまったから、あともう三十分だ。てめぇらが俺の要求を飲むなら、そこにある電話で仲間に連絡して、タイムリミットを延ばしてやるよ。延滞金はサービスしてやる、ありがたく思え」

 

 

 ヴェロッキオの机の上にある、電話を顎で指し示した。

 彼の机の後ろはガラスの付いた仕切りを隔てて、もう一つの事務所があるようだ。

 

 

「てめぇ、俺らに取り引きを持ちかけるたぁ、良い度胸してんじゃねぇか? その心臓の無駄毛から抜いてやろうか?」

 

「おたくらがマゾみてぇにロシア女にビクビクしてんのは、さっきのてめぇの説教で丸わかりなんだ。ご近所問題なほど廊下まで響いてたぜ?」

 

「吹くんじゃねぇヤンキー。てめぇが出した条件の通りにやる保証はどこにあんだ? 金に対しちゃ乞食よりタチの悪ぃアメリカ様を、どう信用しろってんだ?」

 

「口の上手いイタリア親父にしちゃ、センスのねぇ煽りだなオイ。てめぇのパパはどうやってママを口説けたんだ? それともママがパパを口説いたのかぁ? だから息子のてめぇも女にビクビクしてんのか? そりゃかわいそうに。娘で生まれりゃ良かったのになぁ?」

 

 

 尚も煽り続けるマクレーン。

 我慢の限界を迎えたのか、ヴェロッキオは引き金を引こうとする。

 

 

 しかし次の、彼の一言でまた指が止まった。

 

 

 

 

「ヘンゼルとグレーテルはどこだ? 俺が殺してやる」

 

 

 

 途端にどよめきが起きる室内。

 ヴェロッキオは驚きで目を開いた後に、「黙ってろッ!!」と部下たちを一喝する。

 

 

「……なんだってんだ? 双子を殺す、だと?」

 

「てめぇも薄々分かってんだろが。あれはもうおたくらが手綱を握れる奴らじゃねぇ。黄金夜会をお開きにする為に呼んだ売れないコメディアンのようだが、寧ろ盛り上げちまったようだな。このまんまじゃ墓穴を掘るだけだ、そうだろ?」

 

「奴らが死んだとしても、今度は俺がボスに殺されるだけだクソが」

 

「マフィアでもねぇ俺が、ここまで辿り着いたんだぞ? おたくらの仕業だってバラライカらにバレるのも明日か明後日の問題だろが。寿命ぐらい長めに取っておいた方が良いだろ?」

 

「ふざけてんのか……!? ならここで戦争おっぱじめた方がマシだッ!!」

 

 

 マクレーンは激昂するヴェロッキオを宥める為に、提案をしてみた。

 

 

「双子が死ねば、おたくらの疑惑はまず晴れる。その後にもっと、有能な殺し屋を雇えば良いだろ。今、この街には世界中から腕利きの奴らが来てんだ」

 

 

 事実、双子に懸けられた莫大な懸賞金を求めて、修羅場を何度も乗り越えて来た殺し屋たちが大挙していた。

 本来ならロアナプラに呼べるハズもない、大物だっている。

 ヴェロッキオはピクリと、眉を動かした。

 

 

「双子を餌に、もっと良い殺し屋が選びたい放題だ。双子さえどうにかすりゃ、チャンスは幾らでもあるだろ」

 

「………………」

 

目の上のタンコブ(ケツの穴の痛み)を取っ払ってやるって言ってんだ。悪い話じゃねぇ」

 

 

 チラリと、壁にかけられている時計を見る。

 時刻は二十時前。

 

 

「……もうあと十分で、情報がバラライカに行く。俺が一人で来たってのが、一つ信頼の材料になりゃしねぇか? ほら、さっさと決断しやがれ」

 

 

 ヴェロッキオは少しだけ考え込んだ後に、一つの疑問を彼へ投げかけた。

 

 

「……なんでてめぇは、ガキを殺そうとしてんだ。一切、てめぇにリターンがねぇぞ。それが逆に怪しいな」

 

 

 マクレーンは若干、迷っているように視線を下げながら答えた。

 

 

「……あの双子を殺せるだけで十分なんだ。頼むぜオイ」

 

 

 眉を寄せ、歯を見せて苦い顔をし、最後は天井を見上げて銃口を下げる。

 

 

「分かったクソッタレ。その代わり、事が済んだらビデオも資料も全部寄越せ。そして暫くはてめぇを監視する。妙な動きを見せたら即座に殺してやる」

 

「……あぁ。構わねぇよ」

 

 

 自分で言った事なのに、心の中の蟠りは消えない。

 胸のつっかえさえ、「これが最善なんだ」と張り切って無視する。

 

 

 俺はもう決めた。

 楽にさせてやるんだ。

 

 何度も頭の中で唱えてやる。

 

 

「そんで、双子の場所は?」

 

「それは分からねぇよ。ただ、連絡用の電話を携帯させている。それにかけりゃ、場所の指定は可能だ」

 

 

 怪訝と怪奇の目で見やる構成員らの視線を浴びながら、ヴェロッキオのデスク前まで案内される。

 机の上の電話を使って良いらしい。

 

 

「まずはてめぇの仲間に連絡して、暴露の件を取り下げろ」

 

「分かった分かった。それと取り下げじゃねぇ、延長だ。取り下げた瞬間にやられちゃ、意味が──」

 

 

「意味がねぇからな」、と続けようとしたところで、電話が鳴る。

 単調な呼び出し音が突然響いた。

 場にいた者全てが、それに注目する。

 

 

「……おい。電話みてぇだ」

 

「こんな時に……一体どこのどいつだ」

 

 

 ヴェロッキオは苛つきを見せつけながら、マクレーンを押しのけて受話器を取った。

 

 

「ヴェロッキオだ」

 

 

 応答した者の声を聞いた時、ギョッと目が見開かれた。

 

 

「……てめぇ、バラライカか……!?」

 

「なぁ……!?」

 

 

 マクレーンも驚きから顔を歪める。

 電話口で彼女から話を聞かされた後に、ヴェロッキオは殺意のこもった目でマクレーンを睨む。

 

 

「ジョン・マクレーンに代われだとよッ!?」

 

 

 再び一斉に、拳銃が向けられる。

 完全に想定外だったマクレーンは銃を抜けず、両手を上げるだけに留めてしまった。

 

 

「てめぇなんだぁッ!? ふざけやがってッ!! 既にタレコミやがったのかぁッ!?」

 

「待て、違う違う! そんならこんな、一人で来るなんてマヌケな事しねぇだろがッ!?」

 

「んじゃあなんでバラライカは、お前がここにいるって知ったんだッ!?」

 

 

 それは分からない。分からないが、嫌な予感がする。

 

 

 何かが起きた事は確かだ。

 ひとまずマクレーンは場の空気を荒立てないよう無抵抗を示しながら、話を続ける。

 

 

「……話をさせてくれ。俺にも想定外はあるんだ。本当にバラしてねぇよ」

 

 

 手を差し出し、受話器を渡すように示す。

 ヴェロッキオは銃口を向けたまま、怒りの形相で受話器を投げ渡した。

 

 すぐにマクレーンは耳を当て、応答する。

 

 

「……マクレーンだ」

 

 

 電話越しの声は間違いなく、あの女の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

「お楽しみのところ悪いわね」

 

 

 ラグーン商会の電話を借りて、事務所から連絡をするバラライカ。

 その背後には、逃げられないよう構成員に肩を掴まれた、ロックの姿。

 

 

 偽者でもなく、本当にバラライカだと確信したマクレーンは、恐る恐る聞く。

 

 

「……なんでここだと分かった?」

 

「予想よ。色々調べた結果、今はそこにいるんじゃないかって思ってね。あぁ、あなたの日本人のお友達は一切喋っていないから、疑ったら駄目よ。友情は大切にしなくちゃ」

 

「……オカジマもそこにいんのか?」

 

「私の後ろに、勿論」

 

 

 リボルバーの撃鉄を起こす音を、わざとロックと電話口のマクレーンに聞かせてやる。

 返答次第では、容赦なく殺すつもりだ。

 

 

「なかなか根性のあるお友達ね。色々聞いても知らぬ存ぜぬ。『吐かせる』事も出来るけど、お世話になっている運送屋の子だもの。手荒には扱いたくないわ」

 

「要件はなんだ!」

 

「その前にまずは、ここまでの経緯を説明する」

 

 

 

 

 

 

 

 

『「口開けば腐った戯言しか言わねぇオヤジだな。さっさと行きやがれ」

 

 「言われなくてもそうするつもりだったっての。お前が呼び止めたんだろ?」

 

 「早く出て行きやがれ!」

 

 

  不機嫌な彼にケタケタと笑い声を響かせ、マクレーンは出て行く。

  ロックも彼の後をおずおずと付いて行く。残ったセーンサックは、怪訝な表情のまま呟いた。

 

 

 「……クソ野郎が。まじに自分をダーティーハリーと思い込んでんな」

 

  悪態を吐いた後に、また自分の個室に戻る。

  彼が指紋の照合を完了し、役目を終えた事も知らずに。』

 

 

 

 

 バラライカが話した事を聞き、マクレーンは頭をガツンと殴られた気分だった。

 

 

「あなたの行動を不審に思った『優秀な刑事さん』が、署内であなたたちが何をしていたか調べたのよ」

 

「……セーンサック、あいつかクソッタレ……!」

 

「鑑識課の前でロックを預けられたと聞いた彼は、中を調べてみたのよ。そしたら、指紋照合のシステムに使われた形跡があった。すぐに彼はワトサップに報告し、ワトサップは私に連絡を回した。これが発端」

 

 

 冷や汗を流すマクレーン。

 電話越しで相手の様子は分からないと言うのに、バラライカは彼の焦る様子を眺めているかのように笑う。

 

 

「どうにもきな臭いと思った私は、あなたとロックの行動を追わせたのよ。すると二人で、ローワンの所に行ったと言う情報が入った」

 

「……クソッ!」

 

 

 悔しがる彼の声が聞こえ、ロックは頭を振って呆気に取られた。

 ローワンが、二人を売ったようだ。

 

 

 

 

 

『「イェア。ローワン・ジャックポット・ピジョンズだ。デリバリーは受け付けてねえよ」

 

 

  呑気に応答した彼だったが、電話越しに聞こえた声を聞いて、顔を真っ青にさせた。

  テレビのブルースクリーンと、見分けがつかないほどに。

 

 

 

 「……ば、『バラライカ』……か!?」

 

 「えぇ、バラライカよ」

 

 

  受話器を片手に、机に向かい合うバラライカ。

 

  その目は、全てを凍てつかさんばかりに冷たく、鋭利だった。』

 

 

 

 

 

 別に責める事は出来ない。こちらも彼を騙していた節もあるだろうし、バラライカに迫られ平常心でいられる者はそうそういない。

 しかし、彼に手の内を明かしていた事がまずかった。

 

 

「ローワンは色々と話してくれたわ。双子はルーマニア人とか、ヴェロッキオらと繋がりがありそうだとか、スナッフ・ビデオの事とか」

 

「……それで俺がここにいるって、思った訳だな」

 

 

 電話からの声がヴェロッキオらに漏れないように必死だった。

 数多の銃口と殺意を惜しみなく向けられた、極限の状態。

 

 電話の声を漏らさないようにしても、マクレーンの口から認める発言をすれば終わりだ。言葉選びに慎重になる。

 

 

「……しかし、その、あー……」

 

 

 だがなかなか、言葉が思いつかない。

 彼のそんな様子を愉悦に、同時に疎ましく思いながら、バラライカが言葉を紡いでやった。

 

 

「双子を追うのは自由の上、推奨しているのは私たち。別に背信でもなければ、邪魔もしていない。なのにどうして……って、言いたげね?」

 

 

 その通りだ。

 完全に手玉に取られている状態を腹立たしく思いながら、「あぁ」とだけ告げる。

 

 

「懸賞金の出し惜しみでもないわよ。ただ、不安だっただけよ。正義を自称するおまわりさんが、街の裏でコソコソ勝手に双子を追っている……こう思ったのよ」

 

 

 バラライカの目が、射抜くように細められた。

 

 

 

 

 

 

「……『さては双子を、逃すつもりではないか』ってね」

 

 

 マクレーンの心臓が跳ねる。

 なぜだか、跳ねてしまった。

 

 

「それはねぇ……俺は、双子を殺すつもりだ……ヴェロッキオ・ファミリーと手を組んで」

 

「そうは言っても、信用出来るかしら? あなたあの時バーで、『撃てなかったじゃない』」

 

 

 今朝の彼女との会話を、マクレーンは思い出した。

 

 

 

 

 

『 不意に向こうから再度、話しかけられる。

 

 

 「引き金を引く暇がなかったと言っていたけど、本当に?」

 

 「え? あ、あぁ。あれはさすがに──」

 

 「いいえ。あなたなら僅かな隙で撃てたでしょ?」

 

 

  足を止め、流し目にこちらを見るバラライカ。

  愕然とするマクレーンと視線が合う。

 

 

 「やっと撃ったと思えば、逃げる為の牽制。それに車の影にいて、向こうは弾切れ。不意を打てる一番の好機を逃した……どうしてなのかしら?」

 

 

  それだけ言い残し、バラライカは去ろうとする。』

 

 

 

 

 あの話が、バラライカに不信を植え付ける要因だった訳だ。

 自分の不甲斐なさに、ほとほと呆れてしまう。

 

 

 

 

「……これは、我々の『報復』がかかっている」

 

 

 突如として彼女の声が、冷たくドスのかかったものとなる。

 

 

「その報復の前に、恩義も情も優先はされないと思え」

 

 

 懐から出した、「スチェッキン・フル・オートマチック・ピストル」を構えた。

 

 

「それに、私が聞いた車種とナンバーも、実は知っていて隠していたな?」

 

 

 その言葉に、マクレーンは身体の底から冷えた。

 確かに知っている。車種もナンバーも、記憶済みだった。

 

 スチェッキンの先を、ロックに向ける。

 

 

 

 

 

 

「私に、お前を信用させろ」

 

 

 

 

 ロックは恐怖から身をよじるが、それすらも後ろにいる者に阻まれ、逃げられない。

 

 

 

 

 

「こう言え。『ヴェロッキオと双子は繋がっている。証拠を出してやれ』」

 

 

 マクレーンの脳裏に、「救えなかった瞬間」が蘇る。

 

 

「友情は、大切にした方が良いぞ」

 

 

 

 あの時もだ。

 無線越しで、知り合いが撃たれた。

 仕方なかったとは言ったが、救えなかった事に変わりはない。

 

 

 

「一言一句、間違えるな。ハッキリと言え」

 

 

 ヴェロッキオらの前で、暴露しろと試すバラライカ。

 汗が止まらず、緊張で喉が乾く。

 

 

「やめるんだ、マクレーンさん……!」

 

 

 ロックは祈るように呟く。その声を、受話器は拾ってくれない。

 

 

 

 マクレーンは何度も何度も、あの出来事を頭の中で繰り返していた。

 そして、決したように、前を向く。

 

 

 

「……あぁ。分かった」

 

 

 

 ヴェロッキオらを眺めて、溜め息を吐く。

 

 

 

 

 

 瞬間、ホルスターからベレッタを抜き、後ろにいた男を捕まえた。

 

 

「うぉっ!?」

 

 

 そして人質にした上で、告げてやった。

 

 

 

「なにしやが……ッ!?」

 

「『ヴェロッキオらと双子は繋がっている』」

 

 

 その場にいた者全員が、愕然とした。

 怒り、殺意、焦燥が一点に突き刺さる。

 

 

「『証拠を出してやれ』」

 

 

 人質を作って保険を作りながら、「もう一言付け加えてやった」。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……『これで満足かッ!? そっち行くから待ってやがれ、性悪サドのクソアマがぁッ!!』」

 

 

 

 

 受話器を叩きつけ、破壊した。

 ブツリと、マクレーン側から音が聞こえなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 繋がりが消えた受話器を持ったままバラライカは、スチェッキンを下げた。

 

 

「……くく、く……くく」

 

 

 何かをうめく、バラライカ。苦しげに身体を震わせている。

 

 怒りか、呆れか。一体どんな感情なのだと、ロックは注視する。

 親機に受話器を戻した後に、ピリつく空気の中で突然──

 

 

 

 

 

「あははははははッ!! はははははッ!!!!」

 

 

 目を疑う光景に思えた。

 あのバラライカが、大口を開けて、狂笑をあげている。

 

 

「ははは……ッ! はは……ッ!! あの人、あの状況で『待ってやがれ』ですって! ふふ、ふふふ!」

 

 

 マクレーンの叫びは、ロックらにも届いた。

 あの台詞の意味は一つだ。

 

 

「生きてそっちに行く」。それしかない。

 

 敵の陣地の真ん中で、恐らく複数人を前にし相手取り、マクレーンは生き延びるつもりだ。

 

 

「ふふ、ふふふ……マレにいるんだ。悪党とは逆の方向で狂った奴が……そいつはタダの悪の狂人よりも、イカれていて恐ろしい」

 

 

 バラライカが手を挙げた。

 そのハンドサインを見て即座に、構成員らはロックを解放して事務所を出て行く。

 

 ボリスが彼女に近付き、話しかける。

 

 

「どういたしますか、大尉殿」

 

「作戦の通り。奴らの標的は私だ、それを利用する……だが、戦況はあまりにも不安定だ。殺し屋どもも動く。予備の準備を進めろ」

 

「はっ」

 

 

 出て行こうとするバラライカ。

 思わず、残されたロックは、怒りを滲ませた声で呼び止めた。

 

 

「情報はもう集まっていたんですね……!」

 

 

 すっと、彼女は足を止める。

 

 

「じゃあなんで、マクレーンさんにあんな事を……!!」

 

 

 振り返り、澱んで狂った瞳を向けた。

 その目に当てられたロックは思わず、たじろいでしまう。

 

 

「……この一ヶ月で分かったのよ。彼は理論や状況では推し量れない……戦火を呼び込む才能がある」

 

 

 場を冷え込ませるほどの、冷たい笑みを浮かべる。

 

 

「その火を分けて貰うのさ。双子は奴にもご執心……出来るだけ派手に、呼び込んで貰うだけよ。奴は最高の、『トーチ』だ」

 

「……あなたも、試したい訳なんですか?」

 

「あぁ、試しているわ。その上で、利用するだけ。双子は間違いなく、『ヴェロッキオらの方に向かう』」

 

 

 歯を食い縛るように、愕然とするロック。

 バラライカは最後に根拠を告げた。

 

 

「憶測じゃないわ、さっき情報が入ったの。ヴェロッキオ・ファミリーの武器倉庫が、『陥落していた』そうよ? 武器倉庫と彼らのオフィスはかなり近い。あの二人、飼い主を喰い殺すつもりだったようね」

 

 

 

 

 

 バラライカがそう告げた同時刻、路地に入り裏口に到達する二台の車。

 一台は黒のセダン、日本車だ。

 もう一台は、でっぷりと太ったバン。

 

 

「……あれれ?」

 

 

 バンを運転させているモレッティに拳銃を向けたまま、ヘンゼルはビルを見上げた。

 

 

 三階、オフィスから銃声と騒ぎが聞こえて来ている。

 

 

「お、おいおい……!? ボスらに何があったんだ……!?」

 

「お祭りはもう始まっちゃったみたいだね」

 

 

 銃口をモレッティに押し付ける。

 

 

「ほら、一緒に行くよ。言う事聞かないと……」

 

「わ、分かった……分かった、クソッ……!」

 

 

 やけに膨れた服を着ながら、モレッティは車を降りる。

 セダンから降りたグレーテルも、BARを担いでヘンゼルに近付いた。

 

 

「一体、どうしたのかしら?」

 

「誰かがあいつらと喧嘩しているみたいだ」

 

「どうする?」

 

「紛れちゃおうよ!」

 

「あぁ、楽しみね兄様!」

 

「楽しみだね、姉様」

 

 

 裏口へとヘンゼルに連れられながら、モレッティは天を仰いだ。

 ただひたすら、神に祈るだけ。




正式名は「The Return of the Giant Hogweed」
「ジェネシス」の楽曲。
1971年発売「Nursery Cryme」に収録されている。人間の生首をボールにクロッケーをする女性が描かれた、ちょっと悪趣味なジャケットが特徴。
プログレ五大バンドとしてキング・クリムゾンやピンク・フロイドなどと並ぶプログレロックの重鎮。
この類のバンドの曲としては普通だが、八分もする曲。
不穏ながらエモーショナルな旋律で始まったかと思えば唐突なロックテイスト、コーラスに子どもの声が入る、悲しげなピアノが挿入される、嵐の訪れのようにテンポが上がるなどラプソディのような一曲。
この手のバンドは曲は勧めようにも、代表曲が軒並み長いから勧めにくいんですよね。
現在の作風はキャッチャーになっていて、取っつきやすくなっております。


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Return of the Giant Hogweed 2

双子編終了までお付き合いください
その後は時遭し編を、完結させます


 マクレーンが受話器を投げ付け、バラライカとの通話を終わらせた直後。

 彼は捕らえた構成員一人を人質に取り、殺されないよう身を守った。

 

 

「てめぇ、どういうつもりだぁ……?」

 

 

 ヴェロッキオはこれまでにないほどに怒り狂っていた。

 目を剥き、口角を上げてひくつかせ、拳銃を持つ手がわなわなと震えている。

 

 マクレーンは自身に向けられる十挺ほどの銃口を前に、ベレッタを人質に押し当てながら弁明してみた。

 

 

「俺の焦りっぷりは見ただろ? 俺だってバラライカに遊ばれてんだよ。バラしちゃなかった」

 

「うるせぇ。てめぇが嗅ぎ回ったせいだ。バラしてんのと変わんねぇだろが」

 

「これにゃぁ俺に責任がある。バラライカとも話をつけてやるから、とりあえず銃を降ろし──」

 

 

 

 

 人質を取った以上、攻撃は受けないかと思っていた。

 例えマフィアやギャングと言えど、一定の人情と仲間意識は持っているハズだ。

 

 

「ふ、ざ、ける、なよぉ……!!」

 

 

 その認識が甘かった。

 ヴェロッキオは銃口をスッと、人質の身体に向ける。

 

 

「ま、ま、待ってくれ、ボ──」

 

 

 人質の男の乞いさえ無視し、二発撃ち込んだ。

 

 

「ぁが……ッ!?」

 

「おおお!?」

 

 

 ズシリと重くなった身体に、マクレーンは支え切れなくなる。

 まさか撃つとはと、さすがの事態に動揺する構成員らだったが、ヴェロッキオは容赦せずに叫ぶ。

 

 

 

 

「コイツだけは殺せぇえぇーーーーッ!!!!」

 

 

 彼の叫びに呼応する形で、男たちは本格的に照準をマクレーンに合わせる。

 

 

「あぁ、生き残れるのかこれは……」

 

 

 絶命し、立たせられなくなった人質を放棄して、マクレーンは背を向けて逃げた。

 前方には、隣の部屋とを隔てる、ガラス窓のついた仕切り。

 

 

 

 

 直後、一斉に弾丸が発射された。

 

 

「クソッタレどもがぁぁあーーーーッ!!!!」

 

 

 後ろから飛んでくる銃弾を、身を低くして回避しながら、自身もベレッタの引き金を引く。

 ガラスに穴を開けて脆弱性を高め、そのまま一気に飛び込む。

 

 

「うひぃいーーッ!?」

 

 

 ガラス片と銃弾と共に、命からがら隣の部屋に逃げ込んだ。

 手を切ったのはこの際無視。

 すぐに近くにあった大型のソファに隠れる。

 

 

「絶対に殺せぇぇーーッ!!」

 

 

 マクレーンに襲いかかる、9mm弾の雨。

 事務所の備品を破壊しながら、一人の男の命を奪わんと撃ち込まれ続ける。

 

 

「クソッタレ……! 俺は一回、平和的に行こうとしたぜこの野郎……ッ!!」

 

 

 不利な状況にいるマクレーンだが、彼もまたヴェロッキオ以上の怒りを迸らせていた。

 

 

 一人の構成員が割れた窓より身を乗り出し、銃口を向ける。

 

 

「もう容赦しねぇーーッ!!」

 

 

 マクレーンはサッとソファから身体を晒し、彼へ発砲。

 三発の銃弾を受けた彼は、仰け反るように倒れた。

 

 

「返り討ちにしてやるッ!! トマト祭りの開幕だぁあーーーーッ!!!!」

 

 

 扉を蹴破り、二人組が部屋に入る。

 横回りし、ガラ空きの横腹から仕留めるつもりだ。

 

 

 それをマクレーンは勘付き、床に倒れ込んで二人に向けて照準を合わせる。

 一人に撃ち、次にもう一人に狙いを変えて撃ち、まだ立っていられている最初の一人にもう一回撃ち込んだ。

 

 

「フゥーーッ!! トマト祭りだーーッ!!」

 

 

 彼の叫びを聞いた構成員が、壁に隠れながらぼやく。

 

 

「あの親父……! とことんイタリアを理解していねぇ……!」

 

 

 隣で撃っていた仲間が、頭部に銃弾を食らって絶命。

 それをほぼ合図に、壁から身を出す。

 

 

 

 

トマト祭り(トマッティーナ)はスペインの祭りだボケェッ!!」

 

 

 彼の放った怒りの銃弾は、マクレーンの隠れていたソファを貫いた。

 そろそろ遮蔽物にするには限界なほど、破壊されてしまったようだ。

 

 

「うぅ!? やべぇ!?」

 

 

 その一発を境に、数多の弾丸を撃ち込まれたソファはバキバキ音を立てて破損。

 危険だと判断したマクレーンは、部屋の奥へと走る。

 

 

 途中、横回りした構成員らをベレッタで狙い撃つ。

 二人を倒して牽制しつつ、新たな遮蔽物を目指す。

 

 

「ふぅうう死んじゃう死んじゃう死ぬ死ぬ……!!」

 

 

 アロハシャツをボロボロに汚しながら、奥にあった机の裏に隠れる。

 その後ろは、裏口の方面を向く壁だ。

 

 壁に付いた窓の下で、マクレーンはベレッタの弾倉を入れ替えた。

 

 

「あークソッ! 何度も言うが、珍しく俺は平和に行こうとしたぞッ!?」

 

 

 容赦なく浴びせられる銃弾。

 壁や窓を破壊し、それらの破片がマクレーンに降り注ぐ。

 

 

「クソッタレ……! 慣れたモンだ……!」

 

 

 どうにか窓から飛び降りれないかと、無惨に割られた窓より下を覗く。

 勿論、ベレッタを撃って牽制しながらの行動だ。

 

 

 確認をして、僅かに首を振った。

 下にクッションもなければ、骨を折るで済まないほどの高さだ。

 

 飛び降りは諦めようかと決めて、前に向き直ろうとする。

 

 

 

「…………あ?」

 

 

 しかし、気になるものが目に付いた。

 飛んで来る銃弾に気を付けながら、サッとそれらを視認する。

 

 

「あんな車、さっきまで無かったぞ」

 

 

 大きなバンと、黒塗りの車が一台。

 

 その、黒い車を視認した時にマクレーンは目を見開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 今朝の記憶が蘇る。

 

 

「また会いたいな。お仕事が終わったらどこまでも追っかけようよ、姉様」

 

「ええ、兄様。絶対にまた会いましょ」

 

「心臓を見てみたい」

 

「どんな脳をしているのかしら」

 

 

 双子が交わし合う狂った会話に戦慄しながらも、二人の乗り込んだ車を確認していた。

 マクレーンはしゃがみ込み、隠れている車の下からナンバープレートを覗く。

 

 

「……ナンバーは覚えたぞ……ありゃ、日本車のセダンか? 良いモン乗りやがって」

 

 

 刑事であるマクレーンが、車種とナンバーを確認出来ない訳がなかった。

 

 彼は意図して、バラライカにこの情報を漏らさずにいた。

 

 この時から既にマクレーンは、誰よりも先に双子を追おうと決意していたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今、階下に停まっている車こそ、その日本車のセダン。

 偶然とは思えなかった。

 

 マクレーンはサァッと、血の気が引く思いをする。

 

 

 

 

「……来やがった」

 

 

 

 

 姦しい銃声に掻き消された、慎ましいドアの開閉音。

 

 

「クソッタレッ!! この、ドグサレのアメポリがぁぁーーッ!!」

 

 

 罵声を吐きながら銃を撃ち続けるヴェロッキオ。

 あまりに興奮し、後ろの状態を気付けずにいた。

 

 

 背後に控えていた構成員が、膝から崩れ落ちる。

 その死体はヴェロッキオの足元に転がった。

 

 

「…………あ?」

 

 

 頭を割られて、死んでいた。

 

 

 ヴェロッキオはやっと察したが、遅い。

 振り返った先に、ソレはいた。

 

 

 

 

「二人で話し合って決めたんだ」

 

 

 血濡れの斧をぶら下げたヘンゼル。

 

 

「最初はマカロニから、ね?」

 

 

 重厚なライフルを構えたグレーテル。

 

 

 

 

「「────さよなら(ラ・レヴェデレ)♪」」

 

 

 銃口は、自分に向けられている。

 

 

 

 

「……クソッタレ(ヴァッファンクーロ)

 

 

 

 

 対応するには、遅過ぎた。

 グレーテルは躊躇なく、引き金を引く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バラライカらと入れ違いに、ベニーとダッチが事務所に入る。

 

 立ち尽くしたままのロックに対し、ベニーは話しかけた。

 

 

「無事なようだね。君がジョン・マクレーンに入れ込んでいるのは知っていたけど、まさか組んでいたなんて」

 

「……別に、俺が誰とツルもうが勝手じゃないか」

 

「そうじゃねぇロック」

 

 

 ダッチが前に立ちはだかる。

 口調はいつもの通りだが、言葉遣いに荒々しさが宿っていた。

 

 

「てめぇが誰とツルもうがシケこもうが勝手だ。女とパナマへ駆け落ちしようが、俺は何も言わねぇ。だがな、てめぇは『クライアント』を売ったな?」

 

 

 息を吸い込み、目を伏せた。

 勘の良いダッチの事だ。今朝の荷物の受け渡しの時にロックがいた事を、偶然と捉えていないようだ。

 

 

「朝早くジョン・マクレーンと警察署から出て、夕方にローワンの店に行くまで何もしてねぇ訳がねぇだろ。それとも二人仲良く海岸でハイキングしてたか?」

 

「………………」

 

「その間に何かやって、ビデオとやらに辿り着いたんだろ。んなら、荷物を受け取りに来たイタリア人に対応してたてめぇが何もしてねぇ訳もねぇ」

 

「………ダッチ、すまな──」

 

 

 彼の拳が、ロックの顔面にぶつけられる。

 鼻先からやられた為、間抜けな鼻血を滴らせながら床に倒れた。

 

 

「日本人らしい安っぽい『あいむ、そぉ〜りぃ〜』が聞こえた気がしたな。まさかてめぇが言ったんじゃねぇよな、ロック?」

 

「ぐふ……!」

 

「良いか、よく聞け」

 

 

 ダッチはしゃがみ込み、彼の髪を掴んで引き寄せた。

 目と目を無理やり合わせ、囁くような声で続ける。

 

 

「ここはてめぇのいた日本と違う。サシミもサラリーマンもねぇし、銃も持ち放題で、気に食わねぇ奴は撃ち放題だ」

 

「………………」

 

「だがな、パーフェクトな自由なんかじゃねぇ。『人間』がいる以上はどこも変わんねぇんだ。やり方が違うだけで、赤ん坊だろうが寝た切りの老人だろうが『信頼』を求めてる。賢いてめぇなら分かるな?」

 

 

 髪から手を離し、彼の首を楽にさせてやる。

 

 

「金だろうが仕事だろうが、全部は信頼の一言で括れる。自由の中でも、そいつだけは手放せねぇよな。今回の件でヴェロッキオらはおしめぇだろうが、それでももしてめぇのした事が漏れたらどうなる? 俺らの信頼は? 金は? 仕事は? 自由は? え? 危うくパーになるところだ、そうだろ?」

 

 

 彼の言う通りだ。

 ロックは謝罪もせず、何も言わず、首肯してみせる。

 ダッチにとっては、それで溜飲は下げられたようだった。

 

 

「相手がどうとか、どうなるかじゃねぇ。売った事実は変わらねぇし、ウチのクライアントは後ろめたい奴らしかいねぇ。売られて不都合なモンばかりだ。足りねぇ二セントを貸してやるようなお気楽感でされちゃあ、困るんだ。分かったな?」

 

 

 それだけ言い残し、ダッチはのっそりと立ち上がった。

 倒れたままのロックに手を貸す事なく、踵を返す。

 

 

「言っても、てめぇには何度か助けられてんのも事実だ。この話は今後一切しねぇって事で、チャラにするぜ。仲良くしてぇんなら、ジョン・マクレーンとツルんでな」

 

「……助かるよ」

 

「ただ、俺は一度言った事はもう言いたくねぇ主義でな。今日と同じデジャブを感じたら、鼻を殴るで済むかは分からねぇ。ベーブ・ルース超えの一発をお見舞いするかもな」

 

 

 事務所を出て行く。その背中をただ、呆然と見ているだけだった。

 

 暫くして、ベニーが彼を起こしてやる。

 

 

「大丈夫かい?」

 

「……初対面で既に、ダッチに殴られているんだ。慣れたもんさ」

 

「あれだけやらかして、まだそう言えるのかい? ホントに豪胆なんだなぁ、君って」

 

 

 呆れながらも感心したように、彼は笑う。

 

 しかしその笑みも、一瞬だった。

 フラつきながら立ち上がるロックに、ベニーは突然耳打ちした。

 一転して、深刻な顔つき。

 

 

「……ところで、レヴィの件だ。かなり気が立っている」

 

「……あいつはどこにいる?」

 

「どっか行ったよ……それより、ダッチは許していたけど、本格的に彼女の前でマクレーンと歩かない方が良い」

 

「……そう言えばずっとあいつ、マクレーンさんを目の敵にしていたな。確かにあいつの嫌いな刑事だけど──」

 

「ロック、違う」

 

 

 ベニーは首を振る。

 

 

 

 

 

「……レヴィはここに来る以前に、『ジョン・マクレーンと会っていた』かもしれないんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞き覚えのある、連続した射撃音が轟く。

 マクレーンは驚き、机から飛び出し部屋を横断するように逃げる。

 

 

 

 

 壁、ガラス、机、ソファ、そして人を貫いて薙ぎ払う、7.62mm弾。

 

 舞い散る破片と、吹き飛ぶように倒れる構成員らの姿は、今朝も見た光景だった。

 

 すぐ後ろを抜け、どんどんと背中に迫る弾丸を、紙一重で逃げ続けるマクレーン。

 

 

「うひぃいーー!?」

 

 

 堪らず、床に飛び込んだ。

 

 銃弾の嵐は自分の頭を抜けて行き、どこかへ行く。

 

 けたたましい轟音と、空気を切る音が場を一気に支配していた。

 

 

 

 

「てめぇら、なんで……!?」

 

 

 辛うじて生き残った構成員が、グレーテルに銃口を向ける。

 

 

 だが、自分の腹の前まで迫っていたヘンゼルに気付かない。

 

 ズバッと、両手に持った斧でばつ印を作ってあげた。

 

 

 臓物を晒し、男は絶命する。

 

 飛び散ったその血を、ヘンゼルは気持ち良さそうに浴びた。

 

 

 

「……はぁ。あぁ、これだけなんだ。僕たちが求めているものは」

 

 

 

 恍惚の表情のまま、チラリと横を向く。

 

 

「……お、おうっと……!?」

 

 

 隣室で、地面に伏せている男の姿。

 

 瞬間、彼の表情はパアッと明るくなる。

 

 

 

 

「……あぁ、姉様……!」

 

 

 彼に呼ばれ、グレーテルは引き金から指を離した。

 しかし既に、彼女も視認していた。破壊された隔壁から見える、同じ男の姿を。

 

 

「えぇ……兄様、見えているわ……!」

 

 

 二人の視線を感じ取った彼は、恐る恐る身を上げ始めた。

 グリグリと狂気で塗り潰されたような瞳を受けながら、固唾を呑む。

 

 

「これは運命なんだ。神様が引き合わしてくれたんだよ」

 

「まさかまた会えるなんて。もう会えないと思っていたわ」

 

 

 マクレーンはチラリと、横目で見る。

 少し走った所に、隣の部屋への扉があった。

 

 

「ねぇねぇ……マクレーンおじさん。あはっ、名前で呼んじゃった」

 

 

 呼び掛けながらこちらの部屋に入ろうとするヘンゼルに、応答はしない。

 

 覚悟はしていた事だが、双子を前にしたマクレーンは、やはり動揺してしまう。

 

 頭の中に、スナッフ・ビデオの映像がチラついて消えない。

 

 

「もうっ、駄目よ兄様。ステーキは最後だったでしょ?」

 

 

 グレーテルもBARを持ち上げながら、破壊された仕切りを抜けようとする。

 

 彼女は犬の散歩に使うリールを、手首に回していた。

 

 その先にある首輪に繋げられていたのは、両手を手錠で縛られたモレッティの姿。

 

 

「おい、てめぇら……!? 脅すだけじゃなかったのかよ!?」

 

 

 喚き散らすモレッティを無視し、双子は続けた。

 

 もうその目には、マクレーンしか映っていない。

 

 

 

「遊びのルールは変えるものさ」

 

「まぁ、それなら仕方ないわ」

 

「仕方ないよ。だってご馳走が目の前にあるんだ」

 

「まだまだ動けそうな羊さんが一匹」

 

「あぁ、姉様。僕もう我慢が出来ないよ」

 

「えぇ、兄様。私ももう平らげたくて仕方ないの」

 

 

 マクレーンは脳裏の映像を、振り払った。

 

 すぐ下に落としていたベレッタを掴み直し、走り出す。

 

 

 

 

 

「マクレーンおじさぁん」

 

 

 甘ったるい、グレーテルの声。

 

 

 

 

「遊ぼうよ」

 

 

 部屋に飛び込む、ヘンゼルの姿。

 

 

「あぁ、クソッ! クソッ! クソッ!!」

 

 

 ベレッタを構えるマクレーン。

 

 迫り来るヘンゼルは叫んだ。

 

 

 

 

 

 

「僕らを『いっぱい』にしてよっ!!」

 

 

 

 斧の刃先は、マクレーンの目の前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レヴィは、車の中にいた。

 そこは急いで捕まえた、知り合いの殺し屋の車だった。

 彼女の他に、行きずりの殺し屋二人も乗り込んでいる。

 

 更に後方には、もう一台の車も付いて来ていた。乗車している者は、言わずもがな。

 

 

「なぁ、レヴィ。その情報マジか?」

 

「あぁ。バラライカの姉御が言っていた。火元はヴェロッキオらだ」

 

「だとしても、このまま奴さんの所に行ったって仕方ねぇだろ。例の双子も来るとは限らねぇ……なぁ知ってっか? 懸賞金、五万から八万ドルに上がったってよぉ!」

 

 

 この話をすると喜ぶかと思っていたレヴィが、存外にクールだ。

 それを妙に思いながらも、男は運転を続ける。

 

 

 

「……双子がいたなら、双子も殺すぜ」

 

 

 ホルスターから、二挺のベレッタを抜き取った。

 

 

 

 

「……それよりもあの、『ダーティハリーもどき』をぶっ殺してやりてぇんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、ロアナプラ警察署。

 署長室のワトサップの元に、資料を持ったセーンサックの姿。

 

 

「見つけやしたぜ。何とか、システムの履歴ってのを掻き出してやったぜ」

 

「……どうだった」

 

 

 その資料とは、マクレーンが見つけていた物と同じデータだ。

 イタリア語で判読は出来ないが、イタリア語である事を確認したらもう必要はない。

 

 

「……恐らく、ヴェロッキオ・ファミリーか?」

 

「間違いねぇな。ここら辺、あのハリー・キャラハンごっこ野郎に感謝っすね」

 

「バラライカの奴め。マクレーンの事を教えてやったのに、返して来やがらねぇ。今に見てやがれ」

 

 

 ワトサップはやっと、重い腰を上げた。

 

 

「……事情聴取に行こうじゃねぇか。令状不要で、全現行犯だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 今、この瞬間。

 

 マクレーンらのいる戦場には、様々な勢力が向かいつつあった。

 

 殺し屋、警察、マフィア、遊撃隊(ヴィソトニキ)の分隊。

 

 双子を狙う者と、マクレーンを狙う者が大挙する。

 

 

 ロアナプラのお祭りは、とうとうハイボルテージを迎えようとしていた。

 

 

 

 ただ事務所で待つだけとなったロックは、タバコを吸いながら祈るのみ。

 

 

 

 

「……マクレーンさん。早く、『結論を出す』んだ……」

 

 

 時刻は既に────

 

 

 

 

 

 

 

 

PM 20:20



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All Dead, All Dead 1

 ヘンゼルが振り下ろした斧の刃が、マクレーンに迫る。

 

 

「うおっとぉ!!」

 

 

 即座に彼は、寸前で掴んだドアノブを引き回し、隣室への扉を開けた。

 

 

「あ」

 

 

 開かれた扉が盾となり、斧を受け止めてくれた。

 

 それでも力いっぱいに振り下ろされた為に、薄い木板を割いて刃が顔を出す。

 マクレーンの眉間の少し前で止まり、肝を冷やした。

 

 

「この……ッ!!」

 

 

 ベレッタを扉に突き付け、引き金を引こうとする。

 しかし彼はすぐに取りやめ、開けた扉の先に逃げた。

 

 

 

 マクレーンが離れて一秒足らず。

 ヘンゼルは扉を抱き締めるようにして、もう片方の手斧を裏側目掛け大振り。

 

 刃先が食い込んだ箇所は、さっきまでマクレーンの頭があった場所だった。

 

 

「あれ、逃げちゃった?」

 

 

 しかし刃は扉を突き破り、自身の目の前に表出した。

 肉の感触がしなかったと訝しみ、ヘンゼルはピョコッと顔を覗かせて、隣室を見る。

 

 

 

 

 マクレーンが部屋の中央から、こちらに銃口を向けていた。

 

 

「もう躊躇しねぇーーッ!!」

 

 

 ヘンゼルは扉に突き刺さった二本の斧をそのままに、後ろに倒れ込む。

 ベレッタから銃弾が放たれたのは、それとほぼ同時だった。

 

 

「今日一日、てめぇらの事を考えなかった時なんざ無かったぜクソッタレぇーーッ!!」

 

 

 敵が倒れているであろう、壁にも発砲する。

 貫通して飛び出す9mm弾を頭を下げて回避しながら、ヘンゼルははおっていた上着の懐に両手を入れた。

 

 

 上着の裏には、鉄製のホルスターが打ち込まれている。

 そこに固定されていた、二挺の「S&W M60 チーフスペシャル」を抜く。

 

 

「あはは! とっても嬉しいなぁ、マクレーンおじさん!」

 

 

 撃ち尽くし、弾倉を入れ替えようとする隙を見計らい、ヘンゼルは穴だらけの扉にS&Wを突きつけた。

 

 

「僕たちもおじさんの事、ずーっと考えていたんだっ!」

 

 

 二挺とも引き金を引き、銃弾を発射させる。

 

 扉を破壊して撃ち込まれた弾に驚き、マクレーンは装填を諦めて地面に伏せた。

 

 

「この野郎ぉッ!? 斧だけじゃねぇのかよぉーッ!!」

 

 

 そのまま四つん這いで、尚も撃ち続けられる.38スペシャル弾を躱しながら部屋を出ようとする。

 

 ヘンゼルはすぐ扉を開けて中に入り、マクレーンを視認。

 

 

「待ってよぉ!」

 

「待たねぇッ!!」

 

 

 意を決してマクレーンは立ち上がり、全速力で駆け始める。

 

 楽しげに引き金を引くヘンゼル。

 彼のS&W M60から発射される銃弾を、必死に回避しながら、命からがら廊下へ飛び出す。

 

 

 即座に扉の裏に隠れ、攻撃から身を守った。

 

 

「ありゃ、S&WのM60か……M36共々、五年前に世話になったのになぁ……」

 

 

 ベレッタの弾倉を入れ替えてからスライドを引き、装填を済ますとすぐに応戦。

 部屋内にいるヘンゼルは彼からの攻撃に気付くと、資料などを入れている棚を倒してその裏に隠れ、遮蔽物とした。

 

 

「どうしたのマクレーンおじさん、全然当たってないよ? バーで言ってた事は本当なの?」

 

 

 イタリア人を相手にしていた時はガンガン着弾させていた。

 なのに今は全く当たらない。当てられない。

 

 ヘンゼルからの反撃を受け、攻撃をやめて再び身を隠す。

 ベレッタを抱えながら、忌々しげに呟いた。

 

 

「当てろって言ってんだろ……! 一体、何がしてぇんだ俺はよぉ……!!」

 

 

 無意識的に照準がブレている。

 それは引き金を引いている時も自覚していたし、雑念がある事も認識していた。

 

 

「撃って殺す、撃って殺す、撃って殺す……!」

 

 

 呪文のように唱え、再び決意しベレッタを構えた。

 

 だが、引き金は引けなかった。

 

 廊下の奥の扉から、目を眇めながらBARを向けるグレーテルが現れたからだ。

 

 

「そこにいたのね!」

 

「いぃ!?」

 

 

 彼女に気が付いたマクレーンは迎撃を取り止め、一直線しかない廊下を駆け始める。

 

 BARから無数の銃弾が発射されたのは、それと同時だ。

 

 

「そんなモン軽率に撃つんじゃねぇクソッタレぇーーーーッ!!!!」

 

 

 断続的な破裂音と共に飛び来る弾が、逃げるマクレーンの身体を掠める。

 

 馬鹿正直に真っ直ぐ走ったところで、回避は出来ない。

 マクレーンは背後からやって来る弾に注意しながら、別の部屋へ飛び込んだ。

 

 

「んもーっ。すぐ逃げちゃうんだから……」

 

 

 そのまま入り口の傍に隠れ、BARを撃ち続けるグレーテルと対戦する。

 彼からの攻撃を察すると、グレーテルもまた近くの扉に隠れた。

 

 

「こんままやりあっても、ジリ貧だぞチクショー……!」

 

 

 弾倉は残り四つ。

 つまり弾は、六十発。

 

 チラリと、もう一方のホルスターにかかっているルガーを見やる。

 こっちは残り六発。弾倉にある弾数で全てになる。

 

 だが、一回撃った時に確認した限り、予想以上の反動だ。

 正直に言えばマクレーンでも扱いは難しく、かなり至近距離にまで寄らなければ当てられないだろう。

 

 

「やるかやられるだ、クソッ」

 

 

 撃ち続け、また弾倉を入れ替える。

 どうにか隠れて、不意を突こうと思い直し、マクレーンは部屋の奥へ逃げた。

 

 

 

 

 

 

 彼からの発砲が止んだと気付いたグレーテルは、引き金から指を離す。

 足元一面には薬莢が散らばっていた。

 

 警戒は怠らず、廊下には身体を出さず、向こうの出方を伺う。

 

 

「……まぁ。今度は隠れんぼかしら?」

 

 

 漸騰しつつある興奮により、グレーテルは満面の笑みであった。

 

 銃撃戦に小休止が入ったと確認したヘンゼルが、扉からピョコッと頭を出し、こちらに声をかける。

 

 

「殺した?」

 

「兄様のいる事務室の、お隣の部屋に引っ込んじゃったわ!」

 

「分かった! じゃあ僕が見て来るよ、姉様!」

 

 

 回収した手斧を見せ付けて、意気揚々とヘンゼルはマクレーンの逃げ込んだ部屋へ行く。

 

 

「気を付けて、兄さ──きゃっ!」

 

 

 立ち上がり、見送ろうとするグレーテル。

 途端、表通りから窓を割って、数発の銃弾が飛び込んで来た。

 

 即座にグレーテルは事務室に戻り、窓より低い位置まで身を縮める。

 

 

「あらあら、困ったわ。もうお客さんが増えたみたい」

 

 

 困り顔に反して、口調は明るめ。

 この状況を、心底より楽しんでいるようだ。

 

 

「……とうとう、やりやがったなテメェら……!」

 

 

 彼女の飛び込んだ部屋には、モレッティもいた。

 双子によって凄惨に様変わりした事務所を、呆然と眺めている。

 

 

「テメェら、端から脅すつもりはなかったな……!?」

 

「散々、イタリア人には殴られたもの。お返ししたかったの」

 

「つっても、ボスらを殺ってどうすんだッ!? テメェら、この街から出られなくなったんだぞ!? 一体、なにがしてぇんだッ!?」

 

 

 グレーテルはニッコリと笑いながら、BARを撫でた。

 

 

 

「『なにがしたい』じゃなくて、『したい事をしている』の。楽しいのは何よりも優先したいわ」

 

 

 そう言って、モレッティの首輪と繋がっていたリールを、放り捨てた。

 BARを抱え、姿勢を低くしながら部屋を出て行く。乱入者の相手をするつもりだろう。

 

 

「………………」

 

 

 モレッティは足元に落ちていた、死んだ構成員のグロック17を見る。

 自分は今、手錠をかけられている状況だが、拳銃ぐらいなら何とか扱えるハズだ。

 

 

「………………」

 

 

 不自然に膨れた自分の服をチラリと見た後に、決意を固めた眼差しでそれを拾おうとした。

 

 

 だが、その手は止まる。

 

 部屋を出て行ったハズのグレーテルが、腕だけをこちらに見せ付けていた。

 グレーテルの握っている、「ある物」を目で追い、瞬時にグロック17から離れる。

 

 

「駄目よ、せっかちさん。引き金よりもこっちが軽いのだから」

 

「……クソが」

 

「何もしなかったら、何もしないわ。本当よ。だから大人しくしててね?」

 

 

 グレーテルは腕を引っ込めた。

 次に、タタタと廊下と階段を駆ける音が響き、二階へ降りて行ったと気付く。

 

 

 モレッティはさっきから流れっ放しの汗を、拭う。

 

 

「クソッ、クソッ、クソが……ッ!! 人生最悪の日だクソッ!!」

 

 

 首輪だけは引きちぎり、投げ捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三階に見えた人影をM16で撃った中年男は、舌打ちをする。

 

 

「チッ。外したぜ」

 

「クソみてぇな5.56mm弾なんざ使うからだ。どうすんだ、もう顔は出しやがらねぇぞ」

 

「なら突っ込んで、袋小路でファックだ」

 

「もっとスマートに出来ねぇのかよオメェはよぉ」

 

 

 ぶつくさ言いながら数人の殺し屋たちは、KG-9やレミントン、トンプソンなどを担いでビルの方へ歩いて行く。

 

 車内でM1ガーランドの準備をしていたアフリカ系の男は、ボンネットに座ってタバコを蒸すレヴィに話しかける。

 

 

「ずいぶん余裕だな、二挺拳銃(トゥーハンド)。八万ドル、奴らに奪われちまうぞ?」

 

 

 煙を吐き、咥えていたタバコを路上に捨てた。

 

 

「バカか。ホームグラウンドに堂々と入る訳ねぇだろ。しかもこっちの居場所をご丁寧に教えた上で行くなんざ、脳みそがピーナッツほどの間抜けしかしねぇよ」

 

「なかなか言うな。お前の算段は?」

 

「あいつらを前戯にして、バックからファックだ」

 

「フゥー。なかなかのテクニシャンだ。女も野郎もイチコロだな」

 

 

 ホルスターから二挺のベレッタを抜き、レヴィはボンネットから降りる。

 そのままビルを全体的に見渡した。

 

 

「………………」

 

「どこから入るんだ? 裏口か?」

 

「いや。あの排水管伝って、三階に登りゃ良い」

 

 

 壁に張り付くように露出しているパイプを指し示す。

 確かに上手く足と手を使えば、壁伝いに行けなくはない。

 

 ただ、まるで空き巣のような侵入方法に、男は思わず失笑してしまった。

 

 

「プレデターみてぇでクールだな」

 

「付いて来るか?」

 

「肥満気味の俺にゃ無理だ。裏口から行く」

 

「チンタラしてりゃ、あたしが八万ゲットしちまうぜ」

 

「パイプから落ちて、間抜けに転落死しねぇようにな」

 

 

 男はM1ガーランドを掲げ、勇み足で裏口へ行く。

 その彼を見送った後、レヴィはビルへ歩み寄った。

 

 

「……ウチの水夫誑かすだの、肥溜めのマンハッタンから来やがるだの、相変わらず偽善を振り回すだの…………」

 

 

 彼女の瞳は、ドス黒い闇に覆われている。

 

 

「……てめぇはやり過ぎだ。伝説の刑事さんよぉ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘンゼルはゆっくり、マクレーンが逃げ込んだ部屋に入る。

 スペースとしては、隣の事務室とほぼ変わらない広さだ。

 

 

「……暗いなぁ」

 

 

 電気が消され、視界が及ばない。

 点けようとスイッチを見やるが、銃弾を撃ち込まれて破壊されていた。

 

 

「……あはは! そうこなくっちゃ!」

 

 

 S&W M60のシリンダーを開いて排莢し、スピードローダーに付けられた銃弾を挿入する。

 二挺ともの装填を済ますと、右手の物だけ懐のホルスターに戻した。

 

 代わりに手に持った物は、あの手斧。

 彼は可能な限り斧で斬殺すると言う、拘りがあるようだ。

 

 

「…………マクレーンおじさーん」

 

 

 ヘンゼルは身を隠して行動はせず、堂々と部屋に入り込んだ。

 

 斧とリボルバーを握り締めてぶら下げながら、血のついた顔で呼びかけを続ける。

 

 

「僕らは今まで、殺そうって思った人たちは絶対に殺して来たんだ」

 

 

 暗い部屋に身を浸す。

 

 廊下からの明かりである程度は見えるものの、奥へ行くほどに闇は深まる。

 

 

「でもね、今朝……僕らと面と向かって殺し合ったのに、マクレーンおじさんに逃げられたんだ。しかもおじさんは人も助けちゃった」

 

 

 ヘンゼルは周囲に神経を集中させながらも、楽しげな笑顔で奥へ奥へと向かう。

 

 

「それで、姉様も僕も気付いた…………マクレーンおじさんは、僕たちが出会った誰よりも強い」

 

 

 カツッ、カツッと、靴底を優雅に鳴らす。

 

 

「強くて、優しくて、しかも賢い」

 

 

 近くにあった机の縁を、斧の先でなぞりながら進む。

 

 

 

 

「テレビで見た、『ヒーロー』みたいだって」

 

 

 

 

 部屋の中心まで来ると、ピタリと足を止めた。

 

 

「僕らは最初、ヒーローは神様にとっても愛されて生まれて来た人と思っていた」

 

 

 目を凝らす、ヘンゼル。

 

 

「マクレーンおじさんは僕らと違って、神様に好かれてこの世界にいるんだと思っていた。でも違った。その理由に僕らは気付いた時に────」

 

 

 目線の先には、机の下から覗く布。

 向こうから下に潜り、裏の隙間から出て来ていた。

 

 

「──凄く、凄く、快感だった」

 

 

 その派手な色の布は、マクレーンの着ていたアロハシャツの色と同じ。

 

 

「世界は死と血で回っている。殺して殺されて、どんどん世界は回って行くんだ」

 

「………………」

 

 

 隠れているマクレーンは、ベレッタを構えた。

 

 

「これが世界の仕組みなんだ。殺せば殺すほど世界は続いて、僕らの命は増える。僕らは永遠さ(ネバー・ダイ)

 

「………………」

 

「でも、おかしいよね。なら神様はどうして、ヒーローを送るんだろう。奪う命を少なくさせる、ヒーローをさ」

 

「………………」

 

「その理由が、今出会った時に分かったよ」

 

 

 机の方へ近付くヘンゼル。

 

 呼吸を殺して待つマクレーン。

 

 

「ヒーローは、神様の『失敗作』だったんだ。この世界に似合わない、特別な物なんだ。神様は取り返したくて焦っている」

 

「………………」

 

「だからマクレーンおじさんを、僕らと引き合わせた。僕らは世界の為にマクレーンおじさんを殺さなきゃ駄目で、マクレーンおじさんも神様の所に帰らなきゃ駄目」

 

「……………………」

 

「……まるで、僕らが『世界のヒーロー』だね。マクレーンおじさんは、世界の仕組みを壊しちゃう神様の失敗作で、『世界一の悪者』なんだ」

 

 

 机の傍に、とうとう到着した。

 

 

「……そうさ。僕らはマクレーンおじさんを殺す為にこの街に来て、マクレーンおじさんは殺される為にここに来たんだ」

 

 

 S&W M60の銃口を、机に向ける。

 

 

「でも神様には悪いけど、マクレーンおじさんはあげない」

 

 

 撃鉄を静かに起こす。

 

 

「そんな神様の大切な物、神様にすら返したくないよ」

 

 

 引き金に指をかけた。

 

 

「マクレーンおじさんの命は、永遠に僕らの一部にするんだ。供物なんかにさせない」

 

 

 そして、彼の頭があるであろう箇所に、照準を合わせる。

 

 

「……僕らと一緒になろうよ。そして、生き続けるんだ……」

 

 

 

 指に力を込める。

 

 

 

「……永遠に(ネバー・ダイ)

 

 

 

 

 

 発砲は、されなかった。

 

 理由はある。

 ヘンゼルの後頭部に、突き付けられた銃口だ。

 

 

「ご高説どうも、ありがとうございました。非常に為になる説法でしたよぉ、御司祭様」

 

 

 机の下にはみ出ていた布を足で踏みつけ、ヘンゼルは引き摺り出してみた。

 

 ズルズルと、アロハシャツだけ出て来た。

 着ていた人物はいない。

 

 

「だが説得するには、ちと年齢とカリスマが足りねぇなぁ。こう言うのは賢い奴が、下っ端に言うもんなんだよぉ」

 

 

 ヘンゼルは驚きから目を丸くさせ、次にはさも嬉しそうに口角を吊り上げた。

 

 

「確かに俺は、管理も満足に出来ねぇ無能の神様の失敗作かもな。こんだけ酷い目に遭うんだ、多分そうかもしんねぇな。長年の疑問が解けたぜ、ヤッホーゥ。クラッカー代わりのパラベラムだ」

 

「……あは、ははは……!」

 

「だがな、残念ながら俺ぁ完全無欠のヒーローになれていやしねぇし、殺される為に来た訳でもねぇ。この街に来たのは単なる出張で、俺の帰る所はニューヨークだけだ」

 

 

 クルリと首を回し、横目で後ろを見た。

 

 

「それと、ネバーダイネバーダイってのも気に食わねぇんだ。同僚からは『なかなか死なない奴(ダイ・ハード)』って言われるがなぁ、永遠にはなれねぇんだ」

 

 

 

 

 暗闇の中でも、ハッキリと分かった。見えた。

 

 不敵な笑みを浮かべる、綺麗な緑色の瞳をした人間。

 

 両手で構えた愛銃ベレッタを向ける、くたびれた雰囲気の男。

 

 

 

「『何事もいつまでも続きやしない(Nothing Lasts Forever)』。ハッキリ言うぞ。俺ぁ、終わらせる為にここに来た」

 

 

 

 ジョン・マクレーンが、姿を現した。




「All Dead, All Dead」
「クイーン」の楽曲。
1977年発売「News of the World」に収録されている。
言わずもがなのスーパーバンド。
この曲はフレディではなく、ギターのブライアン・メイが歌っている。最近になってフレディが歌っているバージョンが公開された。
ピアノによる壮麗な旋律が、次には不穏なリズムに変貌するイントロ。哀愁と愛惜を漂わせ、密かに紛れる垢抜けなさを感じさせながらも、調和の取れたメロディで耽美に仕上げている。
ドラムのリズムがまた耳に残る一曲。

「Nothing Lasts Forever」
ダイ・ハード1作目の原作小説タイトル。


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All Dead, All Dead 2

 ビルの一階はレストランだが、上の階の騒動を聞きつけ、客も店員もシェフも既に逃走していた。

 控えていた構成員も出撃したのだろう。

 

 

「なんだなんだ? この店はまだ、こんなマズそうなイタ飯出してんのかぁ?」

 

「おい、さっさと行けよ! なんなら俺が先に行くぞ!」

 

「黙れお前ら! 多分、侵入した事はバレてんだ! これ以上騒ぐんじゃねぇ、位置までバレちまう!」

 

 

 中は残された料理と、見た目は良いが材質が安っぽい椅子とテーブルしかない。

 双子を狙って店内に突撃した七人ほどの殺し屋たちは、家具や料理を乗せたワゴンを倒しながら、厨房を目指す。

 

 

「てめぇ、食ってる場合かよ! んな紙切れみてぇなピザ、良く食えるなぁ!」

 

「なぁあんた、メキシコでギャングを一人で潰したって本当かよ?」

 

「無駄話はやめろ。山分けから外すぞ」

 

「確か、裏手から上がれるハズだ」

 

 

 厨房を抜ければ、従業員用の通路。

 そこにある階段のみが、二階に続く。

 

 

 彼らは各々の持って来た銃を構え、息を殺しながら階段を登る。

 

 二階までは踊り場に着いてから折り返す形で一段一段上がると、辿り着く。

 

 

「クソッ! 奴ら、電気消しやがったな!」

 

「人影があったのは三階だぞ。二階見る必要あんのか?」

 

「迎撃して来るかもしんねぇだろ。ここは二手に分かれるべきだ」

 

 

 一人の男の提案通り、二階と三階とで人数を分けて索敵に移ろうとする。

 

 

 完全に静まり返ったビル内で、三階行きのグループが階段を上がろうとした。

 その時、二階の廊下でバタバタと足音が響く。

 

 

「……聞こえたか?」

 

「なんだ、奴ら二階にいやがんじゃねぇか」

 

「八万ドルを取り零すところだったぜ」

 

 

 二手に分かれる案は停止。

 全員が二階を捜索する流れとなった。

 

 

「固まるより散った方が良い」

 

「馬鹿野郎、廊下は一方通行だ。部屋も個室ばっか。数で押しゃ、袋小路に追い込めるぜ」

 

 

 男たちは我が物顔で廊下を行く。

 それでも不意打ちに備え、各々の武器は構えたままだ。

 

 窓から差し込む街灯の明かりだけを頼りに、七人は進む。

 部屋があれば扉を開け、確認して回った、

 

 

「クソッタレ。この階のブレーカー切っちまってやがる。電気が付かねえ」

 

「誰か、ブレーカー上げて来い」

 

「んなの、どこにあんだよ」

 

 

 口々に愚痴り合いながら、ひたすら音のした方を行く。

 

 

 

 

 暫く歩いたところで、一同は足を止めた。

 目線の先にある扉が、ゆっくり勝手に開いたからだ。

 

 

「おい」

 

 

 一斉に火器を向ける殺し屋たち。

 扉は彼らに外面を向けており、誰が開けたのかは伺えない。

 

 

 警戒する一同。

 しかし全く、音沙汰はない。

 

 

 どうした、と懐疑の目を送ったその時、扉の裏から拳銃を持った手が現れた。

 

 

「出やがったッ!! 撃てッ!!」

 

 

 即座に視認した男の号令に合わせ、殺し屋たちは同時に引き金を引く。

 

 轟く銃声に合わせ、無数に扉へ浴びせられる銃弾。

 敵は扉を盾にしているが、かなり薄く軽い材質の為、あっけなく防護壁としての役目を終えてしまう。

 

 敵も拳銃で応戦はするものの、手だけを出して撃っている為に当たる事はなかった。

 その内、扉の裏へ引っ込む。

 

 

「逃げるつもりだッ!!」

 

「イエェェーハァーッ!! 一気にぶっ壊してやるぜッ!!」

 

 

「モスバーグ M500」を雄々しく構えた男が、扉の脆弱さを見計らい、スラッグ弾を撃ち込む。

 

 

 弾は扉を一気にぶち抜き、大穴を開ける。

 そして吹き飛ぶように、扉の裏にいた者が暗い廊下に倒れた。

 

 

「よぉしッ!! ぶっ殺したぜぇッ!!」

 

「白人か確認しろ!」

 

「相手は双子のガキだ、油断すんじゃねぇ」

 

 

 トンプソン M1を持った男が、意気揚々と駆け寄る。

 今しがた倒した存在が誰かを確認する為、扉の裏へ。

 

 

 

 

「…………あ?」

 

 

 その存在を見て男は、唖然とする。

 

 

 

 

 倒れていたのは大きめの、ただの人形だったからだ。

 

 

「おい、こりゃ人ぎょ──」

 

 

 途端、部屋の中から発砲音。

 気付く前に、彼の膝は二発の銃弾で撃ち抜かれた。

 

 

「アオオオオーーッ!?」

 

 

 間髪入れずに次は腕と肩を撃たれ、トンプソンを手放す。

 

 

「おい!?」

 

 

 仲間が攻撃を受け、即座に部屋の中に突撃しようと走る男たち。

 

 

 だが、部屋に入る手間は省けた。

 何者かが、手足を撃たれた男に飛びついたからだ。

 

 

「ッ!?」

 

 

 その人物は男の首を引き寄せ、彼が落としたトンプソンを盗る。

 五秒もない、颯爽とした動きだ。

 

 

 

 

「ごめんなさい。お呼びじゃないの」

 

 

 グレーテルだ。

 グレーテルは男の身体を盾にしつつ、トンプソンを撃つ。

 

 

 

 

「──ファァーーーーーックッッ!!!!」

 

 

 誰の叫びかは、この際は不要だ。

 完全に不意を突かれた殺し屋たちは、グレーテルに一手遅れてしまう。

 

 

 トンプソンから発射された銃弾は、遮蔽物のない廊下の真ん中に立つ男たちに襲いかかる。

 

 

「ごぉッ──」

 

「ぉおッ──!」

 

「うあああ!?!?」

 

 

 お互いの銃弾が飛び交う中、殺し屋は一人一人倒れて行った。

 

 血を吐き出し、断末魔をあげて絶命する。

 

 やっとの事でグレーテル目掛けて撃てた銃弾も、盾にされている男に着弾して防がれてしまう。

 

 

「く、く、クソォ……!!」

 

 

 先ほどモスバーグを構えていた男は、自身の横にあった扉を開けて、部屋の中に逃げていた。

 フォアエンドをスライドさせ、銃弾の発射準備を整える。

 

 

「弾切れね。ねぇお兄さん、ストックは……あら、死んじゃった」

 

 

 そのまま待ち、グレーテルの攻撃の手が止んだと察知したところで、廊下に再び躍り出た。

 

 

「こぉんの、クソッタレェェーーッ!!」

 

 

 放たれたスラッグ弾は、盾にされている男の頭部を破損させる。

 隠れていたグレーテルは頭を下げ、回避。

 血を浴びてしまう。

 

 

「キャー! おっかなーい!」

 

 

 撃ち尽くしたトンプソンを捨て、最初に持っていた拳銃をまた取り出したものの、撃たせまいと男はすぐにフォアエンドをスライド。

 

 

「八万ドルは俺のモンだぁぁぁーーッ!!!!」

 

 

 二発目は、もはや死体となった男の右肩を抉る。

 再度グレーテルは直撃を避けられたが、つい拳銃を落としてしまった。

 

 

「もうっ、野蛮なんだから!」

 

 

 三発目が撃たれる前に、グレーテルは再度部屋の中へ逃げる。

 

 そのすぐ直後に発射されたスラッグ弾は、死体の腹に風穴を開けた。

 

 

「得物を落としやがったなぁ!! 俺の勝ちだぁぁあーーッ!!」

 

 

 モスバーグを構えたまま、男は廊下の死体を押し退け、扉の前へ急行。

 

 そして瞬時に、銃口を部屋の中へ向けた。

 

 

 

 

 

「私がコレを使うって、聞いていなかったのかしら?」

 

 

 視線の先には、足を組んで机の上に座り、BARを向けるグレーテルの姿。

 

 浴びた血で、その金髪と白肌は赤黒く染まっている。

 

 

 

 男は、動揺してしまった。

 

 

 

 

「はい、私の勝ち♡」

 

 

 

 

 無慈悲に放たれる銃弾の雨。

 

 モスバーグの引き金を引くよりも先に、弾は男の身体を射抜く。

 

 

 

 

「おおおおおおおおおおおッ!?!?」

 

 

 

 

 弾を受けた衝撃で、彼は一歩一歩後退。

 

 お気に入りの曲を聴いているような表情で、けたたましくなる銃声を流し続けるグレーテル。

 

 発砲の反動による振動さえ、心地良さを感じていた。

 

 

 

 

「おお、おぉお────!」

 

 

 

 

 その内に男は廊下を横断し、破壊された窓の前にぶつかる。

 

 ぐらりと仰け反り、頭の重さを支える事が出来なくなった彼は真っ逆さまに落ちた。

 

 

 

 

 血を吹き出し苦悶の表情で、ビルの二階より元いた表通りへ逆戻り。

 停めていた車の上に衝突し、ルーフパネルを大きく破損させる。

 

 

 

 

「──ふぅっ」

 

 

 引き金から指を離し、トンっと机から降りた。

 

 ツカツカと歩き、さっきの男が持っていたモスバーグを拾い上げる。

 

 

「うーん……ショットガンは嫌いなの。返してあげる」

 

 

 そのままポイっと、窓から外へ放り投げた。

 

 次に床から拾った物は、自分が使っていた拳銃。

 

 

「面白い形だったけど、私には合わないわ」

 

 

 モーテルの外で手に入れた、「マテバ 2006M」も捨てた。

 

 

 最後は無残にも弾痕だらけとなった、人形に寄る。

 

 大きさは児童くらいの物で、少女を模している。

 荒い網目で、あまり良い出来とは言えない代物だ。

 

 

「ごめんなさい、せっかく出してあげたのに」

 

 

 微笑みながら、役目を終えた人形の頭を撫でてやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グレーテルによる攻防の喧騒は、三階にも轟いていた。

 断続的に鳴り続ける銃声を聞きながら、マクレーンはベレッタを構え続ける。

 

 

「……どうやら、パーティーのゲストがご到着のようだ。大事な大事なお姉様が心配か?」

 

「全然。だって姉様は強いんだ。それに、僕と一緒にたくさん人を殺した……絶対に死なないよ」

 

 

 銃口を突きつけられていると言うのに、ヘンゼルには媚びる様子も怯えもなかった。

 いつも通りと言うのか。

 楽しげで、明るい口調と表情のまま。

 

 それほど、マクレーンといるこの状況が愉快で仕方ないのか。

 

 

「意外な事に命ってのは、弾みてぇに切れりゃ補充出来るもんじゃねぇんだ。聖人もファッカーも平等に一つだけで、そのおかげで俺もクソどもをぶっ殺してやれた。お前もそんな、クソどもの一人になるか?」

 

「あはは! もうっ。マクレーンおじさん、また飲んで来たの? 殺せば殺すほど、命は増えるんだよ。だから僕らは死なない、永遠に死なない」

 

「そうかぁ? なら試してみるか? てめぇの頭に撃ち込んで、ナイト・オブ・ザ・リビングデッドのグールかゾンビみてぇになるか確認してやる」

 

 

 妙に渇ききった喉に気味の悪さを感じつつも、マクレーンは引き金にかけた指に力を込める。

 

 

 しかし、なかなか引けずにいた。

 

 脳裏には、スナッフ・ビデオの映像がリピートされている。

 

 

 こいつは今まで葬って来た、クソどもとは違うだろ。

 そんな内なる声に、悩まされる。

 

 

「……クソッ。今に見ていやがれ……脳ミソ吹き飛ばしてやる……」

 

 

 深い呼吸を繰り返し、何度も何度も発砲してやろうと意気込んだ。

 

 意気込むだけで、何も出来ない。

 撃てずにいる自分に辟易する内に、ヘンゼルは語りかける。

 

 

「……おじさんはやっぱり、ヒーローだ」

 

 

 またその話を繰り返すのかと、溜め息を吐く。

 

 

 

 

「ヒーローみたいに強くて優しい上に──『お父さん』だからね」

 

 

 

 

 だがその呆れ顔は、一瞬で真顔に変わる。

 

 ヘンゼルはバレリーナのようにクルッと回り、マクレーンと向かい合わせになった。

 

 

「今朝の話は覚えているよ。マクレーンおじさんは?」

 

「……俺は忘れちまったなぁ」

 

「それは寂しいな……オマセな娘さんのルーシー、不良になった息子さんのジャック。そんな可愛い二人の子どもに──」

 

 

 自らベレッタの銃口に、ひたいを擦り付ける。

 マクレーンは咄嗟に、照準は合わせたまま半歩下がって離れた。

 

 

「──二度も守った奥さん」

 

 

 思わずマクレーンは、動揺から息を飲んでしまった。

 

 

 

 

「でもマクレーンおじさんは、全部失くしちゃった」

 

「──ッ!?」

 

「結婚している人って、左手の薬指に指輪をはめているんだよね」

 

 

 グリップを握る、左手の薬指をつい見てしまう。

 

 彼の視線の動きを見て、ヘンゼルはニコッと笑った。

 

 

 タイに来た時に、売店の店員にも離婚を看破されていた。

 その事を思い出し、苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

 

「……クソッタレ。分かりやす過ぎんだ俺は……」

 

「それでもマクレーンおじさんは、バーであんなに楽しそうに家族の事を話してくれた。口は悪くても、やっぱり優しいんだ」

 

「……あんまり、俺の事を知った風に言うんじゃねぇぞ」

 

 

 ヘンゼルは不気味な微笑みを浮かべながら、S&W M60をマクレーンに向けた。

 

 

「ッ!? てめ……ッ!?」

 

「じゃあ、撃ってみて」

 

「なんだと……!?」

 

 

 お互いの銃口が、お互いに向けられた。

 

 

「おじさんはまだ家族が好きで、もう一度戻りたいんだ?」

 

「……黙りやがれ」

 

「ねぇ、教えてよ。子どもがいるって、どんな感じなの?」

 

「黙れってんだ」

 

「愛してる? 可愛い? ずっと触っていたい?」

 

「おい、いい加減にしろ」

 

「僕らがルーシーとジャックに見えるほど?」

 

「こんのッ……!」

 

「そんな拳銃の引き金も引けないくらいに?」

 

「……ッッ!」

 

 

 ヘンゼルはM60の引き金に指をかける。

 

 

「羨ましいなぁ、ルーシーもジャックも、奥さんも」

 

 

 薄暗がりの中で見たヘンゼルの表情は、溌剌とした笑顔。

 

 

 

 

「──マクレーンおじさんのその愛情を、僕らが奪いたかったなぁ」

 

 

 

 

 いつの間にか、ずっと鳴っていたハズの銃声が止んでいた。

 

 そしてマクレーンの脳裏に何度も繰り返し流される光景。

 

 

 

 

 破壊された旅客機。

 

 燃え盛る雪上。

 

 ボロボロになった人形。

 

 

 誰にも救えなかった。

 

 そうだ。この二人もまた、「誰にも救えなかった末路」。

 

 当たり前さえ、望めなかった子ども。

 

 

 

 

 

「──でも無理だよね。だから僕たちは、マクレーンおじさんを殺したいんだ。殺して、永遠に僕らの命になって貰うんだ」

 

「……違うんだ、違う……」

 

「撃ってよ。死なないから大丈夫だよ。でも僕は殺すよ。殺し続けるんだ。ほら、撃てる?」

 

「やめろ、黙れ、黙れ……ッ!」

 

 

 拳銃を握る手が、震え出す。

 引き金にかけていた指が、外れそうになる。

 

 

「撃つんだ、撃つんだよオイ……ッ!!」

 

 

 それを確認したヘンゼルは、マクレーンとは逆の事をした。

 しっかり照準を合わせ、引き金を引こうとする。

 

 

「これからは永遠に一緒だよ」

 

 

 次に告げた言葉は、最後の言葉のつもりだった。

 感謝の言葉だ。

 

 

 

 

「出会ってくれて、追いかけてくれてありがとう。美味しかったよ、『グレープフルーツジュース』」

 

 

 

 

 マクレーンはパッと、目を見開いた。

 

 俯きそうになった顔が、再びヘンゼルの方へ上がる。

 

 

「……お前……」

 

 

 確か、ヘンゼルに奢ったジュースは────

 

 

 

 

 

「……『グレーテル』か?」

 

「……え?」

 

 

 今度はヘンゼルが、驚く番だ。

 引き金を引こうとした指が、止まる。

 

 

 

 

 マクレーンもだった。

 顔を上げた時に、部屋の奥から迫る人影に気が付く。

 

 

 

「……ッ!?」

 

 

 闇から現れたその人影は、二つの銃口を二人に向けた。

 

 

「オぉお!?」

 

「ッ!!」

 

 

 マクレーンが床に伏せたと同時に、襲撃者は躊躇なく弾丸を浴びせる。

 

 ヘンゼルはマクレーンの行動を見ての反射で、同じく床に伏せる。

 

 銃弾は二人に当たる事はなかった。

 

 

「あぁ! 待ってよぉ!」

 

 

 しかしその状態でも、ヘンゼルはマクレーンを殺そうとM60を向け、撃った。

 すかさず床を這いながら机の下に潜り、何とか回避する。

 

 

 二人の姿が暫し見えなくなり、襲撃者は発砲をやめた。

 

 

 

 

「あぁ、最高だ。クソを流せて、金も貰えんだ」

 

 

 

 

 聞き覚えのある、女の声。

 

 マクレーンは机の角より、その人物の方へ目を向けた。

 

 

「てめぇ、オカジマん所の……!?」

 

「久しぶりぃ。あのクソメイドの件以来だよなぁ、ジョン・マクレーン刑事さん」

 

 

 二挺のベレッタを構えた女とは、レヴィだ。

 立ちはだかる椅子を蹴り飛ばし、マクレーンとヘンゼルに近付く。

 

 

「なんで躊躇してんだぁ? この街じゃ、躊躇は死だぜ? そーゆーのは警察じゃ教わんねぇのかぁ? 本当に何十人もテロリスト殺して来たのか?」

 

「あぶねぇだろぉおッ!? 俺も殺す気かぁ!?」

 

「そうに決まってんだろ」

 

「は?……うぅおッ!?」

 

 

 レヴィは再び、引き金を引く。

 銃弾は間違いなく、マクレーンのいる机の方へ放たれた。

 冗談ではない、本当に殺す気だと示す為に。

 

 

 

 

「堕ちて来いよ。ここはゾンビの街だ。生者とクソガキは、血ドロでファックされんのが似合ってるぜ」

 

 

 

 

 暗く、漆黒に染め上げられた瞳が、殺意に黒光る。

 レヴィは淡々と、目の前の標的を殺すつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 裏口に回っていた、黒人の男。

 M1ガーランドを持ちながら、ビルに近付く。

 

 先ほどまで断続的に響いていた銃声が、消えた。

 

 

「クソぉ……殺しちまったか?」

 

 

 出遅れた事を後悔しながら、バンと日本車のセダンを通り抜ける。

 

 その時にふと見た、バンの上面。つまり、ルーフパネル。

 なぜか厚めのクッションが添え付けられていた。

 

 

「なんだぁ? 車の上で寝るのか? イタリア野郎の考えるこたぁ、分からねぇ」

 

 

 あまり深く考えず、裏口から侵入する。

 

 喧騒の後とは思えないほど、辺りは静まり返っていた。

 男は生唾を飲みながら、階段を登って二階に行く。

 

 

 二階に着いた時、フロアいっぱいに立ち込める妙な匂いに顔を顰めた。

 

 

「うぉ……!? なんだこりゃ? ガス漏れかぁ?」

 

 

 鼻をつく、息苦しい匂い。

 仮にガスなら発砲は危険だと考えながら、匂いの原因を探りに廊下に出る。

 

 

 少し進んだ所で、目を疑う惨状に直面した。

 

 

「なに……!?」

 

 

 廊下に倒れ伏す、見覚えのある男たち。

 そして弾痕まみれの壁と扉、割れ放題の窓。

 水溜りのように床に広がる、血。

 

 男は辺りを警戒しながら、仲間の側による。

 

 

「……何人か生きてるな」

 

 

 半数が死体となっていたが、重傷だが死を免れた者もいる。

 男は生存者に駆け寄り、話しかけた。

 

 

「おい! どうした!? イタリア野郎にやられたか!?」

 

「ぅ……ぐぅ……クソ、クソ……!」

 

「病院に送ってやる! まず、敵がどこにいるとか色々──」

 

 

 チラリと、顔を上げた先は、一つの部屋の中。

 

 開け放たれた扉のその先を見て、彼は絶句した。

 

 

「…………マジかよ……おい、嘘だろ……!?」

 

「つ、連れて逃げてくれぇ……! 動けねぇんだよぉ……!」

 

「む、無理だ、ふざけんな!」

 

 

 男は振り返り、来た道を戻って逃げようとする。

 

 

 だが、立ち上がった時、グサリと何かを脳天に突き刺された。

 

 

「────ぁ?」

 

「慌てん坊さん。自分から刺さりに来ちゃった」

 

 

 今際の際に見た光景は、ナイフを持つグレーテルの姿。

 男は絶命し、パタリと廊下に倒れる。

 

 その様を見た、重傷の殺し屋は狂ったように命乞いをする。

 

 

「ゆ、許してくれよぉ〜ッ!? 動けねぇんだぁ!?」

 

「動けないのは当たり前よ。脊髄を割っちゃったもの」

 

「嫌だぁぁぁぁッ!! 死にたくねぇぇええッ!!」

 

 

 必死にもがく彼をよそ目に、グレーテルは満足げな表情で部屋を覗く。

 

 

「準備は万端。あとはロシア人を待つだけってね?」

 

 

 

 

 中には撒かれたガソリンと、信管と無線装置に繋がれた数多のC4爆弾。

 グレーテルは手中にある、起爆スイッチを撫でた。

 

 

 

 

 

「みんな死ぬ。みんな死ぬのよ」

 

 

 

 三階から響く銃声に気が付き、顔を上げる。



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All Dead, All Dead 3

 マクレーンは一息吸い込んでから、机から身体を出す。

 照準を一瞬で合わせ、レヴィへ発砲。

 

 

「クソッタレぇッ!! 横槍入れやがってッ!!」

 

 

 しかし攻撃のタイミングは読まれていたようで、既にソファの裏へ伏せられていた。

 弾丸は虚しく、部屋の壁に当たる。

 

 

「あたしには撃つんだなぁ。YEAH、それで良いんだよ」

 

 

 ソファの側面から前のめりの姿勢で飛び出すレヴィ。

 身体を晒したと同時に、二挺のベレッタが吼える。

 

 

「ううぇ!? クソッ!」

 

 

 無茶な姿勢での射撃だと言うのに、照準は的確だ。

 マクレーンの隠れている机へガンガン銃弾を差し向ける。

 

 

「なんであんな、ドタバタ動いて正確なんだぁ!?」

 

 

 レヴィの腕には、悪魔でも宿っているのか。そう思えるほど、精密だ。

 真っ正面からやり合えば、負けるのはマクレーンの方だとも考えてしまう。

 

 

 だからと言って、億劫になって隠れていてもいずれ迫られる。

 

 マクレーンは何とか反撃を試みるものの、縦横無尽に動き回るレヴィに当てられない。

 

 

「なんだなんだぁ? んなヘロヘロな撃ち方は。ホントに刑事か? なぁ、ナカトミビルの英雄さんよぉ! テレビで言ってたのは全部ウソって訳かぁ?」

 

「おぉ、言ってろぉい、クソ女ッ! 今からてめぇのパーな頭に、一発カマしてやるッ!!」

 

 

 レヴィは愉快そうに、ケタケタと笑う。

 

 

「そりゃそりゃ殊勝なこったぁ。優しいあたしは忠告してやるが……カマす前に、あんたのファンボーイにカマ掘られねぇようになぁ」

 

「なに?……うぅおっ!?」

 

 

 自分の鼻先を掠めた、一発の弾丸。

 飛んで来た方向を見ると、M60を構えたヘンゼルの姿。

 

 至極、楽しげな表情で引き金を引いている。

 

 

「待ってって言ったのになぁ……ねぇ、お願いだからそこで待っててよ」

 

 

 マクレーンを殺そうとする存在は、レヴィだけではない。

 その事を再度思い出し、冷や汗をかく。そして肝を冷やす。

 

 

「……マジで今日、死んだかもしれねぇな」

 

 

 このままこの場に留まっては、ヘンゼルに射殺されるだけだ。

 だからと言って彼から逃げれば、レヴィの真っ正面に立ってしまう。

 

 

 逃げるのなら、双方の中央。

 マクレーンはレヴィに身体を晒す事を覚悟した上で、机の上に乗って、そのまま駆け出す。

 

 

「姿見せたなぁぁッ!! ジョン・マクレーンッ!!」

 

「もぉっ! 言う事を聞いてよ、おじさん!」

 

 

 並べられた机の上を走り抜ける彼目掛け、左右から顔を出したレヴィとヘンゼルが銃口を向けた。

 

 マクレーンはただ、愛銃を掲げて叫ぶだけ。

 

 

 

 

「クソッタレぇぇぇぇぇええッッ!!!!」

 

 

 

 

 その叫びが合図かのように、三者は一斉に引き金を引いた。

 

 

 9mmパラベラムと.38スペシャルの雨が横殴りで降る。

 

 レヴィはマクレーンに合わせ、彼を追うように走りつつ二挺のベレッタで撃ち続ける。

 

 対してヘンゼルはその場から動かず、離れて行く彼の背中目掛けてM60のトリガーを引き続けた。

 

 

 弾丸は静物を破壊しつつ、一人の獲物を追い続ける。

 

 

「逃げんじゃねぇッ!! 腕撃たれた借りを返してやるッ!!」

 

「あれはそっちから始めたツケって事で片付いただろうがぁッ!!」

 

「姉御の取り決めなんざ、あたしに関係ねぇえんだよぉおッ!!」

 

 

 その獲物たるマクレーンは机の上を走ったり、飛び移ったりを繰り返し、回避を続けた。

 照準を合わせる事など一切考えず、ただただ牽制の為に撃つ。

 

 

「……邪魔だなぁ、あの女」

 

 

 しかし、ヘンゼルとレヴィは組んでいる訳ではない。

 彼女にマクレーンが殺されかねないと判断したヘンゼルは、レヴィに対しても射撃を開始。

 

 

「うおっと……あのエロガキ、あたしにも発情したってか?」

 

 

 二挺の内の一挺を、ヘンゼルへ向ける。

 マクレーンとヘンゼルとを交互に狙いながら、器用に撃って行く。

 

 

 その内、誰が撃ったのか分からない一発の銃弾が、マクレーンの脇腹の薄皮をめくった。

 

 

「ぇおッ!?」

 

 

 突然の痛みに驚き、足がもつれた。

 姿勢を維持出来ず、彼はそのまま床へと盛大に転んで落っこちる。

 

 

 その間、突如としてヘンゼルは射撃をやめて遮蔽物に引っ込んだ。

 M60のシリンダーにあるだけの銃弾を、撃ち尽くしたらしい。

 

 

「………………」

 

 

 弾の補充を、なぜかしないヘンゼル。

 寧ろ持っていたM60を、懐のホルスターに戻した。

 

 

「……決めた。あの女から殺そう」

 

 

 代わりに取り出した物は、二つの手斧だった。

 

 

 

 

 

 

 一方、机の下に落ちて姿を消したマクレーン。

 

 

「……くぁあ、イデェ……! どっぢの(だま)だ、グゾォッ……!」

 

 

 受け身を取ったが鼻を打ってしまい、蹲いながら鼻濁音で悪態つく。

 間抜けに鼻血を出し、脇腹から漏れる鮮血を押さえて止める。

 

 

「……お? あ?」

 

 

 パッと左手を見やると、握っていたハズのベレッタがない。転んだ時に、落っことしたらしい。

 

 と言っても、そんな離れた位置に落ちてはいない。

 ちょっと腕を伸ばせば取れる場所に、ベレッタはあった。

 

 

「おおっとぉ! やべやべ……!」

 

 

 即座に回収しようとするマクレーン。

 

 だが、先ほどから鳴り続けていた銃声が、段々と近付いていると気付く。

 

 

「ッ!?」

 

 

 レヴィは机を踏み台にし、高く飛び上がった。

 空中で身体を捻り、銃口を真下に向ける。

 

 その射線の先に倒れているのは、勿論マクレーン。

 

 

「おおおお!?!?」

 

 

 いち早く勘付いたマクレーンは、横にゴロゴロ転がり、天から降り注ぐ銃弾を回避。

 

 レヴィは勢いのままマクレーンを飛び越し、向こうの作業机の下に降りた。

 降りたと同時に、再び彼の倒れていた位置へ走る。

 

 

「逃さねぇぞ、アメリカンコップ」

 

 

 机上に乗りつつ、ベレッタの弾倉を入れ替える。

 弾数は十分、弾切れで獲物を取り逃す失態だけはしない。

 

 

 気息奄々ながら命拾いしたマクレーンだが、取り戻そうとしたベレッタとは寧ろ離れてしまった。

 再び取りに行こうとした時には、レヴィは彼の間近くまで迫っている。

 

 

「猿みてぇにピョンピョン跳ねやがる……!!」

 

 

 マクレーンはベレッタの回収を諦め、机の下を潜り抜けレヴィと入れ違いになろうとする。

 

 机上から、彼のいた場所に戻るレヴィ。

 そこにはマクレーンの持っていたベレッタしかないと気付くと、足を角に引っ掛け上半身を逆さにし、机の下を覗く。

 

 思惑通りに床を這いずり回っていたマクレーンへ、二つの銃口を向けた。

 

 

「すばしっこい野郎だ。鉛のチケットやるから、こいつでマンハッタンに帰りな」

 

 

 二挺のベレッタを交互に撃ち、まるでマシンガンのような弾幕を注ぐ。

 

 銃弾は机や椅子の脚を破壊し、転がるように這うマクレーンを撃ち抜かんと襲い来る。

 

 

「ラストマン・スタンディングのスミスみてぇにドカドカ撃ちやがって……!」

 

 

 頭に来たマクレーン。

 とうとう、もう一つあるホルスターのポケットより、「あの銃」を取り出した。

 

 

 弾が向かって来る中で、意を決して仰向けに寝たマクレーン。

 上半身だけを起こし、両手でしっかり構えた────

 

 

 

 

 

「てめぇのモンだろ、返すぜッ!! 弾だけをよぉーーッ!!」

 

 

 

────ルガー・スペシャルを撃ち放つ。

 

 

「はぁッ!?」

 

 

 それまで鳴り続けていた銃声を食うような爆発音と共に、ルガーの銃口が文字通り火を噴いた。

 

 マクレーンがまだ銃を持っていたと気付いたレヴィは瞬時に射撃をやめ、身体を戻す。

 

 

 後頭部で括っていた一房の髪を、454カスール弾が貫く。

 一方のマクレーンは、とんでもない反動で手をビリビリ痺れさせていた。

 

 

「イ〜チチチチチ……! やっぱ無理だぁ、重過ぎる……すぐに撃てねぇ」

 

 

 レヴィの追撃を止めただけでも、儲け物だ。

 脇腹からの出血で、すっかり赤くなったシャツを引き摺りながら、彼女から距離を取る。

 

 

 

 

 

 顔を上げたレヴィはまず、舌打ちをかます。

 

 

「あのルガー、あたしが持って来たモンじゃねぇか!? クソ、多分ロックの野郎だ……! あいつ、男に貢ぐバカ女みてぇにホイホイ渡しやがって……!」

 

 

 ならば次は、マクレーンの前に回り込むしかない。

 

 そう考えたレヴィは即座に立ち上がる。

 

 だが、思い通りに行かなかった。

 

 

「……ッ! うわっ!?」

 

 

 ふと顔を上げると、こちらに飛び込むヘンゼルの姿。

 レヴィは身体を逸らし、彼の攻撃を躱す。

 

 

 眼前を、血で汚れた斧が通る。

 

 

「マクレーンおじさんが、こっちを見てくれないからさ」

 

「クソがぁああッ!!」

 

 

 躱した同時に、ベレッタを撃つ。

 相手もまた、マクレーン以上に俊敏だ。即座に身体を落として射線から逃れ、横振りで刃先を差し向ける。

 

 

 攻撃の気配を察していたレヴィ。

 曲げていた膝を伸ばして飛び上がり、寸前で回避する。

 

 

「ハジキに斧で向かおうなんざ、間抜けかぁ!?」

 

 

 その状態で引き金を引こうとするも、後退したまま戻らないスライドを見て指を離す。

 

 

「……間抜け、かよ」

 

 

 言わずもがな、弾切れによるスライド・ストップ。

 ヘンゼルは、レヴィが撃ち尽くしたタイミングを見計らって、襲って来たようだ。

 

 

「撃ち過ぎだファックッ!!」

 

 

 机と机とを飛んで、ひとまずヘンゼルから離れようとする。

 だがヘンゼルは、レヴィを狙っている。

 

 斧を構え、彼女と同じ挙動で迫る。

 

 

「DAM, DAM, Fuck!!!!」

 

 

 ベレッタを一挺だけホルスターに戻し、空いた右手で弾倉を取る。

 

 空の弾倉を排出し、予備の物と入れ替えようとした。

 予想外なのは、ヘンゼルの身体能力だ。彼は軽々と斧を振り回しながら、もうレヴィの真後ろにまで来ていた。

 

 

「その邪魔そうな胸を切らせてよ」

 

 

 レヴィは逃走をやめ、なんと彼の方へ振り返る。

 どうせ逃げ切れないなら、不意打ちで迎撃するしかない。彼女なりの判断だ。

 

 丁度、眼前まで迫っていたヘンゼルの顔面目掛け、蹴り上げた。

 

 

 

「Oh, Shit……」

 

 

 しかしヘンゼルは、ちょっと上半身を反らしただけで、キックを回避。

 攻撃は読まれていた。

 

 

「惜しいね」

 

「しくじった……!」

 

 

 空振りした彼女の足をすり抜け、ヘンゼルは右手の斧を掲げる。

 姿勢のせいで、もう逃げられない。

 

 弾倉は挿入したが、初弾は薬室にない。

 

 

 レヴィは息を飲み、これから来るであろう苦痛を覚悟した。

 

 

 

「俺を忘れんじゃねぇーーッ!!」

 

 

 ルガーを構えたマクレーンが、叫びながら引き金を引く。

 

 発射された銃弾は、上手くヘンゼルの斧の柄に着弾。

 面白いように斧を一本、へし折ってやった。

 

 

「……ッ!?」

 

「ヒーーットォッ!! ハンク・アーロン賞は俺のモンだなぁッ!!」

 

 

 見れば顔だけ出したマクレーンは机に腕や肘を乗せ、ライフルを撃つような供託射撃の姿勢で、ルガーを構えていた。

 ヘンゼルとレヴィが戦っている内にゆっくりと、照準を合わせていたようだ。

 

 

「……あぁ、クソ最悪だ」

 

 

 レヴィはスライドを引き、装填を完了する。

 

 

「助けやがったな、あのクソ野郎が……!」

 

 

 射撃準備が整ったベレッタを構え、目の前にいるヘンゼルに向ける。

 

 

「あはははは……!!」

 

 

 笑いながらも、状況が不利になったと察したヘンゼルは、倒れ込むように床へ逃げる。

 

 同時に、先ほどまで彼の頭があった場所に、レヴィの銃弾が通り過ぎた。

 

 

「殺してやるクソガキぃぃッ!!」

 

 

 机の下で倒れたままのヘンゼルに照準を合わせ、引き金を引く。

 

 

「やっぱり凄いや、マクレーンおじさんは!」

 

 

 ヘンゼルは机の角を掴み、思い切り引いて倒し、盾にした。

 発射された9mm弾は、机の台が受け止めてしまう。

 

 

 その間マクレーンは、落としたベレッタを回収していた。

 慣れ親しんだそれを構え、机の裏に潜むヘンゼルを狙う。

 

 

「撃て撃て撃て撃て…………!」

 

 

 やっと放った、一発の銃弾。

 

 それはヘンゼルの頭とは、かなり離れた位置に着弾した。

 

 

 

 

「こっちも楽しそうね」

 

 

 この三者による攻防戦は、突然終わりを迎えた。

 

 騒ぎを聞きつけたグレーテルが、BARを構えて部屋に突撃して来たからだ。

 銃口は、机より上にいるレヴィとマクレーンに向けられている。

 

 

「うげっ!? 来やがった!!」

 

「……ッ!? あー、こんちくしょうッ!! やられてんじゃねぇかボンクラどもがぁッ!!」

 

 

 レヴィは連れて来た殺し屋たちが全滅した事を把握する。

 グレーテルの存在に両者が気付いた直後、無数の7.62mm弾が発射された。

 

 

 これまでと同じように、ある物全てを破壊する。

 

 コピー紙やデスクスタンドが吹き飛び、窓は割れ、硝煙が立ち込める。

 

 レヴィとマクレーンは必死に駆け、薄い遮蔽物なら容赦なく貫通する銃弾から逃げた。

 

 

「エダからBARの事聞いといて正解だぜクソ……!!」

 

 

 あまりの猛攻に、レヴィとて追撃出来ない。部屋の奥に逃げるだけだ。

 

 それはマクレーンにも言えた事。

 姿勢を下げ、弾をやり過ごす。レヴィとはアプローチが違うものの、効果的な回避方法だった。

 

 

「兄様!」

 

 

 BARを撃ちながら、ヘンゼルへ呼びかける。

 応じるかのように、グレーテルの方へ戻る彼の姿があった。

 

 

「殺せていないようね」

 

「邪魔が入ったんだ、姉様。もう少しで殺せたのに」

 

「こっちは七人も殺したわ!」

 

「凄いよ姉様! 羨ましいなぁ」

 

 

 二人は無事を確かめ合うように、互いに軽い口付けを交わす。

 

 

「準備は万端よ。それにそろそろ来ちゃうわ。さっき、見えたもの」

 

「それは残念だ。仕方ない」

 

「えぇ、仕方ないわ」

 

 

 部屋から出て行く二人の姿。

 彼らの後ろ姿を見て、マクレーンは叫ぶ。

 

 

「待ちやがれ……! 絶対に逃がさせねぇ……!!」

 

 

 彼の視線に気付いたグレーテルは振り返る。

 意味深長な微笑みを浮かべ、ポケットから取り出した物を見せ付けた。

 

 

「大丈夫、また会えるわ。マクレーンおじさんが私たちを求めるなら、必ず」

 

 

 その物とは、小さな人形だった。

 すぐにグレーテルは前へ向き直り、ヘンゼルと仲良く姿を消す。

 

 

「待て……!! 待つんだクソッ!!」

 

 

 マクレーンは疲弊し切った身体に鞭打ち、走る。

 どこまでも双子を追うつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 対して、一人残されたレヴィ。

 窓際に座り込み、隙を窺っていた。

 

 

「クソッ、クソ……! 人生最高に間抜けだぜ……! ファックするどころか、されるところだった……!」

 

 

 銃の状態を見ながら、再び双子とマクレーンを追わんと立ち上がる。

 

 

 

 しかし、ふと目を向けた窓の外を見て、一瞬でその気持ちが変わる事となった。

 

 

「うっ……!? あぁ、クソッ! もう来てたのか……!!」

 

 

 窓の向こうは、ビルの裏手だ。

 

 そのまた向かいにあるビルの屋上より、何かが一瞬だけチカッと光る。

 

 

「……あたしももう、潮時ってか。無駄骨だ、クソが……!」

 

 

 状況を把握した彼女は、双子もマクレーンの追跡を停止し、来た道を戻り始めた。

 

 レヴィが撤退を取り決めたのも無理はない。

 

 

 

 

 

 

「おい。今、反射したんじゃないのか? 街灯があるんだ、気を付けろ」

 

「すまない。もう大丈夫だ」

 

 

 ビルの裏手にある、もう一つのビル。

 その屋上には、狙撃銃を構えた男と観測手(スポッター)らしき男がいた。

 

 観測手は双眼鏡を覗き、ビルの様子を逐一確認している。

 

 

 傍らに持っていた、無線機から声が流れた。

 

 

『ラボチェク班、ポイントに到着』

 

 

 即座に観測手は無線機を取り、準備の完了を報告する。

 

 

「こちら、ロボロフスキ班。狙撃準備は完了。あとは標的が出てくるのを待つだけです」

 

 

 

 

 

 彼らの無線を聞く、バラライカ。

 彼女を乗せた車は、ビルの表通りにまで来ていた。

 

 

「そのまま待機しろ。他の班は作戦通り、表通りに集合。襲撃を始める()()だ」

 

 

 無線機から「了解」を伝えるロシア語が何度か流れ、バラライカは満足げにマイクから口を離す。

 隣に控えるボリスが、心配そうに話しかけた。

 

 

「……本当に、突撃はしない方向で?」

 

「双子がまず襲った、ヴェロッキオ・ファミリーの武器庫だが……ラグーン商会の話と照らし合わせる限り、大量のC4を抱えていたようだ」

 

「そんな物を、ヴェロッキオらはなぜ?」

 

「双子に私を殺させた後、戦争でもするつもりだったのだろう。まぁ、当の本人が死んだ今。真意はこの際、不要だ」

 

「双子は奪ったC4を、ビルに仕掛けていると」

 

「あぁ。間違いない。奴ら、我々を巻き込んでフィナーレの花火を上げるつもりらしい」

 

 

 車窓から、ビルを眺める。

 さっきまで断続的に響いていた銃声は止み、一転して静まり返っていた。

 

 

「ワトサップらが向かっていると聞いたが」

 

「分隊が妨害に回っておりますが、長くは保たないでしょう。やるなら、今です」

 

「……よし」

 

 

 バラライカは再び、無線機を口に近付ける。

 

 

 

 

「戦争だ、同志諸君。亡き戦友サハロフ上等兵へ、慰めの弔銃をあげてやろう」

 

 

 

 

 その命令と同時に、数多の銃弾がビルへと撃ち込まれ始めた。



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I'm Still Standing 1

 マクレーンは必死の形相で、部屋を出る。

 その瞬間、表通りから撃たれた銃弾に慄き、廊下に伏せた。

 

 

「おおぉ!? なんだぁ!? どこのどいつだバカやろぉッ!!」

 

 

 弾幕の合間を縫って、外を確認する。

 ロシア人と思われる男たちが、AK74アサルトライフルで銃撃していた。

 

 しかも全員、どう言う訳か革製の長靴を履き、野戦服を着込んでいる。

 

 

 

 服色は「ツァーリ・グリーン」とも称された、深緑色。

 ソ連軍を象徴する色として取り入れられ、以降は影響を受けた数多の社会主義国家が同じ色の軍服を採用した。

 現在ではキューバ、北朝鮮などがこれを受け継いでいる。

 

 

 

 眼下にはそのツァーリ・グリーンの野戦服に身を包んだ、既に解体したハズの「ソビエト軍」が大挙していた。

 マクレーンは再び窓の下へ隠れながら、呆然と呆気から首を振った。

 

 

「嘘だろよぉ……俺の目の前に、ソ連軍の亡霊がいやがる……」

 

 

 AKの物とは違う上、一際近い銃声が聞こえた。

 廊下の奥を見れば、BARで対抗するグレーテルの姿。傍らにはヘンゼルも控えている。

 

 二人はどんどん、マクレーンから離れて行く。

 

 

「……! 待ちやが……ッ!」

 

 

 窓から飛び込む銃弾に注意を払いながら、双子を追おうとするマクレーン。

 しかし、外から響く甲高いスキール音で、視線が表通りに移る。

 

 

 

 荷台に三脚で支えた「DShk38重機関銃」を搭載する、トラックがやって来た。

 その銃口がジロリと、こちらを睨み付ける。

 

 

「おおぅッ……!? 撃つ気か!?」

 

 

 視線を戻した時には、双子は階段を降りてしまった。

 

 マクレーンは追跡をやめ、すぐ傍にあった部屋に飛び込む。

 最初、ヴェロッキオらとやり合った事務所だ。

 

 

「うぅヤバいヤバいヤバい……!!」

 

 

 それと同時に、マクレーンの場所まで響く、重厚な射撃音が空気を撼わす。

 撃ち放たれた12.7×108mm弾が表通りからビルに突入し、薄い壁を難なく貫通させる。

 

 

「ヒィーッ!! 見境なしかぁッ!? クソロシアンども酒飲んで来やがったなぁ!? あいつら酒しかねぇもんなぁ!!」

 

 

 噴煙と銃声と、壁やガラスの破片が舞い散る中。

 マクレーンは少なからず飛んで来る銃弾に、床を這って回避するしかなかった。

 

 

「だぁ、うぉ……クソッタレーーッ!! ロシアなんか、死ぬまで行かねぇからなチクショーーッ!!」

 

 

 匍匐前進で部屋を進み、奥へ奥へと逃げる。

 やっと銃弾の脅威が減った、裏口方面へと到着した際に、マクレーンは気が付く。

 

 

「な、な、なんだぁ? 裏口は攻撃してねぇのか……!?」

 

 

 怪訝に思いながらも、双子の事に思考をスイッチさせ、そのまま隣の部屋に入る。

 

 ただの肉の塊と化した、ヴェロッキオ・ファミリーの構成員が横たわる事務所だ。

 血と弾痕による惨状を無視しながら、マクレーンは再び廊下に出ようとする。

 

 

「ソ連どもが入って来る前に……!!」

 

 

 事務所を分断する仕切りを越えた時、突然現れた人影と衝突する。

 即座にベレッタを構えるマクレーン。

 

 

「おぉっ!? てめぇ誰だッ!?」

 

「うわっと!?……あぁ!? てめぇ、ジョン・マクレーンッ!?」

 

 

 腫れ上がってはいるが、見覚えある顔。

 視線を上下させ、服装などを加味した上で誰なのかを思い出す。

 

 

「……あん時の野郎かぁ!?」

 

 

 そこにいたのは、モレッティだった。

 両手に手錠をかけられ、服が妙に膨れてはいるが、記憶にある服と一致する。

 

 

「このクソ野郎ッ!! てめぇのせいで、今日は散々だッ!!」

 

「ボコボコのミンチにした事は謝るがなぁ、今は構っていられねぇんだ! 邪魔すんなら、膝に一発ぶちかましてやるぞぉ!」

 

 

 銃口を膝に向けたと同時に、モレッティは態度を一変させて懇願する。

 

 

「待て待て待て待て待て!? わ、分かった、邪魔はしねぇ! だが今は状況が状況なんだぁ!! 頼む、話を聞いてくれぇ!」

 

「邪魔しねぇならそれで良いんだ、ヘロヘロのマカロニ野郎」

 

「こいつ、メシの事しか言わねぇ……!」

 

「どけ。双子を追ってんだ。出来るなら部屋の奥に隠れてろ。話ならその後で──」

 

「その双子がヤベェ事はじめんだよ!!」

 

「……あ?」

 

 

 モレッティは着ていた上着を、捲った。

 

 

「これを見ろ……!!」

 

 

 その下に隠れていた物を見て、マクレーンはすぐに目を剥く。

 やけに膨らんでいたのは、上着の下に巻き付いたソレのせいだ。

 

 

 

 

「…………おい。嘘だろ、なぁ……?」

 

 

 上着の下にあったのは、大型のベスト。

 そのベストには、数多のC4と手榴弾が括り付けられていた。

 

 手榴弾はペンキで彩られ、クリスマスツリーのオーナメントのようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車外、アスファルトの中央に、彼女は立っていた。

 星一つない夜空に舞う硝煙と、絶叫が如き銃声を目の当たりにしながら一人、バラライカは無線で指示を送り続ける。

 

 彼女の眼光は鋭利に輝いているが、その面持ちは冷然で冷酷だ。

 そんな相反した彼女の様子は、状況を楽しみながらも、どこか虚ろな印象を与える。

 

 

「弾幕を張り続け、双子を『逃げ道』まで追い立てろ。突撃する構えを装え」

 

 

 一度彼女は、無線機から指を離す。

 伝えるべき事は伝え切った。

 あとは優秀な、自分の同志たちが命令通りに行動してくれる。

 

 すっかり、ヴェロッキオらのオフィスビルは、弾痕とヒビだらけの廃墟と化していた。

 

 

 

 途端、バラライカの携帯電話より着信音が鳴る。

 画面に表示された発信者の名前を見た後、数秒の間を置いて着信を受け入れた。

 

 

「……お祭りに参加したかったの?『(チャン)』」

 

 

 

 

「そう言う訳じゃないさ。今の様子を聞きたくてな」

 

 

 彼女に連絡を入れた人物は、喧騒とは無縁の事務所の中にいた。

 電灯から注ぐ黄金の光を浴びながら、ロアナプラの夜景を眺めている。

 

 

「悪いけど、今取り込み中なの」

 

「だろうな。銃声がスピーカー越しにガンガン来やがる。この電話がイカれたら、そっちに弁償させて良いか?」

 

「そんな馬鹿な事を言う為に電話したなら切るわよ。報告なら事後で構わない?」

 

「まぁまぁ、待て待て。こちとら、街のハンターどもを撹乱してやったんだ。ヴェロッキオらがC4を買った事も教えてやった。この件の関係者として、ちょっと聞くぐらい構わないだろ?」

 

 

 張と呼ばれた男はサングラスをかけた、洒落た風貌の中国人男性だった。

 彼の言う「ちょっと聞くぐらい」とは、何に対する質問だろうかとバラライカは静聴に徹する。

 

 

 

 

「例の『おまわりさん』は?」

 

 

 

 

 言わずもがな、マクレーンを指している。

 バラライカはビルを見渡してから、応えてやった。

 

 

「ここからじゃ分からないわ。それに今、燻しているところなの。煙を吸って、死んじゃったかもしれないわね」

 

「やれやれ、相変わらずだな。しかし伝説の刑事とやらも、とうとう殉職か。キャリアの締めがこれじゃ、殺したテロリストらにも笑われそうだな」

 

「…………わざわざ、私に電話を送るほどの事?」

 

 

 突然、マクレーンの事で電話を入れた張。

 この行動自体が、怪訝に思えて仕方がない。

 

 

「あなたって、無駄話はやりたがらないタイプじゃなかった?」

 

「それはお互い様だ。だが、人ってのは型に嵌らないモンなのさ」

 

「今度は心理学の講義かしら?」

 

「まぁ、ちょっとした気まぐれと捉えてくれ。こう見えて俺は、あの刑事さんのファンなんだ」

 

 

 彼なりのジョークだ。

 

 いつもなら失笑程度も入れられただろうが、今の彼女はピクリとも笑えなかった。

 バラライカの心境を察してか、乾いた笑いをあげたのは向こうからだ。

 

 

「バラライカ。現状、全てはそっちの手の中だ。その通りに行けば、その通りになる。これは秩序ある戦争で、君の言葉を借りるなら『調律された紛争』だ」

 

 

 張は一呼吸置き、続きを告げた。

 

 

「だから心配したんだ。それを乱さんとする奴は片付けたのかってな」

 

「……ヴェロッキオらの巣の中で、派手に鳴いてもらった。一匹で、それも双子のオプション付き。これで生き残れたって言うなら、人間じゃないわ」

 

「そりゃ人間じゃないな。人間と名乗るなら、寧ろ死んでもらわんと困る」

 

「ただ……」

 

 

 言葉を続けるバラライカに、張は些か意外そうな表情を浮かべた。

 

 

「あの男は、とびっきりの『狂人』よ。あの類は、戦場でもなかなか死なない。正直に言うと、死んでいないと思うわ」

 

「こりゃ珍しい、君が個人を持ち上げるとは。しかも美国人(アメリカン)を」

 

「……張。そろそろ良いかしら? 私は今、多忙なの」

 

 

 電話を切ろうとするバラライカ。

 刹那、それを引き留めるかのように、張は言葉を重ねた。

 

 

「経歴は見た。あの刑事は『怪物』かもしれん。戦争を呼び込む、死のサンタさんだ」

 

「………………」

 

「変な男だな。この街で最も相応しく、なのに最も馴染まない。俺は進言しておくぜ。ニューヨークなんざ幾らでも言いくるめられる……だから殺すんなら、一年待ちと言わず、確実にとっととやろう。大変面白い刑事だが、俺らには損だ」

 

 

 結局切ったのは、張の方だった。

 

 

 

 

 

 電話を耳元から離す張。

 窓から背を向け、かけていたサングラスを取る。

 

 

「……って言ったもんだが、会っておきたいのは事実だな。なんてったって、ファンだからな」

 

 

 再び携帯電話を眼前まで待って来て、番号を入力する。

 ワンコールの後、即座に通話状態となった。

 

 

「あぁ、(チョウ)か。ワトサップらに、バラライカの妨害が手薄なルートを教えてやれ。なぁに、構わない。今からじゃ遅いし、向こうの邪魔にもならねぇ」

 

 

 部下が電話越しに、「ならばどうして教えるのですか?」と質問する。

 張は考える素ぶりすら見せず、ニヤッと笑って即答してみせた。

 

 

 

 

「狂った怪物の、『生かせる』確率を上げときたいだけだ。ちょっくら、どう転ぶのか興味が湧いた」

 

 

 

 

 いきなりそう返された周は、意味を良く分かっていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビルの二階。すっかり気化したガスで充満するフロア。

 

 

「さぁ兄様、急ぎましょ。ロシア人が入って来るわ」

 

「……そうだね、姉様」

 

 

 飛び込んで来る銃弾に注意しながら、廊下を走る二人。

 途中、床に倒れていた、脊髄を割られた殺し屋が泣いて懇願して来る。

 

 

「なぁあ〜〜!! 助けてくれよぉ〜〜!! まだ死にたく──」

 

 

 彼を見たヘンゼルは突然、持っていた斧で男の頭を割った。

 絶命し、動かなくなる。その様を見たグレーテルは、驚いた顔をしていた。

 

 

「……兄様?」

 

「……ごめんね、姉様。こいつ、うるさくて」

 

 

 斧を引き抜くヘンゼル。

 無表情な彼の横顔に、微かな苛立ちが宿っていると、グレーテルは気付く。

 

 

「……あとちょっとだったんだ。銃を撃って、床に倒してから、こうやって殺すつもりだった」

 

「え?」

 

「どうしても上手く行かないや。マクレーンおじさんを殺すのは。どうせ殺すなら、肉の感触を確かめながら殺したかったよ」

 

 

 自らの手とその目の前で、マクレーンを仕留められなかった事を悔いているようだ。

 グレーテルは少しだけ考え込んだ後に、ふと今朝の「感触」を思い出す。

 

 

 

 頭頂部に宿る、暖かい感触。

 それを想起したグレーテルは、ヘンゼルの頭を撫でてやった。

 

 

 

「……兄様。ほら、元気を出して」

 

「…………姉様?」

 

「マクレーンおじさんには『ヒント』を見せたわ。生き残って、必ず私たちの元に来るハズよ」

 

 

 少し呆然とするヘンゼルに、口付けをしてやる。

 

 

「言ったでしょ? マクレーンおじさんを殺せるのは、私たちだけ」

 

 

 ヘンゼルに宥めの言葉をかけながら、C4だらけの部屋を抜けて、裏口側の窓を開ける。

 

 

「テレビでもそうだった。ヴィランは、ヒーローにしか殺されないの。私たちとマクレーンおじさんは、そんな関係よ」

 

 

 窓枠から身体を出し、まだ目をパチクリとさせる彼へ手を差し伸べた。

 

 

 

 

「さぁ。行きましょ?」

 

 

 そこでやっとヘンゼルはまたニコリと笑い、グレーテルの手を握る。

 

 二人は窓を越えて、一緒に飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 裏口側、向かいのビルにいる狙撃班。

 観測手が、双眼鏡で動きを確認した。

 

 

「標的確認! 二人ともいる! ビルの二階、中央部の窓だ! 外へ乗り出している!」

 

 

 報告とほぼ同時に、双子はピョンっとビルから飛び降りた。

 

 

 その下には、バン。

 バンの上に敷いていた、厚めのクッションが二人を受け止めた。

 二人は最初から、こうやって逃走する手はずで行動していたようだ。

 

 

「指示通りだ。確認次第、射殺する」

 

 

 照準を合わせ始める狙撃手。

 双子はクッションから立つと、さっさとバンの裏に降りた。

 

 射線の死角だ。

 観測手が与える、風向きと距離の情報を聞きながら、スコープを覗き続ける。

 

 

 

 

 

『大尉。作戦通り、標的1、2を裏口より燻り出せました』

 

 

 報告は全て、バラライカの無線より集められていた。

 双子を裏口へ燻り出せた事を知ると、部隊に命令を飛ばす。

 

 

「総員、ビルから退避だ。そのまま裏通りを閉鎖し固めろ」

 

 

 指令通り、隊は続々と裏手へ行く。

 

 必要な事項は全て伝え終えた。

 

 

「……これで、終わりだ」

 

 

 無線機から口元を離し、これから起こる顛末を見届けようと、ビルを眺め始めた。

 隣に控えていたボリスが突然、バラライカに耳打ちするまでは。

 

 

「ロアナプラ警察署が、我々の妨害を潜り抜けたそうです」

 

 

 銃声が消えた通りに響く、サイレン。

 チラリと、道路の奥を見やる。

 

 複数のパトカーと大層な事に、武装警官らを大量に乗せた搬送用のバスまでこちらにやって来た。

 バラライカは呆れから、溜め息を吐く。

 

 

「食い意地の汚い奴だ。お零れすらないと言うのに」

 

「どういたしましょうか?」

 

「構う事はない、既に作戦は終了した。包囲も規制も好きにさせておけ」

 

 

 後は狙撃班からの報告を待つだけ。

 

 全ては順調だ。

 だがバラライカだけはなぜか、妙な胸騒ぎを覚えていた。

 

 

「……あの男を相手取ったテロリストどもも、こんな気分だったのやら」

 

「大尉?」

 

「……いや。なんでもない」

 

 

 電話口で響いた、マクレーンの罵声が想起される。

 

 負け惜しみではない。確固たる意志を感じる、彼なりの宣戦布告だ。

 

 

 あのような叫びを聞いて、バラライカは心底愉悦に浸れられた。

 回りくどくなく、分かりやすいほど直線的な敵意とは、ご無沙汰だったからだ。

 

 

 マクレーンを死地に追いやったのは、自分だ。

 

 その上で身勝手にも、彼女は願ってしまう。

 

 

 

 

「どうせなら、生きてみせろ。お前の『矜持』が、我々の使命より強靭ならば」

 

 

 

 

 ビルの正面部に、警察車両が大挙し始めた。

 赤色のランプが、華やかに宵闇を照らす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビルから飛び降りた、ヘンゼルとグレーテル。

 逃走準備を整えるヘンゼルに対し、困り顔のグレーテルは起爆スイッチを二つ見せつける。

 

 

「ねぇ、兄様。どっちが、どっちのスイッチだったかしら?」

 

「右手の方じゃないかな?」

 

 

 彼にそう言われ、右手に握っていたスイッチに指をかける。

 

 

 

 

 

 双子を虎視眈々と狙う、ホテル・モスクワの狙撃班。

 バンが死角になってしまった班は、別働隊に報告を入れる。

 

 

「こちらからは狙えない。そっちは?」

 

「大丈夫だ。こちらからは狙える」

 

 

 別の班のスコープには、バッチリと双子の姿が映っていた。

 照準がまずグレーテルの胸部へ、向けられる。

 

 

「風速三から五メートル、北東からのビル風が強い。奴らは起爆スイッチを持っている、起爆される前に仕留めるんだ」

 

 

 観測手から与えられる情報を頼りに、照準の修正を行う。

 次第に次第に、満足の行く射線が形成される。

 

 

 

 

 

 一方、ビル内に取り残された、マクレーンとモレッティ。

 モレッティから聞かされた、このビルの爆破計画を聞いて大慌てだ。

 

 

「だったら脱出しねぇと!?」

 

「待てよ待てよ!? 俺のコレ、どうなんだよ!?」

 

 

 すぐに逃げ出したいが、歩く爆弾と化したモレッティを見捨てる訳にもいかない。

 マクレーンは逡巡した末に、彼に着せられた爆弾ベストに手をかけた。

 

 

「クソッ……外れねぇ! てめぇ、腕が邪魔だッ!!」

 

「手錠かけられてんだ、仕方ねぇだろ!?」

 

「だーッ、クソッ!! どうなってんだコリャ!?」

 

「信管だ! 信管を抜けッ!!」

 

「ガムテープで固定されてんだ、見りゃ分かるだろッ!!……あ! 信管の無線装置を壊すんだ!!」

 

「それはベストの内側なんだよ!! なんだ、俺ごと撃つ気かぁ!?」

 

 

 何か使える物はないかと辺りを探った後、足元に落ちていた、死んだ構成員のジャックナイフに気付いた。

 

 即座に拾い上げ、ベストを固定する肩と脇腹のヒモを切り落とし始める。

 

 

「クソッタレ……! てめぇと心中だけは絶対にごめんだチクショゥッ!!」

 

「早く、早く(プレスト)早く(プレスト)ッ!?」

 

「母国語使って急かすんじゃねぇッ! 手元が狂うだろがッ!!」

 

「急かすに決まってんだろトンマめッ!!」

 

「言いやがったなぁ、この野郎! 見捨ててやろうかぁ!? ピザになりてぇか!?」

 

 

 無理やり爆弾ベストをモレッティから剥がしてやった。

 

 

 

 

 

 照準は合わせられた。

 後は引き金を引けば、グレーテルは一瞬で殺せる。

 

 もう時間の限界だ、やるしかない。

 そう判断し、観測手は狙撃手に命じる。

 

 

「良し! 撃────」

 

 

 

 

 

 同時期、爆弾ベストを剥がしたマクレーンは、裏口側の窓目掛けて走り出す。

 

 

「ぅえいぃッ!!」

 

 

 既に割れた窓より、ベストを放り投げた。

 同時に振り返り、フラフラ立ち上がったモレッティへ叫ぶ。

 

 

「逃げろぉぉーーーーーーッ!!!!」

 

 

 

 

 

 発破をかける直前、三階から投げ出された何かが双眼鏡に紛れ込んだ。

 

 

「──なんだ!?」

 

 

 異常事態への反応として、引かれようとしていた引き金から、指が離れる。

 

 

 

 

 そしてグレーテルは、スイッチを押す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三階から投げられた爆弾ベストは、双子の頭上にて起爆する。

 耳を劈く轟音と閃光、そして黒煙。

 

 辺りにあるビルの窓を割るほどのインパクトが、一面に染み渡る。

 

 

 

「うわっ!」

 

「きゃあ!」

 

 

 二人はサッと身を縮め、降り注ぐ黒煙に包まれる。

 これらの事象により、狙撃班は双子を仕留められなかった。

 

 

 

 その最中、グレーテルはまたもう一つのスイッチを押す。

 

 

 

 

 

 

 現場に到着した、ロアナプラ市警。

 表通りの中央に、大型の搬送用バスが置かれた。

 その側面に停車したパトカーより、ワトサップとセーンサックが現れ、バラライカに詰め寄る。

 

 

「この野郎ぉ〜? バラライカてめぇ、俺たちを妨害──」

 

 

 言い切る前に、突然響いた爆発音に怯んだ。

 

 

「ど、どした!?」

 

「………………」

 

 

 冷たい無表情だったバラライカはとうとう、眉間に皺を寄せた。

 彼女の持つ無線機から、声が流れる。

 

 

『────狙撃失敗ッ!! 退避、退避してくださいッ!!』

 

 

 報告を聞き、バラライカは傍らにいるワトサップらに忠告してやった。

 

 

「耳塞いで、頭下げておいた方が良い」

 

「は?」

 

 

 

 

 

 瞬間、眼前のビルが光を放ったかのように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 投げ出したベストが、外で起爆。

 背後からやって来る爆風に身体を揺さぶられながらも、二人は表通りの方へ走る。

 

 

「逃げろってどうすんだーーッ!?」

 

 

 モレッティの質問に対し、マクレーンは必死の形相で答える。

 

 

「飛び降りんだッ!!」

 

「ふざけんなッ!? 十メートルだぞッ!?」

 

「うるせぇーーッ!! どうせ吹き飛んで死ぬかだッ!! 神に祈ってろぉーーいッ!!」

 

 

 マクレーンとモレッティは、窓枠より身体を出した。

 

 眼下にはパトカーと、大型のバスが見えた。

 

 下より注ぐ赤色灯の光を浴びながら、二人は三階より飛び降りた。

 

 

 

 

 グレーテルがスイッチを押したタイミングが、その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビルの中腹より、紅炎と黒煙が噴き上がる。

 

 中にあった家具、機材が塵芥となり、外へ飛び出した。

 

 近隣の建物の窓は割れ、衝撃により吹き飛んで来た破片がビルの全方位へ撒かれる。

 

 

「うわぁーーーーッ!?!?」

 

 

 突然の出来事と爆風により、地面に倒れ伏すワトサップにセーンサック。

 

 バラライカは腕で視界を守りながらも、堪えていた。

 

 

「嘘だろ……うおっ!?」

 

 

 一足先にビルから脱出していたレヴィは、パトカーの裏に身を隠す。

 

 

 

 威力は二階を吹き飛ばすだけでは足りなく、三階と一階まで及ぶ。

 

 天井を突き破った爆風と炎が、突き上げる槍のようにビルの屋上から飛び出した。

 

 二階は崩落し、一階を押し潰す。

 

 それによって巻き起こった土煙が、通りに雪崩れ込んだ。

 

 比較的近くにいた警官たちは、それを浴びるハメとなる。

 

 

 

 

 夜を一気に照らした、爆炎の中。

 

 

 破壊と惨状を背景として、下へ下へ落下して行く二人の人影。

 

 

 両手を広げ、胸を張り、間抜けな顔で飛び降りた二人。

 

 

 その一人のマクレーンは、爆音に負けないほどの叫びをあげた。

 

 

 

 

「おっかねぇええぇえーーーーよぉぉおーーーーッ!!??」

 

 

 

 

 マクレーンとモレッティは重力に逆らう事なく、地球の中心へと引っ張られ、加速する。

 

 硬いアスファルトが待っているかと覚悟はしていた。

 

 

 

 しかし意外にも、二人を待っていた物は、地面ではなかった。

 

 

 停められた、高さ三メートルほどの警察用バスの天井へ、着地と言うより衝突する。

 

 

 

 バスのルーフパネルを大きく壊した。

 

 

 爆発による音でかき消されたものの、二人はくぐもった声をあげた。




「I'm Still Standing」
「エルトン・ジョン」の楽曲。
1983年発売「Too Low For Zero」に収録されている。
映画「ロケットマン」と「キングスマン ゴールデン・サークル」でお馴染み、イギリスを代表する大御所シンガー。
アップテンポでノリの良い、オーディエンス即熱狂なポップミュージック。サビで何度も歌われる「I'm Still Standing(僕はまだ立っている!)」の力強さがたまらない。
まだ立っている。負けちゃいない。


マクレーンはこの13年後ロシアに行くハメになるし、もう一回DShk38をぶちかまされる。


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I'm Still Standing 2

 壁、窓、コンクリート、セラミック。

 あらゆる全てを破壊した一つの爆発は、黒煙と木材に着いた火を残して終わる。

 

 しかし、一瞬の爆発が終わったとしても、祭りは延長された。

 

 

「ビルが吹き飛んだのか!?」

 

「大尉は無事だッ! それより双子はまだ生きているッ!! 裏口を固めろッ!!」

 

 

 防弾仕様の車両をバリケードにし、裏通りから表通りに行ける唯一の道を塞ぐ。

 その車の後方より、AK74を所持した兵士たちが待ち構える。

 

 

 辺りは吹き飛び、崩落したビルによる土煙がもうもうと立ち込めていた。

 また爆発の影響で電線まで破壊され、街灯の明かりすら消失している状態だ。あまりに視界が悪い。

 

 兵士たちは目を凝らし、一方通行でしかない裏通りを封鎖する。

 通るとすれば、この道のみ。じっと、標的を待つ。

 

 

「狙撃班、そちらから何か見えないか」

 

 

 無線を使い、ビルの屋上より現場を俯瞰する狙撃班に情報を求めた。

 

 

 

「煙が酷い。まるで見えない──いや、待て!」

 

 

 その時、土煙の隙間を走り抜ける、大きな影を発見した。

 

 

「車だ! 白のバンがそっちに向かっている!」

 

 

 バンと言えば、双子が二階から飛び降りる為に使った物だ。

 間違いなく、操縦しているのはヘンゼルとグレーテル。

 

 

 

 しかし、報告を聞いたバラライカはきな臭さを感じていた。

 

 

「バン? 双子は別の車を使っていると聞いたが……」

 

 

 煙立ち込める通りを抜けようと、彼女もボリスや他の部下を引き連れ、裏通りの方へ向かっていた。

 

 その報告を聞いた上でバラライカはすぐに、兵士たちへ指令を飛ばす。

 

 

 

 

「……総員、すぐに退避しろッ!」

 

 

 

 彼女の妙な命令に、兵士たちは多少の動揺を抱いたものの、すぐに従い裏通りから車を残して退避する。

 

 

「退避! 退避ーーッ!!」

 

 

 兵士たちが去った直後、煙から一台のバンが現れる。

 十キロほどのスピードだ。中途半端な速度で進むバンは、裏通りを塞ぐ車に衝突。

 

 

 

 

 

 バラライカの勘は的中だ。

 バンは車と衝突し、ワンテンポ置いた後に爆発する。

 車内には、残りのC4が詰められていたようだ。

 

 

 いかに防弾仕様の車と言えど、大量の爆弾には敵わない。

 

 車体を剥がされ、ガソリンに火が付き、爆発しながら宙を舞った。

 

 固めた裏通りは、結局ガラ空きとなる。

 

 

 

 そこを突っ切るように現れたのは、黒のセダン。

 

 双子が乗っていた車は、そっちの方だった。

 

 

「双子だッ!! 撃てッ!! 撃てッ!!」

 

 

 兵士たちは車に向け、一斉射撃を行う。

 しかしセダンは、破壊した車の残骸を跳ね飛ばして、彼らを牽制。

 

 その隙に急カーブをかけ、表通りに出てしまった。

 

 

「駄目だ、食い止められないッ!! 車両班を回してくれッ!!」

 

 

 ビルの爆発による余波から立ち直った、DShkを積ませたトラックが走り出す。

 しかしそれを邪魔するように、ロアナプラ署のパトカーが一斉に立ち塞がる。

 

 

「残念だったなぁ、バラライカ。八万ドルは俺らのモンになるな」

 

 

 ワトサップはバラライカにそれだけ告げ、自身も他の車両と共に追跡を開始。

 

 道路には取り残されたバラライカと、ボリスだけ。

 

 

 

 

「……大尉。これから、どうしますか?」

 

 

 ボリスの問い掛けに、彼女は眉間を押さえながら、思案を巡らせる。

 無線機を口元に近付け、現場の全員に指令を送った。

 

 

「車両班はそのまま追跡。狙撃班、誘導班はやむを得ない、退却だ……同志軍曹、張らに連絡を。あの方角なら、三合会の事務所がある。標的の足止めが出来るかもしれん」

 

 

 予想外かつ、作戦は失敗となったにも関わらず、バラライカは一切取り乱す事はしなかった。

 そのまま指令を伝え、無線機を切り、息を吹く。

 

 

 

 張への連絡を頼まれたボリスは、その場を少し離れる。

 近くに兵士たちがいるとは言え、少しの間一人だ。

 

 

「……久しぶりだな。こんなに上手く行かなかったのは」

 

 

 懐からタバコを取り出し、口に咥え、ライターで火を灯す。

 

 傍らで燻り続けるビルの残骸を横目に、疲れたように紫煙を吐いた。

 

 

 

 

 その時、背後で何かが落ちる音が聞こえた。

 

 クルリと振り返れば、警察官を満載していたバスが見えた。

 今は乗っていた警官は現場に立ち会っている為、もぬけの殻となっている。

 

 

 

 そのバスの上から飛び降りた、二人の人物。

 

 血と埃で汚れ、ヨタヨタのボロボロになった服装の、怪我まみれの男たち。

 

 

 飛び降りたと同時に彼らは、アスファルト上にコテンッと倒れた。

 

 

「あぁ〜……ッ! どうなってんだぁ、こりゃぁよぉ……生きてるぜ。なぁ、生きてるよなぁ?」

 

「俺、もう、無理だ……動け、ねぇ…………ひぃっ」

 

「お〜お〜、休んでろぉ……うぇっとぉ……!!」

 

 

 一方はどうやら、気絶してしまったらしい。

 

 だがもう一方はすぐに、呻き声を上げながらフラフラと立ち上がってみせた。

 

 

 

「……本当に生きているとはな……ジョン・マクレーン……」

 

 

 さすがのバラライカと言えども、彼の存在には驚いたらしい。

 目を開き、一瞬だけ身体が固まっていた。だが微かに、口角は上がっている。

 

 

 彼女と目が合う、マクレーン。

 対して彼が見せた表情は、余裕のない笑みだった。

 

 

「そっちに行くって言ったのによぉ! そっちから来るたぁ、良い心掛けじゃねぇかぁ!?」

 

 

 勝ち誇ったように叫ぶマクレーンだったが、すぐに表情は真剣なものとなる。

 

 彼は辺りを見渡した時に、乗り捨てられた警察用のバイクに目を付けた。

 

 

 フラフラと右足を引き摺りがちに走り、そのバイクを起こすと、すぐにギアを入れる。

 彼もまた、双子を追うつもりだ。

 

 

 

 

「ジョン・マクレーン!」

 

 

 バラライカはタバコを捨て、即座に彼へ呼びかける。

 マクレーンはエンジンを蒸かしながら、顔を上げた。

 

 

「何がお前を駆り立てるッ! お前は何をしたいッ!」

 

 

 舞い上がる炎を横目に、問い掛けは続く。

 

 

「選民的な偽善を振り回すのかッ! 薄汚れたハンターどもになるのかッ!」

 

「………………」

 

「二つに一つだッ! 正義など存在しないぞッ! ジョン・マクレーンッ!」

 

 

 彼女の問い掛けに、マクレーンは応じなかった。

 

 アクセルを踏み、バイクで走り出す。

 

 

 

 バラライカとすれ違い、遠目に見えるパトカーの集団の方へ行ってしまった。

 

 

 残された彼女は振り返る事もせず、薄笑いを浮かべながらぽつりと呟くだけ。

 

 

 

 

「……なるほど。自分でも分かっちゃいないまま追うんだな。本当にとんだ奴だ」

 

 

 ふと足元を、見下ろした。

 

 

 

 火の粉が散る中。

 そこには焼け焦げ、頭だけとなった、大きめの人形が落ちていた。

 

 暫し、それを見つめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 双子の乗った車を追跡する、ロアナプラ警察。

 十台を超えるパトカーを引き連れ、夜道を盛大なエンジン音と共に突き進む。

 

 

「街からは逃げられねぇぞ。ロアナプラの周囲には、ハイエナがウヨウヨだ」

 

 

 ワトサップは助手席に座りながら、獲物を追い詰めるハンターのような気分で笑う。

 

 運転するセーンサックもまた、そんな表情だった。

 バックミラーを覗くまでは。

 

 

「……大尉。俺ぁ、信じらんねぇもんを見ちまったんすが」

 

「あ? どうした中尉?」

 

「……窓から顔出して、後ろ見てくだせぇ」

 

 

 言われるがままに車窓を開き、風で帽子が飛ばないよう押さえながら後ろを見る。

 

 数多のパトカーが大挙していた。

 だがその横を抜けるように、猛スピードでどんどんと近付いて来る一台のバイクに気付く。

 

 

「ウチの署で配備しているバイクじゃねぇか…………いや待て。おい、嘘だろ!?」

 

 

 バイクは早々に、ワトサップらの車両の横まで到達する。

 

 上半身を前屈みにさせ、鬼の形相で前を見据えるドライバーの男。

 やけにボロボロの姿だが、間違いなくマクレーンだった。

 

 

「ジョン・マクレーン!?」

 

「おーう、ワトサップよぉ! タヌキな見た目の癖に、ハイエナ気取りかぁ!?」

 

「うるせぇ! 何があったか知らんが、そんな終盤のランボーみてぇな怪我じゃ双子に敵わねぇぞ! とっとと失せろッ!」

 

「ハッハッハッ!! 俺の今の目的は双子じゃねぇんだ!」

 

「なに!? んじゃあ、なんだ!?」

 

「良い子に、少し早めのクリスマスプレゼントって訳だぁ!」

 

 

 マクレーンは不敵な笑みを浮かべたまま、ジーンズの隙間から左手で何か取り出した。

 

 その何かを見たワトサップは、愕然とする。

 

 

 

 

「しぃ〜んふぃ〜♪ は〜びん♪ わんだほクリスマスタぁ〜イム♪」

 

 

 

 

 取り出した物は、ペンキで色を塗られた、三つの手榴弾。

 

 モレッティに着せられていた物を、拝借して来たようだ。

 

 

 手榴弾に気付いたワトサップは、大慌てでセーンサックに命じる。

 

 

「グレネードだぁッ!? おいおいセーンサックッ! こいつから離れろッ!?」

 

「道が他の車でギュウギュウ詰めなんですッ!!」

 

「停めろッ!?」

 

「馬鹿言わんでくだせぇッ!! 後ろに追突されるぞッ!!」

 

 

 車内で揉めている隙に、マクレーンは更に加速しパトカー群の前へ躍り出る。

 

 

 そのまま、ピンを抜いた手榴弾を、一個一個辺りに投げてやった。

 

 

「爆破より追突の方がマシだろッ!?」

 

「クソッタレ……! ボーナス貰えるんすよねぇ!?」

 

 

 ワトサップとセーンサックは着用していなかったシートベルトを締め、すぐに急ブレーキ。

 

 

 反応出来なかった後続車が、まんまとバックより衝突する。

 合わせて更にその後続車が、そのまた後続車がと、酷い有り様だ。

 

 一瞬で道路は、走行不能になったパトカーで埋め尽くされた。

 

 

 

 そんな折に起爆する、三つの手榴弾。

 

 発生した爆発で吹き飛ばされた車は無かった。

 しかし一つがヤシの木の根元で起爆し、ポキリと折れたそれが道路へ倒れる。

 

 

 上手い具合に、折れた木が最前列のパトカーの上にのしかかる。

 そのまま道路を塞いでしまった。

 

 

 

 

 間抜けな警察たちを見ながら、マクレーンはしてやったり顔で笑う。

 

 

「へへっ。ざまぁ見やがれってんだ、クソポリどもぉ!」

 

 

 すぐに前へ向き直り、双子の車を追い続ける。

 

 

 

 

 

 

 マクレーンの妨害で追跡不能にされた、ワトサップとセーンサック。

 エアバッグに顔を埋めながら、ごもごもと喋る。

 

 

「……アメポリめ……何を考えてんだアイツ」

 

「イカれ野郎の頭を推察したって意味ねぇっすよ、イカれてんだから。クソッタレが」

 

 

 同時にエアバッグから身体を上げ、天を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 邪魔者を消したマクレーンは、一人双子のセダンを追い続ける。

 

 車間距離はかなり離れてはいるが、すぐに付けられるだけだ。

 

 

「市内に戻ったら、他のハンターの餌食だぞ。どこ行く気だ?」

 

 

 車は街に向かわず、ある三叉路にて北の方へハンドルを切った。

 街外れへ行こうとしている。

 

 

 

 ロアナプラは既に、双子を狙うフリーの殺し屋たちによる包囲網が出来ている。

 

 陸ではまず、抜ける隙はない。仮に街から出たとしても、次はタイから出られないだろう。

 

 

 それなら街にまだ、留まるつもりなのだろうか。

 だとすれば、どこへ行くのか。

 

 

 

 

「…………おい、どうした。スピードが出ねぇぞ」

 

 

 既にここは、街灯の少ない、殺風景な道路。

 聞こえるのは自分のバイクの走行音と、双子の車のエンジン音。

 

 

 しかし段々と、そのエンジン音の方が遠去かって行く。

 

 

「おい……俺が後ろにいんだぞ……気付いて、停まりやがれ……」

 

 

 ここは街灯が少ない。

 距離もなかなか離れている為、マクレーンだと気付かれていないのだろうか。

 

 

「なぁどうした…………ガソリンはまだ、あるぞ………………」

 

 

 速度がどんどんと落ち、とうとう遅鈍としたものとなる。

 

 

 エンジントラブルか、アクセルの故障か。

 だが自身の手を眺めてすぐにマクレーンは、機械的なものではないと気付く。

 

 

 原因は、自分だ。

 

 手足がブルブルと震え、力が抜けて行く。

 

 思えば視界も、霞んでいた。

 

 

 身体が限界を迎えたようだ。

 

 

「嘘だろおい……うぉおッ!?」

 

 

 体重すら支えられなくなっている。

 マクレーンのバイクは横転し、路上に彼は放り出されてしまった。

 

 

「あ、イッテェ〜…………うぅっぐう…………クソ……クソ、クソ……ッ……!」

 

 

 地面を這い、それでも前を向く。

 

 

 視界が霞んでいるせいではない。

 双子の車はもう、見えなくなっていた。

 

 

「クソッ、クソッ……」

 

 

 身体を駆動させていた腕さえ、力がなくなる。

 

 再び頭を、アスファルトに擦る。

 肘までは立てられたが、曲げてから伸ばすまでが出来なかった。

 

 

 限界だ。

 

 

「…………チクショぉ……ッ!!」

 

 

 視界が暗がりに落ち、思考も回らなくなった。

 

 

 

 マクレーンは、自身が気付くよりも先に、気絶した。

 

 悔しさを滲ませるように、両手を握り締めながら。

 

 

 

 

 

 

 暫くして、倒れた彼の近くに、通りかかった車が停まる。

 

 ヘッドライトがマクレーンを無様に照らし、その様を運転席より眺めていた。

 

 

 運転手は少しだけ考え込む仕草を取った後、勢い良くドアを開けた。

 

 

「……まーさか、こんな感じで初対面とは」

 

 

 楽しげに首を振りながら、かけていたサングラスをを弄りつつマクレーンに近寄る。

 

 

 金髪をはためかせた、涼しげな格好の白人女性だった。

 

 右腕には、十字架のタトゥーが彫り込まれている。

 

 

「おぉーい、おっさん。生きてるかー?」

 

「………………」

 

「死んでるなこりゃ」

 

 

 死んではいない。彼女なりの、聞き手のいないジョークだ。

 しゃがみ込み、遊ぶように彼の頭をコンコンと叩く。

 

 そしてまた立ち上がった彼女は、溜め息と共にマルボロの紙箱を取り出した。

 

 

 一本、開け口から口で咥え出し、火を付ける。

 

 考え事をする時に一服するのは、スモーカーの普遍的な癖だ。

 

 

「…………いいや。助けてやるか」

 

 

 タバコを咥えたまま、倒れたマクレーンの元に再度近付き、肩を担いで抱き起こす。

 

 

「だーッ! 重い!! 脂肪か筋肉か分かんねぇよ!!」

 

 

 ゼイゼイ言いながら、何とかマクレーンを後部座席に寝かせた。

 息を乱しながらも、打撲と擦り傷だらけの彼の姿を俯瞰し、また笑う。

 

 

 

 

「本国の英雄様だ。ぞんざいに扱りゃ、主もお冠だわ」

 

 

 ドアに手をかける。

 

 

「雄飛した地球の裏側で死ぬンは、本意じゃないだろ。立ち上がって貰わにゃ」

 

 

 そしてドアを閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PM 23:01

 

 

 事務所にいてから、もう三時間経つ。

 ロックは山積みになった吸い殻を見下げながら、最後の一本をその中に押し込む。

 

 

「……終わったのか?」

 

 

 時間的にも、決着がついた頃だろう。

 ほとぼりが冷めた後に、と考えると少し罪悪感が出てくるが、ロックは現場に行ってみようと思い立つ。

 

 

 事務所の出入り口に手をかけた。

 

 だが扉は自動で、勝手に開く。

 

 

「うおっ!?」

 

 

 その向こうに立っていた人物を見て、冷や汗が流れてしまった。

 

 

 レヴィだ。

 

 怒っているとも楽しんでいるとも違う、暗い目をした彼女が立っていた。

 

 

「……おう、ロック」

 

「レヴィ……その、さっきは」

 

「もうさっきのは良い。解決した」

 

「……なんだって?」

 

 

 やけに疲れ切った表情だ。

 彼女がロックの隣を抜けた時に、微かに硝煙の匂いがした。

 

 誰かと撃ち合って来たのか。

 即座に嫌な予感がした。

 

 

「……お前もしかして、行ったのか?」

 

「…………ホントに勘が良いよなぁ、おめぇ」

 

「行って来たんだな!? ヴェロッキオらの事務所に!?」

 

 

 レヴィはグタリと、さっきまでロックが座っていたソファに寝そべる。

 

 彼女は騒動の帰りらしい。

 まさかと、嘘だろが頭の中に羅列され、思わず奥歯を噛み締めていた。

 

 

「ど、どうなった……!?」

 

 

 やっと吐けた質問は、事後について。

 過程を聞くのが、怖かったからだ。

 

 

 

 

「……先に言っておくぜ、ロック」

 

 

 レヴィは目を腕で隠し、明かりから逃げようとする。

 そのまま気怠そうに話しかけた。

 

 

「……あたしは、おめぇを気に入ってんだ。こっち側に来た、てめぇをな」

 

「いきなり、なんだよ……」

 

「……さぁな。酒が残って、怪気炎とやらが上がったのかもしんねぇ。でもまぁ、聞いてくれ。あたしはてめぇを信頼してる方だ。まぁ、撃ち合いで背中は任せたくねぇが、おめぇの言う事は正しいと信じてる」

 

 

 ポケットを弄り、舌打ちをする。

 タバコが切れていたようだ。

 

 

「……だからな、ムカつくんだ。いきなりコソコソと、あたしが今一番殺したかった奴とツルんでた事にな。しかもあたしが持って来たルガーも渡してんだからな」

 

 

 今のレヴィの発言で、確信に至る。

 彼女が、自分がマクレーンに「ルガーを渡した事は知らない」ハズだ。

 

 つまり、マクレーンに会って来た証拠だ。

 

 ロックはズドンと、撃たれたかのように打ちのめされる。

 

 

「…………質問に答えろよ。どうなった?」

 

「お前はちと、あいつへの憧れが強過ぎただけだよな。もう、こっち側なんだよな」

 

「答えろよレヴィッ!!」

 

「吹き飛んだよ」

 

 

 あっさり、言った。

 

 

「仕留められないまま、ビルと一緒にKABOOM(ドッカーン)。温め過ぎたブリトーより、悲惨な事になってんだろな。まぁ寧ろ、あたしが行くまで生きていたってのが運の尽きだったんだ」

 

 

 狼狽し、目を見開くロック。

 

 そのままフラフラと、ヘタリ込むように床に座った。

 

 

「……あぁ、クソッ!……俺が、マクレーンさんを誘わなきゃこんな事には……!」

 

「会っても会わなくても変わんねぇよ。結局、あいつも死ぬか、双子だけが死ぬかだったんだ」

 

「………………」

 

「あたしの弾が一発も当たらなかったのが地味にショックだわ。あー、クソ。ドタマぶち込んで殺したかったぜ。八万ドルも逃しちまうしよ……まぁ、街からは出られねぇんだ。親殺した時点で、デッド・エンド確定なんだよ」

 

 

 暫し、嘆きに入っていた。

 だが途端に、ベニーの言葉を思い出し、ふと質問をする。

 

 

「……なぁ、レヴィ」

 

「あん?」

 

 

 腕の隙間から覗かせた、彼女の目と目が合う。

 

 

「……お前、マクレーンさんと会った事あるのか? ここに来る以前に……」

 

 

 レヴィはまた、目を腕で隠す。

 まだそこまで、答える気はないようだ。

 

 問い詰めても仕方ない。彼女の頑固な性格を、ロックは良く知っている。

 

 

「…………もう良いよ」

 

 

 ロックはフラリと立ち上がり、事務所から出ようとする。

 背後からレヴィが、呼び止めた。

 

 

「どこ行くんだ?」

 

「……タバコを買いに。まだギリギリ、店は開いてるだろ」

 

「ならあたしのも頼むわ」

 

 

 空になった、ラッキーストライクの箱を投げ付ける。

 ポトリと、ロックの足元に落ちた。

 

 

「あたしはもう立てねぇ、疲れた」

 

 

 それだけ言い残し、何も喋らなくなる。

 眠ったのか、思慮に耽っているのかは分からない。

 

 

「…………運の尽き、か」

 

 

 事務所から再度、出ようとする。

 

 

 レヴィには迷惑をかけた事もまた事実だ。

 タバコを買って来てやろうと、振り返って彼女の投げた箱を見た。

 

 

 

 

 

 ラッキーストライクのソフト。

 

 その紙箱を見た時に、ふっと思い出した。

 

 

「…………レヴィ、すまない。今日は戻って来れそうにない」

 

 

 扉を閉め、外に出る。

 しっかりとした足取りで、車に乗った。

 

 

 行き先は決まっている。

 そして彼もまた、運に縋る事にした。

 

 

「……お前が俺を信じるように、俺もまた信じてみるよ」

 

 

 エンジンをかける。

 

 

 

 

「……ジョン・マクレーンは、くたばりやしない。結論を聞きたいんだ」

 

 

 

 

 深夜へと向かおうとする、ロアナプラ。

 ロックはどこかへ走り出した。




残り5話の予定です
広江先生の真似しますけど、ついてきてください


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I'm Still Standing 3

最後のシーンは、ミスによる台詞抜けではありません


 顔に、冷たい物がかけられる。

 それに驚き、マクレーンは声をあげながらハッと目を覚ました。

 

 

「うぉおッ!? ぺぇッ!? うぇ!?」

 

「おー、起きた起きた」

 

「なにしやがんだバカ野郎ッ!?」

 

 

 眼前には、捻ったタオルを持った女の姿。

 濡れて水を含んだそれを、マクレーンの顔の前で絞ったのだろう。

 

 

 濡らされた顔を拭い、改めて女を見る。

 容姿を確認したと同時に、次は天井や辺りを見渡した。

 

 

「……どう言うこった。おたく、シスターか?」

 

 

 

 

 目の前にいる女は、修道服に身を包んでいる。

 そして自分が横たわっていた物は、横長いチャーチチェア。それが今いる空間を埋め尽くすように、整然と並んでいる。

 

 並んだチェアとチェアとの間には、一本の道。

 その先にやや霞んだステンドグラス、左右にはヨセフとマリアの像。

 

 二人の中心には、十字架に磔にされた、キリストの像。

 

 

 間違いなく、自分は今、教会の礼拝堂にいた。

 

 

 

 

「あぁ。シスターだ。どっからどう見ても、シスターだろ?」

 

「………………」

 

 

 頻りに動かしている顎。どうやらガムを噛んでいるらしい。

 そして清楚な雰囲気を出す修道服に似合わないサングラスと、手を腰に当てて立つ尊大な態度。

 

 

「……この街はぁ、聖職者も堕ちてんだなぁオイ」

 

「ヘイヘイヘイ。我らが主の元への玄関口で留めてやったってのに、罰当たりな口だな」

 

 

 自分の身体へと、視線を落とす。

 

 

 包帯が巻かれ、止血も施されていた。痣には濡れタオルを置き、冷やしてもくれていた。

 

 自分はこの目の前に立つ不良シスターに手当てを受けた事は、確からしい。

 

 

「……嘘だろ、信じられねぇ。この街に、見ず知らずの人間を無償で助けてくれる場所があるたぁ」

 

「勝手に無償って付けるんじゃないやい。神は慈悲深い、ウチは欲深い。キッチリ報酬は頂くぜ、ミスターシンニングヘアー」

 

「誰がミスター薄毛(シンニングヘアー)だ」

 

「それより話は聞いたぜ。あんた、二匹の兎追っかけて、地獄の釜を開けたらしいじゃんか」

 

 

 マクレーンはパッと、壁掛けの時計に目を向ける。

 時刻は深夜零時を過ぎていた。噂が広まるには十分な時間だろう。

 

 

「……悪いが双子の場所は知らねぇぞ」

 

「別にそいつを聞き出す為に助けたんじゃない」

 

「顔に水かけるたぁ、拷問みてぇな事したくせによぉ」

 

「そりゃ悪いな、うっかりしちまっただけだ」

 

 

 身体が強く疲れており、倦怠感からそれ以上の口論はやりたくなかった。

 どこか掴めない雰囲気を持つこの修道女に、マクレーンは不信感を抱く。

 

 それもそうだ、ここは悪徳の街ロアナプラ。

 どこだろうと、教会だろうと、警戒心は残しておくべきだろう。

 

 

「……おたく、名前は?」

 

「名乗るんなら、そっちからだろ?」

 

「俺は……あー……チャーチだ」

 

「嘘吐くんじゃねぇよ、ジョン・マクレーン」

 

「やっぱ知ってんじゃねぇか……」

 

 

 修道女はガムを噛みながら、首にかけた十字架を見せ付けるように摘んで、自己紹介する。

 

 

 

 

「あたしは『エダ』。正真正銘、この教会のシスターだ。敬わなきゃ、地獄に落ちるぜ」

 

 

 

 そのまま背後にあった長椅子の背凭れにかけていた、マクレーンのホルスターを武器ごと投げ渡してやる。

 

 

「しっかしあんた、ベレッタなんて良い銃持ってる癖に、もう一挺はなんだそりゃ? 気色悪ぃルガーだなぁ。ルガーだよな、それ?」

 

 

 一応、残弾を確認する。

 弾はどうやら、抜かれてはいなかった。

 

 

「……分からねぇ。心底、分からねぇ。おたくが俺を助ける義理はあったのか?」

 

「あん?」

 

「ここがマトモな街の教会なら、俺は泣いて跪いておたくの影にキスしてたろう。だがここは残念な事に、神も見捨てたこの世の果てだ。金目当てなら財布を盗りゃ良くて、馬の骨拾って治療費ふんだくるなんざ手間のかかる事しねぇし、常識のある奴は寧ろ、病院に運ぶ。聖職者でも、大統領だろうがなぁ」

 

 

 エダは一、二回ガムを噛み、ピタッと顎を止めた。

 次には面白そうにニタッと笑う。歯の隙間から潰れたガムが見えた。

 

 

「はぁーん? 意外だわ。街の有象無象より頭は良い方だな。頭使う奴ほどハゲるって聞くが、本当っぽいな」

 

「余計なお世話だ、クソアマが……気にしてんだから触れんじゃねぇ」

 

「んだが、その質問に対しちゃこうだ。『キマグレ』。悪人も、なんかの拍子に善行はしたくなるもんだよ。オーケー?」

 

 

 椅子の背凭れに腰掛け、あくまで飄々とした態度を取る。

 マクレーンにとって、この掴めない雰囲気が何よりも苦手だった。

 

 

「……そう言う事にしとくか……まぁ、助けられたのは確かだ。金が入ったら、メシでも奢ってやるさ」

 

 

 返してもらったホルスターを再び背負い、やや遅鈍とした速度で立ち上がる。

 鎮痛剤でも打たれたのか、激痛には襲われなかった。

 

 

「おいおい、もう出るのか? 手負いでまーだハンティングに行く気ぃ? ジョン・マクレーン伝説を更新すんの? デッド・オア・アライヴは別としてな」

 

「……俺の事はどこまで知ってんだ?」

 

「頭の沸いた傭兵どもをローストして、その三日後にコロンビアンどもをメイドと吹き飛ばし、昨日の早朝に双子から逃げ切ったまで。ロアナプラじゃかなりホットな話題だ、知らない奴はいない」

 

 

 いざ他人の口から言われると、自分で自分が信じられなくなる。

 本当にそれら全てを生き残ってこれたのかと、自嘲気味な笑みがこぼれて来た。

 

 

「まぁ、確かにあんたは技量もあるし、頭も回る。それに自信あるってんなら別にあたしは、あんたがヨタヨタのヨボヨボでも止めやしない。ただ心配なのは、治した礼だけはして行くのかってだけさ」

 

「金を置いてけってか?」

 

「あんたが死人になっても、一週間後にあたしにメシを奢る為復活すんなら別だけどね。まぁ、早い話が『出来るか、出来ねぇのか』ってだけ。出来ねぇなら有り金置いてけ」

 

 

 彼女にそう突き付けられ、マクレーンはつい視線を落としてしまった。

 顔つきも厳しいものとなっていただろう。

 

 結局、自分は一発も双子に当てられなかった。

 

 

 しかも今は怪我だらけで、双子はこの街のどこかに消えた。

 

 今更、どうしろって言うのか。

 

 

 

「………………」

 

 

 顔を上げる。

 

 礼拝堂の隅にある、懺悔室が目に入った。

 暗い木材で作られた、およそ一昔前の電話ボックスのような物が横繋がりで二席ほど置かれている。

 

 

「……告解の時間にしては、さすがに遅過ぎるか?」

 

 

 何を思ったのか、懺悔をしたい気分になった。

 マクレーンの質問に、エダは意外そうに眉を潜める。

 

 

「いや……え? 懺悔すんの?」

 

「あぁ」

 

「気が変わって取り止めない?」

 

「……なんだ? やっぱ間が悪いのか?」

 

 

 エダはなぜか、悔しがるように太腿を叩き、取り出したチリ紙にガムを吐き捨てた。

 

 

「…………どうぞ。ほら、言って来いクソ。なーんで告解とは無縁そうな奴ほど懺悔したがんだー!?」

 

「おいおい、なんだどうしたんだぁ? えぇ? 迷惑ならはっきり断れ」

 

「断っちゃ駄目だ。賭けが成立しねぇ」

 

「は?」

 

 

 それだけ言い残し彼女は不機嫌そうな足取りで、礼拝堂を出て行った。

 正面扉を出て行き、バタリと閉める。

 

 

 広いホールで、一人きりとなってしまった。

 

 だが中にある石像や、スタンドグラスに描かれた使徒たちのせいで、妙に孤独感だけはなかった。

 

 

 マクレーンはエダの様子を訝しみながらも、ゆっくりとした足取りで懺悔室へ向かう。

 

 

 

 戸を開け、薄暗い室内に入り込む。

 中は待ち合い室のようだが、刑事であるマクレーンからは面会室に見えた。

 

 壁から出っ張るように突き出た椅子に、崩れるように座り込む。

 

 視線の先には、向かうが黒のカーテンで仕切られた、網目の窓があった。

 あの向こうに神父がいて、顔を互いに見せないまま罪の告白をする。

 

 どこにでもある、至極一般的な、普通の懺悔室だ。

 

 

「…………あいつ、神父呼びに行ったのか?」

 

 

 エダが出て行ったのはそう言う事なんだろなと納得した瞬間だった。

 

 

 

 

「いいや、いるさね」

 

「うぉう!?」

 

 

 仕切りの向こうより、声が投げかけられる。

 

 上擦った声の男の神父を想像していたが、出て来たのは嗄れた老婆の声だ。

 

 

「なんだい。まぁ、気持ちは分かる。赦しの権限を得た司祭じゃなく、シスターが懺悔を聞くなんざそうそうないからねぇ」

 

「そ、そうじゃねぇ。いつ入ったんだ……?」

 

「十分前さ。あんたがここに入ると読んどったんさ」

 

「俺が入るって…………あー、そう言う事か。賭けっつーのは……」

 

 

 エダが不機嫌になったのは、彼女とこのシスターとで「マクレーンは懺悔室に入るか否かの賭け」で負けたからだ。

 

 公平を期す為に、エダからマクレーンへ告解の断りは禁止。そう言う事だろう。

 

 

「クッソ……どうなってんだ。おたく、一々ここに来る迷える羊相手に、他のシスターと値踏みしてんのかぁ?」

 

「ふむ。なかなか良い得て妙さね。大体当たっとるよ。さすがは刑事だ」

 

「やっぱ出てやる」

 

「まぁまぁ、落ち着きゃあよ。懺悔は無料さ。それにこんな時間に、特別に開けてやったんだ。それに免じて、告白だけでもしたら良い」

 

 

 ひとまず護身用にベレッタをホルスターから抜き、忍ばせておく。

 

 自ら進んで入った事は事実だ。話すだけ話そうと、マクレーンは考え直す。

 

 

「形式は言えるかい?」

 

「……女房から倣ったよぉ」

 

 

 

 

 

 

 二人は同時に声を合わせ、「父と子の聖霊の御名によって」と唱えた。

 

 次には祈りの後に唱える、誰もが知っているヘブライ語を呟く。

 

 

「アーメン」

 

「……アーメン」

 

「そんじゃ、罪だの何だの告白しな」

 

「いきなり大雑把だなオイ……まぁ、この際どうでも良い。考えてみりゃ、この街でもニューヨークでも、俺はあまり自分の事を話さなかった。色々と溜まってたんだろ、吐き出す良い機会だ。場所がこんな糞溜めの街じゃなきゃ、赤ん坊帰りしたように泣いてたかもな」

 

「そりゃ残念さね。ぜひ見たかったよ」

 

「……あと、もうちっと素行の良い神父かシスターを寄越してくれりゃ、御の字だったがな。まぁ、神の名において赦してやる。アーメン」

 

 

 仕切りの向こうより、シスターの静かな笑い声が聞こえた。

 

 それが止んでからマクレーンは、ゆっくりと話し出す。

 

 

 

 

「おたくが俺を知っているかは別でな……俺は、英雄になったんだ。三回もな。一回が一九八八年で、二回がその翌年。どっちもクリスマスに起きて、妻が巻き込まれた。だから俺が戦って解決したもんだから……あー、サンタクロースとか呼ばれたな」

 

「聖人になれたじゃアないかい」

 

「懺悔室で銃持って寝っ転がる聖人がいるもんなんだな……三回目はつい最近だ。五年前。前の二回と比べりゃ世間には知られちゃいないが、世界恐慌になるかもしれなかった事件を解決してやったよ」

 

 

 一通り、自分の過去の栄光を話したところで、マクレーンの表情は暗く、落ち込んで行く。

 

 

「……世間は、俺を囃し立てた。特に一回目と、二回目の時は凄かった。連日、世界のあちこちのマスコミが俺の所に来たんだ。休日、仕事中、お構いなし。たまに英語が怪しい奴らもいたが、みんな決まって言うんだ」

 

「なんと?」

 

「……『ヒーロー』ってな」

 

 

 シスターは少し間を置き、質問した。

 

 

「それらの事件で、あんたは何をしたんだい?」

 

「……話したって仕方ない」

 

「自分の事を吐き出す良い機会と言ったのはそっちさ。踏み込んだのもそっちさ」

 

 

 息を吐き、観念したように話を続ける。

 

 

 

 

「最初はデカいタワーで、一人でテロリストどもをやっつけた。その一年後には空港で、軍人御一行様を丸ごと吹っ飛ばした。つい五年前はニューヨーク走り回ってクソどもをぶっ殺した」

 

「ほぉ」

 

「俺はもう三回も事件に巻き込まれて、その都度なんとか生き残ってこれた。刑事として、誰よりも貢献している。貢献しているハズだ」

 

「申し分ない活躍とは思うがね」

 

「……だが得られるのは、ちょっとの間の人気と、ちょっとした奴らからの称賛だけ。給料は上がらない。警部補から出世できない。離婚の危機は避けられない。酒とタバコはやめられない…………」

 

 

 一呼吸を置き、暗い声で「そんなもんだ」と呟いた。

 

 

「不休で仕事したって、テロリストを殺したって、国を救ったって…………」

 

 

「…………国を救って?」

 

 

「…………妻を守れたって…………『ホリー』を守れたって……」

 

 

 脳裏に浮かぶ、離婚した妻の姿。

 唇が震えてしまい、次の言葉が出なかった。

 

 やっと出せた言葉は、つまらない自虐だ。

 

 

 

 

「結局は俺。そうだ、俺が俺のまんまじゃ、何も変わらない────こんな当たり前の事実が怖くて、誰にも話せなかったんだろうな」

 

 

 そう言って、マクレーンは喉で笑った。

 

 

「戦場で敵兵数百人をやっつけた大英雄が、退役後はとんだロクデナシになった話は腐るほどある」

 

「この街にも多いねェ。よぉく分かるさ」

 

「さっきもエダって尼さんに言われたよ……俺は確かに、何か起きても生き残れる技量はある。あるかもだが、人間として大事な、世間様に順応する頭がなかっただけだ。そうなると、こうなっちまった理由は簡単だ」

 

「……あんたはその事件を経て、どんな結論に至った訳だい?」

 

 

 身をよじり、姿勢を戻してから、語ってやった。

 

 

「最高にツイてないのは、事件に出くわすからだけじゃない。それ以外の全てに、徹底的に見放されているところも含めてだ。つまりは運も生き方も、自分次第ってこった」

 

「……そいつぁ、全体的な自己啓発論さね。あんた個人に対しちゃ?」

 

「…………つまり俺は、どっちにしても持っちゃいないのさ、って事よ……ここ、禁煙?」

 

「構わんよ。こりゃ長くなりそうだ、あたしも一服するかね」

 

「ははは……やっとこの教会が好きになって来たよぉ」

 

 

 ポケットからマルボロを取り出す。

 

 中身を覗くと、一本しかなかった。

 溜め息吐きながら、その一本を咥えて、火を付ける。

 

 

 向こうからも、紫煙を吐き出す音が聞こえた。

 ニコチンを補給してから、マクレーンはタバコを咥えながら話を続ける。

 

 

「……だから、事件中の俺のやり方は……バッシングも受けたよ。交渉の余地はなかったのかとか、殺す必要はなかっただの、助けられなかった命もあるだの……」

 

「………………」

 

「……テレビを付けりゃ、それまでの事件の最適解ってやらを、お偉い先生がたが紹介してやがった。ホリーは何も言わずに、テレビを消した。すると今度は玄関先に、封筒が届いたんだ…………出廷の命令通知だ」

 

「訴えられたのかい?」

 

 

 煙を吐く。

 

 

「……俺が助けられなかった男の、遺族だった。俺が見殺しにしたって、恨んでいたんだ。空港の時も、何度か訴えられた。みんな俺が殺してやった犯人どもじゃねぇ……助けられなかった俺を、憎んでいた」

 

 

 懺悔室に、紫煙が立ち込める。

 しかしお互いに気にはしない。スモーカーにとっては、空気と同じだ。

 

 

「……世間の目は段々と、バッシング寄りになった。俺も意地になって、取材だのを断りまくった…………結果、世間は俺に呆れて、メディアも興味をなくした。一部俺の特番を続けていたって国もあったが、米国で俺の名は、九十年代の半ばには忘れ去られていた」

 

「………………」

 

「でも俺は構うこたぁねぇと思っていた。仕事をこなし、家族を守る。これさえこなしゃ、『世はこともなし』ってな」

 

「……しかしぃ、あんた」

 

「皆まで言うんじゃねぇ……結局別居して、数年後に離婚だ。ホリーも耐えられなかったんだ……世間の目ってのにな」

 

 

 震えた指でタバコを挟み、口から離す。

 

 マクレーンの目は、既に涙で潤んでいた。

 

 

「良く出来た妻だったよぉ……裁判沙汰の時は、知り合いの弁護士を揃えてくれてな……でも、限界だったんだ。子どもたちの事もある……妻が疲れている時に俺は……仕事仕事仕事…………」

 

 

 溢れそうになる涙を、手で拭う。

 声が上擦って行き、辿々しくなる。それでもシスターは、静聴に徹した。

 

 

「みんなを助けた……その代償は、俺の全てだったんだ……それに俺は……助け切れていねぇ……その罰にも思えたんだ」

 

 

 拭っていた涙が抑え切れなくなり、頰を伝う。

 

 

「もう過去なんかいらねぇ、全部クソ喰らえだ……そうやって不貞腐れてりゃ今度はこんなアメリカの裏側に来て、大人の食い物にされた双子を殺そうと走り回っている……」

 

「………………」

 

「……俺は、なんだったんだ? 社長が銃を突きつけられている時に、突入すれば良かったのか? エリスを救う為、投降すりゃ良かったか? 両手の火を、もっと高く掲げりゃ良かったのか? 悪趣味な謎解きなんざ無視して、留まっときゃ良かったか?」

 

 

 タバコを再び、咥えた。

 

 

「俺は結局、何をしたいんだ……ただ、自分でいたいから、空っぽのまま走ってたんだ」

 

 

 灰となった先端が、ポキリと折れる。

 

 

 

 

 

「俺は救えてねぇんだ……ヒーローなんかじゃねぇ……ここにいんのは…………やっぱり、過去に戻りたい男なんだ」

 

 

 

 

 

 窓の隙間から、煙が入って来る。

 

 シスターが、こちらに紫煙を吐きかけたようだ。

 

 

 

 

 

「……なんだい、情けない泣き言聞く為に、あたしはここに入っちまったんかい?」

 

 

 呆れたようなシスターの声。

 別に慰めの言葉なんて求めていなかったマクレーンは、涙目ながらに忍び笑いを浮かべた。

 

 

「過去に戻りたいだの、あの時ああすりゃ良かっただの……馬鹿な事は言うんじゃアないよ。未来なんざ、誰にも分かりゃしない。分かるのは、たった一つさね」

 

 

 間を置き、シスターは突きつけてやった。

 

 

 

 

 

「あんたはその時、そう決断したんだろう? 少ない選択肢の中から選んだその決断で、女房を守りきったんだろ? あんたは、『失っちゃいない』んだ。今は離れただけ。失わずに頑張ってこれたんだ」

 

 

 俯き気味だったマクレーンの顔が、上がった。

 

 

「後から色々と言うのは、誰だって簡単さ。事件の全貌さえ使めりゃ、あたしにもパーフェクトアンサーが出せるとも──だが、それらは結局、結果だ。苦しい中で導き出した、あんたの決断には劣るさ」

 

「………………………………」

 

「あんたはテレビのキャスターか?」

 

「……………………違う」

 

「この街の奴らのようなハンターかい?」

 

「………………違う」

 

「なら世間が囃し立てる、ヒーローかい?」

 

「…………違う」

 

「救える命を見殺しにした、ヴィランかい?」

 

「……違う」

 

「じゃあ誰なんだい? もうあんたは、自分で答えを出してるんだよ」

 

 

 口からポロリと、タバコが落ちた。

 

 

「結局は…………『自分』さね。あんたは誰でもない。忘れられたって関係はない。決断し諦めなかった男、『ジョン・マクレーン』だろう?」

 

 

 椅子の上に寝転がるようにしていた姿勢が、持ち上がる。

 

 

「救えなかった命……当たり前さ。人間は不完全だ。届かなかった時もあろうに。それでも折れずに戦い、救えなかった命になるべきものさえ救った。あんたの出した決断が、テロリストらを追い越したんだよ」

 

「………………」

 

「珍しくあたしゃ、これだけ言ってやったんだ。もう一度聞くが、まだクヨクヨするってぇんなら、黙っとるんだよ」

 

 

 間を置き、シスターはマクレーンに再度問いかける。

 

 

 

「あんたは誰だい? 何で、何の為に戦った男だい?」

 

 

 

 

 

「俺はジョン・マクレーンだ。ただのジョン・マクレーンじゃねぇ。刑事で────自分の為に戦った男だ」

 

 

 マクレーンは愕然とした顔で息を吸い込み、吐き出すように喋り出す。

 

 

「俺は、俺なんだ。俺の決断で、ホリーや皆を救えたんだ。俺しかいなかったんだ……!」

 

「あぁ、そうさ」

 

「俺はやったんだ。クソッタレの、イカれ野郎どもをぶっ殺してやったんだッ!!」

 

「ぶっ殺すだけが、あんたの目的かい?」

 

「それは違ぇ。俺は刑事だッ!! ここの連中とは違う…………ッ!!」

 

 

 彼の脳裏に、一筋の「結論」が生まれた。

 

 その考えに至った時、彼の表情から影は消えた。

 

 

 涙の跡が窺える顔が、楽しげな笑顔に変わる。

 

 

「……答えは出てた……!『限りなくフリー』なんだ……! なんだってやれる……! まだ終わっちゃいねぇ……道は一つじゃなかったんだ…………!!」

 

 

 結論は出た。

 

 マクレーンは懺悔室の中で、勢い良く立ち上がる。

 そのまま興奮した様子で、シスターのいる窓にキスをしてやった。

 

 

「あーあー、汚いねぇ」

 

「最高のシスターだあんたッ!! あのエダじゃなくて、あんたにメシを奢りてぇよぉッ!!」

 

「あまり叩かないどくれ。古いんだ、壊れたら弁償させるよ」

 

「俺は世間の言う自分に縛られていた……だが、俺は俺なんだ。結局、俺なんだッ!!」

 

 

 シスターに礼を言って、怪我の痛みも忘れて飛び出そうとする。

 それを見越し、彼女は呼び止めた。

 

 

「待った待った。形式通りに終わらさにゃならんよ」

 

「あ、あぁ、そうだな。えぇーと、どんなんだっけか……」

 

「準備は良いかい? 神の赦しを求め、心から悔い改めの祈りを唱えて下さい」

 

「祈りだな、お祈りお祈り……」

 

「大雑把だねぇ……まぁ良いさ。それとあんたのソレは罪の告白とは違う気がするからねぇ……そうだ。ほれ、窓に近付きな」

 

 

 マクレーンはシスターに言われるがまま、格子窓に寄る。

 

 

 カーテンを少しめくり、格子の隙間から何かをマクレーンに渡す。

 

 

「……こいつぁ……」

 

「餞別さ。あんたに赦しはあんまし意味はないからね。ただ一言、これだけ付け加えてやるよ」

 

 

 それを手渡した後に、シスターはまたカーテンを閉め、言った。

 

 

「遠くを見ても、なかなか目には入らん。たまにゃ、足元から探ってみんだよ。そうでありたい(Amen)……いや。これは使わないでおこうかい」

 

 

 悪戯っぽい笑い声が、聞こえた。

 

 次にはアーメンに代わる言葉を投げかけてやる。

 

 

 

「──────」



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Good Day Sunshine

「Good Day Sunshine」
「ビートルズ」の楽曲。
1966年発売「Revolver」に収録されている。
またポール・マッカートニーのソロアルバムである、1984年発売「Give My Regards to Broad Street」でもセルフカバーされている。
世界のポップを変えた、伝説のバンド。彼らのもう一つの功績はアメリカにUKロックのブームを迎えさせ、ローリング・ストーンズやキンクス、ヤードバーズ(後にレッド・ツェッペリンとなる)らの進出を促し、世界的バンドへと導いた事にもある。
陽気な手拍子と清々しいリズム。「これぞビートルズ」な一曲。


 マクレーンが教会を去ったのは、その後だった。

 夜と共に深まる闇の中を、脇目も振らずに走って行く。

 

 今の彼は、使命感に燃えていた。

 

 憑き物の落ちた顔で、暗闇を抜ける。

 

 

 

 彼の背中を、見えなくなるまで見送る老婆。

 修道服に身を包んだ聖職者ではあるが、右目を覆う黒の眼帯が堅気ではないと表現している。

 

 タバコを片手に礼拝堂の前で立つ彼女こそ、マクレーンを奮い立たせたシスターだった。

 

 

「……聖書の言葉だと思えば、ビートルズですか」

 

 

 傍らからエダも現れた。

 彼女もまた、タバコを吸っている。

 二人して姿は修道女だが、あまりにイメージとかけ離れた有り様だ。

 

 

「紅茶にしたり、ビートルズにしたり。少し英国趣味が際立っていますよ」

 

「なんでどうしてさ。ビートルズは、みんな好きだろ?」

 

「英国バンドなら、私はトロッグスですかね。Wild Thingしか知りませんけど」

 

「作曲者はアメリカ人じゃないかい」

 

「だから好きなんですよ」

 

 

 歯を締めて、くくくと意地悪そうに笑うエダ。

 

 一頻り笑った後、神妙な顔付きでまた、タバコを吸う。

 

 

「……送り出して良かったのですか? あの状況なら、窘めたりも出来たでしょう。言ってはなんですが、彼一人で辿り着けるかは奇跡に近い。仮に辿り着いたとしても、間違いなく死ぬ」

 

「間違いなくってかい?」

 

「…………いや。半々にしておきましょう。こちらも、彼の異常な遭遇率と生存能力に関して、頭を悩ましていますよ。三階から飛び降りてあの怪我は信じられませんって。下手な陰謀論の方が真実味ありますよ」

 

「んまぁ、あんたのキマグレでやって来た、ステイツのおまわりさんだ。滅多に来るもんじゃないし、時にゃァ、格好に見合った仕事をすんのも良いさ」

 

「しかし気になる事が一つ」

 

 

 肺に溜め込んだ煙を、夜空に吹き上げながら、エダは質問した。

 

 

「彼が懺悔室に入る事を、なんで知っていたのですか?」

 

 

 合わせてシスターも、煙を吹く。

 

 

「……相場ってもんさね。救う者は、また誰より救われたい人間ばかりだ」

 

「そんなものですか」

 

「だからあんな、張り切って出て行ったんだろう?」

 

「……まぁ、単純な男に見えましたからね」

 

 

 エダの見解に、今度は老婆が煙を吐きながら笑う。

 その通りだと認めているかのようだ。

 

 

 

 

「最近のこの街ぁ、退屈過ぎる。あぁいうのがいて、やっと楽しめるってもんさ」

 

「しかし、我々の障害になるのなら?」

 

「そん時の判断は、そっちの仕事さねか?」

 

 

 それだけ言い残し、シスターは再び礼拝堂に引っ込もうとする。

 こっそりその場を離れようとするエダに、念押すように言いつけた。

 

 

「賭け」

 

「うっ…………」

 

 

 懐から財布を取り出し、渋々賭け金を抜き取る。

 

 

「上等なこったぁ。あぁついでに、後で懺悔室の清掃も頼むよ。あんの男が暴れたからに、灰がもうもうと舞っちまってなぁ」

 

「……ヤー、シスター『ヨランダ』」

 

 

 礼拝堂から腕を伸ばした老婆──ヨランダの手の上に、十ドル札三枚を乗せる。

 満足げにヨランダは、エダの前から消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AM 04:54

 

 

 壊れたデジタル時計は、そのまま放置されていた。

 

 

 マクレーンは深夜の市内に戻っていた。

 

 ブラン・ストリート、カリビアン・バー。

 破壊と弾痕で無惨に変わり果てた、双子と初遭遇した現場。

 

 

「………………」

 

 

 窓ガラスは粉々に砕かれ、尖った歯のようなガラスが窓枠に残っている。

 

 立ち入り禁止を表すテープの向こうを覗いた。

 内装は暗く、良く見えない。だが、最後に見た光景と何ら変わらない。

 

 

 たくさん死に、たくさん壊れた。

 

 その惨状から逃げ切った事が、長い一日の始まり。

 これほど濃厚な一日は、五年前以来だなと懐かしむ。

 

 

「……って言っても、『ゼウス』に話しても信じてくれねぇだろうがなぁ」

 

 

 

 

 なぜ彼はここに戻って来たのか。

 それは懺悔室で受けた、シスターからの助言が理由だった。

 

 

 

 

「遠くを見ても、なかなか目には入らん。たまにゃ、足元から探ってみんだよ」

 

 

 

 

 双子の足取りは、どうやら消えてしまったようだ。

 バラライカらも結局、取り逃がしたと言う情報もある。

 

 

 また最初のような、手探りの状態に逆戻り。

 ならばまた、最初からやり直すまでだ。

 

 

「……しかしまぁ、ここじゃもう無理か? 指紋の付いたグラスしかなかったし……」

 

 

 マクレーンはポケットから、何かを取り出した。

 

 

「……繋がるもんは、これだけか」

 

 

 

 

 

『 彼がバラライカに投げ渡した物は、小さな女の子の人形。

  ストラップにして吊るせるような物。

 

 

 「……これが?」

 

 「それが、襲撃者の私物だった」』

 

 

 

 

『「動けクソッタレぇえッ!!!!」

 

 

  彼は銃身にぶら下がっていた、人形を掴む。

  グンっと引き、照準を狂わせてやった。』

 

 

 

 

『「その双子に繋がるもんと言ったら、本当にそれしかねぇ。引っ張った時に切れて、なんかに使えねぇかとポケットに入れといた」

 

 

  彼女はマクレーンから受け取った人形を、ワトサップに見せる。

 

 

 「……あー、駄目だ。こんな下手くそな編みモン、ウチの家内でもそうそう作れねぇぜ。網目が乱雑で、しかも毛糸。『指紋』は取れるだろうが、断片過ぎて使いもんにならねぇだろな」

 

 

  そうか、と呟いた後にバラライカは人形を、マクレーンに返す。

  怪訝な表情で、おずおずと受け取った。』

 

 

 

 

 

 元々グレーテルの操るBARの銃身にぶら下がっていた、少女を模した人形だ。

 

 一度は下宿屋に置いていた物を、わざわざ回収して来た。

 

 

「……そういや、あん時になんか言ってたなぁ」

 

 

 ビルの中で、双子を逃した時の様子を思い出す。

 

 

 

 

 

『 彼の視線に気付いたグレーテルは振り返る。

  意味深長な微笑みを浮かべ、ポケットから取り出した物を見せ付けた。

 

 

 「大丈夫、また会えるわ。マクレーンおじさんが私たちを求めるなら、必ず」

 

 

  その物とは、小さな人形だった。

  すぐにグレーテルは前へ向き直り、ヘンゼルと仲良く姿を消す。』

 

 

 

 

 あの時グレーテルが見せ付けた人形は、マクレーンの持っている物と同じだ。

 そしてグレーテルの言った、「また会える」の言葉。

 

 

 この人形が、二人に繋がる重要な物ではないかと、直感で思い至った。

 

 

「……しかしなぁ、同じ人形をあいつら買い貯めてんのかぁ? こんな下手くそな……」

 

 

 色々と考え続け、人形を観察したり店内を確認したりと、手掛かりを探る。

 

 僅かな証拠から犯人へ到達するのは、刑事の得意分野だ。

 だがそうだとしても、現状は残念ながら絶望的に思えた。

 

 

「……仕方ねぇ。次は、双子がいたってモーテル行くか」

 

 

 バーでの調査を諦め、次の場所へ移動しようとする。

 しかし店から背を向けようかとした時、中の暗闇で蠢く存在に気付く。

 

 

 店の奥から現れ、破片や物を蹴飛ばしながら動く、人影。

 

 

「おーい!! 誰だあ!?」

 

 

 マクレーンが呼び掛けると、人影はビクリと身体を震わした。

 

 

「か、勝手には入ったが、関係者だ!?」

 

「関係者かどうかは、俺の前に来てから言いやがれ!」

 

「わ、分かった! 怪しい者じゃ…………」

 

 

 バーから出て、街灯の明かりの下に現れたのは、見覚えある青年。

 向こうもマクレーンの事を覚えていたのか、彼を視認した途端に目を見開いていた。

 

 

「……ああ!? あんたは!?」

 

「……あ? もしかしておめぇ……」

 

 

 マクレーンも、彼が誰かを思い出す。

 

 

 

 

『 その死体の中で、蹲って震えている生存者を発見する。

 

 

 「おい」

 

 「ひぃッ!?」

 

 「しっ! 静かにしろ、敵じゃねぇ!」

 

 

  休憩をしていた給仕だ。マクレーンとは、彼が酒を飲んでいた時に知り合っていた。』

 

 

 

 

 

 間違いない。あの時、双子の襲撃から共に生き残った、このバーの元給仕だ。

 彼は相手がマクレーンだと気付くと、嬉々として表情で歩み寄る。

 

 

「ジョン・マクレーンか!? なんか、今朝より随分ボロボロだなぁ!?」

 

「今朝って、もう日付け跨いじまってんぞ……おめぇ、ここで何してんだ?」

 

「財布を落としたのと、荷物を奥に置きっ放しにしていてな。探しに来てたんだ。今日は色々あり過ぎて、やっと暇になってなぁ」

 

「……あぁ。お互い、災難だったな。店長は残念だった」

 

「あいつ、俺の給料ピンハネしやがって! 死んで当然なんだよ!」

 

「…………腐ってもここの住人って訳か。もう何も言わねぇ〜……」

 

 

 火事場泥棒ではないと知り、もう一度早々に立ち去ろうとする。

 

 しかし彼はなぜか、マクレーンの後を興奮気味に追って来た。

 

 

「なぁ、それよりミスター! 俺、あんたの漢気に惚れ込んだんだ!!」

 

「気持ち悪ぃなお前……」

 

「あの双子相手に、ホテル・モスクワの奴をわざわざ助ける為に出て行ったりなぁ! あんたスゲェよ! 噂通りの男だよホント!」

 

「悪いが、すまねぇ。今は構ってられねぇんだ。そう言う話はまた今度にしてくれ」

 

 

 立ち止まり、元給仕を窘めようと両手を上げ、断りを入れる。

 

 その時に彼は、マクレーンが左手で握りっぱなしになっていた人形を見やる。

 

 

「なんだなんだ? 顔に見合わず、少女趣味か?」

 

「これはちげぇよ」

 

「……ん?」

 

 

 すると彼は、人形をまじまじと観察し始めた。

 最初は記憶を掘り起こすかのような顰め面で、次にはやや驚いたような顔付きになる。

 

 

「……おいおい。あんた、やけに懐かしいモン持ってんな。どこで買えたんだ?」

 

「なに? この人形知ってんのか?」

 

「あぁ。もう五年になるかなぁ。俺の知り合いの話でな、世知辛さを実感したなぁ」

 

 

 腕を組み、彼はマクレーンの持つ人形についての話をしてくれた。

 

 

 この話が、決定打になるとは思いもよらなかったが。

 

 

「ある時に、オリジナルブランドの人形を作って売り出そうって奴がいてな。で、裁縫工場だった知り合いがその人形の生産に乗った訳よ」

 

「……そのオリジナルブランドの人形ってのが、コレか?」

 

「しかしまぁ、今見てもひでぇ出来だわ。売れる売れるってバンバン何万以上も作らせた癖に、既にタイじゃもっと出来の良い子ども向けの人形がブームになってな。しかも工場長騙して、借用書の名義も押し付けて、本人は夜逃げ」

 

「………………」

 

「借金まみれにされた知り合いは一家心中。嫁と二人の子どもを射殺して、最後は自分の口に銃突っ込んでバーン。悲しいねぇ」

 

 

 彼の話を聞いた時、目が明くほどの衝撃が立ち上った。

 

 まさかと思い立ち、元給仕の肩を掴んで聞き込む。

 

 

「その工場だッ!! どこにあるッ!?」

 

「え、えぇ?」

 

「頼むッ!!」

 

 

 鬼気迫る表情のマクレーンに当惑しながらも、彼はおずおずと答えてくれた。

 

 

 

 

「海沿いの、工業地帯……確か、デカい水路の近くだったか」

 

 

 双子の居場所が、分かった。

 マクレーンは爆ぜるような歓喜の声をあげる。

 

 

「…………あそこかぁッ!? 良くやったッ!! 最高だありがとうッ!!」

 

「おう、おう……こんな暗い話して感謝されたの初めてだな」

 

「ところでお前、ここまで何で来た!?」

 

「え? 車だが……ほら、今朝もあんた乗せただろ? アレが俺のだ」

 

「キー出せッ!!」

 

「は?」

 

 

 言われるがままに取り出したキーを奪ったマクレーン。

 返す事を条件に元給仕の車に乗り込み、走り去って行く。

 

 

 暗い街路の真ん中、呆然とそれを見送る寂しい青年の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その場所は、海の近くにあった。

 

 カモメの糞と潮風により錆が浮いた、大きく四角い建造物が見えて来る。

 

 車を停め、有刺鉄線が巡るフェイスを抜けた。

 辺りに街灯は数本しかなく、不気味な闇と、唸り声のような波音が場を支配している。

 

 

 

 建物に近付く。

 ふと、一台の車が停まっている事に気付いた。

 

 黒のセダンの日本車。

 ナンバーも、朝に確認していた物と同じだ。

 

 間違いなく、双子の車だった。

 

 

「……ドンピシャだ」

 

 

 マクレーンは、思わず息を飲む。

 

 

 時刻は深夜の一時を過ぎた。

 あと三時間もすれば、夜が明け始める。

 

 それまでに、今日の精算を終えるんだ。

 マクレーンはそう決意し、ベレッタをホルスターから抜く。

 

 

 

 

 

 工場の裏手を確認する。

 

 すぐそこは、二メートルほどの高さを置いて海になっている。

 奥には桟橋があり、ボートが数隻、放置されていた。

 

 

「………………」

 

 

 辺りには自分の他に、誰もいない。

 ホテル・モスクワも、殺し屋たちも、誰も彼も、この場所に辿り着けてはいないようだ。

 

 

「…………震えて来るな。クソ」

 

 

 寒い訳ではない。寧ろ蒸し暑い夜だ。

 

 怖い訳でもない。武者震いの類だろう。

 

 自分の命を賭けた、極限の大勝負。この空気と緊張だけは、何度経験しても慣れない。

 

 

 工場の正面に戻り、息を吸い込む。

 

 

 そして、雲の切れ間より覗く月に向かって、吐く。

 

 

「…………行こう」

 

 

 マクレーンは、重厚な檻のような扉に手をかけた。

 

 

 取っ手を掴み、両手で大きく開いて行く。

 

 

 

 ギギギ、ギギギと、耳触りな金切り音を立て、扉は次第に次第に開く。

 

 

 通れる隙間を作り、マクレーンはそこに潜り込んだ。

 

 中はやはり暗かった。

 外から入る街灯の明かりだけが、全てだ。

 

 薄い光をマクレーンは手繰り寄せるように網膜に取り入れ、工場の奥へと向かう。

 

 

 

「……歓迎されてんのか?」

 

 

 中には多くのミシンが並んでいた。

 そして床には、やけに綺麗に陳列されていた、数々の人形たち。

 

 まるで誘うかのように、奥へ奥へと一直線に並び、道を開けていた。

 紡糸の目が、ぼんやりとマクレーンを見つめている。

 

 

「……あぁ。パーティーにご招待ってか。趣味が良い奴らだなぁ、えぇ?」

 

 

 皮肉を込めて、鼻で笑ってやった。

 

 人形らが挟む道を進み、次の棟への扉の前に立つ。

 

 

 恐らくは、この向こうだ。

 

 

 

 

 扉に手を当て、もう一度深呼吸。

 埃っぽく澱んだ空気を肺に溜めて、吐き出した。

 

 

「…………ようっし……ッ!!」

 

 

 意を決し、扉を勢い良く開け、ベレッタを真っ直ぐ構える。

 

 

 

 

 

 

 

 一際大きな、ホールだった。

 

 月明かりが、上部にある汚れた窓から差し込む。

 

 天井を支える柱が何本も立ち、その下には前の部屋同様、多くのミシン台が規則正しく並ぶ。

 床には毛糸や人形、布切れが散乱していた。

 

 

 荒れ果て、忘れ去られた裁縫工場。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……来たよ、姉様」

 

「えぇ。来たわ、兄様」

 

 

 マクレーンの視線の先に、ヘンゼルとグレーテルはいた。

 

 

 差し込む月明かりと、近くに置かれた数多のキャンドルの火が、二人を照らしている。

 

 青白い光と、紅く柔い光。

 その二つの光を浴びる、双子の姿があった。

 

 

「待ってたよ、ずっと」

 

 

 ヘンゼルはミシン台の上。

 

 

「来てくれるって、信じていたわ」

 

 

 グレーテルは床に敷いた布の上。

 

 

 嬉しそうに微笑みながら二人は、一緒にマクレーンの方へ顔を向けた。

 

 二人の視線を受け、一度ベレッタを下げる。

 双子は訝しむように、小首を傾げた。

 

 

「僕たちに、マクレーンおじさんの命をくれるの?」

 

「とても嬉しい。愛は何にせよ、捧げる事から始まるって聞いた事あるの」

 

「それってもしかして、僕らは愛されているって思えば良いのかな?」

 

 

 声は至って小さめだ。

 だがこの静寂の中で、何よりも大きく響く。

 

 

 相変わらず笑顔を見せ続ける、ヘンゼルとグレーテル。

 マクレーンは俯きつつ、口を開いた。

 

 

 

「……てめぇらのビデオは見た。そんで、どう言うアレでそうなっちまったのかも、知ってんだ」

 

 

 

 彼の言葉に、二人は驚いたように表情を消した。

 

 

 

「……俺はその時、思ったよ。もう戻れねぇ、これまでみてぇに終わっちまった『世界の敵を殺すんだ』ってな」

 

 

 次に響いた声は、彼の自嘲気味な笑みだった。

 

 

「ふへへ……おかしいよな。『ヒーローじゃない』って吠えながら、『みんなのヒーロー、ジョン・マクレーン』でいようとしてたんだ。だから、てめぇらを殺すのが正解だと思ってたんだ」

 

 

 ヘンゼルが話しかける。

 

 

「おじさんはヒーローさ。ヒーローで、世界の敵。僕らがヒーローになって、苦しむマクレーンおじさんを助けてあげるよ」

 

 

 マクレーンは彼へ言葉を返した。

 

 

「悪いなぁ。俺ぁ、世界の敵じゃなかったんだ」

 

 

 グレーテルが話しかける。

 

 

「ならやっぱりヒーロー? 悪い人たちの命を吸った、呪われたヒーローかしら?」

 

 

 マクレーンは彼女へ言葉を返した。

 

 

「そんでやっぱ、ヒーローでもなかった」

 

 

 困ったように、双子が問いかける。

 

 

「じゃあ、おじさんは何なの? 殺し屋たちと同じ?」

 

「この街のマフィアたちと同じで、報復の為かしら?」

 

 

 マクレーンは二人へ言葉を返した。

 

 

 

「何でもねぇよ。俺は、俺だ。ジョン・マクレーンでしかねぇ。不器用で、不完全で、人よりちょいと諦めの悪い、バカな男さ」

 

 

 

 数秒の、沈黙が訪れる。

 言葉を選ぶように目を伏せているマクレーン。

 

 呟くような声が、屋内に響く。

 

 

 

「…………今日はお互い、長かったよなぁ」

 

「……長かったね」

 

「……えぇ。長かったわ」

 

「……全部は、繋がってたんだよ」

 

 

 ヘンゼルはミシン台からぴょんっと、飛び降りた。

 

 

 

 

「クソ邪魔なブタクサのように切りたくても切りたくても、てめぇらに関係して絡まり続けてやったな」

 

 

 Return of the Giant Hogweed

 グレーテルはゆっくり、人形の中に置いていたBARへ手を伸ばす。

 

 

 

「時に見えなくなっても、絶対に消えてやしねぇと、弱っちい光を追っかけて」

 

 

 There Is a Light That Never Goes Out

 ミシン台の下に忍ばせていた、一本の手斧をヘンゼルは取る。

 

 

 

「その実見つけたのは、世界が生んだ闇と痛みだ」

 

 

 World of Pain

 一度しゃがみ込んでいたヘンゼルが、のっそりと立ち上がる。

 

 

 

「全員を殺してやろうと、イカれちまった怪物の正体だ」

 

 

 All Dead, All Dead

 崩していた足を整えて、グレーテルがBARを抱えて立ち上がる。

 

 

 

「そんなのとやり合ったせいで、こんなボロボロになっちまった。てめぇらは俺にとっちゃ、悪い夢みてぇなもんだぜ」

 

 

 Gemini Dream

 ヘンゼルはコートの下にあるホルスターより、S&W M60を一挺、抜く。

 

 

 

「……だが、俺ぁ何とか立てている。まだ立っていんだ」

 

 

 I'm Still Standing

 グレーテルは銃身にぶら下がる人形に、口付けを済ます。

 

 

 

「すっかり青空とサヨナラしちまった今でも、やっとの事立ってんだ」

 

 

 Goodbye Blue Sky

 双子は互いに、軽い口付けを済ませた。

 

 

 

「そんで決着を付けて、俺は陽の光を浴びてこう言うんだ。『良い日、晴天』ってな」

 

 

 Good Day Sunshine

 マクレーンはやっと目を開け、顔を上げた。

 

 

 

「……久し振りに神に祈って来たぜ、チキショー。『そうでありたい(Amen)』……あぁ、いや、間違えた」

 

 

 

 

 ベレッタを、迷いなく構えた。

 

 

 

 

「……後はやるだけだ────」

 

 

 

 

 

 

 ヘンゼルが、斧を掲げて飛び出した。

 

 床に並べられた人形を飛び越え、マクレーンへ一気に迫ろうとする。

 

 

 

 引き金を引き、放たれた9mmパラベラム。

 

 

「ッ!?」

 

 

 瞬間、ヘンゼルは危機を感じて足を止め、その場にしゃがみ込んだ。

 

 さっきまで彼の頭のあった場所を、銃弾が通り過ぎて行く。

 

 

 そしてグレーテルを掠めて、奥にある鉄製の壁に当たった。

 

 

 

 呼吸を整え、呆然とマクレーンを見やるヘンゼルとグレーテル。

 表情には驚きと、深い深い歓喜が宿っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「────『あるがままに(Let it Be)』ッ!! 待たせたなぁ、遊んでやるぜクソッタレッ!!」

 

 

 

 

 マクレーンは再び、ヘンゼルへ照準を向ける。

 

 

 しっかりと、真っ直ぐに、確実に、射抜けるように。




次回、「Let it Be」


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Let it Be 1

「Let it Be」
もう一度、「ビートルズ」の楽曲。
1970年発売のラストアルバム「Let it Be」に収録されている。
聖歌のような荘厳さを感じる主旋律へ、段々と彼ららしく小気味よいロックサウンドが乗せられて行く。
ポール・マッカートニーの亡き母親が現れ、「let it be(あるがままに行きなさい)」と語りかけた夢の話から、この曲が作られた。

世界を変えたビートルズの伝説にして、伝説の終わり。


 即座にヘンゼルは、マクレーンへの接近を停止し横へ走る。

 

 何度も響く射撃音。

 マクレーンのベレッタから放たれる銃撃は、ヘンゼルの背後を抜けて行く。

 その全てがやはり、先ほどまでのヘンゼルの軌跡に直撃している。

 

 

「……ッ!」

 

 

 グレーテルが構えていたBARの照準を合わせる。

 射線からヘンゼルが消えたと同時に、マクレーン目掛けて引き金を引く。

 

 

「そうだ、こんチクショウッ!! 撃ってきやがれぇいッ!!」

 

 

 ミシンや毛糸の詰まった段ボールを破壊し、銃弾が飛ぶ。

 

 マクレーンはベレッタを上に向けて横に飛び、身体を伏せて回避した。

 

 粉々になった機械の部品が、倒れた彼へ降りかかる。

 

 

「うわっぷ!? ひぃ〜……暴れるねぇ、えぇ?」

 

「もうっ! 隠れたりして! ずるっ子はいけないわ!」

 

 

 銃口は、マクレーンが伏せた辺りに下がる。

 四つ脚のミシン台の隙間を抜け、7.62mm弾を惜しみなく吐き出す。

 

 

「おおっととぉ!? なにがズルっ子だ! おめぇの方が数倍ズルじゃねぇかよぉッ!!」

 

 

 即座に四つん這いで床を駆け、人形を掻き分け鉄製のチェストの裏に隠れる。

 

 

「ひぃ、ひぃ……相変わらず、ご機嫌なBARだなぁ? もうちょいあいつが大人で、スティーブン・セガールみてぇに骨格がしっかりしてりゃ、ヤバかったか?」

 

 

 マクレーンはジッと、遮蔽物の裏で待つ。

 

 

 

 

 契機はすぐに訪れた。

 BARとは言え、無限の銃弾がある訳ではない。

 

 

「……弾切──きゃあっ!!」

 

 

 射撃が止まったと同時に、チェスト裏より顔を出したマクレーンが、グレーテルへ撃ち返す。

 

 

「バーの時に言いたかったけどよぉ、ボコスカ撃ち過ぎだぁッ!!」

 

 

 即座に彼女は頭を下げ、近くにあった長テーブルを倒して遮蔽物とした。

 

 マクレーンの銃弾は人形らを射抜き、詰まれた綿が舞う。

 

 

 

 

 それは月明かりに照り、青白く降り始める。

 グレーテルは弾倉を取り替えながら、空を見上げた。

 

 

「…………雪?」

 

 

 下から舞い上がり、ゆっくりと降りる。

 さしずめこの空間全てが、スノードームになったかのようだ。

 

 

 

 銃声を押さえ込むような、マクレーンの雄叫びが響く。

 

 

「ちょいと早いメリークリスマぁース!! 良い子にしてたかーーッ!?」

 

 

 チェストを飛び越えて駆け、マクレーンは一気にグレーテルの所まで詰めようとする。

 

 

 

 柱の裏に隠れていたヘンゼル。

 

 M60の撃鉄を起こし、彼の姿が見えたところで飛び出した。

 

 

「こっちにも構ってよ!」

 

 

 .38スペシャル弾を、偏差射撃を狙って彼の進行方向のやや前を撃つ。

 

 

「うぉとと!?」

 

 

 銃弾がマクレーンの鼻先を僅かに掠めた。

 その後も二発目、三発目と撃ち続けるヘンゼル。

 

 

「……あぁ、あぁ! 構ってやるが、後悔は無しだぞぉッ!!」

 

 

 マクレーンは敢えて倒れるようにして銃弾を回避し、そのままミシン台の隙間より反撃する。

 

 

「うわっ!?」

 

「焦り過ぎだぁ、坊主ぅッ!!」

 

「ッ……!?」

 

 

 放った数発が、ヘンゼルの傍らにある柱に直撃。

 それが段々と、半身を出した自分の方へ近付いていると気付き、サッと身体を伏せた。

 

 

 再び柱の裏に隠れ、何とかやり過ごす。

 ヘンゼルは自分でも驚くほどに、呼吸が乱れていた。

 

 

「はぁ……はぁ……!!」

 

 

 尚もこちらに向かって射撃を続行するマクレーン。

 

 一発一発、そのどれもが、ヘンゼルが身を縮めている事を考慮しての射撃だった。

 

 

「はぁ……! 殺しに来てる……! 殺しに来てくれてる……!!」

 

 

 自分の顔は見えない。

 

 しかし白肌の顔が紅潮するほど、今の彼は滾っていた。

 

 

 M60のグリップをおでこに当て、火照る頭を冷やそうとする。

 

 

「銃なんかじゃ嫌だ……マクレーンおじさんを感じながら殺すんだ……あったかい血を浴びながら殺すんだ……ずっとずっと、僕らと一緒に……ッ!!」

 

 

 シリンダーの中を見る。

 残り、二発。予備の弾は、ビルでの撃ち合いで使い切ってしまった。

 

 

 同時に、マクレーンのベレッタがスライドストップ。

 

 空弾倉が、床に落とされる。

 

 

 

 

────カァンッ。

 

 

 

 その音を合図に、ヘンゼルは斧を構えて柱から飛び出した。

 

 

「うぅお!?」

 

 

 マガジンを挿入し、即座に装填。

 

 その間、屋内にある数多の遮蔽物を高速で駆けながら、大回りでマクレーンへ迫るヘンゼル。

 銃弾の補充を済ませたと同時に、走り回るヘンゼル目掛けて撃つ。

 

 

「クソぅッ! すばしっこい……!!」

 

 

 机を潜り抜け、ミシン台を飛び越え、床を転がり、大きく跳躍する、を繰り返す。

 

 縦横無尽に飛び回るヘンゼルを捉える事は、至難の技だ。

 

 

「マジにプレデターか……!?」

 

「レディにお尻を向けちゃ駄目よ」

 

「ッ!?」

 

 

 翻弄されている内に、グレーテルもBARの装填を済ませていた。

 

 銃口が、マクレーンへと向けられようとする。

 

 

 

 しかし、彼は余裕の表情だった。

 

 

 

 

「……なんでも撃てるおめぇだが、唯一撃てねぇもんがあるよなぁ」

 

 

 

 マクレーンは突然、ヘンゼルの方へと走り出す。

 

 迫り来る彼へ、敢えて向かって行った。

 

 

「……あぁ、困ったわ。兄様が、興奮しちゃってる……」

 

 

 グレーテルは引き金が引けなかった。

 

 

 マクレーンが彼の方へ近付いた事により、射線にヘンゼルが入ってしまった。

 いつもの彼なら、射線に入るヘマはしない。

 

 

 だが、この戦いで血の昇った彼は、グレーテルの事を暫し忘れていた。

 

 さすがの彼女でも、片割れに手はかけない。

 諦めて、引き金から指を離す。

 

 

 

 

 BARによる銃撃で、ミンチにされる危険は回避した。

 

 しかし結局、狙う者から追う者へと逃げただけだ。

 

 状況はなにも変わらない。

 

 

 

 

「おじさぁんッ!!」

 

 

 人形たちを飛び越えながら、M60を向けるヘンゼル。

 

 

「おぅ、やるかッ!?」

 

 

 走りながら、ベレッタを構えるマクレーン。

 

 

 

 二人は同時に、発砲した。

 

 放たれた一発の銃弾は、お互いの顔面を掠める。

 

 

 

 回避の為に、体勢を崩したマクレーンとヘンゼル。

 

 照準がブレてしまったマクレーンの二発目、三発目は、明後日の方向へ飛んで行った。

 

 足がもつれて転びそうになり、壊れたブラウン管の置かれた台に手をつく。

 

 

 

「これでマクレーンおじさんの命は────」

 

 

 

 対してヘンゼルは、持ち前の身体能力で持ち直していた。

 

 銃を下ろし、手斧を掲げて、眼前に立つ。

 

 彼にとってさっきの一発は、目くらまし。本命は、一撃の斬殺だ。

 

 

 

「──僕たちのモノ────」

 

「詰めが甘いぞぉちびっ子ぉッ!!」

 

 

 マクレーンは傍らにあったブラウン管を持ち上げ、掲げる。

 

 

 斧は彼の頭部に当たらず、盾にされたブラウン管に直撃。

 

 

 破壊し、部品が舞う。

 

 斧は突き抜けず、途中で動かなくなった。

 

 

「ッ!?」

 

「まぁだ本気じゃねぇんだろぉッ!?」

 

 

 マクレーンはブラウン管を手放し、一歩引いてから再度ベレッタを構える。

 

 

 しかし、ヘンゼルから少しでも離れた事がまずかった。

 

 グレーテルの射線から、彼が外れてしまったからだ。

 

 

「チャンスね。兄様ばっかりズルい!」

 

 

 待ちかねていた。

 

 グレーテルもまた遮蔽物から飛び出した。

 

 BARの引き金を引き、銃弾を発射。

 

 

「うちちぃ!?」

 

「ほらほら! 一緒に踊りましょう!」

 

 

 マクレーンの傍らや、足元に着弾。

 ヘンゼルを撃つチャンスを逃した。

 

 

 

 

「──はぁ……!!」

 

 

 ヘンゼルは斧を引き抜いたと同時に、振り上げる形で刃先を差し向ける。

 

 警戒していたマクレーンは即座に、倒れ込むように回避しようとした。

 

 

 

 

「ぐぅ……!?」

 

 

 しかし、一瞬遅れてしまった。

 

 刃がマクレーンの左太腿と脇腹を掠め、脇の下から出て行く。

 

 切った際に散った血が、宙を舞う。

 

 

 

 

 そのまま人形たちの上に倒れた。

 

 

「──いてぇなクソッタレぇーーッ!!」

 

 

 ベレッタを撃つ。

 

 さすがに深追いは危険だと判断したヘンゼルは、横へ飛び込んで銃弾を回避。

 

 

 マクレーンの眼前を通り抜ける、銃弾。

 

 グレーテルはBARをまた、発砲している。

 

 

「あー、チクショーッ!!」

 

 

 人形を散らかしながら、グレーテルから離れようと這う。

 

 命からがら、目の前にあった柱に隠れた。

 

 

「いっでぇ……買ったばかりだっつうのに、シャツが赤くなっちまったぞ……!!」

 

 

 ベレッタは弾切れだった。

 すぐに弾倉を入れ替えようと、ベルトの左側に装着していたマガジンポーチに手を伸ばす。

 

 

 

 しかし、手探りで見つけきれなかった。

 

 パッとそこに目を向けると、なんとマガジンポーチが切れている。

 

 

「な!?……あ、もしかして……!!」

 

 

 柱の裏より、さっきまで自分のいた場所へ視線を送る。

 

 

 

 そこには布の切れ端と、二本の弾倉が散らばっていた。

 

 

「どうして……あー、さっきのだクソッ!! 切られたッ!!」

 

 

 ヘンゼルが振り上げた斧を、回避した時だ。

 あの時に偶然、マガジンポーチに当たったのだろう。

 

 

「拾わな──」

 

「不注意ね。こんな時に落とし物はいけないわよ?」

 

「あッ!?」

 

 

 グレーテルがマクレーンへの射撃をやめたかと思えば、突然下に向かって撃ち始める。

 

 

「あぁッ!?」

 

 

 弾倉が、めちゃくちゃに破壊されてしまった。

 

 落ちていた二本が、あるだけ全てだ。

 つまりもう、メインウェポンであるベレッタは使い物にならなくなってしまった。

 

 

「これで、その銃は使えないわね」

 

 

 再びマクレーンの方へBARを持ち上げるグレーテル。

 

 一旦引いたヘンゼルは、彼女の背後に控えていた。

 

 

 

 ヘンゼルは、グレーテルの耳元で囁く。

 

 

 

「姉様、姉様。お願いだよ」

 

「どうしたの、兄様?」

 

「僕、マクレーンおじさんを斬り殺したいんだ」

 

 

 グレーテルは「うーん」と唸り、少しだけ考え込む仕草を取ってから首肯する。

 

 

「そうね、兄様。なら、私はマクレーンおじさんの両足と、両腕を撃つわ」

 

「そうやって、動けなくさせるんだね」

 

 

「でも」と、ヘンゼルの唇に指を押し付けるグレーテル。

 

 

「お約束よ。その斧は、一緒に振り下ろさせて。結婚式のケーキカットみたいにやりましょ。ねっ?」

 

「うん、うん。そうしよう姉様、一緒に殺そう」

 

「えぇ、兄様。二人で命を分け合いましょう!」

 

 

 

 二人は余裕を見せながら、一歩一歩と彼のいる柱の方へ、足を揃えて近付く。

 

 一方のマクレーンは、渋い表情でベレッタをホルスターに戻す。

 

 

 

「……あぁ、チクショぅ……結局、お前に頼るのかよぉ……」

 

 

 そしてホルスターの、もう片方のポケットより、別の銃を抜く。

 

 

 

 

 

 ルガー P08。

 9mmパラベラム弾を作った「ゲオルグ・ルガー」の名を冠している癖に、9mm捨てて怪物になってしまった改造ルガー。

 構造はオートマチックピストルなのに、仕様は完全にリボルバーだ。

 

 

 大口径から放たれるは、454カスール弾。

 

 元々、七発弾倉に残っていたのが、モレッティにマテバを向けられている時に一発。

 ヴェロッキオ・ファミリーのビルの中で、二発。

 

 残り、四発。

 しかもこれまで着弾させた物は、じっくり狙った斧の柄だけだ。

 

 

「こんな、馬鹿リボルバーで勝負……クソぅ。するしかねぇのか」

 

 

 相変わらず硬いトグルを引っ張り、溜め息を吐く。

 

 

「…………四発。あと、『こいつ』と……」

 

 

 ポケットから取り出した物を、見つめる。

 

 祈りでも送るかのように握り締めてから、またポケットに戻した。

 

 

 

「…………あぁ、やってやるぅ。大人の意地ってもんだ────ッ!」

 

 

 

 サッとマクレーンは柱の裏から、横撃ちで銃口だけ出す。

 

 彼がまだ銃を持っている事に気付いた二人は、サッと身を屈める。

 

 

 

 

 爆発音が響き、驚異的な速度で飛んで行く銃弾。

 

 屈んだ二人の、頭の上を抜けて、吊り下げ式の照明を壊した。

 

 

 

 

「だぁーーッ!! 引き金かてぇよぉーーッ!!」

 

 

 グレーテルらを怯ませた隙に、柱から飛び出し横へ走るマクレーン。

 

 

 すぐに顔を上げ、照準を合わせる。

 

 

 

 

「──ああ、本当に素敵なおじ様……!」

 

 

 うっとりとした表情で、引き金を引く。

 

 

 

 

 

 BARの銃口から、撃ち放たれ続ける7.62mm弾。

 

 これまでそうだったかのように、全てを貫き、全てを破壊し、マクレーンへと飛びかかる。

 

 

 人形が蜂の巣となり、綿が舞う。

 

 燦々と散る雪のように、月明かりに照る綿や毛糸。

 

 マクレーンはただその中を、走る、駆ける、逃げ続ける。

 

 

 

 

「血で、真っ赤になっちゃったシャツ────」

 

 

 そう呟いたヘンゼルの頭上を、二発目のカスール弾が飛び抜けて行く。

 

 

 

「降りしきる雪の中。大忙しな────」

 

 

 そう呟いたグレーテルより五メートル横へと、三発目のカスール弾が外れた。

 

 

 

 

「────まるでサンタクロースだなぁッ!!」

 

 

 そう叫びながら、引き金を引く。

 

 

 グレーテルの追撃から逃げつつ、ただでさえ取り回しの難しい銃で撃とうとしている。

 

 

 

 当たるハズがなかった。

 

 四発目は、双子の間を抜けて、消えた。

 

 

 

「ハッハッ!! 笑えねぇーーッ!!」

 

 

 倒れていた作業台の裏へと飛ぶ。

 

 そこで一頻り身を守っていれば、突然銃声が止んだ。

 

 

 

「弾切れ。最後の弾倉よ」

 

 

 颯爽と弾倉を入れ替える、グレーテル。

 

 彼女の横にいたヘンゼルは、一歩前へ進んだ。

 

 

「姉様の弾がまるで当たらない。あははっ!! やっぱりマクレーンおじさんは、凄いや!」

 

 

 隠れていても、いずれヘンゼルによって殺される。

 

 弾切れになった弾倉を、ルガーから抜くマクレーン。

 

 

 

「……本当だったら、十三発ちょっと込められる複列弾倉(ダブル・カアラム)なのになぁ……勿体ねぇ」

 

 

 ポケットにしまっていた物を、再び取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────カーテンを少しめくり、格子の隙間から何かをマクレーンに渡す。

 

 

「……こいつぁ……」

 

「餞別さ」

 

 

 シスターより手渡された物は、「二発の銃弾」だった。

 

 454カスール弾。

 しかし、初めから弾倉の中に入っていた物とは勝手が違っていた。

 

 

「……おい。この弾……」

 

「その気持ち悪いルガーの中に入っとった弾丸のジャケットは、メジャーな『ホローポイント』だったよ」

 

 

 ただの鉛弾に効果を授けるのが、ジャケットだ。

 弾丸に被せる、薄い銅の事を指す。

 

 ホローポイントとはそのジャケットの一種で、先端に楔形の窪みがある。

 この窪みが人体へ着弾と同時に外側へ広がり、抉るような銃槍を作る。

 

 またそれがブレーキとなり、貫通を抑えられた。

 アメリカを含む多くの国の警察は、貫通による流れ弾事故を防ぐ為、このホローポイントの弾を義務付けている。

 

 

 

「俺が気絶している時に弄ったのか?」

 

「職業柄、気になっただけさね」

 

「……職業柄の意味、間違ってねぇか? おたくシスターだろ?」

 

「ただのシスターが、あんたに弾を渡すと思うんかい?」

 

 

 それもそうだなと納得し、貰った二発のカスール弾をまじまじと眺める。

 

 ジャケットはホローポイントではなかった。

 丸い先端で変形しにくく、貫通力の高いフルメタル・ジャケット弾を思わせる構造だ。

 

 

「……これ、リボルバー用の弾丸か? ジャケットがオートマチック用だろ」

 

「特注品さ。454カスール弾をベースに弾芯はスチール製、ジャケットはフルメタル。高初速、大質量の徹甲弾と言った方が良いかい。ダメ押しのテフロンコーティングだよ」

 

「嘘だろ? 詰め込み過ぎだろ、頭おかしいのか? この弾?」

 

「頭おかしい構造の銃にゃあ、ピッタリだと思うがねぇ」

 

 

 それを言われたら、また納得するしかない。

 マクレーンは思わず、笑ってしまった。

 

 

「なんでこんなモンを持ってて、俺にくれるんだ?」

 

「余りモンさ」

 

「ここ教会だよな? 武器倉庫だったのかぁ?」

 

「そんで、渡したのは……まぁ、エダの言葉を貰うか。『キマグレ』さね」

 

 

 格子窓の向こう、カーテンの隙間から、シスターの皺だらけの指が見えた。

 

 

 

 

「あたしの勘によると、あんたはその銃の方がありがたいハズだろ?『二重の意味』でなぁ」

 

 

 

 

 

 

「クソッタレ……俺は本当に、分かりやすい男だなぁ」

 

 

 シスターから貰った二発の銃弾。

 一発一発を空いた弾倉の上から、詰めてやった。

 

 

 再びルガーに挿入し、硬いトグルを引いて、装填完了。

 

 

「……しかも、『最後の二発』か……俺は、二って数字と縁が深いみてぇだ。こりゃ気運が良い、ラッキーナンバー」

 

 

 ブツブツと呟いていたが、射撃準備を整えると、一転して息を殺した。

 

 

 作業台に耳を当て、音を拾おうとする。

 

 カツッ、カツッ、カツッ、と、こちらに近付く足音。恐らく、ヘンゼルだ。

 

 

 ヘンゼルの真正面に立てば、グレーテルからの攻撃は免れる。

 

 彼の延長線上に立てた時が、勝負だ。

 

 

 

 

 マクレーンの隠れる作業台へ歩み寄る、ヘンゼル。

 

 手斧をぶら下げ、ゆっくりゆっくりと、焦らすように。

 

 

「……マクレーンおじさんは優しいな」

 

「………………」

 

「……さっき僕が、斧をテレビで防がれた時……銃を向けるよりも、生身で殴った方が早かったよ」

 

 

 ピタリと、足を止める。

 

 作業台より、三メートル手前の位置。

 

 

「殴って、殴って、首を絞めて、盾にして……そうしたら姉様も撃てなかったし、マクレーンおじさんも有利に立てたよね」

 

「………………」

 

「……どうして?」

 

 

 BARを構えるグレーテル。

 ジッと待つヘンゼル。

 

 

 

 

 

 

 綿の雪が消えた、十秒後。

 

 

 

 

 

 

「……子どもってのはな」

 

 

 沈黙を破る、マクレーンの返答。

 

 

 

 

 

「……ぶった回数が多くても、子どもはテレビじゃあるまいし、良くはならねぇ。二人にも話したろ? ジャックの事を」

 

 

 

 

 

 戦闘中、口にしていた悪態や軽口とは違い、落ち着いて哀愁を帯びた口調。

 

 二人はその声に聞き覚えがあった。

 

 

 初めて会ったバーでの、彼だ。

 

 

 

 

 

「…………!」

 

 

 グレーテルはピクリと、驚きから目を開いた。

 

 

 マクレーンは続ける。

 

 

「説教にせよ、ぶつにせよ……まずは『一緒に笑った時間』ってのが、大切なんだ。それが足りねぇもんだから、どれだけ殴っても叱りつけても……ジャックは悪ガキになっちまった」

 

 

 ルガーを持ち上げる。

 

 

「だからてめぇらには、殴る蹴るはナシにした。そいよか遊んでいて、相手を殴るなんざ論外だろぉ?」

 

 

 ヘンゼルは斧を掲げた。

 そして作業台越しに、話しかける。

 

 

「……僕たちを思っていたって言うの、嘘じゃなかったんだね」

 

「あぁ」

 

「……あはは……ありがとう。マクレーンおじさん」

 

 

 マクレーンは、息を吸い込む。

 

 

 

 

 

 

「────遊びは終わりだ」

 

 

 

 作業台から飛び出し、乗り越えるマクレーン。

 

 ルガーを構え、ヘンゼルへ迫ろうとする。

 

 

 グレーテルのBARの射線が、ヘンゼルと被るように考慮した。

 

 そのまま引き金を────

 

 

 

 

「────大好きだよ」

 

 

────M60には、もう一発残っていた。

 

 マクレーンの放った一発目のカスール弾は、ヘンゼルの斧の柄を、へし折る。

 

 

 

 外した。

 

 

 

 

 

「────ぅぐぇッ!?」

 

 

 左腕に激痛。

 

 

 ヘンゼルの放った.38スペシャル弾が、マクレーンの左腕を貫いた。

 

 

 

 手放される、ルガー。

 

 宙をクルクルと回り、月明かりに照る。

 

 

 

 銃は彼の後方に飛んで、落ちた。

 

 同時にマクレーンも、床に倒れ伏した。

 

 

「…………ッ!! クソッタレぇ……!! ドジったぁあ…………ッッ!!」

 

 

 傷口を押さえ、悔しがるように呻くマクレーン。

 

 落としたルガーの方を向く。

 隠れていた、作業台の上にあった。しかし、手を伸ばしても届かない距離。

 

 

 

「……僕たちの勝ち」

 

 

 柄だけになった斧と、弾切れになったM60を捨てるヘンゼル。

 

 そしてそのまま、身を引いた。

 

 グレーテルに、射線を空けてしまった。

 

 

「さすがね、兄様」

 

「マクレーンおじさんが言ってた奴を真似してみたんだ。ホラっ、サッと構えて照準を合わせた奴。本当は肩を撃ちたかったけどなぁ」

 

 

 止め処なく流れる血。

 マクレーンは脂汗を吹き出しながら、それでも立とうとした。

 

 しかし、BARからもう逃げられない。

 立とうが座っていようが、もう余裕はない。

 

 

 どうしたって、グレーテルの指と、弾丸の方が早いからだ。

 

 もうマクレーンには、手段は残っていない。

 

 

「終わったか……!? ここで、終わりか…………ッ!?」

 

 

 自分の不甲斐なさを呪いながら、銃口を前にただただ、怯む。

 

 そんな彼を前に、グレーテルは話し始める。

 

 

 

「まずは、左足よ。次に、右腕。最後は右足……動けなくなったら、ギュって抱きしめるの」

 

「斧は壊れちゃったからさ」

 

「残念ね、兄様。一緒に切るって、良いアイディアだったのに……」

 

 

 照星と、照門を、マクレーンの左足へと進める。

 

 

「血が流れて、失血死するまで、一緒になるの」

 

 

 その途中、マクレーンの右腕を捉えた。

 

 

「血が少なくなって」

 

 

 ピタリと、止まる。

 

 

「……足りなく、なって」

 

 

 声に、若干の震えが出た。

 

 

 

 

「冷たく……なる、まで…………」

 

 

 引き金にかかった指が、震え出した。

 

 力が入らない。

 

 微笑んだままの表情に、強張りが起こる。

 

 

「……え? 姉様……?」

 

 

 グレーテルの異常に気付いたヘンゼル。

 次には、驚きに染まった。

 

 

 視線の先には、およそ久しく見た、彼女の怯えた表情があったからだ。

 

 

「冷たく……なったら……動かなくなったら…………?」

 

 

 脳裏に浮かぶ光景。

 フラッシュバックする記憶が、グレーテルを捕えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺には二発しか弾がなかった! しかし悪い奴は二人……だが俺はなんと! それぞれ一発ずつ当ててやっつけたんだ!」

 

「奥さんには当てなかったの?」

 

「当てる訳がねぇ! 一瞬で狙いを定めて、悪い奴だけを……ほれ、撃て!」

 

「ばずーんっ!」

 

「うわー!」

 

 

 マクレーンはやられた振りをして、ヘンゼルを解放。

 その様を見て二人はケタケタと笑い、マクレーンも釣られて笑った。

 

 

「こんな感じに助けたんだ」

 

「凄いや! カッコいい!」

 

「どうせ大人になんならヘンゼル。そんな男になった方が良いぞぉ? グレーテルもそんな男とデートしてみたいよな?」

 

「そうね……確かにデートするなら、優しくて強い人が良いわ」

 

「姉様姉様、僕はどう?」

 

「うーん。ちょっと頼りないかしら?」

 

「はっはっはっはっ! まだまだだなぁ!」

 

 

 

 

 拗ねたように口を尖らせる彼の頭を撫でながら、マクレーンは笑い声をあげる。

 

 

「………………」

 

 

 突然、押し黙るヘンゼル

 さすがに馴れ馴れし過ぎたかと、すぐに手を離す。

 

 

「おっとと……あー、嫌だったか? いやぁ、悪かった。酔っちまっててなぁ」

 

 

 

 

「……ううん。何でもないよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 ヘンゼルはぼんやりと、持っていた死体の腕を見る。

 

 何を思ったのか、死体の手のひらを自分の頭に置いた。

 

 

「どうしたの? 兄様?」

 

「…………ううん。何でもない」

 

 

 そう言って、死体の腕をポイッと捨てる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……冷たいや」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば、グレーテルはBARを、下げていた。

 

 完全に、無意識の行動だった。

 

 

「……!? 姉様……!?」

 

「……なに?」

 

 

 ヘンゼルもマクレーンも、困惑する。

 それは、グレーテルも同じだった。

 

 ブルブル震える手ではもう、銃を支えられなかったからだ。

 

 

「どうしたの!?」

 

「わ、わた、私……!」

 

 

 首を振って、拒絶する。

 

 

「わたし……あれ? 僕……だっけ? 兄様が、姉様で……? 私が、兄様で……?」

 

「え……!?」

 

「いや、いや。撃てないわ……撃て、ないよ。嫌だ、マクレーンおじさんは動いていて、欲しい……欲しいのよ、欲しいんだ……え?」

 

 

 尋常ではない汗が、グレーテルから流れる。

 

 目線は完全に下。照準は合っている、いない以前の問題だ。

 

 

 

 

 

「あったかいままじゃないと……!!」

 

 

 

 

 

 隙が、出来た。

 

 マクレーンは全力を出し切り、とうとう立ち上がる。

 

 立ち上がったと同時に、ルガーの方へ走り出した。

 

 

「……ッ!? ま、待って……ッ!!」

 

 

 思わず駆け出すヘンゼル。

 

 いきなり動き出した彼らに驚いたのか、グレーテルは身体を震わせた後に、顔を上げる。

 

 

 混乱したまま、銃口を向ける。

 

 だが射線には、ヘンゼルがいた。

 

 

 撃てない。

 

 いや。引き金に指すら、かかっていなかった。

 

 

 

 

 

 

 そしてマクレーンは、ルガーを右手で取る。

 

 すぐに振り返り、作業台に背を預けるようにして座り込む。

 

 

 一瞬で照準は、ヘンゼルの右太腿に合わせられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……これでも食らえ(イピカイエー)MOTHER FUCKER(クソッタレ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 発射された、最後の銃弾。

 

 

 それはまず、前方にいたヘンゼルの右太腿に着弾。

 

 

「ぁ……ッ!?!?」

 

 

 しかし特殊加工の弾丸は、勢いそのままに貫通する。

 

 

 血を浴びた弾は一直線に、一直線に、後ろにいたグレーテルの足にも着弾した。

 

 

「ひっ……ッ!?!?」

 

 

 激痛を感じたのは、二人ほぼ同時だ。

 

 

 次には、バタリと音が響く。

 

 双子は揃って、床に跪いた。

 

 

 

 

 

 足に力が入らず、立てない。

 

 BARを撃てるハズのグレーテルもなぜか、反撃をしようとしない。

 

 

 段々と広がる血溜まりに膝をつき、ただ呆然とそれを見下ろすだけ。

 

 

 

 

 やっと顔を上げる二人。

 

 

 二人の視線の先には、座り込んで息を乱す、マクレーンの姿。

 

 彼の足元にも、左腕から流れ落ちて、血溜まりが出来ていた。

 

 

 

 

 

「……あぁ。少しだけ、神様と仲直り出来たかもなぁ。Let it Be……チクショーめ」

 

 

 

 

 そう言って苦笑いをこぼす、傷だらけの彼の姿。

 

 慣れない右手で握っていたせいか、ルガーを反動で手放し、どこかへ失くしてしまっていた。



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Let it Be 2

 頭の中が激痛と恐怖で、混乱している。

 

 思考が真っ赤に焼き付いて、今ある様々な事に注目出来なかった。

 

 汗と血が吹き出る。

 

 身体が冷めたようだ。

 

 

 足がまるで動かない。

 

 痛くて、怖い。

 

 血がたくさん出て死ぬ。

 

 

「……大丈夫。しな、死なない……死なないんだ……」

 

 

 言い聞かせるように呟く、ヘンゼル。

 

 自分はたくさんの命を奪った。

 

 ネバー・ダイ。ネバー・ダイなんだ。

 

 絶対に死なない。

 

 

 

 

 なのに、この痛みと恐怖はなんなのか。

 

 不安になる必要はないのに、怖くて怖くて仕方がない。

 

 

 涙が溢れ出す。

 

 それでもずっと、呟き続けた。

 

 

「死なない……死なない……死なない……」

 

「あぁ。死なさねぇよ」

 

 

 いつの間にか自分の前に、誰か立っていた。

 

 

 

 左腕の銃創を押さえながら立つ、マクレーンの姿。

 

 彼はヘンゼルの前でしゃがみ込んだ。

 

 

「ほれ、足見せろ……おー。綺麗に穴空いてらぁ。ドーナツみてぇだな、えぇ? ここまで貫通するたぁ、思わなかった。穴塞いでやるから、ちょっと手伝え。てめぇのせいで、左腕が駄目になってんだこっちは。利き腕なんだぞチクショー」

 

 

 ヘンゼルの足に空いた、弾丸による貫通穴。

 

 彼はベルトに付けていたバッグを開くと、中からパッドと包帯を取り出す。

 パッドを傷口に押し当ててヘンゼルに持たせ、そのまま包帯で何重にも巻き、固定する。

 

 

「いッ……!?」

 

「ほんのちょっとだ、我慢しろ。後でまた、どうしかしなきゃならねぇがなぁ。でねぇと感染症で腐ったトマトみてぇにドロッドロになるか、蛆虫どものホテルになるかだ」

 

「……なんで……?」

 

「後で話す」

 

 

 ヘンゼルへの応急処置を終えると、すぐにグレーテルの方へ行く。

 

 

 グレーテルはBARを握ったまま、呆然としていた。

 

 彼女はヘンゼルの右太腿より貫通した弾を、右股関節の下辺りに受けている。

 

 激痛と恐怖はヘンゼルと同じく持っていたが、それよりもマクレーンに対する混乱が強かった。

 

 

 近付くマクレーン。

 

 反射的に銃口を向けるが、すでに彼は銃身の横に立っていた。

 

 

「もう無理だろ。やめとけ」

 

 

 彼女からBARを奪い、放り捨てる。

 

 

「スカート降ろせるか……って、こりゃワンピースかぁ? めんどくせぇ……ほれ、スカート上げるぞ」

 

「……………………」

 

「えぇと……うぉっ。こっちも貫通してらぁ。どうなってんだあの弾は……」

 

 

 ヘンゼルにやった通りに、同じく応急処置を施す。

 ジッと、マクレーンの顔を眺めるグレーテル。

 やはりその表情には、当惑の色があった。

 

 

「…………俺が撃てなかった気分が分かったろ」

 

「………………」

 

「俺ぁ、ジョン・マクレーンだ」

 

 

 一日中ノンストップで走り回り、汗と汚れと怪我だらけの顔。

 唯一彼の緑色の瞳だけが、傷一つなく澄んでいた。

 

 

 

 

「刑事で、男で、アメリカ人で、一人の人間で…………『父親』なんだよぉ。やっぱ子どもは殺せねぇ」

 

 

 

 包帯を巻き終わると、今度はパッドと包帯を手渡す。

 それから銃創の出来た左腕を突き出す。

 

 

「ほれ。今度は……二人でやってくれ。このやろぉ、もうちょい肉が厚い所だったら、弾が中に残ってたぞぉ」

 

 

 ヘンゼルの方へ振り向き、手招きする。

 

 

「おめぇらがやったんだ。おめぇらで手当てしろぃ」

 

 

 今は誰も、武器を持っていない。

 

 殺意も警戒もない、静寂な時間。

 

 マクレーンに誘われるがままに、ヘンゼルは困惑気味ながら這うようにして、彼の方へ寄った。

 

 

 

 

 

 

 

 双子は手分けして、マクレーンの傷口を塞ぐ。

 ヘンゼルがパッドを押し当て、グレーテルが包帯を巻く。

 

 

「イデデデ!? もうちょい、優しく出来ねぇかぁ!?」

 

「……僕たちもこんな感じだったよ」

 

「クソッタレ、仕返しってか? もっと痛くしてやりゃ良かったぜ」

 

 

 すっかり三人の服は、血と埃で汚れていた。

 

 

「……マクレーン、おじさん」

 

 

 その内、ずっと黙っていたグレーテルが、やっと口を開いた。

 

 

「どした? あー……」

 

「……グレーテルで構わないわ」

 

「そうか? しっかし、入れ替わってたとはなぁ。そりゃカツラか? 服とそれがなきゃ、どっちがどっちだか……」

 

「………………」

 

「あー、悪い。えーっと、なんだぁ?」

 

 

 少しの間を置いて、言葉を続けた。

 

 

「……最初から、私たちを殺そうとは……していなかったの?」

 

「あぁ、そうだ」

 

 

 ヘンゼルが食い気味に話しかける。

 

 

「でも、あの弾道は間違いなく、狙っていたよ……?」

 

 

 対してマクレーンは、「ククク」と忍び笑いを浮かべて、悪戯に成功した子どものような悪い笑顔を見せつける。

 

 

「狙っていたさ」

 

「じゃあ、やっぱり殺そうとしてたじゃん」

 

「当たらねぇように祈りながら、狙った」

 

 

 その言葉に双子は、目を丸くする。

 良く分かっていない二人に、マクレーンは嬉々として種明かし。

 

 

「おめぇらが避けるって信じて撃ってたんだよぉ。こちとら、当たるんじゃねぇかってヒヤヒヤだったぜ……で、興奮させてボコスカ撃たせて、武器とか色々手放させてから足撃って動けねぇようにしようって魂胆だ」

 

「……それって……ええと……」

 

「それ以外はノープランだ。弾倉無くした時と、左腕撃たれた時はマジに終わったなと思ったよぉ。寿命を縮めるだけで済んだけどなぁ」

 

 

 マクレーンに弾を渡した時にシスターが言った「二重の意味」とは、彼のこの魂胆を見透かされての一言だった。

 出来るだけ損害を与えず、効果的に動けなくさせる弾丸を渡したのは、こう言う事だ。

 

 そして都合良く、包帯とパッドを多く持参していたのも、そう言う事だ。

 

 

 

 彼の種明かしを聞き、ヘンゼルは呆れたように息を吐いた。

 

 

「……本気で殺し合えるって思ったのに」

 

「馬鹿野郎ぉー。本気に決まってんだろ。俺はいつだって本気だ」

 

「そうじゃなくてぇ……」

 

「それに言ったろぉ、俺は父親だ。そんな俺に、子どもを殺せってのが無理な話だったんだ。相手がどんな奴だとしてもなぁ。結構、仕事でも公私混同しちまうタイプなんだ」

 

 

 グレーテルが包帯を結び、巻き終える。

 終わった合図として目を合わせ、マクレーンは感謝の言葉の代わりに、ぐしゃっと彼女の髪を撫でてやった。

 

 

「あ…………」

 

 

 物欲しそうに見つめるグレーテルには気付かず、すぐに彼は離れてしまった。

 

 ヨタヨタと覚束ない足取りで、入って来た扉の方へ行く。

 

 

「どうせこの街は犯罪者まみれだ。正義がねぇんならこっちも好き勝手、したい事をやるぜ」

 

 

 扉を開けて、二人の方へまた振り返る。

 

 

「ほれ、車に乗るぞ。こっから先はまだ考えていねぇが、アテはある。とりあえず……って、そうか。立てねぇんだったな」

 

 

 苦笑いを浮かべながら、一度正面を向くマクレーン。

 

 

 

 

 その時、視線の先にある窓より、何かを見つけた。

 

 

「……あ?」

 

 

 暗闇の中に浮かぶ、数多の移動する小さな光。

 それは車のヘッドライトだと、すぐに気付いた。

 

 

「車列だぁ? こんな辺鄙な場所に……それも十台は────ッ!?!?」

 

 

 すぐにマクレーンは察した。

 察したと同時に扉を殴りつけ、悪態吐く。

 

 

「クソッタレぇッ!! 間違いねぇ、ホテル・モスクワだッ!! おい、居場所がバレてやがるッ!!」

 

 

 即座に二人に近寄り、一人一人抱き上げて立たせてやった。

 

 無傷な足で何とか立てられる。

 しかし走るどころか、歩く事すら不自由だ。

 

 

「早く車に……いや駄目だ!! もう奴ら、この周辺を包囲してやがる……!! 陸は駄目だッ!!」

 

「………………」

 

「どうする……何か、何かねぇか……!?」

 

「…………マクレーンおじさん」

 

 

 グレーテルがふらつきながら、マクレーンに話しかける。

 

 

「……どうした?」

 

「……マクレーンおじさんを殺した後で、私たち逃げる予定だったの」

 

「それがなんだ?」

 

 

 ずっと無表情だったグレーテルが、やっと出会った時のような微笑みを見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 工場に到着する、多くの車。

 その一台から現れたのは、マクレーンの予想通りホテル・モスクワを率いる、バラライカだった。

 

 

「第一班は正面突撃。二班、三班は裏口を見つけて固めろ。四班は窓だ。残りの班は周辺に待機。我々の物以外の車が通れば、容赦無く撃て」

 

 

 無線で命令を飛ばし、チラリともう片方の手に握っていた物を見やる。

 

 

 

 半分焼け焦げた、人形だ。

 爆破されたヴェロッキオ・ファミリーのビルから吹き飛んだ来た物だ。

 

 その人形を見た時にバラライカは、マクレーンより手渡された小さな人形を思い出した。

 

 

「大尉。ビルの時と同様、C4が仕掛けられている可能性は?」

 

「既に使い切っているハズだ。武器庫を襲ってから、その足でビルに向かっていた。どこかに保管しておく暇はない……それにあの規模の爆発なら、張の持って来たヴェロッキオらの武器リストの数と一致する」

 

「まぁ、そうですな……しかしそれにしましても、その人形が決定打となるとは」

 

 

 最初はバラライカも、イタリアの知らない街で作られた人形かと思っていた。

 

 しかしマフィアが殺しを仕込んだ子どもに、無駄な物を買い与える訳はない。

 とすればこれも、ロアナプラに来てから手に入れた物だと勘付いた訳だ。

 

 

 ほぼ、直感だった。

 しかし、彼女の読みは結果的に当たった。

 

 人形を使って聞き込みをすれば、すぐにどこで作られた物かと心当たりのある人物は見つかった。

 その情報を元に、ここまで辿り着く。

 

 

 彼女の執念による、到着だった。

 

 

「大尉。双子が乗っていた車を発見しました」

 

「第四班、裏口に到着」

 

「位置につきました」

 

「突撃準備は完了しております。いつでも行けます」

 

 

 続々と、報告が入って来る。

 

 バラライカは人形を捨て、無線機に口を近付けた。

 

 

 

「……突撃しろ」

 

 

 

 凍てつくような声で、命令を下す。

 兵士たちは同時に、工場の至る所を蹴破り、突入する。

 

 

 警戒されていたC4爆弾に関しては、バラライカの読み通り、仕掛けられていなかった。

 

 雪崩れ込む兵士たち。

 AKを構え、荒々しくも規律正しい動作で奥へ奥へと突っ込む。

 

 

 

 突撃から三分が経過。

 

 バラライカの無線より投げ渡された報告は────

 

 

「……標的無し」

 

 

 

────もぬけの殻だと言う報告だった。

 

 

 

 

 

 バラライカはボリスや他の兵を引き連れ、工場内に入る。

 

 奥にあった広間に着いた時、そこのあまりの惨状にまず顔を顰めた。

 

 

「………………」

 

「これは……誰かが撃ちあった後か……」

 

 

 部屋にある全ての物が破壊され、壁には数多の弾痕。

 床に置かれた人形は穴だらけで、飛び出た綿が至る所に散らばっている。

 

 まるで雪原のようだ。

 寂れた工場に差し込む月明かりと言い、やけに幻惑的な光景だった。

 

 

「……どうやら、我々より先に辿り着いた者がいたようだ」

 

 

 バラライカはチラリと、自身の足元にあった血溜まりを見やる。

 

 

「一体、誰が……」

 

「ジョン・マクレーンだよ。あの人形を持っているのは、あいつだけだ」

 

「しかし、辿り着いて……何をしたのでしょうか? まさか、一人で双子を相手したとは……」

 

「……同志軍曹。ここで何が起きたのかは、この際不要だ」

 

 

 血溜まりに手を触れる。

 ぬるりと、まだ湿り気を帯びていた。

 

 

「血は乾いていない。出血をしてすぐだ。僅差で逃げられたようだが、まだ遠くはない」

 

「どこから逃げた……?」

 

「……裏はどうなっている」

 

 

 現場を押さえた兵士たちに案内され、裏口から外に出る。

 

 すぐに青臭い潮風と、真っ暗闇の海原が現れた。

 少し歩いた所には、桟橋もある。

 

 

「……海から逃げられたようですな」

 

「……ここはもう良い。すぐに近辺の海岸線を包囲しろ。必要なら、ボートも出せ」

 

「はっ」

 

「それと殺し屋たちに情報を流してやれ。ロアナプラから出さないよう、厳重に固めさせろ」

 

 

 即座に撤退する、兵士たち。

 ロシア語で号令をかけ、屋内にいた者もぞろぞろと出て行く。

 

 早い者なら、車で出発した。

 

 

 迅速に行動する兵士らを頼もしく思う反面、今日の出来事を思い出すバラライカ。

 

 

 

 

「……ふふっ」

 

 

 

 暗闇の海を見渡しながら、一人自嘲気味に笑う。

 彼女のそんな様子に驚いたのか、ボリスが呆然と見つめている。

 

 

「大尉?」

 

「……すまない。どうも、おかしくてな。これだけの精鋭や、その他人員を揃えたと言うのに……あの男になぜか先を越される」

 

 

 波音が揺蕩う、夜の海岸。

 そこに立ち、眺める。

 

 横顔から窺う彼女の表情から、暫し憎悪が消えていた。

 哀愁と、呆気。そして僅かな、清々しさだ。

 

 

 

 

「……本当に、あの男は……」

 

 

 コートを翻し、ボリスと共にその場を去る。

 彼女たちもまた、終わってはいない。

 

 振り返った頃には、あの冷酷な目に戻っていた。

 

 

「じきに夜明けだ。見つけ切れなかった場合、夜明けと共に三合会と市内を捜索しろ」

 

 

 指令を伝え終えた彼女は、ボリスに促されるままに車に乗り込む。

 ドアが閉められ、すぐに発車する。

 

 テールライトの残像を残し、去って行った。

 

 

 

 

 

 

 バラライカらの車が離れた時、工場はまた忘れられた廃墟と化す。

 

 生き返ったかのように騒がしかったこの場所が、二度目の朝日を迎える事はない。

 

 壊れた機械と、放置された人形たちは、波音を子守唄にこれからも眠り続ける。

 

 

 工場前の道路に横たわる、半分焼け焦げた少女型の人形。

 

 白け始める空を、ただ仰ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海の彼方より太陽が顔を出す。東の空から、赤々と明け始めて来た。

 

 晴天を希望していたマクレーンだが、どうやら曇天のようだ。

 

 不吉な雲の海を眺めながら、また眼下にある本物の海を覗き込む。

 

 

 

 三人は、ボートに乗っていた。

 あの桟橋に着けていた物だった。

 

 マクレーンの殺害後、その場を離れる足として、双子が用意していた物だ。

 

 

 

 船外機から吐き出される煙の匂いと、潮の匂い。

 混ざり合った二つの匂いを不快に思いながら、マクレーンは舵を操作する。

 

 

 

 エンジン音が酷く、誰も話しかけなかった。

 暫しの静寂と、船旅。

 

 それは砂浜にボートを乗り上げさせた事で、終着する。

 

 

 ロアナプラからの脱出はガソリンの都合で出来ないが、遠くのビーチまで来れた。

 着いた頃には、ただ真っ暗なだけだった海が、視認出来ていた。

 

 

 

「……まさかこんなボートで、フィリピンとかに行こうなんて考えてなかったよなぁ?」

 

 

 船外機を止め、エンジン音を切る。

 

 波が砂浜を撫でる、心地の良い音が響く。

 

 

「さすがにそれは無理だからね。逃し屋を見つけようとしてたよ」

 

「そのアテはあったのか?」

 

「ラグーン商会って、大きな船を持っている腕利きの運び屋がいるんだ。そこに行こうと考えていた」

 

「あぁ、あいつらか……」

 

「知り合いだった?」

 

「まぁな。嫌な思い出しかねぇが」

 

 

 ヘンゼルと話しながら、マクレーンは二人を担いで、砂浜に降ろす。

 後はボートに残った荷物を背負って、彼も降りた。

 

 大きなボストンバッグと、グレーテルが所持していたBAR。

 弾倉は抜いている為、誤射の心配はない。

 

 

 

「……うわわ」

 

 

 ほぼ、片足でしか歩けない双子。

 ヘンゼルは船から降りて、二歩ほど一本足で飛んだ後に、砂に足を取られて尻餅つく。

 

 

「おいおい、大丈夫か?」

 

「……マクレーンおじさんのせいだよ」

 

「バカやろー。自分のやった事ぐれぇ忘れんじゃねぇ。死刑と比べりゃ軽い軽い」

 

 

 ヘンゼルを立ち上がらせた時に、グレーテルが見えない事に気付く。

 

 二人は海の方へ振り返った。

 

 

 

 

 大海原を眺め、やや傾きがちに立つグレーテルの姿。

 

 押し寄せる波が足を飲み、そしてまた海の底へと引いて行く。

 

 

 灯火のように登る太陽。

 

 鈍色で白っぽい暁天。

 

 群青の海。

 

 

 

 

「……はじめて見た」

 

 

 

 立ち昇る潮の匂いも、白泡立つ波も、柔く広い砂浜も、やけに新鮮に感じる夜明けの海。

 

 

 

 

「兄様、ねぇ、見て。私たち、夜明けの海にいるわ」

 

 

 立ち上がらせたマクレーンの腕から離れ、ヘンゼルはヨロヨロと歩き出す。

 

 グレーテルと並び、波の中へ足を浸した。

 

 

 少しだけ温い。

 でも心地良い。

 

 

 ヘンゼルは、感嘆の息を漏らした。

 

 

「……綺麗」

 

「テレビより、ずっと……」

 

 

 

 どこまでも続く夜明けの海を、永遠に眺めていたかった。

 

 だがそれは叶わない。

 マクレーンは少し待ってから、二人に声をかける。

 

 

 

「……そろそろ行くぞ」

 

 

 双子は振り返る。

 

 その表情は、あどけない子ども笑顔だった。

 

 

 釣られるようにマクレーンも、微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マクレーンは二人を、両肩で支えながら、砂浜を出る。

 

 ヤシの木が並ぶ道路に出ると、電話ボックスを見つけた。

 

 

「ちょうど良い……えぇと、十バーツ持ってたな。どこだっけ……」

 

 

 懐やポケットを弄りながら、公衆電話の方へ歩くマクレーン。

 

 

 

 

「……マクレーンおじさん」

 

 

 そんな彼を、不意に飛び止めるグレーテル。

 

 振り返ると、少しだけ遠慮がちな瞳をした、彼女の姿があった。

 

 

「……本当に、逃してくれるの?」

 

「………………」

 

「私たちは、『私たち』よ。街を出たら、また誰かを殺すわ」

 

「………………」

 

「……本当に良いの?」

 

 

 

 マクレーンは少しだけ考えて、一旦持っていた荷物を路上に置いてから話し出す。

 

 

 

「良かねぇよなぁ」

 

「………………」

 

「だから、『約束』だ」

 

「…………え?」

 

 

 双子の方へ、歩み寄る。

 

 視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

 彼の目はこんな時でも厳しそうで、優しかった。

 

 

 

 

「……この街を出て、誰も殺さずにいられたら────」

 

 

 彼の提示した条件は、双子でさえも愕然とした。

 

 それでもマクレーンは、淡々と、さも当たり前かのように語る。

 

 

 

 

 

 

「────守れるか? 守れねぇなら、ここでてめぇらを殺してやる」

 

 

 

 

 双子は互いに顔を見合わせた。

 

 少しの間見つめ合い、決心したように微笑んで、また彼へ視線を向ける。

 

 

「……分かったわ」

 

「うん。でも、僕らが殺した殺してないかって、分かるの?」

 

「分かるわきゃねぇだろ。不安が残ると言えば嘘になるが……本当、俺がみじめになるからやめろ。ジョークじゃねぇからな? やめろよ?」

 

 

 彼の言った約束を受け入れた。

 殆ど、口約束のようなものだ。しかしマクレーンからは、懐疑心は感じられなかった。

 

 

 再度、公衆電話へ行こうとするマクレーン。

 

 

「あと、もう一つだけ」

 

 

 そして再度、グレーテルは呼び止めた。

 

 

「なんだぁ? 早くしねぇと、バラライカどもが来ちまうぞ」

 

「ちょっとしたお願い」

 

「お願い? 後でも構わないか?」

 

「今が良いの。我慢出来なくて……」

 

 

 グレーテルは、ウィッグを取った。

 

 

 マクレーンの前には、双子がいる。

 

 髪型も顔立ちも、同じ二人だ。

 

 ただ服装だけが違う。

 それさえ消えたら、本当にどちらか分からないだろう。

 

 

「……どっちで呼びゃあ良い?」

 

「……兄様、良い?」

 

「構わないよ、姉様」

 

 

 グレーテルはヘンゼルに許可を貰ってから、一歩踏み出した。

 

 

 

「……始めて会った時みたいに、『ヘンゼル」……って、呼んでほしいな」

 

 

 マクレーンは快諾し、その通りに扱ってやる。

 

 

「そんで、ヘンゼル……まだまだ情けねぇおめぇが、俺になんの用だ?」

 

 

『ヘンゼル』は照れ臭そうに頰を掻きながら、お願いを告げる。

 

 

「……撫でて欲しい。始めて会った時みたいにさ」

 

「なんじゃそりゃ……さっき撫でなかったか?」

 

「あれは、『僕』じゃなかったよ」

 

「屁理屈じゃねぇか、クソッタレ…………えぇい、仕方ねぇなぁ」

 

 

 

 マクレーンは『ヘンゼル』の前に再びしゃがみ、頭を撫でてやった。

 

 荒っぽく、男らしい撫で方。

 手の皮も厚めでザラリとし、お世辞にも綺麗ではない。

 

 

「……んふふ」

 

 

 それでも彼は、甘えるように微笑む。

 

 何よりも心地良く、そして暖かい。

 

 

 手が頭から離れた。

 

 耐え切れずに『ヘンゼル』は、マクレーンに抱き着く。

 

 

「おおっと……?」

 

「……あったかい。えへへ……あったかいなぁ」

 

 

 引き剥がそうとした腕を、考え直して背中に回す。

 

 時折ポンポンと、労うように叩いてやった。

 

 

「…………クソッタレ。てめぇ、冷た過ぎんだ。風邪引いちまったら承知しねぇぞ」

 

「……火傷しちゃうかも」

 

「そう言うとこが、まだまだお子ちゃまなんだなぁ……」

 

「……ねぇ」

 

 

 耳元で囁く。

 その声には、少しばかりの不安が見え隠れしていた。

 

 

 

「……殺すだけが人生じゃないなら……マクレーンおじさんの言う人生って、なんなのかな」

 

 

 

 彼の質問に、マクレーンは明確な答えを出さなかった。

 

 

「そいつはまだ、俺も考え中だ────でもまぁ、必ず教えてやる」

 

「約束だよ」

 

「あぁ。約束する」

 

「あと……オレンジジュース、美味しかった」

 

「そりゃ良かった」

 

 

 それだけ言うと、二人はやっと離れた。

 マクレーンは立ち上がり、彼の後ろに立っていたヘンゼルに目を向ける。

 

 

「待たせて悪ぃ」

 

「…………羨ましいかな」

 

「お前もか?」

 

「……時間も無さそうだから。また後で」

 

「へへへ……双子揃って、お子ちゃまだな」

 

 

 置いた荷物の方へ走り、またボストンバッグとBARを担いだ。

 

 

 

 BARの銃身にぶら下がっていた人形が、ポトリと落ちる。

 

 マクレーンはふと、それを見下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 辺りに雪が降りしきる。

 

 暗闇の空港と、燃え上がる滑走路。

 

 残骸と消化活動を行うレスキュー隊員らを抜けて、ふと目線を下げた。

 

 

 

 燃えて、首だけになった、人形。

 

 訴えるように、嘆くように、作り物の目がマクレーンを捉え続けていた。

 

 

 

 

 

 マクレーンはその人形へ、身を屈めた。

 すっと、拾い上げる。

 

 

 気付けば辺りは熱帯の海沿いで、持っている人形は下手くそな編み物だった。

 

 

「……悪かったなぁ。助けきれなかった」

 

 

 再び、人形を手放す。

 

 

 ポトリとまた、路上に寝かされた。

 

 

 

「……後悔しないようにしたって、悔いは残るもんだ。だが、引き摺ってもいられねぇ…………俺はいつだって、『今』しかねぇんだ」

 

 

 

 

 

 マクレーンはまた、歩き出した。

 

 落とした人形を見ないように、それでも忘れないように噛み締めながら、公衆電話へと一歩一歩、歩んで行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハンドルに突っ伏し、眠りこける男。

 吸い殻入れにはタバコが満載し、車内は窓を開けていてもヤニ臭かった。

 

 空はもう、明るみ始めている。

 それでも男はなかなか、目を覚まさなかった。

 

 

 

 彼を叩き起こしたのは、ベルの音。

 

 傍らにあった、公衆電話の呼び出し音だった。

 

 

「……うわっ!?」

 

 

 反射的に目を覚ます、「ロック」。

 

 寝惚けて、暫し自分のいる場所を忘れていた。

 

 

「……ッ! そうだ……俺は……!!」

 

 

 思い出してから、今鳴っている公衆電話を見て、驚きを隠せなかった。

 

 ここは街の郊外にある、海沿いの電話ボックス。

 

 

 ロックは大慌てでドアを開け、何度か転びそうになりながらも、受話器に噛り付いた。

 

 

 ガチャリと取り、恐る恐る話しかける。

 

 

「も……もしもし? えと…………オカジマです……」

 

 

 

 電話の向こうから、声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

『Ah……スミマセ〜ン。スシ、タベタイデース。Delivery、OK、デスカー?』

 

 

 

 

 

 

 

 片言の、ふざけた日本語。

 その声を聞いた時にロックは、呆れたように頭を下げる。

 

 

 

 押し殺すような笑い声を喉から絞り出し、次に顔を上げた時には涙目となっていた。

 

 

 

 

 

 

「…………マクレーンさん……!!」

 

 

 

「……あぁ。遅くなったなぁ、オカジマ」

 

 

 受話器を耳に当てたマクレーン。

 

 その手には、「マイルドセブンの紙箱」が握られていた。

 

 

 

 

 

 

『 ロックは急いで彼を引き止め、マイルドセブンの紙箱を取り出しペンで何かを書く。

 

 

 「こ……これ……」

 

 

  渡された紙箱には、数字が並んでいた。

  電話番号のようだ。

 

 

 「……街外れにある、公衆電話の、番号です……」

 

 「……なんでこんなモン覚えてんだ?」

 

 「バオに怪しまれてますから、次からこっちに電話かけて貰おうと……時間によっては、出られないかもですけど……」

 

 「……これにかけりゃいいんだな? 分かった」』

 

 

 

 

 

 

 

 ロックがこの事を思い出したのは、レヴィの投げ捨てたタバコの箱を見た時だ。

 

 生きているのなら、連絡をするハズ。

 そう信じてロックは、一晩中ここで待っていた。

 

 

 

「みんな、死んだって言ってて……!!」

 

「積もる話はあんだが……今ちょっと立て込んでいてなぁ」

 

「どうしたんですか……?」

 

「オカジマ……また、危ない橋を渡る事になるが……手伝ってくれねぇか? 謝礼は出す」

 

 

 

 ロックは何度も、頷いた。

 頷いてから、今自分は電話越しで話しているという事を思い出し、「はい」と急いで返事する。

 

 

 マクレーンはチラリと、傍らを見る。

 

 双子が心配そうに、こっちを眺めていた。

 

 安心させるように、まずはおどけるように笑う。

 

 

 

「ここからは、てめぇの頭を借りたい。喜べ、ハリー・キャラハンの相棒役になれるぞぉ」

 

「……ダーティーハリーの相棒役って、基本的にみんな死んでいますけど……」

 

「細けぇこたぁ良い。乗るんならな、オカジマ…………」

 

 

 

 電話越しでマクレーンは、ニヤリと、不敵な笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

 

「ロアナプラのバカどもをひっくり返す、サイコーにクールでダーティーな、カーニバルのロスタイムを、楽しめる予定だがなぁ」

 

 

 

 

 曇天が晴れ始める。今日は良い日になりそうだ。

 

 あとは、あるがままに、委ねるだけ。



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Let it Be 3

 タイ、バンコク北部、ドンムアン空港。

 店を開け、陳列商品のチェックを始める、店員の青年。

 

 彼の元に、五人の屈強な男たちが現れた。

 

 

「失礼」

 

「ん?……あぁ、おまわりさん」

 

 

 訪ねて来たのは、空港警察の警官たちだった。

 見知った顔も何人かいる。

 買い物にも来る為、別に珍しい事ではない。

 

 しかし妙に物々しい雰囲気を醸していたので、青年は少し不安になる。

 

 

「えぇと……」

 

「ちょっとした、お尋ね者の聞き込みだ」

 

「はぁ……?」

 

「十代前半の双子で、ルーマニア人の白人だ。髪色はシルバーグレー、身長は双方とも一六◯センチほど。銃などの凶器を所持している可能性がある。見ていないか?」

 

 

 昨日と一昨日を思い返すも、思い当たる客は見ていない。

 青年は首を振った。

 

 

「いえ」

 

「もし見かけたり、少しでも疑った人物がいた場合は、すぐに知らせてくれ」

 

「はぁ。分かりました」

 

「それだけだ。では、失礼する」

 

 

 それだけ言い残し、警官たちは立ち去って行く。

 彼らの後ろ姿を見送りつつも、青年は訝しげに首を傾げる。

 

 

「……やけに詳細だな。しかし子どもで、ルーマニア人とはまぁ、良く分からないお尋ね者だなぁ……」

 

 

 すぐに陳列棚へ目を戻し、業務を続行する。

 

 

 警察と言えば一ヶ月前に来た、ニューヨークからの外国人客を思い出す。

 少しだけ窶れて、疲れた顔をした、仏頂面の男。

 その男は自分を、「おまわりさん」と言った。

 

 

「もうタイでの暮らしに慣れている頃かな……あっ」

 

 

 老夫婦の旅行客が入って来た為、すぐにレジの方へ走る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   DIE HARD 3.5   

Fools rush in where angels fear to tread.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 双子の足取りを完全に見失ってから、三日が経過。

 

 

 ホテル・モスクワとしては通常業務をこなしながらも、双子の捜索を続けてはいた。

 

 双子の懸賞金は、十二万ドルにまで跳ね上がる。

 

 

 近辺の漁業組合、労働組合、ベトナム海軍、果ては国内の空港警察や国境警備隊──金さえ払えばどうとにもなる連中へは、際限なく手を伸ばした。

 

 

 ロアナプラから出ても、易々とタイからは出られない状況を作る。

 

 それでもまだ、目撃情報すら出ていなかった。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

 バラライカは事務所で葉巻を吸い、紫煙を吐いた。

 

 ここまで見つからなかったのは、完全に予想外だ。

 市内には腕利きの殺し屋たちが巡回しているし、遊撃隊は三合会やカルテルと共に捜索を続けている。

 

 街の郊外にも、ハイエナはウヨウヨいる。

 特にロアナプラ警察なんかは街から出て来る車一台一台を、昼夜問わず勝手に停めて、確認している徹底ぶりだ。

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

 一つの確信はあった。

 双子は間違いなく、ロアナプラからは出ていない。

 誰かが、ヴェロッキオらがやっていたように、匿っているに違いない。

 

 しかしそんな慈善家が、この街にいるものか。どうせ金だ。

 バラライカは懸賞金を釣り上げ、双子を匿っている者を煽ろうとした。

 

 

 それでも、報告は全くない。

 そこが本当に、不可解だった。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

 

 不可解と言えば、もう一つ。

 双子を、ある意味でホテル・モスクワと同じほどの執念で追い続けていた男、ジョン・マクレーンについてだ。

 

 

 彼は三日前の昼頃に、何食わぬ顔でイエロー・フラッグに現れた。

 

 左腕に銃創と思わしき怪我を負ってはいたが、五体満足で現れた。

 

 

 バオは彼を出禁にしていた為にすぐ追い返した。

 悪態を吐きながら出て行ったらしい。

 

 その後にマクレーンも双子を追っていたと知り、バオが連絡を入れて、彼の出没を知る。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

 即座にホテル・モスクワは、ここ三日の彼の動向を追わせた。

 

 しかし当の本人と言えば、ヤケになったかのように呑んだくれるか、前から部屋を借りていた下宿屋で惰眠を貪るか。

 

 

 

 とてもあの時の、燃え盛るビルの前から走り去って行った、あのギラギラした目の男と同じ人物とは思えなかった。

 

 一応、本人を問い詰めたものの、「俺も見失った」とばかり。

 

 

 拷問にかけても良かったが、あの手の男はどうやったって何も吐かないだろう。

 

 だから表面上は手を引いた事を演出しながら、監視と言う形を取っている。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 三日目。

 彼に協力していたロックにも勿論、目を配ったが、あれからは普通にラグーン商会の業務に勤しんでいる。

 

 マクレーンとも会っていない。

 レヴィから聞いた話では、「会いに行くのも、気が悪い」との事。

 他人行儀な日本人らしいと言えば、それらしい理由だ。

 

 

 

 

 

「…………本当にすまないな、サハロフ。不甲斐ない指揮官だ」

 

 

 

 

 葉巻を灰皿の上に置き、亡き戦友へ謝罪する。

 

 

 

 立ち昇る紫煙。

 不意に紫煙がふらっと、姿勢を崩した。

 

 

 

「失礼します、大尉……!」

 

 

 ボリスが事務所に入って来る。

 表情の少ない彼にしては珍しく、焦燥感を積もらせた鬼気迫る顔付きとなっていた。

 

 

「……何か掴めたのか?」

 

「やはり、あの男でした」

 

「………………なに?」

 

 

 バラライカは「まさか」と、眉を潜めた。

 ボリスは矢継ぎ早に、報告する。

 

 

 

 

「つい四分前に────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一日前の出来事だ。

 下宿屋の主人は、きな臭さを感じていた。

 

 

「……開いてやがるな」

 

 

 いつもは鍵をかけている勝手口が、また開錠されていた。

 ガチャリと施錠し、主人は太った身体を揺さぶりながらホールに戻る。

 

 

「よぉ〜。戻ったぞぉ〜」

 

 

 ちょうど、一月前から部屋を借り続けている客が戻って来た。

 赤ら顔で千鳥足。泥酔状態の、ジョン・マクレーンだ。

 

 

「ほれ。鍵返してくれ」

 

「……前から思ってたんだが」

 

「あぁ?」

 

「……いつもバッグを持って飲みに行くのか?」

 

 

 三日前に戻って来てより、彼は決まって自前のボストンバックを持って出て行く。

 

 

「ただ飲みに行くってんなら必要ねぇだろ」

 

「なんでもねぇよ。あー……酒だ酒」

 

「キメてるって聞いたぜ。ヤクか?」

 

 

 そう言われてカチンと来たのか、マクレーンはボストンバックをカウンターに乗せて開け、中を見せつけた。

 

 お菓子、水、缶詰め。食料ばっかだ。

 

 

「これで満足かぁ? ほれ、鍵よこせ」

 

 

 主人はポイっと鍵を渡してやる。

 バッグのチャックを閉めてからそれを受け取り、マクレーンはフラフラと自室へ戻って行く。

 

 

 

 彼の部屋は三階にある。

 部屋に戻り、扉を施錠する。

 あれだけ酔っていたと言うのに、帰ってからは物音一つしない。

 

 

「怪しいな……浮気してる女みてぇな感じだ」

 

 

 主人はマクレーンを追跡し、部屋の前に立つ。

 扉に耳を当てて中の音を聞き取ろうともした。

 

 何も聞こえない。眠っているのだろう。

 仕方なくホールに戻ろうかとした時、足元に何かが落ちている事に気付く。

 

 

「……こいつぁ」

 

 

 細長く、注意しなければ見逃してしまいかねないものだ。

 主人はサッとそれを拾い上げ、電灯の前に照らした。

 

 

「……髪だ」

 

 

 長い女の髪だ。

 色はシルバーグレーだろうか。

 光に照らされ、テラテラと唸るように輝いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────あぁ、間違いねぇ!! 奴はガキを匿ってやがる!!」

 

 

 夜。あるバーの隅の席。

 四人の男を前に、彼はそう主張した。

 

 

「匿ってるって、なんでだ? メリットがねぇだろ」

 

「実はこの前、ホテル・モスクワの連中が俺にアイツの事を聞いてきやがったんだ!」

 

「ホテル・モスクワぁ? バラライカがか?」

 

「ただ双子を追う奴を、バラライカらが気を向ける訳ねぇだろ! もしかしたら双子とジョン・マクレーンは何でか知らんが協力関係で、ホテル・モスクワはそれを疑ってるって証拠だろぉ!?」

 

「待て待て、声がデカい……」

 

 

 ヒートアップする主人の口を押さえさせた。

 五人は丸テーブル上でグッと顔を近付け合い、誰にも聞かれないよう囁いて会話を続ける。

 

 

「…………それだけじゃねぇ。ここ二日の奴の動きも怪しいんだ。酔って帰って来るってのに、いつも持ち歩いているバッグん中は食いモンばっかだ。男一人が一日で食い切れねぇ量を、昨日も今日も買って帰って来た」

 

「でもよぉ、ガキを連れて入って来たところは見てねぇんだろ?」

 

「んなもん、俺の目を盗めば幾らでもチャンスはある。三階には通用階段もあるし、路地裏からこっそりってのも可能だ。それに鍵をかけていたハズの勝手口が、開いていたんだ。奴はそこからガキを入れたのかもしれねぇ」

 

「確かに妙だが、行きずりの女とシケこんでいる可能性だってあるだろ」

 

「俺もそう思っていた……だがなぁ、今朝! 俺は奴の部屋の前で見つけたんだ」

 

 

 ポケットから、透明な小袋に入れた髪の毛を取り出す。

 色はシルバーグレー。なかなか見ない、珍しい髪色だろう。

 

 

「それに双子の情報があったろ?」

 

「……双子の髪色は、どちらもシルバーグレー……」

 

「これが偶然な訳あるか? ホテル・モスクワからは、奴が怪しい行動を取ったら連絡しろって頼まれたが……それで情報料貰うより、懸賞金踏んだくった方が断然得だろぉ?」

 

 

 主人は下卑た笑いを浮かべ、喋り倒して垂れた涎を拭った。

 

 

「……俺たちでやるんだ。十二万ドルだぞぉ? 五人で山分けでも、大体二万ドルだ! どうだ、やるか?」

 

 

 四人は顔を見合わせ、互いに首を縦に振る。

 主人の誘いに、乗った訳だ。

 

 

「双子はヴェロッキオらを皆殺しにしたって言う、一筋縄じゃいかねぇ奴らだ。不意を狙うしかねぇ……作戦はこうだ」

 

 

 男たちはもっと顔を近付け、誰にも漏れないよう話を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌日の朝。

 男たちは下宿屋のホールに集まった。

 待っていましたと言わんばかりに、主人は両手をさする。

 

 

「奴は?」

 

「今日はまだ出て来ていねぇ。昨日帰って来てから、降りてはいねぇよ。カミさんと一緒に寝ずの番したんだぞこっちは」

 

「この事は俺たち以外には言ってねぇよな? てめぇ、口が軽いからよぉ」

 

「馬鹿言うんじゃねぇ。金に関しちゃ、口はかてぇんだ。マジだぞ?」

 

「マジかよ……」

 

 

 男たちはズボンの裾に挟んでいた拳銃を、各々取り出した。

 若干、緊張を帯びさせた表情で、目配せ合う。

 

 

「通用階段への扉は全部、深夜に鎖でガチガチに封印しといた。つまり逃げ道は、こっちにしかねぇ」

 

 

 屋内の階段は一つのみ。

 下に降りるのならば、必ずホールを通る仕組みになっていた。

 

 

 最上階は三階、屋上は無し。

 マクレーンは双子共々、袋小路にいる。

 

 

「よし……ハンティングの時間だぜぇ」

 

 

 拳銃を構え、男たちは一斉に階段を駆け上がる。

 

 

 二階を越え、三階に到達。

 マクレーンのいる部屋の扉の横に、ゾロリと並んだ。

 

 

「開けたら、即撃て」

 

「ジョン・マクレーンだけだったらどうすんだ?」

 

「その時はまぁ……不幸な事故って事で。気にするこたぁねぇ、ここはロアナプラだ」

 

 

 店主はスッとドアノブへ手を伸ばし、掴んで回す。

 案の定、鍵はかかっていた。

 

 

「閉まってんのか?」

 

「安心しやがれ。俺はここのオーナーだぞ! マスターキーぐれぇ持ってる!」

 

 

 扉の向こうからの射撃を恐れて、傍らの壁に背を預けながら腕だけ伸ばす形で、鍵を開けようとする。

 そんな不器用な開け方で、すぐに開錠出来る訳はないが。

 

 

「てめぇ、早くしやがれ!」

 

「撃たれるかもしれねぇだろぉ!?」

 

「窓から逃げられたらどうすんだ!」

 

「三階だぞ!? それに窓があんのは表通りの方だ! ニンジャかスパイダーマンみてぇに目立って、騒ぎになんのがオチだ!」

 

「いいから開けやがれ!」

 

「待て、待て! 急かすな!」

 

「あー、もう……貸せッ!!」

 

 

 一人が主人からマスターキーを奪い、扉の前に立って鍵穴に差し込んだ。

 

 

「BARを持ってるって話だぞぉ!?」

 

「さっさとやって、さっさと終わらしゃ関係ねぇ!」

 

 

 ガチャリと、開錠する。

 その音と同時に、男たちは動き出した。

 

 

「行くぞッ!!」

 

 

 

 開錠と同時に、男は扉を勢い良く開ける。

 五人の男たちは固まるようにして、入り口を塞いだ。

 

 

 

「撃てぇぇーーーーッ!!」

 

 

 そのまま構えた拳銃を、撃ちまくった。

 下宿屋内に数多の銃声が響き渡り、弾丸がマクレーンの部屋を飛び抜ける。

 

 

 窓や壁が破壊され、表通りの方へ破片が散った。

 外からどよめきや悲鳴か聞こえる。

 

 

 

 

 

「…………!? 待て、待て待て待て!? ストップストップッ!?」

 

 

 主人が制止させたと同時に、銃声は止んだ。

 

 

 弾痕と硝煙だらけの部屋を覗けば、そこには誰もいなかった。

 

 

「いねぇよ!? オイ、ジョン・マクレーンもいねぇじゃねぇか!?」

 

「いねぇじゃねぇかって、てめぇの情報だろが!?」

 

「やっぱ漏らしたかのかぁ!?」

 

「漏らしてねぇよぉ!?」

 

 

 口論する男たち。

 その内、一人がちらりと廊下の奥を見やる。

 

 

 視線の先には、封鎖されていると言う通用階段への扉。

 どう言う訳なのか、半開きになっていた。

 

 

「……おい。おめぇ、鎖でガチガチにって言ってたよな?」

 

「あ? あぁ。一ミリたりとも開かねぇようにしてたぜ!」

 

「一ミリどころか、五センチも開いてんじゃねぇかッ!?」

 

 

 男の指摘を受け、すぐさま全員が通用階段の方へ駆け出した。

 扉を開けて、主人は外側のドアノブに目を通す。

 

 

 ドアノブと近くの手摺りとを繋いで縛っていたハズの鎖が、ボルトクリッパーか何かで切断されていた。

 

 

「嘘だろオイ!? 誰かの悪戯かぁ!?」

 

「悪戯な訳がねぇだろ! バレてんだよクソッ!!」

 

「でもジョン・マクレーンは、一回も外に出てねぇぞ!?」

 

 

 男の一人が、大急ぎで手摺りに乗り出し、路地裏を見下ろす。

 

 マクレーンはすぐ、発見された。

 

 

 

 停めていた車の後部座席に、何かを乗せる彼の姿。

 抱きかかえ、丁寧な姿勢で乗せられているそれは、洋服を着た少女の影。

 揺れる長い髪は、シルバーグレーだった。

 

 

 

「いたッ!? いたぞッ!! マクレーンがガキを乗せてやがるッ!!」

 

 

 銃口を向ける男たち。

 

 

 マクレーンは後部座席から、何かを引っ張り出した。

 

 

 BARだった。

 巨大なライフル銃を向けられ、一旦して彼らは青い顔となる。

 

 

「BARだぁッ!? バーバーバーバーッ!!」

 

「逃げろぉーーッ!!」

 

 

 マクレーンは引き金を引く。

 重厚な銃声と共に、弾丸が発射される。

 

 男たちは大慌てで屋内に逃走し、一斉に廊下に飛んで伏せた。

 

 

「なんでバレてんだ!? なんでバレてんだぁッ!?」

 

「やっぱてめぇ、誰かに漏らしただろぉ!!」

 

「クソッ、クソッ!! 御破算だチクショーッ!!」

 

「こんなチンケなクズ銃で、BARに敵うかぁ!?」

 

「伏せろーッ!! ミンチにされるーッ!!」

 

 

 その内、銃声は止んだ。

 代わりに響いた音は、車のスキール音。

 

 即座に彼らは立ち上がり、再び通用階段へ飛び出す。

 

 路地裏を、車が走り去って行った。

 

 

「おいッ!? 逃げられるぞぉッ!?!?」

 

「誰か車で来てねぇか!?」

 

「表に停めてあるッ!! 付いて来いッ!!」

 

 

 男たちは急いで階段を降り、路地裏から表通りへ。

 

 

 宿の前に停めていた車に乗ろうとした時、走り去ったマクレーンの車目掛けて、数多の車が追いかけて行く。

 この街の殺し屋たちの物だ。

 

 

「おいおいおい!? どんだけバレてんだぁッ!?」

 

「俺たちも行くかッ!?」

 

「ここまで来たらもう、行っても仕方なくねぇか?」

 

 

 行くか止めるか討論する彼らの元へ、数人の人間が近付く。

 誰か来たのかと顔を向けた男たちはまた、顔を真っ青に染めた。

 

 

 屈強な、ロシア人たち。

 間違いなく、ホテル・モスクワの人間だ。

 

 

「おい! 何があった!?」

 

「あ、あ、あの、これには、訳が……」

 

「申し分は良いッ! 何があったかだけ言えッ!!」

 

 

 鬼気迫る表情で問い詰めて来るロシア人。

 完全に萎縮した主人は、あった事全てを話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその話は、ボリスを介してバラライカの耳に届く。

 すぐさま彼女は椅子から立ち、事務所を出た。

 

 

「ジョン・マクレーンが、双子の特徴と合致する人間を乗せていたと」

 

「えぇ。下宿屋の主人曰く、前々からあそこに匿っていたのでは、と」

 

「………………」

 

 

 もう一つ、不可解な事がある。

 逃げたマクレーンを追った、殺し屋たちの事だ。

 

 

「……なぜ、奴の事を我々以外の殺し屋が掴んでいる?」

 

「分かりません。しかし分かった事は、ジョン・マクレーンには明らかに、この街を良く知る協力者が存在しています」

 

 

 含みのあるボリスの言い方。

 その真意はすぐに察知出来た。

 

 彼の言葉の続きを、バラライカは代弁してやる。

 

 

「……つまり────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 BARを撃ち放ち、男たちを牽制するマクレーン。

 用事が済むと即座に後部座席へ銃を放り投げてドアを閉める。

 

 

「どうだ、マヌケどもめッ!」

 

 

 大慌てで運転席に乗り込み、アクセルを踏む。

 

 

 路地裏から、表通りへ出た。

 ダッシュボードにかけた地図を見ながら、彼はハンドルを切る。

 

 

 バックミラーを覗く。

 潜んでいた殺し屋たちが、車に乗って追いかけて来ていた。

 

 

「おー、こりゃやべぇ……! またマッドマックスかよクソッタレ……!」

 

 

 ギアを変え、アクセルを更に踏み込み、速度を上げる。

 前方にいる車を右へ左へ車線を移動しながら、どんどん追い抜かす。

 

 

「こんな街でも、法定速度は守るんだなぁ、えぇ!?」

 

 

 サイドミラーを覗き、追手の様子を見るマクレーン。

 

 映っているのは、一台の殺し屋の車。

 助手席から身を出し、サブマシンガンを構える男の姿。

 

 

「おぉ!? やろってのかぁ……うひぃ!?」

 

 

 放たれた弾丸が、マクレーンが見ていたサイドミラーを破壊した。

 

 そのまま彼の車の後ろに付けつつ、銃を撃ちまくる。

 

 

「だぁーーッ!! クソッタレぇーーッ!!」

 

 

 トランクに穴を開け、リアガラスが割れた。

 マクレーンは頭を下げながら、ハンドルに齧り付き続けた。

 スピードだけは、一切落とさない。

 

 

「頭下げてろよぉ〜!!」

 

 

 バックミラーを覗き、後部座席にいる少女へ声をかけてやった。

 

 

 マクレーンは一息吹き、大きくハンドルを切る。

 車はガイドポストを跳ね飛ばし、対向車線へ侵入。

 

 

「すみませんねぇー!! ちょっと通りますよぉーっと!」

 

 

 逆走する彼の車に驚いてブレーキを踏む、ドライバーたち。

 その合間を縫うようにして、マクレーンはどんどんと先へ走る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロアナプラの出口にて、検問を実施する警官たち。

 街を出ようとする車を一台一台停め、確認している。

 

 

 タイ南部の辺鄙な街とは言え、少なくはない。

 半ばルーティーンとなり、警官たちは気怠げな表情だ。

 

 

「クソ……めんどくせぇよなぁ。んな、なんでこんな、警察みてぇな事しなきゃなんだ」

 

「警察みてぇなじゃなくて、俺たちゃ警察なんだよ。やっと思い出したかぁ?」

 

「うるせぇなぁ。んな、日頃やってる訳じゃねぇだろが。ハァ〜〜、一発、ヤリに行きてぇなぁ」

 

 

 茹だる暑さの中、水の入ったボトルを片手に仕事を続ける。

 停めている車には、ざっと十台以上が並んでいた。

 

 業を煮やしたドライバーに、罵声とクラクションを浴びせられる。

 その時は拳銃を抜けば、一発だ。

 

 

 

 休憩時間まで、あとどれくらいだったか。

 ぼんやりとそう考えた時に、一人の警官が大急ぎでやって来た。

 

 

「オイッ!! 検問はやめだッ!!」

 

「あ? どした?」

 

「無線聞いてねぇのかぁ!? 双子が見つかったんだッ!!」

 

「はぁ!?」

 

「ジョン・マクレーンだッ!! あのクソ野郎が双子乗せて、ラチャダ・ストリートを走ってやがるッ!! 街から出る気だ!! 早くしねぇと、十二万取り逃がすぞッ!!」

 

 

 警官たちは大急ぎで検問を中止し、パトカーに乗り込む。

 残された車のドライバーたちに説明もせず、ロアナプラ方面へ一斉に走って行く。

 

 

「KLOOTZAKッ!!」

 

 

 パトカーが横切った時、待たされていた車のドライバーが罵倒を飛ばす。

 中指を立て、どこの国のか知れない言葉で叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 南シナ海を航行する、PTボート。

 インドネシアにある島を目指し、海原を掻き分ける。

 

 

「おーい。今日はどこまで行くんだ?」

 

 

 ベニーへレヴィが、話しかける。

 彼はレーダーを確認しながら、応えてやった。

 

 

「ボルネオかな。インドネシアだよ」

 

「かぁーっ! 遠いなクソ!」

 

「我慢しなよ。と言うかここ最近の君、やけに機嫌悪いね。一体どうした?」

 

「うっせぇ、それは関係ねぇ。黙ってレーダーと見つめ合ってんろ。四つ目」

 

「やっぱ機嫌悪いじゃん……」

 

 

 ベニーの部屋を離れ、貨物室に行く。

 大きな木箱が二つ。これが今日の荷物だ。

 

 傍らではロックがタバコを吸い、番をしている。

 彼はレヴィに気付くと、スッと手を上げて反応した。

 

 

「だいぶかかる?」

 

「あと二時間か」

 

「遠いな……」

 

「地球の裏に行くんじゃあるまいし、そんなにだよそんなに」

 

 

 さっき目的地を聞いて「遠い」とゴネていた事は棚上げ。同調する事さえ、面倒なだけだった。

 ドカッと彼の隣に座り、足を組む。

 

 

「中は確か、武器だっけか」

 

「あっちの支部のマフィアに渡すモンだとさ。クソババァめ。んな大荷物、急に依頼すんなっつの」

 

「こっちからあっちに頼むのはあるけど、あっちからってのは珍しいかな」

 

「そうでもねぇ。誰かがチップ付けて運送も頼みゃ、あたしらにたまに依頼してくる」

 

 

 ロックはジッと、木箱を見つめている。

 その様子に気付いたレヴィは、訝しげに聞いて来た。

 

 

「どうした? なんか気になんのか?」

 

 

 ロックはすぐに首を振り、疲れた笑顔で否定した。

 

 

「……いいや。何でもない」

 

 

 

 

 その時、突然船が止まった。

 何事かと二人が天井を見上げた時に、誰かが貨物室の扉を開けて入る。

 

 ダッチだ。

 いつも冷静沈着な彼にしては、焦りがやけに滲み出ていた。

 

 

 手には彼の愛銃の、S&W M29が握られている。

 

 

「お、おいおいおい、どうしたダッチ?」

 

「レヴィ。銃を構えて、その箱を狙っていてくれ」

 

「…………なに?」

 

 

 困惑しながらも、ホルスターからベレッタを抜くレヴィ。

 一人ロックは、息を吸い込んだ。

 

 

「……なにがあった?」

 

「ちょっとした確認だ。もしかしたら俺たちは、ドラキュラの棺でも運んでいたかもしれねぇ」

 

「……武器じゃねぇって事か」

 

 

 木箱に近付きながら、ダッチは訳を告げた。

 

 

 

 

「バラライカからの連絡があってな」

 

 

 その名を聞いた時、ロックは咥えていたタバコを、思い切り噛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走り続けるマクレーン。

 彼の行動は読まれていたのか、行く先々で殺し屋が待ち構えていた。

 

 ある時には建物のバルコニーからも発砲された。

 

 天井を突き破って降る弾丸に、マクレーンは肝を冷やす。

 

 

「だぁーーッ!! クソッタレぇーーッ!! 俺が運転中で命拾いしたなチクショウッ!! 銃持ってりゃ、皆殺しにしてやったのによぉッ!!」

 

 

 撃ち込まれる銃弾に注意しながらも、ダッシュボードの地図を睨み続ける。

 

 

「えぇと……次は右かぁ!?」

 

 

 十字路を右折する。

 信号を無視した為、車の流れを乱してしまう。

 

 マクレーンの車との衝突を避けようとブレーキをかけ、渋滞が起こる。

 後続の追手の車がそれに阻まれ、次々と停車する。

 

 

「ふぅーッ!! ざまぁねぇ! で、次は……ッ!?」

 

 

 前方より、パトカーが現れた。

 それも複数台。道路を閉鎖している。

 

 

「予定より早ぇなぁ!? こう言う時だけ仕事すんじゃねぇッ!!」

 

 

 仕方なく、別の道に逃げる。

 マーケットの路地だ。ルートは狂ったが、やりようによっては軌道修正は可能だ。

 

 

「はいはいはい、どいたどいた!! おまわりさんのお通りだー!」

 

 

 狭い道をクラクションを鳴らしながら走る。

 歩行者が大急ぎで避けて行く中を、強引に進んだ。

 

 

 

 路地の先は、また別のストリート。

 出たと同時にタイヤを滑らせ、車体を整えた。

 

 だがその先を見て、マクレーンはギョッとする。

 

 

 

 警察は全ての通りを、完全に閉鎖していた。

 

 

「……警察相手に逃げる逃走犯ってのは、こんな気分なのかねぇ。バラライカめ、もう情報を流しやがったか」

 

 

 車を一八◯度回転させ、パトカーに背を向けて逃げ出す。

 地図を一瞥し、苦い顔となる。

 

 

「……いや。次の通りを左折すりゃ、なんとか……!」

 

 

 その目論見は、あっけなく崩壊する。

 進行方向より走って来た車が、マクレーンの車両に発砲した。

 

 

「うぉあ!? どっから来たッ!?」

 

 

 その攻撃により、左折ルートを諦める他なかった。

 車はそのまま直進し、繁華街の方へ。

 

 

 

 

 

 

 

 マクレーンの車に攻撃を加えた者は、すぐに無線をつけた。

 

 

「標的の迎撃、失敗。第二班、用意しろ」

 

 

「第二班、了解」

 

 

 報告を受けたと同時に走り出す、別の車。

 路地から現れたその車も、ちょうど通りかかったマクレーンの車へ攻撃する。

 

 

 再び彼を曲がらせず、直進させた。

 

 

「第二班、迎撃失敗。標的はそのまま、ブラン・ストリートに入る。迎撃班、準備せよ」

 

 

 無線で任務の「失敗」を報告。

 

 

 その報告は仲間内だけではない。

 暗い部屋で、隠れて傍受する第三者の耳にも入った。

 

 

 

 

 

「こっちに来るぜ! 情報通りだ!! 奴ら、取り逃がしているぜ!!」

 

「オーケー。おいッ!! 構えろ野郎どもぉッ!!」

 

 

 男の雄叫びが聞こえたと同時に、部屋中にいた者たちが各々の銃を持って飛び出す。

 

 

 モーテルやビルの屋上、ベランダや道路沿いのベンチ。

 至る所に、殺し屋たちが待ち構えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 車の中で、バラライカは無線機を置く。

 指令は伝え終えた。

 

 

「奴はどうやら、殺し屋たちのいるポイントを的確に避けている」

 

「外れたルートを閉鎖するよう、ロアナプラ署には連絡済みです」

 

 

 地図を見ながらボリスは、報告を続けた。

 

 

「『誘導班』には、標的を『取り逃がした』と言う体で報告させています。今頃、誰かが無線を傍受して、我々が『待ち構えているポイント』の前に集結している頃合いでしょう」

 

「完璧だ……同志軍曹、携帯電話を」

 

「はい」

 

 

 彼から渡された電話を取り、番号を入力。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その電話は、船を操作中のダッチの無線機と繋がった。

 すぐに彼は運航の片手間に、それを取る。

 

 

「私よ、ダッチ」

 

「バラライカか? どうした?」

 

「聞きたい事と、頼みたい事があるのよ」

 

「悪い。今、仕事中なんだ。依頼ならまた後で頼めるか?」

 

 

 ダッチのお願いを無視し、彼女は「聞きたい事」から先に告げた。

 

 

 

 

 

「今運んでいる荷物だけど……『暴力教会』の物よね?」

 

 

 思わず彼は、顔を顰めた。

 

 

 間違っているからではなく、その通りだからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二度の邪魔を受け、ルートへの帰還を失敗したマクレーン。

 頭を掻きながら、苦虫を噛み潰したような表情となる。

 

 

「バレたか……!? クソッタレ……まさか、ロアナプラ中の奴に喧嘩売るなんざな……!! これ出来んならBAR担いで、ホテル・モスクワに突撃すりゃ良かったッ!!」

 

 

 そんな悪態を吐きながら、ストリートに入る。

 

 まだルートへは戻れる。次の通りを抜け、右折すれば可能だ。

 しかし、彼はまんまと罠にかかってしまった。

 

 

 

 

 

 フロントガラスより見える光景に、目を丸くした。

 

 

 向けられる銃口、銃口、銃口…………

 

 

 

 そこには数多で様々な銃を構えた、殺し屋たちの姿。

 

 

 

「…………ここ、殺し屋の待機場所じゃねぇハズだろぉ……?」

 

 

 停まれば、間違いなく的になる。

 マクレーンは少し躊躇した後、アクセルを踏んだ。

 

 強引に突撃しようと考えた訳だ。

 

 

 

 

 しかしその判断は、たった二秒後に間違っていたと、気付かされる。

 上から、横からと降り注ぐ銃弾が、彼の車を破壊して行った。

 

 

 

 

「────もう無理だクソッタレぇぇーーーーッ!!」

 

 

 急いでドアを開け、外に飛び出すマクレーン。

 

 

 

 ほぼ同時だった。

 誰かの撃ち込んだグレネード弾が、車の下に着弾する。

 

 

 

 爆音が響き、ストリートの中央で噴煙が上がる。

 

 紅い炎と黒煙を巻きながら、強烈な風が車を吹き飛ばす。

 

 

 

「うぉおおぉおおッ!?!?」

 

 

 道路を滑りながら転がるマクレーン。

 その頭上を、さっきまで乗っていた車が、飛び越して行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バラライカの話を受けたダッチは、思わず吹き出す。

 

 

「……『エダ』が街の殺し屋どもに、双子乗せたジョン・マクレーンの移動ルートを教えている?」

 

「しかも本人はそのルートを意図的に避けているし、この情報は直前まで私たちに伝わっていなかった……意味わかる?」

 

「…………殺し屋の待機場所をマクレーンは知っている。つまり、エダは奴にも情報を流した…………殺し屋への情報は嘘で、マクレーンはエダと結託しているってところか?」

 

「ご明察。インテリ自称するだけあるわね」

 

 

 とは言ったが、ダッチには一つ、解せない点があった。

 

 

「しかし……殺し屋どもを扇動する必要あったのか? こっそり逃げりゃ良い。なんでこんな、朝っぱらから大騒ぎしてやんだ?」

 

「そこよ。私もそこを考えた……で、思い付いたのよ」

 

 

 ボリスに火をつけてもらった葉巻を、彼女は咥えた。

 

 

 

 

「……街でのドンパチは、『陽動』。我々の目を、本命から逸らさせる為」

 

「………………」

 

「……そしてこのタイミングで動き出した、ロアナプラ中の運び屋を調べたら……マクレーンと結託しているであろうエダの所属する、暴力教会からの荷物を請け負った運び屋が、一つ」

 

「……おいおい、マジか」

 

 

 すぐにダッチは船を停めた。

 彼の鬼気迫る声色を聞いたバラライカは、満足げに煙を吐く。

 

 

「察しが良くて助かるわ。あなただって、嘘吐きは嫌いでしょ?」

 

 

 すぐに無線を切り、ダッチは操舵室を銃を持って飛び出した。

 

 

 

 

 そして今、貨物室に彼が入って来た訳だ。

 目の前の木箱ならば、大人は難しくても子どもなら余裕で隠れられる。

 

 

「……レヴィ。バールを貸せ」

 

 

 備え付けのバールを、ダッチに投げ渡す。

 ロックは目を伏せ、肺が膨らみ切るまで煙を吸った。

 

 

「静かにな……気を付けろ」

 

 

 バールの先端を、木箱上面の繋ぎ目に押し込む。

 そのままレヴィを一瞥した後に、一息つけて一気にバールを押し込んだ。

 

 

 メキリと音が響き、木箱が開く。

 

 

 

 

「構えろッ!!」

 

 

 

 

 

 一人静かにロックは、首を振って煙を吐いた。




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Let it Be 3.5

 頭上を通り過ぎて行った、車。

 

 道路を滑り、血を流す彼を抜けて、反対車線へ。

 

 

 車体は大きくひしゃげ、アスファルト上で二回転。

 

 

 

 道路脇を行く人々から、悲鳴があがる。

 

 蜘蛛の子を散らしたように逃走する彼らの後に、車は突っ込んだ。

 

 そのまま街灯に衝突し、沈黙する。

 

 

 もはや鉄クズの塊となった車両。

 

 動かなくなったそれ、歓声をあげて近寄る殺し屋たち。

 

 

 

 

 

「あ〜〜……クソォ……!」

 

 

 

 彼らの後ろ姿を、道路に寝そべって眺めるマクレーン。

 

 身体中より擦り傷が出来、血がポタポタと流れ落ちている。

 

 高速の中、車道へ飛び降りたのだから当たり前だ。

 骨も折れたらしい。足がまるで、動かなかった。

 

 

 

 そんな彼の側に近寄る、一人の人物。

 

 

 顔を上げるマクレーン。

 

 

 

 

「無様な姿ね。陽動にしては無茶し過ぎよ?」

 

 

 

 

 立っていたのは、多くの兵士に守られたバラライカだった。

 

 

 

 

 

 

 

ダイ・ハード 3.5

 

 

 

 

 

 

 彼女に見下されながらマクレーンは、身体も動かせないままに苦笑いをこぼす。

 心底無残な自分の姿を客観的に想像し、笑ってしまった。

 

 

「……ちと、遅かったなぁ、バラライカ。祭りは終わりだぁ」

 

「閉幕式の時間はあるわ。まだもう少しだけ、終わっていない」

 

 

 バラライカはマクレーンから、車の方へ視線を変える。

 嬉々として駆け寄り、後部座席を開いた殺し屋たち。

 

 次の瞬間、歓喜の声は愕然とした悲鳴に変わる。

 

 

「おい!? ガキじゃねぇッ!?」

 

「じゃあ誰だ!?」

 

「誰でもねぇよ、クソッタレッ!!」

 

 

 

 

 男が引き摺り出したのは────人形だった。

 等身大の、下手くそな編み物の人形に、グレーテルの着ていた洋服が被せられていただけだ。

 

 

 

 呆然とする殺し屋たちを見て、マクレーンはしてやったり顔のまま、バラライカを見やる。

 

 しかし彼女の表情からは、驚きの色は窺えなかった。

 

 

「人間、思い込むと本物か偽物かの区別も付かねぇよなぁ? バックドラフトでもそう言うシーンあったろ? 助けた女が、マネキンだったってのがよぉ」

 

「ええ。そうね。それは痛いほど分かるわ。新兵の頃は何度も、ただの岩影を敵兵と見間違えたものよ」

 

「ほほぉー。てめぇにもそんな時期があったんだなぁ?」

 

 

 偽物だと分かるや否や、逆上した一人の殺し屋がマクレーンに銃口を向ける。

 

 

「てめぇーーッ!! ガキはど────うぉおお!?」

 

 

 即座に控えていたホテル・モスクワの者たちがAK74を放つ。

 銃弾は直撃しなかったものの、足元や顔の側面を掠めた。

 

 

 その威嚇射撃によって、場の空気は静まり返る。

 

 既にここは、ホテル・モスクワの制圧区画となった。

 

 

 

 

「……誰だって青かった日はあるわ。私もそうで、あなただってそう────しかし、それは過去なの。今は違う。そうでしょ?」

 

 

 

 そう言って彼女は、ボリスから受け取った資料をマクレーンの前に投げ付けた。

 

 

「あなたには優秀なお友達がいるようね。でも、私にもたくさん友達がいるのよ」

 

「………………」

 

「そのリストには、ロアナプラならびに、タイと南シナ海中の運び屋(ミュール)逃がし屋(ゲッタウェイドライバー)殺し屋(ヒットマン)情報屋(チップスター)たちの名前があるの。電話一つと幾らかの報酬でこっちに付くわ。今、全てに連絡をかけている」

 

「………………」

 

「あなたたちは突発的で急速的なカーアクションを演じる事で、我々を焦らせようとしたみたいだけど……少し作戦が、杜撰過ぎるわね。あなたが(デコイ)だってのは、すぐに見抜けたわ」

 

 

 マクレーンはリストを読んでみようと首を上げたが、すぐに力尽きて地面に付けた。

 

 

「教会のシスターと組んでいたでしょう?」

 

「……いいや」

 

「此の期に及んで庇うのかしら?」

 

「知らねぇ」

 

 

 そうとは言うが、饒舌なマクレーンの口数が減った事が何よりの証拠だろう。

 しらばっくれる彼に向かって、彼女は告げてやった。

 

 

 

「……そのシスターの所属している教会から、ラグーン商会に依頼があったそうね」

 

 

 ピクリと、マクレーンは眉を動かして反応した。

 

 

「今、ダッチに確認させているわ……ダッチだけじゃない。今日、仕事の入っている全ての運び屋や逃がし屋に連絡をかけた」

 

「………………」

 

「絨毯爆撃は、戦術の内。そうでしょ?」

 

 

 彼女は懐から、スチェッキン・フル・オートマチックピストルを抜く。

 

 銃口を、マクレーンに向けた。

 

 

「さぁ、どうなるのかしら」

 

 

 その内、携帯電話の着信音が鳴る。

 

 静まり返ったストリート。

 数多の殺し屋たちが訝しげに見る中、ボリスがポケットから携帯電話を取り出す。

 

 

「……ラグーン商会です」

 

 

 電話を渡す。

 すぐに着信ボタンを押し、耳元に押し当てた。

 

 

『バラライカか? 俺だ』

 

「待っていたわ、ダッチ。どう?」

 

『あぁ。荷物の中身だが……』

 

 

 バラライカは何も言わず、ダッチの言葉を待つ。

 

 

『……ウィンチェスター M1912。ベルナルデリP018。Wz63……それと……』

 

 

 

 

 

 ダッチはスッと、困り顔で変わった銃を持ち上げた。

 

 

「……マテバだ。以上」

 

 

 そして報告を終える。

 

 

 

 

 

 

 表情の無かったバラライカに、ヒビが入るかのように歪みが生まれる。

 眉間に皺を寄せ、次には全てを察したかのようにマクレーンを見下ろした。

 

 

 遊撃隊の全員より、無線が入る。

 そこから飛び込む数々の報告が、ストリートで混ざり合う。

 

 

「メロディ・リーは無関係でした」

 

「ジョーカー・ロッコ、無関係」

 

「フランク・マーティンも無関係」

 

「フランキー・フォー・フィンガーは無関係」

 

 

 バラライカの目が、見開かれた。

 

 

「トニー・アマート無関係!」

 

「ジュールス・ウィンフィールドも無関係」

 

「ビッグホーン・エルロイ、無関係」

 

「バーニー・ロス…………無関係」

 

 

 やっと見れた彼女の驚き顔に、マクレーンは喉で笑う。

 

 

「ラウル・デューク、無関係」

 

「ボリス・ザ・ブレイドも無関係」

 

「スティーリー・ダン無関係」

 

「ベネットは無関係!」

 

 

 次には大口を開けて、狂笑をあげた。

 スクランブルする報告の中で、彼の笑い声が刺すようにこだまする。

 

 

 

 

「ヒャーーッハッハッハッハッハァーーーーッ!!!!」

 

 

 

 

 バラライカは携帯電話を切り、銃口は向けたまま、殺意の篭った目でマクレーンを睨む。

 

 

「………………」

 

「イヒヒヒヒッ!! 業務連絡ごくろーさん!! ハッハッハッ!! 連絡網のお友達から何かご報告はありましたかぁ、大尉!?」

 

「……分からないな」

 

 

 一度目を伏せ、呆れたように首を振るバラライカ。

 呆れているのはマクレーンに対してでもあり、自分に対してでもある。

 

 

「……全く分からない。どうやった?」

 

 

 質問はしたが、彼女自身も返答だけは読めてはいた。

 

 

 ニンマリと笑うマクレーン。

 悪戯に成功した、純真無垢な子どもの笑顔をしている。

 

 

 

「教えてやらねぇよぉ〜」

 

 

 

 そう言いながらマクレーンは、今日までの出来事を想起していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 連絡を受け、双子とマクレーンを回収したロック。

 

 後部座席に座る二人を何度も見ながら、いそいそと車を走らせた。

 

 

「……えぇと……あれが、例の双子さんでしょうか……?」

 

「例の双子だ。ほれ、このにいちゃんにも挨拶しろ」

 

 

 双子は揃って手を上げ、挨拶する。

 

 

「僕はヘンゼル。よろしく、日本人のお兄さん」

 

「私はグレーテルよ。はじめまして」

 

「あ、どうも……よろしくね。うん…………」

 

 

 ロアナプラ中が探しているお尋ね者以前に、例のスナッフ・ビデオを見たので少し、話しかけ難い。

 緊張した面持ちでハンドルを操作する。

 

 

「……それで、アテがあるって?」

 

「教会に行け。エダって、尼さんは知ってっか?」

 

「……暴力教会?」

 

「そんな物騒な名前なのかぁ?」

 

「…………なるほど」

 

 

 ロックはニヤリと笑う。

 

 

「……えぇ。何とかなるかもしれませんね」

 

 

 意気揚々と、暴力教会へアクセルを踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 到着するや否や、双子を連れて客間に通されるマクレーンとロック、ヘンゼルとグレーテル。

 

 面白そうな表情で四者を眺めるヨランダと、若干脳の処理が追いついていないエダが出迎える。

 

 

「…………あんたがあん時のシスターかぁ? カリブの海賊かと思っちまったぜ」

 

「初顔合わせだねぇ。あたしゃヨランダ。ここで武器の商いをしているのさ」

 

「…………だからあんな弾を持ってたんだな。ロクな所がねぇなぁ、ロアナプラ……」

 

 

 ガックシと肩を落とすマクレーン。

 自分を激励したシスターが、やっぱり根からの善人ではないと気付いたからだ。

 

 

 ロックは双子の持って来たボストンバッグを開く。

 

 

 

 中には、大金が入っていた。

 エダの目が釘付けとなる。

 

 

「え、えげ、な、えぇ!? なんだその金!?」

 

「私たちがヴェロッキオらの所から持って来た物よ。三十三万ドルはあるかしら?」

 

「さんじゅっ……!?」

 

 

 あまりの金額に卒倒しそうなエダは無視し、ロックはそこから幾らかを取り出す。

 

 

「……この内、二十四万ドルをお渡しします。更新された、二人の懸賞金の二倍。向こう二日間、匿って貰えないでしょうか?」

 

 

 ヨランダは訝しげにロックを見ながら、吸っていたタバコの煙を吐く。

 

 

「……そっちの刑事さんは分かるさね。キメているって聞いちゃいるから、あたしらの頭とは違うだろうからねぇ」

 

「濡れ衣だっつってんのによぉ……」

 

「分からねぇのは、坊ちゃんの方だ。こんなリスクしかねぇ事に協力する意味はなんだい?」

 

 

 質問に対し、ロックはニコッと、人懐っこい笑みを見せた。

 

 

 

 

「普通に殺してお金を貰うよりも、性に合うからです。あなたもそうでしたね?」

 

 

 

 

 その返答にヨランダは、興味深そうに左眉を上げる。

 

 

「相変わらず面白い坊やだ。まぁ、坊やが相手ってのは、ちと悪いねぇ。良いさ、この額で話に乗ってやろうじゃないか」

 

 

 

 

 

 

 こうして暴力教会の協力を取り付けたロックとマクレーン。

 双子は納屋に匿われる事となる。

 

 

 納屋で荷物を置く双子を見ながら、マクレーンは彼に話しかけた。

 

 

「知り合いだったか?」

 

「この街で運搬業をやる以上、お得意様は出来て当然ですよ」

 

「何が運搬業だ……密輸じゃねぇか」

 

「広義的に言えば運搬業ですよ」

 

 

 納屋の中からヘンゼルが、ロックに感謝する。

 

 

「ありがとう、お兄さん! お兄さんも良い人だね!」

 

「あははは……まぁ、まだ街に染まってないのかなぁ」

 

「染まる必要ねぇだろが……あ?」

 

 

 マクレーンが納屋に入り、奥に積まれていたシーツの束に近付く。

 それを見たロックがギョッとして、後に続く。

 

 

「なんか、妙な膨らみが……」

 

「あーあー! 待った待った待った!? 駄目ですよ、触っちゃっ!?」

 

「そこに何かあるのかしら?」

 

「お宝?」

 

「触っちゃ駄目っ!! めっ!!」

 

 

 

 

 

 

 次にロック、マクレーンはエダと共に、礼拝堂で作戦会議。

 

 

「なーんでアタシも巻き込まれるかねぇ……まぁ、シスターから十二万貰えるから良いけど」

 

「なぁ、オカジマ。こいつ信用出来んのか?」

 

「オカジマ? それがあんたの名前なの? 次からそう呼んで良い?♡」

 

「えぇと……まぁ、二人とも落ち着いて……」

 

 

 苦笑いしながら二人を窘め、彼はロアナプラの地図を開く。

 それを見ながら、エダは現状の情報を伝えて行く。

 

 

「郊外じゃ、殺し屋たちがウヨウヨだ。日中も夜間も関係なしさ。昨夜も、夜逃げしようとした家具屋の店主を双子と勘違いして撃っちまってたよ。ほぼ完璧な包囲網さ、突破はオススメしない」

 

「出られそうな箇所は?」

 

「そりゃ、ハイウェイに続く街の出入り口一本。ただこっちは、昼夜引っ切り無しに警察が検問してやがる。無理無理」

 

 

 マクレーンが提案をする。

 

 

「なら、陽動すりゃ良い。街の中、二人を連れているように見せかけて走り回りゃあ、警察の目も引けるだろうよ」

 

「これだから堅気崩れは……元警察の癖に警察の事知らないのお?」

 

「元じゃねぇ、現職だクソッタレ」

 

「そんな逃げ回ったって、検問を解く訳ないじゃん。結局、その出口に向かうんだろう? 寧ろ固めちまうよ」

 

 

 彼女のその推察に、ロックは「いや」と否定した。

 

 

 

 

「……仮に、だ。出口まで向かう途中で失敗を演出して、市中をさまようように逃げたら……警察は検問なんか無視して、そのブロックを閉鎖しようとするんじゃないか?」

 

 

 

 

 彼の発言には、マクレーンもエダも頷く。

 

 

「なるほどなぁ。奴ら、見た感じじゃ血気盛んだ。長々検問してりゃ、暴れて楽しみたくなるハズだなぁ」

 

「でもそうなるとさ……街中にすぐ情報が広がるような、いっそド派手な空気を作る必要がある。人間ってのは、周りが全員信じ込んでりゃ、自分も信じ込むもんさ。そこん所はどうすんだい、色男?」

 

 

 それに関しては、ロックも唸って黙り込んでしまった。

 代わりに案を出したのは、エダ本人だ。

 

 

「……はぁ。仕方ない、アタシが一肌脱ぐか。街中の殺し屋に、『この時間このルートで、双子を逃がそうとする車が通る』って吹聴してやる。ドライバーはそのルートを避けながら、殺し屋に追われる風にして逃げ回んだ。これほどの騒ぎじゃ、警察も本気にして動くだろうよ」

 

「………………ところで問題だが、あー……その、ドライバーってのは?」

 

 

 恐る恐る聞くマクレーンに、二人は同時に視線を向けた。

 

 

「あんたしかいないでしょうが。あんたなら、ホテル・モスクワも目を向けるだろうし、警察の連中も追いかけ回すさ。結構、署内でヘイト溜まってるって知ってるぅ?」

 

「……そりゃな。嫌がらせしまくったからな……クソッ。これが下地になるたぁ思わなかった……」

 

 

 そこで次の問題が出て来る。

 ロックが話し出した。

 

 

「そう、下地が必要だ。『ジョン・マクレーンが、双子を匿っている』と、誰かに疑わせるにはどうするか。偽の情報源を作ってやるんだ、それで殺し屋たちの信憑性を増やせる」

 

 

 これにはエダもマクレーンも、閉口する。

 ロックはやや引き攣った笑顔を見せながら、爛々とした目で提案した。

 

 

 

 

「……とっておきの情報源がいる。口の軽い、マクレーンさんが寝泊まりしている下宿屋の主人さ」

 

 

 

 

 

 

 

 彼の提案に則り、下宿屋に戻ったマクレーンは工作と演技を始めた。

 

 自分が衆目に立てば、ホテル・モスクワからの監視が来るとは知っている。

 だから出来るだけ、「双子を逃がして飲んだくれている」様を印象付けてやった。

 

 

 次に食料を大量に持ち込み、「マクレーンは果たして一人なのか」と疑わせる。

 

 勝手口の錠もこっそりと開け、誰かがそこを通った様も演出した。

 

 

 下宿屋の主人が、口の軽い事をロックは知っていた。

 彼のおかげで、マクレーンの泊まっている宿を発見出来たのだから。

 

 

 

 更に疑惑を深めさせる為に、踏み込んだ演出も加えた。

 

 

「よし、我慢しろよぉ〜」

 

「……イテっ!」

 

 

 ヘンゼルから抜いた地毛を、部屋の前に落とした。

 それを主人が見つけられるように、わざと目立つ位置に。

 

 

 

 

 

 

 

 

「────あぁ、間違いねぇ!! 奴はガキを匿ってやがる!!」

 

「待て待て待て、声がデカい……」

 

 

 バーの隅の席で、挙動不審な五人の男たち。

 その後ろの席では、ロックがいた。

 

 

 彼らが出て行った後、バーの中にいた殺し屋風の男に話しかける。

 この街では双子の件もあって、あちこちに殺し屋たちが闊歩していた。

 

 

「今の奴らの話を聞いたんですけど……」

 

 

 殺し屋たちには、彼らなりのコミュニティが存在する。

 噂話として知れ渡るのは、すぐだった。

 

 

 その上でエダが、ルートと時間の情報を流す。

 即座に殺し屋たちは、それに食いついた。

 膠着状態が続いた事もある、藁にもすがる思いになっていたのだろう。

 

 

 

 

「フンフンフンフ〜〜ん♪」

 

 

 鼻歌交じりに、通用階段の入り口一つ一つを鎖で封印する主人。

 

 彼が消えた後にロックはこっそりと、ボルトクリッパーを持って、三階の扉を解放した。

 解放したと同時に、様子を見に来たマクレーンが、こっそりと開けて話しかけて来る。

 

 

「開けたか?」

 

「順調ですよ。それよりマクレーンさん、車の調達は出来たんですか? 僕らや、暴力教会の車を使う訳には行きませんし……」

 

「大丈夫だ。既にエダに預けてある」

 

 

 そう言ってマクレーンは、扉を閉める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その前日、マクレーンは病院にいた。

 とある入院患者を訪ねに来ていた。

 

 

「おう、元気かぁ? チーズ野郎」

 

「出て行けハンバーグ野郎ッ!」

 

 

 モレッティだ。

 マクレーンと違い、飛び降りた際の打ち所が悪く、そのまま入院となっていたようだ。

 

 

「そうカッカすんじゃねぇ。命の恩人だろ俺ぁ」

 

「うるせぇ! ほぼてめぇに殺されかけたもんだッ!!」

 

「そうか? じゃあ俺がいなくても、あの爆弾は解除出来たってのか?」

 

「恩人面すんじゃねぇ! 出て行けッ!!」

 

 

 追い出そうとする彼を、マクレーンは宥めた。

 

 

「頼みがあんだ。車が欲しい」

 

「いきなりなんだよ」

 

「アシが欲しいってだけだ。おたくの所、従業員用の車ぐらいあるだろ? それを一台貰いたいってだけだ」

 

「意味わかんねぇよボケ」

 

「助けてやったってのは変わんねぇだろ。こいつを貰えるだけで良い。くれねぇってんなら、幾らでも待つぞぉ?」

 

 

 モレッティは呆れたように目線を外した後、一回だけ唸ってから口を開く。

 

 

「吹っ飛んだビルの裏に車庫がある! ほれ、キーだ! これで十分かクソッタレッ!!」

 

「ありがとよぉ……あぁ、あと、てめぇにゃ仕事が残ってたりしねぇか?」

 

 

 ピクリと、モレッティは眉間に皺を寄せ、反応する。

 

 

「なんで知ってんだ?」

 

 

 エダから聞いた情報だ。

 彼らは暴力教会に、大量の武器を注文していた。

 

 

「オフィスが吹っ飛んだからって、仕事は死んでねぇだろ? ただでさえボスがおっ死んぢまったって言うのに、仕事も出来ねぇようじゃ、粛清も────」

 

「分かったッ!! ボルネオ島の支部に届ける荷物だッ!! ラグーン商会に頼むハズだったんだ!」

 

 

 マクレーンはニヤリと笑う。

 

 

「手伝ってやろうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 作戦会議中に、マクレーンは疑問を呈した。

 

 

「しかしなぁ、バラライカの目を逸らすには、この陽動はあからさま過ぎねぇか?」

 

 

 それに対しては、ロックが答えた。

 

 

「あからさま過ぎて、上等なんですよ。バラライカさんは賢い……『賢過ぎる』んだ。絶対に物事の隠れた所まで気付こうとする」

 

「車による陽動と、もう一つ細々とした『生き餌』が必要って事だねぇ? 最高にハイリスクだけど、ウチの仕業を匂わせる必要があるなぁ」

 

 

 エダにそう聞かれ、大きく頷く。

 

 

「例えば……僕たち、とか?」

 

 

 

 

 

 こうしてモレッティの残り仕事を引き受けた暴力教会は、「暴力教会の名義」でラグーン商会に仕事を引き受けさせた。

 わざわざ木箱を大きめの物を用意し、人が入っていてもおかしくない風に装う。

 

 バラライカは「あからさまで派手な陽動」を寧ろ疑い、ロアナプラ中の運び屋や逃がし屋に連絡を飛ばす。

 

 その中で、敢えて「暴力教会が関わっている」と匂わせるのならば、ラグーン商会の積荷に注目するハズ。

 

 

 

 

 

 最後に、ホテル・モスクワへどうマクレーンの情報を流させるか。

 

 そしてどう伝播させるか。

 

 

 

 答えは、やはり下宿屋の主人だ。

 

 彼の口からホテル・モスクワに証言させる必要があった。

 

 

 

 その為には、彼らに「マクレーンは双子を連れて逃げている」と強く勘違いさせなければならない。

 

 

 

 マクレーンは作戦会議を終え、教会を離れようとする。

 その前に、納屋に最後、立ち寄った。

 

 

 

「……よぉ。怪我は、どうだ?」

 

「あ! マクレーンおじさん!」

 

 

 二人はお互いの傷口を、器用に縫い合っていた。

 手慣れている様子。前も似たような事があったのだろう。

 

 

「これで何とかなるかしら? シスターさんから抗生物質も貰ったし、感染症の心配はないわ」

 

「……そうか。それと、グレーテル……頼みがある」

 

「……? なぁに?」

 

 

 マクレーンは納屋の隅にあった、人形を指差す。

 彼女が工場から持って来て、バッグに詰めていた物だ。

 

 

 

「……それと、おめぇの洋服とカツラ……貰えねぇか?」

 

 

 グレーテルはキョトンとする。

 

 

「これとお洋服も?」

 

「替えの服は用意してある。その服は、まぁ、目立つからな……ヘンゼルも着替える事になる。結局、手放す事になんだ。陽動に使いてぇ」

 

 

 二人は互いに見合わせて、クスクスと笑った。

 

 次にグレーテルは、被っていたウィッグを取る。

 マクレーンへ差し渡した。

 

 

「はい。どうぞ」

 

「……悪いな。いつか返してやる」

 

「それも約束に入れて良いかしら?」

 

「……必ずなぁ」

 

 

 ウィッグを受け取り、次に彼は寂しげな目となる。

 次に洋服を渡そうと、プチプチとボタンを外して行くグレーテル。

 

 それを待ちながらマクレーンは二人へ、話した。

 

 

 

 

「……ここで、俺とはお別れだ」

 

 

 グレーテルの、ボタンを外す指が止まる。

 

 ヘンゼルの、傷口を縫う手が止まる。

 

 

 二人はあどけない驚き顔のまま、マクレーンを見ていた。

 

 

「もうここには戻れない。もしかしたらお互いどっちか、これで最後になるかもしれねぇ。だから、その……なんだ。あー……」

 

 

 言葉選びに迷うマクレーン。

 

 彼が言い澱んでいる合間に、グレーテルは脱いだドレスを渡してくれた。

 目の前にはキャミソール姿の……『ヘンゼル』がいる。

 

 見た目は二人、もはや変わらないが、マクレーンは間違いなく彼女を『ヘンゼル』だと知っていた。

 

 

「さよならなんて、言いたくはないよ」

 

「………………」

 

「約束したよね。マクレーンおじさん?」

 

 

 縋る目付きの二人。

 

 

 マクレーンは、精一杯の笑みで、ドレスを受け取った。

 

 

 

「……あぁ。Goodbyeは無しだ。また会おうなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてマクレーンは、大急ぎで通用階段を出た。

 

 滑るように階段を駆け下り、路地裏に立つ。

 

 

 同じタイミングで、やって来た車。

 モレッティから貰い、エダに預けていた物だ。

 

 ナンバーもバレていない、所属の知れない車。

 

 

 

「よぉ、三日ぶりぃ」

 

 

 窓からエダが顔を出す。

 服装はいつもの修道服ではなく、露出度の高く涼しげな普段着だった。

 

 それでもかけているサングラスだけは、そのまま。

 

 

「この三日間、世話になったなぁ……後は俺の仕事だ」

 

「はいはい、じゃあ交代ね」

 

 

 エダは胸元から、折り畳んだ地図を引き抜いた。

 なんでそこに入れてんだと、引き気味のマクレーンを無視し、それをダッシュボードに開く。

 

 

「良い?『ルートは自由』。あんたの頭の中で、勝手に作ってくれて構わない。だけど、バツ付いた通りには行かない事。ハンターが待ち構えている」

 

「えぇと……あぁ、分かった」

 

 

 後部座席を開き、ドレスとウィッグを誂えた人形を取り出して抱きかかえる。

 四十の男のそんな姿を見て、エダはおかしくて吹き出した。

 

 

「なんだぁ?」

 

「いやぁ、なんでもぉ? あと双子からBARを受け取っといたよぉん。懐かれてんねぇ〜。父性ってやつぅ?」

 

「いいからさっさと、ここを離れろ!!」

 

 

 エダは運転席から降りる。

 そしてすれ違い様に、注意を取り付けた。

 

 

 

「……一部の殺し屋は、もうここに車を差し向けている。それと、ルートに入っていないからって、油断はしない事。OK?」

 

「あぁ。OK」

 

 

 表通りの方より、銃声が響く。

 主人らがマクレーンのいた部屋に、発砲したようだ。

 

 

「そんじゃ、アタシはこれで……あぁ、あと! バラすなよ?」

 

「バラさねぇよ」

 

 

 それだけ言い残し、エダは去って行った。

 

 

 

 一人だけのマクレーン。

 緊張の面持ちで、人形を持って待機する。

 

 

 

 

「……さぁ。かかって来やがれ、クソッタレども」

 

 

 

 

 頭上で声がする。

 それを合図に、マクレーンは人形を丁重に席へと座らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後は、起こった通りだ。

 主人の口からホテル・モスクワへ、「マクレーンは双子を連れて逃げた」事が伝わる。

 

 殺し屋たちはエダの情報を受けて、マクレーンを追う。

 

 疑い深いバラライカはマクレーンを陽動と勘付き、町中の運び屋と逃がし屋に連絡を入れる。

 

 鬱憤の溜まった警察は、検問を捨ててマクレーンのいる区画への閉鎖を優先する。

 

 

 

 更にホテル・モスクワは連絡と、マクレーンへの処理にリソースが向き、「隠し球」に気付けなくなる。

 

 

 

 これら全て、ロックとエダ、マクレーンによる「決死の作戦」だった。

 

 

 ダッチがバラライカからの連絡を受けたと知った時、ロックは内心で喜んだ。

 そしてロアナプラ中の殺し屋たちに、中指を立てた。

 

 

「してやったぜ……!」

 

 

 誰にも気付かれないよう呟き、煙を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唯一の誤算と言えば、警察の動きが迅速だった事。

 

 そしてホテル・モスクワが殺し屋たちの無線の傍受を逆手に取った事だろう。

 

 

 マクレーンは死んだかもしれない。

 

 しかし彼はアスファルトの真ん中で、大口開けて笑っていた。

 

 

 

「どぉーーだバラライカぁッ!! してやったぜぇーーッ!!」

 

 

 

 

 敗北。

 

 それを突き付けられたバラライカ。

 

 

 何も言わずに目を閉じた後に、言葉を発した。

 いつもの丁寧な口調ではなく、冷たく重厚な言葉遣いだった。

 

 

 

「……刑事としての矜持はどうした? お前が逃がしたのは、最悪の殺人鬼だぞ?」

 

「そうなんだがなぁ。殺人鬼でも、刑事の立場で私刑は容認されねぇんだ。ダーティハリーの二作目は見たか?」

 

「それをお前が言うのか? 何人の悪党を、裁判を介さず葬った?」

 

「他の考えの出来ねぇ、頭固まった大人よりは聞き分けが良かったからなぁ。それに俺ぁ、子どもは殺せねぇ」

 

「言っている事が矛盾している。貴様の正義は、結局は選民的な偽善なのか?」

 

 

 マクレーンはその質問に、とびきりの笑顔で応えた。

 

 

 

「知らねぇ。俺ぁ、『ジョン・マクレーン』だ。正しさなんざ、結局は他人の匙加減だ……俺は、俺の決めた事をしたまでだよぉ」

 

 

 

 その言葉を受けた彼女は一言、「そうか」とこぼした。

 

 

 

 

 銃口を向ける。

 引き金に指をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 持っていた、携帯電話より着信音。

 

 力のこもった指が、離れた。

 

 

 誰からだろうかと、画面を見た後に、受信する。

 

 

 

 

 

 

「……『メニショフ』か。意識が戻ったんだな?」

 

「はい。大尉……おかげさまで」

 

 

 

 

 病院の寝室。

 そこには、治療中の彼の姿があった。

 

 携帯電話を使い、バラライカへ連絡を入れていた。

 

 

「一体、どうした? 祝いなら、退院後にやろう」

 

「大尉……お願いがありまして、急ぎ、連絡をさせていただきました」

 

「お願い?」

 

「……ジョン・マクレーンの処刑を……今回だけは、取りやめていただきたいのです」

 

 

 

 彼のその言葉に、バラライカは耳を疑った。

 

 

「……どう言う理由でだ?」

 

 

 メニショフは言いづらそうに目を伏せた後に、キッと真っ直ぐ見据えて、話し始める。

 

 

「……私は、その男に助けられました。こうして、まだ大尉の部隊にいられるだけでも、奇跡です。その、恩によるものです」

 

「メニショフ……意識が戻って、状況はまだ聞かされていないようだな。サハロフは双子に殺された。そしてその双子を、ジョン・マクレーンは逃がした。我々の仇に手を貸した男だぞ?」

 

「……その上での、お願いです」

 

 

 息を、吸い込み、気分を落ち着かせながら言葉を綴る。

 

 

「……確かに、サハロフの件は私も許せません。双子には、制裁を与えなければなりません……」

 

「………………」

 

「……しかし、大尉……だからと言って、あの状況下で私を助けた男の恩もまた、無視出来ないのです。双子ならば追い続ければ良い」

 

「…………伍長」

 

「大尉。失礼を承知で、申させていただきます」

 

 

 唇を噛んだ後に、メニショフは更に続けた。

 

 

 

 

「……私も、大尉も、他の全員……『見捨てられた者』です。忘れてはなりません……我々の、『矜持』を。たった一つ残ったそれまでをも、どうか……捨てないで欲しいのです」

 

「………………」

 

「……救われた恩一つをまず返さなければ、我々はマフィア────以下に、堕ちてしまいます」

 

 

 

 

 

 バラライカは少しだけ、考え込むように天を見上げた。

 

 良い天気だ。こんな日には惜しいほどの。

 

 

「………………メニショフ伍長」

 

 

 

 バラライカは銃口を────

 

 

 

 

「……そうだな。この男は、サハロフ上等兵の仇ではない……我々の、敵ではない」

 

 

 

 

────下げた。

 

 

 

「……ただ、魔が差しただけの男だ。『昔の私のように』……な」

 

 

 

 

 

 バラライカは、マクレーンから背を向けた。

 

 呆然と眺める彼の視線を受けながらも、各隊に撤退を命じる。

 

 

 

 

「ところでメニショフ」

 

「は、はっ」

 

「……どうやって知ったんだ? 私が今、ジョン・マクレーンの前にいる事を……」

 

「……え? 大尉が、手紙で知らせたのではないのですか? 彼を捕らえに行くと……」

 

「いいや。私は何もしていない」

 

「それは妙ですね……大尉の物と良く似た字の、ロシア語の手紙が届いたものでして……」

 

 

 

 

 

 

 

 メニショフのいる病室。

 その前に立つのは、エダだった。

 

 

「……全く。筆跡のコピーは大変だって言うのに……」

 

 

 悪態吐きながら彼女は、病院を後にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電話を切った、バラライカ。

 背後にいるマクレーンへ、背を向けながら問いかける。

 

 

「今回のみは、見逃がそう……しかし、今回だけだ。次あれば、容赦無く殺す」

 

「……? お、おい?」

 

「あと、前に言った酒の奢りの件は無しだ」

 

「待て、バラライカ、おい……!? どう言う風の吹き回しなんだぁ!?」

 

 

 ピタリと立ち止まり、彼女は横目だけでマクレーンを見やった。

 

 

 

 

 

「…………やはり、私はあなたが羨ましい……羨ましいよ、ジョン・マクレーン」

 

 

 

 

 

 それだけを言い残し、去って行く。

 

 

 

 

 

 

 後に残った、マクレーンはただ一人、彼女の背中を眺め続けた。

 

 そしてハッと我に返り、叫ぶ。

 

 

 

「俺ぁ、こっからどうすんだよぉーーッ!?!?」

 

 

 

 

 情けない声。

 本当に自分を、強靭な意志を以て出し抜いた男なのかと、呆れてしまった。

 

 

 失笑をこぼす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦会議中、マクレーンはロックに最後の質問をする。

 

 

「俺の車は陽動……ラグーン商会は囮……他の運び屋と逃がし屋は無理……そうなっちゃ、アテがいるのかぁ?」

 

 

 その質問に、ニヤッと笑う。

 

 

「……ホテル・モスクワに名前がいっていない、無名の人間を使えば良いんですよ。しかも街を離れたがっていて、双子の事に興味のなさそうな人間」

 

「そんな都合の良い奴、いんのかぁ?」

 

「いますよ。そして、マクレーンさんは一度出会っています」

 

 

 

 ロックは携帯電話を取り出し、ある番号にかけ、流暢な言葉遣いで合い言葉を言う。

 

 

 

 

 

Wat gebeurd is, is gebeurd(起こった事は、起こった事だ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 検問を解いた、警察たち。

 男は中指を立てて、叫ぶ。

 

 

 

 

KLOOTZAK(クソ野郎)ッ!! なんだーよッ!!」

 

 

 オランダ人の兄弟(ダッチマンブラザーズ)の兄、ヤーコプが罵声を飛ばす。

 助手席のエフェリンは無関心に、外の景色を眺めていた。

 

 

 

「しかしエフェリン! 日本人(ヤパンナー)、良い奴だったな! 十三万ドルくれるんだからなぁ!!」

 

「………………だけど、荷物の処理を任されたけどね。しかも国境越えで処理とか……」

 

「まぁ、そうだな。でもこの金で、オランダ帰れるぞぉ! さらばロアナプラぁッ!! 帰るぜスケフェニンゲンッ!!」

 

「……………………まず、エリオット爺さんの所」

 

「分かってる分かってる!! にいちゃんに任しとけぇなぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 荷台に乗せた、一つの大きな木箱。

 

 微かに揺れて、中からクスクスと笑い声が、聞こえたような。



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Everything's Not Lost

「Everything's Not Lost」
「コールドプレイ」の楽曲。
2000年発売「Parachutes」に収録されている。
オアシスやレディオヘッドの潮流を継承する、新世紀に現れたモンスターバンド。このアルバムがメジャーデビュー作だが、初登場で英国シーンにブームメントを巻き起こし、後に世界的ヒットを叩き出す。
甘いピアノとエモーショナルなギターを駆使した、壮麗で壮快な一曲。憂鬱なメロディラインと落ち着いたアコースティカルなサウンドが、アルバムのラストを魅惑と余韻たっぷりに飾る。

曲が終わった数秒後に、もう一つの曲が隠しトラックとして流れ出す。
曲名は────


 寂れた工場。

 

 海沿いの廃墟。

 

 ウミネコが飛ぶ晴れた空。

 

 

 あれから何年が経ったのか。

 

 静まり返った屋内。

 

 眠るように床を埋める人形たち。

 

 壊れた機械の部品。

 

 

 入り込む潮風を受け、永劫まで続く静寂に伏す。

 

 誰も寄り付かない最果ての墓場だ。

 

 ただそれでもかつて、三人の人間による、運命の死闘があった。

 

 

 

 その記念碑は、部屋の片隅で眠っていた。

 

 一挺の銃。

 

 戦いを終わらせ、運命を勝ち取った者の銃。

 

 

 忘れられたルガーが、差し込む一筋の陽光を浴びていた。

 

 

 誇らしげに、威風を纏わして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PM 20:12

 

 

 

 

 

 

「……本当に、逃してくれるの?」

 

「私たちは、『私たち』よ。街を出たら、また誰かを殺すわ」

 

「……本当に良いの?」

 

 

 4750

 

 -- --

 

 

 

「良かねぇよなぁ」

 

「だから、『約束』だ」

 

 

 

 

 

 

 

「……この街を出て、誰も殺さずにいられたら────」

 

 

 

 

 0001

 

 

 

 

PM 20:13

 

 

 

 

 0000

 

 

 

-- Hidden Track --

 

 

 

 

 

 

 

 

「Everything's Not Lost」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その街の名は世界に広まり、そして衝撃を与えた。

 

 

 始まりは、ある作業員の靴から検出された、高濃度の放射線だった。

 

 

 

 1986年4月26日。

 試験中、原子炉が爆発した。

 

 中央より上がった炎は、人工衛星からも見えたらしい。

 

 舞い上がった放射線物質は、北半球を覆った。

 

 

 

 

 事故を起こした原子炉は建造物で覆われた。

 

 まるで「石棺」の並ぶ、王家の墓のようだ。

 

 しかし、様々な処置を施したとしても、広範囲汚染は免れなかった。

 

 

 その日、街は死んだ。

 

 人が消えた。

 

 墓守りのいない墓場と化した。

 

 

 

 人類史に於いて最悪の原子力発電所事故。

 

 二十七年後の今も、街は開かれない。

 

 退廃した家々と、緑が侵食する原子炉が並ぶ、最果ての墓場と化した。

 

 

 

 

 

 ウクライナのキエフ州、プリピャチにその街は眠る。

 

 

 

 

 

 チェルノブイリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝日を浴びながら、二人の男が寂れた長い道路を歩いていた。

 

 怪我と汚れにまみれ、服もお互いなぜか、半乾きのまま。

 濡れた靴底が、ひび割れの酷い道路に点々と、二人の足跡を残している。

 

 

「……なぁ、『ジャック』」

 

 

 一人は幾分か、歳を取った男だった。

 

 頭部の髪は剃られて、スキンヘッド。

 

 刻み付けられた皺が、男のこれまでの苦悩を表出させているかのようだ。

 

 

「……なに?『ジョン』」

 

 

 ジャックと呼ばれたもう一人は反対に、幾分か若い青年。

 

 随分と疲れ切った顔と声はしていたものの、どこか清々しさもあった。

 

 二人は心なしか、顔立ちが似ている。

 

 

「……人のいる所まで、どれくらいだ?」

 

「あー……二十キロかな。チェルノブイリと言っても、若干数の市民が残っているんだ」

 

「勘弁してくれよぉ……こちとらもう、ヘトヘトだぞぉ? 年寄りなんだ、労われよなぁ」

 

「あぁ、そうだった。もうそんな歳だったな。あれだけ飛び回ってたんだ、体力はまだまだあるかなとは思っていたけど。ちょっと失望したよ」

 

「おいおいおい。助けてやったってのにそりゃねぇだろぉ? スパイごっこに失敗してわんわん泣くってのを防いでやったろぉ」

 

「ごっこじゃない、マジだ。マジの諜報員だ」

 

「あぁ? あれくらいのレベルでかぁ? じゃあ、俺の方がスパイに向いてたなぁ」

 

「はっ。無い無い」

 

 

 二人は軽口を言い合い、次には互いにケタケタと笑い合う。

 その笑い声もどこか、似ていた。

 

 

「いや。言っとくが俺ぁ昔、CIAもやらねぇような事をやったんだぞぉ?」

 

「へぇ。どんな?」

 

「市中走り回って、マフィアと殺し屋相手に陽動作戦だぁ」

 

「あぁ、なるほど。確かにそんな馬鹿みたいな作戦、CIAはやらないな。俺たちはもっとスマートだ」

 

「おいおいスマートな諜報員さんよぉ。来た道戻って、あそこの惨状確認して来るかぁ?」

 

「あれは……たまたまだ。いつもはジェームズ・ボンドもビックリなスマートさだ」

 

「言ってろ、ドラ息子がぁ」

 

「うるさい、クソ親父」

 

 

 罵倒し、また笑う。

 長い長いこの道も、二人にとって失くした時間を取り戻す、良い機会になれたのかもしれない。

 

 

 

 

 少し歩いた頃、二人は前方より近付く影に気付いた。

 

 車だ。一台の車が、こっちに向かって来ている。

 

 

「……まだチェルノブイリに住んでいる市民ってのは、原子炉周辺にも入れるのか?」

 

「……それはない。もしかして、様子を見に来た敵の残党かも」

 

「どうすんだ? こっちは丸腰だぞ」

 

「……だからって、こんなだだっ広い場所で隠れるのはもう遅い。敵ならやるしかない」

 

「クソッタレ……子どもなら親を楽させろぉい」

 

「あまりふざけてると、原子炉に突き落とすぞ。ファンタスティック・フォーのザ・シングみたいになりたいか?」

 

「ひぃ〜。おっかねぇ〜。誰に似たんだあ?」

 

 

 

 丸腰ながらも、攻撃への反応が出来るように構える。

 

 車はどんどんと近付き、ナンバープレートまで窺える距離まで迫る。

 

 

 緊張から、固唾を飲み込む二人。

 

 しかし彼らの警戒とは裏腹に、車は数メートルの位置で車体を横向きにして停車した。

 

 

 何事かと訝しむ二人に見せ付けるように、助手席から飛び出した腕がカードをはためかせる。

 

 

「……ありゃ、なんだ?」

 

「……あれは……俺たちの、所属証明書だ……」

 

「俺たち?」

 

「学生証だと思ってんのか?」

 

「分かってるに決まってんだろぉ……つまり、CIAのお仲間さんか」

 

「あぁ。仲間だ……多分」

 

「不安が残る言い方すんじゃねぇ。こえぇよ」

 

 

 ジャックは多少の警戒を残しながら、恐る恐る車に近付く。

 

 引っ込んだ腕に導かれるままに、助手席に寄り誰かを確認する。

 

 

「……あー。見た事がない顔だけど……ロシア支部の人間じゃないな?」

 

 

 助手席にいた男が、首を振った。

 

 

「北欧支部からの派遣さ。仕事でたまたまロシア支部に来たら、面白そうな事件を聞いてね」

 

 

 運転席の方を覗く。

 そこには長い髪の女がいたが、彼女と男の顔立ちを見比べて、ジャックは目を丸くした。

 

 

「……双子なのか? そっくりだね」

 

「そう言う君も、お父さんとそっくりだよ。ちょっと不機嫌にも見える顔がね」

 

「えぇ。そっくりよ? 特に目元とか」

 

「やめてくれよ……」

 

 

 苦笑いし、二人からの茶化しを受け流す。

 次に男の方が、質問をする。

 

 

「ファイルは?」

 

 

 一転してジャックは、真剣な表情となった。

 

 

「……ファイルは無かった。あったのは、大量の濃縮ウランだった。チャガーリンは、燃料ウランの横流しをしていたんだ。そしてコマノフはそこへの鍵を持っていて、ウランを売り捌こうと俺たちを利用し、裏切った」

 

「……それは大変だ。コマノフは?」

 

「部隊で俺たちを殺そうとして来たから、止むを得ず……濃縮ウランも幾らか、既に持って行かれた。でも、ウクライナ国内でまだ捕まえられる」

 

「解決したけど、予断は許されないって奴だね。良いよ。トランクに無線機がある。支部に報告するんだ」

 

「あぁ、そいつはありがたい!」

 

 

 ジャックはすぐさま、車の後部に走る。

 

 入れ替わるようにジョンがフラフラと、車に近寄った。

 

 

「あー……すいません、諜報員さん。その、証明書見せてもらえませんかねぇ?」

 

「良いよ」

 

 

 所属証明書を、何の躊躇いもなく手渡される。

 カードをまじまじと見て、ジョンは鼻で笑った。

 

 次には呆れた顔で、トランクを開けて無線機を弄る彼を見やった。

 

 

「……あいつも青いなぁ。おたく、こりゃ……ニセモンじゃねぇか」

 

「でも、良く出来てるでしょ?」

 

「あぁ。良く出来てるなぁ。しかし、俺の目はごまかさ────」

 

 

 

 

 車内にいる二人の顔を見た時、ジョンの表情は消えた。

 

 

 驚きと懐古による、戦慄にも似た衝撃。

 

 自分の目が信じられず、その場で固まってしまった。

 

 

 

 

「…………嘘だろ……?」

 

 

 

 

 ジョンのその反応を面白そうに、双子は眺めていた。

 

 彼らもまた、表情に深く大きな感嘆の念が宿っている。

 

 

「…………十三年振り」

 

「…………もう、そんなに経つのか」

 

「長かったね。おじさん」

 

「……いいや。言って、あっと言う間だよぉ」

 

「相変わらずだね。絶対に僕らの言う事の逆を言うんだから」

 

 

 無線機を弄っているジャックが、通信を始めた。

 なかなか本部と繋がらず、苛立たしげに呻いている。

 

 

「お久しぶりね」

 

「……歳食ったら、その姿でいんのは難しくなるって思ってたが……羨ましいねぇ。その髪は地毛か? 元の顔が良いんだろうなぁ。綺麗になったよ」

 

「あら、口説かれちゃった! でもそんなロマンチストな人だったかしら。思い出の中のおじさんはもっと、イジワルおじさんだったのに」

 

「てめぇ、記憶力ねぇのかぁ?」

 

「あははっ! そうそう! そんな感じ!」

 

 

 ジャックが通信の合間に、こちらに声をかけてくる。

 

 

「ジョン? 知り合いなのか?」

 

「……いいや、ジャック。ちと盛り上がってるだけだ。ほら、さっさと繋げろぃ。出来ねぇのかぁ? 諜報員さんよぉ」

 

「クソッ……出来る、出来るさ。俺はあんたと違って、何でも出来るからな!」

 

「言ってろぉ」

 

 

 二人の口喧嘩を、男の方は楽しげに聞き入っていた。

 

 

「……ジャック。じゃああの人が、街の半分燃やしたって?」

 

「あぁ。今も昔も、クソ息子だ……まさか諜報員になって、世界を飛び回ってたとはなぁ」

 

「そっくりだよ。おじさんにそっくりで、とってもカッコいい」

 

「それは俺を褒めてんのか? あいつを褒めてんのか?」

 

 

 お互いに笑い合う。

 その後にジョンは一つ、質問をした。

 

 

「……あの後、どうなったんだ?」

 

 

 双子は懐かしむような表情で顔を見合わせ、口々に話し出す。

 

 

「タイとラオスの国境沿いにいる、エリオット爺さんって運び屋の所に着いたんだ」

 

「そのエリオット爺さん、反共主義者だとかでホテル・モスクワが大嫌いってね。バラライカの連絡を無視してたから、私たちの事を知らなかったの」

 

「そうやって、国境警備隊を撒いてからラオスに」

 

「入国してから、私たちを見た時のヤーコプ兄さんとエフェリン兄さんの顔と言ったら!」

 

 

 あの後キッチリ、要請通りに事を成したのだなと、ジョンは一息つく。

 

 

「その後はラオスの空港から、変装して二人と一緒にオランダに……ちょっとだけ、脅したけどね」

 

「あの二人のお家はホテルだったの。そこで、住み込みで働かせてもらったわ」

 

「双子だって言うのは隠してね。コーサ・ノストラとホテル・モスクワに追われているし」

 

「海の綺麗な町だったわ。たまに二人で、泳ぎに行ったり」

 

「ヤーコプ兄さんらと一緒に魚釣りに行ったり」

 

 

 工夫して二人は追手から隠れられていたようだ。

 オランダでの生活を楽しげに話す二人を、感慨深く眺めていた。

 

 

「五年目はちょっと大変だったかなぁ。いきなり、ホテルのオーナーになっちゃってね」

 

「ヤーコプ兄さんが癌で死んで、エフェリン兄さんが後追い自殺しちゃったから」

 

「マジかよ……」

 

「でも……楽しかったよ。何とか切り盛りしてさ」

 

「赤字ばっかで困ったけど。兄様って意外と、商才あるのよ?」

 

 

 楽しそうに笑い合う、双子。

 その姿は十三年前と、何ら変わらなかった。

 

 身体は大きくなり、顔付きも変わった。

 それでも雰囲気や空気と言った面は、記憶にある物と殆ど同じだった。

 

 

 ジョンは忘れたことはなかった。

 

 

 

 

 しかし次には、少しだけ感極まったように顔を顰める。

 

 

「……偶然だった。モスクワのニュースで、逮捕された息子さんの事を知ってさ。苗字は違ってたけど、調べたらおじさんの言っていたジャックだったからさ……必ず、来るって」

 

「二人には悪いけど、ホテルを売って来たの。無線を傍受したりして、やっと辿り着けたって訳」

 

 

 経緯を伝え終えた途端、突如として二人は瞳を涙で濡らし始めた。

 

 ジョンはただ、優しい笑みで言葉を待つ。

 

 

 

 

「……僕たちにとったら……おじさんだけが、生きる理由なんだ」

 

「会いたかった……やっと、会えたわ……」

 

「長かった……ずっと、会いたかった……ずっと、ずっと……!」

 

 

 

 助手席から身を乗り出し、感極まった男がジョンに抱き着いた。

 

 少し居心地の悪そうなジョン。

 チラリと再び前方を見たジャックが、二度見し愕然となる。

 

 

「おいおい、どうしたんだ……!? 泣かしたのか?」

 

「何でもねぇよ。さっさと繋げろ」

 

「簡単に言うな、クソッ……やっぱ知り合い?」

 

「カウンセリングに乗ってやってるだけだ」

 

 

 釈然としない様子で、再度顔を引っ込めるジャック。

 

 

 男はギュウッと強く強く、ジョンを抱き締める。

 彼もまた、あの日のように、背中に手を回して労うように叩いてやる。

 

 

「……やっぱ、あったかいなぁ……ちょっと湿ってる?」

 

「雨水のプールに飛び込んだだけだ。放射能がちと心配だが。汚いか?」

 

「ううん……関係ないよ。今だけは、僕だけのおじさんだ……全部、僕の物」

 

「甘えん坊なのは変わらねぇなぁ。もう二十後半だろ? おっさんがおっさんに抱き着くのは、恥ずかしくねぇか?」

 

「まだお兄さんの歳だってばぁ…………それにしても」

 

 

 身体を起こし、ジョンの頰に手を置く。

 彼らから見たジョンは、変わって見えた。

 

 

「……すっかり、歳を取っちゃったね。ほら、こんなところに皺なんて無かったのに……」

 

「おじさんよりも、お爺ちゃんの方が良いかしら? 雰囲気も落ち着いた感じするわ」

 

「余計なお世話だ……」

 

「結構、髪も剃ったね。似合っているよ」

 

「無い方が、優しそうで良いわ」

 

「うるせぇ。馬鹿にしてやがんのか」

 

 

 再び、ジョンの肩に頭を預ける。

 それを受け入れ、困り顔で後頭部を撫でてやる。

 

 

 彼は気持ち良さそうに、目を細めた。

 手の平より伝わる暖かさを感じていた。

 

 

「……そう。それが一番、落ち着くんだ……」

 

 

 

 夢見心地に呟く。

 相変わらずな彼の様子がおかしく、ジョンは失笑してしまった。

 

 

 

 

 

「ねぇ。遅くなったけど」

 

 

 耳元で突然、彼は甘ったるい声で囁く。

 

 

「約束、覚えているよねぇ?」

 

 

 その言葉を覚悟していたかのように、ジョンから表情はなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 蘇る、過去の記憶。

 

 

「良かねぇよなぁ」

 

「だから、『約束』だ」

 

 

 あの時もまた、強い覚悟と責任を込めて、約束を告げていたハズだ。

 

 

「……この街を出て、誰も殺さずにいられたら────」

 

 

 これもまた、彼の出した、結論だった。

 

 

 

 

 

 

 

「─────俺がてめぇらと、本気で殺し合ってやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 双子は変わらない。

 

 誰かを殺さなくてはならない。

 

 癖のようなそれを我慢させるには、最高のご褒美を用意する必要があった。

 

 

 

 ジョンに回した手が強く強く、彼のシャツを掴む。

 

 

「誰も、誰も殺していないよ。本当だよ? 偉いでしょ?」

 

 

 眼前に、女の顔も迫っていた。

 

 

「何度も何度も、破りそうになったわ。でも、我慢したの! 凄いでしょ?」

 

「でももう、我慢の限界なんだ。あれだけの殺し合いをやっちゃったんだ。もう普通じゃ無理だよぉ……」

 

「………………」

 

「だから、ね。殺したい……殺したいんだ……」

 

 

 ジョンのそれぞれの耳に、口を寄せる双子。

 

 そして同時に、口を開く。

 

 

 

 

 

「「……『マクレーンおじさん』を……もう、おじさんだけしか、見えないから……」」

 

 

 

 

 

 両耳にそれぞれ、口付けをする。

 

 ジョンは唇を噛み、少し目を伏せた。

 

 

 とうとう、この日が来たのかと悟る。

 いつか来ると思っていた事が、とうとうやって来た。

 

 

 

 忘れた事はない。

 

 そして、恐れた事もない。

 

 

 

 抱き着いたままの彼を、優しく引き離す。

 

 

 二人を見据え、ジョンは微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

「上等だ、クソッタレ。十三年分、俺にぶつけて来い。俺も本気で、ぶつかってやる」

 

 

 

 トランク裏で、歓喜の声があがった。

 どうやらジャックは、無線を繋げられたようだ。

 

 

 

「……だがな……まずは、病院だな。次に銃と、あと────」

 

 

 

 男の方を指差して、ニタッと笑う。

 

 

 

 

 

 

 

「────ウィッグと、ドレスを買いに行こう。人形もな。約束したろ?」

 

 

 

 

 

 呆然と、目を丸くする。

 

 

 彼の脳裏にも、思い出がよぎった。

 ジョンは忘れていなかった。

 ずっと覚えていてくれた。

 

 

 嬉しさが胸を貫く。

 

 そして次には耐え切れず、涙を流した。

 

 

 あどけなく泣く彼の姿は、初めて見る。

 

 この十三年で少しは変わったのかと、ジョンは感じた。

 

 

 

 

 

 

「……大好きだよ。ずっとずっと、大好き。大事に、愛し尽くして、殺してあげる」

 

 

「あぁ。やれるもんなら、やってみやがれ。あの、工場の時以上に興奮させてやる」

 

 

 

 

 そう言って、ジョンは彼の頰に伝う、涙を拭ってやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人が望むのなら。

 

 誰が望んでいなくても関係ない。

 

 進んで生贄になってやる。

 

 

 俺を追いかけろ。

 

 老衰でくたばる前に捕まえろ。

 

 食らいつくんだ。

 

 

 俺は待ってやる。

 

 絶対に逃げてやらない。

 

 せめてそれまで、楽しく生きる事だな。

 

 

 

 

 

 人生はまず、生きる為にあるんだ。

 

 出来なかった分、

 

 生きて、楽しんで、我慢出来なくなってから、

 

 

 

 

 殺してみろよ、「ネバー・ダイ」。

 

 やれるものならな。

 

 俺は、「ダイ・ハード」だ。

 

 

 

 

 最後の日(ラストデイ)なのは、どっちだろうな。

 

 どっちにしろ今日はなんだか、

 

 

 

 

 

 

 

 

 良い日、晴天だよ(Good Day Sunshine)

 

 死ぬには良い日だ(Good Day to Die)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『 Life Is for Living 』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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CRANK TOKYO OVER DOSE!!!!!!
The Right City


──「正しい街」


『Life Is for Living』

 

 

 

 

Life Is for Living』

 

 

 

 

『fe Is for Living』

 

 

 

『fe for Living』

 

 

 

『fe f Living

 

 

『fe f in』

 

CA fe f in』

 

『Caffe inE

 

『Caffeine』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通り過ぎた人の顔も、たった一秒で忘れてしまうような雑踏。

 

 ビルに付いた大型ビジョンが、アーティストや新作映画の紹介を延々流し続けている。

 

 

 街の真ん中。

 広告板が高みの見物をする、交差点の一角。

 

 

「……あぁ。お元気ですか、マクレーンさん」

 

 

 そこに立てられた、少し汚れた電話ボックス。

 通話者を囲むプラスチックの仕切りには、下品なシールがベタベタに貼り付けられていた。

 

 

 

 

「おぉ〜。オカジマかぁ?」

 

 

 下宿屋に備え付けられた電話から受ける、マクレーン。

 外を覗けば、変わらないロアナプラの昼下がりだ。

 

 

「二週間ほど、『里帰り』だってなぁ。バオから聞いたよ」

 

「イエロー・フラッグへの出禁、解除になったんですね」

 

「あぁ。ほら、この間の一件でよぉ。三合会(トライアド)の奴らが話付けてくれてな」

 

「あの時はお世話になりましたよ」

 

「良いってこった……まぁ。CIAとの顔合わせは叶わなかったがなぁ」

 

 

 ロックは困ったように笑い、仕切りに凭れた。

 

 

「またロアナプラに帰った時に、ちゃんとしたお礼をさせてください」

 

「いらねぇよぉ。てめぇには、三ヶ月前のデカい借りがある……おかげで双子を逃がせた」

 

「アレはマクレーンさんの腕あってのものでしたよ」

 

「いや。俺のワガママだ。付き合わしちまったしな。帰ったら俺の下宿に来い。朝まで飲むぞぉ?」

 

「あはは……お手柔らかに」

 

 

 ロックは空を見上げる。

 今日の空は、曇天。

 街はどこか暗く、褪せているように見えた。

 

 

「……そういや、故郷だってな。折角の里帰りってのに、バラライカのお守り役とはなぁ」

 

「………………」

 

「……故郷なんだよな?」

 

 

 辺りにある看板、標識、言語、光景。

 

 

 全て、ロックにとって馴染みのある「日本」の街並みだった。

 

 

 

 

 

 ここは新宿。

 つまり東京。

 

 ロックが────岡島禄郎が生まれ育った国で、その街。

 

 

 マクレーンは電話越しで、窓辺に腰を下ろし、タバコを咥えた。

 表情には何か、厳しさも混じっている。

 

 

「……こんな街にいんだ。どうせ、親御さんにはロクに話さず、居着いてんだろ」

 

「………………」

 

「……これからもこんな肥溜めにいるってんなら……会っとけ。俺はおめぇの親じゃねぇが……息子がどうなってんのか心配する程度の、父親の自覚はあるもんだ。だからてめぇの親の気持ちはまぁ、分かる」

 

 

 電話ボックスの中で、ロックはぼんやりと虚空を見つめる。

 ふと、昔の思い出がよぎったかのようだ。

 

 

「……まぁ。てめぇの自由か。悪いなぁ。説教臭くなった」

 

「いえ。大丈夫ですよ」

 

「そうか。まぁ、俺ぁそっちに行けねぇけどよぉ。何かありゃ、また連絡しろ。コレクトコールの代金も、ホテル・モスクワ持ちだろぉ? ガンガン使いまくって、酒好きのロシアンどもを医療用アルコールしか買えねぇにしてやろうぜぇ」

 

 

 彼のジョークに、ロックは苦笑いをまず浮かべた。

 次はマクレーンの陽気な笑い声に釣られるように、身体を震わし笑う。

 

 

 少しの間を置き、ロックは突然マクレーンへ質問をする。

 

 

 

「……ずっと、聞こうかなって思っていたんです」

 

 

 思い返したのは、三ヶ月前の事件。

 ロアナプラを騒がし、結局誰もが取り逃がすと言う滑稽な幕切れを飾った、カーニバル。

 

 

 ヘンゼルとグレーテルの事件だ。

 

 

「あの二人は、恐らく殺しをやめられないハズです……それは、例のビデオを見た時に、マクレーンさんも仰っていましたね」

 

「………………まぁな」

 

「街から逃がしても、また誰かを殺します。でも実は、双子が逃げる手はずを整えている時に、二人が言っていたんですが……」

 

「……なんと?」

 

「……『約束したから、殺さない』……そしてまた、マクレーンさんに会うって」

 

 

 咥えていたタバコに火を着けるべく近付けたライターを、止めた。

 

 

「あの二人が殺しをやめるなんて、よっぽどの事を約束しなきゃ無理ですよね」

 

「………………」

 

「……ずっと、引っかかっていたんです。なんて、約束したんですか?」

 

 

 止めたライターをようやく動かした。

 しかしタバコに火を着ける為ではなく、蓋を閉めて火を消す為。

 

 

「…………なぁ、オカジマ」

 

「え?」

 

 

 マクレーンから発せられたのは返答ではなく、切ない問い掛けだった。

 

 

 

 

「……あの二人と俺は、また会えると思うか? そんでその時には、あの子らは…………」

 

 

 

 

「普通の人間となっているのだろうか」

 

 そう言いかけた口を、閉じた。

 

 

 

 

「……マクレーンさん?」

 

「……いや。何でもねぇ……あの子らは変わらねぇよな。俺だってそうだ……その時が来たら、まずはご褒美をだな」

 

「…………あの……」

 

「すまねぇ、オカジマ。約束については、おめぇには言えねぇ。ただ、俺は納得して、二人も納得してくれた。それだけだ」

 

 

 それっきり、二人は暫し、黙ってしまった。

 

 

 電話ボックスの仕切りに、何かがひらりと張り付く。

 張り付いたそれは、水滴となった。

 

 

 曇天の隙間より、雪が降る。

 関東は今、寒空の下にあった。

 

 

「……こっちは、雪が降って来ましたよ」

 

「あぁ、そうか。北半球じゃ、冬だったか……ニューヨークも今頃、酷い雪だろうなぁ」

 

「……マクレーンさんも、帰れると良いですね」

 

 

 ロックのその言葉に少し驚いた後、タバコを口から離して微笑んだ。

 

 

「……そうだな。帰ったらまた、家族に会ってみようと思っている……復縁は無理だろうが、せめて子どもたちと話しはしてみてぇ」

 

「……マクレーンさんは良いですね。帰る場所があって」

 

「お前にだってあるさ」

 

「僕は…………」

 

 

 

 

 外からコンコンと、仕切りを叩く音。

 振り返ると、レヴィが背を向けて立っていた。

 

 

 彼女はロックの護衛と言う立ち位置で、一緒に来日していた。

 ロアナプラでのいつもの服装とは違い、厚手のジャケットとニット帽、スカートと言う、熱帯のタイではまず見られないであろう服装だ。

 

 

「……そろそろ、時間みたいです。すいません、突然、電話しちゃって」

 

「気にすんな。この街でマトモに話せる奴は少ねぇ。そっちには行けねぇが、困ったら連絡しろ。アドバイスぐれぇはしてやるぜぇ」

 

「ははは……マクレーンさんが日本に来たら、今頃大騒ぎになっていたハズでしょうに」

 

「そんくれぇ人気なのか……」

 

「えぇ。大人気ですよ」

 

 

 もう一言だけかけてから電話を切ろうと思い、電話機の前に立つ。

 

 

 

「……ほんと。マクレーンさんに、日本を案内したか────」

 

 

 

 

 

 ガンッ。

 

 ロックの眼前に、ボックスにへばり付く何者か。

 

 悪夢に出そうな強面を、更に悪夢に出そうな形相に変化させている。

 

 

「──ヒィッ!?」

 

 

 受話器を驚きから手放し、後ろへ飛び上がって背中をぶつける。

 

 

「ぐえっ!?」

 

 

 その先にいたレヴィが衝撃で押されて、ずっこける。

 

 

 

 

 

 無精髭の、薄禿げの男。

 

 濃い顔付きと逞しい身体をした、恐らく外国人の男。

 

 その男が、目を爛々と光らせ、仕切り越しにロックを睨む。

 

 

「──────ッ!!」

 

 

 何かを叫んでいる。

 

 

 

 言語は日本語ではなく、流暢な英語だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだかぁ!? 野郎がヒス女みてぇな長電話しやがってッ!! とっとと出やがれぇバぁカタレがぁッ!! クソォーーーーッ!!」

 

 

 

 

 

 

 男は仕切りをガンガンと殴りりりりりりりりりりり

 

だだだだだだだだだだだだ

 

rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr

 

aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa

 

 

 

 

 

 

 

DIE HARD 3.5

  Side Story

 

 

 

BLACK LAGOON

 Fujiyama Gangsta Paradise

 

×

 

CRANK

 

 

 

 

 

 宙をぶら下がる受話器から、マクレーンの声が響く。

 

 

『おぉーい!? オカジマぁ!? どうしたぁ!? 何があった!?』

 

 

 当の本人はプラスチック板に張り付く変人を前に、萎縮していた。

 

 

 

 

 

CRANK

 アドレナリン 

 トーキョーオーバードーズ!!!!!! 

T O K Y O O V E R D O S E

 

 

 

 

「おふッ!?」

 

 

 へばり付き凝視して来るその変人を、レヴィが横からぶん殴って倒した。

 

 

「てめぇ、誰だゴラァッ!?」

 

 

 思い切り頰を殴られた男。

 路上に転がり、通行人から驚きの声があがる。

 

 

 レヴィは電話ボックス内のロックを守るかのように、立ち塞がった。

 

 

 

 殴られた男は、今度は歩道にへばり付きながら、ヨロヨロと身体を起こす。

 

 雪も降れば息も白くなる寒さの中だと言うのに、男はワイシャツとズボンだけだった。

 

 

 

 

「……カァ〜……ッ。女に殴られるたぁ……どうも駄目だぁ。ここは縁起が悪いッ!」

 

 

 切った口元を拭いつつ、レヴィを一回睨み付けながら、彼は信号を無視して道路を走る。

 

 

「あぁ!? どこ行きやがんだぁッ!? 何がしたかったんだよぉッ!?」

 

「待って待ってレヴィ!? 喧嘩はダメッ!? 喧嘩はダメッ!?!?」

 

 

 

 少なくない交通量の道路を、歩道のように走る男。

 

 突然飛び出した彼に驚き、急ブレーキを踏むドライバーたち。

 窓から顔を出し、男へ罵声を飛ばす。

 

 

 

 

「あぶねぇーだろぉーーッ!!」

 

「標識も読めねぇのかボケーーッ!!」

 

 

 

 

 しかし日本語なので、男には分からない。

 怒れるドライバーらを一瞥し、英語でぼやく。

 

 

 

 

「何言ってんだ? 英語で喋れ、日本人ども」

 

 

 悪態つきながらま道路を駆ける男。

 

 

 

 

 

 その道路に近付く、一台の高級車。

 運転手の後ろで中年の男が、携帯電話で連絡を取っていた。

 

 彼は日本人ではあったが、電話の向こうは海外らしい。英語で会話をしていた。

 

 

「……えぇ。事前に送りました計画書の通りに、輸出します……えぇ。核開発の────」

 

 

 その車の前に飛び出した外国人。

 急な出来事の為、ボンネットと男が軽く衝突してしまった。

 

 

「おごぅっ!?」

 

 

 腰からぶつかり、バタンと倒れる男。

 フロントガラスから、姿を消してしまった。

 

 

「ぶ、部長……! ひ、轢いてしまいました……!」

 

「……少々、失礼────今のはどう見ても、向こうの信号無視だ、我々に非はない。とりあえず介抱し、救急車を呼んでやれば問題は────」

 

 

 

 

 後部座席のドアを開ける、轢かれたハズの外国人。

 

 電話をしていた中年男はギョッと、飛び上がる。

 

 

「な、な、なんだね、君は!?」

 

 

 とりあえず英語で話す中年男。

 彼が英語を話せると気付くと、男は目を細めた。

 

 

「……やっと英語が分かる奴に当たったぜ。おいオッさん、電話中か?」

 

「み、見たら分かるだろ。早くどかなければ、警察に────」

 

「めんどくせぇ……ウシャァーーッ!!」

 

「うわ!? なにをする!?」

 

 

 突然、男は車に飛び込んだ。

 

 

 後続の車からクラクションを鳴らされながら、車は左右に大きく揺れる。

 それを見たドライバーは、訝しげにぼやく。

 

 

「カーセックスか?」

 

 

 次には物騒な破壊音と悲鳴が響き、窓が割れる。

 

 ドライバーは思わず、生唾を飲む。

 

 

「…………激しいな」

 

 

 

 

 瞬間、ボロボロになった中年男が、ドアから道路へ蹴飛ばされる。

 

 そしてその後から、薄禿げで強面の外国人が出て来た。

 

 

 ギロッと、こちらを睨む。

 ドライバーは漏らす。

 

 

 

 後続車は無視し、そのまま彼は中年男から携帯電話を強奪。

 それを持って去ろうとする彼を、中年男は必死に這って食いつく。

 

 

「ま、待てッ! その電話だけは勘弁してく──」

 

 

 頭を蹴って黙らせる。

 

 

 道路を歩きながら、着信中の携帯電話を耳に当てた。

 

 電話の向こうは、英語圏らしい。

 

 

『……ミスターカゲヤマ? どうした? 核開発の資材について、まだ──』

 

 

 男は代わって、答えてあげた。

 

 

 

 

「うるせー。勝手に作ってろ。そんでそんまま、チェルノブイリかヒロシマになってろタコがぁ」

 

 

 

 

 相手が絶句している内に、電話を切る。

 

 次に彼は、コレクトコールの番号をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 繋がった先は、ロサンゼルスのとある場所。

 

 気の抜けた着信音を聞き、出張ヘルパーのマッサージを受けている男が、受話器に手を伸ばす。

 

 

「オーッ! アーッ! 最高だぁ……あー。なんて良い時に……はい? もしもしぃ?」

 

『コレクトコールです』

 

「コレクトコール? 一体、誰だぁ……」

 

 

 発信者の名前を聞き、彼はマッサージはされたまますぐに、電話を繋いで貰った。

 

 

 

 

「おー。『チェリオス』か。久しぶりだ……アーッ!!」

 

「いきなり変な声を出すんじゃねぇッ!『ドク』ッ!!」

 

 

 

 

 チェリオスと呼ばれた男は、通行人を押し退けながら道を走っていた。

 

 小さな悲鳴が、ドクと呼ばれる男の耳にも入る。

 

 

「なんだぁ。人混みの中かぁ? コレクトコールでかけるなんて、一体どこにいる……オーッ!! 良いねぇ〜ッ!!」

 

「ドク。俺が今いる場所聞いて驚くなよ」

 

「別に君がどこにいようが驚か……おぅーーッ!!」

 

「マッサージやめろッ!! 話しにくいッ!!」

 

 

 ドクはヘルパーを止めて、半裸姿のまま寝そべっていた手術台に腰掛ける。

 

 

「それでぇ? どこにいるかってぇ?」

 

「日本だ」

 

「……なにぃ? 黄金の国ジパングかぁ?」

 

「黄金の国だぁ?」

 

 

 辺りを見渡す。

 灰色のコンクリートジャングルだ。

 

 

「……どっからどう見てもコンクリの国だ」

 

「まぁ、それは良い。それでぇ、わざわざ日本から電話をかけているのはなぜだぃ?」

 

「つい五分前の事だが────ッ!?!?」

 

 

 

 途端に、霞む視界。

 

 痛む心臓。

 

 不鮮明になる思考。

 

 

 

 

「チェリオス?」

 

 

 

 鼓膜が固まった。

 

 身体が動かなくなる。

 

 

 

「シェビ〜?」

 

 

 

 呼吸がしづらくなる。

 

 頭痛がする。

 

 なのに身体の感覚が無くなって行く。

 

 

 

 

 

 

 死ぬ、死ぬ、死ぬ。

 

 死ぬ……死ぬ…………

 

 

 

「シェビ……オーーッ!! アーーーッッ!!!」

 

「おぅッ!?!?」

 

 

 いきなり全身に鋭い痛み。

 

 気が付けば自分は、地面に倒れていた。

 

 

 顔を上げると、自分の他に倒れていた日本人と自転車。

 

 どうやら、彼の操縦する自転車に轢かれたようだ。

 

 

「いつつつ……あの、大じょ────」

 

 

 チェリオスはバッと立ち上がり、何事も無かったかのように走り出す。

 

 彼の後ろ姿をポカーンと、眺めるしかなかった。

 

 

 

 内心、驚いているのはチェリオスもだった。

 轢かれて痛いのに、気分は妙に爽快だからだ。

 

 さっきまでの不調が、嘘みたいに消えている。

 

 

「ノーーッ!! ウォーーンッ!! あッ!? そんなトコまでッ!?」

 

「マッサージやめろって言ってんだろッ!!」

 

「オゥ……まだ電話してたのかぁシェビー?」

 

「ずっと通話中だッ!!」

 

「突然、声がしなくなったんだ。切れたと思ったよぉ」

 

「あぁ……突然、頭がぼんやりして、胸が痛んだんだ。電話どころじゃなかった」

 

 

 再びヘルパーを止めて、彼の症状を訝しむドク。

 

 

「病気か?」

 

「病気じゃねぇ……盛られたんだよぉッ!! クソヤクザに毒をッ!!」

 

「毒だとぉ?…………待て。確か今、日本だと言ったなぁ? 場所は東京か?」

 

 

 チェリオスは走りながら、辺りを見渡す。

 看板にある英語表記に、「TOKYO」の文字がある事を確認した。

 

 

「あぁ、東京だ! 良く分かったな!」

 

「……なるほど。それで聞くが、今はどんな感じだ?」

 

「あーー……タールの海を泳いでいるみてぇに、身体がやたら重い!」

 

「目は霞むか?」

 

「あぁ!」

 

「心臓の痛みは?」

 

「少し!」

 

「さっき頭がぼんやりだの言っていたがぁ、どうやって症状を回復させた?」

 

「自転車に轢かれた! なぜか気分が良い!」

 

「…………なるほど。ほぅほぅ」

 

 

 一人納得した様子のドク。

 

 こちらが分からないままなので、チェリオスは我慢し切れずに怒鳴る。

 

 

「なんだぁ!? 分かったならさっさと治し方を言えッ!!」

 

「シェビー。君の症状と、今いる場所を鑑みて……どうにも偶然ではないな。君が盛られた毒が何か分かったよ」

 

「なんて奴だ!?」

 

 

 ドクは手術台から降り、傍らにあった上着をはおりながら、毒の名称と効果を告げる。

 

 

 

「君が投与されたのは、恐らく『トーキョー・カクテル』だ」

 

「なんだそりゃ!? どうなるんだ!?」

 

「まぁ、端的に言えば人間を────」

 

 

 一呼吸置き、話し出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

「────『アドレナリン』と『カフェイン』が切れると死ぬ身体にしてしまう、最新型の毒物だ」




 プロの殺し屋「シェブ・チェリオス」は、殺しの仕事の為に日本にやって来る。
 しかし、標的だった「香砂会」の幹部らに「トーキョー・カクテル」と呼ばれる毒を注射されてしまった。
 この毒によってアドレナリンを出し続けなければ死ぬ身体となるが、一番効率の良い方法は「カフェイン」を摂りまくる事。


 そんなこんだで始まる、ハイテンションでカフェイン臭ムンムンの復讐劇。
 しかし事態は、日本への勢力拡大を狙うホテル・モスクワの陰謀と、組の存続をかけた「鷲峰組」の覚悟も絡んでややこしい事に。


 ヤクザとヤクザの鬩ぎ合いに、怒りのチェリオスがカチコミするB級バカ任侠クロスオーバー。
 紅茶コーヒーがぶ飲み、何ならティーバッグからしゃぶる。
 走って殺して、撃って殴ってやりたい放題のノンストップアクション。

 チェリオスは無事、香砂会も何もかも全員ぶち殺して、解毒剤を手に入れられるのか?


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Prove of Wild

「野性の証明」
「RHIMESTER」の楽曲。
1999年発売「リスペクト」に収録されている。
日本語ラップの可能性を示した、ヒップホップグループ。まだまだ発展途上だった日本語ラップを整え、一種の作法と基盤を作り上げた功績は大きい。
メンバーの一人である宇多丸は映画評論家としても有名で、寧ろ私もそっちから知った口。

スローモーに繰り返されるリズムに乗せられた、ファンキーに韻を踏みながらも、延々に醒めて哲学的なリリックが光る一曲。


 電話越しより伝えられたドクからの説明を受け、チェリオスはまず舌打ちをする。

 ある程度、自分の身に起こった事と、これから起こる事を理解していたようだ。

 

 

「なんで『カフェイン』なんだ!?」

 

 

 アドレナリンを出し続けないと死ぬとは、体感的に理解出来た。

 鬼の形相で街を走っている今は、症状が軽くなっているからだ。

 

 しかしカフェインは必要なのかと、疑問に思う。

 ドクはヘルパーに肩を揉ませながら、説明を続ける。

 

 

「まず、その毒物は副腎に作用する。アドレナリンの分泌を抑制し、受容体もブロック。結果、一時間後には心臓が停止して死に至る」

 

「良く分からんが、一時間で死ぬって訳だな!」

 

 

 ドクはヘルパーに淹れて貰ったブランデーを嗜みながら首を振る。

 

 

「いやいやいやぁ。と言うのが、前身の『ペキンカクテル』の効果だぁ。トーキョーカクテルは違う」

 

 

 話がまどろっこしいドクへ、チェリオスは苛立ちを強めて怒鳴る。

 

 

「どう違うんだ!?」

 

「効果が強化されている。時間が経てば抑制どころか、神経系の反応を鈍化させ、受容体含めてほぼ停止まで至らせる。そうなると、死へのスピードは加速度的に上がる。走っているだけではジリ貧になる上、エフェドリンの効果も潰されるなぁ」

 

「エフェ……なんだって!?」

 

 

 これにはさすがに狼狽するチェリオス。

 しかしドクは、打開策を提示してくれた。

 

 

 

 

「だからこその、カフェインだぁ」

 

 

 前方に公園がみえてきた。

 チェリオスの目線の先には、缶コーヒーを持ってブランコに乗っている男の姿。

 

 

「トーキョーカクテルは、カフェインに対するアデノシン受容体へは作用せず、生きている。受容体とカフェインを結合させ、中枢神経を覚醒させれば、眠りかけの副腎をある程度叩き起こせる」

 

 

 

 

 大きく道を曲がり、公園の花壇を飛び越え、花を踏み荒す。

 

 

 

「強心作用も期待出来るし、アドレナリンの分泌の補助にもなる。一石何鳥にもなるぞぉ」

 

 

 

 花壇の下で眠っていたホームレスらの腹を踏み付けた。

 

 

「ぐぇッ!?」

 

「おぇッ!!」

 

「あ"あ"あ"あ"昨日の飯が」

 

 

 いきなり踏まれた彼らは口々に呻き、チェリオスへ罵声を飛ばす。

 何人かは吐いており、死屍累々となっている。

 

 

 

 

「君がすべき事は、カフェインを断続的に摂取し続ける事。そしてアドレナリンをコンスタントに出し続ける事だ」

 

 

 

 

 リストラを家族に言い出せず、公園のブランコで項垂れるサラリーマンが一人。

 その男が缶コーヒーを飲もうとしていたところで、チェリオスに顔面を蹴っ飛ばされる。

 

 

「ごふぉッ!?」

 

 

 男はブランコを後頭部から落ちた。

 チェリオスは気にする素振りを見せず、男が手から落とした缶コーヒーを拾い、飲みながら走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

「動き続けるんだぁ。止まれば死ぬ。あと、カフェインも摂りまくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 続けてドクは思い出したかのように、自身の知人を紹介した。

 

 

「トーキョーにいるなら都合が良い。『カブキチョウ』と言う街にいる、『フラット・ジャック』と言う男を訪ねるんだぁ」

 

「フラット・ジャックぅ!? 誰だそいつはぁ!?」

 

「フラット・ジャックによろしく。じゃあ、通話料がメチャ高くなるから切るぞ」

 

 

 

 プツリと、一方的に通話を切られる。

 奪った缶コーヒーを飲み干し、チェリオスは何度も聞き返した。

 

 

「おい!? おいドクッ!? ドクッ!? ドークッ!?…………ファーーックッ!!!!」

 

 

 空き缶となった缶コーヒーを地面に叩きつけ、再び路上へ飛び出す。

 

 

 道行く人々の視線など意に介さずずずずずずず、ひたすら走る。

 カブキチョウと言う場所は知っていたたたたた。

 

 

 彼はそこで、敵に捕えられれれれれれれれれていたからだ。

 

 

 記憶を頼りにカブキチョチョチョチョチョ

 

 ddddddddd

 

 aaaaaaa

 

 wwwww

 

 

 

Lat: 35.682901 Lng: 139.704029

 

Lat: 35.689594 Lng: 139.702141

 

Lat: 35.693916 Lng: 139.701240

 

 

 

KABUKICHO

  歌舞伎町

 

 

 

 

 歌舞伎町に舞い戻って来たチェリオス。

 到着と同時に、またしても心臓の痛みと、目の霞みに襲われた。

 

 

「クソぅ……あー……来やがった」

 

 

 頭を振り、意識を途切れさせないよう努力する。

 そのまま急いで、辺りを見渡した。

 

 

「……おっ?」

 

 

 視線の先に自販機を発見。

 キチンと、コーヒー類も販売しているようだ。

 

 

「ありがてぇ」

 

 

 嬉々として自販機に近付くチェリオス。

 しかし目の前まで来た時に、冷や汗をかいた。

 

 

「…………財布がない」

 

 

 ポケットを弄っても、何も入っていない。

 

 チェリオスは釣り銭口に指を突っ込んだり、自販機の下を覗いて小銭を探そうとするが、徒労に終わる。

 

 

「クッソ……!……あ? 何見てんだ?」

 

 

 そんな彼の様子を、ドン引きしながら見つめる人々。

 頭を上げて睨みつけるチェリオスに慄き、逃げるようにその場を去る。

 

 

「銃も取られたし、どうすりゃ──────ッ!?!?」

 

 

 

 

 発作が始まった。

 

 

 視界が不鮮明になる。

 

 

 心臓が一際強く痛む。

 

 

 

「はぁあ……!」

 

 

 

 思考が段々と白くなる。

 

 

 この白が強まった時、自分は死ぬのだろうと直感的に理解出来た。

 

 

「ぁぁあ……っ」

 

 

 手足の感覚が遠退いて行く。

 

 

 気分が悪くなる。

 

 

 吐き気が起こる。

 

 

 

「……っ……っ……」

 

 

 死ぬ、死ぬ。

 

 

 ここで、死んでしまう。

 

 

 

「……ッ…………ッ……!!!!」

 

 

 

 チェリオスは立ち上がろうと、自販機に抱き付いた。

 

 そのまま開閉部を掴み、引き絞るような声をあげつつ力を込める。

 

 

「……ぉぉおぉぉおぉおぉお…………ッ!!」

 

 

 自販機はミシミシと不気味な音を立て始めた。

 

 少なからず分泌されたアドレナリンにより、些か体調が回復する。

 

 その調子のままチェリオスは、渾身のパワーで腕を引く。

 

 

 

 

「ああああああああーーーーッ!!!!」

 

 

 

 バキンと鈍い音が響き、ガパリと開閉部が開く。

 強引にこじ開けられた自販機の中より、詰められていたジュースが飛び出した。

 

 

「ふぅッ!……意外と軟いな。今度からタダで飲める」

 

 

 散乱したジュースの中から、コーヒー系統の物を拾い上げる。

 幾つかはポケットに詰めつつ、二つの缶コーヒーのタブを開けた。

 

 

「さぁて……あーーっ」

 

 

 大口を開けて、二本の缶コーヒーを飲み下して行く。

 口元から溢れ落ちようが気にせず、乱暴に飲む。

 

 

「……あぁー。うめっ」

 

 

 より多くのカフェインを取り入れるべく、無我夢中で飲み続けるチェリオス。

 

 

 

 

 明らかな不審者である彼へ、国家権力が駆け付けない訳がなかった。

 

 

「……ちょっとぉ。あなた、何してるんですかね?」

 

 

 背後から、日本語で話しかけられる。

 チラリと振り向くと、警官と思わしき男が二人。

 

 信じられない物を見るような目で、破壊された自販機とチェリオスを見やる。

 

 

(Ah)? なんだ(What)? ポリスか(police man)?」

 

「あー……なにやってんですか(ワッツァーユー ドゥーイング)?」

 

 

 チェリオスが外国人と気付くや否や、辿々しい英語で語りかける警官。

 しかし彼は何食わぬ顔で自販機を閉めて、コーヒーの缶を掲げるだけだ。

 

 

コーヒー飲んでんだ(Drinking coffee)悪いか(Is it bad)?」

 

 

 英語で返すチェリオス。

 語りかけた警官と、後ろに控える先輩警官が目を合わせる。

 

 

「なんて言ってんだ?」

 

「ちょっと分かんないっす」

 

「分かんないって、お前が英語で聞いたんだろ」

 

「自分、ルィスニィング無理なんすよ」

 

「じゃあなんで聞くのよぉ〜」

 

 

 先輩警官は「参ったな」とボヤきながら、腰にかけている手錠を忍ばせつつ近寄る。

 

 それを間抜けな顔で眺めていたチェリオスだが、視線はキッチリ、何かを取り出そうとする警官の手元に向けられていた。

 

 

「えーっと……ゴー! ポリス! あー……レッツゴー、ポリスパーク!」

 

「ポリスパークってなんですか先輩?」

 

「警察署の事だよ」

 

「警察署はポォリステイショォンですよ」

 

「なんでお前はわざとらしく流暢に話すんだぁ? 嫌味かぁ?」

 

 

 呆れた目でチラリと、後ろに待機させた後輩警官を一瞥する先輩。

 

 その一瞬の隙を、チェリオスは見逃さなかった。

 飲み干した缶コーヒーを手からポトリと落とすと、先輩警官目掛けて飛びかかる。

 

 

「シュッ!!」

 

「うごッ!?」

 

 

 一気に距離を詰め、喉を殴りつける。

 喘ぎ、目をチカチカさせて怯んだ彼の顔面を掴んで、背後に立っていた電柱に叩きつけた。

 

 

「おいおい。マジでおまわりかぁ? ガキの方がまだしぶといぞ」

 

 

 拍子抜けするほどに無警戒で弱い日本警官に驚きながらも、地面で伸びる先輩から後輩の方へ視線を移すチェリオス。

 

 後輩警官の方は警棒を抜き、それを掲げてフラフラしている。

 

 

「……なにやってんだ(What are you doing)?」

 

「う、ウェイトウェイト……!」

 

体重(Weight)?」

 

 

 屁っ放り腰で恐る恐る近付く後輩警官。

 どうやら彼は新人らしい。

 すっかりチェリオスの、卓越した対人格闘術を前に慄いてしまっている。

 

 

「………………」

 

「そ、そのまま、動くな……そうだ……フリいズ、フリいズ」

 

「……??」

 

 

 チェリオスは両手を上げて、後ろに下がり、自販機の横に立つ。

 彼が抵抗しないと勘違いした後輩警官は、ホッとした顔で手錠を取った。

 

 

「よぉし……逮捕だ。えー、逮捕は確か、アレイストだっ────」

 

 

 彼に近付く過程で自販機前に立った時、チェリオスは瞬時に半開きだった自販機の開閉部を思い切り開く。

 

 後輩警官は鼻面にそれを食らい、白目を剥いて倒れた。

 

 

「……なんでこいつ、寄越せ(Please)って言ったんだ?」

 

 

 ふと、自販機の方を見る。

 ドリンクの表記にある「COLD」を見た時に、その意味を理解した。

 

 

「……あぁ。動くな(Freeze)って言いたかったのか」

 

 

 少し意識があったようで、またフラフラと上半身を起こす後輩警官。

 すかさずもう一発、自販機の開閉部をぶつけてやる。

 

 

「日本の警察は変わってんな。銃は飾りかぁ?」

 

 

 気絶させた二人の警官に近付き、腰のホルスターから拳銃を抜く。

 

「ミネベア ニューナンブ M60」。

 日本の警察にとって、オーソドックスな携行拳銃だ。

 

 

 しかし、銃社会アメリカからやって来たチェリオスは、別の銃だと解釈している。

 

 

「……『S&W M36』ぅ? こんなもんまだ使ってんのかこいつら? 原始人かよ……」

 

 

 シリンダーを開き、銃弾の種類や手の馴染み具合を見て、更に失望するチェリオス。

 

 

「38スペシャル…………猫も殺せねぇぞ」

 

 

 自販機の排熱で暖まっていた野良猫が、交尾を始めていた。

 

 

「スピードローダーも無し、しかもシングルアクション……弾もシリンダーにあるだけ……なんでこれで『世界一安全な都市』なんだ。ふざけてんのか」

 

 

 交尾中の雌猫が甲高い唸り声をあげる。

 それを鬱陶しく思いながら、チェリオスは二人の警官から二挺のニューナンブを盗む。

 

 

 それぞれのニューナンブに五発ずつ。全十発。

 早い内に別の拳銃を探さなければならない。

 

 

 

「クソ……まずはフラット・ジャックってのを探さなきゃなんねぇ……どこに住んでんだぁ? ドクめ、肝心なところを端折りやがって……」

 

 

「あたしの事ぉ?」

 

「ッ!?!?」

 

 

 背後からネットリした声。

 瞬時に振り返り、ニューナンブの銃口を向けるチェリオス。

 

 

「ちょっとちょっとちょっと!? お待ちなさいよッ!?」

 

 

 自販機の後ろに立っていた、ピッチリとしたレザースーツの小男。

 アジア系の人間のようだが、流暢な英語を使っている。口調がオカマだが。

 

 

「どっから湧きやがった!?」

 

「待って待って! ドク……『マイルズ』から連絡を受けたのよ! あなたでしょ? シェブ・チェリオスって!」

 

 

 マイルズとは、ドクの本名だ。

 彼の名を聞き、関係者だと察したチェリオスは銃口を下げる。

 

 

 

 

「…………あんたが、フラット・ジャック?」

 

 

 全貌を、改めて見直してみる。

 

 

 ピッチリレザースーツに、少し出た腹。

 オカマで、ボサボサのロングヘアー。

 特徴的なのが、顔面を斜めに区切るような、ツギハギ。

 

 

「……顔のソレなんだ?」

 

「あぁ……タトゥーよ。『ブラック・ジャック』が好きなの」

 

「カードゲーム?」

 

 

 

 チェリオスの頭の中では、ブラック・ジャックでの闇賭博が想起された。

 

 大負けした奴が怖い男たちに奥の部屋へ引き摺られ、「玉と棒」を切り落とされる。

 

 

 

「違う違う! 漫画……ジャパニーズ・コミックよ! オサム・テヅカの作品!」

 

「誰だそりゃ?」

 

「漫画の神様よ! ブラック・ジャックに憧れて、海沿いの崖に家を建てたわ!」

 

「……はぁ」

 

「まぁ……建てた三日後に崖が崩落して無くなったけど」

 

 

 まじまじとフラット・ジャックを見やるチェリオス。

 訝しげな彼の視線を受け、小首を傾げる。

 

 

「どうしたのよ?」

 

「いや……知り合いにソックリなもんで……」

 

「知り合い?」

 

「……こっちの話だ。それより、ドクがてめぇを頼れって言っていたが──」

 

 

 交尾中の猫がうるさい。

 チェリオスは顔を顰めた。

 

 

「…………場所変えるか」

 

「そうねぇん」

 

「その前に聞いときたい事が────ぉおッ!?!?」

 

「イヤんッ!?」

 

 

 血中のアドレナリンが、滞る。

 

 心臓の鼓動がまた、弱くなった。

 

 

 

 猫の嬌声が、遠い場所からのように聞こえる。

 

 

 

 立てなくなったチェリオスは、その場に膝を突く。

 

 大急ぎでフラット・ジャックは駆け寄った。

 

 

「これは……重症ねぇん」

 

「ぁぁ……た、助けてぐれぇ〜……」

 

「マイルズから電話を受けて、もう三十分……マズイわ、ステージ2に入ったのよ。ただアドレナリンを出すだけじゃ足りないわ。カフェインをもっと多く摂らないと!」

 

「こ、コーヒーが、ポケットに……」

 

「それより良いのがあるわん」

 

 

 そう言ってフラット・ジャックは、胸ポケットから白い粉が入った小袋を取り出す。

 チェリオスは霞み行く視界で、それをぼんやり眺める。

 

 

「そりゃ……コカインか?」

 

「違う違う。安息香酸カフェイン(Benzoic Acid Caffeine)よ!」

 

「ベン……?」

 

「日本語じゃ、『アンナカ』って言うわ」

 

「な……ナカで、アンアン?」

 

 

 アンナカと呼ばれる物が入った袋を開け、チェリオスの口元に近付く。

 

 

「カフェインを粉末状にした物よ。ほら、飲んで!」

 

「ぁあ……ズゥーーッ!!」

 

「鼻からじゃない! 口から……もう良いわよ」

 

 

 アンナカを吸い込み、少し余裕が出来た。

 まだ心臓の痛みと目の霞みは酷いが、死を感じるほどではなくなった。

 

 

「あああ〜〜……効くぅう〜〜」

 

「コカイン吸ったみたいな反応やめなさいよぉ! ほら、立って! 私の事務所に連れて行くわっ!!」

 

 

 ポケットや、その場に散らばっていた缶コーヒーを取って、チェリオスに飲ませる。

 その状態のまま彼は謎のオカマ、フラット・ジャックに連れられて、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 後には、間抜けな顔で気絶する警官二人と、ハッスル中の猫の鳴き声だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を同じくして、歌舞伎町のとあるキャバレー。

 絢爛とした内装と席には、お高いスーツを着た男たちが、ホステスを囲って酒を嗜んでいる。

 

 

 その一つにある、多人数用席には異様な光景が広がっていた。

 

 ウィスキーやバーボンの瓶や、アイスバケットが置かれた丸テーブルと、それをまた囲む円形のソファ。

 ソファの周りをまた囲むのは、厳しい顔付きの男たち。

 まるで中心に座る者たちを護衛しているかのようだ。

 

 

 

 ソファに座って、話している者たちもまた、異様だ。

 半分には目の据わった日本人の男たちが数人。

 

 向かい合わせに座るもう半分は、ロシア人だった。

 

 

 

 ロシア人側のちょうど中央にいる、一際異質な空気を纏わせる女。

 生々しい火傷痕が顔に、首に、胸元に伺える。その火傷痕がまた、この女の異質さを際立たせていた。

 

 

 

 

「……ラプチェフ氏より、お話は伺っております」

 

 

 

 その女の隣には、線の細い日本人の青年。

 堅気には見えない者たちの中で一番普通の見た目をしていた、逆にこの場に不釣り合いな男。

 

 

 

 

 

 

 ロックだ。

 そして女とは────

 

 

 

「こちらはホテル・モスクワ、タイ支部の…………『バラライカ』さんです」

 

 

 

 

 この日より、東京の裏社会は、「落日」を迎える事となる。




前回、「The Right City」
「正しい街」
「椎名林檎」の楽曲。
1999年発売「無罪モラトリアム」に収録されている。
今や邦楽界を牽引する大御所アーティストとなった椎名林檎。その伝説の始まり。
今でこそ「瀟洒で大人なポップロック」としてのイメージが強い彼女だが、東京事変以前のデビュー当初はパンクロックに傾倒した音楽性とスタイルだった。

音割れした彼女のシャウトがインパクト抜群のイントロ。無骨なロックサウンドに合わせて乗せられる、椎名林檎の特徴でもある甘い声が上手くミックスするモンスターチューン。
巧みに踏んだ韻、緩急のつけ方、ラストサビで効果的に使用されるシンセサイザーなど、デビューアルバム一発目にして彼女の鬼才っぷりが発揮されている伝説的一曲。


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Romantic Flight

 歌舞伎町の路地裏を抜けた先にある、寂れたビルに連れ込まれる。

 覚束ない足取りのまま、フラット・ジャックに肩を貸されながらも、何とかソファの上に座れた。

 

 

「あたし、ここで医療品の横流しをしているのよ」

 

 

 室内は未使用の注射器や、数多の抗生物質で満ち溢れている。

 キツいエタノールとアルコールの匂いが充満しており、チェリオスは居心地悪そうに鼻をさすった。

 

 

「ドクとはその関係で知り合ったって訳か」

 

「あ、それは関係ないわ。彼とはラスベガスの『覗き見クラブ』よ」

 

「は?」

 

「同じ部屋でマスカキあってたのよ」

 

「は?」

 

 

 幾つかの個室と中央のダンスルームで構成された六角形のホール。

 その個室に客が入り、マジックミラー越しで中央ダンスルームでストリップをするダンサーを見ながら、「楽しむ」のが覗き見クラブだ。

 

 マジックミラーの下には金の投入口があり、ストリッパーへ金を投げれば投げるほど、「過激なダンス」が眺められる仕組みとなっている。

 その際に金をあまり投げていない客の個室は、ミラーにシャッターがかけられてダンスが見られなくなる。

 

 

 当たり前だが、個室一つにつき一人だ。

 

 

「そこは野郎同士を同じ部屋にぶちこんでマスぺさせんのかぁ? 変態過ぎる」

 

「あたしとマイルズのどっちかが間違えて、一つの個室に入っちゃって」

 

「その時点で気付かねぇか?」

 

「お互い初めて来たから分からなかったのよ」

 

 

 

 暗い部屋、横並びの椅子に座り、ダンスを見ながらもお互い気まずそうに「楽しんで」いた事を思い出すフラット・ジャック。

 

 

 

「モツを見せ合った縁で、その後に仲良くなったの」

 

「あんたオカマだろ?」

 

「えぇ、オカマよ」

 

「女好きなのか? それかその覗き見クラブってのは野郎向けか?」

 

 

 フラット・ジャックが答える前に、奥の部屋から日本人と思われる女性がお茶を運んで来た。

 

 

「誰だこの女」

 

「嫁よ」

 

「………………」

 

「あたしバイなの。バイリンガルで、バぁ〜イ。因みにあたし、ベトナム出身よ」

 

 

 女性は無愛想な表情でお茶を置き、またスゴスゴと奥へ引っ込んだ。

 湯飲みに入れられた緑茶が、ゆらゆらと湯気を立てている。

 

 

「緑茶にもカフェインは含まれているわ。ステージ3までなら、この程度のカフェインでも効くハズよ」

 

「……そういやぁ、さっきステージ2がどうとか言ってたなぁ?」

 

 

 お茶を飲もうと口元に近付ける。

 熱過ぎてすぐに舌を離した。

 

 

「マイルズから聞いてないの?」

 

「あぁ」

 

 

 フラット・ジャックは後ろにあったホワイトボードを引き出し、マジックペンで図を書きながら説明する。

 

 

「トーキョーカクテルの効果は段階を経て強力されて行くわ。ジワジワと血液細胞と結び付いて、どんどんあなたの身体を蝕むわ。その段階は、ステージ4まで表せられるの」

 

「なんだとぉ? なんて面倒くせぇ仕様なんだ……」

 

「本当だったらこの説明は不必要だけどね」

 

「あ?」

 

「いや、人間ならステージ1の時点で死んでる。ステージ2だとか3は……馬とか象に対する効果よ?」

 

 

 頭の中に馬と象の鳴き声が響いたような、ちょっとした衝撃を受けるチェリオス。

 

 

「マジかよ」

 

「……で、ステージ1はアドレナリンの抑制と受容体のブロック」

 

 

 一つ一つのステージの説明を書き出しながら、口頭でも進めて行く。

 

 

「そして今、ステージ2はステージ1の効果強化。カフェインで補助しなければ、完全に停止するわ」

 

「なに────うぅッ!?」

 

 

 言ったそばから発作が起きる。

 持っていた湯呑みを落とし、胸を押さえた。

 

 

「あ〜、言わんこっちゃない……ほら、アンナカ! それ吸ってなんか動いて!!」

 

「おぉう、ナカにアンアン…………ズゥーーッ!!」

 

「アメリカ人はどんな薬も鼻から吸うの?」

 

 

 カフェインを摂取し、すぐにチェリオスはソファに立ち上がる。

 そのままトランポリンのように、派手に飛び跳ね始めた。

 

 

「フッ!! フゥッ!! いよっしゃぁーーッ!! さぁ続けろぉッ!!」

 

「……ソファ壊さないでね?」

 

 

 ギシギシと危ない音を立ててへこむソファを心配しながら、説明の続きを話す。

 

 チェリオスのそんな様子を、嫁は奥の部屋から引き気味に見ていた。

 

 

「それで、ステージ3。中枢神経に作用して、反応の鈍化を引き起こすわ」

 

「なんだってぇーーッ!? フゥッ!! ファーッ!!」

 

「カフェインの効果はあるけど、どんどん効き難くなるわ。十分に一回はコーヒー飲まなきゃいけないほどになる」

 

「マジ!?」

 

「マジ。マジよ。もうマ。マよ」

 

 

 そしてチェリオスが迎える、最悪の状態「ステージ4」の説明へ。

 事務所内がギシギシうるさい。

 

 

「そうして毒物が身体に染み渡り切るステージ4は…………」

 

「ステージ4はぁッ!?!?」

 

「……副腎の機能不全、中枢神経の破壊。そうなるともう、なにをやっても無駄……確実な、『死』よ」

 

 

 ソファを飛び跳ねながら、チェリオスはショックから顔を強張らせた。

 

 

「死だとお!?」

 

「えぇ。死、よ」

 

「死ぃ!?」

 

「死。Death、Deathよ。もうD。Dよ」

 

 

 大きくホワイトボードに、「D」を書いて説明を締める。

 

 

 途端に、ソファがバキリと音を立てて破損した。

 チェリオスは床に叩きつけられたものの、鬼の形相で立ち上がり、フラット・ジャックに詰め寄る。

 

 

「あたしのソファぁ!?」

 

「どうすりゃ助かるぅ!?」

 

「えと……げ、解毒剤があれば良いけど」

 

「解毒剤だなぁ!? ここにはあるのかッ!?」

 

「な、ないわ。最新過ぎる毒よ!? 持ってる人間としたら、トーキョーカクテルの保持者よ!」

 

 

 チェリオスは頭を抱えて、暫し天を仰ぐ。

 

 

 絶望し、打ちのめされているのか。

 なんて声をかけようかフラット・ジャックが迷う。

 

 

 その内、チェリオスは雄叫びをあげながらホワイトボードを殴った。

 

 

「クソォーーッ!!!!」

 

「あたしのホワイトボードぉ!?」

 

「あの、クソヤクザどもめ……! ぶっ殺す……!……毒打ったアイツらは必ずぶっ殺す。で、ついでに解毒剤…………」

 

 

 チェリオスは首を振り、訂正する。

 

 

 

「あぁ、いや、順序が逆だ。解毒剤を取って、ヤクザを殺すだ」

 

 

 

 行き場を失った怒りを滲ませながら、事務所内をウロウロ回るチェリオス。

 

 真ん中が割れてしまったホワイトボードを大事そうに抱え上げつつ、フラット・ジャックは質問する。

 

 

「……それにしても、日本にまで来てなにがあったの? マイルズから聞くと、あなた西海岸専門の殺し屋でしょ? なんで日本に……?」

 

 

 彼の質問を受けたチェリオスは、ピタリと足を止めた。

 そのままゆっくり振り返り、後悔と怒りに満ちた表情を見せ付ける。

 

 フラット・ジャックはちょっとチビりそうになり、自分の股間を押さえた。

 

 

 

 

「……事の発端は、三ヶ月前……ロサンゼルスじゃ味わえねぇような、デカいヤマの情報が入ったんだ……」

 

 

 チェリオスは今に至るまでの出来事を、説明し始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は三ヶ月前、その「デカいヤマ」を遂げる為に、海外出張していた。

 

 それにしても暑い……喉が渇いた。

 

 

 

「……あの疲れた顔の刑事さん、もうタイでの暮らしに慣れている頃かな……あっ」

 

 

 空港内の売店を見つけて、飲み物を買った。

 レジに並んでいた老人夫婦を押し退けてな。

 

 なにぶん、世界中の殺し屋が集まっていると聞いていたもんで、先を越されかねない。急いでいた。

 

 

「ちょっと、あんたぁ!?」

 

「非常識よ!!」

 

「俺が先に並んでただろぉ、ボケ老人どもぉ。ほれ、会計しろ」

 

「くたばれロクデナシ!!」

 

「てめぇがくたばれクソジジイ」

 

 

 そこで買ったコーラを飲みながら、俺は空港近くでタクシーを拾った。

 

 

「ドコ、行くンネ?」

 

「ロアナプラまで」

 

「ダメ!! オリルッ!! NO!! NOッ!!」

 

「うるせぇなぁ。行くんか車くれるんか選びやがれ」

 

 

 ごねるドライバーを、持って来た銃で脅した。

 すると一気に大人しくなり、そのままロアナプラへ向けてタクシーを走らせる。それで良いんだ。

 

 

 

 

 しかし、その日はツイてなかった。

 タクシーがだだっ広い道の真ん中で、バッテリー切れやがった。

 

 

「てめぇ〜? 車検に出さねぇからこうなんだ……」

 

「す、スイマセンッ!! ソーリーッ!! 許して!! 撃たないでっ!!」

 

「バカタレがぁ。とっとと何とかしやがれ!」

 

 

 とは言ったが、全く車が来ない。

 

 レッカーでも頼むか? 

 いや、ここは都市から離れた地方の道路だ。頼んでも一時間はタイムロスを食っちまう。

 

 

 

 

「……お? やっぱツイてんじゃねぇかぁ?」

 

 

 ツイていた。

 対向車線から、車が一台やって来た。

 

 俺はそれを引き止め、バッテリーの充電を頼んだ。

 やけにハイテンションな兄貴と、ローテンションな弟の、オランダ人だった。

 

 

 

 

「おじさん、あんた幸運だーよ! オラたちが来なかったら、誰も来なかったーよ!」

 

 

 

 

 バッテリーの充電を、タクシーのドライバーに任せながら、兄弟から受け取った酒を嗜んでいた。

 

 その兄弟は、俺の向かっているロアナプラから出て来たところだと言う。

 

 

「聞きたいが、懸賞金八万ドルの双子は知ってるか?」

 

 

 ロアナプラにいるロシアンマフィアが提示した、破格の懸賞金。

 ここ最近仕事が入って来ず、懐が寂しかった俺は海外出張を決行した訳だ。

 

 

「知ってるだーよ。でもオラたちゃ興味ないだーよ。勝手にやってろだーよ!」

 

「まだ終わってねぇよな?」

 

「毎日ロアナプラじゃお祭り騒ぎだったーよ! 街中に殺し屋ばっか! まだやってるだーよ!」

 

「なら良い」

 

 

 兄弟の乗って来た、ボロいトラックの荷台を見る。

 デカい木箱が一つだけ。

 

 

「なに入ってんだ?」

 

「あーあー! それ、触って欲しくないだーよ! 中身分からないけど、大事な荷物なんだーよ!」

 

「あんたらなんだ、やっぱ運び屋(ミュール)だったか?」

 

「そうだーよ。ロアナプラじゃ鳴かず飛ばずだったけどねー。この仕事で足を洗うだーよ」

 

「そりゃ大事な仕事だなぁ」

 

 

 木箱を見てから俺は、少しジョークをかましてやったよ。

 

 

 

 

「その標的の双子を運ばされてんじゃねぇか?」

 

「そんな馬鹿な事ないだーよ! ハリウッド映画じゃあるまいし! HAHAHAHAHA!!!!」

 

 

 

 

 その後バッテリーが復活し、兄弟と別れた。

 こんな世界でも、出会いと言うのは大切にしたい主義でな。

 

 

 そんなこんだでロアナプラ到着。

 タクシーの運転手には迷惑料とチップも付けて、たんまり金を払った。

 俺はチンピラどもとは違う。労働の対価はキッチリと払う。

 

 

 

 

 

 だが、到着と同時に、俺は過去最高にツイてなかったと悟った。

 

 

「双子が逃げたぁ!? じゃあ、ロアナプラにいねぇのかぁ!?」

 

 

 同業者からその話を聞き、二日酔いの日にも浴びるほど飲んだその、次の日のような頭痛が起きたもんだ。

 

 結局、タイまで来て無駄足。

 俺は半ばヤケになり、その晩は街中の娼館をハシゴしたぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鼻からアンナカを吸い込み、一旦話を止める。

 フラット・ジャックがゴクリと、生唾を飲んだ。

 

 

「こう言う話は始めてだろ?」

 

「いや……えと。ロアナプラの娼館って、良かった?」

 

「…………最高だったぜ。アジアン、アメリカン、アフリカン、ヨーロピアン。全員食ってやった。世界の女、一晩でコンプリートしたぜ」

 

「お、おふっ……ロアナプラ良いわね。あたしも行きたいわ。そう言う、悪徳の都に浸かりたいものね……」

 

「やめとけ。おめぇのようなチンケが行ってもカモられる。生まれ変わるか、最強のガンマンになるかしねぇと」

 

 

 大きく息を吸い込んで吐いた後に、チェリオスは話を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は二日間ほど、単なるセックスツアーと成り果てた海外出張を楽しんでいた。

 

 あまりに娼館をハシゴしまくったばかりに、すぐに俺の噂は広がった。

 ある日、噂と俺の経歴を知ったチャイニーズマフィアの男が話しかけて来たんだ。

 

 まさかただヤっているだけで仕事に繋がるなんてな。

 ロアナプラ、なんて良い所なんだ。

 

 

 

 

 デカい、広い、綺麗な事務所に通された。

 待っていたのは、このロアナプラのチャイニーズマフィアを束ねる男。

 名前は、「(チャン)」だ。

 

 

 

「ロアナプラを楽しんでいるようだな、カウボーイ」

 

 

 

 イケすかねぇ、高級スーツの男だ。

 童顔なもんでサングラスかけてりゃ、タイムズスクエアの路上で歌っているラッパーみてぇで面白かった。

 

 

「要件は?」

 

「おたくを腕利きの殺し屋と見込んで、仕事を依頼したいんだが……しかしなんだ、酷い服だな。田舎農民でもまだ綺麗な格好してるもんだぞ?」

 

「こんなクソみてぇな街でもドレスコードは決まってんのか?」

 

「おっとおっと、悪かったよ開拓者。遥々ウェスタンから来て、ただ下半身あっためて帰るなんざ不本意だと思ってな。それともキリスト以上に信奉しているボスがいるのか?」

 

「俺はどこにも属していねぇ。信奉してんのは金だ」

 

「グッドだ。良いプロ意識だ、気に入った」

 

 

 チャイニーズマフィアから提示された額は、十五万ドル。前金だけでも五万ドルだ。

 さすがはアメリカより、人口のスケールがデカい国の人間だ。金払いのスケールもデケぇ。

 

 

 奴は俺を強く見込んでいた。

 

 

「おたくは間違いなく、今現時点に於いてロアナプラ最強の殺し屋だ。そんなあんたに依頼したい仕事だが、舞台は日本だ」

 

「日本だと?」

 

「実は俺たち、三合会の本部でトラブルが発生してな。スーパーマン並みに強いトラブルバスターを欲している最中だったんだ」

 

 

 双子の懸賞金に釣られ、ロアナプラには世界各国の殺し屋が集まっていた。

 この張って男は、そこから誰かをチョイスする任務を受けていたようだ。

 

 

「日時は三ヶ月後。三合会日本支部が保有していたある『ブツ』が、日本から北京に送られる前に奪われた。犯人は分かっている」

 

「誰だ?」

 

「ただのチンピラだ。まさかアンチョビほどの小魚が、サメに噛み付くとは思わなかった。奴らは大事な大事な俺たちのブツを、東京のどこかに隠しやがった」

 

 

 印刷した写真を見せつけられた。

 確かにそいつの顔は日本人顔……いや。正直、中国人と見分けつかねぇ。

 

 

「複数人による犯行だったが、リーダー格のこの冴えない男は『チョコ』と呼ばれていた。こんな馬鹿面にやられる日本支部も日本支部だが、誰に喧嘩売ったのか分かってねぇ野郎をみすみす野放しにすんのも腹の虫が収まらん」

 

「そう言うのは、そっちがケリ付けるべきじゃないのか?」

 

「あぁ、その通りだ。ここでもう一つの、厄介だ」

 

 

 奴は手下にタバコを付けさせた。

 これで三本目。中国人は自分で付けられねぇのか?

 

 

「舞台は東京。ここが面倒でな、在来種の『ヤクザ』の他に、外来種がひしめき合っている。ちょっと三合会が火種を作れば、あっという間に大戦争だ。それだけは避けたいのが、支部の総意だ」

 

「無関係な奴に任せるって訳か」

 

「それも、国籍が日本や中国から離れているだけ良い。そんで、あんたの出番って訳だ」

 

 

 ターゲットは、既に顔が割れている人間だ。

 また三合会も、現地で銃器の調達だのとバックアップもしてくれるそうだ。

 

 金額のデカさもある。

 俺はみすみす、釣られちまった訳だ。

 

 

「なにか質問はあるか?」

 

「なんで三ヶ月後なんだ? 遅過ぎる」

 

「三ヶ月後で良いんだ。『ブツが日の目に出る』のなら、その時期なんだよ」

 

 

 そこから先はまた、三ヶ月後に現地で聞けと言われた。

 奴らブツの回収と、チンピラの抹殺の他に何か意図があるような気がしてならねぇ。

 

 こうして俺は前金を受け取り、一旦ロサンゼルスに帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一旦、フラット・ジャックがチェリオスを止めた。

 

 

「長くない?」

 

「あ? まだ三分しか経ってねぇぞ?」

 

「あなたとあたしの体感時間が違うのかしら……まるでジュマンジね」

 

「は?」

 

「とにかく、長いから端折ってよ! 何があってこうなったのか!」

 

 

 彼の注文を鬱陶しく思いながらも、自分に時間がない事を思い出し、日本に来てからを話し始めた。

 

 

「三ヶ月後、東京で三合会の奴から金と銃を何挺か貰い、俺はブツを持って現れると言うポイントで待機していた……」

 

 

 キッと、睨み付けるようにフラット・ジャックと目を合わせる。

 

 

 

 

 

 

「……だが、情報が漏れていた。チョコって奴は、『ヤクザ』を引き込んでい────ッぉお!?」

 

「だから端折ってって言ったのに!」

 

 

 また発作。

 急いでアンナカを、吸い込んだ。




「浪漫飛行」
「米米CLUB」の楽曲。
1987年発売「KOMEGUNY」に収録されている。
アルバムタイトルは「米国」をもじったもの。レコーディングがアメリカで行われた事に由来する。
ファンクからポップ、歌謡曲にソウルと、多種多様なジャンルを縦横するスタイルであり、曲によって様々な顔を見せる。
ボーカルのジェームズ小野田ですけど、Vシネ「仮面ライダースペクター」にて敵役のダントンとして出演していたのが当時の驚きでした。

ドリーミーなシンセサイザー、ムーディーなリズムをベースにしたポップナンバー。
アルバム発売の3年後に航空会社のCM曲として起用されてメガヒット。それを受けてアルバムから抜き出してシングル化と言う、少し変わった形で販売し、その年のオリコン1位に輝いた。今や国内外のアーティストがカバーする名曲となっている。
因みにMVは、本人らも「意味が分からない」と評するほど、かなりエキセントリックな内容。


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Queen of KABUKICHO

────クソが。こんな身体にしたあいつらの顔を忘れやしねぇ。

 

 

 三ヶ月後、つまりこの一週間前に俺は日本に到着した。

 待っていた中国人に奴らの事務所に案内された後、俺は早速仕事を始めた。

 

 

 チョコと言う奴の行方は、この三ヶ月ずっと中国人どもが追っていた。

 だがどうやら奴は、デカい所に囲われているようだ。居場所はなかなか掴めなかった。

 

 

 とは言え、目撃情報は色々と聞けた。

 奴は「ロッポンギ」に潜んでいるようだ。

 

 そこは日本と言っても、外国人が多い。俺みたいな奴も、難なく紛れられた。

 優秀な俺は中国人と協力して、一週間で奴を見つけてやったよ。

 

 

 

 だが、予想外な事態に陥った。

 中国人側に、内通者がいたんだろう。

 

 

 俺が決行日を前に眠っている隙を突いて睡眠薬を打たれ、そのまま捕まっちまった。

 

 

 

 

 気付けば俺は、「カブキチョウ」の奴らのアジトへと間抜けに連行。

 暗い部屋、丸テーブルの上に、パンツ一丁で取り押さえられていた。

 

 

「────ッ!! ────ッ!!!!」

 

 

 口には猿轡を咬まされ、悪タレ一つも言えねぇ。

 俺の周りには、数人の日本人どもが俺を必死に押さえつけていた。

 

 打たれた睡眠薬が残っていたのか、それとも筋弛緩剤か何かを追加で打たれたのか、全然力が入らねぇ。

 

 なんかの改造手術でもすんのか?

 

 

 

 

「こいつがァ例の殺し屋か」

 

 

 日本語で何言ってんのか分かんねぇ。

 アジア系にしちゃぁ身体のデケぇ奴だった。

 

 あと若い頃のプレスリーみてぇな、五十年代の化石を頭に乗っけている髪型だった。

 日本人のブームってのは、アメリカのなん年前で止まってんだ?

 

 

「こンの薄らハゲが」

 

 

 日本語は分かんねぇが、今の一言は感覚的にカチンと来たぜ。

 

 

 

「中国人どもは、歌舞伎町を奪われたくなくて必死のようですな」

 

 

 横に控えていた冴えない小男。

 こいつが、例のチョコだ。

 

 馬鹿面だが、それでも何かの学者先生のようで英語も堪能な奴だった。人ってのは見かけによらねぇな。

 通訳は、こいつの仕事だ。

 

 

「さぁ、こんの殺し屋野郎。どうしてやろうかコンチクショー!」

 

「チョコ先生、どうせならアレを試してやりてェんだよ。普通に殺るだけじゃァつまらん」

 

 

 そう言って五十年代男は、俺に一旦背を向けた。

 

 部屋内は熱が篭っていて、暑い。

 男はスーツの上着を脱いで、汗だくのシャツ一枚だった。

 

 だから薄っすら見えた。背中のド派手なタトゥーが。

 大波の中を、ピンクの菊か何かが漂っているような奴だった。

 

 

 

 

「この不貞ェ野郎に、コイツの説明をしてやってくれねェか?」

 

 

 

 次に戻って来た時には、薄茶色の薬が入った注射器を持って来た。

 

 俺は嫌な予感がした。

 そんでそう言う予感に限って、当たるもんだ。

 まずアレが、ただのビタミン剤じゃねぇってのは確かだろ。

 

 

「やいやい! 今、あっしらが打ちなするのは!」

 

 

 なんて訛った英語だ。どこで英語習ったんだコイツ。

 

 

「我々が三合会から盗んだブツでんな! おまんは、あっしらから取り戻そうとしちょったブツで殺される訳だ!」

 

 

 そうだ、奪われた「ブツ」ってのはそれだ。

 

 

「知ってるか知ってないか別に教えてやんよぉ。これは、中国製の超ハイテクSFバリのぉ〜、未来型合成毒物……メイドインジャパンだぁ!」

 

 

 元々は中国で作られたソレを、日本で改良したとか何とか。

 奴はそれを、俺に打ち込もうとしているらしい。

 マジに焦った。

 

 

「────ッ!! ──ッ!! ──ッッ!!!!」

 

「あー、コラ暴れなさんなぁ!……おかしいな。筋弛緩剤打ったのに」

 

「オイてめェらッ!! コイツ取り押さえてろォッ!!」

 

 

 五十年代の命令で更に数人が取り押さえに参加し、俺は更に動きを封じられた。

 そして情けなく突き出された腕へ、注射針が近付く。

 

 

「既に実験は終わっててなァ。てめェと同じ歳の奴で、一時間で往生した」

 

「────ッ!!!!」

 

「おうおう、暴れやがれェ。なぁオイコラ、見てみやがれ。オイオイオイオイ、針が刺さったぞォ?」

 

 

 抵抗虚しく針は左手の静脈に刺されて、チューッと五ミリぐらい、毒を打ち込まれちまった。

 俺は一気に青褪めた。

 

 

「あーあー、やっちまったァッ!! 佐藤浩史も真っ青なイカれっぷりよォ! 生の人間に毒を打ち込んじまったからなァッ!!」

 

「情報によると、毒物の採取も出来ずに、検死されても単なる心不全扱い。証拠はな〜〜んにもっ、残らないっ!」

 

「そうよォ。すぐに離れるモンで、死に様が見れねェってェのが惜しいがなぁ」

 

 

 毒を打ち込まれた瞬間から、身体の力が抜けて、頭がクラクラして来た。

 

 俺は死ぬ。そう悟った。

 

 

「この外人の国籍は?」

 

「多分アメリカですぞ」

 

「ヤンキーか。アメリカ人は個人的に嫌いでよオ。こいつらァかつて日本に黒い雨を降らせ、価値観を押し付けやがった」

 

 

 注射器を捨て、ニヤニヤ笑いながらご高説垂れやがったよ。

 何だコイツ。

 

 

「今、その仕返しをしているンだ。これで太平洋で眠ってやがる俺の親父も、浮かばれるってェもんだよォ」

 

 

 おいおいおい。その台詞、「ブラック・レイン」か何かで聞いたぞ。

 知らねぇよ、なんで俺に言うんだ。俺がマッカーサーかニック刑事かに見えんのかぁ?

 

 

 すると突然、一人の構成員が日本語で何か言い始めた。

 

 

「……『モロさん』」

 

「あ? どした?」

 

「確かに日本は太平洋戦争時、大変な犠牲者を出しました」

 

「本当にどうした」

 

 

 語り出した構成員に、その場にいた全員が呆気に取られていた。

 

 

「でも、今はもう、戦後じゃありませんか……」

 

「何を話しちょるん?」

 

「日本は国際社会に復帰し、高度経済成長を経て、復活を遂げたんですよ?」

 

「??????」

 

「それなのに、まだ歴史で憎しみ合い、嘲り、罵り……そんなのもう、たくさんです!」

 

 

 ツバが飛んで来た。汚ねぇ。

 

 

「戦争は終わった、終わったんです!……なのにずっとそれに縛られ、過去に囚われ……」

 

「????????」

 

「……こんなの、おかしいです……悲し過ぎる……誰も救われない……そうでしょ、モロさん?」

 

「おのれはジョン・レノンか」

 

「!?」

 

 

 全員ドン引きしている中で、突然泣き出したぞこの構成員。

 人に毒打ち込む手伝いしといて何の話してんだ。

 

 

 

 

 

 

「……ともかくだ。こンの外人の命は、あと一時間少し」

 

 

 五十年代は上着を羽織り、不気味に笑うチョコと共に背を向ける。

 片手には、ジュラルミンケース。あれにブツが詰まっている。

 

 

「せいぜいそこで、足掻く事だなァ」

 

 

 ケタケタと笑い、部下を引き連れて出て行く。

 

 

 俺は暴れた。暴れて暴れて暴れまくったが……結局、気絶しちまった。

 

 

 

 

 

 

 

 そこで彼は、アンナカをズゥーッと吸い込み、身の上話を締めた。

 

 

「……だが、何とか目が覚めてな。すぐにそこを飛び出して、ドクとコンタクトを取ろうとした。荷物は服以外、残されていなかったが」

 

「ステージ1に入っただけでも、強い倦怠感と眠気に襲われるわ。筋弛緩剤も打たれてんのに、良く起きれたわね……」

 

「あぁ。自分でもビックリだ……日頃の行いが良かったようだぁ……ズゥーーッ!!!!」

 

「鼻から吸うのやめない?」

 

 

 十分にカフェインを補給出来たと実感したチェリオスは、腰掛けていた壊れたソファから立ち上がる。

 

 

「中国人はもう当てにならねぇ。俺一人でぶっ殺してやる……ッ!!」

 

 

 即座に出て行こうとする彼を、急いでフラット・ジャックは止めた。

 

 

「待って待って!?」

 

「時間がねぇんだ! それはてめぇが分かってんだろ!」

 

「だからって、闇雲に動いても仕方ないわ! あたしも協力するから、まずはあなたを捕まえた奴らの特徴から教えて! もしかしたら有名なヤクザかも!」

 

 

 確かに無駄に動くよりは、情報を得て明確な目的を作っていた方が良い。

 チェリオスはそう考え直し、あの場にいたリーダー格の男の容姿を思い出す。

 

 

「……髪型は五十年代のプレスリーみてぇなダックテール。プロレスラーみてぇに厳つい顔で、アジア系にしちゃあデケェ奴だった」

 

「それから?」

 

「あと、背中に波とピンクの菊のタトゥー。いきなり語り出した構成員はそいつを『モロ・サン』って言っていた。分かるか?」

 

「ごめん分かんない」

 

「役立たずがぁッ!!」

 

 

 痺れを切らし、再度出て行こうとするチェリオスを、何とか引き止める。

 

 

「あ、あまりヤクザの人間とかに疎いのは謝るわ! あたしの顧客は外国のマフィアだから……でも、この辺のヤクザなら間違いなく……『香砂会』の人間よ!」

 

「コーサカイ? イタリア系か?」

 

「コーサ・ノストラじゃないわよ! ジャパニーズマフィアで、この辺を仕切っている組よ。三合会(トライアド)相手にトーキョーカクテルを盗ませるなんて、なかなか大きな組織のハズだし!」

 

 

 フラット・ジャックの情報に、やっとチェリオスは頷きを見せた。

 香砂会と言えば、聞き覚えがある。

 三合会の連中が少し、名前に挙げていた。

 

 

「よぉし、そいつらだ!」

 

「でも香砂会は、幾つも派生組織があるし、構成員だけで千人越すかも。あなたを攫ったのはどこの誰だか……」

 

「一つ一つ潰して回れば良いだろッ!! 時間がねぇッ!!」

 

「命も足りないわよそんなの!? 普通に死ぬわよ!?」

 

「マジに死にかけてんだこっちはッ!!……あー、面倒くせぇ……!」

 

 

 あーでもないこーでもないを繰り返すフラット・ジャックに、とうとうチェリオスは我慢の限界だ。

 引き止め続ける腕を振り払い、今度こそ出て行こうとする。

 

 

 彼の強い意志を感じ取ったフラット・ジャックは、引き止めるのを諦めた。

 

 

「……この近くなら……ここを出て左手の方の通りにある、タカヤマビル三階のクラブ」

 

「あ?」

 

「そのクラブは確か、香砂会が所有していたと思うわ。この辺、チャイニーズマフィアが仕切っているし、香砂会の人間ならそこに向かうハズ……」

 

「そりゃ本当か?」

 

「……多分、恐らく、Maybe…………Save me」

 

 

 そう言ってフラット・ジャックは何かを思い出したように名刺入れを取り出し、中から一枚だけ抜く。

 

 チェリオスに渡したその名刺は、彼の言ったクラブの物。

 地図もキチンと載っている。

 

 

「馬鹿野郎、とっととそう言うのを教えやがれ! んじゃ、行って来る」

 

「そ、それと、注意だけさせて!」

 

「なんだよテンポ悪ぃなぁ!?」

 

「メンゴ……」

 

 

 一言謝った後に、フラット・ジャックはアンナカの入った小袋を数個、投げ渡す。

 

 

「鼻からアンナカ吸うなら、粘膜摂取ですぐ効果が出るかもでしょうね。でも、コーヒーとかでカフェインを補給する時は気を付けてねん」

 

「なんでだ?」

 

「カフェインを経口摂取した場合、最初は胃で、残りは小腸で吸収されるわ。そのプロセスを経て、カフェインが血中に満ちるまでが大体、十五分から四十分よ」

 

「それが?」

 

「つまり、発作が起きてからコーヒーとか飲むのは遅いって事よ! アンナカで補助しつつ、出来るだけ早い内にカフェインを胃袋に貯金しときなさい!」

 

 

 了承し、頷いてから、チェリオスはやっと出て行った。

 溜め息を吐き、扉を開けっ放しにした彼に呆れながらも見送る。

 

 

 チェリオスによって破壊されたソファとホワイトボードを片付けようとした時、「あっ」と声を漏らした。

 

 

 

 

「……ステージ3への移行するまでの日数とか、話そびれたわ……」

 

 

 

 

 追いかけようか逡巡したが、「まぁ、生きて帰れるか分からないし、良っか」と考え直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビルを飛び出し、名刺の地図に書いてある通りに突き進む。

 日本語はさっぱりだが、大まかな地形は頭に入っている為、迷う事はなかった。

 プロの殺し屋として、舞台のリサーチ能力は必須。

 

 

 しかし想定外は、確かに存在する。

 多くの制服警官が通りをウロついていた。

 

 

「ッ……!!」

 

 

 すぐにサッと狭い路地裏に身を潜める。

 隣で呑んだくれのオヤジが吐いていたが、気にしない。

 

 

「クソ……さっきブチのめしたポリス関連かぁ?」

 

 

 懐から、壊した自販機から盗んで来た缶コーヒーを数本開け、乱暴に飲んで行く。

 足元でゲロゲロ吐いているオヤジの頭に、空けた缶を投げ捨てた。

 

 

「うぇっ……なにしやがんだチミ──ッ」

 

 

 立ち上がりチェリオスに詰め寄ったものの、一発顔面に入れられ、その衝撃で壁に鼻をぶつけ、自分の出した吐瀉物の中へ倒れる。

 そのまま気絶。

 

 

「出したモン戻しとけ、呑んだっくれがぁ」

 

 

 再び、表の方へ目を向ける。

 警官らは一通りの聞き込みを済ませると、別のブロックへ移動。

 

 いなくなった事を確認し、意を決してまた表通りに出る。

 

 

 雪降りしきる、夕方。

 太陽は遠くの方に橙の光を残すのみで、既に空は暗くなりつつあった。

 

 チェリオスお得意の、夜の時間が迫る。

 

 

 

 名刺に書いてある、読めないものの形だけでも片仮名を覚える。

 そして今、自分の目の前に建っているビルの看板に視線を移す。

 

 

「えーと……あぁ、ここだ────うぉッ!?」

 

 

 またしても警官隊が見えた。

 チェリオスは大急ぎでビルに飛び込み、身を隠す。

 

 

「……捕まったら死ぬな。顔を隠さなきゃすぐにバレ────ぅッ!?」

 

 

 来た。発作だ。

 すぐにポケットに詰めていたアンナカを一袋開け、鼻から吸い込む。

 

 

 しかし、アドレナリンが足りない。

 心臓の稼働が緩やかになって行き、血の回転が止まる。頭がぼんやりとして来た。

 

 

「はぁあん……ッ!!」

 

 

 胸の痛みに苦しみながら、何か無いかと辺りを見渡した。

 

 

 

 

 ちょうど良いタイミングで、クラブ帰りの男が階段を降りて来た。

 耳にはイヤホンを付けており、ポケットの方へコードが繋がっている。

 

 男はノリノリで、頭を振っていた。

 

 

「…………ッ!! 寄越せッ!!」

 

「うぉおっ!? なんだてめぇ!?」

 

 

 男からイヤホンと、ポケットからウォークマンを奪い取った。

 

 一九九九年発売、「メモリースティックウォークマン」。

 インターネットの配信サイトから音楽をメモリースティックにダウンロードし、それをウォークマンに挿入して聴ける優れもの。

 

 

「上等なモン持ってんじゃねぇか……借りるぞ」

 

「おいてめぇッ!! 俺のウォークマンだぞッ!? やんのかオイッ!?」

 

「日本語でギャアギャア……おい、黙ってろぉ」

 

 

 懐から取り出したニューナンブの銃口を、男に向ける。

 一瞬だけ彼は驚きを見せたものの、すぐに小馬鹿にした笑みを浮かべた。

 

 

「んなオモチャで脅せると思ってんのかぁ? おい外人、痛い目見たく────ギャァッ!?」

 

 

 銃口を向けても臆さず近付く彼に、チェリオスは仕方なく銃床で男の鼻面をぶん殴る。

 

 鼻の骨が折れたようで、男は血だらけでその場に蹲った。

 

 

「これだから、銃が普及してねぇ国は嫌いなんだ……」

 

 

 イヤホンを耳に挿し、再生ボタンを押す。

 

 

 

 

 流れたのは「デッド・オア・アライヴ」の楽曲、「You Spin Me Round」。

 

 

「……ユーロビートかこりゃ? んな時代遅れな……日本のブームってのはアメリカのなん年前だ……」

 

 

 とは言え、なかなかノれる曲だ。

 特にサビの畳み掛ける箇所が気に入った。

 

 

「…………おぉ、良いぞ……!!」

 

 

 チェリオスは倦怠感が強まる身体を無理に揺らし、最大音量にしたままその場で踊り出す。

 

 

 

 足元で血をダクダク流して痙攣する男を前に、ウォークマンで音楽を聴きながら踊る外国人。

 

 そんな異様な光景に目を疑う者こそいれど、介入する者はいなかった。

 

 

「……Fooッ!! YEAHHHHッ!! ユーロビート最高ーーッ!!」

 

「ぉ……ぉでの、ヴォーグマン……がえじで……」

 

「ユーロビート最高ーーーーッ!!」

 

 

 カフェインとの相乗効果で、アドレナリンが分泌。

 気分が良くなった。

 

 チェリオスは音楽を聴きながらフィンガースナップを小気味良く響せつつ、ノリノリで階段を上がる。

 

 

 そんな彼を変人でも見るような目ですれ違う、帰りの客たち。

 下手くそなダンスを踊り、口を窄めて笑いながらチェリオスは三階を目指す。

 

 

 

 

 目的のクラブの前に到着。

 ノリノリのまま入店しようとしたところ、出て来た二人組の男とぶつかる。

 

 

「YOU SPIN……オイオイオイ!?」

 

 

 ぶつかった男が、チェリオスからイヤホンを引き抜く。

 彼を元の世界に戻した上でギロリと睨み付けつつ、階段を降りた。

 

 

「何しやがんだ……てか今の……あ? ロシア人か?」

 

 

 コートを羽織り、まるで人目を憚るかのようにして出て行く二人のロシア人。

 チェリオスは直感だが、並々ならないきな臭さを感じたものの、だからと言って追いかける暇はない。

 

 

 再びイヤホンを付けて再生ボタンを押すものの、音楽が流れない。

 

 

「…………電池切れかよ。クソッ、返すぜ!」

 

 

 ウォークマンをイヤホンごと、階下に投げ捨てた。

 

 

 

 

 

 一度服を整え、汚れを落とし、ニューナンブを隠している箇所をチェックした後に、一呼吸入れて扉を開ける。

 

 

 

 

 内部はムーディーな曲が流れる、絢爛としたキャバレーだった。

 入って来たチェリオスに気がつくと、店員が英語で話しかけて来る。

 

 

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

 

「あ?……あ、あぁ。一人だ。英語しか話せないが……一人でも飲める店か?」

 

「えぇ、構いませんよ。英語対応の出来る者もいますので。さっ、空いてるお席にご案内致します」

 

 

 店員に促され、チェリオスは付いて行く。

 付いて行きながらも、不自然にならない程度に店内にいる者に気を配った。

 

 

 見覚えのある奴はいやしないか。

 

 それらしい奴は見つからないか。

 

 関係ありそうな奴は存在するか。

 

 

 身体を掻く振りをして懐のニューナンブに手をかけつつ、警戒を怠らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時期、女を侍らせて飲む二人の男たち。

 仕立てたばかりであろう黒いスーツを着て、ホステスに入れさせたドンペリを楽しそうに飲んでいた。

 

 

「ん?…………うぇっ!?」

 

 

 ふと隣にいたホステスに目を向けていた時、視界の端に見覚えのある人間を見つける。

 

 

「あ、アニキ!」

 

「あぁ? どうしたぁ」

 

「アレ……! あいつ……!!」

 

「なに?」

 

 

 店員に席へ案内される、一人の外国人。

 チェリオスだ。チェリオスの姿を見た瞬間、男たちは青褪めた。

 

 

 この二人、あの時にチェリオスを押さえつけていた構成員らの一人だ。

 

 

「嘘だろ……!? なんで生きてやがんだ……!? もう二時間経ってんぞ……!?」

 

「ねぇ、どうしたのぉ?」

 

「黙ってろッ!!」

 

 

 ソファに身を隠す二人を気にかけるホステスらを、沈黙させる。

 その上で二人は相談し合う。

 

 

「モロさん、毒の分量間違えたんじゃないっすか……!?」

 

「だとしても、なんでここに来やがった……!? 香砂会のクラブだってバレてんのか……!?」

 

「アニキ、どうしましょ!? やりますか……!?」

 

 

 兄貴分の男は、懐に隠してある拳銃に目を向ける。

 

 何度か考えた上で、決心し、立ち上がる。

 

 

「……俺が銃で脅して、裏口に誘導する。そこで二人で殺るぞ……」

 

「へ、へい……!!」

 

「よし……行け」

 

 

 命令を下し、ホステスらを解散させて、兄貴分は一人でチェリオスの方へ向かった。

 弟分は命令通り、裏口の方へ歩き出す。

 

 

 

 

 

 

 チェリオスが案内されたのは、通りを一望出来るほどの大きな窓際の席。

 座席に腰を下ろすと、店員は注文を聞いて来た。

 

 

「何かお飲みになられますか?」

 

「……シャンパンはあるか?」

 

「ございますとも。グラスとボトル、どちらになさいますか?」

 

「あー……ボトルだ。女の子たちと飲む。すぐに出してくれ」

 

「かしこまりました。じきにホステスを向かわせますので、お待ちください」

 

 

 丁寧にお辞儀をし、一度その場を離れる。

 店員がいなくなった事を確認すると、こっそりアンナカを吸引した。

 

 

「……ッはぁ。クソッタレがぁ……来るなら来やがれ」

 

 

 貧乏ゆすりをしたり頭を振ったり、出来るだけ身体を止めないように注意しながら、その時を待つ。

 

 

 

 

 

 

 兄貴分はゆっくりと、チェリオスの方へ近付いていた。

 懐の拳銃に手をかけながら、悟られないように背後からゆっくり、ゆっくりと。

 

 

 

 

 その頃、裏口へ向かう途中の弟分。

 突然の事で焦っていたのか、かけようとしたサングラスを落としてしまう。

 

 

「あぁ、クソッ……!」

 

 

 急いで拾おうと屈む。

 

 サングラスを拾い上げた時に、彼は目の前にあるソファの裏に、大きめのカバンが置かれている事に気付く。

 

 

 こんな所に何を置いているんだ。

 気になった彼は、カバンの方へ近付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 兄貴分は既に、チェリオスと二メートルほど。

 気付いていない様子のチェリオスの元に、頼んだドンペリが届けられた。

 

 

 ドンペリの瓶と、銅製のアイスバケット。

 チェリオスの前にアイスバケットが置かれた時、彼は目を剥いた。

 

 

 

 

 そこには、自身の背後に忍び寄る、スーツ姿の男が写っている。

 

 

 

 

 

 すぐさまチェリオスは立ち上がり、取り出したニューナンブを兄貴分へ向けた。

 

 

「うッ……!?」

 

「マフィアの癖にコソコソした奴だなぁ、おい」

 

 

 突然、銃を取り出したチェリオスを見て、ホステスや店員らが悲鳴をあげる。

 兄貴分は懐の拳銃に手をかけたまま、動けなくなってしまった。

 

 

「英語通じるか?」

 

「……ッ!? !?!?」

 

「話せねぇのか……フラット・ジャック連れてくんだった」

 

 

 とは言え、向こうも自分が何を求めているのか、薄々察しているハズ。

 取っ捕まえてフラット・ジャックと合流し、解毒剤の元へ案内して貰おうと計画する。

 

 

「見覚えがあるなテメェ。おい、動くなよ」

 

 

 兄貴分の方へ寄ろうとするチェリオス。

 動いたら撃たれる状況で、混乱する彼の背後で弟分が叫んだ。

 

 

 

「アニキーーーーッッ!?!?」

 

 

 大声に驚き、チェリオスも兄貴分も、弟分の方へ目を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歌舞伎町、別のクラブ。

 ヤクザと会談していたバラライカは、携帯電話で部下にロシア語で連絡する。

 

 

「私だ。配置についてるな?」

 

 

 スピーカーの先は、表通りを歩く二人のロシア人の携帯電話。

 二人はバラライカに準備の完了を知らせた。

 

 

「えぇ、大尉。いつでも」

 

「よろしい、万全だ」

 

 

 携帯電話で連絡を取っていた方の男が、隣の仲間に目を配る。

 

 それを合図に男は、持っていたライターの蓋を開けた。

 

 

 

 しかしそれは、ライターではなかった。

 小型のアンテナが伸び、着火口はなく、スイッチが付いている。

 

 

 

 

 

 そのままバラライカは、淡々と宣告した。

 

 

 

 

 

 

 

「始めろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弟分はカバンを開けて見た後に、大声で兄貴分へ警告。

 

 

 

「爆弾だ────」

 

 

 

 それとほぼ同時に、ロシア人はカチリと、スイッチを押した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、強烈な閃光と熱と音が、チェリオスを支配する。

 

 弟分の男が、噴き上がった炎に飲み込まれた。

 

 

 

 何が起きたのか理解する前に、チェリオスは後ろへ吹っ飛び、ソファと共に窓の外へ追い出されていた。

 

 

「────────ッッ!?!?!?」

 

 

 

 自分の叫び声すら聞こえない。

 

 今さっきまで自分がいたクラブは、木っ端微塵に爆発四散していた。

 

 黒煙と爆炎が鼻先を掠め、チェリオスはソファを背中に付けるような形で表通りへ落下。

 

 

 

 破片と、チェリオスと共に吹き飛ばされた兄貴分が、宙を舞う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────ぉオゥッ!?!?」

 

 

 最初はソファ。次にチェリオスが、その上に落ちる。

 

 三階から落ちたものの、ソファが緩衝材の役割を果たし、自分でも驚くほどの軽傷で済んだ。

 

 

 彼の隣にボトリと落ちる黒い影。

 それはさっき、自分に銃を向けようとしていた、兄貴分の男だ。

 

 

 だが爆炎に巻き込まれて火傷まみれで、尚且つ何のリカバリーも無しに三階から落ちた事により、即死していた。

 

 

「おい!? おーーい!?……死んでるッ、クソゥッ!!」

 

 

 情報源が死んだ。無駄足となった。

 

 

 

 怪我だらけの顔で、ビルを見上げる。

 見るも無残に吹き飛び、黒煙が夜の空へ吸い込まれるように昇って行く。

 

 表通りは悲鳴と狂乱、逃げ惑う人々の雑踏に満ちていた。

 チェリオスは苦々しい顔で、足元にあった誰かの缶コーヒーを拾う。

 

 

 

「…………どうなってんだ? ガス事故か?」

 

 

 それを飲んでから、ハッと気付く。

 自分が持っていたニューナンブを、失くしてしまっている。

 

 あるのは、懐にあるもう一挺のみ。

 

 

 戦力を失ってしまった。

 

 

 

 

 

「ぉでの、ヴぉーグマ」

 

「ファーーーーックッ!!!!」

 

「だべッ!?」

 

 

 近付いた来た男へ、空になった缶を投げ当ててから、またチェリオスは走り出す。

 

 

 

 爆発騒ぎで行き交う警官は、チェリオスに目もくれない状態だった。

 

 その間を駆け抜け、怒りの形相のままフラット・ジャックの元へひた走る。

 

 

 

 

「ぜってぇ生き延びてやるぅーーーーッ!!!!」

 

 

 

 夜が深まる、騒然たる歌舞伎町を、チェリオスは叫びながら去って行った。




「歌舞伎町の女王」
「椎名林檎」の楽曲。
1999年発売「無罪モラトリアム」に収録されている。

その頃の椎名林檎を代表する曲の一つ。
ダウナーでやけにムーディーな曲調が、不穏な雰囲気を醸し出す一曲。
今尚も「長く短い夏」「獣ゆく細道」でも見られる、どことなく古風な空気の歌詞はまさに、今の彼女の原点とも言える。

因みにこの曲を作った経緯は、彼女がバイト中に水商売のスカウトマンから「君は女王になれる」と言われた事から。
見る目あり過ぎませんかね、そのスカウトマン。


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Guts the Way!!

 事務所で、嫁と一緒にバラエティー番組を観るフラット・ジャック。

 壊れたソファを、無理やりガムテープで固定した上に座っていた。

 

 

「……テレビって、興味ないのについつい見ちゃうのよねぇ〜。マジ依存症〜〜チョベリバ〜〜」

 

 

 ダル絡みしてくる彼だが、嫁は無反応で延々テレビを見続けている。

 フラット・ジャックはお茶を飲もうと、持っていた湯呑みを口元に近付けた。

 

 

 

 

 

「ファぁぁぁぁぁックッ!!!!」

 

「なに──あっっつッ!! うおあーーッ!?」

 

 

 ドアを蹴り開けて登場したチェリオス。

 それに驚いて湯呑みを落とし、暴れるフラット・ジャック。

 

 更にその衝撃で、直したソファがまたベッキリ折れ、二人揃って床に転がるハメになった。

 

 

「なに遊んでやがんだ!?」

 

「遊んでないわよ! てか、どうしたのその格好!? 行きよりボロボロじゃないの!?」

 

 

 そそくさと立ち上がって逃げて行く嫁を見送りながら、テーブルに置いていた彼女のお茶を飲んだ。

 

 

「……うぉ、なんだこの茶ぁ? やけに苦いな……」

 

「それ『玉露』よ! 高いお茶なんだから、気安く飲まないでよ!」

 

「うるせぇ。命は金に換えられねぇんだ」

 

「他人の命で稼いでる男が言う?」

 

 

 お茶を飲み干し、湯呑みはポイっと捨てる。

 

 

「それより、とんでもねぇ事が起きた……奴らのクラブに入ったが、そこが木っ端微塵に吹き飛んだんだ」

 

「は、はあ?」

 

「クソッ! 俺を捕まえた奴らの一員がいたのにッ! 俺以外、バラバラのポップコーン状態だ……」

 

「い、いやいや……そんな、よりによって突撃したクラブが吹き飛ぶとか……中東ならともかくここは日本よぉ? 超古代にとんでも科学力の人類がいたって方が信じられるわよ。そんなのは信じられな────」

 

 

 放送していたバラエティー番組が、突如として速報に変わった。

 

 

 

『臨時ニュースをお伝えします。先ほど、新宿区歌舞伎町のクラブで、爆発事件が発生しました』

 

 

 

 テレビには、黒煙を上げて燻る、見覚えのある通りと見覚えのあるビルが映っている。

 フラット・ジャックはようやく、チェリオスの話が本当の事だと察した。

 

 

「なんで生きてんの?」

 

「奇跡が起きた。アーメンハレルヤ、セックスピストルズだ」

 

「あんたナカトミビルの英雄?」

 

 

 臨時ニュースは続きを伝える。

 

 

『────また、事件発生の数分前に、新宿警察署の警官二名が、外国人男性から暴行を受け、拳銃を強奪される事件が起きており、警察はこの外国人男性と爆発事件との関連を────』

 

 

 内容に唖然としている、フラット・ジャック。

 チェリオスは居心地の悪そうに、顔を顰めていた。

 

 

「手配されてんじゃないのよぉ!? ただでさえ触法行為で食ってるってのに!! 捕まったらあたし、ババァになるまで牢屋入りよぉ!? あたしに網走行けっての!? 網走番外地!?」

 

「……なぁ、頼む。助けてくれ! もう頼みの綱は、あんただけなんだよ!!」

 

「でも、あのねぇ……限度ってのが────」

 

「頼むぜなぁ、オイッ!!」

 

 

 目を逸らし、チェリオスから離れようとしたが、彼によって肩を掴まれ視線を合わせる。

 

 酷い形相で、気の触れたような瞳をしていた。

 だがその目の奥には確固たる意志が宿っている。

 

 

 あまりにも眩いその意志に、フラット・ジャックは少し顔を伏せた。

 そしてすぐに、諦めたように溜め息を吐く。

 

 

「……あー、もうッ! マイルズからお金貰ってなけりゃ、こんな事しなかったのに……!」

 

「金で俺助けてたのかぁ!? そんなら話は早い! 報酬を弾ませるよう、ドクに言っとくッ!!」

 

「分かった分かった! 付き合うわよもう!」

 

 

 請け負う事を表明し、すぐにチェリオスから離れた。

 彼は事務所の壁に掛けられていた鍵入れから、一つの鍵を取り出す。

 

 口笛で嫁を呼び戻すと、彼女にそれを投げ渡した。

 

 

「歌舞伎町はすぐにでも警察が包囲するわん。場所を変えるわん!」

 

「他に事務所あんのか?」

 

 

 下手くそなウィンクをした後に、フラット・ジャックは決めた顔で頷く。

 

 

 

 

「代々木の、あたしのお家よッ!!」

 

 

 

 

 

Lat:35.693916 Lng:139.701240

Lat:35.689666 Lng:139.702139

Lat:35.684950 Lng:139.703732

Lat:35.681913 Lng:139.698094

Lat:35.679486 Lng:139.694221

Lat:35.677298 Lng:139.692016

 

 

YOYOGI

代々木

 

 

 

 

 

「黒人ラッパーの掛け声みてぇな地名と思ったが、カリートの家もありそうな場所だな」

 

 

 彼の家は代々木の閑静な住宅街に建つ、いけすかないデザイナーズマンションだった。

 パスワードを入力してエントランスに入り、そこからエレベーターで更に四階まで登る。

 フラット・ジャックの部屋は、その階の一室だ。

 

 

「かなり儲けてるようだが」

 

「顧客はたくさんいるのよ。ヤクも流しているし、ボロ儲けよぉ!」

 

「てかなんで嫁は喋らねぇんだ?」

 

「ブローカー失語症なの」

 

「なんじゃそりゃ?」

 

「ミスター・タンで有名じゃない! 知らないの?」

 

「俺にそれ知ってる学があるように見えんのかぁ? 知らねぇよ」

 

「言語野に生まれつきの障害があってね、『うう』しか話せない。それがコンプレックスだから喋らないの」

 

 

 部屋は3LDK。

 リビングの至る所に日本人俳優のピンナップが貼られている意外は、スッキリとした印象を受ける内装だ。

 

 

「誰だこりゃ?」

 

「菅原文太知らないの!?」

 

「今度は俺を日本人だと思ってたのか?」

 

 

 フラット・ジャックから追加のアンナカを受け取りつつ、嫁に入れて貰ったエスプレッソを飲む。

 カフェインを吸いながら飲む、危ない光景を見せつけた。

 

 

「歌舞伎町や錦糸町の仲間に色々と探らせているわ。モロ・サンとチョコ、あと歌舞伎町の爆発の件とか」

 

「それ待ちってか……ジッとしてらんねぇ身体だってのによ、クソッ……」

 

「ほら、そこにトレッドミルもあるから、あれで延々走ってりゃ何とかなるわよ!」

 

 

 部屋の隅には確かにトレッドミルがあった。

 埃を被っていたが。

 

 

「当たり前の事聞くが、寝たら死ぬよな?」

 

「当たり前じゃない! ちょっと考えたら分かるわよ!」

 

「だから前置きしただろが?」

 

 

 フラット・ジャックは嫁に作って貰ったタコライスを食べる。

 

 

「でも、言いたい事は分かるわ。いつまで起きていられるかってね」

 

「あぁ」

 

「ちょうど、その話もしようとしてたのよ」

 

 

 タコライスに、チェリオスがドン引きするほどハバネロソースをビチャビチャかけながら、フラット・ジャックは話を続けた。

 

 

「一九六四年にアメリカの高校生がやった不眠実験が、現時点での世界記録よ。彼が起きていられた時間は、二六四時間十二分!」

 

「何日だ?」

 

「十一日ね。日を追う毎に記憶障害やら学習能力の低下とか、攻撃性の上昇とかが起きていたらしいけど……まぁ人間、一週間ちょっと徹夜してもそうそう死なないって事よ」

 

 

 真っ赤に染まったタコライスを美味しそうに食べるフラット・ジャック。

 部屋の中はハバネロとカフェインの香りが混ざり合って、気持ち悪い臭いに満ちていた。

 

 嫁が顔を顰めながら、リビングから避難する。

 

 

「……でも、あなたが今の調子でいられる訳はないわ。ステージ3がいつ起こるのか……」

 

「いつ起こんだ?」

 

「……分からない」

 

「使えねぇ」

 

「仕方ないわよ! トーキョーカクテルは元々、馬と象に使う物よ!? すぐ死ぬ人間に打ったのになぜか死なない人間がいるとか、サンプルなさ過ぎて予想なんか出ないわよ!?」

 

「キレるなキレるな。口臭がハバネロ臭ェ」

 

「あんたはカフェイン臭いわッ!!」

 

 

 激昂するフラット・ジャックを、真剣な顔を見せつけて窘める。

 

 

「……解毒剤を打たずにいた場合、俺の寿命は?」

 

 

 タコライスを口に運んでいたスプーンを置き、彼は悲しげな表情でチェリオスを眺めた。

 唇が辛さによる刺激で腫れていた。

 

 

 

 

 

「……保って、五日。五日以内にステージ3が来て、すぐにステージ4に移るわ。言っても、ステージ3に入れば成年のアフリカ象も死んでしまう……だから、ステージ2の今のまま…五日で全てを終わらせるしか道はない」

 

 

 

 

 チェリオスは打ちのめされたかのように、表情を曇らせた。

 眉間に皺を寄せ、床から天井に視線を移動させ、最後は吐き捨てるように「クソ」とぼやいて頭を抱える。

 

 

 フラット・ジャックは、死の瀬戸際に立たされている彼へ同情し、肩を叩いてやった。

 

 

「……バックアップはするわ。希望はある」

 

「………………」

 

「……とりあえず、今は眠らないように頑張って。夜明けには情報を見つけてあげるから」

 

 

 そう言って彼は、またタコライスを食べ始めた。

 気管に入ったようで、次の瞬間には噎せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、早朝。

 ここは、とある屋敷。

 慌ただしい様子で数人の男たちが、その中へ入って行く。

 

 全員が集まったのは、一つの広間。

 墨で山々が描かれた襖が囲う中、総員の手前に立つ頭領の男は厳しい顔付きをしていた。

 

 

 

 

「……皆殺しでした……まるで嵐でも通った後みてぇに……事務所も賭場もやられてやした」

 

 

 一人の男の報告で、その場にいた者全てが口々に騒めき始める。

 やれ「どこの組だ」、「抗争など気でも狂っているのか」、「外道めが」など、どれもがガラの悪い物言いだ。

 

 

 騒然とする空気を黙らせたのは、頭領の側に控えていた男だった。

 

 

「静かにしやがれッ!! オヤジの前だろうがッ!!」

 

 

 その男は、前時代的なダックテールの髪型をしていた。

 チェリオスが言っていた「モロ」と呼ばれる、男だった。

 

 

 

 彼が場を鎮めたところで、タバコの煙を吐きながら頭領こと、香砂会々長「香砂政巳」は発言する。

 

 

「……聞いた情報じゃァ、現場にはウチのモン以外の死体は無かったそうだ。弾も、軍人が使うような機関銃に使われる代物だ」

 

 

 組員たちは愕然とし、互いを見合わせた。

 

 

「今まで見て来た喧嘩の様子とはまるで違ェ。手慣れてやがる。一端(いっぱし)のヤクザが出来るような芸当じゃねェな」

 

「じゃあオヤジ……他の組じゃねェってんですかい!?」

 

 

 質問する一人の幹部に対し、政巳は首を振る。

 

 

「だからて、なんも無関係な奴らが俺らに喧嘩売る訳あるかい。明らか、俺らに恨みある奴らが雇ってやがる」

 

「どいつらでッ!?」

 

「そいつを見つけるんが、テメェらの仕事だろがよ」

 

 

 タバコを灰皿に擦り付け押し潰し、据わった目を総員に向けた。

 

 

「歌舞伎町もとい新宿にいやがる他のシマの連中を探れ。身内だろうがマフィアだろうが、目を離すんじゃねェぞ」

 

 

 

 

 政巳の命令と、今後の方針を受けた者たちは早速、行動に移る。

 幹部らが続々と自分たちの事務所へ戻って行く最中、政巳はモロに話しかけた。

 

 

「……例の毒ァどうだ?」

 

「へい。チンピラどもを鉄砲玉に使ったお陰で、ウチの仕業だとは三合会にはまだバレておりやせん」

 

「向こうが雇った殺し屋っつうモンは?」

 

「取っ捕まえて、毒打ち込んでやりやした。既にくたばっている頃でしょうよ。馬と象に使う毒を人間に使うたァ、自分でもヒデェと思いましたわ」

 

 

 モロは政巳に耳打ちする。

 

 

「……チョコ先生に複製を急がせておりやす。向こうの約束通り、今月中には何とか」

 

「……その前に、この問題をどうにかしなけりゃなァ。もしかすりゃ、関係あるかもしれねェ」

 

「ウチを探っている輩がいないか、目を配っておきます」

 

 

 そう言った後に、二人もまた部屋を後にする。

 

 

 

 空は既に明るくなり、藍色に満ち始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が昇り切った頃、フラット・ジャックの携帯が鳴る。

 彼はトイレの中で便座に座りながら応対した。

 

 

「サカちゃんじゃない!……うん。うん。それ、ホント?」

 

 

 内容を聞き、すぐにトイレからリビングに向かって叫ぶ。

 

 

「シェビー! 情報よーっ!!」

 

「やっとかぁあッ!?!?」

 

 

 チェリオスはトレッドミルで走っていたり、リビングで暴れたりと、ぶっ通しで動き続けていた。

 床にはアンナカの入っていた袋と、缶コーヒーの空き缶が散乱している。

 

 部屋は熱気とカフェイン臭と汗臭さで充満。

 外気との温度差で曇ったガラスの露を拭き、朝日を浴びるチェリオス。

 

 

「太陽引っ張り出してやったぜ」

 

「聞いてシェビー! この八時間で、とんでもない事が起きていたらしいのよ!」

 

「なにが起きたー!?」

 

「戦争よ!」

 

 

 チェリオスはタオルで汗を拭い、脱ぎ捨てていた服を着て行く。

 

 

「戦争だぁ? 日本だけまだ冷戦やってんのか?」

 

「歌舞伎町のあちこちで、襲撃事件だって! そのどれもが、香砂会関係の賭場だったり事務所だったり!」

 

「どっからかに狙われてるって訳か? トーキョーカクテル持ってんのはコーサカイってのが持ってるハズだろが?」

 

「もしかしたら……あなたや三合会以外に、トーキョーカクテルを狙っている奴らがいるのかも」

 

「胡散臭ェな」

 

「あなたは汗臭いけど……オオゥ、ケツが痛い……」

 

 

 窓を開け放ち、篭った熱気を外に排出させる。

 そのままチェリオスは大きく、深呼吸をした。

 

 

 眼下に広がる東京の町々。

 獲物を狙う獣の目で以て、全てを睨みつけた。

 

 

「歌舞伎町は今日は行けないわね。警察の警備が激しいし……」

 

「他に奴らの経営してる店とかがある場所は?」

 

「ここから東の方に、『六本木』って場所があるの」

 

「そこは知ってる。大体、地理も把握済みだ」

 

「さすがはプロのスナイパーねん。それで、情報なんだけど……サカちゃぁ〜ん! もう少し大きな声で言ってちょうだいなっ!」

 

 

 フラット・ジャックは電話越しの仲間から話を聞きつつ、チェリオスに伝えてやる。

 

 

「……うんうん、なるへそなるへそ……下位組織の、巌竜組が怪しいんだって!」

 

「ガンリューグミ?」

 

「香砂会と仲良しこよしなの!」

 

 

 そう言いながら彼は、チェリオスに窓の近くに置かれている戸棚を開けるように伝えた。

 言われた通りに開くと、名刺入れを見つける。

 

 

「確か、六本木でその巌竜組が経営している、高級クラブがあったハズよ。場所とか書いてある名刺が入ってるわ!」

 

「どれだよ」

 

「クラブ・メタンフェタミンっての」

 

「英語表記なのが一つもねぇぞ!」

 

「カタカナ表記だけだったわね……あー、電話番号の下四桁が◯七二一の奴!」

 

「卑猥な電話番号だぜ」

 

 

 目的の名刺を抜き取ったチェリオス。

 裏に地図が書かれてある事を確認した後、胸ポケットにしまう。

 

 

「よっしゃぁッ!! 行って来るッ!!」

 

「開いてないと思うけど……」

 

「従業員ぐらいはいるだろ!」

 

 

 チェリオスは机に置いてあった、切り分けられたリンゴを取った。

 その上に、アンナカを振りかけてから、一つ一つパクパクと食べて行く。

 

 栄養もカフェインも摂れる、効率的な方法だ。

 

 

「おぉぉお……ッ!! カフェインが巡って来たぞぉおーーッ!!」

 

「アンナカでここまでハイになる奴いないわよ」

 

「行くぜロッポンギーーッ!! 殺すぜヤクザーーッ!!」

 

 

 暴走したチェリオスは高らかに叫びながら、部屋を出て行く。

 寝室から出て来た嫁は押しのけられ、不機嫌そうに彼の後ろ姿を眺めていた。

 

 

「近所迷惑になったらどうすんのよ……おぉ……ケツが辛い……ハバネロ入れ過ぎたわ……」

 

 

 トイレから出られないフラット・ジャックを無視し、リビングへと向かう嫁。

 散らかり放題の惨状に驚きつつも、呆れ顔で片付けを始めた。

 

 

 

 

 

 開けっ放しの戸棚に近付く。

 チェリオスによって名刺入れから抜かれて散らばった、カード一枚一枚を拾い集める。

 

 

 

 その内の一枚を拾った時、嫁は怪訝な表情を浮かべた。

 カードを持ったままトイレに向かい、扉の隙間から差し込む。

 

 

「ん? どしたのぉん? カードぉん?」

 

 

 フラット・ジャックは少しだけ尻を上げて屈み、カードを拾う。

 

 

「……あぁ。クラブ・メタンフェタミンのじゃない。ここ好きなんだけどぉ、店員全員がシャブやってるみたいにヤバくってぇ…………」

 

 

 瞬時に真顔になる。

 確か、このカードはチェリオスに持って行かせたハズ。

 

 

 

 

 

 

 

「…………あいつどこのカード持ってったの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道路を全速力で、フラット・ジャックから借りたママチャリで駆け抜けるチェリオス。

 車と並走出来そうなスピードで、代々木の住宅街を横断する。

 

 

 

 

「殺してやるぅーーーーッ!!!!」

 

 

 

 片手間に胸ポケットからカードを取り出し、今一度場所を確認しておく。

 

 

「待ってやがれヤクザどもぉーーーーッ!!!!」

 

 

 ママチャリに乗ったチェリオスは、あっという間に住宅街を出ていた。

 

 目指すは六本木、そして盛大な勘違いの始まりの地。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ブェーーックシュッ!! うわマジかよ、風邪?」

 

 

 同時刻。営業を終えたストリップクラブ内で、クシャミをかます一人の男。

 高級スーツに身を包んだ、軟派な見た目。

 

 

「今夜は『鷲峰』さんトコと、ロシア人の会談? ぜってぇーおもしれー事やンだろ。休めねぇ〜」

 

 

 そう言いながら彼は、愛銃「スタームルガー」を楽しそうに拭いていた。

 

 

 

 

 ここに、一人の怒れる殺し屋が向かっていると知らずに。




「ガッツだぜ!!」
「ウルフルズ」の楽曲。元々この曲自体、「KC&ザ・サンシャイン・バンド」の楽曲、「That's the Way」のサビ部分が「ガッツだぜ」に聞こえたと言う空耳から作られた。
〜だぜに対応する英語はないし、「Guts!!」だけでは味気ないし、だからってThat's the wayを使うのも違う気がしたので、合体させました。
1996年発売「バンザイ」に収録されている。

ファンクでソウルフル、何よりも清々しいまでのロックンロールが彼らのスタイルだが、その代表曲であるこの曲は小室哲哉のアドバイスを受け、ディスコサウンドが取り入れられている。
執拗なほどに踏まれた韻と、ファンキーなトータス松本の歌声がまた耳に残る、元気になれる一曲。


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Motorman

Lat:35.677298 Lng:139.692016

 

Lat:35.683286 Lng:139.702401

 

Lat:35.673804 Lng:139.718366

 

Lat:35.662560 Lng:139.132635

 

ROPPONGI

六本木

 

 

 

 

 

 ママチャリで一気に六本木まで駆け抜けたチェリオス。

 しかし、その負荷は身体にと言うよりも、ママチャリの方に覆い被さっていた。

 

 

「……あぁ!? クソッ!! なんてこったッ!!」

 

 

 道路沿いで響く、鈍い引っかかるような音。

 元々錆びが目立っていただけに、脆弱だったチェーンが盛大に切れて外れた。

 

 

「メンテナンスはキチンとしろーーッ!!」

 

 

 空回るペダル。

 すぐにブレーキをと考えたが、摩耗したブレーキシューでは甲高い音の割に全く効果はない。

 

 

 諦めたチェリオスは、意を決してサドルから尻だけで飛び降りる。

 そのまま、危なっかしく地面に着地。

 

 操縦者を失ったママチャリはただ真っ直ぐ、自動で走って行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 路上に設置された、街頭にもたれて待つ、一人の女性。

 頻りに何度も、辺りを見渡している。

 

 まるで人目を気にしているかのようだ。

 ジッとそのまま、誰かを待つ。

 

 

 

 暫くすると、豪奢なセダンが彼女の前にやって来た。

 女性は頬をポッと、赤らめる。

 しかしその目はどこか、この空のように寒々しかった。

 

 

「どうしてここに来たんだ……!」

 

 

 セダンから男性が降りて来る。

 すぐさま女性の方へ近寄り、焦った表情でまず辺りを確認。

 

 

「僕の知り合いに見られでもしたらどうする……!」

 

「それを承知で来たのよ」

 

「承知って……!」

 

「駆け落ちしましょ」

 

 

 女性から突然そう告げられ、男性はすぐに顔を歪める。

 反射的に彼女から、目を逸らしてしまった。

 

 

「な、なにを言っている……僕には、会社があるんだ」

 

「でも今日じゃないといけないのよ。それは分かっているんでしょ?」

 

「………………」

 

「……明日にはあなたは……親に決められた婚約者と、生活しなくちゃいけない。そうなったら私たち、今よりも会えなくなるわ」

 

 

 彼の目を覗き込む女性だが、それさえも顔を背けてしまった。

 

 

「逃げるなら……今、この時しかないのよ?」

 

「……無理だ。父さんの決め付けは、絶対だよ。逃げられない」

 

「あなただって、あの婚約者との結婚は不服なんでしょ!?」

 

 

 男性は潤んだ瞳で、一度だけ天を仰ぐ。

 

 

「あぁ、絶対に嫌だ! 幼馴染の君じゃなくて、どうして半年前に初めて出会った女と結婚しなくちゃならないんだ! 分かっている、分かってはいるんだ……!」

 

 

 再び俯く彼の頭を掴み、女性は無理やり自身と目を合わさせた。

 驚く彼の表情に対し、彼女は真剣な眼差しだ。

 

 

「だからって、今なんとかしなきゃ……結婚しなくちゃいけなくなる。動かなきゃ!」

 

「でも、全部を捨てて駆け落ちだなんて、僕には────」

 

 

 次の言葉を繋げようと開いた口を、女性は自身の口で一思いに塞いだ。

 そのまま喉の奥へ逃げようとする彼の舌を、絡めて捕まえ、引き摺り出す。

 

 

 

 通りすがりのおじさんが綺麗な二度見をした後に、いそいそとその場を走り去った。

 

 

 

 十秒後、女性は口を離した。

 ペロリと、舌舐めずりまで見せつける。

 

 

「気が変わった?」

 

「駆け落ちしなきゃ」

 

 

 男性は覚悟を決めたようだ。

 

 

「そう決まったなら、さぁ! 早く動かないと! まずは銀行に行って、お金を全て下ろそう! そのまま北海道だろうが鹿児島だろうが、とっとと高飛びだッ!!」

 

「素敵……! あなたって、本気になると本当に凄いわね!」

 

「ほら! これは二人の馬車だ! このままどこか────」

 

 

 

 

 

────ママチャリで一気に六本木まで駆け抜けたチェリオス。

 しかし、その負荷は身体にと言うよりも、ママチャリの方に覆い被さっていた。

 

 

「……あぁ!? クソッ!! なんてこったッ!!」

 

 

 道路沿いで響く、鈍い引っかかるような音。

 元々錆びが目立っていただけに、脆弱だったチェーンが盛大に切れて外れた。

 

 

「メンテナンスはキチンとしろーーッ!!」

 

 

 空回るペダル。

 すぐにブレーキをと考えたが、摩耗したブレーキシューでは甲高い音の割に全く効果はない────

 

 

 

 

「────どこか遠く、誰もこない場所へ!」

 

 

 男性は車のキーを見せつけながら、彼女の為に助手席を開けてあげた。

 

 

 

 

 

 

 

「メンテナンスはキチンとしろーーッ!!」

 

 

 ────空回るペダル。

 すぐにブレーキをと考えたが、摩耗したブレーキシューでは甲高い音の割に全く効果はない。

 

 

 諦めたチェリオスは、意を決してサドルから尻だけで飛び降りる。

 そのまま、危なっかしく地面に着地。

 

 操縦者を失ったママチャリはただ真っ直ぐ、自動で走って行ってしまった────

 

 

 

 

 

 

「────二人だけの場しょッ」

 

 

 そのママチャリが、男性を轢いた。

 彼女を迎え入れようと一歩踏み出した時、脇腹目掛けて突っ込んだ。

 

 

 男性はママチャリと共に横へすっ飛び、ママチャリと共に路上に倒れ伏す。

 

 

「きゃああああッ!?!?」

 

 

 悲鳴をあげる女性。

 さっきまで彼がいた場所に、カフェインと汗の臭いが凄まじい外国人の男が後からやって来た。

 

 

「運の悪いあんちゃんだなぁ」

 

「きゃあーーッ!? きゃあーーッ!?」

 

「うるせぇアマめ……黙れッ!!」

 

 

 英語で怒鳴りつけ、女性を黙らせる。

 彼女は一度口を噤んだ後、その場から逃げた。

 

 

 静かになった後にチェリオスはチラリと、足元を見下ろす。

 恐らく隣にあるセダンの物と思われる、車のキーが落ちていた。

 

 

「こいつはラッキー」

 

 

 すぐに拾い上げ、開け放たれたままの座席に乗り込もうとする。

 

 

 

 その瞬間、いきなり肩を掴まれて引き戻された。

 

 

「ッ!?!?」

 

 

 無理やり振り向かせられ、すぐ迎撃に移ろうとした時に、相手の顔を見て寸前でやめる。

 立っていたのは黒のサングラスとスーツ姿の、見覚えのある中国人だった。

 長い髪がしな垂れ、両耳を隠している。

 

 

「あんた、確か……」

 

「俺だよ! 三合会の『(ビウ)』! やっと見つけたぜ……!」

 

 

 元々頬が痩けているからと言うのもあるだろうが、ここまで必死に走ってでも来たのか、窶れて老け込んで見える。

 

 

「ロアナプラでも見た奴だな?」

 

「大兄に言われて、すっ飛んで来たんだ!」

 

「大兄って誰だ?」

 

「張だ! お前の雇い主!!」

 

「あの童顔チャイニーズか」

 

 

 再び車に乗り込もうとしたチェリオスを、彪は再び引き止めた。

 

 

「支部の人間からはお前は逃げたと聞いていたが……」

 

「じゃあなんで俺を探してんだ」

 

「ニュースだよッ!! 歌舞伎町爆破事件の容疑者って事で、お前の似顔絵が堂々と映ってたんだよッ!!」

 

 

 懐から紙を取り出し、チェリオスに見せつける。

 彼の言っていた、似顔絵が出て来た。

 

 

「これが俺かぁ!?」

 

「あぁ! どっからどう見ても、てめぇだろッ!!」

 

「……だいぶ似てねぇな。これじゃ……ジョン・マクレーン?」

 

 

 彪はチラリと似顔絵を見て、少し納得したように小さく頷く。

 

 

「……既視感あると思ったら、ジョン・マクレーンか」

 

「そんじゃ」

 

「待て待て待てチェリオスッ!! まず殺しの任務を放置して何をしていたのかを……」

 

「────うぅッ!?」

 

 

 突然、胸を押さえて膝を突くチェリオス。

 顔色はみるみると青白くなり、脂汗が滲み出ていた。

 

 

「おいおい、どうしたチェリオス……うぉっ。カフェイン臭ぇ…………お前、マジか?」

 

 

 チェリオスに起きた突然の発作と、異様なカフェイン臭。

 前もってトーキョーカクテルの事を聞かされていたであろう彪は、一瞬で合点が行く。

 

 

「あ……あぁ……!!」

 

「……打ち込まれたのか!? 毒をッ!? 馬と象に使う奴をかッ!?」

 

 

 何度も聞いたその謳い文句に、発作に苦しみつつも苦笑いで反応した。

 

 

「……あぁ、そ、そうだ……! 奴らから解毒剤を手に入れねぇと、俺は一週間以内に死ぬ…………いや、今まさに死にかけている最中だが」

 

 

 すぐにチェリオスは懐からアンナカの入った小袋を取り出し、乱暴に開ける。

 

 

 それがアンナカとは知らない彪にとっては、袋に入った白い粉末は「アレ」にしか見えなかったが。

 

 

「お前、こんな街中でやめろよ……!?」

 

「仕方ねぇだろ……! これがねぇと、死ぬんだから……ズゥーーッ!!」

 

「うわ、マジかよこいつ……!」

 

 

 鼻で吸った後、残った粉も全て舐め取る。

 数多のジャンキーを見てきた彪でも、チェリオスのその様には引いた。

 

 

「…………あぁ、クソ……足りねぇ……!」

 

 

 何とかふらふらと立ち上がるチェリオス。

 また車に乗ろうとした為、彪はまた引き止める。

 

 

「ま、待てチェリオス! これ以上お前に動かれると、俺たちの立場もマズいんだッ! それにな、解毒剤は────」

 

「……おい。てめぇ」

 

「……は?」

 

 

 ギラリと、爛々とした目で彪を睨む。

 

 

「その、解毒剤を今持ってんのか?」

 

「い、いや……俺どころか、組織も持ってない……だから、その解毒剤が────」

 

「ならてめぇが役に立つ事って言ったら、一つだけか」

 

「へ? おい、何すん────ぐおぇッ!?!?」

 

 

 彪の顔面に、不意打ちで頭突きをかます。

 彼がふらつき、後ろへ下がったと同時に、その腹目掛けて前蹴りをお見舞いした。

 

 

「ごぉほッ!?!?」

 

 

 路上に倒れる彪。

 一方のチェリオスは、彼を殴った事によるアドレナリンで何とか復活。

 

 

「……俺が、何も知らねぇ馬鹿に見えたか?」

 

 

 悶える彪に、チェリオスは言い切ってやる。

 

 

「俺がこんな目に遭ってんのは、間違いなくお前らの中にいる内通者のせいだ! それにな? トーキョーカクテルの事を黙っていただけじゃなくてだなぁ? 盗んでから三ヶ月経って動き出したヤクザどもも、その時期に向かわせたてめぇらも、何もかもがタイミング良過ぎんだ」

 

「ゲェーー……!」

 

「最初っから、仕組んでやがったなお前ら?……信用ならねぇ。次、俺の前に現れたら殺すぞ」

 

 

 胃がひっくり返りでもしたかのように吐く、彪。

 その吐瀉物をチラリと見てから、チェリオスは呟いた。

 

 

「……チャイニーズの癖に、インド料理食ってやがんのか?」

 

「トルコだ……!」

 

「あぁ、そうか」

 

 

 今度こそ、車に乗り込んだ。

 

 

 ドアを閉め、ハンドルを握ろうとしたところでチェリオスは気付く。

 

 自分が乗ったのは、助手席の方だ。

 ハンドルもアクセルも、自分の右隣の席にある。

 

 

「……日本車は左右逆だったっけ。クソッ、面倒くせぇ……! 車を俺たちの国に売りつける癖に、なんでこーゆートコは世界基準じゃねぇんだ……!」

 

 

 ぶつくさぼやきながら、チェリオスは運転席へと移動し、エンジンをかける。

 

 

 メーターが動いたと同時に、アクセルを踏み込んだ。

 路上で倒れる二人の男とママチャリを残し、チェリオスは一気にその場から走り去ってしまう。

 

 癖で右車線を走り、あわや衝突しかけた対向車を回避した。

 

 スピードは勿論、法定速度以上。

 

 

 

 

 

10分後

 

 

 

 

 

 車をかっ飛ばし、フラット・ジャックから貰った名刺にある店に辿り着いた。

 しかし場所は見てチェリオスは怪訝な表情となる。

 

 

「……あいつ、高級クラブっつってなかったか?」

 

 

 場所は下品な落書きの多いビルの、更に地下。

 辺りにはアウトローっぽい見た目の若者がうろついている。

 

 

「……まぁ、良っか」

 

 

 ちょっとした皮肉だろうと考え直し、チェリオスは車を降りる。

 睨み付ける男たちを無視し、目的の店への階段を一段一段下って行く。

 

 

 入り口の前まで来たものの、やはりチェリオスは疑問を抱く。

 

 

「……そういや、メタンフェタミンって店名だとか何とか……」

 

 

 店名は、全く違う。

 家を出た時は最高にハイな状態だったが、頭が冷えて来た今ならば違和感に気付く。

 

 

 さては俺は間違えたのか。

 そう考え直し、馬鹿らしくなりそこを離れようとした。

 

 

 

 

 その時、店の扉が開く。

 思わずチェリオスはサッと、物影に隠れてしまった。

 

 

「なんで隠れてんだ……」

 

 

 殺し屋としての悲しい性だろうかと、納得させる。

 

 出て来たのは、ケバケバしい化粧を施した女たち。

 店のダンサーだろうかと、あまり気にも留めなかった。

 

 

 だが、そのダンサーの一人が言った言葉で、チェリオスの考えは変わってしまった。

 

 

 

 

「それじゃお休みなさーい!『チャカ』さーん!」

 

 

 中にいる誰かに、日本語で挨拶するダンサー。

 彼女らが地上に出て行った後で、チェリオスは愕然とした表情のまま顔を出す。

 

 

 

 

 

 

 

「今、『チョコ』って言わなかったか?」

 

 

 

 

 すぐに思い浮かぶ、あの学者風の顔。そして訛りがやけに強い英語。

 チェリオスは先ほどまで頭にあった疑念を掻き消し、店内に突撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 準備中の店内、まだ席が並べられてもいない広いホールの真ん中。

 ロックグラスに入ったウィスキーを嗜みながら、男が一人、携帯を片手に立っている。

 

 

「あー、はいはい。大丈夫っすよ。奥の座席、取っとくんで。ウスウス、失礼しゃーっス」

 

 

 元々の黒髪が乱雑に見え隠れする染めた金髪に、ピアスをびっしりと付けた耳と言った、軟派な印象を与える男。

 彼は電話を切ると、あくびを一つかました。

 

 

「ふぁ〜〜……吉田の奴、マジで心配性だな。ウゼェ。いつか殺してやろっと」

 

 

 残りのウィスキーをカッと流し込み、奥にあるカウンターに放置する。

 

 

「あー。さぁ、帰ってシャワー浴びて、一旦寝るべ」

 

 

 ややウトウトとした目つきでホールの電気を落とし、帰宅の準備を整える。

 事務所に入り、荷物を取ってからすぐに出ようと振り返った。

 

 

 

 

 

 

 そこには、見覚えのない剥げた頭の外国人がいた。

 

 

「誰だてめ──うげぐッ!?!?」

 

 

 そして突然、一発顔面に入れられた。

 よろめき、壁に手を突き、殴って来た男をもう一度見やる。

 

 

 剥げた頭の外国人とは、チェリオスだった。

 

 

「何しやがんだッ!?」

 

 

 男はチェリオスが外国人だと認識すると、流暢な英語で怒鳴り散らす。

 

 

「英語喋れるのか? こりゃ話が早い」

 

 

 チェリオスは懐から抜き出したニューナンブを、男に突き付ける。

 

 

「ちょいと話がしてぇんだ」

 

「んなちゃっちい銃で俺を殺せるわきゃねぇだろぉおーーッ!!」

 

 

 銃口に臆せず、男はチェリオスに殴りかかる。

 

 そこで彼は敢えて撃たず、向かって来た拳を自身の腕で払った。

 ガラ空きの胸へそのまま飛び込むと、チェリオスはガッと男の髪を鷲掴む。

 

 

「へ?」

 

 

 男が反応し切る前には、鼻面に膝を喰らわせられた後だった。

 

 

「ぶげ……ッ!?!?」

 

 

 持っていた鞄を落とし、彼自身も同じく床に倒れる。

 真っ赤に腫れた鼻から、血が滴っている。

 

 

 

 もう一度上半身を起こした頃には、眉間にニューナンブが突き付けられていた。

 

 

「確かにちゃっちい、ネズミのイチモツの方がまだデカいとしか思えねぇ、鉄の無駄遣いなクソ銃だ。だがなぁ、これをこの距離でぶち込めば、余裕でお前はこの、ちゃっちい銃以下の短小野郎になれるって訳だなぁ? えぇ? なぁ?」

 

「強盗かてめぇゴラァッ!? ただじゃ済まねぇぞバカがッ!!」

 

「ただじゃ済まないかどうか決めるのはてめぇじゃねぇよなぁ、ドチンピラぁ」

 

 

 男はチラリと、鞄の方へ視線を運ぶ。

 

 

 鞄はテーブルの下に落ちている。

 そしてそこから、顔を覗かしていた。愛銃のリボルバーが。

 

 

「………………」

 

「あ? なんだなんだ。ジャパニーズの癖に銃なんか持ってんのか?」

 

「ぶっ殺してやる薄らハゲが……ッ!!」

 

 

 殺意を込めて睨み続ける男。

 対してのチェリオスは余裕のある笑みでニカッと笑う。

 

 

 すると彼は三歩ほど下がり、なんと自分からニューナンブの弾を全部抜いた。

 

 

「は?」

 

 

 唖然とする男の前でチェリオスはとうとう、ニューナンブまで捨てる。

 ピョコッと両腕を上げ、意地の悪い笑みのまま目をカッと開いて戯けた。

 

 

 

 

「おう、どした? 取って来い?」

 

 

 まるで飼い犬に、投げたボールを取って来るよう促しているかのようだ。

 しかしその様を理解し、屈辱に思う暇は男には無かった。

 

 

 

 

「殺すッ!!」

 

 

 彼は馬鹿正直に、自分の銃目掛けて走り出す。

 地面を這って走って、床に落ちた銃の方へと身体と腕を滑らせた。

 

 

 指先が銃身に触れる。

 瞬間、倒れたテーブルがその指を潰した。

 

 

「ぎゃあーーーーッッ!?!?」

 

「あー、惜しかったな。残念賞は熊のヌイグルミだ」

 

 

 チェリオスだ。

 いつの間にか近付いていたチェリオスが、あの笑みのままテーブルを思い切り倒してやった訳だ。

 

 

 痛みで銃から、指が離れる。

 入れ替わりのように、チェリオスの指が銃を掴む。

 

 

「だが生憎さん。熊のヌイグルミは忘れて来ちまった……ゴツい銃だな」

 

 

 装填とシリンダーの様子を確認した後、その銃口を男に向ける。

 

 

 

 

「代わりに鉛のピーナッツを目と目の隙間で食べてみるってどうだ?」

 

 

 愛銃スタームルガーが、誰か知らない奴の手に渡って自分に牙を向けている。

 そこでやっと男は、屈辱を実感出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、大きな屋敷から一人の少女が出て来た。

 制服姿で、これから登校だろう。

 

 

「行って来まーす」

 

「お嬢。駅まで送りやしょうか?」

 

 

 すぐ後に、彼女よりも数倍もの図体を持った大男が顔を出した。

 彼はまた、自分よりも幾ばくも若い眼鏡の少女に腰が低かった。

 

 

「大丈夫ですよ、『銀さん』。今日は少し早いくらいですし」

 

「車なら出せやすが」

 

「もうっ。免停中でしょ?」

 

「………………」

 

 

 銀さんと呼ばれた男は気恥ずかしくなったのか、目を細めて頬を掻く。

 彼のそんな様子がちょっとだけ愉快だったようで、少女はクスクスと笑い声をこぼす。

 

 

「今朝は何だか、歩きたい気分で……でもお気遣いは嬉しいです。ありがとうございますね」

 

「いえ、とんでもねぇです……ならせめて、傘を持って行ってくだせぇ。天気予報じゃ、夕刻から雪だそうで」

 

 

 次に少女はにっこりと、笑った。

 心配性な彼へ向けた、困ったような笑み。

 

 

 

 

「そんなに降りませんってばぁ。大丈夫ですよ!」

 

 

 空はいやに、晴れ渡ってはいた。

 

 

 

 

 

 

 

 彼女を見送る、銀さんと呼ばれた男。

 傍らにある木で出来た表札には、立派な字で名前が書かれている。

 

 

 

『鷲峰』




「Motorman」
「Nona Reeves」の楽曲。
1997年発売「QUICKLY」に収録されている。
80年代の洋楽的ポップミュージックを土台とした、ライトでアップテンポなメロディーに定評がある。バンド外でもプロデューサーとして、サポートメンバーとしてと、今や邦楽シーンに於いて無くてはならない存在となっている。

軽快なギターとご機嫌なドラムが気持ちの良い一曲。
ダンサブルながら、どことなく夏の暮れのような寂しさが混ざっている。
ボーカルの甘い歌声がまた、耳に良く馴染む。


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Go off the Meter

 チャカからすれば、とんだ出来事だ。

 

 一旦帰ろうかとした時に、薄らハゲで見るからに悪人面な外国人が、訳の分からない事を抜かして自分に銃口を向けている。

 

 しかもただのイカれた男ではない。

 そのイカれ具合は、常人のそれと明らかに違う。

 

 

 チャカは直感で、この男が何者なのか理解する。

 

 

 

 

 

「殺し屋」だ。それもかなりの手練れ。

 裏の世界を知る彼にとって、男の正体が殺し屋だと理解が出来た。

 

 

 

 

 チャカは凶暴な刹那的かつ快楽主義者だ。

 しかし死を目の前にポンと置かれ、それに食ってかかれるほど豪胆な人間ではない。自分の身の保証があった上でなければ、何も出来ない男だ。

 

 自分に武器はなく、相手は銃の扱いのみならず身体の使い方にも長けた存在。圧倒的に不利な事は、馬鹿でも分かる。

 

 

 

 チャカは両手を上げて降伏する。ただその目だけは、睨みを効かせていた。

 

 

「てんめぇ……ここがどこか、分かって襲ってんのか? あ?」

 

 

 殺し屋は銃を向けるだけで、発砲はしない。どうやら、自分を始末しに来た訳ではないと気付く。

 チェリオスはルガーをゆらゆら動かしながら、空いた片手を懐に突っ込んだ。

 

 

「分かってるに決まっとるだろが。コーサカイだったかの店だろ」

 

「コーサカイだぁ……? 確かに香砂会系だが……」

 

「ここに、『チョコ』ってのがいる、或いは来るハズだよなぁ。そいつを出しやがれ」

 

 

 思わず眉を潜めるチャカ。彼の言っている事が、全く分からないようだ。

 

 

「なんだぁ、その顔はよぉ」

 

 

 チェリオスは懐に突っ込んでいた手を出した。

 取り出した物は、小さな袋に入った白い粉。チャカはアレにしか見えなかった。

 

 

「おめ……!? オイざけんなッ!? 俺に銃向けながらキメんじゃねぇッ!?」

 

「キメんじゃねぇ、補給だ……ズゥーーーーッ!!」

 

「イカれだ……マジイカれてる……」

 

 

 袋を口で噛んで切り、器用に中身を鼻で吸引する。

 少し危ない恍惚顔をした後に、鼻息をフンフン言わせながら話を戻した。

 

 

「んで。オイ。チョコはどこだ? 隠れてんのか?」

 

「知らねぇよ! てか、チョコってなんだぁ!? 人かそれは!?」

 

「知らねぇわきゃねーだろ兄ちゃんよぉ。店から出る嬢ちゃん方が、『チョコ』って言ってやがったぞ」

 

「そりゃ、俺だよッ!? チョコじゃなくて『チャカ』ッ!! 俺だッ!!」

 

 

 チェリオスは二度と、不愉快そうに瞬きした後に銃口をチャカの額に付けた。

 遊ばせていた人差し指が、トリガーに軽く触れる。

 

 

「よぉーし。死ぬか」

 

「だから知らねぇつってんだろがッ!? おぉッ!? てめぇがチョコとチャカ聞き間違えたんじゃねぇのかよ!?」

 

「コーサカイに関係ある奴は全員殺すスタイルでな。疑わしきは罰する。今の、俺の、ポリシー」

 

「やっぱキメてんなこいつ……ッ!」

 

「んじゃ死ね」

 

 

 チェリオスは何の躊躇もなく引き金を引こうとした。

 

 

 しかし人間、土壇場では恐ろしいほどに頭が回るものだ。

 チャカは発砲の寸前で、「分かった分かった!」と叫んで手を止めさせる。

 

 

「協力してやるッ!?」

 

「ハデスによろしく」

 

「待てッ!!」

 

「やなこった」

 

「ロシア人ッ!? ロシア人は知ってんだろッ!?」

 

 

 チャカが発した「ロシア人」の単語を聞いた時、やっとチェリオスは引き金から指を離した。

 脳裏に浮かぶのは、爆破される直前にクラブの前で見た、異様な雰囲気のロシア人の姿。

 

 きな臭さを感じたチェリオスは、チャカの殺害を中止した。

 

 

「……それが?」

 

「やっと乗ったかクソ……俺もまだ良く知らねぇけど、ロシア人と香砂会のヤクザが組むとか、何とか……!」

 

「良く知らねぇじゃねぇか。チョコを知らねぇなら、おさらばバイバイだな」

 

 

 再びルガーの引き金に指をかける。

 大急ぎでチャカは捲し立てた。

 

 

「聞きやがれ……! そのロシア人との会談が今晩、ここで始まるんだ!」

 

 

 ピクリと、チェリオスは反応した。

 やっと引き金から指が離れる。チャカもやっと、安堵の息を溢した。

 

 

「死ぬかと思った……」

 

「話は聞いてやるが、『あ、こりゃ関係ねぇな』ってなったら殺すぜ」

 

「確かに! 俺はチョコってのを知らねぇ! でもな、このタイミングでロシア人らとの密会だぞ? 関係ねぇ訳ねぇじゃん!?」

 

 

 チェリオスはふと、頭を捻る。

 新宿にある香砂会事務所の襲撃、トーキョーカクテルが盗った動機、自分が盗られてから期間を置いて派遣された理由、ロシア人との密会、そもそものチョコの正体……疑問が多過ぎるからだ。

 

 

 

 情報を得ておいた方が良い。

 殺し屋としての勘が、チェリオスに働きかけた。

 

 

「……一応聞くがチョコと、モロ・サン……あと、トーキョーカクテルってのに聞き覚えは?」

 

「だから知らねぇよ……そうだ。分かったら、あんたに流す! これで良いか!? ほらさぁ? 内通者ってのは、いた方が良いじゃん!?」

 

「………………」

 

「う、ウチにも香砂会と関係のあるヤクザが飲みに来る。情報は集めやすいぜぇ?……ほ、ほら、俺の命と取り引きって事で?」

 

「………………」

 

 

 

 

 

 

 少し考え、十秒後に決断を下した。

 パッと、ルガーを下げる。

 

 

「……おめでとさん。生かしてやる」

 

「ふ、フゥ! そうこなくっちゃなぁ!」

 

 

「だがな」と、再びルガーを上げて銃口をチャカの額にくっ付けてやり、チェリオスは条件を飲ませた。

 

 

 

 

「明日までな。明日に有益な情報をよこさなかったら、殺しに行くぜ。それ以外ならオーケーだ。俺の事をバラしても良いし、ケツをファックされたって嘘コいても構わねぇ」

 

「言うか!」

 

「てめぇ、電話持ってんか? おい出せ」

 

 

 言われるがままに携帯電話を、チャカは差し出した。

 チェリオスはそれを受け取ると、勝手に操作し、この携帯電話の番号を表示させる。

 小さく呟きながら、番号を記憶。

 

 

「……よぉし。明日の十二時、このケータイに連絡する。情報が関係なかったり一度でも繋がらなかったり、嘘だと後から分かったら、お前を捜し、お前を追い詰め、そしてお前を殺す。九十六時間以内にな」

 

「なんだコイツ……」

 

「俺の依頼主は、コーサカイとやらよりドデカイんだ。オメェなんざ、すぐに捕まえられる」

 

 

 本当はほぼ、孤軍奮闘状態だ。三合会ももうバックにいない。

 チャカが夜逃げする可能性を考慮し、嘘で釘を刺しておく。

 

 

「んじゃ、明日。よろしくさん」

 

 

 チェリオスはそう言い残し、フラッと立ち上がって背を向ける。

 去ろうとする彼に、チャカは大急ぎで話しかけた。

 

 

「おい待て待て待て!? おいッ!? 俺の銃返せよ!?」

 

「それと交換しただけだぁ」

 

 

 チェリオスは立ち止まらず、ピッと指を差した後に事務所を出て行く。

 出て行く時、一言だけ残す。

 

 

「あ。トイレ借りるぜ。カフェイン入れるとトイレが近くなりやがる……」

 

 

 言い残し、チャカの目の前から消えた。

 チラリと、最後にチェリオスが指差した場所を見やる。

 

 

 捨て置かれたニューナンブと、五発の.38スペシャル弾。これと交換らしいが、性能含めてとんだ赤字だ。

 

 

 

 

「……く、くっ、クッ……!! あんの、クソハゲがッ……!!」

 

 

 チェリオスが消えた事を確認すると、チャカは即座に携帯電話で連絡を入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 繋がった先は、店のすぐ前でタムロしていた男。

 チャカからの着信だと気付くと、すぐに応じる。

 

 

「はいはい、チャカさん? どうしたんすか? それよりカラオケ行かないっすか?」

 

「おいッ!! まだ店の前にいるよなぁッ!?」

 

 

 鬼気迫る様子の彼に慄きつつも、男はおずおずと答えた。

 

 

「う、うすうす……仕事明けのチャカさんを迎えに……」

 

「薄らハゲの外国人見たかッ!?」

 

「薄らハゲの外国人?」

 

 

 そう言えば数分前、強面の外国人の男を見たなと思い出す。

 

 

「見たっすよ、十分前ぐらいに。いけすかねぇ高級車に乗っていやがりましたよ」

 

 

 路上にチラリと目を向ける。

 チェリオスが駐車していた車が、まだ残っていた。

 

 

「……まだ戻って来てないっすけど」

 

 

 チャカは机に置いていたティッシュで殴られた痕を押さえながら、殺気を込めた声で命令する。

 

 

「そいつだッ!! 良いか!? 車の前か中で待ち伏せして、そいつ捕まえろッ!!」

 

「え、えぇ!? マジすか!?」

 

 

 男は咄嗟に、連れの二人に目配せして付いて来させ、三人で車の方へ走る。

 

 

「ど、どうしたんすか?」

 

「あのド腐れがぁ……ッ!! 良いかッ!? 奴を原宿にある、溜まり場の廃ビルまで連れて来いッ!! さんざ痛めつけて殺してやる……ッ!!」

 

「店の中じゃ駄目なんすか!?」

 

「バカがッ!! 俺の店だぞッ!? 痕跡残せるかッ!!」

 

 

 チャカはティッシュを怒りに任せて投げ捨て、携帯電話を指で強く叩きながら、付け加える。

 

 

「良いか……!? 失敗したら、おめぇ殺すからな……!?……血が止まんねぇ……俺は病院寄って、後から行くッ!!」

 

 

 それだけ言い切り、ブツッと切った。

 男は青ざめた顔で、仲間二人を見やる。

 

 

「……ブチギレてるぜ、チャカさん」

 

「前も口答えした奴が顔面ぐちゃぐちゃにされたからなぁ」

 

「知ってる。ハンマーでだろ」

 

「……逆らわない方が良いよな」

 

 

 車に到着し、まずは車内を確認する。

 キーは挿さっていないが、鍵は開いたままだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 尋問を終えた後のチェリオスは、トイレを済まし店を出て、地下を抜ける。

 夜までまだまだ時間がある。一旦、代々木の隠れ家まで戻ろうかと考えた。

 

 

 

 

「…………あ」

 

 

 突然、股間を触る。

 

 

「……ちょっと残ってた」

 

 

 残尿に悔しい思いをしながら、乗って来た車へと走る。

 奪ったスタームルガー・ブラックホークはベルトに挟む。

 

 

「よし……!」

 

 

 ドアの前まで行くと、サッと乗車。

 キーを挿して、ハンドルを掴もうとした時に彼は呆然とした顔になる。

 

 

「あ?…………」

 

 

 

 自分の席に、ハンドルもアクセルも何もない。

 それもそうだ。彼が乗り込んだのは、車の左側。つまり助手席だ。

 

 アメリカならば、運転席の方だ。また間違えた。

 

 

 

 

 

 さっさと席を移動しようとするが、出来なかった。

 運転席には、チャラい感じの日本人がいたからだ。

 

 

「…………なんだテメェ?」

 

 

 日本人は目をパチクリしながら、信じられないと言った様子で話す。

 

 

「……マジかよコイツ。本当に助手席から乗りやがった」

 

「だから言ったろうが」

 

 

 チェリオスが反応するよりも先に、後部座席から伸びた手にナイフを突きつけられる。

 首元にスッと、刃が当たった。

 

 

「外人は日本車の左右を間違えるってな! まさか本当に間違えるったぁ思わなかったけどな!」

 

 

 チェリオスは舌打ちをし、「クソ……」と悪態吐く。

 リアビューミラー越しに、二人の男の姿を確認した。

 

 急ぐあまり、警戒を怠った事を後悔する。

 

 

「ほれ、外人さん。車のキー寄越しな」

 

「……?」

 

「……あ、クソ。日本語通じねぇのか! キーだよキー! プリーズ、オア、キルユーッ!!」

 

 

 何だよプリーズオアキルユーって、と思いながらも、チェリオスは渋々渡す。

 首にナイフを突きつけられている状況で、抵抗は出来ないだろう。

 

 

 運転席の男はキーを受け取ると、すぐに挿し込みエンジンを起動。

 そのまま車を運転し始め、表通りまで出した。

 

 

 どこかに拉致するつもりかと、チェリオスは察知する。

 日本語は彼には分からないが、男たちは口々に話し出した。

 

 

「しかし、思ったよりマヌケな奴だったな」

 

「あぁ! アホ過ぎてビックリしちまったぜ!」

 

「バカだな、バカ! ハーッハッハッハ!」

 

 

 日本語は分からないものの、感覚的に罵倒の類だとは理解出来た。

 

 

「んで、このまま原宿か?」

 

「らしいな。あの、溜まり場ん所だろ」

 

「全く……困ったもんだぜ」

 

「あぁ。でもなぁ……確かあの人、バックにヤクザいんだろ? おっかねぇよ」

 

「銃の扱いも上手いってな。ハワイとかタイで射撃場に行ったとか言っていたしな」

 

 

 

 

 車は乃木坂を経由し、表参道方面を走る。

 男たちはチェリオスを舐めてかかっているのか、お喋りを続けていた。

 

 

「──そしたらソイツ、『コイツとは一夜の過ちだ〜』とか言っててよぉ! 一夜の過ちっての、三回もやってやがんの! 三夜の過ちだぜ!」

 

「一夜ならまだ過ちだけど、二回目からはわざとだろそりゃ」

 

「俺は言ったんだ。いつか女に刺されるぞってな!…………まさか三日後、マジに刺されるとは思わなかった。先輩の三十三歳の誕生日を祝うパーティーの帰りだった」

 

「そいつ三って数字に呪われてんのか?」

 

 

 

 

 表参道に着くと、そこは渋谷区だ。

 原宿駅までの一直線の道路をひた走る。通勤ラッシュにはまだ早いのか、道は空いていた。

 

 

 

「こないだ、『仁義なき戦い』シリーズを全部観てよぉ」

 

「渋過ぎねぇかおい」

 

「それでビックリしたんは、仁義なき戦いの一作目から五作目まで、たった一年で公開しまくって終わらせたんだとよ! 俳優の貫禄からして、四、五年ぐらいかなと思っていたからビビったぜ!」

 

「お前何歳なんだよ。今の時代は『ミッション・インポッシブル』だろ」

 

「うわ、出やがった。最近の奴らはみーんな、洋画か洋楽でよぉ」

 

 

 青信号が続き、ついついスピードが上がる。

 

 

 

「……ッ!?」

 

 

 黙っていたチェリオスだが、突然の胸の痛みに襲われた。

 アドレナリンが切れかけている。

 

 

 このままだと、彼らの目的地に着く前に死にかねない。

 やるしかないと、チェリオスは考えた。

 

 

 

 三人がお喋りに夢中になっている隙に、左手をシートの横へ忍ばせる。

 

 

「そんなにアメリカ産が良いかよ。時代はメイドインジャパンだ。マフィアよりヤクザの時代だ」

 

「あーもう、分かった分かったよ」

 

「俺はなぁ、実はなぁ、生まれてから日本産のモンしか楽しめた事ねぇんだ。マジだぜ?『メン・イン・ブラック』も『トイ・ストーリー』もクソ食らえだ! 邦画最高! ドラえもん、名探偵コナン、ポケットモンスター!」

 

「全部アニメじゃねぇか!」

 

「『めざせポケモンマスター』はカラオケの十八番だぜ」

 

 

 少しだけナイフの刃が、チェリオスの首元から離れた。

 彼は忍ばせた左手で、リクライニングのレバーを掴む。

 

 

 そして思い切り引いて、身体をシートにぶつけた。

 

 

 

 

 

 

「……あ。でもポルノは、パツキンの姉ちゃんが最高だよな──」

 

「うぐぉッ!?」

 

「!?」

 

 

 シートが倒され、ナイフを持っていた男を押し潰す。

 チェリオスは即座にシートに乗り、凶暴な顔で襲いかかる。

 

 

「アッ!? こいつ!!」

 

 

 後部座席にいたもう一人がジャックナイフを取り出した。

 

 

「おい!? てめぇ!?」

 

 

 運転手がハンドルから片手を離し、チェリオスを掴む。

 彼の動きが止まった隙にナイフで刺そうと、男が前に乗り上げて来た。

 

 

「死ね──うぉう!?」

 

 

 しかしチェリオスは冷静に手で弾き、ビシッと手首を殴ってジャックナイフを手離させた。

 

 

 

 手離させたジャックナイフを拾い、チェリオスは躊躇なく自分を掴む運転手の腕を刺す。

 

 

「うぐぁーーッ!! や、やりやが──」

 

 

 ナイフを引き抜き、運転手の股に再び刺し込んでやった。

 

 

 

 

「おぉーーーーッ!?」

 

 

 車の操作が大きく乱れ、右は左へ揺れに揺れる。

 中にいた者たちは揺さぶられながらも、抵抗し合う。

 

 

「テメェーーッ!!」

 

 

 ジャックナイフを取られ、仲間が痛手を負い、半ばヤケにでもなったようだ。男はチェリオスに飛びかかり、彼を前部座席の方へ押し戻す。

 

 助手席のシートの上でチェリオスと男は、取っ組み合いの殴り合いだ。

 

 

「殺してやるーーッ!!」

 

 

 馬乗りになられ、体勢的にチェリオスが不利となる。

 何度も何度も彼の顔面にパンチをお見舞いしてやった。

 

 

 

 

 

 運転手が顔面蒼白のまま、ハンドルを切る。

 車は再び大きく揺れ、馬乗りになっていた男が転ぶ。

 

 

 

 

「舐めんな」

 

 

 拳を男の顔面に何発もぶち込み、気絶させてやる。

 鼻を折り、二倍に腫れ上がるまで殴ってやった。

 

 

 

 その間シート下に潰されていた男は、何とかレバーを掴み、シートを起こす。

 そして有無を言わさず、ナイフを持ってチェリオスに襲いかかった。

 

 

「死ねぇーーーーッ!!」

 

 

 チェリオスはターゲットを変更し、即座に対応する。

 男のナイフを避けてから腕を掴み、そして強く引っ張り、運転手の股に刺してやった。

 

 

「アォーーーーッッ!?!?!?」

 

 

 運転手は叫んだ後に白目を剥く。あまりの激痛に悶絶だ。

 

 

 チェリオスは男を一発殴って沈黙させた後、満を辞してルガーを抜いた。

 ルガーを認知すると男は一転して、アワアワと命乞い。

 

 

「ま、ま、待って! 許してくれ!」

 

 

 

 撃鉄を起こし、引き金に指をかけた。

 

 そしてチェリオスはニコッと笑って、知っている日本語で話してやる。

 

 

 

 

 

 

 

「サヨナラバイバ〜イ」

 

 

 

 

 

 

 一片の慈悲も見せず、後部座席の男二人を射殺した。

 

 一人当たり二発ずつ。確実に殺す。

 

 

 次は運転手の番だと、銃口を向けた。

 

 

 

 

 しかし車が向かう先を見て、考えを変える。

 

 車は神宮橋から斜めに逆走し、原宿駅に突っ込もうとしていた。

 

 衝突を避けようとする他の車で、道路は大渋滞だ。

 

 

 

 

「ヤベェ」

 

 

 運転手は意識朦朧だ。

 停められないと判断したチェリオスは、死体が着ていた厚手のジャケットを奪い、羽織る。

 

 

 そしてドアを開き、時速九十キロの中で道路に飛び込んだ。

 

 

 

 

 運転手は気を持ち直し、激痛の最中に前方を見た。

 

 

 原宿駅のシックでレトロな駅舎が、眼前に迫っている。

 

 

 

「おああぁぁーーーーーーッッ!?!?!?!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳の遠い老婆。

 

 微笑みながら、駅舎の前で記念写真を撮って貰っていた。

 

 

 周りの人間が逃げ惑っている。

 

 

 老婆の後ろを、車が全速力で走り抜け、改札口に突っ込んだ。

 

 

 そのタイミングで、シャッターが切られた。

 

 

 

 この写真は、「原宿駅セダン突入事件」の象徴的な証拠として、たまにテレビで使われていたりする。

 

 また駅構内での重傷者は三名、死者は一名だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車は改札を突き抜け、壁を破壊し、駅のホームから線路に落ちる。

 

 勿論の事だが、運転手は絶命した。彼が唯一の死者だ。

 

 

 

 この事故で山手線は、終日運休と言う事態に陥る。

 通勤、通学ラッシュに入る頃で、首都圏は大パニックになった事は言わずもがなだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まんまと逃げ果せたチェリオス。

 ジャケットで身体を覆い、滑るようにして道路に着地。

 

 無事では済まなかったものの、死ぬ事はなかった。

 

 

「……うぐぁーーッ!!」

 

 

 擦り傷と打撲まみれの身体を起こし、その場から逃げようとする。

 合間にカフェインを補給しようとアンナカを取り出したが、二袋しか無い。

 

 

 

 道路を滑った際に、殆どの袋を失っていた。ルガーは無事だったが。

 

 

「……嘘だろオイ」

 

 

 とりあえず一袋吸った。

 怒りが湧いた。

 

 

 

 

「マジかよ……セダンが突っ込んだ」

 

「クソーーーーッ!!!!」

 

「ぎゃあっ!!」

 

 

 

 事故の野次馬だったバイカーを殴って気絶させ、盗んだバイクで走り出す。

 

 

 代々木に帰る為、とりあえず山手線沿線を走行。

 渋谷駅が見えて来る頃まで来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 渋谷駅は、突然の運休で路頭に迷う人々で溢れ返っていた。

 

 タクシーの争奪戦が始まり、俺が先だと取っ組み合いになる者で混沌としている。

 

 

 改札から出て、額を押さえ困り果てる少女が一人。

 

 

「うぅ……こうなる事なら、銀さんに送って貰った方が良かったかな……」

 

 

 携帯電話を取り出し、連絡を入れようとする。

 だが混沌する現場の空気が少しだけ辛く感じたようで、ロータリーを抜けようと走った。

 

 

 

 寒々しい冬の空気は、暴走寸前の熱を帯びているかのようだ。

 

 

 人いきれと混乱、怒号と諦念、謝罪の言葉と行き交うタクシーの軍団。

 そのどれもがまた、彼女にとっては厳しいモノに感じた。

 

 少しズレた眼鏡を直し、渋谷駅から離れて行く。

 

 段々とどよめきや、熱気が遠くなる。

 人々から外れた場所で、やっと彼女はゆっくりと携帯電話を操作した。

 

 

「えーっと、家の電話番号……っと」

 

 

 ボタンでポチポチと、数字を打ち込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 渋谷駅へ向かう、一台のバイク。

 それに乗る男は、歪む視界と息切れ、更に胸の痛みに苛まれた。

 

 

「ぅ、ぐぅ……クソッ……!!」

 

 

 バイクのスピードを上げ、一刻も早く代々木に戻ろうと急ぐ。

 

 

 

 自分の身体の異常に気を取られ、前方を見ていなかった。

 眼前に迫るガードレールに衝突。

 

 

 

「おぉうッ!?」

 

 

 

 男は宙を舞い、弧を描いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええと……銀さん、まだ家にいるかな」

 

 

 電話番号を全て打ち込み、後は通話ボタンを押すだけ。

 

 

 親指がボタンに付いた途端、自分の足元に何かが飛んで来て着地した。

 

 

「きゃあっ!?……えっ!?」

 

 

 驚きから、携帯電話を落としかける。

 何が飛んで来たのかと、すぐに見下ろす。

 

 

 

 

 

 ひしゃげたガードレールと、破壊されたバイク。

 それらの延長線上の先にいた少女の足元に、傷だらけの男が倒れていた。

 

 

「え!?……え……!?」

 

 

 愕然とする少女の真下で伸びている男。

 彼はすぐに目を覚まし、顔を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

「……一瞬、ピーター・パンになれたぜ」

 

 

 チェリオスだ。




「メーター振り切れ」
「フラワーカンパニーズ」の楽曲。
1996年発売「俺たちハタチ族」に収録されている。
「日本一のライブバンド」を自称し、年間百本のライブを開催、そしてメジャーとインディーズを行き来していると言う珍しいバンド。「深夜高速」が一番有名な楽曲。

パンキッシュなサウンドに叫ぶようなボーカルなど、エネルギーに満ち満ちた一曲。
「メンバーチェンジなし、活動休止なし、そしてヒット曲なし」を自称しているが、率直でポジティブでキャッチーな音楽性は聴いていてとても気持ちが良い。


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A Girl Who Lives the Ordinarily

 何が起きたのかを理解し切れなかったようで、チェリオスは腹這いになりながら振り返る。

 

 

 乗ってきたバイクが、ガードレールとぶつかって無残な姿となっていた。

 止まりそうな心臓に気を取られ、事故を起こしたようだ。

 

 

「……クソッ! こちとら、死にそうなんだぞ……!」

 

 

 のっそりと立ち上がろうとするチェリオス。

 

 

 その、彼の前で呆然と立っていた少女は慄き、ささっと身構えた。

 

 

「え……えー……えぇ……!?」

 

 

 狼狽する彼女の前で、チェリオスはボロボロになったコートを靡かせながら起立する。

 覚束ない足取りながらも、俯いた状態で両手を上げ、「大丈夫だ」とアピール。

 

 

 少女は思わず駆け寄り、声をかける。

 事故を起こして路上に吹っ飛んだ男を心配するなと言う方が、彼女にとって無理な話だ。

 

 

「ほ……本当に大丈夫なんですか?」

 

「うぅ……ッ!?!?」

 

「大丈夫じゃない!?」

 

 

 毒による発作が起きた。心臓が痛み、立ち上がれたのにまた膝から崩れ落ちる。

 汗が溢れ、目が見開く。身体の底から込み上げる寒気は、気温のせいだけではないだろう。

 

 

「どうしたんですか!? どこか、痛いんですか!?」

 

「あ……あぁ……?」

 

「あ。も、もしかして、日本語知らない人……!? ど、どうしよ……」

 

 

 狼狽える少女を無視し、チェリオスはアンナカを取ろうと懐に手を突っ込む。

 だが、内ポケットに底がない。パッと見やると、突っ込んだ手が服から突き抜けていた。

 

 

「嘘だろ。マジか」

 

 

 車から飛び降りた際か、それともバイクから吹っ飛んだ時か。服はズタズタに痛み、ほつれて穴だらけだ。

 そのほつれたポケットの底から、入れていた最後の一袋を落としてしまった。

 

 

「クっソ……なんてこった……あぁ……ッ」

 

「へ? うわっ、おもいっ……!?」

 

 

 身体が重くなり、支えきれないほど体重がかかる。

 チェリオスはそのまま、彼女の腕をすり抜けるようにポトっと前のめりに倒れた。

 

 

「あの!? え、えっと……!」

 

「ぉぉ……」

 

「ご……Go To ホスピタル!?」

 

「は?」

 

「何言ってんだろ私……」

 

 

 必死に英語で会話しようとする彼女。

 対してチェリオスは目を合わせようと、顔を少し上げた。

 

 その途中、少女の足元に何かを見つける。

 白い粉の入った小さな袋──チェリオスのアンナカだ。奇跡的にすぐそこで落ちていた。

 

 

「ぁー……」

 

 

 しかし腕を伸ばせど、怠くなって行く彼の身体自身が生命線を掴ませない。

 手を空を切り、何度もぽたりと路上に落ちる。

 

 

「……? なにかあるんですか?」

 

 

 ゾンビのような声と動作で腕を伸ばす彼の仕草に、少女は気付いた。

 何かあるのかと目線を向けると、そこには「白い粉の入った小さな袋」がある。

 

 

 即座に少女はギョッと、目を見開いた。

 

 

「こ、これって……それにこの人の様子…………もしかして、『アレ』……!?」

 

「拾ってくれぇ〜……」

 

 

 袋に伸びた彼の手を、彼女はピシャリと叩いた。

 

 

「駄目です! こんな物に溺れたら、死んじゃいますよ!?」

 

「死ぬぅ〜……」

 

「まだ、間に合います……! きっちりと絶って、更生しましょう……!」

 

「まだ死にたくねぇ〜…………」

 

「あ、駄目ですって!! ノー、ドラッグ!!」

 

「そうだ……ドラッグじゃねぇよ(No Drug)……良く分かったな嬢ちゃん」

 

 

 何かと勘違いした少女は、「白い粉の入った袋」を取り上げた。

 それを中毒患者のようにふらふらと、チェリオスは目で追う。

 

 

「あぁ、やっぱり……『銀さん』が呟いていた通り……出どころは多分、私の家……かも、しれない。麻薬なんて、人を堕落させるだけなのに……」

 

「アンナカ……」

 

「責任の一端は……私にもあります」

 

「No Drug……」

 

「いっそ警察に……いや、でもそれだけは……!」

 

「ナカで、アンアン……」

 

 

 チェリオスは渾身の力を振り絞って、彼女の手を何とか取った。

 もはや視界はぼやけて、少女の輪郭しか見えない。死がすぐそこまで迫っている。

 

 

「は、離してください!」

 

「お願いだぁ、嬢ちゃん……!」

 

 

 通じないと知っていながらも、英語で必死に懇願する。

 

 

「それがねぇと、死んじまうんだよぉ……開けて、吸わせてくれ……」

 

「……なんて……?」

 

「まだ死ねねぇんだ……あいつらをぶっ殺すまではなぁ……」

 

 

 縋り付き、訴え続けるチェリオス。

 目の焦点は、危なげに合っていない。

 乱れた呼吸に、青白い顔で鬼気迫る表情。誰が見ても彼は正気ではないと分かる。

 

 

 

 

「ぶっ殺し尽くすまで……ッ!!」

 

 

 

 少女も彼の気迫に当てられ、たじろいだ。

 言葉は通じない。だが語気と言うのは強く感じた。

 

 

 

 

「……ッ!」

 

 

 同時に、彼女は感覚でその気迫の正体に気付く。

 

 

 彼から溢れ出るものは、狂気しかない。イカれた空気と、深い恨みに殺意。常人ならば思わず悲鳴をあげてしまうだろう。

 

 チェリオスにとって幸運だったのは、この普通の少女と思われた彼女が、「普通ではない家の人間」だった事だ。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 彼の目には強靭な意思が宿っている。

 不意に、彼女が見てきた「男たち」の姿がブレた。

 

 逡巡し、戸惑った後に、少女は辺りを憚るように見渡してから袋を開ける。

 自分でも何をやっているのかと、驚いていた。

 

 

 

 

「……これで最後ですよ……? もうホント、決して許されるものじゃないんですからね……!」

 

 

 彼女自身もまだ自覚はしていないものの、こう言った男に妙なシンパシーを感じ取ったようだ。

 

 男の目は薬ではなく、何かもっと大きな物を見据えている。

 そう思った少女は、どうにも彼は薬に溺れているだけのようには思えなかった。

 

 

「ありがたい……!」

 

「こう言うのって、どうやって使うんだろ……? の、飲むんですか?」

 

「口じゃねぇ。鼻だ鼻」

 

「え? どこって……は、鼻? 鼻で合ってます? いやいや、まさかぁ……点鼻薬じゃないのに」

 

「そうだ……あぁ、そのまま持っててくれぇ……ズゥーーッ!!」

 

「鼻から吸うの!?」

 

 

 少女の手を誘導し、アンナカの入った袋を鼻の下まで運ばせ、それを吸引。

 即座にカフェインを粘膜が取り込み、血中に流れる。心臓がまた、弱々しくも稼働し始めた。

 

 

「〜〜〜〜ッ、あぁあ〜〜。効ぐぅうぅ〜〜〜……」

 

「……やめた方が良かったかな。なにやってんだろ私……」

 

 

 危ない表情のチェリオスを見て、少し彼女はみすみす与えてしまった事を後悔しかけた。

 

 

「あぁ……助かったぜ、嬢ちゃん……だがまだ、アドレナリンが足りねぇ……」

 

「あの……立てます?」

 

「仕方ねぇ……適当な野郎に喧嘩ふっかけてやりゃ──」

 

 

 ゆっくり腰を上げながら、鮮明になった視界で改めて少女の顔を見上げる。

 

 

 

 

「────あ」

 

 

 

 瞬間、血中のアドレナリンの濃度が上がる。

 

 心拍数が増加し、瞳孔が開く。

 

 鼻息が荒くなり、少し残ったアンナカの白い粉が吹き出す。

 

 

 薄くぼやけていた思考が激しく巡り、まだ合っていなかった目の焦点が一気に合う。

 

 

 世界が輝いているように見えた。

 

 曇り空から抜けた一筋の光が、彼女に降り注いでいる──みたいな幻覚が見えた。

 

 

 

 

 

「あの……どうしました?」

 

「……Beautiful……」

 

「はい?」

 

 

 シェブ・チェリオスは、自分を助けてくれた少女に、一目惚れする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けたたましい、ベルの音が鳴る。

 廊下に置いてある黒電話が、着信を告げていた。

 

 すぐに男は電話の方へ向かい、受話器をガチャリと手に取って耳に当てる。

 

 

「もしもし?」

 

『あー……銀さん?』

 

「お嬢ですかい?」

 

 

 受話器の向こうから、おずおずとした少女の声が聞こえる。

 男はホッとしたような表情を見せた。

 

 

「こっちから掛けようと思っておりやした。テレビでやっとりますが……山手線が止まって、エライ騒ぎになっちまってるようで」

 

『えぇ……えーと……うん。そうなんです。それで今、渋谷駅で足止め食らっちゃいまして……』

 

「すぐ、迎えにあがります」

 

『でも銀さん、免停──あ、あの、ちょっと、静かにしてもらえます?』

 

 

 少女の声を掻き分けて、誰か知らない声が響く。

 何を話しているのかは聞き取れなかったが、男の声だ。しかも少女とかなり近い位置にいる。

 

 銀さんと呼ばれた男は、サングラス越しの目を訝しげに細めた。

 

 

「誰か、いるんですかい?」

 

『え? い、いえ! 行きずりの人の声が入ったんだと思います! 駅前は混雑してて……」

 

「そうですかい……?」

 

『どこまで話したっけ……あぁ、そうそう。銀さんは免停中なんですから、どなたか別の──あ、あの……せめてもう少し離れてくれません?』

 

「……お嬢?」

 

 

 さっきと同じく、誰かの声が入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受話器の向こう、渋谷駅の前。

 彼女は携帯電話で自宅に連絡しながら、真横で囁くチェリオスを押し留めていた。

 

 

「な、なんでもありませんから」

 

「あぁ……君はなんて美しい……まるで天使だ。素敵な俺のハミングバード……もっとその、可愛い声を聞かせておくれよ……」

 

『……さっきから同じ声が聞こえンですが……日本語じゃねェような……』

 

「行きずりの人ですっ!」

 

「俺はブロンドで白人の嬢ちゃんがタイプだと思ってたが……君に塗り替えられちまった」

 

 

 チェリオスは一旦、辺りを見渡してから少女より離れる。

 やっとどこかへ行ったかとホッとした彼女は、会話を続けた。

 

 

「た……多分、昼までに動くかも分からない状況らしいので……申し訳ないのですが、お願いできませんか?」

 

『……誰か、行けるモンに頼んでみましょう』

 

「本当に助かります! 今、渋谷駅のロータリーで──」

 

 

 彼女の後ろでチェリオスは、送別会か何かに向かう途中だった、大きな花束を持った男に襲いかかっていた。

 花束を奪い、ついでに男が持っていたコーヒーも奪って飲み干す。

 

 

「──はい。待っていま……うわっ!?」

 

 

 それを、チェリオスは少女に捧げた。

 スイートピー、ガーベラと言った、鮮やかな色合いの花束だ。

 

 

「すまない……君に釣り合う花が見つからなかった……この情熱的な紅さえ、君の前では霞んで見えちまう……」

 

「どこから持って来たんですか……!?」

 

『…………やっぱり誰かいるンですね?』

 

「驚く顔も素敵だ……」

 

 

 電話越しで、銀さんは勘づいたようだ。

 

 

「ゆ、行きずりの……」

 

「八六カラットのダイヤモンドよりも輝いている……君の心をスナッチしたい……」

 

『……さすがに今のはバッチリ聞こえましたぜ。どの国のモンか知れねェ馬の骨に絡まれてンですね?』

 

「君の為なら三十万ポンドもするアンティーク銃二挺でも、三五◯◯万ドル相当の金塊だって盗み出してやるぜ……メガロドンを狩って来てやっても良い……」

 

 

 言い訳しようとする少女に対し、銀さんはボソッと告げる。

 

 

 

 

 

 

『あっしが向かいやす』

 

「いや、あの、ですから──あぁ……切れちゃった……!」

 

 

 チェリオスから押し付けられた花束をついつい受け取り、困った顔で見やる。

 燃える目で情熱的な口説き文句を連発するチェリオスではあるが、英語なので一つも少女には聞き取れなかった。

 

 

「あの……その、私の身内が来る前に離れた方がよろしいかと……」

 

「君が望むなら足だって洗える……」

 

「全然聞いてない……」

 

 

 少ししてチェリオスは懐を弄ったが、アンナカはさっきの一袋で最後だったなと思い出す。

 

 

「ああ……すまない。俺は今、危険な状態にあるんだ、ハニー……」

 

「ハニー……? 蜂蜜?」

 

「それが済んだら必ず会いに行く……危険をセイフにしてから、また君の前に現れるよ……」

 

 

 優しく手を取り、熱い視線を向けるチェリオス。

 少女は何がなんだか分からず、ぽかんと彼を眺めていた。

 

 

 

 

「……じゃあな。また会おう。愛しのノリオ……じゃなかった。ジュリエット……」

 

 

 

 

 糸が切れるように二人の手がゆっくり離れる。

 チェリオスは最後に投げキッスをしてから踵を返し、少女の元を後にした。

 

 

 

 

 ナチュラルに駐輪されていた自転車を奪うと、彼はそれに乗って去って行く。

 罵声をあげる自転車の持ち主の姿を背景に、少女は困惑気味に首を傾げる。

 

 

「……なんだったんだろ。あの人……」

 

 

 近くに一台の車が停まった。

 

 

「お嬢!」

 

「早くないですか!?」

 

 

 お迎えはもう来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

YOYOGI

代々木

 

 

 

 

 

 フラット・ジャックとその嫁は、テレビを観ていた。

 

 

「山手線が運休ですってぇ〜。マジヤバ〜チョベリバ〜。通勤してる人かわいそ〜」

 

 

 嫁にダル絡みするフラット・ジャックだったが、玄関から飛び込んで来たチェリオスに驚く。

 

 

「クソーーーーッ!!」

 

「うぉわあ!? あんた静かに入れないの!?」

 

「ナカナカアンアン出せッ!!」

 

「アンナカだってば!……てか、このマンション……オートロックでしょ!? どうやって入ったの!?」

 

「こじ開けたに決まってんだろッ!?」

 

「馬鹿じゃないの?」

 

 

 チェリオスはフラット・ジャックからアンナカを受け取ると、すぐに吸引。

 そのままランニングマシーンを起動し、アドレナリンを切らさぬよう走り続ける。

 

 

「あー……死ぬかと思った……! あの子に会っていなかったら、死んでたな……」

 

「凄いボロボロじゃない! どこ行ってたのよ!?」

 

「あ? オメェが渡した名刺の店だろうが!」

 

「違う名刺の店行ってたわよあんた……」

 

「寧ろそれが吉だった……おいッ! 電話貸しやがれッ!」

 

「横暴過ぎるでしょ……」

 

 

 固定電話の子機を抜いた嫁がフラット・ジャックに投げ渡し、それをチェリオスにパスする。

 チェリオスは走りながら番号を打ち込むと、どこかに電話をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 繋がった先は病院。

 治療を受けている最中の、チャカの携帯だ。彼は着信に気付くと、観ていたテレビから電話へ視線を移す。

 

 

「お? あいつらか? あのハゲを捕まえたか……」

 

 

 着信ボタンを押し、耳に当てて日本語で応答する。

 

 

「おう。てめぇら、あの薄らハゲを──」

 

「よぉ、モンキーボーイ」

 

「──を、を、お、お前か!?」

 

 

 相手はチェリオスだと気付き、即座に英語へスイッチする。

 向こうが日本語を知っていたらアウトだったなと、チャカは息を吐く。

 

 

「電話の約束は明日の十二時だろ……!?」

 

「あの……院内での通話は……」

 

「うっせぇッ!! 黙ってろクソアマッ!!」

 

 

 注意する看護師を黙らせて、チャカは通話に集中する。

 チェリオスはアンナカをちょくちょく吸引しながら、話を続けた。

 

 

「それなんだがなぁ。実はてめぇの店の前でなぁ。三匹のモンキーに襲われたんだがよぉ」

 

「え!? あ。そ、そうなのか! そりゃ災難だったなぁ!?」

 

 

 さてはしくじったなと、命令を下した舎弟三人の姿を想起し、憤る。

 俺の前に現れたら殺すと決め込むが、既にその三人はチェリオスによって殺害されたとまだ知る由もない。

 

 

「一応聞くが、オメェの差金じゃねぇよな?」

 

 

 命令した張本人だとはバレていない。まずは胸を撫で下ろした。

 

 

「断じて違うって! 運悪く車上強盗とハチ合わせでもしたんだろぉ?」

 

「あ? 俺が車で来たって、オメェに言ってたか?」

 

「言ってたッ!! 言ってたぜッ!!」

 

 

 言っていないが、何とかはぐらかされる。

 

 

「それより、情報か!? まだ持ってねぇぞ……!? 例の会合は夜だって言ったろ!? まだ会ってから一時間だぜ!?」

 

「いいや。オメェが子分に命令したかどうか、確認したかっただけだ。また明日かけ直す」

 

 

 怪しまれていると感じたチャカは、相手を何とか乗り気にさせてやろうと言葉を絞り出す。

 

 

「まぁ、待て待て! 正直、お前との出会いは最悪だったが! 俺とお前なら、東京の頂点に立てるぜ……!!」

 

「あいにく、トーキョーの頂点だとかに興味はねぇ。俺が望むものは情報だ」

 

「だとしてもだッ! 俺が情報をお前に渡して、お前はそれを元に実行する……どうだ? スゲェだろぉ? 俺たちは最強だ! スーパーコンボをキメられるぜッ!?」

 

 

 やかましく叫ぶチャカの声を疎ましく思いながら、チェリオスは一言告げるだけだ。

 

 

「あぁ。そんじゃあな」

 

 

 そして電話を切る。

 隣に立って盗み聞きしていたフラット・ジャックは、彼に忠告した。

 

 

「……絶対、あんたに殺しを差し向けたのそいつでしょ」

 

「だったとしても、明日殺すだけだ。今はともかく、内通者が必要だ」

 

「あんたの事を流されるかもしれないわよ?」

 

「寧ろ好都合。向こうからお出ましになってくれるんならなぁ」

 

 

 不敵に笑うチェリオスの顔を見て、フラット・ジャックは改めて彼が真のイカれだと実感する。

 

 

 それから彼は丸一日、アンナカを吸いながら部屋内で暴れまくった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 通話を終えたチャカは、ふとテレビを観る。

 

 車が原宿駅に突っ込み、駅舎とついでに線路を破壊したと言うニュースだ。

 車内にいた若者三名は、全員死亡らしい。

 

 

「…………いやまさかな。んな馬鹿な」

 

 

 ありえねぇと、チャカはひたいに手を置く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車に揺られながら、少女は後部座席から外を眺めていた。

 

 普通なら学校がある平日の日中に、車で街を走る。なかなかそう言う機会はなく、新鮮な気分だ。

 

 

 山手線が止まった影響は、街はいつも以上に慌ただしい。

 車道にはタクシーが多く行き交っていると、彼女は気付いた。

 

 

 

 運転手は、彼女が電話口で「銀さん」と呼んでいた人物。

 短い顎髭と、目を隠したサングラスが特徴的な、大柄の男だ。

 

 

「お嬢も災難でした」

 

「ごめんなさい銀さん……」

 

「滅相もございやせん。こればかりはァ、仕方ねェ事ですよ」

 

 

 溶け込んだ日常に、降りかかった不運と言うシミ。

 今この瞬間の東京都民は皆、共通の不運を浴びている。

 

 

 脆いものだ。

 何でもある、何にでもなれると──様々な夢の終着点であるここ東京だって、線路一つ止まっただけで簡単に狼狽える。

 

 難しくなれば難しくなるほど、たった一つで一気に混乱が起こるものだ。

 便利だが儚いこの街を彼女は、少しうんざりした気分で眺めている。

 

 

「……それで。お嬢に言い寄った男と言うのは、どんな野郎で?」

 

「もう大丈夫ですから。酷い事された訳ではないですし……どう言う訳か、お花まで貰いましたし……」

 

 

 膝の上には、彼から貰った花束が横たえられている。

 

 

「そう言う訳にもいけねェ……高市の件もあった。どうにも最近は、外人との巡り合わせが悪い」

 

 

 男の脳裏には、「ある事」が想起させられていた。

 

 

 

 

 つい先程の話。少女が家を出て、電話をかけるまでの間の話だ。

 高市にいた彼は、「若頭」と会った。

 

 その時に聞いた件も相まって、外国人に対し強い警戒心を抱いていた。

 

 

「……どんな野郎で?」

 

 

 少女は少しだけ躊躇した後に、彼から醸し出される優しい心配を無碍にしたくないと思い、男の特徴を話し出す。

 

 

「……おじさんだった。三十歳かな……」

 

「どこの国のモンかは分かりやす?……例えば、ロシア人とか」

 

「多分、アメリカ人だと思う。いや、イギリス人……? そんな感じの人でした」

 

 

 なら一先ずは大丈夫かと、銀さんは小さく頷く。

 

 

「見た目とかは覚えていらっしゃいますか?」

 

「うーーん……」

 

 

 彼女の脳裏には、クリスマスの特番であった、あるアメリカ人の顔が思い浮かばれる。

 

 

 

 

 

 

「……ジョン・マクレーンに似てたかも」

 

 

 いまいち通じなかったのか、銀さんは眉を歪めていた。




「日常に生きる少女」
「ナンバーガール」の楽曲。
1999年発売「School Girl Distortional Addict」に収録されている。
たった4年で日本に於けるオルタナティブ・ロックの指標を示した、伝説のバンド。アジカン、凛として時雨など影響を公表するアーティストは数知れない。椎名林檎に至っては神と崇めている。
去年、とうとう活動再開を果たし、再びロック界を沸かせている。

開始一秒からギャンギャン掻き鳴らされるギター、ベース、ドラムが衝撃的。
それを越した後には清々しく小気味好いメロディーがやって来るが、暴走寸前のサウンドが顔を度々出す。
どうにも一筋縄では行かない、ナンバーガールらしい一曲。


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Aim for Moskau

ダイ・ハードの象徴でもある、クリスマスの日までに日本編終わらせる
ステイサムも「クリスマス」って名前の傭兵役をやっているんですけどね


 悪魔の山手線運休騒動から、十時間ほどが経過する。

 東京は夜に染まり、退廃的な空気を漂わせ始めた。

 

 

 六本木のビル街は、彩り豊かな光で満ちていた。

 乱痴気騒ぎの欲望が、さめざめと振る小雪と共に舞っている。

 

 

 華やかな宵街の一角、特に過激な雰囲気を醸す地帯。

 朝方、チェリオスが押し入った、あのクラブだ。

 

 

 

「………………」

 

「チャカよぉ……おめえ、どうしたその顔……」

 

「なんでもねぇっすよ」

 

「なんでもねぇ訳ねぇだろ」

 

 

 クラブのオーナーであるチャカの顔は、包帯とガーゼだらけだった。

 明らかに異様な彼の姿を気になったのか、小太りの男が聞く。

 

 

「喧嘩か? それにしちゃあ、おめぇがボコされんのは珍しいな」

 

「不意打ち食らわされただけっすから、タカさん。普通にやってりゃ勝ってた」

 

「あー、なるほどなァ。今日のおめぇなんか大人しいと思えば、負けて悔しい訳か」

 

「んな訳ねぇよ」

 

 

 図星を突かれ、自身の上司にあたる人物にも荒い口調を使う。

 

 

 

 チャカの注意はずっと、一つに向けられていた。

 

 絢爛なライトとミラーボールの乱反射が照らす店内。

 お立ち台で踊るストリッパー達と、ねっとりとした視線を向ける客らを見下ろせる二階の個室で、彼らの密会は敢行された。

 

 

 ロシア人と日本人の集団が、テーブルを中心にちょうど二分割された状態で話を進めている。

 その中にはロック、レヴィ、そして全員を束ねるバラライカと、彼女の右腕であるボリスの姿があった。

 

 

 

 チャカがチェリオスに提示した、香砂会系ヤクザとロシアンマフィアの報告会だ。

 イカれた殺し屋に啖呵切った手前、情報収集にリソースが向き、他にはほぼ無関心だった。

 

 

 

 

「あの、クソハゲ……今に見てやがれ……地獄に送ってやっからなぁ……」

 

 

 だが、決して彼はチェリオスに屈服している訳ではない。

 怒りに燃える頭の中では、様々な謀略が巡らされていた。

 

 

「……チャカ坊、どうした? 目がヤベェぞ。キメたか?」

 

「キメてねぇよ」

 

「なんだおめぇ……」

 

 

 不機嫌な顔付きのままタバコを乱暴に咥え、勢い良く紫煙を吐き散らす。

 

 

 

 

 

 

 タバコの煙が空気の海に混じり流れる中、バラライカは眼前にいる男と対話を続けている。

 

 

「……ところで『板東』さん。香砂会側は現在、どのような動きを見せていますか?」

 

 

 彼女の口から放たれた英語を、通訳であるロックの口から日本語に変換して、「板東」と呼ばれた男にパスされる。

 板東は関西弁で質問に答えた。

 

 

「炙り出しすんのは読んどったんやが、ちょいと不可解な事をしとるんやわ」

 

「不可解な事?」

 

「せや」

 

 

 ひたいを爪で掻いてから、板東は続ける。

 

 

「……どういう訳か、歌舞伎町や錦糸町のオカマども締め上げとる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、錦糸町の某所で、彼の言った「締め上げ」が行われている最中だった。

 

 

「やめてーーッ!? やめてーーッ!!??」

 

 

 全裸のまま亀甲縛りで天井に吊るされたオカマを見ながら、巨軀の男がギラリと睨む。

 

 古めかしいダックテール。チェリオスが追っている、「モロ」だ。

 

 

「おめェ、サカモト……なんだコソコソ、ウチの組の事ァ探ってやがるようだなァ」

 

「知らないわっ!! 知らない過ぎるわよっ!?」

 

「知らない過ぎる訳がねェ。おめェだけじゃなくてなァ、色んなトコのカマ野郎が香砂会の情報を集めてやがる」

 

「ワテクシは関係ないわ!?!?」

 

「寧ろおめェが筆頭なんだ」

 

 

 モロは部下に合図し、何かを持って来させた。

 

 それは大きな肉切り包丁だ。

 サカモトと呼ばれたオカマの顔からサァーっと、血の気が引く。

 

 

 

 

「オカマなんだからよォ。『後ろだけあれば良い』よなァ?」

 

 

 彼の部下たちが、サカモトの両足を掴んで暴れさせないようにする。

 モロは肉切り包丁の峰でトントンと肩を叩きながら。ゆっくりとサカモトに近付く。

 

 

「駄目駄目駄目駄目駄目待って待って待ってッ!?!? ワテクシ『タチ』だから前も使うのッ!?!?」

 

「じゃあこっから後ろだけにしろ」

 

「アッー!! 思い出したーッ!! 思い出しましたわーーッ!? 確かワテクシッ、フラット・ジャッ君に頼まれただけだったのですわーーッ!?!?」 

 

 

 サカモトが吐いた名前を聞き、モロはピタリと足を止める。

 彼の眼前には、サカモトの「アレ」がぶら下がっていた。

 

 

「フラット・ジャッ君ってなんだ?」

 

「歌舞伎町で、海外マフィア相手に医薬品の横流しをしているブローカーです。フラット・ジャックですね」

 

 

 部下の情報を聞き、モロは不敵に笑う。

 

 

「海外マフィア相手かァ……ウチの組に戦争仕掛けた奴と関連があるかもな」

 

「い、言ったからもう、ワテクシ許される?」

 

 

 モロは考え事をするかのように口をモゴモゴさせてから、吊るされている彼を見上げた。

 

 

「俺ァ、正直モンが好きだ。こっちの質問に、ちゃァんと包み隠さず答えてくれる、正直モンが好きだ」

 

「そ、そうでしょそうでしょ!? ワテクシ正直者なのッ! 近所でも評判なのよッ!!」

 

 

 サカモトの言葉を聞いた途端、モロはなぜか嬉しそうに笑いながら突然歌い出す。

 

 

 

 

「知ってるぜ! 日本中知ってるあの歌だろっ! 交差点で百円拾ぉったぁよぉ〜♪」

 

 

 足を捕まえている部下二人を指差し、続きを歌わせる。

 

 

「今すぐコレ交番に届けよォぉ〜ぅオゥッ!!」

 

「いぃ〜つぅ〜だぁ〜、って、俺は正直さぁ!」

 

 

 次に吊るされているサカモトを指差す。

 戸惑いながらも、続きを歌う。

 

 

「き……近所でぇもぉ……ひょ、評判さぁ〜あ、ア〜♪……?」

 

 

 差した指を左右に動かし、指揮者のように振る舞い出すモロ。

 彼の指に合わせるように、部下とサカモトでのコーラスが始まる。

 

 

「リぃ〜ンリン♪ ラァンラン、ソォ〜セェジィーッ♪」

 

「ハァーイハイ、ハァームゥーじゃあなァいぃ〜♪ なんて事わっ!」

 

「ぜ……ぜぇ〜んぜん、かぁーのぉーじょーもー言ぃ〜ってない〜♪」

 

 

 全員で声を合わせる。

 

 

「「「へぇ〜いへいっ! にぃ〜ほぉ〜ん〜じゅうぅうぅ〜〜っ!」」」

 

 

 最後は、モロが独唱で締めた。

 

 

「知ってい〜るぅ〜さぁあ〜ぁあ〜〜〜〜っ!」

 

 

 肉切り包丁を振り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

「正直モンならハナから吐いとけジャリぃーーーーッ!!!!」

 

 

 鮮血と悲鳴と、切られたサオとタマが宙を舞う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の正午となり、エアロビをするフラット・ジャックは眉を顰めていた。

 

 

「おかしいわね……オカマ仲間から情報が来なくなっちゃったわ。サカちゃんからも来ないし……」

 

 

 トレッドミルで最大スピードにして走るチェリオスが叫ぶ。

 

 

「時間だぁぁーーッ!! 電話貸せーーッ!!」

 

「もう五十デシベルほど声量下げられないの?」

 

 

 エアロビをしながら、固定電話の子機をチェリオスに投げ渡す。

 受け取ると彼はトレッドミルから降り、アンナカを振りかけたメロンを食べながら電話をかける。

 

 

 

 

 

 

 着信したのは、勿論だがチャカの携帯電話だ。

 彼は路地裏で、数人の仲間たちを前にしながら応答する。

 

 

「お……お前か……! 待ってたぜ……!」

 

「約束の時間だ。会合とやらはやってたか?」

 

「あぁ。ちゃんとなぁ? 色々聞いたぜぇー?」

 

「全部話せ」

 

 

 チャカは昨夜の密会での内容を思い出し、チェリオスに伝える。

 

 

「まず、連中は束ねてんのは『バラライカ』って女だったぜ」

 

「バラライカだとぉ?」

 

 

 チェリオスは思わず、エアロビ中のフラット・ジャックを見る。

 ステップニーをしながら、彼もまた驚いた様子で話す。

 

 

「ホテモスの超大物じゃないの! まさか日本に来ているなんて……!」

 

「噂じゃあ、アフガン帰りのイカれた軍人崩れどもを従えてるって聞く」

 

「合点がいったわ……! 新宿での騒ぎは、間違いなくバラライカの仕業よっ!」

 

「じゃあ待て待て、オイ……じゃあなんで、香砂会系のヤクザと密会してんだ? こいつらが襲ってんのは、香砂会のクラブだろが?」

 

 

 チェリオスは即座に、「そこのところどうなんだ」とチャカに聞く。

 唇の下に開けたピアスを弄りながら、彼は情報を伝えてくれた。

 

 

「謂わば、クーデターだ!『鷲峰組』が、親殺しをすんだよ! ホテル・モスクワはそれを助ける為に雇われたんだ!」

 

 

 チャカから奪った、スタームルガーを確認しつつチェリオスは、鷲峰組の事をフラット・ジャックに聞く。

 

 

「確かに香砂会系のヤクザね。戦後に香砂会が出来てからの古株って聞いたわ。まぁ、あまり派手な噂は聞かないけど」

 

「それはまぁどうでも良い。チョコの名前はあったか?」

 

 

 電話越し、顔が見えない状態でチャカはニヤリと笑う。

 

 

 

 

「──あぁ! あったぜ!『本拠地で匿っている』ってぇ、話だ!!」

 

 

 舎弟たちの方を見ると、全員が下卑た笑いを浮かべていた。ついでにガッツポーズ。

 だがそんな様子を、チェリオスらが気付けるハズもない。

 

 

「ホテル・モスクワの本拠地にいんだなぁ!? 間違いねぇな!?」

 

「え? あんたに毒盛った奴、ホテモスと組んでるの? おかしくない?」

 

 

 エアロビのキックトントンをしながら、フラット・ジャックは疑問を呈す。

 

 

「おいフラット・ジャックッ!! ホテル・モスクワの本拠地を言えッ!!」

 

「港区のレストランにあるわ……一応、あたしの顧客だし……」

 

「そこに行くッ!!」

 

「いや待って待って!? だからおかしくない!?」

 

 

 チェリオスは電話を切り、即座に出動しようとする。

 エアロビの片足上げをしながらフラット・ジャックは、待ったをかけた。

 

 

「あんたに毒盛ったのはヤクザでしょ? で、そのヤクザのいたクラブはホテモスに吹き飛ばされたんでしょ? で、ホテモスは香砂会と戦争中なんでしょ?……チョコの味方じゃなくない?」

 

 

 しかしチェリオスは全く、聞く耳を持っていない。

 テーブルに積まれたアンナカを全て懐に詰め込むと、早速部屋を出ようとする。

 

 エアロビのポニーをしながら、何とか説明を叫ぶ。

 

 

「それに考えれば考えるほどおかしいわよ!? なんか、ややこしくなってない!?」

 

 

 ターンを決めた後に、チェリオスの方へ振り返る。

 

 

 

 

 もう彼は出て行った後だった。

 片付けをする嫁の姿だけが、そこにある。

 

 

「もう出て行ったの?」

 

 

 嫁はコクリと頷く。

 次に両手を突き出し、円形に回す仕草を取った。

 

 

「え? 車のキーも持ってっちゃったの?」

 

 

 また嫁はコクリと頷く。

 

 

「……なんで渡しちゃったのよぉ〜〜?」

 

 

 呆れながらもエアロビだけは止めないフラット・ジャックだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガレージから現れたランボルギーニ。

 法定速度を完全に無視したスピードで、道路を爆走している。

 

 

 運転手は勿論、リンゴをアンナカにまぶして食らうチェリオスだ。

 

 

「最高かよランボルギーニぃーーッ!!!! フォーーッ!!!!」

 

 

 フラット・ジャックの車であるランボルギーニは、良く良くメンテナンスされていた。

 極上の乗り心地とスピード感、そして三徹目による異様な興奮から、チェリオスはおかしくなっていた。

 

 

「目指せモスカァーーウッ!!」

 

 

 

 溢れ出る高揚感は、見えているものを見えなくしてしまう。

 

 

「アッ!?」

 

 

 息を吐くように信号無視。

 その時に歩道から飛び出して来た歩行者を、ブレーキが間に合わずに轢いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼下がりの街の中を、男は一人歩いている。

 コートを靡かせ、疲れた顔でタバコを咥え、道路脇を行く。

 

 

「………………」

 

 

 彼は昨夜の会合での話を、何度も想起していた。

 

 あの時、「火傷だらけの女」は言った。

 

 

「我々は立ち塞がる全てを殲滅する」

 

 

 黒く澱んだ目で睨みながらも、馬鹿にした笑みを見せる彼女の表情が思い出される。

 

 

「我々は無条件の力を行使し、利潤を追求する。それがマフィアと言うものだ」

 

 

 あの目には、幾多の修羅場を超えた彼でも思わず、底冷えを感じてしまった。

 

 

「その上で我々は、リスクの多くを負担している──」

 

 

 こいつらは闇だ。

 最初はモスクワと語感が似ている事と、自分たちの味方だと言う意味で「モスラ」と形容したものだ。

 

 

 

 

 

「──つまり、『全ての決定権はあなた方でなく、我々にある』」

 

 

 

 それが間違いだったと。

 

「ゴジラ」を呼んでしまったのだと察した。

 

 

 

 

 

 

 だからこそ、この男──板東は焦っていた。

 鷲峰組の存続の為にホテル・モスクワを引き込んだのは、他でもない彼の提案だ。

 だからこそ、焦っていた。

 

 事の発端は香砂会の現会長の決定だ。彼は鷲峰組を潰す気でいる。

 板東は、今は亡き鷲峰組組長の恩義に報いるべく、何としてでもそれは避けたかった。

 

 

 外道と言われようが、麻薬の売買に手を染めてでも組を守った。

 だが限界は来るものだ。

 

 

 追い詰められた彼は──だからこそ、ホテル・モスクワを呼び込んだ。呼び込むしかなかった。

 共に協力し、香砂会を制する大勝負に出ようと、考えていた。

 

 

 

 

 

 昨夜の会合で分かった。

 ホテル・モスクワは奪うつもりだ。香砂会も、東京も……鷲峰組さえも。

 

 

 自身の考えた計画は、「オジャン」となったのだと悟る。

 

 

 

 板東は焦っていた。

 表情に出さずとも、焦っていた。

 

 

「……窮鼠猫を噛んだまではエエが……根こそぎ犬に喰われるっちゅー訳か……最悪やな」

 

 

 横断歩道の前で立ち止まる。

 信号は青だ。ヤクザが律儀に信号を守るのも滑稽だなと、苦笑いする。

 

 考え事をする為に立ち止まったのだと、自分を納得させた。

 

 

「……始末をつけなアカンわなぁ……」

 

 

 信号機の青いライトが、黄色へと移り変わる。

 

 

「……せやけどまずは」

 

 

 そして赤となった。

 

 

 

 

 

 

「……銀公とメシでも食うか」

 

 

 横断歩道を渡るべく、一歩彼は踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途端、信号無視のランボルギーニに轢かれる。

 板東はまずボンネットに全身をぶつけ、血を撒きながら路上へと吹っ飛んだ。

 

 

「ッ!?!?!?」

 

 

 アスファルトを二転三転、着ていたコートはボロボロに破れる。

 

 皮膚は裂け、骨は折れ、体内体外問わずに血が吹き出す。

 

 

 

 衝突によるエネルギーが消えた頃、板東の姿は酷い有り様だった。

 身体をくの字にし、血溜まりに塗れ、惨めに車道で寝っ転がる。身体が全く動かない。

 

 

 

 

 薄れ行く意識の中で、板東は一言呟く。

 

 

 

 

 

「んなアホな……」

 

 

 ぷつりと、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 チェリオスはすぐに車を停めて、轢いてしまった男の様子を運転席から見る。

 

 

 

 

「悪い」

 

 

 再びアクセルを踏み込み、その場を後にした。

 彼が目指すはただ一つ。ホテル・モスクワの東京支部の拠点のみだ。

 

 

 車を全力で走らせ、麻布にあるロシアン料理専門の大きなレストランに辿り着く。

 フラット・ジャックの情報ならば、ここをホテル・モスクワ日本支部が根城にしているとの事だ。

 

 

「見えて来たぜ」

 

 

 チェリオスは車を徐行させつつ、アンナカをありったけ吸い込みながらコーヒーを飲む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、このレストランから数メートルほど離れた所に、一台の車が停まっていた。

 中には一人のチンピラと、チャカが乗っている。

 

 

「チャカさん。あそこが、ロシア人の拠点っすか?」

 

「俺の情報網舐めんじゃねぇーし。ダチがあの店で何回か会合してる怖いロシア人を見たんだってよ」

 

「でも……チャカさんの言った、火傷だらけの女は見なかったっすね」

 

「知らねーし、んなのは。今はあの、薄らハゲがノコノコかちこんで間抜けに死ぬ様を見てぇんだ」

 

 

 ホテル・モスクワがチョコを匿っている云々の話は、勿論の事だが嘘だ。バラライカの口から、一言も出ていない。

 チャカは聞いた情報に嘘を混ぜ込ませて、チェリオスを乗せてやったに過ぎない。

 

 

「あのクソハゲ……俺のイカしたルガー持って行きやがってなぁ〜……こーなりゃ、火種ばら撒いて死んで貰っちゃうぜぇ〜……!」

 

「火種ってなんすか?」

 

「戦争だ戦争! 俺っちのシナリオはこうだ!」

 

 

 忌々しげに、チェリオスと無理矢理交換させられたニューナンブを見ながら、チャカは計画を話す。

 

 

「さっきになぁ、あのレストランにタレ込んでやったよぉ。『鷲峰組からの刺客が来る』ってなぁ!」

 

「例の薄ハゲを、鷲峰組の人間に仕立て上げたんすか?」

 

「そーそー! で、あいつはみすみす突撃して、あっさり死ぬ! で、ホテル・モスクワは報復に動く! そうなりゃ、香砂の連中も勘づくもんだべ?」

 

「そうしてから……なにすんすか?」

 

「鈍チンだなぁ〜おめぇ!『お嬢』攫って、どっちかに売って金にすんだよ!」

 

「あー、アレっすね。マッシュアップっすね」

 

「マッチポンプな?」

 

 

 ケタケタと下品な笑い声をあげる。

 

 

「残念だけど、昨日のあの様子じゃ鷲峰は終わりだにゃぁ。せめて俺の為、金のなる木になって枯れてくれってな」

 

 

 

 プランを語り終えたと同時に、舎弟がレストランの方を指差し報告する。

 

 

「来ました! あの、外人っすよね!」

 

「うおっ、マジで来た。見た目も頭も筋肉かよ」

 

 

 ランボルギーニが一台、レストラン前で停車した。

 フロントガラス越しに見えるチェリオスは、白い粉を吸っていた。

 

 

「うわ。チャカさんの言った通りっすね。キメてますよ」

 

「筋金入りのヤク中だなアイツ……」

 

「降りました降りました」

 

 

 降車し、店の風貌を見渡してから彼は堂々と、正面から入って行く。

 

 

「マジかよ! 正面突入か!?」

 

「イカれて普通の考え出来ねーんだろ。まさか向こうはタレ込まれて、てめぇの襲撃に備えているなんざ夢にも思わねーだろーなぁ!」

 

「マヌケっすね。ちょっと野次馬やって、帰りますか」

 

 

 車内から様子を伺う二人。

 その時はすぐに訪れた。店内から甲高い銃声が、三発響く。

 

 

「撃った!! 撃ったっすよ!!」

 

「あー。ありゃ死んだな」

 

 

 構成員で満席のレストランに、ネジの外れた暴漢一人。多勢に無勢だ。間違いなく、さっきの三発の銃声で、チェリオスは死んだ。

 

 

「近くを通りかかったフリして覗きましょうよ!」

 

「いやぁ、待て待て! すぐに行ったら俺らも怪しまれんだろ鈍チン! 三分待つぞ!」

 

 

 チェリオスが死んだ事を確信し、ご機嫌なチャカ。二人は口々に、作戦の成功を喜び合う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、また三発、銃声が響く。

 

 

「え? また聞こえた……」

 

「多分、トドメ刺したんだろぉ? マジモンのガンマンは、確実に死ぬまでタマ撃ち込むもんだ!」

 

 

 チャカの解説を聞き、舎弟が感心する。

 これでやっとチェリオスが死んだと安堵し、また二人は喜び合う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 六発、追加で鳴る。

 

 

「え? さすがに多くないっすか?」

 

「お? おぉ? アレじゃね? 防弾チョッキ着てたんじゃね?」

 

 

 次は単発の銃声ではなく、連続したものが響く。

 拳銃ではない。ライフル銃やサブマシンガンの類だ。

 

 

「ガガガガガって鳴ってますよ?」

 

「…………チタンでも腹に仕込んでんのか?」

 

 

 銃声は鳴り止む事はなく、様々な銃のものが混ぜこぜに響き始め、更に激しさを増す。

 店内からマズルフラッシュによる閃光が、入口から漏れていた。

 

 

「いやいやいや。戦争になってんじゃないっすか」

 

「………………裏口に仲間でも隠してたんじゃねーの?」

 

 

 一階の窓が割れ、中から人間が飛び出して来た。

 一人、二人、三人と飛び出す人間は増える。

 

 

「ど、どうなってんすか!? ロシア人がやられてるっぽいっすよ!?」

 

「いや、ありえねーって。おかしいだろ」

 

 

 店内からロシア語の怒号や悲鳴が、銃声に混じり始める。

 壁から貫通した弾丸が外に飛び、レストランは弾痕だらけになって行く。

 

 

 終いには爆発が起き、後方の壁が丸ごと吹き飛んだ。

 

 

「……………………」

 

「ありえねぇって。ありえねぇって」

 

 

 戦争は一階のみならず、二階にも移動する。今度は二階で爆発が起き、吹き飛んだ人間が地面に落ちた。

 看板が落下し、電気が全て消え、爆発と銃声が断続的に発生。

 

 破片と流れ弾で、辺りは凄惨な光景と化していた。

 

 

「…………………………」

 

「…………………………」

 

 

 身体に火が付いた男三人が店内から出て来て、路上で力尽きる。それを最後に、喧騒は鳴りを潜めた。

 

 

 

 

 そしてもう一人、ボロボロの状態で入口から出て来る。

 髪を振り乱し、腰も砕けんばかりの足取りで逃げようとする、口髭を生やしたロシア人だ。

 彼は路上で膝立ちとなり、ロシア語で叫ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

「いきなりなんだお前はーーッ!? 俺を誰だと思ってんだぁーーッ!? モスクワの頭目なんだぞぉーーッ!!!!」

 

 

 

 廃墟同然となったレストランから、男が一人のしのしと顔を出す。

 

 

 男の姿を確認した途端、チャカは思わず「ヒュウ」と、情けない息を漏らした。

 

 

 

 

 

「俺ぁ反共主義者だ」

 

 

 ロシア人の顔面を蹴飛ばし、気絶させてやる。

 

 

 

 

 その男とは、チェリオスだ。

 悪鬼が如くの極悪面で、レストランからかっぱらって来たであろう紅茶をティーポットのまま飲んでいた。

 

 

 

 

 

 

「……チョコいねぇじゃねぇか」

 

 

 煩わしそうに、ティーポットを投げ捨てる。




「めざせモスクワ」
「ジンギスカン」の楽曲。原題は「Moskau」のみだが、邦題をサブタイトルに起用。
1979年発売「Dschinghis Khan」に収録されている。
西ドイツ出身の六人組音楽グループで、この曲と「ジンギスカン」で世界的ヒットを叩き出した。
オリジナルメンバーは二人のみとなってしまったが、何と現在も活動中と言う生きる伝説。

思いっきり洋楽ですが、70年代ディスコシーンや、80年代「竹の子族(派手な格好して道端で踊る人たち)」などにブームメントを巻き起こし、和訳カバーが作られまくったと言った点から一つの日本的カルチャーミュージックとして起用しました。「ヤングマン」と「USA」みたいなノリ。

昭和どころか、「もすかう」として平成でもネットミームになるほど、長く愛される名曲。「恋のマイヤヒ」も好き。


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Stop Being a Human

 チェリオスが目の前のロシア人を気絶させたのは、チョコの事をゆっくり聞く為だ。

 どこか誰にも知られない場所で、じっくりと締め上げてやれば音を上げるだろう。そう考え、髭のロシア人を拉致する作戦だ。

 

 

 鼻面を殴られ、気を失っている男を持ち上げようと屈む。

 

 

 

 

「ぅう……ッ!?」

 

 

 その瞬間、胸に鋭い痛みが。

 

 

「あんだけ暴れたのにかよ……クソッ……」

 

 

 すぐにアンナカを吸引し、血中をカフェインで満たす。

 副腎さえ叩き起こしてやれば、心臓停止はとりあえず免れるハズだ。

 

 

 

 

 だが、おかしい。

 既にアンナカを二袋開けた。しかし、症状は一向に良くならない。

 

 

 

 映画のようなタイミングで降り出した、雪。

 彼の視線は雪よりも、アンナカ。

 

 

 四袋開けて、やっと症状は治まった。

 アンナカが効き難くなっている。チェリオスは察したように、冷や汗をかいた。

 

 

 

 

 

 

 

「……来やがった……『ステージ3』が……!!」

 

 

 

 トーキョーカクテルのステージ3は、神経系反応の鈍化。

 フラット・ジャックの話では、十分に一回のペースでカフェインを摂取しなければ間に合わなくなるとの事。

 

 今、このタイミングで、いつ来るのか知れなかったステージ3に到達してしまった。

 

 

「……!!」

 

 

 急いで懐を確認し、残りのアンナカの数を数える。

 

 

 十二袋あった。が、今の状態では半日も保たない。

 

 

「……マズいぜクソ」

 

 

 チェリオスは即座に男を肩に担ぎ、停めていたランボルギーニに乗せる。

 自身もすぐに運転席につき、車を発進させた。

 

 

 チョコの件は、一旦保留だ。まずはフラット・ジャックに相談しなければならない。

 

 

 

「クソクソクソ……クソォ……ッ!!」

 

「……ぅ……ぅう……こ……ここは?」

 

「眠ってろぉーーーーッ!!!!」

 

 

 助手席で目を覚ましたロシア人を再び殴って気絶させつつ、チェリオスは叫ぶ。

 

 

 

「クソぉーーーーッ!!!!」

 

 

 

 ランボルギーニは代々木に向かって邁進する。

 とうとう近付いて来た死へのカウントダウン。だがチェリオスはまだ死ねない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼が去った後。建物や死体がまだ炎で燻る現場を、チャカたちは歩いていた。

 既に道路の先に消えたランボルギーニを見送りながら、舎弟はまず一言呟く。

 

 

「……あれ人間なんすか?」

 

 

 その問いに対し、チャカは首を振るだけ。

 

 

「……それよりもだ……俺はとりあえず、あいつの使い方を一つ思い付いたぜ」

 

「え? いや、どう使うってんですか? あんな……イカれたバケモンを?」

 

「鈍チンが! 見ろよコレ! あいつ一人で、余裕でマフィア一つ潰せんだぜ!? もはや歩く兵器だろが!」

 

 

 レストランだった建物がもう一回だけ爆発する。

 その音にびっくりしながらも、チャカは目を細めて笑う。

 

 

「……あいつを上手く操ればよぉ〜……香砂もロシア人もまとめて吹っ飛ばせるくね?」

 

 

 やめておけば良いのに、彼の頭の中に描かれたシナリオは大きく修正されて行く。

 小雪程度かと思われていた天気だったが、どんどんと不穏な曇天が覆い始めた。

 

 

 今日は大雪になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 チェリオスの乗ったランボルギーニは、またしても信号無視する。

 横断歩道の辺りで停まった救急車を掠め、風のように消えた。

 

 

「あぶねーだろーっ! 救命活動の最中でしょうがーっ!!」

 

 

 怒鳴る、黒板五郎似の救急隊員。

 彼の足元にあるストレッチャーには、轢き逃げに遭った哀れな男が横たわっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京某所にある、香砂会会長の邸宅。外はずっと雪が降り続き、積もり出す。

 

 仕事を終えたモロは、一先ず会長である政巳に事の報告をしに来た。

 客室にある椅子に腰掛け、気難しげに顔を歪める政巳へモロが話しかける。

 

 

「オカマどもから聞いたところ……フラット・ジャッ君と言う野郎が、俺らの動向を嗅ぎ回ってやがるようでして。チョコ先生と、トーキョーカクテルの存在を知っているみてぇだ」

 

 

 政巳はタバコを咥え、火を付ける。

 

 

「……するってェとぉ……中国人か?」

 

「いえ、ベトナム人らしいが……海外マフィア相手に薬を流している奴だ、繋がりはあるンでしょう」

 

「ったくよぉ。面倒ゴトだらけだ。歌舞伎町の件の後、あちこちのシマで店が潰されてやがるしなぁ」

 

「……と言いやすと?」

 

「敵はとんでもねェ権力を持ってやがるってェこった」

 

 

 肺に煙を溜め、一思いに吐き尽くす。

 タバコによってダウナーとなった脳で、あれこれゆったりと思考する。

 

 

「……トーキョーカクテルさえ量産すりゃあ、万事解決する。早ェとこ敵の正体と……なんだったか? その、ブラック・ジャックとやらを」

 

「フラット・ジャッ君です」

 

「フラット・ジャッ君か。そいつをとっ捕まえねェとな。トーキョーカクテルの存在を追っていやがんのも都合が悪ィ」

 

「既に歌舞伎町にある奴の事務所と、代々木にある奴の家に下っ端を送ってやす」

 

「よォし。頼りになるな」

 

「ありがたきお言葉」

 

 

 二人のいる客室に、もう一人の人間が現れた。

 間抜け面の学者風の男──チェリオスが追っているもう一人の男、チョコだ。

 

 

「トーキョーカクテルはもう、新しい段階へと進んでおります! 約束の三日後までには余裕で完了できますな!」

 

 

 彼の報告を聞き、政巳とモロは互いにニヤリと笑う。

 

 

「いよいよだ」

 

「ええ、組長(オヤジ)

 

「いよいよですなぁ」

 

 

 三者で目配せし合い、計画が順調である事を喜んだ。

 

 

 政巳は客室に飾られた、見事な日本刀を眺めて優越感に浸る。

 香砂家が代々受け継いで来たと言う、大業物だ。

 

 

 

 

 まだ彼らは、殺したハズの男が死に物狂いで迫りつつあると、知る由もなかったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランボルギーニが、ちょっとスリップした後に停車。

 場所は代々木の、フラット・ジャックの家の前。

 

 チェリオスは気絶したままのロシア人を引き摺り出しながら、マンションのエントランスへ走る。

 

 

「ヤベェヤベェヤベェヤベェヤベェ……!!」

 

 

 もうアンナカは吸い尽くしてしまった。

 新しいアンナカを手に入れなければ、この場で野垂れ死にだ。

 

 

「おいあんた……! さっきの連中の仲間なのか──」

 

「開けやがれッ!!」

 

「ヒェ」

 

 

 管理人がホールでチェリオスを止めようとしたが、スタームルガーを突きつけられ即従順となる。

 オートロックの扉が開いたと同時に、奥へ奥へと突き進む。

 

 

 

 

 部屋に向かう際にエレベーターを使おうかとしたが、アドレナリンを稼がなければと思い出す。

 

 

「階段使うか」

 

 

 男を引き摺ったまま、彼は階段を全速力で登る。

 段差にガンガンと顔をぶつけるロシア人。通り過ぎた跡には、血の轍が出来ていた。

 

 だがチェリオスは気にかける様子もなく、化け物のような顔で駆け上がる。

 

 

 

 途中、すれ違った掃除のおばさんが悲鳴をあげた。

 

 

 

 

 四階に到達し、廊下を走ってフラット・ジャックの部屋に到着する。

 チェリオスは大急ぎで、ドアを開いて中に転がり込んだ。

 

 

 

 

 

「…………あ?」

 

 

 玄関に足を踏み入れた途端に、異常事態だとすぐ気が付いた。

 廊下は下足痕で汚れ、飾られていた花瓶や額縁が全て蹴落とされ破損している。

 

 

 何が起きたのかを悟り、チェリオスはロシア人をガンガン家具にぶつけながら、リビングへ突入した。

 

 

「……嘘だろ」

 

 

 部屋は荒らされ、ボロボロになっていた。

 何者かが大勢この部屋に大挙し、ある物全てを掻っ攫っていったようだ。

 なぜか壁に貼られていた菅原文太のポスターは無事だが。

 

 

「……おい! フラット・ジャック!!」

 

 

 名前を呼ぶも、応答はない。

 彼と、彼の嫁も忽然と姿を消している。

 

 

「……何があった……」

 

 

 とりあえずアンナカを探そうと踏み込んだ瞬間、電話が鳴る。

 チェリオスは足元にあった子機を拾い上げると、着信ボタンを押した。

 

 

「もしもし?」

 

『あ! その声! チェリオスよねん!?』

 

「フラット・ジャックか!?」

 

 

 一方のフラット・ジャックは、バイクに乗って道路を直走っていた。

 後ろに乗せている嫁が、運転する彼の耳に携帯電話を押し当てている。

 

 

「おいッ!? 何があった!?」

 

「マズいわチェリオス……! 香砂会に、あたしたちがトーキョーカクテルの事を探っているってバレたみたいなの……!」

 

「なんだとぉ!?」

 

 

 頭を金槌で殴られた気分だ。チェリオスは一瞬だけ、クラリとなる。

 

 

「あたしたちも危なかった……! タコライス買いに行こうと外に出ていたから助かったけど……!」

 

「それより聞け、フラット・ジャック……!」

 

「どうしたのよ?」

 

「ステージ3が来やがった……!」

 

 

 フラット・ジャックは驚き顔で携帯を見た後に、再び耳に当てる。

 

 

「とうとう来ちゃぁ!? そろそろとは思っていたけど……!」

 

「あぁ……おめぇの言った通り……アンナカが効き難くなって来た。もう貰った分、吸い尽くしちまった……ッ!!」

 

「凄く、至極、マズいわね……! とりあえず、昨日入荷した分は菅原文太の後ろにあるわ!」

 

「は? スガワラ・ブンタの後ろだぁ?」

 

 

 チェリオスはポスターの人物の名前だと思い出し、一旦ロシア人を手放してからポスターに駆け寄る。

 なぜか無傷の菅原文太。

 

 

「……部屋荒らされてんのに、これだけ無事だ」

 

「そりゃそうよ。ヤクザなら、菅原文太と梅宮辰夫のポスターに手は出さないわ!」

 

 

 チェリオスは菅原文太のポスターを破る。

 

 

「今破ったでしょ!? 菅原文太破ったのぉッ!? あんた人間ッ!?」

 

 

 電話越しでの抗議を無視し、ポスター裏を見る。

 そこには小さな隠し戸があった。戸を開くと、中にはアンナカがぎっしりだ。

 

 

「……なんでんなモン作ったんだ?」

 

「家宅捜査された時用よ。一応そのアンナカだって、病院の横流し品だし……まぁ、それが功を奏した訳だしぃ? チョベリグ?」

 

 

 とりあえず一袋開け、アンナカを吸う。

 いつも使っていたトレッドミルも倒され、破壊されていた。

 

 

「これからどうすんだ?」

 

「助っ人を連れて来るわ」

 

「助っ人だぁ?」

 

「そう!」

 

 

 積雪の影響で渋滞し始めた車の間を縫いながら、フラット・ジャックは大きく頷く。

 香砂会に追われている身だと言うのに、表情にはまだ余裕があった。

 

 

「でもその、助っ人が来るのは明日なの。そこにあるアンナカなら、とりあえず一日保つハズよ」

 

「おめぇはどこ行くんだ?」

 

「適当に隠れるわ。不幸中の幸いね! 大雪のお陰で簡単に撒けるわよん!」

 

 

 外を眺めれば、景色は降り頻る雪によって白く淀んでいた。

 確かにこの雪ならば、追手を撹乱出来る。

 

 

「そうか。やっと俺らにも、運が向いて来たかもな……」

 

「かもね……あんた、今何してる?」

 

「ホテル・ファッキン・モスクワの拠点襲って、構成員一人拉致してやった。今から色々吐かせる」

 

「あんたホント人間やめてるわね」

 

 

 ドン引きしながら、続けてフラット・ジャックは待ち合わせの約束を取り付けた。

 

 

「明日の正午に、秋葉原まで来て。助っ人と一緒に、そこで落ち合うわ。場所分かる?」

 

「ジャパニーズ・オタクの溜まり場か?」

 

「さすがはプロのスナイパーね! じゃ……頑張りましょっ!」

 

 

 その一言を最後に、通話は終了する。

 

 

「ぅぅ……い、一体、なにが──」

 

 

 再度目を覚ましたロシア人の顔面を壁にぶつけてやり、また気絶させる。

 いつ敵が戻って来るのか分からない為、チェリオスも代々木から離れようと考えた。

 

 

「あー……アンナカ、どれに入れるか……」

 

 

 両手で抱えても待ち切れない量だ。

 チェリオスが部屋内を見渡すと、ちょうど良い感じのドラムバッグを発見する。

 

 

 

 

 

 アンナカをそれに詰め、ロシア人を引き摺りながら、彼はマンションを後にした。

 だが路上に停めていたランボルギーニに近付いた時、車内を覗いている二人組を目にする。

 

 

「おいッ! 何してやがんだ!?」

 

 

 スタームルガーを構えて二人組を脅す。

 すぐに彼らは両手を挙げて車から離れた。

 

 

「待て! 待て待て!! 俺だよ俺!!」

 

「あ?」

 

 

 降り頻る雪で、良く顔が見えない。

 更にチェリオスはグッと近付き、二人組の顔付きが把握出来る距離まで寄る。

 

 

 軟派な見た目をした、アウトロー気味な風貌の二人だ。

 だが片方は、チェリオスの知り合いだ。

 

 

「おめぇ……あー……チェケラか?」

 

「チャカッ! C・H・A・K・Aッ!!……よぉ〜! 相棒ー!」

 

「誰が相棒だチンピラぁ。てめぇの情報、間違ってんじゃねぇかボケ。てかなんでココが分かった?」

 

「お、俺もあの場に向かってたんだよ……そしたらコレに乗ったアンタを見てな? へへ……ランボルギーニじゃんかよ。良いの乗ってんじなぁん?」

 

 

 馴れ馴れしい口調のチャカだが、チェリオスは彼を信頼していない。案の定だが、銃口は向けっ放し。 

 怪しい雲行きに、舎弟はチャカを止めようとする。

 

 

「ちゃ……チャカさん……やっぱ、マズいんじゃないっすか……?」

 

「ここでケツまくんじゃねぇよ……手綱さえ握れたら、東京をひっくり返せんだぞ……」

 

「だからって、人間やめた奴を利用すんのは……」

 

「うっせぇなお前……次、意見したら殺すぞ……」

 

 

 舎弟を脅迫して黙らせ、チャカは出来るだけ人当たりの良い笑みを心がけながら、チェリオスに英語で話しかける。

 

 

「わ、悪かった! 確かにあそこにはいなかった!」

 

「俺がてめぇに提示した条件は、有益な情報だよなぁ?」

 

「待て、待て待て! まだ……まだ策はあんだ!」

 

「良いや、信用できねぇ。てめぇが二重スパイの可能性もあるからな」

 

「チョコってのを炙り出す方法があんだってばッ!!」

 

 

 それはどうかなと、半信半疑な様子のチェリオス。

 視界を遮る雪を手で払いながら、彼は意気揚々と説明を始める。

 

 

「聞くだけタダだろ? まぁ、高倉健みてぇにクールに行こうぜ? クールに……」

 

「どいつだ」

 

「簡単だってよぉ! 香砂会に、取り引き持ち掛けんだ! まぁ、こんな場所じゃなくて、もっと別の場所で話そうぜ?」

 

 

 チャカは首を回し、鼻先でランボルギーニの後ろを指し示す。

 良く見ればもう一台、四人乗りの車があるなと気付ける。チャカたちの物だろう。

 

 

「……取り引きの内容は?」

 

「身柄の引き渡しって奴だよ」

 

「コイツ使うのか?」

 

 

 チェリオスは、攫って来たホテル・モスクワの構成員を足で小突く。

 

 

「まぁ、そうだな。そいつも使う」

 

「まだ誰か使うのか?」

 

「あ……あぁ。恐らく今、最も東京の裏社会で……ホットな人物をなぁ」

 

「………………ぅぐ……ッ」

 

「ホテル・モスクワの支部に突入したトコは見てたぜ?」

 

 

 カフェインが切れ始め、胸が痛んで来た。

 すぐにドラムバッグからアンナカを一袋取り、歯で噛んでちぎって開ける。そのまま鼻で雪ごと吸引した。

 

 

「……あー……あんたは、スゲー殺し屋だ! 間違いねぇ! もう、マジでリスペクトだ!」

 

 

 目の前でキメ始めたかと勘違いしたチャカは、ドン引きしながらも捲し立てる。

 

 

「正直なぁ……ロシア人相手にあそこまで出来りゃぁ、ヤクザなんざチンケな連中だぜ?……数と、武器と、状況さえ揃えば、誰でも織田信長になれる」

 

「だからどいつだってんだ」

 

「まぁ、制圧なんざメチャ簡単って意味だ! 日本の裏社会なんざ、ぬるいんだよ!」

 

 

 カフェインを摂取出来ても、アドレナリンが足りない。

 チェリオスは辺りを見渡し、ゴミ置き場にあったゴミ袋を怒りに任せて乱暴に踏み付け出す。

 

 

 彼の奇行を薬物中毒による幻覚だと解釈したチャカは、敢えて触れずに話し続けた。

 

 

「俺は今日中にでも、数と武器は揃えられる。顔は広いからよぉ……」

 

「コイツッ!! こんにゃろッ!! クソォッ!! おぉ!? どしたどしたぁッ!?」

 

「………………ただ、やっぱトーシローばっかだ。プロのあんたがいれば、計画は万事上手く行く」

 

「なんだッ!? こんなもんかッ!? ぶっ殺すぞッ!! はぁーーッ!!」

 

 

 袋が潰れて破れ、ゴミが散乱する。

 ゴミを捨てに来たお爺さんが、呆然と後ろから彼を見ている。

 

 そのお爺さんは、チャカの舎弟が追い払った。

 

 

「……チョコってのが、香砂会関連の人物なのは明白だろが。これでロシア人どもにも揺さぶりかけて……そいつを差し出させんだよ。俺たちはその間に奇襲して親玉を殺す。んで、あんたはチョコを捕まえられる。どうだ? WIN-WINの関係だろ? え?」

 

 

 一頻りアドレナリンを充填したものの、興奮冷めずにロシア人を蹴ってしまった。

 

 

 それからチェリオスはゆっくりと息を吐いてから、チャカを見据える。

 ゴミ袋を蹴りながらも、しっかり考えは纏めていたようだ。

 

 

「……条件がある」

 

「な、なんだ!?」

 

「東京中から……」

 

 

 やっと彼は、銃を下ろした。

 

 

 

 

 

「……コーヒーやら、エナジードリンクやら……何でも良い。カフェイン入ってるモンあるだけかき集めろ」

 

 

 

 

 どうせこのままではチョコに辿り着けない。

 背に腹は変えられないと、判断したようだ。

 

 

「……乗ってやる。とりあえずな」

 

 

 チェリオスの承諾を引き出し、チャカはガッツポーズをしてみせた。

 

 

「よぉしッ!! 言うと思ってたぜーッ!! このまま俺らで、スーパーコンボ決めちゃう〜?」

 

「てめぇが俺を騙していると知ったら、まず殺すからな。あっちの子分もな」

 

 

 指を差された舎弟が、「え、俺?」と目を丸くしている。英語が分からないので、自分がチャカと一緒に殺される旨には気付いていない。

 

 

「大丈夫だっての! 俺ちゃんを信用してくれ相棒!」

 

「それで……まず、どうすりゃ良い?」

 

「こうしてる間も、計画は進んでんから心配すんなっつの! ほら、車に乗れ!」

 

 

 チェリオスはロシア人だけを彼の前に放り投げると、ドラムバッグを持ってランボルギーニのドアを開けた。

 

 

「てめぇらと同じ車にゃ乗らねぇ。そいつ預かっといてくれ」

 

「は? じゃあ、連絡とはどうすんだよ?」

 

 

 チャカの舎弟を手招きして呼び、彼の携帯電話を奪う。

 

 

「こいつのにかけろ」

 

「お、俺のだぞ……!?」

 

「終わったら返すって通訳しとけ」

 

 

 

 

 ランボルギーニに乗り込み、エンジンを起こす。

 

 

「電話で時間と場所を指定しろ。それで引き受けてやる」

 

 

 

 

 その一言を最後に、チェリオスは車で走り去ってしまった。

 スタイリッシュでイカしたスーパーカーは、あっという間に雪景色の中へ消えて行く。

 

 

「す……スリップしないんすかね?」

 

「どっかでチェーンでも巻くんだろ……それよりオイ。そのイワンを車に乗せろ」

 

「俺のケータイ……着信メロディGIGAに登録したばっかなのに……」

 

「ウダウダ言ってると殺すぞゴラァ……あと、ダチにコーヒーとか集めさせとけ」

 

 

 気絶したホテル・モスクワの構成員を後部座席に乗せた後、二人もまたその場を走り去る。

 残ったのは散乱したゴミと、積雪にくっきりと付いたタイヤ痕だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから時刻は過ぎて、夕方に差し掛かる。

 夕方とは言え、冬の夜は早い。外はもう薄暗くなっていた。

 

 

 

 代々木駅前にある茶店。

 店内にある窓際の席で、青年と少女がお茶をしている。

 

 

「イツツ……」

 

「どうしたんですか、『岡島』さん?」

 

「……いやぁ。日本に戻る前、仕事で肋骨を怪我してさ。まだ完治してなくて」

 

「まぁ、それは大変! ぶつけたりしちゃったんですか?」

 

「不発──あぁ! いやいや、なんでもないっ!!」

 

 

 和やかに会話を楽しむ二人。

 

 

 

 

 

 窓の外で、虎視眈々と狙う男たちの目には、気付いてはいない。




「人間やめときな '99」
「ゆらゆら帝国」の楽曲。
1999年発売「ミーのカー」に収録されている。
クリームやザ・フー、グレイトフル・デッド等が有名なサイケデリック・ロックジャンルの、日本代表的バンド。顔全部を覆うほどのパーマを持ったギターボーカル、やけに綺麗な姫カットのベーシストと、ビジュアル面もなかなか尖っている。
解散10年後の今年になってどう言う訳か、彼らのMVがYouTubeにアップされた。

気怠げなイントロからブルースロック的なリズムに移り変わる、なかなかハイカロリーな一曲。
ゆったりしたり性急になったり、忙しないサウンドが彼らの特徴でもあるが、それが如何なく発揮されている。


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Nameless Bird

折角なんで、タランティーノ映画みたいな感じに挑戦しました


 和やかなムードでお茶する二人だが、ここで時間を戻そう。

 二人が駅前の茶店に入った経緯と、それを狙う車の中の男たちの正体、そしてバラライカとチャカ、フラット・ジャックの動きまで、追って描写する。

 

 

 

 

 

 

 チェリオスが代々木から港区をランボルギーニで爆走し、板東を轢き逃げし、ホテル・モスクワの拠点一つを潰した後の話だ。

 

 一つの連絡が、ホテルの一室に届けられた。

 奥座で打ち合わせをしているバラライカらの元に、ボリスが眉間を指で挟みながらやってくる。

 

 

「……大尉。少し、よろしいですか?」

 

「どうした軍曹? 珍しく疲れた顔付きじゃないか」

 

「これは失礼を……今し方、奇妙な報告をラプチェフらの部下たちより受けた次第でして、ご連絡にと」

 

「ラプチェフらの?」

 

 

 興味を示したバラライカは椅子に深く腰掛け、彼の言葉を待つ。

 ボリスも彼女と向かい合わせに座り、表情を引き締めてから話をする。

 

 

「ホテル・モスクワ日本支部、ラプチェフが拠点として使用しているレストランが……襲撃に遭いました」

 

「なに?」

 

 

 バラライカは眉を寄せた。

 報告に多少驚いてはいるようだが、危機感や焦燥感と言った類は見受けられない。

 彼女にとって、ラプチェフの存在とはその程度に過ぎない。

 

 

 だが今この時期にホテル・モスクワが襲われるとは、彼女も想定していない事態だ。

 

 

「いずれとは思っていたが、早過ぎるな……状況は?」

 

「はっ。十五分前……一三◯三時に、武装した男が突然来襲。当時内部にいた構成員はラプチェフ含め十五人ほどでしたが、内十二名が死亡、二人が重傷で壊滅状態との事です」

 

「嘆かわしい。道理でまともに東京を制圧出来ない訳だ……しかし軍曹、その内訳では数が合わないが?」

 

「えぇ。一人だけ死体が見つかっておらず、行方不明です……どう言う訳か、その一人と言うのがラプチェフであります」

 

 

 ボリスのその報告に関しては、基本的に表情の少ない遊撃隊のメンバーらも顔を顰めていた。

 

 

「誘拐か?」

 

「近隣で死体が発見されておりません。恐らくは、そうでしょうな」

 

「とことん無能な男だ。死んでくれた方が良かったのに……向こうに情報を寄越さなくて正解だったな」

 

「えぇ。ラプチェフとその部下たちには命令通り、こちらの計画は一切伝えておりません。ただ、鷲峰組と我々の関係が発覚してしまうかもしれません」

 

「遅かれ早かれ気付かれる予定だ。しかし何者だ? 香砂会はもう嗅ぎ付けたのか?」

 

 

 一言、「それなんですが」と呟いた後に、ボリスは続ける。

 

 

「……日本人ではないとの事です。アメリカ、或いはイギリス人と思われる白人だったと」

 

「白人のグループか?」

 

「……襲撃者は、一人だったと聞いております」

 

「…………一人だと?」

 

「えぇ。十五人に対し、一人で……しかも、銃を一挺だけ所持し、正面突入して来た……らしいです」

 

「………………」

 

 

 元軍人で、アフガンの地獄を知っている彼女たちなら分かる。

 十五人の武装したマフィアを相手に、一人だけで挑んで制圧出来る訳はない。

 ラプチェフが無能だとか「質は数に勝る」だとか、それ以前の問題だ。

 

 

「……事実なら、ランチェスターの法則などアテにならないな。本当に一人なのか?」

 

「現場にいた者の話ですので、確証はあるかと。あと襲撃の直前に、匿名の電話が入っていたとの事です」

 

「なんと?」

 

「英語で、『鷲峰組の刺客がそっちに来るぞ』と」

 

「間違いなく鷲峰組は関係していないな。みすみす電話で伝える馬鹿はいない。素人が考えるような杜撰な撹乱だ……それに、我々の助力さえも渋ってた奴らだ。今更外国人を雇う意味はない」

 

「となると……何者なんでしょうか?」

 

 

 突然降って湧いた謎の襲撃者の件に、さすがのバラライカも不快感を隠さず表情に出していた。

 一頻り可能性を幾つか予想した後、ボリスに質問をする。

 

 

「その襲撃者の見た目は? 歳や背丈、格好は?」

 

 

 ボリスは頭を振る。

 

 

「如何せん、生き残った二人も酷いパニックに陥っておりましてな。情報が支離滅裂で……三十分以内には聞き出してみます」

 

「早い方が良い。この戦争で唯一の不確定要素だ。ラプチェフへの個人的な恨みに基づいたのならともかく、我々の陣地に影響を及ぼすつもりなら厄介だ……信じられないが、一人で十五人を相手取るほどの手練れなら尚更だろう」

 

「同感です、大尉。出来るだけ急がせます」

 

 

 続いてもう一人、遊撃隊のメンバーが部屋に入って来る。

 

 

「大尉。先ほどロック経由で、鷲峰組からの急報を受けました」

 

「どうした?」

 

「バンドウが轢き逃げに遭い、救急搬送されたとの事です」

 

 

 ラプチェフ一派の壊滅の次には、鷲峰組の若頭である板東の事故。

 一気に降って来た厄介事に、バラライカは顔を顰め、天井を見上げた。

 

 

 

 

「……どうなっている?」

 

 

 なぜか彼女の脳裏には、「ニューヨークから来たおまわりさん」の憎たらしい笑顔がチラついていた。

 自分の計画を機転と運だけで踏み倒した、あの男だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホテル・モスクワに連絡をしたのは、ロックだ。

 彼は通訳としてバラライカに同行している。鷲峰組からの電話はまず彼の携帯電話に届き、それからロックが英語に変えてバラライカに伝えていた。

 

 

 

 

 その為、板東が轢き逃げに遭った話はロックも把握している。

 時系列は、連絡を済ませてから二時間ほど経過。

 

 

 今でも何があったんだと思わざるを得ない。今頃板東は集中治療室だろうかと、心配は募るばかりだ。

 

 

「こんな大変な時に轢き逃げなんて……運がないよなぁ。死んでないのが良かったけど」

 

 

 軽く同情しながら、国際電話用のテレホンカードを購入する。

 公衆電話に差し込めば自動的に「001」をダイヤルし、後は国番号と電話番号を入力すれば国際電話をかけられると言う代物だ。五千円分なので、アジア圏内なら二時間も電話出来る。

 

 この後、頼まれ事を済ましたなら、隙を見てロアナプラの仲間に電話をする予定だ。

 

 

「えぇと……うわっ、ベニーめ。俺に爆買いさせる気だな?」

 

 

 来日前に貰ったメモを見ながら、そこに書かれた機材を買う為、ロックは秋葉原に足を踏み入れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼とすれ違う、ベトナム人のオカマとその嫁。

 フラット・ジャックはチェリオスとの電話の後、追手を撒く為に秋葉原へ逃げ込んでいた。

 

 

「全く……! あのハゲのせいで、あたちの商売上がったりぃじゃあないのよぅッ!! 歌舞伎町のオフィスもバレてるし……マイルズには責任取って貰うわよ! ぜってぇ許さねぇッ!! こっからはあたちのステージよッ!!」

 

 

 彼は秋葉原に隠れ家を仕込んでいたようだ。

 そこで明日まで身を潜めるつもりらしく、嫁を連れて走っている。

 

 

 路地裏に入った時、彼はギョッとする。

 室外機の横で、顔に包帯を巻かれた男が座り込んでいたからだ。

 

 

「な……なにしてんの? 包帯だらけじゃない……え? 綾波レイが初登場した時のコスプレ?」

 

 

 良く見れば、酷い怪我をしている。はおっているボロボロのコートの下にも、血が滲んだ包帯が見えた。

 包帯男はゆっくりとフラット・ジャックの方に首を回し、枯れた声で話す。

 

 

「……ボク、は……」

 

「え? なに?」

 

 

 フラフラ立ち上がったものの、また倒れそうだ。

 壁伝いにフラット・ジャックの方へ寄り、呆然としていた彼に突然抱き付いた。

 

 

 

 

「ボクは誰だーーッ!!??」

 

「ヒィぃーーーーッ!?!?」

 

 

 彼の悲鳴がこだまし、それを聞いたロックが身体をびくつかせていた。

 

 

 

 

 

 それからロックは秋葉原中を回り、ベニーから頼まれた精密機器を買い集める。

 たまに見つけるのに難儀した物もあり、時間が思ったよりもかかってしまった。

 

 

 秋葉原駅でホテルに戻ろうとした頃には、夕方の四時過ぎ。

 しかも降り出した雪が積もり、更には代々木駅で突然の運転見合わせ。前日に起きた原宿駅の件の影響らしい。

 

 

 駅構内の公衆電話でベニーとの連絡を済まし、困ったように頭を掻きながら黄昏れる。

 

 

「参ったな……こんな雪じゃ車も駄目っぽいし……」

 

 

 そんな折、向かい側からすれ違いかけた人物を見て、目を丸くする。

 

 

「あれ?」

 

 

 少し前に出会った子と、偶然の再会を果たしたからだ。

 眼鏡をかけた、高校生くらいの少女だ。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、二人がいる場所から、やや離れた所で顔を隠すようにして立つ三人組の男。

 少女とロックが会話している後ろで、コソコソ話し合っていた。

 

 

「……チャカさんの命令っちゃ命令だけどよぉ……半日ほど女子高生尾行するって、ヤバいよな?」

 

「しかもヤクザの娘っしょ? 可愛いけどよぉ、怖ぇよなぁ……」

 

「てかあの優男は誰よ? 知り合いっぽいけど……今会うのはタイミング悪過ぎだろ……」

 

 

 三人の内、一人の携帯電話が鳴る。

 急いで繋ぎ、耳元に当てた。

 

 

「はいはい、もしもし……あ、チャカさん」

 

 

 

 

 チャカは車内から電話をかけていた。

 積雪で渋滞に引っかかり、イライラした様子だ。

 

 彼は助手席におり、運転席には舎弟。後部座席には、縄で縛ったロシア人が寝かされていた。

 

 

「おい。『ゆっきー』見失ってねぇよな?」

 

「えぇ。下校時間からずっと。予備校にいる間も、ずっと張ってたんすよ? 風邪引くかと思ったっす……」

 

「よっしゃ。今から誘拐しろ」

 

「今スか!?」

 

 

 三人は顔を見合わせる。

 さすがに人の目の多い場所では、勘弁願いたい。

 

 

「今、代々木駅なんスよ……電車も止まってて、どうすりゃ良いか……」

 

「だったら駅前に車向かわしてから、何とか言いくるめて改札口から出せや」

 

「そ、そんなぁ……!? 見るからにナンパ乗りそうな感じの子じゃないっスよ!?」

 

「んじゃあ、無理やり連れ出せや」

 

「ここで連れ出そうとしたら、駅員やら駅警察に捕まりますって!」

 

「おぅ、てめぇ」

 

 

 インパネの上に足を乗っけながら、やや苛ついた様子で脅す。

 

 

「……俺が今、上機嫌でよかったなぁ? キレてたら今すぐオメーのとこ行って、歯ァ全部折ってやってたトコだぜ? 口答えはそこまでにしとけよ。さすがの俺も次ぃキレっかもしんねぇかんな?」

 

 

 男は目を閉じ、天を仰ぐ。

 チャカの恐ろしさは身をもって分かっている。

 

 

「……わ、分かりました……な、なんとかやるっす」

 

「それでいーんだよボケ」

 

 

 プツッとチャカは、電話を切る。

 それから気怠げな様子で、リアビューミラーに写るロシア人を見た。

 

 まだ気絶している。起きたとしても暴れられないように縛ったが、正直今のチャカにとっては邪魔でしかない。

 

 

「……どうすんだよアイツ」

 

 

 チャカもまた、天を仰いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまでがチェリオスの暴走で生じた、様々な人物の動きだ。

 

 バラライカは謎の襲撃者の情報を集め、板東は病院に搬送され、チャカたちは少女誘拐の為に暗躍している。一方でフラット・ジャックは、秋葉原で謎の人物と遭遇していた。

 

 更にチェリオスが拉致したロシア人の名前がラプチェフだと判明したし、少女と談話をする青年がロックだとも判明した。

 

 

 

 

 

 

 そうなるとやはり、渦中にある鷲峰組の動向も描写すべきだと思われる。

 

 

 板東が轢き逃げに遭ってすぐ、連絡を受けた一人がいの一番に病院へやって来ていた。

 色眼鏡をかけた、パンチパーマの派手なジャケットの男だ。

 

 

「兄貴ぃ!? 兄貴ぃーーッ!?」

 

「やめなさい! やめなさい!」

 

 

 手術室の前まで来た彼を、看護師や黒板五郎似の医師が引き止める。

 まだランプはついたままだ。

 

 

「何があったんや!? 誰にやられたんや兄貴ぃッ!?」

 

「患者は、まだ手術してる途中でしょうがーーッ!!」

 

 

 彼の悲痛な問答も、手術室で眠る彼の耳に届く訳はない。

 その後は黒板五郎似の医師に宥められる形で、手術室前の椅子に腰掛け時を待つ。

 

 

「……どないすんねん。香砂も動き出し、ロシア共も勝手しおる頃に……」

 

 

 まだ消えない、手術中のランプ。

 時計を見ると、まだ十分も経過していない。なんだか半日も座っていたかのような感覚だ。

 

 

「……誰に頼りぁアええんや」

 

 

 組の纏め役である板東が倒れた今、ホテル・モスクワと相手をする代理人を決めなければならない。

 勿論、その役目は自分にあると、彼は理解していた。

 

 だが同時に、自分には板東ほどの機転も器用さも腕もないと、観念していた。

 そんな彼が板東のポストに突然就いてしまうのは、寧ろ恐怖を覚えてしまう。

 

 

 誰かに相談せねば。

 そう考えた途端に、ふと脳裏に一人の男の顔が浮かぶ。

 

 

 

 

「……兄貴、そういや……『銀の字』の話、しとったな……いやでもアイツは……!」

 

 

 一旦は「いけすかない」と頭を振った。

 しかし果たして、この修羅場に対応出来る者はどれほどいるのかと、悶々と考えた。

 

 

 そうこうしている内に、構成員が彼の下へ血相を変えてやって来る。

 

 

「『吉田』さん! た、大変な事が起きやしたぜ……!」

 

「なぁにが大変な事や! カシラが轢き逃げ以外に、大変な事があるんか!?」

 

 

 怒鳴る男こと、吉田を宥めつつ、彼は息も絶え絶えな様子で話す。

 

 

 

 

「ぎ、銀の字からの連絡でさ……! お嬢が……お嬢が、攫われたんですッ!!」

 

 

 吉田の葛藤は、突然巻き起こった事件によって、四の五も言っていられない状況に陥る。

 すぐに彼は板東の護衛を部下に命じた後、病院を飛び出して「銀の字」の元へ向かう。

 

 

 乗って来た車を飛ばし、鷲峰家の邸宅へ到着。

 

 

 途中イカしたランボルギーニとすれ違ったが、気にする余裕はない。

 

 

 

 

 すぐに邸宅へ走り、乱雑に靴を脱ぎ散らかしてから玄関に入ろうとする。

 だが銀の字と呼ばれる人物は既に、下足場でサンダルを履いている途中だった。

 

 

「ぎ……銀の字……!」

 

 

 彼はクッと、吉田を見やる。

 巨躯の、顎髭を蓄えた短髪の男だ。サングラス越しの目は、怒りに満ちていた。

 

 

 吉田は彼の腰を見て、思わず息を呑む。

 

 白鞘に収められた刀剣を、ぶら下げていたからだ。

 

 

「……吉田」

 

「ぎ……銀……!」

 

 

 お嬢が攫われた事は、虚言でも何でもないと確信した。

 絞り出すように、言葉を発する。

 

 

 

 

「……本当なんやな……?」

 

 

 彼は顎で自身の背後を、示した。

 

 

「……確かな筋からの、情報でェ」

 

 

 彼の身体に隠れるようにして立っていた男を見て、吉田は「あっ!?」と声を荒げた。

 

 

「て、てめぇは……ッ!!」

 

 

 そこにいたのは、頬に大きな青痣を作った、ロックだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以上の顛末から板東の手術中、弟分に当たる吉田と言う男が、「銀の字」と会う為に病院を離れたと分かった。

 更に銀の字の元には、なぜか少女と談話をしていたロックがいた。

 

 

 これによりロックと一緒にいた少女と言うのが、「お嬢」だとも判明しただろう。

 

 

 

 

 

 

 ではどうやって攫われたのか。

 ここでやっと時間は、ロックとお嬢が談話をしている途中に戻る。

 

 電車が止まって足止めを食らった二人は、立ち話もなんだからと駅前の喫茶店に入店した。

 その行動はまさに、誘拐を命じられた男たちにとって最大のチャンス到来ともなる。

 

 

 

「お! 来た来た!」

 

 

 招集した仲間の車が、喫茶店前に停車。

 三人はそれに乗り込み、虎視眈々とお嬢を狙う。

 

 

「どうやって誘拐する?」

 

「多少強引だが、店を出た瞬間を狙うぞ。全くよぉ……チャカさん、血迷ったとしか思えねぇよ……」

 

「警察はどーすんだ?」

 

「馬鹿言え。アレはヤクザの娘だろが。ヤクザが警察に駆け込むなんざ、ぜってーしねぇよ。警察沙汰にはなんね」

 

 

 暫く二人は話し込んだ。

 最後は少女が携帯電話で話をし、その場を去ろうとする。

 なぜかロックは、青い顔をしていたが。

 

 

「よし! 今がチャンスだ! すぐ逃げられるように、エンジン温めとけ!」

 

 

 男たちは大きく息を吸い込み、ガムテープと縄を用意する。

 中の二人は会計を済まし、店を出ようとしていた。

 

 

「今だ今だ!! 行け行けゴーゴーッ!!」

 

 

 その叫びを合図に、運転手以外の男たちが一斉に車を降りる。

 

 

 

 

 

 喫茶店を出た、少女とロック。

 再び駅構内へ戻る途中、彼女はクルリと振り返る。

 

 

「なんだか、話し込んじゃいましたね」

 

「……そ、そうだね」

 

 

 ロックは動揺を押し隠すのに必死だ。

 

 

「銀さんが急いで戻るようにって……何かあったんでしょうか?」

 

「…………」

 

 

 間違いなく板東さんの事だろうと、ロックは思った。

 とは言えそれを、自分の正体を知らない彼女に言う訳にはいかない。

 

 

「……あー、ごめん。僕はちょっと、この辺を回ってから帰るよ」

 

「あら? そうですか? なら、私はこれで」

 

「うん。ごめんね、付き合わせちゃって」

 

「いえいえ、私こそ。ふふ……楽しかったです!」

 

 

 少女はニコリと笑って、小さく手を振った。

 

 

「それでは岡島さん。また、お会いできたら嬉しいです」

 

 

 ロックもまた微笑んで、手を振り返した。

 

 

「それじゃあ、またね…………『鷲峰』……あー……」

 

 

 今や彼女の名前を出すのが、苦しかった。

 心臓を握られた気分に陥る。

 

 

 

 

「……『雪緒ちゃん』」

 

 

 雪はやっと、降り止んだようだ。

 白銀の世界と化した東京の街で、ロックはまた自分の巡り合わせの悪さを呪う。

 

 

 

 彼女の名前はそう、「鷲峰」。

「鷲峰 雪緒」。

 

 

 鷲峰組の亡き組長の娘だ。つまり、いずれはロックらの敵になり得る少女。

 そう考え、ロックは固唾を飲んだ。

 

 

 

 

 踵を返し、立ち去る雪緒。

 何か言う訳にはいかず、ただ彼女の背中を眺めるだけ。

 悲しい目でただ、見送るだけだった。

 

 

 

 

 

 次の瞬間、三人組の男が横から飛び出した。

 彼らは雪緒が反応するよりも早く、腕を掴んで引っ張り込む。

 

 

「え……!? な、なにっ……!?」

 

 

 男三人の力には敵わない。

 雪緒は手からバッグを落とし、無理やり男に肩に抱えられ、連れ去られようとしていた。

 

 

 眺めているだけでは済まなくなったロック。

 手元の荷物を落とすと、男たちの元へ走った。

 

 

「な……なにをしてんだ……!? おいッ!! その子から手を……ッ」

 

 

 雪緒を助けようと、男に掴みかかったロック。

 だが彼は顔面に拳を受けて、路上に倒れ伏してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数十分後。彼らの車は人通りのない道路に停められていた。

 寒さに凍えながらも、誰かを待っている。

 

 

 

 すぐに一台の車がやって来た。

 誘拐を指示したチャカが乗っていた車だ。彼は車を降りると、実行犯である男に話しかける。

 

 

「どう? やったよなぁ?」

 

「え、えぇ……この通り」

 

 

 チャカに車の中を見せると、後部座席には目隠しと口にガムテープを貼られた、縛られた雪緒が座っていた。

 突然の出来事に恐怖し、涙を流して震えている。

 

 

「……上出来じゃーん! さっすが俺が見込んだだけあるぜーっ!!」

 

「いえいえ、まぁ、何とも……」

 

 

 誘拐に成功したと言うのに、男は浮かない顔をしていた。

 

 

「お? どしたどした? 作戦成功じゃん。喜べよ〜」

 

「……なぁ、チャカさん。マジで鷲峰に喧嘩売るんすか?」

 

「あたりめーじゃん。いや下手すりゃ、香砂も潰せるかもしんねーぜ?」

 

「は、はい?」

 

「まぁまぁ、待てって! 俺のサイキョーのペットがそろそろ来っからよぉ」

 

 

 噂をすれば影が来ると言う。その話をしたちょうどぐらいに、一台のランボルギーニが現れた。

 

 

「……イケすかねぇ車に乗ってんスね」

 

「見た目は厳ついが……オツムは残念なヤローだ」

 

 

 車は停まり、ガチャリとドアが開く。

 

 

 

 

 

 

 夜に染まり始めた東京の空の下、チェリオスは姿を現した。

 酷いカフェイン臭を撒き散らしながら。

 

 

「主人公の登場だ」

 

 

 そう言いながら彼はまた、アンナカを吸引する。




「名前のない鳥」
「山崎まさよし」の楽曲。
1997年発売「HOME」に収録されている。
情緒溢れるアコースティックサウンドと、茫漠とした感情をスケッチするような歌詞、そして耳触りの良い歌声が魅力的なシンガーソングライター。

オリエンタルな空気のリズムが心地の良い一曲。まるで吟遊詩人のように盛大ながら切なげに歌い上げる彼の声と、曲が醸す異国情緒な雰囲気が圧巻。「元ちとせ」がカバーしたバージョンも良い。

因みにこのアルバムには彼の代表曲でもある「One more time, One more chance」も収録され、山崎まさよしブレイクのキッカケともなった一枚となっている。
あと「アドレナリン」って曲もあります。


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Getting on Back Beat

クリスマスまでに終わらせたかったのですが、見た目ジョン・ウィックでCV張さんの自己中テロリストと一緒に、サイバーパンクしたロアナプラみたいな街で名を上げるのに必死で出来ませんでした。
趣味より娯楽を重視する人間ですので、仕方ないですよね。


 チェリオスの登場に、チャカは大袈裟な笑顔と仕草で迎え入れてやった。

 

 

「よぉ〜相棒ーッ!」

 

「相棒じゃねぇツってんだろが」

 

「まぁまぁ、仲良くしようぜぇ〜? ほれ! ハグすっか?」

 

「計画を聞かせろ」

 

 

 返答の代わりに、車の中を見るように促す。

 チェリオスはチラッと後部座席を覗き、拘束された少女の姿を確認した。

 目隠しと口に貼られたガムテープ、更には乱れた髪のせいで、人相が分からない。

 

 

「ありゃなんだ?」

 

「誘拐したんだよ!」

 

「見りゃ分かる。誰をだ? ただの女を運ばすなんざ、プロの運び屋(トランスポーター)でも断るだろが」

 

「だから、鷲峰の娘だよ!」

 

「なに?」

 

「まぁ聞けって! あの女使って香砂に取り引きさせんだ! 香砂は今、鷲峰を潰す事に躍起になってるって話でよ? アレを差し出しゃ、のこのこやって来るぜ! そこを叩くんだッ!!」

 

 

 チェリオスは不快感を露にした後に、首を二、三度振ってからランボルギーニに戻ろうとする。

 

 

「ちょっちょっ、待て待て! 良い作戦だろが!?」

 

「やり方が気にくわねぇ。アレはすぐ解放しろ」

 

「待てってオイ!」

 

 

 肩を掴んで引き止めるチャカ。

 だがチェリオスはその腕をガシリと掴み返し、強い力で引き剥がす。

 

 

「裏の喧嘩に堅気を巻き込むのが気にくわねぇって言いてんだドアホがぁ。拐うんなら娘じゃなくてなぁ、ボスを拐えボケ。これじゃチンピラじゃねぇか」

 

「あ……あいにくだがなぁ、鷲峰のボスは三年前に死んでんだよ……嫁はその前だ……子どもは一人娘だけ……つまりだな。鷲峰の次期トップは、あの女なんだよ」

 

「だがまだ就任してねぇ。なら堅気だ。しかも学生じゃねぇか。交渉に足るとは思えねぇが?」

 

 

 掴まれた腕を振り払い、少し乱れた髪を整えながらチェリオスを睨む。

 

 

「いや。そうとも限らねぇ……香砂の今の会長は、ずる賢くて慈悲もねぇ野郎だ。目的の為じゃ、手段も選ばねぇとか言う噂だ。あの女を引き渡すって言えば、勝手に使い道なんざ考えてくれる。絶対に乗るぜ!」

 

「だとしてもだ。せめて堅気は……それも女を、巻き込むんじゃねぇ──」

 

 

 

 

 脳裏に、様々な人の顔が浮かぶ。

 携帯電話を奪った会社の重役っぽい男に、踏み付けたホームレスらに、ブランコから蹴落とした男に……。

 

 思えば自分が巻き込みまくっているではないか。

 チェリオスは口を曲げた後に、一言付け足す。

 

 

「──不本意なら仕方ねぇがな。こればっかしは……ポリシーに反する」

 

 

 そう言ってまた、車に戻ろうとする。

 チャカは苛つきを募らせながら、折角整えた髪をぐしゃりと掻き乱す。

 

 

「『悪党パーカー』気取りかよてめーは……あーあー! 分かった分かった!! 妥協してやるッ!!」

 

 

 チェリオスが開けたランボルギーニのドアを無理やり閉め、説得を続ける。

 

 

「……今日までだ。今日までに話を取り付けてから、明日に女は解放する。傷一つなくな?」

 

「…………」

 

「そっからは、あんたが拐ったロシア人を使う。多分、なんか、偉い奴っぽいからな。使えるさ」

 

 

 少女の隣には、同様の状態で拘束されたラプチェフがいる。

 それでも強引に乗車するチェリオスを、チャカは必死に引き戻す。

 

 

「あんたの能力はヤベェ。正直、香砂もロシアも目じゃねぇ。数と武器と……あと、カフェイン入った飲みモン?……全部揃ってんだ」

 

「………………」

 

「奇襲し、チョコの場所を吐かせて、そこを全員で乗り込みゃアよお、下手すりゃ香砂潰せるぜ? その上の関東和平会だってな。東京の裏社会が、パワーバランスが、全部ひっくり返るぜ……!?」

 

 

 やっとチェリオスは思案するかのように、目を細めた。

 彼の表情の変化を確認したチャカは、もう一押しだと揺さぶりかける。

 

 

「……他に方法あんのか? 広い東京走って、野垂れ死ぬしかねぇぜ? もうあんたはロシア人の拠点を襲ったんだ。後には引けねぇぞぉ?」

 

「タレ込んだのはおめぇじゃねぇか」

 

「やったのはあんただ。一発引き金引いちまったらよぉ、あとは引き続けるだけだろ? あんた一人でやるか俺と組むかの違いは、撃ち尽くすまでの弾数が少ないか多いかだ。一人でやっても構わねぇが、間違いなく弾不足だぜ」

 

 

 心臓が痛み始め、チェリオスはアンナカを吸う。

 目をきつく閉めてから、深く息を吐いた。

 

 

 そうだ。自分には時間がない。あと三日か四日で、次のステージ4に到達し、確実に死ぬ。

 

 更に香砂会はフラット・ジャックの動きに気付き、探りを始めている。

 生きている事が知られれば、チョコもトーキョーカクテルの解毒剤も、深く目に付かない場所に移動させてしまうだろう。

 

 

 

 

 

 これしかないのか。

 選択肢は限られている。乗るしかないのか。

 

 

 チェリオスは自ら、ランボルギーニのドアを閉めた。

 

 

「……明日には、女は家に返せ。それまでに何とか、奴らを乗せろ」

 

 

 チャカは大きくガッツポーズし、歓喜の雄叫びをあげる。

 

 

「Fooooッ! そうだよなぁ! やるっきゃねーよなぁ! あぁ。女は必ず返す」

 

「それで良い」

 

 

 チェリオスは踵を返し、少女とラプチェフが乗せられている車の方へ近付く。

 そのまま後部座席へのドアに手をかけた。

 

 

「んで……娘ってのはどんな奴だ」

 

「大人しそうな子だぜ? ディスコよりも図書館が似合いそうな」

 

 

 ドアを開き、拘束状態の彼女を見やる。

 後ろ手に縛られた縄はキツすぎるのか、手首が鬱血していた。

 

 

「おいおい、てめぇら。女の扱いもなってねぇのか? 可哀そうじゃねぇか。縄を緩めてやれ」

 

「逃げるかもしんねーだろ?」

 

「この子は人質じゃねぇ、協力者だ。無事を約束してやりゃ良い」

 

「女に甘いなおめー……」

 

 

 きつく縛られた縄を、チェリオスは一度解いてから緩く縛ってやる。

 近くで見れば、彼女の強い恐怖心に気付けた。ずっとガタガタと震え、目隠しの隙間から涙が流れている。

 

 

「目隠しがグシャグシャだな……おい、気持ち悪そうだろ。取るぞ」

 

「おいおい! 顔バレすんだろ!?」

 

「だったらてめーらが顔隠せ」

 

 

 そう言ってチェリオスは躊躇なく、彼女の目隠しを外してやった。

 

 

 

 

 

 怯えて、涙で潤んだ瞳がチェリオスを捉える。

 視覚が戻り、認識した彼の姿を見て更に怯えていた。

 

 

 対してチェリオスは、既視感に襲われていた。

 目の前の彼女を見た事あるような気がしたからだ。

 

 

「ッ!?」

 

「ん!? んー! んー!?」

 

「……口のも取るぞ」

 

 

 まさかと思い、ゆっくり丁寧に口のガムテープも剥がしてやった。

 

 

 露になった口元に、またしても既視感のあるホクロ。

 チェリオスが確信に至る前に、彼女の方から話しかけた。

 

 

「あ……あなた……渋谷駅で……!?」

 

 

 日本語の為、チェリオスには通じない。だが、聞き覚えのある声。

 目を見開き、唖然とし、次には何か思い出したかのように助手席にいた青年に怒鳴り付けた。

 

 

「おいッ!!」

 

「うぉ!? お、俺か!?」

 

「眼鏡あっただろ!?」

 

「え? え!? なんて!?」

 

 

 男へは、チャカが通訳してやる。

 すぐさま彼はグローブボックスに入れていた彼女の眼鏡を取り、チェリオスに渡す。

 

 

 

 

 それを受け取るとチェリオスは、丁寧で慎重な手付きで、少女に眼鏡をかけさせてやった。

 

 

 

 

 眼鏡をかけた彼女の姿を見て、間違いないと気付く。

 

 

「君は……!!」

 

 

 渋谷駅で出会った、彼の一目惚れ相手だった。

 見ず知らずで行きずりの少女こそ、鷲峰雪緒だ。

 

 

「………………」

 

「お? どした相ぼ──」

 

「このボケがーーッ!!」

 

 

 振り返ったかと思えば、突然チャカの鼻面にブローをお見舞いする。

 訳も分からないまま地面に殴り倒された彼を一瞥し、また愕然とした表情で雪緒を見た。

 

 

「あぁ、なんてこった……! 君が、ワシミネの娘だなんて……!」

 

「あなたも仲間だったんですか!?」

 

「俺を恨んでくれて構わない……あぁ、悪い事をしたなぁ。怖かったろう……」

 

 

 突然優しい声になったチェリオスを、助手席の男は二度見する。

 そのままチェリオスは雪緒を、お姫様抱っこで持ち上げて車から出した。

 

 

「え? え!? な、何する気!?」

 

 

 雪緒を連れ出したチェリオスは、チャカは鼻血を流しながら止める。

 

 

「おいおいおいおいテンメェッ!? どこ連れて行く気だゴラァッ!?」

 

 

 さすがに堪忍袋の緒が切れたようで、懐から取り出したニューナンブを向けている。

 ぎろりと睨み付け、殺気を込めた状態でチェリオスは言い返した。

 

 

「俺の車で連れて行くんだ。てめぇらには任せられねぇ」

 

「はぁ!?」

 

「可哀そうに……こんなに怯えてやがる」

 

「いや待て……お前マジかよ!?」

 

 

 チャカは、彼が雪緒に惚れていると気付いたようだ。

 だがチェリオスは銃口を物ともせずに歩き出す。

 

 

 ランボルギーニの助手席を開けると、宝石でも扱うような慎重さで以て雪緒を座らせる。

 やけに優しい挙動と表情の彼を見て、彼女は逆に混乱している様子だった。

 

 

「え? えと……うわ。凄い座り心地……」

 

「あんな車に乗せちまって悪かったぜ、ハニー……君はこっちの、スイートなシートに座るべきだ」

 

 

 ドアを閉めてから、自身も運転席に乗り込む。

 

 瞬間、チャカが助手席から車内に入り、雪緒に詰めさせてまでランボルギーニに乗って来る。

 

 

「定員オーバーだ」

 

「ふざけんなッ!? せめて俺も乗せろコラァ……ッ!! 言う事聞かねぇと、こいつ殺すぞ……!?」

 

「わ、わ、わ……!」

 

 

 ニューナンブを雪緒に突きつけようとしたところで、チェリオスによって手首を掴まれ、そのまま捻り上げられた。

 

 目の前をそれらを見ていた雪緒の足元に、ニューナンブは落ちた。

 

 

「イデデデデデッ!?」

 

「通訳としてなら乗せてやる」

 

「つ……通訳?……うおおおお!?」

 

 

 チェリオスはいきなりアクセルを踏み込み、車を発進させる。

 ポカーンと見ているチャカの舎弟たちの前を抜け、道路を走り去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 チャカは急いで開きっ放しのドアを閉め、姿勢を整える。助手席には雪緒と彼の二人が乗っているので、かなり窮屈そうだ。

 チェリオスはその隙に、彼が持っていたニューナンブを没収する。

 

 

「な……なんだってんだよオメェ……!」

 

「うぅ……座り難い……」

 

「おいチャカ」

 

 

 運転しながら彼は「随時通訳しろ」と目で合図する。

 銃を落とした以上、そして計画を破談にする訳にもいかないので、チャカは渋々従う事にした。

 

 

「……君と、こんな形で再会したくはなかった」

 

「クソハゲ……!! 全て終わったら殺してやる……ッ!!」

 

「おい通訳しやがれッ!!……ああ、ごめんよハニー……」

 

 

 チェリオスの大声で、雪緒の身体は跳ねる。

 それを謝罪した後から、また勝手に話し出す。

 

 

「運命ってのは、つくづく残酷だ……」

 

「なんの話してんだよ」

 

「通訳しろぉッ!!」

 

 

 いちいち声が大きいチェリオスに、隣にいる雪緒は鼓膜を痛めていた。顔を顰め、やや彼から身体を離す。

 その間もチェリオスはお構い無しに喋り続け、仕方なくチャカは通訳してやる。

 

 

「俺が恋した女が……まさか、俺の仇に近い奴かもしれなかったとは……」

 

「えーー……てめぇ。言う事聞かねぇと変態ドモに売り飛ばすからなって言ってるぜ」

 

「そんな物騒な事言ってそうな顔じゃないんですけど……」

 

 

 チェリオスは随時、悲しげで儚い表情で雪緒を見つめていた。目がキラキラしている。

 

 

 

 

 前を見ていないので、赤信号の十字路を信号無視で突っ走る。

 この車に驚き、急ブレーキをした車が玉突き事故に遭っていた。

 

 

「あぶねぇだろーがぁあッ!?!?」

 

「前っ!? 前見てください!! せめて前を!!」

 

「そう言えば名前を言ってなかったな……俺はジェブ・チェリオス……シェビーって呼んでくれ」

 

「前見ろって言ってんだろがッ!?」

 

「前を見てくださいって!!!!」

 

 

 逆走し、対向車と衝突しかけた。それでもチェリオスは、雪緒から目を離さない。

 

 

「だから前見ろよッ!?!?」

 

「うるせぇッ!! 通訳しろぉッ!!……あぁ。または、クリスマスでも良いぜ。ナカトミビルの英雄に似てるって言われるからな」

 

「クリスマス! クリスマスって名前だってよッ!!」

 

「変わった……あー……お名前、ですね……?」

 

 

 雪緒自身も、誘拐された恐怖だとかはチェリオスの破天荒振りを前に、忘れてしまっていた。それよりも事故の恐怖が強い。

 

 チェリオスは目をキラキラさせながら、何かを待つかのように雪緒を見ている。

 何を望まれているのか分からずにキョトンとする彼女に、チャカは解説してやった。

 

 

「名前言え!」

 

「な、名前!? えーと……鷲峰雪緒です」

 

「ユキオ……良い名前だ」

 

 

 名前を知れて満足したのか、やっと前を向いて運転してくれた。

 雪緒とチャカは同時に、安堵の息を漏らす。

 

 

「俺はこの仕事を以て、足を洗うつもりだ」

 

 

 チェリオスは神妙な顔つきで語る。

 片手間にアンナカを吸っているので、ドラッグと勘違いしている二人は運転を乱さないかとヒヤヒヤしていた。

 

 

「それからこの日本で、君の為に……ズゥーーッ!!……ンハァ……生きようと思う」

 

「せめて運転中は吸うんじゃねぇよ」

 

 

 車内に舞うアンナカの粉を、雪緒とチャカは迷惑そうに払う。

 気付かないチェリオスは勝手に話を進める。

 

 

「俺は君を……愛しているんだ(I Love You)……おい。俺の思いを伝えやがれ」

 

「…………逃げようとしたら、撃ち殺すぞって言ってるぜ」

 

「今アイラブユーって……」

 

「言ってねぇボケッ!!」

 

 

 雪緒に対し声を荒げたチャカの鼻面を、チェリオスは殴る。

 

 

「ヒィッ!?」

 

「見やがれッ!? こんなに怯えてんだろがッ!!」

 

「オォお……お、オメーが一番ビビらせてんだろがよ……!!」

 

 

 チェリオスは車のラジオに手をかけた。

 

 

「何か……ロマンチックな曲でもかけるか」

 

 

 ラジオを起動し、ツマミを回して適当な局を選択する。

 耳障りなノイズが晴れると、スピーカーの向こうからMCの良い声が流れて来た。

 

 

『本日は近年稀に見る大雪となりそうです。東京の皆様、今夜は外食を自粛し、お家でゆっくりしようではありませんか』

 

 

 日は落ちて、街灯が照らす雪の煌めき。

 車内は穏やかではないが、穏やかな雪景色が東京の夜景と溶け込んでいる。

 

 MCの声に混ざり、軽快なポップミュージックが流れ始めた。

 

 

『先月、ニューアルバムを発売した兄弟ユニット「キリンジ」。こちらの曲はその前の前であるアルバムに収録されているものですが、私のオススメですので是非ともお聴きください。それではどうぞ、「双子座グラフィティ」』

 

 

 紹介と同時にイントロは終わり、歌が入る。

 

 

 

あぁ 君は月明かりと

はしゃいでるマーメイドさ

 

 

 チェリオスはうっとりとしながら、雪緒を眺め続ける。

 

 

長いその腕で 思いの丈を放ち

眠れない夜に謳歌を蒔いて行く

 

 

 また前を見ていない為、雪緒は注意する。

 

 

「前見てくださいって!」

 

「怒った顔も素敵だぜ……」

 

 

 日本語が通じないので、受け流すチェリオス。

 

 

誰かの ファンファーレも

流す ポーカーフェイスさ

 

 

 チャカは彼女の隣で鼻を押さえ、まだ悶えていた。

 

 

白い手のひらは 僕の膝を滑り出し

その先の闇も映画の街へと 変えてしまうようさ

 

 

 街の様々な、そしてぼんやりとした光が、色とりどりに車内を染めた。

 ロマンチックな夜だ。車内は緊迫しているが。

 

 ラジオの曲はサビに入る。

 

 

夢で逢うきりと僕らは

メロディの 鳴るような恋をした

 

 

 窓に付く雪は、ワイパーが撥ねて行く。

 積雪の上のタイヤの轍を、ランボルギーニが上書きして行く。

 

 

あぁ ハリウッド

くたばれ!

さぁ、ブロードウェイと

 

 

 ラジオをチャカは切り、暫し夢心地にあったチェリオスを引き戻す。

 

 

「なんで切りやがった!? 良い雰囲気だっただろッ!?」

 

「これ以上付けていたら、てめぇトリップして事故りそうになんだろがッ!!」

 

 

 いつの間にか車は品川区まで来ていた。

 

 

 遠くにはポツンと建つ、やや寂れたボーリングセンターがあった。

 そこがチェリオスらの、アジトとなる。




「バックビートにのっかって」
「フィッシュマンズ」の楽曲
1997年発売「宇宙 日本 世田谷」に収録されている。
レゲェやヒップホップを融合させたミクスチャースタイルで、90年代邦楽シーンに衝撃を与えた伝説のバンド。
因みにドラマーは後に「東京スカパラダイスオーケストラ」に参入し、現在でも活躍している茂木欣一。ボーカルもしており、直近では仮面ライダーセイバーのEDを歌っている。

タイトルにある通り、バックビートのテンポで打ち鳴らされるスローモーなドラムとドリーミングなメロディが心地良い一曲。
八分ほどの長尺で繰り出される、退廃的なまでに美麗な音楽体験。


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Pounding My Heart

 ネオンが輝く夜の道路を走る、一台の車。

 運転席にはパンチパーマの吉田、後部座席には銀次と、緊張から股に両手を挟んでいるロックが乗っている。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 誰一人喋らない為、押し潰されん限りの気まずさが車内に満ちていた。

 一応、皆の目的は一緒ではあるが、立場がややこしいので誰も話し掛けられずにいる。

 

 

 銀次は雪緒の事しか考えていないが、吉田とロックに関しては空気の重苦しさ故に下車したい気分だった。

 

 

「……そんで、通訳さん」

 

「んはいッ!?」

 

 

 突然、銀次に話しかけられ、応答の声が上擦る。

 彼はロックに見向きをせず、淡々と話した。

 

 

「お嬢を拐ってったのは、派手な格好の奴らに間違いねェんでしょうね」

 

「は、はい。半グレって感じの奴らでした」

 

「おうおう、銀の字なぁ!」

 

 

 運転しながら吉田が突っかかる。声がでかい。

 

 

「素直にそないな奴、信じてええんか!? ロシアどもの自作自演っちゅーのもあるやろが!」

 

「そんならわざわざ、あっしらンとこに来る必要がねェし……一切の理由が分からねェ。それに……」

 

 

 ぎろりと、横目でロックを睨む。

 ロックは恐縮し、窓ガラスに頭を付けんばかりに彼から離れる。

 

 

「……()()、鷲峰組と組んでる状況。反故にするにも時機ってもンがある……が、今は違う。そうでしょ?」

 

 

 ゆっくりと首肯し、一つ深い息を吐いてからロックは落ち着いて答えた。

 

 

「……雪緒ちゃんが」

 

「おぉ!? お嬢のこたぁ今なんつったんやボゲッ!?」

 

 

 馴れ馴れしいと、吉田に訂正を迫られる。

 

 

「鷲峰さんのご息女様と、お茶をした時に名字を聞いたんです」

 

「お嬢の電話を使ってわざわざウチに連絡入れられた時ァ、さすがに肝が冷えましたぜ。あんたの声が受話器から響いたもんで」

 

「それは失礼しましたね……本当にそれまで、関係者とは思っていなかった……けど」

 

 

 やっとロックは銀次の方へ、顔を向けた。

 キッと、真摯に鋭くさせた目で彼の横顔を伺う。

 

 

「……彼女は、『普通に生きるべき』だ」

 

「そいつァあっしも『願っている事』だ」

 

 

 言葉を遮り、声色は変えず、ただ先程よりも重く感情を乗せ、銀次は答える。

 

 

「……それを許しちゃくれねェ。『だから拐われた』……取り巻く全部が、お嬢を日陰へと引き摺り込もうとしやがる」

 

「………………」

 

「……その『取り巻く全部』ってェのに、お前さん方も入っているンですがね」

 

 

 銀次の吐露を聞き、吉田も口を挟む。

 

 

「てめぇらロシアが……こっちの言うた通りにしとりゃ、こうはならんかったんや……! おどれら、ハナから日本で暴れたいだけやないかッ!!」

 

 

 彼の主張に対しては、ロックも一度閉口する。

 

 

 その事は薄々、ロックは察していた。

「あのバラライカ」が、額面通りに人と手を組む訳がない。

 

 彼女の全ては、「ホテル・モスクワ」だ。

 お情けとお慈悲で人助けをする慈善団体でも、金さえ貰えれば何でもする傭兵部隊でもない。

 

 

 利潤と快楽、それらを満たしてくれる戦争と制圧。

 ロアナプラで生活し、ホテル・モスクワと関わって来て痛いほど分かった。

 

 

 

 だからこそ断言は出来る。

 無法地帯を戦い抜いた彼女のやり方と、「なんだかんだ法の下にある仁義と任侠のヤクザ」とに、齟齬が出るのは当たり前。

 そしてバラライカはその齟齬に、愛想を尽かしつつある──いや、もう尽かしているかもしれない。

 

 

 

 あくまでロックは、ホテル・モスクワの通訳として来ただけだ。彼らの一員でもないし、自由に発言する権限すらない。

 彼女の真意は分からないが、間違いなく最終的には「鷲峰を切る」だろう。

 

 

 

 

 

 ロックが黙ったのは、彼の立場もある。

 雪緒を助けたいのはあるが、ホテル・モスクワを売る気はないし、だからと言って鷲峰組に肩入れする訳にもいかない。

 

 

 良く良く熟考した上で、彼は吉田や銀次の思いは無視し、現状だけを話そうと努めた。

 

 

 

 

 

「──ホテル・モスクワを引き入れたのは、そっちです。僕らの責任ではない。明らかにそっちのリサーチ不足だ」

 

 

 その言葉に驚いたのか、やっと銀次も顔をロックの方へ向けた。

 

 

「それに最終的な決定権は、バラライカさんにある。ここでどう僕に訴えようが……現状は変えられない」

 

「んだとこのガキャあ!?」

 

「それでもだ!!」

 

「っ!?」

 

 

 がなる吉田を、ロックは声を張り上げて封殺した。

 

 

 

 

 

「……今まで普通でいれた彼女まで……巻き込むのは違う。だから僕はここにいる……これは俺の矜持だ」

 

 

 

 闇の中にいた双子を、日の光まで押し上げた男を知っている。

 

 

 そうだ。希望はある。

 なんて言ったってロアナプラには、あのバラライカに「勝った男」がいる。

 そして自分も加担し、ホテル・モスクワに気取られる事もなく勝ったのだ。

 

 

 

 そうだ。鷲峰組の件には、「雪緒はまだ関係ない」。

 関係ないのなら、誰の権限もない。

 

 ただ、「拐われた女の子を助けに行く」だけ。

「無関係な人物が巻き込まれないよう、助言する」だけ。

 

 なんて言ったって、「まだ」鷲峰組はホテル・モスクワの同盟だ。仲間を助けるのは当たり前。

 

 

 

 

「──通訳さん……あんた……」

 

 

 銀次はまたしても驚いた。

 ロックの表情が、何とも楽しそうだったからだ。

 

 

 

 

 

 

「──『限りなくフリーだ。なんだってやれる』……!」

 

 

 

 

 やっとの事、銀次は察する。

 この男もまた、「こちら側の人間」なのだと。

 自由の名の下、何をしても良いと思っている「狂った悪党」なのだと。

 

 

 

 ロックがこちらを向く前に、銀次はまた前を向く。

 

 信用しても良い。だが、信頼は駄目だ。

 そのように、ロックへの警戒心を更に強めた。

 

 

「……通訳さんよ……」

 

 

 最後に一言だけ、呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

「…………そう言うンは、股から手を出して言ってくだせェ」

 

「あ、すいません」

 

 

 股に挟んでいた両手をやっと、パッと抜く。

 イカれているのか、間抜けなのか、とうとう判断が付けられなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、レヴィはホテルに戻っていた。

 

 

「よぉ〜ロックぅ。さっきウマそうな匂いのバルあったからさぁ、今からそこ食べに行か……」

 

 

 部屋の中は暗い。ロックはまだ帰って来ていなかった。

 

 

「あ? まだ帰ってねぇのか……」

 

 

 パチリと、電気を点ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボウリングの歴史は古く、紀元前五千年前の古代エジプトにてすでに存在していたらしい。

 スポーツと言うより宗教的儀式に近く、ピンを悪魔に見立て、それをボールで倒す事で無病息災になれると言う風だった。

 

 

 こう言った儀式は古代エジプトに限らず、世界中に点在していた。

 しかし並べ方やルールなど、現代のワールドワイドに近い様式を作った人物は、宗教改革で有名な「マルティン・ルター」と言われている。

 

 

 

 日本に於いても、ボウリングが国内に持ち込まれたのは幕末期らしい。

 ただ普及したのは昭和三十年代であり、それから四十年代後半には一大ブームが巻き起こった。

 あちこちでボウリング場が乱立し、日本中がボウリングに熱狂する。

 

 

 

 

 

 だが時流の勢いに任せたものは、ブームが去ればすぐ廃れるものだ。

 ブーム後より何年も経過した平成の頃には、国内のボウリング場は最盛期の半分ほどしか残っていない。

 残っていたとしても、併設したパチンコやカラオケの方が儲かっている、みたいな所も多々ある。

 

 

 当時と比べ、酷く寂れた所が多くなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 ここ「ヒラノボウル」も、そうした最盛期に作られたボウリング場だ。

 過去は全レーンが予約で埋まり、連日時間問わず客が来ていたと聞く。有名なプレイヤーを呼び、大会や講習会も開催していたらしい。

 

 

 今の有り様と言えば、昼過ぎにシニアか固定客が来るのみ。

 ホリデーシーズンには新歓や忘年会などでそれなりに来るが、あの頃のように全レーンが埋まる時は全くない。

 

 

 

 夜になれば廃れ具合は更に増す。

 端が破れたまま残った掲示板や、薄汚れた壁と、ただコチコチ音を鳴らす時計がロビーで出迎える。

 

 誰も来ないからと受け付けで普通にタバコを吸う、初老の支配人があくびと一緒に煙を吐いた。

 

 

 ガラス扉の向こうにあるレーンで起きている事など、興味を示していない。

 いや、示してはならないと注意していた。

 

 

 

 

 

 

 レーンは、半グレと思われるチンピラたちが占領している。

 

「親父狩り」がまだ取り沙汰されている昨今。触らぬ神に祟りなしと、介入しないように努めていた。

 

 彼らがガラス扉の向こうで何をしているのかなど、知った事ではない。そう思いつつ、今日の夕刊に手を伸ばす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。このレーンで何が起きているのかと言うと────

 

 

 

 

 

「……ズゥーーッ!!」

 

 

 白い粉を鼻から吸い、

 

 

「ングッ、ングッ」

 

 

 そのままひたすら缶コーヒーを飲む、白人の男。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 その様を隣で、呆然とした顔で見る少女と男。男の方は、鼻にガーゼを巻いていた。

 更に彼らを隣のレーンから引き気味の表情で注目している、男たち。なぜか縛られたロシア人が床に転がされていた。

 

 

「……ンハァ……あー、生きがえるぅー……」

 

 

 白人の男──こと、チェリオスは危ない目をしたまま少女の方を見る。

 瞬時に熱っぽい眼差しへと変わった。

 

 

「見苦しいところを見せちまって、すまないなハニー……これがねぇと、死んじまうんだ……」

 

 

 英語で話す彼を前に、困惑した様子で隣に座る男へと向く少女。

 

 

「……えーと……なんと?」

 

「……これがないと死ぬんだと」

 

「いや……寧ろこのままじゃ死んじゃうと思うんですけど……」

 

 

 チャカの通訳を聞いた後に、憐れむような心配するような目で雪緒は、チェリオスをまた見やる。

 また雪緒にちょっかいを出す前に、チャカはチェリオスに話しかけた。

 

 

「補給は済んだか? んじゃ、作戦会議だゴラァ」

 

 

 ここまで酷い目に遭って来たので、非常にキレている。

 キレると何をするのか分からない彼を、舎弟である愚連隊のメンバーは怖がっていた。

 

 

 しかしチェリオスは、チャカの事などどうでも良い感じだった。

 言葉が分からないのもそうだが、キレたチャカと対等に話せている彼にメンバーらは驚いている。

 

 

「あ?……あぁ、分かった。ちと離れたトコで話すぞ。この子が怯えちゃうからな」

 

「……おう。ほら、来い」

 

 

 チャカと共に立つと、雪緒の手を握り「待っててね」と呟いた後にレーンを離れる。

 去ろうとする時、チェリオスはチャカに耳打ちした。

 

 

「あの子に触れたら殺すと、あの間抜けドモに言っとけ」

 

「分かったっての……オイ! ゆっきーに触んじゃねぇぞテメーらッ!! 殺すっぞッ!!」

 

 

 それだけ言い残し、チャカに連れられた二人と一緒にロビーへ出て行く。

 

 

 残された彼らは居心地の悪そうに互いを見た後に、怯えた様子を見せている雪緒へと注目した。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

「…………ボウリングすっか」

 

 

 触らぬ神に祟りなし。

 雪緒を放置したまま、ボウリングに興じ始めた。

 

 

 ボールが転がる時の振動と、派手に弾けたピンの音で、ロシア人ことラプチェフが目を覚ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロビーに出たチャカとチェリオス、そして二人の舎弟。

 舎弟らは、大きなボストンバッグを担いでいた。

 

 

「ロビーのオヤジに聞かれねぇか?」

 

「んなの、俺とてめぇで英語で話しゃあ、聞いてねぇのと同じだろ」

 

「……それもそうか」

 

 

 とは言え支配人は彼らに怯え、完全に無視を決め込んでいるので無問題だ。

 チェリオスは舎弟らの担いでいるバッグを指差す。

 

 

「それは?」

 

「言ってた、襲撃用の武器だぜ……ホラよ」

 

 

 ジッパーを開け、中身を見せる。

 バッグの中に詰められていたのは、数多の銃器と弾薬だ。

 

 

 銃器一つ一つを見て、チェリオスは渋い顔を見せる。

 

 

「……PPS43にトカレフ……お前らソビエトか? 型落ちばっか集めやがって」

 

「S&Wも水平二連式もあんじゃねぇか」

 

「マジかよ、水平二連式なんざ骨董品だろが……おいおい、誰だ切り詰めやがったのは! マッドマックスやんじゃねぇんだぞ?」

 

「ソードオフしか売ってなくてな」

 

 

 チェリオスはまだアンナカの残っている鼻を拭いてから、首を振る。

 

 

「んな銃で勝てんのか? 相手はマフィアだ」

 

「あーあー、あんたは知らねぇよな」

 

「あ?」

 

「銃が売買されてねぇ日本じゃ、どのヤクザもクソ銃しか持ってねぇぜ。あんたにとっちゃ物足りねぇと思うがなぁ? ヤクザ相手にゃ余裕だぜぇ?」

 

 

 眉間を押さえた後に、煩わしそうに頭を掻く。

 

 

「……一応聞くが、てめぇのお仲間は撃てんのか?」

 

「いいや。まぁ、弾の込め方とか教えときゃ大丈夫っしょ?」

 

「お前……素人ばっか集めやがったのか? 銃ってのは使い手で決まるんだ。どんだけ良い銃揃えてもなぁ、撃つ奴が間抜けじゃ一発も当てられねぇんだ」

 

「それくれェ、知ってるっての!」

 

 

 チェリオスの肩を叩きながら寄り、コソッと囁く。

 

 

「だから襲撃のミソってのは……俺と、オメーだ。他のはアレだ、デコイみてーなモン?」

 

「足止めの要員か」

 

「それぐれーなら出来るだろ。鷲峰御令嬢とソビエトジジイを引き渡す時、奴らを使って挟み撃ちをかける。で、皆殺しだ!」

 

「皆殺しじゃねぇ、何人かは残せ。聞き出す事がある」

 

「あぁ……チョコってのか」

 

 

 それならば勝機は、まだこちらにある。どう転ぶのかは分からないが。

 まだ引き渡し場所の地形や、果たしてチョコに繋がる人間が現れるのかも不明だ。その点は引き渡しの際に、トーキョーカクテルの事を仄めかせばどうにかなるかもだが。

 

 

 

 

 何にせよもう、これしか策はない。

 やるしかないのかと、不安しかないチャカの作戦を前に、アンナカを吸いながら覚悟を決める。

 

 

 キメていると勘違いしているチャカらは、ドン引きした様子で彼を眺めていた。

 

 

「……ンハァ……場所の指定や、電話で言う内容。考えなきゃならねぇ事はまだある」

 

「それはよぉ、ボウリングしながらじっくり考えようぜ? まだ時間はある!」

 

「ワシミネが、俺のユキオを探しに来ねぇか?」

 

「俺のて……ここの事は誰にも話しちゃねぇけどまぁ、来たときゃ来た時じゃね?」

 

「……オメェはとんと、策士に向いてねぇ」

 

 

 呆れながらまた、雪緒のいる場所へ戻ろうとする。

 その時、付いて行こうとした舎弟二人を止めた。

 

 

「おいおいおいおい。んなモン持ち込むんじゃねぇ! 愛しのユキオが怖がっちゃうだろが! 車に詰めてろ!」

 

 

 当惑しながらもチャカは、チェリオスの命令を二人に伝え、車に置きに行かせた。

 またスタスタとロビーを出ようとする彼を、チャカは止める。

 

 

「おいおい……どんだけゆっきーに惚れてんだよ!? 入れ込み過ぎんじゃねぇ!」

 

「どうせまともに撃てねぇ素人ばっかだ。今持ち込んでも意味ねぇ。俺だけ持っときゃ十分だ」

 

 

 ちらりと、ズボンに挟んだスタームルガーを見せつける。

 

 

「……って、それ俺のじゃねぇかッ!? 返せよッ!!」

 

「ほらよ」

 

 

 あっさりとチェリオスは銃を一挺、投げ渡してやる。

 取られたルガーかと思えば、車の中で没収されていたアレだった。

 

 

「ニューナンブかよッ!! こっちじゃねぇッ!! 返せ俺のルガー返してくれよ!? 返せよォ返してくれよ俺のスタームルガーッ!!??」

 

「情けねぇ……それでやるか、パンチだけでどうにかするかのどっちかにしろ」

 

「パンチで勝てるかッ!!」

 

 

 チェリオスはもう無視し、ガラス扉を開いて再びレーンへと戻る。

 

 

 

 

 帰って来た彼へ、否応なしに注目が浴びせられた。

 途端、彼の心臓がまた痛み始まる。

 

 

「ぅぅう……!?」

 

 

 急いでポケットに入れていたコーヒーを飲むが、全く治らない。

 

 血の巡りが悪くなり、頭がぼんやりとしてくる。

 

 視界も朧げとなり、足取りが重くなった。

 

 

 

 

 カフェインは摂ったが、それだけでは足りない。アドレナリンを増やさなければ。

 

 

 どうしようかと考えるより前に、雪緒へ目を向ける。

 

 

「………………」

 

 

 彼女を見ていると、苦痛など忘れてしまう。

 このまま安らかに死ねるのも良いとは思ったが、それでは駄目だ。

 自身をこんな目に遭わせた連中を、全員殺さなければ、死んでも死に切れない。

 

 

 

 

 

「…………ズゥーーッ!!」

 

 

 アンナカを吸い込み、気分を少し良くしたところで、彼は叫ぶ。

 

 

 

 

 

「ボウリングすっかぁあーーーーッ!!」

 

 

 背後で「何言ってんだ」と言わんばかりの表情で凝視するチャカ。

 それはこの場にいる全員に共通するだろうが、チェリオスはお構いなしだ。

 

 

 

 

 ガシリと、十六ポンドのボールを鷲掴み、盛大に掲げた。

 

 

 

 後から続いたチャカも真似しようとするが無理だったので、十三ポンドで妥協する。

 

 

 

 

 

 

 

 それからはもうやりたい放題だ。

 

 順番やルールに関係なく、チェリオスは投げまくる。

 最初は彼の狂気に付いて行けず、おずおずとした様子の愚連隊たちだった。

 

 だがチェリオスがターキーを達成した辺りから、次第に盛り上がりを見せる。

 

 

「フォース! フォース! フォース!」

 

 

 四回連続ストライク(フォース)のかかったチェリオスの一投を、メンバーらは囃し立てていた。

 彼はボールを抱えながら、ちらりと期待の眼差しで雪緒を見る。

 

 

「え?……あっ。ふぉ、フォース、フォース」

 

「いや、ゆっきー、やめろって。これ以上あいつ調子乗らせんなオイ」

 

 

 チャカが嗜めるも、もう遅い。

 雪緒の応援を受けて調子に乗ったチェリオスは、豪快な力でレーンに転がした。

 

 

 

 放たれた豪速球はピンを吹き飛ばす。

 

 一本だけ、残ってしまった。

 一同「あぁー!」と、悔しがる声があがる。

 

 

「……クソォーーーーッ!!」

 

 

 腹が立ったチェリオスは、ワックスが塗られたレーンにスライディング。

 

 

「何やってんだオイ!?」

 

 

 誰かの制止を聞かず、チェリオスは残ったピンをスライディングで蹴っ飛ばした。

 

 

 

 

 

 すっかりメンバーらは絆され、普通にボウリング大会を開始。

 誰かがストライクを出すと、チェリオスらはハイタッチなどをして喜び合う。

 

 

「よぉーーしッ!! 良くやったクソやろうッ!!」

 

「チャカさん! この人、なんて言ってます!?」

 

「なに普通に楽しんでんだテメェら?」

 

 

 レーンを四つほど使い、同時にボールを投げてストライクをやろうと言うチャレンジもやった。

 

 十回ほどで、本当に同時ストライクを達成する。

 

 

「行ったか!? ストライク!? よぉーしッ!!」

 

「イエーーイッ!!」

 

 

 男たちは抱き合い、喜び合う。

 その様を見ながらチャカは、馬鹿馬鹿しいと頭を抱えた。

 

 

 雪緒は苦笑いしながら、手を叩くだけ。

 

 

 

 

 その内、目を覚ましてから暴れているラプチェフの拘束が解かれた。

 

 

「貴様らぁ……!! 誰に手を出したと思っていやがる!? 全員終わりだクソがッ!!」

 

「おいチャカ。なんて言ってんだ?」

 

「すまねぇ。ロシア語はさっぱりだ」

 

 

 ラプチェフは英語も話せると分かると、チェリオスに「最初から英語で話せ」と殴られた。

 

 多勢に無勢と、拘束は解かれたものの大人しく席に座る事しか出来ない。ずっと苦虫を噛み潰したような表情で、連中を睨んでいた。

 

 

「おいロシア人! ボウリングはロシア語でなんて言うんだ?」

 

「……キエーグリィ」

 

「キエーグリィだってよぉ! おいあんたもやりやがれ!」

 

「なんでだ?」

 

 

 なぜかチェリオスにボールを渡され、投げろと命じられる。

 渋々投げたボールは、ガーターとなった。

 

 

「やっぱロシアは駄目だな」

 

「き、き、き、貴様だけは、絶対に惨たらしく殺してやる……!」

 

「ここは日本だぞ。英語話せ」

 

 

 ロシア語で殺意を吐くラプチェフを押し除け、別の男がボールを投げた。

 チェリオスは休憩がてら、アンナカとコーヒーを飲みまくる。

 

 

 

 

 

 

 時刻は深夜一時に差し掛かった。疲れから、座席の上で眠る者も現れた頃だ。

 

 

 レーン上にはボールを構える雪緒と、後ろから支えるチェリオスの姿があった。

 

 

「こ、こ、このまま転がすんですか?」

 

「良いぞハニー……ゆっくりで良い。肩の力を抜いて……さあ、ほら」

 

「……なんで誘拐されてボウリングやってるんだろう……」

 

 

 雪緒の不安にも気付かず、チェリオスは彼女をサポートしながらボールを投げさせた。

 

 ゴロゴロと転がったものの、勢い足りず先端の一本だけ倒れた。後はピンにボールが負け、そのままガーターへ。

 

 

「あぁ、惜しかったなぁ、ハニー……」

 

「あの、私ハニーって名前じゃないんですけど」

 

「多分、ボールが重かったんだよ……オイッ!? 誰だ十ポンド持って来た奴ぁッ!? 六ポンド持って来やがれッ!!」

 

 

 ボールに付着したワックスを拭う為のタオルを、眠っていたチャカの顔面に叩き付ける。

 

 

「んがっ!?……あ? ポンド?」

 

 

 起こされたチャカは、隣にいたラプチェフを蹴っ飛ばしてボールを持って来させた。

 

 

「持って来いや」

 

「俺がか!? 調子に乗んじゃねぇ猿どもがッ!!」

 

「あ? んだとゴラァッ!?」

 

「ぐぇっ!?……貴様ぁッ!!」

 

 

 キレたチャカが、ラプチェフの顔面に蹴りを入れる。

 やり返そうとする彼を止めたのが、意外な事にチェリオスだった。

 

 

「ユキオが怖がってんだろがぁッ!!」

 

「おめぇ、マジゆっきー至上主義だなオイ」

 

「なんだ? 何が原因だ?」

 

「ゆっきーのボールを取りに行かねーってよ」

 

「このイワンの馬鹿がぁーーーーッ!!」

 

 

 チェリオス怒りの鉄拳が、ラプチェフの髭面に放たれる。

 

 

「ぶぐふッ!? な、オイ、貴様もかッ!? 俺を誰だと思ってんだぁあ!? 元KGB(チェーガー)で、ホテル・モスクワの頭目だぞッ!?」

 

「なら俺はレーニンの生まれ変わりだ。共産主義から資本主義に乗り換えたなぁ。オイ、さっさと六ポンド持って来い。お仲間みてぇに殺すぞ」

 

「グッ、うっ……! お、俺を生かした事、後悔させて」

 

「良いから行けッ!!」

 

 

 ラプチェフを黙らせ、ボールの置き場所へと向かわせた。

 

 

「走れーーッ!!」

 

 

 急かし、走らせる。

 それからクルリと振り返り、雪緒の手を取った。

 

 慣れと言うものは恐ろしいもので、すっかり雪緒はチェリオスの行動に驚く事はなくなっていた。

 

 

「……あまり無闇やたら殴らない方が……」

 

「おいチャカ。ユキオは何と仰っている?」

 

「…………大人しくしろってよ」

 

 

 他の者が言えば怒鳴って殴っていたかもだが、相手は雪緒だ。手を握ったまま、悲しげな目で跪く。

 

 

「あぁ……ごめんよハニー……許してくれ。性分なんだ、すまない……極力、大人しくするよ……」

 

「なんと?」

 

「めんどくせぇなオイ……出来るだけ大人しくするってよ!」

 

 

 一々通訳を求められれば、投げやりにもなる。席に寝転びながら、がなるように話すチャカ。

 

 雪緒は頭痛になりそうな思いになりながら、チェリオスから手を離す。

 縋るように、寂しげな彼の目がなぜか、彼女に罪悪感を与えた。

 

 

「……決してストックホルム症候群とかではないんですけど……分かりました、クリスマスさん」

 

「シェビーって呼んで?」

 

「もう暴力はなしと、約束してください」

 

 

 離した手を握り、小指を突き出す。

 何を意味するのか分からないままチェリオスは、とりあえず真似だけした。

 

 

 チラリと二人して、チャカを見る。

 面倒臭くなった彼は英語で、雪緒の言葉を伝えた。

 

 

 

 

 

 

「私を守れと約束しろってよッ!! もう寝るッ!! 通訳しねぇぞッ!!」

 

 

 チェリオスは二、三度頷き、雪緒に向き直った。

 

 

「あぁ、そんな事か……お安い御用だ」

 

 

 雪緒から彼の小指に、自身の小指を絡めた。

 ゆびきりげんまん。日本に於いて、約束を交わす時に行う儀式のような物。

 

 

 

 

 

 

「もう殴ったら駄目ですよ」

 

「必ず……君を、守る……」

 

「はい、指切った」

 

 

 弾かれるように、二人の小指はまた離される。

 これで少しは大人しくなるだろうと、雪緒は彼に期待した。

 

 

 すぐ後、ラプチェフがボールを持って戻って来る。

 

 

「おい! 六ポンド持って来た──がぼッ!?」

 

「遅ェせぞイワンコフがーーッ!!」

 

「もう約束破るの!?」

 

 

 雪緒の眼前で普通に、ラプチェフを殴った。

 

 

 まさか交わした約束が、お互いズレているとは知らずに────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、ホテルにいるレヴィ。

 

 

「んがっ?」

 

 

 ベッドの上で起床し、隣のベッドを見た。

 まだロックは帰っていない。

 

 

「……おーい。夜遊びが過ぎんじゃねぇか? 相棒ほったらかしてよぉ……」

 

 

 ウダウダ言いながら、二度寝する。




「胸がドキドキ」
「↑THE HIGH-LOWS↓」の楽曲。矢印は必要。
1996年発売のシングル。アルバムには収録されていないが、2001年発売のアルバム未収録曲を集めたコンピレーション「flip flop」には収録されている。
国民的長寿アニメとなった「名探偵コナン」の、記念すべき初代オープニング曲としてあまりにも有名。

良くブルーハーツの曲と間違えられるが、ハイロウズ自体がブルーハーツ解散後に、作詞作曲を担当していた甲本ヒロトと真島昌利が結成したバンドなので(この二人で今はザ・クロマニヨンズを結成している)、実質的には間違っていなかったり。
と言うよりバンドサウンドに被せるようにして弾かれる力強いピアノや、シンプルなコード進行など、この曲自体がブルーハーツ時の曲調を意識されている。


返せよ俺のザビーゼクター。
最新作「鬼滅冥人奇譚」もお願いします。鬼滅とツシマのクロスオーバー。


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Bullshit

あと5話か6話ぐらいですかね


 深夜に差し掛かり、やっとロックらは雪緒の居場所を特定した。

 ヒラノボウルの前に停車している仲間の車の後ろに、吉田の運転する車が停まる。

 

 

「ほんまにここかぁ!?」

 

「めちゃくちゃ探しやした。チャカらがここで、ボウリングやっているらしいんですが」

 

 

 吉田に続く形で、ロックと銀次も降りる。

 辺りはしんと静まり返り、ただボウリング場のネオンだけが寂しく照っている夜だ。

 

 

「……通訳さん。半グレみてぇな奴らってェ情報は確かなんですね?」

 

「その、チャカ? と言う人かは分からないですけど」

 

 

 六本木のクラブで一応顔合わせはしているものの、別に話したりなどはしていないので、ロックもチャカも印象は皆無だ。

 

 

「あのチンピラはここら半端モンどもの中心だそうで。半グレどもの仕業なら、間違いなく関わってンでしょう」

 

「ほんまにアイツがやったんなら、ケジメつけさせんとなぁ!」

 

「まだ決まった訳じゃねェ。焦りなさんな」

 

 

 ボウリング場内から、鷲峰組の構成員が出て来た。

 

 

「今、店長に聞きやした。チャラチャラした奴らに混じって、大人しそうな女の子と細長いジョン・マクレーンみたいな外人がおったそうですわ」

 

「……今、決まりやしたな」

 

「細長いマクレーンさん????」

 

 

 ロックの頭の中では、マクレーンの写真が縦に伸ばされている映像が流れた。

 

 そんな彼を放っておき、銀次は殺気立つ吉田と構成員らに対し命令をする。

 

 

「俺が先陣切りやしょう。他は入り口と裏口を固めてくだせェ」

 

「おい銀の字ィ! ふざけんじゃねぇッ! お嬢ぉ、(さろ)うた外道どもやぞッ!? わしらも行かせんかい!」

 

「今、この場所で……鷲峰が騒ぐのはマズイ。弾一発で、どこの組のモンか分かっちまう昨今……銃は使っちゃァいけねェ」

 

「サツが恐ろしくてヤクザやれるかいッ!!」

 

「そうじゃねェ、吉田」

 

 

 激昂する彼を嗜める為、銀次は半歩近寄る。

 その前に近くにいた構成員に耳打ちし、ロックを二人から離させた。

 

 ぞんざいに突き押され、当惑するロックを確認した後、銀次は吉田にしか聞こえないような声で話す。

 

 

「……今、警察にガサ入れられちゃァ困る。鷲峰が動けなくなりゃ、香砂やロシアどものさばらせるだけだ」

 

「……!」

 

「聞け。お嬢を助け、チャカって野郎だけ捕まえりゃァ良い。そうすりゃ他の裏切りモンは芋蔓だ。なるだけ静かに済まさないけねェ」

 

「せやかて……!」

 

「……若頭が戻らねェ以上、てめぇ勝手にドンパチは駄目だ……今は」

 

 

 目を逸らし、複雑な思いを表情に出す吉田。

 銀次は彼の肩に、右手を置いた。

 

 

「……安心しろ、吉田」

 

 

 顔を上げた吉田には、白鞘を見せつける彼の左手が見えた。

 力強く握られ、ブルブルと震えている事が分かる。

 

 

「……白刃の具合じゃあ、特定なんざ出来ねェ」

 

 

 怯えではない、怒りだ。

 銀次は怒りを押し殺し、冷静に打算を立てていた。

 

 

 

 

「……俺ァ、一旦『人斬り銀次』に戻る──お嬢の為に」

 

 

 一度だけ肩をぽんと叩いてから、コートの裾を翻しボウリング場の出入り口へと歩み出した。

 

 白鞘担いだ背を向け、一言だけ残して。

 

 

 

「……容赦はしねェ」

 

 

 彼の醸す覇気に当てられ、吉田は思わず黙り込んでしまった。

 気を取り直した頃には、銀次は一人ヒラノボウルの中へ消えて行った頃だ。

 

 

「………………」

 

「吉田さん。どうしましょか?」

 

「……おどれら、なにやっとんねん」

 

 

 呆気に取られていた構成員の頭を、吉田ははたく。

 

 

「銀の字の言うた通りせんかいッ! わしらァ、入り口固めるから、残りは裏口に行けッ!!」

 

「へ、へい!」

 

「捕まえんのはチャカだけや! 他は逃してもええ……あ、あと、お嬢は絶対に助けるんやぞッ! チャカ捕まえてお嬢助けられんかったら、おどれらシバくじゃすまんからなぁッ!?」

 

「ウッス!」

 

 

 命令通りに行動を開始する構成員ら。

 集まった数は六人ばかしと少人数だが、もしもの時の為に拳銃は全員持たせてある。立ち回り次第で十分な人数だろう。

 

 せかせかと裏口へ行く四人を見送った後、自身らも入り口で張り込みをしようかと歩き出す。

 

 

 

 

「……あの〜……」

 

 

 途端、控えていたロックがぴょこりと手を上げた。

 

 

「僕は、どうしたら……」

 

「……わしらの目の届くとこおらんかいッ!!」

 

「ですよね」

 

 

 ロックも吉田らのグループに付いて行く。

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、レヴィは一人で酒盛りを始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何度か通話を試みるチャカだが、一向に相手側からの応答はない。

 

 

「……ふっざけんなよ、全然出ねぇべ。大物のヤクザまでなりゃ、夜はきっちり寝んの? 健康志向かオイ」

 

 

 香砂会に何度かかけているものの、深夜帯でみんな眠っているせいで電話番がいないようだ。

 それから三回ほどかけ直したが、すぐに留守電のアナウンスが入った為にとうとう諦めた。

 

 

「駄目だ、全然出ねぇわ。まぁ、こんだけしつこくかけてりゃ、朝方折り返しで来るっしょ」

 

「おめぇ、とことん策士に向いてねぇなボケ」

 

 

 楽観的なチャカに呆れ、チェリオスは再びレーンに戻る。

 相変わらず他のメンバーはボウリングを続けていたが、雪緒はさすがに疲れ果ててしまい、席でうつらうつらと船を漕いでいた。

 

 チェリオスは上着を着ていなかったので、殴られて気絶していたラプチェフの高そうなジャケットを奪い、それを雪緒にかけてやる。

 

 

 

 

「……話しがつきゃあ、ユキオは解放だ。後は上手く立ち回るしかねぇ」

 

 

 ちゃっかり雪緒の隣に座り、アンナカとコーヒーをひたすら補給。

 チャカもまた自販機で買ったコーラを飲みながら、チェリオスに話しかける。

 

 

 

 

「そういやオメェよ?」

 

「あ?」

 

「そもそもなんで、チョコって奴探してんだ? やっぱアレか? 依頼人がいて〜、みてぇな?」

 

「……大当たりだ。三合会が俺のバックにいるってのは言ったろが」

 

「ならよぉ! 三合会が協力してるって感じがねぇのはおかしいべ? 三合会が助っ人っての、マジじゃねーんだろぉ?」

 

 

 アンナカを鼻から噴き出しながら、チェリオスはチャカに対し、初めて関心したような表情を見せる。

 

 

「いきなりIQ上げやがってこの馬鹿がぁ」

 

「薄々気付いてたっつーの」

 

「だとすりゃなんだ? 後ろ盾のない俺を……ここで俺を殺すか?」

 

「……いやぁ〜、まぁ〜……」

 

 

 

 

 実は一度か二度、舎弟に襲わせたりホテル・モスクワの支部にけしかけ殺そうともした……が、これは口が裂けても言えない。

 これらの行動も一応は、「チェリオスにバックはいない」と言う確信の下で、チャカは行ってはいた。

 

 

「……う〜ん、まぁな? それはしね〜けどよ?」

 

 

 心中で中指立てながらしらばっくれる。

 そんな事など全く知りようもないチェリオスは、淡々と話を続けた。

 

 

「なら詮索すんのはよせ。テメェらは金と香砂会の命が欲しくて、俺ぁチョコとモロ・サンに用がある。利害が一致してんだ、これでもう良いよなぁ?」

 

「ちょっとは教えたって良いだろが?」

 

 

 チェリオスは缶コーヒーをグビッと飲み干し、空き缶を捨てる。

 

 

 

 

 

「この世界で生き残るにゃァ多くを語らねぇ事だ、チンピラ。俺たちの世界にあんのは……」

 

 

 光のない目でチェリオスは、チャカを上目遣いで睨む。

 その瞳から放たれる気迫には、さすがの彼でさえもたじろいでしまった。

 

 

「まずは金……次に信頼だ。分かるかぁ? 日本人」

 

「あ……あぁ……分かるぜ? おぉ! 俺たちもそうだ!」

 

「ふざけんじゃねぇ、全然違ぇだろがボケナス。見やがれ、おめーの舎弟らをよ」

 

 

 全員、ボウリングをやり続けていたり、品のない談話を続けていたりと寛いでいる。

 

 

「これからマフィア一つ潰すってのに、緊張感のカケラもねぇ。なんだありゃ? こいつら、流行りの映画でも観に行くのか? これからよぉ? えぇ?」

 

「おめぇも割と楽しんでなかったか?」

 

「俺は仕方ねぇだけだ」

 

 

 誰かが転がしたボールが、ピンを弾き飛ばした音が響く。

 

 

「忠誠と、意識ってのがねぇ。あれじゃ銃持たせたところで、仕方ねぇぞ。ビビって尻向けてトンズラこくに決まってる」

 

「そうはさせねぇ。ビビった奴は殺してやるって言っとくからよぉ〜」

 

「馬鹿野郎が。またIQ落ちたかてめぇ。こっちが殺して数減らしちまえば同じだろが。それに脅しは土壇場じゃ意味ねぇボケ」

 

「んだとゴラ? てめーこそカフェインで脳細胞死んだんじゃねーか?」

 

「聞きやがれドチンピラぁ」

 

 

 キレて詰め寄ったチャカを、チェリオスは立ち上がって自ら詰めてやる。

 思わず彼は、チェリオスの空気に飲まれて黙ってしまった。

 

 

 

「脅しはなぁ? 考えがある奴が奥の手で使うからこそ効く。奥の手であって、常套手段じゃねぇ」

 

「意味分かんねーし」

 

「てめぇはなんだァ? チンケなクラブ経営して、副業でこれまたチンケなガキども集めて、コルレオーネと間違えてファシストごっこしてるだけだろが? へ?」

 

「てめぇ……」

 

「ガキ振り回して楽しんでんのは勝手だが、これは『戦争』で『仕事』だ。遊びじゃねぇぞ」

 

 

 チャカのすぐ目の前でアンナカを吸う。

 微かに舞う白粉の中から覗く彼の蘭々とした目が、射貫くようにチャカを睨む。

 

 チェリオスは愚連隊らを指差し、彼に命じた。

 

 

「あんな薄ノロどもはいらねぇ。きっちり仕事をこなせる、プロを集めやがれ。それが無理だとしてもな? 最後まで引き金を引ける肝の据わった奴を連れて来い」

 

「今からか!?」

 

「無理なら何とか、あいつらその気にさせろ。脅しじゃなくてなぁ? 正確な計画、それから終わった後の事と、特に金の分配……ビジョンだ。それで意識を変えさせろ。降りる奴は見逃せ。ただし裏切りだけは許すんじゃねぇぞ」

 

 

 肩を強く突き飛ばし、チェリオスは詰めていた距離を離させた。

 

 

 

 

 

 

「そうすりゃ信頼も信用も、後から付いて来る。そう言うもんだ」

 

 

 

 

 

 

 言い切り、また鼻からアンナカを噴く。

 呆然と立つチャカを無視して、また席に戻ろうと背を向けた。

 

 

 投げたボールが、ピンを盛大に弾く。

 軽快な音が響き、天井に据え付けられたスコア用のテレビには「ストライク」の文字が浮き出る。

 

 

 途端、それらを吹き飛ばすような轟音が現れた。

 

 場にいた者たちが目を向けた先は、ロビーに繋がる扉だ。

 

 

 

 

 

 

 

「──虎の尾ォ、踏んじまったばっかしに」

 

 

 

 扉を蹴破った男は一歩、ボウリング場に入る。

 

 

「別れ路の淵瀬(ふちせ)へお立ちなすった、三太郎(さんたろう)は──」

 

 

 

 音に驚き、雪緒がハッと目を覚ます。

 

 

「──お前さん方でやしょう?」

 

 

 

 

 チェリオスも踵を返し、振り返った。

 

 

 

 

 立っていた者は、短髪と髭の巨漢。

 コートを靡かせ、ぺたぺたとサンダルを鳴らす。

 

 瞳は伺えない。代わりにサングラスが、男たちを真っ黒に写した。

 だがその向こうにある怒りが、殺意が、執念が……漏れ出し、辺りを飲み込んではいた。

 

 

 片手に下げた白鞘の先が、かつんと床を叩く。

 

 

 

 

「銀さん……!?」

 

 

 驚きの声は、雪緒のもの。すぐにサングラスは男たちから、彼女の方に向く。

 ライトの光がそれをギラリと、光らせた。

 

 

 

 

「……見参いたしやした、お嬢」

 

 

 

 

 雪緒の前に立ち、視界を遮った者はチェリオス。

 彼は真正面から、銀次の前に立ちはだかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロックたちは、入り口前で腰掛けて待機していた。

 寒い東京の深夜。皆、白い息を然りに吐き、手を擦って暖を取ろうとする。

 

 

 その間電話をしていた一人の構成員が、ホッとした様子で吉田に報告した。

 

 

「若頭の手術が終わりやした!」

 

「おぉ!? ホンマか!?」

 

 

 ここまでずっと厳しい顔付きだった吉田だったが、やっと綻びを見せた。

 

 

「ただ、まだ意識は戻らんようでさ。全身包帯塗れで安静にしとるそうで」

 

「生きとったらええわッ! いや、ホンマに良かった……!!」

 

「マジ良かったッス……!」

 

 

 吉田と構成員らは涙ぐみ、そのまま抱き合って男泣きを始めた。

 ロックは横で「スクール☆ウォーズ」のワンシーンみたいだなと思いながら、「あっ!」と声を上げて電話を取り出す。

 

 

「……レヴィに連絡忘れてた……怒ってるだろうなぁ……」

 

 

 かけようかと思ったが、「今は寝ている頃だろうか」と予想し、彼女の安眠の為にやめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロックの予想は外れてはいた。

 

 その頃レヴィは酔った勢いと、帰って来ない相棒へのモヤモヤから一人で────これを描写すると上映禁止にされかねないので、割愛する。(監督のコメンタリーより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんだかんだ身内に優しいレヴィだ。後から適当に言い訳すれば良いと考え直す。

 電話をしまうと、北風がロックに流れ込む。

 

 寒さに当てられ、尿意を催してしまった。

 

 

「……あの〜」

 

「おんおんおんおん……おぉ!? なんやワレェッ!?」

 

 

 おんおん泣いていた吉田が、ロックに食ってかかる。

 申し訳なさそうに頭を下げながら、ボウリング場内を指差す。

 

 

「……お手洗いに、行ってもよろしいでしょーか……?」

 

「今か!? 我慢出来ひんのか!?」

 

「コーヒー飲んじゃいまして……」

 

「どっか、駐車場の見えへんとこでせぇや!」

 

「立ちションはちょっと……」

 

 

 吉田はガシガシと自慢のパンチパーマを掻いた後に、煩わしそうに呻いてからロックを睨む。

 

 

「あーもうッ! 行ってこんかいッ!! 静かにやでッ!? バレたら、東京湾沈めたるからなぁッ!?」

 

「は、はい。静かに行きますので……」

 

「四十秒で済ませッ!!」

 

 

 そう言ってペコペコ頭を下げながら、彼もボウリング場へと入って行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銀次を確認し、安心した様子で立ち上がる雪緒。

 だがチャカが彼女を引き止め、前に立つチェリオスが銀次を隠してしまった。

 

 

 チェリオスはぎろりと、銀次を睨む。

 この空間に於いて、彼の放つ覇気をまともに受けられたのは、チェリオスしかいない。他のメンバーは多少、慄きを見せている。

 

 

「……なんだァ? この(あん)ちゃん。ターミネーターのコスプレか? 日本人がやると間抜けに見えるからやめろって、奴に通訳しやがれ」

 

「……そちらさんも外人雇った訳ですかい。良くねェ眼だな……お前さん方にゃァ勿体ねェほど、良くねェ眼だ」

 

「こいつも英語話せねェのかァ? てか、まずこいつ誰だオイ?」

 

「兄さんが何者か知らねェが、日本でいンなら、日本語話すンが礼儀でやしょ?」

 

 

 拘束されながらも、必死に雪緒は弁明してやろうとする。

 

 

「ま、待って銀さ──んんっ!?」

 

 

 それをチャカが、口を押さえて必死に黙らせた。

 

 

「いやぁ〜、まさかまさか、アンタがさぁ、ここに来ちゃうなんてね〜? もうさ、ヤクザやめて、探偵すりゃ良くね?」

 

 

 怒りを抑え込むように、銀次は深く鼻から息を吐く。

 ぎりぎりと、鞘を握る手の力が強まった。

 

 

 

 

「……お嬢からその、汚ねェ手を離しやがれ」

 

「オイッ!! ユキオがかわいそうだろッ!!」

 

 

 途端チェリオスも、雪緒を抱き竦めるチャカに振り向いて怒鳴り付けた。

 ガクッと、ずっこけかけるチャカ。

 

 

「……おめーはどっちの味方なんだよ!?」

 

「ユキオの味方だ」

 

「マジでブレねぇなお前」

 

 

 気を取り直すように、溜め息を吐く。

 チャカは薄ら笑いを浮かべながら、及び腰な愚連隊のメンバーに告げた。

 

 

「おいおい! ビビってんじゃねーぞゴラッ! あっち一人で、俺たちの方が多いじゃん? しかもあっち、刀だぜ刀ッ!!」

 

 

 メンバーらは彼の言葉を聞いて、ざわつき始めた。

 確かにこっちの方が数的に有利ではある。銀次の醸す覇気に、完全に飲まれていた。

 

 

「囲ってリンチすりゃあよぉ、一発だぜ? しかもこっちにゃ、秘密兵器のミスター『アホ』クリスマスも付いてんだ!」

 

 

 日本語が分からない彼に、これとなしに「アホ」を付け加える。

 チェリオスは分からないなりにも、なぜか直感的にカチンと来た。

 

 

「ほらほらビビんじゃねぇッ! 全員さっさと武器構えろィ!!」

 

「あの」

 

「ほら、とっととしやがれ!」

 

「あの、チャカさん」

 

「だから早く……あ? なんだ?」

 

 

 おずおずとメンバーの一人が、チャカに耳打ち。

 

 

 

 

 

「……武器、無いッス」

 

 

 

 

 少しだけ思考停止し、辺りを見渡す。

 愚連隊は銀次を囲むどころか、いつの間にか雪緒より後ろの方へ移動していた。

 

 

 全員、確かに武器の類は持っていない。

 

 

「……なんで持ってねぇんだよ? おい銃とか入れた鞄は?」

 

「車の中ッス……」

 

「は?」

 

「いや、だってチャカさん……」

 

 

 男はチェリオスを指差した。

 

 

 

 

 

 

「……あのミスタークリスマスが、ゆっきーが怯えるからって……」

 

 

 

 

 瞬時に数時間前の記憶が蘇る。

 ボウリングやりまくったインパクトが強過ぎて、失念していた。

 

 

 

 チェリオスが、武器全てを車に戻すように言い、渋々チャカが命じたのだった。

 今この場に、刀持った大男に立ち向かえる物は何も無い。

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 自分の懐をチラリと見る。

 

 ニューナンブしか持っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「相棒ッ!! あいつ、ゆっきーの『婚約相手』だッ!!」

 

「!?!?!?!?」

 

「よし、信じた。アホだ。逃げよう」

 

 

 そう嘘を吐いた後、雪緒を連れてメンバーらと逃げた。

 即座に銀次は彼らを追おうとするが、立ちはだかる一人の男に阻止される。

 

 

 

 

 

「……!……どいてくれやせんか?」

 

 

 立ちはだかる男とは、チェリオスだ。彼はチャカの嘘を間に受けている様子。

 わなわなと震え、血走った目で銀次を睨む。

 

 

 

「おいテメェ……!? ユキオの、婚約相手だァ……ッ!? おっさんじゃねぇか……!?」

 

 

 アンナカの袋を口で破り、彼の目の前で吸い込む。

 その様を冷めた目で眺めている銀次。

 

 

「だからシャブは売るなと……」

 

「政略結婚って奴か……!? かわいそうに……ッ!! 許せねェクソ……ふざけんじゃねぇ……ッ!!」

 

「兄さん、ちょいと横にはけてくれ」

 

 

 チェリオスはズボンの隙間に挟んでいた、スタームルガーを見せ付ける。

 

 

 銃を視認した銀次は、ゆっくりと柄を握る。

 

 

「……やるってんですかい」

 

 

 チャカらは雪緒を連れて、ロビーの方へと消えて行ってしまった。

 落ち着いているが、もう銀次も我慢の限界に達する。

 

 

 

 

 握った柄を、少しずつ引き上げた。

 ぎらりと、白刃が鈍く光る。

 

 

「ドグサれニセターミネーターがァ……気に食わねェ……一目見た時から気に食わねェんだ、てめぇ……」

 

「……そんなに俺の刀が見てェか……」

 

「しかもユキオの婚や……いいや、認めねェクソ野郎……ッ!! 見た目変態じゃねぇか!?」

 

「………………」

 

「…………クソが」

 

 

 

 

 チェリオスは、ルガーのストックを握る。

 

 銀次は、刀を白鞘から抜いた。

 

 

 

 開戦の合図は、まさにそれだ。

 派手な銃身と、飾りのない白刃が光る時、二人の怪物が相見える。

 

 

 

 

 

 チェリオスが銃口を向けた瞬間、銀次はもう刀を構えて眼前まで飛びかかっていた。




「ふざけるんじゃねぇよ」
「頭脳警察」の楽曲
1972年発売「頭脳警察3」に収録されている。
色んな意味で伝説のパンクバンド。全共闘による学生運動が激化した最中で当時の情勢を汲んだ過激な曲を作り、ファースト、セカンドアルバムに関しては発売禁止(ファーストアルバムは2000年に再販された)。因みになんと、現在も活動中。
彼らのファンで有名なのは内田裕也で、彼の映画作品である「コミック雑誌なんかいらない!」は頭脳警察の曲のタイトルから取った。

シンプルなサウンド、抑制に対する怒りなど「まさにパンク」な一曲。
一切のオブラートも無しに吐き出される「クソッタレ、馬鹿野郎!」「動物じゃないんだ!」と言う過激な魂の叫びが妙に響く。


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Bring Back Our Love!!

「ッ……!!」

 

 

 身体を逸らし、銀次の放った一撃を避ける。

 チェリオスの眼前に銀色の光線が通ったが、それが真剣の残像だと気付いたのはワンテンポ遅れてからだ。

 

 

 斬り払い、避けられたと知った銀次は刃先を立て、突きに入る。

 刃渡りは七十センチ超。到達はあっという間だ。

 

 

 

 

「舐めんなッ!!」

 

 

 瞬時に軌道を見極め、刀の峰を叩き、突きによる一点攻撃をズラす。

 勢いそのままに突っ込んだ彼の懐へ、チェリオスは自動的に入った。

 

 構えていた銃口が、ゼロ距離で銀次の胸に触れる。

 

 

 

 

 だが引き金は引けなかった。

 指をかける前に、攻撃の失敗を察した銀次が、チェリオスを蹴り飛ばしたからだ。

 

 

「ぶげぐ……ッ!?」

 

 

 大股で三、四歩ほどノックバック。

 そのまま後方にあった、投げたボールが戻って来るパワーリフト……ボールリターンと言う名称の機械だが、それに腰をぶつける。

 ボールリターン上には、三つほどボールが残っていた。

 

 

 

 

 完全に態勢を崩した彼を待つほど、甘い男ではない。

 銀次は刃を立て、チェリオスの脳天をかち割らんと振り上げた。

 

 

 一歩、二歩、三歩で飛びかかり、彼の禿げ上がった頭目掛けて白刃を下ろす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒラノボウルの裏口で張り込む、四人の鷲峰組構成員。

 持参したカイロで指先を温めながら、暫しその時を待つ。

 

 亡くなった組長、その一人娘が窮地にある。誰一人として雑談をする者はいない。

 ダストボックスの影で身を潜め、さながらジッと我慢の子であった。

 

 

 

 途端、裏口の扉からドタバタと音が響く。

 構成員らが注目すると、扉が勢い良く開き、数人の若者が大急ぎで出て行った。

 

 

「愚連隊の奴らだ、間違いねェ……!」

 

「チャカの野郎……! 藤島がムショ食らった時に追い出しときゃ良かったンだ……!」

 

「あいつらは見逃せ。銃撃戦なったら、お嬢が危ない」

 

「チャカはいるンか!? お嬢は……!?」

 

 

 懐から拳銃を抜き、チャカと雪緒が出て来たか確認する。

 しかし出て来た者は彼の舎弟ばかりで、二人の姿はない。

 

 

「出て来てない! 吉田さんらの方行ったか……!?」

 

「タカさん、どないしましょ?」

 

「いや待て。まだ誰か……」

 

 

 最後にまた扉が開き、よたよたと汚れたシャツ姿の外国人男が飛び出す。

 顔はボコボコに腫れ、目付きばかりが殺意に溢れている。

 

 

「外人が出て来たぞ……鼻が高いからアメリカか?」

 

「ありゃ、イタリア人だろ。髭生えてスケベぽかったからな」

 

「オーストラリア人だと思うぜ。オーストラリア人の英語はイギリスのモンと近いて、知ってっか?」

 

「どこの奴かどうでも良いだろがッ!……ンだが、また外人だァ? 妙だなオイ……」

 

 

 きな臭さを感じた、四人の纏め役でもあるタカは、いきなりダストボックス裏から出た。

 

 

「お前らァ、ここで張っとけ! 俺が見て来る!」

 

「た、タカさん!? 吉田さんにシバかれますよ!?」

 

「シバかれでも指詰めでもやったらァ! お嬢の為だァ!」

 

 

 それだけ言い残し、タカは意気揚々とヒラノボウル内へ突入する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──── 一歩、二歩、三歩で飛びかかり、彼の禿げ上がった頭目掛けて白刃を下ろす。

 チェリオスの頭部は真っ二つになって、そのまま死ぬだろう。

 

 

 だが彼は、ボールリターンに残されていた十七ポンドのボールを取り、盾にする。

 

 刃はボールを砕き、斬ってやった。しかしチェリオスまで到達はせず。

 

 

「ッ!?」

 

 

 チェリオスは即座にスタームルガーを構え、暫し膠着状態となった銀次に目掛けて撃ち放つ。

 

 

 

 

 弾丸は銀次を外した。

 寸前で彼はチェリオスの腕を蹴り、射線をずらしてやったからだ。

 

 

「DAMNッ!!」

 

 

 悔しがるチェリオスの声を無視し、銀次は身体を横へ落とした。

 全体重をかけて上半身を落とした事で、刀はボールから抜けた。

 

 

 追撃が来ると察したチェリオスは、照準を合わせるよりも危機回避が優先だと即判断。

 案の定、抜けた途端に横から斬りかかる銀次。

 

 チェリオスはボールを手放し、その場でカエルのように平伏す。

 すぐ真上を、閃く白刃が通った。

 

 

 

 

「避けやがった……ッ!」

 

 

 チェリオスは曲げていた手足をバネに、瞬時に立つ。

 後ろへ引こうとする銀次の顔面へ、銃を握ったまま手の甲を使って目打ち。

 

 

「ぐぅ……ッ!?」

 

「危ねぇだろがッ!!」

 

 

 怯みを見せた彼へ、間合いを詰めたチェリオスは逆の手でエイプを放つ。

 攻撃は銀次の横アゴに直撃。

 

 

「な……ッ!?」

 

 

 だが、まるで痛みなど無視したかのように、チェリオスの攻撃を真正面から見据えた上で彼の腕を掴む。

 それを捻り上げ、逆にチェリオスを拘束。

 

 

 

 チェリオスは大急ぎで照準を合わせ、撃ち抜こうとした。

 それすらも銀次は、白刃の峰を当てて外してやる。

 

 

 このままでは膠着状態に持ち込まれると踏んだチェリオスは、彼の腹を蹴り飛ばす。

 両者、やっと間合いが離れる。

 

 

 チェリオスはすぐにスタームルガーを向け、撃つ。

 

 

 

 対して銀次は身体を屈めて左右に素早く動き、諸手で柄を握ったまま迫った。

 逆袈裟斬りで放たれた彼の一撃は、チェリオスが身体を逸らす事で回避される。

 

 

 

 

 だがその形から彼は、追撃が可能だった。

 逆袈裟が避けられたならば、また峰と刃とを持ち変え横斬り。

 

 チェリオスは刃の進行方向へ倒れ込みながら、銀次の鳩尾合わせて銃を撃つ。

 今度は銀次が横に倒れ込み、弾を回避。

 

 

 

 

 両者、アプローチスポットにばたんと倒れる。

 

 刹那両者、床に手を付き態勢を整え、立ち上がる。

 

 

 

 

 

 

 チェリオスは照準を合わせ、銀次は白刃を上段構えで突っ込んだ。

 

 引き金を引こうとした時には、彼は射線を外れてすぐ目の前まで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 銃器と近接武器。感じで見れば、銃の方が遠・中距離から攻撃出来るので、有利かと思われる。

 

 しかし、そうとも限らない。

 敵を視認し、構えて、照準を合わせる──発砲までには、様々な準備がある。それは訓練された兵士でも、なかなか一瞬で行えるものではない。

 しかも相手は動いている為、当てにくいと来た。

 

 

 その隙に近接武器を持つ者は、一気に距離を詰めて懐に入り込める。撃たれる前に迫ると言うのは、実は簡単な事だ。

 銀次は修羅場を超えて来た経験から、それを理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 対するチェリオスもまた、近接武器を持つ相手との戦いを経験していた。

 彼は姿勢を低くし、敢えて銀次の胴体目掛けてタックル。

 

 

「うッ……!?」

 

「OUCHッ!!」

 

 

 斬られる前にぶつかられ、銀次は後ろへふらつく。

 チェリオスもまた、突進して来た者に突進したのだから、エネルギーの中和で同じくダメージを負う。

 

 

 しかし相手へ隙を作ってやった。

 ふらつきながらもチェリオスは銃口を向け、倒れそうな銀次へと発砲する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銀次との相手をチェリオスにおっ被らせたチャカは、舎弟らと共にボウリング場を脱出するべく走っていた。

 数人は裏口へ向かって逃げているが、チャカと雪緒ともう二人は表から出ようとしている。

 

 

「チャカさん! 俺らも裏から逃げません!? 鷲峰の奴らが張ってるかも……」

 

「馬鹿野郎ッ! 車置いてんの、表の駐車場だろぉ!? ゆっきー人質にすりゃ大丈夫だ!!」

 

 

 ニューナンブを雪緒のコメカミに当てる。

 ガチッとそれをぶつけられた彼女は顔を顰めた。

 

 

「いた……!」

 

「おうおう、ゆっきーよぉ! 俺はあのハゲと違って、優しくねぇからよぉ〜?」

 

「チャカさん、それはちょっと可哀想じゃないっすかね?」

 

「……オメェらハゲに感化されてんじゃねぇボケッ!!」

 

 

 様子を見に来たヒラノボウルの支配人を突き飛ばし、ロビーを横断して走るチャカたち。

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

 

 その時、ハンカチで手を拭きながら、トイレから出て来た青年と鉢合わせる。

 彼の顔を見た瞬間、チャカは足を止めて「あっ!?」と声をあげた。

 ただし、声をあげたのは、雪緒も青年もだ。

 

 

 

「オメェ!? あん時の通訳かァ!?」

 

「岡島さん!!……え!? 岡島さん!? どうして!?」

 

「……は!? え!? 雪緒ちゃん!? ここで!?」

 

 

 青年とは、ロックの事だ。

 ニューナンブを雪緒に突きつけ、チャカは怒鳴る。

 

 

「動くんじゃねぇッ!! ゆっきー撃つぞッ!!」

 

「岡島さん逃げてください!!」

 

「わーわーわー!! お、落ち着け!! 落ち着いて彼女を解放するんだ!! 彼女の代わりに、僕が人質になるから!!」

 

 

 三者が一斉に喚き合う。

 

 

「交渉人の決まり文句は良いんだよォッ!! まずテメェから撃つかぁッ!? おおッ!?」

 

「わ、私は大丈夫ですから!! 逃げてっ!!」

 

「わわわ分かったッ!! 撃ちたきゃ撃てッ!! そうなったら、ホテル・モスクワは君を許さないッ!!」

 

「撃つぞぉ!? 撃つかんなぁッ!?」

 

「え? ホテル・モスクワって?」

 

 

 混沌とする三者を見ながら、他の舎弟二人はどうすべきか顔を見合わせている。

 故に背後から近付いていた、もう一人の存在に気付く事はなかった。

 

 

「後悔するぞッ!! 撃てば必ず……ッ!!」

 

「うっせぇうっせぇッ!! まずてめぇから殺し──」

 

「おいチャカ」

 

 

 

 

 

 

 その人物はチャカの背後に立つと、一言呼びかけた。

 

 

「は?──グエッ!!」

 

「きゃっ!?」

 

 

 素っ頓狂な声をあげたチャカ目掛け、彼は銃床で殴る。

 ガツンと頭部を強く殴られたチャカは、雪緒を解放してその場で伸びた。

 

 

 

 

 

 不意打ちをかました人物とは、裏口から侵入したタカだった。

 

 

「通訳の兄ちゃん、やるじゃねェか。良く時間稼いでくれたもんだ」

 

「僕も助かりました……あと一秒くらいで撃たれてましたけどね」

 

 

 そのままタカは、呆然と立ち尽くしていた舎弟二人を睨む。

 二人は身体を震わした後、チャカを置いて逃げ去ってしまった。

 

 

 解放された雪緒は丸い目をしたまま、交互にロックとタカを見つめる。

 ハッと、助けて貰った事を思い出し、深々と頭を下げた。

 

 

「あ、ありがとうございます! 助かりました!!」

 

「やめてくだせェ、お嬢! 寧ろお嬢をみすみす攫わせちまって、申し訳ねェでさッ!!」

 

「雪緒ちゃん、怪我はないかい?」

 

 

 心配するロックに対し、雪緒は戸惑いを含ませた微笑みを浮かべる。

 なぜか着せられていた、高そうなコートのお陰で寒さはない。

 

 

「怪我とかは大丈夫なのですが……」

 

「良かったです、お嬢……! もうあっし、お嬢に何かあったら腹を切るつもりで……!!」

 

「それより岡島さんも……どうやってここが?」

 

 

 

 

 

 ロックとタカはここまでの経緯を話してやった。

 懐から、彼女の携帯電話を返す。

 

 

「君の落とした携帯電話で、銀次さんや鷲峰組の人たちに伝えたんだ」

 

「そンでして、兄ちゃんが言ってたチンピラ風の奴らを洗ってみりゃァ、チャカらが妙な動きをしていたって聞きやして」

 

「後はその人が良く集会を開いているボウリング場に行って、ケ・セラ・セラ……ってね」

 

「初動が良かったンですわ。あとコイツらが馬鹿って事ぐれェでしょうな」

 

 

 気絶状態の彼をタカは、無理やり引き摺り立たせる。

 次には携帯電話を使い、表にいる吉田らへ連絡。これでもう、雪緒の身の安全は保証された。

 

 

「本当にありがとうございます……連れ去られた時、本当に恐ろしくて恐ろしくて……」

 

「もう大丈夫。後は吉田さんと、銀次さんが……」

 

 

 銀次の名前を出した時、「あっ」と雪緒は思い出す。

 

 

「銀さん!? そうだった!! あ、あ、あの! 付いて来てください!!」

 

 

 ロックの手を引き、来た道を戻ろうとする。今度は彼が困惑する番だ。

 

 

「え? ちょ、ちょっと待って!? どうしたの!?」

 

「銀さんと、クリスマスさんを止めないと!」

 

「クリスマスさん……? 誰だそれ……って、待って待って!? 携帯落としてるから!!」

 

 

 雪緒に手を引かれた時に落としてしまったのだろう。

 一旦彼女を落ち着かせ、床にあった携帯電話を拾い上げた。

 

 そのタイミングで、吉田らが二人の元へやって来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────ふらつきながらもチェリオスは銃口を向け、倒れそうな銀次へと発砲する。

 

 

 だが引き金を引き、撃鉄が銃弾の雷管を叩くまで、そのたった一瞬。

 

 

 

 銀次は倒れそうになりながらも、刀を振るった。

 距離が離れていた為、刃の先しか届かなかった。

 

 それでも刃先は銃の先端に直撃し、射線をズラす。

 

 

 

「う……ッ!?」

 

 

 チェリオスに、心臓の痛みも襲いかかる。

 銃を握る手の力が緩まってしまった。

 

 

 

 銀次の刃で叩かれたスタームルガーは、チェリオスの手から離れて飛ぶ。

 

 

「しまった……ッ!!」

 

 

 やってしまったと動揺し、顔中に痛みが走る。

 今から銃は拾いに行けない。それに心臓も止まりかけていた。

 

 

 

 

 

 銀次としても、まさか彼が得物を手放すとは思っていなかった。

 故にこれは好機だと悟り、チェリオスとの間合いを一足で詰める。

 

 

 

 

 諸手で握り、振りかぶり、渾身の力を込めて下ろす。

 だがチェリオスは膝立ちになりつつ、下ろし切る前の彼の手を取り、鼻先までで止めた。

 

 

 

「……ッ!? なんつゥ馬鹿力……ッ!!」

 

「うぅ……ッ!! 心臓が……ッ!!」

 

 

 とは言え、このままでは銀次に押し負けてしまう。

 

 

 

 その前にチェリオスは彼の腕を横へずらし、力を流してやる。

 刀はぐっさりと床に刺さってしまった。

 

 

「ッ!!」

 

 

 チェリオスはポケットからアンナカの入った袋を取り出す。

 

 

 彼の刀で袋を切ると、粉を空中にばら撒いた。

 

 

 振りそそぐアンナカの白粉を、チェリオスは目一杯鼻から吸引。

 次第に次第に、胸の痛みは無くなって行く。

 

 

 

 アドレナリンが分泌され、血中に満ち満ちる。

 

 

「筋金入りのヤク中が……ッ!!」

 

「うおおおおおおおッ!!!!」

 

「んッ!?」

 

 

 間髪入れず彼の服の襟を掴み、全体重をかけてレーン側へ倒れ込む。

 刀を引き抜こうとするも、これによって振るう事は出来なかった。

 

 

「なん……ッ!?」

 

「おおおおおおおおおおおおおーーーーーーッ!!!!」

 

 

 銀次の巨体が持ち上がる。

 宙に浮き、気付いた頃には、ボウリングのレーンへ投げ飛ばされていた。

 

 投げ飛ばすまでのその所作は、柔道の「体落とし」のフォームだ。

 尤もチェリオスは意識してやった訳ではない為、床に倒す前に手放しているが。

 

 

 

 

 

「──うぐッ!?」

 

 

 四メートルばかし飛び、レーン上に着地。

 受け身を取るも、塗られているワックスのせいで失敗してしまう。

 

 

 ツルツルと滑って行き、ガツンとピンを全て弾き飛ばす。

 

 

 

 

 

 荒い呼吸で見据えるチェリオス。

 頭上にあるテレビのスコアが、「ストライク」の文字を映した。

 

 

 

「───イカれてやがンな……!」

 

 

 即座に起き上がる銀次。

 だが握っていた刀が無くなっていると気付き、辺りを見渡す。

 

 

 刀は二つ向こうのレーンにある、ガターの中に埋まっていた。投げ飛ばされた時に離してしまったようだ。

 

 

 

 チェリオスはさっと、隣のレーンを見る。

 そこには自身も手放してしまったスタームルガーが落ちていた。

 

 場所は、ピンの前。

 手から離れ、ワックスを滑ったようだ。

 

 

 

 

 

 丁度、銀次の刀とそのスタームルガーは、真逆の位置にある。

 

 まず、二人は互いに目配せした。

 

 

「……ッ!!」

 

「ッ!!」

 

 

 一斉に自身の武器を取り戻さんと、動き出す。

 

 

 銀次はワックスを踏まないよう、ガターを足場に必死に跳ぶ。

 チェリオスは助走をつけ、レーン上に腹から滑り込んだ。

 

 

 レーンを跳ぶ銀次、滑るチェリオス。

 チェリオスがスタームルガーを手に取り、ピンを全て身体で弾いた時、銀次も刀を取り戻した。

 

 

 

 

 

 だが、足場が不安定なレーン上で、満足に刀を振るえるものか。

 

 チェリオスは銃口を向け、引き金に指をかけ、

 

 

 

 

 

 

 

 

「SUSHI, and────TENPURA」

 

 

 意味不明な掛け声と共に、引いた。

 

 

 

 

 爆音と共に発射された、.44マグナム弾。

 真っ直ぐ真っ直ぐ、空気の海を螺旋状に裂いて飛び、銀次の心臓を狙う。

 

 もはや避けられまい。やっと手に取れた真剣を手に、ボウリングのレーン上で、ワックスに塗れて死ぬのだ。

 

 

 

 

 そう思われた。

 

 銀次が刀を構えて勢い良く斬り、弾丸を明後日の方向へ弾き飛ばしてしまうまで。

 

 

 

 

 

「──んッ!?」

 

 

 動揺をバネに、もう一発。

 その一発もまた、銀次の一閃で弾かれてしまう。

 

 

「ターミネーターでもしねぇぞ、んなの」

 

 

 呆然としている内に、銀次はチェリオスのいるレーンへ向けて跳ぶ。

 

 

 

 

「クソッ……来やがれ……ッ!!」

 

 

 銃口から立ち上る硝煙を薙ぎ払うよう、照準を合わせ直す。

 また迫り来る銀次へ、チェリオスは真正面から立ち向かう。

 

 

 

 両者が再度ぶつかり合うまで、残り五メートル。

 刀を構え、引き金に指をかける二人。

 

 次で勝負が決すると思われた刹那、扉が乱暴に開かれた音が響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、チャカは構成員三人に引き摺られ、連行されようとしていた。

 

 

「このダボがッ!! 指詰めるですまさんからなッ!!」

 

「離せやゴラァッ!? ざけんじゃねぇクソがッ!?」

 

「暴れんなッ!! オイ! 縛れ縛れッ!!」

 

 

 駐車場で喚き、抵抗するチャカを必死に押さえている。

 このまま乗って来た車に乗せて、どこかひと気のない場所でケジメを付けさせるだけだ。チャカの人生の幕引きは近い。

 

 

 

 

 

 だが彼は、悪運が強かった。

 

 突然、チャカたちの前方から、一台の車がヘッドライトを浴びせてきた。

 

 

「な、なんだァ!?」

 

「うおお!? おい、テメェの仲間かぁッ!?」

 

「ケータイ落としたから助けも呼べねぇよッ!?」

 

 

 甲高いエンジン音を鳴らし、なんと彼ら目掛けて突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 運転していた人物は、ロシア人──こと、ボコボコ顔のラプチェフ。

 裏口から逃げた彼が、愚連隊から車を奪い、四人に突進して来た。狙いはチャカだが、鷲峰組の構成員も巻き添えだ。

 

 

 

 

 

 

「轢き殺してやるぅぅーーーーッ!!!! ypaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!」

 

 

 エンジン音さえかけ消すような怒号を、ロシア語で喚きつつアクセル全開。

 これには筋金入りのヤクザたちも、肝を冷やした。

 

 

「ロシア人が突っ込んで来たぞッ!!??」

 

 

 チャカの叫びと同時に、四人は散り散りに飛んで回避。

 

 

「うおおおおお!?」

 

「危ねぇーーッ!?」

 

「何すんだッ!?」

 

 

 時速一二◯キロは出ていた車は、さっきまで四人がいた場所を通過する。

 

 

 

 激しいスキール音を響かせ、車は上手い具合にドリフト。

 再度ボンネットを男たちへ向け、また突っ込んだ。彼は誰か轢くまでやめないつもりらしい。

 

 

 

 

「KGBの怒りを喰らえッ!! 震えて死ねイエローモンキーッ!! ypaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!」

 

 

 構成員らも、もう堪らないと銃を取り出し、ラプチェフ目掛けて発砲する。

 それでもブレーキを踏まないラプチェフの車は、また男たちに突っ込む。

 

 

「うぎゃーーッ!?!?」

 

「おおおおおーーッ!?!?」

 

 

 今度は構成員二人が避け損ない、一人は左腕をぶつけられ、もう一人は爪先をタイヤで踏まれた。

 即座に残りの一人が銃を撃ちまくり、カバーをする。

 

 

 その甲斐あってか、ラプチェフは追撃を取りやめて轢き逃げる。

 テールライトの赤い残像を残し、夜道を去ってしまった。

 

 

 

 残るは轢かれた者たちの阿鼻叫喚。

 

 

 

「腕がぁあぁあーーッ!!」

 

「足がぁぁーーーーッ!!」

 

「お、おい大丈夫か!? 大丈夫じゃねぇなぁッ!?」

 

 

 二人の元へ駆け寄った構成員は、ハッと気付く。

 

 いつの間にか、チャカも消えていたからだ。

 

 

「あッ!?!? チャカ坊が消えたッ!?」

 

 

 辺りを見渡すが、もうチャカの姿や痕跡さえ残っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──扉が開かれ、次には少女の叫び声。

 

 

「ストォーーーーップッ!!」

 

 

 その声を合図に、二人はピタリと止まった。

 

 

 暫く視線を合わし、お互いに武器を下ろす。

 それからくるりと、声のした方を見やる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゼェ、ゼェ……ま、間に合った……!」

 

 

 

 高そうなコートを羽織った雪緒が、息を乱して立っていた。

 男らは素っ頓狂な表情を見せて固まる。

 

 

「……お嬢?」

 

「ユキオ!!」

 

 

 二人が同時に彼女を呼んだ途端、ぞろぞろとロックや吉田、数名の構成員が後に続く。

 チェリオスと銀次の喧嘩は、引き分けに終わったようだ。




「愛を取り戻せ!!」
「クリスタルキング」の楽曲。
1984年発売のシングル曲。ご存知、アニメ「北斗の拳」の主題歌。
ボーカルの一人である田中昌之と言えば、特撮ファンならば「ウルトラマンガイア!!」「仮面ライダークウガ!!」を歌っている人と言えば通じる。びっくりマーク好きなんですね。

低音高音の両方で放たれる熱量に満ちたツインボーカルと、無骨なリリックにメロディー。そして全編サビのような進行は、聞く人を奮い立たせる。


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Skyphone Speaker

くたばれチェリオス

 

  くたばれチェリオス

 

           クタバレチェリオス

 

     くたばれチェリオス

 

  FUCK YOU CHELIOS

 

FUCK YOU CHELIOS

 

          FUCK YOU CHELIOS

 

              くたばれチェリオス

 

            FUCK YOU CHELIOS

 

      くたばれチェリオス

 

    FUCK YOU CHELIOS

 

        くたばれちぇりおす

 

FUCK YOU CHELIOS

 

 

 

 

 

 

新感覚台本形式バラエティ

くたばれチェリオス!!

- FUCK YOU CHELIOS -

 

 

 

 

(一同歓声)

 

司会者「さぁ、お待たせしました! お待たせさせ過ぎたかもしれません!」

 

司会者「今番組は、とっても良い子で、これからの将来が楽しみな少年少女をゲストとして呼び、視聴者の方々から頂いた質問でインタビューをする番組です!」

 

司会者「ご家庭のお子様の模範として、是非とも繰り返し見せてあげてください!」

 

 

(一同爆笑)

 

司会者「前置きはここまでにしましょう! 早速ご紹介します!」

 

司会者「本日のゲストは、シェブ・チェリオス君です! どうぞ!」

 

シェブ「こんばんは、皆さん(喧しいぞクソ虫ども)

 

 

(一同歓声(驚愕)

 

司会者「おやおや、少し緊張しちゃってるかなぁ?(あーもう早速台無しだよ。) ほら、肩の力を抜いて!(ちゃんと台本通りにしてくれよぉ)

 

シェブ「すみません……初めてですので(黙れカマ野郎。殺すぞ)

 

司会者「大丈夫大丈夫。(酷いこと言うなキミぃ。)緊張しない良い方法を教えてあげようか?(確かにゲイ能人とか言われるけど)

 

シェブ「はい、教えてください(てか、どこだココ?)

 

司会者「ここにいる人を、(どこだって良いだろぉ。)キャベツだと思ってみるんだ(キミはゲストとして呼ばれたんだ)

 

シェブ「キャベツですか?(んな覚えねぇよ)

 

司会者「カボチャでも良い。自分の脳を騙すんだ(とにかく、番組は進行させる) そしたら少しは緊張しなくなるよ(出来るだけ台本通りにしてくれよ)

 

シェブ「分かりました(死ねクソ野郎)

 

 

拍手喝采(ブーイング)

 

シェブ「(照れる(中指立てる))」

 

司会者「少しずつリラックスしていこう(おいおい、観客にも喧嘩を売るなよ)

 

シェブ「はい、頑張ります(うるせぇ。俺はやるべき事があるんだ)

 

司会者「それでは、インタビューを始めるよ!(なぁ。もう良いんじゃないかい?)

 

シェブ「お願いします(あ? んだと?)

 

司会者「まずはありきたりな質問から!(君はやるだけやった。) 今日はバレンタイン、(一瞬で死ねる毒を打たれて、)好きな女の子のタイプは?(三日も持ち堪えたんだ)

 

シェブ「全然ありきたりじゃないです!(だからなんだ? 諦めて死ねってか?)

 

 

(一同爆笑)

 

シェブ「えー……好きな女の子?(おいオーディエンスを黙らせろ)

 

司会者「君ぐらいのイケメンなら、(それは出来ない。)さぞモテるんじゃないのかい?(観客は舞台装置だからな)

 

シェブ「そんな事ないです(クソッタレ……)

 

司会者「照れ屋さんなんだね!(話を続けるよ。) じゃあ、好きな女の子の髪型(君は愛する人と出会い、)はどうだいシェビー?(殺し以外に生き甲斐を得た)

 

シェブ「ポニーテールです(……あぁ)

 

司会者「ポニーテールかぁ、オーソドックス!(その時点で君はもう変わった。) 実は僕もポニーテールが大好きでね。(冷酷な殺し屋ではなくなった。) アメフト選手だった僕は(君は変化し、)ポニーテールのチアリーダー(裏の世界を出ようと)と付き合っていたんだ!(考えさえしてしまった)

 

 

司会者「因みに、今の嫁さんがそうだよ!(しかし君は、殺し屋に変わりない)

 

 

シェブ「素敵ですね!(…………)

 

司会者「ポニーテール最高!(心を入れ替えようが、) しかし少し困ったなぁ。(足を洗おうとしようが、)ここで言っちゃったら明日から、(恋した相手を守ろうが、)突然ポニーテールにする子とか出そうだな!(拭えないほど君は汚れ過ぎたんだ)

 

司会者「勿論、シェビーを狙って!(恨みを、買い過ぎたんだ)

 

 

(一同爆笑)

 

 

シェブ「そんな事ないと思います!(一々言われなくても分かってんだ)

 

司会者「そうかな?(本当に?)

 

シェブ「でも本当にそうなってたら(俺は好き放題やった。)嬉しいかも、しれないですね(知らねぇ奴の命で美味い飯を食った)

 

司会者「言うねぇ〜!(ほぉ?)

 

シェブ「いえいえ、そんな……(なのに突然好きな人が出来たから)ちょっと期待しちゃうけど(俺は辞めるぜそんじゃバイバイは)

 

シェブ「(照れる)(虫が良過ぎる)

 

 

司会者「恋愛は若いうちにしていた方が良いぞ!(理解しているなら尚更話は早いな)

 

司会者「このまま続けたい気もするが、(どうせ君は足を洗っても普通になれない。)そろそろ次の質問に移らなきゃ!(暴力と殺戮、それが君の全てなんだ)

 

司会者「でないと放送作家が泣いちゃうからね!(生活の為じゃない。なるべくしてなったんだ)

 

 

 

 

(一同爆笑(賛同)

 

 

シェブ「そうですね(知ったような口を……)

 

司会者「緊張もほぐれたところで次だ!(でも事実だ、そうだろ?) 地元の草野球チームに入っているんだって?(中毒なんだよ、暴力のね)

 

シェブ「はい(…………)

 

司会者「ポジションはどこだったかな?(まるでジャンキーそのものだ)

 

シェブ「ショートです(…………)

 

司会者「凄いなぁショートかぁ、守備の花形だ!(殴って殺して奪ってないと自分じゃない)

 

司会者「ショートはチームのリーダー格にしか(ただ歩くだけで周りを不幸にする。)任されない重要なポジションなんですよ?(どうしようもないクズの社会不適合者だ)

 

 

(一同感心(賛同)

 

 

司会者「シェビー、君は凄い選手じゃないか!(そんな君は社会の為に死ぬべきだ)

 

司会者「将来はメジャーリーガーだなぁ?(静かで暗い、汚い場所で、一人で勝手にさ)

 

 

(拍手喝采)

 

 

 

シェブ「僕も今のポジションに誇りを持っています(認めたくはねぇが認めてやるぜクソめ)

 

司会者「君はヒデオ・ノモに並べるぞ!(そりゃ認めるしかないだろぉ?)

 

シェブ「ピッチャーじゃないんですけどね(しかしだなぁ。一つ解せねぇ)

 

司会者「じゃあ目指すべきだ!(なんだって?)

 

 

 

 

シェブ「僕はバッターとして(俺は社会の為には死なねぇ。)頑張ってみたいんです(ユキオの為に死ぬ)

 

シェブ「ジョニー・ベンチに憧れていまして(それと死に方と場所は俺が自分で決める)

 

シェブ「ホームラン王になりたいんです!(汚く派手に飾ってやるんだ)

 

 

拍手喝采(ブーイング)

 

 

司会者「リトルジェネラルかぁ!(細かいところだけど、) なかなか渋いなぁ!(一つじゃなくて二つだぞ?)

 

シェブ「ビッグレッドマシン大好きです(うるせぇな細かいところをなぁ?)

 

司会者「君ならジョニーの記録を塗り替えられる!(しかし君がそこまで言うとは意外だ)

 

シェブ「畏れ多いですよ(いきなりなんだ)

 

司会者「君がメジャーリーガーになったら、(そもそもクソなのはこの社会だ! )ヒーローインタビューは僕にさせてくれ!(給料は良く分からん税金に消されたり!)

 

シェブ「その時は是非とも(お、おぉ? どした?)

 

 

拍手喝采(一同動揺)

 

 

 

司会者「次の質問だ。(平等を謳いながら、)趣味について聞きたいんだけど、(金待ちしか高い医療は受けられない! )君は大のゲーム好きらしいね?(生まれだけで判別する縁故主義者もクソだ!)

 

シェブ「はい、そうです(おかしくなっちまったぞ)

 

司会者「僕もゲーマーでね。(クソなのは金持ちだけじゃない、)好きなゲームを教えてくれる?(異様に冷た過ぎるその為大勢もそうだ!) 終わったら買って帰るよ!(関係ない事にだけ正論かましやがって!)

 

シェブ「『パジャマヒーローNEMO』です(いつまで叫ぶんだ……)

 

司会者「リトルニモのゲームか!(正論だけで社会は動くから、) でも結構古いゲームだろ?(これほどつまらなくなったんだ!) もう十年前のゲームだっけ?(自分が正しいと押し付け合うボケどもめ!)

 

シェブ「ファミコンのゲームですからね(………………)

 

司会者「まだギリギリ手に入るかな?(正論は正しいんじゃない! ) もう64の時代なのに渋いねぇ!(正しく聞こえるだけの駄弁だ!) いや、そろそろ次世代機が来るのかな?(んなモンに馬鹿みたいに同調しやがって!)

 

シェブ「でも一日一時間にしています(……あー、おい。大丈夫か?)

 

 

(一同感心)

 

 

司会者「良い心がけだね!(お前ら観客の事だよ!) ゲームのやり過ぎは人を駄目にするんだぞ?(こんなクソ脚本に真面目に従いやがって!)

 

 

(一同賛同(愕然)

 

 

司会者「ゲームは控えるんだよ?(正論が間違っていた事が多いだろ!) 優れた人間はゲームをしないからね!(禁酒法の時代を忘れたのか!) やっても一日三十分だ!(不健全な事が健全の証なんだ!)

 

シェブ「分かりました。一日三十分にします(それは分かる)

 

司会者「短ければ短いほど良い(チェリオス、これだけは言っておく)

 

 

 

 

司会者「出来るならコミックも読んじゃ駄目だよ?(これは君だけの人生で、君だけの償いだ)

 

司会者「コミックは馬鹿が読むものだからね!(君は愛する者の為に死なねばならないが)

 

司会者「これからの厳しい(ド派手にケジメ付けて、)法的規制に期待しています!(二十四カラットの最期を飾れ)

 

 

拍手喝采(大ブーイング)

 

 

 

司会者「さて、ここで一旦コマーシャル!」

 

司会者「チャンネルはそのまま! シェブ・チェリオス君の全てを、皆さんと一緒に知ろうではありませんか!」

 

 

 

司会者「……最後まで!」

 

 

 

CMのあと…チェリオス君、大暴走!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドクンッ。

 

 

 

 

「うおああああ!?」

 

「あ、やった! 起きた!」

 

 

 長い夢より、チェリオスは胸の痛みと凄まじい高揚感から目を覚ます。

 真っ先に視界に入ったのは鈍色。冷たい、コンクリート打ちっぱなしの壁だ。

 

 そして大きな注射を握った、フラット・ジャックの姿。

 

 

 頭がぼんやりとする。

 それが次第に冴えて来れば、今度は腕からも強い痛みを感じた。

 

 

 

 

 パッと目を向ければ、注射針が刺さっている。針から管が伸び、吊り下がった点滴バッグからトクトクと何かの薬剤が、血液に流れていた。

 胸にも注射痕があり、自分が何されたのかを悟った。

 

 

「お前……神経は避けやがれッ!」

 

「仕方ないでしょ! 昏睡してて、さっき突然心停止したのよ!? 焦るでしょうが!!」

 

 

 心停止した彼を、フラット・ジャックがアドレナリン注射で蘇生させたようだ。

 チェリオスの覚醒を確認すると、傍らにいた嫁を一瞥して誰かを呼びに行かせた。

 

 

 

 

「ここは……?」

 

「あたしの隠れ家よ。秋葉原の」

 

 

 そう言えば電話口で言っていたなと思い出す。内装は代々木の家と比べればガレージ感が強く、見窄らしい。

 

 枕元に置いていたデジタル時計を眺める。夜の十一時を迎えていた。

 同時に何があったのかを想起しては、ハッとなる。

 

 

「おい! 俺はボウリング場にいただろ!?」

 

「それはもう、昨日の話! あんたそれから丸一日……もう二日になっちゃうけど、昏睡してたの!」

 

「なぁに!?」

 

「毒が自律神経まで侵食している証拠よ。何とかアドレナリンとカフェインを点滴しまくって延命させてたけど……本当にここからは寝たら死ぬわよ。クライン・レヴィン症候群と似た状態になっているわ」

 

 

 何とか二日前を思い出す。

 

 サングラスかけた雪緒の婚約者(勘違い)と決闘したまでは覚えている。

 そしてそれを、「ストップ」と叫んで止めた雪緒の声も覚えている。

 

 

 あの後から記憶がない。何があってここにいるのか、気になって仕方がない様子だ。

 チェリオスのそんな気持ちを察してやり、フラット・ジャックは椅子に座ってから説明してやった。

 

 

「まず第一。待ち合わせしたけど、いつ野垂れ死ぬか分からないあんたを待つのは嫌だから考え直して、こっちから迎えに行ったのよ」

 

「あ、あぁ? んだとしても、あんな辺鄙なとこ良く分かったな……」

 

「言い忘れてたけど、あたしのランボルギーニね」

 

 

 得意げに小さな端末を取り出すフラット・ジャック。

 画面には周辺の地図が表示されており、その中心では赤いマークが点滅していた。

 

 

「んだそりゃあ?」

 

「GPSよ。元々軍事用だったけど、最近民間でも使えるようになったじゃない」

 

「なんだその……GPSってぇのは?」

 

「簡単に言うと、あたしのランボルギーニが地球上のどこにあるのか、人工衛星使ってすぐに分かる装置」

 

「……んな便利な物があるのか」

 

「時代はデジタルよ」

 

「愛車とは言えそこまでやるかぁ?」

 

「あたし、自分の物への執着心エグいの。なんなら嫁にもGPS埋め込みたいわ」

 

「気持ちわる」

 

 

 ドン引きするチェリオスをそのままに、フラット・ジャックは何事もなく続けた。

 

 

「このGPSを使って、場所を特定したあたしは早速、迎えに行ったのよん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は戻り、昨夜のボウリング場。

 

 

 

 

「ストォーーーーップッ!!」

 

 

 最早人間を辞めていた二人の決闘。

 止めたのは、雪緒の制止の叫びだった。

 

 

「ゼェ、ゼェ……ま、間に合った……!」

 

「……お嬢?」

 

「ユキオ!!」

 

 

 互いに武器を下ろし、雪緒に近寄ろうとする。

 彼女に続き、鷲峰組の構成員と思われる男たちがゾロゾロと入って来た。

 

 

「雪緒ちゃん! 勝手に動いたら危な……ん?」

 

 

 中にはロックもいる。

 大急ぎでやって来た彼の目も、チェリオスを捉えた。

 

 

 

 

 見覚えのある人物。

 確か新宿の電話ボックスで、突然怒鳴り散らして来た不審者だ。

 

 

「あ、あなたは……」

 

「お嬢!」

 

 

 話しかけようとしたところで、銀次に阻まれる。

 ワックスで滑りそうになりながらも駆け寄り、訳を聞こうとしていた。

 

 

「お嬢を攫った犯人はあいつですかい? ならこっちとしても、ケジメは付けさせねェとなりません」

 

 

 チラリと彼の方を見る。

 雪緒をうっとりと見つめながら、ワックス塗れでアンナカを吸っていた。ヤバい光景だ。筋金入りのヤクザたちとは言え、ドン引きする。

 

 

「お嬢には酷な話ですが……面子ってモンがありますから」

 

「違うんです、銀さん! あの人は悪い人じゃ──いや、悪い人ですけど! 凄く悪い人なんでしょうけど!」

 

「じゃあ……」

 

「でも、あの……何と言うか、系統が違うと言うか……雰囲気が違うと言うか……」

 

 

 言葉は通じ合えていないが、彼が妙に自分に優しい事だけは気付いていた。

 ただ説明が難しいのか、雪緒自身も分からないまま喋っている始末。

 

 どうしようかと考えた末、思い出したかのようにロックへ向き直った。

 

 

「オカジマさん……あの人に事情を伺えないでしょうか?」

 

 

 英語を話せるのはロックのみ、妥当な判断だ。本人から詳細を聞けば、何者なのか目的なども分かる。

 ロックは頷いて了承し、真剣な顔付きで彼の方へ歩き出す。

 

 

 とは言え白い粉を吸いまくる人間に、恐怖がない訳がない。

 恐る恐る近寄り、レーンの始まりから距離を空けて呼ぶ。

 

 

「あのー! そこの人!」

 

「ん……!?」

 

 

 母国語が聞こえ、分かりやすく反応するチェリオス。

 英語圏の人間だと確認したロックは、彼から戻って来るように伝えた。

 

 

 

 

 

 ヨタヨタとロックのいる場所へチェリオスが向かう間、一方の銀次は改めて雪緒を労っていた。

 

 

「お嬢、お怪我はありやせんか? 一体、何があってお嬢を……」

 

「えっと……香砂会と戦争するとか言っていましたが……」

 

「…………香砂会と? あいつらが?」

 

 

 その時にやっと追い付いた吉田が、号泣しながら雪緒の話しかけた。

 

 

「うおおおおおんッ!! お嬢ーーッ!! ご無事でなりよりですーーッ!!」

 

「ご心配をおかけしました……」

 

「そんな、お嬢はなんも悪ぅないです! 全部あの、ボケどものせいや! きっちりチャカにも、ケジメ付けさせるんで安心してくだせぇ!」

 

「あの……お、お手柔らかに……」

 

 

 再び雪緒は、チェリオスの方を見やる。

 

 

 

 

 ロックのいる場所へ到着した彼は、膝を突いて苦悶の表情だ。

 目線を出来るだけ合わせ、英語で話しかける。

 

 ロックは彼の顔を覚えているものの、向こうは忘れているようだ。

 

 

「……あなたの名前は? 出来れば所属も」

 

「てめぇこそなんだ……ワシミネか? コーサか?」

 

「…………どちらでもありませんよ。ただの通訳です」

 

 

 嘘は言っていないと、自己を納得させる。

 チェリオスからも、弱々しい見た目の割に強情そうな奴だなと悟れた。仕方なく身の上を話すが、所属だけは黙っておく。

 

 

「……シェブだ。シェブ・チェリオス……雇い主は言えねぇ。先に言っておくが、拷問はやるだけ無駄だからな」

 

「別にあなたの口を割るつもりはありません。雪緒ちゃんは知りたがっているんです……あなたの目的と、素性を」

 

「……アメリカの殺し屋。それしか言わねぇ」

 

「アメリカの殺し屋がどうして日本に……?」

 

「何だって良いだろ……どうせ俺は死にかけてんだ……!」

 

 

 アンナカの袋を切り、中身をひっきりなしに吸い込む。

 その鬼気迫る有様は、ロックにも疑問が生まれた。

 

 

 

 

 彼はロアナプラで、数多のジャンキーを見て来た。

 酷い状態の者も見たが、どうにもチェリオスはそのどれにも当て嵌まっていないように思える。

 

 

 癌による痛みから逃れる為、モルヒネを打つ患者。

 ロックからは寧ろ、彼の状態はそれに近いと思わされた。

 

 

「……病気、なんですか?」

 

「……お前、コーサとかに詳しい奴か?」

 

「……多少は」

 

「じゃあチョコって奴知らねぇか? あと、ピンクの菊の刺青背中にいれたモロ=サンってのと……トーキョーカクテルって毒も」

 

 

 どれも初耳だ。ロックは正直に首を振った。

 チェリオスはすぐに失望の目を向けて、諦念を込めて項垂れる。

 

 

「その、チョコって人と……トーキョーカクテルって毒が目的で?」

 

 

 詳しく聞こうとしたが、彼は弱々しく首を振るだけだ。

 

 

「いや、もう良い……もうあの子を巻き込みたくはないんだ……それに俺はもう……無理だ」

 

「何ですって?」

 

「ユキオに伝えてくれ……俺は、選択を間違っていたってな……本当に申し訳ないと思っている……こうなっちまったのは、自業自得だ」

 

 

 次に顔を上げた時には、懺悔の目となっていた。

 この時から強い倦怠感に襲われていた。副交感神経が優位となり、とうとうチェリオスもネガティブになっている。

 

 

 

 

「……負けたぜ……あの、婚約者の……漢気にな……」

 

 

 

 

 そう言って銀次と雪緒を見つめるチェリオス。

 

 ロックは一瞬だけ思考停止し、彼が何を言っているのかを再整理した。

 パッと二人の方を確認し、またチェリオスに向き直ってからまた、二人の方へ。

 

 

「……え? 婚約者?」

 

「あぁ……あのターミネーターがそうだろ?」

 

「はい?」

 

「信じらんねぇ……撃った弾を、ソードで斬りやがった……婚約者の為にそこまでやるなんざ、格が違う……」

 

「…………はい?」

 

「それだけ伝えてくれりゃあ……もう心残りはねぇ……俺はここで死ぬ……」

 

「……あ、あの、シェブさん?」

 

 

 さては何か勘違いしているなと気付いたロックだが、訂正してやるか黙ってこのまま往生してもらうか逡巡する。

 そうこうしている内に、雪緒が銀次を伴って近付いて来た。

 

 

「あの、オカジマさん……クリスマスさんは、なんと……?」

 

「お嬢のご好意で、警察に突き出して強制送還って事にするそうです。何か言っておりやしたか?」

 

 

 何か言おうとした。

 

 

 

 

 途端に、ボウリング場の電気が全て消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこからはもう記憶がない。気絶したのだろう。

 事のあらましを説明したフラット・ジャックは、暗視ゴーグル片手に得意げに語る。

 

 

「なんか怖い人いっぱいいたから、ボウリング場のブレーカーぶっ壊してからこれ付けて助けたのよん!」

 

 

 だからここまで来たのかと、チェリオスは納得する。

 同時にここに来て初めて、フラット・ジャックに対し感心した。

 

 

「……おめぇ、意外と根性ある奴だなぁオイ? 一人で助けたのか?」

 

「いや、あたしはやってない。ここに引きこもってた」

 

「は?」

 

「実行してくれたのは、そこの良い男」

 

 

 暗視ゴーグルを部屋に入って来た人物に投げ渡す。

 

 

 

 

 受け取った者は、見覚えのある中国人だった。

 三合会で、張の補佐役をしていると言う(ビウ)だ。

 

 

「お目覚めかい、カウボーイ」

 

「おめぇ確か、トライアドの……!?」

 

「六本木で殴られて、トルコ料理吐かされて以来か。六日前にな」

 

 

 そう言いつつもまたトルコ料理を食べて来たのか、独特なスパイスの香りがする。

 彪は置いていたソファに座ると、暗視ゴーグルを弄りながら疲れた声で話す。

 

 

「……あの後なぁ。張大兄に命じられ、あんたを探してたんだ。分かるか? 大兄はあんたの殺害じゃなくてな、生かして見つける事を要求したんだ。すげぇ大変だったぞ」

 

「……このままゴミ処理場に連行か?」

 

「必要はないし……何よりあんたは死にかけだ。六日保ったのは驚きだけどな……遅かれ早かれ、気を抜けば勝手に死ぬ。それが今のお前だ」

 

 

 非情な現実を突き付けてから、彪は溜め息を吐いてここまでの経緯を説明した。

 

 

「……フラット・ジャックが香砂会に追われていると知った。あんたと関係があるかと思い、接触。そのままボウリング場に行って、俺があんたを担いで助けた。めちゃくちゃ大変だったがな……まぁ。ランボルギーニに乗れたってだけ報われたよ」

 

 

 ニヒルに笑い、また疲れた顔に戻る。

 チェリオスからすればいけ好かない。だが助けて貰った事は事実だ。

 悪態を吐きながらも、とりあえず感謝だけはする。

 

 

「……助かったぜクソ野郎」

 

「二度とごめんだ」

 

「だがなぁ……おい。なんで……張は俺を生かした?」

 

「さぁな。あの人の考える事はたまに分からねぇ。でも、何だかんだ上手く行くもんだ。だから信じている」

 

「質問の答えになってねぇよ」

 

「答えは知らない。まぁ、ケジメを付けさせたいのかもな」

 

「ケジメかよ……」

 

「あぁ……チョコを殺し、トーキョーカクテルを取り戻す」

 

 

 枕に頭を埋めて、苦々しい表情で天井を睨む。

 簡単に彪は言うが、もう状況は四面楚歌だとは知っているハズだろ。

 

 

「……万策は尽きた。それに俺はもう、生きたムクロ(ウォーキングデッド)だ……」

 

「となると、大兄の見込み違いって事になるか。高いギャラ払ったのになぁ」

 

「じゃあこっから、どうすんだオイ? そもそもケジメっつぅなら、盗られたてめぇらが取るべきだろが?」

 

 

 痛い所を突かれたのか、彪は暗視ゴーグルを置いて目を合わせる。

 表情には焦燥感が滲んでいた。

 

 

「俺たちだって、あれから散々東京中走り回って、探ってたんだ……だが、情報が入らない。ブツは厳重に隠されてやがる」

 

「張の奴は、三ヶ月後の今ならチャンスがあるとか言っていたぞぉ?」

 

「確かに大兄は正しい。現にあんたは寸前まで辿り着けた……奴らが、トーキョーカクテルを動かす時期になったんだろうな」

 

「あぁ」

 

「まぁ……あんたが捕まったり抗争が始まったりだので、奴らまた警戒しちまったが」

 

 

 四面楚歌なのはチェリオスだけではない、こっちもだと彪は理解を求めて来る。

 

 

「……内通者はまだ見つからない。情報が筒抜けになってやがるし……とうとう俺にも、ケジメの話が持ち込まれた。俺もこのままじゃ、フカヒレの為サメに身を捧げなきゃならなくなる。だから俺もあんたも、やるしかないんだ」

 

 

 何か言ってやろうかと思ったが、チェリオスは呆れて諦めて、天を仰ぐ。

 

 

 点々と落ちる点滴の雫を見つめては、思いを馳せる。

 もうここで終わるのか。ならボウリング場で、雪緒の前で死にたかったとつい思ってしまう。

 

 

 

 現状、何が足りないのか。

 武器でも人員でもない。

 

 

「……情報が少な過ぎる。香砂会はクロだ……事情通はいねぇのか?」

 

「トーキョーカクテルの話題はからっきし。ただどう言う訳か……ワシミネって組が、ホテル・モスクワを雇ったらしいな」

 

「なに……?」

 

「このワシミネってのは、香砂会から不遇な扱いを受けてたそうだ。自国に仲間がいないから、外から傭兵雇って親を殺すって算段なんだろ」

 

 

 脳内にチャカの姿が出て来た。

 あの野郎、香砂会とロシア人は繋がってねぇじゃねぇかと、怒りに満ちる。

 尤も今は暴れる気力はないが。

 

 

 

 

「だがそれももう、香砂会にバレたらしい。終わりだろうな」

 

 

 

 

 彼がそう吐露した途端、雪緒の顔と銀次の顔が交互に現れた。

 二人は間違いなく鷲峰の人間。堅気である雪緒も、無関係では済まない。

 

 

「……ユキオが……そんな……」

 

「……何とかするんだ。何とか、情報を……」

 

 

 項垂れ、策を練ろうとする彪。

 その間もチェリオスはずっと、雪緒の事を考えていた。

 

 

 

 

 俺はホテル・モスクワをぶっ飛ばした。あまつさえ、頭領と思われる髭男も誘拐した。

 だとすれば鷲峰組に何かあれば、間違いなく自分の責任だ。

 

 

 

 取り返しのつかない事をしたと、後悔する。

 口を食い縛り、怒りと悲しみを半分ずつ馴染ませた瞳で天井を見る。

 

 

 

  

 

 

 不意に、夢の中の男の言葉が反芻される。

 

 

「……派手にケジメ付けて……」

 

 

 

 

 

 

 チェリオスが決意を固めつつある中、テーブルの上に置いていた携帯電話が鳴った。

 軽快な着メロだ。チェリオスと彪は鬱陶しそうな顔付きだが、フラット・ジャックはノリノリだ。

 

 

「あらぁん? チェリオス、あんた浜崎あゆみ好きなの?『A』の着メロじゃない!」

 

「知るか。その携帯は、奪ったもんだ」

 

 

 確かチャカの舎弟から盗った物。チャカにこの携帯に連絡しろと命じたのだった。

 

 

「とりあえず出るわよ?」

 

「勝手にしやがれ……」

 

 

 ピッと着信ボタンを押し、電話の向こうの相手に話しかける。

 

 

「しもしも〜? どちら様ぁ〜?」

 

 

 相手は若い男らしい。

 淡々とした口調で、一人の名前を呼んだ。

 

 

「……シェブ・チェリオスさんは、ご存知ですか?」

 

「あぁ、シェビーね…………え? シェブに?」

 

「俺かぁ?」

 

 

 電話口の男は、どう言う訳かチェリオスを指名。

 上半身を起こし、怪訝な目を向けるチェリオス。とりあえずフラット・ジャックはおずおずと返答した。

 

 

「え……えぇ……目の前にいるわよ……えと、どなた?」

 

 

 何者かを伺うと、相手は少し唸った後にぽつりと名を告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……『ディープ・スロート』と、名乗っておくよ」

 

 

 

 

 

 

 この一報こそ、チェリオス再起の━━━━香砂会壊滅への狼煙となるとは、まだ誰も予想はしていなかった。

 ディープ・スロートは携帯電話を片手に、不敵に笑っている。

 

 

 

 

 

 男の名前は、ロック。




「Skyphone speaker」
「スーパーカー」の楽曲。
1999年発売「JUMP UP」に収録されている。
良くナンバーガールと共に、邦楽ロックを変えたバンドとして挙げられる。デビュー当時は全員十代だった為、「恐るべき子供たち」とも呼ばれた。
テクノとオルタナティブを融合させた斬新なスタイルは、数多の後続バンドに影響を与えている。

青臭い歌詞と浮遊感のあるギターリフを、強烈な音の波の中に浸したかのような、非現実的な一曲。
終盤の「選ぶよりも選ばれろよ」と言う力強い歌詞が印象深い。


・ブラックラグーン二十周年!
 アニメ版が地上波でも再放送、YouTubeでも全話配信中と、お祭り騒ぎです
 是非とも観尽くそうではありませんか


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Stardust Stage

 相手の顔が見えないフラット・ジャックらにとっては、謎の人物だ。

 しかも明らかに偽名である「ディープ・スロート」の名前で、言語は英語。

 

 

「おい? 誰だ?」

 

 

 どう言葉を返そうか悩んでいた彼に、チェリオスは話しかける。

 ちょっとだけ迷った末に、フラット・ジャックは携帯電話を投げ渡した。

 

 

「……知らない男よ。名前は、ディープ・スロート」

 

「なんて変態な名前だ」

 

「いやフェラーリの方じゃなくて、多分ウォーターゲート事件の奴とかけてんのよ」

 

「クソ……何モンだ」

 

 

 電話を耳元に付けて、応答する。

 ディープ・スロートは彼に話しかけた。

 

 

「やぁ、ミスター・クリスマス」

 

「……聞き覚えのある声だな。お前、あそこにいた──」

 

「待った待った。俺の名前は言わないでくれ。あくまで他の人間には、ディープ・スロートと言う事にしといてくれ。容姿も何もかも言うのは無しだ」

 

 

 ディープ・スロートことロックは苦笑いを浮かべる。

 

 彼がいるのはホテルの喫煙室。

 誰もいないそこで、美味そうにタバコを蒸しながら電話をかけていた。

 

 

 チェリオスとしても、ボウリング場にいた通訳だとは察知していた。

 とは言え彼以外の人間に存在を悟られたくないようだ。そこがまた不可解でもある。

 

 

「……どう言うこった?」

 

「秘密を守るって約束してくれよ。俺はディープ・スロートで、あなたはボブ・ウッドワードだ。ウッドワードのように、誰にも正体を明かすんじゃない」

 

「てめぇの名前なんか覚えてねぇ」

 

「それならそれで良い。秘密を守ってくれるなら……僕も秘密を明かす」

 

「なに?」

 

 

 紫煙を吐き、真っ暗闇の瞳を浮かべて愉快に笑う。

 

 

 

 

「チョコの居場所、トーキョーカクテルと香砂会、モロ=サンの正体からホテル・モスクワの動向……雪緒ちゃんを取り巻く全てを、全部」

 

 

 途端、チェリオスは目を見開いて反応した。

 欲しかった情報全てを、くれると言うのだから。

 

 

「てめぇ、なんだって……!?」

 

「まず第一に、部屋からあなた以外の人間を追い出すんだ。スピーカーから漏れる声すら心配だからね」

 

「器用な奴め……」

 

「もう後はないんだろ? トーキョーカクテルも打たれてさ」

 

 

 打たれた事すらも知られている。つまりトーキョーカクテルの効能を理解していると言う訳だ。

 チェリオスは熟考する。香砂会やホテル・モスクワの罠かもしれない。

 

 

 だがこの通訳の男、雪緒に信頼されている様子だった。

 その事を思い出し、疑いを捨てようと観念する。

 

 

 

 

「……分かった……オイ! 出て行けッ!!」

 

 

 枕を彪に投げつけ、部屋から追い出す。

 突然の暴行に仰天しながら、彪はチェリオスに怒鳴る。

 

 

「何してんだ!? てか、誰だぁ!? ディープ・スロートぉ!? ディープ・スロートはキルスティン・ダンストだろ!?」

 

「何の話してんだてめぇ! 出て行けクソ! ギョーザでも食ってろクソ三合会ッ!」

 

「じゃあてめぇはバーガー食って死ねヤク中がッ!」

 

 

 すっかり頭に血が上った彪は、罵倒を残してスゴスゴと出て行く。

 それらをポカーンと傍観していたフラット・ジャックにも、出て行くよう要求。

 

 

「オメェもさっさと出て行くんだよ!」

 

「なになになになに!? あたしも!?」

 

「刺すぞッ!!」

 

 

 時計を投げつけ、彼も部屋から追い出す。

 誰もいなくなった事を確認すると、声量を落としてまた携帯電話に話しかけた。

 

 

「……話しってのは」

 

 

 テーブルに置いていたアンナカを吸いながら、ディープ・スロートの言葉を待つ。

 

 

「……信用してくれるようだな」

 

「個人的には信用したくねぇ……が、あんたはユキオの仲間だ……少なくとも、コーサの人間じゃない」

 

「…………それで良い。説得の時間さえ惜しかったんだ。助かるよ」

 

「そんで、ディープ・スロート(ザ・シークレットマン)さんよぉ。一面を飾れるドでかいネタを教えてくれや」

 

 

 ロックは喫煙室から外を見る。

 夜に染まる目抜き通りのネオンは、嫌に美しかった。

 

 

「……一面どころか、あなたは日本で伝説になれる……俺が伝えるのは場所だ。明日の朝、港区白金に行くんだ」

 

「ミナトク、シロカネ……そこになにがある」

 

「香砂会会長、香砂政巳の豪邸さ」

 

 

 チェリオスは吸ったアンナカに咽せてから、しわくちゃな顔となる。

 

 

「本拠地に突撃ってか? トーキョーカクテルとチョコはそこなんだな?」

 

「構成員百人余りと、ついでに警察の機動隊が大勢、香砂邸をグルッと囲ってる。今もな」

 

「なに……!?」

 

「歌舞伎町での抗争が始まってから、警察は奴らを四六時中張ってる。香砂会にとったら目の上のたんこぶ(横にあるトゲ)だが、逆に邸宅を守る優秀なガーディアンにもなってくれているんだ。奴らはこれを利用し、トーキョーカクテルを安心して解禁する」

 

 

 国家権力を突破しても、次は構成員百人抜き。

 ホテル・モスクワの日本支部を襲った時とは規模が違う。弱っているチェリオスに、そこまで辿り着けるのか。

 

 

「どうすりゃ良い?」

 

「どうもしなくても良い」

 

「はぁ?」

 

「白金に行く前に、新宿へ向かえ。行けば、糸口に会える」

 

「なに……なんだ? 人か?」

 

「行けば分かるよ」

 

 

 電話越しにロックは、チャーミングにウィンクをする。

 心底楽しそうな笑みだ。

 

 

「警察の包囲網を突破すれば、真正面から豪邸に入れば良い。無理に強襲すれば、トーキョーカクテルも解毒剤もオジャンだ。話し合え」

 

「……話し合えだぁ?」

 

「時間も教える。八時に新宿センタービルの前に行き、その後九時までに香砂邸だ。邸宅に入ったら、三十分で交渉を終わらせろ」

 

「……奴さんが、仲良く茶でも飲みながらニコニコ顔で快諾してくれる人間だと思ってんのか? 相手はマフィアで、ジーザスじゃねぇ」

 

 

 ロックは吸い込んだ煙を吐きながら、ケタケタと笑った。

 

 

「何事も話し合いさ、ミスター・クリスマス」

 

「いきなりなんだ」

 

「あんたはとてつもない幸運を持っている」

 

「毒打たれて、異国の地で死にかけてんのにか?」

 

「この電話が繋がった事が、何よりの幸運さ」

 

 

 吸い殻入れに、タバコを突っ込んだ。

 垂れた前髪から覗く、彼のイカれた目付きは、その場に誰かいれば戦慄を与えていただろう。

 

 グリグリと、吸い終えたタバコを潰す。

 立ち上っていた紫煙が細くなって消えた。

 

 

 

 

「今、俺が、あんたにとってのジーザスだ。『かの者に神の祝福あれ。彼こそ兄弟を守り、迷い子たちを救う者なり』」

 

 

 

 鬼気迫るディープ・スロートの声色。

 とてもだが、ボウリング場で見た人の良さそうなサラリーマン風の青年には思えない。

 

 

「……今のパルプフィクションで聞いた奴だな」

 

「ちょっとした引用さ。まぁ、大丈夫。上手く事は進むよ」

 

 

 黙ってはいるが、向こうは策を持っているようだ。

 とどのつまり、八時に新宿へ行けば「サプライズ」で何か起こると言う訳か。

 

 問い質したいところだが、ディープ・スロートは何も言わないハズ。

 乗るしかないと、たかを括った。

 

 

 

 

「俺からは以上だ。きっちり啓示は聞き取れたかい、預言者さん?」

 

「あぁ……けど待ってくれ。二つ聞きてぇ」

 

「ん?」

 

 

 アンナカが入っていた袋を捨て、まず一つ問う。

 

 

「コーサを潰せば、ワシミネは助かるんだな」

 

「……助かる。雪緒ちゃんが、地獄に堕ちずに済むよ」

 

 

 そしてもう一つ、問う。

 

 

 

 

「……なんで俺に託す。全部を」

 

 

 ロックは四秒ほど考え込み、懐かしむような目で答えた。

 

 

「……自分の為、愛する人の為に戦った人を知っている」

 

 

 左腕を上げて、指で拳銃を作った。

 首を傾げ、目を細める。

 

 

 

 

 

 

 

「……あんたもそうだろ? だから信用出来るのさ」

 

 

 

 

 

 

 伸ばした人差し指を、クイッと追って引き金を引く。

 同時に通話を切った。

 

 

 吸い殻入れの簀を開ける。

 その中に溜まった吸い殻と汚れ切った水の中に、持っていた携帯電話を放り込んだ。

 

 

 

 

 

 

「────てやんでい(イピカイエー)MOTHER FUCKER(クソッタレ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通話を切られ、すぐに耳から携帯電話を離す。

 少し考え込んだ後に、腕から注射針を抜いて立ち上がった。

 

 

 だが、靴底が床に付いた途端、膝が笑った。

 ガクンとチェリオスは、テーブルの上に転ぶ。

 

 

「うお……!?」

 

 

 置かれていた飲み物や薬品が宙を舞い、盛大に散乱する。

 その時の激しい衝撃音に驚いたのか、外で待機していたフラット・ジャック夫婦と彪が駆け付けた。

 

 

「おい、どうした!?」

 

「ちょっとぉ!? なんで点滴取ってんの!? あんた心臓止まってたのよぉ!? 二十一分くらい! 三途のビーチに行きたいの!?」

 

 

 急いでチェリオスを、三人がかりで抱き起した。

 当の本人は困惑している様子だ。

 

 

「なんだ……!? 感覚がねぇ……痛みがねぇぞ!」

 

「え!? 痛くないの!? めっちゃ血出てるけど!?」

 

「無茶すんな! 二日昏睡してんだから、身体が鈍ってんだよ!」

 

 

 そう判断する彪だが、彼の言葉は部屋に入って来たもう一人によって否定される。

 

 

 

 

 

「そいつはぁ違うなぁ?」

 

 

 チェリオスにとって聞き覚えのある声。

 パッと顔を上げると、扉にもたれて腕を組む男の姿。

 

 

「──『ドク』!?」

 

「やぁ、チェリオス」

 

 

 西海岸で闇医者をやっている、「ドクター・マイルズ」だ。

 チェリオスが最初に助けを求めた人物。トーキョーカクテルの効果の提示し、フラット・ジャックを斡旋してくれた。

 その彼が、チェリオスの為に来日してくれた。

 

 

「ほら、あたしが言ってた『助っ人』って、マイルズの事だったのよ! ここにある機材とか薬品も、全部マイルズが持って来てくれたのよ!」

 

「日本はメチャ税関が厳しいから、準備に時間を費やしてしまったよぉ」

 

 

 説明しながらフラット・ジャックは、チェリオスが剥がした点滴を再度付ける。

 薬剤を即座に注入すると、少し心臓が楽になった。

 

 

「アンナカとエフェドリンに、コカインも混ぜている。昏睡している間の容態も安定していた」

 

「……そいつぁ、良くなってるって事か?」

 

 

 懇願を込めて答えたが、マイルズは弱々しく首を振った。

 

 

「寧ろその、逆だぁ。生きているのが奇跡だ……学会に発表したいくらいだよぉ」

 

「マイルズ確か、前の妻の女性器若返り手術に失敗して免許剥奪されたのよね?」

 

「ジャックぅ。それは言わない約束だろぉ?」

 

 

 彪はドン引きした目でマイルズを見ていた。

 お構いなしにマイルズは彼を押し除け、チェリオスの隣に腰を落とす。

 

 

「……痛みを感じないのが、悪化の兆しだ。毒が神経細胞を破壊し、反応が鈍化……痛覚が麻痺している。ステージ4になりかけのところを、薬で先延ばしにしているに過ぎない」

 

「………………」

 

「投与を中止すれば、ステージ4……」

 

 

 チラリと、マイルズはフラット・ジャックを見やる。

 悲しげな目で彼は、改めてステージ4の症状を代弁した。

 

 

 

 

 

 

「……副腎の機能不全と、中枢神経の破壊。確実な死……」

 

「つまり今君は良くなっているどころか──『セミ・ステージ4』の段階なのだよ。シェビー」

 

 

 残酷な現状を突き付けられ、チェリオスは目を硬く閉じ、俯いてから「クソッ……」と吐き捨てた。

 打ちのめされた彼の姿は、何とも痛々しい。場にいる者全員が同情し、沈黙する。

 

 

「……おい、シェブ・チェリオス。さっきのディープ・スロートってのは、なんだったんだ?」

 

「……どう言う訳か、トーキョーカクテルの場所やらと、そこに行くまでの手順を教えてくれた」

 

「なんだって?」

 

「明日、八時にシンジュクセンタービル。その後にコーサのボスの家に行けだと」

 

「なに!? 何者なんだ……知り合いか?」

 

 

 チェリオスは約束通り、彼の正体は言わないようにした。

 話を続けて、はぐらかす。

 

 

「そこまで行きゃあ、トーキョーカクテルも解毒剤も手に入る。そうすりゃ俺は元に──」

 

「……聞いてくれチェリオス」

 

 

 彪はかけていたサングラスの奥で、眉を潜める。

 言い辛そうに下唇を噛み、しっかりと目を合わせてから教えてやった。

 

 残酷な真実を。

 

 

 

 

 

 

「トーキョーカクテルに、解毒剤はない」

 

 

 

 途端、チェリオスとフラット・ジャックが愕然とした表情になる。

 ただマイルズだけ、眼鏡を取って眉間を押さえていた。

 

 

「最新過ぎる上、本来は馬と象に使う毒だ。人に使えば一瞬で死ぬ……そんなもんに、解毒剤まで作る奴はいない」

 

「俺は現に生きている!」

 

「普通ならステージ1の時点でみんな死ぬハズなんだ。お前がおかしいんだよ」

 

「んな大事な事なんで黙ってやがったッ!?」

 

「言おうとしたらてめぇに腹蹴られたんだろがッ!!」

 

 

 口喧嘩を始めた二人を宥めた後に、マイルズは神妙な顔付きで話す。

 

 

「……その通りだ。危険を冒して突撃したところで、君に助かる道はない。死ぬんだよ」

 

「……嘘だろ……」

 

 

 解毒剤の存在。それだけを希望に、ここまで突っ走って来れた。

 それを打ち崩された今、信念は消える。心を深い絶望が飲み込んでしまう。

 

 終わったと、頭の中で声が響く。

 

 

 マイルズは何度か躊躇した後、眼鏡を外してから一つの道を示してやる。

 

 

「……どうする? トーキョーカクテルは三合会に任せて……君はここで、もう休んでしまおうか?」

 

「………………」

 

「……良い夢を見て逝ける薬を混ぜてやろう」

 

 

 ディープ・スロートの言った事を彪に伝えれば、チェリオスの出る幕はない。

 彪は落とし前を付けられ、トーキョーカクテルは三合会の手に戻る。チェリオスの復讐も果たされるだろう。

 

 どの道彼は助からない。

 心臓が止まり、苦しんで死ぬしかない。

 ならばせめて、自ら安楽死を望んでしまえば良い。

 

 

 それで全ては、解決だ。

 

 

 

 

 

 

 

「……………………」

 

 

 だが、チェリオスの意思は固かった。

 

 一瞬でも沸いたその考えを、捨てる。

 

 

 

 脳裏には雪緒の姿がある。

 そして恨むべき、チョコとモロ=サンの顔。

 

 雪緒を不幸にする連中がいるかと思えば、自分の事のように怒りが湧く。

 この手で確実に解決してやらねば、死んでも死に切れない。

 

 

 

 

 

「…………ドク。この薬ってのは、携帯する事ぁ出来ねぇか?」

 

 

 

 彼のその言葉には、マイルズ含めて全員が驚かされた。

 

 

「あ、あぁ……点滴と繋ぎ、自動的に薬剤を注入出来る、自動輸注器があるが……」

 

「それで奴らの所に行く」

 

「無茶よシェブ!? 死にに行くようなもんよ!?」

 

 

 止めようとするフラット・ジャックをギロリと睨んで黙らせる。

 

 

「ケジメは俺が付ける。そうしなきゃ俺は、奴らから逃げたと思われる……やってやるんだ」

 

「シェビー……」

 

「彪も言ったよなぁ?……俺たちがやる事に意味がある。どうせ死ぬなら、未練は残したかねぇ」

 

 

 チェリオスは誰の肩も借りず、自身の力だけで立ち上がる。

 ふらつく足を殴って気合いを込め、問題はなさそうだと周りを見渡し安心させた。

 

 

 

 

「……ド派手にケジメ付けて、二十四カラットの最期を飾るんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の六時に差し掛かる。空はまだ暗い。

 スタームルガー・ブラックホークのメンテナンスをする彼の隣で、マイルズが自動輸注器の設置を急いでいた。

 

 機械は小さな卵型で、ペースメーカーを思わせる。

 裏にあるフックでベルトに固定。機械から伸びた管はチェリオスの腕まで伸ばされ、注射針で静脈と繋げられる。

 

 スイッチを入れると、自動輸注器内に充填された薬剤が管の中を走って体内へと向かった。

 

 

 

「あくまでこれは補助だぁ、これだけじゃまた昏睡する可能性がある。追加でカフェインを補給しつつ、アドレナリンを出すようにしろ」

 

 

 部屋に入って来た彪が、チェリオスにスーツを投げ渡す。

 彼の持つバッグには、大量のカフェイン飲料とアンナカが入っていた。

 

 

 

「裏切り者に情報が流れたらマズい……ギリギリまで、仲間には伝えられない。あんたが香砂会に突入してからが俺たちの本番だ」

 

 

 ペンシルストライプのシャツの上に、フロントブレイクタイプのショルダーホルスターを付ける。

 次にそれらを隠すように、漆黒のジャケットを着た。

 

 

 

「.44マグナム弾だ……弾数は六十発。ヤクザ百人を相手にするには厳しいだろうが、何とか持ち堪えてくれ」

 

 

 ズボンを履き、ベルトを締める。

 そのベルトに、自動輸注器を差し込んだ。

 

 

 

「良いスーツだろ? 死装束って訳じゃないが、似合ってるぞ」

 

「……あぁ」

 

「それじゃあな、チェリオス……現場で会おう」

 

 

 スタームルガーをホルスターに差し込みながら、隠れ家を後にする彪を見送った。

 入れ違いに、フラット・ジャックが嫁ともう一人を引き連れて現れた。

 

 

 

「新宿まで、嫁とこの子が送るわ」

 

 

 彼の言った「この子」だが、顔を含めた全身包帯まみれの変な男だった。

 

 

「……なんだこいつ?」

 

「ツギオン君よ! 秋葉原で拾った子なの! 記憶喪失で、あたしの助手をしてくれているわ!」

 

「手負いの奴はいらねぇ」

 

「でも、どうしても付いて行きたいって……」

 

 

 ツギオン君はチェリオスに頭を下げ、必死に頼み込む。

 意外に年配なのか、声が渋い。

 

 

 

「僕、ツギオンです! お願いします! なんか僕、これに付いて行ったら、記憶を取り戻せそうな気がするんす!」

 

「……英語話せねぇのか?」

 

「無理みたいね」

 

「…………荷物持ちしか役目ねぇぞ」

 

「本望!」

 

「……本望って言ってるわ」

 

 

 よく分からない奴を手下に付けて、嫁と一緒に廊下に出る。

 扉を閉めようとしたその時、マイルズが彼を呼び止めた。

 

 

 

「シェビー」

 

「………………」

 

「……君と知り合えて、本当に良かったよ」

 

「……あぁ」

 

「達者でな」

 

 

 次にフラット・ジャックが励ましの言葉をかけた。

 

 

 

「こう言う言葉があるの。『追われる者より、追う者のほうが強い』。追われる側は隙が多い……追う側のあんたは、間違いなく有利よ」

 

「………………」

 

「あんたは生きたムクロ……ならせめて、大輪の死に花咲かせんのよ!」

 

 

 チェリオスは何も言わず、視線だけで感謝を伝えてからまた歩き出す。

 マイルズとフラット・ジャックに見送られながら、彼は外に出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 腕時計を見やる。

 七時前。ようやく外が白け出す。

 

 嫁が車を隠れ家の前に付けると、チェリオスはツギオン君と一緒に後部座席に乗る。

 彼が手を差し出すと、ツギオン君は持っていたバッグからアンナカとコーヒーを渡してくれた。

 

 

 

「あぁ……! なんだか僕、興奮してきましたよぉ!」

 

「お前は新宿までだ」

 

「なんだか僕、こう言う悪い事が仕事だったような気もしたりしなかったり……!」

 

「英語話せねぇ奴はいらねぇよ……スゥーッ!」

 

 

 アンナカを吸い込み、コーヒーを飲む。

 薬の効果も相まって、動悸が早まり目が冴える。昏睡する気配はない。

 

 

 

 

 

「良し、出せ」

 

 

 運転席を叩き、フラット・ジャックの嫁に合図。

 彼女はアクセルを踏み、早朝の東京へ車を走らせた。

 

 

 

 シェブ・チェリオス。

 最後の仕事へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、雪緒は目を覚ました。

 身体を起こし、布団の上でぼんやりとしている時に、部屋の外で銀次が声をかける。

 

 

「お嬢」

 

「………………」

 

「……病院から、連絡です」

 

 

 銀次の声には、切迫感が宿っていた。

 

 

「……板東さんですが……今日、保つかどうか……らしいそうで」

 

「………………」

 

「…………お嬢。学校に行く前に、見舞いに参りましょう」

 

 

 廊下に座る銀次は、悔しげに目を硬く閉じていた。

 膝の上に置かれた手は、ギリギリと強く握られている。

 

 

 

 

「……総会の前に。改めて意思表示を……」

 

 

 雪緒は枕元に置いていた眼鏡を取り、かけた。

 

 

 

 

「……はい」

 

 

 ゆっくりと立ち上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、ロックは既に目が覚めていた。

 ネクタイを締め、洗面台で乱れた髪を整える。

 

 

 ベッドの上、服を着るレヴィが話しかけた。

 

 

「なぁ、ロック」

 

「うん?」

 

 

 ベレッタM92Fと、愛銃「ソード・カトラス」を手に持つ。

 

 

「どうしたんだ?」

 

「どうしたって、何が?」

 

「なんか、あんた……随分とご機嫌じゃねーか?」

 

 

 洗面所から顔を出したロックは、いつも通りだ。

 だがレヴィにはどうにも、上機嫌に思える。

 

 

「そうかな?」

 

「あたしの勘違いか?」

 

「……いや」

 

 

 ジャケットを羽織り、鋭い目付きのまま微笑んでみせた。

 

 

 

 

 

「合ってるんじゃないか?」

 

 

 

 

 

 その目に光はなかった。




「星屑のステージ」
「チェッカーズ」の楽曲。
1984年発売「もっと! チェッカーズ」に収録されている。
80年代を象徴する伝説的ポップバンド。アメリカンポップを下地にしたレトロな曲調が何よりの特徴。アイドル的な人気を獲得し、社会現象にまでなった。

大ヒット曲「涙のリクエスト」のリリースから矢継ぎ早に放たれたシングル群の一つ。それまでアップテンポな曲が続いていたが、この曲はスローモーなバラードであり、彼らの手数の幅広さを知らしめた一曲。


・ウォーターゲート事件の情報を、匿名で流し続けたディープ・スロート。彼の正体は、2008年まで謎でした
 気になった方は、事の顛末を映画化した「ザ・シークレットマン」を観てみてください

・「てやんでい、クソッタレ」は、村野版ダイハードをオマージュ


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Fight! What!? This Life!

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Lat:35.673804 Lng:139.718366

 

Lat:35.691840 Lng:139.695542

 

 

 

SHINJUKU CENTER BUILDING

新宿センタービル

 

 

 

 

 高層ビルに囲まれた新宿の中で、薄いブラウンのその建物は嫌に目立つ。

 チェリオスらはディープ・スロートの指示通り、センタービルの正面に到着した。

 

 向かいには東京都庁第一本庁舎、そして議事堂が伺える。この場所は東京行政の中心地でもあった。

 

 

 そしてチェリオスにとっては、全ての始まりの地。

 車から降りた彼は感慨深そうに、深呼吸した。

 

 

「忌々しい所だぜ全く」

 

「アニキ! こっからどうするんすか!?」

 

「……お前は目立つから黙ってろ! 英語話せ英語!」

 

 

 全身包帯塗れのツギオン君は、出勤するサラリーマンらの注目の的だった。彼は日本語しか分からないので、とりあえず怒っている事は伝えさせようと怒鳴っておく。

 

 一方でフラット・ジャックの嫁だが、車のボンネットを開いてエンジンを確認している。

 

 

「おいどうした?」

 

「アニキ! バッテリー切れっす! バッテリー!」

 

「あ? バッテ……あぁ、バッテリー切れかぁ? んな肝心な時に……」

 

 

 嫁は持参した水筒でお茶を飲みながら、困り果てた様子で首を振る。

 目的地には着いたが、これじゃ白金まで行けない。出鼻を挫かれたと、チェリオスは渋い顔で頭を掻いた。

 

 とりあえずこのまま、「サプライズ」を待つしかない。それから考えよう。

 

 

 

 

 

 自動輸注器をチラリと確認。

 不具合なく、しっかりと稼働している。

 

 

 とは言えマイルズの言っていた通り、薬剤だけに頼ると倦怠感が現れた。昏睡の前兆だ。

 ツギオン君に手を差し向けると、彼は車内に置いていたバッグから、アンナカとコーヒーを取り出してくれた。

 

 

「はいアニキ!」

 

「……ANIKIって、なんだよ」

 

「なんか僕、こう言うのが懐かしいような! なんか、気分ええですねぇ!」

 

「……フラット・ジャックめ。なんで話せねぇ奴ばっか……」

 

 

 愚痴りながら、アンナカとコーヒーを補給する。

 倦怠感はすぐに消失。まだ戦える事を確信した。

 

 

 

 

「フゥー……良し」

 

 

 心臓に手を当て、神経の高まりを実感する。

 空き缶とアンナカが入っていた袋を捨ててから、腕時計を見た。

 

 

 七時四十五分。あと十五分。

 時間はあるが、本当に何か起こるのかと不安になって来る。

 

 

「……本当に大丈夫なのか?」

 

 

 

 

 

 

 物事は、心配を吐露した時に限って現れるもの。

 一台の派手な車が歩道に乗り上げ、停車した。

 

 

 何事かと全員の視線を受けながら、運転手が降車する。

 

 

 

 染めた髪、ピアスだらけの耳、軟派そうな顔付きのホスト風の男。

 視認した瞬間、チェリオスもその男も愕然とした表情で叫んだ。

 

 

 

 

 

「チャカぁ!?」

 

「おおうッ!?!?」

 

 

 その男とはチャカ。散々チェリオスを振り回したアウトロー。

 即座に車で逃げようとする彼を、チェリオスは颯爽と駆け寄って引き摺り戻す。

 

 まずは、既に痣だらけの顔面に一発。

 

 

「あぐっ!?」

 

「てめぇ、このヤロー? 散々適当コキやがってなぁ? 俺ぁ最初言ったな? 嘘だと分かったら殺すって」

 

 

 懐に手を突っ込み、ホルスターから銃を抜こうとする。

 急いでチャカは止めさせた。

 

 

「待て待て待て!! お、俺だって今ヤベェんだってぇ!! 鷲峰に喧嘩売っちまったからさぁ!? 店捨ててダチんとこで隠れてるんだよぉ!! 俺だって被害受けてんだ!!」

 

「そりゃ自分で招いた事だろが。関係なくホテル・モスクワに突っ込ませやがったよぉ」

 

「クソ……ッ、てか、なんでてめぇが!? てめぇこそハメやがったなぁ!?」

 

「ハメたのはそっちだろが? 何ほざいてやがる」

 

 

 焦りと怒りが同時に表出している為か、チャカは半狂乱状態でここに来た理由を捲し立てた。

 

 

「ダチに、俺の落としたケータイ番号で連絡来てよぉ!? そいつが言ってたんだ! 一人でここに来てこうすりゃ、匿ってくれるって!」

 

「……誰からだ?」

 

「知らねぇよ!! 電話越しだから分かんねぇ!」

 

「名前は!?」

 

 

 話を聞き、チェリオスはまさかと思い問いただす。

 チャカは一呼吸置き、落ち着いてからゆっくりと答えた。

 

 

 

 

 

「…………ディープ・スロート」

 

 

 

 間違いないと確信し、唇を噛む。

 ディープ・スロートはここで、彼と合流させる為にチェリオスを誘導した。

 

 となるとサプライズとは、このチャカだと言う訳だ。

 

 

「なんでテメェなんだ……」

 

「そりゃ俺の台詞だ!?」

 

 

 他に誰か来ないかと睥睨するが、その気配はない。本当にこのチャカだけらしい。

 仕方なく、チェリオスは彼を解放してやる。

 

 

「ディープ・スロートは何つってた?」

 

「まずそいつが誰なのか教えろよ! 俺のケータイ盗みやがって!! 知ってる奴か!?」

 

「……俺も知らねぇ。コーサの事に詳しかった。これからコーサのボスんとこ乗り込むつもりだが、その前にここで待てとさ」

 

「…………? あ、あんだって?」

 

 

 耳を疑い、耳の穴をほじくってからまた聞き直す。

 うんざりした表情でチェリオスは再度答えた。

 

 

「コーサのボスんとこ乗り込むんだよ! その前の準備だとかでここで待ってりゃ、なぜか来たのがお前だ!」

 

「…………ま、マジ? マジ〜ジ?」

 

「なんか知ってっかお前?」

 

 

 

 

 心なしかどんよりとしていたチャカの目に、光が宿る。

 

 

「……じ、実はさディープ・スロートにさ? なぁ、相棒?」

 

「誰が相棒だ……あ? なんだと?」

 

「……指示、貰っちゃってンだよなぁ?」

 

 

 彼はニヤニヤしながら、指をクイクイと動かしてチェリオスを道路脇まで呼ぶ。

 怪訝な顔をしながらも仕方なく手伝ってやり、道路沿いの白線に立つ。

 

 

 すぐ前を、車が通った。

 

 

「……八時ちょい過ぎ。ここを車が通るンだって?」

 

「車ァ? コーサのか?」

 

「ンなビジネス街に来ねーよヤクザなんざ」

 

「じゃあ誰の車だ。んで、どーすんだよ」

 

「手順は聞いてンだって! 車種も聞いてる!」

 

 

 チャカは頭をボリボリ掻きながら、口笛を吹きつつ何気なくチェリオスの背後に行く。

 一体何が始まるんだと、チェリオスは向かって来る車一台一台を眺めていた。

 

 

 時間は八時を少し過ぎる。

 目当ての車を、チャカは発見した。

 

 

「お? 運転手付きの……あれじゃね?」

 

「は?」

 

 

 車はチェリオスらが端に立っている車線を走り、こっちへ向かって来ていた。

 信号を通り抜け、すぐ近くまで迫る。

 

 

「んまぁ、どの車かなんて、ショーミどーでも良いよな」

 

「おいチャカ。あの車がなんだ?」

 

「まぁまぁ。今に見てろって!」

 

 

 車が彼らを通過しようとする。

 瞬間、チェリオスの後ろに立っていたチャカが、足を上げた。持参した目抜き帽を被りながら。

 

 

「んじゃんじゃ、相棒!」

 

「あ?」

 

「当たり屋しくよろ〜!」

 

 

 ドンッと、チェリオスを蹴る。車道に突き飛ばす。

 

 

「なにしやが──」

 

 

 

 

 突然飛び出したその男に、運転手は反応し切れない。

 

 

 

 

「おごぅっ!?」

 

 

 そのまま追突しししししししししししし

 

ででででででででででで

 

bbbbbbbbbbbbbbbbbbbbebbbbbb

 

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

司会者「ショータイムだクソ野郎!(ショータイムだクソ野郎!)

 

CMのあと…ショータイムだクソ野郎!

 

 

 

 

 

 

 

 

 英語で電話をしながら、高級車の後部座席で商談を進めているお歴々な男。

 彼は東京都新宿に本社を構える大企業、「旭日重工株式会社」の重役だ。名前は「景山」。

 

 

「ですからこの間の件は、異常者に電話を奪われたものと何度も説明を……」

 

 

 電話の向こうの先方に、うんざりした様子で何度も弁明する。

 一週間前に外国人の男に襲われ、携帯電話を盗られた上に殴られたようだ。顔にはまだ青痣がある。

 

 

 

 新宿センタービルの前を通る。いつもの通勤ルートだ。

 朝からやる事が多く、こうして通勤中も交渉を進めなければ間に合わない。故に運転手を雇っている。

 

 

 

 

 

 

 

「おごぅっ!?」

 

 

 しかし今日は違った。

 黒塗りの高級車は、道路沿いから飛び出した男と不幸にも追突してしまう。

 運転手はすぐブレーキを踏み、青い顔で振り返る。

 

 

「ぶ、部長……! ま、また轢いてしまいました……!」

 

「……少々、失礼────今のはどう見ても、向こうの……待て待て。既視感が……」

 

 

 

 

 今度は運転席から開かれた。

 目抜き帽で顔を隠した男が、運転手を殴って車から引き摺り下ろす。

 

 

「ぐへー!?」

 

「な、なんだ!?」

 

 

 車をジャックしたその男は、下品な笑顔を浮かべて景山へ振り返る。

 目抜き帽で顔は分からないものの、その男はチャカだ。

 

 

「よぉ〜ジジイ! お前に恨みはねェけどよぉ〜? ちとこの車──ぎゃあ!?」

 

「うおお!?」

 

 

 チャカも、外から運転席を開けた何者かによって鉄拳制裁を食らった。

 

 轢かされたチェリオスが、怒りの形相で立っている。

 

 

「ふざけんな!? 当たり屋すんならテメェでやれクソがッ!! テメェだけ顔隠しやがって!」

 

「奪えたから良いじゃねぇかよぉ!?」

 

「これが作戦なんだな!? この車奪うんだな!?」

 

「あぁそうだよッ!! てか轢かれて傷一つねぇの凄えな!?!?」

 

 

 景山は逃げようとするが、開けたドアの前にフラット・ジャックの嫁が立っていた為、逃げられなかった。

 しかも堂々と彼を押し込んで、車内に入る。男のように力が強い。

 

 

「な、なんだね君たちは!?」

 

「アニキ! 僕たちもオトモするっす!!」

 

「だから何なのだ貴様ら!?」

 

 

 ツギオン君も我が物顔で助手席に座る。

 突然のカージャックに、辺りは騒然。道行く通勤者たちの注目を浴びていた。

 

 

 ここまで来たならやるしかない。チャカは鼻血を止めようとしながら、チェリオスに説明する。

 

 

「後ろのジジイを人質にして、警察を敬遠しろってさ!」

 

「なら適当な奴でも良かったろ!?」

 

「知らねーよ、ディープ・スロートが言ったんだから!!」

 

「……まぁ、別に良いか」

 

 

 口論する時間さえ惜しい。九時までに全てを終わらせなければ。

 チェリオスはすぐに、後部座席に乗り込んだ。景山と顔合わせになる。

 

 

「この間の男か!?」

 

「誰だてめぇ? アジア人はどいつも猿顔だから区別つかねぇ」

 

「なんだ!? 身代金か!? い、良いだろう! 提示した額の倍を出すぞ!?」

 

「一兆ドル」

 

「ある訳ないだろ!?」

 

「じゃあ諦めろ」

 

 

 通報する者もいる。そろそろ発進しないとマズい。

 チェリオスは運転席の椅子を殴り、チャカに合図。

 

 

「普通に叩けッ!!」

 

「出せ出せ出せッ!! ユキオを救うぞッ!!」

 

「いやもう鷲峰カンケーねぇだろ……あー、クソッ!! もうヤケだッ!! やってやるぅぅううーーーーッ!!」

 

「うるせえ黙れッ!!」

 

「お前がうるせぇッ!!」

 

 

 アクセルを踏み切り、急発進。

 後部座席で三人が転ぶほどのスピードで、車は白金へと針路を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CRANK

 アドレナリン 

 トーキョーオーバードーズ!!!!!! 

T O K Y O O V E R D O S E

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 輸送用のバスから、続々とプロテクターや盾を装備した警察官が現れる。

 港区南部に位置する白金は、都内有数の高級住宅街として有名。

 

 豪邸やデザイナーズマンションが立ち並ぶ、瀟洒で閑静な街だ。

 

 

 

 だがここ最近は、妙に騒々しい。

 香砂会と鷲峰組の抗争が発覚してからは、連日警察隊が包囲網を敷いている。

 

 

 

 現場を指揮する、警視庁四課の安沢は寒さに身を縮めていた。

 

 

「うぅ〜、今日も冷えるな……」

 

 

 チラリと、忌々しげな眼差しで一つの邸宅を見やる。

 

 

 四方を壁に囲まれた、豪奢な日本家屋。

 そこが、都内の裏社会を牛耳る香砂会の、現会長の住処だ。

 

 ポケットに突っ込んだ手を擦り、付け焼き刃程度の暖を取る安沢はぼやく。

 

 

「俺たち刑事は凍えながら外立ってるっつぅのに……あいつらは豪邸でヌクヌクかよ……間違ってるこんなの」

 

 

 振り返り、停めてあったパトカーに近寄る。

 中にいた眼鏡の男は、本部と連絡を取っていた。それが終わるまで待ち、窓をコンコンと叩く。

 安沢に気付いた彼は窓を開ける。

 

 

「そんで石黒。人員まだ寄越してもらえそうか?」

 

「微妙ですね。どうにもお上の腰が重い……何度言っても、『そこまでは良いだろ』とかばかりです」

 

 

 石黒は警備部一課の刑事だ。機動隊の管理は、彼が執り行っている。

 

 

「なぁにが『そこまで』、だよ……歌舞伎町で爆破、銃撃、殺人。こないだもロシア料理のレストランで大量殺人、品川のボウリング場で発砲騒ぎだ。これで『そこまで』って言えるなんざ、肝が座っているか危機感ねぇのかのどっちかだろ」

 

「安沢さんが提案してた、合同捜査の件はどうなったんすか?」

 

「何度も言ってんのにさ、動かねぇんだ。圧力じゃねぇかって話も聞くけど……昭和ならともかく、今は平成だぞ? 最近の香砂会にそこまで力があるとは思えねぇ」

 

 

 やや薄くなり始めて来た頭を掻きながら、石黒は口を曲げる。

 

 

 

 

「……となると怪しいのは……屋敷に入り浸っている、あの『白人』ですか?」

 

「照合はまだか?」

 

「えぇ、まだ……国際担当は回して貰ってますけど」

 

「くっそぉ〜……何から何まで遅過ぎだ。何だってんのよ全く……」

 

 

 窓枠を腕で叩き、苛立ちを含ませた表情で身体を仰け反らせた。

 それから思い出したかのように、安沢はもう一つ聞く。

 

 

 

 

 

「白人で思い出したけどよぉ……あの歌舞伎町の、拳銃強奪事件の犯人はどした?」

 

 

 石黒は少し、言いにくそうにしてから話す。

 

 

「そっちは照合済みで、ずっと指名手配中です」

 

「公安が追ってんだろ? 何か聞いてたりしないか?」

 

「なんかこの男、都内のあちこちで目撃例があるんですけど……ほら、この前の原宿駅にセダンが突っ込んだ事件。あの時も近くで暴行と、バイクの強奪事件起こしていたそうで」

 

「なにぃ?」

 

「それだけじゃないですよ。その原宿駅のセダンは盗難車で、盗んだのがその白人だったってのも分かっているんです。鷲峰組の若頭が轢き逃げされた事件の時も監視カメラに映ってて、レストランの襲撃事件の時に現場近くでも目撃されています」

 

「………………」

 

「あぁ……あと、旭日重工の重役を襲って携帯電話を奪った男も、そうらしいです。何なんですかこの男?」

 

 

 聞いた安沢も、説明をした石黒も、同時にドン引きした顔になる。

 

 

「……そいつ、日本は何でもやりたい放題の遊び場かなんかだと勘違いしてんのかぁ?」

 

「行動の予想が付かないので、行方すら追えてない状況らしいです」

 

「名前は?」

 

 

 何だったかなと、手帳を開いて確認してから伝えた。

 

 

「シェブ・チェリオス……アメリカ人ですね。向こうでも逮捕歴多数で、しかも裏社会の大物と関係があるみたいです」

 

「なんでそんな奴、入国させちまったんだよ……」

 

「パスポートの偽造も考えられますね。高飛びじゃないですか?」

 

「大丈夫なのか日本……」

 

 

 色々と厄介事を警視庁は抱えていると知り、頭が痛くなる思いだ。知らぬが花だったかなと、安沢は後悔した。

 

 

 とは言えさすがにこの、機動隊が包囲した場所までは現れないだろうと考える。

 今自分たちは、目の前の問題に向き合うべきだと思考を変えた。

 

 

 香砂会は何かを企んでいる。

 何が何でも尻尾を掴んでやる。そう、安沢は意気込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 その決意が、次の瞬間少し崩れかけた。

 パトカー内の無線が響く。

 

 

 

 

『──こちら新宿御苑前! 数人組の男が車を強奪! 人質を取って、六本木方面へ南下中!』

 

 

 突如として流れて来たとんでもない事件に、安沢も石黒も耳を傾ける。

 

 

「「…………は?」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「被疑者の一人は『シェブ・チェリオス』! 間違いない! シェブ・チェリオス! この野郎、絶対に捕まえてやるぅーーッ!!」

 

 

 パトカーを運転しながら無線を飛ばすその警官は、歌舞伎町でチェリオスに殴られて拳銃を奪われた男だった。

 

 あれから始末書を書かされたりと、メディアからバッシングされたりと、散々な目にあった。

 怒りに震え、助手席にいる先輩と共に追跡を続けている。

 その先輩も同じく、チェリオスにやられた男だ。

 

 

「ちくしょ〜! あれからずっと追ってたぞぉ〜? 捕まえて、汚名返上するんだ!」

 

「先輩ッ! あいつ銃所持してますから、撃って良いっすよね!?」

 

「駄目駄目駄目! 撃ったら、世間がうるさいから! 日本人らしく柔道で……」

 

「うるせぇーーッ!! じゃあ何の為の銃なんすか!? 日本警察は犯人側へのハンデとして六七◯グラムの飾り腰に吊るしてんすか!?」

 

「あんた本当に警官?」

 

 

 けたたましくサイレンが鳴り、赤いランプが明滅繰り返す。

 朝から何事かと衆目を浴びる中、カーチェイスは続く。

 

 

 

 

 チャカの運転は激しいものだった。

 法定速度は余裕で無視。追越車線も見ない振りで、逆走も当たり前。

 ラバーポールを跳ね飛ばし、信号無視。いつ誰かを轢くか知れないほどの暴走だ。

 

 

「おうおうおうおう! 騒げ騒げクソども! 騒げば騒ぐほど、俺たちにはありがてぇんだよぉ〜!?」

 

 

 ゲラゲラ笑いながら、ハンドルを操作するチャカ。助手席のツギオン君は、シートベルトを締めて左右に揺れている。

 

 

 後部座席にいるチェリオスは、ドアを勢い良く蹴り開けた。

 開いたドアは反対車線の車とぶつかり、破損し外れる。

 

 

 露になった車内から景山の顔を出させ、コメカミにスタームルガーを突き付けているところを後ろのパトカーに見せつけた。

 

 

「見やがれゴラァーーッ!! それ以上近付いたら撃ーーつッ!!」

 

「最悪だ……! 今年は厄年か……!! 助けてくれーーッ!?」

 

 

 上空を見ると、報道ヘリも付けていた。

 騒ぎを聞きつけ、テレビ局も動き出したようだ。

 

 

「テレビまで来たぞ! 騒げば良いんだなぁ!?」

 

「サツを撹乱すんだってよ!」

 

「これからサツの壁に突っ込むってぇのに、撹乱の必要ねぇだろ!?」

 

「知らねーよ! ディープ・スロートが言ってんだからよぉッ!! なんか……なんかすんだろ!?」

 

 

 従うしかないかと、チェリオスも乗る事にした。

 空に向かって発砲する。銃声が浸透したと同時に、辺りにいた者たちが身を縮めた。

 

 

「E・O社を呼んでくれぇーーッ!?!?」

 

「黙れジジイッ!! 俺より先に逝きてぇのかぁ!?」

 

「やめろーーッ!!」

 

 

 顔を押さえ付けて、アスファルトに顔を付けさせてやろうとする。

 勿論、これは脅しだが、お陰で景山は黙ってくれた。

 

 一旦車内に引っ込み、チェリオスは助手席のツギオン君へと顔を寄せる。

 

 

「ツギオンッ!! あー……! 眠っちまいそうだッ!! アンナカとコーヒー出せッ!!」

 

「え? アニキ、なんすか?」

 

「通訳しろチャカぁッ!!」

 

「耳元で叫ぶなッ!!」

 

 

 仕方なくチャカは、ツギオン君へ通訳してやる。

 マイルズの言っていた通り、薬だけでは足りない。昏睡の前兆が現れ始めていた。

 

 カフェイン飲料とアンナカの入った鞄はツギオン君に管理させていた。

 しかし彼が、何も持っていない事に気付く。

 

 

「……あ? おい、バッグは? トランクか?」

 

「あ」

 

 

 包帯で顔色は分からないが、声色で青褪めている事は分かる。

 ツギオン君はゆっくりと振り返り、頭をペコペコ下げた。

 

 

 

 

「前の車の中っす……」

 

「前の車の中ってよ」

 

「前の車の中か…………なんだとぉおッ!?!?」

 

 

 怒りからチェリオスは、外に向けてまた発砲。

 チャカもツギオン君も、身を縮めた。

 

 

 

 

 

 放たれた弾丸はまず、停まっていたトラックの荷台の角に当たる。

 

 跳弾し、次は道路標識のパイプに直撃。

 

 また跳弾し、ガードレールに衝突。

 

 

 またまた跳弾し、反対側の歩道まで飛んで行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とあるカフェの、窓際の席。

 出勤前のコーヒーを求めに来た客が殺到する中、その二人は静かに対談していた。

 

 一人は見るからに怪しい風貌の老女。もう一人は線の細い、スーツ姿の男。

 

 

「では、あなたの身に何が起こったのか……お答えくだされ」

 

「あの日は、雪の降る曇り空の朝でした」

 

 

 老女に促され、スーツ姿の男は縷々語る。

 

 

「私は、家族にリストラを言い出せず、公園のブランコで缶コーヒーを飲んでいました」

 

 

 彼の眼前には、缶コーヒーが置いてあった。

 

 

 

 

 

『リストラを家族に言い出せず、公園のブランコで項垂れるサラリーマンが一人。

 その男が缶コーヒーを飲もうとしていたところで、チェリオスに顔面を蹴っ飛ばされる。

 

 

 「ごふぉッ!?」

 

 

 男はブランコを後頭部から落ちた。

 チェリオスは気にする素振りを見せず、男が手から落とした缶コーヒーを拾い、飲みながら走り出す。』

 

 

 

 

 

 男の頭には包帯が巻かれていた。

 後頭部をなぞりながら、微かに震えている。

 

 

「五針縫いました。入院中に妻にリストラを打ち明けたら、退院した時に出て行かれていました」

 

「お気の毒」

 

「あれから、何も上手く行きません。職探しも、人間関係も。鬱病にもなり、生活保護の申請もなぜか断られました」

 

「かわいそうに」

 

「何かしようとすると……あの時の男の顔が、フラッシュバックするんです。すると、絶対に良くない事が起こるんです」

 

「あらあらまぁまぁ」

 

「導師様……私には、何か悪い気が憑いているんでしょうか?」

 

 

 老女は腕を掲げて、変なダンスをしながら首を振り続け、念を感じ取る。

 クワッと、閉じていた目を開いた。

 

 

「恐ろしい……! あなたの見た男は、公園で青姦し腹上死した男の霊でしょう……!」

 

「やっぱりあの男は人間じゃなかったんだ……!」

 

「それがあなたに取り憑き、悪さを働いている……!」

 

「導師様。その霊は、祓えるのでしょうか……!? このままでは僕の人生めちゃくちゃです……!」

 

 

 真剣な顔で老女は首肯した。

 

 

「祓えます」

 

「本当ですか!?」

 

「左様」

 

 

 

 

 そう言って、足元に置いてあった紙袋から大きな壺を取り出した。

 

 

「この壺は、私が何十年も念を込めつつろくろを回して作った、退魔の壺」

 

 

 壺の中身を見せると、なぜかトライフォースが底に描かれている。

 

 

「これを買い取り、枕元に置けば、霊は祓えるでしょう……」

 

「買わなきゃ」

 

「お一つ、三千万円。月々十五万円の二十回払いも受け付けております」

 

「助かります」

 

「祓いたくば、払うしかありませぬ」

 

 

 老女は両腕を大きく広げ、雄々しく立ち上がり天を仰ぐ。

 

 

「これであなたの人生は、救われるでしょう……!」

 

「ありがとうございます、導師様……! ありがとうございます……!」

 

「そして我が信教に入信すれば、恒久的な救いが実現するでしょう」

 

「入信しなきゃ」

 

 

 カッと彼女を目を剥き、男を見下ろす。

 威圧感から、男はブラリと身震いした。

 

 

「その言葉を待っていました。神が、私とあなたを引き合わせたのです」

 

「ありがとうございます……ありがとうございます……」

 

「お陰であなたは、これからの人生を──」

 

 

 

 

 

 

 

 放たれた弾丸はまず、停まっていたトラックの荷台の角に当たる。

 

 跳弾し、次は道路標識のパイプに直撃。

 

 また跳弾し、ガードレールに衝突。

 

 

 またまた跳弾し、反対側の歩道まで飛んで行く。

 

 

 

 

 

 

 

 老女は腕を広げ、鬼気迫る表情で男に詰め寄る。

 

 

「──幸せに過ごせられるでッ」

 

 

 

 

 

 

 銃弾が窓ガラスを割って、老女の脳をぶち抜いた。

 鮮血が飛び散り、脳味噌のカケラが跳ね、それを見た男は昨日の晩御飯を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車内ではブチ切れたチェリオスが、ツギオン君に銃口を突き付けていた。

 

 

「この野郎ぉーッ!? 俺の生命線なんだぞぉ!? よっぽど死にてぇようだなぁ!?」

 

「堪忍やあ! 堪忍してくださいアニキぃ!」

 

「どーすんだこの……あークソッ!! 眠いッ!!」

 

 

 身体の内側から迫り上がる、強い倦怠感から身体を後部座席へ引っ込める。

 

 

 眠ったら最後、二度と目覚める事はない。

 ここまで来て死にたくはないだろう。脳裏に、雪緒の顔が浮かび上がった。

 

 

 

 

「こ、このまま死んで……たまるかぁ……!」

 

 

 必死にアドレナリンを絞り出し、抗おうとする。

 しかしカフェインが足りない。神経を叩き起こすには、それが必要だ。

 

 

 

 

 

 どこか停めて、コーヒーを探すべきか。

 滞りつつある思考を必死に回し、糸口を探す。

 

 

 その時、彼の鼻に何かが無理やり入れられた。

 

 

「んん!?……ズゥーーッ!!」

 

 

 間違いなく、アンナカだ。

 何が起きたのかを確認すれば、フラット・ジャックの嫁がアンナカを吸わせてくれていた。

 

 

「も、持ってたのか!?」

 

 

 十袋分ほど、彼女はアンナカを見せ付ける。

 瞬時に思考がクリアになり、眠気がどこかへ消えた。一旦だがチェリオスは助かった。

 

 

「あぁ〜〜、効くぅ〜〜……」

 

「銃持ちながらキメんじゃねぇよ……」

 

 

 また発砲しないかと、ミラーを何度も確認するチャカ。

 しかしチェリオスだが、カフェインは補給したものの、アドレナリンが足りない状態だ。倦怠感がまだ抜けない。

 

 

「アドレナリンが足りねぇ……こんままじゃ死ぬ……」

 

「死ぬのか!? 良いぞ! このまま死んでくれ!」

 

 

 喜ぶ景山の顔面を、銃床で殴ってやった。

 どうしようかと辺りを見渡した時、フラット・ジャックの嫁と目が合う。

 

 

 

 

 

 長考し、何度か躊躇する。

 それでも背に腹は変えられないと、チェリオスは決意した。

 

 

 

 

 

 

「おい」

 

「?」

 

「ヤらせろ」

 

「!?」

 

 

 そのままフラット・ジャックの嫁に飛びかかった。

 ゴリラのような顔の彼女を、何とか脳内で雪緒に補完する。




「戦え!何を!?人生を!」
「筋肉少女帯」の楽曲。
1992年発売「エリーゼのために」に収録されている。
フロントマンの大槻ケンヂが有名な、キャラも音楽性も何もかもが濃過ぎるモンスターバンド。

熱量しかない歌い出しから始まる一曲。多分歌詞の半分以上は「戦え!何を!?人生を!」。
賛美歌のような雄々しい曲調で盛り上がるサビだが、最後に気の抜けた台詞が入る。
終盤の二分ぐらいは、前半とは一転した美麗なサウンドを背景にひたすら「戦え!何を!?人生を!」を叫び続ける。段々疲れて来て声が掠れても叫ぶ様に心震わされるが、やっぱり最後辺りでヒーヒー言いながら歌うところはちょっと笑っちゃう。


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I Want to Make Love to You

過去一番、頭おかしいです
それだけ注意


 後部座席で暴れるチェリオスと嫁。その煽りをくらって下敷きになる景山。

 ミラーでそれを確認したチャカは、三度見した後に当惑の声をあげた。

 

 

「何やってんだお前!?」

 

「見りゃ分かるだろッ! 他人の嫁今から寝取んだよッ!」

 

「だからなんでッ!?」

 

 

 嫁のポケットからアンナカを取り出し、それを吸いながらフレンチなキス。

 抵抗していたのに、もう嫁はスイッチが入ったようだ。チェリオスの首に腕を回して受け入れていた。

 

 

「いや受け入れるの早いなッ!?」

 

 

 嫁のキスはエグく、チェリオスの舌を吸い取らんとせん勢いだ。

 

 

「イデデデデデッ!? 掃除機か!」

 

 

 二人が組みつ解れつな状態になっているその真下で足掻く景山。

 涎だか汗だかが着ている高級スーツに垂れてくるので、たまったもんじゃない。

 

 

「うわ、やめんか汚らしい! 銀座で卸したばかりのオーダーメイドなんだぞッ!?!?」

 

「うるせぇッ!! お前も付き合えこの野郎ッ!!」

 

「もう許してくれぇ! 金なら出すッ!! 岡島君にも慰謝料は出すッ!! だからもう解放してくれッ!!」

 

「オカジマなんざ知るかッ!! ほら来やがれッ!! 俺から離れたら撃つからなぁ!?」

 

 

 嫁と景山を引き上げ、ドアが外れて解放されたままの出入り口まで引っ張る。

 その様を確認したチャカはまた、三度見。

 

 

「おめ……!? 何して……え!? 見せ付けんの!?」

 

「当たり前だろッ!! なに常識人ぶってんだ! 寝取りなんざおめぇもやった事あんだろ!?」

 

「それを全国放送した事はねぇよッ!? テレビのヘリ飛んでんだぞお前!?」

 

 

 報道ヘリはバッチリ、彼らの車をカメラで捉えていた。

 そして既にこの非常事態は、速報となって全国のお茶の間に伝えられている。

 

 

 

 

『新宿センタービル前で発生したカージャック事件ですが、速報です。現在犯人グループは人質を取り、都内を南下中との事です』

 

『目的などは不明。主犯格はこの、外国籍の男と見られています』

 

 

 

 

 通り過ぎた家電品店の前。

 陳列されているテレビは一斉に、その事を報道するニュースを放送していた。

 きっちりとヘリからの空撮映像も使用されている。

 

 

「AV撮影と勘違いしてねぇか!? てか今寝取る必要なくね!?」

 

「死にそうなんだッ!! 仕方ねぇだろッ!?」

 

 

 そう言ってキスしながら嫁の服を脱がす。

 チャカはぐっと目抜き帽を深々と下げながら、首を左右に振る。

 

 

「イカれてる……脳梅かなんかで頭ヤラれてんだろ……!」

 

「アニキやっぱ凄え男っす!」

 

「てか、あいつはともかくテメェは誰なん…………あ? な、なんか、聞き覚えある声だな?」

 

 

 目をキラキラさせながら二人の破廉恥を見学するツギオン君。

 止める事はもう諦め、チャカは運転に徹して見ないふりを決め込む。

 

 

 チェリオスは嫁をひっくり返してバックの体位を取らせ、履いていたズボンを下ろす。

 

 

「よーしッ!! 本番だぁッ!!」

 

「……!!……!!」

 

「あ!? なんだ!? 前は駄目だと!? 生理か!? ならケツ使わせろッ!!」

 

 

 そして自らのズボンも下ろす。

 露になったアレが屹立。その影が景山の顔を覆うほどの、巨きい根っこ。

 

 

「お……降ろしてくれッ!? 速度を落とさずとも、車も停めなくとも良い! せめて降ろしてくれッ!!」

 

「黙って見届けろ俺のッ!! セックスッ!!」

 

「やめろぉーーーーッ!!」

 

「見てろ日本人どもぉーーッ!!」

 

「やめろぉーーーーッ!!!!」

 

 

 チェリオスは車から顔を出し、報道ヘリを睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 依然、彼らを追跡する警察官コンビ。

 危険運転を繰り返すチェリオスらに、何とか食らい付いていた。

 

 

「公道を時速百キロで走りやがってなぁ〜? 絶対捕まえてやるからなぁ〜?」

 

「射殺だこの野郎ッ!! 射殺してやるぅーッ!!」

 

「だから落ち着けて! 俺たちは日本のポリスなの! アメポリじゃないんだよ!」

 

「じゃあ何すか!? アメリカから来た狂人のケツばっか見てるのが日本の警察って言うんすか!? そのケツにぶち込んでやるのが正義ってもんじゃないんですか!?」

 

「俺はお前が怖いよ」

 

 

 ヒートアップする後輩を宥めながら、先輩は無線で呼び掛けを続ける。

 途端に車は、突然スピードを落とした。

 

 

「ん?……はは! ほら、見ろ! スピードが落ちたぞ! 言えば分かり合えるんだよ!」

 

「言って分かり合えるんなら最初からこんな悲劇は起きなかったんだッ!! 愚かな人間め粛清してやるッ!!」

 

「神かお前は……ん? なんだあれ?」

 

 

 チェリオスが車内から、身体を出した。

 投降するのかと期待する先輩だったが、彼が下半身を露出している事に気付き目を点にする。

 

 

「え? 何やってんのアレ? ケツ?」

 

 

 彼がいる側へパトカーを向け、全貌を確認してみる。

 

 あまりにも衝撃的過ぎる光景だった為、ハンドル操作を誤りかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車の進路の先にある十字路。

 信号が変わるまで待つトラックの運転手は、あるものを見つけた。

 

 

 前方の車線から迫る車だ。

 横から身体を出している男が、腰を振っている。

 

 

「カーセックスか?」

 

 

 車は、運転手にとって見えやすい距離まで近付き、通り過ぎて行った。

 全容を確認した彼は、生唾を飲む。

 

 

 

 

 

「……カーセックスだ」

 

 

 青信号になっても、トラックは動かなかった。

 キレた後続のドライバーが、ズボンのチャックを開けていた彼を引き摺り降ろした。そのままリンチ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上半身を車から出し、車内で這い蹲る嫁に「ゆっくり腰を振る」チェリオス。

 そのままは尻で「のの字」を描きながら、最低な台詞をヘリに向かって叫んだ。

 

 

 

「寝取りファック全国放送だコノヤローーッ!! どぉおーーだ日本人どもぉーーッ!! 観てるかフラットジャアーーックッ!!!!」

 

「イヤぁあーーーーッ!!」

 

 

 快感に耐える嫁に組み付かれている景山は、情けない顔で悲鳴をあげる。

 チェリオスは嫁のケツを叩き、延々と腰振りダンス。

 

 

「なんだまだ足りねぇか!? 俺もまだ足りねぇぞッ!!」

 

 

 彼はハッとなって、辺りを見渡した。

 

 

 車は新宿から渋谷区へ入り、気付けば青山通りの表参道。

 ケヤキ並木の広い道路を、ゆったりと進んでいる。

 

 

 

 歩道には通勤通学途中の、老若男女の群れ。

 全員が全員、唖然とした表情でチェリオスを見ていた。

 

 或いはニュースを観た野次馬が、カメラを担いで待ち構えていた。

 

 状況を理解した群衆は、悲鳴をあげる者や、「おぉー」と声を出す者と、様々な反応を見せる。

 

 

 

 ヘリはずっとカメラを向けていた。

 チェリオスは百人以上の目と、テレビカメラの向こうにある一億人ほどの視聴者へ向かって、ニヤリと笑う。

 

 

 

 

 

 腰振りダンスを激しくさせる。

 

 嫁がダンスに反応し、身体を捩らせ感度良好。

 

 興奮した嫁が、景山の顔をフロアカーペットに押し付ける。景山は男泣き。

 

 チャカ、顔バレせぬよう目抜き帽を深く被りながら車を操る。

 

 

 

 堂々とアンナカの袋を破り、衆目の面前で白い粉を吸ってやった。

 

 チェリオスは後ろから追うパトカーに中指を向けた後、両腕を上げて叫ぶ。

 

 

 

 

 

 

俺は(I'm)生きてる(Alive)ーーッ!!」

 

 

 少なからず沸き立つ歓声と悲鳴。

 その時ばかりは皆、会社や学校の事を忘れて足を止めた。

 

 

 

 

 

俺は(I'm)生きてるぞ(Alive)ッ!! どうだクソッタレーーッ!!!!」

 

「ぎゃあ"あ"あ"あ"あ"!!!!」

 

 

 嫁に顔中を舐められながら泣く景山。

 アンナカの付いた鼻を拭ってから、助手席のツギオン君に命じる。

 

 

「ラジオかけろッ!!」

 

「え!? ら、ラジオ!? ラジオって言いました!?」

 

 

 すぐに車内ラジオを起動。音量もマックス。

 陽気なDJの声が響く。

 

 

『どーもぉ! 伝説のDJ・コービーでーす! 小林克也さんじゃないよ! ラジオの前のステレオ太陽族の皆さん、フリフリ'65な夜は如何でしたか!』

 

「意味分かんねぇ……」

 

 

 愚痴るチャカの様子は、ラジオ局には届かない。

 調子変わらず、DJ・コービーは捲し立てる。

 

 

『さぁ、朝方ムーンライトの憂鬱! それをアブダ・カ・ダブラで吹き飛ばす魔法のナンバーを持って来たぜ! KAMAKURAのみんな聴いてるー!? それじゃ流すぜ!』

 

 

 サンバのリズムと荒削りなコーラスが轟く。

 DJは高らかに曲名を告げた。

 

 

 

 

 

『「サザンオールスターズ」より、「勝手にシンドバッド」。デビュー曲だイェーッ!!』

 

 

 真冬なのに、夏のように揚々とした曲がファンキーでセクシーな歌声と共に流れる。

 チャカは前方に注目し、渋い顔を見せた。

 

 

砂まじりの茅ヶ崎

人も波も消えて

 

 

 今は通勤ラッシュ。渋滞が出来ていた。

 ツギオン君が不安そうに聞く。助手席は、後ろで興じるチェリオスらの動きに合わせてユッサユッサ揺れていた。

 

 

夏の日の思い出は

ちょいと瞳の中に消えたほどに

 

 

「どないします!?」

 

「歩道が空いてんな。こっち行くべ」

 

 

 チャカはクラクションを鳴らしながら、突然車を歩道に突っ込んだ。

 湧き上がる悲鳴を無視し、車はどんどんと進む。

 

 

それにしても涙が

止まらないどうしよう

 

 

 歩道に入った車を、パトカーが追う訳にはいかない。

 焦った表情で先輩は、渋滞迫る車道を進みながら聞く。

 

 

「どうする!?」

 

「走って追うッ!!」

 

「えぇ!?」

 

 

 そう言って二人とも、パトカーを乗り捨てた。

 

 

うぶな女みたいに

ちょっと今夜は熱く胸焦がす

 

 

 ちょっとリズムに乗ったクラクションを吹き鳴らし、群衆を紅海を割ったモーゼのように割る。

 混乱状態の人々の前で、惜しみなくチェリオスと嫁の劣情を見せつけた。

 

 

さっきまで俺ひとり

あんた思い出してた時

 

 

「寄越せッ!!」

 

 

 通勤中のサラリーマンが持っていたコーヒーを奪う。

 アンナカを吸いながら、それを一気飲み。

 腰は止めず、最後の一滴まで飲み干した。

 

 

シャイなハートにルージュの色が

ただ浮かぶ

 

 

 チェリオスは嫁の脱がしたパンティーを投げ、オヤジのハゲ頭に乗っける。

 恐ろしいまでの蛮行に、群衆は興奮とドン引き。

 

 

「助けてぇえーーッ!!」

 

 

 手を伸ばして助けを懇願する景山さえ、見捨てられていた。

 彼の顔は涎とキスマークまみれだ。

 

 

好きに ならずにはいられない

 

 

 

「あ? おい……時間へーきか!?」

 

 チャカはカーラジオに表示された時計を見るが、どうやら壊れているようで何度か叩いていた。

 タイムリミットは九時。時間が分からないのは致命的だ。

 

 

お目にかかれて

 

 

 仕方なくチャカは、腕時計をかけているチェリオスに時間を聞く。

 最高音量のラジオのせいで声が掻き消され、何度も同じ事を叫んでいた。

 

 

 

 

いま何時!?

 

「あぁ!? そうだな、大体なぁ!!

 

「聞こえねぇよ! いま何時!?

 

ちょっと待ってろオイッ!!」

 

いま何時!?

 

「八時半だ! まだ早いッ!!

 

 

 腕時計を見て、チャカに伝えてあげた。

 途端に感情が爆発したのか、愛する人の名を大声で呼んだ。

 

 

不思議なものね あんたを見れば

 

 

「ユキオーーーーッ!!」

 

 

 通りかかった女子高生に見せつける。

 

 

胸騒ぎの腰つき

 

 

「ユキオ好きだぁぁーーーーッ!!」

 

 

 興奮して乗り込もうとする男を殴って振り落としながら、見せつける。

 

 

胸騒ぎの腰つき

 

 

「ユキオ見てるかーーッ!? ユキオぉぉーーッ!!」

 

 

 ちょっと老人を車で跳ねた。

 それでもガンガン見せつける。

 

 

胸騒ぎの腰つき

 

 

「愛してるぞぉーーーーッ!!!!」

 

 

 

 

 

MUSIC

C'MON

BACK

TO

ME

YEAH!!!!

 

 

 

 雄々しいギターソロが鳴り響く中、混乱状態の青山通りを抜けた。

 再び車道に戻り、スピードを上げながらチャカは叫ぶ。

 

 

「赤坂まで行くぞッ!! 時間がねぇ!!」

 

 

 ラジオを止め、チャカはアクセル全開で車を走らせる。

 さすがに身体を出したままは危険と判断したのか、チェリオスは身体を車内に仕舞った。

 

 その際に萎えちゃったのか、ナニがとは言わないが抜けた。

 ここで終わりだ。

 

 

 

 あれだけハッスルした割には、不完全燃焼な様子のチェリオス。

 気になったチャカは聞いてみた。

 

 

「オイ、イったかぁ?」

 

「いや、イってねぇ」

 

「遅漏か?」

 

「違う……俺ぁ、イったら寝ちまうんだ」

 

「あー……まぁ、分かる」

 

 

 本当は雪緒の名を叫んだら、相手が雪緒ではない事を思い出してクールダウンしただけだ。

 熱っぽい視線で嫁が見て来るが、チェリオスは必死に無視をする。

 

 

 そんな彼の複雑な心中は悟られる事はなく、車は全速力で白金に迫った。

 景山はフロアカーペットの上で気絶している。

 

 

 

 

 

 

 

Lat: 35.670168 Lng: 139.702686

 

Lat: 35.669251 Lng: 139.742453

 

Lat: 35.645594 Lng: 139.732409

 

 

 

SHIROKANE

  白金

 

 

 

 

 

 白金周辺は、かなり騒ついている。

 無線で報告のあったシェブ・チェリオスが、どうやらこっちに向かっているようだからだ。

 

 

「機動隊!! 道路を封鎖するんだッ!!」

 

「安沢さん! 相手は人質取ってるんですよ!?」

 

「アシだけでも止めなきゃ駄目だろぉ! パトカーを使って塞ぐんだ!!」

 

 

 道路上にパトカーが急遽並べられ、迎撃態勢に入る。

 車が停まった瞬間に突入するのか、機動隊の警官たちは端で準備をしていた。

 

 指示を出し終えた後、安沢は苛ついた様子で頭を掻く。

 

 

「ったくよぉ〜! 何だってんだよぉ!! 犯人の要求は!?」

 

「それが、一切要求はないみたいです! 他のパトカーも振り切られたようで……!」

 

「何やってんだ……!」

 

 

 安沢と石黒は知る由もないが、チェリオスらの車の進路があまりにもトンチキだからだ。

 歩道など、一本道を逆走など、的確にパトカーが追って来られないような道を選んでいる。

 

 このような芸当は、東京の道を知り尽くしたチャカだからこそ出来た。

 夜な夜なバイカーらと共に街を暴走して培った、土地勘と悪知恵だ。

 

 

 

 

 遠くから甲高いスキール音が響き渡る。

 石黒が百メートル先から迫る例の車を視認した。

 

 

「うわぁ来た!?」

 

「道は一本道だ! さすがに封鎖した道に突っ込む奴はいない! クズでも命は惜しいもんだ!」

 

 

 相手の持つ恐怖心を利用すると、安沢は主張。

 彼の言う事は尤もだろう。パトカー数台によるディフェンスを前に、必ず人は慄く。

 

 そこを突き、隙を狙って車を包囲する算段だ。

 

 

「来ました!」

 

 

 車はアクセル全開で迫る。

 

 

 

 

「車が停まったらすぐに突入だ!」

 

 

 残り五十メートル。車は止まらない。

 

 

「さぁ、そろそろだな!」

 

 

 残り三十メートル。寧ろスピードが上がった。

 

 

「…………おい」

 

 

 十メートル。スピードが上がった。

 

 

「…………いやいやいや」

 

 

 

 

 五メートル。止まるにはもう遅い。

 

 

「馬鹿かぁ!?」

 

 

 

 

 車は堂々と、車列に突っ込んだ。

 

 衝撃で動いたパトカーに巻き込まれて、安沢は吹き飛ぶ。

 

 割れたガラスと破片を浴び、石黒は倒れる。

 

 

 大きくひしゃげた車体。

 その中からチェリオスが、景山の頭に銃口を押し付けて姿を現す。

 

 

「止まると思ったかジャパポリどもぉーッ!! スパイクストリップも使わねぇ軟弱がぁーーッ!!」

 

 

 運転席から血だらけのチャカが、ヨロヨロと降りた。

 

 

「俺は止めるって言ったのに……!!」

 

 

 ブレーキを踏もうとしたが、チェリオスに銃口を向けられて脅された為、泣く泣く突っ込んだ訳だ。

 覚束無い足取りで、使い物にならなくなった車を乗り捨て。

 

 

 惨劇で一瞬だけ膠着を見せたものの、機動隊はすぐに警棒を抱えて立ち向かった。

 

 だが人質を取るチェリオスの手前、果敢に行動が出来ない。

 

 

「撃つぞ!? それ以上近付いたら撃ーーつッ!!」

 

「ち、近付くんじゃない!! いや助けてくれ!! 助けんかッ!?」

 

 

 嫁もフラフラと、車から顔を出した。

 その時、彼の背後に迫る機動隊員を発見。

 

 

 指差し、呼びかけようとするも遅く、隊員はチェリオスを背後から裸締め。

 

 

「確保ーーッ!!」

 

「あ!? 何しやがる!?」

 

 

 完全に決まった裸締めから、抜ける術はない。

 銃も没収され、万事休すかと思われた。

 

 

 

 

「うおおおおおーー!!」

 

 

 ツギオン君が機動隊を蹴っ飛ばし、チェリオスを解放。

 

 

「おぉ!? 助かった!!」

 

「行ってくださいアニキッ!!」

 

「何言ってっか分からねぇが、ナイスだ!」

 

 

 没収された銃も取り戻す。

 

 嫁と景山を引き連れ、もう目と鼻の先にある香砂邸へ走る。

 他の大勢の機動隊が追おうとするも、パトカーを奪ったチャカが立ちはだかる。

 

 

「オラオラオラーーッ!! 轢くぞ轢くぞ轢くぞーーッ!!」

 

 

 パトランプを点滅させながら、その場でドリフトをかまし、ターンをして警官隊を牽制。

 指令を出す安沢と石黒がやられた事もあり、隊員たちは混乱を極めていた。

 

 

「良くやったッ!! 見直したぞぉーッ!」

 

 

 これ幸いとばかりに、チェリオスは警察を完全に振り切る。

 二分ほど走り続け、ついに香砂邸の門前に到達した。

 

 

 

 

 

 

 時刻は九時前。ギリギリだった。

 包囲していたハズの警察たちは、チェリオスらが起こした騒動によって撹乱され、一人もいない。

 

 

「……とうとう来たぜオイ……」

 

「も、もう良いでしょうか……!?」

 

「駄目だ。警察が来ないよう、てめぇにはまだ人質になってもらう」

 

「誰か助けて……!」

 

 

 ガタガタ震える景山を引っ張りながら、中に入ろうとする。

 それを嫁がなぜか、引き止めた。

 

 

「あ? なんだ?」

 

「行くのだな?」

 

「あぁ、そうだ。行くん────!?!?!?!?!?」

 

 

 

 

 喋らないハズの嫁が、普通に話しかけて来た。

 それだけではない。声が異常なほど渋い。

 

 

「おま……!? その声……ハァアッ!?」

 

「そうだ。俺は男だ」

 

「!?!?!?!?!?」

 

 

 なんとフラット・ジャックの嫁は男だったようだ。

 だが胸もある。今思えば少し顔は男っぽいが、女と言われれば「まぁそうか」と思ってしまいそうな風貌。

 

 声にならない声で当惑するチェリオスに、彼女──彼は説明をする。

 

 

「俺は女になろうと、性転換をしたんだ。所謂……TSって奴だ」

 

「!?……!?!?!?」

 

「だが声だけはどうにもならなかった……だから俺は失語症だと言うカバーストーリーを流して、『喋れない女』を演じたんだ」

 

 

 景山も唖然としている。

 切ない表情で、嫁は続けた。

 

 

「俺はフラット・ジャックに惚れられ、女として奴に尽くした……だがもう、自分を偽る事に……俺は、疲れていたんだ……」

 

「!?!?」

 

「だから男に戻ろうとした……今、俺のアソコは付いている」

 

 

 前を拒絶したのは、付いていたかららしい。

 なぜ気付かなかったのだろうと、チェリオスは自分で自分が不思議だった。

 

 

「だがフラット・ジャックは異常な愛と独占欲を俺に向けた……一人での行動を禁止し、俺からプライベートを奪ったんだ」

 

「!?…………!?!?」

 

「男だとバラしたところで、奴はバイだからノーダメージだろう。あいつは短小の早漏だから、性生活も最悪だった……俺は奴の人形として、オモチャにされ続けるんだ……」

 

 

 熱のこもった視線で、「そう思っていた時……」とチェリオスを見つめながら話す。

 その視線から逃げるように、景山を盾にした。

 

 

「……マイルズに言われた奴が俺を運転手に選んだ時……逃げるチャンスだと考えた。そして……」

 

「やめろ。オイ。言うな」

 

「……君が、女としての俺を思い出させてくれた……」

 

「ふざけんな」

 

 

 彼はふいっと目線を逸らすと、明後日の方を見上げた。

 横顔には憂鬱な影が宿っている。悲しげな瞳には、曇り始めた空を写していた。

 

 

 

 

「……だが。君には、俺よりも心に決めた人がいるのだろ?」

 

 

 泣き出しそうになったところで、隠すように背を向ける。

 

 

「……俺は君のモノになれない。だから俺は、君を諦めなければならない」

 

 

 一歩、二歩と、チェリオスから離れる嫁。

 

 

「……だが、君のその直向きな姿に……俺は感動した。その感動は俺の前立腺から伝わり……人生で最高の快感となったんだ。俺はもう、男に戻れそうにない……」

 

 

 ピタリと足を止め、流し目で彼を見た。

 

 それが彼──彼女にとって最後に見た、チェリオスの姿でもある。

 

 

「……顔も全て変え、もう一度だけ女として生きる。君から勇気を貰ったんだ……諦めなければ、道は開かれると……」

 

 

 持っていた水筒と残りのアンナカをチェリオスに投げ渡す。

 彼が受け取った事を確認すると、嫁は顔を見せずに走り去って行った。

 

 

 

 

「……さよなら」

 

 

 別れを言い残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人……いや。景山と残されたチェリオスは、まずはパチクリ瞬きをする。

 水筒を開き、中身のお茶を飲み干す。

 

 かなり渋く、奥深い味わいだ。

 空になった水筒を捨てると、自分の股間を揉む。

 

 

 

 

 

「……人生最後の相手が男……男と、ヤっちまった……嘘だろ……これから、死ぬのにか?……嘘だろ……えぇ……?」

 

 

 絶望の顔付きで、放心状態の景山を連れて香砂邸の門を潜る。

 

 

 

 

 

 長い長い六日間だった。

 とうとう辿り着いた諸悪の根源の根城へと、チェリオスは足を踏み入れる。

 

 最終決戦の刻は近い。




正式名称は「NEW YORK SNOW・きみを抱きたい」
「RCサクセション」の楽曲。
1984年発売「FEEL SO BAD」に収録されている。痩せたベイマックスにアレが付いてるような絵が目印。
日本が誇るキングオブロック・忌野清志郎率いるレジェンドロックバンド。

おちゃらけているような、忌野の上擦った歌い声が耳に残る一曲。クリスマスを彷彿させるゆったりとしてドリーミーなメロディに、燻し銀のギターラインが走る。

かつて「日本語はロックと合わない」と言った、洋楽コンプレックス的な考えが少なからずあった。
しかしRCサクセションは、イントネーションなど発音に拘った音作りにより、自然なリズムで「話し言葉の日本語」を激しいロックサウンドに組み込む事に成功。
「はっぴいえんど」の時代から試行錯誤された「日本語ロック」の完成形を提示し、現在の邦楽ロックシーンへと繋いだ。
また母音のみを強調せずハッキリと発音する忌野の歌い方は甲本ヒロト、宮本浩次などに影響を与えている。


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Trip Dancer

 同じ頃、都内マンションの一室にて。

 ドタバタと忙しない音を立て、自室から出て来る制服の少女。

 

 寝癖の付いた髪を必死に梳かしながら、恨みがましい目でリビングの母親を睨む。

 

 

「もぉー九時じゃぁーん!! なんで起こしてくれなかったのさぁーーっ!?」

 

「起こしました。何度も何度も」

 

 

 母親はツンと、拗ねたような表情で厳しく突き放す。

 

 多少乱れているが、もう良いやと髪のセットを諦めた。

 朝食を食べる暇はもうないと踏み、せめて牛乳だけでも飲んで行こうとキッチンへ飛び込む。

 

 

 

 鞄の隙間から、『ブラックウッド傑作選』が顔を覗かせていた。

 

 

 

 

 ふと何気なく、牛乳を飲みながら付いたままのテレビを見る。

 丁度、女子アナがニュースの読み上げをやめた。

 

 

 映像が変わる。

 

 

 

 

『YUKIO I LOVE YOUーーーーッ!!』

 

「ブゥーーーーッ!?!?」

 

 

 衝撃映像を目の当たりにし、口に含んだ牛乳を吐いた。

 

 

「ゆき……先輩!?」

 

 

 すぐに映像は、綺麗な湖を走るクルーズのものへと差し替えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのまた同じ頃、秋葉原の隠れ家にいるマイルズとフラット・ジャック。

 機材を片付けているフラット・ジャックに対し、マイルズは落ち着いた様子でバーボンを飲んでいた。

 

 

「マイルズったら、朝から飲むのね」

 

「私たちの役目は終わったんだぁ。後は座して、祈る……出来る事はそれだけ。せめて空元気でも陽気に、友の安寧を願ってやりたい」

 

 

 そう言ってマイルズは、琥珀色の酒を憂鬱に眺めた。

 カラカラとグラスに氷を当てて、ゆっくりと掲げる。

 

 

「……筋の通った男だった、シェブ・チェリオス。安らかな眠りを」

 

「……あたしも飲んで良い?」

 

「あぁ、良いとも。君の酒なんだからなぁ」

 

「勝手に取るなっ!」

 

 

 フラット・ジャックにもバーボンを注いでやり、互いに乾杯をする。

 しみじみと飲む彼の前で、マイルズはテレビのリモコンを取った。

 

 

「ニュースを見てみよう。今頃、シェビーが東京を騒がしている頃だろうなぁ」

 

「本当に最後までお騒がせな奴だったわ……ところで、あたしのマイハニーが帰って来ないんだけど?」

 

「もしかしたら、シェビーらに付いて行ったのかもなぁ」

 

「そんな事ないわよぉ! ハニーにとってあたしの言葉は絶対なの! だから絶対に帰って来るハズだわ!」

 

「あー……そうかね」

 

 

 深い事は聞かず、マイルズはリモコンを使ってテレビの電源を付けた。

 チャンネルを変える必要はなく、すぐにニュース番組が映し出される。

 

 

『東京を騒がせている異常者の件について、新たな情報です。人質に取られている男性は、旭日重工株式会社に勤務する、景山氏であると判明しました』

 

 

 マイルズは日本語が分からないので、フラット・ジャックに通訳を頼む。

 一言一句、英語に言い直してやろうと彼が口を開けた時だった。

 

 

 

 

『また、犯人は現在、赤坂方面に──キャアあ!?』

 

 

 文面を読み上げる女子アナが黄色い悲鳴をあげ、進行を止めた。

 

 無理もない。

 間違えて、カージャック犯が青山通りを抜けている最中の映像が流されたからだ。

 

 

 

 

 

「おぉ?」

 

「──────」

 

 

 前のめりになるマイルズと、絶句するフラット・ジャック。

 そこには高級車から身体を出し、英語で叫ぶチェリオスの姿があった。

 

 

 

 

 

『寝取りファック全国放送だコノヤローーッ!! どぉおーーだ日本人どもぉーーッ!! 観てるかフラットジャアーーックッ!!!!』

 

『俺は生きてる!!』

 

『ユキオ好きだぁぁぁーーーーッ!!』

 

 

 カットは入っているものの、バッチリ映っている。どうやら編集途中の映像を間違えて流したようだ。

 

 彼の股間の箇所に尻を埋めている、嫁の恍惚とした姿も。

 あとその下から顔を出す、情けない中年男の姿も。

 

 

 途端に、裏方の者の思われる男たちの声が流れる。

 

 

『ちょっ!? こ、これじゃない! これじゃない!!』

 

『ヤバいヤバいヤバい止めろ止めろ止めろ!!』

 

『なんでこんな映像撮ったんだッ!』

 

 

 顔を真っ赤にする女子アナの映像を最後に、湖面をクルーズが渡る優雅な映像に切り替わった。

 画面下部に表示されたテロップには、「映像に乱れがございました。もう暫く、お待ちください」。

 

 

 

 

 

 マイルズはすぐに、電源を切った。

 それからまず、酒で乾いた口元を湿らす。

 

 

「…………あー……あいつのアソコは馬並みだったなぁ。あのヨガリ様じゃあ、S字結腸には到達しているか……男のポルチオとか言われる所だぁ」

 

「──────」

 

「…………一説によれば、肛門から腸内の神経の数は、女性の膣の数倍あると聞く。だからまぁ、あのヨガリ様は妥当だなぁ」

 

「──────」

 

「……まぁ、シェブはアドレナリンが必要な身体だぁ、仕方なかったのだろう。献身的な君の奥さんには脱帽だなぁ」

 

 

 するりと、フラット・ジャックの手からグラスが落ちる。

 中の酒を宙に揺蕩わせ、床上で砕け散った。

 

 

 散乱したガラス片が、酒の水溜まりの中で煌めいている。

 

 

 

 

「……フラット?」

 

「は?」

 

 

 光のない目で見て来る。

 声もあまりに迫真だったので、宥め続けていたマイルズはとうとう黙ってしまう。

 擁護は出来ないと諦めたマイルズは、チェリオスに宛てて胸の前で十字を切った。

 

 

「あ、あいつ……あ、あ、あ、あたしの、は、は、は、は、ハニーを、は、は、ハゲに、ね、ね、ね、ね、ね、ね、ねと、ねと、寝取られた?」

 

「フラット?」

 

 

 ふらりと立ち上がってから、一旦部屋から出て行く。

 

 

「フラーット?……ありゃ、脳が破壊されたなぁ」

 

 

 どこに行ったのかと気になったマイルズだが、フラット・ジャックはすぐに帰って来た。

 虚ろな目のまま、その手に、肉切り包丁を握って。

 

 

「……行かない方が良いぞぉ、フラットぉ?」

 

「あのハゲ……良くもあたしの、ワイフを……あたしの、モノを……」

 

「あー、フラット?」

 

 

 血走った目をカッと開き、怨みが満ちた呪詛を吐いた。

 

 

 

 

「あのハゲぇぇえーーーーーーッ!! 殺してやるぅぅうーーーーッ!! 殺してやるぅぅぅぅぅぅぅううーーーーーーッ!!!!」

 

 

 怒りの咆哮の後、フラット・ジャックは脇目も振らずに隠れ家から出て行く。

 止めようとマイルズも立った時には、ランボルギーニの轟々としたエンジン音が響き渡り、遠くへ消えていた。

 

 

 どうしようか考えた後に、諦めてまたソファに腰を落とす。

 

 

 

 

「……まぁ、都合が良い」

 

 

 酒を嗜みながら、マイルズはテーブルの上へ目を向けた。

 

 

 

 そこにはフラット・ジャックの、GPSの追跡機が残されている。

 彼はスッとそれを手に取り、次に自前の携帯電話で誰かにかけた。

 

 

「……あぁ、私だぁ。こっちに車を回してくれ」

 

 

 通話を切り、残ったバーボンを飲み干した。

 グラスは、床に放り捨てる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お茶の間に狂気と混乱を振り撒いた男、シェブ・チェリオスは門をくぐった。

 

 すぐに玄関戸を蹴破り、ズカズカと廊下を突き進む。

 広い邸宅の奥、人の気配がする部屋があった。

 遮る襖を、チェリオスはまた蹴破った。

 

 

 

 

 

 

 部屋にいた香砂会の構成員たちが、彼に拳銃を向ける。

 その数、ザッと二十人。

 

 

「なに?」

 

 

 無言、無表情で銃口を一斉にチェリオスと景山に向ける。

 さすがに多勢に無勢。スタームルガーを構えてはいるが、攻勢は諦めてはいた。

 

 

「おい。人質が見えねぇのかぁ?」

 

「じゅ、銃を降ろしたまえ! わわ、私は無関係だ!?」

 

 

 男たちは景山の言葉に一切耳を向けず、代わりに銃口を向け続ける。

 種類は様々、トカレフ、アキュ・テック、コルト、H&K。

 さすがは東京で絶大な影響力のあるヤクザだ。銃器は充実していた。

 

 

「……コイツは堅気だぞ。殺したら、テメェらも不味いんじゃねぇか?」

 

「ひぃ……!」

 

 

 そう言って、両手を上げてぶるぶる震える景山のコメカミに、銃口を付ける。

 組織とは無関係な人間とは言え、景山は堅気。本気で撃ち殺しはしないだろうが、何を考えて包囲しているのかが分からない。

 

 

「おい、英語分かんねぇのか? あんた通訳しやがれ……とっとと銃を──」

 

 

 

 

 後頭部に、冷たく硬い感触。

 背後から忍び寄っていた構成員が、銃口をチェリオスの頭に付けた。

 

 男は辿々しい英語で話す。

 

 

「ジュウ、を、オロセ」

 

「………………」

 

「オロス、ンダ」

 

「………………」

 

 

 長考しながら、状況を改めて把握。

 自分は今囲まれており、手持ちはリボルバー一挺だけ。

 

 人質を取ってはいるものの、ゼロ距離で銃口を突き付けられた自分に次の一手などない。

 

 

「…………クソッ」

 

 

 コメカミから銃口を離し、景山を解放しながら両手を上げる。

 すぐに銃は取り上げられ、後ろ手に拘束された。

 

 

「た、助かった! やっと私は出勤でき……え? な、なんだね?」

 

 

 景山はお役御免かと思われたが、なぜかチェリオスと一緒に拘束されて連行。

 二人は更に奥の部屋へと、引っ張られた。

 

 

 

 

 

 

 襖を開け、突くようにして部屋に押し込まれる。

 中で待っていた者は、更に多くの構成員と、見た事のある顔が三人。

 

 

 

 

「……チョコに、モロ=サン……に、」

 

 

 テーブル越しに椅子に座り、勝ち誇った表情でチェリオスを眺めるチョコのモロの姿があった。

 そして彼らの隣には知らない顔の男が一人と、その隣に見知った外国人の男。

 

 

 痣だらけの顔で、眼光が憎たらしい。

 およそこの場にそぐわない雰囲気の男とは、ロシア人のラプチェフだ。

 

 

「……こいつぁたまげた。あのヒゲイワンじゃねぇか」

 

「口を慎みやがれヤンキー。てめぇはおしまいだ」

 

「どう言うこった? ヤクザは古臭ぇ国粋主義者どもと聞いたがなぁ? とうとう開国か?」

 

 

 チェリオスは、唯一見知らない男の方を向きながら言う。

 チョコの通訳を聞いている彼こそ、香砂会の現会長──香砂政巳だ。

 

 

「そりゃァ、兄貴の代までだ。俺は融通が効く方でなァ? ハワイからもマシンガンを買ったし、ロスってとこのマフィアとも組んでる」

 

 

 タバコを吸い、吐き出してから政巳は続ける。

 

 

「そこんトコの考えの違いでよォ、俺は兄貴と仲が悪かったもんよ。そんでその兄弟だった……鷲峰の前組長ともよぉ?」

 

 

 鷲峰の名を聞き、ピクリとチェリオスは反応した。

 深い事情を彼は知らないが、その一言で香砂会は鷲峰組──雪緒を目の敵にしていると気付けた。

 

 

「おう、どんな銃使ってたんだ?」

 

 

 モロがそう聞くと、構成員はチェリオスから奪ったスタームルガー・ブラックホークを彼に渡した。

 色々と弄りながら、感心したように頷く。

 

 

「良い銃じゃねェか? えぇ? てめぇが死んじまった後、俺が引き継いでやるよ」

 

 

 テーブルの上に置き、薄気味悪い笑みを見せ付ける。

 古臭いダックテールのこの男こそ、チェリオスに毒を打った張本人だ。

 

 

 

 政巳が構成員を一瞥すると、チェリオスの拘束は解かれた。

 武器も持っておらず、しかも数十挺の銃口を向けられている状況だ。抵抗は出来ないと判断したのだろう。

 

 

 チェリオスはまず、モロに向かって指を差した。

 次に景山に話しかける。

 

 

「おい、通訳しやがれ」

 

「わ、私がか!?」

 

「あのチョコってのは訛り酷くて、話したくねぇ」

 

「なんだとー!?」

 

 

 チョコは色白の肌をタコみたいに赤らめながら怒る。それを政巳が宥めてやった。

 静かになったところでチェリオスは景山の通訳を介し、モロに宣言する。

 

 

「俺はこの六日間、てめぇを殺したくて走り回ってたんだ」

 

「おぉ、怖い怖い!」

 

 

 戯けるモロだが、チェリオスは調子を変えずに言い放った。

 

 

 

 

 

「俺をこんな身体にした落とし前を付けさせてやる。てめぇだけは、俺の手で殺す」

 

 

 腕を下ろし、小馬鹿にした目で見るモロを睨み返す。

 その時にモロは、彼の腰辺りに不自然な膨らみがある事に気付く。

 

 

「おいおい待ちやがれ。おめェ、なんか腰に隠してんなァ?」

 

「クッソ……」

 

「オイ! 取り上げろッ!」

 

 

 命じられた構成員がすぐに、チェリオスの腰からそれを取る。

 今の彼の生命線でもある、薬剤の自動輸注器だ。

 

 忌々しげな表情のチェリオスから、機械を取り上げそれもモロに渡す。

 

 

「ほぉ〜? なるほどなァ? おめェ、これで生き延びてたって訳か?」

 

「ちょっと違ェが……まぁ、そう言う事にしといてやる」

 

「おうおう、まだ立ってやがれよ。俺たちゃ、わざわざおめェを待っていたんだからよォ」

 

「……なに?」

 

 

 途端にチョコは立ち上がり、チェリオスの前をウロウロしながら訛った英語で説明する。

 あまりの訛りに、英語に精通している景山さえも眉間に皺を寄せていた。

 

 

 

 

「まずヨォ? トーキョーカクテルなるものは、一瞬で相手を殺しなする猛毒なんだってばよ!」

 

「だが、俺は生きてる」

 

「そうなり! 生きてるズラ! こりゃこりゃ、学会レベルのセンセーショナルなり!」

 

「なんつー訛りだ……どこの英語で喋ってんだ……」

 

 

 度の強い眼鏡越しに、チョコは彼を眼前で睨む。

 実験動物を観察しているかのような、彼を人間と看做していないような目線だ。

 

 

「そこで! オミャーを脳死させてから解剖し、データを取るのだ! そのデータを元に、毒の強化と解毒剤の開発をやってしまうのだ!」

 

「解毒剤だぁ?」

 

「変な期待はおよしなさい! オミャーが死んだ後に作るのだ! だからオミャーは毒で死ぬしかないナリよ!」

 

 

 政巳は足元に置いていたジュラルミンケースを、テーブル上に置く。

 それからチェリオスに見せ付けるようにして、箱を開いた。

 

 

 

 中には数個の、薬剤が充填された注射器が並べられていた。

 間違いなくそれはトーキョーカクテルだ。

 

 

「事の顛末は……この、チョコ先生の『やらかし』だ」

 

 

 紫煙を燻らし、上目遣いで睨みながら政巳が説明をする。

 

 

「中国マフィアが、とある新型の毒薬を開発した。名を、ペキンカクテル」

 

「ご存知の通り、トーキョーカクテルの前身であ〜るのだ!」

 

「お前らがそれを奪ったんだろが? この盗っ人がぁ」

 

 

 政巳は失笑した後、「違う違う」と首を振った。

 

 

「逆だ。トーキョーカクテルは、俺たちのモンだ」

 

「は?」

 

「確かにペキンカクテルは三合会のモンだ。ンだがァ、金を出して買ったそれを改良させ、トーキョーカクテルにしたンは……俺たち香砂会なんでな」

 

 

 チョコは少し申し訳なさそうな顔付きで、己の右手を出す。

 小指が切断され、無くなっていた。

 

 

「チョコは作ったそれを一回、三合会に売りやがってな」

 

「お詫びに指を詰め……鉄砲玉のチンピラ集めてトーキョーカクテルを取り返し、誠意を見せたんでごわす」

 

「この男は生物兵器ってのを作ろうとして、学会を追い出された博士だ。それを俺らが拾ったってェのになァ……まぁ、ケジメは付けて貰ったんで、落とし前って事で放免してやったが」

 

 

 そしてその奪い返されたトーキョーカクテルを、チェリオスに探させたのが事の発端だ。

 脳裏に張の顔が現れる。彼はチェリオスにさえ事実を伏せていた、その事が彼に怒りを滲ませた。

 

 

「ほとぼり冷めるまで、トーキョーカクテルは隠すつもりだった。だが元々、買い手がいてなァ? 三ヶ月待たせて、色んな問題を片付けてから売るつもりだったんだ」

 

 

 奪われてすぐではなく、三ヶ月後にチェリオスを行かせたのは、こう言う事らしい。

 つまり張は、トーキョーカクテルの「買い手」の情報を得ていたのか。

 

 妙に引っかかりがあるが、今は説明を聞く事に専念する。

 

 

「そこに、テメェが現れた。買い手は三合会の情報に詳しくてなァ? テメェを捕まえて……この、『両角(もろずみ)』に毒を打たせたってェ訳だ」

 

 

 モロ──こと、両角は得意げに腕を組み、ほくそ笑む。

 ただただ殺意の込めた目線を、チェリオスは送り続けた。

 

 

「だがテメェは生きてた! 正直、ある人物からの垂れ込みがあるまで、知らなかったってもんよ」

 

「垂れ込みだ?」

 

「そいつはお前の生存と、毒に抗っているってェ事……ンで今日、来やがるって事を教えた」

 

「…………名前は?」

 

 

 何だったかなと、政巳はチョコを見やる。

 彼が名前を、代弁してやった。

 

 

 

 

 

 

「……ディープ・スロートだよ!」

 

 

 ここまで表情を崩さなかったチェリオスだが、とうとう愕然とした顔を見せた。

 自分にアレコレ指示を出し、情報を流したその張本人が、チェリオスをハメたようだ。

 

 

「……ンで、チョコ先生よォ。でーぷすろうと、っつーのはどう言う意味だ?」

 

「イラマチオって意味です!」

 

「…………どう言う意味だ?」

 

「チン」

 

 

 ご丁寧に説明しようとしたチョコだが、「クソッ!!」と怒鳴ったチェリオスによって止められる。

 

 

「ハメやがったなぁ……!」

 

「ハッハッハ! 愉快だナァ!? えぇ!? 信じてここまで来やがったんだなぁテメェ!?」

 

 

 両角が両手を叩いて、チェリオスを嘲笑する。

 雪緒の味方だと信頼していたディープ・スロートが、まさか香砂会とも繋がっていたとは思ってもみなかった。

 

 

 立ったまま膝を叩き、俯いて沈黙するチェリオス。

 

 

「………………」

 

 

 だが彼は、怒れば怒るほど自然と頭が回るタイプだった。

 なぜ時間の指定をしたのか。なぜ、騒がさせた上でここに差し向けさせたのか。

 

 単に向かわせるだけなら、夜中に一人で行くよう言えば良い。あまりにも回りくどい。

 

 

 

 

 

「………………!」

 

 

 まさかと、一つの結論に至った。

 だが相手に悟られてはならない。

 

 怒りが冷めやらない様子を演技しつつ、また顔を上げる。

 

 

「……で。そこのロシア人はなんだ?」

 

「二日前にボロボロの状態でウチに来たんだ……上手い話があるってなぁ?」

 

 

 説明は、ラプチェフ自身から語られた。

 

 

「目障りな女がいてな……そいつが鷲峰と組み、香砂会を襲っていると垂れ込んだんだよ」

 

「それだけじゃねェ。大量の銃も持って来てなぁ!」

 

「既に鷲峰はそいつと手を切っている。やる事なくなった奴に俺は、香砂会を斡旋してやった。まんまと食い付いた奴は今日、ここで交渉する算段になっている」

 

 

 椅子にふんぞり返りながら、ラプチェフは下目遣いで睨む。

 

 

 

 

「……そこを、叩くんだ! 奴は死に、俺は香砂会と組む事で『平和的に解決した』と、本部に報告してやる! あの女は暴れるだけ暴れて、間抜けに自爆して死んだと演出してなぁ!」

 

「俺たちにとってもありがたい。戦争は御免だ、金ばっか無くなる」

 

「これでホテル・モスクワ日本支部も、香砂会と組む事で利権を得られるだろう。大頭目はあの女にお熱だが……これで頭も冷える。日本に関しちゃもう、俺に何も言えなくなるハズだ」

 

 

 これからの展望を頭の中で思い浮かべては、してやったり顔のラプチェフ。

 しかしチェリオスからは、彼の姿が滑稽に思えた。

 

 

「……間抜けはどっちなんだか」

 

「なに?」

 

「聞いて呆れるなぁ? 多分、歌舞伎町とか爆破したのはそいつだろ? あれだけ派手にさせるって事ぁ、大頭目さんは戦争をご所望なんだぜ?」

 

「………………」

 

「それにテメェの手下はほぼ、俺が殺してやった。大損害出したのに弔い合戦どころか、和平交渉かよ」

 

 

 ギラリとした黒い眼光で、唖然とした顔のラプチェフを睨む。

 

 

 

 

「これは国と国が、国連様のルールに従って仕方なくやるような戦争じゃねぇし、ましてやビジネスでもねぇ」

 

 

 不敵に笑う。

 

 

 

 

「──メンツだ。メンツの為の喧嘩だ」

 

「………………」

 

「負けそうになりゃ白旗上げて賠償金払ってお仕舞いなんざ出来ねぇ……泥を被って生きるくれぇなら、メンツの為に戦って死ぬ。それが、堕ちた俺たちに唯一残された──『生き方』なんだ」

 

 

 鼻で笑い、戯けるように目を開き、狂気に歪んだ光を醸す。

 そのある種のオーラを前に、ラプチェフから自信に満ちた態度は消えた。

 

 

 

 

「……まぁ? KGBからシームレスにマフィアの頭目になったテメェにゃあ……真にドン底の奴の気持ちなんざァ分からねぇよなぁ?」

 

 

 

 

 憤怒し、殺意を込めた雰囲気で立ち上がるラプチェフ。

 彼を宥めて座らせたのは、通訳越しに彼の言葉を静聴していた政巳だ。感心したように、片方の口角を吊り上げて笑っている。

 

 

「……シェブ・チェリオスだったかァ……なんで、どんな場所にも俺たち『裏社会』があると思う?」

 

 

 興味はないと首を振るチェリオス。

 吸っていたタバコを灰皿に潰し、政巳は語る。

 

 

「人間にゃァ、後ろめたいモノがある。それはどいつも必ず抱えているようなモンだが……曝け出しはしねぇ、みんな隠している」

 

「………………」

 

「けど人間ってェのはご都合なモンでよォ。他の人間の秘密は暴きたいと思ってやがんだ」

 

 

 挑発するように首を曲げ、歯を見せて邪悪に笑う。

 

 

「暴いて、晒して……蹴落としてやりてェ。けど己の秘密は守りてェ。そう言うモンだ」

 

「………………」

 

「……だからこそ、つけ入り、生業にする奴が生まれる。それが俺たちだ……謂わば裏社会ってェのは──『隠したい社会の隙に生きる寄生虫』みてェなモンだ」

 

 

 腕を組み、顎をしゃくる。

 

 

「どれだけ俺たちを叩いても、絶対に消えねェ。誰しもが本心を隠す以上、暴く事を生業にする者は出て来る。それを『正義』だと信じているからだ……だが、それはテレビやマスコミの仕事だ。俺たちは違う」

 

「……なんだ?」

 

「暴く事じゃねェ、秘密を満たしてやるんだ。誰にも言えねェ事を、俺たちが救ってやるんだ」

 

 

 灰皿から微かに昇っていた紫煙が、ぷつりと消える。

 

 政巳の背後にはガラスがあり、その向こうは庭。

 曇った空から、雪が降り始めていた。

 

 

 

 

 

「──世間は、誰しもが持つその秘密を『不道徳』と呼び、満たす事を『犯罪』と呼ぶ」

 

 

 弱々しい逆光を浴びながら、政巳は光のない濁った目で睨む。

 

 

「──だから消せねェ。消そうとする奴らにも、それがある。それを満たしてやる。その隙に、俺たちがまた生まれる……だから消えない。罰する奴が人間である以上、不滅なんだ」

 

 

 もう一度、「だから」と続けた。

 

 

 

「……社会の一部として、席があり続ける。必要とされるから、俺たちはあるんだ」

 

「………………」

 

「メンツは大事だが、その為に纏めて心中しろたァ、俺に言わせれば馬鹿野郎だ。組織はあり続けなきゃならねぇ。俺たちの答えはこうだ、『お前にとってのメンツは俺たちだ』、『だから死ぬなら俺たちの為に死ね』。それが社会ってなもんだ、どこも変わらねェ」

 

 

 最後に一言添えて、怒鳴りつけた。

 

 

 

 

「……お前とは土俵が違う。死ねだの、俺らに抜かすんじゃねェッ!!」

 

 

 

 

 テーブルに拳を叩き付け、威嚇。

 その覇気たるや、場にいた構成員らも身体をびくつかせるほど。

 

 緊張は両角やチョコ、ラプチェフにも伝わっていたようだ。三人とも襟を正し、気を引き締めている。

 

 

 

 渦中にいるチェリオス。

 ただ首を振り、納得したように唇を噛むだけ。

 

 

「……なぁるほど。確かに社会の一部だなァ。あんた所もそうか?」

 

 

 景山を見やる。脂汗をかき、「差し控える」と言って首を振る。

 その様子だけでも白状しているようなものだが。

 

 

「……じゃあ賭けてみねぇか?」

 

「なに?」

 

 

 怪訝な表情の政巳の前で、チェリオスは腕を上げる。

 構成員らを見渡し、不敵に笑う。

 

 

「こいつらはメンツを守り切れんのか。それとも俺の背負うメンツが勝つのか?」

 

 

 指で拳銃を作る。

 それをまず、両角に向けた。彼は失笑し、呆れた顔で隣のラプチェフを見やる。

 

 

「何やってんだコイツ……イカれてんのか?」

 

「ハッ……カウボーイのつもりか? アメリカ人らしいな?」

 

 

 次にスッと政巳に向ける。

 不穏な空気を感じ取り、表情が曇った。

 

 

 

 最後に指先をチョコに向けた。彼はおちゃらけて、両手を上げて笑う。

 チェリオスはそのままバーンと、撃った。

 

 

 

 

 

 

 銃声が響く。

 チョコは額に銃痕を作り、血を噴き出して倒れた。

 

 

「……は?」

 

「え?」

 

「お?」

 

 

 突然の出来事に、誰一人反応出来なかった。

 チョコが撃たれて死んだと気付いたのは、三秒置いてからだ。

 

 慄き、両角とラプチェフが立ち上がって後退る。

 ラプチェフに関しては狼狽しているのか、言語がロシア語になっていた。

 

 

「て、てめぇ!? な、何しやがった!? 銃はここだぞ!?」

 

悪魔(ディヤーヴォル)か……!? お前は……悪魔(ディヤーヴォル)なのか!?」

 

「落ち着けぇッ!!」

 

 

 政巳が宥めようとした瞬間、隣室の襖がバンッと開かれる。

 現れたその男は、高らかに叫んだ。

 

 

 

 

 

 

「チェリオーーーースッ!! 来たぜぇーーーーッ!!」

 

「アニキーーッ!!」

 

 

 ニューナンブを構えたチャカに、武装した愚連隊のメンバー。

 ソードオフショットガンを持つツギオン君の姿もある。

 

 

「なぁ!?」

 

「お前らボウリング場の奴らか!?」

 

 

 愕然とする両角とラプチェフだが、まだ乱入者は止まらない。

 もう片方の部屋の襖が開き、サングラスをかけた黒服の集団が姿を現す。

 

 

 

 

 

 

你好(ニーハオ)だ、クソヤクザどもッ!!」

 

 

 彪が三合会の戦闘員を引き連れ、とうとう登場。

 

 

 

 

 まだ終わらない。

 政巳らの背後にあったガラスが割られ、四人の男が現れた。

 

 

 

 

「逮捕するぞぉ〜!」

 

「射殺だ愚民どもッ!!」

 

「お前のせいで駆け落ち失敗したんだ!!」

 

「ウォークマン返せよこの野郎ッ!?!?」

 

 

 ずっと追っていた警官二人に、駆け落ち失敗男と歌舞伎町でウォークマンを奪われた男の、チェリオス被害者の会。

 全員、ニュースを見て彼の目的地を特定したようだ。

 彼らの目的はチェリオスだが、政巳がそれに気付く余裕はない。

 

 

「お前ら正気か!?」

 

 

 狼狽する政巳らの手前で、チェリオスは勝ち誇った笑みでニヤリと。

 

 

 

 

 

 

 

「ショータイムだクソ野郎」

 

 

 駆け出し、テーブル上に置かれたままのスタームルガー・ブラックホークを奪取した。




「TRIP DANCER」
「the pillows」の楽曲。
1997年発売「Please Mr.Lostman」に収録されている。
「永遠のブレイク寸前」の異名で有名なバンド。サブカル界隈では大人気。
とは言え半端と言う揶揄では全くない。寧ろトップクラスの演奏技術に裏打ちされたエモーショナルなロックチューンで、国内外でファンを引き込んでいる。

ピロウズ自体、時期によって音楽性が丸っ切り変わっており、この曲はブリット・ポップなどから影響を受けていた時期に作られた。
抽象的ながら文学性高い歌詞、爽やかで清涼感あるギターサウンド、暖かみのあるボーカルと、規格外な一曲。
同アルバムに収録されている「ストレンジカメレオン」もオススメ。


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Take Me Higher

 すぐに引き金に指をかけ、照門の先にいる両角目掛けて引く。

 撃鉄が雷管を叩き、.44マグナム弾が発射される。

 

 

「うぉ……!?」

 

 

 両角はしゃがみ込む事で、寸前で回避。

 流れた弾は、背後にいた駆け落ち失敗男の胸に着弾した。

 

 

 

 

「人妻になっても愛してるーーッ!!」

 

 

 彼の断末魔の叫びを合図に、愚連隊と三合会は、動揺から一手遅れた香砂会の構成員らへと照準を合わせる。

 

 

 

 

「始めようぜッ!!」

 

 

 チャカの何とも楽しげな声と共に、両陣営一斉に発砲。

 H&K MP5、USSRトカレフ、S&W M39、GM M3、PPS43、玉石混交とした銃器が弾を吐く。

 

 ツギオン君はソードオフの水平二連式ショットガンを撃ち放ち、彪はH&K G3を乱射。

 

 立ち籠る硝煙に、鳴り止まない銃声と悲鳴、そして罵声。

 飛び散るは鮮血と銃弾、マズルフラッシュに空の薬莢。

 

 

 

 

 その中でチャカは、ニューナンブを使っていた。

 数発撃つと、弾が切れる。

 

 

「弾がねぇッ!! 弾がねぇッ!?」

 

 

 慌てる彼の前で、生き残った香砂会の構成員も反撃に移ろうとする。

 銃口を向け、引き金に指をかける。

 

 

 

 照準はチャカに合わせられた。

 ハッと彼が気付いた頃には遅く、銃声が響いた後だった。

 

 

 

 

「ぐぅふぅぇえーーッ!?」

 

「ッ!?」

 

 

 チェリオスは叫びを聞き、彼の方へ振り向く。

 

 五発の凶弾がチャカを貫いていた。

 血を吐き、膝から崩れ落ちる彼を、チェリオスは目の当たりにする。

 

 

 

 

「──チャカぁーーーーッ!!??」

 

 

 

 

 彼がやられたと知ると、ツギオン君が愚連隊のメンバーへ檄を飛ばす。

 

 

「仇ィ取りに行くぞッ!! 突っ込めーーッ!!」

 

 

 硝煙を掻き分けるように、発破をかけられた愚連隊は駆け出す。

 雄叫びをあげ、撃ち続け、仇を討たんと突撃だ。

 

 

 

 チェリオスは彼らとすれ違いに、倒れ伏すチャカの元へ駆け寄った。

 血を吐き、目が虚ろな彼に語りかける。

 

 

「クソ……! 見直したぜ俺は……! お前は、最高の相棒だ……ッ!!」

 

「ふ……ふざけんな……返せよ……俺の、ルガー…………」

 

「血が止まんねぇ……!! オイ!! しっかりしやがれッ!!」

 

「クソが……やっぱ……殺しときゃ」

 

「チャカーーーーッ!!」

 

「黙れ……」

 

 

 彼のか細い呪詛は、銃声が全て掻き消していた。

 

 

 苦しげに咳き込むと、一際ドス黒い血を吐く。

 呼吸が浅くなり、最後は目を閉じガクリと首を落とす。

 

 それっきり、目は覚まさなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大乱闘の中、先輩警官が大慌てでニューナンブを取り出す。

 

 

「え、ええと……まずはッ! 威嚇射撃ッ!!」

 

 

 立ち止まってから銃口を足下に向け、威嚇射撃を一発。

 

 

 

 

「たぶッ!?」

 

「先輩!?」

 

 

 そんな事をしている内に、流れ弾が首筋に着弾してノックアウト。

 勢い良く後ろに転び、入って来た窓を転げ落ち、雪降る庭へと倒れた。

 

 

 先輩がやられた事を確認した後輩は、復讐に燃える目で手錠とニューナンブを両手に持つ。

 

 

「……おのれぇ……! 社会のクズどもめぇ……! 粛正してやる……!!」

 

 

 彼の目は、大慌てで政巳を抱き起こす両角へと向けられている。

 

 

 

 

 

 両角は銃弾を避けるべく身を屈めながら、政巳と共に逃げ出そうと行動していた。政巳はトーキョーカクテルの入ったケースを、大事そうに守っている。

 腰からスタームルガー・P85を抜き、両角も応戦。

 

 

組長(オヤジ)ィ!? 大丈夫ですかいッ!?」

 

「何なんだコイツらァッ!? いつの間にッ!?」

 

「ここは引きやしょうッ!! 関東和平会に協力を仰ぐんでさッ!!」

 

 

 数人の構成員に守らせ、政巳と共に脱出を図る。

 戦場は熾烈を極め、守護に当たらせた構成員らも一人、また一人と脱落した。

 

 

 廊下に出ようもする両角ら。

 すると隅から現れた者に、両角は手錠を左手にかけられる。

 

 

「あアッ!?」

 

「ヒャホホホホホッ!!!! 殺すぜぇーー!?」

 

「何だコイツッ!?」

 

 

 奇声をあげてニューナンブを構える、後輩警官。

 両角の真横に立ち、引き金に指をかけた。目が狂気に歪んでいる。

 

 

 

 

 

 やられると思ったその時、後輩警官は横から頭を撃たれ、白目を剥いて絶命。

 弾が飛んで来た方を見ると、SIGザウエル P220を握ったラプチェフの姿があった。

 

 

「クソッ!! こうなるんなら、最初からバラライカらのいるホテルに押し入れば良かったッ!!」

 

 

 ロシア語で愚痴ってから、通訳もいないのに英語で政巳に話しかける。

 

 

「俺の部下の別働隊が港にいるッ!! そこまで行くぞッ!!」

 

「……何言ってんだ?」

 

付いて来い(C' MON)ッ!!」

 

 

 カモンだけは聞き取れた。

 二人は顔を見合わせてから、先導するラプチェフにおずおず付いて行く。

 

 

 両角は左手に片方だけかかった手錠を見て、うんざりした表情だ。

 

 

 

 

 

 

 

 彪は仲間と共に、構成員らと応戦中だ。

 壁を盾にしてH&K G3を乱射し、建物ごと敵を蜂の巣にして行く。

 

 

「クソクソクソッ!! 大兄は何考えてんだーーッ!?」

 

「おい彪ッ!!」

 

 

 ブラックホークを撃ちながら、チェリオスが彼の元に寄る。

 彼の持つ銃はシングルアクションの為、一発撃つ度に撃鉄を手動で起こす必要があった。排莢も自分で一発一発手ずからせねばならない。連発出来ない事が煩わしそうだ。

 

 

「コーサのボスはッ!? 硝煙と騒ぎで見失っちまったッ!!」

 

「トーキョーカクテルはッ!?」

 

「それも奴らがッ!!」

 

「クソ……! アッ!? いたぞチェリオスッ!!」

 

 

 彪が指差した先には、ケースを持った政巳が両角と共に廊下へ出て行く姿が。

 視界に捉えたチェリオスは、何も言わずに戦場へと飛び込む。

 

 

 

「死ねーーーーッ!!」

 

 

 ナイフを片手に突っ込む、香砂会の構成員。

 チェリオスは即座に彼の手を掴む。

 

 そのまま一息の内に背負い投げを繰り出し、床に倒す。

 最後はバズンッ、と顔面に撃ち込んだ。

 

 

 

 

「うおおおおおおーーーーッ!!」

 

 

 別の構成員が銃を向け、チェリオスに発砲。

 気配を察知していた彼は、身体を逸らして弾を回避。

 

 撃鉄を起こし、反撃する。

 銃弾は構成員の胸に大穴を開け、伏せさせた。

 

 

 

 またしても硝煙の中から、GM M3を向ける構成員が繰り出した。

 彼はチェリオスのみならず、愚連隊や三合会目掛けて.45ACP弾を食らわせる。

 

 

 

 

 チェリオスは直線コースを諦め、大回りで逃げる。

 銃弾は物や壁を打ち砕きつつ、敵を一掃した。

 

 

「うわああああーーッ!!??」

 

 

 景山は床に蹲り、叫ぶだけ。高級スーツが、煤で台無しになっている。

 

 

 

 

 血を吐き倒れる愚連隊、崩れ落ちる三合会。

 死体の間を縫って姿を現したチェリオスは、横に飛びながら引き金を引く。

 

 

 弾は顔面に命中。

 やっと銃声が止まった。

 

 

「うぐっ!」

 

 

 チェリオスは重力に従い、床に倒れる。

 すぐさま立ち上がろうとした時、激しい胸痛に襲われた。

 

 

 自動輸注器は取られた。カフェインが足りない。

 心臓が止まろうとしている。

 

 

「あぁあ……あ、アンナカ……!!」

 

 

 ポケットから取り出し、袋を切って吸おうとする。

 必死に出したアンナカは、流れ弾が破って散らせた。

 

 

「〜〜〜〜〜ッ!! GODDAMNッ!!」

 

 

 ぐずぐずしていては両角らを取り逃す。

 気を揉んだチェリオスは覚悟を決め、袋を投げ捨ててから勢い良く立ち上がる。

 

 

 

 

 

 乱闘は続く。

 

 

「ぬはぁーっ!!??」

 

 

 通りをランニングしていた中年男が、壁抜けの流れ弾を受けて死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 広間を抜けて廊下を走り、外を目指す政巳たち。

 追いかけて来る敵は構成員らに対処させ、弾丸が飛び交う中を無我夢中で突き進む。

 

 

 この先を行けば玄関だ。

 必死な彼らを追うは、シェブ・チェリオス。

 

 杉フローリングの床を滑って角を曲がり、政巳たちの後方に躍り出た。

 

 

 

 

「覚悟ぉおぉおおおおーーーーーーッ!!!!」

 

 

 叫びながら、スタームルガー・ブラックホークを撃つ。

 彼に気付き、応戦しようとする構成員たち。

 だが卓越した射撃スキルを持つ彼に対抗出来ず、一人やられた。

 

 

 撃鉄を起こし、発砲。また起こし、発砲。

 反動を物ともしない姿勢で、立て続けに撃ちまくり。

 

 

 護衛の構成員が一人、また一人、またまた一人やられて行く。

 仲間の鮮血を浴びながら、殺意に満ちた目で両角は振り返る。

 

 

 

 

「────舐めやがってぇえーーーーッ!!」

 

 

 生き残りの護衛を押し除け、左手にかかった手錠がじゃらりと揺れる。スタームルガーP85を構えた。

 

 

 チェリオスも撃鉄を起こし、立ち止まって照準を合わせる。

 

 

 

「安い銃を俺に向けんじゃねぇ貧乏ヤクザがぁぁあああーーーーッ!!!!」

 

「死に腐れドサンピンがぁぁああーーーーッ!!!!」

 

 

 

 両者、同時に発砲。

 9mmパラベラム弾がチェリオスへ、.44マグナム弾が両角へと放たれる。

 

 

 結果から言えば、弾はどちらも外れた。

 両角からの攻撃は、チェリオスが射線から身体を外した事で回避される。

 

 

 

 チェリオスからの攻撃は、政巳の持っていたケースに塞がれた。

 

 

「クソぉーーッ!!」

 

 

 両角の持つP85はオートマチックだ。シングルアクションのブラックホークとは、連射性の差でかなり優位だ。そのままもう一発撃とうとする両角。

 

 撃鉄を起こすまで、チェリオスは回避しようと動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

「────うぅッ……!?」

 

 

 心臓に激痛。鋭い目眩と倦怠感、そして息苦しさ。

 膝が笑い、立てなくなり、ガクリと膝を突く。

 

 

 膝立ちになったお陰で運良く、両角の撃った弾は頭上を掠めて外れた。

 

 だが、次を止める余裕はない。

 ブラックホークも、持ち上げられないほどに腕が動かないからだ。

 

 身体ももう、動かせない。

 

 

「はぁあ……ッ!!」

 

 

 苦しむ彼の様子を見て、両角は銃口を上に向けてから、察したようにほくそ笑む。

 

 

「ハッハッハ!! なんだ、毒が効いてンじゃねェか!!」

 

「モロッ!! さっさと殺せッ!!」

 

 

 政巳に命じられ、再び照準を合わせる。

 護衛らに手出しさせぬよう一瞥してから、引き金に指をかけた。

 

 

 

 膝立ちのまま、死に行く目で睨むだけのチェリオス。

 その眉間を、照星が示した。

 

 

 

 

 勝ち誇った笑みを浮かべ、指に力を入れる。

 引き金が押されて、一ミリ動く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、廊下の窓が割られて、何者かが飛び込んだ。

 

 ガラス片を浴びながら、そっちの方を向く。

 

 

 

 肉切り包丁を掲げた、見知った人物が窓から床に着地する。

 

 

「チェェェェェリオォォォォォ────ッ!!!!」

 

 

 怒りのフラット・ジャックだ。

 彼は着地と同時に駆け出し、チェリオスの前に立とうとする。

 

 

 

 

 

 両角は、引き金を引いた。

 全てを察したチェリオスは、渾身の力を込めて叫んだ。

 

 

 

 

「やめろぉぉぉーーーーッ!!」

 

「え? なにが──」

 

 

 放たれたパラベラム弾。

 それはチェリオスの前に立ち、彼の盾となったフラット・ジャックの背中に着弾。

 

 

 

「あはんッ!?」

 

 

 身体を仰け反らせ、肉包丁を落とし、血を吐くフラット・ジャック。

 絶望し、愕然とするチェリオスは何とか立ち上がり、倒れようとする彼を抱き止めた。

 

 

 

 

 

「なんだそいつッ!?」

 

 

 攻撃が失敗したと気付くや否や、護衛たちが代わりにアキュ・テックで発砲する。

 

 矢継ぎ早に撃たれた.380ACP弾を、チェリオスは抱き止めたフラット・ジャックを盾にして防御。

 

 

「おぼぉぉおおおーーッ!?!?」

 

 

 代わりに撃たれる彼の悲鳴を聞きながら、脇から顔を出したチェリオスがブラックホークで撃ちまくる。

 応戦する護衛。しかし肉壁を手に入れた彼に敵わず、全滅する。

 

 

 残った者は政巳と両角、ラプチェフのみ。

 彼らは追撃を諦め、玄関を目指し撤退してしまう。

 

 

 

 シリンダーは空薬莢だけしかない。チェリオスも追撃を諦める。

 それよりも自分を守った(と、チェリオスは思っている)、フラット・ジャックだ。

 

 

 

 チェリオスの腕の中で彼は、背中と口から血を吐き、死にかけていた。

 

 

「なんでだ、フラット……ッ!! なんで俺を……守ったんだ……ッ!!」

 

「ち……ちが……」

 

「俺にも……こんな俺にも……守ってくれる奴がいるなんて……ッ!!」

 

「ころ……殺じでやる……」

 

「あぁッ!! 仇は討ってやるッ!! だから、お前は……もう、休め……ッ!!」

 

「ふざけ……」

 

「お前の嫁……良かったぜ……ッ!!」

 

「──────」

 

 

 何か言いたそうな顔のまま、フラット・ジャックはそこで事切れる。

 チェリオスは涙で潤んだ目を拭いながら、彼を床に寝かせた。

 

 

 

 

 

 

 両角らへ追いつこうとする。

 だが身体はもう限界に近い。カフェインが、足りない。

 

 覚束無い足取りで、廊下を進むチェリオス。

 途端、背後からドタドタと音が聞こえた。

 

 

 

 振り向くと、広間から来た香砂会の連中がやって来ていた。

 銃を構え、彼目掛けて撃つ。

 

 

 

 

 何とか止まりかけの思考を回転させ、すぐ隣にあった部屋に飛び込む。

 銃弾は回避したが、部屋は袋小路だ。

 

 ブラックホークも弾切れで、再装填する余裕はない。

 

 

 

「客室に逃げたぞ!! 追え追え追えッ!!」

 

 

 構成員らは勿論、チェリオスを追う。

 死に物狂いで扉を閉め、鍵をかけた。

 

 

 

 

 だが一時凌ぎでしかない。奴らは扉を蹴破り、中に雪崩れ込む。

 そうなれば、チェリオスにもう勝ち目はない。

 

 

「あ……あ……」

 

 

 カフェインが切れ、アドレナリンが滞る。

 心拍数が緩やかになり、血圧が落ちる。

 

 

「あ………………」

 

 

 扉を蹴破らんとする、衝撃音が響く。

 だが反撃する力はもう、残っていない。

 

 

 

 

 

「────────」

 

 

 

 

 ここまでか。

 

 

 チェリオスは瞳の力を抜き、闇の世界に堕ちようもする。

 

 

 もう何も、考えられない。

 

 

 

 

 視界がブラックアウトする間際。

 自分のいる部屋に飾られた、業物の日本刀が目に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『Queen of KABUKICHO』

 

 

「鼻からアンナカ吸うなら、粘膜摂取ですぐ効果が出るかもでしょうね。でも、コーヒーとかでカフェインを補給する時は気を付けてねん」

 

「なんでだ?」

 

「カフェインを経口摂取した場合、最初は胃で、残りは小腸で吸収されるわ。そのプロセスを経て、カフェインが血中に満ちるまでが大体、十五分から四十分よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

『Guts the Way!!』

 

 

「……うぉ、なんだこの茶ぁ? やけに苦いな……」

 

「それ『玉露』よ! 高いお茶なんだから、気安く飲まないでよ!」

 

「うるせぇ。命は金に換えられねぇんだ」

 

「他人の命で稼いでる男が言う?」

 

 

 

 

 

 

 

 

『I Want to Make Love to You』

 

 

 一人……いや。景山と残されたチェリオスは、まずはパチクリ瞬きをする。

 水筒を開き、中身のお茶を飲み干す。

 

 かなり渋く、奥深い味わいだ。

 空になった水筒を捨てると、自分の股間を揉む。

 

 

「……人生最後の相手が男……男と、ヤっちまった……嘘だろ……これから、死ぬのにか?……嘘だろ……えぇ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 香砂邸に乗り込んで、二十分経った。

 血中のカフェイン値が、やっと上がる。

 

 

 

 シェブ・チェリオス、今際の際から目を覚ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一回、二回、三回と蹴られ、とうとう鍵が破壊される。

 激しい音を響かせ、チェリオスを守っていた扉が開かれた。

 

 客室に突入する、構成員たち。

 

 

 そこに広がる光景を見て、思わず立ち尽くしてしまった。

 

 

 

 

 

 部屋の中央で、正座をするチェリオス。

 

 手には日本刀が握られていた。

 

 

 閉じていた瞳を、ゆっくりと開く。

 

 鞘に収まった刃を、晒してやった。

 

 

 

 きぃんと、澄んだ音が響く。

 

 刃を立て、チェリオスは切先から切羽までを眺めた。

 

 

 

 美しい刀だ。

 波立つ刃文が、彼をくっきりと映していた。

 柄も手に馴染む。

 

 

 

 切先を下ろし、構える。

 蹲居の姿勢となり、左足、右足の順番で立ち上がる。

 

 そして、脇構えの姿勢を取った。

 

 

 

 

「な、な……なに? なんで?」

 

 

 困惑する構成員。

 チェリオスは一度目を閉じ、呼吸を整える。

 

 

 

 

 

 次の瞬間、開眼した彼はその構成員へ突っ込み、銃を構えたその両手を切断してやった。

 

 

 

 

 シェブ・チェリオス。

 ここに来て、高みに到達してしまう。

 ありがとう、悲しみよ。




「TAKE ME HIGHER」
「V6」の楽曲。
1996年発売のシングル。翌年には作曲者の「デイブ・ロジャース」が歌詞を変更し、所々をアレンジしたセルフカバーバージョンとして発売している。
V6と言えば、ミレニアル世代にとっては「学校へ行こう!」でのイメージが強いハズ

そしてこの曲もご存知、「ウルトラマンティガ」の主題歌として有名。
日本でまだまだ人気だったユーロビートを基盤としつつ、中盤でストレングスによる壮麗な演奏と、熱のこもったギターソロを加えた、一つ交響曲のような一曲。
私個人は「うたかたの…」での使われ方が印象深いですけど、どなたご理解いただけますかね。


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Unexplored High Jump

 一方その頃、雪緒は銀次を引き連れ、都内の病院に来ていた。

 今も尚、意識を取り戻さない板東を訪ねる為だ。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 沈痛な面持ちで病室まで歩く。

 表面上は冷静さを醸しているが、銀次の内心は穏やかではない。

 

 ちらりと見た、彼女の横顔。

 

 

「………………」

 

 

 その決意に満ちた顔を見る度に、彼の心は締め付けられた。

 

 

 これまでの銀次は、彼女に「そんな顔をさせない為」に、寄り添っていた。

 両親を亡くした雪緒を世話し、真っ当な人生を歩めるようにと願っていた。

 

 それも、亡くなった彼女の父親で、鷲峰組の組長、鷲峰龍三に報いる為だと信じて。

 彼が銀次らに託した願いを、叶えてやろうと。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 彼女の決意に満ちた顔が、何よりも辛い。

 幼い頃からの雪緒の姿が、脳裏に蘇る。

 

 

 

「………………ッ」

 

 

 表情の少ない銀次。

 次第に苦悶と懺悔の念が宿り、悔しげに歪ませた。

 

 

 

 

「……お嬢……!!」

 

 

 耐え切れず彼は、先を歩かせている雪緒を呼び止める。

 すぐに彼女の足は止まった。

 

 

 

 病院の廊下で、引っ切りなしに医師や看護師、入院患者が往来する中。

 無垢なまでに白い病院の中。

 

 雪緒はくるりと振り返り、気丈に笑ってみせた。

 

 

「……どうしました、銀さん?」

 

「やっぱり……俺ァ……認められねェ……!!」

 

 

 歩み寄り、いつもの銀次らしくない激情を込めた口調で訴える。

 絞り出すような彼の説得は、祈りに近い。

 

 

「こんな……ッ、お嬢は背負う必要なんざ、ねェ……! 血縁がなんだッ! お嬢はお嬢だ……望んで鷲峰に生まれた訳じゃねェ……!! お嬢が選んだ訳じゃねェ……ッ!!」

 

「………………」

 

「だからせめて、組長(オヤジ)も奥方も……望んでいらした……お嬢は望まれて、生まれて来たンだ……人の道を歩む事を、幸せに生きる事を……ッ! こんなの、誰も望んじゃいなかった……ッ!!」

 

 

 サングラスで目を隠してはいるが、薄ら見える彼の目は今にも泣き出しそうだ。

 俯き、嘆く銀次の姿は、雪緒の一回りも大きな背丈でありながらも、小さく憐れにも見えた。

 

 

「俺ァ認めねェ……! 何が何でも認められねェ……ッ!! そうだ、香砂のチンピラどもが全て悪いンだ……ッ!!」

 

「………………」

 

「俺が傘となって、お嬢に降り掛かる全てから守ってやりましょう……ッ!! 邪魔ァする奴も容赦しねェ……ッ!! 汚泥に塗れてでも喰らい付き刺してやる……ッ!! だから、だからお嬢……」

 

「………………」

 

「……お嬢は……お嬢だけは、捨てンでくだ──」

 

 

 顔を上げた銀次に口に、雪緒は人差し指を当てていた。

 言葉を繋ごうとする彼の口を、塞ぎ切る。

 

 呆然とした様子で押し黙った彼の表情を見ながら、雪緒は年相応の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

「……病院ですよ。静かにしなきゃ」

 

 

 

 指を離し、踵を返す。

 

 

 立ち尽くす彼の前で、彼女は先を歩く。

 背を向けた雪緒の表情など、銀次からは分からない。

 

 

 ただ、振り向き際に見せた、憂いに満ちた顔。

 その顔がまた、銀次の心を傷付ける。

 

 

 

 

 

 

 雪緒は看護師に案内され、集中治療室に入る。

 先に来ていた吉田が、彼女に頭を下げた。

 

 

 そして数多の点滴に繋がれた、顔も身体も包帯だらけの坂東がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 両手がゴッソリと、斬られる。

 痛みを感じ、悲鳴をあげるその前に、袈裟斬りを食らって引導を渡された。

 

 

 鮮血が飛ぶ。何事かと判断しかねていたもう一人に、飛びかかる。

 振りかぶっていた刀を降ろし、頭からかち割ってやった。

 

 

 脳漿、血、肉片が散る。

 

 その中から、鬼神が如き形相のチェリオスが姿を現し、残りの二人も斬り伏せてやった。

 

 

 

 

 血肉を浴びた危ない男が、客室から再び廊下に参上する。

 まさにラストサムライだ。

 

 

 

 

 

 そんな姿の彼を見たのなら、筋金入りのヤクザと言えどもショッキングだろう。

 動揺していた、棒立ちの構成員をまた総斬りにしてやる。

 

 

 死した彼の血を気付けとし、やっと膠着状態の構成員らは動き出す事が出来た。

 

 

「外人が侍の真似してんじゃ──」

 

 

 チェリオスは持っていた鞘を投げ、銃口を向けた男の顔面に当てる。

 顔を背け、照準を外してしまった彼へと一足で詰め寄った。

 

 鞘を捨て、両手で握った刀を力一杯振り、逆袈裟斬りで殺生。

 

 

 その構成員の隣に立っていた、もう一人。

 

 

「この……ッ!!」

 

 

 大慌てで、銃床で殴ってやろうと腕を振り下ろす。

 だがチェリオスは刃で受け流し、姿勢を崩してやってから袈裟に斬った。

 

 

 

 覚醒したチェリオスは、一瞬で六人を斬って捨ててみせる。

 

 あまりの出来事に、離れた場所で見ていた構成員五人は戦意を消失していた。

 

 

「おい、あいつ……毒で死にかけてんじゃなかったのか!?」

 

「頭おかしい……」

 

「パルプフィクションでもここまでやってなかったぞッ!?」

 

「ど、どうする!?」

 

 

 チェリオスに慈悲はない。刀を振り上げ、男たちに迫る。

 

 思わず後退り、銃を構える構成員。

 だが突然現れた、一人の若い衆が彼らの前に立って止めた。

 

 

 

 

「みんな! 武器を捨てるんだ!」

 

 

 そう主張する彼は、チェリオスが毒を打たれていた時に平和を訴えていた男だった。

 唖然とする仲間を無視し、男はチェリオスに向き直る。

 

 

「もう……争いはたくさんだ……やめましょうよ……!!」

 

 

 持っていた自動拳銃から弾倉を抜き、チェリオスの前に捨てた。

 両手を上げ、構成員らとチェリオスを交互に見ながら叫ぶ。

 

 

「争いは何も生まない! 血で血を洗って残る物はなんだ!? 破滅だ!!」

 

「なんだコイツ……」

 

「憎しみ合っても、仕方がないだろ……!? これからは銃じゃなく、剣でもなく……手を取り合って、語り合うべきじゃないのか……!?」

 

 

 チェリオスの方を向き、両手を上げたまま、涙を流して訴える。

 彼の熱量を受けて考え直したのか、チェリオスは刃を下げていた。

 

 

「さぁ、武器を捨てよう……憎しみも捨てよう……これからは……」

 

 

 

 

 いや、考え直していたのではない。

 彼の顔を思い出していた。

 

 

「……僕ら、日米友好の架け橋として、互いに……」

 

 

 

 

 そして思い出した。

 自分が毒を打たれていた時にいた奴だ。

 

 

 即座に切先を向け、即効突撃。

 

 

「友情を育み──」

 

 

 

 

 

 

 心臓を突いてやった。

 

 

「あああああーーーーッ!?!?」

 

 

 刃が彼の背中から突き抜ける。

 後ろに立っていた構成員らへ向かって、そのまま突撃を続行した。

 あまりの光景にどよめく男たち。

 

 

 

 

「くたばれーーーーッ!!」

 

「ああああああーーーーッ!?!?」

 

 

 突っ込む彼の前に、また誰かが飛び出した。

 

 

「お前ぇーーッ! ウォークマン返」

 

 

 

 

 ウォークマン男も纏めて串刺しにしてやった。

 

 

「ああああああーーーーっ!?!?」

 

「あああああおーーーーッ!?!?」

 

「うおおおおおおおお死ねぇぇーーーーッ!!!!」

 

 

 二人を突いたまま突撃するチェリオス。

 構わず照準を合わせて撃つが、前の二人が肉壁となっておりチェリオスに着弾しない。

 

 

 

 

 

 床に倒れていたフラット・ジャックの死体を踏みつけた。

 そのまま勢い良く、五人の構成員に突っ込んだ。

 

 

「ぎょほぉおんッ!?」

 

 

 一人を串刺しにする。

 奥の壁にぶつけてから、チェリオスはやっと刀を引き抜いた。

 

 

 三人は血を吐いてから、同時に倒れた。

 

 

「イカれてる……!!」

 

「殺せッ!! 今なら撃てるッ!!」

 

 

 チェリオスと残りの四人とは、やや距離がある。

 これなら分があると踏んだ彼らは、銃口を向けた。

 

 

 間髪入れずに一斉発砲。

 9mmパラベラム弾が、チェリオスの生を刈り取らんと強襲する。

 

 

 

 蜂の巣になって、奴は死んだ。

 

 

 そう思われていた。

 だが硝煙の先にいる彼は、無傷だ。

 

 

「あれ?」

 

「おいッ! こんだけいて当てられねぇのかッ!!」

 

 

 もう一度、一斉発砲。

 やはりチェリオスは無傷。

 

 

「いやいや今のは当たっただろ」

 

「下手くそどもめッ!! どけッ!!」

 

 

 一人の構成員が仲間を押し除け、引き金を引く。

 照準はきちんと合わさっている。当たらない訳はないと、確信した。

 

 

 

 

 チェリオスが刀を振って、弾丸を斬るまでは。

 

 

「は?」

 

 

 残りの弾を、全て撃ち放ってやった。

 だがチェリオスはこれを、瞬時に刀を振って弾いてしまう。

 

 

 

 

 その内、弾き返された一発が、構成員の頭部に当たって殺した。

 当たっていないのではない。刀で弾かれていた。

 

 

 

 

「おまえ人間じゃねェッ!!」

 

 

 残り三人の構成員は、あっという間にチェリオスが全て斬り伏せてやる。

 誰も悲鳴をあげる事なく、全員仲良く十万億土を踏みに行った。

 

 

 

 目に映る敵は、とりあえず殲滅したチェリオス。

 血と脂肪と肉片に塗れた日本刀は、もう使えないと判断して捨てる。

 

 

「は、はは……! どうだ、ユキオのフィアンセッ! 俺もここまで出来たぜッ! なんか出来たぜッ!!」

 

 

 喜ぶ彼だが、こんな事をしている場合じゃないと廊下を駆け出す。

 斬り殺した死体と、フラット・ジャックの死体を踏み越えてから、玄関口へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、バラライカは雪降る中、香砂邸の前に到着していた。

 ボリスとロックを引き連れ、香砂政巳との「話し合い」をすべく現れた。

 

 

 時刻は十時前。これから門を潜ろうと言う時に、三者は足を止める。

 

 

 

 鳴り響く銃声、屋敷内からもうもうと立つ硝煙、男ばかりの悲鳴と罵声。

 門の前で気絶している、警官隊も含めてあまりに意味不明だ。

 

 

 

 

 

 

「なにこれ?」

 

 

 バラライカと言えども、そう言うしかなかった。

 ボリスは彼女を守護する為に前に立ち、ロックは逆に、隠れるようにして後ろに潜む。

 

 

「た……大尉……これは……?」

 

「私は何も指示していない」

 

「スナイパー部隊、何が起きている!?」

 

 

 即座にボリスは無線を使い、香砂邸の周辺に潜ませた狙撃手たちに連絡を取る。

 彼女は香砂会からの裏切りを、予見していたようだ。

 

 

 だが、これは予想など出来なかった。無線の先の狙撃手部隊も大慌てだ。

 

 

『わ、分かりません……! 大勢が一斉に発砲しているせいで、硝煙だらけで何が何だか……!』

 

 

 ボリスはバラライカへ向き、状況が分からないと首を振る。

 頭痛がする思いなのか、彼女は眉間を親指で押していた。

 

 

「…………勝手に戦争を始めてどうする……」

 

 

 バラライカにして珍しい愚痴。

 そう言った途端、玄関口が勢い良く開け放たれた。

 

 現れたのは、頑丈そうなケースを大事に抱える政巳と、その護衛をする両角。

 そして何より、バラライカらの目を奪ったのは、先を案内するラプチェフだろう。

 

 

「クソゥッ!! 両角ィッ!! 買い手には場所を変えろと連絡しろぉッ!!」

 

「でも、組長(オヤジ)……英語話せるチョコが死んじまいましたぜッ!?」

 

「黙ってろ日本人どもォッ!! 俺に付いて来やがれッ!!」

 

 

 呆れたような顔を見せた後に、バラライカはボリスを引っ張って門の影に隠れさせる。

 丁度その時、門前に外ナンバーの高級車が停車。

 

 

 

 中からスーツを着たロシア人が姿を現す。

 彼は大使館から来た使者だ。彼女らに忠告をする為に来たようだ。

 

 

「ミス・ヴラディレーナ。白金はすぐに封鎖されると情報が入りまして……早めに馳せ参じまし」

 

 

 

 

 挨拶をする彼を、飛び出したラプチェフが銃床で殴って地面に倒す。

 

 

「どけッ!!!! 俺は元KGBだぞッ!!!!」

 

 

 そのまま彼を引き摺り下ろし、車を奪取。

 後部座席へ飛び込むように、政巳と両角が続く。

 

 

 

 一度、追手がいないか確認する為、窓から顔を出したラプチェフ。

 門の影に立っていたバラライカらとは、やっとそこで目が合った。

 

 

「ば、ば、バラライカ!?」

 

「何しているんだラプチェフ?」

 

「これは……ッ!」

 

 

 怒気と殺意が篭った声で聞く、バラライカ。

 対してラプチェフは目を泳がせ、あわあわと言い淀んでいる。

 

 香砂会と先に交渉し、不意打ちの手筈を整えていたとは口が裂けても言えない。

 

 

 

 遠くで、パトカーのサイレンが響く。騒ぎを聞き付けた、警察の応援が到着したようだ。

 政巳は運転席のシートを叩き、車を出すよう急かす。

 

 

「早く出しやがれッ!?」

 

 

 ハッと我に返ったラプチェフは、アクセルを踏み抜き車を走らせた。

 あっという間に彼らの車は、遠くに行く。

 

 

 そして入れ違いに、警官隊が到着。

 パトカーから出るなり、総員屋敷に突入だ。

 

 

「全員動くなッ!! 本庁四課の安沢だッ!! あのハゲだけは許さんッ!!」

 

 

 既にボロボロの怪我だらけな安沢を先頭に、バラライカらへは目もくれずに玄関口から雪崩れ込む。

 顛末を見届けようと顔を出した時、中から怒号と喧騒が響く。

 

 

 大勢の警官隊が、何かを囲って押さえ付けようと躍起になっていた。まるで蜜蜂のやる、蜂玉のようだ。

 

 押さえ付けて警棒で殴っているものの、「何か」の勢いを殺さないようだ。

 そのまま玄関から軒先に出てから止まり、ググッと沈む。

 

 

 

 

 

「うがあぁぁーーーーッ!!!!」

 

 

 一人の雄叫びと共に、取り囲んでいた警官隊全員が吹き飛んだ。

 中心に立っていた男は、血だらけ煤だらけのシェブ・チェリオスだ。

 

 

 やばいと感じたのか、ロックはサッと隠れる。

 

 

「どこだぁーーッ!? どこ行きやがったぁーーッ!!」

 

 

 のしのしと彼は門を超えて、バラライカらの前に立つ。

 ロックは、図体の大きいボリスを使って巧みに身を潜めていた。チェリオスからは一切見えない。

 

 

 唖然とする二人に、チェリオスは聞いた。

 

 

「おいッ!! コーサの奴ら見たかッ!?」

 

「……車乗ってあっち行ったわ」

 

 

 親切に教えてやるバラライカに、ボリスは驚いた顔を見せた。

 彼女が指を差した方を向き、悔しげに地団駄を踏む。

 

 足元に使者がいるが、気にせず踏む。

 

 

「クソーーッ!! 逃がすかぁッ!!」

 

 

 

 

 その時、大きなエンジン音が響き、チェリオスの隣に一台のスーパーカーが停車。

 フラット・ジャックの乗って来たランボルギーニだ。運転しているのは、ツギオン君。

 

 

「アニキぃッ!! 乗ってくだせぇッ!!」

 

「良くやったぁーーーーッ!!」

 

 

 すぐに助手席へ飛び乗る。

 同時にツギオン君はアクセルを踏み、ランボルギーニを発進させた。

 

 

 轟音を白金中に響かせながら、二人を乗せたランボルギーニは排煙を残して消え去る。

 

 

 

 

 

 残された、バラライカたち。

 まず二人は目をパチクリと、瞬かせた。

 

 

「……えぇと……大尉。これから……どうされます?」

 

「漁夫の利は好かんが……仕方ない。このまま後任に引き継がせ、制圧だ」

 

「えぇ……よろしいのですか?」

 

「馬鹿馬鹿しい。さっさと大使館に寄って、ロアナプラに帰ろう」

 

 

 そう言ってボリスに目配せし、散々な目に遭った使者を起こさせる。

 

 

 彼女にとって、東京の制圧は生温いものだ。

 だが結果、不確定要素だらけで、何か知らない内に勝手に物事が終わった。

 

 これほどしょうもない幕引きは、バラライカにとっては呆れたものだろう。

 

 

 戦争を始めたら、勝手に終わらされたような不完全燃焼。

 

 

「……二度と日本には来ない」

 

 

 首を振り、咥えた葉巻に火を付けながらそうぼやいた。

 

 

 

 

 その際、じっとランボルギーニの消えた先を眺めていたロックが目に入る。

 気になった彼女は煙を吐きながら、話しかけた。

 

 

「……どうした? ロック」

 

「………………」

 

 

 微かに安心したような笑みを浮かべてから、バラライカと視線を合わせた。

 

 

 

 

「……いえ」

 

 

 緩やかに降り頻る雪の中で、短く答える。

 目に光は、一切も無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彪は、香砂会の全滅を確認すると、武器を捨ててから庭に出る。

 掛けていた梯子を伝って壁を登ると、香砂邸の敷地から脱出した。

 

 

「今回ばかりは死んだと思ったぜ……ッ!!」

 

 

 丁度良いタイミングで、一台の車が停まる。

 後部座席に乗車し、ドアを閉めてから一息吐いた。

 

 

 

 すぐに車は動き、香砂邸を離れる。

 チラリと彪は、隣に座っていた男を見た。

 

 

 

 

「それでぇ? お目当てのトーキョーカクテルは取り返したのかね?」

 

 

 マイルズだ。優雅に葉巻を燻らせながら、外の景色を眺めている。

 前の座席には、運転手と助手席にもう一人。

 

 

 全員の姿を確認した彪はまず、申し訳なさそうに顔を伏せた。

 

 

「……持ち逃げられた……チェリオスが追ってはいるんだが……」

 

「……私は三合会の人間ではないが……確か、君の任務は……」

 

「……トーキョーカクテルの、奪還……クッソ……失敗した……ッ!!」

 

 

 ドアをドンッと叩いてから、頭を抱えた。

 

 それからは、全員が黙り込む。

 黙り込んだまま車は環七を経由し、ひと気のない港に到着する。

 

 

 車が停まる。外には、三合会の者と思わられる男たちが数人いた。

 彪は覚悟を決めた様子で、顔を上げる。

 

 

 

 

「……覚悟は出来てる。だがせめて……俺の手で、終わらせてくれ……」

 

「………………」

 

 

 運転手が、一挺のベレッタM92Fを見せ付けた。

 弾倉に弾が込められている事を確認すると、そのまま挿入。

 カシャリとスライドを引き、銃弾を装填する。

 安全装置が外れている事も、確認させた。

 

 長い髪をしな垂らせ、彪は深呼吸。

 マイルズは彼を、憐れみの篭った目で見ていた。

 

 

「……大兄に……張大兄に、言っておいてくれ」

 

「…………なんとだね?」

 

「……やるだけはやった。幻滅だけは、しないでくれと……」

 

「………………」

 

 

 彪から運転手へと、目を向ける。

 運転手は頷いた後に、拳銃を上げた。

 

 

 

 

 

 そしてそのまま、助手席にいた男を撃ち抜く。

 

 

「え!?」

 

 

 悲鳴もあげず、男は絶命。

 銃創から血を滴らせながら、静止した。

 

 

 

 何が起きたのかと放心状態の彪に、マイルズが説明をしてやる。

 

 

「内通者が判明したのだよ。助手席のこの男が、香砂会に情報を流していたんだ」

 

「え……な……なんだって?」

 

「君たちのボスが突入を命じたのは、敵を炙り出しする為だったのだよ。その点、君は良くやったと言う訳だぁ」

 

 

 そう言ったマイルズは彪に、車を降りるよう合図を残してから先に降りる。

 まだ理解が追いついていないながらも、彼に彪は続いた。

 

 

 

 雪の降る港だ。

 海の方へと歩きながら、彪はマイルズに質問する。

 

 

「俺は、ど、どうなる……?」

 

「君が命懸けで行動した事により、裏切り者を殺せた。これで一つ、落とし前が付いた。君は許されたのだよ」

 

「……俺が指示した訳じゃないんだぞ?」

 

「『そう言う事にする』って、事だろう。君のボスは、こんな事で君を死なせるには惜しいと判断したようだなぁ」

 

「大兄が……!?」

 

 

 海辺へと歩く。

 白波立つ、やや荒れ気味の海を眺めながら、彪は質問をする。

 

 

 

 

「……トーキョーカクテルは……もう、良いのか?」

 

 

 おもむろにマイルズは自身のポケットから、何かを取り出す。

 それを眺め、二回ほど頷いてから答えた。

 

 

「それだぁ。君が付けなきゃならない『もう一つの落とし前』は、それだよ。粛正は免れたが、他を納得させる為にクリアしなければならない」

 

「今から奴らを追うのか?」

 

 

 マイルズは、取り出した物を再びポケットに閉まってから、首を振る。

 

 

「……可能ならば、トーキョーカクテルを奪還する。それが出来ない場合……『あるモノ』を入手せよとの、お達しだぁ」

 

「ある……モノ?」

 

「三合会の、とある『伝説的人物』からの命令らしい」

 

 

 彪と目を合わせる。

 その背後では、裏切り者の死体が入った車が、クレーンによって海に沈められようとしていた。

 

 

「……私の為でもある。やって来れるか?」

 

「………………」

 

 

 反論もせず、素直に頷いた。

 

 

「……分かった。大兄に報いる為だ……」

 

「それで良い」

 

 

 

 

 一隻のボートが寄港する。

 乗っていた中国人が、ハンドサインで二人に乗るよう指示をした。

 

 

 

 先にマイルズがボートへと歩み寄る。

 振り返り、まだ立ち止まっていた彪を呼んだ。

 

 

 

 

「乗りたまえ」

 

 

 吸っていた葉巻を、海に捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランボルギーニは、政巳らの乗る車が確認出来る距離まで詰められた。

 ブラックホークに弾を装填してから、チェリオスは爛々とした目で、前方の車を睨む。

 

 

 

 

 

「殺してやるぜぇ……殺してやるぜぇ、モロぉ……!!」

 

 

 懐に残っていた、最後のアンナカを吸う。

 近付きつつある車の後部を見ながら、アドレナリンの高まりを実感した。

 

 

「アニキ!」

 

「……あ? 俺の事かぁ? クソ……英語話せる奴ぁいねぇのかぁ?」

 

「チャカさんが『絶対に言うなよ』って言っていた事を、教えてやります!」

 

「……なに? チャカ? チャカがどうした?」

 

 

 ツギオン君は、チャカから聞いたと言う話を、チェリオスに語ってやる。

 

 チェリオスは日本語が分からない。

 だが彼の話は場所を示すものだったので、理解は出来た。

 

 

 同時に、嬉しそうな笑みも見せていた。

 

 

「……良いぜ。やってやらぁ」

 

 

 そう覚悟を滲ませながら、彼はラジオを付ける。

 

 

 

 

 

 ローリング・ストーンズの「(I Can't Get No)Satisfaction」。

 それを爆音ロックンロールにアレンジした、日本人バンドのカバーが響く。

 

 

 

「ギターウルフ」の、「サティスファクション」だ。




「前人未到のハイジャンプ」
「スガ シカオ」の楽曲
1997年発売「Clover」に収録されている
脱サラでシンガーソングライターへと転身。極貧生活さえ経験した二年の下積みの後、「ヒットチャートをかけぬけろ」でメジャーデビュー。ファンクとJ-Popの融合を掲げた独特のスタイルで、今やコンスタントにヒット曲を叩き出す国民的ヒットメイカー。

迷いと覚悟を瑞々しく書き綴ったリリックを、鮮やかなギターサウンドに乗せた美しきブルースチューン。
メジャーデビュー後初のフルアルバム。その一曲目に飾られた、彼のアンセム的な曲となっている。


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Satisfaction, Stars and Stripes Forever

「サティスファクション〜星条旗よ永遠なれ」
「ギターウルフ」の楽曲。
1997年発売「狼惑星」に収録されている。
日本国内より先にアメリカで事務所契約をする、稀有な方法でデビューを飾ったモンスターバンド。
ラモーンズをリスペクトした爆音ロックンロールを武器に、現在でも世界中でファン層を拡大している。レヴィもお気に入り(ブラックラグーン五巻より)。

ローリング・ストーンズの楽曲「(I Can't Get No)Satisfaction」を、ハイスピードアメリカンロックアレンジでカバー。ラストに「星条旗よ永遠なれ」がギターで弾かれる。
全力暴走の疾走感がたまらない、アドレナリン満タンハイエナロックチューン。

今話は、この曲を流しながら読む事を推奨。アメリカンハイウェイの風を感じろ。


 豪快なギターサウンドを聴きながら、チェリオスは開けた窓から身体を出す。

 着実に距離を詰めつつある、政巳らの車へ銃口を向ける。

 

 

 発射した.44マグナム弾は、ドアミラーを吹き飛ばした。

 それを見て追手に気付く両角。左手の手錠を外そうとしながらも、リアウィンドウから後方を確認する。

 

 

 ランボルギーニと、スタームルガー・ブラックホークを構えるチェリオスの姿。

 両角は憎々しげにシートを殴った。左手の手錠がジャラリと揺れる。

 

 

「クソッ!! なんてしつこいハゲだ……!!」

 

「だが、毒は回ってやがるハズだ! 何とか、時間を稼げッ!!」

 

 

 二人の言う事など、ラプチェフには分からない。

 とは言え、逃げ切れるよう行動を起こしている事は確かだ。

 アクセル全開のまま、左右にハンドルを切り、環七を舞台にカーチェイスを繰り広げる。

 

 

 

 車に揺られながら、両角は政巳に聞いた。

 

 

「買い手には……どう説明します!?」

 

「安心しろ両角ッ!! ケースの中に、交渉先の電話やらのメモを入れてンだ! 何とか奴らを引き離せば……!!」

 

「よぉおーしッ!! ロシア人頑張れッ!!」

 

「黙れ日本人どもッ!!」

 

 

 ラプチェフのロシア語の怒鳴り声は、車外まで響いた。

 

 

 

 

 

 雪はゆったりと降っていた。

 しかし猛スピードで走る車のウィンドウには、より多くの雪片が当たる。まるで豪雨を受けたかのように濡れていた。

 

 ワイパーを駆動させ、視界を確保しながらツギオン君は、何とか横に付けてみせる。

 

 

「アニキッ! どうするんすか!?」

 

 

 水平二連散弾銃を掲げながらツギオン君は聞く。

 チェリオスはそれを見て、興味を持つ。

 

 

「そいつを寄越せッ!!」

 

「え!? 欲しいんすか!? でも……どないするんでっか!?」

 

「速度はそのままだッ!! 分かるかッ!? スピードをキープだッ!!」

 

「スピードキープ!? 分かりやしたッ!!」

 

 

 日本人が知っていそうな、簡単な英単語で指示を出す。

 承諾したツギオン君は散弾銃を渡し、速度の維持に専念する。

 

 

 位置関係として、助手席側に政巳らの車がある。

 チェリオスはその助手席から身体を出し、散弾銃を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 窓が開く。

 スタームルガーP85を構えた、両角が姿を現す。

 

 

「ッ!! やべぇッ!?」

 

 

 すぐに弾丸が連発で放たれた。

 フロントやドアに着弾し、ヘッドライトと窓を割る。

 

 危険だと判断したチェリオスは車内に引っ込み、身を屈めた。

 

 

 車内にも銃弾が飛び込む。

 危険だと判断したツギオン君は、ランボルギーニを相手から離した。

 

 

「……つぅ……ッ! やりやがったなぁッ!?」

 

 

 怒ったチェリオスは、ブラックホークをホルスターに仕舞いながら命令する。

 

 

「もう一回付けろッ!! ヤクザに一泡吹かせてやる……ッ!!」

 

「付けるんすか!? 分かりやしたーッ!!」

 

「あぁそれと、頭下げとけぇッ!!」

 

「へ? ヘッド?」

 

 

 

 

 まずチェリオスは、フロントウィンドウに散弾を二回ぶっ放して破壊。

 

 

「なにしてんねん!?」

 

 

 愕然とするツギオン君を無視し、ガラ空きのそこからフロントへ出る。

 車の振動と浴びせられる雪に耐えながら、ルーフ上へとよじ登った。

 

 

 銃身を機関部から折ると、空薬莢が飛び出す。

 空になった薬室に12ゲージのショットシェルを二発装弾。

 ガチャリと銃身を戻し、先台を握る。

 

 撃てる準備は整った。

 だが銃身が切り詰められている為、かなり近付かなくては弾を当てられない。

 

 

 リーフを叩き、ツギオン君に「寄せろ」と合図を送る。

 再度ランボルギーニは、政巳らの車に近付く。

 

 

 

 

 

 再び両角が、拳銃で応戦。

 身を低くし、弾を避けながら、伏せた状態で引き金を引く。

 だがチェリオスの発砲は止められなかった。

 

 

 

「うぉわぁあッ!?」

 

 

 散弾は盛大に窓を割り、ピラーを破壊。

 直撃は免れたものの、両角も政巳も肝を冷やした。

 

 

組長(オヤジ)ィッ!? 平気ですかいッ!?」

 

「俺の心配すんじゃねぇッ!! 撃て撃てッ!!」

 

 

 ドアを盾にしながら、腕だけを出して応戦する。

 ランボルギーニは弾を浴びながらも更に寄り、チェリオスに次の攻撃の機会を与えてやった。

 

 

 もう一発の散弾が放たれる。

 それは中まで到達し、助手席のシートを破壊した。

 

 

 

 チェリオスは急いで再装填に移る。

 出来るだけ横に付ける事を意識していたツギオン君だが、運転席からSIGザウエル P220を構えたラプチェフの姿を見て慌てる。

 

 

「死ねミイラ男ォッ!!」

 

「うひぃッ!?」

 

 

 堪らず車を離すツギオン君。

 装填を済ませたチェリオスは急いで二発撃つものの、一発は外し、もう一発は間に入った誰かの車に着弾する。

 

 

 

 

 

「ギャァーーッ!?!?」

 

 

 その車はクラッシュした。

 気にせずチェリオスはまた、再装填を急ぐ。

 

 

「あ……? オイッ!! もう弾ねぇのかッ!?」

 

 

 ショットシェルはもう二発しか残っていない。運転席を覗き、ツギオン君に聞く。

 彼は頭を振るだけだ。

 

 

「弾ですか!? 先の戦争で殆ど使っちまいましたわッ!!」

 

「アァ!?」

 

「ノーッ!! ノーですアニキッ!! ナッシングーーッ!!」

 

「無いのかァッ!? なら仕方ねぇが……」

 

 

 まだブラックホークがあるからと、あまり危機感はない。

 だがどうしようもない事態が、ランボルギーニに迫りつつあった。

 

 

 

 

 ラプチェフの放った弾丸は、バッテリーまで食い込んでいた。

 徐々に徐々に電圧は低下し、車が停車しようかとしていた。

 

 

 ツギオン君はそれらによる異常を、少しずつ落ちるスピードを見て察知する。

 

 

「アニキぃッ!! エンジンがイカれたーーッ!?」

 

「なぁ!? エンジ……だぁーーッ!! クソォッ!!!!」

 

 

 ボンネットに開いた銃痕を見て、チェリオスも把握。

 このままでは追い付くどころか、切り離されてしまう。

 

 

 

 どうすべきか。

 チェリオスは考えて考えて、一つの策を講じる。

 

 

 

 

「何とか車に付けろーーッ!! GOだGO GOッ!!」

 

 

 指示通り、ツギオン君はランボルギーニに残されたスピードを使って、車に近付こうとする。

 だが、次第に後方へ下がって行く。このままでは逃げられてしまうだろう。

 

 

 チェリオスは諦める様子を見せず、弾を再装填させた。

 

 

 

 

 

 寄せれば寄せるほど、またも撃って来る両角とラプチェフ。

 臆する事なくショットガンを構える彼を見て、両角は手錠を煩わしそうにしながら眉を寄せた。

 

 

「何する気だ……!?」

 

 

 チェリオスはまず、深呼吸を三度。

 時速百キロ超えの中で、何とか姿勢を安定させながら、引き金に指をかける。

 

 

 ランボルギーニの速度が落ちて行く。

 もうとってにエンジンは停止し、余ったスピードだけで保っているのかもしれない。

 

 

 何とかツギオン君は、車の真隣に寄せた。

 容赦なく襲い来る銃弾を、耐え凌いでくれていた。

 

 

 

 

 猶予はないと判断したチェリオス。

 四度目の深呼吸の後、激しい振動で照準が定まらない中、散弾を撃ち放つ。

 

 

 

 

 一発目は、ドアのピラーを捉えた。

 

 

「ンンッ!?」

 

 

 政巳が驚嘆の声をあげた。

 

 もう一発、ドアに撃ち込む。

 

 

 

 

 

 後部ドアの接続部分が破損し、雨戸のようにガコンと外れた。

 車内の様子が丸分かりだ。愕然とした様子の両角らの顔が見て取れる。

 

 

「嘘だろッ!?」

 

 

 驚きながらも、尚も銃口を向ける両角。

 

 

 

 

 チェリオスはショットガンを捨て、立ち上がった。

 

 

 

 

 そして開いた敵の車内目掛けて、飛び込んだ。

 

 

 ただ飛び込んだだけではない。ドロップキックをかます。

 

 

 両角は銃を撃ちまくるが、当たる事はなかった。

 

 

 

 ランボルギーニがスピードを失い、後方へ後方へと消えて行く。

 

 

 

 

 だがチェリオスは空を飛び、銃弾をスレスレで掠めながら、足から突っ込んだ。

 靴底は両角の鼻面から突き刺さる。

 

 

 寸前で彼は、車内への突入に成功した。

 

 

「乗って来やがったッ!?!?」

 

「うげぇッ!?」

 

 

 鼻血を噴き出しながら、フロアに落ちる両角。

 チェリオスはホルスターからブラックホークを抜き、彼を殺そうと撃鉄を起こした。

 

 

「THE ENDだクソ野郎ッ!!」

 

「させねェぞォーーッ!!」

 

「!?」

 

 

 発砲寸前で阻止をしたのは、丸腰の政巳。

 トーキョーカクテルの入ったケースで、チェリオスの顔面を突く。

 

 ふらつき、後ろに飛ぶ。拍子で引き金が引かれ、暴発による銃弾が天井を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランボルギーニのエンジンが停止する。

 諦めてブレーキを踏み、車道の真ん中でツギオン君は外に出た。

 

 車が去った先へ少し走った後、感心したように首を振って足を止めた。

 

 

「なんつーアニキだッ!! スゲェッ!! イカれんでェ、ホンマァッ!!」

 

 

 飛び上がってガッツポーズを決める。

 もう彼一人で安心だなと息を吐いたツギオン君は、自分は撤退しようと振り返った。

 

 

「………………」

 

 

 ぴたりと、立ち尽くす。

 包帯の隙間から覗く彼の目は、ある物を捉えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ランボルギーニの、正面だ。

 すっかりボロボロとなってしまったが、高級車らしい気品は未だ健在。

 

 ツギオン君はずっとそれを──一分ほど、見続けていた。

 

 

 

 途端、目を見開いた。

 

 

「…………ッッ!!」

 

 

 また振り返り、車が行った方へ駆け出す。

 だが足では無理だと思い直し、通りかかったバイクを止めて奪った。

 

 

 

 

「借りンでッ!!」

 

「ふざけんじゃないよぉッ!? こないだ原宿駅でハゲ外国人に盗られたばっかなんだよぉッ!?」

 

 

 ギャーギャー喚く持ち主を無視し、盗んだバイクで走り出す。

 

 追うは、チェリオスの後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 政巳に突き飛ばされたチェリオスは、頭部だけが外に出た。

 対向車線から車が現れ、急いで首を引っ込める。

 頭上を、その車のボディが掠めた。

 

 

 再び銃を構えようとする。

 だが政巳がケースで、その腕を殴った。

 

 

「んぎ……ッ!?」

 

「この、ド腐れ野郎めがぁーーッ!!」

 

「がふッ!?」

 

 

 間髪入れず、彼の鼻面へ正拳突きを放つ。

 

 シートの上で倒れるチェリオス。

 政巳はケースをリアシェルフの上に置くと、彼に馬乗りとなり首を絞め始めた。

 

 

「こちとらァ空手の段持ちでェッ!!」

 

「ぐぎぎぎ……ッ!!」

 

 

 渾身の力を振り絞り、銃を向けて撃とうとする。

 だが政巳は残った手で、チェリオスの手首に手刀を加えた。

 

 痛みと衝撃で、手放す。

 

 最悪な事に、落としたブラックホークはシートの上を跳ね、車外に落ちてしまった。

 

 

「ァガァッ!?」

 

 

 手を伸ばしてももう遅い。銃は遥か後方に消えた。

 丸腰にさせたと安堵した政巳は、彼の首を絞めながら両角の方へ片手を伸ばす。

 

 

「両角ィッ!! 銃ゥ渡せッ!!」

 

 

 ドロップキックをまともに受け、まだ頭がぼんやりとしている様子だ。

 ゆっくりと目の焦点が合わないままに、上半身を起こしていた。政巳の声に気付いていない。

 

 

「……オイッ!! 何やってやがンだッ!!」

 

 

 痺れを切らし、振り返る政巳。

 

 

 

 

 

 その時、微かに首を絞める手の力が弱まった。

 チェリオスは両手を使って彼の腕を取り、捻る。

 

 

「ッ!?」

 

 

 動揺し、姿勢を崩した政巳。

 チェリオスは馬乗りになっている彼の背中に、思いっきり膝をぶつけてやる。

 

 

「うお──ッ!?」

 

 

 

 

 前のめりになった政巳の首を掴み、つんのめった彼を手前へ更に引っ張る。

 そのまま車外へ、真っ逆さまに飛んで行く。

 

 

 

 やっと思考がクリアになった両角。

 

 明瞭となった視界が捉えたのは、時速百キロの車から落とされる、組長の姿。

 

 

 

 

 

 

 

「うがぁぁぁあーーーーッッ!?!?」

 

 

 そして鼓膜を破らんばかりに轟く、彼の悲鳴。

 鈍い音が鳴り、政巳はアスファルト上に投げ落とされた。

 

 

 

組長(オヤジ)ぃいーーーーッ!!??」

 

 

 呼んだ頃には、ブラックホーク共々遥か後方を転がっていた。

 

 

 チェリオスは呼吸を整えつつ、起き上がる。

 視線の先は、憎悪に満ちた両角の顔。

 

 

 

 

 

 

「このッ……このッ、ドチンピラがぁあーーッ!!」

 

 

 スタームルガーM86を構えた。

 撃たれた一発目は、チェリオスが急いで回避。

 

 一気に彼へ詰め寄ると、銃を握るその手を掴んだ。

 

 

「おおおおおおーーーーッ!!!!」

 

「があああああーーーーッ!!!!」

 

 

 取っ組み合いになりながらも、チェリオスは弾倉を空にしてやろうと引き金を引かせる。

 銃弾は出鱈目な方角へ放たれ、硝煙と閃光が車内を白に染めた。

 

 シートの上を転がり、殴り、蹴り、発砲を繰り返す二人。

 

 

 

 その内、銃口がピタリと、運転席の裏に向く。

 引き金が引かれ、銃口から二発のパラベラム弾が発射。

 

 

 

 

「ぬぅあーーッ!?!?」

 

 

 運転手のラプチェフの、腹部から飛び出した。

 内臓を貫いたようで、黒い血が銃創よりドロドロと流れ落ちる。

 

 

 

 ハンドルが乱暴に切られ、車内は大きく揺れた。

 

 

「うおっ!?」

 

 

 振り回され、両角はチェリオス共々破壊されたドアの方へ転がる。

 態勢を崩した彼の腕を引き、車体にぶつけさせ銃を手放させた。

 

 これで互いに丸腰だ。

 

 

 

「ぐぁあぁあーーーーッ!?!?」

 

 

 だが撃たれた事で錯乱状態に陥ったラプチェフが、車を右へ左へと暴走させる。

 まるでジェットコースターのようだ。大きく振り回されたチェリオスは両角から離れ、後ろに倒れた。

 

 

「いでっ!?」

 

 

 拘束を解かれた両角はふらふらと身体を起こすと、前方を見てギョッとする。

 

 

 

 

 およそ二百メートル先に、急カーブ。

 今のラプチェフの状態で、正常に曲がれるハズはない。カーブを突破し、クラッシュして終わりだ。

 

 両角は躊躇した後に、車を降りようと決断する。

 怪我は負うだろうが、着ていた上着が厚手な事が幸いだった。これで滑るようにして降りれば、比較的軽傷で済むハズだ。

 

 

 思い立ったがすぐ。

 

 政巳が置いていった、トーキョーカクテルの入ったケースを持つ。

 それから受け身を取る準備を取り、飛び降りようと出口に寄った。

 

 

 チェリオスは自分の後方で倒れている。

 邪魔が入らない内に逃げようと、深呼吸をして心を落ち着かせ、覚悟を決めた。

 

 

 

「残念だったなァ、チェリオスぅッ!! ここでくたばれッ!!」

 

 

 捨て台詞を残し、降りようと膝を伸ばす。

 

 

 

「逃げんじゃねぇぇえーーッ!!」

 

 

 何とか姿勢を安定させ、両角の背中に飛び付くチェリオス。

 だがその抵抗は、彼の左手での裏拳で顔を殴られ、まんまと引き剥がされた。

 

 

 再び後方に吹き飛ぶチェリオス。

 両角はさっさと車から降りようと、前に進んだ。

 

 

 

 

 身体が止まる。

 左手がグイッと、後ろに引かれる。

 

 

 

 ハッと振り返ると、必死の形相のチェリオス。

 自分の左手にかけられていた手錠の、もう片方を、己の左手にかけていた。

 

 

「────ッ!? この……ッ!! イカれ野郎ぉぉおーーーーッ!!!!」

 

 

 車がもう一際大きく揺れる。

 今度は両角の方から、チェリオス側へ転んだ。

 

 その際にケースを手放してしまった。車外に落ちる。

 

 

「トーキョーカクテルがぁッ!?!?」

 

 

 シート上を転がり、チェリオスにぶつかる。

 彼はぶつかられた勢いそのまま、反対側のドアまで倒れた。

 

 

 ドアを開け放ち、手錠を引いて両角を押し出す。

 

 

 

 

「うぉおぉおぉッ!?!?」

 

 

 二人は互いに上半身のみ車外に出した。

 両角は下、チェリオスは上に乗っかっている。

 

 

 降り続く雪が二人を濡らす。

 あらゆる景色が高速で通り過ぎる、時速百キロの世界で両角は叫ぶ。

 

 

 チェリオスは、彼の後頭部を掴んだ。

 そして彼に負けないほどの大声で、宣告。

 

 

 

 

 

「お前は俺の手で殺すと言ったなぁッ!?!?」

 

 

 

 

 

 大きく引いてから、両角の顔面を下へと押し出す。

 

 

 アスファルト上に……暴走中の車の上からアスファルトに、彼の顔面を押し付けてやった。

 

 

 

 

 

 

「うごががががががががががががッ!!?!?」

 

 

 道路中に血のラインが出来る。

 両角の鼻先は抉れ、擦り切れ始めていた。

 

 

 それでも抵抗しようと顔を上げるが、チェリオスは全体重をかけて再び、押し付けた。

 

 

「うらぁぁーーーーッ!!!!」

 

「ぐごげげげげげげッ!?!?」

 

 

 道路上に、彼の歯や骨、髪の毛と思われる破片が散る。

 瞼は切れ、右目の眼球が潰れていた。

 自慢のダックテールは崩されている。

 

 

 それでも抵抗。

 だがチェリオスは押し付けた。

 

 

「ああああどうだぁあああーーッ!?!?」

 

「ぎぎぎぎぐぐぐぎくぐぐぐぐ!?!?」

 

「死ねぇぇぇえーーーーッ!!!!」

 

「ばばばばばばびばばはびばびびび」

 

 

 飛び散った血と、降り頻る雪を浴びながら、叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「JAPANESE DAICON OROSHIiiiiiiii!!!!」

 

「げげげげげげげげ」

 

 

 顔面は擦り減り、鼻先から頰までが無くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 チェリオスは前方を見る。

 既にラプチェフは事切れており、目を見開いたまま項垂れていた。

 

 カーブを目前に、車が大きく傾く。

 

 

「ヤベェッ……!!」

 

 

 まだ微かに息のある両角を、外に放る。

 そしてチェリオスはその上に、スノーボードのように乗った。

 

 

 

「おおおおおお!?!?」

 

 

 人間スノーボードでアスファルト上を滑るチェリオス。

 その前方、死体だけを乗せた車は、カーブのガードレールに直撃した。

 

 

 

 車はクラッシュ。

 

 宙を大きく舞い、カーブの向こうへ飛んで行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナカトミ商事」の広告版がある。

 広告版に据え付けられた足場の上に、三人の男がいた。

 彼らは夜の看板を照らす、電飾の交換作業中だ。

 

 

 

 

 溜め息を吐く、中年の男。

 眼鏡と整った口髭がトレードマークだ。

 

 

「おい、新人さん。あんたどうした?」

 

「……いや。この間の事を思い出してなぁ」

 

「そう言えばあんた……少し前は品川でボウリング場経営していたんだって? その歳で転職ってのも珍しいが……」

 

 

 ヘルメットを外すと、綺麗にセットされたオールバック。

 男は足場に座り、言い辛そうに話し始めた。

 

 

「ヤクザが私のボウリング場で抗争を始めてなぁ。ただでさえ少ない客足が減って、閉店したんだよ」

 

 

 その男とは、ヒラノボウルの元支配人だった。

 

 

「借金もあったし、急いで職を探していたら……ここを斡旋して貰えたんだよ。電気関係の資格もあったからね」

 

「そりゃ大変だったなぁ」

 

「そこのおじさんも、私と同じ新人さんらしいが……」

 

 

 元支配人は、黙々と交換作業をする、髭もじゃの男に聞く。

 話しかけられ、一旦作業の手を止めて話し出した。

 

 

「俺は元ホームレスなんだ」

 

「え!? そうなのか!?」

 

「あぁ」

 

 

 忌々しげに腹をさすりながら、彼も足場に座る。

 

 

「一週間前辺りに公園で寝ていたら、乱暴な外人に腹を踏まれてな。晩飯を吐いちまったんだ」

 

「おぉ……それはお気の毒に……」

 

「腹が空っぽになっちまって……ふと、考え直した。こんな目に遭うなら、もう一度生き直すべきじゃないかと」

 

「………………」

 

「支援団体を頼って、ホームレスを卒業したんだ。俺は工業系の学校を出ていたから、運良く資格はあった。で、ここで働いている。仕事はキツイが……残飯じゃねぇ飯を、毎日食える」

 

 

 感銘を受けたような表情で、元支配人は首を振る。

 立派な彼の行動には、先輩に当たる男も感動していた。

 

 

「あんた、スゲェなぁ……てか、乱暴な外人に腹を?」

 

「あぁ」

 

「奇遇な事もあるんだなぁ。俺も歌舞伎町で泥酔して吐いてた時に、知らない外人に殴られたんだ」

 

「本当かよ?」

 

「ゲロに顔突っ込まされた。思い出しただけでえずいちまうぜ」

 

 

 言ったそばからえずく。気分が悪くなったのか、先輩も座り込んだ。

 

 二人の話を聞き、元支配人は感慨深そうに遠くを見やる。

 

 

「人生、色々あるんだなぁ……」

 

「あんたもなかなかハードだぞぉ?」

 

「元ホームレスのおじさんには敵わないよ」

 

 

 自嘲気味に、元ホームレスは笑った。

 

 先輩は看板から少し離れた所を指差す。

 番の猫が、交尾をしていた。

 

 

「なんて時期に交尾してやがんだ!」

 

「発情期は暖かい時期だって聞くんだけどねぇ……」

 

「猫は気ままだ。寒い冬でもヤりたくなる時ぐらいあるんだろう」

 

 

 元ホームレスのジョークに、二人も笑う。

 

 

 

 人生は色々あるのだなと、元支配人は思った。

 だが今ここにいる事を、ドン底とは思わない。

 

 誰かの為に働き、役に立つ。そんな仕事をしていると実感すれば、心が晴れ渡る。

 

 

 小さな幸せを噛み締めるように、交尾中の猫から視線を持ち上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 ガードレールに衝突し、クラッシュした車が空を飛んでいた。

 

 それは真っ直ぐ真っ直ぐ、彼らの方へ突っ込んで来る。

 

 

 

 交尾に必死な猫二匹の頭上を通り、看板へ。

 

 三人は目を見開き、大急ぎで足場から飛び降りた。

 

 

 

 

「うわぁぁぁぁーーッ!?!?」

 

「なんだぁぁぁーーッ!?!?」

 

「ひぃい!?」

 

 

 三人が飛び降りたと同時に、車は看板と衝突。

 そのまま支柱を破壊し、轟音響かせ地面に押し倒す。

 

 

 

 ショートした電飾の火花が、漏れたガソリンに引火。

 

 

 

 

 

 看板と近場の雑草を巻き込み、大爆発する。

 

 黒煙と紅炎、爆風と破片。

 それらを浴びて、それを背景にして、男三人は大口を開けて走っていた。

 

 

 

 猫が絶頂する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……うぁ……」

 

 

 道路上に、大の字で倒れているチェリオス。

 意識を取り戻し、満身創痍の状態で立ち上がった。

 

 

 遥か遠くに、黒煙が立ち上っている。

 乗っていたら死んでいたと、肝を冷やした。

 

 

 

 

 左手に自らかけた手錠は、鎖の部分が破損し、片方と離されていた。

 

 

 近場を見やる。

 擦り切れた顔面を地面に付け、血溜まりの中沈黙する、両角の姿。

 

 左手に、手錠はかかったまま。

 彼の顔から後方にかけて、色々と肉片が混じった血の轍が出来ていた。

 

 

 

 立ち上がり、近寄り、彼を爪先で小突いてみる。

 ピクリとも動かない。さすがに死んでいた。

 

 

 

「……………………」

 

 

 心臓に鋭い痛みが走る。

 

 だがチェリオスは、苦痛を表情に出さず、どこかへ歩き出した。

 

 

 雪は止まない。

 チェリオスを隠すように、更に降り頻る。

 

 彼は白銀の中に、身を溶かした。

 

 

 

 

 

 

 

 まだ終わっていない。

 

 伝えなくては。全てが、終わった事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バラライカらもとうに去った、香砂邸。

 到着したSITが、邸内に突入していた。

 

 

 中は死体だらけだ。

 構成員と思われる者から、半グレらしき若者たちまで。中国人もいた。

 

 

 血と硝煙の臭いが立ち込める中、奥の座敷に到着。

 蹲っていた、一人の男を発見した。

 

 

「生存者! 救急、早く!!」

 

 

 隊員は彼を抱き起こす。

 涙と鼻水だらけの顔で、景山が起き上がった。

 

 

「大丈夫ですか? 立てますか?」

 

「ぅぅぅ……! 会社に行かせてくれ……!」

 

「今日は休んでください」

 

 

 腰が抜けて立てなかったようで、救急隊が持って来た担架で搬送された。

 隊員たちは、更に奥へと進む。

 

 

 

 

 

 

 座敷の中で、誰かの手がブルブルと、震えながら上がった。

 

 血と煤だらけのその手を、隊員が取ってやる。

 

 

 

 彼の傍らには、ニューナンブが落ちていた。



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Can't Meet Again, Never Meet Again

 心電図は、一定のリズムで波を作っている。

 顔は全て包帯で覆われ、唯一隙間が作られた口には、呼吸器が差し込まれていた。

 

 点滴や機材に繋がれたその男、坂東は未だ目が覚めない。

 

 

 傍らに置かれた椅子に、雪緒は座る。

 銀次と吉田が見守る中、彼女は坂東の枕元まで顔を近付けた。

 

 

「……坂東さん。お身体の具合はいかがです?」

 

 

 何も言わない。

 浅い呼吸だけが、繰り返されるだけだ。

 

 

「ちょっとバタバタしちゃっていまして……お見舞いが遅れてすいません。今日は、ご報告に来ました」

 

 

 穏やかな口調と表情で話しかける雪緒。

 だが彼女の後ろに立つ銀次、吉田は浮かない顔付きだ。

 

 

 二人のそんな、縋るような目線に気付いているのか、いないのかは分からない。

 雪緒は言葉を探すように下唇を噛み、意を決して口を開いた。

 

 

 

 

「……今夜の総会で、正式に私が総代となります」

 

 

 その言葉を聞いた途端、銀次も吉田も顔を思わず伏せる。

 およそ認めたくはない、突き付けられた現実。受け入れるにはまだ、時間が足りなかった。

 

 

 

 彼女の言う通り、鷲峰雪緒は鷲峰組の「組長」を継承する。

 本来ならあってはならない、事態でもあった。

 

 

「……坂東が動けなくなってから、組は分裂寸前です。香砂会にも我々とホテル・モスクワの関係が露呈し、そのホテル・モスクワも我々との共闘を反故にしました」

 

 

 膝の上に置いていた手を、坂東の包帯だらけの手に重ねた。

 

 

「……もはや辺際(へんざい)。来るべき抗争に備え、組を纏める必要があります……勿論、銀さんや吉田さん、他の幹部の方のお気持ちは重々承知しております」

 

 

 ギュッと、重ねられた彼女の手が強く握られる。

 心電図は一定のリズムのまま。反応はない。

 

 

「……その上で、意思を固めた次第です。組の存続が危ぶまれる今になっても、私は無関係でいたくはありません。鷲峰の為に戦い、そして去って行った方々に報いる為にも……立ち上がるしかありません──立ち上がり続けるしか、ありません」

 

 

 点滴が涙のようにパックからチューブへ滴る。

 それのみが彼の栄養を保持していた。心なしか、身体が痩せ細っていた。

 

 

「…… ただ、坂東さんの了承が得られない事、それだけが心残りではあります」

 

 

 弱々しく微笑む雪緒。

 

 銀次は彼女の手を見てハッと、息を呑んだ。

 坂東の手を握る、雪緒の白く細い手が、震えていた。

 

 

 気丈に振る舞う雪緒の心の内に、銀次は気付いてしまう。

 怖くて仕方がない。落ち着かなくて仕方がない。それを無理やり押し付け、笑ってみせていた。

 

 

 

 ここに、任侠の真髄を見たり。

 故に銀次は、悲しかった。

 

 

「……出来る事なら、色々とお話を伺ってみたかったです。組を背負い、義に尽くした者の生き様と矜持を……聞いてみたかった」

 

 

 眼鏡を持ち上げ、指先で目を掻いた。

 いや掻いたのではない。僅かにでも潤んだ目を拭っていた。

 

 

「……坂東さんなら、私の決定を受けて入れてくださったのでしょうか。それとも、父との約束を守るべく反対して、くださったのでしょうか」

 

 

 応答はない。言葉にしても、態度にしても、何も示さない。

 包帯の下にある顔さえも、どのような表情か検討もつかない。

 

 

 目の前まで来ているのに、まるで別人と話しているかのよう。

 雪緒はそれが悲しく、辛い。坂東の考えに反し、物事が変わった今の状況が悔しい。

 

 沸き起こる情動を抑え、雪緒はただ目一杯、笑ってみせた。

 

 

 

 

「……せめて……ご理解いただけますよう、願っております」

 

 

 その一言を最後に、彼女の手は坂東から離れた。

 小さく息を吐き、肩の力を落とす。気を持ち直してから、雪緒はゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 くるりと、振り返る。

 儚い笑みで、二人を見た。

 

 

 

 

「……学校まで、送って行っていただけますか?」

 

 

 彼女にとって、最後の登校となる。最後の日常ともなる。

 

 せめてその時間を多く作ってやらねば。

 昨晩からそう決意していた銀次だが、土壇場で揺らぐ。

 

 

 

 

 本当にこれで良いのか。

 

 組の為、血縁だからと言う理由で、一人の少女を最期場に立たせるのか。

 

 可能性を自分なりに模索した。だが道筋を見つけられるほど、自分は利口ではないと絶望した。

 

 組長が生きていれば。奥方が生きていれば。香砂会の前会長が生きていれば。坂東が事故に遭わなければ。ロシア人と組まなければ──結果自分の頭では、悔やむ事しか出来ない。

 

 

 

 立ち尽くす彼らの前で、雪緒は明るく振る舞う。

 

 

「……ほら! 午前の授業が終わってしまいますから!」

 

 

 

 顎を撫でた後、了承したように会釈する。

 

 やめてくれ。

 

 

「……お嬢」

 

 

 全てを受け入れ、自分を納得させた。

 

 もうやめてくれ。

 

 

「……それじゃあ……」

 

 

 せめて彼女の、最後の日常を噛み締めさせる為に。

 

 違う。違う。

 

 

「…………行きましょう」

 

 

 

 

 頭と心が一致しない。

 それでも何とか口だけは、繕うよう努力する。

 

 

 

 もう、どうしても無理なんだと、祈り縋る自分自身を殺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途端、廊下で騒ぎがあった。

 

 

「ちょっとぉ!? 警察呼びますよ!?」

 

「何でアンナカ!? アンナカ全部持って行かれた!!」

 

「うわっ! アンナカ鼻から吸いやがった!?」

 

「ナース服着た椎名林檎みたいに窓ガラス割りやがった!!」

 

「上田さん。ヒーローになるチャンスですよ」

 

「い、いや。今日は、雪で古傷が……イテテテテ〜」

 

「院長だッ! 院長に戦わせろッッ!! へけッッッッ!!!!」

 

 

 何かが破壊されるような音を鳴らしながら、ズンズンと迫る異様なオーラ。

 三者が何事かと注目していると、扉が開いた。

 

 

 

 

 

 現れた人物の姿を見た時、雪緒は驚きから声をあげる。

 

 

「あ……あなたは……!!」

 

 

 

 

 彼女達の前に現れた人物とは、鼻をアンナカで真っ白にしたチェリオスだった。

 

 

 

 おかしいのは、付着したアンナカだけではない。

 

 着ているスーツはボロボロ。しかも血や泥に塗れ、雪で濡れ、硝煙の臭いを漂わせている。

 そんな人物が来たとあって、警戒しない者はいない。

 

 

 

 

「……良かった。いたぜ」

 

 

 鼻を拭い、愕然とする雪緒らの方へと、肩を怒らせながら歩み寄る。

 即座に彼女を庇い、前に立つ銀次と吉田。

 

 

「お嬢! 下がってくだせェッ!!」

 

「なんやワレェッ!? お嬢に指一本でも触れたらタダじゃおかんぞォッ!!」

 

 

 銀次は巨躯を利用して壁となり、吉田は懐に隠していた銃に手をかける。

 

 

 一触即発の空気となった集中治療室。

 だがチェリオスは、彼らの数歩手前で立ち止まり、手錠のかかった左手を上げる。

 

 

 

 もう片方の手には、ベコベコに歪んだジュラルミンケースを握っていた。

 チェリオスは首を振り、喧嘩をしに来た訳ではないと示す。

 

 

「違う。話をしに来たんだ」

 

 

 とは言え相手は異国の人物。何を言っているのか分からない。

 怪訝な顔のまま、警戒を解かない銀次と吉田。その様にヤキモキしつつ、彼は廊下に向かって怒鳴る。

 

 

「おい通訳ッ!! さっさと来やがれッ!!」

 

 

 

 

 入って来た人物は、上半身に彫った鮮やかなタトゥーを、惜しみなく曝け出している外国人の男。

 全く知らない人物の為、寧ろ警戒心を高めさせた。

 

 

「いや誰や!?」

 

「よぉ。さっき病院の前で、この人と知り合った者だ。アメリカで生まれ、東京で十五年も住んでいるから英語も日本語も得意なんだ。通訳は任せろ。あとこないだデビューした、リンキン・パークってバンドのボーカルに似てるって言われるが、俺は別人だ」

 

「何やねん、この都合の良い奴……」

 

「趣味は競馬。グラスワンダーの引退式は絶対に行くぜ」

 

「いや知るかい!」

 

 

 銀次がツッコミまくる吉田を宥めさせる。

 場が落ち着いたところで、チェリオスは通訳を介して雪緒に話しかけた。

 

 

 

 

「……久しぶりだな。ユキオ……」

 

「クリスマス……さん?」

 

「違う違う……俺は、シェブ・チェリオスだ。西海岸で殺し屋をやっていた」

 

 

 ちらりと、包帯だらけで眠る坂東を見やる。

 

 

「……ワシミネのトップがここで入院しているって聞いてな。もしかしたら君はここにいるかもって……仲間から教えて貰ったんだ」

 

 

 ランボルギーニで政巳らを追い回していた時に、ツギオン君が教えてくれた。

 どうやらディープ・スロートは、彼女がここに来ると言う事も予想していたようだ。

 

 

 銀次は、傷だらけで微笑むチェリオスを見た。

 何があったのかは分からないが、大変な事をして来たのか。それは彼と、同じ穴の狢である自分には察せた。

 

 

「その傷に血は……戦争でもしたんですかい?」

 

「あぁ。俺が来たのは、それだ」

 

「なに……?」

 

 

 

 彼がここに来た理由は一つ──伝える為だ。

 

 

 

 

「……コーサは壊滅した。俺が、俺たちが、ボスも腰巾着も何もかも……潰してやった」

 

 

 それを聞いた途端、三人は同じ顔で驚く。

 真っ先に声を上げたのは、吉田だった。

 

 

「香砂政巳をやったんか!? う、嘘やろ!?」

 

「嘘じゃねぇ。テレビか何か確認して来い……今頃、ニュースで大騒ぎだ」

 

 

 確か病院のメインエントランスにテレビがあったなと思い出す。

 銀次は吉田に目配せし、見て来るよう頼んだ。

 

 

 おずおずとした様子で集中治療室を出て行く吉田。

 彼を見送った後、再びチェリオスは雪緒へと視線を向けた。

 

 

「……ボウリング場での一件は、すまなかった。俺が潰したかったのはコーサなんだが……ちょいと不手際でな。あんたもすまねぇ」

 

 

 二人に謝罪をする。

 衝撃から呆然としていた雪緒だが、やっと気を落ち着かせたようだ。ゆっくり、チェリオスに話しかける。

 

 

「……どうして、香砂会を潰したかったのですか?」

 

 

 彼は自分の心臓がある箇所を、親指で突く。

 

 

「俺はやつらに、毒を打たれた」

 

「……え?」

 

「毒の効果を遅れさせつつ、復讐の為に東京中を走り回っていたんだ……君が渋谷駅でアンナカを拾ってくれなきゃ、俺は死んでいた」

 

「アンナカって何ですか……?」

 

 

 雪緒の疑問を、通訳は聞き逃した。

 構わず説明を続けるチェリオス。

 

 

「君は俺の……命の恩人なんだ。だから君がワシミネの人間と知って……ちょっかいかけてるって言うコーサを潰そうと、決意を更に固めた。俺の為でもあり……君の為でもあった」

 

 

 信じられないと言いたげに、雪緒は口元を押さえた。

 それだけで人の為に命を張れるなど、考えられなかったからだ。

 

 

「そんな……そこまで、ボロボロになってまで……?」

 

「あぁ。そして俺は、やってやったんだ」

 

 

 二人を眺めながら、弱々しく微笑む。

 

 

 

 

「これで、ワシミネは自由だろ?」

 

「…………何が、自由だ……」

 

「……あ?」

 

 

 サングラス越しに、覇気を込めて銀次は睨む。

 醸し出す怒気を悟った雪緒は彼を止めようとするも、それより先に銀次はチェリオスに詰め寄った。

 

 

 胸ぐらを掴み、眼前まで顔を寄せる。

 ただチェリオスは、無表情で彼の言葉を聞いていた。

 

 

「自由なんかねェんだ……ッ!! 香砂会が死んでも、その上には関東和平会ってのがいんだ……ッ!! 和平会には政巳の野郎が盃交わした奴らが多くいる……ッ!!」

 

「銀さん! 離してください!」

 

「てめぇが俺らと繋がっているって知られちゃあ、終わりだろが……ッ!! 和平会は報復に動くッ!! ノコノコこんなトコに来やがって……ッ!!」

 

「銀さんっ!!」

 

 

 銀次に縋り付こうとする雪緒を、チェリオスは手で制した。

 彼は表情を一切変えず、淡々と説明をする。

 

 

 

 

「コーサを襲ったのは、馬の骨で出来た鉄砲玉どもと、三合会だ。そんだけの死体を見りゃあ、そのワヘーカイってのも『三合会による報復』って思い込むだろ。実際、コーサは三合会とイザコザがあったんだ」

 

「なんだって……!?」

 

「日本のヤクザが三合会に文句は言えねぇ。泣き寝入りで終わりだ」

 

「だが、てめぇがここにいちゃ……」

 

「俺はここへ……『アンナカを盗りに来た』だけだ」

 

 

 ディープ・スロートはそれが分かっていた。

 だからわざわざ、鷲峰邸ではなく、「坂東が搬送された病院」の場所を示した。

 

 雪緒らに会えるのかは、二分の一の確率だ。チェリオスは最後の最後で、幸運を引き当てた。

 

 

「それに俺のアシは付かねぇ。俺はこのまま消える」

 

「消える……? 消えるって、チェリオスさん……まさか……!」

 

 

 先ほどの毒の話が想起され、雪緒は察する。

 首肯してから、チェリオスは言い切った。

 

 

 

 

「……解毒剤はこの世に存在しない。俺は今日中に死んで、いなくなる」

 

「ッ!?」

 

「だからワシミネとの関係は知られない。俺は誰も来ない、静かな場所で死ぬ。後腐れはなく、な?」

 

 

 銀次はやっと、手を離した。

 死の怯えを見せず、乱れた襟を整える余裕さえ見せ付けるチェリオスに、震撼さえ抱いていた。

 

 

 衝撃から言葉を忘れてしまった彼に、チェリオスはニヤリと笑う。

 

 

「だから大丈夫だ」

 

 

 

 

 彼の言葉を次に否定したのは、雪緒だった。

 

 

 

「……大丈夫では、ありませんよ」

 

 

 銀次を押し除け、彼女はチェリオスの前に立つ。

「お嬢!」と言い、間に入ろうとする彼を無視し、怒りの篭った口調で詰め寄る。

 

 

「任侠組織が大丈夫でも、ホテル・モスクワはどうするんですか……!?」

 

「………………」

 

 

 ホテル・モスクワは鷲峰組のみならず、香砂会も飲み込み東京を制圧するつもりだ。

 位で言えば、日本のヤクザよりも圧倒的に組織力がある。香砂会が潰れた今、牙を向けて来る存在はロシアだ。

 

 

「香砂会の空席を、あの人たちは今頃奪い取っている頃でしょうね……!? あなたは知らない事ですけど、もう鷲峰組はホテル・モスクワとは一切の関係はない……寧ろ、敵にすら認定されているんですよ……!!」

 

 

 皮肉な事に、今度は銀次が彼女を止める番だ。

 

 

「お嬢! 落ち着いてくだせェ……!!」

 

「そうなればどの道、鷲峰組は終わりなんですよッ!!」

 

 

 堪え切れず、大粒の涙を溢す。

 激情を見せた彼女は、自分の背丈の数倍もあるチェリオスを睨む。

 

 チェリオスは何も言わず、曖昧な表情で受け止めた。

 

 

「私の父が遺した一切が塵芥のように消され、存続の為その身を犠牲にした方たちの思いが、覚悟が、無碍にされる……!!」

 

「……ユキオ……」

 

「過去だけじゃない、これからもッ!! 鷲峰に今も尽くしている人たちはどうなるのですかッ!? あなたなら分かるハズ……ッ」

 

「………………」

 

「……この世界に一度でも入れば、もう表の世界に居場所なんて無いんですよ……ッ!!」

 

 

 チェリオスが介入するよりも前に、ホテル・モスクワは単身で香砂会を翻弄していたと言う。

 その証拠に、敵わないと知るや否や交渉へと持ち込もうとしていた。

 

 ラプチェフがバラライカらを殺し、政巳らと提携を結んでいたらと考えると恐ろしい。

 

 

 だが実際は、「バラライカに席を渡した事が、それらよりも恐ろしい」。

 彼女が何をしでかすのか。交渉を反故にした事を理由に、鷲峰を潰しにかかるハズだ。

 

 

 バラライカが欲しているのは、鷲峰の破壊ではなく、戦争だ。

 

 

 

 

 香砂会が無くなり、禍根が過去のものとなっても、ただ香砂会がホテル・モスクワに変わっただけ。

 どの道、存続の希望は潰えた。

 

 

 

 

 銀次は雪緒の叫びを聞き、一つ確認する。

 

 

「お嬢……もう香砂に関係なく、跡継ぎになる気なんですかい……?」

 

「……先の一件で、組は分裂寸前。纏め役だった坂東さんも倒れて……もう、私も、どうしたら良いか……!」

 

「………………」

 

 

 立ち尽くし、泣きじゃくる雪緒。

 気丈に振る舞い、恐怖を押し隠しここまで来た、彼女の年相応な姿。

 

 

 

 

 チェリオスは黙った。

 黙って黙って、一度目を瞑る。

 

 

 アンナカを吸い、目を開けた。

 

 

 

 

 

「ふざけんじゃねぇ」

 

 

 

 

 乱暴な口調に、雪緒は驚きから顔を上げる。

 チェリオスは少しだけ後悔したように天を仰いでから、開き直ったように捲し立てた。

 

 

「ハッキリ言っといてやる、聞きやがれ青二才がぁ。君は柄じゃねぇんだ、自覚あんのか?」

 

「……!?」

 

「自分はボスの娘だからイケるって勘違いしてんのか? あ?」

 

 

 指を突き付け、断言する。

 

 

 

 

「自惚れんじゃねぇ、バぁカタレがぁ」

 

 

 転調したように雪緒に対しても言葉汚く罵り始めたチェリオス。

 唖然とする雪緒の背後から、銀次が止めに入ろうとした。

 

 

 彼を一瞥する。

「止めるな」と、真摯な瞳をしていた。

 

 

「……!」

 

 

 思わず銀次は、足を止める。

 話は続く。

 

 

「ノウハウも知らねーガキがボスになったトコで、足手まといなんだよ。どっち道どいつもこいつも死なせるだけで、ワシミネに泥塗って終わりだ」

 

「そんな……!? 私は……!」

 

「それになぁ? えぇ? 俺はホテル・モスクワ側に味方がいんだよ」

 

「……えぇ!?」

 

 

 ディープ・スロートの事だが、これから言う事に関しては希望的観測に則った口から出まかせだ。

 だが、嘘でも良い。雪緒から杞憂を払拭したかった。

 

 

「そいつに掛け合ってやりゃ、イワン共はワシミネに手を出さねぇ。俺のお陰だぞ? あ? 感謝しやがれコラ」

 

「……!?」

 

「それでも報いる為だとかでボスになるってんなら、赤っ恥コイて終わりだ。あと正直なぁ? 誰かの為だとか言うマフィアのボスってのはな? 向いてねぇんだよ。俺の経験則で言ってるけどなぁ、的外れじゃねぇ。分かったか? 君がボスになったら、逆に迷惑なんだスカタン」

 

「そ、そんな言い方ないじゃないですか!?」

 

「こんな言い方しかできねぇほど君は酷いんだっつの」

 

「酷さで言ったら、チェリオスさんの方が酷いですよ! 暴力はやめてって約束したのに、すぐ破ったり!!」

 

「んな約束してねぇ」

 

「しましたっ!!」

 

 

 チェリオスの憎たらしい言葉回しに、躍起になって突っかかる雪緒。

 そんな彼女の様子を見て、銀次は思わず吹き出した。

 

 

 泣き止んでいて、いつも通り……年相応に見えたからだ。

 

 

 

 雪緒に元気が戻ったと気付いたチェリオスは、厳しい表情を緩めた。

 

 

 

 

「……捨てなくて、良いんだ。君がいる限り……ワシミネは途絶えねぇ」

 

 

 しゃがみ込み、雪緒と視点を合わせる。

 ちょっと怒った表情の彼女の肩を掴む。

 

 

 驚き顔で、あどけなく見つめる雪緒。

 

 

 

 チェリオスは、今にも泣き出しそうな顔で訴えた。

 

 

「あぁ、そうだッ!! 普通で良いッ!! 君は、普通で良いんだッ!! 君の存在がワシミネにとっての『夢』だッ!! 分裂なんかしねぇ、君が繋ぐんだッ!!」

 

 

 

 

 口を震わせ、「だから」と続ける。

 

 

 

 

君は生きろ(You're Live)ッ!!」

 

 

 肩を揺さぶり、訴えた。

 

 

 

 

 

 

生きろ(Live)ッ!!」

 

「……ッ!!」

 

 

 黙り込み、目を見開く雪緒。いつの間にか、涙はなくなっていた。

 

 一通り叫び、満足したチェリオスは彼女から手を離し、立ち上がった。

 

 

 

 足元に置いたケースに、目配せする。

 

 

「……だが、トップが不在の状況は大変だろうな。だからこいつは、餞別だ」

 

「これは……なんです?」

 

「……トーキョーカクテル。世界最高の毒だ……俺に打たれたな?」

 

 

 ケースを取り、中を開いて見せ付ける。

 車から落としたものの、注射器は全て無事だった。

 

 

 驚く彼女らの前で再びケースを閉めて、雪緒の足元に置く。

 

 

「世界中のマフィアが、これを欲しがっている。ケースの中にはそのコネとルートのデータも入っている。こいつを元手に、組を立て直せば良いし……ホテル・モスクワがちょっかい掛けんなら、良い交渉材料にもなる」

 

 

 次にチェリオスは雪緒を軽く退けさせ、銀次に近付いた。

 

 

 握手を求め、手を差し出す。

 

 

「……あんた……一体、何モンなんだ……?」

 

「何者でもねぇ……俺なりに筋を通しただけだ」

 

「…………とんでもねェな。あんたこそ、任侠そのものだ」

 

 

 銀次はゆっくりと手を出し、硬く彼の手を握った。

 合わせてチェリオスも、硬く握り返してやる。

 

 

 

 

 

「……ユキオを幸せにな」

 

「えぇ……え?」

 

「……俺は手を引く。頼んだぜ」

 

「…………とんでもねェ勘違いされているような気が……」

 

 

 チェリオスはまだ、彼を雪緒の婚約者だと思っていた。

 そうとは知らずに聞き返す銀次だが、彼は手を離して背を向ける。

 

 

 

 

「チェリオスさん!」

 

 

 出て行こうとする彼を、最後に引き留めた。

 横顔だけ向ける。悲しそうな表情の、雪緒がいた。

 

 

「…………死なないでくださいよ……」

 

「………………」

 

 

 振り向き、優しく微笑む。

 

 

 

 

 何も言わずに、彼は病室を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入れ違いで、担当医がやって来る。

 酷く狼狽した様子で、空手の構えを取っていた。

 

 

「アンナカハゲは!?」

 

「え。えと……出て行きました」

 

「そうなんですか!? あのハゲめッ!! 渋谷駅前で、折角買った高い花束を奪いやがった奴だったんだッ!! 送迎会に遅れて赤っ恥のコキっ恥だクソッ!!」

 

「あ、あの……」

 

「……ハッ!? あの、も、申し訳ありません!」

 

 

 一人で暴走していた担当医だが、冷静さを取り戻すと坂東の元へと近付いた。

 

 深刻な顔付きで、銀次らを見やる。

 

 

「……傷は治癒しているものの、頭部への損傷が激しく……もしかしたら、二度と目を覚さないかもしれません」

 

「……どうにか、ならないンですかい? 先生」

 

 

 力なく、首を振る。

 覚悟していた事とは言え、突き付けられれば沈痛の思い。悲しげな目で、坂東を見やる。

 

 

「……せめて。お顔だけは伺えるよう、顔の包帯を外します。よろしいですか?」

 

 

 雪緒らの了承を得た後、担当医は坂東の顔に巻かれた包帯を取り始めた。

 最中、二人に注意をする。

 

 

「事故の影響で、顔が変形している可能性もあります。心の準備を……」

 

 

 スルスルと包帯を解き、坂東の顔が露になる。

 担当医が離れて、二人も彼の顔が伺えるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒板五郎に似た男の顔だった。

 銀次と雪緒は同時に「は?」と声を上げる。

 

 

「え? あの……え? これ、坂東さん?」

 

「やはり、お顔が変形なさっていましたか……」

 

「いや変形と言いますか、もう別人なんですけど?」

 

 

 しかもこの謎の人物、あっさり目を覚まして身体を起こし、えずきながら呼吸器を勝手に外した。

 全然元気だ。

 

 

「あー……人が治療している、まだ最中でしょうがッ!」

 

「坂東さんじゃない……!?」

 

「と言うか……元気じゃねェかッ!?」

 

「あれーー!?」

 

 

 間抜けな顔で驚く担当医を、銀次は責め立てる。

 その時集中治療室に、これまた同じ顔の男がやって来た。

 

 

「兄ちゃんっ!!」

 

「お兄さん!? て言うか、同じ顔!?」

 

「双子なんです! 僕ぁ、ここで救急隊員として働いています!」

 

「はい?」

 

 

 黒板五郎と槙原政吉に似た双子は抱き合い、無事を確かめ合う。

 昔の映画のスターシステムのようで、同じ俳優が同じ作品で別の役柄を演じていたような混乱だ。

 

 お兄さんの方が感慨深そうに、銀次に話しかけた。

 

 

「俺ぁ、オグリキャップのラストランを見れるまで、死ねないんです! 悪いが時間くれねぇかな!?」

 

「……オグリキャップの引退試合はもう十年も前でしょうよ……」

 

「ならぁ、オグリキャップが美少女になるまで!」

 

 

 坂東だと思っていた人物が、坂東ではなかった。

 なら坂東はどこに行ったのかと、二人は顔を見合わせる。

 

 

 

 

「……じゃ、じゃあ、坂東さんは……!?」

 

 

 混沌とする集中治療室の空気の中、通訳を請け負った男はお弁当を食べていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院を出ようと、廊下を歩くチェリオス。

 患者と思われる者とすれ違った後、思い出したかのように顔を顰めた。

 

 

 

 

 

「……ツギオン君、どこ行った?」

 

 

 もう会う事はないと踏み、特に気にもかけず歩き続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 果たして、坂東 次夫(つぎお)はどこに行ったのか。




「二度と会えない 二度と会わない」
「シャ乱Q」の楽曲
1998年発売のアルバム「孤独」に収録されている。
つんく♂がフロントマンとして有名な、90年代を盛大に賑わせたスーパーバンド。一途なまでに女々しい、男の恋心を歌わせれば一級品。
因みにバンド名は、結成前にメンバーがそれぞれ所属していた三つのバンドの名前から一文字ずつ拝借したもの。

泣き叫ぶようなギターサウンドから入る、甘く悲しげなエレジー。
覚悟しているつもりで覚悟し切れなかった男が迎えた、別れの日の歌。


・あと二話で終了


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Falling Snow At the End of Millennium

「千年紀末に降る雪は」
「キリンジ」の楽曲。
2000年発売「3」に収録されている。
文学的なリリックと、複雑ながら洗練されたサウンドに定評のある兄弟ユニット。星野源が「キリンジの曲しか聴かない時期もあった」と、彼らからの影響を公表している。壇蜜も好きみたいです。

兄と弟どちらが手掛けるかで作風が変わる点もまた特徴。この曲は捻くれ者で技巧派の兄・高樹による物で、クリスマスソングらしく華やかで優雅ながら、浮かれる街の影に寂しく堕ちて行く、退廃的な雰囲気を醸し出している。
弟・泰行による色香が強い歌声も必聴。


 朝から降り始めた雪は次第に強まり、視界さえ危ういほどまで強まった。

 白く積もり行く道、鈍色雲の空、濡れて黒くなるアスファルト。街の景色はモノクロに染まっていた。

 

 

 高速道路の高架下、川沿いのひと気のない原っぱ。

 呻き声をあげながら、起き上がる男一人。

 

 傷だらけの顔を上げたのは、香砂政巳だった。

 

 

「……うっ……ぐぅ……! あぁ、痛え……!」

 

 

 起き上がってすぐに感じたものは、全身にヒビが入っているのではないかと思うほどの痛み。

 すぐに頭を冴え、政巳は立とうとする。

 

 

 だが身体は動かせなかった。

 全身が縛られ、背後に置かれた大型のバイクに繋がれている。

 

 どうにか外そうと試みるも、バイクは重くのし掛かっている上、足や手首も硬く縛られていた為に一寸も動かせない。

 それ以前に身体中に走る激痛が、筋肉に力を加える事を阻害していた。

 

 

「な、なんだこりゃ……!」

 

 

 白い息を吐きながら、寒さで身体を震わせる。バイクがまだ暖かいので、凍死は免れそうだが。

 拘束を解こうと努力したがらも、自分の身に何があったのかを思い出した。

 

 

 

 

 そうだ。自分はチェリオスによって、走行中の車から突き落とされたのだった。

 だが落ちた際の受け身が良かったのか、厚手の着物のお陰か、死なずに済んだようだ。

 

 

 しかし今、ここでバイクに縛り付けられ、放置されている。

 誰の仕業なのかを考えてみれば、チェリオスしか出て来ない。

 

 

「お、おいッ!? 誰かッ!? 誰かァ、いねェのかッ!?」

 

 

 通行人はいないのかと辺りを見渡しながら叫ぶが、人っ子一人見当たらない。

 それどころか吹雪により、辺りは白銀の世界だ。遠くまでが全然見えない。

 

 

「チクショウめがッ!! おいッ!! シェブ・チェリオスッ!! 貴様かァッ!? 姿を現しやがれッ!!」

 

 

 応答はない。

 怒りに任せて、もう一度叫ぶ。

 

 

「姿を現しやがれってんだッ!! この、イカれポンチがァッ!! 近くにいるンだろッ!?」

 

 

 応答はない。

 声を若干枯らしながら、怒鳴る。

 

 

「おい出て来いッ!! 出て来やがれ薄らボケェッ!!」

 

「慌てなさんな。ずっとここにおるって」

 

「ッ……!?」

 

 

 聞こえて来た声は英語ではなく、日本語。

 声は政巳の後ろ、つまりバイクを隔てた向こうから聞こえた。

 

 

「誰だテメェッ!? チェリオスの仲間かッ!?」

 

「仲間……フッ。仲間なんでしょうかね。儂ァ、知らん内にアレの舎弟なっとったようでしてなぁ? アニキぃ、アニキぃ言うてましたんよ。おかしい話ですわなぁ!」

 

「何言ってやがる……!?」

 

「ハハ! ハハハ!」

 

 

 乾いた笑いが聞こえて来る。

 それはすぐにピタリと、止まった。

 

 

 

 

「……儂が慕うんは、組長(オヤジ)だけや。今も昔も、組長の為に尽くして来た。誰かのせいで外道と言われようが、なァ?」

 

 

 

 独白が済むと、声の主は立ち上がり、政巳の方へと歩み出す。

 羽織っていたボロボロのコートを、寒がっている彼へ被せてやる。

 

 

「寒いでしょう、これで堪忍してくだせェ」

 

「て、テメェは……!?」

 

「ちょいと懐、失礼しやすよ」

 

 

 政巳の着物の懐から、タバコとライターを取った。

 ライターが点火出来ると確認した後、タバコを見やる。

 

 

「……こいつはアカンなぁ。天下の香砂の会長はんが、こないな安タバコ吸っちゃァ、他に示しつかんでしょうや?」

 

 

 銘柄はエコー。

 勝手に取っては彼から背を向け、口に咥えて火を付ける。

 

 久しぶりのヤニだ。じっくり味わうように吸っていた。

 

 

 紫煙が吹雪に混ざる様を見ながら、政巳は殺気の籠った目で男を睨む。

 

 

「テメェ……! チェリオスと組んでやがった……ミイラ男じゃねェか……!」

 

 

 煙を吐きながら、男は政巳の方へ振り向く。

 目と口以外を包帯に覆われた、顔の知れない不気味な風貌だ。

 

 

「……ハハッ。ひっさしぶりに暴れさせて貰いましたわ。もう歳や歳や思っていたもんやが……儂もまだまだイケるんですな」

 

「お前……誰だッ! どこの組のモンだッ!?」

 

「声聞いても分からんのですか? デッカい屋敷でふんぞり返って、命令だけ届けるような事しとるから相手の声も覚えられへんのですよ」

 

「なんだと……ッ!?」

 

「顔は忘れてへんでしょう」

 

 

 男は顔に巻かれた包帯を、おもむろに外し始めた。

 するりするりと解け、風に攫われどこかへ消える。

 

 

 目の当たりになった彼の顔を見て、政巳は目を見開き、歯をガチガチと鳴らす。

 良く知っている顔だった。故に衝撃的だった。

 

 

「お、お前は……ッ!?」

 

 

 

 

 傷と痣、そして何日も手入れをしていないのか、髭も濃かった。

 だがその鋭い眼差しと、窶れた顔付きに見覚えがあった。

 

 

 男の名前は、ツギオン君。

 

 

 

 いや。その本名は、鷲峰組「若頭」────

 

 

 

 

「……久しいですなァ。『坂東 次夫(つぎお)』です……就任式以来ですか?」

 

 

 

 

 

 

BLACK LAGOON

 Fujiyama Gangsta Paradise

 

 

 

 

 

 

 

 

 ツギオン君──こと、坂東は政巳を見下ろしながら言う。

 彼の正体を知り、政巳は分かりやすく狼狽する。

 

 

「な、なんでテメェ……ッ!? 聞いてるぞ……ッ!! 確か轢き逃げに遭ったとかで、意識不明で……ッ!?」

 

 

 それを聞いた坂東は煙と一緒に吹き出した。

 

 

「おかしい話ですなぁ。病院で坂東や坂東や言われとる奴ァ、儂も知らん奴なんですわ」

 

「なに!?」

 

「どっかで間違えたんでしょ? こちとら記憶喪失になって、包帯だらけで救急車抜けてたなんざ、アホみたいな話でしょ?」

 

「は、は……はぁあっ!?」

 

「記憶失っとっても、やる事ァあるって……本能言うんですか? その気力だけで、重体の身体引き摺って街を彷徨ったんやと思いますわ。まぁ、分からんですけど……自分の事なんやけどな? 人間の身体って不思議なモンやなぁ」

 

 

 タバコを吸い込み、また煙を吐く。

 

 

「……その後、闇医者に拾われて、走ったりするくらいには回復しましてな。そんまま、その闇医者んトコで記憶喪失のまんま、働いとったんです」

 

「闇医者だぁ……?」

 

「その闇医者が、あのチェリオスって殺し屋の仲間やったって訳ですわ。んで儂も、勝手に同行した。これが事の顛末ですわ」

 

「……記憶は戻ったのか……!?」

 

「お陰さんで」

 

 

 両手を広げて、もう大事ないと示す。

 自嘲気味に苦笑いしながら、記憶を取り戻した経緯を話した。

 

 

「儂ァ、えらい高そうな外車に轢かれましてな。その外車っつぅんが、あんたら追ってたあの外車と同じやったんです。それ見て、思い出したんですわ」

 

 

 ランボルギーニを正面から見た時、轢かれた時の記憶がフラッシュバックした。

 その時にツギオン君は、「坂東次夫」としての自分を取り戻したようだ。

 

 

「……いや。ホンマ、変な因果ですわな……んで、儂もあんたら追おうかと、あんたが繋がってるそのバイク盗って走った」

 

「………………」

 

「そしたら道の途中で伸びてたあんた見つけて……追うのはやめて、ここまで連れて来たって流れなんですわ」

 

 

 燃え尽きて、タバコの半分以上がポキリと折れ、灰となり宙に散る。

 坂東は息を吹き、タバコを吐き捨てた。

 

 

 

 

「……俺を、殺すんか……ッ!!」

 

 

 政巳はドスの効いた声で聞く。

 もう一本タバコを取り出し、火を付ける坂東。

 

 

「……己がうちら、鷲峰組にやった事。忘れた訳やないですよな?」

 

「逆恨みだろうがァッ!!」

 

 

 政巳の怒号と共に、一際大きな突風が吹く。

 取り出したタバコは風に盗られた。

 

 驚いた顔でそれを見送る坂東へ、政巳は訴える。

 

 

「俺ァ、テメェらの先代と盃は交わしちゃいねェッ!! ンだがそれでもよォッ!? 受けてやるってェ言ったよなァッ!? そいつを切ったンはどこのどいつだッ!?」

 

「血縁しか認めへん言うて、儂が受けるって話ィ断ったんは誰ですかい?」

 

「条件は条件だァッ!! 和平会も認めてるッ!! 親の決めた事ァ従い、筋通すンが極道じゃねェのかッ!?」

 

「残った血縁者は、まだ年端も行かん女の子って事……知らんかったと言わんでしょう?」

 

「知ってたに決まってるだろがッ!! だから代行人を送り、そいつを組長にしてやると言ったんだろッ!? 不平不満ばっか言い腐りやがってッ!!」

 

 

 エコーをポケットに仕舞い、光のない目で政巳を睨んだ。

 

 

 

 

「そうやって鷲峰が積み上げてきたモン……全部根こそぎ掻っ攫おうって訳やないですか」

 

 

 吹雪の中で刺し込むように向けられたその目に、政巳は不覚にも慄いてしまった。

 

 

「組潰そうってするジャリどもの前に、忌んだ組長(オヤジ)との約束を……外道言われても果たそうとした。これが筋違いって、言うんですかい?」

 

「ジャリ……だと……ッ!?」

 

「えぇ。ワガママ言うて、屁理屈垂れて……ジャリかガキ以外の何や言うんですか」

 

「黙れッ!! 親の決めた事は決めた事ッ!!」

 

 

 坂東に負けず劣らず、覇気と怒気の込められた眼光を浴びせながら言う。

 

 

 

 

「……誰が何と言おうと、俺らの方に筋がある……ここで俺を殺したとしても……逆恨みは逆恨みなんだよォ……」

 

 

 負け惜しみにも似た主張だが、残念ながら見当違いと言う訳でもない。

 

 

 彼の言う事は、残念ながら「正しい」。

 例え屁理屈でも、偉い人間が多く認めればそれは、何よりも尊重されるべき「決定」。

 無法者と極道者を分かる、唯一の「掟」。或いは「暗黙の了解」。

 

 

 香砂会が潰れようが、ヤクザの掟は死なない、消えない。

 狡猾にもその掟に則った決定ならば、政巳を殺したところで「鷲峰組の逆恨み」に他ならない。

 

 それも、向こうは譲歩に譲歩を重ねた、と言う事を言いふらしているのだからタチが悪い。

 

 

 

 

 坂東はそれら全てに関して、百も承知だ。彼自身もヤクザだ。流儀に従うが、筋と言うもの。

 

 

 呆れたように溜め息を吐きながらも、彼は腰に挟んでいた何かを取り出す。

 

 

 

 

 

 傷が付いて、所々に歪みはあるが、問題なく使える。

 それはチェリオスが落とした、「スタームルガー・ブラックホーク」。

 政巳と共に道中で拾った物だ。

 

 

 

 

「…………そんでしょうねぇ。えぇ、一理ありますわ」

 

 

 シリンダーを回し、入っていた弾を全て取り出す。

 

 

「上に従うんが、ヤクザの掟。それ無くしちゃあ、そこらのチンピラと同じ」

 

「あぁ、そうだッ!! テメェはチンピラ同然だッ!!」

 

 

 一発だけ弾を残し、残りは川へ投げ捨てた。

 彼のその行動を怪訝に思う政巳。

 

 

「何してやがる……!?」

 

 

 一発の弾をシリンダーに詰め、大きく回転させながら元に戻す。

 

 

「……一から五で、好きな数字を言うてください」

 

「は、はぁ?」

 

「言うてください」

 

「……五だ」

 

 

 突然、坂東は馬鹿笑いを始めた。

 

 

「ハッハッハッハッ!! 五ですかい!? ハッハッハッ!! てっきり一やと思いましたわ! 何ですかい五って? 娘さんの年齢ですかい!?」

 

「オイッ!! 何の数字だッ!?」

 

「賭けです」

 

「なに……!?」

 

 

 頷きながら坂東は、ブラックホークの撃鉄を起こす。

 

 

「掟や極道の流儀なんざ知らんと言って、あんた殺すンは簡単や。これでバーンと、一発ドタマに食らわしゃえぇだけ」

 

 

 銃口を政巳に向けた。

 撃たれると思い歯を食い縛る。

 

 

 

「……だが、あんたが逆恨みや逆恨みや言うて、納得せんまま死なれるんは……儂も後味が悪い」

 

 

「せやから」と言い、政巳から射線を外した。

 

 

 

 

 

「……和平会よりも連絡会よりも上……神さんに決めて貰うって、どうでしょう?」

 

 

 銃口を、己のコメカミに当てた。

 そして引き金に指をかける。

 

 

 彼のやろうとしている事と、さっきの数字を思い出す。

 

 

「まさか……」

 

「えぇ」

 

 

 ニヤリと、坂東は笑う。

 

 

 

 

「……五回。あんたの言った五回……儂は今から自分に引き金引きます」

 

 

 睨む政巳を眺めながら、恐怖を感じさせない余裕さを滲ませながら、話す。

 

 

「五回までに弾が発射されて儂が死んだなら、それは神さんが『いや、逆恨みや』言うて罰を与えたと言う事にしましょ」

 

「………………」

 

「だが五回とも空を引き当てた時ァ、神さんが許したって事で……六回目食らって死んで貰いますで」

 

「…………正気か?」

 

「吹雪が止めば、向こうの道路が見える。そん時に叫べば、助けて貰えるんで」

 

 

 坂東は深呼吸をし、緊張した面持ちのまま目を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 引き金を引いた。

 一回目。撃鉄が薬室へと跳ねるが、不発。

 シリンダーが動き、次の薬室へ。

 

 

「……天気予報によると、今日ァ晴れやったんですよ」

 

 

 引き金を引いた。

 二回目。不発。

 次の薬室へ。

 

 

 

 

「だが、突然吹雪いて、こないな嵐になっとる」

 

 

 引き金を引いた。

 三回目。不発。

 次の薬室へ。

 

 

 

 

「……お陰様で、誰の目にも留まらず、あんたをここまで運べた」

 

 

 引き金を引いた。

 四回目。不発。

 

 

 

 

 

 政巳から冷や汗が垂れる。

 同じく坂東からも、一筋の汗が地面へと垂れた。

 

 

「…………縁起が良いんですわ。天が、味方しとる」

 

 

 最後の撃鉄を起こし、引き金に指をかけた。

 息を深く吸い込み、グッと更に強くコメカミに押し付ける。

 

 

 

 政巳は思っているだろう。

 一発ずつならまだしも、一人で五回も引き金を引く。

 あまりにも無謀だ。必ず銃弾を当てるに決まっている。

 

 馬鹿な事を考えやがって。そのまま自滅しろ。

 

 政巳はそう、思っているだろう。

 目を見開き、口元を吊り上げる。勝利の予感によるものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 指に力を込める。

 

 

 引き金を引いた。

 

 

 撃鉄が、薬室へと上がる。

 

 

 坂東は、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 カチッ。

 

 

 

 五回目。不発。

 

 

 

 政巳から表情が消え、ただ飛び出さんばかりに見開いた目だけが蘭々と光っている。

 

 

 坂東は目を開けた。

 五回とも、彼は外れを引き続けた。

 

 

 

「…………神さんは、『逆恨みやない』と、言うてくださりましたわ」

 

 

 銃口を向ける。

 撃鉄を起こす。

 政巳は叫んだ。

 

 

「ありえねぇッ!? テメェ、何か細工を────」

 

 

 引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 甲高い銃声。

 銃口から、一筋の硝煙がヒラヒラと舞う。

 

 

「────ッ!?!?」

 

 

 政巳は浅い呼吸を繰り返していた。

 

 

 

 弾は自身の顔を僅かに外して、バイクに着弾。

 ブラックホークを政巳の方へ投げてから、坂東は無表情で言い放つ。

 

 

 

 

 

「……そないインチキ、する訳やないでしょうや」

 

 

 政巳は混乱していた。

 なぜ射線を外したのか。寒さで手元でも狂ったのか。なら坂東から醸される、この余裕はなんだ。

 

 

 理由は目や耳でなく、匂いで分かった。

 

 

 

 鼻に突く、強い匂い。

 それがガソリンだとは、すぐに分かった。

 

 

 

 

「……ハッ!?」

 

 

 銃口は政巳の頭に向けられていたのではない。

 彼の頭の隣にあった、ガソリンタンクに向けられていた。

 

 銃痕からコンコンと音を立て、ガソリンが流れる。

 それは政巳に羽織らせたコートに染み渡って行く。

 

 

 

 

「……お、オイッ!? ふざけンじゃねェッ!?!?」

 

 

 坂東はタバコを咥えて、火を付けていた。

 

 ライターから立ち上がった火を消さず、タバコから離す。

 

 

「こんな……ッ!! こんなやり方があるかァッ!? ほ、ほ、解けェッ!!」

 

 

 美味そうに煙を吸い込み、タバコ咥えたまま吐く。

 恍惚とした、憑き物が落ちたような、何とも気持ち良さそうな表情を見せていた。

 

 

「さ、ささ、逆恨みだ逆恨みだァッ!? こんな事してみろッ!! 和平会が黙っちゃいねェぞォッ!!!!」

 

「………………」

 

「オイッ!! 無視すんじゃねェダボがァッ!! 外道めがッ!!」

 

「………………」

 

 

 

 

 

 

 風で歪んでいた紫煙が、真っ直ぐになった。

 

 

「……!」

 

 

 風が止んだ。

 吹雪が止んだ。

 

 

 

 東京から雪のベールが取り外され、遠く立つ東京タワーまで見通せた。

 

 坂東はその様を見て、実感する。

 あぁ、やっと終わったのだなと。

 

 

 

 

 

「…………あぁ、借りていましたな。色々」

 

 

 エコーの箱と、火が点けられたままのライターを持つ。

 

 

 

 

 

「お返しいたします」

 

 

 その二つを、政巳の方へ投げ付けた。

 

 

 

 

 叫び、涎を吐き、恐怖を全身で見せる。

 

 眼前まで飛んで来たライターの火を、ずっと見ていた。

 

 

 

 だが最後に目に写ったものは、エコーの文字。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 火がコートに当たる。

 染み渡ったガソリンに引火し、一瞬で政巳を炎に包んだ。

 膝の上に置かれたブラックホークも、巻き添えだ。

 

 

 

 

「ぁぁあぁあぁがぁあぁああああッッ!?!?!?」

 

 

 絶叫し、苦しみ喘ぐ政巳の声。

 潰れてカエルの鳴き声にも思える、政巳の声。

 一気に広がった炎の叫びに飲み込まれ、彼の声はとうとう聞こえなくなる。

 

 

 

 炎はガソリンを伝って、ガソリンタンクからバイクの中へと入って消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 坂東はタバコを咥えながら、背を向ける。

 

 瞬間、バイクは火だるまの政巳を道連れに、大爆発を起こした。

 

 

 

 

 天へと飛翔する火炎、バイクの部品、服の切れ端、轟く爆音。

 

 閃光と黒煙を一身に受けながら坂東は、東京の街の中を目指し、淡々と足を進めた。

 

 

 

 

 空はまだ鈍色。

 予報外れの雪はしんしんと、降っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────病院を出ようと、廊下を歩くチェリオス。

「患者と思われる者」とすれ違った後、思い出したかのように顔を顰めた。

 

 

「……ツギオン君、どこ行った?」

 

 

 もう会う事はないと踏み、特に気にもかけず歩き続ける。

 

 

 

 

 果たして、坂東 次夫(つぎお)はどこに行ったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 答えはチェリオスと今し方すれ違った、「患者と思われる者」がそうだ。

 病院にやって来た坂東は振り返り、チェリオスの背を見る。

 

 

「………………」

 

 

 そのまま気にも留めず、また歩き出す。

 雪緒らのいる、病室を目指して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院を出た。

 

 

 雪はまだ降っている。

 

 

 心臓は相変わらず痛い。

 

 

 アンナカを吸った。

 

 

 世界が霞んで見える。

 

 

 夢にいるような気分だ。

 

 

 通行人が持っていた缶コーヒーを奪う。

 

 

 飲み込み、ふらついた。

 

 

 酒を飲んだような酩酊感さえ覚える。

 

 

 段差に躓き、転んだ。

 

 

 地を這い、笑った。

 

 

 また立ち上がって、街を歩いた。

 

 

 

 

 

 街はモノクロだ。

 

 

 社会は呆気ない。

 

 

 その隙間を縫うように、チェリオスは歩く。

 

 

 街を歩く。

 

 

 街を歩く。

 

 

 

 

 

 次第に街から遠いところまで来る。

 

 

 人がいなくなった。

 

 

 波が聞こえた。

 

 

 広い広い海が見える。

 

 

 停泊した漁船が、上下に揺れていた。

 

 

 チェリオスは、港に辿り着いた。

 

 

 最後のアンナカを、吸い込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ハァッ!!」

 

 

 思考がまともになる。

 辺りを見渡し、自分の立ち位置を確認した。

 

 

 ここは寂れた港。東京湾が、眼前に広がっている。

 遠くにはクルーズが往来し、雪降る湾を掻い潜っていた。

 

 

「………………」

 

 

 チェリオスがここに来た理由は、一つだ。

 思い出すは、電話を切る寸前のディープ・スロートの言葉。

 

 

 

 

 

 

「……あんたもそうだろ? だから信用出来るのさ」

 

 

 実はディープ・スロートの啓示には、まだもう少し続きがあった。

 

 

 

 

「──全て終わったら、東京湾の『カポネ港』に行くんだ」

 

 

 

 それだけ告げてから、電話を切った。

 言われた通り全てを終わらせ、チェリオスはこのカポネ港に来た。

 

 鯖の目立つ船と、ひび割れたコンクリートが、打ち捨てられた場所なのだなと思わせる。

 なぜここに呼び出されたのかと、まだ降り頻る雪を見ながら首を捻った。

 

 

 

 死ぬ前に、ディープ・スロートに色々と言いたかった。

「助かった」と言いながら、その顔面に十発は拳をぶち込んでやりたかった。

 

 

 

 だからこそ、ここにいる。

 この世に未練を残さぬよう。

 

 

「………………」

 

 

 ただひたすら、待つ。

 

 まだ昼時だが、曇天のせいで街は薄暗い。

 

 

 降って来る雪の一つを手の平の上に乗せ、思わず微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 その笑みは、ピタリと止む。

 

 誰かが背後からこちらに、歩み寄っていた。

 

 

 隠れるだとか、不意を打つだとかではない。

 コツッコツッとブーツの音を響かせ、堂々と現れた。

 

 

 開いた手の平を閉じ、チェリオスは振り返る。

 

 

 

 

 立っていた人物は、中国系の女。

 後ろ髪を括り、それを靡かせ、口笛を吹いた。

 

 

 

 

「よぉ」

 

 

 英語で会話。

 こいつは誰だと、チェリオスは顔を顰めた。

 

 

「……ディープ・スロートは?」

 

「あぁ? 初めましてでフェラ強要かよ。とんでもねぇ親父だなオイ」

 

 

 彼女が足を止めると、スカートがふわりと揺れた。

 履いているブーツの先でコンクリートを小突き、楽しそうにリズムを取っている。

 

 

「シェブ・チェリオスだっけか?」

 

「……あぁ」

 

「ロスで最強の殺し屋なんだってな?」

 

「それがなんだ?」

 

「噂に聞いたが、かのエルコ・ホーゾをヤッたのはお前さんとか?」

 

「オイ。お前はなんなんだ?」

 

 

 ピタリと、足先を止める。

 酔っているように頭をクラクラ動かした後、チェリオスと視線を合わせる。

 

 

 

 

「姉御……あー……ホテル・モスクワの、バラライカからの伝言だ」

 

 

 上着のポケットに手を突っ込みながら、告げた。

 

 

 

 

「ホテル・モスクワは、『東京の制圧は鷲峰組の協力あってこそ』と判断し、『一方的に戦闘を放棄』」

 

「……ッ!」

 

「今後、ホテル・モスクワと無関係な立場を取るのなら、手を出さない……バラライカ様からの寛大で有り難いお言葉だ。跪いて泣き喚いて、両手を組みな」

 

 

 チェリオスにとっては、意味が分からない。

 確かに鷲峰組に対する脅威がなくなったと言うなら、心から喜べた。

 

 

 だが、なぜ、それをチェリオスに言うのか。

 

 

「……そいつぁ、ワシミネに言うべきだろ。俺ぁ……奴らと関係ねぇ」

 

「ニュース観たかおっさん? 日本中があんたにお熱だ。『チェリオス・フィーバー』なんて言葉も出たみてぇだぜ。スゲェな。日本で伝説になれたじゃねぇか」

 

「言い方変えてやる。何しに来やがった?」

 

 

 

 

 彼女はニヤリと笑う。

 邪悪で、薄気味悪い笑みを浮かべた。

 

 

「……実はさっきの話、条件があんだ」

 

 

 ポケットに突っ込んでいた手を、出そうとする。

 

 

「ホテル・モスクワ日本支部の、前代表様がローストされた状態で発見されてよ」

 

 

 手を、出そうとする。

 

 

 

 

 

「……ラプチェフ殺しの、『形式的な報復』として、あんたの命が必要なんだ」

 

 

 

 

 出した両手には、ベレッタが握られていた。

 

 チェリオスは目を閉じ、舌打ちをする。

 

 

「あんたが、『殺される』事によって、鷲峰組は許されるって訳だな」

 

 

 

 銃口を向けた。

 チェリオスは今、丸腰だ。

 

 

 

 

 

 

 

「覚悟出来てんだろ? カウボーイ」

 

 

 宵闇のような瞳で、チェリオスを映す。

 構えられた二挺拳銃の暗い銃口が、真っ直ぐ胸を狙っていた。

 

 

 

 突如現れた女──レヴィは、獲物を前に舌なめずりをする。

 チェリオスは何も言わず、また目を開き、ジッと構えるだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 引き金に指がかかる。




次回、日本編最終回

NEXT……「Gives」


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Gives -don’t U θink?-

 ロックはボウリング場での一幕の後、ホテルへと戻っていた。

 雪緒に感謝はされたものの、鷲峰組からすればあまり気持ちの良いものでもない。厄介払いに似た感じで返された。

 

 

 それから状況は変わった。

 

 組内の反発を抑えていた板東が事故に遭った事で、ホテル・モスクワとの連携を疑問視する構成員が現れ出す……いや。前々から快く思っていなかった者たちだろう。

 

 

 更にはホテル・モスクワ側も、支部壊滅とラプチェフの失踪を受けて「鷲峰組の関連が疑われる」とし、その連携をこちら側から反故。

 

 全ての企みは香砂会にも漏れ、その始末を鷲峰組に求めた事で組を潰しにかかって来た。

 

 

 

 

 そこからはトントン拍子で、事態は最悪な方へと向かい始める。

 ホテル・モスクワは鷲峰組ではなく、「香砂会と取り引きをする」とロックに明言した。どう言う訳か、向こう側からの持ちかけらしい。

 

 

 

 バラライカは鷲峰組との交渉は無駄だと判断したようだ。

 元から切ろうとしていた癖にとは、口が裂けても言えない愚痴だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

 ロックは国際電話用のテレフォンカードを片手に、電話ボックスに立っていた。

 ずっと迷っている。

 

 

 思えば初日に電話をかけたのは、ロアナプラにいるマクレーンだった。

 実の家族や友人ではなく、マクレーンにかけた。

 

 

 彼の存在は自分にとっての憧れ。

 そして彼の伝説は本物だと言う事を、行動を共にし確信した。

 

 

 

「………………」

 

 

 憧れ。そう言ってしまえば聞こえは良い。

 

 

 

 

 

 実のところ、故郷に帰って来たのに、無性にロアナプラが恋しかった。

 生まれ故郷に何も思っていなかった訳ではない。だが、いざ新宿に立つと、あの蒸し暑さと鳴り止まない喧騒にもう一度浸りたくなる。

 

 レヴィからも望郷の念を心配はされていた。

 だが全くと言って良いほど、東京と言う地に未練なんて感じなかった。

 

 

 

 

 

 かわりに思い返すものはロアナプラでの日々。何よりも、マクレーンと駆け回った事件の数々。

 憧れや信頼の念が呼び起こすのかと、自己分析する。

 

 

 

 

 

 テレフォンカードを持ち、頭の中で様々な電話番号を浮かび上がらせた時、マクレーンの言葉をふと想起した。

 新宿で電話をかけた時の、彼の言葉だ。

 

 

 

 

「──そっちには行けねぇが、困ったら連絡しろ。アドバイスぐれぇはしてやるぜぇ」

 

 

 

 

 優しくも頼もしい、彼の一言。

 思わずロックは、彼のいるロアナプラの下宿先の番号を押そうとした。

 

 

 だが、最初の一桁目を押そうとした時に、我に返る。

 

 

 

 

 

 

 

──過ったのは、「東京に来る少し前の事件」。

 その時の、マクレーンへの感謝と「不満」。

 

 つくづく感じた、「自分は────

 

 

 

 

 

 

 

 電話のベルが鳴る。

 受話器の子機を取り、耳に当てる男が一人。

 

 

「誰だ?」

 

 

 内容を聞き取った後、彼は子機を持って部屋の奥に入る。

 

 そこはどこかの事務所。

 椅子に座り、タバコを蒸す一人の男がいた。

 彼へと、持っていた子機を手渡す。

 

 

 

 

 

 

「海外出張は楽しんでいるかい……あぁ? 帰省だったっけな、サラリーマン?」

 

「……茶化さないでくれ……『ミスター・張』」

 

 

 ロックが電話をかけた相手は、三合会タイ支部の幹部、張だった────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────チェリオスに、銃口を向けるレヴィ。

 風吹き、雪散る寂れた港にて。

 

 漆黒の瞳が彼の姿を写す。

 照門と照星の先は、心臓を捉えていた。

 

 

 ただチェリオスは両手を上げ、そのまま手を頭の後ろに添えた────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────ロックが張に電話をかけた理由は一つ。

 ボウリング場で遭遇した、謎の外国人シェブ・チェリオスについてだ。

 

 話題は張から切り出す。要件は、電話を受け取った際に部下から聞いた。

 

 

「……シェブ・チェリオスって殺し屋について聞きたいそうだな?」

 

「アレを雇ったのはアナタなんですか?」

 

「そりゃどう言う根拠で?」

 

「この電話をアナタが受け取った事が何よりの根拠では?」

 

「おいおい。俺が天気屋なのは知っているだろ? 気晴らしに話がしたかっただけって事もあるさ」

 

 

 この一言で、張は自分を試していると気付いた。

 説明をショートカット出来るかと思ったが、向こうは無駄を省くつもりはないらしい。

 

 

「……そうかい。じゃあ、根拠を言う」

 

 

 思い返すは、再びボウリング場の事。

 チェリオスと話をした後、突然停電が起きた。

 

 復旧した頃に彼は煙のように消えていたが、その際に聞こえたものだ。

 

 

「シェブ・チェリオスが鷲峰組の前から逃げた時に、それを補助したと思われる人間の声が聞こえた」

 

 

 暗闇の中で微かに聞こえた、誰かがチェリオスを呼ぶ声。

 

 

「英語だった。だが、分かり易い中国訛りがあったんですよ」

 

 

 

 

 ロックの言っている事は当たっている。

 ボウリング場を停電させ、チェリオスを連れ帰ったのは、彪だった。

 つい漏らしてしまったであろう彼の声を、ロックは聞き逃してやいなかったようだ。

 

 

 

 だが突き付けられた張だが、表情にまだ余裕がある。

「まだ落第点だ」と言いたげに、首を振る。

 

 

「中国系なんざ、東京には沢山いる。別に全ての中国人が三合会に入っている訳じゃないんだ。日本人だってみんながみんな、サムライって訳じゃないだろ?」

 

「……侍は既にいないよ、ミスター・張」

 

「ん? そうなのか? そりゃあねぇぜ、残念だ。サムライに会うんだって子供の頃からの夢が消えちまった。ショックだな、このまま電話を切って寝込みたい気分だよ」

 

 

 苛立たしげに眉間を指で挟んでから、溜め息の後に言葉を続けた。

 

 

「……それで三合会と関係があるんじゃないかって、俺なりに調べた」

 

「ほぉ?」

 

 

 足を机の上に置き、紫煙を吐きながら楽しげに次の根拠を待つ。

 

 

「俺が来る数ヶ月前に、東京で銃撃事件があった。死んでいたのは、日本人のチンピラと、中国系マフィアの構成員……幹部もいた」

 

「そりゃ恐ろしい。東京は世界一安全な国じゃなかったのか?」

 

「はぐらかさないでくれ……この事件があった後に、本来日本へ来るはずのないアメリカの殺し屋がなぜか東京に来た。偶然とは言えない」

 

「偶然だって事もあり得るさ。この地球にだけ生命が誕生したってのも、元々は壮大な偶然なんだ」

 

 

 踵でコンコンと机上をつつきながら、「まだ足りない」と薄笑いを浮かべる張。

 さすがに煩わしさの限界が来たのか、ロックは電話機の上部をガツンと殴ってから話す。

 

 

 

 

 

「……『トーキョーカクテル』とやらを盗られたんですよね?」

 

 

 ここでやっと張は片眉を上げ、興味を示したような顔を見せた。

 

 

「……新作のカクテルか? レシピを教えてくれ」

 

「シェブ・チェリオスが言っていた。アナタたちと繋がりがある事は言わなかったが、これだけは漏らしていた。レヴィに聞いてみたが、どうやら裏の世界で囁かれている新型の毒物だとか? ラグーン商会の客たちが言ってたようだ」

 

「なんだなんだ。アップルジュースで割れないのか?」

 

「……ベースはペキンみたいだが、どうなんです?」

 

「くははは……ノッて来たようだな日本人?」

 

 

 電話ボックスのガラスに凭れ、ロックはにこりとも笑わずに捲し立てる。

 

 

「十年前に学会を追い出された『千代田(ちよだ) 高吉(こうきち)』と言う男が、二年前から香砂会に出入りしているって話だ。危険な薬物を作るマッドサイエンティストだとか?」

 

「そいつぁどこから仕入れた?」

 

「それもチェリオスが言っていた。通称『チョコ』って名前らしい。出所は、図書館にあった古新聞」

 

「おいおい……課題に追われた大学生じゃあるまいし、何がお前をそこまで掻き立てるんだ?」

 

「ちょっとした趣味……ですかね?」

 

 

 口から離したタバコを廃盆に押し付けながら、楽しそうに彼の言葉を繰り返す。

 

 

「……ちょっとした趣味、ねぇ」

 

「まだ足りなかった?」

 

 

 タバコを手放し、その指で鼻先を叩きながら長考する。

 指がピタリと止まると、二、三回ほど頷いた。

 

 

 

 

「……よぉし、及第点だ。答えてやるが、条件がある──」

 

「ホテル・モスクワやその他大勢に漏らさない事。元より、その口止めの為に教えてくれる……ですよね」

 

「分かっているじゃないか。ここの流儀を学んだようだな?」

 

 

 その言葉には、ロックは何も返さなかった。

 つまらなそうに鼻で笑った後、張は足を床に下ろしてから説明する。

 

 

 

「アレは俺たちが作ったレシピを、香砂会のイカれたバーテンがアレンジした物だ。だがバーテン・チョコは親切にもそのレシピを、俺たちに譲ってくれた」

 

「……なのに、また奪い返された」

 

「全部バレてオーナーに脅されでもしたんだろ。しかし中国に輸送しようって時に、兵が少ない時と場所を的確に狙って襲って来やがった」

 

「内通者か」

 

「そうなるな。目下捜索中だ」

 

 

 そこまで話してからやっと、張は最初の質問に対する答えを持って来た。

 

 

「俺たちの動きはバレている。だから三ヶ月前、シェブ・チェリオスを雇った」

 

 

 続きを聞いた途端、ロックは気温とは関係ない、心の底から沸き起こる底冷えを感じた。

 今、電話越しに会話をしている人物は、やはりイカれた狂人なのだと再認識する。

 

 

 

 

 

「……『生き餌』としてな?」────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────目を閉じ、深呼吸をする。

 引き金にかけた指に力を込めながら、レヴィは一言聞く。

 

 

「遺言はなしか?」

 

 

 目を開け、チェリオスは「質問がある」と話す。

 

 

「なんだ?」

 

「俺はどの道死ぬ。毒で神経が死んでんだ。弾の無駄だと思うんだがな?」

 

 

 レヴィは首を振り、薄ら笑いを浮かべた。

 無知な彼を小馬鹿にしているようだ。

 

 

「これは銃弾じゃねぇ、『サイン』だ。おたくのその心臓に書いてやって、『殺されて死にました』って証明にすんだよ」

 

「……俺は死ねずに、殺されるって訳か?」

 

「死ぬより確実だ。そして、楽だ。そうだろ?」

 

 

 彼女はそう言うが、安楽死させる為にやって来た訳ではなさそうだ。

 

 理由は察せる。

 仇敵に勝手に死なれては、報復として成立しない。

 

 

「例えターゲットが余命十秒のジジイだろうが、仕事として『殺せ』と言われりゃ、最後の一秒前までに殺す……あんただってそうやって来たんだろ?」

 

「…………あぁ。殺す相手が死に掛けでも、殺す」

 

「バラライカはボーナス代わりに依頼して来たんだ。まぁ、姉御にとっちゃラプチェフはどうでも良い奴なんだけどよ。アンタ、日本支部丸ごとぶっ飛ばしちまっただろ? ありゃマズかったなぁ?」

 

「………………」

 

「ホテル・モスクワ自体のメンツってのがある。売られた喧嘩は買って勝つ。だから、『形式的な報復』って言ったんだ。分かるか?」

 

 

 

 お堅い書類作業と同じ感覚で、チェリオスを殺しに来たと言う訳だ。

 

 馬鹿げているとは思わない。

 レヴィの言った事を理解し、納得し、受け入れながらチェリオスは答えた。

 

 

 

 

「……それこそが『プロ』だ」

 

 

 

 

 改めてレヴィは、照準を合わせ直す。

 じっと立ち尽くし、何もしない相手にも容赦せず撃つ。それがレヴィであり、ロアナプラの人間だ。

 

 引き金が引かれようとする。

 その時を待つかのように、チェリオスは一度深呼吸をした────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────張が語ったのは、事の発端と真相だ。

 

 

「考えてみろ。ロアナプラでただ娼館巡りしていただけで三合会に雇われるとは、虫が良すぎるだろ? 俺は、『面白い奴がいるな』と思ってそいつを雇った」

 

「………………」

 

「プロってのは良い。こっちが忠告せずとも律儀に黙ってくれるし、金さえ出せば何でもやってくれる。プロほど扱い易い人間はいない……だろ?」

 

「……あぁ」

 

「実は俺たちは、既に香砂会の仕業ってのは分かっていた。シェブ・チェリオスは、日本に来て一週間で自分が暴いたつもりになっていたが……そうじゃない。俺たちが暴けるよう、情報を小出しして誘導したんだ」

 

 

 人間を人間と思わない姿勢に嫌悪感を抱いたものの、すぐにロックからそんな感情は消えた。

 そんなものだ人間なんて。ロアナプラに限らず、他人に限らず。そう自身を納得させ、冷静な口調で話を続けられた。

 

 

「隠していた理由は?」

 

「生き餌ってのは、止まられても仕方ない。動いて、気を引いて貰わなきゃならん。あのアメリカ人がウロウロしている様を、内通者は探るハズだ。そこを引っ捕らえようって作戦だったんだろうな」

 

「……随分と他人事だな」

 

「そりゃそうさ。ここまでは他人事だったからな」

 

 

 部屋に入って来た張の部下が、机の上に何かを置く。

 一枚の紙だ。それを見た彼は満足した様子で頷いた。

 

 

「指示していたのは、日本支部の幹部。俺は奴に、『それなりに上手く出来るプロ』を斡旋してやっただけだ。あとは奴らがやってくれる……そう信じていたんだ」

 

「……でも内通者は見付からず、しかもシェブ・チェリオスは捕まって毒を打たれていた」

 

「あまりにもその幹部ってのが無能過ぎた」

 

 

 部下を出て行かせた後、その紙を手に取る。

 どうやら飛行機のチケットのようだ。

 

 

「だから俺は、奴にちとバカンスを取って貰う事にした。疲れていただろうからな。俺は優しいから、旅行に行く直前の奴に電話をかけて、送ってやったよ。『ブルース・リーによろしくな』ってな」

 

「………………」

 

「そんなこんだで、俺が本格的にこの件を引き継ぐ事になった。とは言え、バラライカに鉢合わせはしたくなかったからな。彪って言う直属の部下が訪日し、あれこれ動いて貰っている」

 

「それでもまだ、内通者は見付からない」

 

「あぁ。このままじゃ、彪もバカンスに行って貰う事になっちまうな。有能な部下なんだがなぁ……」

 

 

 張は机の中を探りながら、「だが」と言って続けた。

 

 

 

 

「……ここで、内通者にとって思いもよらない事態が発生した」

 

 

 二挺のベレッタM76を取り出し、チケットの上に置いた。

 

 

 

 

 

「……食い逃げられた生き餌が、まだ残っていたんだ……そう、シェブ・チェリオスの生存だ」

 

 

 ベレッタのグリップには、身体を唸らせた龍と、「天帝」の文字が刻まれている────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────二挺のベレッタM92Fがチェリオスを睨む。

 動かない彼に向かって、躊躇なく引き金を引く。

 

 

 

 甲高い二つの銃声が一つに重なり、寒空に轟く。

 それぞれ左心房、右心房を狙い目指し、二発の凶弾がチェリオスを捉える────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────張はグリップを優しく撫でながら、話を続けた。

 

 

「彪は早い段階でチェリオスの生存を知っていたが、あえて黙っていた。内通者の動きを見たかったからな」

 

 

 とは言うがチェリオスの逆鱗に触れ、腹を蹴られて昨夜の晩飯を吐かされたようだがと、内心でぼやく。

 

 

「だが困った事に、バラライカが日本に行った理由も分かった。香砂に戦争を仕掛けて、カクテルを持って行かれるってのだけは避けたかった。だから何とか彪に、チェリオスと合流するよう命じた。今、奴さんは昏睡状態らしいがな?」

 

「じゃあもう、使えない?」

 

「まだ分からん。腕利きの名医に頼んではいるんだが……正直、ここまでやり切った奴に今死なれるのは惜しい」

 

 

 椅子をくるりと回し、身体を窓の方へと向けた。

 外は美しい朝の風景だ。薄い青の空が続き、どこかで銃声が鳴る。

 

 

「バラライカらが大暴れしてくれたお陰で、香砂会にも穴が出来た。何とか、トーキョーカクテルの場所を特定出来そうだ」

 

「何だって?」

 

「場所の特定が出来ないのは、偽情報と一緒に短いスパンであちこちに移動させられていたからだった。だがバラライカどものお陰で、不明だったカクテルの『買い手』の情報を何とか掴めた。これからそいつと茶話会だ」

 

「………………」

 

「全く、今回ばかりはホテル・モスクワ様々だな。ロアナプラに帰って来たら、美味いワインでも送ってやろう。ウォッカの方が喜ぶか?」

 

 

 窓際に小鳥が止まる。

 部屋の中を覗き、張と目を合わせる。ニッコリと笑いかけ、手を振ってやった。

 

 

 その間、ロックは思考を巡らせていた。

 そして一つの可能性に気付き、彼に突き付ける。

 

 

「……張さん」

 

「んん?」

 

「……シェブ・チェリオスを三ヶ月前に雇っていたって言いましたね?」

 

「あぁ。言ったな」

 

「待たせた三ヶ月の後に、ホテル・モスクワが日本に来た」

 

「そうだったな」

 

「……ホテル・モスクワが日本に行く事、香砂会と戦争をする事を知っていた……いや、それだけじゃない」

 

 

 小鳥が張に興味を示したのか、首を傾げていた。

 瞬間、彼から笑みは消える。

 

 

 

 

 

「……鷲峰組を使って、バラライカらを三ヶ月後に来させるよう……誘導したんじゃないですか?」

 

 

 一際大きな羽音が鳴り、小鳥が強襲して来たカラスに攫われた。

 窓際には抜けた羽根と、血が残っている────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────銃声と同時に、背中から倒れるチェリオス。

 目を閉じられ、最後の空さえ見えていないようだ。

 

 

 カラスが空を飛んでいた────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────ロックは続ける。

 

 

「鷲峰組はまず、日本支部のラプチェフに共闘を持ち掛けた。その話を、バラライカらタイ支部に委託させ、今回の件に繋がった」

 

 

 張は椅子から立ち上がる。

 ゆっくりと、窓辺に寄った。

 

 

「だが最初からホテル・モスクワを選んだとは考え難い。寧ろヤクザなら、国も近くそれなりに合流もあった三合会も選択肢に含んだハズだ」

 

 

 窓を開ける。

 遺された、小鳥の羽根を手に取った。

 

 

「……その時に香砂会への効果を期待して、ホテル・モスクワを斡旋したんじゃないですか?」

 

「………………」

 

「……戦争を起こさせる事によって、トーキョーカクテルと内通者の、炙り出しに使えると……」

 

 

 カラスは既に、どこかへ行ってしまったようだ。

 手に取った羽根を、ひらりと離す。

 

 

 朝日を浴び、街を眺める。

 

 

「……仮にそうだとしても、バラライカらが来るって言う保証はない」

 

「保証はなくとも、確率は高い。日本支部はホテル・モスクワ内でも東京の裏社会でも落ちぶれ気味だった……犠牲も少なく済ませ、しかも効果的に事を運べる人物な上、日本から近いタイにいる彼女を頼るのは、簡単に予想がつく」

 

「違ってたらどうした?」

 

「バラライカじゃなくても、戦争は起こる。アナタたちは乗じるだけだ」

 

 

 窓を閉め、分厚いカーテンで隠した。

 振り返り、カーテン越しの窓にもたれる。

 

 

 

 

 

 

 

「……面白い創作だな」

 

 

 

 

 ただ一言で、ロックの推理を否定した。

 黙り込む彼に、張は一つ提案をする。

 

 

「だが、楽しませて貰ったよ。それでその想像力を見込んで提案なんだが、この件を手伝ってくれないか?」

 

「……俺が、アナタたちに?」

 

「上手くやればキャッシュで払おう」

 

「……金はいらない」

 

「そう言うな。如何せんこっちは、内通者のせいで動きが取れん。丁度、スパイが欲しかったんだ……簡単な事ではないが、出来るだけバラライカらに悟られず、チェリオスをある目的地まで誘導してくれないか?」

 

 

 目を細めるロック。

 

 

「昏睡状態だったんじゃ……?」

 

「死んではいない。何とか叩き起こすよう、努力はさせる」

 

 

 話の流れが不穏になり、ロックは辺りを憚り始めた。

 返答を待たずして、張は話し出す。

 

 

「場所はまだ待ってくれ。早けりゃ、今日の夜には分かるかな……」

 

「待ってくれ、そんないきなり……」

 

「いきなりでもないだろ? お前は何か、『手立て』が欲しかった。だから俺を選んで、電話した」

 

 

 どきりと、胸を締め付けられた感覚。

 電話越しで気付けたロックの動揺を掬い上げるように、張は続ける。

 

 

「誰か助けたいのか? そんでその誰かってのは、鷲峰組って所の関係者か?」

 

「………………」

 

「それでお前はこう考え、俺に電話した。『シェブ・チェリオスは使えるのだろうか』と」

 

「……俺はただ」

 

「『趣味』なんて、マニアしか笑わなそうなジョークはやめろ」

 

 

 その一言で、ロックは完全に沈黙させられた。

 

 

「正義からの行動ってのはちと褒められたモンじゃないが、今回はお前の正義感が俺たちのニーズに合致している。お互い悪い話じゃないだろ?」

 

「………………」

 

「眠り姫となったチェリオスの元には彪がいる。彪の番号を教えてやろうか?」

 

 

 彼が毒で昏睡している事を提示した上で、確認を取る。

 

 

 

 実際のところ、張の言った通りだ。

 雪緒を助ける為に、ロックは香砂会の秘密をトーキョーカクテル方面から探った。

 

 

 バラライカらが行動を起こす前に、香砂会を潰せやしないか。

 そんな人物がいるとすれば、単身でホテル・モスクワの日本支部を潰せたチェリオスだろう。

 

 

 だが弾数が足りない。情報が何もない。

 だから繋がりがあると踏んだ三合会の、それも事情を知っているであろう張に連絡を入れた。

 

 

 

 ロックは戸惑いを見せてはいた。

 しかしながらその実、望んでいた事でもあった。

 

 

 張は彼のその、「浅ましさ」を見抜いていたようだ。

 

 

 

 

 彪の連絡先を教えると言われ、ロックは暫し考えた。

 チェリオスが昏睡状態なら、本当に使えるのか。そして彼一人でやれるのか。

 仲間や、武器が必要ではないか。

 

 

 

「……考える時間が欲しい。出来るなら、昼過ぎまで」

 

善は急げ(鉄は熱いうちに打て)と言う。五時間後、俺から電話をかける。番号は?」

 

 

 なら携帯電話の番号を教えてやろうと、ポケットからそれを取り出す。

 

 だが手に取った携帯電話を見た時に、ロックは一瞬だけ動きを止めた。

 

 

 

「………………」

 

「どうした?」

 

「……いや、何でもない」

 

 

 眉を寄せ、意味深長な間を訝しむ。

 とは言え追求するつもりはない。互いの連絡先を共有した後、張から電話を切った。

 

 不通音を聞きながら、張は暫し考える。

 子機を耳から離し、息を吐いた。

 

 

「………………」

 

 

 沈黙の後に部下を呼び出し、部屋に入れる。

 彼に子機を投げ渡すと、上着を羽織ってから銃とチケットを手に取った。

 

 

 裾を翻し、事務所を出る。

 歩きながら彼は、タバコを取り出しながら笑う。

 

 

 

 

「……何か思い付いたな。ありゃ」

 

 

 外で待っていた車に乗り込んだ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────レヴィは硝煙を浴びながら、目を見開く。

 長らくガンマンとして生きて来た彼女には、すぐに分かった。

 

 

 チェリオスは倒れた。倒れて、背後の段差から海へと落ちる。

 

 

 

 

 発砲のタイミングより、若干早く倒れている事に気付いた。

 

 

「……ッ!? あのオヤジ……ッ!!」

 

 

 すぐに駆け出し、段差の下を見る────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────五時間後、本当に張から電話が入る。

 ロックは一人、新宿御苑付近のカフェにいた。

 

 真向かいの席で怪しい宗教勧誘が行われていたが、気にせず通話ボタンを押す。

 

 

「よぉ」

 

 

 張は部下らに守られながら、ファーストクラスの旅客機に乗っていた。

 機内電話を使い、窓の外の雲海を眺めながら話す。

 

 

「それで、だ。朝の件、考えてくれたか?」

 

「……飛行機の中? まさか日本に……」

 

「違う違う。言っただろ、バラライカと鉢合わせはしたくないってな」

 

 

 ロックは自分の手元に置かれたメモ帳に目を落とす。

 言われた通り香砂会を破壊するプランを練り、メモ帳に書き殴っていた。だがその内容を前に、自身の中の狂気に呆れているところだ。

 

 

 本題の前にロックは一つ、張に質問する。

 

 

「……今更だとは思うが、なぜ俺なんですか?」

 

 

 キャビンアテンダントからスパークリングワインを貰いつつ、質問に答えてやる。

 

 

「噂は聞いている。イカれた傭兵どものヘリに、ヒズボラ共がジャックした貨物船を沈めたのもお前の発案らしいじゃないか。新参者でそこまでやる奴はそうそういない」

 

「……俺一人じゃない。ラグーン商会のメンバーがいなきゃどうにもならなかった」

 

「そこだ。俺はそこに注目している」

 

 

 グラスを回し、太陽の光で煌めくワインをサングラス越しに見つめた。

 

 

「思うに、お前の『才能』はそれだ。あるだけの鉄屑(ジャンク)をかき集めて、そいつで戦車(タンク)を拵える。見た目は不恰好だが、弾を防いで、コンクリートは吹き飛ばせる」

 

「………………」

 

「だが所詮は急拵えだ。どっかで故障するかもしれんし、暴走してどっか消えちまうかもしれん。だからせめて、ジャンクの中からマシな物を見極め、リスクを減らす。後は乗り手を煽ててその気にさせりゃ、お前は珍寶王國(ジャンボ・キングダム)で優雅に食事でもして待つだけだ」

 

 

 お代わりで頼んだコーヒーが置かれる。

 メモ帳をサッと閉じて隠し、取り繕った笑みで店員に会釈。

 去った事を確認すると、表情をまた暗くさせた。

 

 

「……仲間を利用しているつもりはない。チームで生き残る為です」

 

「『自分が生き残る為』、とも逆に言える」

 

「犠牲はない方が良い」

 

「しかし『相手側の犠牲』は問わない」

 

「違う……俺は……!」

 

「違わない」

 

 

 ワインを一気に飲み干し、張は突き付けてやる。

 

 

 

 

「俺も、お前も──『ジョン・マクレーン』も。『正義』と言う聖域を暴けば、同じなんだよ」

 

 

 

 ドス黒いコーヒーから、白い湯気が昇る。

 それを前にしたロックはただ、目を見開いたまま鬼気迫る表情で止まっていた。

 

 

 

 

 

「……聞けよロック」

 

 

 

 暫く彼との会話を続けた。

 結果としては────ロックは、彼の提案に乗った。

 

 そしてあるだけ全てで練り上げた「悪魔の知恵」の、実行を決意した。

 

 

 この顛末は、またいずれ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────弾は当たっていない。チェリオスは着弾する前に、倒れて回避した。

 

 下は海ではなく、桟橋があった。

 そしてチェリオスは桟橋を必死に走り、海の方へと駆けている。

 

 撃たれて死ぬ気はないらしい。

 レヴィはブーツの踵を強く地面にぶつけて、屈辱の叫びをあげた。

 

 

 

「クソがぁーーッ!! ハゲはどいつもこいつもしぶといのは何でなんだゴラァッ!?!?」

 

 

 逃げるチェリオスを撃ちながら、彼女も桟橋へ降りる。

 

 

 

 

 背後から突っ込んで来る銃弾を、身を屈めて躱しながら走った。

 

 心臓が痛い。あのまま撃たれれば、苦しみもなく死ねたハズだった。

 ホテル・モスクワは満足し、鷲峰組は見逃される。

 

 自分が殺される事で、丸く収まる。

 なのにチェリオスは、溶け切る寸前の命の灯火を守り、駆けた。

 

 

 

 怖くなったからではない。死への覚悟はもう済んでいる。要因は別にあった。

 脳裏には、雪緒の言葉が。

 

 

 

 

 

「…………死なないでくださいよ……」

 

 

 

 

 

 奥ゆかしい、彼女の願い。

 あの言葉は、チェリオスと生きて会える事を願った祈りだった。

 

 

 チェリオスは死ぬ。これは確定だ。

 だが、あっさり死を認めるのは、彼女の祈りに泥を塗る行為だと、土壇場で悟った。

 

 

 だから彼は逃げる。

 

 殺されて終わる気はない。

 最後の一秒まで、生を全うする。それこそが雪緒との約束だと、信じていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……殺されてたまるか……ッ!!」

 

 

 

 曇天の空を旋回するカラス。

 チェリオスは天へ向かい、叫んだ。

 

 

 

 

 

「使い切るまで生きてやるぅーーーーッ!!!!」

 

 

 

 

 

 彼の叫びに驚いたのか、カラスは旋回をやめてどこかへ飛び去った。

 

 その時に、抱えていた獲物を取りこぼす。

 

 

 

 

 

 羽根を毟られ、傷と血だらけで生き絶えた小鳥が、桟橋にぽとりと落とされた。

 レヴィはそれを踏み付け、チェリオスを追う。

 

 

 二挺拳銃を撃ち放ち、死に行く彼を殺そうと追う────




「ギブス」
「椎名林檎」の楽曲。
2000年発売「勝訴ストリップ」に収録されている。
ナース服で窓ガラスを割るMVがあまりにも有名な「本能」も収録。前作からたった一年でのリリースだが、一気に進化を見せた彼女の音楽性が評価され、無罪モラトリアムを超えるメガヒットを叩き出した。

恐らく包帯材料の「ギプス(Gips。実はギブス表記は誤用)」が意味のタイトルと思われるが、敢えて「Gives」。椎名女史ならありえそう。

デビュー登場の彼女の新たな一面とも思える、甘くて叙情的なバラードロック。ピアノとストリングスのみだったAメロから一転、サビで舞い上がるように炸裂させたバンドサウンドで聞き手を一気に引き込んでしまう。


・予想の五倍長くなったんで、最終話は前編後編と分けます


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Gives -i 罠 B wiθ U-

────張と手を組んだロックは、それまで盤面を整えた。

 まずは香砂会と太刀打ち出来る兵の招集だが、これは簡単だった。

 彼の持っている携帯電話が、可能にしてくれる。

 

 

 

 その携帯電話はロックの物ではない。チャカの物だ。

 

 

 

 

 

『ロックの手を引き、来た道を戻ろうとする。今度は彼が困惑する番だ。

 

 

「え? ちょ、ちょっと待って!? どうしたの!?」

 

「銀さんと、クリスマスさんを止めないと!」

 

「クリスマスさん……? 誰だそれ……って、待って待って!? 携帯落としてるから!!」

 

 

 雪緒に手を引かれた時に落としてしまったのだろう。

 一旦彼女を落ち着かせ、床にあった携帯電話を拾い上げた。』

 

 

 

 

 

 ボウリング場での一件の際、自分の物だと拾った携帯電話は、別人の物だった。

 チャカが落としたそれを、ロックは今、有効的に活用する。

 

 

 

 

 

 電話帳にはチャカが率いる愚連隊のメンバーの番号がずらり。

 ロックは「ディープ・スロート」の名で一人一人に連絡を飛ばし、彼らに段取りを伝えた。

 

 断る者は出るだろうと踏んでいたが、シェブ・チェリオスの名前を出せば快諾してくれた。

 この時ばかりは彼の、ある種のカリスマ性に感謝する。

 

 足りない頭数は、張が日本支部から彪を通じて派遣させるとの事。

 筋金入りのヤクザに競り勝てる程度の戦力は揃えられた。

 

 

 

 またその際に、電話の持ち主たるチャカとも話せた。

 なので特別に、一つのミッションをアドリブで与えてやった。

 

 

 

 それはチェリオスを運びながら、香砂会の注意を引く役割だ。

 彼らにあれだけ派手に都内を暴走して貰ったのは、三合会の内通者を慌てさせ、香砂会の注意をチェリオスらに向けさせる為だ。

 わざわざ香砂会側にもリークしたのは、それらの効果を高める為。

 

 

 お陰でチェリオスを捕まえて気が緩んだ隙に、愚連隊と彪たちを香砂邸に忍ばせた。

 

 香砂会は警察の存在が自分たちを守ってくれると思っていた。

 だがそれも、チェリオスたちが暴れてくれたお陰で突破出来た。その風穴に、兵を押し込んだと言う訳だ。

 

 

 

 彼らに襲わせたのは、自分の上司だった景山。通勤ルートは知っていた為、それを使わせて貰った。

 誰でも良かったが、酷い目に遭わせても心が痛まない相手を選んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、また張から電話があった。

 イビキをかいて眠るレヴィを横目に、ロックは東京の街を見下ろしつつホテル内で、通話に応じる。

 

 

「買い手から場所を聞き出した。白金にある、香砂会の本部に運ばれたそうだ。明日の夕方、日本で受け取る予定だったみたいだな」

 

「……これで全てのピースが出揃った」

 

 

 ロックは部屋を出て、ホテル・モスクワの面々と鉢合わせせぬよう注意を払いながら、エレベーターを乗る。

 一階ロビーへのスイッチを押し、扉を閉めた。

 

 エレベーター内は、現状ロックしかいない。

 

 

「……プラン通り進める。死ぬのはヤクザと、クズ……そして、ほんの少しのあなたの部下だけ」

 

 

 

 

 張はビルの屋上、プール付きの豪邸にいた。

 遠い朝焼けを眺めながら欠伸をする。

 

 

「……やけに呑気で」

 

「悪いな、時差ボケ(ジェット・ラグ)だ。朝に出発したのに、到着しても朝なもんで……慣れないもんだ。気が狂いそうだな」

 

 

 眠気覚ましに咥えたタバコを、控えていた部下に火をつけさせた。

 水が抜かれたプールの底を眺めながら、ゆっくりとプールサイドを歩く。

 

 

「部下の事なら気にするな……マフィアのお仕事ってのは、そう言うもんだ。十人ばっかし死のうが何て事はない」

 

「……後腐れないようで安心しましたよ」

 

「ただ彪の奴も参加するかもな。奴が死んだら、半年は立ち直れねぇかもしれない」

 

 

 冗談なのか本気なのか伺えない、曖昧な口調で話す。

 内通者を警戒し、彪へはロックの話や関係は伝えないでおく。彼の性格を考えると、あり得る可能性だ。死なない事は祈ってはいそうだが。

 

 

 張は煙を吐き、電話を当てている方とは逆の耳に指を突っ込む。

 

 

 

 

 瞬間、隣で銃声が響く。

 携帯越しにそれを聞いたロックは、耳から離して顔を顰めた。

 

 

「……そちらも派手にやっているようだ」

 

「パーティー中なんだ。今、クラッカーでお祝いしていてな。ほれ、もう一発」

 

 

 断続的に銃声が響く。

 その度に一人また一人と、黒服の男たちは倒れる。

 三合会の人間ではない。全員、ヒスパニック系のマフィアだ。

 

 

 張は一切それらに目もくれず、プールの底を見ている。

 

 

「一応言っておくが、シェブ・チェリオスの始末だが……」

 

「殺すんですか?」

 

「いや。あれじゃ、どの道くたばる。処遇はバラライカらが決めるだろ、俺はもう関与せん」

 

 

 視線を太陽の方へ向けてから、空のプールの中へ飛び降りた。

 その時に張は思い出し笑いをするかのように、吹き出す。

 

 

「何でも、ホテル・モスクワの日本支部を一人で吹き飛ばしたらしいじゃないか。ロアナプラでやりゃ、双子の時以上のお祭りだったろうになぁ……」

 

「………………」

 

「惜しい男だ」

 

 

 彼は携帯電話を部下に持たせ、耳に当てさせる。

 丁度その時、ロックの乗っているエレベーターが、一階に到着した。

 

 

「後の報告は、彪らにさせる。以降、連絡はするな、内通者に悟られたくはない。金の話はお互い、ロアナプラに帰ったらしようじゃないか」

 

 

 腰に巻いたホルスターから、二挺の拳銃を抜く張。

 部下に電話を切らせようとした刹那、エレベーターを降りたロックが最後の話をする。

 

 

「マクレーンさんの、『あの話』」

 

「………………」

 

 

 足を止め、部下に「切るのは待て」と目で伝える。

 

 

「……本当なんですか?」

 

「隠すのが好きなCIAから聞いたんだ。間違いない」

 

「奴らは騙すのも好きだ」

 

「かもな。だが、アメリカから来た『ただのおまわりさん』を擁護する連中でもない。金にならん事には正直な連中だ……だから確実だ」

 

「………………」

 

 

 最後に一言残し、電話を切らせた。

 

 

 

 

 

 

「レヴィにでも聞きゃあ良い」

 

 

 部下は携帯電話を持ったまま、彼の元から退散。

 張は二挺のベレッタを持ちながら、また足を進める。

 

 

 

 登り行く太陽がプールの中を照らす。

 プールの中央には、数多の銃口を突き付けられた男が跪かされていた。

 

 

「クソゥッ!! ふざけんなッ!! 俺は全部話しただろ!?」

 

 

 大声で抗議するその男こそ、この家の主であり、一帯を支配するマフィアのボスだ。

 彼こそがトーキョーカクテルを香砂会から買おうとした、張本人らしい。

 

 

 

 男の方へ歩み寄りつつ、語りかける。

 

 

「香砂会に指示し、武器を与えて、トーキョーカクテルを奪わせたらしいな。お陰で結構な損害を受けた」

 

「元々の買い手は俺たちだ! 買ったもん取り返させてなにが悪いってんだ!」

 

「金を払う前の話だっただろ? 損をしない内に諦めていれば良かったな」

 

「うるせぇ中華どもッ! 揃ってくたばりやがれッ!」

 

 

 部下らに目で合図し、銃を降ろさせる。

 

 代わりに銃口を突き付けたのは、張だ。

 二つの銃口が、背を向け跪く彼の後頭部を捉えた。

 

 

「……ミスター・『カリート』。お前は台湾とも仲が良い。そのツテで得た色々な情報を流した事も知っている」

 

「知らねえって言ってんだろ! 俺はただの買い手だ!」

 

「内通者もお前の傘下か?」

 

「俺はスパイじゃねぇ! マフィアだ! このチンピラどもッ!」

 

「もうこうなっちまってんだ。正直に言えよ、楽になろうぜ?」

 

「スシでも食ってろ!」

 

 

 苛立たしげに空を見上げ、紫煙を吐いた後、また視線を戻す。

 困ったように首を振り、「分かった、約束する」と告げた。

 

 

「三秒以内に『言う』と白状しろ。そしたら、命は見逃してやる」

 

「信じねぇぞ!」

 

「ご勝手に。宝くじってのは、買わなきゃ当たらんもんとは思うがな?」

 

 

 カリートと呼ばれた男は、それっきり沈黙した。

 容赦なく、張は引き金に指をかける。

 

 

 

 

「一」

 

 

 銃口を後頭部に当てる。

 生存本能と緊張からか、カリートの汗が止まらない。

 

 

 

 

「二」

 

 

 灰になったタバコの先が折れる。

 わざとベレッタを振り、カチャカチャと音を立てて恐怖を煽った。

 

 カリートは目を閉じ、歯を食いしばる。

 

 

 

 

「三──」

 

「わ、分かったッ!!」

 

 

 恐怖に耐え切れず、止めていた呼吸を吐きながら、カリートは白状した。

 

 

「言うッ!! 言うッ!! 内通者の名は──」

 

「あーいや、言わなくて良い」

 

「は?」

 

 

 吐いた煙が、薄い空の雲に混ざる。

 

 

 

 

 

 

「やっぱやめるよ。天気屋なんでな、俺は」

 

 

 

 

 カリートの制止を聞く前に、引き金を引く。

 発射された二つの銃弾は後頭部を貫き、カリートの両目から飛び出す。

 

 脳漿を撒き散らしながら、カリートは前のめりに倒れた。

 止めどなく流れる血と共にプールの排水口へと、消えて行く。

 

 

 

 張はベレッタをホルスターに戻し、吸い切ったタバコを死体の上に捨てる。

 くるりと踵を返し、邸内へ戻るべく歩く。

 

 

「カリートは死んだ。このまま奴の傘下を制圧するぞ」

 

 

 部下たちにそう指示しながら、屋内への出入り口の前に立つ。

 そこにいた、恰幅の良い中国人の男を流し目で見つめた。

 

 

「協力に感謝する。ロサンゼルスは、あんたの物だ」

 

 

 男は自信に満ちた笑みを浮かべながら、頭を下げた。

 男の名を、張は呼んでやる。

 

 

 

 

「……『ドン・キム』」

 

 

 立ち去ろうと、足を進める張。

 だがドン・キムは思い出したかのように空を見上げてから、彼を呼び止めた。

 

 

「ミスター・張。一つ聞きたい」

 

「なんだ?」

 

「シェブ・チェリオスは今、どんな状態なのかを、だが」

 

 

 意外そうに眉を上げつつ、張は振り返る。

 

 

「知り合いだったか?」

 

「多少は。まぁ、ナイトクラブに行く仲ではないがな?」

 

 

 冗談めかしてそう言った後、ふっふっふと笑う。

 張は一度目を逸らして考え事をしてから、話してやった。

 

 

「この世に一つしかないカクテルを飲まされ、昇天寸前だ。今は幸せそうにオネンネしている」

 

「そうか」

 

「もう良いか?」

 

 

 それだけ言い残し、張は部下を引き連れて場を後にする。

 ドン・キムと、その仲間だけが、カリート・ファミリーの死体しかないプールサイドに残った。

 

 

 

 

 排水口がカリートの血を、ゴポゴポと飲み込んでいる。

 薄気味悪そうにそれを見ながら、彼は携帯電話を取り出した。

 

 

 

 

 

「……やぁ。ドクター・マイルズ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────ロックはエレベーターを降りた後、誰もいない喫煙室である電話番号にかけた。

 履歴を見るに、執拗にチャカが連絡を入れていた者だ。

 

 宛名こそ日本人だが、今の持ち主は違うのだろう。

 そしてロックの予想は、結果的に見事的中していた。

 

 

 

 

 

『チェリオスはロシア人だけを彼の前に放り投げると、ドラムバッグを持ってランボルギーニのドアを開けた。

 

 

「てめぇらと同じ車にゃ乗らねぇ。そいつ預かっといてくれ」

 

「は? じゃあ、連絡とはどうすんだよ?」

 

 

 チャカの舎弟を手招きして呼び、彼の携帯電話を奪う。

 

 

「こいつのにかけろ」

 

「お、俺のだぞ……!?」

 

「終わったら返すって通訳しとけ」』

 

 

 

 

 それはチェリオスが、チャカの舎弟から奪っていた携帯電話だ。

 ロックはこの電話番号にかけ、試しに英語で話してみた。

 

 すると相手も英語で話したし、確信を持ってチェリオスの名を言えばすぐに代わって貰えた。

 彪を経由せず、自力で本人とコンタクトを取れた訳だ。

 

 

 

 

 

 

 後の説明はもう不要だ。

 チェリオスに指示し、チャカと合流させ、様々な撹乱の後に香砂会を潰して、トーキョーカクテルを奪い返す。

 彼が雪緒に惚れていた事は気付いていた。その感情を撫でてやれば、単純に従ってくれる。

 

 

 上手く行くかは分からない、イカれた博打。

 リスクを可能な限り削ぎ落とし、予想と予知を尽くしたこの大作戦。

 

 ロックは一人、豪華なホテルの中、タバコ燻らせ待つだけだ。

 

 

 

 

 

 

 電話を終わらせ、ディープ・スロートとしての仕事を終える。

 張との連絡も行われない為、このチャカの携帯電話は無用の長物だ。

 

 

 処分しようと吸い殻入れの簀を開け、中に溜まった吸い殻まみれの水を露にさせる。

 

 

 これで奴らとの繋がりは断ち切れる。

 

 クズどもの命を使って、雪緒を守れるだろう。

 

 

 自分こそ正義の使者だ。

 そして、最悪の悪党だ。

 

 この一大戦争さえ、ゲームと捉えている極悪だ。

 

 

 

 だがロックはこれを、受け入れた。

 何かを救う為に、何かを捨てねばなるまいと聞くが──ゴミを捨て、ダイヤモンドを得られるなんて最高ではないか。

 

 

 こんな狂ったシナリオを、自分を見限った日本に対し叩き付けられるなんて、最高ではないか。

 もはやエゴが、目的を凌駕したようにも思えた。

 

 

 

 

 

 

「岡島緑郎」は、ジョン・マクレーンに憧れていた。

 メディアが飾り立てた金メッキの彼に、憧れていた。

 

 

 しかし「ロック」は、悪党へと憧れて行く。

 善人と思っていた自分は、戦闘ヘリを吹き飛ばした時に、一緒に吹き飛んだ。

 

 悪党への不安は、マクレーンと共にバラライカを出し抜いた時、消え去った。

 

 

 

 

 自身の中にあるアンビバレンツな憧憬。

 それは、「直のマクレーン」を知れば知るほど、一つに纏まって行った。

 

 

 彼は他を巻き込み、自分勝手を完遂させた。

 自分の身を質草にし、勝利を勝ち取った。

 

 あれを正義と呼ぶ者もあれば、悪だと貶す者もいる。

 

 

 だがロックの目からは、どっちかなど議論にするだけ無駄だと思っていた。

 

 

 

 ジョン・マクレーンは「正義の狂人」。

 バラライカの言っていた通りだ。彼は清濁を含めて、彼なんだ。

 

 

 正義と言うにはあまりにも汚れていて、悪党と言うには輝かしい。

 どちらでもなく、どちらにも嫌われた、「完全なるアウトロー」なんだ。

 

 

 

 ロックは、「それ」に憧れた。

 自分が成るべき悪党とは、「あれ」なのだと信じた。

 

 助けたいなら助ける。

 殺したいなら利用する。

 自身を質草に、全てを凌駕してやるんだ。

 

 

 

 気付かせてくれたジョン・マクレーンに感謝を。

 

 同じ悪い人間だった彼の本性に感謝を。

 

 やっぱり悪党な自分に感謝を。

 

 

 

 

「────てやんでい(イピカイエー)MOTHER FUCKER(クソッタレ)

 

 

 水の中に落とした携帯電話が、吸い殻の下へと沈んで見えなくなった────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────雪降る公園のブランコで、黄昏るレヴィ。

 子供たちがいつもはしゃいでいたグラウンドも、平日の朝はさすが静かだ。

 定年を過ぎ、健康の維持しかやる事のない老人が二、三人、ランニングしているのみ。

 

 

 社会から用済みになり、後は死ぬだけ。何をそんなに死から逃げたがるのか。

「こちら側」のレヴィには、理解の出来ない価値観だろう。

 

 

 

 暫くすると、隣に誰かが座る。

 ロックだ。

 

 

「……やけに早ぇじゃねぇか。ヤクザとの会合はどうなった?」

 

 

 きいこお、と鎖の擦れる音を立てながら、ロックはブランコに揺れる。

 

 

「中止だ。三合会がぶっ潰しちまったよ。今日の夕方には帰れる」

 

「三合会? なんだなんだ? 旦那も来てたのか?」

 

「いや、張さんは来ていない。また詳しくはロアナプラに帰ったら話すよ」

 

 

 ちらりと、レヴィは彼を見る。

 ブランコに揺れるロックの目を見ながら、ふわりと白い息を吐いた。

 

 

「……なぁ」

 

 

 ずっと心配に思っていた事を、吐露する。

 

 

「……家に、帰りてぇって思わないのか? 故郷だろ」

 

 

 ブランコを止め、目だけを下に向けた後に語り出す。

 

 

「……帰れたと思ってはいた。生まれてからずっと暮らしていた国に帰れて、街に帰れて、居場所に戻れたと思っていたよ」

 

 

 過去形の独白を訝しみながら、レヴィはタバコを取り出して咥えた。

 同じくロックも、タバコを咥える。

 

 

 

 

「そうじゃない。ここに居場所なんかなかった。あったのは疎外感だ」

 

「………………」

 

「……鳴り止まない銃声がもう、懐かしい。張り詰めた空気が懐かしい」

 

 

 ライターを付けようとするレヴィ。だが、ガス切れなのかなかなか付かない。

 

 

 

 

「……俺はジョン・マクレーンと協力して、双子を逃した。そして鷲峰組を助ける為、香砂会を潰させた」

 

 

 彼女の指が止まった。

 ロックは自分のライターの火を付ける。

 

 

「俺はバラライカを出し抜いてやった。やってやったんだ。アフガンの亡霊に、俺の正義とやらを叩き付けてやった」

 

 

 タバコを咥えたまま呆然とする。

 構わずロックは、タバコの先端を燃やした。紫煙が立つ。

 

 

「俺は悪党だ。そして自分の正義を信じている。俺は日の本にも、宵闇にも立てられていない。夕暮れの男(トワイライトマン)なんだ」

 

「………………」

 

「なりたいのはそれだ」

 

 

 彼の方へと振り向くレヴィ。

 

 

 

 

 

 咥えていたタバコの先端に、ロックの咥えているタバコの先端が当たる。

 火が移った。

 

 

「日本じゃ、昼と夜が曖昧な夕暮れ刻に怪物が現れると言われている」

 

 

 紫煙が立つ。

 

 

 

 

「『逢魔ヶ刻(トワイライトゾーン)』。どうせなら俺は『怪物(モンスター)』になりたい」

 

 

 

 

 ロックは一歩離れて、レヴィの前に立つ。

 火のついたタバコを吸いながら、彼女は彼を見上げて口を開く。

 

 

 

「……なんであたしに話すんだよ」

 

「……信頼しているから」

 

「今ここでズドンと、あんたの頭撃ち抜いてやれるんだぜ? 目の前にいる勘違い野郎のドタマを」

 

 

 付かないライターを捨て、その手を背中の方へ回した。

 手の先には愛銃、ブライヤチャット・ソード・カトラスがある。

 

 

 煙を吐きながら、彼は言い換えた。

 

 

 

「知って欲しかったんだろな。他の誰でもなく、相棒のお前だけに」

 

 

 ぴくりと、手が止まった。

 彼女の前にある鉄柵に、ロックは腰を下ろす。

 

 

「お前は俺を殺さないって、確信もあるからな」

 

「なに知った気になってんだ。『正常位』の話、忘れたか?」

 

「もっと変態な体位だと思うけどな」

 

「そう自分を賭けんじゃねぇ。あたしより早死にするぜ」

 

「殺されたなら、俺はそれまでの奴だったってことさ。お前にとっても、誰にとっても」

 

 

 鈍く煌めく、彼の目を窺う。

 煙の向こうにどんより煌めく、闇の光を窺う。

 

 

 ロックの目は、死人と言うにはまだ綺麗だ。

 だが生者と言うにはあまりにも、歪で穢れている。

 

 

 

 

 レヴィもタバコの煙を吐いた。

 銃床にまで触れていた指先を引っ込めた。

 

 

 

 

 

 

 瞬間、一気に銃を掴み、引き抜く。

 ものの一秒足らずで構え、銃口をロックのひたいに当てた。

 容赦なく引き金に、指をかけた。

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

 ロックは微動だにしない。

 ただあの、「薄暗がりの瞳」でレヴィを見つめていた。レヴィの、「宵闇の瞳」を見つめていた。

 

 

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 

 十秒後、引き金から指を離し、銃をまたホルスターに戻した。

 二人は同時に、煙を吐く。

 

 

 

 

「……ジョン・マクレーンは、最低のクズ野郎だ」

 

 

 レヴィの口から彼の名前が出る。

 

 

「だが……こんな、とんでもねぇ奴を目覚めさせちまったところは……褒めてやりたいねぇ。銃声と一緒によぉ」

 

「俺はくたばらない。そして、ジョン・マクレーンのような偽善者にもならない。影響を受けたのは、彼のエッセンスだ」

 

「どうしたお前。あたしの銃さえ貢いだあいつを見限るのか?」

 

「いや。見限りはしない。憧れは憧れのまま、生かすのさ」

 

「良く分かんねぇ奴だなおめぇは……っと?」

 

 

 持ったままのライターをポイッと、レヴィに投げ渡した。

 両手でそれを受け取った彼女だが、目線はずっと、何か話したげな彼の方に。

 

 

 

「香砂会の件は、張さんに依頼された。そしてその、張さんから聞いたよ」

 

「……!」

 

「……お前と、ジョン・マクレーンの『関係』」

 

 

 吸っていたタバコを、まだ半分以上も燃え残っているのに捨てたロック。

 

 

「お前の気持ちが分かったよ。言っておくがこれは同情じゃない、『納得』だ」

 

「……なるほど、上手い事ぁ地雷を避けやがる。んでテメェは、あいつを偽善者と?」

 

「あぁ。英雄は、俺たちと同じだったんだ。もはや『正しい正義』なんてない」

 

「ハッ。そうキマってくれんなら、最初から教えてやっときゃ良かったな」

 

「それは違う。この空気の中にいなけりゃ、俺はこうもなれなかった」

 

 

 レヴィもタバコを捨てる。

 二人の投げ捨てたタバコは、地面の上で並び、紫煙を立たせていた。

 

 

「……金になる話がある。俺の書いた筋書きの、フィナーレを飾って欲しい」

 

「……ほぉ? 金になるんなら何だってするぜ、相棒」

 

「だがその前に、お前の口から聞かせてくれよ」

 

 

 俯き気味だったロックの顔が上がる。

 

 

 

 

「ジョン・マクレーンの事を」

 

 

 

 

 

 レヴィは空を見上げた。

 曇って太陽の光が薄い雪空だ。

 

 流れる雲の塊を眺めた後、ブランコを揺らしながら語り始める。

 

 

 

「……あたしの昔話はちまっと、ゲシュタポの遺物どもに囲まれながら話したよな」

 

「覚えているよ」

 

「そっから少し補足が入る。それはアメリカ、ニューヨークでの事だ」

 

「………………」

 

「無実の罪でブタ箱ぶち込まれたって話したが……」

 

 

 光のない、刺すように黒い目でロックを見やる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そのぶち込みやがった警官が、ジョン・マクレーンだったんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────ホテル・モスクワによる形式的な報復など、嘘だ。そんな物を必要とするほど、バラライカらはラプチェフらに情はない。

 ロックから依頼を受け、誘導したと言う場所に行き、建前と共に執行人となっていた。

 

 

 チェリオスを殺す理由について、ロックはこう話す。

 

 

「奴は死にかけだ。死にかけであって、『死んじゃいない』。生きている内に、何を漏らすのか分からない」

 

 

 筋金入りの悪党であるレヴィでさえもゾクリとするような、「良い顔」で言ってのけた。

 

 

 

 

「俺はリスク・マネジメントを徹底する事にしたんだ。俺と張さんの安寧の為、お前の報酬の為、やってくれないか?」

 

 

 二つ返事で引き受けた。

 金の為とは言われたが、その実は嬉しかったからなのかもしれない。

 

 日の本や夜ではなく、「どこか曖昧で確実な場所」へ堕ち切った彼に。

 物事には第三の選択肢もあると、証明してみせた彼に。

 

 

 

 

 相棒として、だから乗ってやった。

 

 金を約束してくれた事も嬉しかった。「プロの使い方」も知ってくれたようだ。

 

 

 

 相手は毒で死にかけの底辺。殺すのは容易い。

 同じラベルの商品を並べるような、簡単な仕事だ。

 

 

 

 

 だが、取り逃した。

 死にかけの身体を引きずって、奴は桟橋を走って逃げた。

 

 逃げ場なんてない。

 桟橋の先は、雪が降り頻る東京湾だ。停泊している船も、キーなんてかかっていない。

 

 

 風前の灯の命を、なぜ守っている。

 意味不明に思いながらも、銃を撃ち放ち、レヴィは追う。

 

 

 

 小鳥の死骸を踏ん付けた際に、靴底に血がべっとりと付着。

 その足跡が桟橋に点々と、並ぶ。

 

 一つ足跡が増える度に、チェリオスとの距離は縮まって行く。

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……!!」

 

 

 息を切らし、胸の痛みを庇いながら、走り続けるチェリオス。

 彼もプロの殺し屋。どうやって逃げれば、照準が合わせられないのかも理解している。

 

 

 だがこの桟橋は一直線。

 蛇行で走ってはいるが、その分レヴィとの距離は詰まる。

 詰まれば詰まるほど、的は大きくなる。撃たれるリスクも一気に跳ね上がるだろう。

 

 

 

 

 この先は海だ。

 潜って銃弾を避けようか。反撃に移るか。どの道、毒が命を刈り取る。

 

 死ぬまで生きると誓った彼は、何も考えずに走った。

 打算もない、希望もない。それでも生きる為だけに。

 

 

 

「ハァ……ッ!! ハァ、アァ……ッ!!!!」

 

 

 雪が降っている。

 その一つ一つに身を捧げるかのように、駆ける。

 海は彼を待つかのように凪いでいた。

 

 

 

 銃弾が耳元を掠める。

 銃声が近い。レヴィがもう、目と鼻の先まで迫っているのだろう。

 

 

 目が一瞬霞み、立ちくらみを起こす。

 何とか持ち堪え、顔を上げた。

 

 

 

 

 桟橋の先で、誰かが座っている。

 白い着物と桜色の羽織、美しくも寂しげな黒髪。

 

 

 くるりと、誰かは振り返る。

 

 間違いない。雪緒だ。雪緒がそこに座って、待っていた。

 

 

 

「────」

 

 

 何かを言っている。聞き取れない。

 誘われるかのように、近付いた。

 

 

「何を……言って……くれてんだ……!?」

 

 

 声は聞こえない。風が強く吹いている。

 雪緒は悲しそうに微笑み、口を動かした。

 

 

「──────」

 

 

 聞こえない。

 聞かせてくれと、祈りながら走った。

 

 

 

 

 

 走った。

 走った。

 やっと彼女の前まで来れた。

 

 

 腕を伸ばし、抱き締めようとした。

 

 掴んだのは、ただの雪だ。

 

 

 

 

 

 

 

「────ッ!!」

 

 

 心臓に強い痛み。

 まるで最後に、血を絞り出そうと気張ったかのような痛み。

 

 その痛みを感じた後、すぐに痛みはなくなった。

 

 

 

 

 

 

 あるのは虚脱感と、明確な死の覚悟。

 ステージ4に、到達した。

 

 

「──────」

 

 

 胸を押さえて、立ち止まる。

 

 視界が暗くなって行く。

 

 呼吸が浅くなる。

 

 

 足が震えた。

 

 手も震えている。

 

 瞬きはしていない。

 

 目は乾いて行く。

 

 喉も渇いていた。

 

 

 

 チェリオスはふらりと、振り返る。

 

 

 

 

 レヴィが、二つの銃口を向けていた。

 

 

 

 

「くたばれ」

 

 

 

 

 ソード・カトラスの方は、弾切れだった。

 だがもう片方のベレッタは、発砲出来た。

 

 

 

 銃弾が、チェリオスの心臓部に直撃。

 血が吹き、彼の身体がくの字に曲がる。

 

 

 

「──────ぁぁ……」

 

 

 伸ばした腕が、空を切った。

 

 目に映るのは、雪と曇天、殺し屋の安堵したような表情。

 

 

 

 身体が後ろに引っ張られるように、重くなった。

 

 もはや海の音も聞こえない。

 

 

 

 

 シェブ・チェリオスは、背中から海の中へと、落ちて行った。

 レヴィが最後に聞いたのは、その時のバシャンと言う音だった。

 

 

 

 硝煙漂う拳銃を仕舞い、代わりにタバコを出す。

 

 

 

 

「…………あいつ」

 

 

 咥えて、ロックから貰ったライターで火を付けた。

 撃たれて、倒れた時のチェリオスの顔が脳裏に残っている。

 

 

 

 

 

 

 

「…………なんで笑ってやがったんだ」

 

 

 そう言って、煙を吐いた。

 

 

 

 

 

「……気に食わねぇ」

 

 

 

 

 桟橋には、靴の片方だけの、血の足跡が残っている。

 その始点には、ぐちゃぐちゃに潰れた小鳥の死体があった────




BONUS TRACK


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Die Meets Hard

「DIE meets HARD」
「凛として時雨」の楽曲。
2018年発売「#5」に収録されている。
衝撃的なハイトーンボイスに、予測不能でハイカロリーな進行、そして邦楽界随一のプレイヤーで固められたハイレベルな奏者たちによる規格外バンド。
ドラマーのピエール中野と言えば、同じドラマーを志している者なら知らぬ人はいないハズ。

フロントマンのTKによるソロプロジェクトが進む中で、バンドとして2年ぶりに発表したシングル曲。アルバムに関しては5年ぶり。
初期の代表曲でもある「Telecastic fake show」を彷彿とさせるイントロから始まり、歪んだサウンドが突き崩すようにかき鳴らされる。
タイトルから察せる通り、ダイ・ハードを彷彿とさせる歌詞が満載。

MVは、これまで彼らの演奏シーンのみを映したシンプルな構図がセオリーだったのに対し、一定のストーリー性とバンド以外の役者も登場する、ある意味で時雨らしからぬ内容となっている。
なんと我らがジョン・マクレーン(のモノマネ芸人)も出演している。


 天を仰ぎ、

 

 海を漂い、

 

 雪を受け、

 

 血を流す。

 

 

 暴力と陰謀の夜を生きた男は、

 

 遠い異国で愛の為に駆けた。

 

 

 

 狂っていて、同情の余地もない所業と行動の数々であったが、

 

 仁義と愛を胸に駆け抜けた事で生まれた希望もある。

 

 鷲峰組だけではなく、ホテル・モスクワと三合会、俺にさえも。

 

 

 

 

 彼は歩く死人だ。

 ロアナプラの有象無象と同じ、歩く死人だ。

 

 それは最後まで変わらなかったと思う。

 

 

 

 

 だが、目覚めていた。

 

 間違いなく、彼は死人のまま目覚めていた。

 

 生きる事に執着した。

 その身体は、死に近かったと言うのに────

 

 

 

 

 

 

「……違うな」

 

 

 生物である以上、肉体は終わりへと向かっている。

 寿命がすぐか先かの違いで、自分たちは日々、死を認めて生きている。

 

 

 毎日の一秒一秒の瞬間が誰かの誕生日であり、命日だ。

 世界のどこかで誰かが死んでいる。

 年齢なんて関係ない。死ぬ時こそ、死ぬんだ。

 

 

 

 

 

 裏の人間は、それを感覚的に理解しているのだろう。

 

 一生と言うものをダイナミックで考えているようだ。

 あまりにも壮大だから、彼らは命を軽んじた。

 

 

 

 太陽だって最後は死ぬんだ。俺たちだっていつ死んでもおかしくないさ。

 

 

 

 

 納得出来るような、理解し難いような。

 

 ロアナプラの連中は皆、生に対して特異な価値観を共有している。

 故に、命を軽んじていられる────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空港にロビーに座っていると、トイレを済ませたレヴィが寄って来た。

 

 

「お互い、大した怪我なくて良かったな」

 

「良い事だよ。俺もこれ以上の怪我は勘弁したかったからさ……」

 

 

 肋骨の辺りをさする。レヴィは呆れたように眉を上げた。

 

 

「んなモン、怪我の内に入らねぇっての。てかもう治ってんだろ……」

 

「帰ったら医者に聞いてみるさ」

 

 

 飛行機の時刻が迫る。

 二人は顔を見合わせ、席から立ち上がった。

 

 

「……なぁ、ロックよぉ」

 

 

 搭乗口へと歩きながら、レヴィは聞く。

 

 

 

 

「……死ぬ瞬間に笑う奴ってよ。なに考えてんだろな」

 

 

 ロックは驚いた顔で反応する。

 目は合わせず、前方をジッと見据える彼女の横顔は、気怠げではあった。

 何か、解せないと言いたげな雰囲気だ。

 

 

 少し考え、答えてやろうと口を開いた。

 

 

 

 

 

 途端、「ようこそ日本へ」と表示された液晶が目に入る。

 他に富士山の前に桜が茂る、見事な情景を添えていた。

 

 口を止め、呆然とそれを見やる。

 彼の変化に気付き、レヴィが顔を向けた。

 

 

「どうしたロック?」

 

「…………いや」

 

 

 微笑んでいるのか、悲しんでいるのか。曖昧な表情を彼女に見せる。

 

 

 

 

 

「……帰ろうか、レヴィ。俺たちの場所へ」

 

 

 そう言って、液晶に背を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────ロアナプラの連中は皆、生に対して特異な価値観を共有している。

 故に、命を軽んじていられる。

 

 

 

 

 

 

 そんな奴らと、シェブ・チェリオスの違いはなんだ。

 

 それは死を受け入れながらも生きていると言う、矛盾を逆転させた点だろう。

 

 

 

 彼は、生きる為に死んだ。

 

 死ぬついでに生きている、歩く死人とは違う。

 

 味わえなかった生の幸福を、死によって実感し、味わえた。

 

 

 

 

 だから彼は最後に、笑えたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

BONUS TRACK……!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テレビを観てきた吉田は、唖然とした顔で廊下を歩いていた。

 

 

「…………嘘やろアイツ……青山通りでカーセックスしとったで……」

 

 

 香砂会を潰した事実よりも、そっちに意識が向く。

 もはや笑いさえ出て来るようなチェリオスの所業に、脳が追い付いていない様子。

 

 

「……アレをお嬢に見せる訳にはイカンな……アカン。絶対見せたアカン」

 

 

 そう決意し、彼女からどうチェリオスの事を忘れさせようかアレコレ思案する。

 うんうん唸りながら歩いていると、坂東と鉢合わせた。

 

 

「おう、吉田。集中治療室はこっちやぞ」

 

「あ、兄貴。すいやせん、考え事しとって……」

 

「…………ふっ。兄貴か……おどれに言われたんは久しぶりやな」

 

「いえ、兄貴、そんな……」

 

 

 二人はすれ違う。

 

 

 

 

 五歩ぐらい歩いたところで違和感に気付き、目をカッと開いて振り返る。

 

 

「兄貴ッ!?!?!?」

 

 

 彼は背を向けながら、楽しげに手をヒラヒラと振っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実写版ルパン三世の次元大介に似た男と、ボルサリーノ2に似た男の双子が、仲良く集中治療室を出て行く。

 担当医も焦った様子で二人を追いかけ出て行ったので、室内は雪緒と銀次と、通訳男しかいない。

 

 

 銀次はチラリと、チェリオスが置いて行ったケースを見る。

 

 

「……お嬢。そいつぁ……」

 

「……見てみましょうか」

 

 

 ケースを開けて、解放する。

 液体の入った注射が数本あり、売却ルートを載せたメモも添えられていた。

 

 チェリオスの言った通り、これこそが裏社会の誰もが欲しがる猛毒、トーキョーカクテルなのだろう。

 激しくぶつけた様子ではあったが、中身に損害はなかった。

 

 

「……世界中の悪党が欲しがる、最強の毒……ですかい?」

 

「……銀さん、見てください、コレ……」

 

 

 入っていたメモにある、コネクションの一覧を指で指し示す。

 

 

「……知らねぇ国の政治家まで欲しがってンのか……」

 

「毒物が体内から検出されないともあります」

 

「なるほど。こりゃぁ、どいつもこいつも欲しがるモンで……」

 

 

 メモの下の方にあった注意書きを見て、銀次は目を細める。

 

 

「……馬と象専用とありやすが?」

 

「あぁ……インドの官僚さんの名前が多いのはそう言う……」

 

「だが、人間に使えば……証拠も何もなく、殺せるってモンだ……」

 

 

 チラリと、注射を眺めている雪緒へと目配せする。

 このような危険物に、関わって欲しくないと言うのが彼の本音だ。

 

 

「……これをどう、使うつもりで?」

 

「……チェリオスさんは、組を立て直す礎にしろと渡してくださりました」

 

「そうなンですが……俺ぁ、こんな外道なモンを……」

 

「………………」

 

 

 雪緒は考え事をしながら、ケースを閉めた。

 俯き、瞳を閉じ、あれこれ思案する。

 

 

「……ホテル・モスクワさえも黙らせられる。それだけではなく、鷲峰に身を置く方々を助ける物ともなる……」

 

「……お嬢」

 

「………………」

 

 

 取手を両手で握り、彼女はケースを持つ。

 納得させるように頷きながら、目を向けず銀次を呼ぶ。

 

 

「……銀さん」

 

「……へい」

 

 

 

 

 この際だ。雪緒の命令なら、どんな事も受けてやろうと考えてはいた。

 今は組の存続に関わる瀬戸際。誰にとっても難しい問題だと、諦めている。

 

 

 複雑な心境の銀次を無視しつつ、雪緒は彼に命じた。

 

 

 

 

 

 

 

「……窓。開けて貰えませんか?」

 

「へい…………はい?」

 

 

 予想外の言葉に、唖然となる銀次。

 お嬢の望みならと、すぐ我に返って窓を開けてやる。

 

 

 冷たい風が流れ込んだ。

 外は雪が降り、アスファルトを白に染め上げていた。

 

 

 ここは四階。遠くの景色まで、良く伺える。

 

 

「……開けましたが」

 

「ありがとうございます」

 

「お嬢……何をするんで?」

 

 

 雪緒は天井を見上げ、息を吐いた。

 その後、キッと顔を窓の方へ向け、ケースを持ったままカタカタと歩き始める。

 

 

「これはチェリオスさんが、私に託してくださった希望です。それを無下にするは、彼の矜持と覚悟に泥を塗る事となります」

 

「そうではありやすが……」

 

「次にこれを使えば、組の立て直しも可能です」

 

「…………可能、ですが……」

 

 

 窓の前に立つ。

 困惑気味に彼女を見ていた銀次だが、一旦踵を返し振り向いた雪緒を見て驚かされる事に。

 

 

 

 ニッコリと、年相応の可愛らしい、満面の笑み。

 その顔のまま彼女は、こう言った。

 

 

 

 

 

「でも案外、無くても大丈夫そうな気もしますね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間彼女は、腰を捻ってケースを回し、窓から放り投げた。

 

 

「!?」

 

 

 愕然とする銀次に向かって、にやりと悪い笑み。

 

 

「スッキリしました!」

 

「お、お嬢……あの、チェリオスとの約束とかは……」

 

「あの人も約束を破ってますし、おあいこですよ! これで世界中の悪い人たちは大慌てでしょうね!」

 

 

 何ともしたたかで、根に持つ少女なのだろう。

 釣られて銀次も、笑ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケースはロックされていなかった。

 空中で開き、中身の注射をばら撒きながら、下へ下へと落ちて行く。

 

 雪と並んで、風を切り抜け、重力に従い、固く広がるアスファルトへと。

 

 

 四階から三階、二階、一階と、羽根の折れた鳥のように。

 

 

 

 

 

 

 

 病院の前で、自転車を立てながら電話をする男がいた。

 

 

「母ちゃん、心配すんじゃねぇべ! オラぁ、東京でも上手くやってるって! こないだ外人を自転車で轢いちまったが、別に訴訟とか無かったべさ!」

 

 

 

 

 故郷の母と電話越しに談話する彼の隣に、ケースとトーキョーカクテルが地面に叩きつけられた。

 びっくりした彼は自転車に乗って、その場から逃げる。

 

 

「ぎゃーーッ!? 東京は怖ェェェェーーッ!!」

 

 

 ぶち撒けられ、破壊された注射の中から、トーキョーカクテルがトクトクと流れる。

 アスファルトに吸い込まれ、雪解けの水に混ざりながら、消えて行く。

 

 

 

 一本だけ、奇跡的に生き延びた注射があった。

 それはやって来た救急車にタイヤで押し潰されて、破壊される。

 

 

 病院前で救急車は停まると、すぐに車内からストレッチャーで患者を運び出された。

 

 

良し(ベネ)ッ!! このまま手術室に運べッ!! オペの準備は既に出来ているッ!!」

 

 

 運ばれながら、患者の男は弱々しい声でぼやく。

 

 

「あの……ハゲ……殺す…………返せよ……俺の……スタームルガー……ブラックホーク……」

 

「はい静かにッ!! 黙って生き延びて刑務所にぶち込まれ()楽しみにしておいてくださいッ!! いいですねこの犯罪者めッ!!」

 

 

 患者は言葉のキツイ救急隊員と共に、院内に消えた。

 

 

 

 

 トーキョーカクテルは、レシピを知る者も含めて、永遠に葬り去られた訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に東京湾を航行するボート。

 マイルズと彪を乗せたそれは、ある場所へと向かっていた。

 

 

「ドクター!! この辺なんだなッ!?」

 

 

 マイルズは手元にある、GPSの追跡装置を睨みながら頷く。

 

 

「この辺で消えた! 近くにいるハズなんだが……」

 

「あッ!? いたッ!!!!」

 

「いたのかぁ!?」

 

 

 寂れた港の桟橋近く、プカリと仰向けに流れるチェリオスの姿を発見。

 左胸から血を流していた。

 

 

「おい寄せろ寄せろッ!!」

 

「あれはもう、死んでるなぁ」

 

「諦めるなッ!! 俺の進退がかかってんだッ!!」

 

 

 叫ぶ彪の指示を受けながら、ボートはチェリオスの傍で停泊。

 乗組員がすぐに彼を引き上げた。

 

 

「生きてるかッ!?」

 

「いや死んでいるだろう」

 

 

 乗組員が脈を確認すると、信じられないと言いたげに目を剥きつつ二人に話す。

 

 

 

 

 

 

「……生きてます」

 

「生きてるのかぁ!? ハッハーーッ!!」

 

 

 諦めムードだったマイルズもはしゃぐほどの奇跡。

 しかし胸を撃たれているのに、なぜ死んでいないのかと誰しもが疑問に思う。

 

 

 彪はまさかと思い、チェリオスの撃たれた箇所を見やる。

 そこは胸ポケットの位置だ。

 

 

 ポケットを開け、中から何かを取り出す。

 GPSの発信機が、壊れた状態で見つかった。

 

 

 

 

 

『部屋に入って来た彪が、チェリオスに「スーツを投げ渡す」。

 彼の持つバッグには、大量のカフェイン飲料とアンナカが入っていた。

 

 

「裏切り者に情報が流れたらマズい……ギリギリまで、仲間には伝えられない。あんたが香砂会に突入してからが俺たちの本番だ」

 

 

 ペンシルストライプのシャツの上に、フロントブレイクタイプのショルダーホルスターを付ける。

 次にそれらを隠すように、漆黒のジャケットを着た。』

 

 

 

 

 

 

 あの時、彪はチェリオスのスーツの胸ポケットに、GPSの発信機を仕込んでいた。

 元々はフラット・ジャックのランボルギーニにあった物だ。マイルズに命じられ、拝借した。

 

 

 

 発信機だけで銃弾は止められてはいないが、勢いをある程度殺していた。

 なので銃弾は着弾したにせよ、心臓への直撃を免れていたようだ。

 

 しかも不幸中の幸いか、その一発による痛みがアドレナリンを生み、彼の生存に一役買っていた訳だ。

 

 

「悪運の強い奴だ……!」

 

「しかしぃシェビーは、誰に撃たれたんだぁ?」

 

「そんな事はもう良い! ほら、早くあんたの手で延命させてくれ!」

 

 

 マイルズは乗組員に目配せし、輸血袋や生命維持装置を運び込ませた。

 様々な機会やチューブがチェリオスに繋がれる。マイルズは器具を使い、銃創の手当てを始めた。

 

 ボートを再び動かす前に、彪は手術中の彼に聞く。

 

 

「どうしてチェリオスの身体が必要なんだ!?」

 

「三合会からの依頼だよ。理由は私にも知らされていない。張よりも上の人間かららしいぞぉ」

 

「なぁ、教えてくれ! 三合会の……『伝説的人物』って……!?」

 

「それは私も知らん。私はドン・キムから託されたに過ぎん」

 

「ドン・キムぅ? ロサンゼルス支部のか?」

 

「彼のお陰で、私は薬物や機材を日本に持ち込めたのだよ。引き換えに詮索しないよう言い渡されたがな」

 

 

 彼は鮮やかな手並みで銃弾を取り出し、傷口を縫う。

 一通りの仕事を終えてから、彼は彪と顔を合わせて話した。

 

 

「私はシェビーを救えるならと、引き受けた。それだけだ。彼の身体を何に使うのか、聞かねばならないなぁ」

 

「なんだよ……アンタも三合会に雇われていたのか?」

 

「一端の闇医者が、トーキョーカクテルの効果に詳しいとは、おかしいと思わなかったのかね?」

 

 

 その言葉を聞いた途端、彪は察したように目を剥く。

 

 

「じゃあアンタが、もしかして、トーキョーの前の、ペキンの……!?」

 

知らぬが仏(無知は幸福)と言うぞぉ。このドクター・マイルズを舐めるんじゃない」

 

 

 手術が終わったと分かると、運転手に命じてボートを起動させた。

 ボートはどこかへ向かおうとし始める。行き先はマイルズも知らない。

 

 

「ここからはどうするんだぁ?」

 

「三合会が所有する、医療用ヘリが待ってる! そこまで行けば、俺もアンタも任務完了だ!」

 

「シェビーはどこに運ばれるんだぁ?」

 

 

 彪はその先の行き先を乗組員から聞いた後、エンジン音に負けない声量で答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロアナプラだッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

DIE HARD 3.5

  Side Story

 

 

 

BLACK LAGOON

 Fujiyama Gangsta Paradise

 

×

 

CRANK

 

 

 

 

 

CRANK

 アドレナリン 

 トーキョーオーバードーズ!!!!!! 

T O K Y O O V E R D O S E

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

THE END……????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カーテンから漏れる陽光を浴び、男が目を覚ます。

 気怠そうに息を吐き、ベッドの上で上半身をむっくり起こした。

 

 気持ちの良い目覚めとは言えない。頭痛に、焼けつくような胃痛を伴う最悪の朝だ。

 

 

 

「……あぁ、朝かよクソッタレ……あー、二日酔いだクソ」

 

 

 起き抜けに見た、枕元に立てて置かれた未開封のビール瓶を手に取る。

 迎え酒は良くないと知ってはいるが、この際良いやと開き直った。

 

 

 立ち上がり、ふらふら歩きながら、テーブルの角で栓を抜く。

 そのまま瓶ごと、ラッパ飲みをした。

 

 

 

 

「……アアー。朝から飲む酒は格別だねぇ、ダメ人間よぉ」

 

 

 シャツの下に手を入れ、腹を掻く。

 靴の踵を潰して吐き、トイレへと歩いた。

 

 

 途中、壁にかかったカレンダーを見る。

 日数は、八月だ。

 

 

「……もう一年近いな。あと半年か……へっ、長ぇ」

 

 

 ぼやきながらまた、歩き始める。

 トイレは風呂場と同居している為、風呂場のドアを開いた。

 

 

 

 その時、玄関の方に目が向く。

 扉の下から差し込まれた、一枚の紙に気付いた。

 

 

「………………あ?」

 

 

 何事だと気になった彼は、トイレを取り止めてその紙を拾う。

 手紙のようだ。封筒で包まれ、ご丁寧に封蝋まで施されている。

 

 

「……この街の人間とは思えねぇ丁重さだなオイ……パーティーの招待状か? ホストはグレート・ギャツビーってか?」

 

 

 印璽(いんじ)に使われている紋章は、見た事のないもの。

 この約一年ほど街を調べた。該当する紋章のマフィア、ギャング、金持ちはいない。

 

 

 街の外から来た人間だろうか。

 気になった彼は手紙を持ったまま、ベッドの方へ引き返す。

 

 

 

 そこに腰掛け、膝の上に置いた手紙の封蝋を、片手で取る。

 封筒を開き、便箋を出す。

 

 

 ビールを飲みながら、中を読んだ。

 

 

 

 始めは、箱の中を好奇心で覗くような気分だった。

 一行目を読み、二行目へと行く。

 

 段々と行を追う毎に、酔った目付きは鬼気迫るものへと変わる。

 

 

 

 

「……嘘だろ……!?」

 

 

 最後の行を読み終えた時、彼は握っていたビール瓶を手放した。

 

 

 

 

 床に倒れ、中身をぶち撒ける。

 だが彼は構う事なくビール溜まりを踏み付け、窓の方へと走った。

 

 カーテンを開き、外を見渡す。

 誰かを探すかのように、ガラスにへばり付きながら瞳を左右させる。

 

 

 

 

 汗が滲む。蒸し暑さのせいではない。

 

 喉が渇く。酒の飲み過ぎによるものではない。

 

 息が荒い。空気が薄いからでもない。

 

 

 

 朝日を浴び、すっかり冴えた頭で思考を繰り返す。

 

 

 なぜだ、なぜだと言い聞かせ、「見つかってくれ」と心中で祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 玄関に背を向け、外を見る男。

 突然響いた、ドアを叩く音に驚き、振り返る。

 

 

 

 

「ふッ……!?」

 

 

 

 

 男──ジョン・マクレーンの受難は、終わりそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひきつづき

 

ダイ・ハード 3.5

 

                   を お楽しみください!




NEXT SEQUENCE
『This Side of Forever』
1983年公開の映画「ダーティハリー4」の主題歌


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Sequence 3・This Side of Forever
Blue Monday 1


 ベースは、ウォッカ。

 

 まず、ミキシンググラスと呼ばれる寸胴状のグラスに氷とウォッカを入れる。ウォッカの量は、三分の二程度。

 次にブルー・キュラソーとライムジュースを六分の一ずつ入れ、バー・スプーンと呼ばれる細長いスプーンで中身を掻き混ぜる。

 

 

 グラスに親指を当て、冷えていると確認すれば、準備は完了だ。

 

 最後に、ストレーナーと呼ばれる小さな穴の付いたフタを上部にセットし、用意したカクテルグラスに注ぐ。

 

 このストレーナーが濾過器の役割を持っており、ひんやり冷えた酒だけがグラスに注がれる仕組みとなっている。これらが、「ステア」と呼ばれる作り方だ。

 

 

 

 完成した物は、吸い込まれんばかりに綺麗な青色のカクテル。

 色味の良さだけではなく、中甘口で口触りの良い味が評判高い、カクテルとしては定番のレシピだ。

 

 

 

 

 その名は、「ブルー・マンデイ・カクテル」────Blue Monday(憂鬱な月曜日)

 

 休日明け、気落ちする思いを投影したかのような、メランコリーに澄んだ青。

 

 慰めと、優しい励ましを与える、魅惑的で心地よい味。

 

 月曜の夜が何よりも似合う、麗しの一品だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 店内のライトに照らされたその酒は、サファイアのように鈍く輝いている。

 カウンターに腰掛け、ゆったりと眺めていたその男は、ジョン・マクレーンだった。

 

 

 ふらりと、テーブルに置かれた小さなカレンダーを見やる。

 十二月の、第三月曜日。時刻は二十三時に差し掛かろうとしていた。

 

 

 視線をカクテルに戻し、輝くオーシャンブルーを揺蕩わせる。

 その様をずっと見ていれば、ふと先月起きた事件を思い出す。

 

 

 

 

「おったまげるほどカクテルが似合わねぇな、おめぇ」

 

 

 黄昏れるマクレーンに悪態吐くは、カウンターの向かいに座っているバオ。

 客が失せ、暇になったのか、店のバーボンを自分で淹れて嗜んでいた。

 

 

「……別に何飲んだって良いだろが、金出してんだからよぉ。俺ぁ客だぞ?」

 

「別に飲むンが悪ィなんざ言ってねぇよ。ハロルド・ロイドが真面目面やってるみてぇだ、ってだけだ」

 

「つまり……らしくないと?」

 

「不気味って意味だよ」

 

 

 自嘲気味に吹き出した後、マクレーンは一口だけカクテルを飲む。

 

 

「……先月の事を思い出した」

 

「聞いたぜ。今、日本行ってるレヴィらとバシランで暴れたんだろ? もしかして三合会がおめぇの出禁を解けって言って来たンは、それ関係か?」

 

「……まぁな」

 

 

 グラスを置くと、ポケットからタバコとライターを出す。

 

 

「出禁解除しろって話、俺は嫌だと言ったんだクソ……あのイカれメイドの件は忘れてねぇからなぁ?」

 

「アレだって俺は巻き込まれただけだ」

 

「双子の件もか? さすがにバラライカども騙くらかしたって聞いた時ァ、てめぇ見て幽霊だと思っちまったぜ」

 

「……へへ。今思い出してもありゃ、痛快だったぜ」

 

 

 咥えたタバコに火を付け、煙を吸う。

 

 

「バシランの話ってのより、俺はそっちの方が気になるぜ。どうやった?」

 

「ぜってぇ言わねぇよぉ」

 

「暴力教会が絡んでいるっつー噂もあるぞ」

 

「だから言わねぇ」

 

「へっ。頑固親父が……」

 

 

 バオに詮索を諦めさせながら、紫煙を吐いた。

 また視線は、ブルー・マンデイ・カクテルへと落ちる。

 

 

「………………」

 

「だーかーらー、カクテル眺めて死んだ目になるのはやめやがれ! 似合わねぇんだからよ! 酒が不味くなる!」

 

 

 バーボンを煽りながら、一際大きな声でぼやかれる。

 煩わしそうに目を閉じてから、苛つきを滲ませた笑みを浮かべつつ睨む。

 

 

「好きにしたって良いだろぉ? 一々、俺の挙動に目くじら立てんじゃねぇやい。神経症かてめぇ?」

 

「俺がこうもピリピリすんのは間違いなくてめぇのせいだボケ。グチグチ言ってんのは、さっさと帰りやがれって意味だよ」

 

「ただカクテル飲んでただけなのにかぁ?」

 

「てめぇはレヴィのアホと並んでロクなモン呼び込まねぇ。俺の聞きてぇ事話さねぇなら、何か起こる前に帰れってんだ」

 

 

 悪態の一つでも吐き返してやろうかと考えたが、そう言う気分になれなかった。

 口の片側だけ開き、そこから天井に向かって煙を吐く。次第に居心地が悪くなって行き、会計をしようと財布に手を伸ばす。

 

 

 

 その時、上の階から誰かが店内へと降りて来た。

 のしのしと現れたその人物は、良く通る大きな声でバオに話しかける。

 

 

「ハァイ、バオ! お仕事もひと段落ついたから、何か一杯飲ませて欲しいわ! 良いかしら!?」

 

 

 マクレーンは人物の方へと目を向け、ギョッとする。

 セクシーで派手なドレスを見に纏った、肥満体の中年女が立っていたからだ。突然視界に入れれば、その迫力に驚くのも無理はない。

 

 彼女が来た事を知ったバオは、「なんてタイミングで」と言いたげにひたいを押さえていた。

 

 

「あー、『フローラ』……あと少しすりゃ閉店だから、それまで……」

 

「んもぅ! ちょこっとお口を湿らせるぐらい良いじゃないのン! チップ付けたげるから!」

 

「いやチップはいらねぇが、そうじゃなくてだな……」

 

「あら? そのお客さんとお話し中だった?」

 

 

 彼女の目が、マクレーンを捉える。

 目が合ったと気付いた彼は、とりあえず指に挟んでいたタバコを掲げて挨拶。

 

 

「……こりゃどうも」

 

「……あら。あらあらまぁまぁ!?」

 

 

 驚いたように声をあげて、手をパチッと叩く。

 どうやら彼の事を知っている者のようだ。

 

 

「もしかしてジョン・マクレーンじゃないのン!? そうでしょッ!?」

 

「えぇ。そうだが……」

 

「これは奇遇よォ! 一回お話ししたかったのッ!! あ、お隣よろしくて?」

 

 

 マクレーンの返事を待たず、隣の席にどかりと座る。

 飛び出た横腹が彼の腕に当たり、僅かに押し出された。

 

 

「色々聞いてるわよぉ!? ナカトミビルとダレス国際空港の奴! バオのお店も吹き飛ばしたのよね!?」

 

「おぉ、おいおいフローラ……そいつに関わるんじゃ……」

 

「テレビか何かで見た事あるわ! けどやっぱり実物の方がハンサムでセクシーじゃないのよゥ!!」

 

「なぁ、あの……」

 

「んもうッ! 何やってるのよバオ! 早くお酒を──あらあら!! あなた綺麗なカクテル飲んでるじゃないッ!? バオ、同じ奴を作ってちょうだいな!」

 

 

 減らず口のバオさえ押し切ってしまうほど、土石流のように放たれるマシンガントーク。

 また彼も、この彼女には頭が上がらないのか、説得出来ないと諦めるや否やグラスを置き、カクテルを作り始める。

 

 マクレーン自身も唖然とする手前、彼女は自己紹介する。

 

 

 

 

「あッ! 申し遅れちゃったわね! アタシ、この上の『スローピー・スウィング』ッてお店やってます、『マダム・フローラ』よン! お気軽にフローラって呼んでくださいな♡」

 

 

 この上の店と聞くと、すぐにマクレーンは合点が行った。

 確か娼館だったハズ。ロアナプラに来た初日に、その店で傭兵とやり合った事を思い出す。

 

 

「……おたくが上の店の?」

 

「そうそう! お礼が言いたかったのよぉッ! 頭のトんだ野郎どもからウチの娘助けてくださったのよね!?」

 

 

 確かに逃げ遅れた娼婦の少女を助けはしたが。

 

 

「あの子は元気してるか? 名前は聞きそびれていたが……」

 

「イヴァって名前よ! 全然元気してるわッ! 何なら今から会ってく? サービスするワよ♡」

 

「いや遠慮するが……まぁ、無事なら良い」

 

「あら残念!」

 

 

 気絶した客も連れて出るよう言ったのに、自分一人だけで出て来た少女だと記憶している。

 したたかと言うべきか。腐ってもロアナプラの住人なんだなと、改めて痛感する。

 

 

 

 色々と思い出していた時、フローラの前に完成したブルー・マンデイ・カクテルが置かれた。

 

 

「ありがとネ、バオ! はいはい、お近付きの印に乾杯しましょッ!」

 

 

 グラスの朝を摘んで持ち上げ、マクレーンの前に差し出す。

 断る理由はない為、彼女に合わせてやった。互いにカツンとグラスを合わせ、一口飲む。

 

 

「そうそう聞いたわよ! あちこちのお店で出禁食らっちゃったみたいじゃないの!」

 

「……乾杯して、その話題を出すかねおたく?」

 

「まぁ! 無神経でごめんなさいナッ! お気に障ったかしら?」

 

「……いや、良い。どっかの陰気な無愛想バーテンに言われるよか、嫌味には聞こえない」

 

 

 じろりと、その陰気な無愛想バーテンを睨むマクレーン。

 バオは舌打ちをしてから目を逸らし、酒を飲む。

 

 

「……双子の件以降、俺は厄介を呼ぶと思われたらしくてな? 知らねぇ店の知らねぇ店主どものブラックリストに載っちまったんだ。んだからずっと、酒は自分で買って飲んでたぜ」

 

「それはお気の毒様ねェ……今はバオのお店だけ解禁されたの?」

 

「みたいだなぁ。三合会の口聞きとやらで……解禁されなかった方がマシな気もするが」

 

「んなら来ンじゃねぇ、アホタレ」

 

 

 中指を立てるバオに、マクレーンはしてやったり顔で返してやる。

 解禁までの経緯は又聞きで知っていたようで、フローラは「もしかして!」と声を張った。

 

 

「バシランでの話じゃないかしらッ!? 三合会絡みでしょ!?」

 

「知ってんのか?」

 

「ウチのお客は三合会も御用達なのよゥッ! 基本的に男の人ってば話したがりで、結構色々な事を女の子たちに言っちゃうのよう! 街の事なら、下手な情報屋(チップスター)よりも女の子たちの方がロアナプラを知っているわ!」

 

 

 探偵は、情報屋として娼婦を買うと言う話は聞く。

 裸になってしまえば、肌を重ねてしまえば、人間色々と緩んでしまうものなのだろう。ハニートラップの前に成す術なしかと、マクレーンは苦笑いをする。

 

 

「どこまで聞いてる?」

 

「イスラム過激派に喧嘩売ったところまでヨ!」

 

「カッハッハ……俺はハリー・タスカーってか?」

 

「あらン? 違った?」

 

「いや違わない。んだが、正確には違うな……喧嘩を売ったんは三合会で、俺は奴らに頼まれ、伝令兵のお守りだ」

 

 

 酒を飲んでいたバオは彼の発言に気が向き、皮肉混じりに言ってやる。

 

 

「へっ。カルテルとヴェロッキオらを吹っ飛ばして、ホテル・モスクワに楯突く癖に、三合会とは仲良しこよしか。よほどギョーザが好きなんだな」

 

「そう聞いたらなかなかぶっ飛んでるわねッ!? 黄金夜会を相手にそこまでやる人いないわよッ!?」

 

 

 バオの皮肉に対し、まずマクレーンはタバコで一服してから訳を話した。

 

 

「勘違いすんじゃねぇボケ。二つともあっちがおっ始めた事だし、コーサ・ノストラとも平和的に済まそうとした」

 

「マヤグエース号事件ばりの平和的解決に敬意を表すぜ、外交官殿よぉ」

 

「あのクソバラライカのせいだよ……まぁ聞け。俺が三合会に手を貸したのは、アメリカに帰れるチャンスだったからだ」

 

 

 途端、バオは怪訝そうな顔付きになる。

 フローラも彼の話に興味を持ったのか、バーテーブルに凭れつつマクレーンへ期待の眼差しを注いでいた。

 

 

「俄然ッ! 気になるワ! 差し支えなければお話ししてくださらないこと?」

 

「どんな間抜けかましてチャンスをフイにしたんだ?」

 

 

 二人をそれぞれ見てから、失笑。

 次にカクテルを顔の前まで運び、その青を見つめた。

 

 相も変わらずメランコリー。

 憂鬱になりそうなほど、濃くも澄んだ青だ。

 

 

 

 

 

「……あれは先月の……そうだ。今日とおんなじ、第三月曜日(サード・マンデイ)に起きた……」

 

 

 持っていたタバコを、灰皿に押し潰す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日マクレーンは、朝からぶらりとロアナプラを散歩していた。

 双子の一件の時に負った怪我は治癒。タバコと手錠を片手に、日課の「巡邏」だ。

 

 犯罪者を捕まえてロアナプラ署にぶち込む「嫌がらせ」は、まだやっていた。

 

 

 変わった事と言えば、酒の量が少なくなった事だろう。

 朝からの飲酒は、既にやめていた。少しは身体に気を遣おうと、意識するようになっていた。タバコはやめられないが。

 

 なので、ロアナプラ中の飲み屋から軒並み出禁を食らわされても、あまり気にしてはいない。

 

 

 

「さぁ〜て。今日は何人ぶち込んでやろうか」

 

 

 紫煙を燻らせながら、通りを練り歩く。

 ここは世界最悪の街、ロアナプラ。少し薄暗い路地を覗くだけで、怪しい取り引きを発見出来る。

 

 

「怪我のリハビリついでだ」

 

 

 そう言いながら吸い切ったタバコを、路上に捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 点々と落ち、静止したタバコを、一台のトラックが踏み潰す。

 寸前まで気にも留めていなかったマクレーンだが、ちらりと見たトラックの運転手を見て、不信感を抱く。

 

 

「……あ?」

 

 

 顔をグルグルとストールで覆った、褐色肌の男。

 スピードは明らかに違反速度。ハンドル操作は荒く、どこかへ急行しているかのよう。

 荷物は分からない。荷台は、テントで覆われている。

 

 

 一瞬の出来事だ。

 だが刑事のマクレーンへ、強烈な印象を与えるに十分だった。

 金臭さと、直感的な怪しさ。嫌な予感と言うのを、マクレーンに抱かせる。

 

 

「……ニシンの配送って風には見えねぇな」

 

 

 思い立ったがすぐだ。

 車道に飛び出し、一台のバイクを停めた。

 

 

「借りる!」

 

「ふざけんなテメェッ!?」

 

「んじゃ、使用料だ! 受け取っとけッ!!」

 

 

 無理やり三百ドルを握らせて降ろし、そのバイクに乗ってトラックを追う。

 持ち主は中指立てて「くたばれッ!」と怒鳴っていた。三枚の百ドル札は握ったままだが。

 

 

 

 

 

 

 

 すぐに追いかけ、トラックの後方まで追い付く。

 相手は酷い運転だ。他の車を追い越し、信号も無視。マクレーンの中にあった懐疑心は、確定的なものへと変わった。

 

 

「なんだなんだぁ? 酒気帯び運転かぁ?」

 

 

 それで済むならマシだなと、マクレーンは油断せずに追跡する。

 

 尾行がバレないようにと気をつけてはいたが、向こうは一切背後を気にしていない様子だ。

 コソコソ隠れる真似はしない主義なのだろうか。この手の者が一番恐ろしい。

 

 

 

 トラックは街を抜け、湾岸沿いを走る。

 遠く、朝日を乱反射させた海が見えた。

 

 やっと停車したのは、そこだ。

 道沿いに乱暴に停まったのを確認すると、マクレーンも距離を取って停車。

 

 

「……あ? ここ知ってるぞ……」

 

 

 確かラグーン商会の、事務所の近くだったハズ。

 ガルシア救出の一件やレヴィの存在もあり、出来るだけ通る事を避けてはいた。

 

 

 奴らに用があるのか、別件か。

 何事も無ければそれで良いのだがと、バイクを降りる。

 

 

「………………」

 

 

 停車して三分経過。車から降りない。

 

 

「……何してやがんだ?」

 

 

 マクレーンは細心の注意を払いながら、トラックへ近付く。

 少し声をかけてやろうか。そう思い立っての行動だ。

 

 

 

 

 

 途端、運転手が飛び降りた。そしてトラックの荷台を叩く。

 

 

 

 

 荷台のテントが開いた。

 武装した男たちが、聞き慣れない言語を話しながら飛び出した。

 

 

 その内の一人は、「RPG 7」を担いでいる。

 

 

「……嘘だろなぁ……!?」

 

 

 ホルスターからベレッタを抜く。

 車道を横断し、ラグーン商会の元へ行こうとする彼らに叫ぶ。

 

 

「おいッ!! 何する気だぁッ!?」

 

 

 警官として癖か、現場に居合わせた際の相手の反応を伺う。

 目撃者の存在に気付いた犯人がどう動くのかで、その人物の危険度は分かる。狼狽える者、逃げ出す者ならあまり恐れるに足りない。

 

 

 

 マクレーンの存在に、二人ほど気付く。

 そしてこの男たちは躊躇なく、AK47の銃口を見せ付けた。

 

 

「ッ!?!?」

 

 

 忠告も何も言わない。

 あっさりと、引き金を引こうとする。

 

 

 

 

「待ておいふざけんじゃねぇ待て待て待て!?」

 

 

 制止を聞かず、彼へ向かって発砲。

 

 

 同時にRPG 7の引き金が引かれ、榴弾は事務所の二階を吹き飛ばした。




「Blue Monday」
「ニュー・オーダー」の楽曲。
1983年発売のシングル。
米国盤にのみ、同年発売したアルバム「Power Corruption and Lies」にも収録されている。
テクノとロックを融合させた革新的な音楽性により、ユーロビート最盛期の英国クラブシーンに別の角度の衝撃を与えたエンクトロ・ロックバンド。
気怠げでメランコリックなボーカルと、鬱屈としたリリックをダンスサウンドで刻んだ、美しく暗い不思議な一曲。


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Blue Monday 2

・GW終了。Blue Wednesdayですね


 話を一旦止め、バオとフローラの反応を見る。

 フローラは興味深そうな目付きでカクテルを飲み、バオは納得したような顔付きで頷いていた。

 

 

「あー……そんであんな、爆撃食らったみてぇだったんだな。ダッチの奴も珍しく不機嫌だったぜ」

 

「でもぉ……顔にスカーフでしょ? それでRPGにAKでしょ? 凄いわねぇン、めちゃイメージ通りの中東(ミドル・イースト)テロリストじゃないの!」

 

 

 そう言ってからフローラは、ハッとマクレーンの経歴を思い出す。

 

 

「テロリストと言ったらアナタの専門だったわねッ、そう言えばッ!!」

 

「別に専門って訳じゃねぇが……」

 

「そーれーでッ! ナカトミビルの時みたいに拳銃一本で戦ったの!?」

 

「拳銃一本って言っちゃあ、そうだがなぁ……んふふ」

 

 

 マクレーンは思い出し笑いをしながら、カクテルで唇を湿らせている。

 不気味に思ったバオは、引き気味に尋ねた。

 

 

「変な声あげんじゃねぇ。そっから……どうなったんだ?」

 

 

 舌舐めずりした後、言葉を頭の中で纏めてから再度語り始める。

 

 

 

 

「今思い出しても本当にとんでねぇよ。アフガンのど真ん中みてぇなトコで、『とんでもねぇ奴』にあっちまったんだ」

 

 

 カクテルグラスをテーブルに置く。

 青い酒面が揺れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場を支配した爆発音により、海と辺りが揺れた。

 

 噴き上がる黒煙と、撒き散らかった破片が宙に舞う。

 

 

 それらの隙間を縫うようにして響くは、断続的な銃声。

 全自動モードで放たれた無数の7.62×39mm弾が、マクレーンに襲いかかる。

 

 

 

 通常の刑事なら相手の躊躇を信じ込んでしまい、易々と撃たれてしまっていた。

 

 だがテロリストらが発砲したその男は、刑事は刑事でも「伝説の刑事」。

 マクレーンは咄嗟の判断で地面に倒れ、銃弾を回避した。

 

 

 

 回避だけではない。

 倒れた時には既に、ベレッタM92Fを構えていた。

 

 

「何しやがんだッ!?」

 

 

 相手がマクレーンの動きに反応するより先に、銃弾を撃ち込む。

 肩と胸、首にそれぞれ着弾し、AKを空へと撃ち続けながら男は倒れた。

 

 

 

 

 

「……おっと」

 

 

 だが一人倒したところで、終わりではない。

 仲間が殺された様を見た別のテロリストらが、マクレーンを危険な敵と判断。

 

 

「ヤバい」

 

 

 三人から一斉に、AK47とAKS-74Uを向けられる。

 

 

 

 

「クソッタ──うあああクソォーーーーッ!?!?」

 

 

 地を四足歩行で駆けながら、すぐ立ち上がって道路を横断するように走る。

 同時にテロリストらは一斉射撃を敢行した。

 

 

「病み上がりなんだぞ俺ぁーーーーッ!?!?」

 

 

 すぐ背後を、横殴りの弾雨(だんう)が降り頻る。

 辺りはラグーン商会に突撃するテロリストらの声と硝煙、そして銃声で埋め尽くされた。

 

 

 その真っ只中をマクレーンは全力疾走。

 

 銃弾に追い立てられるかのように駆けた。向かってしまった先は、ラグーン商会の事務所へ。

 

 

 

 

「うがぁーーッ!!」

 

 

 一階の窓から、屋内へと飛び込み廊下に伏す。

 壁を遮蔽物にし、銃弾から身を守った。

 

 

「……〜〜ッ! だぁーッ、クソゥッ!! なんで俺ぁいつも、こんなのに首突っ込んじまうんだぁッ!? えぇ、オイ!!」

 

 

 起き上がった際に、腕に鋭い痛みが走る。

 割れたガラスで切ってしまったようだ。流れる自分の血を見て、呆れたように首を振った。

 

 

「……ここに来てから怪我ばっかだなぁ……俺が何したってんだよぉ……!」

 

 

 身体を起こし、窓から外の様子を確認する。

 

 

 トラックが追加で、もう一台やって来た。勿論、荷台には武装したテロリストらを満載している。

 道路を横断し、自動小銃を乱射しながら突撃して来るアラビアンたちに、マクレーンは戦慄。

 

 

 その内、放たれた一発の銃弾がマクレーンの頭部を掠める。

 冷や汗をかきながら、また壁の裏に身を潜めた。

 

 

「ちくしょう……! ここはアジアだ……中東じゃねぇぞ……!」

 

 

 天井を見上げ、二階にいるであろう彼らに対してぼやく。

 

 

「……今度は何やらかしたんだよぉ、クソ海賊ども……」

 

 

 間違いなく火種はラグーン商会だろう。

 死と隣り合わせの状況下ではあるが、興味は湧く。

 

 

「今度はビン・ラディンでも攫ったかぁ?」

 

 

 巻き込まれたなら仕方ない、恩でも売っておくかと考え直す。

 銃弾に気をつけながら立ったと同時に、出入り口のドアを蹴破ってテロリストらが侵入して来た。

 

 

「うおヤベッ!?」

 

 

 数名は真っ直ぐと階段を駆け上がり、もう数名はマクレーンのいる方へ。

 彼を視認したと同時に、AKの引き金を引く。

 

 

「クソ……ッ!!」

 

 

 間一髪、壁から飛び出ていた柱に身を隠し、弾を避ける。

 しゃがんだまま上半身だけを出し、やって来るテロリストらへ発砲。

 

 

 相手側も攻撃されたと受け、即座に足を止め、廊下の両端にへばり付き銃弾を回避する。

 その間も小銃を撃ち続けた。

 

 

「あぁ、クソッ! このアホどもがぁ……ッ!!」

 

 

 廊下は銃痕だらけで、硝煙と粉末状の破片のせいで視界も悪い。

 

 蛍光灯が落下し、床の上で破裂した。

 

 銃声とマズルフラッシュが同時に襲いかかり、目と耳を壊してしまいそうだ。

 

 

「ああ良いぜクソッタレェッ!! 弾が切れるまでやってやるぅッ!! ほら撃って来やがれッ!!」

 

 

 向こうが英語を知っているのかは分からないが、とりあえず煽るマクレーン。

 

 

 

 

 だがその煽りは、すぐにやめた。

 硝煙の中からやって来た何かが、彼の真横に落っこちたからだ。

 

 

「………………」

 

 

 

 

 

 

 ピンの抜かれた、手榴弾が二個。

 廊下の上を三回ほどバウンドし、足元でクルクルと転がる。

 

 

 サーッと血の気が引く。

 次の瞬間には柱を離れ、廊下の奥へと駆けていた。

 

 

 

 

 

 

 

「──やり過ぎだぁーーーーッ!?!?」

 

 

 閃光と爆音と、背後から襲い来た衝撃波、そして黒煙。

 

 窓は割れ、外に向かってガラス片を撒き散らす。

 

 爆風(ブラスト)に巻き込まれたマクレーンは前のめりに倒れ、廊下の上を転がった。

 

 破壊された壁の破片が、辺りを舞っている。

 

 

 

 廊下は白煙と硝煙で、一寸先も見えない。

 テロリストらは煙を払いつつ、発砲したまま突撃を開始。

 マクレーンが倒れたと思われる場所まで、一気に駆ける。

 

 

 

 

 銃口を向けた。

 煙が晴れる。廊下には誰もいない。

 

 

 

 

 

 

 

「ゲリラ戦は得意じゃなかったか?」

 

 

 横から声が聞こえた。

 

 

「ッ!?」

 

 

 窓の外に、陽光を浴びたマクレーンが拳銃を構えて立っていた。

 応戦する前に、彼によってありったけの銃弾を撃ち込まれる。

 

 

 一気に数人が倒れ伏す。ベレッタの銃声が止む頃には、廊下にいた連中は全滅していた。

 

 

 

 

「……ふぃー! おまわりさん舐めんじゃねぇ!」

 

 

 銃口から漂う煙を吹いてから、空になった弾倉を捨て、別の弾倉と交換する。

 

 その時、真上で大爆発が起きた。

 瓦礫とガラス片がマクレーンに降り注ぐ。

 

 

「うわちち!?」

 

 

 堪らずマクレーンはまた、窓を飛び越え廊下に戻った。

 直後、一際大きな瓦礫が、さっきまで立っていた場所に落ちる。

 

 

 

 

 

 

「ヤァーーーーッ!!!!」

 

「おわっぷッ!?」

 

 

 隠れていた、生き残りのテロリストがコンバットナイフを構えて襲いかかった。

 完全に不意突かれ、マクレーンはその男に押し倒される。

 

 

「アァーーッ!!」

 

「おおおお……!?」

 

 

 ナイフの刃先が、眼前で止まっていた。

 何とかマクレーンは彼の手を掴み、刺されぬよう抵抗する。

 

 だがその際に、ベレッタを手放していた。

 じわりじわりと顔の方へ降りてくる銀刃を見て、緊張から呼吸が止まる。

 

 

「この……ッ!!」

 

「アァァァアァッ!!!!」

 

「おい待てふざけんな……ッ!!」

 

 

 さすがに万事休すかと思われた。

 

 

 

 刹那、二発の銃声が響き、テロリストは額から血を流して白目を剥く。

 

 

「ッ!? うぉ……!?」

 

 

 ナイフと共に死体を退けて、マクレーンはバッと距離を取る。

 テロリストはどうやら、何者かに撃たれて死んだようだ。

 

 

 

 その何者かは、すぐに現れた。

 

 優雅な靴音を鳴らし、コートを翻しながら近寄る。

 二挺のベレッタM76を構えた、黒服のアジア人だ。

 

 

「おい平気か……って、ウチの人間じゃないな?」

 

「死ぬかと思った……! 助かったぜちくしょー……あ?」

 

 

 不気味なほどにキッチリしたスーツ、襟から垂れる白いスカーフの、妙に洒落めかした男。

 サングラスで目を隠したそのアジア人を見て、マクレーンにはすぐに何者なのかを察せた。

 

 

「……てめぇ、『三合会(トライアド)』の奴か?」

 

「……こりゃ驚いた。ジョン・マクレーンか?」

 

 

 その三合会の男も、マクレーンの顔は知っているようだ。

 

 

「ここで何やっている──おっと」

 

「うぉ!?」

 

 

 話そうとした途端、廊下の向こうから銃声が響いた。

 敵はまだ潜んでいるようだ。発砲に気付いた二人は身を屈め、廊下の両端にそれぞれ移動する。

 

 

 敵に向かって発砲を繰り返す男。

 その間マクレーンは落とした自分の銃と、敵の持っていたAK47を手中に収めていた。

 

 

「お互い事情は後だッ!! 先にあの、腐れテロリストども追っ払うぞぉッ!!」

 

「おいおい、なんて汚ねぇ言葉だ。あんた刑事さんだろ? 規律正しく、真面目で指示に忠実が警官のあるべき姿じゃ──」

 

 

 マクレーンは近付いて来た敵に向かって、AKを乱射し蜂の巣にしてやった。

 

 

 

 

「悪いがそう言うのは、最初の一ヶ月でやめたッ! 俺はな!!」

 

 

 悪い笑みの彼を見た時、三合会の男も喉で笑ってみせた。

 

 

「……こりゃ、良いおまわりさんだ」

 

 

 男は廊下の先と、後方にそれぞれ拳銃を向け、同時に撃ち放つ。

 敵は彼らを挟み撃ちにするべく、どちら側からも迫っていた。

 

 

「応援がすぐに来る! 耐え忍べ!」

 

「すぐっていつだ!?」

 

「まぁ……火曜日までには来るだろ」

 

「どんなジョークだッ!?」

 

 

 迫り来るテロリストを、的確に合わせた照準で以て撃ち抜いて行く。

 互いの弾丸が飛び交う中、その隙間を這いながらマクレーンは撃つ。

 

 

「神のご加護をッ!! クソッタレッ!!」

 

 

 そう叫びながら、一人また一人を撃ち殺して行く。

 

 

 

 

 

 対して三合会の男は二挺拳銃を巧みに操り、まるでダンスをするかのようにくるくると回りながら、敵を一人一人処理。

 

 彼の目は頭部のあちこちにでも付いているのだろうか。

 全く逆の方を見ながら、死界に立っていた者も撃ち抜いていた。

 

 

 

 

 胸に十発ほど受けて死ぬ者。

 

 脳天に一撃食らって死ぬ者。

 

 様々な方法で以て、テロリストらに引導を渡してやる。

 その内三合会の男は、マクレーンに向かって叫ぶ。

 

 

「今だカウボーイッ! 窓から外に出ろッ!!」

 

「なにぃ!? 上の連中はどうすんだッ!?」

 

「とっくに逃げたよ!」

 

「それを先言っとけぇッ!!」

 

 

 敵の数が減り、猛攻を凌いだ。

 猛攻の穴を見定めた男が、マクレーンに指示を飛ばす。

 

 

 弾切れになったAKを捨て、再びベレッタを片手に窓へと駆け出した。

 

 

「クソ……そんなら俺、ここいる意味なかったじゃねぇか……ッ!!」

 

 

 二人が窓を飛び越えたのは、ほぼ同時だった。

 背後からの銃撃に応戦しながら、道路を駆け抜ける。

 

 

 

 

 

 二人の前に数台の車が停まった。

 中から現れた三合会の構成員らが、テロリストらと応戦する。

 

 

「後はこいつらに任せる。乗るんだカウボーイ」

 

「俺もかぁ!?」

 

「なら部下たちの手伝いをしてくれるのか?」

 

 

 もうテロリストの相手はごめんだ。

 逡巡した末に、事のあらましを聞いてやろうと考えて渋々車に乗り込んだ。

 男も続いて乗り、ドアが閉められたと同時に発車。

 

 

 

 

 

 

 残りのテロリストらが処分されている様をミラーで確認しつつ、マクレーンは息を吐いた。

 次に汗を拭う。その最中、男がマクレーンに話しかけて来た。

 

 

「何があって巻き込まれたんだ? ここまで来たら、黒幕はあんたじゃないのかって疑っちまうよ」

 

「……スピード違反で補導した奴がテロリストだったなんざ、この街じゃ当たり前なのかぁ?」

 

「そっから良く生き延びたモンだ」

 

「折角助けてやろうと思った運び屋どもは、先にケツ巻いてやがったがな……それよりも、だ」

 

 

 

 

 血の滴る腕を押さえ、ぎろりと男を睨む。

 

 

「……どう言うこったぁ、ありゃ? 湾岸戦争(ニンテンドー・ウォー)の真似事がロアナプラのトレンドってか?」

 

 

 彼は、咥えたタバコに火を付けていた。

 膝の上に置かれたベレッタのグリップには、龍のレリーフ。

 

 

「……ふぅー。事務所も吹き飛ぶ、支払いも増える……日本でもゴタゴタ抱えている身だってのに、オーバーワークだなこりゃ」

 

「おい無視すんじゃねぇ。中国マフィアってのは、中東のテロリストらとも抗争してんのか? はっ……そりゃ良い。社会貢献じゃねぇか。このままカダフィ・ジャンジャラーニをやっつけてくれ」

 

「カダフィ・ジャン……フィリピンのか? ははは! 鋭いおまわりさんだ!」

 

「あ?」

 

 

 タバコの煙を吐きながら、彼はにやけ顔で話し始める。

 

 

「あの血気盛んな革命家さん御一行は、『ヒズボラ』だ」

 

「ヒズボラ?」

 

 

 マクレーンも聞いた事がある。

 

 

 

 

 

 ヒズボラとは、レバノンを中心に活動する、イスラム過激派の組織だ。

 

 その名の意味は、「神の党」。

 元はレバノン内戦中の1982年、国内での軍事作戦を敢行したイスラエル軍に対抗するべく、結成された民兵組織だった。

 

 現在は教義に応じない全ての物をレバノンから排除し、更にイスラム共和国のレバノンに建国する事を悲願として活動している。

 

 

 反米的な立場を取っている彼らは、イランとシリアの支援を受け、レバノン国内外の米大使館に爆破テロを実行していた。

 その他でも米仏海兵隊基地への自爆攻撃、CIA支局長の誘拐などの事件は、何度もニュースで見た。

 

 

 

 

 

 

 そんな彼らにとって、こんなタイの僻地は取るに足らない場所だ。

 なぜ現れ、ラグーン商会を襲ったのか。大きな疑問だろう。

 

 

「おいおい……奴ら、レバノンからRPG担いでスっ飛んで来たって訳かぁ? なにしでかしやがった?」

 

「違うな、しでかしたのは向こうだ。俺は紳士らしく、奴らの『落とし物』を届けようとしてやったんだ」

 

 

 マクレーンは鼻で笑う。

 

 

「あいつらは敵って思った奴に屈する真似はしない。奪われたなら、金じゃなく腕で取り返そうとする奴らだ。そんな事も知らずに取り引きしようとしたのか?」

 

「まさかここまでマジになるとはな。寛容なムハンマドなら許してくれたろうに」

 

「それで……その、『落とし物』ってのはなんだ? おたくらの不幸なんざどーでも良いが、訳だけでも聞いておきてぇ」

 

「悪いが、あんたにとって、聞いたら他人事じゃなくなる話題だ」

 

「は?」

 

 

 男はマクレーンの方へ目を向け、指を差す。

 

 

「注意事項だ。俺の話を聞いちまったら、後には引けなくなるぞ。このままウサギの穴の奥底までフォールだ」

 

「いきなり何だぁ?」

 

「無論、俺は聞いてくれる事を期待はしている。だが、自由意志ってのも尊重する。これ以上の関わり合いが嫌なら、そう言ってくれ」

 

「なに?」

 

「そうすりゃ、ちょっと走ったトコにある寂れたビーチで降ろしてやる。あんたは奴らに顔は知られていないから、追われる心配はないだろう。俺たちの事など忘れて、なんでもない日(ベリー・メリー・アンバースデイ)の火曜を過ごせる」

 

 

 嫌に含ませた物言いに、警戒心から眉間に皺を寄せるマクレーン。

 男の方は飄々とした様子で、ただタバコを燻らすだけ。国際的なテロリストに命を狙われていると言うのに、全く危機感がなさそうだ。

 

 

「恩着せがましいが、俺はあんたを助けてやった。借りを返すなら、このまま乗ってくれ。まぁ、そこら辺も考慮してくれよ」

 

 

 この街でこれほどの大物風を吹かせる人間は、二つに一つ。

 何も分かっていない勘違い野郎か、真のイカれか。

 

 

 

 

 目の表情をサングラスで隠した、軽薄な雰囲気の男。

 だが醸し出す雰囲気は、修羅場を幾多も超えた者のソレだ。

 

 

 まさかと思い、マクレーンは彼の名前を言ってやる。

 

 

 

 

「おたくがそうか?……三合会タイ支部のボス……『(チャン) 維新(ウァイサン)』ってェのは……」

 

 

 フロントガラスから射し込んだ陽光が、彼の愛銃を照らす。

 

 二挺のベレッタM76。

 そのグリップにそれぞれ彫られた、龍。

 

 

 龍の腰の辺りには、黒々と「天帝」の字があった。



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Blue Monday 3

張さんが絡むと、ノーラン監督みたいな台詞劇にしたくなる。
お久しぶりです。


 バオは「おいおいおい」と声を張り上げ、マクレーンの話を遮った。鬱陶しげにブルー・マンデーをちびりちびり啜りながら、バオの言葉を待つ。

 

 

「さすがにテメェ、そりゃ盛ってんだろ? 殺されかけて、それを助けたのが張なんざどう言う脚色だ!」

 

「確かにまぁ、俺ぁ映画が面白けりゃ脚色はアリだと思ってる。実際のソウルオリンピックじゃ転倒して終わりだったが、『クール・ランニング』じゃ選手らにソリ担がせてゴールさせてやってた」

 

「それはカルガリーの方だアホタレ、88(パルパル)は夏だったろが……するってェと、やっぱどっか盛ってやがんなぁ?」

 

 

 口を窄めてすっとぼけたような表情を見せながら、マクレーンはグラスを置く。

 

 

「嘘だと思うんならどうぞご勝手に。事実確認はあの、顔だけベーブ・ルースのスカしたアル・パチーノ気取りに聞きやがれ」

 

「おほほほほッ!!」

 

 

 隣で静聴していたフローラが愉快そうに笑う。酷い言い草で張を表した彼の剛胆さをいたく気に入ったようだ。

 

 

「あらン、失礼! つい!」

 

「構わんよ。ウケ狙いで言ったからなぁ」

 

「でも不思議ねっ! そこらの男が言っても虚勢にしか聞こえないのに、あなたが言ったらすんなり納得しちゃうわ! 刑事さんだからかしら!?」

 

「カッハッハ……思えば『本物の刑事』なんざこの街にいねぇからなぁ。そりゃどうも」

 

 

 置いていたグラスを手に取って掲げ、フローラに感謝を示してやる。一方でバオは相変わらず不機嫌な顔付きだ。

 

 

「この際盛ったか盛ってねぇかはもうどうでも良い。んで、三合会の犬になったワケは? 金かぁ? それとも刑事ってのはマフィアの幹部にも恩を返さなきゃならねぇのか?」

 

 

 じろりとバオを睨み付け、少し間を置いた後に口を開く。

 

 

「一つ言っておくが、俺は三合会の為じゃねぇ。麗しき、偉大なる我が祖国様の為にやった。あーあ、カメラマンかジャーナリストがいりゃあ、大統領自由勲章モノだったのになぁ」

 

「その顔で愛国者ってのはコメディだろが…………しかし三合会とアメリカか……」

 

 

 何か思い当たる節でもあるのか、バオは酒を飲みながら物思いに耽る。

 

 

「どうしちゃったのバオ? アタシのお店で女の子選んでる時の顔してるわよ?」

 

「てめぇそんな、裏ビデオ屋回るオヤジみてぇな顔で選ぶのか」

 

「なワケあるかッ!! フローラも余計な事言うんじゃねぇッ!!」

 

 

 茶化す二人へ怒声を飛ばしてから、彼はぐっとカウンターに伏せ、辺りを憚るような声で話し出す。

 

 

 

 

「前々から噂が立ってんだ。三合会は『中央情報局(CIA)』と取り引きしてんじゃねぇかってな」

 

「えッ!?!? そうなのッ!?!?」

 

「フローラ、俺が何の為に小声で喋ってんのか察してくれ……んで、噂は本当かカウボーイ?」

 

 

 バオとフローラの視線が、マクレーンへ注がれる。酔ってとろんとした、だらしない顔であったが、目だけは何とも真面目だった。彼はグラスを下唇に軽く触れさせてから、ぽつぽつと返答する。

 

 

「まぁ、確かにCIA絡みだった。と言ってもヒズボラとの取り引きが蹴られて、腹いせでCIAと組んだって感じだったがな」

 

「じゃあ元はヒズボラが持っていた『ナニか』なのね?? それはナニ? 武器? ヤク?」

 

「いいや。ほんの数枚の紙束だ」

 

「え?」

 

 

 唖然とするフローラ。対してバオは合点がいったのか、背筋をしゃんと伸ばして何度も頷いている。

 対極的な二人から目を逸らし、マクレーンは虚空をぼんやり眺めながら、再び黙々と語り始めた。

 

 

「くしゃくしゃのパルプ紙に書かれた汚ねェ字が、国をひっくり返す事だって出来る。だから一セントもない紙の為に国家が命を賭ける……それが『諜報』ってもんなんだろな」

 

「ナニかってのは『計画書』だろ」

 

 

 バオの出した答えには、敢えて「正解」と言ってやらなかった。

 

 

 そのままグラスを大きく傾け、残ったカクテルを全て喉奥へと流し込む。事の顛末を語り切る為に、口を湿らせた訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 発端は、三合会が捕らえた一人の武器商人だった。

 この街ではヨランダら「暴力教会」以外で、武器の商売を認められていない。故にその商人の男がやっていた行為は「掟破り」であり、あれよあれよで制裁を受けてしまったと言う訳だ。

 

 

 ここまでならば、ロアナプラでは珍しくない話だ。違ったのは、男の本職が「ブルガリアの諜報員」だった点だろう。

 

 

 

 ブルガリアは第二次世界大戦時、ナチス・ドイツと軍事同盟を結んでいた。ホロコーストには反対し、ユダヤ人の保護を行っていた側面こそあるものの、枢軸国側に変わりはない。終戦間際の1944年、連合国側であるソ連の侵攻を受け、以降は同国の「衛星国」として共産主義国家となった。それまで王政を貫いた「ブルガリア王国」の、実質的な終結だ。

 

 更にこの体制がひっくり返ったのが、冷戦終結の1989年。民主化の動きに押された共産党が共産主義を放棄した事により、民主主義へと動き出す事となった。

 

 

 とは言え、東側諸国の後ろ盾を無くしたブルガリアにとって、この選択は茨の道でもあった。

 それまで経済の中心だった東欧市場を失い、国内は恐慌とも言える不況に陥る。2000年までには一定まで回復したものの、何度か金融危機が発生しているほど、一国としては非常に貧しい状態となっていた。

 

 ここまで来れば、過去の政権での栄華を忘れられない者も現れる。表向きは友好的でも裏ではアメリカに対し憎悪を抱く者、転じてアメリカさえいなくなれば全て良くなると信じる者も現れる。

 

 

 ロアナプラに現れたこの男も、そう言った派閥の息がかかった諜報員だ。

「ある物」を「ある組織」にまで運ぶ、その旅の途中だった訳だ。

 

 

 

 

 

 

 車内のラジオは、ワールドニュースチャンネルとなっていた。英語でニュースを読み上げるキャスターの声が、ノイズ混じりにスピーカーから吐き出される。

 

 

『米国時間で昨晩────ザイールの米大使館で爆破──が発生────イスラム過激──による犯行だと見られ────』

 

 

 運転手がラジオを消す。マクレーンは呆然とした様子で、そのラジオから張の方へと視線を移した。

 彼はタバコの煙を吸い込み、溜め息混じりに吐いた。

 

 

「……その諜報員が運んでいた物は、ヒズボラ宛ての文書だ。奴は合衆国(アンクル・サム)が嫌いな卑屈屋とカタブツをお友達にしちまう、闇の親善大使だったって訳だ」

 

「………………」

 

「最初はキチンと奴さんに返してやろうとしたが、あえなく御破算。仕方なく、話が分かるアンクル・サムと取り引きしたってのが全ての始まりだ」

 

 

 マクレーンの表情からは、驚愕と疑念の半分ずつが見て取れる。完全に信用した様子ではないと、張はすぐに察した。

 

 

「構えないでくれハリウッド・スター。俺はあんたが、兎の穴の奥に踏み込む事を決めたからこそ、誠心誠意で教えてやっているんだ。嘘はない」

 

「ハッ……どうだか」

 

 

 張が座っている側の窓からは広い海が見渡せた。先ほどの喧騒と、車内を覆う張り詰めた空気とは相反し、清々しいほどに凪いでいる。

 

 

「信じないも信じるも自由だ。答えは半年以内に、ワールドニュースチャンネルから速報で言い渡される。死者の数を添えてな」

 

「信じる信じないじゃねぇ。解せねぇだけだ」

 

「ここはホイール・オブ・フォーチュンのスタジオじゃない。質問は隠さず答えるぜ」

 

 

 窓を少し開け、その隙間からタバコを捨てた。吹き込んだ風で髪を揺らす張の横顔は、妙に楽しげでもある。その表情が何より、マクレーンにとって不快に思えた。

 

 

「……なんで俺にそれを話す」

 

「あんたが聞きたがったからだろ?」

 

「おとぎ話が大好きなメルヘンギョーザ野郎にも伝わりやすいよう言い換えるか。穴の前でうろついてた犬を、なんで兎が巣穴に招待する?」

 

 

 運転席と助手席にいた構成員二人が殺意に満ちた眼光を飛ばす。助手席の方に関しては懐に手を入れ、拳銃へと指を伸ばしていた。

 さすがにマフィアのボスへ悪態吐く事はまずかったようだ。緊迫した雰囲気の中、マクレーンはただヘラヘラしながら彼らへ手を振るだけ。

 

 

 

 

「んで、そこんトコロどうなんだ? それとも『首を刎ねろ(オフ・ウィズ・ユアヘッド)』ってか?」

 

 

 そう言って股の間に挟んでいたベレッタに手を伸ばす。銃を持たされたままだった事が幸いだった。訪れるかもしれない最悪の事態に備え、身構える。

 

 全てはすぐ隣、たった数センチの距離にいる張の一言に委ねられた。皮肉を言うか、発砲命令を下すか。

 

 

 一呼吸置いた後、張は愉快そうに小さく笑った。

 

 

「ハハハ! さすが、修羅場を越えて来ただけある。俺に対しそんな口を利ける奴はそうそういない……打算があるのか、蛮勇なだけかは別としてな」

 

「試すか?」

 

「ヒズボラで手一杯なんだ、取り引き先にも恨まれたら敵わん。次は事務所に核を落とされるかもな」

 

 

 張は前席の二人に目配せし、臨戦態勢を解くよう促す。二人はおずおずと従い、拳銃から指を離した。

 

 

「……さて」

 

 

 気を取り直し、彼はリラックスした様子で訳を話し始める。

 

 

「あんたにこの話を持ち掛けた理由だが……それは簡単だ。あんたを試したい」

 

「また試されるのか俺は……ここに来てから色んな奴に試される。俺ぁコメディアンじゃねぇ、呼べば来る訳じゃねぇし頼まれれば何でもする訳でもねぇ。そろそろ別の理由が欲しいんだが?」

 

 

 呆れ返るマクレーンを見つめてから、張は喉で笑う。

 

 

「あぁ。あんたはいつも試されている。だがそれは俺やバラライカに、じゃない。この街があんたを試したがっている」

 

「なんだと?」

 

「眩し過ぎるんだ、あんたは。こんな暗黒の、湿り切った街の中ではな」

 

 

 コンクリート製の湾岸が続いていたが、とうとう白けた砂浜が現れる。マクレーンを降ろしてやると言うビーチに近付いているようだ。

 

 

「光と言うのは良い物じゃない。眺め続ければいずれ目を焼き、その者に二度と出られない闇を与える」

 

「………………」

 

「だのに光とやらは無責任で、何とも独善的だ。輝く事しか考えず、それが善行だと信じ込んでいる。誰かの目を焼いているなんざ気付きやしない。面倒で、迷妄で、迷惑だ」

 

 

 戯けるように肩を竦め、首を曲げながら得意げに口角を上げる張。感情が読み取り難い理由は、目を隠すサングラスのせいだろうか。

 

 

「だからこそ、興味がそそられる。輝く事しかできないソレが、パッと明かりを落とす瞬間に」

 

「話しがまどろっこい。手を汚さずに俺を殺してぇって事だろ?」

 

「違う違う、そうじゃない」

 

 

 わざとらしく大袈裟に首を振った。

 

 

「この街にいる連中の中には、『目を焼かれた奴』も大勢いる。あんたがそれを見つけちまっても、果たして今のままでいられるのかって事だ。俺の興味はそこにある」

 

「それは双子の件で証明してやった」

 

 

 サングラスの奥で微かに歪んだ張の瞳を、マクレーンは見逃してしまった。

 

 

「あれは他人によって作られた怪物だ。あんた自身はどうだ?」

 

「あ?」

 

「誰の目も焼いていないと、本当に言えるのか?」

 

 

 思わず押し黙るマクレーン。目付きからは、鋭い動揺が伺える。

 

 

「あんたは試されている。そしていずれ、また試される事になる。これは謂わば、前哨戦に過ぎん」

 

「……どう言う意味だ」

 

「その内分かるさ、伝説の刑事さん」

 

 

 ビーチが見えて来た。順当に行けばマクレーンはここで降ろされ、ベッドへと直行出来る。

 しかしこれまでの張との会話が、彼の心を強く惹きつけていた。不気味ながらも、謎の焦燥感が彼を駆り立てている。

 

 

 張はまたマクレーンに横顔を見せ、座席に深く凭れた。

 

 

 

 

「話を戻そうか……薄々お気付きとは思うが、ヒズボラはアメリカで『テロ』をおっ始めるつもりだ」

 

 

 マクレーンは一瞬だけ、呼吸を止めた。

 砂浜への案内看板が見え始め、車も停車準備の為スピードを落とし始める。

 

 

「奴らの文書と言うのは、その計画書だ。今はラグーン商会の手にあるが、取り返されれば数万人が死に、大統領が入れ替わる」

 

「やっぱりかクソッタレ、あの馬鹿どもが……てめぇ、そんなモンを最初ヒズボラに返そうとしたのかぁ?」

 

「結局はCIAと協力してやったんだ。それに本当なら米軍がやるような戦争を俺たちが請け負っている。水に流してくれ」

 

「図々しい奴め……」

 

 

 憎々しげにマクレーンは膝を叩く。パアンと車内に破裂音が響いた。

 

 

「既に撹乱の為、四つの隊がロアナプラを出発している。ラグーンらが当たりで、そのゴールはバシラン島だ」

 

「バシラン……『アブ・サヤフ』か。ハッハッ……カダフィ・ジャンジャラーニで正解じゃねぇか」

 

 

 アブ・サヤフとはフィリピンで活動するイスラム主義組織で、カダフィ・ジャンジャラーニとは組織の指導者の名前だ。

 バシラン島の事情を思い出したマクレーンは頷き、納得する。

 

 

「確かアブ・サヤフが暴れ出して、フィリピン軍が米軍と一緒に制圧に動いているとか……なるほどなぁ。この街から一番近い上、お高いエージェント様が快適な空の旅でアクセス出来る場所と言えば……って、寸法か?」

 

「詳しいな。ニュースを観て文句を言うだけな、典型的中年の習性による賜物って訳か?」

 

「刑事として当たり前の事をやってんだクソッタレ……一言が多いんだてめぇは……」

 

「プライベートぐらい仕事は忘れた方が良いぜ、刑事さん」

 

 

 にやりと、張は微かに笑った。そこから更に補足を挟む。

 

 

「まぁ、その通りだ。九年前にスービック・ベイから米軍が撤退して以降、フィリピンは米軍の侵出に過敏だ。理由はどうあれ諜報活動をしていると知られれば国際問題だ、マニラを堂々と歩く訳にもいかない……だが、バシランの特殊作戦キャンプならば文句は言われまい。そう言う事だ」

 

 

 

 

 ビーチが良く見渡せる場所まで近付いた。人は全くおらず、ゴミが散乱した汚いビーチだ。海も微かに濁っている。

 車も停まろうとしていた。停車する前にはと、張はやや早口気味で話す。

 

 

「ラグーン商会に託したが、実のところ不安でな。どうでもヒズボラの奴らには、『ジョーカー』が付いているようだ」

 

「ジョーカーだぁ? ゴッサムシティはこの街の方だろが……」

 

「奴らがただの自爆バカならこうはならなかった。兵の統率力は高く、情報の伝達も迅速で、対応も的確だ。バシランが本命ってのも読まれているかもしれん。ラグーンがヘマをしないよう策を練ってはいるが、保険はあるに越した事はない」

 

「オカジマも着いているだろ? なら平気だとは思うがね」

 

 

 マクレーンは張へ一瞥もせず、断ろうとする態度だけを見せ付けた。

 

 

「結局、俺を死地に送って殉職させようってのが魂胆なんだろ? 俺ぁもう関わらねぇ」

 

「失敗すれば、あんたの祖国が傷を引き受ける事になるぞ」

 

「俺の出る幕じゃねぇって言いてぇんだ。俺を助けた事に感謝はするが、てめぇに尽くそうって気にはならねぇ。まぁ、事が落ち着いたらシャンパン辺りなら送ってやる」

 

 

 看板はもう目の鼻の先だ。車のメーターはどんどんと下がり、停車する寸前だった。

 

 

「これはあんたにとっても、悪い話じゃないハズだがな」

 

「悪いかどうかは俺が決めんだ。兎の穴にしてはこれは、臭い過ぎる」

 

「愛国心ってのがないのか?」

 

「三合会は中国にいられねぇから香港に逃げてんだろ? んな奴らが愛国心語っても説得力ねぇぜマヌケ」

 

 

 車が停まろうとする。

 

 

 直前、張は最後の誘い文句を放ってやった。

 

 

 

 

 

 

「あんたの事は話している。あんた、CIAに好かれているんだな? キャンプまで来れば、米国まで送ってやるそうだ」

 

 

 マクレーンの視線が張へ向く。分かりやすいほどの反射行動に、内心でほくそ笑んだ。

 

 

「家族に会えるぞ……あぁ、『元』家族だったな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 停車する。

 そこはビーチではない。ロアナプラ郊外にある、寂れた海岸飛行場だ。

 

 車を降りたマクレーン。念願のロアナプラ脱出を果たしたものの、その表情には翳りがある。そんな彼へ張は、車の中から言葉を投げかけた。

 

 

「エリオット爺さんとやらに、さっき言った事を話せば良い。奴はアメリカ人のあんたなら喜んで乗せてくれるハズだ。金はこっちで受け持つから安心しろ」

 

「………………」

 

「フィリピン軍基地のレーダーの影響で、空路じゃ島の侵入に少し難儀するかもしれん。まぁ、そこはあんたのキャリアとやらに委ねるさ」

 

 

 振り返り、鬱陶しげな眼差しで睨む。視線から注がれる敵意と悔しさを浴び、尚も張は楽しげだ。笑顔を見せ、マクレーンへと更に続ける。

 

 

「愛国者じゃなかろうが、祖国には帰りたいもんだ。俺の話に乗った事、悔しがる理由はないだろ? 一応忠告だが、この飛行場より外に出れば警察に捕まってロアナプラへ強制送還だ」

 

 

 窓を閉め、退散しようとする。声が届かなくなる前に、マクレーンは声を張り上げた。

 

 

「俺を逃がすのはなんでだ!」

 

 

 閉まろうとしていた窓を止め、少し間を置いてから答える。

 

 

「バラライカと俺は違うってこった。あっちはあんたに街で死んで欲しいそうだが、俺はとっとと消えて欲しいと思っていたところなんだ。CIAが味方に付いているなんざ、絶好の機会だろ?」

 

「俺を試しているって話しの本音は!?」

 

「バシランはテロリスト共の巣窟だ。正直なところ、俺たちが雇った『逃がし屋(ゲッタウェイドライバー)』と合流し、明後日までに基地まで行けるかは奇跡に近い。帰還兵となるか戦没者となるか、賭けさせて貰うよ」

 

「……てめぇにとっちゃ、ヒズボラとの戦争もゲームの内ってか」

 

「楽しんだモン勝ちだ。快楽に理屈はいらない。そうだろ?」

 

 

 再び去ろうとする彼へ、マクレーンは最後の質問をした。

 

 

「あと一つ!『泰山府君(たいざんふくん)(それ)我也(われなり)』……どう言う意味だこりゃ!?」

 

「現地で聞け」

 

 

 そう言い残すと、張は車と一緒にロアナプラへと去って行ってしまった。

 残されたマクレーンの背後では、甲高いエンジン音とプロペラ音が響く。近場にある波音さえ掻き消す轟音に、顔を顰める。

 

 

 

 アメリカへ帰れる──家族に会えると言われ、思わず乗ってしまったマクレーン。

 言うのは彼自身、双子との一件以降、もう一度子どもらに会いたいと言う気持ちが強まっていた。そこを突かれたなと、マクレーンは自身の軽率さに呆れ返る。

 

 

 だが、張の真意が気になる事も確かだ。

 どうにもマクレーンを逃がす以外に、まだ狙いがあるようにも思える。

 

 

 

 

「……CIA以外にも、誰かと会わせたいのか?」

 

 

 考えても仕方ないし、乗ってしまった以上、ここからは一本道だ。

 忌々しげに顎を掻きながら、皺の寄った眉間のまま前を向く。

 

 

 

 平和な月曜日である事を願っていたが、結局はこれかと溜め息を吐く。

 重い足取りだが、それでも一歩一歩と進んで行く。

 

 

「最悪な月曜日だ……これは自分の為で、アメリカ国民の為ってか? タイに来てもやる事はやらされるんだなクソッタレ……」

 

 

 もう一言だけボヤいた。

 

 

 

 

 

 

「『公共の味方(パブリック・サーヴァント)』は辛いな」

 

 

 騒音に消されたボヤきを携え、飛行場へと入って行く。

 彼は今、特殊任務に就いている。



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Geek Stink Breath 1

表紙を作ってみました。

【挿絵表示】



 運び屋の水上機が一機、沖合の海面を滑るように着水した。

 コバルトブルーの海原の上で機体のエンジン音は段々と緩やかになって行き、合わせて速度も落ちて行く。

 

 フロートから水尾が続き、小波にぶつかり砕けながらも歪な波紋を作る。そしてその水尾が細々とした線となった頃合いで、機体もエンジン音も止まった。

 

 後方のドアが開かれる。顔を出したのはマクレーンで、燦々と照り付ける太陽から目を守る為に眉間の上を手で遮っていた。

 

 

 

 

「……マジで到着しやがった……これで俺も不法入国者だなクソ……」

 

 

 自分が海の上の、しかも国境を越えた先にいる事に驚きを隠せない。

 遠い水平線、底の見えない海原、広い大空と白雲の群れが視界いっぱいに覆う。

 

 前後左右から穏やかな海鳴りの音。

 その上で微か揺蕩う水上機の動きを不快に思いながら、半開きだったドアを全開まで動かした。

 

 

「……なぁ爺さんよぉ? 本当にレーダー掻い潜れてんのかぁ? 海軍がこっちに戦艦送り付けてるってなってりゃシャレじゃねぇぞぉ?」

 

 

 操縦席にいた、豊かな髭面とタンクトップにサングラス姿と言う、ファンキーな風貌の老父がコーラ瓶片手に高笑い。

 

 

「この、マイク・エリオットを舐めんじゃねぇ! 海がラグーン商会とやらなら、ワシは空のエリオットだぁ! その気になりゃあ傭兵ども乗っけて、我が愛機『アルバトロス』で世界中を誰にも気付かれずに飛ぶ事だって可能だぁ!!」

 

「カハハ……そりゃ何とも……」

 

「こないだも国に帰るっつー兄弟連れて国境を超えてやったわい! ダッハッハッハッ!!」

 

「へへ、そうかよぉ……」

 

 

 エリオットの言葉を聞き流しながら、マクレーンが必死に機内で膨らませていたゴムボートを船外に引っ張り出す。

 ボートを海に浮かべ、その上にベレッタ M92FSと替えの銃弾を入れたバッグを投げ込んだ。

 

 流されないようにボートに結んだロープを握りながら、マクレーンは再びエリオットの方を向いた。

 

 

「こっからおたくはどうすんだ?」

 

「仕事がまだあるからなぁ! 一度タイに戻って、そんでまた明日ここに来るさぁ!」

 

「……んな、ちと買い物行くって感じで不法入国されんじゃたまんねぇよなぁ、しかも往復でよぉ……なぁ、フィリピン……」

 

 

 今回はその片棒を、マクレーンが担がされている。その事実に罪悪感を覚えながらも、「後には引けない」とゴムボートへ飛び乗ろうとするマクレーン。

 背後からエリオットが最後にまた、話しかけて来た。

 

 

 

 

「そいよか我らがヒーロー、ジョン・マクレーンよぉ!!」

 

 

 生粋かつ愛国心豊かなアメリカ人であるエリオットは勿論、マクレーンの事を知っていた。機内でも散々、ナカトミビルの件やダレス国際空港の件を根掘り葉掘り聞かれたものだ。

 マクレーンも何度も「我らがヒーロー」と言われて、その度に苦笑いを溢してしまう。

 

 

「……なんだぁ、爺さん?」

 

「やけに辛気臭ェ顔してやがんなぁと思ってなぁ!? ワシらはこれから、大義をこなすんだぞぉ!? もっと陽気になりゃ良いさぁ!」

 

「死にに行くかもしんねぇのに、陽気になれと?」

 

 

 エリオットは興奮気味に唾を飛ばしながら、雄雄しく語った。

 

 

「肉まん顔の共産主義者どもに頼まれるたぁ癪だが、ワシらのやる事ぁアメリカを守る為の特殊任務だろお!?」

 

「…………かもなァ」

 

「お国の為にヒーローが立ち上がるなんざ、まるで映画かドラマみてぇだろぉ!?『史上最大の作戦』かぁ!? 寧ろ『ナポレオン・ソロ』かッ!? そんな名誉ある役割を与えられたんだぜ、最高と思わずにいられるかってんだッ!!」

 

「あぁ」

 

「偉大な母国を救うんだヒーロぉッ!! もっと陽気にならなきゃなんねぇだろッ!? 作戦の成功ってのは士気次第だぜヒーローッ!!」

 

 

 一度だけ渇いた笑いをあげた後に、マクレーンは彼へ一瞥もせずに言葉を返した。

 

 

「……お生憎さん。俺はナポレオン・ソロでもねぇし、だからってイリヤ・クリヤキンでもねぇ……あぁでも、おじさん(アンクル)ってのは合ってるか?……まぁ、あまり戦争映画やスパイドラマみてぇなのを想像してくれるな」

 

「だとしてもアンタは米国の英雄だッ! リアル・キャプテンアメリカだッ!! そうだろ!?」

 

「へへ……忘れられちゃあ困るが俺の本職はヒーローじゃなくて、おまわりさんだ。普段は『センチュリアン』ぐれぇの毎日を送ってたんでなぁ……正直こう言うのは願い下げなんだ。明らかに越権行為だろぉが?」

 

「んなら、なんで三合会の依頼を受けたんだぁ!?」

 

 

 匂い立つ潮風を目一杯吸い込み、溜め息として吐く。

 最後に一言言い残し、マクレーンはゴムボートへと飛び降りた。

 

 

 

 

「……家族を救う為だよぉ」

 

 

 飛沫が立ち、そして消える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バシラン島──フィリピンの南東部にある島だ。

 バシラン含めたスールー諸島の島民には、ムスリムが多い。と言うのは元々、イスラム教国であったスールー王国の名残であり、スペインとイギリスによる植民地政策によって消滅するまで絶大な影響力があったと聞く。

 

 フィリピン自体がそう言った他国からの植民地支配や、独立を宣言した矢先の米比戦争、また第二次世界大戦による戦火と言った歴史的な多くの災禍を経験してやっと独立を勝ち取った国であり、それだけに当時の列強諸国に対する感情も複雑だ。

 特に植民地政策の一環で行われたキリスト教の布教によってムスリムの反発を生み、彼らによる独立闘争によって何度も血が流れ、今尚もその遺恨が残っている。

 

 

 1970年に発足した「モロ民族解放戦線」は、そう言った負の歴史と積年の末に生まれた組織だ。

 キリスト教の台頭と流入や、当時のマルコス政権が反共主義を掲げて親米的な態度を取った事による反発で発足され、武力蜂起を開始。共産主義を掲げる左翼組織とのいざこざも含め、現在まで続く「フィリピン紛争」の引き金となる。

 

 

 

 後にモロ民族解放戦線は、1996年にフィリピン政府との和平交渉によって、ミンダナオ島西部とスールー諸島の自治を認められて政府となった。

 だが与えられた自治区が限定的だとして、様々な派閥が組織より独立。

 

 

 バシラン島で活動する「アブ・サヤフ」も、その独立した組織の一つだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボートを漕ぎ、マクレーンは汗だらけで島に到達した。

 首にぶら下げたタオルで汗を拭いながら、情けない声と共に桟橋を這い上がる。

 

 

「ひぇ〜〜……なんでただの刑事がこんな、ネイビーシールズみてぇな事しなきゃなんねぇんだぁ? しかもマフィアの頼みでよぉ……クソッタレ。何かが間違ってる……本当なら大統領から任命されて、そんでペンシルベニア大通りで凱旋パレードだっつぅのによぉ……」

 

 

 ボートと桟橋とをロープで固定し、銃器の確認を終えた後に島の土を踏む。

 そこは港の村で、家々が立ち並んでいた。しかし全くと言って良いほど、人の気配がない。道路上も車や屋台、ゴミすらない。

 

 

「……えぇと? 確か、二年ちょい前から戒厳令だっけか? んで、島民の殆ど避難だとか……マーシャル・ローだなこりゃ」

 

 

 砂煙立ち昇るゴーストタウンと化した村を、周囲を警戒しながら進む。

 熱帯特有の湿り気ある暑さがマクレーンの皮膚を焼く。飛び交う砂埃と羽虫を手で払いつつ、懐から出した地図を見やる。

 

 

「多分、今はこの辺だよなぁ?……とすると待ち合わせ場所っての……あー……この先か?……合ってんのかこりゃ?」

 

 

 張から貰ったバシラン島の地図を眺め、指定された場所を殆ど手探りの状態で目指す。

 途中、すぐ近くから車のエンジン音が聞こえ、咄嗟に近場にあった家の影に隠れた。

 

 

「うぉおぉい……な、なんだ? 迎えかぁ?」

 

 

 すぐ隣の道路を、数台の車が通る。

 こっそりと見てみれば、ロアナプラで遭遇したような、顔をスカーフで覆った男たちが乗っていた。

 

 

「……クソッタレがよぉ……戦地のど真ん中に入っちまってんじゃねぇか……政府軍は検問してるハズだろぉ。仕事してんのかぁ?」

 

 

 寧ろ自分から飛び込んだのだと理解し、マクレーンはただひたいに手を当てて首を振る。

 

 

 

 

「……んまぁ、『非武装地帯』はあるらしいし……ヤバくなったらそっち目指すかねぇ」

 

 

 非武装地帯とは戦争や紛争で対立する双方間で取り決められた、一切の戦闘行為を禁止している中立地帯だ。

 この非武装地帯は、バシランでは戦闘地域と政府軍キャンプとの境目に設置されている。

 

 反政府組織と言えど、無闇な戦闘によって消耗はしたくない。やろうと思えば政府軍キャンプに全隊突撃も可能だが、それをしないのは相手との物量差で押し負ける事が見えているからだ。

 

 対する政府軍も、絶えず移動しては隠れて攻撃するゲリラの追跡が難しい。また軍には世間体と言うものがある……無茶な作戦で下手に兵を死なせれば、国民からの失望や非難も避けられないだろう。

 

 

 故に、互いに一切の干渉をしないと取り決めた非武装地帯の存在は必要だ。

 主にこの非武装地帯は、ゲリラ側が安全に人質を引き渡せる場所として指定されている。

 

 

 政府軍もゲリラも、互いにこれを破る事はできない。

 もしこの地帯で一発でも銃弾を放つものなら、お互いにとっての「逆鱗」ともなり得るからだ。

 これは主義主張ではなく、人間としての「約束」の破壊力を理解した上での、一つ抑止力だ。

 

 

 

 

「……言ってそんな、うじゃうじゃいる訳じゃねぇか」

 

 

 車列が過ぎると、再び静寂が辺りを支配する。

 この隙にとマクレーンは駆け出し、街道を避けながら、目的地たる隣の村までひたすら進む。

 

 すっかり太陽は夕陽となり、空の青は次第に橙色へと変わって行く。

 暗くなる前にと急ぎ、何とか目的地へ到着してみせた。

 

 

「あー……十二年前を思い出すなぁ……こうやってよぉ、いつどっから飛び出すか分からねぇ野郎どもから隠れながらよぉ……クソゥ。そろそろ穏やかに刑事をさせろってんだ……」

 

 

 目的地の村も、相変わらず閑散としていた。

 まともな人間はいないのかと思った時に、路地から出た先で一台のジープ・チェロキーを発見する。

 

 

「…………アメリカの車なんざテロリストは乗らねぇよな……多分」

 

 

 恐る恐る近付き、中を覗く。

 運転席も助手席も、後部座席も全て空っぽだ。

 

 

「……ただの乗り捨てか? いや、やけに綺麗だ……」

 

「気付けたならとっとと離れるよ」

 

「ッ!?!?」

 

 

 背後から妙齢の女の声。

 咄嗟に銃を引き抜くべくホルスターへ手を伸ばし、振り向こうとする。

 

 

 だがどちらとも出来なかった。

 銃を抜き、振り向く前に、首元に冷たい物をチラつかされたからだ。

 

 

「……ッ!?」

 

 

 鉈だ。

 鋭利に磨かれた鉈の刃が、ぴとりとマクレーンの首の、触れるか触れないかの辺りに置かれている。

 

 

「お、おぉ……!?」

 

「素早いね、でも鈍感。ここ紛争地域、油断大敵ですだよ」

 

「…………」

 

「少しでも動く、と、首だけで息吐く事になるね」

 

「………………」

 

「黙るないで、何か話す」

 

 

 マクレーンは眉を寄せ、少し小馬鹿にしたような苦笑いのまま、背後の脅迫者に向かって話しかける。

 

 

 

 

「……なんつー英語だ。今どきの出稼ぎ労働者でももうちょい上手ェぞぉ?」

 

 

 鉈の刃が首の薄皮まで触れる。

 

 

「うぉおお……!」

 

「無駄話は嫌いね。とっととネーム、言うですよ」

 

「……ケッ」

 

 

 煽ってみたところでフランス革命の二の舞になるだけだ。

 仕方ないと踏んだマクレーンはまず両手を上げて、「名前」を言う。

 

 

「……タイザン・フクンだ」

 

「……なんですて?」

 

「だからタイザン・フクンだっつの……其れは我也ってな……あー、発音合ってるか?」

 

「…………」

 

 

 鉈の刃だけではなく、脅迫者の顔もマクレーンの真横へ現れた。

 切れ長の目をした、中国人と思われる女だ。こんな紛争地域の人間とは思えないほど綺麗に化粧を施しており、それだけで戦場の人間ではないと察せる。

 元々下がり気味の眉を更に下げて、女はまじまじとマクレーンの顔を見ていた。

 

 

「……そんなにアメリカ人が珍しいか?」

 

「……お宅、海賊? やけに早いですね?」

 

「いや海賊……ラグーン商会じゃねぇが……あー……どっから説明すりゃ良い?」

 

「おい『シェンホア』ーッ!! どうだったーッ!?」

 

 

 するとまたもう一人の声。こちらは幾分か歳を食った、酒焼けた男の声だ。

 

 

「そいつ敵だったかーッ!? 海賊どもにしちゃ早過ぎるだろーッ!?」

 

「『レガーチ』、この兄さん、張さん決めた合言葉言えたね」

 

「はぁ? じゃあやっぱ海賊かぁ?……チャレンジャー号ですっ飛んで来たのかっつーぐれぇ早ェな?」

 

 

 シェンホアと呼ばれた女は保険の為、マクレーンのホルスターから銃を没収。抵抗される心配をなくしたところで、やっと鉈をマクレーンの首から離してやった。

 先ほどまで刃が当てられていた箇所を摩りながら、くるりと振り返る。

 

 

 

 ロアナプラに拘束されてからは、何が現れても驚くまいと踏んでいた。

 だがマクレーンは目の前にいる二人の人間を見て、計らずも目を丸くする。

 

 

 

 男の方であるアイルランド系の「レガーチ」は、大した驚くような見てくれではない。

 派手なシャツと緩く撫で付けた髪、だらしない髭面に色付きサングラスの、ロアナプラでも良く見た「南国風アウトロー姿」。首や手首にそれぞれ何重にも着けたネックレスやブレスレットが、どうにもヒッピーを彷彿とさせる。

 

 

 

 マクレーンを驚かせたのは、女の方の「シェンホア」だ。

 

 

「…………あー……あ? な、なんだその格好?」

 

「……? なにか?」

 

「……おたく、これから宮廷にでも入ンのか?」

 

「失礼な」

 

 

 ラフでややだらしない格好のレガーチと違い、シェンホアは髪の毛の先から爪先まで綺麗に整っていた。

 何よりも彼女の服装だ。派手な赤色と刺繍の入った「チャイナドレス」の姿だが、腰まで入ったスリットによって両脚から下着の紐まで見えてしまうほど扇情的に改造されている。

 太腿に巻かれたガーターには細いナイフがセットされ、完全に見た目は「ドラマで観る中国の暗殺者」。マクレーンの度肝を抜くには申し分ないインパクトだ。

 

 

「自由な世界ね。どこ行っても好きな服着る、問題はノーよ」

 

「……『007』の悪役でももうちょい大人しい見た目だったぞ」

 

 

 そのマクレーンの返しが面白かったのか、彼女の隣に立っていたレガーチがケタケタと笑う。

 

 

「ダーハッハッハ!! それは言えてるぜアンタ! 俺も最初そう思ったからなぁ!」

 

「男は、特にオッサンはみんなデリカシーないね……」

 

「つーか、なんだアンタ? 白人じゃねぇかよ。車の前に誰かいるってビビって損したぜ。海賊なんだよな?」

 

「どうやら違うます、みたいよ」

 

「はぁ? んじゃ観光客かぁ?……どっかで見た事ある顔してるが」

 

「こんなトコ観光来るの、キチガイか自殺志願者だけね」

 

 

 マクレーンは上げていた右手を下ろし、もう片方で困ったように頭を掻く。

 

 

 

 

「……とりあえず車に入れてくれや。暑くて仕方ねぇんだ」

 

 

 レガーチはシェンホアと目配せした後に、ポケットから車のキーを取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車内に積まれていたクーラーボックスから、二本のビール瓶を取り出す。

 一本は後部座席のマクレーンが、もう一本は運転席にいるレガーチに渡される。

 

 

「なんだアンタ、とんだ災難だったな! 巻き込まれてこんなトコ来ちまうなんてなぁ?」

 

「断ったんだが……恩着せがましい童顔野郎(ボス・ベイビー)の口車に乗っちまった。そんで、あれよあれよで弾丸フィリピンツアー決行だよぉ……」

 

「張の旦那もツイねぇ事ってあんだな。もうちょい待てばアンタにブツ託せて、今頃仕事も済んだのによぉ」

 

「いや、どうだかなぁ……俺が来れたのは、敵のマークを外れたからだ。最初から空で行くなんてしてりゃ、向こうもやり方変えてたろうな……」

 

「意外と謙虚だな」

 

「そいよか、俺の銃を返してくれよなぁ?」

 

 

 ベレッタを没収したシェンホアに頼み込むも、彼女は首を振る。

 

 

「ドンパチやるまで預かるます」

 

「クソッタレ……こんな良い男が信用ならねぇのか?」

 

 

 悪態吐きながらも栓抜きで瓶の蓋をこじ開け、マクレーンとレガーチは同時にビールを煽る。

 対して助手席にいるシェンホアは、鼻歌混じりに化粧直しをしていた。

 

 

「でも分かるないですだよ」

 

「……おたくの英語聞く度に笑っちまいそうになるぜ」

 

「張さん、どうしてあなたに頼むか? また、どうして引き受けるますか、ミスター・泰山府君?」

 

 

 マクレーンはまだ自分の名を名乗っていないので、二人から「ミスター・泰山府君」と仮称されている。

 彼女のされて当然な質問を前に、マクレーンは言い淀んだものの、ビールをラッパ飲みしてから話し出した。

 

 

「……張は俺を試したいだけだそうだ」

 

「おいおいおい? 旦那が試したいって頼むなんざ、なんだおめぇ大物かぁ? サインは幾らで売れんだ?」

 

「試す頼まれますても、フツウ引き受けるノーね。なぜか? ペイ?」

 

 

 後部座席にどっかりと身を埋めながら、マクレーンは白状するように言う。

 

 

「金じゃねぇよ。アメリカに帰る為だ……ほれ、ラグーン商会乗せて行くっつー基地にエージェント様が待ってんだろ? 俺が行けば、ブツと一緒に俺も本国へ運ばれる……ってこったぁ」

 

「はぁ? んなV.I.P対応……おめぇ何モンだぁ? もしやスパイか? ロバート・マッコール? ローラン・ハンド? 寧ろスマートか?」

 

「違う違う。紛争地域にいる自国民を送還させるって奴だ」

 

 

 シェンホアは口紅を塗りながら話す。

 

 

「ソレ試す言うより、厄介払いね。言い方がなんて大袈裟な」

 

「大袈裟じゃねぇ。試されてんのは確かだが、厄介払いってのも合ってんのさ。奴はとっとと俺に出てって欲しいと言ってた……バラライカの奴と違ってな」

 

「なんでそこでバラライカが出るんだぁ!?」

 

 

 驚きからビールを零しかけたレガーチの反応を半ば、愉悦に感じるマクレーン。素性を明かすのは止めといてやろうと、悪戯心から決定する。

 

 

 

 

「まぁ、そう言うこった。とりあえずオカジマ……ラグーン商会には恩人がいる。そいつを助けられるし、アメリカをテロの魔の手から救えるし、明後日にはニューヨークの雪を眺めながらバドワイザーが飲めるんだ。一石投げて三鳥も殺せる……これが、俺が張の提案に乗った理由だよぉ」

 

 

 やけに素性に関して煙を巻く彼へ、シェンホアもレガーチも怪訝な顔を見せた。

 勿論、彼がテロリストの仲間とは思っていない。今回の事情を良く知っているし、何より言葉の一つ一つに自信が宿っている。

 

 シェンホアは目を細め、バックミラー越しにもう一本ビールを飲もうとするマクレーンを見やる。

 

 

「得体の知らない人と仕事出来ないね。銃も返すない」

 

「別に構わねぇ。俺ぁここで降りて、勝手に基地へ行きゃ良いだけだからよぉ。丸腰でもまぁ、何とか出来るさ」

 

「やけに場慣れてるですね?」

 

 

 ポンっと栓を開け、バックミラーへ不敵な笑みを見せつけてやる。

 

 

「……特殊任務は、過去三回経験済みだよぉ」

 

 

 ビール瓶を掲げて、乾杯。

 外はすっかり日が落ち、暗くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 途端に、レガーチがボックスを開けて白い小さな包み紙を取り出す。

 それを見たマクレーンは瓶口から口を離し、指摘する。

 

 

「おいおいてめぇてめぇ! そりゃ『ヤク』か!?」

 

「おぉ、良く分かったな。おめぇも好きか?」

 

 

 紙から注いだ白い粉で、ボード上に白線を作る。その白線に、鼻を近付けて吸おうとした。

 

 

「レガーチ、仕事前は薬ノーだです」

 

「うるせぇ。暇な時こそキメ時だ」

 

「馬鹿野郎ぉ! 運転する奴がキメる奴があるかぁ!? 酒で酔うたぁ訳が違うんだぞぉ!?」

 

 

 すぐに後部座席から乗り出し、吸おうとするレガーチを引き止めて白い粉を叩き落とした。

 

 

「アーーーーーーーッッ!?!? 何しやがんだッ!? 幾らかかると思ってるぅッ!?」

 

「知るかッ! とりあえずヤクは駄目だクソッタレ! おい俺が預かる!」

 

 

 暴れるレガーチを押し退けて、ボックス内に入っている小袋の回収をマクレーンは始めた。

 若干彼に肩を押されながら、シェンホアは呆れ顔で眉を描いている。

 

 

「おいおいおいおい何勝手に取り仕切ってんだクソオヤジッ!?」

 

「なぁにがクソオヤジだ、若い奴ぶりやがって! てめぇと歳は近ェよ!」

 

「おいシェンホアッ!? このイカれを止めてくれッ!!」

 

「コレに関して私も賛成ですだよ」

 

 

 中年男二人の争いを煩わしく思いながら、ふとシェンホアは外を見た。

 

 

 その際、遠くを走る不穏な車列に気付く。

 

 

「……珍しいね。車通るない道だなのに」

 

「あ? なにぃ?」

 

「薬ぃいッ!!」

 

 

 シェンホアに促され、マクレーンのそちらを見る。

 軍用車と思われるオフロード車が数台、港の方へ走り去って行く。

 

 

「……あの車……」

 

 

 マクレーンはその車に見覚えがあった。確か隣の村で、テロリストらが乗っていた物と似た車種だと。

 

 

「怪しいな。こっそり追えるか?」

 

「あぁあッ!? どーせゲリラの討伐作戦に行く政府軍だろがッ!? 人から楽しみと快楽奪って命令するたぁ、どう言う了見だテメェッ!?」

 

「追ったら薬返してやるよぉ」

 

「ぎぎぎぎ……ッ!!」

 

「おう。孫子もビックリの交渉術ね」

 

 

 とうとう折れたレガーチが車のエンジンを点け、アクセルを踏み込んだ。

 車が動き出した時に、マクレーンは思い出したようにシェンホアへ質問する。

 

 

「そういやタイザン・フクンってのはなんだぁ? 嬢ちゃん知ってるか?」

 

「泰山府君は中国の神様ね」

 

「どんな神様だ?」

 

「罪人を地獄に連れて行くますよ」

 

 

 それを聞いて思わず失笑するマクレーン。

 

 

 

 

「…………案外お似合いかもな。俺に」

 

「ほら動かしたから返せ俺の薬ぃッ!?!?」

 

「そこの残りカスでも吸ってろぉい!」

 

「足りるかよッ! ジャンキーの気持ちを理解しやがれッ!!」

 

「息がクセェッ! 黙ってろッ!!」

 

 

 夜が深くなるゴーストタウンの中で、ジープはガタガタと揺れながら走る。

 押し合いへし合いを続ける二人を尻目に、シェンホアは呆れ顔で眉を描き続けていた……少し眉がズレて、うんざりしたように溜め息吐く。




「Geek Stink Breath」
「グリーン・デイ」の楽曲。
1995年発売「Insomniac」に収録されている。
ポップパンクを代表する、音楽性も性格もパンクな三人組。毒だらけの歌詞と、シンプルで耳に残るキャッチャーなメロディーにより、メジャーデビューと同時に全米首位を獲得。世界的な人気を物にした。
「俺は特殊任務についている」と言う耳を引く一言から始まる、ご機嫌でヤンチャな一曲。


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Geek Stink Breath 2

 ジープは慎重に走行し、怪しいオフロード4WDの車列をヘッドライトを消して尾行する。

 

 海沿いの村内に入った途端に車列は分散を始めた。

 マクレーンは遠巻きから、それら車の動きを確認する。

 

 

「……村を包囲しているみてぇだ」

 

「この村、ラグーン商会との待ち合わせる場所ね」

 

「チキショー……んじゃぁ、あの車は政府軍じゃねぇ、テロリスト共だ。バレちまってんじゃねぇか……作戦失敗か?」

 

「ノーノー。張さん、バレるの折り込み済みよ。合言葉、その為ね」

 

「その合言葉もバレちまってる可能性は?」

 

「それもノー。張さん、そこまでお間抜けじゃノーよ。心配ノーノー」

 

「マジかよ……」

 

 

 そう不安こそ口にするものの、張の采配の良さと頭のキレは嫌と言うほど思い知らされた。バラライカとはまた違った、底知れなさのある男だ。

 

 

 口調こそ軽薄だったが、あのように軽薄な物言いの人間ほど狡猾に事を進める。

 不意にマクレーンの脳裏に、五年前の事件の首謀者「サイモン」の顔が過ぎった。張はそのサイモンと似ていた。

 

 

「……いや、オーケー。色眼鏡付けて、遊び心のある奴は信用するなって俺の説がまた立証出来そうだ」

 

「オイそいよかミスター・タイザンフクン!」

 

 

 ハンドルを切りながらレガーチは、苛立ちを募らせた声音で怒鳴る。

 

 

「テメェとっととヤク返しやがれッ!! 言う通りにしてんだろッ!?」

 

「ラグーン商会を乗せて、16ブロック先まで逃げる。それが済めば、死ぬまでやりゃ良い」

 

「ふざけんじゃねぇよッ!! 今すぐヤク食いてぇんだッ!!」

 

「安心しろぃ。事が済めば返してやるからよ」

 

 

 レガーチから押収した薬を詰め、マクレーンはパンパンに張ったポケットを見せ付け叩く。

 一度彼はハンドルへ頭突きした後に、歯を締めたような声でぼやいた。

 

 

「ぐぅう……このクソオヤジがよぉ……」

 

「だからテメェと歳変わんねぇっつの」

 

「馬鹿言うな、俺はヤクのおかげでいつでも頭は十代なんだ。お前より脳みそ若いんだよ」

 

「そりゃ若返りじゃねぇ、痴呆って言うんだ。いつか赤ん坊より酷くなるぞ」

 

 

 今の返しが面白かったのか、シェンホアは「にゃははは」と特徴的な笑い声をあげた。

 マクレーンもしてやったり顔を見せる。レガーチだけが楽しくない。

 

 

「クソッ、張の旦那はなんでこんな奴……試されてるか何だか知らねぇが、どっからどう見てもヘロヘロのオッサンじゃねぇか。薄毛進行中って頭だしよぉ、多分、他より老いが早ェタイプだぜアンタ。今の内にとっとと引退したらどうだ?」

 

 

 彼の悪態を聞きながら、マクレーンは溜め息を吐く。

 

 

「人間いつかは引退するもんだが」

 

 

 それから悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。

 

 

 

 

 

 

「……今はまだまだ、その時じゃない」

 

 

 

 

 

 

 雑談を交わしながらも、やはりレガーチはプロだ。

 この辺の地理は裏道まで全て把握しており、難なくテロリストらの包囲網を抜けて村内に侵入出来た。

 

 後は朝まで待機し、何か起こる前にラグーン商会を回収するだけ。

 ジープのエンジンを停止させると、レガーチはシートを勢い良く倒した。そしてわざと、後部座席のマクレーンにぶつけてやる。

 

 

「イッテェ!」

 

「んじゃ俺は寝る。見張ってろよ、小さな旅人さん」

 

 

 文句一つ言おうと口を開いた頃には、もうレガーチは耳栓代わりに、ウォークマンのイヤホンを挿して寝入ってしまった。

 

 

「クソッタレ……そいよか嬢ちゃん。もうそろそろ銃返してくれても良くねぇか?」

 

「ノー」

 

「ここはもう戦場だ。俺がアンブレイカブルなスーパーヒーローだったら良かったが、ここにいンのは普通に傷付く一人の人間だぞぉ? 護身用の武器は絶対に必要だ」

 

「だったら名前、言うですだよ」

 

 

 ナイフをチラつかせ、無理やり奪わせないと牽制される。

 

 今やロアナプラでは、ジョン・マクレーンとは「厄介者」と言う意味で使われている。

 シェンホアとレガーチもロアナプラの人間であり、マクレーンの噂は知っているハズ。

 

 

 ここで明かせば返って警戒心を今以上に高めさせてしまう。もどかしい気持ちを何とか抑え、残っていた瓶ビールに手を伸ばす。

 

 

 

「……あぁ。空から屋根突き破って俺を助けてくれよぉ〜、リー・ルー……」

 

 

 蓋を開け、ビールを飲みながら、微かに青い満月を見上げて情けなく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は六時少し前。テロリストたちを警戒し、シェンホアと共に寝ずの番をしたマクレーン。

 呑気に寝息立てるレガーチを叩き起こし、港の方へと車を走らせる。

 

 

 空は明け始め、浮かんでいた満月は段々と薄くなって行く。

 海の彼方より顔を出す目映い朝日を避けるように、ジープは桟橋近くの木の影に停まる。

 

 

「……テロリスト共め……海沿いには入ってねぇな。どうやら包囲の対象はこの港のようだ。まさにマーシャル・ローだなコリャ」

 

「さっさと乗せて、とっとと逃げるね。それしなきゃ集団ファックよ」

 

「だが向こうも下手にドンパチはしねぇハズだ。政府軍がすっ飛んで来るからな……それまで持ち堪えりゃ、嬉し悲しい勝利のVサインってな」

 

「そう簡単に行くすれば良いですね」

 

「ただ鉄火場になりゃあ、銃返せよぉ?」

 

知道了(チーダオラ)

 

「あ?」

 

「アイアイサーって意味ね」

 

 

 それからマクレーンは心配そうな眼差しで運転席を見やる。

 禁断症状が出始めたレガーチが、何度もハンドルに激しく頭突きしていたからだ。お陰で車はギシギシ微かに揺れている。

 

 

「ヤクだッ!! ヤクだッ!! 俺にッ!! コークをッ!! 寄越せッ!! 寄越せッ!! 寄越せてッ!! 言ってッ!! るんだああッ!!」

 

「大丈夫ですだよ。コークバグ見えるまでは運転ミスるないです」

 

「…………クラクションは押すなよ」

 

 

 目の上に手を翳し、辺りを観察するマクレーン。

 

 

 桟橋の先、朝焼けの中よりこちらへ歩く、二人の人影を発見した。

 

 

「誰か来たぞ」

 

「おう。時間ピッタシね」

 

「じゃあアレがオカジマたち…………あー、クソッ。すっかり忘れてた……」

 

 

 人影が近付く度に、その輪郭は鮮明になる。鮮明になったその正体はロックと、もう一人はレヴィだ。

 マクレーンはレヴィだと察知すると、頭を掻いた。彼女にはつい最近殺されかけたばかりだ。

 

 

「シェンホア。やっぱ銃返せ。あの女はマズい」

 

「嫁に浮気バレてるましたか?」

 

「違ェよ……その……あの女とは因縁ってのがあんだ。それこそ裁判所命令みてぇな感じに、お互い近付いちゃ駄目な程でな」

 

「……ならどうしてココ、来たね?」

 

「俺に言うな。張に言え」

 

 

 シェンホアはナイフの確認をしながら、呆れ顔で首を振る。

 

 

「銃、持つの良くないですだよ、寧ろ。私見たところ、とても『敏感』ね。武器持ってるの知られるとすぐに撃つよ、アレ」

 

「持ってなくても撃ってきそうなモンだが」

 

 

 桟橋を渡り切り、村の中へ入ったロックとレヴィ。木の影にいるこの車には気付かず、全く違う道の方へ話しながら歩いて行こうとする。

 

 

「おいおいおい……早くしねぇと、奴らに見つかる!」

 

「なら車降りるするして呼ぶね」

 

「馬鹿野郎! 今の話聞いてたろ!? お前が行け!」

 

「私、レガーチの用心棒(バウンサー)。コレから離れちゃ駄目ね」

 

「じゃあ奴らントコまで車を…………」

 

 

 レガーチはハンドルをガリガリ齧って、意味不明な言語で呻いていた。話は通じなさそうだ。

 思わず目頭を押さえ、「クソッ!」と悪態吐くと共に天井を拝んだ。

 

 

「……分かった。呼んで来る……あー呼んで来てやるさ、クソッタレ……」

 

「向こうもお仕事中よ。言って聞かせるすると良いね」

 

「…………ドタマ一発ぶちかまされたら、その塗ったばっかの化粧、台無しにしてやる」

 

「撃たれた後に? 幽霊にでもなるますか? 残念ね私、シックスセンス無いよ」

 

「死ぬ前にやってやるって意味だ」

 

 

 憎々しげにそう言い残すと、マクレーンは車を降りて、ドアを乱暴に閉めた。

 車の中からまた「にゃはは」と、楽しげな彼女の笑い声が微か聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 道すがらロックは聞いた。彼の左手には大層なブリーフケースが握られている。

 

 

「……何だか閑散としてるなあ」

 

 

 肩を回して軽くストレッチをしながら、レヴィは親切に教えてやる。

 

 

「人がいねぇのさ、ゴースト・ヴィレッジだ」

 

「…………おー」

 

「この島じゃ二年も前から戒厳令が布かれて──」

 

「…………あー」

 

 

 彼女以外の声が背後から投げかけられ、ピタリとロックは足を止めた。

 まだ気付いた様子のないレヴィに代わり、ロック一人が振り返る。

 

 

「え? もしかして張さんが言ってた逃がし屋──」

 

 

 途端、疲れ気味だったロックの表情が真顔に固まり、次には青褪める。

 たった二秒後には身体を跳ねさせ、大袈裟な驚き声をあげた。

 

 

「なッ!? え、えぇッ!? なんでッ!?」

 

「なんだロック? 誰かいんのか?」

 

「待って待ってレヴィッ!?」

 

 

 阻止しようとする彼の努力も虚しく、レヴィも足を止めてクルリと振り返った。

 

 

 彼女の目にはすぐに、ロックの後ろに立つ第三者の存在が映る……そこから即座にその第三者へ銃口を突き付けるまでが早かった。

 

 

「…………」

 

「……よ、よぉ。奇遇だなぁ」

 

「……なんでテメェ、ここにいんだ?」

 

 

 両手を挙げて、バツが悪そうに下唇を噛んだ中年のヨレた男──ジョン・マクレーンが照星の先にいた。

 一触即発の気配を察したロックが間に入り、レヴィに撃たせないよう射線を遮った。

 

 

「ま、待てレヴィッ!? 待った……て、て言うか、なんでマクレーンさんここにいるのッ!?」

 

 

 ロックの疑問は尤もだ。

 ここはタイを超えたフィリピンの僻地。いる訳がない男が亡霊のように現れたのだから。

 

 マクレーンはどこから話すべきかを頭の中で整理する。

 

 

「……まぁ、どう言う訳か……三合会の張に言われてな。ロアナプラからの仮出所って奴だな」

 

「いやいやいやいや何で張さんと繋がりがあるの!? あと……どうやってここまで!?」

 

「ヘイ、ロック。浮気されたチャチな女みてぇな問い詰めはやめな」

 

 

 立ち塞がっていたロックを乱暴に押し退け、レヴィはベレッタを一挺マクレーンの鼻先に向ける。

 

 

「レヴィ!?」

 

「ここでこいつが死ねば疑問解消だ。バイバーイ」

 

「おい待てってレヴィ!?」

 

 

 引き金に指をかけた彼女の前で、マクレーンは上着を脱ぐ。

 インナーの上から装着していた空っぽのホルスターを晒し、銃を持っていない事を示す。

 

 

「銃は没収中でな。俺ぁ今、丸腰なんだ。許してくれねぇか?」

 

「……丸腰だ、そりゃ良かった。あたしは撃たれる心配はねぇ。安心して9mmブチかませられるってこった」

 

「レヴィ待てッ!!」

 

 

 再び間に入ろうとするロックを手で制したのは、マクレーンだった。

 

 

「俺ぁ張に言われてる。合言葉も知っている……泰山府君、其は我也」

 

「……『超サイコー』じゃなかった?」

 

「ロック坊や。種明かしするとな、それは張の旦那のブラフだ……信じられねぇが、目の前にいる尻穴野郎の臭ェ息と一緒に吐かれたのが、本当の合言葉だ」

 

 

 酷い言われ様に、マクレーンは思わず苦笑い。

 

 

「……そう言うこった。つまり、俺らは仲間だ」

 

「仲間って薄ら寒い言葉を次吐きゃあ、即カマす」

 

「オーケーオーケー、気を付ける……とにかく、俺もオメェらの雇い主から特殊任務を与えられてんだ。その、ケースの中にある奴を一緒に届けるようにな……」

 

「あたしらの仕事で残るモンは、生者か死者だ。生者は金を受け取り、死者は誰にも知られずに消える……旦那にはヘマして死んだと伝えておくよ」

 

「待て聞け、落ち着け……ここは包囲されてる」

 

 

 ここでやっとレヴィは眉を上げて反応した。

 

 

「……出まかせ言いやがって」

 

「出まかせだと思うんなら撃ちな。サプレッサーも無しに撃てば奴ら、銃声に気付いて突っ込んで来るぞ」

 

「…………」

 

「……それと朗報だ。この仕事が済めば、俺は基地にいるCIAのお仲間さんに連れられて、アメリカに帰れる。つまり、もう二度と、テメェとは会う事ぁなくなんだ」

 

 

 マクレーンが参加した理由を聞き、ロックは隣で愕然とした表情を見せた。

 

 

「……逃がし屋たちはあっちの車にいる。それに乗って、とっととソレを運んじまおう。そうすりゃお前たちは金を貰えて、俺はあのシン・シティを出られんだ……それかどうしても殺してぇなら、せめて仕事が終わった後にしよう。ここで丸腰のオヤジ撃って、面倒臭い事になるよかマシだ」

 

 

 必死に言葉を尽くして説得する。

 未だに引き金を引かないレヴィを見て、マクレーンは内心で「シェンホアは正しかったな」と感謝した。彼女がすぐに発砲しないのは、丸腰で現れた事が気に引っ掛かったからだろう。お陰で話を聞く余地をレヴィの中に作れた。

 

 

 レヴィは一頻り考える。

 考えて、考えた末に、やっと銃を下ろした。舌打ちを一つ鳴らして。

 

 

「……ここでヘマこきゃプロの名折れだ。その原因がテメェってなりゃあ、殺したところで憎くて仕方ねぇ」

 

 

 説得は何とか済んだと、マクレーンは溜め息と共に手を下げた。それは隣に立っていたロックも同じだ。

 

 

「ほ、本当に無茶するんですからあなたは……!!」

 

「へへっ……まぁ、俺の性分みてぇなモンだ。しかし俺も結構口が回るなぁ……交渉人になって、人質(ホステージ)を無傷で救えるんじゃねぇか?」

 

「そんな事言って……」

 

 

 辺りに何もない事を確認すると、マクレーンは二人に指で車の位置を指し示す。

 包囲されている分、ここからは静かに行動をしなければならない。だからってモタモタしていれば、様子を見に来たテロリストらに追われる。

 

 シェンホアらが待つジープまで小走りで寄りながら、レヴィは聞く。

 

 

「……んで、ボーイスカウト。その逃がし屋はどんな奴だ?」

 

「一人はシェンホアって中国人の女。あいつの見た目と英語確認してみろ。笑うぞ」

 

「もう一人いるって聞いた」

 

「そっちはアイリッシュの男でな。ドライバーで腕は確か何だが、これがとんだヤク中でよぉ。今だって禁断症状でハンドル齧ったり頭突いたり、拍子でクラクション押さねぇかヒヤヒヤで──」

 

 

 

 

 静まり返った村内に、甲高いクラクションが鳴り響く。

 後に驚いた鳥たちが一斉に空へ飛び立ち、三人もまた身体を小さく震わせて足を止めた。

 

 

 クラクションは長々と、三秒ほど鳴り続けた。

 ピタリと止んだ頃に、マクレーンたちは緊張した面持ちでお互い見合わせる。

 

 

 

 

「…………嘘だよね?」

 

 

 そう零したのは、ロックだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠方から激しいスキール音が多数響き渡る。

 それは一気にこちらへ近付き、あっという間にマクレーンらを四方を囲む。

 

 粉塵を撒き散らし、数台の4WDが姿を現す。

 

 

「…………政府軍だよな? ありゃ?」

 

 

 窓を開き、身体を出した兵士たちは、AK47とAKS-74Uを構えた。

 マクレーンはレヴィの問いに対し、首を振る。

 

 

「……顔にバンダナ巻いた政府軍は見た事ねぇな」

 

「だよな──FUCK IT ALLッ!!!!」

 

 

 一斉に兵士たちは発砲開始。

 マクレーンらはレガーチらのジープとは真逆の方へ逃げる羽目になった。

 

 

「走れロックッ!!」

 

「け、結局こうなのかぁぁーーッ!!」

 

「だあぁああクソッタレどもがぁぁーーッ!!」

 

 

 三者三様に叫びながら、飛び交う銃弾から逃げ惑う。

 レヴィのみは愛銃のベレッタ二挺で応戦するものの、ロックとマクレーンは丸腰だ。

 

 

「オカジマッ!! 路地裏を通るぞッ!! 家の壁を遮蔽物にすんだッ!!」

 

「はは、はいぃッ!!」

 

「あ、オイッ!?」

 

 

 制止するレヴィには気付かず、マクレーンはロックを引き連れ、すぐ近くにあった家と家の隙間にあった路地に逃げ込んだ。

 

 

 

 狭い路地を進む途中、立て掛けてあった船のオールをマクレーンは手に取る。

 激しい銃声が後方からも前方からも響く。その度に数発の銃弾が家の壁を貫通し、二人は姿勢を下げてやり過ごした。

 

 

 路地の角を行った先、回り込んだ一人の兵士と鉢合わす。

 

 

「こんちくしょうッ!!」

 

 

 向こうがこちらを認識する前に、マクレーンは持っていたオールで殴った。

 ばきりと折れてしまうほどの力量で頭部を殴り、兵士は敢えなく倒れ伏す。

 

 すぐに銃を奪おうとしたものの、既に迫っていた別の兵士らがマクレーンとロックを視認し、AK47の引き金を引いた。

 

 

「オカジマ伏せろぉッ!!」

 

「うわっぷッ!?!?」

 

 

 鼓膜を破りかねないほどの轟音が断続的に響き、撃ち放たれた7.62x39mm弾。

 寸前で回避した二人は家の影に隠れ、弾雨をやり過ごす。

 

 

「クソッ……オイ、レヴィとか言うのッ!! 早くあいつら……」

 

 

 振り返るとロックだけで、レヴィがいない。

 どうやら戦闘の混乱の中、はぐれてしまったようだ。

 

 

「……あー、こりゃヤベェぞ……」

 

「ど、どうしますかマクレーンさん……!?」

 

「……くぅ〜……俺がジャッカルだったらなぁ……あんな奴らコテンパンにしてやれたのによぉ……」

 

 

 チラリと、今し方倒した兵士を確認する。

 殴られて気絶している彼の腕には、IMI UZIが抱えられていた。

 

 

 

 

「……もう危ねぇ橋は渡りたくねぇってのに……」

 

 

 撃ち続けていたAK47が弾切れを迎えたのか、間髪なく放たれていた銃弾の雨が止む。

 その隙を見計らい、マクレーンはとうとう飛び出した。

 

 

 兵士たちがマガジンを変えているその一瞬の内。

 IMI UZIを、マクレーンは難なく手にする。

 

 

 

「──ッ!?」

 

 

 予想外だったのは、気絶した兵士が目を覚まし、奪わぬよう腕を固く絞めてしまったところだ。

 マクレーンは銃器を取り上げられず、しかも兵士に胸倉を掴まれて動きを止められた。

 

 

 丸腰の男が間抜けに、兵士たちの射線の前に。

 

 

「…………あーオイ、冗談だろ」

 

 

 新たなマガジンを嵌め込み、装填を済まし、銃口が持ち上げられる。

 もうどうにもならないと踏んだマクレーンは、反射的に目を固く閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

「待て撃つなッ! そいつらは捕虜にするッ!!」

 

 

 途端に背後から男の声が聞こえた。

 流暢だが、どこか日本語の影響も含まれるイントネーションの英語だった。

 

 

 一体何者だと振り返ろうとする彼の首根を、背後から銃床で殴る。

 次に意識を手放したのは、マクレーンの方だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頬への強い衝撃と痛みで、暗闇から抜け出す。

 燦々と降りしきる陽光が網膜を焼き、それが眩しくて苦しくて、また瞳を閉じて闇に逃げようとする。

 

 

 暫くして目が光に慣れた。

 渇いた瞳をしばたたかせ、やっと視界が鮮明にハッキリと辺りを捉えられるようになる。合わせて五感もまた、冴えて行く。

 

 

 

 

 暑苦しい空気の中、仰向けに倒れるマクレーンの四方八方から、様々な銃器の銃口が向けられていた。

 

 

「…………冗談だろぉ?」

 

 

 それら銃器を向ける男たちを見て、自分は捕らえられたのだなと悟った。

 マクレーンは抵抗はせず、両手を挙げたままふらふらと上半身を起こす。

 

 

 

 辺りを見渡してみると、そこは気絶する前に見た光景ではなく、またあの時いた村でもなさそうだった。

 粗末な小屋が並ぶ、どこか別の場所。どうやらここは、敵の前線基地のようだ。

 

 

「…………あー……確かぁ、ジュネーヴ条約だか協定だかにあったよなぁ? 捕虜の取り扱いは慎重にとか──」

 

 

 兵士たちは更に銃口を突き付けた。AKの先端に付いたバヨネッタなんかは、あと数センチでマクレーンに触れそうなほどだ。

 

 

「……だよなぁ。戦争法とかお前らには関係ねぇよなぁ、クソッタレ」

 

 

 両手は挙げたまま、腰と足だけで何とか立ち上がる。

 剥き出しの殺意に囲まれた四面楚歌のど真ん中で、マクレーンは苦笑いをするしかない。

 

 

 

「おー! やっと目を覚ましたか!」

 

 

 聞き覚えのある、日本語訛りの英語が聞こえる。

 声の投げかけられた方を向いた時、マクレーンは思わず目を疑った。

 

 

 

「やっぱアンタそうだろぉ? ジョン・マクレーンじゃねェか!」

 

 

 屈強な褐色肌の男たちの中で、一際浮いた小太りのアジア人。

 その男は場違いに明るい笑顔を貼り付け、興味津々と言った様子でマクレーンの前まで歩み寄る。

 

 

「…………どう言うこった。おたく……日本人か?」

 

「お? 良く分かったなぁ、『ナカトミビルの英雄さん』!」

 

「…………何で日本人がジハードに参加してんだ?」

 

 

 日本人は朗らかに、身体を震わせながら笑う。

 嫌味なほどの笑い上戸のようだ。周りで表情もなく囲む兵士たちとは、何から何まで違っている。

 

 

「まァ、そこにはそこには語るに語れねェ、複雑な経緯ってのがあるんだ。こっちからすりゃあ、あの英雄ジョン・マクレーンがここにいるのが驚きだが──」

 

「おい『タケナカ』ッ!! 無駄な話をするんじゃないッ!!」

 

 

 激しい怒声をあげながら次に現れたのは、ターバンを巻いた厳しい顔付きのアラブ人。

 タケナカと呼ばれた日本人とは違い、こちらはかなり激情的な性格らしい。

 

 

「あの日本人は書類を持っちゃいない……とすればこの男をさっさと調べ上げるぞ」

 

「……オカジマも捕まってんのか?」

 

「貴様は質問をするなッ!!」

 

 

 怒鳴り付け、恨みと怒りを惜しげもなく吐き出す彼を、タケナカはまぁまぁと宥めた。

 

 

「落ち着けよ、『イブラハ』。やれやれ……そんで英雄さん」

 

 

 タケナカは片手間に握っていたブリーフケースを掲げた。それはオカジマが持っていた、「例の書類」が入っていると思われる物。

 次にパチンと彼はロックを外し、ケースの蓋を開いて垂らす。

 

 晒された中身は空っぽだ。

 

 

「パルプ・ファクションのくだらねぇ小説みてぇなジョークだ。何と、チョコレートボックスの中はカラと来たんだ。どこ行ったか知らねぇか?」

 

「…………あんまりに美味ェから食っちまったかもな」

 

 

 銃口が更にマクレーンへ突き付けられる。この調子では次、何か癪に障る事を言えば銃殺刑だろう。

 タケナカは参ったと言わんばかりに、頭を掻いた。

 

 

「まー、そりゃあの英雄さんだ。すぐ屈して貰っちゃァ訳ねェわな……」

 

「オイお前らッ!! その男の身体を調べろッ!! 持っているかもしれんからなッ!!」

 

 

 このイブラハと呼ばれた男が司令官らしい。

 彼の命令を受けた兵士が一人マクレーンの前まで近付き、身体検査を開始する。それを彼は、うんざりした表情で受け入れた。

 

 

「しっかし、あのあんちゃんもだが、あんたも変な奴だァ! ここがどう言うトコか知ってンだろぉ? 戦場に丸腰で赴くたァ、なかなかぶっ飛んでるよ全く!」

 

「何か持っています」

 

 

 兵士はマクレーンのポケットに手を突っ込む。

 書類かと期待したイブラハは包囲する兵士らを押し退けて、見える場所まで近寄った。

 

 

 

 マクレーンのポケットから出て来たのは、レガーチから押収した麻薬だ。

 

 

「……なぜ貴様は麻薬なんか持っているんだ……?」

 

「……そりゃ押収品だ。欲しけりゃくれてやる」

 

「書類はどこだ……ッ!!」

 

 

 今にも拳銃を抜きかねないイブラハを、タケナカは間に入って止めた。

 

 

「まぁ待て! これから尋問すりゃ良い!……あー、悪かったな英雄さん! 生憎だが、ウチは売る以外にヤクは使用禁止にしてンだよ。書類と武器を持ってねェってんなら、こいつはあんたが持ってりゃ良い」

 

 

 それから彼は手を叩き、命令をした。

 

 

「よぉし! 先のあんちゃんとは違う小屋に案内してやれな!」

 

「来い」

 

 

 両腕を兵士二人に掴まれ、そのまま引き摺られるようにマクレーンは連行。

 無理やり歩かされ、小屋の方へと向かうその時、すれ違い様にタケナカは言った。

 

 

 

 

「居ちゃいけねぇってトコに本当にいるモンなんだなァ?『ダイ・ハード』さんよぉ」

 

 

 マクレーンは彼へ横顔だけ見せ付けた──その口元は微かに笑っている。




Thank you for your fantastic acting.


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Geek Stink Breath 3

 扉が開かれ、先に入れられたと思えば背後から激しく蹴り飛ばされた。

 喉を潰したような声をあげながらマクレーンは、薄暗い小屋の、ボロがかった床板に身体を叩きつけた。

 

 

「イテェなぁ!?」

 

 

 振り向いた頃には扉は閉められていた。

 即座に立ち上がり開けようとしたものの、外からドアノブを南京錠か何かで固定でもされたのか、明日も引いても開く事はなかった。

 

 

「……クソテロリスト共め。書類なんざ俺ァ知らねぇぞぉ……」

 

 

 部屋の隅に乱雑に置かれたパイプ椅子。それを引っ張り出し、とりあえず腰を落ち着けた。

 

 

 まずは内部を観察する。

 ここは人質を監禁する為だけの場所のようで、窓はなく、脱出経路は蹴り入れられたあの扉一つのみ。

 天井を見上げると、吊るされていた裸の電球が弱々しく光っていた。

 

 

「……トゥルーライズみてぇなド派手なの期待したが……割と地味だったな。間抜け晒して死ぬトコだったしよぉ……」

 

 

 今日と昨日を振り返り、改めて自分の悪運の強さを再確認した。

 一度は張によって、二度目は捕虜となる事で間抜けな死を回避できた。笑えば良いのか嘆けば良いのか、マクレーンの心境は複雑だ。

 

 

「……神様は俺の命を取り戻す為に酷い目に遭わせているって言われたなぁ。ヘンゼル……グレーテルにだっけか?……そんならもう死んでるハズだよぉ。やっぱ間違ってたな、ネバー・ダイ……ってか?」

 

 

 タバコも満足に吸えていないので、苛つきが募る。

 訓練と思われる外からの銃声を聞きながら、暫しの時間を貧乏揺すりと短い独り言と共に過ごした。

 

 

 

 

 三十分程度過ぎた頃。あのニヤけた日本人、タケナカが手下を引き連れ、マクレーンを尋問しに小屋へ入って来る。

 貧乏揺すりは止まらないが、独り言は終わった。

 

 

「……お生憎さん、俺ぁマイケル・ランダーじゃねぇ。おたくらのお仲間になる理由は微塵もねぇよ」

 

「知ってるぞそりゃ。日本じゃ上映中止になったっつー、『ブラック・サンデー』だなァ?」

 

 

 タケナカは相変わらず、場違いに人懐っこい笑顔のまま話す。

 控えさせた手下たちに銃を握らせ、マクレーンを威嚇。

 

 その間、タケナカはもう一脚あったパイプ椅子を、マクレーンと向かい合わせになるようにして置いてから座った。

 

 

「さてと、英雄さん……書類の場所を教えてくれねぇかなァ」

 

「俺ぁ運び屋のお迎えに来ただけだ。持っちゃいねぇし、どこなのかも知らねぇ」

 

「んー、参ったなコリャ……向こうのあんちゃんも知らぬ存ぜぬで口を割らねェんだ。このままじゃあんたら、明日の朝には銃殺刑だぞ?」

 

「マジに知らねーんだ。今だって俺ぁハメられたんじゃねぇかって思い始めてるトコなんだよ」

 

 

 頭を掻き、困ったように眉をハの字にしながら、タケナカは胸ポケットからタバコを取り出して咥える。

 

 

「分からんねェ。あんた確か、ロサンゼルスかどっかの刑事さんだろ?」

 

「今はニューヨーク市警だ」

 

「そうだ、それが疑問だ。CIAだったら分かるが、あんたはただの刑事だ。ただの刑事さんが何で、こんな大作戦に参加してんだ? えぇ?」

 

 

 咥えたままのタバコを上下に揺らしながら、タケナカはライターを取り出す。

 少しマクレーンは物欲しそうな目付きで、そのタバコの先端を視線で追ってしまう。

 

 

「……俺は訳あって、ロアナプラに閉じ込められている。この作戦が成功すりゃあ、アメリカ行きのチケットが貰えんだ」

 

「ほぉ? アメリカを救うんじゃなく、帰る為か?」

 

「あぁ」

 

「ホントにそうか?」

 

「……何が言いてぇんだよ」

 

「俺ならンな危ねぇ橋は渡らねぇと思ってな?」

 

 

 ライターから立ち昇った火と共に、マクレーンは表情に動揺を見せた。

 それを隠すように俯いた彼の手前で、タバコに火をつけようとするタケナカ。

 

 

 その前にマクレーンは白状する。

 

 

「家族だ」

 

「……なに?」

 

「家族を……いやまぁ、元家族だが……あいつらを死なせる訳にはいかねぇんだ」

 

 

 ぴたりと、ライターを持つ手が止まる。

 好奇の念が宿った目でこちらを見やるタケナカの口のタバコに、火はまだ付けられていなかった。

 

 

 

 

 少し彼は考え込むような仕草を見せると、背後に立つ兵士らに命令した。

 

 

「……外で待っていてくれ」

 

 

 兵士らはそそくさと小屋から出て行った。

 扉が閉まるまでを待ち、それからタケナカはタバコをもう一本取り出してマクレーンに差し出した。

 

 

 突然の事に寧ろ戸惑いながらも、マクレーンはほぼ本能的に差し出されたタバコを受け取り、咥える。

 タケナカはライターの火で、その先端を炙った。

 

 

「……家族の為と言うのは? ナカトミビルで必死に助けた、あの美人の嫁さんだろぉ?」

 

「観てたのか」

 

「リアルタイムでな。つぅか、離婚していたのかァ? 命張って助けたってェのに、何とまぁ薄情な嫁さんだねェ」

 

「余計なお世話だクソ……それと離婚原因のほぼ十割は俺のせいだ」

 

 

 煙を吸い込み、そして吐き出す。心なしか苛つきは少し鎮まった。

 

 

「元家族の事ぁ良いんだ……おたくらがニューヨークのどっかでテロを起こすってのは知ってる……張の奴め。どっから得たのか知らんが、ホリー……あー……元女房がマンハッタンに引っ越した事を俺に言いやがった」

 

「……ほぉ。マンハッタンか……」

 

「息子と娘も一緒に……だからおたくらを止めなきゃ、俺の家族がテロに巻き込まれるかもしれねぇ……父親なら、チャンスさえありゃ誰だって止めようとするだろ?」

 

 

 興味を持っているのか無関心なのか、いまいち分からない表情でタケナカは聞く。

 まさか説得の機会かと期待したマクレーンは、前のめりになり訴えた。

 

 

「……なぁ。おたくらの敵は、敵の政府と軍だ。そこに住む、何も知らねぇ市民は関係ない……間違ってる」

 

「間違ってる?」

 

「あぁ」

 

「間違ってると?」

 

「ああ!」

 

 

 怒りを見せるのかとマクレーンは一瞬、身構えた。

 だがタケナカは小さく、何か納得したような頷きを見せるだけ。それから自身のタバコにもやっと火を付けた。

 

 紫煙が立ち、先端が赤く発光する。

 肺の隅々まで煙を充満させるよう深く吸い込み、また深く吐き出した。それは天井に近付くほど、広く広く巻い立つ。

 

 

「……英雄さん。何が間違いで何が正解なんか、誰にも分かんねェもんだろ。ただ分かンのは、勝てば正義で負ければ間違いってトコ……戦争っつーのはそんなモンだ」

 

「てめぇらのやってんのは戦争じゃねぇ。虐殺だろが」

 

「ハンバーガーに付いて来るポテトみてーに、虐殺と戦争はセットだ。戦争の中に虐殺があり、虐殺の中に戦争があるのよォ……そしてそのセットに、オマケのクーポン券みてぇにくっついてんのが『正義』さ……どうだ? 違うか?」

 

「罪のねぇ女子供まで殺すのも大正解となっちゃ、動物とさして変わらねぇぞ?」

 

 

 タケナカは煙を吐きながら笑った。

 

 

 

 

 

「そんならホワイトハウスは世界最高の珍獣園だぞ?」

 

 

 

 

 そう言い放つタケナカの瞳は、あまりにも暗かった。

 彼の醸していたどこか朗らかな雰囲気は鳴りを潜め、その突然の変化にマクレーンは驚き、息を詰まらせる。

 

 

「……イブラハ……さっき俺と一緒にいたあの、怒ってばかりの男がいただろ?」

 

「……あぁ」

 

「奴は元々、ヒズボラの人間じゃねェ。『PFLP』から来た」

 

 

 PFLPと聞いてもピンと来ないようで、マクレーンは眉を潜める。

 分からないかと諦めたような顔でタケナカは、そのPFLPの正式名称を言ってやる。

 

 

 

 

「『パレスチナ解放人民戦線(PFLP)』だ」

 

 

 途端にマクレーンは全てを察し、苦々しくタバコを吸う。

 

 

「……『パレスチナ』か……」

 

 

 

 

 パレスチナを巡るイスラエルと周辺諸国との関係は、「世界で最も最悪」な事で有名だ。

 第一次世界大戦期、オスマン帝国崩壊までに先駆け、国内のアラブ民族は帝国からの独立を掲げた。

 

 結果として一九一六年に、当時の列強国からの支援を受けて「アラブ反乱」を起こし、オスマン帝国からの独立に成功。

 だがその支援を受けていた列強国と言うのが、オスマン帝国の弱体化及び中東進出を企てていたイギリスであった。イギリスはアラブ民族の独立を支持しながらも、秘密裏にフランスやロシアと条約を組み、アラブ地域をそれぞれで分割してしまった。

 後にロシアが十月革命により崩壊するとこの秘密外交の一件が明るみとなってしまい、アラブ民族からの反感を買った。

 

 

 一方でイギリスは、戦争の資金調達の為にユダヤ人資産家を抱き込もうと画策し、パレスチナへの建国を彼らと約束した。

 しかし先のアラブ反乱後にイギリスは、パレスチナでのアラブ民族居住地の設立を約束していた。

 

 この矛盾とそれぞれで交わした協定の解釈違いや説明不足などが祟り、また秘密外交の暴露によって信頼を失ったイギリスの仲介も効果はなく、ユダヤ人とアラブ人との間に確執を作ってそのままにしてしまった。

 

 

 

 それは第二次世界大戦後、国際連合が正式に、パレスチナをユダヤ人とアラブ人で分割する決議を出した事で、確執は更に深まってしまう。「アラブ人が大半を占めるこの地域に、後から来た少数のユダヤ人の為に半分も領土を渡す事の是非」が不満の理由だ。

 

 よって元から住んでいたアラブ民族であるパレスチナ人が猛反発し、内戦に発展。

 更にユダヤ人側が「イスラエル」の建国を宣言すると、その火種は建国に反対していたエジプト、シリア、サウジアラビアと言ったアラブ民族諸国にも及び、建国宣言の翌日には「中東戦争」が勃発する事態となった。

 

 

 

 ここまで両民族がパレスチナに執着する理由として、この地にある都市「エルサレム」の存在がある。

 エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教と言った、預言者アブラハム由来の宗教全ての聖地だ。

 

 そう言った歴史的、宗教的理由も含め、現在まで続く「パレスチナ問題」の解決を妨げて来た。

 

 

 

 

 

 タケナカの言った「パレスチナ解放人民戦線」は、それら戦争により難民となったパレスチナ人たち、或いは対イスラエルを掲げるアラブ民族によって設立された武装組織だ。

 数多ある、パレスチナ解放を謳う組織の中でも過激な手段を取る事で有名であり、イスラエルとその支援をする諸外国に対するハイジャックや要人暗殺と言ったテロリズムを展開している。

 

 

「七年ぐらい前に『オスロ合意』があったろ? イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の協定で、ようやっとパレスチナに自治政府が作られたっつー奴」

 

「……そんなのあったな」

 

「PFLPは最初、それに反対した。ンだけど、結局は考えを変えたんだ。イブラハはそれに愛想尽かして、ヒズボラにやって来たんだよ」

 

「そのイブラハって奴が何だ?」

 

「殺されたんだよ息子を」

 

 

 タバコを吸うマクレーンの呼吸が止まった。

 

 

 

 

「内戦ン時に、イスラエル軍にな。あいつはかつて、父親()()()んだよ」

 

 

 

 

 絶句し、愕然とした顔でタケナカをまじまじと見やるマクレーン。

 そんな彼の滑稽な顔を、半ば楽しげにタケナカは眺め、タバコを吹かした。

 

 

「分かるか? イブラハは実のところ……パレスチナの解放だとかより、『復讐』が目当てになってる。息子を殺したイスラエルを心の底から憎んでいる。で、そんな奴らを支援する全てもな……アメリカがその筆頭って訳よ」

 

 

 暗く濁った瞳でタケナカはふつふつと笑う。その際に流れた鼻息が、灰となったタバコの先を落とした。

 

 

「あんたが子を守りたいって気持ちは分かる。だが、『殺された息子を忘れて生きるってのが出来ねェ』気持ちも俺には分かる」

 

「………………」

 

「譲れねェんだ、英雄さん。お互い譲れねェんだよ……だからな、自治区が出来たところで『悲願は終わらない』んだ、終わるには遅過ぎたんだ……ここ、アブ・サヤフの連中もそうさ」

 

 

 タバコを口から離した。

 

 

 

 

 

「……譲れないモンさえありゃ、人は瞳が閉じ切るあと一瞬(アルマゲドン)まで戦える……あんたもそうだろ、ジョン・マクレーン」

 

 

 

 

 床に落としたタバコを、タケナカは踏み潰しながら席を立つ。

 何も言えないまま自らのタバコの紫煙の後ろより、マクレーンは彼を憂いを含んだ眼で追っていた。

 

 

「……さてと。あんたも書類の場所を知らねェってんなら……ともすりゃ、車乗って逃げたあの娘っ子だな」

 

「………………」

 

「このまま音沙汰なきゃ、残念だがあんたもあんちゃんも、明日には銃殺刑だ……へへっ。まさかあの英雄さんが処刑されるたぁなぁ……ダイ・ハードの最後を見れるってんなら、書類取られたのも悪かなかったかもなァ」

 

「テメェはなんだ」

 

 

 開いた扉の先、強い日差しを浴びるタケナカに疑問を投げた。

 

 

「テメェの『譲れねェモン』ってのはなんだ? 民族紛争も内戦もねぇ日本から、なんでテロリストになった?」

 

 

 タケナカは立ち止まり、振り返る。

 逆光に隠れた彼の表情を伺い知る事はできなかった。

 

 

 

 

「……あのあんちゃんにでも聞きな……まぁ、どっちも生きてここを逃げられたンならな」

 

 

 バタンと、扉は閉められた。再びマクレーンは部屋の中で一人きりとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽の光がない部屋に延々と飛び込められ、時間の感覚が鈍って行ってしまう。

 マクレーンは既に吸い終えたタバコの傍らで、ジッと床に寝そべっていた。

 

 脱出の為の努力は一切していない。ただジッと、横たわる。

 そして時々扉の方を見て、その隙間から漏れる外の光の様子を確認していた。

 

 

 

 更に時間は流れ、扉の隙間から光がすっかり消えた頃。

 やっとマクレーンは立ち上がった。

 

 

 途端に扉の前まで駆け、思い切り蹴飛ばして怒鳴り始める。

 

 

「クソッタレッ!! 俺をこっから出しやがれッ!! このファッキンテロリストどもッ!!」

 

 

 ひたすら暴れ、扉を蹴り、喉が枯れるまで罵声を吐き続けた。

 勿論、扉は頑丈に出来ており、壊れて開くと言った事はまずない。それでも突然マクレーンはドタバタと暴れては蹴り、あらん限りに叫ぶ。

 

 

 すると向こうからガンガンと扉が殴り付けられ、「静かにしろ」と英語で忠告が入る。

 見張りが一人、小屋の前にいるのだろう。それを確認したマクレーンはニヤリと笑った。

 

 

「何が静かにしろだクソ野郎どもッ! テメェらは毎日毎日ドンパチかましやがってよぉッ! 不公平だろがボケッ!!」

 

 

 マクレーンの悪態はどんどんと過激になる。

 

 

 

 

「今に天下のアメリカ様がジーザスの名の下、テメェらを吹き飛ばしに来るからよぉ〜このクソどもッ! ムハンマドが地獄で泣いてるぜ全くッ!! テメェら結局、大国には敵わねぇんだぞおッ!! これからはメッカじゃなくホワイトハウスに向かって礼拝しやがれッ!! 分かったかッ!! 資本主義万歳ッ!! くたばれッ!!」

 

 

 

 

 言ってやったと笑った後に、満足したかのように扉を背にし、部屋の中央まで戻る。

 身体をふらふらさせて俯きながら、手持ち無沙汰なのかポケットに手を突っ込んで立つ。

 

 

 少し経つと、扉が開いた。

 その向こうには怒りの形相の兵士が、マクレーンを睨み付けている。

 どうやらマクレーンの罵りに「キレた」ようだ。

 

 

 

 指の骨をポキポキ鳴らし、首を回してストレッチをしてから、部屋に入って後ろ手に扉を閉める。

 次には肩を怒らしながら、こちらに背を向けたままのマクレーンに迫った。

 

 彼を振り向かせてその太々しい顔面に拳を入れてやろうと、乱暴に肩を掴んだ。

 

 

 腕を引き、マクレーンの身体を回してやる────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──暫くして、マクレーンが監禁されている部屋から兵士が出て来る。

 深緑色の野戦服、目元以外の頭部を覆ったガンクラブ・チェックのストール、滑り止めのグローブを嵌めた手にはバヨネッタ付きのAK47と、腰のホルスターにはトカレフ TT-33、そしてそれぞれのマガジンが数本入ったポーチ。大まか、ここにいるその他大勢の兵士たちと同じ装備だ。

 

 

 前から見回りをしている、別の兵士二人が現れた。

 サッと彼は唯一肌の出ている目元を隠すように俯く。二人は特に気にも留めず、通り過ぎて行った。

 

 

 再び彼は顔を上げる。

 その瞳は緑色で、宵闇の影がかかったその肌は白い。

 

 

 

 

「ふぅ〜……真昼間だったらバレてたな……」

 

 

 誰にも聞かれないようにそう安堵の声をあげながら、辺りを観察する。

 夜間でも襲撃備え、兵士たちは警備を怠っていない。

 ぐるりと有刺鉄線と土嚢で作られたバリケードがキャンプを囲み、およそ少なくない数の兵士らがAK47やウージーを持って彷徨いている。

 

 

「………………」

 

 

 先に進むと、大きなテントを発見。

 入り口の布が少し開いており、こっそり覗くとRPG7の点検をしている兵士がいた。

 

 

 こっそりテント傍を横切り、彼は護衛が扉の前に立っている小屋を見つける。

 辺りを見て、他の兵士らがいない事を確認すると、彼は目元を隠しながら近付く。

 

 

 見張りの、柵を挟んだ向かい側に立つと、彼は大きく手を挙げた。

 

 

「おぉい! ちょっと来てくれー!」

 

 

 そう言い残して、道を隔てた先にある別の小屋の影に消えた。

 仲間に呼ばれたと思った見張りの男は、一度小首を傾げた後、その男の後を足早に追う。

 

 

「どうした? 何があっ──」

 

 

 小屋の影まで来た時、角からAK47の銃床が飛び出した。

 避ける間もなくそれを鼻から食らい、地面へ倒れてそのまま気絶。

 

 気絶した彼を男は隠すかのように、影の中まで引き摺り込む。

 

 

 

 暫くして例の男は、見張りの身包みを全て剥ぎ、それを両手で抱えて現れた。

 誰もいなくなった小屋の前まで行き、見張りから奪った鍵を使って南京錠を外す。

 そのままゆっくりと、扉を開けた。

 

 

 

 弱い電球だけの薄暗い部屋の中、ロックは中央部で膝を抱えて座っていた。

 誰か入って来た事に気付き、扉の方へ顔を向ける。

 

 

「……まだ何か聞く事でもあるのか?」

 

 

 格好がテロリストたちの物だったので、彼らの仲間だと思い、冷めた目とぞんざいな態度で応じる。

 男はロックの姿を確認すると、扉を閉めてから手前まで歩み寄り、座る彼を上から見下ろした。

 

 

「……な、なんだよコレ」

 

「聞きたい事があんだが」

 

 

 男は突然話しかけて来た。どこかで聞いた事のある声だ。

 

 

「な、なに……?」

 

「脱獄系の映画で好きなモンあるか?」

 

「は……?」

 

 

 拷問なのかと身構えていたロックだが、唐突に映画の話をされて困惑し、気丈に振る舞っていた態度を崩してしまう。

 俯き、床をキョロキョロと見た後に、恐る恐ると言った具合で返答する。

 

 

「……しょ、『ショーシャンクの空に』……?」

 

「ショーシャンクの空に? ショーシャンクの空にか……あー……『許されざる者』に出てた俳優がいるなってぐらいしか知らねぇなぁ……悪い、観てねぇ」

 

「え、あぇ……そ、そうなんですか……」

 

「許されざる者知ってるか? へへへ……イーストウッド最後の西部劇だってよぉ……んでその、イーストウッド演じるウィリアムってカウボーイが酒を飲むシーンが最高なんだ。何でか分かるか?」

 

「えっと……?」

 

 

 謎の映画談義を始めた彼は、ロックと目を合わせようとしゃがみ込んだ。

 持っていた服と銃器を、彼の前に置く。

 

 

「おっと。脱獄系の映画の話だったなぁ? 俺はやっぱ『ロックアップ』だ。スタローンはいつの時代もタフガイだよなぁ……あぁいや。思えばロックアップは脱獄失敗してたな?」

 

 

 しゃがみ込んだ彼は、俯けていた顔を上げた。

 その目を見てロックは、ハッと気付いたようだ。

 

 

「ま、ま、ま……!?」

 

「どうだ? 映画みてぇな脱獄シーンだろコリャ?」

 

 

 言葉を詰まらせるロックの前で、男はストールを脱いだ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──腕を引き、マクレーンの身体を回してやる

 振り向き様、彼は何かを投げ付けた。

 

 

 

 

「ングッ!?!?」

 

 

 投げ付けられたそれは、白い粉。決して少なくない纏まった量の粉が、怒りで見開かれた兵士の網膜に浴びせられる。

 

 

「ぐぁぁああッ!?!?」

 

「おー。ヤクを目から吸うとそうなるんだなぁ、かわいそうに」

 

「ああああああああっっ!?!?!?」

 

 

 途端、強烈な痛みが目から後頭部へ貫くように発生する。

 勿論の事だが視界は完全に閉じられ、マクレーンを振り向かせる余裕なんてなくなった。

 

 肩から手を離し、目を押さえて逃げようとする兵士。彼の腰のホルスターに入っていたトカレフ TT-33を奪い、銃床を悶絶状態の彼の顔面へフルスイング。

 

 

「ごぉえッ」

 

 

 くぐもった声と共に頭から床に倒れ、そのまま動かなくなった。

 マクレーンは少し舞い上がった白煙を手で払い、吸わないよう注意しながら兵士の傍らで跪く。

 

 

 

 

「一応言っとくが、さっきのは本心じゃねぇからな?」

 

 

 そう言って兵士の服と装備に手を伸ばした────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──言葉を詰まらせるロックの前で、男はストールを脱いだ。

 隠れていたその素顔は、彼が良く良く知る人物……ジョン・マクレーンだった。

 

 

「マクレーンさん!?」

 

「さっ! それに着替えて変装すんだ! 夜の暗い内ならバレにくい!」

 

 

 信じられないと瞬くロックだが、次第に彼の行動力を理解出来るようになって行く。

 愕然顔は次に呆れたような、感動しているような笑みに変わり、目の前に置かれた服に手を伸ばす。

 

 

「…………ホントにぶっ飛んでると言うか、しぶといんですから……あなたは……」

 

 

 ニヤリとマクレーンは笑ってから、ロックの肩を軽く小突く。

 そして彼はまた立ち上がった。

 

 

 

 

 

「良く言われるよぉ、クソッタレ」

 

 

 何とも楽しそうな顔でストールを巻き直す。



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We Didn't Start the Fire 1

 いそいそとマクレーンの持って来た野戦服を着るロック。その間マクレーンは扉を少し開き、外を見張っていた。

 

 

「早くしやがれオカジマ! 気絶させた奴らが目ぇ覚ましゃぁ、全部パーだぞ!」

 

「は、はい……でもコレ、ちょっとサイズ大きいもんで……」

 

「んなモン、ベルト締めて袖捲りゃあバレねぇよぉ」

 

「うわっ! 汗臭っ!?」

 

「死にはしねぇからさっさと着ろっての」

 

 

 袖を通し、丈が長い分腕に合わせるようにして袖を折る。

 その最中にふとロックは神妙な顔となり、思わずマクレーンへ吐露するように話しかけた。

 

 

「……マクレーンさんも、話しました? あの……その……」

 

 

 すぐにタケナカの事だと察し、なぜか言い淀む彼へ言葉を返す。

 

 

「タケナカか?」

 

「……俺も、あの人と話したんです」

 

「どんな話だ?」

 

 

 ロックは服を整えながら話す。

 

 

「俺とお前は同じ穴の狢(同じ羽根の鳥)……そんな感じの話」

 

「……どう言うこった?」

 

「……あの人は世界同時革命やら、人民総決起を夢見て日本を出た人です」

 

「クソッタレ。あの深緑(ツァーリ・グリーン)の服からしてそうだと思ってたが……良いねぇ。古き良きハリウッドアクションの敵役にピッタリだ」

 

 

 洒落た返しに、ロックは不覚にも失笑する。

 彼の笑顔を見てからマクレーンも目元を綻ばせた。

 

 

「だがオメェは違うじゃねぇか。少なくともレーニンとスターリンの写真は持ち歩いてねぇ」

 

「ははは……でも、そうじゃない。彼が言っていたのは主義とか信仰じゃなくて……『意志と目的』があるのかどうか」

 

「意志と目的だぁ?」

 

「それを持っているのかと聞かれて……俺ははぐらかしてしまった……逃げたんですよ」

 

「オカジマ。ここは自己啓発セミナーじゃねぇんだ」

 

 

 急かして会話を切ろうとするマクレーンだったが、ロックは構わず続けた。

 

 

「……思えば日本を出た理由も……クソみたいなサラリーマン生活から逃げたかったからだったかもしれない……」

 

「おい……」

 

「……あの人と俺は結局違った。あの人には『有って』、俺には『無い』んだ。これじゃ、何の為に日本を出たのか……」

 

「さっきから何の話してんだ?」

 

 

 マクレーンに指摘され、ロックは一瞬ハッとした顔を見せてから、ひたいに手を置いて呆れたように微笑む。

 

 

「……すいません。何かこう、愚痴りたい気分になったようで……」

 

「カウンセリングなら街に戻ってからやれ……んまぁ、あの街にマトモなカウンセラーなんざいねぇか」

 

「ははは……」

 

「だが良いカウンセラーに罹れる方法はある……オカジマ、日本に帰れ」

 

 

 

 

 ロックの微笑みが途端に消える。

 その様をマクレーンは、また外の方に注視を戻していた為に、気付けなかった。

 

 

「聞く限りじゃあ、なんだかんだテメェは日本を捨て切れてねぇし、その『クソみたいなサラリーマン生活』ってのも懐かしがってんだ」

 

「…………俺はそんな……」

 

「勢いで日本を出ただけなら、もう十分火遊びは堪能出来ただろ……これが終わればとっとと親元に帰んな」

 

「………………」

 

 

 内心でロックは、「レヴィにも同じ事を言われたな」と思い出し、あの時の取っ組み合ったやり取りを懐かしむ。

 鮮明に覚えているものだ。弾が掠めたコメカミの痛みが、熱く思い出されるほど。

 

 

「あいつの言った事ぁつまり……テメェにゃ展望がねぇって言いてんだろ。んなボンヤリ頭で犯罪されちゃあ、たまったモンじゃねぇ」

 

 

 このマクレーンの説教にも、あの時と同じ台詞を吐けば良い。殆ど同じ事を言っているのだから、数学の公式のように当て嵌まるハズだ。

 レヴィに言った事、やった事をそのまま再演してやれば良い。

 

 

「……マクレーンさん……」

 

「オカジマ……テメェはあのレヴィってのと違ってまだ戻れんだ」

 

「ッ……!」

 

 

 いや、この人にレヴィと同じ事は通じないと、ロックは思い直し言葉を打ち消した。

「オカジマ」と呼ばれる度に、頭の中がざわついた。

 

 

「今の内だぞオカジマ。血に汚れちまった手じゃ、二度と書類は触れねぇからよぉ……とっとと帰るか何かするんだ」

 

 

 そしてやっと気付く。

 そうだった。この人は何も捨てず、捨てられず、しかも失ってもいないんだ。

 

 だってこの人は「世界一運の悪い男」で────

 

 

 

 

「──これは『刑事』やってる俺からの忠告だ」

 

 

……何て輝かしい。その輝かしさに、ロックは不意に嫌気を感じた。

 嫌気の正体に気付くのは、もう少し先──東京での話となる。

 

 

 ただ分かるのは、この嫌気が心地良い事だけ。「自分はこちら側だ」と思えたからだ。

 

 

「……言っときますけど、俺は日本に帰るつもりはないですよ」

 

「……ケッ。思えば説教が効くような歳じゃねぇよな、テメェも……」

 

「……えぇ。あなたの息子だったら別かもしれませんけど」

 

「…………」

 

 

 憐れんだような目を一瞬だけ向けてから、マクレーンは黙り込む。

 次に二人が会話を交わしたのは、準備を終えて小屋から出た時だった。

 

 

 

 

 

 野戦服とストール、そしてAKを抱えたテロリスト姿で、二人は並び歩いて脱出経路を探す。

 

 

「周りはぐるっとバリケードが張ってある。んで、ゲートは東西と北に三つだ。勿論だが、ゲートにはコマンドのファンボーイたちが出待ちやってる」

 

「じゃあ……痛い思いはするでしょうけど、バリケードを抜けるしか……」

 

 

 実際にバリケードの傍までこっそりと寄り、どの程度の物なのかを確認。

 三本の太い木材を組んで建てられた、身の丈ほどの木の杭が等間隔に並べられている。隙間の広さは、身体を横向きにして無理をすれば通れる程度。

 そしてその杭と杭とを繋ぐように、有刺鉄線が敷き詰められている。

 

 

「やっぱ子どもが秘密基地に作るようなもんじゃねぇよなぁ……切るか壊すかしねぇと難しいぜこりゃ」

 

「爆薬でも探して使います? バレるでしょうけど、一気に森の中に逃げたら追手は撒けると思いますよ」

 

「いや待て……あそこに何かあるぞ」

 

 

 兵士の装備品だった懐中電灯を取り出し、辺りに注意しながらバリケードの外を照らす。

 森へと行く草むらの中に、幾つかのクレイモア地雷を発見した。

 

 

「……ふぅー。鉄線でズタズタになった後は、そんまま影も形も消されそうだ」

 

「あれセンサー式ですかね……?」

 

「ンな高級品持ってる訳ねぇ。ワイヤートラップか、リモコンで遠隔起動出来るタイプだろ……まぁでもそんなに多くはなさそうだ。足元注意して走れば何とかなる」

 

 

 懐中電灯を消し、マクレーンは困ったように目を細める。

 

 

「……とにかく、バリケード抜けるのはちょっと厳しそうだ。車を奪って、無理やりにゲート突破して逃げるか」

 

 

 二人は颯爽とキャンプの中ほどまで戻り、軍用車の駐車場まで行く。

 

 すぐにマクレーンは適当な一台に近付き、車を奪おうとする。しかしここで問題が発生した。

 緊急時にすぐ乗れるようドアはロックされていなかったものの、奪取防止の為かキーが挿さっていなかった。

 

 

「……クソッタレ。テロリストの癖に、ウォール街勤務の証券マン並みに慎重じゃねぇか」

 

「あぁ……いや、マクレーンさん。もしかするかもしれませんよ」

 

 

 車内に入って運転席に座ると、ロックは得意気にサンバイザーを開く。

 だが何も落ちては来なかった。悔しそうにロックは頭を抱えた。

 

 

「無いじゃんかよジョン・コナー……!」

 

「かっはっは……ターミネーターは車を動かせねぇな?」

 

「じゃあキーを……あぁいや、キーってどこにあるんだ……!?」

 

「多分、仲間内でドライバーを決めていて、そいつがキーを管理してるって奴だろ。仕方ねぇ、俺に任せろ」

 

 

 ロックを助手席に追いやり、マクレーンはハンドル下にあるパネルを無理やり開こうとする。

 

 

「……それ、良く車泥棒がやってるアレですよね?」

 

「あぁ、そうだが?」

 

「…………え。マクレーンさん、刑事でしたよね……?」

 

「それも良く言われる」

 

 

 パネルをこじ開け、配線を抜き取る。

 早速イグニッションワイヤーとバッテリーワイヤーを繋いでやろうと、それを手にした。

 

 

 

 

 

 

「お前たち何をしているッ!?」

 

 

 怒号が運転席側から響く。途端に二人は目配せし、お互いの青褪めた顔を確認した。

 恐る恐る声のした方を見やると、厳しい顔でこちらを見るイブラハが二人の部下を引き連れ、車に近付いて来ていた。

 

 

「何をやっていると聞いているッ!! 車両の使用は任務と緊急時のみと言っただろッ!!」

 

 

 どうやらまだ、二人が逃げ出した捕虜だとは気付いていないようだ。

 マクレーンは必死にドアで目元を隠しながら、若干声を張り上げて答える。

 

 

「あー……こ、これはイブラハ……し、指揮? 司令?……官……?」

 

「どうした、歯気味の悪い」

 

「い、いえぇ! これは……その……次の任務に備えて点検するよう……あー……タケナカ……さんに命じられまして……」

 

「タケナカがか?……おい貴様。何で顔を隠している」

 

 

 さすがにずっとドアに隠れているのは違和感しかないだろう。

 また二人は顔を見合わせて、緊張に満ちた表情を確認する。

 

 

「いえ、隠している訳じゃないんです! あ、アレぇ? 無線機の故障かなぁ〜こりゃあ? すぐ直しますんで、司令官はお休みになられてください!」

 

「…………何か妙だぞ。おい、名を名乗れ」

 

 

 イブラハは腰にかけていた拳銃に手を伸ばし、合わせて部下たちもAK47の銃口を持ち上げ始めた。

 すぐそばまで近付いて来る彼らの足音を聞きながら、マクレーンは諦めたようにロックへ「もう駄目だ」と首を振る。

 

 

「オイッ!! 貴様は誰だッ!!」

 

 

 愕然とするロックの手前、マクレーンは溜め息を吐いた。

 

 

「名乗らんと撃つぞバカものッ!! 誰だ貴様はッ!?」

 

 

 怒号と共に、抜いたトカレフ TT-33を突き出すイブラハ。

 降伏でもするのか、マクレーンはゆっくりとドアから顔を出す。

 

 

 

 

 

「俺か? ロバート・ショウだよぉ」

 

 

 暗がりに目を凝らし、イブラハはストールから漏れ出た彼の目元を見る。

 その瞳は緑色で、その肌は白色。すぐに仲間ではないと認識し、引き金を引こうとした。

 

 

 

 だが確認に要したその一瞬の間が、マクレーンたちの生存の決定打となった。

 何者かを認識するまでの間に、マクレーンはホルスターから抜いたトカレフ TT-33を構えられたからだ。

 

 

「────ッ!?」

 

 

 イブラハが敵の存在を叫ぶ前に、マクレーンは発砲。

 銃弾を回避しようと一手遅れてしまった彼らの手前で、マクレーンは車内に飛び込んだ。

 

 

 

 

「クソッ!! 撃てェッ!!!!」

 

 

 雷鳴のようなイブラハの命令が轟く。

 すると彼の持つトカレフと、部下たちの持つAKが火を噴いた。

 

 

 

 

「逃げろオカジマぁぁーーーーッ!!」

 

 

 彼がドアを急いで閉めたと同時に、7.62×25mmトカレフ弾と39mm弾が車内へと数多貫いた。

 

 

「うわぁぁぁーーッ!? そんな突然ーーッ!?」

 

 

 さすがは軍用車で、装甲がある程度は銃弾を凌いでくれた。

 だが窓ガラスを突き破った銃弾が、必死に頭を下げる二人の頭上を通り抜ける。

 

 

「ダワワワワッ!? さっさと出やがれッ!!」

 

「ヒィーーッ!?」

 

 

 這うようにして助手席側を開き、そこから地面へ落ちるようにして二人は車内を脱出。

 それを察したイブラハが追撃を命じた。

 

 

「追えーーッ!!」」

 

 

 車を盾にしつつ、二人は奥の方へ逃げようと走る。

 イブラハに命じられた兵士たちが車を横切り、マクレーンらを狙い撃つ。

 

 

「屈めオカジマッ!!」

 

 

 放たれる敵弾を回避しながら、牽制の為にマクレーンもAK47を乱射。

 迂闊に近付けなくなった彼らを見ながら、更に奥へ奥へと走る。

 

 完全に怒りが頂点に達したイブラハは、先ほどマクレーンらが乗っていた車を開き、まだ無事だった無線機を手に取った。

 

 

 

「捕虜が逃げたッ!! 我々の装備で変装をし、北側に行ったッ!! 見つけ次第殺せェッ!!」

 

 

 この通信は一瞬でキャンプ内にいる兵士たちに届き、休憩や食事中だった者も含めて銃器を持ち、外へ飛び出した。

 

 

 

 マクレーンは息苦しそうにストールを脱ぎ外し、ロックを引き連れ追手から逃げる。

 最初は二人だったのが、通信を受けた兵士たちが合流し、六、七人にまで増員していた。

 

 

 雨風のように7.62×39mmが浴びせられる中、マクレーンは怒鳴る。

 

 

「結局こうなんだよなぁッ!?」

 

「どうするんですかマクレーンさんッ!? ばばばばバレましたけどッ!?」

 

「バレちゃあしょうがねぇッ!! このまま強行突破だッ!!」

 

「そんなノープランなぁッ!?」

 

「俺はいつだってノープランだぁッ!! 生きる事だけ考えてろぉいッ!!」

 

 

 二人は追手の銃弾を凌ぐ為、建物の角を曲がった。

 一人の兵士が彼らをそのまま追わんと、同じく角を曲がろうとする。

 

 

 途端にその影からバヨネッタの付いたAK47の銃口が飛び出し、彼の腹部に突き刺さった。

 

 

「うごぉぉぉーーッ!?!?」

 

「はっはーーッ!! 銃剣の使い方教えてやるぜーーッ!!」

 

 

 マクレーンはそれを突き刺したまま押し込み、更にバヨネッタを兵士の身体の中へ入れ込む。

 後から来た残りの兵がマクレーンらを包囲しようとする前に、突き刺したままゼロ距離でAK47の引き金を引く。

 

 

 

 

「こうやって使うんだボケェッ!!」

 

 

 放たれた、一切の空気抵抗をまだ受けていない無数の銃弾が男の体内を貫き、背中から発射。

 それが近くまで迫っていた三人の兵士に被弾する。

 

 

 即座に対応しようとする兵士たちだが、ある程度の距離を置いてから放たれた彼らの弾丸では、肉壁となった男の身体を貫き、マクレーンに当てる事は出来なかった。

 

 

「くたばれーーッ!!」

 

「これ……なんだこれっ!?」

 

 

 死に体になった兵士から力が抜け、ずしりとマクレーンの方に体重がかかるものの、控えていたロックが更にマクレーンを背中から押す事で補助。

 骨と筋肉と言う強靭な盾を手にしたマクレーンは、そのまま更に二人を撃って倒す。

 

 

 だが何事も限界はある。

 AKS74から放たれた敵の銃弾が、既に生き絶えた兵士の身体をどんどんと削って行き、内の一発が肩を貫通してマクレーンの顔を掠めた。

 

 

「うぉう!? あーもう駄目だな!」

 

 

 引き抜こうとするものの、肉が固まってバヨネッタが抜けない。

 仕方なくマクレーンはAK47は手放し、トカレフに持ち替えて撃つ。

 死体はだらりと、地面に倒れた。

 

 

「走れオカジマぁッ!! 向こうのゲートに行くんだッ!!」

 

 

 マクレーンの撃った弾丸が兵士一人の頭を撃ち抜いた。

 これで追手は二人になったが、更に追加が入り十人にまで増える。

 

 

「こ、これを!」

 

 

 ロックが持っていたウージーをマクレーンに手渡す。

 

 

「オウ! サンキュー!」

 

 

 迎撃と牽制を兼ね、ウージーを乱射。

 兵士たちが迂闊に近付けないようにした上で、二人は先へ先へと直走る。

 

 

 

 

 この先を行けばゲートだと意気込む二人だが、そこに待ち受けていたものを見て足を急いで止める。

 

 

 ゲート前にはブローニング M2が三脚で設置されており、その銃口がこちらへ向いていたからだ。

 

 

「嘘でしょ?」

 

「こっちだオカジマぁッ!!」

 

 

 マクレーンが傍らにあった納屋へ、ロックを引き連れて飛び込む。

 

 けたたましく重厚な銃撃音が響いたのは、そのすぐ直後だった。

 ベルト状に連なった12.7x99mm NATO弾が給弾口に吸い込まれて行く度に、図太い弾丸が納屋の壁をスライスする。

 

 

 壁を大きく吹き飛ばし、粉塵と屑を散らかしながら、弾道は必死に駆ける二人のすぐ背中を抜ける。

 

 拡散するように飛び散り舞った破片を浴びつつ、必死の形相で納屋を横切るマクレーンとロック。

 

 

「うわあああああーーーーッ!?!?」

 

「うひぃぃいぃーーーーッ!!??」

 

 

 間抜けな悲鳴をあげながら、死なないよう必死に駆ける。

 

 それでもどんどんと射線が二人に迫る。

 

 

 

 

「伏せるんだッ!!」

 

 

 ロックを抱きながらマクレーンは地面に倒れ込む。

 二人の頭上を弾雨が通り過ぎて行き、通り越して行った。

 

 その下で破片と粉塵に塗れた二人がゆっくり起き上がる。

 

 

「納屋の奥から逃げるぞッ!!」

 

「逃げ場なんてあるんですか!?」

 

「なきゃ作るだけだッ!!」

 

「島津だこの人……!」

 

 

 ブローニング M2の銃声がまだ聞こえる最中、ゲートから離れる事にはなるが、奥にある裏口から納屋を脱出しようとする。

 

 

 その裏口の前に兵士が三人いたが、マクレーンが扉を蹴り倒した事で一人が倒された。

 

 

「ぐぅえッ!?」

 

「ゴフッ……!?」

 

 

 驚き、動揺している隙に残り二人をウージー乱射で蜂の巣にした。

 

 

 外に出てすぐに左右の道を確認する。

 兵士が集結し、挟み撃ちをしようとしていた。

 

 

「挟まれたぁッ!?」

 

「落ち着けッ!! 向かい合わせになってンだッ!! 味方撃ち(フレンドリー・ファイア)になっちまうからすぐには撃たねぇッ!!」

 

 

 双方がフォーメーションを組んでいる内に、マクレーンたちは間髪入れずに道を横切る。

 その先には一際大きな倉庫と思われる建物があった。このキャンプは破棄された集落を再利用した場所らしい。

 

 

「入れ入れ!」

 

 

 倉庫に入ってすぐにマクレーンは扉を閉め、傍らにあった棚や工具入れ用のキャビネットで塞ぐ。

 直後扉を叩くような音が響き、銃弾が貫いて来た。

 

 

「うぅおッ!? 危ねぇッ!?」

 

 

 扉を壊そうとしているようだ。

 いずれ破れられるだろうが、時間稼ぎにはなる。

 

 

「包囲される前に裏から出るんだッ!! 早くッ!!」

 

「ひ……ひぃ……も、もう俺、無理っす……」

 

「馬鹿野郎ッ!! 諦めんじゃねぇッ!!」

 

 

 ここまでノンストップで走り続けた為、ロックは既にヘロヘロだ。

 対するマクレーンも口では大丈夫そうだが、明らかに表情には疲れが見えていた。

 

 

 

 このまま建物を転々としたところで、いずれは疲労で動きが鈍り、弾切れとなり、包囲されるだけだ。

 

 

「どうする……! あークソッ!! どうすりゃ良い……ッ!」

 

 

 別の出口へ駆けながら、必死にこれからの行動を考える。

 状況は四面楚歌。もう手立てはないのかと高を括る。

 

 

 

 出口が見えて来た。

 背後で飛び交う銃弾を気にしながら、とりあえずそこを目指した。

 

 

 

 不意にその、出口から一人の兵士がぬらりと闇の中より現れる。

 思わず立ち止まるマクレーンとロック。

 

 

 その兵士は、RPG7を担いでいた。

 

 

 

 

「…………嘘だろなぁオメェ……?」

 

 

 スコープを覗き、愉悦顔。

 一切の慈悲もなく、あっさりと軽い引き金を引いた。

 

 

 

 

「馬鹿だろ……ッ!?」

 

 

 まるで破裂したかのような発射音と共に、本来なら対戦車用の榴弾が人間目掛けて飛んで行く。

 

 白煙が兵士の後ろで舞っている。

 土気色のミサイルが、マクレーンの横を掠めた。

 

 

 全てがゆっくりとなる。

 ありとあらゆる物が、自身も含めて。

 

 

 身体が固まって動かない。

 榴弾は、ロック目掛けて猪突猛進。

 

 

 

 

 そのまま彼の腹部に突き刺さった。

 マクレーンが彼の名を呼ぶ。

 

 

「オカジ……ッ……!!」

 

 

 体内の空気が口から放たれた。

 内臓が揺さぶれられたような苦しさが襲う。

 

 ロックは身体をくの字に曲げ、一瞬だけ跳び上がると、パタリと地面に榴弾と共に倒れた。

 

 

 

 すぐに爆発する。

 発射されて四秒後には必ず爆発する。

 

 

 マクレーンは目を閉じ、身を縮めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五秒、六秒過ぎ、コロンと榴弾がロックの腹から転がり落ちる。

 

 十秒過ぎて、その彼の呻き声が聞こえた。

 

 

 

「…………あ?」

 

 

 榴弾は不発した。

 完全に予想外の出来事に兵士は混乱しており、RPG7から手元の拳銃を慌てて抜き取ろうとしていた。

 

 

「させるかぁッ!!」

 

「ぶッッ」

 

 

 その前にマクレーンがトカレフで三発ほど撃ち放ち、引導を渡してやる。

 兵士は崩れるように倒れ、二度と起き上がる事はなかった。

 

 

 

 敵の処理が済んだと同時にマクレーンはロックの傍まで駆け寄る。

 

 

「オカジマぁッ!? おい大丈夫かッ!?」

 

「ゴ……ゴフッ……おぅ……ぶふっ……ッッ!!」

 

「ゲロ詰まってんのか!?」

 

 

 すぐに身体を横倒しにしてやると、ロックは口からゲロゲロと血の混じった吐瀉物を吐く。

 何度か鼻で荒々しく呼吸を整えようと、身体を丸めて悶え続けていた。

 

 

「……オカジマ……オメェ……ツいてるぜ全く……」

 

 

 不発した榴弾とロックとを交互に見ながら、唖然とした様子でマクレーンは溢す。

 

 

「エフッ……! エフッ……!」

 

「……そうは言ってられねぇようだな」

 

 

 ロックの背中を摩りながら彼の様子を観察する。

 顔は死人のように青白くなっており、目も虚ろだ。爆発四散はお互い免れたものの、内臓を痛めてしまったようだ。肋骨も折れているだろう。

 

 吐き尽くした酸素を取り入れるよう、半ばパニック気味に口をパクパクさせている。

 その様を見て、立つ事も走る事も出来ないだろうとマクレーンは判断した。

 

 

 

 

 

 銃声が響く。外で待ち構えている兵士たちが扉を撃ちまくり、障害物となっていた棚とキャビネットを破壊している。ものの一分以内に扉は壊されるだろう。

 

 いやそれ以前にもう倉庫は包囲されているハズだ。

 もう一方の出口には既に待ち伏せを敷かれているだろう。正面から突撃し、敵を裏へ追い立ててから殺す。良くある戦術だ。

 

 

「………………」

 

「がふっ……! オェッ……! フゥーッ……フゥーッ……!!」

 

 

 逃げるなら今の内だ。その為には、負傷したロックを置いて行かねばならない。

 涙を流し、苦しみ喘ぐ彼を置いていかなければならない。

 

 

 

 マクレーンは立ち上がった。

 だがその目に諦念の感情はない。

 

 

 

 

「…………安心しろ。置いてきゃしねぇよぉ」

 

 

 そう言って先ほど殺した兵士の方を見やる。

 空っぽのRPG7が床に、そして三発ほどの榴弾が彼の背中に担がれていた。

 

 

 

 

「今に見てやがれ。過激にやってやらぁ」

 

 

 ニヤリと、彼は笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 棚とキャビネットが穴空きチーズのように破壊される。

 脆弱性が高まった段階で兵士たちは撃つのを止め、扉を蹴り上げた。

 

 

 あれよあれよで扉は棚ごと倒れて、突破口が出来る。

 兵士たちは銃を構えながら、マクレーンを追い立てるべく雪崩込んだ。

 

 

 

 その彼らの自信に満ちた目が、丸くなる。

 暗闇に満ちた倉庫の中、外から差し込まれたライトの光を浴びたマクレーン。

 

 

 

 

 ロックを足元に置いて守りながら、RPG7を担いで、こちらに向けている。

 

 

 

 

 

 

 

これでも食らえ(イピカイエー)MOTHER FUCKER(クソッタレ)

 

 

 

 

 

 噴煙と共に発射された榴弾は、先頭を切った兵士の顔面にぶち当たった。

 

 そして四秒後、闇を切り裂く紅光とフラッシュ。

 豪快な衝撃音と共に、兵士を含めた倉庫の入り口は大爆発する。

 

 

 爆発は入り口に集結していた全ての兵士を吹き飛ばし、血と肉の雨が表に降り注ぐ。

 

 

 

 

 異常を察した待ち伏せ班が裏口より侵入を開始。

 マクレーンは榴弾のリロードを颯爽と済まし、照準を合わせながら振り返る。

 

 

 彼の持っている武器に気付き、慄いた兵団のど真ん中目掛け、再び発射。

 

 

 

 榴弾は背中を見せた兵士に着弾し、そのまま大爆発。

 爆風と爆炎が倉庫の後方から吹き出し、待機していた者たちさえも巻き込んで倒す。

 

 

 

 

 包囲は完全に崩された。

 火の粉と黒煙、建物の破片が舞う中で姿を現したマクレーンは、片方にRPG7を抱え、もう片方にはロックをしっかりと抱えていた。

 

 

 

 彼の視線の先には有刺鉄線のバリケード、その前には土嚢と二台の車が敷かれ、しかも十人以上の兵士がいる。

 

 敵はすぐに射撃を開始。引き金か引かれる前に彼を殺そうと躍起だ。

 だが降り掛かる銃弾の雨を前にマクレーンは一切怯む様子もなく、被弾する前に最後の一発を打ち込んだ。

 

 

 

 榴弾は停められていた車に着弾。

 そのまま爆発し、更にはガソリンへの誘爆も含め、今日一番の大爆発を起こしてやった。

 

 

 兵士は吹き飛び、土嚢が空を舞い、スクラップとなった二台の車が転がる。

 

 

 

 木の杭と有刺鉄線は吹き飛び、キャンプ外への穴が出来た。

 マクレーンはRPG7をすぐに捨て、ロックだけを抱えて全力で駆ける。

 

 

 

 

「逃げるぞぉぉぉーーーーッ!!!!」

 

 

 舞い落ちる火の粉と辺りを包む黒煙の中、そして離れた箇所から発砲する敵弾の中、マクレーンは死に物狂いで突撃。

 何とか破壊したバリケードの穴から外へ逃げた。

 

 草むらを走る最中、つい足が縺れて転んでしまう。

 

 

「うげっ!?」

 

「おぅ……ッ!!」

 

「あ、すまねぇオカジマ!!」

 

 

 ロックを労わりながらすぐに立ち上がろうと顔を上げる。

 

 その先に、こんな文字が書かれた何かを二つばかりを発見。

 

 

【BACK】

 

 

 

 

 

 

 マクレーンが起こした三つの爆発を確認したイブラハ。その怒りは有頂天に達している。

 

 

「なぜ……たった二人にこれだけ……ッッ……!!」

 

 

 思っても見なかった戦力喪失に気が気ではない様子だ。

 唖然とスポットライトの先にある三つの黒煙を睨み、わななく。

 

 

 そんな彼の横へタケナカが寄る。イブラハとは対照的に、焦燥入り混じった笑みを浮かべていた。

 

 

「……ハッハッハ! なんて奴らだ……! たまげた! これがジョン・マクレーンか……!」

 

「クソ……ッ!! 奴らは今どこだッ!?」

 

 

 双眼鏡を取り出し、破壊されたバリケードを見る。

 きっちりと、ロックを担いで走るマクレーンの間抜けな走り姿が映った。

 彼を追う兵士たちの銃弾を何とか回避しながら、今し方バリケードの穴を出たところだ。

 

 

「おのれぇぇ……ッ!! 同じ目に遭わしてやる……ッ!!」

 

「おいまさか、イブラハ……!」

 

 

 タケナカの制止を聞かず、彼は司令室へ駆け込む。

 そして片手には無線、もう片手には何かのスイッチを握った。

 

 

「総員ッ!!『地雷原』の四十メートル後方に待機しろッ!!」

 

 

 

 

 

 

 マクレーンを追うべく続々とバリケード外に出た兵士たちは、イブラハの指令を受けて立ち止まった。

 バリケード周辺には数個のクレイモア地雷が設置されており、それらをリモートコントロールで一斉に起動させるつもりだ。兵士たちはその被害を受けない為に、一旦足を止める。

 

 

 

 クレイモア地雷の内部には、およそ七百個ほどの鉄球が敷き詰められている。

 挿入口に挿した信管が起爆すると、爆風によってその鉄球が拡散し、敵に食い込んで殺す仕組みだ。

 

 このクレイモア地雷の便利な点は、鉄球を飛ばす方向を指定出来る点だ。

 所謂、前と後ろが存在し、前方向約二百メートルに及ぶ広範囲のみに鉄球が発射される。

 

 なので地雷の後方、起爆時の爆風に巻き込まれない範囲にいれば鉄球の脅威に晒される事はない。

 

 

 

 

 兵士たちはその安全圏から、目と鼻の先にいるマクレーンとロックへの射撃を続ける。

 転んでから起き上がった彼らのへ、ありったけの弾丸を飛ばし続けた。

 

 

 

 

 スポットライトが地雷原の方へ向く。

 一人の兵士が双眼鏡を覗く。

 

 

 五十メートル先にあるクレイモア地雷二つが映る。

 

 

 

 

FRONT TOWARD ENEMY(こちらを敵に向けてください)

 

 

 

 

 イブラハはスイッチを押した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 バリケード周辺にあったクレイモア地雷全てが起爆を開始。

 鉄球はキャンプの外側目掛けて撃ち離され、木々や草花を薙ぎ倒して行く。

 

 外側へ逃げて行ってしまったマクレーンらはひとたまりもないハズだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 だがどう言う訳か、彼らの進行方向にあった二つのクレイモア地雷のみ、キャンプ側を向いていた。

 後ろに控えていた、兵士たちの方を向いていた。

 

 

 

 

 

 マクレーンの背後でクレイモア地雷の信管が起爆し、少なからず発生した爆風で再び転んでしまう。

 

 

 されど鉄球は彼らではなく、兵士たちへ襲いかかった。

 

 津波のように押し寄せたその礫は各々の顔、身体に食い込み、貫く。

 

 

 マクレーンへ一斉射撃を繰り返していた一団は、血飛沫と肉片を散らしながら全員倒れる。

 それは夜の草原に咲いた、赤黒い花のようにも見えたとか。

 

 

 

 

 

 銃弾が止み、代わりに背後から呻き声や怒号、悲鳴が響く。

 それを聞きながらマクレーンはまた、ロックに「すまねぇなぁ」と謝りながら立ち上がった。

 

 

 

 

「前後不覚だ、クソッタレども」

 

 

 

 今度は車の走行音が聞こえた。どうやらまだ追って来るようだ。

 半ば彼はうんざりしながらも、それでも二人で生き残る為に、夜の森の中へと走り続けた。




「We Didn't Start the Fire」
「ビリー・ジョエル」の楽曲。
1989年発売「Storm Front」に収録されている。
エモーショナルなメロディ、ピアノ・シンセとロックの融合を掲げた楽曲群により世界的ヒットを連発させた、70〜90年代を代表する天才シンガーソングライター。「Honesty」「Piano Man」は一度聴くべき。
アップテンポなビートに乗せて、ひたすら歴史の事件や人物、作品を羅列しまくるインパクト満点な歌詞が特徴的。お遊びに作った曲なのかと思いきや、サビに現れる歌詞に思わずハッとしてしまう魔性の一曲。
小粋なメロディラインも耳に残る最高の曲なんですが、作曲者のビリー本人がこの曲を凄く嫌っているのだとか。


マクレーンの「イピカイエー」は、双子との決戦以来2年ぶりだったり。


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We Didn't Start the Fire 2

 片手間に懐中電灯で闇を照らし、死に物狂いでマクレーンは森の中を進む。

 木の生い茂った箇所を進んでいるので、車で追っては来れないハズだ。

 

 ロックが繰り返す浅い呼吸を耳元に聞きながら、道なき道をひたすら駆ける。

 

 

「ひぃい〜……どこだよぉここはよぉ〜?……基地はどこだ? どこに出りゃ良い……?」

 

 

 アブ・サヤフが仕掛けているかもしれないブービー・トラップに気を付けながらも、草を掻き分け枝を潜り、小石を蹴飛ばしながら道を行く。

 

 その内に森を出て、荒れた道路に出た。

 何か目印か標識はないか、政府軍の巡回はないかと辺りを見渡す。

 

 

 途端、彼の泥だらけの身体を激しい光が照らす。

 驚き、目元を手で隠しながら、そちらへ注意を向けた。

 

 

「うぉ……だ、誰だぁ……!?」

 

 

 懐中電灯を投げ捨て、即座にトカレフ TT-33を抜く。

 

 その激しい光とは、車のヘッドライトによるもののようだ。

 マクレーンを照らすその車から誰かが降車し、二挺の拳銃を向けて話しかけた。

 

 

 

 

「そいつを起きな、バナナマン。でねぇと皮だけにして捨てちまうぜ」

 

 

 聞き覚えのある声に、マクレーンは目元を覆った手を下げた。

 目映い光は途端に、ハイからロービームに変わる。少し緩んだ光の前には見覚えのあるジープ・チェロキーと、レヴィが立っていた。

 

 

「……おめぇか!? 助かった!」

 

「Oh, Oh, Oh……勘違いすんじゃねぇ、アタシが欲しいのはそのスイートパイだ」

 

「ンなこたぁ言ってる場合じゃねェ! 怪我してんだ!? すぐに手当てが必要なんだぞ!?」

 

「……チッ。ロックベイビー、仕方ねぇ奴だ……とりあえず車に乗せな」

 

 

 面白くなさそうに吐き捨てながら、レヴィは二挺の銃口を下ろす。

 その彼女の後ろ、運転席と後部座席の窓から顔を出すレガーチとシェンホア。

 

 

「よぉっ!? テメェ生きてたのかぁ!?」

 

「良く一人で出られるですね、あそこから。ここから爆発見えてたですだよ」

 

「しかも銃はこっちが没収してたのに、大したモンだぜ全くッ!!」

 

 

 レガーチの方は掛けているサングラスが割れ、顔面に青痣が出来ていた。

 

 

「……おたく、どうしたそりゃ?」

 

「アタシがぶん殴った」

 

 

 横でレヴィが、ベレッタの銃床で殴る仕草をする。

 禁断症状の末にクラクションを押し、危険な状況を作った(みそぎ)のようだ。

 

 

「とにかくとっととズラかるですだよ」

 

「あぁ、分かった分かった……ほれロック、無事に帰れそうだぞぉ」

 

 

 シェンホアに急かされ、早くロックを車に乗せようとした。

 

 

 味方との再会に安堵していたのも束の間、途端に騒ぎ立つ道の先。

 ハッと気付いた頃には遅い。道路の両端より、喧しいスキール音を響かせながら、テロリストたちの4WDが現れた。

 

 

「……クソッ。やっぱ向こうの指揮官とやら、かなり名軍師様だな。テメェの逃げた先見て、この道に出るって読んだみてぇだ」

 

「挟み込まれたぞ!?」

 

「んだけど、三、四……九台か。へっ、奴さんリストラでもしたのか、人手不足みてぇだな」

 

 

 焦りを見せるマクレーンに対し、レヴィは冷静沈着としている。

 ヘッドライトを背に、夜よりも暗い瞳を細め、二挺拳銃をまた持ち上げた。

 

 

「早くソレ、乗せる良いね。今からここ、バトルフィールドなるよ」

 

「……マジか。やんのかよまた……」

 

 

 後部座席のドアを開け、降車したシェンホアと入れ違いにロックを座席に寝かせる。

 

 

「まだ嵐は来るみてぇだ。待ってろよ」

 

 

 そう言い残してマクレーンはドアを閉めると、すぐにレガーチが全てのドアの鍵をかけた。それからチェアを倒して横になり、耳にイヤホンを挿す。

 

 

 

 

「ッたくよぉ……とんだ一日だぜ全く……どうなっても知らねぇぞぉ」

 

 

 悪態吐きながら手元にあったウォークマンで、中に入っているカセットテープを再生させた。

 テープはボブ・ディランのアルバム『血の轍(Blood On The Tracks)』。

 

 

「俺ぁのんびり、嵐が過ぎるのを待っとく……ぜっ!」

 

 

 耳奥へ流れるのは、柔らかいフォークギターと、暖かいベースの音だけ。

 曲名は『嵐からの隠れ場所(Shelter from the Stom)』。

 

 

 

 

'Twas in another lifetime, one of toil and blood

 

 

 イントロが終わり、現れたボブ・ディランの声と合わせて、レガーチは叫ぶように歌い始めた。

 

 

 

 

 

「IT'S SHOooooW TIiiiiME!!!!」

 

 

 始めたのはレヴィの二発。

 ベレッタM92Fとソード・カトラスから9mmパラベラムが発射。

 

 それが敵車両のフロントガラスを破り、運転手の両目を貫いた。

 先頭の一台がクラッシュし、横倒しに道路を滑って止まる。

 

 

 慌てて停車した後続車からぞろぞろと兵士が飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 次にシェンホア。彼女はレヴィとは逆の方角に立つ。

 

 

嘻嘻(ふふ)……那我来喽(じゃあ 行くわよ)

 

 

 車から顔を出し、AK47を撃ち放つ兵士が一人。

 飛び込む銃弾の中、一切の驚きも動揺も見せず、据えた目のまま両腕を振るう。

 

 

 

「……飞起来吧(踊ってね)

 

 

 両手の指には、手投げ用の小さなナイフが挟まっていた。

 放たれたそれは小さな銃弾の雨を遡行し、顔を出した兵士の顔面に何本も突き刺さる。

 

 一人、二人……四人ほどが車の窓から零れ落ちた。

 驚いた車列が急遽停車し、またぞろぞろと兵士が飛び降りて突撃を開始。

 

 

 

 

 

 

「来やがれ馬鹿やろどもーーッ!!」

 

 

 マクレーンも負けていられない。

 両側から飛び交う7.62×39mm弾をやり過ごしながら、構えたトカレフで7.62×25mmトカレフ弾を撃ちかます。

 

 シェンホア側、突撃途中の兵士が二人倒れた。

 続け様にトカレフを撃つ。そのまま前方へ進み、手投げナイフを辞めて(ククリ)を片手に握る。

 

 

 

 マクレーンの背後に迫る兵士が二人。横から流れて来た銃弾が、彼らの側頭部に直撃した。

 

 

「女のケツより男の方が良いのか?」

 

 

 レヴィは両腕を精密機械のように動かし、前後左右縦横無尽に撃ちまくる。

 ベレッタとソード・カトラスの銃声が一つ聞こえる度に、誰かが倒れた。

 

 

 

 

 続々と押し寄せる兵士たちの列に、シェンホアは飛び込む。

 身体を地面スレスレにまで下げて銃弾を回避し、蜥蜴のように駆ける。

 

 途中、彼女へ照準を合わせた兵士がいたが、彼はマクレーンが撃ち殺した。

 

 

 颯爽と兵士の股下まで寄った彼女は、ククリで股間から顎下まで斬り上げる。

 斬られた男は引き金を引きながら倒れ、隣にいた仲間たちを道連れに撃ち抜く。

 

 

 回り込んだ兵士がシェンホアに銃口を向けた。

 即座に彼女は旋回し、手前にいた兵士諸共、その首を同時に掻っ切る。

 

 噴き出す鮮血を浴び、涼しげな瞳で微笑んだ。

 

 

 

 

「……中華は楽しんだかぁーーッ!? テメェらの好きなソ連の味を喰らえぇぇーーッ!!」

 

 

 トカレフを撃ち尽くすまで放ち、シェンホアへ注視していた兵士を二人倒す。

 銃弾を回避してマクレーンに近寄った兵士がいたが、即座に持っていたトカレフを投げ付けて視界を奪う。

 

 その隙に斜め掛けしていたウージーに持ち替え、乱射。蜂の巣にしてやった。

 後ろでシェンホアが不快そうにぼやく。

 

 

「失礼するね。中華じゃノーで、私、本省人よ」

 

「本省って中国のどこだーーッ!?」

 

「……もう良いよ」

 

 

 恨みがましくシェンホアは吐き捨てた。

 

 

 

 

 一方でレガーチ。

 

 

Suddenly, I turned around and she was standin' there

With silver bracelets on her wists and flowers in her hair

 

 

 相変わらず寝ながら歌っている。

 目線の先ではガラスを割って、銃弾が飛び交っている。その合間を縫いながら、彼はルームミラーの角度を少しずつ変えた。

 

 

She walked up to me so gracefully and took my crown of thorns

"Come in," she said, "I'll give you shelter from the storm"

 

 

 途端、車内が揺れる。

 

 

 

 

 

 レヴィがジープのボンネットに乗っていた。

 そこから跳躍し、彼女へ合わせていた兵士たちの照準を狂わせる。

 

 

「点で追うからそうなンだよ」

 

 

 間抜けに跳び上がったレヴィを見上げた彼らの顔を、レヴィは容赦なく撃ち抜く。

 銃創から噴き出した血で地面を染めながら、一人一人とバタバタ倒れ伏した。

 

 

 着地したレヴィを、持っていたナイフで斬りかかろうとする兵士が一人。

 だがナイフを振りかぶった時に、彼の胴体を9×19mmパラベラム弾が突っ切り、膝から崩れてしまった。

 

 

 

 

 ちらりと振り返るレヴィの目には、ウージー構えたマクレーンが立っている。

 

「どうだ」と言わんばかりに口角を上げた彼に向かって、右手のソード・カトラスを銃口を向けた。

 舌打ちと共に引き金を引き、砲身から飛び出た銃弾は、マクレーンを掠めて背後に立っていた兵士のひたいを抜く。

 

 

 

 

 シェンホアはククリの持ち手に垂れ下がっていた、紐飾りを引いた。

 それはテープのようにどこまでも伸びた。どうやら麻やポリエチレン製と言った普通の紐ではなく、丈夫なワイヤーのようだ。

 

 

 彼女の見据える先には、残りの兵士たちが一斉に突撃を開始していた。

 

 

「なんじゃそりゃ?」

 

「見てると良いよ」

 

 

 訝しむマクレーンの手前で、シェンホアはククリを投げる。

 投げられたククリの持ち手からは更にワイヤーが伸びて行く。ある程度飛ばした段階で、彼女はワイヤーを引いた。

 

 

 

 真っ直ぐに飛ぶだけだったククリは、兵士たちのど真ん中で軌道が変わる。

 シェンホアがワイヤーを巧みに操作し、それに合わせてククリは縦横無尽に暴れ回った。

 

 

 

 その刃は兵士たちの頭、腕を真っ二つにし、打ち上げ花火のような鮮血を空に舞わせた。

 最後にシェンホアがワイヤーを引くと、ククリはブーメランのようにこちらへ返り、彼女の手の中に収まる。

 

 

 同時に兵士たちはバタバタと倒れた。マクレーンはそれをドン引きした目で見ている。

 

 

「……おたくだけは敵に回したくねぇぜ」

 

「殊勝なる心掛けね」

 

 

 あらかた片付いたシェンホア側と対照的に、レヴィ側からはまだ幾多の銃声が響いている。

 マクレーンは即座にウージーを持ってそちらの方に行く。ジープ横を通った際に、車内からレガーチの下手な歌声が聞こえた。

 

 

I've head newborn babies wailin' like a mournin' dove

And old men with broken teeth stranded without love

 

 

 車の影からレヴィを狙う兵士を、横からマクレーンは不意撃ちで倒す。

 そこでとうとう、ウージーも弾切れだ。

 

 

 

 

「シェンホアーーッ!! そろそろ良いだろぉーーッ!!」

 

 

 彼女は何も言わず、背を向けたまま懐から出した物を、マクレーンの方へ投げ渡す。

 空中を舞うのは、没収していたマクレーンのベレッタM92F。

 

 

 大きく夜空で弧を描き、落ちるようにマクレーンの手の中へ。

 

 受け取ってすぐに彼は振り返り、引き金を引く。

 そこにはトカレフを握っていた兵士が立っていたが、発砲する前にマクレーンに撃ち抜かれてしまった。

 

 

 

 

「俺の方が賢くて早いんだよぉ、ボケェ」

 

 

 決め台詞のすぐ後に横切って来た銃弾を、寸前で屈んで回避する。

 

 

「危ねぇッ!? まだいんのかッ!?」

 

 

 マクレーンが回避した銃弾は、ジープの窓を割って車内へ。

 

 

In a little hilltop village, they gambled for my clothes

I bargained for salvation an' they gave me a lethal dose

 

 

 ルームミラーから垂れ下がっていたドリームキャッチャーの紐を切った。

 落っこちたそれを、レガーチは右手で受け止めた。

 

 

I offered up my innocence and got repaid with scom

"Come in," she said, "I'll give you shelter from the storm"

 

 

 チラリと割れたサングラス越しに、ルームミラーを見やる。

 

 

 

 

Well, I'm livin' in a foreign country, but I'm bound to cross the line

 

 

 腕を交差させ、それぞれの指先にある引き金を引き、二挺拳銃を同時に放つ。

 兵士が二人、脳漿と血を噴き出して倒れた。

 

 

 

Beauty walks a razor's edge, someday I'll make it mine

 

 

 しっかりと構えられたベレッタを持ち、レヴィを横切って前へ前へと進みながらマクレーンは発砲を続ける。

 銃弾を受けた兵士たちが次々と崩れ落ちて行った。

 

 

 

If could only turn back the clock to when God and her were born

 

 

 投げナイフを指に挟むと即座に投げ付け、マクレーンの傍まで迫っていた兵士を殺す。

 一息の内にレヴィの隣まで寄ると、また再びククリを操り、兵士三人を一刀両断に散らせた。

 

 

 

 

"Come in," she said, "I'll give you shelter from the storm"

 

 

 レヴィ、撃つ。

 マクレーン、撃つ。

 シェンホア、斬る。

 

 彼らの挙動が一つ終わるごとに、兵士は薙ぎ倒されて行く。

 どんどんと数を減らして行く。

 

 

 レガーチのイヤホンから、ハーモニカの狂乱とした音が聞こえた頃には、もう敵兵は三人しかいなかった。

 

 

 

「くたばれ」

 

 

 レヴィが一人の心臓を撃ち抜いた。

 

 

 

再見(さよなら)

 

 

 シェンホアが一人の両腕を狩り取った。

 

 

 

「おまわりさんナメんな」

 

 

 そしてマクレーンが最後の一人の頭を発砲した。

 

 

 

 

 

 

 ジープの後ろ、倒れていた兵士がふらふらと上半身を起こした。まだ息があったようだ。

 何とか握れていた拳銃を持ち上げ、引き金を引こうとしている。

 

 

 

 車内のルームミラーに、その様子はバッチリ写っていた。

 イヤホンからハーモニカの音が止み、ギターとベースのアウトロが入る。

 

 演奏のテンポが緩やかになって行く。

 レガーチは合わせてバックギアを入れ、ペダルを踏んだ。

 

 

 ジープは後ろへ兵士目掛けて走り出す。

 負傷で回避もままならず、危機を察して悲鳴をあげるだけ。

 

 

 

 

「あああああああああぁぁーーーーッッ!!!!????」

 

 

 そのままあれよあれよで、バックランプ照るリアフロアーを顔面にぶつけられ、続いてジープの下敷きとなる。

 

 

 すぐさまレガーチはブレーキを踏み、演奏最後のギターの「ぽろん」と言う音と同時に車を停める。

 何事かと振り返るレヴィ、マクレーン、シェンホアの視線の先、リクライニングを上げたレガーチが歯を見せて笑っていた。

 

 

 

 

「これで最後かぁ?」

 

 

 ジープから伸びた血の轍を見て、三人は目配せし合った後に肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺りはすっかり死体と血、そして排莢と硝煙だらけ。

 追手は何とか全滅させたようだが、まだ残りが来る可能性もある。早いところ離れた方が良いだろう。

 

 

「チキショー……とんだ火曜日だぜ今日はよぉ……あ。そういや、書類はどこだ?」

 

「もうとっくに水曜日だぜクソ野郎……てか書類? 知らねーな? 奴らのキャンプなんじゃねぇか?」

 

「あんな? 向こうにあるってんなら、こいつらは俺たちを追って来る必要はねぇだろが」

 

「チッ、嘘が通じねぇ奴は嫌いだ……わぁーったよ。ちゃんとあるっての」

 

「大方、胸ン中にでも入れてンだろが? トゥルーライズでハリー・タスカーの女房がやってたみてぇによぉ」

 

「…………変に鋭い奴は特に嫌いなんだよ」

 

 

 拳銃をホルスターに仕舞いながら、レヴィは恨み言を吐く。

 

 

 その間にシェンホアが助手席に乗り、続いてレヴィは後部座席のロックの隣に乗る。

 マクレーンもレヴィの後ろから乗り込もうとした。しかしステップに足をかけた時、グイッと彼女から肩へ足を突き付けられる。

 

 

「あ?」

 

「悪ィなオッサン、この車は四人乗りなんだ」

 

「なに……!?」

 

 

 そのまま蹴飛ばして、マクレーンを地面に落とす。

 即座にドアを閉め、鍵をかけてやった。

 

 

「イッテェ……! 何しやがんだクソアマぁ!?」

 

「こんままジョニーの凱旋ってのは味気ねぇだろぉ? もうちょいフィリピン旅行を楽しんでな」

 

「何だとテメェ!? おいおいおい乗せろオイッ!?」

 

 

 助手席を叩いてシェンホアに懇願する。

 

 

「本省人を中国人と言ったですよ。助けるノーね」

 

「ンな事ァ言ってる場合じゃねぇだろ!? おいレガーチッ!!」

 

 

 続いてレガーチに、車を出さないよう懇願。

 

 

「テメェに預けたヤクは?」

 

「あ?……あー……使っちまった」

 

「死んじまえ」

 

「オイオイオイ待て待て待てッ!?!?」

 

 

 必死に引き止めようとするマクレーンの努力も虚しく、シェンホアとレヴィの高笑いを残してジープは走り去ってしまった。

 残された彼は地団駄を踏み、罵声を吐く。

 

 

「このッ……クソどもぉーーーーッ!! テメェらロアナプラで会ったら覚えてやがれッ!!」

 

 

 その言葉は届いたのかは分からない。既にジープはアブ・サヤフの軍用車を抜けて、遥か遠くまで行ったからだ。

 すぐにマクレーンは近くにあったその軍用車の一つに飛び乗った。

 

 

「ケッ!……まぁ、車はあるんだ。すぐに追い付いてドタマに一発──」

 

 

 動かした瞬間からハンドルが効かず、大急ぎで車を停める。

 降車してタイヤを確認すると、見事に銃弾が撃ち込まれてパンクしていた。

 

 

 しかもこの一台ではなく、確認してみれば敵車両全てがパンクさせられていた。

 すぐに浮かんだのは、レヴィの顔。

 

 

「クソッタレーーッ!! あの女、俺を蹴落とすの前提だったなぁッ!?」

 

 

 怒りに包まれながらも、すぐにマクレーンは車両に積まれていたスペアのタイヤと、ジャッキとレンチを取り出した。

 

 

「クソッ……朝が来る前に何とかしなきゃ、フィリピンに置いてけぼりだぞ……!」

 

 

 アメリカ帰還の望みが絶たれた今、ここを出る方法はエリオット爺さんしかいない。彼は朝方、また国境を越えてやって来るハズだ。

 止まらない悪態を吐き続け、何とか全てのタイヤを交換する。

 

 遠くから聞こえるヘリコプターの音を聞きながら、溜め息と共に運転席に座った。

 

 

 書類はCIAに届いただろうが、マクレーンにとってはタイムオーバーだ。

 進路を基地のある方から逆を向き、最初に降り立った村の方へと走らせる。

 

 

 

 

「…………ロアナプラに囚われちまったぜ。すっかりな」

 

 

 アクセルを踏み続け、心底から疲れた顔を携えながら、心なしが青くなって行く夜空を見上げてニヒルに笑う。

 頭に浮かぶのはホリーと、子どもたちの顔。

 

 

「……どーだ。アメリカを救ったんだぞぉ、俺ぁ」

 

 

 凱旋は叶わなかったがと悔しがりつつ、何とか自尊心を保とうと努めた。

 マクレーンが運転する車はテールランプの明かりを残し、道路の先を目指して進み続ける。

 朝は段々と近付いて来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのマクレーンの車両を発見した、一台の車。

 運転席にはぎりぎりと歯を食い縛ったイブラハがいた。

 

 

「見つけたぞぉ……ッ!! 良くも同志たちを……ッ!!」

 

「………………」

 

 

 助手席には感心したような笑みを浮かべる、タケナカがいた。

 

 

「……全く。半分以上の兵力が持っていかれた……アブ・サヤフの本部に何言われるかァ、分かったもんじゃない」

 

「奴の首を取れば何とでも言える……あのアメリカ人だけはぁ……ッ!!」

 

「……イブラハ。いっそ見逃すってのは無理か?」

 

 

 ハンドルを殴り、イブラハは怒鳴る。

 

 

「死した同志に報いる為だ……ッ!! 書類も奴が持ってるハズだ……必ず……ッ!!」

 

 

 激昂すると他が見えなくなるのは知っていたが、ここまで盲目になるとはと、タケナカは首を振る。

 それ以上は何も言わず、マクレーンを追うイブラハの好きにさせた。

 

 

 

 

「……終わりにさせよう」

 

 

 タケナカの暗い目に写るのは、海岸沿いにある漁村。

 走行し続け、やっと辿り着いたそのゴースト・ヴィレッジの入り口には、マクレーンが乗り捨てた車があった。

 

 

「……尾行はバレていたかな?」

 

「上等だ。手ずから殺してやる」

 

 

 拳銃を掲げ、イブラハは車から降りる。

 溜め息と、数秒ばかりの黙祷を済ませた後、タケナカもまた拳銃を片手に降車した。




・ヒズボラ編は次回で終了の予定


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We Didn't Start the Fire 3

 降車したタケナカはまず、イブラハに耳打ちする。

 

 

「二手に別れよう。あのおまわりさん、ゲリラ戦ってのを分かってやがる。まんまと村ン中入って一網打尽なんざぁ間抜け過ぎる」

 

「最初の時と立場が逆か……クソッ!……俺は西の方を回る」

 

「りょーかい」

 

 

 二人が別れた村に入ろうとした時、もう一度タケナカは彼を呼び止めた。

 

 

「そうだイブラハ! 携帯電話は持ってるかぁ?」

 

「なに? あぁ……支給されたのを持っているが……」

 

「おー。そりゃ良かった良かった」

 

 

 胸ポケットから携帯電話を取り出して見せ付け、ニカッと笑った。

 

 

「見つけたらまず連絡しろよぉ。文明の利器は使ってナンボだからさ?」

 

 

 そう言い残すとまた携帯電話をポケットに押し込み、タケナカは村の東側へ駆けて行った。

 

 

 

 

 

 村は相変わらず寂れていた。二年前までならば、既に村人たちは起床して漁の準備をしていた頃だった。今やゲリラと政府軍の戦闘が激化してから、誰も彼もが島の外へと逃げてしまった。

 人々の雑踏と声が消え、代わりに港でウミネコたちが鳴いている。穏やかな波音が響いている。

 

 

 トカレフ TT-33を構えたタケナカは、家々の外壁を縫うようにして移動し、マクレーンを捜索していた。

 朗らかで気の良さそうな笑みはすっかり潜められ、暗い目をした闇の人間の顔となっている。

 

 

「…………」

 

 

 小さな路地裏を抜けると、港に出た。

 褪せた木板の桟橋の先、波立つ磯のところに、鋭く天へと突き出た岩礁が見える。その岩礁にも、羽休めに来たウミネコたちが大挙していた。

 

 

「……へ。『イッカクのツノ』……」

 

 

 ボソッと呟き、また集中力を戻してから、港の漁具小屋沿いを慎重に進む。

 息を殺し、足音にも気を遣い、どこから現れるか知れない敵を警戒する。磯から流れ来る湿っぽい匂いを嗅ぎながら、青い海と煌々と登る太陽を避けるよう、影から影へと移動を続けた。

 

 

「……!」

 

 

 途端、タケナカの足が止まる。

 見下ろした彼の視線の先、砂の地面の上には、真新しい足跡があった。

 

 

「…………」

 

 

 下げていた銃口を上げ、引き金に指をかけ、それから足跡を辿り始める。

 

 

「……昨日は夜まで潮風が激しかったから、昨日の足跡ならとっくに消えてるよなぁ……へへ。お間抜けさんだねぇ」

 

 

 足跡は小屋の前を通り、その角を曲がった。

 途中、船底を向けて壁に立て掛けられていたボートの前を抜ける。

 

 足跡が連なって消えた先である、小屋の角まで着く。一度その前で止まり、一呼吸入れてから、筒先を向けて角に出る。

 

 

 

 

 

 マクレーンはいなかった。

 どこに行ったのかと足跡を見たタケナカの表情に、動揺が現れる。

 

 

「……あっ……!」

 

 

 連なっていたハズの足跡が、角を少し行った先で無くなっていたからだ。

 全てを察して振り返ろうとしたタケナカだったが、銃を突き付けられた音に気付いて身体を止めた。

 

 

「……はははっ! 参った、降参だ!」

 

 

 拳銃を下ろしながら、タケナカは乾いた笑い声をあげた。

 

 

 

 

 横顔だけを向けて見た自身の背後には、ベレッタを構えたマクレーンが立っていた。

 

 

「銃をこっちに捨てて、頭の後ろで手を組みなぁ。間抜けさんよぉ?」

 

「……全く、やられちまったなぁ」

 

「悪いな。俺の方がテメェらよりも一枚も二枚も上手なんだ」

 

 

 言われた通りにトカレフをマクレーンの足元へと放り捨て、両手を頭の後ろに組む。

 

 

「へへへ……狡い事してくれるじゃあないの。俺もこんなのに引っ掛かるたぁ……もう歳かねぇ? なぁ?」

 

「塀の向こうで引退生活でも送っときゃ良かったんだ。青春が忘れられないオッサンほどイタイもんはねぇぞぉ?」

 

「キツイ事言ってくれなさんな。生き甲斐なくして歩く死体になるよかマシさ」

 

 

 途中で消えている足跡を見ながら、タケナカはふつふつと笑う。

 

 

 

 

「『止め足(バックトラック)』ねぇ……ヒグマが良くやるって、北海道の同志が言ってたよ」

 

 

 一部の動物がやると言う逃避行動だ。

 足跡を辿って追って来る敵を躱すべく、自分の足跡を踏みながら後退し、途中から横へ飛んで足跡の列から外れると言うもの。これによってダミーとなった足跡を敵が追い続けている隙に逃げ切れる。

 

 

「どこ隠れてた?」

 

「そこのボートの裏だ」

 

 

 小屋の壁に立て掛けられていたボートを思い出し、タケナカは気付けなかった自分に呆れて首を振った。

 

 

「……全く。本当に悔しいなぁ、ちょっと考えりゃあ思い付くのによぉ。ひゃあ〜、堪んねぇなぁこりゃ」

 

「過去が忘れらんねぇで足跡ばっか見てんから、そう足元掬われんだよぉ」

 

「おいおいおい……お前さん、あんだけ大暴れして有名になったのに、その過去を手放してんのかい? 勿体ねぇなぁ」

 

「ついこの間にそれ言われてりゃあ、俺ぁ何も言えなかった。だがお生憎さん、既に俺ぁ過去を振り切ってんだ。親切なシスターさんのお陰でよぉ」

 

 

 拳銃を向けたままマクレーンはしゃがみ、足元に捨てさせたトカレフを回収する。

 

 

「他に銃は持ってねぇか?」

 

「マガジンだけじゃどうにもならねぇかなぁ?」

 

「そんなら良い。そのまま地面に伏せて、十分経ったら帰りやがれ」

 

 

 意外そうにタケナカはマクレーンを一瞥した。

 

 

「見逃してくれんのか?」

 

「降参した奴を撃つほど俺ぁ鬼じゃねぇよ。それに書類はもうCIAに渡った。どの道、テメェらの負けだ」

 

「はっはっは!」

 

 

 愉快そうな笑いながら、命じられた通り地面に伏すべく、まずは両膝を付けた。

 

 

「ンだが案外、俺はツイてるかもな。ロアナプラの奴が相手なら、俺はもう地獄に行ってる」

 

「そんまま腹這いになってろ」

 

 

 武器は持っていないと言うのも、タケナカの自己申告だ。隠し持っている可能性を考慮し、マクレーンはすぐには去らず、銃口を向け続けて腹這いになるまで待つ。

 

 

 タケナカは膝をついて止まり、ウミネコの声を聞きながら話し始めた。

 

 

「そっから見えるだろ?『イッカクのツノ』がよぉ」

 

 

 マクレーンの後ろの海の先に、一本突き出た岩礁があり、その上でウミネコたちが鳴いている。しかしマクレーンは一瞬たりとも振り向かない。

 

 

「余所見させて気を逸らそうなんざ考えるな」

 

「ンな狡い事ぁしねぇよぉ。第一、俺ぁもう丸腰だっつの」

 

「良いから腹這いになりやがれ」

 

「まぁまぁ。実はアレ、丁度メッカがある方にあってなぁ? この村の聖地みてぇなもんなんだ……一回だけ拝むのも悪かねぇぞ?」

 

「悪いが、俺が拝むのはマイアミの方だって決まってんだ」

 

 

 気を逸らせる作戦が失敗したと悟ったのか、やっとタケナカは頭を下げ始めた。

 

 

 

 だがまた、途中で止まる。

 

 

「あーあ……この二十年でやっとこさ、アメ公どもの首に喰らいつけるかって思ったのによぉ……」

 

「おい。そろそろドタマ殴られてェか?」

 

「まぁまぁ、ゆっくり行こうや。どうせイブラハはココとは逆の方を捜索してる……どう頑張ったってこっちにゃこれねぇさ」

 

「俺はゆっくりする暇ねぇんだ」

 

 

 奪ったトカレフをズボンの隙間に挟み、威嚇するようにバレッタをちゃきりと鳴らす。

 それでもマクレーンから背けさせた彼の表情から、余裕の笑みは消えない。

 

 

 

「……『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』は知ってるよな?」

 

 

 突然彼は腹這いにもならず、語り始めた。

 

 

「イスラムが誇る、世界的名作だ」

 

「おい、良い加減にしやがれ」

 

「まぁ聞いてくれよ。アラジンだとかシンドバッドで有名だが、そもそもは一人のお姫さんが千夜に渡ってお伽噺を語るって物語なんだ」

 

 

 どうやっても言う事を聞かないタケナカに辟易し、マクレーンは舌打ちを鳴らす。

 それでもお構いなしとばかりに、タケナカはペラペラと続けた。

 

 

「その昔、『シャフリアール』てぇ王様がいた。この王様がとんでもねぇ奴で、最初の女房に浮気された怒りから、その女房だけじゃなく、後に結婚したウブな女らも一晩過ごしたら処刑したんだ。女を信じられなくなっていたんだ」

 

 

 何の話だと訝しむマクレーンだが、タケナカは気にしない。

 

 

「ある時、その王様と新しく結婚した『シェヘラザード』って女がいた。ソレもまた一晩寝た後に処刑される運命だったが、そのお姫さんは色んなお伽噺を王様に聞かせて楽しませ、『続きはまた明日の夜』って言って生き永らえたんだ。そのお姫さんが話したお伽噺ってのが、千夜一夜物語に出て来る話なんだ」

 

「……おい。そろそろ黙らねぇと……」

 

「んで、話の先が知りたい王様は、そのままお姫さんを処刑せず、千日共にした。んで千日後には子どもが産まれ、王様はその喜びからお姫さんを正妻として認め、殺さない事を誓ったとさ」

 

「お喋りが……」

 

 

 とうとう痺れを切らし、一度殴ってやろうかとマクレーンはタケナカに寄る。

 

 

「……良い教訓だよなぁ、こりゃ」

 

 

 その足音を聞きながら彼はニタリと笑った。

 

 

 

 

 

 

「いつだって生き残るンは、賢いオシャベリだ」

 

 

 タケナカは膝立ちのままクルリと、振り返る。

 警戒し、立ち止まって銃口を構えるマクレーンだが、目に映った物を見て息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 胸ポケットから彼は、携帯電話を取り出した。

 画面は光っており、通話中だと言う事を示していた。

 

 

 

 

「俺が三枚上手だ」

 

「来たぞタケナカァッ!!」

 

 

 膝立ちのタケナカの後ろ、小屋の影からイブラハが飛び出した。

 左手には携帯電話が握られ、もう片方にはトカレフが構えられていた。

 

 

 マクレーンが反応して照準を向けるより前に、彼は引き金を引いていた。

 

 

 7.62x25mmトカレフ弾がタケナカの頭上を抜け、咄嗟に屈んだマクレーンの頭部を掠める。

 しかし放たれた弾は一発だけではなく、連発して発射された。

 銃声に驚いたウミネコたちが、一斉に空へ飛び上がる。

 

 

 

 

「──クソッタレッ!!」

 

 

 続けて飛んで来る弾丸を、地面に倒れ込むようにして何とか回避。

 そのまま断続的に放たれる銃弾を凌ぐべく、マクレーンは後方へ這うように逃げ、小屋の影に隠れた。

 

 そこから見える、すっかりウミネコの消えた「イッカクのツノ」を忌々しげに一瞥する。

 

 

「んなモンで場所知らせやがって……ッ!」

 

 

 壁を遮蔽物にして隠れながら、銃撃を繰り返すイブラハを迎撃すべく、ベレッタを構えて身体を出す。

 

 

 その時、身を屈めてマクレーンの真下まで迫っていたタケナカに気付く。

 反応が遅れ、対応しようとした時には、銃を手刀で叩き落とされた頃だった。

 

 

「イッ……!?」

 

「うおおおーーッ!!」

 

 

 そのままタックルをかます。

 

 

「うぐっ!?」

 

 

 テロリストながら、ある程度の戦闘訓練を受けている人間だ。銃持ちの隙を見抜いて寄れる豪胆さを持っている。

 タケナカはマクレーンを地面に押し倒すと、馬乗りのまま顔面を殴り付けた。

 

 

「グォッ!?」

 

「ここでおしめぇよぉッ!!」

 

 

 しかしマクレーンもやられっぱなしではない。

 すぐに地面の砂を片手で掻き集め、タケナカが拳を振りかぶった隙に、その顔面へ振り撒いてやった。

 

 

「イデッ!?」

 

「終わって堪るかぁーっ!!」

 

「ぶふっ!?」

 

 

 砂の目潰しで怯んだ彼の鼻面を殴り、突き倒す。

 拘束を逃れたマクレーンはすぐに落としてしまったベレッタを拾おうと、急いで地面を這った。

 

 

 

「一手遅いんだよぉ」

 

 

 身体を起こしたタケナカは、トカレフを握っていた。

 マクレーンが没収していた得物を、タックルした際に奪取していたようだ。

 

 

 

 無様な地を這ってベレッタを手に取ろうとする彼に目掛けて、引き金を引く。

 

 

 

 

 しかし、発砲出来なかった。

 

 

「ッ!?」

 

 

 ハッとトカレフを見たタケナカは、スライドが後退したままである事に気付く。

 マガジンは空にされていて、薬室にも弾が抜かれていた。

 

 どうやらマクレーンはあらかじめ、タケナカが見ていない隙に弾倉を取っていたようだ。

 

 

 

「嘘だろオイ……ッ!?」

 

 

 急いで予備のマガジンを取り出して挿し込もうとするタケナカ。

 

 

 

 だが既に、マクレーンは落としたベレッタを手に取っていた。

 

 

 

「四枚目は俺の方だったなぁッ!?」

 

 

 すぐに照準を向け、地面に寝たまま撃たれる前に撃ち放つ。

 

 

 

 

「アガッ!?」

 

「日本に帰れクソ野郎ッ!!」

 

 

 何発か撃たれた銃弾の内の一つが、トカレフを握っていた手の平に着弾。堪らず銃を落とし、血を散らしながらその場で倒れ伏せる。

 

 

 

 しかしそんな彼をカバーすべく、イブラハが小屋の影から再び姿を現した。

 タケナカの前に飛び出し、地面に寝っ転がったままのマクレーンへ銃口を向ける。

 

 

「同志の仇だぁーーッ!!」

 

「うおっ……!?」

 

 

 対応しようとするものの、弾切れになっている事に気付く。

 

 

「ヤバい……!」

 

 

 咄嗟にマクレーンは、自身のすぐ横に立て掛けられていたボートを掴んだ。

 

 

 

「死ねぇーーーーッ!!」

 

 

 イブラハが発砲し、重い銃声が響く。

 銃弾が襲いかかって来たが、咄嗟の判断でマクレーンが倒したボートが良いバリケードとなり、被弾を免れた。

 

 

「おのれ……ッ!!」

 

 

 追撃しようと近付いた瞬間、装填を終えたマクレーンがボート裏から飛び出した。

 

 

 ベレッタの照星と照門は、真っ直ぐとイブラハの急所を捉えている。

 

 引き金を引き、9mmパラベラム弾を一発でも放てば、彼の息の根を止められるだろう。

 

 

 銃口を向け、指に力を込めるマクレーン。

 だが途端、躊躇してしまった。

 

 

「……ッ!」

 

 

 脳裏に蘇るは、監禁小屋でのタケナカの話。

 

 

 

 

 

 

「殺されたんだよ息子を」

 

「内戦ン時に、イスラエル軍にな」

 

「あいつはかつて、父親()()()んだよ」

 

 

 

 

 

 怒りの形相のままイブラハは、立ち上がったマクレーンの顔に照準を合わせる。

 

 

 

 

「分かるか? イブラハは実のところ……パレスチナの解放だとかより、『復讐』が目当てになってる」

 

「息子を殺したイスラエルを心の底から憎んでいる」

 

「で、そんな奴らを支援する全てもな」

 

 

 

 

 そうだ。目の前のこいつは、ただのテロリストではない。

 燃える怒りの目の奥に、枯れ果てた涙腺と悲劇を隠した、「子どもを殺された父親」だ。

 

 

 

 

「……アメリカがその筆頭って訳よ」

 

 

 

 

 

 

 マクレーンの様子に気付いたタケナカが、急いでイブラハへ叫ぶ。

 

 

「待てッ!? よすんだイブラハッ!!」

 

「うおおおおぉぉぉーーーーッ!!!!」

 

「イブラハッ!!」

 

 

 

 

 引き金が引かれた。

 

 撃鉄が撃針を叩き、雷管が作動する。

 

 

 次の瞬間、トカレフが火を吹いた。

 銃声が、青くなる空へと轟いた。

 

 イブラハが放った銃弾は、マクレーンの顔面へと飛んで行く。

 無慈悲に、無情に、ただ真っ直ぐ飛んで行く。

 

 

 

 

 

 

 頬と耳を直線的に掠め、血が垂れる。

 身体の重心を変え、横へ倒れ込むようにして、マクレーンは寸前で回避していた。

 

 そして構えているベレッタの銃口からは──硝煙が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ……あ……ぁあ……ッ……!」

 

 

 イブラハの手から、トカレフが落ちる。

 憤怒に満ちていた表情は苦痛と愕然を混ぜたようなものになっており、顔色も次第に失われていた。

 

 

「あぁ……あ、ああ……ッ……!」

 

 

 目を見開き、呻き声をあげるイブラハ。

 首根を押さえる手の隙間から、多量の鮮血が溢れていた。

 

 

 

 マクレーンが姿勢を正し、銃口を降ろした頃には、イブラハは一度膝を突いた後に前のめりで倒れた。

 虫の息だ。だがそれでも砂を掴み、恨みを込めた目でマクレーンを睨んでいる。

 

 

「こ……ご……殺してやる……殺してやる……!」

 

 

 目の前に落ちていたトカレフを拾うべく、震えた手を伸ばす。

 

 

「お前ら、から……全部……奪ってやる……!」

 

「…………」

 

 

 血を吸った砂が、イブラハを中心として広がる。

 

 

「やっと……ここ、まで、来たんだ……! 殺してやる……ころ、してやるぅ……!」

 

 

 イブラハの指先がトカレフに触れた。

 

 

 

「ころし…………」

 

 

 

 そこで彼の手は、呪詛と共に止まってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 落とした自分のトカレフを握ったタケナカ。

 

 

「やめろ」

 

 

 しかしマクレーンに、銃口を後頭部に付けられてしまい、諦めたように瞳を閉じた。

 

 

「わ、分かった……俺の負けだ……ほら、この通り……」

 

 

 今度はトカレフを自ら分解し、辺りにばら撒いた上で手を挙げた。撃ち抜かれて貫通した右手からは、止めどなく血が滴っている。

 完全降伏した事を確認したマクレーンは、すぐに銃口を下げて吐き捨てた。

 

 

 

 

「……最初からそうしとけば良かったんだ」

 

 

 踵を返し、立ち去ろうとする。彼が離れて行く様を砂の音で把握してから、タケナカは挙手をやめて即座に傷口を圧迫した。

 ふと振り返ると、すぐ後ろには変わり果てたイブラハの姿がある。

 

 

 

「…………」

 

 

 去り行く彼を、タケナカは呼び止めた。

 

 

「最初に火を放ったのは……そっちだった」

 

 

 重く暗い声で、タケナカはそう言った。

 

 

「イスラエルさえなけりゃ……アメリカが奴らと仲良くなけりゃ……こうはならなかった」

 

 

 マクレーンは足を止めた。

 

 

「世界を仕切ったつもりのアメリカが……全部正しい訳がねぇんだよ……」

 

「…………」

 

「じゃあそいつを、誰が正せる? 自分を絶対の正義だと認めねぇ奴らを……誰が目覚めさせられる?」

 

「…………」

 

「……なぁ、英雄さん。教えてくれよ」

 

 

 マクレーンはタケナカを一瞥もせず、ただ朝焼けに燃える水平線を見た。

 磯にあるイッカクのツノには、ウミネコたちが数羽ほど戻って来ていた。

 

 

「……関係ねぇ人間を何百何万殺してやれば……その国は目覚めると思ってんなら間違いだ」

 

 

 ベレッタをホルスターに仕舞う。

 

 

「ただそこで死んだ奴と……同じ人間が増えるだけだろがよぉ……」

 

 

 マクレーンはまた歩き出す。

 

 

 

 

 

 

「……殴りゃあ言う事聞くほど、人間は単純じゃねぇんだ」

 

 

 そう言い残すと、もう振り返る事も立ち止まる事もなかった。

 

 

 

 

 

 

 持っていた応急セットで手の平の怪我を処置しながら、タケナカは悲しげな目で俯くだけ。

 

 

「……あぁ、そうだ。俺たちは足跡を辿って……その足跡の主に憧れ、後に続こうと前に進んだ」

 

 

 ふらりと立ち上がる。

 

 

「……そいつの末路を知らずにな……結局、途切れた足跡の先からは進めねぇんだよ」

 

 

 羽織っていた上着をイブラハに被せると、彼もまたマクレーンとは逆の方を歩き出した。

 

 

 

「それでも今更引き下がれねぇ……『公共の敵(パブリック・エナミー)』の辛いところさ……」

 

 

 潮風が浜砂を巻き上げ、いつか足跡を消すだろう。

 遠く沖合に一機の水上機が着水していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一九五五年に行われた第六回全国協議会にて、日本共産党は武力闘争路線を放棄した。

 

 これに反発した過激派が共産党から離反し、武力闘争路線を引き継いだ同盟を組み、その後全国的に広がった全共闘による学生運動と合流した。

 しかしながら同盟内でも武力闘争への賛否が議論された事で、同盟は解体。その解体後に組織された過激派派閥の一つが、「赤軍派」である。

 

 

 赤軍派は武装蜂起による日本革命を悲願とし、日本国内で様々な事件を起こした。

 その思想はいつしか日本のみならず世界革命の達成へと肥大化し、「日本国外にも拠点を持つべきだ」として、赤軍派の一部が出国。その出国した赤軍派の組織が「日本赤軍」だ。

 

 

 日本赤軍はパレスチナ解放人民戦線の義勇軍として組織され、対イスラエルを目的としたハイジャック事件や、無差別乱射事件などのテロリズムを展開した。

 

 

 故にパレスチナ人の間では、今尚彼らは「英雄」として称えられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──で、俺はまたロアナプラに戻され、計画書は無事にCIAに渡り、過激派どものテロは未然に防がれましたとさ」

 

 

 空になったグラスを突き返す。

 

 

「……これが、俺がフィリピンで経験した事だ」

 

 

 その先にいるバオは、疑念の篭った顰め面をしていた。

 

 

「……お前やっぱ話盛ってんだろ」

 

「盛ってねぇよ。全てノンフィクションだバカヤロー」

 

「ノンフィクションな訳ぁねぇだろ!? どこの世界にRPGぶっ放してテロリスト吹き飛ばす刑事がいんだッ!? コマンドーの観過ぎだ!」

 

「じゃあオカジマにでも聞け! あいつが言えば納得すんだろテメェもよぉ!?」

 

 

 嘘扱いを受けて不貞腐れるマクレーンだが、隣にいるフローラは拍手をして称賛してくれた。

 

 

「多少のスペクタクルは大歓迎よォッ! もうすッごく面白かったわッ! やっぱりあなたって凄いわねぇン!」

 

「たはは……お褒めに預かり何とやらだ」

 

「もういっそロアナプラに住んじゃえば良いのに! 伝説になれるわよッ!?」

 

「そいつぁ勘弁したいぜ」

 

 

 新しいタバコを一本取り出し、火を付けて煙を蒸した。

 

 

「んまぁ、今回の事件で俺も色々学んだよぉ。過激派は面倒臭いってェのと、日本も平和って訳じゃねぇって事か?」

 

「あとアメリカ様も完璧じゃねぇってトコだろ」

 

 

 そうバオに横槍入れられ、ぎろりと彼を睨んだ。

 バオは空いたマクレーンのグラスで、何か別のカクテルを作ろうとしている。

 

 

「あらン? バオったら何作ってんの?」

 

「そいつの与太話聞いてたらピンって思い付いてよぉ!」

 

 

 小さく「うるせぇ」とぼやいたマクレーンを無視し、バオはブルー・マンデイ・カクテルと同じようにステアのやり方でカクテルを作る。

 出来上がったのは、真っ赤なカクテルだ。

 

 

「んだこりゃ?」

 

 

 グラスを持ち上げながら尋ねると、バオは嬉々として解説を始めた。

 

 

「ウォッカからジンをベースに変えて、んでキュラソーの代わりにチェリー・ヒーリングを使ってやったよ。ブルー・マンデーのアレンジだ」

 

「名前は?」

 

 

 自身に満ちた表情で言う。

 

 

 

 

RED Tuesday(危ない火曜日)なんてどうだ?」

 

 

 マクレーンはカクテルを飲み干す。

 それから少し口をモゴモゴ動かした後、財布を取り出して金をカウンターに置いた。

 

 

 

 

「テメェは二度とアレンジカクテルなんざしねぇ方が良いぜ?」

 

 

 

 唖然としている彼の手前でチャーミングに笑うと、隣のフローラに手を振ってからマクレーンは店を出て行った。

 彼の背中に向けて、二人はもう一度声を投げかける。

 

 

「またお話しましょ! いつでも待ってるわーンッ!!」

 

「二度とくんじゃねぇホラ吹き!」

 

 

 店の扉を閉めて、空を見上げる。星一つない、殺風景な夜空が続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから時間が経ち、太陽が真上に差し掛かる頃。

 

 

 

 

「おぉ〜。オカジマかぁ?」

 

 

 下宿屋に備え付けられた電話から受ける、マクレーン。

 外を覗けば、変わらないロアナプラの昼下がりだ────

 

 

NEXT TIME -TOKYO OVER DOSE-



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Smells Like Teen Spirit 1

 あの日の事は覚えている。

 と言うより、覚えさせられている。

 

 

 記憶は厄介だ。楽しい事は数分で忘れられるのに、嫌な事は死ぬまで脳にこびり付いて消えない。

 だから記憶の中じゃ幸せな事よりも、不幸な思い出が多く沁みて残っている。

 

 

 

 

 

 

 そして嫌な記憶と言うのは、忘れた頃に実態を伴って現れる。

 やっとの事で辿り着いた、フィリピンのアメリカ軍基地で、彼らはヘリの上から叫ぶ。

 

 

「バッファロー・ヒルの所長と、NYPD27分署の連中があんたの今を知ったら、腰を抜かすかもしれないな」

 

 

 易々と他人の傷に触れる色眼鏡の男。書類を受け取りに来た、CIAの人間だ。

 彼は知識をひけらかすような嫌味な物言いで続けた。

 

 

「しかしまぁ、一度会ってみたかったんだがなぁ。『ナカトミビルの英雄』、『ダレス国際空港の英雄』、そんで『ウォール街の英雄』──」

 

 

 思い出したかのように、彼は余計に言葉を加えた。

 

 

「……あぁ。彼を殺すんじゃないぞ? 気持ちは分かるけどなぁ」

 

 

 CIAの男は彼女の名を呼び、手を振った。

 

 

 

 

「ミス・()()()()?」

 

 

 

 

 

 

 

 貧民街を駆けて逃げた。

 罵声と警告が、あちこちから叫ばれる。

 

 誰もが見て見ぬ振りをする。

 誰も助けに来てくれやしない。

 

 

 誰もいない少女はただ、神に祈った。

 祈って、祈って、信じて、駆けた。

 

 

 狭い路地の先に、目映い光が見えた。

 救いの光に思えて、ただその日の光を目指した。

 

 

 

 ふとその角から誰かが飛び出した。

 光の前で立ち止まった少女の腕を取り、捻り上げた。

 

 

 

 

 影の中で、その者を見た。

 

 後光を浴びて、敵意に満ちた目で、少女を見下すその男を見た。

 

 自分の行いを正義の鉄槌だと信じて止まない、その愚か者を見た。

 

 

 

 

 

 

 その瞬間悟った。

 

 

 

 

 神は死んだ。

 

 死んだからなんだ。

 

 そいつは最初から、何もしていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と……取れたぞぉお〜〜! あークソッ! フナムシ触っちまったッ!!」

 

 

 

 

 猫が集まる、ポカポカ陽光照る港の岸辺。コンクリート造りの波止場を、びしょ濡れでよじ登るマクレーンの姿があった。

 

 

「ひぃ〜……デケェ波が来てビチャ濡れだぁ〜……」

 

「……!……!」

 

「あ……あ〜、平気だぁ、多分……『コレ』は濡らさないよう、懐に入れといたからよぉ」

 

 

 おろおろと波止場の上で足踏みする一人の女に、何とか登り切れたマクレーンは小さな筒状の機械を渡す。

 

 

「全くよぉ……落っことしたら野良猫にパンチされて、テトラポットの隙間にホールインワン決められるたぁ災難だったなぁ?」

 

 

 呆れ顔で猫たちと、波止場下に詰められたフナムシとフジツボだらけのテトラポットを見遣る。

 マクレーンから落とし物である機械を受け取った彼女は、それの先端を自らの喉に押し当てた。

 

 

 

 

「ホ……ほん・トにアリ・ガト……! 助かっ・タわ……!」

 

 

 喉の底から響くような、機械的な震え声。

 それを聞いてマクレーンは少し苦笑い。

 

 

 

 

「マッドマックスにも同じようにして喋るキャラいたなぁ……『人工声帯』って奴か?」

 

 

 人工声帯とは、何らかの理由で声帯を摘出してしまい、発声が困難となった者が使用する筒状の機械だ。

 喉にそれを押し当てて電源を入れると、押し当てた先が振動。その振動を口内に響かせる事でなくなった声帯の役割を果たし、舌の動きで以て発声が可能となる代物だ。

 

 

 どうやらマクレーンの前にいる彼女には声帯がなく、その装置なしでは喋れない人物のようだ。その原因と思われる傷痕が、喉に生々しく残っている。

 ただでさえ安くないその装置を海沿いに落とし、焦り散らかしていたところを救われた、と言う訳だ。

 

 

「アナた、オン・ジン……! ウチにキタ……トキ、安くシタげる!」

 

「なんか店やってんのかぁ? おたく、レコード屋か楽器屋?」

 

「掃除ヤ……」

 

「掃除屋ぁ?……清掃員って格好じゃねぇが……」

 

 

 彼女の服装はかなり奇抜だ。

 黒を基調とした、まるでパンクロッカーのようなコーディネート。ボサっとした髪と派手な化粧、首にぶら下げたチェーンネックレスも含めて、最初見た時はライブハウス帰りのティーンエイジャーかと思ったほどだ。悪く言えば根暗そう。

 

 

「……んまぁ、人は見かけによらねぇか。部屋が腐った時ぁ世話になるぜぇ」

 

「マッてるワ!」

 

「しかし……かぁ〜〜……ここの海も腐ってやがんなぁ……うぇっ! ほんのりゲロ臭ぇ……」

 

 

 パンクな格好の彼女と分かれ、マクレーンは不快な磯の匂いを纏わせながら街を行く。

 ここは赤道下の国。一時間ほど歩いていれば照り付ける太陽が服を乾かしてくれるさと、我慢して歩く。

 

 

 

 

 街には噂話が転がっている。道端を歩くだけで不穏な話が幾つも耳に入った。

 

 

「知ってるか? 三合会がフランケンシュタインの怪物を作ってるって噂」

 

「なんだなんだぁ? 張はルゴシ・ベーラでも雇ったのかぁ?」

 

「馬鹿野郎、それはドラキュラだ。ボリス・カーロフの方だろが」

 

 

 昼間から飲んだくれている人間の戯言の為、一切マクレーンは興味を持っていない。

 冷えたコーラを飲み、服が乾くまでの散歩を楽しむ。

 

 

 

 

「あ〜、比較的のどかだな最近は……ここんとこノンストップで良くねぇ事に巻き込まれまくったからなぁ……」

 

 

 いつの間にか街の喧騒を投げ出し、ヤシの木とソテツが並ぶ長い道路沿いを歩いていた。

 

 

「えぇ? 元テロリストのメイドさんとカーチェイス、ヘンゼルにグレーテルと大喧嘩、フィリピンのアブ・サヤフ共に殴り込み……マジにこれ全部半年以内に起きた事かよ。自伝にしたらドナルド・ウェストレイクと並べるぜ全くよぉ……」

 

 

 ぶつぶつ言いながら、瓶に残ったコーラを全て流し込む。

 

 

 

 その際、向かいから来る、地図を広げて持って唸りながら歩く女に気が付いた。

 彼からすればこんな街に旅行客かとあまり気にも留めなかったが、すれ違い様にマクレーンの服から漂う匂いを吸い込んだ女が叫んだ。

 

 

 

 

「ヴっ!? くっさぁっ!?」

 

 

 女はその臭気に、そしてマクレーンは彼女の声に驚き、お互いの顔を見ずにすれ違おうとしたところを立ち止まり、振り向き合ってしまう。

 

 

「何この臭い!? ちょっとあなた、生ゴミにでもダイブしたの!?」

 

「あ?……あー、すまねぇ。ちょいと訳あってなぁ」

 

 

 向こうは地図を下げて、マクレーンはコーラ瓶を下げて、顔を認識し合う。

 

 

 その女はインド系と思われる、眼鏡をかけた褐色肌の娘だった。

 ロアナプラでは珍しい、小綺麗でどこか知的な見て呉れだなと珍しがっているマクレーン。しかし向こうは彼を見た途端に、ぴたりと動きとがなり声を止めた。

 

 

 

 

「…………え?」

 

 

 彼女は眼鏡を持ち上げ、あれだけ臭いを嫌っていたのにも関わらず、ズイッとマクレーンのそばまで近寄り顔を凝視する。

 その反応を受けたのは初めてではないようで、マクレーンはある程度の察しをつけながら挨拶した。

 

 

「……メリークリスマス、良い天気だな。サインはお断りだぞぉ」

 

 

 口をはくはく動かし、確信を得たその娘は声を上げた。

 

 

 

 

 

「ジョジョジョジョン・マクレーン!?!?」

 

 

 近くで叫ばれたので、少しうるさそうにマクレーンは顔を顰めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人は今、海沿いにある雑貨屋前のベンチにいた。

 

 

「あなたの活躍は良く知ってるわ! て言うかリアルタイムで観てたもの! 特にナカトミビルの翌年のあの、ダレス国際空港の映像は最高だったわよ! 飛行機の翼で軍人と殴り合ってからジェットにストライクさせて、しかもライターの火でそのまま吹き飛ばすなんて! ニュース特番でアクション映画が観れるとは思わなかったわ!」

 

「……あぁ〜……そうかい……」

 

「あぁ……さっきは臭いなんて言ってごめんなさい! でももう……あーもう! これは運命よっ!! こんな時にこんな街でまさか、あのダイナマイト刑事に出会えるなんて!」

 

「だ、ダイナマイト刑事?」

 

「私の界隈でのあなたの敬称よ! ビルの屋上も飛行機も吹っ飛ばしてたでしょ!?」

 

「いや……屋上のは俺じゃねぇよ……その一つ前にミサイル吹き飛ばしたのは俺だけどな」

 

 

 自分の活躍だとかは伏せられている五年前の事件についても、やっぱり爆発はしたなと思い出す。それにこの街に来てからも爆発だらけな事を思い出し、思わず失笑してしまう。

 

 

 

 

「……あ! 自己紹介遅れたわね! 私は『ジャネット・バーイー』! お気軽に『ジェーン』と呼んでくださいな♡」

 

 

 お喋りな異邦人「ジェーン」はそう言って握手を求める。

 マクレーンからしても、少し言葉遣いが軽薄なものの「久々に会ったマトモな人間」だと喜び、その握手に応えてやった。

 

 

「ようこそ、んなクソッタレな街に」

 

「えぇ! 本トォーーにそうよ! さっき寄った教会なんて、シスターもみんな腐ってたわッ!」

 

「教会?……あぁ。あそこかぁ……俺ぁ助けて貰ったがなぁ……?」

 

「なに? 一見さんお断りの教会とかある訳なの?」

 

「んまぁ、どーせ金だろ? 俺ン時もそうだった」

 

「あーヤダヤダ。どいつもこいつも金、金、金……クオリティの為に金をケチっちゃ、職人の居所がないわね」

 

 

 マシンガンのように放たれるジェーンの愚痴を聞きながら、マクレーンは来訪の目的を聞いた。

 

 

「んで嬢ちゃん……見るからに丸腰で、ホワイトカラーにしか見えないガールが一人……こんな街に何しに来たんだぁ?」

 

 

 しかしジェーンは質問を返す。

 

 

「それってあなたにも言えるわよね? なんでアメリカの刑事さんがこんなタイランドの隅っこにいるの?」

 

「質問したんは俺だぞぉ?」

 

「言ったら教えたげるわ」

 

「ケッ……単身赴任だよぉ」

 

「バッチもないのに?」

 

 

 バッチは既に没収されている。観念したように答えてやった。

 

 

「ここのサツどもの汚職をバラそうとしたが、ハメられちまってなぁ。ヤク中扱いされて停職中だ。向こうあと一年はこっから出られねぇ」

 

「あははっ! 本当にあなたったら不幸ね!? マクレーン伝説更新じゃない!?」

 

「……ほら。俺ぁ答えたぞ。嬢ちゃんはなんでだ?」

 

 

 そう言うとジェーンはニタリと、悪戯っぽく笑う。

 街に来た理由を言うものかと期待したが、次に彼女の口から出たのは大袈裟な溜め息。

 

 

「はぁぁあ〜〜……喋り過ぎちゃった。なんだか喉乾いたわね……」

 

「おいおい。約束は守ってくれよぉ……」

 

「ねぇミスター・ダイナマイト?」

 

「そのあだ名はやめろ」

 

「んー……じゃあ、ミスター・クリーシィ?」

 

「『燃える男』かよ……」

 

 

 彼女はピラッと百ドル札を取り出した。

 

 

「ちょっとお水を買って来てくださいな?」

 

「なにぃ? 初対面の奴をパシらせるたぁ、どう言う教育受けてんだぁ?」

 

「私は初対面じゃないけど?」

 

「テレビで観ただけだろがよ……」

 

「えー? 良いじゃない! こう見えてもう、散々な目に遭ったからクタクタで……ほら買って来たら教えてあげるから!」

 

 

 口をひん曲げて苛立ちを見せるマクレーンだが、彼女から事情を聞きたいと言う欲求が勝ったのか、渋々と言った様子でそのドル札を手に取った。

 

 

「チキショー……釣りは貰うからなぁ」

 

「えぇ! お構いなく!」

 

 

 そう言ってマクレーンはベンチから立ち上がり、店の中に入って行った。

 それを見送ってからジェーンは一人、両頬に手を当てて楽しそうにニタニタ笑っている。

 

 

「んふふ……どうかしら?」

 

 

 

 

 するとマクレーンは水も買わず、ドル紙幣を広げて睨みながらすぐ店から出て来た。

 

 

「おいおいおいおい! この、バカ娘がぁっ!?」

 

「あ! 気付いた気付いた! さすがおまわりさん!」

 

 

 叱り付けられたと言うのに、ジェーンは嬉しそうだ。

 

 

「なぁにが『さすがおまわりさん』だッ!?」

 

 

 マクレーンはドル紙幣を見せ付け、肖像の左部にある「連邦準備銀行の印」を指で示した。

 

 

 

 

「アメリカのどこに、『十三番目の連邦準備銀行』があんだ!?」

 

 

 そのドル紙幣には、「M」のイニシャルが印字されていた。

 アメリカの紙幣には発行銀行が分かるように、その発行銀行に割り振られたアルファベットが印字されている。

 

 そしてその発行を行う「連邦準備銀行」は、アメリカ全土で「十二箇所」。つまりそれぞれの銀行毎に、一番目から十二番目までのアルファベットが振られていると言う事になる。

 

 

 なので、紙幣に印字されるハズのアルファベットは必ず、A(一番目)L(十二番目)M(十三番目)は存在しない。

 

 

「ヒューっ! お見事っ! 伊達に刑事やってないわね?」

 

「なに楽しんでんだッ!? 俺を本当に犯罪者にするつもりだったのかぁ!?」

 

「ならずに済んだじゃない?」

 

「クソッ……やっぱりこの街に来るだけあってロクでもねぇ……てめぇ、『偽札師』だなぁ?」

 

 

 正体を明かされたジェーンは得意そうに目を細め、足を組んで微笑む。

 

 

「その通りっ! ご明察! 凄い! さすがナカトミビルの英雄!」

 

「馬鹿にしてんのか」

 

「えぇ……言っても、私一人でやってる訳じゃないわ。世界中にチームがいて……で、彼らとネットでやり取りしながら一つの偽札をデザインするの……まぁ、言わば『偽札ギルド』ってね?」

 

「ただの犯罪集団だろよぉ……」

 

 

 待たされた偽百ドル札を丸めて捨て、彼女を逮捕すべく手錠を取り出す。

 

 

「てめぇを留置所にぶち込んでやる」

 

 

 余裕ぶったジェーンの表情に焦りが現れた。

 

 

「ちょっとちょっとちょっと!? 停職中って言ってたじゃない!? しかもここアメリカじゃないし、そんな権限ないわよね!?」

 

「権限なくても、俺をこんな目に遭わせた奴らに嫌がらせで逮捕しまくってんだ」

 

「なんて陰湿なヒーロー……」

 

「まぁ、そう言う訳だ。ほれ、手ぇ出しな」

 

 

 後ろ手に両手を組み、抵抗する。

 

 

「そんな事をしてみなさいよ……留置所入れられた瞬間、私の命運は尽きるわ」

 

「そりゃあ、誰だって留置所入れられりゃあソコまでだろ」

 

「そうじゃない……あの野ゴリラどもの所に戻されて、殺されて終わりよ」

 

 

 

 

 ジェーンの口から語られた、彼女がこの街に至るまでに起きた経緯はこうだ。

 とある組織の依頼を受け、ジェーンらチームは偽札造りを開始した。

 

 しかし完璧を求める彼女たちと、早期的な完成を求める組織とで意見の相違が出来てしまった。

 結果、「ジェーンは期限をわざと伸ばし、料金をより多くせしめようとしている」と見做されてしまい、報復と脅迫の為仲間が一人殺害された。

 

 組織はその上で、四十八時間以内に偽札原板の完成を要求。

 しかし思いの外ジェーンの負けん気が強かったばかりに、脅しに屈するどころか組織を脱出──この街に逃げて来たと言う訳だ。

 

 

 

 

「そもそも、『完璧な偽札を作らせてくれる』って話だから協力したのよ! なのになにこれ!? こっちはよりバレない偽札を作るって言ってんのにッ!!」

 

 

 そう愚痴りながら地団駄踏む彼女の横、マクレーンは呆れ顔でまたベンチに座っていた。

 

 

「……その組織の名は?」

 

「ヌエヴォ・ラレドカルテルよ」

 

「んー……聞いた事ねぇな」

 

「じゃあ、親組織のジェローラモ・ファミリアは?」

 

「……フロリダのかぁ……あぁ、良く知ってる……ロサンゼルス市警にいた頃、そこの支部が『スーパーK』造ってた現場を押さえたもんだが……あいつらまだやってやがったのか……」

 

 

 スーパーKとは八十年代末から九十年代に流通した、当時最高と言われた百ドル偽造札だ。

 

 

「あー……アレ摘発したの、あなたたちだったの? ロス支部失った事、あいつら嘆いていたわよ?」

 

「んだが、その俺たちの功績がパーになるところだ。てめぇらがもっとヤベぇ偽札を作っちまうからなぁ?」

 

 

 そう言ってマクレーンは、一度握り潰した偽百ドル札を拾い上げ、広げた。

 

 

「……なるほど。旧札って事にすりゃあ、ちと色とかズレが出ても騙せる」

 

「その通り。七十年代の紙幣だったら、印刷のムラとかズレは珍しくないもの」

 

「……クソッタレ。Mの字さえ無けりゃ、局に持っていかねぇ限り本物か見分けがつかねぇぞぉ」

 

 

 紙の材質まで、本物と殆どそっくりだ。こんな物が量産されて出回れば、アメリカ経済は大打撃を受ける。

 

 

 

 

「……完成させる訳にゃぁいかねぇ。てめぇら、第二のウォール・ストリート・クラッシュを引き起こすつもりか?」

 

 

 じろりと、ジェーンを睨む。されど彼女は飄々とした態度を崩さない。

 

 

「私たちはね?『完璧な偽札』を作りたいのよ。それこそ、造幣局さえ騙せるレベルの物を……結果、アメリカが大混乱になっても知ったこっちゃないわ」

 

「職人気質はごもっともだが、オイタが過ぎてるぜコリャ」

 

「じゃあアメリカ様の為に私は死ねって?」

 

「もうちょい雑な感じにして、組織に原板渡せば良い。俺たちが偽札を見破って即摘発、おたくは助かって万々歳で……」

 

「私の話聞いてた? それは出来ない」

 

「面倒くせぇ……」

 

 

 どうやら思った以上にジェーンは職人気質のようだ。このまま組織の元に戻されても、四十八時間後にはその拘り故に殺されるだろう。

 そうなると、マクレーンとしても夢見が悪い。

 

 

 彼女はそんな、「堅気の刑事」であるマクレーンの気質を利用したようだ。例え悪党同士の歪み合いだとしても、報復による私刑を容認してはならないからだ。

 

 

「……もうこの街に逃げたってのはバレてるし……すっかり賞金首ね、私。あーあ!」

 

「……ロアナプラ署も間違いなく狙ってるだろうなぁ……」

 

「あーー! 死んだかなぁ〜私ーっ! 仲間を殺され、誰からも見放され、唯一の頼みはナカトミビルの英雄様なのにまさかまさかアメリカと私を天秤にかけて──」

 

 

 ぎゃーぎゃー喚き始めたジェーンを鬱陶しく思いながらも、マクレーンは深い溜め息と共に両手を挙げた。

 

 

 

 

「分かった分かった、クソッタレ……俺が、テメェのボディー・ガードになれって事か?」

 

 

 待ってましたと言わんばかりにニヤリと笑う。

 

 

「ご明察! やっぱり英雄様は英雄様ねっ! あのジョン・マクレーンに守られた女……ふふふ……メンバーに自慢しまくりだわ……!」

 

「俺をなんだと思ってんだ……」

 

「まぁまぁ! でも実際問題、この街じゃ誰が味方か分かったもんじゃないもの。でも、あなたなら私を裏切らないって保証が出来るものね」

 

 

 嬉々として立ち上がるジェーンだが、マクレーンは一つ条件を付けた。

 

 

 

 

「ただし、だ。原板は押収する。持ってんだろ?」

 

 

 彼女がずっと大事そうに持っていたバッグを指差す。

 ぴくりと、ジェーンの片眉が動く。

 

 

「…………あら、ご明察」

 

「原板は押収する。で、テメェらの事は報告する」

 

「まぁ〜……仕方ないわね〜?」

 

「んでまぁ、こっから逃げたら足洗え」

 

「それは無理」

 

「この野郎……」

 

 

 ぶつくさと文句を言いながら、マクレーンも続いて立ち上がった。

 

 

「……とりあえずまぁ、計画を立てる他ねぇな。どっか腰を落ち着ける場所でも探すか……」

 

「あ、それなら大丈夫よ? 教会が『ランサップ・イン』ってお宿を紹介してくれたわ」

 

「なんだ、やっぱり親切じゃねぇか」

 

 

 そう言って二人は目的の宿まで並んで向かった。

 鼻歌混じりのジェーンとは対比して、マクレーンはとても渋い顔だ。

 

 

 

 

「……結局俺は、こう言う役回りばっかかよぉ……なぁ……」

 

 

 髪を撫でて、深く深く溜め息を吐いた。

 服は既に乾いているが、臭いはずっと残ったままだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジェーンが暴力教会から斡旋されたと言う安宿は、チャルクワンの市場を抜けたところにある。

 店主に「教会から来た」と言えば、本当に一つの空き部屋へ通してくれた。

 

 

「思ったより綺麗な部屋じゃない?」

 

「…………」

 

 

 満足げなジェーンだが、同行したマクレーンは訝しげだ。部屋の扉を見て、何か考え込んでいる。

 

 

「どうしたのよ?」

 

「……変な部屋だ」

 

「どこが? ベッドもあって、ランプもあるし、コンセントまである! お風呂とトイレはないけどまぁ、一日ぐらいは──」

 

「そうじゃねぇ……」

 

 

 部屋の外から扉の上を見上げる。そこには「非常口」のランプが付いていた。

 

 

「……それにホレ。扉も防火扉だぞ? なんだコリャ?」

 

「はぁ〜……英雄さん、違うわよ。こう言う宿って無理な増改築とかやっちゃって、めちゃくちゃな構造になりがちなのよ」

 

「……まぁ、そうか……そうかぁ?」

 

 

 気にし過ぎかと思い直し、扉を閉めてから部屋を見渡した。

 その間ジェーンはベッドに腰掛け、手を擦り合わせる。

 

 

「さてと……早速、ロアナプラ脱出作戦を考えなきゃね」

 

「……ロアナプラから出て、そっからは?」

 

「言ったでしょ? 私には世界中にお友達がいるの! それにあのカルテルだってそんな大きな組織じゃないし、匿って貰えさせすればもう追って来れないわ」

 

「んじゃあ、出るまでが勝負か……逃がし屋にアテがいるんだが、金はあるかぁ?」

 

「逃走経費を差し引いたら……三万ドル。どう!?」

 

「沖合いで降ろされるなぁ、そりゃ……」

 

 

 何とかオカジマに聞いてみるかと思い立つ。恩着せがましいとは思うが、オカジマにはフィリピンでの貸しがある。

 ともあれ準備が必要だ。マクレーンは愛銃のベレッタM92Fを取り出してチェックし、マガジンの数も確認する。

 

 

「……んー。少し足りねぇか」

 

「あなたなら足りるでしょ?」

 

「馬鹿言うな……ナカトミビルと空港とじゃあ、状況が違う」

 

 

 買い足しに行こうとマクレーンは部屋を出ようとする。

 

 

 

 

「『テオ』って人、覚えてる?」

 

 

 ジェーンが呼び止めるように話を始めた。

 彼女の言った「テオ」と言う人物は、マクレーンにとって悪い意味で忘れられない男だ。

 

 

「……『ハンス』の仲間だろ」

 

「そう。そんでもって、ナカトミビルのシステムをジャックした機械担当」

 

「へへ……俺は見てねぇが、最後の最後に『アーガイル』の奴に一発殴られて、そのままお縄に付いたって聞いたぜ。今は死ぬまで牢屋の中だ」

 

「確かに最後は間抜けっぽいけど……当時の技術、それにナカトミビルのシステムを考えると、彼はまさしく天才」

 

 

 悪党側を称賛する彼女が気に障ったのか、うんざりした顔でマクレーンは振り返る。

 

 

「……つまるところ?」

 

「ナカトミビルのシステムは当時最新鋭だった。例え内部からジャックしても、それを自分の手足のように操れる人間なんて貴重よ。しかもプログラミングだけじゃなくて、機械系統にも精通していた。どれを繋げば動くのかだけじゃなくて、どれを壊せば思い通りになるのかも分かっていたのよ」

 

「…………」

 

「勿論、テオだけじゃない。リーダーのハンスも天才よ」

 

 

 ジェーンの語りは次第に熱を帯びて行く。

 

 

「技術屋ってのはどうしても甘く見られがちだけど、ハンスには知識と理解があった……そして強い武器を担いだ兵たちもいて、緻密で完璧な計画もあった……まさに犯罪史に残るパーフェクトゲーム。事件の全貌が分かっても、まず誰も真似出来ないわ」

 

「……あぁ。で、そのパーフェクトゲームをぶっ壊したのは誰だ?」

 

「だからこそ、私たちはあなたが好きなのよ」

 

 

 ここまで何度も見せて来た、あのニタリとした悪い笑みを見せる。

 

 

「ダレス国際空港の時もそうだわ。空港のシステムを全部ジャック出来る奴らを相手に、花火を上げてやって旅客機も助けた! 分かる? あなたには、計画とか頭脳とかでは推し測れない、天賦の『ぶち壊す才能』があるのよ!」

 

「…………」

 

「だから、ナカトミもダレスも『天才同士の対決』……嫌いな人間っているの?」

 

 

 マクレーンは小刻みに頷き、にこりと笑った。

 

 

「……テレビの評論家に影響されているようだなぁ。実際は違うぜ嬢ちゃん。俺が奴らに勝てたのは──」

 

 

 そして彼もまた、悪い笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

「……あっちが間抜けだったからだよぉ」

 

 

 

 

 そう言い残すとマクレーンはやっと、防火扉を開いて廊下に出た。

 バタンと重く扉が閉まり、ジェーンは楽しそうにベッドに横になる。

 

 

「はぁん♡ さいこっ♡ まさか逃げた先にあの本物のジョン・マクレーンがいるなんて……運命かしら♡ やっと私にもツキが回って来た気がするわ!」

 

 

 メガネを外して顔を覆い、そのままごろんと大の字になる。

 暫く「うふふふ」と楽しそうに笑っていたジェーンだが、途端に黙り込んだ。

 

 

「…………」

 

 

 脳裏に浮かぶは、目の前で殺された仲間の姿。彼の名前を思い出し、ぽつりと溢す。

 

 

「……確か彼も、『テオ』って名前だった。こう言う事ってあるものなのね……」

 

 

 哀悼を示すようにまた暫く沈黙し、ふぅと吐いた息と共に顔を覆っていた手をどかした。

 

 

 

 

 

 

「…………は?」

 

 

 視線の先である天井を見て、素っ頓狂な声を出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マクレーンは幾つか予備のマガジンを購入し、そのまま街を出歩いていた。

 すぐにはジェーンの元に戻らなかった。マガジンの補充の他、彼には少しだけやる事があったからだ。

 

 

「……誰があの娘っ子狙ってるのか知れねぇからな」

 

 

 ここはロアナプラ。今、目に写っている人物全員が殺し屋なのかもしれない街。

 ジェーンにとっても、彼女の口車に乗ってしまったマクレーンにとっても、周りにいる者全員を敵だと思わなければならない。

 

 

「……クソッタレ。あぁは言ったが、俺も間抜けだよぉ……証人保護って訳でもねぇのにタダで悪党のボディー・ガードやっちまって……お人好しも度が過ぎりゃあ単なる馬鹿ってのは知ってんだけどよぉ……」

 

 

 だからと言って無視する訳にはいかない。これも刑事の責務だと割り切りながら、とある店の前でマクレーンは立ち止まった。

 

 

「……請け負ったんなら仕方ねぇ。情報収集でもしなきゃな」

 

 

 そこは出禁解除されたばかりのバー、イエロー・フラッグ。街で何かが起こると、まずこの店で話が上がるハズだ。

 意を決し、マクレーンは入り口の扉を潜ろうとした。その際にやっと、忘れかけていた事を思い出す。

 

 

 

 

 

 

「……やっぱ臭ェ……ティーン・スピリットか何かで洗ってやろうか……」

 

 

 服から漂う腐った海の臭いに辟易しながらも、マクレーンは店内に入った。




「Smells Like Teen Spirit」
「ニルヴァーナ」の楽曲。
1991年発売「Nevermind」に収録されている。眼前に吊られたドル札を求めて泳ぐ赤ん坊のジャケットがあまりにも有名。ポップス、エレクトロ、ヘヴィメタルが主流となりつつあったアメリカンロックに強烈な反撃を食らわせた歴史的アルバム。
熱を持ったギターリフが続いたと思えば突然静まり返るイントロから稀有なセンスを発揮。妖しく歪んだビート、余計な装飾を消した純粋なバンドサウンド、感覚に訴えかけるリリック……アンダーグラウンドだったグランジ、オルタナティブロックをメインストリートにまで持ち上げた一曲。


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Smells Like Teen Spirit 2

 煙草と酒、そして仄かに娼婦の香水と血の匂い、そればっかりがイエロー・フラッグのあちらこちらで漂っている。

 店の中央にある丸テーブル席では、たった今「仕事」の話が終わったようだ。街の殺し屋たちが一斉に席を立ち、そぞろ歩いて外へ出て行く。

 

 

 

 その中には張からの仕事を請け負ってフィリピンに飛んでいた、シェンホアの姿もあった。

 彼女も店を出ようとする一団に続く傍ら、流し目で「雇い主」を見るや一言入れる。

 

 

「カウボーイ、ナニしてるか。おいとくますよ?」

 

 

 テンガロンハットと色眼鏡を着けた男が、相当に苛ついた様子でそれを一旦見送る。

 すぐには彼らを追わず、テーブルに戻って飲みかけだった酒を一気に煽った。

 

 

「〜〜ッ、プハッ! チキショー! 何だってんだこの街ァッ!?」

 

 

 グラスを叩き付け、溜め込んでいた愚痴を吐き出す。

 

 

「どいつもこいつもテメェ勝手にしやがってッ! 礼儀がなってねぇぜ礼儀がッ! 金出してンのはこっちだぞ!?」

 

 

 腹の虫がおさまらないのか、雇った殺し屋たちの飲み掛けにも手を出す。

 

 

「あークソ! ボスの言う通りだ!……ここはイカレポンチ煮詰めて作った、神のクソ溜めだぜ全く!」

 

 

 酒を飲み干し、またグラスを叩き付けると、やっと彼は先に出た殺し屋たちを追おうと出口へ足を向ける。

 

 

「あぁ、フロリダに帰りてぇよ……DWD、KSCとバックスのフロリダによぉ……フロリダ万才だチクショー……」

 

 

 遠き我が家へ望郷を馳せながら、出口の扉に手を掛けようとする。

 途端向こうから客が一人入ったので扉は勝手に開き、ならばそのまま入り違いになろうとした。

 

 

 しかしすれ違った男から漂う、腐った海の臭いに顔を歪めた。

 

 

「……ヴッ!? くっせぇッ!?」

 

 

 即座に踵を返し、指差しでそのすれ違った人物へ絡む。

 

 

「なんだオイ!? 硫黄でもぶっかけられたかッ!?」

 

 

 アルコールが入って気が強くなっていた事もあり、腐臭を放つその人物を呼び止めてがなり立てた。

 相手が激昂しやすい人物ならば、ここで大喧嘩となるか、最悪頭に一発食らわされていただろう。ロアナプラに来たばかりの新参者とは言え、彼の行動は迂闊だったハズだ。

 

 

 幸運だったのは、相手がその手の人間ではなかった事だろう。絡まれた男はくるりと振り返り、鬱陶がった表情で返答した。

 

 

「……おうよ、悪かったな。後でランバンとシャネル割って頭から被るから勘弁してくれ」

 

 

 手をヒラッと上げてバーの奥へ向かおうとする。

 その際に着ているジャケットが翻り、サムブレイクのホルスターと、そこに入れられたベレッタがちらりと見えた。男はすぐにこの臭い男が堅気ではないと判断する。

 更に先程の殺し屋たちより幾分か落ち着いていて物分かりの良さそうな態度を見て、「もしや話の分かる奴ではないか」とも判断する。

 

 男はすぐに不機嫌顔から色を正し、また彼を呼び止めた。

 

 

「なぁ、ヘイヘイ! 臭ェと言って悪かったな!……まぁ臭ェのはマジだが、人間色々あるもんだよな!」

 

「あ? いきなりなんだ? 絡み酔いか?」

 

「違う違う! とりあえずまぁ、聞いてくれ! 俺ぁ『ラッセル』だ! 親しみを込めて、ラスって呼んでくれ!」

 

 

 握手を求めたものの、男は無視して去ろうとする。

 ラッセルは色眼鏡を直しながら、何とか歓心を買おうと彼に縋り付いた。

 

 

「実は腕の立つ奴を探してる」

 

「腕の立つ奴ぐれぇ、この街にゃあ腐るほどいる」

 

「いやこの街にいんのは、信用ならねぇヒール気取りばかりだ! 俺は丁度、あんたみたいなベイビィフェイスを探してたんだ!」

 

「プロレスのスカウトマンか? おたく」

 

 

 鬱陶がる表情をまた見せつつも、ラッセルの話に耳を傾けてはくれた。

 

 

「レスラーのスカウトすんならここは場違いだぁ。タンパにでも行け」

 

「タンパ!? ハッハーッ! CWFだな!? なんだ、あんたもフロリダか!?」

 

「違ェよ。アメリカ人だが、俺の生まれは…………あ? フロリダ?」

 

 

 ずっと苛立たしい様子だった男だが、ラッセルの言った「フロリダ」の名を聞き、眉を寄せた。

 

 

「……おたく、フロリダから?」

 

「そうだ!」

 

 

 そして考えを改めたのか、男はにっこり笑顔で振り返る。

 

 

 

 

「……で、スカウトマンよぉ。俺にどんなリングを用意してくれんだ?」

 

 

 やっと耳を貸してくれたと安堵しながら、ラッセルは男に顔を寄せ、仕事の話を持ちかける。

 

 

「ファイトマネーは千ドルだ」

 

「ほぉ〜。魅力的だなぁ? 乗った」

 

「やっぱ俺の目に狂いはなかった! あんたやっぱ話の分かる奴だぜ! フロリダ好きに悪い奴はいねぇ!」

 

「別に好きとは言ってねぇが……」

 

 

 値段に納得してくれた、と言うのがラッセルにとって嬉しかったようで、どんどんと話を進めて来る。彼はポケットから一枚、標的を写した写真を出した。

 

 

「対戦相手……つまり、あんたにとってのヒールはこの女だ」

 

「…………ほぉー。殺すのか?」

 

「いいや。始末は俺のボスが付けたいそうで、生捕りを命じてる。無理なら半殺しでも構わない」

 

「んー、何とも人道的。さすがは『ジェローラモ』様のフロリダだ」

 

「あぁ、そうだろ! フロリダは文明的で世界一イカした──」

 

 

 途端、上機嫌だったラッセルの表情に曇りが現れる。

 

 

「……あ? 待て? 良く俺の雇い主の……それも、ドン・ジェローラモの名前を知ってるな?」

 

「当ててやる。お前の直接の雇い主は、ヌエヴォ・ラレドカルテル。で、この女はパソコンが上手い」

 

「おいおいおい、なんだどうした!? やけに詳しいなあんた!? もしかしてあんたも、ミスタ・エルヴィスに…………」

 

 

 改めて男の顔を見てみれば、何だかどこか見覚えのある顔付きをしていた。

 

 

「……ちょっと待ってくれ。俺は……あんたを見た事がある……」

 

「当ててみろぃ」

 

「フロリダ──違う。そうだ、アレは……テレビだ。ドラマじゃねぇ、ニュース番組だった気が……」

 

「おー。近いな。良いぞ」

 

「ええと……確かアレは〜……八十年の終わりに、二年続けてだ。バカでけぇロスのビルと、空港で……」

 

 

 酔っ払いたちの喧騒が止まないバーの中で、ラッセルは思い出したように顔を上げた。

 幽霊でも見るかのような目で見つめる彼の眼前には、何とも楽しそうで悪そうな笑みを浮かべた男の顔があった。

 

 

 

 

「メリー・クリスマス! 割と多いぞぉ、ベイビィフェイスからヒールになる奴ぁ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分後、顔面をボコボコにされたラッセルが、イエロー・フラッグ脇のゴミ捨て場に捨てられて、伸びていた。

 彼を捨てた腐臭漂う男──こと、ジョン・マクレーンは、大急ぎでその場を後にする。

 

 

「クソッ!! 全部バレてやがるッ! あーそうか、そう言う事かッ!」

 

 

 キーがかかったまま停められていたスーパーカブに乗ると、少し買い物していた持ち主の声を無視して走り去る。

 

 

 

 

 マクレーンがいなくなった道路の脇には車が停まっており、その中には運転手の殺し屋の他、化粧直しをするシェンホアがいた。なかなかバーから出て来ないラッセルに辟易しているようだ。

 

 

「……あのバカチン、さっさと来るよ。遅いね」

 

「なぁオイ? もう日が暮れるし、俺たちも行こうぜ? 先越されてちまう」

 

「あぁ……時は無常だ。潮時を逃せば次はない」

 

 

 助手席でグローブボックスの上に足を組んで踏ん反り返る、格好付けた優男がそう諭す。

 更にその男の後ろの席、つまりシェンホアの横に座っていた女が、何かを喉にくっ付けて話し出した。

 

 

「トッ、とと・行くワよ」

 

 

 仕方がないとシェンホアが頭を振ったと同時に、車はやっと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が暮れた頃合い。休んでいたハズのジェーンは、安宿ランサップ・イン裏手の排水管を伝って壁を滑り降りていた。

 

 

「いぎゃぁぁーーーーッ!!??」

 

 

 捲れたスカートから下着が丸見えなのもお構いなしで、地面に着くや否や全力で路地裏を駆け抜ける。

 同時に彼女が飛び出した窓から、数人の殺し屋が顔を出し、逃げるジェーンに撃ちかます。

 

 

「うぎゃぁぁーーーーッ!!??」

 

 

 路地裏を挟むビルの壁には紙が貼られており、そこには「ESCAPE FROM DEATH」の文字と十字架、そして矢印が書かれていた。

 その矢印が示す方へひたすら走るジェーンを、背後から飛び来る銃弾が掠めた。

 

 

「いやぁぁーーーーッ!!??」

 

 

 何とか路地裏を出られたジェーンだが、彼女と同じ要領で宿から降りた殺し屋たちが追って来ている。

 心臓が破裂寸前までがむしゃらに走るジェーンの前に、一台の乗り物が停まった。

 

 

 敵に回り込まれたかと戦慄したが、運転手の顔を見て泣き顔になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランサップ・インから少し離れた路上の真ん中に、車が停まっている。

 乗っているのは運転手のロックと、助手席には相棒のレヴィ、そして後部座席でふんぞり返っているのはシスター服のエダ。

 

 

「──と、言う寸法だ!」

 

「分かりやす過ぎるだろそれ……」

 

 

 自信満々に自らが仕掛けたプランを話すエダだが、それを聞いてロックは寧ろ呆れ顔。隣にいるレヴィも心底馬鹿にした顔でエダを見ている。

 

 

「そう上手く逃げてこれるもんか。やっぱり付き合うんじゃなかった、てめぇのあだ名は『ライナス』だ」

 

「うるせぇな、じゃあお前は『ルーシー』だ。七回試して、四回は上手くいってる。勝率はあるンだよ」

 

 

 口喧嘩を始める二人にうんざりしながら、ロックはハンドルに凭れるようにしてまた前方を見た。

 

 

 

 するとその先、エダが言っていた道から、こちらへ向かって走って来る影に気付く。

 

 

「……あれ? え? 嘘!? 来たっ!?」

 

「えーーッ!? マジかよ!?」

 

 

 愕然と前を向くレヴィの後ろで、エダは「カッカッカ!」と高らかに笑い、得意げに告げる。

 

 

「見ろビンゴだ! ヘイロック! 追っかける準備を──」

 

 

 

 

 途端、三者の乗る車の横を、一台のスーパーカブが通り去って行く。

 それを目で追った三人は、揃ったような呆然顔となった。

 

 

「……あ、あのさ。俺の見間違いじゃないと思うんだけど……」

 

「おいエダ、コラ。『ウッドストック』が付いてンのもプランの内なンか、オイ」

 

 

 さっきまで余裕綽々だったエダから、ニヒルな鼻笑いが溢れる。

 

 

「…………こりゃ完全に予想外だわ」

 

 

 首を振り、どこか楽しそうに口元を吊り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車を通り抜けたスーパーカブには、それを運転するマクレーンと、その後ろに抱きついて乗るジェーンの姿があった。

 彼の背中、ジェーンは顔を擦り付けるように泣いている。

 

 

「うわぁぁぁあんっ!! やっぱり頼れるのはあなただけよマイヒーローっ♡♡!!」

 

「動かすじゃねぇッ! ハンドルが狂っちまう!」

 

 

 ひと気のない商店街を抜けた角より、殺し屋たちが満載した車両が数台現れる。

 

 

「うおととととやべぇやべぇやべぇッ!?!?」

 

 

 即座にこちらへ向けて発砲を始め、大急ぎでマクレーンはカブを方向転換させ、向かいの道路へ逃げた。

 

 

「ヒィッ!? と、飛ばしてっ!! 早くっ!! 張り切るのっ!!」

 

「スーパーカブで車に勝てるかッ!!」

 

「じゃあなんでカブ乗って来てんのよっ!?」

 

「急いでたからだバカヤローッ!!」

 

「急いでんだったらもっと馬力ある奴で来るもんでしょーーっ!!??」

 

 

 言っている内に一台の車が横に付き、中から殺し屋が拳銃を向けて来る。

 

 

「横横横横横横横っっ!?!?」

 

「チィッ……! クソッタレッ!!」

 

 

 ハンドルを片手で操作し、もう片方でホルスターからベレッタを抜いた。

 銃口を向けてすぐに無我夢中で撃ち、相手を牽制。その上で急ブレーキをかけて車を先に行かせると、スーパーカブをまた方向転換させ、横にあった小道に突っ込んだ。

 

 

「ここなら車は入ってこれねぇ!」

 

「ど、どうすんの!? どうやってこの街から出れば良いのっ!?」

 

「落ち着け! とりあえず海の方に向かうッ! 何とかラグーン商会の奴ら口説くしかねぇッ!!」

 

 

 ゴミ箱や置かれていた椅子を跳ね飛ばし、赤いテールライトの線を残して夜道を走る。

 走行中、ジェーンは怒りを滲ませた泣き顔でマクレーンの背に凭れ、宿であった事を思い出しては喚く。

 

 

「やっぱりあの教会、私をハメたのよっ!! 絶対に許さないっ!! あー許さないっっ!!」

 

「んまぁ、この街じゃ誰も信じるなって事だなぁ……」

 

 

 

 

 

 彼女の言った通り、暴力教会がランサップ・インを斡旋した時点で事が進められていたようだ。

 エダはジェーンをその宿に泊まらせるよう仕向け、それから街のフィクサーを通じて報酬を得た上で、彼女がその宿に泊まっていると言う情報を流す。お陰様でラッセルはジェーンの隠れ場所を知り、殺し屋を数多雇って一気に襲撃させた訳だ。

 

 

 しかしどう言う訳か、ジェーンが与えられた部屋の天井には、「ESCAPE FROM DEATH」の文字と矢印が書かれた幕が貼られていた。

 殺し屋の襲撃を受けたジェーンは藁にも縋る気持ちでその矢印の通りに窓から逃げ、今に至る。

 

 

 

「あの部屋、変な部屋だったろぉ? へへへ……誰も非常口の向こうに、泊まり部屋があるなんざ思わねぇ」

 

 

 マクレーンの言う通りだ。

 防火扉の先に部屋があるなんて思わず、てっきりその前の部屋にいるものだと勘違いした殺し屋たちは、その部屋を派手に襲撃する。

 

 そしてその動乱を聞き付けた事で、ジェーンは一足早く気付き、逃げ果せた。後は各所に貼られた矢印案内通りにジェーンを走らせ、その先でこれとなしに待ち構えておけば、尻に火の付いた彼女はそこで待つエダらに頼らざるを得なくなる。

 

 

 つまりエダはジェーンを売った上で逃走経路を作っておいて、窮地に陥った彼女をその逃走経路の先で待って助けてやる算段だったようだ。勿論、「報酬」を確約させた上で。

 

 

 

 

 ジェーンは膝に抱えた、その「報酬」が入っている鞄を見遣り、苦々しくぼやいた。

 

 

「あそこのシスター、『原版』欲しがってたのよ……!」

 

「へっ……殺し屋に追われた状況なら、原版渡して助けを求めざるを得ないってか……」

 

「何て回りくどくてネチネチしたやり方……! アレが神に仕える者の所業!? 三百ドル返せっ!」

 

「ンだが、尼さんは一つ読めなかった」

 

 

 スロットルを入れながら、マクレーンは笑う。

 

 

 

 

「標的に、『ジョン・クリーシィ(燃える男)』が付いちまった事だ」

 

 

 

 

 

 前方、大通りへと繋がる道より、大量の光が浴びせられる。先回りして待ち構えていた殺し屋たちが、車を降りて銃を構えた。

 

 

「……回り込まれた」

 

「なにカッコ付けて追い詰められてんのよッ!?」

 

「さすがロアナプラの殺し屋……地元じゃ下水道の場所さえ知ってるってか」

 

 

 拳銃、小銃、散弾銃がマクレーンらに向けて放たれる。内、誰かの放った一発が、カブのミラーを破壊した。

 

 

「普通に撃って来やがる……! 殺さねぇって話じゃなかったのかよぉ!」

 

 

 この通りは完全に一本道となっており、もう他に逃げ道はない。また恐らく、戻ったところで既にそこも封鎖されているハズだ。

 

 

 マクレーンは身を下げながらカブを停め、車体を九十度転換させる。

 カブのヘッドライトが照らしたのは、店先が開放されていて裏口まで見える、魚屋の店内。

 

 

「突っ込むぞーーッ!!」

 

「うぇっ!?」

 

 

 フルスロットルで、ややウイリー気味に発進し、その店内に突っ込んだ。まだ陳列されたままの商品や小棚を跳ね飛ばし、騒ぎを聞いて現れた店主のすぐ側を抜ける。

 

 

「ハイハイすいませんねー! おまわりさんが通りますよぉーッ!!」

 

「魚クサっ!?」

 

 

 一声かけてからマクレーンは裏口の扉をカブで破り、その先にあった路地に入る。

 彼らが逃げた事を悟った殺し屋たちが一斉に魚屋へ押し入って追いかけるものの、既にマクレーンらは道を抜けて大通りへと出ていた。

 

 

「ヒューッ!! どうだクソッタレどもーッ!!」

 

「生きた心地がしない……!」

 

「ハッハ! この調子じゃあ、警官辞めてもドライバーで食って行ける自信あるなぁ」

 

「客が死ぬんじゃないかしら……」

 

 

 大通りを走り、ラグーン商会のある港を真っ直ぐ目指す。

 だが袋小路を逃げ切ったところで、追手はまだまだ付いて来る。早速別の殺し屋たちの車が一台、激しいスキール音と共に道路へ現れた。

 

 

「〜〜〜ッ!! もぉーーっ!! なんなのよこいつらーーっ!?!?」

 

「早ェとこどーにかしねぇと、ヴァルハラまで追って来るぞあいつら!」

 

 

 助手席にいた男が窓から身体を出し、トンプソンを構えた。その様を横目で確認したジェーンは、大急ぎでマクレーンの背中をバシバシ叩いて警告する。

 

 

「撃って来る撃って来る撃って来る撃って来るっっ!?」

 

「あいつらの思う『半殺し』の定義はなんなんだぁッ!?」

 

 

 車上から照準を合わせ、引き金を引く。ドラムマガジンいっぱいに詰まった.45ACP弾が、宵闇を裂くマズルフラッシュと共に連射される。

 マクレーンはハンドルを急いで切り、射線から逃れようと蛇行を繰り返す。何度も銃弾が二人を掠め、その度に肝を冷やした。

 

 

「クソッ……! くたばれーーッ!!」

 

 

 こちらもベレッタを身体を捻って構え、後ろを付ける車に目掛けて射撃する。

 しかし向こうも蛇行運転を始めた上、片手でハンドルを操作しながら構えている事もあり、全く照準が合わない。

 

 

「これじゃジリ貧だぞぉ……!」

 

「うわあぁ!? どんどん近付いてるーっ!?」

 

 

 車のスピードはじわりじわりと上がり、伴ってカブとの距離も縮まりを見せる。その分マトが大きくなって行き、トンプソンの照準も合い始めて来たようだ。すぐ耳元を銃弾が通り、鋭い風切り音が鼓膜を叩いた。

 

 

「どうすりゃ…………あっ!!」

 

 

 

 

 前方に工事現場を発見。足場用のパイプが縄で固定されて満載したトラックが、路傍(ろぼう)に停められている。

 

 

「……へへっ! シメたッ!!」

 

「今度は何する気っ!?」

 

 

 マクレーンはベレッタを、後ろではなく前に向ける。そして蛇行運転をやめ、真っ直ぐそのトラックの方へとカブを走らせた。

 蛇行を止めたとあっては、殺し屋たちにとっては大チャンスだ。カブの後ろを必死に追い、ガンマンはトンプソンの銃口を向ける。

 

 

「ちょ……っ!? な、なんで蛇行やめるの!? 死ぬわよっ!?!?」

 

 

 ジェーンの声を無視し、マクレーンはスロットル全開でそのトラックの真横を抜けようとする。

 まだ車が付いて来ている事を確認すると、彼はそのトラックに向けて発砲した。

 

 

 

 銃弾が、パイプを固定する縄を切った。

 カブがトラックの横を掠めた頃には、開放されたパイプがボロボロと落ち始めていた。

 

 

 

 

 車もカブに続き、トラックの横を走る。トンプソンの照準が完璧に、マクレーンの頭部に合わさる──その刹那、車の上にパイプが雪崩れ込んだ。

 

 

「うぐふぉッ!?」

 

 

 フロントガラスがパイプのせいでひび割れ、そして助手席から身体を出していたガンマンはそのパイプに押し潰されるようにして、路上へ落下。

 視界が埋められたドライバーは動揺し、ハンドルを大きく切る。

 

 

「うぉぉおおーーッ!?!?」

 

 

 車は道路から歩道へと向きを変え、その先にあった街灯に衝突。

 大きくクラッシュし、車体が横倒れとなってしまった。

 

 

 

 

 残ったミラーでそれを確認したマクレーンは得意げ鼻を鳴らす。

 

 

「雪崩にご注意くださーい!」

 

 

 これにはジェーンにも大ウケだったようだ。興奮したように彼の肩を叩きながら、称賛する。

 

 

「すっっごい!! ホント最高よアナタっ!! んーーっ♡♡」

 

「やめろオイ!」

 

 

 頬にキスして来るジェーンを躱した瞬間、また別の車が現れた。

「またかよ」とウンザリ顔で一瞥したマクレーンは、その車に乗っている人間を見て俯いた。

 

 

 

 

「ジョン・マクレぇぇぇぇーーーンッッ!!!!!」

 

 

 テンガロンハットと色眼鏡、そしてボコボコ顔のフロリダマン──ラッセルがS&W M29を持って助手席にいた。

 

 

「見つけたぜこの野郎ぉぉーーッ!!ぶっ殺してやるぅーーッ!!」

 

 

 レンズの向こうから血走った目を覗かせながら、喉を壊さんばかりに呪詛を叫ぶ。

 ともあれ新たな刺客の登場に、マクレーンもジェーンも再び焦燥感を露わにした。

 

 

「な、なにアイツ!? 知り合い!?」

 

「てめぇ追ってる組織の殺し屋だ……さてどうしたもんか……」

 

 

 次はどう切り抜けようかと思案するマクレーンの目線の先に、また何かを見つける。

 

 

 

 今度は車や物ではなく、人だ。道路の真ん中を陣取った人影が、何かを握ってただ立っている。

 

 

「……あ? なんだあいつぁ?」

 

 

 カブが近付く度に、その人物の輪郭が明瞭になる。白いポロシャツと黒縁メガネの、太った巨漢だ。

 貼り付けたような微笑み顔で、握っているその何かをこちらへ向けた。

 

 

 

 

 

「…………嘘だろ」

 

 

 二本のタンクを背負い、そのタンクとホースで繋がれた、銃形式の点火器。

 男はにっこり笑ったまま、点火器の引き金を引いた。

 

 

 

 瞬間、マクレーンらの眼前を激しい炎の壁が覆う。

 宵闇が一気に爛れるような橙と赤で染まり上がり、咆哮のような放射音がエンジン音さえ掻き消す。

 

 

「火炎放射器ッ!?」

 

 

 炎に飲まれると焦ったマクレーンは思い切り急カーブし、横道に逃げた。

 寸前で逃げ果せた彼らの代わりに炎の餌食となったのは、後続のラッセルらの車だ。

 

 

「ぎゃぁぁーーーーッ!!??」

 

 

 車はフロントから炎に飲まれ、混乱したドライバーが逃れようとハンドルを切る。

 そのまま火だるまになった状態で、車は火炎放射器の男を掠めて路上でクラッシュした。

 

 

 

 

 

 

 一人残った男は引き金から指を離し、炎の放射を止める。

 次第に消え行く熱を感じながら、微笑み顔は一切崩さず、穏やかに口を開いた。

 

 

「おや、逃げられたか」

 

「逃げられたじゃねぇーーッ!!」

 

 

 何とか車から這い出したラッセルが、男の頭を思い切り殴る。自慢のテンガロンハットはツバの部分が焦げてしまい、セットしていた金髪はチリチリだ。

 

 

「このボケッ!! 雇い主ごと殺す気かッ!? いやそれ以前に俺ァ言ったよなぁッ!? 女は殺すなってッ!!」

 

 

 ガソリンに引火したようで、火だるまになった車がその場で爆発四散した。

 爆音と爆風に身を縮めるラッセルの横で、男は真っ直ぐマクレーンらの逃げた先を指差す。

 

 

「あちらには海沿いの工場地帯があります。他の道は封鎖しているので、今すぐ囲んでしまえば彼らはその区画から逃げられないでしょうな」

 

「俺の話聞いてたか『トーチ』ッ!? てめぇのせいで味方二人吹っ飛んじまったじゃねぇかッ!! てか俺も吹っ飛ぶところだったぞぉッ!?」

 

 

 がなり立てるラッセルの隣に、また一台車が停まる。

 誰が来たのかと目を向けると、降車したシェンホアがそこにいた。

 

 

「逃したですか? 女一人じゃなかったか?」

 

「あぁ、オメェか! オウすぐにあっち行け! 女はそこに逃げた!」

 

「……なんでそんな、ボコボコ顔か?」

 

「これは……色々あったんだクソッ!」

 

 

 続々と殺し屋たちの車が集結し、マクレーンらの逃げた工場地帯を封鎖し始めた。シェンホアはその様子を眺めながら、眉を潜めてラッセルに尋ねる。

 

 

「女に協力者いたのか? 聞いてないね」

 

「あぁ、クソ……こっちだって聞いてねぇよ! なんでこの街にアイツがいンだッ!?」

 

「アイツ?」

 

 

 ラッセルは少し焦げた髪を掻きながら吠えた。

 

 

 

 

「ジョン・マクレーンだッ!! ナカトミビルの英雄だよッ!! いつか見たテレビの中から飛び出して来やがったッ!! おい奴はここの住人なのか!?」

 

「…………おう」

 

 

 興味深そうにシェンホアは目を細めた。

 少し考え込むような仕草を取った後、彼女は踵を返して車の方へ戻ろうとする。

 

 

「事情が小さい、変わったよ」

 

「なに……?」

 

「一人頭三万。でないと皆引き上げる」

 

「なんだと!?」

 

 

 突然彼女から報酬額の上乗せを要求され、ただでさえ激昂状態のラッセルは飛びかからんばかりに反発する。

 だがそれは、シェンホアが投げたナイフが耳元を掠めた事で、黙らされてしまう。

 

 

 

 

「アレはロアナプラで『いっとう面倒の男』よ。千ドルは合わない」

 

 

 シェンホアが乗り込んだ車の中から、サングラスをかけたスカした優男と、ボサっとした髪の女が覗いている。



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Smells Like Teen Spirit 3

 すぐ外を数人の男たちが、銃器を掲げて走り去って行く。

 その様子を汚れた窓の向こうより、こっそり見下ろして確認し、いなくなったと安堵して窓から離れた。

 

 

「……ひぃい〜……とんだ一日だぞぉ全く……」

 

 

 近場の壁にもたれると、そのままクタッと擦り落ちて座るマクレーン。

 隣には、膝の上に分厚いラップトップパソコンを置いてキーボードを叩くジェーンの姿があった。ずっと喋ったり喚いたりと落ち着きのなかった彼女だが、今はぶつぶつと小さく呟きながら、神妙な顔でパソコンと向き合っている。

 

 

「……こんな時にパソコンったぁ、呑気で良いねぇ……今の子は何でも持ち出せて、どこでも暇潰し出来ンだから羨ましいぜ? なぁ?」

 

「ちょっと黙ってて」

 

 

 マクレーンの嫌味にも、一言黙らせるのみで殆ど反応しない。

 これまでと打って変わった真剣な雰囲気の彼女を見て、何をやっているのか気になったマクレーンはパソコンの画面を覗き込んでみた。

 

 

 

 

「…………ンだこりゃ?」

 

 

 画面上には幾つものウィンドウが開かれており、その中はどれもが文字と数字の列ばかり。それが何を意味するのかも、そもそも彼女が何をしているのかも含めて、昔気質なマクレーンには到底理解できないだろう。

 

 

「…………なぁオイ。何やってんだ?」

 

「ええと……DNSサーバー……これかしら……」

 

「でぃ、DNS? サぁバぁ?」

 

 

 ジェーンはエンターを押して、やっと手を止めた。

 画面上には新しいメッセージウィンドウが現れ、そこに書かれている「It is not approved file(許可されたファイルではありません)」の文字を見て、溜め息と共に髪を掻いた。

 

 

「また駄目……はぁぁあ〜……」

 

「……だから何やってんだ?」

 

「……ちょっとした仕事よ。暇潰しな訳ないじゃない」

 

 

 疲れた顔でパソコンを閉めると、ずっと大事そうに抱えていた鞄の中に入れた。

 

 

「……んで。こっからどう逃げんの。袋小路の湾岸線から……まさかカンボジアまで泳げって言わないわよね?」

 

「クソ……あンの、パイロマニアのせいだ……アレさえなきゃとっくに、ラグーンとこ着いてたのによぉ……」

 

「あはは。あれがホントのファイアウォールってね……バカらし」

 

 

 乾いた笑いをあげながら、ジェーンは無機質な鉄の天井を見上げた。

 

 

 

 

 ここはジェーンの言った通り、湾岸の工場地帯。すでに一帯は殺し屋たちによって囲われており、海を渡る以上の逃げ場は存在しない状況だ。

 

 そして二人が今隠れているのは、消灯されたとある工場の中。何を取り扱っているのかは分からないが、壁に貼られている警告表示から、火の取り扱いは禁止の類の物だとは分かる。

 

 

 

 マクレーンはベレッタの様子と弾数とを確認しながら、彼女に話しかける。

 

 

「鞄の中の原版、落っことしてねぇだろな?」

 

「そんなヘマしないわよ……」

 

「他には何か入ってねぇのか?」

 

「んー……あるのはメンバーの情報が入った3.5インチのフロッピーと……」

 

「他は? 武器はねぇのか?」

 

「私が持ってると思う? まぁ、このパソコンも私の武器と言えばそうなんだけど」

 

 

 マガジンを挿入しながら、マクレーンは鼻で笑う。

 

 

「銃ぐれぇ持っときゃ良かったのになぁ。パソコンなんざで戦えるかよ……」

 

「あのね? お言葉ですけどね?」

 

 

 かなりムッとした表情でジェーンは反論を始めた。

 

 

「今は何でもかんでも電子化情報化ネット化が進んでいるのよ? 病院のカルテも、銀行口座も、インフラ管理、果てはホワイトハウスやペンタゴンの持つ機密文書も、全部。何だったらあなたの履歴書や保険の加入情報なんかも、パソコンに纏められているハズよ」

 

「それがなんだ」

 

「パソコンってのはね、ただの箱じゃないの……ただの箱に見えた一つの菌糸で、要は全て繋がっている。それってどう言う事か……あなたなら分かるでしょ?」

 

 

 途端脳裏に、ナカトミビルの一件で技術面を担当した「テオ」と、空港のシステムを乗っ取った「スチュアート大佐」の顔が浮かぶ。

 嫌でもその危険性を理解し、息を呑んだ彼の反応を楽しみながら、ジェーンは続ける。

 

 

 

 

「知識さえあれば、他人のパソコンの中に入れるって事よ」

 

 

 得意顔の彼女を、忌々しげにマクレーンは見やる。

 

 

「私たちならハバロビーチで夕焼けでも見ながら、片手間にナカトミビルをジャック出来る。空港だって同じよ」

 

「…………何でもかんでもネットの時代だから、って事か?」

 

「勿論、下準備とか相応の技術者は必要だけど、ケーブル切ったり現場で籠城なんてする手間は省けるわ」

 

 

 銃床で床をコツコツと叩いて静聴する彼に、勝ち気な笑みで言い切る。

 

 

 

 

 

「何だったら今、ここで、NYPDのデータベースをジャックしてやれるわ。あなたの年金も、退職金も、全部ゼロに出来るのよ?」

 

 

 

 

 銃床で小突くのを止めると、マクレーンは言葉を探すように窓の外を眺めてから、ニヤリと笑ってまたジェーンに向き直る。

 

 

「そりゃ、おったまげだねぇ。ついでに借金もゼロにしてくれや」

 

「私たちハッカーの恐ろしさ、分かって貰えたかしら?」

 

「あぁ。良ぉく分かった。ンで、安心したよぉ」

 

「は?」

 

 

 目を(そばだ)てるジェーンの前で、彼は自信たっぷりに続けた。

 

 

 

 

「実際会ってみりゃ、拳一発弾一発で済ませそうな連中だって分かったからなぁ?」

 

 

 呆れ顔で睨む彼女の前で、意地悪そうに喉で笑いながらマクレーンはまた拳銃へと目を落とした。

 

 

「テメェが宿で褒めちぎってたテオって奴もそうだった。結局、ホワイトカラーは誰かに守られるしか、自分を守れねぇんだ。今のテメェみてぇになぁ?」

 

「……言ってくれるわね。いつか思い知るに決まってる」

 

「へっへっへ……上等だクソッタレェ」

 

 

 その時、工場中に轟くほどの衝撃音が鳴る。鉄の扉を蹴破ったような音だ。

 ジェーンは身体をビクつかせ、マクレーンは瞬時に拳銃を構えた。

 

 

「……どうやら、暇潰しの時間は終わりのようだ」

 

「暇潰しじゃないっての!……で。どう逃げるの?」

 

「包囲してるったって、所詮奴らは血の気の多いチンピラ共だ。連携もクソもねぇ。その内我慢出来なくなって、工場へと集まるさ……その入れ違いを狙って、ここから出る」

 

「……つまり、策は無いって事よね?」

 

 

 立ち上がり、マクレーンは肩を竦めて戯けてみせた。

 

 

 

「何だかんだ上手く行くもんだ。俺ぁランボーとメイトリクスと同じ、ジョンだぞぉ?」

 

 

 

 呆れ返って鼻で笑ってから、ジェーンは天を仰いだ。

 

 

「……ドンパチ映画の観過ぎ。もうちょっとクレバーな映画とか観たらどう?」

 

「例えば?」

 

「バック・トゥ・ザ・フューチャーとか?」

 

 

 鞄を持って立ったジェーンを確認すると、マクレーンは彼女を守るように先導を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 工場のドアを蹴破り、様々な銃を携えた殺し屋たちが大挙する。

 その中には彼らの雇い主であるラッセルの姿もあった。威勢良く先陣を切る男たちに向け、怒鳴り声を散らす。

 

 

「周辺の工場を虱潰しに探せェッ!! あんのショーン・コネリーの成り損ないをぶっ殺した奴にゃ倍払ってやるッ!! 絶対ブチ殺せチキショーッ!!」

 

 

 癇癪を起こす彼の隣を、邪魔そうにシェンホアが通り抜ける。自身の武器である二刀のククリナイフをくるくる回しながら、まずは工場のロビーを見渡した。

 

 

「……んー……」

 

「前歯が折れてやがる……クソッ! ぜってェに見つけてやる……! どこ行きやがった!?」

 

「……私の感じよるですと、この工場にいると思うますよ」

 

「あぁ? か、感じ?」

 

 

 小さく、彼女は鼻を鳴らした。

 

 

「……ここだけ匂う感じ、違うますね」

 

「匂いって……オメェは犬か!」

 

「殺す仕事続けると、鼻と耳利くようなるますよ」

 

 

 一房に束ねた後ろ髪をゆらり揺らしながら、落ち着いた足取りで暗い工場の奥へと進む。

 ラッセルも彼女の後に続こうとした時、思い出したように振り返って何かを探す。

 

 

「あ?……ちっくしょ……あのゴス娘と色男、さっきまで付いて来てたのにどっか行きやがった……協調性はねぇのか協調性はッ!」

 

 

 愚痴を吐きつつ、ヒビの走った色眼鏡を正して彼も屋内へと突き進んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コルトM1911を得物とした殺し屋が、汚れた床の廊下を慎重に進む。

 屋内の明かりは一切なく、窓から差し込む街灯の光だけが唯一の光源だ。頼りないその光を瞳孔いっぱいに辿り寄せるよう目を凝らし、ターゲットを捜索する。

 

 

 

 マクレーンとジェーンは、その彼と壁一つ隔てた事務室に身を潜めていた。

 仕切り壁の屋内窓より男の動向を伺いつつ、彼から離れようと抜き足差し足で移動する。

 

 

「出来るだけ身を屈めンだ……」

 

 

 ジェーンに忠告を入れたその時、二人の頭上にある窓より男が事務室内を覗き込んだ。

 二人は仕切り壁にこれでもかと身をくっ付けて、死角に入るよう努力する。その甲斐もあり、また窓が汚れていて視界が悪かった事もあり、殺し屋はすぐ真下にいる二人の存在に気付かず、また廊下を歩き始めた。

 

 

「……はぁぁ〜〜……おっかねぇなぁオイ」

 

「まるでメタルギアよ、コレ……スネークってこんな気持ちなのね……!」

 

「誰の話ぃしてんだ」

 

 

 安堵して息を吐いた後、二人はまた移動を再開。事務室の出入り口前まで、何とか到着する。閉まっていた扉をジェーンが開けようとしたので、マクレーンは急いで止めた。

 

 

「バカやろぅ! 焦んじゃねぇ!……敵の動きをまず見るんだ……!」

 

「だからソレをしようっての! 少し開けて、隙間から覗くだけだから……」

 

 

 扉をゆっくり、少しだけ開き、そこから廊下を見やる。

 丁度視界の先、一人の男がレミントンM31を構えて、階段前を陣取っている様が確認できた。

 

 

「……下の階に続く階段に一人いるわ。ショットガン持ってる……よしっ! やっちゃって!」

 

「やっちゃってじゃねぇ! 一発でもぶっ放しゃあ戦争の始まりだ! あいつがどっか行くまでジッとしてろ!」

 

「サプレッサーでも持ってなさいよ……!?」

 

「…………おー、良い事聞いた。次から持っとくよぉ」

 

 

 扉の隙間から伺いながら、仕方なく時機を待つ。

 男は暇そうに耳の穴を掻いたり、レミントンのフォアエンドを撫でたりしている。そしてその内、別の階を見てみようかと考えたのか、こちらに背を向けて階段を降り始めた。

 

 

「……! やった! 降りた降りた! 私たちも続きましょ!」

 

「おいおい待て待て! まだ慌てんじゃねぇ……!」

 

「大丈夫だって!」

 

 

 慎重過ぎるマクレーンに辟易したのか、忠告を無視して扉を開け始めるジェーン。軋む音を立てないよう慎重に、緩慢に開いて行く。

 

 

 

 しかしここで、想定外の事態が起きた。開けた扉の向こう側には、立て掛けられたままのモップがあった事。

 それが扉に押される形で柄からぐらりと倒れてしまった。

 

 

「……あ」

 

 

 ジェーンが気付いた頃にはもう遅い。モップの柄は激しく床に倒れ、辺りに響き渡るほどの甲高い音を立てた。

 瞬時に階段を降りていた殺し屋はすぐまた駆け上がり、半開きになった事務室の扉を目の当たりにする。

 

 

 

 

 蒼褪めた顔で見つめて来るジェーンの前で、まずマクレーンは手で顔を覆って嘆く。

 

 

「…………今日こそ終わったかもなぁ、俺……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 半開きだった扉を勢いよく開き、殺し屋はそこで屈んでいたジェーンを発見する。

 

 

「ひぃぃいっ!?」

 

「あっ!? いたぞォ! 女だ──」

 

 

 しかしジェーンを注視するあまり、扉の影に潜んでいたマクレーンには気付かなかった。

 瞬時にマクレーンは男の横腹へタックルする。

 

 

「うあああこのクソッタレぇぇーーッ!!」

 

「おぅっ!?」

 

 

 そのまま壁へ男を押し付けると、マクレーンは必死になって銃床で殴りまくった。

 

 

「たかだか千ドルで女の尻追いかけてんじゃねぇーーッ!!」

 

 

 しかし少しは体術に心得のある人物だったらしく、殺し屋は殴り付けるマクレーンの腕を取って止めると、思い切り彼の腹を蹴り飛ばして離す。

 

 

「うげっ!?」

 

「うぎゃーーっ!?」

 

 

 マクレーンは膠着していたジェーンの上に倒れ込む。

 頭に血が昇った殺し屋は怒りに燃える目で散弾銃を構えて近付き、撃ち放とうとする。

 

 

「レートが変わったんだよぉッ!! 三万だッ! ンでテメェを殺せば更に増額だぁッ!!」

 

「待って待ってっ!? 間違いなくソレ私にも当たるからぁっ!?」

 

 

 ジェーンが巻き込まれる事を完全に度外視した照準のまま、彼は引き金にかけた指を曲げる。

 

 

 そこへマクレーンはすかさず、そのレミントンの銃身を下から蹴り上げた。

 照準は外され、男は天井に向けて散弾を発砲。動揺を見せたその一瞬の隙にベレッタを向け、がむしゃらに撃ちまくる。

 

 

「足癖の悪さは負けてねぇぞぉクソ野郎ぉーーッ!!」

 

「おおぉぉーーッッ!?!?」

 

 

 数発を身体に受けた男は、背後の壁にぶつかるとそのままズルズル床へ滑り落ちて絶命した。

 敵を倒したと安堵するマクレーンだが、ジェーンはすかさず被さっている彼を押し退けると、鞄を持って階段の方へ駆け出した。

 

 

「あっ!? オイ待て!?」

 

「待ってられないわよっ!? あんだけ撃ったら殺し屋たちが押し寄せるでしょうがっ!?」

 

 

 扉を向けて廊下へ出た際、すぐ眼前を弾丸が抜けた。

 

 

「ひゅいっ!?」

 

「動くんじゃねぇ」

 

 

 廊下の奥より、コルトM1911を構えた殺し屋が立っていた。先ほどの銃声を聞き付け、現れたようだ。

 ジェーンは両手を挙げて立ち止まったものの、男は銃口を下げてくれない。

 

 

「ちょ、ちょっと!? 私は殺されないのよね!?」

 

「足を撃ってから運ぶ」

 

「嘘でしょっ!?!?」

 

 

 どうやら死なない程度ならば何をしても良いと考えている者のようだ。男はジェーンの太腿に照準を合わせ、一息の内に引き金を引こうとする。

 

 

 

 

 しかし彼は横の壁より、割れたガラスと粉塵を撒き散らしながら貫通して来た銃弾を受けて倒れる。

 

 

「うぐおッッ!?」

 

 

 マクレーンが事務室側から男の横へと迫り、壁と窓越しに発砲したようだ。

 男が倒れた事を確認すると発砲をやめ、壊れた窓を飛び越えてマクレーンは廊下に出る。殺し屋が息絶えている様を確認すると、マクレーンはマガジンの交換を始めながらジェーンに寄る。

 

 

「オイ平気かぁー!?」

 

「ひぃ……」

 

 

 へなへなと腰を抜かし、その場にへたり込んでしまった。マクレーンは呆れ顔のまま、彼女の手を取ってまた立たせる。

 

 

「テメェはもっと、落ち着いて物見る癖つけた方が良いぞぉ?」

 

「う、うん……次からそうする……ごめんなしゃい……」

 

 

 早速階段を降りて工場から逃げ出そうとする二人だったが、騒ぎを聞き付けてその階段を上がって来た殺し屋たちと鉢合わせになる。

 

 

「いたぞッ!!」

 

「あぁ、なんてこった……!」

 

 

 H&K MP5SDを構えた一人が、二人目掛けて発砲。

 

 

「伏せろぉい!!」

 

「きゃああぁーーっ!?!?」

 

 

 それに合わせて複数の発砲が断続的に鳴り響き、屈んで逃げる二人の頭上を弾幕が覆う。

 

 

「逃げろ逃げろ逃げろーーッ!?」

 

「言われなくてもーーっ!!」

 

 

 ベレッタを撃って牽制している内に、ジェーンは廊下の奥へ奥へと駆ける。

 マクレーンもそれを追おうとしたが、ふと事務室の入り口で落ちていたレミントンが目に入り、何とか手に取った。同時に落ちていた五発のショットシェルを、ポケットに詰め込んだ。

 

 そして振り向き様に、階段を上がり切ったばかりの男に向かって散弾をぶつけてやる。

 

 

「くたばれーーッ!!」

 

「ぐおおッ!?!?」

 

 

 彼は血を撒き散らしながら後ろに倒れ、後続の殺し屋たちの足止めとなる。その隙にマクレーンも、レミントンを抱えてジェーンの元に駆けた。

 

 

「ジェーンッ!! 奥へ逃げろーーぃッ!!」

 

「だから言われなくても逃げるって──」

 

「いややっぱ伏せろーーッ!!??」

 

 

 階段を登り切った殺し屋たちが一斉に、拳銃やサブマシンガンをマクレーンら目掛けて撃つ。

 数多の銃弾が、伏せた二人の頭上を抜けて、その先の突き当たりにあった窓を破壊する。

 

 

「私は殺されないんじゃなかったのーーッ!?!?」

 

「横だ横だ!! その部屋に入れーッ!!」

 

 

 マクレーンの発砲で一瞬殺し屋たちの手が止まった。その隙を見計らい、二人はすぐ横にあった扉から広間に入る。

 広間には多くの事務机や椅子が並べられており、それらを押し退けながら次の部屋を目指す。

 

 

 だが殺し屋たちはすぐに広間へと行き、扉を潜った途端に発砲を再開。

 

 

「だぁーークソーーッ!! ここに朝出勤する奴の気持ちにもなれぇーーッ!!」

 

 

 銃弾が机を破損させ、乗っていたランプやファイル、書類を舞い上げる。マズルフラッシュと火花が宵闇を散らす中、マクレーンは後ろ走りのまま片手でベレッタを撃つ。

 

 

「うぉおっ!?!?」

 

 

 放った数発が、広間に乗り込んだ男を倒した。

 だがまだ数人残っているどころか、どんどんと増えて行く始末だ。

 

 

 ふと、殺し屋たちが大挙する場所の近くに、壁掛けにされた消火器がある事に気付く。

「シメた」と思ったマクレーンは即座にそれにベレッタを向け、引き金を引いた。

 

 

 

「うあ!?」

 

「なんだぁッ!?」

 

 

 銃弾が消火器に着弾した途端、破裂。内部の消火剤が瞬時に拡散して殺し屋たちを包み込み、煙幕の役割となって彼らの目を遮った。

 これを好機と見たマクレーンはレミントンに持ち替え、煙幕の中で怯む殺し屋らに向かって散弾を撃ち込む。

 

 

「地獄に堕ちろぉーーッ!! ターザンフクーンッ!!」

 

 

 横殴りの銃弾が彼らに注がれる。そんな避けようのない乱射攻撃を受け、成す術もなく次から次へと男たちは倒れ伏して行く。

 レミントンの弾が切れた頃には、煙幕の中から殺し屋の気配は消えた。

 

 

「……へっ! ざまーみやがれチンピラ共!」

 

「お、終わったの!?」

 

 

 銃声が止んだ事に気付いたジェーンが、ひょっこりと机の影から顔を出す。そんな彼女へ、マクレーンは疲れた顔を向けて嫌味を言う。

 

 

「ああ。まぁなぁ? どこぞのお転婆がシャシャらなきゃあ、もうちっと楽出来たけどなぁ?」

 

「だからごめんって……」

 

「クソッタレ……とりあえずとっとと移動するぞぉ。またすぐに殺し屋が──」

 

 

 スッとジェーンから向き直った時、未だ漂う消火剤の煙の中からギラリと、鈍い光が見えた。

 

 

「あ……?」

 

 

 一体なんだと目を凝らした時、煙を裂いて何かが飛んで来た。

 

 

「ッ!?」

 

 

 それはマクレーンが握っている、丁度持ち替えていたベレッタに衝突。思わず手放してしまい、銃は明後日の方へと吹っ飛んだ。

 

 

 そしてベレッタを弾き飛ばした後、クルクルと回りながら落ちる小さなナイフが、マクレーンの目に映る。

 

 

 

 

「おう。少しちょっと、ズレたか。煙の中だと狙い定めるないね」

 

 

 特徴的な訛りを持った女の声が聞こえる。床にカランと落ちたナイフを、煙の中から現れたその声の主が拾い上げる。

 やっと姿を見せた彼女の正体は、マクレーンの知る人物だった。

 

 

「……! てめぇは……!」

 

 

 愕然とするマクレーンの後ろで、彼が手放してしまったベレッタを拾おうと駆け出すジェーン。

 しかしそれは、彼女の眼前を抜けた大きな鉈が阻止する。壁に突き刺さったククリナイフのその柄が、ジェーンの鼻先に触れそうだ。

 

 

「ひいっ!?」

 

 

 小さな悲鳴をあげ、ククリから離れるように腰を抜かすジェーン。

 彼女からベレッタを奪う意思を封じた後、その人物はまた口を開いた。

 

 

「触るない方が良いね。次触ると、二度とパソコン出来るないよ」

 

 

 振り向いてジェーンに従うよう手で指示してから、またマクレーンは前を向く。眼前にいる新たな襲撃者を見て、憎々しげに口を歪めた。

 

 

「……おー、久しぶりだなぁ。あん時は良くも見捨ててくれたぜぇ、クソッタレ」

 

「アレ、おたくが悪い。それとなんですか、ターザンフクンて……タイザンフクンですだよ」

 

「え……し、知り合いなの?」

 

 

 おずおずと尋ねるジェーンを一瞥してから、マクレーンは弱々しく首肯した。

 

 

 

 

「……出来れば、一生会いたくなかったけどな?」

 

 

 二人の前に立ち塞がる、扇情的なスリットの入った、派手めの赤いチャイナドレスの女。

 中国結びの耳飾りを揺らし、こちらを蛇のような目で見据えるその女は──フィリピンのバシラン島で一時行動を共にした、あの殺し屋だった。

 

 

 彼女は拾った投げナイフの先をマクレーンに向け、真っ赤な口紅が塗られたその唇を開く。

 

 

 

好久不見(お久しぶり)、ミスター・タイザンフクン……ノー。ジョン・マクレーン」

 

 

 殺し屋──シェンホアはそう言って、少し微笑んだ。

 しかし二、三度鼻を鳴らすとすぐ、不快そうに顔を歪めた。

 

 

 

 

「う……なんだか臭うますよ。風呂入ってるか?」

 

 

 まだ臭いは抜けてないのかと、マクレーンは自身の着ているジャケットを見ては鼻で笑った。



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Run Rudolph Run 1

「とにかくその女、こっちに渡すよ。バシランで一応役に立ってくれたよ、見逃してあげる」

 

 

「お断りだ」と叫びたいところではあるが、現状、マクレーンは動くに動けない状況だ。

 

 持っていたベレッタは後方に弾かれ、もう一つある武器のレミントンは残念ながら弾がない。それにバシランの一件で、シェンホアの超人じみた投げナイフのテクニックを目の当たりにしている。あれを思い出せば、銃を持っていないからと言って彼女を舐められは出来ない。

 

 

 ナイフを向けながらシェンホアは、居心地悪そうにもう片方の手で鼻を拭う。

 

 

「まだ鼻啜ってやがって……ホントに鼻が良いんだなぁ?」

 

「しかし何か? この臭い。生ゴミダイブするの趣味か?……うぇー」

 

「海に落ちただけだっつの……なんだ。その距離からでも嗅ぎ分けられんのか?」

 

「鼻には自信あるですだよ……おう。例えばその女」

 

 

 ピッと、顎でジェーンを示す。「私?」と困惑気味に自分を指差す彼女に、シェンホアは言った。

 

 

 

 

 

 

「おたく生理ね」

 

「ちょっとぉ!?!?」

 

 

 瞬時に顔を赤らめながら叫び、パッとスカートを押さえるジェーン。その前でマクレーンは居心地悪そうに顔を顰めていた。

 

 

「な、なな……きゅ、急になにをいきなり言ってくれてんのぉ!?」

 

「んー……あと、少しチビってるよ。そのスキンピー、捨てるが良いね」

 

「あんた同じ女のクセにデリカシーってのがないのっ!?」

 

 

 羞恥心には抗えず、シェンホアに寄って食ってかかろうとする。

 それを押し留めようとするマクレーンだったが、ふと鼻を触っているシェンホアの手を見て何かに気付く。

 

 

「…………?」

 

 

 その手の中には、彼女の付けている耳飾りと同じ、中国結びの飾りが握られていた。

 なんでそんな物をと疑問に思ったマクレーンだったが、チラリと後ろを見た際にト胸を衝かれる。

 

 

 

 ジェーンがベレッタを拾うのを阻止するべく投げられた、シェンホアの得物。今は壁に突き刺さっているその得物たるククリナイフを見て、マクレーンはバシランでの出来事を思い出す。

 

 

「……!」

 

 

 アレを巧みに操り、襲い来るテロリストたちを切り刻んでいた。

 ただ斬っていた訳ではない。確かあの時──

 

 

「あとはぁ〜〜……」

 

「もう嗅ぐな変態っっ!!!!」

 

 

 シェンホアの挑発に乗り、マクレーンの前の方へと身を乗り出すジェーン。

 その時、シェンホアの腕が大きく引かれる。

 

 

「……ッ!? 危ねぇッ!? 避けろッ!!」

 

「ぎゃっ!?」

 

 

 それを見たマクレーンは大急ぎで、隣に立つジェーンを押した。

 

 

 

 

「なにすんのよ」と、抗議する声は、次の瞬間の衝撃で飲み込んでしまった。

 

 

 床に倒れ込もうとする自分と、倒れ込んで何かを避けようとするマクレーン。その二人の間を、変則的な軌道を描いて何かが、後ろから現れて通り抜ける。

 

 

 外から漏れる街灯の光が、それの刃を鈍く輝かせていた。

 

 背後から飛んで来たのは、投げられて壁に突き刺さっていたハズの、ククリナイフ。

 それは今、柄の方を前にして二人の間に入り、蛇のように唸っては暴れている。

 

 刃がジェーンの、左の二の腕を掠めた。

 

 微かに血を吸ったククリはそれを滴らせながら、マクレーンにも襲いかかる。

 しかし彼は構えていたレミントンの銃身を盾にする事で、事なきを得ていた。

 

 

 

 ククリナイフが通り過ぎて、不敵に微笑むシェンホアの手の中に、ぱしりと戻った。

 同時に二人は床に倒れた。

 

 

「──うぉっとぉッ!?」

 

「──ぃ……いやぁぁぁーーっっ!?!?」

 

 

 痛みが遅れてやって来たのか、ジェーンは二の腕を押さえて悲鳴をあげる。

 一方のマクレーンは愕然とした目で、シェンホアを見ていた。

 

 

「おう。惜しかったよ。足動かないしたら抵抗出来ない思うますたのに」

 

「い……っ!?」

 

 

 シェンホアはもう一度振りかぶり、ナイフを投げようとする。

 焦ったマクレーンはすぐ傍にあった机を掴み、思いっきり倒す。次の瞬間に投げられた幾多のナイフは、その机が遮蔽物になって防いでくれた。

 

 

 マクレーンはすぐにパニック状態のジェーンを、机の裏まで引き摺った。

 

 

「おおぃ!? 大丈夫かぁ!?」

 

「大丈夫じゃないわよぉ!? き、きき、ききき、斬られたぁーーっ!?!?」

 

「ンなの擦り傷だッ! ツバ付けときゃ治るッ!!」

 

「パックリ行ってるんだけど!?!?」

 

 

 すぐにマクレーンはレミントンに弾を込めると、机にピッタリと銃口をくっ付け、引き金を引く。

 

 

 放たれたのはスラッグ弾だ。スラッグ弾は机を貫通し、そのままシェンホアの方へと向かう。

 しかし事前に攻撃の気配を察していた彼女は大きく身を翻し、それを回避する。

 

 

「こんチキショーーッ!!」

 

 

 マクレーンは立ち上がり、回避行動中のシェンホア目掛けて散弾を撃ち放つ。ショットガンの利点はこのように、スラッグと散弾を混ぜこぜに装填出来る点にある。

 

 彼女は即座にその場で跳び上がり、宙を大きく舞う事で更にそれさえも回避。しかも一緒にナイフまで投げ付けて来た。

 

 

「……ッ!? うわぁぁクソぉぉーーッ!!」

 

 

 何とか倒れ込んでナイフを避けるものの、投げられた内の一本がマクレーンの鼻先を掠めた。

 シェンホアは相手の攻撃の手が緩んだと見るや否や、一気に距離を詰め始めた。急いでマクレーンは姿勢を整え、ジェーンの腕を引いて部屋の奥へと走る。

 

 

「ヤバいぞぉ!? あいつはヤベェッ!!」

 

「あいつなに!? 超能力者っ!? 鉈が戻った!?」

 

 

 ククリが自ら動いた訳ではない。

 あのククリの柄にはワイヤーが詰められており、それが柄の先から飾りとして飛び出ている。そのワイヤーを手繰る事によって、ククリの軌道を操っているのがトリックのタネ。シェンホアがバシラン島でも見せた、恐るべき殺しの技だ。

 

 

 

 

「全く……逃げる、ノーよ」

 

 

 その例のククリを、彼女は振りかぶって投げる。

 ククリは真っ直ぐマクレーンらの方へは飛んでおらず、斜め方向へ外れていた。本来ならば決して、獲物に当たる事はない軌道だろう。

 

 

 次にシェンホアは手中にある、そのククリとワイヤーで繋がっている飾りを引いた。

 途端にそれは空中で弧を描き、走るマクレーンらの真横から襲いかかる。

 

 

「イッ……!?……舐めんなぁぁーーッ!!」

 

 

 一か八かでマクレーンはククリに向かって撃つ。

 放たれたのはスラッグ弾。弾は上手い具合にククリに直撃し、軌道をズラす。刃は二人を掠めて通過し、横にあった壁に刺さる。

 

 

「アレ当てるか。ロアナプラ(いち)、厄介な男の名は伊達じゃノーね」

 

 

 感心しながらワイヤーを引き、突き刺さったククリを手中に戻す。

 一方のマクレーンも逃げる最中、落としていたベレッタを回収した。

 

 

「──クソッ!! この野郎ッ!! くたばれッ!!」

 

 

 既に弾のなくなったレミントンを投げ捨て、立ち止まる。そしてパッと振り返ると、ベレッタを乱射。

 シェンホアは目を細め、その場にしゃがむ。9mmパラベラム弾は、宙に残った彼女の髪を切って遠くに消えた。

 

 

「クソぉッ!!」

 

 

 悪態を叫びながらマクレーンは追撃するものの、次に彼女はしゃがんだまま飛び上がって回避。空中で身体をスピンさせる。

 続け様に狙い撃つものの、今度は身体を捻って姿勢を変えて、また銃弾を回避。

 

 

 

 シェンホアは地面に着地すると、マクレーンの追撃が来る前に姿勢を低くしたまま、机の影に消えた。

 

 

「あいつ人間じゃねぇよぉぉおーーッ!!??」

 

 

 これ以上は太刀打ち出来ないと踏んだマクレーンはまた再び走る。

 彼が攻撃中も先に逃げていたジェーンが、奥にあった防火扉の隙間から顔を出す。

 

 

「こっちこっち!!」

 

「なにテメェ先逃げてんだぁ!?」

 

「丸腰なんだから逃げるに決まってんでしょうがっ!?」

 

 

 サッと走りながら振り向くマクレーン。その視界の先、机の足と足の隙間から射出される投げナイフの雨に肝を冷やす。

 

 

「わばばばッ!?!?」

 

 

 瞬時にしゃがんでナイフを回避すると、惨めに四つん這いで駆けた。

 しかしシェンホアは手を緩めない。影の中から姿を現したかと思えば、机を踏み台にして大きく跳躍。

 

 両手に待っている物は、ククリナイフ。

 手を後ろにして振りかぶったのも一瞬。彼女はそれを、這い蹲るマクレーンに目掛けて投げる。

 

 

「危ないっ!?」

 

「ヒュ……ッ……!?」

 

 

 ジェーンの忠告に反応するように、彼はその場でカエルのように倒れ伏すと、横に転がる。

 すぐ頭上を二本のククリが縦横無尽に舞い、マクレーンの横にあったソファや木製のテーブルをバラバラに切り刻む。

 

 

 舞い上がる木片やレザーを浴びながら、マクレーンは再びベレッタを構えて撃つ。

 すぐにシェンホアはその場で側宙、着地と同時に後方転回。その間手元にあるワイヤーを引き、一度ククリを回収。そのまま、また机の影に消える。

 

 

「また消え──うッ……!?」

 

 

 直後、机の間を通り抜けた一本のナイフが、マクレーンの顔のすぐ横にある壁に刺さった。

 

 

「……ッ!?!?」

 

 

 また一本、もう一本と飛んで来ては壁に刺さる。

 

 

「何本持ってんだぁッ!?」

 

 

 マクレーンは逆四つん這い姿勢でその場から離れると、机の上に転がって逃げる。

 

 

 シェンホアはそうやって、マクレーンが自ら出て来る事を待っていた。

 机の上でまんまと姿を晒す彼を仕留めるべく立ち上がり、ククリを振りかぶる。

 

 

「あぁ……! 死んだ……!」

 

 

 さすがにもう回避は無理だと、マクレーンは覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

「おぉーい!? いたかぁー!?」

 

 

 途端、廊下側からゾロゾロと、喧騒を聞きつけてラッセルたちが現れる。

 ハッと彼らに気付いたマクレーンは、銃口をシェンホアにではなく、そのラッセルらに向けて撃つ。

 

 

「うわぁっ!? アッ!? この野郎ぉーーッ!!??」

 

「……ッ!?」

 

 

 攻撃を受けたとあっては、否応なしに反撃するのが殺し屋たちの流儀。

 シェンホアが忌々しげに睨むのにも気付かず、ラッセルと、彼が率いる殺し屋たちは一斉にフロア目掛けて発砲を開始。

 

 

「へへっ! やった!……うおっとぉ!?」

 

 

 飛び交う銃弾に気を付けながら、マクレーンは床に落ちて逃げる。その前に仕留めたかったシェンホアだが、突如入った横槍のせいで攻撃を中断せざるを得なかった。

 

 

他媽的(ちくしょう)っ!!」

 

 

 思わず悪態を吐きつつ、仲間たちからの銃弾を回避すべく後ろへ引く。

 

 

 

 

 マクレーンは一気に弾雨の中を駆け、ジェーンの待つ防火扉の向こうへ飛び込んだ。

 

 

「閉めろぉッ!!」

 

 

 言われた通りにジェーンが扉を閉めると、立ち上がったマクレーンが(かんぬき)を使って封印。フロアに残る殺し屋たちを締め出した。

 分厚い防火扉にガンガンと当たる銃弾の音を聞きながら、その場にマクレーンはへたり込もうとする。

 

 

「ふ、ふ、ふぃぃ……やっと逃げ──」

 

「後ろーーっ!?」

 

 

 ジェーンが指差した先、マクレーンのすぐ背後には、コルト M1911を構える小太りの殺し屋が一人。

 殺し屋は発砲するものの、ジェーンの忠告を受けたマクレーンが身を翻した事により、銃殺は出来ず。

 

 

「──いい加減にしてくれぇぇーーッ!!」

 

「うぐっ!?」

 

 

 殺し屋がもう一度引き金を引く前に、マクレーンは彼へタックル。

 そのまま二人はその先にあった階段から、揃って落っこちて行く。

 

 

「「うわぁぁぁーーーーッ!?!?」」

 

 

 どっちの声なのか分からない悲鳴が轟く。

 二人は階段を勢い良く転がりながら、踊り場まで行く。そしてその踊り場で、二人の動きは止まった。

 

 

 

 

 

 声がなくなり、シィンと静まり返る。パソコン入った鞄を盾に突っ立っていたジェーンが、二人が落ちた先を覗き込む。

 

 

「え……? し、死んだ……?」

 

 

 流血する二の腕を押さえながら、ジェーンは恐る恐る階段を降りる。

 踊り場の上には、マクレーンに覆い被さる殺し屋の背中が見えた。

 

 

「…………お、おーい……」

 

「うわぁぁッ!?」

 

「うぎゃぁあっ!?!?」

 

 

 ジェーンが声をかけた瞬間、マクレーンが殺し屋を押し退けて姿を現す。彼は無事だったようだ。

 

 

「い、生きてた!?」

 

「クソッタレ……! おぉ〜……イッテェよぉお……!」

 

 

 鞭打ちになった身体を摩りながら、マクレーンはベレッタを殺し屋に向ける。

 しかし瞳孔の開いた彼の目を見て、銃口を下げた。階段を落ちた拍子に死んだようだ。

 

 

「……へっ……軟弱野郎がよぉ……」

 

「寧ろなんであなた無事なの?」

 

「昔から良く言われる質問だな……無事じゃねぇバカヤロー!」

 

 

 ふらりと立ち上がり、やっと落ち着けたと深く溜め息。

 しかし防火扉が向こうから殴られる音を聞き、すぐに身構える。

 

 

「……とっとと移動しねぇと、奴らに回り込まれるぞぉ」

 

「でもどうすんの……!? あんな馬鹿みたいにエアリアル決めるビックリ人間にどう勝つのよ!?」

 

「クソッタレめぇ……あの女の裏をかく策を練らねぇと……」

 

 

 マクレーンはちらりと、下の階を覗き込む。

 

 

 その先にある壁には、「LOCKER ROOM」と書かれた案内版が貼り付けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、防火扉に締め出されたフロア。扉を蹴ったり撃ったりする殺し屋たちの後ろ、ラッセルがシェンホアの方へ駆け寄る。

 

 

「おいッ!? あいつら手負いか──うごほぉっ!?」

 

 

 その顔面に一発、シェンホアは拳を入れる。

 

 

「……お前なにやってるか?」

 

「〜〜〜〜!! こっちの台詞だ馬鹿野郎ッ!? あんの放火魔にしろ、雇い主ブン殴るンがロアナプラ流かぁ!?」

 

 

 ズレたハットとサングラスを直しながら怒鳴るラッセル。シェンホアは呆れ顔で身体を背けさせる。

 

 

「私一人でやれるね。カウボーイ、みんな連れて外囲ってるよ」

 

「なにテメェ勝手に取り決めてんだ! 俺たちはチームだって……おいッ!?」

 

 

 ラッセルの制止を無視し、シェンホア一人ツカツカとその場を離れてしまった。

 彼女の服の赤が闇に消えるまで見送った後、割れそうなほどに歯噛みした後、怒鳴り散らかす。

 

 

「だからなんだオォイッ!? 協調性ってのがねぇのかって言ってんだ協調性はァッ!?」

 

 

 怒りのあまり、ハットを叩きつけてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 連中から離れ、一人獲物を探すシェンホア。苛立たしげにククリの峰をトントンと、指先で叩いている。

 

 

「確かあの扉の先は階段になっていて……」

 

 

 ぶつぶつと自身の母国語で独りごちる。

 仕留め損なった事はかなり頭に来てはいるが、それで焦りを見せる彼女ではない。向こうは相変わらず詰みの状態で、こちらが数も力量も上だ……尤も足手纏いもいるが、それはマクレーンだって同じだ。

 

 

「…………」

 

 

 

 彼がロアナプラに来てから起こした所業は知っている。三合会以外の黄金夜会に喧嘩ふっかけ、生きて帰れた人間はマクレーンが初めてではないだろうか。その危険度も含め、シェンホアがラッセルに値を吊り上げさせた理由だ。

 

 

 しかし先ほどの、マクレーンとの戦闘を想起してみればどうだ。戦闘と言っても、ほぼほぼこちらが蹂躙していただけ。

 確かに射撃スキルと頭の回転は特筆すべき点がある。それはバシランでの生存劇を見てから、ずっと彼女が認めていた箇所だ。

 

 

 だがそれだけだ。シェンホア自身そんな人間を相手取ったのは初めてではないし、今まで勝って来た。それらと比べればマクレーンは凡人も良いところだ。

 

 

 

 解せないのは、そんな男が「ロアナプラ(いち)、厄介な男」として名を馳せている点だろう。実際、その通りだ。どんな修羅場からも生きて帰っているし、勝っている。

 

 

 

 戦って追い詰めている時、その理由が分からなかった。だが最後の最後で分かった。

 

 奴は、とにかく「悪運が強い」……降って来たチャンスを物にする能力、とでも言うのか。

 

 

 

 ロアナプラでまことしやかに囁かれている噂。

「ジョン・マクレーンは、悪魔を連れて歩いている」。修羅場に引き摺り込まれるのも、生きて帰るのも、その悪魔のせいだと。

 

 

 

 能力や場数の多さでは測れない、マクレーンの持つ「何か」。シェンホアが恐るべきは、それだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 スンスンと鳴らした鼻が、血の匂いを嗅ぎ取る。

 匂いが誘う方へ顔を向けた。長い廊下があり、その一角に従業員用のロッカールームがあった。

 

 

「……找到了(見つけた)

 

 

 足の先を向けその方へと歩く。

 ククリナイフを手に馴染ませながら、全ての感覚を研ぎ澄まして室内に入る。

 

 

 

 そこは本当に想像通りのロッカールーム。ハイスクールにあるような縦長のロッカーが、所狭しと並べられている。

 向かい合わせで並ぶロッカーとロッカーの間にある通路に足を踏み入れ、一歩一歩と深く踏み込んで行く。

 

 

 室内は男臭い汗やら、()()の匂いに満ちていた。

 マクレーンらはこの匂いが撹乱になると考えていたようだが、それは違う。この程度、嗅ぎ分けられなくて鼻の良さを自慢出来るものか。

 

 

 

 鼻が一回、スンと鳴らされる。

 

 

 途端、彼女は踵を返し、投げナイフを投げた。

 

 

 

 

「ひっ!?」

 

 

 それはこっそり逃げようとしていた人物の鼻先を掠め、ロッカーの扉に突き刺さる。

 

 

 

 間抜けな悲鳴をあげて膠着したのは、自身の標的であるジェーンだった。ジェーンは肌身離さず持っていた鞄を手に、引き攣った笑顔でシェンホアの方を向いた。

 

 

「……あ、あはは……は、ハロー♡ それともニーハオ、かしら……?」

 

哈囉ー(ハロー)で合ってるよ」

 

 

 シェンホアはククリを構えるとすぐに彼女の方には向かわず、警戒した面持ちで辺りを見渡した。

 

 

「……ジョン・マクレーンいないよ?」

 

「えと……ははは……は、逸れちゃったの。ま、全く! 怖くて、尻尾巻いて逃げちゃったのかしら!?」

 

「ノー、嘘よ。嘘ついてる匂いするてます」

 

「エっ!? そこまで嗅げるの!?」

 

「バカタレ、嗅げる訳ないよ。おたくの嘘が下手過ぎるですだよ」

 

 

 背後やロッカー上に注意しながら辺りを嗅ぐ。耳にも神経を集中させ、異音一つ聞き逃さぬようにする。

 そうやって索敵を開始するシェンホアの手前、また逃げようとするジェーンだったが、また飛んで来た投げナイフに阻まれてしまう。

 

 

「動くな」

 

「はい」

 

「質問するよ。答えるなかったら足切るね。ジョン・マクレーンはどこか?」

 

 

 シェンホアの表情自体は笑顔ではあるが、陽気な気分ではない事は察せる。

 彼女の醸す底冷えするような雰囲気に鳥肌立てつつ、ジェーンは「あー……」とそっぽ向いて呻く。

 

 

「……えっと。こ、この部屋には居るわ……」

 

「おう。普通に答えるか。お前薄情ね」

 

「あんたが言えって脅すんでしょうが!」

 

「でっ!……この部屋のどこ居るよ?」

 

 

 またそっぽを向いて呻くジェーン。突然、指を差して叫ぶ。

 

 

「…………あーー! あなたの後ろーーっ!!」

 

「…………」

 

「……と、言うのは冗談でぇす♡」

 

「次、トンチキ言ったら足の腱二つとも切るます」

 

「ロッカーの中ロッカーの中ロッカーの中!!!!」

 

 

 脅迫に負け、あっさりマクレーンを売るジェーン。

 ロッカーの中にいると聞き、シェンホアは上機嫌に口笛を鳴らす。

 

 

「ヒュー♬ じゃあ簡単に動けるないね?」

 

 

 シェンホアは一歩一歩、ジェーンの方へ歩みを進めた。

 次第に寄って来るイカれた殺し屋を前にして、ただ彼女は鞄ごと両手を上げて、内股で震えるだけだった。

 

 

 更に一歩、一歩とシェンホアが寄る。

 ある一点まで近付いた時、怯えていたジェーンの目に一種の希望が照る。「そうだ、やっちまえ」と言いたげな、期待の眼差しだ。

 

 

 

 途端、順調に進めていたシェンホアの足が止まる。

 

 

「……お前やっぱりバカタレか」

 

「バっ……!? だ、誰がバカタレよ!?」

 

「そんな目してたら、どこに居るのかバレバレよ」

 

「だ、だったら、ここのロッカー全部開けて確認すれば良いんじゃない?」

 

「その必要ない。コレがある」

 

 

 そう言って彼女は、自身の鼻を指差した。

 

 

 

 

 

「あの男。海に飛び込んで、ドブの臭いしてるね」

 

 

 

 

 ククリを軽く投げると、逆手で取った。

 

 

 

 

 

 そして間髪入れず、自分の右隣にあったロッカーに突き刺した。

 

 

 

「……っっ!?」

 

 

 ジェーンは息を飲み、冷や汗を流す。深く深く突き刺さったククリは、根本までロッカーに差し込まれている。

 刃先から柄と連なって、手に伝わる感触。間違いなく、人の身体を刺した手応えがあった。シェンホアの口元が愉悦に歪む。

 

 

 

 

 

大当たり(ジャックポット)。景品くれるか?」

 

 

 ツゥっと、ククリから鮮血が滴る。ロッカーの中に誰か入っているのは確定だ。

 一度シェンホアはククリを捻り、刺した人物の肉を抉る。それから刃を引き抜いた。

 

 

 

 透き通っていた刃は、赤黒い血に塗れて鈍く輝いている。ジェーンは青い顔でそれを見るしかなかった。

 

 

「悪運もここに尽きたよ。ホレ? 降参するか?」

 

「……あっ!? ちょ、ま、待って待って!? い、幾らか持ってるの!!」

 

「幾らだ?」

 

「…………ウッソ……財布落としてる……」

 

「もう良いか?」

 

 

 ククリを振って血を落としてから、またシェンホアは歩き出す。

 もう成す術はないと、ジェーンは背後のロッカーに背中を付け、歯噛みするだけ。

 

 

 そのままシェンホアは、マクレーンの棺桶と化したロッカー前から一歩踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──大当たり(ジャックポット)

 

 

──瞬間、通り過ぎようとしたロッカー内から数発の銃弾が飛び出し、シェンホアを貫いた。

 

 

「……っっ!?!?」

 

 

 すぐに応戦しようとするも、今度は右肩を撃ち抜かれた。

 

 

「がは……っ!?」

 

 

 向かいのロッカーに背中をぶつけ、ずるりと床に落ちる。

 硝煙が舞う中、銃弾が飛び出したロッカーが勢い良く開く。

 

 

 

「悪運尽きただぁ? 俺ぁ運だけじゃア、ねぇんだよぉ〜?」

 

 

 

 その中から現れたのは──上半身裸のマクレーンだった。

 次にマクレーンは隣の、シェンホアが刃を突き刺したロッカーをこれみよがしに開く。

 

 

 そこからは、マクレーンのシャツとジャケットを着せられた、小太りの男の死体がロッカー内に立てられていた。ククリを突き刺された腹からは、ドクドクと血が滴っている。その死体は、階段から落ちて死んだ殺し屋だった。

 

 

「……全くよぉ。まぁた死体使わせやがって……コレで何度目だぁ? しかも階段から落ちた奴の死体とか、ンな因果あるんだなぁ……」

 

「ナイスっ!! グレートよマクレーンっ!! 超クレバーっ!!」

 

 

 興奮した様子で褒め称えるジェーンに向き、自慢げに微笑む。

 

 

「おうよ! 俺ぁなんてったってクリスマスの奇跡で、ナカトミビルの英雄の、ジョン・マク──」

 

 

 意識を失っていたと思われたシェンホアの両目が見開かれる。

 手放していたククリを手に取ると、彼女は突然マクレーンに飛びかかる。

 

 

「うぉおお!?!?」

 

「ひぃぃ!?!? ゾンビっ!? レジデントイビル!?」

 

 

 ジェーンの悲鳴が飛ぶ。

 飛びかかられたマクレーンは一度ロッカーにぶつけられた後、床へ押し倒された。

 

 

 

 彼の目に飛び込んで来たのは、鬼気迫る形相をした血塗れのシェンホア。押し倒したマクレーンに、ククリを突き立てようとしている。

 

 

「この……ッ……! バカチンが……ッ……!!」

 

「嘘だろッ……またコレかよぉお……!?」

 

 

 何とかククリにベレッタを噛ませて持ち堪えているものの、これでは発砲は出来ない。

 またシェンホアの全体重をかけてククリを押している。ジリジリと血濡れの刃先がマクレーンに迫る。

 

 

 

 

「ちょっとお姉さん?」

 

「は?──ッッ!?!?」

 

 

 そんなシェンホアの顔面に、ジェーンは鞄から取り出したラップトップパソコンを叩き付けた。

 分厚いその機体を鼻から受けては堪るまい。シェンホアは大きくのけ反ると、そのままバタンと伸びた。

 

 

 すぐにマクレーンは立ち上がり、彼女から離れる。

 そしてチラリと隣に立つ、ジェーンを見た。得意気にパソコンを手で叩いている。

 

 

「私の武器って言ったでしょ?」

 

「……ナイスでグレートで超クレバーだ」

 

 

 ハイタッチをしようと手を上げるジェーンだが、マクレーンは突き合わそうと拳を出す。肝心なところで二人、噛み合わなかった。




「Run Rudolph Run」
「チャック・ベリー」の楽曲。
1958年リリース。
ロックンロールの創始者の一人とも言われる伝説のミュージシャンにしてギタリスト。特に彼の奏でるギターサウンド並びにテクニックが後年に与えた影響は凄まじい。
小気味良くご機嫌なギターリフが耳を引くロックンロールナンバー。このギターリフこそが、今あるロックギターサウンドのオリジンに近い。
ルドルフとは「赤鼻のトナカイ」の名前で、この曲はいわばクリスマスソング。


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Run Rudolph Run 2

 シェンホアを倒した後、二人はすぐにロッカールームから出る。

 しかし銃声を聞き付けてやって来たラッセルらが、廊下の奥から発砲を開始。

 

 

「ひぃっ!?」

 

「こっちだ!」

 

「だから私は殺されないんじゃなかったの!?!?」

 

 

 ジェーンを伏せさせながら、マクレーンもまた発砲して牽制しつつ、この建物からの脱出を目指して廊下を走る。

 

 その内追手の一人が、彼らが出て来たロッカールームを覗き込んだ。

 そこには無惨な状態で倒れ伏している、シェンホアの姿が。

 

 

「あ?……クソ。あいつら、シェンホアをやったのかよ……」

 

「どうした!? 誰かいんのか!?」

 

 

 後から来たラッセルもまた、ロッカールームのシェンホアを確認する。

 すぐにラッセルは大袈裟に声を張り上げた。

 

 

「おぉ!? おいおいおい!! なぁにやられてんだ中国女ぁ!?」

 

 

 憎まれ口を叩きながら、ぴくりとも動かないシェンホアの元に駆け寄る。

 

 

「ギリギリ生きてんな……おぉーい! こいつを医者んとこ連れて行け!」

 

「はぁ? てめぇ頭沸いてんのか? そいつに必要なンは医者じゃなくて墓掘り人(アンダーテイカー)だろ」

 

「レスト・イン・ピースにはまだ早ェ! ほれ、金次第ってんなら出してやるから、とっとと運びやがれ!」

 

 

 ラッセルが金を提示した事で、殺し屋たちは渋々ながらシェンホアの搬送を請け負い始めた。

 ゆっくりと支えられながら立たされたシェンホアが意識を取り戻し、朦朧としながらもラッセルに話しかける。

 

 

「……なにしてるか。手負いは放っておくおいて、仕事行くがよろしいよ」

 

「馬鹿野郎! 俺たちゃチームって言っただろぉ!? 協調性ってのが大事だろうが協調性がッ!」

 

「…………おたくやっぱり、この街合うないよ。とっととネバダ帰るが良い……」

 

「フロリダだっつのッ!!」

 

 

 虫の息のシェンホアを運ばせた後、すぐさまラッセルはマクレーンの逃走方向へ向かう。

 その先には廊下の真ん中でたむろする、マクレーンらを追っていたハズの殺し屋たちの姿。さては捕らえたのかと期待し、ラッセルはすぐに彼らの元へ駆け寄る。

 

 

「やったか!?」

 

「いいや」

 

 

 殺し屋の一人から否定を食らい、ラッセルは怒鳴る。

 

 

「んじゃあ、女とクソッタレのジョン・マクレーンは!? どこだッ!?」

 

「この先だぜ」

 

「だったら追わねぇかッ!?」

 

「追えねーからこうなってんだろうが」

 

 

 殺し屋が顎で示した先を見ると、そこにはシャッターが降ろされた、隣の倉庫への出入り口があった。

 一応壊そうと努力はしたのか、弾痕やへこみが多く出来ている。

 

 

「奴らシャッター降ろしてから、向こうからロック掛けやがった」

 

 

 それを聞いてラッセルは、悔しそうに叫びながらシャッターを蹴飛ばした。

 

 

「チキショーッ!! だったらチンタラしてねぇで、さっさと回り込みやがれッ!?」

 

「あまり詳しくねぇんだよこの辺りは」

 

「知るかッ!! 俺だってフロリダ以外に詳しくねぇんだよッ!!」

 

 

 ズンズンと殺し屋たちを押し退け、来た道を戻るラッセル。

 その後を殺し屋たちもまた、呆れ顔で着いて行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャッターの向こうへと逃げ切り、暗い倉庫内を直走るマクレーンとジェーン。

 二人の硬い足音は、広い倉庫の隅々まで反響している。

 

 

「クソぉ……ここぁどこだぁ!?」

 

「ここがどこかってよりも出られるのかって方を心配して貰えないかしら……!?」

 

「その点に関しちゃァ安心しろぉ! 絶対に出られる!」

 

「その自信はどこから来てるの……?」

 

「経験だ! 俺の活躍知ってんだろぉ!?」

 

 

 走りながらジェーンは天を仰いだ。

 

 

「確かにナカトミビルと空港の奴は物凄かったけどねぇ! あれだって他の仲間とかいたんでしょ!? この街にはそんなのはいるの!?」

 

「一人しか……いや、まぁ、そいつは銃をぶっ放せるような奴じゃない。タイプで言りゃあお前と同じ、ホワイトカラーだ」

 

「じゃあいないのね! やられる寸前に『私が来た(I am here)』とか何とか言いながらやって来て、そんで全部解決してくれるヒーローはいない訳ね!?」

 

 

 半ば自棄気味に捲し立てるジェーン。ここに来て疲労とストレスがピークに達し、悲観的になってしまっているようだ。

 そんな彼女にうんざりしながらも、マクレーンは出口はないかと必死に辺りを見渡す。

 

 

 

 

 

「──待て」

 

 

 途端、倉庫内にこだまする、若い男の声。

 その声を聞き、すぐに二人は足を止め、マクレーンは銃を構えながら索敵をする。

 

 

「誰だッ!?」

 

「上だ」

 

「ッ!?」

 

 

 言われるがまま、二人は揃って見上げた。

 荷物を積んでおく、巨大な鉄製のラックが壁際に立てられていた──わざわざよじ登ったのか、声の主はそのラックの一番上に立っていた。

 

 

「……待ちくたびれたぞ」

 

 

 男はそう言って、マクレーンらを見下す。

 立っていた刺客は、白人の青年であった。

 

 

 

 ジェーンの追手だと言う事は明白だ。マクレーンとしてはすぐに発砲するべきだろう。

 

 

 

 

「…………ありゃなんだ?」

 

 

 しかし銃口をこちらへ向けず、二挺の大きな銃をそれぞれ右手は上へ、左手は下へと構えてポーズを取る彼を見て、引き金を引くのを忘れてしまった。

 

 しかも高そうな黒いロングコートを靡かせた上、指輪やブレスレットでジャラジャラした手に、気障なサングラスまで掛けている「イタイ」風貌。持っている二挺拳銃も「マウザー」と言う、何だか気取ったチョイス。

 

 警戒より先に「なんだコイツ」と言う当惑の感情が湧くのは仕方ない。

 

 

「……嘘だろ……マウザーなんざ、七十年代の映画でしか観た事ねぇぞ……」

 

「てかなにあのポーズ……え?『ブレイド』? ヴァンパイア?」

 

 

 彼は銃口を尚も二人に向けず、ポーズを決めたまま台詞を吐く。

 

 

「俺の名はウィザード……『ロットン・"ザ・ウィザード"』……」

 

「おい。ありゃオタクだぞ。おめぇの仲間か?」

 

「あんなイタイ奴は身内にいない」

 

 

 二人からの冷ややかな視線には気付かず、ロットンと名乗った青年は続ける。

 

 

「仔細あってこの狩りへ馳せ参じた。お前たちに恨みはないが──」

 

 

 途端、倉庫内に激しいモーター音が響く。

 何事かと身構える二人の視線の先、壁の向こうからチェンソーの刃が飛び出した。

 

 

「うおぉッ!?」

 

「今度はなんなの!?!?」

 

「ジェイソンかぁ!?」

 

「ジェイソンはチェンソー使わないわよっ!! 悪魔の生贄よコレはっ!?」

 

 

 長く伸びたガイドバーの溝内を、鋭い小さな刃を乗せたソーチェーンが高速で走る。

 火花を散らしながら何者かが操るチェンソーは勢い強く、削り取るように、薄い壁を斬り進む。

 

 

「──お前たちの命、」

 

 

 

 

 

 

 そしてその刃は、ラックの支柱を切り取ってしまった。

 

 

「貰い受けッ」

 

 

 ラックはボキリと折れるようにして、一気に破壊されて崩れる。

 勿論、その上に立っていたロットンも巻き添えだ。

 

 

 台詞の詠唱を途中で止められた上、埃を巻き上げて崩れたラックと積み荷と一緒に、真っ逆さまに落ちて行ってしまった。

 

 

 マクレーンとジェーンは、盛大に崩れて起きた衝撃風を受ける。

 睨むようにして向ける視線の先、巻き上がった埃の中、モーター音と耳障りな金属音を響かせたチェンソーをぶら下げて、何者がふらりふらりと佇んでいる。

 

 

 

「次から次へと……一体誰だぁ!?」

 

「絶対顔に人の皮のマスク付けてるヤバい奴よ……!」

 

 

 ベレッタを向け、名乗るようにと怒鳴るマクレーン。

 返事代わりに響いたのは、リコイルスターターのヒモを引っ張る音と、直後に轟く活性化したモーターの唸り声。さすがのマクレーンも「ヤバそうなのが来た」と慄いてしまった。

 

 

 埃煙の中、じりじりとこちらへ寄る新たな襲撃者。

 マクレーンもジェーンを庇いながら、後退りで距離を取る。

 

 

 次第に煙が晴れて行く。

 その頃になってやっと、襲撃者から声が発せられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オト、なし・ク」

 

「……ん?」

 

「オン・なを、渡シ…………」

 

 

 発せられたのは、機械的な声。しかしマクレーンには聞き覚えのあるものだった。

 煙が晴れ、お互いに姿が見えるようになる。

 

 

 

 

 

 

「…………エ……?」

 

 

 途端、襲撃者は驚いたような声を漏らし、向けていたチェーンソーの刃を下ろした。

 

 もう片手に持った人工声帯を喉に当てるその襲撃者とは、マクレーンが昼頃に助けてあげたあの、パンクな格好をした女だった。

 衝撃的でまさかの再会に、マクレーンは眉間に皺を寄せて唖然とした表情となっていた。

 

 

「……お、おめぇ……確か、港で……」

 

「え? なに? また知り合いだった?……あのチャイニーズアサシンにしたり、危ない知り合い多くない?」

 

「…………掃除屋ってそう言う意味かぁ〜……」

 

 

 向こうもまさかこの場に彼がいるとは思っていなかったようで、目を丸くしてひたすら当惑していた。

 

 

「…………エ……なんデ……恩人…………え……?」

 

 

 あまりの驚き故か、ハンドルにある制御装置を握ってモーターを止めてしまった。

 

 攻撃するのなら今だろうが、マクレーンとしても一度は朗らかに会話した相手だ。チャンスだからと撃つ事は出来ない。

 そこで警戒心は残したまま銃を下げ、まずは対話を試みた。

 

 

「……あー……名乗ってなかったが、俺がジョン・マクレーンだ」

 

「…………え」

 

「その、なんだ……今はこの娘っ子を、訳あってボディー・ガードしてやってる最中で……あー……」

 

「エ……」

 

「…………出来るなら、見逃してくれって言いてェんだけど……」

 

 

 これには彼女も困らされた。マクレーンに対する恩義はあるようだが、引き受けているのが三万ドルの仕事なだけあって迷いが強い。

 終いには喉に機械を当てる事も忘れ、何か呟くように口をはくはく開閉させては目を泳がせている。

 

 

「…………」

 

「……許してくれない?」

 

 

 ぎこちないが、何とかニコッと笑ってみせるマクレーン。

 対する彼女は目を閉じ、首を捻り、身体を左右に揺らしながら、歯を見せて顰め面で悩む。恩義か仕事かを天秤にかけているようだ。

 

 

 

 

 

 

 最終的に踏ん切りが付いたのか、サッと横に退き、さっき自身が開けた壁の穴へと二人に道を開けてやる。

 

 

「…………ジュっ・ぷん……待ッ、たゲル……じゅっ分、ダ・けね」

 

「いよぉぉーしッ! 愛してるぜベイビーッ!……んじゃあ、とっとと行くぞぉジェーン!」

 

 

 渋い顔をしている彼女の横を抜け、マクレーンとジェーンは足早にその場を去ろうとする。

 穴の前に散らばったラックや積み荷の破片の上を歩きながら、ジェーンはこちらに背を向けたチェンソー女を気にしながら尋ねる。

 

 

「……え……ど、どう言う関係……?」

 

情けは人の為ならず(親切は失われない)って言うだろぉ? そう言うこった!」

 

「あー……あなた、意外と友達多いのね。なんかごめんなさい」

 

「気にすんな」

 

 

 壁の穴を目の前にした時、マクレーンはふと、自身の足元で伸びていたロットンに気付く。

 

 

「……あ?」

 

 

 そのまま跨いで先に行こうとするも、何かが目に入り、そしてまた何かを思い立ったようだ。

 

 

「……おっ。これはこれは……」

 

「? ちょっと、どうしたのよ?」

 

「あぁ悪ィ。先に出といてくれ。すぐに行く」

 

 

 ジェーンを先に行かせてから、彼はロットンの近くにしゃがみ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人の気配が消えた事を悟ってから、チェンソー女──こと、「ソーヤー」は振り返る。まだ少し未練のある表情をしていた。

 丁度その時、地面に伸びていたロットンが目を覚まし、むくっと身体を起こした。

 

 

「…………見てた? 決まってた?」

 

「見テない」

 

「……それは残念だ。しかし僕も運がない。まさかラックが壊れるなんて……」

 

 

 どうやら足場にしていたラックは勝手に壊れたものと勘違いしているようだ。

 壊したのは自分ではあるが、ソーヤーは黙っておく事にした。

 

 

「……因みに今の、(Rack)(Luck)で押韻してみたんだけど」

 

「…………」

 

「……ところで」

 

 

 ロットンは立ち上がりながら、自分の周りを見渡して何かを探していた。

 

 

「……僕の装備、知らない?」

 

 

 立ち上がった彼は、なぜか上裸だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 倉庫から外に出たマクレーンとジェーン。

 マクレーンはロットンから剥ぎ取ったロングコートを着ていた。

 

 

「……なんでそれ着てんの?」

 

「臭いだの何だの言われ続けりゃあ気にすんだろぉ!?」

 

「あなたナーバスなの? そうじゃないの? どっちなの?」

 

 

 何とかこの袋小路から出るべく必死に駆ける二人。

 しかし殺し屋は、建物の外の方がうじゃうじゃいる。すぐに二人の前に二台の車が停まり、乗っていた殺し屋たちが一斉に銃口を向けた。

 

 

「うわー!? 終わった──」

 

「くたばれーーーーッ!!」

 

 

 マクレーンが取り出したのはベレッタではなく、さっきロットンからくすねて来たマウザー。

 銃口を向け、引き金を引いた途端、ピストルとは思えない連射性で7.63x25mmマウザー弾が吐き出される。

 

 銃弾は車体を突き破り、殺し屋たちを蜂の巣にして行く。

 まさかのマシンピストルだと思わなかった殺し屋は、射撃は打ちやめて車の影に逃げようとする。

 

 

 その隙にマクレーンはジェーンを連れ、走り出す。

 

 

「なに今の!? それマシンガン!?」

 

「ヤッホーーィッ!! こりゃ『マウザーM712』様だぁッ!!

 

 

 マウザーM712、またの名を「シュネルフォイヤー」。一秒間に二十発の弾丸を発射可能な、まさに拳銃型小銃。

 弾幕を張って敵を攻撃可能な一方、反動が馬鹿にならない代物。先ほどもマクレーンは両手撃ちでマウザーM712をぶっ放したものの、倒せたのは二人ばかりだった。

 

 

「あいつこんな銃で二挺拳銃やるつもりだったのかぁ!?」

 

「もう一挺あるわよね!? ちょーだい!」

 

「馬鹿野郎ッ! 素人が扱えるもんじゃねぇよぉッ!!」

 

 

 遠くから一台の車がフェンスを突き破り、こちらへ方向を変えた。

 ハイライトのビームに当てられて慄く二人目掛けて、車が全速力で突っ込んで来た。

 

 

「危険運転だバッキャロぉぉぉーーいッ!!!!」

 

 

 すかさずマウザーを撃ちまくるマクレーン。

 銃弾を受け、車はドリフトをして横腹を見せた。

 

 

 マクレーンのマウザーの弾が尽きる。

 そのタイミングを見計らい、車のドアが開いた。

 

 

 

 現れたのは微笑み顔を絶やさない、ポロシャツ姿の太った男。

 その男が向けている物と背負っている物を見て、二人は肝を冷やす。

 

 

 

「放火魔野郎だッ!?」

 

「嘘ォ!?」

 

 

 男はドリフトで横滑りしている最中の車内から、火炎放射を開始。

 点火器から真っ直ぐ放たれた炎が、マクレーンらに覆い被さろうとしていた。

 

 すかさずジェーンを押し倒し、二人とも地面に伏せる。

 すぐ足元を車が通り抜け、そしてすぐ頭上を赤い炎が覆う。

 

 

 炎が消えたと同時に、二人は再び走り出す。

 止まった車から銃持ちの殺し屋が発砲するが、それはマクレーンのマウザーが処理する。

 

 

「死ねぇぇーーッ!!」

 

「うごぉッ!?!?」

 

 

 無数の銃弾を浴びた男は、車体に身体をぶつけてから倒れ伏した。

 その死体を踏み付け、更に殺し屋たちが大挙する。騒ぎ過ぎてしまったようだ。

 

 

「……駄目だッ! そこの建物に逃げろッ!!」

 

「また結局屋内に逃げんのね!?」

 

 

 フェンスドアをジェーンが蹴破り、二人して倉庫と思われる建物の敷地内に入る。

 倉庫は三階建て、広さは一つの屋敷ぐらいはある。背後から飛んで来る銃弾に慄きながら逃げ込んだ。

 

 

 

 その倉庫に、続々と殺し屋たちが入り込んで行く。ラッセルもいた。

 

 

「よぉぉーしッ!! 今度こそ今度こそデッドエンドだッ!! 追い立てろーッ!!」

 

「私もすぐに向かいます」

 

「いやお前はここにいろトーチッ!! それは危な過ぎんだッ!!」

 

 

 火炎放射器を持ち込もうとするトーチに命令するラッセル。

 言われた通りにその場で立ち止まっていたトーチだったが、ラッセルが屋内に行ったと同時に何食わぬ顔で後を追った。

 

 

 

 

 

 その倉庫には、「花火倉庫につき火器厳禁」とタイ語で注意書きがされていた。



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