あなたが生きた物語 (河里静那)
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第一章 人類の斯衛
1話


 

1976年、1月。

帝都、月詠邸。

 

「随分と冷えると思えば、降ってきたか」

 

夕日に照らされる枯山水に、ひらりと舞い降りる雪。

それを見やりつつ、初老の男が呟く。

月詠瑞俊。赤を纏う斯衛の重鎮、月詠家の現当主である。

齢60を越え、武人として一線を退いて久しい。

だが、その眼に宿る光は「月詠には一匹の鬼が棲む」と言われた頃と比べ、些かも衰えるところが無い。

むしろ、積み重ねた年月が、更なる鋭さを与えているかのようにも思えた。

瑞俊は瞼を閉じ、何かを思い悩むようにひとつ吐息を漏らすと、視線を庭よりもとにあった場所へと戻し、問いをかける。

 

「決意は固いのか」

 

そこには瑞俊へと向かい、机をはさんで並び座る一組の男女の姿。

共に年の頃は20代の半ばといったところだろうか。

 

「お叱りはもとより覚悟の上。当主よりの恩を仇で返す真似となるのも百も承知。

 なれど、この想い、遂げさせていただきたく」

 

瑞俊の刺すような……いや、真剣で切り裂くかのような視線を真っ向から受け止め、男が返す。

男の声姿には気負う様子も強張る様子もなく、あくまでも自然体のまま。強い意思の篭る瞳を持つ、揺るがぬ自信がそこにある。

不遜ともとられかねない態度であるが、不思議と憎むことができない。そんな男であった。

 

名を、黒須鞍馬という。

月詠の分家の一つ、黒須家の現当主である。とはいえその家格は傍流の中でも末席に近い位置にあり、かろうじて斯衛の白を許されている程度に過ぎない。

しかしながら、そのような出自にもかかわらず、鞍馬の存在は斯衛の中で決して小さいものではなかった。

生まれ持った天稟を、たゆまぬ努力によって磨き上げた剣の腕。

機械の体に意思を宿すかのような戦術機の操縦手腕。特に、試験運用中であり来年より実戦配備されることとなる撃震を駆る姿は鬼神の如く。

また、そこにいるだけで、一言言葉を発するだけで周囲の人の心に安心をもたらす存在感。

器量に優れていることもあり、それらは見る人を惹きつけてやまない。

白という家格ながら、山吹の家の娘との婚姻や、赤への婿入りの話は両手の数では足りない。真偽は定かではないが、青への養子の話すらあるという。

瑞俊の末の娘が未だ嫁ぎ先を選ぼうとしないその理由を、鞍馬はわかっているのだろうか?

次代の斯衛を担うにふさわしい、そしてそれを期待されている男であった。

 

しかし鞍馬は、その期待を、その責任を、その想いを、全てを捨て去り斯衛を去ろうとしている。

聡明な男である。その行為がもたらす影響は全て承知の上であろう。

それでも尚、鞍馬の背を押すその理由は、彼の隣に座っていた。

いささか緊張した様子を隠しきれてはいないが、鞍馬と比べるのは酷というものであろう。十分に胆力の座った女子と見えた。

慣れぬ着物を纏い、慣れぬ正座をするのは苦しかろうに、それをおくびにも出さず、視線を瑞俊へと向けている。

しかし、その着物こそが拭いようのない違和感を与え、彼女の出自を嫌でも明らかにしていた。

米国人の娘であった。

名を、セリス・ソーヤーというらしい。

英語訛りの、ややたどたどしくはあるが十分に伝わる日本語でそう自己紹介された。

在日米軍の衛士であるという。

 

──なぜ、よりにもよって米国人なのだ……

 

先の大戦の敗北より時が過ぎたとはいえ、未だに帝国内において米国人への敵愾心は根強い。

斯衛ともなれば、それはなおさら顕著となる。

鞍馬が斯衛の誰ぞと結ばれるのであれば、その色に関わらず大いなる祝福が与えられるに相違ない。

武家とではなく市井の娘との婚姻であっても、その将来性を惜しむ声こそあろうが、喜びをもって迎えられるであろう。

なれど、米国人の娘となると話は全く異なってくる。

米国が同盟国である以上、制度として認められないということは決してない。

だがその結果、鞍馬には非国民の謗りが与えられるであろうこと想像に難くない。

斯衛の妻ともなれば、公的な場へと顔を出す機会も多々ある。そして、鞍馬へは敵国と結んだ男として、妻へは将来の斯衛の重鎮を奪った女として、共に敵意に包まれた視線に晒され続けることになるのだ。

そして、そうさせないために、妻に不要な負担を強いないそのために、鞍馬は斯衛を去ることを選んだ。

 

本来、斯衛とは、去ろうとして去れるものではない。

武家という血そのものが、斯衛という組織に組み込まれているといっても過言ではないのだ。

まして、鞍馬は傍流とはいえ当主である。

その斯衛を去る。つまりそれは、武家としての黒須家の断絶を意味していた。

 

「斯衛を去るということが、どういう意味を持つのか、わかっているのであろうな」

 

この男は全て承知だ。承知の上で、その顔に優しげな笑みを浮かべ、隣に座る片割れを見やるのだ。

それをわかっていて尚、瑞俊はそう問わずにはいられなかった。

 

「もともと、武家というにもおこがましい小さな家です。両親も親族も既になく、黒須家は私を残すのみ。未練も迷惑をかける相手もございません。

 先祖に顔向けできない向きはございますが、そこは九段にてお叱りを受けることとしましょう」

 

鞍馬の幼い頃、両親と親族の乗った飛行機が事故を起こし、彼の血縁は絶えていた。

むろん、後見として月詠家がたっており、完全なる天涯孤独というわけではないが。

瑞俊は再び瞼を閉じ、瞑目する。

そして悟る。この男の決意を翻すことは不可能だ、と。気まぐれでこのようなことを言い出す男ではないのだ。

その生涯を、彼女と添い遂げる覚悟なのであろう。

 

「殿下には、なんと?」

「……我、斯衛を去ろうとも、非国民の謗りを受けることとなろうとも、この心は殿下と共に。

 なれば、斯衛の外よりこの日本を、全人類を守護させていただきまする」

 

その言葉を聞き、目を見開く瑞俊。

これほどの男がここまで言っているのだ。ならば引止めなどするべきではない。

なれば、その行く道を祝福し、前途を祈ってやることこそが、自分に出来る唯一のことではないのか。

 

「よかろう、委細、承知した!

 黒須鞍馬よ、今この時よりお主は斯衛ではない。黒須家当主、黒須鞍馬ではない。只の個人、黒須鞍馬である!」

「……当主、いや月詠翁。ありがとうございます」

 

鞍馬は、畳に両手を付き、深々と頭を下げる。

そして、別離のときがやってきた。

 

「されば月詠翁、これにて失礼仕ります。

 許されるならば、いずれ九段にてお会いしましょう」

 

それは、生きてはもう会わない、会わせる顔がないという意味。

決して表には出さなかったが、娘にしか恵まれなかった瑞俊にとって実の息子のように思っていた男との、それが別れであった。

 

「これからどうするつもりだ?」

「妻と共に、国連軍に仕官しようと思っております」

「……そうか」

 

せめて帝国軍に。そんな思いが瑞俊の心をよぎる。

いやしかし。斯衛ほどではないにせよ、帝国軍でもまた米国人の妻を持つ男に、そしてその妻に向けられる目は針の筵となろうか。

それも当然に考慮し、国連軍を選んだのであろう。

……未練だな。そんな想いを飲み込み、息子との別れに瑞俊は晴れ晴れとした顔を向ける。

 

「鞍馬、壮健であれ!」

「はっ! 月詠翁におかれましても、お達者で!」

 

そして、室内より二人分の温もりが消え去った。

 

 

 

瑞俊は降りしきる雪を、ただ見つめ続ける。

夕日は既に沈み、暗闇に包まれる枯山水の中、雪だけが白く輝いていた。

暫しの後、その口から本人も意識しない小さな呟きがこぼれる。

 

「……馬鹿者が……」

 

その呟きもまた、雪に吸い込まれるかのように消えていった。

 

 

 



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2話

 

「なぁ、知ってるか? 俺たちが配属される中隊の隊長な、サムライらしいぜ」

「サムライ? なんだそりゃ?」

「知らないのか? 日本のトノサマに仕える……まぁ、ナイトみてぇな連中だな」

「ここにはトノサマなんていねぇぜ?」

「あー……だったら、あれだ、オチムシャだな」

「……落武者は酷いな」

『た、大尉殿! 敬礼っ!』

「楽にしてくれて構わない。それより、せめて浪人と言ってくれないか」

「ローニン? なんですか、それは?」

「主を探している侍のことだ。落武者というのは、戦いに敗れて逃げ落ちている侍のことだな」

「それだったら大尉殿、俺たち全員オチムシャですぜ。なにせ、BETAどもに勝ったためしなんてないんですからね! HAHAHAHAHA……はぁ……」

「お前、自分で言って落ち込むくらいなら最初から言うなよ……」

 

 

 

 

 

1976年、7月。

欧州、東欧戦線。

 

中国新疆ウイグル自治区喀什にBETAの着陸ユニットが落下したのが1973年4月。

翌1974年10月、喀什より西進したBETAの進行を阻止することが出来ず、マシュハドにハイヴを建設される。

1975年、BETAは黒海沿岸を北上しソ連領カザフスタン州に侵入、ウラリスクにハイヴを建設。

東欧一帯を勢力下に収めたBETAは北進、今年にはヴェリスクにもハイヴが建設され、BETAの巣といえるハイヴは地球上に4つを数えていた。

BETAの勢いは止まる所を知らず、さらにその勢力を広げんと進軍を続けている。

人類とBETAとの戦争が始まって4年目に突入したが、その間人類は勝利の2文字とは無縁でいた。

そして、黒須鞍馬とその妻セリスは、人類の最前線で戦っている。

 

 

 

国連軍軍人としての研修を受け、東欧戦線に突撃前衛長として配属されたのが4月。

初陣はその直後に済ませた。

酷いものであった。

子供の頃映像で見た軍隊蟻を思わせるBETAの群れ。それに飲み込まれてゆく僚機達。

死の絨毯を切り裂かんと接近戦を挑めば剣を振るう間もなく蹂躙される。かといって距離をとって砲撃していても、前方を掃射している間に左右から肉薄される。

冷静に陣形を守り、横並びに砲撃を続けていた者たちもまた、銃弾に倒れる数をはるかに上回る数に押し寄せられ消えてく。

救援を求めながら潰されていく悲鳴、生きたまま貪られる恐怖と痛みに泣き叫ぶ声。

目に映る光景に、耳にする通信に、陽のものは何一つとして存在しない。

かつての月面戦争において、月面総軍司令官たるキャンベル大将は「月は地獄だ」という言葉を残した。

彼が今、目の前に広がる光景を見たならば「地球もまた地獄だ」とでも言うのだろうか?

 

その地獄の中、鞍馬は錯乱した。

突撃砲を忘却の彼方へと押しやり、ただ長刀をもってBETAの群れに吶喊したのである。

斬り、躱し、突き、跳ぶ。

その名と同じ山に棲むという天狗の如く、あるいはその天狗に教えを乞うたという遮那王の如く、それは見るものに畏れすら与える舞であった。

ただしそこには連携も何もなく、僚機の存在すら忘れ、ただBETAのみを見続け、殺戮し続けるのみ。

 

「撃震があればもう少し楽だったのにな」

 

そんなことを考えたのを覚えているが、他には断片的な記憶しか残っていない。まさに我を忘れていた。

そのままでは周りに散らばる戦術機だったものと同じ運命をたどることは間違いなかったであろう。さらには中隊、大隊の崩壊すら招いていたかもしれない。

それを防いだのは分隊長を務めるセリスであった。

彼女は孤立した鞍馬を救出するために仲間を犠牲に晒す愚は犯さなかった。

鞍馬をそのままに、囮として利用したのである。

無論、絶対に殺させはしないと言う決意こそ固かったが、自分のために斯衛すら捨てた愛する夫を危険に晒し続ける苦悩は如何ほどであったか。

 

彼女は怒っていた。

理不尽ともいえるBETAの暴虐に、感情のままに剣を振るう鞍馬に、怒り狂っていた。

それでも戦況を客観的に見る冷静さは保ち続け、突撃前衛の他2機を率いて鞍馬機を押しつぶさんとするBETAを狩り続けた。

結果として、この作戦は功を奏した。1機が囮となることによって他の3機は比較的安全に狩りを続けることが出来たのである。

そして、突撃前衛が十分に仕事を果たしているのであれば、中隊も機能する。

さらには大隊の統率も乱れることなく、鞍馬の所属する大隊はこの戦いを見事生き抜いたのである。

 

無論、犠牲が0と言うわけにはいかなく、鞍馬を率いた中隊長を含む12人が戦場に散った。

損耗率33%。本来この数字は決して良いとは言えないものである。それでもこの戦いにおいては奇跡とも言える生存率であったのだ。

とはいえ、このことからわかるとおり、この戦いにおいて人類の戦果は敗北であった。

当然だ。損耗率33%が奇跡的に良い数字、それはまさに地獄と呼ぶに相応しいものであったのだから……。

 

 

 

後方基地へと何とか撤退し、戦術機を降りたセリスが最初に行った行動は、鞍馬の頬をはたくことであった。

当然の如く拳で、ありったけの力を込めてである。

踏鞴こそ踏んだものの、倒れなかった鞍馬をこそ褒めるべきであろう、そんな強烈な一撃だった。

そして、その瞳に涙をたたえながらこう言った。

 

「生きていてくれて、ありがとう」

 

こうして、鞍馬は初陣、死の8分を乗り越えたのである。

 

 

 

大隊に補充兵が入り、部隊が再編されるにあたって、鞍馬は先任の小隊長を抑え、中隊長として迎えられることとなった。

先の戦いにおける奮戦が評価されてのことである。

本人からしてみれば、我を忘れて暴れただけのことであり羞恥の極みであったのだが、外から見れば孤軍奮闘して大隊を生存へと導いたと見られたのである。

無論、2機連携を無視した点は配慮すべきであったが、セリスが上手く手綱を握るであろうとの上層部の判断である。

 

国連軍へ中尉として入隊してわずか数ヶ月と異例のことであるが、もともと斯衛でも大尉として中隊を指揮していたので問題となることはなかった。

中隊長として鞍馬が選んだポジションは、突撃前衛であった。装備は強襲前衛を選択している。

本来、迎撃後衛として指揮を執る立場であろうが、斯衛の戦い方が染み付いている鞍馬にとって、長刀を振るって吶喊することこそが適職だったのである。

セリスもまた、突撃前衛として鞍馬と連携を組むことになる。装備は強襲掃討。本来前衛の装備ではないが、米軍仕込みの的確な射撃をもって、先行する鞍馬を援護するにはこのほうが都合がよかった。

 

これ以降、鞍馬とセリスの2機が吶喊して敵の多くを惹き付け、それを残りの2機の突撃前衛が適宜間引いて他の小隊と共に殲滅していく戦い方が、この中隊の基本戦術となる。

鞍馬の操縦手腕と剣の腕、そしてなによりセリスの正確な射撃支援があってはじめて取れる戦術であるが、隊全体の生存率を上げるのに大いに貢献した。

鞍馬は言ったものである。

 

「俺はこの先、一生嫁さんに頭が上がらない運命なんだな」

 

と。

 

 

 

鞍馬の初陣より3ヶ月。

BETAの進軍は止まらない。

これ以上地球を奪わせはしないとの誓いをこめ、ワルシャワ条約機構軍と国連軍はここミンスクに決死の防御陣を展開していた。

ここで食い止めなければ、新たなハイヴの建設を許すこととなろう。

決してそんなことをさせるわけにはいかないのだ。

押し寄せる夥しい数のBETAへ向け、面制圧が行われる。

 

「敵のAL弾迎撃を確認!」

 

あのときのような愚はもう起こさない。初陣を思い出し、鞍馬はそう誓う。

そして、人類が勝利するために、この身の全力を捧げよう。

鞍馬の想いは初陣よりの3ヶ月で変化していた。

国連軍に所属したのは、いわば消去法に過ぎないはずであった。

最前線にてBETAと戦うこととなったことも、積極的な理由からではなかった。

しかし今は違う。

 

「作戦区域に重金属雲発生!」

 

あいつ等を、あの人類の怨敵を、なんとしてでも殲滅しなくてはならない。

これはもはや欧州やソビエトのみの問題ではないのだ。

このままでは、遠からず人類は滅ぶ。決して日本も例外ではない。

決してそんなことを許すわけにはいかないのだ。

 

「アルファ大隊、突撃級と接敵まであと30秒!」

 

人類の未来の為に。

今も遠い空の下で国と民を想う殿下の為に。

この地に立つことを許してくれた月詠翁の為に。

そしてなにより、今も傍で支えてくれるセリスの愛に応える為に。

 

「いくぞ! 中隊各機、俺に続けええええええええええええ!」

 

鞍馬は戦う。

 

 

 

 

 

これより5日の後、ミンスクにおいて新たなハイヴの建設が開始された。

 

 

 



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3話

 

「セリス中尉~、ちょっと聞いてもいいですか~」

「こら、上官に向かってその言葉遣いはだめよ。で、なにかしら?」

「えっと~、セリス中尉は鞍馬大尉とどうやって知り合ったのかな~って思って」

「えっ?」

「あ、あたしも知りたいかも」

「だって~、日本のサムライとアメリカの衛士ですよ~。接点がないじゃないですか~」

「敵同士だったしね」

「いや、私たちが生まれる前に戦争は終わってるから!」

「それなのに、国を捨ててまで添い遂げるって、なんかかっこいいですよね~」

「ロミオとジュリエットだね」

「かっこいいって……ロミオって……あなたたち……。そりゃ、確かにかっこいいけど……」

「ですよね~。それで~、馴れ初めっていうのかな? 知りたいな~って」

「お願いします」

「もう……こんなところで話すようなことじゃないでしょ」

「え~、いいじゃないですか~。娯楽の少ない前線に話題を提供してくださいよ~」

「是非に!」

「……まったく。私はアメリカでテストパイロットをしていたんだけどね、日本がF-4 ファントムを導入するに当たって……」

 

──Code991発生ッ、繰り返すCode991発生ッ! これより当基地は第一防衛準備態勢に移行するッ!──

 

「二人とも、強化服着用の上ブリーフィングルームに集合! いいわね!」

『了解!』

 

 

 

 

 

1977年、7月。

 

落武者か……。

以前、新任の部下──今ではいっぱしの小隊長だ──に言われた言葉を鞍馬は思い出す。

むろん、その部下は言葉の意味を正確には知らずに使っていたに過ぎず、鞍馬を罵倒する意味で言ったのではない。

しかし、戦いに敗れ逃げ落ちる侍、その正しい意味が今となって鞍馬の心を刺す。

人類は、ミンスクに続き6番目となるエキバストゥズハイヴの建設を許してしまっていた。

この方面の戦いに鞍馬は参加してはいない。

ここ東欧にて、ミンスクからさらに勢力を伸ばさんとするBETAの侵攻を食い止める任務に従事しているのだ。

鞍馬がどう思ったところで、たった一人の人間に出来ることなど些細なものでしかない。それはわかっている。

だからといって、新たに人類の版図が削り取られていくのをよしとする事がどうして出来ようか。

落武者。ミンスクを守りきれず、エキバストゥズに新たなハイヴが建設されるのを座して見ることしか出来なかった今の自分には、この言葉がお似合いだと自嘲する。

 

昨年7月のことを思い出すと、今も心に痛みが走る。

何も、出来なかった。何一つとして、成せなかった。

BETAの群れを撃退するどころか、その進行速度を緩めることすら出来ず、戦線は崩壊した。

自分と仲間の身を守ることが精一杯で。いや、それすらも満足に果たせなかったのだ。

あれから一年。今も戦線は徐々に、いや加速度的に後退を続けている。

俺には何も出来ないのか。手をこまねいているしかないのか。鞍馬の苦悩は続く。

 

もっとも、周囲の評価は些か異なる。

常に最前線にて奮闘し敵を惹き付け、仲間の生存率を高めんとする鞍馬の姿は、国連軍からもワルシャワ条約機構軍からも多大な敬意を払われていた。

今やこの戦線において、黒須鞍馬の名と「国連の侍」の二つ名を知らぬものはいないほどだ。

故にセリスは言う。

 

「貴方は最善を尽くしているわ。謙遜は日本人の美徳かもしれないけど、悪癖でもあるわよ」

 

彼女の言葉は本心からのものである。

鞍馬の存在が戦場においてどれだけ大きな支えとなっていることか。この人はもっと自分を褒めても良いのに。

だが、そう吐息をつくセリスもまた、自分が他者から同様のことを言われていることに気がついていない。

まったく、似たもの夫婦であった。

 

──Code991発生ッ、繰り返すCode991発生ッ! これより当基地は第一防衛準備態勢に移行するッ!──

 

突然に鳴り響くサイレンが物思いにふける鞍馬の頭を叩き、現実へと引き戻す。

半ば反射の様に体は動きだし、強化服へと着替えるために走り出すのだった。

 

 

 

その日の戦いもまた、酷いものであった。

かろうじて、本当にかろうじてBETAの侵攻を食い止めることが出来たものの、またしても人的、物的に大きな被害を出してしまった。

果たしてこれは勝利と呼べるのであろうか? いや、呼べはしない。

なぜなら、BETAの撃破数に対して、人類側の損害が大きすぎる。

人類を一つの体とするなら、そのささやかな勝利の度に代償として生皮を一枚づつ剥がされているようなものなのだ。

BETAの一番の脅威は、その戦闘力でも感情を持たない進軍にあるのでもなく、圧倒的なその数にある。

人類は、それをまざまざと見せ付けられていた。

このままでは勝てない。このままでは、人類は衰弱死してしまう。

何か革命的な反撃を行わなくては。鞍馬は考える。

 

現在、上層部において大量の核を使用したミンスク奪回作戦が検討されていると耳にした。

だがその作戦が実行された場合、例え成功したところでミンスク周辺は二度と人の住めない土地へと成り下がるであろう。

カナダのアサバスカに落着したBETAユニットを攻撃した作戦を思い返してみるといい。

西欧と東欧を結ぶこのミンスクの地に同じことが起こった場合、その被害はアサバスカの比ではない。

そしてその成功を受けてエキバストゥズに、ヴェリスクに、ウラリスクに、マシュハドに、そして喀什に核を落としていくこととなるであろう。

それはユーラシア大陸の消滅を意味した。

大地が残っていればそれで良いというわけではない。

そこに人が住めなければ、その土地は存在しないも同然なのだ。

一介の国連軍大尉に出来ることなど何もないかもしれないが、この作戦はなんとしても阻止しなければならない。

 

だが、ならば他にどのような手があるというのだ?

ワルシャワ条約機構軍と国連軍だけでなく、他方面の軍隊も巻き込んでハイヴに攻め入るとでも言うのか?

そんな馬鹿な、出来るわけがない……そう思おうとして、鞍馬は動きを止めた。

いや……それしかないのではないか? 全人類一丸となるしかないのではないか?

核を使わない以上、通常戦力のみを持ってことに当たることになるが、ならばつまらぬ諍いなど度外視し、協力し合わなければならないだろう。

そしてそれが実現するならば、中立の立場を持つ国連軍こそが、その中枢を担うことが出来るのではないか。

一つ、目の前の霧が晴れた気がした。

現状では、只の一兵士の妄想である。が、そんな夢を見てもいいではないか。

……とりあえず、佐官を目指すか。

大きな目標を定め、そのために一歩一歩成せることを成していこう。

 

「迷いは晴れた?」

 

いったいいつからそこにいたのか。

座り込む鞍馬の背中を包むように、セリスが抱きしめてくる。

 

「貴方は一人じゃない。私が傍にいる。

 私だけじゃないわ、隊のみんなも、日本の人たちも、みんな貴方を想っている。

 だから、一人で背負い込もうとしないで。

 私に、貴方の荷物を半分持たせてくれないかしら」

 

鞍馬はセリスを抱きしめることが出来なかった。

抱きしめてしまえば、向き合ってしまえば、顔を見てしまえば、きっと涙を堪えられないだろうから。

だから、こう、言葉にするのが精一杯だった。

 

「セリス、お前は俺が守る。だから……ずっと傍にいてくれ……」

「はい……よろこんで」

 

 

 

この一月後、鞍馬は二つの大きな衝撃に襲われることとなる。

一つは、来年初頭に実行されるというパレオロゴス作戦の発動。

鞍馬が夢物語だと思った多国籍軍によるミンスクハイヴ攻略作戦が発表されたのだ。

 

……そして二つ目は。

黒須セリス。

公私の共において鞍馬の半身たる彼女が、倒れたという報せであった。

 

 

 



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4話

 

「あれ、隊長どうしたんスか? そんなに慌てて」

「セ、リスがっ! 倒れ、たってっ! 報せ、がっ!」

「副長がっ!?」

 

「隊長どうしたのかな? なんかすごい勢いで走っていったけど」

「セリス中尉が入院したらしいよ」

「ちょっと! 大変じゃない! 私たちもいこう!」

 

「聞いたか? 姐さんが事故にあって病院に担ぎ込まれたってっ!」

「なにぃ! こうしちゃいられねぇ。いくぞっ!」

 

「どうしたのかね? 何やら随分と騒がしいようだが」

「あ、大隊長殿! セリス中尉が危篤とのことで!」

「……それはいかんな」

 

 

 

 

 

1977年、8月。

 

「セリスっ! 無事かっ!」

 

汗をたらし必死の形相で病室に飛び込んできた鞍馬を見て、セリスの顔が綻ぶ。

まったく、この人は。こんなに慌てて走ってきて。

戦場での勇姿しか知らない部下たちにこの姿を見られて、幻滅されても知らないわよ。

私のことを心配してくれるのは、それは嬉しいけど……。

とりあえず、まず落ち着いてもらわないと。

顔が笑みを作るのを押さえられないまま諌めの言葉を口にしようとして……。

セリスの顔が強張った。

そしてそのまま固まった。

鞍馬の背後、病室のドアの向こうから雪崩れ込んでくる人の群れを目にしてしまったのだ。

えっと……これはどういうこと?

混乱に陥ろうとする頭を戦闘用に切り替える。状況を、いや戦況を冷静に判断しなければ。

皆、私を心配してきてくれたのだろうか? 多分それは間違いない。

でもなんで、同じ隊の仲間だけでなく他の中隊の衛士や整備員までいるのだろう?

鞍馬にしか連絡は行っていないはずなのに、何でこんな大騒ぎになっているの?

全員が口々に無事を祝う言葉を発するせいで、決して広くはない病室内が喧しくてしかたない。

そんな一度に言われても、誰が何を言っているのかわからないってば。

あぁ、大隊長、そんなさり気無い風を装いながら病室の前を行ったり来たりするのはやめてください……。

 

「Attention!!」

 

セリスの発した号令に全員がいっせいに敬礼の姿勢をとる。

何故か鞍馬をはじめ上官である大尉までが敬礼している気がするが、見なかったことにしておこう。

あぁ、大隊長、だからなんで貴方までドアの外で敬礼しているのですか……。

 

「みなさん、落ち着いてください。私はなんともありませんから」

 

その言葉を鵜呑みにするものはいない。

なんともないなら、今こうして病室のベッドの上で寝ているわけがないのだから。

 

「食事の際にちょっと気分が悪くなって……トイレで戻してしまって……。

 念のためにとここまで運ばれてしまっただけですから」

 

頬を染めながらそう説明するセリスの姿に、居合わせたうちの女性陣がピンと来る。

「大尉オメデトー」だの「しっかりやんなさいよ」だの、鞍馬に色々と声をかけながら退出。

 

「こういうことはこの時期良くあるそうで……。

 検査の結果も良好で、何も問題はないそうです。だから、その……」

 

ついに顔を真っ赤にしながら言ったこの言葉で、残る男性陣も腑に落ちた。

皆、鞍馬の肩をバンバンと強く叩きながら退出していく。

そして、病室に残された鞍馬は、未だに状況が掴めずにいた。

セリスの口から大きく溜息が漏れる。

何故こんなことになってしまったのか。

鞍馬に一番に伝えたかったのに、どうして他の人たちが先に察してしまっているのだろう。

ええい、この朴念仁が。

こうなったら、少しくらい意地悪したって罰は当たらないわよね。

表情を冷静な副官のものに切り替えると、セリスはこう告げた。

 

「鞍馬大尉、申し訳ございません。

 来年発動するパレオロゴス作戦への参加を……いえ、それだけでなく戦術機を使った作戦行動全般を、当分の間、医師より禁じられてしまいました」

 

鞍馬の顔に絶望の影がよぎる。

一体どうしたというのだ。セリスの身に何が起きているのだ。

いや、戦術機に乗れないならそれでもいい。だが、その原因は?

重い病を患ってしまったとでもいうのか!?

まさか不治の病ではなかろうな。

衛士として、戦場において彼女を失う覚悟こそしていたが、こんな終わり方は認めない。断じて認めはしないぞ。

 

「予定では、来年4月に禁止措置がとかれることとなっておりますが、それ以降も戦線への復帰は難しいことになりそうです」

 

やはり病か……。

しかし、4月以降は戦術機に乗ろうと思えば乗れるということか?

つまり、その頃には病態は安定し、快方へと向かっているということになる。

にもかかわらず戦線復帰は望めない。

これはいったい如何なる矛盾か。

 

「……教えてくれ、セリス。

 君の体を蝕んでいる病魔は、いったいなんなんだ?」

 

まだ気づかないのかこの馬鹿は。

呆れを通り越して軽い怒りすら浮かんでくる。

はぁ、日本人てみんなこうなのかしら? それともこの人が鈍いだけ?

しかたない、か。この人を好きになったのは自分なのだから。

まったく、どこまでも真っ直ぐで、真面目で、頑固で、冗談が通じなくて。

それから……愛おしい人。

 

「病気じゃないのよ、鞍馬」

 

セリスは鞍馬の手を取ると、その手をゆっくりと自分の腹部へと導く。

 

「今、2ヶ月ですって、お父さん」

「えっ?」

 

一瞬、何を言われたのか理解できない鞍馬。

その呆けた顔が、だが、だんだんと泣き笑いへと変わっていく。

そして、腹部に当てた手をそのままに、もう一方の腕でセリスの体をきつく抱きしめた。

 

「セリス……愛している」

「はい、私も愛しています」

 

 

 

 

どこで出産に備えるかが問題だった。

今いるこの基地は後方にあり、医療設備も整っているとはいえ、いつ戦渦に巻き込まれてもおかしくはない。

今はまだ流産等の危険があるため好ましくないが、安定期となる5ヵ月目を目処にどこかさらに後方の安全な地域へ、願わくばまだBETAの侵攻の恐れのない後方国家へと移るというのが鞍馬の願いであり、セリスの希望だ。

セリスと離れるのは寂しい。身重の体の手助けが出来ないことを思うと身を切るような思いだ。

セリスもまた、鞍馬と離れたくなどない。自分のいない戦場で戦う鞍馬を思うと胸が張り裂けそうになる。

だが、生まれてくる子供のためだ。我が子を死の危険から遠ざけるためだ。

 

「君の故郷のアメリカはどうだろう?

 孫が生まれるとあっては、ご両親も喜ばれるんじゃないか?」

 

しかし、鞍馬の案はセリスの思わぬ意思によって却下される。

 

「私の故郷はアリゾナの田舎町でね、両親も町のみんなも古い考えの人達ばかり。

 衛士になるって言ったら勘当されたわ。女の癖に戦場に出るとは何事だってね。

 それに、父親が日本人だなんてわかったら、親子まとめて殺されかねないわよ」

「だったら……」

「ねえ、私、日本で産みたいな」

 

予想すらしていなかった意見だった。

鞍馬にアリゾナの田舎町の様子はわからないが、日本が決して余所者に住み良い場所だとは言えないことはわかる。

斯衛を捨てた鞍馬に、日本に寄る辺はない。

だが、セリスの意志は固かった。

 

「日本の人たちがアメリカ人を嫌っているのはわかる。

 でも、貴方のような素晴らしい人を生み育てた国だもの。

 この子にも、貴方のような、真っ直ぐな人に育って欲しいから……」

 

ちょっと鈍いのが玉に瑕だけどね。心の中で舌を出す。

 

「それに、貴方も思っているでしょ? 人類は、力を合わせなければならないって。

 この子は、日本とアメリカの血を引く子。

 いつか、二つの国の仲を取り持つ希望となって欲しいの。

 日本で暮らすことで、この子が悲しい思いをすることもあるかもしれない。

 でも、貴方の子だもの、きっと大丈夫。強く育ってくれるわ」

 

鞍馬は考える。

戦場での判断なら一瞬で下すことが出来る。そうでなければ命はないのだから。

しかし、この問題の答えを出すことはとても難しかった。

やはり日本が住み良いとは言えない。セリスは強い意志を持つ女性だが、寄る辺のない国で一人で住むこととなるのだ。出来るだけ良い環境で暮らして欲しい。

だが、寄る辺がないのは他の国でも同じことではないか?

ならば、勝手知ったる日本のほうが、鞍馬としてはまだ手助けしやすいのではなかろうか……

 

「……わかった、日本にしよう。

 安定期に入ったら、休暇をとるよ。

 ここを離れるわけにはいかないのは事実だけど、今まで休みなく戦ってきたんだし、妻の一大事なんだ、許してもらおう。

 一緒に、日本へ行こう」

「そんなに心配しないで。例えどんな場所だとしても、今のミンスクよりはずっと良い環境なんだから」

 

ちょっと不謹慎かしら。そう言って軽く舌を出すセリス。

鞍馬はそんな彼女を笑って抱きしめた。

 

 

 

 

 

病室を出た先には大隊長がいた。

 

「それで、セリス中尉の容態はどうなんだね?」

 

鞍馬は仲間を見つけた思いがした。

 

 

 



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5話

 

「日本はどうだ、少しは慣れたか? この時期の帝都は寒いだろう。京都は盆地だからな、寒暖差が激しいんだ」

「大丈夫。私の育ったところはアリゾナの砂漠よ。朝晩と昼の温度差なんてここの比じゃないんだから」

「そうか。セリスは逞しいな」

「ちょっと、それ、女性に対する褒め言葉じゃないわよ」

「はは、すまんすまん」

「ほんと、いつまでたっても朴念仁なんだから」

「誰か知り合いは出来たのか? 愚痴をこぼせる友人とか、頼りに出来る人とか」

「んー、病院で知り合った奥さんたちとは結構話すようになったよ。でもやっぱり、アメリカ人だとわかると微妙な顔をする人もいるかな」

「……すまん。俺が不甲斐ないばかりに」

「もう、そんな顔をしないで。大丈夫よ、私、逞しいんだから」

「もっと頻繁に会いに来てやりたいんだが……」

「それが無理だってことは良くわかっているわよ。伊達に副官やってたわけじゃないんだからね」

「やっぱり、セリスは逞しいな」

「もう、また言った」

「さっき自分でも言っていたじゃないか」

「自分で言うのはいいんですよーだ」

「ははっ。何か、俺に出来ることはないか?」

「それじゃぁ……一つだけ良いかな?」

「ああ、何でも言ってくれ」

「死なないで、ください」

「……セリス……」

「一月後の作戦で、ううん、その後の戦いでも、生きていてください」

「……ああ、もちろんだ」

 

 

 

 

 

1978年、1月。

帝都。

 

黒須鞍馬が斯衛を去り、2年の月日が流れた。

月詠瑞俊の胸に湧き上がる喪失感も、彼の台頭を心待ちにしていた人々の無念も、表立っては大分影を潜めていた。

瑞俊にとっては、3年前に生まれた初孫である真那、真耶の存在も大きい。

彼女等が生まれてからというもの、かつての触らば斬るといった雰囲気は何処へ消え去ったものか。孫に対する姿はどこの好々爺か。

いずれこの子等が成長し、次代の斯衛を背負って立つ姿を目に浮かべ、それまでは死ねんと嘯く日々である。

 

心をよぎる不安といえば、子供たちも、孫たちも、全て女子という事実か。

孫に関してはこれから先の期待も出来るとはいえ、こうも女子ばかりが続くと月詠家には男子が生まれないのではという妙な不安が心をよぎる。

かく言う瑞俊自身も身の上を省みれば、父は婿養子として月詠家に入っており、さらには血を分けた兄弟は女子ばかりという事実があるのだ。

家督を継ぐのは男子でなくてはならないなどという決まりは斯衛にはない。

とはいえ、男女に拘りなどないといえば、それは正直なところ嘘となろう。

そういったことを徒然と考えていると、つい鞍馬のことを思い出してしまう。

折に付け集めていた情報によると、鞍馬は妻を副官として中隊を率い、東欧の最前線で戦っているらしい。

中隊長といえば大尉である。斯衛でも同じ階級にあったとはいえ、その地位に着いたのは任官よりわずか数ヵ月後のことという。

そして、2年もの間最前線で戦い続け、生き残っているその実力はいかなるものか。

やはり彼の優秀さは国連でも際立っているのだろう。

しれず、溜息が漏れる。

鞍馬が斯衛にいてくれれば。未だに未練を感じている自分を認めざるを得ない。

鬼の瑞俊ともあろう男が、随分と弱気になったものだ。そろそろ娘婿に家督を譲る時期が来たのかもしれない。

そんなことをすら考える。

 

そんな平穏な日常を破ったのは、あの時と同じ一月、雪のちらつく日であった。

帝都にて、鞍馬を見かけた。そんな話が耳に飛び込んできたのだ。

見間違いでは? 人違いではないのか?

話を聞いてまずそう思ったが、伝えてきたのは他でもない鞍馬の元部下である。

外国人の女性と共に歩いていたということからも、本人に間違いないであろう。

しかし、奴は東欧の地にて戦っているはず。

一月後にはミンスクハイヴを攻める大規模作戦も予定されているという。

今帝都にいるというのは些かおかしいのではなかろうか。

これは一つ、確かめる必要があるかもしれない。

配下のものを呼び、事の真偽を明らかにするよう申し付ける。

不思議と自分の頬が緩むことを、瑞俊は自覚していたのかいないのか。

 

 

 

セリスが帝都に移り住んだのが昨年の11月。

そしていま、2ヶ月ぶりに鞍馬と会っている。喜びのあまりについ弾む足取りを、お腹に障るからと鞍馬にたしなめられること既に数回。

ああ、やっぱり私はこの人が好きなのだと、幸せを噛み締めている。

 

鞍馬が帝都にいるのは、パレオロゴス作戦の発動を来月に控え、大隊の全員に交代で一週間づつの休暇が許されたからだ。

今作戦はBETA大戦史上、最大の作戦である。疲れを取るという理由の他に、心残りをなくして置けという意味合いもあるのだろう。

だが、鞍馬に死ぬ気などは毛頭なかった。

当然だ。愛する妻と生まれてくる子に、寂しい思いなどさせるわけにはいかないのだから。

 

もっとも、今作戦において国連軍がその主役となることはない。

ワルシャワ条約機構軍(WTO)を主力に、北大西洋条約機構(NATO)軍が助攻兼陽動を任され、最終局面であるハイヴ突入に関してはソ連軍が担うことになっているのだ。

国連軍における作戦行動は、WTO・NATO両軍が東西からミンスクハイヴを挟撃している間、周辺ハイヴからの侵攻を排除することである。

言ってしまえば、鞍馬達がこれまで行なってきたことと大差ない。

とはいえ、それは決して容易いことなどではないのだが。

 

鞍馬にとって、これらの作戦内容に不満がないかといえば、それは否になる。

何故なら、ソ連をはじめとした各国のプライドや欲といったドロドロとしたものが、機密情報という分厚いカーテン越しにも透けて見えるからである。

しかし、これは人類が力を合わせる第一歩なのだ。最初はそういった打算からの行動でも構わないだろう。

今作戦を成功させれば、力を合わせることのメリットが浮き彫りになってくるはずなのだから。

失敗は許されない。次へと繋げなければならない。希望を見出さなくてはならない。

その為に今の自分が出来ることといえば、与えられた任務を確実にこなすことだけなのだ。

 

「私をほったらかして、何を考え込んでいるのかな?」

 

セリスが拗ねたように言ってくる。

そんな表情が、仕草が、たまらなく愛おしい。

 

「生まれてくる子供の、名前を考えていたんだよ」

 

その言葉に、顔をこれ以上ないくらいに綻ばせるセリス。

鞍馬は嘘が嫌いだ。だが、今だけは許して欲しい。

せめて今だけは、戦いのことを考えないでいて欲しいから。

 

 

 

ふと、睦まじく歩んでいた鞍馬の足が止まる。

視線の先、セリスの住まいである平屋家屋の前に、赤い衣を纏った初老の男が佇んでいたのだ。

鞍馬の視線を追ったセリスもまた、その存在に気付く。

しばし、無言のときが流れた。

 

「……奥方は身重なのであろう。この雪は体に障る、中に入られてはいかがかな。

 ついでに、儂にも暖を取らせてもらえるならありがたいのだが」

 

そう口火を切ったのは、赤を纏う斯衛の重鎮、月詠瑞俊その人であった。

降りしきる雪の中、傘もささずに立っていたのだろう、その頭に肩に、うっすらと雪が積もっていた。

鞍馬は一歩前へと進み出ると、深々と頭を下げる。

 

「ご無沙汰しております、月詠翁。

 何もないあばら家ではございますが、暖をとるくらいなら出来ましょう。

 どうぞお入りください」

「うむ。では失礼する」

 

あばら家と言ったが、決してそのようなことはない。

むろん、月詠家の豪邸と比べては霞むものではあったが、平均的な帝都の住民と比べても、整えられたと言って良い家であった。

これも、妻と子に十分な生活をさせたいという鞍馬の心の現われなのであろう。

その居間、上座にあたる床の間の前に瑞俊は案内されていた。

本来、家主の座る位置であろうが、瑞俊を下に扱うような真似が鞍馬に出来ようはずもない。

もてなそうとするセリスを、座っていなさいと制した鞍馬が淹れた茶を、瑞俊はすする。

 

「このように冷える日には、熱い茶に限るな」

「無作法で申し訳ございませぬ。無骨な武人なれば、茶の道にも疎く……」

「よい。それは儂も同じよ」

 

居間には、茶をすする音だけが響く。

2杯目を淹れたとき、瑞俊が口を開いた。

 

「お主が帝都に帰ってきていると耳にしてな」

「……いえ、この家の主は妻でございます。私は時折顔を見にこれるのみで」

「子が生まれるのはいつになる?」

「4月を予定しております。私はその頃、戦場におりますでしょう」

「では、奥方が一人で子を生むことになると?」

「……はい。むろん、病院にて医師の下に生むことにはなりますが」

「とはいえ、米国人の女子に分け隔てなく接してくれる医師も少なかろう」

「……おそらくは」

 

瑞俊は一つ溜息をつくと、咎めるように続ける。

 

「お主、鞍馬よ。子を生み育てる苦労を何もわかってはおらぬようだな」

「はっ、面目次第もございませぬ」

「昼夜を問わず乳をあげ、眠る暇もない。まして出産直後は母体も弱っておろう。

 幼子はさまざまな病にかかることも多い。

 いくら気丈な奥方とはいえ、誰一人頼るものなく成せるものではなかろうぞ」

「……二人で選んだ道でございます」

「とはいえ、苦労するのは奥方ばかりのようであるが?」

「……はっ」

 

再び、沈黙が場を支配する。

3杯目の茶が淹れられ、そして飲み干されたとき、瑞俊が徐に席を立った。

 

「馳走になった」

「はっ。外までお送りさせていただきます」

「構わぬ」

 

一人外へと向かおうとする瑞俊はふと立ち止まり、背中越しに告げた。

 

「……ときに鞍馬よ。実は、月詠家にて住み込みの女中を探しておってな。

 実際に仕事があるのは4月からなのだが、それまでは研修ということで住んでもらっても構わぬ。

 誰ぞ、良い人物に心当たりはおらぬか?」

「……月詠翁」

「儂の上の娘二人が3年前に子を生んでおってな。何かと子育てのあれこれを語りたがる。

 そういった話を聞き、己の糧と出来るような者であれば尚のこと良いのだが」

「しかし……私は斯衛を……」

「馬鹿者。誰が斯衛の話をしておるか。あくまで、我が家の個人的な使用人の話じゃ」

 

鞍馬は、己の両の目から溢れる涙をとめることが出来なかった。

セリスを見れば、彼女もその両の手で顔を覆い、指の間から多量の雫を零れさせている。

 

「……月詠翁、感謝いたします」

「何を言っている。単に女中を探しておっただけの話よ。感謝される謂れなどないわ」

 

瑞俊は振り返ることなく、外へと続く扉を開き、ふと思い出したように尋ねた。

 

「そういえば、子の性別を聞いておらなかったな。

 もうわかっておるのか?」

「はっ、男子であると」

「……そうか。邪魔をしたな」

 

そうして、瑞俊は去っていった。

閉じられた扉へ向かい、セリスの感極まった言葉が紡がれる。

 

「……鞍馬。やっぱり、日本ってとても素敵なところよ」

「……ああ、俺の誇る祖国だ」

 

 

 

 

 

この日の夜遅く、月詠家は鬼の瑞俊の居室より、

 

「……男子か……くふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」

 

という不気味な声が漏れ聞こえてきたと言う。

 

 

 



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6話

 

「月詠翁、恥を忍んでお願い申し上げます。どうか……」

「わかっておる、皆まで言うな。奥方のことはこの儂に任せておけ」

「……ありがとうございます」

「鞍馬よ……主、斯衛に未練はないのか?」

「欠片もないと言えば嘘になりましょうが、今は斯衛を辞してよかったと思っております。BETAの脅威を肌で感じることが出来ましたから」

「BETAか……」

「斯衛を去ろうとも、今もこの魂は斯衛。ただ、人の世の明日を護らなければ、日本も、殿下もお護りできぬことを悟りました。

 その為にこの剣を振るえること、わが身の誇りと思っております」

「さしずめ、人類の斯衛と言ったところかの。良い顔をしておるな、鞍馬」

「そのような大言は吐けませぬが……生まれてくる子に誇れる父であれるよう、努めましょう」

「子か。もう名は決めておるのか?」

「はっ。妻と二人で、こう名付けました。名を……」

 

 

 

 

 

1978年、2月。

東欧戦線、後方基地。

 

その日、鞍馬は基地内の戦術機ハンガーの裏手に広がる芝生のうえに寝そべり、右手に持った一枚の写真を見つめていた。

そこに写るのはもう随分と大きくなったお腹に手を添えるセリスと、その横に立つ鞍馬の姿。共にその表情は優しさに包まれている。

先日、帝都にて撮られたものだ。

頬を染めながら、私の代わりに傍においてと言うセリスの様子を思い出し、顔が笑みを形作るのを止められない。

肌身離さず持ち歩きたいが、衛士強化装備にはポケットなど付いていない。

ならば愛機の管制ユニットに貼ろうかとハンガーまでやってきたのだが、作戦前の最終チェックをしている整備兵に邪魔だと追い出されてしまったのだ。

 

「こんな寒い所でどうしたね? おや、それはセリス中尉の写真か」

 

機体チェック中に鞍馬の姿を見つけたのだろう、ハンガーから衛士強化装備姿の大隊長が歩いてくる。その声を耳にして上体を起こす鞍馬。

 

「会ってきたばかりだというのに、相変わらず仲睦まじいようだね」

「ここから日本まで、往復5日かかりますからね。一週間の休暇のほとんどは移動で費やしましたよ。わずかな時間しか一緒にいられなかった分、余計に寂しさも募ると言うものです」

「照れもせずよく言う。日本人は色恋沙汰に関してはもっと慎ましやかな民族だと聞いていたのだが」

「日本には、朱に交われば赤くなると言う言葉がありますから。ここの空気に染まったのでしょう」

 

鞍馬の言い分に、お手上げだとばかりに両手を挙げる大隊長。

 

「セリス中尉か。実際のところどうかね。今回の作戦、彼女抜きで不安はないか?」

「正直なところ、無いとは言えません。ですが他の隊員も精鋭揃いです。以前のように2機での吶喊は難しいとはいえ、彼らも良くやってくれていますよ」

「それを聞いて安心した。この戦い、負けるわけにはいかないからな。

 しかし、彼女ほど衛士として、副官として、そして君の様子を見る限り妻としても優れた女性は、私の軍人生を振り返ってもそうはいなかった。

 まったく、うらやましい限りだよ。一体どこで見つけてきたのかね」

 

冗談めかしてそう言う大隊長に、悪戯めいた笑みを浮かべて鞍馬が答える。

 

「実は彼女、私の教導官だったんですよ」

「……なんと、それはまた。上官を口説いたのかね」

「いえ、上官と言うわけではなく……日本がファントムを導入するに当たって、アメリカから教導の為に派遣されてきたのが彼女でした。

 私も適性検査やシミュレーターでは良い成績を残していたのですが、相手はテストパイロット、エース中のエースです。対戦した際、こてんぱんにされてしまいましたよ。それはもう、見事なまでに、ぐうの音も出ないほど」

「ははは、今の君からは想像付かないな」

「それで、私も意地がありましたから、その日の夜に……」

 

──これより当基地は第二防衛準備態勢に移行する。繰り返す、これより当基地は第二防衛準備態勢に移行する──

 

「パレオロゴス作戦発動、か」

「これからがいいところだというのに、無粋なサイレンです」

「この話の続きは、作戦後に聞くとしよう。酒でも酌み交わしながらね」

「そのときは、もう勘弁してくれと言うまで惚気ますよ。覚悟して置いてください」

「ああ、了解した。楽しみにしている」

 

 

 

1978年、4月。

ミンスクハイヴ。

 

パレオロゴス作戦。

東ローマ帝国最後の王朝の名を冠したこの作戦は、東欧戦線の安定化を図ることを目的に、今年2月に発動された。

西は未だ人間の生存圏である西欧より、東はウラル山脈以東に退避させた兵力を再配置し、道中のBETAを全て駆逐しつつミンスクハイヴの排除を目指す、空前の大挟撃作戦である。

 

また、今作戦はBETAに対し陽動を行なうことを作戦に折り込み、その成功率を高めたことを特徴としている。

意思も感情も持たず、ただ愚直に前進のみを繰り返すBETAに陽動作戦など果たして効果があるのか?

オルタネイティヴ3計画本部より提供されたデータによりその有効性を認識していた司令部とは違い、最前線にて実際にBETAと相対することとなる将兵達に、その疑問を抱く声が多かったのは仕方のないことだろう。

2機で吶喊することにより部隊の損耗を下げた鞍馬とセリスのように、半ば無意識のうちに陽動を実践しているものもいるにはいたが、大半の者にとっては戦力を分散する愚作に思えたのである。

いわば実戦証明主義の一つの形といえるであろう。根拠の見えないギャンブルに対し、実際に命をベットするのは彼らなのだ。

 

だが、その表情に不安な色を浮かべながら作戦を遂行した彼等は、少し前の自分達の顔色を明るいものへと塗り替えることになる。

北大西洋条約機構(NATO)軍が多数のBETAを惹き付けるなか、陸上戦力に優れるワルシャワ条約機構(WTO)軍が側面より火力を叩きつけることにより、過去に類を見ない戦果を上げることが出来たのである。

 

これにより大いに士気を高めた人類連合軍は2ヶ月にも亘る激戦の末、ついにミンスクハイヴをその包囲網に捉えた。

ただし、今までの戦いと比較して劇的に少ないとはいえ、長期に及ぶ戦闘は人類戦力にも大きな傷跡を残し、各国の軍主力はこの時点で30%近い損失を被っている。

その補填として、これまでヴェリスク、ウラリスクの両ハイヴより侵攻するBETAを排除する役割を担っていた国連軍を当て、パレオロゴス作戦は今その最終局面を迎えようとしていた。

 

 

 

「要塞級の触手を切断した!

 B中隊、レーザー属種を殲滅する! 奴らとの間に要塞級を挟み、盾としろ!

 A、C中隊は周囲のBETAを排除、B中隊に一匹たりと近づかせるな!

 吶喊するっ! 俺に続けええええええええええええ!」

 

鞍馬は、臨時の隊長として大隊を率い、後続の突入部隊を無傷でハイヴ内に送り届けんと、門周辺のBETAを駆逐している。

ソ連空挺軍による強襲降下等、既に幾つかの門より突入が試みられるも、現在においてハイブに進入した部隊全てからの連絡はもはや途絶えていた。

もう、後がない。これが最後のチャンスなのだ。

ソ連軍第43戦術機甲師団ヴォールク連隊、彼らをただの一機も失わせることなく、この地獄門をくぐらせることが己の役目。鞍馬の瞳に炎が灯る。

機体の各所にイエローランプが灯り、手にした長刀は刃毀れが激しい。

だが、まだだ。まだ倒れてはやらん。人類の勝利のため、貴様らなどに邪魔をさせはしない。

やっと、ここまでやってきたのだ。

心に、つい一時間ほど前に聞いた大隊長の声が思い浮かぶ。

 

「鞍馬大尉、すまんな、どうやら惚気は聞けそうにない」

 

突然地面より噴火の如く湧き出したBETAに包囲された部隊を脱出させるべく、その包囲網を切り裂いた大隊長は、鞍馬にそう告げてきた。

見れば、機体の主脚と跳躍ユニットに深刻な打撃を受けており、BETAの追撃を振り切るのは不可能に思えた。

 

「指揮は君が執れ。セリス中尉と仲良くな」

 

そして彼はBETAに向き直ると、部隊が包囲網を抜けるための貴重な数十秒を稼ぎきったのだ。

彼だけではない。他に8人の仲間の犠牲の上に、鞍馬たちは今この場所に立っているのである。

あと少し、あと一歩で彼らの挺身に応えることが出来る。

人類の未来の為に剣を振り、仲間の想いに応える為にBETAを斬る。

日本よりこの身の無事を願っていてくれるセリスを想い、もう間もなく産まれるであろう我が子を想い。

無限ともいえる戦力差に折れそうになる心を奮い立たせ、疲れ果て動きを止めようとする手足に活を入れる。

 

そして、ついにその時がやってきた。

 

「HQより各機、作戦区域内、門周辺におけるBETAの排除を確認。

 これより第5フェイズに移行します」

 

後方より、噴射跳躍の火炎を上げながら、108機のMiG-21 バラライカが飛来する。

ソ連と東欧国家、日本の間には過去の争いを原因とした憎しみという名のわだかまりがある。

だが、今この地にて、そのようなことを思い出すものはいなかった。

誰も彼も、彼らの活躍を願い、彼らの無事を祈り。

そう、そこには確かに、人類という名の一つの共同体があった。

人類はいがみ合いを忘れることが出来る。人類は助け合うことが出来る。

ならば、何処に敗北する要素などがあろうか?

この戦いをはじまりとして、地球をBETAどもから取り戻すのだ。

人類は負けない。

俺が、いるから。

俺達が、いるから。

 

「ヴォールク01より国連軍指揮官へ。貴官等の奮闘に感謝する」

「ヴォールクよ、花道は作った。人類の未来を頼むぞ!」

 

通信越しに敬礼を交わす鞍馬。

その交差しあう視線に、確かな信頼を感じた。

成せることは成した。大いなる達成感に包まれる。

後は……いや、まだ気を抜いている場合ではない。まだやるべきことがあるではないか。

 

「大隊各機に告ぐ、総員陣形を取れ! ヴォールクが帰還するまで、ここを守りぬくぞ!」

 

だが、その行為は無駄に終わる。

後にヴォールグデータと呼ばれることになるハイヴ内の貴重な情報を持ち帰った少数を除き、彼等が再び日の光を見ることはなかった。

突入より3時間半後、最後まで戦い続けたヴォールグ01の反応が途絶える。そして、パレオロゴス作戦の終結が告げられた。

NATO軍、WTO軍、そして国連軍。現状で人類の出し得る全てを出し尽くし、最終的にその50%を失ったこの戦いに。

人類は、敗北したのだ。

 

 

 

基地内は静まり返っていた。

帰還した鞍馬等を出迎える者はいなかった。

人がいないのではない。誰も彼も打ちのめされ、言葉を発することが出来ずにいるのだ。

全欧州軍と国連軍の半数を失い、それでも勝利を掴めなかったという事実に打ちひしがれているのだ。

鞍馬もまた、襲い来る絶望に立ち向かうことが出来ずにいた。

結局、自分の戦いは無駄だった。彼等を犬死させてしまった。激しい後悔が押し寄せる。

人類は勝てないのか。ただ、奴等に喰らい尽くされるのを待つしかないのか。抗いようのない恐怖に飲み込まれる。

戦術機を降り、夢遊病者のような足取りで熱いシャワーを浴び、ふと気がつくとハンガーの裏手に広がる芝生の上にいる自分に気付いた。

 

「……大隊長……申し訳ございません……」

 

2ヶ月前に交わした会話を思い出す。

彼と酒を酌み交わしたかった。彼に惚気話を聞かせたかった。

だが、もうそれは出来ないのだ。

彼の、散っていった仲間達の、地獄へと赴いたヴォールク達の想いに応えることは、もう出来ないのだ。

零れ落ちる涙をそのままに、鞍馬は顔を上げることが出来なかった。

 

 

 

ふと、赤子の泣き声を聞いたような気がした。

このような場所で赤子の声? そんな馬鹿な、聞き違いだろう……

……いやっ!

鞍馬はハッと、何かを思いついたように顔を上げ、東の空を見上げる。

 

「……そうだ……そうだよな……」

 

下を向いていて良い訳がない。このままにして良い訳がない。

彼等の死を犬死ににしないことが出来るのは、自分達だけなのだ。

彼等の死に報いる為には、生きている自分達が諦めてはならないのだ。

まだ、戦える。まだ、やり直せる。

なぜなら、まだ、生きているのだから。

そして、生まれ出ずる者達の未来を護ることが出来るのもまた、生きている者だけなのだ。

いま、生きている自分達こそが、それをやらなくてはならないのだ。

見ていてくれ、ヴォールクよ。大隊長よ。この戦いに散った全ての英霊達よ。

そしてセリスよ、我が子よ。

俺はもう挫けない。俺はもう諦めない。

夕日に染まる空の下、遥かミンスクの地に向け、敬礼をする鞍馬。

その姿は、周囲が闇の帳に包まれるまで微動だにすることはなかった。

 

 

 



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7話

 

「かーーーいーーーー。ねー、このこ、まなのおとーと?」

「もー、まなちゃん、ちがうよでしょー。このこは、まやのおとーとだよー」

「これこれ、二人とも。違うじゃろ、この子はじーじーの孫じゃ」

 

「姉上、あの人は誰でしょうか?」

「さあ? 見たことあるような気がしなくもないけど」

「鬼は死んだ」

 

 

 

 

 

1978年、4月。

帝都、月詠邸。

 

鞍馬が遥か東欧にて東の空を見上げたそのとき、ここ帝都にて黒須鞍馬とその妻セリスの第一子が誕生した。

五体満足、健康そのものの男子と告げられたとき、三人の娘からの冷たい視線にも気付かずに月詠瑞俊はその場で小躍りしたという。

 

消耗した体を休める為、布団に横になるセリスとその横に寝かせられる赤子。

セリスの顔に浮かぶ、母となった喜びと誇り、子に対する限りない愛情。

生まれてきてくれてありがとう、そんな言葉が自然と口をつく。

 

「お疲れ様、セリスさん。立派だったわよ。

 名前はもう決めてあるのかしら?」

 

月詠の長女、雪江がそう問う。

出産にあたり、経験のある瑞俊の娘二人が何かと気をつかってくれ、不安に包まれるセリスの心の助けとなってくれた。

その彼女に子の名を問われ、鞍馬と二人で決めましたと、嬉しそうに告げるセリス。

 

「Christopher Sawyer Cross」

「……はい?」

 

次女の月乃が思わず間の抜けた声を漏らす。

この二人は赤を纏う斯衛の者であるが、三年前にそれぞれ真耶、真那と名付けられた女子を生み、今は育児の為に予備役に就いている。

他に三女の花純がいるが、彼女は未だにある一人の男性を想っており、嫁ぐ予定も婿を取る予定もないという。

まったく未練がましいんだからとは、二人の姉の共通の思いだ。

当然それ故に現役の斯衛であり、今も軍務のためにこの場にはいない。

 

「クリストファー・ソーヤー・クロス、です。

 ソーヤーは私の旧姓から。クロスは黒須を英語に当てました。

 愛称はクリス、クリス・クロス。綴りは違いますが、crisscrossには“十字に交わる”という意味があります。

 日本とアメリカを結ぶ架け橋となってほしいと言う意味を込めてつけました」

 

くりすとふぁー?

発音の練習しなくてはいけないかしら?

まさか英語で答えられるとは、想定外のことに一瞬思考が惑う二人。

が、そこは数年の人生経験が勝る雪江が、いち早く我に帰り声を発す。

 

「それじゃあ、クリス君って呼べばいいのかしら?」

「いえ、やはり日本で暮らすのですから、英名だけでは不便だろうということで和名もありますよ」

 

悪戯が成功した顔で、にこっと笑うセリスに、やられたと笑う二人。

セリスがこの屋敷に来て三ヶ月、最初こそやはりアメリカ人であるということにわだかまりがあった二人であったが、一緒に暮らしてしまえば何のことはない、国籍が何であろうと同じ人間なのだと知ることになった。

同じ幼い子を持つ母という立場もあって急速にその仲を深め、今では旧知の親友の如くである。

 

「ミドルネームを漢字に当て、蒼也と。黒須蒼也です。

 なので蒼也と呼んでやってください。

 いつか人類が蒼い空を取り戻す日が来るよう、そんな願いを込めました」

「蒼也……良い名前ね」

 

今度はきちんとした反応を返すことが出来た。

蒼い空を取り戻す。

そこに込められた願いの程は、後方国家である日本に住む私達が真に理解することは出来ないのかもしれない。雪江と月乃はそう思う。

しかし、最前線にて戦い続けた鞍馬とセリスの二人が、万感の想いを込めた名なのだということは良くわかった。

故に、思う。良い名だと。

 

因みに、瑞俊は先に鞍馬より子の名を聞いているが、その際に今の二人と同じような反応を返している。

それ故、娘達が名を告げられた際の顔を見たくて、今の今までそれを秘密としていた。

娘達の呆けた顔に思わず噴出す瑞俊に向けられる目は限りなく白い。

が、そんなことで臆する瑞俊ではない。

 

「蒼也君、ほれ、儂がじーじーだよー」

 

相好を崩しまくりもはや原形を留めていないのではなかろうかという顔で甘い声を出し、またも娘より冷たい視線を向けられる。

三年前に孫が生まれてより険が取れ、好々爺と化していた瑞俊ではあるが、人前でここまで己を乱すことは今までなかった。

それが今この有様となっているのは、二ヶ月前の節分がきっかけとなる。

 

『じーじー、じーじー』

「おお、どうした二人とも?」

 

枡に豆を一杯に詰め込み、真耶と真那が走り寄ってくる。

二人の顔は何か楽しいことを見つけたときの、わくわくとした輝きに包まれている。

意図してはいないのだろうが、見事に合わさった声が笑いを誘う。

 

『ねーねー、じーじー、おにー?』

「鬼? 確かに、かつてはそう呼ばれたこともあったがの……」

 

その言葉を聞いて、二人の顔に浮かぶ輝きが否応に増していく。

そして二人は瑞俊のその顔めがけ、手にした豆を撒きつつこう言ったのだ。

 

『おにはー、そとー』

 

どうやら、誰ぞより「鬼の瑞俊」の名を聞き及んだらしい。

節分の意味も由来も理解しておらず、ただ鬼に向かって豆を撒くと言う行為に喜色満面であった。

強面のままに豆を受けていた瑞俊の、その面が崩れる、崩れ去る。

そしてやおら地面に倒れ付すと、のた打ち回りながら言ったのである。

 

「うおー、やーらーれーたー。

 真耶も真那も強いのー、さすが斯衛の子じゃのう」

 

キャッキャ、キャッキャと豆を撒く孫に、打たれながら満面の笑みの爺。

そして……

娘を探しに来た雪江に月乃、その後に続く花純にセリス、四対の瞳が信じられないものを見たと固まっていた。

月詠には一匹の鬼が棲むと謳われた──それが、鬼の最後であった。

 

 

 

1978年、6月。

帝都、月詠邸。

 

蒼也が生まれて二ヶ月。

セリスは任官して以来始めてともいえる平穏な時を過ごしている。

ただの居候でいるるのも心苦しく、名目上はこの屋敷の女中でもある為に色々と家の手伝いをしようとするのだが、そうすると「四番目のお嬢様」にそのようなことはさせられないと本来の使用人達が困った顔をしてしまう。

なかなか、ままならないものである。

瑞俊からも、今はその力を赤子の為に注げと休むよう言われており、蒼也の世話と身の回りの掃除の他は、真耶と真那の遊び相手がセリスの主な仕事となっていた。

雪江と月乃の二人もそろそろ斯衛への復帰を考えており、セリスが娘の面倒を見てくれるのならば非常にありがたい。

ちなみに、この二人には残念ながら衛士適正がなかった為、CPとして軍務についている。

セリスとしても子供達の面倒を見るのに何も異存はない。

真耶も真那もセリスに良く懐いてくれて可愛らしく、蒼也の良いお姉さんになってくれそうだ。

 

「はーい、そーやちゃん、だっこですよー」

「真耶ちゃんだめえええええええええええ」

 

とはいえ、二人ともまだまだやんちゃな時期。

少し気を抜くと思いもかけないことを色々としでかしてくれる。

今も、ちょっとお茶を淹れている隙に、真耶が蒼也を抱きかかえ連れ出そうとしていた。

思わず上げてしまった大声にビクッと固まる真耶。

それを「ごめんね、まだ首が据わってないから、もう少ししたら抱っこしてあげてね」と優しく言い聞かせるセリス。

 

「くび……すわる……?」

 

ところが、真耶はセリスの話など聞いていない。言葉の中のそこだけに注目し、眉間に皺を寄せうんうんと悩み始める。

首が据わるって、いったいなんのこと?

真耶が座るはもちろんわかる。足が座るといわれたらなんとなくわかる。でも首が据わるって?

ついには蒼也の首から足が生え、自分へと向かって歩いてくるという怖い考えに行き着いてしまい涙目に。

声を上げて泣き出しそうになる真耶を、ああ泣かしてしまったと一生懸命宥めているその隙に。

 

「そーやちゃーん、ごはんですよー」

 

真那が、草の花と葉で作ったサラダを蒼也に食べさせようとしているのであった。

 

 

 

昼食を終え、子供達はお昼寝の時間。

中央に蒼也を、左右に真耶と真那の川の字で、三人揃って仲良く寝ている。

本当に、みんな寝顔は天使よね。私も一緒に休ませてもらおうかな?

それとも、雪江さんと月乃さんを呼んでお茶でも淹れようかしら?

どうしたものかと迷っていると、部屋の入り口より「お邪魔するわよ」との声が。

三女の花純である。

斯衛の衛士である彼女は、帝都城の居室にて過ごすことが多くあまりこの家には帰ってこない。

ところが、蒼也が生まれてからというもの何かと口実をつけては帰ってきて、ついでだったからと産着やらおもちゃやらを買ってくるようになった。

 

「別にあんたの為じゃないんだから、ついでがあっただけなんだからねー」

 

と、言葉もまだ伝わらない蒼也に話しかけ、ニコニコと微笑みながらその頬をつんつんと突付く。

爺馬鹿と伯母馬鹿、どっちの方が馬鹿かしらねーと、上の二人に笑われているのだが、セリスに対してはなにやら含むところもある様子。

今も、部屋の中をぐるりと見渡すと、机の上を指でつつっとなぞる。その指を見て落胆すると、次は箪笥の上で同じ事を。さらに障子の桟で繰り返すと、今度はぱあっと顔が輝き、その指をずいっとセリスに突きつける。

 

「ちょっと、セリスさん。貴方一体どういう掃除をしてらっしゃるのかし『どこの小姑だ!』はうっ!」

 

そして、部屋の入り口よりその様子を見ていた上の二人に頭を叩かれるのだった。

 

花純がセリスにこういった態度をとるのは、やはり私がアメリカ人だからであろうかと、残念だけど徐々に仲良くなれるよう頑張ろうと、セリスはそう思っていたのだが、最近どうやら違う理由かららしいと気がついた。

ある意味、国籍のわだかまりよりも取り扱いが難しい問題ではあるが、子供まで生まれ、しかもその子が可愛いらしくて仕方ないとあっては流石の花純も諦めた様子。

あとは時間が解決してくれるだろう。

ちなみに、上の二人はまた少し違う見解だ。あれはセリスと絡む為の口実のようなもので、本当は仲良くなりたいんでしょと、全てお見通しの生暖かい目で見守っていたりする。

 

 

 

セリスは幸せだった。

愛する我が子の蒼也がおり、頼りになる友人である三姉妹がおり、見守ってくれている月詠翁がおり。

日本に来たときは、まさかこんなに穏やかで心休まる毎日が送れることになろうとは夢にも思っていなかった。

ただ、一つのことをのぞいては。

 

鞍馬がいない。

そう、愛するあの人は、今も戦場で命を懸けているのだ。

2月に発動したパレオロゴス作戦の結末もわからない。その規模の巨大さにもかかわらず、あの作戦は秘匿作戦とされていたのだ。

それ故、予備役中尉に過ぎないセリスにその詳細を知る術はない。

もっとも、おそらく失敗したのだろうと予想はつく。

ミンスクハイヴを陥としたのであれば、その戦果を誇るべく全人類へと向けて発表されているであろうから。

では、あの人は、鞍馬は無事なのだろうか?

子供達と向き合っているときは考える余裕もないが、ふと一息ついた瞬間に涙が零れることがある。

そんなとき、雪江がそっと涙をぬぐってくれ、月乃が肩を抱いてくれ、花純がそっぽを向きながら手を握ってくれる。

 

鞍馬を愛することで、自分は弱くなってしまったのかもしれない。

昔の私は、人前で涙など見せなかった。ただ一人でも強くあれた。

けれど、それは仮初の強さにしか過ぎなかったのだろう。

代わりに手にしたこの繋がりは、一人の強さよりずっと堅固なものに違いないのだから。

今はただ護られるだけの存在でしかないが、いつかわたしがこの人達を護ろう。

それを誓い、セリスは笑顔を作るのだった。

 

 

 

数日後、月詠翁が伝手より入手したという報せを、セリスは聞かされることになる。

 

一つは良い報せ。

それは鞍馬が健在であるというもの。

戦いに散った大隊長に代わり、少佐となって隊を率いているとのことだ。

 

一つは悪い報せ。

まるでパレオロゴス作戦の報復であるかのように、BETAの大侵攻が開始されたという。

 

「鞍馬……お願い、無事でいて……」

 

そう星に願うセリスは、胸に湧き上がる悪い予感を振り払うことが出来なかった。

 

 

 



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8話

 

「俺さ、子供が生まれたんだ……」

「隊長いけないっ!」

「……なんだよ、突然でかい声出して。子供の話がそんなにいけないか?」

「いや、すみません。なんだかすごく嫌な予感と言うか、妙な気配がしたような気がして……」

「なんだそれは? まあいい、この戦いが終わったら俺、休暇を取って子供の顔を見に行くんだ……」

「少佐マズイッっ!」

「……いったいなんなんだよ、お前まで」

「すみません、俺もなんていうかこう、首筋の辺りにゾワゾワと嫌な感じがして……」

「……お前等な、子供の話を聞かされるのがそんなに嫌か?

 不愉快だっ! 今日はもう自室で休ませて貰う!」

『それもダメだーーー!!』

 

 

 

 

 

1978年、9月。

東欧戦線。

 

朝の優しい日差しが差し込む部屋の中、椅子に深く腰掛けた鞍馬は、妻と二人で撮った写真を見ている。

普段は軍服のポケットに、戦いに赴くときは戦術機の管制ユニットに、肌身離さず持ち歩いているその写真はすっかりボロボロとなり、そこに写る鞍馬の顔は擦り切れて判別がつかなくなっていた。

パスケースか何かに入れておけばよかったな。そう思ったが、既に後の祭りだ。

日本に戻ることが出来たら、今度は蒼也を抱いて新しく撮ろう。月詠翁や三姉妹、真耶と真那にも一緒に写ってもらおうか。

皆、鞍馬にとっては実の家族のようなものなのだから。

それに、セリス……。

 

もう半年以上、彼女の顔を見ていない。

会いたいな。

心の中でそっと呟く。

会ったらどんな話をしよう。

蒼也を無事に産んでくれてありがとう、かな。

心配かけてごめん、かな。

それともやっぱり、愛してるよ、か。

写真の中の彼女はその表情を変えないが、鞍馬の心には笑ったり怒ったり……泣いたり。色々な顔をしたセリスの顔が浮かぶ。

泣かせたくは、ないな。

しっかり者ではあるが、ああ見えてセリスは結構良く泣く。人前ではそう見せないが、鞍馬と二人でいると素を出してしまう。

出来れば、彼女の泣き顔はもう見たくない。そんな顔はさせたくない。

でも……。

 

時計の針が予定の時刻を指す。そろそろ行かなくてはならない。

鞍馬は立ち上がり、写真を胸ポケットにしまおうとして……

一つ首を振ると、写真を机の上へと置いた。

 

「行ってくるよ」

 

写真の中には微笑むセリス。その向こうに、悲しい顔でこちらを見つめる彼女の姿を見た気がした。

想いを断ち切るように、部屋を出る。

閉じる扉に舞い上がった風が、写真を床へと導いた。

 

 

 

また一つ、人の生きる場所が奪われた。

今年六月、まるでパレオロゴス作戦の報復であるかのように、BETAの大侵攻が始まる。

喀什より吐き出された軍勢は当初、数を減らしたミンスクハイヴへの補充かと思われた。

だが、その群れはマシュハドよりのものと合流して北上、更にはウラリスク、エキバストゥズから湧き出た群れもそれに加わり、夥しい数が津波となってソビエト及び東欧へと押し寄せたのである。

まるで、今まで遊んでいたBETAが本気を出したかのように。あるいは、初めて人類を排除すべき対象と認識したかのように。

ワルシャワ条約機構軍、北大西洋条約機構軍、そして国連軍。先の戦いで疲弊しきっていた人類勢力に、それを食い止めることは不可能であった。

三ヶ月に及ぶ砂漠に水を撒くかの様な戦闘も徒労に終わり、ついにソ連は東西に分断される。

人類は、ユーラシア大陸北西部を失った。

東欧戦線は全面的に瓦解し、取り残されたものたちは、生きるものもそうでないものも分け隔てなく飲み込まれていった。

 

せめて救える限りの民間人と非戦闘員だけでも無事に逃がそうと、北欧スカンジナビア半島へ向けて撤退する一団を護る為、これより絶望的な遅延戦闘が行なわれようとしていた。

迫り来る、旅団規模3000体のBETA群に対するは、2個中隊24機を残すのみとなった大隊一つ。

支援車両は無く、十分な補給も無く、先行した部隊が安全圏に至るまでの時間を稼がなくてはならない。

その部隊の隊長は、黒須鞍馬少佐である。

 

作戦を拝命した際、これまで戦時階級である臨時少佐として指揮を執っていた鞍馬は、正式な少佐へと任じられた。

これには二つの意味がある。

一つ目は、外部から新しい隊長が来ることはない、つまり補充や応援の兵は存在しないということ。

二つ目は……手向けという奴だろう。

司令部は、決して悪意からこのような命令を下したわけではない。

単純に、兵力に余裕がないのだ。むしろこの時点で2個中隊を揃えている鞍馬の隊こそが異常であると言うべき程であったのだから。

それが良く分かっているからこそ、鞍馬はそれは見事な敬礼を持って答えるのだった。

 

 

 

ハンガーにて、衛士強化装備を纏い、愛機の前に立つ鞍馬。

補修品が間に合わず、ところどころ塗装すらされていない地金むき出しの装甲。

その鋼の足にそっと触れる。

 

「お前とも、もう随分一緒に戦っているな」

 

初陣よりずっと行動を共にしてきたこのファントムも、そろそろ最後の時を迎えようとしていた。

見栄えの悪い装甲だけでなく、もう何処も彼処も耐久限界一歩手前、スクラップ同然の状態なのだ。

結果がどうなろうと、鞍馬がこの機体を駆るのはこれが最後となろう。

任務を達成できたとしても、これ以上の戦闘は無理だろう。戦っている最中に分解しかねない。

達成できなかったら……言わずもがなだ。

 

「どうしたんスか、何だかしんみりしちゃって」

「……いや、この機体ともそろそろお別れだと、な」

 

陽気な口調で、部下の一人が声をかけてくる。

部隊の中で、鞍馬が最も信頼するうちの一人だ。陽気で豪快な性格とは裏腹に、広い視野を持って繊細な機動をする。

セリスに似たタイプである為、現在の鞍馬の2機連携の相棒を務めている。

 

「日本人ってのは、やけに物を大切にしますよね」

「九十九神といってな、長い時を経た物には意思が宿るそうだ。それが大切に扱われたものなら人に益を、そうでないなら災いをもたらすという」

「そりゃあいい、こいつがBETAと戦ってくれるっていうなら、俺も毎日磨き上げることにしますよ」

 

そう言ってHAHAHAと笑う部下。

これから死地に赴くというのに、普段と変わることのない様子が頼もしい。

 

「お前が俺のことを落武者と呼んでからもう2年か。お前とも長い付き合いになったな」

「うお、ひでぇ。まだそのネタ引っ張りますか、少佐」

「お前から少佐と呼ばれると、なんだか背中がムズムズとする。今まで通り隊長と呼んでくれ」

「了解、隊長。何だか酷いことを言われた気もしますが、気がつかなかったことにしておきます」

 

にやりと笑う二人。

そして、ごつんと拳をぶつけ合い、それぞれの機体へと歩みを進めようとしたとき、部下は鞍馬が何も手にしていないことに気付いた。

 

「あれ、隊長、写真はどうしたんスか?」

「……ああ、この戦いには連れて行きたくなくてな」

「あー、なんだかわかりますよ、それ。俺も含めた古株の奴等は、副長がここにいなくてよかったって思ってますからね」

「今の副長はお前だろうが。ところで、それはどういう意味だ?」

 

鞍馬の瞳に剣呑な色がちらつく。

長い付き合いだ、この男が今から言うことに予想がついた。

こいつも、察されていることを分かりつつ言うのだろうが。

 

「いやー、なんていうかー、人妻に横恋慕っていうかー。みんな、副長のことが好きなんスすよ。

 ああ、一応、隊長のこともね」

 

そう言ってウインク一つ。

ある意味予定調和のその言葉に、呆れた口調で鞍馬は返す。

 

「人の女房に懸想するとは良い度胸だ。この戦いが終わったら修正してやるから覚悟しておけ」

「あー、余計なこと言っちまったー。わかりましたんで、隊長もちゃんと戻って来て下さいよ」

「ああ、了解した」

 

そして起動する24機の戦術機。

やれることはやり、後は祈ることしか出来ないと「Good luck」と呟く整備兵たち。

あるいは彼等こそが、機体を駆る衛士たちよりも尚、その無事を願っていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

「全機、砲撃を維持したまま微速後退! 下がりすぎるなよ、BETAの目を釘付けにしろ!

 レーザー属種はいない、場合によっては上空への退避も視野に入れておけ!」

 

BETAの一番槍は突撃級。

正面からの攻撃はその強固な外皮に無効化される。迫り来る巨体を左右に、あるいは噴射跳躍で上に躱し、がら空きになった臀部へと36mmをばら撒く。

人的被害なく殲滅できたのは僥倖だった。

突撃級を残してしまった場合、この後の戦術に大きな負担がかかることになる。

 

続いて襲い来るは要撃級と戦車級。

十分に引き付けた後、24機による一斉射撃。攻撃しながら少しづつ弧を描くように後退し、敵の進軍方向を捻じ曲げる。

注意すべきは最後尾に控える要塞級。部隊が敵の側面に移動することにより、奴等に挟撃される恐れがある。後退速度を調整し、長く伸びていた敵の戦線を一つの集団に変えていく。

 

ここまでは順調だ。

BETAに戦術は存在しない、ただ闇雲に前進するのみ。故に、その行動を手玉に取ることは比較的容易い。

距離を保ったまま砲撃を繰り返していれば、こちらの被害は最小限に抑えることが出来る。

それなのに、一見こんなに組するのが楽な相手にもかかわらず、人類は何故勝てないのか?

理由の一つはレーザー種の存在だろう。強力で回避が非常に難しい飛び道具を持つ奴等は、人類側の行動を大きく制限する。

そして、もう一つの、もっとも大きな理由といえば。

 

「隊長、36mmの残弾300! もう持ちません!」

「分かった! A中隊は抜刀せよ! 俺の小隊が吶喊し、敵の目を惹き付ける、その隙に背後から斬りつけてやれ! B中隊は援護せよ!」

 

これだ。

つまりは、その数にある。

3000体のBETA、それは小型種も含めると10000体を超える。単純に、弾数が足りないのだ。

やむなく近接戦を行なうことになるが、これはBETAの距離でもある。

自然、損害は大きいものとなる。

そして、一機が倒れたならば、その分他の機体に負担がかかり、後は加速度的に被害が連鎖していくのだ。

攻撃せず、距離を保って誘導し続けることは出来ない。

こちらが無力だと悟ったBETAは元の進軍ルートへと戻っていくことになる。

例え陽動であろうとも、血が流れることは避けられない運命だった。

 

近接戦においては、隊の中で鞍馬が随一の腕を誇る。

衛士養成学校で付け焼刃のように長剣の扱いを学んだ者達とは違う、幼少の頃よりの、その身に染み付いた長年の鍛錬が戦術機を動かす際にも生きてくるのだ。

そして、BETAとの戦いの日々が、鞍馬に新たな力を与えていた。

戦術機とは生身の延長でありながら、それ以上の動きを行なうことも可能である。

即ち、跳躍ユニットの存在である。

思い描くは、鞍馬山の天狗か。あるいは、九郎判官の八艘飛びか。

初陣での失態より磨き続けてきた、剣と対を成す鞍馬のもう一つの武器である。

生身では不可能な、己の身長を超える高さへの跳躍。レーザー属種がいないことが条件ではあるが、基本的に射程の短いBETA相手に対しこれは非常に有効な戦術であった。

空より要撃級の顔のような感覚器を切り落とし、更に飛び上がったかと思えば要塞級の頭を切断し、着地と共に戦車級を踏み潰す。

鞍馬の舞に見惚れるBETAを、他の隊員が薙ぎ払う。

 

間もなく、目標としていた時間が経過する。

だが、このままなら、2個中隊のみで旅団規模のBETAを殲滅できるかもしれない。

そんなことを誰かが思った。

このままなら、隊の誰も命を落とすことなく最上級の形で任務を果たすことが出来るかもしれない。

そんなことを誰かが考えた。

そして、そうした心の隙を死神の手は決して逃さない。

 

崩壊は呆気なく訪れた。

死角より飛来した要塞級の触手、それに貫かれる機体、断末魔の悲鳴、思わず動きを止める僚機、その管制ユニットを貫く要撃級の腕、僚機の抜けた穴から忍び寄る戦車級、集られ恐怖する叫び、途切れる連携、瓦解する戦線、挫ける意思、そして。

 

(レーザー警報!!)

 

宙より救援に向かわんとする鞍馬に衝撃が走る。

馬鹿な、この場にレーザー属種はいないはず!

その思い込みもまた、心の隙。有体に言えば、調子に乗っていたのだ。

照射源を探ると、そこには要塞級の腹より這い出した2体のレーザー級があった。

照射する光の出力が上がり、鞍馬の視界が白く染まっていく。

 

(……セリス!……蒼也!……)

 

己の命よりも大切に思う女性の、まだ見ぬ己の半身の、その姿が脳裏によぎる。

……そして、鞍馬は光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

「まだだっ!!」

 

俺は、蒼也の顔すらまだ見てはいないんだ!

レーザーに貫かれんとするその刹那、鞍馬は宙で剣を大きく振り、その反動で強引に機体の向きを変える。

管制ユニットへの直撃こそわずかに逸れるも、左腕は根元から吹き飛ばされ、ユニットにも亀裂が走り鞍馬の顔が外気に晒される。

更に2本目のレーザーが跳躍ユニットに突き刺さり、爆発を防ぐ為に自動的にそれを切り離した機体は推力を失った。

落下する機体の先にはレーザー級。

残った右手に長刀を逆手に握り、雄たけびと共に突き立てる。

更に横薙ぎにもう一体を切り裂いたとき、限界を超えた機動に戦術機の足がもげた。

ついに動きを止めるファントム。ステータスチェックを行なうも、示される結果は赤い灯火のみ。

周囲には闖入者を喰らいつくさんと迫り来る異形の群れ。

 

「……大隊各機に告ぐ。もう十分時間は稼いだ、各自最大戦速にて離脱せよ。

 副長、生きているな? 後は任せたぞ」

 

覚悟を決め、後のことを託さんとした鞍馬機の横に2体のファントムが降り立つ。

そして左右から鞍馬機を挟みこむと、それを抱えたまま宙に飛び上がった。

 

「なーに、かっこつけてんスか。ほら、レーザー級も隊長が倒したし、後は逃げるだけなんだから、とっとと行きますよ。両側から挟んで飛べば十分帰れますって」

「……本当に、お前は俺を貶すのが好きだな。さっきの台詞の後にこの状態だと、俺はただの間抜けじゃないか」

「それくらい我慢してください。隊長を置いていくと副長が悲しむでしょ。惚れた女を悲しませるような真似は出来ませんって」

「……わかった、お前、やっぱり帰ったら修正な」

「あー、また余計なこと言っちまったー。しっかし、また随分とやられましたねー。電子系もほとんど全滅か。バイタルチェックも出来ませんよ」

「お前な、上官のバイタルを無断で確認しようとするなよ」

「緊急事態ですから。堅い事言いっこなしってもんですよ。あ、どうやら外部モニタも死にましたね」

「……まったく、お前はきっと長生きするよ」

「おー、初めて隊長にまともに褒められたー」

「褒めてないっ!」

 

まったく、本当に頼りになる奴だ。

それにしても……流石に疲れた……。

少し……休ませてもらうか……

鞍馬は、その瞳をそっと、閉じた……。

 

 

 

先行する部隊に合流できたのは、鞍馬機を含めても8機を数えるのみであった。

戦果に比して少ない損害とはいえ、更に16人の仲間を失ったのだ。

おそらく大隊は解散されることになるだろう。

心が悲しみに包まれるが、だがその顔は上を向く。涙が、零れないように。

仲間達の戦果を誇らなくてはならない。生き様を語らなくてはならない。

それが衛士の流儀なのだから。

いつか俺達がそちらに行くそのときまで、待っていておくれ。そのときには酒でも酌み交わそう。

それが、BETAと戦うということなの、だから。

 

 

 

隊長機を優しく下ろし、お疲れ様でしたと声をかける副長。

しかし鞍馬よりの返事は無い。

意識を失ったか? 嫌な予感がする。バイタルのチェックが出来ないのは困り物だ。

レーザーを受けた際の衝撃で、ユニットの緊急射出は不可能になっている。早く解体して中を確認しないと。

機体の脇に衛生兵を待機させ、工兵が作業に入ろうとしたその時、管制ユニットに生じた亀裂より赤い液体が滴り落ちているのを彼は目の当たりにしてしまった。

予感が確信に変わる。

装甲の切断など待っていられない。戦術機のナイフを亀裂にそらせ、人が通れる隙間を無理矢理作り出す。

その向こうに、見てしまった。無残な、敬愛する隊長の姿を。

その左腕は半ばから千切れかけ、流れ出した血は全身を赤く染めるに止まらず、床を伝って外にまでも流れ出している。

鞍馬の、その姿はピクリとも動かない。

土気色に染まった顔には、やけに穏やかな表情が浮かんでいた。

 

「……隊……長……? 隊長っ!!

 たいちょおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

衛生兵が鞍馬に緊急の処置をほどこす中。

副長の叫びが周囲一帯に木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

「あれで死んでりゃ、感動的だったんスけどねー」

 

ベッドに横たわる鞍馬の横で、合成林檎を剥く副長。

巧みな包丁捌きが兎を作り出す。何でそんなに器用なんだ、こいつは。

何故か理不尽な不満を感じる。

 

「ほら、日本人はこれを作ると喜ぶって聞きましたよ。

 隊長、嬉いっスか?」

「……野郎に剥いてもらった兎なんぞ美味くも無いわ」

「あ、ひでぇ」

 

せっかくいい嫁さんになれるかと思ったのにな、などと訳の分からないことを言いながら、兎を、しかし鞍馬に渡すことは無く自分で食べ始める副長。

鞍馬の目に軽い怒りの火が灯るが、美味くも無いなどといった手前何も言えない。

 

「左腕、擬似生体が移植されました。

 処置は上手くいったそうですが、また戦術機に乗れるかどうかは五分五分だそうです。

 リハビリ頑張ってくださいね。このままじゃ修正も無理ッスからね」

 

更に追撃の如く言葉を浴びせかける。

これがこの男なりの心配の仕方なのだろう、きっとそうに違いない、俺の心の平穏の為にもそういうことにしておこう。

 

「大隊は、やはり解散になります。

 残った隊員も各部隊に割り振られ……隊長とも、これでおさらばスね」

 

今ここに副長がいるのは、見舞いの他に鞍馬が入院中に決まったあれこれを報告する為だ。

飄々と軽口を叩く中、最後の言葉のときだけ少し表情が翳った気がした。

 

「いろいろと、世話になったな」

「いえいえ。今回の貸しは15ポイントってところですが、隊長からはこの2年間で600ポイントくらい借りがありますから。

 まだまだ返しきれていないんで気にしないでください」

 

そう思ったのも束の間、またこんなことををのたまう。

まったく、いつまで経っても掴みきれない奴だ。

 

「あ、リハビリには時間がかかりそうなんで、北欧の軍病院じゃなくても、望むなら何処か好きなところでやっていいそうスけど……

 希望ありますか?」

 

この野郎。

もちろん、あるに決まっているじゃないか。

随分と不本意な帰国になるけれど。心配させてしまうだろうけど。

……もしかして、泣かれてしまうかもしれないけれど。

 

「ああ、日本で頼む」

 

会いに行くよ、セリス、蒼也。

鞍馬の顔を見ていた副長が、得たりと満足気に頷いた。

 

 

 



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9話

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

「あ、手鏡」

「これで3回目だね」

「はいはい、可愛い可愛い」

 

「なんかウロウロしだしたよ」

「色々考えてるみたいねー」

「まったく、少しは落ち着きなさいよね」

 

「あ、今度は姿見かな」

「プロポーションチェックかな? あの腰の位置はホントずるいと思う」

「あたしだって、日本人にしては……」

 

『おかーさんたちー、いっしょにあそぼーよー』

「ばーぶー、だー」

 

 

 

 

 

1978年、10月。

帝都、月詠邸。

 

その朝、雪江は配達員より受け取った郵便物の束を仕分けしていた。

月詠家には、毎日それなりの数の郵便物が届く。

やはり瑞俊宛のものが一番多く、分家からの様々な報告や相談事、古い知人やかつての部下達よりの季節の挨拶や近況の報せ、あるいは何かと面倒見のいい彼への礼状など、内容は様々だ。

次に、雪江と月乃宛の手紙が数通。

斯衛からの書類の他に、育児に関する相談会と称してしばしば開催される、幼い子供を持つ武家の母親達の集いへの誘い等。

セリスもこの集いへと誘ってみようかと考えているのだが、やはり難しいだろうか?

兄弟同然ともいえる鞍馬が選んだ女性である為、自分達は比較的すんなりと受け入れられたが、それでも最初はアメリカ人である彼女と気をおかずに接するのに抵抗があった程なのだ。

少し想像してみる。……場の空気が強張る様が見えた気がした。

友人達は皆気のいい者達とはいえ、やはりやめておこうか……。

 

セリスはここのところ元気が無い。

会話をしているときなどは一見普段と変わりなく見えるが、ふと悲しそうな顔をして考え込むことが多くなっている。

乳児を育てるというのは相当の体力を使うことであり、その疲れが溜まっているということもあるだろう。だが、それが一番の理由でないことは家族の全員が分かっている。

日本にも、東欧戦線が崩壊したという報せは伝わっているのだ。

そして、鞍馬からの無事を知らせる手紙は未だ届いていない。

……いや、出したくとも、郵便物がまともに流通する環境には無いのであろうか。

こちらから国連軍に確認したくとも、最前線で戦う衛士は機密に関わることも多く、そう簡単に消息が知れるということは無い。

現状、向こうから連絡が来るのをじっと待つしかないのである。例えそれが、如何なる内容のものであろうとも。

どうか、無事の報せが届きますように。雪江は祈る。

 

「あら? これは……」

 

気が沈みながら郵便物の分別を続けていた手が止まる。

それは宛名に「黒須セリス様」と書かれた一通の手紙。

彼女に来る手紙は、国連軍からの事務的なものの他には一種類しかない。

手が震えそうになるのを抑え、差出人を確認した雪江の、その目が大きく見開かれる。

そして他の手紙をそのままに、セリスへと向けて駆け出すのだった。

 

 

 

1978年11月。

帝都、月詠邸。

 

セリスは浮き足立っていた。

朝から何度も鏡を見ては髪を直し、玄関を覗きに行く。

やらねばならぬあれこれを、一つ片付ける度に今度は門の前まで行ってみる。

ふと慌てたように自室へと戻り、姿見の前で自身の体を確認し、ほっと息をついてまた戻る。

とうとう、昼を食べ終え蒼也のお昼寝が始まった後には、玄関にて正座しての座り込みが始まった。

瑞俊や雪江に月乃、何故か今日は自宅に戻ってきている花純も皆、苦笑しながらも、やりたいようにやらせておけといった風情でそれを見守っている。

 

やがて、そろそろ空が茜色に染まろうかという頃に、ついに待ち人来る。

敷地の入り口から、門を護る守衛に挨拶する、ひどく懐かしい声が聞こえた。

胸が高鳴るのを、瞳に涙が溜まるのを、抑え切れない。

やがて玄関の引き戸が開けられた。

入ってすぐにセリスが出迎えているのに驚いたようだ。その面に喜びと、戸惑いと、様々な色を浮かべながら、彼は帰宅の言葉を口にした。

 

「……ただいま」

「……おかえり……なさい……」

 

二人のその動きが止まり、場を静けさが包み込む。

言いたいことが、伝えたいことが、こんなにも沢山あるのに。なぜだろう?

言葉が続かない。声が出ない。気持ちを表現できない。

ただ見詰め合うだけの二人。

やがて、彼が口を開いた。

 

「ありがとう」

 

ううん、わたしこそありがとう。

セリスは想いを言葉に出来ないまま、首を振る。

 

「ごめんな」

 

貴方は最善を尽くしてるって分かってる。貴方は何も悪くない。

首の振りが大きくなる。

 

「愛してる」

 

私も愛してる!

そして、その広い胸へと飛び込んだ。

生きていてくれた。無事に帰ってきてくれた。会いたかった。

待ち望んだその胸の中で、幼子のように泣きじゃくるセリス。

その頭を優しくなでながら、その温かみを感じながら、ああ、やっぱりセリスは良く泣くと考えた。

 

鞍馬とセリス、およそ一年ぶりの再会であった。

 

 

 

 

 

炊きたての銀シャリ。

葱と豆腐の味噌汁。

焼き鮭、焼き海苔、冷奴。

金平牛蒡、ほうれん草のお浸し、烏賊と里芋の煮物。

刺身の盛り合わせ、鯖の味噌煮、鯨の竜田揚、浅利の酒蒸……

夕食の席には、海の幸を中心とした和の料理が所狭しと並んでいた。

普段は各々がそれぞれ膳にて食事をするのだが、今日は全て大皿での無礼講である。

料理内容も、肩肘張らない家庭料理ばかり。全て、無事に帰還した鞍馬にのんびり寛いでもらいたいが為。

国連軍には日本人がほとんどおらず、食事も和食が提供されるようなことはない。合成のパンと肉ばかりの生活だ。前線ではそれすらままならずレーションだけの日も少なくない。

それほど食事に執着があるほうではないとはいえ、並ぶ皿の数々を見て思わず喉と腹が鳴る鞍馬。

 

「鞍馬の無事を祝い、乾杯じゃ。さあ、食べてくれ」

 

瑞俊の声と共に宴が始まる。

料理を口に運び、やはり俺は日本人なのだと感動に咽ぶ。醤油の香りがたまらない。

蒼也はセリスの膝に座らされ、一生懸命自分で匙を口に運ぼうとしている。順調に育ってくれている、その姿がたまらなく愛おしい。

匙から口から零れたものを優しく拭き取るセリス。すっかり母の顔になっているんだな。

雪江が料理を取り分けてくれる。姉さん、いつもすみません。

月乃が酒を注いでくる。ずいぶんと気のつくようになったもんだ。

花純は隣で杯をあおる。お前はどうやら相変わらずか。

真耶に真那。赤ん坊の頃しか知らなかったが、すっかり大きくなったな。

そして、月詠翁。目じりを細めて皆を見守るその顔にかつての険はなく、随分と丸くなられたようだ。

ああ、日本に帰ってきたんだな。あの戦場から、帰ってこれたんだな。

生きて皆にまた会うことが出来た。こんなに嬉しいことは無い。

鞍馬の心に沸き上がるのは喜びと。

そして、この安らぎを護る為に再び戦場に立たんとする強い意志。

皆、BETAどもは必ず駆逐する。人類は、負けない。

その決意を秘めた横顔を見つめるセリスの瞳に、わずかな悲しみの色が見て取れたのは気のせいだろうか。

 

 

 

やがて夜も更け子供達のまぶたが重くなり、寝かしつけられた頃。

 

「東欧が、陥ちたそうじゃな」

 

瑞俊の言葉を皮切りに、残った者達の話す内容に変化があった。

機密に触れない範囲ではあるが、己の見てきた地獄について語る鞍馬。話す言葉数こそ少ないが、押し殺された悲哀が現状の深刻さを感じさせた。

そう、鞍馬は治療のために一時帰国しているに過ぎないのである。その体が治ったそのとき、再び戦いへと赴くのだろう。

また、BETAが東へと向けて侵攻を始めたとき、日本における影響も少なくないだろうとも語る。

例えば、ここに並ぶ料理にしてもだ。

現在は、一般家庭においても食べられているその多くは天然物だ。だが東アジア、東南アジアが戦火に晒されたとき、食糧の多くを輸入に頼る日本の食卓は大きく様変わりすることになるだろう。

そしてその先には、日本本土へのBETAの上陸が待っている。

鞍馬は語る。今のままでは、その未来を防ぐことは難しい、と。

その時点で出せるだけの力を集結させたパレオロゴス作戦、それをもってしてもハイヴ一つ陥すことはできなかったのだ。

 

「月詠翁、お願いがあります。日本は優れた軍事力を誇ってはおりますが、それではまだ足りませぬ。

 どうか来る日に備えての更なる軍備の強化を、殿下に、城内省に働きかけては下さいませぬか」

 

鞍馬のこの言葉を受けた瑞俊の動きにより、1978年末、帝国軍城内省は麾下の斯衛軍に配備する専用戦術機の開発を光菱、河崎、富嶽の三社に命じることになる。

これがやがて82式戦術歩行戦闘機 瑞鶴の配備へとつながるのだが、これはまた別の話である。

 

 

 

 

 

宴が終わり、鞍馬は日本の夜を感じたいと、縁側に座り月を見ている。

その横に寄り添うのはセリス。膝の上に眠る蒼也を乗せ、鞍馬の肩に自らの頭を預け目を瞑る。

言葉は無い。

ただただ静かな満ち足りた時間。感じる温もりに心が溶けていく。

話したいこと、聞きたいことは山程ある。

でも、もうすこし、もう少しだけこのままで。

ふと、鞍馬に見つめられているのに気付いた。

微笑み、見つめ返すセリス。

二人の顔がゆっくりと近づき、静かな口付けがかわされる。

セリスの頬を流れる一筋の雫。それを優しく指先で拭う鞍馬。

 

「また泣いた。セリスは逞しいんじゃなかったのか?」

「……意地悪」

 

鞍馬の悪戯めいた言葉に口を尖らせる。

再び、互いの唇がそっと触れ合った。

 

その時、蒼也が俺も仲間に入れろとばかりにぐずった。

セリスの膝の上から、自分の胸へと抱きかかえる鞍馬。目を覚ました小さな瞳が、不思議そうにじっと見つめてくる。

泣かれてしまうかな? そう思ったが、蒼也は表情を一転させると、笑い声を上げながらその可愛らしい手を鞍馬へと伸ばしてきた。

 

「父と認めてくれるのか? 生まれて半年も経って、やっと会いに来れた駄目な父親ですまんな」

 

鞍馬が蒼也の頬を撫でれば、その指をぎゅっと掴んでくる小さな手。

思いのほか強い力に驚く。ああ、生きているんだな。

 

「蒼也、君には2回も助けられた。ありがとう」

 

鞍馬の言葉に、何のことと不思議そうに尋ねるセリス。

嘘みたいな話に聞こえるかもしれないけれどと、前置きをして言葉を継ぐ。

 

「一度目はパレオロゴス作戦の後。

 絶望に打ちひしがれていたとき、蒼也の声が聞こえた気がした。それで立ち直れたんだ。

 二度目は東欧からの撤退戦の際。

 レーザー級に気付かず打ち落とされそうになったとき、蒼也と……セリス、君の顔が心に浮かんできて、諦めずに最後まで戦うことが出来た。

 不思議だよな。俺はあの時、蒼也の顔も知らなかったのに。確かに、浮かんできたのはこの顔だったような気がするよ」

 

蒼也の顔を見ることが出来たのは、セリスに再び会うことが出来たのは、この子のおかげだ。

鞍馬のその言葉を、気のせいだ、思い込みだと言ってしまうことは容易い。

でも、セリスはその言葉を信じることにした。遥か地球の裏側まで届いた親子の愛、それを信じたくなった。

 

「これからも、君に父親らしいことはあまりしてやれないかもしれない。

 けど、君が日本で幸せに暮らせるよう、俺は全力を尽くす。君に救われたこの命を、その為に使わせてくれ」

 

だーうーと、鞍馬の言葉に声を返す蒼也。

その頬に自らの頬を当て、そっと抱きしめる鞍馬。

やっと会えた二人の姿を見て、セリスの心に沸き上がる感情は……

 

気のせいだろうか。

湧き上がる暖かいものの中、小さな、小さな棘が胸を疼かせるのは。

頬を伝わる涙が、嬉しさからのものだけでは無い様に思うのは。

自らの心の、その本当の内側を、セリスは言葉にすることが出来なかった。

 

 

 



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10話

 

「…………」

「…………」

 

「…………」

「…………」

 

「……セリス」

「……はい」

 

「……月が、綺麗だな」

「……はい」

 

 

 

 

 

1979年1月。

帝都、神社。

 

この日、世界は新しい年を迎えた。

人々は、旧年を無事に過ごせた感謝と、新年が良い年であるようにとの願いを込め、歌い踊り、あるいは杯を合わせ、喜びを分かち合う。

世界中の至る所で、大晦日から夜を徹しての大騒ぎが行なわれているが、人々のその楽しげな表情の中に陰りが見え隠れするのは決して気のせいではないだろう。

特に、欧州に住まう者達にとって、この祝うべき新しい年に待ち構えているであろう災禍に考えが及んでしまうのは、いたし方の無いことであるのだから。

東欧が陥ちた以上、次に戦いの舞台となるのは、まさに彼等の生きる土地なのだ。

人々は先の見えない未来、いやどうしても想像してしまう最悪の未来に、思い煩わずにはいられなかった。

 

ここ帝都においてはどうだろうか。

世界の情勢を知ってはいるはずなのに、道行く人々の顔に思い悩む色はあまり見て取れない。

知識として人類が劣勢であることは知っていても、BETAの姿形や戦いの悲惨な現状等は機密として報道規制がかかっていて、一般人にとっては現実感が薄いのである。

また日本とBETAとの間には未だ健在な国家が多数あることもあり、どこか対岸の火事といった他人事感があるのだろう。

日本が戦渦に巻き込まれる前に、BETAなんてきっと誰かが倒してくれるさ。

大多数の人間はそのように考えているのだ。

それが、鞍馬には歯痒い。

何故、そこまで暢気なのだ? 何故、それほどに鈍感なのだ?

地上に存在する地獄、欧州の現状を知れば、そんな顔などしていられないだろうに!

危機感を感じさせないようにしているのは政府の方針でもあり、彼等に罪は無いことをわかりつつも、心中穏やかではいられない。

 

初詣に来た人で賑わう神社の境内で一人、唇を噛む鞍馬。

その握り締められた拳が、暖かいもので優しく包まれた。セリスの手だ。

セリスは鞍馬の瞳を見つめると、焦っちゃ駄目と、ゆっくりと首を振る。

……そうだな。ありがとう、セリス。

彼女の気遣いに微笑で礼を返し、しかし鞍馬は自問する。

俺は何故こんなに急いているのだろう?

この緩やかな流れのような場所にいると、酷く心が落ち着かない。

帝都で過ごしたこの2ヶ月。その穏やかな日常、平和な日々。何故か、それが偽者のような、作り物のように思えて……

ここは俺のいる場所ではない……? 馬鹿な、そんなことあるものか!

愛する妻と子と3人、共に歩む為。その未来の為に俺は戦っているはずだ。

……きっと、リハビリで無理をした疲れが残っているんだ。そうでなければ、この幸せに違和感など感じる訳が無いのだから。三ヶ日はゆっくり休むことにしようか……

気持ちを切り替え、参道を再び歩き出す。

どこからかCode991の警報が聞こえてきたような気がしたが、それを頭を振って無理矢理追い出した。

 

 

 

 

 

1979年、1月。

帝都、月詠邸。

 

鞍馬対真耶、真那連合軍の戦いは熾烈を極めていた。

三者共にその顔は黒く塗りたくられ、もはや本来の肌の色が見える箇所はほとんどない。

これが最後の勝負と、真耶が打った羽を、燃える眼差しで打ち返さんとする鞍馬。

もらった! と、大人気なくも渾身の力をこめて振るった羽子板は……虚しく空を切った。

 

「鞍馬おじちゃんの負けー♪」

「おじちゃん、よわーい♪」

「墨塗るよー、顔出してー♪」

「もう塗るとこないよー。いいや、全部かけちゃえー♪」

 

歌うように囃し立てる真耶と真那。

手にした小瓶を、しゃがんだ鞍馬の頭の上で逆さにし、黒い雨を降らせる。

大笑いする二人を「こらっ! やりすぎっ!」と月乃が叱るが、その声もまた笑いを抑えきれずに震えているので説得力が無いことこの上ない。

二人と月乃の追いかけっこが始まったので、一息入れようと縁側に座る鞍馬。いや、風呂へ向かった方が正解か……

 

「遊んでもらっちゃってありがとうね、鞍馬さん。でも、そんなになるまで手加減しなくてもよかったのに」

 

雪江が口元を隠しながら労いの言葉をかけてくる。

いや、笑ってくれても良いですよと、やや憮然とした顔の鞍馬。

 

「それに、別に手加減はしてないですよ。結構本気でした」

 

なにをそんな、馬鹿なことを……

鞍馬の言葉を冗談だと思った雪江は、今度こそ笑い飛ばそうとして……その手に持つ羽子板を見てそれを飲み込んだ。思わずごめんなさいと謝罪の言葉を口にしてしまう。

鞍馬は、羽子板を左手で持っていたのだ。

 

擬似生体が移植されたその左手は、見た目にはなんら問題は無く、怪我をした事実を知らなければ生身と区別は付かない。

腕力、握力といった筋力面も、十分に培養された擬似筋肉を使用しているので自身の本来の腕とほぼ差は無い。

日常生活を送る分には、今のままでも十分な状態まで回復を見せていた。

 

ただし、鞍馬が求めているもの、戦術機を以前と同じように操ることは、今の状態では不可能と言わざるを得なかった。

動きの正確さや、とっさの際の反応速度が圧倒的に足りないのだ。

利き腕ではないとはいえ、3歳の子供──真耶はもうすぐ4歳だが──との羽根突き勝負で、ごらんの有様なのだ。

この状態で戦術機に乗りBETAと戦うというのは、自殺と同義であろう。

BETAとの戦いが始まって以来、擬似生体は急速に発達した。だが、まだまだこれからの技術でもあるのだ。移植をしたところで日常生活を送れるのがやっとという者も多い中、鞍馬の腕の状態はまだ恵まれた方である。

軽はずみなことを言ってしまったと暗い顔をする雪江に、しかし鞍馬はいう。

 

「気にしないでください。それに、ようやくこの腕の使い方が分かってきたところなんです。生身の腕とは違って、少し先読みして動かすように意識するというか。

 ……上手く言えないですけど、手応えを感じてるんです」

 

そう言って左手を握って顔の前まで上げ、にこやかに微笑む。

過去、数多の武家の子女を魅了してきた笑みではあるが、墨に汚れたこの状態では、しかし笑いを誘うものでしかなかった。

溜まらず噴出した雪江に、そこまで笑わなくてもと顔が苦く歪んだ。

 

 

 

風呂へと向かうその途中、左手を再び握り締め、頷く鞍馬。

もうすぐだ。焦ってはいけないが、もうすぐまた奴等を……狩れる。

その心に浮かぶ暗い情念。その危険さに気付くものは、鞍馬自身を含め、今はまだ誰もいなかった。

 

 

 

 

 

1979年、2月。

帝都、月詠邸。

 

真耶、真那と一緒に遊ぶのは、思いの他リハビリの助けとなる。

この数ヶ月で鞍馬はそれを学んだ。

正月の羽根突きもそうだし、今セリスも一緒にやっているこの折り紙もそうだ。

丁寧に角を合せて折り、一枚の紙から立体的な物を作り出していく。この指先を細かく使う作業は今の腕には難しいが、それだけに回復へと繋がっていく。

他には綾取りや鞠突きなど、二人と遊ぶのは鞍馬の日課となっていた。

子供の頃は折り紙などほとんどやったことはなかったが、今この年になって急速に上手になっていく。人生、本当に先は分からないものだ。

 

余談だが、このときに覚えた折り紙や綾取りが、鞍馬が戦場へと復帰してから後、部下と打ち解ける為の材料として大いに役に立った。

鶴を折って歓声が上がるとは思わなかったとは、その際の自分と周りとの温度差に驚いた鞍馬の弁である。

 

鞍馬の手が器用に鶴を作り出していく。

その順調に回復していく左腕を見て、セリスは自分の心に沸きあがった暗い感情と必死で戦っていた。

 

(……それ以上、治らなければいいのに……)

 

……私はなんて事を思っているんだ。

鞍馬があんなにも一生懸命、治そうとしているのに。それなのに……

でも!

……もう一度鞍馬が戦場に立ったら、二度とここには帰ってこない気がする……

 

鞍馬は、戦いを欲している。

人類の未来の為ではなく、家族を護る為でもなく、ただBETAと戦うことを望んでいる。

帰国してから共に暮らした4ヶ月で、本人すら気がついていないであろうその情念に、セリスは気付いてしまったのだ。

復讐心からなのか、戦場に慣れすぎてそれが日常となってしまったからなのか、そこまでは分からない。

でも、このまま送り出してしまったら、きっと近いうちに鞍馬は……今度こそ死ぬ。

それは確信だった。

出来得ることなら、腕が完全に治ったとしても戦場には立たないで欲しい。

後方勤務や、教官としてでも人類の勝利に貢献することは出来るはずだ。

しかし、それは言えない。それは今までの鞍馬の戦いを、彼の決意を否定することに繋がってしまう。そんなことは出来ない。

なにより、鞍馬は決して首を縦に振らないだろう。

でも、このままでは……

 

突撃級に轢き潰される、要撃級に叩き砕かれる、戦車級に食い破られる、要塞級の衝角に貫かれる、光線級のレーザーに焼かれる、鞍馬の姿が心に浮かぶ。

そんなこと、許すわけにはいかない。

誰かが共にいて鞍馬を死から引き離さなくてはならない。

……私が! 私が自由に動けるなら、その背中を護れるのに!

 

思い悩むセリス。その手に触れるものがあった。

葛藤する母の心に気付いたのか、蒼也がハイハイをしてセリス元までやってきて、その手を掴んだのだ。

小さな手から流れ込んでくる暖かいもの。

……ごめんね、貴方が悪いんじゃないのよ。貴方のことが邪魔だなんて思ったわけじゃないのよ。

蒼也を膝の上に乗せ、その頭を優しく撫でる。

セリスの心は揺れ動いていた。

母と、妻との間で。

 

 

 

その夜、瑞俊の部屋を訪ねるセリスの姿があった。

二人の話し合いは、夜が更け空が白むまで続いた。

 

 

 

 

 

1979年、5月。

帝都、国連軍事務所。

 

日本には国連軍は駐屯していない。

だが、志願兵を受け付けたり、鞍馬等のように何らかの理由で国内で過ごしている国連軍兵の窓口となるため、帝都にその事務所が存在している。

この日、その事務所内にて、一枚の書類を提出している鞍馬とそれに付き従うセリスの姿があった。

 

「黒須鞍馬少佐。軍への復帰願いですね、確かに承りました」

 

書類を受け取った係員が鞍馬に敬意の篭った視線を向ける。

 

「私は文官ではありますが、国連の侍の名は聞き及んでおります。

 貴方が軍に復帰されるとなれば、BETAとの戦いも良いほうへと傾くこと間違いないでしょう」

「私にそんな力はありませんよ。ですが、その手助けとなれるよう、この身の全力を尽くしましょう」

「期待しています。配属先が決定しましたら、改めてご連絡差し上げます。それまではご自宅にて待機願います」

 

御武運をと告げる係員に、ありがとうと敬礼を返す。

鞍馬の左腕は、ついに以前の状態まで回復するに至った。

正確には、本来の動きをこなせるよう、かつてよりもより早く状況を判断し、腕を動かす指示を飛ばせるようになったのである。鞍馬の執念の賜物といえるだろう。

この異能とも呼べる先読みが可能になった結果、左腕だけでなく体全体の反応速度が引き上げられることになった。

戦術機を操る上で、BETAと戦う上で、これは新たなる大きな武器となるであろう。

今から、奴等にそれを試すのが楽しみだ。

鞍馬の瞳に暗い光が灯る。

それを見て、セリスは一つの決断を下した。

 

 

 

 

 

その夜、鞍馬はいつかのように、縁側に座り月を見ていた。

この平穏な生活にも、間もなく別れを告げるときが来る。

蒼也が寝付いたのだろう、セリスが傍に来て座った。

 

「……すまない」

 

鞍馬には分かっていた。

セリスが、心のうちでは自分が戦場へと舞い戻るのを望んでいないことを。

それでも尚、引止めの言葉を決して口にはしない彼女に、鞍馬は心よりの感謝と……謝罪を口にする。

何に対してのものなのか、皆まで言わなくてもセリスには伝わる。それも分かっていた。

鞍馬もまた、セリスの気持ちが分かるのだから。

 

「貴方が頑固なのは今に始まったことじゃないですから。そうと決めたら絶対に曲げないんだから」

 

ほら、やっぱりちゃんと伝わってる。

そのすまなそうな表情と裏腹に、心に静かに喜びが溢れる。

彼女との確かな繋がりを感じる鞍馬だが、次の言葉を予想することは出来なかった。

 

「ひとつ、私にも我侭を通させてはもらえませんか」

 

セリスの、真面目なことを話す時は敬語になる癖。

彼女の方へと体を向き変え、耳を傾ける。

 

「私も、軍に復帰します」

 

鞍馬の目が見開かれる。

何を言っているんだ。蒼也はどうするんだ、まだ一歳になったばかりだというのに。

 

「蒼也のことは、雪江さんにお願いしました。

 月乃さんも斯衛に復帰されるそうで、3人の母となると言ってくれました」

 

床に指を突き、深々と頭を下げるセリス。

 

「母親失格と思われましょうが、今、貴方を一人で戦いへと赴かせるわけには参りません。

 貴方の傍で戦わせてください。

 貴方の背中を護らせてください。

 そして……貴方が戦場に倒れるその時は……私も一緒に逝かせてください」

 

深深と更ける静かな夜。

月の照らす光の音すら聞こえそうな。

その光に照らされるセリス。

その瞳に宿る決意。

月光に照らされるその面は、ただただ美しく。そして悲しかった。

 

俺は、何をしていたのだろう。

何が、セリスの気持ちは伝わっている、だ。

帝都へと戻っての、この半年。自分のことばかりを考えて、セリスの抱えた気持ちを少しも分かろうとしていなかったのか。

彼女に、ここまでの決意をさせるほどの。ここまでの顔をさせるほどの、そんな痛みを。

 

鞍馬は恥じる。

セリスも、出来得るならば軍への復帰など望まないに違いない。

蒼也と共に穏やかな日々を過ごせるものならそうしたいのだろう。

それをさせないのは、俺なのか。

だが……。

 

鞍馬は戸惑う。

だが、何がここまでセリスを追い詰めたのだ。

俺が戦場に立つのを望まないのは分かっている。だが、それだけではないだろう。

ならば……。

 

鞍馬を見つめるセリスの瞳。

真っ直ぐに、決してぶれることはなく。

言葉は無く。ただその瞳が雄弁にその理由を物語っていた。

 

……そうか。

一緒に逝かせてくれという、そのセリスの言葉を。その決意を受けて。

鞍馬は、ようやく己の心の内に気付く。

月の光が、その闇を照らし出す。

戦いを待ち望んでいた、その過ちに気付く。

 

「……結局俺は、初陣の時から何一つ成長していなかったんだな……」

 

感情のままに、獣のようにただBETAだけを見据え殺戮していたあの戦い。

生き残らせてくれたのはセリスだった。

あの時も、それからも。

……そして、きっと、これからも。

 

蒼也、すまない。

やはり、俺は父親失格だ。

君から、母親まで奪おうというのだから。

 

「……セリス。俺が戦いに倒れる時、君も共に逝くというのなら。

 そうならないよう、俺の背中を護ってくれないか……

 共に、戦おう。……共に、生きよう」

「はい……よろこんで」

 

重なり合う二人の姿を。

ただ、月だけが見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

1979年、5月。

 

この日、人類とBETAとの戦いにある一つの転機が訪れることとなる。

それまでの統括の無い戦闘がBETA支配域の急拡大を招いたとし、今後の対BETA戦争を国連主導にて行うことが国連安保決議として採択されたのだ。

これにより加盟各国はハイヴ攻略等の能動的交戦を独自に行なうことが出来ず、その対BETA交戦権は自衛権及び集団的自衛権に限定され、鹵獲品も国連の管理下に置くことが明文化された。

バンクーバー協定の発効である。

 

これは一見人類の結束を象徴する協定に思えるが、実際には成長したハイヴ内にのみ存在する貴重な資源であるG元素を、大国あるいはライバル国に独占されることを恐れたが故の結果という側面も持つ。

しかしながら、これにより攻略対象ハイヴの存在する地域の軍の他、他方面の軍あるいは後方国家群からも人的物的な支援が投入されることとなったのは事実であり、まさに人類一丸となるハイヴ攻略戦が現実となったのだ。

パレオロゴス作戦を超える、鞍馬の夢見た全人類の共闘の始まりである。

 

これを受け、国連内において新たな部隊の設立が求められた。

大規模作戦における、その準備段階においては培った経験を持って各国部隊に教導を執り、実戦においては最前線にて果敢にBETAを駆逐し、人類の未来を切り開く。

対BETA戦争を主導するという立場上、そのような旗頭となる存在が必要になったのである。

 

隊長の人選には苦慮することになった。

戦術機の操縦技術に優れ、高い指揮官適性を誇り、周囲を納得させられるだけの実績とカリスマ性を併せ持ち、ハイヴ攻略戦を含む大規模作戦への参加経験があり、それでいながら各戦線との兼ね合いを考慮するならば現在連隊や大隊を率いる立場に無い方が望ましい。

だが、果たしてそのような都合のいい人物が存在するのだろうか?

 

……いた。

 

 

 

国際連合安全保障理事会組織、統合参謀会議直轄対BETA特殊作戦部隊。

通称“ハイヴ・バスターズ”大隊。

人類の剣の誕生である。

 

 

 



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11話

 

「鞍馬おじちゃん、遊ぼうよー」

「蒼也とばっかりでずるいよー」

「ははっ、ごめんごめん。それじゃ、蒼也もお昼寝しちゃったし、少し遊ぼうか」

「かくれんぼがいい!」

「あたし鬼ごっこ!」

「それじゃあ……缶蹴りだな。かくれんぼしながら鬼ごっこが出来るぞ」

『それがいいー!!』

 

「二人とも、ひとつ、おじさんからのお願いを聞いてくれないかな」

『何ー?』

「もうすぐ、おじさんはまた出かけなくてはいけないんだ。しばらくは帰ってこれないと思う」

「えー」

「いやだー」

「大事なお仕事なんだ、我慢してくれ」

『……はーい……』

「良い子だ。それでな、俺がいない間、二人とも、蒼也のお姉ちゃんになってくれないかな」

「なるー! 真耶、お姉ちゃんだよ!」

「真那もなる!」

「二人とも、ありがとう。よろしく頼んだぞ」

『はーい!!』

 

 

 

 

 

1979年、5月。

帝都、月詠邸。

 

残りわずかとなる帝都での日々。

鞍馬はその時間を可能な限りセリスと蒼也と、3人で過ごすよう決めた。

川の字となって同じ布団で眠り、蒼也の食事は手ずから食べさせ、それが終わると手遊び積み木遊び。

どうやら、蒼也は屋外で体を動かすよりも、部屋の中で絵を画いたり本を読んだりすることのほうが好きなようだ。

真耶、真那の影響なのかとも思ったが、実際のところ、あの二人は下手な男の子以上に活発である。

晴れた日には外を駆け回り、雨の日までも庭に飛び出し。

木登り、鬼ごっこ、かくれんぼ。

縄跳び、缶蹴り、何でもござれ。

毎日毎日、服を泥だらけにしては母に叱られている。

ならばもって生まれた個性か。

どこかに自分と同じように剣を学んで欲しいという望みはあるが、無理強いすることは出来まい。父親らしいことなどろくに出来ないというのに、生き方に口を出せようはずもない。

それに、例え望んだとしても蒼也は斯衛にはなれないのだ。にもかかわらず剣を学ばせるのは酷というものか。

 

ちなみに、真耶と真那は瑞俊より剣の手ほどきを受け始めている。

体を動かすのが大好きな二人とも、早くものめり込みつつあるようだ。

二人とも筋が良い、将来の斯衛の若獅子となること間違いないとは無論、眦を下げた瑞俊の弁である。

 

鞍馬は考える。

自分に出来ることは、誇り高く、後悔無く生き、その背中を見せることのみ。その上で、蒼也が自分で選んだ生き方を祝福してやろう。

とはいえ、もし自分の背を追って戦術機乗りになりたがったとしたら。

出来得るなら、ささやかでも穏やかな一生を過ごして欲しいと思う。地上の地獄を目の当たりにはせずにいて欲しいと願う。

随分と勝手なことばかり考えているものだ。でもまあ、親というものはそういうものか……

思い悩む鞍馬より蒼也の将来について相談されたセリスは、こう一言切って捨てた。

 

「まだ、蒼也は一歳よ」

 

母は強し、である。

 

 

 

 

 

「鞍馬さん、国連からお手紙が届いていますよ」

 

ある朝、雪江がそう言って一通の封書を届けてきた。

内容は分かりきっている。ついに戦場へと帰る時がやってきたのだ。

それはこの家に暮らす皆と、蒼也との別れを示していた。

8ヶ月。随分と長居をしてしまった。だが、これでまた戦える……

はっと気付いて頭を振る。暗い感情に引きずられそうになっていた。違うだろ、俺はBETAを倒しに行くんじゃない。人類を護りに行くんだ。

その手をセリスがしっかりと握り締めてくる。

 

「大丈夫だ。君がいる限り、俺は死に急ぐような真似は決してしない。

 ……後を追われては堪らないからな」

 

痛っ。

抓られた。

頬を膨らますセリスに、ごめんごめんと笑いかける。

ああ、大丈夫だ。セリスがいてくれる限り、俺は死なない。

生きているということは、それだけでこれほどにも素晴らしいことなのだ。それを教えてくれた、彼女を悲しませるような真似が出来るものか。

 

「……あのー、姉さん、ちょっと寂しいんですけど……」

 

見詰め合い自分達の世界に浸る二人に、控えめな抗議の声。

ごめんなさいっ! と、セリスの顔が羞恥に染まる。

鞍馬は動じない。国連軍軍人はこの程度でうろたえない。

耳が真っ赤になっているのは見逃して欲しい。

鞍馬はひとつ、わざとらしい咳をすると、雪江の目をしっかりと見つめゆっくりと頭を下げた。

 

「雪江姉さん、今までありがとうございました。

 蒼也を、よろしく頼みます」

 

今生の別れじゃないんだからよしてよね、そう笑う雪江。

心の内では悲しみにくれているだろうに、それをおくびにも出さない。

強い人。私も見習わなくては。

セリスは思う。

母として、妻として、女として、この人からは色々なことを教わった。私に出来る恩返しといえば……

姉さん──そう、呼ばせてください──、鞍馬は私が必ず護ります。

涙の別れにはしたくなかった。

だから、そう、声には出さず誓いをたてた。

 

 

 

 

 

自室に戻り、封書を前にしばし考える。

中には新しい配属先がかかれているはずだ。おそらく、大隊を任されることになるだろう。

セリスはこれより三ヶ月間の再訓練に赴く。訓練完了の後には自隊に呼べるよう手配をしておかなくては。

少佐ともなると、部下に対するある程度の人事権は持ち合わせている。その程度の公私混同は許してもらおう。

 

任地は何処になるだろうか?

やはり欧州か。彼の地の状況は混沌としている。

昨年末、自国領スルグートに7番目となるハイヴの建設を許してしまったソ連は国家体制の崩壊を恐れ、その基幹機能をアラスカへと移転させることを計画しているらしい。

これは国家上層部の事実上の逃亡であるとされ、ソ連を構成する各邦国やワルシャワ条約機構各国との軋轢が増していた。

移転が現実となれば、盟主ソ連よりの経済的、軍事的援助が滞り、欧州に取り残される形となるワルシャワ条約機構各国には崩壊の危機が訪れるだろう。

その為、新たなる盟主として東ドイツを担ぎ、西側諸国に歩み寄る動きもあるという。

彼等は鞍馬にとって初陣より肩を並べた戦友だ。出来得ることなら力を貸したい気持ちが強い。

北欧戦線もまた決して油断の出来る状況には無く、人類の最前線は未だ欧州にあった。

 

インド亜大陸方面の可能性もある。

喀什から南下するBETAは長大なヒマラヤ山脈に阻まれ、未だこの地は深刻な局面に晒されていないとはいえ、散発的な侵攻は常に起きているのだ。

欧州が陥落するようなことが無い限りこの方面へのBETA侵攻が本格化することは無いだろうというのが一般的な予測ではあるが、誰一人としてBETAの思考など分かる者などおらず、その行動の根拠を示せない以上、これは楽観的、希望的予測であると言わざるを得ない。

その為、今のうちから軍備の増強を図ろうとする動きがあってもなんら不思議は無い。

 

不思議と、喀什から東進するBETAには勢いが無い。

これもまた理由は不明であるのだが、東進が起きた際に真っ先に標的となることになる中国は原状を楽観視している節が見受けられ、侵攻に備えるよう忠告する国連上層部やアジア各国と諍いが絶えないようだ。

もしこの方面に派遣されるようなことがあれば、BETAとの戦い以外の場所で神経をすり減らすことになりそうだ。日本に近いというのは嬉しいが、正直御免被りたいところである。

 

さて、いつまでもこうしていても仕方が無い。

そろそろ中身を確認することにしようか。

期待と不安とが入り混じりながら書面を確認した鞍馬とセリスは、その予想外の内容に顔を顰めることとなった。

 

 

 

 

 

1979年、6月。

ニューヨーク。

 

何故、俺はここにいるのだろう。

飛行機を降りた後、出迎えに来ていた車の中、鞍馬は苦悩する。

国連からの書類に書かれていた内容は、アメリカはニューヨークに存在する国連軍本部への出頭命令であった。

まさか、後方勤務が割り当てられるとは……。

上層部は、左腕を擬似生体とした衛士に前線勤務は任せられないと判断したのだろうか。

隊長職に事務仕事は付き物であり、鞍馬とて決して苦手としているわけではないが、やはり落胆を隠し切れない。

せめて、事務方ではなく、教官職として戦いに関われることを願おう。

心残りはあるが、セリスと蒼也のことを考えればそれで良かったのかもしれない。

それともいっそ、国連軍を除隊して欧州連合軍へと任官を求めようか。

……いや、とりあえず命令を受領しに行こう。身の振り方を考えるのはそれから、セリスと相談してからでも遅くは無い……

 

思考の迷路に陥りかけた意識が、車が停まる感覚で現実へと引き戻される。どうやら、本部ビルに到着したようだ。

運転手に礼を言って車を降りた鞍馬は、小さく溜息をつくと歩みを進めた。

 

 

 

本部受付にて来訪を告げた鞍馬は、案内された先が何処であるかを知って驚愕に見舞われた。

何が何だか一体分からない。

何故、俺はここにいるのだろう。

この本部内の何処かに勤務するのだと、その部署へと案内されるとばかり思っていたのだが。

そこは、国連安保理事会の組織である統合参謀会議、その議長の執務室であった。

全国連軍の総司令官の元へと呼ばれたのである。

俺、何か問題でも起こしたかな……

誰しも、思い当たる節も無く自分より随分立場の上の人間に呼び出されると、どうしても悪い方へと考えが及んでしまうものである。不意打ちならなおさらだ。

それは鞍馬とて例外ではない。

ある意味、初陣以上に緊張しつつ扉をノックし、許可を得て入室する。

 

「黒須鞍馬少佐、出頭いたしました!」

 

執務中であったのだろう、デスクにてなにやら書き留めていた初老の男が立ち上がり、にこやかに出迎えた。

襟には元帥の階級章。間違いない、この方が国連軍最高司令官たる参謀会議長だ。

 

「待っていたよ、黒須君。そう堅くならないで欲しい。

 今、君は自分の置かれている状況が良く分かってはいないだろうが、君にも決して悪い話ではない。安心して欲しい」

 

どうだろう?

大変失礼な話だとは思うが、無条件に信用は出来ない。完全な軍務の範囲に携わる人間の言葉ならまだしも、参謀会議長ともなるとある意味政治家と同じだ。

そして、政治家の言葉ほど額面通りに信ずることが出来ないものは無い。

おそらくこれは万国共通の認識だろう。

 

「まずは、これを読んでくれたまえ」

 

そう言って、議長は一枚の辞令を机から取りあえげ、鞍馬に手渡す。

それを読んだ鞍馬の顔が驚きに彩られる。

 

「中佐……で、ありますか……」

 

そこには、本日付で鞍馬を中佐へと昇進させる旨がかかれていた。

どういうことだ? 負傷療養前に少佐になったばかりで、当然それから軍功等何もあげてはいないというのに。

戸惑いを隠せない鞍馬に、議長が畳み込む。

 

「これはある種、こちらの都合によるものだ。将来、君には大佐にまでなってもらう必要があるかもしれないのでね」

 

大佐だと? 連隊長だぞ、大佐は。

将来連隊を率いる可能性があるということか……。

一体、何処に配属されるというのだろう?

 

「君には寝耳に水の話で納得出来ないところもあるだろうが……まあ、昇進は昇進だ、受けてくれたまえ。

 そして、これが君をここに呼んだ理由、そして昇進の訳だ」

 

二枚目の辞令。

そこに書かれていた内容こそ、本日一番の驚きであった。

 

「本日付けをもって、黒須鞍馬中佐を新設される統合参謀会議直轄対BETA特殊作戦部隊、“ハイヴ・バスターズ”大隊隊長へと任命する」

 

予期せぬ驚愕と、また戦線に立てる感動と。

震える鞍馬へ、悪戯成功と悪餓鬼の顔をした議長がウインクを飛ばす。

意外にお茶目な人であるようだった。

 

 

 

 

 

問題なのは、大隊に所属している隊員が、鞍馬以外にはまだ誰もいないということだ。

また、使用される戦術機も決まっていない。

見切り発車もいいところだと言いたいが、どうやらこれらの選定も鞍馬の仕事となっているらしい。

議長は言う。現場の意見を尊重したいのだと。

最前線を生き抜いた者の意見が重視されるというのは、上から色々と押し付けられることと比べて健全であるには違いない。非常にありがたいことである。

ではあるのだが、些か貧乏くじを引かされた感が拭えないのも事実だ。

思わず溜息が漏れそうになるが……まあ、愚痴を言っていても始まらない。出来ることからやっていこうか。

 

 

 

鞍馬が最初に手をつけたのは、大隊で使用する戦術機の決定であった。

まず、愛機であったファントムが候補に挙がったが、この機体には一つ欠点があった。砲撃戦を重視した設計となっており、近接戦闘に重きを置かれてはいないのだ。

最前線においては夥しい数のBETAを相手取る必要があり、必然的に近接戦の頻度が多くなるため、この点において前線の衛士から不満の声が上がっていた。無論、誰よりも近接戦の頻度が多い鞍馬にとっても同じである。

各国にてライセンス生産が行なわれているファントムはその辺りが考慮され、関節の強化や近接用固定武装の装備等、多くの近接向け改修が行なわれている。日本の撃震が良い例だ。

 

前線において、F-4 ファントム系よりも評価の高い機体がある。それがF-5 フリーダム・ファイター系の戦術機だ。

もともと、ファントムの需要に対し供給がまったく追いつかないために製造された、いわば廉価版と言えるものであったのだが、最低限にしか施されていない装甲が逆に有利に働き、結果として軽快な運動性を得るに至った機体である。

確かに防御力は低下し、BETAの攻撃を受けてしまうと一撃でスクラップと化すことにはなった。だが、同じ打撃をファントムが受けても行動不能となり、何も出来ぬまま追撃によって破壊されるのを待つだけだ。死ぬのが多少伸びるかどうかの差でしかない。楽に死ねる分良いという意見すらある。

それならば、回避率が高い方が生存率が上がるのは当然のことである。F-5が前線の衛士たちから非常に高い評価を得ている理由がこれであった。

この思想は現在各国において開発中、あるいは試験配備中となる第2世代の戦術機に受け継がれている。

この第2世代機を大隊に配備できるならそれが理想ではあるのだが、未だ開発国においてすら実戦配備がなされていない機体だけに、流石に諦めざるを得なかった。

 

鞍馬が最終的に選択した機体は、F-5の発展形である F-5E タイガーⅡであった。

F-5Eは跳躍ユニットが出力向上型の物に換装されると共に、アビオニクスの改良により機動性が上昇し、準第2世代の性能を獲得するに至った機体である。

フリーダム・ファイターと共通している部品も多く、整備性においても優秀である。世界中を転戦することになる部隊にとって、これは大きなメリットだった。

後日、国連ブルーに彩られた最新ロットの36機のタイガーⅡが並ぶ格納庫にて、大きく満足気に頷く鞍馬の姿があった。

 

 

 

次に行なったのが隊員の選定であるが、戦術機の選定で各所を渡り歩き、疲れ果てていた鞍馬は多少の手を抜いた。

まず、セリスを任命。

次に東欧にて共に戦った大隊の生き残りである7人の戦友を小隊長として招聘。

膨大な国連軍衛士データベースから他の隊員を選ぶのは、彼等に一任したのである。

責任放棄と呼ぶ向きもあるかもしれないが、全てを一人でこなすのは不可能というもの。喜びも苦労も共に分かち合ってこそ仲間といえるのではないか。

書類の山とにらめっこをする隊員達にそう鞍馬は嘯いたものである。

 

こうして部隊の大枠が完成したのであるが、副隊長に誰を任命するかが悩みどころであった。

当初はセリスをと考えていたが、彼女の現在の階級は中尉であり、副隊長となる大尉には足りない。

考慮の末、彼女は鞍馬の副官として就任してもらうこととなった。同じ小隊で2機連携の相棒も務める。戦場においても事務においても、鞍馬の能力を最大限に引き出す為にはそれが最適であったのだ。

 

この結果、小隊長が一人足りなくなってしまった。

だが、隊長職を全て仲間内で固めてしまうと、隊を私兵化しようとしていると取られかねない。

副隊長は外部から招聘したほうが健全であろう。

そう結論付けた鞍馬は、これは流石に自身でデータベースを探り、一人の人物を見出す。

国連印度洋方面軍で「BETAを喰らう虎」と呼ばれ、勇猛果敢かつ冷静沈着という評価を受けている人物だ。

彼ならば、おそらく人類の最前線を転戦する激務にも十分に応えてくれるであろう。

 

国連軍本部ビルの鞍馬の執務室に出頭した彼の第一印象は、獰猛でありながら、慎重。まさに虎であった。

彫の深い顔立ちに浮かぶ瞳が、鞍馬を射竦めるように見つめてくる。

彼を服従させるのは難しそうだ。だが、彼より仕えるに値すると認められた時、これ以上ない味方となることは間違いないであろう。

 

「パァウル・ラァァダビノッド、大尉ぃ。只今ぁ、着任、いぃたしましたぁぁぁ」

 

母国語訛りなのだろうか?

なんとも独特な口調で、彼は名乗りを上げた。

 

 

 



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12話

 

「副長、ごぶさたっス。相変わらず綺麗スね。とても子持ちには見えませんよ」

「この隊の副長はラダビノッド大尉ですよ。それに、今は貴方の方が上官です、大尉殿。あまりおふざけにならないでください」

「いやいや、セリス副長にぞんざいな扱いなんて出来ませんて。作戦中訓練中はちゃんとやりますんで、オフの時は勘弁してくださいっス」

「もう……仕方ないわねえ」

「……こら、お前、セリスにばかりで俺に挨拶は無しかよ」

「あ、隊長いたんスか。今、副長口説いてるんで、修正だったら後でも良いスか?」

「お前は相変わらず……決めた。お前のTACネーム、今日からオチムシャな。お前何ざ、それで十分だ」

「あ、ひでぇ。ってか、それは隊長の……」

「あら? 私の愛しい旦那様に、何か?」

「……いえ、何でもないっス……」

 

 

 

 

 

1979年、10月。

ニューヨーク、“ハイヴ・バスターズ”戦術機格納庫。

 

「人類は、危機に瀕している」

 

国連ブルーに彩られた36機の真新しいタイガーⅡ。

その前に整列する、衛士強化装備に身を包んだ隊員へと向け、鞍馬より言葉がかけられる。

今日、ついに“ハイヴ・バスターズ”の発足式が行なわれる運びとなった。

隊長の辞令を受けてより約半年、やっと、ここまでこぎつけた。

沸き上がる感動に目頭が熱くなるが、今涙を流すわけには行かない。目の前には部下達が並んでいるのだ。耐えろ、鞍馬。

 

「地球を侵すBETAの暴虐に、ただ敗北を重ねる日々。

 諸君等も、辛い思いを、悲しい思いを、悔しい思いをしてきたことだろう」

 

しかし、長い道のりだった。

戦術機選定から始まり、衛士や整備士、CPに事務官等といった運営に関わる人員の選別、彼等の原隊との折衝、拠点となるハンガーの確保、戦術機やその装備、補修品等の発注、納品される品々の管理、それらに伴う各部署や開発元との交渉、他にも細かい仕事があれもこれもそれも。

あまりの忙しさに目どころか、体全体が回る日々。

再訓練を終えて合流したセリスは、鞍馬の目の下に浮かぶ隈を見て、「前線にいた頃の方がまだ良い顔をしていたわね」と同情したものだ。

事務処理に秀でた彼女とラダビノッドの手助けが無ければ、本気で途中で投げ出していたかもしれない。

俺の本分は衛士のはずなのに。

何故、ここまで俺がやらなくてはならないんだ

……やっぱり、貧乏くじを引かされた。

そんなやり場の無い怒りと苦しみを抱えながら過ごす日々に、ようやく報われる時が来たのだ。

あ、まずい。本当に涙が零れそう。

 

「だが、ついにこの日が。

 我々、人類の尖兵がついに立つ時が来たのだ」

 

上を見上げ、瞳を堅く瞑り、堪える。

隊員達には発足の喜びを噛み締めているように見えるだろう、多分。

発足の喜びを噛み締めている……それに間違いは無いのだが。

セリスが少し呆れた顔で見ているのが分かる。彼女には全てお見通しか。

さて、少し取り乱してしまった。いい加減頭を切り替えねば。

 

「私は、かつて考えた。

 BETAの暴虐に対抗する為には、全人類が一つにならなければならないと。

 足を引き合うことをやめ、協力し合わなければならないと。

 今、その願いを叶えよう。

 我々が、その旗頭となり、人類を勝利へと導くのだ」

 

それに、これで終わりではない。

新しい機体への慣熟訓練や、隊員同士の連携訓練。それらに評定を下し、正式なポジションの決定。

他にも、まだまだやらなくてはならないことは山程ある。

発足したとはいっても、実際に稼動が可能になるのは来年になってからになるだろう。

 

「諸君、右手に剣を取れ。闇の時代を切り裂く剣を。

 その左手に盾を持て。牙無き者を護る盾を。

 立ち上がれ、戦士達よ。千の覚悟を身にまとい、雄々しく羽ばたくのだ」

 

だが、今ここに立ち並ぶ者達は、まさに人類の力の結晶。

必ずや、BETAどもに一矢報い、人類の反撃の狼煙を上げることが出来よう。

そう……人類は、負けない。俺が、いるから。俺達が、いるから。

パレオロゴス作戦での誓いを、決意を、形にすることが出来たのだ。

 

「しかしながら、知っての通り、BETAとの戦いは決して甘いものではない。

 ここに居並ぶ者の中から、傷つく者、力尽きる者が出るのは避けられないことだろう。

 しかし、諸君等の挺身は決して無駄にはならない。

 必ずや、明日の平和への礎となり、時を越えその名を胸に刻まれることになるのだ」

 

隊員達の瞳に光が灯る。握る拳に力が込められる。

死が怖くないわけでは決して無い。

だが、彼等とて、この隊に呼ばれたことを誇りに思い、人類の為に戦えることを喜びに思っているのだ。

 

「最後に、これだけは覚えていて欲しい。

 諸君等は、BETAを倒すことを目的としているわけではないことを。

 それは手段でしかない。

 我々の目的は、人類を護ることだ。

 BETAへの憎しみに取り付かれて、戦いに喜びを感じてしまってはいけない。

 最後まで、最後のその瞬間まで、人としての尊厳は無くさないでいて欲しい。

 以上だ」

 

「総員、敬礼っ!」

 

ラダビノッド副長の号令に、全員が一糸乱れぬ敬礼を施す。

注がれる視線を受け止め、鞍馬は大きく頷いた。

と、その様子ががらりと変化する。

先ほどまでの威厳ある顔は何処へ行ったものか、にやりとした笑みを浮かべ、楽し気にこう言ったのだ。

 

「さて、らしくもない堅い話はこれで終わり。

 ここからはレクリエーションの時間だ」

 

豹変した大隊長の表情と口調に、鞍馬のことを良く知らぬ隊員たちが戸惑いの仕草を見せる。

セリスをはじめとした、東欧戦線からの付き合いのある小隊長達は、やっぱり来たかと苦笑い。

 

「顔を見知った相手がいる者達もいるだろうが、大半は初対面の者達ばかりだろう。

 これから同じ釜の飯を食う仲間だ。早めに打ち解けておいた方がいい。

 俺の生まれた国では、相手のことを手っ取り早く知るためには、剣を交えることが良いとされている」

 

そして不適に笑って言い放った。

 

「さあ、シミュレータールームへ行こうじゃないか」

 

 

 

 

 

実際のところ、まだ20代であろう若い中佐に不審の念を抱いていた者達も多かった。

東欧戦線から招聘された者達の中には「国連の侍」の名を耳にしたことがある者もいたが、それでも実際に共に戦ったことがあるのはラダビノッドを除いた7人の小隊長とセリスだけだ。

故に、鞍馬のこの台詞には全員が一斉に手を挙げることになった。

 

「エレメント毎に組んでの勝負と行くか。

 俺はセリス中尉と組むが……俺達と戦いたい奴はいるか?」

 

初対面の者達は、鞍馬の実力を計るために。

旧知の者達は、久しぶりに会う隊長に胸を借りるつもりで。

更に、鞍馬がこんなことを言い出したものだから、隊員達のやる気が鰻登りに。

 

「よし、俺を含む中隊長組に勝った奴には、負けた隊長から天然物の酒でも奢ろうか」

「……面白い、承知した」

「うげっ、本気っスか。勘弁してくださいよ」

 

不適に笑うラダビノッドと情けない顔のオチムシャとが、随分と対照的だった。

 

 

 

 

 

仮想空間上の街並みの中を、タイガーⅡが疾駆する。

機体を駆るはインド亜大陸にて腕を磨いていた衛士。まだ若いながら数度の実戦にてその才能を見込まれ、将来を期待されている者だ。

彼は視線を動かし、右後方に僚機が着いてきているのを確認する。

即席のエレメントだが、こちらと一定の距離を保ち、如何なる状況にも対応できるようにしている様子に頼りがいを感じる。

彼女のことはまだ良く知らない。

だが、ここまでの動きを見る限り、また欧州で戦っていたと言う言葉からも、能力面に問題はなさそうだ。

その他に関しては……ゆっくりと知っていくことにしよう。彼好みの美人だが、随分と性格がキツそうだ。

ここで良い所を見せておけば、今後に色々と期待が持てるかな?

そんなことをふと考えた時、前方30m程の距離に突如として敵機が現れた。

 

待ち伏せっ!?

こちらの反応できないうちに蜂の巣にされるのを覚悟するが、良く良く見れば相手は突撃砲を構えていない。右手に長刀を持つのみだ。

典型的な遭遇戦といえた。

タイガーⅡは優秀な機体だが、電子装備に弱い面がある。レーダーの効果範囲が随分と狭いのだ。

優秀な運動性と量産性を両立させた結果、その辺りの装備が安価なものとなっているのがその原因である。

もっとも、対BETA戦においてはレーダーはさほど重要視されない。

地中からの侵攻を感知するための振動センサーは必要だが、地上を移動するBETAは衛星からの監視情報でその位置が丸分かりであり、CPとの連携さえしっかりとしていれば自機で確認する必要が無いのである。

よって、入り組んだ都市部における対戦術機戦においては、このような鉢合わせの状況がまま生まれることになるのであるが……それにしても長剣しか装備していないというのは如何なる理由からだろうか?

相手は隊長機。鞍馬隊長は近接戦に秀でているとは聞いているが……はっきり言って、なめられているとしか思えない。

心の奥より怒りが湧き起こる。だが、彼はそれに流されるような新米衛士ではない。

相手の意図がどうであれ、自分は自分の戦いをするだけのこと。

冷静に頭を切り替え、手にした突撃砲から牽制の弾をばら撒くと……撃墜されていた。

 

「胸部に致命的損傷、大破」

「……はっ?」

 

思わず間抜けな言葉が漏れる。

CPより伝えられる状況が信じられない。

今、一体何が起きた?

まるで自分だけ時間が消し飛んだかのよう。何をされたのか、何故撃墜判定が下されているのか、彼はまったく把握できていなかった。

 

「あれ、喰らう方は見えないんだよなあ」

「まったく、俺も何度撃墜されたことか。それにしても、前より早くなってねえか?」

 

モニタールームでは小隊長達がそう笑いあっているが、それ以外の隊員達の表情は驚愕に彩られていた。

何なのだ、あの動きは?

モニター越しに引いた位置から見ていたから何が起きたかが分かるものの、もし自分が相対していたら同じ運命をたどったことであろう。

それは怖れにも似た確信であった。

鞍馬は相手の機体の挙動、銃身の動きから36mmが放たれる瞬間を正確に悟る。

そしてその寸前に右足を引いて半身となり、そのまま止まらずに回転しつつ腰を落として射撃を躱し、さらにその勢いのまま一歩踏み込み、胴を横に薙いだのだ。

後回し斬りとでも言おうか、回避、移動、攻撃が一体となった雷光のごとき神業。

技の名を“月影”という。

月詠瑞俊より教えを受けた、相手の視界とその意識から剣を隠し放つ、見えない斬撃。鞍馬の十八番である。

言ってしまえばフェイント技なのだが、剣技というものに縁のない人間からしてみれば、まさに魔法のような印象を与えた。

 

通常の衛士は、剣を武器と捉える。

衛士養成校でその使い方を学んではいるが、あくまでもBETAを倒す為の手段の一つであり、それのみを追求して鍛えるといったことはあまりしない。

敵へと肉薄し、振り上げ、振り下ろし、離脱する。それぞれの動作が一体化してはおらず、それだけに隙も大きい。

アメリカ製の戦術機には基本的に長刀が装備されていないのも、取り回しの容易な短刀を好む衛士が多いのもこの理由からだ。

BETAの群れに対して近接戦が必須とは言っても、その技術はまだまだ発展の途上といえるのかもしれない。

対して鞍馬の場合、刀は己の魂であり、体の一部である。

更には、戦術機に幼少の頃より学んだ剣の動きを体現させるよう、只管に研鑽を積んできた。

その差が、この結果である。

 

この距離はまずい。

僚機の撃破された様子を、一歩引いた場所から見ていた彼女はそれを悟る。

とにかく、距離をとらなくては。

焦る心のままに跳躍ユニットを全開にし、その場の入り組んだ地形から脱出しようと飛び上がった時……開けた視界の中にセリス機が突撃砲を構えているのを見てしまった。

 

「胸部に致命的損傷、大破」

 

セリスはこの一連の流れを最初から予測していた。

ならば、自分は物陰に隠れ、敵が自ら遮蔽を捨てて罠の中に飛び込んでくるのをじっと待つだけのことだ。

状況が始まってから、ここまでおよそ2分。

鞍馬等の戦いを始めて目の当たりにする者達は、背中に冷たい汗が流れるのを止めることが出来なかった。

 

 

 

鞍馬等が次々にエレメントを撃破していく中、健闘を見せたのは大隊副隊長たるラダビノッドであった。

彼は鞍馬に対しての近接戦を避け、間合いを取って射撃のみで仕留めようとしたのである。

鞍馬の射撃の腕は、実のところ並よりは上といった程度だ。

実際、この戦術は有効といえるであろう。

その為に邪魔なのは、鞍馬のエレメントを勤めるセリスの存在である。なによりも先に、彼女を排除せねば。

彼の作戦はこうだ。

まずは2機連携を崩さず鞍馬へと向かい、セリスに挟撃を誘う。

鞍馬等に挟まれる形となったとき、急速反転してセリスへと襲い掛かり、一時的な2対1の状況を作り上げる。

そして全力射撃でセリスを仕留め、後はゆっくりと鞍馬を料理すれば良い。

鞍馬はどうやらこの戦いでは長刀以外を使う気が無いらしい。力を見せ付けるつもりなのかもしれないが、それを利用させてもらおうではないか。

この作戦は途中まで、セリスに2機で襲い掛かるところまでは上手くいった。

しかしそこまで。

ある時は射撃の寸前に移動されてタイミングを外され、ある時は遮蔽物を巧みに利用され、更には射線に自軍の一機を誘導され射撃を封じられ……ついに仕留めきることが出来ず、鞍馬の参戦を許してしまった。

そして、それまでのエレメントと同じ結果を辿ることとなったのである。

 

 

 

ここに至って、その事実に気がついた者達がいた。

 

「なあ……あの副官、何者だ?」

「あ、あたしも気になってた」

 

そう、鞍馬の派手な剣舞に隠れがちだが、セリスの機動もまた尋常のものではない。

動作の合間に発生するはずの硬直が極端に短く、最小限の射撃で最大限の効果を上げ、広い視界で敵の動きを捉え思い通りに操る。

その動きの全てに、とにかく無駄が無い。戦術機の持つ能力を最大限にまで引き出している。

それもそのはず、セリスは元アメリカ軍テストパイロット。

その戦術機適正からF-4 ファントムの開発担当に抜擢された内の一人だったのである。

ファントムは人類史上初の戦術機である。そのテストパイロットであったということはつまり、人類の中でもっとも長い時間──出産に際してのブランクはあるが──戦術機に乗っているという事実を示していた。

そして、それを実戦、人類の最前線で磨き続けてきたのである。

この場にいる者が全国連軍から選抜された精鋭揃いとはいえ、その熟練度に大きな差があるのも、むべなるかな。

機動の正確性に関してならば、鞍馬をすら遥かに上回るであろう。彼の戦術はセリスの援護があって始めて成立するものでもあるのだ。

事実、セリスが予備役となっている間、鞍馬は戦術機4機、小隊での運用という原則を決して崩そうとはしなかった。その背中を任せるのに、セリスの代わりに3機を必要としたのである。

セリスと旧知の間柄の者からそれらを、何故か自慢げに説明された隊員は、思わず声を上げてしまったものである。

 

「何でそんな人がこんな所にいるのよー!」

 

こんな所とは酷い言い草だが、その疑問ももっともだ。

本来、セリスは国連軍に所属していて良い人間ではない。

多数の機密に触れるテストパイロットという立場上、本人が希望したとしても除隊は許されないか、もし許されたとしても当局の監視が付く立場となるはずであった。

だが、運命の悪戯が彼女を導くこととなる。

ファントムの需要に対し供給がまったく追いつかず、他国をBETAの防波堤と位置付ける国防上の立場から、アメリカは断腸の思いで各国にファントムのライセンス生産を許したのだ。

結果、彼女の知る機密は、機密ではなくなった。

 

歴史にもしは禁物ではあるが……

もし、アメリカが個人の自由を尊重する国ではなかったら。

もし、ファントムの量産が間に合ったら。

もし、ファントムのライセンス生産をアメリカが各国に許さなかったら。

もし、F-5の生産がもう少し早かったら。

もし、テストパイロットとしての任務に空白が開き、教導官として日本へ派遣されなかったら。

もし……鞍馬と出会わなかったら。

彼女はおそらく、今もテストパイロットとして新たな戦術機──おそらくはF-15 イーグル──の開発に携わっていたに違いない。

 

「……勝てるわけ、ないんじゃない?」

 

隊員たちが虚ろな目で顔を見合わせ、乾いた笑い声を上げるのも仕方の無いことであったろう。

 

 

 

隊員の半ばが戦意を喪失する中、意外──といっては失礼だが──な事に最も善戦したのが、C中隊を率いる中隊長、TACネーム“オチムシャ”であった。

彼はセリスのことを良く知っていた。鞍馬に至っては、2機連携を勤めていた時期もある。

つまりは二人の癖を知りぬいた人物。

彼はセリスと鞍馬を結ぶ線上に自身らを配置し、鞍馬の機体を盾とすることでセリスを封じたのだ。

セリスがラダビノッド戦で使った回避の技を常時行なうという、無謀ともいえる策である。

本来、このようなことは神懸り的な先読みが無ければ成し得ない事である。

二人と共に死線を潜り抜け、生も死も分かち合ったオチムシャなればこそ、可能な芸当であった。

 

しかし、それも長くは持たないであろう。

如何に迅速に鞍馬を沈めることが出来るか、それが勝利の鍵であった。

鞍馬の射撃が今ひとつであるように、セリスの近接もまた同じ。

ならば、全ての弾丸を鞍馬に使ってしまっても構わない。

形振り構わないとも見える、その豪雨のごとき弾幕を……しかし、その全てを鞍馬は見事躱し切った。

 

「……嘘でしょ、隊長。どんだけ化け物っスか」

 

オチムシャが二人の癖を知り抜いているように、鞍馬もまた彼の癖を知りぬいていたのだ。

更には、偽の左腕を我が物とするための訓練の日々。そしてそこから生まれた先読みの能力。

今の鞍馬には、数瞬先の未来を予測することが出来るかのような、異能ともいえる力が備わっていた。

右に、左に、流れるような動きで舞い踊る。

無骨な戦いのための道具に過ぎない戦術機。だが、その動きには確かな美が感じられた。

思わず、見蕩れる。

モニタールームから見やる隊員達も──そして、オチムシャもまた。

 

しまった。

思った時にはもう遅い。

視界からセリス機の姿が消えていた。

僚機に乱数回避の指示を出そうとするも、目を向けたときにはその管制ユニットが既に打ち抜かれていた。

射撃元を探ると、ビルの屋上に片膝を着いて狙撃の姿勢をとるセリス機。そこからの撃ち下ろしなら、鞍馬機が射線に入ることは無い。

己から注意が逸れた一瞬の隙を付いてビルの裏側に回り、噴射跳躍で飛び上がって狙撃ポイントへと辿り着いたのである。

 

「……ここで、勝負有りにしてもいいんスけどね」

 

大きく溜息をつくオチムシャ。

諦めたかのように、手にした突撃砲を投げ捨てる。

だが、その瞳より力強い輝きが消えていないのは何故か。

しかし、その言葉とは裏腹に右手に長刀を構えるのは何故か。

彼もまた、激戦を生き抜いたつわもの。戦いの中、勝利を諦めることなど出来様はずも無かった。

 

「隊長! お覚悟!」

「来いッ!」

 

雄たけびとともに駆け寄る2機。擦れ違い様に一撃を交し合う。

オチムシャが歩みを止めた時、その視界に切断され舞い上がった鞍馬の左腕が写り……そしてそれが地に落ちるのと同時、腰より断たれた彼の上半身がゆっくりと崩れていった。

 

 

 

 

 

「おまえ、よりにもよって左腕を狙うなんて、やっぱり俺のこと貶めるのが好きだな」

「偶然っスよ、偶然。隊長が避けた結果じゃないスか」

 

鞍馬の言うレクリエーションが終わり、今はPXで大隊全員が食事を取っている。

馴染みから弄られている今の隊長を見ると、先程まで戦っていた相手だとは到底信じられない。

朝の演説の時もそうだったが、なんとも落差が大きい。

いったいどちらが本当の隊長なのか。だが、そんな姿が不思議と頼りになりそうだと感じてしまう。

それにしても、先程までの鬼気迫る隊長は本当に凄まじかった。

 

結局、今回の戦いは鞍馬とセリスが見事17連勝を飾った。

この結果と、そしてその強烈な戦いぶりは、隊員達に鞍馬に対する強固な信頼を植えつけることになる。

この部隊にいる限り、楽な戦いなど決して無いであろう。

実戦に赴く度、常に死の瀬戸際で過ごすことになるだろう。

しかし、この人の下でなら、この人達と一緒なら、なんとか戦っていけそうだ。

それに……。

 

渋い顔で責める鞍馬に、彼を弄って遊ぶオチムシャ。

それを見て楽しげに笑う小隊長達。

自身も笑いながらも、控えめに諌めるセリス。

次は負けぬと呟くラダビノッド。

それらにつられて、他の隊員達にも次第に笑顔が浮かんでくる。

ああ、間違いない。

この部隊は、きっと良い隊になる。

神経を、魂をすり減らすような日常でも、彼らとならきっと戦い抜いていける。

戦おう、人類の為に。この素晴らしい仲間達の為に。

そして鞍馬もまた、同様の思いを抱いていた。

ああ、こいつ等となら……。

 

 

 

 

 

しかし、鞍馬自身が語ったように、BETAとの戦いは決して甘いものではない。

人類の剣“ハイヴ・バスターズ”。

彼等の能力も、その志も、紛れもなく人類の粋を集めたものである。

だが、それでも尚。

彼等の行く手は苦難に彩られ……ついに勝利の2文字をその手に掴むこと、あたわなかったのである。

 

 

 



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13話

 

「蒼也ー、道場行くよーっ!」

 

「蒼也ー、どこ行ったーっ!」

 

「真那、蒼也いた?」

「だめ、いない。真耶、そっちも?」

「うん。屋敷からは出てないと思うんだけど……」

「あいつ、何でこんなに逃げ足だけは速いんだろ」

「まったくよ、普段ドン臭いくせにさ」

「あー、もう時間無いよー」

「……しょうがない、二人で行こう。お爺様、きっともう待ってるよ」

「もー。蒼也め、覚えてなさいよー」

 

 

 

(……真耶ちゃんも真那ちゃんも、乱暴なんだよね。普段は優しいのに……)

(……やっぱり、普段も怖いかも……)

 

 

 

 

 

1982年、4月

帝都、月詠邸

 

月詠家の敷地内に、母屋とは別の大きな建物がある。

武家である月詠家にとって、ある意味、他のどの建物よりも重要ともいえる場所。

それがここ、道場である。

あくまで月詠家個人の道場であるが、かつて瑞俊が無限鬼道流の師範を勤めていた頃は、教えを乞う門弟で随分と賑わっていた。

だが、師範の座を高弟であった紅蓮醍三郎大佐に託してからは訪れる者も徐々に減り、やがては瑞俊の他に花純が時折帰宅した際に使用するのみとなっていた。

瑞俊にとっては残念なことに、彼の子供達の中で剣の才がありその道を志した者は、花純と鞍馬のみである。

雪江と月乃の婿達も学者肌の人間で、斯衛とはいえ開発部に籍を置いておりこの場に出入りすることはない。彼らもまた立派な人間でありその仕事を貶める訳ではないが、やはり瑞俊としては寂寥感も否めない。

しかし、その胸にぽっかりと開いた穴は、3年前に埋まることとなった。

 

「はああぁぁっ!」

「やああぁぁっ!」

 

現在、道場の中には3人──剣を交える真耶と真那、そしてそれを見守る瑞俊の姿がある。

二人に剣を教えて初めて3年。最初こそ孫可愛さに筋が良いと二人を褒めそやしていた瑞俊であるが、間も無くして教える姿が武人としてのそれに変わっていった。

そう、二人には本当に天稟があったのだ。

瑞俊の見るところ、このまま成長し研鑽を積んでいけば、おそらくその時代を代表する剣士となれる素質を秘めている。

二人もまた剣の魅力に惹き込まれ、強くなっていくのが楽しくて仕方がない様子。自然と指導にも力が入るというもの。

無論、まだ7歳にしかならずこれから成長の始まる二人とも、体に負担をかけるような厳しい修行は出来ないが。

 

今も、立ち会う二人の姿は真剣そのもの。

瑞瞬の視点から見るならまだまだお遊戯の段階ではあるが、負うた子に教えられて浅瀬を渡るという言葉もある。

我の強い二人が互いには絶対に負けぬと競い合い、切磋琢磨するその姿勢は瑞俊といえども見習うべきものであった。

 

対峙する二人の緊張感が高まっていく。

数瞬の後、ついに真那が踏み込んだ。上段に構えた剣を、真耶の脳天めがけ振り下ろす。

しかしその一撃は一歩引いた真耶に躱され……

 

(ほう、燕返しか)

 

瑞俊に走る喜び交じりの驚き。

真那は振り切った剣を翻し、下段より真耶の胴を薙ごうと目論んだのだ。

教えられてはいないはず。ならば見よう見まねで覚えたか。その向上心、天晴れなリ。

だが、まだまだじゃのう……

返しが甘い。

剣が翻る前、真耶の突きが真那の喉元へと吸い込まれ、燕は飛び立つことなく地へ落ちた。

 

「そこまでっ!」

 

防具の上からとはいえ急所である喉への攻撃に、堪らず真那が座り込んで咳き込む。

その瞳に浮かぶ涙は痛みからか、負けた悔しさからなのか。

試みは良かったが、まだまだ燕返しなど使いこなせる筈もない。基本こそが肝要だと、諭しておこうか。

もっとも、真耶もまた未熟。勝ったとはいえ、真那が燕返しを出そうとしていたことなど気付いてもいない。

拳を握り締め勝利に喜ぶ姿は可愛らしいが、こちらもひとつ諌めておくべきであろう。

 

「二人とも、聞くがよい」

『はい、お爺様』

 

瑞俊より声をかけられ、緩んだ気を引き締めなおし、並んで立つ。

どうやら、真那の首も大事無いようだ。

 

「勝利に喜び、敗北を悔やむ。それは大いに結構。そうでなくては上達も有り得ん」

『はいっ!』

「じゃがの、真耶よ。勝利に驕ってはならん。驕りは油断を呼び、そして死へと繋がるじゃろう」

「……はい……」

 

浮かれていた自分を省み、しゅんと項垂れる真耶。

 

「真那よ。敗北に涙し、悔しさを糧とせよ。じゃが、勝者を妬んではならん。妬みは停滞を呼ぶだけじゃ、成長へとは繋がらん」

「はいっ!」

 

次は絶対負けないんだからと、真那は力強く返事を返す。

 

「よいか、二人とも。敗北は恥ではない。己の心に負けることこそを恥と知れ。

 己を制すことなく、相手を制すことが出来るなどとは夢にも思わぬことじゃ。わかったかの?」

『はいっ、お爺様っ!』

「うむ、今の気持ちを忘れぬようにな」

 

年相応の素直さで瑞俊の教えを心に焼き付ける二人。

大人になると、見たもの聞いたものを素直に取り入れることが難しくなってくる。

出来得ることなら、この心を忘れずに成長していって欲しい。

 

「では、今日はこれまで。そろそろ二人とも、出かける準備をしなさい。

 花純の晴舞台じゃ。遅れたら後が怖いぞ」

 

二人と蒼也にとって、雪江、月乃、花純の3姉妹、そしてセリスは全員が母のようなものだ。

その中で、子供等にとって一番怖いのが花純である。

もっとも、母といいつつも、彼女はもう20代も後半になろうというのに未だに一人身である。

 

「出会いがないのよねー。でも別にいいの、あたしは鬼の名を継ぐんだから」

 

と嘯いているが、実際のところは赤はおろか青の者との縁談も数多くあるのだが。

それらを蹴る度、上の二人から未練がましいだの、理想が高すぎるだの、しみじみと溜息をつかれる日々であった。

瑞俊も半ば諦めの気持ちがありながらも、本人の意思を尊重する構え。

どうやらこのまま、その生涯を斯衛に捧げることになりそうだ。

しかし台詞の後半部分は本気らしく、積み重ねた練成は花純を少佐として斯衛の大隊を率いるまでにさせていた。

今や月詠を代表する者であり、当主の座は上の二人でも娘婿にでもなく、彼女へと引き継がれることになると見られている。

 

そんな花純の、額から角の生えた姿を想像し、真耶と真那の二人は震え上がる。

そして急ぎばやに礼をすると、慌てて自室へと駆け出すのだった。

 

 

 

二人を見送った瑞俊は、誰もいないはずの道場の片隅へと声をかける。

 

「ほれ、蒼也よ。主も準備せい」

 

すると、剣や防具をしまう小部屋へと通ずる扉より、蒼也がひょっこりと顔を出した。

 

「お爺ちゃん、ばれてたんだ」

「儂を甘く見るでない。主の気配など筒抜けじゃわ」

 

ばつが悪そうに頭を掻く蒼也。

真耶と真那の追跡から逃れる為に蒼也が隠れ場所に選んだのは、あろうことか二人の目的地である道場であった。

灯台下暗しとは良く言ったもの、二人ともまさかここにいるなどとは露程も思わない。物静かで暢気と見えながら、なんとも図太い4歳児である。

 

「しかし、剣を振るうのは嫌いなのに見るのは好きとは、なんとも変わった趣味じゃの、蒼也よ」

 

そう、蒼也はただ隠れることだけを目的にここにいたのではない。

二人の立会いをこっそりと眺めていたのだ。

 

「だって、見るの面白いんだもん。剣を振ってる真耶ちゃんも真那ちゃんも、とっても綺麗だし」

 

しれっとそんなことを言う。

二人が聞いたら赤面し、照れ隠しにまた蒼也を追い回すこと間違いない。

まったく、この天然の女誑し振りは父に似たのかのう。

蒼也の将来が少しだけ不安になる瑞俊であった。

 

「真耶ちゃんの突きなんて見てるだけでドキドキしたよ。でも、惜しかったよね。最後の胴がもう少し早かったら、真那ちゃんの勝ちだったのに」

「……蒼也よ。主、真那が何を狙っておったのか分かったのか?」

「え? うん、こうだよね?」

 

えぃ、やぁ、と。

剣を振り下ろし、そしてその剣を翻し横に薙ぐ真似をする蒼也。

ぎこちない仕草ながら、それは確かに真那が思い描いていた軌跡であった。

呆気に取られ、声の出ない瑞俊。

それを見て不思議そうに尋ねる。

 

「どうしたの、お爺ちゃん?」

「……いや、何でもないぞ。ほれ、急がんと間に合わん、早く着替えてまいれ」

「はーい! ……でも、二人に見つかっちゃうなあ……」

 

肩を落として道場を出て行く蒼也。

一人残った瑞俊の口から呟きが漏れる。

 

「……獅子の子は、やはり獅子。ということなのかの……」

 

どうやら、楽しみがひとつ増えそうじゃ。

自らも支度をするべく、自室へと歩き始めながらそんなことを考える。

その面に浮かぶ笑みは、いつの間にか好々爺のものから武人のものへと変わっていた。

 

 

 

 

 

1982年、4月

帝都斯衛軍北の丸駐屯地、戦術機演習場。

 

この日は、斯衛軍にとってひとつの時代の節目となる。

鞍馬が瑞俊に斯衛軍における戦力の増強を訴え、それを受けた瑞俊が城内省に働きかけてより2年と半年。

その望みの形となるときがやってきたのだ。

瑞俊と雪江。それに真耶、真那、蒼也の5人は演習場に設けられた観覧席に腰掛け、式典が始まるのを今か今かと心待ちにしている。

本来この場所は、年に数回の一般公開される演習時以外には部外者立ち入り禁止となっているのであるが、今は帝都中、いや日本各地から集った者達で観覧席が溢れ返り、立ち見の者まで出ている状況である。

斯衛軍退役少将の肩書きを持つ瑞俊や、予備役大尉である雪江ならば貴賓席から式典に臨むことも出来る。だが、真耶、真那はまだしも蒼也をそこに連れて行くことは無理である為、可愛い子供達ともにこの場に陣取ることとなった。

 

「それでは、ご覧ください!」

 

司会を務める斯衛軍広報官が誇らしげに宣言すると、演習場に設置され観覧者からの視線を遮っていた巨大な幕が切って落とされ、全高17.9mの巨人が6体、その姿を現した。

82式戦術歩行戦闘機、F-4J 瑞鶴。

漆黒、純白、山吹、真紅、濃紺……そして紫。

斯衛独自の階級とはまた違う身分によって色分けされたその機体は陽の光を浴びて燦然と輝き、特に紫の機体を見つめる人々に陶酔の感情を抱かせる。

美しい機体だった。

ベースとなったのはF-4 ファントムの日本向け改修機、F-4J 激震であるが、さらなる運動性の強化と軽量化が図られ格闘戦に特化されている。

それこそが、斯衛の為に開発され、斯衛の為に存在する。

主君を護る為の一振りの剣であった。

 

演習場に存在する全ての人間を包み込む一体感と高揚感。

3人の子供達もまた例外ではなく、思わず立ち上がって目と口をまん丸にし、憧憬の視線を向けている。

 

「お爺様、あれが……?」

「うむ、あれこそ斯衛の新しい剣、瑞鶴じゃ」

 

初めて目の当たりにする本物の戦術機。

真耶は沸き上がる高まりを抑えようともせず、一心不乱に見つめている。

 

「あれに、花純伯母様が?」

「そうじゃ、あの真紅の機体じゃの」

「……真那も、あれに乗れますか?」

「ああ乗れるとも。精進を怠らず、研鑽を続ければ必ずや、の」

 

真那もまた同じ。

この瞬間の高揚感は二人に斯衛というものの存在を強く刻み込み──二人にとって決して忘れられぬ原点となった。

そして、それは蒼也もまた。

 

「僕にも……乗れるかな……?」

「蒼也……」

 

その言葉に、雪江が悲しそうに眉根を寄せる。

この子はまだ4歳。将来の夢を否定したくなどない。だが……どう言い聞かせればいいのだろうか。

雪江は言葉を継ぐことが出来なかった。

だが、瑞俊は違う。その手を蒼也の頭に乗せ、彼の言葉を優しく肯定したのだ。

 

「もちろんじゃ。蒼也が望むなら、きっと乗れるとも」

 

蒼也が斯衛に入隊するのは不可能とは言わないが、それはとても狭き門となるであろう。

黒須家は既に武家ではない。そして、蒼也に流れる血が扉を更に閉ざす。

可能性があるとすれば、月詠家の推薦で斯衛軍衛士養成学校へと入学し、歴代の成績優秀者をも凌ぐ成績で卒業すること。

あるいは一旦帝国軍へと入隊し、そこで類まれな武功を上げること。

これらの場合、斯衛の黒を賜ることが出来るかもしれない。

ただし、どちらにしても並みの成果では駄目だ。アメリカ人との混血児でありながら、斯衛が欲するほどの能力。それが如何ほどのものであるのか。瑞俊ですら想像も付かない。

他に方法があるとするなら……

だが、今ここでそのような野暮は言うまいて。いずれ、成長と共に自身で現実を知ることになるだろう。儂等はその時こそ、その背を支えてやれば良い。

だから、蒼也のこの言葉にも、励ましの言葉を返してやる。

 

「じゃあ、僕、大きくなったら衛士になるっ!」

「そうか。主の父も母も、それはそれは優秀な衛士じゃ。きっと主なら強い衛士になれるじゃろう。

 ……じゃがのう、その為には剣を学ぶことは避けられぬぞ、蒼也よ?」

 

悪戯めいた瑞俊の言葉に、うっと言葉に詰まる蒼也。真耶と真那をちらりと見やり、何かを思って項垂れる。

だが、蒼也はそのまま、縮こまったままではいなかった。

一度俯いた顔を力強く上げ、その瞳に新たな輝きを灯し、宣言する。

4歳児の小さな、だが本人にとっては大きな、一大決心。

 

「僕、剣を学ぶ。それで、強くなるっ!」

 

一人の小さな剣士の、誕生の瞬間であった。

だがしかし、その微笑ましくも厳かな空気は、次に続く言葉で大きく雰囲気を変えた。

蒼也は真那の瞳をじっと見つめる。

 

「だから、真那ちゃん。一緒に修行してくれる?」

 

そして小首を傾げつつ、子犬のような瞳で願ったのだ。

その言葉に態度に、真那の顔が真っ赤に染まる。

 

「な、ななななななななななにををを。

 いや、うん、別にいいよ、うん。いや、いいって言うのは嫌だって意味じゃないからね! うん、そうだ、帰ったら早速やるよ、いい? いいね、蒼也? いや、別に一緒に修行するのが楽しみとかそんなんじゃないんだから、勘違いしないでよ。蒼也がどーーーしてもって言うから、だから一緒に修行するだけなんだからね、本当だからね。だから、あんまり調子に乗らないでよ? まったく、ホント手がかかるんだから。私がいないと何も出来ないんだからねー、蒼也はっ!!」

 

一気にまくし立てた。

瑞俊が肩を震わせ、噴出すのを必死に堪える。

雪江は、既に抵抗を諦めた。

 

「……蒼也? 私は?」

 

真耶が、平坦な口調で尋ねてくる。

口調に若干棘があるような、視線に冷たいものが混じっているような。言いようのない凄みを放っているが、しかし蒼也には届かない。

気配に鈍いのか、それとも無意識に手玉に取っているのやら。

 

「もちろん、真耶ちゃんも一緒にやろうよ!」

 

真耶を覆う氷が、蒼也の笑顔に一瞬にして溶かされた。

照れ隠しなのか、蒼也の頭を小脇に抱え込み、しごいてやるから覚悟しろと拳で頭をぐりぐり。

真那も参加して両脇から弄られつつ、痛いよーと涙を浮かべる蒼也。

ついに瑞俊の堰が決壊した。3人の様子を見ながら呵呵大笑。

計算づくでないのが性質が悪いわい。これは父親以上かも知れぬの。

 

それにしても、のう。

蒼也が斯衛となれる、もう一つの可能性。

月詠家に婿入りするなら、あるいは、か。

じゃが、どちらが本命となることやらの。

3人が共に真紅の瑞鶴を駆り、戦場を巡る未来を思い浮かべる瑞俊の、その笑い声は演習場の一角に響き渡るのであった。

 

 

 



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14話

 

「俺も今年で30歳か」

「あら? それは私に対する嫌味か何かかしら? 同い年なんですけど」

「いいじゃないか、30歳。セリスは今も昔と変わらず綺麗だよ」

「ふふ、ありがとう。貴方は少し老けたわね、鞍馬」

「酷いな」

「色々と背負い込みすぎなのよ。悩み過ぎるのは貴方の悪い癖よ」

「分かってはいるんだが」

「分かってるだけじゃ駄目。もっと、私や副長も頼りなさい」

「……ありがとう、セリス」

「いえいえ」

「しかし、30歳かあ」

「ちょっと、話を戻さないでよ」

「いや、君と出会ってもう8年。結婚して6年か、ってね」

「後悔してる?」

「まさか」

「ふふ、ありがとう」

「いえいえ」

 

 

 

 

 

1982年、4月。

スウェーデン、国連軍ルレオ基地。

 

「それでは、君達の作戦行動は一定の成果を上げていると。そう強弁する訳なのだね?」

 

画面越しに男はそう言った

顔の前で両手を組み、見下すような視線が随分と威圧的だ。

だが、良く見れば右手の人差し指を一定の間隔で左手に打ち付けている辺り、本当は神経質な小心者なのかもしれない。

昨年、政争の果てに前任者を追い落とし、統合参謀会議長の座に着いた男である。

全国連軍最高責任者であるが、襟に輝くのは大将の階級章。

前議長が勇退した結果、現在の国連軍に元帥は存在していない。

彼は国連軍によるBETAに対しての華々しい勝利をもって元帥に昇進し、名実共に頂に立つ腹積もりであった。

だがその目論見は外れ、機が訪れないまま既に着任から一年が経過しようとしている。

 

議長は考える。

それもこれも、全てはこの男のせいだと。

第二次パレオロゴス作戦に失敗し、前議長を追い落とすきっかけを作ってくれたのはこの男だが、ロヴァニエミハイヴ攻略にも失敗して我が身の栄達を妨げているのもまたコイツ。

まったく、何が“ハイヴ・バスターズ”だ。“ダスターズ”の間違いだろう。ハイヴを破壊出来ずに磨き上げるだけで、はいお仕舞い。この能無しが。

しかも、自身の無能を棚に上げ、作戦は一定の成果を残している等とのたまう。ああ、忌々しい。

何が一番忌々しいかといえば、それでも前線を支えるのにはこいつが必要だというところ。

息のかかった者を代わりに置きたいが、手駒には代わりになれるような者がいない。

まったく、何から何まで忌々しい。

 

彼は、国連軍を人類の剣とは捉えていなかった。

軍とは栄達をはかるための場であり手段であって、自身の失脚に繋がらない限り、人が何人死のうが知ったことではない。

BETAなど、アメリカが開発中の新型爆弾が完成した暁にはどうせ一網打尽に出来るのだ。

それまでの間、これ以上のBETA支配域の拡大さえ抑えていてくれればそれで良いというのに、その程度すら出来ないとは。現場の人間と言うのはどうしてこうまで無能なのだろうか?

ああ、忌々しい。

 

「はい、議長閣下。

 ロヴァニエミハイヴ攻略作戦は失敗にこそ終わりましたが、作戦から5ヶ月経った今もBETAの再侵攻は起きておりません。

 また、第一次、第二次パレオロゴス作戦後のミンスクハイヴにおいても同様のことが確認されております。

 これは作戦の結果ハイヴ内のBETA数が減少し、新たなハイヴ建設を目的とした侵攻を起こすだけの個体数が存在しないからだと推測されます。

 このまま3ヶ月から5ヶ月に一度程度、ハイヴ攻略ではなくハイヴ内のBETA総数を減らすことを目的に、いわば間引きを続けていくなら、ロヴァニエミから新たなハイブが生まれることは阻止できるかと思われます」

 

……確かに、オルタネイティヴ3からの報告書にも、その様な記述があった。

BETAが新しいハイヴを建設する条件は、既存ハイヴ周辺のBETA固体数がある基準までに達し飽和状態になった場合であると推測される、だったか。

なるほど。これが事実ならば五次元効果弾開発までの時間稼ぎが容易になる、か。

いいだろう、考えを改めようではないか。

この男、黒須鞍馬大佐は無能ではなく、低能である。

進言された作戦を遂行し続けた場合、人類戦力は徐々にすり減らされ、いざ事を起こす際に体力が残っていないことになりかねない。

この男はそこに考えが及んでいるのだろうか?

……だが、まあいい。私にとってはその方が都合がいいというもの。

人類に勝利を導くのは、わが祖国アメリカの五次元効果弾であり、そしてその作戦を指揮するのは、この私であるべきなのだから。

 

「具体的な作戦案はあるのかね、大佐?」

「はい、議長閣下。

 概略を述べますと、戦場となる作戦区域から30km程度の距離を目安に自走砲及びMLRSを、また、ロヴァニエミを流れるケミ川にもハイヴより下流に戦闘艇を配備。それぞれからハイヴへと向けて砲撃を行ないます。可能であれば、この段階の攻撃を軌道上から行なうのが理想的であります。

 ハイヴよりBETAが燻し出されたところでBETA群に対してAL弾を中心とした支援砲撃。次に戦術機部隊がBETA群を誘導、砲撃部隊のの射程内へと導きます。別部隊による光線属種の排除もこの段階で行ないます。

 誘導が完了したなら砲撃部隊による制圧を行い、BETA数を漸減させます。後はこれを繰り返し、予定数を殲滅したところで作戦の終了となります。

 以上の内容に関しましては、具申書を既に提出させていただいております。ご一読いただければ幸いであります」

「……いいだろう。君の意見を元に、統合参謀会議にて作戦を立案しよう。黒須大佐、ご苦労だった」

「はっ、ありがとうございます。斯くなる上はこの身の……」

 

通信は既に切れていた。

疲労を感じる。肉体にも、精神にも。

ふうと、大きく息をついて鞍馬は椅子に崩れ落ちるように腰掛けた。

 

「あやつの相手はよほどに堪えると見えますな、大佐」

 

横に控えていた大隊副隊長であるラダビノッド少佐が労いの言葉をかける。

新たな統合参謀会議長が誕生するのと同時、鞍馬は大佐へ、ラダビノッドは少佐へと昇進していた。この場にはいないが、セリスもまた大尉へと階級を上げている。

だが、これらの人事は戦功があってのことではない。

“ハイヴ・バスターズ”の発足以来、2度の大規模ハイヴ攻略作戦をはじめとするその戦歴は、敗北の2文字に彩られていたのだから。

 

1980年10月、第二次パレオロゴス作戦。

1978年の作戦とは違い、全てのBETAを相手にするのは不可能と判断、少数精鋭の部隊が一気にハイヴ突入、反応炉の破壊を目指す電撃作戦であった。

“ハイヴ・バスターズ”は楔型陣形の先陣を務め、BETAに一矢報いんと奮い立つワルシャワ条約機構軍の1個連隊を見事ハイヴ内に送り込む。

突入部隊はヴォールグデータを参考に、狭いハイヴ内での活動を容易にする為、3つの大隊毎に役割を分担。

ひとつは兵站の確保。ひとつはBETAの排除。そしてそれらの部隊が倒れた後、それまで無傷で耐えた最後の最精鋭部隊が一路反応炉を目指した。

 

1981年11月、ロヴァニエミハイヴ攻略作戦。

第一次パレオロゴス作戦後のBETA大侵攻により兵力を磨り減らされた中ソ連合軍、欧州連合軍は押し込まれるような形で北欧最後の砦であるスカンジナビア半島に後退した。

半島に侵入したBETA群は1981年7月、フィンランド領ロヴァニエミにハイヴを建設する。

その排除を目的とした、今までにない、完成したばかりでまだ手薄と思われるハイヴ攻略作戦である。

基本的な作戦は第二次パレオロゴス作戦と同様の電撃戦となるが、“ハイヴ・バスターズ”はハイヴに辿り着くまでの先陣をこなした後、そのままハイヴ内に突入。低層部における兵站の確保までもを担った。

 

これらの作戦は、第一次パレオロゴス作戦でのデータと共にBETAの活動を分析する材料と、また、ヴォールグデータと同じくハイヴ内構造の貴重な資料を人類にもたらした。

だが、作戦の結果自体は、中層にようやく辿り着いたところで部隊の全滅と言う、惨憺たる物であったのだ。

 

この結果にもかかわらず、鞍馬以下数名が昇進となっているその理由を説明するならば、それは恥と共に語られる類のものであった。恥と思わぬ例外は、その辞令を下した統合参謀会議の面々のみであろう。

国連軍を率いる優秀で勇敢なる参謀達は、大規模作戦の責任者となることを拒否したのである。

作戦の最高責任者に欧州連合軍の将官を据え、作戦が成功した暁にはその功績を自らのものと称揚し、敗北の果てにはその責任を押し付ける算段であったのだ。

だが、国連軍から高級士官が参加しないわけにも行かない。バンクーバー協定にて、対BETA戦争を主導するのは国連軍であると定められているのであるから。

将官までは必要ない。あまりに階級が高いと、船頭を多くするのかと欧州連合軍からの反感を買う。なにより統合参謀会議に意見できるような立場の者では困る。

かといって中佐、大隊指揮官程度では役者が不足。国連軍にはやる気がないのかと、これまた反感を買うだろう。

となれば、大佐が適当か。現場の責任者となれる階級であれば敗戦の罪も問い易い。佐官ならば、いざとなれば容易に首も切れる。

鞍馬の昇進のその理由は、この参謀達の誇り高き打算が故であった。

それにしてもと、鞍馬は考える。中尉として国連軍に入隊してより、自身の働きが評価されての昇進は大尉になったときのみであるとは。

よくよく、他人に翻弄される星の下に生まれてきたらしい。

 

「すまないな、ラダビノッド。こんな部隊に呼んでしまって。

 随分と貧乏くじを引かせた」

 

椅子に深く腰掛け、上を向いて瞳を閉じた鞍馬が、重々しい声を出す。ラダビノッドは、こんなところで埋もれていて良い人材ではないと、そう鞍馬は考えている。

自身には、指揮官としての才はない。部隊発足からの2年半で、鞍馬はそう思い知っていた。

自分が率いて最適の結果を出せるのは、せいぜい大隊まで。連隊以上となるとそうもいかない。

10の戦力を率いて10の力を出させることは出来るだろう。9や8、時には7や6の力しか発揮させられない指揮官も少なくない中、十分に水準を満たしているとは言える。

だがこの部隊に、これからの人類に必要なのは10を率いて12の力を引き出せる指揮官なのだ。

自分には出来ない。自分はやはり戦士であり、指揮官ではなかった。今の先陣を切る戦い方も、連隊長ともなると流石に不可能となる。そうなれば、自身の戦士としての力も発揮できなくなるのだ。

 

だが、この男は違う。

鞍馬の見るところ、ラダビノッドは時に10の戦力に15の力を発揮させることの出来る、稀有な才能を持つ男であった。いつか連隊長、あるいは戦術機部隊の司令として多数の兵を率いる立場に就くことだろう。

もし“ハイヴ・バスターズ”が連隊規模に拡大されることがあるなら、指揮官の座は彼に譲ろうと、そうも考えている。いや、むしろ今すぐに交代したほうがより良い結果を残せるに違いない。

鞍馬がそれをしない、出来ないでいるのは、先程通信をしていた議長をはじめとする統合参謀会議の面々が理由だった。

いつか奴等は“ハイヴ・バスターズ”を切り崩しにかかるだろう。

敗北の責を問われつつも、現在は戦力として貴重が故に断罪されるまでには至っていない。だが、これもいつまでもつか分かったものではない。部隊の生みの親とも言える前議長は話の分かる男であったが、現議長は自分等を駒としか見ていないのだ。いや、忠誠を誓う手駒でない以上、それ以下というべきか。

統合参謀会議が死刑執行の決断を下す時、ラダビノッドのような才溢れる男を生贄にするわけにはいかない。

だからこそ、今の隊長は俺でなければならない。罪を問われ石を投げられるのは俺だけでいい。

 

「……見縊らないでいただきたい、大佐。私がこの部隊にいるのは貴方に呼ばれたからに過ぎないとでも?

 これでも、この部隊で貴方と、彼らと共に戦うことに誇りを抱いているのですがね」

「……ラダビノッド」

 

鞍馬の自嘲めいたぼやきに返すラダビノッドの言葉は、真摯に満ちていた。

俺がこいつを信頼しているように、ラダビノッドもまた俺のことを信頼してくれている。

それが、素直に嬉しかった。

 

「上があれでは、貴方も苦労する。

 まったく、このような世の中だと言うのに外道ばかりがのさばるとは。人類は、歴史からなかなか学べないようですな」

「ラダビノッド。お前の言うことはもっともだが、そんな正直な物言いだと出世するものもしなくなるぞ」

「なに、貴方でさえ大佐になれたんだ。ならば准将程度にはなれるでしょう」

 

そう言ってにやりと笑う。

鞍馬は苦笑で答えざるを得なかった。

コイツもここの空気に随分と染まったものだ。感染源は、言うまでもなくオチムシャの奴だな。

そのオチムシャもまた、ラダビノッドと同様に鞍馬が身を挺して庇おうと思っている者の一人である。

中隊を率いる戦術家として、特に後衛から前衛部隊を支援するのに高い適性を持つ男だが、それ以上に奴には戦略家としての素質がある。

間引き作戦の概要を立案したのも、実のところ奴だ。

いずれ幕僚の一人として統合参謀会議に名を連ねてもらいたい。あれで人類の行く末を真に案じている男だ、今のハイエナ共よりよほど良い働きをしてくれるに違いないだろう。

だがその道は、BETAと直接剣を交えるよりもなお茨に覆われていることになるだろうか。あの男、現議長は決して無能ではない。むしろ稀に見る才覚を持っているとも言える。自身が登りつめることに関しては、だが。

政略の世界で彼と戦うなど、鞍馬には考えもしたくない部類のことだ。

自分を戦略家ではないと評した鞍馬であるが、それ以上に政略家としての資質などは皆無である。

智に劣るわけではない。ただ、根が真面目で融通が利かなく、お人好しであるのだ。これは個人においてはむしろ美点とされることであろうが、政治家としては欠点以外の何物でもない。

奴等の相手は俺には無理だ。オチムシャがもしその道を志すなら、全力で応援してやりたいが、俺に何処までの手助けが出来るのだろうか?

あの外道どもは……

そこまで思考が進んだところで、鞍馬の顔が苦く歪む。

いや、外道は俺も同じ、か。

ロヴァニエミハイブ攻略の為に部隊をこの地に呼んだのは統合参謀会議だが、作戦後もここに止まっているのは鞍馬の意志に違いないのだ。

 

パレオロゴス作戦後のBETA大侵攻以後、戦線は西へ西へと後退を続けている。

鞍馬のかつての戦友であるワルシャワ条約機構は、ソ連のアラスカへの撤退を受け東ドイツを新たなる盟主とした東欧州社会主義同盟を結成、欧州連合と共にベルリンを最後の砦として決死の防衛戦を行なっている。

だが、その陥落は時間の問題と言えよう。

その現状を前にして、鞍馬は北欧から欧州へと帰還しなかった。

欧州を、見捨てたのである。

 

もはや、欧州の陥落は避けられない。

いかに自分が、“ハイヴ・バスターズ”が奮闘しようとも、その寿命をわずかに延ばすことがせいぜいだろう。

ならば、今自分に出来る最善手はここ北欧にて、まだ若く相手取りやすいロヴァニエミハイブに対して、人類がBETAに対抗する手段を模索することではないか。

 

ひとつの成果として、間引き作戦を編み出した。現状維持の手段でしかないが、幾ばくかは人類の寿命を延ばすことが出来るだろう。

後はハイヴを攻略する手段だが……

イメージしている戦術はある。

あの地獄と呼ぶのも生ぬるいハイヴ内において、前進する為にいちいちBETAを駆除していくというのは無理がある。ならば奴等を無視し、その頭の上を飛び越えて最深部を目指せないものか。

この思い付きに可能性を感じた鞍馬は、技術開発部と密に連絡を取ってその実現を模索したのだが、望みは見事に砕け散った。

まず、ハイヴ内を飛んでいく場合、推進剤が保たない。現状の戦術機では、搭載できる燃料もその燃費もまったく足りないのだ。

ならば、飛行は最小限に留め、噴射跳躍を繰り返してはどうだろうか?

これも駄目だった。着地後の硬直を消せないのだ。ある程度までは腕によってカバーできるが、完全に硬直を消すのはセリスにすら不可能である。

これでは、着地をBETAに襲われてはひとたまりもない。

動作後の硬直を任意に取り除くことを可能とするOSの開発を求めてみても、CPUの性能がまったく追いつかず不可能であった。

開発部の人間は言った。望み通りのOSが完成するにはあと30年、天才が現れて技術革新があったとしても20年はかかるだろうと。

 

鞍馬は疲労を感じていた。肉体にも、精神にも。

休む間もない戦いが肉体を蝕み、欧州を裏切った罪悪感が精神を削り取る。

打つ手なし、か。

もう休め、お前は十分に良くやった。心の奥から浮かび上がる誘惑に心が折れそうになる。

半ば無意識のうちに、右手がポケットの中をまさぐった。

取り出したのは、きちんとパスケースに収められた一枚の写真。

中央に鞍馬と、蒼也を抱いたセリス。その周りに月詠翁、雪江、月乃、花純。そして真耶と真那。

そこに写る皆、にこやかな微笑を浮かべている。

ああ、そうだ。投げ出して、死ぬのが俺一人なら何も問題ない。だが、この人達のこの笑みを消す訳にはにいかないではないか。

まだ、こんなところで諦められない。

生きている者達を護る為にも、死んでいった者達の想いに応える為にも。

ひとつ頭を振り、気を込めなおすと勢い良く立ち上がる。

 

「ラダビノッド、ブリーフィングルームに皆を集めてくれ。数日中に作戦が発動されるだろう。それに、皆に議長閣下のありがたいお言葉を伝えなくてはいけないからな。」

 

歩き出した鞍馬の歩調は、既に普段どおりのものに戻っていた。

ついつい悩みふけってしまうのは俺の悪い癖だ。俺は俺に出来ること、最善と信ずる道を進むのみ。

例えその道が血塗られていようとも。最後の、その瞬間まで。

 

 

 

 

 

一週間後、ロヴァニエミハイヴに対する間引き作戦が実行される。

使用した弾薬等、装備面における消費は多大なものとなったが、人的損害は最小限に抑えられ、作戦は成功のうちに完了した。

 

その後、3ヶ月にわたりロヴァニエミハイヴからの新たな侵攻は認められず、間引き作戦の有用性が実証されることとなる。

この成功を受けて、作戦を立案した国連軍統合参謀会議及びその議長に対する賞賛の声はとどまるところを知らず、その名声は全世界へと響き渡る。

この戦功により、彼は元帥への昇進を果たすこととなった。

 

 

 



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15話

 

「彼は良き衛士であった。

 良き部下であり、良き上官であり。……そして、良き友であった。

 我等は、彼を忘れない。

 彼の戦いを、彼の生き様を、語り継ごう。我等の命ある限り。

 麦穂落ちて新たな麦となるように、彼もまた新たなものとなる。

 その身は新たなる戦場へと旅立つが、その魂はいつまでも我等と共に。

 ……良い旅を。

 ゴッドスピード」

 

『ゴッドスピード』

 

 

 

「……あの、何で戦死したみたいな感じになってんスか?」

 

 

 

 

 

1983年、4月。

スウェーデン、国連軍ルレオ基地。

 

ベルリン、陥落。

その報は大きな悲しみと、沸き起こる怒りと、そして諦めにも似た感情を旅の友として全世界を駆け巡った。

第二次世界大戦において2発の原子爆弾を投下されて尚、ドイツの首都として奇跡的な復興を遂げていたベルリン。

その人類の生命力を象徴するとも言える街、かつて人の手によって破壊されたその街並みに、今また葬送の調べが鳴り響く。

今度は、人類に敵対的な地球外起源種の手によって。

ブランデンブルク門も、アレクサンダー広場も、カイザーヴィルヘルム記念教会も、ベルリン大聖堂も、シャルロッテンブルク城も、ペルガモン博物館も。

歴史的建造物もそうでない物も、BETAにとってその差はない。全て平等に破壊し尽くされ、飲み込まれていった。

……無機物だけでなく、有機物もまた、分け隔てなく。

 

ここ、ロヴァニエミハイヴに対する人類の砦、スウェーデンは国連軍ルレオ基地においても、その凶報を耳にしたものの顔は暗い。

最後の砦たるベルリンの陥落、それは即ちBETAの支配域がついに西欧に至ったことを意味していた。

西ドイツ、フランス、イタリア、イギリス。それら西欧各国が直接戦火に晒されるときが来てしまったのだ。

この基地に所属している者には、これらの国を母国としているものも少なくない。

欧州連合軍ではなく国連軍を選択した理由はそれぞれではあるが、故郷を戦火に晒すこととなってしまった怒りと悲しみの心は同じくするものであった。

 

PXにて、戦況を知らせるテレビを見つめる一人の日本人の心にもまた、同じ気持ちが沸き起こっている。

違うのは、その対象。当然、BETAに対する物もある。その怒りはこの場の誰よりも大きいと言えるかもしれない。

だが、それ以上に己の不甲斐無さに対しての怒りが彼の心を燃え上がらせる。

この基地内において、彼を悪し様に罵る者はいない。彼と彼の部隊が成してきた、そして今も成している功績は決して小さなものではない。

だが、ベルリンを護ろうと命を懸けた者達、かつての彼の戦友達からの評価は厳しいものがあった。

 

“裏切者”

最大の激戦区であるベルリン防衛から逃げ出し、北欧に引き篭もっている臆病者。それが彼への評価であったのだ。

もちろん、それが公正な評価でないことは彼ら自身、良く分かってはいる。北欧もまた重要な人類の版図であり、誰かが護らなければならないこと。それに軍人である以上、赴任先は己の都合のみで決めることなど出来ず、上層部の意思がそこには必ず絡んでくること。

だが、誰かに負の感情をぶつけないことには、誰かを生贄に捧げないことには、どうしてもやりきれなかったのだ。

そして、彼を率いる国連軍統合参謀会議がまた、その黒い炎に油を注ぐ。

人類の剣たることを義務付けられているにもかかわらず、その任を放棄している。国連軍がBETAの侵攻を抑えられないのは彼にこそその責があると、そう仄めかしてくるのだ。

 

もちろん、表立っての発言ではない。これを正式な発言としてしまえば管理能力を問われ弾劾を受けるのは統合参謀会議自身に他ならない。

自身を傷つけることなく、世論を彼にこそ敗因があるかのように誘導する。敗戦の責任を他者に押し付けるその政治力には卓越したものがあり、確かに現議長は一角の人物であるに違いなかった。

もし、彼の心に溢れる人類愛があったならば、或いはこの暗黒の時代に希望の光を灯した英雄として、歴史に名を残していたかもしれない。

だが、誰にとっても不幸なことに、議長の望みは現世での栄達、己の利益のみであったのだ。

 

さらに、彼自身がそれらの評価を否定しようとはしない。

決して逃げ出したわけではない。だが、ベルリンを、欧州を見捨てたことは否応もない事実であるのだから。

そして、そこまでしても尚、BETAに対する有効策を見出すことが出来ないでいる。その不甲斐無さが、彼の心に焦燥と自責という名の炎を燃やすのだ。

故に、甘んじて受け入れる。裏切者の名を。

 

黒須鞍馬大佐。

かつて東欧にて国連の侍と呼ばれ讃えられたその名声は地へと堕ち、人類敗北の負の象徴として黒い光を放ちつつあった。

 

 

 

「……以上、小型種を除き師団規模、約1万体のBETAの漸減に成功。また、こちらが友軍の損害となります」

 

大隊高級指揮官用の執務室にて鞍馬は、セリスより前回行なわれた間引き作戦の結果報告を受けていた。

この執務室に机があるのは隊長である鞍馬とその副官セリス、後は二人の中隊長となっている。大隊を構成する幹部が揃っている為、ミーティングの際はわざわざブリーフィングルームを確保せずにこの場で行なってしまうことが多い。

報告内容は満足のいくものであった。

北欧戦線の場合、ロヴァニエミハイヴ傍を流れるケミ川を始めとする多数の河川、さらに無数に点在する湖に戦闘艇を配置出来るという地理的条件に恵まれており、対BETA戦闘を有利に進めることが出来る。

この戦術を編み出したのもまた、“ハイヴ・バスターズ”の功績のひとつだ。

そしてなにより、間引き作戦の有効性。

半ばルーチンワーク化してきた間引きであるが、国連、欧州連合の北欧方面軍も作戦行動に慣れてきており、それだけに確実な成果をあげることが出来るようになってきている。

 

もっとも、間引きにもデメリットはある。

比較的少ない人的損害でBETAの侵攻を未然に食い止めることが出来る代わりに、弾薬をはじめとする物資を大量に消費することがそれである。

間引きを定期的に行なっていけばBETAの大規模侵攻を阻止できるが、物資を備蓄に回す余裕がなくなるため、ハイヴ攻略を目標とした大規模反抗作戦が実施できなくなるのだ。

間引きとは、良くて現状維持、悪くすれば人類側が一方的に体力を削られていく時間稼ぎの作戦にしか過ぎない。

 

だが、現状はそれで良いと、鞍馬は考えている。

BETAに対する有効策を見出せないままにハイヴ攻略戦を行なったところで、失敗に終わるだけだ。

それならば、下手に体力をつけてハイヴ殲滅すべしとの声が上がらない、現状維持のほうがましと言える。

今人類が最優先で行なうべきことは、BETAの弱点を探ること。BETAを滅ぼす糸口を見つけることだ。

しかし、大規模作戦を行ないハイヴに進入、情報を集めないことにはその手段を模索することも出来ないという現実もある。ルーチンワークの戦いでは、新たな情報を手に入れることは難しいのだ。

なんというジレンマ。

ゆっくり削り取られる道を歩むか、人類滅亡をベットして分の悪い賭けに出るか。

どちらにせよ、未来に明るい光は見えない。

 

 

 

そろそろ、頃合だろうか。

ここ北欧にてやれることは、全てやり尽くしたように思える。

最後の一兵に至るまでこの地を護るなどということは出来ない。それが出来るくらいなら、はじめからベルリンで散っている。

比較的安定している北欧から、新たな地にて対BETA戦術を練るときが来たのだろう。

西欧は駄目だ。あの地では日々の防衛に追われ、こちらから試験的な戦闘を仕掛ける余裕などありはしない。

ならば、インド亜大陸だろうか。今までヒマラヤ山脈に遮られていた喀什からのBETA侵攻だが、山脈を迂回して先を目指そうとする動きが観測されている。

となると、マシュハドハイヴを経由し、イランやイラクと言った中近東方面からの侵攻が予想される。過去のハイヴ建設地点を鑑みれば、イラクやサウジアラビア辺りに新たなハイヴの建設も予測出来る。ロヴァニエミでは失敗したが、出来立てのハイヴが攻略しやすいことは間違いない。ならば、“ハイヴ・バスターズ”をこの方面に移動させることは、対BETA戦術を探る上でも、人類の版図を護る意味でも……

 

(……今、俺は何を考えていた……)

 

愕然とした。

今、新たなるハイヴの建設を歓迎していなかったか、俺は?

既存ハイヴ攻略の糸口を探す為のテストケースとして、出来立てのハイヴを望むとは。

なにが人類の版図を護るだ。何が人類の剣だ。どの口でそんなことをほざく。

 

……疲れているな。

“ハイヴ・バスターズ”設立からこちら、休みを取ったことなどなかった。ただ只管に訓練を重ね、我武者羅にBETAを屠る日々。蓄積した疲労が、血の代わりに澱のように濁ったものを体内に循環させる。

だがその肉体的疲労だけではない、行き場のない精神的疲労が鞍馬を壊そうとしていた。

 

「……大佐?」

「隊長、大丈夫っスか?」

 

突然頭を抱えて黙り込む隊長の様子に、二人の中隊長が気遣わしげな声をかけてくる。

その声を受け、ゆっくりと頭を左右に振ると、数秒の沈黙の後に鞍馬は言葉を発した。

 

「……いや、何でもない。他に報告事項はあるか? 無ければ今日のミーティングはこのくらいで……」

「疲れているのにごめんなさい、鞍馬。これを……」

 

場を閉めようとする鞍馬に、セリスがおずおずと数枚の書類を手渡す。それを見た鞍馬の顔に、諦観が浮かんだ。

 

「ああ……何人だ?」

「……3人です」

「……今回は多いな」

 

“ハイヴ・バスターズ”発足から3年半、今まで隊員の入れ替わりが無かった訳が無い。

或いは戦死。或いは負傷して衛士からの引退。或いは上層部からの異動命令。或いは……

理由はさまざまなものがある。東欧から共に戦った仲間も半数に減った。だが、ここに来てある理由からのものが増えていた。

セリスが差し出した書類、それは異動願いであった。

 

今や人類の負の象徴となりつつある“ハイヴ・バスターズ”。裏切者と呼ばれ、臆病者と謗られる。その重圧に耐え切れず隊を移りたがる者が出始めているのである。

鞍馬は、その異動願いを握りつぶしたりしない。いや、鞍馬に限らずそれは前線指揮官の常でもある。

お互いに命を庇いあう衛士達にとって、仲間との絆は何にも変えがたいものである。お互いがお互いを信頼し、信用し、想い合うからこそ命を預けることが出来るのだ。

にもかかわらず、隊にいるのを望まない者がいてしまうとその絆は途切れ、部隊全体が危機に晒されることとなる。

その為、異動願いを握りつぶすということは、自身と部隊の命を縮めることに他ならない。

もっとも、本来であればこのようなケース自体が珍しいことだ。同じ戦場で共に戦ううちに、それだけで自然と絆は育まれてくるものである。

それだけに、異動願いを出されてしまった者は指揮官失格の烙印を押されてしまったに等しい。

 

「すまないが、手はずを整えておいてくれるか? 詳細が決まったらまた報告してくれ」

「……分かりました」

 

セリスに指示を出し、異動願いを見て自嘲するように小さく笑うと鞍馬は退出していった。

背を伸ばし、毅然とした態度をとるその背中が、何故か小さいもののように思えた。

鞍馬を見送り、3人が残された部屋の中をしばし沈黙が支配する。

 

「……問題だな」

「そうっスね」

 

中隊長二人の認識は等しい。

我等が大隊長殿は今、破裂する寸前の風船だ。

悩み。惑い。色々なものを抱え込んで膨れ上がりながら、その中身は空虚なものでしかない。

このままではいけないということは鞍馬自身も分かっているのだろう。

何とかしなければ、ラダビノッドもまた苦悩する。

統合参謀会議が当てにならない以上、やれることは自分達で行なうしかない。対BETA戦術の模索然り、人類の版図を堅守すること然り。

だが、どうすればいいというのだ?

鞍馬の風船を割らない為に、自分が出来ることは何であろうか?

今でも十分に隊に貢献しているという自負はある。副隊長として、自分以上の適任はいないであろうと自信を持って言える。

だが、今の自分の立場で現状を打破することは可能なのであろうか?

 

「すいません、私、行ってきます」

 

再び黙り込む二人に、セリスがそう言って席を立つ。

 

「ああ、大佐のことをよろしく頼む」

「はい、もちろん。私では鞍馬の荷物を背負いきれないけど……。でも、傍で支えるくらいは出来ますよね」

 

そう言って微笑む姿が、ラダビノッドにはとても美しいもののように思えた。

セリスが部屋を出た後も思わず扉を見つめ続ける彼に、残されたもう一人が発したのは普段通りに思える軽口だった。

 

「だめっスよ、副隊長殿。セリス大尉は自分が先に目をつけたんスから」

「……そもそも、彼女は大佐の妻であろうが」

 

ああ、それは言わないでと、わざとらしく天を仰いでみせる。

 

「まったく……貴様とも長い付き合いとなったが、未だに何処まで本気なのだが分からん奴だ」

「お褒めに預かり」

「……褒めているように聞こえたか?」

「ええ、もちろん」

 

自然と漏れた苦笑いに、ラダビノッドは先程までの陰鬱とした空気が一瞬で入れ替わっていることに気がついた。

まったく、これで本当に頼りになる男だ。

 

「下手な考え休むに似たり、っスよ。副隊長も隊長と同じタイプなんスから、いくら考えたって煮詰まってどろどろになるのが落ちってもんスよ」

「……手厳しいな」

「事実っスから。まあ、自分にひとつ考えがあるんで、明日のミーティングは任せてもらえないっスかね?」

 

そう言って、慣れた様子でウインクをひとつ。

反応に困るラダビノッドをその場に残し、彼も部屋から退出していった。

 

 

 

明くる日の、ミーティング。

部隊をインド亜大陸方面へと移動させるという案を皆に話そうとした鞍馬は、目の前に差し出された一枚の書類を前に、自らの時間が停止したような絶望を感じることとなった。

差し出したのはチャーリー大隊を率いる大尉。鞍馬が彼と出会って早7年。部隊の中でセリスの次に付き合いが長い。

それだけの間、共に戦った彼が手渡してきた一枚の──異動願い。

 

「すんません、そう言う訳なんで、抜けさせてもらうっスね」

 

ついに、コイツにも見放されたか。

それも詮無きこと、か。まっとうな神経をしていては、ここにいるのは無理というものなのだから。

 

「……あなた、どうして……」

 

セリスが頬に一筋の後をつくりながら、そう、震える声を絞り出した。

その表情に、流石にばつが悪そうに頭をかきつつ、彼は言う。

 

「いやー、正直、隊長見てらんないんスよね。疲れるっていうか。

 言っちまえば、たかだが大佐の前線指揮官に過ぎないのに、それなのに全人類の運命を背中に背負ってるつもりみたいなとこなんて……寒いっスよ」

「貴様っ! 言うに事欠いてなんだその台詞はっ!」

 

思わずラダビノッドが声を荒げるが、それを鞍馬が手で制す。

そのままたっぷり10秒ほども固まったか。ようやく落ち着きを取り戻した鞍馬が言葉を返す。

 

「……分かった。今まで世話になったな。お前なら、何処の隊にいってもやっていけるさ」

「いや、どこぞの隊で中隊長。少佐になって大隊長ってのも悪くはないんスけど……自分、戦術機降りますわ」

 

再び時が止まった。

衛士を辞める……だと?

が、冷静になって考えてみれば、それもまた仕方のないこと、か。

衛士が、衛士として働ける時間は短い。肉体的にも精神的にも精強であることが求められる衛士にとってその衰えは即、死に繋がるものであるのだから。

年齢が30を超えるようになってくると、どれだけ鍛えていたとしても、どうしても衰えが見え始める。

人類初の戦術機、F-4が実戦配備されてから9年。最初に衛士の道を歩んだ者達の中で、今も現役にある人間ははっきり言って少数派だ。多くの者は戦術機の教官職に就いたり、幕僚として各基地に赴任したり。死の8分を乗り越え、実戦で己を鍛え上げた者達は軍にとって大きな財産であり、その能力を後進に伝えることが求められてもいるのだ。

鞍馬自身はまだまだ衛士を辞める気などまったく無いが、同世代の人間がその決断を下したとしても、寂しくこそあるが仕方のないことだとも思う。

 

「そうか。だが、軍を辞めるわけではないのだろう? お前の能力、是非人類の未来の為に伝えて欲しい」

「いやー、すんませんけど、教官って柄でもないんで」

「……そうか。だが、お前の人生はお前のものだ。残念ではあるが、軍の外に未来を見つけたならそれも良いだろう。その道が如何なるものであれ、俺はお──」

「いや、軍、辞めないっスよ?」

 

そこで、ようやく気付いた。

コイツは、俺の考えを、言葉を、ある終着点へと誘導しようとしている。

 

「……本気か? 茨の道だぞ」

「いやー、大丈夫っしょ。皆さんご存じないでしょうけど、自分、性格悪いっスから」

「初耳だな。貴様の性格が悪いことを、我等が知らなかったなどとは」

 

ラダビノッドもまた悟ったようだ。ニヤリとした不敵な笑みを浮かべ、合いの手を入れた。

それに同じ笑みを返し、言葉を続ける。

 

「さっきも言いましたけど、隊長はたかだか大佐で、本来は前線の一指揮官に過ぎないはずです。それなのに、背負う荷物が多すぎる。それもこれも、理由はひとつっスよね?

 隊長は、あれこれ思い悩むよりも、只一人の衛士として隊を率いたほうが絶対能力を発揮できるはずなんスよ。

 ……だから、自分に任せてください」

 

その言葉を聞いて感極まったセリスが歩み寄り、その体を抱きしめた。

 

「うお、いいんスか、大尉。隊長より満足させて見せますよ?」

「馬鹿、今だけよ。ごめんなさい、あなたに大変な道を歩ませるわね」

「その言葉だけで10年戦えますよ、自分は」

 

彼の体をもう一度きつく抱きしめ、セリスが離れる。

その彼女を、ラダビノッドを、鞍馬をしっかりと見つめて。

彼はこう、言い切った。

 

「統合参謀会議、そこに入ります」

 

魔窟に飛び込むと、そう宣言をした。

現在の腐敗に満ちた統合参謀会議を健全なものに戻すのは、政治力の塊である現議長を追い落とすのは、並大抵のことではないだろう。

だがその瞳には自身に対する絶大な信頼が宿り、輝いていた。

彼は最後にゆっくりと鞍馬へと向き直り、万感の思いを込めてこう言った。

 

「そうだ、推薦状書いてもらえます? 能力は十分っスよね?」

 

 

 

 

 

1983年、5月。

スウェーデン、国連軍ルレオ基地。

 

鞍馬の書いた推薦状も役に立ったのであろうか。

それとも、何か伝手でもあったのだろうか。

自身で上層部とあれこれやり取りを続けた結果、彼は本当に統合幕僚会議の末席へと赴任することとなった。……少佐への昇進をおまけにつけて。

本当にどんな魔法を使ったものなのか、そんな彼になんとも形容しがたい空恐ろしさを感じる鞍馬である。

 

隊をあげての壮行会には、基地に所属する他の部隊からも多数の人が顔を出し、その意外な──と言っては失礼だが──人脈の広さと人気の高さに驚かされた。

どうやら、鞍馬の知らないところで色々な人間からの様々な事柄に対する相談相手として活躍していたらしい。彼との別れを惜しみ、そして新しい道を歩む彼を激励し、彼を中心とした人だかりが出来ている。

何故か、彼を慕う者達のことを呼びあらわすのに、彼等ではなく彼女等と表現したほうがいいように見えるのだが、それは気のせいだろうか?

 

「大尉、この間みたいに抱きついて別れを惜しんでもらえないんスか?」

「少佐殿。私のような子持ちの三十路女性より、あちらに居並ぶ若い子達のほうがよろしいかと思われますが」

 

そんなセリスとのやり取りが聞こえてくる。

本当に、彼には何度も救われた。戦場では命を拾われ、後方では沈んだ空気を上向きのものへと入れ替えてくれる。

思い返し、改めて考えると、本当に自分には過ぎた部下であったように思う。

 

やがて、彼が鞍馬の元へとやってきた。

頬と首筋に口紅の跡がついているのは見逃してやろう。

 

「すんません、隊長。ご挨拶が遅れまして」

「それは構わんがな。いいのか、あっちは放っておいて」

「大丈夫っス。副隊長に任せましたから」

 

見れば、多数の女性よりからかい半分にしな垂れかかられ、あたふたしているラダビノッドの姿が。

普段冷静沈着なラダビノッドには珍しい。堅物だとは思っていたが、女性にあそこまで免疫がなかったとは。

ああ、俺は本当に、余裕がなかったのだな。

多数に慕われる彼も、女性に弱いラダビノッドも。部下達のそんな一面をまったく知らなかった。

いつの間にか、戦闘に関わる面以外のことは、知る余裕がなくなっていたのだ。こんな状態では、何をやっても上手く行くわけなどない。

これも、それとなく彼が悟らせてくれたのだろう。

まったく、最後の最後まで、世話を焼いてくれる。本当に過ぎた部下だ。

 

「今まで、世話になった。もうオチムシャなどとは呼べないな」

「何言ってんスか。自分が今ここでこうしているのも、全て隊長のおかげっスよ。“ハイヴ・バスターズ”が発足してから600ポイントの借りは返しましたけど、新たに2800ポイントほど借りが出来てる程っスから」

 

おなじみとなった軽口を叩く。しかしその直後、彼は急に真面目な表情となって鞍馬に向き直った。

 

「残りの借りは、これから返します。自分の意見が会議内で通るようになるまで少し、待っていてください」

「……俺が、お前にそこまで何かしてやれたとはとても思えない。むしろ、俺が受けた借りのほうがずっと多いだろうさ」

「そんなことないっスよ。隊長は、自分を過小評価しすぎです。隊長の戦う姿を見て、どれだけの人間がどれほど勇気を奮い立たせられたか。その姿がどれほどの希望を与えてくれたことか。

 英雄の資質ってもんがあるとするなら、黒須鞍馬は間違いなくそれを持っていますよ」

 

これは口説き文句か何かか?

その真剣な表情と言葉に、思わず顔が赤くなる。

……なるほど、彼女達の理由が良く分かった。

 

「照れて仕方がないからこれ以上は勘弁してくれ。……だが、その気持ちはありがたく受け取っておく。その想いに応えられるよう、精進させてもらうとするさ」

「なら、借りを返すことも了承たのんまスね」

 

二人はいつかの様に拳と拳をゴツンとぶつけ合い、互いの行く道を激励しあう。

間違いない。

こいつは俺の最高の部下であり……最高の友だ。

微笑を湛えて見合う二人。と、そのうち一方の顔がニヤリと歪む。

 

「あー、でも、隊長が現役のうちに発言力持てるかどうかは分からないんで、駄目だったら今まで通り苦労してくださいね」

 

二の句が継げず、間抜けな表情を浮かべてしまう鞍馬。

まったく、コイツは本当に。

最後の、最後まで。

その顔を見やった彼が、いつかのように、得たりと満足気に頷いた。

 

 

 



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16話

 

「戦って、戦って。ここに来て、ようやく何とか勝ちを拾えるようになってきたか」

「そうね。まだ人類の反撃なんて言えないかもしれないけれど……大丈夫、人間は結構しぶとい生き物よ。最後にはきっと勝てるわ」

「……なあ、セリス。俺は最後まで戦えるかな?」

「鞍馬?」

「不安なんだ。俺のこの人類を護りたいという気持ちは本物なのかって。俺の力で誰かを幸せにすることが出来るのかって。……本当はもう血を流したくない、君と蒼也と静かに暮らしたいと思っているんじゃないかって」

「……鞍馬」

「勝てるようになってもこれだ。本当に、俺は心が弱いな」

「大丈夫。貴方のことは私が一番良く分かってる。貴方は英雄って言う柄じゃないかもしれないけど……貴方のしてきたこと、これからしていくことは決して無駄じゃない。

 歴史に名を残すようなことは無いかもしれないけど──貴方は間違いなく、人類の救世主の一人よ」

「随分と持ち上げてくれる。……でも、ありがとう、気が楽になったよ」

「ううん、貴方の背中を護るのが私の仕事だから」

「……セリス、俺が救世主というなら、俺を救ってくれた君こそが本当の救世主だ」

「……鞍馬」

「これで何度目かな、この台詞は。でも、何度でも言うよ。

 セリス、愛してる。……共に、戦おう。共に、生きよう」

「はい……よろこんで」

 

 

 

 

 

1987年、12月。

インド亜大陸戦線。

 

イラク領アンバール。

いまより3年の前、この地で行なわれた人類の生存を掛けた戦い、瀬戸際でのハイヴ建設は阻止することが出来なかった。

その後のフェイズ1ハイヴ攻略作戦も失敗に終わった。

いまこの地に屹立する醜悪なモニュメントを見やる者達の瞳に灯る炎は、自らの身を焼きつくさんとするほどに熱い。

家族の、友の、自分自身の、仇。

ここ中東方面に住まう民の血気盛んな民族性もあり、集結した将兵の戦意は止まる所を知らず、開戦の狼煙が上がるのを今か今かと固唾を呑んで待ちわびていた。

 

「やれやれ、これは手綱を握るのに骨を折りそうだ」

 

今回の作戦はハイヴ攻略戦ではなく、大侵攻を未然に防ぐ為の間引き作戦だ。高すぎる戦意はむしろマイナスに働く怖れがある。さて、どこぞの部隊が暴走しないように見張っておかなくてはな。

作戦司令に任命された、国連軍所属の将官がそう呟きを漏らす。欧州戦線で古強者の指揮官として名を馳せていた彼は、BETAの南進を抑えるべくこの地に派遣されてきた。

無論、欧州の現状が楽観の方向に傾いたわけではない。むしろその逆。85年にハンガリー領ブダペストに、86年にはフランス領リヨンにハイヴ建設が成された今、彼がいようといまいと関係のない、最早陥落を待つだけの状態だ。イギリス、アイスランドといった島国への上陸を防げれば御の字といったところか。

それならば、インド亜大陸を欧州の二の舞にさせぬ為、まだ侵攻の初期のうちに対策を施そうと国連軍統合参謀会議は決断を下したらしい。

彼の他にも、名だたる名将、歴戦の勇者がインド亜大陸戦線へと呼び寄せられていた。

例えば、今作戦においてBETA誘導の役割を担った、国連軍随一と謳われる大隊もそう。彼等は84年、アンバールハイヴ建設と前後してこの地に派遣され、戦い続けているそうだ。ここインド亜大陸戦線においても、その前の北欧戦線においても、苛烈な戦いぶりで名を馳せているが……同時に悪い噂も色々と聞こえてくる。

彼らが今まで生き残っているのは臆病が故、そんな噂だ。それが退くべきときは退くという理性的な判断をさしたものであればなんら問題は無い。前進しか出来ない猪に長生きが出来るはずも無いのだ。だが、そうでないなら……。

 

「ご心配ですか、司令?

 大丈夫、彼等は定められた役割をこなしてくれますよ。これ以上もなく、ね」

 

作戦参加部隊一覧をみて渋い顔を作っていた司令に、一人の参謀がまるで心でも呼んだかのような言葉を掛けてくる。

ふん、なんともやりにくい。どうも、この男は苦手だ。

彼付きの司令部に所属する者ではなく、今回の作戦に限り統合参謀会議から派遣されてきた男だ。

まだ若いのに大佐という地位にある辺り、確かに優秀な人間なのであろう。その戦略眼と事務遂行能力には司令も随分と助けられた。

だが、飄々としてつかみ所の無いところがなんとも軍人らしくなく、司令のような古参の人間からすると胡散臭く感じられて仕方がない。

だが、個人的な好き嫌いで善悪を判断するほど司令は子供でも無能でもない、彼の立案した作戦は理に叶っており、それにゴーサインを出したのは司令自身に他ならないのだ。

参謀へ向けていた視線を再び手元に戻し、もう何度も見返した部隊名を確認する。

国際連合安全保障理事会組織、統合参謀会議直轄対BETA特殊作戦部隊。

“ハイヴ・バスターズ”の名がどれほどのものか、お手並み拝見といこうか。

そして、作戦開始を知らせる言葉が参加全将兵へと向けて発せられた。

 

 

 

 

 

「彼らは一体何を考えているのかね?」

 

司令は、堅実で常識的な作戦を好むタイプの軍人だった。必要な時、必要な場所に、必要なだけの戦力を配置し、勝てるべくして勝つ。それが理想だ。

確かに欧州では負け戦ばかりであったが、それでも一定の成果は残してきている。

だが、支援部隊からAL弾が放たれた後、衛星からモニターされる戦術機部隊の動きは彼の常識の範囲外にあった。

彼が想定していた作戦は、戦術機部がBETA群からある程度の距離をとって砲撃してその目を惹きつけ、その距離を保ったまま支援砲撃座標へと誘導していくものだ。効率は悪いかもしれないが、損耗を可能な限り避けるためには仕方ない。

だが、この部隊は楔形よりも更に鋭角化した、槍型とでも言うべき隊形を取り、BETA群へと向けて吶喊しようとしている。

彼の目には自殺行為としか見えなかった。

臆病という評判は何処へ行ったのか? あの隊の指揮官は日本人と聞く。或いは、これが噂に聞くバンザイ・アタックなるものなのだろうか?

死にたがるのは勝手だが、部下を巻き込むような真似を許すわけにはいかない。

兵の無駄な消耗を避けるべく、突撃中止の命令を下そうと指揮官との間に回線を開こうとした司令だが、傍らに立つ参謀がそれを止める。

 

「何も問題ありません、全ては予定通りです。まあ見ていてください」

 

“ハイヴ・バスターズ”の名は伊達ではないことを証明してくれますよ。

そう言って微笑を浮かべる参謀。

この男を信ずるべきか。それともやはり自身の判断を信ずるべきか。迷ったのは一瞬だったが、その一瞬で事態は既に変化を見せていた。

 

「バスターズ、接敵します」

 

何という用兵の速さか。

オペレーターの声が、最早中止命令の間に合わないことを悟らせた。

思わず口汚く神を罵る言葉を吐きそうになるのをぐっと堪える。

よかろう、ことここに至っては最早流れに任せるしかない。

奴が醜態を演じた時は、他部隊にまで被害が及ばぬよう指揮を取らねばなるまい。或いは、作戦の中止も考えるべきか。

もしそうなったら、必ずや軍法会議に掛けてそれ相応の罰をくれてやる。

もっとも、生き残っていればの話ではあるが……。

 

 

 

 

 

「バスター1よりバスターズ、掃除の時間だ。蹂躙せよっ、俺に続けっ!」

 

勇ましい声と共に、槍の先頭がBETAの群れへと飛び込む。

一本の長剣を両手で握り、迎え撃たんと立ちはだかった要撃級を擦れ違いざまに2枚に下ろし、その横合いから飛びかかろうとしていた戦車級を、左足を支点に機体を半回転させ、右手に移した長剣でなぎ払う。

更にその背後から振り下ろされんとする要撃級の腕は、背面担架から居合いとばかりに抜き放った左手の長剣によって斬り落とされた。

それで終わりではない。死角からの攻撃を防ぐ為に回転を止めないその機動は、やがて2刀を構えた竜巻となって新たな獲物を求め荒れ狂う。その刃圏に入ったものは抗う術も無く、血で出来た花を次々に咲かせていった。

 

「バスター4よりバスター1。速すぎよ、ちょっと浮かれすぎじゃないかしら?」

 

呆れたような声は、わずかに遅れて付き従う僚機から掛けられた。

その口調とは裏腹に、2丁構えた突撃砲から放たれる弾丸は相棒の剣で処理しきれない敵の全てを撃ち倒していく。

まあ、気持ちもわからなくはないけどね。

諌める彼女自身、興奮を抑えきることが出来ないのだから。

それ程までに、この機体は素晴らしい。

 

彼等が駆るはF-16 ファイティング・ファルコン。

部隊設立から長きに渡って共に戦い、寿命が近づいていたタイガーⅡの代替機として配備されたのは、昨年実戦配備されたばかりの最新第2世代機だった。

名機として名高いF-14 トムキャット、F-15 イーグルはその高性能故に製造コストが高い。それを補う為に対策として生まれたのが「Hi-Low-Mix」構想であり、そのLowにあたる普及機である。

Hiにあたる機体に比して小型で軽量故に拡張性、兵器搭載量こそ乏しいが、各部に革新的技術を多く採用しており、総合力においてはイーグルと比べてもなんら劣るところはない。

むしろ、機動性、運動性に優れ、格闘戦能力が高いこの機体はまさに、彼等にとって現在最良の機体であるといえよう。

そう、彼等。黒須鞍馬とセリス、そして“ハイヴ・バスターズ”にとって。

 

バスターズの誇るツートップの後には、一糸乱れぬ陣形を組み、二人が打ち込んだ楔を広げんと他の隊員が続く。その指揮を執るのはラダビノッド少佐だ。

指揮官としての手腕は自分よりラダビノッドのほうが優れている。そう考えた鞍馬は、作戦行動中の部隊運用を彼に委ねた。

結果、自身はセリスと共に先陣を切ってBETAを屠ることに集中でき、隊全体の動きもより洗練されることとなった。

暴れまわる2機が囮となってBETAの目を惹き付け、そこに残る34機が槍となって突き刺さる。知らぬものが見れば常識外れとも取られる布陣であるが、その圧倒的な突破力は他の部隊の追随を許さず、目の当たりにした者を驚愕させた。

この戦いの総指揮を執る司令もまた例外ではない。

 

「……彼らは、一体何者なのだ……?」

「国連軍が誇る人類の剣、“ハイヴ・バスターズ”ですよ、司令」

 

呆然とする司令に、ニヤリと笑みを浮かべる参謀が答える。

モニターの中のバスターズは、ついに敵陣を完全に突破、その背へと槍を貫通させることに成功していた。

しかし、彼らはまだ止まらない。

 

「全機健在だな。よし、BETAどもがまだ足りないと言っている。お代わりを喰らわせてやれっ!」

 

槍は弧を描くようにその軌道を変化させると、BETA群の背後から再び突き刺さったのだ。

繰り返される蹂躙。

そして再び槍がその体を貫いた時、果たしてBETAにも混乱という感情はあるのか、攻撃対象を見失って右往左往するばかり、完全に統制を失ったかのように見えた。

 

「BETAどもの動きが止まったっ! 彼等の戦いぶりに応えろっ! 全砲門開けぇぇぇっ! 発射ぁぁぁっ!!」

 

砲撃部隊の指揮を執る指揮官の威勢の良い号令を受け、配備されていた各自走砲、MLRSからBETA群へと向けて金属と火炎の雨が降り注ぐ。

死を与える豪雨を打ち落とさんと放たれるレーザー属種からの光の矢も厚い雲に遮られ、十分な効果を発揮できてはいない。そして、その隙に眼前に現れた2本の刀を持つ死神の手によってその命を刈り取られていった。

 

「光線属種の殲滅を確認。攻撃ヘリ部隊が出撃します」

 

CPが作戦の最終段階に入ったことを告げる。

圧倒的優位を誇る上空からの砲撃に、BETAは自身の持つ最大の武器である、その数を瞬く間に減らされ、やがて戦場に動くものは何一つ存在しなくなった。

歓声が沸き上がる。

これほどまでの完全なる勝利は、一体いつ以来だろうか。或いは初めてのことなのかもしれない。

兵達は戦いの勝利を、互いの無事を、涙を流して喜びあい、勝利の立役者である“ハイヴ・バスターズ”の名を誇りをこめて連呼する。

自分達を称える声を耳にした鞍馬は、確かな達成感に拳を握り締め、満足気に頷いた。

 

 

 

 

 

“ハイヴ・バスターズ”は、84年を境に戦いの場をインド亜大陸へと移した。

任務内容は、各基地を巡り対BETA戦術の教導を執ること。及び、間引き等の大規模作戦への参加。

そして、BETA襲撃の際には戦線の弱いところへと投入される、いわゆる火消し部隊の役割を担って。

これらの戦いの中、彼らは臆病者という汚名を確実に返上していった。

彼らと共に戦えば、その戦いぶりを目の当たりにすれば、腰抜けと言う評価が如何に誤ったものであるか一目瞭然であったのだから。

 

統合参謀会議からの扱いも随分と変化したものだ。“ハイヴ・バスターズ”に敗戦の責任を押し付けるのではなく、敗北こそ続いているものの、国連軍はこれだけの成果を挙げているという主張に、徐々にではあるが変わっていっているのである。ファイティング・ファルコンへの乗り換えもその結果であろう。

そして、それを全世界へとアピールする為に、彼らを北欧からインド亜大陸方面へと移動させた。

鞍馬にとって喜ばしいことは、これが鞍馬からの意見具申によるものではなく、純粋に統合参謀会議よりの命令であるという点だ。

そう、腐敗の温床であった統合参謀会議は変わりつつある。国連軍の最高指揮組織としての役割を十全に果たすようになったのだ。

これは、「その方が議長の株も更に上がりますよ」というある新入りの意見と、いつの間にか会議内の空気がその方向に誘導されていったことによるという。

その新入りは統合参謀会議の一員でありながら各地の前線へと出向し、上層部と現場との橋渡し役を担っている。

 

奴もまた、戦っている。

その話を耳にした時、鞍馬は感謝のあまり涙を零しそうになった。

そして気付いた。

また、たった一人で人類を救おうと、出来もしないことで悩み続けていたことを。

 

「まったく、何度同じ間違いを繰り返すんだか、自分に呆れたよ。

 人類の意思をひとつにまとめることが目標だったはずなのに、いつの間にか自分一人で何とかしようとしていたなんてな」

「責任感が強いといえば聞こえはいいけどね、あなたの場合、単に抱え込みすぎなのよ」

 

戦勝の喜びにざわつく基地内、PXの一角に陣取り食事を共にするバスターズの面々に向けられる眼差しは尊敬の念に満ちていた。

今回の闘いの最大の功労者は間違いなく彼らである。

自分の役割を再認識した鞍馬は、北欧にいた頃とはうって変わった朗らかな笑みを浮かべるようになった。それに毒付くセリスもまた、嬉しそうに微笑む。

鞍馬が自分を取り戻したことで、どこか陰鬱な雰囲気の漂っていた隊内の空気もすっかり入れ替わった。

隊員皆、死と隣り合わせの日常にありながらも笑い合い、喜びを分かち合い、そして明日を目指して生きている。

組織の顔となる人間は、決して弱音を見せてはいけないのだと、鞍馬は身をもって思い知った。本当に、自分は人の上に立つ器ではないなと苦笑する。

 

「本当ですよ。ついて行く者の身にもなってくださいよね」

「でもまあ、うじうじ悩んでるのも隊長らしいって言うか」

「まー、いざとなったらセリス大尉がいれば大丈夫だし?」

 

セリスに続き、隊員たちが口々に鞍馬を弄ってくる。

言葉には棘を乗せて、心には温もりを乗せて。

その棘だけは抜き取って、残りを鞍馬は心のファイルに保存した。

まだまだやるべきことはある。一戦勝ったからといって、人類の劣勢が覆ったわけではない。

だが、今日くらいはゆっくりと休ませて貰おう。

匙を取り食事を口へと運ぶ。いまだに慣れない、独特の香辛料の効いた料理だが、それでも勝利の後の飯は格別に美味い。

この味を再び楽しめますように。この安らぎを護れますように。そして勝利を、平和を掴み取れますように。

この基地の人間が、この戦線の人間が、この世界の人間が、力をあわせれば、それはきっと出来ることだ。

そして、未来を。

 

鞍馬は、一人の人物を心に思い浮かべる。

それは正確なものではないかもしれない。なぜなら、鞍馬が知るその顔は、まだ赤ん坊のままなのだから。もう赤子ではなく、少年となっているはずだ。

蒼也。

君の育つ未来を、きっと平和なものにして見せる。

だから、もう少し待っていておくれ……。

 

 

 

 

 

翌日からは、またいつもどおりの慌しい日々が始まった。

いつまでも勝利の余韻に浸っているわけには行かない。

確かに昨日は勝ったが、人類全体の戦況は悪くなる一方であるのだから。

84年にイラク領アンバール及びソ連領ノギンスクに、85年にはハンガリー領ブダペストに、86年にはフランス領リヨンに、それぞれハイブの建設を人類は許した

ようは、負けっぱなしである。地球上のハイヴは12を数えるに至っているのだ。

インド亜大陸においても、アンバールから東進するBETAの対処で精一杯というのが現実である。とはいえ、この地を欧州の二の舞にはさせないと意気込む各国軍の戦意は高く、バスターズが施した教練の成果もあり、おそらく数年はこのまま持ちこたえてくれるに違いないと、鞍馬は考えている。

……もっとも、それは同時に人類勢力がBETAを駆逐できることはないであろうとの考えをも表しているのだが。

 

俺に出来ることはあるのか?

そう、暗い感情に引きずられそうになるのも幾度目か。

だがしかし、いい加減に同じ過ちを繰り返すのは止めにしよう。

俺は、俺に出来ることを、全力でやるだけのことだ。

後方においては戦いの中で培ってきたものを後進へと伝え、前線に立っては誰よりも勇敢に戦い人類の希望の火を灯す。

そう、人類は負けない。

自分でそう信じずにいて、誰にそれを信じさせることが出来るというのか。

 

だから、信じる。

彼を、彼女を、人類を愛するこの気持ちを。

俺の力で、人を幸せにすることが出来ると。

何処かの誰かの明日の為に血を流す勇気を、まだ持っていると。

そう、信じよう。

 

 

 

 

 

「直接顔を合わすのも久しぶりっスね。ずいぶんと、吹っ切れた顔をしていますよ。

 うじうじした顔も悪くはないスけど、隊長にはそっちの顔の方が似合ってますよ」

 

そう言ってウインクするのはかつて部下だった、今では階級こそ同じだが上官の立場にある男。

彼がいなくなり、随分と隣りが寂しくなったと感じる。

きっと、彼もまた同じであろう

 

「ああ、久しぶりだ。魑魅魍魎が跳梁跋扈する世界はどうだ、楽しめているか?」

「ええ、楽しすぎて胃に穴が開きそうっスよ」

「嘘おっしゃい。胃も心臓も毛が生えてるくせに」

「セリス大尉、酷いっスね。でもその言葉が堪らない……」

「そちらの世界にいると、何やら変わった属性が付随してくるようだな」

「……ラダビノッド少佐もお変わり無いようでなによりっス」

 

同時に噴出すように笑い声を上げる4人。

戦う場所は変わっても、確かに彼は戦友だった。

昔も、今も。

 

「それで、今回はどうしたんだ? 同窓会がしたかったって訳でもないだろう?」

「ええ。“ハイヴ・バスターズ”のインド亜大陸における教導もあらかた終了したと思いまスんで、新しい地に移動してもらおうと。これ、辞令っス」

 

懐から、一枚の紙を取り出し鞍馬へと手渡した。

その内容を一読した鞍馬の顔に、驚きと喜びが浮かぶ。

 

「かねてより国連が派兵を要請していたんスけど、こちらの戦況が悪化していくのを見て、ようやく重い腰を上げてくれました。常任理事国入りしたことで、これ以上ごねれなくなったってのもあるようスけどね。

 ……まあ、まだ本決まりではなくて、検討の段階スけど。

 将来のBETA侵攻に備えて、色々と準備を始めたようでもありますし、教導の要請が来てるんスよ。

 そこで、バスターズが赴いて、BETA大戦の現状を赤裸々に語ってきて欲しいという訳でして」

 

話が見えず不思議そうな顔をしているセリス。

鞍馬は説明しようとして……いや、見せた方が早いと手にした辞令を彼女に渡す。

 

「ちょっと早いけど、クリスマスプレゼントっス。人生、たまには休まないと過労死しますよ。いやほんと」

 

辞令を持った手が震える。視界がぼやけてくる。足に力が入らない。

そこには、“ハイヴ・バスターズ”に日本帝国へと赴き、帝国軍への対BETA戦術の教導を施すようにとの指示が書かれていた。

 

 

会える……生きて、再び蒼也と会える。

1979年に帝都を発って以来、二人は一度も日本へと帰っていなかった。

戦況がそれを許さなかったのはもちろん。だがそれ以上になにより、会わす顔が無かった。

鞍馬を死なせない為とはいえ、自分は蒼也を捨てたのだ。

そのことを後悔はしていないはず。でも、だからといって我が子を想わない日など無かった。

あれから8年。蒼也も、もう9歳になっている。

会いたい。

罵られてもいい、ひと目でも、会いたい。

 

「……ありがとう。最高のプレゼントよ」

 

会いに行こう。

母親の資格などありはしないかもしれない。

けれど、後悔しない為に。

悔いなく最後の日まで戦い続ける為に。

 

鞍馬が不敵な笑みを浮かべ、無言で拳を彼へと向ける。彼もまた同じく拳を握り、それにゴツンとぶつけて返した。

二人にはそれで十分だった。

 

「……美しいものだな。女性の心からの涙というものは」

 

ラダビノッドがなにやら場違いな言葉を呟く。

それに反応し、変わらない軽口を叩いてみせる彼。

 

「何言ってんスか、少佐。セリス大尉は、いつだって美しいっスよ。

 でも、彼女は自分が先に目をつけたんスからね」

「……彼女は大佐の妻であろうが」

 

いつかもこんなやり取りをしたような。

ああ、それは言わないでと笑う彼が、拳を差し出してきた。

ラダビノッドもまた自然と浮かぶ笑みをそのままに、それに応える。

 

本当に、良い仲間を持った。

この場にいる3人、そして他のバスターズの面々も。

彼らに出会えたことに感謝を。

そして、鞍馬は東の空を見上げる。

雲ひとつ無い星空に、顔も知らぬはずの我が子の姿が見えた気がした。

 

 

 



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17話

 

「それじゃあ、ラダビノッド。すまないが、後を頼む」

「任されました。久しぶりの故郷、ゆるりと骨を休めてきてください」

「すまない」

「セリス大尉も。親子3人、水入らずを楽しんで」

「ありがとう、少佐。でも、水入らず……っていう訳には行かないかもしれないわね」

「それでも、家族が待つ故郷でしょう。大尉にとっては第2の故郷、ですかな」

「そうね。日本はいいところよ。少佐も、是非一度来てみて下さい」

「いずれ、必ず」

「その時は、一緒に抹茶を飲みましょう」

「楽しみですな。それにしてもうらやましい。私の故郷であるインドは、ゆっくりと里帰りという訳にはいかなくなってきておりますから」

「……そうよね。ごめんなさい、はしゃいじゃって」

「いえ、こちらこそ申し訳ない。そんなつもりで言ったのでは」

「ラダビノッド」

「はい、大佐」

「君の故郷をBETAどもに食い荒らされることなど無きよう、俺の持てる力を全て注ぐことを誓おう」

「ありがとうございます。ですが……わざわざ改めて誓わなくても、大佐の気持ちは良く分かっておりますよ。これでも、もう随分と長い付き合いになりましたから」

「8年……もうすぐ9年か。お互い、しぶとく生き残ったものだな」

「ですなあ。願わくば、定年を迎え退役するその時まで、しぶとくありたいものです」

「退役して暇が出来たら……その時は、俺が帝都を案内しよう」

「ええ、楽しみにしております」

 

 

 

 

 

1988年、2月。

帝都。

 

2月の冷たい風がタラップを降りる鞍馬の身を切り、ここが中東ではないことを感じさせる。

見渡せば、目に飛び込むのは京の都を取り囲む山々。この風はあの山から吹き降ろしてくるものか。階段を下りる足を止めて大きく息を吸い込み、凛とした澄んだ空気を堪能する。

日本の、匂いがした。

 

「海外での生活が随分と長かったようですね」

 

お仕事は貿易関係ですかな?

後を歩いていた人の良さそうな老紳士が、そんな鞍馬に声を掛けてきた。

 

「失礼、私も始めて海外に出て数年過ごした後は、帰国した際、貴方と同じようになったものでして」

「……8年ぶりになります。もう帰っては来れぬやもと覚悟も固めておりましたが、こうして無事に帰郷が叶いました」

「そうですか。そして美しい奥方も捕まえ、故郷に錦を飾ることが出来たといったところですかな。貴方のこれからの人生に幸多からんことを祈っております」

 

ありがとうございます、貴方もご壮健で。

そんなたわいも無いやり取りをして老紳士と別れる。

 

「日本の人って、本当に気さくで良い人が多いわよね」

 

セリスが口元を綻ばせ、嬉しそうに言う。

彼女にとっても、ここは第2の故郷、そして家族が待つ地である。

 

「ああ……帰って、来たんだな」

「お帰りなさい、鞍馬」

 

君がお帰りって言うのも何か変じゃないか?

いいじゃない、言いたかったんだから。

腕を組んで歩く二人の姿は、とても幸せそうなものと見えた。

 

 

 

 

 

“ハイヴ・バスターズ”の面々は、これまでの戦いの報償として、日本での滞在中に交代で長期休暇をとることが許された。

鞍馬とセリスの二人が部隊と別行動を取っているのは、その休暇を満喫中であるが為である。

部隊の指揮官が真っ先に休みを取るのもどうかと思ったのだが、教導任務中に隊長がいなくなるのも問題が多かろう。

そこで、戦術機をはじめとしたさまざまな資材を海路で運んでいる時間を休暇に当て、一足先に空路で日本へと降り立った訳である。

後を任せたラダビノッド達が日本に到着するまでのおよそ10日間、二人には何をして過ごすかを悩む必要などなかった。

空港から電車を乗り継ぎ、一路帝都へ。

国連軍大佐の肩書きを使えば車を用意させることも容易かったが、二人は何処にでもいる幸せな夫婦のように、電車と徒歩で向かうことを選んだ。

揺れる車窓から見える景色を楽しみ、街を行く人々を眺め、ゆっくりと歩く。

ここでは火薬の匂いも、機械油の匂いも……血の匂いも、しない。

思い焦がれていた平和が、ここにはあった。

 

二人には分かっている。この緩やかで穏やかな時間が永遠のものではないことを。

近い未来、日本も否応も無くBETAとの戦いに巻き込まれるであろうことを。

店先で売っていた団子を摘み、笑いながら歩く二人の、その笑顔の奥には押さえきれない焦燥感が隠れている。

だが、この休暇の間は全て忘れよう。

二人にとって、人類の未来と同じくらい大切な者に会いに行くのだから。

 

「お、たこ焼き。これも食べていいかな?」

「もう、家に帰ればいくらでも食べれるじゃない」

「そう言うなって。醤油やソースなんて何年振りかなんだから。それに、セリスも食べてみたいと思わないか?」

「そういえば、月詠の家で出たことないわね、これ。私、食べたこと無いわ」

「だろう? 雪江姉さんが、こういう食事好きじゃないからなあ。武家の者が食すようなものではありません、って。でも、武家じゃなくても、家庭でたこ焼きってのはあまり無いと思うぞ」

「はいはい、わかりました。じゃあ、これ食べたら行きますよ」

 

幸せそうに、たこ焼きを口に運ぶ鞍馬。

……どんな味なのかしら?

どれどれと、セリスは楊枝を摘み、ひょいと口に放り込む。

 

「……っ!!」

「あっ、熱いから気をつけて……って、遅いか」

 

予想外の熱さに吐き出しそうになった。

ハフハフと口から熱を逃がし、四苦八苦しながらようやく飲み下す。

……先に言ってよね……。

下からじと目でねめつけてくるセリスに、こういった仕草も可愛いと思う鞍馬だが、今それを言うと命の危機が訪れる気がする。

 

「……でも、美味いだろ?」

「良くわかんないわよ」

「ほら、これはもう冷めてるから。食べてごらん」

 

ご機嫌斜めの彼女に、端に避けて冷ましておいたひとつを差し出した。

受け取ると、今後は用心深く口にする。

……うん、美味しい。

 

「前に、花純さんに食べさせてもらったお好み焼きに似てる」

「何処で食べたんだよ、そんなの」

「お好み焼き作るぞーって、ホットプレート持って帰ってきたことがあったの。雪江さんに見つかると怒られるから、急いで食べてって」

「なにをやってんだ、あいつは。……確かにまあ、似たようなものかな」

「これ、小麦粉よね。パスタの仲間に入るのかしら?」

「……おおーーきく分ければそうなるのか?」

「うどんは?」

「たこ焼きがパスタなら、うどんもパスタだろう」

「お好み焼きは?」

「あれはピザか?」

 

そんな、たわいも無い会話を繰り返しながら歩く。

もう少しすると、武家屋敷の建ち並ぶ一角だ。月詠邸はその奥にある。

だが、そこに辿り着く前に、また鞍馬が足を止めた。

 

「……立ち食い蕎麦か」

「……く、ら、ま?」

 

鞍馬の様子に笑顔を返すセリスだが、そのこめかみに青筋が浮かんでいるように見えるのは気のせいだろうか?

いや、でもと、なかなか進もうとしない鞍馬に文句を言おうとして……ふと、気がついた。

 

「もしかして鞍馬、緊張してる?」

「……いや」

「蒼也に会うのが怖い?」

 

じっと己の瞳を見つめてくるセリス。

いくつか言い訳が心に浮かんだが……彼女の真剣な表情に、心を隠すことを諦めた。

 

「……ああ。正直、どんな顔をして会えばいいのか分からない。

 蒼也はもう9歳だ。今更父親が現れたところで、蒼也にとっては迷惑でしかないんじゃないかって……」

「……鞍馬……」

「君はどうなんだ? 怖くは無いのか?」

 

まるで親に捨てられるのを恐れる子供のような表情で、心の内を打ち明ける鞍馬。

本当に、戦い以外のことはからきしなんだから、この人は。大丈夫、誰も貴方を置いていったりなんてしないから。

セリスは鞍馬へと手を伸ばし、両手でそっと頬を挟んだ。

 

「貴方の気持ちも分かるけど……きっと大丈夫、貴方の子供なのよ。

 それに、あの子の母親になってくれたのは雪江姉さんよ。月詠翁だって、月乃さんや花純さんだって傍にいたのよ。あの人達に育てられたんだもの、きっと優しい子に育ってくれてるわ」

 

そうか、そうだよな。きっと大丈夫だよな。

そう不安を振り払い、無理に笑顔を作って見せる鞍馬。

 

「ほら、鞍馬大佐のそんな情けない顔を見せたら、隊のみんながびっくりするわよ」

「いやあ、もう何度も見せてしまっているような気も……」

「あ、そういえばそうよね」

 

そこは否定するところだろと、拗ねた顔をする。ごめんなさいと笑うセリス。

でも……隊の皆は知らないわよね。この人が、本当はとても臆病な人だってことは。

傷つくのが怖くて。でもそれ以上に人が傷つくのが嫌で。失敗を恐れ、敗北に恐怖する。

それでも絶対に投げ出すことはしない。最後まで、自分を犠牲にしてでも戦おうとする……弱い人。

いっそ、逃げだせるだけの強さがあるなら、もっと楽に生きられるんでしょうけどね。

でも、大丈夫よ。

 

「ねえ、鞍馬」

「なんだい?」

「もし……もしよ、蒼也が私達に会いたくないなんて言ったとして」

「……ああ」

「その時は、私がずっと傍にいてあげるから」

 

そう、大丈夫。私が一緒にいるから。

最後の時まで、ずっと傍にいるから。

 

 

 

 

 

それから30分ほども歩いただろうか。

やがて、二人は武家屋敷の建ち並ぶ一角の奥、良く見知った門の前に立っていた。

言うまでも無く、かつて鞍馬が育ち、セリスが過ごし、そして今、蒼也が暮らしている月詠の屋敷だ。

今日、鞍馬とセリスが訪れることは伝わっているはず。おそらく、皆揃って二人を待っていることだろう。

後は呼び鈴を鳴らし、守衛に来訪を伝えれば中へと案内される。

……のだが、ここにきてまた踏ん切りがつかない。

呼び鈴へと手を伸ばしては引っ込める鞍馬に痺れを切らし、セリスがその手を掴んで無理矢理に押させようとした、その時。

 

「我が家に何か御用でしょうか?」

 

そう、後から声を掛けられた。

まだ年若い声。

振り返ると、稽古で走り込みをしてきたのだろうか、胴着を汗でぬらし、荒い呼吸を整えながらこちらを訝しげな視線で見つめる少女がいた。

だがその視線が二人の顔に注がれるや否や不審の表情は氷解し、驚きのあまり眼がまん丸に見開かれる。

 

「……えっ!? 鞍馬叔父様? セリス叔母様?」

 

美しい少女だった。

わずかに幼さが残る顔立ちながら、凛とした引き締まった表情が随分と大人びている。

見覚えが……いや、面影がある。

 

「……真那か?」

「真耶ですっ!!!」

「す、すまん」

 

従姉妹と間違えられたことに頬を膨らませて抗議する真耶。何だか急に年相応の顔になったのが笑いを誘う。

くすくすと笑うセリスに、叔母様酷いと更に膨れる頬。

 

「ごめんなさい、つい。でも、久しぶり。元気にしてたかしら?」

「はいっ! 叔母様も叔父様もお元気そうで何よりですっ!

 ……でも、どうして急に?」

「急にって?」

「急は急です。帰ってこられるなら、連絡くらいくれても」

「連絡……いってないか?」

「はい」

 

おや? 確かに手紙を出したのだが……。

これは後から判明したことだが、前線と後方の基地間の物資搬送を担当していたある部隊が、殲滅し損ねたはぐれBETAに襲われて壊滅していた。

鞍馬の出した手紙もそこに含まれていたため、月詠家に届くことは無かったのだ。

 

気後れして電話をするのをためらっていたのが失敗だったか。

といっても、今更遅い。

どうしたものかと指で頬を掻く鞍馬。

 

「とりあえず、ここで立ち話もなんですから、どうぞ中へ。お爺様と雪江母さんがいますから」

「他の人達は?」

「月乃叔母様と花純叔母様、お父様達は斯衛にいて、あまり帰ってきません。蒼也は学校の図書館で、真那はそれに付き合っているんだと思います。それより……」

 

さあ、どうぞどうぞと、鞍馬の手を取り屋敷の中へと導く。

幼い頃に沢山遊んでもらった優しい叔父様。そして、人類の為に命を懸けて戦う憧れの叔父様。そんな鞍馬に再会できたことがよほど嬉しいらしい、その顔はニコニコと微笑み、背伸びをしていない少女の素顔が現れていた。

外門をくぐり、半ば引きずるように鞍馬を引っ張っていた真耶だが、玄関に着いたところで思い出したように振り返る。

 

「セリス叔母様も、はやくー」

 

何だか私はおまけみたい。小さくても女の子ねえ。

……ライバル、なんてことにならなきゃいいけど。

微妙な疎外感を味わいながら、後に続くセリスだった。

 

 

 



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18話

 

「ねえ、そろそろ帰るよ」

「……うん、大丈夫、もう少しだから」

「それ、さっきも言った」

 

「もう、稽古の時間なくなっちゃうじゃない」

「……第一次月面戦争。人類史上、初の地球外生物と人類との接触及び戦争の始まり……やっぱり詳しいことは書いてないなあ」

「だめだ、聞こえてないし」

 

「そーうーやー」

「……1973年4月19日、中国新疆ウイグル自治区喀什にBETAの着陸ユニットが落下。中国とBETAの戦争が始まる……なんで中国は他の国と協力しなかったんだろう?」

「なんで蒼也は熱中すると周りが見えなくなるんだろう?」

 

「……あれ、真那ちゃんだ。珍しいね、図書館で会うって」

「ねえ、蒼也。殴っていい?」

 

 

 

 

 

1988年、2月。

帝都。

 

冬の短い陽は既に西に沈み、空に僅かに残された茜色も藍色に侵されていく。

間も無く世界は闇色に包まれるであろう、俗に逢魔時と呼ばれる時間。

黄昏の中、二つの人影が並んでいた。

大人のものではない、小さな影。

繋いだ手を引く少し大きな影が、歩きながらもうひとつの影へと言う。

 

「ほら、すっかり暗くなっちゃったじゃない。だから早く行こうって言ったのに」

 

責めるような、諭すような。

僅かに幼さを残す少女の声には、そんな保護者を自認する響きが含まれていた。

月詠真那、12歳。

通っている斯衛幼年学校の最上級生であり、校内では知らぬ者とていない。

頭脳明晰、容姿端麗。一騎当千、威風堂々。そんな言葉が良く似合う者など、そうそういはしないのだから。

そしてその家格は、学内でも数少ない赤。

同い年の従姉妹である真耶と共に、いずれ斯衛を担うことになるであろうと将来を嘱望されている少女である。

 

そんな彼女が普段学校ではあまり見せない穏やかな表情で手を引くのは、優しげな顔立ちにニコニコとした笑みを絶やさない、どこかおっとりとした少年。

彼もまた、学校中の有名人である。真那達とはまた別の意味で。

その理由は、彼の顔を見れば分かる。中性的な美少年と言えなくも無いが、その目鼻立ちはどう見ても日本人のものではない。

基本的に武家の子女しか通わない斯衛の学校において一際異彩を放つ、米国の血が混ざった少年。

真那にとって3歳年下の弟のような存在。

名を、黒須蒼也という。

 

「不思議だよねー。ちょっと本を読んでただけなのに、気がついたらもう真っ暗。ほんと、冬は昼が短いねー」

「ちょっとじゃないっ! 3時間っ! もう、待ってるほうの身にもなってよね」

 

学校では車での送迎が禁じられているわけではないし、実際に行なっている家庭も多数ある。だが、月詠家の子供達は公共の交通機関を使って学校へと通っていた。

倹約を旨とし、民の範となるべきという、祖父瑞俊の方針である。

 

「あはは、ごめんねー。でも、待っててくれなくても大丈夫だよー。ちゃんと、一人で帰れるから」

「3年生の子を、こんな時間に一人で歩かせられませんっ!」

「大丈夫だってばー。真耶ちゃんは心配性だなー」

 

こっちの気も知らずに、マイペース過ぎるわよ、まったく。

そんな蒼也を、思わずじろりと睨み付けてしまうが、気がついているのかいないのか。また「あはは」と笑って流された。

……もう、仕方ないなあ、蒼也は。

言葉を継ぐのを諦めて歩みを進める真那だったが、彼女が蒼也を心配するのにもきちんとした訳がある。

一部の生徒から目をつけられているのだ、蒼也は。

 

 

 

最初の事件は、入学して間も無くのこと。

数人の上級生が学校帰りの蒼也を見かけて絡み始めた。

 

「お前、アメリカ人なんだって? なんで斯衛の学校にいるんだよ?」

「武家の人間でもないのに、くんなよ。他所の学校行けよなー」

 

彼等には、自分達は皇帝陛下、将軍殿下をお守りする為の選ばれた存在であると言う自負、或いは驕りがあった。

にもかかわらず、敵国とも言えるアメリカ人の子供が同じ学校に通っているなんて、一体どういうことなのか。

武家の者として厳しく躾けられた子女が通う学校とはいえ、まだ成熟とは程遠い少年少女達である。中にはこういった、少々素行に問題のある者がいないわけではない。もっとも、それは大人の世界でも同じことだが。

彼等も別に、最初から蒼也を袋叩きにしよう等と思っていたわけではない。

ただ、自分の方が上の立場にいるんだと、そう見せ付けたかっただけなのだろう。

だが、蒼也から返ってきた思わぬ言葉に、頭に血が上ってしまった。

 

「僕は日本人だよー。父さんも日本人だし、母さんはアメリカ出身だけど、父さんと結婚したから日本の国籍だよ?」

 

ごめんなさいといった言葉か、萎縮して何も言い返してこないかを期待していた少年達は、まったく怯えた様子もなくそう言う蒼也の姿に「生意気だっ!」と、思わず手が出る。

そして、それをヒョイッと躱す蒼也。こうなるともう引っ込みがつかない。

逃げ道を塞ぐように囲み、詰め寄ってくる上級生に、どうしたものかと、やはりのほほんと悩む。

 

(んー、どうしよっかなー。逃げちゃった方がいいかな? 話せばわかって……くれるかな?)

 

一向に怯えた様子を見せない蒼也に、上級生達が手を振りかぶったその時、

 

「貴様等、何をしているっ!!」

 

颯爽と現れたのが真那だった。

この時4年生の真那であるが、既に学内において剣で彼女と互角に戦えるのは真耶のみ、2学年上にいる斑鳩の少年が何とか勝負になる程度という腕前を誇っていた。

他に、決して負けることは無いが、何故かどうしても勝てないと言う相手ならもう一人いるのだが……。

そんな真那の登場に、あからさまに逃げ腰になる上級生達。

彼らにもプライドと言うものがあり、問答無用で背中を見せることは避けたい。だが、戦って勝てる相手とも思えないし、赤の者と喧嘩したなど、ばれれば大問題だ。

どうすると、目配せで相談し合う彼らに、怒りを湛えて詰め寄る真那。

ええい、なるようになれ。開き直って強気に出ようとしたその時、空気を読まない声が彼らを止めた。

 

「あ、真那ちゃんっ! どうしたの、稽古があるから先に帰るって言ってなかったっけー?」

「えっ!? ……い、いや、ちょっと寄り道してて……」

「だめだよー、寄り道なんてしちゃー」

「い、いいじゃない別にっ! ついでに、本当についでに、一緒に帰ってやろうかと思って……って、ちょっとっ、蒼也っ!」

 

ずれた言い訳を始めようとする真那の手を取り「そうなんだ、ありがとー」と歩き出す蒼也。思わずぽかんと見送る上級生達。

ふと、思い出したように振り返り、

 

「先輩達、さようならー」

 

と、にこやかに手を振った。

 

 

 

それからというもの、彼等は蒼也が一人のときを狙い、ちょっかいをかけてくるようになった。

とはいえ、大抵の場合は真那か真耶が現れて逃げ出すか、いつの間にか蒼也のペースに巻き込まれて有耶無耶にされてしまうかで、深刻な問題となったことはないのだが。

それに、これで蒼也も瑞俊より剣を学んでもう6年近くになる。万が一の事態になったとしても、そうそう遅れを取るようなことは無い。

のではあるが、ついつい過保護になってしまう真那である。

今日も、図書館で一人勉強をしてから帰るという蒼也を放っておけず、こんな時間まで付き合う羽目になった。

 

「もうちょっと男らしくできないのかな、この子は」

「えー、普通だよー。真那ちゃんが逞しすぎるんだってー」

「……蒼也、覚えておきなさい。それは女性に対する褒め言葉じゃないわよ?」

 

まったくもう。

本当に、もう少し頼りになってくれれば、安心して卒業できるのに。

2ヵ月後に中等部への進学を控えている真那は、一人で学校に通うことになる蒼也が心配で仕方ない。

もう今更だけど、やっぱり普通の学校に通った方が良かったんじゃないのかな……

そうとも思う真那だ。

 

実際、入学前から、いじめの標的になるのでは? という懸念は家族の間であった。

だが、斯衛の学校に進むことを望んだのは、他ならぬ蒼也自身である。将来の夢を衛士とする蒼也にとって、それが近道であることは明らかであったのだ。

武家の人間ではない蒼也がそのまま斯衛に入れることは無いが、それでも斯衛学校を卒業したとなれば随分と箔がつく。例え帝国軍へと進むことになったとしても、色々と有利に働くことは間違いない。

だが、問題もあった。

武家でない以上、纏う色は黒となる。だが、黒とは目覚しい武功を上げた者が斯衛へと召し抱えられたものであり、芽が出るどころか種が蒔かれた段階でしかない幼年学校に黒がいるなど、本来許されることではない。

月詠家の後見があるとはいえ入学を断られても何ら不思議ではなかったのだが、校長を始めとした教師陣には父である鞍馬のことを覚えている者も多く、あの鞍馬の子ならば将来の斯衛の為になるという期待と、そして断絶したとはいえ白であった黒須家の者ならばとの酌量もあり、ついには入学の許可が与えられた。

そして、蒼也は世にも珍しい黒を纏う者として、幼年学校に入学したのである。

最後まで心配していた真耶と真那の反対意見は、

 

「僕、二人と一緒の学校に行きたいな」

 

の一言で粉砕され、今に至る。

二人とも、蒼也にはどうしても甘くなってしまう。

甘やかしてばかりでは良くないという自覚もあるのだが、幼少の頃に「お姉ちゃんになる!」と鞍馬に誓ったこともあり、ついつい過保護になってしまうのだ。

ほんと、もう少し男らしければ、もっと安心できるのに、ねえ。

あの叔父様と叔母様の息子なんだから、素材は悪くないはずなんだけど。

ふうっ、と。

ひとつ小さな溜息をつき、家路を急ぐ真那であった。

 

 

 

「ただいまーっ!」

「只今戻りました」

「お帰りなさいませ。お二人とも、遅くまでお疲れ様です」

 

守衛の者に帰宅を告げ、玄関へと歩みを進めようとしたところ「お客様がいらしておりますよ」と告げられた。

門を守るのは普段から温和な老人だが、その顔がいつに無く微笑んでいるように見えたのは何故だろう?

月詠の者として、客の前で恥ずかしいところは見せられないと、襟筋正す真那。

頓着しない蒼也を捕まえて「ほらっ、ここ、曲がってる」と、身だしなみを整えてやる。

……これでよしっと。

 

「蒼也、粗相の無いようにきちんとするんだよ」

「はーい……逃げちゃ駄目かな?」

「駄目」

 

そんな様子を見ていた守衛の老人が「くくく」と笑いを堪えているのに気がついた。

ああ、またやっちゃった。

もう、全部蒼也が悪いんだ。叔父様は今も人類の為に戦っているというのに、何で蒼也はこうなんだろう。

……蒼也も、大きくなったらかっこよくなるのかな?

つい考えてしまったそんな思いを、ぶんぶんと頭を振って追い出す。

ああもう、ほんとに全部、なにもかも、蒼也のせいだ、そうだそうだ。

 

「蒼也、ほら、いくよっ!」

 

なんだろ、真那ちゃんなんか機嫌悪くない?

……まあ、いっか。

ぶっきらぼうに手を引く真那に、やはりのほほんと微笑みながらついていく蒼也だった。

 

 

 

玄関をくぐると、瑞俊の高らかな笑い声が響いてきた。

応接間からではなく、家族で食事を取る居間から聞こえてくるところを見ると、客人は随分と親しい間柄の者らしい。

どなただろう?

お爺様がこんなに楽しそうに笑っているなんて……分家の御当主衆のどなたかかしら? 煌武院家の方なら、居間にはお通ししないものね……

どちらにせよ、粗相は出来ない。まずはきちんと挨拶をしなければ。

居間へと通ずる襖の前に膝を着き、声を掛ける。

 

「失礼します。真那です、只今戻りました」

 

襖の縁に手を掛け、すぅっと静かに開き、中へと向かって一礼……出来なかった。

視界に飛び込んだ、あまりに予想外すぎる人物を見て固まってしまった。

 

「今度は間違えないぞ、真那だ」

「叔父様、酔ってらっしゃるんですか? 真耶がここにいるんですから当たり前でしょう?」

「……厳しいな、真耶は」

「あら、しっかりしていていいじゃない。素敵なレディだわ」

 

その様子に、瑞俊と雪江が楽しそうに笑い声を上げる。

室内には、他に二人の人物が。こちらが客人……って、客じゃないっ!!

 

「叔父様っ! 叔母様っ!」

「久しぶり、真那」

「真那ちゃん、綺麗になったわね」

「あ、ありがとうございます……じゃなくて、どうしてっ!?」

 

今ひとつ状況が理解できない真那だが、それ以上に置いてきぼりなのが蒼也だった。

誰なんだろ? こんなに慌ててる真那ちゃんって珍しいな。

でも、早く進んでくれないと中が見えないんだけど……

いいや、追い越しちゃえ。

 

「えっと、蒼也です、こんばん……わ」

 

真那の横からひょいと顔を出す蒼也。

知らない人が二人いる。

雪江母さん達くらいの年の男の人と、外国人の女の人。

会ったことのない人……記憶に残っているうちには。

見たことのない人……写真の中以外では。

知らないはずの人だけど……誰だか、すぐに分かった。

フラフラと立ち上がる。おぼつかない足取りで前に出る。

おかしいな、良く前が見えないや。

変だな、上手く声が出ないや。

さっきまで笑っていたお爺ちゃんと雪江母さん、何だか嬉しそうにこっちを見ている。

真耶ちゃんは……何だかとっても楽しそうだね。

真那ちゃん……まだ固まってる。

それと、怖いくらいに真剣な顔をした二人。

うん、知ってる。間違いない。僕は、この人たちを知ってる。

搾り出すように、声を出した。

 

「……父、さん……母さ、ん……」

 

セリスがはじかれたように立ち上って駆け寄り、痛いくらいに我が子を抱きしめた。

鞍馬がゆっくりと近づき、座って目線の高さを合せ、その大きな手を蒼也の頭の上に置いた。

3人とも、泣いていた。

とても、とても幸せな、涙だった。

 

 

 



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19話

 

「俺の子供の頃はさ」

「どうしたの、突然?」

「いや……21世紀の未来は、俺の子供の頃のイメージだとさ」

「ええ」

「山みたいな高いビルが沢山建っていて、その間を透明なパイプみたいな道路が結んでいるんだ。中には、空飛ぶ車が走っている」

「飛べるなら、パイプはいらないんじゃない?」

「そう言うなよ。きっと、交通安全のためとか、そんな理由があるんだ」

「まあ、いいけど」

「それでな、世界は平和で、ロボットの友達なんかもいてな」

「戦術機は……友達とは違うわねえ」

「だなあ……って、そうじゃなくて。腰を折るなよ」

「ふふ、ごめんなさい」

「ああ、何だか言いたいことがまとまらないな」

「わかるわよ。そんな未来を残してあげたかった、でしょ?」

「……まあ、そういうことだ」

「私は自然が一杯あるほうが好きだけど」

「それは大丈夫。都市は透明なバリアーみたいなドームで覆われていて、その外は人の手の入らない自然が残っているから」

「なんだか、ご都合主義ねえ」

「未来都市だからな」

「なら、しょうがないわね」

「……残せなかったなあ」

「私達の世代で決着つけれなくても、仕方ないんじゃないかしら?」

「でもなあ……親だしなあ」

「そうねえ」

「せめて、出来る限りは手伝わないとな」

「そうね。おじいちゃんになっても頑張らないとね」

「孫と一緒に、平和な老後を過ごすとか、夢だなあ」

「あら、嫁は一緒じゃないの?」

「はは、もちろん一緒さ。最高だろ?」

「そうね、最高だわ」

 

 

 

 

 

1988年、2月。

帝都、月詠邸。

 

居間の中央に七輪、その上にはクツクツと煮える大きな土鍋。

蓋をされているにもかかわらず、土鍋からは昆布からとった出汁の香りともうひとつ、微かに甘い、脳髄を刺激する香りが漏れ漂ってくる。

この、控えで目ありながらそれでいて、強烈に引き寄せられる香り。

それは、鍋の王様と声高に主張する者も決して少なくない冬の味覚。

 

「そろそろいいかしらね?」

 

雪江がそう言って蓋を取る。

香りが、爆発した。

胃袋が、ぎゅうっと何者かに絞り上げられるような錯覚。

湯気の向こう、鍋の中身は白菜に豆腐、水菜と至ってシンプルなもの。

しかし、その白と緑の競演の中、鮮烈に映える、赤。

──蟹だ。

舞鶴の港に今朝方水揚げされたばかりの松葉蟹。

固い甲羅に2本のはさみと8本の脚を持つという、一見グロテスクとも言える外見でありながら、何故にこれほどまでに人を魅了してやまないのか。

蟹や海栗といったものを、始めて口に運んだ偉大なる先人に感謝を。

 

「はい、鞍馬さん」

 

鍋から具をとりわけ、一人一人に手渡していく雪江。その一番手は鞍馬。

いやしかし、ここは先に月詠翁では……?

ちらりと見やると、微笑みながら頷く瑞俊と目が合った。

ここで遠慮するのも返って失礼というものか。ありがとうございますと、瑞俊と雪江に礼を言い、箸を取る。

いや、正直に言おう。もう、我慢できません。

ポン酢に紅葉卸を添えて、まずは──白菜。

クタクタに煮えたそれを箸で摘み、口にした。

良く火の通った白菜は舌で押すだけで崩れ、溶け去る。染み出す白菜の甘みと、それを更に覆いつくすような蟹の甘み。

堪らず、猪口を手に取り一気に干す。中身は伏見の生一本。

あぁ、と。知れず声が漏れた。

日本を発ってから、アルコールはほとんど口にしていなかった鞍馬である。

時折パーティーのようなものが隊内で開催されるが、せいぜい軍用の薄いビールを嗜む程度。

そうだった。これが、酒の味だったな。

しばし目を閉じ、鼻に抜ける香りを堪能する。

 

さて次は……豆腐だな。

凶器とも言うべき熱さを持った豆腐を口に放り込み、ハフハフと熱を逃がしながら噛み締める。

これまた蟹の芳醇な甘みをたっぷりと吸った、濃厚な大豆の味が染み渡る。

ああああもう、堪らんっ!

猪口を口に運ぼうとし……そうだ、さっき飲み干したんだった。

 

「ほら、鞍馬」

 

空の猪口を手にした鞍馬を見て、月乃が酒を注いでくれた。

 

「美味いか?」

「ああ、美味い」

 

そうか、それは良かったな。

幸せそうに言葉を返す鞍馬を見て、目を細めながら自分も杯をあおる。

 

「あたしにも頂戴」

「自分で注げ」

 

横から杯を突き出す花純に、そう悪態を返しながら、それでも注いでやる月乃。

変わらないなあ、この辺りのやり取りは。

少年の頃を思い出した鞍馬の頬が綻ぶ。

 

さて、と。

そろそろ、行こうか。

一旦、シャキシャキ感を残した水菜で口内を清めた後、ついに手にする、蟹。

食べやすいように既に切込みを入れられているそれを、パキッと音を立てて割る。

赤い殻から、弾けるように飛び出す白い身。

作法も何も無い。ただ、かぶりつく。

 

────っ!!

 

ああ……今、俺は確かに生きている……

鞍馬、至福の時であった。

 

 

 

「……美味そうに食うのう」

 

手を回して良い蟹を用意した甲斐があったわい。

瑞俊が自分の蟹を口に運びつつそう言う。うむ、これは確かに美味い蟹じゃ。

突然の鞍馬とセリスの帰宅に驚きつつも、瑞俊と雪江はもちろん二人を暖かく迎え入れた。

下にも置かない歓迎振りだ。

夕食は何がいいかしらと尋ねる雪江に、皆と鍋を囲みたいと答える鞍馬。間も無く、最上級の松葉蟹が届けられることとなった。

もう陽も傾く時間であり、良い品はあらかた料亭などに流れてしまっているというのに、流石に月詠家の伝手である。

 

更に、緊急事態じゃと斯衛へと人を飛ばし、月乃と花純、二人の婿を呼び寄せた。

この時、理由は伝えずに至急帰って来いとだけ言う辺り、瑞俊も随分と悪戯好きになったものである。

案の定に、慌てて帰宅した皆が鞍馬とセリスを見て目を丸くする様を見て、大いに満足した瑞俊は帰還祝いを行うと宣言。

呼びつけられた皆も、瑞俊へと抗議はしたものの二人の帰宅が嬉しくないわけが無い。

本当に久しぶりに月詠家の全員が揃い、こうして宴が開かれることとなったわけである。

 

「和食がこんなにも美味いものだったとは、忘れておりました。

 中東の食事が不味いとは言いませんが、こちらの感覚ではどうも単調な上、スパイスに未だに馴染めていなくて」

 

現地の人間の感覚だと、使うスパイスが違えばそれは別の料理になるらしい。

だが正直なところ、鞍馬にとっては多少風味が違うだけの同じ料理に見えてしまう。

軍で賄われる食事としては味は悪くない。確かに悪くはないのだが……やはり、随分と飽きが来ていたようだ。

ああ、素材の味を楽しむというのが、こんなにも素晴らしいものだったとは。

 

そうかそうか、と。

鞍馬の喜びようを、我が事のように嬉しく思う瑞俊。

美味いものを食べ、美味い酒を飲む。

心がほぐされ、鞍馬も随分と緊張が解けたようだ。セリスと蒼也と、親子3人で笑い会う様子が微笑ましい。

何せ、先程までの様子は酷いものだったからの。

瑞俊はそれを思い出し、苦笑いを浮かべる。

 

 

 

「……その……蒼也は、学校は楽しいのか?」

「うん、父さんっ! 勉強は面白いよっ! 真耶ちゃんも真那ちゃんも、優しくしてくれるしっ!」

「……そうか、それは良いな」

 

「……その、なんだ。蒼也は、どんな科目が好きなんだ?」

「歴史が一番好きっ! BETA大戦史っていう授業があって、父さんのことも習ったよっ! 一杯勉強して、いつか人類の力になるんだっ!」

「……そうか、蒼也は立派だな」

 

ぎこちないこと、この上ない。

学校でのことを聞き終えてしまった後は、話すことが思いつかないのか、しばらく沈黙が続いた。

赤子の頃に会ったきり、父親としての経験は皆無といえる為、仕方のないことではあると思うが……流石に、これはないじゃろう。

蒼也のほうといえば、父と母に会えた喜びに、まるで尻尾を振る子犬のようだというのに。

鞍馬よ、今のお主、器で負けておるぞ。思わず呆れる瑞俊であった。

 

 

 

笑い声の耐えない、暖かい食事の続く中、

 

「……メデューム……」

 

セリスがなにやら不穏な言葉を呟いた。

実はセリスは蟹が余り得意ではない。砂漠で育ち海産物とあまり縁が無く暮らしていた彼女は、蟹の姿からどうしても蜘蛛を連想してしまう。

それは知っていた鞍馬だったが、だがセリスよ、流石にその呟きは無いんじゃないか?

いかん。せっかくの蟹が不味くなる。思い浮かべてしまいそうになった醜悪な姿を、頭を振って追い出した。

箸の進まないセリスの様子に気付き、雪江が声を掛ける。

 

「あら、どうしたの? ……河豚の方が良かったかしら?」

「いえ、そんなことは。その……つい、前線での食事を思い出してしまって」

「自分ばかりが良い物を食べるのは心苦しい……か。

 しかしの、セリス。休めるときには全力で休むのもまた、戦士の心得というものじゃろう。今は何も考えず、美味いものを食すがいい」

「はい、頂きます」

 

雪江と瑞俊が気を使ってくれる。

嘘を吐くのは申し訳ないが、蟹に似ているBETAがいると正直に言うなど空気を読まないにも程がある、勘弁してもらおう。

 

「母さん、僕が剥いてあげるよ!」

 

そう言うと、セリスの皿へと手を伸ばし、蟹を掴み取る。そして小さな手で一生懸命に蟹を剥き出した。

やがて皿一杯に赤と白の身がたまり、「はいっ!」と、嬉しそうに差し出してくる。

 

「……ありがとう、蒼也。母さん嬉しいわあ」

「へへっ」

 

礼を言われ照れくさそうに笑う蒼也。

これが、セリスが蟹が大好物になった瞬間だった。

 

 

 

食事は続く。

おっかなびっくり頭を撫でたりして蒼也との間を持たそうとしていた鞍馬だが、何かを思いついたように言葉を発した。

 

「……蒼也は、好きな女の子とか、いるのか?」

「うーん……まだそういうの、よくわかんないかなあ。一番好きなのは、真耶ちゃんと真那ちゃんだけど」

 

その言葉に、両側からセリスに纏わりついていた真耶と真那がピクリと硬直した。

顔を見合わせた後、可愛らしい顔に不満の色を浮かべ、蒼也に詰め寄る。

 

「一番好きな者が二人もいるというのは、些かおかしいのではないか、蒼也?」

「ああ、そうだな。一番と言うからには、一人に決めた方が良いだろう?」

 

あれー?

何で2人とも、怖い口調になってるのかな。

一見にこやかな、実は張り付いた笑みを浮かべ、にじり寄ってくる2人。

あはは、逃げたほうがいい……かなあ?

と、腰を浮かせかけた時、二人の頭の上に鞍馬の大きな手が置かれた。

 

「ふたりとも、ありがとう。約束を守ってくれたんだな」

 

叔父様、覚えていてくれたんだ……。

 

“蒼也のお姉ちゃんになってくれないかな”

 

帝都を発つ鞍馬と交わした約束。

8年も前、4つの子に託した願いなど当に忘れていてもおかしくないのに。

それを覚えていて、心からの礼を言ってくれた。

自分達をとても大切に思ってくれていることが伝わってくる。そして、その気持ちに応えられた自分が誇らしい。

鞍馬の目を見つめ、「はいっ!」と真那が力強く返事をする。

ところが対照的に、真耶は視線を上げることが出来ず俯いて頬を染め、「……はい」と呟くのみ。

 

「あらあら、真耶さん。憧れの叔父様に褒められて照れちゃったかしら?」

「かっ! かかかかか、母様っ! な、なにをっ!」

「あはは、聞いてよ鞍馬。真耶ったらね……」

「花純叔母様あああああっ!」

 

それで放たれた言葉をかき消すことが出来るとでもいうのか、両手をぶんぶんと振り回し、鞍馬と母等の間の空気を掻き回す真耶。

顔は真っ赤で、目はぐるぐると回り、あわわわと意味を成さない呟きが漏れる。

めったに見られない、本気で取り乱した真耶。その姿を勝者の余裕で「ふっ」と鼻で笑う真那。

 

「真耶は年上趣味だからな」

「なによっ! 真那なんて年下趣味じゃないっ!」

「ドサクサ紛れにお前は何をおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

余裕は一瞬で吹き飛んだ。

二人とも立ち上がり、猫のように毛を逆立て睨み合う。

一触、即発。

 

「ふ、ふたりとも、ほら落ち着いて、ね?」

 

状況がつかめないながら、とりあえず静止しようとするセリスだったが、その言葉は二人に届いていないようだ。

だんだんと二人の距離が縮まり、今にも手が出そうな様子におろおろとしてしまう。

鞍馬といえば、雪江と花純が笑って見ているから大丈夫なんだろうと踏んで、静観の構え。

ちなみに、蒼也といえば、いつの間にか瑞俊の隣りに避難して「はい、お爺ちゃん、お酒」と何事も無いかのように酒を注いだりしている。

 

距離が更に縮まり、顔が触れ合わんばかりになったとき、

 

「そこまでっ!」

 

ぴしゃりと、響く声が二人を止めた。

 

「二人とも、祝いの席で何をやっている。いい加減にしなさい」

 

母達の中で一番寡黙で、声を荒げることなど滅多に無い月乃。

その日本人形のような端正な顔の、切れ長の瞳から放たれる視線に、射竦められ固まる。

滅多に怒らない分、本気で怒らせると怖い人だと、二人とも良く知っていた。

 

「姉上も花純も、面白がっているんじゃありません」

「あらー……ごめんなさいね」

「月姉……ごめん」

 

雪江も花純も、怒った月乃は怖いので、ここは素直に謝ることにする。

しばし無言で四人を見据えていた月乃だったが、その表情がふと笑みを形作った。

 

「それに……いいじゃないか、真耶。恥じるようなことじゃない。私は誇らしいと思うぞ。とった手段は問題だったかもしれないがな」

「月乃叔母様……」

「鞍馬、真耶はお前の為に大立ち回りを演じたことがあるんだ」

「俺の為に?」

「ああ。さっき、蒼也がBETA大戦史という授業があると言っていただろう……」

 

月乃の話はこうだった。

真耶が授業で国連軍の活動について学んでいる時、“ハイヴ・バスターズ”の話が上がったという。

もちろんその詳しい作戦内容は機密に当たるが、彼等の功績は国連軍のプロパガンダにも使われており、一般人の中でもその知名度は高い。

語られる黒須鞍馬大佐の武功に鼻を高くしていた真耶だったが、授業後にクラスメイトがしていた雑談を耳にし、頭に血を上らせてしまった。

 

「この黒須って奴、何で日本人なのに帝国軍にいないんだ?」

「俺知ってるぜ。こいつ、斯衛を追い出されたんだって」

「なんだそれ。なにしでかしたんだよ?」

「さあ? 理由までは知らないけど」

「でも、斯衛を首になるってよっぽどだろ」

「非国民ってやつ?」

「なら、いくら国連軍で武功を上げたって、逆に日本人の恥を晒してるようなもんじゃないか?」

「ほんとだよな」

「また何かしでかす前に、戦死してくれたらいいのに」

 

貴様等が……一体、貴様等が、叔父様の何を知っているというのかっ!!

激昂した真耶は話をしていたクラスメイトを道場に連れ出すと、その全員を打ち据えた。

話しを聞きつけた真那が慌てて駆けつけたとき、床に倒れ付す者達の中で一人真耶だけが立ち尽くし、冷め切らぬ怒りに肩を震わせていたという。

仮にも稽古の形をとっていたとはいえ、場合によっては放校も免れない不祥事であった。

だが、双方から話しを聞いた教師陣は人類の為に命を賭して戦っている先人を貶め、尚且つその死を願うとは言語道断と、クラスメイト達を叱責。

そして真耶には三ヶ月間の便所掃除の罰が与えられることとなった。

掃除には真那も無言で付き合った。口にはしなかったが、真那も心情的には真耶と同じ。もしその場にいたのが自分だったら、おそらく同じことをしていただろうから。

 

「さっきも言ったけど、取った行動は褒められることではない。だが、その精神は決して恥じることではないと思うぞ」

 

とはいえ、感情のままに剣を振るって人を傷つけたのは許されることではなく、それを鞍馬に知られてしまったことに居た堪れずに下を向く。

ああ……もう消えてしまいたい……

涙すらこぼしそうな真耶だったが、その頭に、大きな手が乗せられた。

 

「ありがとう、真耶」

「……叔父様」

「俺のことを誇りに思ってくれて、嬉しいよ」

「でもっ、武家の者が己の為に剣を振るうなんて……許されません」

「自分の為じゃなく、俺の為だったんだろ? それに月並みだが、誰にでも間違いはある。俺なんてしょっちゅうさ。罪はもう償ったんだろ? それでも気に病むなら、間違いを次に生かすことを考えるべきだ。

 ……なあ?」

「……はいっ!」

 

吹っ切れたように顔を上げる真耶。

その眦に溜まった涙を鞍馬が指でそっと拭ってやると、顔を真っ赤に染めて硬直してしまう。

そんな様子に周りから笑いが零れる。

 

……んー、どうしたものかしらねー?

微笑ましくはある光景だけど、何だか面白くないぞ。

でもまあ、可愛い姪っ子の為、か。ここは何も言わないでおきましょうか。

苦笑いを浮かべるセリスに、月乃が杯を差し出してきた。

目が、お前も大変だなと語っている。

微笑とも苦笑ともつかない笑みを返し、差し出された杯に自分の物を軽く合わせ、飲み干した。

 

 

 

 

 

やがて夜も更け、子供達の瞼が重くなる時間となった。

大人たちはこのまま昔話を肴に酒を楽しんでもいいのだが、鞍馬とセリスは一足先にお暇することに。

親子三人、川の字となって寝る為だ。休暇の話が出た時から、必ずやると決めていた。これだけは譲れない。

瑞俊も気を利かせて、引き止めたりはしなかった。

蒼也の部屋、かつて鞍馬とセリスが暮らしていた部屋に移り、布団を並べて敷き、床につく。

蒼也は、思わぬ家族の再会に興奮して疲れていたのだろう、セリスに頭を撫でられながら、すぐに静かな寝息を立て始める。

その光景を眺め幸せに浸る鞍馬だったが、夕食での蒼也のひとつの言葉を思い出し、ふと考え込んでいる自分に気がついた。

 

「鞍馬、何を考えているか当ててみましょうか? ……大丈夫、きっと貴方なら出来るわよ」

 

悪戯っぽくそう言うセリスに、微笑みで答える。

それは、鞍馬が蒼也に将来なりたいものはあるのかと尋ねた時のことだ。

 

「僕、衛士になるっ!」

「……衛士か」

「うんっ! それで、父さんと母さんと、一緒に戦うんだっ!」

 

戦況を考えると、衛士になるといわれて素直に喜ぶことは出来ない。

おそらく、それは夢ではなく、否が応にでもならざるを得ない、確定した未来であろう。

蒼也が衛士の資格を得るまで、順調にいってあと9年。

口惜しいが、それまでにこの戦いに終わりが訪れるとは思えない。

負の遺産を背負わせてしまうこと、情けなく思う。

だがそれでも……自分の背を追ってくれたこと、この背が恥じるものではないと思ってくれたことが……嬉しい。

 

「あと9年……俺はその時45歳、か」

「私もその時、45歳」

「まだ戦えるかな?」

「言ったでしょ……貴方なら大丈夫。そして、貴方が戦うなら私も一緒よ」

 

セリスが、蒼也を撫でていない方の手を伸ばしてきた。

その手をとり、指と指を絡ませる。

 

「なら、頑張るか」

「ええ、頑張りましょう」

 

見つめ合い、互いに笑みをこぼす。

 

「だけど……」

「なあに?」

「新任の蒼也と一緒に戦って、それで終わり。というわけにはいかないよな」

「そうねえ」

「なら、その後もしばらく、蒼也が一人前になるくらいまでは続けないといけないか」

「鍛えてあげないといけないわね」

「だったら……切のいいところまで。21世紀まで頑張ってみるか」

「2001年、ミレニアムの始まりね」

「新しい千年紀。俺は49歳か」

「私も49歳」

「一緒だな」

「ええ、一緒よ」

「もうジジイだな」

「きっと、世界最年長の衛士ね」

 

笑いあう二人。

そしてゆっくりと、静かに眠りへと落ちていった。

 

 

 

その晩、鞍馬は夢をみた。

6機の戦術機が戦場を並び駆ける夢を。

先陣を切るのは鞍馬の駆る、黒い瑞鶴。

その後方左右に、セリスと蒼也が同じく黒い瑞鶴で続く。

さらに後方に赤い瑞鶴が3機。真耶、真那、花純の三人だ。

 

血生臭い、戦場の夢でありながら、それは。

それは、とても幸せな、未来を描いた夢だった。

 

 

 

 

 

あくる朝。

日の出からまだ間もない時間、月詠家の道場から威勢の良い掛け声が響き渡っていた。

常から稽古に熱心な真耶と真那、そして二人に一生懸命くらいついていっている蒼也であるが、今日は三人ともまた一段と気合が入っている様子。

それもそうだろう、今日は鞍馬が稽古をつけてくれるというのだから。

瑞俊と花純は道場奥に座り込み、完全に観客に徹するようだ。剣術のことは良く分からないセリスも、その隣りで様子を見守ることにした。

子供達の瞳は期待の輝きに満ち溢れ、始まりを今か今かと待ちわびている。

雪江が大切に保管してくれていた自身の稽古着に身を包み、三人の前に立つ鞍馬は……少し困っていた。

正直に言うと、剣術の稽古は久しぶりなのだ。

 

実は、国連軍に配属されたばかりの頃、夜間の自由時間に運動場の片隅で剣術の自主訓練を行なっていたところ、刃物を振り回し暴れている男が居ると、MPに連行されかけたという苦い思い出がある鞍馬である。

そもそも国連軍においては剣術という概念自体が希薄であり、自主的に体を鍛える者も、ランニングか器具を使っての筋力トレーニングを行なうのが主流であった。

剣術の稽古は心技体の全てを鍛えると固く信じている鞍馬であるが、稽古のたびにMPに連れ去られるか、さもなくばいつの間にか見物人が集まってくるという環境では身も入らない。

それでなくても、生身を鍛えるよりもシミュレータを使って戦術機の訓練を行なった方が生存率が上がるというのも事実であり、やがては剣術の稽古はある意味気分転換の為、時折格闘場を正式に借り切って行なうものとなっていった。

さらには、大隊を指揮するようになってからは事務仕事の量が膨大なものとなり、自主訓練に割ける時間などそうそう残されてはいなかったのだ。

そういう訳で、三対の期待の眼差しに応えられるか、自身に不安がある鞍馬である。

 

しかしまあ、ここに滞在している間だけの短い時間だ。

子供達にとっても、月詠翁以外の剣を見るのも良い刺激になることは間違いないだろう。

なんとか、化けの皮が剥がされないよう、努めるとしましょうか。

 

 

 

とりあえず、三人の力量を量るために、型稽古をやらせてみた。

しばし見やり、感嘆の呻きが漏れる。

ただ型をなぞっているだけなのに、剣が振られるたびに空気が斬り裂かれるのが見えるかのよう。

生来の天稟はもちろん、それに驕らず研鑽を積まなくてはこうはならない。

剣を学ぶものにとって己を磨くことと同様、或いはそれ以上の喜びに後継を鍛えることがある。

これは、なんとも鍛え甲斐のある素材だ。

なるほど、月詠翁が期待するのも良く分かる。真耶と真那、この二人は──本物だ。

このまま修練を積めば、二人が任官する6年後には、剣の腕は抜かれているかもしれないな。そう鞍馬が覚悟を決める、それほどのものだった。

しかし、同時にこっそり安堵の息もつく。

今はまだ、俺の方が上だ。今日のところはみっともない真似を見せずに済みそうだ。

 

さて、蒼也のほうはどうかといえば。

……うん、熱心に修行を積んでいるようだ。今年で10歳という年齢を考えれば、十分な練成が成されているといえよう。

しかし正直なところ、二人と見比べてしまうと、大分見劣りする。

もちろん、年齢や今までに稽古にかけた時間から腕が劣るのは仕方がないが、それだけでない、才能の煌めきといったものがまったく感じられなかった。

凡人。

これが鞍馬の抱いた、蒼也の印象だった。

だがしかし、衛士を目指すに当たって剣に優れるに越したことは無いとはいえ、必須というわけでもない。

セリスなど、あれだけの力量を誇りながら剣など触れたことすらないのだから。

同じ衛士でも、得意分野が違えば役割も違ってくる。蒼也に衛士としての才が無いと決まったわけでもないのだから、気落ちする必要など無い。

無いのだが、やはり少し残念に思う鞍馬であった。

 

次に、最初に真耶から、真那、蒼也の順に、実際に剣を交えてみる。

やはり、二人の剣筋は才に満ち溢れている。

そしてその性格を反映した、まさに正道と呼ぶべき実直な剣。

これはまるで、従姉妹というより双子だな。

剣筋から始まって、鞍馬の守りを崩せず向きになる様や、一本を取られて悔しがる仕草までが瓜二つで、込み上げる笑いを堪えるのに苦労した。

 

 

 

蒼也の番が回ってきた時だ。

花純が横に座るセリスを指でつついてきた。

 

「次、面白いものが見れるかもよ?」

「どんなです?」

「それはほら、見てのお楽しみ」

「はあ」

 

と言われても、正直、良く分からないのよね。

でもまあ、息子が頑張ってるんだから応援しないとね。

 

「蒼也ー、父さんなんてやっつけちゃえっ!」

「はいっ!!」

 

夫の応援はしてくれないのかよ。

苦笑しながら、蒼也との対戦が始まった。

対戦とはいっても、これもある意味予定調和の稽古のうちだ。

しばらく蒼也の剣を受け、良いところ悪いところを見極めた後に一本を取る、この流れは変わらない。

打ち込まれる剣を防ぎながら、やはり二人には劣るなと、鞍馬は改めて感じていた。

剣術を学ぶ同じ年齢の者同士で戦ったならば、おそらく上位には食い込めるだろう。だが、優勝する程ではない。

けれど熱心に修行を積んでいることは間違いなく感じ取れる為、そこを褒めて今後の成長を促そうか。

そう決めた鞍馬が、次の稽古へと移る為に一本を奪おうと剣を放つ。

 

おや?

あっさりと防がれた。

……偶然か? 山が当たったか?

今までの力量から判断するに、俺の剣を防げるほどの腕は無いと思うんだが……。

訝しみながら、もう一撃。

これまた、まるで打ち込まれる場所が分かっていたかのように止められた。

 

有り得ない。何かがおかしい。

……試してみるか。

鞍馬は機を外すように後方へ飛び、間合いを取る。突然の動きに蒼也のバランスに乱れが生じる。

そこへ、体を捻りながら今度は一足飛びに間合いを詰め、蒼也の右後方へと回り込んだ。この時、捻った自身の体の影に剣をおき、蒼也の目から隠している。

 

「大人げねー」

「月影か。しかし、の」

 

そう、戦術機にこの動きを再現させ、数え切れないほどの戦果を上げてきた鞍馬の十八番、月影である。

無論、本気ではない。

本気で放てば、見えていようがいまいが関係ない。仮に防いだとしても、防いだ剣ごと叩き折られることになるだろう。

流石にそれでは稽古にならない。これは真剣勝負ではないのだ。

とはいえ、蒼也はおろか真耶にも真那にも今の時点では防げるはずのない、視界と意識の双方から剣を隠し放つ、見えない斬撃。

 

ガシッと、竹刀と竹刀のぶつかり合う音が響き渡る。

その、脳天を打ち据えるはずであった一撃は。やはりといって良いのか、蒼也の竹刀によって阻まれた。

 

「そこまでっ!」

 

そこに瑞俊の声が響く。

緊張の糸が切れたのか、座り込んで大きく気を吐く蒼也。

抱き起こしてやりたいが、それよりも先に、鞍馬には聞かざるを得ないことがあった。

 

「やっぱり父さん、強いやー」

「……なあ、蒼也。俺の剣が、見えていたのか?」

「ううん、見えなかった。あんな技もあるんだね、怖かったよー」

 

屈託もなく笑う蒼也。

だが、鞍馬には納得がいかない。いくわけがない。

 

「訳がわからんじゃろう? ……儂もそうじゃ。じゃがの、事実なのだから仕方がない。

 蒼也はの、何故か防御に関してのみ、恐ろしいほどの力量を誇っておるんじゃ」

 

なんだそれは?

そんな偏った才、聞いたこともない。

呆気に取られる鞍馬へ、真耶と真那が追い討ちを掛ける。

 

「私も、試合で蒼也に勝ったことがありません。……負けたこともないけど」

「私もです。時間切れで引き分けばかり。学校での試合だと、こうなった時は優勢負けになるんだっけ?」

「うん、お互いポイント0のはずなのに、酷いよねー」

「酷いのは、それだけ防いでおきながらポイントの一つも取れないお前だろ」

 

酷いよねと言いつつ、決してそう思っているようには思えない笑顔で蒼也が笑う。

 

「なあ蒼也、見えていなかったのに、どうして剣の来る位置が分かったんだ?」

 

十八番を防がれてプライドがくすぐられたのか、やや必死な様子の鞍馬に花純が笑い出す。

ええい、喧しい。だが、今はそれどころではない。訳を聞かなくては納得できん。

真剣な鞍馬の視線に、首をかしげるような動作で蒼也はこう答えた。

 

「……んー……勘?」

 

なんだそりゃ。

見えず気付かない一撃を防げる理由が、勘しかないというのも分らなくないが……

いや、やはり納得いかん。

長年の修練の結晶を、勘のひとつで防がれるなど、認めがたい。

 

「言ったじゃろ、儂も訳が分らんと。一人の剣士として納得し難いのも良くわかるが……そう言うものだと思うしかなさそうじゃぞ?」

 

月詠翁まで。

なんだろう、今までの自分の努力を否定されたかのような出鱈目さに、溜息が出てきた。

鞍馬は大きくひとつ息をつき……今度は逆に、込み上げてくる笑いを堪えきれない。

蒼也よ、どうやらお前の才は、俺では計りきれないようだ。

一人の剣士として、不甲斐無く思う。

だが……親として。

父にも計りきれぬ才を持ってくれたこと、嬉しく思うぞ。

きっと、俺を超えてくれ。

道場に響く、鞍馬の高笑い。

花純が呆れたように肩をすくめた。

 

蒼也、お前は一体どんな衛士になるんだろうな。

お前と肩を並べる時を楽しみにしているぞ。

21世紀の未来へ向け、現役で居続ける理由が一つ増えたと、笑い続ける鞍馬であった。

 

 

 



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20話、或いは外伝1

 

「あらあ、懐かしいわねえ」

「ああ、ここだったか。鞍馬の「叔父様が? 何したんですか?」奴が」

「それがさあ、鞍馬のやつが派手に「そういう花純だって似たようなものだったろ」やらかして「私も知りたいです」ねー」

「雪姉だって「あ、私も」あの人は怒らせちゃいけないって「それは月乃さんでしょ」言われてたのよ」

「それが「雪姉、目が怖い」ね、クラスの子と喧嘩したん「真耶、耳が痛いだろう?」だけど」

「先生だって、困った「お前が言うかっ!」ことがあれば雪姉にっ「本人いるんだから、聞いてみればいいじゃん」て言ってたもん」

「学校でやることって、何処の「決着をつけるときがきたようだな」国でも一緒みたいですねえ」

「子供「二人とも、時と場合を考えろ」は同じこと考えるのか「ごめんなさい」しらね?」

 

 

 

「……蒼也、先に行ってようか?」

「逃げるの?」

「覚えて置け、これは戦略的撤退というんだ」

 

 

 

 

 

1988年、2月。

帝都、斯衛軍幼年学校校庭。

 

「懐かしいな。この樹、俺も登ったことがあるよ」

 

幼年学校の裏手側、京の街を見渡す小高い丘の上に生える一本の大きな樹。

葉が全て落ちて寒々とした様子を見せるその幹に手を当て、鞍馬が昔を懐かしんだ。

国連軍の礼服という、この学校に相応しいとは言い難い姿をした鞍馬がここに居る訳は、今日が幼年学校の授業公開日であるからだ。

次代の斯衛を育てるのに相応しい教育を施していると内外に示す為、授業の様子が一般公開される、年に一度の日。

斯衛上層部の視察や、将来通うことになる親子が下見に来たりもするのだが、最も多い訪問者は在校生の関係者であろう。所謂、父兄参観である。

休暇の最終日がこの日に当たると知った鞍馬は、蒼也の学ぶ姿が見られると喜び勇んでこの行事に参加した。

旅行鞄の中から国連軍礼装を引っ張り出し……いやまて、斯衛学校で他軍の軍装はいかがなものか、普通のスーツ姿のほうが良いかと迷い、朝からバタバタと大騒ぎ。

結局、セリスの「私はスーツなんて用意してきてないわよ」の一言で軍装に決まったのだが、これで学校での蒼也の立場が悪くはならないだろうかと、また悪い癖が出て小一時間ほど悩んだものだ。

 

余談だが、鞍馬が大佐の階級章を付けて学校を訪問したことで、蒼也があの黒須鞍馬の息子なのだと学内に知れ渡ることになった。

その後、あまり友好的とはいえなかったクラスメイトとの関係も幾分か改善され、蒼也を目の仇にしていた一部の者達も行動を控えるようになる。

結果的に、国連軍の礼装を選択したことが蒼也の手助けとなったといえよう。

 

 

 

授業公開も滞りなく終わり、今は放課後。

お気に入りの場所に案内するという蒼也に連れられ、この場所へとやってきた。

セリスは三姉妹に真耶と真那も加え、学生時代の思い出を話の種に歓談中。邪魔な男は何処かに行っててと言わんばかりであった為に置いてきた。

女三人寄れば姦しいとは良く言ったもの、それが倍の6人である。騒々しさは容易に想像がつくだろう。

あくまで置いてきたのであり、決して追い出されたわけじゃないからなとは、鞍馬の主張。

その肩を、ぽんぽんと叩く蒼也であった。

 

二人は並んで樹に寄りかかり、ゆっくりと、取り留めの無い話をする。

初日にあったぎこちなさは、もうない。

とはいえ、父親としてどう接したものか未だ良く分らない鞍馬と、年の割りに達観したところのある蒼也。その二人の様子は、親子というよりむしろ年の離れた兄弟といった風情か。

だが、それゆえ二人はある意味対等な関係として、のんびりと会話を楽しむことが出来た。

学生の頃の鞍馬の様子。雪江等との子供時代のこと。或いは衛士としての日常について。

特に衛士の話は蒼也を大きく惹きつけた。血生臭い現実はまだ早いと、話を選んでのことではあるが、それでも語られる軍での暮らしに興味津々の様子。

さまざまな国籍の者達が、目的を同じくして一丸となる様。仲間の為に戦い、仲間の為に命を懸ける。

そんな話しを聞いていた蒼也が、やがてこんな疑問を口にした。

 

「なんで、アメリカ人って日本では嫌われてるのかな?」

 

国連軍では国籍による区別、差別は無いようだ。しかし、ここ日本では……。

戦争のことは知識として知っている。だが、戦後44年も経っているのに、今を生きる人の多くは戦争を直接知らないはずなのに、未だにアメリカに悪感情が残るのは何故なのか。

それが、蒼也には分からない。

 

「難しい質問だな……」

 

しばし考えると、鞍馬はゆっくりと自分なりの考えを述べていく。

 

「普通に暮らしていると、実際にアメリカ人と接する機会なんてそう無い。

 親達の世代がアメリカを悪く言うのを聞いて育って、自分もなんとなくアメリカが嫌いになる。それを訂正する機会が無いんだ。

 一度知り合えば、アメリカ人だって同じ人間、仲間だと言うことがすぐに分かるはずさ」

 

──だから、蒼也にもきっと、素晴らしい仲間が出来る。

 

最後の言葉は心の中に飲み込んだ。

今日の様子を見て、蒼也と他の生徒との間に見えない壁があるのを感じてしまった。

衛士を目指すなら、その壁は崩さなくてはならない。垣根を越えて信頼を築くことを覚えなくてはならないだろう。

だが、いくら大人びているとはいえ、蒼也はまだ9歳。人生経験も何もかも、まったく足りていないのだ。

焦ることは無い。

いつかきっと、蒼也にも素晴らしい出会いが待っている。

俺と、セリスのような、な。

 

「なあ蒼也。実を言うとな、父さんも昔はアメリカ人が大嫌いだったんだ」

 

その言葉に、きょとんとした顔を返す蒼也。

意外な言葉だった。セリスと結婚した鞍馬には、そう言った偏見は無いものだと思っていたのだ。

 

「蒼也、俺が世界で一番尊敬している衛士の話をしてやろう」

 

そして鞍馬は語りだした。

懐かしい、思い出を。

セリスとの、出会いを。

 

 

 

 

 

1974年、9月。

帝都、斯衛軍北の丸駐屯地

 

黒須鞍馬大尉は荒れていた。

基地内の廊下に、荒々しく歩く足音が響き渡る。

 

気に入らないことが多すぎる。

地球外起源種との戦争が始まったことが気に入らない。

中国が欲に走った挙句、地球侵攻を許してしまったことが気に入らない。

F-4の即時導入が決定されていたにもかかわらず、日本への供給順序が降格されて機体が納入されないのが気に入らない。

ようやく斯衛と富士教導隊に試験配備されると思ったら、わずか一個中隊分づつというのが気に入らない。

教導の為にやってきた教官が若い女だというのが気に入らない。

そして、教導が始まって二週間、その女に勝利するどころか一太刀浴びせることすら未だ出来ずにいることが──最も気に入らない。

 

鞍馬にもプライドがあった。

未だ修行中とはいえ剣の腕には自信があったし、数いる斯衛の中でも優れた戦術機適正を誇ってもいる。

そして実際に衛士として抜擢され、シミュレーターで腕を磨き、いまや自由自在に戦術機を操ることが出来るようになった……と思っていた。

あの女が来るまでは。

 

 

 

「セリス・ソーヤー少尉であります。よろしくお願いいたします」

 

戦術機の開発本国であるアメリカから派遣されてきた教導官。歴戦の勇士が来るものとばかり思っていたのだが、蓋を開けてみれば、おそらく自分と同年代であろう若い女。

 

──完全に、日本をなめきってやがる。

 

日本に派遣する人材など、この程度で十分ということか。

流石アメリカ、何処までも傲慢な国だ。

鞍馬の瞳に怒りの火が灯る。

いいだろう。こうなれば、腕を見せ付けてとっとと追い出してやるまでよ。

鞍馬の他にも数名から放たれる敵意の篭った視線に晒されつつも、動ずること無く自己紹介を終えるソーヤー少尉。

度胸だけは据わっているようだ。そこは評価してやるか……そう考えている自分がまた、気に入らない鞍馬だった。

 

 

 

「まず、皆さんの腕前を確かめさせてもらいます」

 

教導中は二階級上の大尉として遇されるというが、流石に遠慮するのか丁寧な物腰でそう告げるソーヤー。

動作教習応用過程D、通称風船撃ちと呼ばれる、宙に浮かぶ的を制限時間内に撃破することを目標とする訓練を行なうという。

 

──今更、動作教習か。

 

フッと、思わず鼻で笑う。

その様子を見咎めたソーヤーが眉をしかめるが、口に出しては何も言わず、シミュレーターが開始された。

 

17mを超える鉄の巨人が仮想空間上の街並みを駆け抜ける。

大地を踏みしめるたびに地鳴りのような足音が響き渡り、その身に秘めた暴虐さをこれでもかと主張していく。

センサーに感あり。

足を止め、視界に入った標的へと突撃砲を向け、照準の中心に合せて引き金を引く。

後はその繰り返し。

遠くに出現した標的は突撃砲で、近くに現れたものは長刀で、それぞれ確実に破壊していく。

やがて最後の標的が破壊され、動作教習応用過程Dの終了が告げられた。

もちろん、クリア判定。

得意げな顔でシミュレーターを降りた斯衛軍衛士達であるが、しかし、教官から告げられた言葉を聞いたとき、その顔色が真逆に変わった。

 

「教官も無く、教本のみでここまで慣熟しているとは驚きです。

 訓練兵としては十分なレベルといえるでしょう」

 

まて、今なんと言った?

訓練兵、だと?

我等、斯衛の精鋭を捕まえてその台詞とは……ふざけるな。

 

「……ソーヤー教官、よろしければ、訓練兵レベルという我々に、衛士としての腕前を披露してはいただけませんか?」

 

斯衛衛士一同を代表して、鞍馬が一歩前に出てそう告げた。

この女は、舐められまいとしてこんなことを言っているのではないか?

大口を叩くなら、まずはその腕を証明してもらおうか。

 

「わかりました。あなた方がその方が教導に身が入るというなら、そうしましょう」

 

言い訳をして拒否するかと思いきや、ソーヤーはあっさりと受け入れた。

気負う様子など欠片もなく。

そして、鞍馬達の悪夢が始まった。

 

操る機体は確かに同じ。

だが、その動きはとても同じ機体であるとは信じられない。

戦術機が、仮想空間上の街並みを、飛ぶ。

跳躍ユニットを巧みに活かし、地面スレスレを滑るように移動するファントム。

その速度は、一歩一歩大地を踏みしめて走っていた鞍馬等とは雲泥の差。

その高速移動の中、まったく速度を落とすことなく次々と標的を撃破していくソーヤー。

センサーに反応があるとほぼ同時、既に銃口を向けている。

左右の手にそれぞれ持った突撃砲だけではなく、時に背面担架に納められたものも駆使し、4つの銃口から放たれる弾丸が別々の標的に襲い掛かる。

そして、あっけなく状況が終了した。

かかった時間は、鞍馬等の半分にも満たないものであった。

シミュレーターから降りるその姿を、顔色を真っ青に染めた斯衛衛士たちが見つめていた。

 

「あなた方は、戦術機をただ車のような乗り物として運転しているに過ぎません。

 運転ではなく、操縦することを目指してください。

 人の形を模していることからも分るとおり、戦術機には人間の動き、自分の得意とする動きを再現させることが可能です。

 最終的には、人間には不可能な、人を超える動きをさせることが目標ですけどね」

 

そう言って微笑む教官に、何か反論を返すことが出来る者などはいなかった。

プライドをズタズタに引き裂かれた彼等は、その後、倒れる寸前までシミュレーターに揺られることになった。

そして、同じ時間乗っていながら疲れた様子も見せないソーヤーの姿に、引き裂かれたプライドを更に細切れにされることとなる。

認めざるを得なかった。

自分達が、訓練兵レベルの腕前しか持っていなかったことを。

そして、彼女の能力が自分達の遥か高みにあるということを。

それは、屈辱以外の何物でもなかった。

 

 

 

その夜、シミュレータールームを訪れる人影があった。

鞍馬だ。

同僚達が疲れ果て深い眠りにつく中、彼は心中に吹き荒れる苛立ちという名の嵐に眠気など忘れ去っていた。

 

──ぜってえ、思い知らせてやる。

 

教導期間中に、ソーヤーの腕を超えることは不可能かもしれない。だが、何とか一矢報いないことには気が済まない。

衛士強化装備に再び身を包み、シミュレータールームの扉をくぐった時、そのうちの一台に明かりが灯っていることに気がついた。

 

──俺の他にも悔しくて眠れない奴が居たか。

 

嬉しげな笑みを浮かべ、一体誰だろうと管制室を覗いてみると、そこに映し出されていたのは意外な人物、昼間散々煮え湯を飲まされた教官の姿だった。どうやら、動作教習応用過程を行なっているらしい。Aから順にDまでを次々にクリアしていく。

更には、跳躍ユニットを全開にして高速移動でビルとビルの狭い間をスラロームのように抜けたり、背面担架から突撃砲を云わば抜き撃ちしてランダムに現れる標的を正確に撃ち抜いたりといった、基礎的ながらも難易度の高い訓練を黙々とこなしていく。

いつしか、鞍馬はその姿に魅入られていた。

無骨な鉄の塊である戦術機の機動に、確かな美を感じる。

凄い、と。素直な呟きが口から漏れる。

そんな自分が、またしても気に入らない。

 

どれほどの時間がたったろうか、やがてシミュレーターが動きを止めた。

現れたソーヤーが、満足そうに一つ大きく伸びをする。納得のいく訓練が出来たのか随分と上機嫌な様子で、鼻歌など歌いながら、電源を落とす為に管制室へと向かおうとしたとき、鞍馬と目が合った。

一瞬時が止まる。

慌てて敬礼をするソーヤー。恥ずかしいところを見られたと、頬が赤く染まっていた。

 

「黒須大尉、気付かずに申し訳ありません」

「いや、教官。すまない、盗み見るつもりなどなかったのだが」

 

ソーヤーはひとつ静かに深呼吸。

その顔を冷静なものへと戻し、鞍馬の言葉を訂正する。

 

「大尉、今は教導の時間外です。私は一介の少尉に過ぎません」

「そうか……では、ソーヤー少尉、改めて。盗み見していたようですまなかった」

「いえ。大尉も自主訓練で?」

「ああ」

「そうですか。日中の訓練をあれだけこなしたというのに、恐れ入ります」

 

嫌味か、それは。

その言葉に思わず眉根を寄せる鞍馬だったが、ソーヤーはそれには気付かない様子で続けた。

 

「私は今終わったところなので、これで失礼させていただきます。大尉も、あまりご無理をなさらず」

「……ああ。邪魔してすまなかった」

 

最後にもう一度敬礼をし、立ち去るソーヤー。

それを見送る鞍馬の胸の中、焦りとも苛立ちともつかない感情が込み上げる。

 

──訓練兵レベルをいたぶる為に、熱心に練習かよ。

 

それは八つ当たりに近いものだったろう。

一矢報いんと影で練習しようとすれば、既に相手に先を越されていたという事実。

自分の行動が全て見透かされているかのような、全て手の上で踊らされているような。そんな錯覚に、感情のままに足元に合ったごみ箱を蹴りつけた。

腹いせにされた哀れなひしゃげたごみ箱は、中身を撒き散らしながら部屋の端まで転がり、倒れて停止した。

 

 

 

それから二週間。

教導は滞りなく、いやむしろソーヤーの予想を遥かに上回る速度で進んでいた。

 

──流石はインペリアルガードね。

 

教導の成果をまとめていたソーヤーの顔にも笑みが浮かぶ。

もともと正しい教師役がいなかっただけで、その能力は高いものを持つ者達である。

教官に一泡吹かせたいという、やや不純な動機もあるとはいえ、訓練に向ける情熱も非常に高い。

鞍馬の腕もまた、戦術機の動きに自身が納めた剣術を反映させることができるようにまでなっていた。

だが、それでも未だ壁は厚く、教官に一矢報いることは出来ていない。

今日行なわれた戦術機同士の格闘訓練でも、ソーヤーに対して勝利はおろか、誰一人として一撃を当てることすら不可能だったのだ。

米軍衛士の専門は射撃支援にあり、格闘はあまり得意としていないというのに、これである。

侍がガンマンに剣で負ける。これ以上の屈辱があるであろうか。

 

 

 

そして今日もまた、黒須鞍馬大尉は荒れていた。

シミュレータールームへと続く廊下に、荒々しく歩く足音が響き渡る。

 

「大尉、今日も自主訓練ですか。お疲れ様です」

「少尉も、毎晩精が出るな」

 

室内に入ると、一息ついていたらしいソーヤーがにこやかに声をかけてきた。

まったく、気に入らない。

コイツに一泡吹かせるために隠れて特訓しているはずなのに。その打倒目標と並んで自主訓練とは。それもこの二週間の間、毎日。

これでは、ちっとも差が縮まらない。

まったくもって、気に入らない。

 

今日の自主訓練では、剣の型を戦術機になぞらせることに専念してみた。

踏み込みや重心移動、剣の振りといった動きが、戦術機に無駄の無い機動をさせるために役立つことに気がついたのだ。

ゆっくりと、右から左に剣を振る。

左側に重心が偏り、そのまま大地へと引き寄せられる機体を、今度は右へと振った剣の遠心力を利用して引き起こす。

右へ左へと、八の字に振られる剣。その度に揺れ動く重心。

剣の速度が段々と上がっていき──弾けた。

突如剣は高速で水平に振られ、機体がそれに引きずられるように後を追う。

しかし剣は止まらず返しもせず、機体の裏側、背後までを薙ぎ払う回転運動へと変化した。

独楽のように回る機体が、円舞曲を踊る。

やがて剣の軌跡が変化し、屈みこんでの下段から跳ね上がり、虚空を唐竹に振り下ろそうとしたところで……バランスを崩し大地へと叩きつけられた。

激しい衝撃が管制ユニットを襲い、モニターにイエローランプが複数灯る。

 

──調子に乗りすぎたか。

 

後悔するも、先に立たず。

一つ大きく息を吐き気持ちを落ち着けると、体温を一定に保つ衛士強化装備を着ているにもかかわらず、極限までの集中が全身にびっしりと汗をかかせていたことに気がついた。

時計を見れば、既に剣を降り始めてから一時間程が経過している。

 

──少し早いが……今日はここまでにするか。

 

状況を終了させシミュレーターを降りたとき、管制室からこちらを見ているソーヤーの視線に気がついた。

既に先に上がったと思っていたと思っていたのだが。なんだろう、妙に顔に喜びが溢れていないか?

目が合うと、こちらに駆け寄ってきた。上気した頬が淡く染まっている。

 

「大尉っ! 素晴らしいものを見させていただきました。

 戦術機にケンジュツ……こんな組み合わせがあったのですね……

 実は、私はあまり接近戦は得意ではなくて。あの子の設計思想でも近接戦闘は重視されておりませんし……勉強になりました」

「……最後、無様にこけたがな」

「それでもっ! あの動きには可能性を感じました!」

 

……結構しゃべるな。

教官時のクールな様子とのギャップに、ついそんなことを思う。

その後もしばらく勢いは止まらず、関節の強度がどうの、駆動系がどうの、ナイフと長刀の差がどうのと熱く語ったところで、急に言葉が止まる。

 

「……申し訳ございません、お恥ずかしいところを……」

 

我に返ったようだ。

先程とは別の意味で頬を赤く染め、戦術機のこととなるとつい、と。ごにょごにょと言い訳じみたことを口にするソーヤー。

 

「いや、別にかまわないが。

 それにしても、少尉が接近戦が苦手というのは嘘だろう?

 昼の訓練で、俺達を散々叩きのめしてくれたじゃないか」

「それは……大尉達がまだ、あの子を使いこなせていないだけです。

 先程の動きを自在に出来るようになったなら、もう私では勝てませんよ」

 

射撃も含む戦闘ではまだまだ負けませんけどね。

そう笑ったソーヤーだったが、その笑顔に鞍馬の心の中のささくれ立ったものが刺激されてしまった。

 

「そして、夜間自主訓練の時間でも増やす、か。

 俺達、斯衛の“訓練兵”を叩きのめすための訓練なんだろ?

 あんたほどの腕を持ってて、訓練兵レベルに負けたとあっちゃあ、恥だよな。

 精々、さっき見たことの対策でも整えてくれ」

 

しまったと、思ったときにはもう遅い。

明らかな失言だったが、吐いた言葉は飲み込めない。

逆に言ってしまったことで、自分の中にあったわだかまり、連戦連敗が悔しいのではなく、若い女性に負けたことが口惜しいのでもなく……アメリカ人に教導を受けていることが、アメリカ人に勝てないことが、無念であったのだと。

そんな気持ちに気が付いてしまった。

 

両者無言のまま、時計の時を刻む音だけが響く室内。

やがてソーヤーが下を向き、「そっか」と呟いた。

 

「……大尉達は、私のことをその様に見ていたのですね」

 

鞍馬は答えない。

ただ無言のまま、ソーヤーを見つめ続ける。

それはまるで、拗ねた子供のようにも見えた。

 

「ひとつ、よろしいでしょうか?」

 

キッと、睨み付けるように、彼女は視線を上げた。

 

「大尉は、剣に優れていますね。

 きっと、子供の頃からずっと鍛錬を積んでいたのでしょう。

 長い時間を掛け、磨き上げてきたんでしょう」

 

瞳が怒りに燃えている。

教導の際よりよほど強い口調で、言葉を紡ぐ。

 

「貴方は、その身についた成果を、積み重ねた時間を、否定できますか?」

 

それだけ言うと、彼女は踵を返した。

逃げ出すのではなく、毅然と胸を張り、歩き去っていった。

その背に掛ける言葉も見つからず、一人残される鞍馬。

右手を頭にあて、己を省みる。

感情ひとつも御しきれず、あのような言葉を口にしてしまうとは。

己の練成の成果で語るべきにもかかわらず、あんな嫌味な言葉をぶつけてしまうとは。

 

──未熟。

 

このような脆い心で、将軍殿下をお護りすることなど出来ようか。

拳を硬く握り、己の頭を殴りつける。鈍い音が室内に響いた。

 

それにしても、先程の言葉……

 

──貴方は、その身についた成果を、積み重ねた時間を、否定できますか?──

 

あれは、一体どういう意味だ?

 

 

 

 

 

翌日の自主訓練に、ソーヤーは来なかった。

その翌日も、そのまた翌日も。

今日も、また。

 

念願だった、一人で行なう特訓。

教官との差を縮める好機と、勇んでシミュレーターへと乗り込んだまでは良かったが……何故だろうか、まったく身が入らない。

別れ際のソーヤーの言葉が頭にこびりついて全く集中できず、動作教習を行なうも結果は散々なもの。ワースト記録を更新するという有様であった。

こんな状態で訓練を続けても何も身につかない。むしろ事故でも起こして怪我をするのが関の山、か。

シミュレーターを降りると、そこは静けさに包まれていた。足音、呼吸音、心臓の音。自身が立てる音がやけに大きく響く。

他の誰の体温も無い肌寒い部屋の中、壁に背を預けて座り込んだ。

 

──なにやってんだ、俺は。

 

せっかくの自主訓練だというのに、時間を無為に使うばかりで何も出来ないとは。

時間を……。

 

──貴方は、その身についた成果を、積み重ねた時間を、否定できますか?──

 

また、だ。

時間という響きから連想されたのか、またあの言葉が脳裏をよぎる。

否定……など、出来る訳がないだろう。

斯衛とは、主君を護る剣である。

即ち剣の道とは、己を高める道に他ならない。

体を鍛え、技を磨き、そして心を整える。

長年にわたって鍛錬し、そして身に付けた成果。そのために費やした時間。それを否定することなど……出来ようはずが無い。

 

何故、あいつはあんなことを言ったんだろうか。

別れ際に見せたあの怒りに燃えた瞳、あれは俺の言葉に怒ってのことだろう。

 

──俺達、斯衛の“訓練兵”を叩きのめすための訓練なんだろ?──

 

そんなつもりで訓練していたわけじゃない……ということか。

自分の思いを否定されたから、あれだけ怒ったということか。

じゃあ、何の為に……。

 

──思えば、誰か一人の為にこれだけ思い悩むことなど、今まで無かったな。

 

アメリカ人の教導官が最初の一人になるとは、な。

心の中に、彼女の姿を思い描く。

鞍馬達に教導の成果が見られて喜ぶソーヤー。

自主訓練の際の、少し打ち解けた様子。

F-4のことを“あの子”と呼んで、熱く語る姿。

笑って、怒って、恥ずかしがって。

そんな、一人の人間の姿に思いを馳せた。

 

──そうか。

 

そういう、ことか。

こんな簡単な、当たり前のことに今まで気がつかなかった、なんてな。

己を恥じるように頭を抱えた鞍馬は、やがてすくりと立ち上がる。

そして、何かを決意した目で再びシミュレーターに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

明くる日の教導。

最初にその変化に気がついたのはやはり、教官であるソーヤーだった。

鞍馬の操るF-4の、その動きが昨日までとは違っている。

 

──あれは、私の機動……

 

力強く大地を踏みしめて走っていた機動が、跳躍ユニットを巧みに活かした、地面の上を滑るような動きに変化していた。

そして、主脚の踏み込み、重心の移動、剣にかかる遠心力、それらに跳躍ユニットから生まれる爆発的な加速を加え、敵を断つ。

戦術機とは、人間の手足の延長といえるものでありながら、熟練次第で人間以上の動きをさせることが出来る兵器。

まさに、それを具現化した機動であった。

 

シミュレーターを降りた鞍馬が、仲間達から次々に声をかけられていく。

その面には確かな自信と、ひたむきに前を見つめる強い意志がこめられていた。知れず、ソーヤーの口元には笑みが形作られていた。

 

 

 

その夜、シミュレーター管制室。

鞍馬は一人、訓練をするでもなく、誰かを待っていた。

自分以外には誰も居ない空間。ただ、時計の針と、自身が立てる音のみが響く。だが、鞍馬に焦りは無い。

言葉ではなく、練成の成果で語ることが出来たのだ。

きっと、伝わっているはずだから。

 

どれほどの時間が経過したか。

ふと、入り口付近の空気に揺らぎがあった。

 

「少尉」

 

促す鞍馬の言葉に、どこか照れたようなソーヤーが姿を現した。

視線を宙に這わせ、一つ大きく息をつき……鞍馬の瞳を見つめる。

 

「……大尉、昼間の機動……お見事でした」

「ありがとう、少尉」

 

言葉にしたことでほぐれた緊張と共に、口元にこぼれる笑み。

つられるように笑みが浮かぶのを、ぐっと堪え、真剣な面持ちで鞍馬が言う。

 

「少尉……すまなかった。君を侮辱したことを、謝罪する」

「黒須大尉……」

「少し素直になればすぐ分ることだったのに。とても当たり前のことだったのにな。アメリカ人だの日本人だの、そんなことに捉われて、当たり前のことが見えていなかった」

「……」

「君が、俺と同じ人間なんだということ。人種なんて関係ない、自分の道というものがあって、それを誇りに思っている、同じ人間。

 俺にとっての剣が、君にとっては戦術機の操縦だということ。

 ……すまなかった。そして、気付かせてくれたことに礼を言う」

 

そして、鞍馬は深々と頭を下げた。

 

「頭を上げてください、大尉。

 私からも、お礼を。私を一人の人間としてみてくれて……ありがとうございます」

 

ソーヤーは言う。

あの夜から、周囲の人間が自分を見るときの棘のようなものに気がついてしまい、やはり異邦人なんだと感じていたと。

このまま教導が終わるのかと思っていたところ、今日の鞍馬の機動を見て胸がはちきれんばかりに嬉しかったと。

 

「大尉に言われるまで気がつかなかった私も、相当まぬけですよね」

 

そう言って笑う姿が、とても眩しく見えた。

 

その夜は、結局訓練もせずに色々な話をして過ごした。

日本とアメリカの戦術機運用概念について熱く語り、学生時代にしでかした失敗談に笑い合い、自身も捉われていたアメリカ人に対しての偏見を何とかしたいと願い。

気がつけば、時計の針は頂点を指し、間も無く日が変わろうという時間に。

 

「いかんな。これ以上いると警備の者にどやされるし、何より明日に障るか」

「そうですね。随分話し込んじゃいましたけど……ありがとう、楽しかったです」

「こちらこそありがとう、少尉。……その、なんだ」

「大尉?」

「あんなことを言ってしまったのに、非常に言い難いんだが……明日からのこの時間、俺と一緒に訓練をしてもらえないか? いろいろと、教わりたいことがある」

「ええ、大尉。私でよければ、よろこんで」

 

二人は見つめ合い、笑い合いながらくだけた敬礼を交わす。

そして、二人の時間が始まった。

 

 

 

 

 

──いえ、そこは主脚を軸に回るのではなく、スラスターを使って旋回した方が速度を殺さずに済みます。

──こう、か? ……あがー

──あらあら。

 

 

 

──半径3メートル弱、これが長剣の間合いになる。

──……届かないですよね?

──いや、それが届くんだ。剣と腕の長さに加えて、踏み込む一歩がある。どちらにせよ、腕の振りだけで物は斬れないから。

──なるほど。これを戦術機に当てはめると……

 

 

 

──大尉、この基地の近くで、日本の小物を買えるところはありませんか?

──小物? 国に土産か何かか?

──いえ、基地の方が、口を紐で縛る小さな袋を持っていて、可愛らしいな、と。

──ああ、巾着か。それなら……そうだ、世話になっている礼に、次の休日に案内しようか。

──本当ですか? 嬉しいです。

 

 

 

──斯衛の皆さんも、随分と腕が上がりましたね。

──何しろ、教師が良いからな。

──あら、おだてても何も出ませんよ?

 

 

 

──……綺麗。

──だろう? この時期に京都に来たなら、ここ嵐山の紅葉は見ておかないと。

──ありがとうございます、大尉。

 

 

 

──クランク!? この速度で!

──手前40で反転全力噴射、壁面を蹴って強制姿勢制御2回! ……怖気づきましたか大尉?

──冗談じゃない! 楽勝だ!

 

 

 

──これは……シナモンクッキー?

──不思議だ。ただの八つ橋なのに、全然別のものに聞こえる。

 

 

 

──教導期間も、もうすぐ終わりだが……その後はアメリカに帰るのか?

──いえ。そのうち呼び戻されるでしょうけど、それまでは日本の基地に所属することになると思います。

──そうか。

──あれ? 何か嬉しそう?

──い、いやっ、そんなことは……なくもないが……

 

 

 

──あら……雪?

──もうすっかり冬だな。ほら、少尉。

──ありがとうございます。……暖かい……

 

 

 

──黒須でいい。今は軍務の時間外だからな。

──なら、私もセリスでいいわ。

──ぶほっ! ……いや、ファーストネームを呼ぶというのは……

──あら、アメリカじゃ普通よ。ねえ、鞍馬?

──く、くらっ!?

──ふふっ

 

 

 

季節は巡る。

そして、また冬がやってきた。

 

 

 

 

 

1975年、12月。

帝都。

 

「セリス……大事な話があるんだ」

 

冬の街を、並んで歩いていた二人。

道行く人の波が途切れ、ふと会話が止まったその時、鞍馬が切り出した。

いつになく真剣な、怖いくらいに張り詰めた顔をし、一言一言、確かめるように言葉を紡ぐ。

 

「君と出会って、もう一年が過ぎた。いつか君はアメリカに帰ることになるだろう。

 だから、その前に。今のうちに、言っておきたいことがある」

 

斯衛への教導が終わってからも頻繁に連絡を取り合い、休みが合う度に顔を合せていた二人だが、セリスも鞍馬のこのような顔を見るのは初めて。

緊張と、焦りと、恥じらいと。

その表情と、その口調と、その態度と。

鞍馬がこれから何を言おうとしているのか察したセリスは、高まる期待に胸を高鳴らせる。

……と、同時に。それは叶わぬ、叶えてはいけない願いなのだと、冷たい風もまたその胸に吹き荒れた。

二人共に、さまざまな感情を胸に秘めつつ、見つめあう視線が気持ちを高ぶらせる。

そして、大きく息をついた鞍馬が、ついに言葉を続けた。

 

「セリスっ! ……俺と、結婚を前提とした、お付き合いをしてもらえないだろうか?」

 

……えっ?

鞍馬の口から放たれた言葉に、思わずぽかんと間の抜けた顔を晒してしまう。

そして、その言葉の意味を噛み締めた時……込み上げる笑いを堪え切れなかった。

 

「ふっ、ふふっ、あははははっ! ご、ごめんなさい、鞍馬、ちょっと待って、あははは」

 

堪えきれずにその手を腹に添え、伸ばした背筋を折って前屈みに。目には涙すら浮かべ、ひとしきり大笑い。

セリスが呼吸すら困難になっている中、鞍馬は戸惑うままに言葉を継げずにいた。

受け入れられる、断られる。怒られる、泣かれる、逃げ出される。

そんな反応を想像して、それぞれに対応を考えてはいたが……笑われるというのは想定外だった。

その顔が、次第に憮然としたものに変わっていく。

 

「……そんなに、可笑しいことを言ったか?」

「ご、ごめんなさい、違うの、違うのよ、鞍馬。はあ」

 

目尻にたまった涙を指先で拭い、大きく深呼吸をして、どうにかこうにか笑いの発作を押さえ込んだ。

 

「私達、まだ付き合ってなかったんだって思ったら、可笑しくなっちゃって……

 何も手を出してこないなあ、とは思ってたけど。どうりでねえ」

 

そして、白い両手を鞍馬の首に回し、そっと引き寄せた。

二人の顔が近づき……初めての口付けを交わす。

 

「……私は、もうとっくに恋人同士になってると思ってたのよ。

 ああもう、笑いすぎて涙が出てきちゃったわよ」

 

二つの瞳から滝のように溢れる涙。それを隠すように顔を鞍馬の胸にうずめる。

その細い体をぎこちなく鞍馬が抱きしめた時、ありがとう、と。小さな呟きが聞こえた。

 

「ありがとう。……とても、とってもとっても……嬉しい」

「それじゃあっ!」

「ううん、でも、駄目。やっぱり結婚はできないわ」

 

一度、鞍馬をぎゅっと抱きしめ返すと、セリスはその温もりを手放した。

そのまま何歩か後ずさり、背を鞍馬に向ける。

 

「……どうしてだ? 何か俺に至らないところがあるのなら言ってくれ」

「ううん、そうじゃないの。貴方は今のままでとっても素敵よ。でも……駄目。

 だって、貴方はインペリアルガードじゃない。外国人の、それもアメリカ人の私と結婚なんてしたら……」

 

一旦言葉を噤み、振り返る。

涙はもう止まっていた。

 

「好きよ、鞍馬。貴方の言葉、本当に嬉しかった。

 でも、私は貴方の将来を奪うことなんてしたくない。

 ごめんなさい……そして、さようなら」

 

──きっと、これで良かったのよね

 

躊躇いを振り切るように踵を返し、走り出す。

その胸に、教導官として始めて知り合い、反目し、打ち解け、そして惹き合っていった……数々の思い出がよぎる。

三度、零れる涙。

最初は笑いの、次に喜びの。そして今、悲しみの涙を流しながら、夜の街をセリスは行く当てもなく、走り続けた。

 

 

 

どれほど走ったのか。

気がつけば知らない街並みが目の前に広がっていた。

 

──ここ……どこかしら?

 

まあ、なんとか大通りに出れればタクシーも拾えるわよね。

ハンカチを取り出して涙を拭き、車の音が聞こえるほうに目星をつけて歩き出したその時、背後から肩を掴まれた。

染み付いた習性で考える間も無くその手を掴んで振り返り、狼藉者に一撃を食らわそうと相手の顎めがけて繰り出した肘は……相手の手のひらで防がれた。

 

「……ま、まて、セリス。俺……だ……」

 

追撃に移ろうとしたとき、目の前にいるのが先程一方的に別れたばかりの鞍馬だと気がついた。

セリス、君、足速すぎ……と、息を整えながら搾り出すように言う鞍馬に、唖然と尋ねる。

 

「鞍馬……なんで?」

「人のっ、話はっ、最後までっ、聞くものだっ」

 

もう一度逃げ出そうかとも思ったが、それはさせないと鞍馬にがっちりと腕を掴まれてしまっているので、仕方なく彼の息が整うのを待つ。

 

「ふう……。俺も相当に鍛えているつもりだったが……まさか足の速さで負けるとは思わなかったな」

「鞍馬、何で追いかけてきたりしたの? 言ったでしょ、私は貴方と結婚できないって」

「だから、セリス。俺の話を最後まで聞いてくれっ!」

 

叫ぶような強い言葉に周囲を歩いていた人たちが振り返る。

その奇異の視線をものともせず、鞍馬は言葉を続けた。

 

「セリスっ! 俺は、君を愛しているっ!」

 

なんの捻りもない、直球の言葉。

彼女の頬が真っ赤に染まるのは、喜びからなのか、羞恥からなのか。

ああ、周りの目が痛い。

 

「く、鞍馬、ちょっと落ち着いて、ねえ」

「落ち着くのは君のほうだ。人の話も聞かずに走り去るなんて。

 いいか、セリス。俺が、愛する人と自分の将来を天秤に懸けるような人間に見えるのかっ!?

 出世なんて関係ない。立場なんて知ったことじゃない。保身なんて糞喰らえだっ!

 俺はっ! 斯衛を辞めるっ! この生涯をかけて、君を愛し続けるっ!」

 

この……馬鹿……

頭は冷静にこの事態を収拾しようとするセリスだったが……だがしかし、その心が喜びに満ちていくのも自覚せざるを得なかった。

その一言に心が震える。

その二言に魂が揺さぶられる。

ああ……もう、駄目。この人に、全てゆだねてしまいたくなる。

 

「殿下を、御護りするんでしょ?」

「斯衛の外からでも成せる事はある」

 

「沢山のものを捨てることになるわよ」

「君が居てくれるなら構わない」

 

「家にも迷惑がかかるわよ」

「黒須家にはもう俺一人しか残っていない」

 

「きっと後悔するわよ」

「するわけが無い」

 

「……貴方は……馬鹿よ」

「ああ、馬鹿さ」

 

堰が切れた。

押さえ込んでいた感情が溢れる。

もう、自分の気持ちを隠すことなど出来なかった。

セリスは鞍馬の広い胸に飛び込み、きつく抱きしめ合った。

 

「セリス……愛している」

「私も、愛しています」

 

そして、二人は2度目となる、熱い口付けを交した。

 

 

 

 

 

1988年、2月。

帝都、斯衛軍幼年学校校庭。

 

随分と、長話をしてしまったな。

いつの間にか茜色に染まりつつある空を、蒼也と二人見上げる。

蒼也にも素晴らしい出会いがきっとあると、自分がアメリカへの偏見が無くなった話をしていた鞍馬だが……ついつい、懐かしい思い出に浸ってしまっていた。

話の後半、口に出すのは恥ずかしい辺りは、いつか蒼也が恋の相談などしてきた時、話してやるとしようか。

 

「その、アメリカ人の衛士って……もしかして、母さん?」

「ああ、そうだ。俺が世界で一番尊敬している衛士さ」

 

ふうん、と。

興味なさげなそぶりをしながら、その頬の笑みを消せない蒼也。

 

「父さん、母さんが好きなんだね」

「もちろんだ。蒼也、君のことと同じくらい愛している」

 

鞍馬がその力強い腕を伸ばし、隣に座る蒼也の頭を抱え込む。

くすぐったそうに笑う蒼也。

 

「ねえ、父さん」

「なんだ?」

「僕、父さんと母さんみたいな、立派で素敵な衛士になるよ」

 

蒼也の言葉に、そうかと嬉しそうに微笑む鞍馬。

 

「あ、やっと見つけた。こんなところで男二人隠れて、何を話していたのかな?」

 

ようやく満足行くまで話し尽くしたのか、校舎の方からセリスと真那が歩き寄ってきた。

その向こうに他の顔ぶれの姿も見える。

 

「ああ。蒼也にもきっといつか素晴らしい出会いがあるってな。俺とセリスのような、な」

「あら、嬉しいこと言ってくれるわね」

「いつも言ってるだろ?」

「何度聞いても良いものなのよ」

「はは、そうか」

 

惚気る二人に、呆れたような視線が浴びせられるが、今更気にもしない。

蒼也を間に挟んで手を繋ぎ歩き出したところで、ふと悪戯を思いついたようにセリスが呟いた。

 

「あ、でも……そんな出会いがあったら、大変なことになるかも。……ねえ?」

「お、叔母様っ! 何ですか、突然っ!」

 

急に話を振られた真那が慌てふためく。

頬の色は……夕日に染まったのか、随分と真っ赤だ。

 

笑いに包まれる一同。

ゆっくりと歩を進めながら、鞍馬は一度、背後を振り返った。

夕日に赤く染まる京の街。

願わくば、この幸せが、平和が。

末永く護られんことを。

八百万の神々に、帝都を護る人々に、それを願う鞍馬だった。

 

 

 



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21話

 

「国連軍の黒須鞍馬大佐であります」

「お久しぶりです黒須大佐。国連の侍の名、聞き及んでおります。同じ日本人として誇りに思いますよ」

「そんな、もったいない。准将こそ、帝国軍切っての知将の勇名にお変わり無い様で」

「ははは、それこそ買いかぶりというものです」

「いえ、そんな。……それにしても、貴方ほどの方がこの教導の責任者になられたということは……」

「ええ。まだ正式な形にはなっておりませんが……帝国大陸派遣軍、この教導に呼ばれた者達は、その骨子となる予定です」

「やはり」

「日本の、人類の明日を護る牙。……預けますよ、大佐」

「はっ! この黒須鞍馬、一命に代えましても」

 

 

 

 

 

1988年、2月。

帝国陸軍、富士駐屯地。

 

「国際連合安全保障理事会組織統合参謀会議直轄対BETA特殊作戦部隊の黒須鞍馬大佐だ。

 本日より3ヶ月の間、諸君等への教導を任されることとなった。

我々の部隊名に関しては“ハイヴ・バスターズ”ないしバスターズと称してもらって構わない。

もっとも、早口言葉のトレーニングを積みたいのなら、その限りではないがな」

 

鞍馬のその言葉に、居並ぶ衛士達の間に笑いの細波が広がった。

壇上に立つ鞍馬の背後には“ハイヴ・バスターズ”の面々が控え、そして眼前には帝国陸軍の精鋭が立ち並んでいる。

右手側に富士教導隊所属の一個連隊。その名の通り、本来他の部隊に教導を執る立場にいる彼等は、帝国軍切っての猛者揃いだ。

左手側に並ぶのは、全帝国陸軍からこの教導のために選りすぐられ臨時編成された一個連隊。彼等もまた、教導隊に勝るとも劣らぬ錬度を誇る。

 

「諸君等に関しての資料は見させてもらった。

 いずれも、まさに精鋭。私が過去に教導を執ってきた中でも有数の力量を持っているといえる。このまま私の部隊に招きたいくらいだ」

 

衛士達の顔に誇らしげな笑みが浮かぶ。

鞍馬に言われるまでも無く、彼等は己こそが帝国軍最強の一角であると自負しており、またそれは紛れもない事実であるのだ。

場は友好的な雰囲気で進むかに見えた。

しかし、鞍馬より続く言葉が発せられるや、室内には不穏な空気が漂い始める

 

「だが、このまま戦場へ送れるかといえば、それは別の話となる。

 諸君等の腕自体に不安は無いとはいえ、それが“人類に敵対的な地球外起源種”、BETAにそのまま通じるかといえば、それは否である。

 例を挙げよう。

 諸君等が通常行なっている訓練として、戦術機同士の戦闘訓練がある。部隊を半数に分けて対戦を行なうというものだな。

 また、中隊ないし大隊を持って一定数のBETA殲滅を目的とするシミュレーター訓練も盛んに行なわれているようだ。

 だが、敢えて言おう。それらの訓練は、対BETAの実戦においては無意味なものであると」

 

自分達の今までの練成を否定するかのようなその言葉。

彼等の顔色が変わり、瞳には剣呑な光が射す。

 

「諸君等は、こう思っているかもしれない。

 我等帝国の精鋭が大陸での戦いに馳せ参じた暁には、化物の側に優勢な現在の天秤を、人類の側へと傾けることが出来るに違いない、と。

 だが私はこう告げよう」

 

そして鞍馬は、ゆっくりと、はっきりと言い切った。

 

「それは、思い上がりである」

 

今の諸君等では、初陣兵士の壁となる“死の8分”を乗り越えることなど到底出来はしない。

ついに場の空気は、不穏から敵意へと格上げされる。

衛士等の鞍馬へと向けられる視線が完全に敵を見るものとなっているが、指揮系統が違うとはいえ仮にも大佐に対して意見など出来るはずも無い。

先ほどまでとは打って変わった、押し殺された沈黙が場を支配した。

 

無論、鞍馬とて悪戯に煽っているわけではない。

これはこれからの教導をより有意義なものにするために必要なことであり、ようは自らが敵役となることで教導への熱意を高めようという策である。

とはいえ、先ほどの言葉に偽りがあるわけではない。

このまま彼等がBETAとの戦闘に参じた場合、間違いなく多数の命が失われるだろう。

だからこそ、なあなあでは済まされない。厳しく当たるのである。

 

「黒須大佐、よろしいか?

 実戦経験者の意見、我々としても諾々と受容したいところではあるが……その言、よもや冗談では済まされませぬぞ。

 大佐の言葉が正しいものであると、我々に示す用意はありますのでしょうな?」

 

教導連隊を率いる帝国陸軍大佐が、一同を代表して手を挙げた。

視線で人を殺せるなら、おそらく“ハイヴ・バスターズ”にはダース単位で死人が出ていることだろう。

 

「無論。今日これからの教導において、それを証明しましょう」

 

自らに注がれる敵意など存在しないかのように、気負う様子もなくごく当たり前のことのように、鞍馬はそう言ってのける。

その背後、ラダビノッドが胃の辺りを押さえて小さく嘆息していた。

 

 

 

 

 

教導隊という特殊な部隊を保有する富士駐屯地には、滞りなく教導を行なう為に連隊規模が一度に訓練を行なえる巨大なシミュレータールームが存在する。

強化衛士装備に身を包み、そこへと場を移した各衛士がそれぞれ筐体に乗り込んだ。

 

「これより、第1回目の対BETA戦術教導を開始する。

 諸君等にはまず、ある映像を見てもらう。機密に当たる為、内容については口外しないで貰いたい。

 シミュレーターでの戦闘とは一味違う、生のBETAを味わってもらえると思う」

 

それは、絶望の記録。

網膜に投影された映像には、東欧風の家々が建ち並ぶ街へと迫り来るBETAの群れが映し出されていた。

住民の避難が遅れていたのか、残された人々が我先にと安全な場所を求め走る。

人の足でBETAの進軍速度に抗うことなど出来るはずも無いのに、目を血走らせ、口からは怨嗟の叫びを漏らし、逃げ惑う。

 

決して離すものかと固く繋いでいた母子の手が人波に揉まれてちぎれた。慌てて振り返った母親は、人々の足に踏みつけられ息絶える我が子の姿を見る。

魂が抜けたように座り込む母親を照らしていた日が何かに遮られる。見上げた時、巨大な象の脚のようなものが振り下ろされ、水風船が赤く弾けた。

必死に積み上げたバリケードは刹那の時間を稼ぐことも出来ず、吹き飛ばされた建材が人々の頭上に落下して死を撒き散らす。

僅か横を巨大な物体が駆け抜けていき、すんでのところで命を長らえ神に感謝する男の祈りは、赤黒い手のようなものに掴み運ばれたところで痛みと共に途絶えた。

果敢に自動小銃を撃ち続ける兵士達の頭が、背後より近づいてきた白いぶよぶよとしたものに噛み砕かれる。

安全なはずの戦車の中にいた兵士は、固い装甲が力任せに引きちぎられ、外界の光が射すのを見て嗚咽を漏らす。

恐怖のあまり気が触れる人々はいなかった。狂うその前に押し潰され、噛み砕かれ、引き千切られ、磨り潰され、殺され、殺され、殺されていく。

 

一つの街と、そこに住む人々、そしてそれを守ろうとした兵士達が無残に散り、全てがおぞましい人外の生き物に飲み込まれていく様を映し出した、目を背けたくなる光景。

 

「これは、パレオロゴス作戦後に起こったBETA大侵攻の記録映像になる。

 奴等は平等だ。軍人も民間人も、男も女も、老いも若きも、金持ちも貧乏人も、関係ない。全てを喰らい尽くす。

 この場所に、もう街は存在しない。平らに均された大地のみが残されている」

 

淡々と告げる鞍馬に、何か言葉を返せるものは誰もいなかった。

その余裕など無かった。

 

「次の映像に移る。

 ここまでは、やや後方から引いて撮った映像だったが、次は戦術機のカメラに残った記録となる。諸君等には、この戦いを追体験してもらう。無論、動かすことは出来ないがな」

 

場面が切り替わると、そこには地平線までを埋め尽くす異形の軍勢。

立ち向かう人類勢力は24機の戦術機のみ。

誰かの漏らした呻きが聞こえた。

土煙を上げ、鋭角的な鎧を纏った猪といった外見の突撃級が迫り寄ってくる。

時速170kmで駆け抜ける巨体を左右に、あるいは噴射跳躍で上に躱し、がら空きになった臀部へと36mmをばら撒く戦術機達。

 

「な、なんだ。楽勝じゃねえかよ」

 

そう呟く声が聞こえた。

一機の損害も無く先行する突撃級を殲滅できたのだ。これなら、俺たちだって楽勝……。

そう思って、続いて襲い来る要撃級、戦車級へと視線を向けたとき、青かった顔色が更に蒼白に変化した。

 

「な、なんだよこれ。おかしいじゃねえか。……何で全然減ってねえんだよっ!?」

 

蠍のような要撃級に、蜘蛛のような戦車級。どちらも敢えて言えばそう見えなくも無いという程度の比喩で、実際の醜悪さといえば、蠍と蜘蛛が満載のプールに飛び込んだほうが遥かにましと思わせるもの。

その群れが、もう手を伸ばせば届くほどのところにいた。

意味がないと分りつつ、無意識に操縦桿を動かす手を止められない。

 

やがて、戦いは近接戦闘へと移行していく。

突撃前衛小隊が敵陣へと切り込み、それに惹き寄せられたBETAを他の20機が殲滅していく。

彼等の連携によどみは無く、これが完成された戦術なのだと理解できた。

戦いが始まった時は半ば恐慌の様子を見せていた帝国軍衛士達だが、その勇猛な戦いぶりを見て徐々に落ち着きを取り戻す。

このままいけば、無事に全てのBETAを殲滅できるんじゃないか? そんなことをすら思った。

そして、まるでそれが伝わったかのように、過去映像の衛士たちにも気の緩みが見えた、その時。

 

──崩壊は、呆気なく訪れた。

 

 

 

 

 

シミュレーターを降りた衛士達の顔には生気というものがまるで見られなかった。

瞼の奥に、映像の最後、仲間の救援の為に飛び上がった戦術機がレーザーに打ち抜かれる様子が焼きついている。

 

「あの戦いにおけるBETAは師団規模、約3000体。小型種も含めて10000体といったところだ」

 

師団規模。

その言葉に、それならば仕方ないという感情が浮かぶ。それだけの数を相手にしたのだから、この結果もまた自明だったのかもしれない。

だが、彼等の常識を打ち崩すかのように、更なる追い討ちが掛けられた。

 

「……まあ、良くある規模だ」

 

──良く、ある……だって?

──そんな……馬鹿な。

──……嘘でしょ?

 

鞍馬の言葉を必死に否定しようとする衛士たちだったが、それが出来ない自分達に気がついた。

否定したくても、その材料が無い。

今、ようやく分った。

自分達は、BETAと戦うということについて何も知りはしなかった、のだと。

 

「先ほど述べた、私の言葉を思い返してみて欲しい。

 同数の戦術機同士で行なう戦闘訓練は、戦術機操縦の腕を上げるためには有効かもしれない。特に、搭乗時間の少ない未熟な衛士にとっては、他人の優れたところを学び、自身を見返すいい機会となるだろう。

 だが、既に十分な力量を持っている諸君等にとって、対人戦の技量を上げることが、BETAとの戦いにおいて果たして有効だろうか?」

 

その言葉に返答は無い。

 

「圧倒的多数のBETAに対し、戦術機のみでこれを駆逐するというのは、果たして現実的な手段だろうか?」

 

その言葉に頭を垂れる。

 

「諸君等は、戦場の英雄になりたかったのかもしれない。だが、勘違いするな。

 戦術機とは、速度において航空機に劣り、的の大きさとしては戦車以上であり、火力に至っては重量比で如何なる車両にも劣り、さらには歩兵にすら破壊されかねない脆弱な装甲を持つ、史上最弱の兵器である。

 利点といえば、3次元的動きが可能なその機動性にしかない。

 光線属種の排除という重要な役割もある。だが、戦場において戦術機の利点を生かした主な仕事とは、火力に秀でる支援砲撃部隊の射程内へとBETAを導くこと。

 つまり、一言で言い表すなら……囮だ」

 

理想と、現実と。

そのあまりの隔離に叩きのめされる衛士たち。

 

「俺達は英雄にはなれない。また、なる必要もない。

 ただ自分に求められる役割を果たすことだけを考えろ。

 そしてその役割に誇りをもて。それは、俺達にしか果たせないものなのだから。

 これより、俺が戦場で学んだ全ての技術を諸君等に叩き込む。

 ……3ヶ月。いいか、許された時間はたったの3ヶ月しかない。全員、死ぬ気で習得しろ。

 ではこれより、次の教導へと移る。

 全員、シミュレーターへ搭乗っ!」

 

帝国陸軍衛士達にとって、2度目の養成学校とでも言うべき日々が始まった。

 

 

 

 

 

1988年、3月。

富士駐屯地、PX。

 

「……きちー」

「鬼じゃ……あそこには鬼がおる……」

「為にはなりますが……確かに厳しいですね」

 

“ハイヴ・バスターズ”の教導が始まって一月が経過した。

密度の濃いものとなるよう、教導は基本的に中隊単位で、それぞれに“ハイヴ・バスターズ”から2名が教官としてつく形で行なわれている。

教える内容に偏りの出ないよう担当教官はその都度変わるのだが、鞍馬とセリスのエレメントに当たった中隊は他より一段階“濃い”教導を受ける権利が与えられる。

……望むと望まざるに関わらず。

 

鞍馬の教導を受けると、身体の疲れはもちろんのこと、それ以上に脳が疲れる。

処理が出来なくなるギリギリまで矢継ぎ早に様々な指示が与えられ、同時に複数の事柄を処理していかないとあっという間に破綻してしまうのだ。

その際たるものが、戦術機同士の戦闘訓練。

初日に鞍馬自身が否定したはずの訓練を何故やらせるのか?

蓋を開けてみれば、やはり一筋縄ではいかなかった。

6対6で行なわれるとばかり考えていた隊員に示された組み分けは、2体10というものだったのである。

 

「訓練というものは、何の為に行なうのか、何を目的としているのか、それを明確にするべきだ。

 諸君等もあの映像で知ったとおり、BETAとの戦いは圧倒的多数対少数というものになる。

 これは、その状況に慣れるための訓練である。多数を同時に相手取る感覚を鍛えろ。

 常に動き続けろ。考えを止めるな。複数の事柄を同時に思考しろ。対処すべき優先順位を瞬時に判断しろ。常に最良の一手を求めろ。

 いいか、一機でも多く墜とし、一秒でも長く生き残れ。

 無論、10機を撃破出来るのならそれが最良だ」

 

そんな無茶な……

そんなこと出来るわけ無いと心の中で嘆く衛士たちだったが、手本と称した2対“12”の対戦に勝利されてしまってはもう、従うより他に無かった。

 

また、鞍馬は彼等に、囮となってBETAを惹きつける動きを徹底的に学ばせた。

帝国衛士の対BETA戦闘訓練は、中隊ないし大隊を持ってBETAを殲滅するということを主眼に成されており、支援砲撃はAL弾の有無程度のみであまり意識されてはいなかった。

しかし実戦においてBETA殲滅の主役となるのは支援砲撃部隊であり、彼等の存在を欠いての訓練に意味は少ない。

無論、鞍馬にも経験があるとおり、時には支援の全く無い状態でBETAと相対せねばならない場合もある。

だが、仮に支援砲撃が期待できない状況に陥ったとしても、この機動に習熟しているならば部隊の一部を囮としてBETAを誘導し、残りが横合いから殲滅していくという戦術が取れる。

これは、鞍馬が戦いの中で培ってきた技術の集大成と呼ぶべきものであった。

 

 

 

今日は、夕食をとるためにPXの一角に陣取ったこの中隊が、鞍馬等からありがたくも厳しい教えを受けた。

既に全員が集まり終えている。食事を受け取る列が長く伸び始めてもいる。

だが、彼らの中に席を立つ者はいない。全員が机に突っ伏したまま、もう一度立ち上がる気力をもてないでいるのだ。

 

「……もう少しだけこのままでいさせて……」

 

誰かが漏らした呟きに答える者も、またいない。

 

「沙霧~、上官命令。お願い、晩飯取ってきて……」

「大尉ー、それ公私混同」

「はは、まあ構いませんよ、それくらい」

「沙霧やさしい~、愛してる~」

 

美しい女性から言われるのならその気にもなるが、言っているのは三十路のおっさんである。

そもそも、今回の教導に参加している帝国軍衛士の中に女性はいない。

帝国軍に女性がいないわけではないが、彼女等はほぼ全員が後方での任務に従事しており、前線に立つのは男ばかり。

女性は銃後を守るという理想が体現されているとも取れるが、まだ国土が侵されていない後方国家だからこそ出来ることでもある。

実際、“ハイヴ・バスターズ”の面々は半数が女性だ。

 

無精ひげを生やしたおっさんの猫撫で声に苦笑いを浮かべつつ、それでも了承した沙霧と呼ばれた男が席を立つ。

まだ20歳を越えてはいないだろう、今回の教導に参加している衛士の中でも一際若い。眼鏡が良く似合う、なかなかの男前だ。

若いのも道理。沙霧尚哉18歳、彼はまだ、正式には訓練兵なのだから。

養成校でも一際優秀であり、次代を確実に担うであろう彼に貴重な体験をさせるべきだと、臨時少尉の肩書きを与えられて特別にこの教導を受ける一員に選ばれたのである。

教導の終了と共に正式な少尉となり、部隊に配属される予定となっている。

相当な特別扱いというべきだが、実際に共に訓練をしてみると確かに訓練兵のレベルを大きく超えている力量を持っていることがわかり、他の衛士たちが持っていた小さな不満もいつしか消えていった。

 

「なんだ、あの程度の練成でへばったのか、情けない。

 沙霧少尉、持ってくるのは自分の分だけでいいぞー」

 

おっさん大尉の背後から、そんな言葉が掛けられた。

立ち上がって敬礼をしようとした向かいに座る者達が、それを途中でやめる。

座っていろと窘められたのだろう。こういう、食事時に堅苦しいのを嫌う上官といえば……大隊長か。

 

「大目に見てくださいよ、大隊長ー。コイツまだ10代だから元気が有り余ってるんですって」

「……まあ、大隊長には違いないが」

 

ん? 何だか反応が悪いな。

何だお前等、後ろー後ろーって指差して。だから、大隊長だろ……

気だるげに振り返った彼の眼に飛び込んできたのは、特徴的な国連軍のC型軍装。

 

「“ハイヴ・バスターズ”大隊長の黒須であります、大尉殿」

「た、大佐っ!」

 

椅子から転げ落ちそうになりつつ慌てて立ち上がり敬礼をする大尉に、にやりと笑い答礼する鞍馬。

 

「気をつけろよ、大尉。訓練中だったら修正だったぞ」

「はっ! 申し訳ございませんっ!」

「まあいい。ところで、俺もここで飯を食ってもいいかな」

「は、はいっ! 大佐と同席できて光栄であります!」

「飯を食う時くらい、そんなにしゃちほこばらんでもいいさ」

 

そう言って手にしたトレイを机に置くと、どっかりと席に着いた。

時折、鞍馬はこうして帝国軍衛士と食事を共にしている。

垣根を取り払うためだと言っているが、単に日本人同士で食事を取るのが楽しいのだろうとセリスなどは見ている。

 

「お前等、毎日いいもん食ってるよな。美味い飯が食えるって言うのは幸せなことだぞ」

 

今日のメニューは鰆の西京焼き定食。

甘い西京味噌にしっかりと漬かった鰆を、ほかほかの白米と共に口に放り込む

幸せそうに咀嚼する鞍馬を思わず見つめてしまう中隊12人。

 

「ほら、お前等も早く取って来い。時間は有効に使うもんだ」

 

中隊12名が慌てて立ち上がり、既に長く伸びてしまっている列に並ぶ。

ようやく全員の食事が揃った時、既に鞍馬は食べ終わってしまっていた。

 

「大佐、食べるの早いですね」

「常在戦場ってな。前線では食事中に敵襲なんてこともままある。気がつけば喰うのが随分と早くなっていたよ」

「はあ、為になります」

 

はじめは鞍馬の乱入に戸惑っていた帝国軍衛士達だったが、食事時に気を使うなという彼の言葉が本意だと悟ると、逆に様々な質問をする良い機会だと捉えるようになっていた。

多少緊張するのは致し方ないところであるが。

戦術機操縦のコツや戦場での経験など、雑談というには些か血生臭い会話を続けていく中、沙霧が手を挙げた。

 

「大佐は、元斯衛と伺っておりますが……やはり、BETAに侵されていく人類を憂いて国連軍へと志願なされたのでしょうか?」

 

沙霧はもちろん、他の隊員も当然「そうだ」と言う返事が来るものと期待した。

だが鞍馬は、その期待に反してこう言ったのだ。

 

「いや……女の為だ」

 

呆気に取られて二の句が告げない隊員達に、真剣な顔で更に告げる。

 

「意外か? つまらない理由だと思うか?

 国の為、人類の為、大義の為なら張れる命も、女の為には使えないか?

 俺はそうは思わない。己の隣に立つ、惚れた女一人守れないで何を守れるというんだ。

 それにな、これは覚えておけ。

 前線で命を懸けているとき、守りたいと願うようになるもの。それは国とか人類とか、そんな大層なものじゃない。

 ……ただ、隣りに立つ友を死なせたくなくて戦うんだ、俺達は」

 

沙霧の顔に、微かな不満の色が浮かぶ。

が、それは誰にも悟られること無く消えていった……本人すら、気付くことなく。

 

「前にも言ったな、俺達は英雄にはなれないと。

 所詮、一人の人間に出来ることなんて限られている。いくら藻掻いてみた所で、手の届く範囲の人間しか守れやしない。

 一生懸命に手を伸ばしてみても、指の隙間から零れ落ちる命も沢山在る。

 だから、俺達は力を合わせるんだ。

 例え俺の手が届かなくとも、俺の隣に立つ人間の手なら届くかもしれない。その隣の手なら、更に隣りの手なら。

 手の届く範囲を守り、守られた人間がまた誰かを守り……そうやって手を繋いでいけば、いつかきっと人類は勝利できる──俺は、そう信じている」

 

語り終え、瞳を閉じて何かに思いを馳せる鞍馬。

息を深く吐いて目を開けたとき、いつしか言葉も無く話に聞き入っていた隊員たちに気が付いた。

 

「……すまん、何だか場違いなことを熱く語ってしまったな」

 

照れくさそうに頭を掻く。

心の奥底に在る何かを刺激された隊員たちが、それを言葉という形に成そうとした時、別の方向から声がかかった。

 

「鞍馬、准将がお呼びよ。明日の訓練について打ち合わせしたいことがあるって」

「そうか。ありがとう、直ぐ向かう。

 ……皆、邪魔したな。食事を続けてくれ」

 

鞍馬の背を見送る彼等には、食事前のだれた雰囲気など欠片も残されていなかった。

翌日からの彼等の訓練風景は、それは気迫のこもったものであったという。

 

 

 

 

 

1988年、5月。

帝国陸軍、富士駐屯地。

 

3ヶ月に及んだ教導もついに終わりを迎え、“ハイヴ・バスターズ”が日本に別れを告げるときが来た。

終了式に臨んだ帝国軍衛士達の瞳に宿る覚悟の色は、教導開始前とは比較にならぬほど強く輝いている。

それは戦う覚悟。守る覚悟。そして、生き残る覚悟。

彼等を見る鞍馬の顔にも誇らしげな笑みが浮かぶ。

願わくば、彼等が一人でも多く、一分でも長く、生き残らんことを。

そして……俺がもう直接は守ることの出来ない殿下を、日本を──頼む。

敬礼を交わす彼等の勇姿に、それを願う鞍馬であった。

 

 

 

次の任地は再びインド亜大陸戦線となる。

物資移送の手筈を確認する為、割り当てられていた執務室へと一旦戻り、打ち合わせを行なっていた鞍馬等の下を訪ねる人物があった。

 

「失礼するよ」

「准将! わざわざお越しいただかなくても、呼んでいただければこちらから伺いましたのに」

「いや、仕事の邪魔をするのも悪いからね、気にしないでもらいたい」

 

軍人らしかぬ穏やかな笑みを湛えたその男こそ、この教導の総責任者であった帝国陸軍の彩峰萩閣准将である。

富士駐屯地の司令ではなく彼が責任者となった理由は、この教導の為に編成された連隊が将来の帝国大陸派遣軍の骨子となり、彼がその指揮官となる予定だからだ。

彼は鞍馬が斯衛にいたその頃より知将として名を馳せており、斯衛軍と帝国軍との間で行なわれた合同演習において、鞍馬も何度か煮え湯を飲まされた経験がある。

ならば反目していてもおかしく無いように思えるが、彩峰のほうが10歳ほど年上にも関わらずこの2人は妙に馬が合ったようで、所属も階級も飛び越え、時折飲みに連れ立ったりする友人付き合いをしていた。

 

今回十数年ぶりに顔を合わせた二人は再会を喜び合い、教導中に互いの時間がふと空いたりすれば、鞍馬の知らぬ最近の帝国の話や、幼い子を持つ父親の悩みといった話を肴に茶など飲み、旧交を温めていた。

 

「准将、それで私に何か?」

「いや、個人的な誘いをね。君が教えた中に沙霧という男がいただろう」

「ええ、若いのになかなか優秀な男でしたね」

「君にそう言ってもらえると私も鼻が高い。実は、縁が合って彼とは家族ぐるみの付き合いをしていてね。このあと京で彼の卒業と任官の祝いの席を用意している。

 良ければ、君と奥方、お子さんも一緒にどうかと思うんだが」

 

鞍馬は彩峰の言葉に違和感を覚えた。

その誘い自体は嬉しい。今年5歳になるという彼の娘──慧という名だそうだ──にも会ってみたい。

だが、鞍馬をはじめ“ハイヴ・バスターズ”はこれより清水港より、海路にてインド亜大陸戦線へと向かうこととなっている。

残念だが、京に寄っている暇は無い。それは彼もわかっているはずなのだが。

 

「いえ、准将。出来れば参加させていただきたいのですが……」

「ああ、それと。君宛の命令書を預かっている。私から渡してくれという辺り、君の上官は随分と悪戯好きのようだな」

 

……あいつか。

まったく、今度は何を企んでいやがるんだ。

命令書で驚かすなんて、この間やったばかりじゃないか。

同じ手は食わない、そう何度も驚いてやるかと、様々な可能性を考え心の準備をし、中身に目を通す。

 

……覚悟など無駄だった。頭の中が真っ白になった。

たっぷり数十秒ほどたってから、ようやく絞り出した鞍馬の声には隠し切れない驚愕が見え隠れしていた。

 

「……准将、貴方はこの中身を?」

「ああ、知っている」

「うちの上官もあれですが……失礼ながら、貴方も相当なものですね」

 

溜息を吐く鞍馬の手から、ラダビノッドへ、セリスへと順に回される命令書。

そこには一週間後の、日本帝国政威大将軍への謁見の予定が記されていた。

 

 

 



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22話

 

「あら、随分大盛りの焼きそばね。しかも二皿も。取り分けましょうか?」

「……駄目」

「慧ちゃん?」

「死守。焼きそばは私の物、誰にも渡さない」

「……慧ちゃん、焼きそば好きなのね……」

「とてもすごく好き」

 

「慧ちゃんって言うの? 僕は、黒須蒼也=クリストファー。よろしくね」

「……長い」

「うん、だから蒼也でいいよ」

「……くろすそうや……くろそうや? 関西人?」

「そら確かに関西人やけど」

「黒そう……腹黒?」

「いや、別に腹黒くは……どうだろ?」

 

「こら、慧。初対面の蒼也君にそんなこと言うもんじゃない」

「わかった、蒼也?」

「いや、君だから」

「バカなっ!」

 

 

 

 

 

1988年、5月。

東海道新幹線ひかり号、車内。

 

窓の外側を風景が後ろへと流れていく。

家々、木々、田んぼに畑、全てを置き去りに列車は走る。

高速とはいえ巡航する戦術機よりも遅い速度だが、網膜投影で映し出されるものとはまた違う趣に、気がつけばセリスはその風景を茫と見続けていた。

前線での移動の多くは戦術機に乗ったまま行なわれる。それ以外に触れる機会のある乗り物といえば、シートの固い軍用車か物資輸送の際に使われる貨物船、或いは戦術機空母くらいのものだ。

 

──老後の趣味は、平和になった世界中を列車で旅すること。そんなのも悪くないかもね。

 

いつしか景色は緑なす山々へと移り変わる。

その新緑の美しさに心奪われたとき、興を削ぐように列車はトンネルへと入り視界が黒く染まった。

空想の世界に赴いていた意識が現実に引き戻される。轟と響く音が耳に障った。

 

セリスはわずかに眉をしかめたあと、視線を車内に移した。

向かい合わせになるよう回された座席には、セリスの他に3名の人物が座っている。

楽しげに談笑をしているのは鞍馬と彩峰准将。

准将は軍用機を飛ばして帝都の基地へと赴くことも出来たはずだが、自分一人の為にそこまですることは無いと、鞍馬等と共に新幹線を使って移動することを選んだそうだ。

特権を行使しようとしないその姿勢は崇高だと思うけど、それに付き合う人も大変ね。

通路を挟んだ席と車両の両端に座る彩峰の護衛達に少し同情するセリスだった。

もっとも、鞍馬も多少なり護衛の人間をつけるべき立場にいるはずなのだが、それには気が回っていない辺り、セリスも随分と染まったものである。

 

共に座る最後の人物は、随分と緊張した様子の沙霧少尉。

つい昨日まで自分をしごきにしごいていた教官が一緒なのだ、それも無理ないだろう。

 

──本当に、一緒に行っていいのかしらね?

 

任官祝いの席に招かれたのはいいが、場違いじゃないかしら。

彩峰准将はごく身内の集まりだから気にしないでくれと言ってくれたが、ならば尚のことお邪魔な気がする。

沙霧少尉自身にこっそり聞いてみたところ、是非いらしてくださいとは言ってくれたけど……思えば、意地悪な質問だったかしらね。

仮に嫌だと思っていたとしても、准将や大佐相手に遠慮してくれなんていえないわよねえ。

 

何が正解だったかと徒然と考えていたセリスだが、ふとそんな自分がおかしくなり、笑いの衝動が込み上げる。

 

──私も、随分と日本人的な考えをするようになっちゃったわね。

 

米軍にいた頃は、誰も本音と建前の使い分けなんてしていなかった。

相手が上官だろうが部下だろうが、嫌なものは嫌とはっきり言えた──無論、任務は別だが──し、別にそれが失礼に当たるわけでもなかった。

随分と染まったものねえ。でもまあ、そんな自分も……嫌いではない。

 

列車は短いトンネルを出たり入ったりを繰り返している。どうやら、この区間は風景を楽しむのに適していないようだ。

セリスは外への未練を断ち切ると、旅の道ずれとの会話を楽しむことにした

どちらにせよ、もう参加自体は決定したこと。なら、少しでも沙霧少尉と打ち解けておきましょうか。

上官2人の会話に入り込めず、一人居心地悪そうにしているのもかわいそうだしね。

 

「沙霧少尉」

「あ、はい。何でしょうか、大尉」

「訓練じゃないんだから、そんなに肩に力を入れないでいいわよ。

 ……少尉は養成校を出たばかりとは思えないほど優秀だけど、日本の訓練兵は皆そんなにレベルが高いものなのかしら?」

「そう言っていただけると光栄です。確かに私は首席の栄誉を賜りましたが……皆、私に負けず劣らず優秀な者達ばかりですよ」

 

そう沙霧は胸を張ったが、今の物言いでは自分で自分のことを優秀だと言っているようなものだと気付き、顔を青くする。

そんな世間ずれしていない反応がなんともおかしく、セリスの顔に微笑が浮かんだ。

 

「少尉、自分の能力を正しく評価するのは大切なことよ……それが増長でなければ。

 大丈夫、貴方は間違いなく優秀よ。大佐が自分の部隊に招きたいくらいだって言ったのは嘘じゃないんだから」

「はあ……恐縮です。しかし、お二方を前にして自分が優秀などとは、口が裂けても言えませんよ。まさか一個中隊で敗れるとは夢にも思いませんでした」

「ああ、あれ……ね」

 

多数を相手取る感覚を鍛える訓練。

その手本と称し、鞍馬とセリスのエレメントは沙霧が所属していた中隊12名と戦い、それに勝利した。

鞍馬等が第2世代機のF-16に搭乗していたのに対し、帝国軍衛士達は第1世代機F-4 ファントムの改良型であるF-4J 撃震を使っていたという理由もある。

 

ちなみに、教導の際には“ハイヴ・バスターズ”も帝国衛士達に合せて撃震に乗ったほうがいいという意見もあったが、これは鞍馬によって却下された。

教導が終わればまた前線へと向かう身であり、機体の操縦感覚が狂うことを恐れたのだ。

例え僅かなものであろうと、生存確率がほんの少しでも上がる要因があるなら、必ず実行する鞍馬である。

 

撃震は信頼性の高い優秀な機体ではあるが、第2世代機であるファイティング・ファルコンと比べてしまうと性能面で大きく劣る。

更に、鞍馬とセリスの実戦経験は12年にも及び、このエレメントは現段階で人類最強の衛士の一角であるといえよう。

だが、それでも2対12という機数差は覆せるものではない。それこそ訓練兵相手なら各個撃破を狙うことも出来ようが、相手にしているのは帝国切っての精鋭なのだ。

 

そう、鞍馬とセリスは勝てるわけが無かったのだ、本来なら。

鞍馬が話を持ち出したとき、セリスは思った。4機か5機、展開次第で6機までなら倒せるかしら、と。

この条件でも一個小隊までなら確実に倒せると考えるセリスも相当なものだが、それでも勝利できるなどとは夢想だにしなかった。

 

しかし結果は12機の殲滅。

セリスは思い出す。右手に突撃砲を、左手に長剣を構え、前衛に立った鞍馬が雨の如く降り注ぐ劣化ウラン弾を掻い潜って敵の一機に肉薄し、一刀の元に切り伏せるのを。

それだけでも十分常識からかけ離れた光景なのだが、次の瞬間に起こったのは本当に有り得ない出来事だった。

 

潜伏していた一機から放たれた狙撃。

セリスすら見落としていた伏兵による、完全な死角である後方危険円錐域、ヴァリネラブルコーンから放たれた一撃。

確実に管制ユニットに突き刺さるはずであったそれを、鞍馬は回避したのだ。

弾が逸れたとか、移動が偶然回避に繋がったとか、そういうものではない。

気付くはずの無い狙撃を明確に知覚し、機体を反転させて回避すると同時に反撃、無力化して見せたのだった。

 

──……あれは一体、何だったのかしら……

 

あれは、人間が避けれる、避けて良いはずのものではなかった。

訓練の後、どうして避けれたのかとセリスに詰め寄られた鞍馬の答えは、なんとも不明瞭なものであった。

 

「なんとなく、狙撃が来るならあのタイミングだと思ったんだよ。

 まあ……勘、か?」

 

蒼也にしてやられた時の鞍馬の気持ちって、こんなのだったのかしら?

到底納得できる答えではなかったが、鞍馬自身それ以上の明確な答えを持っているわけではない。

30代も後半に差し掛かったにもかかわらず操縦に衰えを見せない、それどころか未だに成長を続けている鞍馬であるが、アンバールでの戦いの際にはここまでの凄みは見せていなかった。

帝都での休暇で疲れが取れたのだろうか? それとも蒼也と戦ったことで何か掴んだとでも言うのか?

 

──そのうち、光線級のレーザーまで避けて見せるんじゃないでしょうね……

 

腕が立つのに越したことは無い。頼もしいことには違いない。エレメントを組む相手としてこれ以上の者はいないだろう。

だが、何か人知の及ばないものを前にしたときのような、心に漠然とした不安が沸き起こるのを止められないセリスだった。

 

 

 

そして。

会話の途中、急に考え込んでしまったセリスに声を掛けることも出来ず、また一人取り残されてしまった男が一人。

轟という音が響く暗闇に目を向け、小さく吐息を漏らす沙霧であった。

 

 

 

 

 

1988年、5月。

帝都城。

 

沙霧の任官祝いの宴は楽しいものであった。

突然の闖入者に沙霧の両親は驚きもしたが、“ハイヴ・バスターズ”の名声は2人の耳にも入っており、その隊長が日本人であることを誇らしく思っていたこともあって随分と歓迎されたものである。

むしろ、主役であるはずの沙霧が蔑ろにされていたような気すらする。

心配が杞憂になってほっとしたセリスではあるが、これはこれで申し訳なかったと複雑な気持ちだ。

だがまあ、子供に好かれる性質なのか、蒼也と彩峰准将の娘、慧を両の膝に乗せてそれなりに楽しそうな様子であったことだし、良しとしておこうか。

 

蒼也は随分と沙霧のことが気に入ったようである。

身の回りにいる衛士といえば随分と年上の者達ばかりの中、比較的年の近い沙霧の存在は大いに刺激されるものがあったようだ。

しきりに養成校での話を聞きたいとせがみ、沙霧もまんざらでもないようで子供にも話せる範囲で色々と聞かせてやっていた。

もっとも、その都度「尚哉は渡さない」と慧が混ぜ返すので、有意義な話になったかといえば疑問が残るが。

 

それにしても、この慧という子。

自由奔放といおうか、型にとらわれないといおうか、何とも不思議な子供であった。

普段、気がつけば周りを自分のペースに巻き込んでいる蒼也がすっかり手玉に取られている当たり、ある意味、将来末恐ろしいものがある。

 

 

 

 

 

その後は月詠家へと戻り、謁見までの日々を過ごした。

今回の謁見には鞍馬の他に一名の随行が許されている。

副隊長としてラダビノッドが随行するのが筋といえるかもしれないが、彼には残る部隊を率いてインド亜大陸戦線へと向かう仕事があった。

結局、鞍馬が選んだのはセリスであった。隊長の副官という立場ならば、道理も通るだろう。

それに、これには鞍馬の個人的な願いもあった。

かつて仕えていた主、斎御司経盛殿下に自分が選んだ女性をお目に掛けたかったのだ。

斯衛を辞したことに悔いは無い、そして今、自分は真っ直ぐに立っていると。そう伝えたかったのだ。

 

 

 

斯衛から迎えに来た車に揺られ、帝都城の敷地に入る。

城と呼ばれてはいるが、戦国の世のような天高くそびえるものではない。むしろ御所と呼ぶほうが正確であろう。

だが、やはり将軍殿下のおわす所は城と呼ぶべきなのだ。これは日本の民のいわば常識というものであり、帝都城の他にも塔ヶ島城等、日本各地にある将軍縁の住まいも離城と呼称されている。

そう、例え既に実権を失っていようとも、将軍とは日本人にとって忠誠を誓うべき対象なのである。

比べるなど恐れ多いことだが、皇帝陛下よりもむしろ将軍殿下に対し敬意を払うものも少なくない。

そして、鞍馬にとっても将軍とは、斯衛を辞した今も尚、特別な存在である。

 

 

 

こちらでしばらくお待ちくださいと通された控えの間には、先客が一人いた。

 

「久しいな、黒須よ」

 

大きい。この男を表すのに、この端的な一言ほど適した言葉もあるまい。

長身の鞍馬よりも尚頭一つ高く、横幅と厚みは比べるまでもない。

帝国斯衛軍少将にして赤を纏う男、紅蓮醍三郎。

現在の斯衛軍において、いや長い斯衛の歴史の中でも最強と目されている男である。

紅蓮は鞍馬と共に月詠瑞俊より剣を学んだ、所謂兄弟子に当たる。

だが、その余りの強さ故に将軍殿下より直々に新たな流派を興すことを許され、無現鬼道流の開祖となった。

現在の階級は少将であるが、既に将軍の右腕として認められており、将来は確実に大将にまで昇るであろう、それほどの男である。

ちなみに、斯衛軍及び帝国軍には元帥という階級は存在しない。何故なら、政威大将軍こそがそれに相当するからである。

 

「ご無沙汰しております、紅蓮閣下」

「閣下などと、何を。昔は紅蓮の兄さんと呼んでおったものを」

「私も年をとって、時と場を弁えることを覚えましたので」

「はっ、言いよるわ」

 

ガハハと、豪快に笑い、鞍馬の肩を力強く叩く。

鍛えてないものが受ければ鎖骨が砕けるのではないかと思える程の一撃に思わず顔をしかめるが、心の内には別の思いがよぎっていた。

 

──ああ、変わらないな、兄さんは。

 

鞍馬の目が懐かしさに細められる。

見た目通りの豪快な性格でありながら、細かいところまで気のつく面倒見の良さも持ち合わせている、まさに理想の兄貴。

いつかこの人に勝ちたくて研鑽を積んだものだが、ついにその機会が訪れることは無かった。

もし彼がいなければ、鞍馬は斯衛を離れるのにより深い懊悩を必要としたことだろう。

 

「生きて再びお主と会えたこと、嬉しく思うぞ」

「……閣下、これから殿下とお会いするというのに……泣かせないでください」

「泣け泣け。ここで涙を枯らしておかねば、殿下のご尊顔を拝見したならば前が見えなくなるぞ。して、そちらの方が……」

「お会いできて光栄です、閣下。鞍馬の妻、セリスと申します」

 

それは見事な敬礼で応えるセリス姿をじっと見つめ、紅蓮は大きく一つ頷く。

そして、その大きな頭を深く下ろした。

 

「セリス殿。奥方ならばわかっておられることと思うが、こやつは強がる割に打たれ弱いところがある。どうか、隣りで支えてやって欲しい。

 ……これからも、こやつのこと、よろしく頼み申す」

「閣下ッ! どうか頭を上げてください。

 ……約束します。死が二人を分かつその時まで、ともに歩むと」

「そうか……ありがとう。

 黒須よ、お主は幸せ者のようだな」

 

優しげな笑みを向ける紅蓮に、鞍馬は一言、「はい」と力強く、迷い無く答えた。

斯衛を飛び出した弟分を心配していた。

深く悩む癖のある鞍馬のことだ、伝え聞く数々の活躍にも、どこか無理をしているのではないかと考えていた。

だが、今の返事を、その一言に籠められた想いを聞き、あの時斯衛を辞したことは正しかったのだと。そう腑に落ちた。

 

「主の子も、なかなか面白く育っているようだな。上手く行けば名のある剣士になるやもしれん」

「蒼也に会われたので?」

「おう。瑞俊殿より、孫達の面倒を見てくれないかと頼まれてな。師の願いとあらば、断ることなど出来ん。

 この春より、蒼也と真耶、真那の3人は無現鬼道流の門下生よ」

 

──そうか、兄さんが。

 

紅蓮醍三郎が師となるならば、何の心配も要らない。

真耶、真那の剣はますます冴え渡り、蒼也のあの守りに偏りすぎた剣も、長所を殺すことなく伸ばしていってくれることだろう。

無論、瑞俊では役者が足りないということではないが、最強を謳われる男の下でなら、更なる成長を遂げるに違いない。

そして、万が一自分にもしものことがあったとしても、紅蓮がいてくれるならば……

蒼也は真っ直ぐに育ってくれている。それを支えてくれる人もいる。

そして、これより殿下にもう一度まみえることが出来る。

最早、後顧の憂いは無い。

俺は、前だけ向いて戦っていけば良い。

 

「黒須大佐、準備が整いました。これより、政威大将軍斎御司経盛殿下への謁見の儀が執り行われます」

 

侍従の呼ぶ声に、鞍馬とセリスが席を立つ。

その背へと向けて、紅蓮より言葉が掛けられた。

 

「黒須よ、主に恥じることなど何一つとしてない。

 顔を上げろ、胸を張れ、前を向けっ!

 今日この場にお主を呼んだ殿下のお気持ち、汲んで差し上げろっ!」

 

その言葉通りに、顔を上げる、胸を張る、前を向く。

果たして、斯衛を辞した自分に、殿下にお会いする資格などあるのか。

心に澱んでいたその迷いが消える。

そして、鞍馬は謁見の間へと続く扉をくぐった。

 

 

 

 

 

「国連軍大佐、黒須鞍馬。参上仕りました」

 

謁見の間へと入り、目線は上げずに一歩進み出る。

そして片膝を着き、鞍馬は口上を述べた。

 

「面を上げて良い」

 

一段高い場所から聞こえるその言葉。かつて仕え、忠誠を誓った相手のその声。もう二度と間近で耳にすることなど無いと思っていたその声を聞き、それだけで涙腺が緩みそうになる。

大きく息を吐いてその衝動を堪え、ゆっくりと顔を上げ、立ち上がった。

 

「……殿下、ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」

 

謁見の間の奥、一段高くなった場所に置かれた椅子に腰掛けるのは初老の男。

厳しさと慈しみを共にそのかんばせに乗せ、2人を見やるその男こそ、日本帝国政威大将軍、斎御司経盛その人である。

 

──……ああ、御髪をこんなにも白くなされて……さぞ、ご苦労を……

 

鞍馬の知る殿下の髪は、ところどころ白いものが見え隠れはしていたものの、概ね黒いと言って良いものだった。

ところがどうだろう。今、目の前におわす方は髪も髭もほぼ白一色となっており、一国の長としてBETAの侵攻に対することの苦悩を窺い知ることが出来た。

そして、胸を張れと言われたにもかかわらず、その苦労を分かち合うことが出来なかった自分に恥じ入りそうになる。

 

だが、その気持ちは侮辱に当たるだろう。

自分は、持てる限りの全力を尽くしてきた。ならばそれを恥と思うのは、自分自身に、並んで歩いてくれたセリスに、共に戦った戦友達に、送り出してくれた瑞俊に、胸を張れと言ってくれた紅蓮に、そして散っていった多くの英霊達に対する侮辱に他ならない。

ならば、顔を上げろ、鞍馬。

 

「黒須大佐、此度の帝国陸軍に対する戦術機教導、大儀であった。

 この日本国を預かる者として、我が国の兵を鍛え上げたそなたに対し、またBETAを駆逐せんと日夜戦う国連軍に対し、感謝の意を述べる」

「もったいないお言葉にございます、殿下。この身は既にBETAの打倒に捧げており、さすれば今更その様なお言葉を頂く謂れもございませぬ。

 それでも尚許されるならば、そのお言葉を胸に抱き、粉骨砕身の決意を持って全うする所存にございます」

 

儀式は終わった。

この謁見は将軍の言葉通り、日本が国連に対し、先の教導における働きに感謝の意を述べる、その為に設けられた。

くだらない、形式だけのやり取りとも見えるが、政治の世界においてはこういった予定調和も必要になってくるのだ。

それ故、先ほどのやり取りによって、この謁見の目的は終えたと言える。

 

だが、経盛と鞍馬はお互いの顔を見合ったまま、その場を動こうとはしなかった。

将軍の顔を見つめるなど不敬と取られることではあるが、控える侍従達からも咎めの声は上がらない。

日本帝国政威大将軍と国連軍大佐の謁見は終わった。

そして今行なわれているのは、12年ぶりに顔を合わせた、かつての主従の再会であった。

 

「壮健なようだの」

「はっ、何とか無事に生き長らえております」

 

経盛の顔からは厳しさが消え、慈しみのみを持って鞍馬に対する。

ただ前を向く決意をした鞍馬に、眩しいものを感じた。

 

「良い顔をしているな、黒須よ。

 そなたが斯衛を去ると聞いた時、そこの女子を随分と恨んだものだが……」

 

鞍馬の後ろに控えるセリスが体を小さくする。

セリスは自分に発言が許されていないことを感謝した。この場では、何を言っても間違いのように思えた。

その様子を見て、ふっと笑った経盛が言葉を続ける。

 

「しかし、これでよかったのだろう。

 斯衛は紅蓮と並ぶ未来の指導者を失った。奴が儂の右腕ならば、そなたは左腕になってくれると思っておった。

 だが……その顔を見てしまえば、恨み言など言えんわ」

「重ね重ね、もったいないお言葉にございます」

 

褒めちぎられた鞍馬が、流石に恐縮した様子を見せる。

 

「なんの、それにそなたのかつての輩も、同じく思っておる。

 斯衛を捨てた非国民とそなたを罵った者もいたが、国連軍の旗頭と呼べる部隊の長が日本人の元斯衛であると、今では内心、鼻を高くしておるわ」

 

そう言って高らかに笑う経盛。

しかしその笑いが収まった後、瞳を閉じ、そして開いたその顔は、再び為政者のものへと変貌していた。

 

「ところでの、黒須よ。

 実際のところ、お主はこの戦いをどう見る?」

「どう……と、申しますと?」

 

経盛は言葉を躊躇った。

だが、聞かねばならぬ。一国を治めるものとして、逃げることは許されぬ。

 

「人類は……勝てるのか?」

 

鞍馬もまた言葉を躊躇った。

言えば、言ってしまえば、決意が崩れてしまうかもしれない。

だが、誓ったではないか、俺はもう逃げないと。

 

「……20年」

 

苦々しく口を開いた鞍馬の言葉に、経盛の目が見開かれる。

 

「このまま戦いが推移していくならば、おそらく後20年で人類は滅びるでしょう」

「なんと……そこまでとは」

「人類は懸命に戦っております。ですが、奴等に対する決定的な手段が……ございませぬ」

「……あい、わかった。ならばこの政威大将軍の身なればこそ成せる事、成させてもらおう。

 すまぬことを聞いたな、黒須よ」

 

20年、これが鞍馬の予測する人類の寿命だ。

だが、絶望はしていない。希望がまだ存在する。

 

“オルタネイティヴ第三計画”

 

敬愛する殿下にすら話すことは出来ない、鞍馬自身詳細は知らされていない、希望。

人類のBETAへの反撃を可能にする計画。

これが成就した暁には、人類は地球を取り戻すことが出来る。ならば俺に出来ることは、それまでの時間を稼ぐこと。

 

手を、繋ごう。

一秒でも多くの時間を稼ぐ為に。一人でも多くの命を救う為に。

例え俺の手が届かなくとも、俺の隣に立つ人間の手なら届くかもしれない。その隣の手なら、更に隣りの手なら。

人類が勝利をつかむ為に、俺は俺の役割を全力で果たそう。

 

「時に、黒須よ」

 

重苦しい空気を振り払うように、経盛が声を発した。

 

「そなたに、貰って欲しいものがある」

 

そう言って、側に控える侍従に視線を送る。

言葉も無く下された指示に一礼すると、侍従は一旦その場を下がり、やがて一つの桐の箱をうやうやしく捧げて戻ってきた。

そしてその箱を鞍馬へと向け、蓋を取る。

中身を見た鞍馬の顔が驚きに彩られた。

 

「今とは言わぬ。いつか、そなたの戦いが終わった時でよい。

 これを、貰ってはくれぬか」

 

中に入っていたのは、一着の、黒の斯衛服。

 

「再び白を用意することは、儂とて叶わぬ。

 だが、黒としてならば、誰にも異存はあるまい」

 

経盛に向けていた顔を伏せ、俯く鞍馬。

 

「……この身には、まだまだ成さねばならぬことがございます。

 ですが……いずれ、必ず」

 

頬を濡らす鞍馬の胸に、先の紅蓮の言葉がよぎる。

兄さん、貴方の言ったとおりでした。顔を上げても、殿下の顔が見えそうにありません……

 

──また、勝たねばならぬ理由が増えた。

 

数々の想いが積み重なった鞍馬の背に、新たな一枚の葉が乗せられた。

いつかこれらの葉から、満開の花を咲かせてみせれるよう。

まるで繋いだ手を離さぬかのように、鞍馬は拳を握り締めた。

 

 

 



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23話

 

「ついにここまで来たか」

「そうっスね」

「お前にも随分と頑張ってもらったな」

「そうっスね」

「今じゃ准将閣下だもんなあ」

「そうっスね」

「だのにその話し方もどうかと思うが」

「そうっスね」

「俺は一応、お前の部下なんだけどなあ」

「まあ、隊長は隊長なんで」

「いつまでもそれもないだろう?」

「良いじゃないスか。まだ、借り返しきれてませんし」

「いつまでそのネタ引っ張るんだか」

「もちろん、返しきるまでですよ。……ちゃんと、全部返すまで生きてて下さいよ?」

「……ああ、もちろんだ」

 

 

 

 

 

1992年、1月。

インド亜大陸戦線。

 

血と、鉄と、硝煙の日々。

政威大将軍斎御司経盛との謁見を終え“ハイヴ・バスターズ”と合流した鞍馬とセリスは、彼等の日常へと帰って行った。

数々の戦場を駆け、様々な人と出会い、そして別れを繰り返す。

 

時は流れる。

時代は、1990年代を迎えていた。

 

1986年にフランス領リヨンへのハイヴの建設を許して以降、人類は多大な犠牲を払いつつもそれ以上の侵攻を死守し続けてきた。

敗北は即ち死に繋がる。個人の死ではない、種族の死だ。兵士達は世界そのものを支えているような重さを背負い、懸命に、文字通り命を懸けて戦った。

だが、ついにその抵抗に陰りがさす。

1990年、インド領において13番目となるボパールハイヴが建設される。

欧州から撤退した人類は喀什ハイヴ攻略に備えてインド方面を重視、徹底抗戦の構えを打ち出した。

しかし、同時に喀什よりBETAが本格的な東進を開始。

ユーラシア北東部においてはソ連が、東アジアにおいては統一中華戦線が、そして東南アジアにおいてはその地の各国軍が激しい防戦を繰り広げることになる。

だが、引き伸ばされた防衛線全てを守りきることなど到底不可能であり、その圧倒的な物量の前に戦線は徐々に後退していった。

 

1991年、BETAの東進を自国の危機と判断した日本は、ついに東アジア戦線への帝国軍派遣の決断を下す。

彩峰萩閣少将の下に大陸派遣軍が創設され、戦術機甲部隊を中心とした大兵力が戦いの舞台に立った。

後方に位置していたはずの日本の民が、ついに直接BETAと銃火を交える時が来たのである。

 

そして1992年。

時代は、また新たな転機を迎える。

 

 

 

 

 

「ハイヴ攻略作戦?」

 

この日、人類の徹底抗戦の構えを受け、インド亜大陸で激しい戦いを続ける鞍馬の元を訪ねる者があった。

彼から聞かされた言葉をそのまま返す鞍馬の眉間には、不快感を表す皺が深く刻まれている。

人類が最後にハイヴの攻略を試みたのは、1981年11月のロヴァニエミハイヴ攻略戦である。それ以来、既に10年以上ハイヴ攻略戦を行なってはいない。

それには、度重なる防衛戦や間引き作戦で戦力を削られ、本格的な攻略戦を起こすだけの体力がもはや前線には残されてはいないという切実な訳がある。

 

だが、バンクーバー協定の下に国連加盟各国が集えば、攻略戦を行なうだけの戦力も掻き集められないことは無い。

侵攻が始まって日が浅い統一中華戦線や東南アジア各国はまだ多少なりと余力を残しているし、アメリカ、オーストラリア、日本、アフリカ連合、南アメリカ諸国といった未だ直接には侵攻に晒されていない国家の支援も期待できる。

それだけに、各国軍の中には声高にハイヴ攻略を求める主戦派も多く存在している。

だが、国連軍統合参謀会議はそれらの声を抑え、頑なに攻略戦実行の許可を出さずに来た。

 

理由は明白である。勝算が無いのだ。

過去のハイヴ攻略戦から人類が学んだのは、現状の戦術、現状の兵器では決してハイヴを落とすことは出来ないであろうという、無慈悲な現実であった。

鞍馬もまたそれを事実だと認識しており、参謀会議より攻略の是非に関して意見を求められる度に「否」と言い続けてきた。

 

無謀な賭け、いや賭けとすら言えない、一部の人間の自己満足の為に戦力を減らすことは出来ない。命は、もっと効率的に使われなければならないのだ。

ハイヴを攻略する為には、より多くの戦術機をより迅速にハイヴ内へと送り込まなければならない。その為にはより大量でより効率的な支援砲撃も必要となってくる。

現状、その方法はまだない。いや、方法はあるがいくつかの理由により行なえないでいる。

それを何とかしない限り、ハイヴ攻略戦など行なえるわけが無い。

 

「ええ、ボパールハイヴ攻略作戦っスね」

 

にもかかわらず彼は、しれっとした顔でこう返した。

喉の辺りまで出掛かった巫山戯るなという怒鳴り声を、口を噤むことで押し殺す鞍馬。

 

「准将、もう少し場に相応しい言葉遣いをなされるべきかと。

 ……それはさておき、命令とあらば従うより他はありませんが、何か策はあるのですかな?

 策も無くただ兵を悪戯に殺すだけでは士気の意地もままなりませんし、統合参謀会議の立場も悪くなるかと」

 

不貞腐れたように黙ったままの鞍馬に代わり、ラダビノッドが言葉を継いだ。

言葉こそ丁寧だが、やはり不快感を隠しきれていない。鞍馬の後ろに控えるセリスの表情もまた同じだ。

3対の咎めるような視線を、彼は何故だか少し嬉しそうに受け止めると、右手を顔の横に持っていき、人差し指を立てて見せた。

首を傾げるラダビノッドに構わず、そのまま腕を伸ばして天を指す。

その動きから意図を読み取った鞍馬、その不機嫌な顔が笑顔に変わる。

 

「本当かっ!?」

「ええ、7月を予定してます。随分時間が掛かりましたけど、ようやく話が纏まりましたよ」

 

左の掌に拳を打ちつける鞍馬。

浮かれている場合ではないのに駄目だ、笑い顔が戻らない。

 

「それで、俺達は何を?」

「……ハイヴに突入してもらいます」

「反応炉破壊が目標か?」

「いえ、“ハイヴ・バスターズ”の任務は護衛となります」

 

そう言った彼の顔に、微かな、ほんの微かな痛みが浮かんだ。

それに気付いたのはセリスのみだったが、彼女がその真意を探る前に話が進んでいく。

 

「護衛?」

「はい。オルタネイティヴ3直轄の特殊戦術情報部隊、ハイヴ内で調査を行なう彼等を護衛し、生きて地上へと帰すのが任務となります」

「……オルタネイティブ3……」

「詳細は明かせませんが……ようやく、その成果が形となる時が来ました」

 

パシンと、再び拳を打ちつける音が響いた。

ついに、ついに、人類の反撃が始まる。

その事実に喜びに震える鞍馬、そしてラダビノッドとセリス。

それを見つめる彼の瞳に再び、ほんの小さな陰りがよぎったのには、今度は誰も気付かなかった。

 

 

 

 

 

スワラージ作戦。

スワラージとは、インド諸語で自己の支配・統治を意味する。しかし近現代インド史においては一般に“民族の政治的独立”を指すといってよい。

即ち、インド亜大陸におけるBETA支配からの脱却、人類の勢力圏挽回を求めて発動された、国連軍、アフリカ連合軍、東南アジア諸国各軍が共同作戦を張ったボパールハイヴ攻略作戦である。

その戦略目的としては他にも、カシュガルハイヴ近辺の橋頭堡確保、東進するBETAに対する牽制、インド亜大陸への兵力増援等、複数存在する。

だが、一般には知られることの無いその最優先目的は、オルタネイティヴ第三計画直轄の特殊戦術情報部隊によるハイヴ内の情報収集にあった。

 

またこの作戦においては、より多くより迅速な支援砲撃と戦術機投入という課題に対する人類の一つの答えが示されることになる。

それは、宇宙からの進軍。

衛星軌道上の国連低軌道艦隊による軌道飽和爆撃、戦術機の軌道降下突入戦術など、宇宙軍がハイヴ攻略に本格的に参加した初の作戦なのである。

 

宇宙軍の有用性はおよそ10年程前から提唱されており、実験や訓練も繰り返し行なわれ技術的には既に実用段階までに至っていた。

にもかかわらずこの構想が今まで実現していなかったのは、首都を瓦礫の山に変える程の火力を持った艦隊が自国上空を飛び交うことに、アメリカが不快感を示したからである。

だが、これは表向きの理由に過ぎない。

実際には、ソ連主導のオルタネイティブ3に代わる対BETA戦略として、大量のG弾による飽和攻撃をもって、オリジナルハイヴを含むユーラシア中心部のハイヴを一掃するという次期オルタネイティヴ計画をアメリカが案じていたことが理由となる。

この案を通す為に、オルタネイティヴ3には一定以上の成果を残させたくはなかったのだ。

 

世界の命運よりも自国の利益を優先する大国のエゴに振り回された形となるが、国連はあまりに尖鋭化過ぎる計画に不快感を示したアメリカ内の別勢力やユーラシア各国と協調し、1989年、この次期オルタネイティヴ計画案の不採用を正式に決定した。

 

それから3年。

アメリカが表向きには静かになった後にも存在した様々な各国の思惑を、国連統合参謀会議は時間が掛かったものの調整し、ついに宇宙軍の実戦投入が現実のものとなったのである。

 

しかし、ようやく邪魔者を蹴り落としたかに見えるオルタネイティヴ3もまた、後が無いところにいた。

計画の副産物としていくつかの功績を残してはいるが、その真の目的、国連上層部においても極一部にしか知らされていない、BETAとのコミュニケーションを取るというその目的は、何一つとして成されていないと言っても過言ではないのだ。

おそらく、この作戦で結果を出さなければオルタネイティヴ第三計画はその数字を一つ増やすことになるだろう。

 

スワラージ作戦。

この作戦の成否によって、その後の人類の行く末がどのように変化していくのか。

それを知る者は、まだいない。

 

 

 

 

 

1992年7月26日、08時56分。

インド領ボパールハイヴ。

 

「……そろそろだな」

 

通信機の向こうで誰かが呟いた。視線の先には天高く聳える歪なモニュメント。

その声からは緊張の色が見え見え見え隠れくらいの割合で漏れ出しているが、それを責めるのは酷と言うものだろう。彼等“ハイヴ・バスターズ”はこの戦いの中、あのハイヴへと突入するのだから。

反応炉の破壊が目標ではないとはいえ、魑魅魍魎渦巻く奴等の巣の中に飛び込むのだ、緊張しない方がおかしい。

それは、この作戦が人生で4度目のハイヴ攻略戦、そして2度目のハイヴ突入となる鞍馬とて同じことだった。

いや、むしろ経験しているからこそ、あの穴の中の恐ろしさを身を持って知っているからこそ、それはより大きいものとなるのかもしれない。

 

喉が渇く。

掌にじっとりと汗をかいている。

 

──怖えなあ。

 

それが正直な思いだった。

けれど、それを表に出すわけには行かない。鞍馬が恐れていることを悟られれば部隊に動揺が広がる。少なくとも表向きは平静を装っておかねばならない。

……隊長の辛いところだ。

 

「この中で、手に汗をかいてる奴ー?」

 

声に震えが出ないよう、それでいて感情のこもっていない平坦な声にならないよう、気をつけてそう言う。上手くいっただろうか?

 

「あ、俺ぐっしょりですよ」

「……私も」

 

網膜投影で映し出される数名の隊員達からそんな答えが返ってきた。

優しい笑みを浮かべ──引き攣ってないだろうか?──、ゆっくりと、言い聞かすように言う。

 

「怖いと感じるのは悪いことじゃない。むしろ当たり前だ。

 問題なのは、その恐怖に捕らわれて普段の力を出せないことだ。怯えている自分を認めて、その上で恐怖を従えろ。

 この半年の訓練を思い出せ。繰り返したヴォールクデータを思い出せ。いいか、お前達なら出来る。俺達なら出来る。自分と、仲間を信じろ」

 

こんな奇麗事一つで恐怖を従えることなど出来はしない。

だが、それでも自身を律する機会の一つくらいにはなるかもしれない。

だから、言う。

一人でも多くの仲間に生き残って欲しいから。

 

F-16の首を回して、周りにいる仲間たちを見回す。その後方、違う種類の戦術機が12機、待機していた。

ロークサヴァーという聞きなれぬ名のその機体を初めて目にしたとき、何者かの思惑が複雑に絡み合っているかのような、そんな嫌な気持ちが胸に込み上げてきたことを鞍馬は思い出す。

オルタネイティヴ3直轄特殊戦術情報部隊、フサードニク中隊。

国連軍に所属しているとはいえ、実際に搭乗する衛士はソ連軍の人間で、機体名もロシア語で名づけられている。

にもかかわらず、それはどう見てもF-14 トム・キャットの改修機なのだ。

ソ連主導の計画、その集大成とも言うべき作戦に使われるのがアメリカ製の戦術機。無論、トム・キャットの性能、信頼性は折り紙つきであるが……やはり、何らかの政治的な思惑が絡んでいるのだろうかと勘ぐってしまう。

 

フサードニク。

騎兵を意味する名のその部隊の隊長と初めて顔を会わせたとき、握手を求める鞍馬の手を無視して彼はこう言った。

 

「貴官は大佐、私は大尉であるが……スワラージ作戦中においては、私に“ハイヴ・バスターズ”に対する優先命令権が与えられることになる。

 無論、横から口出しをして部隊運用を阻害する気は無い。

 無いのだが……これだけは覚えていて欲しい。我々の、邪魔をするな」

 

彼等は、本来なら自分達のみでハイヴへと赴くつもりであったのであろうか、ハイヴ内での進軍の際にはフサードニクを先に立たせるよう言ってきた。

BETAの群れを感知したら、ぎりぎりまでそこに止まって“調査”を行い、接敵する寸前に“ハイヴ・バスターズ”と場所を交代するという。

 

無茶だ。

そんなやり方で彼等を守りきることなど出来はしない。

しかも、十分な連携が取れていたとしても犠牲が出ること容易に想像出来るというのに、彼等は連携訓練どころか隊員の顔通しすら拒否したのだ。

今も、先程の遣り取りは彼等にも聞こえているはずなのに、そちらからは一切の反応が返ってこない。

 

機密に関わることが多いのだろう。その複座の機体に誰が座っているのかすら教えられないというのだから。

自分も軍人だ、それは理解できる。

だが、手足に枷を付けられた状態で敵の巣へと飛び込まざるを得ない隊員達に申し訳なさを感じる。

 

──やめよう。それでも、彼等は人類の希望なのだから。

 

隊に犠牲が出ることは避けられないだろう。だが、そうと分っていても進まなければならない。

ならば悩むな。人類の未来の為、自分に出来ることをするだけだ。

彼等の挺身を犬死に変えないことだけを考えるのだ。

 

瞳を閉じて決意を新たにする。

その鞍馬の耳に、秘匿通信を求めるサインが聞こえた。セリスからだ。

 

「どうした?」

「さっきの言葉、なかなかかっこよかったわよ」

「なんだ、突然。……それだけか?」

「いえ……鞍「セリス」……はい」

 

セリスの声を遮るように言葉を発する。

彼女の言いたいことはわかっていた。

 

「必ず、生きて帰るぞ」

「……ええ、もちろん」

 

そして、HQよりスワラージ作戦の開始が宣言された。

 

 

 

 

 

同日、09時00分。

 

衛星軌道上に待機していた国連低軌道艦隊より飽和爆撃が行なわれる。

再突入型駆逐艦から放たれた無数の多弾頭再突入体が、音速の20倍を超える超速度で地上へと襲い掛かった。

神々が愚かな人間へと向けて落とした雷の如く天空から降り注ぐ光の軌跡はしかし、地より伸びる光線によって次々に打ち落とされる。

再突入体に満載されていたAL弾頭弾が蒸発して汚れた雲を作り出し、太陽の光を遮られた地上に影を落とす。

 

だが、それらは全て計算の内。

軌道爆撃の第二波が降り注いだ時、厚い雲に遮られた光線はその目的を果たすことが出来ず、一瞬遅れてやってきた轟音と共に異形の群れを薙ぎ払う

その光景を目にした全軍が興奮の渦に包まれた。

インド北部中央に位置するこの地に、歓喜の叫びが沸き起こった。

 

人類の反撃が始まった。

 

 

 

重金属雲の発生を確認し、光線属種の反応がある程度消えた後、作戦はフェイズ2へと移る。

ハイヴモニュメントから離れた位置に配備されている無数の自走砲、MLRSから砲撃が放たれる。

地平線までは約5km、狙うはその彼方。山なりの軌跡を描いて飛ぶ砲弾がBETAの群れを襲う。

地球の丸みを味方に付けた位置からの砲撃、ここからならばレーザーに狙われる恐れはない。

一国の総備蓄量に匹敵するほどの弾薬が惜しみなく注ぎ込まれ、やがて地上に展開していた全てのBETAの掃討が確認された。

 

だが、これで戦いが終わるわけではない。まだ、あくまで地上にいたBETAを屠ったに過ぎないのだ。地下にはその数倍、或いは数十倍にも達する数が控えている。

作戦は次の段階、フェイズ3を迎え、ついに戦術機が戦場へと投入される。

モニュメントの周辺に存在する数々の門、そこから湧き出してくるBETAの増援群を相手取るのだ。

光線属種を優先的に排除しつつ、砲撃部隊と連動して敵を殲滅。そして、徐々に徐々に群れをハイブから引き離していく。

この段階での目的はBETAの掃討だけではない。それだけなら、ひたすら支援砲撃を繰り返していれば良く、戦術機の運用は最小限でいい。

しかしこれは間引き作戦ではなく、ハイヴ攻略作戦なのだ。

大隊、連隊規模ではなく、多数の師団規模で戦術機が投入される理由、その役割とは、ハイヴへの突入口──門の確保にある。

突入門の周囲から一切のBETAを排除後、軌道降下に伴う再突入殻の落下に備え戦術機部隊が退避、BETAも人もいない空間を作り上げる。

それ以外の門は熱硬化性樹脂で充填封鎖、あるいは設置型自動機関砲と少数の部隊で包囲。これらの作業を迅速に行なえるのは戦術機しか存在しない。

 

門の確保が完了したならば、ついにフェイズ4、軌道降下部隊の登場となる。

軌道降下開始まで後300秒。

しかしここにきて、ここまで順調に、順調に行き過ぎていた作戦内容に警報が鳴らされた。

 

 

 

「重金属雲の濃度が足りませんっ!!」

 

モニターを凝視していた一人のCPが悲鳴を上げた。

 

「どういうことだ?」

「重金属雲が爆風で吹き飛ばされた模様。おそらく、先程までの支援砲撃が有効に働きすぎたものと思われます」

 

……なんて初歩的なミスをっ。

司令が指揮机に拳を打ちつける。

 

「光線属種の反応は?」

「突入門から這い出してきた光線級の集団がいます……その数12っ!」

「砲撃部隊に通告。弾頭をAL弾に換装、即時発射せよ」

「駄目です、降下開始まで後240、換装間に合いませんっ!」

 

作戦司令官の顔が苦く歪んだ。

光線級にAL弾を撃ち落してもらえば新たな重金属運が発生する。

だが弾頭の換装が間に合わないというなら、その光線級を排除しなくてはならない。

軌道降下の次の機会は84分後……とても待てない。

 

「光線級の排除が可能な部隊は?」

「突入門周辺からは戦術機部隊の退去が完了しています。一番近いのは……第二次突入部隊、“ハイヴ・バスターズ”です」

「……バスターズは駄目だ、彼等には護衛の任務がある。突入前に危険に晒すわけには行かない」

「降下開始まで、後210」

 

12体の光線級、それだけならば降下部隊の全滅はない。無論、何割かの犠牲は免れないが……このまま降下させるしか、ない。

司令が非情な決断を下そうとした時、HQに通信が入った。

 

「バスター01よりHQ。

 ……やらせてくれ、軌道降下部隊は今後の作戦の試金石となる。突入前に数を減らす訳には行かない」

「駄目だ。数を減らせないのは君たちも同じだ」

「しかしっ!」

「降下開始まで後180」

 

奥歯が砕けそうなほどに歯を噛み締める鞍馬。

命令違反を犯してでも……いや、駄目だ。俺がそんなことをすれば塁は隊全体にまで及ぶ。

 

「……バスター01……了か」

「HQよりバスター01、統合参謀会議の名において許可します。……任せました、隊長」

 

──あいつっ!

 

司令ともCPとも違う声、聞き慣れたその声が今は天上の調べに思えた。

 

「バスター01了解っ!!

 聞いてたな、バスターズ。俺が飛んでレーザーを誘発させる。その間にブラボー隊が吶喊してしとめろっ! アルファ、チャーリー隊はその場で待機っ!」

「隊長っ、危険すぎますっ! 俺が飛びますっ!」

「却下する。もう時間がない、俺を信じろっ!」

 

──そうだ、信じろ。自分を、信じろ。不完全とはいえ、俺はレーザーを躱したことがあるんだ。

 

思い返すは東欧からの撤退戦。

管制ユニットを貫くはずの2本のレーザーを、宙で剣を振って機体の向きを変えることで躱した。

完全にとはいかず左腕と跳躍ユニットを破壊されたが……確かに、躱したのだ。

あの時とは機体が違う。信じろ、このファイティング・ファルコンを。

あの時とは腕が違う。信じろ、戦い磨き続けてきた自分の腕を。

 

──自分を……信じろっ!!

 

鞍馬は右手の突撃砲を投げ捨て、背中に納めていた長刀を抜き放つ。

左手には既に一振り、そして右手に新たな一振り。

左右に構えた二刀を下段へ、八の字のように、戦闘機の翼のように構え……

汚れた空へと、飛び立った。

 

 

 

人は大きな事故などに遭遇すると、その瞬間に起こった出来事を、時間が引き伸ばされたかのように遅く感じるという。

今の鞍馬がそうだった。

目に見えるものが、ゆっくりと動いている。

空気が水に、更に密度の濃い何かに変化したかのように、スローモーションで動く世界。

その中、鞍馬は見た。

自身に襲い掛かるレーザーの、光速で迫り来るその軌跡を、確かに“視た”。

 

宙を切り裂く一筋の光、それに触れないように機体を動かす。

伸ばした長剣を航空機の動翼のように使い、姿勢を制御する。

 

──……1本……2本……3本……

 

この感覚は何なのか?

人に光速のレーザーを知覚することなど出来はしない。だが、確かに見えている。

……まて、光条が伸びていく様子ではなく、既に伸びきった一本の線に見えるということは……これは、既に放たれた後のものなのではないか?

なら、俺が見ているものはいったい何だ?

 

──4、5、6本……

 

機体をバレルロールさせ、続く光を躱していく。

いや、詮索は後だ。今は、見える、その事実だけで良い。

 

──7、8、9……10本っ!

 

目の前を通る最後の光を、上体を起こし速度を落とすことで回避する。

 

──これで12本っ!!

 

「隊長っ! 新たに2体の重光線級がっ!!」

 

ラダビノッドか? 部隊の誰かが上げた悲鳴が聞こえた。

だが、問題ない。

 

──それも……“視えて”いるっ!!

 

先ほどまでとは比較にならない強さの光。

剣を振って横を向き、2本の光の間に機体を滑り込ませるようにしてその隙間をすり抜けた。

 

全ての光線の回避に成功し地面に辿り着いた時、空気の密度が元に戻った。

不思議な感覚だった。疑問は尽きないが、今はまだやることがある。

 

「吶喊っ! 蹂躙せよっ!!」

 

鞍馬の叫びに、ブラボー隊が歓声を上げながら光線級へと踊りかかった。

 

 

 

 

 

同時刻。

直轄特殊戦術情報部隊、フサードニク中隊専用HQ。

 

──吶喊っ! 蹂躙せよっ!!──

 

フサードニク01のメインカメラが捉えた光景を映し出したモニターの前、興味深そうにその映像を見つめる複数の人間がいた。

 

「光線級のレーザーをあのように空中で躱すことなど……我が軍の衛士に可能なのかね?」

 

国連軍ではなく、ソ連軍高級士官用の軍服を身につけた男がそう問いを発した。

その立ち居地と怜悧な雰囲気から、彼がこの一団の指揮官であることが伺える。

 

「はっ! ……現在開発中の第三世代機を用いるという前提で、入念にシミュレーターで訓練を重ねた上であれば……成功率は低いでしょうが、あるいは」

「つまりは、あの条件では不可能と言うことかね?」

「……そう言い換えて差し支えないかと」

 

指揮官らしい男より、おそらくは一回りは年上であろう、歴戦の貫禄を持つ男がどこか恐縮した風に答える。

その言葉に、指揮官の顔に笑いが浮かぶ。不吉な笑みだった。

 

「これは、思わぬところに“素体”がいたものですな。

 自然発生型のESP発現体は貴重な存在です、彼にも実験に“協力”を?」

 

3人目の男が感情のない声でそう言った。

軍人というよりは科学者といった雰囲気を持っており、おそらく事実その通りなのであろう。

 

「……いや、流石に国連を代表する部隊の隊長に“協力”願うのは難しいだろう」

「そうですか、残念です」

「そうでもない。おそらく彼は“無自覚な未来視”といったところだろう、我々が求める能力ではない。それに……」

 

男はモニターに映し出されるモニュメント、そしてその下に見える突入口へと目を向け、再びあの笑みを浮かべる。

 

「……それに、どちらにせよあの穴から戻ってこないことには、な。

 あそこから無事に帰って来られる程の因子を持つというなら、そのときには……」

 

その男の呟きに答える者はいなかった。

 

 

 

 

 

同日、15時38分。

ボパールハイヴ中層。

 

戦術機が立って歩けるほどの巨大な洞窟、その天井や壁が淡く光り輝いている。

幻想的な、美しいとさえ言って良い光景だろう。

時折現れる、無残に破壊されたF-15 イーグルの残骸がなければ。

散発的に襲い掛かってくる、異形の姿が見えなければ。

……ここが、ハイヴの奥深くでなければ。

 

先行する国連軍軌道降下部隊、オービット・ダイバーズ達が道を切り開いてくれているおかげか、彼等フサードニク中隊、そして“ハイヴ・バスターズ”は比較的穏やかな進軍を続けている。

穏やかとはいっても、あくまでもハイヴ内にしては、である。戦闘は地上で行なわれているものよりも尚激しく、立って歩けるとはいえ戦闘機動をとるには狭い坑道内では回避もままならない。

そこに更に加わる悪条件が、フサードニクとバスターズの連携の悪さだ。

先頭に立つことを頑として譲らないフサードニクに、彼等が下がってからでなければ戦闘を行なえないバスターズ。

フサードニクが下がるのが遅れれば彼らの中に犠牲者が出る。立ち位置の入れ替えが円滑に行なえなければ、双方共に、だ。

 

現在の深度は500mを超え、既に中層に達して久しい。

仮にここがフェイズ2のハイヴであれば、既に反応炉にまで到達していることになる。

素晴らしい戦果といえる。やはり、宇宙軍の参入、機動からの爆撃と降下戦術はハイヴ攻略において有効な手段だった。

仮に、仮にだ、この作戦が失敗に終わったとしても。この経験は今後のハイヴ攻略戦において必ず生きてくる。

 

だが、それでも鞍馬の心に喜びの感情が湧き上がることはなかった。

センサーに映る味方を表す光点を数える。

フサードニクのもの5つ。そしてバスターズのものが19。

共に、既に突入前の半数ほどにまで人員を減らされているのだ。仮に、双方の連携が十分にとれていたとするなら、おそらく死者の数はこの半分程度に収まっていたに違いない。

 

──皆、すまない。これは俺の責任だ……。

 

フサードニクが、オルタネイティヴ3が頑として聞き入れなかったとしても、それでも連携訓練だけは何としても行なうべきだった。

それが実現出来ず貴重な命を悪戯に失った責任は、隊長である鞍馬にある。

 

裁きは受けよう。

だが、今は駄目だ。今は、フサードニクを無事に地上へと返すことを考えなくてはならない。

既に部隊は半壊している。ならば、そろそろ引き返すべきか。

 

「バスター01よりフサードニク01。

 帰還を考えるべきだ。この戦力で来た道を引き返すなら、ここが限界だ」

「……バスター01、その意見は却下する。まだ調査は不十分だ」

「しかし、全滅してしまっては今までに手に入れたデータすら残せない。繰り返し要請する、ここで帰還すべきだ」

「バスター01、我々は……」

 

言いつのる鞍馬にフサードニクが更に反論を返そうとした、その時。

坑内が激しい振動に襲われた。

ここに来るまでにも何度か感じた、S-11の爆発──恐らくは、自決によるものだろう──による振動。

しかし……今回のものは、近い。

今までになかった激しい揺れと爆音が彼等を襲い、否応なしに湧き上がる不吉な予感が脳裏を走る。

やがて揺れが収まった後、こだまのように響く爆発音の名残だけが遠く近く聞こえていた。

 

「バスター04よりバスター01。音響センサーによると、この先しばらく行ったところに広間があるようね。おそらく、そこで……」

「……フサードニク01よりバスター01」

「……なんだ?」

 

網膜投影される視界に現れたフサードニク01のウインドウに、その顔は映し出されない。

ただ事務的な声だけが聞こえるその通信から、彼の真意を思い計ることは出来なかった。

 

「その、広間までだ。そこの状況を確認した後……帰還する」

「……バスター01、了解」

 

 

 

同日、15時47分。

 

「この地下深くに、ここまで広い空間が存在するとは……」

 

思わず呟くフサードニク01。その声からは、彼の感情というものが初めて感じ取れた。

深度計に表示される数字は、ここが地下511mであることを示している。

フェイズ4ハイヴの到達深度としてはこれまでで最深となるその場所には、戦術機が飛びまわれるほどの広大な空間が広がっていた。

現在の人類の力では作り出すことが出来ないであろうその光景。ある種の感動を味わいながら、しかし警戒は緩めずゆっくりと進む。

天井と壁までの距離が伸びた為、そこに宿る淡い光も届ききらない闇の世界。

センサーに反応するBETAの姿は……ない。

 

やがて、先行するフサードニク01が、広間の壁際近くにそれを見つけた。

恐らく広間中心方向から吹き飛ばされてきたのであろうそれは、かつては戦術機と呼ばれていた鉄屑の塊だった。

 

「フサードニク01よりフサードニク各機、この機体のデータ回収を試みる。何か残されているかもしれない。

 バスターズは周囲の警戒を頼む」

 

そう言うと、フサードニク01はイーグルの残骸の横に片膝をつき、その頭部へと鋼鉄の手を伸ばす。

周囲には他の4機の騎兵達が控え、更にそれを取り囲むようにバスターズが展開しようと動き出した時……。

 

──なんだ?

 

鞍馬の心臓が、ドクンと、大きく脈打った。

 

──なんだ、何を見落としている?

 

沸き起こる不安、不快感。視界が不安定に歪んでいく。

 

──また、あの感覚だ。

 

自我が凝縮され、時間が引き延ばされていく。

 

──まずい……そこは、まずいっ!!

 

そして、鞍馬は“視た”。

 

「そこからはなれろおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

地面が、爆発した。

 

 

 

鞍馬の叫びに、フサードニク01が何事かと振り返る。

それが、生きている間に彼が行なった最後の行動だった。

偽装縦坑。

崩れ落ちたF-15の残骸の下にあったそこから、BETAが溢れ出す。

地獄の蓋が開いたかのようなその光景に、一瞬硬直するフサードニク達。

一瞬で、十分だった。

BETAが、彼等を残骸に変えるには。

 

鞍馬が走る。

彼の武装は、前衛に特化しすぎた長剣3本に突撃砲1丁というもの。そしてその突撃砲は遥か地上に捨ててきていた。

 

一歩。一機のフサードニクの管制ユニットが貫かれた。

二歩。二機目の機体の上半身と下半身が泣き分かれた。

三歩。次の機体の厚みが半分以下に押し潰された。

 

残された最後の機体、フサードニク04まで、後一歩。

 

──あと一歩……届かないっ!!

 

BETAはバスターズにも襲い掛かっている。

彼等を信頼している。彼等ならばこの一瞬で全滅することは有り得ない。

だが……その手も自己を守るのに精一杯で、フサードニク04には届かない。

 

鞍馬自身にも死神の鎌が振り下ろされる。

精一杯に手を伸ばすその横、要撃級がダイヤモンドよりも硬いその腕を振り上げた。

それを防げば、防いでしまえば、この手は決して届かない。

 

──フサードニク04を、残された人類の希望を、失うわけにはいかないっ!!

 

鞍馬は、右手に握った長剣を──投げつけた。

最後の一歩を届かせる為、その身を守る武器を手放した。

長剣はフサードニク04へと迫っていた要撃級に突き刺さり、彼は亡者の手を振り払うことに成功した。

 

剣を手放し、がら空きとなった鞍馬めがけて、頑強な前腕が振り下ろされる。

少しでも損害を抑えるために横に飛びつつ、空になった右手でそれを受ける。

広場の中央へと向けて、錐揉みするように回転しながら吹き飛ばされる鞍馬。

見えない何かに引きずられるように、地面を削るように地に落ちた。

右手はもう動かない。

赤と黄色のシグナルがコンソールを彩る。

 

──はやくっ、立ち上がれっ!

 

このまま寝ていては戦車級の餌食となる。

軋む機体を奮い立たせ、何とか二つの脚で地を踏みしめた鞍馬の目に、広間の奥からにじり寄る、視界を埋め尽くすほどの奴等の姿が映った。

鞍馬の名を呼ぶセリスの叫びが、どこか遠くから聞こえてきた。

 

 

 



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24話

 

みんな……

 

……ありがとう。

 

 

 

 

 

1992年7月26日、15時51分。

帝都、無現鬼道流道場。

 

侍が歴史の舞台から姿を消して100年以上の時が流れた。

しかし今も尚、熱心に剣の道を学ぶ者達は後を絶たず、ここ帝都には数多くの剣術道場が存在している。

斯衛史上最強を謳われる剣豪、紅蓮醍三郎が師範を務めるここ無現鬼道流道場もその一つだ。

興されてまだ日が浅い流派ではあるが、かの紅蓮醍三郎から直接教えを受けられるとあっては、その扉を叩く者の数には困らない。

しかし現役の斯衛軍少将である紅蓮は多忙の身であり、指導に費やせる時間は限られている。それ故、門弟には誰でもなれるというわけではなかった。実力、才能、心構えなど、何かしら紅蓮の琴線をくすぐる者でなければ入門は許されない為、実際にここで剣を振るう者の数はさほど多くはない。

今も道場で汗を流しているのは両手の指に満たない程度の数しかいないが、その寂しさを補って余りあるほどに彼等からあふれ出る熱気は激しいものがあった。

その末席に、3人の子供の姿が見える。

いや、子供と呼ぶのは失礼だろうか。そのうちの2人は既に少女から美しい女性へと姿を変えつつあるし、残る一人もまだ顔に幼さを残してはいるものの体付きは既に男性のそれだ。

そして、3人共に振るう剣は既に子供のものとは言えない。

 

月詠真耶、月詠真那、そして黒須蒼也の3人がこの道場に入門して早4年。彼女等の剣の腕、そして心の強さもまた飛躍的に上昇、いや昇華していた。

斯衛軍衛士養成学校に在籍する真耶と真那は2年生にして既に学内最強の座を不動のものとしており、剣術だけでなく座学や戦術機の操縦などを含め、首席には常に2人のどちらかが座している。

斯衛軍中等学校2年生の蒼也も、剣での戦いにおいては入学以来無敗を誇り──もっとも、未だに引き分けに終わる試合も少なくなかったが──、座学においては2位以下を大きく引き離しての首席を独占していた。

 

今日も3人は学校が終わった後にこの道場へと集い、剣を振る。

この一振りが日本の未来に繋がると信じて。

この一振りが人類の勝利に繋がると信じて。

 

ふと。

黙々と、只管に、直向に振るわれていた3本の剣のうち、1本の動きが止まった。その剣の持ち主である蒼也は、どこか呆然とした表情を浮かべ、虚空を見つめている。

 

「どうした、蒼也?」

「まだ終わるには早いんじゃないか?」

 

そう諌める真耶と真那であったが、カランッと、乾いた音を立てて木刀が床へと転がるのを聞き、正面を見据えていた視線を横へと移す。

そこには、崩れ落ちるように膝を床へとつき、両手で頭を抱え込む蒼也の姿があった。

苦しそうに脂汗を浮かべ、口からは苦悶の呻きが漏れている。

 

「おいっ! どうした蒼也っ!」

「頭が痛いのかっ!? 師匠っ! 蒼也がっ!!」

 

尋常のものとは思えないその様子に、周囲がざわめきに包まれるが、その呼び声も喧騒も、蒼也の耳には届いていなかった。

 

──頭が……割れる……。

 

頭蓋をハンマーで殴りつけられているような、脳に指を差し込まれぐちゃぐちゃにかき回されているような、今までの人生で経験したことのない激しい痛みに、周囲の様子などに気を配る余裕など欠片もなかった。

目を堅く瞑り、歯を食いしばり、手で自らの頭を押さえつけ、懸命に痛みに耐える。

その堅く瞑られた瞼の裏に、見えないはずの瞳に、映るものがあった。

 

──なに……これ……?

 

そこに映ったのは、見たこともない異形の生物。いや、これは生物……なのか?

例えば、幼児が感性と想像のままに存在しない空想上の生き物を粘土細工で作り上げ、それを何倍にも、何百倍にも、何万倍にも醜悪にデフォルメしたらこのようになるのかもしれない。

 

──……気持ち悪い……。

 

しかも、それが視界を埋め尽くすほどの夥しい数、蠢いているのだ。

吐き気がする。

この気持ち悪さは、痛みを抑えるためなら自害したくなるほどのこの頭痛によるものなのか?

それとも目を瞑っていても見えてしまうこの生物を見続けているからなのか?

 

──あれ……は?

 

異形の中にただ一騎。ただ一騎だけやつらとは違う造形のものがあった。

あれは……戦術機?

斯衛で使われているものではない。日本国内に存在しているものではない。

けれど、知っている。あれは……

 

──ファイティング・ファルコン……だ。

 

異形の中にただ一騎。

右腕が潰れ、残された左腕に持つ一本の長剣のみを武器に、ただ一騎の戦術機が群がる化物を打ち倒し続けていた。

 

蒼也はそこへと向かって手を伸ばす。

見えるのは幻。そこに何もありはしない。

掴むのは虚空。ただ手は空を切るのみ。

だがそれでも、それでも尚。

 

「……逃げて……」

 

何故なら、あの戦術機は。あれに、乗るのは。

幻想の戦術機を通し、それを駆る衛士の姿が見える。

 

「父さん、逃げてえええええええええええええええええええええ!!」

 

魂から吐き出すような叫びを最後に、蒼也の意識は暗闇に飲み込まれた。

 

 

 

 

 

同刻。

ボパールハイヴ中層、地下511m。

 

セリスが放った銃弾がBETAを屍に変える。

両腕に構えた2門では足りない。背面担架に納められた突撃砲を前面に展開させ、計4門。

引き金を引き絞る。

4つの銃口から放たれる36mm弾が、120mmが、音速を遥かに超える速度で突き刺さり、BETAに次々に穴を穿っていく。

だが足りない。4門でも、足りない。

自機の防御は捨てた。そんなことをしている暇など無い。

只管に、鞍馬を守る為だけに撃ち続ける。

それでも……足りない。

鞍馬へと群がるBETAは、最早数えようとすることすら馬鹿馬鹿しい量になっていた。

 

「邪魔だあああああああああああああああああああっ!!!」

 

射線を塞ぐように移動してきた要撃級へ向け、腹の底から怨嗟の叫びを上げ、打ち倒す。

既に鞍馬機の右手は動いていない。

残された左手に長剣を構え、舞うように回転しながら斬撃を放ち続ける機体の右半身は、血を流したかのように赤黒く染まっている。

……纏わりつく戦車級だ。

ごとり。

噛み千切られた右腕が、落下する。

機体のバランスを崩し踏鞴を踏んだ時、右脚が崩れ落ちた。

足元に群がる小型種を巻き込み、緑とも紫ともつかない気味の悪い花を咲かせながら転倒する。

右膝が砕けていた。……これでは、もう2度と立ち上がることは出来ないだろう。

 

「鞍馬ああああああああああっ!!」

 

無意識に一歩踏み出した。

跳躍ユニットに火炎を灯し、彼の元へと駆け寄ろうとする。

 

「大尉、駄目だっ!」

 

ラダビノッドからの強い制止。

聞こえない。

そんなの、聞こえないっ!!

もう間に合わないなら、もう駄目ならっ!! ……せめて、共に。

 

──貴方が戦場に倒れるその時は……私も一緒に逝かせてください──

 

いつか交わした約束を思い出す。

そう。約束したものね……鞍馬。

覚悟を決め、むしろ穏やかな表情を浮かべ、最後の吶喊をなさんとしたその時。

 

「セリス、すまない……初めて約束を破る」

 

鞍馬の声が、セリスの足を止めた。

 

「フサードニクを、地上へと届けてくれ。あの機体は、彼らが手にした情報は、希望の灯火だ。

 その光を、消さないでくれ」

 

……なによ、それ。

何を……勝手なこと言ってるのよ。

 

「……嫌よ……そんなの副長に頼んでよ……死ぬときは一緒だって言ったじゃないっ!」

「愛している、セリス。俺の最後の頼みだ……生きてくれ」

「だって、鞍馬……貴方がいなかったら……私はっ、私はっ!!」

「ラダビノッド、頼む」

 

ラダビノッドの駆るバスター02が、セリス機を後から羽交い絞めにした。

そのまま跳躍ユニットの火を吹かし、その場から引き離していく。

 

「大佐……貴方からは散々面倒を押し付けられてきましたが……今回が最悪ですな」

「すまんな。まあ、これで最後だ。大目に見てくれ」

「……13年。貴方と共に戦ったこの時間、楽しかったですよ。……おさらばです」

「ああ、さらばだ、ラダビノッド。お前は最高の部下だった。

 ……フサードニク04、貴官等の機体にS-11は積まれているな?」

 

鞍馬の問いに、フサードニク04──レオニード・ドラガノフ少尉が答える。

初めて聞く彼の声には隠し切れぬ怒りと悲しみが隠れ見え、やはり彼もBETA打倒を掲げる人間だったのだと、この最後になってようやく彼を真の仲間だと思えた気がした。

 

「ああ、大佐。……存分に、使ってくれ」

「ありがとう。必ず地上へと辿り着けよ。人類を、任せた」

「バスター01、黒須大佐。貴官等の奮闘に……感謝する」

「鞍馬っ! 鞍馬っ!!」

 

生き残った者達は鞍馬の意図を悟り、その場から全力で離れていく。

鞍馬の名を呼ぶセリスの声も徐々に遠ざかっていき、やがて通信からは何も聞こえなくなる。

生きる者はただ一人、鞍馬のみがその場に残された。

 

 

 

 

 

──また、泣かせちまったな。

 

たった一人の静かな空間、そんなことを思う。

いや、静かではない、か。

戦車級が機体を解体していく耳障りな音が響いているのだから。

 

──死にたくねえなあ。

 

瞳を閉じ、今までに出会った人々の顔を瞼の裏に思い浮かべていく。

 

月詠翁。申し訳ありません、お先に失礼します。

雪江姉さん。蒼也をよろしくおねがいします。

月乃、花純。日本を、殿下を任せた。

真耶、真那。これからの斯衛はお前達に託す。

ラダビノッド。バスターズは頼んだぞ。

オチムシャ、国連軍を率いてくれよ。

 

蒼也。逞しく育ってくれ。

そして、セリス。君に出会えて、俺は幸せだった……

 

俺が生き、出会ってくれた全ての人達よ……ありがとう。

 

 

 

悔いはある。未練もある。

だが、これだけは自信を持って言える。

俺は全力で生きた。全力を尽くしきった、と。

 

ならば……

 

 

 

──ならば誇れ、この生を。

 

鞍馬は天を掴むかのように、その手を掲げる。

 

 

 

「……良いっ!」

 

──ならば……笑って逝こう。

 

掲げた手に拳を作り、固く握り締める。

 

 

 

「良い、人生であった!!」

 

そして鞍馬は高らかに笑いあげると──

 

──握った拳を……眼前へと、叩きつけた。

 

 

 

 

 

黒須鞍馬は39歳。ボパールに、散る。

半生をBETAの打倒に捧げ、人類の斯衛たらんとした男の。

その短くも美しく燃えた生に──

 

 

 

──今、幕が下ろされた。

 

 

 



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第二章 タングステンの魂
25話


 

1992年7月26日15時51分。黒須鞍馬、戦死。

フサードニクの機体に搭載されていた物をも巻き込んで炸裂した、鞍馬のS-11による自決。それは大広間に集っていた師団規模のBETAを残らず焼き尽くした。

広大とはいえ密閉空間には違いない広間内を多い尽くすほどの爆発は、核に匹敵すると言われるその破壊力を更に飛躍的に増大させ、ただ一匹たりとも死の腕から逃さなかったのである。

それはまるで、残された仲間達を無事に地上へと送り届けたいと願う鞍馬の最後の想いが具現化したかのような、鮮烈な炎であった。

 

彼の挺身により、“ハイヴ・バスターズ”はさらにその数を減らしつつもフサードニク04を地上に送り届けることに成功する。

かろうじて作戦の最優先目的を果たしたことを受け、国連軍統合参謀会議は全軍の全面撤退を宣言。スワラージ作戦は失敗に終わる。

1992年7月27日00時00分。作戦開始から15時間後、時計の針が頂点を指し新しい一日を迎えたその瞬間のことであった。

 

 

 

黒須鞍馬という男は戦略家としての資質にはやや欠けていたが、戦術家としては一流であり、そして衛士としてはこの戦術機の黎明期を代表する人間であったと言える。その戦い方こそ教科書通りのものとはとても言えなかったが、能力的には一般的な衛士のそれを大きく凌駕していたこと間違いない。

後の世においてBETA大戦史を研究することになる学者達にとっても彼の名は決して無視できるものではなく、彼と“ハイヴ・バスターズ”の人類に対する功績は多大なものであったと言えよう。

 

そんな彼の死は、これからも続く人類の生存戦争に如何なる影響を与えるのだろうか?

……答えは、何も変わらない、だ。

例え如何なる傑物であろうとも、一個人の存在が星の数とも思えるBETAとの戦いに与える影響など、ほんの僅かなものでしかない。

仮に黒須鞍馬という人間が存在しなかったとしても、これまでの歴史が筋書きを変えていたということはないだろう。

これが、BETA大戦という絶望的な戦いの現実なのだ。

 

しかしながら、視点を人類全体から個人へと移してみれば話は変わってくる。

鞍馬の死は、彼と関わってきた多くの者達に決して少なくない影響を与えることになる。

 

“ハイヴ・バスターズ”は解散されることになった。

部隊の顔である鞍馬を失い、最終的に人員を4分の1にまで減らした彼等を再編する余力はこの時点の国連軍には残されていなかった。

また、スワラージ作戦における宇宙軍の運用が想定以上の戦果をあげたことにより、従来通りの戦術を教導するという彼等の存在価値が薄れたこともその理由に挙げられる。

1979年に発足した人類の剣は、二人目の隊長を迎えることなく13年の歴史に幕を下ろした。

 

黒須セリスは戦術機を降りた。

鞍馬のいない戦場で戦い続ける意思を、彼女は見出せなかったのである。

彼女の選択を人類への裏切りと糾弾する声もあったが、近しい者達は黙って彼女を送り出した。

国連軍を辞した後、今後の人生を息子蒼也と過ごしたいと望んだ彼女は日本へと戻り、帝国軍への任官を希望する。しかし、この願いが叶えられることはなかった。

彼女の入隊を拒否した帝国軍は、その理由を間も無く40になろうとする年齢にあると説明したが、日本国籍を有しているとはいえ外国人であることが理由にあるのは明白だった。彼女もそれ以上の説明を求めたりはしなかった。

これ以降、セリスは民間人として、月詠家にて家族と共に暮らすことになる。

 

パウル・ラダビノッドは尚も戦い続ける。

“ハイヴ・バスターズ”の生き残りと共にインド亜大陸戦線に組み込まれた彼は、鞍馬に見込まれた指揮官としての才をこれでもかと振るい、獰猛でありながら慎重、そして何よりその苛烈な戦いぶりから、大佐として連隊を任せられることになる。

無様な戦いは出来なかった。それは“ハイヴ・バスターズ”の、鞍馬の名を汚すことになるのだから。

彼の奮戦は、今年中に崩壊すると予想されていた戦線を94年まで持ちこたえさせる要因の一つとなった。

 

鞍馬の訃報を聞いた家族達も、もちろん深く嘆きにくれる。衛士として戦いに赴く以上、いつかこういう日が来ると覚悟はしていた。だが、だからと言って悲しみが抑えられるわけでもない。

月詠瑞俊は一言「……馬鹿者が」と呟き自室に篭り、雪江、月乃、花純の三姉妹は肩を寄せ合って泣き濡れ、真耶と真那は人目もはばからず声を上げて泣き叫んだ。

 

彩峰萩閣、紅蓮醍三郎といった鞍馬と旧交ある者達、そして斎御司経盛もまた同じく。

彼等は在りし日の鞍馬を想い、その死を悼み、そして改めて人類の勝利を誓う。

 

 

そして、ここにもまた、一人。

スワラージ作戦から3ヵ月後、ニューヨークにある国連軍本部の中にある一室。

割り当てられた専用の執務室にて、彼はその報告書を読んでいた。

提出元はオルタネイティブ第三計画。

フサードニクが持ち帰ったデータを纏め上げたそれは、彼等がこれまでいかに人類の勝利の為に尽くし無私の奉公をしてきたかが過剰な装飾語と共に綴られている、彼等自身に対する美辞麗句で埋め尽くされた前書きから始まる数百ページにも及ぶ大作であった──あくまで、量的には、であるが。

 

長大な文章から不必要に飾り付けられた語句を廃し、自画自賛を読み流し、弁解を黙殺した後に残されていたもの、最後に残った純粋な作戦の成果を見出した時、彼は込み上げてくる笑いを抑える努力を放棄した。

楽しげなものではない。嘲笑……いや、自虐の笑いか。虚空を見つめ狂ったように笑う彼を気味の悪い物を見る目で見ていた秘書官が、勇気を振り絞って声をかけた。

 

「……准将、いかがなされましたか?」

 

壊れたテープレコーダーのように抑揚無く、淡々と同じ笑いを繰り返していた准将は、やはり機械が壊れたかのように唐突に押し黙った。

ぐるりと人形のように首を回し、普段の悪戯っ子のような笑みではない、張り付いた笑みと狂気を宿した眼で秘書官を見る。

 

「君は、この報告書を読んだかい?」

「……いえ、准将が読まれてもいないものに勝手に目を通すわけにはまいりませんので」

「そうか、なら読んでみると……いや、その必要は無いな、俺が説明してやろう。なに、大した時間はかからない」

 

明らかに普段とは異なる彼の様子に、秘書官は気圧されて、いや怯えながら、お願いしますと返事を搾り出した。

 

「BETAは人類を生命体とは認識していない」

 

一転、顔から表情を消した彼が、厳かとも言える口調でそう言う。その言葉に頷きを返し、更なる言葉を待つ秘書官。

しかし、彼から続く言葉は想定の枠外にあるものだった。

 

「君は、この言葉の後に『だが』とか『そこで』とかが続き、作戦の成果が語られると思っただろう?」

「……違うのですか」

「違うのだよっ! 続く言葉は、『以上』だっ!」

 

顔に疑惑の色が浮かぶ。その言葉の真意を探ろうと思考を巡らそうとするその前に、彼があげた叫びのような、叩きつけるかのような言葉が秘書官を襲う。

 

「国連軍、アフリカ連合軍、東南アジア諸国各軍に多大な被害を強要しっ!

 宇宙軍まで持ち出しっ!

 ハイヴ突入部隊の壊滅と引き換えに手にした成果っ!

 人類が今後も戦う為の戦力を費やしたその代償っ!

 それがっ! ……『BETAは人類を生命体とは認識していない』という一言だ……」

 

ついに秘書官の顔にも理解の色が浮かんだ。そしてそれが苦虫を噛み潰したかのものに変わる。

そんな、だからどうしたとでも言うようなことが、そんな今更とでも言うようなことが。そんなことが分ったからといってどうなるというのだ。

 

「第三計画を打ち切る」

「……はい」

「各国に、第四計画の試案を提出するよう要請しておいてくれ」

「議長一派はどうされますか?」

「アメリカは虎視眈々と第四計画の旗主となることを狙っている。第三計画の解体までは協力的だろうさ。……その先は、私の仕事だ」

「了解しました」

「……すこし、考えを纏めたい。一人にしてもらえるか」

 

無言で敬礼をした秘書官が部屋を出た後、残された彼は全体重を椅子に預け、瞳を閉じる。

疲れていた。疲れきっていた。

心に詰め込まれた鉛が体にまで侵食していくかのように動かぬ手足を投げ出す。そのままどれほどの時間が経ったか。

彼はゆっくりと手を動かし、机の一番上の引き出しを開け、中から一枚の写真を取り出した。

写真の中には笑顔があった。先程の彼が浮かべた狂気のものではない、大切な仲間と分かち合う時間を楽しむ、純粋な笑みが。

中央に鞍馬、その横にセリス。反対側には彼が座り、背後にはラダビノッドが立っている。

そして、狭いフレーム内に何とか入り込もうと、押し合うように殺到する大隊の皆。

 

──あんなことの為に、あなたは死んだというのか。

 

彼の瞳から一滴の涙が。

そして口からは「……隊長」という呟きが漏れ、静まり返った室内に溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

世界中で鞍馬の死を嘆く者達がいる中、彼の死をもっとも悲しむ権利を持つ人間はどうだっただろうか。

彼の息子、蒼也は。

 

あの日、道場で倒れ病院へと担ぎ込まれた蒼也は、笑うことを忘れた。

身体的には何の異常も無いと診断された彼だったが、心に一つの大きな感情を抱え、それ以外の心を表面に出すことが難しくなったのだ。

何をしていても、何を考えていても、その感情が心の真ん中にどんと居座っており、全ての行動がその影響を受けてしまう。

それは父を失った悲しみ、ではなかった。

無論、それも大きな感情の一つには違いなかったが、それ以上に巨大なものの前では霞んでしまう。

では、怒りだろうか。父を奪ったBETAに対する怒りだろうか。

それも違う。身を焦がすほどの怒りの炎も、その感情の前では消えかけた種火に過ぎない。

 

蒼也の心を支配した感情、それは恐怖だった。

死にたくない。殺されたくない。喰われたくない。

あの時に“視た”映像が彼の心を縛りつけ、その自由を奪っていた。

夜に寝ているとき、襖の向こうから、畳の下から、奴等が現れるような気がして、彼は暗い部屋で一人で眠ることが出来なくなった。

明かりをつけた部屋で壁を背にして縮こまり、太陽が上り始めて人の気配を感じるようになってからようやく浅い眠りにつく、そんな日々を過ごした。

 

そんな彼を、医者はPTSDと診断した。

父親が戦場で戦い続ける不安と悲しみに心が耐え切れなくなり、そこに父の戦死の報が止めになったのだろうと。

それが間違いであることは蒼也自身には分っていた。PTSDには違いないだろうが、原因は待ち人のストレスではなく、奴等に対する恐怖であると。だが、それを誰かに話すことは決してしなかった。

蒼也には確信があった。あれは間違いなくBETAの姿であると。

自分が見たものを絵に描いて見せれば、それがはっきりするだろう。なにせ、日本の民でBETAの姿を知るものはほんの一握りしかいないのだから。

しかし、知らないはずのことを知っていると、見たことがないはずのものを絵に描けると周囲に知られれば、それは決して良くはない事態を引き起こす。頭の回転が速い蒼也はそう判断し、自身の能力を隠し続けることを選んだ。

 

そう、能力だ。

自分には、何か特別な力がある。

遠くの出来事を見る力。知らないことを知る力。思い返してみれば、備わった防御に特化した才もこの力なのかもしれない。

それを自覚した蒼也は、その能力の正体と限界を探り始める。生きる為に。殺されない為に。喰われない為に。

血反吐を吐くまで我武者羅に剣を振るってみた。

下手をすれば怪我ではすまないような高いところから飛び降りてみた。

車の行き交う道路に突然飛び出してみた。

心と体を危険に晒し続け、そして蒼也は一つの結論に辿り着く。

自分は、未来の姿を見ている。

それほど遠くの先が見えるわけではない。通常で数秒から十秒程度。しかし体が、命がより危険に晒されるほどその力は強く発現するようだ。

そして、自身に危機が迫った時だけではなく、鞍馬のことを思うに、恐らくは自分に近しい者の危機にも反応するであろう事。

だが、この可能性を詳しく調べることは出来なかった。検証のために守るべき家族を危険に晒すことなど、出来はしない。

 

そうだ、守るんだ。

この力を使えば、自分と、大切な人達を守ることが出来るかもしれない。

逃げる? 能力を使って逃げ続ける?

……無理だ。

逃げても、逃げても、いくら逃げ続けても。いつかは奴等に追いつかれる。いつか人類は滅亡する。

なら、倒すしかない。

生きる為に。殺されない為に。喰われない為に。

奴等を、殺し尽くすしか……ない。

 

いつからだったろうか。蒼也が抱えた恐怖が裏返ったのは。

いつからだったろうか。蒼也の心の中に居座る感情が殺意へと転じたのは。

いつからだったろうか。蒼也の殺意がまた少し違うものへと変化していったのは。

 

そして、時は流れる。

 

 

 

 

 

第二章 タングステンの魂

 

 

 

 

 

1996年、2月。

帝国斯衛軍衛士養成学校。

 

指導室。斯衛軍衛士養成校の中にそう呼ばれる一室がある。

本来は素行の悪い訓練生を呼び出しお灸を据える為に設けられた部屋だったが、良家の子女が集まるこの学校のこと。訓練生は良くも悪くもお上品な者達が多く、この場に呼ばれるようなことをしでかす者がそうそういるわけでもない。まれに腹に一物抱えたものが入校することもあったが、そう言った者達は教官の前では優等生を貫くものである。いつしかこの部屋は訓練生側から教官に相談があるときに使われる部屋へと変わっていった。

今日、3年生を中心に受け持つ彼がここにいるのも、一人の訓練生から話があると持ちかけられたからである。

例年、卒業を間近に控えたこの時期になると、この部屋の使用率が上がってくる。

未来の日本を背負って立つであろう才に溢れた者達とはいえ、まだ10代の若者なのだ。将来に不安を感じることも仕方ない。まして、今は戦時中なのだから。

とはいえ、将軍殿下をはじめとする摂家衆の守護を目的とする斯衛軍が、今も銃弾飛び交う大陸の戦場に派遣されることは無い。その点において、ここの訓練生達に卒業と同時に戦場に立つという不安はない……ように思えるが、実際にはそれは異なってくる。

BETAとの戦いに加わっていない斯衛軍は当然、人員の損耗が少ない。更には、個人の武功を尊重する斯衛という組織は定年があって無きが物であり、本人が戦えると言い、他者がそれを認める限り現役でいつづけることが出来る。

つまり、新たな衛士希望者数に対して空き機体の数が足りないのである。

大陸での戦闘が激化するにつれ、将来を見据えて新たな大隊が編成されてもいるが、それでも訓練校を卒業したはいいが結局予備役につくことになる者、衛士の道を断念し他の部署に配属される者等が毎年いるのが実情だ。

そしてその中には、帝国軍に所属するという選択をする者もいる。

彼等にとって、戦場とはごく身近なものなのである。

 

しかし、今日彼が会う相手に限って言えば、そのような心配は無いはずであった。

何しろ入校してからの3年間、首席の座を守り通している男なのである。優秀な人間が優先的に権利を得るというのは何処の組織でも同じことだ。

武家の人間ではないという点、そしてそれ以上に大きなある弱点も持ち合わせている。だが、彼の後ろ盾に立っているのは現役を退いたとはいえ未だ斯衛全体に大きな影響を持つ月詠瑞俊と、歴代最強と謳われる紅蓮醍三郎の二人である。彼の黒を纏っての斯衛軍入隊は最早、確定事項といってよかった。

 

「黒須蒼也=クリストファー、参りました」

 

扉をノックする音に続き、そう声が掛けられた。

その言葉に、教官の顔に訝しげな色が浮かぶ。それが彼の本名であることは知っているが、訓練生としての生活の中での呼称は黒須訓練生ないし黒須蒼也であり、その横文字の部分が名乗られることはほとんど無かったからだ。

疑問を感じながらも入室を促した教官の言葉に、黒須訓練生が扉を開いた。

色素の薄い髪と瞳、そして彫りの深い目鼻立ち、美少年といっても良い顔立ちではあろう。だがやはり、見慣れたとはいえこの斯衛軍衛士養成学校という場においては異質な印象を受けるのを否定できない。

その名からも分る通り、日本人とアメリカ人のハーフ、それが黒須訓練生であった。

 

 

 

教官が彼、蒼也に抱いている印象は、どこかちぐはぐというものであった。

ハーフゆえの顔立ちもその理由の一つであろうが、それ以上に能力面において良い意味でも悪い意味でも他の訓練生とは一線を画しているのである。

座学においては文句なしに優秀、次席以下を大きく引き離している。だが実技面においては、彼は決して才能に恵まれているとは言い難かった。

射撃能力は下から数えたほうが早い。もし敵味方識別装置がなかったら味方を撃ち抜く恐れがある。

幼い頃から月詠瑞俊と紅蓮醍三郎に教えを受けただけあって剣術、体術に関してはそれなりのものを持っているが、彼の従姉妹達のように煌く才に溢れているわけではない。それに、斯衛という場においては彼以上に剣に秀でた者も決して少なくない。

戦術機適性にいたっては、衛士となれる下限ぎりぎりである。前衛に付き物の過剰なGに体が耐え切れない為、比較的得意とする剣を諦め後衛につくしかなかった。

 

余談だが、斯衛軍の戦術機適正記録の上位は彼の知人で占められている。

歴代二位に紅蓮醍三郎、それに黒須鞍馬が並び、月詠真耶、真那が続く。そして、歴代一位は意外な人物、月詠瑞俊その人である。戦術機が配備されたとき既に現役を退いていた彼であるが、日本人の適正統計の分母を増やしたいからと要請を受け、計測してみたところ年齢からは考えられない高い数値をたたき出したのである。

これにより瑞俊は、実情は名誉的なものとなるが衛士としての資格を所持しており、実際の操縦においても下手な訓練生では敵わない程度には腕を持ち合わせている。

もし、彼が30年遅く生まれていたなら、歴史に名を残す衛士になっていたかもしれない。

更に余談だが、セリスの適正数値は瑞俊の更に上を行き、斯衛どころか全世界の記録で歴代一位を誇っている。

 

このように実技面においては劣等生といって良い程度の能力しか持ち合わせていないにもかかわらず、それでも彼の首席の座は揺らぐことは無かった。

対人訓練においても、対BETA訓練においても、個人戦でも、部隊を率いても。的を相手にする射撃訓練などではなく、他者を相手取る訓練において彼の勝率は10割であった。入校からの3年間、一度として黒星の付くことは無かったのである。

何故そのような真似が可能なのか。

一見有り得ない事態に、教官達は彼を注視することになる。そして導き出された答えは、彼の異常なまでに高い戦術眼によるというものであった。

有能な棋士は千手先までの手を読むという。彼もまた同じなのだろうか、彼を相手にした他の訓練生は常に彼の手の上で踊らされていた。時に、教官までも。

 

こんなことがあった。隊長適正を計る為、机上で部隊を率いて訓練生同士が戦った時のことだ。

勝負が始まるや否や、蒼也は戦術機部隊の一部を囮として敵主力を惹き付け、その隙に本隊を持って相手の支援、補給部隊を壊滅させたのである。まるで、最初から敵の動きを予測していたかのような、未来が見えるかのような、見事に過ぎる奇襲であった。

その後陽動部隊を合流させ、磐石の態勢を持って残された部隊を壊滅させていくかと思われたが、彼の行動は教官の予測の上を行った。

彼は戦略目標のみ確保するとそこに立て篭もり、打って出ることは無かったのである。

対戦相手は戦略目標を取り戻そうと手を尽くしたが全て彼に上を行かれ、やがて補給物資がなくなり撤退せざるを得なくなった。

何故、敵部隊の壊滅を狙わなかったのか? 訓練後、教官よりそう尋ねられた蒼也はこう答えた。

 

「人類の共通の敵はBETAであり、全ての兵士は人類の貴重な戦力です。にもかかわらず、この課題では人類同士の戦闘が行なわれています。

 つまり、戦闘開始の時点で既に、戦略的には敗北しているということになります。この損失を最低限に抑えるため、自分に許された手段の中で最善の一手を選びました。

 相手側の戦力を必要以上に削がなかった事実をどう利用するか、これはもう一段階上の戦略、あるいは政略の範疇となります。恩を着せるか、いつでも殲滅できるのだと脅しに使うか、または世論を味方につけるか。願わくば、有効に使って欲しいものです」

 

蒼也の答えを聞き、教官は鼻白んだものである。

更に、もし蒼也自身が政略の立場にいた場合、今回の状況を有効に仕えるかと尋ねた教官に、蒼也は一言こう答えた。

 

「無論」

 

言葉がなっていないと叱責するべきだったろうか。しかし、教官はその答えにある種恐ろしさすら覚えた。彼の脳内では、実際にいくつもの可能性がシミュレートされているのだと理解できたのだ。

何故だろう。そんな彼の様子に、頼もしさではなく危うさを感じたのは。その瞳に光る輝きに危険な色が見て取れたのは。

 

 

 

机を挟んで向かい合う蒼也を見て、かつての出来事に思いを巡らせていた教官の意識が現実に引き戻された。

蒼也の目を見たからだ。

また、あの光だ。彼の瞳に宿る強い意志、そして危うさ。覚悟を決めた者の眼に近い。

教官が、擬似生体を移植された右目を隠す眼帯へと無意識に手を伸ばす。帝国陸軍から斯衛軍衛士養成学校に教官として出向してきている彼は、大陸派遣軍として実戦を経験している。この右目も、その時に失ったものだ。

彼の脳裏に、大陸で散った戦友達の姿が浮かんだ。死に行く際に見せた彼等の眼、それが蒼也の瞳に宿る光に重なった。

……いや、違う。己の命を投げ出す覚悟を決めた眼とも、また違う。

しかし、どこかで見たことがある……。

 

「真田教官、お時間を頂きましてありがとうございます」

「かまわん。それで、どんな話だ?」

 

単刀直入に用件を言うよう促す。真田は腹芸の得意な男ではない。それに、教え子にそのようなことをするのも間違いのように思う。

真田の意を汲み取った蒼也が、彼の一つしかない瞳をじっと見つめ、そして本題を切り出した。

 

「真田教官……いや、帝国陸軍真田晃蔵大尉。自分は、帝国大陸派遣軍への入隊を希望します」

 

蒼也の言葉が、ゆっくりと真田の腑に染み渡り、その意味を理解した時にまず浮かんだ感情は驚きだった。

確かに真田は、斯衛の枠からあぶれてしまった訓練生のうち、帝国軍への入隊を希望する者達の窓口となってはいる。しかし、斯衛への配属が確実にもかかわらず帝国軍へと入隊を願うのを聞いたのは初めてだ。まして首席卒業者が、しかも大陸派遣軍に、などと。

しかし、同時に納得もしてしまった。その言葉で、蒼也の瞳に宿る光の正体に気付いたのだから。

 

──これは、殺す覚悟を決めた者の眼、だ。

 

BETAを殺す覚悟、そんなものは訓練生なら当然に出来ているだろう。

そうではない。明確な目的を持ち、それを邪魔する者があれば人間すら殺す覚悟を定めた者の眼。

あらゆる犠牲を払おうと、目的を果たす覚悟をした者の眼だ。

 

「……わかった」

「ありがとうございます」

 

覚悟は出来ているのかなどと、後悔はしないかなどと、そんなことは聞くまでも無い。この眼を見てしまったのだから。

仮に真田がここで翻意を促したとしても、蒼也は独自に帝国軍への扉を叩くに違いない。ならば、せめて自分が希望を叶えてやるべきだろう。それが、せめてもの親心だ。

 

「月詠家の方や、紅蓮大将には?」

「これから話します。……どやされるでしょうが」

 

そう言って、苦笑いを浮かべる蒼也。

その姿に、真田は始めて、彼に年相応の幼さを見出した気がした。

 

──願わくば、彼の今後の人生に幸多からんことを。

 

自分にはそう願うことしか出来ない。これから死地へと向かおうとする若者を前に、それだけしかできない。

輝かしい未来が待っているはずの若者にあのような目をさせてしまった時代に、それを止められなかった自分達に、真田は自身の無力さを噛み締めるのだった。

 

 

 



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26話

 

1996年、2月。

帝都、月詠邸。

 

驚いた。目を見開き、ぽかんと開いた口を隠すように手を当て、しばし聞こえた言葉を反芻する。

次に悲しんだ。何故と言う単語が脳内を駆け巡り、瞳にじわりと熱いものが満ち始める。

数瞬後、喜んだ。彼を引き止める良い考えが頭に浮かび、それを口にしようとして……

最後に、どこか納得したような顔をし、ふうと吐息を一息漏らした。

養成校から帰宅した蒼也より斯衛ではなく帝国軍、それも大陸派遣軍へと進みたいと打ち明けられたセリスの百面相は、諦めの表情で締め括られた。

 

「……親子揃って斯衛を飛び出すなんてねえ」

 

本当、あの人にそっくりなんだから。

息子が父の背を追うことをどこか嬉しくもあり。そしてやはり戦場へと向かうという我が子を思えば当然、悲しくも寂しくもあり。

微笑とも苦笑とも言えない微妙な笑みを僅かに浮かべ、セリスは今は亡き夫を思う。

鞍馬は頑固な男だった。そして自分の選択に後悔をしない男でもあった。セリスに似て柔和で優しそうな顔をしているが、そう言うところは鞍馬にそっくりな蒼也だ、説得は無理だろう。

それに、養成校を出たとなるともう立派な大人、一人の人間としてその意思は尊重されるべきだ。

 

「分ったわ、蒼也。母さんは止めない。でもね、これは覚えておいて。……あそこは、本当に恐ろしいところよ。そんなことは分っているって思うかもしれないけど、それ以上に、その何倍も何十倍も怖いところ。

 だから、約束して。絶対に、油断しないって。絶対に、自惚れないって。そして絶対に、諦めないって」

「わかったよ、母さん。絶対に油断しない、自惚れない、諦めない」

「約束よ。……母さんね、今でも父さんのことを怒っているのよ。あの時、これで最後だと諦めて自決した父さんのことを」

 

セリスの目がどこか遠いものを見るものに変わる。

 

「母さん……」

「分ってるのよ、ああしなければ部隊は全滅していたかもしれない。任務は失敗していたかもしれないって。でも、それでも……諦めて欲しくなかった。生き足掻いて欲しかった」

 

眼を瞑り上を向いたセリスの眦から、ひとしずくの涙がこぼれた。

 

「……だめね、年を取ると涙もろくなって。それにごめんなさい、出征前の息子に言うような話じゃないわよね、こんな生々しい話。でもね、蒼也。それが……戦場なのよ」

 

年を取ったとはいっても鍛え上げられた肉体が今も若々しいセリスが、再び開いた瞳に鋭い眼光を乗せて蒼也を見つめる。

背筋に怖気が走った。こんな母の眼を見るのは初めてだった。……戦士の眼をしていた。

 

「セリスさんもそれくらいに。今日のところは家族全員で食事をしましょう。これから蒼也さんの卒業まで、出来るだけ沢山。蒼也さん、食べたいものはあるかしら? カニ鍋だったら助かるんだけど」

 

蒼也のもう一人の母、雪江が場をとりなす。

雪江は真耶を生んで以来、結局斯衛へと戻ることは無く月詠の家を守り続けていた。

とはいえ、随分とこの家も寂しくなったものだ。広い屋敷に今も暮らすのは瑞俊と雪江にセリス、そして蒼也の4人だけとなっている。

月乃とその婿、それに花純は既に斯衛の兵舎が住まいとなっており、この月詠の家は云わば実家、盆と正月くらいにしか帰ってはこない。雪江の婿も週末ごとに戻ってくるくらいだ。

3年前に養成校を卒業した真耶と真那も、それぞれの軍務についており状況は同じだ。

真耶は、月詠が代々仕えてきた五摂家が一つ、煌武院家の悠陽殿下のお側役として煌武院の屋敷で暮らしている。

真那は帝都を離れ、月詠と同じく煌武院の分家の一つである御剣家の冥夜様の元にいる。

月詠家と御剣家は同じ赤として同格、御剣が斯衛の本流を離れた今となってはむしろ月詠の方が上とも言えるにも拘らず何故、お側役という御剣を立てる任を下命されたのか。それに不満の声が上がってもおかしくは無いのだが、この件について月詠から異が唱えられることは無かった。

仕える煌武院家からの命ということももちろんあるが、それ以上に……いや、月詠とてはっきりと明言されているわけではないのだ、これ以上は言わぬが花、か。

ところで、何故カニ鍋に限定なのだろう?

 

「えーっと……家族、全員?」

「ええ。家族、全員」

「でも、真耶ちゃんと真那ちゃんはほら。お側役が離れるわけにも……ねえ?」

「ずっとは無理ですけど、今日と卒業の日、旅立ちの日。それくらいは許してもらいましょう」

「でもほら、やっぱり軍務は大切だし、無理はしなくてもいいんじゃないかなー、なんて……」

 

微妙に早口になり、上ずった声でそう言う蒼也。雪江の目がきらりと光る。

 

「蒼也さん? 家族が揃うことに何かご不満でも?」

「はい、いいえっ! 不満なんてとんでもないっ! 大歓迎であります、マムっ!」

 

あぶない、あぶない。姉妹の中で一番おっとりとして優しい雪江ではあるが、それでもやはり武家の人間なのだ。本気で怒らすと洒落にならない。

しばし、冷気を伴った視線を蒼也に向ける雪江。名は体を現すというが、部屋の温度が数度下がった気がする。

蒼也は心の中でたっぷりと百は数えたろうか。実際にはほんの数秒後、月詠家に春来る。

 

「セリスをたしなめておいて、お前がそれではいかんだろう、雪江」

「……あら、ごめんなさい、私としたことが。やっぱり大事なことを相談も無く決められたことに怒っていたのかしら? ねえ、蒼也さん?」

 

ちくりと嫌味を言いつつも、雪江の雰囲気が元に戻った。おじいちゃん、ありがとう。カカカと笑う瑞俊に目線で感謝の意を示す。

鞍馬の訃報が届いた後、瑞俊は正式に花純に家督を譲り、隠居に入った。

本来であればとうの昔に譲っていてもおかしくは無かったが、ここまで遅らせたのは心のどこかにいつか鞍馬が帰ってきたときに家督を譲りたいという気持ちがあったのだろうか。

最後の弟子となる3人を紅蓮の手に預け、そして家督を譲った今、瑞俊の背中は本当に小さくなってしまったように思う。今も修練は怠らず体は健康そのものとはいえ、ぽっくりと逝ってしまわないか時折不安を感じる。

曾孫でも出来れば元気になるんだろうけど、真耶ちゃんも真那ちゃんも全然そう言う気配無いからなあ。自分のことを棚に上げ、そんなことを思う蒼也だった。

 

「それにの、雪江の気もわかるが、全員揃うのは無理じゃろ。今から呼び寄せても帝都におるものはともかく、真那は間に合わんて」

 

御剣の屋敷から帝都までは電車でおよそ2時間。今から連絡しても今日の夕食を共にするのは厳しいものがある。瑞俊の言葉でそのことを思い出し、蒼也は胸をなでおろした。いずれ向き合わねばならないとはいえ、真那と会うのは出来ることなら先送りにしたい。

 

真那は苦手だった。

心の理性と感情の天秤が理の側に大きく傾いている蒼也にとって、時に感情をむき出しにする真那はどうにもこうにも扱いづらい。更に、幼い頃から何くれと無く蒼也の世話を焼きたがる彼女だったが、鞍馬の訃報を受けてからはそれがより顕著になったのだ。

BETAの幻影に怯え夜に一人で震えている時、枕持参で蒼也の部屋にやってきて、朝まで一緒に寝てやると少し恥ずかしそうに添い寝してきた。

己の限界を知るべく気を失うまで剣を振っていた時は、何故もっと自分を大切にしないと腕を振り乱して怒っていた。

未来を視る訓練をつもうと車道に躍り出た時など、自らも飛び出して蒼也を突き飛ばし、叔父様が亡くなって悲しいのは分るがお前が後を追ってどうなるんだと、涙を浮かべて縋り付いてきた。

養成校で首席の座を不動のものとした時には我が事のように喜び、ようやく立ち直ってくれたのかと強く強く抱きしめてきた。

いつも真っ直ぐで、強く、厳しく、感情のままに……優しい。

蒼也はそんな真那が苦手だった。出来れば、今は会いたくなかった。……きっと、悲しませてしまうから。

 

「ま、まあ、真那ちゃんはまた今度と言うことで。これないんだったら仕方ないよね。残念だなー」

「……いや、そうでもないぞ」

 

背後から聞こえた声に、蒼也の動きが固まる。

ギギギと、人形の首を動かすように振り向いた先には、たった今話題にしていた人物が、何故か冷たい目をして立っていた。

 

「蒼也さんが帰ってきたとき、お父様が碁を打ちに出かけていたでしょう。大事な話だから帰ってきてから話すというから、真那さんも今のうちに呼んでおこうって思って、先に連絡しておいたの。

 蒼也さんの一大事って言ったら、真那さんたら慌てて直ぐ戻るって」

 

雪江がにこやかに死刑宣告を告げてくる。

そうか、既にカニが用意してあるのはそう言う理由か。

背筋に冷たいものが、ひとしずく。

 

「で? 大事な話と言うのは?」

 

ラスボスが、現れた。

 

 

 

 

 

夕食の席。

いつか鞍馬が帰宅した時のような家族が一つの座卓を囲む食事、その中央には大きなカニがぐつぐつと煮えている。

既に食べごろを過ぎつつあるが、皆、押し黙っており誰も手をつけない。鍋を見もしない。そもそも箸を持ってすらいない。

あー、早く食べないと出汁が出ちゃうよ、もったいないなーと、この空気を作り出した原因が一人だけ、それでも遠慮はするのか鍋以外のものをちまりちまりと摘んでいた。

 

やがて最も上座に座する花純が、先程のセリスと同じようにふうっと一つ息を吐き、やはり同じ答えを導き出した。

 

「分ったわ、蒼也。あなたの好きになさい」

 

皆がほっと息を吐き、緊張が途切れた。

花純ならばそう言うだろうと思ってはいたが、もし蒼也の選択に反対を示したとしたら、頑固な2人のことである。双方納得せず、最悪の場合には蒼也が勘当を言い渡されていたかもしれない。

 

「ありがとうございます、伯母さん」

「当主たる花純がこう言うのじゃ。皆も異論は無いな? では、食事を始めるとしようか。蒼也の前途と皆の壮健を願い……」

「待ってくださいっ!」

 

瑞俊が杯を掲げようとした時、両手を座卓に打ち付けつつ立ち上がる者があった。衝撃にグラスが踊る。

 

「あります、異論」

 

皆の注目を一身に集めつつ、燃え移れと言わんばかりに怒りの視線に炎を乗せて隣に座る蒼也を見るのはやはり、真那であった。

 

「叔母様達は理由を聞くまでも無いと納得してらっしゃいますが、私は納得いきませんっ! 何故、帝国軍なのだっ!? 何故斯衛では駄目なのだっ!? 答えろ、蒼也っ!!」

 

詰め寄る真那に、困ったように顔を掻く蒼也。

どういえば納得してくれるかな? でも、真那ちゃんだしなあ、今は何を言っても駄目な気がする……。

どうしたものかと、何と言おうかと悩む蒼也を尻目に、矢継ぎ早に真那は言い募る。

 

「大体だ、そんな大切なことを何の相談もなしに自分一人だけで決めると言うのが間違いだっ! そんなに私達は信用が無いのかっ!?」

 

これには、雪江がうんうんと頷いている。

 

「それに、斯衛は将軍殿下と摂家の方々を守るのが第一義とはいえ、この国を守る為なら斯衛でもかまわないはずだ、何故に打って出たがるっ!? まさかお前、叔父様の仇が討ちたいなどと考えているのではなかろうなっ!?」

「えっと、真那ちゃん、聞いてくれる?」

「その気持ちは分る、分るがっ! 復讐心で戦っても身を滅ぼすだけだと、何故それが理解できないっ! 鬼の道を現すこと無かれ、無現鬼道流の教えを忘れたかっ!?」

「ほら、話をするにもまずは落ち着いて、ね?」

「BETAを打ち滅ぼしたいと願う気持ちは万民に共通のもの、だがっ! 牙無き人々を守る為の剣はより素晴らしいものではないのかっ!?」

「……はー、よいよい」

「聞いているのか、蒼也っ! 何とか言ったらどうなんだっ!!」

「はー、どっこいしょー、どっこいしょ」

「皆もっ! 何とか言ってやって下さ……何ですかっ! 人が真剣に話をしていると言うのにっ!」

 

真那が手を振るいつつ振り返ったとき、熱弁を聞いていた皆は何故か一様に下を向き肩を震わせていた。……どう見ても、笑いを堪えている。

こんな大切な話をしている時に、なんて不謹慎なっ!

更なる怒りにますます視野を狭窄させ、矛先を蒼也だけでなく居並ぶ皆にも向けようと大きく息を吸い込み……

 

「はい、真那ちゃん、お水」

「……あ、ありがとう」

 

言葉が途切れた瞬間にタイミングよく渡されたコップを、つい受け取ってしまう。

確かに、感情のままに大声を出しすぎて喉が枯れそうだ。心の片隅で蒼也に感謝しながら、中身を一気に飲み干した

一息ついたところで、お説教再開。

 

「らいたいっ! みなわっ! そうやにあましゅぎ……」

 

あら? なんだろう、舌が上手く回らない? 急に視界がグルグルと?

 

「……そーや? おまえ、いまのおみじゅ……」

「あ、ごめんね、真那ちゃん。おじいちゃんのお酒と間違えちゃった」

 

こっ! このっ! 

 

「……びゃっきゃやろー……」

 

呂律が回らずに何を言っているのかも不明瞭な罵声を浴びせつつ、蒼也の腕の中に崩れ落ちるように、真那は意識は己の手の中から離れていった。

静まり返る室内。

嫌だなあ、皆。何でそんな、何とも言えない目で僕を見てるの?

 

「……蒼也、流石に……それは無いんじゃないか?」

 

呆れたとも、恐ろしいものを見るともつかない顔で真耶が言う。

一同が揃って、同意するように頷いた。

 

「……蒼也、お前は真那の看病。真那を説得できるまで食事は無しだ」

 

固まる皆の中で月乃が一人、杯をあおりながらそう告げる。

 

「責任は自分で取れ」

 

ちょっと、やりすぎちゃった……の、かな?

場の空気が読めず、困ったように顔を掻く蒼也がいた。

 

 

 

 

 

頭が痛い。

どくんどくんと、やけに響く音が喧しく聞こてきて、それに合せて響くように、ずきんずきんと頭が痛む。

どくん、ずきん、どくん、ずきん。

……ああ、これは自分の鼓動の音か。だんだんと、意識がはっきりしてきた。

今は何時だ? 随分と暗い。皆はもう寝たのか? いや、違う。目を閉じているのか。開けようとしたが……瞼が重い。

どうやら横になっているようだ。最後の記憶で自分が倒れるところを思い出す。あの記憶の続きか? いや、違うな。毛布が掛けられ、枕で頭を高く上げられているのが分る。随分と暖かい枕だ。

喉が渇く。口の中がねとねととする。

意図せず口から呻きが漏れた。

 

「あ、気がついたかな?」

 

顔の前……上? から声が聞こえる。

瞼の上に、意外にしっかりと大きな手が乗せられるのが分った。……ひやりと冷たくて、気持ちが良い。

 

「だめだよー、真那ちゃん。お酒弱いんだから、あんな一気飲みなんてしちゃ」

 

こ、このっ! いけしゃあしゃあと……。

文句を言ってやりたかったが、口から出てきたのは「う゛ー」という唸り声だけだった。

気持ちが悪い。

 

「お水、飲んだ方がいいよ。少しは楽になるから」

 

ゆっくりと、頭を左右に振る。それだけで頭にがんがんと響いた。

遠くの方から、誰かの笑い声が聞こえてくる。

皆はまだ起きている。……なら、それほど時間は経っていないのだろうか。

 

「大丈夫、ちゃんとしたお水だってば。飲みたくなったら言ってね。用意してあるから」

 

動くのは億劫だったが、もう少しこのままでいたいと考えている等と思われては大変だ……あと5分したら起きよう。

瞼の上に乗せられていた手が離れる。あっと、声が漏れた。

その手が、今度は真那の豊かなみどりの髪をゆっくりと梳る。

人の髪に許可無く触れるとは失礼な。……今は気力が沸かないから、後で散々に文句を言ってやる。

 

「真那ちゃん、聞いてくれるかな」

 

答えは無い。

口を閉じ、瞳も閉じ、言葉無くゆったりと髪を梳かれる。

 

「僕はね、真那ちゃん。子供の頃から、何か選ばなくてはいけない時にはね、選択肢の中に“逃げる”というのがずっとあったんだ」

 

灯りを落とした部屋の中、蒼也がまるで独り言のように言葉を紡ぐ。

 

「真耶ちゃん真那ちゃんから無理矢理剣の修行に連れて行かれそうになったときも。学校で上級生に目を付けられた時も。屋敷におじいちゃんの友人が来て挨拶に行かなくちゃ行けないときにも。

 面倒事は全て、適当にごまかしてきた」

 

窓を開けているのだろうか、冷たい空気が流れてきて真那の頬を撫でた。

 

「でもね……父さんが死んだとき、それじゃ駄目なんだって思ったんだ。逃げちゃいけない、立ち向かわなくちゃいけない。争いから、自分の運命から。

 だからね、僕は戦いに行く。戦って、勝ち取りに行く。

 この国を、世界を……大切な人達を、守りたいんだ」

 

──それに、多分僕は斯衛では上に昇れない。

 

心の中でそう付け加える。

蒼也は自身の適正、そして能力を指揮官向きのものだと判断しており、それは紛れもなく真実だ。

だが、斯衛と言う組織は個人の武を尊ぶ。蒼也が斯衛で指揮権を持つには並々ならぬ努力と、そして運が必要だろう。

同等程度の能力を持っているものが2名いる場合、どちらを上にするかとなれば結局、色が関わってくる。

必ずしもこれが不公平だと言うわけではない。青や赤といった者はその権利と同じ以上の責任を背負っており、その責に負けぬ為に幼い頃から武芸を鍛え、帝王学を修めている。人の上に立つだけの努力を積み重ねてきているのだ。

だがそれだけに、黒という色で、更にハーフである蒼也が登る道は険しくなる。

蒼也が己の目的を叶える為には、どうしても軍の中での権力が必要になる。だから、帝国軍を選んだ。

大陸での激戦の中であれば、危険と比例するように栄達の道も開けるだろう。

父と同じように国連軍へと進む道もあった。混血と言う不利が解消される上、父の影響もあって更に上を目指しやすいかもしれない。

だが、国連軍に入ってしまえば、赴く戦場が何処になるかはわからない。何処で戦おうとそれは人類の為ではあるのだが、それでもやはり、蒼也は日本の為に戦いたかった。

大切な家族が住む、日本を守る為に戦いたかった。

 

「明日、父さんに僕の気持ちを伝えに行く。

 真那ちゃん……一緒に、来てくれないかな」

 

独白は終わった。場に静けさが戻る。

遠くからの笑い声、風の音、ゆっくりと髪を梳く音。……互いの、心音。普段なら聞こえない静かな音が場を支配する。

 

ふと、真那の手が動いた。

ゆっくりと自分の頭の方へと動かし……髪を梳く手の上に重ねた。

 

「……ひとつ、条件がある」

 

真那の口から、ゆっくりと、躊躇いがちに言葉が紡がれる。

 

「自分のことを僕と呼ぶのと、あと私をちゃん付けするのを止めろ。

 ……帝国軍に入ってもそれでは、舐められる」

 

蒼也の顔に優しそうな笑みが浮かんだ。

 

「ありがとう」

「……ふんっ」

 

夜が、深深と更けていった。

 

 

 



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27話

 

1996年、4月。

中国戦線、敦煌ハイヴ防衛線。

 

「喜べ、朗報だ」

 

ミーティングルームに入ってくるなり、大隊長はそう言い放った。

着崩したBDUに、まばらに生えた無精髭。一見してだらしが無い。左手でその髭を半ば無意識に弄びながら、右手では机に置いた書類を一枚一枚並べていく。

本人は「ワイルドだろ?」と気に入っている髭だが、隊の女性衛士達の総意は「剃れ」の一言だ。

大陸派遣軍の創設以来第一線で戦い続けている歴戦の勇士であり、大隊を指揮する者として階級は中佐。人口の男女比率が女性側にどんどん傾いていっており実戦部隊の中にも女性の姿が見えるのが普通になりつつある昨今、優良物件に違いない。だが、40を迎えようというこの時まで未だ独身。その理由に気付かないのは本人ばかり。

 

部屋の中で彼を待っていたのは、隊の各小隊を預かる小隊長達。それに中佐を合わせた9人で、これから隊長ミーティングが行なわれようとしていた。

興味を惹かれた小隊長達は、座っていた席から腰を浮かせて中佐の手元を覗き込む。そこにはそれぞれ顔写真に簡単な経歴が添えられたものが並んでいた。

 

「補充兵ですか」

 

その書類から、朗報の内容を察した一人の顔が綻ぶ。

この戦術機甲大隊の現在の隊員数は30人。定数が36人なので6人の欠員があることになる。各突撃前衛小隊を定員の4人、それ以外の小隊を3人にすることで何とか運用しているが、これ以上死傷者が出てしまうと定員超えの2個中隊に編成しなおさなくてはならないだろう。

もちろん、隊員が減る度に人員の申請をしてはいたのだが、長引く戦いの中で帝国軍、そしてBETAと戦う全ての軍は、慢性的な衛士不足に陥っている。機体の方が余る程なのだ。申請をして実際に補充が来るまで時間が掛かるのもいた仕方がないところ。それだけに、ここでの補充はありがたい。

そもそも、衛士の育成には金と、なにより時間が掛かる。育てる以上に死なれてしまってはどう足掻いたところで足りなくなるのが必定。衛士養成校の訓練期間の短縮等でどうにか賄ってはいるが、それは錬度の低い衛士を量産することに他ならない。錬度が低い故に損耗率が上がり、それを補う為に更なる短期育成が行なわれる。どうしようもない悪循環がそこにあった。

先日、ついに帝国議会で男性徴兵対象年齢の更なる引き下げが可決された。事実上の学徒全面動員だ。女性の徴兵年齢が引き下げられる日もそう遠くないだろう。

BETAのこれ以上の侵攻を防ぐ為に、帝国本土が戦禍から守る為に、これは必要な措置だ。戦場は、彼等の力を必要としている。だがそれでも、若い世代にどうしようもない負担を背負わせている事実が苦い。

 

「やーっと、ですかー」

「そう言うなよ。今のご時世、補充があるだけありがたいってもんだ」

「それで中佐、何処からくるんですか?」

「重慶の部隊が再編されるって聞きましたよ、その関係で?」

「いや、いっそのこと本土防衛軍から……とか?」

 

きっとああだ。いや、こうに違いない。小隊長達が口々に願望を吐き出す。

そこへ、神託を告げるように厳かな顔をした中佐から、冷徹な一言が浴びせられた。

 

「ルーキーにきまってんだろ」

 

いや、分かってましたけどね。と、顔を素に戻してぼやく小隊長達。

分っていたとはいえ、それでも期待はしてしまうものだ。それをあっという間に打ち消され、顔には諦観の色が浮かぶ。

ルーキー、つまりは養成校を卒業したばかりの若者達だ。

かつては自分達もルーキーだった。誰もが最初から上手く出来たわけではない。古参に鍛え上げられ、そして今の俺がいる。明日の為に、未来の為に、今度は自分達こそがその半人前達を一人前に鍛え上げなくてはならない。

それは分っている。きちんと理解している。それでも、出来ることなら熟練兵が欲しかった。いや、正直に言おう、新任は部隊に入れたくない。

それが、見も蓋もない彼等の本音だった。

 

ルーキーは、部隊を殺す。

かつて航空機のパイロットが戦術機を動かしていた時代とは違い、衛士が専門的に養成されている現在、その死傷率は大きく下がってきてはいる。それでも尚、初陣を無事に超えられない者は決して少なくない。

死の8分。

初めて目の当たりにするBETAの姿に冷静さを失い、自滅していく衛士の如何に多いことか。そして、一人の恐慌は本人の死だけではおさまらないのだ。

新任を助けた古参が死ぬ、これはまだ良いケースといえよう。実際には、救助に向かった古参も新任も共に命を落とす例が非常に多い。そして最悪の場合には、部隊丸ごとが崩壊することすらある。

それを防ぐ為に彼等小隊長には、時に危機に陥った新任を見捨てる冷酷さが必要になる。

人類の明日を護ろうと意気揚々と戦場へやってくる若者達。将来の日本を担うはずの若者達。そんな彼等を切り捨てなければならない苦悩は如何ほどのものか。

 

「まあ……気持ちは分るが、な。それでも今回の奴等はなかなかに期待が出来そうだぞ。皆、訓練校では優秀な成績を残しているし、一人は斯衛学校の出だ」

 

ここでにやりと笑った中佐が、取って置きの秘密をばらすように、悪戯っぽく言った。

 

「しかも、首席」

 

その言葉にある者は意外に思い、ある者は理由を想像し、それぞれがそれぞれの顔をする。共通しているのは、驚きだ。

帝国軍に斯衛軍衛士養成校卒業者が任官する、それは無いことでもない。だが基本的にそういう連中は斯衛軍へと進めなかった、言ってしまえば落ちこぼれであることが多い。

それでも、斯衛の厳しい訓練を完遂した彼等は一般的な帝国軍衛士養成校出身者と比べて高い技量を持ち合わせていることが多く、前線においては歓迎される。特に、短期養成された衛士が増えている昨今ではなおさらだ。武家の人間特有の傲慢さを捨て切れない者も時にいるが、そういった感情は直ぐに払拭されるのが通例だ。そうでなければ生き残れない。それを悟った者から一人前の衛士になってき、最後まで悟れなかったものは死ぬだけだ。

それでも、斯衛の首席卒業者が帝国軍、それも血と硝煙の飛び交うこの大陸に来るなど、前代未聞といえた。

 

中佐は並べた書類の一枚を手に取ると、丁度反対側に座っている一人へと滑らせる。

20代半ば程と見えるその男は、まだ若いながら中佐と同じく大陸派遣軍創設以来の古強者である。その能力と実績を省みれば既に中隊を率いる立場にいるのが自然といえるのだが、彼は未だに中尉、小隊長を務めている。

その能力の高さが逆に災いになったというべきか。優れた機動、近接戦の業、そして混戦の中で生き残る確かな目。突撃前衛長として優秀すぎるが故に、彼の後釜に座れる者がいないのだ。

最も彼自身、階級を上げることにはさほど興味は無く、自身の能力を最大限に生かせる今の立場に満足してもいるのだが。

彼は書類を受け取ると、左手の中指で眼鏡をずり上げながら内容に目を通す。

 

──そうか……もう、そんなに経つのか。

 

そこに書かれた名、そしてその顔には覚えが有った。

会ったのは一度きり。その頃、彼は10歳かそこらだったはず。だが、確かに見覚えが……いや、面影がある。

母親に良く似ている、温和な優しそうな顔。しかしその眼は父親に似て、鋭い光を放っている。

黒須蒼也=クリストファー少尉。そこにはそう書かれていた。

 

──奇縁、だな。

 

かつて彼の父母、人類を代表する衛士達から受けた教導を思い出す。それは確かに厳しいものであった。だが、その厳しさがあったからこそ、あの練成を血肉に変えることが出来たからこそ、今日のこの時まで生きながらえることが出来た。それは、間違いない。

どうやら、その恩に報いるときが来たようだ。必ずや彼を一人前に育て上げて見せよう。

沙霧尚哉中尉は心にそう誓い、中佐へと視線を戻す。同じことを考えていたのだろうか、彼は瞳を閉じ、短く黙祷を捧げていた。

今は亡き鞍馬大佐の顔が、沙霧の心にも浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

人類の斜陽は続いている。

今、前線で戦っている兵士の多くは、物心ついたときには既にBETA大戦が始まっていた者達だ。

隣り合わせの灰と青春。平凡な日常の中の一風景として死が存在する世界。

「大きくなったら何になるの?」と尋ねる大人はもういない。子供達には戦士になる他、道が無いのだから。

若者は、戦う意思も意義も見出さぬまま、それに悩むことも無く、只それがあたりまえだからと戦場へ赴く。

 

1992年、敦煌ハイヴ及びクラスノヤルスクハイヴ建設。

特に、北東アジア及び東南アジアへのBETA側の橋頭堡としての役割を担った敦煌ハイヴは、中国戦線をまさに絶望の底に陥れることになる。

中国と台湾の共闘条約の結果生まれた統一中華戦線、96年に大東亜連合を結成することになる東南アジア各国、そして日本帝国大陸派遣軍は各所に防衛線を構築し奮戦するも、長い戦いにより積み重なった人的物的な疲弊を覆すことは出来なかった。自身が住む土地を戦術核で焦土に変えながらの撤退戦が続き、1993年には重慶に更なるハイヴの建設を許してしまった。

 

1993年、全欧州大陸完全制圧。

最後まで抵抗を続けていた北欧戦線が、ここに来てついに瓦解。欧州連合軍司令部は全軍の撤退と欧州の放棄を宣言した。

既に英国領やグリーンランド、カナダ等に首都機能を移設していた各国政府は、大陸沿岸の島嶼部に前線基地を設置し、間引きを続けていくことになる。

 

1994年、インド亜大陸占領。

スワラージ作戦以降、国連インド洋方面軍を中心に懸命の抗戦を続けていたこの戦線だったが、その抵抗もついに尽き、インド亜大陸を完全に支配化におかれることになる。これによりBETAの東進が勢いを増し、中国戦線は更なる泥沼へと突入していった。

ラダビノッド大佐はその様を目の当たりにし、静かに涙を流した。

 

そして1996年。

世界の人口は、昨年の段階でBETA対大戦前の約50%にまで減少している。

マンダレー、ウランバートルにまでハイヴを建設され、ユーラシア大陸の完全制圧まで最早秒読みの段階に入ったといえる状況の中。

それでも人類は、まだ諦めていなかった。

この当たり前の日常に、変化をもたらそうとしている者達がいた。

 

 

 

 

 

 

1996年、4月。

中国戦線、敦煌ハイヴ防衛線。

 

「斯衛軍衛士養成学校出身、黒須蒼也=クリストファー少尉であります。よろしくおねがいします」

 

微笑みながらそう敬礼をした蒼也に、隣に並んでいた他の新任達が思わず視線を向ける。驚いたのは笑ったことに対してではない。ここで斯衛の名が飛び出したことに対してだ。

この基地まで同じ軍用トラックに揺られてやってきた彼等だったが、その道中は静かなものだった。緊張から言葉を発することが出来ないでいる者、恐怖を隠して強がっている者、何も考えていない者。心の内はそれぞれだったが、上官が同乗していたこともあり皆の口数は少なかった。

名乗る程度の自己紹介は済ませたので蒼也がハーフであることは知っていたが、これから背中を預けることになる仲間にいきなり差別的な態度を取るような者もいなかった。それはそうだ、自身の命に関わることでもあるのだから。皆その程度の理性や常識は持ち合わせていた。

だがまさか、ハーフの人間が斯衛学校出身とは。正直、驚きを禁じえない。

 

ざわついた新任達の耳に、ごほんと咳払いする音が聞こえた。まずい、まだ紹介中だ。大隊長がこっちを睨んでいる。

何か小言を言おうとした中佐だったが、気を取り直して言葉を続ける。まあ、驚くのも仕方が無いからな、今回は勘弁してやろう。

 

「黒須少尉、貴様はα中隊A小隊だ。つまりは俺の直下だな、覚悟しておけ。ポジションは強襲掃討!」

 

斯衛でしょ? 前衛じゃないの?

中佐の言葉に再び新任と、今度は古参の一般衛士達も意外そうな顔をする。

強襲掃討とは、突撃砲を4丁装備した中衛のポジションだ。前衛の支援や橋頭堡の確保、中小型種、特に戦車級の制圧等を担当する。同じ中衛の迎撃後衛とは違い、長刀を装備していない。つまり、いざという時の接近戦は短刀を用いて行なうしかない。

長剣を用いての近接戦闘が十八番の斯衛の出でありながらこの装備、何か訳ありなのだろうか。隊員達の頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいる。

 

「あー……、本来この場で言うようなことでもないのだが、疑問を解消しておこう。黒須少尉は本人の言うとおり斯衛学校出身で、しかも首席卒業者だ。無現鬼道流を修めた剣の達人でもある。

 だが、残念ながら衛士適正があまり高くなかった為、飛んだり跳ねたりの前衛職には向かなかったようだ。なので強襲掃討についてもらった。訓練生時代は……」

「分隊長として、迎撃後衛をやっておりました」

「だ、そうだ。……今、宝の持ち腐れとか、猫に小判とか、豚に真珠とか、こけおどしとか、期待外れとか、張子の虎とか、才能の無駄遣いとか、そう言ったことを思った奴っ!」

「大隊長殿ー、何だか悪意を感じますよー」

 

小声で突っ込んだ蒼也に気がついているのかいないのか、中佐の言葉は止まらない。

 

「俺も、そう思わなくは無い。これで適正が高かったらなー、あーもったいない。と、そりゃあ考えるさ。

 ……だがなあ、早合点するなよ。衛士適正が低い、剣を使わない、それでも首席の座に着いた。ということは、その分他の能力が優れているということだ。例えば……狙撃とかな」

「はい、いいえ大隊長殿。残念ながら、狙撃の精度も並であります。ですから支援突撃砲ではなく、弾数勝負の突撃砲を選択しておりました」

「お前な、人のせっかくのフォローを台無しにしやがって。それじゃ、貴様の得意分野は……」

 

──Beep!! Beep!! Beep!!──

 

突如鳴り響く警報。中佐の言葉は不快な機械音で掻き消された。

古参の顔に緊張が、新任の顔に動揺が広がる。

 

──Code991発生ッ、繰り返すCode991発生ッ! これより当基地は第一防衛準備態勢に移行するッ!──

 

嘘? あれよね、新任歓迎の訓練とかだよね?

不安そうにお互いの顔を見合わせ、縋るような視線を中佐に向ける新任達。

しかし、その願いは無情な現実に打ち砕かれた。

 

「いいか、確認しておく。これは訓練ではないっ!

 たった今顔を会わせたばかりで連携訓練も行なっていないお前等だが、働いてもらう。ここで留守番をさせておく余裕など無いからな。新任は先程の通り、各AC小隊に一人づつ配置する。周りは熟練ばかりだ、安心して戦って来い。

 エレメントは各小隊の隊長と組め。小隊長は面倒を見てやるように。無理をするなとは言えない、死なない程度に無理して来いっ! 他の隊員は隊長エレメントのサポートも忘れるな! B小隊は普段以上に気張るようにっ!

 総員、強化服に着替えて再度集合っ!」

 

隊員たちが一斉に走り出した。

足が震えて上手く走れない新任もいたが、その尻を蹴り飛ばされ、這いつくばるように部屋を出て行く。

 

──ったくよぅ、BETAが時を選ばないのなんざいつものことだがよ……流石に最悪のタイミングだ。

 

基地内待機させた方が良かっただろうか?

迷いはあった。だが、BETAがここまで辿り着いてしまえばどの道、命は無いのだ。ならば、部隊全体の損耗が一番少ないであろう方法を取るべき……いや、取らなくてはならない。例え、新任を切り捨てることになっても。

 

「大隊長殿、よろしくおねがいします。ぱぱーっとやっつけちゃって、さっさと帰還しましょう」

 

中佐とエレメントを組むことになった黒須少尉が、隣を走りながらそう言ってくる。

自己紹介の時に見た、うっすらと微笑を浮かべた顔のままだ。

図太いのか、何も考えていないのか、それだけの力量を持っているのか。それとも、只の馬鹿なのか。そのどれとも判断がつかない。が、あの鞍馬大佐の息子なのだ、期待させてもらおうか。

戦場を長く見続けすぎて鈍化した心が、久しぶりに踊る。中佐の顔に笑みが浮かんだ。

 

 

 

 

 

──話、できなかったなあ。

 

ミーティングが終わったら声をかけようと思っていたのだけれど、この状況になってしまっては無論その間も無い。そういえば、自分はまだ彼に自己紹介もしていない。

君の父と母が如何に素晴らしい衛士だったか、それを話してやりたかったのだが。仕方が無い、この戦いが終わったらゆっくりと時間をとるとしよう。

今は……目の前のことに集中しよう。

 

──死ぬなよ、蒼也君。

 

徐々に近づいてくる土煙を見て、沙霧は管制ユニットの中で一人呟く。

接敵までおよそ100秒。左手の盾の重さを確認し、右手の突撃砲の安全装置を解除する。その時、網膜投影された視界の端に窓が開き、中佐の顔が映し出された。

 

「全員、聞いているな

 今回の侵攻は大した規模じゃない。大隊規模、1000匹ってとこだ。1000と聞けば多いように思うか? そいつは勘違いだ。BETAの群れにしちゃあ、はっきりいって小規模だ。この程度にびびってちゃ、この先、衛士なんてやっていけやしない」

 

中佐からの通信が全機に伝わる。おどけた口調は新任を気遣ってのことでもあるが、半分は地だ。

 

「間も無く先陣の突撃級が来る。

 分ってるな? 躱してケツにぶち込むんだ。間違っても正面から相手するんじゃない、弾と魂の無駄遣いってもんだ。訓練校で散々練習しただろ? 復習なんざあ、幼年学校の生徒でも出来る。いい大人なら尚更だ。……ああ、都合の悪い過去は振り返らないのも大人の条件だがな」

 

ははは、と。つまらないものに付き合うように乾いた笑いが起きる。つられて新任達の目の色も多少は色を取り戻してきたようだ。

よーし、よしよし。その調子だ。実際、訓練校で学んだことの半分でも発揮できれば、この程度のBETA相手に犠牲など出る方がおかしい。

 

「突撃級を排除して、AL弾をぶち込んで、重金属雲が効いている間に光線級を狩る。後は支援砲撃、はいおしまい、だ。

 お前等は運がいい。支援砲撃が期待できない戦場が初陣って奴も山程いる。それに比べたら、この戦闘なんざ黒服のエスコートつきでディナーに向かうようなもんだ。

 ……だから手前等、死ぬんじゃねえぞ。死んだら腕立て300だ」

 

接敵まで残り10秒。

 

「大隊各機、兵器使用自由っ! 奴等を死体に変えてやれっ!」

 

戦闘が始まった。

戦場の日常、繰り返される戦い。だが、6名の若者にとっては人生初となる、あるいは人生最後となる、戦いが。

 

 

 

 

 

最初の一機はやはりというべきか、新任のものだった。

重く鈍重なF-4J 撃震を噴射跳躍で無理矢理に飛び上がらせ、宙で機体を半分捻って後ろ向きに着地する。幾度と無く繰り返し、目を瞑っていてでも出来る機動を中佐が取ろうとした時、C小隊の一機が飛び越えるはずだった突撃級に接触してしまった。光線級を恐れる余りに低く飛びすぎたのだろう。

鋼鉄の巨人が紙人形のように吹き飛ばされ、そして二度と地に降り立つことは無かった。舞い上がった巨体を光が貫き、燃え上がる火球に変えたのだ。

まずい。中佐の眉間に皺が寄る。のっけから一機失ったことももちろんだが、それ以上に、これで他の新任達が恐怖に捕まってしまうかもしれない。

恐怖は伝染する。そして取り乱した奴から先に死んでいくのだ。

後催眠の決断は早めにしたほうがいいかもしれない。新任達のバイタルを表示させながら突撃級の尻に狙いを定めた中佐は、その先に見てはいけないものを見てしまった。

 

──竦んだかっ!?

 

押し寄せる突撃級の眼前に佇む、一機の撃震。

跳躍ユニットを吹かす様子もなく、こちらに、敵に背を向け、只立ち尽くしている。

 

「α12っ! 黒須少尉っ! 跳べええええええええっ!!」

 

もう、間に合わない。

それを知りつつも叫ばずにはいられない中佐が見つめる中、蒼也の駆る激震は突撃級の大波に飲み込まれていった。

 

 

 

変化はその直後に訪れた。

撃震を押し潰した巨体の群れが、何故か次々と倒れ付していく。

そして中佐は見た。激しい土埃の立ち煙る中、一機の撃震が両手とガンマウントに構えた計4丁の突撃砲を乱射しているのを。

狙いが正確とはいい難いが、目を瞑っていても当たる状況だ、そんなものは関係ない。無防備に曝け出された柔らかい臀部を、次々に射抜いていく。

 

──まさか……すり抜けたのか!?

 

突撃級を飛び越えるのではなく、重なり合うように密集して襲い来る群れの中の、僅かな、戦術機一機が通れるか通れないかの僅かな隙間をすり抜ける。それは、確かに有効な戦術だった……理論的には。

突撃級の最高速度は時速170kmに達する。一秒当たり47m進む計算だ。

突撃級を飛び越え、着地し、振り向き、狙いを定め、撃つ。仮にこの間に5秒かかるとするなら、その時目標は235m先にいることになる。3秒だとしても141m先だ。突撃砲の射程は最大で3000m程に達するが、無論、遠距離になればなるほど命中率や装甲貫通力は低下する。出来るだけ近くから撃ちたいのは当然のことだ。

その為、中佐のような腕利きは宙にいる間に既に反転を済ましたり、着地する前に射撃を始めたりといった高等技術を用い、射撃に移るまでの時間を短縮している。それを極限まで突き詰めた動きが、たった今、目の前で行なわれた「突撃級と突撃級の間をすり抜ける」である。

しかも、蒼也は敵に背面を向けたままこれを行なった。突撃級の突進に、戦術機後方に存在する完全な死角、後方危険円錐域を向けたままやってのけたのだ。これが出来るならほぼ0距離、文字通り手の届く距離から弱点を打ち抜くことが可能になる。

だが、実際にはこの戦術を取る者はいない。理由は明白だ、リスクが大きすぎる。何十トンもの巨体が高速鉄道並みの速度で驀進しているのだ、その運動エネルギーは尋常のものではない。ほんの僅か掠っただけでも、戦術機などバラバラにされてしまう。

故に、この戦術はあくまで理論的なものである……はずだった。

 

中佐は、自分が呆然としていた事に気付く。戦場で呆けるなどあってはならないこと。こんな失態は初陣以来だ。

しかし、反省は後にしておこう。今は……何だか大笑いしたい気分だ。

 

「α12、お前、危ないことはしちゃいけませんって、先生に教えられなかったか?」

「んー、そうですねー。知らない人についていっちゃ駄目とは言われたかな?」

 

とぼけた会話をしながら第2陣の要撃級、戦車級へと銃口を向ける蒼也。

やはり、射撃精度自体は並程度。弾丸一発で一体を屠るような技量は持ち合わせていない。基本通り、大量の弾幕を消費し、面での制圧だが……何故か効果が高い。

良く良く観察してみれば、蒼也はBETAが特に重なり合っているところや、移動しようとしている先など、いわば急所とでも言うべきポイントを的確に見抜いて弾幕を集中しているのが見て取れた。

 

──こいつ、本当に初陣か?

 

自分と奴とでは、どうやら見えているものが違うらしい。

蒼也の駆る撃震が、自分と沙霧を含む帝国の精鋭一個中隊をたったの2機、エレメントで完封して見せた鞍馬大佐のF-16と重なった。

 

 

「やりたい放題だな、α12。他の奴等の分も残して置けよー」

「了解! でもそんなことより……10時、α12、フォックス3っ!!」

 

突然、蒼也が今まで弾幕を張っていたのとは90度違う方向へと向き直った。そして4つの銃口から放たれる弾丸がBETAの群れを……打ち倒さない。

 

──おいおい、どうなってんだこりゃ。

 

視線の先、蒼也の弾丸をまるで避けるように、BETAの群れが左右に割れていく。

中佐はこの動きに覚えがあった。ただし、普段とは逆の視点で。

BETAには絶対に味方を攻撃しないという特性がある。このことから、光線属種が地上にいる敵を攻撃しようとする時、射線上にいるBETAは一斉に場所を開ける。レーザーの通り道が出来るのだ。当然、その先には光線級がいる。

通常、この前兆を察知した場合には回避行動を取ることが求められる。光線級まで射線が通るようになったとはいっても、道が空いたのを確認してから射撃したところで間に合わない。どう足掻いてもレーザーのほうが早く到達するのだ。

だが、もし、BETAの海が割れるのを事前に察知できたら? 道が開くのと同時に弾丸を撃ち込むことが出来たら?

それは甘い誘惑だった。もしこれが可能なら、今まで多数のAL弾を消費し、そしてなにより多数の衛士の命と引き換えに成し遂げてきた光線級の排除、それが容易に可能になる。

しかし、それは出来ないのだ。出来ないはずなのだ。それが出来るなら苦労はしていないのだ。その可能性を検証してきた多くの先達は皆、レーザーの直撃を受けて散って行ったのだから。

 

割れたBETAの海の先、光線級がレーザーの初期照射を放つのと同時、飛来した弾丸の嵐が奴等の命を刈り取った。

中佐は、目の前の出来事が信じられなかった。いや、信じたくなかった。

代替わりの時が来たのかねえ。嬉しさと、頼もしさと、一抹の悔しさと寂しさと。中佐の心に複雑な色をした風が吹きすさぶ。

 

「α12よりα01。先程、自分の得意分野を尋ねられておられましたね」

「α12、そう言う話は戦闘が終わってからやれ。……だが、聞いてやろう、それは何だ?」

「戦場の、状況の把握。全体を見て、流れを見て、最善の一手を探すことが得意です。そうですね、部隊の中にCPがいるようなものだと思ってください」

 

なるほど、あの化物大佐の息子なだけのことはある。俺には理解しきれない生き物のようだ。

だが、光線級が排除されたのは事実。なら、このクソッタレな戦闘を終わらせちまおう。

 

「α01よりHQ、光線級の排除を完了したっ、支援砲撃を要請するっ!

 さあ、とっとと奴等にご馳走を喰らわせてやってくれっ!!」

 

この日、人類は衛士一人の命という尊い犠牲と引き換えに、明日を生きる権利を手に入れた。

それはささやかな勝利。だが、もしかしたら人類にとって大きな一歩なのかもしれない。夕日に照らされる撃震、α12の姿を見た中佐の脳裏を、そんなどこかで聞いたような言葉が横切った。

 

 

 

 

 

 

 

基地へと帰還し、衛士強化装備を脱ぎ、シャワーを浴びて汗と疲れを洗い流す。

今日も生き延びることが出来た。熱い湯が己の細胞一つ一つを活性化させているのを実感し、生きている喜びを噛み締める。そして、この幸せを今までに礎になった英霊達、そして新たにその列に加わったα11に、沙霧直哉中尉は感謝した。

 

「お疲れ様でーす」

 

取ってつけたような粗末な仕切りで区切られた、隣の個室の様子が丸分りのシャワールーム。そこに入ってきた者が沙霧に声をかけてきた。

シャワーから溢れる水の弾ける音。視線を向けると、水を吸った色素の薄い髪が白い肌に流れを作っているのが見えた。

前線では男女が同じシャワールームを同時に使用することも珍しくないというのに、なんとなく艶かしく、気恥ずかしい。それを振り切るように、あくまでも平静な声つくりだし、狭霧は言った。

 

「黒須少尉、今日は大活躍だったな」

「あ、ありがとうございます。……でも、一人死なせてしまいました……」

 

やはり仲間の死、特に初陣でのそれは心に重くのしかかるものなのだろう。かつての自身の初陣を思い出し、狭霧はそう感じる。

だが、それに飲み込まれてしまっては、次は自分が死ぬ。そうしない為に、そうはさせない為に、割り切ることも覚えなくてはならない。……悲しく、寂しく、そして卑怯なことかもしれないが……それが、戦場だ。

 

「気に病むことは無い。……いや、違うな。気に病んではいけない、か。仲間の死を無条件に許容する訳ではないが……戦いに犠牲は付き物だ。

 生き残った、生かされた我々は彼の死を犬死にしない為に、これからも生きて戦い続けなくてはならない。仲間の死に飲み込まれて、結果として後を追うようなことになっては、彼の死そのものを侮辱することになる。それは忘れないでいてくれ」

 

ちょっと説教臭いか? しかし、あの人の息子なのだ、きっとわかってくれる。

その狭霧の気持ちを肯定するように、蒼也はそっと微笑んだ。

 

「ええ。僕はきっと、これからも沢山の仲間を死なせることになると思います。

その犠牲が必要なものだなんて言いたくは無いけど……でも、避けられないものだと思います。

 だから僕は、せめてあいつの事を覚えていてやりたいです。名前しか知らない、それ以上の事を知る暇も無かったけど……それでも、あいつは僕の戦友でしたから」

 

蒼也の表情からその真意は読み取れない。

悲しみ? 諦め? 取り繕い? そのどれとも言え、どれとも言えない。そんな顔。

でも只一つ、決意の強さだけは感じることが出来た。

 

「戦闘中にも思ったが、君は……本当に、父上に似ているな」

「……父に?」

 

蒼也の顔に、初めて少年らしいあどけなさが浮かび上がった。

 

「ああ。俺は君の父上、鞍馬大佐の教えを受けたことがあるんだ。

 君は覚えていないかもしれないけど、昔、君と会ったこともあるよ」

 

その言葉を聞いた蒼也が、にやっと悪戯っ子の笑いを浮かべる。

 

「覚えてますよ、尚哉さん」

「……酷いな、そうならそうと言ってくれても」

「だって、そんな暇も無かったじゃないですか」

「まあ、それはそうだが。しかし、尚哉さんはまずい。軍務についている間は、きちんと沙霧中尉と呼んでくれないと、色々と問題がでてくる」

「はい、わかりました、尚哉さん」

 

悪餓鬼の顔を崩さない蒼也に、笑いが込み上げる。

狭霧はシャワールームの壁に掛かった時計で現在の時刻を確認。針は午後7時を回っていた。通常なら、当にプライベートな時間だ。

 

「分ってくれたならそれでいいよ、蒼也君」

 

沙霧が笑みを浮かべ、蒼也がやはり笑みを返す。

なんだか、新鮮な気持ちだ。あの教導が終わった時の、自分がBETAを駆逐してやるんだと真剣に思っていたときの気持ちを、狭霧は思い出していた。

 

 

 

「それで、尚哉さん。そんなに父さんに似てますか?」

 

シャワーを浴び終え、タオルで体の水分をふき取りつつ、蒼也が尋ねてきた。

水滴を弾く、張りのある若い肌が瑞々しい。

 

「ああ……もちろん、機動そのものはぜんぜん違うんだが。というか、あの人の真似を出来る衛士なんてそうはいないだろう。それこそ、一国を代表するエースでもないと」

「でも、似てるんですか?」

「なんというか……」

 

沙霧が言葉に詰まった。これは彼には珍しいことだ。

鞍馬と戦ったあの時、あの戦いで感じた感覚を言葉で表すのは難しい。

 

「そうだな、見えないものを見ている、というのかな?

 君の父上、鞍馬大佐は完全な死角から放たれた狙撃すら回避する衛士だったんだ。

 今の君とでは腕の差はもちろん天と地と程ある。戦い方も、君とは違い大佐は自ら先頭に立って敵に切り込む方だった。

 それでも、今日の君の戦いぶりを見ていたら、大佐の姿と重なったんだ。たぶん、大隊長もそう思っているんじゃないかな」

 

見えないものを、見ている。

その言葉を、ゆっくりと噛み締める。

 

──そうか……そうだったんだ。

 

「どうした、蒼也君?」

 

沙霧の言葉に戸惑いが感じられた。

蒼也の頬に、一筋の涙が流れていたのだ。

 

──僕の力は、父さんから貰ったものだったんだ……

 

蒼也は頭からタオルを被り、流れる涙をごまかした。

自分の力だけでは、この涙を止めることが出来そうに無かったから。

 

嬉しかった。

父さんが、その大きな想いの全てを、僕に託してくれたような気がして。

困惑した狭霧を置き去りにしたまま、蒼也は静かに呟いた。

 

──ありがとう……父さん。

 

と。

 

 

 



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28話

 

その女性は一つの案件を抱えていた。

 

自分の指示の元、“計画”に関わることのみ、それに特化した作戦のみを遂行する専任の即応部隊。

作戦実行の為にはコストを問われず、それが正規軍が表立って関与できない類のものであったとしても超法規的措置により派遣出来る部隊。

95年に計画の総責任者に就任した際、その設立を目的として日本各地から適性を持つ若者を集め鬼軍曹に託して早二年、ようやく部隊として実戦に投入できるだけの力量が備わった。行動に移す時が来たようだ。

しかし、その道の専門家である友人、数少ない、いや唯一の友人に部隊の発足を告げたところ、彼女はどこか呆れたような顔と声をして言ったのだ。

 

「隊長職は誰がやるのよ?」

 

当初、女性はそれをそれ程大きな問題とは捉えていなかった。

訓練を終えた若者達の中には指揮官としての適正が高い者もいるし、彼等は実際に訓練生時代には分隊の指揮を執っていたのだ。正規兵となってもそのまま彼等を指揮官とすればいい。

訓練と実戦が違うというのはわかるが、それで死ぬようならそれまでのこと。というより、それで死ぬような者は……必要ない。極限の状況の中、それでも生き残る者、未来を掴み取る者。それが、彼女の求めている人材なのだから。

 

しかし、普段ならば最後には自分の言い分を諦めたように受け入れる彼女は、この時ばかりは常に無く言い募ってきた。

曰く、小隊長以上の隊長職、最低でも中隊長以上には実戦経験者を当てるべきだと。

訓練兵たちは皆、彼女の教え子である。手塩にかけた可愛い子供達を無駄に死なせたくない、情けない姿を晒してもいい、かっこ悪く恥をかいても構わない、それでも生き残って欲しい。厳しくも心から優しい彼女がそう思うのも当然のことだろう。

 

だが、自分は忙しいのだ。やらねばならぬことは、それこそ山の様にある。些細なことに脳のリソースを費やしたくはない。これを言ったら友人は怒るだろうが。

他にも理由はある。機密という面だ。彼女が主導する計画には敵が多い。外部から人材を招くということは、それだけ機密の漏洩が起こりやすくなる。友人を傷つけることになるのはわかっているが、やはりこのまま編成しよう。

……と、思ったのだが。思わぬところから意見をひっくり返されてしまった。

 

「それに、訓練校を出たばかりの人間に佐官をやらせるの?」

 

なるほど、それは盲点だった。我ながら迂闊だと思う。

麾下の部隊は連隊規模となる。名目上の指揮官は大佐相当官の肩書きを持つ自分自身であるが、実際に戦場で指揮など、立場的にも能力的にも出来る訳が無い。

自分は目的の為に軍を利用しているだけであって、軍という組織自体には興味が無いのだ。女性には、興味と専門の外の事に関しては考察が甘くなる傾向があった。それ故、こんな単純なことに気がつかなかった。

彼女の教え子達の中で特に優秀な者を中尉に昇進させるのは、まあ容易い。さらに二階級特進させて佐官の肩書きを与えることもやろうと思えばやれなくはない。

しかし、尉官と佐官では権限が全く違う。おそらく、この人事は批判を免れないだろう。批判自体は気にもしないが、対抗組織が嬉々として足を引っ張りにくるのが予測される。これはいただけない。そんな詰まらないことに手間を割くのは、それこそ脳のリソースの無駄遣いだ。

仕方がない。ここは友人の意見を採用して、熟練兵を招くとしよう。

とはいえ。とは、いえだ。

 

「あー、めんどくさい」

 

そもそもが専門外なのだ。興味の無いことに労力を割り振るほど疲れることは無い。

気分を入れ替える為に何か飲み物でも用意しようか。女性は手ずからコーヒーを淹れると、それを口に含むなり顔を顰めた。

……不味い。

やはり、妥協というものは良くない。モドキではなく、本物のコーヒーくらい用意しておこう。

ユーラシアが戦場となってより悪化の一途を辿る世界の食糧事情を賄う為、原産国ではコーヒー畑を潰して麦や芋を育てているところが多い。それ故、今となってはコーヒーは庶民には手の届かない嗜好品となってしまった。しかし、彼女にとっては数少ない娯楽の一つだ、それで作業が捗るならば決して高い買い物ではない。ちなみに他の娯楽としては、友人を弄って遊ぶことと、新車のシートのビニールを破くこととが挙げられる。

 

女性は気を取り直すと、膨大な国連軍、帝国軍のデータベースに目を通していく。詰まらなそうな顔だ。やる気のなさそうな顔だ。それでも、有望そうな人材をピックアップし、纏め上げていくその処理速度は常人の比肩し得るものではなかった。

やらねばならぬと決めたからには一切の手を抜くことが無い。それが、彼女──香月夕呼という人間だった。

 

 

 

 

 

 

 

1997年、4月。

中国戦線、敦煌ハイヴ防衛線。

 

「B小隊、α2を先頭に座標C3に移動っ!

 α11、12、要塞級の壁の隙間にALMランチャー発射、即パージっ!

 AC小隊の残り、隙間の向こう、光線属種に一斉掃射っ!

 カウント3、2、1、GO!!」

 

指示が下された。或いは予言、が。

カウントが0になるや、与えられた役割を実行に移した衛士は、状況が予測通りに動いているのを確認する。

屹立する要塞級がB小隊に向き直ることでその壁に穴が開く。その先に鎮座していた光線級、重光線級が巨大な目玉をこちらに向けるのと同時、AL弾頭を搭載した多目的自律誘導弾が襲い掛かった。それ自体は大半がレーザーによって迎撃され、一部が辿り着けたに過ぎない。が、迎撃されることによって発生した重金属雲が衛士達の一時的な身の安全を約束し、躍り出た6機の戦術機から放たれた36mm、120mmが効果の上がらない照射を行なう目玉達と、ついでにその周囲に居たBETAも纏めて薙ぎ払った。

全ては予定の通りに。

指示を出したのはα3──黒須蒼也中尉。

これまで、彼の出す指示が見当違いだったことは一度としてない。今日もそうだったし、恐らくはこれからも同じだろう。

彼に対する隊員達の信頼は絶対的な、信仰とすらいえるものとなっていた。

 

 

 

蒼也が初の実戦を経験してから一年が経過した。

人類の滅亡への時を数える砂時計、その降り注ぐ砂は残り僅かなものとなっている。この年の始め、ウランバートルから侵攻したBETAはソ連領アムール州ブラゴエスチェンスクに新たなハイヴを建設。

既に名ばかりとなっていた敦煌ハイヴ防衛線は北、西、南の三方向からの圧力に押されて東へ東へと押し退がり、その最終防衛ラインは首都北京から僅か十数kmの地点という有様となっている。

ハイヴへの間引き作戦を行なう余裕など既に無い戦線、間断なく行なわれる小中規模侵攻に対する迎撃。現在の大陸では一年も生き延びられればもう一端の古参兵だ。

しかしこの絶望の中、戦う兵士達にはまだ一つの希望が存在していた。

 

帝国大陸派遣軍総指揮官、彩峰萩閣中将直下の戦術機甲大隊。精鋭とはいえ、本来であれば何処にでもある戦術機部隊。ほんの一年程の前までは話の種にも上らなかった、有り触れた大隊。

しかし今、その大隊の奇跡とも言える活躍が、彼等の瞳に光を灯していた。

 

 

 

蒼也の隊は担当する地区以外にも近隣地区へ、火消しとして毎日のように出撃を重ねている。既に総出撃回数を数えるのも馬鹿馬鹿しい。

しかし、それだけの戦闘を重ねながら、蒼也が看取った隊の死者は僅かに二名。一名は初陣で散った新任衛士、もう一人は前αC小隊長。蒼也は彼の後を継ぐ形で小隊指揮官の座についた。

養成校を卒業して数ヶ月で中尉へと昇進、そして隊長職に就任。年功序列の精神が未だ色濃く残る帝国軍においては異例中の異例といえる。だが先任を含めた大隊各員はこの人事を積極的に受け入れた。なぜなら、それが最も生き残れる確率が高いと、そう肌で感じとっていたからだ。

 

「部隊の中にCPがいるようなものだと思ってください」

 

初陣の際にそう語った蒼也。この言葉は誤りだった。戦いの中で部隊の人員は、それを知ることになる。大言壮語、そう言う意味ではない。言葉以上の、CPという言葉では括れない、それ以上の能力を持っていたのだ。

戦術機が単体で入手できる戦域情報など高が知れている。レーダー、振動センサー、それ等から入手できる戦場の情報。その何れもが、HQにて戦域を管制する、CPが手にする情報の精度には遠く及ばない。にも拘らず、蒼也はCP以上に戦場を支配する。そして、勝利への最適解を導き出すのだ。

何もいない虚空へと向かって放った弾丸は、そこにBETAが自ら飛び込む形で受け止める。BETAの壁へと撃ち込んだ銃弾は、途中に存在するBETAが自ら道を開くように避けることによって光線級へと到達する。

それはまるで鞭を振るう猛獣使いのように、BETAの動きを支配しているようにも見えた。

 

現在では、中佐は大隊長として部隊全体を取り纏める役割に徹し、α中隊の指揮は実質的に蒼也が執っている。それだけでなく、戦域管制という形で、時に残る二つの中隊へも口を出す。未来を見通す蒼也の言葉、それは彼等にとってまさに託宣であった。

 

「α1よりα3、光線級はこれで仕舞いか?」

「ですねー。……あっ、左翼C小隊、8時から戦車級の一群、来ます。3時方向に引き付けて、AC小隊で十字砲火行きますよ」

 

各小隊が迎撃の構えを取った後、予告通りに戦車級が群れを成してBETAの壁から突出してきた。

何故、そんなにも早く察知できるのか、それは分らない。残念ながら、蒼也自身の他には誰にも理解できない。モニターを見ていれば動きが予測できると蒼也は言うが、少なくともこの隊の中に彼の真似が出来る者はいない。

だが今の何気ない指示により、仲間が戦車級に喰らわれる未来が回避されたのは紛れもない事実なのだ。疑問が残るとはいえ、その事実の前では些細なこと。生き残れる、まだ戦い続けることが出来る。それが重要なのだ。

10門の銃口から解き放たれた36mmの嵐が、戦術機乗りにとって最も恐ろしいといわれているはずの存在を呆気なく駆逐した。

当座の危機が去ったところで、中佐が鬨の声を上げる。

 

「よし、大隊各機、噴射跳躍解禁だっ! 安全地帯からいたぶってやれっ!

 HQも最近じゃ弾が足りないって嘆いてるからな、今日は支援砲撃なしで行くぞ。戻ったら奴等に一杯驕ってもらいなっ!」

 

その言葉が、更なる戦意を燃え滾らせる。

こういった機微は、若い蒼也にはまだまだ足りていない。こればかりは経験が物を言う。人の上に立った月日の長い中佐が有利だ。

怒りと、喜びと。混在する感情に突き動かされる衛士達の手によって、虐殺が始められた。

 

空を飛ぶことが許された戦場では、戦術機は戦闘ヘリのような役割をこなすことが出来る。BETAの手の届かない空中から弾丸を撃ち続けることで、一方的な殺戮が展開されるのだ。注意すべきは66mの全高に加え、自由自在に動く50mもの長さに達する触手を持つ要塞級くらいなもの。それも数が少ない為、きちんと間合いを取って対処すればさして怖いものでもない。

戦術機の燃費効率は決して良くは無く、航空燃料を撒き散らしながら飛ぶといわれる戦闘ヘリの、その更に下を行く。とはいえ、それでもこの場のBETAを殲滅する程度の時間は十分にある。

 

無抵抗ともいえる相手に対する蹂躙。本来、この行為は人間としての倫理に反するものかもしれない。しかし当然のことながら、この場にそれを躊躇う者などはいない。自分の家に土足で上がり込み、家族と家財に破壊の限りを尽くす強盗に目こぼしを与える必要など、ありはしない。

歓喜の叫びを上げながらの駆除が終わった後、その場に動くものは機械の巨人の他に存在しなかった。

連隊規模、2000体のBETAに対する一方的な勝利。自軍に一機の損耗も無く、支援砲撃すら必要とせずに葬り去る戦術機大隊。

まさに奇跡。その存在は、この戦線に集う各国の兵士達に希望を与えずにはいられなかった。明日を取り戻せる、その夢を見させずにはいられなかった。

 

 

 

戦いを終え、北京の基地へと凱旋する彼等。それを迎える者達から、歓声が沸き起こる。

それに鋼鉄の右手を上げて応えれば、更なる喝采に包み込まれる。

戦術機一個大隊がもたらした勝利。それは、この戦線全体を左右するものでは、残念ながら、ない。

いくら無敵を誇っても、たかが一個大隊の手で戦況をひっくり返せるものではない。

しかし、人類は希望を必要としていた。所詮、泡沫の夢だと、そう分かってはいても。

それでも、彼等が掲げた松明は明るかったのだ。そこから目を逸らすことなど出来なかったのだ。

 

彼等を熱い視線で見つめる中には、ある大隊を思い出す者達がいた。

かつて同じように人類に希望を与え続けた部隊を。人類の剣として戦い続けた者達がいた事を。

 

 

 

 

 

 

 

1997年、4月。

帝国大学、応用量子物理研究棟。

 

香月夕呼博士の苦悩は続いていた。

宣言どおりに天然物のコーヒーを取り寄せ、その濃厚な香りと味わいに満足していたのも最初のうちだけ。カップの中の褐色の液体はその存在を忘却の彼方に押しやられ、机の片隅に寂しく佇んでいる。

 

「ほんっと、何でこんなことに時間取られなきゃなんないわけえ」

 

思わず口からついて出る苛立ちの言葉。

隣りの机でキーボードを叩いていた銀色の髪をした少女が顔を上げた。表情の無い瞳が夕呼を見つめる。

 

「別に、アンタに言ったんじゃないわよ。そんな心配そうな顔しなさんな」

 

まるで能面のような、表情筋が存在しないのではないかとも思われる少女の無表情を、夕呼は心配そうな顔だと表現した。

少女を見やるその瞳は、99%は科学者としての冷徹な観察眼。しかし残りの誤差とも取れる割合の中には、確かに暖かいものが存在している。それを彼女は感じ取った。

少女は夕呼の言葉に小さく頷くと、作業を再開する。

 

──この子に心配されてるようじゃ、魔女の名が廃るってもんよね。

 

夕呼は自嘲めいた笑みを浮かべると、再びデータベースを漁り始める。だがしかし、これぞという人物が中々見つからない。

隊長職に足り得る人物を探すといっても、もちろん誰でも良いと言う訳ではないのだ。

 

求める人材には、大きく3つの条件がある。

一つ目。衛士として優秀であり、且つ指揮官適正が高いこと。これは言うまでも無い。わざわざ無能を外部から招く意味など皆無だ。

二つ目。自身が主導する国連オルタネイティヴ第四計画、その目的に対する“適正”が高いこと。麾下の連隊の構成員の全ては、この適正が高い事を条件に集められている。その指揮官が低い適性しか持っていないのでは問題がある。

そして三つ目。日本人であること。これが中々に厄介な条件だった。

 

第四計画の誘致条件として、計画に費やされる人材や物資はその国が負担するというものがある。いくら魅力的な人材がいても、他国から引っ張ってくることは出来ないのだ。

しかし、国連軍に在籍する日本人はあまりいない。そしてBETAの本土上陸を瀬戸際で阻止している日本は、優秀な部隊指揮官を中々手放したがらない。

 

先日、大陸で奇跡の部隊と讃えられている大隊があると耳にした。連隊規模のBETAを戦術機一個大隊のみで殲滅するという、そんな離れ業をやってのけたその隊長を招こうとしたのだが、これもやはり、にべもなく断られてしまった。敦煌の防衛線に穴が開くのを恐れたというが、これだから先の見通せない人間は困る。

そもそも、誘致国がそんなことでは結局自分の首を絞めるようなものなのだが。結局、帝国議会も一枚板ではないということか。対抗組織、オルタネイティヴ5派の人間による有形無形の妨害が行なわれていると見るのが妥当だろう。

 

オルタネイティヴ4の本部施設に関してもそうだ。自身が所属していた、ここ帝国大学の応用量子物理研究棟を仮の本部としてから既に2年、未だ変わらず夕呼の執務室はここにある。本来は帝国陸軍白陵基地を接収して本部に当てるはずであったのだが、話は遅々として進んでいない。かろうじて計画直属の衛士訓練学校を設立するに留まっているのが現状だ。基地内は帝国軍と国連軍が混在しており、機密保持もなにもあったものではない。

こんな程度の低い嫌がらせで足を引っ張りに来る辺り、第五計画の程度が知れるというもの。だが実際に、ボディブローのように地味に効いているのに腹が立つ。

 

思考が脇道に逸れた。さらに、それによって苛立ちまで覚えるとは。

余裕が無い。どうやら少し行き詰ってしまっているようだ。夕呼は小さく溜息をつくと、机の片隅のカップの存在を思い出し、手を伸ばした。

……不味い。

冷え切ったコーヒーは酸味を強調するのみで、心を解きほぐしてはくれなかった。

自分は煙草を嗜まないが、喫煙者の気持ちが少しだけわかったような気がした。

 

切り口を変えてみよう。

夕呼はこの問題に、これ以上の時間が割かれるのを回避することにした。最善の策が取れないなら、次善の策を取ることも時に必要だ。

この際、条件の一番目、腕に関してはそこそこでいい。二番目、適正に関しては全く無くてもいい。自分が与える任務の中では長生きできないかもしれないが、見方を変えよう。計画の申し子達が実戦に慣れるまで生きていてくれれば、それでいい。

 

外部から招く隊長職を使い捨てにする方向に定めた夕呼は、さらに別のアプローチも試みる。

手に入れたはいいが必要がないと、仕舞いこんでいたデータ。前計画が残した人物ファイルをパソコンの画面に呼び出す。

オルタネイティヴ3が研究の為の素材候補として収集していたデータ、その中から日本人のものを検索する。

一件、該当があった。

 

「へえ、未来視ねえ」

 

これが事実なら、未来を掴み取る力、夕呼が求める資質も併せ持っているかもしれない。

資料の詳細を読み始めた夕呼だった。……が。

 

「なによ。もうこいつ、死んでんじゃない」

 

その顔に失望の色が浮かぶ。

都合が良く国連軍所属で、衛士としては全人類でもトップクラスの腕を持ち、指揮官として数々の戦場を渡り歩き、そして無自覚とはいえ未来を読み取る力を持つ男。

まさに理想的な人物といえたが、彼は既に5年前のスワラージ作戦で戦死していた。

そもそも、この作戦で命運を断ち切られた第三計画だ、全般的にデータが古いのも仕方がない。やはり、自分には必要の無いものだったか。

面白くもなさそうにウィンドウを閉じようとした夕呼だったが、何か引っかかるものを感じてその手を止めた。

 

──何? 何か見落としてる?

 

黒須鞍馬。

映し出されたその名、どこかで見た覚えが……

数秒の黙考。次の瞬間、弾かれたように、机の脇に退けていた資料に手が伸びた。

あの、敦煌の防衛線に配備されている、奇跡の部隊。その紙のファイルを引き千切るように捲る。

……あった。

α中隊C小隊長、黒須蒼也=クリストファー中尉。辿り着いたそのページの、家族構成の欄を指でなぞる。

 

──なるほど、これが奇跡の種、ね。

 

異能は、親から子へと引き継がれることがある。

第三計画の資料にも載っていた、その事実。

 

──悪いわね。その奇跡、あたしが貰うわよ。

 

魔女の顔が嗤いに歪んだ。

 

 

 



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29話

 

1997年、4月。

中国戦線、北京市内。

 

メガシティ、北京。

世界最大の人口を誇る中華人民共和国の首都として、光と闇、希望と絶望、人々の様々な想いを受け止めてきた巨大都市。今、その街を歩く二人の人物の姿が見えた。

二人。そう、二人だけだ。

人と車と自転車と、行き交う人々によって慣れぬ者は歩くことすらままならなかったストリートにも。世界中から集うビジネスマンを飲み込み吐き出していた、天を貫く摩天楼にも。

数々の文化的遺産。天安門にも、故宮博物院にも、景山公園にも。

その何れの場所にも最早、人影など何処にも見えず街は静まり返っていた。

 

後退する防衛線に押し出されるように、民間人が台湾やオーストラリア、南米へと疎開したこの場所はもう、街と言える状態には無かった。

そう、街も死ぬのだ。人が死ぬのと同じように。

瓦礫が転がっているわけでもない、火の手が上がっているわけでもない、ただ人だけが消えた、死んだ街。

 

「……寂しいものだな、人の姿が消えた街というのは」

 

この非日常的な、異世界に迷い込んだかのような景色を見ていると……どうも感傷的な気分になる。

続く言葉も無く景色を眺めていたら、ふと、可笑しくなってきた。自分にもこんな詩的な感覚が備わっていたのか、と。

随分と似合わないものだ。沙霧尚哉は、そう苦笑した。

 

「なーに、にやけてるんですか。もしかして、尚哉さんは無人の街を見て興奮するとか? 対物性愛って奴ですか?」

 

詩的な空気が掻き消えた。

隣を歩くのは、ニィっと悪餓鬼の笑みを浮かべる蒼也。まったく、コイツはいつもこんな調子だ。おどけているというか、掴み所が無いというか。

……唯一、戦術機に乗っているときを除いては、だがな。

 

「なるほどー……それでか。せっかくの休みだっていうのに、基地の女の子も誘わずに、僕なんか連れてこんなところにきてる訳だ」

「……こら、蒼也」

「あっ! まさか目的は僕ってことは無いですよね? 僕、そっちの気は無いですからね! 今は男が少ないんだから、まっとうな道に帰ってきてくださいっ! 衆道は人類反逆罪ですよ、尚哉さんっ!!」

 

何だその罪状は。まったく……いい加減にしろっ!

頭一つ高い身長差を利用して、脳天に拳骨を落として黙らせる。両手で頭を押さえ、わざとらしく痛がる様子を見せる蒼也。顔は笑ったままだ。

……まったく、こいつは。自分も、良くこんなのと友人付き合いしているものだ。年も八つも違うというのに。

しかし、まあ……こいつといると飽きないのも事実だが、な。

素直に口にするとまず間違いなくろくなことにならないので、その台詞は心の内に留めたまま。

 

「あ、そっか。尚哉さんは国に慧ちゃんが待ってるんでしたっけ。……このロリコン」

 

何も言わなくてもろくなことにならなかった。

とりあえず、もう一度殴っておく。

 

二人は今、振って沸いた休暇を満喫中である……これでも、一応。

近隣地区に火消しとして出撃するのが日課の如くになっていた彼等。その愛機である撃震は機体に蓄積されたダメージがとうとう深刻なものとなっていた。その戦果から、整備兵達も優先的に力を入れてメンテナンスを行なってくれてはいたが、それも限界。いい加減に本格的なオーバーホールを行なわないと安全は保障できないというところにまで来ていた。

戦術機を部品単位にまで分解して整備を行なうオーバーホールには、当然の如く時間が掛かる。通常であればその間は予備機をあてがって部隊を運用することになるのだが、ダメージが蓄積するのは何も戦術機だけではない。もちろんのこと、それを操る衛士にも目に見えない疲労が積み重なっていく。

その為、彼等の隊は中隊毎に撃震の分解整備を行い、その間、その機体の衛士には休暇が与えられることになったのである。

とはいえ、戦況を省みるに日本に戻るような余裕はもちろん、ない。そもそも、休暇とはいえ、もし他の部隊の手に負えない侵攻が起これば予備機に乗り込んで出撃しなくてはならないのだ。その為、彼等に許された自由行動範囲は基地の非常警報が聞こえるところまでとなっている。結局、基地内でのんびりするか廃墟を探索するかの二択しかないというのが実情だ。

 

「尚哉さん人気あるからなー。基地に戻ったら、隊の子達から冷たい視線を貰いそうな気がするよ」

 

27歳という働き盛りで顔も性格も良く、真面目で有能。そんな沙霧へと熱い視線を送る女性隊員は一人や二人ではない。おそらく、隊内で一番人気。

その為、散歩の相方に沙霧が選んだのが自分となれば、それをやっかむ女性もいるだろう。そう、蒼也は思ったのだ。

 

「いや、そうでもないだろう。蒼也と散歩に行ってくると伝えたが、にこやかに送り出してくれたぞ」

「えー、本当ですかー? 単に尚哉さんの前では怒らなかったってだけじゃ?」

「いや、黒鷺がどうのこうのと言っていたから、向こうはバードウォッチングでもしに行くんじゃないか?」

「へー、黒鷺が来るんですか、この辺」

 

市内にいくつか池や湖があるから、そこかな?

散歩も飽きたし、行ってみてもいいかも。

 

「後は、サギクロとかなんとか。黒鷺とは違うらしいが、俺も鳥には詳しいわけでもないからな、どんなものかは分らん」

 

……あー、あの子達、そうだったんだー……

 

「……いやー……尚哉さんの心の平穏の為にも、その件にはそれ以上触れない方がいいかも……はは……」

 

まったく。そりゃ、一緒にいること多いけどさあ。

急に言葉数が少なくなった蒼也に、不思議そうな顔をする沙霧。

彼に説明する気力もなく、そんな風に思われていたのかと、何だかどっと疲れを感じた蒼也だった。

 

 

 

 

 

結局、二時間ばかりブラブラとしていただろうか。

昼時になったが、開いている店など、もちろんない。飢えた腹を満たす為に基地へと戻った二人を出迎えたのは、渋い顔を隠そうともしない中佐の姿だった。

 

「おう、黒須。待ってたぞ」

「中佐? どうしたんですか?」

「いや、ここではな。ついて来い。沙霧、お前もだ」

 

そう言って歩き出す中佐。

なんだろう? 外出許可は取ったし、何も問題は起こしてないはずだけど?

沙霧を見ると、彼は無言で首を振った。尚哉さんにも心当たりなし、か。

あまり負の感情を表に出すことがない中佐の、珍しい苦虫を噛み潰したような顔。気にはなるが、大隊長の命令だ。ここは大人しくついて行くしかない、か。

 

三人が無言で歩を進めた先は、この基地の主の部屋。

つまりは、帝国大陸派遣軍総司令官、彩峰萩閣中将の執務室であった。

 

「中将、黒須中尉と沙霧中尉を連れて参りました」

 

扉をノックし、そう告げた中佐が二人に入室するよう促す。

司令の執務室など、一介の衛士には縁の無い場所。通常ならば入室するにはそれなりの勇気が必要だが、蒼也と沙霧には心理的抵抗は少ない。

沙霧は彩峰とは幼い頃からの家族ぐるみの付き合いがあり、蒼也は父である鞍馬が彩峰と親友だったこともあって何かと目をかけてもらっていた。

軍務中においては帝国軍切っての知将の名に恥じない怜悧な男であるが、私的な場においてはなんというか……そう、気のいいおじさん。それが二人にとっての彩峰であった。

 

しかし、今待っているのはおそらく、おじさんではないだろう。

二人は今、まがりなりにも休暇中である。だが、間に中佐を立てて呼び出した以上、私的な用件ということはないはずだ。

果たして、入室した先にいた男の顔には柔和な色は露程も浮かんではおらず、BETA群の侵攻に対しても全く臆するところを見せぬ帝国軍中将の姿がそこにあった。

 

彩峰は鋭い視線で蒼也を見つめる。

しばし後、瞳を閉じる。まるで何かに思いを馳せるかのように。

そして沈黙の時が過ぎた後、徐に口を開いた。

 

「黒須蒼也=クリストファー中尉。貴官に、国連太平洋方面第十一軍への転属を命ずる」

 

国連太平洋方面第十一軍、その駐屯地は日本帝国。

1995年以降、いくつかの帝国軍基地を開放する形で国連軍の駐屯が進んでいた。

ユーラシア大陸の陥落が目前に迫っている今、従来の間引きを中心としたBETA漸減戦略ではない、新たな戦略が検討されていた。それは、カムチャツカ、日本、台湾、フィリピン、アフリカ、イギリス、これらを結ぶ長大な防衛線をもって、海を越えてきたBETAを防衛の比較的容易な沿岸部で食い止め、大陸に封じ込めるというものだ。

日本への国連軍駐屯はその一環となる。それだけではない、それ以上に重要な、一般には決して知られることのない理由もまた、あるが。

 

国連軍基地の人員は、上層部以外は現地採用が通例である。その為、在籍者の中には元々帝国軍に所属していた人間も多い。だが、それはあくまで本人の意思であり、帝国軍に所属している現役の軍人に対し、一時的な出向ならまだしも、命令という形で国連軍への転属が強制されることなど、ない。……本来なら。

しかし今、彩峰は確かに言った。命ずると。

 

蒼也は即座に拝命……しない。何故、そのような命が下されたのか、無意識の内に様々な可能性を検証する。

彩峰は蒼也の反応を待っているのか言葉を続けず、中佐は依然として苦い顔をしたまま無言を貫いていた。

 

その中、最初に動いたのは沙霧であった。

この場に呼ばれはしたものの、発言する権利を持っているのか、そもそも何故、同席を許されたのか、それは分らない。だが突撃前衛長としての気質が沈黙したままでいる事を許さなかった。

 

「何故国連にっ!? いや、国連が悪いというわけではありませんが、それでも今、この防衛線から人員を割くなど、納得いきませんっ!

 そもそも、黒須中尉がここを離れてしまっては戦線の維持が……」

「……おい、沙霧よ」

 

中佐が低い声を出す。

 

「随分と情けねぇ台詞じゃねえか、おい。おめぇ、大陸に来て何年だ? 任官して一年かそこらのひよっ子がいなくなったらもう戦えません、ってか?」

 

それは挑発。

己の腕に自信を持ち、自尊心が高い者ほどその言葉には押し黙る他なくなるだろう。しかし、沙霧はそんな凡庸な男ではない。戦士としての誇りに加え、指揮官として大局を見る目も併せ持っていた。

 

「そんな安い言葉には乗りませんよ、中佐。貴方だって分っているはずです。この北京最終防衛ラインを死守する為には、黒須中尉の力が必要だと言うことが。

 彼が天才なのか、それとも本当に超能力でも持っているのか、そんなことは分らないし、関係もない。しかし今、彼がいなくなったらそう遠くない未来に戦線は崩壊する……それが現実です。

 奇跡の大隊は、黒須中尉の力なくては成立しないんですよ」

 

……コイツもいっぱしの指揮官になりやがったな。

沙霧の成長は嬉しく思うが、ここは騙されて欲しかった。納得できぬ理不尽に対しては時に牙を向く男だ、無理矢理に命令を押し通せば後々に禍根が残る。今の精神論で黙らせられないとは思っていたが、説得は面倒そうだ。

ったくよ、俺だって納得してるわけじゃねえってのによ。

中佐の心の声が沙霧に届くわけもなく、二人の視線が火花散る勢いで交錯していた。

 

その中、当事者の蒼也は一つの結論を出していた。

これは、チャンスだと。

沙霧の言うとおり、自分はこの大隊内で高く評価され、必要とされている人間だ。にも拘らず、今この戦線から外されるなど通常では考えられない。ならば、そうしなければならぬ理由が有ると見るべき。

赴任先は日本かもしれないが、恐らくそこは後方ではなく最前線に違いない。何らかの特殊任務だろうか?

この大陸より更に危険な場所……大歓迎だ。自身の栄達の為には、任務が困難であればあるだけ良いのだから。

それに……

 

──これ以上、この隊の人を殺さずに済む。

 

この大隊は良い部隊だ。上と下、横同士が固い信頼関係で結ばれ、それぞれが水準を超えた能力を持つ。理想的といって良い。それだけに、犠牲を強いなくてすむなら、それに越したことは、ない。

 

考えを巡らす蒼也を、逡巡しているのだと彩峰は見たが、それは正解ではなかった。蒼也が迷っていたのは受ける受けないではなく、状況がより自分の目的に叶うかどうかの判断だったのだ。

だが、決心させる為にと言い放った言葉は思いのほか効果があった。主に、蒼也そっちのけで舌戦を繰り広げていた中佐と中尉の二人に。

 

「これは、殿下の御意思である。そう思ってくれて構わない」

 

将軍殿下の?

これは中佐も聞いていなかった。中佐は、蒼也を国連軍に異動させる命が下されたので本人と、それに一番反対するであろう沙霧を連れて来いと言われただけなのだ。

中佐の心の内は沙霧と同じである。蒼也が隊から離れるなど許容したくは無い。だが、部隊の指揮官という立場上、まず自分が従う他に無かった。

しかし、これが殿下の意思となれば話は変わってくる。心情的にも、喜んで従える。だがしかし、一体どういうことだ?

 

「今から話すことは機密ゆえ、もちろん他言無用である。また、本来であれば君らが知り得る内容でもない。これは、現場の連携を崩さぬ為の私の判断だと思ってくれ」

 

二人を見ながら彩峰がそう前置きし、蒼也へと向き直る。

 

「現在、国連上層部にて対BETA戦争の抜本的な解決を図るべく、とある計画が遂行されている。計画は何代かに渡り続けられており、今代における遂行者は我が国、日本が担っている。これは斎御司経盛殿下の御指示により、榊是親首相が尽力成された結果となる。

 殿下はおっしゃられた、この計画に持ち得る全てをかけて協力せよ、と。黒須中尉の国連軍への移籍はこの計画の一環であり、即ち殿下の御意思となる」

 

予想外の言葉だった。

政威大将軍の命、それは帝国軍人にとっては勅命にも等しい。

傀儡として貶められている殿下がそのような事を成されていたのかと、沙霧などは感動と興奮に打ち震えてすらいた。

 

「家臣の身でありながらこのような事を申すのは甚だ憚られるが、殿下は御不自由なお体だ。先の敗戦以来、象徴として今も輝いてこそおられるが、実質的に権限は持ち合わせてはおられぬと言って良い。

 そのような身の上でありながら、今計画の日本への誘致には大層、意欲的であられたという」

 

彩峰の瞳が蒼也を映す。

 

「それは……黒須中尉、君の父上との約束があったからだ」

 

──父さんと?

 

ここで父の名が出るとは思わなかった。

国連という道を選びながら、そして死しても尚、日本の行く末に影響を与える父。

誇らしかった。憧れていた。……でも。

 

──でも……僕は、父さんのように真っ直ぐには進めないかな。

 

もしかしたら、そういう道もあったのかもしれない。真那や真耶と肩を並べ、正道を歩むことが出来たかもしれない。

でも、既に自分は選んだのだ。穢れていても自分の道を行くと、そう選んでしまったのだ。

未練が無いとは言えないけれど……しかし、悔いはない。後は歩みを止めないだけ。

……少し物思いにふけってしまったか。彩峰の話は続いている。

 

「殿下は、故黒須鞍馬国連軍少将にこうおっしゃられたそうだ。政威大将軍の身なればこそ成せる事、成させてもらおう、と。そしてその誓いを、見事に果たされた。ならば我々に成せることは、殿下の御意思に応えることであろう。

 ……黒須中尉、国連軍へ行ってくれるか?」

 

三対の視線が見つめる中、蒼也は応える。

 

「了解しました、中将閣下。この僕にしか成せないことがあるというのであれば、必ずや応えて見せましょう」

 

父さんなら、一命に代えましても、とか言うのかな。そんな事を思った。

そして蒼也は帝国軍を去り、魔女と出会う。

彼の運命の輪が巡りはじめた、その瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

1997年、5月。

帝国大学、応用量子物理研究棟。

 

「アンタが黒須?」

 

部屋の中にいたのは蒼也より少し上くらいの若い女性。それともう一人、銀色の髪をした少女。

その女性から紡がれた不躾な一言。それが第一声だった。

一見、詰まらなそうな態度と声。しかし、そのままに判断するのは早計、自殺行為といえよう。見た目の印象に捉われず女性を見れば、その視線が注意深く、微細漏らさずこちらを観察しているのが見て取れる。

それは、人が人を見る目ではない。それは、興味を持ったものを解体せずにはいられない、その原理を解明せずにはいられない、子供のような残酷さを持った科学者の眼だった。

 

──まあ、軍服の上から白衣を着てるなんて、科学者ですって自己紹介してるようなもんだけどね。

 

女性の視線からその本質を感じ取った後、そんな間抜けな事も思ってしまう。

そんな内心を知ってか知らずか、それともはたまた蒼也の感情などには興味がないのか、女性は上から一方的に告げた。

 

「香月よ。アンタの上司になるから、よろしく。

 最初に言っておくけど、かたっくるしい敬礼とか号令とか、そういうのは要らないから、そのつもりで。

 アタシは軍人じゃないから。そんな無駄なことに労力を割くのは嫌いなの」

 

うん、こういう人ね、なんとなく分った。

しゃちほこばらなくて良いというのは正直ありがたい。育った環境上、公の場での礼儀作法は叩き込まれて来ているが、それでも蒼也はそういった形式が苦手だった。嫌いと言い換えてもいい。アメリカ人である母の方がよほどなっているくらいだ。

 

「了解しました、香月……」

「副司令でいいわ。アンタ達の機体を置いてる帝国軍白陵基地を接収して、アタシ達の基地にする予定よ。そうなったらアタシが副司令になるから」

「分りました、副司令。ところで司令はどちらに?」

「司令が誰になるかはまだ分らないわ。もっとも、誰が来ても……来なくても一緒だけどね」

 

なるほど。

計画とやらの実質的な主導者は、この香月副司令というわけだ。トップが軍人ではなく科学者。うん、確かに特殊な環境みたいだね。

 

計画に関して一から十まで懇切丁寧に教えてくれるなど期待するだけ無駄なこと。そんなことは当たり前。自分が死ぬ意味すら教えられずに「死んで来い」と命令される、それが軍という場所なのだから。

だからといって、知れる範囲の事を知ろうとしないのは只の怠慢だ。話されているということは、それは知っていて良い内容ということ。なら、そこから出来る限りの情報を見出すのが正しいやり方。

 

──この人、馬鹿は嫌いとか言いそうだしね。

 

きっと、無能は無能なりに、有能なら有能なりに、それぞれの使い方を心得ている人だ。なら、ここから上に昇るには、最低でも副司令に使い勝手が悪くないと思わせておかないと。

蒼也が心の内で情報の取捨選択を行っている中も、香月の言葉は続いている。

 

「もっとも、それがいつになるかは何とも言えないんだけどね。まだしばらくはここが本部よ、残念ながら。

 ホント、いつになったらまともに研究進められるのかしらね。さっさと環境整えないと自分の首を絞めるだけだってのに。これだから、馬鹿は嫌いよ」

 

ほら、言った。

イメージ通りのキャラクターなのが面白く、つい噴出しそうになる。

危ない。気取られたら、きっと無理難題を言ってくるに違いない。そんな人の気がする。

しかし、既に遅かったか。目を細め、獲物を狩る猫科の猛獣めいた面持ちで蒼也を見る香月。

 

「何だか、随分楽しそうじゃない?

 ……まあいいわ。愚痴ったり遊んだりしてないで、さっさと要件済ませましょ」

 

どうやら助かったらしい。己の幸運に感謝を。

 

「黒須、アンタはアタシの直下の連隊の一員になってもらうわ。階級は大尉、中隊を任せる……予定なんだけど、その前に。

 いくつか質問させてもらうわよ、いいかしら?」

 

良いも悪いも無いんだろうな、きっと。

先程からの流れで、ついそんな軽い事を考えてしまう。

油断していたのだろう、結果として次の質問に硬直し、不自然さを曝け出してしまったのだから。

或いは、蒼也から素の反応を引き出すために、ここまで全てが香月の罠だったのかもしれない。

 

「黒須、アンタ……何を視ているの?」

 

視ての部分に力を込めて、香月はいきなり言い放つ。大上段からの、一切の容赦のない一撃。

心臓が、ドクンと一際大きく鳴った。

体中の筋肉が強張り、香月を見ていた視線が刹那、宙を彷徨う。

しまったと、思ったときにはもう遅い。この科学者の観察眼が、不自然な動揺を見逃すわけがない。

ばれている? 自分の能力を把握されている?

ここに呼ばれたのは、この力が原因なのか?

 

いや、まて。そうと決め付けるのはまだ早い。

自分は今までに、この能力について誰かに話したことはない。一度も、だ。

大陸での戦い方を不自然に感じた者がいたかもしれないが、この香月副司令がそうだとは限らない。

 

どう、答えるべきか。

嘘は不味い。直感が告げている、この人に半端な嘘は通じない。矛盾を掘り返されてしまうだろう。

なら……

 

「……人類の、行く末を視ています」

 

これでどうだ。

本当のことではないが、嘘を言っているわけでもない。

こういう奇麗事が好きな人とは思えないが、少なくとも間違った答えではないだろう。

しかし次の言葉に、蒼也は抵抗が全て無駄なのだと悟ることになった。

 

「ふうん……それで、何秒先までの行く末?」

 

ニヤリと笑う香月。

まいった。どうやって知ったのかは分らないが、この人は全て知っている。

この力を武器にして、場合によってはこの人も利用してのし上がるつもりでいたけれど……予定変更。

香月夕呼、この人は……怖い人だ。どうやら味方につけておくのが正解らしい。

 

蒼也は小さく息をつく。

決めた。この場は全て正直に話してしまおう。この期に及んでの悪足掻きは、自分の価値を下げるものでしかない。

 

「平時で最大十秒ほど。戦場等の命が危険に晒される場所では、数分からそれ以上先の未来まで予知できます」

 

香月がちらりと横に座る銀髪の少女に視線を向けると、少女は小さく、ほんの僅かに頷いて返した。

下手に誤魔化さないところは評価してあげるわよ、と。自分の思う通りの展開に、余裕を持って香月は満足そうに一つ頷く。

 

「その力で、奇跡を演出していたわけね」

「はい」

「それで、どの程度の規模の部隊まで奇跡で管理できるの?」

「少なくとも大隊まではいけます」

「それ以上は?」

「可能だと思いますが、経験がありません。ですから早急に連隊長、大佐までのし上がるつもりでいました」

 

それが、蒼也の目的。

自身の力は戦場という環境で最大限に発揮される。ならば、前線で直接にBETAと相見える者の最高位、大佐が自分の目標。

常勝無敗、無敵の連隊。奇跡を率いて未来を切り開いてみせる。

人類に残された時間は短い。だから可及的速やかに、その階段を駆け上がる。それが早ければ早いほど、犠牲は少なくて済むのだから。その為に犯した罪は……平和を手に入れてから償おう。

 

「もうひとつ、いいかしら?」

 

だから、良いも悪いも無いんだよね。

いいさ、もう全て正直に話すと決めたんだ。何でも聞いてくださいよ。

そう思う蒼也だったが、それでも次の質問には再び固まることとなった。

 

「アンタが奇跡の大隊に配属されてから、二人死んでるわよね。

 一人は初陣で死んだアンタの同期。……それで、もう一人はどうして死んだの?」

 

……本当に、この人は怖い人だ。

でも、ここで逃げちゃいけない。この人にただ使われるだけでない、単なる部下ではなく味方につける為には、ここで引けない。

 

「僕が、殺しました」

 

蒼也は香月の眼を正面から見つめ、静かに言った。

 

「それは、守りきれなかったとか、そういうこと?」

「いいえ、違います」

 

魔女が哂う。

 

「それは、やむを得なく見捨てたとか、そういうこと?」

「いいえ、それも違います」

 

魔女が嗤う。

 

「明確な目的と殺意を持って、僕の意思で殺しました。

 彼が死ねば僕が小隊長になり、大隊全体の運用にも口を出せる。それが分っていましたので。

 僕が早く上に昇る為に、戦場で彼だけが命を落とす予知を得た時、その未来を選択しました」

 

どうやら、良いカードを引いたようね。香月はそう思う。

自分の目的の為には手段を選ばない、その覚悟はとうに決めた。そんな瞳をしている。

能力と強い意志を併せ持ち、自らの手で未来を切り開こうとする男。より良い未来を掴み取る者。

間違いなく、今の手駒の中で最も高い適性を持っていることだろう。00ユニット、人類に夢と希望を与える救世主への適正を。

この男はアタシの管理下に置いておかなくてはいけない。その為には、アタシ達の利害は一致していると、示しておかなくては。

 

「正直者へのご褒美に、一つ教えてあげましょうか。

 さっき、予知って言ってたけどね……アンタが視ているのは、この世界の未来じゃないわよ」

 

どういうこと?

未来なんて視ていない?

能力なんて存在しない、只の思い込み?

 

……否。

今まで、この能力のおかげで何度も死の腕から逃れてきた。その中には、流れを読んだり経験から感じ取ったりといったことでは説明のつかない、全く偶発的に起きた出来事も含まれている。それをあらかじめ知ることが出来るからこその、予知。

……いやまて、副司令の今の言葉。

 

──この世界の未来じゃないわよ──

 

まさか……いや、でもそう言うことなのか?

常識に捉われるな。未来を知るという時点で、既に日常の範囲から逸脱しているのだ。ならばさらに超常しても、何処に問題がある?

 

「……他の世界の未来を視ている……と、いうことですか?」

「正解」

 

頭の回転の速い子は嫌いじゃないわよ。

打てば響く、優秀な教え子を持った教師とはこのような気持ちになるものなのだろうか。

科学者としての血が疼いた。

 

「今、アタシ達がいる世界。世界とはこれ一つじゃないのよ。エヴェレットの多世界解釈ってわかる?」

「……いえ、わかりません」

「量子力学の観測問題における解釈……アンタにも分りやすいよう簡単に言うとね、平行世界とか言われている奴よ。

 黒須、ちょっと手を上げてみなさい。

 ……アンタは今、右手を上げたわね。でも、ここで左手を上げる可能性もあった。もしかしたら、両手を上げていたかもしれない。その可能性の数だけ、世界は存在する……つまりは、無限にね」

 

可能性の分だけ、無限に存在する世界。

……あっ! 今、何か思いつきそうに……

考え込む蒼也を尻目に、香月の講義は続く。

 

「良く似た世界は重なり合うように、全く違う世界はより遠くに存在する……まあ、概念的なものだけどね。ただし、いくら近いといっても通常、他の世界に干渉することは出来ないわ。

 でも、それを可能にする要素がある。それが、因果よ。

 世界は因果によって結ばれている。これが、アタシが提唱する因果律量子論よっ!」

 

胸を逸らし、蒼也に向かって人差し指を突きつける。

銀髪の少女が、机の下で小さく拍手した。

 

「預言者といわれる者達がいる。霊媒といわれる者達がいる。彼等はね、他の世界からの因果情報を受け取る力を持つ者達なの。

 それが未来に関する情報なら予言という形で現れる。人に関する情報なら生まれ変わりや憑依という形になるわ。

 黒須、あんたもその一人というわけね」

 

その時、蒼也の頭の中で何かが噛み合った。

パズルのピースのように、断片的に考え付いていた情報が組み合わさった。

 

「副司令っ!

 可能性の数だけ無限に世界が存在して、僕がその情報を読み取ることが出来るならっ!

 なら、BETAの駆逐に成功した世界を知ることも出来るんですかっ!?」

 

それは天啓。

例えば、「W-A-T-E-R」が水をさす単語だと始めて理解した瞬間のヘレン・ケラーのように。

蒼也は自らの思い付きに歓喜した。未来に立ち込める暗雲に一筋の晴れ間が見えた気がした。

 

「無理ね」

 

しかし、香月は無常にも首を横に振る。

紅潮していた蒼也の頬が、一瞬で真っ青に染まった。

 

「なんでっ!?」

「アンタ、BETAの駆逐に成功した未来とやら、思い描ける?

 単なる空想や妄想とかじゃなくて、確固とした現実として想像できる?」

 

そんなことは不可能だった。

蒼也が生まれた時、既に人類の斜陽は始まっていたのだ。

滅びこそ日常。

生き残りをかけた戦争がごく身近にあり、死がごく当たり前に存在する。この世界で育った蒼也に、そんな幸せな世界を感じ取ることなど出来はしなかった。

 

「因果ってのは、無条件にやり取りできるわけじゃないのよ。情報を受け渡しする存在と、何らかの繋がりがないとやり取りは出来ない。

 原因があって、結果がある、だからこその“因果”」

 

……そうそう、うまい話はない、か。

短い、短すぎる夢を見た蒼也が、自虐的な笑みを浮かべる。

しかし、香月の顔にはそれと真逆な笑みが。

 

──ホントこいつ、いい反応するわね。

 

アンタ、いま落ち込んでいるわね。希望を不可能と砕かれて、絶望しているわね。

なら、喰い付いてきなさい、この餌にっ!

 

香月の誘導ももちろんあるが、蒼也は一度話を聞いただけでBETAのいない世界の情報を読み取る、この可能性に思い至った。

そこまで理解しているのだ、ならばこの言葉には抗えない。抗えるわけがない。

 

「でも、なかなかいい線いってるわよ。

 アタシの計画──オルタネイティヴ4はね、それを可能にする為の計画なんだから」

 

下を向いていた蒼也がはじかれたように顔を上げた。

 

「あらゆる世界にアクセスして情報を掴み取り、戦いを終わらせる存在。それを作り出す為の計画。

 アタシはこの戦いに勝つわよ。黒須、アンタ……それに協力する?」

 

魔女の囁き。

それに応える蒼也は、是の意思をこれまでで最も強く発していた。

それは、自分には言えないと、言う資格が無いとも思っていた言葉。

罪を犯した自分の命に、何の価値があるのだろうかと。

しかし、それでも。もし、この命を捧げることで計画が成就するならば。

 

「この黒須蒼也=クリストファー、一命に代えましてもっ!」

「……いいわ、これでアンタは魔女の使い魔ね。

 今日からアンタは少佐。アタシの専任部隊、A-01連隊のNo.3よ。それより上に行きたかったら、後は自分で何とかしなさい」

 

こうして蒼也は魔女と契約を結ぶ。

黒須蒼也=クリストファー、19歳。

数奇な運命を巡ることとなる彼の人生に、更なる彩りが帯び始めようとしていた。

 

 

 



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30話

 

1997年、5月。

帝国軍白陵基地、国連軍区画。

 

この部隊を取り巻く人々、取り分け私の上官たちは、どこかおかしい。彼女がそう思うのもこれで何度目だろうか。

ここは軍隊なのに。更に言うなら、何処にでもあるようなありふれた部隊などではなく、国連の秘密計画に関わる特殊部隊だというのに。それなのに、あの人達の言動はなんなのだろう。

 

衛士を目指していた自分に、国連軍から「君の力が必要だ」と声をかけられた時は天命を得た気がした。任官して配属先についての説明を受けた際には、人類の命運を左右する部隊へとスカウトされたのだと理解できて血が震えもした。それだけに襟に輝く衛士徽章が誇らしく、勝利を掴み取る未来への期待に胸を膨らませて連隊発足式に臨んだ自分を、誰が否定できようか。

 

しかし、壇上に上った指揮官、計画を主導する天才科学者からの第一声は「敬礼とかいらないから」というもの。目が点になった。耳を疑った。え? それでいいのと、声が出そうになった。

その後も自分が知っている軍隊というものからは随分と逸脱している発言を繰り返し、「飽きたから後はアンタ達でやって」という言葉を残して嵐のように去っていかれた博士。

国連軍は帝国軍よりも綱紀が穏やかだというが、それにしてもこれは無いんじゃないか。いや、あって欲しくない。

 

まあ、彼女は連隊の頂点とはいっても軍人ではないそうだし、実際に指揮官と呼べるのは三人の大隊長になるのだろう。連隊全体の指揮も執る中佐が一人に、少佐が二人。

A-01はその任務内容の特殊性から連隊が揃って行動することは少ないという。それぞれの大隊が別の任務に就くことは珍しくなく、時に中隊単位での行動も想定されているらしい。それ故、中隊長以上の者は実戦を経験した猛者が外部から招聘されている。

自分が配属された第三大隊の指揮官もそうだ。大陸で他に類を見ない戦果を上げている、あの奇跡の大隊にいたという。戦術機一個大隊のみで師団級BETAを殲滅したなど、流石に戦意高揚の為に誇張して伝えられているのではないかと疑う向きもあるが、それでも腕利きであることには間違いないだろう。

 

無骨な豪傑だろうか? それとも怜悧な参謀タイプだろうか?

実戦経験者、それも飛び切りの凄腕から教えを受けられる事を嬉しく思い、その人となりを様々に思い描いていたのだが……実際に言葉を交わしたとき、自分は随分間抜けな顔を晒してしまったように思う。

あの博士が大暴れした発足式、この人物もその場にいたことは確かに記憶にある。些か目立つ風貌をしていたので目に留まっていた。だが……白状しよう、司令部付きのCPか何かだと思っていた。

言い訳がましいが、それも仕方がないではないか。隊の衛士は全て日本人だと聞いていたし、何より見た目が若過ぎたのだから。下手をしたら自分よりも年下か? まだあどけなさすら残す少年と大陸帰りの猛者とがすぐに結びつく人間は稀だと思う。

 

だから始めてのミーティングの際、更なるミスを重ねてしまったこともまた、仕方が無かったのだと思いたい。あの顔に加え、クロス・ソーヤと名乗られれば誰だって勘違いする。

自分は、彼の事をこう呼んでしまったのだ。ソーヤ少佐と。

 

「いきなりファーストネームで呼んでくれるなんて嬉しいな」と言われたとき、一体この人は何を言っているのかと思ったものだ。

訝しげな顔の自分。笑みを浮かべる少佐。ニタァっという擬音のよく似合う、悪餓鬼の笑みだった。

 

少佐は徐にマジックを手に取ると、背後にあったホワイトボードになにやら書きはじめる。

「はい、ここ大事なところだから覚えておいてね。テストに出すよ」とわけの分らない事を言いながら、楽しそうに書き連ねる。

それを見た自分の頬が赤く、林檎のように真っ赤に染まっていった。

 

Crossではなく、黒須。

Sawyerではなく、蒼也。

Christopherではなく、栗栖豆腐。

 

「ちょっと理由がありまして、このA-01の衛士と整備兵には日本人しかいません。僕もこう見えて、れっきとした日本人です。

 いいかな、伊隅みちる中尉?」

 

あ、まずい。

これ、絶対目を付けられた。

何でそんなに嬉しそうなんだと、悪そうな笑顔を浮かべる少佐を見てそれを確信した。

そして、それは現実となる。伊隅はこの後、蒼也の副官として任命され、散々こき使われることになるのである。

 

 

 

栗栖豆腐ってなによ、栗栖豆腐って。

それに気付いたのは、ミーティングが終わって随分時間が経ってからだった。

 

 

 

 

 

 

 

1997年、7月。

帝国大学、応用量子物理研究棟。

 

「あれ、霞ちゃんだけ? 副司令はいないかな?」

 

大学の敷地に入る時、研究棟に入る時、そしてこの部屋の前。三回も身分証を提示しボディチェックを受け、やっと目的地である香月の執務室へと辿り着いたのはいいが、部屋の主はどうやら不在の様子だった。

 

「………………」

 

室内には霞が一人。

パソコンに向かい何やら入力作業をしていたようだが、蒼也が入室するとその手を止める。モニタの陰に半ば隠れるようにして、じっと無言で蒼也の事を見つめてきた。

手を止めたのは、休憩とかそうった理由ではないことを、この数ヶ月で蒼也は学んでいた。これは、警戒しているのだ。扱っている内容が機密に当たるためなのか、それとも蒼也自身に怯えているのか。残念ながら、恐らくは後者だろう。

この社霞という名の少女、恐ろしく人付き合いを苦手としているようだ。蒼也は霞が香月以外の者と口をきいているのを見たことがない。より正確に言うなら、香月と会話していたところに闖入した蒼也を見て慌てて口を噤む姿しか見たことがない。

 

──それでも、少しは慣れてきてくれた……かな?

 

部屋の中に二人きりでいてもなんとか逃げ出さない、その程度には。

 

「この時間にって、約束してたんだけど。すぐ戻ってくるかな? ちょっと待たせてもらうね」

 

そう言って、来客用のソファにどっかりと座り込む蒼也。

座り心地は固過ぎず柔らか過ぎず。合皮製だが、物は中々に良いようだ。

その様子を、やはり無言でじっと見つめる霞。

 

この子とも、もう少し仲良く慣れたらいいのにな。常々そう思っているのだが、そもそもこの少女がどういった立場の人間なのか、それすら蒼也は知らされていないのだった。

知っているのは名前と、香月の秘書のような事をしているらしいということだけ。何故、十歳程度にしか見えない少女が計画の中枢に関わっているのか、興味は尽きない。

以前に「お子さんですか?」と尋ねたところ、護身用の銃の乱射で返事をされたので恐らく違うのだろう。全て避けたが、警備員がすっ飛んできて危うく大学内に防衛基準体制2がしかれそうになった。それ以来、情報の収集には慎重になっている。

 

だが、知らされていないということは、知る必要が無いということ。

まだ自分は、そこまでの信頼関係を副司令と築けていないということなのだろう。一概に使い魔といっても、烏から悪魔まで様々な階級があるものなのだ。

 

香月は言った。上に行きたかったら自分で何とかしなさいと。

それが出来て、初めて次の段階へと昇れるのだろう。まずは、A-01を自分の指揮下におくことから始めるべきか。大隊一つではなく、連隊全体を。

現在のA-01の大隊指揮官は、香月が引っ張ってきただけあって中々優秀な男達だ。大陸で共に戦った中佐や沙霧程の力量は持っていないにせよ、隊長職として十分水準を越えている。顔を会わせた当初は年若い蒼也を軽く見ていたところもあったが、これまで共に訓練を重ねるうちに蒼也の異常性が理解できたのか、一目置かれるようにもなった。

それだけに、出来るなら排除するのではなく、自分の下につく形で納まって欲しい。

 

蒼也への態度が軟化したのには、父の名を出したことも理由として大きい。

国連軍という場では、帝国軍以上に黒須鞍馬の名は大きい意味を持つようだ。考えてみれば当然のことだが。

日本各地に新しく出来たばかりの国連軍基地の扉を叩く若者の中には、鞍馬に憧れて国連軍への道を志した者も少なくないという。A-01の中にも数名いた程だ。

母さんが聞いたら喜びそうだな。微笑むセリスの姿を思い描き、蒼也の心に暖かい色が湧き出てくる。

 

「…………ます……」

 

ソファにふんぞり返って自分の考えに浸っていた蒼也の聴覚を刺激する音があった。

か細い、消え入りそうに小さい声。

 

「…………もうすぐ……戻って、きます……」

 

ちょっと感動。

この子の方から話しかけてきてくれるなんて。というより、声を聞かせてくれるとは。

まだ少し怯えた様子ながら、それでも必死に絞り出してくれたのが分る。素直に嬉しい。

 

「そうなんだ、教えてくれてありがとうね」

「………………いえ……」

 

おお、会話が成立した。

なんだか、小動物が懐き始めてくれているような、そんな気分。例えるなら……兎?

うん、この子のイメージに可愛い兎はピッタリだね。

そのうち笑顔も見せてくれるようになるといいんだけどな。こんなに綺麗な子なんだから、きっと笑顔も素敵だよね。

 

気がつけば、霞は顔を赤くして下を向いていた。

頑張って声を出したけど、やっぱり恥ずかしかったってところかな。ああもう、ホントいじらしいな。

真耶ちゃんも真那ちゃんも、昔はこんな風に……いや、それはない、な。嘘は止めよう、嘘は。

 

しばし後、所用から戻ってきた香月が目にしたもの。それは赤面する霞と、それをニコニコしながら眺める蒼也の姿であった。

 

「黒須、流石に社は……犯罪よ?」

 

いや、何を言っているんですか、副司令。

蒼也の言い分が香月夕呼に通じることなど、あろう筈なかった。

 

 

 

 

 

「で、何の用よ?」

「あ、やっぱり。絶対そう言うと思ってましたよ」

 

香月副司令と知り合ってまだ数ヶ月、しかしどういう性格なのかは概ね把握できていた。

この人、興味の無いことに関してはとことん関心を示さない。逆に、自身が求めるものは徹底的に納得が行くまで追求する。

所謂、天才タイプ。

そして実際に、紛うことなき、天才。

事前に連絡を入れておいたにも拘らず、先程の言葉が飛び出す所以である。

 

現在の彼女の関心は計画の根幹を成す研究に向いており、A-01に関しては「必要な時、使い物になっていればそれでいい」とのこと。元々軍事に関しては素人ということもあり、これまでの訓練は連隊長代理である中佐と二人の少佐に任せ切りであった。

 

とはいえ、訓練成果の定期的な報告はしなくてはならない。普段は香月が白陵基地に出向いた際に「順調です」と一言、簡略的に伝えていた。いい加減と思えるが、香月自身がそれ以上の詳細は必要ないというのだから仕方がない。また、それでさして問題も無かったのも事実。

だが、今回の報告をそれで済ますわけには流石にいかない。云わばこれまでの総まとめ、様々な訓練を終え、編成が完了し、これでいつでも出撃できるという報告なのだ。実戦に赴くとなれば、使う側の香月にも部隊について把握してもらわなくてはならない。

 

この報告には中佐が赴くのが本来であろうが、香月は今のところA-01の衛士の中では蒼也以外の者がこの研究室に立ち入るのを許していなかった。それ故、わざわざ頻繁に香月自身が白陵基地に赴いているのである。

正直、この件に関しては中佐は面白い顔をしていないが、香月にとって彼とは所詮、妥協で揃えた駒である。どうせ近いうちに死ぬのだろうし、研究の分野にまで立ち入って欲しくは無い。もちろん、外部から来た人間を機密保持の面で信用しきれないという面もある。

この特別扱いに、並の神経の者なら胃を痛くするやも知れぬが、そこは蒼也のこと。そう遠く離れてはいないとはいえ移動が面倒だなと、そう愚痴をこぼす以外には気にも留めない。今日も「行ってきまーす」とにこやかに告げて基地を発ったのであった。

 

 

 

報告内容としてはまず、隊長職の機種転換訓練が完了したことが挙げられる。

A-01で使用される機種は、日本が純国産技術のみで開発にこぎつけた、世界初の実戦配備型第三世代戦術機、94式戦術歩行戦闘機 不知火となる。

不知火は対BETA戦において革命的な戦果を上げる事を期待されており、実際にそれを可能にするだけの能力を持つ機体である。その性能は現在帝国軍で最も普及している戦術機、77式戦術歩行戦闘機 撃震とはもちろん比較にすらならず、現段階においては世界最強の戦術機だと言っても過言ではない。

ただ残念なことに、未だ帝国軍にすら十分な数を供給できてはおらず、まだまだ主力機は撃震だと言わざるを得ないのが現状だ。

それにも拘らず、国連軍に一個連隊108機もの不知火が配備されているという事実。異例中の異例と言える。技術の漏洩を未然に防ぐ為、不知火に関わる人員は整備兵含め日本人のみとするなど運用には厳しい条件もあったが、それでも如何に日本政府がオルタネイティヴ4に期待しているかが現れているといえよう。

 

だが、ここでひとつ問題が出てくる。

白陵基地衛士訓練校を卒業した者達には関係ない。だが、それ以外の外部から招かれた隊長達に立ちはだかった、非常に大きな壁。初めから不知火で訓練を行ってきた新任達とは違い、彼等に操縦経験があるのは撃震のみ。つまり、第一世代機しか操縦したことが無かったのだ。

不知火は第二世代機という段階をおかずに配備された為、設計思想が全く異なる撃震からの乗り換えには苦労することとなった。

 

これは蒼也も例外ではない。むしろ、最も苦難に喘いだ一人といえる。

軽快な、軽快に過ぎるその運動性。当然、それには急激なGの変化が伴われる。戦術機適正の低い、つまりはGに弱い蒼也に圧し掛かる負担は厳しいものがあった。

管制ユニットから息も絶え絶えに、右手に持った袋をパンパンに膨らませて出てくる蒼也を見て、部下達は「コイツ本当に使い物になるのか?」と天を仰いだものだ。

 

最終的に蒼也が行き着いた操縦法、それは“動かない”ことであった。

もともと、撃震に乗っているときですら激しい機動を避けていた蒼也であるが、それを徹底させることにより、特徴的だった蒼也の機動が更に浮き彫りとなることになった。

勘違いされがちだが、蒼也は戦術機の操縦技術自体は非常に高いものを持っている。斯衛訓練校の首席は伊達ではない。思うとおりに誤差無く操作される機体、剣の修行で培った空間把握能力、さらには予知。これが蒼也の武器だった。

ここから導き出されるのは、最小の動きでの回避。数cmの単位で攻撃を見切り、後の先をとるのだ。

 

戦術機同士の戦闘訓練の時のことである。

一見棒立ちに見える蒼也へと120mmを放つ伊隅。伊隅は左右に躱される事を見越して追撃の準備をしていたのだが、射撃後の僅かな硬直時に正面から36mmを乱射されて撃破されてしまった。

蒼也が左右に避けていればその間に硬直は解けたはず。では避けずに相打ち狙いかといえば、無論そんなことはない。蒼也は、左手の突撃砲を撃つと同時に右手の長刀を振るい、刃を弾丸の側面に叩きつけ、弾道を逸らしたのだった。

120mmの砲弾に貫通力と破壊力を重視した徹甲榴弾ではなく、無数の小さな弾が広範囲に空中で分散してばら撒かれるキャニスター弾が選択されていれば、この時点で蒼也の負けは決まっていたことだろう。だが、蒼也は弾頭の種類を“知って”いたのだ。結論から言えば伊隅は選択を誤ったことになるが、仮に散弾を選択していたとしても、その際には別の対策を採られていたに違いない。

多くの日本人は、刀というものに対して憧憬、信仰、あるいは崇拝といった感情を持ち合わせている。武に生きるものなら誰もが一度は思い描く姿、その中には日本刀をもって飛来する銃弾を斬り落とすというものがある。

74式近接戦闘長刀は正確には日本刀ではないが、それでも子供時代の夢を実際にやってのけた神業を見て、モニタールームでは割れんばかりの喝采が上がったという。

 

動いて何ぼの戦術機、それも第三世代機に搭乗しておきながらこの機動。宝の持ち腐れではないかという意見もあったが、蒼也自身は不知火を気に入っていた。

確かに全開機動をさせることは出来ず、機体性能を全て引き出しているとはとても言えない。だが、撃震より遥に優れた各種センサー類から齎される数々の戦場の情報を、蒼也は何よりも必要としていたのだ。

 

 

 

機種転換訓練に関わること以外にも、最終的な編成や連携訓練が完了した事を報告する蒼也。

それを興味無さそうに聞き流していた香月だったが、一通りの報告を聞き終えた後に彼へと向き直る。

 

「あんたの目から見て、実際どうなの? 使えそう?」

「新任とは思えないレベルですよ。斯衛訓練校を出た奴より上かも。才能ももちろんですが、教官が良かったんでしょうね。うちの隊だと、特に伊隅と碓氷。この二人はめっけもんですよ」

「ふーん。……で? いつからいけるの?」

「いつでもどうぞ」

 

初陣の話である。

現在のA-01の最も大切な役割は、00ユニットへの適正たる“より良い未来を掴み取る力”を育むことにある。その為には、平和な日本でいつまでものほほんとしてもらっている訳にはいかない。激戦地で戦い、適正の低い者にはふるい落ちてもらわなくては。

誤解を恐れず言ってしまうなら、死ぬことこそが今の彼等の仕事なのだ。

 

「それじゃ、重慶の戦線に話しつけとくから、防衛に参加してらっしゃい」

「防衛だけでいいんですか?」

「何かやりたいことでもあるの?」

「いえ、副司令のことだから、ハイヴに乗り込んで来いとか言われると思ってました」

 

これには香月も苦笑を浮かべる。

 

「流石のアタシだって、意味も無く手駒を全部失いたくは無いわよ。どうせそのうち行くんだから、そんなに焦りなさんな」

「了解。でも、重慶ですか……敦煌のほうじゃなくて?」

「あら、アンタでも古巣が気になるの?」

「そりゃあ、まあ。いつ北京を抜かれてもおかしくないですからね」

 

大陸に残してきた仲間達、中佐や沙霧の顔を思い浮かべる。

自分にこんな事を言う資格などありはしないが、それでも……無事に生きていて欲しい。

 

──まだまだ甘いわね、こんな顔をするようじゃ。

 

香月の目が、すっと細められる。

人の心を無くす必要はない。心の無い者などBETAと同じ。そんな者に人類を救うことなどきっと出来はしない。でも、それを他人に悟らせているようじゃ、まだまだね。

能力があって、感情を切り捨てることも出来、父親の名が有効にはたらく場面もある。使い出のある男だけど、この顔を人に見せているようじゃアタシのパートナーにはなれないわよ。

そう、心の中で香月は嘯いた。

だから、爆弾を落とす。

この男にはもっと成長してもらわなければならないから。軍事面における自分の半身として、信頼できる存在になって欲しいから。

 

「北京、陥ちたわよ?」

 

蒼也の瞳がそっと閉じられる。

こうなることは分っていた。自分が残っていても、多少の寿命を延ばすことしか出来なかっただろう。

それでも……悔しい。

 

「アンタの知り合いも随分死んだみたいね。詳細いる?」

「……いえ、結構です。となると、次は日本侵攻でしょうかね?」

 

ふうん、取り乱さないところは合格ね。そこは褒めてあげるわ。

 

「いいえ。これまでの傾向からすれば、おそらく北京の東か朝鮮半島あたりにハイヴの建設があると思うわ。しばらくは小休止ね。それより、重慶からの侵攻が穏やかになってきているほうが気になるわ。……まるで、力を溜めているみたいにね」

「それで重慶ですか」

「ええ。まあ、アタシの勘にしか過ぎないんだけどね。アンタが現地に行って、もし何か“視る”ようなら、すぐに連絡なさい」

「そんなに長い先は視えませんよ」

「可能性を自分で狭めるのは愚か者のすることよ。無理に何とか視ようとする必要はないけど、心に留めておきなさい」

「……了解です」

 

それじゃ、一週間後に出発して頂戴。と、そう話を終わらせた香月だったが、ふとやっておいたほうが良いことがあるのに気がついた。

自分の柄とはとても言えないが、彼女はあれでも大切な親友なのだ。教え子の初陣くらい伝えてやってもいいだろう。

 

「黒須、アンタこれから基地に帰るの?」

「そうですよ」

「そっ。じゃ、護衛よろしく。アタシも行くわ」

「……副司令~、だったら、僕がこっちに来なくても良かったじゃないですか」

「つべこべ言うんじゃないわよ。文句があるならアタシの隣りまで上ってからにしなさい」

 

ふうと、これ見よがしに溜息をつく蒼也。

一応文句を言ってはみたが……諦めよう。この人を止めるなんて僕には無理なんだから。

諦観の表情を浮かべる蒼也を、霞が興味深げな視線で、そっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

1997年、7月。

帝国軍白陵基地内、国連軍衛士訓練学校。

 

「やっほー、まりもー」

 

教官室の扉を開け放つなり、部屋にズカズカと踏み入る香月。無論、主の許可など得てはいない。そもそもノックすらしていない。

部屋の中には、いきなりの闖入者にデスクワークをしていた手が止まり、目をまん丸にした女性の姿。年の頃は香月と同じくらいだろうか、優しそうな顔をした随分な美人だ。

動きの止まっていた彼女だが、半ば無意識の内に抗議の声を上げる。

 

「ちょっと、夕呼っ! いきなり何……」

 

上げ切れなかった。ハッと我に返ったようだ。

大きく一息吐いて下を向き、気持ちを落ち着かせる。赤くなっていた頬が白く戻った。顔を上げた時にはキリリと引き締まった顔をした、そこには一人の軍人の姿があった。

徐に直立し、一糸乱れぬ敬礼をする。

 

「失礼いたしました、大佐。本日はどのような赴きであらせ……」

「ストォォォォォォォップ、まりも。そういうの嫌いだって何度も言ってんでしょ。

 そもそも、アタシは大佐相当官であって大佐じゃないの。軍人じゃないの。わかる?」

 

左手を腰に当て、右手は人差し指をズイッと突きつけ、高らかに言い放つ。

香月の言っていることは事実である。その立場を厳密にいうのであれば、彼女の所属は国連軍ではなく日本帝国となる。

オルタネイティヴ計画招致委員会に研究員として在籍していた香月だったが、第四計画が予備計画から本計画に格上げされた際に、オルタネイティヴ4総責任者として国連へと出向することになったのだ。大佐相当官という肩書きはA-01を指揮する為に必要だから手にしたに過ぎない。

つまり、見も蓋もなく言ってしまえば、香月夕呼という女性は日本に仕える公務員なのだった。……随分と強大な力を手にしてはいるが。

 

「……ですが……」

「じょ・う・か・ん・め・い・れ・い。……わかる?」

「……はぁ、もう。わかったわよ、夕呼……」

 

がっくりと肩を落とし、うなだれる女性。顔には黒い影がかかっていた。

さっきの凛々しい顔も素敵だけど、こっちの顔の方が可愛いな。香月の後から顔を覗かせた蒼也が、そんな場違いな事を考える。

それにしても、副司令。言ってることが矛盾してない? ……まあ、いいか。

 

「それで、夕呼。何の用なの?」

「あら、随分な言い草ね。友人の顔を見に来るのにいちいち理由が必要?」

 

にたにたと笑う香月。

蒼也はこの二人の関係を理解した。このまりもという女性、つまりは副司令のおもちゃなのね。友人には違いないんだろうけど……苦労してるんだろうなあ。

 

「はいはい、ありがとう。そんなに想ってくれてて嬉しいわよ。それで、こちらの方は?」

 

軽口を返しているように見えるが、肩は落ちたまま。首から上だけを蒼也へ向け、尋ねてくる。

 

「ああ、コイツはアタシの部下」

「黒須蒼也=クリストファー少佐です。よろしくお願いします」

「しょ、少佐っ!? も、申し訳ございません、失礼な真似をっ!」

 

香月のペースに巻き込まれて襟の階級章を確認していなかったまりもは、年下と思われる蒼也の予想外に高い階級に慌てふためいた。

弾かれるように立ち上がり、敬礼をする。

 

「国連軍白陵基地衛士訓練学校の教官を勤めさせていただいております、神宮司まりも軍曹でありますっ! 知らぬこととはいえ、無礼の程……」

「あ、僕もそういうの大丈夫です」

 

面白そうだから、副司令に乗っかっちゃえ。やっぱりあっちの顔のほうが可愛いし。

悪巧みを思いついた顔で、香月と同じ態度で通すことに決めた蒼也。

 

あ、また肩が落ちた。

蒼也の言葉を聞いて「この人もなの~」と、うな垂れるまりも。

救いを求めるように香月の顔を見るも……

 

「本人がいいって言ってんだから、いいんじゃないの?」

 

求める相手を間違えた。

一縷の希望を込めて蒼也に視線を移す。

 

「僕には姉がいまして。姉っていうか、本当は従姉妹……もっと遠いか。まあ、そんな感じの人が二人いましてね。年上の女性に偉そうに接するの苦手なんですよ」

 

そう言ってにこりと笑う蒼也を見て、まりもは悟った。抵抗は無駄だと。

 

「それに、僕も大陸にいたんですよ。一緒に戦うことは出来ませんでしたが、神宮司中尉の、“狂犬”の武名は聞いています。偉大な先達に教えを請う立場ですよ、僕は」

 

……夕呼が二人いる。

瓜二つの笑顔を浮かべる香月と蒼也。

今まで、友人の悪巧みには一度として勝てなかったまりもだ。素直に運命を受け入れよう。所詮、ネズミは猫には勝てないのよ……

遠い目をして現状を許諾したまりも。目の端に光るものが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

「あの、部下って言うことは……A-01の?」

「です。大隊長やってます」

「夕呼、いいの? A-01って特殊部隊でしょ、私が知っちゃまずいんじゃないの?」

「なによー、どうせ殆どアンタの教え子達なんだから、今更でしょ」

「そりゃそうだけど……ほら、建前とかってあるじゃない」

「さっきのやり取り、もっかいする?」

「うう……」

 

ほんと、いじられてる軍曹って可愛いな。

まりもが淹れてくれた茶をすすりながら、二人の掛け合いを眺める。

ところで、何しに来たんだっけ?

 

「それにね、黒須にはA-01の外への顔役やらせようかと思ってるのよ。

 中々便利なのよ、コイツ。父親の名前出せば、結構支持も得られそうだし」

「父親? ……黒須って、まさか」

「ええ、黒須鞍馬は僕の父です」

 

長年に渡り常に先頭に立って戦い続け、最後には仲間を救う為に自らの命を犠牲に捧げた鞍馬。日本人の衛士、特に国連軍に所属する者達にとって、その名は英雄と同義のものとなっている。

日本人とは自己犠牲を下敷きにした美談を好む傾向が強い。英雄の忘れ形見が父と同じ国連軍という道に進み、人類を護る為に命を懸ける。広告塔としてこれ以上の素材はそうは無い。

A-01は発足したばかりの特殊部隊であり、まだ外部にその存在を知らしめる必要はない。だが、いずれオルタネイティヴ4の成果を世界へと発表する時が来る。その時、蒼也は宣伝看板として大いに役立つことだろう。

 

「その……少佐は、それでいいのですか?」

 

英雄の息子と目的を同じくして戦える喜びも確かにあるが……それでいいのだろうか。

鞍馬の生き様を誇らしく語るのは構わない。むしろ率先してするべきだ。だが、それをプロパガンダとして使うのは、何か間違っているようにも思えるのだ。

 

「構いませんよ。むしろ、どんどんやって欲しいくらいです。

 人類が勝利する為なんですから、使えるものは何でも使っちゃいましょう」

 

そう、笑う蒼也。まりもはその笑顔に隠された悲しみを覚えた。

きっと、本当は父の名を利用されたくなど無いのだろうに、勝利の為に自分を殺しているのだと感じた。そんな彼を、そっと優しく抱きしめてあげたい衝動に駆られる。

 

「ま、とりあえずはそれまで生きていてもらわないとね。予定が狂うんだから、勝手に死ぬんじゃないわよ、黒須」

「無茶言いますね、相変わらず。……でも了解です」

「というわけだから、まりも。死なないように願ってやって頂戴」

 

ああ、そうか。

夕呼は……私の大切な親友は、それを伝えに来てくれたのか。

A-01の作戦内容など自分に知る権利は無い。彼らが戦場に赴くことを知る術などない。その無事を祈ることすら出来ないのだ。

だから、言葉の端に匂わせるように、教え子達が死地に赴く事を教えてくれたのだ。

親友のそんな不器用な優しさに、まりもはそっと感謝した。

 

「大丈夫ですよ、軍曹。ちょっとやそっとじゃ、僕が死なせませんから」

 

僕は死にませんから、じゃなくていいの?

わざとなのかうっかりなのか、そう語るに落ちた事を言う蒼也の微笑みに、まりもは胸の奥がトクンと一つ大きく鳴るのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

こうして、A-01部隊は初陣を迎えることとなった。

戦うは大陸、重慶ハイヴを巡る攻防戦。

この戦いの中、蒼也は訓練の時よりも遥に研ぎ澄まされた予知を見せ付け、数多くの仲間の窮地を救い……いくつかの命をその掌から取り零すことになる。

 

一方、北京を抜けた敦煌ハイヴからのBETA群は、韓国領鉄原に新たなるハイヴを建設。

この戦いの中、奇跡の大隊が壊滅したとの報が蒼也の元へともたらされた。

 

混迷する戦いの中、世界は新しい年を迎えることになる。

1998年。多くの日本人にとって、これまでに無い試練の時となる、新しい年を。

 

 

 



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31話

 

1998年、1月。

韓国領光州、帝国軍作戦司令部。

 

「閣下、本当によろしいのですね?」

 

彩峰萩閣、帝国軍中将。帝国大陸派遣軍の総司令官たる彼へ向け、副官が最後の確認を行った。

副官の顔には表情といえるものは浮かんでおらず、怒っているのか、呆れているのか、はたまた喜んでいるのか。その心の内を容易に見せようとはしない。

だが、長年に渡って夫婦のように連れ添った間柄だ。彼が自分の決断を受け入れてくれているであろうことを、彩峰は知っていた。

 

三人の子供達の顔を思い出す。彼等もまた副官と同じく、この選択を受け入れてくれるだろうか?

血は繋がっていないが実の息子のように思っているうちの一人、沙霧尚哉は昨年末の戦いで重傷を負い、治療の為に内地へと送られた。部隊の中で唯一生き残ったことは幸運と言ってよかっただろう。だが受けた傷は深く、治療とその後のリハビリが順調に行ったとしても、復帰まで少なくとも一年はかかる見込みだ。

 

もう一人の黒須蒼也もまた、日本にいる。……少なくとも、表向きには。実際のところは何処かの地で戦っているのだろうか。

特殊部隊に所属しているであろう彼については、彩峰といえども任務の詳細を知ることは出来ない。

息災であればいいのだが。ただそれを願うことしか出来ない自分が歯がゆい。

 

この二人は、これから自分が行う事を認めてくれるように思う。率先してか、仕方なくか、その違いはあるにせよ。

だが、最後の一人は……

 

──……慧。

 

おかしなものだ。

血を分けた実の子である彼女がどう思うかだけが、わからない。

思えば、国と民を守るためとはいえ家族を省みない駄目な父であった。先に逝った親友の事を笑えはしない。

だが……

 

──すまぬ。父には、この道を進む事しか出来ぬのだ。

 

静かに目を閉じる。

そして再び開かれた時、その瞳に最早迷いの色が見えることは無かった。

 

「これより、帝国大陸派遣軍は大東亜連合軍と共に民間人救出作戦を実行する。

 全ての責は、この彩峰萩閣が負う。皆、すまないがついてきてくれ」

 

彼の良く通る声が、司令部内に響き渡った。

 

 

 

光州作戦の悲劇。或いは、彩峰中将事件。この事件は、後にこう呼ばれることとなる。

昨年末に韓国領鉄原に新たなハイヴが建設された事により、これ以上の戦線維持は不可能かつ無意味と判断した国連軍及び大東亜連合軍は、朝鮮半島の放棄を決定する。

半島からの撤退作戦が行われるにあたり、これを支援する為、帝国大陸派遣軍は光州作戦を発動。大東亜連合軍が民間人を国外へと脱出させている間、国連軍と共にBETAの侵攻を抑えるのがその目的であった。

 

だが、ここで一つの誤算が起こる。

現地住民の一部が住み慣れた地からの脱出を拒否。その避難救助を大東亜連合軍が優先したことにより、大陸派遣軍は二者選択を迫られることになる。

即ち、防衛線の維持を優先して、現地住民を見捨てるか。

或いは、連合軍に協調して救助活動を行い、国連軍を危険に晒すか。

 

作戦行動を優先するか、人の道を選ぶか。

どちらを選んでも血の流れることは避けられない、正しい答えの存在しない問い。

大陸派遣軍総司令官として、彩峰が選んだ答えは後者であった。

結果として、国連軍司令部が陥落。指揮系統を寸断された国連軍は現場の判断のみで迫り来るBETAに対応せざるを得なくなり、多くの損害を被ることになった。

 

撤退作戦完了後、国連はこの件について日本政府に対し激しい抗議を行い、彩峰の国際軍事法廷への引き渡しを要求。

しかしこの要求に従えば彩峰に同情的である帝国軍からの反発は必至であり、また拒否すれば国際社会の場において日本への風当たりが強くなり、結果としてオルタネイティヴ第四計画が失速することになる。

苦悩を重ねた末、内閣総理大臣、榊是親は人類の最前線を勤める国家の政情が不安定となれば、ひいては人類全体の滅亡へと繋がると弁明。彩峰は国内法による厳重な処罰を行うということで国連を納得させた。

 

彩峰に下された罪状、それは敵前逃亡。

この不名誉な罪を日本の未来のために笑って受け入れた彩峰。彼は一切の弁明をすることなく、銃殺刑に処されることとなった。

榊は彩峰の高潔さに心打たれ、静かに涙したという。

 

この一連の事件により、元よりあまり良いとはいえなかった国連軍、ひいてはアメリカに対する日本国民の感情が更に悪い方へと傾いていき、日本は反米という名の危険な種火を身の内に抱え込むこととなる。

 

怒りと、悲しみと。日本の民の心に深い影を落とすこととなった光州の悲劇。

しかし、この年に訪れた彼等への試練は、これで終わりではなかった。

いや……ここからが、真の地獄の始まりであったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

1998年、6月。

重慶ハイヴ防衛線。

 

凡庸な人物。

特別腕が立つわけでもなければ、指揮に非凡なものがあるわけでもない。周りからの彼への評価はそのようなものであった。また、彼自身、それが正しいものだと思っている。

帝国軍に所属していた頃の階級は少佐。少佐といえば軍の中でもそれなりに高い階級だが、たまたま生き残ってしまったから得た位というのが実際のところ。三十半ばという年齢も鑑みれば、決して出世が早い方とは言えない。

むしろ、おそらくはこれで打ち止めであろうことを考えれば、やはり凡庸。

それが何の因果か国連軍へと引き抜かれ、階級を一つ上げて連隊を指揮する立場になった。だが、それもあくまで代理という形でだ。

 

しかし、彼には一つ才があった。

それは、他人の能力を正当に評価し、その力を十全に発揮させ、より相応しい場所へと送り出す事が出来る人間性。

別に公正であることに強い拘りがあるというわけでもなく、言ってしまえば彼は小市民なだけであったのかもしれない。階級を重ねるごとに大きくなる重責を誰か別の人間に任せてしまいたい。上に立つ人間が優秀であれば、それだけ自分も楽になる。

ただ、それだけのこと。

 

そのような性格をしていた彼は、連隊長代理という今の肩書が持つ意味を正確に把握していた。

それは、部隊の指揮官としては他にもっと相応しい者がいるであろうということ。

代理とは、香月夕呼博士の代わり……ではない、と。

 

彼の名は、後世には伝わっていない。

オルタネイティブ第四計画直轄特殊部隊A-01初代指揮官。その立場故、その彼の名が世に広まることなどなかった。

だが、もし彼がいなかったら、後の歴史は変わっていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

重慶防衛線に派遣されたA-01部隊は、特定の戦域に縛られることなく、自由な裁量を持って戦線の各地を転戦していた。

戦闘のあまり行われていないところを狙って、ではない。常に最も激しい戦いの行われている場所、戦線の崩壊しそうな場所への救援としてでである。

 

「こちら、国連軍A-01部隊。貴官等を援護する」

 

それだけを通信越しに告げ、顔も見せずにただBETAを駆逐し、去っていく部隊。

初陣から一年、彼等は一般の衛士が五年かけて屠る数のBETAを既に血祭りにあげており、その国連ブルーに彩られた不知火の姿は、戦場におけるもっとも新しい伝説として衛士達の間で語られていた。

無論、捧げた犠牲も大きい。第一、第二大隊を中心に決して少なくない数の隊員が九段へと旅立った。だが、それでも戦果と比すれば驚異的な損耗率の低さだったのである。

 

蒼也が持つ予知の力、それが遺憾なく発揮された結果である。しかし、これは連隊長代理である中佐の功績が大きかったと、そうともとれる。

もし彼が下からの意見を無視するようなタイプの人間であったなら、現状は大きく変わっていたであろうこと疑いないのだから。

 

中佐は連隊が発足してからの訓練において、蒼也の流れの先を見据えた戦い振りを散々に見せ付けられていた。彼の持ち味を殺すことの無いよう指揮を執らねばならぬと、固く自分に戒めていた。

だが、まだまだ見誤っていたのだ。初陣から間もなく、中佐はそう悟った。

 

実践に赴いてからの蒼也は、人が変わった。

先を見通すどころではない、本当に未来を知っているとしか思えない。読めぬはずのBETAの行動を読み、勝利への最善手を最短で突き進む。

頼もしく……いや、恐れすら、ある。

 

だが同時に、ある種の危うさも彼に感じていた。

己の体を危険に晒すことを厭わない。勝利の為ならば仲間の命が犠牲になっても構わない。そういう姿勢が見て取れる。

これはBETAと戦う者なら誰しも少なからず持っている感情であろうが、彼の場合は些か大きすぎるようにも思えるのだ。

人を、そして自分を、駒として扱う。まるでゲームでもしているかのように。指揮官という立場ならばそういう冷徹さもまた必要。だが、本当にそれだけでいいのだろうか……

 

A-01の戦い。人類の未来。そして、或いは救世主となるやもしれぬ蒼也のこれから。

それぞれに最善となる方法を考えぬいた中佐は、ある結論を部隊運用において見出した。

それがA-01の指揮を蒼也が執り、自身はそれを支えてやるというもの。

表向きの指揮官は自分のままだが、実戦における蒼也の意見はほぼ無条件で採用する。そして、蒼也が若さ故の危うさで道を踏み外しそうになった時には、反対側から押してやって本道へと戻してやる。

それが、一人の大人としての、自分の役割。そして蒼也を生かすことが人類の希望の道なのだ、と。

 

偶然というべきか、これはかつての“ハイヴ・バスターズ”における鞍馬とラダビノッドとの関係にも似ていたといえる。

これもまた、一つの因果の形なのであろうか。

 

 

 

 

 

状況が急変したのは、数日前の事になる。

重慶ハイヴを監視していた偵察衛星から、信じたくない映像が届けられた。

ここ一年程、重慶ハイヴからの侵攻は比較的穏やかなものが続いていた。だが、その映像に映し出されていたのは、ハイヴ周辺の大地に地肌が見えぬほどに蠢くBETA共の姿。

これまでの静かな侵攻は、この為に力を溜めていたからだとでもいうのだろうか。大規模な、今までにない大規模な侵攻が起ころうとしている。

重慶ハイヴの北、西、南は既にBETAの勢力下に置かれている。侵攻方面は残された東。ユーラシア大陸に唯一残された、人類の最後の領地へと。

 

ユーラシアがほぼBETAの勢力下に置かれ朝鮮半島も陥ちた今、この中国南東部を死守する戦略的重要性はさほど高いとはいえない。それでも未だに人類がこの場に踏み止まっているのは、鉄原ハイヴへと向けてBETAが移動するのを未然に防ぐことが目的となる。変則的な間引き作戦といって良いだろう。ハイヴに存在するBETA個体数が一定数を超えて飽和した時、新たな侵攻が始まるのだ。

 

ほぼBETAの勢力圏の中での戦闘であったが、東シナ海に面していることにより物資の移送と、そしていざというときの撤退が比較的容易であること。それ故にここまでかろうじて防衛を続けることができていた。だが、この数を前にしては、それももはや風前の灯火である。

この地に残っていた統一中華戦線、大東亜連合軍、国連軍は即時撤退の結論を下す。BETA群の総数は推定十万体。三個軍団もの数となる。そしてその数は今後増えることすらあれ、減ることなどない。環境の整った場でならともかく、今ここで相手をするのは自殺と同義だったのだ。

しかし、帝国大陸派遣軍が下した決断は違った。

 

戦闘の続行。

光州の悲劇を受け、国連軍が撤退するまでは持ち場を離れる訳にはいかない派遣軍であったが、それだけが理由ではない。

この膨大な群れが到達した時、鉄原ハイヴは確実に飽和状態に陥ることだろう。つまりは、時を置かず次の侵攻が始まる。パレオロゴス作戦後のBETA大侵攻を思いかえせば、その可能性は非常に大きかった。

 

日本が、危ない。

鉄原ハイヴからの侵攻で真っ先に標的になるのは、他でもない彼等の故郷なのだった。

重慶から鉄原までBETAがたどり着くのに最短で三日。時を置かずの再侵攻が始まったとして、鉄原から九州まで一日。合わせても四日、これでは万全の体制で迎え撃つ準備が取れるとはとてもいえない。

時間を稼がなくてはならない。もはや日本への侵攻は避けられないものとはいえ、せめて水際で食い止められるように。祖国をあの異形の物どもに支配されないが為に、いまや黄金よりも貴重となった砂時計の砂粒を掻き集め無くてはならない。

 

大陸派遣軍の必死の訴えに、光州の悲劇において云わば借りを作った形になる大東亜連合軍が応える。

危機的状況に陥った際には無条件で東シナ海へと撤退する、それを条件にではあるが彼等は一度下した決断を覆し、派遣軍へと力を貸すことになった。だが、それは単なる建前ともいえる。実際にその状況になった場合、無事に撤退することなど最早不可能であろうから。

光州の悲劇はたしかに遺恨をもたらした。だがその中に確かに希望も生み出されたのだ。それがこの、大東亜連合軍との絆だった。

 

この絶望的状況下において、A-01部隊が選ぶべき道は一つしかなかった。

 

 

 

 

 

──まずい……かな。

 

地平線の彼方から、土埃の壁が迫ってくる。

全高およそ20mの不知火から見える地平線までの距離は約16km。時速170kmの突撃級が到達するまで5分半。それが、残された時間。

 

蒼也の脳内に未来の姿が描かれていく。

突撃級の群れを縫うようにすり抜けようとして……潰される。

別ルートから……轢かれた。

こっちからは……無駄。

噴射跳躍で乗り越えて……着地する場所すらない。

 

駄目、駄目、駄目駄目駄目駄目駄目……。

死、死死、死死死、死死死死死死死死死死死死死死……。

 

答えの出ない問いかけ。終わりのない死の連鎖。

ねっとりとした、粘度の高い汗が額を流れ落ちていく。

 

──いくらなんでも、数が……多すぎるっ!

 

今この場に展開している部隊は決して多くはない。A-01が惹き付け、大陸派遣軍と大東亜連合軍の支援部隊で止めを刺す布陣だが……この数のみで殲滅するのは不可能。

初めて戦場に赴いてから二年と三ヶ月。蒼也は今、本当の意味で初めて自身の死を間近に感じていた。

 

体の震えを止められない。

死ぬこと自体は怖くない。怖いのは、人類の滅亡を止められないこと。

そう、思っていた。

だがそんなものは、ただの現実を知らない浅はかさに過ぎなかったのだろうか。

怖い。吐き気がする。頭が痛い。

……情けない。僕はこの程度の人間だったのか。

絶え間なく襲い来る頭痛を、頭を振って無理に追い出そうとする。そんなことで治まるはずもなかったが、気持ちの上だけでも負けていたくなかった。

地平線の彼方を睨みつける。くそっ、上手く焦点が定まらない。

 

ふと。BETAの群れへと向かって駆け抜けて行く一機の戦術機の姿が見えた。

 

──あれは誰だ?

 

不知火ではない。あれは……ファイティング・ファルコン。

手にした獲物は一振りの長刀のみ。

 

頭が割れる。

視界が反転する。

夏の暴力的な日差しがいつの間にか消え去り、気が付けば薄暗い洞窟の中にいた。

周囲には蠢くBETA共。先程のF-16が動かぬ半身を引きずるように舞を舞う。

 

──…………っ!!!

 

声にならぬ悲鳴を上げた時、夢から覚めたかのように、自分が変わらず不知火の管制ユニットの中にいることに気がついた。

時間を確認する。まだ十秒も経っていない。

 

──……なんで……今頃になって……

 

覚悟を決めたつもりでいた。

実際にBETAの姿を目の当たりにしても心は動かされず、奇跡と呼ばれるほどの戦果を上げてきた。

なのに、何故なのか。

何故、克服したはずのトラウマが今になって蘇ってきたのか。

 

……克服など、してはいなかったのだ。

蒼也のこれまでの戦いは、端から見ていかに異常な戦果を上げたものであったとしても、それは真の意味で命を懸けたものなどではなかった。

例えるなら、答えのわかっているパズルを解いているようなもの。

そこに恐怖など感じるはずもない。見せかけだけの、勇気。

それが、初めて自分の能力のみではどうにも出来ない事態に直面し、化けの皮が剥がれた。

 

視界の果てには土煙。現実と幻のBETAが重なりあって襲い来る。

心臓が死神の手で鷲掴みにされたかのように、酷く痛んだ。

 

 

 

 

 

「どうした、黒須」

 

先程から黒須少佐の様子がおかしい。声をかけても返事が返ってくる様子がない。

映像を繋ぐと、瞳孔が開き呼吸が乱れているのが見て取れた。

バイタルを確認する。心拍数と体温、血圧の異常上昇。これは……

 

──フラッシュバックかっ!?

 

中佐はこの症状に覚えがあった。

かつての部下が同じ症状に悩まされ、衛士としての未来が閉ざされたことがある。

しかし、何故突然?

いや、フラッシュバックとは突然に起こるものだが、それでもこれまでの戦いの中でそのような兆候を示したことなどなかったというのに。

BETAが怖い?

突撃級の脇をすり抜けるような真似をする奴だぞ。並みの図太さではないのだが。

この数が問題なのか?

確かにこれまでにない数には違いないが。だがしかし。

 

……いや、今そんなことを考えてもどうしようもない。

考えるべきは、フラッシュバックの原因を探ることではない。これからどうするか、だ。

バッドトリップが怖いが、後催眠暗示か鎮静剤を使うべきだろうか。だが、薬で無理に落ち着かせたとして、それで使い物になるか?

こいつの場合、あの先読みが出来なければ並の衛士以下だ。作られた平常心では大して役に立つとも思えん。

どうする? 無駄に散らすには惜しすぎる奴だ。何がトラウマになっているのかは分からんが、克服できるならば今後の戦いの鍵なる男なのは間違いない。

いや……克服できるなら、などと甘いことを言える状況ではないな、人類は。無理にでも、克服してもらわなければならない。

……仕方ない、な。

 

「伊隅」

「は、はいっ!」

 

返事をしない蒼也を訝しんでいたところに、いきなり名を呼ばれて声が上ずる伊隅。

 

「お前、臨時で中隊の指揮を執れ。第三大隊アルファ中隊はこの場を離脱しろ」

「えっ!?」

「復唱っ!」

「はっ! 伊隅中尉、第三大隊アルファ中隊の指揮を執り、この場より離脱しますっ!」

「よし。……碓氷」

「はっ!」

「前衛はお前だ。海に出るまで気を抜くな」

「了解っ!」

「あ、あの、中佐っ! その、黒須少佐は……?」

 

この一年で蒼也に絶大な信頼を寄せるようになっている伊隅だ。彼の様子がおかしいことことが、さぞ心配なのだろう。

 

「何とも言えん。だが、早急に医者に診せろ。現状、使い物にならんが……こいつはここで死なせるわけにはいかん。まだまだ働いてもらわないとな」

 

そう言って笑う中佐。

静かで穏やかな笑みだった。

その顔を見て、覚悟を決めた。見捨てる覚悟を。

伊隅は他の一機と共に、蒼也機を両側から肩を貸すように挟みこむと、跳躍ユニットに火を入れる。

 

「いいか、お前ら。今回は黒須抜きだが、別に全滅するまで戦えって言う訳じゃない。適当に時間を稼いだら離脱するぞ。まあ、気楽に行けや」

 

部隊全員へと向けたチャンネルから聞こえてくる中佐の声。

引かれる後ろ髪を切り落とし、十二機の不知火がその場を後にした。

 

 

 

蒼也が自分を取り戻した時、既にそこは東シナ海に浮かぶ戦術機母艦の中だった。

自分を見つめる、伊隅と碓氷の心配そうな視線が胸に痛い。

今はとにかくゆっくりと休めと、そう告げる医者の言葉に従って個室に篭もる。二人の視線から逃げ出すように。

 

士官用に充てがわれた部屋の中、のろのろとベッドに潜り込む。

何も考えたくなかった。心の中に溜め込まれた鉛の重さに引きずられるように、意識を手放してしまいたかった。

だが。

 

「……まいったな」

 

幽鬼のように生気のない顔をして、上体を起こした蒼也が小さく呟く。

 

「眠れないや」

 

蒼也は体の向きを変えて壁に背中を預けると、自分の体を抱きしめるようにして座り込む。

その夜、彼の部屋の明かりが落ちることは最後までなかった。

 

 

 

 

 

 

 

A-01部隊、そして彼らと共に戦った帝国大陸派遣軍、大東亜連合軍。

彼等が帰還することは、ついになかった。

彼等の死は犬死にだったのだろうか?

いや、決してそのようなことはない。その懸命な、文字通りに命を懸けた戦いの末、三個軍団もの規模のBETAを半数近くにまでに減らすことに成功したのだから。

そして残存BETAが鉄原ハイヴに辿り着いた後、再び数を揃え侵攻を起こすまでの貴重な時間を稼ぐことが出来たのである。

それは、およそ一ヶ月にも及ぶ長い時間。

そして日本帝国はその時間を無駄に使うことなく、上陸が予測される北九州沿岸部を中心に出来得る限りの防衛体制を取ることに成功した。

 

 

 

だが、しかし。

彼等の挺身により稼いだ時間。皮肉にも、その時間こそが最悪の運命を引き寄せることになる。

 

1998年7月7日未明、鉄原ハイヴのBETAが活動を再開。

一月前の侵攻に匹敵する、いやそれ以上の数が日本へと向けて南下を開始した。先遣隊となる突撃級は僅か四時間足らずで北九州に到達し、水際で上陸を阻止せんとする帝国本土防衛軍と激しい攻防を繰り広げる。

 

そしてこの時、ユーラシア大陸における大規模環境破壊の影響により発生した超大型の台風が、沖縄及び九州地方に襲いかかっていた。

帝国本土防衛軍、帝国海軍にとってとてつもなく重い足枷となる、神風が。

 

 

 



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32話

 

1998年、7月。

国連太平洋方面軍、白陵基地。

 

「番組の途中ですが、緊急ニュースをお伝え致します。

 只今、近畿及び東海地方が警戒区域へと指定され、住民の皆様への緊急避難命令が発令されました。該当地域にお住まいの方は、政府の支持に従って速やかに避難してください。

 繰り返し、お伝え致します……」

 

誰が見るわけでもなく垂れ流しになっていたテレビが耳障りなサイレンを流しだし、状況がまた一段階悪くなったことを伝えてきた。上ずった声で原稿を読むアナウンサーの顔は血の気を失って蒼白となっており、まるで蝋人形のようにも見える。

昔、不吉な顔ってよく言うけど具体的にどんな顔なのよと、友人と笑いながら話した事があるのを伊隅は思い出していた。今ならわかる。このアナウンサーの顔が、それだ。

 

向かいの席に座っている碓氷がテレビから視線を外し、肺からゆっくりと、大きく空気を吐き出した。ため息という一言で片付けてしまうには足りない様々な感情。怒りと悲しみ、そして焦り。綯い交ぜになったそれらを抑制するために心の中から体の外へと流し去る、そんな嘆息。

彼女は気丈な女性だが、この一月で随分とやつれた。短いながら女性らしく手入れは欠かしていなかった髪の色も、幾分かくすんで見える。

 

戦況は悪い。あのアナウンサーに言われるまでもなく、それはよくわかっていた。

一月前、鉄原からの大侵攻を間近に控え、帝国軍は各地に配備されていた部隊の多くを九州へと集結させた。この白陵基地からも本土防衛軍の戦術機部隊が出動し、基地内に残るのはA-01のみ。

ちょうど良い機会と言ってはなんだが、帝国軍がいなくなったことを機に、この基地はようやく国連軍へと明け渡されることとなった。それに伴い、基地司令と共に多数の部隊が赴任してきたが、その部隊もまた着任と同時に西へと向かって旅立っていった。

 

そうして引かれた鉄壁の防衛陣だったが、人の努力を嘲笑うかのように、天はこの国を見放した。かつての元寇の際に侵略者から国を守った神風が、今度は敵となって吹き荒れたのである。

跳躍の封印された戦術機、進まぬ海軍兵力の洋上展開、孤立する地上部隊。風速40mを超える激風の中での防衛は困難を極めた。そしてついには、水際の守りを突破され、本土への侵攻を許してしまったのだ。

緒戦で勢いを削ぐことの出来なかった付けは高く、押し寄せる侵略者の高波は瞬く間に姫路の第一次帝都防衛線にまで到達する。僅か、一週間での出来事であった。

 

ため息も伝染するのだろうか、伊隅の肺からも空気の塊が吐出された。

PXの中に二人以外の人影はない。

食事の時間から少し外れているというだけでなく、単純に基地内のほとんどの部隊が出払っているのだ。何の為なのかは言うまでもないだろう。

静かな空間が苛立ちを募らせる。

伊隅は当然、自分達A-01部隊も西へと向かって出動するとばかり思っていたし、そう希望してもいた。しかし、下された命令は無常にも基地内待機であった。

 

「他の部隊と連携を取りにくい特殊部隊、数はたったの十二機。駆けつけたところで何の役に立つっていうのよ。しかも、隊長は壊れかけよ?」

 

香月副司令の言葉を思い出す。

正しい意見だ。確かに言うとおりに違いない。帝国本土防衛軍に斯衛軍という、日本の戦力の粋を持ってしても抑えきれない大侵攻。対する現在のA-01を鑑みれば、蟷螂の斧という言葉がこれほど合う状況もそうはないだろう。

 

だが、そんな理屈でこの気持ちを抑えきれるものではない。たとえ僅かでも侵攻を抑えることが出来るならば、自分の生命を使うことに躊躇いなどどこにもない。重慶で英霊となった戦友達は、実際にそれをやってのけたのだから。

 

──せめて、少佐が万全だったら……

 

彼が指揮を執るならば、たかが一個中隊の戦力とはいえ十二分な働きを見せるに違いない。大陸で演出してみせた幾つもの奇跡がそれを証明している。

自分を副官としてこき使い、散々に弄り倒してきた、年若い悪戯好きの上官。とはいえ、その能力は間違いなく信用しているし、信頼もしている。性格的にも……まあ、嫌いではない。

 

「……少佐がいてくれればね」

 

碓氷がポツリと呟いた。

どうやら、同じことを考えていたらしい。

 

「持病が再発したって言うけど……もう一ヶ月か」

 

大陸から帰還してすぐ、彼は治療の為に隊を離れた。今も基地内の何処かにはいるはずだが、その後の音沙汰はない。持病というのが一体何の病気なのかも明らかにされていない。

現在は伊隅が仮の連隊指揮官となっているが、基地の防衛という名ばかりの任務の他には特段、するべきことが無いのが現状だ。何れにせよ一個中隊のみの戦力では、新しく隊員が入隊してくるまでは開店休業の状態が続くことだろう。

 

「なに碓氷、少佐がいなくて寂しいの?」

 

伊隅が軽口を叩いてきた。

 

「まだ若いのに佐官だし、中々のお買得物件よね。ハーフなのとあの性格がちょっとネックだけど」

 

同期の碓氷への気安さもあるとはいえ、仮にも軍務中にもかかわらず彼女がこういったことを口にするのは珍しいことだ。

重苦しい空気を変えようと、気を使ってくれたのだろう。伊隅の気遣いに感謝しつつ、ならばとこちらも軽口を返す碓氷。

 

「お、上から目線とは。流石、お相手のいる方は余裕ですな。正樹君だっけ? 可愛い可愛い年下の男の子~って」

「……余裕……な訳、ないでしょ……」

 

調子っ外れに節を付けた碓氷の歌を聞いて、伊隅が机に突っ伏した。絞るように声を出す。

藪をつついたら蛇が出てきた。慣れないことはするものじゃない。

 

「ああ、ライバル多かったんだっけ」

「……ここに入ってから、一度も会ってないのよ……。こうしてる間にも姉さんや妹達が正樹にちょっかい出してるかと思うと……」

「あはは、特殊部隊ってこういう時は不利ねー。しっかし、四姉妹で一人の男を取り合うって、何度聞いてもすごいわ。よく仲悪くならないよね」

「姉さんとはたまにぶつかるけど……まあ、姉妹仲はいいほうかな」

 

あ、いいこと思いついた。碓氷の瞳がキラリと輝く。

 

「いっそ、四人揃ってお嫁さん……とかいいんじゃない?」

「あながち冗談になりそうもないんだから、やめてよ」

「男女比偏ってるからねー。戦争が終わったら重婚とか出来るようになるよ、きっと」

 

想像してみる。

ウェディングドレスに身を包んだ四人に囲まれる正樹。うん、見てきたように絵が浮かぶ。

あ、なんかムカついてきた。

 

「ああもう、やめやめ。とりあえず、ちゃっちゃと日本からBETA追い出して正樹に会いに行こう。うん、そうしよう」

「そうだねー……まずは勝たないと、ね」

 

僅かに憂いだ顔を覗かせた碓氷が、無意識にテレビへと視線を送る。

モニターの中では、変わらず不吉な顔をしたアナウンサーが必死の声をあげていた。

 

「ねえ、みちる」

 

再び訪れた沈黙を遮る碓氷の声。

しかし、それは先程までの楽しげなものではなく、己の罪を神に告白する罪人のものであった。

 

「もし……もし、だよ。あの時、A-01が重慶に残らなかったら、侵攻と台風が重なることもなかったのかな……」

「……碓氷」

「日本がここまで攻めこまれてるのは、あたし達が大陸で頑張っちゃったから、なのかなって──」

「碓氷っ!!」

 

碓氷の声を遮る強い叫び。両の掌をテーブルに強く叩きつけ、その勢いのままに立ち上がる。紙コップが倒れて、褐色の液体がテーブルの上に地図を描いた。

ここがかつての賑わいのままであったなら、PX中の人間がこちらを注目したことだろう。

立ち上がった体勢のまま、伊隅は顔だけは上げずに下を向き、胃の腑から吐き出すように声を絞り出した。

 

「……駄目だ、碓氷。それは、駄目だ」

「……みちる」

「台風が来てしまったのは誰のせいでもないし、一ヶ月の時間を稼いだからこそ、多くの人間の生命が助かったんだ」

「……うん」

「今でさえ何万人も死んでる。これがもし、民間人が避難する時間もなかったなら、下手すれば何千万もの生命が失われていてもおかしくはなかった……だからっ!」

 

顔を上げた伊隅の瞳には、涙が滲んでいた。

碓氷に言われるまでもなく、その考えは伊隅の心にも影を落としていたのだ。

日本の民が何万人も死んだ責任は自分達にあるのではないのかという、恐れが。重慶で散った戦友たちの生命こそがこの現状の原因なのではないかという、恐怖が。

 

「だから……そんなこと、言っちゃ駄目なんだ……」

「うん……ごめん、みちる」

 

碓氷は伊隅の横に回ると、彼女を抱くようにそっと引き寄せた。

一度高ぶった感情はおさまりを見せず、碓氷の肩に頭をあずけ、伊隅は静かに涙を流し続ける。

 

──少佐……はやく、帰ってきてください……

 

蒼也の不敵な笑顔を思い描いた碓氷の瞳からも、一筋の雫がこぼれ落ちた。

 

 

 

 

 

「で、奴の様子はどう?」

 

その頃、香月は専用の執務室で問を発していた。

尋ねられた女性が白衣の内ポケットからタバコを取り出し、口に咥えて火を付ける。

視線が無意識の内に室内を彷徨った。灰皿を探しているのだろう。

 

「……アタシ、吸わないんだけど」

「あら、そうだったかしら」

 

責めるような香月の目を気にする素振りも見せず、女性は煙をふうと吐き出した。短くなったタバコから、崩れるように灰が床へと落ちる。

女性はこの白陵基地に勤める軍医であり、姓は副司令と同じ香月。夕呼の実の姉、モトコである。

 

「後催眠に薬物……言われるとおりに症状を抑えこんだわよ。気乗りしなかったけど……本人も望んでいたしね」

「なら、復帰させてもいいわね」

 

恨みがましい視線を落ちた灰に向ける豊かな表情とは裏腹に、言葉は計画を主導する責任者としての冷徹なもの。

 

「いえ……やめたほうが無難ね」

「治ったんじゃないの?」

「無理矢理に抑えこんでるだけよ。一月で治るわけ無いでしょ」

 

モトコはつき放つようにそう言うと、タバコを床に投げ捨て靴の裏でもみ消した。

夕呼の視線に含まれる苛立ちの割合が増していく。

 

「トラウマの克服なんて一朝一夕で出来るものじゃないわ。長年PTSDで苦しんでいる人がどれだけいると思っているの?

 私のような軍医じゃなく専門のカウンセラーに診せた上で、時間をかけて向き合っていくべき問題よ」

「そんな時間がないのはわかるでしょ。それに、専門は脳科学でしょ? 頭の中の問題なんだから、近いっちゃ近いじゃない」

「仮にも科学者の言葉とも思えないわね。象と鯨ほどに違うわよ」

「どっちも、同じ哺乳類よ」

 

左手を頭に当てて首を振るモトコ。二本目のタバコに火が付けられた。

 

「ロボトミーでもやれっての? それこそ使い物にならなくなるわよ」

「……繰り返すけど、時間がないの。それに、アイツをおいそれと外部の医者に診せるわけにも行かないのよ。信用できると判断してある程度は話したけど、これ以上のことは例え姉さんでも言えないんだから」

 

モトコが頭に当てていた左手で髪をかきむしった。

しばしの沈黙の後、諦めたように溜息をつく。

 

「……トラウマ克服の方法は大きく分けて二つあるわ」

「聞かせて」

「一つは時間の優しい残酷さに任せること。時の流れは喜びも悲しみも風化させていくわ」

「当然、却下よ」

 

二本目のタバコが踏み潰され、そして新しい紫煙が漂う。

 

「……もう一つは、トラウマとなった出来事を客観的な目線から追体験させること。第三者的な立場で事件を思い返すことで、これはもう終わった出来事なんだと心に納得させるのよ」

「なるほど」

「ただし、これも本来なら十分な時間をかけて行う方法よ。無理をすればより深いトラウマが刻まれるか……最悪、精神が崩壊する恐れがあるわ」

「そうなったら、それまでの男だったということよ」

 

夕呼の口の端が持ち上がり、歪んだ笑みを形作った。

 

「ありがとう、姉さん。第三者の目から追体験、ちょうど良い人物に心あたりがあるわ」

「……そう。良い方向に向かうことを祈ってるわ」

「お礼に、そこの吸い殻の掃除はこっちでやっといてあげるわ」

 

その言葉に返事を返すことなく、モトコは執務室を後にした。

どうしようもない遣る瀬なさが胸にこみ上げる。

 

──無力なものね、医者なんて。

 

自らを嘲笑うようにそう呟く。

人気の無い廊下に煙とヒールの音だけが満ち、やがて遠ざかっていった。

 

 

 

 

 

 

 

1998年、8月。

京都。

 

「責は、この儂にこそある」

 

場は、空気が固形化したかのような重苦しい雰囲に包み込まれていた。

帝国を代表する文官が列席する会議室、常ならば弁舌に長けた彼等の喧々諤々な議論が行われる部屋。しかし、今この場で口を開くものは一人しかいない。

 

「兵達は皆、よく戦ってくれた。決断を下したのは……罪を背負うべきは、この儂じゃ」

「殿下……」

 

首相である榊是親が将軍の痛みを察し、沈痛な面持ちで言葉を漏らす。

 

「……京都を、放棄する」

 

日本帝国政威大将軍、斎御司経盛は居並ぶ家臣を前にそう宣言した。

 

 

 

7月末、姫路から神戸、そして大阪へと徐々に後退を続けながら、それでも自らの生命を盾としてBETAの侵攻を抑え続けてきた帝国本土防衛軍九州方面部隊が、ついに壊滅する。

そして、最早帝都の陥落は避けられぬものと判断した政府は、断腸の思いで決断を下した。平安の世から続く千年の都に、終焉の訪れる時が来たのだ。

 

防衛線を守りに適した琵琶湖運河へと引き下げ、そこに残された戦力を再集結させる。それまでの時間を稼ぐべく帝都の前に最後の壁として立つのは、斯衛の仕事に他ならなかった。

紅蓮醍三郎大将麾下の第1大隊、月詠花純中佐率いる第12大隊、そして斑鳩崇継少佐の第16大隊。これまでの激戦をくぐり抜けても尚、十分な戦力を維持していた彼等を中心として、戦術機が文字通りの鉄の壁としてBETAの前に立ちはだかったのだ。

支援砲撃として大阪湾、若狭湾、そして琵琶湖に配された帝国海軍艦隊からの艦砲射撃、更には軌道からの爆撃をもって歴史ある街並みを自ら瓦礫に変えつつ、彼等は懸命に戦った。

……一部の僧など、最後まで避難を拒否した民間人の命を、その手で奪いながら。その重みを、背負いながら。

 

この戦いには、出し得る全ての戦力が費やされることとなった。

斯衛の各大隊だけではなく、予備役の立場にある者、あるいは退役した者、そして衛士訓練生。戦術機の操縦が可能であるものは漏れ無く召集され、残されていた全ての予備機が投入された。

彼等に恐怖がなかったわけではない。だが、召集を拒否する者はひとりとしていなかった。それが、斯衛としての誇りであったのだから。

 

そして、8月10日。

帝国政府は在日米軍及び国連軍に、京都の放棄と東京への正式な遷都を通達した。

 

 

 

「頃合いにございます……御下知をっ!」

 

斯衛第16大隊の副隊長を務める月詠真耶大尉が、炎に包まれた帝都を背に、決断を求めた。

 

「月詠、そなたの意見に変わりはないな?」

「ございません、閣下。斯衛は帝国の守護者、瑞鶴は全ての民の刃にございます。民に生き恥をさらしても尚……我らは、生きて戦い続けなければなりません」

 

真耶の言葉に答えるのは、この戦いで最も激しく戦い続け、撤退戦においても命を落とす危険が一番高い殿を敢えて志願した斑鳩崇継少佐。

この状況にありながら、その瞳に宿った強い光はいささかも衰えてはいない。

 

「然り。我ら摂家の不始末にて迷惑をかける。この罪は、いずれ問われよう。

 されば月詠、全軍に通達せよっ!

 魚鱗参陣、我らは下京、北の光線級を排除した後、蹴上より山科、大津へと撤退するっ!」

「はっ!」

「皆の者、これが最後の攻勢ぞっ! 殿を務める我が斯衛の戦い、この千年の都に刻みつけて──」

 

そして最後の命令を下そうとした、その時。

 

「お待ちくだされいっ!!」

 

一人の男が発した強い制止の声が、斑鳩の言葉を止めた。

歳を重ねることで得た深い思慮と、そして若かりし頃と変わらぬ勇気を感じさせる声。

指揮官の命令を遮るという、本来あってはならぬ罪を犯したのは。

 

「……月詠の。一体、どういうおつもりかな?」

 

帝国斯衛軍退役少将、月詠瑞俊であった。

彼が召集に応じて参上した時、流石に誰もが無茶だと思った。確かに彼は衛士としての技能と資格をもっている。年齢に比して若々しい体を誇っているのも事実だ。だが、彼は既に齢八十を超える老齢の身なのである。いかに斯衛の一時代を築いた傑物といえど、実戦機動など出来るわけもない。

 

だが同時に、彼の気持ちもよくわかった。口にすることは決してなかったが、彼がどれだけ口惜しく思っているか、子や孫を戦地へと送りながら自らは安全な場所にいることに、どれだけ苦悩していたか。それを皆、よくわかっていたのだ。

ならば比較的後方での支援、あるいは撤退する非戦闘員の護衛を担当してもらおうと、ついには彼を戦術機へと乗せることになったのだが……かつて鬼と呼ばれた男は、周囲の浅慮ではかり切れる存在などではなかった。

瑞俊は、防衛線から浸透して出現した戦車級の一団を、何ら気負うこともなく、ただ一刀をもって斬り伏せてみせたのだ。

そして瑞俊は第16大隊に組み込まれ、これまで斑鳩の指揮の下、奮戦してきたのである。

 

瑞俊は退役少将の位にあるが、指揮系統の混乱を防ぐ為に現在は臨時大尉の階級を与えられている。この場においては、斑鳩少佐こそが上官であった。

その上官の命令を拒否し、更には意見する。場合によっては銃殺すらあり得る重罪である。

しかし、瑞俊は恐れを見せることなく、言い切った。

 

「その大任、この儂に任せては頂けませぬかな」

 

場が静まりかえった。周囲よりの、炎が轟々と燃える音だけが聞こえる。

悩んでいる時間などない。もう間もなく、この場には奴らがやってくるだろう。それ迄にあの光線級を屠り、支援砲撃を有効にしなければならない。さもなくば部隊の全滅すらあり得る。

斑鳩は一つ息をつく。現在の立ち位置がどうであれ、瑞俊は尊敬すべき先達に違いない。だが情に流されてしまっては、指揮官としの責を果たすことなど出来はしない。

斑鳩は瑞俊の意見を却下しようとする。しかし、舌に言葉を乗せようとしたその瞬間、狙いすましたかのように再び瑞俊がそれを遮った。

 

「一個大隊全てと、もともと員数外の老いぼれ一人。危険に晒すとすれば、どちらの方がよろしいかな?」

「……月詠の。それは、主があのBETAの壁をくぐり抜けて光線級の元へと達し、そして屠ることが出来る……その可能性があって初めて成り立つ比較だ」

 

斑鳩の苦々しい言葉にも、瑞俊は怯む様子を見せない。

 

「なに、儂が駄目だったら改めて吶喊なさればよろしい。そう時間がかかるわけでもないですからな」

「……月詠の──」

「閣下、これ以上の問答に割く時間はさすがに惜しい。されば……この老いぼれに、死に場所を与えてはくださらんか?」

 

網膜投影越しに、二人の視線が交錯する。

単騎での光線級吶喊など、常識で考えれば成功するわけがない。が、今ならまだ彼が散るのを見届け、その後に改めて行動するだけの時間は確かに残されている。

そして斑鳩は、決断を下した。

 

「……よかろう。ならば月詠よ、見事に死花、咲かせてまいれっ!」

「されば、とくとご覧あれっ!」

 

瑞俊は歌いあげるようにそう言うと、隊に背を向ける。

 

「真耶よ、後のことは任せたぞ。皆によろしくな」

「はい、少将閣下……お祖父様……ご武運をっ!」

「うむ。では、達者でな」

 

そして真紅の瑞鶴が一機、燃え盛る炎の中へと駆け出した。

 

「……異星の鬼どもよっ! この月詠童子の首、取れるものなら取ってみせよっ!!」

 

 

 

剣の名門、月詠家。その姓は日本神話の神、月読命の名に由来する。

月読命とはその名の通り、月を読む神。つまりは暦を司る神である。

黒須鞍馬より息子蒼也へと受け継がれた、時を見る異能の力。それは本来、月詠の血にこそ色濃く流れていたのではなかろうか。

……そう考えるのは、些か乱暴というものだろうか?

しかしこの時、月詠瑞俊は常識という枠を大きく飛び越えた戦い振りを見せ付け、それを斯衛第16大隊の者達の心へと、確かに深く刻みつけたのである。

 

この日、炎に彩られた千年の都に。

一匹の鬼が、顕現した。

 

 

 



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33話

 

1998年、8月。

国連太平洋方面軍、白陵基地。

 

鏡を見つめる。

映しだされているのは、茶色がかった色素の薄い髪と瞳を持つ青年の姿。自分の、姿。

ほんの数日前まで、この姿が自分のものだとどうしても認識できなかった。意識と現実との間を分厚い膜が遮り、まるで水の中から地上の様子を伺っているような、そんな感覚。そんな日々。

日々とはいっても、一体どれほどの期間だったのか……それすらわからない。

 

様々な精神安定剤に催眠治療。オーバードース寸前まで薬漬けになり、現実から目を背けた結果だ。

処置を施した医師や指示を出した副司令を恨むつもりなどはない。薬で症状を抑えられるならと、自分もまた望んだことでもあったのだから。

だが、落ち窪んだ眼窩に痩けた頬、死滅した脳細胞を代償に手に入れた平穏は……やはり仮初めの物でしかなかったようだ。視界の端にチラチラと見え隠れする、壊れかけたF-16の姿がそれを証明していた。

自らの心を縛る恐怖と長く付き合い、折り合いがつく終着点を探っていくのであれば、ああいった薬物は確かに治療の役に立つのだろう。だが結局のところ、あれは症状を癒す薬などではなく、あくまでも抑えるものでしか無い。最終的に必要となってくるのは、己を律する強さ。そういうことなのだろう。

 

どこからか蝉の鳴き声が聞こえてきた。

更衣室の中、壁に据え付けられたカレンダーを確認する。現在の日付は既に8月も半ばを示していた。己を見失ってから、既に一ヶ月以上もの時間を無為に過ごしていたことになる。

重慶のBETA群はどうなったのだろうか? 日本への侵攻を防ぐことは出来たのか?

知りたい。乾きにも似た感情が、心の中に焦りという名の砂漠を広げていく。この乾いた大地を潤す、情報という名の水が欲しい。

だが……

 

その気持を振り払うように頭を振る。今は、己との戦いの時だ。

自らの不始末の結果、仲間が、日本がどうなったのかを知りたいと思うこと……それは弱さ。

今の状態の自分に知らされていないということは、それは精神状態を悪化させる類のものということなのだろう。それを分かっていながら微かな希望に縋り、救済を願うかのごとく良い顛末を期待する……そんな権利など、今の自分には、ない。

 

もう一度、鏡を見つめる。

目ばかりが爛々と輝いた、血の気の失せた幽鬼のような顔。

その顔めがけ、拳を叩き込む。

 

──……僕は……負けないっ!

 

蜘蛛の巣のように罅が入った鏡。

そこには衛士強化装備を着た蒼也の姿が、歪んで映しだされていた。

踵を返し、部屋から出て行く。

硝子の欠片がこぼれ落ち、床で砕けて光の雫をまき散らした。

 

 

 

衛士強化装備を着こみ臨戦態勢となった蒼也が向かった先は、当然のごとくハンガー……ではなく、元いた病室だった。

モトコ女史のいう二つ目のトラウマ克服法、トラウマとなった出来事を客観的な目線から追体験させること。それが今から、この病室で行われようとしている。

蒼也がわざわざこんな物騒な格好でここにいる訳は、強化装備を介すれば身体や精神のデータを詳細に読み取ることが可能だからである。フラッシュバックや、さらなる恐慌状態が引き起こされそうになった場合、それを事前に察知して対処することが出来るのだ。それに万が一、錯乱して暴れまわるような事態になったとしても、強制的に鎮静剤を打ち込む機能も備わっている。己の誇りにかけてそのような事態を招くつもりはないが、保険をかけておくに越したことはない。

 

ベッドに腰掛ける蒼也。その傍らのモニターから伸びるコードを、香月モトコ医師が強化服へと繋いでいく。

部屋の中には他に二人の人物の姿が。一人は香月夕呼副司令。そして、もう一人は。

 

「楽にしてくれて、構わない。もっとも……そう、畏まるような場所でもないがね」

 

初めて見る顔だった。

浅黒い肌に口髭、髪は軍人らしく短く、後ろへと撫で付けられている。その髪には随分と白い物が混じってはいるが、少なくとも外見上はそこまで高齢というわけではない。母や叔母達と同年代か少し上くらいだろうか?

国連軍C型軍装の襟には准将の階級章。蒼也の知る限り、白陵基地に国連軍人の将官は存在しない。となれば、この人は外部の人間か、あるいは……

 

「私は、パウル・ラダビノッド。この白陵基地に、司令として赴任してきた者だ。よろしく頼む」

 

なるほど、後者のほうだったか。ならば、白陵基地は完全に国連軍のものへとなったということなのだろう。

では、今まで駐屯していた帝国軍はどこへ行ったのだろうか? 様々な可能性、特に日本にとって良くはない事態が脳裏をよぎる。

……いけない。先程、今は自分との戦いだと心に誓ったばかりなのに。

 

「黒須……蒼也、少佐。君には一度会ってみたいと……そう、思っていた」

 

ラダビノッドの深い光を秘めた瞳が蒼也を見つめる。

深いのは色ではない。込められた想いが、深い。きっと、数々の戦場で数多の生と死を見続けてきたのだろう。こういう人物を、歴戦の勇者と呼ぶのだろう。

まだうっすらと靄のかかった思考の中、彼の人となりを分析する。蒼也が彼に抱いた第一印象は、信頼できる人物というもの。それが全てと判断するのは危険極まりないが、第一印象というものは意外なほどに的を射ている場合が多い。それは単なる勘などではなく、実際にはそれまでの人生経験から導き出されたものなのだ。

 

「申し訳ございません、司令。本来であればこちらからご挨拶に伺うべきところを」

「いや、気にしないでくれたまえ。今は体を治すことが先決だ。……それに、君に会いたいと思っていたのは、この基地に来てからのことでは、ない。もっと……ずっと、昔からのことだからな」

「……准将?」

 

ラダビノッドの口元が綻み、優しげな色がその顔に浮かぶ。

我が子を見守る親のような、温かい笑み。

 

「君は、母上によく似ているな」

「……では、准将は」

「ああ。私は君の父上、鞍馬少将の部下として、“ハイヴ・バスターズ”に在籍していた。副隊長を勤めさせてもらっていたよ」

 

ラダビノッドのその瞳は今も蒼也を見つめながら、しかし別の誰かを映し出しているのだろうか。

彼は蒼也の向こうにいるその誰かに話しかけるかのように、言葉を続けた。

 

「青春と。そう呼ぶには我々は些か年をとってはいたが……彼と共に戦ったあの13年間は、血と汗と硝煙によって彩られた血生臭い日々でありながら、それでも今も尚、色褪せぬ輝かしい思い出として、深く私の心に刻み込まれている」

 

噛みしめるようにそう言うと、ゆっくりと、ラダビノッドは瞳を閉じる。静かに、心の中の誰かと対話しているように。

やがて、彼は瞼を開いた。

 

「大佐と過ごした……ああ、失礼。少将と……」

「大佐で、いいと思います。部下だった人から少将なんて呼ばれることを、父は嫌がると思いますから」

「……ああ、私もそう思う」

 

なんだろう、この人と話していると不思議と心が落ち着いてくる。

フラッシュバックで掻き乱され、薬で無理矢理削り取られた疲弊した精神が、穏やかな海のように凪いでいく。

 

「大佐と過ごしたあの日々を、いつか君に話したいと思っていた。いかに、彼が勇敢であったか。いかに人類のために尽くしていたか。そして……いかに、君のことを想っていたか。それを、君にこそ知って欲しいと、そう思っていた」

 

ひとつ、息をつく。あの日のことを、思い返す。

長い間果たせなかった義務を、ようやく果たせる日が来た。彼と約束したわけではなかったが、これは自分の責務であると、そう心に決めていた。鞍馬大佐の生き様を、その子へと誇らしく語るのだと、そう誓っていた。

 

「……蒼也君。少し、昔話に付き合ってはもらえないかね。無論、無理はしなくていい。君のバイタルはモトコ女史が確認しているが、もし辛くなったら、すぐに言ってもらって構わない」

 

少佐ではなく君と、ラダビノッドは蒼也のことをそう呼んだ。

それが何だかくすぐったいような、不思議な気持ちを湧き起こす。呼ばれ方は違うけれど、まるで父さんが目の前にいるような。そんな、懐かしくほっとする気持ち。

 

「はい、司令。是非……聞かせてください」

「ありがとう。少し、長い話になる。どうか、楽にして聞いてくれたまえ。

 ……私が初めて大佐と出会ったのは、今から20年近くも前。1979年の、夏のことだった……」

 

そして、彼は話し始めた。

喜びと、悲しみに満ちた、懐かしい思い出話を。

 

 

 

 

 

ラダビノッドは語る。

時にゆっくりと、時に口早に。淡々と、感情を込めて。雄弁に、訥々と。

 

“ハイヴ・バスターズ”発足式の後に行われた隊内の勝ち抜き戦、鞍馬とセリスのエレメントが17連勝を飾ったこと。

仲間たちの信頼を勝ち取り、始まった戦いの日々。

第二次パレオロゴス作戦での彼の勇姿。さらにロヴァニエミハイヴ攻略作戦においてはハイヴ突入までもを果たしたこと。

北欧戦線へと戦いの場を移し、河川や湖沼に船舶を配置しての砲撃支援戦術を確立させたこと。

そして、今も対ハイヴの基本戦術となっている間引き作戦の立案。これには、もう三人きりしか残っていない、バスターズの生き残りの一人が深く関わっていた。

それで満足はせず、時間稼ぎにしかならない間引きに替わる新たな戦術を、必死に模索していたこと。

作戦本部と前線での温度差に苦しんだこと。

一転、インド亜大陸戦線に戦いの場を移してからの獅子奮迅の活躍ぶり。

更にその戦い方を他部隊に教導することで、絶大な支持を得たこと。

その教導は帝国軍に対しても行われ、日本へと向かった際の蒼也自身も含む懐かしい面々との再会。

後顧の憂いをなくし、まさに一騎当千の働きを見せたその後の戦い。

 

ラダビノッドは語り続ける。

ある、一人の衛士の戦いを。ある、一人の男の生き様を。

そして、場面がついに最後の戦いへと移り変わろうとした時。

 

 

 

──……これって……もしかして……

 

共に司令の話を聞きながら、しかし蒼也のバイタルから注意を逸らすことのなかったモトコ。彼女の脳裏にひとつの可能性と、そこから導き出された仮説が浮かびあがった。

 

「……お話中申し訳ございません、司令。話もだいぶ長くなってきましたし、この辺りで一旦休憩を挟んではいかがでしょう?」

 

この可能性は無視できない。これは夕呼へと伝えておいたほうがいいだろう。

モトコはラダビノッドの話に口を挟み、場を一旦閉じようとした。

 

「僕なら大丈夫ですが」

「いや、君は病人なのだ。医師の意見は、聞くべきだろう」

「ありがとうございます。それに黒須少佐、休憩を取るだけよ。これで終わりってわけじゃないから安心しなさい。……司令、よろしければ、何か飲み物でもいかがですか?」

「いただこう」

 

ラダビノッドの言葉を受けて席を立つ。

扉へと向けて歩き出しながら、ふと思い出したような演技をし、振り返った。

 

「副司令が天然物の良いコーヒーを隠していますから、それを淹れてきましょう。夕呼、手伝ってくれる?」

「……何でそれ知ってるのよ。まったく、このアタシを顎で使おうなんて、この基地で姉さんの他にいないわよ」

 

わざとらしい様子で肩をすくめながら、夕呼が姉に続く。

部屋から出るとき、置き土産に一言残すのを忘れない。

 

「黒須、おとなしく繋がれてなさいよ」

 

はいはい分かっていますよと、これまた肩をすくめる蒼也だった。

 

 

 

 

 

「……で、どうしたの? なにかあの場では言えないことでも?」

「流石、察しがいいわね」

 

副司令執務室にてコーヒーを淹れながら、夕呼が尋ねる。

先程の場の切り方は明らかに不自然だった。わざわざ自分の秘蔵のコーヒーを指定するあたり、他に聞く者のいないこの場所で話したいことがある、そういうことだろう。

 

「司令がBETAの話をしているときね、彼のバイタル……安定していたわ」

「……いいことじゃないの?」

「安定しすぎているのよ。BETAがトラウマになっているとは思えないほどに」

 

モトコが煙草に火をつけた。

病室で、更に司令の前とあっては流石に我慢していたモトコ。その分のニコチンをまとめて摂取しようとでもいうのか、根本まで一気に灰になるほどに強く煙を吸い込む。夕呼がジト目で、机の上に放置されていた紙コップを差し出した。淹れたての芳醇な香りを放つコーヒーを少量そこへと注ぎ、短くなったタバコを放り込むモトコ。

夕呼の視線に抗議の色が加わった。

 

「もしかしたら、思い違いをしていたのかもしれない。私も、あなたも……彼自身も」

「トラウマの原因は他にある……ってことかしら?」

「一因には違いないでしょうけど、直接の原因だとは思えないわね。私の予想が正しければ……ラダビノッド司令を連れてきたあなたの判断、最良だったのかもしれない」

「どういうこと?」

 

新しい煙草から紫煙をくゆらせ、モトコが言う。

 

「トラウマ、この場で癒えるかもしれない……ってことよ。

 ……全ては、もう終わったこと、過去のことなのだから。それを、彼が認められれば。受け入れられれば……」

 

──酷なことをしているのに変わりはないけれどね……。

 

そんな、申し訳なく思う気持ちが見えなくなるよう包み隠すかのように、モトコはふうっと大きく煙を吐き出した。

 

 

 

 

 

「さて、どこまで話していたかな」

「スワラージ作戦からですね」

 

病室へと戻り、それぞれに持参したコーヒーを振る舞うと、話はすぐに再開された。待ちきれないといった風情。

司令もそうだが、それよりむしろ蒼也。まるで親が読み聞かせる話の続きをせがむ子供のように、ラダビノッドへと身を乗り出している。

その様子を見て、モトコは確信した。蒼也は、父の話を聞きたがっている、彼はこれまでに知り得なかった父の情報に飢えている。

ちらりとバイタルを確認する。案の定だ。バイタルはこれまでとは違う数値を示し、蒼也の心が本人にも自覚のない緊張状態にあることを示していた。そして、これらが示す事実は……。

 

スワラージ作戦。それは“ハイヴ・バスターズ”最後の戦い。

彼等が戦ってきた中でも特に機密性の高い部分がある作戦であり、オルタネイティヴ計画に参加していないモトコがこの場にいるために一部の情報はぼかして話されている。もっとも、この作戦に関してはラダビノッド自身すら、今も知らされていないことが多いのだが。

故に、彼は自身が体験した、自分の目で見、耳で聞いたことだけを話す。

 

作戦直前、緊張していることを隊員に知られないように取り繕う様子。

予定通りに順調に進んでいた作戦だったが、最終段階で予期せぬ問題が発生したこと。

それを解決するために彼がみせた、人間としての限界を超えたとしか思えない程に見事な一機駆け。

そして、ハイヴへの突入。

仲間を失いながらも、反応炉を目指して突き進んだこと。

彼の戦い。彼の生き様。

黒須鞍馬の物語。

 

そしてついに、長い話の終わる時がやってきた。

最後の、大広間での戦い。

崩れ落ちる、鞍馬のファイティング・ファルコン。

その瞬間、蒼也の脳裏に、あの夏の日に“見た”映像が再び浮かびあがった。

いや、あの時以上だ。あの時、気を失ってしまい見えなかったその先、それまでもが、頭の中で再生されていく。

 

──……良いっ!──

 

父は、笑っていた。

 

──良い、人生であった!!──

 

悔いも、未練もあっただろう。

それでも、彼は満足そうに。己の生き様を誇っていた。

 

……そうだったんだ。

蒼也の心の中で、何かがコトリと音を立てて嵌った。

 

 

 

わかってしまった。

自分は、BETAを恐れていたのでは、なかった。

父を、鞍馬を失ってしまうかもしれない。そのことに、怯えていたのだ。

彼を盲信するあまり、彼を英雄視するあまり、その死を未だに受け入れることが出来ずにいたのだ。

それ故に、父の死を連想させる、あの自分では対処しきれないBETAの群れを見て、恐慌をきたした。

 

彼のことを英雄と呼ぶものは多い。だがそれは、彼の本質を見ずに、都合の良い色眼鏡を通して見ているだけの絵にすぎない。

その中で最も分厚い、最も色の濃いレンズを通して見ていた者は……他でもない、自分であった。

父は決して死ぬことなどないという、都合の良い願望を投影していた、愚かな自分。

 

──みんな……ありがとう──

 

すぐ側から、父の声が聞こえてきた気がした。

ああ、そうか。そうだったんだ。

 

もっと、話を聞かせて欲しかった。

もっと、教えを請いたかった。

もっと、一緒にいたかった。

しかし、それはもう出来ない。

 

……でも。

 

鞍馬は死んだ。もう、いない。

けれど、その想いを背中に背負うことなら出来る。

その意志を胸に宿すことなら出来る。

彼の魂と共に生き続けることなら……出来る。

 

なら……僕は生きよう。

犯してしまった罪は大きい。失ってしまった命は多い。

けれど、ここで歩みを止めてしまっては……彼等に、父に報いることなど出来はしない。

いつか僕が罪を償い、地獄の炎に焼かれるその時まで。

前向いて……生き続けよう。

 

 

 

いつしか、ラダビノッドの話は終わり、病室の中には静謐な空気が満ちていた。

蒼也の瞳から零れる、ひとすじの涙。

 

「……今までありがとう、父さん……」

 

誰に聞かせるでもない言葉が、自然と口から突いて出た。

 

「そして……さようなら」

 

そんな蒼也を、温かい目で見守るラダビノッド。

ようやくひとつ、肩の荷が下りた。

 

──大佐、安心してください。あなたの息子は、逞しく成長していますよ。

 

病室の窓より空を見上げる。

どこまでも蒼い、その向こう。微笑む鞍馬の姿が見えた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

蒼也の治療が終わってより数日後。

相変わらわず人気のないPXで、A-01の仮の隊長と副隊長が遅い昼食を取っていた。テーブルの上には合成食の乗ったトレイの他、いくつかの書類が広げられている。

その人物データが書かれた書類を見ながら、ああでもないこうでもないと頭を悩ます二人。食事の時間すら惜しんでのミーティングであり、彼女らの勤勉さは讃えられるものであろう。だが、口に物を含んだままの討論、手にした箸を指揮棒代わりに書類を指す様……とても人様には見せられない嫁入り前の姿がそこにあった。

とはいえ、彼女等がこの上なく真剣なことには間違いない。今話しているのは中々に頭を悩ます問題なのだ。

 

たった十二人の特殊部隊。存在している価値を疑わざるを得ないこの状況を改善すべく、衛士訓練学校の神宮司軍曹が十分な力量を持っていると判断した者たちを、予定されていた日程を早めて送り出してくれることになった。

まず、十二人。そして春までにもう十二人。これでなんとか、とりあえずは大隊の体裁を整えることが出来るのだが……

 

指揮官が、足りなかった。

重慶より帰還した今の中隊の指揮を取っていたのは蒼也。小隊長が伊隅と碓氷。本来であればこの三人が中隊長となれば済む話なのだが、現状、蒼也を当てにすることは出来ない。

となると、小隊長としての経験すら無い隊員の内の誰かをいきなり中隊長に任命しなければならないのだが……正直なところ、指揮官適性の高い人物がいないのだった。

彼ならなんとか……いやしかし。彼女ならどうにか……いやまてよ。いっそのこと、変則的な二個中隊で編成したほうがまだ現実的だろうか?

 

「……ああー、もうっ! こういうのはトップの仕事なんだから、連隊長がやればいいじゃない、副司令がさっ!」

 

伊隅が投げやりな口調で言い放つ。

そのままグッと腕を上げ、椅子を傾けて体を後ろに反らすように、ひと伸び。手には箸を持ったまま。

 

「みちるー、行儀悪いぞー」

「なによ、今更」

 

逆さまになった視界でPX内を見渡しながら、ぶすりと返事。

別にいいじゃないのさ。誰も居ないんだから、ここ。

 

「それにさー、ホントに副司令が決めちゃったら……後で仕事、倍に増えるよ、きっと」

 

あー。

副司令だもんねー。

 

心の中で大いに納得。

香月の名誉のために書き加えるなら、仮に彼女が実際に編成を担当したとしても、それが見当違いの内容になるようなことはない。確かに香月は軍事の専門家ではないし、さしたる興味も抱いていない。だがそれでも最善に近い結果を叩きだすのが香月夕呼という女性であり、彼女が天才である所以であろう。この場合、真に伊隅等が心配するべきはむしろ、香月のストレス発散の対象となることである。

 

それはさておき。

碓氷の言葉に納得はしたものの、しかしそのまま肯定するのもなんとなく面白くない伊隅。何か気の利いた返事はないものかと考えながら、碓氷を視界に捉えないように体勢を維持。

対する碓氷も、机に肘をついた両手に顎を乗せ、口に咥えた箸を上へ下へと唇でもて遊ぶ。

先程までの真剣な空気が、一瞬でだらけたものに変わってしまった。

無理もない。いくら優秀な軍人といえども、彼女らはまだ二十歳そこそこの若い女性なのだ。時には気を抜かなくては、やってられないこともある。食事の時間中くらいいいではないか。それに幸い、今なら誰も見ていないことだし。

 

……と、思ったのだが。

 

「うん、中々考えられてるねー。でも、実は僕、もっと良い案を持ってるんだけど……聞きたい?」

 

声は碓氷のすぐ後ろからした。つまりは、しっかり見られていた。

なんでよりにもよってこんな場面を。いくら人がいないと言っても、しっかりブリーフィングルームを確保するべきだった……って、そんなことどうでもいいっ!

今の……今の声ってっ!!

 

跳ねるように飛び起きる。

果たしてそこには、二人の弱みを握ったとばかりに悪戯めいた笑みを浮かべる彼の姿が。

随分と、やつれている。頬がこけて、2枚目だった顔が2.5枚目位になっている。だが、間違いない。間違いなく、彼だ。

 

「その編成表に、出来れば僕の名前も入れてくれないかな?」

 

相変わらずの口調で、そんなことを言う。

自分の顔が、自然と笑みを作るのがわかった。それに、にこりと微笑み返してくれる。

あ、まずい。泣いちゃいそう。

目をぎゅっと瞑って涙を堪える。

 

碓氷はと見てみれば、振り返った姿勢のまま固まっていた。

口に咥えていた箸が、ポロリとこぼれ落ちる。

 

……あ、抱きついた。

碓氷って、結構激しい愛情表現するのね。もしかして、本気……だったり?

まあ、いいわ。それならそれで応援するし。

でもそんなことより、今は言うことがある。彼が戻ってきたら、こう言おうと決めていた。

 

「……少佐、おかえりなさい」

 

うん、ただいま。

泣きじゃくる碓氷を胸に抱いたまま、照れくさそうに、彼はそう返事をしてくれた。

 

 

 

 

 

「落ち着いた?」

「……はい……お恥ずかしいことを……」

 

恥ずかしがってうつむく碓氷に、さすがにどう扱ったものかと、少々おっかなびっくりな様子の蒼也。

蒼也もトレイを持ってきて、三人は今、共に食事の続きを楽しんでいる。

これはもういらないわね、あとで纏めてシュレッダーにかけよう。散らばっていた書類をまとめながら、伊隅はそう思う。少佐が戻ってきたのだから、もうこんなものは必要ない、その事実が嬉しい。

 

別に蒼也が戻ってきたからといって、それで日本が取り戻せるわけでもない。それなのに何故だろう、心に巣食っていた不安が綺麗に取り除かれているのを感じた。

部下に安心感を与えることが出来る。この人がいれば戦えると、そう思わすことが出来る。それがきっと、良い上官というものなのだろう。

私も、そういう上官となれるよう頑張ろう。机の下でぐっと拳を握り、伊隅はそう心に誓った。

 

 

 

他愛もないことから、少し真面目なことまで。

蒼也のいない間に心に溜まっていた、様々なことが吐出されていくうちに。

ふと、蒼也が空を見上げた。

厳しい……悲壮と言ってもいい、そんな顔で。

 

「……少佐?」

 

碓氷が訝しげな声を出す。

それが聞こえていないように、蒼也はうつむき、そして顔を上げて瞳を閉じ。

次に目を開いた時、そこには決意の表情が浮かんでいた。

すくりと立ち上がる。

そしてそのままPXの端まで歩いて行くと、窓を大きく開けた。

 

伊隅と碓氷の奇異の視線に晒されながら蒼也は、窓の向こう、遥か西の空へと向かって敬礼を行った。

それは見事な、敬礼だった。

 

 

 

 

 

 

 

1998年、8月。

京都。

 

燃え盛る火炎に朱に染まる街、紅い巨人が剣を振るい、赤い血を撒き散らす。

朱、紅、赤。

見渡すかぎりの、赤。

 

「……すごい」

 

今の呟きは誰のものだろうか。

斯衛第16大隊の者達は目の前の光景に魅入られ、呆けたように巨人の一挙手一投足を只、見つめ続けていた。

決して動きそのものが異常な訳ではない。まるでちょっと散歩に行ってくるとばかりの気安さで、普段と変わらぬ足取りで、歩みを進めているだけ。

それなのに、当たらない。襲い来る突撃級の巨体も、振るわれる要撃級の腕も、飛びかかってくる戦車級も、振り下ろされる要塞級の脚も衝角も。

その全てを置き去りにして、紅い瑞鶴が駆ける。

そして、思い出したように虚空を斬る。振るう剣の先に敵が現れ、赤い花が咲く。

ふと、ゆるりとした動作で横を向く。今まで体のあった場所をダイヤモンドよりも硬い爪が素通りする。

 

機体を駆る月詠瑞俊の、その心に満ちるは歓喜。

京が陥ちたにもかかわらず。人が大勢死んでいるにもかからわず。……自分もまた、今日この場で命を落とすにもかかわらず。

それでも、湧き出づる喜びを抑えることが出来なかった。

 

──辿り着いたっ!

 

達人と呼ばれても、鬼の名を冠しても。振るう剣の軌跡が、どこか違うように感じていた。

星の数ほど振るった剣に、それと同じ数だけの違和感。どこかずれた思い。

だが……。

 

なった。

今、なった。

今この瞬間、儂はついに一振りの剣となった。

 

その磨き抜かれた刀身に映る敵の姿。己の心に映る敵の挙動。

最早死角など、ない。

故に、斬る。

ただ、斬る。

 

生まれ落ちてより八十余年。儂のこれまでの研鑽は、今この時のためにあった。

だから、斬ろう。

子を孫を戦へと送り出しながら、自らはのうのうと生きながらえていた無念の日々も、無駄ではなかった。

ならば、斬ろう。

例えこれが、消える寸前の蝋燭の灯火であったとしても。

この窮地を、見事、斬り伏せてみせようぞ。

 

駆ける。

己の前に、明日へと続く道を切り開きながら。

駆ける。

己の背中を、若者たちに魅せつけながら。

 

 

 

突如、瑞俊を取り囲んでいた群れが二つに裂ける。

鳴り響く警報。

巨人を照らす光が膨れ上がり、そして弾けようとせん、その刹那。

瑞俊は、傍らで蠢いていた戦車級へと剣を突き刺した。

そして刺し貫かれても尚、蠢き続ける異形を眼前へと掲げると……

……雄叫びを上げ、目の前に現れた道を、その終着点へと目掛け、駆け出した。

飛ぶように距離を縮める巨人へと、断続的に光の矢が降り注ぐ。

生きた盾で覆われていない範囲が、それに削り取られていく。

剣の先に磔にされた異形の命が、途絶えようとしている。

光の数と強さが増してくる。

 

そして瑞俊は──笑った。

 

──鞍馬よ。蒼也は立派な男へと成長したぞ。

 

生きた盾が死んだ盾となったその時、ついに瑞俊は光を吐き出していた元へと辿り着く。

白刃が振るわれ、周囲四方より赤い噴水が飛沫を上げた。

そして、その先にもう一体。

今斬ったものとは比べ物にならぬ巨体の、その単眼が輝く。

 

──待っておれ、土産話を聞かせてやろうっ!

 

月詠の太刀、月穿ち。

体ごと叩きつけんばかりの、右の平突。

光の中へと消え去る一人の武人の、その生涯最後の一撃が、敵を貫いた。

 

 

 

男は斯衛として生を受け、斯衛として京に散る。

面にのせるは武人の誇り。心に秘めるは家族への想い。

月詠には一匹の鬼が棲むと謳われた──

 

──それが、鬼の最後であった。

 

 

 



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34話

 

1998年、8月。

帝都、月詠邸。

 

「……そう」

 

東京新帝都にある月詠のかつての別邸、現在では本邸となった屋敷にて、月詠雪江は受話器越しにある連絡を受けていた。

久しぶりに耳にする妹の声は相変わらずの冷静さを保っているが、それでも言葉の端々からは親しい者にしか感じ取れないであろう、抑えこまれた激情が伝わってくる。

 

「……ううん、教えてくれてありがとう。……ええ……ええ、こっちは大丈夫、セリスさんも元気にやってるわ。……うん、貴方も気をつけて。花純さんと真耶さんにもよろしくと。……ええ、それじゃあまた」

 

積もる話はいくらでもあるが、電話の向こう側は戦場である。ゆっくりと会話を楽しむ余裕などない。それに、もしその時間があったとしても……。

雪江はゆっくりとした動作で受話器を戻すと、そのまま瞳を閉じる。漏れだすような溜息が一つ、口からこぼれた。

 

「月乃さんからですか?」

 

庭でトレーニングを行っていたセリスが、縁側越しに声をかけてきた。

黒いタンクトップにカーゴパンツという、まるで現役時代と変わらぬ服装。汗の浮かんだ肌からは流石にあの頃の瑞々しさは失われていたが、それでも引き締まったシルエットは当時と比べても何ら遜色はない。

セリスは民間人となった後、使う者のいなくなった月詠の道場を借り、衛士養成校へ進むものを対象にした実戦向きのトレーニング指導を行うことで自分の食い扶持を稼いでいた。無論、そのようなことをしなくても月詠家の資産を運用するだけで十分に生きていくことは出来るのだが、何もせずに世話になるだけでは矜持が許さない。それに、自分が培ってきたものを燻らせず誰かに伝えるということは、セリス本人にとっても楽しいことであった。

しかし、かつての人類を代表する衛士から指導を受けられるということで盛況であったその教室も、BETA侵攻に伴う疎開、そして遷都によって生徒も散り散りになってしまい、今は開店休業状態だ。

 

縁側に座り、用意していた水差しからグラスに水を注ぐ。そして口に運び勢い良く傾けると、口唇からこぼれた水が首に流れ一筋の道を作った。それが健康的な絵でありながら、妙に艶かしい。

セリスの問いに、返事はない。雪江は受話器を置いたそのままの姿勢で固まっている。それに気づいたセリスが訝しげに向き直った時、彼女の口が開かれた。

 

「セリスさん……お父様が、亡くなったと」

 

一瞬、世界が灰色に染まった。

夏の暴力的な日差しが降り注ぎ、地面に濃い影を落としている。蝉がそこかしこでやかましく鳴き声を上げている。それなのに、セリスの目には周囲がくすんで写り、耳は静寂のみを捉えていた。

知れず、涙が一筋こぼれた。

月詠翁。彼がいなかったら、自分は今ここにこうしてはいなかっただろう。

蒼也を産むために日本へとやってきて、それからの幸せな日々。蒼也を置いて、鞍馬とともに再び戦場に立てたこと。全て、彼がセリスを月詠の家へと迎え入れてくれたからこそだ。

四人目の娘だと、実の娘と別け隔てなく接してくれ、セリスもまた実の父のように思っていた人。蒼也の祖父となってくれた人。

その月詠瑞俊が、死んだ。

 

「……悲しいわね」

 

グラスを手にしたまま動きを止めたセリスの隣に、雪江が座る。

雪江の言葉に、人形のように焦点の合わさらない目をしたセリスが、無意識のうちにコクリと頷いた。

握りしめたままだったグラスを盆の上に戻してやり、そっとセリスの体を抱き寄せる。

 

「でもね、セリスさん。きっと、お父様は満足だったと思うわ。老いて死ぬのではなく、武人として死ぬことが出来たのだから」

「……それじゃあ、月詠翁は」

「ええ、見事な散り様だったそうよ。真耶さんが看取ってくれたって」

 

戦いの中、己の本懐を遂げて死ぬことが出来た。ならば、それは悲しむことではない。誇らしく、語り継ぐべきことだ。

そう納得しようと、そう心を抑えこもうと。セリスが無理矢理に笑みをつくろうとした時。

 

「……でも、悲しいわね」

 

雪江がポツリと呟いた。

限界だった。

セリスは雪江の胸に顔を埋めると、幼子のように大声を上げて泣き叫んだ。

その背をさする雪江の瞳からも、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 

 

 

「ごめんなさい、取り乱しちゃって」

 

やがて、兎のように赤く染まった目を擦りながら、セリスが恥ずかしげに顔を上げた。

もう40代も半ばだというのに、未だに戦場以外の場所では感情を完全にコントロールすることが出来ない。それを情けなくも思いつつ、何処かに心がまだ擦り切れていないことを喜ばしくも感じる自分がいる。

 

「いいの。こういう時は泣いちゃったほうがすっきりもするから。それに、止めを刺したのは私ですものね」

「姉さん……ありがとう。……あ、着物に染みが」

 

セリスが顔を埋めていた箇所に、涙の染みが出来てしまっている。

 

「これくらい大丈夫よ、気にしないで。それよりも嬉しいわ、セリスさんに姉さんって呼んでもらっちゃった」

 

えっ? ……あ。

しまった、ずっと雪江さんと呼んでいたのに、つい。

セリスの顔が赤く染まった。

 

「ご、ごめんなさい」

「謝らないで。言ったでしょ、嬉しいって。セリスさん、血は繋がっていなくても貴方は私の妹よ、間違いなく」

 

そう言ってにこりと笑う雪江。

こんな時だというのに、嬉しい。温かいものがセリスの心に満ちていく。

自分だって辛いのに、自然と空気を入れ替えてくれる。本当に、強い人。……この人が姉でいてくれて、本当に良かった。

 

「でもね、セリスさん。前にも言ったけど、月詠の家に無理に義理立てしなくてもいいのよ。貴方はまだまだ若くて綺麗なんだから、良い人ができたり、やりたいことがあったりしたら、我慢しなくていいんですからね」

 

顔を少し真面目なものに変え、そう言う。

雪江は思っていた。鞍馬が逝き、蒼也も一人立ちをした今、セリスは新しく自分の為の人生を歩むべきではないのかと。

彼女は月詠の家に恩を感じているのだろうけれど、そんなものを気にする必要などない。そもそも、彼女だけが一方的に与えられていた訳ではないのだ。同じ分だけ、こちらも受け取っていたのだから。それが、家族というものなのだから。

 

「あら、そんなに私をこの家から追い出したいんですか?

 この家に姉さんを一人残すのも可愛そうですから、一緒にいてあげますよ」

 

セリスが笑う。

その額をぺちりと叩き、雪江もまた笑った。

 

「そうだ、セリスさん。今日は飲んじゃいましょうか。お父様のとっておきが隠してあるのよ」

「いいんですか、月乃さんたちの分は残しておかなくて?」

「いいのいいの。セリスさんと、私と、お父様と。三人だけで飲んじゃいましょう」

 

雪江はいそいそと立ち上がり、酒瓶を取りに歩き出す。

その背を追いながら、セリスは思った。もう二人しか残っていない屋敷。家の中はすっかり寂しくなってしまった。だけど、この人が守っている限り、月詠家が終わることはない、と。

 

瞳を閉じ、懐かしい顔を思い出す。

鞍馬、月詠翁……お義父様、私はまだこちらにいます。いずれ会いに行きますので、それまで二人でお酒でも酌み交わしながら待っていてください。

一度、振り返った。

夏の日差しが濃い影を落とす庭に、蝉時雨が響きわたっていた。

 

 

 

 

 

 

 

戦いは、未だ続いている。

侵攻が開始されてより僅か一月余りで帝都陥落にまで至った日本ではあるが、現代の侍たちはその意地を見せつけていた。

京が炎に包まれたあの時より半年、その流れのままならば日本が完全に占領されていてもおかしくはなかったにもかかわらず、国土の占領は関東以西までで抑え込まれている。

しかし、これまでの犠牲は決して少ないものではなかった。

 

1998年10月、二ヶ月間に渡る琵琶湖運河防衛戦の末にこれを突破したBETAは、その勢いのまま瞬く間に北陸へと侵攻。佐渡ヶ島ハイヴの建設が開始された。

そしてこの時、一連の日本本土防衛戦においてある意味で最も悲劇的な、あるいは喜劇的な事件が起こる。長野県付近で一旦BETAが侵攻を停滞させたその隙に、アメリカは日米安全保障条約を一方的に破棄。在日米国軍を撤退させたのだ。

 

アメリカが主張した条約破棄の理由として、帝国軍の度重なる命令不服従が主に挙げられている。だが、日米安保条約は平等な立場で締結された相互条約であり、帝国軍が在日米軍の一方的な指揮下に入るというものではない。にも関わらず命令不服従を理由に上げるその傲慢な態度に、光州の悲劇により高まっていた反米感情はさらなるうねりを上げて燃え上がることになる。

これにより、一時は国内に居住する何の罪もない外国人達へも敵意の目が向けられることになり、その安全を確保する為に将軍自らが国民へと向け自重を求める声明を発するまでに至った。

 

帝国軍によるアメリカへの不信感は、その戦力の大半をアメリカに由来する国連軍にまで及ぶ。そしてそれにより、さらなる悲劇が巻き起こった。

二軍間の連携がぎこちないものとなったその隙を突くように、BETAの東進が再開されたのだ。西関東を制圧下に置いたBETAはそのまま東京新帝都を飲み込むかと思われた。しかし、BETAは帝都直前で突如転進。横浜へと向かい、そこに国内第二のハイヴを築き始めた。

 

これが1998年12月のこと。

これ以降現在まで、多摩川を挟んでの膠着状態が続いており、帝国軍は24時間体制の間引き作戦によって懸命にBETAの体力を少しづつ奪いつづけている。

しかし、いくら間引き作戦を続けていても根源的な解決とはならないことは周知の事実であり、やがて帝国国民の間には諦観の様相が見え始めていた。

 

だが、今年1999年2月。事態はさらなる展開を見せる。

ここまで日本を侵略された責任を取るという形で、政威大将軍斎御司経盛が退位を表明。

そして新たに親任された将軍、若き煌武院悠陽の下、横浜ハイヴ殲滅と本州島奪還を目的とした作戦が発表された。

アジア方面においては過去最大の、そしてBETA大戦史上においてはパレオロゴス作戦に次ぐ規模となる大反攻作戦──明星作戦である。

 

 

 

 

 

 

 

1999年、3月。

国連軍仙台基地。

 

オルタネイティブ4司令部はBETAが琵琶湖防衛線を突破した際に、ここ国連軍仙台基地へとその本拠地を移していた。

ようやく白陵基地を接収し、基地内に様々な改修を施し始めた矢先のことであったが、用心を重ねるに越したことはない。イレギュラー的な理由で第四計画を頓挫させるなど、あってはならないのだ。そしてこの措置は正しかったことが証明された。白陵基地は現在、積み重なった瓦礫としてしか存在していない。

 

併設されていた国連軍白陵基地衛士訓練学校もまた同様の措置をとっており、神宮司まりも軍曹とその教え子達も仙台へと移り住んでいる。

そしてこの日、春までに鍛えあげるという約束を果たした神宮司軍曹によって12人の若獅子が送り出され、新たにA-01部隊へと加わった。先に入隊した者を合わせ、これで総勢36人。一個大隊規模となった部隊はようやく、本格的な作戦行動を再開できることになった。

新任を組み込んで編成され直した中隊は三つ。第一から第六中隊までは重慶で散った英霊達に敬意を表して欠番とされ、第七から第九までの三個中隊。

 

前衛を担当するのは第七中隊デリングス、率いるは突撃前衛長として鳴らした碓氷桂奈大尉。

後衛に第八中隊フリッグス、大隊指揮官を兼ねる黒須蒼也少佐が指揮を執る。

そして、第九中隊ヴァルキリーズ。中衛として臨機応変な対応を求められるこの隊の隊長には、伊隅みちる大尉が就任した。

 

「と、いう訳で。僕達も明星作戦へと参加することになりました」

 

今、隊員一同は初めての全体ブリーフィングへと臨んでいる。

期待に胸を膨らす者、不安に押しつぶされそうな者、復讐心に燃える者、隊員と同じ数だけの様々な感情が渦巻く室内、壇上に立った蒼也が口にした第一声がこれであった。

 

何が、という訳なんだと。

新任たちの心が見事に一つとなり、心の中で突っ込みを入れた。

 

「……少佐、我々はまだしも、新任達が置いてけぼりになっています。最初くらいは筋道立ててやってもらえませんか」

 

あんた達の気持ち、よく分かるわよ、と。自身も同じように混乱したA-01の連隊発足式を思い出しながら、蒼也の脇に立つ伊隅が冷たい声音で、表面上は慇懃に諌める。

 

「副司令を連れて来なかっただけ、褒めてもらいたいくらいなんだけどな。それに、うちの隊のやり方に、早いうちに慣れたほうがいいでしょ?

 ……まあ、仕方ない。怖いお姉さんが怒っているし、順を追って説明しようか」

 

副司令がどうしたって? 蒼也の言葉に疑問符が頭の上に浮かぶ新任達。

もう、すぐそこまで来ている未来、彼等がその言葉の意味を理解するときがくるのだが……それはまた、別の話になる。

 

「まず、僕達の立場を明確にしておこう。

 僕達は、香月夕呼副司令が主導する国連の秘密計画、オルタネイティヴ第四計画を遂行するための特殊部隊だ」

 

蒼也が新任へと改めて向き直り、どこか真面目になりきれていない印象を受ける声を上げた。

先ほどのやり取りがなかったとしても、威厳ある、とはとても言えない態度。それでも、彼の言葉を聞き逃さないように、自然と耳が傾けられる。

軍人としての習性というものもある。だがそれ以上に、上に立つ立場の人間の言葉とはこういうものなのだろうか、そう思わせるものが蒼也の声にはあった。

 

「第四計画の目的はBETAの情報を収集すること。残念ながら、詳細については今は明かせない。知りたいのなら、頑張って出世するように。

 そして今回の明星作戦は、国連、ひいては第四計画が主導する作戦となる。

 ……つまりは、そういうこと。

 残念ながら、今回はハイヴへの突入はない。だけど副司令直轄部隊として、多大な働きを期待されているのは間違いないよ」

 

一同の顔に緊張の色が浮かぶ。

 

「いいかい、僕達は精鋭部隊なんだ。

 訓練期間が足りない、実戦経験が足りない、そんなことは残念ながら関係ない。そんなことに関係なく、この部隊にいる以上は精鋭であることが求められている」

 

ここで蒼也は一旦言葉を区切り、全員の顔を見渡した。

一人一人の顔を確認した後、視線を正面に戻すと、ゆっくりと言った。

 

「だから、鍛える。

 これから明星作戦が実行に移される8月までの間、休む暇はないと思っていいよ。36人が一つの生き物のように行動できるようになってもらう。僕の指示を正確に実行できるようになってもらう。

 ……約束するよ。それが出来るようになった時、君達は本当の意味での精鋭部隊になれるって」

 

ずいぶんと軽そうな人間に見えたのだが……やはり特殊部隊の隊長という肩書は伊達ではないようだ。新任達の蒼也を見る目が修正されていく。

いいだろう、やってやろうじゃないか。精鋭とやらになってやろうじゃないか。

彼等の瞳に炎が燃える。

その様子を頼もしげに見守っていた蒼也だったが、ふと何かを思い出したように言葉を継いだ。

 

「そうそう、一つ言っておかなきゃいけなかった。いいかい、君達は無駄に死ぬことを許されていない。この意味、わかるかい?

 ……ええと、君、鳴海少尉」

 

最前列に座っていた一人に尋ねる。

鳴海と呼ばれた少尉は、もう名前を覚えられていることに軽い驚きを感じながら、必死に頭を絞って答えを弾き出した。

 

「はっ! 何があっても生き残らなくてはならないという意味でありますっ!」

 

彼は勢い良く立ち上がってそう言った。

正解と言われることを期待するが……蒼也の返事は彼の欲求を満たすものではなかった。

 

「君達のあるべき思考としては間違いではないけど、残念だけど完全な答えとはいえない。

 ……じゃあ、君。平少尉、君の答えは?」

 

鳴海の隣に座っていた別の一人を指す。

平は少し頭を捻り、ゆっくりと言った。

 

「それが無駄でないなら、死んでも構わない……ということでしょうか?」

 

その答えに、蒼也が頷いた。

 

「正解だよ。君達の命は非常に大きいコストだ。一人の衛士を生み出すためにかかった費用は莫大なものだし、さらに精鋭部隊としての付加価値も加わってくる。

 だけど、それは決して代えが効かないというものではない。君達のコスト以上の価値のあるもの、本当にかけがえの無いもの、例えば第四計画そのものとも言える香月副司令を守るためなら、僕はこう命令しなくてはいけない」

 

ゆっくりと、平の瞳を見つめる。

 

「死ね……ってね」

 

平の背筋に冷たいものが流れる。

部屋の温度が数度下がったような気がした。

 

「まあ、今の君達に自分の“死に時”を判断するのは難しいと思うので、とりあえずは鳴海少尉の言うように生き残ることをまず考えて欲しい。僕も、命をコストにして何かを解決しなくてはならないような事態には極力しないつもりだしね。

 それに、軍隊という枠を外して個人の立場で考えるなら、一人の人の命は紛れも無くかけがえの無いものであるんだからね」

 

蒼也の顔が最初のおちゃらけたものに戻る。

一体、どれが本当の彼の顔なのだろうか、今一つ良くわからないが……だが、どうやら彼は尊敬すべき先達には違いない。少なくとも、そう思わせる何かはもっているようだ。

新任達の心に、黒須蒼也という人間が刻み込まれた。

 

「さて、それじゃあ最初は連携訓練からかな。

 総員、衛士強化装備に着替えて再度集合っ!」

 

蒼也の掛け声に隊員が一斉に動き始める。

楽しげな彼の顔を見ながら、いつもこう真面目にやってくれたらあたしの仕事も楽になるのに、と。伊隅はこっそりと溜息を付いた。

 

 

 

明星作戦開始までの戦いの日々。A-01隊員達はその力量を加速度的に高めていった。

基地での過密な訓練の成果を間引き作戦という実戦で確かめ、生じた問題点を訓練で修正し、また実戦へ。

たった数ヶ月が数年にも感じる、密度の濃い、濃すぎる日々。

フリッグ01、黒須蒼也少佐の指揮の下、36機の戦術機がまるで群体ともいうべき、彼の言葉通りに一つの生き物のように緻密に連携していくようになるまで、そう時間はかからなかった。

今、彼等は自身を誇ることが出来た。自分達は紛れも無く、精鋭であると。

 

……それにしても、フリッグとはよく言ったものだ。北欧神話における主神オーディンの妻であり、予言の能力を持つ女神。これほどまでに彼に相応しいコールサインが、他にあるだろうか。

彼の予言があるならば、きっと日本を取り戻すことが出来る。きっと、人類は勝てる。

そう彼等に確信させるだけのものを、蒼也は示し続けてきたのだった。

 

そして、ついに運命の日を迎える。

交戦勢力として、国連軍、日本帝国軍、日本帝国斯衛軍、大東亜連合軍。

作戦目的は、新帝都東京へのBETA進行阻止。

作戦目標、横浜ハイヴ制圧及び本州島奪還。

そして作戦立案、オルタネイティヴ第四計画司令部。

人類にとって、日本の民にとって、そして蒼也にとって、決して忘れられぬものとなる。

人類とBETAとの長きにおける戦いにおいて、とある転換となる。

明星作戦決行の、その日を。

 

 

 

 

 

 

 

1999年8月5日。

横浜ハイヴ。

 

開戦の狼煙を上げるかのように、主砲が発射される。

太平洋側と日本海側、それぞれに配備された帝国海軍の各戦艦よりの艦砲交差射撃。それによって、ハイヴへと向かうBETAの後続が寸断された。

 

ハイヴ攻略作戦の概要は、1992年のスワラージ作戦で行われたものを踏襲している。失敗に終わったとはいえ、あの作戦ではハイヴ中層にまで到達できたのだ。さらには明星作戦においては失敗の原因となった問題点も洗い出されて改善がなされており、使用されている装備もより洗練されたものとなっている。

必ず勝てるとは、残念ながら言えない。この世に完全な作戦などというものは存在しないし、イレギュラーはどこにでも発生するものだ。

だが……勝算は、十分にある。人類史上初となるハイヴの奪還。それは最早、夢物語などではない。成し遂げることが出来る、現実なのだ。

 

軌道からの爆撃による重金属雲の発生、さらなる爆撃による光線属腫の排除。戦艦、自走砲、MLRSからの砲撃。そして、戦術機投入による突入門の確保。

作戦は極めて順調に推移していた。

特に、第四計画直轄部隊であるA-01の活躍は目覚ましい。支援砲撃がなされているその最中に敵陣に飛び込むという常軌を逸した作戦行動を取りながら、それでいてただの一機も欠くことなく、極めて短時間で門の確保を成し遂げてみせたのだ。

作戦司令部で見守る香月夕呼博士の顔にも、彼女らしかぬ純粋な笑みが浮かんでいる。

勝てる。誰もがそう、確信した。

取り戻せる。誰もがそう、思い描いた。

だが、この瞬間。

誰もが予期していなかった、全く予想外の方向から、事態が急変する介入がなされた。

 

 

 

 

 

蒼也の心に生じたさざ波。例えるなら、それは地震のようなものだった。

何処か遠く、自分の預かり知らぬところで発生した揺れが距離を伝わり、心に揺らぎを起こす。

その揺れが何であるかは分かる。今の自分の存在価値そのものとも言える、未来視の能力が発現しているのだ。自らの意志で発生させたものでは、ない。何か異変が起ころうとしている。

だが、何を見ようとしているのか、意識を集中させても明確な像を結ぼうとしない。今までにない感覚。襲い来る不安感。

軌道部隊の降下時間まで確保した門を維持するための周辺警戒、更に他部隊への援護を行うために様々な指示を飛ばすその最中、意識を傾け続ける。

 

頭痛がする。

まずい。これは、まずい。

何かが起ころうとしている。重大な、何かが。

それが何か、わからない。だが、警戒レベルを引き上げておくべきだろう。

ハイヴ攻略作戦の真っ最中である、今の最高レベルの警戒度より、さらにもう一段階上へ。

具体的に何に注意するべきなのか、それがわからないのがもどかしい。だが、中隊を指揮する伊隅と碓氷の二人には、何かが起こりそうだと、とにかく警戒するべきだと、伝えておくべきだろう。

いたずらに不安を煽るだけの指示にも思えるが、この二人なら自分の意志を汲んでくれるはずだ。

操る機体の向きを変え、二人を視界に捉えようと首を回す。

 

──……えっ?

 

気が付くと、周りの景色が変化していた。

どこまでも蒼い空。

どこまでも白い大地。

ハイヴモニュメントも、BETAも、戦術機も、視界のどこにも存在しない。

ただ、ただ、二つの色のみが支配する、音の無い世界。

 

驚きに心がざわめいた瞬間、ノイズが走るかのように視界が歪み、蒼也は元いた場所へと戻っていた。

劣化ウラン弾が絶え間なく吐き出される轟音が、ここが現実だと教えてくれる。

 

──今のは……何だ?

 

頭が痛い。

何かが起きている。何かが起きようとしている。

ふと、空を見上げる。

重金属雲が立ち込める、灰色の空。

その雲の向こう、光が見えた。

 

 

 

 

 

「総員、退避いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」

 

作戦は順調に推移していた。

自部隊の作戦目標を他のどの部隊よりも早く確保し、周囲に手を貸す余裕すらある。

これ以上ないほどに、順調。油断は禁物だが、それでも伊隅の顔には満足気な色が浮かんでいた。

 

しかし、この瞬間。A-01専用回線に、蒼也の悲鳴のような叫びが響き渡った。

何が起きた?

明らかに様子がおかしい。重慶での錯乱した姿が思い出される。

この指示に従ってもいいのか、確保した門を放棄してもいいのか、理性が疑問を唱える。

新任達に動揺が見える。彼等にとって、蒼也は絶対の存在だ。その彼が悲鳴を上げている。抑えこまれていた恐怖が蘇る。

伊隅が決断を下した。少佐の指示に従うべきだ、と。ここで動かなければ、部隊がバラバラになりかねない。

 

「大隊各機、戦域から離脱するぞっ! 中隊毎に01を先頭に楔壱型陣形で……」

「……こちら、合衆国宇宙総軍。

 22号ハイヴ攻略中の全部隊に告ぐ……至急、退避せよ。繰り替えす、至急退避せよ」

 

伊隅が蒼也に代わって詳細な指示を下そうとしたその時、オープンチャンネルから戦域全体を対象とした通信が流れだした。

 

「合衆国は新型ハイヴ攻略兵器の使用を決定した。新型兵器の効果範囲より、至急退避せよ」

 

 

 

 

 

頭が痛い。

雲の向こうから、輝く二つの流れ星が落ちてくるのが“視える”。

アレはまずい。

アレは落としちゃいけない。

部隊が全開噴射で撤退を開始する中、蒼也はただ一人、そこに立ち留まっていた。

両の腕に構えた突撃砲を空へと向ける。さらに背面武器担架のものも加えて四門の同時射撃。

届くはずがない。それは分かっていた。

撃ち落とせるはずなどない。それは理解していた。

それでも、撃ち続ける。

アレは、あってはならないものなのだから。

 

周囲の大地から、光の矢が空へと向けて放たれる。

戦術機を一撃で火球に変えるその輝きが流れ星へと辿り着き……そしてその軌跡を捻じ曲げられた。

駄目だ、何をやってもアレを撃ち落とすことは出来ない。

 

でも。

それでも。

あんな未来を、認めるわけにはいかないんだっ!!

 

あの塩の大地は、アレが落とされ続けた未来の姿。

あんな世界にするために、人は戦い続けてきたんじゃない。

あんな世界にするために、父さんは死んだわけじゃない。

だから……アレを落としちゃいけないんだっ!!

 

気がつけば、目からは涙を、口からは雄叫びを漏らしながら、ただ撃ち続けている自分がいた。

もう間もなく、アレは地上へと辿り着き、黒い花を咲かせるだろう。

……駄目か……駄目なのか……。

僕には、アレを止めることが出来ないのかっ!

何が能力だっ!

何が父さんの意思を受け継ぐだっ!

僕には、目の前で起ころうとしている悲劇一つ、止めることが……出来ないっ!

 

──……僕は……無力だ……

 

絶望が心を支配する。

意思が折れそうだ。

それでも、全ては無駄だとわかりながら、ただ空へと向かって撃ち続ける。

 

その蒼也の不知火に、背後から衝撃が加えられた。

銃撃の巻き添えを食らう恐れもあるというのに、蒼也を後ろから羽交い締めにして抑えこもうとする、一機の不知火。

 

「少佐っ! お願いします、撤退してくださいっ! ……お願いですからっ!!」

 

網膜通信に映し出される、瞳に涙をたたえ、そう願う女性の姿。

 

「碓氷っ、何してるのっ! 早く撤退するんだ、間に合わなくなるっ!」

「嫌ですっ!!」

 

碓氷の瞳が訴えていた。

自分が撤退しない限り、彼女も引き下がらないと。

歯を噛みしめる蒼也の唇から、一筋の血が滴り落ちる。

 

──……ちくしょう……ちくしょうっ!……ちくしょうっ!!

 

「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

蒼也の雄叫びが、人のいなくなった戦場にこだまする。

そして固く瞳を閉じ、再び開いた時。蒼也の目に力強い光が灯っていた。

僕はアレを止められなかった。

悔しい、悔しいっ! 悔しいっ!!

だけど……。

そうだ、生きている限り、まだ取り戻すことが出来る。またやり直すことが出来る。

こんなところで、死んでいいはずがない。

大丈夫、まだ間に合う。ここで死ぬ未来は見えない。

僕も碓氷も……生き残るっ!

 

「……碓氷、撤退するっ! 光線級はこちらを狙わない、跳躍ユニットを全開に吹かして全力で離脱するっ!」

「はいっ!」

「大丈夫、絶対に間に合う。振り返らず、前だけ向いて飛び続けろっ!」

「はいっ!」

「碓氷っ!」

「はいっ!」

「……ありがとう」

 

碓氷の頬が赤く染まった。

そしてその顔に綺麗な、とても美しい笑みを浮かべ、答える。

 

「少佐、生きましょう」

「ああ、もちろんさ」

 

 

 

 

 

燃え盛る跳躍ユニットが持てる限りの力を振り絞り、生み出された爆発的な推進力が機体を前へ前へと進ませる。

強烈なGがのしかかり、体をシートへと押さえつける。

衛士適性が高く、任官からここまで常に前衛をこなしていた碓氷にとっては大した問題にはならない。だが、蒼也には負担の大きすぎる圧力。意識が持って行かれそうになる。

だが、ここで気を失ってしまえば確実に命を落とす。こんなところで死ぬ訳にはいかないと、たった今、誓ったばかりだ。歯を食いしばって生へとしがみつく。

 

頭が痛い。

舞い散る桜、雪の降りしきる森、堕ちてくる駆逐艦。

先程から、脳裏に浮かんでは消えていく、イメージ。

心当たりはない。見たこともない景色、知らない記憶。

 

頭が痛い。

崩れ落ちるモニュメント、朽ちた撃震、磔にされた武御雷。

体が潰れそうだ。視界が歪む。内蔵が掻き乱される。

 

頭が痛い。

落下する流れ星、膨れ上がる黒い光、消滅する佐渡ヶ島。

横浜ハイヴの直上で炸裂したG弾が、効果範囲に存在するすべてのものを消滅させていく。

 

頭が痛い。

背後に迫る黒い球体、重力異常、異世界への扉。

赤い髪の少女がこちらを振り向いた。

 

 

 

 

 

──タケルちゃんっ!!──

 

 

 

 

 

そして蒼也の意識は、暗闇の中へと飲み込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

──ここは、どこだ?

 

白い部屋の中で目を覚ました。

ベッドに寝かされ、頭に繋がれた電極が脇の機器へと伸びている。

腕には点滴。

なるほど……ここは、病院か。

 

だけど、何でこんなところにいるんだ?

頭が痛い。

思い出そうとするも、強烈な頭痛がそれを遮る。

 

喉が渇いた。

サイドテーブルに置かれた水差しからコップに水を注ぎ、一気に飲み干す。

ふと、コップを握りしめる手が目に入った。

じいっと、その手を見つめる。

……自分の手? 自分の体?

よく、わからない。言いようのない違和感が沸き起こる。

 

「目が覚めたようね。良かったわ、三日も意識がなかったのよ」

 

モニターしていたのだろうか、扉の向こうから一人の女性が入ってきた。

上げた髪に眼鏡、そして咥えた煙草。

……誰だったろうか。確かに、知っている人のような気がする。

 

「とりあえず、外傷はないわ。意識が戻らなかったのは五次元効果爆弾とやらの影響なのか、それとも別のものなのか。まだ、なんとも言えないけどね。まあ、生きて帰ってこれて良かったわね、少佐」

 

……少佐? 自分が?

いつの間にそんな階級に?

頭が痛い。……駄目だ、思い出せない。

 

「碓氷も無事よ。というか、あの娘は負傷も何もない、全くの健康体ね。貴方にあの娘の半分でもG耐性があればねえ」

 

……碓氷。

知っている名前。そうだ、自分を生にしがみつかせてくれた人、だ。

ぼんやりと、顔が浮かんでくる。

だけど駄目だ、それ以上考えると……頭が……割れる……。

 

「少佐? ……意識の混濁があるようね。少佐、自分の名前が分かる? 言ってみて」

 

……なまえ……ナマエ……NAMAE……。

……ああ、名前か。

名前……自分の、名前……。

 

「──────ル」

 

 

 

この世界の人類の歴史を川の流れに例えるなら、その行き着く先の海の名を「滅亡」という。

人は、この流れを変えようと、石を川へと向かって投げ続けてきた。

だが、広大な流れはいくら石を投げ入れたところで、その向きを変えるどころか堰き止めることすら出来はしなかった。

 

だが、この瞬間。

たった今、この瞬間に投げ入れられた石は、既に石とは呼べない巨大なものであり、それは川の流れを大きく捻じ曲げた。

新たに流れ着く先が何処になるのか、それはまだわからない。

しかし、確かに流れは変わったのだ。

 

 

 

「少佐、ごめんなさい。よく聞こえなかったわ、もう一度言ってもらえる?」

 

問いを発する香月モトコ女医に、男はこう答えた。

 

「……タケル。俺の名前は……シロガネ、タケル」

 

と。

 

 

 



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35話

 

「……タケル。俺の名前は……シロガネ、タケル」

 

そう呟く自分の言葉が、何か違うように感じた。

一歩離れた場所からその様子を見ているように、録画された映像を見ているように。酷く、現実感がない。どこか、腑に落ちない。

言葉を発したのは、本当に自分なのか?

俺の名前は本当に、シロガネタケル……なのか?

 

──……シロガネ……タケル。そうだ、白銀武……だ。

 

俺は、白銀武。

……何だろう、この違和感は。何か、とても大切なことを忘れているような……。

ずきん。

思考を巡らすと、頭蓋に五寸釘が打ち込まれたかのような激痛が走る。考えるのをやめてしまえば楽になる、そんな気がした。

けれど……だめだ、この違和感をそのままにしてしまっては、きっと取り返しの付かないことになる。それは恐怖。大切なモノを失ってしまう予感。

 

右手を額に当て、割れそうになる頭を抑えこむ。

考えろ、思考を止めるな、この不安感の正体を探れ。

そもそも、これは一体どういう状況なんだ? 今はいつだ? 俺は何でこんなところにいる?

ずきん。

頭に突き刺さる釘がまた一本増えた。考えを巡らす度に一本、鼓動が脈打つ度に一本。

……くそっ! これくらいなんだ!

スミカだってこの痛みを乗り越えたんだ、俺だってっ!

 

──……スミカ? ……スミカって?

 

ずきん。

これまでに無い、強烈な痛み。思わず口から呻きが漏れる。

それでも、考えは止めない。止めてしまっては、いけない。

 

──スミカ……そうだ、純夏だ。

 

ずきん。

何度も何度もやり直して、俺はやっと純夏に会えて……それで、どうなった?

……そうだ、桜花作戦だ。207Bの仲間達とオリジナルハイヴへと突入したんだ。

大切な、仲間達。その顔をひとりひとり思い出していく。

純夏、霞、冥夜……冥夜? 冥夜ちゃん? 無現鬼道流の同門の? なんで?

 

──……なにか、おかしい。

 

ずきん。

他には誰がいた?

後は……委員長、彩峰……慧ちゃん? だって慧ちゃんはまだ衛士になんてなってない……あれ、それは冥夜ちゃんも一緒で……でも、俺の同期で……

他にはっ!?

後はたまと、美琴と、碓氷……。

 

──……碓氷?

 

ずきん。

いや、違う。碓氷はいなかった。

碓氷は部下で、明星作戦で俺を助けてくれて……。

……あれ? 俺は碓氷大尉に会ったこと、あったか……?

 

──……記憶が、混乱している。

 

ずきん。

思い出せ、記憶を遡れ、違和感の原因を突き止めろ。

武御雷は誰から託された? ……月詠中尉?

そうだ、月詠さんだ。冥夜ちゃんのメイドで、斯衛の中尉で……。

……違う。月詠中尉なんて、そんな呼び方は……真那ちゃん?

 

──真那ちゃんっ!

 

ずきん。

優しく微笑む彼女の顔が心に浮かび上がる。

生まれた時から、ずっと、ずっと、一緒にいた人。いてくれた人。

いつも真っ直ぐで、強く、厳しく、感情のままに、優しい。

自分は、彼女とは違う生き方を選んだ。もう、一緒に歩いて行くことは出来ないかもしれない。

それでも。とても、とても。

とても大切な。一番大切な、人。

幻の彼女がゆっくりと口を動かし、自分の名を呼んだ。

 

ずきん。

頭が痛い。冷や汗が雫となって滴り落ちる。

楽になりたい。流れに意識を委ね、溶けて消えてしまいたい。

……だけど……だけどっ!

 

──……俺は……僕はっ! 僕はっ!!

 

右手を額から外し、高く掲げる。

そしてその手を固く握りしめ、己の頭をめがけて渾身の力で振り下ろした。

鈍い音が室内に響き、頭の内部から溢れていたものとは違う、外部からの痛みが濁った意識に光を灯す。

直後、糸の切れた操り人形のように体が弛緩する。そしてそのまま重力に逆らうことなく、ベッドの上に体を投げ出した。

頭に貼り付けられていた電極が、音を立てて剥がれていく。その確かな現実の感触が、自分を取り戻せたことを教えてくれた。

 

「……モトコ、先生。……さっきの、訂正」

 

目の前で行われる奇行に目を奪われていたモトコの耳に届く、彼の声。

 

「僕は、蒼也。国連軍A-01連隊所属、黒須蒼也=クリストファー少佐、です」

 

そして蒼也はにいっと、口の端を上げてみせる。

焦燥した顔には、普段通りの悪餓鬼の笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

一体、何が起きているのか。シロガネタケルとは誰のことなのか。

長時間眠っていたせいで現実と夢の区別がつかなかった……それなら意識さえ明晰になってしまえば、それで問題は解決する。

だが、どうやらそんな単純なことではないらしい。

 

蒼也の目が覚めてから電極が外れるまでの間、脳波を始めとした各種データは異常な数値を示していた。これは、彼の脳内において通常とは違う、何か特別な働きが起こっているという証拠。

まず、体性感覚野、帯状回、前頭葉、小脳など、様々な場所において観測された神経活動。ここからは、何か大きな痛みが彼を襲っていると読み取れる。外傷がない以上、くも膜下出血や脳梗塞を疑うべきだが、その徴候は見られない。

 

そしてもう一つ、海馬の異常な活性化。海馬は記憶と空間認識能力を司る脳内部位だ。彼はもともと、この働きが常人より遥かに優れていた。これが戦場で敵の動きを見切る能力の源なのだろうと推測していたが……それを差し引いても、この数値は異常だと言わざるを得ない。

脳科学者としての血が疼くのを感じる。

 

「……混乱が収まったようで何よりね。

 ところで、自分の状況、説明できる? さっきのシロガネタケルって、誰のことなのかしら?」

 

彼に痛み以外の何らかの自覚症状があるのか。それを確認しておかなくてはならない。

まずは……シロガネタケル、この名だ。知っている限り、彼の周囲にも自分の周囲にもそのような名を持つものは存在しない。

 

「ごめんなさい、モトコ先生。……そのまえに……少し、休ませ……て……ください……」

 

横になった姿勢のまま、蒼也がそう言った。瞳がゆっくりと閉じられていく。

……間もなく、規則的な寝息が聞こえてきた。

 

脈拍、体温、瞳孔運動などを確認。……問題はなし。ただ、寝ているだけのようだ。

 

「……夕呼に報告しておかないといけないわね」

 

妹は現在、これまでの人生でおそらくは一番多忙な状況に置かれている。

些細な事であれば解決してから結果を報告するなど、のしかかる負担をできるだけ軽減してあげるべきだろうが……。

彼は夕呼の計画にも深く関わっている。現状は分かっているが、それでも状況を告げておくべきだろう。

モトコは眠る蒼也に毛布を掛け直してやると、レポートをまとめるべく自室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

1999年8月5日、午前8時5分。

アメリカ軍が日本帝国、大東亜連合への事前通告なしに投下した二発の五次元効果爆弾──G弾は、ハイヴのモニュメントと呼ばれる地表構造物を破壊し、BETA群をほぼ一掃。人類は、史上初となるハイヴの奪還に成功した。

さらにはそれに呼応するように、西日本を制圧していたBETA群が一斉に大陸へと向けて撤退を開始。戦術機甲部隊による追撃戦、艦砲射撃などによって敗走するBETA群に大損害を与え、明星作戦は歴史的な大勝利という形で幕を下ろした。

人類に希望を与え、BETAの存在しない未来をもたらすかに見えたG弾。だが作戦後、各国においてG弾脅威論が噴出することになる。

 

その理由の一つは、明星作戦においてG弾が無通告で使用されたことが引き金だった。

投下直前に撤退勧告がなされたとはいえ、戦闘の中で撤退とは最も難易度の高い行為の一つである。当然というべきか、退却が間に合わずG弾の効果範囲内に取り残され、BETAと共に消滅していった兵士が数多く存在した。

ほんの一年前に安保条約を一方的に破棄して撤退したアメリカが、恥じらいもせずに明星作戦に部隊を送り込んだ理由。これについては様々な憶測と疑念を呼んでいるが、恐らくは無通告のG弾使用、これそのものが目的だったのであろう。

結果だけを見れば確かに効果的であったと言えるが、これにより日本国民と大東亜連合軍を構成する各国国民の心に更に深い反米感情を刻み込んだのは確実である。そして、それがG弾批判へと繋がった。

第四計画への牽制と、第五計画の優位性を誇示するためのG弾投下。それが結果的に第四計画と香月夕呼博士に利をもたらしたという事実は、もはや歴史の皮肉と言う他ない。

 

他の理由としてあげられるのが、そのあまりの威力の高さである。

たった二発の爆弾がハイヴを根こそぎ消滅させたという事実。爆心地となった横浜ハイヴ跡地の様子と各種のデータは、ユーラシア各国首脳の顔を青ざめさせるに十分だった。

核の比ではないその破壊力。それが自国内で振るわれることを想像したならば、G弾に対して警戒心が生ずるのも仕方のないことであろう。

 

更には横浜ハイヴ跡地周辺において、謎の重力異常が観測されたことが挙げられる。

その原因がG弾にあることは明白であり、それが人体と生態系にいかなる影響を及ぼすのかは今後長い時間をかけて検証していく必要がある。そして安全が確認されていない以上、その使用には制限がかけられるべきであると、そう考える者が出てくるのも当然のことだ。

 

ここに追い打ちを掛けるように、アメリカがこの重力異常が発生することを事前に承知していたにも関わらずそれを隠していたこと、そしてG弾の破壊力があれ程の威力にもかかわらず予想値を遥かに下回っていた、つまりは完全に制御できるものではなかったことが、とある人物の調査により発覚する。

その人物──国連軍統合参謀会議議長、他でもない国連軍の総司令官その人は、アメリカの影響力の強い国連軍内部における自分の立場が危うくなることも恐れず、それを公表した。

これにより、アジア及びユーラシア各国ばかりではなく、アフリカ諸国の一部においてもG弾脅威論が噴出し始める。

 

対して、南アメリカ諸国等のアメリカを元々支持していた国々は、G弾の威力が実証されたことによって、より強硬にその使用を主張し始めた。

 

 

 

国家間の思惑が乱れ飛ぶ中、第四計画を主導する香月夕呼博士は国連に対し、横浜ハイヴ跡地に国連軍基地を建設することを要請。

国連軍統合参謀会議はこれを即座に承認。国連軍横浜基地建設着工と同時に、アメリカ軍に対し即時撤退命令を下した。

これには、各国におけるG弾脅威派の、第五計画に対する牽制が背景に存在した。

 

そして、香月博士がこの地に第四計画の本拠地を欲した理由。それは、とある人物の確保にあった。

それは、自身の計画に最も適合しているであろう者。より良い未来を掴み取る力を、誰よりも所持しているであろう存在。

これまで黒須蒼也が最もそれに近いと考えられていたが、彼を遥かに上回るであろう、適合性。

 

それは──ハイヴからの生還者。

建設中の横浜基地の地下深く。青い光に照らされた彼、あるいは彼女の前で、魔女が嗤っていた。

 

 

 

 

 

 

 

1999年、9月。

横浜ハイヴ跡地、地下。

 

シリンダーに収められた、脳と脊髄。

そのホルマリン漬けにされた標本としか見えない脳は……生きていた。

見ることも、聞くことも、嗅ぐことも、味わうことも、触ることも出来ないその状態を、果たして生きていると呼んでもいいものなのか。感覚的、あるいは倫理的には疑問が残る。だが確かに、生物学的には生命活動を維持しているのだった。

 

将来的にここは、横浜基地の中でも特に機密度の高い場所となる予定である。

基地建設は通常では考えられないほどの速度で行われており、この場所を含む第四計画占有区画に限っていえば、来年初頭には稼働が可能となるはずだ。そして、その時点で帝国大学より研究機関が移設されることになっている。

それまで僅か四ヶ月。だが、その四ヶ月をただじっと待つことなど、この最高の素材を前にして何もしないでいることなど、香月夕呼という人間に出来ようはずもなかった。

 

この時、香月の脳内からは既に、黒須蒼也という人間は過去の存在とされていた。

00ユニットへの最高の適合者と思われていた彼であるが、それ以上の存在に出会えたのだ。

だが、これにより彼の衛士としての価値が下落するということはない。ならば、今後はあくまでA-01の指揮官、軍部における片腕として使っていけばいい。あの能力は得難く、役に立つものであるのには違いないのだ。

そう考えていたのだが……どうやら、それも出来なくなってしまったようだ。

 

彼は、壊れてしまった。

G弾の爆発に合わせて意識を失ったことを皮切りに、一度目覚めた後も、日に何度も昏倒しては目覚め、また気絶するということを繰り返している。

五次元に干渉するG弾の効果と、彼の能力が不適合を起こしたのだろうか。その原因究明には科学者として純粋な興味もなくはないが、現状における優先順位は限りなく低い。半ば趣味の範囲のことに割く時間など、存在しないのだ。

 

故に、香月は蒼也を切り捨てた。

機密を知ってしまっていること、そして将来的に第四計画の看板役を務めてもらう可能性があること。このことから、手放すことはしない。だが今後、彼が一線で活躍することはおそらくもう、ない。

 

A-01は現在、帝国軍練馬駐屯地の一区画を間借りして、そこに待機させてある。

横浜基地第四計画占有部の可動と同時に呼び寄せ、新たに加わる新任も合わせて編成し直す必要があるだろう。

まあ、それは伊隅あたりを指揮官に任命し、彼女にやらせればいい。何なら、サポートとしてまりもを貸してやってもいい。

 

とにかく……。

今は、この脳についての調査が最優先だ。

五感を失ったこの脳の持ち主にとって最後に許された自発的行為、思考の状態を調べるのだ。

そして今、仮設された足場の上で、社霞が脳とのコミュニケーションを試みていた。

 

第三計画の申し子である、彼女の能力。

他者の思考を読み取る“リーディング“と、己の思考を投影する“プロジェクション”。それを使って脳と対話するのだ。

どちらの能力も希少であり、使い方によっては恐るべき力を発揮する。だが、残念ながら万能ではない。思考内容をイメージ、付随する感情を色として読み取り反映する能力であり、考えていることが一字一句わかるというものではないのだ。

それでも、この状態の脳とコンタクトを取るには、これしか方法がない。

 

そして、毎日、毎日。ここに住み込んでいるかのように足繁く通う社のお陰で、一つ嬉しい情報が判明していた。

この脳は、確かに思考している。

その内容はハレーションを起こしているように支離滅裂で意味不明のものであり、ただ強いとしかわからないなにがしかの感情が溢れだしているという状態。

何を考えているのかはわからないし、これにまともな自意識を取り戻させるのには骨が折れそうだ。

だが、生きている。精神的な死を迎えていない、植物状態ではないということが判明したのは大きな成果だった。

 

後は社がじっくりと自我を取り戻させ、自分は00ユニット本体を完成させれば。

そうなれば、ついに第四計画の成就する時が、来る。

香月の手が、目を瞑り必死に思考を読み取りそして送り出す、社の頭に乗せられる。

アタシは、残酷な人間だ。

こんな小さな子に、世界の命運を託そうというのだから。

 

──社、アタシは必ずやり遂げるわよ。

 

報いは、いずれ受ける。

だが、それはすべてが終わった後のこと。

それまで、自分には立ち止まることなど許されていない。全力で、走り抜ける。

社。アンタに平和な世界ってのをプレゼントしてあげるから。だから……手を、貸して頂戴。

頭に乗せられた手が、無意識の内にゆっくりと動かされ、髪を撫でる。

その時……。

 

「きゃっ!」

 

社が可愛らしい悲鳴を上げて、一歩退いた。

このような反応を彼女が示すなど、非常に珍しいことだ。見開かれた目と、なにか言いたげに震える口唇が、彼女が受けた衝撃の大きさを物語っていた。

香月がじっと、自分の手を見る。

 

──アタシが撫でたから……じゃ、ないわよね?

 

思わず見当違いのことを考える香月に、社が必死の視線を向ける。

 

「……今、何を考えているのか、わかりました」

 

香月がにやりと笑う。

 

「……ひとこと、だけですけど。とても、強い……叫ぶような、感情でした」

「教えて、社。コイツは何て言っていたの?」

 

人間との関わりを極端に恐れる社にとって、この脳は積極的に関わろうとした初めての相手。

その特別な存在が発した、初めての言葉。

それを噛みしめるように、友の想いを代弁すべく、社は厳かに告げた。

 

「……タケルちゃんに会いたい、と」

 

香月の顔が、驚きに歪んだ。

 

 

 

 

 

 

 

1999年、9月。

帝国軍練馬駐屯地。

 

「あら、お熱いわね」

 

社を連れて病室に入ってきた香月の第一声。

蒼也の横で合成林檎を剥いていた碓氷が、体をびくりと硬直させる。

 

「ふ、副司令っ! どうしてここにっ!? あっ、今日は休息日で、別にさぼってた訳とかじゃなくてですね、休みだから少佐のお見舞いに行こうかなって思っただけで、別にそれ以上何かあるってことでもないわけで、ですから、その……ああもう、あたし何言ってんだろ……あっ、敬礼っ!」

 

──この娘……まりも並みに弄りがいがありそうね……。

 

百面相、自己嫌悪、一転して軍人らしく敬礼。取り乱しまくる碓氷の姿に、嗜虐心がそそられる。

このまま弄り倒して遊ぶのも面白いのだろうが……非常に残念ながら、今はその時ではない。

 

蒼也はここ一ヶ月、基本的にこの病室のベッドの上で過ごしている。

本当にいつ意識を失うかわからない状態なので、間違っても戦術機などには乗せられない。A-01の誰もが認めたくなく、碓氷などはきっと良くなると信じているが……もう、衛士としての蒼也の生命は終わった。残酷だが、それが周囲の認識であった。

 

「副司令……そろそろ、いらっしゃる頃だと思ってましたよ」

 

その蒼也が、笑う。

悪戯を成功させた、悪餓鬼の顔で。

 

「本当はこちらから出向くのが筋でしょうけど、ここのところ頭痛に悩まされてまして。実は、こうしている今もです。体調管理は衛士の義務だというのに、情けない限りですよ」

 

そう言ってわざとらしく肩をすくめ、碓氷には一転、自然で優しげな笑みを向けた。

 

「碓氷、今日は有難う。それで……悪いんだけど、席を外してもらえるかな」

 

無言で頷き、蒼也に、そして香月に敬礼を行う碓氷。

心の中では長く伸びた後ろ髪をこれでもかと引かれながら、それでも振り返ることなく退出していった。

それを見送った香月が、くるりと蒼也に振り返る。

 

「アンタ、碓氷とそういう関係だったの」

「別にそんな訳じゃありませんよ。単に、負傷した上官を心配して見舞いに来てくれた、それだけのことです」

 

心持ち、蒼也の目が伏せられた。

 

「僕と碓氷がそういう関係になることは……ありません。僕は、必要とあらば碓氷だって切り捨てる人間ですよ」

「あの娘は、それでもいいなんて言いそうだけどね」

 

ゆっくりと、首を振る。

 

「僕は……そこまで強くはありませんよ」

 

香月には蒼也の心の内が理解できた。彼女自身、同じような考えを持っているのだ。

一番大切な人をこの手にかける必要があるのなら。それで苦しむのであるのなら……そもそも、大切な人を作らなければいい。

自分達の手は、血に汚れすぎている。

……まあ、それはそれとして、からかう材料があるならそれは見逃さないのが香月でもあるのだが。

 

「それで、確か……タケルちゃんに会いたい、でしたっけ?」

 

会話の流れを途切れさせることなく、本当に何気ない素振りで、蒼也は大上段から切りつけた。

科学者の顔に戻った香月の、その冷徹な視線が蒼也を射る。

 

「2001年12月24日、第四計画は打ち切られることになります。香月副司令……貴方は、00ユニットを完成させることは出来ません。……このままでは、ですけどね」

 

香月に何かを言わせることなく、返す刀でもう一撃。

病室内を、沈黙が支配した。

香月の視線が蒼也を刺し貫いたまま数分が過ぎ、やがて彼女は口を開いた。

 

「黒須……アンタ、何を“視た”の?」

「その前に。この病室、セキュリティは問題ありませんか?」

「それは心配しなくていいわ。仮にもA-01の連隊長の部屋よ。防諜面ではこの基地で一番の病室よ」

「それを聞いて安心しました。あと、それともう一つ。……霞ちゃん」

 

急に名前を呼ばれて、社の体がぴくりと硬直した。兎の耳のような頭飾りがひらりと揺れる。

 

「霞ちゃんに僕の思考を読ませるのは、お勧めしません。僕はこうしている今も絶え間なく頭痛に襲われていて、思考を読むとその痛みまで共感してしまうかもしれない。……正直、霞ちゃんには厳しい体験になると思います」

 

香月の視線が社へと移り、わずかに怯えた様子を見せる社のそれと交錯する。

その社に一瞬だけ優しげな笑みを向け、香月は蒼也へと向き直った。

 

「社の力も知ってるのね。……いいわ、読むかどうかは、一旦アンタの話を聞いてから判断しましょう」

 

香月の言葉に一つ頷くと、蒼也はゆっくりと話し始めた。

あいと、ゆうきの、おとぎばなしを。

 

 

 

 

 

──まず、あの脳の持ち主の名前ですが、鑑純夏といいます。彼女には秘密にしているけど好きな人がいて、学校に通って、将来はBETAと戦うことになるのだろうかと不安に思っていて……そんな、どこにでもいるような、ごく普通の女の子でした。

 

──その彼女ですが……BETAの横浜侵攻の際、彼女の幼馴染みと、その他大勢とともにBETAに捕らわれてしまいます。

 

──幼馴染みの名は白銀武。彼は、捕らわれたハイヴ内で果敢に鑑純夏を守ろうとし……そして、彼女の目の前でBETAに惨殺されます。

 

──その後、彼女は人体実験の被験体にされました。BETAからしてみれば、人間が鉱物を研究するような、そんな感覚だったのかもしれません。実験内容については、今は割愛します。ただ、言うのも聞くのも悲しい……そんなものだったとだけ。そして彼女は、脳と脊髄だけの姿となりました。

 

──同じような状態にされた他の人間達が、ついには意思が折れて生命活動を停止させる中、彼女は生き続け、そして願い続けました。タケルちゃんに会いたい、と。そしてその強靭な意志の力が奇跡を起こしました。

 

──ところで、横浜ハイヴ内に備蓄されていたG元素ですが、想定より大幅に量が少なかったんじゃないですか?

 

──鑑純夏は、明星作戦で投下されたG弾によって時空間の歪みが発生した際、ハイヴ内に存在したG元素を触媒にして平行世界の白銀武を召喚したんです。

 

──白銀武は2001年10月22日に、この世界に出現します。何故この日なのか、それには彼と彼女の思い出が関係してくるのですが……それはまあ、いいでしょう。

 

──平和な、BETAの存在しない世界からやってきた白銀ですが、横浜基地に拾われて何とか衛士としてやっていきます。ですがその年の12月24日、オルタネイティブ4は打ち切られ、後にオルタネイティヴ5のバビロン作戦が発動。白銀もやがて戦死を遂げます。

 

──しかし、物語はここで終わりではありませんでした。白銀は再び2001年10月22日に目を覚まします。彼は、命を落とす度に何度も何度も、同じ時間を繰り返していたんですよ。鑑純夏の、もう一度タケルちゃんに会いたいという願いによって。その記憶を、虚数空間に流出させて。真っさらな状態で、はじめから。

 

──一体、何度繰り返したのか。やがて、そのループにも終わりがやってきます。その繰り返しの中で鑑は00ユニットとして復活し、もう一度白銀と出会うことが出来ました。

 

──そして、00ユニットとしての力を使い、ついには喀什のオリジナルハイヴの攻略に成功します。しかし払った代償は大きく、鑑は活動を停止。円環の理から抜け出した白銀は、元の世界へと帰って行きました。……その戦いの記憶を、忘れたくなどなかった大切な思い出を、またも虚数空間に奪い取られて。その世界の誰からも、忘れ去られて。

 

 

 

 

 

「これが、僕が“視た”ものです」

 

長い話が終わった。

蒼也の言葉が紡がれなくなり、静寂が訪れた病室。

ふと。社は、自分の頬に、何かが触れるような違和感を覚える。

そっと、指を這わせてみる。……濡れていた。

 

──これは、涙?

 

私は、悲しいのでしょうか? 悲しんでいるのでしょうか?

よく、わからない。

これが悲しみという感情だとして、何故自分はそれを覚えたのか。

自分の生まれ育った境遇を、悲しいものだと思ったことはあった。もっと普通の環境に生まれ育っていたならと、夢見たことはあった。

それでも、たった今、心の底から沸き上がるこの奔流は、それまでのものとは違うものであったのだ。

それは、社霞という人間が初めて手に入れた、本当の感情。

自分が一方的に語りかけるのみであった。それでも、返事など帰ってこなくても、自分にとって初めて心と心を直に触れ合わせた相手。

その彼女が辿った、凄絶な運命。

社は、今。悲しみという感情を、真に知ることとなった。

 

 

 

香月が口元に手を当て、何か考えこんでいる。

蒼也はそれ以上の言葉を発しない。ただ、香月の考えがまとまるのを待つ。

やがて、香月が口を開いた。

 

「……理論的には、説明がつくわね。これが全て妄想だとしたら、アンタ一流の作家か詐欺師になれるわよ」

 

褒められているのかな? 判断に迷う。

 

「つまり今のアンタは、鑑に呼ばれてこの世界にやってきた白銀とやらが、イレギュラー的に乗り移った存在……ってこと?

 ……いや、違うわね」

 

もしそうなら、ループの記憶を持っていることが説明できない。

ならば他の可能性は? 因果律量子論、そして黒須の持つ能力。そこから導き出される答えは……

 

「G弾が世界の壁に穴を開けた際、アンタの持つ並行世界を覗き見る力が、虚数空間に流出していた白銀の抜け落ちた記憶を拾い上げた……が、正解かしら」

 

蒼也の顔に笑みが浮かぶ。やはり、副司令は頼りになる。

 

「流石、夕呼先生。もちろん因果律量子論への造詣に関しては僕は副司令の足元にも及びません。理論を立ち上げたのが副司令なんですから当たり前ですけどね。

 ……でも、僕が辿り着いた答えも同じです。そう、僕は白銀じゃない。救世主なんかじゃない。手に入れた記憶に拒絶反応を起こされて、思い返す毎に頭痛に苦しむ……そんな、白銀の模造品ですよ」

 

夕呼先生って、何よ。いつからアタシがアンタの先生になったのよ。

それにしても……白銀の模造品、ねえ。

その言葉から何かを思いついた香月が、ふっと笑う。

 

「……さしずめ、タングステンといったところかしらね」

「タングステン? 徹甲弾とかに使われる、あれですか?」

 

まあ、アンタの知識じゃそっちが先に出てくるでしょうね。

仕方ない、教えてあげましょうか。

 

「タングステン。アンタの言うとおり非常に固いから徹甲弾の弾芯なんかに使われるけどね……その比重が近いことから、イミテーションにも使われるのよ。金やプラチナ──白銀の偽物に、ね」

 

香月の言葉に、きょとんとした顔を返す蒼也。しかし段々と、その顔が笑いに歪んできた。

白銀の偽物、タングステン。そりゃあいい、僕にピッタリじゃないかっ!

ひとしきり、声を上げて笑う。

 

「副司令、貴方にこそ作家の才能があるんじゃないですか?」

 

気に入った。

フリッグ01からはもう引退しなくてはならないし、これからの僕はタングステン01だ。

蒼也はもう一度、声を張り上げて笑った。

 

 

 

 

 

ひとしきり笑い、やがて一息ついた蒼也が、香月の瞳をじっと見つめる。

ふざけた様子など一切見せない、真剣な顔。

なによ、こいつ。こういう顔もちゃんと出来るんじゃない。香月の思考が少しだけ乱れた。

 

「副司令。僕と手を組みませんか?

 オリジナルハイヴを攻略した戦い、そこに行き着くまでの過程。その全てが、綱渡りなんてもんじゃない、薄氷を踏むなんてもんじゃない、危ういものでした。勝ったとはいえ、本当に奇跡としか言いようのないもの。あれをそのままなぞるなんて、僕には御免です」

 

香月も、じっと蒼也を見つめ返す。

ふんっ。良い顔するじゃないの。……いいでしょう、認めてあげるわ。アンタは使い魔から昇格。これからは、魔女の共犯者よ。

 

「了解よ、黒須。白銀が来る二年後までに、どこまで環境を整えられるか。持てる限りの全てを出し尽くしなさい。アタシが、協力してあげるから」

 

互いに不敵な笑顔を向け合う二人。

しかし次の瞬間、蒼也がベッドへと崩れ落ちた。

 

「……ごめんなさい、副司令。でも、今日はもう限界。

 白銀の記憶を覗くのって、結構堪えるん……です……よ……」

 

そして蒼也は、意識を失うように深い眠りへと落ちていった。

なるほど。これがここひと月のコイツの惨状の理由ね。

他人の記憶を宿す。それがどれほど自身の脳に負担を強いているのか、この様子を見れば想像がつく。

一度、モトコ姉さんに相談しておく必要があるだろう。彼女は脳医学者としては一流だ。何か手助けになることを教えてくれるかもしれない。

 

「それにしても……タングステン、か。本当に、アンタにお似合いよ」

 

とても硬く、とても重く、レーザーを使わなければ刻印も出来ないほどに丈夫な、タングステン。

そのタングステンを、魂に宿す男。

 

「今日のところはゆっくりと休みなさい、黒須。すぐに忙しくなるんだから」

 

これで、勝てるかもしれない。

いや、勝ってみせる。

完全なる自身による成果でないことに忸怩たる思いがない訳でもないが、それでも。

 

──見ていなさいよ。アタシが天才だってこと、結果で証明してみせるから。

 

誰に対するものなのか、傲慢で不遜な笑みを浮かべたた香月が、社を連れて病室から去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

意識が深層から浮かび上がってきた時、周囲には既に夜の帳が落ちていた。

どれくらい眠っていたのか。時計を確認しようとして室内を見渡し……

 

「あ、目が覚めましたか」

 

枕元に座る女性と目があった。

 

「……碓氷? 何で碓氷がここに?」

「副司令に、少佐が目を覚ますまで異常がないか見張っていろと命令されまして」

 

……夕呼先生。

本当に、あの人は。

 

「僕はどれくらい寝ていた?」

「6時間程です」

 

……6時間も、か。

頭の奥に鈍痛がまだ残るが、大分すっきりとした。副司令との交渉が上手く行って、抱え込んでいたストレスがなくなったからかもしれない。

 

「ごめんね、碓氷。折角の休みを潰させてしまって」

「いえ、少佐が気になさらないでください。副司令の命令だから仕方ないですし……それに、休みと言っても、どうせ一緒に過ごす人もいないんですから」

 

何故か胸を張るようにそう言う。

僅かに、何かを期待しているかのような、そんな視線。一体、何をアピールしたいというのか。

それに気が付かないほど鈍い蒼也ではなかったが……

 

──ごめん、碓氷。

 

心の中で謝る。

この娘は良い子だ。いつか、ふさわしい相手を見つけて欲しいと、心から願う。

……僕じゃ、駄目だから。僕にはもう多分、誰かを幸せにすることは出来ないから。

 

「そうだ、少佐。お腹減ってますよね。なにか持ってきましょうか?」

「いや、気にしなくていいよ。後で何か適当に……」

「駄目ですっ! きちんと食べないと、良くなるものもなりませんよっ!」

 

ずいっと、身を乗り出すようにして言う碓氷。

思わず、顔に笑みが浮かんでしまう。

 

「……ありがとう。それじゃ、何か食べやすいものをお願いしてもいいかな」

「はい、了解しましたっ! サンドイッチでいいですか? すぐ持ってきますねっ!」

 

満面の笑みを浮かべ、駆け出すように病室から出て行く碓氷。

その温かい気持ちが、純粋に嬉しかった。

 

 

 

一人になった病室の中、蒼也は立ち上がった。扉を開けて廊下に出て、窓から外を見る。

横浜はあっちの方かな? 検討を付けて視線を伸ばすも、その先は地平線の彼方。

それでも、そのまま視線を逸らさず、しばしの間、見つめ続けた。

 

──白銀。あの世界にはもう、君のことを覚えている人はいないのかな。

 

世界を渡るとは、元いた世界から存在が消え去ること。

その痕跡は、どこにも残りはしない。それが、人の記憶の中であっても。

 

──でも、僕が覚えている。

 

君の喜び、君の怒り、君の悲しみ。君が必死に闘いぬいたこと。

君の、人生の物語。

約束しよう、白銀。僕が、それをずっと覚えていると。僕の最後の時まで、覚えていると。

そして、君が守りたかった全てを、僕がきっと守ってみせると。

 

だから、許して欲しい。

君の記憶を使わせてもらうことを。君の記憶を使って、この世界の人類は、きっと勝利を掴み取ってみせる。

僕が消えてなくなる、その時までに。必ず、勝ち取ってみせる。

 

「少佐っ! 寝てなきゃ駄目じゃないですかっ!」

 

廊下の先から、碓氷の声が聞こえてきた。見れば、右手に乗せられた盆の上にはこれでもかと山盛りになった合成サンドイッチ。左手にはコーヒーポット。

この状態で、どうやって病室の扉を開けるつもりだったのだろうか。

その様子に、またしても笑みが溢れる。

 

世界よ、君は本当に美しい。

このかけがえのないものを守るために。その為に使えるのなら、僕は──後悔、しない。

 

「ほら少佐、部屋に戻ってくださいっ! ……というか、ごめんなさい……扉を開けてくれませんか……」

 

何かを呟きかけた蒼也だったが、首を振ってそれを飲み込む。今は、碓氷が与えてくれたこの時間を大切にしよう。

そういえば、彼女もきっと食事はまだのはず。……なるほど、それでこの量か。

 

「碓氷、良ければ一緒に食べようか」

「はいっ!」

 

こぼれるような、碓氷の笑み。

そして蒼也は扉を開くと、彼女が用意してくれた食事を食べるために共に病室へと戻っていった。

 

 

 



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36話

 

1999年、9月。

帝都。

 

月詠の屋敷から、徒歩で三十分程。

毎月26日になると、セリスの足はそこへと向かう。

五摂家を始めとした武家の重厚なものの立ち並ぶ一角からは少し外れたその場所へと、水を張った手桶と花束を手にし、歩く。

やがて、目的地へと辿り着いた。目の前にあるのは黒光りする磨かれた石。

 

──黒須家代々之墓──

 

その石には、そう刻み込まれていた。

鞍馬と結婚した時、蒼也を産み育てていた間、教習のために日本へと返った際。何度か参った京にあった墓と比べると、随分と小さくみすぼらしい。

ご先祖様には申し訳ないが……勘弁してもらおう。既に武家ではない黒須家がこうして墓を用意出来ただけ、恵まれているのが現状なのだから。

 

現在の帝都では、住居や職、それに衣類などといった生きる上で欠かせないものを含め、有形無形を問わず様々なものが不足している。食料だけはなんとか合成食で賄えているのが救いか。

当然のように、墓もまた然り。故人を偲ぶという目的のため、死者よりもむしろ生者にこそ必要なものであり、求めている人は多い。だが、無ければ命が危ういというものでもなく、他に優先すべきものはいくらでもある。新たな墓地が形成されるのは当分先のこととなるだろう。

月詠の口利きがなければ、この墓も用意出来たかどうか。

 

これらは全て、関東から西に住んでいた人たちが、BETAの日本侵攻を避けて移り住んだ結果だ。

侵略された土地の広さに比べれば、亡くなった人の数は少ない。初期の避難が的確で迅速に行えた結果であり、不幸中の幸いといえるだろう。だがそれが故に、この現状があるのだともいえる。

避難民はいくつかの都市に分散して割り振られたとはいえ、それだけの数を無条件に受け入れるだけの許容量は帝都にはなかった。今も尚、仮設の住宅で暮らしている者達も数多くいるのだ。

 

だが、明けない夜はない。長かった耐え忍ぶ時間にも、ようやく終わりが見え始めた。先月に行われた決戦、明星作戦に日本は勝利を収めたのだ。

しかし、民間に流れてきている情報からでも、その美酒に少なくない毒味が混ざっているのは読み取れる。アメリカが暴走して新型爆弾を落とした結果、多くの人命がBETAとの戦い以外で失われたという。

 

日本国民のアメリカに対する感情は元より決して良いものではなかった。その上に起きた今回の一件、深かった溝がついに裂けて割れる決定的要因になったといえるかもしれない。

帝都にも決して多くはないが、外国籍の者達が居住している。彼等は現在、息を潜めるように、目立たぬように日々を過ごすことを求められている。前将軍が発した声明もあり、直接的な暴力を振るわれるようなことは少ないとはいえ、それでも身の危険を感じるようなことが起こらないとも限らないのだ。

セリスもまた、見知らぬ人から突然に罵声を浴びせられたり、石を投げられたりといった経験がある。しばらくの間は、ひとり歩きや夜間の外出は出来るだけ控えるべきだろうか。

 

このように、勝利の余韻に浸るのと同時に剣呑な雰囲気も漂うような状況ではあるが、それでも。

爆弾によって亡くなった兵士たちには申し訳ないと思う。

未だ、佐渡ヶ島という喉元にナイフを突きつけられている現実もある。

だが、それでも。ついに日本は開放されたのだ。

これからは、荒れ果てた土地の再興のため、これまでとは逆に西へと向けての人の移動が起きるのだろう。東へ向かった時の悲壮な顔を、喜びの色に塗り替えて。

 

──まあ、こっちはそんな感じよ。心配しないで、何とかしぶとくやってるわ。

 

そのようなことを徒然と、心の内で鞍馬へと語りかけていたセリス。話したいことを話し、伝えるべきことを伝え。

ふと、視線を周りへと向けた。

周囲には花や食べ物、あるいは酒瓶などを墓に供える人たち。そしてセリスと同じように、死者へと語りかける姿。

今日は人が多い。そういえば丁度、秋の彼岸の時期だった。

日本侵攻から明星作戦と。生き抜くのに必死で亡くなった人を弔う暇もなく、これが事実上の初彼岸という者も多いのだろう。

今は亡き大切な人へ語りかけるという悲しみを伴う行為でありながら、それでも。彼等の顔に浮かぶのは、どこか嬉しそうな色。

きっと、良い報告ができているのだろう。それが、セリスにも喜ばしい。

 

──それじゃあ、また来月。お義父様と楽しくやっててくださいね。

 

最後にもう一度、亡き夫へと語りかける。

もう、鞍馬が逝って七年が経つ。それでも月命日の度にこうして鞍馬と会話をするのは、セリスにとっては義務であり、楽しみであり、そしてやはり寂しい行いでもあった。

そんな彼女に、もう忘れてしまってもいい、自由になってもいいんじゃないかと雪江などは言ってくる。

でも、セリス自身はこれでいいと考えていた。戦意高揚のための英雄としての像ではなく、悩んで苦しんで泣いていた、そんな本当の彼の姿をずっと覚えている人がいてもいいじゃないか。そして、その役目は誰にも譲るつもりはない。

だって。今でも、彼を愛しているのだから。

それに……

 

──もう、私も47だもんねえ。

 

こんなおばちゃん、今更もらってくれる人もいないわよ。

そりゃ、年の割に若いって自信はあるけどさ。

だから鞍馬、諦めて。私がそっちに行くまで付き合ってね。

墓の向こうに、照れたように、困ったように頬を掻く鞍馬の姿が見えた気がした。

その姿に微笑みかけると、セリスはゆっくりと立ち上がる。

 

さて、と。

しばらくは生徒も集まりそうにないし、いい加減、新しい仕事を見つけないとね。

でも、募集も少ないし、そもそも私に何が出来るかしらねえ……。

そんなことを考えながら墓に背を向けたとき、少し離れた場所からこちらをじっと見つめる者と目が合った。

視線が交差したことに気づくと、彼はセリスの前までゆっくりと歩を進める。

 

「……家に伺ったら、こちらだと言われてね。黙って見ているのも趣味が悪いかと思ったのだが、邪魔をするのも気が引けてな」

 

そして、少しばつが悪そうにそう言った。

知っている顔。懐かしい声。だが、あまりに予想外の人物。何故、彼が?

混乱する思考とは裏腹に、自然と口元が綻んでいく。

 

「……お久しぶりです、副長」

「ああ、久しいな、大尉。元気そうで何よりだ」

 

かつて互いに命を預け合った、戦友。

パウル・ラダビノッドの姿が、そこにあった。

 

 

 

 

 

「よければ、鞍馬にも会ってやってください」

「是非、そうさせてもらおう。……本当は、もっと早くに訪れたかったのだが」

 

セリスに促され、墓の前で手を合わせる。

日本への赴任が決まった時、これでようやく鞍馬の墓に詣でることが出来ると、思ったものだが。言いたいことは山程あったはずなのに、不思議と言葉に詰まる。

込み上げてくる感情を上手く表現できないのか。想いの前に、言葉など無力なものだった。

 

「……ここに、大佐が眠られているのだな……」

 

ようやく、そんなことを口にした。

ボパールの敗北から7年。階級は既にあの時の鞍馬を上回っているし、地位に見合う責任も果たしてきた。それでも、鞍馬を超えたかと言われれば……出てくるのは否定の言葉だけだ。死者に追い付くことなど、永遠に出来はしない。これまでも、そしてこれからも。ラダビノッドにとって鞍馬は、いつまでも上官であり続けるのだろう。

 

「といっても、お墓の中は空っぽなんですよ。鞍馬の体は骨も残らなかったでしょうし、あったとしてもボパールの地下ですから。京都のお墓には愛用していた物なんかを入れていたんですけど……もう、BETAの胃袋の中でしょうね」

 

セリスの言葉にラダビノッドは、ただ「……そうか」と呟くことしか出来なかった。

 

「それでも……」

 

セリスが言葉を継ぐ。

 

「それでも、私がここに来るとき。鞍馬も、ここにいてくれる。そう、思うんです」

 

そして、その顔に微笑みを浮かべた。

美しい笑み。かつて、ラダビノッドが心奪われた、あの時のままの笑みを。

 

「ごめんなさい。何だか、感傷的になっちゃって」

「いや……」

 

──……終わったの、だな。

 

瞳を閉じ、人類の剣と呼ばれた、戦いの日々を思い返す。

血生臭い毎日でありながら、それでも幸せだった、黄金時代。

あれから7年。あの輝く日々を追いかけるように戦い続けてきたラダビノッドにとって今、この瞬間。鞍馬の墓を前に、セリスの微笑みを見た時。

終わったのだと。心の何処かでずっと認めたくなく思っていたが、あの日々はもう夢の彼方にしか存在しないのだと。そう、ようやく認められた。

 

「感傷というより……のろけ、かね」

 

ラダビノッドが笑う。

その口元をニイっと曲げ、茶目っ気たっぷりに笑う。

つられるように、セリスの顔にもまた笑みが。

 

──大佐、おさらばです。

 

晴天の秋空へと染みわたるように、二人の笑い声が響き渡っていった。

 

 

 

 

 

ひとしきり笑った後、二人はそれぞれの今の生活についての話に花を咲かせた。。

民間人として家族と暮らすセリスの、穏やかな日々。

ラダビノッドが、横浜に新設される国連軍基地に司令として赴任してきたこと。

 

「そう。貴方は、まだ戦っているのね。……ごめんなさい、私ばかり先に逃げ出してしまって」

「逃げたなどと、何を。貴方は、もう充分に人類の為に貢献した。充分すぎるほどに。誰が何と言おうと、それだけは間違いない」

「……ありがとう」

 

ラダビノッドの、本心からの言葉。

彼女が咎人だと石を投げる者がいるなら、問うがいい。己は、彼女ほどに何かを捧げたのかと。

 

「それに、私も現場からは退くことになった。心残りはあるがね。

 ……いや、あった、か。ここに来て、ようやく吹っ切ることが出来たよ。これからは、司令という立場で戦っていく。まあ、半分はお飾りの司令だがね」

「……そう。お疲れ様、って言っていいのかしら?」

「ありがとう。なに、もう私も年だ。いい加減に頃合いだったのだよ」

「あら、年の話はしないでくださる? 私ももう、孫がいてもおかしくない年になってしまったんですから」

「何をいう。大尉は、あの頃と変わらず若々しく美しい」

 

相変わらず、お上手ね、と。そう微笑むセリス。

ラダビノッドが、目を奪われ続けてきた笑み。彼女が、大佐の妻でなかったら。そう思ったことも幾度かあった。だが……。

大佐がいたからこそ、彼女は笑っていられたのだ。そして今も尚、こんなにも美しく笑うのだろう。だから、それでいい。やはり、自分のこの気持を伝えることはない。墓まで持って行くことにしよう。

 

だが、もう一つのことは。

こちらは、伝えなければならない。酷な願いだということは理解している。だが、それでも。

 

「……大尉。実は、今日ここに来たのには、大佐の墓参りとは別の理由がある」

「副長?」

 

一呼吸置いて、そう切り出すラダビノッド。顔が、軍人のものへと切り替わっていた。

 

「単刀直入に言う。……黒須セリス大尉。現役へと、復帰してもらえないだろうか」

 

彼女はもう充分に戦ったと、そう告げたばかりの口で何を言うのか。自分の舌が二枚になったようだ。

本当なら、彼女にはこのまま静かに、幸せに暮らしていって欲しい。

しかし……。

人道に反していようとも、自分と彼女の、そして大佐の気持ちを裏切るような願いであっても。第四計画には、彼女の力が必要だった。黒須鞍馬の妻というセリスの肩書を、必要としていた。

 

痛みを堪えるような、そんな悲しそうな目で自分を見つめるラダビノッド。

セリスは、彼を良く知っていた。彼の今の言葉が、彼自身の望みには反していると、よくわかった。

それなのに、自分と仲間の気持ちを裏切ってまで叶えたい望みがある、と。

 

「……場所を、変えましょうか」

 

かつての仲間の。いや、今も変わらずに仲間である彼の、望まぬ願い。

私も、真剣に応えなければならない。

自分の人生が、運命が。再び戦場へと駆り立てられる予感。

セリスは、自分の心に燻っていた炎が、再び静かに燃え上がろうとしているのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

1999年、10月。

帝国軍練馬駐屯地。

 

救世主が降臨するまで、00ユニットを完成させるために必要な理論を手にするまで、後二年。

蒼也と香月は手にした白銀の記憶を元にして、それ迄の間に環境を整えることに全力を注ぐと決めた。

 

 

 

基本方針は大きく三つ。

一つ。第四計画の影響力を増大させ、同時に第五計画のそれを削ぐこと。

その為に様々な謀略が行われることとなったが、その中でも特に重要なものとして、香月が作成し国連と各国首脳へと向けて発表した一つのレポートが挙げられる。その内容は、第五計画が提唱するバビロン作戦が実行された後に起こるであろう、未曾有の大災害への警鐘であった。

 

明星作戦の最中に蒼也が幻視した白い大地。果たしてこれが白銀の記憶なのか、あるいは他の何かなのか、それは蒼也自身にも判然としない。少なくとも2001年10月22日から桜花作戦までの間の記憶でないことは確かだ。ならば、さほど重要度の高いことではないのだろうか?

しかし、香月によりいくつかの可能性が指摘され検証がなされた結果、導き出された仮説は決して無視の出来ない、恐ろしい物であったのだ。

 

バビロン作戦、それはユーラシアに存在する各ハイヴへとG弾を投下していく計画である。このG弾集中運用が実行に移された際、各ハイヴにおいて横浜と同じような重力異常が発生する。そして、それらがいわば共鳴を起こして相互干渉した時、地球に深刻な重力偏差が起きることが予測された。

その結果、偏った海は巨大な津波となってユーラシア大陸を飲み込み、安全だったはずの他の大陸は大気圧の激減に見舞われ死の世界と化す。かつて海底だった大地に浮いた大量の塩は風に乗って内陸奥深くまで降り注ぎ、BETAの侵略からも、津波からも逃れた僅かな土地から容赦なく緑を奪い去る。

蒼也の視たものこそ、この絶望の未来であったのだ。

 

その内容は、一読した各国首脳の顔を青く染め抜いた。第五計画推進派は根拠の無い誹謗中傷だと、結論ありきの捏造にすぎないと香月を非難したが、その彼等の声ですら震えている有り様だった。

第一次報告ということもあり行われた検証は簡易的なものではあったが、それでも私見を交えず客観的視点から構成されたその内容は、それが真実であると強い説得力を持って語りかけてくるものであり、特にユーラシアに国土を持つ者達にとって決して軽視して良いものではなかったのである。

 

レポートの最後はこう締めくくられていた。G弾が実戦投入された唯一の地である横浜における重力異常の変遷に関して継続的な調査を行い、二年後に最終的なレポートを提出する、と。また、それまでにBETAによる支配域を拡大させないための策を、第四計画は用意していると。

これにより、少なくとも2001年末まではG弾の使用は控えるべきとの声が国際社会においては主流となり、同時に第四計画の言うところの秘策に対する期待はいやが上にも高まったのである。

ちなみに、香月は二年後の最終レポートに関しては、00ユニット完成後にその驚異的な演算能力を用いて詳細なシミュレーションを作成する腹づもりでいる。

 

 

 

基本計画の二つ目、それは2001年10月22日以降に白銀が関ることで香月が生み出した成果を、前倒しで準備することである。

具体的には、BETAの支配構造がピラミッド型ではなくオリジナルハイヴを頂点とした箒型であると周知させること。00ユニットが抱える致命的欠陥であるBETAへの情報漏洩を未然に防ぐ術の用意。白銀を平行世界へ送るための装置の作成。凄乃皇をアメリカから譲り受け、00ユニットが起動し次第に実戦投入できるようにすること。そういったものが挙げられる。

これらの内、横浜基地内でのみ完結するものに関しては何の問題もない。ループの中では僅か二ヶ月でやり遂げたことであるのに対し、二年もの準備期間があるのだ。

だが、情報の周知や凄乃皇の引き渡しなど、他者が関わってくることに関してはそうもいかない。場合によっては、佐渡ヶ島ではなく喀什をまず叩くという展開も考えなければならないのだ。それ相応の下準備や水面下での交渉が必要となってくるであろう。

 

 

 

三つ目、人類戦力の強化。特に、防衛力の増強は必須であった。

仮に佐渡ヶ島の攻略をさしたる被害もなく成し得たとしても、その後に待ち構えているであろう横浜基地襲撃を防ぎきらなくては何の意味もない。これは佐渡ヶ島に限らず、全てのハイヴにおいても同様のことが言える。

この点に関してのみは、二年という準備期間は短いと言わざるを得ない。新たな戦術機を始めとする新兵器を開発するにしても、一人前の衛士を大量に育て上げるにしても、どうしても時間が足りないのだ。

そこで香月と蒼也が選択した方法は、既存兵力の能力を引き上げることであった。

 

白羽の矢が立ったのは、1977年に実戦配備されてから20年以上経過した今も尚、日本で最も数多く運用されている戦術機であるF-4J 撃震。

安価で信頼性が高い撃震の能力を引き上げることが出来れば、BETAとの戦いにおいて大きな力となるであろう。第三世代機に乗り換える際のような大掛かりな機種転換訓練を必要としないこと、生産ラインや運用ノウハウをそのまま流用できることなども、限られた時間を有効に活用できるという点において大きな利点となる。

 

いくつかの改修案が検討なされた結果、いじるとなればどうしても大掛かりなものとなる外面部分ははそのままに、比較的容易に性能を引き上げられる機体内部の改修を中心に行われることに決定した。こうして第三世代仕様に最適化され、オペレーション・バイ・ライトを実装しアビオニクスの刷新がなされ、更には新たなOSが搭載された新型撃震、F-4JX 撃震改が誕生した。この機体は安価な第一世代機の発展形でありながら、準第三世代機の性能を持つまでに至ったのである。

 

また、撃震のベースとなったF-4 ファントムやその派生機もまた、世界的に見れば未だ第一線で活躍している機体である。それらにも同じ改修を施すことを請け負うか、或いは完成品を売却したならば、日本は国際社会に大きく貢献しながら莫大な利益を上げることが出来るであろう。そして、誘致国である日本の発言力の増大とは即ち、第四計画の立場を強くするものでもあるのだ。

 

更に、蒼也は別のとある戦術機に目をつけた。

それは正式には攻撃機というカテゴリーに分類される、主に欧州や中東を舞台に活躍している機体、A-10 サンダーボルトⅡである。

この戦術機の特徴を一言で言うならば、機動性を犠牲にして莫大な火力を手に入れた機体となる。その単騎火力はファントム一個小隊を上回る程であり、施された堅牢な装甲と戦単級の取り付きに対抗する爆圧スパイク機構が採用されていることから、密集近接戦での生存性の高さについても高い評価を得ている。

格闘戦がほぼ不可能であることから、斯衛軍や帝国軍においては数機の試験機が導入されたのみで正式採用されることはなかったが、1978年の実戦配備から現在まで今もなお現役で戦い続けている信頼性の高さはファントム系列の機体と同じく折り紙つきだ。

 

こうしてA-10に第四計画の手によって撃震改と同様の改修が施された結果、A-10J 凄鉄が誕生した。やはり砲撃戦に特化しすぎた武装が足を引っ張る形となり格闘戦は相変わらず不可能であったが、それでもその運動性を第二世代機水準にまで引き上げることに成功したのである。

まずは横浜基地所属の国連軍に導入してその有用性を見せつけた後、徐々に帝国軍にも配備されていくこととなるであろう。

 

 

 

そして、ここまでに述べた三つの基本戦略の全てに関連する、香月と蒼也の計画の根幹をなすと言っても過言ではない要素がある。

それを発表することで第四計画の影響力が高まり、普及させることで兵力の増強につながる、白銀武が発案し香月夕呼が作り上げたもの。

それが、白銀の記憶の中において奇跡とまで謳われた、撃震改及び凄鉄にも搭載されたOS、XM3の開発である。

 

 

 

これらの基本方針に係る情報の出どころは当然、蒼也の中にある白銀の記憶である。それを、蒼也は包み隠さず全て香月へと話した。

彼女との関係をあくまで対等なものとするため、香月を一方的に上の立場としないためには、重要でありながら早急に処理する必要のないような事案については隠しておいたほうが良かったとも言える。切り札は表に見せないからこそ切り札足り得るのだ。

だが、蒼也はそうしなかった。それは青臭い理想が故のことではなく、そうせざるを得ない理由からのものであった。そして蒼也が手札を全てを明かしたということ、そのことそのものが香月にある事実を悟らせた。

香月が悟ったということを蒼也もまた察し、言葉にしない内にそれは二人の共通認識となる。

それは──黒須蒼也に残された時間は、おそらくそう長くはないという、現実だった。

 

 

 

 

 

 

 

いつの間にか暗黙の了解のうちにA-01専用となったPXの一角、伊隅は机に肘をついた手で頭を抱えるようにして、思考の海に沈んでいた。

テーブルに隊の仲間達の姿はない。伊隅は午前の訓練中に副司令に呼び出され、隊を離れて一人、彼女の執務室へと赴いていたのだ。

そして、とある辞令を受け取った。それは一般的に見れば好ましい類のものであるに違いない。実際、伊隅にも嬉しく思う気持ちは確かにある。だが同時に、気持ちを暗く沈み込ませている原因もまた同じものであった。

 

──碓氷になんて言おう……

 

伝えれば、きっと傷つく。自分でさえ、少なくない衝撃を受けたのだ。

ことはA-01全体にも深く関わることであり、伝えないという選択肢は存在しない。だが、どう説明したものか。どう言えば彼女が受ける痛みを和らげられるのか。

 

甘い考えだというのは分かっている。軍人である以上、上からの命令には従わなければならないのは当然のことであるし、個人の心情を慮る余裕など今の人類に残されてはいない。

だが、それでも。伊隅にとって碓氷とは訓練生時代からの親友であり、共に戦い生き残った戦友である。その彼女が悲しむ姿は、出来れば見たくはない。

 

思い悩んだ彼女の足は皆が待っているブリーフィングルームへとは進まず、ここPXへと向かっていた。

少し、考えをまとめたかった。

しかし、いくら考えても結論は変わらない。結局、正直にそのままを話すしかない。

そうだ。残念なことには違いないが、別に戦死したということでもない。それに、もう二度と戦うことが出来ないなどと、そう決まったわけでもないのだから。

 

「あれ、伊隅大尉。もう戻られてたんですか」

 

不意に声を掛けられた。

いつの間にか随分と時間が経っていたのか、A-01の仲間達が昼食をとりにやってきたようだ。

顔を上げれば、そこには伊隅が現在のところ最も目を掛けている男がいた。

鳴海孝之。甘いマスクと情に厚い性格から、新任達のまとめ役的な存在となっている一人だ。衛士としての能力も上々で、特にその指揮官適正の高さから明星作戦前には既に中尉として小隊を一つ任されていた程である。少々優柔不断なところが目に付くが、そこさえ直せれば伊隅や碓氷と並んで部隊の要となれる男であった。

 

因みに、プライベートな場においては優柔不断の度合いがかなり跳ね上がると耳にする。複数の女性から言い寄られているが誰と決めることが出来ず、あちらへこちらへと流されているとか何とか。はっきり言って、女の敵。だが、伊隅には部隊運営に支障が出ない限りにおいて、その辺りにまで口を出す意思はない。結局のところ本人同士の問題であり、下手に他人が介入しても犬も喰わないものを喰わされるだけだろうから。それになにより、男で苦労するのは鈍感だけで充分だ。

 

「お疲れ様です、大尉。今日はどんな無理難題をふっかけられたんですか? ……って、あれ、階級章が……」

 

鳴海の後に続くのは、彼の相棒とでもいった存在。

平慎二中尉。面倒見のいい質で、彼もまた新任達の精神的な支えとなっている。その彼が、伊隅の襟元に視線を注ぎ、目を丸くした。そして姿勢を正す。仲間内での礼儀は最低限でいいというA-01の流儀に従って、どこか冗談じみた態度ではあったが。それでも、その目に光る畏敬の念は本当のものだ。

 

「ご昇進おめでとうございます、伊隅少佐」

 

そう、伊隅の階級章は、午前中とは違うものになっていた。大尉から位を一つ上げて、少佐へと。

言われて初めて気がついた鳴海が、慌てて平の後に続いて敬礼をする。

そして、そのさらに後ろより。

 

「えー、少佐ぁ? ……うわ、ホントだ。みちる、おめでとうー。

 って、失礼しました、伊隅少佐殿っ! 上官侮辱罪とか言わないでくださいよー」

 

朗らかに笑う、そんな声が。

言うまでもなく、伊隅の苦悩の原因、碓氷である。

 

「あーあ、先を越されちゃったかあ。でもまあ、あたしよりずっと指揮官向きだもんね。みちるの指揮だったら、あたしも……って、あれ……みちるが……指揮官?

 ……じゃ、じゃあ、少佐は? ねえ、黒須少佐はどうなるのっ!?」

 

友人の昇進を素直に喜んでいた碓氷の、その顔が段々と訝しげなものへと変わっていった。

現在のA-01の指揮官は黒須蒼也少佐。そこへ新たに、伊隅が少佐へと位を上げたということは。

隊が新たに新任を迎え規模が大隊を超えることにより蒼也が中佐へ、伊隅が副隊長として少佐となる。そういう可能性もある。

だが、伊隅の顔に浮かぶ隠し切れない悲しげな表情が、碓氷に別の事実を悟らせていた。

 

「……そのことについて、午後からミーティングがある。私と、碓氷。それに鳴海と平、お前達もだ。

 昼食後、1300にA-01専用ブリーフィングルームへと集合するように」

 

伊隅は碓氷の問には答えず、わずかに視線を反らすとそう言った。

常ならば人の目を真正面から見据えて会話する伊隅。そんな彼女のらしかぬ行動が、碓氷の懸念が正しいのだと明白に告げていた。

 

「……そう……了解。あ、鳴海、これあげる。良かったら食べて」

 

碓氷は手にしていた合成親子丼の乗ったトレイを鳴海に押し付けると、席に付くことなくPXの出口へと向き直る。

 

「……大丈夫、1300までには元に戻ってるから。……だから……今は、ごめん」

 

顔は見せずに、背中越しに告げる。

声が、微かに震えていた。

去りゆく彼女に、伊隅は何の言葉も掛けることが出来なかった。

 

 

 



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37話

 

1999年、12月。

国連軍横浜基地。

 

速瀬水月のこれまでのそう長くない人生において、この一日ほど立て続けの驚きに心を揺らされたことはなかった。

おそらく、これからの人生においても同じだろう。

 

 

 

その一連の出来事は、同期の者達が任官していく中に取り残された、たった三人だけの小隊が遂に迎えた解散式から始まる。

通常、訓練小隊は六名の衛士候補生から構成される。当然、速瀬の小隊にも当初は六人の仲間がいた。それが半分に減ったのは、初めて臨んだ総合戦闘技術評価演習において不幸な事故が発生したがためだ。

 

この演習に合格すれば戦術機に乗る資格を手にできると、逸る気持ちが焦りを生んだのかもしれない。或いは、試験官側における事前の安全確認が不十分だったのだろうか。

事故の原因を追求し、責任の所在を明らかにし、再発を防ぐことは必要だ。だが速瀬にとって重要だったのは、二人の仲間が死に、一人が衛士生命を絶たれる重症を負ったという事実。そして、衛士になるという夢が遠のいた現実だった。

 

だが、この不運が速瀬の心を砕くようなことはなく、逆にどこか甘さの残っていた彼女を一人の兵士へと変えることになった。

苦楽を共にした友人が目の前で死んでいく様は、自分達が置かれている場所が既に戦場なのだと、そう自覚させるに十二分すぎる体験だったのだ。

そうして覚悟を手に入れ、二度目の総戦技演習で衛士の資格を手にした速瀬は、その才能を開花させる。教官である神宮司軍曹をして傑物と言わしめる、本物の衛士が生まれたのだ。

 

そして迎えた解散式。

例え全国に散り散りに配属されもう二度と会うことがなかったとしても、自分達は生涯の友だと。仲間と硬く手を握り合い涙を流した速瀬を、最初の驚愕が襲った。

教官から下士官に立場を変えた神宮司軍曹より丁寧な口調で説明を受けた内容は、三人の配属部隊が同じだというもの。

さっきの涙を返せ、と。

 

配属先は新設される横浜基地。所属する部隊は、これまた新設されるという教導部隊。何でも、長いBETAとの戦いの歴史を塗り替える役割を担った、特別な部隊だという。

本来なら速瀬等の任官はもう数ヶ月は早かったと、この時に聞かされた。それがこの日まで遅れたのは、この基地と部隊の受け入れ体制が整っていなかったかららしい。

速瀬は燃えた。それはもう、燃え上がった。

根っこのところがとても素直で、それでいて血気盛んな性格をした速瀬。自分の手でこの戦いを終わらせてやると、瞳に炎を燃え上がらせた。

 

そうして訓練校のある仙台から横浜まで、物資の輸送機に同乗して移動することになった訳だが、そこに乗り込んできた人物の顔を見た時、速瀬に二度目の衝撃が訪れる。

同じ部隊に配属される新任コマンドポストだというその人物こそ、かつての事故で衛士生命を絶たれた速瀬の一番の親友、涼宮遥だったのだ。

 

事故により切断を余儀なくされた彼女の両足には、擬似生体が移植された。

そのリハビリだけでも相当な辛苦であったろうに、彼女はそれにCPとしての訓練を両立させ、見事この日の任官を果たしたのだった。

おっとりとして控えめな彼女の、隠し持った芯の強さ。それを速瀬は知っていたが、改めて頭が下がる思いだった。

 

これまでの分を取り返すかのように大いに語り合い、喜び合った一同。気がつけば、あっという間に横浜まで到着してしまっていた。軍属の輸送機内での賑やかなおしゃべりを見逃してくれた上官に感謝を。

 

 

 

横浜基地へと降り立った速瀬の、その第一印象といえば。

 

「……工事現場?」

 

思わず呟きが漏れてしまった彼女を責められまい。

そう。この時、横浜基地は絶賛工事中であり、広大な敷地内を見渡すかぎり重機と建材の山が溢れかえっている有り様だったのである。

呆然とする一行だったが、頭を冷静に切り替えてみれば、これもしかたのないことだと納得できた。なぜならここは、ほんの数カ月前までハイヴがあった場所なのだから。

案内の者から説明を受けたところ、基地全体の実働まではまだ二年以上の歳月が必要だという。それでも、速瀬が所属する戦術機部隊に関わる施設は最優先で工事が進められており、見てくれに目を瞑れば既に稼働が可能だとのこと。

 

ほっと胸をなでおろし、その見てくれの悪い施設へと案内される一行。これから部隊の発足式が行われるという。

気持ちが滾る。

今日この時から、正規兵としての戦いの日々が始まるのだ。日本を、人類を救済するための戦いが。

 

抑えきれない気持ちを抱えたまま連隊用の大規模ブリーフィングルームへと入室した速瀬を迎えたのは、既に着席していた新しい仲間達が一斉に向けてきた視線だった。

思わず、気後れしそうになる。

軽く見渡し、その面構えを確認。どうやら、新設部隊とはいってもすでに実戦経験のある猛者ばかりが集められているようだ。もしかしたら、完全な新任というのは自分達だけなのかもしれない。

だからといって、負けてやらないからね、と。ぐっと拳を握りしめ、とりあえずは着席しようと開いている席を探す。

 

「貴様らは、こっちだ」

 

ただ一人、居並ぶ隊員の前に立っていた司会らしき人物が、そう声を掛けてきた。襟には中佐の階級章。凛々しい雰囲気の女性だ。

中佐ってことは、この人が隊長なのかしら。あたしとそこまで年が変わらなさそうなのに、中佐か。負けてらんないわね。

……っていうか……え? そこ?

 

中佐の横へと並ばされた。

視線がさらに集中してくるのを感じる。

 

「では。これより、国連軍横浜基地所属、特殊戦術教導部隊A-01の発足式を開催する」

 

いったいこれって、どういうことよ?

わけがわからないわよ。

混乱する速瀬の気持ちを置いてけぼりに、式典が粛々と始められた。

 

 

 

 

 

「まず、貴様ら新任に断っておくことがある」

 

開始宣言の後にそう切り出した中佐の瞳には、どこか憐憫の光が灯っていた。

何? 一体何をされるの? と。これから自分達を襲うであろう運命をあれこれ想像する速瀬だったが、その想像の範囲に次の中佐の言葉は含まれていなかった。

 

「このA-01部隊だが……既に、発足から2年半の月日が経っている」

 

……はい?

鳩に豆鉄砲。言葉の意味を理解しようと努めるが……。少し頭を捻った後、速瀬は考えることをやめた。うん、説明を待ったほうが良さそうだ。

 

中佐の説明を簡単にまとめると、こうだ。

A-01はとある計画の遂行の為、表向きには存在しない特殊部隊として誕生した。

だが、その計画の成果の一部を表立って発表する時期が近づいてきており、正規の編成表に名前を載せることが必要になった、と。

 

なるほど、納得した。わざわざこんな場を用意する意味は、相変わらずわからないけど。

つまり、その計画とやらの遂行がBETA大戦を終わらせることに繋がるのね。

ところで、成果っていうのは?

 

「貴様らは、黒須鞍馬少将を知っているな?」

 

それは、もちろん。

BETA大戦史に名を残す英雄の一人で、戦術機を囮にした支援砲撃によるBETA殲滅戦術や、ハイヴに対する間引き作戦を考案した人物。

衛士なら誰でも、日本人だったらそれこそ子供でも知っている。

でも、それが?

 

「我々が手にした成果とは、今から20年前に黒須少将により提案されながら、技術的な制限において作成不可能だった装備だ。これに習熟し、他部隊への教導を努めること。それこそが、我々の任務である。貴様……速瀬少尉、その装備とは何だと思う?」

 

ええー!? 突然振らないでよ。

えーと、戦術機が装備できるものよね。それでBETAに勝てるようになるもの。

今の戦術機に足りないもの……火力っ!

 

「レーザー砲だと思いますっ!」

 

力強く断言してみた。

……中佐。今、吹き出しそうになったの見逃しませんでしたよ。

 

「なるほど。光線級のレーザーに匹敵する火力を戦術機が装備出来たなら、確かに大きな成果といえるだろう。だが、残念ながら違う。

 それは、今まで注目する者がほとんどいなかった、それでいながらまさに革命的な効果を引き起こすものだ」

 

……降参。わかんないわよ。

言葉が出てこない速瀬に、どこか満足気な様子を見せながら、中佐が言った。

 

「それは、OSだ。これまでのものとは明らかに一線を画す、普及した後には衛士の死傷者を半数以下に抑えることになるであろう、奇跡のOS。それこそが20年の時を超えて遂に完成した、XM3だ」

 

……XM3……エクセムスリー。なんだろう、何だか胸が熱くなる響き。

中佐の言葉に乗せられたかな。

でも、それも悪くない。やってやろうじゃないの。

 

「改めて、新任諸君。我々A-01は、貴様らを歓迎する」

 

中佐の言葉に、新任一同は揃って、一糸乱れぬ敬礼を返した。

 

 

 

 

 

「それでは、ついでにA-01の面々を紹介しておこう。大所帯だから、とりあえずこの場においては指揮官クラスの紹介に留める。他の隊員に関しては訓練を通じて顔と名前を一致させていってくれ」

 

それはありがたい。

ざっと見る限りでも大隊を超えている人数、一度に言われても覚えきれるわけがない。

 

「まずは、司令部の人間から……」

「やっと~? 伊隅、アンタ話が長い」

「……こちらが、香月夕呼横浜基地副司令。A-01は副司令の直轄部隊であり、彼女の言葉が全てにおいて優先される。また、XM3を開発したのも副司令だ。次に……」

「ちょっと、伊隅?」

「……失礼しました。どうぞお話ください」

 

続けて次の人を紹介しようとした中佐へと、副司令が剣呑な目を向けた。

なんだろう? 理由は分からないが、中佐は副司令に話させたくなかったのかしら?

話が無駄に長いとか?

 

「香月よ。まず最初に、アタシの前で敬礼は禁止。無駄にしゃちほこばって意味の無いことに時間を費やすのは馬鹿のやること。

 アンタ達はまりもが認めた上でここにいるんだから、アイツの顔に泥塗るような真似するんじゃないわよ。いいわね?

 なにか良いアイディアが思いついたり疑問に思うことがあったりしたら訪ねてきて構わないわ。ただし、それが下らないことだったら脳を改造するからね」

 

……話が長いだけの方がずっと良かった。

ところで、まりもって神宮司教官のこと……だよね? 仲いいのかしら。

 

「まあ、アタシは中々つかまらないことも多いでしょうから、そんな時は伊隅に言うか……コイツ、黒須を訪ねなさい。アタシよりは暇してるから」

 

反射的に敬礼しそうになる右手を、胸の辺りで無理矢理止めた。

副司令がニヤニヤとした顔でその右手を見てる。とりあえず、頬を掻いて誤魔化しておいた。……誤魔化せた、わよね?

 

「えー、ただ今ご紹介にあずかりました、黒須です。黒須蒼也=クリストファー、階級は少佐。

 僕から、一つアドバイスを。副司令のさっきの言葉ね、敬礼とか礼儀とかいらないって奴。アレを冗談だと思ってると大変な目に遭うから、気をつけて。

 でも気を使わなさ過ぎると、今度は伊隅中佐から怒られるから。上手いことやってね」

 

副司令と良く似た笑みを浮かべた男が言葉を継いだ。顔と名前から察するにハーフなんだろうか。

しかし、それにしても。何なのよ、この部隊。

 

「……新任の4名に、黒須少佐の人となりを説明しよう。この発足式を企画したのは、彼だ。後は、言わなくても分かるな?」

 

あー、うん。何か、納得した。

 

 

 

 

 

「以上が、司令部側の人間だ。他にラダビノッド基地司令がおられるが、司令は基本的にA-01の作戦行動に関わってくることはない。

 次に、実戦部隊側の紹介に移る。

 まずは、私。自己紹介が遅れたが、連隊指揮官を勤める伊隅みちる中佐だ。第一中隊ヴァルキリーズの指揮官も兼ねる」

 

2ヶ月前に少佐に昇進したばかりの伊隅だったが、A-01が表舞台に上がるに当たり階級をさらに一つ進め、部隊のナンバー2の座を手にすることになった。

ほぼ二階級特進に近い大盤振る舞いであり、本来であれば有り得ないことである。しかし、これまでの伊隅は正規の編成表に名を連ねていなかった為、少佐になったタイミングが直近であると知られることもなく。それ故、表向きには新設される連隊の指揮官として中佐へ昇進したというだけのことであり、問題とされることもなかった。

黒須少佐を差し置いて自分がナンバー2などとは。そう心苦しく思うのが本音だが、大隊を超える規模に成長した部隊の指揮官が少佐では役者が足りないのも事実。

かくなる上は中佐として、連隊指揮官として、恥じぬ行いをするのみだと。そう覚悟を決めた伊隅だった。

 

 

 

「次に、第二中隊フリッグス指揮官、碓氷桂奈少佐。碓氷少佐は連隊副指揮官でもある」

 

前列に座っていた碓氷が立ち上がり、新任たちへと無言で頷いてみせた。

先日のミーティングにおいて、蒼也の戦線離脱を正式に伝えられた碓氷。その前のPXでの宣言通りに、取り乱すことなく諾々と事態を受け入れた。

ただし、交換条件とでもいうのか、部隊再編にあたって碓氷が願い出たことが一つだけある。

 

「フリッグのコールサインを、私に継がせてください」

 

それが、碓氷なりの覚悟の現れだった。

本来ならば蒼也の抜けたところに新たな指揮官を据えるのみの予定であったのだが、それでやる気が出るなら安いものでしょと、香月が面白半分に了承。

フリッグの、黒須少佐の名を汚してなるものかと、いつか少佐が返ってくる時まで守り通してみせると。碓氷の胸に宿った決意は固い。

ちなみに、それ故にこれまでのある意味なあなあな態度を改めようと、クールなキャラクターを目指すそうである。先ほどの新任への無言の挨拶もその一環。それが既にどこかずれているのよねと見守る、伊隅の目が生暖かい。

 

 

 

「第三中隊トールズ指揮官、黒須セリス大尉。司令部の黒須少佐の母君であり、先程述べた黒須少将の奥方でもある。これ以降、混乱を避けるために黒須少佐を蒼也少佐、黒須大尉をセリス大尉と呼称することを許可する」

「よろしくね。若い人たちの中に一人だけおばちゃんだけど、できれば邪険に扱わないで欲しいわ」

 

にこやかに微笑むセリスを見た速瀬の目が、驚きに見開かれる。

セリス大尉って、ハイヴ・バスターズのっ!? すごいっ、まだ現役の戦術機乗りなのっ!?

っていうか、嘘でしょっ!?

 

──若いっ!!

 

ええー、だってハイヴ・バスターズ結成って確か20年前よね。ってことは少なくとも40代よね。

……なにそれ、ずるい。

 

「A-01の衛士が搭乗するのは基本的に94式戦術歩行戦闘機 不知火だが、トールズのみF-4JX 撃震改、並びにA-10J 凄鉄が使用される。

 どちらも聞き慣れぬ機体だろうが、これらも香月副司令の計画の産物だ。具体的には、XM3が搭載されることを前提として再設計された撃震、及びサンダーボルトⅡとなる。これらの機体が対BETA戦において極めて有効であると、それを実証するのも我々の重要な任務だ」

 

セリスが不知火に搭乗しないのは、未だ日本国内においても充分に普及していない貴重な機体である不知火を国連に提供する条件として、日本政府と交わされた契約が原因だ。それは、機密の流出を防ぐために、不知火の衛士は純血の日本人に限られるというもの。

そんなことで機密保持がなされるなら苦労しないわよと、香月などは一笑に付す内容だが、多分に日本側の面子的なものが関わってきてもいるので無碍にも出来ない。

 

「セリス大尉はA-01の広報も担当する。XM3と新型機のスポークスマンだな。それ故、その性能をもっとも近いところで肌で感じてもらうために、この機体配備となっている。

 だが、別に貧乏くじを引いたというわけでもない。撃震改は第一世代機ベースでありながら、第三世代機である不知火に迫る性能を誇っている。貴様らも、追々体験することになるだろう」

 

XM3を速やかに普及させるためには、性能面における優位性という理からの面ももちろんのこと、感情面に訴えることも必要となってくる。

そのために持ちだされた一文が「かつて黒須鞍馬が考案した」というものだ。

確かに、鞍馬がハイヴ内における円滑な進行のためにそう言ったOSを望み、開発しようとしたことは事実である。だが、それがXM3の前身なのかと言えば、決してそのようなことはない。

XM3はあくまでも白銀の持っていた異世界の感性が生み出したものであり、この世界で生まれ育った鞍馬が求めたものとはやはり似て異なるものなのだ。

だが、その事実は捨て置かれた。もとより、平行世界由来の技術だなどと喧伝出来るわけもない。

 

そして「かつて黒須鞍馬が考案した」OSを広報するのに最適な人物は誰かといえば、答えは鞍馬の肉親となる。一見美談にも見える、その実これ以上もなく醜悪な宣伝方法。しかし、有効であることに間違いはない。

そして、蒼也がその役割を担えなくなった以上、代わりを務められる人物は一人しかいない。

それが、ラダビノッドが自分の気持を抑えてセリスを招いた理由だった。

 

これらの裏事情は当然、速瀬が知る由もない。

だがそれでも、セリスが広報を担う理由が鞍馬の妻であるからという一点は容易に推察できる。

死者の名と生者の気持ちを利用するような真似、そしてそれを受け入れたであろうセリス。

 

「ファントムは私にとって、もう一人の子供のようなものです。我が子が一段と成長した姿を間近で見れて、嬉しく思っていますよ」

 

そう微笑みを絶やさないセリスに、どこか悲しみを覚える速瀬だった。

 

 

 

そして、この日最後の驚愕が、速瀬を襲うことになる。

 

「最後に、第四中隊デリングス。指揮官は鳴海孝之大尉……」

「孝之いいいいいいいいいいいいいっ!? あんた、なんでっ!!??」

 

隊員たちの中から、些か緊張した面持ちの鳴海が立ち上がった瞬間。

速瀬の絶叫がとどろき渡った。

 

──……あっ。

 

……やっちゃった。

孝之が顔に手を当てて天を仰いでいる。

遥が隣でアワアワ言ってる。

伊隅中佐のこめかみに青筋が浮いている。

香月副司令と蒼也少佐……ウケすぎです。

 

うん。

あたしの正規兵デビュー、終わったね。

とりあえず、やっておこうか。

誰に言われるまでもなく、その場で腕立て伏せを始める速瀬。

 

こうして、混沌とした状況の中、新生A-01部隊が産声を上げることとなったのである。

 

 

 

 

 

 

 

発足式という名の顔合わせが終わった後、衛士強化装備に着替えた隊員たちはシミュレータルームへと向かった。

新任歓迎のチーム戦を行うとのことだ。特に速瀬少尉は念入りに歓迎されることだろう。

管制室からそれを眺めようと、後に続いた蒼也だったが……途中で引き返し、香月の執務室へと向かうことになった。

 

「あら。見物に行ったんじゃなかったの?」

 

挽いた豆をセットしたポットへと、慎重にお湯を注いでいた香月。視線は上げずに、言葉だけで出迎える。

細かい仕事は面倒がって蒼也に押し付けることが多い香月だが、コーヒーを淹れるのは割と好きなようだ。気分のいい時などは、社や蒼也にも振る舞ってくれることもある。

淹れた後に、コーヒーの存在を忘れて放置することが多々あるのが玉に瑕。

 

「そのつもりだったんですけど……ちょっと、お邪魔しますね」

 

どこかふらふらとした足取りで入室した蒼也が、革張りのソファーへと身を投げ出した。

こめかみを押さえるように手を当て、目を閉じる。

 

「ちょっと。それ、アタシが仮眠するときに使ってる奴なんだけど」

「……どうりで、寝心地がいいと思った。副司令の目は確かですね、良いソファーです」

「あら、ありがと。……って、そうじゃなくて。どきなさいって言ってんのよ」

「すいません、見逃してください。僕の部屋より、こっちのほうが近かったもんで……」

 

まったく。このアタシに対してそんな遠慮なく振る舞えるのは、この基地でアンタと姉さんくらいなものよ。

呆れたように溜息を吐き、愚痴をこぼす。

 

「頭痛、酷いの?」

「入院してた頃に比べれば遥かにマシですけど……速瀬中尉の顔を見て、記憶が刺激されたみたいです」

 

蒼也の中に白銀の記憶が宿ってから、四ヶ月。

最初の一月は、ほぼベッドの上から移動できずに過ごした。それこそ、起きている時間より意識のない時間のほうが長いくらいに。

それが、香月に秘密をばらした後くらいからは、段々と頭痛の強さと頻度が徐々に治まってきている。記憶の関連付けの整理があらかたついたのだろうか。それとも、何か別の理由があるのだろうか。

 

しかし、だからといって戦術機に乗れるかと問われれば、答えは否であるのだが。

今も、一人の時に意識を失う危険性を考慮して、発信機の携帯は欠かせない。

 

「……速瀬中尉、ね」

「中尉からは、色々なことを教わりました。本当に大切なことを、沢山。出来れば、もっと教えを請いたかった……まあ、さっきはあんな感じでしたけどね」

 

瞳を閉じたまま、思い返すように、誇らしげに語る。

そんな蒼也の様子に、香月は先程とは違う種類の溜息を吐いた。

 

「あんた、速瀬と個人的に面識があったの?」

 

しばし、沈黙が場を支配する。

やがて、ゆっくりと起き上がった蒼也が、苦笑を浮かべて言葉を発した。

 

「……まいったな。どうやら、引きずられていたみたいです」

 

頭痛が治まった代償。

時折、自分と白銀の区別がつかなくなることがある。

弱ったぞ、次に冥夜ちゃんに会った時、泣き出しちゃったりしないかな。

 

「……いい機会ね。少し、アンタの状況について整理しておきましょうか」

 

香月が、三人分のコーヒーを注ぎながら、そう言う。

カップを受け取り、砂糖を一つ。ミルクは無し。霞ちゃんの分には、両方たっぷりと。

 

「そう遠くない未来、アンタは死ぬ。これはいいわね?」

「ええ」

 

何も入れないコーヒーを口に運びながら、死刑宣告。

 

「で、その死因は何になるか。アンタはどう考えてた?」

「……おそらく、僕の脳の記憶容量が二人分の情報量に耐え切れずに破綻、廃人ってところじゃないかと」

「概ね、正解。それが一つ目の可能性ね」

 

社が心配そうな目を向けてくる。

白銀の記憶を聞かされ、鑑の運命を知った日から、社は段々と、以前ほどには蒼也のことを恐れなくなっていった。

蒼也が知る鑑の思い出について知りたがり、それを聞かされているうちに自然とそうなっていたのだ。

まだまだ自分から語りかけてくるようなことはないけれど、それでも、蒼也の運命も鑑と同様に、悲しいものだと思ってくれているのだろうか。

 

「概ねっていうのはね、二人分の情報だけじゃないだろうってことよ。

 人間の脳にはおよそ150年分ほどを記憶できる容量がある。つまり、アンタと白銀、若造二人分の人生情報くらいじゃそうそう破綻したりはしないし、そこまでの頭痛も起きないはずなのよ」

 

つまり、破綻しかけている現状とは、それ以上の情報量が流入しているということ。

 

「ようは、記憶を拾ったことが原因で、僕と白銀との間で因果が結ばれてしまった、と」

「そういうこと、話が早くて助かるわ」

「自分の死に関してですからね。やっぱり、色々と可能性を考えましたよ」

「……そう。まあ、そのせいで拾ったもの以外の、ループを繰り返した白銀の情報が次々に流入しているんでしょうね」

 

その気になれば、戦い続けて衛士として完成された白銀の情報も思い浮かべることができるのだろうか?

まあ、おそらくその瞬間パンクして死ぬだろうからやらないけど。

 

「死因の可能性としては、もうひとつ」

 

むしろこっちが本命ね、と。

前置きをして、言葉を続ける。

 

「白銀が何度目かに元の世界とやらに戻った時、世界を超えた白銀と元の世界の白銀とが融合したって言ってたわよね」

「ええ。それまでは別々の体で、向こうの白銀の声を隠れて聞いたりもしたんですけど。その時は、世界に白銀は一人だけになってましたね」

「それと同じことが、アンタにも起きるかもしれない。つまり、アンタと白銀の情報が混ざり合うことで、第三の人格が生まれるかもしれない」

 

その場合、主人格となるのはおそらく、白銀。

現在抱え込んでいる情報の量が、白銀のほうが圧倒的に多い。現に、既に白銀の記憶に引きずられ始めているのだから。

そしてそうなった時、今の蒼也の記憶と能力はどうなるのか。溶けて消えてしまうのか、何らかの形で残るのか。

それは、実際にそうなってみないとわからない。

どちらにせよ言えることは、今現在の蒼也という人格は存在しなくなる、ということだ。

 

「まあ、あくまでも仮説だから、頭痛持ちのまま何十年も過ごして天寿をまっとうする、なんて可能性もないわけじゃないけどね」

 

それはそれでつらそうだけど。まあ、いなくなるよりはずっとマシだね。

でも、希望的観測、願望を元にして計画を立てるなんて絶対にやってはいけないこと。

僕は、近いうちにいなくなる。

その前提で行動し、そしてそれまでの間に、やるべきことをやり終える。

 

生きたいかと言われれば……正直、それはそうだ。

生きて、桜花作戦を完遂して、地球を開放して……平和になった世界で幸せに暮らしたい。

でも……。

 

やめよう。

もう、起きてしまったことなのだから。そんな仮定は意味が無い。

それに、この記憶を手に入れたからこそ、勝利への道が見えてきた。それは、間違いのないことなんだ。

だったら、それでいい。

もし、過去に戻ることが出来たとしても。僕は、きっと同じ選択をするだろう。

自己犠牲だなんて、そんな綺麗事を言うつもりなんてない。

ただ、大切な人を守りたいから。

 

静かに、決意の再確認をする蒼也。

それを、じっと香月が見つめていた。何かを考えるように。

 

「さてと。頭痛も治まったし、僕はそろそろ行きますね」

 

お邪魔しましたと。

崩れた敬礼をして立ち上がる。

そして扉を潜ろうとした蒼也を、香月が呼び止めた。

 

「ねえ、一つ提案があるんだけど」

 

振り返った蒼也が見たのは、カップを口に運ぶ香月の姿。

視線を黒い液体にそえたまま、普段と変わらぬ口調で言う。

今日の夕食は何にしようか、そんな何気ない素振りで。

 

「黒須、アンタさ。人間……やめてみる気、ない?」

 

……その選択肢は考えてなかったな。

投じられた爆弾の、その内容を吟味するため。

痛みに淀んでいた蒼也の脳細胞が、激しく活動を開始した。

 

 

 



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38話

 

──……罠、か。

 

その部屋へと入室した時。

蒼也は己の浅はかさと、これから迎えるであろう結末を思い、小さく嘆息した。

 

 

 

XM3が正式に外部へと発表されるには、まだいくつかの課題をクリアし無くてはならない。だがその円滑な普及を目的として、第四計画に益をなすと判断された幾つかの組織に対しては、水面下において既にプレゼンテーションが行われている。それを取り仕切るのが、今の蒼也の大きな仕事の一つだ。

先行入力、キャンセル、そしてコンボ。今現在においてXM3の特性を誰よりも把握しているのは、真の発案者である白銀の記憶を持つ蒼也に他ならない。だからこその役割。

 

ただ、その真価とも言える白銀の立体機動に関しては、とりあえず封印せざるをえないのが現状だった。

仮に、今も現役の衛士として戦術機を駆ることができたとしても、あの機動に蒼也の体が耐え切れる訳がない。意識を失う程度で済むならまだ僥倖、最悪の場合には重度の加速度病による死亡が待っている。

碓氷あたりに教えこんで実演してもらう手も考えたが、手本もなしに言葉のみで説明をするには限界がある。やはり、変態機動は白銀の手によって普及してもらうのが安全策か。

あれをマニュアル化して教導に組み込むことが出来たなら、衛士の生存率はもう一段階引き上げられるだろうに、残念だ。

 

だが、無い物ねだりをしても始まらない。叶わぬ理想を追い求めるのではなく、手の届く範囲での最良を目指すことこそが肝要。

それに、これから戦術機に触れるまだ真っ更な訓練生ならともかく、既存の衛士に対してはむしろそのほうが良いのかもしれない。XM3の慣熟と変態機動の習得を同時に詰め込むよりも、段階を踏んで学んでいってもらったほうが結果的に早く身に付くということもあるだろう。誰もが一を見て十を知れるわけではないのだ。

 

焦りは禁物。手に入れた猶予期間を無駄にしている訳では決してない。今は、やれることを確実にやろう。

白銀には白銀の、自分には自分の役割というものがあるのだから。

そして今日もまた蒼也は己の仕事を果たすため、様々な資料やA-01の訓練映像などを鞄に詰め、交渉へと出向いたわけだった。

 

 

 

そして視点は、冒頭へと戻る。

……迂闊。

情けない話だが、それ以外の言葉出てこない。

このような状況に置かれることを、全く考慮しなかったわけではない。そのための対策も考えてきた。

だが、敵は蒼也の思惑を上回る、見事なまでに完璧な布陣を用意していたのだった。

 

紅蓮醍三郎大将。

月詠花純大佐。

月詠真耶大尉。

そして、月詠真那中尉。

四つの瞳が蒼也を射抜く。

 

……いやさ、師匠と叔母さんはわかるよ。師匠は斯衛の筆頭だし、叔母さんは今や実戦部隊のナンバー2なんだから。むしろ、いてくれないとこちらが困る。

真耶ちゃんも、まあ分かる。将軍殿下の側仕えとして忙しいはずだけど、そもそもこの帝都城に住んでいるんだし、公務の時間も終わってる。ここに顔を出すくらい問題ないだろうさ。

 

でも、真那ちゃん。何でここにいるのよ?

冥夜ちゃんほっといていいの? 知らないよ?

三バカ……失礼、神代少尉達がいるんだろうけどさ、早く戻ったほうがいいんじゃない? そうしようよ、ほんと。

 

「案ずるな、休暇を取ってある」

 

……いや、心読まないでよ。

正直、ここで真那ちゃんとは顔を合わせたくなかったんだけど……。

ええい、もう。なるようになれ、だ。

 

「国連オルタネイティヴ第四計画所属、黒須蒼也=クリストファー少佐。只今参上いたしましたぁっ!!」

 

半ばやけくそ気味に張り上げた名乗りの声。

迎え撃つ四人が、不敵な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

2000年、1月。

帝都城。

 

プレゼンテーション自体は上手く進行した。

斯衛の代表としてこの場にいる四名とも、説明されたXM3の特性と実際の機動を捉えた映像に興味津々だ。

 

「XM3の正式発表はおよそ半年後を予定してます。ですが、斯衛に対しては試験導入という名目で、それ以前にお渡しすることも検討しております」

 

今は一人の国連軍人としての立場を崩さない蒼也が、紅蓮へと語りかけた。

……出来れば、最後までこの立場を貫き通したいけど……おっと、いけないいけない。今は交渉に集中しないと。

 

「……正直なところ、あまりに革新的すぎて、話を聞いただけでは眉唾物に思えるな。この映像も、合成なのではと疑いたくなる」

 

おもちゃを与えられた幼子のような輝く瞳と裏腹に、慎重に言葉を返す紅蓮。

あれらが全て真実なら、確かに戦術機史における革命と言って間違いない。だが、果たして。

 

「お気持はわかります。ですが、黒須少将がこれを発案したことは記録にも残っている事実です。ようやく、技術が追いついたんですよ。その技術も、香月博士なしでは成し得なかったものではありますが」

 

あ奴が、な。

人類の為に文字通り命を懸けた、弟弟子。いや、今はもうそんな呼び方は出来はしない。誇らしく闘いぬいた、一人の斯衛。

その顔を、遠い過去を思い返し、紅蓮の心に寂寥たる思いがよぎる。

鞍馬の形見となれば、個人的な思いだけで言うなら無条件で形にしてやりたい。だが、今の自分は斯衛という組織を預かる立場なのだ。感情に身を委ねる訳にはいかない。

 

「事前に試させてもらうことは、可能であるのかな?」

「それは、もちろん。状況が整い次第にサンプルをお渡ししますし、横浜までご足労願えるのなら直ぐにでも体験して頂けます」

 

ふむ。

これ迄の話の中で、斯衛の側にデメリットとなることは何もない。なさすぎると言っていい。それが、逆に不安を煽る。ここまでの好条件を提示する理由は一体何なのか。

……ここは、真向から問うべきか。腹の探り合いは終わりにするとしよう。

 

「それで、だ。斯衛に取り入る理由は何だ? 国連軍の母体は米軍だろう。何か頼み事があるなら米軍に言うのが筋ではないのか?」

 

紅蓮は軍人であり、政治の世界とは切り離された存在。日本は帝国ではあるが、軍事国家ではない。政軍分離は当然のこと。

だが斯衛軍大将ともなれば、自然とその手のことを耳にすることも、また事実。

それ故、第四計画の国連内での立位置もある程度は把握している。第五計画こそが米国の野望であるということも。

だが、だからといって腹の底を見せようとしない相手と、肩を並べて戦うことは出来ない。

 

「我々第四計画は、アメリカとではなく、日本とこそパートナー関係を築きたいと、そう考えております。もちろん現在も良好な関係にあると信じておりますが、それをさらにもう一段階、深いところまでに」

 

第四計画がXM3を普及させる為には、日本の協力が必要不可欠だ。

まず、単純な理由が一つ。

横浜基地には、XM3を世界中の戦術機に行き渡らせるだけの生産力がない。基地全体が実働していない現状では、A-01の分を作るのがやっとの有り様。このままでは、白銀が来るまでにXM3を普及、そして慣熟させるには到底間に合わないのだ。量産体制を取る為には、信頼できる国と協力することがどうしても必要となる。

 

そして、少々面倒な理由が一つ。

不用意にXM3を発表した場合、国連自体が第四計画の敵となる恐れがある。奇跡のOSの開発という功績を第四計画ではなく国連自体のものとされ、最悪の場合には第五計画の手柄へと横取りされる危険性があるのだ。世界を破滅に導くお膳立てをするなど、決して有り得ていいはずがない。それだけは何としてでも防がなくてはならない。

 

この二つの理由から考え出されたのが「XM3は日本と第四計画が共同開発したことにする」という策だ。こうすれば国連上層部や他国、特にアメリカからの介入を防ぎつつ、日本と第四計画双方の発言力を高めることが出来る。

誘致国である日本の立場が強まるのは第四計画側としても歓迎すべきことであり、日本からしてみれば労なく益のみを手にすることが出来る。

 

この場において許される限りに置いて、話せるだけの思惑を説明した蒼也。

最後に、ニヤリと笑ってこう付け加えた。

 

「と、いうかですね。他所の国に無断でG弾撃ちこむような連中には、とっとと退場願いたいんですよ」

 

国連軍人から、素の蒼也に戻った口調で。

身も蓋もない本音をぶちまける。

紅蓮は、込み上げてくるものを堪えることが出来ず、豪快な笑い声を上げた。

 

 

 

 

 

「今日のこと、殿下にはしっかと伝えておこう」

「ありがとうございます。有意義な会見とすることが出来て、こちらも嬉しいです」

 

最後に固い握手を交わし、場が閉められた。

充分な手応え。今後の布石への第一幕として、申し分ない成果だろう。

後は横浜に戻って副司令に報告すれば、任務完了。

……と、思ったのだが。そう、事態は甘くないようだ。

 

「ときに、黒須少佐。今晩はもう遅い。今日はこの帝都城に泊まられ、ゆるりと休まれてはいかがかな」

「それはいい。使者殿もお疲れでしょう。是非、食事など共にいかがですかな」

 

……来たっ!

紅蓮と花純が、包囲網を張ってきた。

 

「ありがたいお言葉ですが、ご迷惑をお掛けするわけにも」

 

退路を確認。ここは逃げの一手だ。

捕まったら大変なことになる。

 

「何、気にするほどのことでもない。助けると思って、ジジイの愚痴に付き合ってやってくれ」

「愚痴……ですか?」

 

たらりと。

頬を流れる一筋の汗。

 

「ああ。儂の弟子にの、斯衛を蹴って帝国軍へと進んだ者がおるのだが。あ奴ときたらな、知らぬ間に国連軍へと移籍しておった。儂に一言の相談もなくだ。

 しかも、大陸から日本に帰ってきておるというのに、もう何年も顔を見せにすら来ん」

 

汗がもう一筋。

 

「ほう、閣下の弟子にそのような薄情者がいるとは。しかし、奇遇。私の甥にも、全く同じことをしている冷血漢がおりますよ。全くもって、嘆かわしい限り」

 

叔母さん、眼が本気だよ。

まずい、これはまずい。

 

「いやあ……きっと、その人にも事情というものがあったんじゃ、ないかなあ……なんて。

 あ、その話を詳しく聞きたいのは山々なんですが、あいにくと外泊の許可を取ってきていないものでして……」

 

さあ、逃げるぞー。

軍規なんだから仕方ないよね。納得してくれるよね。

 

「問題ない。既に香月副司令の許可は得ている」

 

真耶ちゃんっ!

 

「この外泊許可証にサインすれば、後日の提出でも構わないそうだ」

 

真那ちゃんっ!!

 

「うむ、これで万事解決じゃな」

「それでは、使者殿」

「宴の席を用意してある故」

「さあ、こちらへ」

 

四人に前後左右を塞がれた。

逃走失敗、任務不完了。

……終わった。明日の朝日、五体無事で拝めればいいけど……。

売られていく仔牛のような、そんな諦観の念。それを奥歯で噛み締めながら、連行されていく蒼也だった。

 

 

 

 

 

 

 

その日、遅くのこと。

蒼也には離れにある、数寄屋造りの一室があてがわれた。華美な装飾などとは無縁だが、質素ながらも洗練された意匠が心地よい。仮にも第四計画からの使者ということで、賓客として扱われているのだろう。

 

何より嬉しいのが、畳。

大陸の前線は当然として、間借りしていた帝国軍基地にも、今の横浜基地でも。畳が存在するのはせいぜいが修練場くらいなもので、士官用のものといえど個室は洋造りだ。生活するのに不便ということはないのだが、やはりどこか寂しい。

ハーフだ何だといったところで、内面は結局、骨の髄まで日本人である蒼也なのだった。

 

久方ぶりのイ草の匂いと触感を楽しもうと、いい年をして畳の上を転がり回りたかったのだが……しかし、それは泣く泣く諦めた。

体が、痛い。節々が悲鳴を上げている。

今、蒼也はボロ雑巾と化した体を布団の上に投げ出し、動くのもやっとの有り様なのだった。

 

 

 

食事の席までは良かった。

紅蓮からはガツンと、花純からはガミガミと、真耶からはクドクドと。

それぞれなりの表現で小言を言われたものの、それは結局、ようは愚痴。

極秘計画の組織に属している以上、軍の移籍にも理由があってのことだし、顔を見せに来れなかったのもまた道理。それは皆きちんと理解していたし、本気で責めていた訳でもない。

 

何だかんだと言ったところで、とどのつまりは数年ぶりに会った蒼也と会話を楽しみたかった。ただ、それだけのこと。

蒼也もそれをよく分かっていたので、苦笑を浮かべながらもどこか幸せな気持ちで説教を受けていた。

 

蒼也の顔から余裕の色が消えたのは、少々酔の回った紅蓮が、久々に稽古をつけてやろうなどと言い出してからだ。

お酒を召しての運動は避けた方がと。お体に障りますから、と。必死に説得するも、この程度で酔う訳がないと一蹴され。……いや、酔ってますよね、明らかに。

感情面からも能力面からも、蒼也に本気で紅蓮を止められるはずもなく、結局は抵抗むなしく修練場へと連れ去られた。

 

そして一戦。更には花純とも連戦。

故意にか無自覚にか、稽古というには少々力のこもった剣で、散々に打ち据えられてしまった訳だ。

なんだよ、あれ。

師匠も叔母さんも、未来予測してるのに躱せないって、どんだけだよ。

 

こりゃ、明日になったら痣だらけだな。

随分と酷い目に会った、そう嘆息する蒼也。だが正直なところ……気持ちは何ともすっきりとしている。

久方ぶりに思い切り剣を振るい、懐かしい顔と会話を楽しみ、心身ともに蓄積したストレスを発散できたようだ。もしかしたら師匠たちは、ここまで見越して僕を引き止めたのだろうか?

穿ち過ぎだと思わなくもないが、それでも師匠のことだからなあ。

 

とにかく。

今日はここに泊まって正解だったのだろう。面と向かって言うのは照れくさいから、心の中でこっそりと。

みんな、ありがとう。

 

ただし、問題が一つ。

会議中から食事を経て稽古まで。その間、真那がほぼ無言を貫いていたこと。

正直、恐ろしい。

あれは相当怒っている。

そして、その怒りを今までぶつけてこなかったということは、つまり。

……これからが、本番だ。

 

「……蒼也、私だ。話がある、入って構わないか」

 

徒然と考え事をしていた蒼也を、現実へと引き戻す声。

部屋と廊下とを仕切るふすまの、向こう側から。

ほら、やっぱり。

思ったとおりだ。真那ちゃんてば、行動がわかりやすいから。

 

きっと、右手には救急箱を持ってるんだよ。

怒ってるんだけど、仕方がなかったんだってこともわかってて。

文句を言いたいんだけど、なんて言ったらいいのかわからなくて。

考えはまとまらないけど、治療を口実にとりあえず来てみた、と。

多分、そういうことだよね。本当に、真那ちゃんは不器用で、真っ直ぐで。心から、優しい。

比べて僕は、小器用に捻くれてて。

後からもっと怒られるのを覚悟で、寝てる振りしてもいいんだけど……。

 

──これもいい機会……なのかな。

 

ここで、真那とは顔を合わせたくなかった。

真那の顔を見てしまえば、多分。強がりの仮面が剥がれてしまうから。

生きたいと、消えたくないと。そう閉じ込めていた心が漏れだしてしまうだろうから。

だからもう、彼女とは会わないつもりでいた。

 

……でも。

さっき見た月が、とても綺麗だったから。

冬の澄んだ空に輝く月と。地上で、不貞腐れた顔で僕を見ていた月と。

それが、こんな僕を珍しく、素直な気持ちでいさせてくれる。

 

だから、きちんと伝えようか。

もしかしたら、これが最後の機会なのかもしれないから。

最後の時に、後悔したくはないから。

だから、伝えて……終わりにしよう。

 

「どうぞ。開いてるよ、真那ちゃん」

 

蒼也の言葉に促され、ゆっくりと、躊躇いがちにふすまが開かれる。

流れるようなみどりの髪。月の光のように白く輝く肌。冷徹なふりをしても隠し切れない感情が宿った瞳。

 

──……ああ、やっぱり。とても、綺麗だ。

 

右手にしっかりと救急箱を抱え込んだ、月の女神が顔を覗かせた。

 

 

 



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39話

 

2000年、1月。

帝都城、離れの一室。

 

「これで終わりだ」

 

ペシリと。

蒼也の二の腕を平手で叩く。湿布の上からなのに随分といい音が響いた。

 

細身に見えて、服を脱ぐと意外にしっかりと筋肉のついた蒼也の上半身は、白い湿布で継ぎ接ぎだらけのボロ布のようだ。

そんな有り様でも、捻挫や骨折は一切なし。後日にダメージが残ることはないだろう。その辺りは、流石に師匠。

 

「あいたた。真那ちゃん、酷いよ」

「酷いものか。治療してやったんだ、ありがたく思え」

 

仏頂面で抗議を受け流す真那。

自業自得だ、この馬鹿。

お前がもう少し私の……私達の、周りのことを考えていてくれれば、こんな目には会わなかっただろうに。

それなのに、何が酷いだ。コイツはまた、ヘラヘラと。

ああもう、腹が立つ。

 

「まったく。お前にはやはり、きちんと言っておかなくてはならないようだ。いいか蒼也、よく聞け」

 

空気を切り裂く音と共に腕をずいと伸ばし、人差し指を蒼也の鼻先へと突きつけた。

そしてその体勢のまま、しばし固まる。

 

えーと、だな。

あれだけ啖呵を切って帝国軍に進んだというのに、何で今は国連軍なんだっ!? ……って、第四計画に参加したからだな……うん。

なら、何で一言の相談も断りもなく……相談できるわけがないな、極秘計画なんだから。

だったら、一度位は顔を見せに来ても……本土侵攻の中、そんな暇はない、か。……明星作戦、蒼也も参加してたのかな……。

それなら……えーと……えーと、だな……。

 

「な、名前っ! 僕とちゃん付けは止めろと言ったはずだっ!」

 

勇ましく啖呵を切ったは良いが、それ以上の言葉が出てこない真那。

めまぐるしく表情を変え、しばし百面相を披露。ようやく、そんな理由を見つけ出した。

国連軍へと進むために課した条件。

蒼也が出征する前に、二人で交わした約束。

そりゃあ、取ってつけたようなものだし、自分も本気で言ったわけでもないけど。でも、約束は約束だ、うん。

 

「だがな、真那。俺が突然こんな口調になっても……違和感ないか?」

「何でいきなり呼び捨てかぁっ!!」

 

ふ、不意打ちとは卑怯なり。

少しだけ、叔父様みたいでかっこよかった、なんて。……そんなこと少しも思ってないからなっ!

 

「ちゃん付けは駄目、呼び捨ても駄目。注文が多いな、マナマナは」

「……お前はそうやっていつも、いつもいつも、私のことを小馬鹿にしてっ!

 ……いいだろう、蒼也。その喧嘩、買わせてもらおう」

 

ぷちんと。

真那の中で何かが切れた。

ゆらり。風雪を受け流す柳のような、無造作でいながら無駄のない動きで立ち上がる。

そのまま、流れるように構えをとった。

舞にも似た、完成された動き。そこに確かな美を感じる。

……って、見惚れてる場合じゃない、真那ちゃんてば目が本気だよっ!

 

「無現鬼道流、月詠真那。……推して、参る」

「待って真那ちゃん、角出てるからっ! 鬼の道が現れちゃってるからっ!」

「問答無用っ!!」

 

冬寂の夜に似つかわぬ、烈気と悲鳴が鳴り響いた。

 

 

 

数分後。

一度は片付けた救急箱を再び開き、治療に励む真那の姿が、そこに。

 

「これで仕舞だっ!」

 

バシンッ。

敢えて湿布の貼られていないところを狙い、平手で一撃。

蒼也の胸板に紅葉が咲いた。

ふんっ。いい気味だ。

 

「っつぅぅー。……もう、真那ちゃんは乱暴だなあ。夜も遅いのにそんなに騒いでたら、寝てる人たち起こしちゃうよ?」

「誰のせいだ、誰の」

 

じっとりと湿った、責めるような視線。

わざとらしく首を竦めて見せていた蒼也が、ふと。何かを思い出し口元を綻ばせた。

 

「……この状況で何が可笑しい?」

「いやさ。何か、懐かしいなって」

「何がだ?」

「子供の頃、修行を始めたばかりの頃はさ、よくこうやって湿布を貼ってもらったな、って」

 

幼い頃から無意識の内に能力を使い、試合においては勝てずとも無敗を誇っていた蒼也であるが、剣を習いたての頃は流石にそうもいかなかった。

いくら見えていても、どこを打たれるか分かっていても、剣の扱い方をろくに知らねば防御が間に合わないのは当然。当時の蒼也の体には常に痣が浮かんで消える間もなく、使い慣れぬ筋肉を鍛えはじめたことによる筋肉痛も相まって、よく泣き言を漏らしていた。

そんな蒼也を慰め、優しく湿布を貼ってやるのは、真那の仕事だった。

互いにまだ子供だというのに、蒼也の面倒を見るのは自分の仕事だと、お姉さんぶって世話を焼いていたものだ。

 

思えば、当時から真那には甘えてばかりだ。そして、それは今も変わらず。

今日、これから伝えようとしていること。それを伝えることは、自分の甘えに他ならない。本当は、抱えたまま墓まで持っていくつもりだったもの。

 

僕の話を聞けば、優しい君のことだ。きっと、苦しむ。

でもどうか、許して欲しい。どうか、聞いて欲しい。

後悔しないために、前に進むために、僕なりのけじめを付けさせて欲しい。

……いや、違うか。結局はそれも甘え、我儘、いや……逃げか。

 

それでも、僕という人間を、君の心の中に残しておいて欲しいんだ。ほんの、少しだけでも構わないから。

ようは単純な、とても簡単な話なんだ。

 

──僕は、真那ちゃんが好きだっていう。ただ、それだけのこと。

 

姉として、肉親としてではなく、一人の女性として。

黒須蒼也は、月詠真那のことを愛している。心から。

それが嘘偽りのない、自分の本心。

 

一体、いつからだったのだろう。もう、自分にもわからない。

ただ、気がついた時には、大人になった真那の隣に立っているのは自分だと、自然とそう思っていた。

いつか月詠蒼也となり、斯衛として真那と共に生きていく。そう、信じていた。

世界が変わったのは、あの夏。

あの時、自分は選択した。真那とは、別の道を行くと。

後悔なんてしてはいない。未練なんてなくしたつもりだ。でも、それでも。この気持だけは、消すことが出来なかった。

 

「子供の頃、か。そんなこともあったな。まったく、お前は私に手間ばかり掛けさせる」

 

真那が笑う。

月の光りに照らされて、眩しいくらいに輝いた、優しい笑み。

しばし、見惚れた。

言葉もなく、ただ白痴のように地上の月だけを見つめていた。

 

「さて。言いたいことはまだ山程あるが、そろそろ……ん? どうした?」

 

幼い頃の日々を思い返し、記憶の海をたゆたっていた真那。

このまま昔語りに花を咲かせるのもいいが、流石に今日はもう遅い。楽しみはまたの機会にとっておこうと、立ち上がろうとした時。

自分を呆と見つめる、蒼也の視線に気づいた。

 

「……ううん。ただ、綺麗だな、って」

「な、何だ突然っ! 綺麗って、その、なんだ。……何がだ?」

 

そっと、真那へと手を伸ばす。

左手の指先が、顔の横を流れる艶やかな髪に触れた。

そしてゆっくりと、梳く。髪が指の間を、水のように流れ落ちていった。

 

「真那ちゃんは、綺麗な髪をしているな、って」

 

……なんだ、髪の話か。

褒められ嬉しいながらも、どこか落胆したような気分。だが、それでも自分の頬に朱がさしていくのを止められない。

 

「……私だって女だ。髪の手入れくらいはする。それより、許可無く人の髪に触れるとは失礼だぞ」

 

照れる気持ちをごまかすように、そんなぶっきらぼうな言葉を返す。

そんな様子が蒼也には可笑しくもあり、そして愛おしくもあり。

 

「じゃあ……触ってもいい?」

「……もう、触れているだろうが」

 

そっぽを向いて、真那が小さく呟いた。

不器用な求めに応じ、髪を梳き続ける。ゆっくりと、何度も。何度も。

 

そのまま、しばしの時が流れ。

ふと。蒼也の手が翻り、真那の頬に触れた。

その指先が、白磁のような肌の上をなぞる。

 

「本当に、綺麗だ」

「……そ、蒼也。そこは……その、髪じゃ……ない……」

 

見つめ合う、瞳と瞳。

互いの心臓の音が聞こえそうなほどに、胸が鳴る。

やがて、真那の手が躊躇いがちに動き、頬を撫でる蒼也の手の上に、そっと重ねられた。

 

「……そう……や……」

 

迷うように、そしてそれを振り切るように。

真那の口が動き、蒼也の名を小さく呼んだ時。

 

ぽたりと。

蒼也の瞳から一滴の涙が零れ、頬を伝って畳の上に染みを作った。

 

「……ごめん、真那ちゃん」

「……どうした、何を謝る?」

 

別に触れられて嫌だったわけじゃない、と。

謝る必要なんてどこにもない、と。

そう言葉にしようとした真那だったが、それ以上を口にすることは出来なかった。

続く、蒼也の告解を聞いてしまったから。

 

「本当にごめんね、真那ちゃん。……僕、もうすぐ死ぬんだ」

 

真那の動きが止まった。

自分は今、何と言われたのか。蒼也の言葉が、上手く飲み込めない。

冷静に噛み砕き、理解しようとする。

その様子を見つめる蒼也の瞳から、再び涙が溢れだした。

 

状況はよくわからない。

蒼也の言葉を信じたくない。一笑に付してしまいたい。馬鹿なことを言うなと、怒鳴りつけてやりたい。

だが。

真那が、自分が取るべきだと、そう選んだ行動は違うものだった。

 

分かってしまったのだ。今の言葉が、紛れも無い事実なのだと。

普段、冗談ばかりで本心を中々見せない蒼也だが、今見せた弱さは真実なのだと。

なら、自分がすることは一つだけだ。

大切な人が、助けを求めている。だったら、それに応えるだけだ。

 

涙に濡れる蒼也の顔を、そっと自分の胸へと引き寄せる。

そして、両腕で優しく包み込んだ。

蒼也の身に何が起こっているのか。それは分からない。でも。

真那は、抱えた蒼也の頭を、そっと撫で続ける。

優しくも、悲しい抱擁。

真那の瞳からもまた、月の雫がこぼれ落ちた。

 

 

 

 

 

「……これ、なんか男女の役割が逆だよね」

「仕方がないだろう、蒼也なんだから」

 

しばらく静かな時が過ぎ、やがて真那の体から身を離した蒼也が呟いた第一声。

どうやら、元の調子を取り戻したようだ。

たとえそれが仮初めのものでも、単なる強がりであっても。あんな弱気な姿よりは、こちらのほうがよく似合う。嘯いて韜晦しているほうが、ずっと蒼也らしい。

 

「それで、だ。詳しい話は聞かせてもらえるのだろうな?」

「うん、もちろん。というより……真那ちゃんには、知っておいて欲しいんだ。機密で話せないことも多いんだけどね」

 

そして肩をすくめ、困ったような笑みを浮かべる。

……まったく、変わり身の早い。

先程の姿は月の光が見せた幻だったのではないかと、そんな気すらしてきた。

ん? ……先程の。

 

……蒼也の顔を、胸に抱いてしまった……。

思い返して、頬が赤く染まる。

い、いや、あれはそんな不埒な気持ちでやったんじゃなくてだな、単純に蒼也のことを心配して、だな。

だから何の問題もない、そうだそうだ。

 

心の中で、言い訳。一体、誰に対してのものなのか。

……いけない。今はそれどころではないのだった。

一つ小さく咳をして、気持ちを切り替える。

 

そんな様子が、心の中が、蒼也には手に取るように分かってしまった。

真那ちゃんてば、顔に出すぎだよ。

でもまあ、今は話を進めよう。気恥ずかしいのは……僕も同じなんだから。

さてと、何から話そうか。

……あれ?

 

「まいったな。何も話せないや」

「……いっそ、私が殺してやろうか?」

「待ってっ! 真那ちゃん早まらないでっ!!」

 

えっと、白銀のことは当然、秘密。

明星作戦とG弾のことも、あの時のA-01は秘匿部隊だったから話せない。

と、なると。

 

「えーっと。話せない原因によって僕の体に秘密の異変が起きていて、その結果として秘匿事項か或いは禁則事項になることが予測されてて……まあ、死ぬ、と」

「よし、腹を切れ」

「待ってっ! 落ち着いてっ! 介錯の用意しなくていいからっ!!」

 

ああもう、まいったな。

こんなドタバタな喜劇にしたかったんじゃないのに。

 

「ごめん、本当にごめん、真那ちゃん。今の僕に言えることは、近い将来に僕は死ぬか、もし死なずに済んだとしても僕という存在ではなくなる……ってことだけだ。

 僕にはまだやることがあるから、数年は何とか頑張るつもり。でも、その先がどうなるかは……」

 

じっと、真那の瞳を見つめる蒼也。

それを睨むように見つめ返していた真那の肩から、ふっと力が抜けた。

 

「……まったく。難儀な商売だな、軍人というものも」

「ははは、そうだねえ」

「人事のように笑うなっ!」

 

片手で顔を覆い、嘆息。

まったく。こういう顔のほうが蒼也らしいとは思ったが、こんな時くらい、もう少しシャンとしてくれてもいいんじゃないか。

 

「それで、このことは真耶やセリス叔母様たちには伝えなくても構わないのか?」

「……うん。言ってどうなるものでもないし。どうしようもないことで、母さんや真耶ちゃん……姉さんには苦しんで欲しくないんだ。

 僕は普通に戦死した。勝手だけど、そういうことにしておいて欲しい」

 

ちょっと待て。

今の言葉、聞き捨てならないぞ。

 

「……蒼也、お前にはもう一人姉がいたように思うんだが?」

「ああ。だって、真那ちゃんは姉じゃないから」

 

貴様、それはどういう……。

問いただそうとした真那を、唐突な蒼也の言葉が遮った。

 

「ねえ、真那ちゃん。月詠の家は誰が継ぐのかな?」

 

何だ、突然?

そんなことより、さっきの言葉の意味は何なんだ?

怒気の強まる真那の視線。だが、それに蒼也は真っ向から見つめ返してきた。

 

……何だかよくわからないが、大切なこと、なのだな。

まったく、本当に。何から何まで勝手な奴だ。

 

「……おそらく、私が継ぐことになるだろう。真耶は崇継様のことを憎からず思っているようだしな。斑鳩の意向ももちろん伺わなくてはいけないが、縁談としては悪くない。いずれ、嫁に行くのだろう」

「それで、真那ちゃんは婿をとって、月詠を継ぐ、と」

 

それが、どうし……た?

……えっ?

もしかして、これは。もしかして、そういう話なのか?

気がついた。

蒼也が何を言おうとしているのかに、やっと気がついた。

 

「姉じゃ、困るんだ」

 

あ、まずい、緊張してきた。

喉がカラカラだ。

自分の気持は自覚していた。もう、ずっと昔から。

きっと、蒼也も同じように思っていてくれている。それも、なんとなく分かっていた。

多分、互いが互いに、この人しかいないだろうと。そう思い続けてきたはずだ。

それが、やっと。

やっと、言葉にしてくれるのか。

さっきの蒼也の告白を聞いたばかりだというのに。もう先のない、結ばれることのない縁なのかもしれなのに。

それでも。

それでも、嬉しい。

 

「姉じゃ、一緒にはなれないから」

 

鼓動が早鐘のように鳴り響く。心臓が口から飛び出しそうだ。

頬が熱い。恥ずかしい。きっと顔中真っ赤になっている。

 

「好きだよ、真那ちゃん。心から愛してる」

 

そしてついに、運命の言葉が放たれた。

それは一言だけにとどまらない。蒼也は言葉を紡ぎ続ける。

訥々と語る静かな口調にもかかわらず、それは叫ぶような、叩きつけるような。感情の渦に飲み込まんとするような。

そんな激しい、想いだった。

 

 

 

──子供の頃から、ずっと思ってた。月詠の家に入って、真那ちゃんと一緒に生きていく、って。その気持は、今も変わらない。ううん、ずっと大きくなって、僕の心を掻き乱してる。

 

──ごめんね、真那ちゃん。僕がいくらそう思っても、例え真那ちゃんが僕の気持ちに応えてくれたとしても。もう、僕には誰かを、君を幸せにする時間が残されていないというのに。

 

──それなのにこんな話をしたのは……僕の弱さだ。僕の我儘だ。僕の勝手だ。

 

──真那ちゃんが苦しむのは分かっているのに。黙って消えたほうがずっと君のためになるのに。

 

──それでも、伝えることを選んでしまった。後悔なく、死ぬために。君の心の中だけにでも、僕を生かしたかったんだ。

 

──真那ちゃん、勝手なことばかり言って、本当にごめん。もう、これで悔いはないよ。

 

──……どうか、幸せになって欲しい。それを願ってる。

 

 

 

「最後まで聞いてくれてありがとう。そういうことだから……真那……ちゃん?」

 

積み重なった想いを全て、語り終え。

蒼也が大きく一つ、吐息をついた、その時。

隣に座り、無言で話を聞いていた真那が、蒼也の体を抱きしめてきた。強く、優しく、包み込むように。

真那の顔は見えない。だが、首筋に零れ落ちた涙が一滴。

そのまま、耳元で囁くように。

 

「……もっと早くに、伝えて欲しかったな」

「……うん、ごめん。僕は臆病だから、追い込まれないと勇気が出ないんだ」

「……馬鹿」

 

真那の鼓動と、呼吸と、温もりを感じながら、蒼也は思った。

ああ、僕はなんて幸せ者なんだろう、と。

 

愛してる、真那ちゃん。

そして、さようなら、真那ちゃん。

願わくば、君のこれからの人生に、幸多からんことを。

 

やがて、名残を惜しむようにゆっくりと、真那の体が蒼也から離れた。

立ち上がり、乱れた髪と着衣を整える。

この部屋から出て行くつもりなのだろう。

これで、お別れだね。

でも、ありがとう。これで僕は、最後まで戦うことが出来る。

 

口を開けば、涙まで零れてしまいそう。

だから、無言のまま、見つめる。

月の光りに照らされる真那の姿を、目に焼き付けようとするかのように。

 

……と、その時。

蒼也の目が、大きく、まんまるに見開かれた。……驚きのせいで。

 

「黒須蒼也殿」

 

身なりを直した真那は、徐ろにその場に正座をすると、畳の上に三指を立て、こう言ったのだ。

 

「私、月詠真那。貴方の求婚、お受け致します」

 

……えっ?

……ええっ??

 

「って、なんでよっ!」

「不束者ですが、何卒よろしくお願いいたします」

「だからっ、なんでよっ!」

 

僕はもうすぐ死ぬって、そう言ったばかりじゃないっ!

 

「治せ」

 

無茶言うねっ!!

 

「どんな手を使ってもいい。お前の背後には、かの横浜の魔女がいるのだろう? 魔女に薬を調合してもらえ」

「……魔女の薬なんて飲んだら、化け物になっちゃうかもよ?」

「構わん。鬼の血が流れる月詠と化け物の夫婦。中々に趣があるではないか」

 

趣あるの、それ?

……化け物じゃなくて、機械の体だったら。まあ、当てはなくもないんだけど。

 

「ようは、お前がお前であること。それが大事なんだ。見てくれや容れ物などどうでもいい」

 

……ほんと、心読まないで欲しいなぁ。

 

「それでも、どうしても駄目だったら、その時は」

 

その時は?

 

「……その時は、私がお前の最後を看取ってやろう」

 

ははっ。

ははははっ。

 

「あははははっ! 真那ちゃん、君って人は、本当にっ!」

 

なんだこれ。

本当、なんなんだよ、これ。

散々悩んでいた僕がまるっきり馬鹿みたいじゃないか。

 

真那ちゃん、君は本当に。

どこまでも強くて、どこまでも真っ直ぐで、どこまでも、優しい。

僕の心の中の黒い雲なんて、あっという間に吹き飛ばしてくれる。

 

ありがとう。今迄、僕とともにいてくれて。

ごめんね。いつも甘えてばかりで。

そして、よろしく。どうやら、これからも迷惑をかける。

僕の大切な、一番大切な、人。

 

白銀。君のことは、心から尊敬している。

君と一つに混ざり合うのなら、少なくとも最悪の結末ではないかな、なんて。

そう思ったりもしたけれど。

でも、ごめん。やっぱり、この体を譲り渡す訳にはいかないよ。

僕は蒼也。黒須蒼也だ。他の誰でもない、僕は僕として。最後の時まで、生き抜いてやる。

 

「愛してる、真那ちゃん。僕と、結婚してくれますか?」

「ああ、もちろんだ。……幸せにしろよ?」

 

互いの体温を感じるように、寄り添う体。

躊躇いがちに、求めるように、交わされる口吻。

重なりあう二つの影を、月の光が照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

オルタネイティヴ第四計画は、斯衛の協力を取り付けることに成功した。

しかし、それがそのまま日本との協力関係の構築を意味するかといえば、そのようなことはない。

日本は帝政国家ではあるが、皇帝及びその代理人である将軍の力とは、大きく制限されたものなのだ。現状、その権限は無きに等しいと言っても過言ではない。

そして、将軍の直下となる斯衛もまた、然り。

 

では、蒼也と香月の計画の成就に必要な物はなにか?

それは、帝国議会の協力である。だがそれを手に入れるためには、またひとつの課題を解決しなくてはならない。

即ち、議会の一角を占める親米派、オルタネイティヴ第五計画派の排除である。

その為に民意に語りかけ、選挙を持って第四計画派の勢力を高める。これが正しい手順だ。

だが、その正しい手順こそ、限られた時間しか持たない蒼也にとっては悪手でしかない。

 

最小限の時間的コストで議会を掌握するために、蒼也が選択した手段。

これより数ヶ月の後、その成果が黒い花を咲かせることとなるのであった。

 

 

 



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40話、或いは外伝2

 

ブリーフィングが終わるとともに跳ねるように立ち上がり、ハンガーへと駆け出す──気持ちの上では。

実際には彼女の足は意思に反して一歩も動かず、縛り付けられたかのように椅子から立ち上がることすら出来ずにいた。

 

……あれ? おかしいな?

足に力が入らない。それなのに膝だけが別の生き物のように小刻みに震えている。

違う、怖いんじゃない。そうよ、これは武者震い。

だから……止まれっ!

己の意思から造反した足に活を入れようと両の手を振りかざすも、しかしその手もまた反乱軍へと合流したようだった。

 

……何で……何でっ!!

高い戦術機適正。乱戦の中でも位置を見失わない戦術眼。それに何より、度胸。

能力を見込まれ、突撃前衛長として抜擢されたというのに。

この初陣で、期待に応えないといけないのにっ!

人類を守りたいのにっ!

それなのに、何でっ! この土壇場で、この体は自由に動かないっ!!

 

自分は、こんなに臆病だったのか……。

悔しさに唇を噛み締める。恥ずかしさから顔が下を向く。

……私は強いっ! 戦えるっ! 戦うんだっ! ……戦わなきゃっ!!

必死に己を鼓舞するも、体の震えが止まることは無く。

遂には瞳に涙が滲み、堰を切ってこぼれ落ちようとした、その時。

 

「どうしたの? もう、みんな行っちゃったよ?」

 

随分と緊張感のない声が、頭のすぐ上か聞こえてきた。

ぎこちなく、そちらに顔を向ける。

屈託なく……いや、ニタリと笑う悪餓鬼の笑みが、そこにあった。

 

「怖いのかな?」

「……怖くなんかありませんっ! 怖いわけがありませんっ!!」

 

虚勢を張るだけの余力はまだ残っていたようだ。

そう、虚勢。もう、自分でも認めざるをえない。初陣の、これからBETAと相まみえる恐怖に雁字搦めという惨状を。

そして、これが虚勢だと、ばれていないわけがない。それでも、矜持の最後の一線だけは守りたかった。ここで怖いと言ってしまえば、もう二度と立ち上がれなくなってしまうような、そんな気がしたから。

けれど、そんな瀬戸際で戦う彼女にはお構いなしに、目の前の人物の口からは戯言が吐き出されていく。

 

「んー……こういう時は、なんて言ったらいいのかな? 衛士として恐怖を感じることは悪いことじゃない。むしろ恐怖を知らない衛士の方がよほど質が悪い……とか?」

 

……いや、何で私に聞くんですか。

何なんだろう、この人。何でこんなにやる気が無いんだろう。

衛士としてのタイプが正反対とはいえ、彼の能力は自分の遥か高みにいるということは、訓練で思い知っている。

だけど、どうにも好きになれない。もっとこう、俺について来いとか、俺を信じろとか、そんな風に引っ張ってくれる人が上官だったら良かったのに。

 

「心配しなくても、君の能力は充分に高いんだけどなあ。まあ、実戦を経験していない分、裏付けがないから自分に自信が持てないんだね。何度か戦えばそれが根拠になるから、それまで頑張って」

 

何というか……非常に、リアクションに困ります。とりあえず、了解。

 

「だから、今日のところは、自分を信じるな、ってことで」

 

……はい?

 

「代わりに、僕を信じてよ」

 

……おかしいな。そういうことを言ってくれる上官が理想だったはずなのに。何でこんなに胡散臭く感じるんだろう。

 

「大丈夫、君は死なない。この部隊の誰も死なない。僕が、死なせない」

 

冗談めいた言葉に、おちゃらけた表情。ただ、瞳の奥に輝く光だけは、真剣。

くすり、と。場違いにも笑いがこみ上げてきた。

この若い隊長が、見た目にそぐわぬ歴戦の勇士だというのは事実。なら……信じてみようか、な。

 

「もう立てるかな? ほら」

 

そう言って彼は、右手を彼女の前に伸ばしてきた。

いつの間にか、震えは止まっていた。

ありがとうございます。そう言って一つ微笑むと、差し出された手を取る。

その手は何だかとても、暖かかった。手の熱が伝わったかのように、少し頬が上気する。

胸の奥で、とくん、と。

鼓動が一つ。大きく、高く、鳴り響いた。

 

 

 

………………。

…………。

……。

 

 

 

むくり。

硬いベッドの上に、寝癖頭の女性が一人、起き上がる。

半目のまま視線を宙に。ぐるりと部屋中を彷徨わせ、最後は自身の右手へ。

にへらっ、と。

じっと手を見つめる相好が崩れ落ちた。

 

なーんか。良い夢、見ちゃったなぁ。

しばし、夢の中での感触を思い出すように、右手をニギニギと。

よーし、やる気出てきたぁ!

 

「今日も一日、頑張りますかっ!」

 

やがて大きく一つ伸びをし、そう気合を入れた女性──極東国連軍横浜基地所属特殊戦術教導部隊A-01副隊長、碓氷桂奈少佐は、勢い良く服を脱ぎ捨てるとシャワールームへと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

2000年、1月。

無事に、とは言いがたく。諸問題が山積みにもなっている。とはいえ、日本はまがりなりにも国土を取り戻した。

また、とある策略家の思惑により再びこの地に戦乱が訪れることになる未来までは、まだ多少の時間的猶予があったこの時期。

この国に住まう人々は、戦いという日常の中にポッカリと空いた空白期間、束の間の平和を心ゆくまで満喫していた。

 

そしてそれは、ここ。

国連軍横浜基地においても、変わることは無く。

 

 

 

 

 

 

 

「……はあ? 婚約ぅ~?」

 

蒼也より帝都城における戦果の報告を受け、何か他に伝えることはあるかと何気なく尋ねた香月。

そして、ああそういえばと、やはり何気なく告げられたその衝撃。

時折、突拍子もない事を言い出す蒼也の言動にはそれなりに慣れたつもりでいたし、そもそも香月は彼以上にエキセントリックな言動が多いのだが……それでも、斜め上のその内容には、知れずぽかんと開いてしまった口が塞がらない。

 

「あんた、僕には誰かを幸せにすることは出来ないとか何とか、言ってなかったっけ?」

「言いましたね」

「……婚約?」

「ええ、婚約です。入籍はまだ先、桜花作戦が終わってからになるでしょうが」

「幸せになれないって、わかってるのに?」

「なりますよ、幸せに。僕には出来ないとしても、向こうが力ずくでも幸せにしてくれますから」

 

……何それ。ばっかじゃないの?

はいはい、ご馳走様ご馳走様。と、心の中でひとしきり呆れ返る。

 

「……まあ、いいわ。それじゃあ、例の件は無しの方向でいいのかしら」

「いえ。予定通りに準備願います、僕の体を」

「……00ユニット化して幸せになれると思ってる訳?」

「思ってますが?」

「……ばっかじゃないの?」

 

今度は声に漏れた。

 

「まあ、副司令の仰りたいこともわかりますけど」

「……アタシの感想はとりあえず置いておくとして。A-01は機密指定から外れたし、結婚そのものは問題ないわ。けど、00ユニットになるとなれば話は別よ」

「そうですね」

「どうする気?」

「幸いといいますか、相手は斯衛の実力者です。どちらにせよ日本の協力は不可欠なんですし、もっと深いところまで巻き込んじゃおうかと」

 

そっと、眉間に指を当てる香月。

今、自分の悪戯でまりもがどれほど苦悩していたのか、理解できた気がした。……これからは、少しだけ手を抜いてやろう。

 

「あんた、自分の幸せのためにオルタネイティヴ4の筋書きを捻じ曲げる気?」

「大丈夫です。その方が計画にとっても都合がいいようにしますから」

 

……はぁ。

何よこのお花畑。共犯者の人選、間違えたかしら。

とはいえ、今更言っても始まらない。こうなれば一蓮托生、か。

 

「……とりあえず、独断専行は無し。計画に影響を与える行動を取る際には、必ずアタシに報告すること」

「了解です。って、副司令。そんなに心配しなくても、計画を台無しにするようなことはしませんよ。何せ……」

「……計画が潰れたら幸せになれないから、かしら?」

 

少々疲れたような表情で先回りする香月。

それに蒼也は恥じらいもせず、満面の笑みで頷いてみせた。

 

 

 

しっかし。結婚、ねぇ。

報告を終えた蒼也が退室した後も、どうにも真面目に作業をする気分になれず、先ほどの会話を反芻する香月。

どこか同類といった雰囲気を持つ香月と蒼也だったが、香月には結婚願望というものが存在しなかった。というより、そもそも恋愛自体に興味が無い。

科学者としての好奇心から、そっち方面は学生時代に既に経験済みだったが、愛情というものが介入していないせいか、さして良いものとも思えなかった。

それ故、蒼也の気持ちが理解できないのだが……まあ、計画に悪影響を与えない限りにおいては、特に反対する理由も必要もない。

ただ……。

 

まりも、残念だったわねえ。

アンタ、あいつのこと、そこそこ気に入ってたでしょう。ま、あいつ選ばないで正解なのは間違いないから、アタシにとっては良かったけど。

唯一の親友である神宮司まりも軍曹の幸せを、捻くれた愛情表現ながら心から願う香月は、今回の一件にそう結論づけた。

そして、せっかくなので暇つぶし……いや、気分転換に利用させてもらおうと、デスクに備え付けられた受話器を手に取るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

突然ですが、ここで問題です。

現在A-01に所属している衛士の数は総勢39人。隊員達でランダムにエレメントを組んで、模擬戦を行うことになりました。

ただし、伊隅中佐は香月副司令から呼び出しがかかり、この場を離れています。

さて、対戦からあぶれる衛士は何人いるでしょうか?

 

「答えは、三人です」

 

あぶれた衛士の一人である鳴海大尉は、連隊用の大規模シミュレータールームに備え付けられたメインモニターに映し出される18組の戦闘風景を眺めながら、そんな自問自答を呟いていた。

 

「で、誰が多いのよ、たか……大尉」

 

同じくあぶれた速瀬少尉が、憮然とした表情で尋ねる。

そう、一人多いのだ。18組36人、伊隅中佐がいない分、この場にいるのは二人でなければおかしいはずなのに。

エレメント対戦は、速瀬の大好きな訓練の一つ。それなのに、この後も組み合わせを変えて何度か行われるとはいえ、初っ端から見学に回されてしまっては何とも面白く無い。正体不明の何者かがいなければ、この瞬間、自分はモニターの中で暴れまわっていたかもしれないのに。

そして、今回の訓練は相手の情報がない状況での戦いを想定しているとし、自分の相棒以外の正体はわからないようになっていた。つまり、誰が闖入者であるのかは、不明。管制が騒いでない以上、予定された乱入なのではあろうが。

 

「危なかったな、速瀬。訓練中に呼び方を間違えたら、また腕立てだったぞ」

 

最後の一人、碓氷少佐が冷静に注意。

能力的にも性格的にも突撃前衛として高い適正を持つ速瀬。その彼女が目下のところ目標と定めているのが、この碓氷だった。

A-01創設以来、一貫して突撃前衛長を勤め、磨き続けた操縦手腕。激しい戦闘の只中でも仲間と敵の立位置を的確に捉え、退路の確保は欠かさない冷静さ。ついでに、誰よりも雄々しく闘いながら、身だしなみにも手を抜かない女性らしい一面も。どれをとっても、かくありたいという理想の姿なのである。

正直、伊隅中佐のヴァルキリーズに配属されたのを少し残念に思うほど。いや、中佐は中佐で、戦場全体をコントロールする戦術眼と、あらゆる状況に対応できるオールマイティさはひとつの完成形だと思うし、学ぶべきところは星の数ほどある。でも、出来れば碓氷少佐の直下でその技を身につけたかったというのが本音。

 

「失礼しましたっ! 以後、気をつけますっ!」

「まあいい。A-01は隊内では堅っ苦しい言動は必要ないという気風だ。ただ、外部の人間がいるところでは自重してくれよ」

 

そう言ってにこりと微笑む。

あ、やばい。もし少佐が男だったら、ころっとやられちゃう笑みよね、これ。

ほんのりと頬に朱がさすのを自覚しながら、あたふたと敬礼。それに優しげな視線を向けながら、碓氷は続けた。

 

「誰が紛れ込んでいるかは分からないが、どの機体がイレギュラーかはわかるぞ」

「わかるんですかっ!?」

「伊達に隊長職やってるわけではない。仲間の機動の癖は知り尽くしているさ。例えば……あれは平だな」

 

モニターの一角では、砲撃支援装備の不知火が巧みに相手の動きを誘導し、罠にはめようとしていた。

 

「あいつは伊隅中佐に似て、戦況をコントロールするのが上手い。新しい中隊が設立されたら、おそらくあいつが次の指揮官だな。他には……あれはセリス大尉か」

 

指差されたのは、四丁の突撃砲を武器に嵐のように荒れ狂う撃震改。

 

「彼女とはまだ実戦を共にしていないが、強襲掃討装備で敵陣に切り込む特徴的な機動はわかりやすい。まあ、機体が撃震改である以上、乗り手の数が限られるというのもあるが。そして、アンノウンは……」

 

碓氷の指の先には、一機の凄鉄。セリスのエレメントが、その圧倒的な火力をもって、ほしいままに戦場を蹂躙していた。

そのあんまりな有り様を見て、鳴海が思わずごちる。

 

「……こういう対戦で凄鉄使うのって、反則なんじゃないですかね……?」

「まあ、言いたいことは良く分かる。だが、それを差し引いても、あの衛士は凄腕だぞ」

 

碓氷の言葉に、速瀬と鳴海の二人はその戦いを注意深く観察し始める。

敵の一機をセリスがをおびき出したかと思うと、射界に入るやいなや有無を言わさず真正面から粉砕。逆にもう一機は火線で退路を物理的に塞いだ上で、セリスに止めを刺させる。

三人が見守る間に、あっけなく終わる戦い。一見無造作ながら、火力というものの正しい使い方を熟知した、練達の技であった。

しかし、これほどの腕なのだ。この基地に所属している者であるなら、噂くらいは聞こえてきそうなものだが。ひとしきり考えてみても、思い当たる人物はいない。

訓練前、この部屋にはA-01の人間以外はいなかった。つまり、他のシミュレータールームからこの戦いに参加しているのだろう。随分な念の入れようだ。

 

「……こういう悪戯で乱入してくるのは、蒼也少佐だとばかり思ったんだが……」

 

そう呟く碓氷の視線の先には、管制室から戦いを観戦する蒼也の姿。

何やら、CPの涼宮と楽しそうに話しているのが見える。

 

「……そろそろ全ての戦いが終わりそうだな。管制に行って様子を探ってくる。鳴海、皆はこの場に待機させておいてくれ」

 

少しだけ不機嫌そうな声でそう言うと、碓氷は責任者としての責務を果たすべく、事態の黒幕だと思われる人物の下へと向かうことにした。

そしてその場に残される二人。

 

「……ねえ、大尉」

「水月、上官への声掛けに“ねえ”はどうかと思うぞ」

「大尉だって水月とか呼んでますけど?」

「……何かね、速瀬少尉」

 

襟を正し、咳払い一つ。

 

「蒼也少佐って、衛士なの?」

 

ピタリ。鳴海の体が固まった。

一つ息をつくと、困ったような顔で速瀬へと向き直る。

 

「どうしてそう思う?」

「さっきの、碓氷少佐の言葉。乱入してきたのは蒼也少佐だと思った、って」

 

なるほど。あんな何気ない一言を聞き逃さないとは、これでどうして注意深い。

しかし、どうしたものか。現在のA-01の活動は機密指定されてないとはいえ、過去のそれまで同じかといえばそのようなことはない。

蒼也が衛士として隊を率いていたことも当然、機密。

しかし、それを知らないのは隊の中では速瀬を含む新任の三人と、CPの涼宮だけ。隠しておくのも仲間外れにするようでかわいそうだ。

……まあ、気づかれたのは碓氷少佐のうっかりからだし、ヒントくらいなら。

 

「速瀬少尉。俺たちA-01の衛士にとって、神宮司軍曹は親のようなものだよな」

「それが何?」

「軍曹が母親だとするなら、以前からこの部隊にいた人間にとって、蒼也少佐は父親だ」

 

蒼也少佐に鍛え上げられた、ってこと?

あんまり、教官タイプには見えないけど。それに、そんな腕利きだったら司令部所属なのもおかしな話よね。

でも、それが本当だったら。……なるほど、それで、か。

 

「どうした?」

「伊隅中佐とか碓氷少佐とか、基本的に部下には階級付けずに呼び捨てじゃない。それなのに、蒼也少佐だけは階級付けて呼ぶんだな、って思ってたの」

 

ちなみに、セリスに対してはやはり気後れするところがあるのか、大尉と呼びかけている。

部隊にもう一人いる大尉に関しては当然、呼び捨てだ。

 

「ほんと、細かいところに気がつくなあ……」

「これでも気配りのできる女の子ですから」

「……きく……ば……」

「何か?」

「い、いや。……まあ、察してくれよ。これ以上は言えないんだ」

 

ま、軍隊ってそういうところだしね。

正直なんだか面白くないけど、そのうち知ることもある、か。

戦いが終わり、シミュレーターから降りる仲間達を出迎えながら、今回はここまでにしておこうかと。

気持ちを切り替えた速瀬は、次こそ回ってくるであろう自分の戦いに備え、気合を入れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様です。XM3を体験してみてどうでしたか?」

「素晴らしい、この一言に尽きる。……あの時にこれがあればと、そう思わずにはいられないほどに」

「……それは、言ってもしかたのないことですよ」

「……そうだな、すまない。しかし、私ももう歳だ。あの即応性を御し切るのは少々骨だな」

「あら、年の話はしないでくださる?」

 

 

 

 

 

 

 

碓氷になんて言おう。

伝えれば、きっと傷つく。自分でさえ、少なくない衝撃を受けたのだ。

以前にも同じように悩んだことがあるな、と。どこか投げやりな気分を味わいつつも、それでも伊隅は苦悩し続けていた。

 

A-01とは直接的には関係しないことではあるが、とはいえ伝えないという選択肢は存在しない。そう遠くない未来に彼女も知ることであろうし、その時に自分だけが知っていたとなれば、彼女はさらに傷つくだろう。

だが、どう説明したものか。どう言えば彼女が受ける痛みを和らげられるのか。

伊隅にとって碓氷とは訓練生時代からの親友であり、共に戦い生き残った戦友である。その彼女が悲しむ姿は、出来れば見たくはない。

思い悩んだ彼女の足は皆が待っているシミュレータールームへとは進まず、ここPXへと向かっていた。

少し、考えをまとめたかった。

しかし、いくら考えても結論は変わらない。結局、正直にそのままを話すしかない。

そうだ。残念なことには違いないが、これで終わりというわけでもない。彼女ほど魅力的な女性なら、いずれ新しい出会いが待っているに違いないのだから。

 

「あれ、みちる中佐。もう戻ってたんだ。聞いてよ、さっきの訓練でさ、アンノウンが乱入してきてもう大変だったんだから」

 

不意に声をかけられた。

いつの間にか随分と時間が経っていたのか、A-01の仲間達が昼食をとりにやってきたようだ。

顔を上げれば、そこには伊隅の頭を悩ます人物の姿。

みちる中佐などという呼び方を嗜むべきであろうか。けれど、今は食事時。本音を言えば、親友から上官扱いされるのは面白くないことだし、休憩中くらいは目くじらたてずともいいだろう。それに何より、今はそれどころではない。

 

「どうせ、蒼也少佐だろう」

 

反射的にそう答える。

この部隊において何か作為的な問題が発生した場合、その原因は十中八九、蒼也少佐か香月副司令だと相場が決まっているのだ。

 

「そうだったら良かったんだけど。そうだったら……訓練とはいえ、また戦術機に乗れるようになった、ってことだもんね。……でも、違ったみたい」

 

そういって、寂しそうに笑う。

ズキリと、伊隅の胸に痛みが走った。

あー、もう。めんどくさいくらいにいじらしいんだから、この娘はっ!

 

「碓氷……えーとだ、な。その蒼也少佐なんだが……」

「少佐がどうしたの?」

「……いや、だな」

 

午後の仕事もあるし、今は言わないほうがいいかしら……。でも、ここでやめたら気になって仕事なんか手につかないわよね、どうせ。

あーもうっ! 言うからね、言っちゃうからねっ!

 

「……………………結婚、するらしい……ぞ」

 

トレイをテーブルに置き、椅子に座ろうとした途中の体勢で、碓氷の動きがピタリと止まる。

ぎぎぎ、と。錆びついた音が聞こえてきそうなぎこちなさで伊隅へと顔を向ける。

……碓氷、その顔怖い。表情がないのがすごく怖い。

 

「………………相手は?」

「……何でも、幼馴染みのような間柄らしい。子供の頃から姉弟同然に育ったとか」

 

幼馴染みが両思いになって結ばれる。しかも、男のほうが年下。……いいなあ、蒼也少佐。

碓氷には可愛そうだけど、正直、羨ましいぞ。

 

「なあ、碓氷。お前の気持ちもわかるが……蒼也少佐は、もう十分に戦った。前線を離れて好きな人と一緒になって、これからの新しい人生を歩んでいく。……祝福、してあげようじゃないか」

 

これは伊隅の本音。

好きな人と結ばれる。それは万世不易の人の幸せの形だろう。

また彼の指揮の下で戦いたいという気持ちは確かにあるが、それでも。命を拾って幸せになれるチャンスが有るなら、そうして何が悪いのだ。

 

「いくら男が少ないとは言っても、これから出会いが全くないわけじゃないし。碓氷だったら、ライバル押しのけていくらでもいい男捕まえられるって」

 

だから、な?

そう不器用に慰める伊隅の声が聞こえているのかいないのか、席についた碓氷は背中を丸めて両肘をつき、頭を抱えるように下を向く。

あー、そりゃ落ち込むわよねえ。やっぱり、せめて終業まで待ってから伝えるべきだったか。

 

「……よし、今日は飲もうっ! なんなら外出許可も申請しちゃおっか。とことん付き合うわよっ! ……って、碓氷?」

 

ふと。

下を向いたままの碓氷が、何かをブツブツと呟いていることに気がついた。

……ちょっと、こんなんで壊れちゃったりしないでよっ!?

 

「碓氷っ! なあ、しっかりしろっ!」

「……長きに渡る人類に敵対的な地球外起源種、BETAとの戦いにおいて、人類は著しく疲弊し、その種としての生命力も遂には枯れ果てようとしている。そして、それは我らが日本帝国においても変わることはない。戦場に散る若者たち。蹂躙され復興の目処が立ってない国土。犠牲は大きく、かけがえのない大切なものが数多く失われた。だが、この現状に甘んじたままでいいのだろうか。いや、決して良くはない。我々は輝かしい未来を目指して立ち上がり、前へと進まなくてはならないのだ」

 

……何事?

どうしちゃったの、この娘?

 

「そしてそのために、我々は今何を目指すべきか。それは、内需の拡大である。日本という国家を復興させるために、消費を増やし、経済を回し、国民一人一人が豊かにならねばならぬのだ。しかし現状、それには大きな壁が立ちはだかっている。即ち、人口の減少である。BETAとの戦いは我々から若者たち、特にこれから父となって家族を支えていく男性を数多く奪い去った。一対七という男女比はどう贔屓目に見ても自然な状態とはいえず、何らかの方法での是正が必要なのである。今後、長いスパンでの復興を目指すためには、これ決して避けては通れない問題なのだ。そして、その解決策として、これまで倫理的に禁忌とされてきた方法を選択することもまた、必要なことではなかろうか。産めよ、育てよ、地に満ちよ。著しく減少した人口、そして偏った男女比、求められる多産。ここから導き出される答えは、一つしかない。即ち、私は日本の復興のために、一夫多妻制の導入を提唱するものであるっ!」

 

ガバリと、碓氷が勢い良く顔を上げた。

そして、伊隅の目をしっかりと見つめ、力強く宣言。

 

「みちるっ! あたし、政治家になるっ!!」

 

上気した頬。キラキラと煌く瞳。

目標となるものを、人生をかけるものを見つけ出した、若者の顔。

 

伊隅はその様子を、たっぷりと三十秒ほど見つめた後。ふうっと、疲れたように息を吐きだした。

両手を碓井の肩に乗せ、諭す。

 

「そうだな、碓氷。仮に、お前に政治の才があったとしよう」

「うん」

「支援者を見つけ、地盤を築き、有権者からの支持を得て、選挙を勝ち抜き、見事に議員の席に座ったとする」

「うんうん」

「更には、議会内での発言力も手に入れ、派閥を形成し、遂には望みの法案を通すまでに政治家として成功したとする」

「うんうんうん」

 

そこで伊隅は一旦、言葉を区切り。

生真面目な口調で、でもどこか投げやりに、こう言った。

 

「碓氷。その時、お前はいくつになってると思う?」

「………………みちる。いまちょっと、アンタに一瞬殺意を覚えたわ……」

 

 

 

 

 

 

 

何よ、みちるってば。

そりゃ、頭の中グルグルになって、随分と頭悪いこと言ったと思うけどさ、あんな身も蓋もない様なこと言わなくてもいいじゃない。もう、馬鹿にしてっ!

肩を怒らせ、足音を響かせ、基地内を闊歩する碓氷。

時折すれ違う人物が、怯えたように横へ飛び退いて敬礼をしてくる。その反応を見て、今あたし、すごい顔してるんだろうなぁと。心の片隅でそう冷静に考える自分もいるが、そんなの何処かへ飛んでいけ。

 

でも、みちるのことは怒れない。

だって、あたしってば、ほんと馬鹿。大切なことに、たった今気がついた。

蒼也少佐が幸せになるなら、それはとても嬉しいこと。でもこのままじゃ、素直に祝福なんて出来っこない。

このままじゃ、絶対、必ず、間違いなく、後悔する。

だって、あたしは。

 

──だってあたしは一回も、自分の気持を伝えてないっ!

 

最初は胡散臭い人だと思った。

初陣では頼もしい人に評価が変わった。

そして気がついたら、ずっとこの人の側にいたいと思うようになっていた。

 

逃げるなストームバンガード・ワン。

婚約決まった後に告白されても、迷惑なのは分かってる。

それでも自分の気持ちにケジメを付けたい。

だから──碓氷桂奈、吶喊しますっ!!

 

「失礼しますっ! 蒼也少佐、お話がありますっ!!」

 

長い廊下の向こう側、目標を肉眼で確認。

ずかずかと大股で歩み寄り、一分の隙もない敬礼を決めつつ言い放った。

言葉はなく、微笑を浮かべて答礼をする蒼也。

 

……この笑い方は知っている。これは困っているときの顔。

そりゃ、困りますよね。迷惑ですよね。というか、今からあたしが何をしようとしているか、バレバレなわけですね。

口の中はカラカラ。舌が張り付いてうまく動かない。きっと顔は真っ赤っ赤。心臓って、耳の横にあったっけ? 自分の鼓動がうるさくて、周りの音が聞こえない。

もう今年で22歳になるというのに、何よこの体たらく。情けない、あたしは思春期の中学生かっ!

振り絞れっ! 捻り出せっ! 掻き集めろっ! 勇気っ!!

さあ、行くぞっ!!

 

「ありがとう」

 

………………へっ?

極限まで高まった緊張の中、突然お礼を言われてしまった。

え、どういう……

 

「……碓氷。僕ね、結婚することになったんだ」

 

……。

…………。

………………。

 

ずるい。ずるいよ、蒼也少佐。

そんな、先回りするなんて。告白もさせてもらえないんだ。

……でも。ありがとう……か。あたしの気持ちは、届いたん……だよね?

 

碓氷の右手がゆっくりと動く。再び、敬礼の形へと。

 

「おめでとうございます」

 

祝福の言葉を舌に乗せ。

かんばせに浮かぶは、花が咲いたかのような、輝かんばかりの、見るものを魅了させずにはいられない、彼女のとっておきの一番の、笑顔。

 

ただ、二つの瞳からは透明の雫がとめどなく溢れ落ち、雨となって地に降り注いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

「そうだっ、絶対自分でやらなくちゃいけないってわけでもないじゃないっ!

 みちる、あんた政治家に知り合いとかいないっ!?」

「碓氷、戦うんだ、現実と」

 

 

 

 

 

 

 

一方、その頃。

帝都は御剣家の屋敷においては。

 

「……らしくないな」

「……らしくないですね」

「神代、月詠は一体どうしたというのだ?」

「申し訳ございません、冥夜様。私にも、さっぱり」

 

「………………ふっ」

 

「……月詠のあのような呆けた姿を見るのは初めてだな」

「私もです。窓の外を見ながら、だらしなく頬が緩んでいたり。かと思えば……」

 

「………………はあっ」

 

「……あのように、急に沈み込んだり。美凪、お前何か知ってるか?」

「ここに戻られてからあの様子なので、休暇中に何かあったと考えるのが自然でしょうが……」

「家族や師匠の顔を見に行くと言っていたが……それがどうしてこうなった」

 

「……冥夜様も二人も、本当にわからないんですの?」

「雪乃、心あたりがあるのか?」

「心当たりというか……真那様も女の子、ってことですよね」

「?」

「?」

「?」

「ま、まあ、特に気にしなくても大丈夫じゃないでしょうか。でも、それにしても……」

 

「………………ふっ……うふ……うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」

 

『真耶様、怖い~』

 

 

 

 

 



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41話

 

2000年、5月。

帝都、墓所。

 

御影石を、磨く。丁寧に、想いを込めて。

ふと見あげれば、空は見事な五月晴れ。額ににじむ汗を袖で拭い、また磨く。

もとよりしっかりと手入れがなされている墓だ。ここまでせずとも十分に綺麗なのだが、不義理にも今までこの場に来れなかった贖罪も込めて、磨き上げる。

墓石だけでなく、敷き詰められた玉砂利もさっと洗い、花立てや水鉢も念入りに。

 

やがて鏡となった御影石に映り込む、自分の顔。

うん、ここまでやれば十分かな。

お供えは菊の花と、今となっては中々手に入らない本物の日本酒。

水鉢に水を張り、墓石に水をかけ、線香に火を付ける。

そして、合掌。

 

──おじいちゃん。今まで来れなくて、ごめんね。

 

月詠家代々之墓と刻まれた石の、その向こうに浮かび上がるのは、瑞俊の少し怒った顔。だが、蒼也は見逃さない。その眼尻が、どうしようもなく下がっていることを。

瑞俊は孫には随分と甘い人だった。師の座を紅蓮に託してからは、特に。

思えば、彼が蒼也に鬼の一面を見せることなど、ついぞなかった。真耶や真那、時には4人の母親から逃走した蒼也をこっそりとかくまってくれたのは、いつもきまって瑞俊だった。

そんな大好きだった祖父が戦場に散ってから、既に一年と九ヶ月。そしてその間、蒼也は一度もここを訪れてはいない。

 

言い訳がましくも聞こえるが、それも仕方のない事ではあった。

新任ばかりのA-01を鍛え上げ、明星作戦に参加し、そしてその後は第四計画を主導する魔女の共犯者となったのだ。人類の未来を、地球の重さをその背に背負い。一日が、一時間が、一分が惜しまれる日々。そんな毎日の中、私的な感傷に割く時間など残されていなかった。

 

今も多忙な暮らしが変わった訳ではない。

2001年10月22日、この日までにやり遂げ無くてはならない事柄は、まだまだ多く残されている。

水面下における下準備にはどうにか目処が付いた。だがだからこそ、これからが本番。下拵えされた食材を調理する時が来たのだ。

これからはまた一段と忙しくなる。悠長に墓参りなど、ますます難しくなるだろう。だからこれが最後の機会と、無理に時間を作ってやってきた。

それに、二つほど祖父へと報告しなくてはならないことがあったから。

 

──おじいちゃん。僕ね、真那ちゃんと一緒になることにしたよ。

 

まずは、一つ目の報告。

きっと、祖父も喜んでくれる。いや、やっとその気になったのか、ずいぶんと時間がかかったものだと呆れられるかもしれない。

本当は、一人で生きて一人で死ぬつもりでいた。その覚悟はとうの昔、父が死んだ夏にできていた。

だが、今なら分かる。あれは覚悟なんて大層なものじゃなかったと。ただ、状況に流されていただけだったのだと。

今、蒼也の胸に宿る決意の強さとは、雲泥の差。必ずやり遂げ、生き残り、真那と幸せになるという想い。きっと、これこそが覚悟と呼ぶのに相応しいものなのだろう。

 

幻の祖父の笑みが強くなった、そんな気がした。

ありがとう、おじいちゃん。祝福してくれるんだね。

平行世界を覗き見る力を持つ蒼也とはいえ、死者との会話が可能な訳ではない。あるいは能力を限界を超えて発現させるならば、脳が焼かれ死に瀕するその間際に、代償として別世界の祖父との会話が許されるかもしれないが……少なくとも、今はその時ではない。

それでも、おめでとうという祖父の言葉が、確かに蒼也の耳へと届いていた。

 

だが……

 

──それから、もう一つ。僕はこれから、おじいちゃんや父さんに顔向けできなくなるようなことをします。

 

二つ目の報告。

これを話せば、きっと止められる。怒られる。考えなおすようにと諭される。

笑みの浮かんだ祖父の顔も、苦渋に染まったものへと変わるだろう。

だが、それでも。

 

ねえ、おじいちゃん。僕は思うんだ。

おじいちゃんは、自分の誇りと命を懸けて、斯衛の人達を、日本に住む人達を守ったよね。

そりゃあ出来れば死にたくなんてなかったろうけど、それでも後悔なんてしていないよね。

そして、それはきっと、父さんも同じで。

 

僕は、二人に負けたくない。

月詠瑞俊の孫であり、黒須鞍馬の息子であることに胸を張りたいんだ。

その為にも、やらなければならないことから逃げ出して、後悔なんかしたくない。

僕の決断が間違っていると、そう思う人も多いと思う。だけど、僕はこれこそが最良の未来を引き寄せる道だと、そう信じるんだ。

そして、これは僕にしかできないことだから。

 

おじいちゃん、父さん。

もしかしたら、二人だったら別の方法を見つけ出せるのかもしれない。けど、僕は二人とは違う道を歩く。

応援してくれとは言わない。頑張れなんて言ってもらおうとは思ってない。でも、僕が自分の道を選んだことだけは、認めてほしいんだ。

 

──ごめんね、おじいちゃん。もうすぐ始まる、もうあまり時間がないんだ。そろそろ行くね。

 

墓へと向かって深々と腰を折る。

そしてそのまま踵を返すと、真っ直ぐに前を向き、歩き去った。

一度も、振り返ることのなく。

墓の向こうに浮かび上がった瑞俊の顔に浮かんだ表情がどのようなものであったのか。

それを知る者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

五一五事変。

この年、5月15日に勃発した一連の事件は、後にそう呼ばれることとなる。

 

BETA侵攻の只中という危機的状況の中での、日米安全保障条約の一方的な破棄。国土を取り戻すために命を懸ける将兵を嘲笑うかのような、明星作戦において事前通告無しに投下された二発のG弾。それら度重なるアメリカの傍若無人な振る舞いに対し、それでも弱腰の態度を取り続ける政府。

日本に各所に熾き火のようにくすぶり続けた不満の種が、ついにこの日、発芽するに至った。

 

行動を起こしたのは、日本帝国軍の先鋭的な若手将校ら。彼らは武力を持って政府奸臣を打倒し、将軍の権力を復活させることにより、財政界にはびこる腐敗、更には一般市民における様々な困窮が収束すると考えた。

いわゆる、クーデターである。

 

彼らの思想、行動は当時においても後世においても、一定の支持を得てはいる。

だが当然のことながら、それ以上に批判の声のほうが大きい。

特に、仮に蜂起の全てが思惑通りに進んだとしてもその後の見通しが著しく甘い点は、彼等の選択を肯定的に捉える者からしても弁護のしようがない。

彼等の計画の成就とは即ち、他国に内政介入の良い口実を与えてしまった修羅場に、頼りとしていた臣下が粛清され頼る者もいなくなったまだ年若い将軍をたった一人で放り出し、全てをその背中に無理やり背負わせることに他ならなかったのだ。

彼等は、将軍もまた一人の人間であるという事実に気がついていなかった。優れた見識と人格を持ち合わせた一角の人物とはいえ、未だ人生経験の少ない十代の女の子だという当たり前のことが見えていなかった。将軍の権勢さえ取り戻せばそれでいいと。それだけで全ては丸く収まると。そう、思考停止してしまっていたのである。

 

だが、後世において五一五事変について語られる際、彼等が批判の最前面に立たされることはない。

彼等は愚かであった。だが、少なくともその動機に私心はなく純粋なものであり、同情の余地はあった。

しかし、その余地すらない醜悪な黒幕が、彼等の後ろには存在したのである。

 

それは、アメリカ合衆国。

G弾反対派の各国勢力の増大により、アメリカは自国の支配力の低下、特に極東方面におけるそれが消え去ったのを自覚した。同時にこれは、オルタネイティヴ第五計画が第四計画に大きく後れを取ったことも示す。

そしてその権勢の回復するための手段として、考えつく限りにおいて最も卑劣な物の一つを選択した。

それが、日本において意図的にクーデターを勃発させ、それを自らが鎮圧してみせるという謀略である。これにより日本の最前線国としての責任能力のなさを露呈させ、その後のBETA戦争、及び人類同士の争いの主導権を握る。そして、最終的には日本を事実上の属国とする腹づもりであった。

この企てが完全な形で成ったとするなら、日本は戦後から再びやり直すこととなったであろう。

しかし周知の通り、この黒い陰謀は失敗に終わったのである。

 

クーデター勃発の報を受けるやいなや、太平洋上に待機させていた第7艦隊を向かわせたアメリカだが、作戦中の拠点となる筈であった国連軍横浜基地は主権国の判断を無視して行動することはできないと、この受け入れを拒否。

横浜は第四計画のお膝元であり、素直に要請を受けないであろうことは当然、予測がついていた。そこでアメリカは、事前に統合参謀会議に働きかけ、上層部からの圧力を持って横浜を従わせるべく手筈を整えていた。

 

しかし、ここに誤算が生まれる。自軍の最大のスポンサーであるアメリカの意思に従うべきであるはずの人物、国連軍の最高意思決定機関を握る議長の謀反である。彼は事態の詳細な情報を入手するまでは判断できないと、のらりくらりと決断を先延ばしにし、あからさまな時間稼ぎに出たのだ。

そして、それにより生まれた僅かな空白時間に、帝国斯衛軍及び、斯衛より正式に要請を受けた横浜基地の精鋭が出撃。瞬く間にクーデター部隊を鎮圧してみせたのである。

この戦いの際、斯衛軍の武御雷、そして横浜基地の不知火は、およそ戦術機としての常識を疑う機動を見せ、決起部隊を翻弄したという。

 

飼い犬に手を噛まれる形で謀略が失敗に終わったアメリカは、以前より反抗的であった議長の更迭を図ろうとする。極東を支配するのは先延ばしとなったが、なかなか隙を見せなかったこの人物を排除する口実ができたとするなら、これまでに費やした金と時間も全くの無駄だった訳でもない。

だが、それすらもアメリカには許されていなかった。

実行部隊の鎮圧とそのシンパを洗い出して終わりとなるはずだったこの悲劇、あるいは喜劇は、未だ終幕には至らない。更にこの後に数幕を残していたのだ。

 

事件後、日本が世界へと向けて発表したクーデターの詳細報告。それは同時に、裏で糸を引いていたのがアメリカ中央情報局であったという告発文書でもあった。

当然、これにはでっち上げだ、濡れ衣であると抗議するアメリカであったが、突きつけられた数々の確かな証拠を前に、張り上げた声にも威勢がない。当事者の証言から人と金の流れ、更には文書として残していなかったはずの計画書までもが白日の下に晒されたのだ。これらは、仮にアメリカが真に白であったとしても黒く染まらずにはいられない、それほどのものであった。

 

最終的に、あくまでも情報部の独断であって政府は関係ないとしながらも、アメリカは自国の介入を認めざるを得なかった。そして、ついにはウォーターゲート事件以来史上二度目となる、大統領の首がすげ変わる事態とまでなったのである。

 

これにより、アメリカは極東はおろか全世界的にその影響力を弱めることになり、世界の指導者の座から脱落。未だその軍事力は世界最大ではあるものの、今後のBETA戦争は他でもない日本が主導していくこととなる。

 

更にはアメリカから日本への賠償として、いくつかの取り決めがなされる。

表立っては、日本に有利な形での安全保障条約の再締結を始めとした有形無形の援助。水面下においては、第四計画、香月夕呼博士が欲した様々な装備や資料の引き渡し。

そしてそれらの中には、かつて光州の悲劇によって咎人とされた故彩峰萩閣中将の名誉の回復があった。彼の判断は人道的見地からして決して誤りとはいえず、とった行動もまた十分に根拠のあるものであった、と。彼が背負った罪は消え去り、更には帝国軍規によりその階級を大将へと進ることとなる。これにより、残された家族の心を縛り付けていた頑迷な氷も、幾分かは溶かされることとなった。

 

日本国民の意識においても特筆すべき変化がある。将軍を守った国連軍に対する評価がそれだ。国民の間で、アメリカ軍と国連軍、少なくとも横浜基地は一線を画す存在であると認識され、その後の国防においては帝国軍、斯衛軍、国連軍の間で協力体制がしかれることとなったのである。

そして、三軍の友好の証として。日本政府高官の関係者、更にはこれまで秘匿とされていた将軍の縁者までもが、その進む先を国連軍へと定めたのだった。

 

以上が、五一五事変の顛末となる。

大きな痛みを伴うものではあったが、結果としては日本にとって益をなす出来事であったといえよう。

 

 

 

 

 

……だが、歴史に残った事実、これらが五一五事変の全てではなかった。

決起部隊の裏のアメリカ中央情報局。そして、そのさらに奥に。最後まで表に出ることのなかった、さらなる深い闇が存在したのである。

 

 

 

 

 

この一連の事件の発端はどこにあったのだろうか。

2000年5月15日、クーデターが勃発したその日だろうか。あるいは、アメリカが結果的に自らを失脚させる謀略を画策しはじめた時からだろうか。あるいは……。

 

彼、この事件に深く関わることとなる人物、日本帝国本土防衛軍帝都防衛第1師団第1戦術機甲連隊所属、沙霧尚哉大尉にとっての始まりは、前年の冬。

雪の降りしきる帝都にて、かつての戦友であり、かわいい弟分であり、そして親友である人物から、久しぶりに会えないかという連絡を受けた時からであった。

 

 

 

 

 

 

 

1999年、12月。

帝都。

 

店内は随分と混み合っているようだった。

彼が店に入るやいなや掛けられる、いらっしゃいという威勢の良い声。だがそれに続けて、すみません満席なんですよと、店員が申し訳無さそうな顔で告げてくる。

それが嘘でないことは、さして広くもない店内を見渡してみれば一目瞭然。

全てのテーブルとカウンター席はすでに埋まっており、一人の者も連れ立ってきている者も、思い思いに憩いの時間を楽しんでいるようだ。

皆、良い顔をしている。庶民の財布にも優しい値段で、それなりに旨い酒と肴を出す店なのだろう。もちろんすべて合成食材だろうが、それでもこういった場と雰囲気で飲む酒は格別に美味く感じるものだ。

 

店内の雰囲気が伝わったように、彼の顔にも笑みが浮かぶ。

外で酒を飲むだけの余裕が日本国民に戻ってきた。それが、嬉しい。そしてその為に尽力してきた自分を、彼──沙霧は誇らしく感じる。

もちろん自分一人の力ではない。むしろ、自分などいてもいなくても変わらぬ些事な存在だったかもしれない。それでも、大陸の激戦を経験し、日本が侵されるのを目の当たりにしてきた彼は、目の前に広がる日常の風景を何よりも愛おしく思うのだ。

 

これで、心に刺さる棘さえなければ、もっと純粋に自分と仲間たちの成果を誇ることが出来ただろう。横浜ハイヴがあのような形で攻略されてさえいなければ。

……やめよう。今はそのようなことを考える時間ではない。ゆっくりと頭を振り、湧き出てくる黒い感情を振り払う。

 

それにしても。

自分が配属されている基地のすぐ近くに、このような飲み屋があったとは。

あの日、消滅する横浜をこの目にして以来。何かに急き立てられるような強迫観念に追われ、ただひたすらに研鑽を積む日々を過ごしてきた。そんな気持ちに余裕の持てない状態では、娯楽の場に詳しくないのも当然か。顔に浮かぶ笑みに、自嘲のアクセントが加味される。

 

「いや、先に連れが来ているはずなんだが」

 

気がつけば、店員が困ったような顔で自分を見つめていた。どうやら思考の海に沈みかけていたようだ。我に返って、そう告げる。

改めて、店内を見渡してみれば、基地に務める者の顔もチラホラと。声をかけようかとも思ったが、仲間内で楽しんでいるところに上官が顔を出すなど、無粋な真似はやめておくとしよう。

それよりも、目的の人物は……

 

「あ、尚哉さん! こっちこっち!!」

 

一番奥のテーブルで、大きく手を振る姿。浮かんだ笑みが、一段と濃いものとなる。

彼を呼ぶ声に、沙霧の存在に気づいた軍関係者が慌てて立ち上がり敬礼をしようとする。それを片手で制し、混みあったテーブルの隙間を縫うようにして、彼の下へと歩みを進めた。

思い返される、大陸での日々。沙霧の時間が、巻き戻されていく。

これまでの人生で最も濃い、充実した時間。沙霧にとっての黄金時代をを共に過ごしてきた仲間。思えば、記憶のページをめくると、いつも彼が側にいたように思う。

 

「元気そうだな」

 

黒須蒼也が、そこにいた。

 

「ええ、尚哉さんも変わりないようで……いや、少し老けたんじゃないですか?」

 

昔と変わらぬ、悪餓鬼の笑みを顔一杯に湛えて。

 

 

 

 

 

数年ぶりに蒼也と過ごす時間は、思っていた以上に楽しいものとなった。

酒などあまり嗜まない沙霧だが、久しぶりに飲んだという以上に酔いが回っているようだ。それだけ、気が緩んでいるということなのだろうが……今日くらいはいいじゃないか。今日くらいは、何も考えずに旧友との再会を楽しむことにしよう。

 

共に戦った思い出を話し、そして今はもういない仲間たちの最後を誇らしく語る。更には互いの最近の様子など。別に自分はそう話し好きというわけでもないが、話題には事欠かず、会話は止まらない。

ただ、現在の軍務についての話題だけは慎重に避けていた。所属基地に連絡が来たことから、蒼也は沙霧の近況は語らずとも知っているであろう。逆に沙霧には蒼也が軍で何をしているのか知る術はない。ただ、国の為、世界の為に国連の秘密計画に携わっているということのみ、知っている。本来この情報すら知る権利はないのだが、己の権限でと語ってくれた彩峰中将の顔が思い返される。

 

それでも、蒼也が戦い続けていること、それは判っていた。

重慶からの帰還者から噂に聞いた、戦場の最も新しい伝説。ただBETAを狩り、何も告げずに去っていく、存在する筈のない、青い不知火。

そして明星作戦においてその伝説を沙霧もまた、目の当たりにしたのだ。

一目で分かった。あれは、蒼也だと。

と、いうより。支援砲撃の雨が降り注ぐ只中を敵陣深くまで斬り込み、無傷で光線級を殲滅するなど。あんな真似が出来る人間が他にいてたまるものか。

 

だから、聞かずとも、語らずとも。互いがまだ戦士であることを知ってさえすれば、それでいい。

そう、思っていた。……のだが。

 

「そうだ、尚哉さん。僕……戦術機、降りることになりました」

 

なので、しれっと紡がれたこの一言に、固まることとなってしまった。

戦術機を、降りる。衛士から引退すると……そういうこと、か?

馬鹿なっ!

指揮官として彼ほどの人材はいない。共に戦い、彼の予言を聞き続けてきた自分ならばこそわかる。それは人類の損失だと、そう断言できる。

だが、蒼也が自分から衛士を辞めるなどと言い出す筈がない。ならば、上層部の判断か? なんという愚かなことを。彼を戦いの現場から外すなど、有り得ていいはずがない。

 

「……実は、夏の戦いで負傷してしまって。もう、乗れないんですよ」

 

そう、寂しそうに笑う。

夏の戦い……明星作戦か。だが、いかに激しい戦いだったとはいえ、そう簡単に蒼也が負傷することなど──

 

そこで、思い当たった。

いや、夏と言われた時点で本当は判っていた。今も瞼の裏に張り付いて決して消えることのない、あの風景。

すべてを無に還す、漆黒の球体。闇の爆発。忌まわしき……G弾。

あの地においては今も重力異常が発生しており、新しく草木が芽吹くことはないという。その影響を最も間近で受けたであろう人間に、何らかの不具合が発生するのもまた道理。

 

……またか。またなのかっ!

またしてもアメリカが、大切なモノを奪い去っていくのかっ!

無意識のうちに拳を握りしめていた。血が通わず、白く染まっている。歯を噛み締め、表情のなくなった顔も、また同じく。

そんな沙霧を慰めるように、ことさら明るく言葉を続ける蒼也。

 

「今は、横浜基地の司令部にいます。色々と事務仕事をこなしたりなんだり、結構忙しいんですよ」

「……お前は、それでいいのか?」

「何も問題無いです。僕がいなくても任せられる頼りになる人材がいますから。A-01っていう部隊が新設されたんです。あの部隊はすごいですよ。間違いなく、BETA大戦の常識を覆すような、そんな部隊になります」

「お前が前線に立つよりも、か?」

 

じっと、蒼也の目を見つめる。

彼の言い分は単なる強がりではないのか。内心、悲観にくれているのではないのか。

だが、蒼也は沙霧の視線に怯むことなく、目を逸らすこともなく、見つめ返してきた。

 

「ええ、もちろん」

「……そうか」

 

きっと、思い悩みもしたことだろう。だが、確かにその顔は晴れ晴れと、傲岸なまでに前を向いていた。

ならば、自分がこれ以上水を差すこともない。少しだけ、彼が悩んでいる時に力を貸せなかったこと、そして彼が自分を頼ろうとしなかったことに、悲しみを覚えはしたが。

 

「それに……僕だって、ずっとこのままというわけじゃないですよ。いつか、また、乗ります」

 

安堵のような、苦笑いのような。なんとも言えない笑いがふっと込み上げる。

そうだ、こいつはこういう奴だった。本当に、どこまでも我儘な奴だ。

 

「さてと、暗い話題はこのへんにしておいて、と。尚哉さん、最近は慧ちゃんとはどうなんですか?」

「どう、とは?」

「そんな、皆まで言わせないでくださいよ。いやらしい」

 

あら嫌だと、そんな風情で肩を叩いてくる。お前はどこぞのオバサンか。

しかし、話題が変わったことは有難いのだが、よりにもよって慧の話とは。

 

「……もう、ずいぶんと会っていない。会ってくれないんだ」

 

絞りだすような声。

彼女のことを想うと、己の無力さに恥じ入りたくなる。あまり語りたくないというのが本音だ。だが、先ほどの蒼也の決意を見せられて、自分は後ろを向いたままではいられない。

 

「中将の件が、今も彼女の心を縛り付けてしまっている。心無い者達からの非難の声も随分とあった。……俺は、彼女の助けになれなかった……」

 

彩峰中将には、敵前逃亡者という不名誉な烙印が押された。そして、国土を侵された日本国民は、その憤りを手近なところへとぶつけていた。戦う力を持たず、未来に希望を持てない中で、彼等は自身の精神の安定を保つためにも生贄を必要としていたのだ。

即ち、中将や大陸派遣軍がもっとしっかりとしていれば、こんな事にはならなかった、と。そんな、身勝手な理論。

 

彼等は紛れもなく被害者には違いない。だが、だからといって自分より弱い者をその捌け口にすることが許されようはずもない。酷い落書きのされた彩峰家、更には慧の頬に殴られたような跡を見出した沙霧は激怒した。そして、これからは中将に代わって自分が慧を守ると。守らせてほしいと。そう、彼女に告白した。

だが、慧は一言こういったのみだった。もう、誰も信じられない、と。

 

「俺にはどうしたらいいのか、わからなかった。今も毎月、文を届けてはいるが、果たして目を通してくれているのか」

 

小器用な生き方ができる男ではない。沙霧には、大陸で戦い続けた中将が自分の命惜しさに逃げ出すようなことは決してしないと。慧のことを守りたく、心から大切に思っていると。ただ、自分の正直な気持ちを、書き連ねることしかできなかった。

 

「何時か、時の流れが彼女の心を癒してくれる日がくる。今はそう信じるしかない」

 

沈痛な表情の沙霧に、蒼也は伝えたかった。

大丈夫、慧ちゃんはきちんと立ち直ることが出来る。素晴らしい仲間に恵まれて、しっかりと前を向くことができるようになる、と。

白銀の記憶の中、彩峰慧は。自らの二本の足で、しっかりと大地を踏みしめ、明日へと向かって歩いていたのだから。

 

「ところで、お前の方はどうなんだ?」

「どう、って?」

「皆まで言わせるな。いい加減、良い人の一人もできたんじゃないか?」

 

沙霧からしてみれば、話題を変えたいだけの。先ほどのやりとりの立ち位置を逆転させただけの、冗談のつもりだったのだが。

 

「婚約者が出来ました」

 

だから、小憎たらしいまでの満面の笑みで、そう頷かれたた時には。ぽかんと口の開いた、間の抜けた顔を晒す羽目になってしまった。

だが、一転。

湧き出てくる、この日一番の、笑い。

溢れんばかりの喜びと。独身者としての、ほんの僅かな憤りと。

 

素晴らしい! 願わくば、彼が幸多き未来を歩まんことを。

店内の喧騒を掻き消すような、ひときわ大きい沙霧の笑い声が響いていた。

 

 

 

 

 

存分に食べ、飲み、会話を楽しみ。気がつけばもう良い時間となっており、今日のところはお開きとすることに。

名残惜しくはあるが、何。この日本の平和が続く限り、またいくらでも機会はある。

その為に。帝都を、日本を、愛する者を守るために。自分が、自分達こそが全てを斬り裂く剣となり、堅牢なる盾とならなければならない。

蒼也には感謝しなければならない。今日の時間を過ごしたことで、我武者羅でしかなかったここ最近の自分の気持にも、幾分かの筋道が見えてきた気がする。今日、この店で見た笑顔が、これからも続くようにしなければならない、と。

 

「降ってきたか。通りで冷えるわけだ」

 

店を出た沙霧が、空を見上げて呟く。

今年の冬は例年より随分と雪が多い。日本侵攻に伴い破壊の限りを尽くされた自然環境の影響なのだろうか。それでなくても、大陸の気候変動により気象条件が不安定になっているというのに。

地球を人間の手に取り戻したとしても、自然が元の状況に戻るには何世紀もの時間を必要とすることなのだろう。空から降り注ぐ純白の欠片。幻想的とも言える光景が、何とも言えない悲しみを誘う。

 

「酔い覚ましにはちょうどいいんじゃないですか?」

 

手の平の上に雪の欠片を乗せ、蒼也がそう返してきた。雪球を作ろうとしているようだが、いかんせんまだそこまでの雪は積もっていない。ぶつけられないじゃんなどという、不穏な言葉は聞こえなかったことにしよう。

 

「これから横浜まで帰るのか?」

「ですね。外泊許可はとってないので」

「随分かかるだろう。悪いことをしたな、もっとそちら寄りの場所で会えばよかったか」

「でも、そうすると今度は尚哉さんが大変でしょう。それに、大丈夫。車を待たせてますから」

「……いい身分だな」

「これでも、少佐ですから。それに、体のこととか色々あって、一人じゃ出かけさせてもらえないんですよ」

 

何と言えばいいのか、上手く言葉を返すことができなかった。アメリカに対する憤りが、再び鎌首をもたげてくる。

 

「何なら、送って行きましょうか?」

「よせよ。若い娘でもなし、そんな必要はないって」

「残念。若い娘呼ばわりしようと思ってたのに。……なら、少し歩きませんか?」

「まだ話し足りないのか?」

 

蒼也も別れを惜しんでくれているのだろうか。

嬉しいような、仕方ない奴だというような、そんな気持ち。男があまり未練がましくするもんじゃないと、軽く諌めようとして──蒼也の目に真剣な光が宿っているのに気がついた。

 

「あまり、ああいった賑やかなところでは。……本当は、尚哉さんには話さないほうがいいんじゃないかって、そうも思うんですけど」

「……歩くか」

 

帝国軍朝霞駐屯地の近くにある大きな公園。日中は市民の憩いの場となっているが、夜ともなれば行き交う人も少なくなる。まして、この気温で雪まで降り始めているのだ、今は人っ子一人いないだろう。その場所へと歩みを進めた。

 

黒い闇と、白い雪。その中に存在する、ただ二人だけの人間。いつか、人の消え去った北京の町並みをこうして二人で歩いたな、と。沙霧はそんなことを思い出す。

 

店での朗らかな様子とは裏腹に、蒼也の面持ちは暗い。沙霧の数歩先を、とぼとぼと、歩く。

やがて、街頭の明かりの下で立ち止まった。ゆっくりと振り返り、頭ひとつ高い場所にある沙霧の顔を見上げる。

その顔に、先ほど見せた迷いの色は、もうなかった。

 

「今……国内で、政府を打倒しようとする動きがあります」

 

静かに紡いだ蒼也の言葉が沙霧の耳へと届き、その心へと刻まれていった。

 

 

 

 

 



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42話

ご無沙汰しております。
ほぼ一年ぶりの投稿となります。

ここまで放置してしまった上に申し訳ないのですが、今回の話、そして今後の投稿の内容は、非常に簡潔なものとなっていきます。
プロットそのままではなく多少の肉付けはしますが、基本的にストーリーを追うだけのものだと思ってください。
更新をお待ちいただいていた方には申し訳なく思うのですが、これが今の自分の限界なんです、ごめんなさい。


2000年、5月。

帝都、帝国本土防衛軍朝霞駐屯地。

 

草木も眠るといわれる時間。

漆黒に染まる世界の中、眠りの魔力の及ばぬ虫達の求愛の歌がりんりんと、何処からか聞こえてきていた。

……いや、砂男が砂を撒かなかったのは虫達だけではないようだ。暗がりの中で灯台のように存在を誇示するその戦術機格納庫の前では、周囲を包み込む静けさに反する激しい熱気が溢れかえっていた。誰ひとりとして口を利く者はなく、整然と無機質なまでに居並ぶ姿。それでいながら彼等の心と体から溢れ出す暑さは、気温計の針を数度押し上げている。

 

ハンガーのキャットウォークから、彼等へと眼差しを向ける男が一人。固く引き締められたその顔にはただ覚悟の色だけが浮かび上がり、その内面を推し量ることは出来ない。

彼はやがて、その場の支配者とも見える全高20mの巨人へと視線を移す。94式戦術歩行戦闘機、不知火。その漆黒の機体を白く染め抜く、烈士の二文字。その称号は革命において功績を残した、或いは犠牲となった人物へと捧げられるもの。敢えてそれを機体に印すこととは……つまり、そういうことなのだろう。

 

「いよいよですな……こちらも準備はできとります。最後の御奉公だ、念入りにやらせていただきました」

 

整備班の長と見える老齢に片足を踏み込みかけた男が、培ってきた経験と技術に裏打ちされた自信を持って、そう告げる。最後の奉公、おそらくその言葉は現実のものとなるだろう。この計画が成就するなどとは、老兵は思っていない。だが、それでも。

日本に戦術機が導入されて以来、裏方の立場から兵士たちを支え続けてきた男。スパナを握れなくなるその日まで愚直に己の本分を貫き通すつもりであった男が、叶わぬと知りながらそれでも託した願い。

 

「あんたが立ち上がって、そこに皆が手を挙げた。それだけでも、あんた方は立派に道を示したんだ。変わりますよ、日本は。……必ず」

 

そっと背中を押す言葉。

己の背に積み重なった、皆の想い。その重さ、自分の呼びかけに応えてくれた者達の人生の重さを感じながら、男は烈士の文字を見つめ続ける。

……自分には、その重さを背負う資格などありはしないのだと。心の中で皆に詫び、自身を断罪しながら、それでもその面を崩すことはなく。

 

「時間です。……参りましょう、沙霧大尉」

 

その時が来たことを告げる、副官の声。

沙霧はそっと目を瞑ると、3人の人物の顔を思い返す。

一人は恩師。汚名を背負わされながら、それでも国の為に命を捧げた男。

一人はその忘れ形見。自分の手で幸せにしてやりたかった少女。

そして、もう一人。

 

──……蒼也……。

 

これから彼は、自身の下に集ってくれた者達の命を使い、芝居を一つ打ち上げる。それは悲劇か、或いは喜劇か。

許されることではないだろうし、許してもらおうとも思っていない。汚名を背負うなどという自己満足があるわけでもない。それでも、これが最善なのだと信じたからこそ。そして、妹分、弟分にこの重みを背負わせる訳にはいかないからこそ。だから、自分がやる。

 

再び開いた沙霧の眼には、静かに燃える炎。

確かな足取りで、一歩一歩、踏みしめるように歩きだす。彼を待つ、烈士たちの元へと。

そして、告げた。終わりと始まりの宣言を。

 

「決起の時は来たっ!」

 

西暦2000年5月15日02時30分。五一五事変の本幕が上げられた。

 

 

 

 

 

 

 

1999年12月。

帝都、帝国本土防衛軍朝霞駐屯地側、和光樹林公園。

 

「今……国内で、政府を打倒しようとする動きがあります」

 

街灯の光によって周囲の闇から切り取られ、浮かび上がる世界。蒼也の言葉が空気に溶けていく。

まるでスポットライトに照らされた、舞台の1シーンのようだ。これが舞台だというなら、主役は蒼也か。なるほど、絵にはなっている。

沙霧の頭の中では、そんな場違いなことが徒然と思い浮かんでいた。それほどに、目の前の光景にも蒼也の言葉にも、現実感というものが感じられない。

 

……逃避するのはやめよう。

確かに普段から本気と冗談を混ぜこぜにして真意をなかなか見せようとしない奴だが、冗談では済ませられないことを口にする男ではない。ならば……やはり、そういう意味なのか。

 

耳から入った言葉が脳へと伝わり、やや迷走しながらもその意味を理解した時、沙霧の心に浮かんだ感情は驚きと、呆れ。

 

「クーデター……だと? このような時に、なんと愚かなことを」

 

現状において日本は、横浜ハイヴが陥落したことにより当面の最大の危機を脱したとは言えよう。また現在の政府に対して様々な不満があるのも理解は出来る。

だが、だからといって苦しみと悲しみが収束したわけでは決してないのだ。このタイミングで政治的混乱を起こそうなどとは、愚の骨頂。

西日本の復興はまだ始まったばかりであるし、未だ帝都近隣には多くの民が避難生活を余儀なくされている。困窮極まる彼等の生活を、さらに壊そうというのか? 何より、どこの馬鹿だか知らないが、そいつには日本は未だ佐渡という喉元に短刀を突き付けられているという現実が見えていないのか?

 

「確かに愚かな行為です。ですが、このままで行けばそれは現実になる。そして、計画の裏に関わっているのは……おそらく、アメリカです」

 

……アメリカ? また、アメリカだと?

日本から手を引いたはずのアメリカが、クーデターの混乱に乗じて復権を目論もうとでも言うのか。……いや、混乱に乗じて、ではなく。まさか混乱そのものを自らの手で引き起こそうと? そのような卑劣な手段をとってまで、己の力を誇示したいというのか。

彼の国は、一体どこまで傲慢だというのだ。

 

知れず、沙霧の右手に力が込められていく。強く、固く、皮膚が裂けんばかりに握りこまれる拳。

蒼也の言葉が事実であるとするなら、必ずやその企てを未然に防がなくてはならないだろう。疲弊した日本そして人類には、人間同士で争っている余裕などありはしないのだ。

 

だが、そこで思い浮かぶ疑問。何故に、こいつは俺にそんなことを話す?

たまたま蒼也、或いは第四計画がこの計画を知ったとしてだ。対処するために協力者を求めるとして、話を持っていく先は政府や帝国軍の憲兵といった警察力を持つ組織となるのが筋だと思う。自分は戦術機に乗るしか能の無い、一介の大尉に過ぎない。こんなことを話したところで、情報漏洩の危険性が増すだけだろう。それくらいのことは沙霧にもわかる。

蒼也、お前は一体何を考えている?

 

「クーデターとはなんだかんだと綺麗事を言ったところで、暴力をもって自分にとって都合の良い要望を通すことに違いありません。だから、賛同者や民衆の指示を得るためには、彼等を惹きつけるお題目が必要になってきます」

 

それはそうだろう。

本来、沙霧は権謀術数などには縁のない人間であるが、別に知において劣っているわけではない。考えたくない類のことではあるが、そうする必要があるというのは理解できる。

 

「クーデターの目的は将軍殿下の復権、そしてアメリカの影響力からの脱却。この二つの目的において、象徴として頂くにふさわしい人物が存在します。常に国のことを想い、民のために身を挺してBETAと戦い続け、そしてアメリカの思惑のために汚名を背負って散っていった人物が、います」

 

……まさか。

 

「そうです。彩峰中将ですよ」

 

沙霧の心を震わす怒り。中将の名前をそのような謀に使おう、だとっ!?

 

「そして、中将の名声を利用しようとするなら、首謀者として担ぎ上げる人物は限られてきます」

 

考えるまでもなく、一人の人物の名が思い浮かんだ。

 

「一人は、彩峰慧。中将の忘れ形見であり、あの事件で人生を狂わされた少女です。現在は訓練生ですらないただの民間人ですが、その若さがかえって悲劇性を煽り、民衆の目を惹くことでしょう」

 

慧に、あの傷ついた少女に、これ以上の重みを背負わせようというのか。

そんなことを、決して許す訳にはいかない。自分に何が出来るかは分からないが、なんとしてでも未然に防がなくては。

拳を握り決意を示す沙霧だったが、しかし蒼也はそれを無視して言葉を進める。

 

「二人目は、中将の親友にして大戦の英雄である黒須鞍馬、その血を受け継ぐ僕です。ただ、僕の所属は国連軍で、何よりアメリカの血が入っています。神輿に乗せるにはややふさわしくない」

 

ここで蒼也は目を伏せ、言葉は思い悩むように途切れる。

ゆっくりと十は数えたろうか。視線を上げると、無表情に。しかし思い悩む気持ちを乗せて、続きの言葉が紡がれた。

 

「そして、三人目は。中将から実の息子のように思われ、その思想を色濃く受け継いでいる人物。中将と共に大陸で戦い、BETA大戦の理想も現実も知り尽くした戦士。……尚哉さん、あなたです」

 

蒼也の気遣わしげな声に、沙霧はその意図を悟る。

 

「……つまりは、俺を餌にしてそんな最低なことを考えつく奴らをおびき出そうと、そういうことか」

「……尚哉さんには危険な真似をさせることになります。一歩間違えば汚名を背負うことにもなりかねない。なんなら、断っていただいても……」

 

ふっと。沙霧の顔に優しい笑みが浮かぶ。何をらしくもない遠慮なんかしてるんだ、こいつは。

 

「これも年長者の勤めってやつだ。割りを食うのはいつものことだ、いいから気にせず使い倒せ」

 

間違っても、お前や慧に背負わすわけにはいかないからな。

 

「……ありがとうございます」

「だが、やるからには絶対に食い止めろよ。こんな企てで心を悩ますのは俺とお前だけでいい。……わかっているな?」

「ええ、もちろん。慧ちゃんに話が行くようなことにはさせません」

「なら、いい。……蒼也、絶対に阻止するぞ」

「ええ、尚弥さん。……でも……」

 

言いよどむ蒼也を不審に思い、その顔を覗き込む。

そこには、悲壮な色が浮かんでいた。

 

「どうした?」

「……でも、失敗することを大前提とするなら。きっと、何もかも上手くいく。患部を摘出するためには、思い切った手術が必要だとも思うんです。……だから、僕が立てば……」

「……蒼也。滅多なことを考えるんじゃない。そんな自分を犠牲にするような方法は、きっと……間違っている」

「……そうですよね、ごめんなさい。忘れてください」

 

 

 

蒼也と別れ、基地の自室にて先ほどの会話を思い返してみる。

 

──失敗することを大前提とするなら──

 

その言葉が、沙霧の胸に刻みつけられ、何度も何度も頭のなかで繰り返されていた。

 

 

 

 

 

 

 

1999年、10月。

国連軍横浜基地。

 

「クーデターねえ」

 

香月がしみじみと、呆れたようにこぼす。

 

「確かに愚かな考えですけど、あの事件の黒幕は別にいたと思います」

 

一介の訓練生にしか過ぎなかった白銀には知り得なかったが、あの件に裏があったのは間違いないと、蒼也は考える。

そう考えないと、不自然な点が多すぎるのだ。そして、ことが成就したとして最も特をするのは誰かと考えると……

 

「第5計画派ね」

「ええ、おそらくは」

 

断片的な情報を組み合わせて全体像を浮かび上がらせていくと、自ずとそういう結論が見えてくる。

一度は失った極東での支配権を取り戻したかったのだろう。あわよくば、日本を完全に支配下に置ける可能性もあった。

だが、それは両刃の剣でもあったのだ。事態は、彼等の思惑とは真逆の結末へと行き着いた。

 

「結果として、クーデターの失敗はアメリカ派の失墜に、将軍権力の復活へとつながりました」

「で、どうするの? 未然に防ぐ?」

「いえ、やりましょう。アメリカ情報部には自らが黒幕であると勘違いして貰う形で、最後に泥をかぶってもらいましょう。白銀が来るまでに環境を整えるには、これが一番効率がいい。というより、他に方法がないです」

 

まっとうな手段を取るだけの時間がない以上、どこかで非合法、非人道的な方法を選ばざるを得ない。

ならば、最小限の労力で最大限の効果を得られる選択をするべきだ。

それに、仮にここでクーデターを未然に防いだとしても、だ。

 

「それに……僕は尚弥さんのことをよく知っています。あの人は、たとえ今回何もしなかったとしても、いつの日か、背負って立ちますよ、きっと。なら、コントロール出来るうちに済ましてしまったほうがいい」

「じゃ、その方向で計画を立てましょうか」

「なら、鎧衣課長に顔通ししてもらえます? あの人の協力は絶対に必要でしょう」

「……あいつ、苦手なのよね」

「それはまあ……わかりますけど。でもまあ、協力は惜しまないと思いますから。XM3の普及には今のアメリカ派が邪魔なんですし、そうしないと日本の利益に結びつきませんから」

「わかったわ。……一応、確認だけはしておくけど……いいのね?」

 

それは何に対しての問だったのか。

 

「……ええ、構いません」

 

それは何に対しての答だったのか。

 

 

 

 

 

 

 

2000年、5月15日。

国連軍横浜基地。

 

「これは訓練ではない」

 

ブリーフィングルームにて、伊隅の声が響く。

 

「今作戦において相手取るのはBETAではない。相手は反乱兵……人間だ。

 この戦いは、これまでBETAを相手として戦ってきた我々にとって、様々な意味において特殊なものとなる。疑問に思うこともあるだろう。納得出来ない点もあるだろう。だが、悩むのは作戦終了後、生き残ってからにしろ。さもなくば……死ぬぞ」

 

これが初陣となるものもいる。初めての実戦が人間相手。やりきれない気持ちもたしかにある。

だが、今はそれを押しこめるしかない。

 

それに、伊隅にとってもまた、これが初陣。

はじめての、連隊指揮官としての戦い。知れず、手にジットリと汗をかいていた。

 

「総員、出撃準備!」

 

掛け声と共にブリーフィングルームから駆け出していく隊員たち。

実戦要員の中で最後に出ていこうとした伊角に、声がかけられる。

 

「伊隅中佐。出撃前に申し訳ない、少しだけよろしいでしょうか?」

 

いつになく真剣な顔をした蒼也の姿があった。

彼は伊隅の瞳をじっと見つめた後、おもむろに腰を折って最敬礼をする。そして、そのままゆっくりと言った。

 

「……中佐。自分は、伊隅みちるという人間を尊敬しています。衛士としての実力も、指揮官としての能力も、心より信頼し、信用しています。

 ……あなたになら、任せられる。A-01を、どうかよろしくお願いします」

 

ずっと目標とし、憧れてすらいた相手からのその言葉。

伊隅は、それに言葉を返すことが出来なかった。

何かを声にしてしまえばきっと同時に、涙が溢れてしまうだろうから。

だから、これまでの感謝を、信頼に応えようとする気持ちを、心に湧き上がる全ての思いを込め、これまでの人生で最高の敬礼を返した。

 

決意を秘めてブリーフィングルームを出ると、扉の影に、壁により掛かるようにして、碓氷が待っていた。

 

「……少し、妬けるな。少佐にあそこまで言わせるなんて」

 

瞳を閉じ、少し寂しそうな笑み。

だが一転、蒼也のものがうつったかのような、悪戯な笑み。

 

「ねえ、みちる。いま、泣きそう?」

「……うるさい」

 

そして、今度は。すこしだけ、真剣な言葉。

 

「ねえ、みちる。……あたしも、信頼してるからね」

「………………う゛るざいぃぃ」

 

 

 

 

 

 

 

クーデター勃発後、将軍は帝都城を脱出。

”たまたま”演習のために展開していた月詠花純中佐率いる斯衛第十二大隊を護衛として、塔ヶ崎城に籠城。

将軍を手に入れんとするために塔ヶ崎へと向かうクーデター軍を、斯衛から要請を受けたA-01が道中迎え撃つ。

XM3を搭載したA-01の能力は高く、突破は無理と判断した沙霧によって、奥の手である空挺部隊が出撃、空路から一気に将軍奪取へと向かう。

 

その時、佐渡近海に配備されていた帝国海軍艦隊へと指令が入る。曰く、レーザーの射程外から佐渡へと向けて主砲を撃てと。

狙いは適当で構わない、ただ佐渡へと向けて撃てばそれでいい。

この瞬間に自分達がこの海域に居合わせたこと、そして推測されるこの命令の真意に、全ては予定されたことであったのかと疑惑を抱きつつも、軍人として命令に従う艦長。

 

佐渡の地表にいた光線級が砲弾を撃ち落とす。

同時に、攻撃をしてきた相手に反撃するべく、索敵を開始。だが、艦隊は水平線の彼方にいるために捕捉できない。

代わりに、彼等は見つけてしまった。遙か山間を縫うように飛ぶ、戦術機をその腹に抱え込んだ輸送艇の一団を。

 

空挺隊の一機がレーザーにより撃墜されたのを見て、沙霧は賭けに負けたことを悟る。

船を捨て飛び出し、散り散りになる烈士達。沙霧もまた数機のみでそれでも塔ヶ崎を目指そうとするも、その前に月詠花純が駆る武御雷が立ちはだかる。

 

「貴官の気持ちはわからなくはない。だが、貴官は方法を間違えた。真に国を想うのならば、貴官は政治の道を志すべきだった。それならば……私も、その旗に集うこともできたろうに」

 

その時間がなかった。自分が立ち上がらなくては、そしてここで討たれなければ、アメリカの介入を防ぐことは難しかった。

だがそれを口にすることは出来ない。その資格もない。

自分の下に集った人間を裏切り、ただ負けるために戦った自分には、もうどちらの側につくことも出来はしない。

 

「介錯仕る」

 

だから、こう。一言呟くことしかできなかった。

 

「是非もなし」

 

──あとは……よろしく頼む……

 

 

 

 

 

 

 

──……尚弥さん、ごめ……

 

──…………

 

──……………………さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

こうして、帝都を揺るがしたクーデターは終わりを迎え、そして世界中を巻き込む新たな混乱が始まることとなる。

そして一連のゴタゴタがようやく収束へと向かった時、世界の指導者の座はアメリカから日本へと移り変わっていたのである。

 

その後、日本はXM3を全世界へと向けて発表。

五一五事変でその能力を魅せつけていた事に加え、ライセンス料が極めて安価に設定されていた事もあり、各国はこれに多大な関心を示した。更に自国での改修作業が難しい国に対しては、海外向けへと調整されスーパーファントムと呼称された撃震改を輸出することで、瞬く間に世界中へと広まることになる。

 

一連の事件の事件の裏側にいた真の黒幕の存在に関しては、最後まで明るみに出ることはなかった。

 

 

 

そして、ついに世界は運命の日を迎える。

世界中の殆どの人々にとっては、特に何も意味することのない日付。

もちろん、後世の歴史においてもこの日に何か突出したことが起きたという記録は残っていない。

だが、2001年10月22日。この日こそが、人類の運命が変わった瞬間なのである。

 

 

 

 



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第三章 あいと、ゆうきと、きぼうの、おとぎばなし
43話


活動報告に対する返信や評価の一言コメントなどにおける温かいお言葉、本当に有難うございます。
コメントはなくとも前回の投稿内容にそぐわぬ高評価が入ったりと、応援して下さる方々が多数いらっしゃるとわかり、弱音を吐いていた自分が情けなくなりました。

作品の削除は行いません。
これまでよりも一話あたりの文字数が少なくなったりすることもあるでしょうが、暇を見て投稿も続けさせて頂きます。
もしよろしければ、今後ともお付き合いいただけると嬉しく思います。

皆様、本当にありがとうございました。
最新話の投稿をもって、お礼とさせていただきます。


2001年10月22日。

横浜市街地。

 

「……またか」

 

目の前に広がる、瓦礫の街。

人も、動物も、植物すら存在しない、生き物の気配の消えた世界。

見覚えのある、その馴染み深い景色を目の当たりにし、少年は──

 

「俺は……過去に戻ってきたとでも言うのかよっ!?」

 

──白銀武は、慟哭した。

 

 

 

膝から崩れ落ち、拳を大地に叩きつけ、嘆き、叫ぶ。

何故だ。何故、なんだ。

この世界へと迷い込み、俺なりに何とか人類を救おうと必死にやってきて……そして、最後の駆逐艦が打ち上げられるのを見送って。

あの日々は、全て夢だったのか? あの悲しみが、あの怒りが、幻だったとでも言うのか?

そんな……そんな、馬鹿なことがあってたまるものか!

 

一体、どれほどのあいだ、そうしていただろうか。

やがて、白銀は顔を上げ、そして視線を空へと向ける。

今、この瞬間も。遥か頭上のラグランジェポイントでは、地球から脱出する為の移民船が建造されているはずだ。

 

そして、俺は知っている。その船に乗ることが出来たのは、たったの、十数万人だけでしかなかったことを。

俺は知っている。地球に残された人間が辿る、死の運命を。人類は負けない、絶対に負けない。そう信じて、散っていった人々の想いを。

 

本当に過去に戻ってきたとして。このまま時間が経てば、それがまた繰り返されるのだろうか? 俺の知るとおりに歴史は歩んでいくのだろうか?

……それだけは、許さない。

俺はもう、人類が滅びるところなんて見たくはないんだ。

なら、どうするか?

 

「……あの人に、会わなきゃ」

 

……確かめなくては。横浜基地が今、どうなっているか。そして夕呼先生、あの人に会わなければ。

オルタネイティヴ4を完成させられるのは、あの人だけなんだ。それにあの人なら、俺の今の状況について説明してくれるかもしれない。

 

その足に力を込め、立ち上がる。大地をしっかりと踏みしめて。

今度は必ず救ってみせると、その心に火を灯して。その瞳に明日を映しだして。

そして白銀武は、極東国連軍横浜基地へと向けて歩き始める。二度目の戦いを開始する為に。

 

 

 

「訓練生が外出しているという報告は受けていない。両手を頭の後ろで組み、地面に伏せろ」

 

そして、いきなり挫折しそうになった。

 

…………えっ??

 

 

 

 

 

第三章 あいと、ゆうきと、きぼうの、おとぎばなし

 

 

 

 

 

何から何まで記憶に残るあの日、初めてこの世界に訪れた日のままだなと、街の様子を観察しながら歩みを進め。

あんた達が俺を呼び戻したのかと、英霊の眠る桜の下で黙祷を捧げ。

やがて、良く良く見知った横浜基地が見えてきた。あのレーダーアンテナもあのままだ。

正面ゲートの前に、知った顔の門兵二人組が立っているのが見える。

前回、初めてここに来た時は、これが夢だと思って随分な行動をとってしまったっけか。その結果、何日も営倉にぶち込まれる羽目になった訳だ。今思えば、あれはない。自分で自分にちょっと引く。

 

今回は、あんな馬鹿な行動は当然、取らない。

とはいえ、具体的にはどうしたものか。とりあえず、副司令の名前を出して、何とか会ってもらおう。怪しまれるかもしれないが、前回だって最終的には会えたんだ。まっとうな態度を取っていれば、きっと何とかなる。

そんな甘い考えで門兵へと近づこうとして……いきなり銃を向けられ、先程の言葉をかけられてしまったわけだ。

 

……え、ちょっと待ってよ。この二人、こんなに真面目に門兵やってたっけか?

何というかもっとこう「外出していたのか? 物好きな奴だな。どこまで行っても廃墟だけだろうに」とか、そんな風にフランクに話しかけてくるようなイメージだったんだが。

 

それはそれとして、この状況は良くない。このままではまた、営巣へとまっしぐらだ。

こんなところで時間を無駄にしてたまるものかっ!

 

「俺の名前は白銀武。香月夕呼副司令に会わせて欲しい」

 

とりあえず、敵意のないことを示すために両手を上げ、基地訪問の目的を告げてみる。

不審な人物が自分に会いたがっていると知れば先生のことだ、きっと何らかの興味を示してくれる。何とか彼女に会えさえすれば、道は開ける。この世界では死んだはずの白銀武が、本来知りえるはずのないオルタネイティヴ4という言葉を知っている事実。それが因果律量子論の証明になるはずだから。

だが、しかし。

 

「言いたいことがあるなら、拘束後に聞かせてもらおう。繰り返す、両手を頭の後ろで組んで地面に伏せろ」

 

全く聞き耳を持ってくれない。

なんだよ、これ。畜生、こんなところでもたついている暇なんて無いのに。

このまま放っておいたら、世界が終わる。何もかもが、終わってしまうんだぞっ!

 

「……こんな……こんなことをしているから……」

「……何だ?」

「こんなことをしているから、BETAに負けるんだよっ!!」

 

僅かに記憶に残る、最後の駆逐艦が打ち上げられてからの戦いの日々。

そうだ、多分。俺は、あの戦いで死んだんだ。

俺だけじゃない。誰も、彼も、世界中の人間たちが。

 

「俺達が銃を向けるべきなのはBETAだろ! 人間同士で銃を突き付けあってる場合じゃないって、わかってんだろうがっ! こんな無駄なことをしている暇なんて無いんだよッ!!」

 

頭にきた。

何でこいつら、こんなに危機感がないんだ。佐渡が占領されてる今の状況でも、まだ対岸の火事だなんて思ってるんじゃないだろうな。

だとしたら……許せない。だとしたら、俺が……俺がっ!!

 

「無駄なこと、か」

 

怒りのあまりに、更に言い募ろうとする白銀に、ぽつりと言葉が返される。

銃を構えた門兵の、アジア系の顔立ちをした方からだ。

 

「三つ、教えておいてやる」

 

そして、白銀を睨みつける眼光も鋭く、語り始めた。

 

「一つ。軍隊ってのは巨大な組織だ。だから、BETAと戦う衛士や歩兵、整備兵や衛生兵と言った連中の他にも、色んな仕事をしている奴等がいる」

 

なんだ?

いきなりこいつ、何を語りだしてるんだ?

 

「例えば掃除夫。例えば食堂で働く料理人。大規模な基地なら教師や神父なんかもいたりするな。そしてその中には、正面ゲートを守る門兵なんて役割の人間もいる訳だ」

 

……それが、どうした?

それが、お前らが俺の邪魔をしていることと何の関係があるってんだ?

 

「二つ。お前の言う通り、門兵なんてのはつまらん仕事さ。基地に対して悪さをしようって輩は正面から侵入なんてしてこないし、仮にここまでBETAが攻めてくることがあったとしても、こんな小銃程度じゃ何の役にも立たないだろう。

 門兵の役割なんてのは、酔っぱらいや意気がった若いのが無断で入ってこようとするのをたしなめる、そんな程度のもんだ。民間人がいないから、ここじゃそれすらないがな」

 

……自分でもわかってるんじゃないか、無駄なことだって。

なのに、何だこれは。自嘲するような物言いだっていうのに、何でこいつの声からこんなに圧力を感じるんだ?

 

「三つ。それでもな、万が一、億が一の危機に備えて、俺達はここにいる。この仕事を誇りに思っている。……人類の希望の砦、極東国連軍横浜基地を守るっていう、この仕事をなっ」

 

……畜生、何だこれ。

何で、俺が気圧されてるんだ。

 

「……お前みたいな若者は嫌いじゃない。頼む、指示に従ってくれ。……これが最後だ。両手を頭の後ろで組み、地面に伏せろ」

 

……おかしい、何か変だ。白銀の心に疑問が湧き上がる。

何故、この門兵はこんなに士気が高いんだ?

さっきも思ったが、俺が知ってるこの二人はもっとやる気が無いというか、緊張感に欠けていたように思う。……いや、この二人に限らず、横浜基地全体にそんな雰囲気があったはずだ。

それに、横浜基地が人類の希望の砦だって? 何だそれ、そんなの聞いたこともない。

……まさか。まさか、そういうことなの、か?

 

──俺は過去に戻ってきたわけじゃなくて、あの世界と良く似ている、また別の並列世界へと飛ばされたってことなのか?

 

もしそうなら、この状況にも納得がいく。

BETAや香月副司令という単語に対して疑問に思った様子はないから、その辺りの状況は変わらないんだろう。なら、この世界の夕呼先生はオルタネイティヴ4を完成させたってことなのか? それが何かはわからないけれど、それによって戦いが優勢に運んでいるとすれば、希望の砦という意味もわかる。

 

くそっ、情報が足りない。やはり、夕呼先生に会うのが何より先だ。

だが……。

 

白銀は、自分に向けられる銃口と、そしてそれを持つ男の目を見つめる。

この男、本気だ。これ以上指示に従わなければ、本気で撃つつもりだ。この後、事態がどう転ぶかはわからないが、これだけは言える。これ以上反抗すれば、俺の戦いは始まる前にここで終る。

 

──……俺はまだ、こんなところで死ぬ訳にはいかない。

 

白銀は覚悟を決めた。この場においては、負ける覚悟を。

指示されたとおりに両手を頭の後ろで組み、ゆっくりと地面にうつ伏せになる。

門兵の一人がどこかホッとした表情で近づいてきて、白銀を後手に拘束した。

 

──結局、また営倉か。

 

銃を突きつけられながら歩く白銀の気持ちは、出だしから躓いたことに暗く沈んでいた。

だが同時に、相反して高揚する気持ちもある。

希望の砦、横浜基地。それが何かはまだわからないが、そう呼ばれる以上はそれだけの理由があるのだろう。

だと、するなら。

 

──俺は今度こそ、世界を救ってみせる。

 

この世界はあの世界とは違うのかもしれない。

俺にはもう、あの世界を救うことは出来ないのかもしれない。

それでも、いい。それでも、白銀はそう誓った。

 

それは代償行為かもしれない。ただの感傷なのかもしれない。

だが、それでも。

あの終末をこの目で見なくて済むのなら。

皆が笑って暮らせる世界が来るのなら。

今度こそは、と。

 

 

 



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44話

2001年10月22日。

 

「はい、注目ー。こちら、今日から僕たちと一緒に働くこととなりました、白銀武少尉です。皆さん、仲良くしてあげてね。少尉、こちらA-01の皆様方」

 

……何だ、この状況? A-01って? いや、先に説明をしておいてくれよ。

それにしてもこの人、随分と嬉しそうだな。明らかに嫌がらせして楽しんでるよね?

何だか知った雰囲気だと思ったら、ノリが夕呼先生と一緒だ。明らかに、危険人物。マジか、あれが二人かよ。

 

案内された到着したブリーフィングルームの中、白銀は当惑している心を隠して、冷静な表情を作るのに必死になっていた。

まずは、落ち着こう。もう俺はこの世界について何も知らないガキじゃない。どうしてこうなっているのか、もう一度考えてみようじゃないか。

ざっと50人ばかりからの好奇の視線に晒されながら、白銀はこれまでの経緯について思い返し始めた。

 

 

 

基地の前で門兵に拘束され、連れて行かれた取調室。

前の世界ではここで、拷問まがいの尋問をされた。自白剤まで使われて、途中から意識が混濁して自分が何を言っているのかも把握できなくなったっけか。

またあの経験をするのは勘弁して欲しい。何とか、自分が真実を話しているとわかってもらい、かつその内容を夕呼先生にそのまま伝えてもらえるような手段はないものか。機密を盾に、オルタネイティヴ4という単語を先生に伝えてくれと押し通してみるのはどうだろう。上手くすれば、直接回線越しに会話ができるかもしれない。

 

そんなことを考えていると、入口の扉が開かれて軍服姿の一人の男が入ってきた。

こいつが尋問官か。前とは違う人間のようだが、MPではないのだろうか? 男の襟を確認すると、予想外に高い少佐の階級章。

この基地において、佐官以上の階級を持つ人間はそういなかったはず。基地司令が准将、夕呼先生が大佐相当で、他には駐屯戦術機大隊の指揮官として少佐が何人かいたくらい。その辺りは接点があまりなかったし会話も交わしたことはないが、顔くらいは何となく覚えている。だが、この男の顔を見るのは初めて。

改めて思う。やはり、過去に戻ってきたというわけではなさそうだ。

 

男は白銀の後ろに経っていた警備兵に声をかけ、部屋から出るように指示を出す。警備兵は一瞬だけ抗議したそうな顔をしたが、実際に何か反論するようなことはなく、敬礼だけ残して退出していった。

 

随分と不用心だな。白銀がそう思ったのも無理は無い。

白銀の手は後ろ側で拘束されてはいるが、逆に言えばそれだけなのだ。足は完全に自由だし、椅子に縛り付けられているようなこともない。普通に歩き回れる状態であり、成功するかどうかは別にして、男に危害を加えることも脱走を試みることも出来なくはないのだ。

こういう場合、抑止力として複数の人間を用意するか、武力をちらつかせるかするのがセオリーだと思うのだが。

 

「さてと。はじめまして、君が香月副司令に会いたがっているという人かな? 名前は……」

「白銀武です」

「そう、白銀君だったね。僕は黒須蒼也、よろしくね」

 

クロス・ソーヤ? いや、黒須蒼也か?

純粋な日本人には見えないが、かと言って欧米の人種でもなさそう。混血だろうか。年は20代前半といったところか。

ニコニコと浮かべている笑みが、何とも胡散臭く感じる。こういうタイプは信用しないほうがいい。何より、じっとこちらを見つめてくる瞳が、笑っていない。重たい金属の輝きとでも言おうか、冷徹な強い意志が光っている。

それなのに、どうしてだろう。その光の中に、何故か自分に好意的な色を感じるのは。

 

「君も知っての通り、だと思うけど。香月副司令は世界的な要人で、とても忙しい方だ。会いたいと願ってすぐに会えるような人じゃない。正式なルートで申し込んだ上で、副司令が会ってもいいと判断した人間でなければ顔を見ることも出来ないのが普通だよ」

「……それは、そうなんでしょうけど。でも俺には、どうしてもすぐに先生に会わなくちゃならない理由があるんです」

 

どうやら、夕呼先生に会える会えないは別にしてとりあえず、この人はある程度は友好的に相手をしてくれるつもりのようだ。いきなり暴力に訴えられた前回よりは遥かにマシな状況といえる。

 

「うん、きっとそうなんだろう。何か理由があるんだろうね。何せ、白銀武という名前で調べたところ、その人物はBETA横浜侵攻の際に行方不明となっているんだから。……君は、死んでいるはずの人間なんだよ?」

 

自分を見つめてくる瞳に宿る、意思の力が強まった気がした。月詠中尉に言われた、死人が何故ここにいるという言葉が思い出される。

……甘かった。思いっきり、不審人物扱いだ。というか、そりゃそうだよな。そのまんま不審人物なんだから。

 

「さて、白銀武君。君が何者であるのか、副司令に何を伝えたいのか。……君が、何を願っているのか。その全てを、包み隠さず洗いざらい話してもらえるかな」

 

どうするべきだろう。

出来れば、直に先生と話しがしたい。それが一番手っ取り早いのだし、何より因果律量子論に精通していない人間に不用意に別の世界のことを話しても、狂人扱いされるのが落ちだろう。

とはいえ、そのためにはこの男を説得する必要がある。だったら……。

 

「……オルタネイティヴ4。そう、伝えてもらえませんか? これ以上は機密に関わるので……」

 

とりあえず、さっき思いついた手段を試してみよう。

機密に関わると言われれば、軍人である以上は無視することは出来ないはず。

ところが、返ってきた言葉は白銀の望むものとはならなかった。

 

「……なるほど。白銀君はオルタネイティヴ4の存在を知っているわけだ。君がどれほど深く関わっているのかは分からないけど、とりあえず。その言葉を聞いてしまった以上は、否が応にも君の全てを聞かなくてはいけなくなったね」

 

あれ?

なんか俺、まずった?

 

「……何故なら、僕もオルタネイティヴ4の一員なんだから」

 

あ、完全に藪蛇だった。これで拒否したら、間違いなく拷問コースだよなあ。

……仕方ない。もとから、あまり取れる手段はなかったんだ。

この人がオルタネイティヴ4の人間だって言うなら、自分の言うことがまるっきりの妄想ではないと、きっとわかってくれる。そう信じるしかなさそうだ。

 

白銀はふうっと一息つくと、これから話すことは全て真実ですと、そう前置きをして語り始めた。

元の世界のこと。ある朝に目が覚めると、この世界に飛ばされていたこと。横浜基地で訓練兵として過ごしてきたこと。そして、クリスマスに全て終わり、世界の終焉が決定づけられたこと、を。

 

 

 

その後は、トントン拍子だった。拍子抜けするくらい。

全てを話し終えた後、何が決定的だったのかは分からないが、黒須少佐は自分の言うことが真実だと信じてくれたようだ。

じゃあ、行こっかと。あっさりと地下19階まで連れて行かれ、夕呼先生と対面。他人事ながら、そんなんでいいのかと。さっきまでの警戒心はどこへ行ったのかと。

 

そして先ほど話した内容を、先生にも繰り返す。そして、じゃああんた、これからあたしの部下ね、だそうだ。これまたあっさりというか、世界が変わってもやはり夕呼先生は夕呼先生なんだなと。思わず苦笑いが漏れた。

 

世界が変わっても彼女は彼女といえば、それを感じさせる出来事がもう一つあった。

地下19階の執務室の中に、不釣り合いにも何故か置いてあった、ホワイトボード。そこに書かれていた難しい式は確か、いつだったか元の世界で先生が黒板に書き連ねた式と同じものだった。これはもう古いとか言って、式にバツをつけていたやつ。

世界が変わっても同じ人は同じことを考えるものなんですねと、その出来事を語ったところ、先生の目がキラリと光っていた。

その話、詳しく教えなさいと。待ち構えていたように、罠にかかるのを待っていたかのように迫られたのだけれど……俺、また何かやっちまったんだろうか?

 

 

 

その後は、黒須少佐から腕を見たいと言われて、シミュレータにしばし揺られて、食事をとって。

そして、ブリーフィングルームに連れてこられ、大勢の前で紹介された訳だ。

……つまりはこの人達、全員が夕呼先生の部下で、オルタネイティヴ4の一員……なのか?

てか、そもそもオルタネイティヴ4ってなんなのか説明してもらってないよな。いつか聞かせてくれるんだろうか?

 

「白銀少尉は、A-01とは別のXM3慣熟プロジェクトに参加していた衛士です。残念ながらそのプロジェクト自体は成果無しとの判断のため消滅していますが、少尉自身の適性は非常に高いものがあったため、うちに合流する形になりました」

 

ああ、俺はそういう扱いになるのね。

いきなり何事かと思ったけど、A-01というのが部隊名で、ここに配属……部隊? 少尉? 最初は訓練生からじゃないのか?

 

って、あそこにいるの冥夜たちじゃないか!

……冥夜……委員長……彩峰……たま……美琴……。ヤバイ、あいつらの顔見てると涙が出そうに……というか、207Bってもう任官してるのかよっ!

そういう大事なことは先に言っておいてくれよ、本当に。

 

「それと、白銀少尉には香月副司令の助手的な仕事も請け負ってもらっており、そちらの仕事がA-01の通常業務よりも優先されます。また、その関係で同じく助手である社霞嬢とは同室となっているので、白銀君を襲いたくなっても彼の部屋で事を致すのはよした方がいいと思うよ」

 

いや待て、待て。

助手的な仕事とか、襲うとか致すとか、よろしくない単語も気になるけどそれよりっ! 霞と同室ってどういうことだよっ!

いや、いくら純夏がいないからって、霞に手を出すような真似はしないけどさっ!

 

「白銀少尉。A-01連隊は現在、伊隅中佐のヴァルキリーズ、碓氷少佐のフリッグス、セリス大尉のトールズ、鳴海大尉のデリングス、平大尉のエインヘリヤルズ、以上の5個中隊から構成されている。君の所属はヴァルキリーズだ。隊長は怖いお姉さんだから……あんなこと、しちゃ駄目だよ?」

 

あんなことってなんですかっ!?

よくわからない濡れ衣着せないでっ!

ほら、中佐の目が笑ってないから、怖いからっ!!

何なんだよこの人はさっきからもうっ!!

 

「今日のこの後の予定は特にないから、白銀少尉の歓迎でもしてあげて。後日に影響でない範囲なら別に何してもいいよ。……そうそう、少尉はとびっきりの腕利きだよ、期待してね」

 

煽るなよっ!

何だか何人か、獲物を狩る猛禽の目になっちゃったからっ!

 

「それと少尉は、色々と聞かれるだろうけど、ポロリと機密を漏らさないように気をつけること。いいね? それじゃ、解散」

 

……おい。いや、おい。

マジか。このまま放置していく気か。俺、未だに状況がよくわかってないんだけど。

説明をっ! せめて説明だけでもっ!

 

引きつった顔をし、言葉も出せないまま、ここまでの案内人に視線で助けを求める白銀。

その無言の訴えを察した蒼也はポンと、白金の肩を叩く。

 

「……頑張れっ」

 

いや、何をだよっ!

ひらひらと手を振りながら去っていく蒼也の後ろ姿へ、縋るように伸ばした白銀の手が空を切る。

 

「ようこそ、A-01部隊へ。我々は貴様を歓迎する」

 

伊隅中佐だったか、連隊指揮官らしき女性が代表して声をかけてきた。

 

「色々と、互いに言いたいことも聞きたいこともあるだろうが、まずは白銀少尉。……慣れろ、この環境に」

 

何だろう。お前も大変だなという、同情の視線が。

夕呼先生と黒須少佐の間に挟まれてるんじゃ、この人も苦労してるんだろうなあ。

 

引き戻した手に視線を落とし、じっと見つめる。

何か、前の世界でより扱いが酷いような。俺、やっていけるのかな……。

 

──……いや、そんなことはないか。

 

さっきの少佐の雰囲気に巻き込まれて、何だか随分な扱いだと思ってしまったけど。冷静になってみれば、良く良く考えるまでもなく、これは思いつく限りでもかなり良い状況なのではなかろうか。

 

兵の士気は高く、委員長と彩峰の仲はまだわからないとはいえ、207Bも既に任官済み。俺も既に少尉で、すぐに戦いに赴ける状態だ。オルタネイティヴ4終焉までのタイムリミットがある中で、これだけでも前の世界より良い前提なのは間違いない。

 

それに何より、XM3。さっき体験したあれは、本当に素晴らしいものだった。コンボ、キャンセル、先行入力。こういう機能があったらいいのになと、思っていたものが全て詰め込まれている。というか、そのまんまバルジャーノンだ。むしろ、ゲームバランス的な制限がない分、より高性能で実戦的とも言える。

 

これなら、きっと。

この世界でなら、きっと人類は勝利できる。後は、俺に出来ることに全力を注ぐだけだ。

白銀はぎゅっと拳を握り締めると、力強く前を向き、勝利への誓いを込めて宣言した。

 

「白銀武少尉でありますっ! 只今をもって着任いたしますっ!!」

 

 

 



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45話

2001年10月22日。

 

「あら、起きたのね」

 

執務室の一隅、革張りの長ソファでピクリとも動かず、死んだように意識を失っていた蒼也の瞼がゆっくりと開かれた。

右手を持ち上げ、顔の前にかざす。自分の物だと確かめるように、手を開いて、閉じて。そしてその手を額に当てて、ふぅっと、安堵の息を吐いた。

その様子に気がついた香月から、咎めるような声がかかる。

 

「本物の白銀に会って記憶が刺激されて、頭痛の発作が出た。それは分かったけど、あんた何でわざわざ、あたしのところに来るのよ。素直に自分の部屋で寝なさいな」

 

まだ夢うつつの中にいるのか、ゆっくりと頭を振る蒼也。その口が音のない声を発した。大丈夫、僕は蒼也。黒須蒼也だ、と。

 

「……そのまま目覚めなかったり、起きた時に僕以外の人格になっていたりした時に、副司令が対処するのが楽だろうと思いまして」

 

まだ本調子ではないのか、声の調子にも皮肉の内容にも今ひとつキレがない。

香月からの返す言葉に呆れの色が加わる。

 

「そんな考慮するくらいなら、白銀に会わなければよかったじゃない」

 

当初の案では、白銀がこの基地に現れた時に彼の相手をするのは香月の役割、そう予定されていた。

それを昨日になって、やはり僕にやらせてくださいと蒼也が申し出てきたのだ。

 

「いつまでも会わないままという訳にもいかないですからね。白銀と顔を会わせた時点で、僕に大きな影響が出る。それは判っていたのですから、だったら中途半端なタイミングで消えるよりは、試練は最初に持ってきたほうがいいかなと。最悪、消えてしまったとしても、現時点での僕にできることは全て終わらせていますし」

「まあ、一理なくはないけど」

「それに……」

 

それは強がりなのか、本心なのか。にいっと、いつもの笑みを浮かべてみせる。

 

「それに、これで消えてしまうなら。その時は、僕にはより良い未来を引き寄せる力なんてなかったってことですよね。……でも、そんな訳がないんです」

 

心に浮かぶのは、一人の女性の優しい笑み。

あと、角の生えた怒り顔。

 

「恥知らずでしょうが、信じているんです。僕は、幸せになれるって。まだその権利がある、それが許されているって。だから、ここまで自分を保ってこられたのだし……この程度じゃまだ死ねないんですよ」

 

そして、精神論みたいで説得力ないですけどね、と。恥ずかしいことを言ったと照れていた。

 

「はいはい、ノロケは聞き飽きたわよ。あんたの相手、御剣の護衛で基地にいるんでしょ? 勝手に乳繰り合って来りゃいいじゃない。体が完成するまではあんた暇なんだから、それまでの時間は好きにしなさいな」

 

人でいられる最後の時間。それを自由に使えというのは香月なりの気遣いなのか、或いはただの厄介払いなのか。

しっしと手を振り部屋から追いだそうとする。

だが、その前に。

 

「一応、状況の確認だけしておきましょうか、黒須。この世界に現れた白銀は二周目……ということで、間違いないわね?」

 

スイッチを入れるように、一瞬で纏う空気の質が変わる。

それに合わせて蒼也の背筋が伸ばされ、顔からも日常の色が消え去った。

 

「ええ。実際のところは何度目かというのかはわかりませんが、白銀の主観では二回目ですね。最もデリケートな扱いが必要な周回の白銀かと」

 

2001年10月22日に現れる白銀が、どの程度の記憶を所持しているのか。今日この日に向けて自身の許す限りの、いやそれ以上の能力と労力を注ぎ込んで備えてきた香月と蒼也だったが、こればかりは実際に白銀と会って話を聞いてみないことには分からないことだった。

 

最悪、白銀が来ない可能性もあった。白銀の記憶が蒼也に宿ったことが、白銀の召喚の代わりとなったと、そう世界が判断してしまった場合だ。白銀は現れず、鑑純夏の願いは霧散することになる。

そうなった場合、元の世界の香月から量子伝導脳の理論を手に入れる為には、蒼也が白銀の代わりに世界を超えなければならなかった。とはいえ、おそらく脳が焼き切れて失敗する。成功したとしても、向こうの世界から帰ってくるのは蒼也の体を持った白銀だと予測される。白銀の意識に引きずられすぎて、蒼也の意思は白銀に取り込まれてしまうだろうから。

それ以前に、そもそも白銀が現れなかった時点で、鑑の意志により世界が再構築される可能性もあった。流石に、それに対応することは不可能だ。とりあえずは、最初の賭けに勝ったというところだろうか。

 

白銀が現れるという前提で話を進めた場合に焦点となるのは、やってきた白銀は何周目の彼なのか、という点だ。

白銀が一周目、つまり元の世界から初めてこの世界にやってきたと認識していた場合。その時は、彼の計画への関わりは最小限に留めると、そう香月と蒼也の二人は考えていた。

理論を取りに行って貰う必要はあるが、その後は目の届くところで一般的な業務のみを行わせる。仕事内容も、衛士ではなく命の脅かされることの無い後方支援要員として、横浜基地で出撃する鑑の帰りを待つ。白銀は不満に思うだろうが、この時点の彼ははっきり言って使いものにならない。鑑の精神の安定という観点からも、そのほうが良いだろう。

 

逆に、白銀が複数回の周回した記憶を所持していた場合。ある意味、理想的な展開だ。

このケースでは、白銀には十分以上に働いてもらうつもりだった。ループを繰り返している以上は、鑑と出会っていないと思われる。それだけに足掻き、苦しみ、おそらくは十分な経験を積んでいることだろう。実戦を経験し、そして覚悟を固めた白銀は得難い戦力となる。世界最高峰の衛士である可能性もあるのだ。

 

判断に迷うのが、白銀の主観で二周目の場合。つまりは現実に訪れた白銀だ。

この時の白銀は、衛士として必要十分な能力を持ってはいるが、仲間や恩師の死を経験していない。仮にその経験があったとしても、オルタネイティヴ5発動以降の、自身の死に近づくにつれて記憶は曖昧になることが多い。

これは、危険な状態だ。絶望を味わい、そしてそれを乗り越えていない分、仮初の覚悟しか持っていないのだ。

そして、彼を急成長させるために荒療治を行うつもりは、蒼也にはなかった。

 

蒼也は、やり遂げて元の世界に帰っていった、記憶を託してくれた白銀の想いに応えるためにも、彼の親しい人達の命は守り切るつもりだ。鑑純夏や社霞はもちろん、神宮司軍曹にヴァルキリーズ。そして、元207Bの面々。彼女らを死なせるつもりはない。

それは甘い理想論なのだろう。これまでに何人もの人間を、兄とも思っていた戦友まで手にかけておいて今更、何を言うのかと。そう自嘲もするが、それの何が悪いのだとある意味、開き直っている。

そして、そういう人の心を忘れないでいさせてくれた真那のことは、更に大切に。それこそ、白銀の想い人たちを切り捨ててでも護る。業が深いと自分に呆れるが、重ねて言おう。それの何が悪いのだと。

 

そういう訳で、信用はできても信頼し切るにはやや不安が残るという状況の白銀である。

ある程度まで、蒼也の知る二周目の白銀程には手伝ってもらうつもりだし、期待もしている。問題は彼にどこまで話すか、つまりは蒼也が彼の記憶を持っていることを話すかどうか、だ。

 

結論から言えば、話さないことに決めた。

先の展開がある程度とはいえ分かっていると知れば、どうしたって頼る気持ちが生まれてしまう。判断を他人に任せ、悩み苦しむことを忘れてしまう。現時点では信頼し切れないとはいえ、成長の芽を完全になくしてしまうこともないだろう。

それに、蒼也と香月が介入した結果、この時点で既に歴史は変わっているのである。今後、思っていた展開と異なる結果となることも十分に考えられるのだ。そして、頼った結果それが間違っていたとなれば、傷が残る。結果として不信感だけが生まれるのでは何のメリットもない。

 

これが、白銀の扱いに関しての基本的な方針だ。もっとも、予定は未定とよく言われるように、臨機応変な対応を心がけるつもりでいる。状況次第では、彼に全てを話すようなことも有り得るだろう。

 

「それじゃ、白銀に関してはとりあえず予定通りに。それと、社の方の出来具合はどう?」

「まだ僕にはリーディングが出来ないので、霞ちゃんの言葉を信じるしか無いですけど、順調だそうです」

「なら、初回の実験は明日でいいわね」

 

並列世界転移実験。

本来、社と白銀を共同生活させ、社の心により深く白銀の存在を刻みこんでからでなければ、失敗のリスクが高い行為だ。この場合の失敗とは白銀の消失であり、極論するなら世界の終焉と同義とも言える。

それをたった一晩一緒にいるだけ、ほぼ初対面に等しい状況で行おうなどは、普通に考えれば正気の沙汰ではない。

だがもちろん、これは十分な勝算があってのことだ。

 

頭痛の酷さと頻度が治まってきて以来、蒼也は社に自分の中の白銀の記憶を積極的に読ませてきた。その記憶の鮮明さは、脳髄のみとなって錯乱している鑑のものを覗くよりも遥かに上だ。

そうして白銀と鑑、いやタケルちゃんと純夏の思い出を追体験することにより、社は未だ出会う前から白銀のことを深く知り、理解できるようになっていた。

後は実際に会って、記憶と現実のギャップを埋めればそれでいい。とはいえ、その記憶自体も本人のものなのである。修正作業など有って無きが如しだろう。

 

同時に、より具体的な二人の思い出を鑑に幾度も幾度も繰り返しプロジェクションを行って伝えてきたことにより、鑑の壊れた心も以前と比べれば遥かに安定してきている。

理論を持ち帰り、鑑が新しい体に生まれ変わった後の調律作業もまた、スムーズに進むことだろう。その時にはもう一人の00ユニットが、白銀の心をリアルタイムで鑑に伝えることができる予定なのだから、尚更だ。

 

「ええ。予定通り、明日やりましょう。遅らせる意味もありませんし。後は、この後も予定通りに進めば……」

 

並列世界転移装置や、00ユニット素体の制作。00ユニットODL浄化に伴う情報漏洩への対策。凄乃皇やさらなる秘密兵器といったハイヴ攻略の準備。極東国連軍、帝国海軍、アメリカ太平洋艦隊等、各軍への協力要請。弾薬を始めとした資材の備蓄。それら諸々、全ては既に終わっている。

残されているのは量子伝導脳の完成と、そして00ユニットの調律、のみ。

 

「11月11日に予定されているBETA侵攻。それを防いだ後に、カウンターという形が理想的ですね」

 

執務室の壁面モニター、そこに映しだされた世界地図に視線を向ける。

地図上に灯る、26個の赤い点。そのうちの一つへと。

魔女が、不敵に微笑んだ。

 

「甲21号作戦。まずは、佐渡から陥とすわよ」

 

 

 

 



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46話

10月28日。

 

夕食時のPX。それは地上に地下に様々な施設がひしめき合う横浜基地の中でも、最も人で溢れかえる空間だ。

体が資本の軍人たちが、一日で最も待ちわびている瞬間。日中の訓練で体を酷使し、腹をすかせ獣と化した者たちが、糧を求め我先にと集うのだ。その混雑ぶりは言わずもがな。

PXの主である京塚曹長が、誰がどう手を加えてもマズイものはマズイとまで言われる合成食材すらそれなりに食べられる物へと昇華させる、神の腕を持つこともその一因であろう。

 

とはいえ、流石に基地関係者の全てが同時に食事を取るというわけではない。例えば士官と下士官、訓練生など階級の区分で時間をずらしているし、大所帯の隊では交代で休憩に入るのが普通だろう。

それ故に、席が足りずに食いっぱぐれるような事態は、ほぼ起きない。それでも無秩序にその時の気分のままに席を専有していけば、自然と空席も飛び飛びとなってしまう。後から来たグループがバラバラに食事を取らざるをえない状況も生まれてしまうのだ。

その辺りを考慮されてか経験則からの判断か、各々が座る席は毎回、同じ場所。半ば暗黙のうちに指定席となっていることが多い。

 

今、食事をしながら談笑している一角もその例に漏れず。誰が定めたわけでもないのに、そこは彼女らの専用スペースとなっていた。ちなみに、調理場から程近い料理の冷めないうちに食べ始められる位置で、PX内でも特等席となっている。

荒くれ者が多い環境だ、その場所を貸せと難癖をつけてくる者がいてもおかしくはないように思える。だが実際のところ、そういった事例は皆無。彼女ら、A-01所属の衛士がささやかな特権を行使するのに反論のある者など、この基地には存在しなかった。何故なら、A-01部隊とはXM3教導の任を請け負った、横浜基地はおろか全国連軍においても屈指のエリート部隊であり、彼等の憧憬の的であったのだから。

 

「白銀あんたねえ、いつまでその『あ~ん』っての続けさせる気なのよ」

「いや待ってくれ委員長、これは俺がやらせてるわけじゃなくてだな、霞が……」

「タケル、言い訳など見苦しい。男らしくないぞ」

 

彼女等の会話へと耳を澄ますと、そんなやりとりが聞こえてくる。

有事に備えて休憩は交代でとっているのだろう、現在は第一中隊ヴァルキリーズの面々のみが席についていた。

 

指揮小隊である右翼側A小隊所属が伊隅みちる中佐、榊千鶴少尉、珠瀬壬姫少尉、鎧衣美琴少尉。前衛となるB小隊に速瀬水月中尉、御剣冥夜少尉、彩峰慧少尉、白銀武少尉。そして左翼側のC小隊には宗像美冴中尉、風間祷子少尉、涼宮茜少尉、柏木晴子少尉。以上に加えて、CPの涼宮遙中尉。

これは二周目の世界の中で、白銀と共に戦った伊隅ヴァルキリーズと全く同じメンバーである。

 

A-01の編成に関しては当然、指揮官である伊隅の考えも大きく関与する。

ただし、ヴァルキリーズに関してだけは蒼也の独断で決められた経緯があり、自身の隊であるにもかかわらず伊隅の意見は考慮されていない。

正直に言ってしまうとこれには、伊隅としては不満が残った。彼女を除いた中隊員の全てが、A-01再結成以降の新任たちで占められているのである。

 

確かに彼女らはA-01の中でも選りすぐりの才能を持つ者達であり、経験はともかく能力面に関しての不安は少ない。将来性という意味では間違いなく、ヴァルキリーズが随一だろう。

だが、伊隅としては再結成以前からの仲間たち、明星作戦や大陸での激戦を経験したベテランもいてくれたほうが安心感があるというのが本音だった。

 

このような編成を蒼也が行った理由として、感傷という感情の影響を否定し切ることは出来ない。だが無論のこと、それのみで決められたわけではなく、相応の理由もある。

再結成以降に任官した者たちを出来るだけ一纏めにしておく。逆に言えば、かつて蒼也が鍛え上げた衛士のみで構成された部隊を用意しておく。そうするべき理由が、確かにあるのだ。第二中隊フリッグス及び第四中隊デリングスが後者にあたり、その二つの中隊は古参のみで編成されている。

 

詳細に関しては、現時点ではまだ明かせない。ただ、その時には必ず納得してもらえるはずだ。蒼也からそう、説明になってない説明をされた伊隅は、最終的にそれを聞き入れるしかなかった。

現在の階級は伊隅のほうが上であり、蒼也も基本的には伊隅を立てている。だが彼女にとって蒼也とは、神宮司軍曹と同じく未だに何だかんだと頭の上がらない存在であるのだ。更に、より深くオルタネイティヴ4に関わっているのは彼の方である。その辺りの機密だと察してしまえば、引き下がらざるをえない。

 

何となく喉の奥に小骨が刺さったような、そんな気分の伊隅であるが、遂にヴァルキリーズ編成に関する秘密を明かされた時には、なるほどそういうことだったのかと、すっきりと胸のつかえが取れることになる。

それと同時に、疎外感とでも言おうか。非常に悔しい気持ちもまた味わうことになるのであるが……それはまだ、もう少しだけ先の話。

 

「……白銀、鬼畜」

「タケルさんて、そういうのしてもらうのが好きなんですかー?」

「あはは、タケルってばプレイボーイだねえ」

「だからお前ら、そういうんじゃないんだって!」

 

伊隅に伝えることがあってPXへとやってきた蒼也が目にしたのは、白銀をいじって遊ぶ戦乙女たちの姿だった。昨今では希少な存在となってしまった若い男性衛士という物珍しさに加え、着任の翌日には既に始まった社のあ~ん攻撃と、話の種には事欠かないようだ。

それにしても、まだ隊に加わって数日しか経っていないというのに何だろう、この馴染み方は。特に、元207B訓練小隊との距離が近い。彼女らの任官は比較的最近ということもあって同期扱いということなのだろうが、それにしてもだ。既に委員長呼びとか、タケルと下の名前で呼ばれていたりとか。流石は、恋愛原子核。

 

おかしいな。記憶では、ここまでわかりやすい好意は受けていなかったんだけどなあ。やっぱり、主観と客観では見えているものが違うんだろうか。

……というか、白銀が鈍感すぎるのか。ほんと、女性の敵だな、こいつは。

そんなことを思い、思わず苦笑いを浮かべる蒼也。

 

「おや。珍しいな、蒼也少佐。今日はPXで食事をとるのか」

 

まったく若い奴等は元気があると、どこか過ぎ去った遠い日々を見るような目で白銀らを眺めていた伊隅。呆れたように頭を振った時、こちらへと歩いてくる蒼也に気がついた。

歩きながら砕けた敬礼をする蒼也。堅苦しいことが嫌いというのは今更だが、新任たちの前くらいではもう少し何とかと、苦笑しながら答礼を返す。

隊員たちが立ち上がって敬礼をしようとするが、座ったままでいいと蒼也に制された。

 

伊隅の言う通り、蒼也がPXに出入りすることはあまりない。普段は香月の執務室や、その近くにある自室で事務仕事をしながら、その場で済ますことが多い。時には、真那の部屋まで出向いて食べることなどもある。何を、とは言わないが。

あまり騒がしい雰囲気を好まないというのもあるし、単純にゆっくりと食事を取る暇が少ないという悲しい現実もある。だが一番の理由は、出来るだけヴァルキリーズとは会わないようにしていたからだ。彼女らは白銀の思い入れが深い分、記憶に引きずられかねない。

 

それでなくとも、白銀の大切な一人である霞との、彼の記憶を見せるという触れ合いが増えたことが原因となって、頭痛が発生しているのだ。

時に、彼女に痛みを共有させてしまうこともあった。大丈夫です、と。健気に耐える霞には可哀想なことをしたと思う。避けられるリスクは避けたほうが良い。何より、自分が消えてしまう引き金になるのは困る。

 

「いえ、食事はまた後ほどに。少しよろしいですか、中佐」

 

そう言って、伊隅の隣りに座る。

何やら話があるようだが、場所を変える訳でもない。そう混みいった話というわけでもないのだろうか。

 

「明日から数日ばかり、基地を離れることになりまして。その間、自分に連絡が取れなくなると思いますので一応、お知らせしておこうかと」

「そうか。また出張か? 大変だな」

「いえいえ、実戦担当の皆さんに比べたら、自分なんて」

 

その言葉を聞いた伊隅の表情に生まれた、微かな翳り。

戦術機から降りざるをえなくなった蒼也が、それを負い目に感じているのではないか。そう思ったのだ。

 

仮にそうだったとしても、そんなことを気に病む必要などない。努力してどうにかなるという問題でもない以上、本人に責を問うような話ではない。何よりこれまでの功績を顧みれば、もう十分以上の貢献がなされているのだ。

そう、蒼也に伝えたかった伊隅だが、その言葉を口に出す前にぐっと飲み込んだ。こんな同情じみた言葉をかけられて、彼が喜ぶなどとは思えない。

だから、別の形で感謝を表現する。

 

「我々が戦いのことだけを考えていられるのは、少佐のような後方を守る人間が環境を整えてくれるからだ。それなのに自分の仕事の成果を謙遜するなど、我々に失礼だぞ」

 

そう言って、にいっと笑う。目の前にいる人間がよく見せる、そんな笑み。

釣られるように、蒼也の顔にも笑みが浮かぶ。ありがとう、中佐。貴方は本当に、得難い存在だ。白銀にとっても。そして、僕にとっても。

 

「それじゃあ、僕はこれで。……そうだ、御剣少尉」

 

急に話を振られて驚く冥夜。

A-01において彼女と蒼也との接点は少ない。同じ部隊に属しているとはいえ、司令部付きになった後の蒼也はヴァルキリーズのこともあってあまり現場に顔を出さず、所属の衛士たちと関わる機会はさほど多くないのだ。彼女等からしてみれば、蒼也は副司令と一緒に悪巧みをしている変な人、という認識である。

とはいえ、冥夜にとって蒼也は知らぬ間柄ではなかった。無現鬼道流の同門として切磋琢磨した仲であるし、姉とも思っている月詠真那の婚約者でもあるのだ。

冥夜ちゃんと呼ばれるのは未だに照れがあるのだが、御剣少尉と呼ばれることにはどうにも違和感を感じてしまう。その程度には親しい。

 

「何でありましょう、少佐」

「いやちょっと、少尉にお願いというか……勤務時間終わってるし、冥夜ちゃんでもいいかな?」

「いえ、その。基地内でもありますし、よろしければ少尉とお呼びいただければ……」

「わかったよ、冥夜ちゃん」

 

……まったく、こういうところは昔からちっとも変わらない。

向きになって抵抗すると、その分いいようにからかわれるのは目に見えている。さっさと用件を聞いてしまうのが正解だ。

 

「それで、お願いというのは?」

「うん、月詠中尉をお借りできないかなって」

 

五一五事変の顛末により、将軍はかつての権勢を取り戻した。その結果、帝国武家社会に様々な変化が訪れたが、その中でも大きなものが御剣冥夜の存在だ。

双子は忌み子として生まれて間もなく煌武院家から里子に出された冥夜だったが、彼女の存在を将軍である煌武院悠陽が公にしたのである。そして、帝国と国連の友好の証として、国連軍へと入隊することとなったのだ。

同時に、日本帝国内閣総理大臣榊是親の息女である榊千鶴。首相の信任も厚い政府高官、鎧衣左近の娘である鎧衣美琴。大戦の英雄として名誉を挽回した彩峰萩閣の娘、彩峰慧。国連事務次官、珠瀬玄丞齋の娘である珠瀬壬姫もまた、同様の理由で国連軍へと道を定めている。

 

冥夜の色は、次期将軍候補を巡って無駄な争いが起こらぬようという意味も込めて赤のまま。御剣という姓にも変化はない。だが、いずれ斯衛軍に復帰した後には、将軍の名代として軍務を取りまとめることを期待されている。

その為、御剣冥夜は国連軍少尉という肩書でありながら、斯衛から護衛がつく立場となっている。その護衛頭が月詠真那中尉だ。

 

ちなみに先日のことであるが、煌武院悠陽の鶴の一声より、斯衛軍に新たに最高位の階級として元帥が加えられた。政府が定めた戦時にのみ存在する臨時階級であり、次期将軍候補の政争に使われることの無きよう青の者はなることが出来ない等、様々な制限が存在する。実質的に、御剣冥夜専用の階級と言って良いだろう。

 

「月詠中尉……で、ありますか。それならば、私に斯衛軍の軍務に関して意見する資格はありませぬゆえ、断りを入れる必要などございませぬが」

「まあ、そうなんだけど。君から了承をもらわないと中尉は動いてくれなさそうでさ」

 

護衛として横浜基地に来ているのは4名。交代で任務についているのだが、現在は真那の担当のよう。少し離れたテーブルについてこちらを凝視している姿が確認できる。

尚、真那ちゃんと呼ばずに月詠中尉ときちんと呼んでいるのは、彼女が任務中だからだ。彼女の仕事をないがしろにするような態度を取ると、後が怖い。普段、空気を読んだ上で掻き乱すのを好む蒼也だが、超えてはならない一線というものはわきまえている。志半ばで死にたくないし。

 

「そういうことであれば……月詠、少佐はこのようにおっしゃっておられるが、この後の護衛を誰かと代わることは可能であろうか?」

 

仕える主よりそう言われた真那は、一礼すると無線機を取り出し、何やらやり取りを始める。

やがてやってきた神代巽少尉に一言二言指示を出すと、改めて冥夜に深々と一礼した後、PXから退出していった。その間、蒼也のことは完全に無視だ。

 

「……少佐、よろしいので?」

「あー、怒らせちゃったかな? まあ、了承はしてもらえたようだし、どこへ向かったかはわかってるから」

 

蒼也といえば、指先で頬を掻きつつ、少し困った風。

だが次の瞬間には楽しそうな笑みを浮かべると、それじゃ僕はこれでと、彼女を追って去っていった。

 

「……いいなあ……」

 

幼なじみの恋人と逢引とか、なんて羨ましい。その背を見送る伊隅から、意図せずそんな呟きが漏れ聞こえてきたのを幾人かが耳にしたが、武士の情けと聞かなかったことにしておくのだった。

 

 

 

 

 

そこは随分と簡素な部屋だった。

調度品といえば机と椅子、小さなタンスにベッド、それで終わり。

そのベッドに腰掛けた蒼也は、自分の隣をポンポンと叩き、座りなよと目の前に立つ人物に促す。

 

「……ここは私の部屋だ。ノックもなしに入ってきたかと思えば、いきなりそれか」

 

ふうっと、溜息一つ。

それでもそれ以上文句を言い募ることもなく、肩が触れ合いそうなその場所にぽふんと腰を落とした。

 

真那の言う通りに、ここは彼女の部屋。

赴任当初に、間借りする以上は4人で一つの部屋で十分と言ったのだが、結局は個室が割り当てられた。

 

「斯衛の方にそのような礼のない真似はできませんし、僕も困る」

 

とは、出迎えてきた基地側のとある少佐の弁である。僕が困るって、何が困るんだ、何が。

 

「だって、僕の部屋はセキュリティが高い所にあるから、真那ちゃん入ってこれないし」

 

だから、私が入れないと何が困るんだ、何が。

そんなやり取りをしたのをよく覚えている。

……まあ、この件に関してのみは、彼の言い分のほうが正しかったとは思うのだが。

理由? 乙女に何を聞く。

それはさておき。

 

「それで、用件は何だ? 明日に回さず、任務中なのをわかっていながらわざわざ時間を取らせるだけの理由なのだろうな?」

 

同じ基地にいるとはいえ、二人きりで過ごせる時間は実際、そう多くない。

なので、降って湧いたこの瞬間を喜ばしく思う気持ちも真那には確かにあるのだが、だからといって任務を蔑ろにしていい理由にはなろうはずがないのだ。

 

「うん、それは大丈夫。用件は二つあるんだけど、どちらも真那ちゃんも興味あると思うよ」

 

刺すような視線も暖簾に腕押し。

斯衛という異物ながら、横浜基地において敬意と恐怖、それに一部からの好意を集めている真那の凝視も、蒼也にはどこ吹く風。

 

「一つ目はね、白銀のこと」

 

……ほう、と。真那の目がすぼまれる。

白銀武。それは、現在のところ真那の興味を最も引いている人物だ。

何の前触れもなく現れて、主と崇める冥夜と同じ隊へと所属した人物。当然のように経歴を洗ってみたのであるが……それは全くの黒であった。

 

「白銀はBETAの横浜侵攻の際に帝国軍に救助され、そのまま疎開先で訓練を受けて衛士となった。任官と同時にXM3に関連した特殊任務についたため、それ以降の経歴は秘匿。その後、腕を見込まれてA-01へと転属」

 

読み上げるように蒼也が言う。

そして、それを真那が引き継いだ。

 

「国連軍のデータベースではそうなっているな。だが、城内省に残された記録においては……横浜襲撃の際、死亡とされている」

 

真那の瞳に輝く、強い意志の光。

冥夜様を脅かす危険は、必ず排除なされなければならない。

 

「……蒼也。死人が何故、ここにいる?」

 

記録に残された、二つの過去。どちらも正しいということはありえない。

国連軍の物が正しいとするなら何故、死んだという記録が残されている?

また、城内省の物が真実ならば……今この基地にいる白銀とは、何者なのだ?

 

「真那ちゃんが白銀のことを不審に思うのは、記録に食い違いがあるからだよね?」

 

当然だ。

経歴を改竄するなど、何らかのやましいことがあると言っているようなものではないか。

 

「じゃあ、月詠真那という個人から見た白銀武とは、どういう人物に見える?」

 

その言葉で、真那の顔に苦味が浮かぶ。

もし白銀に、実生活においても不審な点があったら。冥夜に危害を加えるような兆候が見えたら。そうであったなら、話はもっと簡単だったのだ。

 

「冥夜様に対して馴れ馴れしすぎる点には、矯正が必要だ」

 

初めて会って早々に呼び捨てとか、他人との距離感がおかしい。悪い虫なら駆除せねば。

……だが。

 

「……だがまあ概ね、裏表のない……というより、腹芸の出来無い好意的な人物……であるように、思える」

 

そうなのだ。

データが語りかけてくるほどには、実際の白銀に怪しい点は見られない。

青臭さが過ぎるようにも思える立派な理想を持ち、そしてそれを叶えようと自分に出来る限りの努力をしているように見える。

まだ観察した日数が短いために結論は出せないが、あれが演技だというのならそれこそ、情報省の鎧課長もかくやという食わせ者ということになる。

流石にそうは思えない。

 

「真那ちゃんの見る目は正しいよ。白銀は、悪いやつじゃない。むしろ、人類の救世主にもなりうる男さ。……僕が、保証する」

 

どこかおどけたようにも聞こえるその言葉。

だが、長い付き合いだ、真那にはわかる。蒼也が本気で言っていると。

 

「ようは、お前と副司令の計画に関わっている、ということなのだな。そしてその関係で、何故かは知らぬが過去を隠す必要がある、と」

 

なら、最初からそう言っておけというのだ。そうすれば思い悩まずに済んだというもの。

私とて今はもう、それなり以上に計画のことを知る立場にいるのだから、その程度知らせてくれるに問題などなかろうに。

 

「最初から説明しておけばよかったんだけど……前知識無しで見て欲しかったんだ、真那ちゃんに。白銀武っていう男のことを」

 

蒼也はあの男のことを、随分と高く買っているようだ。

意外だな。確かに善良な人間であろうし、これからの成長にも期待できるとはいえ、現時点においてはそこまで入れ込む程には重要な人物には思えないのだが。

 

「僕はね、白銀のことを尊敬しているんだ。父さんや、おじいちゃんと同じくらいに。……まあ、まだまだ半人前だから、もっと鍛えないと物にはならないと思うけど」

 

将来的にはあの二人に並ぶほどの人物になると、そう見ているというのか。

 

「……不本意ながら、その名前を出されてはもう、納得するしかないな。お前が叔父様やお祖父様の名を軽く扱うような真似だけはしないと信じているし」

 

そう言って、手を蒼也の頬に伸ばす。

瞳と瞳を向かい合わせてじっと覗き込み、その光に曇ったものがないことを確認した。

……うん。なら、これでいい。これでこの話はおしまいだ。

そして、背伸びをするように顔を近づけて……そっと軽い、触れる程度の口づけを。

微笑みを交わし合って、体を離す。

 

「……あー、うん。白銀の話はわかった。それで、用件はもう一つあるのだったか?」

 

父と祖父のことを語る蒼也を愛おしく思ってついつい、自分から接吻をしてしまった。

耳が熱い。赤くなってるのがまるわかりだろうか?

今更この程度で恥ずかしがるような間柄ではないはずなのだが、照れるものは照れるのだから仕方ないではないか。

 

だが、二つ目の用件を聞いた時、赤くなっていた真那の顔は、一気に氷のように青ざめることになる。

 

「二つ目の用件はね……明日、手術をうけることに決まったんだ」

 

…………。

遂に、この時が来てしまったのか。

真那は大きく息をつくと、力強く蒼也の体を抱き寄せた。瞳から溢れる涙を隠すように。

 

オルタネイティヴ4が日本帝国とより深く関わるにつれ、真那にも斯衛の中枢に近いものとして、そして蒼也に近しいものとして、ある程度の情報を明かされることとなった。

 

計画の目的が、00ユニットと呼ばれる生体コンピュータを完成させることであること。

それがあればBETAから情報を入手することが出来て、戦いを優勢に進められるようになるであろうこと。

その生体コンピュータの材料は生きた人間の脳であり、被験者となったものは機械の体を持ったケイ素系生命体として生まれ変わること。

そして、その第一候補が……蒼也であるということ。

 

蒼也の体を蝕んでいる病魔を駆逐することは不可能であり、生き残るためにもそうせざるをえないという。

わかっている。これは悲しむようなことではなく、むしろ喜ばしいことであると。

だが……だがっ!

 

「……僕のために悲しんでくれて、ありがとう。愛しているよ、真那ちゃん。でも、これは必要なことなんだ。人類の為にも。僕の、為にも」

 

わかってはいた。いずれ、この日が来ると。

蒼也には人のままでいて欲しい。だがそうしなければ人類は滅ぶし、蒼也にも人類の命運にかかわらず死が訪れることになる。これは、しかたのないこと。むしろ誇るべきこと。

だが、理性では納得していても、心がそれに追いついていかない。

 

ぐるぐると巡る思考。

何度も何度も自問し、自答してきた。

選択を間違っていないのか。他に方法はないのか。

……蒼也は本当に、これでいいと思っているのか。

 

出口のない迷路の中で、やっと一つの言葉を導き出した。

 

「……いつか、言ったな。お前がお前であること、それが大事なんだと。容れ物なんてどうでもいいと」

 

涙で濡れた顔を蒼也の肩から起こし、覗きこむように瞳を見つめる。

震える声で言葉を紡ぎだした。

 

「それは本当だ。例え蒼也がどのような姿になろうとも、私はお前を愛し続ける。だが……それでも……それでもっ!」

 

それでも……悲しい。

耐え切れぬように、胸の中に顔を埋める。

揺れ動く理性と感情の間。溢れ出る想いに耐え切れず嗚咽を漏らす真那を。

 

そっと、蒼也は抱きしめ続けた。

 

 

 

 

 

翌日。

白銀が元の世界から持ち帰った理論を元に完成に至った、量子伝導脳。

人格をそこへと転写する第一回目の実験が行われ、被験体第一号の脳が使用される。

実験は無事に成功し、オルタネイティヴ4はその目的である00ユニットの完成へと遂に至った。

 

さらに翌日。

第一号実験の成功を受けて行われた、被験体第二号の転写にも成功。

精神に異常をきたしていた被験者を00ユニットとして実戦投入可能とするため、白銀武による調律が開始された。

 

 

 



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47話

 

横浜基地の、地下深く。

オルタネイティヴ4の中枢であるこの基地内には、特別な権限を持つ者でなければ立ち入ることの出来ない箇所が多々ある。そこは、その中でもひときわ機密性の高い場所だった。

もっとも、その名前だけは何故か、広く知られている。本来の意味としてではなく、基地に勤める者達の間に伝えられる怪談話として。

90番格納庫。その飾り気のない名前が、この場所を指し示す言葉だった。

 

──また、生きて再び。この機体を、目の当たりにする時が来ようとは。

 

男は、その格納庫内で、ある機体をただ見つめていた。

それは、多数の戦術機が戦闘行動を取れるほどに広大な空間の中でもひときわ目を引く、二つのの巨大な機影……ではない。その隣にひっそりと佇む、一機の戦術機だ。

基地で使用されている不知火や撃震改といったものよりも大型のそれは、戦術機史に名を残す、名機と呼ばれたとある機体。それをベースに、改良が施されたものであると見て取れる。

 

元となった機体は、長く衛士を務めているなら、その名を知らぬ者はない。男もまた、そうである。だが彼の目に宿る光は、かつての傑作機に対する懐古の念ではなかった。

それは、畏敬。或いは、郷愁。或いは……憎悪。

とても一言では言い表せない、心に渦巻く様々な想い。

 

やがて男は、ゆっくりと右手を上げていく。そしてその指先をピンと伸ばし、己の額へと導いた。

見るものがいれば思わず見惚れるほどの、見事な敬礼。

その男──極東国連軍横浜基地司令パウル・ラダビノッド准将は、湧き上がる想いを飲み込むように。ただ、ただ、それを見つめ続ける。

その眼尻から、きらりと一筋。光るものが、流れ落ちた。

 

 

 

 

 

11月3日。

 

第一ブリーフィングルーム。

そこは横浜基地内に大小含めて多数存在するブリーフィングルームの中でも、特別な意味を持つ場所だ。

A-01部隊の専用となっており、他の部隊が使用することは許可されていない。そして他部隊に対する教導等、通常の任務の際に使用されることもない。

つまり、この場所に集合がかけられたということは、BETAに対する作戦行動が行われるということ。

それが分かっているだけに、その場に集った者達の顔には真剣な表情が浮かんでいた。

 

室内に通ずる扉は二種類。一つは、所属衛士達が入室するための通常の大扉。そして奥側にある、機密区から直接繋がる扉。

指揮官である伊隅みちる中佐以下の全衛士。司令部要員である涼宮遙中尉やイリーナ・ピアティフ中尉といったCP達。彼女等が見守る中、その扉から入室してきたのは香月夕呼副司令と、それに付き従う黒須蒼也少佐。そして最後に、パウル・ラダビノッド司令。3人が奥の壁側に設置された椅子へと腰を掛ける。

 

張り詰めていた空気がより一層、引き締まる。

副司令だけではなく、基本的にA-01の任務には関わっていない基地司令までもが、この場に姿を見せた。それが、これから伝えられる内容がいかに重大なものであるかを表している。

 

「総員、敬礼っ!」

 

伊隅中佐の号令に、総員が一糸乱れぬ統率を見せる。

その様子に満足気に頷いた香月が立ち上がり、ブリーフィングの開始を宣言。そして、日本国民の全てが待ち望んでいたであろう言葉を、紡ぎだした。

 

「本日未明、オペレーション・アイスバーグ──甲21号作戦が発令されたわ」

 

甲21号目標。それは日本帝国において佐渡ヶ島ハイヴを示す呼称である。

遂に、この時が来た。

日本の喉元へと突きつけられたナイフ、佐渡ヶ島を攻略する時が。日本をBETAの恐怖から開放する時が、遂に来たのだ。

歯を食いしばり、拳を握りしめ、全員が熱のこもった視線を香月へと注ぐ。

 

「作戦目標は当然、佐渡ヶ島ハイヴの無力化。作戦目的は極東防衛ラインの安定化。交戦勢力は国連軍、日本帝国軍、斯衛軍、アメリカ太平洋艦隊。……その中でも、主役を張るのはあんた達よ」

 

挑むように、睥睨する。

 

「あんた達はこのあたしが見込んで集めて、まりもが鍛え上げ……ここまで生き残った精鋭よ。親の顔に泥を塗るような真似はしないと、期待しているわ」

 

言われるまでもない。

我々は、A-01。人類を代表する、闇を斬り裂く剣なのだから。

いい顔ね、と。不敵に笑う香月。そして、作戦の概要が語られ始めた。

 

 

 

 

 

「まず、本作戦の第一フェイズ。これは過去の汚点の掃除から始められる」

 

随時スクリーンに映しだされていく行程表を指揮棒で指し示しながら、香月の説明が続けられる。

 

「それは、これまでにアメリカが作り出した合計57発のG弾。その一斉投棄よ」

 

予想外の切り出しに、隊員たちの目が見開かれた。

 

「明星作戦の後にあたしが発表したレポートね。その最終結論が出たのよ。概ね以前のものと同じだけれど……より酷い結論ね」

 

覚悟を求めるように、一拍のためを置いて。

 

「アメリカが主張していたように、G弾を使ってハイヴを攻略していった場合。人類は……いえ地球は、BETAによる脅威とは関係なく、滅亡するわ」

 

昨日、世界へと向けて発表された、香月レポートの最終稿。00ユニットとしての驚異的な演算能力を使用して、蒼也が完成させたそれ。そこに記されたカタストロフは、五一五事変によって第五計画派の勢力が著しく弱まっていたこともあり、各国首脳に遂にG弾の使用を諦めさせるに十分なものだった。

そして事態は香月と蒼也の望むままに、推移していく。

 

「投棄場所は、中華人民共和国新疆ウイグル自治区カシュガル地区。後腐れの無いように、宇宙からの投下で全て爆発させるわ。その一帯は今後、生命が生きていける場所ではなくなるでしょうけど……あそこを故郷にしている人たちには悪いけど、それだけで地球が守られるなら安いものよ」

 

そう言ってにやりと笑う。

隊員たちの間に広がる動揺。何故なら、その場所は。

 

「……もしかしたら、巻き添えでオリジナルハイヴが消滅することもあるかもしれないわね」

 

その場所は、人類の怨敵であるBETAの、総本山のある場所なのだから。

00ユニット誕生後の情報漏洩に対して、香月と蒼也が用意した策。これがその一つである。

BETAが手にした経験は反応炉を通じてオリジナルハイヴのあ号標的へと伝わり、問題があれば対策が講じられ、それが全BETAへと伝達される。00ユニットのODL浄化の際に漏洩する情報もまた、しかりだ。ならばオリジナルハイヴの攻略は、全てのハイヴに先駆けて行われなければならない。

さもなくば、たとえBETA駆除に有効な方法を人類が見出したとしても、いずれ無効化されてしまう。

00ユニットに関してのみならば、バッフワイト素子で構成されたフィルターを通して浄化する等、他にも幾つかの対策を用意している。とはいえ、原因を元から断つのが一番なのだ。

 

凄乃皇を使用してのオリジナルハイヴ攻略も、もちろん検討された。だが、より安全で手っ取り早い方法を、最終的に二人は選択した。それが、大量のG弾の一斉投入による殲滅である。

オルタネイティヴ5と同じ方法を採用したようにも見えるが、全てのハイヴにG弾を使うのではなく、これが最初で最後という点で異なっている。オルタネイティヴ4の思想から言えば全く使用しないのが理想ではあるのだが、効率を求めることも必要だ。どちらにせよ、G弾の処分は必要になることであるし。その為、一応は危険物の投棄であると体裁を整えてはいる。

もちろん、これにより地殻の変動やその他の不具合が起きぬよう、また発生した重力場によって後続のG弾の起動が捻じ曲げられ、結果としてあ号標的の殲滅に失敗することなどの無きよう、全ての投下は蒼也による演算と未来視によってコントロールされることになる。

 

「その後はこれまでのハイヴ攻略戦と、そう変わりはないわね……一点のみを除いて、だけど」

 

そして、隊員たちに投下される、新たな爆弾。

 

「この戦い、佐渡ヶ島へと上陸するのはA-01のみ、よ」

 

その威力は途方も無いものだった。

 

「副司令、発言をよろしいでしょうか」

 

ざわめきの広がる隊員たちの中、A-01副隊長、碓氷桂奈少佐が手を挙げた。

指揮官である伊隅は既に概要を聞いているのだろう、沈黙を守っている。なら、ここで隊員たちを代表するのは自分の仕事だ。

 

「それはハイヴへと突入するのが我々のみということではなく、佐渡ヶ島に蠢くBETAを駆逐し、突入までの道を切り開くのも我々自身が行う……ということでありましょうか?」

 

常識で考えるなら、そんなことは不可能。

確かにXM3や凄鉄の開発等により、A-01の戦力はかつてとは比較にならないものとなってはいる。とはいえ、BETAの数の暴力に対して対抗するには限界があるのだ。その巣に乗り込んで全てを駆除するなど、夢物語に等しい。

 

「上陸するのがA-01のみなんだから、当然そうなるわね」

 

だが、香月からの返答は残酷なものだった。

ざわめく声が大きくなる。

 

「艦隊による支援砲撃はあるのだと思われますが、とはいえ我々5個中隊のみでハイヴを攻略するなど、現実的とは思えません。何か策がお有りなのでしょうか?」

 

当然、何もないわけがない。碓氷はそう考える。

香月副司令は厳しい要求をしてくる人ではあるが、それは言われた人間の能力において可能な範囲のことに限られる。精神論が不可能を可能にするなどと考える人ではないのだ。

ならば、A-01のみでの攻略を可能とする何かが存在するはずである。

尋ねずともこの後それを語ってくれるのであろうが、部下に恐れの感情が芽生えているのなら、上官としてそれを取り除かなければばなるまい。

そういう思惑で重ねて尋ねる碓氷に、香月は待ってましたとばかりに答える。楽しくて仕方がないと言わんばかりの、いい笑顔で。

 

「当然よ。あんた達には、幾つかの新兵器を用意してあるわ」

 

そう言って、スクリーンに映る画像を切り替える。

そこに映しだされたのは、戦術機用の突撃砲をより大型にしたような、これまでに見たことのない武器だった。

 

「まずは、99型電磁投射砲。戦術機用のレールガンね。砲身が巨大なのと専用のバックコンテナを背負わなければならないから、機動力が削がれることになるけど、これ一丁で防衛線が張れるほどの速射力と貫通力があるわ。9丁用意したから、トールズの撃震改に持たせなさい」

 

日本帝国国防省が発注、帝国軍技術廠によって試作された、電磁投射式速射機関砲。100%の速射性能を保障するためには一射毎の完全分解整備、更には数多くの損耗部品の交換が必要であり、そのままでは欠陥兵器でしかなかった。

それを、香月の手によって実戦投入可能レベルまで引き上げたものが、完成品となる99式電磁投射砲である。

 

これは試作品のものだがと断りを入れられ、アラスカで行われた試射だという映像がスクリーンに映し出された。

それは、驚異的な破壊力。通常の突撃砲では全く歯が立たない突撃級の装甲であろうとなんであろうと、射線に入った全てを貫く暴風。

衛士たちから歓声が上がる。速瀬など大はしゃぎだ。碓氷もまた、血が滾るのを感じた。

だが……。

 

「確かに素晴らしい兵器のようです。弾丸が無限にあるのであれば、横陣を組んで前進するだけで地表全てのBETAを駆逐することも不可能ではないように思えます。……ですが」

 

だが、碓氷の表情から翳りはなくならない。

これだけの速射なのだ、当然その分、弾薬の消費も激しいものとなる。バックコンテナいっぱいに詰まったそれで、一体どの程度の時間が保つのだろうか。

 

「流石、副隊長ね。あんたの言う通り、この武器は継続戦闘能力という点においては、改良を施した今も欠陥品よ」

 

やはり。

間違いなく一級の武器には違いないだろう。だが、拠点に据え置くなど、どちらかと言えば攻めるよりも守ることに向いた武装なのではないだろうか。碓氷はそう判断したのだ。

さらに、問題はそれだけではないようだ。

 

「しかもこれに使われているコンピュータは、大きさに比するなら人類の最高峰のもの。高度な計算機に惹きつけられるというBETAの特性上、真っ先に狙われるはずよ」

 

なんということ。それでは、拠点防御にも向かないではないか。

強力な反面、運用するのが非常に難しい。どこかしら尖った武装はそういう側面を持つものではあるが、それにしても極端に過ぎる。

 

「だけどね、今回の場合はそれでいいの。先に佐渡に上陸した部隊が囮となって、電磁投射砲でBETAを惹きつけるだけ惹きつけて、その後に島の反対側からこいつが襲いかかるのよ」

 

そう言って、画像を切り替える。

そこに映し出されていたもの。それは、先の電磁投射砲の試射映像の衝撃すらも霞ませるものであった。

 

「戦略航空機動要塞、XG-70d 凄乃皇・四型」

 

開いた口がふさがらないとは、こういうことをいうのか。場所がこの場で、言ったのが香月でなければ皆、冗談としか思えなかっただろう。

それは、それだけの。明らかに想像の枠外に存在するものだったのだ。

 

「全高180m。一般的な戦術機のおよそ10倍ね。主動力はムアコック・レヒテ型抗重力機関。そこから発生する重力場、ラザフォード・フィールドで機動制御を行い、さらにそのフィールドでレーザーを含むBETAの攻撃を無効化することも可能よ」

 

まいった。もう何を言っているのか全然わからない。

 

「主砲は、重力制御の際に生じる莫大な余剰電力を利用した荷電粒子砲。理論上はハイヴ地表構造物だって一撃で破壊せしめるわ。他の武装として2700mm電磁投射砲2門、120mm電磁投射砲8門、36mmチェーンガン12基、S-11弾頭弾搭載大型ミサイル発射システム16基、小型ミサイル発射システム36基。

 ……単騎でハイヴを攻略するというオーダーから生まれた、今の人類に生み出せる最強の矛よ」

 

開いた口がふさがらないどころか、そのまま顎が外れてしまいそうだ。

これが全て事実なら……いや、香月副司令がこのような場で冗談を言うとも思えない、たしかに事実なのだろう。ならば確かに、A-01のみでのハイヴ攻略も夢物語ではないということか。

 

「凄乃皇自体は、もう随分と昔から開発されていたんだけどね。これを動かすには特殊な才能が必要なのよ。だから、今までずっとお蔵入りになってたの。けれど……」

 

香月が機密区へと続く扉へ視線をやる。

 

「鑑、入ってらっしゃい」

 

扉を開けて、一人の少女が現れた。

年の頃は先日入隊した白銀や、その前の榊や御剣といった者達と同じくらい。おそらく、まだ二十歳に届いていないくらいだろう。

長い髪を大きなリボンでまとめた、可愛らしい少女だ。

 

「紹介するわ。今日からA-01に所属することになる、鑑純夏。その特殊な才能を持つ、凄乃皇専任衛士よ」

「鑑純夏少尉。只今をもって、着任いたします」

「ちなみに。鑑は白銀のオンナだそうだから。……平、手を出すんじゃないわよ」

「何で俺ですかっ! そういう心配は鳴海にしてやってくださいよ」

 

隊員たちに、笑いのさざなみが生まれる。こういう時にいじられる役は平が多い。というより、他にいないのだ。

かつては男性も多くいたA-01の衛士も、現在は鳴海孝之大尉、平慎二大尉、白銀武少尉の3名しかいない。偏った男女比率が、長きに渡る戦争の爪痕を感じさせる。

だが、凄乃皇。これがあるなら、人類は遂に勝利できるのかもしれない。そう感じさせてくれるほどの何かが、スクリーンの映像からは感じられた。

ちなみに、速瀬や涼宮姉妹、それに旧207B分隊あたりの笑みはやや引きつっていた。まあ、気のせいということにしておこう。

 

「凄乃皇の直掩はヴァルキリーズが努めなさい。トールズの掩護がエインヘリヤルズ。その前衛にフリッグス及びデリングス。これが基本陣形よ。地表のBETAを薙ぎ払った後は、最終的に凄乃皇とヴァルキリーズがハイヴ内へと突入する予定となってるわ」

 

大役を任せられたヴァルキリーズの面々に緊張が走る。だが、それに押し潰されるような弱さは、既に卒業した。かつてはここ一番という時に弱さを露呈していた珠瀬ですらが、瞳に炎を燃やしている。榊と彩峰が目線を交わし、拳をごつんとぶつけ合う。彼女らに、不安な点はないようだ。

 

そして、他の中隊の面々もまた、同じ。

この背に、肩に、人類の未来という重みを背負って戦う。それに押し潰されるような者はA-01には存在しない。自らこそが人類のエースであると、彼女らはそう自認しているのだ。

 

概略はわかった。後は、電磁投射砲や凄乃皇との連携に万全を来すよう、作戦決行日まで訓練を重ねるだけ。

ならば、今は時間が惜しい。それこそ、一分一秒までもが。昂ぶった気持ちに、ブリーフィングの終了を今か今かと待つ。

 

だが、香月の悪戯心は、未だ満足していないようだ。むしろ、これから。

次に落とす爆弾に、この子たちがどういう反応を示すのか。それが楽しみでたまらない。

 

「あら、何だか忙しない様子ね。いいのかしら、秘密兵器はもう一つあるんだけど?」

 

何だって?

意外な言葉に、隊員たちの頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。

副司令のことだ、後から出すものにはそれまで以上の驚きが含まれるのだろう。

だが、凄乃皇という化物を提示しておいて、その上でこれ以上の物が存在するのか?

 

たっぷりと溜めを作り、もったいぶるようにスクリーン表示を切り替える香月。

そこに示されていたもの。それは、一機の戦術機だった。

 

「……トムキャット?」

 

誰かが、そう呟いた。

散々に期待させておきながら、随分と拍子抜け。確かに、そこに映しだされている機体はF-14トムキャット。衛士なら当然知っている、名機と呼ばれる機体だ。

……いや、よく見ればフェニックスミサイルが搭載されていない。代わりに幾つかのセンサー類が追加装備されているようだ。

だが、それだけ。いかな名機とはいえ、第三世代機が活躍する現在においては過去の代物でしかないはずなのだが。副司令の思惑とは、一体。

 

「思兼。それがこの機体と、搭載されている戦域戦術支援システムの名称よ」

 

思兼、オモイカネとは日本神話に登場する知恵の神の名だ。天の岩戸に篭った天照大神を外に引っ張りだす策を講じた神として伝えられる。

その神の名と戦域戦術支援システムという名称のイメージは繋がるものがある。おそらく、戦域情報を共有させるなどの役割を持つのだろうか?

 

「それと、この機体はトムキャットじゃないの。その改修機で、かつて重要な役割を持ってハイヴへと突入した機体。F-14 AN3マインドシーカー、もしくはロークサヴァーと呼ばれているわ」

 

聞かぬ名だ。

だが副司令の物言いから察するに、機密として扱われた機体なのだろう。

 

「これはその実機。実際にボパールハイヴの奥から生還した機体に、さらに改修を施したもの。もっとも、量産なんて関係ない一品物で、さらに採算度外視でチューンしまくったから、ほとんど中身は別物だけれど。ステルスは必要ないからつけてないけど、射撃戦ではラプター、接近戦では武御雷に匹敵するわ」

 

なんだそれ。

それだったら、わざわざ旧式の機体の殻だけ使わないで不知火なり、それこそラプターなりをベースにしたほうが良かったのでは?

 

「あんたたちの疑問もわかるけどね。まあ、簡単に言うなら、これに載せるコンピュータとこの機体との相性が良かったのよ。それで、そのコンピュータ、戦域戦術支援システムがどういうものかというと……」

 

にいっと笑う。

悪戯っ子の、誰かを想像させる笑み。

 

「未来予知、よ」

 

その言葉を聞いた者達の反応は、二種類に分かれた。

一つは、何を言っているんだという。小馬鹿にしたいけども言ったのが副司令なのでそれも出来ないしどうしたものかという、今ひとつ要領のつかめない反応。速瀬等の再結成以降にA-01に所属した衛士達のものがそれだ。

 

そして、もう一つは。

碓氷の拳が握りしめられる。鳴海の目が見開かれる。平の歯が噛み締められる。

それは、大陸での戦闘や明星作戦を経験した者達。彼等にとっては、未来予知とは決して荒唐無稽なものではない。何故なら確かに、そうとしか思えないようなことを経験したことがあるのだから。

 

「XM3搭載機が入手した戦場の情報が思兼に送られ、それらを多角的に検証することで、その瞬間毎に最適であると思われる行動を指示するシステム。それが戦域戦術支援、オモイカネシステムよ」

 

……まさか。まさかっ!

碓氷の瞳に、ゆっくりと、透明な雫がたまっていく。

 

「鑑の場合と同じく、オモイカネシステムを操るには特殊な才能が必要。……紹介するわ。思兼専任衛士……」

 

速瀬らの視線が奥の扉へと向けられる。だが、先任達のそれは、別の場所へと。

その先には。その先に、いる者は。

 

「……黒須蒼也少佐。顔と名前は知っているわね。今日から、こいつもA-01の衛士よ」

 

耐え切れず、碓氷の瞳から涙がこぼれ落ちた。

速瀬は、視界の端にいる鳴海が、嗚咽を漏らすのを必死にこらえているのに気がついた。

いや、鳴海だけではない。平も、他の先任達の全員もだ。

異様な雰囲気に包まれる中、蒼也がゆっくりと一歩進み出た。

 

「黒須蒼也少佐です。只今をもって、A-01実戦部隊へと合流します。オモイカネシステムの特性上、戦場においては伊隅中佐に代わって僕が指揮を執ることもあるかと思われますが、皆さんどうぞよろしく」

 

そう言って、笑う。

先任達にとって、かつて見慣れた、共に戦った、信頼していた、尊敬していた、憧れていた、崇拝すらしていた、笑み。

 

ブリーフィング中だというのに、碓氷が立ち上がる。そして一歩、進み出た。気持ちを抑えきれなかった。

何かを伝えたいのに、溢れ出る感情が多すぎて言葉にならない。

無言で、蒼也の前に立つ。

 

「……ごめん。随分、待たせたね」

 

その言葉に、ぶんぶんと首を振る。

そして、嗚咽に喉をつまらせながら、やっと言葉を紡ぎだした。

 

「……フリッグの……フリッグの名を、お返しする時が、やっと……やっとっ!」

 

だが、蒼也はゆっくりと首を振ると、碓氷の肩にポンと手をおいて、言った。

 

「今まで、それを守り通してきてくれてありがとう、碓氷。だけど、その名はもう、君のものだよ。……僕のことは、これからは別のコールサインで呼んで欲しい」

 

それは、何と?

視線で尋ねる碓氷に、そしてその背に立つ全員に聞こえるように。

 

「タングステン。黒須蒼也少佐、これからのコールサインはタングステン01です」

 

そう言って笑う蒼也。

そして、茶目っ気を加えて、さらに一言。

 

「さあ、みんな。反撃開始だよ」

 

耐え切れぬように、抑えきれぬように上げられる歓声。

興奮の極みにある先任と、それに取り残されたかのような新任と。

 

「……なんだ、この状況」

 

そして、さらに置いてけぼりの。

白銀の呟きは、誰の耳にも届いていなかった。

 

 

 



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48話

 

「佐渡ヶ島ハイヴを我々、オルタネイティヴ4のみで攻略することを認めて頂き、感謝しておりますわ」

 

極東国連軍横浜基地副司令の執務室に据え付けられているホットライン。そこを舞台に今、狐と狸の化かし合いが繰り広げられていた。

回線を通じて香月と繋がっている相手は、国連軍統合参謀会議の議長。全国連軍を統率する総司令官、その人である。

 

使い出のある有能な男。彼のことを、香月はそう評していた。人物評に点の辛いことで知られる香月からすれば、相当な高得点だ。

理想や願望に囚われない現実的な思考をすることが出来、そうして導き出した結論を着実に実行出来るだけの行動力があり、そしてそれに見合うだけの手足の長さを持っている。

口だけが達者な若造や、保身にばかり励む年寄りとは一線を画す存在。そして何より、真に人類の勝利を願っている男。信頼まではできずとも、信用するだけの価値はある。

立ち位置も反第五計画派であると明確に示しており、彼が議長の座についてから第四計画の歩みは大きく前進することになった。五一五事変の際にも、彼の協力がなければ日本はアメリカの侵攻を許してしまっていたかもしれない。

 

だがそれでも、彼のことを計画のパートナーと捉えることは出来ない。

何故なら、彼はあくまで反第五計画派であって、決して第四計画派という訳ではないのだ。

敵の敵が一時的に味方についているだけであり、もし香月が何か大きな失態をしでかすようなことがあったならば、彼は躊躇うことなくその首を刎ねに来ることだろう。

それ故に、彼はいつも、会話の最後をこう締めくくるのだ。

 

「礼には及ばん。私はただ消去法の結果と、少々の個人的な事情から君に協力しているに過ぎん。もし、より勝利の可能性の高いと思われる第六計画が誕生したならば、私は喜んで君を背後から一刺しすることだろう」

 

繰り返されているやり取り。

伝えるべきことは伝え終えた。後は、承知しておりますわ、と。そう言って通話を切るだけ。

だがこの時、珍しく香月はさらなる言葉を口にした。00ユニットが完成し、後は戦場で敵を倒すのみとなったことで、彼女の心にも僅かながら遊び心が生まれたのだろうか。

 

「議長、よろしければその個人的な事情というものをお伺いしても?」

 

意外な言葉に、議長の思考が一瞬だけ静止する。この魔女からそんなことを尋ねられるとは思っていなかったのだ。

消去法の結果と個人的な事情。第四計画に肩入れする理由を問われた時、彼は常々そう答えてきた。軍政家としての彼ではなく、本来の彼が持つ茶目っ気からの言い回し。

その事情とは何だと尋ねられることもあった。それに対する答えは、単なる気分、或いはただの勘、もしくはまた別の曖昧な回答。その時その時によって返事は変わっており、尋ねた側も特に意味は無いのだなと、さらりと流す。そんな会話の潤滑剤。

 

けれど、この時の彼は些か様子が異なった。

それは、尋ねたのが香月だったからなのか。それとも、他に何か理由があるのか。

 

「……そう、だな。私はただ、借りを返したかっただけなのかもしれないな」

 

彼は事務机の上に置いてある写真立てを手に取ると、そこに飾られた懐かしい思い出を見つめる。

そして、ゆっくりと。心の内側を曝け出すように、言葉を口にした。

 

「決して返しきれることのない、大きな借り。それを、ただ」

 

瞳を閉じて、思い浮かべる。

あの、輝かしい日々の中で。いつも共にあった、その姿を。

そして、その血を受け継ぐ者の顔を。

 

 

 

 

 

 

 

11月25日。

 

その存在は、危機に瀕していた。

そのこと自体は今に始まったことではない。与えられた崇高なる使命を全うせんとする彼、もしくは彼女、或いはそれ以外の何かの前には、これまでも様々な壁が立ちはだかってきたのだから。

しかしその全てを、それは屈服させてきた。たとえ幾度かの敗北があったとしても、思考し、対処法を見出し、それを実践することで全ての障害を乗り越えてきたのだ。

……だが、今回のこれは。

 

天より災厄が降り注ぐ。

それに、新たな対応を見出すだけの時間は残されていない。

今、その場に存在する、これまでであれば何ら問題なく災害を排除してきた信頼すべき作業機械たちに命令を下し、もたらされる破滅から己を救わんとする。

 

一発。二発。

黒い光がはじける度に、堅牢な大地の鎧が削り取られていく。

幾つかの光は、蕾が開く前に散らすことに成功した。しかし、襲いかかる有り余る暴虐の前に、その程度の抵抗が如何程のものだというのか。

 

次から次へと絶え間なく、滅亡の花が咲き乱れる。そして、23輪目が花開いた時。その瞬間は、訪れた。

その、人とは別種の思考形態を保つ高度な知性も、恐怖を感じたのだろうか。いや、そもそも感情やそれに類する何かが存在したのだろうか。

最後の瞬間、それ辿った思考がどのようなものであったのか。知る術は、永久に失われた。

 

2001年11月25日08時12分。

月より地球へと送り込まれし、人の敵。人類に敵対的な地球外起源種、BETAの頂点に君臨する重頭脳級。帝国軍及び在日国連軍呼称"あ号標的”。

それが、その存在の消滅した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

「……あ号……あ号標的の、反応消失を……確認。オリジナルハイヴがっ、オリジナルハイヴがっ! 陥落しましたっ!!」

 

甲21号作戦旗艦である帝国海軍最上級大型巡洋艦一番艦最上の艦橋で、オペレーターを務めるイリーナ・ピアティフ中尉が涙に濡れた声で叫びを上げた。

それに続き、艦橋に詰める者達、戦闘配置につく各部署、作戦に参加する全ての艦、その通信を耳にした全ての者達から。大気を震わす、歓声が沸き起こる。

隣りにいる者と肩を組み、抱き合い、喜びの涙を流し合い。誰も彼もが、心の底より湧き上がる感動に打ち震えていた。

 

「……やりましたな、香月博士」

 

最上艦長小沢久彌提督が、隣に立つ香月へと語りかける。彼の瞳もまた、周囲の者たちと同様、熱い涙に濡れていた。

 

「いえ、提督。まだ作戦はフェイズ1が終わったばかり。オリジナルハイヴ陥落も、単に廃棄物を投棄した結果に過ぎません」

 

そう言って、不敵に笑う。

 

「これからですわ。我々の、オルタネイティヴ4の成果をご覧に入れるのは」

 

その言葉を聞き、小沢は軍帽をかぶり直した。

 

「……そうでしたな。これからが本番、ここで気を抜いてしまっては勝てる戦いも勝ちを逃すというもの。いやはや、年甲斐もなく熱くなってしまったようです」

「お気持はわかります。ですが、お覚悟なされたほうがよろしいかと。この先は、もっと熱くなっていただきますから」

 

それは、楽しみですな。

小沢の目に強い光が宿る。あの、佐渡が陥ちたその時の光景をまざまざと思い出し、そしてその雪辱を晴らす機会が遂に訪れたことを喜びに思う。

 

「これより、作戦は第二フェイズに移ります。……黒須、準備はいい?」

 

艦橋の大型モニターの一部が切り取られ、衛士強化装備を纏った蒼也の姿が映し出される。

 

「いつでもどうぞ、副司令。A-01各員、今か今かと逸っておりますよ」

「慌てなさんな。すぐに嫌ってほど働いてもらうわよ。……それでは、提督」

 

香月に促され、小沢が一つ大きく頷く。

 

「全艦隊に告ぐ。各砲門のトリガーをオモイカネシステムの管制下に。これより作戦第二フェイズ……佐渡ヶ島奪還作戦を開始するっ!」

 

再び、沸き起こる歓声。

兵達の高まりは、最高潮に達しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「タングステン01よりA-01各機。……少しだけ、いいかな」

 

佐渡ヶ島奪還のために上陸する戦術機甲部隊、A-01専用回線に蒼也の声が響いた。

 

「皆の中には、この作戦に不安を感じている者がいると思う」

 

静かに、いつもとかわらぬ口調で。

 

「それもしかたのないことだと思う。だって、僕たちA-01のみの一個連隊。正確に言うなら、それにすら満たない五個中隊のみで、ハイヴを陥とせっていうんだから」

 

新任たちの体が緊張で強張る。口の中がからからだ。

 

「これまでの人類の戦いから考えれば、そんなことは不可能だ。G弾の使われた横浜という例外を除き、これまでただの一度もハイヴ攻略は成されたことがない」

 

パレオロゴス作戦やスワラージ作戦。当時の人類戦力の大半を注ぎ込んだこれらの作戦ですら、遂に人類は勝利の二文字を手に入れられなかった。

 

「……この戦いに関して、僕が思っている本当の気持ちを、言うよ」

 

その物言いに、心にわだかまっていた不安が刺激される。……だが。

 

「正直、負ける要素が見つからない」

 

ぷっ、と。誰かが吹き出した。

そんなことだろうと思ったと、蒼也が何を言い出すのか、半ば予期していた先任たち。

対して、あっけにとられた表情の新任たち。

 

「今日を境に、BETAとの戦いは大きく様変わりすることになる。凄乃皇と、思兼。この二つがある限り、これからの人類に敗北はありえないよ」

 

そう言い放って、蒼也は自分の背後、複座型管制ユニットの後部席を振り返った。

そこにあるのは、子供の身長ほどの大きさの金属製の円柱。それこそが、オモイカネシステムの本体。

……そういうことになっている。

 

その中身は、人格の転写が成されていない量子伝導脳。金属の内側には、ODLの海にむき出しの人造脳がたゆたっている。

意識の存在しない素の状態であるため、思考することなど無い。もちろん並列世界から情報を集めることなど出来はしない、ただの計算機。

だがそれは、既存の全てのコンピュータを合わせたものよりも更に高い能力を持つ程の、常識外れの性能を誇る計算機なのだ。

 

そして蒼也がこの思兼に座するとき、それと蒼也の、二つの量子伝導脳がリンクする。

複数のCPUを持つコンピュータがより多くの処理を並列で行えるように、二つの脳を持つことになる蒼也の能力もまた、跳ね上がる。

デュアルコア量子伝導脳。それが、オモイカネシステムの正体であった。

 

「だから、信じるんだ。凄乃皇を。思兼を。僕を。そして、自分自身を」

 

何だろう、この高まりは。不安の影に脅かされていた新任たちの心にも、それをかき消すだけの炎が灯り始める。

いいように乗せられている気もするが、それでも彼の言葉がただの大言壮語でないことは、これまでの訓練で分かっている。

ならば後は、彼の言う通り、信じるだけだ。香月夕呼博士が生み出した切り札と、自分たちを。

 

先任たちには、不安など元より存在しない。今の新任たちの状況など、とうの昔に通り過ぎた。

何より、彼がいるのだ。再び、彼と共に戦えるのだ。これを喜ばずにいられるか。不安を感じる要素などどこに存在するというのか。

 

「伊隅中佐。指揮権をお預かりします」

 

モニター越しに伊隅の瞳を見つめ、いつもの崩れた敬礼。

それに不敵に笑い返し、伊隅が言う。

 

「ああ任せた、蒼也少佐。存分に、暴れてこい」

 

伊隅は凄乃皇とヴァルキリーズを率いて、第三フェイズから佐渡に上陸する。

蒼也と共に暴れまわるのは、またの機会にお預けだ。

正直、それを寂しくも思うが、信頼されて任せられた役割だ。これに応えなければ、彼と肩を並べる資格などない。

連隊指揮官としての初陣、あのクーデターの時に彼からかけられた言葉。それを裏切ることなど、決してありえない。

 

「A-01、隊規斉唱っ!」

 

伊隅よりかけられる号令。

それに、総員の声が唱和した。

 

『死力を尽くして任務に当たれっ!』

 

『生あるかぎり最善を尽くせっ!』

 

『決して……死ぬなっ!!』

 

「行くよ、A-01。地球を、取り戻そう」

 

蒼也の中の白銀の記憶とは少し違う、よりふてぶてしく、より逞しい言葉。

焚き付けられるように、全員の瞳が燃え上がる。

そしてそれは隊員たちの心に、戦術機の噴射口に。

湧き上がる昂ぶりを共にして。今、戦術機が佐渡へと向けて飛び立った。

 

 

 



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49話

 

佐渡ヶ島に、雨が降る。

国連宇宙総軍の装甲駆逐艦隊による軌道爆撃。そして、帝国連合艦隊をはじめとする各艦隊からの長距離飽和攻撃。対レーザー弾の雨。

レーザーの傘で妨げられた雫は重金属で作られた雲を生み出し、後からさらに続く雨粒と、そしてそこで戦う鉄の巨人を守る盾となる。

 

だが、巨人の出番はもう少し後のこと。

この雨が打ち砕くのはBETAだけではないのだ。それは鋼を砕き、大地を穿ち、受けるものに等しく死を撒き散らす。決して巨人も例外ではない。

故に雨が止むまでは、この地へと足を踏み入れてはならない。それまでは雨の降り注がないところで、じっと晴れ間を待つのが定石。

だが、しかし。

 

今、雨の具合を確かめるように空を見上げた光線級の一体を、飛来した36mmの弾丸が撃ち抜いた。いや、その一体だけではなく、周囲にいたものも同じ結末をもたらす。さらに範囲を広げ、光線級だけではない別種のBETAもまた、同様に。

鉄槌を下したのは、土砂降りの破滅の中を傘もささずに走り抜ける巨人。国連色に青く塗られた不知火たち。

 

雨の雫がその身に当たれば、巨人とてひとたまりもないのに、何故に彼等はやってきたのか。

犬死するのが怖くはないのだろうか。

 

……その通りだ。

彼等は、そんなものを恐れてなどいない。

何故ならば、彼等は知っているのだ。その雨粒が自らを穿つことなど、決して無いということを。

彼等を統率する頭脳が、雨粒の当たらない、それが穿った大地より飛来する飛礫すらも届かない道筋へと、導いているのだ。

故に、恐れなど無い。

今また、飛礫から逃げ惑う要撃級へと白刃が振るわれ、戦車級が貫かれた。

激しい雨の中、踊るように、舞うように。その不知火たちは敵を屠り続ける。

 

笑い声が聞こえてきた。

巨人を駆る一人の衛士の口から、耐え切れぬように漏れ出てきたものだ。

彼女は昂ぶっていた。心が弾んでいた。

BETAを屠ることに、ではない。勝利へ導いてくれる指揮官と、それに応えることの出来る、己自身がいることに。

この身に培ってきた。研鑽し積み重ねてきた。絶対とも言える彼の能力を真に活かすことが出来るのは、私達だけ。それが、この部隊。

一度は失い、それでも夢見て焦がれ続けた。いつの日か再びと、望み続けた。

それが遂に。この戦場で、遂に戻ってきた。

これを、喜ばずにいられるか。

 

見たか、BETA。

思い知ったか、化け物。

これがっ! これがっ!!

 

「これがっ、A-01だぁっ!!」

 

碓氷の叫びが、銃撃や着弾の爆音をさらに圧して、戦場にこだまする。

彼女は今、死と隣り合わせの戦場の中、歓喜に打ち震えていた。

 

 

 

 

 

 

 

──碓氷の奴、ノッてるわね。

 

回線越しに歓喜の叫びを聞いた伊隅。呆れたような、苦笑いが口元に浮かぶ。

まったく、はしゃいじゃって。通信をA-01の全員が聞いているの、忘れてるんじゃないかしら。

……まあ、気持ちはわかるけど。

 

蒼也少佐の指揮は何というか……そう、癖になる。

全ての事象が手の平の上にあるかのような全能感に包まれ、これなら確実に人類は勝利できると思わせてくれる。あの感覚は、他にない。自分ですらそうなのだから、少佐に心酔している碓氷などにとってはもう、他に代えがたいものなのだろう。

そして、残念ながら自分にも詳細は明かされていないが、どうやらオモイカネシステムは少佐の予知を強化、ないし増幅するシステムのようだ。

 

伊隅のその推察は、間違いではない。

かつての蒼也は、戦闘中の全ての指示を口頭で伝えていた。それは極普通のこと。というより通常、他に方法がない。

だがオモイカネシステムを使用して能力を拡大させることにより、新たな手段が生まれる。衛士強化装備の網膜投影システムに指示を表示させることで、戦場に存在する全ての衛士に対し、同時に指示を出すことが出来るようになったのだ。

さらに、文章ではなく矢印や数字といった記号を使うことで、口頭で伝えるよりも直感的に判断しやすくなる工夫がなされている。

これにより、一つの生き物のように取れていたA-01の統率が、さらに洗練されることになった。

 

ただし、このシステムにも弱点はある。

蒼也からの指示に対し、半ば盲目的なレベルで行動に移れないことには、予知の価値は半減してしまうのだ。

例えば、目前に金剛石の腕を振りかざす要撃級が接近しつつあるとき、それに背を向けて離れた敵を射撃しろという指示が出された場合。それは一見すると、自らの命を投げ捨てるかのような行為だ。すんなりとそれに従うことは、一般的には難しいことだろう。となれば、そこで出された予知は意味を失ってしまう。

 

その為かつての蒼也は、指示に対して反射のレベルで従えるようになるまで、部隊が蒼也を頭脳とした一つの生き物となれるまで、徹底的に連携訓練を重ねたのだ。

そしてそれこそが、別働隊が新任のみで構成されている理由。そしてオモイカネの、蒼也の指示を受けるのが先任ばかりである訳。新任に新たに蒼也流の連携を教えこむよりも、経験のある古参に任せたほうが、作戦成功率が上がるとの判断だった。

 

さらに言えば、凄乃皇が新兵器である以上、当然それとの連携を部隊の誰も経験していない。誰もが新たに学ばなくてはならない。ならば、そちらに新任を回したほうが効率が良いという意味もある。

 

伊隅は凄乃皇と思兼についての説明を受けた時、説明さずともそれを正しく理解した。同時に、新任と凄乃皇の指揮を任されるのは自分だろうとも。

確かに、それが最も効率も確実性も高い。そして、その信頼を裏切るつもりなど、毛の先ほどもない。

だがそれでも、少しだけ。心の奥底で碓氷たちが羨ましいと思ってしまう伊隅だった。

 

 

 

 

 

 

 

「タングステン01よりHQ。橋頭堡を確保した。これよりトールズ及びエインヘリヤルズを上陸させる」

「HQ、了解。これより作戦はフェイズ3に移行します。ヴァルキリーズ、出撃に備えてください」

 

──あなた。見ていてくださいね。

 

直掩となるエインヘリヤルズに守られ、今作戦において凄乃皇を除けば最大火力を誇る、黒須セリス率いるトールズが真野湾より佐渡へと上陸した。

即座に、トールズを中心に翼を広げるように、フリッグス及びデリングスが展開する。古来より合戦にて用いられてきた、前進してくる敵軍を翼包囲する鶴翼の陣と呼ばれる陣形だ。

 

さらに、トールズの背後へ思兼が位置することにより、この陣は完成を見る。

BETAに対して強力な誘引力を持つ、撃震改装備の99式電磁投射砲。そしてそれ以上に奴等を惹きつける、オルタネイティヴ4の粋となる高性能計算機を二台も積んだ思兼。その鶴の体を目指し、島中のBETAが吸い寄せられるように雪崩れ込んできた。

 

通常であれば死を覚悟せざるを得ないその光景に、しかし嘆く者はいない。

今の彼等にとってその光景は、哀れな蛾が群れをなして炎へと飛び込まんとする姿に他ならなかった。

 

99式電磁投射砲が火を吹き、狙いすましたかのような支援砲撃がさらに群れを焼いていく。

瞬く間に薙ぎ倒されていく害虫たち。だが、次から次へと湧き出てくる個体は群体となり、さらなるうねりを持って押し寄せる。

電磁投射砲に付いて回る欠点、継戦能力の弱さが露呈し、やがてその弾丸も尽きんとする。

だが、それもまた、予定の内のこと。

 

A-01を押しつぶさんと押し寄せてきたBETAの群れの動きが一瞬、停止した。

そしてその向きを変えると、既にA-01のことは忘れたかのように、一斉に移動をし始める。

背を向けられたA-01から見れば、それは格好の的。喰い放題とばかりに次々と射抜いていくも、BETAはそれに構う様子も見せない。或いはそれだけの知性が存在しないだけのことなのかもしれないが、その様は何かを必死に求めている姿のようにも思えた。

では、それは何に対してなのか。

 

「さ、始めましょ」

 

旗艦最上の艦上で、香月が呟く。

そして、新潟より佐渡ヶ島南東部へと上陸した凄乃皇が、主砲、荷電粒子砲の封印を解き放った。

 

目を焼くほどのまばゆい光が佐渡を貫く。射線上に存在した全ての生物、無生物を問わず、全てを薙ぎ払いながら、目標へと突き刺さる。

それは、黒く尖った花弁がいくつもいくつも積み重なったかのような、巨大な建造物。人の目からしてみれば、歪としか言いようのない構造物。

 

それが、砕けた。

その光景に誰もが口をつぐみ、目を見開き。

そして次の瞬間。想いが、弾けた。

 

沸き起こる歓声。流れ落ちる喜びの涙。

凄乃皇から放たれた一撃が、モニュメントと呼ばれるハイヴの地表構造物を、根こそぎ吹き飛ばしたのだ。

この瞬間、この場に居合わせた者は。これを目の当たりにした者は。この光景を決して生涯、忘れることは無いだろう。

それは、希望。正しく、それを具現化した姿だった。

 

 

 

そして。

もたらされた希望は、これだけで終わりではなかった。

 

 

 

2001年11月25日。

この日は、人類にとって大きな節目となる、記念すべき日として記憶されることになる。

日本時間で、その日の遅くのことだ。全世界へと向けて、その事実が発表されたのは。

 

ある者はTVのニュースで。ある者は街を走り回り、それを知らせる政府の広報車から。またある者は、街にばらまかれる号外にて、それを知った。

彼等の全てに共通していたのは、言葉に出来ないほどの、抑えようとしても溢れ出る涙を堪えきれないほどの、感動が押し寄せたこと。

 

オリジナルハイヴ、消滅。

そして、G弾を使わない人類戦力のみでの、佐渡ヶ島ハイヴ攻略。

その偉業を耳にして、喜びに打ち震えない者がいようか。

1973年4月に中国新疆ウイグル自治区喀什にBETAの着陸ユニットが落下してより、およそ30年。

遂に、人類がBETAに対し一矢を報いたのだ。

遂に、人類の反撃が始まったのだ。

 

 

 

今作戦の最大の功労者である、国連軍横浜基地。

実質的にそれを率いる香月夕呼博士の名は、軍人と民間人とを問わず、全世界へと知らしめられることになる。

いつしか、彼女はこう呼ばれるようになった。

聖母、と。

 

 

 

 

 

 

 

2001年12月5日。

 

オペレーション・アイスバーグ、甲21号作戦。それが一切の汚点をつけることなく、たった一人の死者すら出すことなく、これ以上ない完全な形で達成されてから、10日。

未だ全世界がお祭り状態。誰もが戦勝気分に浸っていたが、当事者であるオルタネイティヴ4の基幹要員たちにおいては、その限りではなかった。

 

制圧した佐渡ヶ島の、ハイヴ跡地の奥底に存在する、反応炉。

それを守るための、そしていずれ大陸のBETAに対して打って出るための、佐渡ヶ島前線基地の建造が開始された。

 

そう。

佐渡ヶ島ハイヴの反応炉は、破壊されていない。

通常で想定されているハイヴ攻略戦においては、S-11をもって破壊されるはずの反応炉。佐渡のそれは、無傷で残されていたのだ。

凄乃皇と思兼の能力を最大限に活かし尽くした結果、反応炉を破壊することなく、佐渡に属していた全てのBETAを抹殺し尽くすことに成功したのだった。

 

BETAは、反応炉より活動のためのエネルギーを補給する。

その為、生きている反応炉はそれだけでBETAを集める誘引剤となる。

これまで、人類が手にした反応炉は唯一、横浜基地のもののみ。そしてこれまでに起こった佐渡からの侵攻の全ては、最終的にこの横浜を目指してのものだった。

これは、危険な状態だ。

 

横浜がそれだけでBETAを呼び寄せるなら、その近くにある人類勢力圏もまた脅かされる。

その中には帝都もまた、当然のように含まれている。

既に日本はかつての首都、千年の都を失っている。この上で東の京まで失うようなことがあれば、この国に住まう人たちにとってそれは如何ほどの痛手となるのか。

そして日本が受けるダメージは、直接オルタネイティヴ4にも影響する。

 

それを避けるために、香月は本拠地を佐渡に移すことを求めた。

佐渡の反応炉を生かしたままに要塞化することにより、鉄原を始めとするユーラシアのハイヴからの侵攻先を誘導し、かつその撃退を容易とする。

そうすれば、日本の防衛はより強固なものとなることだろう。

 

特に、鉄原ハイヴの動向には注意をはらう必要があった。

かのハイブには、もう随分と目立った動きが見られない。一見すれば喜ばしい事態に思えるが、過去のBETAの動きにある程度でも精通しているならば、これは逆に脅威としか映らない。

かつて当時のA-01を壊滅せしめた、そして日本を半壊せしめた、重慶ハイヴからの大侵攻。それを、彷彿とさせるのだ。

 

ならば、先んじて手を打つべきだろう。

それが香月夕呼の思惑だった。

 

 

 

しかし、全ては遅きに失したのだ。

彼女はそう、痛感することとなる。

 

 

 

佐渡ヶ島要塞の建造にある程度の目処が立つまでは、A-01の本拠地は横浜から動かすわけにはいかなかった。

基地に残している様々な機密はもちろんのこと、何より00ユニットのODL洗浄の必要があったからだ。

それ故に、佐渡には帝国本土防衛軍の精鋭を残し、香月とA-01部隊は横浜へと帰還していた。

 

その夜の事だった。

その通信が舞い込んだのは。

 

「……竜がっ! ヤマタノオロチがぁっ!!」

 

その言葉を最後に。

佐渡ヶ島仮設基地からの通信が、途絶した。

 

 

 




リアル個人的事情により巻き巻きですが、次話より最終局面へと突入します。


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50話

 

2001年12月5日。

 

その夜の横浜基地において、睡眠という快楽を享受できた者はいなかった。

消灯時間から間もなく鳴り響いた警報、それは基地が防衛基準体制2へと移行したことを告げていた。

人類に危機が迫る中で図太くも眠り続ける者など、この希望の砦にいるわけがない。ベッドから飛び起きた衛士達は、各隊毎に割り当てられたブリーフィングルームへと、押取り刀で駆けつける。

 

A-01第5中隊エインヘリヤルズ指揮官平慎二大尉が第一ブリーフィングルームへと辿り着いたときには、伊隅中佐以下の各中隊長たちは既に集結済みだった。

 

「遅いぞ、平」

「すみません。中佐、一体何が起きたので?」

 

時間をかけてゆっくりと口説き落とした他部隊の美人衛士と、遂にベッドを共にしようとして。その矢先に警報が鳴り響いた平からしてみれば、色々と思うところもあったのだが、とりあえずは謝罪と質問を口にする。

しかし、その問いかけに対して伊隅はゆっくりと首を振るだけ。

 

中佐ですら事態を把握していない。

ということは、これは事前に予測のしようもない、突発的な事態ということ。

推測は無駄だと悟った平は指定の席につき、事態を把握しているであろう人間、香月副司令か或いは蒼也少佐の登場を待つ。

そうするうちに隊長職についてない一般衛士たちも続々と集まり、最後にその二人が機密区からの扉より姿を現した。

 

そして香月は、疑問という名前の彫像となっている隊員たちを見渡した後、考えつく中でも最悪から数えたほうが良いと思われる一言を言い放った。

 

「佐渡が陥ちたわ」

 

隊員たちにざわめきが走る。

人類にとって初めての、G弾を用いないハイヴ攻略。全世界を歓喜の渦に巻き込んだその偉業が、たったの10日足らずで無に帰したというのか。

しかし、佐渡には帝都守備連隊の精鋭が駐屯していた。今現在も戦闘中というならば分かる話だが、既に陥落しているとはどういうことだ。彼等が全滅するだけの規模のBETA侵攻なら、もっと早くに察知できそうなものだが。

 

隊員たちの疑問に対する香月の答え。

それはまったくもって予想外のものだった。

 

「今回、BETA侵攻の察知が遅れた理由はね……敵が、たったの一体のみだったから」

 

そう言って、佐渡の戦闘にて撮影されたという映像をスクリーンに表示する。

息を呑む音が、静まり返った室内に響いた。

 

「ヤマタノオロチ。それが佐渡からの最後の交信よ。上手いこと言ったもんだわね」

 

そこに映しだされていたものは、要塞級BETAを巨大化させ、うねうねと蠢く9本の首を付け加えたような異形の姿だった。

 

「こいつがやって来たのは、鉄原ハイヴから。監視衛星からの映像を解析した結果、あたし達が佐渡でドンパチやってる時にハイブから這い出してくる姿が確認できたわ。海底をゆっくりと歩き続けて、10日かけて佐渡へと上陸したわけね。そしてこのたった一匹で、佐渡の戦力を壊滅せしめた」

 

信じたくないものを見るような視線を受けつつ、香月の説明は続いていく。

佐渡での戦闘データを決死の思いで持ち帰った一部の衛士よりもたらされた情報によれば、全高はおよそ90m。9本の首の先には照射膜があり、そこから重光線級に匹敵するレーザーを照射してくる。

恐るべきは、その照射速度。インターバルはほぼ存在せず、まるでガトリング砲のようなレーザーの速射が飛んで来るという。

他にも要塞級のものと同様の、ただし本体のサイズが違う分だけ巨大化された衝角を持つ。それに加えて100本以上の小型の衝角も持ち、自在に振り回して攻撃してくるという。小型とはいえ、戦術機を破壊するには十分な威力だ。

 

遠距離からはレーザーの連射、近接では無数の触腕。併せ持たれた隙のない鉄壁の防御力と、驚異的な攻撃力。

まったく、聞けば聞くほど嫌になる。

 

「日本海に展開した帝国連合艦隊からの重点飽和攻撃すら、全て叩き落とされたそうよ。止めに、ここを見て。この光っている部分だけど、小型の反応炉と予測されるわ。つまり、エネルギーの補充は万全。燃料切れを狙うことも出来ない。……まさに、BETAの移動要塞ね」

 

これまでの、数が最大の脅威というBETAのあり方とは一線を画す存在。判明している情報以上の隠し玉を持っている可能性も否定出来ない。

恐ろしく強大な敵だということは、呆れるほどに理解できた。

 

「ここからが本題よ。こいつは佐渡を蹴散らした後、再び行動を開始して海へと潜っていった。予測進路はここ、横浜。再び姿を表して新潟へと上陸するまで、推定で10時間後」

 

BETAは行動後に反応炉からの補給を必要とするため、通常であれば多少なりと佐渡にとどまる時間が生まれる。

だが自前でエネルギーを補充できる以上、即座に次の行動へと移れるということか。

 

「あんた達は今すぐ新潟に向かって。あらゆる状況に対処できるよう、推定上陸地点からやや内陸に入ったところで、即応体制で待機。奴への対処法はこれから詰めるから、現場で交代で仮眠をとっておきなさい」

 

一拍置いて、息をつき。

 

「これより、仮称超重光線級、識別名ヤマタノオロチ撃退作戦を発令する。……神話の竜退治よ、気張りなさい」

 

総員が見事に揃った敬礼をもって応える。

にも関わらず、香月からは敬礼はいらないという、お決まりの言葉も出てこない。

副司令ですら軽口を叩く余裕が無い、事態はそれ程に深刻なのか。

衛士たちの心がより一層、引き締められた。

 

 

 

 

 

 

 

「で、あれについての心当たりはないわけね」

 

ブリーフィング後、香月と蒼也は場所を副司令執務室に変え、竜退治の方法を検討していた。

残された猶予は少ない。だがあれは、闇雲に戦っては勝てない、強大な敵だ。こういう時こそ、冷静な判断が求められる。

 

「ええ。白銀の記憶に奴の姿はありません。鑑が佐渡でリーディングしたデータには?」

「解析が全て終わっているわけじゃないけど、今のところは情報なしね」

 

では、今ある数少ない材料で何とかしなければならない。

順に整理していこう。

 

「まず、あれが作られたのは鉄原ハイヴで間違いないわね」

「他から移動してきた痕跡が見当たらない以上、おそらくは。母艦級で運ばれたという可能性もありますが、だったら鉄原で降ろさないで佐渡へ直接向かうでしょう」

 

わざわざ海底を歩いてきた以上、鉄原ハイヴ以外で生まれた可能性は低いと判断できる。

 

「次、あいつはいつ作られた? オリジナルハイヴのあ号標的が倒されたから、慌てて生み出したと思う?」

「いえ、それはない……と、信じたいです。その場合、制作の指示を出した重頭脳級に変わる司令塔が存在することになりますから」

 

仮にそうだとすると、事態は最悪を通り越すこととなる。

 

「もし重頭脳級を倒してもその都度バックアップが生まれるようであれば、頭を叩くことに意味はなくなる。いずれ、凄乃皇や思兼に対応する手段も編み出されることでしょう。……人類の敗北が決定します」

 

かつて月よりBETAが飛来したばかりのころ、空を飛べないBETAに対して航空機からの爆撃が猛威を振るい、一度は奴等を殲滅する寸前まで追い詰めた。

だが、BETAは光線級を創造することによりそれに対処。人類の優位性はその時に消滅した。

そう、BETAは学習するのだ。重頭脳級が存在する限り、現状いかに効果的な武装であっても、いずれは無効化される。

 

「それに、あれだけのものが10日かそこいらで生み出されたとも考えにくいです。以前より、何らかの目的で作られていたと考えるのが自然ではないかと」

「そうね。鉄原ハイヴの動きが不活性だったのは、あれを作っていたからと考えるべきね」

「だとすると、1年ほど前からですか。少しホッとしました。もし、たった10日で量産できるなら、重頭脳級の有無にかかわらず人類の勝ち目は厳しくなりますからね」

 

推論を重ねての結論ではあるが、人類滅亡が確定したわけではないようだ。

物事を楽観的に考えるのは強く戒められるべき立場にいる二人だが、それでも安堵を抑えきれない。

 

「でも、一年前というと……」

「おそらく、XM3でしょうね」

 

五一五事変を経て、今より一年ほど前からXM3は急速に全世界へと普及していった。衛士の死亡率はそれまでの半分以下にまで減少、BETAを倒す効率も飛躍的に上昇した。佐渡からの侵攻に対しても、新潟の第一防衛線で危なげなく撃退できていたのだ。

 

「次の問。何故、作られたのか。それに対する答えね」

 

その状況にいつまでも甘んじているBETAではなかったということか。

それ以前よりも格段に強力となった人類の抵抗に対し、その対抗手段としてあれが生み出されたと考えれば、辻褄が合う。

 

「バタフライエフェクトは覚悟していましたが……XM3の普及が裏目に出ましたかね」

「それは違うでしょ。対抗手段を模索しなければならないほど、BETAは追いつめられた。それだけ人類は優勢に立っているってこと。これまでの積み重ねは間違っていなかったっていう証拠じゃない。XM3がなければ、ずっとジリ貧だったでしょうね」

 

間違った手段をとってしまったかと、悔いる蒼也。

だが、それに対する香月の言葉を聞いて、浮かんだ表情がぽかんとしたものに変わる。

 

「何よ、その間抜けな顔は。あたし、間違ったことを言ったかしら?」

「いえ、そうではなく。珍しく、副司令からフォローの言葉をもらえて嬉しいなと」

「……馬鹿なこと言ってんじゃないわよ」

 

あ、少しだけ耳が赤くなった。

変なことを言ってしまってごめんなさい。本当は、よくわかっていますよ。

副司令が、実はとても優しい人だってことは。

感謝の言葉を伝えたいが……やめておこう。この人にそういうのは似合わないし、照れ隠しに銃撃されるのも面倒だし。

 

「まあいいわ。結論をいうと、ヤマタノオロチは手強くなった人類に対抗するための、テストケースとして作られた一体。そういうことね」

 

既存のBETAは、奴等からしてみれば土木作業用の機械というところ。

ブルドーザーやショベルカーで襲いかかってくる敵に対し、それまでは生身で対抗してきた人類が、銃器を持って反撃しはじめた。

その抵抗が馬鹿に出来ないものとなってきたため、敵は遂に戦車を持ち出してきた。

概略をわかりやすく例えると、そういうことだろう。

 

「そして既に重頭脳級が存在せず、戦車の有効性を検証できない以上は、新たな戦車が作られることはない。今あるものも、予め決められたプログラムに添って動いているに過ぎない。おそらくは、人類勢力下にある反応炉を取り戻そうとしているってところかしら」

 

鉄原から佐渡、そして横浜。

その行動から考えるに、そういうことなのだろう。

 

「つまりあれを倒せば、この問題はそれで解決。後は倒すだけ、なんだけど……」

 

色々と現状の考察を重ねてきたが、それらはこの問題の前には無意味。シンプルにして非常な難問。

それは、どうやって倒すか?

 

敵は重光線級クラスのレーザーを間断なく撃ってくる。遠距離からの砲撃は全て撃墜されると考えていい。

かといって近接攻撃ならどうにかなるかといえば、そもそもレーザーと無数の触腕により近づくことすら出来ないのだ。

……通常の、オルタネイティヴ4によらない戦力を使うので、あれば。

 

「レーザーの雨をかい潜り、触腕の森を掻き分けて、奴に接近してレーザー照射膜を破壊する。或いは、遠距離からレーザーでは撃墜不可能な手段で狙撃する。その二択ですよね」

 

佐渡ヶ島攻略で無双の強さを魅せつけた、二つの兵器。

 

「どっちが良いと思う?」

 

香月の問に、蒼也が答える。

 

「ヤマタノオロチを退治するのは、スサノオノミコトの仕事ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

2001年12月6日。

 

ヤマタノオロチ上陸予測地点から、数km内陸に入った場所。

視界にとらわれるなりレーザーで蜂の巣にされる危険を回避するため、目標からは死角になるその位置に、いくらかの間隔を開けて迎撃のための部隊が集結していた。

 

A-01連隊、帝国本土防衛軍及び帝国斯衛軍の戦術機甲部隊。そして、それらの更に後方に凄乃皇。水平線の彼方には帝国連合艦隊も控え、各砲門を開いて照準を合わせている。

 

皆、その時を緊張に包まれながら待っていた。

日本神話の竜の名を冠された最強のBETAが、水を割って現れるのを

 

「目標出現まで残り60。59、58……」

 

監視衛星からの情報を元に、連合艦隊旗艦に設置されたHQにて、CPの涼宮遙中尉がその瞬間までの秒読みを開始した。

ムアコック・レヒテ機関を起動さた凄乃皇が不可視の翼を広げ、天へと舞い上がる。

 

ヤマタノオロチ迎撃のために選ばれた手段は、とても単純なものだった。

光線級のレーザーでは撃墜不可能な、凄乃皇の荷電粒子砲を用いての殲滅。ただそれだけのシンプルな、それだけに対処のされようのない方法。

上空から撃ち下ろす形ならば容易に射線に捉えることが出来、また、友軍が射撃に巻き込まれることもない。

同時にヤマタノオロチからの射線も通ることになるため当然、反撃を受けることにもなる。だが重光線級相当のレーザー程度、ラザフォード・フィールドという鉄壁の盾で無効化出来るのだ。

 

もちろんそれは凄乃皇を操る鑑純夏に負担をかける行為であり、無限に防ぎ続けるようなことは出来ない。とはいえレーザー照射を受けるとしても、たかだか主砲を撃つまでの間だけ。佐渡攻略時の実績から考えても、その程度は大した問題にならない。

何らかの理由により凄乃皇からの攻撃が無効化された場合等の、万が一の不測の事態に備えてA-01を始めとする戦術機部隊が配置についてはいるが、おそらくその出番はないだろう。

 

佐渡駐屯の部隊が全滅している以上、事態を楽観視するつもりはない。ヤマタノオロチはこの上もなく強大な敵だ。

だが、日本神話においてその大蛇は、スサノオノミコトによって討伐された。そして現代においても、それは同じだろう。

現状で判明しているデータを何度見返しても、その結論に代わりはないように思える。

 

……それでも。

 

「30、29、28……」

 

カウントダウンが続く。

間もなく、敵の頭が水面の外に出るだろう。もう少し引きつけて、上半身が姿を現したところで荷電粒子砲を放てば、それで終わり。

それまでの間にレーザー照射を受けるかもしれないが、凄乃皇ならば十分に耐えられる。

何の、問題もない。

 

……だが、それでも。

蒼也は、これ以上もないほどの焦燥感に、急き立てられていた。

 

 

 

頭痛がする。

まずい。これは、まずい。

何かが起ころうとしている。重大な、何かが。

 

かつて明星作戦中に蒼也を襲った、未来予知からの警告。

何かが起ころうとしている。

 

それは何だ。

何が起きるんだ。

 

考えろ。

未来を見ろ。

世界への扉を開け。

 

あのときは、間に合わなかった。

G弾が破壊をもたらすのを、止めることが出来なかった。

 

だから、今回は。

今回はっ!

 

 

 

………………っ!!!

 

 

 

「鑑っ!! 駄目だっ、下降しろっ!!」

 

 

 

緊急回線に響く、蒼也の焦りに満ちた声。

それを聞いた鑑が反射的に射撃を取りやめ、機体を大地へと向けた。

同時に、蒼也の量子伝導脳から出された指示が凄乃皇に干渉し、ラザフォード・フィールドを強制的に最大展開させる。

 

次の瞬間。

世界が、白く染まった。

 

海中より覗かせた、大蛇の9本の首。

それが捻れるように、絡みつくように一つへと纏まり。

 

そして、光が放たれた。

凄乃皇の主砲も斯くやという程の輝きと、あらゆるものを消滅させんがばかりの熱量。

 

輝く槍は不可視の障壁を、数瞬の抵抗の後に貫き通す。

竜殺しの神は、地へと叩き落とされた。

衛士強化装備を通して聞こえる鑑の、耳をつんざく悲痛な叫び。

 

そして。

それが、唐突に途絶えた。

 

「純夏ぁっ!!」

 

白銀の駆る不知火が、鑑の元へと駆けつけんとして。……その足を、止めた。

愛する者の安否を気遣わないわけではない。今すぐにでも飛んでいって、あの鉄の箱から彼女を助け出したい。

だが。

 

「……なんだよ……これ……」

 

白銀の足を止めさせたもの。

それは、地を揺らし、轟音を響かせ、姿を現す。

 

集結する戦術機甲部隊と、遂に完全に姿を現した大蛇との半ば程。

大地より、新たに長大な蛇が姿を覗かせた。

もたげられた鎌首は、それだけでヤマタノオロチの倍はあろうか。凄乃皇に匹敵する巨大さ。

未だ地中にある胴の長さが如何ほどになるのか、想像もつかない。

 

そしてそれが。ゆっくりと、顎を開く。

蛇の口中より吐き出されたるは、要塞級、要撃級、突撃級、戦車級……数多のBETA共。

ほんの数瞬前までは容易な任務だと思われていた戦場が、地獄と化す。

誰かが上げた悲鳴が、遠く近く、こだましていた。

 

 

 



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51話

地より放たれた雷光が天を翔け、凄乃皇を貫き通す。

通信回線に響き渡る鑑純夏の悲鳴。そしてそれが途絶えた時。

重力を操る力を失った人の希望が、抗う術もなく、地へと堕ちた。

 

悪夢はそれにとどまらない。

凍りついた人類の前に現れた、新たな竜。

地より這いずりだしたそれが、口から数多の異形を吐き出す。

 

刻が、停止した。

先の戦いで、無傷でハイヴ一つを陥落せしめた、明日を切り開く剣。それが折れ、砕ける様を目の当たりにして。

常識の枠外にある巨体と更に、自らを磨り潰さんと押し寄せる群れを前にして。

誰もが、思考する能力を失っていた。

 

 

 

 

 

「ヴァルキリー01よりHQ、AL弾だっ! AL弾をありったけぶちかませっ!!」

 

迫り来る絶望の中、最も早く行動を起こしたのは、A-01を率いる戦乙女の頂点、伊隅みちる中佐であった。

 

「A-01各機、何を呆けているっ! 隊列を組め、迎え撃つぞっ!」

 

その声に、我に返る。

そうだ、何をしている。このような不測の事態の時のために、自分達がいるのではないか。

佐渡で無双ぶりを魅せつけたあの凄乃皇が、陥ちるはずがない。勝手にそう思い込んでいた。

BETAとの戦いでは何が起こるかわからない、それは判っていたはずなのに。

 

一瞬前までの己自身を恥じる。心に炎を燃やす。

ここは、私達が守る。日本は、人類は、私達が守りぬく。

決意を新たにA-01が、それに続いて斯衛の、そして本土防衛軍の精鋭たちが歩み出る。

連合艦隊より飛来した無数のAL弾の全てをヤマタノオロチが撃ち落とし、戦場が重金属の雲に包まれる。

人と、異星よりの侵略者との、生き残りをかけた戦いが始められた。

 

 

 

 

 

定めていた策が敗れ、戦いが泥沼へと傾きつつある中、蒼也は何をしていたのか。

機体に搭載された量子伝導脳を起動させ、システムに組み入れられたXM3搭載機に予言という名の指示を出すべきであろう彼は、それを出来ずにいた。

 

呆けていたのではない。

取り乱していたのでもない。

 

この戦いに生き残るため、人類の勝利を成し遂げるため、何をすべきか。

思考をクロックアップさせ分割し、並列に幾つもの事象を検討した結果、出された結論。

それは、オモイカネシステムとしてこの場を勝利に導くことではなかった。

己が今、成すべきこと。それは。

 

 

 

──ヤマタノオロチを、僕が屠る。

 

 

 

それしか、ない。

僕はあれの事をなめていた。強敵には違いないが、凄乃皇がいれば問題なく倒せると、そう高をくくっていた。

だが、実際は。

 

全ての首を束ねて放出されるあの大出力レーザー。

あの火力は、凄乃皇の荷電粒子砲に匹敵するか、下手をしたらそれ以上だ。

現在の人類に、あれを防ぐ術はない。

僕の予言の元に束ねられた戦術機部隊だろうと、光線級からの攻撃にも壁となれる耐久力を持つ艦隊だろうと、あれの前には無意味。薙ぎ払われれば、全滅という結果だけしか残らない。

 

しかも、速度は遅いとはいえ、奴は移動する。

補給の必要もなく、ただ人類を滅殺するために活動し続ける機動要塞。

更に、この場に母艦級が現れたことから推測すれば、他のBETAに対する指揮権と、連携を取れるだけの知性すら持っている可能性もある。

はっきり言って、あれを倒すのは、ハイヴ一つを陥とすよりも難易度が高いだろう。

 

しかし、今なら。

今なら、これ以上の犠牲なく倒せるかもしれない。そして、その機会はこれが最初で最後だ。

今、奴はあの大出力レーザーを撃ってくる気配がない。撃てばそれで終わるにもかかわらず、だ。

おそらく、あれを撃つにはインターバルが必要なのだろう。

次が来るまで、後どれくらいの時間がある?

10分以上の余裕があるかもしれない。数分後には撃ってくるかもしれない。それはわからない。

だが、僕に予知できる範囲において、奴は照射してくるのは通常の重光線級程度の火力のもののみ。それも、発生した重金属雲により威力は減衰できる。

だから、やるなら今しかない。

 

だが、どうやって倒す?

鑑は無事だ。かかりすぎた負荷により自閉モードに入っただけ。表現は悪いが、ブレーカーが落ちている状態だ。入れなおせばすぐに起動する。

けれど、凄乃皇は使えない。

大破こそしていないから、修理すればまた活躍してくれるだろう。だが、この戦いでの運用は絶望的。

 

昨夜に導き出された、二択の手段。

遠距離からレーザーでは撃墜不可能な手段で狙撃する。それが出来ないなら、もう一方を選択するしかない。

つまり。レーザーの雨をかい潜り、触腕の森を掻き分けて、奴に接近してレーザー照射膜を破壊するのだ。あとは、艦隊からの砲撃で片がつく。

残された手段は、それのみ。

 

 

 

 

 

「伊隅中佐。指揮をお願いします」

 

既にBETAの群れとの交戦中。間断なく指示を飛ばし続けている伊隅に、敢えてそう告げる。

 

「……やるんだな、少佐?」

「ええ。僕が単騎で光線級吶喊を行います。成し遂げるまで、耐えぬいてください」

「わかった、ここは任せろ。……蒼也少佐、ご武運を」

 

単騎でなど、無謀。フリッグス辺りをつけるべき。伊隅の中の常識は、そう意見する。

だがもう一方で、それでも不可能。例え護衛をつけたとしても成し遂げられない。そうという判断も下している。

レーザーが減衰しているとはいえ、合計100本以上の、自在に振り回される鞭のような触腕を掻い潜ることなど……出来るわけがない。

だが、この男がやると言ったのだ。

今のA-01の中では、碓氷と並んで自分が最も彼との付き合いが深い。不可能を可能としてきた彼のこれまでの戦いを、誰よりもよく知っている。

 

ならば、信じろ。

彼なら、蒼也少佐なら、この窮地を切り抜けてくれると。

既に息をつく間もなくなりつつある戦闘の中、伊隅は視線のみでの敬礼を捧げる。

万感の想いを込めて。

 

 

 

 

 

──まるで、おじいちゃんの時みたいだな。

 

京での戦いで、斯衛の残存勢力を生かすため、そして真耶を守るため。単騎での吶喊を見事に成し遂げた、祖父の最後が思い浮かんだ。

祖父の気持ちが、今ならよく分かる。

僕も、守りたい。人類と、そして。

 

──真那ちゃんは……真那は、僕が守る。

 

ここで僕がやらなければ、真那が死ぬ。

そんな世界に……意味は、ない。

僕は、僕のエゴを通し切るために、この戦いに勝つ。

 

だが。

だが、しかし。

 

──だけど、僕では……無理か。

 

未来が視えない。

触腕の壁を貫いて奴の元へと辿り着く未来が、どうしても視えない。

奴と自分とでは、相性が悪すぎる。

 

蒼也の戦いは基本、後の先をとるもの。

己は動かず、敵の攻撃を刹那の見切りで躱し、生じた隙に一撃を振るう。それが蒼也の培ってきた剣技。

 

だが、この戦いに必要とされるのはそれではない。

自らが貪欲に前進し、斬り込み、勝利をもぎ取る。いわば先の先を取る戦法が求められる。

それは、蒼也とは真逆の戦い方だった。

 

この場にいる中で最もその適性が高いのは、白銀だろう。次点で碓氷、速瀬といったところか。

だが、今の彼では不可能だ。

将来的にはその境地まで行き着くことだろう。だが、今の白銀には圧倒的に経験が足りていない。そして仲間や恩師の死を経験しておらず、本当の意味での覚悟も定まっていない。

 

ならば、どうする?

最も可能性の高い自分ですら、不可能。この現状をどう打破する?

 

──出来る人間がいないなら……連れて来るまで。

 

僕の能力は、並列世界を覗き見る力。

この力を使って、並列世界の白銀を、戦い続けて極みに達した世界の白銀を、この身に宿す。

理論上は可能。何度も検討してきた。

生身の体では、負荷に耐え切れずに脳が焼き切れる。だけど、この00ユニットとしての体なら。この量子伝導脳なら。

 

僕は、運命を信じよう。

僕がこの体となったのは、必然だった。

今日この日のために、この体を手に入れたのだと。

 

ならば、成してみせろ。

ならば、勝ち取ってみせろ。

鋼よりも固いタングステンの魂を、見せつけろっ!

さあ……いくぞっ!!

 

──因果を、結べ。

 

自分と白銀との間に結ばれた因果、彼の記憶を繋ぎ止める。

 

──世界を……繋げっ!!

 

意識を拡大させ、拡散させ、世界と世界の壁を壊す。

 

──来いっ! 白銀っ!!

 

そして。

蒼也の意識が、世界を渡った。

 

 

 

 

 

無限に引き伸ばされた刹那の時。

那由他の彼方まで続く道の両側に、無数の扉が連なっている。

その一つ一つが、他の世界への扉。

蒼也は、それを一つづつ開け放っていく。

 

──どこだ、どこにいるんだ、白銀。

 

十の扉を。百の扉を。千の扉を。

 

──どこなんだっ!

 

万の、億の、兆の扉を。

 

──頼む、僕の世界を守るため、僕の大切な人を守るため、力を貸してくれっ!

 

無限の数だけ存在する並列世界。

ここに並ぶ世界は、自分と何らかの因果が結ばれている世界。

その多くに、白銀はいた。

 

或いは衛士として、或いは民間人として、或いは武家として。

或いは死者として。或いは鑑と同じく捕らえられた標本として。

 

──お願いだっ!

 

京、垓、杼、穣、溝、澗、正、載、極。扉を開く。

 

だが、いない。

衛士としての極みに達した、あの窮地を救えるだけの力を手にした白銀が、どうしても見つからない。

 

──……お願いだ……白銀……

 

一体、どれほど歩き続けたのか。

一体、どれほどの扉を開き続けたのか。

一体、どれほどの時を過ごしてきたのか。

 

擦り切れた魂が、遂に膝をつかせる。

所詮、タングステンは白銀の偽物でしかないのか。

真に強さを手に入れた、本当の本物との因果など、結ばれてはいないのか。

 

──だけど……だけどっ!

 

まだだ。

まだ、諦めてたまるものか。

挫けてなんて、やるものか。

扉はまだある。

恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数。……無限の彼方まで。

 

必ず見つけ出してみせる。白銀を。

いや、白銀じゃなくてもいい。僕の世界を救える力を持つ、誰かを。

悔しいけど、僕一人じゃ駄目なんだ。

だから、必ず。その人を連れて帰ってみせる。

 

摩耗した心に再び光を宿し、顔を上げる。

膝に力を込め、立ち上がる。

そして、再び一歩を踏み出そうとした……その時だった。

 

 

 

 

 

──……どうした?──

 

 

 

ふと。

 

 

 

──よくわからんが……何だか、随分と困っているみたいだな──

 

 

 

ひどく懐かしい、とても優しい声。それを、耳にした。

そんな気がした。

 

 

 

──……俺で良ければ、力を貸そうか?──

 

 

 

ぽん、と。

大きく、温かい手。それが、頭の上に置かれた。

……そんな、気がした。

 

 

 

 

 

その変化に最初に気がついたのは、A-01の前衛中隊を率いる碓氷桂奈少佐だった。

BETAに押され、乱戦の様体を示し始めた戦況の中。何か胸騒ぎのような、良くない気配を感じた碓氷。彼女は目の前のBETAを処理しながらも視界を広く取り、戦場全体を俯瞰していた。そして、見つけたのだ。

一匹の要撃級が思兼へと近づき、その金剛石よりも固い前腕を振りかぶっているのを。

 

蒼也を救うべく、右手に構えた突撃砲の銃口を、それへと向ける。

……だが。

 

──少佐っ!!

 

間に合わない。

音よりも早く銃弾がBETAを襲い、その生命を刈り取ったとしても、その時には既に、手遅れ。

意識が拡大し、時間が引き伸ばされる。スローモーションのように、コマ送りの映像のように、薙ぎ払うように振るわれた一撃は思兼の管制ユニットへと達しようとしていた。

しかし。

 

──少佐が、アクロバットっ!?

 

それは、全くの予想外の光景。

思兼は、上体を逸らすようにして横薙ぎの一撃を躱す。当然のように機体は後ろへと傾きすぎ、重力に引かれて大地へと誘われる。だが地へと叩きつけられる音は響かない。機体が両手に構えていた突撃砲を一瞬の判断で投げ捨て、頭上へと伸ばした両腕を大地に付き、そのままトンボを切るように一回転。再び二本の脚で立ち上がったのだ。

しかも、誰かが投棄していたそれを、手をついた時に同時に拾うという神業も見せている。右手に一振り、左手にも一振り、その時には二振りの長刀を構えていた。

 

その軽業師のような機動はそれだけで終わらない。

己を襲った要撃級の腕が虚空を薙ぎ払うのに合わせ、それとは逆向きに回転した機体が、その勢いのままに長剣を後ろ薙ぎにし、一瞬前まで完全に優位に立っていたはずの異形の生命を刈り取った。

 

すごい。

Gに弱いはずの少佐が、あんなアクロバティックな動きを見せるなんて。

もしかしたら、少佐のG耐性の低さは彼を襲っていた病が原因で、それが完治した今、本来の機動ができるようになった……とか?

 

まあ、いい。

何にせよ、少佐は無事。そして、これまで以上の力を手に入れている。

よくわからないけど、それでこそ蒼也少佐だ。

蒼也の復活した姿を見て、碓氷の心がこれ以上もないほどに昂ぶった。

 

 

 

 

 

だが、碓氷の考えは違っていた。

G耐性を克服したのは、彼が00ユニットという機械の体を手に入れたからである。

そして彼が、らしくもない軽業じみた機動を見せたのには、また別の理由があった。

 

 

 

 

 

──あれは、無現鬼道の剣……では、ない?

 

立ちすくんでいたかと思えば一転。思兼が暴風のように、BETAの群れへと斬り込んでいく。

その動きは円を描く。死角となる背後を一方的に晒さぬよう、回転することを基本として、そして生じた慣性力を薙ぎ払われる刀に乗せ、死を運ぶ竜巻となって荒れ狂う。

だがその姿は、斯衛軍中尉月読真那には違和感を持って写った。

 

それは、幼いき頃より共に指導を受けた師、紅蓮醍三郎の剣ではなかったのだ。

だが、どこか見覚えがある。確かに、あの剣を学んだ記憶がある。

……そうか。

 

──あれは、お祖父様の剣。

 

無現鬼道流の門を叩くより以前、初めて剣を手にした時に手ほどきを受けた。

あれは、月詠瑞俊の剣。

何故、師ではなく祖父の剣を用いて戦うのか。疑問は、すぐに氷解した。

 

なるほど、理にかなっている。

一対一を重視し洗練されてきた無現鬼道流とは違う、荒削りながらも乱戦の中でこそ輝く剣。

多数のBETAとの戦いでは、それこそが求められているもの。

そして、自分の知らぬ、戦場での蒼也が辿り着いた答えがこれなのだろう。

 

──頼もしいではないか、我が婚約者殿は。

 

真那の顔に浮かぶ笑み。

愛する者の獅子奮迅の戦働きを見て、彼女も負けじと剣を振るう。

 

 

 

 

 

だが、それも違った。

蒼也の振るう剣を、祖父である瑞俊のものだとした真那の考え。

それもまた、正しい答えではなかった。

 

 

 

 

 

一人。

この戦場の中にあって、たった一人。

彼女だけがその剣を、その機動を操る者の正体を、正しく悟っていた。

 

ひと目でわかった。

何故なら、ずっと、見ていたから。

誰よりも近いところから。ずっと、ずっと、その舞を、見続けてきたから。

 

 

 

 

 

「鞍馬ぁっ!!」

 

響き渡る、セリスの叫び。

その声に思兼がこちらへと振り返り、一瞬だけ交錯する視線。

そこに彼女は。かつて愛し合い、そして今も尚、愛し続ける者の姿を。

確かに、見た。

 

 

 

やがて、思兼が気持ちを振り払うように、視線を外す。

新たに向けた先は、九つの首をもたげし異形の竜。

それは、地球を取り戻すための、最後にして最大の試練。

 

思兼の右手には一振りの長刀。そして左手にもまた一振り。

二振りの刀を、翼を広げる鳥のように、構え。

 

そして、ただ一騎が、駆け出した。

人類の怨敵の、首魁の元へと。

神楽のように、巫女舞のように。優雅さすら感じさせ舞い踊る、剣の舞を、魅せながら。

 

 

 

この世界においては、ボパールの地下で散った命。

だが、ある世界においてはそこから生還し、尚も戦い続け、今日この日まで研鑽を積み続けた、一振りの刀。

 

それが、その大望を叶えんがため。

人の未来を、青い空を取り戻さんがため。

愛する者を、守らんがため。

今、再び。

 

人類の斯衛が、戦場へと降り立った。

 

 

 



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52話

 

──僕、衛士になるっ!──

──それで、父さんと母さんと、一緒に戦うんだっ!──

 

 

 

少年は、そう約束をした。

まだ、自分の目に見える範囲だけが、手の届く距離だけが世界の全てであった、幼い頃の話だ。

それは優しさに包まれ、輝きに溢れる、完全な世界。悲しみなど存在せず、自分に出来ないことなど何一つないと。そう、信じていた。

 

 

 

やがて、彼は知ることになる。

掛け替えのないという言葉の、本当の意味を。

 

 

 

自分に見える範囲とは、こんなにも狭いものだったのか。自分の手は、こんなにも短いものだったのか。

生きるということは、これほどまでに有難い行いだったのか。

ああ、世界とはかくも広く。こんなにも美しく。そして、なんて残酷なのだろう。

 

 

 

その日。

彼は、少年であることをやめた。それが、彼にとっての始まり。

 

 

 

それは、叶うことのない願い。

それは、果たされることのない望み。

幼い夢を捨てた少年は大人になり、蠍の炎に焼かれた。

……そのはず、だった。

 

 

 

 

 

 

 

一機の戦術機が、戦場を駆ける。

両手の刀を翼に見立て。飛ぶように、舞うように。

向かう先は、己の五倍近い身の丈を誇る巨大な竜。その異形を見るものは、心に恐怖を抱かざるを得ない。本能に刻まれた畏怖に、頭を垂れざるを得ない。

しかし、その鋼の巨人は違った。臆する様子も見せず、威風堂々と胸を張る。

 

竜からしてみれば、それは虚勢と見えたのか。

小さき巨人など、歯牙にもかからない矮小な存在なのだろう。文字通りの、小物。吹けば飛ぶようなものでしかない。

だからだろうか、その巨人に対して行ったのはレーザーの照射ではなく、触腕の壁を作って立ちはだかることでもなく。ただ、一本の衝角を飛ばしたに過ぎなかった。

 

何故なら、それで十分なのだ。

それは、竜にとっては極めて小さな棘。だが小さきものにとっては、触れれば命を奪われる、必殺の武器なのだから。

それが真っ直ぐに巨人へと向かい。そして、貫き通す。

 

貫かれ、引き裂かれ、金属片をばらまき、崩れさるものは……しかし、どこにもいなかった。

衝角が貫いたのは巨人ではない。貫いたのはただ、虚空のみ。

巨人のしたことは、ただ上体を左に傾けたことだけ。その僅かな動きだけで衝角を躱し、同時に右手の刀を竜より伸びる触腕へと一閃する。

切り離された衝角が、その勢いのままに彼方へと飛び去っていった。

 

竜が感じたのは、戸惑い。何故、これはまだ動いているのだ?

……まあ、いい。どちらにせよ、これで終わりだ。

同時に、二本の触腕が放たれた。先端の衝角を重りとし、振るわれる鞭の先端が音速の壁を超え、爆発音を響かせる。

刹那の時間差を置いて襲いかかったそれを躱すことなど、出来はしない。後には無残にひしゃげた、巨人だった金属の塊だけが残されるはず。

しかし……その思惑もまた、叶わない。

 

巨人は、走る速度を落とすことなく、左足を一歩、踏み込む。竜に対して左肩を前に、半身となる。その胸の至近、直前まで右肩があった空間を触腕が過ぎ去っていった。

そして、左手の刀を振り下ろす。二本目の触腕が切断され、再び飛び去る衝角。さらに、前へと進む運動エネルギーを消してしまわぬよう、左足を踏み込むのに合わせて右足を後方へと引く。直進しようとする慣性力が時計回りの回転力へと変換され、巨人が輪舞曲を踊る。

三本目の触腕はその勢いのままに、右手の刀で後ろ薙ぎに斬り捨てられた。

 

次に放たれた三本も、続けて襲いかかってきた五本も、辿る道は同じ。

遂に、焦るように撃ちだされた残り全ての触腕も、怯えるかのように間断なく照射され続けるレーザーも、また。

くるくると舞い踊る巨人はその身に何者をも触れさせることなく、その行く道に立ち塞がる全てを斬り裂き、無人の野を駆けるが如く突き進む。

 

 

 

 

 

──これが、父さんの。黒須鞍馬の、辿り着いた世界。

 

鞍馬の因果を宿した蒼也の心は、凪いだ大海のように広く、穏やかに、澄み切っていた。

波ひとつ立たない鏡のような水面に、世界が映しだされる。

今、世界とは自分であり。自分とは、世界であった。

 

自分と戦術機は同じものであり、自分と刀は同じものである。

自分と空は同じものであり、自分と海は同じものである。

自分と空気は同じものであり、自分と大地は同じものである。

自分と人は同じものであり、自分と人以外のものもまた、同じものである。

 

そこに敵など、存在してはいなかった。

目に映るもの、映らぬものの全てが腑に落ち、全ての理が理解できる。

世界に意味のないものなど存在せず、その全てが愛おしい。

そしてその上で尚、滅ぼさなくてはならないもの。その対象を見定めている、瞳。

 

 

 

思わず、笑いがこぼれた。

ああ、やっぱり僕は、まだまだだ。

父さんの心はこんなにも穏やかだというのに、僕の心は喜びに打ち震えてしまっている。

 

だって、そうだろう?

僕が信ずる、人類最高の頭脳が生み出したこの機体を。

僕が信ずる、人類最高の衛士が駆るんだ。

そしてそれを、僕の未来視がサポートできる。

 

──これで負けたら、嘘ってもんじゃないかっ!

 

僕は今、これほどまでに嬉しい。

世界を、人を。そして真那を、護ることが出来るんだから。

さあ、行こうっ!!

 

 

 

 

 

そして巨人は、竜の元へと辿り着く。

まるで怯えるように、巨人を遠ざけるように、腹部から伸びるひときわ巨大な衝角が放たれる。しかし、その抵抗もまた、鞍馬には、蒼也には判っていた。

薙ぎ払われるそれに、機体の移動速度を合わせる。相対速度が0になった瞬間、軽やかにその上へと飛び乗り、さらに振るわれる力を利用して、天高くへと舞い上がる。

 

遥か頭上にもたげられた、竜の鎌首。

その一つへと狙いを定め、いっそ無造作とも言える手つきで、刀を振り下ろした。

強靭な、何者の矛であろうと寄せ付けぬはずの、鎧のような竜の表皮。それにずぶりと刀がめり込み、まるで抵抗などないように、あっけなく反対側へと通り抜ける。

首の半ば迄を切り裂かれ、人とは違う種であることを示すような、ありえない色彩の血液がほとばしった。

 

しかし、一刀両断というわけにはいかない。蒼也の眉が僅かにしかめられる。首の切断を狙ったのは失敗だったか。

首先端の照射膜を狙うべきだった。剣の長さに対して首が太すぎる。確実にダメージは与えられたが、これでは完全に無力化は……

 

──いや、そうでもないさ──

 

語りかけられる言葉に導かれ、体が動く。

刀を振り下ろした体勢の機体が、跳躍ユニットの力を使い、首の下をくぐるように、反対側へと回り込む。足がかりとするのは、虚空。何もない空間を踏みしめ、飛び上がった。

そして今度は下から上へと、先と合わせて首を一周するように、這わされる刀。

 

空中に足場が存在し、そこを踏みしめるかのような、その機動。

二つの跳躍ユニットからの推力と、機体を動かすことで生まれる慣性力。機体を取り囲む空気の流れに、さらには敵の触腕を切断する際の抵抗まで。機体に関わるありとあらゆる力を駆使し、その動きは実現されていた。

 

それは、戦術機についてよく知らない者であるならば、操縦が上手いという言葉だけで片付けられるものかもしれない。

だが、その様子を目の当たりにした衛士たちからしてみれば。一体どうすればそのような機動が可能なのかと目を疑う、人に在らざる動きだった。

 

僅かに繋がっていた筋繊維が首の重さに耐え切れず、ぶちぶちと嫌な音を立てて、ちぎれる。

竜の首は、その巨大さ故に距離感がくるい、まるでコマ送りの映像を見ているかのように、ゆっくりと落下していく。

そして、首が大地へと落ち、もうもうとした土煙を巻き上げた。

 

 

 

BETAよ。

お前たちは、人間は生命体ではないという。

不安定な炭素の化合物が、生命にまで進化するはずがないという。

それが、お前たちの、限界だ。

 

確かに、人はうつろう。揺らぎ、変容する。

お前らの創造主とやらと比べれば、僕達は不安定な存在なのだろう。

 

だけど、だからこそ。

それだからこそ、人は。

 

──人は、ここまでっ! 強くなれるんだっ!!

 

 

 

「ひとつっ!!」

 

地に落ちた竜の首を見据え、言い放つ。

残りは、8つ。

待っていろ。今、刈り取ってやるっ!

 

二刀を構えた戦術機が、再び死の舞踏を舞い始める。

人の間に響き渡る、割れんばかりの喝采。

その声が、その気持が、更に力を与えてくれる。

彼等の、全ての人類の想いを背にし。

鞍馬の、蒼也の剣が振るわれる。

 

 

 

二つ目の首の先端の、照射膜に光が灯る。

この近距離では重金属雲による減衰も望めない。レーザーは機体を貫き、こちらの死でこの戦いの幕が落ちるだろう。

だがそれは、このまま放たれればの話だ。

 

機体をするりと動かし、敵の巨体を背に首と相対する。

それで、予備照射が止まった。

随分と、大きな盾だ。ここまで懐に入り込まれてしまっては、自分の巨体が邪魔をして、ろくに攻撃することも出来ないだろう。

そのまま首へと距離を詰め、二本の刀を鈍い輝きだけを保つ巨大な瞳へと、同時に突き刺した。さらに両の腕を左右に、翼のように広げ、左右へと斬り裂いた。

 

「ふたつっ!!」

 

 

 

レーザーが無理なら触腕だとばかりに、襲い掛かってくる衝角の数が増した。

よく絡まらないものだと、場違いな感想を抱きつつ、こぎざみに左右に動いてそれらを躱す。躱しきれないいくつかは、刀を盾として受ける。

ただし、正面から力まかせに受け止めるような真似はしない。膂力では相手のほうが遥かに上だ。そんなことをしてしまったら刀は折れ、機体にも致命的な損傷を負ってしまうだろう。

だから、飛来する衝角の側面へと刀を当てがい、その軌道を反らせる。

 

最小限の力で、最大限の効果を上げる。極めれば、こういう芸当も可能だ。

思兼の左背後、そこからこちらを押しつぶさんと迫ってきていた竜の首。そこへと、弾いた衝角が突き刺さった。一本、二本、三本と、立て続けに。

自らの攻撃を利用され、またひとつ、首が沈黙する。

 

「みっつっ!!」

 

 

 

残る首は六本。

思兼の前方に四本、後方に二本。

それらを落としてしまえばこの竜も、ほぼ無力なものと成り果てる。

 

慌てる必要はない。ゆっくり時間をかけたって構わない。確実に、ひとつづつ落としていこう。

地表のBETA群を抑えている仲間たちは確かに心配だ。

だが、伊隅なら、碓氷なら、207Bなら……僕が信ずるA-01の皆なら、そして真那ならば、この程度のBETAに遅れを取るようなことなど、決して無い。

 

そして、僕もまた、決して負けない。

僕には、香月博士が生み出したこの思兼がある。

そして、何より。今の僕には、父さんがついているんだ。

 

さあ。

次に落とされたいのはどの首──

 

 

 

ぞくり。

 

 

 

人類の勝利を確信した、その時だった。

蒼也の首筋の毛が、ぞわりと逆立った。脳内に最大限の警報が鳴り響く。

猛烈な、悪寒。

まずい。ここは、まずいっ!

無意識のうちに、機体に回避行動を取らせる。

 

飛び退くようにその場から一歩退いた、瞬間。

たった今までいたその空間を、目をくらます眩い光が貫いていった。

その光量は、決して一本だけのレーザーのものでは有り得ない。二本が束なったものですら、ない。

 

馬鹿なっ!

竜の首は九本あった。三本は屠り、目の前には四本がこちらを睨めつけている。

背後の首は、二本しか無い……はず。

 

注意深く機体を回頭させ、未知の脅威を確認しようとした蒼也の視界に、信じたくない光景が映し出された。

絡みつくように束ねられた、三本の首が。

 

そのうち一本は、他よりも幾分か短い。

間違いない、最初に斬り落とした首だ。先端は今も地面に転がっている。ならば、何故?

 

その、半ばほどで断たれた首の先端、切断面から覗く、虚ろな瞳。

肉が襞のように蠢き、割れ、血を滴らせながら。首の中から、新たな照射膜がせり上がってきていた。

 

 

 

──……再生、した……だと?

 

 

 

この竜を無力化するためには、九本の首全てを斬り落とさなくてはならない。

しかし、たった三本を潰しただけの短い時間で、最初の一本が再生しているという現実。

弾かれるように、残る二本の、落とした首へと目を向ける。

そして、予想通りの、悪夢を見た。

 

うじょり、うじょりと。

おぞましい音を立て、地球上の生命にはあらざる色をした血液が泡立ち。そして、それまであったものを押しのけるように、自らの一部を引きちぎるようにして、新たな瞳が生み出されようとしていた。

 

その瞳に、光が灯ろうとしている。

今、こいつは通常のものでは有り得ない熱量の光線を放った。

それが、意味するもの。それは。

 

──猶予時間が、終わろうとしている……

 

蒼也の感覚に、ある一つの可能性の未来が浮かび上がった。

それまでに残された時間は……もう、ない。

 

その未来では。

九本の首を、再び揃えた暴竜が。

その束ねられた全ての首より放たれた光の奔流を、地表で戦う仲間たちへと、真那へと向けて、解き放っていた。

 

 

 



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53話

撃たれれば、死ぬ。

伊隅が、碓氷が、鳴海が、平が、セリスが。A-01の仲間たちが死ぬ。

冥夜が、榊が、彩峰が、珠瀬が、鎧衣が。白銀の大切な人が死ぬ。

 

帝国軍の衛士たちが死ぬ。斯衛軍の武士たちが死ぬ。

帝国の国民たちが、護るべき市民たちが死ぬ。

 

真耶が死ぬ。雪江が死ぬ。月乃が死ぬ。花純が死ぬ。

紅蓮が死ぬ。ラダビノッド司令が死ぬ。香月副司令が死ぬ。

 

そして……真那が死ぬ。

 

死ぬ。死ぬ。死ぬ。

死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。

 

死ぬという、その二文字が頭の中で乱舞し、ゲシュタルトが崩壊していく。

心の中が、暗い色に塗りつぶされていく。

 

──……そんなこと……させないっ!

 

死なせない。

死なせて良いはずがない。

仲間も、家族も、衛士たちも、これから明日を築き上げていく民たちも。

自分の命よりも大切な、愛しい人を。

死なせて良いはずなんか、ないっ!

 

考えろ。追い求めろ。

奴にこれ以上、あの破滅の光を打たせない方法を。

導きだせ。探しだせ。

護るべき人たちを救う手段を。

 

蒼也の知覚に、可能性の未来の様子が次々と映し出されていく。

今いる世界と重なり合うような、近しい世界から。似ても似つかぬ変化を遂げた、完全なる異世界まで。

頭蓋のうちに収まったものと、それにリンクする思兼のもの。二つの量子伝導脳を、焼け付いても構わないとばかりに、限界を超えて稼働させる。

 

あるはずだ。

必ず、あるはずだ。

この窮地を救う方法が。この暴竜、ヤマタノオロチを屠る方法が。

あらゆる可能性を検証しろ。

 

 

 

どうすれば、真那達は死なない?

ヤマタノオロチを倒せばい。

 

倒すのは難しい。次善の策は?

レーザーを撃たせなければいい。

 

レーザーを撃たせないためには?

照射膜を破壊すればいい。

 

 

 

そんなことは、もう分かっている。

それだけでは、駄目なのだ。

だから更に、その先へ。

引き伸ばされた時間の中で、自問自答を繰り返す。

 

 

 

照射膜を破壊しても再生されてしまう。どうすれば?

再生させなければいい。

 

再生を防ぐ方法は?

再生を司る器官を破壊。もしくは再生に必要なエネルギー供給を絶てばいい。

 

その司令を出している器官は? エネルギーを供給しているものとは?

BETAにとって、司令塔と動力炉とは同じもの。

 

それは?

頭脳級。反応炉と呼ばれる、BETAの現場指揮官。

 

 

 

そうだ。

香月副司令が導き出した答え。

ヤマタノオロチの胸にある器官こそが小型の反応炉であり、奴の頭脳であり、エネルギー源だ。

ならば。

 

 

 

それを破壊すれば再生は止まる?

止まる。無制限のレーザー照射も不可能になる。

 

破壊するための方法は?

…………。

 

支援砲撃による重点爆撃?

不可能。レーザーで撃墜される。

 

近接武器による破壊?

不可能。戦術機の通常装備で破壊できる強度ではない。

 

再度、問う。破壊するための方法は?

…………。

 

方法は?

…………。

 

 

 

──……これしか、ないか。

 

 

 

出来れば、この手段だけは選択したくなかった。

だけど、これだけが。たったひとつの冴えたやりかた、か。

 

外界から切り離された狭いコックピットの中。

蒼也は、ふっと。澄み切った、笑みを浮かべた。

気乗りしない方法だけど。だけど、これしかないのなら……しかたない。

 

左手を伸ばし、指先でコンソールをそっと、なぞる。

感謝しているよ、思兼。きっと、君が僕と父さんを引きあわせてくれたんだね。

ボパールから、父さんの想いを持ち帰ってくれてありがとう。僕と出会ってくれてありがとう。共に戦ってくれてありがとう。

そして……ごめん。最後まで、付き合ってもらうよ。

 

 

 

 

 

「タングステン01よりHQ。香月副司令、聞こえますか?」

 

日本海に浮かぶ艦隊に設置された作戦司令部、通信でそこにいる香月を呼び出した。

 

「状況はわかってるわ、黒須。……何とかできる?」

「ええ。なんとかします。だから……」

 

そして、蒼也は笑う。

にやりとした、彼の代名詞ともなった、悪戯っ子の笑みを。

 

「だから、後処理はお願いします……夕呼先生」

 

驚いたような、意表を突かれたような香月の表情を見て、さらに笑いがこみ上げる。

ああ、満足だ。一回、そう呼んでみたかったんだよね。

 

それじゃあ、やろうか。

僕が、僕であるために。黒須蒼也として生きるために。この物語を、大団円で終わらせるために。

父さん、力を貸してください。皆、応援してください。

真那ちゃん、見守っていてね。……愛しているよ。

 

 

 

覚悟しろ、ヤマタノオロチよ。今から僕は、お前を倒す。

そう、不敵に笑ってみせる。覚悟さえ決まってしまえば、やることは簡単。

思考の海に沈みながらも、脳機能の一部を切り離して回避行動を取り続けていた意識を、元へと合流させる。

すべての思考と全能力をつぎ込んで、目の前の敵を討たんがため、一つのことに意識を集中させる。

 

左右の刀の重さを確かめるように握り直し、虚空へと踏み込み、宙を駆ける。

跳躍ユニットを最大限に吹かし、機体能力の許す限りの最速で。

目指す先は、ヤマタノオロチ胸部。そこに埋め込まれた反応炉。

襲い来るレーザーの連続照射と、迫り来る触腕の壁。しかし、そんなものは、今の蒼也には障害にもならない。

父と自分の、持てる限りの能力を最大限まで高めているのだ。今、世界は蒼也の手の中にあった。

 

そして。

加速した勢いをそのままに、反応炉へとめがけ、右手の刀を突き出す。

体ごと叩きつけんばかりの、平突き。

月穿ち。それは、祖父、瑞俊が最後に放った技。

スーパーカーボン製の刀身が柄元まで、折れよとばかりに深く突き刺さる。

 

更に。

右手の刀を突き刺すことで生まれた反動に、跳躍ユニットから生まれる加速を加え、その場で舞うように、時計回りに回転。

生じたエネルギーの全てを左手の刀に乗せ、刀身の先端が交差するように、貫き通す。

月影。父、鞍馬が最も得意とした剣技。

 

二本の刀が反応炉へと突き刺さり、そこに挟まれた部分が、パリンと。

ガラスが割れるような澄んだ音を奏で、砕けた。

それは、ヤマタノオロチの、反応炉の巨大さと比較するなら、ほんの些細な傷。

その程度、人に例えるなら指先を少し切った程度のもの。ダメージといえるほどのものではない。

だが……それで、十分。

 

例えば、ダイヤモンド。地球上の鉱石で最も固いそれは、しかしある方向からの衝撃に弱く、ハンマーの一撃でたやすく砕けるという。

それと、同じ。

蒼也の未来視は、この生じた僅かな傷こそが、巨竜を倒すための最初の一打ちだと、告げていた。

 

そして、次の。最後の一撃を、放つ。

二本の刀によってによって穿たれた楔へと。思兼が装備していた、最後の武器を右手に持ち、腕ごと抉るように、突き入れる。

そして、その武器が外れぬよう、その破壊力が最大限に高まるよう、腕自体を蓋として、その亀裂を塞いだ。

 

そして……。

 

 

 

「僕の勝ちだっ! BETAっ!!」

 

そして蒼也は、高らかに。

 

「人間を……無礼るなああああっ!!」

 

己の勝利を、宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

仮称超重光線級、ヤマタノオロチ撃退作戦戦闘記録より抜粋。

 

2001年12月6日、10時18分。

ヤマタノオロチ、新潟沿岸へと上陸。

XG-70d凄乃皇が荷電粒子砲をもって迎撃を試みるも、直前にヤマタノオロチよりの極大出力レーザーの照射を受け、凄乃皇擱座。

尚、このレーザーは重光線級の10倍以上の出力であったと推定される。

 

10時19分。

ヤマタノオロチ上陸地点近辺地中より、未知の巨大BETAが出現。

全高、全福共に180m程度の円筒形の形状をしており、その全長は不明。

以降、同ベータを母艦級と呼称する。

 

10時20分。

母艦級の体内より、要塞級を含む多数のBETAが出現。

母艦級はBETAを移送するための個体であると推定される。

 

10時21分。

新潟沖合に展開していた帝国連合艦隊より、AL弾頭を含む支援砲撃が行われ、重金属雲が発生。

ヤマタノオロチ上陸地点に展開していた国連軍A-01部隊、帝国斯衛軍、帝国本土防衛軍が、母艦級より出現したBETA群との交戦に入る。

 

10時23分。

A-01部隊所属、黒須蒼也少佐がヤマタノオロチへと向け光線級吶喊を敢行。

 

10時25分。

ヤマタノオロチ、放射節3本を束ねた大出力レーザの照射。

重光線級の3倍程度の出力であると推定される。

 

10時27分。

黒須少佐搭乗の思兼に搭載されたS-11の爆発を確認。

ヤマタノオロチ胸部、動力源と推定される小型反応炉の損壊を確認。

 

10時28分。

連合艦隊よりヤマタノオロチへと向け支援砲撃開始。

一部をレーザーにより撃墜されるも、飽和攻撃によりヤマタノオロチ殲滅に成功。

 

 

 

同時刻。

黒須蒼也少佐を、KIAと認定。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2002年7月17日。

極東国連軍横浜基地。

 

 

 

──旅立つ若者たちよ。

  諸君に戦う術しか教えられなかった我等を許すな。

  諸君を戦場に送り出す我等の無能を許すな──

 

 

 

ラダビノッド基地司令の演説が風に乗り、遠く近くに響く。

香月はそれを、基地裏手に広がる小高い丘の上で、耳にしていた。

 

この場所は、白銀と鑑にとって思い入れの深い場所だという。

以前に黒須からそう聞いて、機会があるようなら一度くらい足を運んでみようかと思っていた。特に、何らかの意図があってのことではないが、そんな無駄も時には悪く無い。

香月にそう思わせる程度には、現在の人類を取り囲む環境は安定した様子を見せていた。

 

もっとも、再びこの場所に来るというのなら、もう少し体力をつけてからにしよう。ここまでの道程は、決して険しいというほどではないのだが、体力のないこの身にとってはそれでも些か厳しいものがあった。

間違っても親友のしごきを味わうような事はご免だが、時に基地周辺を散歩する程度のことはしてもいいだろう。

研究畑一筋の人間にそう思わせる程度には、未来に対する希望が見え始めていた。

 

昨年12月の、あの日。

あの新潟での戦いにおける勝利から、人類を取り囲む空気は明るい。

超重光線級、ヤマタノオロチの撃退に成功して以降、新たな同型種が出現することはなかった。鉄原をはじめとした各ハイヴに対し、あらたなる未知の脅威が生まれていないか厳重な監視が続けられたが、その活動は通常通りの、予測できる範囲のもののみであったのだ。

 

無論、BETAの通常活動とはそれだけで多大な脅威ではある。XM3の普及により人的損害は大きく減じてこそいるとはいえ、人が死なないわけでは決してない。侵攻を食い止める度、間引き作戦を行う度に、誰かが命を落としている。

それでも、オリジナルハイヴのあ号標的に変わる新たな司令塔の登場もなく、その一体だけで展開したすべての人類戦力をなぎ払う圧倒的脅威の出現もないという事実は、未来に対して確固たる希望をもたせるだけのものがあったのだ。

 

そして、今日。

人類の勝利へと向け、また新たな段階が踏まれようとしている。

佐渡ヶ島に続く、G弾を用いない、人が住める大地を取り戻すためのハイヴ攻略作戦の発動である。

作戦目標は、因縁深き鉄原ハイヴ。凄乃皇の能力を持ってすれば、佐渡ヶ島要塞から通常航路で攻め込める距離にあるのだが、今作戦においては今後の大陸内部に存在するハイヴ攻略の試金石として、軌道上からの降下作戦が行われる。

ラダビノッド司令の演説は、天へと舞い上がる凄乃皇と、その直掩としてハイヴに突入するため軌道へ打ち上げられるヴァルキリーズへと向けた言葉だ。

 

我等を許すな。

その言葉には、地球を取りもどせなかった自身への怒りと。重荷を背負わせる若者たちへの詫びと。そして、散っていった輩の悲願に報いる気持ちと。様々な想いが込められている。

 

胸を打つ、良い演説だ。

香月ですらが、そう思う。これで終わりではない。だが、これで。ようやく、一つの節目を迎えることが出来たのだ。

それが素直に喜ばしく。そして、物悲しい。

 

「……あんたの子どもたちが、征くわよ」

 

電磁カタパルトより、再突入型駆逐艦が宇宙へと向けて旅立とうとしている。

その、荘厳とも言える様相を見て、香月は傍らに立つ人物へと声をかけた。

 

「あの子たちはもう、私の子どもじゃないわ。それぞれが、立派な大人よ。明日を背負って立てるだけの、力と志しをもった、立派な」

 

横に並ぶのは、香月にとってかけがえのない親友である、神宮司まりも軍曹。

彼女も、ラダビノッド司令の言葉と同じく、若い世代に申し訳無さを感じる人間の一人だ。……いや、その一人、だった。

今、彼女には、その想いを彼等へと託すことに、託せることに。この未来を築きあげてくれた者達に、感謝の気持ちしかない。

 

伊隅。速瀬。宗像。風間。涼宮。柏木。榊。御剣。彩峰。珠瀬。鎧衣。白銀。鑑。

……みんな、地球を、頼んだわよ。

 

──願わくば、諸君の挺身が、若者を戦場に送る事無き世の礎とならん事を──

 

その言葉で、演説が締めくくられる。

そして、HSSTが。遥か天空へと駆け上がっていく。

それは正しく、希望を具象化した光景だった。

 

──ねえ、あんた。残念だったわね、この光景を見られなくて。なかなか、壮観よ。

 

そして、心の中で。

今はこの場にいない、彼女の傍らに立っているはずであった人物へと。

言葉を、かけた。

 

 

 

 

 

 

 

同刻。

帝都、月詠家。

 

その部屋には、現在の当主である花純、家主とも言える雪江、そして月乃の月詠三姉妹が。そして4人目の姉妹であるセリスが集い、もう一人の人物の手を握り、声をかけ、必死に励ましていた。

中央に敷かれた布団に体を休めるその人物とは、真那。彼女の額には玉のような汗が浮かび、苦しげに顔を歪めている。

呼吸は荒く、漏れ出ようとする悲鳴をこらえ、必死に何かに堪えるようであった。

 

彼女へと呼びかけられる声も届いてはいないのか、苦悶の表情を浮かべ体を強張らせる。

やがて、一際大きく体をのけぞらしたかと思うと……彼女の体からは一切の力が抜け、力を失った肢体がただ、投げ出されているばかりであった。

 

周囲の人物の瞳に、堪えきれないように光るものが溢れ出る。

耐え切れぬかのように、セリスが言葉を漏らした。

 

「……真那さん……立派だったわよ……」

 

しかし、その言葉は真那の耳には届かない。

彼女が耳にしていたものは、ただ。

ただ、おぎゃあという、生まれたての赤子があげる産声のみであった。

 

「……子どもは、無事ですか?」

「ええ、もちろん。元気な声が聞こえているでしょう? とっても可愛らしい女の子ですよ」

 

雪江のその言葉に、ああ、と。

真那の顔に、安堵と、喜びと、幸せに満ちが表情が浮かぶ。

やがて、産湯にいれられ汚れを洗い流した赤子が、清潔な白い衣に包まれ、真那の横へと寝かせられた。

 

そっと、我が子へと手を伸ばす。

すると、小さな手が、真那の指をひしりと、握りしめた。

その赤子とは思えない、力強さ。

ああ、これが、私とあの人との。二人の結晶なのだ。

 

生まれてきてくれて、ありがとう。

そして、ようこそ、世界へと。

ここは、とても広く。とても美しく。そして、とても素晴らしいところよ。

 

きっと、幸せになれる。

生きることは、それだけで掛け替えのない喜びで。

貴方はこんなにも、祝福されて生まれてきたのだから。

 

綺麗なことばかりではない。悲しい思いをすることもあるかもしれない。

でも、大丈夫よ、貴方なら。

だって、貴方は、あの人と私の子どもなのだから……

 

「名前はもう、決めているのかしら?」

 

尋ねられたその言葉に。

ゆっくりと、けれど力強く頷き。

そして、告げた。

 

「……紅莉栖。この子の名前は、月詠紅莉栖、です」

 

真那が優しく、力強く我が子の体を抱きしめる。

眦から流れた涙が一滴。

それは紛れも無い、喜びの涙だった。

 

 

 

 

 

人の想いは、川の流れのように。

 

途切れることなく、続いていく。

 

親から、子へと。

 

子から、孫へと。

 

昨日より、今日へと。

 

今日より、明日へと。

 

 

 

────未来へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同刻。

鉄原ハイヴ、門SW15。

 

「……タングステン01よりHQ。突入予定のSW115、及び周辺地表のBETA殲滅を完了。こちらはいつでもOK、戦乙女たちを歓迎する準備は万端だよ」

 

国連軍横浜基地A-01部隊所属、戦域戦術支援システム統括機、思兼。その専任衛士、黒須蒼也少佐。

彼からのその通信を受け、洋上に浮かぶ艦隊に設置されたHQより、どこか呆れたような言葉が返される。

 

「HQよりタングステン01。降下予定時刻まではまだあります。無茶を言わないでください」

 

安全なのを確認してからの、おふざけなんだろうけど。

蒼也少佐は、ほんとうに、相変わらずだ。あの戦いで、一時は生死の境をさまよったというのに。

ヴァルキリーマムこと涼宮遙中尉。先ほど返答を返したCPの心によぎる、戸惑いと呆れ。

 

「予定よりもこんなに早く掃除が終わっちゃったのは、僕のせいじゃないよ。碓氷少佐が張り切り過ぎちゃったんだって」

「……フリッグ01よりタングステン01。馬鹿なこと言ってないでください。あんまり不真面目だと怒りますよ」

「怖いな。けど、そういうのは鳴海大尉に言ってやって。昨夜も不真面目に、何人もの女性と……」

「デリング01よりヴァルキリーマム。誤解だっ! 少佐が好き勝手言ってるだけだって!」

「ヴァルキリーマムよりデリング01。作戦後……待ってますね」

「神よっ!」

 

とはいえ。

いくら蒼也少佐の、思兼の能力を信頼しているとはいえ、あまりふざけてると他部隊からの目も痛い。この辺りにしておくべき。

軽口をやめて周辺警戒に戻るよう要請を出そうとしたとき。涼宮のもとに、一つの連絡が入った。

 

その内容に、思わず頬がほころぶ。本来、このような連絡が入ってくる環境ではないはずであるし、作戦行動中に伝えるようなことでもないのだろうとは思う。

けれど、それが今ここまで来ているということは。おそらく、香月副司令の差金。なら、かまわないだろう。

 

「ヴァルキリーマムよりタングステン01。……重要なお知らせがあります」

「タングステン01。何かな? お説教なら鳴海大尉が受けるよ?」

「少佐ぁ」

「いえ、それは後ほど私が。そうではなくて……元気な、女の子だそうです、少佐」

 

一瞬、呆けた表情。

そして直後、泣いているような、笑っているような。おそらく自分でも判別のつかぬであろう、顔。

 

そうか。

生まれたんだ。僕の、真那の、子どもが。

この体になる前の日、あの夜に授かったであろう子。

00ユニット、機械の体になった自分に、生身の子どもがいる。

ああ、なんて嬉しいんだ。なんて、素晴らしいんだ。

人生とは、喜びに満ち溢れている。そしてきっと、これからの世の中は更に。

更に、世界中で喜びの割合が増していくんだ。

 

「……タングステン01より各機。戻ったらお祝いに参加してもらうよ。だから、絶対、死ぬんじゃない。絶対、死なせないから」

『了解ッ!!』

 

本当に。

あの時に、死なずに済んでよかった。心から、思う。

そして、心からの感謝を。

生き残らせてくれた、父に。夕呼先生に。セリスに。真那に。皆に、捧げよう。

 

 

 

 

 

「僕の勝ちだっ! BETAっ!!」

 

あの戦い、あの瞬間。

蒼也が選択した、最後の賭け。

 

ヤマタノオロチを倒せることには、確信があった。

だが、それだけでは足りない。

自分が死んでしまっては、それは勝ちではない。

必ずやり遂げ、生き残り、真那と幸せになる。そうして初めて、勝利なのだ。

 

だから、蒼也には。己を犠牲にして勝利を掴み取るようなつもりは、さらさらなかった。

S-11をヤマタノオロチ反応炉に穿った楔へとねじ込み、思兼の機体そのもので蓋をし、その破壊を確実なものとする。

そして蒼也自身は、機体からの脱出を果たしていた。

 

ただ脱出しただけでは、死ぬことに変わりはない。S-11の爆発に巻き込まれれば、結果は同じ。

だから、その爆風の届かぬところへと逃げこんだ。

母艦級の、その体内へと。

 

地表90mからの落下。

脱出の際には強化外骨格が纏われるとはいえ、その衝撃に耐えきれるものではない。それは結局は死へと辿り着く選択だ。

外骨格はひしゃげ、潰れ、砕け。そして中身の体は潰れたトマトと化すだろう。

 

しかし、蒼也は敢えて、その選択をした。

そして、外骨格が砕けようと。00ユニットの体が引きちぎれようと。その量子伝導脳だけは無事に残される未来を、掴みとったのだ。

 

だが、そこから先の未来は不透明だった。

脳だけは生き残り、だがエネルギーが切れて自閉モードになる。そこまでの未来は見通せたが、その先は闇。

誰にも気づかれず、放置されてしまえば。結局は、死ぬ。

 

けれど……蒼也は、信じていたのだ。

香月夕呼が、黒須セリスが、月詠真那が。彼女らが自分の捜索を諦めるはずがない、と。

 

そして。その信頼は。

まごうことなき、その想いは。彼女らへと届いたのだった。

 

 

 

今の蒼也の体は、生身の頃から考えれば三つ目の体。

この思兼も、量子伝導脳内にバックアップされていた戦闘データを、以前に蒼也が搭乗していた不知火に移し替えた、二代目の機体。

まるで、脳だけしかない、体を乗っ取る空想上の化け物のようだ。

だが、そうだったとしても、構わない。

 

だって、そうじゃないか。

だって、今、僕は。

 

 

 

──間違いなく、生きているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

中国新疆ウイグル自治区喀什に、BETAの着陸ユニットが落下したのが1973年4月。

その時より人類は、長い、長い戦いを、繰り広げてきた。

 

多くの人々がその戦いへと身を投じ、そして散っていった。

そしてその人数と、同じだけの生があり、同じだけの物語があった。

 

長く人々に語り続けられる、誰もが知る物語がある。

未完で終わり、ひっそりと忘れ去られていった物語がある。

 

悲劇もあれば、時に喜劇もある。

恋愛物も、陰謀物も、成長物語も。

 

それぞれの人生の物語。

あなたが生きた物語。

 

 

 

──そして、彼の物語は。

 

 

 

「それじゃあ、みんな。行くよ」

 

 

 

黒須蒼也の物語は。

 

 

 

「地球を、取り戻そう」

 

 

 

──まだ、終わらない。

 

 

 

 

 



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エピローグ
あなたが生きた物語


「これで、おばあちゃんのお話はおしまい」

 

日当たりの良い縁側に座り、集まる子供達に長い昔語りを聞かせていた一人の女性。

齢にして、80を数えるだろうか。その顔に刻まれた深い皺が、それまで積み重ねてきた人生の重みと、その慈しみを悟らせる。

彼女の周りには、生きた戦場の話に目を輝かせる男の子や、幾つかの悲しいエピソードに涙を浮かべる女の子。

浮かぶ表情こそそれぞれであるが、その口からは次々に同じ文句が紡がれる。

 

「えー、このあとはどうなるのー?」

「つづきがきになるよー」

 

彼女は少し困ったような顔を浮かべると、子供達を優しく諭す。

 

「もうすぐ、夕御飯の時間ですよ。今日はもう、おうちにお帰りなさい。お父さんとお母さんが待っているわ。

 それに、この話の続きは学校でも教えてもらえるわ。もう、習った子もいるかしら?」

「ぼく、しってるー!」

「えー、ずるいよー、わたししらないー」

 

得意げな顔をする男の子に、涙目の女の子が詰め寄る。

それがさらに優越感をくすぐるようで、僕は知ってるもんねーと囃し立てる男の子。

 

「こらこら、意地悪しちゃダメでしょ。……もう、仕方ないわね。じゃあ、続きは簡単にね」

 

そして再び紡がれる、彼女の話。

思い出すように。思い出を、語り継ぐように。

 

「人類はオリジナルハイヴと佐渡ヶ島を攻略したけれど、それでBETAの脅威がなくなったわけではなかったの」

 

「それはそうよね、あいつ等は新しい戦術なんて覚えなくったって、元から十分、強かったんだから」

 

「それでも、人類は少しづつ。たくさんの痛みを抱えながらも、地球を取り戻していったわ」

 

「このお話から20年が経ったとき。ようやく、地球にいた全てのBETAを駆逐することが出来たのよ」

 

「そして、その10年後ね。人類は、月までも取り戻したわ。そうして、ついにBETA大戦の終結が宣言されたの」

 

「その長い戦いではね、ヨコハマという名前が人類の希望になったわ。知っているかしら、ヨコハマ? ……そう、偉いわね」

 

「カシュガルや佐渡ヶ島をはじめとしたハイヴ攻略の立役者であり、その後の世界を導いた“聖母”香月夕呼博士。

 彼女の後継者とされながら、その小さい体で前線にまで赴いた社霞。

 人類最強の部隊A-01を率い、聖母に最後まで付き従った美しき戦乙女達。前島みちる、鳴海遙、鳴海水月、宗像美冴、風間祷子、鳴海茜、柏木晴子、築地多恵。乙女ではないけど、同じくA-01の勇士である鳴海孝之、平慎二」

 

「ヨコハマから旅立ち、自分の道を歩んだ人達もいたわ。

 将軍、煌武院悠陽殿下の名代として世界中を駆けまわった、御剣冥夜帝国斯衛軍元帥。そして生涯、彼女に仕え続けた、月詠真那中将。

 父の後をついで政治の道に入り、日本再生の旗頭となった、現日本国首相、榊千鶴。

 その最高の部下として、そして友として主に外政面で彼女を支えた、帝国情報省長官、鎧衣美琴。

 鎧衣とともに榊首相の助けとなり、内政面での支柱となった、黒須桂奈。

 国際調停の場に立ち、第三次世界大戦を未然に防いだ、国連事務総長、珠瀬壬姫。

 国連軍に全面的に協力し、数々のハイヴ攻略の原動力となった、帝国陸軍大将、彩峰慧。

 国連軍全体を指揮するため、立場にもかかわらず前線に立ち続けた、統合参謀会議議長、月詠蒼也元帥。

 佐渡ヶ島以降の全てのハイヴ攻略戦に参加した、戦略兵器凄乃皇専任衛士、白銀純夏少佐。

 そして、彼女と共に佐渡ヶ島以降の全てのハイヴを攻略した、BETA大戦最大の英雄と謳われる“ハイヴ・バスターズ”二代目指揮官、白銀武国連軍大佐」

 

「地球が救われたのは、彼女等、英雄達の功績によるところが大きいわ。……でもね、それだけじゃないの。

 あなた達が今幸せに生きていられるのは、彼等、英雄達のおかげだけじゃない。

 歴史に名を残した偉人も、そうでない人も、必死に、戦ってきたのよ。今があるのは、その人達のおかげ。あなたたちが知っている英雄達だけではなく、名前を知られてはいないけど、人類の為に一生懸命戦った知られざる英雄達がいてくれたから。それだからだということを、あなたたちには知っていて欲しいの」

 

「うん、おぼえたー」

「わたし、わすれないよー」

 

「……そう、良い子達ね。

 それじゃ、ほら、お迎えが来てるわよ」

 

見れば、子供たちの親たちが、屋敷の入口からこちらを見ていた。

小さな背中を、そっと押して、その元へと向かわせる。

口々にありがとうや、またねと挨拶をし、去っていく子供たち。

その様子を目を細めて、見送った。

 

 

 

静けさを取り戻した縁側に、一人。彼女は座り続ける。

その瞳から、一滴の涙が零れ落ちた。

 

……だめね、思い出しちゃうと。

でも……。

 

脳裏に、最愛の半身であった黒須鞍馬の姿が浮かぶ。

彼の顔は、優しげな笑みに包まれていた。

その表情は今も昔も、彼女の最も愛するものだ。

 

もう少しだけ、待っていてね。多分、もう近いうちに、私もそっちに行くから。

そうしたら、色々な話をしましょう。

あ、月詠翁達も仲間に入れてあげないと拗ねちゃうかしら?

 

いじけるおじいちゃんの姿を想像して、くすりと笑う。

そして、その頬に残る涙を拭き。その顔に、晴れ晴れとした表情を浮かべた。

 

 

 

ありがとう、鞍馬。私と出会ってくれて。

ありがとう、蒼也。世界を護ってくれて。

そして、全ての仲間達……。

あなた達と知り合えて、あなた達と共に生きることが出来て……

 

 

 

「私は、幸せでした」

 

 

 

セリスは、天の彼方へと。

きっと、そこにいる彼等へと。

万感の想いを込めて、そう告げた。

 

見上げれば、遥かなる蒼穹。

一筋の飛行機雲が、流れていった。

 

 

 

 

 

Muv-Luv Fan Story

“セリスばあちゃんの昔語” あなたが生きた物語   完

 

 

 



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或いは存在するのかもしれない果ての確率時空世界での一幕
そのいち。


 

「……きれいな、景色だなぁ」

 

問題なのは、"幻の左"を喰らったことではない。

 

「……本当に、青いんだなぁ」

 

吹き飛ばされた勢いで成層圏を突破し、中間圏も熱圏もぶち抜き、外気園にまで到達してしまったことでもない。

 

「……俺、どうなるんだろうなぁ」

 

問題なのは……ここからどうやって帰るか、だ。

 

眼下に広がる、青い宝石のように美しい水の星。それを心ゆくまで眺め、愛で、堪能し、そして。

白陵柊学園3年生、白銀武は。長い、長い、なが~い溜息を、吐き出した。

軌道上から地球を見下ろす、気象観測衛星の太陽光パネルに襟首だけが引っ掛かった、宙ぶらりんの状態で。

 

 

 

純夏に電離層まで吹き飛ばされるのなんて良くあることで、少し過激なコミュニケーションといったところでしか無い。……いや、とりあえずは、そういうことにしておいて欲しい。そんな簡単に良くあることで済ませて良いのかどうか、これでも自分の中の理性や常識というやつと戦ってもいるのだ。過去の戦績は大きく負け越しているけれど。

 

そんな自分でも、更に遥か上空まで打ち上げ成功ロケットロード、無茶しやがってとなるのは珍しい事なのだ。しかも人工衛星に引っかかるという、どでかいおまけまでついてきた。

 

さて、どうしたものか。普段だったら、「ががああああああありいいいいいいいいいん」とか叫んでいるうちに墜落して、帰ってこられるのだけど。

それを踏まえて考えるなら、えいやっとパラシュート無しでのスカイダイビングを敢行して、「えんでばあああああああああ」とか雄叫びを上げていれば、多分地上へと戻れるのだろう。途中で燃え尽きたり、落下の衝撃でぺったんこになったりはしないと信じたい。

 

ただ、落ちる先は本当に元の場所、家から学校までの通学路の途中の、打ち上げられた所なのか? 狙いすましたように同じ所に戻れるのか?

嫌だよ、俺。誰かの上に落ちて怪我させたりとか、人様の家の屋根に人の形をした大穴開けたりするのとか。当然、奥深い山に落ちて遭難がてらに熊と戦う羽目になったりとか、絶海に落ちて未知の深海生物と第一種接近遭遇したりとかも勘弁。

 

そう考えると、自力での帰還にもたたらを踏んでしまうのもしかたがないだろう、うんうん。

……いや、強がっていても始まらないな。白状してしまうなら、躊躇う一番の理由は他にある。

ぶっちゃけ、怖い。

そりゃ、怖いだろ。だって、高高度からの紐なしバンジーだぜ? 同じ状況に置かれたなら、きっと君だって怖い。俺だって怖い。誰だよ君って、誰もいねえよ。

 

強制的に打ち上げ打ち下ろしで落下するのと、自分の意志で覚悟を決めて飛び降りるのとではハードルの高さに差があるのも当たり前だろ?

だから俺は悪く無い。純夏が悪い。だけど、そう言っているのがあいつの耳に入ったらファントムもう一発になるから、世間が悪いでFA。

へたれ? それは他の人に与えられた称号だ。俺なんかにはもったいないから、へたれ言うな。

 

とりとめのない思考を、とりとめもなく生み出し続ける武の脳。

人、これを現実逃避と呼ぶ。

だがまあ、それも仕方がない。覚悟が無いのも当然だ。今の彼は、あいとゆうきのおとぎばなし世界の住人ではないのだから。

 

そもそも、どうしてこんなことになったのか。

その理由を問われれば、純夏が左の封印を解いたからと、なる。

では、何故にその封印は解かれたのか。

その理由が、武にはさっぱりわからない。

 

察しが悪いとか、朴念仁とか、鈍感とか、女の敵とか、恋愛原子核とか、普段から色々言われている武だけれど。それでも、意図的に誰かを傷つけるような真似だけはしないのだ。かつてゴルバンやウルターメンパワードに憧れた身としては、傷つける側ではなく守る側に立ちたいと思っているのだ。

 

それでも、もしかしたら。自分でも気づかぬうちに地雷を踏んだりしてはいないだろうか。純夏が封印を解かざるをえないほどの、でっかいのを。

思い返してみよう。考えてみよう。どうして自分がこんな目にあっているのか、自分が何かしでかしていないか、その大本の原因を。

 

少し前にあったスパイ騒ぎもすっかり収束し、落ち着いた平穏な日常が繰り広げられるここ最近。そんな中で、何かしらの事件が起きたといえば。

あれは、先週末の出来事だったか……。

 

 

 

 

 

 

 

それは、学期の半ばという妙な時期に赴任してきた教師の、何度目かの授業中におこった。

教師の名は黒須セリス。外国人の女性で、担当教科は英語。

最初のうち、彼女に対して不信の目を向ける者も少なくなかった。受験生である3年生にとって、教師の質とは大きなウェイトを占める問題なのだ。ハズレを引いて合格が遠のくなど勘弁して欲しい。

それに、先日の事件を知る一部の者からすれば、懸念は受験に関してのみだけでは済まない。まさかとは思うが、水面下でまた新たな組織が何らかの行動を起こしているのではないかと、そう穿った見方をしてしまっても責めることは出来ないだろう。外国人だというその一点だけで、既に容疑者候補。

 

だが、それらも間もなく杞憂だと判明する。

綺麗な英語を話すネイティヴスピーカーで、日本語も堪能。英会話方面に関しての能力に関しては、何らの問題も無いとすぐに解ったのだ。受験英語を教えることには不安が残ったが、そちらはその道の専門の先生が変わらず教鞭を取るということもあり、勉強面での不安はすっかり払拭された。

 

スパイ疑惑に関しても、あっさりと解決した。

彼女の赴任には御剣財閥の意思が関わっているとのこと、月詠真那より知らされたためだ。当然、身の回りや過去の経歴に関して怪しい点は一切ないと、太鼓判を押された。

 

そうして、不安が消去された後に残るのは、有能で明るくて気さくで美人という高評価。さりげに運動能力も高いらしい。ちなみに、得意種目は軍隊格闘技とチョーク投げ。現在までのチョーク命中率は驚きの100%。

男子だって女子だって誰だって、綺麗なお姉さんには憧れるもの。生徒たちが外国人教師という存在に慣れていたこともあって、早くも彼等からの信頼を手に入れ、すっかり白陵柊の一員として馴染んでいる。

 

目下のところ、セリス先生に関しての噂話は生徒間のトレンドの一つとなっている。名前からして日本人と結婚しているのかな、とか。お子さんいるのかな、とか。美人の秘訣とかあるのかな、とか。あのチョークを受けてみたい、ご褒美です、とか。

 

そして、その噂こそが、武を襲った悲劇の幕開けだったのである。

 

 

 

 

 

『ねえ、タケルちゃん。セリス先生って美人だよねー。あっ、これ冥夜に回して』

 

武の前の席に座る純夏から、小さく折られたノートの切れ端が回されてきた。女子特有の、武にはよくわからない折り方で可愛らしくハート型にたたまれているそれを開くと、そんな文面が書き記されている。

 

何やってんだよ、こいつは。真面目に授業を受けろっての。

そう思う武だったが、彼もまた放課後に遊ぶ予定のバルジャーノンで決めるコンボを考えていたため、授業の内容など全く頭に入ってきていない。

別に授業内容がつまらないわけではないのだが、それ以上に興味を惹かれるものがあるのだから仕方がないのだ。俺は悪く無い。自己弁護終了。

 

このまま無視をしていても良いのだが、授業後に何か文句を言われるのが確定するのは面白く無い。元の折り方を無視して適当に四つ折りにした手紙を、先生が黒板を向いた隙にスッと隣りに座る冥夜へと回す。

 

授業中だろうと我道を行く二人とは違って授業態度は常から良好、今も真剣に先生の話を聞いていた冥夜。通常ならばこういった勉学を阻害する行為は咎めるものであろう。だが、想い人から恋文が届けられたとあっては、その平常心も休暇をとってバカンスに出かけようというもの。

頬を染めて、いそいそと手紙を開き……そして、あからさまに意気消沈。じっとりと恨みがましい視線を武へと向ける。向けられた武は当然、何故そんな視線を受けているのか全く理解していないが。あー、やっぱり冥夜は手紙回すのなんて怒るよなと、そんな程度である。

 

朴念仁にも授業妨害にも思うところはある冥夜だが、それでも、受け取った以上は返事をかくべきだと思ったのか。それとも発端である純夏をこの場でたしなめるべきだと考えたのか。純夏のメッセージの下に続けて何やら書き連ねると、律儀に手紙を返す。

 

『純夏、その意見そのものには賛同するが、今は授業中ゆえ、教諭の話を清聴するべきであろう。回すが良い』

 

和封筒に入れる際のように、きっちりと三つ折にされたそれにはそう書かれていた。

うん、実に冥夜らしい内容だ。言われたとおり、純夏君はまじめに授業を受けるべきだな。そして俺の脳内戦略会議をこれ以上邪魔するんじゃない。

そのまま四つ折りにして元の持ち主へと返す。そしてまたハートがやってくる。

 

『先生って、いくつくらいなのかな? 悠陽に回して』

 

おい。こいつ人の話、全く聞いてないよ。

親友の忠告を無視するとは。冥夜に代わって、後でスリッパの刑に処すべし。

それでも、しゃーないなと、冥夜と武を挟んで反対側に座る悠陽へと手紙を回す。

間もなく、ぴしりと折られた折り鶴が返ってきた。

……鶴? 悠陽って、変なところでノリがいいよな。

 

『さて、女性の年齢を詮索するのは野暮と申すものですが……神宮司教諭や香月教諭と同じくらいではないかと見受けられます』

 

鶴を四つ折りに変形させ、ハートが返ってくる。

 

『やっぱそれくらいかな? あー、綺麗なお姉さんって憧れるなー。霞ちゃんに回して』

 

霞の席は武の後ろ。

何だ俺、いつから郵便配達員になったんだ。安定してていいよね、公務員。あ、もう公務員じゃないんだっけか?

後ろ手に四つ折り手紙を差し出すと、やや躊躇うような間の後に受け取ってくれた。突然何事かと思うかもしれないが、今までのやり取りは全て同じ紙に書かれているから、状況はわかってもらえるだろう。

 

しばし後、脳内で必殺コンボを編み出したとき、背中がチョンチョンと突かれた。受け取ったのは……なんだこれ?

だるま? こけし? ……マトリョーシカかっ!

霞も、律儀に返してくるんだなー。手紙自体も、折り方のネタも。って、後ろの席だからやり取り全部見られてたのか。少し恥ずい。

 

『わたしも、ああいう風に、大きくなりたいです』

『霞さんなら大丈夫ですよっ! ロシアの人は体の大きいひとが多いですし。壬姫は、どうかなあ?』

『霞ちゃんはスラヴ系なのかな? ロシアは東スラヴ人が多いけど、それ以外の民族もいっぱい住んでるからね。例えばウクライナ人、チェチェン人、イングーシ人、オセット人、カルムィク人……』

『鎧衣、長い。早く回す』

『ちょっとあなた達、今は授業中よっ! 真面目にしなさいっ!』

『あんたも回してる』

『私は注意をしているのであって、遊んでいるわけでは……』

『同罪』

『……タタール人、バシキール人、チュヴァシ人、トゥヴァ人、サハ人、エヴェンキ人、タイミル人、マリ人、モルドヴィン人、カレリア人、イヌイット、ドイツ人、ユダヤ人、高麗人……』

『あ、そういえば壬姫、セリス先生にはお子さんがいるって聞いたことありますよ』

『いっぱい、回りました』

 

……おまえら、仲良いな。委員長まで何やってんだよ。

へー、先生、子どもいるのか。って、結婚してんだからいてもおかしくないよな。

何歳くらいの子なんだろう。……こういう話は多分、純夏はがっつり食いつくよなあ。

いい加減、手紙を回してるのに気づかれそうで、そろそろやめておこうと思ったんだけど。……いいや、回しちまえ。何だか俺も面白くなってきた。

 

『先生、子どもいるんだっ! いくつくらいの子なのかな? 神宮司先生と同じくらいだったら、保育園か小学校に入ったくらいかな? 冥夜に回して』

 

ついに書ききれなくなって、裏面まで使い始めたか。文字がびっしり書き込まれたハートとか、何か呪い篭ってそうになってるぞ。怖いって。あと怖い。

それと、そこでまりもちゃん引き合いに出すのはやめてあげて。泣いちゃうから。

 

『純夏、まじめに授業を受けろと言ったであろう。……教諭の年齢から察するに、それくらいであろうな。早くにご結婚なされていたとしても、中学生になっているということはあるまい』

『冥夜様、ご存じなかったのですか? 私はてっきり、知っておられるものかと』

『何の話だ、月詠?』

『いえ、セリス教諭のご子息ですが……蒼也ですよ』

『……何と……』

 

……月詠さん、どっから沸いて出た?

えっ? いつ書いたの? 今いるの? いやまあ、いるんだろうけどさ。本当に忍者か何かじゃないのか、あの人。

てか、蒼也って誰?

とりあえず、話の分かりそうな悠陽に回してみる。

 

『……真那さん、それは真の話で?』

『悠陽様もご存じなかったのですね。……確かに、蒼也が月詠家に預けられて以降、鞍馬殿とセリス殿は帰国されておられませんでした。二人にお会いになられたことがなくても当然です。察せずお伝えしなかったこと、私の落ち度にございます。申し訳ございません』

『いえ、黒須の姓を持ち御剣に関わる者である以上、血縁であるのだろうとは思っておりましたが。……その、母子ですと、年齢が合わないのではないでしょうか?』

『いえ、年は合っております。蒼也は、セリス殿が25の時の子であると存じ上げております。私も、その時のことを覚えておりますから』

『……真なのですか……』

 

何か、絶句してる。文章で絶句ってのも変な話だが。

というか、いちいち俺に返ってくるのは何でだ?

これ、どこに回そう……純夏でいいか。

 

『ねー月詠さん、蒼也って誰なの?』

『蒼也は月詠の遠縁に当たる者で、無現鬼道流において冥夜様の兄弟子、私とも兄弟弟子になります』

『ねえ、それちょっとおかしくないかしら? 兄弟子ってことは御剣よりも長く剣を学んでいるのよね。天才少年ってこと?』

『……勝負』

『何だかカッコイイですね、小さい体で大人をやっつけるのって』

『壬姫さんだってすごいよ。弓なら大人に負けないじゃないか』

『あわわ、そんなことっ! ……でも、ありがとうです、鎧衣さん』

『……わたしにも、できるでしょうか……?』

『霞ちゃんは、もっと体力つけるところから始めないとねっ! 私も付き合うから、朝のジョギングとかしてみようか?』

『……ありがとうございます、純夏さん。……がんばります』

 

純夏に回したら、霞から返ってきた。

どんな風に旅してきたんだよ、この手紙。俺を介さずに前後でやり取りとか、何かもう自由自在だな。

 

『いえ、皆様方、そうではないのですよ』

『……月詠、説明を』

『はっ。蒼也ですが……昨年に大学を卒業し、既に社会人として働いております』

『……外国の大学で飛び級したとか、かしら?』

『いえ、榊様。卒業したのは国内の某大学になります。歳は23になるかと』

『……なんですって?』

『えっと、えっと、25歳で産んで、その子が23歳だから』

『……今、49?』

『すごいねっ! さっき海外にいたみたいなこと言ってたけど、不老不死の妙薬でも食べたのかな? 蓬莱というところにはね……』

 

……え?

…………ええっ!?

 

「マジでっ!!」

 

驚いた。そりゃあもう、びっくりした。

だって、俺もセリス先生はまりもちゃんと同じくらいだって思ってたもん。

まりもちゃんの年齢、正確には知らないけど、30行ってるってことは多分、無いよな?

まりもちゃんより、20以上も年上ってこと?

うお、すっげー。女ってこえー。絶対わかんないってっ! 騙されるってっ!!

 

「……白銀君? 授業中に突然、どうしたのかな?」

 

………………あ。

やべ。やっちまった。

びっくりして大声出しちまった。そんで、思わず立ち上がっちまった。

座ってた椅子が倒れて、霞の机にぶつかるくらい、勢い良く。

……あ、霞が涙目になってる。ごめん、驚かせちゃったか。あとでナデナデしてやるからな。

 

「それで? 何か質問かしら? ……それとも?」

 

何か、気温が下がった気がする。おかしいな、震えが止まらないぞ。

先生の後ろに、何だか見たこともない禍々しい化け物の姿が見える気がする。でっかい口のついた赤いのとか、尻尾が不気味な人の顔になってる蠍みたいのとか。

マズイってっ! 何かっ! 何か言わないとっ! 気の利いた言い訳しないとっ!!

 

「……いや、セリス先生の歳って幾つなのかなぁ……なんて……」

 

何言ってんだよ俺っ!

今のは言っちゃ駄目だって、俺でも分かるぞっ!

特大の地雷踏んだって、分かっちゃったぞっ!!

 

「……女性の歳を詮索するのは……」

 

セリスが両手を後ろに回し、体を大きく仰け反らせる。

右のそれぞれの指の間に、計4本のチョークを挟んで。左手にも同じだけ。

 

──……ガン・スイーパー……

 

「失礼でしょうがっ!!」

 

──フル、バーストォッッッ!!!

 

引き絞った弦のように、全身をバネと化して力を溜める。そして、そのエネルギーが頂点となった時。反動で左右から弧を描くように、大きく振り出された両手から、チョークが撃ち出された。

弾丸と化したチョークは寸分の狂いなくただ一点へ、連なるように穿たれていく。

タタタタンッと、断続的に響いていた命中音が鳴り終わった時、武の眉間には一本の白い槍が突き刺さっていた。

 

「…………あがぁ……」

 

力を失ったように後ろへと倒れる、武の首。直角に折れ曲がって顔が天を仰ぐ形となる。そして、槍を構成していた16本のチョークがバラバラと、武の体とともに崩れ落ちていった。

 

「はい、みなさん。先生の話は、まじめに聞きましょうねっ」

 

にこりと、微笑みかけられる。

白目をむいて無残に床に転がる武と。一見、菩薩のような笑み。

それぞれに視線をやったクラス一同は。ブンブンと、勢い良く首を縦に振ることしか、出来なかった。

 

 

 



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