それは限りなく呪いと同義の (梵丸)
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それは限りなく呪いと同義の

憧憬は呪いにもなるし逆も然りだよねって話です。


 

「……ストロノーフか。あれは羨ましいほどに強い男だった」

 血のように赤い眼孔の灯火が、ゆらりと蜃気楼のように揺らめく。何処か遠くを見つめるように告げられた言葉は、僅かに掠れた声色で。

 思わずアインザックは、大きく目を見開いた。

 

 

 帝国で行った武王との闘いが終わってから三日。あの闘技場での宣言によって、帝国内部ではあの場にいた観戦者のみならず、彼らから話を聞いた冒険者や冒険者を目指す者達が、魔導国についての情報を求めて少しずつ動き出していた。

 その証拠に、魔導国への入国希望者が一気に増えたのだ。それまでは殆ど外部の人間達が寄り付こうとしなかった事もあり、入国検査を任されている者達はてんやわんやの騒ぎとなっている。

 勿論、それらの情報は魔導王アインズの元にも届けられており、自身があの闘技場で行った事はやはり正しかったのだと諸手を上げて喜びたい気持ちだった。

 

 その日、アインズは今後の冒険者育成についての話し合いも兼ねてエ・ランテルの冒険者組合長の執務室に来ていた。

 先の武王との一戦が予想以上の効果を発揮しており、それによって魔導国内の活気が少しずつ増えてきている。彼ら外部の人間が魔導国の良さを知ってくれれば、それがどんどん周囲へと広がっていくに違いない。

 それすなわち魔導国の宣伝になる、という訳だ。アインズにとってはそれが狙いだった事もあり、この魔導国を更に発展させていく意味では順調な出だしとなったと考えている。

「それにしても陛下、あの闘技場での陛下のお言葉、予想以上に効果があったようですね」

 アインザックが執務室の窓から眼下を眺める。視線の先には、帝国の冒険者であろう人々が通りを歩く姿が幾つもあった。

 彼の手元には、今後創設する冒険者育成の為の学校の資料が置かれている。それについての話し合いを現在行っていたのだ。

「うむ。この調子なら冒険者育成の為の学校にも、多くの者達が学びに来てくれるだろう。それはとても喜ばしい事だ」

「本当にその通りですな、陛下。将来優秀な冒険者が生まれる事を、心から願っております」

 楽し気に語る男に、アインズの心も温かくなる。

 この男は他の人間達と違って、アインズを極端に恐れたりはしない。少しでもそれは違うのでは? と思った事を正直に伝えてくれる。意見を交わし話し合う事が出来る。

 その事から、嘗てのギルドメンバーとまではいかないが、それに近いものをアインズは感じていた。だからこそ、この男と話すのは心地良い。

 フフッと笑いながら、アインズは口を開く。

「もしかしたら、あのガゼフ・ストロノーフのように強い冒険者が生まれるかも知れないな」

「……」

 アインズの言葉に、アインザックは何か言いたそうに視線を寄越した。その表情は、何処か戸惑いを感じられる。どうしたのだろう。自分は何も変な事は言っていない筈だ。不思議そうに小首を傾げると、アインザックは意を決したようにアインズに尋ねた。

「――以前から思っていたのですが、何故、陛下はそこまでストロノーフ殿を評価なさるのでしょうか? 勿論、彼が素晴らしい御仁である事は理解しております。陛下が彼の心の強さを評価している事も。ですが、私にはどうもそれだけが理由ではないように思えるのです」

 アインザックが、真っ直ぐにアインズを見つめる。その瞳はどこまでも真摯なものだ。

(嗚呼、そうか。この男もか)

 そっと視線を逸らしそうになったアインズに、アインザックは柔らかな声色で問いかける。

「陛下」

 ギシッと、彼の座る椅子が音を立てた。彼が僅かに身を乗り出し、自分の方へ近付いたからだ。

「陛下は一体『誰を』見ているのですか……?」

 恐らく彼は、この質問をする事にかなりの勇気が必要だっただろう。それは、アインズの心に踏み込む事になるからだ。しかし、それでもこうして問いかけてきたという事は、彼がアインズならば答えてくれると確信したからだ。

 外ならぬ自分にならば、その心の一部でも打ち明けてくれるであろうと、彼は信用している。そこまでの信用を得ていると確信している。

 そしてそれは正しい。

 正直言って、アインズは何となくいつかは聞かれるだろうと思っていた。自分がガゼフの話をする度に、何か言いたそうにしているのには気付いていたからだ。

 だが、それを自分から問う気はしなかった。彼が葛藤しているのが分かっていたからだ。その葛藤を自分が消してしまうのは彼への無礼に当たる。アインズはアインザックを信用し、信頼しているからこそ、彼の葛藤を取り上げたくなかった。

 自分の命令でその口を割る事は出来る。だが、それでは意味が無い。彼がその葛藤を乗り越えた先で、恐らく本当の意味で自分のこの想いを吐露する事が出来るだろうと考えたからである。

 

「……」

 黙り込んだアインズを、アインザックは辛抱強く待った。その様子を見て、アインズはふっと肩の力を抜いた。

「合格だ」

「は?」

 アインズの眼孔の灯火が、柔らかく震える。

「お前にならば、私の本心を打ち明けても良いと、今、この瞬間理解した」

 光栄に思えよ? と笑うと、困惑しつつもアインザックは椅子に座り直した。

 アインズは机の上で手を組みながら、深く息を吐き出した。肺など無いのにこうして息を吐き出すフリが出来るのは、やはり未だに謎だ。

 そんな事を頭の片隅で考えつつも、アインズは己の心にかけた鍵を、回す。ずっと閉じ込めていた想いを、少しだけ彼に明け渡したとしても良いだろう。それだけの価値が、彼にはあるのだから。

 

「……昔、私がまだアインズと名乗るずっと前の事だ。力も無くただ狩られるしかなかった私を、救ってくれた男がいた」

 そう言うと、アインザックは驚愕に目をパチクリとさせていた。

「へ、陛下にもそのような時代があったのですか!?」

「当たり前だろう? 誰もが最初から力を持つ訳ではない。例外もあるが、少なくとも私は弱かった。もう駄目だと思った時、その男は颯爽と現れて私を救ってくれたのさ」

 懐かしい光景に、思わず表情を綻ばせる。骸骨の見た目だから、恐らくそれは伝わらないだろうと思ったが、付き合いの長いアインザックには伝わったらしい。何となく、彼の空気が変わったのが分かった。

「私にとって、その光景はあまりにも衝撃的だったのさ。たった一振りの剣で、敵を一度に切り殺す。眩しかったんだ。とてもね」

 まさに、自分にとっての英雄だった。

「見ず知らずの自分を救ってくれた彼はこう言っていた。『困っている相手がいたら助けるのは当たり前』だと。それが正義だと」

「正義……」

「迷いなくそう答えた彼は、まさに正義そのものだったよ。私はそんな彼の愚直なまでの真っ直ぐさに惹かれた。彼に誘われてギルドに入って、そこでも沢山の仲間が出来たが、やはり自分にとっての一番は彼だった。彼の、強い意志を宿した瞳が眩しくて羨ましくて――」

 そっと言葉を区切る。

「憧れだった」

 大事に、大事に。噛み締めるように口に出す。

「私は彼のような正義にはなれない。私は我が儘だからね。守りたい者の為にはどんな手段だって使う。それこそ、この『アインズ・ウール・ゴウン』という名を名乗るようになってからは、特にそれが加速した。殺すのを厭わなくなった。殺しても何も感じなくなった」

 けれど、とアインズは続ける。

「けれど、ガゼフ・ストロノーフは別だった。アイツの瞳には、私が憧れた男と同様の光が宿っていたんだ。だから殺したくはなかった。けれども、彼の意志を尊重した結果、私は彼を殺さざるを得なかったのだよ」

 アインザックは、暫し迷うように視線を彷徨わせた。

「それは……彼が、己の正義を貫いたから、でしょうか?」

 アインザックの疑問に、アインズは静かに頷いた。

「そうだ。私は彼の正義を尊重した。尊重した結果、彼を殺すしか無かったのだ。あの戦争で、数万の兵を殺した時は何とも思わなかったんだが、あの男を殺す時だけは、流石の私も、少なからず惜しいと感じたよ」

 

 万の命よりも一の命を惜しいと感じた。

 たっち・みーのような光を宿す瞳が、嫌いではなかったからだ。

(――本当に、俺は我が儘だな)

 これが一国の王だと言うのだから笑ってしまう。

 

「最早これは、限りなく呪いと同義の憧憬なんだよ、アインザック」

「陛下……」

 ふっと己の手元に視線を落とす。ギルドメンバーが――あの人がいた頃の栄光のナザリック。この伽藍洞の骨だけの身体の中には、沢山の思い出が詰まっている。

 その記憶を忘れるなんて、到底無理な話だった。そんな彼らの残した子供たちを守る為になら、この世界の生きとし生けるもの全てを利用しても良い。

 

「アインザック、お前だからこそ正直に言おう。私にとって人間とはどうでも良い存在だ。魔導国を栄えさせたいのも、友らが残したナザリックを守る為だ。その為に人間達を使っている」

 それは、アインザックにとって想定の範囲内だった。あれだけの巨大な力を行使出来る存在が、人間という矮小な存在を特別視してはいないだろうと。だからこそ、アインズの言葉を聞いても、それ程動揺はしなかった。

「……だが、ガゼフやお前のような人間がいる事も分かった。嘗ての友を思い出すような――そんな存在がいると。私は、そういう存在は大切にしたいと思っている」

 嘗てのギルドメンバー達。彼らに近いものを持っている存在を、アインズはどうしても好ましく思ってしまう。

 特に、たっち・みーのような気高い眼差しを持つ者を、アインズは特に好んでいた。

 いつまでも、追いかけてしまう。

 嘗ての英雄を。焦がれる程の憧憬と共に。ここまで来ると、本当に呪いのようだと自嘲してしまうのも無理は無い。

 そんな事を考えていると、今まで黙って話を聞いていたアインザックが、思案気に言葉を紡いだ。

「陛下、一つ提案があるのですが」

「提案?」

 一体何だろうと続きを促すと、アインザックはコクリと一つ頷いた。

「もし陛下が宜しければ、ガゼフ殿の墓参りに行きませんか?」

「……墓参り、だと?」

「えぇ。実は私の知り合いの商人から時々手紙が来るのですが、その中で王がガゼフ殿の墓を作ったらしいとの記述がありまして」

 どうでしょうか? と首を傾げる目の前の男に、流石のアインズも慌てて首を横に振った。

「お、お前、分かっていると思うがアイツを殺したのは私だぞ?? 殺した張本人が墓参りだなんて、有り得んだろう!」

「陛下の言葉も最もなご意見ですが、私としては陛下が墓参りをする事で、ガゼフ殿への後ろめたさ等が少しでも解消出来ればと考えたのですが」

「!」

 ハッとしてアインザックに視線を戻す。アインザックは、心の底からアインズの事を心配しているようだった。

「アインザック、お前」

「陛下は案外分かりやすいですからね。私としては、陛下の憂いを少しでも晴らせれば、今後の業務も円滑に進められるかなぁと」

 ニヤッと口角を上げた男に、思わずキョトンと眼孔の灯火が瞬く。だが、次の瞬間、アインズはくつくつと笑い声を上げた。

 

 本当にこの男は、よく気が利く奴だ。

 

「全く、お前には敵わんな」

「ご冗談を。それで、どうしましょう? 墓参り、行きますか?」

「――あぁ。行こう。しかし、私が行っても本当に大丈夫なのか? 他にも墓参りに来ている連中がいる筈だが?」

 そう尋ねると、アインザックは肩を竦めて苦笑を浮かべた。

「いえ、そうでもないんですよ。現在王国は先の敗戦で多大なる被害を受けていますからね。墓参りしている暇もないのが現状です」

 そもそも墓を作る暇も無いらしい。その原因は勿論アインズにあるのだが、それについては何も言わない。

「ガゼフ殿は長年彼に仕えていた事もあり、信頼も厚かったですから。王自らが墓を作るよう指示を出したのでしょうね」

 成程。彼のあの真っ直ぐで誠実な心は、どうやら昔からあったもののようだ。

「では、案内してくれ。念の為私は〈不可視化〉を使って行こう。あの仮面を被ってもいけるかも知れないが、冷静に考えればあの姿は多くの兵らに見られているしな」

 納得したようにアインザックは頷く。あの大虐殺を引き起こした張本人が王国に無断侵入した、と分かればどうなるか、それは考えなくても分かる事だ。

 つまり今からする事は密入国、という形になる。それを勧めているアインザックは、少々強引な所が魔導王に似てきてしまったな、と内心笑ってしまった。

 

   ・

 

 現在、王国内の情勢は混乱を極めていた。食料難に人手不足、物資不足等々。問題は山積みだ。だから、国民は今回の戦争で亡くなった者達の墓を作る暇がまだ無い。共同墓地に埋葬するならばそれ程費用もかからないが、それでも金がかかる事に代わりは無い。

 そんな中、王はまずガゼフ・ストロノーフの墓を作った。ガゼフならばあまり華美な墓は嫌がるだろうと、質素な墓を作ったのだ。だが、本当はガゼフを復活させようと王が考えているのを、ブレインやクライム達は知っている。

 しかし、仮に復活の魔法を施したとしても、彼は蘇らないだろう。彼は己の生に満足して死んだ。生者である我々がいくら呼び掛けようとも、決してこの手を取りはしないとブレインは考えている。

 

 彼は生き抜いた。

 

 力強い眼差しで二人を見据えたあの男は、己の生き様をこれでもかと見せつけて死んでいった。悔い等ある訳がない。ある意味、羨ましい死に方だった。

 

 

 ブレイン達は、敗戦後の混乱極まった状態の中、定期的にガゼフの墓参りに訪れていた。やはり、ガゼフ・ストロノーフという男は二人にとって大きな心の支えだからだ。墓前で近況報告を行うのも、色々と気持ちを整理したいという思いがある。

 その日も、二人はガゼフの墓参りに行く約束をしていた。

 だが、どうしても外せない急用が二人に降りかかってしまい、結局その日は行く事が出来なかった。後日、日を改めてまた行こうと約束し、二人は用事を片付けるべくそれぞれの持ち場へと向かった。

――二人にとっては、運が良かったのかも知れない。だが、その事実を彼らが知る事は無かった。

 

   ・

 

「此処がガゼフの墓か」

 アインザックに案内され、アインズはガゼフの墓へと到着した。周囲を森で囲まれているその場所は、彼らしい質素な雰囲気を放っている。

 小動物や鳥などが居そうなのだが、辺りはしんと静まり返っていた。恐らく、アインズという〈死の超越者〉が来た事で、本能的に隠れたのかも知れない。

 シモベ達曰く、アインズには彼特有の気配というものがあるらしい。それを動物たちは敏感に察知し、何処かで息を潜めているに違いない。

(なんか、どんどん人間離れしていくなぁ)

 今更ながら笑ってしまう。そういった肉体的な効果もそうだが、何より心がどんどん人間離れしていくのが分かる。本当に今更だ。

 人間らしい感情がもっと残っていれば、あの戦いで王国の兵達を殺し尽くした際に、何かしら感じるものがあっただろうに。あの時のアインズは何も感じなかった。何も、何も。

 それなのに、ガゼフを殺すと決めた時はそれを惜しいと思ったのだ。だから何度も彼に食い下がった。本当にそれで良いのかと。

「陛下」

 アインズの心を読んだかのように、隣に立つアインザックが気遣わしげに声をかけてきた。それに対し大丈夫だと軽く手を上げ、アインズはガゼフの墓を見下ろした。

「ガゼフ・ストロノーフ。お前を殺したくなかったのは本当なんだぞ?」

 未練がましく墓石をガリッと引っ掻いてみる。この行為をあの男なら怒るだろうか。それとも駄々を捏ねる子供を宥めるように、笑って許してくれるだろうか。何となく、後者な気がした。

「お前がカルネ村で見せたあの目。私はそれを見て、嘗ての友を思い出したのだ。お前には言っていなかったがな」

 ふっと肩を揺らして、アインズは空を見上げた。澄み渡る青い空。あの戦場もそうだった。

「――大丈夫ですか、陛下」

 思いの外小さな声を出しつつ、アインザックはアインズの顔を覗き込んでくる。この男のこういう心遣いを、アインズは好ましいと感じていた。

「心配性だな、アインザックは」

 そう答えたが、無意識の内に体が強張っていたようだ。彼に声をかけられて、少しだけ全身の強張りが解けていくのを感じる。これなら、大丈夫そうだった。

 ガゼフの墓は、静かに己の前に佇んでいる。まるで、アインズの言葉に耳を傾けているかのように思えた。

 風が二人の間を吹き抜けていく。サラサラと、アインズのローブの裾が踊った。

「……ガゼフ・ストロノーフ。嘗て、私の友にお前のような男がいた。曲がった事を許せない、真っ直ぐな男だったよ。弱かった私を救ってくれた、私の憧れの男だ」

 純銀の聖騎士、たっち・みー。正義を愛する人格者。まさに、英雄のような男だった。

「だから、なのかも知れんな。だが、それ以上にお前のあの力強い瞳――死を覚悟して進む人の意志。強い目を見た時、私の中に僅かに残る人間の残滓が、震えたのさ」

 隣で黙って聞いていた男が、驚愕で息を飲んだのが気配で分かった。どうしたのかとそちらへ視線を向けると、彼は逡巡しつつも口を開く。

「その、陛下は嘗て、人間、だったのですか?」

「そうだ。もう僅かな残滓しか、この伽藍洞の体には残っていないがな」

 そう言って、アインズはむき出しのワールドアイテムに指を這わせる。ぼうっと赤黒い光を放つそこは、内臓も何もない空洞に浮かんでいる。

「こんな空っぽの体に残った僅かな残滓が、ガゼフ・ストロノーフ。お前の意志の強さで浮彫になったんだ」

 墓の表面を、もう一度ガリッと引っ掻いた。

「お前のせいで私は、人としての心を今一度思い出してしまったではないか」

 

 嘗ての純銀の聖騎士のように、彼が民を守ろうとする姿が、酷く眩しくて羨ましいと思ってしまった。

 自分に無いものを持った人間。人としての意地。己の正義を全うしようとする力強い意志。

 根底にあるのは、嘗ての友への憧憬。そしてそれは呪いの如く、彼を連想させる人間を絡め取ってしまう。己の中を漂う人間の残滓を、必死に繋ぎ止めるかのように。

 

「陛下は、ご自分の中に漂う人間の残滓が嫌なんですか?」

 恐る恐る尋ねるアインザックに、アインズは柔らかく眼孔の灯火を揺らめかせた。

「そんな事は無いさ。ただ、懐かしい感覚だと感じるよ。アンデッドになってからは、そのような感覚は余り感じなくなってしまったからな」

 その返答に、彼はホッと胸を撫で下ろしていた。

「そうですか。それを聞いて安心しました。きっと陛下の慈悲深い考え方は、人間の残滓がある事が一番大きいと思いますので」

 うんうんと頷くアインザックを見て、そうなのだろうかとアインズは考えた。

(確かに、もしこれで俺が本当に人間の残滓を捨ててしまったら、本当の意味でアンデッドと化してしまうだろう。そうなればきっと、ガゼフのような男を見ても何も感じないのかも知れない)

 

 それは、とても嫌だった。

 

 アインズは力強くアインザックの手を掴む。何事かと顔を上げた男の目を、真っ直ぐに見つめた。

 

「アインザック。もしも私がこの先、人間の残滓を捨ててしまって本当のアンデッドになってしまったら――その時は、どうか俺から逃げてくれ」

「!? な、何を仰ってッ」

「頼むよ。俺はお前を殺したくはない」

 狡い、という言葉を、寸での所でアインザックは飲み込む。普段の支配者然とした気配は鳴りを潜めていた。

 うぬぼれで無ければ、アインザックはこの魔導王が自分を大切に思ってくれているのだと気が付いた。しかもそれを、ガゼフ・ストロノーフの墓前で気付かされるとは。

 この御方は、ガゼフ・ストロノーフを殺したくは無かった。それでも殺した。己の歩む覇道に、彼が立ち塞がったからだ。

 そして今度は、己の手がその心臓に伸びる前に逃げろと言う。彼をそのように突き動かすその感情が呪いだと言うのならば、甘んじてそれを受け入れよう。

 

 それだけの価値が、この御方にはあるのだから。

 

「……分かりました。では、もしも私が逃げきれなかった時は、どうか、ガゼフ殿と同じ殺し方をしては頂けないでしょうか?」

 静かに、語るように投げかけられた懇願。アインズはそれを、時間をかけて咀嚼する。

 

 やがて、ゆっくりと頷いた。

 

「記憶に残っていたら、そうしてやろう。私の、最大限の敬意だ。苦痛無く死ねるから安心してくれ」

「大丈夫ですよ。陛下ならきっと忘れません、たとえ人としての心が失せたとしても、約束は守ってくれる御方だと分かっておりますので」

 そう朗らかに笑うアインザックに、アインズは何と答えて良いものか悩んでしまう。未来の事など分からない。この呪いのような憧憬が、いつまで続くのかも。そしてこの感情が消えてしまう時が、恐らく本当の意味でこの世界に馴染む時なのだろうとアインズは考えている。

 だが、出来ればそうはなりたくない。

 この澱み切った執着は、それこそ骨身にズッシリと染みついている。これが消え失せるとは到底思えないが、現状、人としての残滓がどんどん薄れていくのを思えば、可能性として頭に入れておいた方が良いだろう。

 そして、それへの対策としては、やはりアインザックに側にいて貰う事が一番だ。彼程アインズの事を親身に考えて、対等に意見を交わしてくれる人間は、恐らく誰一人としていないだろうから。

 眼孔の灯火が、明るく瞬いた。

「アインザック」

「はい」

 一歩、彼へと近付く。ナザリックのシモベ達のモノとはまた違った忠誠心が、彼からは滲み出ている。その忠誠心が、アインズは心地良かった。

「私がそうならないように、どうか私の隣で見ていてくれないか?」

 命令ではなくお願い、という形になったのは、アインズの性格の現れなのだろう。偉大なる魔導王のこんな一面を見られる人間は、きっと己だけなのだと思うと、アインザックの心は分かりやすく飛び跳ねた。

 

 頼まれずとも、元からそのつもりだ。

 だが、それを御方から直接言われる事こそ意味がある。アインザックは力強く頷いた。

 

「勿論です陛下。私の存在が、貴方を繋ぎ止めるというのならば――共にいますよ、これからも」

 

 アインザックの返答に、アインズは満足げに微笑んだ。

 

 

 きっと、これからも嘗ての仲間を想い、誰かにその影を重ねてしまうのだろう。それはもうどうしようも無い。焦がれて捻じれて澱んだそれは、自分ではどうも出来ないのだ。

 だからせめて、それを理解しろとは言わない。ただ、そういう想いを抱えているのだと、誰かに伝えたかった。

 

 そしてアインザックならば、話しても良いと思えたのだ。

 

「……すまんな。どうも感傷的になってしまった」

「構いませんよ。どうせ此処には我々しかいませんからね」

 クスリと笑うアインザックに、釣られてカタリと骨を鳴らす。それがアインズの笑い方だと、アインザックは知っていた。

 

――どうやら、少しは憂いが晴れてくれたようだ。その事にホッと胸を撫で下ろす。

 

 アインザックがそんな事を思っているとは露知らず、アインズは静かにガゼフの墓に手を合わせると、眼孔の灯火を消して小さく頭を下げた。

「ガゼフ・ストロノーフ。私はお前を永遠に覚えていよう。私の中でお前は、永遠に輝き続ける。嘗ての友のような、お前の輝きを覚えている限り――私は、人としての心を、自分の手で掻き消さないと誓おう」

 そこでくるりと、アインズはアインザックに振り返った。

「そしてこの男がいる限り、その心が消える事は無い」

 柔らかな眼差しを受けて、アインザックは大きく目を見開いた。

 

 これ程の名誉を受け取っても良いのだろうか?

 自分にはそれだけの価値があるのだろうか?

 この御方のお側にお仕えして宜しいのだろうか?

 

 様々な疑問が頭の中に浮かんでは消えてゆく。だが、それもアインズの次の言葉で全部いっぺんに吹き飛んだ。

 

「時が来たら、私はお前に不死を与えようと考えている」

「――へ?」

 予想外の発言に、アインザックは呆然とアインズを見上げてしまった。

 

 不死。

 それはつまり、永遠に彼にお仕えする事が出来るという事。そして、そう考えて下さる程には、この偉大なる魔導王は、自分という人間を必要として下さっているという事実。

 

「ハ……ハハハッ!! 陛下、貴方って人は、本当に狡いお方ですね」

 思わず腹を抱えて笑いだすと、アインズも楽し気に肩を揺らした。

「フフッ。そうだぞアインザック。私は狡い。そして、我が儘なんだ。欲しいものは全部手に入れたい。その為になら何だってやるのさ。ガゼフ・ストロノーフは死んだ事で私の中で永遠となり、即ち私の手に入った事になる。ならばお前は、生きて私の元で永遠になれ」

 ゆるりと、数々の指輪が煌めく骨の手を目の前に差し出された。

 この手を取らぬ理由など、最早無い。

 アインザックは、か細い骨の手を、両手で静かに包み込み深く頭を下げた。

「身に余る光栄に、心から感謝の意を申し上げます。私の忠誠は、永久に陛下の御心へ捧げましょう。私が、貴方の人としての心を保つ最後の砦となりましょう」

 

 

 その日、一人の人間と一人の元人間は誓いを立てた。

 それは、限りなく呪いと同義の憧憬を燻らせた、元人間の願い。

 それは、限りなく憧憬と同義の呪いを自らかけた、人間の願い。

 

 

 二人はその日を、永遠に忘れる事は無かった。

 

 

 END.

 

 



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