この身はただ一人の穢れた血の為に (大きな庭)
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物語以前の物語
追憶


・別の二次創作が進まない為息抜き。
・露骨過ぎるオリ主のオマージュ元。
・原作と重複する所は可能な限り飛ばしていくスタイル。
・言わずもがな、独自解釈・原作改変が存在し、(可能な限り注意いたしますが)事実誤認等が発生する可能性が有ります。


 母が死に、僕が〝釈放〟されたまさにその日、梟は窓からやってきた。

 

 一般的に、それが魔法族にとって喜びの知らせである事は重々承知している。

 けれども、僕はその〝収容〟通知に対し、特段の感慨を抱く事は出来なかった。

 せめてそれが一日、否、数時間でも早ければ、僕は真っ当に喜ぶ事が出来ただろう。去年の十二月二十六日に十一歳を迎え、当たり前のように九月一日時点においても十一歳であり、そして何より魔法的な素養を有する事を、グレートブリテン唯一の魔法学校により公証された者として。

 しかし、それを心待ちにしていた唯一の肉親──ホームエデュケーションという〝言い訳〟の下に僕をプライマリースクールにやらなかった母は、既にこの世に居なかった。

 だから当然の帰結として、僕は来るべき七年間に対して、一切の関心も、好意も、希望も何ら持ち得なかったのだ。

 

 ──他ならぬ、彼女に出会うまでは。

 

「驚いたわ……! 貴方も魔法族なの!?」

 

 恐らく、僕は母を愛していたのかもしれない。

 魔法の制御の難易度は、感情の強さに比例する。特に、子供であれば猶更だ。

 たとえ未成年で有っても、非魔法族の前で魔法を行使する事は望ましい事では無い。僕は過去の一度の過ちによってその事を重々承知していながら、しかし、公然と魔法の制御を喪った。それは、僕にとって明らかに恥ずべき事であるのは間違いなかった。

 けれども、幸運な事に、それを見咎めたのは単なる非魔法族では無かった。そして、何よりも僕にとって幸運で有ったのは、それが〝彼女〟で有った事だった。

 

「私も魔法使いなの! ……嗚呼、ええと、それは正確では無かったわ。私は非魔法族、つまり貴方達が言うマグル生まれの魔法使いなの。けれども、つい先日素晴らしい届けが家にもたらされたのよ。最初、パパとママは明らかに信じてなかったけれど、最後には信じてくれて、ホグワーツへ行く事を許してくれたわ……!」

 

 彼女は余りに押しが強く、無駄にお喋りで、そしてうざったらしかった。

 

「見た感じ、貴方と私は同級生に思えるのだけど、違うかしら? それとも、ホグワーツの先輩だったりする? 出来る事ならば、ホグワーツについて色々聞きたいのよ。私も本で色々読んで勉強したし、夜更かしし過ぎてママに怒られちゃったくらいだけど、気になる事や解らない事が一杯出来たの。それを少しばかり早く解決出来るとしたら、こんなに嬉しい事は無いわ!」

 

 正直言って、第一印象は最悪以外の何物でも無い。

 僕が魔法使いである事を──魔法族の父を持っている事を肯定する前ですら、彼女は一方的に言葉を捲し立てていた。同世代の子供とロクにコミュニケーションを取った事が無い僕でも、そのような行いが無礼で、無作法で、そして間違っているものだという事くらいは、理解する事が出来たものだ。しかし、この非魔法族生まれの魔女は、それを未だ学んでいない程度には〝愚か〟であるようだった。

 

 ……嗚呼、けれども。

 

 確かに、第一印象は最悪で有ったけれども。

 それでも、僕は紛れもなく、彼女によって救われたのだろう。

 唯一の肉親を喪い、自覚しないまま深い傷を負った僕の心を、彼女は──どう思い返してみても刺激的で、半ば暴力的とすら有ったのだが──癒してくれていたのだろう。

 

 別にその後、彼女の印象が大きく変わった訳では無い。寧ろ、僕は彼女と会話すれば会話する程に、彼女は我が強くて、知識のひけらかしが好きで、言葉の選び方が非常に下手くそな魔女である事を、強く実感するに至っていた。

 しかしそれと同時に、彼女は聡明で、気高く、優しく思い遣りが有って、そして酷く魅力的な女の子である事もまた理解していたのだ。そして、短い交流の中である事を差し引いても、自分自身が彼女に対し、一体どのような感情を抱いているのかも。

 

 それは、黄金の日々だった。

 

 共に学び、議論し──希望に満ちた未来を疑っていなかった一か月。

 その時は勿論、後の人生において振り返ったとしても、その一か月以上に僕が純粋に幸福を感じる事が出来た時間は、ただの一度として無かったのだ。



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賢者の石
組分け


 レッドフィールド・スティーブン。

 厳格な女性教授によってそう呼ばれ、僕は大広間の中央へと進み出た。

 

 彼女の呼んだ名前は、言ってみれば〝正しい〟物では無かった。字面だけ見れば別にそう読めなくもない、というか、普通にそう発音する者も少なくはないだろう。

 もっとも、今現在において僕がやるべき事は、その女性教授に対して文句を言う事でも、名前の是正要求をする事でも無かった。そもそもの話、女性が僕をそう呼んだのは、初対面において僕が正さなかったからであり、また、魔法界の公的機関は間違いなくそれが本名だと認識しているからでもある。何より、僕は名前について、自身を識別する為の記号という以上の価値を見出していなかった。

 

 故に、僕がすべき事は、これからの僕の七年間を少しでもマシな物にする為に、〝骨董品〟を説得する事で有った。

 

「──ふむ。君の意向は了解した」

 

 そんな言葉が、僕の脳内に響き渡る。

 その三角帽子は、僕が初めて目の当たりにする、まさに魔法らしい──動く写真を載せた本を除けばだが──道具であった。しかし、それ以上に僕にとって意味を持っていたのは、これからの僕の七年間をコレが決するという点にこそ有った。

 

「つまり、君にとって如何なる寮に属するかというのは、非常に些細な問題に過ぎないという訳だ。彼女と同じ寮に行く事が望みで有り、それ以外──つまり、そこから先、君が何を学び、何になるかなど全く持って興味が無い。成程成程、解りやすくて良い事だ」

 

 そう。

 僕にそれ以外の想いなど無い。

 

 何せ、七年だ。自分が生まれてから、今まで過ごした年齢の半分以上。正直言って、想像も出来ない程に途方もない長さにしか思えない。それだけの期間、全く見ず知らずの相手のみと共に寮生活を過ごすなど、考えたくもないのだ。

 だから、その通りにすれば良い。

 

 ──グリフィンドールと。

 大広間に響く声で、そう叫べばいい。

 

「まあまあ、待ちたまえ。そんなに結論を急かす事は無いだろう。特に、こうして私自身が少しばかり長く、君達の頭に乗っておく必要を感じた時はね」

 

 ……僕はこれ以上の必要性を感じてなど居ない。

 それとも、その動機が不純だから受け容れられないとでも言うのか。

 

「いやいや、そんな事は言う筈も無いとも。実の所、その手の希望を聞くのは少なくない。そして大概の場合、それが決め手になるのだよ。確たる理由をもって特定の寮を避ける、或いは希望するというのは非常に稀であるのだから」

 

 その言い草では、まるで僕は確たる理由をもって獅子寮を希望していないようだ。

 

「聡明かつ論理的な思考だ。そして、私はまさしくその通りに思っている。つまるところ、それが本人の資質に正しく合致するか否かの問題なのだよ。希望も回答も、それを導く理由の価値に比べれば、余りに些細な事に過ぎないと言える」

 

 …………。

 

「千年だ。それだけの期間、私は組分けの役割を負い続けて来た。そして、当然の事ながら、その過程において悩む事は大いにあった。先程の生き残った男の子はその典型だ。嗚呼、時間としてそこまで費やした訳では無いが。それでも、あれは本当に難しい組分けであった」

 

 ハットストール。

 組分け帽子が、その選択を迷わざるを得ない者。

 そう呼ばれる場合は、概ね五分を超えた場合であると聞く。だが、要した時間の長さと悩みの深さは、ある程度比例はするだろうが、しかし等しいとも限らない。

 

「つまりだね、かの四人のうち二人以上──創始者の間において取り合いになるような者であっても、組分けされるべきはたった一つの寮なのだ。その調整として私は存在しているのであり、本人の希望を聞くのはその為の典型的な手段である。どんなに教える側が望もうと、教わる側が望まなければ大成はしないのだからね」

 

 ……何となく、解った。

 あの生き残った男の子は、最後に望んだが故に、グリフィンドールに行ったのだろう。

 

「また、他の理由で少しばかり私が帽子を柔らかくする事もある。例えばの話だが、幾らその者達に相応しかろうと、スリザリンのみに百人入れてしまっては、他の三人から不平が出る事は大いに想像が付くだろう?」

 

 成程、四寮対抗という仕組みを採る以上、そこにはある程度の均衡が必要であるに違いない。

 言葉を聞く限りでは厳密に人数調整する気も更々無いようだが、組分けする側としては全く無視できるものでも無いのかもしれない。

 そして、帽子は言葉にしなかったし、僕の勝手な想像かもしれないが、その〝他の理由〟には、その学年全体、ないしは寮全体の考慮まで入っているのかもしれなかった。

 

「話が逸れた。要するに、君の意向は了解したし、その想いも理解した。

 ──だがね、全てを聞き入れる訳では無いのだ」

 

 その瞬間、僕は帽子を頭の上から投げ捨てようとした。

 しかし、僕の身体はびくともしなかった。滞りなくこの儀式を終わらせない事など許さないというように、帽子が僕の手を離してくれなかった。

 

「君が帽子を乗せる瞬間、否、私が彼女の寮を宣言するまさにその瞬間までは、君は四寮の内で最も強くレイブンクローを希望していた。違うかね?」

 

 ……違わない。

 直接言った事は無いが、彼女はレイブンクローに入ると思っていた。

 たとえ彼女がグリフィンドールに心惹かれている事を知っていたとしても、彼女は間違いなくそうなるだろうと確信していた。だからこそ、僕はこの大広間に来るまで、その寮に入れる事を祈っていたのだった。

 

「そういう事だ。私としては、君がレイブンクローに入れば上手くやって行けると判断している。しかし、君はそれを希望しない。絶対に。そしてその場合においては、私としては選択の優先度を一段階下げざるを得ないと考える。何故なら、君の学びの目的は──昔はどうあれ──今は既に唯一の為に変質してしまっているからだ」

 

 解ったような口を利く。そんな反論は、僕には出来なかった。

 その言葉は正しいのだと、僕は確信していたから。

 

「私が最後まで悩んだ結果として本人に選択を委ねる者が居る一方、言葉を交わす内にその者に相応しい寮が見えてくる者も居る。君はそちらの典型例だ。ヒトとは複雑なもので、極論すれば万人が四寮全ての資質を有すると言える。だが、それでも私はその中で、その者に()()相応しい寮を選ぼうとし、またそうしてきた自負があるのだ」

 

 恐らくこの帽子は、最初から殆ど結論を出していたのだろう。

 最初に告げた通りに、僕の希望も回答もそれ自体はどうでも良かったのだ。不適当な寮の希望を述べた瞬間に、この帽子は最終にして決定的な判断を下した。他の寮の希望を聞いたり、或いは薦めたりしないのがその証左である。

 

「解っているとも。君は、自分がその寮に相応しくないと考えている。しかし、君は正しく向き合う事が出来るだろう。彼が純血主義であると知っていながら、それを実現する為の部屋すらも用意しながら、それでも私がマグルや半純血を組分けしてきた意味に」

 

 そんな口上を帽子は一方的に言って、僕を含めた大広間に居る全ての人間に聞こえるような声で、僕が七年間幽閉される寮の名前を告げた。

 

「──スリザリン!」

 

 そうして僕は、ハーマイオニー・グレンジャーと別の寮となった。

 




・ハリー・ポッターの組分け
 各所でのネタ扱い、二巻・十二章で難しかったと言及しているイメージで先行しがちだが、一巻を読み直すと意外にあっさりグリフィンドールに組分けされている。

・セブルス・スネイプの組分け
 七巻・三十三章での彼の記憶の描写においても明確である通り、SはEの後。
 リリー・エバンズの組分け時間は明確(一秒とかかっていない)だが、セブルス・スネイプの組分け時間は意図的に不明瞭にされているようにも読める。


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グリフィンドールの女の子

 図書館で本の山に埋もれている小さな女の子──ハーマイオニー・グレンジャーは、その表情からして、見るからに憔悴しているようだった。

 

 僅か一カ月前、彼女の顔が輝いていた頃が、酷く遠く思える。

 勿論、彼女が魔法界に対して飽いたとか、或いは失望したとかいうのではないだろう。寧ろ、スリザリンとグリフィンドールの合同授業の風景を見る限り、彼女はそちらの方面については充実しきっているようだった。

 

 だからこそ、彼女が酷く参っているのはそれ以外──非魔法族社会においても逃げられない、人間関係についてであった。

 ホグワーツの一学年など、所詮は百五十人程度。加えて、全寮制の下に共同生活を強いられているともなれば、たった一か月の期間の経過、そして四寮に分断されている事を差し引いても、同級生の顔や名前を覚えるにはそれなりに長い時間だと言えた。特に、その人間が目立つ場合であれば猶更である。

 そう、彼女はホグワーツ一年生の中で最も──無論、全ホグワーツ生が顔と名前を一致させられるであろう一人の例外的な生徒を除けばだが──目立っていた。既に一年生の中で彼女の名前を知らない者は居ないであろう。僕はそう確信すらしていたし、それは間違いなく広く同意を得られるに違いなかった。

 

 何であれ、彼女は歯止めを利かせるのを忘れてしまった。

 玩具を与えられた幼児のようだったと、そのように言い換える事も出来るだろう。彼女は元々好奇心旺盛で知識欲に満ち溢れていたが、実際に魔法界に飛び込んで余計にそれが酷くなってしまったに違いない。

 

 そして何より悪かったのは、彼女の能力が余りに卓越し過ぎていた事である。

 入学前に教科書を丸々暗記してしまう狂気を実現してしまうのは言わずもがな。そして更に質が悪い事に、彼女は純粋な意味での頭でっかちでは無かった。つまり、彼女は実技も出来た。正直な所、僕は彼女が理論だけのタイプで有ると思っていたのだが、彼女の類まれなる記憶力と聡明さは、僕の陳腐な予想を蹴っ飛ばす程に図抜けたものだったらしい。

 結果として彼女は入学からたった一か月で、生徒どころか教師陣すらも疑わない学年一の秀才の地位を確立し──当然のように孤立した。

 

 無論、彼女とてそれを座視していた訳では無いだろう。

 どの時点で自身の立場の危うさに気付いたのかは別として、彼女も周りと()()()やろうと頑張りはしたに違いない。けれども、僕にすら聞こえてくる噂を聞く限り、成果は芳しくないようだった。

 

 僕が見るに、彼女は余りにもレイブンクロー的だった。

 知識や成績と言った面だけでは無く、その在り方がだ。つまりは、己の確たる世界観を内に持っていて、それを現実に展開するに際して他者の眼を余り気にしないという点だ。

 グリフィンドールは目立ちたがり屋で自惚れ屋であるが、しかし同時に他者の眼を──すなわち、恰好付けたり、もしくは仲間の共感を求めたりと──気にする傾向を有するようであった。

 しかし、ハーマイオニー・グレンジャーは違った。少なくとも彼女は、自身の知的好奇心と個人的達成感を充足する事が第一で、それは彼女自身が楽しいからやっているのであって、それが他者から承認されるか否かは二の次であった。そして、そうであれば、周りから浮いてしまうのも至極当然の話だった。

 

 もっとも、僕はそれを彼女に指摘しなかったし、その気も無かった。

 他人の事だから好き勝手言えるだけであり、僕とてスリザリンで上手くやっている訳では無かったのだ。寧ろ僕は、自身が、彼女に対して最もそのような事を言う資格が無いホグワーツ一年生の一人であると自負していた。

 何より彼女とて、そんな解りきった事を指摘されたくはないだろう。解りきっていて尚、どうしようも無いというのが人間関係であり、対人能力なのだ。理解で解決出来るのであれば、既に世界から苛めや夫婦喧嘩、そして戦争という言葉は淘汰されているに違いない。

 

 そもそもの話、僕には彼女に伝える機会など無かった。

 何故なら僕は、ホグワーツに入って以来、彼女とただの一度も会話をしていないからだ。

 

 スリザリンとグリフィンドール。

 その両者の関係性は、僕の想像していた以上に──すなわち創始者の争いを引き摺っている以上に──悪い事を、スリザリンに入ってからたった一日で思い知った。

 別に僕自身、純血主義自体に左程思う所は無い。無論、自分が〝そう〟では無いから良い気はしないが、サラザール・スリザリンの生きた当時にはそれが当然に必要とされた時代だっただろうという事くらいは理解出来るからだ。魔法族と非魔法族は分断されておらず、今よりももっと緊張的で、憎悪と流血に満ちたものだった。潜在的な敵に対して武器を与える愚かさを主張する理念は、その必要性どころか、有用性もまた肯定しえるものですらある。

 

 だが、現在の二寮──厳密にはスリザリン以外と三寮であるが──の対立の根は違う。

 魔法族と非魔法族云々では無い。究極的に言えば、純血と非純血ですらも問題とならない。つまるところ、それら自体が問題であるという訳では無く、スリザリンを構成する根幹の思想群が死喰い人を生み出す土壌となり、尚且つ現在も()死喰い人の子息が多く所属する寮という事こそが問題であった。

 

 かつての戦争後、多くの()死喰い人は、アズカバン行きから逃れた。

 無論の事、親と子の罪は別である。だが、その死喰い人達に自分の親兄弟を殺された──それも死体がマトモな状態でない場合が多く、死体が無い事すら珍しくなかった──人間がそう理性的に割り切れるだろうか? そして、そんな中で、死喰い人であったが故に戦争当時安穏と暮らし、更には戦後何の罰も受けずにのうのうと暮らしている者達に対して、彼等が好意的に対応出来る筈が有るだろうか? 

 寧ろ、スリザリン以外の人間が、スリザリンに対して嫌悪と憎悪を剥き出しにするのは、人間として真っ当な感情の発露だとすら言えるだろう。魔法戦争において最も血を流したであろうグリフィンドールが殺意を抱いている事など、最早当然という他無い。

 

 被害者()族と、加害者()族。

 極論してしまえば、スリザリンとそれ以外はその関係性に尽き、であるからして、御互いが仲良しこよしになれないのは当然である。それどころか、今のように〝小競り合い〟で済んでいるのは非常に平和で可愛らしい状況だとすら評価出来る。

 

 そう考えれば、ホグワーツという学び舎は善良に機能しており、またホグワーツ教授陣は上手く学生達を管理しきっているのかもしれない。何せ、学生間の抗争において死亡者が出る——非魔法族においても、大学において学生決闘(及びそれに伴う負傷者と死亡者)は珍しくなかったと聞く。何処の世界でも人間は同じであるという証左であろう——ような事は、少なくとも最近は無いらしいようであるから。

 

 だからこそ、僕は入学以来、ハーマイオニー・グレンジャーと会話しようとするような愚行は犯そうとしなかった。

 蛇蝎のように嫌われているスリザリン生と仲が良いグリフィンドール生というレッテル貼りを許し、更に彼女を取り巻く状況を悪化させるような真似はしたくなかったからだ。

 

 ……嗚呼、言い訳めいている事は否定しない。

 彼女が一人で寂しそうにしている姿を見る度に、また何とか周りに話掛けながらも適当にあしらわれる姿を見る度に、自分の惨めさを感じない訳では無かった。

 ()()()グリフィンドールであれば、彼女に声を掛けただろう。勇猛果敢な、騎士道精神溢れる獅子の寮。それを体現するかのように、孤独な女の子を一人のままに放っておく真似などしはしなかっただろう。たとえそれが周りから白眼視される羽目になろうとも、自身の心の赴くままに、平気で声を掛けてみせたに違いない。

 

 だが、僕は残念ながら、スリザリン生──いや、それも言い訳なのだ。

 単純に、僕に勇気が無いだけに過ぎない。スリザリン寮における僕の生活は、決して良いものとは言えなかったが、さりとて想像した程に悪いものでは無かった。寧ろ、ある一人の人間が、洋服店で多少会話したからなどという余りに奇妙な理由に基づく好意を示してくれた事によって、非純血の割には良い位置に居るとも言えた。そして、僕はそれを手放したくは無かったのだ。ただの独善的な自己防衛で、自己保身に過ぎない。

 

 だから、僕に出来る事は、彼女を遠巻きに見る事だけだった。

 彼女を取り巻く状況が少しでも良くなりますようにと、そう祈る事ぐらいしか出来なかった。

 合同授業の最中や、或いは今のように図書室の棚の隙間から、彼女に悟られないように覗き見るような真似が、どう考えても情けない事は理解している。けれども、彼女の姿を見る事は、色鮮やかであるとは言えない僕の学生生活の中で、ささやかな幸せを感じさせるものである事は、決して否定出来なかったのだった。無論、今この瞬間さえも。

 

 ただ、そのような不埒な行いが何時までも続く筈も無く、そしてこの瞬間に終わる事は偶然であると共に必然では有ったと言えよう。

 先程まで熱心に本へと目を落としていたハーマイオニー・グレンジャーは、何の気紛れか顔を上げた。そして、彼女から遥か離れた所に居た僕と、視線が合った。合って、しまった。

 

「──あ」

 

 彼女は僅かに口を開き、僕は思わず視線を逸らした。

 その反応を考えるに、今まで彼女は、しばしば僕から覗き見られていた事に気付いていなかったのかも知れない。それは救いでも有ったが、しかし意味の無いものでもあった。何故なら、彼女は今それに気付いてしまったのだから。

 

 暫くの間、僕は本棚の中から本を探す振りをし続けた。

 それが余りにわざとらしいものであると理解していても、建前を繕う事を止められはしなかった。

 数十秒か、もしくは数分か。それだけの時間が経って、中身をロクに確認出来てもいない()()()本を右手に取って僕が視線を戻した時——彼女の視線は僕に留まったままだった。

 

 彼女の表情は、何とも表現しがたいものであった。

 色々な感情が入り混じっていて、結果として無色になっているような表情。当然そこから彼女の考えを読み取る事など出来はしない。そのような表情は、僕が知るハーマイオニー・グレンジャーのいずれのものとも違い、しかし、彼女の素の表情であるようにも思えた。

 

 そして、僕には彼女がどうして欲しいか、解った気がした。

 それと共に、自分が今、一体何をすべきかという事も。

 

 僕は周りを見渡した。都合の悪い事に、そう、余りに都合の悪い事に、付近の席は大半が埋まっており、彼女が座っている机には、本の山以外に誰も居なかった。もしかしたら、入学一か月で既に図書室に入り浸っている小さな〝本の虫〟には、上級生であっても近寄りがたいのかも知れない。

 だから僕は、努めて平静を装って彼女に近づき、彼女の斜め前の席に座った。

 彼女は既に視線を本へと戻していたが、それが拒絶を示すものでは無い事は何となく解った。

 

 言葉を切り出したのは、彼女が先だった。

 

「……ええと、元気?」

「……ああ」

 

 ちらりと彼女の方を見れば、彼女は本に視線を落としたままだった。

 それが周りから会話している事が悟られない為である事は明らかであり、また彼女もグリフィンドールとスリザリンの確執を良く承知している事も歴然としていた。そして、彼女が僕に対して今まで声を掛けようとしなかったのが、僕と全く同じ理由であるという事さえも。

 二寮の生徒が、一緒の席に座っている事自体目立つのでは無いか。そんな正論は、意識的に頭の隅へと追いやった。

 

「ねえ、ステファン」

「……何だ、ハーマイオニー」

「──私達、同じ寮だったら良かったのにね」

 

 しみじみと、彼女は呟くように言った。

 嬉しい言葉だった。だが、それ以上に言葉に含まれた悲しい響きが、僕の心を喜びに満たす事を止めた。

 

「あの一か月が遠い事のように思えるわ。グリフィンドール、スリザリン、レイブンクロー、ハッフルパフ。その四寮に組分けされる方法、寮の場所、部屋や談話室の装飾、そしてそこで送るホグワーツでの生活。あの時は、これから素晴らしい毎日が待っていると信じてた」

 

 確かに、あの日々は疑う余地も無く輝いていた。

 だが、現実は得てしてこんなものなのかもしれない。

 手に入れていない物は美しく、しかし一度手に入れてしまったものは色褪せて見える。

 

「……君は、今ではもう、素晴らしい毎日が待っていると思えないのか?」

「……いいえ。魔法界での生活は、刺激的で、退屈しないもので有る事は間違いないもの。今だって、その気持ちに嘘は無いわ」

 

 そんな気丈とも取れる言葉の内容自体に、確かに嘘は無いのだろう。

 しかし、その弱々しさこそが、彼女の本音を物語っていた。

 無論、それを指摘出来る程に僕は無神経な強さを持ってはおらず、だから聞かなかった振りをして、一つ前の彼女の言葉に答えた。

 

「……同じ寮か。それはどう足掻いても叶いそうには無かったな」

「あら、貴方はグリフィンドールへの組分けは勧められなかったの? 確かに、貴方がグリフィンドール的であるという気はしないけど、その要素は持ち合わせて居ると思うけど」

「いいや。これっぽっちも勧められなかった」

 

 事実上拒絶された、とまでは言わなかった。

 そしてそれに気付かない彼女は、当然のように言った。

 

「それは多少意外だわ。でも、レイブンクローは勧められたんじゃない?」

「……まあ、そうだな」

「やっぱり。私は、てっきり貴方がレイブンクローに行くものだと思っていたもの」

「その可能性も有ったのかも知れない。だが、組分け帽子にとってはスリザリンが大本命だったみたいだ。あくまで僕が強く希望しているのならば、レイブンクローに組分けする事も吝かではない感じでも有ったが」

「あら、希望しなかったの? どうして? 入学前、貴方はあんなにもレイブンクローに行きたがってたのに」

「……気が変わっただけだ」

 

 君が居ないからだ、とは言える筈も無い。

 だから、軽く咳払いと共に誤魔化した。もっとも、彼女自身そこまで強い疑問を抱いたのでも無く、多少気になったから聞いた程度に過ぎなかったのだろう。過去——組分け時を思い返すように、少しばかりぼんやりした口調で言った。

 

「私は、グリフィンドールかレイブンクローだったわ」

「だろうね」

「失礼ね、と言いたい所だけど……まあ自分でも解ってるわ。私がレイブンクロー向きだって。多少憧れていたけど、私にグリフィンドール的精神が有るなんて自信が無かったもの」

「無意味な虚栄心に満ちていて、独善的で、自分勝手な精神を持ってるって事か?」

「今度は怒るわよ」

 

 口調は尖っていたが、その内には隠し切れない笑みがあった。

 けれども、それは一瞬。彼女の元気は、萎むように消えてしまった。

 

「……でも、本当なのよ。私だって、皆と仲良くしたいわ。けど、私は思わず無神経な事を言ってしまうし、少しばかり空気が読めないのも事実だもの。ホグワーツに来る前もそうだった。ずっとそう言われてきた。だから、自分を変えたかったんだけど——」

 

 ——失敗した。そういう事なのだろう。

 

 同時に、組分け帽子が彼女をグリフィンドールに入れた理由も解った気がした。

 

 彼女は選択肢を与えられ、そして選択した。

 彼女が今言葉にしなくても、それ以上の事——あの長過ぎる組分け帽子の悩みの中で紡がれた、彼女の万感の想いと言葉が存在したに違いなかった。ただ単に好きな女の子と一緒に居たいというだけで寮を選択しようとした何処の馬鹿野郎と違い、自身の未来と展望を見据え、確固たる意志と理念と希望を胸に抱いて、彼女は組分け帽子との対話を行ったのは間違いなかった。

 無論、彼女に他の資質が存在しなければ組分けされる事もなかっただろうが、しかしそれでも最後の決定打は間違いなくそこに有った。そして、それこそが正しく〝グリフィンドール〟——僕が決して持ち得ず、当然に組分け帽子が見透かしていたモノは明らかだった。

 

 ……そして彼女は今、それを、自身を疑おうとしている。

 

「やっぱり、私はレイブンクローに——」

「——君は、やっぱりグリフィンドールで上手くやっていけると思う」

 

 落ち込む彼女を励ます気持ちは有った。

 だが、揺ぎ無い本心と共に、確信を持って言った。

 

 何時の間にか、御互いに本から視線を上げていた。彼女の瞳が僕を真っ直ぐと見て、僕の瞳もまた彼女を真っ直ぐと見ていた。既に、周りの事など頭から飛んでいた。ただ、この不器用な彼女に、想いを伝えたかった。

 

「君は確かに無神経な所が有る」

 

 彼女は否定しなかった。

 

「君は思った事を感情のままに、口にしてしまう所が有る。自分の知識や考えを絶対視し、他人に押し付けてしまいがちな所が有る。一度思い込んでしまったら最後、視野狭窄に陥り、他人に言われても直す事が出来ない頑迷な所が有る」

 

 彼女は否定しなかった。

 

「でも」

 

 でも。

 

「君は何にでも一生懸命で、間違いを見過ごせない人である事を知っている。君は、誰かの救いになる事が出来る、強い人だという事を知っている。君は聡明で、気高く、優しく思い遣りが有って、素晴らしく魅力的な女性である事を――僕は間違いなく知っている」

 

 僕にとって、ハーマイオニー・グレンジャーは、そんな女の子だった。

 

 第一印象は最悪だった。

 だが、そうであっても、少なくとも僕は彼女に好意を抱いている。恋愛的な意味を有してはいても、友情的な意味も併存しているのは確かだった。深く付き合うにつれ、僕はハーマイオニー・グレンジャーという女性の良さを当然に理解する事が出来た。

 ならば、どうしてグリフィンドールの人間が——騎士道精神に溢れ、高潔たらんと欲する者達が、それを理解されないままに居る事が出来ようか。

 

「確かに今は上手く行っていないかもしれない。でも、今はたかが七年の百分の一程度が終わったに過ぎないだろう? 君が素敵な人間である事に変わりはない。だから、グリフィンドールの人間だって、君の良さを理解してくれる日が——」

「…………良くもまあ、面と向かって言えるわね」

 

 途中で途切れた僕の言葉から身を護るように、彼女は分厚い本を持ち上げて顔を隠した。

 それは、僕にとっても助かった。言葉を費やしている内に、自分が一体何を口走っているかを自覚する程度には冷静になれたからだ。無論、鼓動は冷静とは言い難かったが。

 けれども、恐らくそれは御互い様であり、それを保証するかのように彼女は言った。

 

「でも、貴方もスリザリンで上手くやっていけると思うわ」

 

 本の向こう側からポツリと零すように、しかし迷いなく言葉を紡ぐ。

 

「貴方は強い人だわ。そして、確固たる知識の下に、断固とした決意を出来る人。確かに私は貴方の生まれを知っているけれど、それでも貴方がスリザリン的偉大さを持っている事は何ら否定出来ない。寧ろ、サラザール・スリザリンは貴方のような人を求めたので有って欲しいと思ってる」

 

 そして、と彼女は続けた。

 

「何より、私と違って貴方の学生生活は確約されているとも言えないかしら。ほら、組分け帽子も言ってたでしょ。スリザリンでは君は真の友を──」

 

 その言葉尻が段々と小さくすぼんでいったのは、彼女的には模範的スリザリン生を決して友としたくないと感じたからだろう。

 もっとも、僕も面と向かって否定はしまい。グリフィンドールが悪し様に言う程スリザリンが邪悪だと思わなかったが、さりとて心を開いて友となれるとも思えなかった。

 ただ、彼女の言わんとした事は十分に伝わった。

 

「……まあ、貴方にもスリザリンに入って良かったと思える時が来るわ」

 

 多少早口に何とかそう言っ切って、彼女は言葉を結ぶ。

 相変わらず本に隠されて、彼女の表情は見えない。けれども、それでも彼女の表情は、目に浮かぶようだった。あの一か月の間に散々見た、不器用な優しさに満ちた——僕が彼女に惹かれた表情の筈だった。

 そして、それを思うと限界だった。

 

「有難う。少しだけど、話せて良かった」

 

 囁くようにそう言って、僕は立ち上がった。

 名残惜しくは有った。だが、これ以上は留まる事など出来なかった。

 図書室全ての人間が、こちらを意識しているようにも思えた。もっとも、それは思い上がりなのかも知れない。けれども、それが真実だと思えるくらいには、僕の顔は熱かった。

 ただ、一番熱いように感じたのは、自身の背中だった。けれども、その発生源を振り返って確認する事はしなかった。

 

「……私もそうよ。また、話しましょう」

 

 そう聞こえたのは、僕の幻聴では無かった筈だ。

 何にせよ、僕は踵を返したまま彼女の下を立ち去った。

 

 二寮の断絶。一か月の空白。

 それが無かったかのように、僕達は再度言葉を交わす事が出来た。

 

 それは負け犬同士の傷の舐め合いめいたもので有ったにしろ、僕は彼女との繋がりを確かめる事が出来た。彼女も僕に対して好意を——僕が抱くのと同種でない事を理解する程度の理性は有ったが——抱いている事を確認する事が出来たのだ。僕にとって、ホグワーツに入学して以来の最良の日だったと言えよう。

 

 ……もっとも、次の機会というのは、中々訪れなかった。

 

 御互いに暗黙の了解というのは有った。

 つまり、周りに気付かれてはならないという事だ。

 

 依然として、御互いが御互いの立場を壊すつもりは無かった。正確に言えば、彼女の方はどうか知らない。けれども、少なくとも僕の方は、やはり彼女に対して〝スリザリン生と仲が良い〟などという汚名を着せるつもりは抱けなかった。それが僕にとって、酷くじれったく思える事柄で有ったとしても、だ。

 しかし、先の時のように御誂え向きに図書室の他の机が埋まっている場合などそうそう無かったし、仮にその場合でも彼女の机に他の人間が座っている場合というのも少なくなかった。つまり、自然と二人で会話出来る機会は無かったのだ。

 

 付け加えれば、それ以外の場所で彼女を捕まえるというのも現実的では無かった。

 スリザリン生がグリフィンドール生を連れ出す? 如何にそれが浮いている生徒で有っても、そんな〝決闘〟の誘いを騎士道精神に満ちた彼等が見逃す筈も無い。……まあ、後から考えれば、それは彼女を溶け込ませる為の良い手段かも知れなかったのだが。

 

 そして何より。

 彼女にとって大きな転機となる事件が起こる方が、圧倒的に早かった。

 

「トロールが……地下室に……!」

 

 ハロウィンの夜。

 闇の魔術に対する防衛術教授が、そう言って倒れた。

 

 もっとも、その時点において、僕は他の生徒と同じ程度の恐慌にしか陥らなかった。

 トロールという種族を見た事は無かったし、M.O.M分類においてXXXXなどという細かい知識など記憶の片隅にすら無かったが、対処を誤れば大人でも返り討ちに会う程度には強力であるという常識は有った。だからこそ、当然の帰結としてそれに挑むような野心など抱きはしなかったし、監督生の引率に従ってスリザリン寮へと戻るという有り触れた選択をした。

 

 ……嗚呼、迂遠な言い方はすまい。

 僕はハーマイオニー・グレンジャーがハロウィンのパーティーに居ない事に気付きはしても、既に授業から泣いて逃げ出していたなど考えもしなかった。

 まして彼女がトロールに関わる事になるとは夢にも思わなかった。

 

 事の顛末を知ったのは、全てが終わってからだった。

 その不用意さに眉を顰めた者が皆無であった訳では無い。死人が出たとしても可笑しくは無かった。寧ろ、それに遭遇した者達の年齢を考えれば、そうならなかった事こそが奇跡とすら言える。スリザリン生の内では、半ば嘲笑すら——加点された事を知っていて尚——沸き上がったものだ。死にたがりな英雄願望のグリフィンドールらしいと。

 

 しかし何にせよ、生き残った男の子は、まさしく英雄らしい特別性を見せた。

 

 無論、僕にとってそれ自体はどうでも良い事だ。

 僕にとって一番の関心事であったのは、その〝冒険〟を契機として、ハーマイオニー・グレンジャーは彼の最も親しい友人となったという事だ。そして、頭でっかちだと信じ込まれていた彼女が、()鹿()()()グリフィンドール的側面を見せた事こそ、寮に受け容れられ始める理由となったという事も。

 

 彼女は、孤独では無くなった。

 僕は、彼女の唯一の理解者などでは無くなった。

 事件の後、それまではあれ程機会が無かったにも拘わらず、ハーマイオニー・グレンジャーと会話する〝偶然〟は直ぐに訪れた。その時には、既に彼女は憔悴した女の子では無かった。輝く学生生活を謳歌する、一人の快活な女の子だった。

 

 彼女は様々な事を話してくれた。英雄ハリー・ポッターの事、もう一人の友人ロナルド・ウィーズリーの事。その他の、多少仲良くなれた女生徒達の事。マダム・ピンスに見咎められないよう囁くような、しかし弾みを隠し切れない声で、彼女は自身の輝かしき日々の事について明かしてくれた。

 

 それは喜ばしい事だった。その気持ちに嘘偽りは無い。

 だが、それと同時に、僕はまざまざと実感したのだ。

 

 嗚呼、そうだ。僕は、組分けの結果を真の意味で受け容れていなかったのかも知れない。けれども、二か月経って漸く受け容れた。受け容れざるを得なかった。

 彼女はグリフィンドールで、僕はスリザリンだと。

 




・リリー・エバンズの勇気ある交流
 第一次魔法戦争(1971~1981.10.31)。
 ホグワーツ在学(1971~1978)。
 セブルス・スネイプとの友好(1969年頃~1976年のO.W.Lまで)。

・Protection from Harassment
 施行は1997年。
その立役者となったNational Association for Victims of Stalking and Harassmentが立ち上げられたのが1993年らしい。
 それまでは郵便・電話等のみアウトだったようである。


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スリザリンの男の子

 僕の学生生活は、最初から失敗していた。

 

 それがどんな存在であれ──つまり、それが望まないような血筋であるという場合でも──自分達の寮に振り分けられた事を歓迎しているのに、その人間が『この寮には来たくありませんでした』という絶望的な顔をしていれば、そりゃあ失敗方向に全力で突っ走るのも解りきった話だ。

 

 だが、それは余禄に過ぎないと言える。

 たとえその場合であっても、レイブンクローやハッフルパフならば、後から挽回する事について多少の希望は持ち得ただろう。だがよりによって僕が組分けされた寮はスリザリン、純血主義にして貴族主義の寮であったのだ。僕は最初から失敗を予見し──或る意味ではその通りになった。

 

 聖なる二十八という偏見に塗れた区分はさておき、魔法社会というのは広くて狭い。

 すなわち、魔法族は非魔法族のように小さく群れて住む必要が無い一方、姿現し・移動鍵(ポートキー)という移動能力に加えて単純な数の問題故に──魔法族がロンドンを闊歩するのにダイアゴン横丁だけでほぼ足りる事を考えてみれば良い──殆どが少なからず顔見知りであるのが当然だった。

 言い換えれば、古くから存在する〝純血〟であれば、対立関係の有無を問わず互いの存在を認知する事は不可避的であり、逆に言えば、そうでない者は〝純血〟だと言えない事など考えるまでも無い程に明らかだった。

 つまるところ、彼等は単純に姓名を聞くだけで、その者が純血で無いか否か──身内として迎えるべきか否かを殆ど判断可能であり、更に御互いの先祖の歴史について少しばかり会話をすれば完璧に識別可能であるとすら言えるのだ。

 それは彼等が本能的に備えた能力であり、その事は別に驚くに値しない。非魔法族の貴族とて、少なからずそう言った面があるのだ。であれば、古き因習を色濃く継承してきた魔法族が、どうして逃れる事が出来ようか。

 

 要するにスリザリンの性質として挙げられる団結主義は、入学前からの家族ぐるみの交流に強く依存するものである事は否定し得ないのだ。そして言うまでも無く、それらは非魔法族ないし半純血が余り持ち得ないものである。つまるところ、スリザリンに組分けされたその種の者達は、事実上ハンデを背負っていると言っていい。

 

 もっとも、救いかどうかは知らないが、彼等にとって親戚関係と看做す範囲は広い。ほんの数百年遡って、彼等の由緒正しい家系図の中に相手の家名を見つけられれば──すなわち、()()()()()()()嫁いだ人間が居れば、彼等は当然に親戚扱いをする事だろう。

 

 更に言えば、彼等とて不要な波風を立てない程度の頭は有る。

 同姓同名を理由に遠い親戚関係を見出したり、或いは何かの間違いで抹消されたのだと理解したりという〝柔軟〟さは、彼等の得意とする所だ。特に七年間も寮で生活をする上、学内の繋がりが卒業後にどう影響するか解らない。何より、組分け帽子という由緒正しい魔法具がその者のスリザリン性を保証しているという面も、その欺瞞を生み出すには都合が良かったと言える。

 

 ただ、そのような場合においても、いわば二流純血扱いされるというのは否定しがたいようだった。無論の事、低い地位に有ると見なされる事が、それがそのまま不幸に直結するという訳では無いのだが。蛇寮に組分けされた者らしく、〝純血派〟の者達の間を狡猾に渡り歩いて楽しくやっている者も居るようであった。

 

 勿論、スリザリン内においても、〝非主流派〟とも言うべき非魔法族生まれ・半純血のコミュニティが存在する。

 ホグワーツ全生徒で約千人であるから、単純計算でスリザリン所属は二百五十人。見た感じそれより少ないようだが、いずれにせよ全ての者が聖なる二十八に連なるというのは現実味が無い。そして、二流扱いされる位ならば、そういう者で徒党を組もうと考える者達が現れるのは当然の話ではある。

 

 けれども、彼等が〝純血派〟から完全に独立してやって行ける訳でも無かった。

 数で負けているとか、純血に媚びる方が楽な場合が多いとかいう以上に単純な話だ。

 十一年間魔法界で家庭教育を受けて来た者と、十一年間魔法無しで生きてきていきなり魔法界に放り込まれた者。どちらが優秀である割合が高いだろうか。非魔法界において、良いパブリックスクールないし良いカレッジに入る者は、得てして金持ちの家庭が多いのと似たようなものだ。今年の一年生にはド派手な超例外が居るから忘れがちだが、魔法族が非魔法族より優秀──魔法の領域において、だが──であるというのは厳然たる事実である。

 

 まあ、長々と述べたが、何にせよスリザリンに入るという事は、即座に自身の立場を鮮明化させる必要が有るという事で有った。純血で無い場合は猶更に。

 

 純血に媚びるか、それとも距離を置くか。

 狭い世界内での共同生活であるが故に、どちらかを選んだ所でそのまま戦争関係に陥る訳では無い。特に、〝生き残った男の子〟により闇の帝王が滅ぼされ、純血の子息の多くがアズカバンに収容されている現在、スリザリン内部の勢力図は非常に繊細なものとなっている。だからこそ、純血派も慎重になっており、ある程度融和的な態度を示していた。

 しかし、逆にそれ故に、非純血派は勿論の事ながら、純血派も〝身内〟以外への勢力拡大にそれなりに熱意を抱いていると言えるのだが。

 もしかしたら、現在のスリザリンは歴史上、今までで一番スリザリン内の純血以外に優しくなっている時代なのかも知れなかった。五年生の監督生の立場が許されているのがその良い例だ。

 ただ、純血主義という眠れるドラゴンは、未だに学生達の下で眠っている。それが、一か月程度のスリザリン生活における僕の実感である。

 

 まあいずれにせよ、僕が所属するとなれば、非純血・半純血側の〝非主流派〟以外に選択の余地は無かった筈だった。生まれに加え、貴族的な社交性が欠如しているのは自覚していたからだ。

 ただ、仮にそのコミュニティに属せた所で、それはいずれ破綻していたかもしれない。先に述べた通り、スリザリンという世界に括られた以上、〝純血派〟と距離は置けても関わりは必須だった。しかし、そのパワーバランスを理解した上で器用に立ち振る舞っている将来の自分など、全くもって想像出来なかったのだから。

 

 ……けれども。

 今の僕には、全てが仮定であり、余計な杞憂でしかなかった。

 

 僕の学生生活は最初から失敗していた事は既に述べた。

 だが、スリザリンにおいては、そのような事は酷く稀であると言わざるを得ないのだ。

 

 入寮当初から、自身の立場の表明を求められる。純血という対立軸が存在し、それを基準とする、大きく分けて二つの枠組みを持つ集団が存在する。それらは一見悪い事にも思えるが、しかし、裏を返せばコミュニティがはっきりしており、()()()()()()()()()()()気が合う合わないという不明確な基準で排斥されるという事は有り得ないのだ。

 勿論、集団の階層構造の中で下に置かれるというのは往々にして存在するが、それは有る程度時間が経過してからの話であり、集団を成立させる為の数合わせにも価値が有るのだから、最初から失敗するというのは有り得ない。友人以外を排斥するグリフィンドールとは違う。この寮内においては、打算と利益によっても結束と関係性を維持可能であるのだから。

 

 故に、僕のスリザリン生活を失敗させた最大の要因。

 それは、一人の少年のせいだった。

 

「やあ、スティーブン。呪文学の宿題は終わったかい? まあ、君の事だから終わっていると思うのだが、可能であれば見せて欲しくてね」

 

 談話室の隅へ押し込められて読書していた僕に対し、少なくとも外見上は親し気に声を掛けてくる金髪の少年。

 

 ドラコ・マルフォイ。

 ブラックが残らずアズカバンに行き、それらの子供もマトモに学内に居ない現状においては、最も高貴で純血の主流に位置するとも言える、純血中の純血の次期当主。どういう訳か彼に目を付けられたからこそ、僕には選択の余地が無かった。

 

 無論、僕が〝純血派〟に属したという訳では無い。アヒルが白鳥の群れに混じる事が出来る筈は無いのだ。しかしまあ、彼が目を掛けている相手を、〝非主流派〟が横から掻っ攫う真似も出来はしない。結果として、僕はどちらにも属せない、非常に微妙な地位に置かれる事になった。

 そして、当然ながら僕が真正面から文句を言える筈も無かった。彼は尊き血より導かれる善意からそう振る舞っているのであろうし、現状において排除される事がない要因として、多少は彼の助力が有る事は事実であった。

 もっとも一番の理由は、その中途半端な立場故に、スリザリンに居た一か月で〝純血派〟の面倒臭さも〝非主流派〟の苦労も見る機会が有ったからだろう。どちらでもないという事が気楽であるという気が無かったと言えば嘘になる。

 失敗はしても、それで楽しく暮らせない事はやはり無いのだから。

 

「……まあ、終わっているから構わないが」

 

 僕は彼に何時ものように答え、しかし一瞬逡巡した。

 今までは、僕が当然のように持ってきていた。それはスリザリン的な用心云々以前に、余程親しい者で無ければプライベートな空間に他人を入れる事はしないという至極常識的な論理の帰結だった。ドラコ・マルフォイとて、その育ちの良さ故に、僕がそうする事について一度として疑問を呈した事は無い。

 だが、この瞬間、その下らない常識は逆に利用できる事のように思えたのだ。

 

「確か机の上に有った筈だ。勝手に探して持って行ってくれ。何処かに埋もれているかもしれないが、羊皮紙の群れを適当に発掘すれば見つかる筈だ」

「……良いのか?」

 

 少しばかり目を見開いて確認を取る彼に、僕は頷く。

 ドラコ・マルフォイにも、自身が取りに行かされるという手間以上に、私的空間に侵入を許すという特権の価値と重さを理解しているのだろう。その瞳の奥底に僅かな侮蔑が見えるのは箱入り息子らしいが、さりとてその悪用許可証を与えられる事を見逃す程に非スリザリン的では無かった。

 そして僕は、それを把握して尚、前言を翻すつもりも無かった。

 

「構わない。何より、一々君に断りを入れられる方が面倒だ。今度からも探して取ってくれて良い。無ければ終わってないか、僕が持っているかのどちらかだ」

「……流石にそんな恥知らずな真似は出来ん」

「恥知らず云々を言うならば、まずは自分一人で宿題を終わらせる事だ」

「……僕は忙しいんだよ、君と違って」

 

 僕の皮肉に対し、ドラコ・マルフォイは不機嫌そうに顔を歪めて言葉を返す。

 その言葉は正確でも無いが、間違っている訳でも無い。彼は明らかに僕よりも遊んでいたが、それと同時に社交にも力を入れていた。無味乾燥な宿題に時間を費やすよりは、余程将来に直結する活動とは言えるだろう。

 

 ただ、今の僕にとって重要だったのは、僕が露骨に彼を揶揄しても尚、彼が不機嫌な態度を見せるだけで済んだという点だった。

 ドラコ・マルフォイという存在をどう扱うべきか、僕は非常に図りかねていた。

 約二か月前。明らかに純血では無い僕に対し、彼は平気で話しかけてきた。それ故に最初、〝純血派〟は僕を純血と勘違い──もっとも、姓名を聞いて彼等の誤解は直ぐに解けたのだが──した。そして、僕の学生生活は最初から蹴っ躓いたのだが、その理由は定かでは無い。僕の思い返す限り、彼との交流はダイアゴン横丁の洋服店での会話のみであり、その会話を振り返ってみても何ら特別な点は無かった筈だった。

 

 その理由を今まで僕は彼自身に問わなかった。

 問う理由など無い。表面的であれ造り物であれ、彼が同学年のスリザリンで唯一友好的な態度を示してくれる存在であるのは変わりない。眠れるドラゴンを擽る趣味は無かった。

 無かったのだが──

 

「なあ、マルフォイ。別に宿題を見せるのは構わない。その代わりに聞きたい事が有る」

「君が僕に聞く事が有るとは珍しいな。言ってみろ」

「何故、君は僕に構う? 君の交友関係に、僕は必要無い筈だが」

 

 ──僕は踏み込む事に決めた。

 それはこの二か月間の薄い交流の中で、彼がスリザリン的で有りながらも何処か甘っちょろい事を──恐らく両親からは酷く愛されているからだろう。良くも悪くも、彼は箱入りだった──理解したからである。

 

 何より。

 ハーマイオニー・グレンジャーの状況が変わった事が大きかったのは否定出来ない。

 勿論、真なる友人を得る事など欠片も期待して無かったが。一番近いのは半ばヤケになったという事なのかもしれない。

 

「わざわざ指摘される事でも無いと思うが、僕の血筋が君のように尊くない事は理解しているだろう。それなのに、君が僕に良くする理由が解らない」

 

 今まで何も問わなかった僕が、いきなり問うたのに面食らっていたマルフォイは、しかしその僕の言葉で顔を微妙に歪めた。

 

「君……誰が聞いているか解らない談話室で、その発言は不用意だぞ」

「危険な発言だとは認めるが、今更だ。誰もが気付いている事を隠しても意味が無い」

 

 僕は軽く肩を竦める。

 もっとも、気付かない振りを貫こうとする点は、彼もまた純血という事なのかもしれない。

 彼等は見ない事が、それはすなわち存在しない事であると考えがちだった。家系図なんかが良い例だ。無論、僕はそれを真正面から否定するつもりは無い。見ない方が精神衛生上都合の良い事も存在する。世界の貧困、窮乏、悲劇など、誰もが何かを見ない振りをして生きている。

 

 そもそも、僕らの会話に注意を向けている人間は、見た感じでは存在しなかった。

 入学最初は異様で相応しくない取り合わせに注目されていたが、二か月もすれば人は慣れる。

 

「しかし、あー……僕も聞かなかったのだが、スリザリンに組分けされたという事は、一応の血筋は保証されている筈だろう。君の優秀さはマグルでは無いだろうし、何処の家系に繋がっているとか聞いた事は無いのか?」

「一応聞いた事が有る。ロクでも無いものだったが」

「何と言っていた?」

 

 僕が他の生徒と殆ど交流しない事も有って、家系を知る人間も居ないからだろう。彼は微妙に好奇心をそそられたように身を乗り出すが、期待には応えられそうに無かった。

 

「ぺベ〝ル〟ル、ク〝リ〟ウチ、ブ〝リ〟ック、そしてレスト〝ラ〟ンジ。その辺りと血縁関係が有るとは言っていた」

「……ペベレル、クラウチ、ブラック、レストレンジでは無いのか」

「さあ。僕が母から直接聞いた名前はそうだったからな」

「何と言うか、君の母上は──」

「──狂っていた。それは否定しない。そして既に死んだ人間だから、真実は解らない」

「……余計な事を聞いた」

 

 憐みと共に、微妙にバツの悪そうな顔をする。

 悪感情を抱いた相手ならともかく、同じ寮で二か月程過ごしてきた相手に対して冷ややかになれる程、冷酷で在れる訳でもないらしい。

 彼は、奇妙なアンバランスさを同居させた人物だった。一言では表現しがたいが、スリザリン生としての側面と、そうでない側面を極端な形で有しているように見えた。家家族が無い事が憐れだと思える事が──家族愛が善なる物であるのを信じ切っている事は、その典型例だ。つまり、家族など居ない方が良いという場合が得てして存在する事を、彼は全くもって理解していない。

 もっとも、そのアンバランスさが無ければ、僕に話掛けようと思いすらしなかっただろう。事実、()()()スリザリン生である彼の取り巻き二人はここに居ないのだから。

 

「まあ、気にしないでくれ。エリザベス一世の子の末裔であるという法螺話を平気で宣う人でも有った。その言葉を一々マトモに受け止めていたらキリがない」

 

 非魔法族の歴史においても、魔法族の歴史においても、エリザベス一世は未婚かつ子が居なかった。それが動かしがたい史実である。

 だから慰めるつもりで言ったのだが、何故かドラコ・マルフォイが盛大に顔を引き攣らせたのが印象的では有った。

 

「そ、それでだ。何故君と交流しようとするかだったな」

 

 軽く咳払いをし、ドラコ・マルフォイは本題へと戻す。

 

「一言で言えば、君が優秀だからだ。確かに君は少なくとも姓名が純血のモノでは無いが、さりとてスリザリンに相応しいエリートの資質を有している事は、この二か月で君が寮にもたらした点こそが証明しているだろう」

「現一年のスリザリンで最優秀なのは、恐らくセオドール・ノットだが?」

「……いずれにせよ、君が優秀なのは変わりないだろう」

 

 僕の揶揄に、マルフォイは顔を嫌そうに歪めながら答える。

 〝ノット〟というように聖二十八族であり、尚且つ死喰い人の噂が有る家系でもあるからマルフォイと親しいのだと思ったが、そうではないらしい。まあ、嫌う事が出来るという事から考えるに、それなりの交流が有るのは間違いないのだろうが。

 そして、自身が優秀であるというのは、まあ否定し得ない事では有る。

 ほんの一か月間とはいえ、入学前に一体誰と共に学んでいたかを考えれば、それは当然の事だった。

 けれども、彼の言葉に納得した訳では無い。

 

「だが、君が僕に声を掛けた理由は、マダム・マルキンの店で会話したからという理由だっただろう。それは僕が優秀であるとやらが判明する前だ。故にたまたまそれだけの偶然で、僕と交流を持とうとするのは筋が通らない」

 

 確かに会話をした。ドラコ・マルフォイより前、たまたまマダム・マルキンの店を訪れていたからだ。しかし、その会話とて大したものでは無かった筈だ。明らかに純血のナリをしていたから適当におだてはしたが、おべっか使いを今更彼が必要とする筈も無い。

 そしてまた、手頃な宿題代行マシンも彼は必要としないだろう。

 その程度で〝マルフォイ〟と交流を持ちたい者は掃いて捨てる程居る。別に学業の助けを同学年から探さずとも、上級生の助けを求める方が直截的である。

 だからこそ、僕にとってドラコ・マルフォイは不気味であり、距離を測りかねている部分が有ったのだ。

 

「……まあ、偶然である事は認める」

 

 果たして、ドラコ・マルフォイは頷いた。

 

「君は会話の内容を気にしているようだが、特別な会話で無かった事は保証しよう。君の言葉が、純血から見れば間違いなく落第レベルであった事もね」

「ならば、何故」

「父上が仰っていたのだ。それが必要だと信ずるならば、多少は柔軟になるべきだと」

「父というと……ルシウス・マルフォイ氏か」

 

 若くして大それた地位に居る俊英である以上に、こちらの方が有名だろう。

 元死喰い人。そう呼ばれながら尚、今現在に至っても日の当たる場所を歩いている怪人。

 

「別に君を主題としてふくろう便を送った訳では無い。ただ、話題の中で君の話が出た。そして、それとなく諭されたのだ」

「貴方が出した話題とやらは、想像するに愉快では無かった筈だが」

 

 僕の揶揄を、マルフォイは否定しなかった。

 

「けれども、父上はこう言ったのだ。間違いなく純血では無いような人間であろうとも、スリザリンらしい人間は居る。事実、自身の友人も偉大な寮に相応しい人間である事に変わりはないが、彼が背負う姓は聖二十八族では無いのだと」

「……それは、意外な発言だ」

 

 その瞬間、僕は思わず周りを再度見わたしていた。

 相変わらず、こちらに注目している学生は居ない。けれども、誰が聞いているか解らない場所において話すには、僕の踏み込んだ発言よりも遥かに危険な内容だった。僕は非純血の学生以上の何者でも無い一方、彼の父には立場が有るのだから。

 

「失礼ながら、ルシウス・マルフォイ氏らしくもない」

「ああ。僕もそう思った。けれども、色々とやり取りをする内に、考える事は色々とあった。だが、結果として僕の迷いは晴れたし、今までの二か月を見る限り、君はもっと正当に評価されるべきだと、僕はそう考えている」

 

 真っ直ぐと僕の方を見つめて、ドラコ・マルフォイは言う。

 ……その言葉に嘘は無い。そう感じた。

 ハリー・ポッターとの交流を見る限り、彼は手の込んだ搦め手よりも直接的な手段を選ぶ傾向に有る。ある意味で素直というか、ひねくれていない事こそが、彼が親の愛を一心に受けて来た事の証明であり、スリザリンとして微妙に異質な点であった。

 

 もっとも、理由として未だに少し弱いような気がした。

 

 そこまで考えて、ふと思い出す。

 彼は最初から、マダム・マルキンの店で起きた事をえらく気に掛けていたという事に。

 

 僕の後にドラコ・マルフォイが店に入ってきて、その間の会話に特別なものは無かった。ならば、他に特別な事は何だろうかと考えれば、答えなど決まっている。当然のように僕が先に出て、その時僕は一人の少年とすれ違った。ならば、その後にドラコ・マルフォイが〝彼〟と会話していたとしても何ら可笑しくない。

 成程、彼が意識しているのか知らないが、代用品というのは納得出来る気がした。

 

 そして、彼とルシウス・マルフォイ氏が交わした手紙の内容も想像が付いた。

 ハリー・ポッターは英雄である以前に半純血であるが、さりとて〝ポッター〟は、聖なる二十八でないにしろ知られた血筋である事に違いなかった。不足は有るが、何処の馬の骨とも知れぬ姓の者より遥かにマシである。

 

 そこまで考えが及ぶと、彼に言うべき事は決まっていた。

 非魔法族は、自身の理解出来ない物に魔法を見た。そして、恐怖してきた。魔法を知る魔法族とて変わらない。自分の理解出来ない物に、魔法以上の魔法を見てきた。だが、裏を返せば、既知である物を必要以上に恐れる意味も無い。

 

「……気が変わった。今回は僕が持って来よう」

 

 突然立ち上がった僕に、彼は目を白黒させる。

 

「何? どういう意味だ?」

「依頼者が宿題代行マシンよりも良い評価を取ってはならないと言う理屈は無いだろう。フィリウス・フリットウィック教授が好みそうな表現を偶々見つけたし、君が覚えていて正しく利用出来れば次の授業の実技では君に多少点数をくれるかもしれない」

「それは……まあ助かるが。良いのかい?」

「他ならぬ君が、より僕を擁護しようとしてくれる気である事には感謝を示すべきだろう」

 

 ただ、と僕は続けた。

 

「君が僕の境遇を考えてくれるのは有り難いが、〝間違いなく純血〟ではない──つまり聖なる二十八ではないという重みを君はもう少しばかり意識すべきだ。君は僕に必要以上に肩入れすべきでは無い。それは、君の取り巻きの方が良く理解している」

「……二人には、僕から言っておく」

「君が強制しても意味は無い。彼等は僕に対して永遠に好意を抱かないだろう。何より、僕は今の立ち位置は嫌っていない」

 

 〝純血派〟と〝非主流派〟。

 そのいずれに所属するか──そしてその中のヒエラルキーとして何処に位置付けられるか──を、スリザリン寮に入った者は選択させられる。だが、それが出来ず、また真の意味で両者に所属出来なかった者として過ごしてきた二か月間で、僕は気付いたのだ。それは子供のごっこ遊び以上を抜け出せないのだと。

 

 確かに、学生という狭い世界の中で、そのコミュニティの所属・階級は死活問題にも思える。だが、冷静に考えれば、それらは決して絶対では無い。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 何より、属さなかったとして死ぬ訳では無いのだ。闇の帝王が巻き起こした魔法戦争は過去の物であり、どちらつかずの蝙蝠が当然に始末される世の中では無い。既に魔法使いが簡単に命を捨てなければならない時代などではないのだ。

 

 勿論、監督生を初めとする学内での権威、そしてその延長である魔法省等の組織での出世を考えるならば、コミュニティ内での努力は必須であり、不可欠と言えた。しかし、僕の母は既に亡い。守るべき物が有りはしない。それは大概の場合にはロクでもない事だが、しかし時として大きな強みにもなる。

 そして、ドラコ・マルフォイには──家と歴史を背負うべき者には、それが解らない。

 別に揶揄でも何でも無く、そんな生き物を彼は今まで見た事が無いのだろう。

 

「君がそういうなら強制はしないが──しかし僕としても君への言い分がある。蛇は身内に対して表立った苛めをする訳では無い。しかし、それは苛める以上に効果的な術を知っているからだ。君の立場が不安定な事は自覚しておけ」

「……そうだな。忠告は有り難く受け止めておく」

 

 自分の扱いが多少ばかり良いのは、それなりに加点を受けて寮に貢献しているからに過ぎない。

 それは理解している。ヒエラルキーを手っ取り早く上げる方法の一つが勉強やスポーツに打ち込む事だというのは、至極当然の一般論なのだ。

 まして、ドラコ・マルフォイとこれからも〝交流〟を続けていくつもりならば、それが生命線である事は強く心に留めておかねばならない。

 

「気が変わったら何時でも言ってくれ。僕は、もう少しばかり君に好意的になる準備が有る」

「ああ、覚えておこう」

 

 

 

 ……御互いに確認した訳では無いが。

 その瞬間から、僕とドラコ・マルフォイは、奇妙な──決して友人関係とは言えない繋がりを始める事に同意したのだろう。彼は今まで以上に僕の助力を求め、そしてまた僕は彼に対して力を貸した。気付いたかどうか知らないが、僕は彼に学業成績を譲り渡すような真似すらした。それは僕にとって苦痛では無く、当然の対価の支払いに過ぎなかった。

 

 勿論、その後に僕の状況が変わったという訳では無い。

 相変わらず同室の人間達は今まで通り僕に不干渉であり、僕を軽んじる態度を崩しはしなかった。純血主義は凝り固まっており、それが変化する気配も無い。その点についてドラコ・マルフォイを責めるつもりは無かった。一部とはいえ、僕が彼の庇護を跳ね除けたのは事実であり、そもそも彼には改善出来るものでも無かったに違いない。何せそれは今の監督生達ですらどうしようもない事で──恐らくは千年の重みが有る事柄なのだから。

 

 実際の所、僕はこの状況に概ね満足していた。

 確かに僕のホグワーツ生活は失敗し、今後絶対に好転する事は無いだろう。だが、灰色の中でも、()()()()()()()七年間やっていけるだけの目途は付いた。学生生活という狭い世界でそれが得られた事は、確かに喜ぶべき事だった。




・ルシウス・マルフォイとセブルス・スネイプ
 監督生であるルシウスが,リリーと別の寮に組分けされて隣に座ったスネイプの肩を叩いた(七巻・三十三章)のが最初の出会いのようである。

・ドラコ・マルフォイとハリー・ポッター
 マダム・マルキンの店においてドラコとハリーは会話し,その時点ではハリーが魔法使いと魔女の息子である事を聞いて,他の連中は「僕らと同じ」ではないと述べる(一巻・第五章)。
 更に,ホグワーツ行の特急内において,ドラコはハリーが何者かを知った上で,「家柄のいい魔法族」を見分け「間違ったの」とは付き合わないように誘いを掛けている。当然の事ながらハリーは拒絶(同・六章)。後に繋がる対立となる。


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ヘルメティカ

 十一月は一瞬で過ぎ去り、十二月もまた同様に過ぎ去ろうとしている。

 

 その間に相変わらずの特別性を見せた英雄ハリー・ポッターについて、最早言及する必要は無いだろう。

 それは彼が全校生に対して初めて見せる〝選ばれし資質〟で有り、スリザリンである僕もその光景を当然目の当たりとする事になった。

 

 正直な所、僕は肉体派というより頭脳派であり、更に言えばクィディッチに対して興味の欠片も抱けなかった。

 その箒遊びの戦略性、すなわち一見シーカーの働きによって決まる欠陥スポーツのように見えて、その実、全選手の有機的な動きが要求されるという点は認めるとしても、それが自分もやりたいとか見たいとかいう欲求に直結するとは限らない。

 

 また、その勝利が寮杯の行方に関わると言っても、僕にとって点数というのは〝スリザリンにおける平穏ポイント〟以上の何物でも無く、そもそもスリザリンに対して帰属意識は有していても忠誠まで抱いている訳では無かった。畢竟、何処が寮杯を取ろうが僕にとって些細な話であり、一部の上級生――端的に言えば、寮杯の行方は彼等の就職や出世に意義を有さない。勿論、スリザリンに限らず普通に学生生活を謳歌している者からは異端だ――と同様に冷ややかな目で見ざるを得なかったのだ。

 

 ただ、クィディッチにもそれに付随する寮杯の行方にも興味が無いからと言って、その事がそのままそれらと距離を置ける事に繋がる訳では無い。既に述べた通り、それは異端の立場である。〝間違いなく純血〟というような揺ぎ無い立場が有るならば別だが、僕のようなふわふわした立場において、世論に逆った末路など目に見えている。

 故に、興味が有る振りをしながら凍える中でのクィディッチ観戦という刑罰に僕が服するのは至極当然であったし、デビュー直後の一年生に派手に負けた事による試合後の愚痴や怒号の爆発を我慢する事も、また善良なスリザリン生としての義務とも言えるものであった。

 

 ただそれも冬季休暇前ともなればある程度落ち着き、主たる話題は休暇中に何をやるかという事に移っていた。

 流石にスリザリン、僕の耳に聞こえてくるものでも休暇の予定は浮ついた煌びやかな物が多く、名家の連繋と権勢を実感するには十分だった。グリフィンドールを筆頭に他寮はスリザリンの純血政策を馬鹿にしがちだが、彼等は戦争では無く婚姻を進める事により世界を支配しかけた非魔法族の家系の事を知るべきである。強大な家同士の強固な結び付きというのは、互いの足の引っ張り合いを避けられる為に、単純な総和以上の力を発揮する。勿論、彼等のその末路が現在の純血主義の閉塞と重なる辺り皮肉とも言えるかも知れないが。

 

 そんな祝祭日前の浮かれた生徒達を後目に相変わらず陰気な顔をしたスネイプ寮監は、十二月の半ば頃にはホグワーツに残る生徒は名前を記載するようにと酷く事務的に告げ、羊皮紙を残していった。当然の事ながら、殆どのスリザリン生には無用の物であると言えたが、僕はそれに用がある数少ないスリザリン生の一人であった。

 

 別に帰る家が無いという訳では無い。

 母が僕を〝収容〟していた些細な屋敷は、ただ一点を除き厳格にして公平なる副校長の〝少しばかりの〟手間によって、母の死を原因として滞りなく僕の物になっている。正確には、僕の後見人となっている非魔法族の管理下に置かれているが、事実上自由に扱えるという点においては何ら変わりがない。望めば冬季休暇中を過ごせるだけの十分過ぎる空間が存在している事には違いも無かった。

 もっとも、母が居ない屋敷に帰る理由は無く、屋敷しもべ妖精を雇う程に巨大でも無い我が家において、未成年者一人での生活がどの程度文明的であるかなど論ずるに俟たない。 であれば、ホグワーツに残るという選択肢の採用は自明であった。

 

 その事に対してドラコ・マルフォイが揶揄してきたのもまた些細な事だ。

 寧ろ、彼の奇妙な盟友としては、彼がそのような()()()感慨を抱く事が出来るのを喜ぶべきように思われる。前にも述べたが、彼は家族愛という物が素晴らしいモノで有る事を疑っては居なかった。それは皮肉でも無く、正しい子供の在り方と言えるのだから。

 

 ただ、彼がそれと共に、僕に散々休暇中の予定を自慢してきた事を考えるに、彼は僕に頭を下げて仲間に入れてくれと言って欲しかったのかも知れない。無論、僕が頼んだ所で彼は理由を付けて当然に断っただろうが。要は、自分が優越感に浸る為の儀式をしたいだけだった。それを察せられる程度には、ドラコ・マルフォイとの交流を有していた。

 

 そうして日々は刻刻と過ぎていき、冬季休暇二日前となった今――僕は、ハーマイオニー・グレンジャーと通算六度目の、図書室での〝偶然〟に直面しようとしていた。

 

 ハロウィン以来、彼女が独り図書室で学習するような事は、格段に減った。

 物理的に貸出禁止のような場合──つまり、鎖に繋がれているという事だ──は兎も角、それが許容されている場合は寮の談話室へ持ち帰る事が多くなった。そうでない場合においても、彼女の二人の親友と共に居る場合が少なくなかった。もっとも彼女は僕との〝偶然〟を取りやめる気は無いらしかった事は、僕にとって確かな救いだった。

 

 まあ、彼女の友人について語る際の聞き手が欲しいだけなのかも知れないが。

 

 司書の巡回をやり過ごす為にポツリポツリと話す事を余儀なくされる――()()がマダム・ピンスにバレれば叩き出される事は明らかだからだ。彼女は図書室の支配に熱心であり、本を読む以外の行為に及ぶ生徒に対して常に殺意を抱いている――のを差し引いても、大抵は彼女の独演会であると評せざるを得なかった。孤立した状況を脱しても、彼女は何処までも〝ハーマイオニー・グレンジャー〟であった。

 ただ一方で、僕がドラコ・マルフォイについて語った所で御互いに何ら楽しくなりようもない事は明白なのだ。それを考えれば、彼女の行いは〝英断〟であると言えよう。そもそもの話、彼女の囁くような声に耳を傾け続ける事は、僕は決して嫌いでは無かったのだから。

 

 もっとも、今日は何時もの〝偶然〟と何処か違うようだった。

 

 彼女が親友との付き合いで忙しくなった結果、御互いの片割れが占有する机以外が埋まっている程の好機を見計らうのは不可能になった。故に、両者が暗黙の内にある程度のリスクを見ない振りをするというのは、ここ二回くらいの傾向だった。

 

 しかし、今は冬季休暇二日前である。

 大量に出された冬季休暇の宿題を先送りするのが学生として正しい姿であり、浮かれ気分で休暇を待つというのもまた学生として在るべき姿である。つまり、こんな時期に図書室にやってくる者など変わり者が殆どで、必然的に利用者も少ない。開店休業状態とまでは言わないが、常と比べれば酷くガランとしている。

 だが、彼女はそれを気にした風も無く、真っ直ぐと僕の占有する机の方向に向かってきて、付近の棚から可能な限り分厚いのを無造作に何冊か選び取り、それを閲覧机へと置いて席に着いた。今日は、僕の左斜めに座る気分らしかった。

 

 ……まあ人数が少ないというのは見咎める人間も減ると考えたのかも知れないが、

 

「──ええと、ここ良いかしら?」

 

 などと声を掛けたのは、明らかに何時もと異なる不自然な点で有ったと言えよう。

 

 

 そんな彼女は、やけにソワソワしているようだった。

 

 こう言っては何だが、彼女は感情を制御するのが苦手なタイプである。

 落ち着きが無かったり、神経質で有ったりといった心境は、ダイレクトに彼女の言葉や行動に現れる。それを考えれば、彼女の気を特に逸らせるような理由が有るのは歴然としていたが、流石に図書室でそうなる理由というのも推測が付きかねる。実際、図書室を訪れているのはただの時間潰しに過ぎず、彼女の態度は今後待ち受ける何かに原因を求められるのかも知れなかった。

 

 しかし、このような()()()()ハーマイオニー・グレンジャーなど、入学前の一か月の間ですら何度も見たものだった。だから、僕はそれ以上気にする事無く読書へと戻ったし、彼女もまた落ち着きがないままで有りながらも、鈍器めいた本を開いて目を通し始めた。

 

 その後暫くの間、僕と彼女の間に会話は無かった。

 しかし、僕はそのような時間も決して嫌ってはいなかった。確かに僕は彼女によって一方的に紡がれる声に耳を傾けるのが好きだったが、御互いが捲るページの音だけが存在する空間を共有する事もまた心地良く思っていた。恐らく、彼女もそうだろう。彼女は友人と楽しく過ごす事について強い執着を抱いてはいても、本質的には〝本の虫〟であるのだから。

 

 そのように穏やかな時間は過ぎ、乾いた紙の立てる音が二人合わせて百を優に超えたであろう頃、彼女は何時もの囁き声で、何時もとは違う話の切り出し方をした。

 

「ねえ、貴方に聞きたいんだけど――」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーが僕に質問をするのは、酷く稀有な事態であった。

 魔法界について知識を欠いていた入学前は逆に質問マシンであったのだが、入学後には殆ど記憶に無かった。彼女は依然として学年一の秀才である事を証明し続けており、優秀層とは言えても彼女より遥かに劣る事が明らかな僕では、彼女に助力する事など早々無い。

 ただ、皆無とまでは言えなかったし、その頃には僕は既に、ハーマイオニー・グレンジャーが当初から何時もと違う様子を見せていたという良く有る事を頭から飛ばしていた。だから僕は、次々と紡がれる彼女の質問に淡々と答えていった。

 

 その間、僕が本から視線を上げるような事はしなかった。

 それが何時ものスタイルであるという面は有ったが、一番の原因は彼女の殆どが機械的に処理できるような物であったからである。紡がれる質問の大半が冬季休暇中に出された宿題に関する事であるのは彼女らしくも有ったが、僕が簡単とすら思う問いをする事は彼女らしくないとも言えた。ただまあ、求められているのに敢えて答えない理屈も無い。

 そのように、何時もと比して珍しく僕の言葉数の方が多いと言う状況がひとしきり続いた後、彼女は一つの質問を僕へと投げ掛けた。

 

「じゃあ、ニコラス・フラメルについては?」

「ニコラス・フラメル? 君が授業の予習に余念がないのは知っているが、まさか五年分も先取りしようとしているとは知らなかった」

 

 その質問も既知であり、やはり顔を上げないままに僕は言葉を紡いだ。

 まあ、それが()()で無かったのは御愛嬌だろう。その名前は錬金術師の物であり、しかしホグワーツにおいて錬金術の授業は最終の二学年、それも十分な希望者が居る場合にのみ開講される筈だった。つまり一年生時点において関心を持つには余りに早過ぎる知識で有ると言える。しかし、一拍置きさえすれば、彼女ならば有り得ると思ってしまうのが、彼女が〝ハーマイオニー・グレンジャー〟たる所以だった。

 だからこそ、僕はその問いが為された事に左程疑問を持ちもしなかったのだが、彼女の反応は劇的だった。

 

「貴方知っ――!?」

 

 半ば椅子から立ち上がろうとしながら発させた彼女の言葉は、一瞬で途切れた。

 賢明にも、自分が今何処に居るかを途中で思い出してくれたからだ。

 

 もっとも、マダム・ピンスは当然というように見咎め、鋭利過ぎる視線を飛ばしてくる。ハーマイオニー・グレンジャーは何度か咳払いをするが、どう考えても誤魔化しきれていないのは明らかだった。しかし、短気な司書にしては珍しく今回は見逃す事にしたらしい。偶々遠くに居たからなのか、或いは冬季休暇を彼女ですらも楽しみにしているのか。その理由は(よう)として知れない。多分、解る日が来る事は無いだろう。

 

 だが、ハーマイオニー・グレンジャーはへこたれないらしく、たっぷり三十分程度読書に時間を費やして厳重な監視を逃れた後、その姿勢を崩さないままに囁き声で問うてきた。

 

「……ニコラス・フラメルについて、貴方は知ってるの?」

「ああ。非魔法族の書籍で見た事がある。確か、賢者の石の製作者だと」

 

 その瞬間の彼女の表情の変化は見物だった。

 無意識的にであれ、彼女は己の血筋故に、非魔法族について魔法族よりも詳しいという自負が有ったのだろう。だからこそ半純血とは言え僕のような魔法族の口から『非魔法族の書籍』で読んだ──それが馬鹿げた空想的(ファンタジック)な代物と区分される類で有っても──という発言を聞くとは思いもよらなかったに違いない。

 

「……まさか、マグル側にヒントが有るなんて考えもしなかったわ。てっきり魔法界の人物かと思って探していたもの」

「いや、君がそう言うのであれば、魔法界で遺した功績が非魔法族にも伝わっているというのが正確なのだろうな。何せ彼は数百年前の錬金術師だ」

「つまり、1692年の国際機密保持法成立前って事?」

「或いは、多少の魔法的隠蔽では隠しきれない程に彼が偉大で有ったかだ。両方の理由かも知れないが」

 

 数百年前の人物とは言え、賢者の石が何たるかを思えば、彼の業績や彼に関する記述など有り余る程に残っている筈だ。特にホグワーツの蔵書数は膨大である。自分の屋敷に山積みされている類の書籍が禁書となっていて事実上閲覧出来なかったり、或いは意図的に欠落させられてすらいるのは知識の集積場(library)としてどうかと思うが、賢者の石を製造した偉人については生徒が読める書籍の中に間違いなく存在するに違いない。

 そう思ったのは彼女も同様だったのだろう。得た手掛かりの確証を得る為に、すぐさま本の再発掘に旅立ちなどしなかった。

 その代わり、降参を示すかのように椅子に背を預け、感慨深げに溜息を吐く。

 

「冗談交じりで考えていた事が正しいとはね。私は家に帰った際、パパやママに聞いてみようとも思ったのよ。でもまさか、それが正解だったなんて」

「……たとえ聞いても答えが返ってきたとは思わないが。君の両親は単なる歯医者だろう」

「あら、錬金術という〝学問〟が、マグル社会において一体何を発展させたのか御存知ないのかしら? そして歯医者にも科学的な知識は必要なのよ」

 

 そう彼女は言うが、非魔法族の書籍ではどう考えても胡散臭い形で記載してあったと記憶しているし、論理と合理を重んじていた彼女の両親があんな不確かな事柄について信じるとは──彼らが、自分の娘が魔法族であるという最高に不確かな現実に直面した事を考えても──更々思えなかったのだ。

 

 まあ、それは別に良いのだが。

 

「しかし、何だってニコラス・フラメルに興味を抱いたんだ? まさか本気で五年分の勉強を先取りしようとしていた訳では無いだろう?」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは、聡明な女性である。

 しかし、必ずしも賢明であるとは言えず、そして隠し事をするのもやはり下手だった。

 

「ええと、個人的な興味よ。たまたまニコラス・フラメルの名前を見かけて、彼が何をやったのかなーと気になっただけ。そう、それだけよ」

 

 早口で紡がれる言い訳は胡散臭く、ここ最近の彼女の行動を考えれば完全に嘘だった。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは二人の友人とつるむようになっていたが、しかし彼等は頭脳派よりも肉体派である。迫りくる期末試験によって強制されたのであれば兎も角、自発的に〝本の虫〟になりに来る事など有り得ない。だが、ここ暫く彼等は三人連れ立って図書室に入り浸り、何か熱心に調べ物をしていたのだ。

 そして、その内容は今は明らかである。すなわち、ニコラス・フラメルについて彼等は調べていた。流石に、何故調べていたのかという事は解らないが。

 

 ただ、誤魔化すように紡がれた次の彼女の言葉は、僕の核心を突いていた。

 

「そ、それより! 貴方もマグルの書籍って読むのね。いえ、入学前に貴方がマグルに関して色々と話をしようとしていたのは私も覚えているけど、本当に短い間だったじゃない? というか、一日だけ? 最初話した感じでは余りマグルにも興味も無さそうだったし」

「……一応君は知っていると思うが、僕の母は非魔法族だった。自分のルーツに興味を抱くのがそんなに不自然だろうか?」

「べ、別に悪くないわよ。ただ、半純血でも魔法側に()()()()という人の方が多いみたいじゃない? 寧ろ、マグルに興味を持つ事は素晴らしいと思うわ。ロンの話を聞いていて思うけど、魔法族がマグルに余りにも無知であると思う事は多々あるもの」

 

 後半はぼやくように言うが、しかし聡明なる彼女の推測は完全に間違いでも無かった。

 非魔法族の母と未成年者が暮らすという都合上、その生活は必然的に非魔法族に近しいものだった。けれども、母はそうでありながら、可能な限り僕を魔法以外に触れさせたくないと考えていたから、僕の知識は圧倒的に魔法にどっぷりだったのは事実である。

 

 但し、僕は母への反抗から、寧ろ非魔法族の知識をどうにかして手に入れようと何時も企んでいたし、母の死後はその動機を喪った代わり、一人の女の子の関心を買う為の手段に成り代わった。故に、それなりの数の書籍には目を通したし、他の魔法族よりは圧倒的にマシである事は疑いない。ただ、時間が無かった上に突貫で仕上げた為に、細部が御座なりになっている部分が余りにも多い事は否定出来ない。

 

 そしてまあ、その後のオチについては語るまでも無いだろう。

 それなりに知識を得たと自負した僕は意気揚々と女の子に話題を振ったのだが、彼女は新たに知った魔法界の事に()()だった。

 結果としてそれが求められていない事を理解した僕はそれを封印し、彼女が好む魔法界の事について話題を広げる事にしたのだった。自身が彼女に抱く想いを恋であると自覚する前に、舞い上がった心のままに突っ走った愚か者の失敗談である。

 

 ……ただ、彼女がその事を覚えていたとは意外だった。

 いや、彼女の並外れた記憶力からすれば、何ら可笑しくなど無いのかもしれないのだが。

 

「……しかし、スリザリン生にとっては望ましくない在り方だ。解ってると思うが──」

「──あら、私が誰かに言うと思うの? まして、一般的なスリザリン生に?」

 

 少しばかり怒ったような、しかし何処か悪戯っぽい口調と共に彼女は僕を流し見た。

 

「私が話すスリザリン生は貴方だけだし、話したいと思うスリザリン生も貴方だけだわ。そんな心配は全くもって無用よ」

 

 ……その言葉が僕にとってどれ程反則的で、破壊的であるのか。

 言いたい事は言い終わったというように軽く伸びをしている彼女には、それが解らないだろう。

 

「嗚呼、この部分はハリーやロンにも言わないわよ。スリザリン生がマグルに理解が有るなんて、彼等は言っても信じないでしょうしね」

「……君が僕に関して余計な事を言い触らすなんて、それこそ心配していない」

「なら良かったわ」

 

 彼女は満足気に微笑みを見せて、全体の分量に比して殆ど目を通していない本の山を片手に立ち上がる。

 恐らく彼女はそれらを借りもせずに元の場所に返し、その代わりにニコラス・フラメルについて書かれた書籍を探しに行くのだろう。今日話掛けてきたのは、その名前について僕が何か知っていないかを聞く為であり、その目的を果たした以上、最早ここに留まる理由など無かった。

 

「本当に助かったわ。探すべき本が多過ぎて、取っ掛かりが見つからなかったから。これで先に進めそうだもの」

 

 僕の顔に彼女の顔を近づけて囁きの感謝を述べた後、彼女は颯爽と立ち去った。

 そうして予想通り手早く目的の物を発見したらしい彼女は、スキップしそうなくらい浮かれているのを司書に怒られた後、貸出を受けて図書室を出て行った。彼女が戻って来ない事を若干残念に思う気持ちも有ったが、彼女が何も言ってこなかったという事はニコラス・フラメルについて僕が間違った事を告げた訳でも無いという事であり、自身が助力出来たのは喜ばしい事だった。

 

 

 ……言うまでも無い事だが。

 この時点で、そしてその後かなりの間、僕は彼女の質問の真意に気付かなかった。

 

 ニコラス・フラメル──その最も著名な業績である賢者の石。それについて何故彼女が関心を抱いたかを知る為には材料が不足していた。

 すなわち、彼女の質問と禁じられた廊下を直接結び付けるのは論理が飛躍し過ぎていたし、第一、賢者の石について魔法族が興味を抱く事は決して不自然でも無いのだ。それは、誰にとっても解りやすくて酷く魅力的な奇跡で有り、万人が時代を超えて渇望して来た代物だったのだから。

 

 

 故に、僕がその不愉快な真実に気付いたのは、ドラゴン騒ぎが起こってからの事になる。




・ヘルメス主義
 西欧でヘルメス主義が本格的に流行し始めたのは、1453年にコンスタンティノープル陥落が起こり、1460年にルネサンス期のピストイア(イタリア)に写本が持ち込まれて以降。
 当然ながら、ハリー・ポッター世界におけるニコラス・フラメルが生まれたよりも遥か後。
 誤解される事は少ないと思いますが、念のため。


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生き残った男の子

相手が主人公であった為に長め。約一万五千字。
適宜分割して頂けると助かります。


 ハリー・ポッター。

 彼の実()に関して、僕は殆ど興味が無かったと言って良い。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーから彼の話を聞くようになってもそれは変わらなかった。

 というよりも、寧ろ彼女からの話はそれを助長した。彼女から聞くハリー・ポッターの話は、何ら特別性も無く有り触れたものであり、〝同学年のグリフィンドールの男の子〟の学生生活以外の何物でも無かった。

 必然、僕にとって彼は〝ハリー・ポッター〟という記号を喪失し、物語的空想を補強するツールのようなものにしか成りえなかった。

 

 その物語空想とは言うまでもない。僕がグリフィンドールに組分けされた場合に、どのような生活を送り、どのような行動をし、どのような感情を抱いただろうという、余りにも女々しく救いようがない空想だ。しかし、その意味で〝同学年のグリフィンドールの男の子〟は自己投影すべき物語的人物であり、そのような架空的存在である宿命として永遠に触れ合う事の無い筈の存在だった。

 

 無論、ハリー・ポッターという実()は、確かに同学年のホグワーツに存在していたし、主にドラコ・マルフォイによってそれを見せられてきはした。

 しかし、彼等にとって──つまりドラコ・マルフォイも含めて──僕という存在は背景以下の存在であった。そして僕も割り込むつもりも無かった。ボス猿同士の抗争の間に、どうして下層の猿が介入出来ようか。故に、それらは僕の眼前で確かに起こっていた事象であるとしても、僕にとって遠い世界のままであるのは変わりが無かった。

 

 一方で、〝生き残った男の子〟に何ら興味を抱かなかった訳ではない。

 それが通常の魔法族と些か異なる興味としか成りえなかった事は疑いない。僕は物心付く前に魔法族の父を喪い、物心を付いてからは非魔法族の母に育てられたのだ。必然、〝生き残った男の子〟に対して崇拝や畏敬、感謝の念を抱く事は出来なかった。

 

 しかし、彼等と同じように、〝生き残った男の子〟についての謎について、考えを巡らせる事は出来た。まあ、闇の帝王の死亡後から十一年間頭を悩ませ続けた彼等程熱心では無かったが、その謎に惹き付けられたのに変わりはなかった。

 

 彼には多くの謎が付き纏っている。

 例えば、何故、彼は隠されたのかという事について。

 

 深く考えるまでも無く、それは可笑しな話である。

 生き残った男の子は、ほんの齢一歳にしてアルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアに比肩すべき偉業を打ち立てた。確かに両親を殺害されたという魔法戦争後には有り触れた不幸を有しているが、さりとてこれから幸福を享受する権利を有していない訳では無い。寧ろ彼が為し遂げた事を思えば、一般的な戦争孤児と異なり、目が眩まんばかりの輝かしき将来はそれだけで十二分に約束されていたとすら言えた。

 

 それにも関わらず、彼は魔法界に留め置かれなかった。

 

 死喰い人の残党が未だ跋扈していた戦争直後は兎も角、一応の平穏を取り戻して以降は筋が通らず、その事に疑問を抱く人間が当然居た。

 ロイヤル・タッチ──非魔法族の迷信──よろしく、〝聖人〟に触れる事が出来ない魔法族の嘆きと不満の声は当然に沸き上がっていたのはまあ別に良い。つまるところ、〝生き残った男の子〟が()()されないのは、明らかに魔法族にとって不当である筈だった。

 

 そして、それを為したのは言うまでもなくアルバス・ダンブルドアその人である。

 

 そもそも無茶苦茶な話だ。

 アルバス・ダンブルドアは、魔法省役人でもハリー・ポッターの後見人でも何でもない。けれどもアルバス・ダンブルドアは、〝生き残った男の子〟はグレートブリテン魔法界の全魔法使いが総力を挙げて庇護すべき子供であるという声を残らず踏み潰して、〝生き残った男の子〟を独占した。独占し続けた。

 その事は様々な疑念と疑惑、そして嘘か真か知れない数々の噂を呼び、果てにはアルバス・ダンブルドアが自らの秘密兵器として使うつもりなのだとすら言われたようである。

 

 よくよく考えてみれば、アルバス・ダンブルドアという〝疑いなく英雄〟は、その頃には既に──正確にはそれ以前からずっと、であろうが──明確に嫌悪と敵意を少なからず向けられていたように思える。

 

 まして、〝生き残った男の子〟が非魔法族社会に〝収容〟された事を、果たしてどれだけの者が知っていただろうか。

 

 彼が〝マグル〟の中で生まれ育ったというのは既に現ホグワーツに居る学生にとっては常識であったが、ハリー・ポッターその人は──当然ハーマイオニー・グレンジャーもだ。寧ろ、彼女の語り口で気付いた──その重みを理解していないように思えた。

 何故なら、〝生き残った男の子〟を非魔法族の世界に送り込む事は、純粋なる魔法族的価値観から見れば、余りにも残酷な価値観だからだ。

 

 そう、残酷な、だ。

 魔法省という純血の牙城が示すように、魔法族が非魔法族に対して向けている眼など明らかである。まして、スリザリンを〝純血〟主義だと笑う他三寮──ただハッフルパフだけは微妙に違うように思えるが──も、その実、僕にとっては〝純血〟主義の差別主義者である事に変わりなかった。何せ彼等は至極当然に次のように思ってしまうのだ。

 

 魔法無しの生活? 

 彼は一歳で既に試練に直面したのに、何故更なる試練を与えるような真似をするのか? 

 

 繰り返すが、そこには善意しかない。そして、その善意をやはり手酷く無視したのも、そのような謎を生み出したのも、アルバス・ダンブルドアその人である筈だった。

 

 何故隠されたのか。何故非魔法界に置かれたのか。

 その意味で、僕は〝生き残った男の子〟について確かに興味を抱いていた。

 

 もっとも、それは野次馬的な興味以上の物では無い。

 既に述べたように、僕は〝生き残った男の子〟に対して、何ら崇拝等の感情を抱いてはいなかった。当然ながら、彼の扱いが不当であるとも、アルバス・ダンブルドアの策謀を暴いてやろうとも思いもしない。ホグワーツに来て以来の調査、先の謎の理由について書籍や雑誌、新聞や魔法省の公的声明の中に探す事はしたし、当然のように挫折したが、しかし、それで構わなかった。歴史は闇のままだという結論を放置する事が出来た。僕にとって〝生き残った男の子〟への思い入れは、その程度でしかなかった。

 

 そんな訳で、僕にとって〝ハリー・ポッター〟の実像はどうでも良かったのだ。

 彼の〝同学年のグリフィンドールの男の子〟としての側面にしろ、〝生き残った男の子〟としての側面にしろ、一定の関心や興味を寄せられるものである事に違いなかったが、しかし自分が接近して確かめるべき存在では無かった。

 

 彼は余りにも遠かった。そして、その事について、僕は何ら不満を抱いていなかった。寧ろ、僕に容易く触れられるような物であるべきでは決して無かった。

 そうなってしまえば最後、先のような〝グリフィンドールの男の子〟を通した空想は粉々に破壊され、そしてまた〝生き残った男の子〟への適度な無関心を保つ事は出来ないと理解していたからだ。忌憚なく言えば、僕は彼に対して近付きたくなかったのだ。

 

 無論、人の関係というのは、二人の行動によって構築されるべきものである。

 しかし、僕は彼が近付いてくる事は有り得ないと踏んでいた。

 

 確かにハリー・ポッターとの間には、共通の友人という繋がりは有った。

 けれども、友人の友人がそのまま友人で無ければならないという理屈は無い。まして、彼と僕との間には二寮の深い断絶が有り、付け加えれば対立関係に有る悪い知人の存在も居た。ただ一点、彼が要らぬ騎士道精神を発揮した場合は別だと考えていたが、しかしそれは不可避的な接近を意味するだけで、継続的な近接を意味する事には成り得ない筈だった。

 

 けれども、それは裏切られた。

 

 なんてことは無い。

 ただ単にハリー・ポッターは〝疑いなく英雄〟だったという事だ。

 

 

 

 

 

 休暇というものは良いモノだった。

 特に、スリザリン生である事を取り繕う必要は無いのが大きい。

 自分がスリザリン生である事を既に否定するつもりは無いが、スリザリンらしい──つまり、〝純血〟らしい振る舞いをする事は、〝そう〟ではない自分にとっては心労が溜まるものであるのも事実だった。しかし、スリザリン生は殆どが実家へと帰り、それは相変わらず然したる交流の無い同室の人間ですらも例外では無い。

 

 何より一番良いのは、僕のクリスマスの〝惨状〟を見られずに済んだという事だ。

 

 クリスマスにプレゼントを贈り合うような親しい友人というのは、スリザリン内には居ない。そして、天涯孤独の身であるから、ホグワーツ外から来るという事も無い。

 

 ただ予想もしていなかった事に、一冊だけラッピングされた本が置かれてあった。贈り手の名前は添えられていなかったが、中身がマグルの本(表紙の偽装付き)ともなれば、それが誰なのかは明らかである。

 そしてこちらも散々悩み抜いた挙句に贈り物をする決断をしていた──子供っぽいかと思ったが、絵本を送った。吟遊詩人ビードルの作品の一つ『豊かな幸運の泉の物語』の本だ。彼女はまず間違いなく読もうとしない類の物語であり、あの話だけならば非魔法族にも理解しやすいと考えた。童話が残酷な場合が多いのもやはり同じらしい──のは、我ながら本当に英断であったと言える。

 

 そんなクリスマスの幸福の一方、二日後の誕生日の方は御寒い状況であったが、そちらの方はやむを得ないだろう。

 クリスマスに引き続いてというのは余りに面倒なのは解りきった事であり、そもそも彼女は僕の誕生日を知らない。誕生日を教え合う機会など訪れなかったからだ。そして当然の事ながら、僕も彼女の誕生日を知らない。直接聞けば良いのだろうが、今まで幾度も挑みながらも失敗してきたのが現状だった。

 

 まあそんな事はさておき、休暇というのは自由だった。

 寮内での共同生活という大原則には何ら変わりはなかったから、食事を初めとする幾つかの規則は未だに残っている。しかし、就寝時間というような本当に厳格な一部を除けば、それらの規則も緩められてすらおり、学生がどう過ごすかは自由裁量に任されていた。

 

 そしてスリザリン寮内で残った者に自分が仲の良いモノなど居ないのだから──まあ、休暇中で無くとも同じなのだが――僕は何をして時間を潰すかを考えねばならなかった。もっとも、それは休暇前に既に決めていた。すなわち、ホグワーツ内の探検だった。

 

 それは休暇でしか出来ない事であった。七階立ての魔法の城は、授業に追い立てられている日々の間に探索するには余りにも広すぎる。特に、魔法的に迷わされる可能性が有るともなれば猶更だ。勿論、学期内の休日中にそれを行う事は決して無理ではなかったが、授業の事を考えれば、そのような挑戦をわざわざする気にもなれなかった。何より、人に溢れて居ては探検感が出ないだろう。

 

 但し、探検と言っても些細なモノだ。

 

 禁じられた森を筆頭に明らかに危険な物に近付く度胸は無かったし、全く馴染みの無いような場所に赴くつもりも無かった。噂に聞くグリフィンドールの赤毛の双子であれば、このような〝散歩〟など退屈過ぎると言って嘲笑う程度でしかない。しかし、母が死ぬまで殆ど屋敷に閉じ込められていた僕にとっては、やはり刺激的であった。

 

 学生の殆ど居ないホグワーツは、常とは全く違う表情を見せていた。

 良く見知っている場所でも見知らぬ場所のように見え、また初めて訪れる場所は例外無く新鮮な驚きを提供してくれた。

 

 一番気に入ったのは、螺旋階段を上った先、天文台の塔からの眺めだった。

 

 十二月の半ばからホグワーツが冬の城と化していたのは明らかでは有ったが、しかしこうして高い場所から見るとそれが良く解ると共に、想像以上の美しさだった。

 

 一面の銀世界。

 凍り付いて中が見通せなくなった湖に、白く化粧された禁じられた森。校庭は当然に、薬草学で使用する温室群もまた雪に埋もれてしまっているのが見える。そして何処からともなく聞こえてくる正体不明の生物の遠吠えは、しかし恐怖どころか何処となく風情を感じさせるものだった。

 勿論、天文学の授業の中で、同じ場所を同じ視点から見る事は有った。けれども、天文学である以上、行われるのは夜である。昼日中、それも普通であれば授業が行われている時間帯に見るのは格別なものがある。

 

 授業以外には立ち入り禁止という話は重々承知はしていたが、であれば閉鎖していない方が悪いし、まあ休暇中の教授達も五月蠅く言わないだろうという確信は有った。減点はされるかも知れないが、規則を思い出させる為の形式的なもので終わるに違いない。一応優等生で通っているというのも都合が良かった。

 

 何時ぞやのクィディッチの時とは違い、僕は寒さの中で飽きもせずに眼下の世界を見つめていた。

 ある瞬間、ふと、()()が共に居たのならば余計に楽しいだろうな、と思いはした。もっとも、それは余りにも叶わぬ希望と言えたが。しかし、愉しむ気持ちは全く消えず、僕は一人笑った。

 

 そう、一人の筈だったのだ。

 

「――ねえ、ちょっと良いかな」

 

 瞬間、その声が聞こえた方を僕は振り向いた。

 誰も居ない筈だった。少なくとも、視界の中で動く物は何も無かったし、一応教授が入って来ないかは多少気になっていたからそちらの方に視線を向ける事は有った。そして誰も居なかった筈なのだろう。

 

 まるで中空から出て来たかのように、彼――ハリー・ポッターはそこに居た。

 余程僕の反応が劇的で、過剰で、そして奇妙だったのだろう。彼の碧の瞳は、面白がっている様子を隠そうとはしていなかった。悪戯が成功した、そう言っているように見えた。

 

「……それは、僕に言って居るのか」

 

 他に誰も居ない事など解っているのに、僕はそんな間抜けな質問をしていた。

 しかし、ハリー・ポッターは少し口元を笑みに歪めたままでありながらも、確かに頷いた。

 

「ああ。君に話があるんだ」

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー・グレンジャーの友人達。

 現実として、彼等の属性が〝グリフィンドール〟的である事は明らかだった。

 

 血を裏切った赤毛の友人は解りやすい。彼は生粋のスリザリン嫌いである事を全身で表現していたが、彼はそれが当然の正義だと考えるべき根拠が有った。

 すなわち、彼の母親の兄弟達は、魔法戦争において死喰い人に殺され、当然の帰結として親の〝洗脳〟を受けている。嗚呼、別にその〝洗脳〟を揶揄するつもりは無い。全くの善意から為される親の〝洗脳〟を子供がそうそう跳ね付けられる筈も無い事を、僕は身をもって知っている。何にせよ、彼は戦争遺族であり、死喰い人を数多く輩出してきたスリザリンに対して友好的になれないだけの正当な理由が有った。

 

 また、この眼前の英雄も、同様にスリザリンに好意的などなれる筈も無い。

 ホグワーツ入学後のドラコ・マルフォイとの関係は当然の事ながら、彼の親は闇の帝王によって殺された。闇の帝王がマトモに学び舎に通ったとも思えないが──名前からして、ボーバトン出身なのかもしれない―—厳然たる事実として、闇の帝王の配下にはスリザリン生が多かった。直接的な親の仇であるとまでは言えないが、さりとて恨みを持つのが不当では無い程度には関係を有していると言える。

 

 だからこそ、彼等が能動的に接触してくる事など、ただの一つの理由、つまり友人である非魔法族生まれの女の子を「間違ったの」から引き離す事を除いて存在しないだろうと踏んでいたのだが、敵対的というには穏やかな先の言葉から考えるに、それは違うようだった。

 

「……話をしたい、ね。僕について、ハーマイオニー・グレンジャーに何か聞いたのか?」

 

 思い当たる理由は、それ以外に無い。

 けれども、その事自体が余りに腑に落ちないのも事実だった。

 事実、彼は首を縦に振ろうとして、しかし途中で横に振る事に変えた。

 

「違――いや、違わないけど、違うんだ。確かにハーマイオニーから、君がニコラス・フラメルについて教えてくれたって聞いた。そして、それは確かに今こうして君と話をする一つの切っ掛けでは有るけど、そうじゃない。僕が話をしたいと思ったのは、全く別の話についてだ」

 

 ハリー・ポッターの言葉は、僕の違和感を肯定するものだった。

 ニコラス・フラメルに関して、ハーマイオニー・グレンジャーから二人の友人に伝わるのは当然予測出来る事だった。但し、彼女がスリザリン生である僕の名前を出すとは思っても居なかったが。しかし、その場合においても、その助力についてわざわざ礼を言いに来たというのは突拍子が無い考えである。そのような丁寧な真似を、グリフィンドールがスリザリンに対して行う意味など何ら存在しない。

 

 だからこそ、僕には彼がわざわざ話の機会を設けようとしたその理由が解らない。

 そして僕の困惑が伝わったのだろう、彼は更に言葉を続けた。

 

「ねえ、ダイアゴン横丁の、マダム・マルキンの洋装店の入り口で僕とすれ違った事覚えてる? まあ、君の方は気付いていなかったかも知れないけど」

「……いや、覚えては居る。気付いていた。いたが──」

 

 僕が更に困惑を深め、言葉を途中が途切れさせてしまったのは、似たような事をスリザリンでも聞かれたからだ。

 しかし、それを知りようもない彼は、確信が裏付けられたというように頷く。

 

「やっぱり、君は僕の傷跡を確かに見てたんだ」

「……まあ、店の入口だったからな」

「だろうと思った」

 

 そう言うのは、店の中で隣に立っていたであろう誰かが、その時は彼の傷跡に気付かなかったからかもしれない。

 

「それで、僕が傷跡に気付いていたから何だと言うんだ? 僕は君と入口ですれ違っただけで、僕は君と会話をせず、ドアから立ち去っただけだった筈だが」

「そうだよ。普通に考えて特別な事は何も無かった。けど、僕にとって、それがどんなに特別な事であるか、解らない筈は無いだろう?」

 

 ハリー・ポッターは感情が籠ったのか、顔を少しばかり近付けて言った。

 

「特に、あの日は僕が魔法界に来た一日目だった。ホグワーツで三カ月ばかり生活した後じゃないんだ。誰も彼もが、僕の額を見て、当然のように話掛けてきた。御辞儀をしてくる人間も居たし、握手を求めてくる人間も居た。そこまで行かなくとも、ひそひそ話をされるのはしょっちゅうだった」

「まあ、グレートブリテン魔法界の英雄ならばそうだろう」

 

 僕の揶揄に明らかに嫌な顔をしたが、しかし彼は立ち去る気は無いようだった。

 

「だけど、君は違っただろう?」

 

 まあ、それはその通りだ。

 僕にはそうする理由は何も無かった。

 

「ハーマイオニーから君の事を少し聞いた。勿論、彼女は余り良い顔をしなかったけどね。ただ、君がマグル生まれなのかって聞いて、彼女は違うって答えてくれた。正直、それまで僕は君がマグル生まれだと思っていたんだ。そうだったら、僕への反応も解るから」

 

 ハリー・ポッターは魔法界の英雄であるが、非魔法界の英雄ではない。

 故に、その人間がスリザリンに組分けされたとしても、マグル生まれでは無いと思っていた。しかし、知識の化身にして僕と奇妙な友人関係を続けている彼女は否定した。だからこそ、彼は僕に興味を抱いたのだろう。

 

 もっとも、それはそれ程強い興味では無かったに違いない。

 余りに些細な事であり、勘違いである可能性があり、スリザリン生に接触しに行く理由が無かった。だからこそ、約三か月の間は何も無かった。

 

 けれども、彼はハーマイオニー・グレンジャーから、恐らく彼女が実家に戻る前に、ニコラス・フラメルについて僕が助力をした事を聞いた。そして、良い切っ掛けだと考えたのだろう。たまたま見かけたからなのか、或いは強い決心に基づくものかは知らないが、こうして僕を追いかけて来て話合いの機会を持とうとした。都合の良い事に、スリザリン生は冬季休暇中には殆ど残っていないのだ、互いに見咎められる心配は無い。

 

 しかし、この上無い皮肉だった。

 一洋服店における、酷く有り触れた何ら特別である筈もない接触。しかしそれこそが、二人の重要人物──片や闇の帝王を打ち倒した英雄、片や純血中の純血の子息が僕に接触しようとする契機となっている。

 その奇妙な相似について、ドラコ・マルフォイは当然、目の前に居るハリー・ポッターもまた知り得ない。けれども、両者は絶対的に相容れないながらも、何処か互いに共感を抱けるような共通の根幹を有しているのかも知れなかった。

 

「……つまり君は、僕が君を特別扱いしない理由を知りたい訳だ」

「別に特別扱いして欲しい訳じゃないけど、あー、そうかな」

 

 彼は頷くが、さりとて困るのも事実だった。

 別に語りたくないという訳では無い。しかし、僕がそうである理由を語るには必然的に、僕の育ちについて語らねばならないという事であって、このような立ち話の間に理解して貰えるものでも無かったし、長々しくなる事は明らかであった。そして、興味の無い人間の身の上話程につまらないものは無いという一般論くらいは理解している。

 

「……やっぱり無遠慮な事を聞いたかな?」

「いや──少しばかり考えを纏めていただけだ」

 

 恐る恐る聞いてくるハリー・ポッターに、しかし僕は首を振った。

 拒絶しても良かった。そうであったとしても、彼は怒りを見せないだろうという感覚も有った。だが、スリザリン生を捕まえに行ってまで話を聞こうというその精神に対しては、一応の敬意を払うべきだった。

 

「〝生き残った男の子〟には、多くの謎が付き纏っている」

「え?」

 

 面食らって声を上げた彼に、しかし僕は気にせず言葉を続ける。

 

「君が英雄で有りながら非魔法族の中で生まれ育った理由。死喰い人を使うのではなく、闇の帝王が直々にポッター一家を襲った理由。事実かどうかは知らないが、君が受けたのは死の呪文であり、それでいて尚生き残ったという理由。他にも数え上げればきりがないが、その中において、最も疑問であるのは──」

 

 僕は、彼の額を見た。

 余りに特徴的な稲妻の傷。〝生き残った男の子〟の証。

 

「何故、闇の帝王は、君にその傷を残すのが精々で死んだのか」

 

 それは余りにも一般論的で、けれども看過出来ない核心の疑問。

 

「十年前、君は当然に赤子だった。一方で闇の帝王が闇の魔法使いとして途方も無く強大だったというのは噂に聞いている。未だにその名前をロクに呼べない位に。

 ──さて、両者が戦ったらどちらが勝つと思う?」

「……まあ、ヴォルデモートだろうね」

 

 闇の帝王の名前を平気で口にした事に僕は眉を顰めたが、彼はその事自体気が付いていないようだった。そして、辟易した表情で肩を竦める。

 

「だけど、その常識的な考えをしてくれる人間は居ないんだよ。誰もが、僕を特別扱いする。闇の帝王を打ち破った〝聖なる力〟が有るんじゃないかってね」

 

 しかし、僕は口を歪めた。

 

「〝聖なる力〟は有るんじゃないのか。嗚呼、君が思うような意味じゃない。つまり、赤子が闇の帝王と決闘して勝ったとは到底思えない。一応聞くが、君は魔法族的な子供として以外の力を発揮した事は有るか?」

「無いよ。気付いたら別の場所に居るとか、髪が一晩で伸びるとか、硝子が消えるとか、ただそれぐらい。人一人をぶっ飛ばす事すら出来はしない」

「なら、君は闇の帝王を上回った訳でも、より偉大であった訳でも無い。単純に、君は何らかの理由により幸運だっただけだ」

「それは……当然の事じゃないか」

「当然の事を確認する事こそ論理というものだ」

 

 その点はハーマイオニー・グレンジャーも同意──いや、彼女はどうか怪しかった。

 彼女は地べたを這いずり回って丹念に事実を積み上げていくというよりも、膨大な知識に裏打ちされた直観により圧し潰していくという方が近いだろう。単なる勘よりも余程質が悪い。一見文学系でありながら、しかし気性はストロングスタイルなのだ、彼女は。

 

「そして、確かな理由が有るのであれば、仮説を立てる価値も有る。例えば、幸運にも死の呪文が君に効かない体質であるとか。人間、突然変異というのは現実に存在するからな」

「……珍獣を見る目はやめて欲しいんだけど。でも、やっぱりそれは違うと思う」

「であれば、何らかの魔法が掛けられたというのはどうだ。一番有り得て、一番君が特別などでは無い仮説だ」

「それは……有り得るのかも知れない」

「もっとも、死の呪文に対する反対呪文は存在しない。君が本当に死の呪文を受け、それでも護られたというのであれば、全く知られていない魔法が、全く知らない形で使われたという事になる」

 

 単純に思い付くのは犠牲や代償を捧げた守護の魔法だ。

 そのような行いは、魔法の世界において珍しくも無い。そして聞くところに拠れば、彼の前には、お誂え向きに二人の犠牲者が居る。

 

 ただ腑に落ちないのは、家族が命を投げ打つ程度で闇の帝王を打ち破れるのだったら、闇の帝王は優に百回は死んでいるだろうし、〝生き残った男の子〟もポコポコ生まれているだろうと思える事だ。寧ろ、その程度で子を護れるなら、親は当然に命を投げ出すだろう。逆に子供を護れなかった親は、子供の事を全く愛していなかったのかという話になる。

 だからこそ、その仮説は僕にとって可能性が低いと言わさせるを得ない。

 

 まあ他の条件――たとえばピンポイントで赤子を殺しに行ったあたりを付け加えるならば別だろうが、それは闇の帝王の行いとして似つかわしくない。親を殺したついでに子も殺そうとしたらうっかり死んだという方がまだ現実味が……いや、それはそれでどうだろう。

 

 成程、そう考えると大多数の魔法族が、〝生き残った男の子〟には〝聖なる力〟を持っていて欲しい理由が解る気がした。

 闇の帝王が偉大で無かったとすれば、その彼に殺された者達は救われない。逆に偉大であれば、それは仕方のなかった事だと言い訳する事が出来る。

 

「……うーん、言われてみれば確かに考えてみた事も無かったな」

 

 即興で組み上げた言葉にしては、彼にそれなりに影響が有ったらしい。

 彼は腕組みをしたまま、自分の思考に没頭しているのがありありと解る。

 もしかしたら、生き残った理由が謎だと言われて、そこで思考停止してしまっていたのかもしれない。しかし、それを責める事は誰にも出来ないだろう。自分が生き残った理由を考えるという事は、必然的に親が死んだ時の事を考えるのを意味するのだから。

 

「まあ、そういう訳で、僕は君が特別では無く、何か確固たる理由を求められると考えている。だからこそ、君を理由も無く特別扱いする気になれない。もっとも、仮説が間違っていて、君が真に〝聖なる力〟を持っていれば崇め立てざるを得ないが」

「……その場合でも止めてよ。僕はそんな風にされて喜ぶ趣味は無い。それがスリザリン生ならば猶更だ」

 

 嫌味を隠す事無く付け加えた僕の皮肉に、〝生き残った男の子〟の称号を持つ単なる男の子は顔を歪める。

 ただ、それを見て思い出した事も有った。

 

「……〝聖なる力〟では無いが。君には疑いなく特別な点が有ったな」

「え?」

「つまり、クィディッチの腕前だ。僕は詳しい訳では無いが、それでも見ただけで別格だという事は解る。マルフォイよりも明らかに君は良い飛び手だ」

 

 それは、マルフォイ自身も心の何処かで認めているだろう。

 ドラコ・マルフォイが今年度の寮選抜クィディッチ選手になる事は、彼の家の力をもってすれば、難題ではあれ決して無理では無かった筈だ。無論、この学期が始まる前は流石に不可能だったろうが、今となっては約百年の慣習を討ち破った直近の〝先例〟──眼前の男の子が居る。しかし、そうはなっていない。そして、それが全てだった。

 

 もっとも、彼が家から持ち込んだ箒を使って──規則破りだった筈だが、彼は当然のように意に介していなかった──来年の為に熱心に練習をしている事実を、僕は知っているが。僕の彼への助力が増えたのも、その延長線上に有ると言える。

 

「……スリザリン生に褒められるのは凄く変な気がするな」

 

 落ち着かないように身動ぎするが、事実は事実だ。見ない振りをしても仕方がない。

 

「まあ、僕としては君が次に手加減してくれる事を祈るばかりだ。君は当然知らないだろうが、先のグリフィンドール戦後のスリザリン寮の有様は酷いものだった。僕としては、アレを避けられるのであれば、今すぐ君を崇めても良い」

「それは聞けないかな。寧ろやる気が出て来たよ。もう一度繰り返してやろうって」

 

 自分では解らなかったが、余程苦々しい表情をしていたのだろう。

 彼は声を上げて笑った。

 

 

 

 

 

 彼が聞くべき事は聞いたし、僕は話すべき事は話した。

 そのように思ったのだが、彼は何故か立ち去りがたいものを感じているらしい。僕が視線を天文台の光景に戻しても、彼はその場を動こうしなかった。

 

 ……嗚呼、薄々感じはしている。寧ろ、()()は強まるばかりだった。

 だが〝生き残った男の子〟は僕の内心を気にした風も無く――僕の心の底に浮かび上がった考えを保証するかのように──彼は語り掛けて来た。

 

「ロンは……ロナルド・ウィーズリーは、君の事を良く言っていなかった」

 

 それを僕に聞かせる事に意味が有るのかと思ったが、彼の方は、僕の沈黙が先を促しているものだと取ったのだろう。彼は続けた。

 

「一度だけ、ハーマイオニーから君の話が出た事が有る。けど、その時にロンは滅茶苦茶に怒っちゃってさ。彼女が君の事を擁護するものだから余計に。まあ彼女の怒り具合も酷かったけど。その、話もしないで決めつけるのは、マグルを差別するスリザリンと同じだとか」

 

 そのつもりは無かったのだが、思わず微笑んでしまった。

 成程、余りにもハーマイオニー・グレンジャーらしい言いっぷりだ。

 そういう辺りが彼女を入学直後に孤立させた原因であるのだが、彼女に友人が出来てもそれを治す気は無いらしい。もっとも、それが彼女の良い所でもあるが。

 

「結局、暗黙の内に君の事は御互い話題にしないってなったみたいだけど。ただ、その時僕はロンの言葉を否定もしなかったけど、そこまで悪いようにも思えなった。だってマダム・マルキンの店で擦れ違った時に君は僕に会釈したし、ハーマイオニーはああ言うし、何よりマルフォイと僕が争っている時の君の視線は──」

「──ちなみに、ロナルド・ウィーズリーは僕の事を何と言っていた?」

 

 言葉を途中で遮られた事に驚いたのか、彼は一瞬息を呑んだ。

 彼が思う理由で、僕はそれを聞いた訳では無い。だが、僕が依然として彼の顔を見ずに、眼下の風景を見ていたのが良かったのだろう。彼は、何とか言葉を絞りだそうとした。

 

「……あー、それは」

「言葉を飾らなくて良い」

「ドラコ・マルフォイに媚び諂う権威主義者。純血主義にどっぷり浸かった陰気な偏屈野郎」

 

 僕は苦い思いと共に笑った。

 今までとは違い、声を上げて。

 

「彼は良く見ているな。僕はそれを否定できない」

 

 茶化す訳では無く、間違いなく本心からだった。

 

 ロナルド・ウィーズリーは〝疑いなく普通〟だった。

 ハリー・ポッター、そしてハーマイオニー・グレンジャー。二人の事はホグワーツ一年の口の端に上る事が多く、スリザリン寮でもそれは例外ではない。勿論スリザリンでは侮蔑と嘲笑が大半だったが、何にせよ、スリザリンにとっても彼等の動向は無視出来ないものである事に疑問を差し挟む余地は無かったのだ。

 

 しかし、ロナルド・ウィーズリーは、血を裏切った者の一人、或いはアーサー・ウィーズリーの息子以上の事を認識されていない。皮肉にもロナルド・ウィーズリーという存在を最も認識しているのがドラコ・マルフォイであり、それ以外の者は英雄達のお零れを貰う腰巾着だとしか考えていなかった。要するに、ロナルド・ウィーズリーはスリザリンの大多数にとって〝取るに足らない者〟だった。

 

 ただし、そうであるが故に見える物もまた存在する筈である。

 認識とは相対的な物であり、比較して初めて構築しうるものである。人が二つの眼によって距離を測るように、一つの立場からでは見えない事もあるだろう。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは変わらぬ友誼を示してくれては居る。しかし、僕が彼女を〝穢れた血〟と呼ぶ純血主義者に対して、媚びて立場を確保している事実は揺るぎないのだ。それは僕が直視したくない、けれども心に留めておかねばならない現実だった。

 

 もっとも、僕の反応は、ハリー・ポッターにとって意外なものだったらしい。今私は不気味な物に向かい合っていますという感情を、全く隠していない声で言う。

 

「……ええと、怒らないんだね。これがマルフォイなら殴り掛かってくると思うけど」

「彼は〝疑いなく純血〟だからな。それ以外がスリザリンに居れば解る」

 

 一応の立場を確保出来ていようと、悪評と陰口からは逃れられない。ただそれだけの話だ。

 しかし、ハリー・ポッターにとっては余程深く腑に落ちる所が有ったらしい。視界の端に彼を捉えている僕にも見えるように大きく頷きながら口を開いた。

 

「正直言って、ハーマイオニーが君を断固として庇う理由が今まで解らなかったけど、こうして話してみて何となく解ったよ。君は他のスリザリン生とは違う気がする」

「君がそうは言っても、僕は間違いなくスリザリンだ。現に、君とドラコ・マルフォイの争いを一度として止めようとしていない」

「そりゃそうだけど。でも、君の方にも立場が有るんだろ?」

「……君は正気か」

 

 それを聞いた瞬間、思わず彼の方を向いてそう言ってしまった。

 彼の表情から明らかに気分を害した事を解っても尚、撤回する気になれなかった。

 

 しかし、何故そう言わないでいられるだろう? 

 

 最初から違和感は有った。ハーマイオニー・グレンジャーから彼の話を、〝同学年のグリフィンドールの男の子〟の話を聞く度に、それは確かに感じていた。だが、それはあくまで彼女の視点を通した物であり、当然に()()されている事が有ると考えていた。

 けれども、こうして話をしてみて、そして言葉を交わすにしたがって、その違和感はどんどん強くなっていった。そして、先の言葉は決定的だった。

 

 しかし、こうして話をしてみれば、その普通さは際立って見えてしまう。

 

 彼は英雄である。

 暗黒時代を終わらせた功労者である。

 闇の帝王を討ち滅ぼした〝生き残った男の子〟である。

 

 それにも関わらず、彼はその功績を過度に鼻に掛けたりせず、自惚れたりもせず、ちやほやされる事を嫌悪し、それどころかこうしてスリザリン生にすら善良さを──それがどんなに些細な欠片であったとしても──見せようとしている。

 

 それは間違いなく〝異常〟だった。

 

「……っ。僕はただダーズリーみたいな奴等の中で暮らしていくのがどんなに大変な事か身をもって知ってるから──いや、もう良い。やっぱり君はスリザリン生だ。ハーマイオニーは君の事を良い人だと言っていたけど、僕はそう思えそうにない」

 

 ここが石畳で無ければ、盛大な足音が鳴っていただろう。

 怒声を叩きつけ、存分に癇癪を爆発させたまま、彼は展望台の出口へと突進していった。

 しかし、何を思ったのか、ハリー・ポッターは目的地に到着したところでピタリと動きを止めた。そしてゆっくりと振り返った彼の顔からは、それまでの怒りが完全に拭い去られていた。

 

「でも、ハーマイオニーとはこれまで通り話をしてあげて欲しい。あれ以来、確かに僕達の前で君の事を話題にはしなくなったけど、僕が聞いたらちゃんと答えてくれたし、何より合同での授業中、彼女は時折君の方を見ている事が有るから。……まあ、君は気付いていなさそうではあったけどね」

 

 勿論、それは気付いていた。

 単に気が付いていない振りをしていただけだ。

 ……そうしていれば、彼女は僕の方を見続けてくれるから。

 

 そして彼も僕の答えを求めては居なかったのだろう。

 今度こそ彼は立ち去っていった。

 

 

 

 

 そうして、ある意味僕とドラコ・マルフォイとの関係以上に奇妙とも言える、英雄ハリー・ポッターとの初めての出会いは終わった。

 

 正直言って、何処かの女の子の時よりは余程好感の持てる最初の交流だったと言えよう。ドラコ・マルフォイと比べても同様である。確かに僕はそれまで彼に含む所は無かったが、スリザリン生にわざわざ会話を持ちかけるような馬鹿正直さは、自分が決して持ち得ないからこそ眩しく思うものであり、敬意を払うべきものであった。

 

 もっとも、彼の場合は彼女と逆だった。

 

 たとえ一方的であるにしろ、僕には彼を嫌うだけの十分な理由が出来た。たとえ逆恨みに等しいものだと頭では理解していても、他ならぬ彼女自身がそれを選択したのだとしても、彼がそこに存在している事自体に対して、半ば憎悪を抱かざるを得なかった。

 

 結局の所、彼はグリフィンドールだった。

 わざわざ僕に話し掛けるなどという愚行をしたように。

 余計な騎士道精神を有する、〝生き残った男の子〟にして、〝疑いなく英雄〟だった。

 



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魔法薬学講義担当兼スリザリン寮監

場末の筈の小説がランキング乗ってましたね……。
驚きましたが、応援して頂いたのは非常にありがたい事です。


 ホグワーツでの教育体制は完全にイカレている。

 それを最初の授業で実感させてくれる程度には、ホグワーツの魔法薬学()()()()である我らがセブルス・スネイプ()()は〝優秀〟だった。

 

 入学一か月前に知り合った小さな女の子は魔法界で為されるであろう授業の事で頭が一杯だったが、一方で僕は非魔法族の教育にも興味を抱いた。と言っても大層なものでは無く、あくまでどんな事をやっている程度の興味でしかなかったが、何せ時勢が良かった。

 

 非魔法界において、四十数年前の教育法が大規模に改革されたのがほんの三年前の事。

 その施行結果に対する論評も矢継ぎ早に出され続け、教員不足を初めとして教育の崩壊を叫ぶ声が下火になるどころか依然として大きくなされていたのだ。教育については高い関心が寄せられ続けていたのであり、非魔法族に殆ど知識の無い少年ですら簡単に様々な情報に触れる事が出来た。

 

 勿論、それはあくまで非魔法族の世界において〝在るべき教育の姿〟であり、それをそのまま魔法族の世界に持ち込む事が正しいとは決して言えない。しかし、非魔法族と魔法族の間に大きな違いが無いと信ずるのであれば、導入は出来なくても、その理念を生かす事も応用を利かせる事も当然に可能な筈であった。

 

 そしてその観点から言えば──魔法薬学の授業というのは論外だった。

 最初の大演説はまあ良い。流石に最初耳にした時は余りの脅迫の酷さに唖然とはしたが、魔法薬学の危険性を考えれば、幾ら注意しても注意し過ぎるという事は無い。

 一年のスリザリン生とグリフィンドール生であれば、その事をネビル・ロングボトムの尊い犠牲によりまざまざと理解出来た筈だった。教える側としては、誇張無く死の危険と隣合わせに成り得る教科である以上、神経質にならざるを得ないというのは当然の話だ。

 

 しかし、それ以外は完全にいただけなかった。

 

 ハリー・ポッターに対する対応は、真っ当な教授で有ればまず有り得ない。

 習ってない物を答えろなどというのは無茶苦茶な話だ。そもそも知らない事を学ぶ為に講義に出ているのだから。それどころか彼に対する態度も劣悪である。彼にそう問うていたスネイプ寮監の視線は嫌悪と憎悪に満ちており、何が有ったかにせよ、大の大人が十一歳の少年に向けるものでは無かった。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーに対する一貫した無視もそうだ。彼女が出しゃばりなのは解りきった事であり、当時の彼女には間違いなく学友を助けようとするつもりなど欠片も無かった筈であるが、出された問いに対して答えようとしたのは確かである。それを無視するのはやはり十一歳の少女に対する大の大人の態度とは言えない。

 

 そんな訳──どちらの理由が大きいかは議論の余地が無いが──で、僕はスリザリン生としては珍しくスネイプ寮監に対して嫌悪を抱いていた。

 もっとも、スネイプ寮監は生徒からの好意を獲得する事について全く関心が無いように見えたし、何より彼の方も僕に対して嫌悪を抱いているようだった。

 

 思い返す限り、最初は一般のスリザリン生と変わらなかった筈である。

 だが、二、三回の授業を経た後は、明らかに他のスリザリン生と違う冷淡な対応に変わったように思う。ドラコ・マルフォイから『君、スネイプ()()に対して何かしたのか?』と問われたぐらいだから、気のせいでは無いだろう。

 ただまあ、僕が彼に対して抱いている感情を思えば、その変化は何ら不自然では無いだろう。嫌っている相手から好かれると思う方が可笑しな話だ。

 

 無論、スネイプ寮監の授業態度──千年も続いている学び舎で行うには余りに時代錯誤な徒弟制的指導手腕を除けば、その叡智の深淵さは敬意に値するものであった事だ。

 グリフィンドール生には馬鹿げた位に刺々しく、僕を除くスリザリン生には出来の悪い水飴のように駄々甘にという違いが有ったが、彼の指導は常に正しかった。

 

 彼の言葉が比喩と装飾に満ちているのは、適切な魔法薬の作成法を伝達させる為にそれが必要であるからだった。また、生徒に混乱を生じさせる原因の一つである、教科書とは異なる我流の作成法の教授は、しかしその効能だけを見れば、愚直に教科書をなぞっただけの代物よりも数段上である事に違いなかった。

 つまり、セブルス・スネイプ寮監は教授としては論外で有ったが、魔法薬学(Potion)熟練者(Master)にして、その神秘の最奥を学ぶ為の(Master)としてはこれ以上の存在は無かった。彼は本質的に研究者かつ探究者であり、物分かりの悪い学生に対し下らない魔法薬を教える事に時間を割くのは才能の浪費としか言いようがないような、傑出した人物であると言えた。

 

 しかし、それを授業を重ねるにつれて理解出来た所で、嫌いなものは嫌いだった。

 幸運にというべきか。授業という場以外で、寮監が学生に対して直接関わる事は少ない。余程の事でない限り、寮内の自治は首席や監督生に対して一任されている。

 ただそうは言っても、第一責任者が寮監である事に変わりはなく、監督生達に相談出来ないような事柄についてあればその相手を自寮の寮監とする事は許されていた。

 故に、これから僕がそれを相談すべき先は、やはりスネイプ寮監しか有り得なかった。

 

 グリフィンドールの点数が盛大に引かれ、ドラコ・マルフォイが罰則に行き、それらの話題が第一線から引いた頃。

 何時も通りにハリー・ポッターがグリフィンドールの点数を減らした魔法薬学の授業後、僕はスネイプ寮監へと話し掛けた。

 

 

 

 

 

 魔法薬学の教室は、相変わらず陰気である。

 その教室の主が陰気だからという訳では無いだろう。魔法薬学は、ホグワーツにおいて、最も非魔法族の期待に添えるような科目であると言えた。杖を片手に怪しげな材料を加えた鍋をかき回すなどというのは、まさしく歴史上迫害を受けていた、ステレオタイプな魔法使いの姿だからだ。そして、実際に迫害されるだけの危険を有している。

 

 真実薬(ペリタセラム)魅惑万能薬(アモルテンシア)幸運の液体(フェリックス・フェリシス)、ポリジュース薬等々。

 魔法薬学の秘奥は、それが自分の物であれ他者の物であれ、正しく人生を狂わせるだけの凶悪さを有している。戦時においては、かの禁じられた三つの呪文こそが有用であるが、しかし、平時においては魔法薬学の強力性・汎用性に敵う物では無かった。逆に言えば、戦時に有用で無いからこそ──魔法族同士の血の抗争には利用しにくいものであり、事実、歴史的にそうだったからこそ、それらは制限はされども禁忌にまでは至らないでいる。

 

 しかし、敬遠されるべき代物である事に変わりない。それが魔法族で有ったとしても、だ。スネイプ寮監の贔屓を一身に受けるスリザリンとて、その事は本能的に理解している。

 だからこそスリザリン生は、その分野に卓越したセブルス・スネイプ寮監──他の三寮に比べて余りに若輩な、三十そこそこでしかない教授に対しても尊敬と畏敬の念を払うのだ。まあ、グリフィンドールを筆頭に、他の三寮がその辺りの機微を理解しているとは思えないが。

 

 そんな寮監は、生徒が使用した後の機材や材料のチェックをしていた。

 どうやら生徒の掃除や後片付けの程度、或いは扱いの丁寧さを信頼していないらしく、授業が終わると間違いなく自分の眼でそれが行われているかを確認しているのを良く見る。好意的に見れば、生徒の安全に気を配っていると言えるのかもしれない。残留していた余計な材料や成分による汚染が発生すれば、どんな魔法的惨事を引き起こすか知れたものでは無いからだ。無論、これもグリフィンドールからは賛同を得られないだろうが。

 

 流石に慣れているのか一つあたり長くても数秒程度しか費やしていないが、そのような神経質な作業をする寮監と共に時間を過ごしたい生徒は、スリザリンにすらも存在しない。授業が終わってから、直ぐに僕を除く生徒は居なくなっていた。

 

 そして、僕がわざわざ残っている事を、近付いてきている事を理解しているだろうに、セブルス・スネイプ寮監は、その作業から顔を上げようとしなかった。

 僕が声を掛けて初めて、漸く顔を上げた。

 

「スネイプ寮監」

「……何だね」

 

 その顔には、意外にも表情が浮かんでいなかった。

 寮監は明らかに僕を嫌悪している筈であり、今もその奥底にはそれが横たわっているのが感じ取れたが、無表情を装う事によって、それを隠そうとしていた。

 それは、ハリー・ポッターに対して感情を剥き出しにする寮監の様子からは考えられない、言うまでもなく教授的な理性に満ちた振る舞いだった。

 

「君が我輩に質問したい訳では無い事は見れば解る。何か用が有るのかね?」

「ええ」

「ならばさっさと言い給え。我輩は生徒に助力するに際し無用な装飾を好まない」

「であればそのように。

 ──アルバス・ダンブルドア校長に御会いしたい」

 

 僕の言葉に、寮監は露骨に愚か者を見る目をした。

 そして、寮監はすぐには僕に解答を寄越そうとはしなかった。

 

「スティーブン・レッドフィールド。我輩は君がもう少し賢い生徒であると考えていた。しかし、どうやら今日から我輩の認識を正さねばならないらしい」

 

 手元に視線を戻し、寮監は吐き捨てるように言う。

 

「分別の付かぬ雛共に悩まされて忙しい教授以上に、校長閣下は忙しいのだ。どういう理由で君が校長と話をしたいのか知らないが、一生徒が望んで話を出来るような物では無い」

「その理由が、忙しい校長閣下が直接聞くべき重要な事でも?」

「それは子供の判断すべき事で無く、大人が判断すべき事だ。そして君が理解していないようだが、我輩は大人であり、君の寮監でも有る」

「……つまり、貴方が話を聞いてくれると?」

「……何故、そう意外そうに言うのかね? 我輩は君の寮監だと、そう言った筈だが」

 

 嫌そうな、それでいて不思議そうであるという複雑な表情を浮かべる寮監。

 だが、そんな反応こそ心外だ。これまでの授業を見る限り、少なくともこの寮監は真っ当に教育をする気が無いように思えたし、まして僕を嫌っているともなれば猶更のように考えられた。だが、どういう訳か、少なくとも今この瞬間、彼は自身の職務を果たす気が──それも心の底から嘘偽り無く──有るようだった。

 けれども、そんな僕の内心を知りもしない寮監は、僕の反応を素直に受け取った。

 不躾な生徒に纏わり付かれていては作業が進まないと思ったのだろう。寮監は、その黒く長いローブを翻しながら、高圧的に言った。

 

「……まあ良い。我輩が聞き手として不足で有るというならば、それはそれで構わない。そして、我輩も当然のように判断する。即ち、校長閣下を煩わせるまでの事項では無いと。話は終わりならば引きたまえ。我輩には次の授業の準備が──」

 

 正直言って、最初から受け入れられるとは思っても居なかった。

 嫌味は兎も角として、寮監の言葉は正しい。

 一生徒が直接校長と面会したいなど烏滸がましいにも程が有るし、寮監とて自分の頭を超えて話をする事は腹立たしくて仕方ない事だろう。

 だがそれを理解して尚、校長に直接話をしたいと願い出たのは、話の内容としてはそれが真っ当であり、筋であったからだ。要するに手続的な自然性を保つに過ぎず、だからこそ、断られる前提で有ってもそれを口にしなければならなかった。

 流石に寮監が嫌っている僕の相談を受けようとしたのは予想外だったが、さりとて当初の予定からは何も外れていない。スリザリン寮においては、会話の中に猜疑と検分、そして虚実と探究を忍ばせるのが作法だった。

 

「四階の禁じられた廊下」

 

 寮監は立ち止った。

 ゆっくりと振り返ったその顔からは、先程以上に何も読み取る事が出来なかった。

 

「……君は宝探しでもしているのかね? それが事実であるならば、君は無知蒙昧で向こう見ずなグリフィンドールに組分けされるべきだったように思えるが」

 

 寮監の反応は、露骨であったとは言えない。寧ろ彼は表面上、真実は何も知らない、しかし生徒の安全には関心を抱いている者としての反応を取り繕っていた。けれども僕はそれ故に、この寮監はあそこに何が置かれているのか間違いなく知っているのだと気付いた。

 そして逆に寮監も、その中身について僕が見当を付けている事に気付いた筈だ。僕の眼を真っ直ぐ見つめようとし、心の内を読み取ろうとしたのが証拠だった。もっとも、合わせるつもりもない。如何に自寮の寮監とて、そのような危険を冒しはしたくなかった。

 

「勘違いして欲しく無いですが、その宝について、僕は全く興味が有りません」

「……あの部屋に立ち入ったのか?」

「立ち入ろうとしたのは事実です。情報が何も無ければ、スリザリン生らしく狡知に振る舞うも何もないでしょう? ただ入れはしなかったですよ。流石に単なるホグワーツの一年生が入れる程に、容易い護りでは無いみたいですから」

「まあ……そうであろうな。本来はその筈だ」

 

 何処か期待が外れたような、微妙な顔をしながら寮監は頷く。

 しかし、その言葉からしてみれば入り込んだ人間が居るようだが──いや、まさかそんな事は無いだろう。けれども、改めて確かめる事が出来たのは明らかだった。

 もっとも、それは寮監との今の会話で考えるべき事では無いのも同様に明らかだった。

 

「だけど、中身について語る事は出来る」

 

 挑発するように、僕は告げた。

 

「……君が騒いでも何も起きはするまい」

「さて、それはどうでしょう。スリザリンにはドラコ・マルフォイが居る」

「……あれはお前の──半純血の意図通りに動きはしないだろう」

「でしょうね。普通ならば」

 

 惚けたように楽観的な見解を嘯く寮監に対して、僕は鼻で笑った。

 彼と僕は友人関係では無く、何より彼はプライドが高い。彼は僕から利益を得ようとはすれど、僕に利益を与え()()ようとはしないだろう。能動と受動の違いでしかないが、彼の中では天と地の差が有る。そして、寮監らしくというべきか──或いは他の理由が有るのか──この寮監はドラコ・マルフォイという個人を正しく理解しているようだった。

 けれども、今はその〝普通〟の状況ではないのだ。

 

「お忘れですか。彼は、スリザリン生らしく振る舞う事を忘れた結果、二十点を失った。そして、その理由は広く伝わっていなくとも、夜に罰則を受けた事は皆が知っている」

「…………」

「まあそれ以上に派手な減点劇が有ったから目立っては居ませんが、彼自身がそれを赦すかどうかは別です。彼は屈辱感を抱いており、名誉挽回の機会を探している。少しばかり情報が怪しかろうと、彼はその真偽を確かめようとはするでしょうし、仮にそれが真実であるとすれば、自分の行使し得る限りの力をもってそれを利用しようとするでしょう」

 

 僕はそう予測した。

 そして同様の予測を寮監も立てている事は、その口を噤んだ様子から明らかだった。

 勿論、ドラコ・マルフォイがそれを知ってどう動くかを更に予想は出来ない。

 日刊予言者新聞あたりに持ち込むのか、或いは親の理事としての立場を使って何かをするのかもしれない。己が手に入れようとする事も有り得る。だが、彼がどのように動こうとも別に構わなかったし、それが成功するかどうかも当然どうでも良かった。

 

 大事なのは、不愉快な物が学内に有るという事が──彼女が余計な物に関わる可能性が無くなるという事だった。

 

「君は──君は、()()を脅そうというのかね?」

「はい、()()。いいえ、違います。僕はそれによって全体的利益の実現を図ろうとしているのであり、その事によって貴方が直接被害を受ける訳では無いでしょう?」

「馬鹿げた事を嘯くでない。君が乱そうとしているのは学内の秩序だ」

「では、()()()()()()()()()()()()()()()? 僕はスネイプ寮監がその思考に同意してくれないとは思っていない。だからこそ、校長に会いたいと先に告げた上で、貴方にこうして相談させて頂いている」

 

 相変わらず表情は動かない。しかし、その瞳が僅かに揺れた気がした。

 嗚呼、そうだ。僕はスリザリン生であり、スネイプ寮監はスリザリンの寮監だった。しかも今この学校で起こっているのが余りにもグリフィンドール的だともなれば、同じ考えを抱くのは至極当然であり、逆に違う考えを抱いている方が異端だった。

 

「重ねて言いますが、僕はそれを手に入れようとしている訳ではありません」

 

 素直に言えば、全く欲しくない訳では無かった。

 手を伸ばせる機会が有ったのであれば、僕は当然にそれに手を伸ばす事だろう。

 何せ不老不死の結晶だ。その効能もそうだが、賢者の石自体が膨大な魔法知識とその実践により紡ぎ上げられた集大成と言える。魔法族なら当然欲しがって然るべきである。

 だが、僕にとって今優先すべき事は、やはりそれを手に入れる事では無かった。

 

「様々な反論は承知の上です。その安全対策についてはホグワーツ教授が万全を期しているでしょう。しかし、それは学校生活に全くもって必要無い物の筈だ。そして、人間というのは一般に、その可能性の存在だけで十分恐怖しうる。違いますか?」

 

 彼女が傷付く事を、僕が恐れるように、とは言わなかった。

 言うべき必要が無い事では有ったし、言うつもりも更々無かった。

 そもそも、スネイプ寮監は、スリザリン生がグリフィンドールの非魔法族の為に動くなどとは夢にも思うまい。寮監はまさしくスリザリンらしい存在であり、そんな唾棄すべき惰弱な考えなど、そもそも想定する事が出来ない筈だからだ。

 

 スネイプ寮監は一分ばかり、沈黙し続けた。

 そしてその後で漸く、彼は口を開いた。

 

「……先の言葉は撤回しよう。お前が相応しいのは確かにスリザリンのようだ」

 

 苦々しい顔を露わにして、嫌味な声色で紡がれたのは、受諾の言葉だった。

 

「だが、今の話の流れでは、お前はそうするつもりは──つまり、ドラコにそれを告げるつもりは全く無いのだろう? ならば、何の必要が有って校長と話をする事を求める? お前の目的は薄々理解したが、我輩にはそれが必須とは思えないのだが」

 

 確認するような問いに、僕は当然の言葉を返す。

 そして、寮監は、校長と直接会話を交わす事が出来るかまでは保証しないけれども、今の話は間違いなく伝えられるであろう事を確約した。

 

 

 ……この会話の中で意外に感じた事は、幾つも有った。

 けれども一番意外だったのは、この寮監も笑みを見せる事が有るという事だった。




・Potion Master
 第一巻・八章のタイトル。

・Education reform Act 1988
 サッチャー政権下。
 教育関連は最近ホットだから耳にした事はあるかもしれない。
 誤解や曲解を恐れず端的に言えば、教育への市場原理・競争原理の導入。


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今世紀で最も偉大な魔法使い

賢者の石の章は、後二話(今回を含めれば三話)で終了する予定です。


 細長い文字の招待状が、何処からか届いた。

 

 それに署名は無い。書いてある内容としても、ある日時と、それに加えて単語一つだけ。だが、それで十分伝わるのだろうとこの送り手は言いたげだった。

 実際そうだった。既にスネイプ寮監からは、〝罰則〟が有る事と、ある場所についての伝言を受けている。寮監はただ場所を告げただけで、そこに何の部屋が有るのかを告げなかったし、ましてやそれ以上の事を何も言わなかった。僕も問わなかったが、やはりそれで十分だった。

 

 御互いにとって、否、寮監も含めて、他からその会話を知られる事は何も得しない。その点において誰もが意見を同じくしている筈だった。

 

 そうして僕は、夜のホグワーツを一人歩いてその場所へ向かった。

 ガーゴイルの石像をどかし、螺旋階段を上った先。多くの肖像画と、奇妙な道具に囲まれる部屋の中。その中央に鎮座する机の前に、その老人は僕を待ち構えるように掛けていた。

 

 アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア。

 すなわち、今世紀で最も偉大な魔法使い。

 

「──おお。良く来た、()()()()()。待っておったよ」

 

 僕が入ってきた事を感じた老人は、瞑っていた瞳を開き、僕をそう呼んで部屋へと招き入れた。

 

 

 

 

 

 入学時に、その姿は一度見た筈だった。

 その際の印象は、案外大したものではないなという失望めいたものだった。

 

 頭の悪い校歌を馬鹿げたリズムで歌うのを許容する。禁じられた廊下についてわざわざ語るという放言をする。笑う気にもなれないような間の抜けた挨拶を抜かす。

 その振る舞いは頑迷で偏屈な大魔法使いというよりも、加齢によって必然的に能力を喪った道化の老人という方が遥かに近かった。

 

 そして、同時に納得したものだ。

 書籍という物は余分を省略し過ぎてしまう。

 それは時に物事を過度に美化し、時に過度に冒涜し、結果として人に本質を見失わせる。だからこそ、書を読み解く際には心して掛からねばならない。それは、禁忌を記す魔法書の類を読む上で必然的に学ぶ事柄であった。そして、この時も、その原理原則はやはり正しかったとそう思ったのだ。()()()()()()()()()()()()

 

 その蒼い瞳が向けられた瞬間、僕の身体は凍ったように冷たくなった。

 湛える色は穏やかだ。悪戯っぽく輝くそれは、校長室に呼び出された生徒を落ち着かせるように、緩やかに細められている。しかし、深い。余りにも深すぎた。百年以上の時が、六十年以上も英雄として君臨し続けてきた歴史が、そこに濃縮してしまっている。

 

 この老人は紛れもなく書籍以上の怪物で。

 僕は、この老人が余りにも怖ろしくて堪らなかった。

 

「君の事はセブルスから聞いた」

 

 手を机の上で組んだまま、老人は言った。

 静かで、柔和で、不自然なまでに力が覆い隠された彼の言葉が耳を打つ。

 

「つまるところ、君がこの老いぼれの愚行について、明確に〝抗議〟したいという事をね」

「…………」

 

 そこまで端的な言い方はしなかった。

 が、寮監は正しく僕の意図を伝えてくれているようだった。

 そして、この老人はその抗議を受け止める用意が有るという事も、同時に伝えていた。

 

 けれども、それを理解した所で、僕の口からはすぐさま言葉が出なかった。大きく息を吸い、そして吐いて漸く、予め用意していた言葉を紡ぎだす事が出来た。

 

「……愚行と解っているなら話は早いですね。僕が言うべき事は、ただ一つです。あのロクでもない物をこの学校からさっさと撤去して欲しい。ただそれだけです」

 

 僕の言葉程度で激昂する筈が無い。

 それが解っていたし、実際に老人は穏やかな表情を崩さなかった。

 もっとも、現れたのは意外な反応だった。この老人は、僕の言葉を聞いて、明らかに喜ぶような煌めきを、その瞳に映したのだった。

 

「……嗚呼、君にとっては解らぬじゃろうな」

 

 僕の微細な困惑を至極当然のように見透かして、老人は軽く頷いた。

 

「しかし、そのような直截的な物言いを儂が生徒から──それもよりにもよって、スリザリンの生徒から聞くのが何年振りかを知れば、君はその事に同意してくれるかと思うておる。儂は長く生きておるが、もう四十七、八年はそのような事は無かったのじゃから」

 

 僕が生きて来た四倍以上。

 そのような年月を軽く口にする老人は、まさしく僕の想像以上の存在だった。

 

「昔はそうでは無かった。当時儂が校長では無かったというのを差し引いても。ある生徒が影響力を行使するその時までは、生徒との信頼は結べたのじゃ。純血主義という断絶が有っても、寮の違いが有っても、確かに共に同じ世界に立ち、同じ物を見て、衝突する事は出来た。

 そう、ゴドリック・グリフィンドールと、サラザール・スリザリンが雌雄を決したように」

「……ホグワーツ創設期において、二人が数年間共存したように、ではなくですか?」

「それも有るじゃろう。しかし、サラザール・スリザリンは学校を去ったのじゃ。ゴドリック・グリフィンドールは彼を殺さなかった。そして彼もまた、学校を去ったのみで、ホグワーツを滅ぼさなかった。そこには儂は、相容れぬ者への理解と敬意が有ると思う」

「グリフィンドールの方は同族殺しが出来ない純血かぶれの腰抜けで、スリザリンの方は創設者三人に勝ち目が見えなくて失意のままに死んだ。僕はそれだけだと思いますけどね」

 

 真に〝マグル〟を護りたいならば、グリフィンドールは彼を殺しておくべきだった。

 僕はスリザリン的価値観から当然のように考える。実際に、その後にサラザール・スリザリンが遺した〝秘密の部屋〟などという有りもしない呪いによって、純血と非魔法族の両方を縛り続けているのだから。

 そして、彼は殺人を嫌う善良な人間だったという生温い反論も適切ではないだろう。

 

 千年前だ。迫害の時代なのだ。決闘と戦争がそこら中に転がり、今とは比較にならない程に血に濡れた、魔法使いの命が今より遥かに価値の無い時代だった。その中を騎士道精神という馬鹿げた――そう、馬鹿げた、だ。騎士道精神が尊ばれたのは、それらを略奪と殺戮に生きる大多数が守護出来なかったからこそ尊ばれたのだ――下に生きた彼が、流血と死に全く無関係であったと考える方がどうかしていた。

 

「見解の相違じゃな。けれども、儂等はこうして議論を出来ておる。理解し得なくとも、御互いに前に進もうとしておる。そこにはやはり価値が有るとは思えぬかね?」

「……否定はしませんが。しかし、衝突の果ての別離であれば意味は無いでしょう。グリフィンドール生は、スリザリンが決闘で敗北した事を、正義の鉄槌の証だと誤信している」

「儂が見るに、その点ではスリザリン生も同種の誤信をしているように思う」

 

 冷ややかな言い方だった。けれども、逆にそれは僕に仄暗い喜びを齎すものだった。

 老人はその温厚で、物柔らかな態度を未だに崩していない。だが、その物言いこそが、僕と──吹けば飛ぶような実力の差があり、また権力の差が有る存在とすらも、真正面から向かい合おうとしているという証明でもあった。

 

 しかし、それを老人は瞬時に自覚し、恥じ入ったのかもしれない。

 御互い平行線であると解りきった議論を打ち切るように、彼は微笑んだ。

 

「ともあれ、儂には喜ばしいのじゃよ。君がスリザリン生で有りながら、このようにグリフィンドール的な側面を見せてくれた事は──」

「──その物言いは、流石に不愉快なので止めてくれませんか」

 

 僕が口を挟むと同時、周りの肖像画からも強弱の差はあれ種々のクレームが入った。

 それらが存在している事には気付いていたが、彼等彼女等は全て寝ていると思っていた。事実、先程まで目を瞑っていたし、そちらの方に視線をやった今も、やはり目を瞑っている。だが、それが寝たふりであるのは最早聞くまでも無かった。

 

「おお、すまぬの。スリザリンの偉大な校長の方々からも、そして他ならぬ君からも注意を受けてしまった。ホグワーツ生は、誰もが自分の寮が一番だと思ってしまう。そして、儂もその因果から抜け出せぬ。たとえ十分に気をつけていているつもりでものう。

 ──しかし、逆に言えば、君もスリザリン生であるという自負が有る訳じゃな」

「…………」

「結構結構。それは非常に良い事じゃ。要するにそれは、君が自身の在るべき場所としてスリザリンを定義しているという意味じゃからの」

 

 老人は笑いながら髭を撫でた後、蒼い瞳を真っ直ぐ僕に合わせようとし──しかし、僕はそれを拒絶した。

 そして、それによって漸く、老人は困ったような反応を見せた。

 

「……君は酷く賢明で、慎重な魔法使いらしい。じゃが、開心術は心を読める万能の術では無いし、何より儂は生徒に対して無闇矢鱈に開心術を掛けるような恥知らずな真似はせぬよ」

 

 老人が今度はそう言うが、しかしそれは勘違いだった。

 僕は最初に、既に老人と視線を合わせている。そもそも寮監が疑念を呈したように、真っ当なスリザリン生であれば、何の護りも無いままに、この大魔法使いと一対一で話し合う機会を作る筈も無かった。その意味では、僕がグリフィンドール的行いをしたのは事実であり、それ故に、心を読まれる事は既に最初から許容していたのだった。

 

 だから僕が視線を合わせるのを避けたのは、反射的で、純粋な感情の顕れ──過度に踏み込まれるという恐怖から出た反応に過ぎなかった。

 

 もっとも、そうであるからと言って、老人の失言を見逃すという事は有り得なかった。

 

「……無闇矢鱈にという事は、理由が有れば掛ける事も有るという事ですか?」

「……そのようなつもりは無い」

 

 否定の言葉と共に、じゃが、と老人は付け加えた。

 

「そうしたいという誘惑を跳ね除ける程に、儂は強い自覚も無い。もっとも、幸か不幸かその機会には巡り合っておらぬよ。実の所、その誘惑は幾度か有った。しかし、それらの相手は常に卓越した閉心術士であり、掛けようとすればバレたであろうし、当然に防がれたであろうからのう」

 

 その言葉を聞いて、思わず僕は老人の瞳をまじまじと見た。

 つい先程目を逸らした行いからは、余りに筋が通っていないともいえる。けれども、その言葉の重みが、響きが、人を惹き付けるだけの引力を持っていた。

 

 眼前の老人は、たちまちの内に全く変貌していた。彼が積み重ねた時が、そのまま表れていた。

 地べたに打ち捨てられ、朽ち果てた巨木。使い古され、汚れ、擦り切れた襤褸布。そのようなみすぼらしさと弱々しさしか持ち得ない今の老人は、今世紀最大の魔法使いどころか、グレートブリテン唯一の魔法学校の校長の地位すら相応しく見えなかった。

 

 老人は、僕の先に、何処か遠い誰かを見ていた。

 

「そして君の対応が間違っていたと非難する事は出来ぬ。先程儂が君に開心術を掛けるつもりが無かったというのは保証しよう。けれども、誘惑に駆られたのは事実じゃ。正しくは、あれらの時も、開心術を使うべきで有ったのでは無いかという事では有るが」

「…………」

「……嗚呼、あちこち話が飛ぶのも老人の癖じゃの。君にとって知った事ではないともなれば余計にじゃ。そして、長々と話過ぎた。久々に楽しんでいた。それは否定せぬ。このような立場になった宿命とも言えるのじゃが。

 故に、君が最も関心が有る事について話を戻そう」

 

 胸の内を吐き出したからか、少しばかり力を取り戻した老人は言う。

 

「予め言うが、疑っている訳では無い。しかし、君は賢明にも、セブルスの前ですらその〝物品〟の名前を言わなかった。そして開心術無しの我等が理解を深める為には、一応であれ確認が必要じゃろう」

 

 道理であり、続けられる問いも予測が付いた。

 けれども、老人が言う通り、御互いの為に、問うて答えるという儀式は必要だった。

 

「君は、あの廊下の奥に何が秘されていると考えておる?」

「──賢者の石」

「見事じゃ」

 

 此処に至って、最早勿体ぶるつもりは無いらしい。

 老人の言葉は、僕の言葉の正しさを証明するものであった。

 けれども、僕が全く嬉しく無い事は言うまでもない。この老人によって称賛されたくはないという以上に、そもそも自身が独力で気付いた訳でも無いからだ。

 

「……貴方なら理解しているのでは有りませんか。それが何処から漏れたのかを」

「その推論も正しいの。グリフィンドールの三人組じゃろう? そして、それ故に君は、このように儂に直接抗議する気になった訳じゃ」

 

 そこまで解っているならば、本当に話が早かった。

 

「一応、推理の過程もお聞かせ願えるかね? 勿論、君の気が許すのであれば、じゃが。正直な所、あの三人組とて君に対して馬鹿正直に賢者の石が隠されておると──或いはそれを容易に推察出来るような発言をしたとは、決して思えぬのじゃ」

「……僕がスリザリンだからですか」

「いや。その場合で有れば、ここに居るのは全部で四人の生徒である筈じゃからのう」

 

 挑発めいた言葉に、しかし老人は朗らかに笑いながら否定した。

 そして、その言葉にも一理有る事を認めざるを得なかった。無理矢理に、或いは騙し討ち的にでも彼等を連れて来られるのであれば、僕はそうしただろう。けれども、その考えは些か以上に無謀だという事は否定しなかった。何より、僕はそれが()()()()()()()()()()()()()()()()()()と薄々予感していた。

 勿論、その真偽を眼前の老人に問い質す程に愚かでは無かった。

 

「……先のドラゴン騒ぎですよ」

 

 渋々という口調を取り繕い、僕は答えた。

 もっとも、その解答は何故か老人にとって酷く意外なもので有ったらしい。一瞬で有るが、虚を突かれたように目を見開き、口を僅かに開けた。

 

「ほう? 儂もその事については少しばかり、しかし確かに耳にしておる。けれども、儂にはあの騒ぎが()()()賢者の石の事柄に結び付くとは思えぬ」

「僕も正気では無いと思いますよ。何より、アレは切っ掛けに過ぎなかったんですから」

 

 だが何にせよ、決定打である事には違いなかった。

 

「賢者の石──ニコラス・フラメルについて、ハーマイオニー・グレンジャーが僕に聞きました。彼女は意外にもその名前を知りませんでしたから」

「ふむ。彼女の生まれを考えれば──嗚呼、勿論これは侮蔑では無いのじゃが──魔法的な事に知識を欠いていても奇妙では無い。けれども、一年生でありながら尚校長室にすら轟く彼女の優秀さに鑑みるに、他に助けを求めたのは意外である事は否定出来んの。しかし、結論としてその点に関して君は彼女より優秀だったのじゃな」

「その点〝のみ〟ですよ。そして不思議な事でも無い。彼女は余りに完璧主義であり、忙し過ぎる。彼女は百点のテストで百二十点を取ろうとする人間ですから」

 

 言うまでも無く、テストで──O.W.LやN.E.W.Tであったとしても──最高評価「O」を取るのに百点中百点満点を取る必要は無いし、ましてや百点以上の点数を取る必要も無い。仮にそうであれば、最高評価など殆ど飾りの存在でしかないだろう。

 そして、彼女のような過剰な努力をしない分──すなわち、それなりに優秀な生徒として留まる分、余計に時間が有るのは事実だった。

 まあ、ニコラス・フラメルについて知ったのは、この学校に来る前では有るのだが。それでも彼女がやり過ぎだという事に変わりはない。

 

「しかし、ドラゴン騒ぎの方は? 否、正確には、寮に大減点をもたらしたハリー達の夜遊び、ないしはドラコがハリー達に嵌められた騒ぎとも言うべきか。何せ、アレがドラゴンに関する物じゃと知っている者は限られている。彼等も吹聴する筈も無いからのう」

 

 それは間違いなく正しいだろう。

 だから、彼等の口を割らせるような努力をする気は無かった。

 

「もっとも、幾つかの事を結び付ける事は出来ます。ドラコ・マルフォイは、愚行によって罰則を受ける羽目になるまでの数日間、酷く有頂天でした。そして、その前に彼は僕に対して聞きました。ドラゴンを飼う事が禁じられている事について、何を調べれば良いかと。僕は端的にワーロック法に関して答えました」

 

 そしてドラコ・マルフォイは、異常なまでに熱心に調べていた。

 

「確かに、その推量は自然であるのう。じゃが、それはあの騒ぎがドラゴンに関するものであるという解答を導くに過ぎないじゃろう」

「ええ。しかし、ドラゴンについては、最も有名な生態にして逸話が有るでしょう? 実際に、魔法界の銀行が正しくその運用をしているのだから」

「──宝の護り手、か」

 

 顎髭を撫でつつ、中空を見つめて考え込む老人に、僕は頷く。

 

「けれども、その時点では推論に過ぎません。ただ、後は推論を検証するだけです。見つかるのはグリンゴッツ破りであったり、ニコラス・フラメルと校長閣下の関係であったり、反証どころか補強する材料ばかりでしたが。また、僕は端的に三人組──ハリー・ポッターに対して質問もしました。ただ、これはスネイプ寮監に対して話をした後ですが」

「大胆不敵としか言えぬのう。しかし、この老人の勝手な推測であり、同時に間違いないとも確信しているのじゃが、ハリーは間違いなく素直に答えなかった筈じゃ。であれば、君はハリーに対して、一体何と質問したのかね?」

「貴重な宝を守るには、どうしたら良いか」

「彼はどう答えたのかね?」

「獰猛な獣にそれを守らせる事だと」

 

 その失言に気付いたハリー・ポッターの表情と、彼にハーマイオニー・グレンジャーが肘打ちを食らわせた事も更なる推論材料では有ったが、そこは省いた。この老人とて、自身の不用意な言動に誰よりも恥じ入っているのがハリー・ポッターだという事は当然に気付いている筈だからだ。

 

 ただ、ハリー・ポッターの名誉の為に言えば、それは厳密には失態とも言えない筈だった。彼は賢者の石について何ら言及していないし、何となくであるが、彼は──そしてハーマイオニー・グレンジャーすらも──獰猛な獣自体が何かを守っている事自体、すなわちその獣の存在自体は別に隠す事でもないように考えているようだった。

 もしかしたら、あの部屋に立ち入る事自体は何ら難しくないと誤解しているのかもしれない。寮監によれば、あの部屋に生徒はそもそも立ち入れない〝筈〟なのだから。しかし、それが明らかに〝筈〟で留まってしまっていた事が確認出来たという意味で、ハリー・ポッターに投げ掛けた質問には意味が有った。

 

 老人は目を閉じて暫く何かを考え込み、僕はそれを静かに待っていた。

 長かった。酷く、酷く。そしてこの老人は、僕に対して短期的な解答をした場合について考えている訳では間違いなくなかった。彼は彼だけが秘める知識と経験の下で、己がどうするのが最善であるかを吟味しているに違いなかった。

 

 そして、彼は言った。

 

「残念ながら、君の解答は間違いだと言わざるを得ぬ」

「────」

 

 本音を言えば、推論が外れていようが構わなかった。

 

 彼女達が禁じられた廊下に『賢者の石』が隠されているのだと信じて探検ごっこをする事を止めたかったに過ぎない。要するに、その物品が危険であり、彼女が賢者の石が隠されていると()()()()()()()()()()のを厭っただけで、実際にそれが隠されていようがどちらでも良かった。

 だが、予測が外れて愕然としなかったと言えば嘘になる。

 

 もっとも、老人は僕の表情を愉快がる訳でも無く、寧ろ真摯に言葉を紡いだ。

 

「間違っているとは言ったが、落第だと言ったつもりは無いがの。性悪の老人らしく君の推量の弱点や、或いは誤答を導いた原因をあげつらう事も出来るが、儂はその気は無い。そもそも最初から無かった。儂は確かに言ったじゃろう、『見事じゃ』と」

 

 その言葉で確かに思い出す。

 老人は、賢者の石が隠されている事自体は何ら否定しなかったのだと。

 

「君が得た材料からの推論としては自然であろう。君は、間違いなくあの三人組よりも手掛かりが少なかったのだから。……成程、賢者の石を守護するドラゴンか。確かに組み合わせとして収まりは悪くない。今度機会が有ればそうするとしようかの」

「……それが決して訪れない事を祈っていますよ」

 

 それに、と僕は続けた。

 

「多少は安心しているのも事実です。正直な話、僕が探偵ごっこに興じたのは、子供達がウロチョロする学び舎に狂暴な生き物を持ち込む馬鹿げた大人など居ないと信じたかったというのも有りますから」

 

 そこまで言ってはたと我に返る。

 校長閣下は、僕の推論が間違いだと言った。さりとて、賢者の石の存在は認めた。つまり、どの点が過っていて、どの点が正しかったのか──

 

「儂は聞くべきを聞いた。そして君は答えてくれた。ならば、次は儂の番じゃろう」

 

 だが、老人は僕の思考を待つことは無かった。

 そして断固たる決意の下に言った。

 

「儂は、それを止める気は無い」

「…………」

 

 それは解釈の余地が無い程に明確な拒絶だった。

 

「君の懸念は理解出来る。そして、儂の常識としても、それが正しい事は重々承知している。しかし、それは出来ぬのだよ。それを為さねばならぬ理由がな」

「……明らかな形で生徒を危険に晒してでも?」

「制御出来る形で晒す必要が有るのじゃ」

「それこそ馬鹿げている。不老不死の一端を欲しがる人間など山のように居る筈だ。元死喰い人に、狼人間。それに、『例のあの人』の残党──」

「ヴォルデモート卿じゃよ、ステファン。物事には正しい呼び名が有る」

「御言葉ですが、貴方は彼が死んで十一年経って尚、魔法族がその名を呼ばない理由を重く受け止めるべきだ。そして、僕はそれを軽んずる気は無い。馬鹿げた迷信や御伽噺が時として一欠片の真実を含んでいる場合は、往々にして存在する」

 

 何より、と僕は更に付け加えた。

 

「その『ヴォル何とか卿』の姓──或いは、名前でも良いですが──―それは何と言うのです? 如何に邪悪な魔法使いとて人間の母親から生まれた筈ですが、その『ヴォル何とか卿』の上か下に続く名前を、僕は一度も聞いた事が無いんですが。正しい呼び名が有ると仰るのならば、是非お聞かせ願いたいものですけどね?」

 

 この皮肉は、どういう訳か老人に痛烈に利いたようだった。

 

 もっとも、それが何故なのかを察する事は出来なかった。僕は当然の事を言ったつもりだった。少なくとも、非魔法族の社会を知る半純血として真っ当な疑問な筈だ。

 

 ヴォルデモート・何某にしろ、何某・ヴォルデモートにしろ、その記述を見つけ出す事は、如何なる本であっても叶わなかった。

 死の飛翔などという仰々し過ぎる名前を付けた親を恨んでいるからなのか知らないが、過激な純血主義思想の持ち主としては、自身の誇らしき家名──つまり一点の疑いなくサラザール・スリザリンに繋がる家名──を名乗らないのは奇妙以外の何物でも無いからだ。

 

 そして、反応から見るに、この老人はその理由を知っているようだった。だが、それと同時に、僕に対して語るべきではないと考えているのも明らかだった。

 

「……この議論について、儂の方がより分の悪い事を認めざるを得ないようじゃの」

「貴方が認めざるを得ない事は、もう一点有ります。賢者の石という危険物を、十一歳の人間の前に晒すという事の愚かさだ」

「更にもう一点有るとも。すなわち、若人の──君の聡明さを見誤っていた事じゃ」

 

 老人は、そう告げる瞬間だけは笑みを見せなかった。

 

「おお、じゃが、それでも儂には君の願いを跳ね除ける事しか出来ぬ。別に君が若い、十一歳の少年であるからでは無い。何せ儂は君よりも遥かに長く生き、経験を積んだ魔法使い達の反対に対しても、残らず却下をしてきたのだから」

 

 賢者の石の守護。

 複数人により何重にもそれを張り巡らせるならば、当然に教授の協力が必要だった。

 

「今回の事情を知る教授陣からは、例外なく猛烈な反対を受けた。この大事な年に、正気の沙汰では無いとな。まして()()()()()()教授は言ってくれた。百歩譲ってその危険な物品を学校に受け容れる事は許容しても、そのような愚行は決して許されるような事では無いと」

「……ホグワーツの教授陣に良心というものが有った事は喜ばしく思いますよ」

「儂も常々実感しておるよ」

「ただ、教授陣を統轄する校長にそれが無かった事は残念極まりない事ですが」

「それもまた儂が常々実感しておる事じゃ」

 

 この手の皮肉は、老人には通用しないようだった。

 そして、この老人は、それを少しばかり面白がっている。

 同時に何処かで諦念を抱いている。百年以上生き、五十年近く〝英雄〟のままに君臨してきた者として、その性分を放棄する事が出来ない事に。

 

「けれども、渋々で有ったが、最後には彼等は受け容れてくれた。信頼を委ねてくれた。結果としてこの学校の護りは、意図せぬ悪しき者を入れる程に軟ではなくなった」

「つまり──」

 

 そこまで口にして、先の言葉を紡ぐのは止めた。

 ……〝意図せぬ〟者か。成程、真に巫山戯けた事を言っている。

 そして老人は、僕が何を言おうとしたかを見透かしている癖に、何も見なかった振りをして断言した。

 

「故に、確信しておるよ。それでも一般の生徒は間違いなく安全であると」

 

 この老人が、何を意図しているかは解らない。

 けれども、〝安全〟だというのは、確かな経験と知見に基づく確信に基づくモノなのだろう。そして、僕にはそれを覆す材料など無い。この老人は今世紀で最も偉大な魔法使いであり、闇の帝王亡き今、この世で最も強力な魔法使いである筈なのだから。

 

 だから引き下がるしかなかった。

 

 しかし、引き下がるだけで納得出来ないのが、自寮の性分だった。

 

「……杖に誓って貰う事は?」

「儂──アルバス・ダンブルドアは、今回の賢者の石に関する事で、君に一切の命の危険が無い事を、この杖に懸けて保証しよう」

「僕が真に求めて居る保証を、貴方は解っている筈ですが」

 

 気負いなくさらりと言われた言葉に、端的に僕は回答する。

 だが、アルバス・ダンブルドアは余計な反論を口にしなかった。それが通じない程にこの老人は愚鈍である筈が無く、僕が出会った中で──そして全世界の全歴史を見渡してすら有数の──最も叡智に満ち溢れた魔法使いだった。

 

「今回の賢者の石に関する事で、最も厚い護りを受けた唯一の者以外の生徒が、真なる邪悪に直接対峙する事が無いような措置を取っており、尚且つそれを全うする事につき最善を尽くす事を、儂はこの杖に懸けて誓おう」

 

 今の言葉の中で留保付きで除かれた者については、僕としてはどうでも良かった。

 

 そもそもの話、この老人はその点に関しては譲る筈も無かった。逆に言えば、この老人にとってそれ以外の点については、譲る譲らないとか或いは杖に誓う誓わないとか以前に、ホグワーツ校長として当然死守すべき事柄なのだろう。

 だからこそ、自惚れた生徒の傲慢極まりない下劣な願いに対しても、こうして何ら躊躇いも無く受け入れてみせる事が出来るのだ。

 

 けれども、偉大な魔法使いが最大限の誠意を示した事には変わりない。

 

「……ドラコ・マルフォイは勿論、あのグリフィンドール的な三人組も含めた全ての者に対して、僕は賢者の石に関する事柄について──勿論、この校長室で為された会話も含めて──誰にも話さないと、この杖に懸けて誓いましょう」

 

 もっとも、僕の杖は貴方よりも遥かに価値が無いですが。

 そう結んだ僕に、老人は悪戯っぽく微笑んで見せた。

 

「価値が無い筈は無いとも。寧ろ他ならぬ君がそう誓ってくれた事こそ、儂は嬉しく思う。比較するのは失礼な事かもしれんが、我がホグワーツの教授陣が儂に信頼を委ねてくれたのと同等以上にの」

 

 そうは言うが、僕には全くもって同意しかねた。

 己が知るべきでは無い事を、知り過ぎたという実感が有った。そして、僕の前にこの老人と寮監が散々やりあっただろう事も。

 

 恐らく寮監は、僕の話の内容を伝える事に同意はしても、僕が校長と直接面談する事までは賛同しなかっただろうからだ。すなわち、この老人に対する皮肉を述べるには、ただ僕の事を告げるだけで目的は達せられたのは明らかだからだ。

 

 故に、立ち去る前に聞いておかなければならなかった。

 

「これは初めに聞くべきでしたが。

 ――僕に忘却術を掛けようとは思わないんですか?」

 

 それは紛れも無く、挑発のつもりで掛けた言葉だった。

 だが、老人は揺らがなかった。その程度で、生徒の戯言如きで崩れる程度では、今世紀で最も偉大な魔法使いと呼ばれる訳も無かった。

 

「全くもってスリザリンらしい物言いじゃ。君達は必要と有れば、それを躊躇う事は無いじゃろうしの。……嗚呼、しかし儂は明言せねばならぬ。先程告げた通り、確かに儂は開心術を生徒に掛けたいという誘惑に駆られた事は有るが、さりとて生徒に忘却術を掛けたいという誘惑に駆られた事は断じてない。ただの一度も。一切の例外無く」

「…………」

「儂は儂の弱さと愚かさを理解している。否、少なくとも理解しようとしているつもりじゃ。けれども、そこまで弱いつもりもまた無いのじゃよ」

 

 その瞳は揺ぎ無かった。先程までと違い、断固とした意思により貫かれていた。そしてその事がまざまざと実感させるのだ。アルバス・ダンブルドアという存在は、どんな状況に陥ろうとも、それを是とする事は無いのだろういう事を。

 

 そしてだからこそ、僕は次の言葉を紡ぐ事を止められなかった。

 

「しかし、その者を守る為に忘却術が適切だという事も有る筈だ。知るべきではない事を知った者に対してそれを行使する事は、決して倫理的にも否定される事ではない」

「それは大人の身勝手な言い訳でしかないじゃろう」

 

 老人は首をゆるゆると横に振った。

 

「儂は、儂以外の者がそれを行う事までは否定せぬ。この魔法界とて、マグルに対してその理屈を振り翳しておるしの。そして、儂も場合によっては、それと同種の魔法を行使する事に躊躇う事は無い。けれども、それは本質的に儂の流儀では無いし、そもそも君が思う程に忘却術は万能では無い。隠す事が、逆に危険を招く事も有る」

 

 その言葉には、この老人の経験則によって裏打ちされた重みが有った。

 間違いなく、老人はそれを直視して来たのだろう。厳重に秘されたが為に興味と関心を惹き、粗雑かつ乱雑に暴かれ、そして破壊的で不可逆的な惨劇を齎した結果というものを。

 

「じゃから、儂は君に忘却術を掛けるつもりは全く無い。儂はそうしない事が正しいのだと、心の底から信じておる」

 

 そして善なる魔法使いとしての矜持を、この老人は持っている。

 何より、直接会話して解った事だが、余りにも頑迷かつ頑固だった。

 

 ……ただ、それはアルバス・ダンブルドア個人の主義に過ぎない。

 セブルス・スネイプ寮監、或いはミネルバ・マクゴナガル教授にその措置を頼めば、その限りでは無いに違いない。前者は当然の合理性から、後者は逡巡をすれども確かな生徒愛から、その行いを肯定するだろう。だから、僕がこの老人に真に反抗したいというのであれば、この部屋から出た後、彼等の下に一直線に向かうべきだった。

 

 もっとも、僕はそこまでする気が無かった。その一番の理由は明らかだった。

 この老人は保証したのだ。常識的に見ればどう考えても杜撰で、危険な状況を放置しながらも、尚、既に十年前に偉業を為した〝英雄〟以外が、直接危険に晒される事は無いと。当然ながら、僕を含めてさえ、確かに保証してみせた。

 

 そんな〝疑いなく英雄〟の言葉は、やはり重いものであった。

 

「どうやら我々の此度の話し合いは終わりのようじゃの」

 

 時計を見つつ、老人は静かに告げた。

 

「もっとも、儂が勝手に考えるところ、君とは少なくとも後一度は話す必要が有るように思う。けれども今日は既に、生徒が出歩く時間としては少々不適切じゃ。儂もここまで君と会話が弾むというのは思ってもみなかったからのう。

 だから帰りたまえ。後はセブルスが良くしてくれるじゃろう」

 

 その言葉に、僕は何も反論する事なく従う。

 この密会の口実を授業の相談等では無く、敢えて罰則を受けている事にしたのは寮監の地味な嫌がらせだったが、それでも寮監が口の堅い類の人間であるとは理解していたし、真実を隠す為に相応の擁護をしてくれる事は間違いなかった。

 

 しかし、僕は校長室から辞する前、それを口走る事を止められなかった。

 

「……貴方は狂っている」

 

 呟きに近かろうとも、老人には届いた筈だ。

 ちらりと振り返ってみた彼の表情は、酷く愉し気で――何処か物悲しかった。

 




・賢者の石の守護
 論理パズルを解いた事で得られる薬は一回につき一口分。
 但し、それより前に今回の黒幕は確かに通過していた(事実、トロールは倒されていた)。


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闇の魔術に対する防衛術教授

 クィリナス・クィレル講師。

 闇の魔術に対する防衛術講義担当。

 

 彼の授業の評判というのは、決して芳しいものでは無い。

 

 噂によれば、彼は旅行だか研究だかの後遺症によりマトモさを喪ったらしい。

 大蒜臭に塗れた教室の中で、視線は生徒どころか中空を言ったりきたりして、ずっとそわそわと歩き周りながらも生徒には全く近寄ろうとせず、朗読はどもり混じりな上、何かに怯えて頻繁に悲鳴を上げる為に聴きづらくて――それらを無視したとしても精々普通程度の内容の授業であった。

 彼の授業は魔法省の指針に()()()則った至極標準的な物であり、独創性も活動体験も無く、生徒にとって刺激的なものでなかった。

 

 それでも彼の授業がボイコットされないのは、その悲劇に対する多少の同情と、それらが問題とならないレポート課題の存在により辛うじて授業の秩序が保たれているからだろう。ただ、実技が増えるであろう上級生においては一体どうやって授業を成立させているのか気になる所である。あくまで単なる興味であり、調べようとする気にはならなかったが。

 

 もっとも、ホグワーツの教育について期待しない方が心の平安が保たれるというのは、とうの昔に身に染みていた。

 この闇の魔術に対する防衛術は勿論、睡眠学習の時間と化している魔法史学に加え、魔法薬学もまあ、スリザリン以外にとってはそうだろう。

 一年の必須科目の内半分近くがどうかしているというのは異常にも思えるのだが──それは僕が非魔法族の教育の方に幻想を抱き過ぎているのかも知れない。隣の芝は青く見えるというものだ。

 

 そして少なくともこの闇の魔術に対する防衛術に関しては、僕は授業が散々だろうが台無しだろうが構わなかった。

 クィリナス・クィレル講師は十一、二歳の子供達に対して酷く過保護なのか杖を一切振ろうとしなかったし、ただ理論の授業に終始していた。そして、それらの座学は、僕が得意とする方だった。つまるところ、僕が不得手とするのは記憶でどうこうならない実技であり、僕は寧ろそちらの対応を常に迫られた。まあ()()()()に対する防衛術については元々知識に溢れていたというのも、理由の一つでは有ったのだが。

 

 ともあれ僕がハーマイオニー・グレンジャーで無い以上、変身術や呪文学といった授業については熱を入れる必要があり、何とか着いていく必要が有ったのだが、その点では、自身がスリザリン寮に所属したのは幸運だった。

 

 純血と伝統は、それだけのノウハウを蓄積している。

 言葉を飾らなければ、入学前の貯金によるスタートダッシュで自惚れたお坊ちゃま達を、最低限落第生にしない為の鉄のシステムというべきか。流石に千年の間連綿と続いているとは言えなかったが、数十年分程度ならば自学自習の方法論や呪文を使用する要領、改善法など容易に集まった。

 

 これは間違いなくレイブンクローに所属していては叶いようも無かった筈である。彼等は個人主義であり、それ以上に自分の興味の方向のみに特化し過ぎだった。彼等の叡智が高みに有る事は少なくなかったが、万人に共有出来る性質でない場合もまた多かった。

 

 まして、大半のスリザリン監督生も、その分野においては半純血にすら協力的だった。

 

 彼等にとって、寮杯を獲得出来るか否かというのは、最大のとまでは言えなくとも、関心として少なくないウェイトを占めていた。自身が何年度の監督生であるかに加えて、ささやかな栄光を社交の世界に添えられるのなら、それは当然に歓迎すべきだった。優等生に自分の時間を十分程度割いてやる位は、何ら面倒な事でも無い。まして、六年連続で寮杯獲得中となれば余計にだ。

 

 そういう訳で、僕はスリザリンの叡智の集積を甘受する事に熱心だった。

 そしてそれは外部的には真面目に見えるのは事実だった。たとえ闇の魔術に対する授業を一切聞いていなかったとしても、クィリナス・クィレル講師が生徒に全く注意を払っていないように見えても、客観的に見れば、僕は他の生徒達と違って完璧な〝生徒〟だった。

 

 

 ──嗚呼、それなのに、どうしてその事が興味を惹くと予測出来ようか。

 

 

 期末試験を数日後に控えた頃、授業後にクィリナス・クィレル講師は言った。

 

「す、少し残って、い、頂けますか。た、多少貴方と、お、お話がしたいのです」

 

 彼の言葉を聞ける範囲に居たスリザリン生が驚愕の眼で僕を見るも、それに対して応える事は出来なかった。講師が自ら生徒に声を掛けるなどという珍事を引き起こす心当たりなど無かったからだ。

 真面目な生徒だと取り繕っているつもりはあったし、仮に実体が不真面目な生徒で有る事がバレていたとしても、そのような生徒などドラコ・マルフォイを筆頭に掃いて捨てる程居た。しかし、彼は僕を指名した。

 

 そして結論だけ言えば、僕は断れなかった。

 それが〝教授〟に対する生徒の行動としては、明らかに不審だったからだ。

 

 

 

 生徒の大半が出て行っても、立ち込める大蒜臭は出て行ってくれなかった。

 そしてそれ以上に、この教室は魔法薬学とは別種の意味で陰気だった。息苦しいとでも言うのだろうか。魔法薬学においてその陰気さを増幅しているのは我等が寮監だったが、この教室はそれとは全く異なるように思えていた。大勢の意見は大蒜臭が原因だろうと言っていたが、僕は、この凍えるような生温さは、この世の物では無いように思われたのだ。

 勿論、ドラコ・マルフォイは僕を馬鹿にしていた。

 

「ええと、何の御用でしょうか」

 

 僕の問いに、クィリナス・クィレル講師はすぐに答えなかった。

 うろつきはしないまでも、そわそわと身体を揺らす。そして視線を僕と入口との間で数度往復し、間違いなく誰も入ってくる様子が無い事を確信したような後、漸く口を開いた。

 

「え、ええと。せ、先日のレポート、見事でしたよ」

 

 それは明らかに社交辞令的な話の切り出し方だった。

 

 そして、生憎僕はそのレポートの内容を覚えていない。

 試験が近いにも関わらず、終わった事について一々拘ってはいられなかった。まして、一番興味が薄くどうにでもなりそうな科目であるなら猶更だ。

 もっとも、確かな事が有った。

 

「それは嬉しい事ですが、しかし僕が特別優秀という訳では無いでしょう? このクラスには、恐らく僕よりも出来ている人間が居た筈だ」

 

 確か、その筈だった。

 常にでは無いが、ドラコ・マルフォイの方の完成度を上げる事が殆どだった。

 流石の彼も試験前には勉強をせざるを得ないらしく、間接的にしか試験に関係しないレポート作業をぶん投げた上で、出題されそうな部分はピックアップしろという無茶苦茶を言っていたが、まあその恨みをささやかに晴らしたのは確かこの科目では無かった筈だ。

 

 そして、講師は嬉しそうに頷いた。

 

「え、ええ。ドラコ・マルフォイ君のも、よ、良く出来ていました。常に、出来ています。い、いつも、き、君のと同一人物が書いたような事を除けばですが」

「…………」

「が、合衆国――新大陸の方では、研究の公平性の意識が、昨今、た、高まっていましてね。も、勿論、この国でもそうです。た、確かに教授というのは学生がそれらの行為をしがちだと理解していますし、た、大抵の場合、経験をもって、み、見極められます。し、しかしそれは、個人のノウハウ以上の物では有りません。多くの魔法族は、じ、自分の経験を絶対視し、そ、〝外〟から体系化された理論を学ばない」

 

 僕は何も答えなかったが、クィリナス・クィレル()()もまた答えを求めて居なかった。

 

 闇の魔術に対する防衛術教授。

 そう、教授(Professor)だ。どんな意図があれ、彼は教える資質が有るのだと認められた。

 ホグワーツにおいてはO.W.LとN.E.W.T、その二つの大試験が有る。如何に校長に選任権が有ると言っても、果たしてそれらの落第生を任命出来る程に軽い地位だろうか。

 

 いや、その可能性は否定出来ない。あの校長ならば、どんな事でもやりかねない。非魔法界のように教授という地位に就くプロセスが確立していないのを悪用して、それらの落第生、或いはそもそもそれらを受講していない者すら教授にするかもしれない。

 

 しかし今明らかなのは、彼は少なくとも、闇の魔術に対する防衛術教授である前はマグル学()()であったという事だった。

 

 そして、彼は恐らく本題を問うた。

 

「――き、君の学生生活は、の、望ましいものなのかな?」

 

 寮監のみが、授業外において学生を指導する権限を有する訳では無い。

 彼が〝教授〟である以上、当然に加点と減点の権限を持ち、必然的に生徒を従わせる権威を有していた。だが、授業に直接関係ない分野についてまで、科目を担当する教授が関心を持つというのは、余程親しい関係で無い限り稀であるといえた。

 

 故に、それは余りにも唐突で、領分を逸脱した質問だった。

 けれども、唖然とする僕を後目に、彼は熱意を宿して捲し立てた。

 

「あ、貴方は熱心だ。ち、知識に貪欲だ。そして、じ、十分な能力も有る。し、しかし、君は学友に認められていない。その価値を、不当に貶められている。そ、それは酷く寂しい物では無いのかと、そ、そう思ったのです」

 

 クィリナス・クィレル教授は、立ったままだった。

 彼は大人であり、僕よりも視線が高かった。だがそれでも、彼は僕を見上げているように思えた。

 

「わ、私には理解出来ない。あ、貴方は何故そこまで強く在れるのです? あ、貴方は嘲笑されている。ち、中傷されている。ひ、冷ややかに見られている。なのに、それで良いと思っている。

 あ、貴方は、自身を他の人間に認めさせてやりたいと──そう思わないんですか?」

 

 ……どういう意図を持っているのか解らない。

 ただそれでも明らかな事が有った。

 

 彼にとって、僕は異常だった。異質だった。異端だった。

 スリザリンの中に異分子として在りながら、しかし決定的に排除される事は無く、ある種の安定的な地位を有している僕が。彼の()()からは全く理解出来なかった。

 

 だからこそ、彼は答えを求めた。

 既にホグワーツに居られなくなった者から、今そこに居る者に対して。

 

 間違いなく、救いを求めていたのだ。

 

「貴方は──」

 

 僕は逡巡した。

 だが、言い切った。

 

「──他から認められたかったのですか?」

 

 教授は、その殻を捨て去ったクィリナス・クィレル個人は答えた。

 

「私は認められたかった」

 

 その言葉からは、どもりが消えていた。

 彼の瞳は、今や濁っていなかった。その瞳には傲岸と、自尊と、理性の光が有った。

 

「ヴォルデモート卿」

 

 ……その瞬間、僕に驚きが無かったとは言えない。

 その名前を呼べるのは、この学校でただ二人だけの筈だった。

 恐らく、あのミネルバ・マクゴナガル教授、或いはフィリウス・フィットウィック教授すらも、それを平然と口にする事は出来ない筈だった。だから、僕はこの瞬間まで、ただ二人の前以外でそれを聞く事は無いであろうと、半ば確信していたのだった。

 

 しかし、それは間違いだった。

 

「彼を討ち滅ぼそうとした者は多くいた。家族愛、隣人愛、名誉や金銭欲。一般に純粋で美しいとされるものから、不純で穢らしい動機まで様々だ。だが、ヴォルデモート卿を討ち破った者は一人として居ない。あのアルバス・ダンブルドアですら、それは例外で無かった」

「……アルバス・ダンブルドアは、負けても居ないと思いますが」

「ならば、彼に聞いてみる事だ。()()()の魔法戦争で、貴方は勝ったのかと。頼りにならない魔法省に代わり、彼は不死鳥の騎士団──ヴォルデモート卿への抵抗組織を率いていたのだから」

「…………」

 

 何となく、あの老人は敗北したのだと答える気がした。

 

「お前が意識してかどうか知らないが、ハリー・ポッターの名前を出さなかったな」

 

 教授は酷薄な感心と共に僕を見ながら、口を不格好に歪ませて邪悪に笑う。

 

「その事は正しい。ヴォルデモート卿が消えたハロウィンの夜。何が起こったのか誰も知らなかった。死喰い人ですら混乱していた。最初、〝生き残った男の子〟──つい一年ばかり前に生まれた赤子がヴォルデモート卿を退けたのだと聞いて、一体誰が信じたと思う? それが大嘘では無い証拠は? 紆余曲折有って、結果的に今はそれが常識になっているが」

「……ハリー・ポッターは、闇の帝王を退けていないと?」

「そうは言っていない。それは厳然たる事実だろう。闇の帝王は、どんなに挑発や侮蔑をされようとも、その後決して姿を現す事は無かったのだから。しかし、疑問に思うのが当然の筈だ。ヴォルデモート卿は本当に死んだのかと。ハリー・ポッターは本当に勝ったのかと。

 ──闇は、本当に晴れたのかと」

 

 部屋に立ち込める大蒜臭。

 その中で微かに、しかし腐敗臭を感じ取れたような気がした。

 

「私はハリー・ポッターが勝ってはいないと判断した」

「……それが貴方にとって、何か意味が?」

「無かったのだろうな。結局、闇に抵抗しようとした愚行の代償を支払ったのだから」

 

 教授は頭の後ろに手をやり、ターバンに触れた。

 

「──私の授業の評判はどうかね?」

 

 話が飛んだ。

 そう感じたが、しかしその強い眼差しは、本筋から何ら外れていないのだと言っていた。

 

「……まあ、良くないですよ。教えようとするだけマシというレベルですかね」

「だろうな」

 

 正直に答えた僕に、教授は微かに歯を剥き出しながら笑った。

 

「だが、闇の魔術に対する防衛術の教師として私程に相応しい者は居ないと、この教職に就いて以来、私は常々自負しているのだよ」

「何故」

「闇に抵抗しようとした末路を、この身が示しているから」

「────」

 

 ルーマニアだったかアルバニアだったかの吸血鬼によって酷い目に遭わされた。

 クィリナス・クィレル教授がそのような悲劇に遭った事は周知の事実だった。けれども生徒はそれを知りながら──彼をどもりの取るに足りない教師だと笑っている。

 

「言っただろう、ヴォルデモート卿を討ち破ろうとした者は多く、しかし誰も為し得なかったのだと。そして残ったのは死体の山だ。アルバス・ダンブルドアの配下であろうと多くが死んだ。つまるところ──」

「闇を受け容れるべきであったと?」

「自分が闇を討ち破れると、そう驕るべきでは無いという事だ。力を有していない者──資格無き愚か者は立ち向かうべきではない。それを理解する事こそが、闇の魔術に対する防衛術である」

 

 ……言わんとする事は解る。

 アルバス・ダンブルドアの側に立とうと、ヴォルデモート卿の側に立とうと、死ぬ者は死に、壊れる者は壊れるという事なのだろう。それが闇に対抗するという事だ。

 逆に言えば──対抗しなければ、死ぬ事も壊れる事も無い。

 

「……逃げろという事ですか?」

「私のようになりたくないのであれば」

「しかし、戦わねばならない時も有る筈だ」

「そうだな。望まずとも杖を取らなければならない時は有る」

 

 教授は、僕の心にも無い優等生的な反論を、全く否定する気は無いようだった。

 

「特に、英雄気取りで自惚れ屋なグリフィンドールと異なり、狡猾卑劣で内向きなスリザリンはそれを強く意識するだろう。だが……どうにもならぬ事というのは有るのだ」

 

 その瞳に映っているのは、暗い絶望か。

 

「マグルの自動車は知っているかね? ……嗚呼、知っているなら話が早い。マグルの世界では、アレによって五千が死んだ。この島だけで、一年間のみでだぞ? 正気の沙汰では無い。しかし、彼等はそれに対抗する為に身体を鍛えようとしない。何故なら無駄だからだ」

「……彼等は魔法を使えないから。そのような魔法族的な回答は的外れなんでしょうね」

「我等とて魔法無しでは同じ事だろう。鉄の塊が高速で突っ込んで来て、耐えられる者など居ない。そして魔法有りだとしても、不意を突かれれば同じ事だ」

 

 この教授は、マグル学を教えていたという。

 正直な所、僕は彼がマトモにマグル学を教えられていたとは思っていなかった。

 何故なら、マトモに教えられていたのならば──つまり、グレートブリテン唯一の魔法学校の教育が功を奏していたのならば、この魔法界の非魔法族対策はもっと真っ当な物になっている筈だ。ウィーズリーに対して左程含む所は無いが、あの父親の程度の知識で──会った事は無いがマグル保護法を見ればその知識の程度は解る。それは彼等の父親の人格や善良さとは全く無関係だ──非魔法族との関係規制をやっているというのは論外だ。

 

 まあ一番論外なのは、その役職の重要性を一切理解していない魔法省自体だが。魔法戦争で非魔法族生まれが大殺戮されたと言っても、優秀な魔法使いが残ってない訳ではないだろう。しかし、それらの者を有効利用しようと考えもしないのは、省内においても余程純血主義が蔓延っているらしい。

 

 ともあれ、元マグル学教授としては眼前の存在を何ら信用していなかったが──しかし、今の言葉を聞く限り、それは明白な勘違いであるようであった。

 

「つまるところ、彼等は諦めている。その自動車の有用性を重視し、故意や過失によって轢殺され、顔も解らなくなる程に肉体を粉々にされる事を受け容れている」

「……闇によって殺される人間も、また魔法の有用性によるコストであると?」

「近しい物が有るとは思わないかね?」

「詭弁でしかないでしょう」

「かもしれないな。だが、私にとっては同じ事だ。どんなに備え、そして幾ら学び鍛えようとも、唐突に全てを奪われ、何ら無価値に擦り潰されてしまうという点においては」

 

 彼は闇への向き合い方について、こう言いたいのだろう。

 逃げろ。そして諦めろ、と。

 

「……ホグワーツに戻ってきて、羨ましく思える事も有る」

 

 元マグル学教授であり、現闇の魔術に対する防衛術教授。

 異質にして異色の経歴を持つ人間は、言葉通りの色を瞳に映しながら言う。

 

「君達は、魔法を信じている。闇を討ち破る側にしろ、光を呑み込もうとする側にしろ、そこに希望を見出している。自分達が家族と、恋人と、親友と、或いは己一人で笑い続ける為の力だと何ら疑っていない。しかし──」

「──貴方は信じられない」

「もはや魔法は私を救ってはくれない。言うまでもなく、ホグワーツも」

 

 悲劇に酔っている。そう切り捨てるのは容易いだろう。

 

 彼は既に、明白に闇の側だ。ハリー・ポッターに、或いはアルバス・ダンブルドアによって討ち滅ぼされるべき人間だ。それは疑う余地も無い。

 あの校長閣下が獅子身中の虫を放置する理由などどうだって良いが、しかしそれは放置されているだけであって、欺かれている訳では無いのだ。この教授の言葉を借りれば、彼は力無く資格無き愚か者で有り──闇の帝王では無いが故に──当然に、善にして偉大な魔法使いに敗北する事だろう。

 

 だが、彼は、そうされなければならない程の悪を為したのだろうか。

 したのかもしれない。僕は表面上の事を聞いたに過ぎない。巨悪に挑む過程、或いはその為の力を得る過程において、禁忌に触れた事が有るのかもしれない。

 

 けれども、彼の本来の人格が貪欲で、小狡く、意地悪く、そして醜悪極まりないという程度に過ぎないのであれば、それは滅ぶまでの業であると言えない筈だった。ただ認められたいが為に闇の魔術に手を出しただけならば、それが悪の魔術で無い以上、彼は未だに戻れる位置に居る筈だった。

 

 クィリナス・クィレルは、黙ったままで、それ以上何も言おうとしなかった。

 けれども、彼は依然として答えを待っていた。あのどもりながら告げられた言葉は間違いなく本心で、教授としてではなく生徒として、僕の答えを辛抱強く待ち続けていた。

 

 だが──彼に対して、僕は一体何と答えられようか。

 

 僕がホグワーツに通っているのは、それ以外の目的が無いからに過ぎない。僕は、他の子供と違って、栄光と栄達の為にこの学校に来た訳では無い。入学前にそれを喪った以上、ハーマイオニー・グレンジャーと少しでも近い場所に居ようと望み、結局それが叶わずに、単なる惰性として、今ここにいる。だから、彼と何ら共有できるものではない。

 

 それでも、彼の心からの求めに答える為には、何かを言わなければならなかった。それは解っていた。

 その適切な答えをどうにか探せないかと考える内に──ふと、視線を教授の机の上に向けた。

 

 乱雑に積みあげられた防衛術の本の合間。

 そこには、一本の杖が無造作に放り投げられていた。

 

 魔法族にとって、杖とは己の分身であり、何にも代えがたい友である。杖を買って以来、余程の事が無い限り、その身から離す事は無い。僕とてそうだ。不死鳥の羽を芯とする杉の杖を、今も持っている。しかし、教授はそうでは無かった。

 まさか、授業の間にわざわざ机に置く必要は無いし、その素振りを見た記憶も無かった。そもそも、僕はクィリナス・クィレル教授が杖を振る光景など、ただの一度も無かっ──

 

 

「────」

 

 

 そうして、己の愚かさを直視させられた。

 クィリナス・クィレル教授は確かに忠告した。

 力無き者、資格を持たぬ者は、闇に立ち向かうべきではないと。

 ならば、その闇とは何か。決まっている。アルバス・ダンブルドアは、意図せぬ者を城には招き入れないと言った。あの老人は、間違いなく僕に警告したのだ。そして、僕も理解していた筈だった。その筈で、真に理解してなどいなかった。

 

 僕は逃げるべきだったのだ。何を捨ててでも。

 教授に呼び止められた体面が有った? それが生存を勝ち取る為に一体何の意味が有る?

 

 力。資格。

 それを有する者は、この城に二人しか居ない。

 アルバス・ダンブルドア。ハリー・ポッター。

 

 そして──僕はそのいずれでも無い。

 

 クィリナス・クィレル教授の瞳は今や濁りきっていた。その中に、赤い蛇の焔がのたうち回っていた。

 今や立ちこめるのは大蒜臭では無く、腐り落ちた血と肉と死の臭いであった。ここは既に教室では無く狩場で有り、かつて誰よりも闇を邪悪の極みへと昇華した、煮える大釜の中だった。

 

 知らない。見たこともない。

 そもそも、彼は死んだという歴史的知識が有った。

 でも、そこに居るのが誰であるかを、今まさに死につつある僕は悟っていた。

 

 そうして、クィリナス・クィレル教授では無い誰かが、その身体を無理矢理に回して、僕の方に蛇の視線を向けようと──

 

 

「──ここに居たのか、レッドフィールド」

 

 

 声が、世界を打ち破った。

 

 スネイプ寮監だった。

 正直言って、寮監がどのように入って来たのか解らない。いや、彼は普通に入ってきた筈だ。中を外に晒すかのように、教室は開け放たれていた。先程まで酷く立ち込めていた大蒜臭が、外に流されるように薄れて行った。

 

 そして、どもりの教授は、スネイプ寮監に対して、歪んだ笑みを浮かべてみせていた。

 

「……あ、ああ、セブルス。()()()()()()()()()

 

 先程見た、蛇のような色は無い。怯えきった、卑屈な瞳だけがあった。

 もっとも、スネイプ寮監は一切気にした素振りを見せなかった。自分がこの部屋の主であるように完全に無視しきって、僕に対して冷淡な視線を寄越した。

 

「我輩は、授業が終わったらすぐ私の所に来るように、と伝えた筈だが? 物分かりの悪い愚か者で有っても理解出来るように、正確にだ。しかし、何時まで経っても君は我輩の下に来ない。我輩が時間を無駄にされる事を嫌っている事を君は知っている筈だが?」

「……すみませんでした」

 

 僕は素直に頭を下げる。

 その様子を暫しの間ねっとりと見つめた後、スネイプ寮監は、闇の魔術に対する防衛術教授へと向き直った。

 

「という訳で、レッドフィールドを連れて行きたいのだが、構わんかね?」

 

 言葉の内容は許可を求めて居るようで、しかし既に決定事項を伝えるような口調だった。

 もっとも、クィリナス・クィレル教授は逆らうつもりも無いらしい。先の言葉を繰り返すように、彼は微笑みながら言った。

 

「え、ええ。私が彼にすべき話というのは、も、もう終わりました。ち、ちょっとした授業の話を、し、してましてね。か、彼と話す事は、す、既に、あ、有りません。その生徒を、今すぐに私の前から連れ出して下さい」

 

 

 

 

 

 教室を出て、僕はスネイプ寮監の後を着いていく。

 彼は黒のローブを靡かせながら早足で歩いていて、こちらの方をまるで見ようとしない。十一歳の歩幅では半ば走るようになっている事を、全く気にしようとすらしない。

 

 そして、クィリナス・クィレル教授の教室から数階分離れた後、予備動作も無く突然クルリと振り返った。その右手には、杖が握られていた。

 

 言うまでもなく、僕に向けられていた。

 

「我輩が君に、何の用事で授業後に来いと言ったか覚えているかね?」

 

 立ち止まって尚息を切らしている僕が答えるべきは解っていた。

 

「いいえ。貴方が今日の闇の魔術に対する防衛術の後に自身の下を訪れるように言った事など有りませんし、付け加えれば今まで一度もそのような事は有りませんでした」

「成程、つまり君には先日の罰則の成果が出ていなかったようだ」

「ええ、()()()()()()はまだ受けて居ませんから。無論、貴方がこれから初めての罰則を課したいというのであれば、僕は何ら逆らう事は出来ませんが」

 

 スネイプ寮監の瞳が、僕の瞳をしっかと覗き込む。

 その真偽を探るように──何か悪い物に取り憑かれていないかを見極めるように。

 二十秒程彼はそうしていたが、寮監なりに満足する結果が得られたのだろう。軽く鼻を鳴らした後、握っていた杖を僕から外し、ローブの中に仕舞った。

 

「我輩が、君に言う事は、何も無い」

 

 言葉を明確に区切りながら、力強くスネイプ寮監は断言した。

 

「だが、スリザリン生である君は理解している。そう期待して良いかね?」

「はい。大人二人を弄した事で良い気になった馬鹿な学生が、身の程知らずにも余計な首を突っ込もうとした事は理解しています」

「結構」

 

 彼はそう言い、ローブを翻した。

 

「では、我輩は行く」

 

 スネイプ寮監が何をしに来たのか。

 それは、彼の行動から余りにも明らかだった。

 クィリナス・クィレル教授は監視対象で──それと同時に、ステファン・レッドフィールドという、余計な事を知り過ぎている十一歳の子供は、大人にとっての庇護対象だった。

 

 しかし、僕は不興を買う事を承知で、寮監の背中に向かって言った。

 

「彼は紛れもなくホグワーツ()()でした」

 

 遠ざかっていく背中は何も答えなかった。

 

 

 

 その後、僕はクィリナス・クィレル教授から当然に距離を取った。

 いや、距離を取ったというのは正確ではないのかも知れない。

 

 彼は全てに怯えきっていて全く生徒に近付こうとしなかったし、生徒が近付こうとすれば逆に逃げていく有様だった。あの時の会話が嘘であるかのように、周りからあらゆる物を遠ざけ続け、何に対しても親密さを示す事は無かった。

 

 彼の授業は相変わらず酷いモノで、聞くに堪えなくて、真剣に聞いている学生など皆無で──最後の授業まで、そのどもりを笑われていた。

 

 

 

 

 

 そして、賢者の石は護られた。

 〝生き残った男の子〟が、それを成し遂げた。




・クィリナス・クィレルに関する言及
「クィレルのように、憎しみ、欲望、野望に満ちた者、ヴォルデモートと魂を分け合うような者は、そのために君に触れることが出来んのじゃ」
    ――アルバス・ダンブルドア(一巻・第十七章)
「若造で、愚かで、騙されやすいやつ」
    ――ヴォルデモート卿(四巻・第三十三章)
「凡庸な魔法使いの身体に入り込んでおられた」
「強欲で、『賢者の石』に値しない」
    ――セブルス・スネイプ(六巻・第二章)


・クィリナス・クィレルの杖
 その芯材は、闇の魔法に染まりづらいとされるユニコーンの毛。
 そして、一巻を読む限り、クィレルがハリーに対して杖を行使したと読めるような描写は無い。彼が死の呪いを唱えはじめたと、そうハリーが認識した瞬間ですらも「手を上げ」たのみである。


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今世紀で最も偉大になるべきでなかった魔法使い

賢者の石の章終了。
五巻のダンブルドアの独白は、何度読んでも感慨深いものが有ります。

後、誤字の報告ありがとうございます。
今更この機能の使い方を理解したので、後で纏めて修正します。


 全くもって巫山戯けた話だ。

 〝英雄〟達を褒め称える老人の話を聞きながら、そう思う。

 

 ハリー・ポッターが賢者の石を護ったという〝秘密〟は既に流布されていた。

 誰が流したかなど、考えるまでも無い。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーも、ロナルド・ウィーズリーも、最初に率先して自身の功績を声高に語る程愚かではない。賢者の石というのは、魔法界全体でも上から数えた方が早い程の叡智の結晶(アーティファクト)であり、学校に秘されていたというのは現実味が無く、何よりそれを巡る〝英雄的行為〟は禁じられた廊下の先──外部から事実上閉ざされた空間で行われた事だ。一年生がそのような明らかな〝法螺話〟を吹聴したところで、誰も信じはしない。

 

 本来であれば、それが真実であろうと誰も知り得ないし、決して真実の保証も為し得ない。

 ただ一人、それを実現させる権力と説得力を有する、〝疑いなく英雄〟一人を除いて。

 

 嗚呼、全くもって、全くもって筋の通らない話である。

 あの老人は、スリザリン生──中でも首席と最終(第七)学年の監督生の姿が見えないのだろうか。

 

 彼等彼女等は、その地位を有している事から、基本的に聡明だった。

 まあ監督生の方は、スリザリン寮内の秩序維持という都合上家柄等の方が重視されるのだが、一応優秀と言って良いのは違いないだろう。僕も多少の恩義があった。

 だからこそ、老人の流れが一体何処に落ち着くのか、それを予見してしまっている。その蒼褪めた表情からは、倒れていないのが不思議な位だった。

 

 六年だ。スリザリンは、これまでの六年間、寮杯を維持し続けて来た。

 

 しかし、彼等は今年、それを喪ってしまう。その挫折が、屈辱が、傷跡が、これからの彼等彼女等の社交界、経歴、そして出世にどれ程の暗い影響を齎す事だろうか。

 無論、スリザリンは声高にその失点をあげつらいはしない。寮杯を獲得する事が出来なかった歳上の偉大な先輩というのは幾らでも居るのだから、そうしてしまえばそれこそ要らぬ蛇を出してしまう事になる。

 

 けれども、連綿と続いてきた栄光を喪わせた者として、裏で嘲笑されるのは変わりない。

 たとえそれが恣意的な校長閣下の介入によろうとも、賢者の石を護るという偉業によろうとも、熾烈な減点主義の世界においては結果こそが全てなのだから。挽回が出来る可能性が有っても、それは遥か先の話で、栄光の筈だった出だしの躓きを無くすものでは無いのだから。

 

 アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアは、彼自身がグリフィンドールに選ばれた事を当然視し、また誇りに思っている。

 しかし、この瞬間の行いを見る限り、彼は、よりにもよって組分け帽子が今年度謳った〝手段を問わず目的を遂げる狡猾さ〟を体現しているように思え、それ故に蛇寮にこそ組分けされるべきように思えた。

 

 無論、その事は僕の校長閣下に対する〝敬意〟を喪わせるものではない。

 逆に好感や親近感すら抱かせるものだ。権力というのは、必要な時に用いなければ意味が無い。それが君臨すべき者として、〝英雄〟として正しい姿だ。

 

 そうして、校長閣下はネビル・ロングボトムにも十点加点した。

 それによって、スリザリン寮の点数を上回った。そして、そこら中で──勿論、スリザリン寮を除いて、歓喜が爆発した。レイブンクローやハッフルパフですらも同じような所を見るに、どうやら、我が寮は余程恨まれていたらしい。

 

 ただ、それらを耳にしながら、僕の思考は全く別の所に飛んでいた。

 すなわち、今回の加点劇の解釈について。

 

 あのドラゴン騒ぎの真実は僕にとって未だに解らない事だらけである。

 が、しかし、あれが賢者の石に纏わるもの()()()()()()()()、校長閣下は全てを元に戻しただけだ。つまり、ドラコ・マルフォイと三人組の深夜の馬鹿騒ぎにまつわる、先の五十点かける三イコール百五十点減点を無かっただけにしたに過ぎないのだ。

 となれば、純粋に校長閣下が加点したのは、ネビル・ロングボトムだけになるとも言える。

 

 つまり、校長閣下は、彼に対しても何らかの意図が──

 

「おうおう、喜びが爆発しておるのう。しかし、諸君。少しばかり待ちたまえ」

 

 老人は歓喜に沸く生徒が多少落ち着くのを見計らって、片手を上げた。

 

「儂の話は終わったと、まだ儂は一切言うておらぬ事に気付いてほしい」

 

 その時点では、これから先の展開を予想出来た者は居なかったに違いない。

 

「自らが渦中に飛び込む事だけが行動するという事ではない」

 

 瞬間、広間が不自然とすら言える程に一斉に静まり返った。

 グリフィンドール席は周りの友人達と肩を組み、また叩き合う恰好のまま凍ったように不自然に動きを止め、他の寮もまた同じだった。

 それは先程のように歓喜が爆発する予兆では無く、これから不吉が到来する予感故に。

 

「彼等四人は、勇気を、グリフィンドールを象徴する要素を正しく体現した。それは紛れもなく加点するに相応しい事じゃ。しかし一方で、この今学期に狡知を、スリザリンを象徴する要素を正しく体現した者がやはり居る。

 ──ステファン・レッドフィールド君」

 

 一瞬、何を言われたのか解らなかった。

 そして、理解が及ぶ前に、全寮生の視線が僕の方を向いていた。

 

「彼は賢者の石を──嗚呼、彼はそれが()()()()()()()()()()()()()()()()()()──自ら護ろうとはしなかった。彼は寮監であるスネイプ教授に、そして勿論他の教授陣に対しても、その大人としての知識と力に対して信頼を示した。しかし、それと共に、叡智に満ちた警告と助言を残したのじゃ。そして、それは確かに正しく、間違いなく今回の騒動を解決する一翼となった。

 よって、スリザリンにも十点を与える」

 

 前代未聞の同時優勝。

 そうであるのに、グリフィンドールは勿論、他二寮も静まり返ったままだった。

 

 栄誉を辛うじて確保したスリザリン寮の人間ですら、僕を見つめるだけで何も言わなかった。

 先程までそこら中に転がっていた楽し気な顔と笑い声は無く、表情を喪った顔と重苦しい沈黙が大広間を支配していた。

 

 ただ、寮監のみが(同類)を冷ややかに笑っていた。

 

 

 

 

 

 全てを振り切って、その場所へ赴いた。

 ガーゴイルも、螺旋階段も、獅子のノッカーの付いた扉も、何の支障にもならなかった。

 そして、今回の事件のフィナーレを大勢にとって不本意な形で締め括った老人は、生徒達の困惑など無かったように、校長室の真ん中に存在していた。

 

「一体何のつもりですか、アルバス・ダンブルドア……!」

 

 怒声が校長室全体に響きわたる。壁に掛かっていた肖像画達は、今は寝たふりをしておらず、僕の蛮行に対して眉を顰めていた。前の時には居なかった筈の美しい鳥──止まり木に止まっている不死鳥も、まるで不機嫌さを示すかのように首をもたげていた。

 

 もっとも、部屋の主は椅子に掛けたまま、穏やかに微笑みを見せていた。

 その事が、余計に腹立たしかった。

 

「僕は貴方に点数を恵んで貰おうと思った事は一度として無い! 貴方を信奉するグリフィンドールの生徒を使って貴方が何を企もうと構わないが、それ以外の人間について、まるで貴方の小間使いのように賢しく利用しようとしないで頂きたい……!」

「解っておる」

 

 老人は、表情を変えないまま重々しく頷いた。

 

「君がスリザリンの中で何とかバランスを持って、この一年間を過ごそうとしてきた事も。儂の行いはそれを破壊するであろう事も。その責は全て儂に有る」

「……であれば、何をしてくれるんです? 何もしてくれないんでしょう、貴方は。最後の最後、事がどうしようもなくなるまで貴方は動かない人間だ」

 

 無理矢理に怒りを鎮めつつそこまで言い切って、溜息を吐く。

 別に言葉の内容は完全な本心では無い。無論、獲得出来る物があれば、この老人から何等かを奪い取りたかったが、生憎それは直ぐに思いつかなかった。

 

 そして、結果からを見れば、あれは悪い事だけでは無かった。

 幾らスリザリンが忌み嫌う相手からの加点とは言え、寮杯を喪うという不名誉から逃れられたという事実は大きかった。スリザリンの首席、監督生は、酷く迂遠で直截的とは程遠い物であったが、それでも感謝を示したのは事実だった。故に、他のスリザリン生が、真正面から僕の行いを非難したり、問い詰める事は出来なかった。

 

 何よりこの老人が、明らかな虚偽を混ぜ込んだというのが救いだった。

 質の悪い事にその虚偽に気付く者が三名程――当然、その事実を既に知る寮監は除く――居るのは悩み事だったが、今考えるべきでは無かった。

 

「……僕の後には、寮監も怒鳴り込んできますよ。寮監は僕以上に怒り心頭だ」

 

 寮監は老人の策略に巻き込まれた僕を嘲笑するのに忙しく、老人の言葉に彼の功績も示唆されていた事に最初気付かなかった。

 しかし、生徒が寮監により口止めされていると強く主張すれば、矢面に立たされるのが誰かなど明らかだった。そして僕はそれをする事を躊躇わなかった。この老人はそれを見越して敢えてあのような言い回しをしたというのも、やはりまた明らかだったからだ。

 

 僕が口を割らない事にドラコ・マルフォイは強い不愉快を示したが、直ぐに引き下がった。

 別に僕から聞けなくとも、スネイプ寮監から聞けるだろうと信じ込んでいるのだろう。無論、あの寮監が馬鹿正直に真実を告げるとは思わない。精々彼をだまくらかす上手い言い訳を、大人の知恵により捻りだしてくれる事を祈るばかりだった。

 

 そして、老人もそんな寮監の現在に思いを馳せたのだろう、重苦しく頷いた。

 

「……そうじゃな。この一年間、セブルスには迷惑を掛け続けた。セブルスにもやはりその権利が有るし、後で誠意を尽くさねばならんじゃろう」

 

 迷惑を掛け続けた。

 それはハリー・ポッターを護り続けた事を含むのだろう。

 

 僕もクィディッチ観戦をしていた以上、ハリー・ポッターが箒の上で踊っていたのは見ていたし、またドラコ・マルフォイの様子から、罰則時には大冒険が有った事は察していた。僕が考える以上に、ハリー・ポッターという〝英雄〟はたった一年で幾度も死に直面し、また危うい所で逃れ続けてきたのだろう。

 

 何より、後半は寮監にとって御荷物がまた一つ増えていたのだから、堪らなかったに違いない。

 

「……その際には僕から感謝の言葉が有った事を告げておいて下さい。寮監が居なければ、僕は間違いなく死んでいた。それは疑う余地も無い事実です」

「そういうのは自分自身で言うべきものではないのかね?」

「寮監は、僕からのそれを受け取ろうとしないでしょう。寮監は、僕からの敬意を一切求めていない」

「……君達も、意外と複雑な関係に有るようじゃの」

 

 老人がそう吐き出すが、こればかりは理解されないのは承知していた。

 僕とて、説明し難い所が有るのだから猶更だ。ハーマイオニー・グレンジャーに対する態度、御互いが御互いに抱く嫌悪、それも理由の一つだろう。だが、今学年を通してどういう訳か、思ったのだ。僕は決して、スネイプ寮監と相容れるようになってはいけないのだと。

 あの背中に投げ掛けた言葉も、その一環だった。

 

 だからこそ、僕は問わねばならなかった。

 アルバス・ダンブルドア――今回の全てを知る者に対して。

 

「クィリナス・クィレル教授はどうなりました?」

「彼は死んだ」

 

 

 

 

 

 冷淡な物言いだった。

 そこに容赦は一切なかった。

 

「……君は彼を教授と呼ぶのじゃな。彼が邪悪で有る事を知った今でさえも」

 

 嘆かわしいというように軽く首を振る老人に、僕もまた首を振り返してやる。

 

「知っている今だからこそですよ。そして、僕が会話したのは、非魔法族の知識や常識を十分理解していた元マグル学教授であり、闇に対抗し続ける事を最後まで忘れなかった闇の魔術に対する防衛術教授だった」

「過大評価に過ぎるの。彼は特別を求めていた。邪悪の深奥にある教えを受ける事を躊躇せず、杖を用いず飛翔するという特徴的な技能を獲得し、杖無しで自在に魔法を行使出来るにようになった。十一歳から苦楽を共にした友であり、父であり、子である筈の杖を喪う事を些事と看做した。彼は力に溺れていた」

「溺れる事の何が悪いのです? 溺れているという事は、まだ沈んでいないという事でしょう? 彼は足掻いていた。その末路を覚悟しながら、尚耐えようとしていた。彼は自ら杖を、効率的に魔法を使う為の外部装置を遠ざけた」

「いいや。最初から彼にはそこまでの強さは無かった。塵のような存在に堕ちた邪悪に敗北する程に弱かった。彼の貪欲さと浅はかさは、邪悪の再来を招いた。そこに同情すべき点は無い」

「であれば、思い起こすべきだ。彼はトロールという危険物を制御しきり、尚且つグリンゴッツの金庫を破るという大罪を犯した訳だ。特に小鬼はヒトの策謀を聞いてくれるものではない。勿論、塵ではどうにもならない」

 

 僕は嘲笑と共に続けた。

 

「そんな邪悪と共に教授は一年も無駄に時間を過ごしていた。賢者の石を護るアトラクション如きに過剰な注意を払い、中々挑もうとしなかった。その間、服従の呪文や闇の物品を用いる事も無く、ハリー・ポッターも含め、ただの生徒一人も殺すどころか傷付けすらしなかった」

 

 老人の表情は微塵も動かなった。

 彼は心を閉ざしていた。閉心術のような魔術的意味では無く、大人だけが持ち得る豊富な経験と自身が正しいのだという強固な信念さでもって、僕の言葉を排除していた。

 

「第一、教授は明らかに取り憑かれていましたが、それは何時からです? 旅行先で黒い森に入った時ですか? それともグレートブリテンに戻ってきて、グリンゴッツ破りに失敗した後ですか?」

「……それを特定する事に、果たして何の意味が有るのかね? 彼が何時闇に取り憑かれようとも、闇に堕ちた事に変わるまい」

「大ありですよ。貴方は教授が弱弱しい邪悪に唆される人間だったとする一方、その邪悪こそが教授を強くしたとする。そこには矛盾があるでしょう」

「矛盾は無いとも。彼の精神が傲慢な割に惰弱で有った事と、彼の魔法力が才能に満ち強大で有った事は問題無く両立しうる。そして、その点において残念極まりない人間じゃった。それらが釣り合っていない者の破滅は必然と言えるからの」

 

 議論は平行線だった。

 僕は老人の言い分を認める気は無かったし、老人もまた同様だった。

 

 それでも確信した事が有った。教授があのような物に取り憑かれ、間近で見張られなければならなくなったのは、グリンゴッツ破りの後なのだと。そうでなければ、この老人は何ら誤魔化す必要は無かったのだから。

 

 つまり、そこまではクィリナス・クィレル教授は後戻りする事が出来た。

 

 そもそもの話、僕がグリンゴッツと賢者の石をヒントとして結び付けたのは、ハーマイオニー・グレンジャーに対する〝信頼〟が主であり、些か飛躍的な物で有った事は否定しない。しかし、かつての時も、明らかに指摘したこの今も、アルバス・ダンブルドアは何ら否定しなかった。

 となれば、グリンゴッツに賢者の石が置かれていたのは三人組の推測通り、事実であったのだろう。そして、グリンゴッツ破りが失敗した原因が、その金庫が当日には空になっていたからだという事は、当時の日刊予言者新聞で大々的に報道されていた。

 

 であれば、この老人の意図の下で、賢者の石は移された。

 その邪悪が迫っている事を悟ったからこそ、その行いは為された。

 そして、クィリナス・クィレル教授は、結果として闇の帝王に取り憑かれた。

 

「貴方は石をグリンゴッツから移した時点で、クィリナス・クィレル教授を殺していた訳だ。邪悪が迫っている事を知りながら、その邪悪の根本を滅ぼそうとせず、寧ろ高貴な石ころを護る事に終始した。一人の教授のような些細な犠牲を気にせず、闇の復活を防ぐ為に」

「君は少々儂に期待し過ぎておるよ。儂は全ての悪事を食い止められる訳では無い。そも、君とて、一人を救う為に賢者の石を渡せば良かったとは思ってなかろう」

「ええ。そんな馬鹿な事は思いませんよ。その代わり、貴方が今回の〝悪巧み〟を考えついたのが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()であって欲しいとは思ってますが」

 

 グリンゴッツからホグワーツに移した。それは確定されたと言っていい事実である。

 しかし、それが何処も経由せず直接為されたのだというのは、確定された事実では無い。

 要するに、()()()()()()()、アルバス・ダンブルドアがハリー・ポッターを()()()()()()()()()()()()()()()石を移したという事は、誰も語ってはいないし、確認されても居ない。

 

 アルバス・ダンブルドアは一体どの時点で今回の事を計画したのか。

 賢者の石を秘する場所は、本当に最初からホグワーツだったのか。それは依然不明である。

 

 そしてやはり、この老人は慈悲と矜持を示す為に、真実を語るつもりは無いようだった。

 

「……あの場で、全てを語らなかったのは何故ですか」

 

 だから、わざとらしくとも話を変える事にした。

 この余りにも強過ぎる大魔法使いに、クィリナス・クィレル教授の心境は理解出来ないだろう。寮の違い云々では無く、生き物としての格が違ったのだから。

 そして、僕はそれが出来た。同じ程度の格でしかなかったのだから。何より彼の本音をぶつけられた者として――それを答えないままに終わってしまった者として、僕は彼を理解してやらなければならなかった。

 そして、それらは今言っても全てが遅い事であった。

 

 遣る瀬無さを振り切って、僕は続ける。

 

「賢者の石の護りが余りにも馬鹿々々しい事は置いておきましょう。ただ、上級生は当然に疑っている事は伝えておきます。何をしたのかいまいち不明なハリー・ポッターは別として、貴方の言によれば、ロナルド・ウィーズリーはチェス、ハーマイオニー・グレンジャーは論理。いずれも一年生に破れる程度ならば、大した事は無かったのではないかという事に」

 

 彼等は得意満面だろうが、冷ややかに見ている者は多かった。僕とてそうだ。

 

 チェスが創造的であった時代は、非魔法界では終わりの兆しが見えている。

『Deep Thought』と名付けられた〝能無し〟は、〝42〟という答えを出すに留まらず、既にチェスの最高位のタイトルを持つ人間を打ち破った。世界王者には敗北したが、いずれ敗北する時代は訪れるだろう。魔法界のチェス駒がある種の我儘さ──ランダム性を有しているのは確かだが、解けないもので無いとは確信している。

 論理とてそう。寧ろ、単純な論理こそが、彼等〝能無し〟の最も得意とする所である。

 

 今回の賢者の石の護りは、魔法族が見下す〝マグル〟ですら容易に超えられる程度の試練でしかない。非魔法族であれば、かの邪悪よりも余程上手く賢者の石をホグワーツから盗み取る事が出来ただろう。

 

 だが、その簡単さを老人に指摘する事は、今の本題などでは無かった。

 

「あの三人組とクィリナス・クィレル教授の間に起きた事は〝秘密〟でした。しかし、抜け落ちている事が有ったでしょう? 貴方がハリー・ポッターを褒め称える際、何と言ったか、貴方は本当に自覚しているのですか?」

「……流石に、そこまで耄碌しては居らぬとも。彼については……『その完璧な精神力と、並外れた勇気を称え』た」

「何故、闇の帝王を退けたと言わなかったんです?」

 

 ヴォルデモート卿。

 自身が対峙した邪悪がソレである事を、僕は確信していた。

 本能が理解していた。闇の中の闇。理性と自制を残らず吹っ飛ばし、誰も行きついた事の無い領域にまで踏み込んだ、人知を超えかねない程の()の魔術の体現者。出会ってしまった以上、それがどんなに有り得ない事のように見えても、心が肯定してしまっていた。

 

 そして漸く老人は、僕の期待通りに、苦々しく悲嘆にくれた表情を浮かべてくれた。

 

「僕は彼が死んだと思っていた。ハリー・ポッターを危険に晒す真意が、理解出来ないでいた。だが、闇の帝王が生きているのであれば、それは全く別の話だ」

 

 勿論、アルバス・ダンブルドアが何故ハリー・ポッターを矢面に立たせようとするのかまでは解らないが、それでも、闇の帝王が彼を狙う事は明らかだった。

 闇の帝王にとって、彼は自身の失墜を招いた怨敵なのだから。

 

 であれば、これから歩むべき道筋も見えていた。

 

「貴方は魔法大臣になるべきだ」

 

 僕は言った。

 アルバス・ダンブルドアは小さく呻き声を上げた。

 

「コーネリウス・ファッジ現魔法大臣がどういう人間か僕は知りません。けれども、闇の脅威に立ち向かう存在として、貴方以上に相応しい人物は居ない筈だ。貴方は彼を今すぐ蹴落とし、グレートブリテンを纏め上げなければならない」

「……おお、ステファン。コーネリウスは、まだ二年程しか任期を務めておらぬ。それに、何より魔法大臣になる為には選挙が必要なのじゃ」

「任期? 最大七年の選挙さえ守れば、魔法大臣のそれには確たる下限も上限も無かったと記憶していますが? そしてたかが選挙が言い訳になると? やれば良いでしょう。全ての人脈と権威、政治力を費やして、如何なる手段を用いてでも」

「そう簡単に為せる訳では無い。下が上を容易くひっくり返してしまえば、その地位は権威も権力も喪ってしまう。事は、魔法大臣、魔法界の頂点なのじゃ」

「既に綺麗事が言える平時では無い、その事は貴方が解っているでしょう? そして頂点だからこそ、貴方は奪わねばならない。闇の帝王がそれを目指すからこそ、貴方は先にその地位を手中にし、占有し、脅威を排除し続けなければならない」

 

 闇の帝王の復活。

 それを真剣に受け止める者がどれだけ居るかは怪しいものである。

 

 グリンゴッツ破りに闇の帝王が裏に居ると囁きながらも、その本人が実行したとは誰も思っていない。グレートブリテンの魔法族は微妙で複雑な心情を抱いており、アルバス・ダンブルドアという英雄が語った所でその事実を信じられず──しかし今ならば、戯言をほざきだした老人の、最後の花道として頂点に押し上げる程度は是とするだろう。

 

 何なら〝生き残った男の子〟を選挙の顔(poster boy)にすれば良い。彼はその役割を喜んで果たそうとするに違いない。

 

 そして、一度権力を持った後で有れば、後はどうにでもなる。

 

「クィリナス・クィレル教授は不死鳥の騎士団について言及しました。それが魔法省の組織で無い事は想像が付きます。名称がマーリン騎士団に由来している事は明らかですから。故に、今度は同様の事を繰り返してはならない。グレートブリテン全体をもって、対抗すべきだ」

 

 相手がゲリラ戦法を用いてくるからと言って、こちらもそうせざるを得ないという事は無い。

 確かに苦労は伴うだろう。組織が巨大になればなる程に、身動きは鈍重な物となる。しかし、巨大であればある程に可能である事もまた有った。如何なるアルバス・ダンブルドアでも二か所に同時に存在する事が出来ないように、頭数というのは単純な力だった。

 

 そして、纏め上げるのは復活してからでは遅い。

 服従の呪文、磔の呪文。適切な人質、見せしめの処刑。恐怖、猜疑、そして利益。

 それらをもって、闇の帝王は当然に人の結束を破壊しようとするだろう。だからこそ、その前に、結束と団結を強固にしておかなければならない。今だ残党達が表立って動けず、スパイを多く入り込ませるのが難しい間に、万全の準備を整えておかねばならない。

 

 そう。

 

「――大いなる善の為に」

 

 今度こそ、アルバス・ダンブルドアは片手で覆った。

 死んだように身動ぎを止めたまま、そして暫くの間何も言わなかった。

 そこに大魔法使いは居なかった。あの時と、クィリナス・クィレル教授の時と同じだった。知識と経験によって形成された虚飾の皮が剥がれ落ち、肉体と精神を賦活していた血は抜け落ちて、彼を彼たらしめる本質が顕れていた。

 

 そして、老人は言った。

 

「権力を持つ儂は信用出来ぬ。儂は、それを求めはせぬ」

「────」

 

 僕は、何も言わなかった。

 

 権力。

 魔法魔術学校校長を、事実上グレートブリテンの全魔法使いに影響力を行使出来る地位を、彼は何と考えている? 

 その地位に四半世紀以上も君臨し続けている人間が、客観的に見て、権力にどんな態度を取っていると評せるだろうか? 

 

 だが。

 だが、この老人には言っても伝わらないだろう。

 

 そして今漸く、本質的に理解した。何故、他のスリザリンがこの大魔法使いを嫌うのかを。

 彼はそれが自身のマグル贔屓に基づくものだと信じているのかもしれない。実際その側面は有るだろう。けれども、嫌悪を抱いていても、敬意と尊重の念を抱く事は出来る筈だ。しかし、他のスリザリンはそうしない。出来ない。その最も決定的で、致命的な理由が今眼前に横たわっていた。

 

 そして僕は、やはりスリザリンのようだった。

 

「……何故、僕に何も言わないんです?」

 

 諦観と共に、僕は静かに、極めて穏やかに聞こえるように言った。

 

「貴方は僕より遥かに生きている。遥かに長くの経験を有し、膨大な魔法力を持ち、そして広範な知識と深淵なる叡智をその身に宿している。そんな貴方であれば、僕の無知で浅はかな言葉など全て跳ね飛ばせた筈だ。前に来た時ですらその機会は有った。なのに、何故、貴方はそのような態度を僕に取るのです?」

 

 それだけが、僕にとって理解出来なかった。

 どういう訳か、この老人は僕と真正面から向き合おうとしている。言葉を聞こうとしている。そして、それはこの老人にとって最も大事であろうハリー・ポッターよりも真摯な事は間違いなかった。

 

 王様の耳はロバの耳。近しく、大事な人間に喋れない事が、しかしどうなっても良いモノに対して容易く喋れるという事は得てして存在する。

 

 けれども、その〝穴〟として僕を選ぶ理由が、僕には解らなかった。

 

「……それはのう、ステファン。よりによって君がその名前を持つからじゃ」

 

 果たして、それに答える老人は。

 残酷な位に、憐れさを覚える程に、完璧な老賢者の姿を取り戻していた。

 

「数奇過ぎると思う。じゃが、前回スリザリンである君がよりにもよってその目的の為に此処に訪れた時、儂はそれを思い起こさざるを得なかった。勿論、会話してみた君は、彼とは異なっていた。けれども、その根底に在る激しさを見れば、それは儂にはやはり酷く似ているように思う」

「……余りに抽象的で、意味が解りかねますが」

「そのようにしているからの。気付かなければ、奇妙な一致でしかないのじゃから」

 

 僕の非難を、老人は当然のように受け止めた。

 

「しかし、半純血である儂にはその知識が有った。そして、その宿命を、思い起こさざるを得なかった。偶然の相似だと切り捨てられなかった。それと共に繰り返しては欲しくないと、彼のように贖いに生きる事になって欲しくはないと何処かで願っている」

「……願うだけですか、アルバス・ダンブルドアともあろうものが」

「それ以外出来ぬのじゃ。その力は最も強大で、同時にどうしようもないものであるからの」

 

 要するに、実質的に何も語るつもりは無いのだろう。

 この老人はこの老人なりに確かな根拠があるのは間違いない。けれども、手掛かりが余りにも無さ過ぎて推論する事は不可能であり、それ以上に読み解く必要性もまた見出せなかった。

 

 僕は踵を返そうとし、けれどもその前に老人に告げた。

 

「もう僕は二度とこの場所に来るような面倒な真似はしたく有りません。今回の件で懲りました。自分の力を過信し、周りの力を感じて、要らぬ事に首を突っ込むべきでないと。寮監の助けが無ければ、僕は間違いなく死んでいた訳ですから」

 

 力無き者、資格無き者は死ぬとクィリナス・クィレル教授は言った。

 そうだ。その言葉の通りに、彼は死んだ。アルバス・ダンブルドアが示唆するに、教授は闇の帝王の教えを正しく実現する力量を有しながら、しかし滅ぼされた。彼は己の末路をもって、正しく闇の魔術に対する防衛術の在り方を証明してみせた。

 

 アルバス・ダンブルドアの周りは死に塗れている。

 

 ジェームズ・ポッター。リリー・エバンズ。〝英雄〟の親である彼等ですら死んだ。

 彼等がホグワーツの首席だった記録は、今尚校内に輝かしく残っている。今の僕より年長で、知識豊富で、圧倒的に優秀である事は歴然としていた。しかし、死んだ。

 

 彼等は器が足りなかった。息子の成長を見届ける前に、闇の帝王の前に屍を晒した。世間はその見事な死に様を称賛するが、かと言ってそれと同様の末路を望まない。英雄的行為を無責任に称賛するのは、何時だってそれをしようとは思っていない凡人だけだ。

 

 スリザリンは違う。自己防衛の下、当然に、躊躇いも無く逃げる。臆病と笑われても、汚名を代価に生存を買えるのであればそれで良い。ただ愛の為に、それを行う。生きて、妻と子と共に笑い、涙し、その上で天に定められし時間を全うしたいと思っているから。

 

 そして、僕達が逃げた所で、それでも世界は上手くやる筈だ。

 今まで間違いなくそうであったのだし、この世には〝疑いなく英雄〟が居るのだから。無責任な者が得するように、世界は出来ている。

 

「しかし、ステファン。

 君がスリザリンであるように、彼女はグリフィンドールなのじゃ」

 

 全てを見透かしたような大魔法使いの言葉に、僕は答える意義を感じなかった。

 僕は無視して入口へと、その樫の扉へと歩いていった。無理矢理入って来たのだから、無理矢理出て行く権利もまた同様に存在する筈だった。

 

 けれども、僕はもっと良く考えるべきだった。

 

 僕は好き放題言った。心の赴くままに、感情の奔るままに。

 しかし、そもそもそれを可能にしたのは──敢えて校長室へと招き入れるような真似をしたのは、間違いなくアルバス・ダンブルドア本人だった。

 

 であれば、彼の方にもまた僕に告げるべき事があったと考えるのが素直だった。

 僕は最初から勘違いしていたのだ。そして間違えていたのだ。あの加点劇は、決してスリザリン的では無かった。彼がグリフィンドールである以上、他の可能性を検討すべきだった。

 

 だからこそ、そうしなかったこそ、聞くべきでない事を聞く羽目になる。

 

「──言い訳と受け取ってくれて良い。儂は浮かれ過ぎたのじゃ」

 

 僕は足を止め、しかし振り返らなかった。

 もう二度と、そのような姿は見たくなかった。先の一度で十分だった。〝疑いなく英雄〟を、その力量を、叡智を、それに対する敬意を心の底から疑ってしまう事などはしたくなかった。

 

「学生達の前に出た瞬間、彼を大きく褒め讃えたいという我欲に駆られた。最初に加点の事を口にした以上、もはや止められなかった。我に返った儂は、最後に君の事を思い出した。儂は多少の冷静さの表れとしてスリザリンにも加点し、前代未聞の同点優勝とした」

 

 それは冷静さとは言わない。

 その反論をするには、アルバス・ダンブルドアの言葉は弱々し過ぎた。

 

「君は儂の〝些細な〟計画が全て上手く行ったと考えておるのじゃろう。嗚呼、上手く行ったとも。上手く行きすぎた。儂は選択と挑戦の権利を与え、そしてハリーは見事に受けて立ってみせた。ヴォルデモート卿に真っ向から立ち向かってみせた。誇らしかった。立派な男だった。どうだと言わんばかりじゃった。じゃが……じゃが」

 

 絞りだすような声は、酷く震えていた。

 

「たった十一の少年が正しくそう出来ると、果たして誰が想像出来るかね? 彼はヴォルデモート卿といずれ対決するであろう。しかし、()()()()()()、今である必要は無い。その覚悟と勇気を持ち、自身の宿命を意識する事は、の。生まれながらにして英雄で有った者は存在せず、当然十一歳で違ったと言って非難する者もまた居らぬのじゃ」

 

 ……嗚呼。

 アルバス・ダンブルドアは、その言葉を告げる為に、僕を此処に呼んだのだ。

 

 この老人の策謀の全容は知れない。そしてまた、僕に明かす事も永遠に無いだろう。

 けれども、今学期に秘密の一端に、ある種ハリー・ポッターよりも深く触れた者に対して、その誤解を──全ての事象を掌握していたのだとされる事は我慢がならなかった。彼の策謀は、巨悪に直面させ、それが何たるかを実感させる所までで有り、恐らくはその恐慌を慰め、再起と発奮を促す事こそ本筋の計画だった。

 

 そして同時に、その事実に思い至らざるを得なかった。

 アルバス・ダンブルドアは、未婚であり、子供を──養子ですらも──持った事が無いのだと。すなわち、本当の意味で、彼はその()()()()()()()()

 

「──最後になったが」

 

 付け足された言葉は、先程までが夢であったかのように平静を取り戻していた。

 

 僕は漸く振り返った。そこに居たのは、やはり疑いなく〝英雄〟だった。

 彼にとって真に大事な者達が、他ならぬ彼に対して望み続けているのであろう、老練で悠然とした老賢者の態度だった。素晴らしき、一点の曇りなき大魔法使いの姿だった。

 

「君に加点した事が思い付きで有った事は否定しない。けれども、嘘を述べたつもりは無い。君は正義の下に、それも同時にスリザリンらしく行動した。それは正しく評価されるべき事であり、儂は願わくは、君が今後もそれを持ち続けて欲しいと思っておる」

 

 たとえ、儂等がゴドリック・グリフィンドールとサラザール・スリザリンのようになろうとも。

 

「……失礼します」

 

 何も残す事は無い。そう思っていたが。

 この世の誰よりも愛に対して真摯であり、その力を信奉していながら──しかし誰よりも愛に愛されていない魔法使いに対して、僕は敬意の言葉を残した。

 

 

 

 

 

 そうして、僕の一学年は終わりを告げた。




・クィリナス・クィレル
 クィレルは漏れ鍋において、ハリー・ポッターに挨拶し握手している(一巻・第五章)。また彼自身、グリッゴッツ後にヴォルデモート卿が「間近で見張らないと決心」したと述べている(同・第十七章)。
 そして奇妙な事に、原作において「大きな紫のターバン」「バカバカしいターバン」が言及されるのは組分け時点(同・第七章)。漏れ鍋時点においては,「青白い顔の若い男がいかにも神経質に進み出た。片方の目がピクピク痙攣している」と描写されるのみである。

・アルバス・ダンブルドア
 作中、彼の計画が常に成功し、またその言葉が常に正しかったと訳では無い。
 予言を伝えなかった結果シリウスの死亡、三大対抗試合の失敗、ジェームズ・ポッターに秘密の守人を断られる(三巻・第十章。恐らく、彼が「友を信じないのは、不名誉極まりないことだと考えていた」(七巻・第五章。ルーピンの発言)から)など。作中描写は無いが、純血思想的にはネビルが予言の本命であった事からすれば、やはりこちらも断られているかもしれない。
 また、分霊箱について、彼は誰にも(二人の友人を除いて)言ってはならないと告げたが、最終的にハリーは髪飾りの捜索についてDAに助力を求めたし、最も重要なナギニの破壊を招いたのはハリーがネビルにその殺害を託したからである。これは神秘部の戦い前のネビルへの低い信頼(五巻・第三十三章)とは対照的であるともいえる(但し、これらも彼の策謀の内であると解釈するのは可能であろう)。
 弟であるアバーフォースは、「兄が偉大な計画を実行しているときは、決まってほかの人間が傷付いたものだ」「秘密主義を母親の膝で覚えた・秘密と嘘をな」(七巻・第二十八章)と一貫して辛辣であり、彼を敬愛するハリー・ポッターですら、全てが終わった後「こんなに難しくする必要が、あったのですか」(同・第三十五章)と述べすらした。

 もっとも、その一方で誰もが知っている通り、彼は作品を通してヴォルデモート卿の殺害(そしてハリーポッターの生存)計画については完遂している。

・聖ステファノ
 キリスト教最初の殉教者とされる。
 主人公の名前がこれ由来なのは偶然。彼の名前は別の所から。バイオハザードも関係無い。

 なお、グレゴリオ暦における聖ステファノの日は、1月9日。
 それが誰の誕生日かは、ハリー・ポッターファンには言うまでもない。


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秘密の部屋
スティーブン・レッドフィールド


二次創作で主人公の話を長々やっても仕方がないので二話連続投稿。
この作品のスタンス上,二年目と三年目は繋ぎみたいなものなので,賢者の石の程長くならないようにはしたいです。

今回の話で主人公の家を屋敷→住宅に訂正。
イギリスの屋敷はスケールがデカいのしか出て来なくてイメージと違いました……。


()()()()()。貴方はお父様を上回らなければならないのですよ」

 

 視線が合わず、夢見る表情のままに、()は何時もそう言っていた。

 

「貴方は賢くならなければならない。強くならなければならない。誰よりも学び、誰よりも深く在らなければならない。そうでなければ、貴方は生きていけないのです」

 

 母は狂っていた。

 それがどういう理由に基づくモノで有るか、僕は知らない。

 

 魔法以外を殆ど知らなかった当時、僕はそれを魔法的な後遺症に基づくものと考えていたのだが、今思えば、非魔法族的な、科学的に説明出来る理由の可能性も否定出来なかった。もっとも、僕にとっては前者の方で有って欲しいと信じていた。そちらの方が、当時においてはどう足掻いても母を助ける事が出来なかったという意味で、まだ救いようがあるからだ。

 

 母は、日常生活は概ね普通のように――僕がもっと幼い時に限るが――送る事が出来た。

 

 けれどもその当時ですら、それが表面上の事に過ぎないのは僕にも理解出来た。彼女の頭の中では常に霧が立ち込め、また影に覆われていた。

 その割に行動に然したる支障が見られなかったのは、奇跡としか言いようがない。無論、悪い方の奇跡だ。当時は良かったと思っていたのだが、母が異常である事が殆どの人間に察知出来なかったという意味では、それは紛れも無い不幸に違いないのだから。

 

 屋敷に積まれていた蔵書から見ても、父はどう考えても善良な魔法使いで無かった。

 しかしその一方で、母と僕が暮らしていた一戸建ての家は、遺された愛に満ち溢れていた。

 

 母は、魔法を扱えなかった。

 

 だから、一般的な魔法使いのように、屋敷に魔法的な護りを施された所で維持出来ず、下手な機能を発揮してしまえば母が一歩も外に出られる事無く餓死する──ガンプの元素変容の原則だ──事は明らかだった。故に、そのような物は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、母の周りから徹底的に排除されていた。

 

 正直言って蔵書を初めとする品々を最初に始末して欲しかったと思うが、それは今更言っても仕方がない事である。母は、その必要性を感じていたのは確かなのだから。

 

 ともあれ、母の為に、色々な準備がされていた事は間違いない。

 今では多少時代遅れになった、しかし当時では最新であったであろう電化製品群。定期的に来る在宅介護労働者。後見人として指定された弁護士。非魔法族の金銭──それも様々な国のもの──が詰め込まれた金庫。家のあちこちに貼られていたメモ。その他数多くの護りが、愛が、家には遺されていた。

 

 けれども、母はそれらを上手く扱えなかった。

 不運な事に、全く、では無く。

 

 仮に母が全てを出来なかったのであれば、周りの者は異常に気付いた筈だ。

 しかし、中途半端に出来たからこそ、非魔法族である彼等は、母にその庇護から外れたいと言われても、制止する術を持たなかったのだろう。寧ろ、母に対してそれが真に必要で有るか、疑問を抱いてすら居たかもしれない。

 

 そして何よりも不運であったのは、僕が魔法的才能を有していた事だ。

 

 魔法を扱えない者が魔法族を育てる。それは不可能な話とは言えない。

 両者の間に、然したる断絶は無い。魔法というツールを用いるか、科学というツールを用いるかの差でしかない。それは肌の色や民族という些細な違いよりも決定的であるという事は否定しないが、やはり相互理解が不可能という程でも無かった。

 

 けれども、魔法の教育を受けた事も無い人間が、正しく魔法的な教育を受けた魔法族の子供を育てようとするともなれば話が別であった。

 

 母はそうしようとした。やはり、母はそうすべきであると考えていたのだから。

 僕の成長を喜ぶと同時に、母は僕が学ぶ事を喜んだ。僕がそうすれば、母は弱々しい力で何時も抱き締めてくれていた。母は僕が大きくなる事を急かし、追い立て、望んでいた。

 

 何より、母は僕がホグワーツに行く事を──僕の未来を誰よりも祈っていた。

 

「私はホグワーツがとてもユーモラスな場所だと聞いているわ。イルヴァーモニーと違い、非魔法族の常識はあの場所では通じないだろうって。だから、貴方は非魔法族的な事に触れない方が良いわ。全部、私がします」

 

 その言葉を母が全う出来ていたとは言えない。

 母は常に夢の中に微睡んでおり、僕が家から出ない事と魔法的学習を続ける事以外に、左程関心を持っているとは言えなかった。時折正気に近いような理性を見せる場合を除いては、僕の〝収容〟はある程度自由の利くものだった。つまり、非魔法族の発明品を興味本位と試行錯誤によって弄る事くらいは、僕の物心が着いた頃から不可能では無かった。

 

 そして、僕の成長に反比例するかのように母が衰弱してしまうようになってからは、悲しい事に、その自由は大きくなった。僕は二人が生きる為に、弱々しい母の反対に時に従いつつ、また時に反抗しながら、出来る限りの事をしなければならなかった。

 非魔法族の常識を何とか見て学び取った。金銭という概念を覚え、食糧を買い物にも行った。母が使えなかった電化製品を発掘して動かした。また、殆どベッドから動けなくなった母の為に日常の諸々を行い、何とか生活を維持しようとした。

 そして残念ながら出来てしまった。母に遺されていた愛は、それ程に篤かった。

 

 今思えば、助けを求めるべきだった。

 死に向かいつつあった母を抱えた子供は、当然に外の世界に救いを求めるべきだった。

 聡明なるハーマイオニー・グレンジャーであれば、当然にそうしただろう。けれども、僕は愚かだった。母の言葉をその言葉通りに受け止め、非魔法族には──興味は有っても──触れる事はすべきでないと考えていた。

 

 母は非魔法族に対して全く期待しておらず、ある意味でそれは正しかった。

 けれども、母を生かし続けたいと思うのであれば、僕はやはり期待を躊躇うべきでは無かったのだ。優しい鎖に縛られる事を是とすべきでは無かったのだ。

 

 僕が早く成長する必要が無くなったその日。

 母は最期の言葉と共に、比類なき無償の愛を残した。

 

「ねえ、ステファン。覚えておいて。貴方のお母さんは、()()は、貴方を愛していたわ」

 

 僕は過ちを犯しており、母は死を()()した。

 僕が学んだ魔法に救いなどなかった。全ては終わってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 非魔法族の発明は良いものだ。

 ロンドン郊外に建った、一人では余りに広過ぎる我が〝城〟の中。

 暖房(セントラルヒーティング)で適度に調整されたリビングで、電気トースターから飛び出て来たトースターを齧り、コーヒーマシンにより淹れられたブラックコーヒーを啜りつつ、チャンネルを適当に回して朝の番組を流し見しながら、何時ものように実感する。

 

 僕にとって、それらは()()()()()育ての親であるとも言えた。

 確かに校外で魔法が使えないという未成年の身分は面倒では有ったが、今の御時世、それは決して悲観すべき物でも無い。既に暗黒時代は遠い過去の物であり、敬愛する彼等に対して文句を付けられるものでも無かった。

 

 ただ一番の難点は、それらによる文明の享受には金銭が掛かるという事だ。

 杖の場合は魔法力と些細な腕の力を要するが、それ以上のコストは掛からない。一方で、非魔法族的な発明品は、動かせば動かす程に金が掛かる上に、尚且つ壊れて取り換えるのにもまた金が掛かる。幸運にも未だ全部を取り換えるような事態には陥っていないが、その時の事を考えれば扱いには丁寧さが要求されるし――特に、最初にそれらを僕が使った時の扱いは非情に〝丁寧〟だった――心情的にもそうしたくはなかった。

 

 ホグワーツで最も気に入っている所は、その生活に一切の金銭が掛からないという事だ。

 費やされる生活中の費用は、基本的全て魔法省が負担してくれる。ホグワーツが義務教育などでは無く、家庭教育が許されている事を差し引いても、親にとってホグワーツに行かせないメリットというのは余り無かった。勿論、個人的支出をする場合は別であるし、杖や教科書には一応の金銭的負担が必要であるのだが、全体から見れば些細な事だ。

 

 おまけに母の〝後片付け〟を行ったミネルバ・マクゴナガル教授は、厳格では有るが非常に生徒思いな魔女だった。

 彼女の代わりに我等の寮監が来たのであれば、そこまでの手厚いサポートは望めなかっただろう。教授は孤児に対する数々の制度の説明のみならず、母が多くを辞める前の戻す事──非魔法界と繋がりを残したいという我儘さえも聞いてくれた。これは別に寮監の善性を疑っている訳では無く、何処まで生徒に入れ込めるかという適性の話である。

 

 無論、彼女を遣わしたのが誰であるかなど明らかだ。

 厳密に言えば、僕は非魔法族の世界に居ながらも既に魔法界を知る人間であり、必然的に〝マグル〟生まれの魔法使いと違ってホグワーツ魔法魔術学校についての入学説明など不要である。本来ならば、梟の案内だけで足りた筈だった。

 

 もっとも、僕が魔力の制御を誤って引き起こした魔法事故によって魔法省の役人が一度来た事があり、その事実はホグワーツも──あの老人も重々承知していたという事だろう。もしかすれば、あの老人は、僕の知る以上の何かを知っていたのかも知れない。それに真実味が有ると考えられる程度には、彼は余りに化物染みた魔法使いだった。

 

 そして、煙突飛行と姿現しを用いる事が出来る魔法使いによって、距離は敵では無い。

 流石に大陸間移動になればアルバス・ダンブルドアだろうと闇の帝王だろうと限界が有るだろうが、グレートブリテンないしアイルランドの範囲ならある程度どうにでもなった。それらの地域の子供に手紙が送られ、尚且つホグワーツがこの島唯一の──非魔法族のように乱立するような真似をしない──学校であるのは、そういう理由もあるのだろう。

 

 まあ、それを良い事に派遣されたミネルバ・マクゴナガル教授には同情の念を禁じ得ないが。それが明らかに想定していない面倒であれば余計にだ。

 

 ともあれ、今日から二年目が始まる。

 

 先の学年がどう終わったかという事を考えれば、多少憂鬱な事は否定出来ない。

 ただ、一か月以上の空白期間が有ったのだ。それなりに落ち着いている事に期待したい。寮監も良い言い訳を考えてはいるだろう。

 

 そして、一番の懸念事項であったハーマイオニー・グレンジャーの誕生日プレゼントは既に選び終わっている。彼女からそれを切り出してくれた事は有り難かった。もっとも、互いの誕生日情報を交換する以外を為すには、全ての準備を終えて帰りのホグワーツ特急に乗車するまでの時間、それも周りの目を盗んでの時間は余りに短かった。

 

 夏休み中、彼女とは会っていない。

 会おうと思えば、不可能では無かった。同じ非魔法族の世界に住み、多少距離が有るとは言っても非魔法族的距離感ですら近いと評せる程度でしかなかった。

 けれども、やはり僕達の関係は、御互いの家を行き来するという程には親しくも無かった。

 

 かつて一度だけ、彼女が僕の家に来たいと発言した事は有る。ただあの時は、母が死んだ後である事を差し引いても、出しゃばりな少女を家に招き入れる気は無かった。今となっては馬鹿な事をしたものだと思うし、あれ以来、彼女が同種の発言を一度もしていない。もっとも、少しだけホッとしているのも事実だ。客のもてなし方など僕は知らない。

 

 柱時計に視線をやれば、針はそろそろ六時半を指そうとしていた。

 生憎この家は良い場所に立っており、〝マグル〟式交通手段を用いるとしても、どんなにゆっくり行こうがキングスクロスまで二時間も掛からない。出発時刻の午前十一時まではまだまだ余裕とも言える。

 

 しかし、僕にとってはそろそろ余裕が無くなってきたと言える時間なのだ。

 去年はハーマイオニー・グレンジャーが共に居た。流石に共にキングスクロスまで行くという事はしなかったが、それでもホグワーツ特急では、コンパートメントの中では一緒だった。正確には、彼女が余計な御節介を発揮して、特急内を探し回るまではだが。

 

 けれども、入学前と違って既に寮が別れている以上、やはり去年と同じく共に居ない方が良いというのは間違いないだろう。何より、今年の彼女は、友人二人と共にコンパートメントでの時間を過ごす事を望むに違いない。彼女は既に、まだ見ぬホグワーツで本当に友達が出来るか、内心不安がっていた女の子では無いのだから。

 

 そして、その一方で僕の現状は言うまでも無い。同学年で一番関係性が近いのがドラコ・マルフォイであり、それから遥かに離れてセオドール・ノットと堅苦しい議論を交わす位で、ホグワーツに到着するまでの時間を楽しく過ごす相手など居なかった。

 

 別に孤独である事は構わない。

 ただ、良く解らない人間と共に時間を過ごすのは可能な限り避けたい所だった。

 まして、一時間程度なら兎も角、ホグワーツまでは午前十一時から日が暮れるまで掛かるのだ。流石に他が満席の場合に席を共にする事にまで文句は言わないが、和気藹々としている中に御邪魔させてくれと申し出るような事態は絶対に御免である。

 

 となれば席を、誰よりも早く占有する以外にない。

 学期末は幸運にも、快適な特急の旅を送る事が出来たが――幾ら()()の疑問を有していても、流石に僕が陰気なスリザリンである事を忘れさせる程ではなかったらしい――その幸運を何度も期待する訳にも行かない。

 

 そういう訳で、僕は食べ終わった後の片付けを済ませ、家の戸締りを確認した上で、予定通り午前七時には準備を終えた。そうして、僕は去年と同じように、玄関先の机の上に置かれた写真立てに対し出発の挨拶を告げた上で家を出た。

 

 その写真には、一人の人間が写っていた。

 雲一つない青空を背景として風に金髪をたなびかせて、蒼みがかった灰色の瞳を細め、カメラの前の誰かへ、穏やかに笑みを浮かべている女性。

 

 確かに僕は、概ねの点で非魔法族の発明は良いものだと思っている。

 しかし、敢えて不満点を述べるとすれば、それは彼等の写真が全く動いてくれない事だった。



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英雄の未来の仲間達

前話に要らない描写をしたせいで余計なシーンが挟まるのは良くある事です。


 あの時、僕の名前を学校中が知った筈だった。

 

 実際の所、あの一年間の殆どの期間、大多数の人間は僕を認識しては居なかっただろう。

 だが、あの加点劇は、その状況を完全に一変させた。もっとも、グリフィンドールの英雄達が寮を問わず話を求められたのに対し、僕の方はスリザリンのみ──それもスネイプ寮監により堅く口止めされているという恐ろしい事実を口にした後は、誰も近付いて来る事は無かったのだが。

 

 しかし、僕の事を知っているという点ではやはり変わらない。

 寧ろ、逆に不気味な存在となったのかも知れない。賢者の石を護ったという彼等の行いは解りやすかったが、その裏で糸を引いていたスリザリンの方は、ハリー・ポッターが果たした役割以上に意味不明であっただろう。元々の蛇寮の悪評も加えれば余計にだ。

 

 故に今日は家をあれ程早く出たのであり、その甲斐有って、僕は可能な限り端の方のコンパートメントを一人で占有する事に成功していた。今だ席取りにあぶれた人間が何とか座れる場所を探しに来るという事は無く、幸運であればこのまま一人で居られるかもしれなかった。

 

 けれども僕が思い出すべきは、スリザリンの悪評を真に実感しているのはホグワーツ経験者のみであり、尚且つ先の加点劇について知っているのもまた、前年度のホグワーツ在学生だけであるという事だった。

 

 プラットフォームから殆ど生徒が一掃された頃、その珍妙な闖入者は現れた。

 

「えーと、ここ開いてる、のかな?」

 

 何処となく怖気付いている声に顔を上げる。そして、驚愕した。

 

 その女の子は、明らかにぶっ飛んでいた。

 グレートブリテンの魔法族が非魔法族基準で珍妙である事は慣れていたが、そうにしたってどうかしていた。彼女は、黄色い管と青い羽と赤い蕪がくっついた言語を絶するような髪飾りを頭に乗せた上で、絵ですら見たことのない不思議な生き物がぶら下がったイヤリングを片耳だけにぶら下げていた。一言で言えば、紛う事無き狂人だった。

 

「……取り敢えず、その頭の髪飾りは取った方が良い」

 

 何とか言葉を絞り出した僕に、彼女は首を傾げた。

 

「そう、かな? とっても良いと思うンだけど。これは模型で、パパの試作品なんだ」

「……君の父親のセンスは否定しないが、それは恐らく校則違反だ」

 

 実際そうかどうかは知らないが、幾らホグワーツの教授陣とてそれを是とする事は無いだろうと思う。そのくらいは、教授陣の良心を信じている。

 そして、寡聞にもこれ程奇妙な同級生が居ると聞いた事は無いし、上級生であるようにも見えなかった。僕を見ても何も反応が無い所から見ても、新入生なのだろう。

 その新入生は忠告を受け取る気は一応有るらしく、髪飾りを大事そうにゆっくりと外した後、荷物を引っ張ってきて僕の眼の前にポスンと座っていた。

 

 ……まあ、何も言うまい。

 正直言って、ホグワーツ特急が目的地に到着するまでに、彼女が友人を見つけられるとも思えなかったし、そんな新入生に違う席を探せと言える程、僕は非情にもなれなかった。

 

「あたし、ルーナ・ラブグッド。今年から新入生なンだ」

「……ステファン・レッドフィールドだ。君と違って新入生ではない」

 

 正しい名前を名乗ろうと思ったが、そうする気になれなかった。

 そのような些細な違いなど、彼女が気に留める筈も無い事は予想出来たからだ。

 

 現に彼女が関心を示したのは、僕が新入生でないという点であった。身長的にどう考えても同じ歳には見えなかったと思うが、一縷の望みをかけていたのかもしれない。微妙にガッカリした様子を見せて、けれどもやはり立ち去ろうとしなかった。

 

 彼女はゴソゴソと荷物を漁った後、一冊の本を取り出して僕の前に突き出した。

 

「……何だ、これは」

 

 その雑誌は、何と言うか表現に困る感じに前衛的過ぎて、そしてド派手だった。色合いがどうとかという話ではない。その雑誌を構成している全てがぶっ飛んでいた。

『ザ・クィブラー』。それが雑誌の名前らしい。

 重要でない些細な事について論陣を張る(quibble)とは、謙遜しているのか事実を述べているのか良く解らなかった。

 

「読んだ事が有る? これ、あたしのパパが編集してるの。しわしわ角スノーカックの記事とか、とっても人気で話題なんだよ」

「……()()読んだ事が無いが。その、しわ何とかとやらも聞いた事が無い」

「しわしわ角のスノーカック。スウェーデンに棲んでるの」

 

 彼女は自信満々に言うが、僕は顔を歪めざるを得なかった。

 

 一応『幻の動物とその生息地』は去年の指定教科書であり、尚且つ闇の魔術に対する防衛術の中で使用されたのだから、最低限の知識は有している。

 まあ、当該授業は飼育が目的では無く対処が目的なので、『闇の力―護身術入門』と共に狼人間などの一部しか参照しなかった──そして授業の中では後者の方が当然活躍した。但し最終的に狼男には噛まれるなという教訓で終わっていた──ものの、目次に如何なる動物が上がっていたか程度は未だに記憶に残っている所だった。

 

 しかし、そのような奇妙な生物は全く以って見た記憶が無かった。

 

「……わざわざ〝しわしわ角〟と付けるからにはそれが特徴的なのだろうが、その事が種の生存や繁殖にどう資するのか解りかねる。そもそも〝snor-kack〟という響きは僕には馬鹿々々しさしか感じないが、その名前は一体何に由来しているんだ?」

 

 第一スウェーデンというのもざっくりし過ぎだ。

 山に棲むのか、湖に棲むのか、雪原に棲むのか、さっぱり伝わって来ない。

 

 けれども、僕の当然の疑問を聞いた彼女は、微妙に夢から覚めたような瞳をして、僕の方を大きな瞳で見上げた。

 

「……どうかしたか?」

「ううん。だって、そんな事を聞いてくれた人は初めてなンだもの」

 

 別に興味を持ってそう聞いた訳では無かったが、彼女はそう取ったらしい。一度瞬きをした後、嬉々としてその謎生物について語り出した。

 

 そして丁度その瞬間、コンパートメントの前を偶々一人の人間が通りかかった。

 

 それはハーマイオニー・グレンジャーだった。

 

 彼女はコンパートメント内に僕を見つけて微笑んだが、何かに気付いたような素振りを見せた後で、直ぐに身を翻して戻って行った。

 ……まあ、宣無き事である。彼女が最も優先し、また今捜している友人のハリー・ポッターとロナルド・ウィーズリーはここには居らず、目的が達せられなかった以上当然だった。多少気が沈むのは否定出来なかったが。

 そして当然ながら、話に熱が入り始めたルーナ・ラブグッドは気付かなかった。

 

 とはいえ、彼女のような通行人が通る事は──ひいては僕と奇妙な少女が同席している光景の目撃者は──少なかった。

 僕が誰であるかに気付いた人間が例外なくギョッとした顔をするのは辟易したが、そのような人間は僕が思ったよりは少なかった。そもそも通行人自体が少ない事から見るに、殆どが既に空席を見つけたか、友達と合流を終えたのだろう。そして、僕の顔を見ても何ら気付かない者も少なからず居た。賢者の石の騒動はその程度でしかなく、自意識過剰だったのかもしれない。

 何より幸運な事に、スリザリンは一人も通らなかった。彼等は社交が御好きなので、その点は驚くには値しないのだが。

 

 そして、明らかに席からあぶれたような人間──つまり、何とか空席を探そうとしている人間が通りかかる気配もまた無かった。端の方は席が埋まっていると解りきっているからかもしれない。

 

 まあそんな特急内での学生達の行動観察はさておき、ルーナ・ラブグッドの話は荒唐無稽で、空想に満ちていた。

 一応話を先に振った以上、最初は真面目に聞いていた。が、聞けば聞く度に、彼女が話すその生き物は明らかに虚偽のように感じられたのだ。

 専門家では無い以上、僕に実在を否定する材料も無い。彼女が探し続ければ、本当にその生き物が見つかるかもしれない。しかし、話の途中でも僕が迷わず本を取り出す事を選択する位には、彼女の話を素直に受け止めるのは困難だった。

 

 勿論、流石の彼女もそんな僕の態度に多少機嫌を害したが、〝専門書〟──つまり今学年の教科書として指定された小説の内の一冊だが──を見せて、現魔法生物と比較したいと言えば直ぐに納得した。適当に頭に浮かんできた、記憶する価値も無い疑問を投げかけてやれば余計に上機嫌になった。どうやら余程周りに聞いてくれる人が居なかったらしい。

 

 そして、小説としては出来が良い教科書モドキを多少読み進め、それでも彼女の独演会の熱が未だに治まる気配が見られず内心辟易し始めた頃、とうとう明らかに席にあぶれたらしい生徒が通りかかってしまった。

 

 荷物が通路にぶつかる鈍い音。それによって、僕は視線を上げる。

 そこに居たのは、外がそれなりに寒いにも拘わらず汗を掻いた丸顔の少年だった。僕が誰かと──それもスリザリン以外の人間と居る事に驚いてしまったのは疑いなかった。

 

 ただ、驚愕するのは別に構わないのだが、出来れば静かにそうして欲しかった。その音によって、今まで話に夢中だった彼女は彼に気付いた上、余計な親切心を発揮したからだ。

 

「席、空いてるよ!」

 

 多少なりとも僕と会話が成立していたのが嬉しかったのだろう。

 最初の怖気付いた様子など忘れ去ったように弾んだ声は、逃げずに固まったままの人間へと声を掛けた。

 

 けれども、声を掛けた人間が悪い。

 その人間はグリフィンドール生、ネビル・ロングボトムだった。

 

「…………」

 

 正直、何と言えば良いのか解らない。

 スリザリンが嫌われている事くらいは彼女も知っているかも知れないが、彼がドラコ・マルフォイにしょっちゅう苛められており、尚且つ僕がその取り巻き──実態は微妙に違うが、外部から見ればそうだろう──である事を彼女は知らなかった。

 そして、自分から申し出るのも何となく嫌だった。

 

 だから彼が断わる事を望んでいたし、当然そうなると思っていたのだが、意外な事に彼は身を縮めながらコンパートメントの中へと立ち入ってきた。

 明らかな新入生が陰気なスリザリンと二人で居るのは良くないと、余計な騎士道精神を発揮したのかもしれない。決意を秘めるように息を吸った後、僕へと声を掛けてきた。緊張で声が震えていなければ完璧だった。

 

「……ええと、レッドフィールド。座って良いかな」

「……好きにすれば良い」

 

 少し迷いはしたが軽く頷いて、顎でルーナ・ラブグッドの側の席を示す。

 男女の関係から考えれば僕の側にネビル・ロングボトムが座るのが妥当だったが、彼からすれば僕の隣に座りたくないに違いない。その読みは正しかったらしく、ネビル・ロングボトムは荷物を棚の上に乗せた後、彼女の隣の席に座った。

 

 正直余り歓迎しかねる事態だったが……まあこれも已むを得ないだろう。

 グリフィンドールとスリザリンが共に居るのは絶対的に不適切だったが、別にこの結果としてネビル・ロングボトムが獅子寮で仲間外れにされようとどうだって良かったし、スリザリンである僕とて一年目ではなく二年目だ。去年ならば断固として拒否しただろうが、あの期末の状況を見る限り、マルフォイは僕を切れまい。

 

 何より、ロングボトムは疑いなく純血──聖二十八族だった。

 

 闇の帝王。彼が未だ健在であると知った以上、情報を集めるのは当然の事だった。

『日刊予言者新聞』という愚かしい塵紙に金を払うのは癪だったが、一応の情報雑誌である事に変わりない。一番良いのは、過去の、つまり十一年前の闇の帝王失墜当時の記事だったが、それを求められるのは、ホグワーツの図書館しか僕には思い当たらなかった。あそこは古い記事を全て取ってあると聞いた事が有るからだ。そして当然、家に居る間はどうしようもない。出来るのはこれからである。

 

 ただ、結論としてやはり塵紙は塵紙であり、ダイアゴン横丁で購入した書籍の方が遥かに役に立ったものだ。露骨に闇の帝王について語る物は無いが、しかし〝生き残った男の子〟について語る物は腐る程山積みされている。

 

 そして、それらに当たれば必然的に、素晴らしき血筋のロングボトム家について知る事になるのも当然だった。加えて、何故彼がスリザリンで無いかも。

 同時にネビル・ロングボトムという存在について興味が惹かれたのもまた事実であった。

 

 つまり、果たしてドラコ・マルフォイ達疑いなき純血は、ネビル・ロングボトムのような〝出来損ない〟について、一体どのように考えているのかを。

 

 彼等は魔法族のみの血を引いている事を誇りにしている。

 けれども、その一方で、彼等は──スリザリン全体は、ネビル・ロングボトムを明らかに詰まらない者として馬鹿にしている。

 彼等が純血の内にも〝外れ〟が生まれる事を認めるのか、はたまた彼等の拠り所である『純血一族一覧』を否定するのか。まあ、大本命はネビル・ロングボトムがロングボトム家の子供でないと主張する辺りだろうが、いずれにせよ興味深い物のように思えた。

 

 そしてその辺りを突けば、ドラコ・マルフォイを誤魔化す事などどうにでもなるだろうと思えた。彼は親に深く愛され、〝純血〟という殻に護られている。自分で自分自身の事を疑った事が無い人間を煙に巻くのは、非常に容易い事だと言える。

 

 もっとも、冷ややかな観察の目で見ている僕と、ネビル・ロングボトムは違うようだった。

 

 ルーナ・ラブグッドと自己紹介を交わし合い、彼が荷物を置いて座席に着いた後、僕はてっきり彼女と会話を続けるものだと思っていた。僕の認識では、彼は不運な新入生を護る為に、彼はこんな状況にわざわざ突っ込まなければならなかった筈だからだ。

 そして、それは別に僕にとって何ら問題は無い。如何に真実を語っていようと僕には狂気(ルーニー)としか聞こえない相手の矛先が逸れるのならば、それは歓迎すべき事である。

 

 しかし、彼はあろう事か、僕と話がしたいようだった。

 

「えっと、レッドフィールド。……去年は言い損ねちゃったけど」

 

 先程までの新入生と同レベルの力強さしかない声に、僕は本から視線を上げる。

 彼は明らかにビビッていたが、しかし視線を逸らさなかった。

 

「トレバーを探してくれてありがとう。言ってみれば君の御蔭で見つかったようなものだけど、僕は喜んでた内に、君はさっさと行っちゃうし。そのままズルズルと言う機会が無くて……今更だと思うかもしれないけど」

 

 そう言われて、何の事か解らなかった。全くもって思い当たる事は何も無い。

 だが、僕の困惑が伝わったのだろう、彼は慌ててヒキガエルを取り出し、そこで漸く去年に在った出来事を思い出した。一年という時間は、やはり遠いものであった。

 

「……ああ、あれか。ハーマイオニー・グレンジャーが勇ましく探したペットか」

 

 もっとも、ネビル・ロングボトムの言葉は正確では無い。

 

「僕は君の言葉を少しばかり代弁して、そこら辺の善良そうな上級生を捕まえて助力を求めたに過ぎない。言ってみれば、他ならぬ君が自ら探して見つけただけだ」

 

 そしてアレは、ペットが見つからない事に泣き出した男の子と、それを慰める女の子を連れていたというのが一番大きい。明らかな下級生──そして話せば新入生だと解る──がそんな状況であるのにそれを無視出来る者は、スリザリンを除いて早々居ない。

 発端はただ一人の上級生だったのだが、人伝に聞いた首席やら監督生やらがゾロゾロと名乗りを上げて大捜索が行われた結果、彼のペットである蛙は目出度く見つかったのだった。最後には拍手喝采だったのはある意味でノリが良く、そしてやはり馬鹿々々しかった。

 

 但し、同じ配役でも二人では見つからなかったかもしれない。ハーマイオニー・グレンジャーは何でも自分でやりたがり、他人に物を頼む事を知らな過ぎた。そして何より、彼女は同級生に見える相手には声を掛けられても、明らかな上級生——魔法を使えるような人間──に声を掛けるには、少々怖がりだった。

 ネビル・ロングボトムの方は……まあ言うまでもない。

 

 しかし、いずれにしても僕の助力は小さいに違いない。

 だが、ネビル・ロングボトムは善良だった。緩やかに彼は首を振る。

 

「それでも、君は確かにトレバーを探そうとしてくれただろう? そして、それにはやっぱり感謝すべきだよ。……と言っても、ここまで遅れちゃった僕が言えたものじゃないけど」

「……まあ、それは別段構わないが。会話する機会が一切無かったのは重々承知だ。合同授業で話掛けるなども論外だからな」

 

 特に魔法薬学でそのような行為に及べば、現実で悪夢を見る事は間違いない。

 

「だが、スリザリン相手にグリフィンドールがそうする必要が有るとは思えないが。何も覚えていない振りをすれば良いだろう。現に僕は覚えていなかった」

「けど、僕は覚えて居たし、心残りだったんだ。そして君はスリザリンだけど、マルフォイと違って僕を揶揄ったりしないし、僕に魔法を掛けたりもしないもの。だから、僕は君が言う程悪い奴じゃないと思っている」

 

 その言葉は、酷く真摯で、心を籠めた物だった。

 そして、先の学年で聞いた誰かの言葉と、余りにも似すぎていた。

 

 グリフィンドールとスリザリン。

 戦争遺族と戦争加害者。その関係は、ここにも有る筈だった。

 

 ネビル・ロングボトム。ハリー・ポッターと同日に生まれた少年は、やはり同日に闇の帝王の陣営から襲撃を受けて、やはり両親を事実上喪った。そんな余りにも数奇な運命を辿り過ぎている少年は、けれども、同様に僕へと一欠片の好意を示そうとする。ハリー・ポッターとは確かに違う理由でありながら、それでも全く同じように。

 

 先程までの僕の興味は、言わばロングボトム家の子息に対する物でしかなかった。

 けれども今僕に浮かび上がってきた興味は、間違いなくネビル・ロングボトム個人に対する物だった。

 

 しかし、それは──その興味が導く質問は、決して為すべき事では無いと理性は判断していた。疑問を口に出すだけならば幼子にでも出来る。自制すべき、問うべきではない質問というのは世の中に存在する。何より、ここには()()()が、新入生の女の子が居る。彼女の事を思うならば、そして何よりネビル・ロングボトムの事を思うならば、こんな過激で、残酷な疑問を投げかけるべきでは無かった。

 

 けれども、僕はその悪意の誘惑に耐え切れなかった。

 開いていた本を閉じ、彼の方を真っ直ぐ見つめ、僕は問い掛けた。

 

「……ネビル・ロングボトム」

「? 何だい、改まったようにして?」

「両親は──僕の母は死んだ」

 

 静かに告げられた言葉に一瞬呆けた後、その意味を理解した彼は酷く慄いた顔をした。

 

 唐突な話題だ。突拍子もない展開だ。それは問わずとも己が解りきっている。

 彼は何故僕がこんな話をするのか理解出来ていないに違いない。彼と僕は親しい訳では無く、親しい間柄で有っても、何の契機も無しに話をしようとしないだろう。本来ならば明らかに繊細さを要する、踏み込んだ質問だった。

 

 しかし、僕にとってこれは確かな、そして逃す事の出来ない契機だった。

 彼と話す機会など、恐らく二度と無い。そしてまた、御互いに破壊されるような関係など、決して形成されていないし、今後もそうされる事は有り得ない。永遠に訪れないであろう適切な機会を待つ意味など無いのだ。

 だからこそ、今ここで聞こうが何も変わらなかった。たとえそれが非常識で、非人間的であろうとも、それを問わねばならなかった。

 

「僕は未だに納得しきれていない。僕の価値観においては、あれは不合理だった。そこまでする必要は無い筈だった。なのに、母は死んだ。己でそれを選択した。それが……僕には理解出来ない」

 

 己の生存。それは至上命題の筈である。

 生きていなければ、泣く事も笑う事も出来はしない。その筈だ。

 

「君の事は知っている。悲劇だったと。闇による尊い犠牲だったと。しかし、それ以上でも無かった。彼等は数字でしかなかった。ハリー・ポッターと違い、それらは儀礼的に讃えられるだけで、英雄視されるべきものでは無かった。その行いの価値など、何ら変わらない筈なのに」

 

 ハリー・ポッターの両親の犠牲は、直接的では無くとも、闇の帝王の死をもたらすという唯一無二のものだった。

 一方で、ネビル・ロングボトムの両親の犠牲は、子供を護って親が死ぬという戦争中では有り触れた一事件に過ぎなかった。寧ろ憐れまれる始末だ。もう少し襲撃が遅れたのであれば、〝生き残った男の子〟による闇の帝王の失墜の御蔭で無事で居られたかもしれないのに、と。

 

 同じでありながら、そこには天と地程の差異が存在する。

 けれども、当事者にとっては違う筈だった。

 僕の母の死が、世界に何らの影響を齎さずとも、唯一無二であったのと同じように。

 

「だから、君に聞きたい。他ならぬ愛によって護られた君に。己の命を捨ててまで、己の輝かしき未来を投げ打ってまで、人は他人を護るべき価値が有るのかを。護られた人間は、その事を心の底から良かったのだと感じられるかを」

 

 ネビル・ロングボトムは答えなかった。

 彼は、その顔を嫌悪と不愉快さ、そして怒りに歪めた。視線を落ち着かなく動かし、最終的にコンパートメントの外へチラリと向けた。彼の右手は堅く強く握られ、彼の爆発の時が近い事を、僕は見て取った。

 

 けれども、僕は彼を止める権利を持たなかった。

 当然の権利行使を、僕なんかが止められる筈もなかった。

 僕は目を瞑った。当然の結果だった。そして、報いを受ける覚悟は出来ていた。罵倒されようが殴り掛かられようが構わない。それは我を忘れた愚か者が当然に受けるべき代償だった。

 

 故に、その空気を破ったのは、一人の新入生だった。

 グリフィンドールでも、スリザリンでも無い人間だった。

 

「あたしのママも死んだンだ。二年前に」

 

 思わず呆気に取られて、彼女の方を見た。ネビル・ロングボトムも同じだった。

 

「すっごい魔女だったんだ。でも、実験の最中に死んじゃった。呪文の失敗でね。ひっどい事故だった」

 

 遠くを見る彼女の表情は、酷く透明だった。

 まだ受け容れ切れていない事が、ありありと解る表情だった。

 新入生だった。年下の筈だった。けれども、彼女が大きく見えた。

 

「寂しいよ。悲しいよ。そう思わない筈が無いもン。まあ、あたしはあんたみたいに護られた訳じゃないけど、それでもママはあたしを愛してくれた。ちょっと厳しかったけどね。でも、ママは見えないところに隠れて、あたしを見守ってくれてるもン。だから、あたしは今もそれなりに幸せだよ。良いパパも居るしね」

 

 何も言えなかった。

 どういう理屈で彼女がそれを語ろうと思ったかは解らない。

 そもそも、彼女の言葉は、僕の疑問に何ら答えるものでは無い。彼女は彼女なりの死の受け止め方で、彼女の心中だけを述べた独白だった。

 だがそれでも、その言葉は一つの真理を表しているようで、やはり言葉が何も出て来はしなかった。

 

 だから、彼女の想いに応えたのはネビル・ロングボトム(グリフィンドール)だった。

 彼は、少し微笑みながら穏やかに言った。その瞳には眩しくなるぐらいに、強い光が宿っていた。

 

「僕も酷く悲しく、惨めになる事が有る。何故、僕はこうなんだろうって」

「…………」

「別に、ばあちゃんに思う所が有る訳じゃないけど、ホグワーツ特急で自分の子供を見送る親を見る度に、どうしてそうならなかったんだろうって考える事が有る。馬鹿な話だよね、僕の両親は、僕がそうする為に──ホグワーツに行く為にああなったのに」

 

 彼の両親の状態を、僕は紙面の上でしか知らない。

 磔の呪文。肉体的な損傷が残らない禁呪。僕はそれを余りに不経済だと考えていた。

 何故なら、人体の欠損というのは、それが自分の物であれ他人の物であれ、見る者に精神的衝撃を与えるのには効率的な手段と言えるからだ。にも拘わらず、それを発明した魔法族はその結果を無駄だとして切り捨てた。故に、禁呪というには、他の二つ──服従や殺人の魔法と並べるには余りに型落ちでは無いかと、そんな事すら考えていた。

 

 けれども、やはりそれは許されざる呪文として並べられるだけの理由が有るのだろう。

 彼は、まさしく地獄を見た筈なのだ。それが齎す、最悪の結果を。

 

「僕はルーナみたいに強くなれる気がしない。父さんと、母さんは、未だに僕を見てくれないもの。父さん達が僕をしっかり見てくれる日を何度も夢見て、心の何処かでそれが絶対に叶わない事だと信じちゃっている。でも、それでもやっぱり僕は、父さんや母さんの行いに心の底から感謝しているんだと思うし、本当に好きなんだと思う」

「…………」

「君はどうなんだい?」

「僕は──未だに答えが出ない。母を愛していたのは、間違いないが。誇れる気はしない」

 

 卑怯な答えだった。

 だが、ネビル・ロングボトムは軽く頷いた。

 そして、ルーナ・ラブグッドは嬉しそうににっこりと微笑んだ。

 

 僕が、彼が、そして彼女が、同類などでは無い事は明確だった。

 いずれも肉親の死に対して異なる向き合い方をしており、その事について理解はすれども共感までは出来ない事は歴然としていた。だが、それでも、やはり御互いを尊重するべきであるという点においては、残念ながら一致してしまっていた。

 

 別に伊達や酔狂で、彼等にこんな事を聞いた訳では無かった。

 先の学年に起こった事。それは未だに忘れられない。

 魔法戦争は終わってなどいない。あの教授が第一次と評したように、闇の帝王は未だ生存しており、復活を諦めていないのだ。百年後に復活するのならば、或いは僕がホグワーツを卒業した後であれば、別に好きにしてくれと言いたいくらいだった。けれども覚悟は決めておくべきであり、そしてそれは早いに越した事は無い。その点において、僕はあの老人とやはり気が合わなかった。

 

 つまり、己の立ち位置を意識し、また自覚すべきだった。

 僕はスリザリンであり、死喰い人の息子であるドラコ・マルフォイと一応近しい関係に有る。

 仮に魔法戦争が再開された場合、スリザリンは当然のように支配下に置かれ、僕は立場の選択を迫られる事だろう。いや、迫られる選択など無い筈だ。肉親のしがらみが無く、魔法界への執着すらなく、そしてスリザリンに組分けされた僕は、どうするのが一番賢いのかを知っている。理解している筈なのだ。

 

 だが──未だ答えが出ていないように思えて仕方がない。

 母は僕がホグワーツに行く事を望み、その将来を祈り、僕を愛していたのだから。

 

 しかし、二人はそれ以上余計な事を問わなかった。

 ネビル・ロングボトムは、僕の愚かさを断罪しない強さを有していたし。

 ルーナ・ラブグッドは、僕の迷いを追求しない賢明さを持っていた。

 

 その上で、彼女は言った。

 

「満足した?」

 

 僕は頷きはしなかったが、彼女はそれで十分だったらしい。

 

「じゃあ、ステファンが長々と話したから、今度は私の番ね」

 

 そう言った後、その手に持った本を──『ザ・クィブラー』をまるで聖典のように掲げた。

 その余りにもけばけばしくて馬鹿々々しい表紙にネビル・ロングボトムが目を丸くする。そう言えば、彼は未だそれを見ていなかった。当然それに圧倒される経験もしていなかった。

 

 何時の間にか、先程までの暗く重苦しい雰囲気は吹き飛んでいた。

 そして、ルーナ・ラブグッドは今まで見て来た通りの狂気(ルーニー)に戻っていた。もっとも、少しばかり張り上げるような声を考えるに、今の彼女は彼女なりに何時も通りではないのかもしれなかった。

 

「ネビルはさっき居なかったから最初から話してあげるね。ステファンも真剣に聞いてくれてたから、ネビルもきっと興味を持ってくれると思う。しわしわ角スノーカックはね、スウェーデンに棲んでるんだ」

「……えっと、何?」

「しわしわ角スノーカックだよ、ネビル」

 

 困惑と共に助けを求める視線を無視して、僕は再度本を開いて視線を落とした。

 流石にその不思議生物については聞き飽きたというのも有ったし、何より──考えを整理する時間が欲しかった。僕の余りに身勝手な問いに対して、それでも真摯に対峙してくれた彼女達について。

 

 僕達を待っていたかのように汽笛が鳴った。出発の合図だった。

 

 ホグワーツへの道中、彼女達の会話は多少ちくはぐでありながらも、何とか成立していた。ネビル・ロングボトムがその珍妙な生物群に興味が無いのは解りきっていたが、彼はそれを指摘するには推しが弱く、またルーナ・ラブグッドはそれに気付かない位に自分の世界に入り込んでいた。

 そして僕は、本を読む振りをしたまま、思考に沈み、しかし確かに彼等の会話へと耳を傾けていた。

 

 恐らく、これは今年だけだろう。

 

 ルーナ・ラブグッドは、ホグワーツで友達を作る前の新入生で、知り合いも居なかったからこそ、一人で座っている──つまり、仲間内で楽しげに喋っているような声を掛けづらい者達ではない──人間に意を決して声を掛けようとしたのだろう。

 ネビル・ロングボトムも同じ。似合わない騎士道精神を発揮しただけで、別に僕と友好的になろうとした訳では無い。今年のように陰気なスリザリンと座る羽目になった事で懲りて、来年は何とか他のコンパートメントを見つけようとするだろう。

 

 だから、この賑やかさは今年限りのものになる。それは確信している。

 

 ただ。

 一人で居るのと同じ位には、この時間は不愉快では無かった。




・しわしわ角スノーカック
 飛べないことと角は一人でに治ることとスウェーデンに棲んでいる以外良く解らない。
 ルーナが度々韻を踏む事もあって、彼女が語る謎生物もまたネイティブには面白味の有るように聞こえる名前なのかもしれない。


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純血主義

今回も一万六千字程。


 今年は何も起こらない。

 最初は、そう思っていたものだ。

 

 空飛ぶフォード・アングリアは少しばかり派手では有った。

 違法行為にも軽重が有るが、国際機密保持法を破壊しかねない類は基本的に重罪である。アズカバン送りまで行かずとも、杖を折られる事態、つまり一発退学になっても可笑しくなかった。だが、その〝偉業〟を成し遂げたのは〝生き残った男の子〟である。仮にアルバス・ダンブルドアの介入が無かったとしても、彼の処罰がどうなるかなど明白だ。

 そして個人的な意見を述べるのならば、過去に飛べない時点でデロリアンよりも旧式(old-fashioned)である。次の機会が有れば逆転時計と組み合わせて欲しいものだった。

 

 一方で、新しい闇の魔術に対する防衛術教師もまた派手では有った。

 愚かしい程に、という一語を付け加えるべきだろうが、それは良い。ギリギリの所で踏み止まっていた去年と違い、今年は完全に講義の秩序が崩壊しているのは明らかだ。

 

 しかし、彼はそれ以上の物でも無かった。

 我等がスネイプ寮監に尋ねるに『アレは小物だ。そしてクィレルの時とも違う』との有り難い保証が返ってきた。それと同時に、校長閣下が不愉快な策謀を張り巡らせているとも。

 ただ寮監と違い、僕にとってそれは別にどうでも良い事だった。僕と寮監のスタンスは、確かに似ていても、決して一致するものでは無い。あの老人が学生の七分の一を台無しにするだけの意義が有ると判断したというのならば、それは必要な事では有るのだろう。

 

 一応他の教授陣──三寮監にも確認したが、濁した言葉ですら伝わってくる程度には大した人物で無いという確信が抱けただけだ。スネイプ寮監と学生時代が被っているという興味深い事実も聞けたが、流石にわざわざ地雷を踏みに行く趣味も無い。いずれにせよ、闇の帝王の手駒として彼がクィリナス・クィレル教授よりも不適格なのは歴然としているように見えた。

 

 故に、僕にとっての一番の関心事は、ハーマイオニー・グレンジャーの対応が何故か冷たいように思えるという事で有ったし、またハロウィンパーティーに彼女が再度居ないという事で有った──去年の同日に起こった事を考えれば当然だった──のだが、まさかそれを完全に頭から吹っ飛ばす事態になるとは思わなかった。

 

 秘密の部屋は開かれたり。

 継承者の敵よ、気をつけよ。

 

 そんな不愉快な文言が、壁に描かれている。

 

 秘密の部屋。ホグワーツに秘された、サラザール・スリザリンの遺産。

 〝秘密〟であるのに知られているという、余計な揚げ足取りは不要だった。

 サラザール・スリザリンはホグワーツの創始者であり、実在の人物である。そして、子孫の存在も当然に確認されている。四寮の絆の崩壊後においても、グリフィンドール、レイブンクロー、そしてハッフルパフは、当然のようにスリザリンの子孫をホグワーツ──但し、スリザリン寮ではあるが──に受け容れ続けた。

 であれば、そのような遺産が遺されていた所で全くもって不自然では無いし、それが語り継がれる事もまた何ら疑問を抱くものでは無い。

 

 もっとも、伝説という物が全て真実を語る物では無いというのも僕は当然に理解していた。

 つまり、時には全くの嘘である事も、或いは真実の一側面を語れども誇張されたに過ぎないという場合も多々存在する。特に秘密の部屋の性質を考えれば猶更疑うべきだった。

 

 サラザール・スリザリンはゴドリック・グリフィンドールに敗北した。

 

 決闘裁判。そのような風習がノルマン・コンクエスト(1066年)以前のこの島国において通用したのか、そもそも魔法界において()()()()()()それが存在したのかは不明である。当然ながら、彼等が雌雄を決するその意図をもって決闘を行ったか――もしくは本当に決闘(或いは寮間での内戦)を行ったのか――というのも歴史の闇の中である。

 

 しかし、重要なのは、後世の人間がどう考えるかという事だ。

 決闘により正義を示すというのは、古代ゲルマンからの由緒正しい権利救済の手段だった。

 理性と合理を備えた者によるその手段の明確な禁止は遥かに時代を下る必要が有り、グレートブリテンでは近代に入ってすら何度も幾度も却下された歴史が、合衆国においてはほんの数年前に、決闘での裁判の申し出が裁判所に却下されるような事態も起きている。

 

 それを馬鹿々々しいと取るのは自由だが、どんなに調査を尽くしても不明瞭な罪は神に委ねるしかないという一種の諦念と、全知全能が正しき者を見捨てる筈も無いという篤き信仰が根底に存在していた事を忘れてはならない。

 

 付け加えるならば、少なくとも現在においては、魔法界でも決闘という制度が今尚存在している事に疑いはなく、当然に勝った方が正義であるという思考もまた当然に有している。

 

 故に、ゴドリック・グリフィンドールの勝利という歴史的事実は、スリザリンにとっては長らく屈辱的で有った事に疑いはない。つまり、サラザール・スリザリンが他の三創始者の目を盗んで〝マグル〟殺人兵器を残せしめたという、そんな虚偽の神話を創作しても可笑しくないと思える位には。

 

 そして僕は、その後者の考えの方が──つまり、秘密の部屋など存在しないという考えの方が、至極妥当のように思われたのだ。

 

 アルバス・ダンブルドア。あれ程化物染みた存在ですら、彼は今世紀で最も偉大な魔法使いに留まり、至上最も偉大な魔法使いでは無い。

 まあ四創設者という〝殿堂入り〟が存在する以上已むを得ない事であるともいえるが、しかし、アルバス・ダンブルドアと同程度に傑出した魔法使いが、この千年間全く現れなかったと考える方が無理な話だ。スリザリンにも、マーリンという偉大な先達――彼の残した功績からすれば、秘密の部屋を使うとは思えないのも確かだが――が居る。

 

 いずれにせよ、並外れた力を持つ多くの大魔法使い達が伝説を追い求め、ホグワーツという限られた空間を隅から隅まで捜索し続けた筈であり、しかしその結論は現在に示されている。

 秘密の部屋は、誰にも見つけられていない。であれば、そのような物は虚構と考えるのが当然の論理の筈である。

 

 そして──この文字を見て思う事もまた同じ。

 秘密の部屋が開かれたと書かれた所で、それが真実である保証など全く無い。都合よく伝説を騙って、人を恐怖に陥らせようとしていると考える方が理に適っている。

 

 死んだ猫が傍の松明に吊るされているのは脅しのつもりかも知れないが、()()()()()()()()()()()()()()()。秘密の部屋の伝説からは、余りにもそぐわない。吊るしておくならば、サラザール・スリザリンがホグワーツに不適切だと考えた、〝マグル〟の死体の方が余程相応しいと言えるだろう。

 

 ……まあ、そぐわないからこそ、逆に余計不気味でもあるのだが。

 

 しかし、今僕の頭を占めているのは、たった一つだった。

 

「継承者の敵よ、気をつけよ! 次はおまえたちの番だぞ、〝穢れた血〟め!」

 

 そんな愚かしい言葉を堂々と吐き捨てたドラコ・マルフォイを後ろから撃ってやりたいという欲求を、何とか押し留める事だった。

 

 

 

 

 

 純血主義。

 スリザリンの特性として表されるソレは、しかし、そうされてしまったが故に、歪んだ形で現在まで引き継がれてしまったように思う。

 

 現に()()()グリフィンドール的人間は〝純血主義〟を唾棄すべき下らないモノとして結論付ける。別にそれは構わない。僕とて純血主義に真正面から賛成する訳では無い。が、彼等がそこで思考停止してしまっている事だけは頂けない。

 

 純血主義の伝統は、それなりに良い面も有る。

 文化と知識、教育の継承。縁戚化による対立の回避。政治と社会の団結の密接な連携及び強化。今は汚泥のようになっている事も否定しないが、それはあくまで今だからだ。

 

 グリフィンドールは忘れているのだろうか。

 彼等のゴースト、ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿は、〝マグル〟の王宮に仕え、公然と魔法力を貸したにも拘わらず、一度の些細な失敗によって魔女狩りの下に処刑されたのだと。杖を奪われ魔法が使えないようにされた挙句、斬れ味の鈍い斧で拷問され、死に至らしめられた──まあ、ゴーストになった以上死んでは居ないが──のだと。

 

 国際機密維持法。

 かの大分裂の時代まで、〝マグル〟と魔法族は同じ世界を生きていた。

 裏を返せば、その瞬間まで、魔法使いは〝マグル〟の脅威に晒され続けていた。

 

 そして民族浄化の手段は、一つは女を奴隷化する事であるが、もう一つは子供を殺戮する事である。都合の良い事に、未成年の──特に、十一歳未満の子供は、魔法を上手く制御出来ない。しかも酷く原始的な形で彼等はそれを発現させてしまう。つまり、〝マグル〟にも解りやすい形でだ。その果てに起こる悲劇など、わざわざ必要無いだろう。

 

 多くのスリザリン──つまり純血同士の結束を深める事に終始し、内に内にと閉じ籠り続けた者達──以外の魔法使いは1692年まで期待を捨てなかった。名誉革命(1688年)後、グレートブリテンとアイルランドの魔法界は、ウィリアム三世及びメアリー二世に対して、〝マグル〟法の下での魔法使いの保護を求めすらした。

 そして、その〝成果〟が、先の国際機密維持法だった。

 

 サラザール・スリザリンは聡明であり、賢明だった。

 〝マグル〟は魔法族を護らない。だからこそ、純血を死守し、その内で教育を課し、御互いの結束を図るべき──もっとも、かつてのマルフォイ家がそれまで〝マグル〟との付き合いが最も深い一族の内の一つだったというのは、歴史の数奇さを示すものと言えよう──だった。それを違えた結果、魔法族はそれまでより深く、〝マグル〟から隠れ棲まざるを得なくなった。今の人間は忘れているが、それは紛れもない魔法族の挫折であり、敗北なのだ。

 

 何せ国際機密維持法の成立はすんなり行った訳では無く、〝マグル〟に宣戦布告をしようとする者達は決して少数派では無かったのであり、しかし最終的な結果は今見ての通りなのだから。

 

 無論、先の学年におけるアルバス・ダンブルドアの冷ややかな指摘に対して、僕は忸怩たる思いを抱きながらも否定出来ない。

 

 あの老人は暗に言ったのだ。仮にかつてのサラザール・スリザリンの考えが正しかったからと言って――ゴドリック・グリフィンドールによる勝利が間違っていたからと言って――現在もまたそうであるとは限らないと。スリザリンは、創始者の無念を晴らす事に固執し過ぎて、〝今〟大事な事を見失っているのではないかと。

 確かにそれは一応の真理を突いているのだろう。

 

 しかし、スリザリンが間違っていた所で、グリフィンドールが正しいという訳でもまた無いのだ。そして、それは現在の状況により証明されてしまっているように僕には思えてならない。

 

 純血主義は歪んだ形で伝わり、必然として他も歪んだ。〝マグル生まれ〟を〝穢れた血〟と呼ぶ最大の怨敵(スリザリン)に対して結束してしまったせいで、魔法族はそれ以外に目を配る事を忘れてしまった。

 

 すなわち、〝マグル生まれ〟は厳密には()()()なのだ。何故なら、魔法を使えるのだから。

 スリザリンは目を逸らしがちだが、その事実は変わらない。そして、それを理由にグリフィンドールの後継者達が彼等を同胞として――()()()使()()()()()()()強く擁護してしまった事の帰結として、魔法を使えない者への差別を寧ろ浮き彫りとしてしまった。

 

 〝スクイブ〟。〝マグル〟。

 殆どの魔法使いは、彼等を明らかに蔑視している。

 

 僕に言わせれば、スリザリンが魔法族同士婚姻した家系である事を理由に〝純血〟主義を掲げているのであれば、それ以外は魔法力の有無を〝純血〟主義として掲げている。言葉の定義が多少違うだけで、本質的には同じ穴の狢である。

 

 半ば已むを得ない事であるとは言え、〝スクイブ〟は魔法族の社会から公然と排除され、家族以外に助けが与えられる事は無く、非魔法族社会へと追いやられるか魔法界の片隅で惨めに生きる事を強いられている。

 〝マグル〟に対しても、善良な見方をしている魔法族ですら、非魔法族を奇妙で物珍しい道具を作る珍獣扱い程度にしか思っておらず、その知識と叡智に対して何ら敬意も理解も示そうとしない。

 

 それが差別では無いと――純血以外を徹底的に排斥するスリザリンと違うのだと、どうして言えようか。

 

 本当の意味で非差別的に近かった創始者の理念の余波か、ハッフルパフだけは多少違う見方をしている気がしたが──それは余談だろう。何にせよ、殆どの魔法使いが自惚れた差別主義者である。それが僕の認識だった。

 

 そして、僕もまたその千年以上続く宿痾から逃れられているつもりも無い。

 何故なら、僕は結局それを是正する為に動くつもりは無いのだし、その考えを誰にも──目の前の正義の騎士にさえ伝える気もまた無いのだから。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは僕を呼び出した。

 学期当初から一貫して僕に余所余所しかった気がしたが、先日の危機はその態度を撤回するに十分だったらしい。というより、わざわざふくろう便を経由してまで手紙を出してきたのは初めてだった。その中には日時と、四階の()禁じられた廊下という言葉だけが記されていたが、その筆跡が誰の物であるかなど僕が見間違えようがない。

 他の生徒の目を盗み、その指定した時刻より僅かに早く着いてみれば、その端に隠れるように、彼女は腕を組んだまま待っていた。

 

 

 

 

 

 彼女は怒っているというか、やはり微妙に不機嫌なように見えた。

 秘密の部屋が開いたという事を考えればそれは別段不思議でも無いと思ったのだが、それも違うような気がした。何故なら学年当初から、彼女は僕を避けないまでも図書室内でそんな感じでは有り、また今回も同種の感情を継続しているように見えたからだ。

 

「待ってたわ、ステファン」

 

 彼女はそう言って、僕が入ってきた扉の方に杖を向けて呪文を唱える。

 

「……二年の力量では簡単に開けられると思うが」

「それでも、隠れる程度の時間は稼げるでしょう。去年は禁じられていたというイメージも有る訳だしね。それに今回は適当に場所を見繕っただけで、また適切な場所が無いかを探しておくわよ。或いは、一か所に固定しなければ良いかも知れないし」

 

 当然の事のように、彼女は言ってのけた。

 

「……僕達は、余り接触しない方が良いと思っていたが? 生徒が居ても可笑しくない図書館ですらリスクが有るのに、他の場所で出会っていると知れたら──」

「――あら、私も今年が始まるまさにその瞬間までは同じく思っていたわよ。もっとも、去年スリザリンをギリギリで救い上げた人は、また違った考えを持っていたみたいだけど」

「……まあ、去年と僕の立場が多少変わっている事は認めるが」

 

 皮肉めいた口調を隠そうとしない彼女に、僕は肯定の意を示す。

 

 学年末の加点は、僕が考える以上に大きな物だったらしい。

 当然ながらあの老人を嫌っているスリザリンは褒め称えたりもしないし、反対に老人の手駒だとして身内から排除する事は、スネイプ寮監の助力も有ってか無かった。

 しかし、他のスリザリンが気付かなかった事に気付き、尚且つ自ら手を下さずに干渉してしまったせいで、油断がならず触れてもならない(アンタッチャブルな)人間という風には認識されてしまったらしく、去年以上に微妙な立場に押しやられていた。

 

 勿論、それは僕の立場が大幅に改善したという訳では無い。相変わらず軽蔑され、嘲笑されるのは普通で有ったし、ドラコ・マルフォイも僕を都合の良い小間使いとして扱う事は──僕とてそうされない方が寧ろ困るので有るが──止めなかった。けれども、多少自由に動けるある種の貯金が出来たというのは、確かな事だった。

 

「図書室では、御互い好きに話せない事は去年を通して十分理解しているでしょ。マダム・ピンズの目を盗んで会話するのも大変だし、話せる内容自体も限られてるし。それとも──」

 

 彼女は息を大きく吸って、言い切った。

 

「――〝穢れた血〟とは会っている事を見られたくないって事?」

「…………」

 

 鋭い言葉に、僕は黙り込まざるを得ない。

 

 その言葉を彼女から聞く事は、去年から予測はしていた。

 グリフィンドールが、あの無駄に騎士道精神に満ち溢れた集団が、その刺激的な単語を彼女の耳に入れる事は可能な限り無いであろうとは思っていた。しかし、それでも彼女には二人の友人と共に対立している、悪いスリザリンの敵が居た。彼女がその差別用語を聞く機会が()()()()()になったのは予想の斜め上だったが、しかしこれは必然であるとも言えた。

 

「その差別的な言葉については色々と聞いたわ。表している意味も、それがスリザリン内でどう考えられているかも。貴方が、去年一貫して他の人間から私と話されているのを見られたくなかった理由は、私が〝穢れた血〟だったから?」

「……まあ、その理由が無い訳では無い」

 

 語気の荒い彼女の言葉に、僕は嘘を吐いても仕方ないと肯定する。

 一番僕が念頭に置いていたのはグリフィンドールとスリザリンという敵対的な関係性――つまり、僕と友誼を続ける事で彼女の立場を損なうという点――だったが、純血主義の内実を知る中で、彼女が〝マグル〟生まれの魔法使いである事も遠ざける理由へ当然に加わったのは事実である。

 良くも悪くも僕は半純血であり、それより劣等の地位──勿論、純血(スリザリン)的価値観によってだが──の者の立場について真剣に考えて居なかったという事だった。

 

「当然ながら、貴方はマルフォイと交友が有る訳だから、こうなる事は予測していた訳でしょう? まさか、あのマルフォイが自重するなんて思えないし」

「……それもまた肯定する」

「じゃあ、私にそれを伝えなかったのは何故? 貴方ならば、去年の時点でスリザリンの彼等が私を何と呼んでいるか当然聞いていた訳でしょう? なら、私に対して去年の内に、私の魔法界での立場を伝えるべきだと思わなかったのかしら」

「…………何故、と言われても」

 

 その質問に対して、初めて困惑して言い淀む。

 先程までは筋が通っている質問だった。だが、今の質問、つまり僕が知っている事が何故彼女に伝える事に繋がるのかは良く解らなかった。けれども、彼女はそれが重要であると言うように、腕組みしたまま僕の方を見上げ、答えを待っていた。

 だから、これが正しいのかという確信が無いまま、僕は思った事のみを紡ぐ。結果的に間違っていたとしても、彼女に嘘を吐くよりはマシだった。

 

「自分が差別されている、なんて聞いて愉快になる人間は居ないだろう。恐らく君は、去年のように遠ざけられる事は有っても、悪意を持った差別を受ける経験は今まで無かった筈だ。別に知った所でどうしようも無いし、わざわざ気分を害する必要も無いだろう」

 

 何より、彼女との貴重な時間をそのような事に費やしたくなかった。

 

「それは……確かにそうだけど。でも、マルフォイに最初に聞かされるのは嫌だったわ」

「ああいう事件の場で、叫ばれるように、か?」

「いえ、違うわ。マルフォイが私をそう呼ぶのは二回目だもの」

「……二回目?」

 

 その事実を、僕は知らない。そして思い当たるような機会も無い。

 だが、ハーマイオニー・グレンジャーは何故か驚いたような顔をした後、その表情を笑みへと変えた。全くもって不可解な事に、何処か嬉しそうですら有った。

 

「わ、忘れて頂戴。兎も角、貴方が去年私に伝えなかったのは別に変な理由じゃなかったというのは何となく伝わったし、貴方が私をそう呼びそうに無いというのも理解したわ。ネビルやレイブンクローの子とだけコンパートメントを一緒にした理由も」

 

 慌てたように早口で言った彼女に、僕は更に困惑を深める。

 

「……ネビル・ロングボトムやルーナ・ラブグッドが何故そこで出て来る? そもそも、君が通り掛かった時、ネビル・ロングボトムはコンパートメントに居なかっ──」

「兎、も、角! 今は、それは良いの!」

 

 強引に話を打ち切ろうとする彼女に、僕はそれ以上追求する事を諦める。

 通常は非常に理性的で有るが、時として感情的になり、その場合は全く手が付けられなくなる事を僕は良く理解していた。

 

「私が言いたいのは、たとえ不愉快になっても、貴方から穏当に伝えて欲しかったという事よ。そりゃあ、聞かされた瞬間は冷静でいられる自信は余り無いけれど、それでもマルフォイから初めて聞かされるよりも数千倍マシよ」

「……そう言う物なのか? 見ない振りをしても良い事が無いのは否定しないが、見ないままで居られるならそれに越した事も無いだろう」

「首に手を添えて敢えて見せてくれる事が有り難い場合だって、世の中にはあるものよ」

 

 確信をもって紡がれた言葉に、僕は小さく息を吐いた。

 

 たまに話している論理が解らなくなる点を考えれば、アルバス・ダンブルドアとの会話の方が彼女との会話よりも気楽な面も有るのだと認めざるを得なかった。

 あの老人は、若者の言葉に容易に怒らない程度には老成しており、突飛な話題にも当然のように対応し、何よりその知識と叡智は深かった。常に曖昧な事を言うのを好むという気に入らない点は有るものの、その裏に理由の存在が透けて見えるのは解りやすく、また理解を示しやすいとも言えた。

 

 もっとも、それを彼女に真正面から伝えるべきではないという程度の常識は僕にも有る。

 

「まあ、本題は終わった事だし、余談の方に入りましょう」

 

 彼女はそう言って、表情を真剣な物に戻した。

 

「秘密の部屋について、貴方が知っている事は有る?」

「…………」

 

 その彼女の言葉に、今度は深く溜息を吐いた。

 僕は君に去年のように危険に突っ込むような真似をして欲しくはないのだと言いたい気もしたが、しかし、僕は彼女の親ではない以上それを言う権利もまた無かった。何より、〝穢れた血〟が──危険の方が近寄ってくる可能性が高い彼女が、その事に関心を抱くのは理解出来る話だった。そして、知人にスリザリンが居ればこうなるのは必然である。

 

「『ホグワーツの歴史』は?」

「全部借りられてたわ。やっぱり、皆気になるみたい」

 

 書籍の信奉者、ハーマイオニー・グレンジャーは肩を竦める。

 

「でも、ビンズ教授が話してくれたわ。スリザリンが、真の後継者が現れるまで開かない〝秘密の部屋〟を作ったって。そこには恐怖、何らかの怪物が残されていて、真の継承者のみがそれを操れるらしいわよ」

「……待ってくれ。彼に話を聞いたのか?」

「ええ。だって、教授は魔法史学を教えていらっしゃるし、ゴーストでしょう? 〝秘密の部屋〟について聞くには適切だと思ったの」

 

 あっけらかんと言うが、言葉が出て来ない。

 無茶苦茶というか、知識旺盛な彼女らしいというか。そして、答えが返ってきたのも驚きだ。彼は〝教授〟として十分過ぎる知識を有しているが、全くもって生徒に興味が無く、その講義に工夫も無かった。そして、ゴーストというのは、そのような存在である事が宿命である筈なのだが──彼女は、少しばかりとはいえ、それを打ち砕いたらしい。

 

「それで、スリザリンの貴方に聞きたいの。〝秘密の部屋〟について、もっと知ってる事が無いかって。出来れば、その怪物の正体についても」

 

 期待の眼差しで見上げてくる彼女に、僕は視線を微妙に逸らす。

 それに応えられないというのも有るが、それは余りにも目に毒だった。

 

「はっきり言って、秘密の部屋について僕が君に言える事は無い」

「え?」

 

 彼女の驚いたような声に、僕も少しばかり意を決し、今度は彼女に視線を合わせた。

 

「何故なら、僕は君が聞いた事以上の内容を知らないからだ。怪物だったという噂も聞いた事が有るが、それがゴーストでも関心を抱く程度に確度が高いものだとは思ってもみなかった。僕はそれを完全な虚偽だと考えていたからな」

「? どうしてそう思えるの? 私には真実な気がするけど」

「仮に実在するとして、アルバス・ダンブルドアが今までそれを探さなかったとでも? まさか、それを発見出来ないとでも?」

 

 偉大なるグリフィンドールの先輩の名前を出してやれば、彼女は口を噤む。

 あの老人とて、その類の職務怠慢をする事はしないだろう。それは間違いない。

 

「何より、秘密の部屋が開かれたという犯行声明が出されたからと言って、それが真実である保証は全く無い。その上未だ起きているのが猫一匹を殺しただけともなれば──」

「――殺してないわ。石化させただけだとダンブルドア校長は仰っていたもの」

「……そうなのか。ならば余計に、奇妙な話だ。サラザール・スリザリンの遺産が、たかだか猫一匹すら殺せない訳だからな。しかも、非魔法族を初めとする〝適切で無い者〟をホグワーツから排除するのに、何ら役に立っていない」

 

 そう付け加えてやれば、彼女も少しばかり自信を失ったらしかった。

 スリザリンの怪物。それを聞いて、思い当たる節が無い訳では無い。スリザリンが象徴とする生物が何であるかを考えれば当然に思い当たる事であり、『幻の動物とその生息地』(去年の教科書)においても、その名前は明確に記載されている。

 しかし、あの視線が齎す結果は〝死〟だった筈だ。明らかにそぐわないように見え、可能性としてはやはり低い気がする。その仮説を語る必要が有るとも思えなかった。

 

「そういう訳で、僕は秘密の部屋が開かれたという事を真実として真剣に受け止めていない。神話は神話であり、それを利用した何者かがホグワーツを闊歩している。その可能性が高いのではないかというのが、個人的な見解だ」

「ビンズ教授と同じ結論ね……。教授の方は、それが誰かに利用されているとは当然言わなかったけど。でも、それならばそれで、危険である事は変わりがないでしょう?」

「……まあ、そうだな」

「そして、騙るにしても、秘密の部屋がマグル排除を目的としたサラザール・スリザリンの遺産である以上、今回の事件においても同種の目的を持っていると考えるのが自然だわ」

 

 それも道理だった。そして、それこそが問題だった。

 別に秘密の部屋に何が遺されていようが、仮にそれが怪物であろうが、究極的には些細な事と言える。秘密の部屋は、スリザリンの継承者によって開かれるものである。要は、スリザリンの継承者こそが真に脅威なのであり、()()()()()()()()こそ最も注意を払うべき事項であると言えた。

 

「つまり」

 

 僕は深く息を吐く。

 

「君はスリザリンにその継承者が居ないかも、僕に聞きたい訳だ」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは強い視線でもって肯定する。

 解ってはいたが、何となく気が進まないのは確かだった。しかし、彼女とて引き下がる気が無いのもまた同様に解りきっている。彼女にとって、これは生命線であった。自らの身の危険という意味でも、恐らく今回の件に反対したであろう二人の友人を説得するという意味でも。

 

「僕も一応スリザリンである以上、露骨に身内を売る事は出来ない。それがたとえどんな人物で有ってもだ。だから、特定の人物については語らない」

 

 彼女が──彼女達が誰を疑っているかは察する事が出来るが、予め念押ししておく。

 そして、彼女は多少不満そうな表情を見せたが、確かに頷いた。

 

「現状のスリザリンの雰囲気は真っ二つに別れている。秘密の部屋の神話の再誕を喜ぶ者と、有り得ないとして表面上馬鹿にする者。前者が純血で、後者が半純血や非魔法族生まれだ」

「……え? 待って、スリザリンにはマグル生まれも居るの?」

「知らなかったのか──というのは酷か。表向きはそうでは無いからな」

 

 彼等が〝相応しい〟態度を取る限り、純血は一応見て見ない振りをしてくれる。それを知る半純血も、仮にその人物が自分と敵対的であったとしても、絶対にそれだけは口外しない。そして当然ながら自ら言い触らす事でも無い。となれば、外部が気付かないのは必然だった。

 

「今はそれは置いておこう。しかし、スリザリンの中に今回の功績を自慢する者は見る限り居ない。まあ、今起こっている事が猫を石化させた程度であるというのも有るが、談話室で交わされるのは殆ど秘密の部屋の謎自体についてだ。有ってもこれからどうなるかの予想程度でしかない」

「……でも、幾らスリザリンであっても、皆が皆仲良しって訳では無いんでしょ? 仮に秘密の部屋に居るのが怪物で、それを操れたとして、そんな武器を晒すような真似はしないと思うのだけど」

「そうだな。それは余りに不用意過ぎる」

 

 蛇は団結主義である一方、身内が自らと同様に毒を有している事も良く知っている。

 

「けれども、その犯行を仄めかす程度の人間は居て良い筈だ。或いは、これから起こる事を少しばかり〝予言〟しても良い。何せ、スリザリンの継承者だ。純血がその地位を欲しているのは明らかだし、一目置くであろう事も確かだ。自身がそうである事を明かした瞬間、王族になれる、とでも言うかな。その地位と価値というのは非常に高い」

「だけど、そのような人間は居ないって事ね。但し、当然ながら貴方が知り得る範囲の事に限られるでしょうけど」

「解ってくれて嬉しい。僕は純血のコミュニティの中に居る訳ではない。彼等が内輪で話しているという可能性は全く否定出来ない」

 

 もっとも、その可能性は低いようにも思えた。

 これは外部の人間に伝えにくいのだが、何と言うか、スリザリン内でこの騒動を冷ややかに見ている者が皆無なのだ。仮に真犯人が居るのであれば、この騒ぎを内心愉快に思い、ほくそ笑んでいても可笑しくないに違いない。しかし、純血・非純血問わず、それが期待にしろ、好奇にしろ、恐怖にしろ、今回の件に対して少なからず心を動かしている。

 

 勿論、これは僕の勝手な見方によるもので、上手く演技をしている可能性も有る、というかその場合に見抜ける自信が有る訳でも無い。

 けれども、スリザリン内に今回の犯人が居るというのは、どうもしっくり来なかった。

 

「ともあれ、僕には未だにスリザリンの継承者として思い当たる人物が居ない。別に全ての者が全くの無実だと主張したい訳では無く、言ってみればスリザリン全員が怪しいままであり、他よりも抜きん出て疑念を抱けるような人物が居ないという事だが」

「うーん、難しいわね。貴方に聞けば簡単に解ると思ったけれど、甘かったようね」

「……すまないな。この程度しか言える事が無い」

「……いえ。知らないのであれば、それは仕方がない事だわ」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは明らかにガッカリした様子を隠しきれていなかったが、それでも確かに微笑んで見せた。

 

「……ただ、これまで以上に周りに注意はしておこう。たとえ確信が持てなくても、可能性がそれなりに有ると判断すれば、君に伝える」

「あら、身内は売らないんじゃないの?」

「たまには例外が有っても良いだろう」

 

 少しばかり顔を顰めつつ言えば、今度は彼女も面白そうに笑ってみせた。

 

「そうしてくれると助かるわ。貴方が言う通り、今は猫を石化させるだけに留まっている事だしね。少なくとも現時点では、余計な心配をするべきでは無いのかもしれないわ。この学校には、ダンブルドア校長やマクゴナガル教授もいらっしゃるし」

 

 自分を安心させるかのように、彼女はそう結論付けた。

 しかし、そこで彼女は何かを思い出したような表情をした後、そう言えば、と口を開いた。

 

「聞く機会が無かったし、今の今まで忘れていたけれど。貴方、去年の賢者の石で結局何をしたの? 加点されたからには、間違いなく何かをしたのでしょうけど」

「……ああ、あれか」

 

 恐らく、ダンブルドアという名前から連想したのだろう。

 けれどもこちらの方は、たとえ彼女に対しても明確に首を振らざるを得なかった。

 

「それはアルバス・ダンブルドアに対して、誰にも語らないという事を杖に対して誓っている。こればかりは、君に対しても口に出来る事では無い」

 

 細かい事を言えば、『賢者の石の件』での『この校長室での会話』が果たして何処まで適用されるかが問題だったが、やはり語るべきでは無いだろう。

 

 あれは簡単に話せる内容でも無いし、御互いに踏み込み過ぎていた。

 何より、あの老人にとっては、クィリナス・クィレル教授は、ハリー・ポッターがその良心を痛めてはならない悪役のままであるべきだと考えているに違いなかった。僕にとっても、〝生き残った男の子〟が使い物にならなくなるというのは今の所歓迎しかねる事態だった。

 

 もっとも、流石のハーマイオニー・グレンジャーもまさかそんな発言が飛び出て来るとは思わなかったのだろう。目を丸くしながらも、こくこくと頷く。

 

「そ、そう。それは話しちゃマズいわね。余計な事を聞いちゃったわ」

「それこそ知らなければ、仕方無い事だろう。これは誰にも言っていない事でも有るからな、気になるのが自然だ」

「そう言ってくれると有難いわ。そうね、確かにダンブルドア校長も、学期末で私達には解るような嘘を言ってたものね。

 ――けど、少しばかり安心もしたわ」

 

 彼女は、悪戯っぽく、そして何処か揶揄うように言った。

 

「グリフィンドールでは、貴方がスリザリンの誰よりも闇の魔術に詳しくて、実はクィレルを操っていただとか、賢者の石での黒幕だったという話も出ていたのよ。本当に馬鹿な話よね。そんな外部からの変な干渉が無かった事なんて、ハリーや私が知っているのに」

「…………」

 

 ダンブルドア校長が知っているなら余計にそんな事は有り得ないわねと続ける彼女に、僕は何も答えられなかった。

 

 噂は常に真実を語る訳でなくとも、常に虚偽を語る訳では無い。

 

 だが、彼女は当然ながら僕の内心に気付くような事は無かった。朗らかな表情を崩さず、彼女は言う。

 

「また、ふくろう便で連絡するわ。……えっと、確認して無かったけど、図書館の外で私と会う気が全くないわけでは無いのよね?」

「……ああ、既に一度こうして会っているんだ。今更の話だろう」

「そう。安心したわ。ただ今度は手紙にも細工すべきかもしれないわね、マルフォイや他の人間が見る可能性も無い訳ではないし。暗号とかが良いかしら?」

「……それは君に任せる」

 

 悪巧みを楽しむような表情を浮かべて考え込んでいる彼女に、僕は諦めて答える。

 彼女は失敗を極度に恐れるタイプであり、このようなリスクを負うのは本来の気質では無いと思っていたのだがどうやら違ったらしい。グリフィンドールに染まったのか、それとも元々グリフィンドール的だったのか。

 

 ただ、彼女と自由に話せる回数が増えるのは、僕としても歓迎すべき事だった。僕の方とて、何か〝密会〟を隠す為の手段を考えておかなければならないだろう。

 暫く彼女は思考に沈んでいたが、僕の存在を思い出したように顔を上げた。

 

「予想以上に話し込んじゃった訳だし、今日はお開きにしましょう。ステファンもそれで良い?」

「……そうだな。ズルズルとここに居座った所で、余り得られる物はないだろう」

 

 名残惜しいが、それは事実だった。

 

「じゃあ、今回は貴方の方が先に帰って頂戴。言うまでも無いと思うけど、気を付けてね。今は禁じられては居ないにしても、教授方は生徒がこの辺りをうろつく事を良しとはしないでしょうし。御互い優等生だから、見つかってもどうにでもなりはするけど」

「……扉を出た瞬間に鉢合わせるというのはどうしようも無いがな。それは祈るしかないが。しかし、僕の方が先で良いのか? 君は僕より先に来ていたんだろう?」

 

 この場所は、当然と言えば当然だが、御世辞にも会話するのに適した環境では無い。

 微妙に肌寒く彼女の身体も冷えているだろうと思ったのだが、それでも彼女は微笑んで見せた。

 

「ええ。貴方が先に出てくれた方が適切だと思うし、ここに長居するつもりも無いわよ。特に今回に限っては()()()()()()()()()()帰るつもりだから」

 

 

 

 

 けれども、僕が甘かった。

 結果的には彼女が抱いた危機感の方が正しかった。

 

 ギルデロイ・ロックハートがハリー・ポッターを骨抜きにし、スネイプ寮監の授業で花火を爆発させるような命知らずが現れ、決闘クラブの行いによりハリー・ポッターがスリザリンの継承者候補筆頭に成りあがったのは些細な事とすら言えた。

 

 犠牲者は出た。

 コリン・クリービー。ジャスティン・フィンチ・フレッチリー。

 ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿も巻き込まれはしたが、いずれにせよ、サラザール・スリザリンの残した遺物は、純血以外──彼がホグワーツで学ぶべきでは無いと考えた者に対して牙を剥いた。

 

 結果として生徒は教授、監督生、そして首席らによって監視され、図書館ですらまともに向かう事が出来なくなったし、一人で出歩くなどもっての他であった。必然、ハーマイオニー・グレンジャーと隠れて会う事など全く不可能な状況に陥っていた。

 

 その間一度だけ、彼女からふくろう便が来た事が有る。

 彼女の筆跡で、『前に言っていた、心当たりはあるか』と。それに対して、僕は『無い』と一言だけ返した。それは紛れもない事実だった。

 

 スリザリンの中で、そのような人間は居なかった。談話室で声高には言わなくとも〝純血派〟はいよいよ上機嫌に──けれども微妙に不安さを隠すように──なり、〝非純血派〟は逆に恐怖を隠せずに居られなくなっていた。

 

 そして、スリザリン内での会話にも決定的な変化は見られない。今回の事件について、スリザリンの継承者へ助力したいと言う人間は居ても、或いは誰が次の犠牲者になるかを賭け出す人間が現れても、その犯行を示唆したり、今後の〝予言〟をする者は全く居なかった。僕の眼において、スリザリンは、犯行に関与していないという点では白のようにしか思えなかった。

 

 猜疑と陰鬱は、日が進むにつれてどんどん深くなっていく。

 〝マンドレイク回復薬〟により石化は解く事が出来るのだという発表が有って尚、生徒を安心させるには全く至らなかった。

 

 完全な石化というのが並外れた闇の魔術で無ければ実現し得ない事を、特にスリザリンは良く知っている。そして、そのような存在は人を殺しうる力もまた当然有している筈であり、気紛れに今までの方針を変える事もまた十分に有り得るのだという事も。

 

 そして、そこまで詳しくないスリザリン以外でも、非常に危険な存在がホグワーツを自由に闊歩しているという事は正確に認識していた。寧ろ詳しくないからこそ、更に恐慌に陥っていた。教授陣は何とか統制を保とうとしていたが、ミネルバ・マクゴナガル教授やスネイプ寮監の授業ですら怪しくなる程度に、生徒は今後に対して不安と恐怖を抱いていた。

 

 勿論僕も気が気では無かったし、何処かの老人に対してさっさと解決してくれという思いを抱いていたが――ただ一つ、大きな疑問を抱かざるを得なかった。

 〝マンドレイク回復薬〟によって石化が回復されるのは良い。しかし、ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿、つまりゴーストに対し、一体どのようにしてそれを服薬させるというのだろうか──?




・空飛ぶ車
 Ford Anglia 105 E(ハリー・ポッターで用いられるのはDeluxe)が登場したのは1959年。
 DeLorean(これは通称であり、正確には DMC-12)の登場は1981年。会社破産が1982年。
 Back to the Future三作は、1985年、87年、90年。

・決闘裁判の却下
1983年のMcNatt v. Richards。

・純血主義
 「君の家族はみんな魔法使いなの?」というハリーの質問に対し、ロンは「あぁ……うん、そうだと思う」「ママのはとこだけが会計士だけど、僕たちその人のことを話題にしないことにしている」と答えている(一巻・第六章)。もっとも微妙な発言で、そのはとこが魔法使いで無い可能性も有り得、話題にしないのも差別に基づく理由では無いかもしれない。
 一方で、スクイブに対して、ロンは「本当はおかしいことじゃないんだけど」と述べながらも、フィルチは生徒を「妬ましいんだ」という感想を表明している(二巻・第九章)。
 誤解を防ぐ為に述べておくと、これらの事実によってロンが差別主義者だと主張したいとか、その言動を非難したいという事では無い。

・スクイブ
 アラベラ・フィッグに対して「ハリー・ポッター以外に魔法使いや魔女がいるという記録はない」「両親についての詳細を知らせておくよう」という発言(五巻・第八章)が有るように、魔法省は明らかにスクイブ個人について記録を取っておらず、関心も有していない。
 フィッグ自身も「あたしゃ登録されていませんでしょうが?」と述べている。

 一方で、設定上、スクイブ支援協会というものが魔法界にあるらしい。しかし、その創立者の功績が公然と評価されるようになったのは、創立者の死から22年後の2007年の事のようである。


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蛇の王

次話、次々話で秘密の部屋の章は終了予定。


 冬季休暇中、ドラコ・マルフォイは珍しくホグワーツに残っていた。

 

 秘密の部屋の犯人が解らない現状から当然のように帰宅を選択した他寮と違い、殆どの純血のスリザリンは、今回の騒ぎについて恐怖を抱いてはいない。

 しかし、今年も彼等の内輪での社交会が有るのは浮かれた話題からしても明らかで、当然のようにスリザリンに残る生徒は圧倒的少数派であり、また去年あれ程僕やハリー・ポッターらを煽っていたのだから、ドラコ・マルフォイも家に帰る事を何ら疑って居なかった。

 

 けれども、その予測は外れ、彼は寮へと残った。

 その取り巻き二人すらも一緒に。

 

 その理由に内心首を傾げざるを得なかったが、けれども問い質すような真似を僕はしなかった。

 僕にとって彼の行動は興味の範疇に無く、強いて言うならば、彼の干渉が鬱陶しいくらいだった。

 

 彼はホグワーツでの休暇が余程退屈らしく、気紛れに僕へとちょっかいを掛け続けた。

 クリスマスである今朝も、一冊だけ送られて来たプレゼント──今年は、変身術に関する書籍だった。正直言って、魔法界の物であるのは有り難い。去年は隠し通すのに苦労したし、現在は家に置いたままである――を隠した後、プレゼントは誰からも来なかったとドラコ・マルフォイに告げる事で彼の自尊心を満足させ、彼が受け取った素晴らしいプレゼントの数々について長々と拝聴する羽目になったものだ。

 

 もっとも、もう既に一年半も彼と交流を続けているのだから、御互い慣れた物だった。

 一応拝聴したとは言っても、僕は本を読みながらであったのだから、ドラコ・マルフォイの言葉を半ば聞き流していたに等しい。既に彼も、僕が読書を止めない事について何も言いはしない。それでも僕に話し掛けるのを止めようとしない辺り、彼らしいと言えば彼らしいのだが。

 

 そんな些細な特別の朝を迎え、何時も通り読書の為に昼食を抜き、去年に比べて煩わしいクリスマス・ディナーを過ごした後の事である。ふくろう便を受け取ったらしいドラコ・マルフォイが、不気味な位に満面な笑みを見せながら、僕に良い物を見せてやろうと宣い出した。

 

 彼にとって良い物が僕にとって良い物で無いのは明らかだったが、ドラコ・マルフォイが言い出した以上、それは決定事項と言えた。もっとも、相変わらず僕に一番最初に見せるような気は更々無いらしい。彼は子分等が見当たる場所に居ない事に僅かばかりの苛立ちを見せてから、彼等を探しに行った。

 

 何時もの事と言えば何時もの事だった。当然ながらその時点において、僕は何ら疑問を抱きはしなかった。何の変化も無い、スリザリンの談話室の光景だったと言って良い。

 

 故に、問題はその後だった。

 

 ドラコ・マルフォイは二人組を連れて談話室に入ってきてから、良い物を取ってくると自室に向かった。その際、彼は僕の傍の席へ座っておくように指示し、それもまた自然だった。

 

 彼等が僕を嫌悪しているのは確固たる事実だが、さりとて最近は無駄に避けるよりも利用した方が良いのだと気付いたらしい。まあ、彼等の成績からすれば当然の事であり、皮肉を言えば今更かと評するべきなのかも知れなかった。

 

 僕としては、彼等は去年良く進級出来たものだと感じた程度でしかなく、彼等が間接的にその恩恵を被る事について、別に細かく言うつもりも無かった。彼等が僕に貸しや恩義を感じてくれる程に悧巧だとは思っていないが、更にリソースを割く必要は無く、ついで程度の手間で済むのであれば、そうしない理由もまた無かったのだ。

 

 もっとも、彼等の態度がそれ以降で大きく変わったという訳では無い。彼等は軽蔑と侮蔑を表すのに何時も熱心だったし、余程の用事が無ければ、僕に話し掛けてこようなどしなかった。ドラコ・マルフォイから同席を指示された場合とて、親分に逆らう事は出来ないという方針は堅持していたものの、殆どむっつりと黙り込むばかりだった。

 

 つまり──

 

「……ええと、レッドフィールド」

「? どうした?」

「僕達は、その、彼と──純血だけで話したい事が有る。君が居ては困るんだ」

 

 ――そんな台詞は、絶対に吐く存在では無いという事だ。

 

 勿論、今まで一度として無かったからと言って、永遠に無いという事は有り得ない。しかし、ドラコ・マルフォイの監視下に無い彼等の台詞として相応しいのは『邪魔だから他所に行け、半純血』である。それを考えれば、まるで本人では無いような台詞でしかなかった。

 

 故に必然的に、ある可能性に思い当る。

 何らかの魔法か、或いは魔法薬――例えば、ポリジュース薬を用いて変身している可能性に。

 

 ほんの二週間前の魔法薬学での大爆発。

 あれは未だ印象に新しい。そして、当然ながら、その時の違和感についても。

 ハリー・ポッターの表情――ではない。僕が注目したのはハーマイオニー・グレンジャー及びロナルド・ウィーズリーだった。つまり、明らかに不当な(スネイプ寮監的に何時も通りの)嫌疑に憤るのではなく、まるでそれが至極妥当であるかのように俯き、寮監の怒りをやり過ごそうとする表情。それは、本当に関わっていないのであれば、絶対に有り得ない反応と言えた。

 

 加えて、寮監が今この瞬間の状況を放置せざるを得なかった理由──すなわち、寮監が彼等三人組を犯人として取っ捕まえたり、或いは彼等を監視して魔法薬を作成している証拠を掴もうとしたりしなかった原因にも検討が付いた。

 

 寮監は魔法薬学の教授なのだ。

 平均的なホグワーツの二年生どころか、最優秀の二年生がどの程度の魔法薬学を作成出来るかなど当然熟知しているだろう。そして、その経験からすれば、寮監は、盗まれた材料から作成出来るような魔法薬――ポリジュース薬のような高度な魔法薬を、たかだか二年生が作成する事は不可能であると判断した。

 

 寮監の直観としてはそれが間違いであるように感じていても、その理性的で合理的な判断を覆す程の確信は得られなかったのだろう。自分を嘲ろうとする腹立たしい悪戯、或いはあの三人組以外の誰かが他の機会に盗みに入った。そう考えるのが、魔法薬学教授として真っ当な結論であると考えた。

 恐らく、僕が寮監の立場で有ったとしても同じように考えるに違いない。ただ単に本を読んだだけで魔法薬を調合出来るならば、ホグワーツの全員が魔法薬学で「O」評価を取れるだろうし、そもそも魔法薬学教授など不要であるのだから。

 

 つまり、この点において、無茶苦茶なのはハーマイオニー・グレンジャーだった。

 座学だけでは無く実技すらも図抜けた秀才というのは、全くもって反則極まりなかった。

 

 そして、彼等がポリジュース薬を用いてまでここに入ってきた理由も当然理解出来る。

 

 僕は彼女に対して、自身は純血のコミュニティに居ないと告げた。なればこそ、純血である者で有れば、何か聞けるような事が考えたのだろう。勿論、彼女以外の二人は、僕の言葉が信じられないと思ったのかもしれない。別にそれはそれで良かった。他人の言葉の裏を取らないのは、愚か者の選択で有った。それが信用出来ない者であるなら猶更だ。

 

 だが、そこまで考えを巡らせたのと、ドラコ・マルフォイが帰ってきたのとほぼ同時だった。僕が二人へと言葉を返す前に、彼は僕と彼等に割り込むように空いた席へと座り、自慢気に二人に新聞の切り抜きらしき代物を渡した。

 

「ほら、父上が僕に送ってくれたんだ。素晴らしく笑えるだろう?」

 

 ドラコ・マルフォイはそう言うが、彼等の表情を客観的に見るに、どうも笑えるとは程遠いらしかった。

 

 もっとも、と。

 明らかに平静を喪って、ここに来た目的が頭から吹っ飛んだ彼等の様子を見ながら思う。

 

 彼等はこうしている余裕が有るのだろうか。ポリジュース薬の一回の効能は、魔法薬学の熟練者の手に拠れば十二時間程まで伸ばせると聞く。しかし、如何にハーマイオニー・グレンジャーとて、そこまでの偉業を成し遂げたとも思えない。十分程度で切れるような不出来な調合をした訳でも無いようだが、時間の制約はそれなりに厳しい筈だ。

 

 そしてそこまで考えを進めた後、彼等と一緒に居て然るべきハーマイオニー・グレンジャーがこの場に居ない事に漸く思い至った。

 

 ドラコ・マルフォイの取り巻き二人組が他と居るのは稀だから不自然さを感じていなかったが、変身しているのがグリフィンドール二人組ならば別の話だった。流石に彼女がスリザリンの継承者に襲われたのであれば彼等がここに居る事は無いだろうが、それは不安にならないで済む事を意味はしない。

 

 だが、僕や二人組の様子に全く頓着しない人間がここに存在しており、彼は二人組から回収した新聞記事を僕の前に突き出して見せた。

 

「スティーブン。お前にも見せてやろう」

 

 それを大人しく受け取って読んでみれば……成程、彼等が心穏やかで居られないのも納得だった。

 その記事によれば、あのフォード・アングリアの一件で、ウィーズリー達の父親は罰金五十ガリオンを課されたらしい。そして、読んでみた後の感想は、〝マグル保護法〟の撤廃部分を除いて、ルシウス・マルフォイ氏に同意する、だ。

 

 犯罪の内容が内容だ。加えて、実行犯であるハリー・ポッターらが事実上の無罪放免である以上、その分を未成年者の監督義務違反として負うのは不当とも言えまい。

 五十ガリオンの罰金――新入生の杖約七本分だ。魔法族にとって安くは無いが、高くも無い――も軽過ぎる。解雇は兎も角、道義的な自主辞任は当然にも思えた。彼は単なる魔法省職員では無く、〝マグル製品不正使用取締局〟職員なのだ。どんな顔をして今後マグル製品の違反を取り締まるのだという話になる。

 

 もっとも、純血の牙城が聖二十八族のウィーズリーを辞めさせる事など出来はしないだろうという予測は付いたし、この二人の中身が誰かという事を思えば、素直な感想を言うのは不適切である。別に彼等からどう思われようが構わないが、ハーマイオニー・グレンジャーの立場を悪くする事など当然避けるべきだった。

 

 故に、これからの僕の行動もまた決まりきった事だった。

 

「マルフォイ、随分愉快な記事を見せてくれた事は有り難いが」

 

 その瞬間に殴り掛かる様子を見せた人間と、止めに走った人間とで中身がどちらなのか解った気がしたものの、それは些細な事だった。

 

「良い機会だ。秘密の部屋について少しばかり聞きたい」

 

 そんな僕の言葉に、ドラコ・マルフォイは興味深そうに目を細めた。

 そして怪しい反応と動きを続けている二人組は、弾かれたように姿勢を伸ばした。

 

「ほう。君が僕に質問をするのは珍しい。ましてそれが秘密の部屋の事で有れば猶更だ。非純血の奴等と違って、君は殆ど我関せずと言った感じであったからな。気付いていたか、余りに平然としているせいで君がスリザリンの継承者でないかと言う者も居たぞ?」

「……それは気付いて居なかった上に、僕は普通に興味を持っていた筈だがな」

 

 実際、ドラコ・マルフォイの言葉は初耳だった。

 

 ただ確かに、そう見えたかも知れない。

 ハーマイオニー・グレンジャーに伝えた通り、僕は秘密の部屋の伝説を真剣に受け止めておらず、関心が有ったのは()()スリザリンの継承者であるかという一点でしかなく、それさえ突き止めてしまえばあの老人に放り投げて何とでもなるだろう──寮監はクィレルの件とは違うと言ったが、そもそも僕は老人の策略の可能性も未だ排斥していない──という達観も有った。

 そしてその温度の差異は、周りにしてみれば明らかだったのだろう。半純血がスリザリンの継承者であるという、全く有り得そうにない事を考える位に。

 

「まあ、今更そんな事を僕に聞いてくるぐらいだから、君がスリザリンの継承者で無い事は明らかなようだが。そもそもお前の血は僕のように優れている訳では無いからな」

「ああ、そうだ。だから教えて貰いたい。純血中の純血、マルフォイ家の次期当主。……必要であれば頭を下げるし、〝相応しい敬意〟を示しても良いが」

 

 そうしても構わないと本心から言えば、ドラコ・マルフォイは満足気に笑った。

 

「いや、そこまでして貰う必要は無いさ、スティーブン。君の血が僕より大きく劣っているのと同様に、君が酷く物分かりが良いのもこの一年半で十分承知している。君がそこまで必死に頼み込むともなれば、僕が助力するのも吝かではない」

 

 けれども、と彼は続けた。

 微妙に勿体ぶるように、しかし何処か残念そうにドラコ・マルフォイは言う。

 

「残念ながら、僕とて余り君に語れる事は多くない。そこのゴイルやクラッブには既に告げた事だが──」

 

 彼に流し目を寄越された瞬間二人は背筋を伸ばしたが、そのような、彼等らしくもない素振りをするのは止めて欲しい所だった。

 

「父上が僕に話してくれないからな。僕が余りに知り過ぎているのは不自然だと言って、どんなに僕が聞いても口を開いて下さらない」

 

 成程、だからこそ、僕の求めに対してもこれ程簡単に応じたに違いない。

 真に重要な事実を知っていたのであれば、ドラコ・マルフォイはもっと勿体ぶっただろうし、やはりそれ相応の敬意と誠意を求めた筈だった。

 

「確かに前回〝部屋〟が開かれたのは五十年前であり、父上より前の時代だ。しかし、父上は全て御存知だ。あの時は全てが沈黙させられたと言うにも関わらず。その理由を知っているのが何故であるのかですら、教えて下さらない」

「……()()()()()()()()()、ね」

 

 その言葉に少しばかり引っ掛かりを覚えたが、彼は独白するように続けた。

 

「もっとも、僕でも知っている事は有る。五十年前、〝部屋〟が開かれた時、一人の穢れた血が死んだ」

「……待て。死んだ?」

「おや、知らなかったのか、スティーブン。そうだ、死んだとも」

 

 ドラコ・マルフォイがニヤニヤと笑うが、それを気にせず考えに沈む。

 

 死んだのであれば、それは僕の仮説、ハーマイオニー・グレンジャーに対して伝えなかった予想しうる怪物,サラザール・スリザリンが遺した遺産の正体としては真っ当だった。逆に言えば、今回誰も死んでいないからこそ、現在の状況が奇妙にしか思えず、去年のように校長室に怒鳴り込みに行く気が──名探偵気取りの自惚れた行動をしに行く気がしないのだ。

 けれども,少なくとも五十年前は違ったらしい。

 

 『幻の生物とその生息地』に記載されている蛇の王。バジリスク。

 どうやら〝マグル〟の言語と対応しないらしく、小さな蛇では無いようである。だが、その生き物は一睨みで即死に至らしめるという点は共通している。そして、魔法界の魔法生物の権威(ニュート・スキャマンダー)による見解では、パーセルタングのみがそれを操れる。成程、サラザール・スリザリンの後継者が操る秘密の部屋の怪物としては、余りに相応しい存在と言える。

 

 であれば。

 前回に秘密の部屋が開かれたというのは、事実の可能性が高く。

 翻って、一人の死人も出ていない今回は、秘密の部屋が開かれた可能性は酷く低い。

 

 そう結論付けるのが妥当な筈である。嗚呼、それが論理的というものだ。

 

 だが……しかしだ。

 ハーマイオニー・グレンジャーは、秘密の部屋が開かれた事を半ば確信していた。それは単純な勘かも知れないが、彼女がそう感じているというだけで僕には検討する価値が有るのも確かである。それは間違いなく僕には無い物の見方であるからだ。

 何より、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、今回もまた秘密の部屋が開かれたというのが、酷く腑に落ちる結論を導けるように思えたからだ。

 

 そもそも僕は秘密の部屋を神話だと考えていた。けれども、前回に開かれた事が有るのであれば、要するに秘密の部屋が架空では無く現実に存在するのであれば、全く話は変わってくるのでは無いだろうか――?

 

「どうした、スティーブン。何か気付いたのか?」

 

 流石のドラコ・マルフォイも黙り込んだ僕が気になったのか、僕へと声を掛けてくる。

 その瞳には、己を利する機会を逃すまいという卑しい輝きが存在する。こういう勘の良い所は彼の才覚の顕れであり、そしてまた決して油断出来ない所であるとも言えた。

 

 だから、僕は努めて嘘を吐かないように返答をする。

 

「いいや、事件の真相が解るような気がしたんだが──深く考えた結果、どうやら僕の勘違いだったらしい。スリザリンの継承者についても、解らない事だらけだ」

 

 平然とそう言い切ってみせた僕の顔を彼は暫く見ていたが、その後、不機嫌そうに嘲笑した。

 

「まあ、そうだろう。お前にスリザリンの継承者が誰かなど解る筈が無いだろうな、この僕でさえ知らないのに。……あーあ、スリザリンの継承者が僕に正体を明かしてくれないものかな。一言でも耳元で囁いてくれれば、僕は存分に協力をしてやれるんだが」

 

 そう言ったドラコ・マルフォイに、恐らくハリー・ポッターが喰い付く。今回陰で糸を引いている人物について聞くも、彼はあっさり心当たりが無いと返答する。

 そして、彼等はそれを契機として、矢継ぎ早に質問を続けていく。前回の部屋を開けた者の末路、アズカバンについて、マルフォイ家の館の立ち入り調査と、マルフォイ家の〝秘密の部屋〟について。勿論、僕にとってそれらは残らずどうでも良い事だ。

 

 もっとも、彼等の好奇心が尽きる前に、タイムリミットが訪れた。

 彼等がここに来て約三十分足らずと言った所か。それなりに迷ったのかも知れない。スリザリンの談話室が、迷路のような廊下を進み湖の下まで潜り込んだ先の地下室(dungeon)である以上、グリフィンドールである彼等は已むを得ないのであろう。まあ、ここに居ないハーマイオニー・グレンジャーは当然事前調査をしていたのだろうが、居ない以上当然であるのかもしれない。

 

 事情を知っていれば魔法薬の効能が切れつつあると解る兆候を示した彼等は、下手な言い訳を残した挙句、まさしく脱兎として駆けていく。

 それを見送るドラコ・マルフォイの表情は、少しばかり間抜けさを感じさせるものだった。

 

「僕はずっとあいつらがウスノロだと思っていたが。あいつらもやろうと思えば、あんなに早く動けるものなんだな」

 

 ズレた感想を抱く彼に、真実を告げる必要は無い。

 ただ、代わりに忠告してやるべき事は有った。彼等の馬鹿げた正義感に基づく行いを密告する気は無くとも、必要以上にプライバシーを侵させる事まで許す気は無い。

 

「マルフォイ。君の館の〝秘密の部屋〟について、だが」

「? 何だ、スティーブン。それがどうかしたか?」

「悪い事は言わない。君がその部屋について他の人間の居るような場所で語ってしまった事を、いますぐ君の父上に伝えるべきだ。それによって君は叱責を受けるかもしれないが、後にその事が明らかになるよりは良い事に違いないだろう」

 

 僕の言葉に、ドラコ・マルフォイは怪訝な顔をする。

 

「何故だ? ここはスリザリンの巣だぞ? まさか、身内に対してそんな馬鹿げた密告をするような恥知らずが、まさか居る筈も無いだろうに」

 

 それに関しては全くもって正しいだろうが、今回は事情が違うのだ。

 

「身内に対しても絶対に秘すべき事は有る。信頼するという事は無闇矢鱈に喋るという事では無い。秘密は明かされてしまえば秘密では無いんだ。何なら、僕がルシウス・マルフォイ氏に直接手紙を送っても良い。氏は僕に同意してくれるだろう」

 

 ロナルド・ウィーズリーの親が、息子からの情報を真正直に信じるとは限らない。ポリジュース薬を用いて聞き出したなど言えない以上、それは出所が不確かな情報だからだ。だから、見過ごされる可能性も決して低いものでは無かった。

 

 しかし、一方でルシウス・マルフォイ氏が僕と同じように考える可能性は低くないように思えるのだ。実際に今回の件で魔法省に調べられる事が無くとも、ドラコ・マルフォイが一家の秘密を公然と暴露したのは事実なのだ。そのような不用意な真似を息子の行いは、間違いなく氏は好まないに違いない。

 当然の事ながら、半純血の話を何処まで真剣に受け取るか、そもそも手紙が読まずに捨てられないかという懸念は有るが、それなりに勝ちの公算は有るように思える。

 

 そんな思いと共に言ってやれば、彼もマズいかもしれないと心が動いたらしかった。

 

「……君が、僕を陥れようとしているんじゃ無いだろうな」

「だったら、君に対して何も言わずに魔法省の役人に投書している。感謝も何も不要だ。僕の事をルシウス・マルフォイ氏の手紙に書く必要すらない。少なくとも現状では、氏がどう反応するかまだ不明確だからな」

「……君に従う訳では無いが、君の言葉に理の有る事は事実だ」

 

 彼は明らかに気の進まない表情を浮かべた後、踵を返して自室へと向かっていく。

 文面を練る必要が有る都合上、実際にふくろう便を出しに行くのは先になるだろう。

 

 それを見送った後、僕は立ち上がって図書室へと足を向ける。

 一連の襲撃により、規則上は、談話室外に出る際に首席か監督生に伝える事になっているが、教授の監視が行き届かない冬季休暇中、自分が襲われるとも考えていない純血の監督生、しかも相手が半純血ともなれば、どんな対応をされるかなど解りきっている。当然のように外出を許された。マダム・ピンスへの言い訳が面倒では有るが、長居しなければとやかく言われもしないだろう。

 

 調べるべきは、五十年前の事だ。

 図書室に保存された『日刊予言者新聞』の過去の記事。

 

 回復可能な石化については報道規制も出来るだろう。だが、死人までを隠す事は──遺族に対する口止めへの協力等を求める事を考慮すれば──出来ないに違いない。

 勿論、真正直に蛇の王によって殺されたとは報道される事は無いのは解りきっている。また、マルフォイの言葉通り、秘密の部屋がきっかり五十年前に開かれたとも限らない。年月が不明確な可能性もある。しかし、毎年毎年ホグワーツで死人が出る事など考えられないから、探すのに苦労はしないだろう。

 

 不吉な予感と共に僕は図書室へと赴き、その記事を見つけた。

 前後の年代を探す事も予定していたが、まさしく五十年前だったのは幸運だった。

 

 マートル・エリザベス・ワレン。

 ホグワーツにおいて()()()()()で死んだ少女。

 

 その名前に心当たりが有る訳では無い。

 しかし、あの三人組が最初の事件に居合わせた際の下手な言い訳に纏わる噂の中で、少しばかり耳にした事が気に掛かった。すなわち、ホグワーツで死に、外部で騒ぎを起こした挙句、魔法省によって再度ホグワーツに送り返された〝穢れた血〟のゴーストが居るのだと。

 後は、そこら辺をうろついている適当なゴーストを探し出して──もっとも、犠牲者の存在により多少苦労したが──名前を告げ、居場所を聞くだけだった。

 

 正直言って、左程期待していなかったと言って良い。そのような僕が偶々記憶していた不憫なゴーストが、偶々五十年前の犠牲者であるという事は普通有り得ない。

 

 だが、果たして彼女は、嘆きのマートルはそこに居た。

 

 どうやらグリフィンドール三人組は彼女のトイレの中でポリジュース薬の調合を行っていたらしい。片付け無いままになっているところを見ると、恐らくハーマイオニー・グレンジャーに何らかのトラブルが発生したのだろう。もっとも、遠からず戻ってくるだろう事は予測出来たし,滞在していて気分が良い物でも無かったから手早く要件を済ませる事に越した事は無い。その際、鍋から少しばかり薬品を採取したのは余談だろう。

 

 そしてトイレの隅に居た彼女から,彼女が死んだ時の事を聞いてみれば、確証までは得られなかったものの必要な情報は得られた。

 

 何故か彼女は僕に──というか、僕のローブに対してのようにすら見えた──酷い恐怖を感じているようだったが、その御蔭で話がすんなり進んだのは歓迎すべきだった。僕が秘密の部屋を探したい訳では無く、ただ彼女を殺した存在を知りたいだけだったというのも、会話が円滑に済んだ一つの理由なのかもしれない。

 

 変な外国語。巨大な黄色の目玉が二つ。

 前者はパーセルタング。後者の方は、成程、教科書通りの特徴だ。

 

 後は、答え合わせをするだけだった。

 そして,その結果が去年以上に不愉快な真実となるであろう事を,僕は半ば悟っていた。

 

 

 

 

 元々、確認するつもりでは有ったのだ。

 今回秘密の部屋が開かれた訳では無いという結論で有っても――つまり、五十年前と違うので有っても――簡単に裏付けを取れる手段が有るならば、それを躊躇う気など無かった。

 

 勿論、ハーマイオニー・グレンジャー経由が一番穏当では有り、当然に答えを得られるだろう。しかし、今回と五十年前がほぼ同一であると予測してしまった現状において,それを選ぶ事は出来なかった。

 彼女は少々聡明に過ぎ、僕の反応から何かを読み取る可能性は十分考えられた。何より、彼女に対して直接言い逃れが必要となる状況は、可能な限り避けたかったのだ。

 

 グリフィンドールの談話室から出た瞬間を見計らって、僕はハリー・ポッターに詰め寄った。

 このように、秘密の部屋の怪物を恐れて大半の生徒が帰宅している状況は、殆ど誰にも接触を見られずに済むという点において,非常に都合が良いと言えた。もっとも、数時間待つ羽目になったのはうんざりしたが。

 

「ハーマイオニー・グレンジャーは?」

 

 ハリー・ポッターは怯んだ顔をし、ロナルド・ウィーズリーは露骨に嫌悪を示した。

 恐らく、去年の事が脳裏によぎったのだろう。賢者の石の守護について彼から答えを盗み取り、尚且つ加点劇を演出したのは記憶している筈だ。正確には彼から得た答えは全体において決定的な事象でも無く、予測を外してすら居るのだが、彼にとっての認識を変えるものでは無いのは間違いない。

 

 もっとも、ハリー・ポッターが答えないという事は殆ど予想していなかった。彼は〝異常〟であるが故に、奇妙なフェアネスさを見せる事は去年から解りきっていた。

 その予測通り、彼はロナルド・ウィーズリーの制止に気付きながらも無視して、ハリー・ポッターは僕に顔を近付けながら、囁くように言った。

 

「別に襲われた訳じゃない。彼女は一応元気だよ」

 

 僕は頷き、しかしもう一つの言葉を紡いだ。

 それが気になっていたのは事実だが、本命は後の方だった。

 

「ギルデロイ・ロックハートの近くで、何か怪しい声を聞いた記憶は有るか?」

「え? それは無――いや、三階の部屋辺りでの事はそうかもしれない。フィルチの猫が襲われた時、確かあいつの部屋の近くだったから。って、え? 何で君がそれを──」

 

 決まりだ。間違いなかった。

 ギルデロイ・ロックハートについても気になっていたのは事実だ。

 しかし、最も重要なのは、ハリー・ポッターが──パーセルマウスが怪しい声を聞いたという点だった。

 

 バジリスクは誰にも目撃されていない。となれば、その蛇の移動手段は、恐らく壁の中──パイプと言った所か。

 

 勿論、それが解った所で何ら意味が無い。階段すら御行儀が良くないホグワーツにおいて、外から見得ないパイプが大人しく一箇所に留まっているとも思えない。加えて僕の記憶によれば、十八世紀頃にホグワーツでは配管工事が行われているにも関わらず、秘密の部屋は今でも秘密のままである。隠蔽工作に従事した者が居るか、或いは入口から侵入出来ない魔法的な守護が為されているのか。

 

 何にせよ、単純な物理的手段で見つかるように無いのは、秘密の部屋の発見の為にホグワーツの解体・発破作業を進めた大魔法使いが居ない事から確かなように思える。

 

 困惑したままの彼を後目に、僕は乱暴に彼を突き飛ばした後、僕は踵を返す。

 

 今は他人の目が無いとも思えたが、一応、グリフィンドールの談話室前(敵地)なのだ。用心する事に越した事は無かった。

 

 もっとも、その瞬間に彼の手に紙を押し付ける事もまた忘れなかった。はっきり言って、それは重要では無いし、別に大した事を書いている訳では無い。『スリザリンの継承者が用いている手段は依然として掴めない。但し、五十年前と今回は繋がっているように思える』。言ってみれば、それは先の質問を多少誤魔化す為の迷彩に過ぎなかった。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーが、それを読んで真意に気付いてしまうかは解らない。

 何故なら、その程度の事は、こんな乱暴な手段を用いずとも伝えられる筈だからだ。そこに着目すれば、〝用いている手段〟と敢えて書いた理由や、〝五十年前と今回は繋がっている〟という意味に当然に気付いてしまう可能性は有った。けれども、それでもそう記載したのは、後の言い逃れの事を考えれば、やはり彼女に完全な嘘偽りを述べる事は出来なかったからだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女は適切な位置に居る。襲われた所で不自然では無く、襲われた後の影響としても素晴らしく都合が良い位置に。であれば、それが起こるのは、殆ど間違いないと考えられた。

 

 勿論、それを未然に防ぐ事も考えた。しかし、今回の最も恐るべき問題──つまりスリザリンの継承者が一体どうやっているかが全く解っていない以上、それは不可能なのだ。

 今までは、僕にとって問題なのは一貫して()()であり、どうやってでは無かった。しかし、今は違う。確かに()()というのは依然として問題であるものの、一番の問題は既に()()()()()であった。そして、その答えは恐らく出ない。どんな形であれ、この事件が解決するまで、僕に判明する事は無いだろう。

 

 ハリー・ポッターに渡したメモは、間違いなく事実を記している。仮にスリザリンの継承者が用いている手段を――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を突き止められていたのであれば、僕はその情報を適切に行使する事など何ら躊躇う事は無かった。しかし、それもまた解らない。解らない以上、僕には事態を静観する以外に採り得る手段など無い。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーが死を迎えない事を、祈る以外に無い。

 

 去年と同じだ。秘密の部屋ごとバジリスクを消滅させる事が可能な最強の駒は、今回もまた全く動く気が無く、僕が全ての盤面をひっくり返そうと動くのを是としない。

 そして去年と違うのは、今回の黒幕もまた、やはり僕が盤面をひっくり返すのを是としないであろうという事だ。現在は奇妙な均衡を保ったままでいる。そのバランスを破壊し、彼が最後の演出として〝穢れた血〟を殺す気になって欲しくは当然無かった。

 

 嗚呼、解っている。

 アルバス・ダンブルドアですら、全ての悪事を防ぐなど出来ない事は。

 

 けれども、それがどんなに筋違いだと解っていても――スリザリンの怪物の正体を見透かしながら放置しているあの老人に対して、まさしく大いなる善の為に行動している正義に対して、僕は尚、怨嗟の思いを抱く事を止められはしなかったのだ。




・日刊予言者新聞の情報操作
 コリン・クリービーとジャスティン・フィンチ-フレッチリー(と首無しニック)の石化について、その事実は日刊予言者新聞によって報道されていないとマルフォイは発言している(二巻・第十二章)。
 マルフォイの予想によればダンブルドアが口止めしたとの事だが、作中にそれを支持する証拠は無い。ダンブルドアでは無く、同巻初登場のファッジが主体的に干渉した可能性は、彼の後の巻での行動を考えれば大いに考えられる所である。
 もっとも、ハーマイオニーとペネロピ―・クリアウォーターの石化後も期末試験は予定されている(同・第十六章)事、純血であるジニーが誘拐されてようやく閉校が検討された事を考えると、ダンブルドアにとって新聞の沈黙が都合の良かったのもまた確かであるように思える。


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スリザリン的存在

後二話で終わると言っておきながら収まりませんでした。
事実上分割したもう一話の方は、何事も無ければ本日夜には投稿予定。


 つまるところ、今回における一つの大きな鍵は寮監の行動だった。

 

 ギルデロイ・ロックハート主催の決闘クラブ。あの時、ドラコ・マルフォイが出した蛇へとハリー・ポッターが話し掛けてしまったが故に、彼はスリザリンの継承者の最有力候補に成り上がってしまった。あの瞬間に、彼はホグワーツ中から疑念と猜疑の眼を送られる事が決してしまった。

 

 一見、あれは偶発的な事象に思える。噂だけ聞けばそうだろう。人伝に聞いたのでは、先の事実しか――ハリー・ポッターが、蛇に話し掛けたという情報しか得られまい。

 彼等の決闘の前、まさしく蛇を召喚する直前に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その事実を外部が得る事は、決して出来る筈が有るまい。

 

 サーペンソーティア。

 

 ドラコ・マルフォイは、何故その魔法を選択したのだろうか。

 

 変身術は大雑把に言って、変容(Transformation)消失(Vanishment)出現(Conjuration)復元(Untransfiguration)に分類する事が出来る。そして、直感とも合致するであろうが、既に存在する物の物理的性質を変える変容よりも、中空から物を取り出す(conjure)出現の方が、当然ながら遥かに難易度が高い。

 厳密には出現呪文でも全くの無から有を取り出している場合というのは稀であり、また蛇を出現させる魔法は、鳥を出現させる魔法(エイビス)と並んで簡単な部類だとも言われているのだが、それは二年生が扱うのが簡単だという事を意味はしないのだ。

 

 それを成功させたドラコ・マルフォイの才能はさておき、そのような難易度が高く失敗する可能性のある魔法を公衆の面前で試す必要は、()()()()有ったのだろうか。

 

 そもそも、その難易度に比して決闘においての効果が見合っていない。

 仮にハリー・ポッターが蛇を恐れるという事実を知っているならば効果的でもあるが、そのような情報を得る機会がドラコ・マルフォイに無かったのは明らかであり、実際ハリー・ポッターは蛇に対して恐怖を示さなかった。本気で決闘に勝利する、或いはハリー・ポッターを真に害する気が有ったのなら、衝撃呪文(フリペンド)を選択した方がまだマシだった。

 

 要するに、あの決闘クラブの全体の流れを見れば、蛇が出現させられたのは誰かの確たる意図無しには余程有り得ないと言えた。そして、その意図を、或いは干渉を為し得たのは、あの場においてただ一人しか存在しない。セブルス・スネイプ寮監である。

 

 しかし、あの時点で、僕は何時もの寮監の嫌がらせ程度にしか考えて居なかった。多少寮監らしくは無いと思ってはいても、それ以上考えを進めなかった。

 

 けれども、それは浅はかだった。

 考え直してみれば、その事は歴然としていた。

 

 蛇を出すのがハリー・ポッターに対する嫌がらせに成り得るのは、彼の恐怖の対象が蛇である事を知っている場合か、ハリー・ポッターがパーセルタングでは無いかと予想している場合である。そして、前者についてはドラコ・マルフォイと同様の理由で否定出来る。

 

 すなわち、寮監は何らかの理由でそれを予測していたのだろう。その上でドラコ・マルフォイを使って試し、立証された。恐らく、あれは意図された行動だった。

 加えて、今現在において秘密の部屋騒動が起こっているという状況を考えれば、その怪物がバジリスクである事を示す狙いが含まれていたのは疑う余地も無い。愚かにも秘密の部屋を神話だと考えている人間で無ければ、当然に気付き得る可能性であった。

 

 もっとも、ここで問題として浮かび上がって来るのは、そのような迂遠な真似をした寮監の意図である。

 寮監は完全な私情で授業を進め、個人的な憎悪で加点減点を行う教授失格な人では有るが、さりとて彼はスリザリンである。たかがハリー・ポッターを学校全体から孤立させる為だけに、そのような行いをする筈は無い。嫌がらせをするにしても、もっと狡猾(スマート)な手段は幾らでも存在するのだから。

 

 端的に言えば、秘密の部屋の怪物がバジリスクである事、そしてハリー・ポッターがパーセルタングの可能性がある事。その二点をアルバス・ダンブルドアに伝えさえすれば、今年の事件は円満に解決した筈だった。

 

 しかし――その行いを、寮監は選択しなかった。

 

 勿論、スネイプ寮監がアルバス・ダンブルドアと敵対しているのであれば、伝えない事は不自然では無い。けれども、去年の遣り取りから、両者の間には互いに一応の――それでいて強固な――信頼関係が有る事に疑いは無い。そもそも敵対して居るのであれば、ハリー・ポッターのパーセルタングを暴露する筈も無いのだ。それは、アルバス・ダンブルドアに対して、実質的に秘密の部屋の鍵を渡すという事なのだから。

 

 だからこそ、寮監の真意を推測せねばならなかった。

 スネイプ寮監がアルバス・ダンブルドアに直接的な接触を図ろうとしないような、筋の通った理由を。

 

 そして、当然のように、一つの回答に辿り着いてしまった。

 十一年前について調べれば、その事実には辿り着くのだ。イゴール・カルカロフを初めとする魔法戦争後の裁判。セブルス・スネイプ寮監が、死喰い人であると指摘され、しかしアルバス・ダンブルドアの保証によって無罪放免となった事実に。

 

 その裏に、両者との間に何が有ったかは不明のままである。

 しかし、確かな事実は、寮監がかつて死喰い人であったという事であり、確かな予感はあの第二次魔法戦争を予見している老人ならば当然それを〝元〟にするつもりが無いだろうという事であり、そうであるが為――今回の事件には闇の帝王が裏で糸を引いているが為、寮監はアルバス・ダンブルドアへと不用意に接触出来ないのではないかという可能性は、当然想定しうるものであった。

 

 まして、アルバス・ダンブルドアの不可解な沈黙は、僕の仮説を強く裏付けた。

 そう、寮監の行動によりハリー・ポッターがパーセルタングだと知った事で、あの老人は鍵を手に入れたのだ。スリザリンの内に継承され続けてきたからこそ秘密を秘密のままにし、けれども今まさにグリフィンドールに転がり込んできた鍵を。

 

 本気で秘密の部屋を潰そうとするならば、介入する機会は間違いなく存在した。

 今となっては比肩すべき者が無い魔法力を行使して、秘密の部屋ごとバジリスクを葬る事は、今世紀で最も偉大な魔法使いには決して不可能では無かった。

 

 事情を説明すれば、ハリー・ポッターはあの老人に喜んで助力した事だろう。別に彼を部屋の中に入れ、また怪物と対面させるような真似をする必要は無い。ただ案内人として、部屋を探させるだけに徹させれば良い。千年の神話を暴くだけでもハリー・ポッターは十分な名誉を得られるし、何よりスリザリンの継承者(マグル殺し)という不名誉を返上して針の筵から脱却出来るのだ。如何に英雄志願の彼とて、多少の不満は表せど、我儘を言いはしないだろう。

 

 だが、アルバス・ダンブルドアはそうしなかった。

 あの老人がそのような怠慢をする理由は――やはり闇の帝王以外に考えられない。

 

 彼は()()というのは確信している。()()一連の石化事件を引き起こしているのかも見透かしている。しかし、恐らく()()()()()が解っていない。

 去年彼は闇の帝王を塵と表現したが、その言葉から考えるに、普通では秘密の部屋を開ける状態では無いのだろう。けれども、厳然たる事実として、今秘密の部屋は開かれている。だからこそ何等かの手段を――あの老人の長い生ですら見た事が無く、限られた知識しか保有していない魔法の深淵を用いて、闇の帝王はホグワーツに干渉している。あの老人は、恐らくそう考えている。

 

 本心を述べれば、僕はそこまで確信していない。

 僕が今回の裏に闇の帝王が居ると考えているのは、アルバス・ダンブルドアがそう考えているであろうからに過ぎない。

 

 けれども、それを前提とすれば、様々な事が腑に落ちるというのもまた確かだったのだ。

 十月末に秘密の部屋が開かれていながら、二月の今までたった三度の襲撃しかない理由も。死を齎す筈のバジリスクがただの猫一匹さえも殺していない理由も。スリザリンの生徒が被害者から徹底して避けられている理由も。アルバス・ダンブルドアが生徒の危険に全く動かず、あまつさえその職務怠慢を口実に学校から追放されようとしている理由も。

 

 千年の神話に比して余りに小規模過ぎる事件は、ただ偏に闇の帝王がハリー・ポッターを秘密の部屋に誘い込み、殺す目的に用いられているというのならば、全て納得出来てしまう。

 

 そしてだからこそ、ハーマイオニー・グレンジャーは狙われる。

 

 彼女の犠牲は、ハリー・ポッターにその騎士道(グリフィンドール)精神を発揮させるには十分だろう。寧ろ、彼女以外に、ハリー・ポッターを秘密の部屋へと招き入れる為の動機と成り得る適切な人材は無いに違いない。彼女が〝穢れた血〟であるというのも都合が良い。誰もその結果に疑問を抱かず、それ故に、彼女の襲撃は止められない。

 

 未然に防ぐ事は出来ない。アルバス・ダンブルドアですら、今回における闇の帝王の手管を未だ突き止めてはいないのだ。完全に動向を把握し、寮監に監視させていた去年のクィリナス・クィレル教授と――敢えて賢者の石を餌にホグワーツに招き入れるような攻勢の手段を用いたのと違い、今回は完全に守勢の手段、それも後手の手番を選ぶ事を余儀なくされている。

 だからこそ、その手段(どうやって)を突き止める為に、彼は形振り構わずバジリスクを滅ぼすような真似を自制し、闇の帝王が策略を巡らせるのを是としている。

 

 あの老人は、〝次〟を見据えている。

 今回の手段を再度用いられた時、そして今回とは違って()()()()()()()()()()()()()()行動された時、出る犠牲者の数は今回とは比較にならない。被害者には酷だが、言ってみればただ今回は石化しただけだ。回復可能な傷害であり、死んだ訳では無い。

 しかし、恐らく〝次〟はそうならない。老人にはその確信があるからこそ、今回の許容できる限度の襲撃を黙認し続け、座視したままに居る。

 

 そして、それに気付いた所で、僕に出来る事は無い。

 そう、今回だけを防ぐならば何とでもなるのだ。あの老人程に力技を用いる事は出来ないが、闇の帝王に存在を感知されていないという点において、幾らでも付け入る隙はある。けれども、アルバス・ダンブルドアと全く同じ理由で、僕が動かない事が最善なのだ。

 

 闇の帝王に〝次〟を残せば、〝穢れた血〟が大勢死ぬ。

 ……ハーマイオニー・グレンジャーも狙われ、死ぬかもしれない。

 

 だから、僕が出来るのは、彼女が死を迎えない事を願うしかない。

 これまでの犠牲者と同じように、闇の帝王が彼女の死を必須だと考えず、石化させるだけでハリー・ポッターを奮起させ、秘密の部屋へと誘い込むには足るのだと、そう考える事を祈るしかない。

 

 ただ──彼女の生存を上げる為に、出来る事が有るならばすべきだった。

 それが自己の無力を慰めるだけに過ぎないだろうと半ば理解していても、何も動かないままでは居られなかった。

 

 

 

 

 

 ギルデロイ・ロックハート。

 自称闇の魔術に対する防衛術教授。

 

 正直な所、彼が〝秘密の部屋〟に関与していないという可能性は、何ら消し去れては居ない。バジリスクの操作に関していえば、そこに個人的な能力というのは必要とされない。ただ、パーセルマウス──サラザール・スリザリンの血筋で有れば良いだけだ。

 

 そして、その能力は、脈々と受け継がれるとは限らない。それはハリー・ポッターがパーセルタングを発現せしめたという事実に現れているように思える。サラザール・スリザリンがどれだけ子孫を残したか知らないが、彼は千年前──つまり、人間で言えば最低でも約十世代前の人物だ。パーセルタングが血筋さえあれば必ず継承されるというものであれば、パーセルタングは魔法界に溢れ返り、秘密の部屋は毎年のように開かれ、過去の大魔法使いが当然に気付いていた筈だろう。裏を返せば、それだけ稀な能力で有ったというのは確かなのだろう。

 

 だからこそ、嫌疑の晴れていないギルデロイ・ロックハートと対峙するというのは、相応のリスクが有るのは言うまでも無い。

 

 ただ、今回に限っては、その是非を殆ど確実に確かめられる方法が存在した。

 

 当然の事ながら、それ以前にやるべき事はやった。

 ドラコ・マルフォイという情報源はその最たる物だった。

 

 もっとも、さして強い根拠というのは得られなかった。

 彼が冬休みにホグワーツに残ったのは、アルバス・ダンブルドアを追放する為に両親が各所を飛び回っているからだという事と、その追放計画が動き出したのは学期前――つまり、秘密の部屋が開かれる以前の話であるらしい事、そしてギルデロイ・ロックハートの教育方針には夫妻共に大きな侮蔑と嫌悪を示している事が得られたのみだ。

 

 後者の二つの事実は、ルシウス・マルフォイ氏がこの事件に関与している可能性の増加と、ギルデロイ・ロックハートの関与の可能性の低減を意味したが、やはり確定的とは言えない。

 

 だからこそ、確認を取るべきはただ一人しか居なかった。

 

 セブルス・スネイプ寮監は――〝元〟死喰い人は、恐らく闇の帝王との兼ね合い故にあの老人とは直接接触出来ない。

 けれども、スリザリン寮生がスリザリン寮監に私的に相談するという行為は、決して可笑しい物でも無いのだから。

 

 勿論、機嫌を逆撫でする事は当然に予測出来た。

 石化騒動。決闘クラブ。ギルデロイ・ロックハートに対して、敵意どころか殺意を抱いているのは――当人以外には――客観的に明らかだった。そして、それを不用意に突く真似は、可能で有れば避けたかったし、実際今までそうして来た。

 だが、ここに至ってはそんな事は言ってられない。最も優先すべき事を考えれば、寮監の不興を更に買う事など、これから五年間を考えても尚無視出来るリスクだった。

 

「――アレは小物だ。既に我輩はそう言った筈だが、レッドフィールド」

 

 案の定、僕の質問に対し、寮監は盛大な嫌悪を表情に表した。

 ただそれでも寮監は、去年と同じように、話を聞く事自体を拒絶しようとしなかった。

 魔法薬学の教室に備え付けられた研究室の中、座ったままの寮監は、立っている僕に真正面から向き合っていた。

 

「僕も覚えていますよ。しかし、状況が変わったんです」

「我輩には何も変わったように思えんがな。まあ、それは御互いの価値観の違いか」

 

 相変わらず底の読めない瞳が、僕を射抜く。

 それは何時覗き込んでも深かった。これ以上というのは、僕はアルバス・ダンブルドアしか知らない。いや、あの老人すらも超えているのでは無いかという感覚すら抱いてしまう程に、寮監の瞳は途方も無く昏かった。恐らく、それは寮監が歩んできた生――憂鬱と苦杯、そして宿怨によって磨かれてきた物に違いなかった。

 

「それで、貴様は何を目的とする? あの愚物を追放する手段があるならば、寧ろ我輩の方から聞かせて欲しい物だが?」

「残念ながら違います。去年はレイブンクローでしたし、今年もレイブンクローです。だからこそ、僕は貴方から情報を得たいと考えている」

「それが我輩に何の利点も無いというのは目を瞑っておいてやろう。しかし、何の為に?」

「要するに、僕は保証が欲しいんです」

 

 僕の言葉に、寮監は冷やかに笑った。

 

「そんな保証など無い。敵と直接対峙するに際して、己が全くの無事で居られるという事など幻想だ。それが許されるのはただの一握りだけで有り、我らはそうではない」

「ですが。最も危険な類のモノが何かというのは、僕も寮監も同意出来る筈ですが。そして今年も同様の事が起きてはいないかと疑っている」

 

 一人はアルバス・ダンブルドア。

 そしてもう一人は、やはり言うまでも無い。

 当然ながら寮監に伝わらない筈も無く、不機嫌さを滲ませて、しかし確かに吐き捨てる。

 

「優れた打ち手はどんな駒で有っても上手く扱ってみせるものだ。だが、選べるのであれば、ロックハートのような不出来で、利用価値も無い駒を選ぶ筈もない。当然ながら、それを献上する事など以ての外だ。揺ぎ無い美学を有する者にとって、それは侮辱でしかないのだから」

 

 ……何だかんだ言って寮監は話が早くて助かる。

 その言葉はギルデロイ・ロックハートに対する嫌疑を絶対的に否定するもの。

 

 あの老人の言によれば、去年の闇の帝王は塵に等しかったという。そして、前回は選べなかった一方、今回は選ばれたのだと寮監は示唆した。

 賢者の石を手に入れられなかった存在が、たった一年足らずで駒を選べるような状況に改善しているとも思えない。故に、駒を選んだのは闇の帝王に近しい誰か――死喰い人なのだろう。可能性として一番高いのは、やはりルシウス・マルフォイ氏なのだろうか。

 

 当然の事ながら、引っ掛かる点が無い訳では無い。

 今回における外部の者の関与を示唆しながら、しかし同時に今回には闇の帝王の深い関与が有るのだと老人は――この寮監も当然に考えている。その理屈は杳として知れない。闇の帝王を知る者達が有する理解、或いは確信という物が存在するのかもしれない。

 けれども僕にとっては、ギルデロイ・ロックハートが今回の共謀犯、ないしは実行犯として圧倒的に不適切であると知れただけで十分だった。

 

 それが解ったのであれば、後聞くべきは一つだった。

 もっとも、これはあくまで保険のような物に過ぎないのだが。既にあの男は、()()()()()()()()()()()()()なのだから。

 

「ギルデロイ・ロックハートの採用時の評価は?」

 

 誰の評価とは名前を出しはしない。そして、それで互いにとってはやはり十分である。

 

「『どんなに悪い教師からでも、学べる事は沢山有る。何をすべきでないか、どうしてはいけないか』。……ふん、馬鹿々々しい物言いだ。物事全てから学びを得られるのは賢者のみだ。ホグワーツの学生はそれ程出来の良い頭を持っていない」

 

 寮監の辛辣な評価は兎も角、解る事はある。

 つまり、あの老人は、悪い教師だと解っていながら招き入れた。

 悪いというのは、単純な善悪では無いだろう。生徒を導く存在としての教師の適性という面では、この寮監ですら底辺クラスである事は間違いなかった。であれば、その悪いというのは単純に能力という面で劣るという事なのだろうし、実際その通りだった。いずれにせよ、クィリナス・クィレル教授と違う理由で雇用されたというのも明らかだ。

 

 そして、恐らくはこれ以上得られる情報は無い。

 僕はそう感じ、しかし僕が感謝を示そうとするのを制止するかのように寮監は口を挟んだ、

 

「……レッドフィールド。生徒であれば何時でも助けて貰えると思っていたら大間違いだ」

「解っています。前回が例外的だった事くらいは。そして、何時も何時も助けを期待すべきでない事くらいも」

 

 偽りなく、僕は寮監に対して頷きを見せる。

 寮監は、必要な犠牲を必要と割り切れる人間であった。そしてそれが僕であった場合、当然に寮監は見捨ててみせるだろう。

 如何なる理由が存在するにしろ、寮監にとって唯一安否を気にするのはハリー・ポッターのみであり、それ以外は寮監の関心の外に在る。去年は片手間に防げる程度であったからそうしただけで、寮監があの老人と接触する事すらも控える今回においては、危険というのは比較にならず、絶対的に助けを期待出来ない事だろう。

 

 けれども、僕の返答に対して、寮監はどういう訳か引き下がらなかった。

 

「……ならば、何故、君は――お前は動こうとする?」

 

 その瞳の内には、見間違えようのない疑問の色が揺らめいている。

 

「去年と同じだ。卓越した打ち手同士の試合に、余人が割り込む意味など無い。寧ろ、それは本来輝かしい物であるべき物を愚劣に貶め、余計な無駄と混乱を招く事となる。去年は見逃しはした。だが、今回は違う筈だ。たかが生徒が介入し、干渉する余地は無い。身を縮め、全てが終わるのを待つのが最善だ」

 

 寮監は、やはり正しい。それは解っている。

 しかし、それに対して、僕が言える事は一つだった。

 

「僕は去年も言った筈です。人は可能性のみで恐怖出来ると」

「……それがどうした。可能性は可能性に過ぎない。そして、恐怖を抑え込める事こそ、人間の理性の証明だ」

「そして、祈りだけでは限界が有る事を直視するのも理性の筈だ。今回のコリン・クリービーも、ジャスティン・フィンチ-フレッチリーだって、その瞬間、祈り、願い、そして助けを求めていた筈だ。だが何も起こらなかった。彼等は見捨てられ、犠牲となった」

「違う。その二人はそれで済んだだろう。我輩が言っているのは――」

「――同じ事ですよ」

 

 無礼と解っていて尚、僕は言葉を差し挟む。

 

「全ての悪事を防げる存在は居ない。人の手は二つしか無い。そして、()()は最後まで躊躇う事はしても、それでも最後の最後には断固たる決意の下に見捨てられる人間だ。であれば、己が為すべき事を為すしかない。たとえそれが無駄に等しいと理解していても、少しでも可能性を上げられるのであれば止められるものでは無いでしよう」

「――――」

 

 何故かは解らない。けれども、僕の言葉に寮監は酷くたじろいでしまった。

 まさしく痛い所を突かれてしまったというような、見ようとしなかった物を見せられたような。そんな苦渋と後悔、そして嫌悪と怨嗟を混ぜ込んだような表情。

 

 ……思えば、この寮監とあの老人の関係も不思議な物だ。

 殆ど全てのスリザリン生が、あの老人に対して相容れないと感じ、嫌悪を抱いている。そして、この寮監もまた他ならぬスリザリンなのだ。その内心など容易に伺える。だがそれでも、あの老人に譲歩し、助力し、その走狗になる事を是としている。果たして、その裏にはどれ程強固な覚悟と信念が存在しているというのだろうか。

 

 それを見透かそうとする気持ちが、僕に無かったとは言えない。

 実際、寮監には伝わったのだろう。寮監は一度瞳を閉じ、そして開いた後は、何時も通りの感情を見透かせない仏頂面に戻っていた。

 

「……ギルデロイ・ロックハートが君の目的の為の手段として適切か否かは一端置いておく。ただ、レッドフィールド。その執心は過剰だ。それだけは告げておこう」

 

 寮監はそこで一度言葉を切り、しかし言葉を止める事はしなかった。

 

「何せ、あれに必要以上の疑念と猜疑を抱いているというのは論外だ。真に優れた魔法使いは物の本質を、根源を読み取る。敵の事を敵以上に理解し、愛慕し、その上で相対する。卓越した〝開心術士〟が決闘にも優れるのは当然の話だ。相手の根幹に通じていれば、策を読むのも、罠に嵌めるも、敵わないと知って自ら先に逃走する事さえも、全ては自由自在なのだから」

 

 唐突とも思える寮監の長口上に対し、僕は何も口答えする事無く拝聴する。

 意図は知れない。だが、言葉の内容からすれば、それが先達が後進に対して貴重な教えを授けようとするものである事は明らかだったからだ。

 

「スリザリンがどういう物か、心に留めているだろうな」

 

 言葉は質問の形式だったが、それは答えを求める物では無かった。

 実際、寮監は僕の表情を一頻りねめあげた後、軽く頷いて言葉を続ける。

 

「闇の魔術を使うというからと言って、それはスリザリンに近しきを意味はしない。種々の魔法を悪用する場合も同じだ。確かにそれらは我等と親和性を有する。特に闇の魔法に惹かれるのは、我等にとって半ば習性であるともいえる。けれども、当然の事ながら闇は悪では無い。我々にとって、それらは目的を遂げる為の一道具に過ぎない」

「…………」

「闇の魔術の行使においては創意と柔軟が要求される。スリザリン内での処世においても臨機と狡知が求められる。しかし、いずれもそれらは確固たる目的の下に行われなければならない。前者で有れば、憎悪、害意、殺意を。後者で有れば、野望、防衛、実利を」

 

 つまり。

 

「……ギルデロイ・ロックハートは()()()そうでは無いと?」

「それを確信出来ないのが、君が未だスリザリンとして不十分な証なのだろうな。開心術によって暴かれた個人的事柄、つまり組分けについては通常聞くべきでは無いが。君はレイブンクローに組分けされようとしたのでは無いか?」

「――――」

「当たりか。嗚呼、最終的に君はスリザリンだったのだ。それをとやかく言うつもりは無い。されど、己に近しく思えるからと言って入れ込み過ぎるな、という事だ」

 

 寮監は嘲笑を、しかし同時に憐憫を示しながら言う。

 

「レイブンクローは鷲を、天空の王を象徴する。その蒼の色も大気を象徴する。あれらは自身が叡智の寮であると信じているが、我輩に言わせれば敵意と拒絶の寮だ。その点において、貴様が親和性を見出す事は何ら驚くに値しない。彼等もまた、蛇と近しい面を持っている。もっとも、それは我等と決定的に否なる物でも有るが」

「……前者は良いでしょう。しかし、レイブンクローの性質は受容でもあるのでは?」

「大空の下に居る人間が青色になれるか? 同じ大気に包まれれば、全ての者は同類か? 受容は同化を意味しない。叡智も、独創も、突き詰めた果てに行き着くは隔絶なのだ。故に、あの寮は内輪で団結出来ない。ロウェナ・レイブンクローの髪飾りが彼女の死と共に消えたように、あの徹底的な個人主義は、今だけを追い求めて次を見据えていない。それが我らとの違いだ」

「…………」

 

 語られたのは、あくまで寮監の私的な見解に過ぎない。僕の見方と一致しない点があるのも確かだった。

 けれども、それが僕より遥かに長くホグワーツを見て来た者の貴重な私見であり、また腑に落ちる点があるのも事実だった。

 

 成程、であれば、ギルデロイ・ロックハートは骨の髄までレイブンクロー的で、そしてスリザリンは決して彼を同胞として歓迎し得ないのだろう。

 

 彼のホグワーツでの所業は、彼のこれまでの名声を明らかに毀損している。

 

 ホグワーツでの生徒はたかが千程度。しかし、それらはグレートブリテン及びアイルランド全土から集められたのであり、多くの者には親が居る。必然、それだけ広範囲の影響力を有するのであり、まして、断片的であれ子供から伝え聞くギルデロイ・ロックハートの教育方針は、マトモな感覚を持っているのであれば当然に眉を顰めるものだ。あのマルフォイ夫妻ですら然りである。

 

 勿論、単に毀損するから駄目だという安直な話では無い。確固たる目的意識の下に他ならぬ次を見据えて為されるのであれば――例えば、秘密の部屋を開く為に敢えて代償を支払う事を是としたのならば何の問題も無い。

 

 特に、ここはホグワーツなのだ。ギルデロイ・ロックハートの過去の学び舎なのだ。当時も校長であったアルバス・ダンブルドア、彼を直接指導した三寮監、そして一時とはいえ学生時代を同じくするセブルス・スネイプ寮監。彼の過去の行いを忘れていない者達が未だ現役として存在するのだ。

 それを理解して尚、()()()()を恐れず渦中に飛び込むというのであれば、口では侮蔑と軽蔑の言葉を吐きながらも、スリザリンは彼と手を握るのを何ら躊躇いはしないだろう。

 

 けれども、単純に目先の利益に囚われ、自分の身の程を弁える事が無く、利益と危険を天秤で計る事もせず、ただその場凌ぎの快楽の為に行動するのであれば――それは間違いなくスリザリンから賛同を得られまい。

 

 そして、ギルデロイ・ロックハートがどちらの性質であると寮監が考えているか。

 そんな事は、これまでを見ても、今を見てもまた明らかだった。

 

「繰り返す。君は執心し過ぎている。去年の事が有ってか、君はレイブンクローに入れ込み過ぎている。しかし、それはスリザリンの正道から外れている。半純血がそうなれない事は我輩も()()理解しているが、立ち位置を見喪う事はしてはならない」

 

 お前は異質であると寮監は暗に言った。

 

「そして君は何処かでドラコ・マルフォイを最もスリザリン的な存在だと見ている節がある。それも誤解の一因なのだろうな。アレは確かな意思の下にそう在らんとしているだけで、未だスリザリンに心の底まで染まっている訳では無い。無論、長ずればいずれそうなるであろうが――少なくとも、今君と交流を続けているのは異端でしかない。その事は常に、深く意識しておくべきだ」

「……御教授、感謝致します」

 

 ここまで言を尽くしてくれた理由が解らないが、本心の忠告だというのは理解出来ている。

 だから、僕は寮監に対して深く頭を下げた。もっとも寮監は、その感謝を拒絶するように嘲笑を深めるだけだったが。

 

「理解したのであれば去れ」

 

 先程の好意が幻であったかのように、寮監は端的に命令する。

 

「繰り返すが、我輩は生徒が自らの愚行によって報いを受ける事には感知しない。あの愚物と向き合った末に廃人になろうが、或いは殺されようが、我輩は一向に構わんし、気分を害する事もまた無いのだ」

「……? 彼の性質が見たままの通りであれば、何ら警戒する必要も無いのでは?」

 

 一瞬言葉通り立ち去ろうとしたものの、やはり質問せずには居られなかった。

 僕が警戒していたのは、ギルデロイ・ロックハートが闇の帝王の影響下に有るかのみ。つまり、塵のような存在でありながら尚、己より遥かに強大だった魔法使いと――アルバス・ダンブルドアすら上回りかねない怪物と対峙する羽目にならないかというただ一点だけだ。

 

 そして違うのであれば、最早彼と直接対峙する事につき、何ら支障を感じるものでは無かった。彼は無能を装っているのではなく、ピクシー妖精すら制御出来ない真なる無能であり、決闘クラブを初めとするいずれの場面においても無様を晒す事しか出来ない道化の筈だった。

 

 けれども、僕の言葉に対して、寮監は陰鬱な笑いと共に口を歪めた。

 

「アルバス・ダンブルドアと同じだな。己が価値を見出す事が出来た物に対しては酷く熱心であるが、しかし逆に、見出せない物については君は――お前達は余りに冷ややかだ」

 

 その最悪の侮蔑に対して、僕は何も返答出来ない。

 何故なら、寮監が絶対の確信と共にその言葉を発している事が理解出来たから。

 

「無能であろうと常に牙を持たないとは限らない。スリザリンの猜疑と排外は、それを良く知るからだ。賢者が愚者に必ず勝つ訳では無い。弱者が強者を凌駕するという事もまた有り得る。我輩には、あの老人がそれを忘れているようにしか思えんがな」




・サーペンソーティア
 決闘の直前、スネイプは「マルフォイの方に近づいて、屈み込み、マルフォイの耳に何事かを囁いている」(二巻・第十一章)。

・二年の変身術
 コガネムシ→ボタン(二巻・第六章)
 白ウサギ→スリッパ(同・第十六章)

・出現魔法
 マクゴナガルは、出現魔法は通常NEWTレベルまではやらないと述べている(五巻・第十三章)。


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偽典の伝道師

本日更新の二話目。
……ギリギリ過ぎる上に荒いですが。


 二月の初め、ハーマイオニー・グレンジャーは退院した。

 

 未だに襲撃は、ジャスティン・フィンチ-フレッチリーとニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿以外、つまり十二月の中頃以降起こっていない。未だ気を抜いていない教授陣は兎も角、監督生達の監視は明らかにやる気を喪い始めており、周りのスリザリンも襲撃が続かない原因について喧々諤々の議論を交わしていた。

 

 もっとも僕にとって、それは総決算前の一時的な平穏以外の何物でも無かった。

 入院理由が何であろうが医務室は安全圏であった筈であり、しかし彼女はそこから出てしまった。一人になる機会が有れば――そしてハリー・ポッターの秘密の部屋の謎への進捗次第では、彼女は襲われる。それは間違いないだろう。

 

 ただ、闇の帝王が彼の動向を正確に把握しているのかは多少問題でもある。

 一番良いのは、グリフィンドールの内側で観察する事だろうが、そのような手段など闇の魔術でも早々無い。ましてホグワーツは単なる古い城では無く、様々な魔法的護りによって生徒を肉体的・精神的に保護しているのだから猶更だ。

 それが万能でない事は一連の秘密の部屋の被害を見れば明らかでは有るが、それは創始者の遺産であるからに過ぎない。闇の帝王の場合は別だろう。ただ監視をするに留まったとしても、決して容易では無い筈だ。

 

 見切り発車的に事を起こすのか、或いは本当に状況を正確に把握する手段が存在するのか。僕の都合としては出来れば後者で在って欲しいのだが――僕にとって、ハーマイオニー・グレンジャーが早く気付き過ぎるのも困るが、全く気付かないままに事が起こるのもまた困るからだ――いずれにせよ、今回の事件の終結が近いのだろうという事は予感していた。

 

 僕が三人組の動向を知った手段は、言わずもがなハーマイオニー・グレンジャーからのふくろう便である。

 内容が内容である以上、詳細な内容は記載されていない。けれども、五十年前に秘密の部屋が開かれた事について何か新事実を掴んだような内容を記していた。

 であれば、彼等はいずれマートル・エリザベス・ワレンに辿り着くだろう。そこまで行けば、秘密の部屋の扉はもう目前の筈だ。彼女の生前の行動を考えれば、あのトイレに入口があるかは別として、部屋に直接繋がるパイプが存在するに違いないのだから。

 

 そして、そのふくろう便には、部屋について会って話したいという旨も添えられていた。

 クリスマス休暇中にハリー・ポッターに渡していた紙片の事も有って、僕が何かを掴んでいるのでは無いかと気になっているのだろう。

 ただ、その求めに対しては、今は接触するには時期が悪いとして断った。闇の帝王が何らかの手段を用いてハリー・ポッターの周辺を見張っている可能性が排斥出来ない以上、一時的な接触は兎も角、余り長々と会話を交わすような真似はしたくなかった。

 しかし絶対に接触する気が無い訳では無く、それは単に全く別のアプローチを目論んでいるからに過ぎない。

 

 ギルデロイ・ロックハートに近付くのは簡単だった。

 彼が教科書として扱う小説さえ熟読すれば良いのだから、これ程楽なものは無い。その内容について多少踏み込んだ内容を話してやれば、嬉々として彼は乗ってきた。学期当初であれば女生徒でない僕へ真摯に対応する事は無かっただろうが、支持者の多くを喪った今であれば別だった。望みはしなくとも、彼は長々と彼の物語について〝教授〟してくれた。

 

 無論、近付く手段が容易であるからと言って、それを選択した結果が精神的にどうであるかはまた別の話だ。他のスリザリンは明らかに自分の正気を疑っていたし、監督生が酷く親身な様子で医務室に行くよう勧めて来た事には流石に閉口した。一度誤魔化せば終わると思ったが、その後も何度も言われたので、余程正気を逸しているように思われたらしい。

 

 もっとも、彼女と自然に――つまり闇の帝王の無駄な関心を惹かない形で接触する手段としては、僕にはこれ以上の物は考え付かなかったのだ。

 

 ただ、その手段(ギルデロイ・ロックハート)を選択した事について、僕の意地の悪さや、彼に対する関心の強さが多分に含まれていた事も否定しない。寮監は僕にレイブンクローへ執心しているのだと指摘したが、成程、それは間違っていないのかもしれない。地を這う蛇よりも、空を舞う鷹に憧れる。その趣味嗜好の自覚は確かに有ったのだから。

 

 男と幾度か会話して見た結果、彼がスリザリン的では無いというのは明確に解った。

 寮監の眼は的確だった。彼の著作からも明らかだったが、彼は善の側に――悪を打倒する側に強く惹かれている。生粋のスリザリンであれば、やはりそんな事は有り得ないだろう。

 

 寮監も言及した通り、やはり闇は悪では無いのだ。

 けれども、他の三寮はそれを理解しようとしない。ギルデロイ・ロックハートもその例外では無かった。著作からは()()()()()()()()()()()()()()()()にも関わらず、彼の言葉からは、闇と悪を一緒くたにし、それらは遍く打ち倒されるべきという理念だと考えている事が単純に伝わって来た。

 

 正直言って、ギルデロイ・ロックハートとの会話は苦痛を通り越して拷問だった。

 授業では解っていたが、それでも僕は彼の著作を読み込んだのだ。故に、僅かな期待を持っていたのだが、やはり男は授業で露呈し続けてきた通りの、憐れで無能な道化であった。そして、それを幾度と無く実感し、待ち望んでいたその機会が漸く訪れた。

 

「――おや、スティーブン君。また、僕に質問に来たのかい? 熱心な事だね」

 

 許可を得て中に入れば、何時も通り、気色の悪い部屋の中で、ギルデロイ・ロックハートは得意げに笑っていた。

 闇の魔術に対する防衛術教授に割り当てられた、三階の個人研究室。その部屋は、無数の自分の写真によって誇らし気に飾り立てられている。

 良くもまあここまで自分に酔える物だと思う。本人に対して殆ど敬意を抱く事は出来ないが、その中でも数少ない敬意を抱ける点はこれだった。

 

「全くもって、人気教授というのは辛いものだ。少しばかり軽い気持ちでホグワーツに来た事を多少後悔する位にね。『週刊魔女』の取材から逃げ回る方がどんなに楽か。嗚呼、心配御無用。君達に対して真摯に向き合わない事は有り得ない」

 

 君達。

 その言葉通り、彼の部屋には先客が居た。

 

 それは言うまでも無く、ハーマイオニー・グレンジャーだった。

 彼女は教授の前に置かれた椅子に、ちょこんと腰かけていた。彼女は一瞬僕に対して笑い掛けようとしたが、しかし取り繕うようにつんと視線を逸らした。

 

 それは、彼女が今回の機会を単なる偶然だと主張したいが為の行動なのかもしれない。

 ただ、どう考えても偶然で無い事は言うまでも無かった。僕の最近の動向を知れば、その小さな身体から零れ落ちんばかりに膨大な知的好奇心を持つ彼女が取るであろう行動など当然に予想出来る。誤算と言えば、グリフィンドールに噂が届くまで時間が掛かり、その分ロックハートによる拷問の回数が予想以上に嵩んだ点くらいだった。

 

 勿論、彼女のそのような細かい仕草にギルデロイ・ロックハートが気付く筈も無い。椅子の上で気取った風に足を組みなおした後、己に酔いしれた甘ったるい声で僕に語り掛けてくる。

 

「しかし、残念なお知らせだスティーブン君。私は今、ミス・ハーマイオニーからの質問を受けていてね。私の著作を読み込んでくれているファンに順位を付けるというのは申し訳ない事だが、彼女が先着である以上仕方ない事だが――」

「――いえ、先生! 私は構いません」

 

 椅子の上で気取った姿で肩を竦めるギルデロイ・ロックハートに、彼女は割り込む。

 

 ただ、その顔は紅潮し、声もまた上ずっていた。

 

 ……男に対する彼女の想いが愛情と言った物に基づく物では無いのは傍から見ても明らかなのだから、取り立てて嫉妬する事は無い。けれども、話で聞いているのと実際に見るのでは、苛立ち具合が段違いだった。成程、スネイプ寮監を見て解っているつもりだったが、ギルデロイ・ロックハートは人を煽るという点においても天才だった。

 

 そのような僕の内心を他所に、二人の世界に入っている者達は話を進める。

 

「おや。良いのかい、ミス・ハーマイオニー。他者に譲るのは美徳だが、しかし時として自らの力で勝ち取りに行かねばならない時が有るのだよ。待っているだけでは何も手に入らない。私はホグワーツ時代にそれを十分学んだものだ」

「い、いえ。ロックハート教授が生徒を蔑ろにしない方だと私は解っていますから。それに、ステファ……ミスター・レッドフィールドの質問に対して、教授がどのような解答をされるかについても、私には関心が有ります。その、こう言った機会は中々無いですから」

「確かにその通りだ。他者の言動からも学ぶ事は大いに有る。勿論、私を観察する事以上の学びというのは世界に存在しないがね。――さて、スティーブン」

 

 怒涛のような会話を終えた後、酷く自然体にギルデロイ・ロックハートは僕に向き直る。

 

「ミス・ハーマイオニーは、私と君との歓談に同席する事をお望みらしい。勿論、君は気にしないだろうね?」

「……ええ。構いません」

「宜しい。ただ、この部屋には君の分の椅子が無い。君は立っていてくれたまえ」

 

 魔法使いに有るまじき事を平然と宣う男に対して、最早何も思いはしない。

 

 一々感情を動かしても仕方がないと、僕はとっくに悟っていた。

 セブルス・スネイプ寮監は何だかんだ言って付き合いが良過ぎるのだ。物事を真正面から受け止めすぎるというか。寮監は僕をレイブンクローに肩入れしていると嘲笑していたが、それを言えば寮監はグリフィンドール精神に惹かれ過ぎている。自らの手で叩き潰さないと気が済まない辺りは、まさしく彼等のそれである。

 

 ともあれ、この状況が酷く都合が良い事に変わりは無い。もっとも、ここまで上手く行くとも思っていなかったが。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは彼の熱心な信徒の一人であるが、唯一では無い。あのバレンタイン後ですら、そこそこの数の女生徒が未だ彼に思いを寄せていた。ただ、それでもスリザリンの男子生徒と居合わせたい者は――たとえ憧れのギルデロイ・ロックハートが一緒でも――たった一人しか居ないだろうと確信していたし、彼女は間違いなく理由を付けて残りたがるだろうという事もまた予測が付いていた。

 

 しかし、今は他の人間は居らず、ハーマイオニー・グレンジャーだけが居る。

 どういう理由でこの状況が作られたのか知らないが、彼女と共にこの男と対峙する事は、保険の意味でも、個人的な感情の意味でも、注文通りの状況であるのは間違いなかった。

 

「さて、今回は何の質問かな? 『グールお化けとのクールな散策』について? それとも『雪男とゆっくり一年』? ……嗚呼、そう言えば確か、前回君は『狼男との大いなる山歩き』の、私が電話ボックスに逃げ込んだ際の事に酷く関心を示していたね。そうだね、私と君の間柄だし、今日は観客も居る。良いだろう。その事についてより詳しく――」

「――本日、聞きたいのは、それについてでは有りません」

 

 自惚れた男の妄言を、強制的に止める。

 目的を殆ど達成した以上、著作以上の事を語らない壊れた蓄音機に付き合うつもりが無かった。

 

 そして、成程寮監の言う事も一理有るのかもしれないと感じて居た。己がレイブンクローに肩入れして居なければ、このような事を聞く筈は無いだろうからだ。

 目的を完遂するのであれば、ここから直ぐに立ち去り、ハーマイオニー・グレンジャーに対して見せるべき物を見せるだけで済む。そうしないのは個人的な執着に他ならない。

 

 僕は、ギルデロイ・ロックハートに対して問うた。

 

「アルバス・ダンブルドアについて、貴方はどう思います?」

 

 男は、明らかな困惑を露わにした。

 部屋中の写真は、薄笑いであったり、肩を竦めて首を振ったり、顎に手を当てて考えたり、呆れて宙を仰いだり、思い思いの行動を取っていた。しかし、そのいずれも、僕の質問の意図を図りかねているのは確かなようだった。

 

「……言っている意味が解らないね、スティーブン」

「真っ当な質問だと思いますが、ロックハート……教授」

 

 教授という言葉を発するのに未だに強い意思を必要とするのは困り物だった。

 

「貴方は輝かしい功績を有している。闇の力に対する防衛術連盟の名誉会員、週刊魔女のチャーミングスマイル賞五回連続受賞、そしてマーリン勲章勲三等」

「あ、ああ……! そうだとも。君がそれを忘れていないでくれて嬉しいよ。いや、私にとっては多少のスパイス的な、些細な物に過ぎないがね。私はその程度で収まるような器ではないと自負しているし、もっと凄い事をやってのけるつもりだから」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは困惑したままに、その視線を行ったり来たりしている。

 彼女は聡明な魔女であるが、必ずしも賢明で無い場合が有り得る。この会話がどういう方向に向かっているのか、僕が何を真に問いたいのかが全く読めないのであろう。そして、読めないからこそ、彼女は尊敬する〝教授〟の前での失敗を恐れて動けない。

 

 ただ彼女は、分岐路の前で選択を迫られたからと言って、常に片方が正しい経路に繋がっている訳では無い事を知るべきであった。いずれの道も断崖に繋がっている事は得てして存在する。

 

「しかし、対してアルバス・ダンブルドア。あの老人の称号もまた素晴らしいものだ。大魔法使い、魔法戦士隊長、最上級独立魔法使い、国際魔法使い連盟会員。そして――マーリン勲章勲()()

「……そ、それがどうしたかね? 校長の業績など誰もが良く知っている筈だが」

「ええ。知らない人はいない筈です。そして何の意図も有りませんよ。ただ、ロックハート教授のこれからの、凄い抱負とやらについて聞きたいだけです」

 

 視線を微妙に逸らした男に対し、僕は努めて冷静に語り掛け続ける。

 

「マーリン勲章の基準はある程度公にされています。勲三等は、魔法界の知識や娯楽への貢献。勲二等は、並外れた業績や尽力。そして勲一等は、魔法界における傑出した、勇敢さを示す行為ないし他とは一線を画する行為に対する表彰」

 

 勿論、基準は基準に過ぎない。

 それを満たしていない、政治的理由で受賞した魔法使いも当然存在する。

 けれども、大衆がその基準を満たしたと感じれば受賞出来る可能性が高いというのもまた事実なのだ。政治的とは、大多数に迎合的でもある事も意味するのだから。まして、魔法大臣が民主的な選挙によって選出されるともなれば余計にだ。

 

「ロックハート教授。魔法生物に関する研究では、我が校に先達が居ます。ニュート・スキャマンダー氏という偉大な先達が。勿論、闇を打ち払う事こそを大望とする教授とはベクトルが違いますが……しかし、彼は勲二等止まりでした。だからこそ、貴方に聞きたいんです」

 

 言うまでも無く、勲等の大小が人の価値を決める訳でも無い。

 だが、この男が人からの価値を重視しているのは明らかだった。そしてそれ故に、僕は彼に対して質問を、挑発を投げ掛けざるを得なかったのだ。

 

 どんなに言い繕おうとも、この男がホグワーツ内の殆どの人間から軽蔑され、馬鹿にされ、嘲笑され、それでも尚自らを喪わないで居られている事に疑いはない。それは一応の敬意に値する。だからこそ、それが断固とした信念と確信に由来する物なのか、それともあやふやで容易に崩れるような現実逃避に由来する物なのかには関心が有った。

 

 そして、どちらで在って欲しいと思っているかは――先のスネイプ寮監の言葉を聞いた後でも、依然として何ら変化していなかった。

 

「貴方は、ホグワーツ教授のキャリアを終えた後。魔法界全体の為に、あの老人よりも更に偉大で特別な存在になる為に、一体何をするつもりなのか。僕はそれを質問したいのです」

 

 アルバス・ダンブルドアを踏み越えて行くだけの覚悟が有るのか、僕は聞きたかった。

 関心と興味を抱き、聞きたいという強い欲望に駆られ、今まさに少なくない期待と共に答えを求め、そして――返って来た物はやはり期待外れなものだった。

 

 彼の眼はしきりに泳ぎ、定まっていなかった。

 部屋中のどの写真を見ても同じ。僕を真っ直ぐ見つめてくる物は一つとして無い。

 

 彼は何も考えて居なかった。詳細で、具体的で、現実性のある指針(ビジョン)を全く有していなかった。これまで通りを続けていれば全てが良い方向に向かっていくのだと、根拠の無い自信を持ち続けていた。当然の事ながらそれは、猜疑と疑念、そして野心に満ちたスリザリンに相応しい物でも無い。

 

 ……嗚呼、解りきっていた。

 

 この男が他の同輩を――敬意を抱くべき教授達を軽んじる台詞は幾らでも聞いた。

 ポモーナ・スプラウト教授の薬草学の知識を平気で貶め、セブルス・スネイプ()()よりも調薬や決闘が優れている事を誇りすらした。僕の知らない所で更にミネルバ・マクゴナガル教授やフィリウス・フリットウィック教授に対して軽率な発言をしていたとしても、何ら驚くにも値しない。

 けれども、ギルデロイ・ロックハートがアルバス・ダンブルドアを軽んじるような発言は、ホグワーツにおいてただの一度も聞いた覚えが無かった。それは単純に敬意の顕れとも取れるし、普通ならばそう取るべきなのだろうが、この男は普通では無かった。

 

 つまり、結論としては至極単純だ。

 

 ギルデロイ・ロックハートは、心の何処かでアルバス・ダンブルドアに敵わない事を認めてしまっている。

 

「……話を変えましょう。ハリー・ポッターについて、どう思います」

 

 僕の言葉に、男は救いの糸が目の前に差し出されたかのように輝いた笑顔を見せた。

 その顔に滝のような汗が流れていなければ、教科書に載せたい位に完璧な笑顔だった。いや、まあ、既に今年度の指定教科書には一応載っているが、それは良い。

 

「あ、ああ。ハリーの事ですか。全く困った生徒ですよ。私にも経験が有りますが、彼は少しばかり目立ちたがり屋だ。『名前を呼んではいけないあの人』を倒したか何とかで多少有名だが、私に比べれば大した事は――」

「――しかし、先の基準に照らせば、彼はマーリン勲章一等に値すると思いませんか? 彼は幼かったから受け取れなかった。けれども、〝マグル〟を大量に拷問し、殺戮をした悪の魔法使いを滅ぼしたのはそれに値する。さながらゲラート・グリンデルバルドに勝利し、勲一等を貰った校長閣下のように。そうは思いませんか」

 

 ギルデロイ・ロックハートは、萎れるように口を閉ざした。

 そして、ハーマイオニー・グレンジャーは僕の足をロープ越しに踏んだ。

 その顔が微妙に男の視線を避けるような角度で、しかし確かな怒りに彩られている所を見ると、どうやら漸く、これまで僕が言わんとしていた真意に気付いたらしい。

 

 もっとも、彼女の制止が無くとも続ける気は無かった。僕が闇の帝王の輝かしい業績について語った瞬間、男の瞳には確かな恐怖が横切った。去年の教授と異なり、この男が闇の帝王を滅ぼしに行くという事は、天地がひっくり返っても有り得ないだろう。

 この世界から悪を追い払う事を大望として掲げて居ながら――けれども、彼はその為に何ら行動を起こす気は無い。ただ恰好が良いから、そう豪語しているに過ぎない。

 

「……すみません、教授。不躾な事を言ってしまったようです」

 

 僕は全くの本心から頭を下げる。

 嗚呼、本心だった。聞くべきでない事を聞いた。ただその一点において。

 

 そして、やはりギルデロイ・ロックハートはその機微について何ら理解を示そうとしない。彼の瞳には、自分の姿しか映っていない。

 

「い、いや構わないとも。君は確かに、前回までは私を酷く理解した質問をしてきてくれたのだ。今日は調子が悪いのかな? 少しばかり馬鹿げた質問をした所で怒りを抱きはしな――」

「――最後に一つだけ。『狼男との大いなる山歩き』の記載について、僕は切実な疑問が有るのです。それを聞かせて頂いても宜しいでしょうか?」

「な、何だろう? 私の作品に関わる事ならば()()()()()答えよう。しかし良いかね、最後だ。もうそれ以上に質問は受け付けない」

 

 慌てたように付け加えるが、彼は僕の質問自体を止めようとしなかった。

 それは初めから解りきっていた事だった。彼は自身の著作を何よりも誇るからこそ、それに関わる問いから逃れられない。彼にとって、その著作は絶対の自信の拠り所であり、正しく聖典だった。だからこそ、僕の問いを許してしまう。

 

 そして、それは僕にとって酷く有り難い事でもあった。

 如何にハーマイオニー・グレンジャーへ自然に近付く手段で有ったとは言え、彼の著作を読み込んだのは事実だった。何度も、幾度も、読み返したのだ。ギルデロイ・ロックハートが僕を自身の理解者と誤信し、好感と寛容を示すのも当然の話だった。僕は何の苦痛も無く、それらを行い、殆ど記憶するまでに至ったのだから。

 

 はっきり言おう。僕は彼が紡ぐ物語に魅入られたのだ。

 たとえ、本人がどうしようも無く見下げ果てた無能で有ったとしても、彼の作品が単なる虚構的創作に過ぎないとしても、書籍が語る英雄達の姿は生き生きとしていて、印象的で、精緻で、鮮烈だった。

 

 彼が自身の名前を売る手段として写真集では無く小説という手段を用いたのは、そしてそれが曲がりなりにも成功を収めたのは、本自体の出来の良さと無関係である筈も無かった。そうでなければ、彼へ失望を示す者は最初から居なかったのだ。そもそも期待していなけれは、当然に失望する事も無いのだから。

 

 加えて、僕を最も強く惹き付けたのは、その著作に記されていた単語だった。

 究極的に言えば、それさえなければ、この男とここまで辛抱強く会話しようとせず、またその考えを読み取ろうともしなかったかもしれない。殆ど期待外れに終わったと言っても、その事だけは偽りでは無かった。

 

「貴方は非魔法族に対して、珍しく〝マグル生まれ〟に対して偏見を持っていない。ハーマイオニー・グレンジャーを、貴方は手放しで称賛してみせる」

「? ……それが、どうかしたかね? 私は別に当然の事をしているまでだが。ミス・ハーマイオニーが学年一の優秀な魔女であるという事は、厳然たる事実だろう?」

 

 男は心底不可解だというように、素直な感情を漏らした。

 そしてハーマイオニー・グレンジャーは僕の足を強く踏んでいた事も忘れて頬を赤く染めたが、それは余談に過ぎない。

 

 そう。彼について敬意を抱ける数少ない点が極まった自己陶酔以外に在るとすれば、それは彼が一切の差別的思想を有さないという点であった。

 

 彼の半純血という生まれがそうさせているとは思わない。

 半純血であろうと、魔法族の血を尊ぶが余り、〝マグル〟を見下す者は大勢居る。寧ろ、スリザリンを見るに、半純血である者こそ自分がスリザリン的であろうと――純血主義に対する忠実な信奉者であろうとする傾向が強かった。

 

 逆に、聖二十八族の方が僕に対する風当たりが弱いと感じる時は決して少なくなかった。例外的なドラコ・マルフォイを除いても尚、純血である彼等には余裕が有り、自然体のままに嘲笑や軽蔑を示しはすれど、加害や排斥を目論むような事は無かった。

 それらを為そうとし、僕の半純血にしては恵まれた立ち位置を奪い取ろうと企んでいたのは、大抵の場合同じ半純血だった。

 

 そして僕自身、客観的であろうと努めては居るが、やはり非魔法界の事よりも魔法界の事がまず先に脳裏に浮かぶのは否定しがたかった。それは、生まれて以降身に着けた価値観に基づく偏見であり、半ば本能であった。

 

 けれども、ギルデロイ・ロックハートはそれから完全に脱却している。

 それ故に、僕は祈りを――ギルデロイ・ロックハートという存在が、僕が入学前に思い描いていたようなレイブンクローであるという最後の一縷の望みと共に、言葉を紡いだ。

 

「貴方は『狼男との大いなる山歩き』の中において、こう記した。自身が最も望む誕生日の理想的な贈り物は、魔法界と非魔法界のハーモニーであると。間違いないですか?」

「まあ、確かに私はそう書いたが。……君、それがそこまで重要な事かね?」

「ええ。僕にとってその言葉は酷く重い物に感じました」

 

 僕は息を吸った後、言い切った。

 

「つまり、貴方は1692年の国際機密保持法の破壊を目論んでいる。そういう事ですか?」

 

 ギルデロイ・ロックハートは凍った。

 ハーマイオニー・グレンジャーも凍った。

 部屋中の写真も、一つの例外無く唖然とした表情のまま凍っていた。

 

「嗚呼、僕は何ら非難する気は有りません。寧ろ、僕は、()()がそれを真にする気が有るというのであれば賛同すら出来ます。両世界の壁をまるでベルリンのように破壊出来れば、それは正しく素晴らしいハーモニーが生まれる事でしょう」

 

 それは、偽り無き本心だった。

 母によって魔法的知識の習得を強制され、しかし僕の愚行によって母が死に、マグル生まれの聡明なる魔女と出会い、秘された魔法魔術学校に通い、その最も純血思想の濃い場所から魔法界の縮図を見、特別になれないまま無様に死んだ教授と出会い、誰よりも強く魔法界で君臨する事を望んだ闇の帝王に直面し、また善なる大魔法使いの告解を聞いた。

 

 だからこそ、思う。果たして、それは堅持すべき価値が有るのかと。

 魔法という物は、それ程特別視されなければならない物なのだろうかと。

 

「今は時流も味方しています。世界は変わっている。貴方達が言う〝マグル〟の技術は発達している。既に彼等は星を宇宙に打ち上げ、それを用いて一瞬で、広範囲に、全く同一の映像を伝えられるようになった。貴方がグレートブリテンに居ながらにして、海を越えた大陸や、新大陸にすらも姿を見せる事が出来るような時代は、もう既に来てしまっている」

 

 闇の帝王はいずれ復活する。魔法界に君臨しようと欲している。

 それを阻む一つの手段。それは、玉座自体を破壊してしまう事だった。

 

 勿論、国際機密保持法を破壊した際には、グレートブリテン及びアイルランドという狭い世界に限られず、全世界規模で多大な混沌が訪れ、無数の犠牲が生ずる事だろう。しかし、その審判の時においては、闇の帝王への対処という事象を下らない些事へと貶め――そして、恐らく闇の帝王はそれを我慢出来ない。

 彼は〝マグル〟にも〝魔法族〟にも等しく宣戦布告し、両者はその強大な敵に対して已むを得ず手を組む事になるだろう。

 

 それによって三百年近く続いた断絶が埋まるとは思っても居ないが、一つの契機を作る事は出来る。薄っぺらくとも一度は為せたのだから、今度もそれが出来る筈という幻想を抱ける筈なのだ。

 

 そして当然の事ながら、僕は〝マグル〟と〝魔法族〟の両方に喧嘩を売った場合、闇の帝王が勝利するなど思っていない。闇の帝王がどんなに強大な悪の魔法使いであろうとも、その手はやはり二本しかないのだから。分割統治が出来なければ、単純に数の論理が勝敗を決するのは解りきった事だ。

 

 多少の問題は有れど、国際機密保持法の破壊は間違いなく僕好みで、最終的に目指すべき脚本(シナリオ)としては悪くない。

 

「貴方には才能が有る。その顔も、声も、文筆の才能さえも。望みさえすれば、貴方は〝マグル〟界においても特別になれる筈だ。別に最初から魔法の存在を露わにする必要などない。ひっそりと〝マグル〟界の片隅で、地道に創作活動を続ければ良い。別にその事自体は、何ら国際機密保持法に反しない。文句は言われども、貴方を公的に止められはしない」

 

 言ってみれば、彼の人気は〝著作〟によるものでしかなかった。

 彼が教授として無能である事が露呈しても、彼の人気が完全に喪われなかったのはその点にこそ有った。彼の冒険が真に疑わしくとも、彼の作品の価値は何ら損なわれるものでは無い。魔法界生まれは当然の事ながら、ハーマイオニー・グレンジャーを初めとする〝マグル〟生まれにすら、ギルデロイ・ロックハートの著作は通用している。

 

 たとえそれらを手に取る発端が、彼の顔が良いというただ一点に有ったとしても、彼が世に公表した結晶は結果として、非魔法界と魔法界の壁を確かに越えてみせている。

 

「最初は嘲笑される事は間違いないでしょう。そもそも〝マグル〟におもねるような行為に、魔法族は興味を示しすらしないかもしれない。けれども、貴方は今までと同じ事を〝マグル〟の世界で続ければ良い。貴方の顔とその作品でもって名前を売り、地道に支持者を獲得し、貴方の名声と作品の価値を誰も否定出来なくなった最後の最後に、事を起こせば良い。

 ――全英が見守るその中で、貴方は誰の目にも明らかな形で魔法を使えば良い」

 

 電波が一期一会だった時代は既に過去の物である。

 その瞬間に立ち会えなくても、数百万、数千万の人間がそれを家庭において記録出来る。

 回数を重ねる必要は無い。膨大な下準備を掛けた上での、ただの一度、ほんの数秒さえ確保出来れば良い。ただそれだけで、ギルデロイ・ロックハートは、事実上不朽不滅の存在として記録されうる。

 

「ゲラート・グリンデルバルド。アルバス・ダンブルドア。そして、『名前を言ってはならないあの人』。彼等の名前など〝マグル〟は全く知らない。彼等は何ら特別ではない。けれどもその瞬間、大作家ギルデロイ・ロックハートが魔法使いである事を暴露した時、貴方の名前は両界において誰よりも偉大で、唯一無二の魔法使いとして讃えられる」

 

 当然ながら、疑う者も出る筈だろう。

 都合の良い事に手品(マジック)は普遍的な存在だ。彼等は彼等なりの常識でもって、それを理屈付けようとするだろう。

 けれども、エネルギー保存則の常識を粉々にする現象に対して、彼等が屁理屈を付けるのにも限度がある。

 

 そもそも、真偽の大論争を引き起こす時点で十分なのだ。ギルデロイ・ロックハートの衝撃を狼煙として、次に続かんとする魔法使いが出て来る事は容易に想像出来る。国際機密保持法自体に疑問を抱いている者は言わずもがな。そして確たる信条を持たない〝マグル生まれ〟の親達が、或いは〝スクイブ〟達が、魔法界について口を開き始めるに違いない。

 

 そうして、国際機密保持法は済し崩し的に破壊され、時代遅れの遺物は正しく過去の物となる。

 

「――〝私はマジックだ(『Magical Me』)〟。貴方はその言葉通り、魔法の象徴となれる」

 

 彼がレイブンクローであるのは皮肉が効いていた。

 鷲。それは古代ギリシャないしは古代ローマより伝わる由緒正しい権力と神聖の象徴であり、神の使者の証でも有る。その象徴は、数々の国、或いは王家に継承され続けて来た。そして他ならぬ国教会においても、鷲は世界に福音の光を広める象徴的存在であると言われている。

 

 そしてこの場合、ギルデロイ・ロックハートが造り上げた偽典(Bible)を元に、彼は今まで秘されていた魔法の光を世界に広めるのだ。

 

 僕は待った。永遠にも思える数秒を待って、しかし外からの介入が有る方が早かった。

 

「ロックハート教授、失礼しました……! 私達、これで帰ります!」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは急いで頭を下げた後、僕の手をしっかりと握ったまま、ギルデロイ・ロックハートの部屋から強制的に退出させた。それについて僕は何も抵抗しなかったし、男の部屋に言葉を何も残しはしなかった。

 

 残念ながら、彼は何も決断的な答えを返す事が出来なかった。

 それが答えであり、それだけで十分だった。

 

 ――彼は〝教授〟に徹する気も〝道化〟に徹する気も無い。

 

 

 

 

 

 僕はハーマイオニー・グレンジャーの手に引っ張られたままに、廊下を突き進む。

 彼女が激怒している訳では無いのは見て分かった。彼女は、ギルデロイ・ロックハートに対する僕の発言を完全に受けとめ切れていない。彼女は聡明であるが故に、その是非、影響、問題、そして賛意を初め、非魔法界や魔法界全体の在り方、自分の立ち位置など様々な事に頭を巡らせており、恐らくは思考がパンクする寸前な筈だった。

 

「何……! 貴方のさっきの言葉は、何の意図が有って……! そもそも、どうしてあんな……! いえ、本当に正気で……!」

 

 ぐいぐいと僕を引っ張りながら紡がれるそれは、言葉になっていない。

 その事は手を繋いだ箇所から伝わってくる熱と同様に、彼女の内心の大嵐っぷりを酷く示していたが、僕にとっては既に彼女が気にすべきでは無い事象へと成り下がっていた。

 

 期待したのは事実だ。彼が啓蒙の鷲足り得るのではないかと、そういう幻想を抱いたのは真実だ。しかし期待外れに終わった夢は、やはりさっさと捨てるべきなのだ。どう足掻いても実現しそうにない物に固執していても、それは何らの生産性を齎さないのだから。

 

「ハーマイオニー。先程の僕の冗談をまさか本気にしたのか?」

 

 僕の言葉に、彼女はピタリと止まる。

 それと同時に、握っていた手が離れた。その熱が僕から遠ざかった。

 

「冗談?」

「ああ、冗談だ」

 

 そう言ってみせた僕に対する彼女の表情は、何とも形容しがたい物だった。

 激怒すべきなのか、軽蔑すべきなのか、落胆すべきなのか。己がどうするのか正解であるか判断がついておらず、一つだけ確かなのは、彼女は自身が酷く疲れ果ている事に気付いているという事だった。

 その隙を逃さず、僕は彼女に対して畳み掛ける。

 

「先の言葉は、誇大妄想の気が大き過ぎる。曲がりなりにも、今まで国際機密保持法は堅持されて来た。それを破壊しようとする御調子者や愚か者は居ただろうに、魔法は秘密のままだった。それを簡単に破れる物だと思うか?」

「……まあ、それは確かに。そんなに簡単に破れるなら、こんな状況に無いものね」

「思考実験の類だよ。実際、ロックハート……教授は、僕に何も答えなかっただろう? 彼はその愚かさを理解している。彼は何ら本気にしていなかった」

 

 未だあの男に対する信仰心を喪って居ないハーマイオニー・グレンジャーは、彼を持ち上げる言葉に対して、複雑な表情のまま不承不承頷いた。

 

 もっとも、相応の勝算は有る事までは告げなかった。

 先の言葉の肝は、ギルデロイ・ロックハートが魔法とは全く関係無い技能を用いて〝マグル〟に浸透しようとする点にこそある。

 カルロッタ・ピンクストーンを筆頭に今まで魔法能力をもって〝マグル〟界に殴り込みを掛けようとした魔法族は数多く居ただろうが、それとは全く関係無い点において知名度と信仰を獲得しようとした魔法族は殆ど居なかっただろうと考えているからだ。

 

 そして、テレビジョンを中心とする娯楽主義(時代の潮流)が味方している今において、それを行おうとする魔法使いが皆無で有る事は絶対的に確信している。

 

「でも、やっぱりさっきの発言は悪趣味過ぎるわ。あんな突拍子も無い、飛んでもない事を言い出すなんて。ロックハート教授の言葉を曲解し過ぎよ。彼が言う魔法界と非魔法界のハーモニーは、そんな過激で破滅的な手段で齎させるべきものでは無い筈だわ」

 

 憤懣やるかたない様子で彼女はぼやく。

 相変わらず彼女は正しい対処を図りかねているようだが、自分は先の僕の言葉に対して酷く不満であるという結論だけは出たらしかった。そして、僕は何らも否定しない。

 

 過激である事も、破滅的である事も厳然たる事実だ。しかし、硬直化した魔法界は、その位しないと変わらないという確信が有ったから、僕はあんな事を述べたに過ぎない。

 第一、彼女の理解や共感を求めようとした訳でも無い。僕は彼女に惹かれているが、全てを支配したいとも思わなかった。彼女は独立した個であり、違う考えを持つ人間だった。その事を、価値を否定するつもりは何らない。

 

 けれども、それでも彼女の考えを理解したいと思う点は有った。

 

 自分の激情を発散させるかのように再度歩き出した彼女を追い掛け、隣に並んだ後、僕は彼女に問い掛けた。

 

「なあ、ハーマイオニー」

「……何。陰険で性格が悪い魔法使いさん」

「君は何故、今になってもギルデロイ・ロックハートを信じ続けられる?」

 

 不満と不機嫌さを露わにし始めてきた彼女に対して、僕は問い掛ける。

 聡明なる魔女が、常に賢明で無い事は重々承知している。けれども、これはそのような簡単な論理で片付けられるような物では無い気がしたのだ。

 つまり、ギルデロイ・ロックハートは無能を露呈しながら、彼女は憧れを殆ど捨てていない事については確かな理由が有るのでは無いかと。

 

「問いが広過ぎて答えかねるわ。質問の意図をもっと明確にしてくれると助かるのだけど」

「例えば、生徒の間に馬鹿げた噂が有るだろう。ギルデロイ・ロックハート本人は何ら冒険を行っておらず、忘却術を用いて他人の功績を盗み取ったのだという噂だ」

「……嗚呼、あの信じるにも値しない最高の馬鹿話ね」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは、余計に顔を顰めてみせる。

 どうやら、それは僕に対する怒りの矛先を逸らす程度には、彼女にとっても不愉快で荒唐無稽な物だったらしい。

 無論、僕と彼女では理由が違う。僕がそれを馬鹿々々しいと思うのは、単純にギルデロイ・ロックハートがそんな器用な真似が出来そうに無い程、圧倒的に無能だからだ。忘却術というのは相応に高度な呪文の筈であり、容易に扱える物でも無い。であればそんな事は有り得ない。僕は当然そう考え、それが大勢の意見であった。

 

 今では生徒の間でも、その珍説を大真面目に唱える者は居ない。ギルデロイ・ロックハートの真実と題する賭けの中では、大穴狙いの極少数のみである。

 

 ただ、この様子では、ハーマイオニー・グレンジャーは違う見解を持つようだった。

 

「全く、皆は忘却呪文が単に万能な呪文だと考え過ぎなのよ。この魔法界を維持している根幹ともいうべきものにも関わらず、余りにも興味が無さ過ぎるわ」

「君は、非魔法族生まれの人間として——いや、知識の探究者として、当然ながら調べた訳だ。忘却術(オブリビエイト)について」

「正確に言えば、忘却呪文と記憶修正呪文の二種だけれど。両者は全く別の呪文なんだし――って、大変だわ! 忘却術(オブリビエイト)は覚えているけど、そっちの呪文は忘れちゃったわ!」

「……それは、君が後から図書室へ行って存分に調べると良い」

 

 忘却呪文も記憶修正呪文術も二学年で出て来ないのは明らかだったが、この教科書の信奉者にはお構い無しらしい。彼女は知らない事を知らないままに出来ない人間だった。

 それでも彼女は何とか思い出そうとするように腕組みして、むずむずと落ち着かない素振りを続けていたが、諦めが付いたらしい。短く嘆息した後、僕への説明を続けた。

 

「まあ、二つが別種の呪文と言ったけれども、混同するのは理解が出来るわ。忘却呪文もやっぱり呪文(Memory Charm)なのよ」

「……というと?」

呪文(Charm)――つまり、ある特性・属性を特定の対象に追加する(adds certain properties to an object or creature)魔法なの。決して変身・変容(Transfiguration)では無いのよ」

「しかし、呪文(Charm)に分類されようが、その分類が正しいとは限らないだろう」

「ええ、そうね。分類は一定でも絶対でも無い。リンネが分類学の父になる前も、なって以降も、生物の枠組はあっちこっち変わってきた訳だし。でも、私には納得行くわ。人間の記憶の仕組みからすれば――要するに、マグル的な知識からすればそれは自然とも言えるもの」

 

 僕は沈黙を守り、先を促す。

 己が半純血にしては多くの非魔法族的の知識を有しているとは言っても、全体の知識量を比較すれば、ハーマイオニー・グレンジャーの方に軍配が上がる事は解っていたからだ。

 

「要するに、忘却にも種別が有るという話よ。幼少期の記憶が良い例だわ。それらは忘却しているけども、消滅している訳では無い。何らかの刺激で蘇る事がある。つまり、初めから記憶の中に存在しないのではなく、ただ単純に思い出せない(dis-remembering)だけ」

「成程、忘却術もその類だと?」

「確信が無いけど、多分ね。()()別の物に性質を変化させてるという訳じゃない。そうでなければ、忘却術を破るなんて事出来ないでしょう? 既に存在しない――或いは外に摘出された――物は蘇らせられないし、作れないわ」

「反対の、物を消失させる(Vanishment)事は出来るようだがな。もっとも、そちらは変身術(Transfiguration)の授業範囲だが。しかし、不合理であるのには変わりない」

「……まあ、液体の蒸発がそのまま液体が消滅するのを意味はしないって事でしょ。そもそも魔法について物理法則を直接適用する事が無茶だわ」

 

 既に幾度となくその難題にぶち当たって来たらしい知識の象徴は、肩を竦める。

 

「それで、それが何故ギルデロイ・ロックハート……教授に関係する?」

 

 敬称を付け加えたのは、勿論誰かの眼が猫のように鋭かったからだった。

 そしてそれに一応の満足を覚えた彼女は、軽く鼻を鳴らして説明を続けた。

 

「つまり、彼の著作を良く読み込んでいる人であれば、彼の冒険が酷く長期間に及んでいる事が解る筈なの。つまりマグルが魔法界的に不適切な物を目撃した際にそれを消去するのと違う。連続の、継続的で、物語性のある、血肉に刻まれた記憶なのよ」

「……仮に忘却呪文を用いるとして、それらを全て消す事は?」

「不可能では無いんでしょう。でも、絶対に隠したい事を強く忘れさせようとしたり、或いは長期間にわたっての記憶を忘れさせたりするならば、そこには後遺症が残る筈。まあ一時的にその場凌ぎで誤魔化すだけなら別だけど。ただ、多少なりとも話せばボロが出るわよ。本人も、違和感を抱いていずれ思い出すと思う」

「どの程度の確信を持ってそれは言える?」

「やはり絶対までは言わないけど、高い確度で。それは呪文(Charm)で、許されざる呪文(Curse)ではないもの。要するに忘却呪文は本質的に精神にも肉体にも害ではなくて、けれどもそれを無理矢理害に変質させてしまえば、そこには歪みが出て然るべき」

 

 ……成程、だからこそ、ギルデロイ・ロックハートの所業について、それを忘却術によるものだと考える人間は知識人に居ないのだろう。

 専門的な忘却呪文がどういうものかに熟知している専門家は、彼の功績が盗み取られた物だと考えもしない。彼の功績は確かな知見を有する者達によって間違いなく検証され、そしてその結果は白だった。彼が詐欺的な行いをしたのでは無いと、実証されたと結論付けた。

 

 ただ、彼女の説明を聞いて、僕は何となくそちらの方が――忘却術説の方が有り得るような気がしてきたのも事実だった。正直今まで歯牙にもかけていなかったのだが、有り得ないと聞く程に信じられるような気がしてくるのは不思議である。

 それは偏に僕がマグル社会での事例(The Case of the Cottingley Fairies)を知っているからだろう。

 アレの顛末に忘却呪文が実際に用いられたかどうかはさておき、多くの知識を有する事が常に真実を手に入れる鍵となるとは限らない。

 そして、単にミーハーなだけかと思っていたが、彼女には彼女なりの理由が有ったのだ。

 

「……成程、君が彼を疑わない理由は確かな物だ」

「解ってくれたかしら!」

「ああ、十分に理解したよ。合理的に考えれば、彼の精緻な描写に基づく冒険が、忘却呪文によるものである可能性は絶対的に低いのだと」

 

 死の呪文を受けた赤子が生き残るような可能性と同等くらいには理解した。

 

「しかし、ハーマイオニー」

「? 何かしら?」

「先の論理は否定しない。ただ、こういう見方もすべきでは無いのか。

 ――要するに、鉛を黄金に変えるのに、魔法は必要としないのだと」

 

 僕の言葉に、ハーマイオニー・グレンジャーは至極当然のように反論する。

 

「黄金は魔法で作れないわ。別にレプラコーンの事を言っている訳では無く、魔法界における貧富の差やグリンゴッツのシステムを見ればそれは自明でしょう?」

 

 それは正しく、けれども僕が言っているのはそのような表面上の事では無かった。

 

「君は魔法の世界を知ったが故に、多くの不思議には魔法という理屈が有ると思っている。しかし、現実にはそうでは無い筈だ。例えば、古代社会において、科学知識の下に鍍金を造り上げた者は? 或いは近世社会において、中に人が入ったチェス指し人形(The Turk)を見た者は? 人を騙すのに魔法は必要無い。機巧には種が有るという事もまた有り得る」

 

 僕の指摘に彼女は黙り込む。

 勿論、彼女自身が痛い所を突かれたと感じたからだとは更々思っていない。

 

 彼女は心の奥底で何処かその可能性を疑っており、単に見ようとしなかったに過ぎない。ただそれでも、こうして言葉にされれば、やはり直視せざるを得ないに違いなかった。やはり彼女は、同学年で最も聡明なる魔法使いなのだから。

 

 ギルデロイ・ロックハートの著作は、全て架空の創作物である。

 それが賭けにおいて最も大本命であり、僕とて先程までそれに賭けていたと言って良い。彼のホグワーツにおけるその無能さは、それ以外の結論を導かせない程に酷い物だった。

 

 そして、彼を今も尚想う女生徒の中にも、そう思っている人間は少なからず居るだろう。それでも黄色い声を止めないのは、彼の能力や著作と無関係に、単純に彼の顔が良く、ミーハーなアイドル的崇拝を抱いているからに過ぎない筈だった。

 

 ただ、結局の所、既に僕にとってギルデロイ・ロックハートの詐術の種が何だろうと構わないのだ。彼から期待した結果が得られなかった以上、やはり関心を抱けはしない。

 

 だから後は最後の仕上げを――本題の行為に取り掛かるだけだった。

 

 僕は通路の曲がり角に差し掛かる瞬間、鏡を取り出し、それを覗き込んだ。

 通路の先に居る存在と鉢合わせを避けるように、直視してしまうのを避けるように。

 

 そして、当然ながら、その行いは彼女――僕の言葉について考え込んでいる分、怪しい足取りのまま歩いていたハーマイオニー・グレンジャーを現実に引き戻す程度には、十分な奇行であるように映ったようだった。

 

「? 一体どうしたの?」

 

 訳が解らないと説明を求める上目遣いに、僕は肩を竦める。

 

「僕達が一緒に居るのは見られない方が良いだろう? だから、その確認をしている」

 

 無論、それは建前の理由付けに過ぎなかった。

 

「後は曲がり角でスリザリンの怪物と出会ったらどうしようも無いという理由もある。周りに人間が居る時までの必要性は感じないが、一人で出歩く時は何時もこうしている」

「それは、まあ、生徒にしろ怪物にしろ、鉢合わせたらどうしようも無いのは確か……ではあるけれど? でも、少なくとも後者はもう二か月も誰も襲われていない訳だし、そこまでするのは流石に用心が過ぎないかしら?」

「自分で可能な事はしておかないと気が済まない性分なんだ。君もどうだ?」

「……そんな怪しい真似を何時もする気にはなれないけど。貴方が……わざわざくれると言うなら……まあ一応貰っておくわ」

 

 彼女は何か質問をしようとして、しかし口籠って素直に僕が差し出す鏡に手を伸ばした。

 

 強引なのも不自然なのも無理があるのも承知の上だった。

 

 けれども、怪物は絶対に直視してはならないのだと言葉にしてしまえば、彼女はその裏を読もうとし、必然的に正体に思い当たるだろうと言う確信が有った。そして、彼女は当然二人の友人に伝え、秘密の部屋を執念で探し当て、やはり当然のようにその部屋の中に共に突っ込むだろうというのもまた、去年の事を思えば確信に等しい物だった。

 

 しかし、在るべき行為の模範を示すだけで有れば、彼女は僕を被害妄想に取り憑かれた臆病者だと失望するだけで、そのような個人的事情を他に漏らす事も無いだろう。その分だけ彼等は真相に気付くのが遅れる――彼女がまさしく襲われ、石化する時まで――事だろう。というか、そうであって欲しいと信じたいのだ。

 

 解っている。このような行いに殆ど意味は無いのだと。

 〝英雄〟ハリー・ポッターは、気付くべき時に気付くだろう。闇の帝王はそれを欲し、アルバス・ダンブルドアも理由は違えどその時を待っている。必然、真相に辿り着く時は訪れる。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーが〝英雄〟に連れられて秘密の部屋の中へと同行するかというのは、僕がそれを――彼女が死ぬ危険を跳ね上げるのを極端に恐れているだけで有って、その事は闇の帝王にとっても、アルバス・ダンブルドアにとってさえ、究極的にはどうでも良いのだ。

 彼女を部屋の外で襲おうが中で襲おうが、彼女が石化しようが死のうが、何だって。

 

 僕が行っているのは非常に些細な干渉であり、彼女の生存可能性を少しばかり変動させるに過ぎない。そして、それが状況を悪化させる物で無いとも限らない。

 けれども、僕は何もやらないままでは居られなかった。己の無力さを、誤魔化し、慰める為だけに。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは僕から受け取った鏡をじっと見つめ、そしてやはり何かを言おうと口を開いた。

 けれども、彼女はまたもやそれを言葉にしなかった。

 

 その代わりだというように、彼女は別れの言葉を紡いだ。

 

「……じゃあ、ステファン。また今度ね」

「……ああ」

 

 正直言って、もう少し何か言われるのかと思った。

 けれども、彼女は何も言おうとしなかった。今回において色々と考える事が沢山有り過ぎたのかも知れないし、何かを感じたのかも知れない。

 しかし確かであるのは、彼女は彼女にしては珍しく、解らない事を解らないままにしたという事だった。

 

 そして彼女に何も言い訳せずに立ち去れた事について、僕は間違いなく安堵していた。

 彼女が石化してしまえば危険は無くなる。今までの犠牲者と同じ目で済むならば、彼女は間違いなく安全になる。

 無論、後遺症という可能性は排除しきれない。けれども、彼女が命を喪うという最悪の結果を考えれば、それは僕にとって許容出来る犠牲であると言えた。

 

 ……彼女が気付いた時、全てを知りながら尚放置した僕を、彼女は責めるのでは無いか。

 

 それは、敢えて見ない事にした。

 彼女から嫌われる事を考えるだけで、心が軋むのは事実だった。

 彼女と過ごす時間は間違いなく僕にとってささやかな、しかし確かな幸せを感じさせる物であり、僕が今でもホグワーツに留まり続ける最も大きな理由だった。

 

 けれども、僕はやはり心の奥深くで、けれども至極理性的に判断していたのだ。

 

 彼女が死ぬ事に比べれば、それもまた許容出来る犠牲であるのだと。

 より大いなる善を考えれば、それが最適解であるのだと。

 

 

 

 

 

 そうして、また一年が終わり行く。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは期待通り石化し、アルバス・ダンブルドアは予想通り追放され、けれどもハリー・ポッターは秘密の部屋を暴くばかりか、その剣でもってバジリスクを打倒せしめた。

 

 またもや〝生き残った男の子〟は〝英雄〟となった。

 

 一方僕は、単に女の子に鏡を渡すという、何ら大勢に影響のないちっぽけな行いをしたに過ぎなかった。

 

 別にその事について落胆の気持ちは無い。

 それが普通なのだ。直接的な干渉どころか間接的な干渉すら出来ず、ただの傍観者に甘んじる。それが〝英雄〟でも無く、彼等の駒として盤面に上がる資格も無い存在としては、当然の帰結の筈である。

 

 そうである筈だというのに――複雑な気持ちを抱く事は避けられなかった。

 その感情を何と名付けるべきか。僕は学年が終わって尚、その答えを出す事が出来ないままだった。




・英国におけるビデオカセットレコーダー(VCR)の普及
 1981年には殆どゼロに近かった家庭での所有率は、1990年には約60%に達していたとの統計が存在する(参照:BBC NEWSのThatcher years in graphics)。

・国際機密保持法
 この法律及び1707年の魔法省設立に際しては詳細な公式設定が存在する。マルフォイ家の動向、当時のポッターの行動、マグルとの緊張など、興味深い内容も多い。現在展開中の映画の核心部の一つとも言いうるので,今後も公式設定を期待出来るかもしれない。

・記憶修正術
 ハーマイオニーは、両親の記憶を修正したと述べる一方(第七巻・六章)、ドロホフらを前にして、ロンと共に忘却呪文は使った事が無いと述べている(同・九章)。
 これらについて、両者は全く別の呪文であるとJ・K・ローリング氏は述べている(但し映画においては,解りやすさの問題か用いられるのはオブリビエイト)。

・ギルデロイ・ロックハート
 全作品を総覧した時,彼の存在は異質である。
 すなわち、ハリーが在学中の闇の魔術に対する防衛術教授は、二年を除き、多かれ少なかれ、対ヴォルデモートの戦争の中で欠く事の出来ない役割を担っている(五年も当然ながら、魔法省との対立、そして七巻まで後を引くハリーの省への不信という文脈で意味が有る)。
 しかし、彼は完全に欠いても問題無いとまでは言い過ぎであるものの、スリザリンの継承者についてのミスディレクション以上の役割を物語内で有していない。五巻においてすら、ハリーはロンと違って「それ程同情していな」い(五巻・第二十三章)し、その後のネビルの両親の状態を知るイベントの前振りに過ぎない。
 そして、J・K・ローリング氏は、彼が記憶を喪った事によって以前より幸せになったと述べると共に、記憶の回復する事は無いであろうという示唆も行っている。


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知恵の女神

分割投稿の前編。
分量・内容的にやはり分割の必要性を感じたので。


 石化したハーマイオニー・グレンジャーの姿は、未だに目に強く焼き付いている。

 

 三人組が調合した鍋から盗んだポリジュース薬は、彼女が死んでいない事を――期待通りに石化しただけである事を確認する程度には役立った。

 所詮生徒が調合し、尚且つ時間が経過して劣化した代物だ。その効能は十分にすら持たなかったが、マダム・ポンフリーを言い包め、彼女が陥った症状の見解を聞き、また彼女の姿を見る事ぐらいは可能だった。

 

 彼女の枕元には、一枚の割れた鏡が、その破片と共に置かれていた。

 

 安っぽい手鏡だった。

 〝マグル〟による大量生産。普通の女生徒が持つような、可愛らしく、立派ではない、単に機能性だけを追求しただけの代物。僕が手渡したのだからそれは当たり前の話で、割れているのは恐らく彼女が落としてしまったからだろう。ただ、確かな事は、それが求めた通りの仕事を果たしてくれた事だった。

 

 しかし、今尚、僕にとってそれが最善であったのかは、やはり解らない。

 

 これは嘘偽りなく、予定通りの結果である筈だった。

 けれども、ハーマイオニー・グレンジャーの姿を見下ろせば見下ろす程に、僕のした事は間違いでは無かったのかという実感すら湧いてきた。そして、そのような感情は、言ってみれば、それは不合理極まりないものである筈だった。

 

 彼女の姿は恐怖を浮かべた表情のままに硬直していた。

 だが、恐怖が何だというのか。彼女は死ななかった。闇の帝王の危機を正しく乗り越えた。その程度は許容出来る筈で――しかし、どうしてだか納得出来る気がしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリー・ポッターらの働きによりグリフィンドールが二百点を獲得し、当然のように獅子寮が寮杯を獲得した。

 

 去年のような番狂わせは無い、まさしく順当な結果と言えよう。それでもスリザリン生は不満を隠し切れて居なかったが、去年よりは納得出来るもので有った事に違いない。

 

 秘密の部屋の被害は周知の事実であり、何よりアルバス・ダンブルドアはその神話が終わった事を、誰の眼にも明らかな形で示してみせた。

 言うまでもなく、その〝悲劇〟はスリザリン中の生粋の純血主義にとって大いに残念がる結果に終わったのだが――ドラコ・マルフォイもその一人だった――神話が神話で無い事を示したという点においては、多くの者を奮起させる事にもなった。

 すなわち、最も知れ渡っているサラザール・スリザリンの遺産が秘密の部屋に過ぎないのであり、同種の物は幾らでも有るのだから。

 

 ただ、それは何処の寮も同じであった事だろう。

 グリフィンドールの剣という伝説的遺物が発見されたのも相俟って、ハッフルパフやレイブンクローでも宝探しやホグワーツ探検で一時期賑わったようだった。他ならぬスリザリンを含めてその成果が何も聞こえて来ない所を見ると、残らず失敗したようでは有るが。

 

 そのような、今学年を覆った陰鬱さの反動とも言える狂乱の日々が学年末まで続き、そして漸く訪れた学年の最終日、細い文字による招待状がやはり届いた。

 

 全く来ないと思っていたと言えば、嘘になる。

 しかし、去年と違って、僕をわざわざ呼びつけるような義理は無い以上、来ない可能性も十分有り得ると思っていた。実際、秘密の部屋が解決してから直ぐに呼び寄せるような真似をしなかったのだ。だから僕は半ば安堵していたのであり、しかし本日目出度く裏切られた訳だった。どうやら、今年もまた、老人の方には僕に用件が有るらしい。

 

 正直言って、無視してやろうという気持ちが無かった訳では無い。

 ホグワーツ特急に乗ってしまえば、一応は逃げ切れる。そして、去年とは異なり、寮監がこのような事態に関与しないであろう事は大体想像が付いている。あの寮監が老人の使い走りになるのは唯一人の生徒の事のみで、まかり間違っても嫌悪を抱いている生徒の為に働く事は無いのは明らかだからだ。

 

 しかし、あの老人には、寮監以外の手駒が居る。

 何よりそれが最も僕が断わりにくい相手であれば、それを当てるのも当然だった。

 

「レッドフィールド。少しばかり、貴方に用件が有ります」

 

 言付けを受けた上級生に指示されて寮の外に出向けば、そこには敢えて中に立ち入らなかったのであろうミネルバ・マクゴナガル教授が立っていた。

 

 

 

 

 

 学年最終日に教授から呼び出しを受ける者は早々居ない。

 

 まして、それが自寮の寮監では無く、犬猿の間柄とも言えるグリフィンドール寮の寮監からともなれば猶更だ。当然の事ながら、ミネルバ・マクゴナガル教授が待っている事を伝えに来た上級生は勿論、それを知った他の寮生も興味津々な様子を見せはした。

 

 ただ、心当たりを口に出来よう筈も無いし、何よりミネルバ・マクゴナガル教授は、我等がスリザリン寮監と違う意味で余計な詮索を許さないだけの威厳が有った。

 

 彼女が半純血である以上スリザリンが表立って敬服を示す事は無いが、それでも何処かの校長よりはよっぽど尊重されているのはやはり明らかだった。

 それは揺ぎ無い彼女の授業方針により獲得された成果では有るのだろう。その厳格さ故に、逆にグリフィンドールでは微妙に敬遠されている節もあるのが何とも言えないが。どんなに良い教授であったとしても、距離が近過ぎるとまた違うのかもしれない。

 

 そんな教授の後ろを、僕は黙って付いていく。

 

 最終日、それもホグワーツ特急で帰る時刻が迫りつつあるともあって、寮外を出歩いているような生徒は殆ど居ない。偶に見かけても、ミネルバ・マクゴナガル教授の姿を見かけると、そそくさと自寮の方向へ戻っていくのが大半だった。

 

 ただ、中には気安げに声を掛ける上級生――グリフィンドールに限られない――も居る所を見ると、成程、スリザリン寮監と比較すれば生徒に親しみを持たれてはいるらしい。まあ、教授が誰を連れているかを認識して顔を引き攣らせる所までが御決りでは有ったのだが。

 

 そして、地下から上って来て、辿り着いたのは三階だった。

 

 そこに何が有るのか、というより目的地が何処であるのかは最初から解りきった事だ。

 ただ、公的には僕は何も知らない事になっている。だから、案内人が必要なのは当然の話だったのだが、その態度こそ教授には奇異に映ってしまったようだった。

 

「……本当に何も聞かないのですね、貴方は」

 

 少し立ち止まって呆れと共の言葉に、僕は相応しい対応について今更ながら思い当たる。

 

 ただ、それは本当に今更の話だった。そして、その言葉からすれば、あの老人は多少説明をしたのかもしれない。無論、スリザリン寮監でも無いのに、スリザリン生を呼び出させられる意味までは理解してないだろう。知っていれば、下らない理由で使い走りのような真似をさせられている事について既に激怒している筈だ。

 

 可能な限り老人と関わりたくないという点において、寮監と僕は一致している。

 

 もっとも、多くを知らされずとも職務に忠実さを示す教授は、口火を切るには良い機会だったとも思ったのだろう。そのまま言葉を継いで来た。

 

「そう言えば、校長は貴方の事をステファン・レッドフィールドと呼びましたが、スティーブン・レッドフィールドでは無かったのですか?」

 

 まあ、いずれ聞かれるとは思っていた。

 

 僕の関係性の中で、それを気にするのはドラコ・マルフォイくらい──ハーマイオニー・グレンジャーは当然ながら、あの瞬間に疑問を抱いてはいないだろう。そして、組分け帽子の後は、彼女は個人的な事情で聞ける状況でも無かった──である。

 そして、彼に対しては、あの老人が正しい読み方を忘れる程ボケたのだろうという説明のみで事足りた。相変わらず、スリザリンからの敬意は皆無らしい。

 

「……正しい読み方は、スティーブンの筈ですよ」

 

 教授には筈と答えたが、そうであるというのは確信だった。

 

「ならば、ステファンというのは?」

「……母がずっとそう呼んでましたので。僕としてもそちらの方が気に入っていますが」

「――私があの家を訪れた時点で、貴方を親しく呼べる人間は、間違いなく貴方を育て上げた彼女しか居なかった。であるのに、貴方はそれが違う名前で呼ばれていたと認識している。その理由は、余り聞くべきではないのでしょうね」

 

 ミネルバ・マクゴナガル教授は、憐憫と共に深い溜息を吐く。

 それに対して、僕はやはり答える意義を見出せなかった。

 

「ええ、スティーブン。私もこう踏み込んだ事を言うべきでは無いとは思っています。しかし、私がそう言わざるを得ないという事もまた、理解してくれれば良いと思っています」

「……解っていますよ。僕は、教授に深く感謝しています。死亡の手続も、墓の手配も、埋葬さえも、その他雑多な全てすらも、貴方が僕に代わってやってくれたのですから」

「ええ。あの時私はそうする事が正しいと思っていました。ただ、今になって本当にそれが正しかったのか疑わしく思っています。その様子では、まだ、彼女の墓を訪れられていないのでしょう?」

「――――」

「急かしはしません。しかし、貴方がいずれ向き合う事が出来れば良いと思っています」

 

 ミネルバ・マクゴナガル教授は、明らかに良い教師だった。

 必要以上の事を口にしないままに、しかし的確に助言をする。

 

 クィディッチという唯一の点を除けば、スリザリンに対してすら彼女は公平性を示してみせる。別にフィリウス・フリットウィック教授やポモーナ・スプラウト教授が軽んじられているという訳では無い――前者は微妙かもしれない。彼は半ヒトだからだ――が、それでも、スリザリンの中ですら、彼女は強固な求心力と確かな指導力を保持している。

 

 だからこそ、僕は教授の背中に向かって問うた。

 

「ミネルバ・マクゴナガル教授」

「何でしょう」

「不躾な質問をしても?」

「内容によります」

 

 教授は明確に答えた。

 

「しかし、生徒の多少の無遠慮な問いに対して怒りを示す程愚かでは無いですし、私が先程貴方のデリケートな事柄について触れたのは事実です。故に、少しばかり寛容である準備が有るというのもまた述べておきましょう」

 

 ならば、余計に都合が良いものだった。

 

「アルバス・ダンブルドアに代わり、ホグワーツの校長になる御積りは?」

 

 ミネルバ・マクゴナガル教授は立ち止った。

 そして、僕の質問が教授の寛容を超えたのは明らかだった。

 

 もっとも、流石と言うべきか。先の言葉、生徒の無遠慮な質問に対して怒りを示す程では無いというのを護る気らしく、振り返った教授は鉄面皮のままだった。

 

「アルバス・ダンブルドア校長です、スティーブン。あの方は依然として校長であり、これからも校長のままです。こんな愚か極まりない事を言わせないで下さい」

 

 微妙に震える声は、しかし僕の質問の意図と明らかな齟齬が有った。

 

 けれども、この場合は教授の方が正しかった。

 成程、タイミングが悪い。既に秘密の部屋の騒動が解決したとは言っても、学期中に学校理事が解任動議を発し、あの老人を追放しようとした動きが有ったという事実は無くならない。教授達はそれを重く受け止めており、造反の教唆めいた言葉を掛けられる事に良い気はしないだろう。

 

 だから、僕はそれを認める。

 

「申し訳有りません、教授。僕の言葉が足りませんでした。僕がアルバス・ダンブルドアを校長と呼びたくないのは全く別の理由です。ですから、質問を訂正します。アルバス・ダンブルドアによる打診を前提として、貴方が校長となる御積りは無いかと」

「……私にはその両者の差異が解りかねます。そもそも私としては、ホグワーツ生徒である貴方が、ホグワーツ校長に対して敬意を示さない事自体が不愉快です」

「僕は僕なりにアルバス・ダンブルドアには敬意を示していますよ。そもそも、校長は真っ当に敬意を示されない事こそを痛快だと思っている節があるみたいですけどね」

 

 言葉にすれば余計に実感するが、全くもって難儀な老人だった。

 

「それに、その様子では教授は詳しい内容を聞いていないのでは? 教授がスネイプ寮監の代わりに僕を呼びに行かされた事に大した理由は無いですが、しかし、何故ハリー・ポッターでは無く、僕のような一生徒を呼ぶのか疑問に思っているのでは?」

「校長には校長の考えが有ります。それで十分でしょう」

「けれども、貴方は副校長だ。秘密の部屋は解決した筈なのに、アルバス・ダンブルドアの秘密主義は未だ終わっていない。それが不可解で仕方がない筈です」

「貴方はまだ終わっていないと──」

 

 不用意な問いだった。それこそがあの老人の隙だった。

 単なる信仰や忠誠では塗り隠せない、策謀と秘密が齎す罅。

 

 そして、その事に自分で気付けない程、ミネルバ・マクゴナガル教授は頭の巡りが悪い訳でも無かった。額を左手で抑えて息を吐いた後、渋々と言ったように口を開く。

 

「……成程、校長が貴方を呼んだ理由の一端が解りました。そして、スリザリンで貴方が浮きながら、しかし排除されない理由も。けれども、忠告しておきましょう。貴方のそのやり口は、()()()()()()()()()()()()()()()

「……その必要性と切迫性を感じていたとしても?」

「前者は兎も角、切迫性を感じる理由が解りません。貴方は未だホグワーツの一生徒に過ぎないのであり、そうするのは……まあ、確かに今学期は不愉快な事が有りましたが。何にせよ、そこまで生き急ぐ事は……無いのです」

 

 先程までの怒りを完全に鎮め、思い遣りすら見せて教授は言う。

 それはミネルバ・マクゴナガル教授の教師としての人格の素晴らしさを示すものでは有ったが、途中で言い淀んだ事を僕は見逃せはしなかった。

 

 当然の事ながら、僕は秘密の部屋の内部で何が起こったのかは知らない。ハリー・ポッターがバジリスクを殺し、事件を解決した事。校内で語られているその程度しか知り得ない。

 ただ、それでも闇の帝王が関与している事を殆ど確信していたし、そうであれば――()()()()()()()()()()()()()()、全てが終わり、もう安全になったのだとは言える筈も無かった。

 

 そして、ミネルバ・マクゴナガル教授がどちらかは明らかであり。

 また教授は、僕がそれを見透かした事に勘付かない程、やはり愚かでも無かった。

 

「……貴方は、見ない振りは出来ないのですか?」

「ええ。解り切った事をそのままに出来ない性分なので。アルバス・ダンブルドアの方針、己一人が最も全てを上手く成し遂げられるという傲慢に、僕は賛同出来ない」

 

 率直に言えば、これは嫉妬でもあるのだろう。

 その全力をもってすれば大抵の物事をどうにでも解決してしまう事が出来る大魔法使いに、何も解決出来ない些細な力しか持ち得ない木端の魔法使いが抱いてしまう、理不尽な恨み言。

 

「教授は去年の賢者の石の際にどれだけの事をアルバス・ダンブルドアから伝えられていたのです? 賢者の石に纏わる計画について、何処まで知っていたんですか?」

「……全ては校長の御考えの通りに進みました」

「ええ。幸運にも。ハリー・ポッターは〝英雄〟でしたから」

 

 そして〝英雄〟の功績が大きいにしろ、あの老人は最善以上の結果を導き出してみせたのも事実では有る。

 

「けれども、貴方は何の役割を担った……いえ、任されたのですか? 貴方はグリフィンドール寮監だ。賢者の石が盗まれようとしている事に気付いた際、流石の三人組も貴方を頼ろうとした筈だ。そして、貴方はどのような対応をしたのです?」

 

 ミネルバ・マクゴナガル教授は僕を静かに見返した。そして、それだけで伝わった。

 彼女は、三人組をすげなく追い返した。賢者の石が盗まれようとしていると、真剣に受け止めはしなかった。自分達教授の、そして校長の護りこそが、ほんの一年生の心配よりも遥かに強力なのであると。

 その結果がどうであったかは、最早論ずるまでも無い。

 

「アルバス・ダンブルドアは、自らが他に対して不信を示し、不説明に徹するにも拘わらず、相手に身勝手で一方的な信頼と忠誠を求める類の存在だ。しかし、それが常に正しいとは限らない」

 

 僕はその事に関して、未だに同意出来ない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――」

 

 そこまで言い掛け、僕は口を噤んだ。噤まされた。

 

 寮監やあの老人相手では、そのような事をする筈も無かった。

 だが、僕はやはり僕なりにこの教授に好感と敬意を抱いており、そしてその相手にとって決定的で致命的となる地雷を踏んだ事に気付いて――たとえ、それが何故なのかは解らなくても――尚、それを踏み切ってみせる事は出来なかったのだ。

 

 ミネルバ・マクゴナガル教授は、瞳の光を揺らしつつ、真一文字に口を結んでいた。

 けれども、彼女が信仰する、理想の教授としての在り方を放棄する事だけはしなかった。そして、少しの逡巡の色を見せた後、何処か覚悟すら決めた様子で再度口を開いた。

 

「……貴方が私に校長の座を奪えと唆す意図が解りました。ええ、本当に遺憾ながら。何より、私の認識が甘かった事も認めます。貴方がスリザリンから排除されないのではなく、スリザリンが貴方を排除出来ないという事さえも」

 

 教授は一瞬眼を伏せた後、再度僕へと視線を戻した。

 

「けれども、私の想いは変わりません。校長――アルバス・ダンブルドア()()こそが、ホグワーツ校長として最も相応しいのだと。たとえ、そこに貴方の言う秘密主義が有ろうと、私が教授の企みから排除されようと、その程度で怒りや不平を抱く程若くも有りません」

 

 揺ぎ無かった。

 鉄芯により貫かれたように、その忠誠心と信仰心は堅く、筋が通っていた。

 

 ……だからこそ、アルバス・ダンブルドアはどうしようもないように僕には思えた。

 あの老人は、この教授を通じてホグワーツに干渉し続ける事など可能だろうに、自ら一人で物事を進めたがる。

 その能力からすれば分権など可能であるだろうに、己が嗜好に合わないという理由で独裁的に君臨したがる。時として、盲目のままの集団の暴走こそが、全てを見透かし最善を選択する指導者に率いられるよりも良い結果を齎す場合もある事を、決して認めようとしない。

 

「……アルバス・ダンブルドアは最強の盾です。けれども、同時に最強の剣でもあるのです。大陸で暴れていたゲラート・グリンデルバルドの際、彼がどう用いられたか御存知でしょう」

「それでも、教授は教授でした。私から言える事は以上です」

 

 ただ、とミネルバ・マクゴナガル教授は続けた。

 

「大人としては少々意地の悪い事を言いましょう。貴方はアルバス・ダンブルドア教授を非難しますが、しかし貴方の行いを振り返った時、再度それを堂々と非難出来ますか?」

「…………」

 

 僕は答えられない。答えられる訳が無い。

 今年の事を思えば、それが自分に返ってくる事は薄々理解していた。そして今、教授は明確な形で詳らかにしていた。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは未だに何も聞いて来ていない。石化から回復して、この学期末まで幾らでも時間は有った。けれども、彼女はふくろう便を送ってすら聞いて来ようとせず、そしてまた僕は、全てが終わっても教えようとしなかった。

 僕は明らかに、見るべき物を見ない振りをしていた。

 

 もっとも、教授はそれを咎めもせず、逆に微笑んですら見せた。

 

「ただ、私は貴方の教授でも有ります。入学前に貴方と関わった事も、こうして今話している事も、何かの縁が有るという事かもしれません。何より、私はグリフィンドール寮監として、貴方よりも少しばかり多くの個人的な物事を聞いています」

「――――」

「貴方が何か真に選択に迷った時、私は一度だけ貴方の相談に乗る用意が有る事を伝えておきます。……正直に言えばまさか生徒に、しかもスリザリン生にその必要性を感じるとは思いませんでしたが。けれども、アルバス・ダンブルドア教授からそうして頂いた事を思えば、やはり私も同じ事をする覚悟は抱いておくべきなのでしょう」

 

 そこまで言い切った後、最後に教授は厳格な表情に戻って宣告した。

 

「既に告げましたが、貴方の遣り口はそれが如何に最短であったとしても、他からの好意を獲得出来る類の物では有りません。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 出来れば貴方がその事を深く胸に刻み、私に相談する日が来ないで済むのを祈ります。

 

 そのように必要な警告だけを述べた後、ミネルバ・マクゴナガル教授は何も言葉を発する事は無かった。僕を校長室の中へと導き入れ、何の未練も見せる事も無く、当然のように僕と老人だけを残して立ち去っていった。

 

 彼女は何処までも忠実で、確たる理念と矜持を有した教師だった。




・ミネルバ・マクゴナガル
 二次創作者には有り難い事に、公式設定も豊富な御方。
 機密保持法により断絶された魔法界の難儀さ、つまりマグルと魔法族の関係性についての背景を割り当てられたキャラクターでもある。


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分霊箱

分割投稿の後編。

秘密の部屋終了。
ダンブルドアとかいう二次創作者にとって最強の敵。


 この校長室に来たのは、もう都合三度目である。

 

 流石にハリー・ポッターよりは来ていないだろうと確信しているが、それでも生徒個人が軽々しく来て良い場所では無い。実際、殆どの生徒は、この校長室を訪れないままにホグワーツを卒業する筈であり、そしてそれは間違いなく良い事の筈だった。

 

 けれども、アルバス・ダンブルドアがそれを必要としているのであれば、僕はやはり最初から拒む術は無いのだろう。彼は校長であり、僕は生徒であるのだから。

 

 不思議な銀の機械が煙を部屋に燻らせる中、相変わらず老人は超然とした気配を纏ったままに、微笑みを湛えて椅子に腰掛けていた。

 去年と明らかに違う所を探すとすれば、ハリー・ポッターがバジリスクを殺害せしめたという、ゴドリック・グリフィンドール由来の美麗な銀剣が飾られている所だった。

 

「さて、ステファン。今年も良く来てくれた」

 

 どう考えても社交辞令な歓迎を無視し、僕は視線で先を促した。それに対して老人は少しばかり困った表情を浮かべる。

 

「……君は少しせっかちな嫌いが有るのう。物事を急速に進めたがる」

「全てにおいてそうしたいと思っている訳では有りませんよ。ただ、必要で無い事に際して、あまり時間を大きく割く意味が無いと考えているだけです」

 

 そして、アルバス・ダンブルドアもまた根本的には同種だと思っている。

 

 僕よりも手段と方法が酷く婉曲的であるが、それでも最低限必要な事以外に従事したがらない傾向という事は変わらないだろう。

 この老人は、推理の種明かしをする程に親切でも、丁寧でも無い。徹底的に独善的で、功利的である事について、僕は当然に共感を示している。

 

 そんな揶揄が通じたのか、それとも僕の頑なさに折れたのか。或いは、それが自らにとっても好都合だとすら考えたのか。老人は小さく頷いた後、口を開いた。

 

「まずは君には礼を言わなくてはならんのう」

「……随分な皮肉ですね」

 

 ただ、余りにあんまりな先制攻撃に、僕は顔を顰める。

 けれども、今回は老人にその意図は無かったらしい。静かに首を振った。

 

「偽りなき本音じゃよ。今年、君は儂の計画を破壊しようとしなかった。君が動かなかった御蔭で、儂は生徒を一人も殺さずに――五十年前の二の舞を演じずに済んだ。その事について、儂は君に対して深く感謝しておる。個人的にホグワーツ特別功労賞を与えたい位にの」

「去年と違ってそのような戯言を抜かさなかった事は本気で有り難いですよ」

 

 今年も加点されていたら、一体どうなっていたか解らない。監督生が何処か期待するような表情を向けていたのは知っていたが、当然に無視した。僕を何だと思っているんだ。

 そして何より、僕の行いは讃えられる類の物では無い。

 

「……そもそもの話、去年僕は何もしなかった。そして、今年もです。〝生き残った男の子〟のみが──〝英雄〟のみが全てを成し遂げ、終わらせた。僕の力というのは一貫して些細な物であり、状況に波風を立てるものでも無かった」

 

 去年も無力を感じた。塵のような闇の帝王の前で尚、僕はその塵以下の存在だった。

 しかし、今年はそれ以上だった。二月初めにハーマイオニー・グレンジャーが退院し、間違いなく彼女が穏当に石化した事を確認するまで、本当に気が気で無かった。胸を張って出来たと言える事など何も無い。己の無能さに対し、大きな怒りを感じたと言って良い。

 

 けれども、老人は重苦しい表情のままに首を再度振った。

 

「君が盤外から状況を破壊しようとした去年の事を忘れる程、儂は物忘れが激しくも無い。君は儂の斜め上の方向性を取れるような人間であると、良く心に刻んだものじゃ」

 

 この老人も僕を何だと思っているんだろうかと僕は睨んだが、老人はやはり気にも留めなかった。そして当たり前のように、言葉を紡ぐ。

 

「何もしなかったと言えばそれは儂の事じゃ。寧ろ、儂の立場を考えると単なる生徒以上に罪深いであろうと思うてはおる。そもそも、君は真に何もしなかったのかね? ハーマイオニーに鏡を渡したのは君じゃろう? アレは、保険としては良い一手じゃったと儂は思う」

 

 果たして、本当にそうだろうか。

 

「……所詮は保険でした。そして、無かったとしても彼女は何とかしたかもしれない。彼女は聡明だ。バジリスクの正体に気付けば、当然自衛の手段を探したでしょう」

「かもしれない、じゃよ。ステファン。その保証はやはり無い」

 

 老人は言うが、女生徒が普段から身嗜みを整える鏡を持ち歩いていたとしても不自然では無いだろう。ハーマイオニー・グレンジャーはその辺りに余り頓着しない性格でも有るが、それでも彼女は歴とした女性なのだ。僕の干渉はやはり無意味だったかもしれない。

 

 ただ、今の会話からもはっきりした事が有る。

 

「つまり、貴方は途中まではバジリスクによる犠牲者が出なくても、最後の最後はバジリスクによる死者が出るかも知れないと、そう考えていた訳ですね」

「……否定する意味は無いじゃろうな。最後の一件だけは止められんかも知れぬ。その可能性は頭に有った。そして、それを君が最も恐れていた事も、儂には解っておる」

 

 この老人に対して今更何かを言う気は無い。

 ただ嘆息して、問いを紡いだ。

 

「僕には全く解りませんでしたが、闇の帝王が生徒を石化するに留めた一番の理由は何なのです? 少なくとも今回においては、闇の帝王が最後まで殺人に踏み切る事は無いだろうと、貴方は確信しているようだった。実際、彼は殺そうとしなかった」

「まあ、そうじゃな。それはヴォルデモート卿との知己と理解――彼の生徒時代を知る者にしか導けぬ結論の一つであろうて」

 

 老人は頷き、僕を悩ませていた答えをあっさりと告げた。

 

「それはのう。一人を殺せばホグワーツが閉鎖される可能性があると、あやつが知っていたからじゃ」

「…………は?」

 

 茫然として更なる説明を求めるが、それで終わりのようだった。

 実際、アルバス・ダンブルドアも少しばかりの苦笑を浮かべてみせた。

 

「馬鹿げているのは承知じゃよ。根拠としては薄弱に聞こえるのも。けれども、強く意識していた筈じゃ。五十年前、マートル・エリザベス・ワレンの死によって、ホグワーツは一度閉鎖の寸前まで行った事を。実際は直ぐにその段階まで進んだ訳では無いが、望まぬ場所に戻らされようとした事実は、あやつにはトラウマ的であったに違いない」

 

 トラウマ的。その表現を老人が選択したのは、酷く意味深で、揶揄的もあった。

 

「……まあ、貴方がそう断言する以上、単なる勘に留まるのではないんでしょうが。であれば、闇の帝王が生徒を殺すのを避けたのも当然の話ですね」

「閉校となれば必然、ハリーも家に戻る事になるからの。勿論、ホグワーツが永久に閉校になる事もまた有り得ぬから、次を待つ事は可能では有るが」

「余計な時間を与えないに越した事が無いのは確かでしょう。ハリー・ポッターという秘密の部屋の鍵を放置するのは、それだけ不確定要素が増える訳ですし」

 

 アルバス・ダンブルドアが秘密の部屋の怪物について勘付いている事を、闇の帝王が気付いていたかは解らない。

 けれども、ハリー・ポッターを秘密の部屋に誘い込む事に成功しても、それがアルバス・ダンブルドア同伴では不味いと考えていたのは殆ど間違いないだろう。その可能性を低減させる為の努力を惜しまないのは当然とも言える。

 

「最初の事件、ミセス・ノリス――アーガスの猫を石化させたのは、恐らく偶然で有ったのでは無いかと思う。バジリスクの生態は謎が多く、ニュートが知っておったかは別として、『幻の生物とその生息地』にも石化現象は記載されて居なかった筈じゃからの」

 

 だが、何の因果か、死を齎す筈の視線は全く別の結果を生み出した。

 闇の帝王は当然の事ながら疑問を抱き、その理由について検討したのだろう。そしてやはり至極当然に気付いた。直視させなければ、()()()()()()()()()()()()()()と。

 

「後は知っての通りじゃ。スリザリンの継承者の力を誇示しつつ、閉校させないままハリーへ謎を残す事が出来る。死者が出ておらずとも犠牲が出ているのは確かであるから、儂の責任を追及して追放するのにも十分じゃ。もっとも、その計画を真に固めたのはハリーがパーセルタングである事を知ってからの事じゃろうが」

「……そして、貴方がそれを見透かした上で、ハリー・ポッターを放置するのを決めたのもまた同じタイミングだったという訳ですね。彼が何時も襲撃現場に居合わせた事も併せ、彼は蛇の声を普段から聞いていたみたいですし。貴方はそれを告げられた筈では?」

「――計画を立てたのは然りじゃ。けれども、君には一点間違いが有る。ハリーは既に蛇の言葉を聞いていた事を、儂に伝えようとはしなかったからの」

 

 その答えは意外だった。

 僕はハリー・ポッターが、アルバス・ダンブルドアに対して当然それを告げているものだと思っていた。そして、その上で無視したのだとも。しかし、どうやら違ったらしい。

 ただ──複雑な()()の関係性について、余計な首を突っ込むつもりも無い。そもそも突っ込めるだけの経験が無い。

 

 だから、僕は話を大前提へと戻した。

 

「闇の帝王は、閉校を避ける為に殺さなかった。裏を返せば、閉校になっても構わないという段階──ハリー・ポッターを秘密の部屋に誘き寄せられる公算が付いたのであれば、やはり〝穢れた血〟が幾ら死んでも構わなかった。そういう事になりますね」

 

 老人は何も答えない。僕もそれを気にしない。

 当然の話だ。その確認は、一番最初に既に終わらせている。

 

 だからこそ、僕はハーマイオニー・グレンジャーがその最後となる事を徹底的に恐怖した。バジリスクの被害を黙認し、秘密の部屋の真実について三人組も含めて伝える事が無く、しかしそれでも半ば無意味な干渉を止められなかったのは、その点にこそ在った。

 

 幸運な事に、ハーマイオニー・グレンジャーは、ペネロピ・クリアウォーターと共に石化だけで済んだ。そして、僕の想定外だったのは、闇の帝王にとって彼女を最後の、決定的な一押しとする必要は無かったという事だった。ハリー・ポッターを秘密の部屋の謎に駆り立てるに足る人物が、まさか彼女以外に居るとは思わなかったのだから。

 

 ジネブラ・ウィーズリー。

 ハリー・ポッターの親友ロナルド・ウィーズリー、その妹。

 

 成程、その身柄が手中に在るならば、ハーマイオニー・グレンジャーに拘る必要は無い。

 僕が最悪として想定していた脚本は、ハーマイオニー・グレンジャーを贄として殺害し、その復讐としてハリー・ポッターを誘き寄せるという物だった。しかし、囚われの御姫様を救い出すという展開は、獅子寮には酷く効果的で、感心する程に合理的な手段とも言えた。

 

「ジネブラ・ウィーズリー。彼女の役割は?」

 

 僕のその問いに答える義理は、老人には本来無い。

 けれども、予め決めていたかのように、何の逡巡も無く答えた。

 

「彼女はヴォルデモート卿に操られておったのじゃ。一連の石化事件について、手引きをしたのは彼女じゃった。自由が無い身ながら、あやつは手持ちの駒を誠に上手く使ってみせたと言えよう。流石の儂も、ここまでとは思わぬかった。あの男程に疑惑と不和を撒く才能に長けた者は居るまいと、今回つくづく実感したものじゃ」

 

 その言葉には確かな苦々しさが含まれていながらも、賞賛を隠そうとはしなかった。

 

「仮にハリーを殺す事に失敗したとしても、果たして一石何鳥で有ったろうかの。ウィーズリー家の失墜。グリフィンドール寮の分断。ホグワーツという学び舎自体への信頼の破壊。血を裏切る者への見せしめによる、真に純血主義(マグル蔑視)を信奉する者の増大。全くもって危うい所じゃった」

 

 その大半は僕にとって左程関心が無いが――

 

「……操られていた? ホグワーツでは、肉体的、精神的護りが幾重にも掛けられている筈でしょう。単純な服従の呪文は、この校内では上手く機能しないのでは?」

 

 ――流石に、身の危険が有るという事は聞き流す事が出来なかった。

 

 ここは単に変な城では無く、魔法魔術学校なのだ。

 『姿現し』や『姿くらまし』が制限されているなどは、防衛措置として序の口に過ぎない。移動鍵を学校内に繋げるのも、或いは逆に学校内から外部に繋げるのにも、それ相応の魔法力と権限が必要な筈であり、それ以外にも種々の攻撃や干渉が不可能な要塞となっているに違いなかった。そもそもの成り立ちからして、この学校は〝マグル〟からの迫害を少なからず背景とするものなのだから。

 

 言ってみれば、ホグワーツ生は全員、その入学に際して〝ホグワーツ〟と魔法契約を結んでいるのである。この校舎内で正しく学び、成長し、卒業する為に。それを妨げるような暴力的行いは、原則として〝ホグワーツ〟自体が許容しないに違いなかった。

 

「まあ、そうじゃの。外部の者が掛ければ、普通は君の言う通りじゃ。しかし、去年校長である儂が招き入れたように、或いは創始者自ら遺したように、一定のルールに従って入り込むという事は可能なのじゃよ。今回ヴォルデモート卿が用いたのも、その類じゃった」

「……その手段について余り知りたいとも思いませんが、僕が最も大きな関心を有するのは一つです。今回には〝次〟が有るんですか?」

「無いとは断言出来ぬ。同種の干渉は想定しうる。しかし、手段は突き止めたし、今回の一つは間違いなくハリーが葬った。一応安心しては良いじゃろう」

 

 完全なる断言では無かったが、けれども僕にとっては十分満足出来る回答だった。

 

 この余りに多くを見通し過ぎる大魔法使いが、確実な物言いを出来ない事など承知の上だ。しかし、今回この老人が被害を黙認したのは、偏に闇の帝王が用いている手段が解らなかったに過ぎない。逆に言えば、解っているのであれば、たとえ同種の干渉が用いられても何とでも対策のしようがあるだろう。その点で、次が今回と全く同じになる事は有り得ない。

 

 小さく安堵の息を吐いた僕に、だがアルバス・ダンブルドアは苦笑を深めた。

 

「……覚悟しておいたつもりじゃが。君は今回も多くを見通していたようじゃの」

 

 その言葉が、額面通りに受け取って良い物で無いのは何となく伝わってきた。

 

「儂が真に懸念していたのは、君が今回の状況を──去年と同様に不愉快だと感じて残らず是正しようとする事じゃった。全てを見透かした上で、尚放置するとまでは余り期待しておらぬかった。ただ、君は此度の儂との会話に平然とついてきてみせた。それは間違いなく君が、殆ど正確に事情を把握していた証明とも言える」

 

 ……まあ、何も理解しないままであれば、この飛び飛びの会話は意味不明だろう。

 御互いに一から十まで説明をしないし、求めても居ない。もっとも、僕としては当然の行いである。必要で無い事に言葉を費やすのは、その事自体が必要であるという場合が時に存在する事は認めるとしても、やはり個人的嗜好としては大きな意義が感じられない。

 

「それで? それが何か貴方を満足させる事だったのですか?」

「満足とは違うの。驚きというべきか。儂は秘密の部屋が解決するまで――君の事をハリーに言及されるまでは半信半疑であったのだから」

 

 思ってもみなかった名前に、僕は眉を顰める。

 

「……ハリー・ポッターが、僕の一体何を指摘するというんです? 彼と僕は、殆ど接触が無かった筈ですが」

「ハリーはの、君が今回の全てに気付いていたのでは無いか、と儂に問うた。そして率直に言って、儂はそれを誤魔化すのに大変苦労したと言わざるを得ぬ。それが正しいのかどうかすらも解らなかったからの。結局、()()()()()()犠牲を見逃す筈が無いであろうという言葉に、ハリーも一応の納得を見せてくれたが」

 

 ……そう老人は言うが、やはり意味が解らない。

 ハリー・ポッターとの直接の接触は、あの十二月末のメモが最後である。意味深であるのは否定しないが、だからと言って僕が真相に気付いているという確信には繋がらない。

 ハーマイオニー・グレンジャー経由を考えるにしても、あのギルデロイ・ロックハートとの接触を除けば、全く接触していないと言っても過言ではない。わざわざ彼女が僕から鏡を渡された事を喋る理由は考えもつかないし、やはりその結論を出す理由は無い筈だった。

 

 ただ、見る限りでは、この老人もその答えを持たないらしい。問い掛けの視線を寄越しても尚、アルバス・ダンブルドアは、ただ静かに僕を見返してくるだけだった。

 

「そう言えば、その際ハリーもしきりに不思議がっておったが、君は随分とギルデロイに関心を寄せておったようじゃの。ギルデロイが一体何であったのかと、儂にも強く確認された。その点に関して、君は儂以上に何か情報を持っていたのかね?」

 

 その蒼い瞳には、珍しく興味と関心の色が映っている。

 

 言葉を選ばなければ内心を探る色と表現すべきか。

 去年この老人は原則として開心術を生徒に用いるような真似をしないとは言ったが、その叡智と老練さを持って若人の内心を見透かす事については何ら言及していなかったし、実際それらによって開心術に近い真似は出来るのだろう。だからこそ、彼は殆どの場合において開心術を必要としない。

 

 だが、別に今回に関しては、開心術有りだろうが無しだろうが構わなかった。

 

「……ああ、貴方が疑念を持つ理由は何ら存在しませんよ。ギルデロイ・ロックハートの名前を彼に対する迷彩として使ったのは事実ですし、他ならぬ彼自身から話を聞きたかったのもまた事実です。しかし、もう終わった事です」

 

 あの時点で最早彼はどうでも良い存在だったし、既に何を言っても仕方がない。

 彼は、不幸な事故によって記憶を喪ってしまったのだから。

 

「その割には、ギルデロイが間違いなく闇の帝王とは無関係だと儂が保証した後も、ハリーは何か腑に落ちないようじゃったが……まあ、君がそう言うのであればそうなのじゃろう」

 

 自分を納得させるように老人は頷き、けれども話題を続けたいらしかった。

 

「ただ、去年のクィリナスと違って、君は何も言う気が無いようじゃの?」

 

 心底不思議そうに言うが、僕が何時も何時も文句を付けるとでも思っているのだろうか。

 いやまあ、全く言いたい事が無い訳では無いのだが。

 

「僕の価値観では、去年は教授として尊敬出来るような人間であり、今年は教授としても道化としても尊敬を抱けるような人間で無かっただけですよ」

 

 そう言い切り、しかし寮監の言葉が脳裏に蘇る。

 

『己が価値を見出す事が出来た物に対しては酷く熱心であるが、しかし逆に、見出せない物については君は――お前達は余りに冷ややかだ』

 

 だが、それは何か可笑しい事なのだろうか。

 興味や好意を抱く者には親身に、それ以外には冷淡であるのは誰だって同じである筈だ。にも拘わらず、あのような皮肉を、半ば憐憫するように言った理由を今一解りかねている。

 まあ、一々気にしても仕方がない事でもあるのだろうが。

 

「文句が有るとすれば、何故あのような害にしかならない無能を貴方が雇ったのかという事位でしょうか。()()()()()()()()()()()()()というのもまた学びであると言うのであれば、ギルデロイ・ロックハート以上の人材は居ませんでしたが」

「――それについては、悔いが残った部分でも有るの」

 

 老人は、深い後悔を滲ませながら、大きく息を吐く。

 

「儂は、彼の為には、ホグワーツに招くのが一番であると信じておった。ここでは生徒だけでは無く、教える側もまた多くを学ぶ。そして、儂は彼の学生時代を――ギルデロイが目を輝かせながら、愉快な校内新聞の出版許可を儂に求めてきた時の事を覚えておる」

「……ただ、貴方は今年余りにも忙しかったようですからね」

 

 座視する事は、何もしないという事では無い。

 

 ルシウス・マルフォイ氏の干渉を思えば当然だ。この老人もまた闇の帝王が動くのを待っていたとは言え、追放されるのが早過ぎては不確定な事象を引き起こす可能性が有った。如何に石化が意図的だったとは言え、闇の帝王がその手段を選択したのは、やはりアルバス・ダンブルドアという絶対の暴力を無視できなかったからに違いない。

 

「……それで、今回貴方がギルデロイ・ロックハートを招き入れた深謀遠慮は、一体どのような物であったのです? その事についても、やはり想像が付きませんでしたが」

 

 気宇壮大な存在かとも思えば、結局は見たままの存在だった。

 故に、僕はアルバス・ダンブルドアがどういう価値を彼に見出したのか気になってもいたが、老人は当然のように言った。

 

「ギルデロイは、忘却術を用いて人の功績を盗んでおった」

「……それで?」

「その内の二人は、儂の知人であった。故に、儂はギルデロイにハリーの教師となる名誉をちらつかせ、ホグワーツへと招いた。彼の詐欺、そして彼がペテン師である事を明らかにし、その罪を明らかにする為に」

「――成程。その為に、貴方は学校に招き入れたという事ですか」

 

 気付けば拳を強く握り締めていた。

 

 個人的な事情の下に、公の組織を利用する。

 七年の内の一年。二度と訪れない時間を、誰とも知らない中年(ギルデロイ・ロックハート)の贖罪の為に使い潰す。

 

 別にその行為自体を否定するつもりは無い。公を濫用出来る地位に在るならば、やはり私は当然の権利としてそれを行使すべきだった。

 しかし、それと同時に領分を弁える事は必要な筈だ。己が利益を図るのも結構。全体の為に奉仕すると嘯くのも問題を無い。けれども、それは善悪や是非を問わず、確かな自覚と決意の下に行われるべきであり、断じてあやふやなままに用いられてはならないに違いなかった。

 

 ギルデロイ・ロックハート。

 

 彼は、一人の男子生徒に対話と共感を求める程、この一年を通して誇りと自尊心を手酷く傷つけられ、理解に基づく敬意に飢えていた。

 確かに彼は犯罪者だった。老人は対処する時間が無かった。しかし、どんなに正当な理由が有ったとしても、その冷ややかな歓迎は、ホグワーツという学び舎が()()彼にとって居心地が良い物などでは無い程である事を克明にした。

 

 僕はあの男に価値を見出せなかったが、それでも、それを無視しきる事は出来ない。

 

 ……いや、この老人はこの老人なりに美学を持っているつもりなのだろう。

 

 言ってしまえば、僕の価値観にそれが合わないというだけなのかもしれない。

 僕は寮監を教授と呼びたくは無いが、生徒を倫理的に導く気概を更々見せる事無く、ただ己が研究に身命を費やし、またそれを継承し得る者の育成を欲するという価値観は、〝教授〟の一つの在り方だとしてやはり理解出来るのだから。

 

「……どうやら大穴が正解だったようですね」

 

 握った手を軽く開きながら、僕は言葉を紡ぐ。

 

「忘却術説が有り得ないというのは、ハーマイオニー・グレンジャーが滔々と説明してくれました。まあ、彼が不幸な事故で記憶を喪ったと聞いた瞬間、そうだとは思いましたが」

「ハーマイオニーは真に聡明な魔女であるようじゃの。そして多くが同じように考えた。正しく巧妙な技であった。儂に確信は有ったとは言え、証拠は無かったし、暴く手段も無かった。回復も期待は出来なかった。彼自身が、それを悔い改める以外にの」

 

 同時にギルデロイ・ロックハートの並々ならぬ腕も解る物だ。

 

 『狼男との大いなる山歩き』において、彼は村を救ったのだと記述していた。

 そう、彼が他人の功績を盗んだのだとすれば、それだけの目撃者、或いは真の英雄に対して感謝した者が居た筈なのだ。けれども、そのような者は現れないか、或いは真実を言っても嘘吐き呼ばわりされる程の少数派に貶められた。魔法事故惨事部の総力を上げた場合で有ってもここまで見事な真似は中々出来ないだろうと思わせる、完璧な腕前だった。

 

 彼はやはりレイブンクローだったのだろう。馴れ合いを排した徹底的な個人主義は、時に突出した大魔法使いを産む。記憶の領域において、彼以上の魔法使いは居なかった。

 

 そして――

 

「ギルデロイ・ロックハートは、貴方に勝利したという事ですか」

 

 ――その事実を少しばかり羨む気持ちが、無い訳ではなかった。

 

「……やはり、君もそう感じるかの」

「報いを受けた以上、僕は余りそう思いませんが。しかし、貴方の目的を外したのは確かです。貴方は罪を贖わせる為にギルデロイ・ロックハートをホグワーツに呼び、けれども彼は逃げおおせた。彼は法の届かない場所に、最早誰にも裁けない場所に行ってしまった」

 

 その事だけは、幾ら言葉を濁そうとも揺るぎがない。

 秘密の部屋の中で何が起こったのかを僕は正確には知らないし、知る術も無い。けれども、それなりの期間を掛けて会話を交わした間柄なのだ。何故か記憶を喪ったという事も併せれば、あの男がどういう行動を取ろうとしたのかは容易に想像が付く。

 

「それを正しく予測していたのは寮監ですよ。『賢者が愚者に必ず勝つ訳では無い』と。明らかにあの男を雇った貴方を揶揄する台詞を吐いていた」

「……セブルスらしい物言いじゃの。彼は反対を示したものの、それ以上の事は言わなかった。ギルデロイの雇用に一番反対したのはミネルバじゃった」

「ならば恐らく、それを寮監は深く後悔したでしょう。良い気味だとも思いますが」

 

 ただ寮監は、ギルデロイ・ロックハートに牙が有る事を見透かしていた。

 当時は拷問だと考えていたが、あの男と幾度と無く会話をし、一定の信頼関係を築いた事は良かったのかもしれない。自分を手酷く侮辱した──客観的にそう見えるのは事実だろう──生徒に対し、私怨の下に忘却術を行使して人格を破壊する可能性は皆無だったとは言えないのだから。

 

「一応聞きますが、彼の行いを公表する気は?」

「……しても信じられる物じゃなかろうて。報いは受けた。彼はその一生を治療に費やす事となる」

 

 勿論、僕はそうは思わない。

 アルバス・ダンブルドアは相応の権力者だ。その言葉は十二分に重い。

 

 そもそも別にホグワーツに招き入れる必要など無かった。形振り構わず政治力を行使すれば、万人が万人、ギルデロイ・ロックハートが詐欺師である事を信じなくとも、再起不能な程度には毀損出来ただろう。

 都合の良い事に、彼は二年生にも劣る程に呪文を使えず、公開の場で実践を促してやればそれで終わった。何より一番重要なのは、アルバス・ダンブルドアはマーリン勲章一等で、ギルデロイ・ロックハートはマーリン勲章三等なのだから。

 

 加えて今の時点においては〝生き残った男の子〟が居る。

 特に秘密の部屋を暴き、バジリスクを殺してみせたという事実は誰にも否定出来ず、やはりその言葉は重みを持つ。たとえ彼が十二歳であるとしても、彼がギルデロイ・ロックハートの名誉を傷付けて得られる利益など無いのは明らかであり、彼が真実を語っているのだというのは受け止められるだろう。

 

 けれども、やはりこの老人はそれを選ばない。

 

 闇の力に対する防衛術連盟の名誉会員、週刊魔女のチャーミングスマイル賞五回連続受賞、そしてマーリン勲章勲三等。

 

 常に自慢していたそれらの名声を、彼は喪いはしなかった。

 今回も、そして恐らく永久に。それは、やはり勝ちなのかもしれない。

 

 加えて、ギルデロイ・ロックハートがこの老人を上回った点がもう一つ有る。

 

「ハリー・ポッターらが、ホグワーツで最も無能――ではなく有害であった存在を秘密の部屋に連れて行った事についてはどう考えているんです? 彼が秘密の部屋に誘い込まれる事までは、貴方の計画の範疇だった。しかし、ああなるとは考えて居なかった筈だ」

「──そうじゃな。それは痛恨だったと言って良い」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーと違い、彼等もギルデロイ・ロックハートを間違いなく馬鹿にしていた筈だが、けれども最後に頼ったのがあの男であるというのは奇妙さも有る。

 

 ただ、改めて考えれば、それは当然の事なのかも知れない。

 先のミネルバ・マクゴナガル教授との会話を考えるに、賢者の石を解決するに際し、ハリー・ポッター達にとっては、大人達は頼れるものには成り得なかった。一方、当然の事ながらギルデロイ・ロックハートは去年居なかった。そうであれば、この展開を予め予想する事もまた不可能では無かったのかもしれない。

 

 しかし、そのハンデを背負って全てを終わらせたハリー・ポッターは、やはり常人とは一線を画する〝異常〟で有るのだろう。精神力もそうだが、天運の面にしても並外れている。それはまさしく〝英雄〟の在り方に他ならなかった。

 

「……せめて、来年こそは闇の魔術に対する防衛術教授に期待したいものですけどね」

「耳が痛いの。しかし、心して置こう」

 

 端的な言葉に、老人は頷いた。

 僕はクィリナス・クィレル教授を教授と呼ぶが、その授業がマトモで無かったというのは認めざるを得ないのだから。その点はやはり寮監に軍配が上がる、というか比較にならない。二年ともロクでも無かった以上、三年連続というのは勘弁して欲しい。

 

 まあ、実際の所、この老人にさして期待していないのだが。

 

「……それで。そろそろ本題に入るつもりは有りますか? 僕が貴方に要らない質問したのも悪かったですし、答えて頂いた事に感謝が無い事はないですが。

 けれども、貴方は、こんな話をする為に僕を呼び付けた訳では無い筈だ」

 

 

 

 

 

 

 

 この老人は名探偵では無い。

 推理の種明かしをする程に親切でも、丁寧でも無い。

 

 今年は去年とは違うのだ。

 去年の場合は、杖に秘密を誓ってみせた者に対して、いわば説明責任として僕に真相を伝える義理は有った。けれども、今年はそうでは無い。この老人の策謀について生徒が何も見ないままに居るというのは当然の行いであり、わざわざ呼びつけてまで感謝を示す必要も、言葉を交わしてやる必要も無い筈だった。

 

 そして、アルバス・ダンブルドアは当然のように頷く。

 当たり前のように、生徒が自身の求めに、その謎に解答する事を疑わない。

 

「その前に、君に問うておきたい事が有るのじゃ」

「……下らない前座が必要ですか」

「前座では無い。儂にとっては紛れも無く本題の一環じゃよ」

 

 老人は首を振り、重々しくその口を開く。

 

「君がスリザリン生である事を、儂は良く承知している。儂がスリザリンから蛇蝎のように、という表現では生温い程嫌われているのも理解しておる。そして何より、君と儂の気質が全くもって合わないというのも、御互いが同意を示せる点であるとも思う」

「…………」

「しかし、君は去年も、今年も、儂に対する最低限の尊重だけは捨て去ろうとしない。どんなに見下げ果てた老人であると感じようと、絶対に。その理由を、儂は聞かせて貰いたいのじゃ」

 

 そう言われた瞬間、平静を保ったとは思う。

 だが、この老人には伝わっている事は解っていた。

 

「……それが必要ですか?」

「酷な事を聞いておるとは理解しておる。しかし、儂は君にそれを言葉にして欲しいと思う。いや、迂遠な事を言っても仕方が無かろう。儂はその理由に見当が付いておるし、それは正しいのだと半ば確信しているのだから」

 

 当然の事だった。

 入学前、ホグワーツへの〝脱獄〟に希望を抱いていた時から、英雄の生涯は僕にとり興味を惹く事柄だった。寧ろ、魔法界において、アルバス・ダンブルドアについて関心を抱き、何らかを調べようとしない者は居ないだろう。

 彼は多くの書籍、或いは論文の中において語られ、それを追う事は何ら苦労が無かった。そして子供の理として当然のように憧れ――しかし、皮肉にも〝収容〟が終わった後、それが憧憬を抱くような英雄では無いという事を理解した。

 

 そしてその事こそが――この老人の生に共感してしまった事こそが、逆に、僕にとってアルバス・ダンブルドアに対して冷笑の態度を貫けない理由となってしまった。

 

「今では無く、当時。君を育て上げた者に対して、君はどのような想いを抱いていたかね?」

 

 僕は大きく息を吸い、そして吐き捨てた。

 

「決まっているでしょう。

 ――反吐が出る程嫌いでしたよ」

 

 そう思わない筈が無かった。

 僕の生は、母に支配されていた。優しく、それ故に残酷な鎖に繋がれていた。

 

 物心付いた時から、母が全ての中心に居た。

 

 今の僕ではなく未来を見ていた、その言葉が嫌いだった。

 僕の嫌悪と暴言を是認していた、その笑みが嫌いだった。

 死臭に似た匂いを漂わせていた、その抱擁が嫌いだった。

 

 僕が成長するのと比例するように、僕が母の生命を吸い取っていくかのように、それらは日々耐えられないものとなり、特に最後の二年程は酷いものだった。

 

 食事を一回一回口元まで運ぶ。力の抜けた身体をしばしば動かす。不可避的な汚物を処理し、身体を拭く。呻き声や喚き声を上げているのに付き合う。目の届く範囲外で危険な事をしないように、殆ど丸一日寄り添う。

 それらの基本的な事柄は当然ながら、日常の全てについて僕は必要とされた。

 無論、言葉に表してみればこれ程単純で、無味乾燥な物は無い。ただ、こればかりは、実際に見た者しか感じられない重みと、苦々しさが有った。

 

 何より僕が最もロクでも無いと感じていたのは、母が時折正気を、理性を取り戻す点だった。単なる動物だと割り切れれば、もっと手酷く扱えたのだ。しかし、出来なかった。非道にも、母は、神はそれを赦してはくれなかった。

 

 ただ──そんな事を目の前の老人にわざわざ言ってやる必要は無かった。言葉よりも雄弁な物が、世の中に在る。まして、互いに同種の物を持っているのなら猶更だ。

 

 そして、老人は大樹のような頑なさのままに、静かに頷いた。

 

「君は勘違いしているかも知れぬから、予め補足しておこう。確かに儂は、ホグワーツの卒業時にゴドリックの谷に戻り、その後大きく変わった。しかし、それは母の死が原因では無い。寧ろ、当時はそれを心の何処かで恨んでいたかも知れぬ」

「……貴方に出来損ないの妹が居るというような話は、幾つか読みました。けれども、貴方を貶める為の嘘だと僕は思っていましたが」

「嘘では無い。また、スクイブでも無かった。儂の妹で、アリアナ・ダンブルドアといった。そして、君が母と呼ぶ者に、恐らく最も境遇が近しい存在じゃったと思う。また、彼女の死こそが、儂に自身の愚かさを、如何に愛を軽んじていたのかを思い知らせたのじゃ」

 

 それを語る老人に、去年のような弱々しさは無かった。

 枯れ落ちていた。その事について余りに悩み、考え過ぎ、その段階を通り越していた。けれどもそれは表面上だけで、その洞の中には大嵐がうねっている事を僕は既に知っていた。

 

「儂は――儂等は、喪わねば理解出来なかった。共に過ごす何年の時よりも、ただの一瞬こそが重く、痛烈な衝撃を、魂の終焉を与えた。この先どれ程の長く生きようとも味わわないであろう、苦杯と欠損、そして何よりも自分自身への激情を齎した」

「…………」

 

 アルバス・ダンブルドアはそこまで言い切った。

 僕は何も言わなかったし、老人もまたそれを求めなかった。

 

「君に聞くべきかどうかは迷っておった。去年、君の率直な言葉を聞いても尚。じゃが、やはり君は信用に足る。その確信は今確かなものとなった。だからこそ、真にこの戦争の中核となる事項について問おうと思う」

「……僕はそれを全くもって希望していないんですけどね。僕にとってハリー・ポッターが基本的にどうでも良い存在だというのは理解している筈だ」

「代わりに儂が君に力を与えるとしても? 例えばそう、閉心術を」

 

 今年は、僕が呻く番だった。

 嗚呼、この老人は長く生きて来ただけあって、他人の急所を正しく知っている。

 僕には力が必要だった。些細で有っても、確かな力が。今年のように、或いは去年のように、物事を傍観しないままで居られるだけの暴力が。

 

「……貴方は酷い人間だ。それは貴方が必要だから覚えさせようとしているだけだ」

「否定はせぬ。けれども、君が今年全てを見透かしたという事は、それでいて尚動かなかったという事は、間違いなく君に力の必要性を感じさせた筈じゃ。そして、儂はそれを提供出来る。特に閉心術の類は、一人で鍛えられる物では無いからのう」

「多忙な校長自らが、それを行う必要が有りますか? 例えば寮監なんかに対して丸投げしてしまえば良いのでは?」

「儂は自ら関わるだけの価値を感じておる。誰も君に注目していない今であれば、儂自らが動く事も出来る。別にセブルスが不適切であるという訳では無い。彼は卓越した閉心術士じゃ。指導する者としては十分過ぎる程であろうし、儂の予測通り来年セブルスが多少忙しくなるとしても、仕事を遣り遂げるだけの能力を有している」

 

 じゃが、と老人は壮絶な微笑みを見せた。

 

「――君が真に実感しているかは知らぬが。

 儂は今世紀で最も偉大な魔法使いと呼ばれておるのじゃよ」

 

 この老人の教師の在り方が、僕は気に入らない。

 

 さりとて、それでも指導者として不適という訳では無いのは解っている。寧ろ、この老人程に、他人を先の領域に進ませるという一点において、眼前の存在以上の者は居ないのだろう。校長職として最前線から離れていた期間が長いとしても、百年近くホグワーツに巣食ってきたという事実は変わらない。

 

 そして、開心術の修練は必然的に他人に対し心の侵入を許すものであるが――この老人の前では全く気にする必要も無いのだろうとは承知していた。この怪物は、間違いなく僕以上に僕の事を知っている。不快だが、それは事実だ。

 

「……貴方は余りにも多くの事を企み過ぎる。聞きましたよ、秘密の部屋を元通りに閉じ直し、バジリスクの亡骸も再度そこに葬る気だと。あの毒は貴重な上に、産出者が死んだ程度で容易に劣化する物では無い。貴方はホグワーツに災厄を残そうとしている」

 

 秘密の部屋の解決というハリー・ポッターの偉業を、そしてアルバス・ダンブルドアの帰還を納得させる為には、バジリスクの遺骸こそが最も手軽で適切だった。

 

 だが四百年程の間、英国では御目に掛かれなかった怪物だ。たかだか自分に制御出来ない程度の些事では諦めない魔法生物狂い共をもってして尚、それだけの間ヴェールを剥がせなかった存在だ。研究したい者や、それを保存したい者がわらわらと現れて来たのは当然の成り行きとも言える。スリザリンの卒業生ですら秘密の部屋を含めて大いに興味を持った。

 

 けれども、この老人は殆どそれらを拒絶したと聞く。

 

「あれはサラザール・スリザリンの遺産じゃ。であれば、本来の場所に還してやり、穏やかに眠らせてやるのが当然じゃろうて」

「……良く言う。ならば、ゴドリック・グリフィンドールの剣を小鬼達の下に戻してやるべきでしょう。それは彼が盗んだ物だ」

「それはゴドリックの遺産じゃよ、ステファン。盗んだ物などでは無い」

 

 校長室の片隅に置かれた美麗な剣を見ながら老人は言うが、僕にはやはり同意しかねる。

 

 購入金額と借用金額には必然的に大きな差異が有るのは当然の事だ。そして一方が購入するつもりで金額を提示し、一方が賃貸するつもりでその金額に同意したのであれば、そこに両当事者の意思の合致は無く、契約は当然に成立しない。

 

 それを種族の差異による行き違いだと主張するのは、詐欺師の開き直りでしかない。

 

 だが、老人はその眼を細め、釘を刺すように言う。

 

「君は聡明にも理解している筈じゃが、互いの真意の合致の下に既に成立した契約を、気に入らなくなったからとして事後に覆す場合であれば、それはやはり不当な行いであろう」

「……解っていますよ。そして、既にいずれが真実か不明だ。水掛け論にしかならない」

 

 溜息を吐く。そもそもどちらでも構わないのだ。

 この話題は、単に自分が決意する為の猶予を求めただけに過ぎない。

 

「それで、実際僕に何を聞きたいんです?」

 

 その問いに、漸く老人は本題に入ってくれるらしい。

 静かに頷いて、問いを発した。

 

「闇の魔術について多少の見解を聞きたいのじゃ」

 

 予想通りの言葉に、最早肩を竦める気にもなれなかった。

 

「ヴォルデモート卿の失墜の後、この国では闇の魔術に関する知識も物品も多くが狩られた。彼等も隠す時間も隙も無かったからの。しかし、それ以外までは手が回らなかったのも事実。というより、その必要性は無いと多くの者が考えていた。……君の父上は混乱に乗じ上手くこの国に入り込んだようじゃの。また卓越した魔法使いだった」

「僕は()がそれを為したと思いますがね。そして父は既に死んだ。永久に」

 

 スティーブン・レッドフィールドは、既に気に留めるべき存在では無い。

 国を舞台とする魔法戦争とも違う。あれは家庭内の些細な事件で、全て終わっている。

 

「母の――僕の家に闇の魔術の品々が積まれていた事は、ミネルバ・マクゴナガル教授から報告を? 教授は〝後始末〟をする過程で、当然にそれらを見ましたから」

「うむ。流石に事が事であるからの。君の家に在った物の諸々についても聞いた。二年とは言え彼女は魔法省執行部に居た。しかしその彼女ですら見た事の無い物が有ったとも」

「文句は言いませんよ。その際釘も刺されましたし」

 

 教授は、ホグワーツ教師として、そして生徒を助ける者として来たと言った。

 だからこそ、その行為の過程で知った違法な諸々を、善良な一魔法族として通報するような真似はしなかった。不愉快さを示し、忠告を残しながらも、その職分を踏み越えようとはしなかった。僕が教授の立場であれば、〝当然の善意〟を行使しただろうが、教授は厳格で、融通が利かず、何だかんだ言って生徒に甘かった。

 

 ただ、危険分子についての上司への報告は、教師として当然の事だった。

 そして、僕からそれらの闇の遺産が接収される事の一番の歯止めとなったのは、やはりこの老人で有ったのかもしれない。

 

「……しかし、貴方が僕に聞くような事はやはり無いとは思いますけれどね。貴方が闇の魔術を嫌悪しているのは理解していますが、それにしたって全く知識が無い訳では無いでしょう。その上、貴方は推量する事を大得意としている筈だ」

 

 第一、知識が有るからと言ってそれがそのまま力を有するという訳では無い。

 

 如何に闇の魔術を使おうとも、僕の力量では、この老人の産毛一本すら削ぐ事は出来まい。それは、仮に十年、二十年後の自分をこの瞬間に持って来られた所で殆ど変わりはしないだろう。百歳を超えた老人に、体力と魔力の全盛を迎えた人間が簡単に敗北する。それが才能の差異であり、英雄と凡夫との違いの筈だった。

 

「君に聞く必要が有るかは儂が判断する事じゃよ。そして、推量する際に材料が多いに越した事は無い。それ無しにやるのは、単なる当てずっぽうというものじゃ」

「ならば、闇祓いを初めとする適切な相談相手が居る筈では? 彼等は闇に対抗する都合上、相応の知識を有している筈です」

「事は秘して進める必要が有るのじゃ。そして、彼等に答えられない事は確信している。無論、君に伝える事が大きな危険を孕む事も理解している。しかし、事が事であるが故に、逆に君の場合は知っておいた方が適切であり、まだ状況を制御出来るように思えるのじゃ」

「……つまり、何について?」

「ホークラックス。分霊箱に関して」

「――――」

 

 重苦しく発された闇の言葉に、僕は強制的に沈黙させられた。

 

 分霊箱。

 魂を引き裂き、それを外部に閉じ込めて延命を図る、闇の魔術の秘奥。

 

 成程、この老人がそれを僕に問わざるを得ない筈だ。

 アルバス・ダンブルドアは、余りにも多くを見通し過ぎている。だからこそ、口を開くべき時に開かず、逆に口を開くべきでない時に開いてしまう。

 

 しかしまあ、この場合は口を開くべきだったのだろう。それを知らなければ、僕は最大の危険を避けられなくなる。去年と同じような事など二度と御免だが、けれども仮にそのような万一が存在した場合、それを承知しているのは間違いなく有効な手札に成り得る。

 

 そして、この老人は本気で僕に閉心術を叩き込もうとしている。

 

「……僕に聞く事が適切である事は確かなようです。ただ、それでもやはり聞く必要は無かったように思えますが? 不死への方法論は幾つも存在し、分霊箱はその一つでしかない。一方、仮に分霊箱が用いられたと貴方が確信しているのであれば、貴方がすべきは方法論を問う事では無く、何が分霊箱に変えられたかを突き止める事だ」

 

 分霊箱一個を特定し、捜し当て、破壊するだけだ。

 別に〝専門家〟に聞く必要など無い。悩む事も難しい事も全くない。

 

 けれども、アルバス・ダンブルドアは、僕の不理解を詰るかのように首を振った。

 

「事はそう簡単に行かぬのじゃ。儂とて確信を持っている訳では無いしの。そして一番の問題が控えているように儂には感じた。だからこそ、君の見解を聞きたいのじゃ」

 

 老人は真剣な表情を崩さないままに言った。

 

「――分霊箱を複数作るという事は有り得るかね?」

「――()() ()()()()()()()()()()()鹿()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、僕は半ば唖然としながらその戯けた質問に答えた。

 

 この老人が、時に突拍子も無い事を言い出す場合が有り得るのは承知していた。けれども、ここまで理解不能な事を言われる事になるとは思わなかった。

 

 老人は茫然としていた。何故、そんな返答が為されるのか本気で解らないというように。

 しかし、老人は気付いた。そして、一瞬遅れて僕も気付いた。

 

「……成程、成程。そうだとすれば、まったくもって並外れた魔法使いじゃ」

 

 その声には紛れも無い畏怖の色が混じっていた。

 

「分霊箱。それを用いる際、術者は()()強力な守護の呪文を掛けねばならぬと警告される。魂の分割は()()()()()残された魂を大いに不安定にする。そして知られる限りにおいて、()()()()魂を分割した魔法使いというのは存在せず、その結果についても()()()()()()()()()

 

 アルバス・ダンブルドアが語る言葉は、僕の知識と一致する。

 

「それを素直に解釈すれば、その余りの魔術の非道さ、高度さ、そして難解さ故に、誰もがそれ以上の領域へと達する事が出来なかったとなるじゃろう。しかし──」

 

 実際それらは必ずしも間違っている訳では無い。

 膨大な魔法力と強固な意思力、そして深い闇への理解無くして成立しない。

 

 ……ただ。

 

「まさか殺人を繰り返す程度が闇の魔法使いにとって障害になると? 紀元前五百年頃の腐ったハーポより約二千五百年。その間、ただの一人も試さなかったとでも?」

「――魔法に暗示と隠喩は付き物じゃ。それを丁寧に解きほぐそうとする魔法使いは、分霊箱をただの一つのみ作る事こそが、正しい……闇の魔術をそう形容したくないのじゃが、ともあれ意図された結果を獲得する為の訓戒で有ると解釈する」

 

 だからこそ、愚かな真似なのだ。分霊箱を複数作るという事は。

 

 だが、間違った道を突き進んだ先が、何処にも繋がっていないとは限らない。

 

「君はどう思うかね? それを踏まえて尚、複数作る事は?」

「……何とも言えませんよ。ただ、複数作ったと主張する人間が居ないという事は、また分霊箱が不滅の手段として一般的なものだと考えられていないという事は、多くの魔法使いが不可能だと結論付けたか、実際に愚行の代償を払って死んだと考えるのが真っ当です」

 

 殺人が手段と言っても、それは魂を引き裂くだけの物で無ければならない。

 そうでなければ、分霊箱など世の中に溢れているだろう。猿がシェイクスピアを書き上げる可能性が皆無では無い通り、たとえ呪文を知らなかろうが意図して作りだす可能性はそれなりに存在する。

 それでいて尚、分霊箱の存在が知られないままに居るとなれば、やはりそこには相当高い障壁が存在するのだと考えざるを得ない。

 

「……解っていますか。仮説が正しいとすれば、これは相当の難事ですよ」

 

 御互いに、その分霊箱が誰に関する物かを口にしていない。

 去年あれだけ正しい呼び名で呼ぶ事を求めた老人ですら、それを口にしない。それは用心の結果などでは無い。数々の護りに満ちたホグワーツ内、しかも今世紀で最も偉大な魔法使いの傍において、たかが名前を呼んだだけで外部に知られる事は有り得ない。

 

 故に、誰の事か共通理解が出来ていて尚、その名前を出さないのは、これまでの誰よりも深い所まで辿り着いてしまったかもしれない者への畏れからに過ぎなかった。

 

「まず、不死の手段が分霊箱による物だと確定しなければならない。彼の失墜前の行動を追跡し、他に彼の嗜好に合うような方法論が無いか、併用しようと考えなかったかを検証しなければならない」

 

 これは大前提である。一番難しいのはそれからだ。

 

「次に、彼のとった方法が分霊箱以外に無いと確信した場合には、その個数を確定させなければならない。しかもそれは殆ど一番最初に、ですよ」

「当然承知しておる。分霊箱の破壊を、或いはその探索を、悟られてはならぬ。分霊箱以外の方法が無いかの検証と、分霊箱の件を同時並行的に進めるのは困難じゃろう。そして、複数個存在すると確信した後もまた、一気呵成に物事を進めねばならぬ」

「その複数個について何が分霊箱になったかも当然ですが、その特定後にも気付かれてもならない。場所を変更する。数を増やす。そうされてしまえば、最早対処のしようがない」

 

 そもそも特定が――その者にとって魂を容れるに足る執着物を探すのが大変だという点が分霊箱の最大の強みであるというのに、それが複数など本当にやってられない。

 

「後者は不可能だと儂は見ておるが。あやつは既に限界まで魂を押し込めたのでは無いか」

「肉体の分割と魂の分割を一緒にすべきではないでしょう。恐らく後者は形而上的世界の論理によって支配されている。仮に現実の論理が通用するとしても、例えば手足を切り落として計五分割されたとしても、理屈上は生存可能だ」

 

 直感的にはアルバス・ダンブルドアの方が正しい気がするが、楽観的になり過ぎるのは不適切だ。どう軽く見積もっても、相手は前例の無い化物なのだから。

 

「……来年から忙しくなりそうじゃの」

「まあ関係無い身としては、御愁傷様というだけですが」

 

 嘆息する老人に他人事のように言う。実際他人事だった。

 

 〝生き残った男の子〟殿ならば兎も角、この男が僕を盤上の駒として用いる必要性を感じるとは思えない。

 今回偶々知識として役立ちはしたが、それ以上の事は出来などしない。今年の些細な干渉が精々で、アルバス・ダンブルドアのように強大な魔法力を持っている訳でも無い。何より、舞台に上がる気が更々無い。

 

 今僕の頭に有るのも、四の五の言わずホグワーツから今すぐ逃げるべきでは無いかという点だ。この老人が易々と負けるとは思わないが、真に己の身を考えるならそれを選択すべきだった。ただ……やはりそれは出来ないのだろう。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは、全ての意義を喪ったあの日の僕が得た唯一執着出来るものであり、真に譲る事の出来ない価値を有する全てで有った。

 闇の帝王の事を知らなければ、こんな身勝手な懸念などしなかった。交通事故に遭うのを過剰に不安に思っては生きてはいけないのだから。しかし、彼女が純血至上主義の大量虐殺者に狙われる可能性が高いとなれば、それはやはり別の話だった。

 

 こうなるので有れば、たとえ自分の力量では間違いなく何も変化を齎せないと理解して尚、今年の秘密の部屋に何とか干渉を試みるべきだったのかも知れない。魔法界の入口とも言えるホグワーツが廃校になれば、〝マグル生まれ〟は魔法界に留まる動機を決定的に喪う。後付けながらも、それは中々良い考えのように思えてしまう。

 

 望んだ部分も有れど、まさかここまで面倒な状況に陥る事になるとは入学時には、否、去年ですら考えもしなかった。そう溜息を吐きながら時計を見る。

 

 諸々の準備を終えた上でホグワーツ特急に乗る事を考えれば、もはや時間は殆ど無いと言えた。既に寮の人間は、殆どが退出しようとしている事だろう。

 

「……もっとも、今年は今すぐに帰るとは行かないのでしょうね」

 

 半ば諦念と共に言えば、老人は小さく頷いた。

 

「閉心術は一朝一夕で身に着けられる物では無い。君に本格的に教えるのも、来年が始まってからになるじゃろう。しかし、最低限、心に入り込まれたか否かを知れる程度には、その感覚を身に着けて貰わねばならぬ」

「解っていますよ。分霊箱の秘密が露見した事を知られるリスクを、貴方は当然許容出来る。露見した場合で有っても、それで全てが終わる訳ではなく、対応策が取れない訳でも無いのだから」

「けれども、それすら知らぬままでは何の手の施しようも無いからの。寧ろ逆に罠に嵌められ、最悪の結果を招く事になりかねん」

 

 だからこそ、学年最終日に呼び付けたのだ。全くもって大した大魔法使いである。

 

 僕の感心を他所にアルバス・ダンブルドアは滑るように椅子から立ち上がった。そして立ち上がった事で露わになる長身が、僕を上から見下ろした。

 

「そう言えば」

 

 ふと思いついたというように、単なる付け足しの振りをして老人は問う。

 

「君は深い質問をしようと殆どしないのじゃの。五十年前の真相。此度の秘密の部屋内での顛末。ヴォルデモート卿のその正体。何よりもハリーに割り当てられた配役について。君にとっては多くの謎が残されているままじゃ。君はそれを知ろうと思わないのかね?」

 

 それに対する答えなど決まっていた。

 

「知る必要が無い事を、聞く必要が有りますか?」

 

 別に危険を招くから知りたくないのでは無い。最大級の危険となる情報は既に知ってしまっている。今更一つや二つ増えた所で同じだった。

 故に、それは単純に僕が興味と関心、つまりその情報を知って利用する程の価値が見いだせないという事であり、それは正しく眼前の老人に対して伝わった。

 

 だからお返しのように、僕も付け足しのような質問をする事にした。

 

「分霊箱の破壊手段にはどんな物が有るのです? 悪霊の火を初めとする強力な闇の魔法、或いはバジリスクのような強靭な魔法生物の毒。その程度しか知りませんが」

 

 果たして、アルバス・ダンブルドアは答えた。

 

「破壊とは違うが、引き裂いた魂を元に戻す方法は有る。すなわち、良心の呵責じゃ。そして、元に戻すという事は、外に閉じ込めていた魂が本来の場所へと帰ろうとする事を意味する。しかし、その際に身体が破壊されていれば――魂の片割れの在る場所が最早現世では無いのであれば、その者は当然のように死ぬじゃろう」

「――成程」

 

 

 

 そうして、僕の二年生は終わる。




・ホグワーツの護り
 「こっそり入り込めないように、ありとあらゆる呪文がかけられているのよ。ここでは『姿現し』はできないわ」(三巻・第九章)「ホグワーツの壁も敷地も、古くからのさまざまな呪文で護られているからして、中に住むものの体ならびに精神的安全が確保されている」(五巻・第二十四章)など、ホグワーツに対する護りは魔法的に強固である事が原作からは読み取れる。
 もっとも、ダンブルドアが魔法省からホグワーツ行の移動鍵を作る(五巻・第三十六章)、姿現しの試験につき「校長先生が、みなさんの練習のために、この大広間にかぎって、一時間だけ呪縛を解きました」(六巻・第十八章)など、ある程度は柔軟でもあるらしい。
 三大魔法学校対抗試合に用いられた移動鍵も、あの瞬間で無ければハリーをヴォルデモート卿の下に送れなかった(クラウチにはハリーと何度も個人的に接触している)という理由が有ったのかもしれない。


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アズカバンの囚人
テオブロミン


アズカバンの囚人の章。
読み切り型の一・二巻と異なり物語の核心に入り出す(言わばここから一続き)巻でも有り、構成としても凝っている巻です。
ただし個人的な好みと反するように、全体としてはやる事が少ないので投稿者泣かせの章でもあります。

最初の方は何時も通り本筋に左程関わらないので読み飛ばす感じで結構です。


「ホグワーツの設立は革命的であったと思う」

 

 まるで曇りガラスの向こう側にいるように輪郭がぼやけたスーツ姿の壮年の男――()()()()()()・レッドフィールドは言った。

 

「知識というのは、常に歴史の中で秘されるものだった。その独占は、富、名声、権威その他君臨する為の手段として大いに貢献してきたものだ。そして当然の事ながら、それらは内輪で継承されるに至った。当然の事ながら、主に血族相手に」

 

 非魔法族的に言えば、世襲に近いだろうか。

 

「しかし、ホグワーツの四創始者は、当時の社会背景に基づく結束の必要性からそれを放棄した。アイルランドへの望郷の念と魔法族が圧倒的に少数であるという新大陸の特殊性により成立した、イルヴァーモニーとは明らかに事情が異なるのは興味深い」

 

 その意図が本当の意味で何処に在ったのかまでは、現代には詳細に伝わっていない。

 けれども、彼等は一人でやろうとしなかった。プラトンのアカデメイアのように、或いはアリストテレスのリュケイオンのように、絶対なる一が中心となって教える事を是とせず、他の同輩の必要性を認めた。

 その上で、血族関係を殆ど無視して――サラザール・スリザリンですら純血主義であり、血族至上主義ではない――広く生徒を募り、最終的にグレートブリテンからアイルランド全域を保護地域とするまでに至った。

 

「考えてみれば、イルヴァーモニーは本当に特殊なのだな。最初は家族内での小さな授業から始まり、組織化にはホグワーツという理想が念頭に有り、また闇の魔法使いゴームレイス・ゴーントの襲撃が忘れられなかった事が根幹にあるのだから」

 

 話を戻すが、と男は言った。

 

「別にホグワーツが特別であると言いたい訳では無い。国際魔法使い連盟に登録されている伝統のある十一校――つまり、イルヴァーモニーも当然含む――が、いずれも知識の拡大に同意してきた事は変わらない。そして、何よりも忘れてはならないのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 異端。正統では無い事。

 

「魔法魔術学校は十一では無い。現在においてもそれ以上存在するのであり、歴史的にも数多の存在が生まれて来た。しかし、それは消えて来た。世界各国の魔法使いの多くは、依然として家庭教育を選択している。言ってみれば、殆どにとってそれらは必要とされなかった」

 

 公的教育を必要としなかった。

 知識を拡散し、結集し、そして総動員する試みには賛同しなかった。

 

非魔法(No-maj)界において、中世における大学の起こりは、権力からの干渉を防ぎ、自らの利益を確保する為の組合に原点が有った。しかし、魔法界においては? 少なくとも、魔法界に王子は――王は居ない。神の恩寵を受けし統治者など存在しない。そもそも我等はそのような存在を必要としなかった。非魔法族と違い、魔法族は遥かに生存が容易かったのだから」

 

 科学の焔によって、非魔法族の人口が爆発的に増える以前。

 その時点では、魔法族は単純に、圧倒的に種族として強かった。それも各々が。

 

 権力と階級の出現は、社会の進化、言ってみれば頭数の確保の必要性とその現実化にこそ有った。農業を少しでも効率良くする為に、水汲みの負担を分担する為に、衣服や住居の確保を分業する為に、非魔法族はそれらを作り上げた。

 

 一方、魔法族はそれらを殆ど必要としなかった。

 全くでは無いが、その要請が希薄だった。

 

 当然ながら魔法は万能などでは無い。ガンプの元素変容の法則を初めとして、魔法使いにおいても種々の制限は存在する。だがしかし、過酷な大自然の中で生存し、血を繋ぐという種族の使命の達成には、それらは余りに些細な制限でしかない。

 

 水増加(アグアメンティ)炎生成(インセンディオ)治癒(エピスキー)浄化(スコージファイ)掘削(デイフォディオ)四方位(ポイント・ミー)光出現(ルーモス)修復(レパロ)等々。

 魔法の存在は多くの事を実現し、仮に一人で出来ない事が有っても、家族間ないしは親族単位の相互補助さえあれば、大抵が事足りた。

 

 自身の上に戴くべき存在を求めず、当然ながら己の研究に歯止めを掛ける者が存在しない以上、思想や信条、良心や言論、そして学問の自由の確保を主眼とする教育・研究機関など有り得なかった。

 

「そもそもの話、非魔法族がそのような組織を、つまり専門家集団の形成を欲したのは、知識を交換し、切磋琢磨し、そして社会に広く還元する為だった。しかし、魔法族にとってそれが必要かね?」

 

 本質的に、魔法族にとって〝社会〟は必要では無い。

 今現在ですら、魔法族は分断されたままに住んでいる。そして、その事に大きな不満を感じては居ない。国際機密保持法の施行以降、魔法族は非魔法族の共同体の中に更に小さな共同体を構築し、隠れ住み、ひっそりと生を送る事に慣れてしまっている。

 

 だからこそ、より大きな社会の発展の基礎となる教育機関は必要では無く。

 

 いや、寧ろ――

 

「そうだ。邪魔だ。そもそも、我等には魔法が有る。服従の呪文、磔の呪文、真実薬、万能魅惑薬、ポリジュース薬、そして開心術等々。非魔法族と違って、わざわざ書籍に頼らずとも相手から()()教えて貰う事は決して不可能ではない。古きアレクサンドリア、或いはこの国の博物館よりも更にスマートに、世界の事物を収集出来る」

 

 〝マグル〟の大迫害の印象により、魔法族は忘れがちだが。

 魔法族の最大の敵は、魔法族である。過去も、今も、そしてこれからも。

 

「無論、行き着いた魔法使いからそれらを奪う事は殆ど不可能だがね。ただまあ、細やかな情報の集積こそ価値有るものだ。天才の技術は再現性という面で難が有る場合も多いからね。……嗚呼、負け惜しみだよ。自分で至れるのならば、こんな真似はしないのだから」

 

 しかし、それはこの男の趣味が多分に含まれるものなのだろう。

 百科全書派と気が合いそうだった。深い一よりも、手軽な百こそが使い勝手が良い場合というのを、男は良く知っていた筈だった。

 

「そもそも今は何処の国も広く見張られている。ほんの三百年程前には悪党達の天国、豊穣に満ちた狩場の時代があったのだが――それはやはり過去なのだ。このような時代に存在する事は恨めしくある」

 

 まあ今は今で良い所が有るのだが、と気障に肩を竦める。

 

「何だったかな。そう、ホグワーツの――魔法魔術学校の設立は革命的だったという話だ。つまり、大した事の無い技術を広める事によって、技術の奪い合い、殺し合いを減退させた。何処の学校もそういう意図で設立したかどうかは知らないがね。しかし、結果的にそうなったのは否定出来ないのではないかと私は思う。衣食住が足りれば争いも減る訳だ」

 

 それでも、非魔法族と同様、過去の魔法族の血の気が多かったのは明らかだ。十三世紀後半に始まった三大魔法学校対抗試合が、1792年まで続いた事はその一つである。

 但し魔法学校を中心として繰り広げられた家族、民族、国境を超えた数々の接触は、かつての血で血を洗う報復戦を終わらせ、穏健に殺し合う程度で済ませる事に貢献した。

 

「ただまあ」

 

 スティーブン・レッドフィールドは笑う。

 

「やはり伝統的で古臭い魔法使いとしては、気に入らないのは変わらないがね」

 

 深い嘲りと共に。

 

「魔法使いは個の内に籠るべきだ。種として先に行こうとするべきだ。闇にしろ、光にしろ。この国に神秘部とやらが在るのは唯一魔法省の活動の中で評価出来る。倫理も道徳も、世間も他人も関係無い。現状維持のみの組織への就職活動の為に魔法を用いるなど馬鹿げている」

 

 真理を探究すべきなのだ。真実を追求すべきなのだ。

 男は狂信と共に、断言する。

 

「ゲラート・グリンデルバルドには人を魅惑して止まない昏き華が有った。『名前を言ってはならない例のあの人』には人を焦がす堕落的な熱が有った。彼等は紛れも無く偉大だった。闇の中の闇、そう讃えられるに相応しき程の行いを為した」

 

 両者は全くもって方向性を異にする。

 けれども、何かを変えようとしたという点において――魔法を〝魔〟として扱い、単なる目的達成の手段に貶めようとしたという点において軸を一にする。それは現状維持を愛し、社会という物に興味を持たない従来の魔法使いとは絶対的に異質な在り方だ。

 

 しかし、彼等は違った。硬直した現状や伝統と訣別し、打破し、そしてこの現実世界を理想郷へと変革せんと立ち上がったのは確かであるのだ。魔法学校を創設し知識の火を広げた者達のように、その烽火を上げようとした彼等は間違いなく革命的な存在であった。

 

 そして、その点において、この男は彼等に対して敬意を抱いている。そのような存在に成れないのが解っているからこそ、その資質が自らに無い事を自覚するからこそ、その光に恋い焦がれている。

 

「――しかしまあ、何処の世界でも一番厄介なのは、チョロチョロ動き回る小悪党では無いかね?」

 

 

 

 

 

 シリウス・ブラック未だ捕まらず。

 塵紙の中の塵紙、『日刊予言者新聞』は最近、その報道に熱心だった。

 大量殺人犯である以上当然と言えば当然であるが、嬉々として報道している事が伝わる文面は如何な物か。そして、どうせならば昨年度のホグワーツ大量殺人未遂の際にその積極性を発揮して欲しかったが――今回は反権力である事を躊躇わないらしい。

 

 実際問題、隠し切れるものでも無かったのだろう。

 

 アズカバン脱獄という前代未聞の大事件である事もそうだが、シリウス・ブラックの犯罪内容がマグル大量殺人――つまり、国際機密保持法に抵触しかねない事項であるというのが問題だった。

 事は魔法界内部で収めきられる物では無く、非魔法界にも必然的に伝えなければならない類の物である。去年から伺える隠蔽具合から見るに、どちらか一方だったら隠蔽に走ったかもしれないが、両方セットだとバレた時に不味いと判断したのかもしれない。

 

 ただ、今の僕にとって最も問題であるのは、大量殺人犯が外を我が物顔で闊歩している事などではなく、勝手にリビングのソファーに座っている老人だった。

 

 その手には二階に置いていた筈の書籍――闇の一端を記した本をパラパラと捲っていた。隣には既に十冊が積み上げられているが、この老人はほんの十分程度でそれらに目を通し終えていた。どんな分野においても、この老人は規格外のようだった。

  

 しかし、老人が何処の場所でも自分の家のように振る舞いたがるのは何とかならないものか。ボケも大概にして欲しい。

 

「ふむ。良い機会じゃと思って確認してみたのじゃが、些か期待外れの面が有った事は否定出来んの」

 

 手元の本から視線を外して、老人は僕に向かって言う。

 僕はコーヒーを注いだカップをソファー前のテーブルに置き、老人と対面するように腰掛けた。勿論、そのカップは僕の側にだけしか置かなかった。非難と抗議の視線は当然のように切って捨てた。

 

「……ミネルバが魔法省でも見た事が無い代物と言っておったから相当の呪物が闇の工芸品かと危惧しておったが、実際の所、読んでみると余り大した事が無い物も多い」

「まあ、そうでしょうね。如何に混乱期とは言え、喋ったり動いたりするような()()()()()本を持ち込ませる程この国もザルでは無いでしょう」

 

 真の意味で危ない本も魔道具も、この家に無い。

 そもそも、この家には魔法的な防備が事実上零なのだ。特に母が死に、魔法族の未成年だけになった事が解り切っている以上、魔法的痕跡が漏れた時点で即警告(イエローカード)である。それにも拘わらず、そのような状況で未だに無罪放免であるという現実が、その事実を明確に語っている。マルフォイ家と違って、〝秘密の部屋〟は無いのだから。

 何より当時、僕は更に幼かった。如何に母が愛のスパルタ教育をしていたとしても、子供を危険物に近付けるのにも限度が有る。母は狂っていたが、生存本能を忘れる程には壊れてもいなかった。

 

 第一、この書籍の収集者達は、己が呪文を使う事自体には余り興味が無かった。

 魔法の〝あらゆる領域にわたって参照〟されうるような〝啓蒙と手引き〟の書の類の方が興味が有ったのは明らかである。

 

「……ただ、危険物も零でも無いようじゃがの」

 

 それはそうだろう。母は魔法的教育を受けておらず、必然識別する事も出来なかった。

 というか、動いたり、叫んだり、明らかに触れられなかったりする以外を殆ど丸ごとかっぱらって来たのだろうから、ごちゃごちゃなのも当然だった。

 

 ……嗚呼、そのような危ない本は、この家に一つだけ有った。

 

「三年生の教科書に、怪物的な怪物の本を指定した愚か者は誰なのです?」

「最近耳が遠くなってしまってのう」

「ベタな誤魔化しが過ぎますね」

 

 まあ、今年の教師が誰なのかは、その反応以前に想像が付いていた。

 交友関係からして彼女は間違いなくこの科目を選択するだろうと予測していたのだが、まさかその御本人が出て来るとは思っても居なかった。そして、そのような選択が大失敗であったという事も。下心で自分の道を選択してはならないという良い教訓である。

 

「貴方は魔法省を鬱陶しいと思っているようですが、統一した指導要綱を打ち立てるというのは、最低限度の教育水準を確保するという意味では価値がある。当たり外れが有るのはやむを得ないとしても、その差異が大きすぎては余りに不公平でしょう」

「その先生独自の知識や経験を教えるというのもまた教育では無いかね?」

「それはプラスアルファの話ですよ。ギルデロイ・ロックハートは何も教えなかったし、クィレナス・クィレル教授だって実技的な面では不足だった」

 

 そしてこの老人は、目的の為には生徒の教育を蔑ろにしがちだった。

 

「……というか、僕の個人的な遺産も新任教師についてもどうでも良いですが。さっさと用件を終えて帰ってくれませんか?」

 

 これ見よがしに溜息を吐いて見せるが、老人には全くもって堪えた様子は無い。

 忙しい筈の校長閣下は、僕へと嫌がらせをする為に時間を割く価値は見出しているようだった。

 

「つれないのう。老人に対して歓迎の一杯も出さぬとは」

「呼んでもない上に、事前に連絡も無いのにも拘わらず、中に入れている自体で十分歓迎しているものだと理解して欲しいものですけどね」

 

 ただ、文句を言いながらも、老人は杖を振ろうとしなかった。

 

 この家で魔法を使える人間は未成年の僕だけしか残っていないからでは無いだろう。

 別に魔法省に魔法の行使が知られると言っても、それがそのまま違反行為として認定される訳では無い。予め話を通しておけば、少しばかりの話合いをする程度の時間ならば見逃してくれる――そうで無ければ、入学に際して教授が魔法を見せる事が出来ない――に違いない。

 

 まして、この老人はアルバス・ダンブルドアなのだ。

 個人的な事情であれ、口利きをして貰おうと思えば簡単に為せた筈である。それを可能にする程度には、この老人は地位と名声を保持しており、権力を有していた。

 

 けれども、それを今回は老人は自制したのだろう。

 そしてまた、僕もその事については賛同出来る。無用なリスクを犯さないで済むのであれば、それに越した事は無いに違いないのだから。

 

「……しかし、君はこの家に魔法的な護りをする気はやはり無いのじゃの」

「それは終わった話の筈ですがね」

 

 少し――つまり、それが外見に現れるという事はかなり、だ――不愉快そうな表情を浮かべながら、老人は皮肉を言う。けれども、それは既に話が終わった事だった。

 

 何も無い方が解りやすくて良いのだ。

 泥棒を防ぐ為に鍵は閉めるが、それ以上をする気など更々無い。

 

 そもそもの話、闇の帝王が本気で僕を狙ってくれば、僕はどうしようも無い。僕がアルバス・ダンブルドアに永久に勝てないであろう事と同様、それと同等の存在相手にはやはり永遠に何も出来はしないのだ。多少魔法的防備をするだけで闇の帝王を防げるのであれば、前回の魔法戦争であれ程人は死んで居ない。

 

 この老人から学んでいるのは、その危険を事前に避ける為の手札の一つに過ぎず、闇の帝王を殺す為の方法論では無い。そして、無駄な事を行う気もまた無い。狙われたらそれで()()()()。その覚悟ぐらいはしている。

 

 脚本を乱すような部外者は、速やかに排除されるべきなのだから。

 

「というか、僕の防備に文句を付ける位であれば、最も気を使わなければならない人物が居るでしょう。そちらの家庭訪問に行ってはどうですか?」

 

 僕がそう言えば、老人は痛い所を突かれたというように黙り込む。

 

「スリザリンの僕は今年何ら危険が無いと言って良い。いえ、四寮全部で、たった一人だけしか危険が無いと言っても過言では無い筈だ。よりにもよってシリウス・ブラック。裏切者にしてハリー・ポッターの両親の仇。そして、彼からしても、自ら闇の帝王の失墜を招いたという意味でやはり仇だ」

 

 魔法省から圧力でも掛かっているのか新聞は明示的に報道していないが、どんな馬鹿でもシリウス・ブラックが誰を狙っているかは容易に想像が付くだろう。

 ましてピーター・ペティグリューの英雄的な最後は、シリウス・ブラックが卓越した闇の魔法使いとしての資質を余計に輝かせている。

 

「死の呪文の難点は、原則として一発で一人しか殺せないという点です。それを非魔法族十二人と魔法族一人? 正直無茶が過ぎている。地下鉄の人混みの中なら兎も角、二人がさながら決闘のように向き合っていたとなれば猶更と言えるでしょうに」

 

 爆発呪文(コンフリンゴ)にしろ破砕呪文(ボンバーダ)にしろ、通常ではそのような殺傷力を持つものでは無い。大人の魔法使いで有っても同様である。

 非魔法族にはガス爆発という事で誤魔化したらしいが、僕としては()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とすら考えてしまう。

 

()()に聞きたいのですが、二人の魔法族が同時に魔法を撃ち合い、それが相乗効果を発揮して威力が増大するという事は?」

「……相変わらず悪どい考え方しかせぬの、君は。その答えはイエスじゃよ。生徒が協力して呪文を掛けた結果、教師をノックアウトしかけた事件は幾度か有った」

「別にピーター・ペティグリューが殺したとは言いませんよ。自分自身の生命の防衛の為に力を行使した結果、他人に被害を及ぼしたとしても、それは事故以外に言いようがない」

 

 そもそも彼は死んで居る。

 英雄的に死んだ者の過失を暴き立てた所で何も変わらない。

 

「それで、ハリー・ポッターの所に行く気は?」

「彼は魔法省によって、多くの闇祓いによって手厚く護られている。ホグワーツに来るまで、そしてホグワーツに来てからも、彼の護りは盤石じゃよ」

「僕が聞いているのは、アルバス・ダンブルドアが彼の所に行くかという話ですが」

 

 惚けた振りをする老人の言葉を正しく修正する。

 

 あの〝英雄〟が、真実を知った時に突っ込んで行かないとは限らない。

 無論の事、闇の帝王を打ち破った人間が高々シリウス・ブラック程度に敗北するとは思わないが、避けられるべきリスクというのは可能な限り避けるべきだ。そして、アルバス・ダンブルドアの言葉であれば、彼の歯止めとなるには十分だろう。あの〝英雄〟にとって、この老人は未だに頼りになる大人のままであるようだから。

 

 しかし――この老人はやはり行く気が無いようだった。

 

 僕の母と違って言葉を持っているのに、その機会が十二分に与えられているのに、彼は愛を与えようとしない。最期の最期に全てを与えれば良いという物でも無いのだ。その事に僕は大きな不満を抱いている訳では無いが、何も返せなかったという点で後悔は有った。

 

 そして、このような場合に老人が話を逸らすのは何時もの事であり、それは僕も良くやる事であるから、要するに御互い様であると言えた。

 

 ただ、老人の口から出て来た言葉は、些か驚くべき内容で有ったのは確かだった。

 

「今学年、吸魂鬼がホグワーツの警備を行う事になっておる」

「……それはまた。貴方が良く同意しましたね」

「せざるを得んじゃろう。政治的にも、実利的にも」

 

 この老人が、闇の生き物を嫌っているのは知っていた。

 

 それらを嫌う位ならば、完全に森番の遊び場となっている禁じられた森に棲む、ロクでもない生物達を駆除してから言ってくれと個人的には思うが、何にせよこの老人は本気で嫌悪していた。しかし、それで居て尚、受け容れざるを得なかったのが真実らしい。

 

 そして、解った事も有る。

 

「……あれ程夏休み末、僕の訓練を急いだのもそういう事ですか」

 

 来学期から本格的に訓練を始めるとか言いながら、この老人、ほぼ突貫で教育を行うような真似を行ってくれたのだ。特に夏休み末は酷いものだった。まさか休暇であるのに家に帰れないような事が有るとは思ってもみなかった。

 

 シリウス・ブラックの件で忙しい筈にも拘わらず、僕に関わって良いのかと危惧していたが、そういう事情で有れば仕方がなかったのだろう。吸魂鬼から生徒を護る事を考えれば、可能な限り身体を空けて置く必要があると感じたに違いない。

 

「それは儂も申し訳無かったと思うておるよ。大概荒っぽい訓練になってしまったのはの。ただ、君が良過ぎる生徒で有ったというのも悪いのじゃ」

「あれだけ心を粉々にされた甲斐が有ったようで何よりですよ」

 

 母達の事。父の事。ホグワーツでの事。

 僕の記憶を分類するとすれば殆どがそれだけでしかないが、それでも意外と内容が豊富で有る事に気付かされたものだ。心を暴かれるのは不愉快な事しか無いと思っていたが、自分でも覚えていないような些細な事を掘り返してくれるのは便利な物だった。

 

 特に、母の事については感謝すら抱ける程だ。母は僕の成長と反するように狂気と衰弱に堕ちて行ったのであり、逆に言えば、僕が殆ど覚えていない頃であれば、真面である時間もそれだけ多かったのだから。

 

「もっとも」

 

 老人の蒼い瞳が、僕と視線を合わせる。

 思わず身構えたが、老人は開心術を使わなかった。そして、身構えてしまった事こそが失敗だという事は、指摘されずとも解っていた。開心術が全てでは無いという事を知る程度には、この老人は長く人生を送っていた。

 

「君は未だ基礎を身に着けたに過ぎない。期間はそれなりに空くが、儂が今年の何回か――半年ぐらいの間は君を見続けよう。後は独学じゃな。努力を怠らなければ……これから四年もすれば、一端の閉心術士を名乗る事が出来るじゃろう」

「……先は長いですね」

 

 解っていたが、そう簡単な道程では無いらしい。

 しかし、力が抜ける僕に返って来たのは呆れの色を含んだ苦笑だった。

 

「儂の〝一端〟の基準を君は軽く考えておるようじゃな。そこまで行き着けば、服従や磔の呪文を併用してすらも、容易に心の奥底に秘めた内容を暴けはせぬよ。儂が知る限り、ホグワーツ卒業前にそこまで達した生徒は居らぬ。君の偉大なスリザリンの生徒でさえもじゃ」

 

 それは寮監、では無いのだろう。

 去年は聞きもしなかったが、それが誰なのかは解っている。この老人が度々話題に出し、一種の警戒を抱き続けていたそのスリザリン生は、在学中の闇の帝王以外に有り得なかった。

 

「丁度良いから今後の事を話すが、儂の都合により夏休み中に無理をしたせいで、そして君が優秀な生徒で有った御蔭で、少しばかり時間が空いたと言って良い。君が希望するならば、他に多少の手解きをするのも吝かでは無いが?」

「……結構ですよ。吸魂鬼に時間を割く為に時間を空けた以上、その余裕はやはり本来の目的の為に用いるべきでしょう」

 

 要らない親切心を発揮する老人に、当然僕は断りの言葉を述べる。

 

「貴方に教わるべきでは無いのだとつくづく実感しましたよ。正確には貴方の指導、いえ力を独占すべきでは無いというべきですか。貴方は少しばかり魔法が上手過ぎる」

 

 相性云々以前に、この老人は余りに何でも出来過ぎた。

 

 今でも同意しかねるが、今回教わる内に、この老人が権力を望まないという気持ちが解らないでもなかった。

 

 強過ぎ、そして賢過ぎる彼は、己の望みを――少なくとも大局的観点では――殆ど全てを叶える事が出来てしまう。だからこそ、誰よりも深刻に己の力を縛る事の意味を、必要性を痛感してしまうのだろう。そして何よりも最悪なのは、彼が校長にまで昇ってしまった事から解る通り、彼がその態度を一貫出来る程には強くないという事であった。

 

 どっちつかずの状況に置いておくには諸刃となる駒であり。

 どっちつかずで無くなればこれ程までに頼もしい駒もまた無かった。

 

 そして、今学期は後者の状況であるのは間違いなかった。

 己の生徒が吸魂鬼によって生きているとも死んでいるともつかない状況になる事を、この老人は絶対に許容しない。去年のバジリスクと違い、今年のそれは回復不可能な傷害なのだから。

 

「君は守護霊の呪文を儂から教わろうとは思わないのかね? 君が覚えて居れば、儂も多少安心が出来るし、役立つような場面も想定出来るのじゃが」

「……そのような状況に陥らないようにするのが、貴方がたの仕事でしょうに」

 

 苦々しい思いを抱えながら、僕は答える。

 

 流石のハーマイオニー・グレンジャーも、数百体の吸魂鬼に立ち向かっていくような状況には陥らないだろう。というか、普通はその時点で死ぬ。それをひっくり返せるのは、闇の帝王を二度も打ち破った〝英雄〟殿くらいだろう。

 

 そもそもの話、僕は守護霊の呪文について余り価値を見出していない。

 

「吸魂鬼やレシフォールドにしか通用しない汎用性の低い呪文は、僕にとって余り心惹かれる物では有りませんよ。今学期に必要になるかもしれないのを置いておけば、それを使う状況は酷く限られる。そのような非効率的な行為をする位で有れば、他の有用そうな呪文を覚えますよ」

 

 気軽に覚えられるのであれば学びもしようとは思うが、O.W.Lを遥かに超える難易度ともあればおいそれとは手を出す気にはならない。人の可処分時間は有限なのだ。

 

 それでも自分にとって価値が有ると思えばそうするが、一年以内に守護霊の呪文を使えるようになるというのは希望的観測が過ぎる。あの呪文の最も難しい所は、魔法それ自体ではなく、吸魂鬼の前という平静で居られない状況において創り上げる事なのだから。自分が覚えきる頃には全てが終わっているであろう事を考えれば、やはり価値を見出せない。

 

「ほう。しかし、あれは単に吸魂鬼達を追い払う為だけに使えるものでは無い。特に言葉を伝えるのには便利なのじゃよ」

「貴方の呪文の改造能力には驚嘆しますが。ただ、僕が誰に対して伝言を頼む用事が有るというんです?」

 

 冷ややかな僕の言葉に、老人も黙り込んだ。

 全くもって良い気味であるが、ただ、僕にも他の理由が無い訳では無かった。

 

「そもそも必殺技(吸魂鬼のキス)は別として、吸魂鬼の恐怖は耐えられない物では無いのでは? 嘘か真か知りませんが、闇の魔法使いが守護霊の呪文を唱えれば代わりに蛆虫が沸くのだという話も聞きますし、何より心が綺麗で無い魔法使いは守護霊が使えないという話の割には、この世界では闇の魔法使いが滅んでいる訳ではない」

 

 殺戮兵器は殺戮兵器として扱えば良い。

 要するに、守護霊を牧羊犬として吸魂鬼を追い立て、闇の魔法使い狩りに使えば良い。

 吸魂鬼達にとっても狭いアズカバンではなく、外で存分に運動が出来るのは喜ばしい事だろう。そのまま速やかに死刑執行に移れるという効率性も申し分ない。

 

 だというのに、魔法族はどうも要らない倫理観を発揮したがる――と非難したい所だが、結局それが実行に移されていないのは、闇の魔法使いにとって吸魂鬼が余り有効では無い、彼等には耐性が有るという一点に尽きるのだろう。

 

「そして吸魂鬼の被害にチョコレートが利くというのは有名ですが、カカオが西洋に持ち込まれたのは何時だと思っているんですか?」

 

 牢獄前のアズカバンが建設されたとされるのは、十五世紀頃。

 しかし、それもエクリジスという詳細不明の闇の大魔法使いが死に、その要塞の存在が魔法省に露見してからの事でしかない。つまり、吸魂鬼は、それより前にこの国に居た。

 

「カカオ豆をクリストファー・コロンブスが持ち帰り、エルナン・コルテスがチョコレート飲料に遭遇し、それから何年も経って宮廷に持ち込まれて初めて一般化した。そもそも、最も初めの用法は薬であり、甘くなかった訳ですし。

 ――そして何より一番の問題は、カカオにとって、この国は余りにも生きにくい」

 

 高温多雨を初めとして、生育条件は非常に限定されている。要するに、外から輸入しなければ、チョコレートなどは生産出来ないと考えるのは真っ当な論理というべきだろう。

 

 ただ老人は、僕の論調を多少面白がりながらも、出来の悪い生徒へ諭すかのように言った。

 

「ステファン。確かにそれは概ね正しいが、薬効が発見される事とそれが不可欠であるという事は等しくはない。また、魔法族はマグル社会と違い、新世界の発見よりも以前に向こう側の社会と繋がりが有った。そして何より、儂等は魔法使いなのじゃよ」

「……そう言えば、そうでしたね」

 

 カカオの生育に身命を賭す魔法使いなど余り想像できないが、居ても何ら変では無いのが魔法界であると言える。

 そもそも、蛙チョコレートの成分はカカオ(cocoa)ではなくクロアコア(Croakoa)という謎物質だった。この世界では非魔法界の常識を魔法界に適応できる部分とそう出来ない部分が有るが、これは後者の場合に他ならなかった。

 

「けれども、その様子では君は――」

「――アズカバンの運用に、賛同している。ええ、その通りですよ」

 

 使える物は使う。それに越した事は無いだろう。

 現状では、生きのいい餌をくれてやって大人しくして貰うというのは自身の安全の面からも最適であり、牢獄としての機能性から言っても文句は無い。

 

「しかし、あの生き物は、魔法省に対して忠実では無い。全くもって不愉快な生物じゃ」

「不愉快なのは否定しませんが、家畜に忠誠を求める程愚かな事は無いですよ。そして十八世紀前半のダモクレス・ロウル魔法大臣によってアズカバンが刑務所として生まれ変わった後、今まで脱獄は出来なかった。要はそれだけコストが安く済んできた」

「現状では、じゃよ。そしてガリオン金貨だけが物事のコストの尺度となる物ではない。あのような破壊的で冒涜的な行いは、一刻も早く止めるべきじゃ」

「ならば、やはり貴方が魔法大臣となって止めれば良い。他人に動きを期待するよりも先に、まずは自分が主導的に動く方が建設的だ」

「儂はその地位に就くつもりは無い。既に君にそう告げた筈じゃがの」

 

 平行線の議論に、僕は肩を竦める。

 そして、老人は立ち上がった。もっとも、僕はそれに対して言葉を投げ掛けた。

 

「……シリウス・ブラックは無罪だと?」

「君()そう思うかね?」

「……いえ、余り」

 

 とは言え、僕の家にわざわざ来たのは、それを聞く為だったのは他ならないのだろう。

 そんな事は誰にも言えまい。英雄的に死んだ若者の死を穢し、〝生き残った男の子〟の両親の仇であるような存在を庇うような台詞は。

 

 僕は先程ピーター・ペティグリューの死について一つの疑問を呈したが、この誰よりも賢きアルバス・ダンブルドアには当然念頭に有っただろう。この大魔法使いが僕と同じような事を考えない筈が無い。

 

 そしてこの老人であれば一度で十三人を粉々にする事(同じ事)が出来ない筈も無いが、それは相当な難事だと判断している筈だ。そしてこの老人は僕以上の情報――例えば教え子の力量、当時の死喰い人や魔法省の動きなど――を当然有している。色々と思う事が有るのだろう。特に、シリウス・ブラックが解き放たれた今となっては。

 

「……去年の問題はどうやって、だった。そして今年はどうして今、ですか」

 

 脱獄不可能の拷問刑務所、アズカバン。

 その中で十二、三年耐え切った、それも逃げおおせる程の正気を保ち続けた存在だ。しかも闇の帝王の蠢動に同調するように、という主張は成り立たない。一昨年の裏に闇の帝王の存在が有った事は公にされていないのだから。

 

 勿論、収容されている間ずっと脱獄を目論んで来て、そして今、偶々脱獄に成功したに過ぎない可能性もまた否定出来ない。

 しかし、やはりアルバス・ダンブルドアは、彼のみが有する諸々の事情を総合した結果、その可能性は小さくないと感じている。その確度を検証する為に、僕のような第三者に打ち明けてみせる程度には。

 

 だからこそ、僕は非難の言葉を当然述べる。

 

「……無罪の可能性が有ると思うならば、何故貴方は今まで何もしなかったんです? 闇の帝王失墜時に貴方は〝生き残った男の子〟の保護を筆頭に色々忙しかったのは解りますが、後から話を聞く事も出来た筈では?」

「簡単な話じゃ。儂に対して当時政治的な横槍が有り、そしてそれが無くなった時には既に取返しも付かない状況に陥ったと感じたからじゃ」

 

 僕は視線で先を求め、老人の蒼の瞳は返答するかのように燃え上がった。

 

「アズカバン。その最奥に一度でも閉じ込めた者が、まともに証言を出来ると思うかね? 錯乱や狂気に堕ちずに正気を保っていられると思うかね?」

「…………」

 

 成程、議論をここに持ってきたかったからこそ、老人は吸魂鬼の話を持ち出したのだ。

 

「君の言う通り、吸魂鬼に耐性を持つ者は存在する。闇との親和性が深まれば深まる程に、必然として魂は影響を受け難くなる。要は、落差じゃ。単に冷やすだけでは耐えられても、一度温めた後に冷やすのであれば、その物は酷く脆くなる」

「ならば、魔法族は善の生き物(light creature)を開発するべきですね。闇だけではバランスが悪いと思っていた。それが闇の帝王が蕩ける位であれば申し分無い」

 

 その冗談にアルバス・ダンブルドアは愉快そうに微笑み、しかし再度表情を引き締めた。

 

「心が善であれば善である程に、その冤罪は取り返しが付かなくなる。儂にはそのような事は許されるべきではないと思うし、それを齎す吸魂鬼は好まぬ」

「幾ら性根が腐っていようが、冤罪の価値に変わりはない。そして、それは見逃せるコストだ。後からでも取返しが付く事は去年送られた誰かで証明されている。他ならぬ彼も、ヒトである事には変わりないでしょう?」

 

 最後に付け加えた言葉に、老人は嫌そうに顔を歪めた。

 半巨人だから頑丈だ、なんて台詞は口が裂けても言えないのが、この老人の弱みだった。

 

「……シリウス・ブラックは、弁解も抗弁も許されず、まるで口封じされるかのようにアズカバンへと送られた。それは君の価値観に合うのかね?」

「謎が残る以上、吐かせるだけ吐かせて牢獄送りにするのが筋でしょう。牢獄送りにするのは、服従の呪文に掛けられていたという妄言が出てからでも遅くない」

「であるならば、彼への処遇において賛同出来ない。それは儂等の共通理解かの」

「吸魂鬼もですよ。現状での有用性を認める事と、将来への禍根を憂う事は両立しうる。彼等を滅ぼす方法が有るのなら、僕は当然賛同しますよ」

「宜しい。――最初の授業は、学期が始まってから三週目の土曜日じゃ。校長室へと赴く為の方法は、また追って知らせる」

 

 それだけを言い捨てて、老人はローブを翻して中空へと消え失せた。

 何が起こったかは考えるまでも無い。ここまで一貫して杖を使わないでおいたのは、最後の最後でこれをやる為であったのだろう。

 

「……全く、嫌がらせの上手い老人だ」

 

 当然の事ながら、『未成年魔法使いの妥当な制限による法令』に基づく警告など来ないだろう。そして、魔法省はこの魔法の行使自体を把握していないに違いない。

 

 今世紀で最も偉大な魔法使いというのは伊達では無いのだから。




・テオブロミン
 犬などにチョコレートを食べさせてはいけないというアレ。

・未成年魔法使いの妥当な制限による法令
 アルバス・ダンブルドアは、スラグホーンの勧誘の為ハリーを連れて行くに際しダーズリー家において魔法を行使しているが(六巻・第三章)、それが咎められた様子は無い。
 魔法省に話を通しているか、或いはそもそも察知されないのかは不明であるが、裏を返せばこの法規の拘束力は、権力者の都合によってどうにでもなる程度のものであるようにも思える。


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鉤爪、少女、犬

 毎年毎年、ホグワーツの教育体制に疑問を抱くのは恒例行事だった。

 

 二年連続外れで有り、しかも去年に至っては教育の体を為していなかった闇の魔術に対する防衛術の科目は、今年は間違いなく当たりと言って良いようだった。

 

 グリフィンドール出身であり、尚且つスネイプ寮監が嫌悪感を示しているのが丸分かりであったから、スリザリン内でリーマス・ルーピン教授を褒め称える者は皆無である。

 しかし、彼の授業が闇の魔術に対する防衛術の模範的授業で有った事を疑う者は、少なくとも彼の授業を受けられた者であれば存在しないと言って良い。それは、ボガートを使った授業において多少のトラブルが発生した今学年のスリザリンにおいてでも、である。

 講義内容もそうだが、彼の生徒への教え方には工夫と配慮が有り、スリザリンが文句を付けられる所と言えば、彼のローブが何時見ても襤褸切れめいている点くらいだった。

 

 翻って、今年の魔法生物飼育学は完全な大外れだった。

 

 噂に聞く占い学も相当酷いらしいが、自分が受けていない科目が駄目であろうと知った事では無かった。そして個人的には、それすらも上回るだろう酷さである事を確信していた。

 向こうは生徒を教えようとする事がどういう事かを理解しているが――とはいえ、ハーマイオニー・グレンジャーの言葉を聞く限り、少しばかり怪しい感じもする――魔法生物飼育学の方は、自分と生徒が同じ生物であると勘違いしているようだった。

 

 教科書に怪物的な怪物の本を指定してみせた事からもそれは明らかである。

 

 アレの御し方は撫でれば良いという事らしいが、暴れ回る猛獣に等しいあの本を素手で撫で付けられる者など限られているのだ。半巨人並みの怪力を持っているならば別だが、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の店長ですら苦戦していた以上、そのような存在を生徒に対して期待しては行けない事など解り切った話だった。もっとも、それをルビウス・ハグリッドという男は理解して居なかったのであるが。

 

 ただ、怒れるハーマイオニー・グレンジャーはそれを多少失念しているらしい。

 グリフィンドールは友人に対しては酷く盲目的になる所が有る。とはいえ、彼等は、スリザリンが友人を有していないだけだろうと反論するに違いないだろうが。

 

「まったく、マルフォイの奴ったら……! みっともないったらありゃしないわ……!」

 

 図書室(マダム・ピンスの縄張り)である為に小声では有るものの、確かな苛立ちと共に彼女は言う。

 

 まあ、僕も反論はするまい。

 僕はドラコ・マルフォイという個人に対して寧ろ好意を抱いていると言って良いが、さりとて時折見せる愚かさというのには余り賛同出来なかった。

 

 つまるところ、何の毒性も無いヒッポグリフの鉤爪による傷が直ぐ治療出来ないなどというのは、自分は真っ当な〝癒者〟に掛かる事も出来ないと言っているような物である。人を陥れるにしても、もっと効率的で的確な手段を用いて欲しくあった。

 

「スネイプもスネイプよ! 何事も無いと解ってる癖に、あんなに過保護にしちゃって! 三歳児に対する親の方がまだ厳しいと思えるくらいだわ!」

 

 そして、収まらない彼女の怒りは寮監に飛び火した。

 しかもその愚痴が止まる様子も無い。ドラコ・マルフォイへの贔屓に始まり、自身を完全に無視する態度など、口を開けばキリがないらしかった。

 

 こちらもまあ、彼女達には彼女達の言い分が妥当である面も否定出来なかった。

 

 寮監の態度に、多少の理由が有るのは解っている。

 というより、元死喰い人でいながら、アルバス・ダンブルドアとの一定の信頼関係を築いている時点で訳アリ以外に有り得ない。

 

 けれども一方で、客観的観点からして、寮監のそれが過剰であるのも事実なのだ。

 悪の魔法薬学教授として振る舞うだけならば、あそこまで露骨な憎悪を示す必要は無かったし、スリザリンに対する過度な贔屓も不要な筈であった。

 

 要するに、寮監は何処からどう見ても個人の感情の下にその地位を濫用しているのであり――しかも、質の悪い事に、寮監をその立場に置いている事に一応の負い目を感じて居るらしいあの老人は、それを咎めはしなかった。だからこそ、僕は寮監を教授として敬意を払えないのであり、老人も同じ理由で好きになれないのだった。

 

 ただ、寮監としても、彼等に、そして僕にも好かれようとは断じて思ってはいまい。

 特に、ハリー・ポッターから好意を得る位で有ったら死を選ぶのでは無いかという位に、寮監は彼を嫌っていた。であれば、互いに憎悪を向け合い、罵倒し合う関係は、それはそれである意味健全な形であると言えるのだろう。いずれの人間にも、相手を嫌う権利は与えられている筈なのだから。

 

 しかし、彼女が有る程度愚痴を吐き出した後、僕は彼女の言葉を全否定しないまでも、一言付け加える事は忘れなかった。

 

「君がそのようにスネイプ寮監を嫌うのも至極真っ当だが。さりとて、寮監は魔法薬学教授としての最低限の矜持は喪っていないだろう」

 

 そしてそのような言葉がハーマイオニー・グレンジャーに受け入れられない事は解っていた。

 本の向こう側から覗くのは、唇を軽く噛み、明らかに不満そうな表情。

 

「貴方が単に自分の寮の寮監を擁護したいのだと思ってはいないけれど、その感想には断じて賛成出来ないわ」

 

 少しばかり乱雑に本のページを捲りながら、彼女は続ける。

 

「スネイプが不愉快で無かった事はないわ。何せ私が提出する宿題や課題に対して、スネイプは毎回毎回ネチネチネチネチとした評価しか返さないもの。ハリーやロンの評価もボロクソだけど、私に対する物は余りにも細か過ぎるのよ。何処の教科書を探しても載ってなくて、論文を漁る羽目になるのもしょっちゅうだし」

「……まあ、あの寮監のやりそうな事では有るが。しかし聞くが、君への寮監の指摘が一度でも間違っていた事は?」

「そう考えた事は何度も。あの人の指摘は我流のものが多過ぎるわ」

「結論だけを端的に」

「…………無いわ」

「だろう?」

 

 不承不承頷く学年一の秀才に、更に言葉を付け足す。

 

「もっと言えば、君はこの二年間、学年一の立場を喪っていない」

 

 まあ去年は秘密の部屋騒ぎで学年末試験が開催されなかったのだが、それは彼女が王座から陥落した事を意味はしまい。寧ろ、学年を通して彼女はますます優秀性を見せつけていたと言えた。

 

「……言いたい事は解るわよ。普段の評価や態度がどうあれ、少なくとも最終成績では、スネイプは理不尽な減点をしなかった。頭では理解しているつもりだわ」

 

 普段は私怨の下に普通に減点しているようなのもどうかと思うが、恐らく記録上においては、ハーマイオニー・グレンジャーの魔法薬学の成績は一切の瑕疵が無いトップなのだろう。

 たとえお気に入りのドラコ・マルフォイであっても──彼は僕よりも明らかに才能が有る──魔法薬学において彼女以上の成績を付ける事は、彼自身が許しはしない。態度として教師失格では有っても、彼は教師としての自負や誇りが無い訳では無かった。

 

 もっとも、彼女から真に同意を得ようとは思って居なかったし、僕が寮監を敢えて擁護したのは別の意図が有ったからだ。

 

「君が寮監を教授失格だと非難するのは勝手だが、それを踏まえてルビウス・ハグリッドの初回授業を思い返してみると良い」

 

 僕の言葉で苦々しい顔に変わったのは、彼女自身、あれが大失敗であった事を明確に理解しているからか。

 

「……アレは、その、ちょっと舞い上がり過ぎただけよ。何より、あんな事になったのは、マルフォイが余計な事をしたからだわ」

 

 確かに、ルビウス・ハグリッドは警告した。

 それを破ったドラコ・マルフォイは自業自得な面が無いでもないが。

 

「〝マグル〟の常識で考えてみてくれ。動物園の調教師によって〝間違いなく〟良く躾けられたライオンを、鎖無しで year 9 の学生の前に連れて来る教師を、君はどう思う?」

「…………」

「答えられないならば、歯医者である君の両親に聞いてみたらどうだ?」

「……結構よ。それこそ頭で理解しているつもりだもの」

 

 魔法界の常識的に言えば、マルフォイの怪我は大した事は無い。

 だが、それはあくまで魔法界的に、だ。マグル界でどう考えられるかなんて言うまでもない。もっとも、〝マグル生まれ〟の才女ハーマイオニー・グレンジャーであっても、二年も経てば魔法界の常識に染まる事からは逃れられないらしかった。

 

 ただ、ここはやはり非魔法界では無く、魔法界であるのは事実だ。その点において、彼女が完全に間違っている訳でも無い。

 

「……まあ、彼がクビにはなる事は有るまい。彼本人については、今回は警告が精々だ」

 

 僕の言葉に強い確信が含まれている事が伝わったのだろう、彼女は本から視線を上げ、上目遣いで僕へと説明を求めてくる。その彼女に、僕は視線を本へと落としながら言った。

 

「簡単な事だ。魔法魔術学校でたかが腕一本を怪我した程度で職員をクビにしてしまっては、誰も職員が居なくなってしまうだろう? 呪文学や魔法薬学なんて危険と隣り合わせの授業であるし、十七歳から習得が始まる姿現しなんて危険の最たるものだ」

 

 授業以外で生徒一人を骨抜きにした去年のギルデロイ・ロックハートは論外だが、魔法は高度になればなる程に、それが齎す結果も重大な物になる。

 

 三年でヒッポグリフは多少過激だが、適切な注意を払えば不適当とも言えないだろう。

 単なるyear 9の子供に対してライオンは不適当だが、ここは魔法魔術学校で有り、またここに居るのは普通の子供では無く魔法を扱う事を学ぶ生徒であるのだ。

 

 つまり、敢えて言うならば、多くの生徒の前に一遍に十数頭も連れて来た事こそが大問題だった。ヒッポグリフを挑発する愚か者が出る位は当然想定して然るべきであり、万一の為に監督しきれないような状況を作った事こそ責められるべきであると言える。

 

「じゃあ、ハグリッドが辞めさせられはしないって事?」

「断言はしないが、恐らくな。流石に聖マンゴに長期入院する程ならば責任を取る必要も有るだろうが、腕一本でクビになるという先例の作成は、誰で有っても望みはしまい」

 

 次は自分もそうなるかもしれない、という可能性の恐ろしさを理解出来ない程に大人達は愚かでは有るまい。それは、ルビウス・ハグリッドの指導方針や彼に対する好悪とは、全く別次元の問題であると言えた。

 

 ただ、まあ――

 

「……貴方は残念そうね」

 

 彼女の言葉は、多少の非難を含んでいた。

 そして、僕は否定せず軽く肩を竦めた。彼女に対して全くもって思ってもみない事を述べるのは困難であったし、別に隠す事でも無かった。

 

「貴方の性格的にはマルフォイの肩を決して持ちそうにも無いと思ってたけど、彼の方針に賛同するって訳? ヒッポグリフを連れて来たハグリッドが教師失格だと思ってるの?」

「言った筈だ。彼がその点でクビになる事は無いだろうと。僕はその点についてそれ以上非難する気は無いさ。つまり、ヒッポグリフ自体は問題では無い」

「? じゃあ何?」

「君はその後の授業を見て、何も思わないと言うのか?」

「――――」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーの沈黙こそが、答えを雄弁に物語る。

 

 前回の授業。それは、レタス喰い虫の育成だった。その難易度など論ずるに値しない。

 わざわざ魔法魔術学校に来て、しかも選択授業の一つを潰してまで学ぶのがレタスの刻み方と食べさせ方ともなれば、文句を言いたくもなる。

 

「別に私的な事情で沈み込むのは構わないさ。ただ、ここはルビウス・ハグリッドの遊び場じゃない。生徒に対して魔法生物の事を教える場だ。感情に振り回される前に最低限の仕事は果たして欲しいと、真っ当な教育を受けたいと思うのは奇妙な事だろうか?」

 

 ルビウス・ハグリッドが教師としては絶望的に向いてないだろうという感想を僕は持っているが、彼がその分野について一つの専門家である事は否定しまい。

 セストラルをあれ程大量に飼育し、また失敗は有ったとは言えヒッポグリフを制御してみせる――しかも、その興奮に当てられて他のヒッポグリフが暴れるような真似をさせなかった――人間だ。だからこそ、怪物的な怪物の本を指定されて尚、僕は彼に一縷の望みを抱き、そして初回ではそれなりに心躍り、しかし結局は裏切られている。

 

「まあ、一回で愚痴愚痴言い続けはしないが。それでも次も同様の授業が続くのであれば、ルビウス・ハグリッドがクビになるような機会には諸手を上げて賛同したいと考えてしまう程度にはうんざりしている」

 

 魔法界は余りに教育について無頓着過ぎではないか、と思う。

 

 大多数の生徒は楽な授業が続く事について文句を言いはしないだろうが、そうで在ってはならないと考えるべきが大人だろう。

 特に、魔法界が現状維持を――非魔法界からの魔法の隠蔽を続けたいならば、魔法界の存在をバラしかねない魔法生物に対する知識は必要不可欠だろうに。スウェーデンとチベットによる常習的な国際機密保持法第73条違反は国際問題の筈であり、ヒッポグリフと言えば、毎日隠蔽呪文(Disillusionment Charm)を掛ければその下でも合法に飼育が許される程度の魔法生物でしかないのだから。

 

 そんな思いと共に言えば、ハーマイオニー・グレンジャーは盛大に顔を引き攣らせていた。

 

「……えっと、それは止めて頂戴。絶対に。本気で。何が有っても」

 

 高く積まれた本の合間を縫って顔を近付けながら言う彼女に、僕は溜息を吐いた。

 

「……君は僕を本当に何だと思っているんだ」

 

 別にそう思うだけで、実現する力など何も無い。

 

 僕の賛同など吹けば飛ぶものであり、そもそもルシウス・マルフォイ氏も当然ながらルビウス・ハグリッドの辞職について動いている筈である。

 あの老人への嫌がらせ以上に、息子が殺され掛けて――その状況を作り出したのがルビウス・ハグリッドであるという点を無視すれば、普通の魔法生物飼育学教授ではそこまで行っても不自然では無かった――黙って居られる親など居まい。

 

 そして、そのような怒れる権力者にして息子を強く愛する父親で有っても、ルビウス・ハグリッドをクビにまでは追い込めまい。それはやはり確信であると言えた。

 

 けれども、ハーマイオニー・グレンジャーは、僕が望めばそれを実現出来るのだと、心の底から信じてしまっているようだった。

 

「だって、貴方ならば出来そうな気がするもの。一昨年だって、貴方は自分で殆ど動かないままにダンブルドア校長からの加点を勝ち取ったわ。そして去年だって――」

 

 そこまで言って、彼女は軽く首を横に振った。

 追求して貰っても構わなかった。寧ろ、そうして欲しいとすら思っていた。だが、彼女は僕を楽にしてくれる気は無いようであり、そしてまた、僕には彼女に嫌われるだけの勇気が未だ無かった。

 

 あからさまに話題を変えた言葉は、しかし親身な表情と共に紡がれた。

 

「貴方の悪評――というか、噂を聞いた事が有るかしら?」

「評判?」

 

 ホグワーツにおける僕の社会は狭い。

 授業に関する内容や学内での伝達以外では、殆ど私的な会話をしないと言って良い。

 談話室で不可避的に――というか、その為に嫌な顔をされつつも談話室に居座っているのだが――入ってくる噂話だけで、それも些細な物ばかりだ。それでも、自分の悪評や侮蔑は良く聞きはするが、彼女が言っているのはそういう事じゃないらしかった。

 

「最近の貴方の噂は、去年、正確には一昨年だけど、あの賢者の石の後より凄い事になってるわ。その事も蒸し返されて、貴方が誰よりも闇の魔術に通じているというのは、最早事実みたいに語られてるし。一体全体、貴方は何をしたの?」

「……あー、まあ多少の心当たりが無い訳でもないが」

 

 僕にとって当然の対応だったが、それが悪かったのだろう。

 少なからずスリザリン生にも衝撃を与えた一件は、スリザリンが口を噤んだ為に噂だけが先行した結果、他寮には誇大された形で伝わって居るらしい。

 

「しかし、噂は噂だ。確かに闇の魔術は少しばかり人より多く知っているのは事実だが、別に使えはしないし、新しく闇の魔術を創る才能もまた無い。才能だけ言えば、僕はセオドール・ノットの足元にも及ばないだろう」

「ノットって……ああ、あの嫌な感じな人ね」

「君が嫌な感じを覚えないスリザリン生が居るのか?」

「そうね。そんな人は居なかったわ。私の目の前に居る誰かさんなんて特に最悪よ」

 

 彼女の言葉はさておき、最も優秀で卓越したスリザリン生がセオドール・ノット以外に有り得ない事は、最早誰の眼にも明らかだった。

 

 かの一匹狼は、或る意味でハーマイオニー・グレンジャーより頭が良い。

 成績の面では彼女に圧倒的に及ばなくとも、創意工夫という点においては群を抜いていた。政治力や指導力で他を動かせる器がハーマイオニー・グレンジャーであるとすれば、セオドール・ノットは自身の能力のみで他を動かせる器だろう。

 

 そして、僕はセオドール・ノットに及ばない。当然ながら、ハーマイオニー・グレンジャーにも。絶対的に負けるという程に謙遜はしないが、それでも学問の分野において、僕は己が彼女達より劣る事を明確に自覚していた。

 

 そんな内心を知ってか知らずか、彼女は続ける。

 

「兎も角、貴方は少し注意した方が良いわ。貴方がその程度で動じないのは賢者の石の一件を乗り越えた時に解っていたけど、悪評ばかり有り過ぎてもロクな事にならないわよ」

「気を付けてどうこうなるものでは無いと思うが、善処しよう」

 

 正直言って、ドラコ・マルフォイに眼を付けられる以前に戻らないとどうにもなりはしないように思えるが、一応努力するだけならタダだった。

 僕の言葉に満足そうに頷き、そしてハーマイオニー・グレンジャーは言った。

 

「解ったわ。確かに前回の授業は或る意味ヒッポグリフの時より大失敗だったし、ハグリッドがクビにならないにしても、初回……と二回目以外はちゃんと授業をやっている事は、処分を軽くする理由にはなるでしょう」

「……待て。君は、一体何を言っている」

「決まっているわ。ハグリッドの手助けをするのよ」

 

 堂々と生徒が教授に干渉する宣言をした彼女に、思わず深く溜息を吐いてしまう。

 

 別に僕はハーマイオニー・グレンジャーにそうする事を求めた訳では無かった。

 自学自習が必要なら必要で、割り切るという気持ちは有った。一昨年と去年の闇の魔術に対する防衛術はそうだったのだ。失望はすれども、元々魔法界の大人に――あの老人が君臨する魔法魔術学校に対して余り希望を持ってはいない。期待する事もまた、辞められそうにないのだが。

 

 けれども、彼女の意思は既に硬いようだった。

 

「まずはハグリッドに聞かなきゃね。ホグワーツにどんな魔法生物が居るか解らない訳だし。それによってカリキュラムも変わってくるわ」

 

 俄然やる気を出し始めたハーマイオニー・グレンジャーを止められない事は解っていた。

 彼女は酷く失敗を恐れる割には小さく纏まる事を嫌い、多くの物事に対して興味や関心を示す傾向が有り過ぎた。それは彼女の魅力でも有ったが、やはり欠点でも有るのだろう。

 多くを抱え込み過ぎてパンクしなければ良いのだが、とつくづく思う。まして、これから本来彼女にしたかった忠告をするともなれば猶更だ。

 

「その意気込みに水を差したくは無いのだが、君が真に取り組むべきはその事ではない。僕はハグリッドがクビにはならないだろうと言ったが、他に処分を受けないとも言っていない。寧ろ、君にとってはそちらの方が問題だろう」

「……え?」

 

 あふれ出る意欲を表すように拳を握り締めた格好のまま、彼女は硬直する。

 

「君は魔法族の魔法生物に対する認識が甘過ぎるという事だ。ヒト以外に対して、魔法族は歴史的に冷淡だ。それは長きに渡る血で血を洗う戦争の結果でも有る。まああの歴史学教授の無味乾燥な読経では感じ取りにくいだろうが」

 

 その言葉で伝わっていない雰囲気を感じ、僕は更に言葉を付け加えた。

 

「つまり、人狼であれ、トロールであれ、魔法族を害するヒト以外については酷く敏感だという事だ。短絡的に即時の駆除が間違いなく正当だと考えてしまう程に」

「人狼には脱狼薬が発明されている現在では必ずしもヒトに危険と言えないし、トロールがヒト以外かも議論が──バックビークが処刑されちゃうって事?」

「それがあのヒッポグリフの名前ならば、そうだろうな」

 

 声高な反論を途中で止め、それまでと違って囁くような声で為された言葉に、僕は頷きを返す事で答えとした。

 

「……っ。で、でも、バックビークは賢いわ。何の理由も無くヒトを傷付ける事はない程に。アレにはマルフォイにも責任が有ったでしょう?」

「ドラコ・マルフォイの行いが、スリザリンらしさを忘れたもので有ったのは確かだが。しかし、ヒトとヒト以外は対等では無い。理由はどうあれ、ヒッポグリフは()()()ヒトを傷付けた。付け加えるに、それを防ぐべき管理者は止められなかった」

 

 まあ、腕一本を傷付けるだけで止め切ったのは流石であると言えた。

 怒れるヒッポグリフをその程度で御しきったのだと聞いて驚かない人間は、それなりに少数派である事だろう。寧ろ、拍手喝采する人間の方が多そうだ。それはルビウス・ハグリッドの確かな実力を示すものであり、自身への手酷い侮辱を我慢させる程に、ヒッポグリフと間に確固たる信頼を築いていた証であると言っても良い。

 

「それとも、ルビウス・ハグリッドが責任を取って辞任するか? 非魔法族的で有るが、魔法族的にも理解は出来る。ルシウス・マルフォイ氏も一応の妥協点として矛を収める可能性は高い。彼は政治を理解している」

 

 その事について、裏の事情が有る事を僕は告げなかった。

 

 彼の生まれも背景に有るのだというのは、ハーマイオニー・グレンジャーに更に余計な心労を負担させるに他ならないと感じて居たからだ。

 確信を得たのは閉心術の訓練中アルバス・ダンブルドアに婉曲的に確認したからだったが、あの老人とて僕が殆どそうであると考えていたからこそ認めたに過ぎない。

 骨生え薬や魔法の失敗などの議論が罷り通っているが、人間をどう改良してもゴリラには成れないのだ。家畜の肉の暴食やプロテイン、或いはドーピングと筋力トレーニング無しで、彼等はその隆々たる肉体を維持している。それと同じだ。

 

 彼は生物としての規格が違う。人間に留まるものでは無い。

 であれば、何との子供であるかの想像は至極単純な物であると言える。

 

 そして、そのような彼の追放は、ルシウス・マルフォイ氏に大きな満足を齎すだろう。純血主義者は、ヒト以外についても侮蔑する傾向が強い。

 

「ハグリッドが辞める……? でも、それは……」

 

 彼女にとって、それもまた受け入れがたい提案なのだろう。

 

 話を聞いている限り、ルビウス・ハグリッドは彼女に――彼女達にとって、教師というよりも友人という関係に近しかった。

 ただ、そうであるからこそ、やはり残酷な現実は正確に把握しておかなければならない。

 

「アレも嫌、コレも嫌ではどうにもならない。教師の不注意により生徒が魔法生物に傷付けられたというのは事実であり、彼等が為そうとしている事は、法律を大きく曲げるような行いでも無い。それを阻もうとするのであれば、まず君は分が悪い事を認識する必要が有る」

 

 それでも納得が行かなそうなのは、ハーマイオニー・グレンジャーも、グリフィンドールだという事なのだろう。

 

 彼女は己の思い描く正義が、社会の正義と一致する事を何ら疑っていない。

 だからこそ、彼等は自惚れた行動に出る事が出来る。スリザリンも身内大事という点で変わりは無いが、しかし自身が社会規範から逸脱している事位は理解出来るのだ。それ故に、狡知と機智をもって、規則や社会に対応しようとするのだから。

 

 けれども、僕は彼女を過度に困らせるつもりもまた無かった。それがどんなに遺憾で有っても、自らに手間を掛ける事になっても、許容出来ない訳では無い。

 

「……僕は言った筈だ。君がすべき事は、授業を改善させる事では無いと」

「えっと……。バックビークの処刑を避ける為に、私に出来る事が有るって事?」

 

 その通りだと、頷いて見せる。

 

「法的には、今回の事件の被告になるのはヒッポグリフ――つまり、裁判手続も、処刑手続も、そのヒッポグリフを名宛人として為される筈だ。言ってみれば、ルビウス・ハグリッドは部外者だ。だからこそ、彼がクビに成り得ないのでも有るが。つまり、責任を第一に負うべき他に当事者というのが居る訳だし、身代わりを許すのはナンセンスだ」

「……魔法界では随分奇妙な事をやるのね。ああ、そう言えば動物裁判(animal trial)というのを聞いた事が有るわ。中世時代の、古臭い馬鹿げた風習だったかしら」

「本当に馬鹿げているかは同意しかねるがな。それはまあ良いだろう」

 

 非魔法族の中の法で、動物は〝物〟でしか無い。

 つまり自身と対等の一個の人格として尊重せず、劣後する者として見下している。

 動物には刑法も民法も適用されないし、仮にペットが人を殺したからと言って屠殺請求権など許されず、精々飼い主が補償金を払って終わりである。万一、その飼い主に過失も何も無ければ、遺族は満足に金すら受け取れず、単に泣き寝入りするしかない。

 

 勿論、非魔法族の世界ではライオンや虎をペットに買うという事はしないから左程問題は生じないが、さりとて奥山における事故は普通に有り、街中ですら動物園という環境が有る。その中で都合の良い理屈を振り翳して、一方的に殺すという事は普通に行われている。

 

 古来より、民の権利は貴族のような権力者によって一方的に蹂躙されてきた。

 それを守護する存在として登場してきたのが適正手続であり、()()()()()()()()()()()()運営される裁判手続である。ならば、人の傲慢により殺される事を防ぐ為に、同じ世界に生きる対等な〝者〟達へとそれらを適用しようとした行いを、どうして馬鹿げた話であると切って捨てる事が出来ようか。

 

 ただ、それを語った所でハーマイオニー・グレンジャーには理解して貰えまい。

 そして恐らく、非魔法族の法感覚や倫理感としては、彼女の方が絶対的に正しい。

 

「ともあれ、君はその馬鹿げた風習に従わなければならない。現行法はそうだし、法を是正する力も時間も無い。そして、無罪――は、ヒトを傷害した事実が存在する以上難しいだろうが、追放か、或いはそれが許されるかどうかは解らないが、罰金刑の類で収めなければならない」

 

 その場合どの道ルビウス・ハグリッドが払う事になるのだから、欺瞞と言えば欺瞞だが。

 

「そっちの感覚の方がマグル的に解りやすいわね……。というか、やっぱり迂遠な気がして仕方がないわ。そりゃあ人を殺したとかなら心情的に収まりつかないから解るけど、所有者が解ってて怪我しただけの事例で、責任を理解出来ない動物に裁判をする意味有る?」

「それは魔法省に聞いてくれ。そして断言しても良いが、ルシウス・マルフォイ氏が求めて来るのは処刑だ。これは予言でも何でもない」

「……水晶玉無しの私にも解るわよ。本っ当に野蛮で、馬鹿げた事ね」

 

 彼女は語気を荒くして、怒りと共に吐き捨てる。

 

「しかし、その勝算が皆無とまでは言えないように思える」

 

 非魔法族的解決法――つまり、ドラコ・マルフォイを傷害させた事に対する精神的慰謝料等を含む賠償が通るかは別として、不利であるにしても擁護する理屈が皆無では無い。

 

「バックビークとやらは敬意を示した君達に対しては何も危害を加えなかったし、復讐に動いている訳でも無い。怪我の軽重は問題であるにしろ、後遺症の主張までは出来まい。彼がクィディッチから永遠に離れる気なら別だが。そして責任の話をすれば、君の言った通り、ヒッポグリフを尊重しなかったドラコ・マルフォイに有るというのもまた否定出来ない」

「……そうね、その通りだわ。彼等がヒトでは無いからと言って、ヒトがヒト以外の権利を容易く侵害して良い訳でも無い筈よ」

 

 先程は馬鹿げた風習だと言いながら――そして、依然としてその価値観を認めていない筈でありながら――早速その考え方に適応してみせている所は流石というか何というか。

 ハーマイオニー・グレンジャーが単なる頭でっかちな人間では無い事をつくづく思い知らされる瞬間でも有る。或いは、友人の為ならば幾らでも〝柔軟〟になれるグリフィンドールらしさとでも言うべきだろうか。

 

「聞いた瞬間はどうなる事かと思ったけど、良く考えれば勝てるような気がしてきたわ。幾ら怪我させたとは言っても、即処刑っていうのは余りに野蛮な真似だものね」

 

 顔を輝かせ始めた彼女に、しかし心から同意する事は出来なかった。

 

 真っ当に考えれば、勝算はそれなりに有る。それは否定し得ない。

 だが、ハーマイオニー・グレンジャーに最初に告げた通り、魔法族はヒト以外に冷淡だ。そして、動物裁判に限らず、裁判手続は民の権利を守る一方、時に権力者が自身の意を押し通す手段として用いられてきたのもまた事実である。

 

 如何に正論を推し進めようとも、それが悪い形で露呈した結果がどうなるかというのは、出来れば余り想像したくも無かった。或いは、そこまで魔法界が〝中世的〟――非魔法族における伝統的分類では、中世とは凡そ西暦1500年までとされる。あの1692年の悪名高きセーレム魔女裁判は歴史から見れば中世では無い――であって欲しくないと願っているのだというべきか。

 

 果たして、それ程までに、この世界は善く回っている事を期待して良いのだろうか。

 

 それは今の僕には何とも言えず――少し待てば、自ずと結果が出る事でも有った。

 

「……それで。御機嫌なのは良いとして、僕としては君が優先順位を付けた上で取捨選択すべきでは無いかと思っているが。要するに、何をやらないかという事だ」

「どういう事?」

「君がどう見ても暇では無いという意味だ。新しい事を抱える余裕など無いだろう」

「それは……」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーの側の机――本の山に埋もれ、辛うじて彼女の姿が見える程度になっている惨状を見ながら彼女を見れば、バツの悪そうに俯いた。

 

 本日、僕が彼女と共に座れたのは、間違いなくそれが原因に他ならなかった。本の虫通り越して本そのものだ。近寄りたくないのも頷ける。

 三年から選択授業が増えたとは言え、今日は特に酷い。まあ、最低二科目、彼女ならば限界まで取っていた所で何ら驚くに値しないが、さりとてそれと失敗を恐れる完璧主義と組み合わさった場合、それが齎す悲劇は容易に想像が付いた。

 

「大丈夫よ。何とか――」

 

 言い掛けた彼女の眼前に軽く掌を掲げ、その言葉を止めた。

 月並みな表現ではあるが、大丈夫だと主張する人間は大抵大丈夫では無いものであり、何とかするという発言は殆どの場合、今は適切な解決手段を有していませんという事を意味する。

 

「君が授業を本能的に蔑ろに出来ないのも解っている。また、ヒッポグリフが断頭台の露に消える事も好まないだろう」

 

 それが出来るのであれば、僕が好意を抱いたハーマイオニー・グレンジャーなどでは有り得なかった。

 

「そして両者を比較した場合、後者の方は時間を費やしただけ成果が出るものでは無い。要するに、利用出来る判例や法解釈も限られる。つまり、前者が第一、後者が第二だ。そして、その余は切り捨てるべき些事だ」

「で、でも、貴方はハグリッドの授業に不満なんでしょう? 私はそれが嫌だわ」

「我慢出来ない程では無い。真剣にどうかと思ってはいるが、煩わされないだけロックハートよりマシだ。……とは言え、君はそれで納得出来ないんだな」

 

 僕の言葉に、彼女は口を噤んだまま、しかし強い意思を籠めた視線と共に頷く。

 ルビウス・ハグリッドが教授として悪く思われる事に何故そこまで拒否反応を示すのか理解しかねるが、それもまた彼女にとって絶対に譲れない事らしい。

 

 となれば、僕が取るべき行動など一つしか無かった。

 まあ、最初から決まりきっていた事だと言われれば、そこまでだが。

 

「……解った。それならば僕が手伝おう」

「え?」

「授業の方も、ヒッポグリフの裁判の方もだ。君がやる気であるならば仕方がない」

 

 驚いた表情の彼女に畳み掛けるように、僕は言葉を続ける。

 

「但し、前者は君がルビウス・ハグリッドを言い包めてくれ。授業を改善する必要が有る事についても、手助けする用意が有る事も。彼がスリザリンの世話になって良い気になる筈も無いからな。聴き取りについても全て任せる」

「え、えっと。別にそれは構わないけど……ハグリッドならきちんと説明したら貴方の事も解ってくれると思うわよ」

「なら、僕が彼の小屋に赴く理由も口実も一つも存在しないとでも言っておこうか。兎も角、僕の関与を彼に伝える利点など何も無い。何より、彼が〝良いスリザリン〟に対して授業中に冷たく対応する演技が出来ると思うか?」

 

 そう言えば、彼女は痛い所を突かれたというように黙り込んだ。

 

 それ以前に、彼女はルビウス・ハグリッドの善性を信じているようだが、僕としては受け容れるか受け容れないかは五分五分のように思えた。

 

 秘密の部屋の冤罪を着せて彼をアズカバンに叩き込んだのは他ならぬ偉大なスリザリンの先輩であり、それ以外への半巨人への差別的取り扱いや死喰い人との敵対等々、正当な恨みを抱く理由が多過ぎる。ドラコ・マルフォイとの繋がりを下手に疑われて、彼とハーマイオニー・グレンジャーとの関係が上手く行かなくなってしまえば、授業改善も裁判への関与も完全に破綻すると言えた。

 

 別に僕は彼に恩を着せたいが為にやろうとしている訳では無いのだから、そのような余計なリスクは背負えない。

 

「理解してくれたなら後者に移るが、裁判の対処については人海戦術が必要だ。どの道、君の友人二人もヒッポグリフの危機については遠からず知るだろう。彼等が授業改善計画に興味を持つとは思わないが、そちらの方には協力が期待出来る」

 

 非魔法界程に手軽に本を捜索出来る訳では無いし、非魔法界とてどの道最後には内容を見なければどうにもならない。そしてそう言った事についてはやはり頭数が物を言う。

 

「そうね……。ハリーやロンは、レタスを切り刻む作業が毎時間続いても、それを変えようと思うよりは面倒が無くて良いと思うでしょうし。解ったわ。そちらについても、ハリー達に上手い事伝えておくわ」

 

 そう言って、しかし彼女は微妙に不満そうな表情を見せた。

 

「この事についても、貴方の協力はハリー達に伝えない方が良いと思う訳?」

「先と同じだ。余計な火種は増やさないに越した事は無いだろう。協力や手分けの方法も含めて、上手く言っていてくれれば僕としては文句が無い」

「……確かにロンには絶対に伝えない方が良いんでしょうけど。でも、貴方はハリーとは仲が悪い訳では無いんでしょう? 少なくとも、私はそう理解しているけど」

「それは彼が勝手にそう思っているだけだ。僕の方は彼が余り好きじゃない」

 

 どちらかと言えば、ロナルド・ウィーズリーに対しての方が余程好意的だと言える。全く関わらない以上、中立(ニュートラル)であるのだから。

 

 ただ、ハリー・ポッターにそのような感情を抱くのは多少八つ当たりの面が有るのもまた自覚している。一昨年は間違いなく巻き込んだ側だが、去年は少なくともハリー・ポッター自身に大きな責任は無かった。

 しかしそれでも、ハリー・ポッターは自分が闇の社会における超一級の賞金首であるという事実をもっと直視すべきだと思ってしまう事は避けられなかった。己を危機に晒す事につき余りに無頓着というのだろうか。言い換えれば、それは彼が危険を自覚しないで済む程に手厚く護られているという事でも有るのだろうが。

 

 何にせよ、僕がハリー・ポッターに抱いているのは、好意とは程遠い物である事は確かな筈だった。

 

「……まあ、貴方とハリーとの関係は、今は置いておくわ。当人が居ないにも関わらず、貴方と議論しても仕方ないでしょうし」

 

 そんな僕の言葉をどう受け取ったのか。

 何処か呆れたような表情を隠さないながらも、それでも本と羊皮紙の山を彼女は片付け始めた。本を返却する前に崩れやしないかと不安に思う量だが、僕の方をチラリと見た彼女は、それを見透かしたように愉しげに笑った。

 

「大丈夫よ。私も何回か往復するつもりだから。……それで、私は今からハグリッドの所に行ってくるわ。外出時間もそうだけど、日数的に一番急ぎなのはそれでしょうし。本格的に授業について考えるのは、今日じゃなくて明日で良いかしら?」

「……そうだな。そもそも僕達がどうこうする以前に、ルビウス・ハグリッドが何事も無く授業を改善出来るのならば、それが最も問題無いとも言える。彼の魔法生物についての能力はやはり確かなのだろう?」

 

 第一、授業に干渉すると言っても、出来る事は限られている。

 彼は操り人形でも何でも無いし、全ての台本を渡すのは馬鹿にし過ぎているだろう。言ってみれば、多少の常識的な方向性を示す程度しか出来はしない。何より、それで十分だろう。ハーマイオニー・グレンジャーが友情を示す程度なのだから、スリザリンよりも遥かに他人に対して親身になれるのだろうし、教育としての体裁を整える事も出来る筈だ。

 

「それは保証するわ。知識も、躾ける能力も。そして、その強みを生かせば当然良い授業になる筈よ。……危ない生き物が好きっていう点さえどうにかすれば問題無いわ。というか、私が軌道修正しなきゃいけないのはそこよね」

 

 軽く溜息を吐き、けれどもその後、彼女は心からの微笑みを僕に浮かべてみせた。

 

「私はまだちょっと納得出来ないけど、貴方は他の人に伝えたくないみたいだから。御礼を言えない三人分、私が感謝を伝えておくわ。本当に有難う」

「別に構わない。……そもそも何も労力が実った訳では無いのに気が早いだろうに」

「そうね。でも貴方が面倒を引き受けてくれようとしてるのは確かでしょう? ならば、やっぱり有難うという言葉が相応しい筈だわ」

 

 もう一度、彼女は感謝の言葉を述べ、僕は小さく頷くに留めた。

 彼女は面倒だと言う。確かに簡単な事だと断言出来るものでは無いし、今学年それ相応の時間を割く必要が出来たのは確かだが、さりとてやはり面倒だとまでは思わない。

 

 三年前、君が僕に与えてくれた物の大きさを思えば、この程度の事は何でも無い。

 

 

 

 

 

 

 

 シリウス・ブラックが、ホグワーツに侵入した。

 言うまでもなく学校の責任では有るが、しかしそれを誰も大っぴらに責める事はしなかった。ドラコ・マルフォイを始めとする、スリザリンですらそうだ。

 

 つまるところ、状況が去年とは違う。シリウス・ブラックの逃亡が、魔法省という純血一派の牙城の失態である面もあっただろう。だが、一度として逃亡を赦した事が無い監獄から逃げ出したという実績こそが──裏を返せば、ホグワーツに忍び込んでも何ら可笑しくないという事が──多くの者の口を塞いだ一番の理由だった。

 

 だからこそ、今年ホグワーツを半アズカバンにした事について、今まで保護者から露骨な文句は出て来なかったのだし、大規模な帰還事業の予定は現在の所立てられては居ない。

 もっとも、それも何時まで持つかは怪しいのだが。この厳戒態勢が続けば、去年の事も有って、ホグワーツの安全性という点について疑問を抱く親が出て来ても可笑しくはなかった。

 

 とはいえ、現状はそのような動きは殆ど見られなかったし。

 それ故、僕がスリザリンの奇妙な雰囲気に気付くのは必然とも言えた。

 

 まさしく、去年とは違う筈だった。

 

 去年の騒ぎは、建前上非純血が狙われるというものだった。そしてスリザリンにも〝マグル生まれ〟を初めとする非純血は存在していたからこそ、確かに寮内で恐怖は蔓延した。しかし一方で、自分達が絶対に襲撃される事は無いだろうと確信していた純血達は、去年の中でもある程度の余裕を持っていたのだ。

 

 まあ、余計な事を言えば、それもジネブラ・ウィーズリーが拉致されるまでの話では有ったのだが。

 

 幾ら彼等が血を裏切る者だとて、血が絶対の免罪符にならないという事実は、多少の疑念を呼び起こすには十分だったらしかった。

 去年の理事達の裏切り、すなわちルシウス・マルフォイ氏の劇的な解任も一番の原因はそれだ。その一点において、闇の帝王は失敗したと言って良いのかもしれない。如何に操り人形をそのまま人質とする事が効率的で有っても、彼等に純血主義の価値を疑わせてはならなかった。

 ただ闇の帝王には恐らく当時それ程自由が無く、またハリー・ポッターを殺せさえすれば後はどうにでもなる事を考えれば、明確な失態とも言えないだろうが。

 

 それはさておき、対して今年だ。

 

 シリウス・ブラックが誰の命を狙っているか。

 新聞が報道せずとも男の前科からすれば万人にとって明白な筈でありながら、しかしスリザリンは真正直にそれを受け止めていないように思えた。

 否、スリザリンではなく〝元〟死喰い人の子供達と言うべきか。

 

 別に恐怖している訳では無いだろうが、その雰囲気が異様だった。寧ろ、〝非純血派〟――つまり、半純血やマグル生まれの人間の方が、余程楽観的だった。去年の秘密の部屋騒動とは真逆と言える構図こそが、その奇妙さに拍車を掛けていると言えるのかも知れない。

 後者はシリウス・ブラックがハリー・ポッターを殺しに来た事を殆ど信じており、けれども前者はそれについて何処か懐疑的ですらあるようだった。

 

 それに、スネイプ寮監の〝捜索〟が、何処か鬼気迫っているのも気になった。

 授業を放棄する程では無いが、しかし、それ以外の時間は可能な限り全てそれに費やしているのでは無いか。そう思える程度には、狂気的な色を感じる物で有った。そしてそれは、ハリー・ポッターに対して示すものと同種の強い感情だった。

 

「──マルフォイ」

 

 となれば、頼りに出来る人間は一人しか居なかった。

 まあ、スリザリンで彼以外に僕がそう出来る人間は、他に居ないのであるが。

 

 談話室内で何時もの三人組に声を掛ければ、残りの二人は気分を害したような表情をした後、離れた場所へと移動した。一方で、ドラコ・マルフォイは空いていた僕の前に座った。

 

 寮内に二年強も居れば、指定席めいた物は出来る。

 そして、何か有ればこの場所で話すのは、何時も通りの事だった。また、本題に余計な装飾を必要としない程度には、御互い性格を理解していた。

 

「シリウス・ブラックとは、どういう男なんだ」

「……それを直接僕に聞くのか。たまに、君が馬鹿なんじゃないかと思えてくるよ」

 

 マルフォイは侮蔑と共に、何処か呆れたような表情を浮かべる。

 

「別に、詳しい話を聞こうとも思っていない。だが確か、君の母上はブラック家だったと思い出したのだ。こそこそと人の家について調べられても不愉快だろう」

「だからと言って、直接聞くのはやはり愚かだと思うが」

 

 まあ良い、とマルフォイは言った。

 ここはスリザリンの談話室で有り、聞き耳を立てている人間も居るのを理解している。去年の不用意な発言で、ルシウス・マルフォイ氏から絞られたのかも知れない。だがそれでも彼が敢えて口を開くのは――つまるところ、寮内における政治だった。

 

 僕との付き合いで〝純血派〟以外に睨みを聞かせる価値を、彼なりに見出したのだろう。同等とは全くもって考えていないだろうし、真の意味で同輩だと認めはしないだろうが、利益を得るだけの意義は僕の存在と同じように感じて居るに違いなかった。

 

「僕を頼ったのも間違いではないからな。君がシリウス・ブラックについて何を調べるつもりだったか知らない。が、僕の母上に眼を付けたのは間違いない。シリウス・ブラックは、僕の母上の従弟だった」

「……まあ、単に家名が同じ程度では無いだろうとは思って居たが。随分と近しかったものだ」

「いいや、近しいか否かを言えば掛け離れている。つまり、彼は僕の母上とは公式には無関係だ。何せ、彼はブラック家の家系図から抹消されているからな」

「────」

 

 首を軽く振りながら告げられた言葉は、事前に想定するのが無理だと思える程度にはぶっ飛んだ発言だった。

 そんな僕に対して、ドラコ・マルフォイは侮蔑を含んだ呆れの感情を露わにした。

 

「その様子だと、君は知らなかったんだな。ならば、忠告しよう。正しい血筋に無知であるのは、魔法界において当然侮蔑されるべき事だ。ましてスリザリンならば猶更だ」

「……それは、そうだな。忠告感謝するよ、マルフォイ家の次期当主」

 

 僕の言葉に皮肉が含まれていない事は伝わったのだろう、彼は満足気に頷く。

 そしてその反応は、僕に質問を続けて良いという許可でも有った。

 

「だが、抹消された? 随分とまた穏やかでは無いな」

「実際、穏やかどころでは無い」

 

 ドラコ・マルフォイは重々しく頷く。

 

「母上は話してくださらないが、しかし僕も純血の次期当主であるから、それなりの事は耳に入る。ブラック家でありながらグリフィンドール生に行ったという、出来損ないの話はね。そして結論から言えば、それがシリウス・ブラックだ」

「……君はそれを正気で言っているのか」

「正気も正気さ」

 

 素晴らしき純血である筈の家系が、スリザリン以外?

 しかも、よりにもよって犬猿の仲であるグリフィンドール? 

 

「僕はそれがブラック家における唯一の例だと確信している。だからこそ名前が出なくても、その大恥がシリウス・ブラックの事だと特定出来た訳だが」

「……まあ、明らかな家名の恥とは言え、余りに派手過ぎるからな」

 

 口にするには憚られるとは言え、全く口に上らせないのも不可能過ぎる。

 

「となると、シリウス・ブラックはグリフィンドール生でありながら、ハリー・ポッターの父親を裏切り──いや、闇の帝王に忠実な者として当然に謀殺し、純血に相応しい行いとして〝マグル〟を大量虐殺した訳だ」

 

 予想以上にとんでもない男では有った。

 成程、単に十三人吹っ飛ばした事こそが彼の脱獄の事実を公開するのに繋がったのだと思って居たが、その裏には純血絡みで色々と事情が有ったらしい。

 

「……多少哀れに思えるな。彼は一貫して名誉を回復したかったのかも知れんが、それでも闇の帝王を間接的に滅ぼしたのだから」

 

 そう締め括った僕に、けれども、ドラコ・マルフォイは不思議な表情を浮かべた。

 まるで、それが腑に落ちないというような。

 

 もっとも、僕はその表情について問う代わりに礼を告げた。

 本来であれば寮監についても聞きたかったのであるが、この話題に続ける事は適切でないだろうというのは、確信に近い直感だった。

 

「……下らない事を聞いたな、マルフォイ。理由はどうあれ未だ抹消されたままの純血の話を、スリザリンの談話室ですべきでは無かった」

「いや、良い。純血ならば一度は耳にした事が有る類の話だし、調べて解らないような話でも無い。また去年の〝秘密の部屋〟の件も有って、父上は僕が君に借り過ぎているとお考えだ。この程度の事を聞かれる程度であれば何でも無い」

「ならば、ルシウス・マルフォイ氏にも礼を告げておいてくれ。スリザリンで平和な生活を送るに当たって、貴方の息子には大変世話になっていると」

「その程度で父上が考えを翻すとも思えないが、確かに伝えておこう。僕としては都合の良い事に違いないからな」

 

 それだけを言って、マルフォイは離れて行った。

 その背を見送り、大きく息を吐く。

 

 閉心術士というのは恐ろしい存在だ。或いは、開心術士か。

 

 別に僕はドラコ・マルフォイへと術を掛けた訳では無いし、無言呪文を扱える程に熟達している訳では無い。

 けれども、あの老人との訓練は――特に、開心術も閉心術に繋がるのだという理屈を押し通し、僕に使わせるようになった後では――人の心の動きというのに、酷く敏感にさせていた。彼がそれを隠そうとしなかったというのも有るが、それでも去年の僕では、ここまで明確に彼の思考を掬い取る事など出来なかっただろう。

 

 成程、寮内が不自然な雰囲気にもなる筈だ。

 ドラコ・マルフォイを始め、死喰い人関係者の子供は、今回の事件で親に対して当然にシリウス・ブラックについて言及した筈だ。

 

 別にその内容は何でも良い。シリウス・ブラックの詳細を知りたがるか、その行いを讃えるか、何だって。ただ、彼等の親から返ってきた反応は、彼等にとって恐らく予想外のものであるに違いなかった。

 無論、子供に全てを語った親が居るとは思えない。けれども、語らないからこそ雄弁であるという事は多々有るのだ。元死喰い人の子供だからこそ、自身の親の無防備で素直な反応を見る事が出来る立場にあるからこそ、当然に気付いた筈なのだ。

 

 死喰い人は――少なくとも、アズカバンの外に居るような人間は――シリウス・ブラックが闇の帝王に通じている事を知らなかった。

 そして、たとえ意図しなかったとしても、彼が闇の帝王の失墜をもたらした以上、彼を自分達の仲間であると信じては居ない。

 

 だからこそ、死喰い人の関係者達は、彼の脱獄を無邪気に喜んでなどいないし、彼が本当にハリー・ポッターを害してくれるか疑っている。

 

 まあ、彼がグリフィンドールで有るのに加え、明確にブラック家から抹消されているという事実も大きくは有るのだろう。

 そのような立場であればまずスパイとして疑われないだろう事は否定しがたいが、さりとてスパイになる為だけに家名から抹消されろと言われて、はい解りましたと頷く純血もまた居るまい。たとえ一時で有っても同じ事だ。余りに不名誉が過ぎる。

 

 要するに、シリウス・ブラックが、除名に相応しいだけの純血らしくない行いを少なくとも一度はしたというのは、純血にとって何ら疑いを抱く事が無いものである。

 

 無論、シリウス・ブラックが正しく名誉回復した事を闇の帝王直々に伝えられれば別だろうが、しかしその前に闇の帝王は消え失せた。それがこの状況という事らしい。

 

 否、アルバス・ダンブルドアの推量が正しければ、全ての前提は覆るのだが。

 

「……談話室の守り人を切り裂くのは正気の沙汰では無いが」

 

 シリウス・ブラックがグリフィンドールで有った以上、自寮への入り方に一定のルールが存在する事くらい理解していた筈だろう。それにも関わらず、無理矢理入ろうと押し入り、入れて貰えない結果として彼女を切り裂くのは正気の沙汰では無い。

 もっと言ってしまえば、どう考えたって無罪の人間の所業では無いと言える。

 

 しかし、色々と中途半端であるという事もまた否定出来なかった。

 

 アズカバンに十二、三年閉じ込められたから狂っているという話では無い。

 狂っているならば――すなわち、アルバス・ダンブルドアが主張するように、彼の善性故に心が粉々に破壊されているというならば、脱獄した後も殆ど誰からも見られないままに魔法省の追跡を躱し続け、尚且つ普段の手厚い防備に加えて吸魂鬼付きのホグワーツ内に入り込むような理性的行いなど出来ない筈だった。

 

 そして、多少なりとも理性が残っているならば、談話室に押し入ろうとする事は奇妙である。

 ハリー・ポッターを狙うだけならば、その必要は無い。彼はホグワーツの生徒であり、必然的に談話室外に出るのだ。去年バジリスクが生徒に対してそうしたように、単に襲うだけならば寧ろ談話室以外の方が好都合であると言える。

 

 けれども、どういう訳かシリウス・ブラックはそうしなかった。

 アズカバンを脱獄し、尚且つホグワーツにも侵入するという不可能を実現していながら、彼はグリフィンドール談話室には侵入出来ず、しかしそれを成し遂げる事にこそ拘った。その瞬間までシリウス・ブラックの侵入は察知されていなかったのだから、誰にも知られずに事を起こす機会を放棄して尚、彼にとってはそうする意味と価値が有ったとも取れる。

 

 あの老人が何とか魔法省よりも先にシリウス・ブラックを確保しようとしているのは、最早確定事項であると言えた。

 

 あの時、僕に彼の事について聞いた時点で、その意図は有ったのだろう。

 老人が内輪からの手引きを考えていないのはスネイプ寮監の苛立ち具合からも明らか――やはり誰を疑っているのか余りに解りやすかった――であり、万一シリウス・ブラックがスリザリンに接触するような事になれば、僕を通じて干渉しようとしたのだろう。今回、寮監が老人の悪巧みにつき頼りにならないのは、誰が見ても認めざるを得ないからだ。

 

 とはいえ、その目論見が外れたようであるのもまた言うまでも無い。

 シリウス・ブラックは、確固たる目的意識を持って動いている。そして、それはグリフィンドールの談話室の内に在る。もっとも、それが何なのかは解らないが。

 

 あの老人も当然同じ事を考えている筈である。

 シリウス・ブラックの襲撃の後、彼がグリフィンドール談話室に入れなかった事が半ば明らかであるにも関わらず、校長閣下は全寮の生徒を談話室や寮塔から叩き出して大広間に集めるような真似をした。それは、他の寮の人間がかくまっていないかを含めて城全体を調べるのもそうだが、一番の理由は、グリフィンドールの談話室にシリウス・ブラックが狙うような何かを不自然さを見せないままに捜索し尽くす為で有っただろう。

 その目的を発見出来たかどうかは不明だが、アルバス・ダンブルドアが御嫌いな吸魂鬼を未だ学校に張り付けて置いている点から見るに、まだ見つかっていないように思える。

 

 ただ――いずれにせよ、一昨年、去年と違うというのは何も変わりはしないに違いない。

 

 シリウス・ブラックがグリフィンドール談話室を目的とした以上、他ならぬハーマイオニー・グレンジャーも一応危険が有る事は認めざるを得ない。しかしまあ、彼の属性から見て、その談話室に存在する()()もハリー・ポッター絡みで有る事は想像が付くし、そこに彼女が関わる余地が殆ど無いというのは、動かしようもない事実であった。

 

 彼女が危険に突っ込む事も、巻き込まれる事も無い。

 無意味で無価値な心配に気を已む事も、自分の無力を痛感する事も無い。

 

 強いて言えばヒッポグリフの裁判こそが一番の問題だが、最善を尽くすつもりだというのは変わりないし、最悪の場合に陥ったとしても、彼女の親友達の存在さえあれば、いずれ立ち直りは出来るだろう。少なくとも、闇の帝王やバジリスクの襲撃に怯えるよりは余程健全な悩みだった。

 

 今年は気楽であり、彼女は安全だ。

 そして、それは間違いなく良い事だった。




・ルシウス・マルフォイによる裁判干渉
 危険物処理委員会をルシウスが脅したという点について、ハグリッドやハーマイオニーらの一方的見方以外の根拠を示すものは作中に無いように思える。
 しかし、マクネアとルシウスが知人である(両者ともに死喰い人)事に疑いは無く、控訴前に斧を持参しており、ファッジも判決が未確定の控訴前に「狂暴なヒッポグリフの処刑」に立ち会う事につき承諾(三巻・第十六章)しているなど、その裁判が不当に運用された事自体は疑いようがない。

・動物の危険
 動物園等からの逃亡を未然に予防するという名目で殺処分がなされた戦時猛獣処分が有名。
 他に国内の話としては、二名の死亡をもたらしてしまった象のはな子も著名である。もっとも、こちらは殺処分された訳ではなく、69年の生涯を全うしている。

・動物裁判
 その行いがキリスト教的価値観に根付いているという考えは兎も角として、実際に中世の間においてしばしば見られたのは歴史的事実である。
 かなり最近の事例では、2008年のマケドニアにおいて、蜂蜜を盗んだ熊が被告人不在のまま有罪宣告されたという事で話題になった。その件においては,所有者が存在しない上に保護種であったため、国家が損害賠償するよう命じられた(これらが確定したかどうかは不明)。


・星室庁裁判所
 主に薔薇戦争後(大貴族の大半が大打撃を被る)に即位したヘンリー七世以降に、king’s councilから独立した司法機関として活用されるようになった。
 国王としての特権(絶対王政以前は、王というのは大貴族以上の存在でない場合も少なくないが)の下、コモンローでは解決出来ないような問題を処理したり、他の裁判所では躊躇うような権力者に対しても判決を下す事が出来たという意味で人気を博した。
 しかし、その成り立ち故に王による恣意的な裁判からは逃れられず、チャールズ一世時代においてその腐敗が限界に達し、清教徒革命中(1641年)に廃止される。
 現在では、Star Chamberという用語が良い意味を表す事はまずない。


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恐怖の虚像

話が余り進んでおらず不本意ですが、次回の為に已むを得ず分割。
今章の残りの話への橋渡し兼、箸休めの回。


 ホグズミード。

 ブリテンにおいて、唯一魔法族のみが住まう村。

 

 千年以上前に〝マグル〟からの迫害により建設されたというが、その存在の奇妙さについて色々と思いを馳せずには居られない。

 

 それは何故他に魔法族が集まる事は無かったのかという点であったり、魔法界と非魔法界が分断されたという割に魔法族は半ば寄生するようにして非魔法界の共同体の中に隠れ住んだりしなかったのかという点であったり、或いは1714年以降にホグワーツ生の遊び場と化した理由──しかも三年生以上に限定する意味──は果たして何処にあったのかという点であったり、まあ様々だ。

 

 ただ、確かな興味を抱きはすれども、そのような場所で共に過ごす友人が居ない僕にとっては、やはりそれ以上の価値を有するものでは無かった。いずれは訪れてみたいとは思うが、同学年の人間が浮かれていた一度目は行く気にならなかった。そして二度目──この冬季(クリスマス)休暇前の最後の機会においても、やはり時期的に浮かれている中で、一人寂しく行くという事は考えられなかった。流石にそこまで僕は悟ってもいない。

 

 故に何時も通りにして二度目のドラコ・マルフォイの親愛に満ちた皮肉を甘受した後の土曜日の朝は、冬季やイースター休暇に次ぐ程度には完全に解放された時間であった。

 

 去年、一昨年と上級生が同様に外出する事は有った──とは言え、秘密の部屋が開かれて以降は制限が掛かったのだが──にも拘わらず、同学年の者達が寮内にも校内にも居ないという事実が、僕に対してホグワーツを閑散とした物のように思わせた事には多少驚いた。それは僕は僕なりに、〝ホグワーツ〟に対して親愛を抱いているという証なのかもしれない。

 

 ただそうであっても、自分がやる事は、やはり大きくは変わらなかった。

 何時も通り談話室で読書をし、気になった事が有れば図書室で調べ物をしながら時間を過ごすだけである。

 

 知識というのは良い。得れば得る程に自らの血肉となり、力となる。

 ハーマイオニー・グレンジャー程に僕は書籍()()()()を信奉している訳では無いが、著者が読者に対して提示する物が非常に価値が有るという点においては同意出来る。それが真実にしろ偽りにしろ、確たる意図と思考、己が有する知識と経験に基づいて過去が紙面に刻み込まれた点こそ、またそれを読み解こうとする事こそ、僕の喜びであった。

 

 とは言え、最近は新たな()()()が別に加わっている。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーが固執した半分、つまりルビウス・ハグリッドの授業改善の方は酷く順調だった。

 

 彼には常識は無いが、その本質はやはり善良で素直なのだろう。教師としては向いていないにしても、人に対して親身に接する事が出来るという点では、スネイプ寮監よりも圧倒的に優れている。そして何より魔法生物に対する知識と熱意は本物であった。

 

 不注意から生じる小さな失敗はしょっちゅうで有ったし、更に色々とスリザリンがちょっかいを掛けようとする事から生ずる騒動もしばしば起こりはしたが、ルビウス・ハグリッドの魔法生物を制御する能力、そして三人組を筆頭として彼を手伝おうとするグリフィンドール寮の団結力も有って、概ね問題無く進んでいたと言えた。

 

 ……ハーマイオニー・グレンジャーにも不意打ちで危険生物を持ち込んできたりする事が有るのは、まあ愛嬌の一種だろう。それでも自分の眼が届く一匹しか連れて来ないのは、彼も学んだという事だろうか。それで実験台となるのは何時もの三人組なので、僕にとってはさして問題では無かった。彼女は時折、僕の方を恨めしげに見てはいたが。

 

 一方で、もう半分、つまりヒッポグリフ裁判の方は芳しくない。

 その一番の原因は、ルビウス・ハグリッドが未だ楽観的な点に有る。

 

 学校の理事達から非難はされ、その時には二回目の授業を台無しにする程度には沈み込んだようでは有るものの、正式な処分の通知は未だ届かず仕舞いである。そして、アルバス・ダンブルドアの保証や、最近はそれなりに授業が上手く行っている事も有ってか、彼の気分を十分に上向きにさせたようだった。

 

 ヒッポグリフが『危険物処理委員会』に掛けられるであろうというハーマイオニー・グレンジャーの忠告──僕の言葉を半ばそのまま伝えているのだが──に対しても、「ハーマイオニー、おまえさんは心配し過ぎだ」という事らしい。

 彼女自身、ルビウス・ハグリッドや他二人の言葉を聞く内に、本当にそのような残酷な真似が行われるのか段々疑わしくなってきたようであり、説得も最初に比べて熱が入らなく、というか殆ど行っていないのは伝わって来た。

 

 ただ、彼女達はスリザリンの陰湿さを軽く見過ぎであり、ドラコ・マルフォイが寮内で何と言っているのか知らないのであり、また権力の腐敗を理解して居なかった。

 

 彼等が信じなくなればなる程に、僕がヒッポグリフは裁判に掛けられるどころか処刑まで行くだろうという確信を強めていくのは皮肉だった。そして、どういう弁護を打ち出そうとも、それは容易く握り潰され、歪められるであろうという事も。

 

 その時(処刑予告)が来た時の彼等の反応を想像する事は、僕に多少意地の悪い喜びを抱かせる物であるというのは否定出来なかったが、さりとてそれで一番苦労するのがハーマイオニー・グレンジャーであろうともなれば、安穏としては居られなかった。

 見通しが酷く暗くとも全く意味が無いとまだ完全に決まった訳でも無いし、出来る準備は可能な限りすべきであると言えた。

 

 そんな状況の中、僕は何時も通り図書室で本を読みふけっていたのだが──流石に来客が有るとは思ってもみなかった。

 

 幾らこの席が入口から奥まった場所に存在するとは言え、この閑散としている中で、既に先客が居る席に着く必要は無い。まして、僕は単なる陰険なスリザリン生では無く、ハーマイオニー・グレンジャーによればそれなりに酷い悪評が付き纏っているらしい部類のスリザリン生である。

 

 それでも敢えて座るとすれば、やはりハーマイオニー・グレンジャー以外に存在しない筈で有るが、しかし彼女は二人の友人が居るのであり、当然ホグズミードで休暇前の最後の買い込みをしているだろうと思って居た。

 

 だが、違った。彼女がホグズミードを訪れている部分は間違っていないだろうが、その友人の人数の予測が間違っていたらしい。何の因果か、彼はここに居た。

 

「……ハリー・ポッター」

「やあ」

 

 軽い挨拶と共に、〝生き残った男の子〟は、平然と僕の前へと座った。

 

 

 

 

 

 

 

 彼から好意的な、ないしは気軽な対応をされる理由というのは無い。

 

 僕からすれば、ほぼ丸一年ぶりか。ハーマイオニー・グレンジャーが医務室送りになった為にメモを渡すという体裁で、彼からバジリスクの確証をまんまと得た時以来の事で有る。無論、授業で顔を合わせたりはするが、会話する事も無いし、そもそも近付かない。ドラコ・マルフォイが僕を嗾けるような機会を与えたくも無いからだ。

 

 強いて言うならば、アルバス・ダンブルドア繋がりなのかもしれない。

 一昨年はどうだか知らないが、去年ハリー・ポッターは僕の事を気にしていたという。その際に、何かを吹き込んでいても可笑しくない。全くもって、あの老人はロクな事をしない。

 

「君も前回からホグズミードに行って居なかったというのを聞いてさ。もしかしたら図書室に居るんじゃないかと思ったら、案の定だったよ」

 

 どうやらこの英雄殿は、わざわざ僕を探していたらしい。

 そして、手元に本を持ってきて会話を隠蔽するというような殊勝な真似をする気は無いようである。マダム・ピンスの縄張りで平然とそれを行うその姿は、いっそ堂々としていた。

 

「……君はこうしてスリザリンの人間と喋っていて良いのか?」

 

 僕の揶揄に、ハリー・ポッターは皮肉めいた笑みを浮かる。

 

「殆どの人間がクリスマス前のホグズミードを楽しんでいるんだから、僕等を見咎める人間なんてまず居ないだろう? それに見咎めた所で、他ならぬ僕がスリザリンと〝楽しく〟会話しているとも思わないし、好き勝手に解釈してくれるさ」

 

 その言葉は傲慢とも取れるが、しかし彼としては当然の事を語る口振りだった。そしてそれ以上に、注目され続けて来た者の重みが有った。

 

 〝生き残った男の子〟という属性に加え、一昨年の賢者の石、去年のバジリスク。僕の比にならない位に好意的な評価と、それ以上の悪評を受けて来たのだろう。

 ギルデロイ・ロックハートのように目立つ事を楽しむタイプならば違ったのだろうが、明らかに彼はそのような類の人間では無かった。その事に飽き飽きし、皮肉を飛ばさずには居られないのだろう。自分がどう在ろうとも、人は勝手に噂をするのだという事を。

 

「……それで。何故君がここに居る? 当然の事ながら、僕は君がハーマイオニー・グレンジャーやロナルド・ウィーズリーと共にホグズミードに行っているものだと思ったが」

 

 手元の本に再度視線を落としつつ、僕は問い掛ける。

 『君も』という言葉から何と無く想像が付いたが、返ってきた答えは案の定だった。

 

「保護者からの許可が貰えなかったんだよ。それを貰う為に頑張りはしたんだけど、マグルを怒らせちゃって、というか、あー……僕が少しばかり癇癪を起しちゃってさ。それで、マクゴナガル教授も許してくれなかったから、僕はホグズミードに行けないって訳」

「……成程。ダーズリーとやらは随分〝生き残った男の子〟を手酷く扱っているらしい」

 

 ハリー・ポッターが相応に我慢強いのは、僕と会話している事からも明らかである。それを怒らせるとは、余程の事を言われたのだろう。というか、たかが保護者のサインを貰う為に頑張るという時点で色々察する物がある。

 

 正直言って、その虐待行為を魔法界全体に暴露するだけであの老人の権威を失墜させるには十分な気がするが、ただまあ、流石にハリー・ポッター自身が望みはしないだろう。そして、あの老人が〝我が子〟をそのような状況に置いているという事は、相応の理由が有るのだろう。

 

 納得と共に言った僕に、しかし彼は不思議そうな表情を見せた。

 

「えっと、僕がダーズリーと暮らしてるって、ハーマイオニーから聞いたのかな」

「いや、君から聞いた筈だ。二年前だったか」

「……まあ、そうだよね。去年はそんな事話す暇は無かったし。言ったような気はしないでもないけど、流石に覚えていないな」

 

 彼にとって自分が言ったかどうかは然して関心事でも無かったのだろう。気を取り直したように、彼は僕に対して質問を飛ばしてきた。

 

「君もホグズミードに行ってないという事は、やっぱりサインを貰えなかったの?」

 

 ……ただ、その選択が絶望的に駄目だった。

 

「……考えてみてくれ。僕が、共にホグズミードに行くような友人が居ると思うか?」

「あー、ええと。その、ごめん」

 

 軽く溜息を吐く。

 もう二年強そのような状況が続いているのだから、状況は受け容れている。けれども、自らの口で言いたい事実では無かった。

 

 とは言うものの──僕が誰かと一緒にホグズミードで楽しく過ごしている光景というのは、僕自身、全くもって想像出来なかった。たとえそれがハーマイオニー・グレンジャーで有っても、だ。

 入学当時はもう少し想像出来ていたような気がするが、それが彼女と離れてから時間が経ち過ぎた故であるのかなのかは解らない。

 

 そんな事を思いながら少し視線を上げれば、誰かを探している様子のグリフィンドール生の姿が目に入った。赤毛で双子、となれば思い当たる存在は一名、いや二名しか居ない。

 

 そして彼等の片割れは、ハリー・ポッターを認識した後、僕の方を見てギョッとした顔を浮かべた。こちらを指さしながら、もう一人の片割れの肩を叩けば、やはり僕の方を見てギョッとした顔を浮かべた。

 何やら深刻な顔で相談し始める始末であるが、已むを得ないと言えば已むを得ないか。グリフィンドールの人間の、友人好きの性質は常軌を逸している。

 

「……アレは、君に用事が有るんじゃないのか?」

「あっ、ジョージとフレッドだ。どうしたんだろう」

 

 暗にここから立ち去ったらどうだ、と言ったつもりだったが、ハリー・ポッターには通じなかったらしい。彼等が間違いなく自分を探していたらしい事を確認すると、少し待ってくれというジャスチャーを彼等に対して送っていた。

 

 驚いた事に、この英雄はまだ僕と会話し足りないらしかった。

 

「……良いのか、待たせて」

 

 赤毛の双子を視界の端に入れながら、僕は問い掛ける。

 当人の制止を受けて尚、双子のどちらかはそれでも僕達に近付こうとしたのだが、もう一方が止めていた。そして、再度何事か言い合った後、一定の結論が出たらしく、彼等は僕等から離れた席に座った。会話が聞こえはしないまでも、僕等を──僕を監視し、何か有れば介入出来る程度の位置だった。

 

「良いよ、別に。どうせホグズミードに行けはしない分、暇は有るんだからさ。それに、ジョージとフレッドは同じ寮だから何時でも話せるよ」

 

 ハリー・ポッターは、そう言い切る。

 ……別に、こちらを優先しなくても良い、というか逆に迷惑なのだが。

 

 しかし僕の内心を敢えて無視しながら、彼は逆に僕を試すような視線を寄越した。

 

「それより、君こそ良いの? 僕と会話している所をグリフィンドール生に見られているけど? それとも去年の時のように突き飛ばしてみる?」

 

 微妙に嫌味が入っているのは、理由を理解していても苛立ちはしたという事なのだろう。

 

「……既に見られしまったのだから、今更の話だろう。それに──」

「それに?」

「──いや、何でも無い」

 

 去年の際に僕が一番気にしていたのは、グリフィンドール生では無く闇の帝王だった。

 だが結果的にそれは同じ事であり、また正しい行いでもあったのだろう。闇の帝王に操られていたのは、ジネブラ・ウィーズリーで有ったのだから。けれども、その辺りは伝わる筈も無いし、伝えてしまえば余計に面倒な事になるのは想像が付いた。

 

「ただ、口止めはして欲しいがな。口実は何でも良い。僕の事を適当に悪く言ってくれれば、君が迷惑を被る事も無いだろう」

「……いいの? 彼等の事だから、その場合には君に()()を仕掛けてくると思うけど」

「……撤回しよう。出来れば穏便に取りなしてくれると助かる」

 

 苦々し気に僕が言えば、ハリー・ポッターは声を上げて笑った。

 

「解ったよ。ジョージもフレッドも渋るとは思うけど、何とかやってみる」

 

 その言葉に安堵しなかったと言えば全くの嘘になる。クソ爆弾程度で済みそうにない襲撃を受けるのは御免だった。

 そして、不毛な報復合戦を仕掛ける気も無い。入学してきてから殆ど悪戯に学生生活を捧げて来た人間に敵わないのは解り切った話なのだから。

 

「……それで。待ち人が居る以上、速やかに君の用件を済ますべきじゃないのか」

 

 幾らホグズミード禁止で暇だとは言っても、単なる時間潰しの為にわざわざ喋り掛けては来ないだろう。そう思って水を向けてみれば、彼は肯定を示すように軽く頷いた。

 

「そうだね。えーっと、まずはその、君はハグリッドの為に色々としてくれてるんだろう? まずは、その礼を言っておかなきゃならないと思って」

「……律儀な事だ。別に大した事をした訳では無いし、授業の評判が良くなったのはルビウス・ハグリッド自身の努力の賜物だろう。ギルデロイ・ロックハートの授業が一年間台無しのままだったように、変えようと思わなければ何も変わらない」

 

 そもそも、君達の為に僕は動いている訳では無い。そのような想いと共に言えば、彼は解っているというように苦笑を深めた。

 

「君はそう言うと思ってた。でも、ハーマイオニーからは君が言い出したのが始まりだって聞いてるし、ハグリッドが少しでも授業をマシにしようと思ってくれたのは良い事だよ。……まあ、思い出したように〝おもしれえ〟生き物を持ってくるのは辞めて欲しいけどね」

 

 その表情を見る限り、たとえ友人関係でも彼の趣味に着いていけない部分は有るらしい。

 

「後、君はマルフォイを怪我させた事で、バックビークが処刑されちゃうって考えたみたいだけど」

「……別段、信じられないならば構わないが。現時点では不確かである事に変わりない」

「いや、そうは言わないけどさ。ただ、ハグリッドはダンブルドア校長がやるだけの事をやってくれたって言ってるし、ハーマイオニーも最近その事を全く話題に出さなくなったから逆に心配になっちゃって」

「……大概難儀だな、君も」

 

 耳に痛い忠告は聞きたくなくても、無いなら無いで不安になるらしい。或る意味でハーマイオニー・グレンジャーの友人ならではの感覚だった。

 

「……まあ、そろそろ結果は出るだろう。あの一件からもう三か月だ。処分を決める時間としては十分だろうから、休暇前までか、或いは年開け最初には通知が来ても可笑しくない。君達がどうするかはそれからでも良いんじゃないか」

 

 正確には、ドラコ・マルフォイからそろそろだという事を聞いたのだが、それは言う必要も無い。そして、数日程度の努力で何かが変わる訳でも無いだろう。

 

 そんな僕の無意味な耳障りの良い言葉は、彼を一応納得させるには十分だったらしい。もっとも、僕が助かるとは一言も告げてない事には気付いているのだろう。少しばかり不安な様子を見せながらも、彼は頷いた。

 

「それが良いかもね。ハグリッドにもまた聞いてみるよ」

 

 それでさ、と彼は続けた。

 ルビウス・ハグリッドの話題はあくまで前座なのだろう。そして、それが終わった以上、本題に入るに違いなかった。

 

「ハーマイオニーが何をやっているか知ってる?」

「……何を、と言われても困るが」

 

 僕の困惑の返答に、彼は考え考え説明を付け加えた。

 

「えっとね、ハーマイオニーは去年全部の選択科目を登録しててさ。それで、今年はどうするのかと思ってたんだけど、どうも同じ時間に行われている筈の授業を受けてるみたいなんだ。皆の話を聞く限り、全ての授業に皆勤みたいだし」

「……待て。まず、彼女は全ての選択科目を登録したのか」

「? あれ、もしかしてそれ自体知らない?」

「今初めて知った」

 

 彼女と勉強の話をしない訳では無い──というかそれが大半だが、さりとて何を選択したのかの確認はしていない。

 その機会が有ればしたかも知れないが、去年は秘密の部屋騒ぎで忙しく、彼女は二度も医務室送りになり、全てが終わった頃には時期を逸していた。そして、三年が始まれば授業に出るのだから必然的に選択科目は解る。聞く機会がある筈も無い。

 

 また確かに、僕が受けている魔法生物飼育学、数占い、古代ルーン文字の全てに彼女は出席している。しかし、彼女は取れる限界まで科目を取るだろうと思っていたし、彼女が好みそうな科目だとも思って居たから、不思議とまでは思わなかった。

 ただ、他の選択科目も取っているとなれば話は全く違ってくる。ハリー・ポッターの言う通り、少なくとも今年は全ての授業を受けるという事は不可能の筈だった。

 

「……そっか。ハーマイオニーは何をしているかについて僕達にも全く喋ってくれないし。てっきり僕は、君が何かを知っていると思っていたんだけど」

「君達友人に喋らない事を、僕に喋りはしないだろう」

「そうかい? 僕には、ハーマイオニーが君に対して心を開いているように思える」

「それは僕の台詞だな。君達の方が、彼女と共に居る時間は長く、そしてまた距離も近い。僕が知る筈も無い」

 

 事実、全ての選択科目を受けている事も言わなかっただろう。

 そう告げてやれば、しかしハリー・ポッターは微妙に腑に落ちないような表情を浮かべた。……何故そのような反応をされるのかは、理解しがたい所が有った。

 

「まあ、良いや。それで、ハーマイオニーが何をしているか思い浮かばないかな?」

「……全く思い浮かばない訳では無いが。正直言って、授業を受けるだけならば方法論が色々有り過ぎる。『憂いの篩』というのも有るが……嗚呼、他の人間が皆勤として認識しているのならば有り得ないか」

 

 有り得ないと切って捨てた仮説に、しかし彼は僅かに興味を持ったようだった。

 

「その『憂いの篩』って?」

「ホグワーツがこの場所に建てられる要因となったらしい魔法具だ。ざっくり言ってしまえば、他人の過去の記憶を、まるでその場に居るように見る事が出来る。『ホグワーツの歴史』でも見れば最初の方に書いてある筈だ」

「あんなクソ鈍器をクソ真面目に読んだ人間がハーマイオニー以外に居るとは思わなかったけど。へえ、そんな不思議な道具が有るなんて。一度見てみたい──」

 

 ハリー・ポッターは、何かに思い当たったかのようにそこで言葉を切った。

 

「……それは良いとして。やっぱり、君でもハーマイオニーが何をやってるか思いつかない?」

「そのようだ。それなりに有力な仮説すら思い浮かばない」

「……いや、別に構わないよ。知らなかった以上、駄目で元々みたいなものだし」

 

 ハリー・ポッターは少し落胆した様子を見せるが、それは諦めて貰うしか無かった。

 

 正確には、同じ人間が同時に二か所に存在すると聞いてまず逆転時計を思い浮かべた。

 

 けれども、逆転時計の実物を見た事が無いから何とも言えない部分が有るが、典型的な時間旅行の鉄則は、基本的に〝誰からも見られてはならない〟である。

 それでも個人として認識されない程度ならばギリギリ許容範囲だろうが、さりとてハーマイオニー・グレンジャーとして授業を受けるともなれば話は変わってくる。

 

 ホグワーツの同学年、いやグリフィンドールの同学年ですら四十名前後の生徒が居るだろう。それらの証言を結集すれば、彼女が同じ時間に行われている別の授業に皆勤である事に、気付かない者が出ない筈が無い。

 現実として、ハリー・ポッター達はそれに気付き、可笑しいと考えてしまっている。そして先の鉄則からすれば、その時点で禁忌を犯しているようにしか思えない。

 

 本物の逆転時計には何か例外的な規則が有るのか、或いは何等かの手段を併用しているのか。ただ、そのような話を持ち出してしまえば、最早何でも有りになってしまう。推測どころか勘とすら言えまい。

 

 ……しかし、ここに来てもまだ、ハリー・ポッターは立ち去ろうとしなかった。

 

 待たされているウィーズリーの双子が微妙に焦れているのが見えるが、彼にとっては問題ないのだろうか。

 ただ、僕としては、彼等からの敵意が一応薄れてきているらしいのは良い事だった。ハリー・ポッターと僕が平和に会話を続けている所から、少なくとも彼を護る為に悪戯をする必要は無いと判断してくれたらしい。

 

「後、もう一つ聞きたい事が有るんだけど」

「……好きにしてくれ」

 

 完全に投げやりに返答した僕に、彼は問うた。

 

「──君のまね妖怪は、ハーマイオニーの死体に変わったのかい?」

 

 抉るような言葉に、反射的に顔を上げてしまっていた。

 ハリー・ポッターと視線が合う。彼の碧の瞳は、その深い色彩の裏に読みがたい感情を隠したままに、真っ直ぐこちらを見つめている。

 彼に冗談を言っている気配は全く無かった。真剣に、素面のままに、僕のまね妖怪がそうなった可能性を考えているようだった。

 

 そして、僕は勘違いしていた。

 

 ルビウス・ハグリッドの事についてでも、ハーマイオニー・グレンジャーの事についてもそれらのいずれもがハリー・ポッターにとって前座だった。彼にとって他ならぬこれこそが本題なのだと、今更に気付かされたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 先程までと違い、僕は完全に手元の本から視線を上げていた。

 最早集中出来る気がしなかったし、彼の言葉と真剣に向き合う必要性を感じて居た。それを知ってか知らずか、ハリー・ポッターは僕の態度に大きな動揺を見せる事無く、僕の瞳を捉えたまま淡々と言葉を紡ぐ。

 

「まね妖怪の授業は広く話題になった。余り大っぴらに話される内容じゃないけど、それでも誰が何に変わったというのは、ある程度話になった。それは、他と余り交流しないスリザリンについてですらそうだ」

「…………」

「でも、君のまね妖怪が何に変わったかはまるで聞こえて来ない。僕のように向き合わなかったというなら解るよ。でも、君の番は確かに有ったという話は聞こえてくるのに、何に変わったかという事だけが聞こえて来ない」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーに、僕の悪評について問われた。

 

 そして、心当たりが無い筈もなかった。全てのスリザリンが僕のまね妖怪について口を開きたくないと感じ、さりとて完全に口を噤む事までは出来ないとなれば当然の話だった。まして変化した物を思えば、現在のスリザリンの中で最も邪悪だと噂されるのは不可避だと言えた。

 

「僕のまね妖怪は、吸魂鬼になる」

「……何だ、藪から棒に」

「いや、だってフェアじゃないだろう? 一方的に自分の恐怖の内容を知られているなんて。だから、僕の方も予め言っておこうかと思ったんだ。まあ授業の中で向かい合った訳でも無いから、恐らくの話では有るんだけど」

 

 その立派過ぎる騎士道精神に、深く嘆息する。

 彼は真っ直ぐだった。二年前と同じように。〝異常〟なまでに。

 

 無論、ひねくれた見方も出来る。隠す必要のない些事を、さも重要な事のように語って相手の言葉を引き出す話術。それが用いられる事は世間において珍しくも無い。

 しかし、今のハリー・ポッターに、そのような意図が無い事は伝わって来た。皮肉な事に、あの老人による講義は、そのような副作用まで存在するようだった。

 

 故に、僕が誤魔化すという選択肢は、初めから無かった。

 

 ……嗚呼、それに気付くようになったのは最近だった。

 すなわち、この手の人間に対して、僕はどうして良いか解らなくなるという事に。

 

 あの老人や、或いは寮監の方が僕にとっては余程付き合いやすかった。彼等には誤魔化しをしようが、騙し討ちをしようが何ら良心が痛まなくて済む。平気で心を偽り、言葉を紡ぐ事が出来てしまう。それは、恐らく僕が育つ上で学んだ話法に最も近いからだろう。

 

 しかし、彼等のような人種相手は違った。

 正直、つい最近までハーマイオニー・グレンジャーだけが特別だと思っていた。彼女以外の人間に対し、心を開いて会話を交わすというような事は殆ど存在しないのだから。

 けれども、今こうしてそれを実感しているように、それは多少正確では無いのだろう。彼女が最も特別であるのは疑いようがないが、それでも彼女に対する同種の物を、僕はハリー・ポッターに対しても覚えている事を否定は出来なかった。

 

 それが僕にとって良い事なのかは、やはり解らないが。

 

 ただ――

 

「……君の誤解が何処から来たか知らないが、残念ながらそうでは無い。僕のまね妖怪は、そのような物に変わらなかった。君の予測は外れだ」

 

 ――今回においては、誤魔化す以前の問題だった。

 

 そもそもそれは決定的に間違っているのだから。

 

「……えっと、違うの?」

 

 僕の言葉が余程予想外だったのだろう。

 ハリー・ポッターの反応は、驚愕というよりも失望しているようにすら見えた。

 

「ルーピン教授は、君の時は失敗だったと言っていたんだ。だからてっきり僕は、君の時にハーマイオニーの死体が出て来た物だと考えたんだけど」

「……君とリーマス・ルーピン教授は随分と親しいんだな」

「ああっと、教授の事を責めないでね? 僕が吸魂鬼への対策について相談に行った時、恐怖の話になったんだ。具体的にはその──」

 

 ハリー・ポッターは僅かに言い淀み、けれども振り切るように告げた。

 

「──吸魂鬼に近付くと、僕はヴォルデモートが襲撃した時の事を想い出してしまうんだ」

 

 言葉を濁したものの、それが両親の死の状況について言っているのは明白だった。

 

「それで、ヴォルデモートからまね妖怪の事を連想して、教授に死体に変わる事が有るかと聞いたら有ると答えてくれた。僕がそれを言い出したから、教授はやはり三年生にはまね妖怪は刺激が大きかったのかもしれないと苦笑して、ポロっと君の名前を出したんだ」

「……成程、その流れでは誤解するのも無理は無いな」

 

 ただ、ハリー・ポッターはそれ以前から、僕のボガートについてそうでは無いかと予測していたのかも知れない。僕はそのような素振りを見せた事は無い筈と思っているが、彼なりの根拠を持ち合わせて居るのだろう。

 そしてまた、大失敗例として僕の名前を漏らした教授を責める気にもならない。勿論、教授はまね妖怪を授業に用いるに際し、予めそれなりのリスクについて考えては居ただろうが、それでもスリザリン内でああいう形で現れてしまったのは、痛恨事では有ったに違いない。

 

「しかし、誤解が真っ当でも、間違いは間違いだ。リーマス・ルーピン教授は、そのような意味で、失敗だと漏らした訳では無い」

 

 それは嘘では無かった。

 僕の恐怖と問われて、ハーマイオニー・グレンジャーの死体を一瞬思い浮かべたのは事実であった。けれども、僕のまね妖怪はそれに変わってくれなかった。

 

 誤魔化されているとでも思っているのか、探るような視線の彼に僕は告げる。

 

「少し想像してみてくれ。スリザリン生のまね妖怪がマグル生まれの魔女の死体になる。その際、どんな事態になると考える?」

「……えっと、大騒動? オマケにスキャンダルとして話題になる?」

「ならば聞くが、実際にそれが起きたか?」

「……いや。僕が君のまね妖怪が何に変化したのか知らないように、そうはならなかった。色々、それっぽい噂が無い事は無いけど。スリザリンは堅く口を噤んでる」

「そういう事だ。ハーマイオニー・グレンジャーの死体では無い。それは絶対だ」

 

 少し迷っていたようだが、ハリー・ポッターは頷いた。

 僕が嘘を吐いていないのは勿論だが、彼にとっても正当性を認められる理屈であったらしい。

 

「じゃあ何だい? まさかヴォルデモート卿という訳でも無いだろう? 死喰い人の子供や、或いは僕と違って、君は実際に会った事が無い筈だし」

「無論、違う。その人間が全く想像も付かない人物に変化出来る程、ボガードは融通が利くような生物ではないからな」

 

 出会った事が無い存在で無ければならないという制限は無い。仮にそれが必要であれば、ミイラやらバンシー、見た事も無い死体が出て来る事は無いだろう。

 

 さりとて、想像出来ない程に現実味が無いのであれば、そもそも恐怖足り得ない。

 

「その前にだ。僕のまね妖怪が何に変わったかについて、君に対して答えたくない訳ではない。別に隠す事でも無いからな。しかし、君に対して、少しばかり質問をさせてくれ。……嗚呼、君のまね妖怪について掘り下げたい訳ではないし、大した話でも無い」

 

 微妙に警戒する様子を見せたハリー・ポッターに、予め念押しをして続ける。

 実際、大した話でも無い。別に聞かなくても良いのだが、僕のまね妖怪の内容について話せば彼はすぐさまここを立ち去るだろう。それは僕にとって好都合でもあるが、さりとて、ここまで一方的に長々と喋らされて、情報だけ取られて帰られるというのは癪だった。

 

 要するに、ハリー・ポッターへの嫌がらせに近かった。

 ……もっとも、僕はその行いをすぐさま後悔する事になるのだが。

 

「君はリーマス・ルーピン教授から守護霊の呪文の個人講義を受けようとしているようだが、そこまで君は教授と仲が良いのか?」

 

 かの教授についてそれなりの事を知り、そして幾何かの推測も付けている。

 無論の事確証は無いが、それについて少しばかりの確信を抱くにはハリー・ポッターからの話は良い材料となるだろう。そんな思いと共に僕は問う。

 

 けれども、彼は何の事か解らないというように、きょとんとした反応を見せた。

 しかも、僕にとって全く予想を超えた言葉と共に。

 

「えっと、その、守護霊? 何だい、それ? 初めて聞くんだけど」

「……本気で待ってくれ。君は、それを教わりに教授の下に行ったんじゃないのか」

「さあ? 吸魂鬼が今度現れた時にどうすれば良いかを相談に行って、学期が明けてから個人的に教えて貰う事を約束したのは確かだけど。内容までは聞いてない」

「他に吸魂鬼を退ける方法が有るのか……?」

 

 吸魂鬼を退ける事が出来るのは、僕が知る限り真の守護霊のみの筈だった。

 逆にそれ以外の方法、それもホグワーツ三年生が使えるような、より簡単な手段が有れば、アズカバンはとうの昔に破られているだろう。あの呪文が吸魂鬼に大きな影響を与え、そして何より派手に目立つという点も、アズカバンが脱獄不可能だった一因に違いないからだ。

 

 無論、闇の魔術への親和性を高め、吸魂鬼に耐性を付けるというのであれば話は別だが、流石に〝生き残った男の子〟にその手段は用いないだろう。そもそもあの老人が許すまい。

 

「まあ、君がそれ以外に有り得ないって言うのなら、ルーピン教授も僕にそれを教えてくれるんじゃないのかな。

 ──それで、守護霊の呪文って何?」

「……今は僕が質問している場合だったと思うんだが」

「良いじゃないか。その口振りでは、知らない訳では無いんだろう?」

「……僕は何でも答えてくれるハーマイオニー・グレンジャーでは無いんだがな」

 

 まね妖怪についての回答を後回しにされて多少気分を害していたのは何処へやら。

 彼は自分が教わるかも知れない魔法について興味津々のようだった。僕がこれ見よがしに嫌な顔をしても、全く応えた様子も無かった。

 

「……一応リーマス・ルーピン教授が教えるのを躊躇する気が解らないでもない。守護霊の呪文の難易度はO.W.Lレベルを超える。普通のホグワーツ三年生が手を出す呪文では無い」

「……そんなのを僕は覚えさせられるの?」

「別に君が差し迫って必要としないのであれば話は別だが。けれども、君は吸魂鬼に対抗する術、それも有効で適切な手段が喫緊で必要な訳だろう?」

 

 そう問い掛ければ、ハリー・ポッターは覚悟を決めた顔で頷く。

 彼の脳裏に過っているのは、吸魂鬼の影響で箒から落ちた瞬間の筈だった。

 

「守護霊の呪文と言うのは、最も幸福な記憶を現実に投影、具現化する物だ。その名の通り、吸魂鬼が齎す絶望や憂鬱から君を守り、真の守護霊の呪文は呪文行使者を守るのみならず祓って見せるという。消滅まではさせられないようだが、対吸魂鬼という点においてはこれ以上に強力な護りは有り得ないと言っていい」

 

 僕の断言に、彼は難易度以上に魅力を感じたようだった。

 

「それで、何かその呪文にコツは有るの?」

「使えもしない僕に聞くのは論外だと思うが、必要な物は知っている。幸福な記憶だ。寧ろ、それを必要とする事こそがこの呪文の核と言える。そして恐らく、それが一番難しい」

「……へえ? 最も幸福な記憶、ね」

 

 少しばかり、ハリー・ポッターは考え込む。

 

「想像でも構わない。君にとって、最も幸福な記憶のイメージは何だ?」

「そうだな……。例えば、ダーズリー家に二度と帰らなくて済むとか? 後は、クィディッチで優勝したまさにその瞬間とか?」

「後者は同時に僕の最悪の記憶にもなりそうだが──」

 

 そう言った僕に、ハリー・ポッターはニヤリと笑った。

 その事に関しては、彼は二年前を覚えているようだった。

 

「──真の守護霊の呪文は、僕としてはそう言った物で生み出されるような物では無いと思う。いや、幸福な記憶を必要とする事自体を否定はしない。しかし、その核というべきか。それを構築するべき物は、一概に言葉では言い表せない何かであると思う」

「……えーっと。意味が解らないんだけど」

「僕としても抽象的な事を言っているのは解っている」

 

 言葉通りの感情を表情で示した彼に、僕は続けた。

 

「つまり、君が例として挙げた記憶。それは君にとって〝最も〟幸福な記憶であると言えるか。これより先、人生においてそれ以上の事が有り得ないと思うか?」

「……それは、将来的な仮定の話になるけど。流石に人生を通してみたら、それ以上に幸せな事は有るんじゃないかな」

「そういう事だ。であれば、〝最も〟では無い」

 

 だからこそ、守護霊の呪文は難しいのだろう。

 そもそもの成り立ちが、余りにも曖昧過ぎるのだから。

 

「吸魂鬼は人間の幸福を貪り、平和と希望を奪い、絶望と憂鬱を撒き散らす。しかし、ならば何故、最も幸福な記憶によって生み出される呪文によって追い払う事が出来る? 幸福とは吸魂鬼にとって、極上の餌では無かったのか?」

 

 幸福な記憶だけで吸魂鬼を追い払えるのならば、それを自分の頭の中で思い浮かべていれば、守護霊の呪文は必要無い筈である。

 しかし、それで耐えられた魔法使いが居るとは聞いた事は無いし、アズカバンで餌場扱いされているのが現実だ。寧ろ逆に、一般的な幸福の概念とは掛け離れている筈の闇の魔法使いの方が、吸魂鬼に親和性を有する始末である。

 

「守護霊の呪文が有効なのは、それが絶望を感じ取れないからであると一般に説明される。しかしそれは吸魂鬼が守護霊を傷付けられない理屈にはなれど、守護霊が吸魂鬼に有効な理屈にはならない」

 

 繰り返すが、吸魂鬼は幸福を啜る生物だ。

 故に、プラスのエネルギーがマイナスのエネルギーを打ち消すという単純な話には繋がり難い。

 

「そして、絶望を感じないで済むが故に有効ならば、最も幸福な記憶を核とする必然性は有るのだろうか? 単に嬉しいとか楽しいという激しい感情では駄目なのだろうか? 何より守護霊は使う者によって別々の姿を形作るのだが、何故その者の本質を表しているとも取れる姿を、自然に形作る特性を有する?」

 

 調べてみれば、守護霊の成り立ちは酷く古い。アズカバンの建設すら最近と言える程だ。

 そのような護りには、魔法の最奥を必要するのではないだろうか。すなわち、理屈や理論を超えた、人が人として在るべき根幹を。

 

「……何となく君の言わんとした事は解ったけど。でもさ、君の理屈じゃ、最も幸福な記憶なんて存在しない事になる。そもそも、幸福って、その量を比較出来る物なのかな」

「良い指摘だ。そして、僕はそこにこそ、守護霊の呪文の神髄が有ると思う」

 

 実体の有る守護霊を生み出せる魔法使いは、魔法省やウィゼンガモットの高官として選ばれる事が出来るという〝迷信〟が蔓延っている。

 しかし、その割には守護霊の呪文は、O.W.Lレベルを遥かに超える──つまり、N.E.W.Tレベルを遥かに超える、では無い──魔法としか扱われていない。それは、魔法族が時代の進展によりそれだけ進歩したという意味か、それとも何かを誤っているのか。

 

「君は非魔法界で育ったのだから、発火装置(スターター)と言えば通じるか。最も幸福な記憶をそれに見立て、吸魂鬼が貪る事が出来ない幸福を超えた()()を燃え上がらせ、当人の本質として顕現させる。僕は守護霊とはそういう魔法では無いかと考えている」

 

 腕組みして深く考え込み出したハリー・ポッターに、僕は言葉を付け加える。

 

「……あくまで僕の勝手な私見だ。言った通り、僕は守護霊を使えないし、リーマス・ルーピン教授が君に対してどうやって教えるか解らない。話半分、いやそれ以下の戯言として受け止めてくれればそれで良い」

「うーん。まあ、解ったよ。ハーマイオニーやルーピン教授にも聞いてみる」

 

 その言葉の内容の割には、僕の適当な推論には彼なりに何か感じる所が有ったらしい。返答も何処か上の空で、寧ろ同意しかねる気配すら有った。

 

 それは良いのだが、本筋から大幅に逸れ過ぎている。

 

「……それで、話を元に戻して良いか?」

 

 呆れと共に問えば、彼は少しばかり現実に戻ってきたようだった。

 

「ええと、何だっけ。……嗚呼、ルーピン教授と僕の仲が良いか、だっけか。良く解らないけど、悪くは無いと思う。二回相談に乗って貰ったかな。一回目は、ルーピン教授が僕をまね妖怪に向き合わせなかった理由について」

「闇の帝王が出るかと思ったんだろうな。君の言葉によれば、それは間違いらしいが。そして、二回目は、守護霊──と決まった訳では無いが、吸魂鬼の対策についての個人授業の件か」

「当たり。そう言えば、吸魂鬼が近付いた時の事について僕が語った時、何かルーピン教授には思う所が有るみたいだったな。僕の勘違いかも知れないけど」

 

 そう言う割には何処か確信めいた響きと共に、彼は付け加えた。

 その内容はやはり意図的にぼやかされているが、それでも想像は付く。ハリー・ポッターにしても、僕にはその程度で通じると思ったからこそ、その表現に留めたに違い無かった。

 

「一応確認するが、その個人授業はそれなりに長く続きそうか?」

「だと思うよ。病気のせいで教授が忙しいというのも有ったけど、簡単に解決するんなら、冬休み前にさっさと講義をやってくれてたんじゃないかな」

 

 それに、守護霊の呪文が難しいと言ったのは君だろう、とハリー・ポッターは言った。

 

 そこまでを聞いて、僕は深く溜息を吐いた。

 別に彼のその言葉に対して苛立ちを覚えた訳では無い。苛立ちを覚えるとすれば、この程度の事を彼から聞き出すまでに、圧倒的に回り道をさせられた事についてだ。

 やっぱり、彼とは相性が悪いし、好きになれそうも無い。何事ももっと速やかに話を進めて欲しかった。

 

 けれども、少なくとも今回はもう十分だった。

 

「僕からの質問は終わりだ。故に、約束をした以上、今度は君の質問に答えよう」

 

 リーマス・ルーピン教授について、これ以上理解する必要も無い。

 正確を期すならアルバス・ダンブルドアに確認すべきだし、更に言えば個人授業についても伝えるのが万全だが、ハリー・ポッターにそこまでする義理は無い。そして別に心配せずとも、リーマス・ルーピン教授はその辺りの事は上手く調整するだろう。真に悪意を持っているのであれば、学期が明けるまで待たず迅速に済ませる方が良いのだから。

 

 しかし僕の決断とは裏腹に、彼は不思議そうに首を傾げた。

 

「……質問に答えるって、他に何か有ったっけ?」

「……僕のまね妖怪の事だ。別に必要無いなら良いが」

「ま、待って。冗談だよ。知りたい、知りたいと思ってる。ハーマイオニーも『他人の恐怖が何だったかなんて無神経に聞く物じゃないでしょ』って訳知り顔で言ってはいたけど、僕から見れば自分でも信じ切れてない位に未練たらたらな位だ」

 

 酷い誇張が含まれてそうな慌てて付け加えられた情報は不要だ。そんな小細工をする位ならば、まず完全に忘れる事を辞めて欲しい。何故なら僕が完全な馬鹿みたいだからだ。

 

 ただ、彼にとってはハーマイオニー・グレンジャーが関わるかも知れないから気にしただけで、それ以上に重要事で無いのは事実だったのかもしれない。寧ろ、箒から彼を叩き落とした吸魂鬼に対抗する為の手段の方が余程の関心事であり、その事で他が丸ごと頭から吹っ飛ばされたとしても当然の成り行きだったと考えるべきだろうか。

 

 何より、ハリー・ポッターが忘れている事はもう一つ有った。

 

「彼等は随分と待ちくたびれたようだがな」

「えっ? あ……!」

 

 僕の視線を彼が追えば、言わんとする事に気付いたのだろう。

 こちらを観察し続けていた赤毛の双子はニッコリと満面の笑みを浮かべながら、まるで鏡写しのようにハリー・ポッターに対して手を振っていた。

 

 正直言って、中々に迫力がある。幾ら親友の兄とは言え、同じ寮の上級生の存在を完全に忘れ去って話し込むのは豪胆だった。彼等の下に行けば、間違いなくシメられるだろう。そして僕の知った事では無い。彼だけがグリフィンドールで、僕はスリザリンなのだから。

 

「まあ、僕との会話内容を適当に知らせる事だ。僕のまね妖怪についても、別に隠す事じゃない。ただ、君が知らせるべきかどうかは判断に任せるが。あの双子ならば、逆に吹聴しない気もするが……正直どちらでも良いんだ。最早取返しの付かない程度に悪評が広まっているらしいからな」

 

 微妙に顔が蒼白となっている彼に、僕は告げた。

 

「アルバス・ダンブルドア」

「……え?」

 

 跳ねるように、ハリー・ポッターはこちらを見た。

 一瞬で顔の色は元に戻っていた。しかし、その碧の瞳の内には、困惑と、混乱と、それ以上に得体の知れない物を見るような色が有った。

 

 その彼に対して、僕は再度答えを刻むように言った。

 

「アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア。激情を振り切った無表情のまま、蒼の瞳を殺意で冷ややかに燃やし、空間を捻じ曲げんばかりにその全身から魔法力を撒き散らす超越者。それが僕へと杖を向けている姿に、僕のまね妖怪(ボガート)は変わった」

 

 言葉で表せば、それだけでしかない。

 そして、怒れるアルバス・ダンブルドアというのは、今学期、全校生徒が一応見る機会が存在した。すなわち、吸魂鬼が学校に入り込んだ──というより、ハリー・ポッターが箒から墜落した瞬間の事である。ただ、それを経ても、スリザリンは口を開けなかった。

 

 あれは距離が近くはなかった。自分達にその感情を向けられては居なかった。

 何より、自分の存在の全てを賭して尚、眼前の存在を滅ぼしてみせるのだという絶対の覚悟という物が存在しなかった。

 

 けれども、あの場に顕現したまね妖怪にはそれらの全てが有った。

 

 そして恐らく、あの場に居たスリザリンは、一瞬ではあっても確かに思ってしまったのだ。

 アルバス・ダンブルドアこそが今世紀で最も偉大な魔法使いであり、絶対に敵に回してはならない存在なのだと。邪悪を極めた筈の闇の帝王は、しかし生い先短い老人の力を到底凌ぐ物では無く、故に自分達は彼の陣営へと速やかに寝返るべきでは無いのかと。

 そのような裏切りの想いを、ボガートが創り出した偽物に対してすら抱いてしまった。

 

 故に、誰もが口を閉ざした。

 語る事を拒み、しかし全てを秘密にする事が出来なかった。それが、真相だった。




・ハグリッドの授業
 スクリュートのインパクトや、ルーナの「辞めたらあたしはうれしいけど」「あんまりいい先生じゃないもン」という発言及びそれにハーマイオニーが咄嗟に反論しなかった事(五巻・第十一章)のイメージが強いが、何時も失敗している訳では無い。
 三巻においても火トカゲを用いて生徒を楽しませるなど普通に成功した授業も存在する(三巻・第十二章)。但し、その際に「その日はめずらしく楽しい授業になった」と描写されている辺りが何とも言えない。

・まね妖怪
 ルーピンのまね妖怪が満月そのものになれない(ルーピンはそれを見て変身しない)ように、その変身の効力は無限では無いらしい。
また、ニュート・スキャマンダーが典型であり、ルーピンも同様だが、まね妖怪が写し出す物が恐怖そのもので有っても、まね妖怪を視認する事自体が必ず恐怖を喚起させる物でも無いようである。
 その一方で、ハリーやモリー・ウィーズリー、或いはリタ・レストレンジのように、その者にとってクリティカルな恐怖が現れる場合も劇中では少なくない。

・逆転時計
当該アイテムにつき、J・K・ローリング氏は『I had Hermione give back the only Time-Turner ever to enter Hogwarts.』と言及している。
もっとも、これは今後(四巻以降)のプロットを破壊しかねないタイムトラベルという危険物の始末法を述べる文脈で述べたものであり、慎重に受け取るべきかもしれない。

・原作における守護霊のシーン等
「父さん、どこなの? 早く――」
 しかし、誰も現れない。ハリーは顔を上げて、向こう岸の吸魂鬼の輪を見た。一人がフードを脱いだ。救い主が現れるならいまだ――なのに、今回は誰も来ていない――。
 ハリーはハッとした――わかった。父さんを見たんじゃない――自分自身を見たんだ――。
 ハリーは茂みの陰から飛び出し、杖を取り出した。
「エクスペクト! パトローナム!」ハリーは叫んだ。
(三巻・第二十一章より引用)

「愛する人が死んだ時、その人は永久に我々のそばを離れると、そう思うかね? 大変な状況にある時、いつにも増して鮮明に、その人たちのことを思い出しはせんかね? 君の父君は、君の中に生きておられるのじゃ、ハリー。そして、君が本当に父親を必要とする時に、もっともはっきりとその姿を現すのじゃ。そうでなければ、どうして君が、あの守護霊を創り出すことができたじゃろう? プロングスは昨夜、再び駆けつけてきたのじゃ」
(アルバス・ダンブルドア。三巻・第二十二章)


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狼達の中の狼人間

前章のように予定外な事が無ければ後二話で終わると思います。


 冬季休暇が明け、一月になって授業が開始した。

 

 休暇中、ハーマイオニー・グレンジャーと友人二人に何か有ったらしい。彼女は図書室を良く訪れるようになった。その理由について、僕は何も問わなかった。

 

 僕に語る必要が有るならば彼女から告げるだろうと考えていたし、また無遠慮に触れる事も無いだろうとも思っていたからだ。何より、他に人が傍に居るだけで心が癒される事が有るのだという事を、三年程前に僕は他ならぬ彼女から教えて貰っていた。

 

 だから、僕のやる事と言えば、何時もより図書室に居る時間を増やした位だ。彼女の口数が非常に少なかろうと、疲れ果て、苛立ち、時に僕へと当たる事が存在しようとも、それは当然の事だった。

 

 案の定ヒッポグリフの死刑予告通知が来たというのは、或る意味で都合が良かった。ただ、僕が既に頑張り過ぎていたという事は、逆に都合が悪かった。彼女が没頭する対象を、一つ奪ってしまったと言えるからだ。

 その代わりというように、ルビウス・ハグリッドの授業を余計熱心に〝改善〟しようとしている事は痛々しく有った。

 

 一方で、懸念されたシリウス・ブラックの再度の襲撃は未だに無い。

 

 学校が依然吸魂鬼付きである事と、スネイプ教授が冬季休暇中校内を駆けずり回っていた事を考えれば、やはり彼は逃げおおせているのだろう。彼が大量殺人犯であろうと冤罪囚であろうと、今年のアルバス・ダンブルドアにそれを泳がせておく理由は無い。一昨年や去年と違うのだ。あの老人からどうやって成し遂げているか、少しばかり知りたくも有った。

 

 とはいえ、やはり僕にとってシリウス・ブラックは関心の対象では無く、さりとて今年は向こうから関係者が寄ってくる年のようだった。

 

 新学期が始まって二度目の闇の魔術に対する防衛術の授業が終了した後、放課後に自身の研究室に来るようにリーマス・ルーピン教授から告げられた。

 その時の他のスリザリン生の反応は……まあ、何も言うまい。何故その雰囲気になったのか知らない教授は酷く不思議そうでは有ったが。

 

 そして注文通りに教授の部屋を訪れてみれば、何と言うか、そこは普通だった。

 何となくギルデロイ・ロックハートのあの派手さが懐かしくなってくるというのは、単に部屋を訪れた回数の差異なのだろうか。僕やギルデロイ・ロックハートの言葉に対して、一々部屋中の写真が反応を示すというのは、あれはあれで悪趣味だったが、見物でも有ったのだ。そして、最早永遠に見る事の出来ない光景でもある。

 

 そんな僕の感傷を他所に、リーマス・ルーピン教授は部屋へと招き入れた後、僕を椅子へと座らせた。そして、予め淹れていたであろう紅茶のマグカップを差し出してくる。

 

「スティーブン、いやステファンだったか。ティー・バッグなのが申し訳無いが」

「いえ、構いません。有難うございます」

 

 リーマス・ルーピン教授から、縁の欠けたそれを受け取る。

 個人的な好みで言えば珈琲の方が好きなのだが、さりとて客として呼ばれているのに文句は付けられまい。

 僕の反応に微かに笑った後、教授は僕と向かい合うように座った。

 

「……それで、何の用でしょう? まさか、成績について問題でも?」

 

 先んじてそう切り出した僕の言葉に、リーマス・ルーピン教授は不意を突かれたような顔をして、しかし微笑みを見せた。

 

「いいや、そのような堅い話では無いよ。君は全体から見ても、非常に良く出来ている。ただ、実技よりレポートの方が苦手なのかな? 勿論、それはどちらかと言えばの話だが。そそっかしい勘違いや間違い、或いは独自的な見解が目立つ。最後は一概に悪い事では無いが」

「……参考までに、教授から見て、スリザリンの中でレポートが優秀な生徒は誰です?」

「そうだね。男子生徒の中では、やはりセオドールだろうね。彼は何時も安定して良いレポートを仕上げてくる。後は……ドラコも良いね。もっとも、彼は君とは逆に実技の方をもう少し頑張るべきだが」

()()()()()()()()()

 

 僕は笑った。少しばかり、愉快な気持ちだった。

 もっとも、リーマス・ルーピン教授にその意味が通じる筈も無い。彼を知らなければ、僕とドラコ・マルフォイとの正反対さについて反応したと思うだろう。実際、教授は僕の返答について、何ら引っ掛かりを覚えなかったようだった。

 

「それで、違うというならば何なんです? 成績が問題でないのであれば、僕には教授に()()()()()()()()()()()()()()と思うんですが」

「……今更か。嗚呼、そうだね」

 

 レポートの話題の真意について理解出来なくても、そちらの皮肉は通じたらしい。

 もっともリーマス・ルーピン教授はその身分に相応しく、僕に対して怒りを見せるどころか、単純に恥じ入ったような笑みを浮かべるだけだった。

 

「本来ならば、直ぐ君に言葉を掛けるべきだったのだろうね。しかし、あの状況ではあー、何と言うか、そういう雰囲気では無かったというか。そうしてしまう事は、寧ろ君の立場を非常に難しい物にしてしまうように思えたのだよ」

 

 少しばかり言い辛そうにする教授に、今度は僕が苦笑する番だった。

 

「……まあ、解りますよ。殆どが自分の恐怖と向き合ったのに、僕だけ特別扱いする事など出来なかった事は。そして、都合の悪い事に、貴方はグリフィンドールだ」

 

 要するに、あの老人と同じ寮だった。

 そしてまた、僕はそれと犬猿の仲であるスリザリンだった。

 

「別に非難している訳でも有りません。僕にとって、あれは左程気にすべき事でも何でも無い事でしたから。実際、あの時も授業は何事も無く終わったでしょう?」

「そうだね、君は確かに退けてみせた。見事なものだったよ」

 

 教授は穏やかに、称賛を隠す事無く認めてみせる。

 

 その後の雰囲気は終始一貫して微妙にはなったが、大問題に発展しなかったのは間違いない。僕に促されて我に返った教授は僕の番が無かったかのように授業を進め、そして退治までやりおおせた。

 

 また、僕自身にとって気にすべきでは無いというのも偽りでは無い。

 所詮アレは偽物だった。良く出来ていたが、一瞬の泡沫でしかない。その間をやり過ごしてしまえば消え去ってしまう程度の存在を、どうして畏れられようか。

 

 だから、気になったのは──

 

「──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 僕の言葉に、リーマス・ルーピン教授は少しばかり怯んだような表情を浮かべた。そして何かを逡巡するように一呼吸置いた後、誤魔化すように微笑みを浮かべて答えた。

 

「そうだね。それが無かったとは言わない。ただ、私がこのような機会を設けようとしたのは、ダンブルドア校長から御話を聞いたからだよ」

「…………」

 

 成程、あの老人か。

 確かに休暇中、シリウス・ブラックの影響により生徒の数が露骨に減った事も有って、あの老人の手は空いていた。どれくらいかと言えば、学期中も不定期的に続いていた閉心術……と開心術の訓練について、再度僕に集中講義をする位には暇にしていた。

 

 そして、それが終わった後、同時に一応の卒業も言い渡された。既に基礎が殆ど固まった以上、自分が教え続けても大幅な実力向上に繋がらないだろうという事らしい。

 

 実際には、アルバス・ダンブルドアの教えを受け続ければ、全く実力が伸びないという事では無い。閉心術の訓練は、やはり相手有っての物である。

 ただ、今の僕にとってそれは習熟までの時間を短縮する程度の効果しか無い。裏を返せば、これぐらいの上達が有れば非効率的な自学自習でも十分同じ所まで行き着けるだろうというあの老人の御墨付で有り、それに文句は無かった。

 

 ただ、その辺りの事情は当然、リーマス・ルーピン教授は知らない筈だった。スネイプ寮監ですら知らないだろう。そして言うまでもなく、普通の生徒であれば、アルバス・ダンブルドアという大魔法使いは、雲の上に位置する筈の、遠い存在だった。

 

 だからこそ、僕の沈黙を当然に教授は誤解し、少しばかり早口で付け加えた。

 

「嗚呼、君が不安になるのも解る。そして、余り人に話すべき内容では無いという事も。だが、校長は別に君の事を悪く仰っては居なかった。寧ろ、君の事を案じていらした」

 

 案じていたというのは間違いなく体面だけ取り繕ったものだろうと確信していたが、そのような僕と老人の関係性についても、やはり教授は知り得なかった。

 

「別に、責めるつもりは有りませんよ。教授としては、自分の校長がまね妖怪として現れたなんて、十分報告案件でしょう。……それで、どんな反応を?」

「校長は、驚いていらした。けれども、その後直ぐに納得していらっしゃった」

 

 その内容からは不自然さすら感じる程落ち着き払ったままに、ルーピン教授は言い切った。

 

「まあ、良く解らないのが、その後に『自分が現れただけだったか』と聞かれた事だったけどね。しかし、私は何も答えられなかった。……嗚呼、別に私が君に答えを求めて居る訳じゃない。ただ、校長はそう仰っていた事は伝えておくべきだと思ってね。私が校長に伝えた事が、手放しで褒められたものじゃないのは確かだから」

「────」

 

 流石に校長閣下は僕と同じ考えだったらしい。

 

 敵意と殺意に満ちたアルバス・ダンブルドア。それが現れたのは別に良い。

 だが正直言って、僕はハーマイオニー・グレンジャーの死体が現れるという事を()()()()()()()()()()、あの老人が出て来た時でさえも、ハーマイオニー・グレンジャーを示すような属性を有する物が共に出て来ると思っていた。

 

 彼女の杖なんかが良い典型だろう。折れたそれを握っていたとかであれば、僕はそれを素直に受け止められた。()()()()()()()死体が出て来るというのは、非常に真っ当で典型的なまね妖怪の変化形態と言えた。

 

 だが、僕のボガードが再現したのは、アルバス・ダンブルドア以上の物では無かった。

 それがボガードの再現能力の限界に有るのか、或いはそれ以外に何か理由が有るのか解らない。けれども、どんなに探しても他の要素は見付からなかった。

 

「しかし、その様子では校長の質問に対する答えを、君も持っていなさそうだね」

「……ええ、まあ」

 

 教授の想像している理由とは全く違うが、誤解を解かずに僕は頷いた。

 それを少しばかり観察するように教授は見た後、言葉を続けた。

 

「ただ、私としても考えが足りなかった事は認めざるを得ないだろう。闇の帝王、或いは死喰い人が現れるという可能性は、当然に思い描いていた。可能な限り、そのような生徒には向き合わせないようにしたし、ハリー──ハリー・ポッターはその典型だった。けれども、その逆の可能性というのは、完全に想定外だったよ」

 

 まあ、この教授もあの瞬間完全に硬直していたのだから、余程の衝撃だったのだろう。

 

「……教授が気に病む必要は無いでしょう」

 

 全くの本心と共に、僕は言葉を返す。

 

「実際、僕の方が異常なのでしょう。〝本気〟のアルバス・ダンブルドアに現実味を感じているのは、恐らくこの校内に僕しか居ない筈ですから」

 

 僕は過少評価してしまっていたのかも知れない。

 アルバス・ダンブルドアという存在の事を。

 

 考えても居なかった奇縁によって、僕はあの老人と近くなり過ぎてしまった。

 御互いに不可避の反感を抱けども、あの老人は僕を糾弾するには老成し過ぎており、そしてまた僕はあの老人と訣別するには矮小過ぎた。更に言えば、御互いが似たような傷を持っていた。そして何より、如何にその本質が頑迷で、傲慢で、冷淡で有ろうとも、僕は二年前の最後に見た姿を──愛に惑わされた姿というのを忘れ去って居なかった。

 

 また、僕が接触する存在が何も変わらなかったという事も小さくないのかもしれない。

 ハーマイオニー・グレンジャーはその事実を知らず、ドラコ・マルフォイは半純血の僕程度を恐れて避けるような屈辱を自らが許せなかった。必然として、僕の狭い社会では、その重みというのを実感する事は遅れに遅れた。

 

 僕のまね妖怪の正体について告げた時の、ハリー・ポッターの表情を覚えている。

 そして、恐らくそれが客観的な評価として正しいのだろう。彼は〝英雄〟で、そうであるが故に全ての解答でもある筈なのだから。

 

「君は、あのような校長の姿を見た事が有るのかい?」

「いいえ、有りませんが」

 

 静かに投げ掛けられた問いに、軽く首を振る。

 

 訓練中に何度か不可避的に過去を覗きはしたが、その影響は無かったのは明らかだ。

 まね妖怪は良く知る姿──老人の姿だった。そして僕はそれを不思議に思うものでは無い。ゲラート・グリンデルバルドとの伝説的な決闘も含めて、全ての過去は現在の老人の中に在る。肉体と魔法力の活力の衰えは、時の積み重ねの前では些細な差異に過ぎない。

 

「まね妖怪の模写対象は、現実に見た物でなければならないという制限は無いでしょう? 見た物にしか変化出来ないというのであれば、あれ程までに正確に個人の恐怖を写し取る事は出来ない。その存在自体が人で言う開心術そのものであるからこそ、人によってそれが恐怖を掻き立てるか否かの大きな差異を生み出してしまう」

 

 寧ろ、見た事の無い物を──目に見えない抽象的な部分を、再現性に難を抱えるにも拘わらず視覚的な制限の内に再現しようとしてしまうからこそ、時にちぐはぐで、時により致命的な結果を生み出してしまうのだろう。

 

 ハリー・ポッターの変化が良い例だ。

 

 彼のまね妖怪は、親の死んだ状況を再現するのでは無く、それを再現する吸魂鬼こそを再現する。直接的に言えば、例えば今まさに死のうとしている両親達の姿、或いは声を再現する方がシンプルで難が無いと言える。けれども、まね妖怪はそうしない。何故なら、まね妖怪は本能的に、その状況を再現される事自体がハリー・ポッターの恐怖では無いと理解しているからだ。

 

 彼にとって両親の死は最悪の恐怖の象徴で有ってもそれ自体では無く、言ってみれば人の精神を蝕み破壊する恐怖そのものを恐怖している。もっと噛み砕いて表現すれば、恐怖が齎す影響こそを恐れているというべきか。

 

 だからこそ、平和と幸福、希望を奪い取る吸魂鬼の姿に変わってしまうのだろう。

 

「……確かに君の言う通り、まね妖怪の性質はそのような面があるが」

 

 教授は、口元に僅かな微笑みを浮かべたままに、僕の眼を真っ直ぐ見て言う。

 

「あれ程精巧な変化な物だから、私は見た事が有るのだと思って居た」

「……一生徒が、何時見る機会が有るというんです? アルバス・ダンブルドアの存在をもってすれば、僕を殺す事など指一本すら必要無いでしょうに」

「一生徒という表現が正しいのか私には疑問が有るがね。とはいえ、確かに見た事が無いというのは、そうなのかもしれない。先学期のミスター・ポッターが墜落した時ですらも、そして私が知る中でも、あれ程の感情を御見せになった事は一度として無い」

「貴方が知る中、というのは不死鳥の騎士団の際の事ですか」

 

 その単語を出した瞬間、リーマス・ルーピン教授の瞳が僅かに鋭くなる。

 けれども、すぐさま普段の授業を思わせるような、先程までと同じような、穏やかな物に戻った。

 

「君は私が思うより多くの事を知っているようだ。とは言え、私はそれに対して答えてあげる訳には行かないな。ダンブルドア校長がそれを率いていたのは事実だが、彼を信頼する者全てがその組織に属した訳では無いし、逆に信頼しない者も属していたのだから」

 

 ただここで誤魔化し過ぎるのも不自然だろうと、教授は続けた。

 

「私がダンブルドア校長と『例のあの人』の衝突の瞬間に立ち会った事は無い。けれども、仮にその瞬間に立ち会ったとしてもああはならないと思うよ。敢えて言うならば、伝説的な決闘をしたゲラート・グリンデルバルドくらいじゃないかな。校長が本気にならないとは口が裂けても言わないが、恐らくそこまで入れ込んではいるまい」

「……アルバス・ダンブルドアにとって、闇の帝王はその程度でしかないと?」

 

 僕の詰問にも似た言葉に、教授は明らかな苦笑を見せた。

 

「そうじゃないさ。強弱の問題では無い。純粋な力量だけ言えば、闇の帝王はグリンデルバルドよりも上回るかも知れないのだから。言ってみれば、自分の存在意義に対する闘争とでも言うのかな。世間的な善悪を超えて許せない物であるか否かという事だ」

「……大人的な比喩は解りにくいので、もう少し簡潔に言ってくれませんか」

「本当に君に伝わっていないのかな? まあ良いが、恋でも愛情でも、友愛でも家族愛でも何でも構わない。自分の価値観において認められず、そして自らが何としてもそれを挫かなければならない。そういう妄執めいた物が足りない気がするんだよ、私にはね」

 

 どういう経緯に至って、教授がそのような事を思ったのかは解らない。

 けれども、その言葉の意味までが理解不能な訳では無い。

 

『彼はヴォルデモート卿といずれ対決するであろう』

 

 二年前、アルバス・ダンブルドアはそう言った。

 

 その口振りは、まるで彼こそがそうせねばならないというようで有った。実際、アルバス・ダンブルドアはハリー・ポッターを闇の帝王と向き合わせる事にこそ拘った。管理された形で有っても、賢者の石を餌としてでも、彼の成長を促す必要性を確信していた。

 

 この魔法戦争が、闇の帝王と今世紀で最も偉大な魔法使いを打ち手として、魔法界を盤と見立てて対立する物では無く。あくまでそうであるのは――主役であるのは、〝生き残った男の子〟だというように。

 

「まあ、君が私の考えに同意するかは別だがね。ともあれ、私にとって痛恨だと感じたのは、スリザリンの前にアルバス・ダンブルドアという存在が現れたのもそうだが、それ以上に、生徒にそのような類の激情に触れさせてしまった事こそある。あれは余りに刺激的過ぎた。少なくとも、ホグワーツ三年生が向き合うような物じゃない」

 

 何せ私も大いにビビってしまったものだ。

 冗談のように口にするが、釣られて笑みを浮かべるには真剣味を消し切れていない。

 

 ……この教授は、僕の一件が大失敗だったとハリー・ポッターに漏らしてしまった。

 

 それが気の緩みから、或いは親しみから感じる物である事は否定しきれないだろう。だが、彼が他の生徒の前ですらそう独白せざるを得なかったのは、彼が彼なりに真剣に矜持と覚悟を持ってあの授業を──まね妖怪を用いる事を決断していたからなのだろう。

 他の授業で如何なる失態を犯そうとも、あれだけは絶対に失敗してはならない。それ程の意義を教授が見出していたからだった。

 

「……貴方は、何故まね妖怪を用いるという過激な授業を一番初めに行ったのです?」

「何故だと思う?」

 

 リーマス・ルーピン教授は、静かに微笑んだ。

 その微笑みは今までと別種の物で、真実に満ちていて、同時に挑発的だった。そして、問いの答えを求めて居なかった。

 

「闇の魔術に対する防衛術。その核心は、邪悪へ向き合う覚悟を持っておく事だよ」

 

 資格無き愚か者は逃げるべきなのだと。

 かつてその教訓を身をもって示した人間と同じ地位でもって同じ科目を教えながら、しかしリーマス・ルーピン教授は全く別の解答を口にした。

 

「邪悪は人間を襲う機会を常に伺っている。そしてそれは突然訪れる物で、襲うのを待ってもくれない。別にそれは『例のあの人』とやらに限った物じゃない。この世には、邪悪というのは有り触れている。だからこそ、僕はまね妖怪を使った。疑似的とは言え、その覚悟を抱かせ、そして打ち破る経験をさせる為に」

 

 たとえ教授によって守護された状況で有っても、リディクラスという呪文一つで追い払える偽物で有っても、大勢の仲間達が傍で見守っている物で有っても──いや、そうであるからこそ、教授はその価値を見出し、他の人間から最も介入を受け辛い一番最初においてそれを行ったのだろう。

 

「平和になったのは良い事だ。私の学生時代とは雲泥の差だね。しかし、全ての邪悪が打ち払われた訳では無い。そして、恐怖の下に硬直してしまえば、それはそのまま死を意味する事が多いというのを僕達は肌で理解している。同時に少しでも動けさえすれば、それだけで生きられる可能性が上がるという事もだ」

 

 リーマス・ルーピン教授は、魔法戦争を知っている。そして、その教訓も。

 それは僕が決して持ち得ない物だった。

 

 一昨年、僕は動けなかった。杖を持っていながら、何も出来はしなかった。

 スネイプ()()が居なければ、僕はあの時死んでいたか、或いは、真っ当な生活を送れない程度には破壊されていた。直接感謝を伝えていないとはいえ、それでもあの老人に伝言を頼んだのは本心で有ったし、その恩を未だ忘れては居なかった。

 

 そして眼前の教授はその一端でも生徒に伝えようとした。

 

「……もっとも、上手く行ったとは言い難いがね」

 

 自分の気持ちを慰めるかのように紅茶を啜った後、カップを置きながら教授は苦笑する。

 

「教師というのは匙加減が難しい。ハリーのように恐怖を知り過ぎている人間には向き合わせられないし、逆にそうでない人間には余り重みが伝わらない。そして、まね妖怪が恐怖を再現しきれない君のような人間には、そもそも試練自体に成り得ない」

 

 ただそれでもこの教授は、何かが残る事を期待して、あの授業を行ったのだ。

 

 感慨に沈む僕を前に、教授は少しばかり姿勢を正す。両手を軽く組み、椅子から多少身を乗り出すようにして、リーマス・ルーピン教授は、僕へと言葉を投げ掛けて来る。

 

「さて、校長は何も言わなかった。君に対して問い詰めたり、何かを聞いたりする必要も無いとさえ仰った。だから、その事自体に君が不安を感じる必要性もまた無い」

 

 口元には依然として微笑みが有ったが、瞳には真剣さが有った。

 

「とはいえ、私は一応教授だ。()()アルバス・ダンブルドアに対して馬鹿馬鹿しい(リディクラス)と告げて見せた君が、僕に対して何かを話したい事が有ると思うならば別だ。今更と思うのも当然だろうし、僕としても答えを強制している訳では無いが、出来れば聞かせて欲しいと思っている」

「…………」

「レッドフィールドという名前は、私には聞き覚えが無い。死喰い人としても、それどころかホグワーツ卒業生としても。同姓を探せば居るのかも知れないが、君のように印象的な魔法使いとなれば、まず居ないだろう。父上と母上、どちらの姓なのかな?」

 

 教授の問いに、軽く溜息を吐く。

 

()()()()()()()ですよ。魔法使いで有ったのも。ただ何処かの外国に居たらしいですし、教授が御存知無いのも無理は無いでしょう。母は非魔法族であり、魔法戦争後に僕を連れてこの国に入ってきたようですし。何処に居たかも正直知りません」

 

 何処の国に一番近しかったかは父や母の言葉からは想像が付いているが、さりとて父が卒業生であった事までは保証しないだろうし、一箇所に留まっていたかも怪しい。

 

 僕の答えに、教授は満足を示すかのように軽く頷く。そして、更に何かを口にしようとしたが──僕が口を開く方が更に早かった。

 

「その前に、リーマス・ルーピン教授。一つ質問をしても?」

「ん? 何だい?」

 

 教授は一瞬面食らったようだったが、しかし微笑みを浮かべ直した。穏やかで、理想的な大人として在ろうとしていて──それでいて、作り物だと解る表情を。

 

「教授はシリウス・ブラックが何故ホグワーツに侵入出来たと思いますか?」

「……何故私にそれを聞くんだい?」

 

 リーマス・ルーピン教授は動揺を現さなかった。

 

「貴方が狼男であり、彼と繋がりが有るから」

 

 だから、僕はそれを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 リーマス・ルーピン教授は硬直し、その瞳には大きな動揺が有った。

 それは狼人間である事を当てられたが故でもあり、またシリウス・ブラックとの繋がりを示唆されたが故でもある。

 

 けれども、彼がそこまで大きな反応を見せた一番の理由は、自分が僕の事を探ろうとしていたにも拘わらず、逆に自分の事について手酷い逆襲を受けた事に違いなかった。

 

「非常に教授らしい態度で有ったと思いますが、グリフィンドールがスリザリンに親切過ぎるのは不自然です。最初からそうであったならば別ですが、まね妖怪の授業が終わってから四か月も経ってそういう事を言われれば、怪しまない方が可笑しいでしょう」

 

 細部が多少異なりはすれども、僕はクィリナス・クィレル教授を思い出していた。

 寮監でも無いにも拘わらず、個人について余計な事を詮索しようとする態度は、やはり真っ当であるとは言えまい。一応今回は授業内容の事で灰色では有るが、それでもやはり期間が空き過ぎているのは致命的だった。

 

 何より、アルバス・ダンブルドアが問題無いと言っているのにも拘わらず、この教授が関わって来ようとする態度にこそ僕は引っ掛かった。

 

「僕は最初に言った筈ですが。今更だと。そしてそれと共に、ハリー・ポッターに何か聞いたんですかとも」

 

 一昨年、去年はレイブンクロー。しかし、今年はグリフィンドール。

 そしてボガートの件を考えれば、僕に対して()()を抱くのは当然と言えた。入学前に接触が有り、僕の事情について多少なりとも──しかし、その核心部分を──知っていたミネルバ・マクゴナガル教授とは違う。そして闇の魔術に対する防衛術教授という地位は、半ば職業病として、それが頭に過ぎらずには居られなかった。

 

 片方だけならば、見逃したかもしれない。否、恐らく、ボガートの件については、この教授は可能な限り速やかにあの老人に照会したのだろう。そして、一応の保証が得られたから、彼は僕に対して何も問わなかった。九月の学期初めにボガートの授業を終えて尚、教授は一月まで沈黙を守り続ける事が出来た。

 

 けれども、彼はハリー・ポッターと会話して、僕と交流が有る事を知った。この時期なのは、やはり守護霊の呪文の訓練を始めたからに違いない。あの話の流れからして、ハリー・ポッターは僕の事を当然に話題としただろう。

 

 その上、彼は単なる教授では無く、ハリー・ポッターに非常に深い想いを──恐らく、ジェームズ・ポッターとの繋がりの為に個人的な強い感情を抱いている教授であった。

 

 ハリー・ポッターへ確認した事柄に加え、客観的に見て、学年の適性水準を超え、当人が覚えられるかどうか不透明な魔法の習得の為に時間を割くというのは相当入れ込んでいなければ不可能である。あのミネルバ・マクゴナ