Moon Light (イカーナ)
しおりを挟む

第一章
1.プロローグ


 鬱蒼とした暗き森の中、草木を掻き分けながら先へ進む一つの人影があった。

 背の高い深緑の木々が密集するこの場所では陽の光の一筋さえも確認できず、当然立ち寄る人間は殆どいない。

 

 そんな辺鄙な地を今まさに踏んでいるその者は、この場の雰囲気には余りにも似つかわしくない純白色の衣を身に纏っていた。

 頭頂から足元まで様々な巧緻を極めた装飾品の数々を身に付けている姿は繊細にして美しく、本来汚れが目立ちそうな金の飾りも今は外界から遮断されているように曇りの無い輝きを放っている。

 

 そしてもう一つ、その頭部から伸びるのは白銀色の長い髪。それは女性特有の華奢な体を伝うように伸びており、その体躯、そして整った形貌からもその人物が丁度二十歳ほどの女性であることが見受けられた。

 

 

 先の通り、この辺りは大陸中央からも離れた場所に位置している。

 

 

 この地域は大量の樹木のみならず、その全体をジメジメとした沼地で囲まれており、常時夜だと錯覚させるような厚く黒い雲が空に浮かんでいる。

 加えて生息している生物の多くはカエルや軟体動物。お手本とも言えるような湿地帯であった。それは大抵の人間にとって居心地の良い場所では無いだろうし、ましてや通常の女性であれば間違いなく顔を(しか)めたくなる場所だろう。

 

 しかし、風に吹かれ白い髪をなびかせている彼女の表情は人形のような無表情であった。それもそのはず、何せ比喩でもなんでもなく彼女はゲームの中の人形(アバター)であり、この湿地もゲーム中のフィールドの一つに過ぎないためだ。

 

 まずはこのゲームについて紹介しよう。

 

 

 

 

 ── YGGDRASIL(ユグドラシル)

 

 それは2126年に日本のメーカーが満を持して発売したDMMO-RPG……平たく言うとバーチャルオンラインゲームだ。

 

 ユグドラシルは当時の他のDMMO-RPGと比べても自由度が異様なほど高いゲームだった。

 まずRPGの肝とも言える職業の数は二千を超えており、それらの組み合わせを考えると、偶然であっても同じキャラが生まれないほどだった。さらに 外装(ビジュアル)も細かく変更が可能で、ゲーム内のものは疎か、プレイヤーがクリエイトツールで自作することさえ可能だ。

 そうして自分だけのキャラクターを完成させたプレイヤーの先に待ち受けるのは無限に続くのではないか──そう思わせるような広大な世界である。

 

 そんな極めて高いクオリティを誇るゲームが流行らない訳も無く、ユグドラシルは多くの人間を虜にし、一世を風靡する。

 延々と遊べそうなそのゲーム性は熱狂的なプレイヤー──廃課金と言われる家が建つほどの課金を行う者や、プライベートの殆どの時間を費やす者を数多く生み出していった。それは後に『DMMO-RPGと言えばユグドラシル』と言わしめるほどだった。

 

 

 しかし……それほどの人気も一昔前のことである。

 

 

 

 ────

 

 

 2138年、発売から十二年が経過した現在。当時の熱狂プレイヤーの内の一人であった若月(わかつき)はサービス終了であるその日も、普段と変わらずユグドラシルにログインしていた。

 

 サービス終了時刻は0:00丁度。

 仕事を終え、何とか駆け付けて来た若月だったが、そんな日であってもプレイの内容はいつものそれと何ら変わりはない。

 

 各所の探索をする。アイテム欄を眺める──。

 

 アクティブモンスターのノンアクティブ化が実施されている時期だととはいえ、時間を潰すことはこのユグドラシル内では特に難しいことではない。……しかしログインしてから二時間も経たない頃、サービス終了を目前にした若月はまるでゲームの遊び方を忘れてしまったかのようにその手を止めていた。

 

 それもそのはず。何せ今日という日においてはそんな日課的なプレイもその殆どの意味を失っている。もうじき何もかもが消え去るというのだから、ゲームに対する気力がなくなるのも当然のことだろう。

 

 そのため、若月はただ──空しく時が過ぎるのを待っていた。拠点であるヘルヘイムと呼ばれる湿地帯、その辺境にあるやたら暗い森をゲーム内のアバターの姿で彷徨い歩きながら。

 

 その姿は傍から見ればまるで亡霊のようであろう。

 

 

「はぁ……。しっかし、まさかサービス終了まで一人で過ごすことになるとは思わなかったな」

 

 

 人影はおろか話し声の一つさえ存在しない森の中。若月は一人、心の内にあった不満をどうしようもなく零していた。

 

 サービス終了日であるとはいえ、元々は社会現象にもなったゲームだ。街などの人が集まる地域には、まだそれなりのプレイヤーがユグドラシルの終わりを見届けるべくログインしていることだろう。

 それでも若月がこうして一人このような辺鄙な場所を歩いているのは、街やギルド間の集まりを知らないからではない。単に他のプレイヤーと交流のないソロプレイヤーであるためだ。

 

 ……まぁ、オンラインゲームでもソロというのはさほど珍しいものではない。

 

 人付き合いが煩わしい者、ぽちぽちとマイペースに遊ぶのが好きな者などその環境に身を置く人の心の在り様は様々である。

 ただそうとは言えども、若月は"環境から浮いてしまった"という、ある意味本当のソロプレイヤーであり、この状況も決して望んだものではなかった。

 

(そう。私はソロってより、行き場の無くなったぼっちというか……。ほんと、なんでこうなってしまったんだろうか)

 

 初のオンラインゲーム。それもあってか若月はそもそもオンラインの付き合いに不慣れであった。しかし、今となって言える孤立の原因の一つとして存外大きかったのは『自キャラの性別がリアルと一致していなかった』という点だった。

 

 DMMO-RPGであるユグドラシルはVC(ボイスチャット)を用いて会話することが主流である。

 一応バーチャルのチャットでも会話はできるが、リアルタイムのやり取りを多く必要とするこのゲームではそれも不便極まりない。そのため若月のようにVC(ボイスチャット)を利用しないプレイヤーは単純に付き合い辛く、当時蔓延していた女性のなりすましも相まって距離を置かれることも少なくなかった。尤も、それでも上手くコミュニティに溶け込んでいたプレイヤーも多くいたので、あくまでそれが一要因であることは言うまでもない──

 

 …………

 

 ……

 

 ……

 

「あぁ、本当にこれで全部終わりか」

 

 いつからかその場に立ち尽くしていた若月は現実と遜色ない高解像の森の景色を眺めながら、驚く程に落ち込んだ声を漏らしていた。

 『明日はもしかしたら』という思いだけでここまで続けてきた若月にとって、目前に迫ってきたサービス終了という、ある種の行き止まりは酷く憂鬱なものだった。ここまで来た以上、今更手が差し伸べられることはない。いや、それを待っていたことこそが何よりの間違いだったのだろう。

 

(そうだ、もっと勇気があれば──。ここで過ごした途方もない時間も少しは無駄にならなかったのかもしれないな)

 

 若月は自嘲気味に心の中でそう呟くと、胸に募る虚しさと後悔から逃げるように中空へと手を伸ばした。

 

「もういいか、ログアウトしても……」

 

 もうじき日付が変わるとはいえ、若月は社会人であり朝も早い。睡眠時間は貴重であり、対してこのユグドラシルの終わりを待つ時間には何の意味もないよう感じられた。それなら、惰性より実利を取るべきなのは確かだろう。

 

 

 スッと伸ばした手が一定の距離まで動くと、すぐに若月の目線の先に透明色であるメニュー画面が音を立てて広がった。そうして画面を手際よく操作していき、ついにログアウトのボタンへと指が差し掛かる。

 

 

 

 流石にそこまでくると幾らか後ろ髪を引かれるような気分に襲われた。しかしそれももう終わりだ。

 これを押せばもうその気持ちも味わうことはないのだから。

 

 

(……)

 

 

 そう――

 

 

 

 

 

 

 そう自分に言い訳しようとした時だった。

 

 

 偶然ともいうべきか。ふと、足元の大きな水溜まりに映るそれに目が留まってしまった。

 ヘルヘイムの沼とは違い、雨水から出来たであろうそれは現実よりもくっきりと自身の姿を鏡のように反射していたのだ。

 そんな光景に若月の指が止まる。意識が吸われたのもそうだが、どうにもそれを見ていると指が動かなかった。今も白銀に光り輝く彼女は――

 

 

 

「ツクヨミ……」

 

 

 

 若月はぽつりとその名前を呼んでいた。それは有名な神話から取ってきた大層な名前であるが、キャラ作成の時から思い入れのあるものだった。

 

 水面に映っているのは、綺麗に揃えられた艶やかな白色の前髪と、背丈ほどある真っすぐ地面へ伸びた後ろ髪。少し幼さの残る端麗な顔立ちに表情はなく、真珠のように輝く白い肌と、凛とした目から覗く深い紫色の瞳が印象的だ。

 

 その体格はやや痩せ気味であり、一般的な身長であるが胸は控えめと言える。

 

 また身体には金の刺繍の入った純白の聖衣を纏っていた。袖は大きめで、スカート状の一部分などには透明に近い灰色のレースも使われている。これは神器級(ゴッズ)というユグドラシルにおいて最高のレアリティを誇る武装アイテムであり、ソロである若月は相当なやり込み課金勢であるとはいえ、腰に提げている白銀色の細剣と合わせて2つ入手するのが精一杯であった。

 他の装備や装飾品は伝説級(レジェンド)止まりだったが、それらを入手した時の興奮は……これもまた今でも鮮明に思い出せる。

 

 そうして丹精込めて作り上げてきたツクヨミの姿が水の揺れに伴い、微かに寂しそうに見えた。

 

「いや、寂しさとか心残りとか。そういうのを感じてるのはきっと私の方なんだろうな。思えば長いような短いような……そんな七年だった」

 

 若月は思い出と共にこみ上げてくる気持ちをしんみりとした声で呟く。ログインできない忙しい時期もあったとはいえ、それだけの時間を費やし、共に過ごしてきたのだ。

 ただのデータ。ただの人形(アバター)。……例えそうであったとしてもその思い入れは大きい。ツクヨミは家族のいない若月にとって、その寂しさを和らげてくれる唯一の存在でもあったのだから。

 

 

(そう。それなのに。本当にこんな終わり方でいいのか)

 

 若月は何とも言えない表情で視線を落とす。

 

 その答えは正直に言うと前々から出ていただろう。ただ、勇気が出なかっただけだ。今も現実を直視すると幾らかダメージを受けそうになる。

 ──しかし、それでも最後に決着を付けるべきではないか。そう気まぐれにでも思えたのは、偏に彼女のお蔭だった。

 

 

 ……

 

 

 若月は深く息を吸った後、開いていたログアウトメニューを片手で別の方向へと振り、時刻を確認する。そこには機械的な白文字で23:50と記されていた。

 

 

「残り10分。それならまだギリギリ何とかなるかな」

 

 

 長い時間ではない。うだうだしていた時間を考えると、自身を叱責したくなるほどだ。しかしそうは言っていられない。

 若月は意を決したようにぬかるんだ地面から足を離すと、その体を勢いよく前へと進めた。

 

 当初の目的地であった多数の思い出眠る拠点。

 

 その場所まで踏みしめ、駆けて行くために──。

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ」

 

 水音を立てながら木々を抜けていくと開けた場所に出た。

 

 どうやら目的地まで着いたようだ。その一帯には今までのような無数の青々とした木々は生えておらず、地面には背の低い翠色の草が生え、中央に円形の澄んだ湖と1本の大樹が生えているのみだった。

 湖の中からちらちらと映る小さな紺の影は、モンスターではなく動物に分類されるただの魚であり、アイテムとしての価値も薄いそれは雰囲気作りのオブジェクトとされる。

 

 元々は鼠型ワールドエネミーの出現場所だったこの場所は、当初は状態異常モンスターの温床でありグレンデラ沼地の奥地と並ぶほど嫌われていた。しかしワールドエネミーが討伐されてからはヘルヘイムの良心とも言える美しいスポットとなっている。それは『これが真の姿ではないか』そう思わせるような迫力さえあった。

 とはいえ、ワールドエネミーが討伐されている以上、価値のあるアイテム類はもう残っていないに等しいため、足を運ぶ人はまずいない。

 

 それはワールドエネミー討伐を達成し、ヘルヘイム全域にその名を轟かせた当時のトップギルド:AOG(アインズ・ウール・ゴウン)も例外ではない。当時の盛り上がりを考えると何とも寂しい話であると、若月はかつての憧れに思いを馳せる。

 

「最近はギルド長のモモンガさんがずっと独りで活動してたみたいだけど、彼も報われてると良いな」

 

 アインズ・ウール・ゴウンにも今やその影は無く、巷の噂ではもうモモンガ以外誰も残っていないとまで言われている。

 モモンガと若月──いやツクヨミは境遇こそ違えど、最終的に置かれていた状況に関しては大差無く、似た者同士であったと言えるかもしれない。

 

 若月は小さく咳払いし、メニューを開く。

 

 

 23:58:46。

 

 

 もう終わりが迫っているようだった。若月は急ぎ足で湖の方へ移動し、辺りを確認する。

 何度も訪れた拠点とも言える場所には予想していた通り誰も居ないが、サービス終了の時を静かに迎えるには奇しくも悪くない雰囲気を醸していた。

 

 若月はゆっくりと歩を進め、湖に浮かぶ大樹の前へとその腰を下ろす。

 

 後ろに手を突きながら暗い紫色の空を見上げると、まるで走馬灯のように今までの情景が思い起こされていった。

 

 初めてユグドラシルに降り立った日のこと、装備集めに勤しんだ日のこと、ゲーム内イベントで他プレイヤーと交流した日のこと。想起されるのはそのような楽しげな思い出の数々であり、悪いことばかりでは決してなかったことを最後に確信付けた。

 

 ゆっくりと霧が晴れ──

 

 

 

 

「今までありがとう。……さようなら、ツクヨミ」

 

 

 

 23:59:48

 

 

 

 …… 49

 

 

 

 …… 50

 

 

 

 

 目を閉じた。

 

 

 

 

 

 23:59:58

 

 

 

 …… 59

 

 

 

 00:00:00

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …… 01

 

 

 …… 02

 

 

 ……

 

 

 

 若月は心の中でサービス終了の時刻が過ぎたことを確かめると閉じていた目を開け、反射的に頭からマシンを取り外そうと手を伸ばす。

 

 ユグドラシルという夢の時間から現実(リアル)へ戻るために。

 

 

 

 

 ……ただ、どれだけ経っても"手がマシンに触れること"は無かった。

 

 

 

 

「ん?」

 

 当然外したはずは無い。しかし若月の手に伝わる感触は間違いなく髪の毛のさらさらとした感触。くしゃくしゃと動かしてもそれが変わることは無い。

 

 そして異変はもう一つあった。

 

「ど、何処だ? ……ここ」

 

 視界に飛び込んできたのは見慣れた自室ではなく、今まで一度も見たことの無い、深い霧に覆われた荒野だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2.遭遇

 何が起こっているんだ……?

 

 

 全くオンラインゲームのサービス終了の知識や経験が無い若月はこの意味不明の状況を理解できず、ただただ呆然と立ち尽くしていた。

 

 確かに0時に終わるとお知らせには書いてあったが、遅れているのだろうか? いや、少しずつマップが消されている最中なのかもしれない。

 様々な憶測を立てるがそれが正しいか確かめる術は無い。

 

 暫くの間、荒野の上に突っ立って状況を窺ってはいたが、それでも何か起こりそうな様子は微塵も感じられなかった。仕方がないので自発的にログアウトを行うという結論に達すると、右手でおもむろにコンソールを開こうとする……が、

 

「出ない……」

 

 ポツリと呟いたその一言でようやく若月、いやツクヨミは気づくことになる。

 

「ん? ぇ? 私の声じゃないぞ」

 

 自身の口から発せられる声は明らかに女性のもので、普段聞き慣れている低い男性の声とは程遠いものであった。

 余りに訳の分からない状況に言い知れぬ不安を覚えパニックを起こしそうになるが、何とか堪える。

 

(待て待て……。とりあえず深呼吸しよう)

 

 軽く心を落ち着けた後、ダメ元ではあるがGMコールやシステム強制アクセスを試すが、やはりどれも機能しないようだ。

 よくよく眼前に広がる赤茶色の大地を眺めて見ると、明らかにゲーム中のそれより高解像な地形が広がっており、微かに風らしきもののの匂いさえしている。立ち込める霧も同様のリアルさだ。

 

「まるで現実……。いや、まさかほんとにゲームの中に入ってしまったのか?」

 

 有り得ない──。言葉にするのも馬鹿らしい内容だった。

 しかしユグドラシルⅡなどといった噂は聞いたことがないし、そもそも電脳法によって禁止されているはずの嗅覚が機能しているのは異常だ。しかもシステムからは完全に切り離されている。

 

 ツクヨミは無意識にごくりと呑んだ息から水気が上がってくるのを感じつつも、今──想像を超えるような何かが起こっていることを確信する。しかし、だからと言って何かが変わるわけではない。

 

 ツクヨミは自身の手足が問題なく動くことを確認してから、何とか冷静さを取り戻したその頭で新たな行動を開始した。

 

(ま、まぁ、とりあえず辺りの確認くらいはしておくべきだろう)

 

 ユグドラシルでも未知の場所での周囲探索は基本である。仮にここがユグドラシルの延長であれば、それこそ危険だってあるかもしれない。

 ツクヨミは何か情報を探るべく視線の先を濃霧の中へと移し、グルっと周囲を見回した。

 

 

 当然人はいない。──いや! 

 

 

 一見無人のように見えたものの、深い霧の先からは微かに靴音が聞こえる。音のする方向をじっと見つめていると、小さな四つの人影が霧を避けながらゆっくりとこちらに向かってきていることが確認できた。

 

「うわぁ、パーティか」

 

 長年のソロプレイで数多のPK(プレイヤーキル)を受けて来たツクヨミにとってこの状況は避けるべき場面の一つであった。さらにこの状況で殺されようものならどうなるか見当も付かないので、いつものように魔法探知を阻害し足音を軽減する隠密外套(ステルス・ローブ)を取り出そうとする。……これは自分でも驚くことに取り出すことができた。考えると同時に右手がまるで意思を持っているかのように中空に手を伸ばすと、虚空の中に手を突っ込みローブを引っ張り出してきたのだ。

 そのことに若干戸惑いつつも素早く体全体を灰色のローブで覆い、近くの岩陰に身を潜める。隠れて様子を窺うためだ。

 

 固い地面を踏みしめるような複数の靴音が大きくなり、ツクヨミが様子を窺うため慎重に岩から顔を出そうとした時だった。

 

 何やら話しながら進んできた四人組は突然無言になると、ピタリと動きを止めた。ツクヨミは出しかかっていた顔をさっと引っ込める。

 

 

(……まさかバレた? とすれば生命探知? 確かにローブが取り出せるなら魔法も使えて当然か。いやぁ不味いことになったな)

 

 

 ツクヨミは徐々に大きくなっていく切迫感に焦りを感じつつもどうすべきか思案する。まず相手がカンストパーティであった場合純粋に戦っても勝ち目はない。相手のレベルが低ければまだ何とかなるだろうが、それなら他にもいい手段はある。そうなると次に考えられる選択肢としては逃走が挙げられるが、これの成功率も半々という程度であり、命の危険さえあるかもしれないという状況ではどうしても不安が残る。

 

(いっそ、大人しく話しかけてみるべきか?)

 

 もし彼らがツクヨミと同じ境遇のプレイヤー達であれば会話を始めていきなりPKに及ぶとは考えにくい。それに、既に存在がバレているのなら今から逃げようと、会話途中から逃げようとそれ程の差は無いはずだ。……距離さえ詰めさせなければ。

 

 ツクヨミが恐る恐る息を飲んでいると、四人組はそんなことも知らずいきなり叫び始める──

 

 

「ス、スケルトンがいるぞ!!」

「クソ、こんな手前にもいるのか」

「よし。引きつけて迎え撃とう!」

 

 

 

「あっ…………え?」

 

 叫び声に驚き跳ねそうだったツクヨミも同じく視線をそちらに向けると、なるほど。確かにスケルトンが数体並んで突っ込んで来るのが見える。しかしそれだけだ。

 

 知っての通りスケルトンは最下級のアンデッドであり、レベルカンストプレイヤーにとっては千体来ようと一万体来ようと大した敵ではないのだが──

 

 四人組はそうは思っていないらしく必死に剣を交えている。

 どうやらPKの心配は杞憂に終わったようだ。ただ、凡庸な戦いの中でも一つ気になる点があるとすればそれは彼らが全く見たことの無い装備を身に着けているということだ。

 

 スケルトンと互角ということから性能が高いということは考えにくいが、それでも初心者が外装変更アイテムやユニークな装備を所有しているとは考えにくい。

 

(まぁ、低レベル装備は種類が少ないとはいえ知らない物も流石にあるか)

 

 気の抜けた考えごとを進めている間に、なんとかスケルトンの群れを退治し終えた四人組は再び歩みを進めようとしていたので、ツクヨミは慌てて岩陰から飛び出る。

 身の危険が無いのならこんな訳の分からない状況で接触できる他の人間は救い以外の何物でもないためだ。

 

「あの……」

 

 自分でも驚くほどのか細い声を上げると男の一人が驚いたようにこちらへと振り返った。まるで幽霊を見た人のような反応だ。

 

「──なっ!? こんなところで何をしているんですか!? ここは危険ですから早急に離れてください!」

 

「も、申し訳ありません。どうやら道に迷ってしまったようで……。お尋ねしたいのですが、ここは何処なのでしょうか?」

 

 予想外の剣幕に狼狽えそうになるも、何とか現実(リアル)の社会生活で保たれていたコミュニケーション能力を駆使し情報を探る。

 

 一応会話は成立しているようで、初めに喋っていた金髪の男性の隣に立っている、"巨木"といった風貌の強面の男がゆっくりとその口を開いた。

 

「ここはカッツェ平野だ。恐ろしいアンデッドがうじゃうじゃ出るぞ。俺たちはそんなアンデッドから人類を守るためにここらを巡回して退治してるわけだ。まぁ一般人が来るようなとこじゃないのは確かだな」

 

「巡回? えーと……皆様は兵士か何かだったりするのですか?」

 

 その問いに金髪の若い兵士は少し訝しげな表情を見せるも、すぐに真剣な面持ちへと戻った。

 

「我々はスレイン法国所属の兵士です。やっとアンデッドも落ち着いてきたので各員野営に戻る最中でしたが、そういうことなら貴方も付いてきた方がいいでしょうね」

 

「スレイン……法国」

 

 聞いたこともない国名が出てきて困惑する。間違いなく現実(リアル)にそんな国は存在せず、ユグドラシル内でも一切聞いたことはない。ただ、話の流れからしても彼らがロールプレイ的なノリで話しているようには見えなかった。

 かといってNPC(ノンプレイヤーキャラクター)に見えるという訳でもない。何故か表情も動いている彼らは、生きている人間のように……リアルすぎるのだ。

 

 ツクヨミが不可解な状況を何とか整理している間も目の前の兵士たちは意思を確認すべく立ち止まっていた。

 

 当然だが兵士たちの視線はじーっとツクヨミへと集まっている。その表情は真剣で固い者から、何故か口をぽかんと開けている者まで様々だ。

 まぁ確かにこんなアンデッドの蔓延る荒野で人一人が迷子になっていたら驚くのも当然だ。不審者のような扱いをされても仕方は無い。しかし、そんな表情で囲まれたら落ち着かないのが人間というものである。

 

(──ま、まぁとりあえず着いて行くか)

 

 情報が乏しすぎて判断に困るというのがツクヨミの率直な感想だったが、一応身分のある人達らしいので着いて行くのが賢明だろうと無理やり納得する。

 

「えー……と。はい! そういうことなら、案内の程よろしくお願いします」

 

 ツクヨミはぺこりと頭を下げる。彼らはそれを確認すると一様に頷き、再び霧の中を歩き出したので、ツクヨミもまたそれに続いていった──

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「野営に着きました」

 

 濃霧の中で突っ立っていた時は時間もよく分からなかったツクヨミだったが、カッツェ平野の端にあるという野営に着く頃には霧もほとんど晴れ、太陽が少し下がり始めているのが見て取れる。

 現実(リアル)では、地球は大気汚染が進んでおり、空は黒いスモッグに覆われていたため太陽を見ることは殆どできなかった。そのためそれから正確な時間は分からなかったが……淡いオレンジ色の光を眺めていると、本能的に一日の終わりが始まろうとしていることを感じ取った。

 

「もう大部分の隊の者が戻ってきているようですね。私達は隊長に報告に行きますので、貴方は少々ここでお待ち下さい」

 

「分かりました」

 

 早足で野営の中へ走っていく四人を見ながら、ツクヨミは辺りを確認する。仕事が大方終わったのか、灰色の少し年季の入った制服を着ている兵士たちが野営の片付けを始めているようだった。

 

 この後、スレイン法国とかいう国に戻るのだろう。どんな国なのか頭の中で想像しつつ、あれやこれや不安混じりの思考に耽っていると、思ったより早く先ほどの丁寧な兵士と少し年輩の男が話しながらこちらに向かって来ていた。

 

「ルーイン……それでその方というのは」

 

「隊長、こちらの方です」

 

 二人が目の前に立った。どうやらこの若い金髪の兵士はルーインという名前らしい。そして年輩の、茶髪に短い顎髭を蓄えた男は隊長のようだ。軍服も他の者より立派なもので何処か雰囲気がある。

 

「そうか、君がカッツェ平野にいたという女性か。失礼、私はこの隊を率いているカール・エィム・バラックという者だ」

 

 カールは低い声を発しながら、ポケットから手帳のような物を取り出し身分を明かす。その語り口調は隊長という地位でありながらずっと柔らかで、こちらを安心させようという思いが伝わってくる。

 

 そんな親切な対応に逆に緊張してしまうツクヨミだったが、社会人として(?)無礼のないよう慌てて自己紹介を始める。

 

「申し遅れました。私は……。えっと、ツクヨミと言います」

 

「あー。ツキョウミさん、ですか?」

 

 多少迷いつつも"ツクヨミの方"の名前を伝えると、ルーインが困り顔で聞き返してきた。どうやら聞き取れなかったようだ。もしかしたら発音が違うのかもしれない。

 

「すみません、少し早口でしたね。ツクヨミ──です」

 

「ツクヨミ、君か。なるほど珍しい名前だ。それで道に迷っていたとルーインには聞いたが、どこから来たかは分かるかな?」

 

 …………

 

 ……

 

 "どこから"。当然と言えば当然だがいきなり致命的な質問を投げかけてきたカールに、ツクヨミはどう説明したものかと考えを巡らせる。

 

 ゲームをしていたらカッツェ平野とやらに移動していました、等と言っても信じて貰える訳は無い。良くて頭のおかしい者だと思われるだけだろう。

 

 そのためとりあえず無難なことを言って誤魔化そうと、ツクヨミはその口を動かす。

 

「えー、申し訳ありません。実はどこから来たか覚えてなくて。覚えているのは本当に名前くらいで……、この辺りの地名さえ分かりません」

 

「ふむ、アンデッドに襲われて記憶が飛んでしまったか……? まぁ色々と事情があるようだが、もしスレイン法国に来ると言うなら検問は受けてもらうことになるだろう。大丈夫かね?」

 

 それを聞くや否や、ツクヨミは自身のローブの下のことを思い出し、急速に冷や汗が背筋へ伝うのを感じた。

 

 ここに移動するまでに多少の兵士らしい人達を見てきたものの、自分の身につけている武装が常軌を逸していることは明白だった。そもそも一般人が剣などを持つことが許されているかも分からない。不安要素はとても多いと言える。

 

 しかしここで拒否するのはあまりに怪しすぎるため、回答の選択肢は皆無に等しい。

 

「大丈夫です。国には今から向かう感じですか?」

 

「そうだな……。今は片付けの最中だからそう遅くない時間にここを出て、深夜には法国に戻れるだろう。よし、私もそろそろ現場に戻るからあと少し待たせることになる。何か分からないことがあればルーインに聞くといい」

 

 そう言うとカールは背を向け、集団の中に歩いていった。

 ツクヨミは何とか一難去ったことに安堵しつつ、隣を見る。ルーインもこちらを見て何か言おうとしているようだ。

 

「ではツクヨミさん。私も片付けに行ってきますので何度も申し訳ありませんが、ここでお待ちください。また戻ってまいりますので」

 

「いえ、私は大丈夫です。何度も御手を煩わせてしまってこちらこそ申し訳ありません」

 

 ルーインは頷くと、小走りで向こうへと走っていった。

 

 ……

 

 ……

 

 今しかない! そうツクヨミは確信した。ベストはなんの変哲もない服装に着替えることだが最悪逃げ出すのも一つの手ではある。

 ツクヨミは一旦、目前にある黄色いテントの物陰に移動すると誰も周りに居ないことを生命感知(ディテクト・ライフ)で確認する。

 

(よし、大丈夫だ──)

 

 まずは先ほどの隠密外套(ステルス・ローブ)を取り出した要領でアイテムを引っ張り出せないか試してみることとした。

 手に意識を集中し、中空に手を伸ばす。するとたちまち手が空中にある水面に入ってしまったかのように消えた。

 中々ショッキングな絵だ。そうして数分ほど、周りに気をつけながら腕を動かしていると──

 

「あった!」

 

 探していたのは冒険者のローブというアイテムで、初期に配布される装備品だ。これは初期職業によって変化するアイテムで、当時、適当にプリーストを選択したツクヨミは、ソロプリーストの救いの無さに心底絶望し、一人でも戦える神聖剣士(ホーリー・フェンサー)に職業をビルドしていったという過去がある。そのため、この装備はそれ以来使用していない。

 

 

 ……これに着替えよう。軽い気持ちで隠密外套(ステルス・ローブ)を脱ぐと──ツクヨミは更なる苦難が待ち受けていることに気づいた。

 

「いや、着替えはハードル高くない……?」

 

 初期装備である冒険者のローブには当然だが瞬時に装備変更できる類の能力はなく、コンソールも出ない今、普通に装備を脱いで着なければならない。女性の着せ替えを行うなど男性には荷が重い作業だ。

 

 しかし言わずもがな悠長にしている時間は無い。覚悟を決める時である。

 

 ツクヨミは人差し指の指輪や手首飾り、靴などの装備を先に外し、深く呼吸を行うと意を決してその胴に着ているローブを脱いだ。すらりと伸びた手足は剥き出しとなり、真珠のような白い肌が露になる──。……が、ツクヨミの思っていたような感情の起伏は起きなかった。

 

「……あれ?」

 

 現実(リアル)でのツクヨミは三十近くであるとはいえ、まだまだ年頃の男性であり、女性耐性は皆無である。裸ではないとはいえ、こんなに近くに肌が晒されているならば感情の一つや二つ、揺れ動いて当然だった。……ただ、ツクヨミは気付き始めていた。その自身で無いはずの体が生まれ持った体であるかのように、当たり前として認知されていることを。

 

 着替えを滞りなく終えたツクヨミは目の前まで持ち上げた手のひらを不安げに見つめる。得体の知れない『何か』が自分の心に混ざり始めていることを確かに感じたのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3.スレイン法国

 神妙な面持ちで動きを止めていたツクヨミは、小さく息をつき、今は目の前のことに集中しようと思考を切り替える。

 

 さて、現在の装備は初期防具に丸腰という襲われたら一溜まりもない状態だが、これの対処法は考えてある。そうでなければこんなところでうかうかしていられないだろう。

 

 ツクヨミが再び虚空に手を伸ばし、アイテムボックス内の無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)から取り出したのは……知識の無い者からしたら何の変哲もない木の札二本だ。この札はユグドラシルでも課金でしか手に入らない貴重なもので、その効力は『札をへし折ることで、事前に登録しておいた装備可能な武装を転送し装備できる』という便利なものだ。

 

 ユグドラシル時代でも使用していたこれは、既に自身のメインウェポンである神器級(ゴッズ)の2アイテムを登録してあるのでそのまま持っていけば良いだろう。

 畳んで地面に置いてあるメイン装備に視線を移し、入れ替えるように無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)に詰める。

 

「……暫しお別れだね」

 

 存外と着替えに時間がかかってしまったことに、焦りと気疲れを感じつつ、右手で灰色のローブを掴んだツクヨミは慌てて元いた場所に踵を返したのだった。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「その、お体は大丈夫ですか? 少し歩くことになると思いますが……」

 

 現在、ツクヨミは隊列の最後尾を歩いている。既に太陽は隠れ始めていて、馬車の荷造りを終えた百人程の軍団はやっと出立できたのだが……ずっと気を遣って貰っていて少し申し訳ない気持ちになってくる。

 

「はい。今のところ平気です。……そういえばスレイン法国まではどのくらいあるのでしょうか?」

 

「ここはカッツェ平野と言っても、法国にかなり近い場所ですからね。普段よりは時間がかからない方ですが、それでも……四、五時間ほどはかかると思います」

 

 そうか、五時間か。……現実(リアル)ではそんなに長い時間外を歩くことなど考えたこともなかったが、こういう新鮮な体験も悪くはないだろう……。そう考えていると彼が慌てて口を開く。

 

「やっぱり厳しいですよね。隊長に頼んで今からでも馬車に乗せてもらいましょう!」

 

「いえいえそれには及びません! きっと話してたらすぐだと思いますよ」

 

 馬車は荷物をぎっしり積んでいるため、勿論乗っている隊員はいない。そこに一人で乗るというのは強靭な鉄の胃袋が必要だろう。ツクヨミには到底無理な話であるので話題を変えるべく、話を切り出す。

 

「あっ、一つ聞きたいことがあるのですが宜しいですか?」

 

「私に答えられることであれば大丈夫ですよ」

 

「その、スレイン法国とはどのような国なのでしょう?」

 

 ルーインは顎に手を当て一時考えると、考えが纏まったようで少しずつ語り始めた。

 

「スレイン法国は人間国家です。5()0()0()()前に六大神様によって建国されてから、長い間人類の守護を行ってきました。ずっと残っている人間国家は法国だけですね。今は魔神との戦争を境に、100年ほど前に誕生した他の国が成長している……といった流れです」

 

「……なるほど、歴史のある国なのですね。他の国というのは?」

 

「主なのは、北東にあるバハルス帝国、北西にあるリ・エスティーゼ王国です。西にローブル聖王国というそれなりに大きい国家もありますが、位置の関係で殆ど国交はないですね。他には竜王国や……評議国も100年前にできました」

 

 大量の知らない言葉が押し寄せて来るので、必死に頭の中で整理する。聞いただけでそれなりの数の国があるようだが、これだけあれば関係も拗れている可能性は高い。

 思ったより複雑そうな世界情勢に辟易するも、同じくらい未知への興味も掻き立てられる。もし可能なら他の国に行ってみるのも良いかもしれないな。

 

 ツクヨミは少し熟考した後、再度口を開く。

 

「ルーインさんは気になっている国……みたいなのはありますか?」

 

 何だか女子高生みたいな質問になってしまったが気にしてはいけない。

 

「そうですね。うーん……兵士としては亜人被害で不安定な竜王国、と言うべきなんでしょうが個人的には王国ですかね。あそこは肥沃な土地もあるので、良い人材が育つことが期待されているんですよ。それこそ勇者とか……」

 

 ポリポリ頬を掻きながら答えるルーイン。やはりどの世界でも男の好きな物は変わらないのかもしれない。

 ふっと笑い、返答する。

 

「良いですよね、そういうの。……自分たちの子供とか孫の世代からいずれ世界を引っ張っていく人が生まれてくるって、何だか感慨深くて」

 

「そう、そうなんですよ! それで──」

 

 こうして人と喋るのは本当に……久しぶりな気がする。事務的でない会話は楽しくて、暖かくて、何だか涙が出そうだった。

 

 

 少し熱っぽく語り始めたルーインの話を聞きながら、

 月明かりに照らされた沿道を、ツクヨミは少し軽くなった気持ちで歩き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 出発からそれなりの時間が経った今、特になんの問題もなくスレイン法国に到着した軍の兵士達は前の方から少しずつ門を潜り入国を始めていた。

 既に日が落ちてから長い時間が経ち、夜空には煌めく星々と静かに光を反射する大きな月が浮かんでいる。

 

 短い金髪に生真面目そうな顔立ちをしている若い兵士、イーヴォン・リット・ルーインは隣で月をまじまじと見つめている女性に声をかけていた。

 

「私たちは宿舎に戻りますが、ツクヨミさんはこの後どうされるのですか?」

 

 ツクヨミは声の方向に振り向き、暫し考えた後、困り顔で返答した。

 

「宿に泊まれたらいいのですが……もしかしたら野宿することになるかもしれませんね」

 

「それは……。失礼ですが手持ちが無いという?」

 

 彼女は自嘲の笑みを浮かべている。ルーインが慌てて言葉を紡ごうとしていると、丁度前の兵士達が入国を終え、検問の時がやってきたようだ。

 門には茶色髪のがたいのいい年輩者と、手に紙のリストを持っている兵士が立っている。

 

「それでは次の……あー、隊長の言っていた方ですね。その灰色のローブを取ってもらっていいですか?」

 

 そう兵士が言うとツクヨミは上に着ている灰色のローブを脱ぐ。下から現れたのは質は良いが、どこにでもありそうな平凡な茶の衣服だ。

 

「持ち物はないんです?」

 

「はい。手持ちはこの御守りの札二本だけですね」

 

 彼女が取り出したのは誰が見ても何の変哲もない棒切れのような札で、兵士が一応確認するがやはり見た通りだ。

 

「ポケットには……確かに何も入ってないみたいです。隊長、大丈夫ですかね?」

 

「ふむ。しかし驚くほど何も持ってないな……」

 

 それを聞いていたルーインが一歩前へ進んだ。

 

「隊長。その、この状態で街へ放り出すのはやはり良くないと思います。彼女は女性ですし……」

 

 ツクヨミが言葉を挟もうとしたが、先に隊長であるカールが口を開いた。

 

「そうだな。治安の問題でも良くないと、私も考えていたところだ。丁度宿舎に行くまでの道に宿があるだろう。代金は私が持つから今日はそこに泊まるといい」

 

「度々ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません……。いつかお返しが出来ればいいのですが」

 

 傍から見れば、ツクヨミは個人情報無し、国籍無し、一文無しという三種の神器が揃っているので、今後の生活を心配されるのも無理はない。別のことを心配している者もいるようだが……ルーインは彼女の身を案じているようだった。

 

「もし法国で仕事を探すなら……それこそ酒場や宿ですかね? 隊長」

 

「うーむ……」

 

 ツクヨミもまさか異世界で無職となり、それを他人に心配されるとは思ってもいなかったようでガックリと項垂れる。

 誰もが黙り込んで重苦しい表情を浮かべていると、門の先の方から隊長を待っていたであろう若い兵士達が近づいて来て、意気揚々と提案を始めた。

 

「それなら、軍で雇っちゃダメなんですか? 掃除とか全く行き届いてないですし、俺達も訓練後の雑務はきついです」

 

「いや、さすがに」

 

 隊長が答える前に他の兵士も賛同を始める。彼らの心情は楽をしたいが三割、下心七割である。また、女性であるツクヨミに今まで喋りかけることの出来なかった隊員たちもここぞとばかりに会話に混ざり始める。彼らも男なのだ。何とも複雑な話であるが──。

 

「絶対いいですって! 隊長頼みます!」

「訓練が捗るだろうな……」

「どうか救いを! 信じてますよ隊長!」

 

「はぁ、お前たちは……。そうだなぁ。長期は流石に無理だろうが、臨時の日雇い程度なら特に問題はないと思われる。数日の宿代くらいは出せるだろう。ただ、こればかりは彼女の気持ちもある。……どうかね、ツクヨミ君」

 

 ツクヨミは少し考える素振りを見せた後、顔に柔らかい笑みを浮かべた。

 

「とても有難いことですし、お受けしたいです。それと、もし可能なら今日の宿代はそちらから引いて頂けませんか?」

 

「分かった。私は明日の早朝にでも大元帥に掛け合おう。……朝の9時頃に部下を宿に向かわせるから、その時間にはよろしく頼む」

 

 

 ────

 

 

 

(もう0時半か)

 

 とっくに日は落ち、街灯の光が静かな街並みを照らす。

 軍の隊長であるカール・エィム・バラックはマジックアイテムである懐中時計で時刻を確認しつつ、ようやく静かになった一行と共に宿舎方面に向かっていた。

 

 そんなカールの後ろを歩くのは殆どが部下の兵士たちであるが、ただ一人、右後方を歩く人物だけは見知った顔ではない。

 その人物は質の良さそうな茶色の衣服を着ている女性であり、今日の昼にカッツェ平野で一人佇んでいたという。

 

 少し幼さも感じさせる顔立ちは今まで見た事のないほど整っており、一国の王女だと言われても驚かないほどだ。しかし如何せん彼女は情報が無さすぎて、あまり信用することはできない。

 

 法国内で聞いたことはないが、闇の組織であるズーラーノーンや薬の売人、スパイである可能性も捨てきれないからだ。

 人類の守護者であり治安を守る隊長という立場である彼は、その相反する使命に頭を抱えている。

 

 歩き慣れた街を進んでいると、街道の端に目的の古めかしい宿が見え始めた。

 

 カールは彼女を送り届けた後に、宿屋の店主には不審があれば報告して貰うよう取り計らおうと考えながら、後ろを振り向き手招きする。

 

 そうして宿に近づき──ゆっくりと扉を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「んぁぁぁ……」

 

 ツクヨミは背伸びと欠伸をしながら、寝ぼけ眼で辺りを見回した。部屋の大きさはさして広くはないが、一人部屋だ。部屋には木製の小さなテーブルと安価そうなベッドが置かれており、現在自分はそのベッドの上にいる。

 昨日の夜、騒ぎの後バラック隊長と宿に入ったのは覚えている。ただ、着いてからの記憶は少し曖昧で、疲れていたらしい私はすぐに眠ってしまったようだ。

 

 

「……夢では無かったんだ」

 

 

 手がかりを探し、現実(リアル)に戻るのがあの異変を受けてからの確かな目的だった。それは今でもさして変わった訳ではないが、昨日のことが夢で無かったことに安堵している自分もいる。

 そもそも仕事以外何も残っていないあの場所に、自分は本当に帰りたいと思っているのだろうか。そんな思いが胸の奥に渦巻き、この世界の現実の朝に変な違和感を感じさせている。

 

(はぁ)

 

 寝起きの頭で考えても仕方ないので、とりあえず顔を洗うこととしよう。服は寝る時も着替えなかったので、体を起こした後に髪を後ろ手で整え、そのままドアノブに手をかける。

 

 ──

 

 広間に入るとまだ朝は早いようでテーブルを囲む人は少なく、白髪混じりの銀髪のお婆さんが声をかけてくる。

 

「おはようさん! よく眠れたかい?」

 

「おはようございます。はい、お陰様で熟睡できました」

 

「そりゃあ良かった。あっと、顔を洗うならそこを真っ直ぐ行って左手だね」

 

 ぺこりとお礼をし、言われた方に移動するとそれはあった。蛇口を捻り、そっと顔を濡らす。

 

「ん、冷たい」

 

 何度か顔を洗った後に蛇口を閉め、頭が起きたことを体感する。確か、バラックさんは9時に待ち合わせるように言っていたが今は何時なのだろう。広間を見渡すと壁に円形の小さな時計が掛かっているのが見えた。

 

 6:07

 

 まだだいぶ時間がありそうなので……そうだ。昨日判明した『文字が読めない問題』について考えよう。

 ツクヨミは広間に置いてあるゴワゴワしたジャーナルを手に取り、引き返した。

 

 

 ────

 

 

 部屋に戻ってから、小さな丸テーブルの前の床に座り込んで、ジャーナルを見ながら解読を進めている。

 

 YGGDRASIL(ユグドラシル)にはダンジョンの文字が異国語で書かれている場所もあったので、それを解読するための眼鏡が存在した。その外見はほっそりとしており、銀の金属には細かな紋様が彫られている。

 さほどレアでもないこれをツクヨミも所持していたので試しに装備してこの世界の文字を見ているのだがどうやらきちんと機能しているようでスラスラと内容が頭に入ってくる。

 

 ……そういえば、一つ分かったことがある。それはこの自身の体は身体能力もだが、どうやら脳の能力も100lvであるみたいなのだ。本来、物覚えは良くなかったと記憶しているが、さっきから見た情報の殆どを暗記してしまっている。

 ただこの情報群を上手く扱えるかはまた別のようで、日本語とこれの文法の違いを理解するのは現実(リアル)の魂が悲鳴をあげているように感じる。

 

 

 長い間、机に向き合っていると唐突に扉をノックする音が聞こえた。どうやら迎えが来たらしい。

 

「今行きます!」

 

 そう言って扉を開けた。

 

 

 

〜〜〜<以下 閑話>

 

 

 

 

 スレイン法国の軍は朝から忙しなかった。小さなことであったので、すぐに大元帥がOKを出したまでは良かったのだが、ツクヨミが宿舎に到着し掃除を始めてからはことある事に理由を付けては練兵場から抜け出そうとする兵士が後を絶たなかった。

 

「おい、あれが昨日言ってた人だな?」

 

「そうだ。ツクヨミさんっていうらしい」

 

 注目を受けている本人は仕事に集中しているため、影でこっそりしている兵士達の視線に気づいていないが、どことなく楽しそうだ。

 

 ツクヨミの髪の毛は地面に届くほどの長さであるため、今日は汚れないよう中間で折って纏めている。箒を持った姿は正しく『良いお嫁さん』像であった。

 

「俺、喋りかけてくるわ。労いは必要だしな」

 

「おい、そこを動くな」

 

 ──

 

 彼女はこの世界に来てから苦悩が絶えないし、今とてそうだが……確かに現実世界で自分が求めて止まなかったものに囲まれているのかもしれない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4.閑話〜法国の風景

 法国の朝は静かだ。辺りからは小鳥の囀りが聞こえ、薄明らしい冷たい風が吹いている。とはいえ、寒い時期が訪れるのはもう少し先のようで、肌触りも涼しいといった具合だ。

 古めかしい宿から外へと歩き出た白髪の女性は見慣れない街並みを少しばかり歩くと、まだ眠そうな表情の住人がちらほら外へ散歩しているのを見た。法国の人々は一様に六大神を信仰しており、朝から広場へと足を運び礼拝を守っている者も多い。

 彼女は唐突に足を止めると、道端の水路へと目を見やった。その水はスモッグの世界では見ることの叶わない澄んだ透明であり、その周りには若葉が茂っている。その中には白色の花も混じっておりとても綺麗であった。

 その美しい光景に感嘆の声をあげ、見惚れている彼女へと横から声が発せられた。

 

「お嬢さん、この辺では見ない顔だね。観光かい?」

 

 見ると白髪の老人がにこやかに話しかけていた。

 

「えーっと……。はい! そんな感じです」

 

 少し戸惑いながらも返答した彼女に老人は続ける。

 

「そうか。そうか。ここは本当に良い場所だよ。とても穏やかで、落ち着いている。六大神様には感謝しきれないよ」

 

 老人は遠くを見つめている。彼らの信仰は傍から見れば少し過度にも感じられるほどだ。しかし、やはり神の存在は人には大きく、その距離が極々近かった法国民の信仰が厚くなるのは仕方のないことなのかもしれない。

 会釈すると老人は広場へと歩いていった。

 

 法国は長い間、色んなものから守られている。街の風景を見ているだけならそれこそ、世界が平和だと錯覚してしまうほどに。それが良いことなのか悪いことなのか、判断するのはとても難しい。

 

 ────

 

 ぶらぶらと散歩を続け、広間方面へ近づくにつれ少しずつ街に人が増えていた。立ち並ぶ店の看板は既にオープンへと変わっている。店は雑貨店、食料品店、野菜売り場、玩具販売店や武器らしきものを売っているものまで様々だ。本来なら片っ端から見て回るところだが、現在倹約に倹約を重ねているツクヨミは店に入ってしまえば財布の紐が破壊(デストラクション)されることは分かっていたので一部は我慢する。

 

 ただ、だ。RPGプレイヤーとして武器屋をスルーすることはできない。本来の目的地は開くまでにもう少しかかるだろうし時間を潰すには悪くないだろう。ツクヨミはレンガ造りの小さなその建物へと足を踏み入れた。

 

「まだ人は少ないのかな」

 

 店内はこぢんまりとしており、微かに木の匂いがする。空間は壁で間仕切りされているようで、そこには剣や斧、弓など様々な武器が飾られていた。目立って高そうな武器は無いもののどれも綺麗な造形をしていて素人目で見ても質の高さが窺える。

 少し店の奥の方へと歩くと鉄の甲冑を着たマネキンが目に留まった。売り物なのか鑑賞用なのかはちょっと分からない。

 

『こういうのを見ると昔見たホラー映画を思い出すんだよなぁ』

 

 まじまじと見つめているとそれは聞こえてきた。

 

「あらぁ、お客さん〜?」

 

 甲高く、それでいて低い声に反応し視線を向けるとそこにはガタイのいい金髪の男が立っていた。それなりに整った顔には薄く口紅が塗られている。──つまりオネエである。

 

「お、おはようございます」

 

 先ほどツクヨミは朝だから人が少ないと思ったようだったがそれは違う。この店の店主は変人であり、人は良いのだが……まぁ色んな意味で有名だったのだ。

 オネエが硬直しているので再び声をかける。

 

「あの……大丈夫ですか?」

 

「カ」

 

「……か?」

 

 疑問を口に出そうとするとそれは唐突に叫び出した。

 

「カワイイイイイ! お人形さんみたい!?」

 

「うわっ!?」

 

 いきなり抱きついてきたので反射的に突き飛ばしてしまう。軽く押した程度のつもりだったのだがLV100プレイヤーの筋力は凄まじかったようで、オネエは壁へと軽く叩きつけられると反動で倒れた。……明らかに悪いのは彼だろうが、さすがに心配で声をかける。

 

「あの、すみません。……大丈夫ですか?」

 

 オネエは自身の服を叩きながら立ち上がると少しは冷静になったようで口を開いた。

 

「私は平気よ。それにしても見かけによらずとんでもないパワーをお持ちね……。もしかして引退したアダマンタイト冒険者かしら?」

 

「いや、ただの一般人ですよ。ここへ来たのは、外の窓から武器が見えたので気になって……」

 

「ふふ、私の武器の良さを見抜いたのね? 見えたのはこれでしょう? この武器、実は────」

 

 

 すぐに元気を取り戻した彼は語り始める。その知識と見識は確かなもので彼が一流の職人だとすぐに分かるものだった。最初は感心していたツクヨミだったが、延々と続くオネエの話は終わるところを知らず、何度も逃げようと試みたが最後まで逃れることは叶わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広間近くの昼下がり、何とか本来の目的地の前まで移動したツクヨミは既に疲れ果てていた。

 

「やっと着いた……」

 

 目の前には歴史を感じさせる立派な建物が立っている。この場所はスレイン法国の国立図書館。距離としてはそこまで遠くない場所だが、ここまで時間がかかってしまったのは言わずもがなである。

 

 扉を開けると視界いっぱいに本棚が広がった。天井は高く、二階建てのこの場所は吹き抜けとなっている。

 司書がちらほら仕事をしている中、時計が14時を指すこの場所には既に沢山の人が本を手に取り、テーブルを囲んでいる。その外見は髭を生やした老人からまだ幼い子供まで様々だ。

 今回、この場所には主にこの世界の情報や法律を知るために来ている。というのも最近は宿のジャーナルから情報を集めていたのだが、とうとう限界が来てしまったのだ。まずそれらには常識など書かれていないのだから。

 場所を移動しながら本を手に取る。『スレイン法国の歴史と法律の関連性』これは良さそうだな。見てみるとそれなりに面白そうな本が沢山ある。元々本を読むのは好きなのだ。『魔法の構造体系理論 著:フールーダ・パラダイン』などというあまり関係ないものまで手に取りながら空いている席に座る。

 

 最近は眼鏡無しで文字を読むことも少しずつできるようになってきたので、なるべく眼鏡は使わないようにしているのだが、やはりこういう本は難しい単語が出てくるようで……ハッキリ言って全然分からない。

 ポケットから仕方なしに眼鏡を取り出し内容を読み解いていると横から少女の声がした。

 

「何読んでるのー?」

 

 横を向くと、珍しい黒髪に白い目を持つ少女が佇んでいた。まだその外見は幼く十代前半だと見受けられる。

 

「はい、こんなやつ」

 

 本を見せると少女は露骨に嫌な顔をした。

 

「うー、つまんなそうだね。私はファンタジーがいいな。……そういえば、お姉ちゃん名前は?」

 

「ツクヨミっていう名前だよー」

 

「ツクヨミ? じゃあツクちゃんだね!」

 

 少女が続ける。

 

「私はアリシア。神殿から抜け出してきてよくここに来るんだ。ツクちゃんは初めてだよね? 髪色も珍しかったから声かけちゃった」

 

 アリシアは自身の髪色とは反対の、艶やかな雪色の髪に興味を移しているようだったが、ツクヨミはサラッと聞こえてきた突飛な内容を聞き逃さなかった。

 

「抜け出すって、お家が神殿ってことかな?」

 

「うん、まぁそうかも。閉じ込められてるって感じだけどね。力がーとか言ってさ」

 

 不服そうな表情で愚痴をこぼすアリシア。

 

 話を聞くにかなり厄介な事情が絡んでいるようだ。ツクヨミがどうしたものかと考えていると、そのまま少女は隣に座り本を読み始める。

 その様子は何だか妹のようだった。

 

(まぁ、そのうち迎えが来るだろうしここは看過しておこう)

 

 甘々なツクヨミは読んでいる途中だった本に再び視線を向け、読書を再開した。

 

 法国での時がゆったりと、過ぎていく──

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5.旅路

 スレイン法国、その主なる都市である神都にある巨大な神殿の最奥。床は磨かれた大理石でできており、辺りには壮大な白亜の石柱が並んでいるこの場所は、一般人の立ち入ることの許されない神聖不可侵の聖域となっている。

 そんな何者も近寄らせない雰囲気のこの空間の中央には巨大テーブルがあり、その席には12つの影があった。

 

 集まっているのは、国のトップである最高神官長含む最高執行責任者達であり、現在彼らは国の今後の方針を立てるため、会議を行っていた。

 

「──それで、次の議題だが」

 

 進行しているのは今代の最高神官長、オルカー・ジェラ・ロヌス。六宗派の中で光の神を信仰する神官長だ。

 

「近隣に増え続けている亜人の対処の問題だ。特に最近では竜王国が救援を訴えているようだ」

 

「ビーストマンだったか。こんな寒い時期に面倒なことだ。 しかし、数体が暴れているだけなのだろう? そのくらいなら彼らだけでも対処できると思うがね。私はそれよりアベリオン丘陵で群れの形成を始めている亜人の対処が先だと思うが……」

 

 青色の神官服に身を包んだ男が、手元の書類を掴みながら声を上げる。

 

 法国の東に位置する竜王国。その場所は年々ビーストマンによる被害を増やしていた。ビーストマンとは二足歩行する猛獣の姿をした種族である。その力強さは驚異的で成人した種は人間の10倍ほどの力を持ち、加えて肉食性で残忍な彼らは人間を食糧としている。

 そんなビーストマンの対処は難しく、例え数匹であろうと油断することは出来ない。しかし最近数を減らし、人間の生存圏に逃げ延びてきたばかりの彼らの恐ろしさを知る者は少なかった。

 

「わしもそれに同意だ。丘陵は亜人の種類も多いし放置していれば手が付けられなくなる可能性も高い。殲滅のエリートである陽光聖典を早急に送るべきだろう」

 

「確かに、竜王国は丘陵の後に陽光で対処してもいいかもしれんな」

 

 軍服姿の白髭の老人含め、皆が同感という雰囲気を出しているので、オルカーも口を開く。

 

「では、竜王国は様子見しつつ必要に応じて兵を出し、丘陵には陽光聖典を向かわせることとしよう」

 

 それぞれが頷くと、赤色の衣の神官長がポツリと言葉を漏らした。

 

「しかし、最近はやけに亜人被害が多いな。退治しても増える一方だ……」

 

 北東にカッツェ平野、西にアベリオン丘陵、南西にはエイヴァーシャー大森林が存在する法国は亜人やモンスターに囲まれている。これだけでも退治するには寝ている暇も無いほどだが最近では竜王国東のような、国土に面していない場所にも問題が多発している状況であった。

 

「うむ。しかも、他国は討伐に参加しようともしない。一応の同盟国であるエルフの国さえ、最近は無視を決め込んでいるじゃないか」

 

「本当に苦しい状況だ。我々だけではどうにもならない!」

 

「こんな時、神がいらっしゃれば……」

 

「……私たちはこれほど尽力しているというのに、まだ神はその尊き御姿を顕しては下さらないのか」

 

 彼らは人類を守るため日々戦っている。ときに非人道的な手を使うことも少なくない。しかし、それだけの事をしてもなお、少しずつ弱小種である人間が追い詰められていることに不安を吐露していた。

 

 場の空気が悪い方へと落ち込んだ中、法国でも少ない黒髪、黒目である闇の神官長が真剣な表情で口を開いた。

 

「我々は六大神によって救われた。この国も、人類もそうだ。ならば神のご不在の間、人類を守護するのが我らの務めであろう。違うか?」

 

 他の者はハッとした顔になると再び表情を引き締める。それを見てオルカーもまた語り始めた。

 

「正しくそうだ。人類の守護者である我々が弱気になっていてどうする。それでは次の議題へ行くぞ──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 転移から早いこと二ヶ月、どうやらこの地にも四季が存在しているようで、現在12月であるスレイン法国はその街道に白い雪を垂らしては地面を濡らしていた。

 軍はあの後大きな騒ぎ、それは暴動であったかもしれない──が巻き起こった。兵士たちはツクヨミが日雇いであったことに不満を爆発させ、口煩く正式雇用しろと文句を垂れた。

 ……人間とは欲深い生物なのだ。大元帥は苦渋を飲まされた後に、とうとう折れた。

 

 そうして今、ツクヨミは正式に軍の手伝いをしながら慎ましく生活を行っている。この二ヶ月は現実(リアル)を含めても、今までに無かったほどの平穏な日々だった。それこそ色んなことを忘れそうになるほどに。

 

(……かぷっ)

 

 もう夕方になる頃、ツクヨミは暖かい白のケープを肩にかけ、仕事帰りに買ったお気に入りの肉饅頭(固いが)を頬張りながらベンチに腰かけている。

 

「それ好きですね」

 

 ひとしきり景色を眺めていると、後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

「ルーインさんでしたか。これ美味しくて、オススメしますよ。人気ですからすぐ無くなりますけどね」

 

「今度食べてみましょう。見た目も面白いですし」

 

 振り返った視界に映るルーインはそこで一旦言葉を置くと、ベンチの横まで歩を進めてから立ち止まった。その恰好は当然のように軍服。仕事モードではないが、その口調はいつもより固いように感じられた。

 

「……そういえばツクヨミさん。明日からでしたっけ? ここを出られるのは」

 

 気に掛かっているようルーインが話を切り出した。それは明日からツクヨミが一時的にだが法国を離れるというもの。ツクヨミはなるほど、と先の口調の固さの原因に納得しつつ食べかけの肉饅頭を手元に置いて返答する。

 

「あー、はい。初めての纏まった休暇なので……折角ですしね」

 

 ツクヨミは長期の休みが続く明日から旅に出るつもりでいる。その行き先はリエスティーゼ王国だ。それは前からルーインに話している内容だが、旅には何か思う所があるのかもしれない。

 

(馴染んできた法国を離れるのはまだ少し不安だけど……。他の国の事もきちんと知っておきたいしな)

 

 ここで緩く生活を続けているとはいえ、ツクヨミはまだこの世界の事を殆ど知らない。誰かが──例えば家族などがそのことについて詳しく教えてくれる訳でもない。情報という観点から見ればそれは致命的だった。

 

 

 それにこのまま何気なく過ごしていて本当に大丈夫か。そういう漠然とした思いが無かったとも言い切れないだろう。……まぁそれでも一番は話に聞いていた王国に行ってみたい!という気持ちであったが──

 

「正直少し不安もありますけど、王国は比較的平和らしいですし、お話からも楽しみにはしてます。……寄り道でお金を使い過ぎないかは心配ですけどね」

 

「ああ。確かに王都まで結構遠いですもんね。今だと足税とかもありますし、エ・ランテルは難所ですね」

 

 はははとルーインが冗談めかしく笑う。

 二人の話は尤もであり、リエスティーゼ王国のような人間国家は現在戦争は行っていないため、足税さえ払えば観光程度の行き来は何の問題もなく可能となっている。つまりお金と時間さえあれば旅行はしやすい環境であるということだ。

 

 

(それが大変なんだけどね。税金に馬車代。それに宿代も……)

 

 

 ツクヨミは心の中で唸る。

 実のところ、転移当初はYGGDRASIL(ユグドラシル)アイテムであらゆる金銭工面をすることも視野には入れていた。アイテムボックスには課金のおまけで付いてきたユグドラシル硬貨が数え切れないほどあるし、ゴミアイテムでさえこちらの世界では値がつけられない。やる気になれば国を移動することが容易だったのは言うまでもないだろう。

 

 ……しかし結局そうはしなかった。理由としては出処の問題や、いるかもしれないユグドラシルプレイヤーの目に留まる危険性のこともあったが、一番は必死に働いている人に気が引けたことかもしれない。以来、地道に軍で働いて稼いだツクヨミは、今になってようやく外に出る機会に恵まれたという訳だ。

 

「──何はともあれ、羨ましい限りです。私は兵士なのであまり時間が取れなくて。王国にはずっと行ってみたいと思ってるんですけどね」

 

 そう言うルーインの表情は先程と同様笑っているもののどこか寂しげで、彼が前々から行きたがっていたことを知っているツクヨミは小さく頭を下げた。

 

「すみません」

 

「いえ、謝らないで下さい! 私も分かっていたことですし、長期の休暇を取れたのはツクヨミさんが頑張って働いた結果ですよ」

 

「しかし本当に良かったのでしょうか。一ヶ月もお休みを頂いてしまって。お気を煩わせてはいませんか?」

 

 ルーインは頭を掻きながら申し訳なさそうに返答する。それはどちらかというと軍の事情であったからだった。

 

「汚かった兵舎も今は拭くところも無いほどピカピカですからね。実のところ咄嗟の事だったので上も与えられる仕事がないんですよ。掃除以外だと他の人の仕事に触れちゃいますし。……まぁこちらが何とかすることですから、ツクヨミさんは気にしないで大丈夫ですよ」

 

 続けて明るい笑みを浮かべて言う。

 

「そうだ。私にも王国がどうだったか教えて下さい!」

 

「はい。 ……勇者がいないかちゃんと探して来ますね!」

 

 ツクヨミはベンチに座ったまま、手を伸ばし開いた。

 手のひらには雪がこぼれ落ちながら、そっと消えていく。空は夕焼け色に染まり、心身共に暖かさを感じさせられるようだった。

 

 彼女はまだそれほど古くないあの日の情景を頭に浮かべながら、長い旅に備えいつもより少し早く宿へ戻ろうと立ち上がった。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 翌日の肌寒い朝、馬車は柔らかな日差しを受け揺れていた。この馬車は今朝スレイン法国を出発し、エ・ランテルへと向かっている。貴族などが乗る豪奢なものとは違う一般的な馬車の室内は狭い。加えて椅子は安い木製であり、長時間乗るにはお尻が痛くなりそうな固さである。

 

 比較的料金の安い相乗りであるこれの乗客料は1銀貨であるが、エ・ランテルまでは直行でも数日かかる。到着までに止まる回数は最低限であるが、それでも数回の乗り継ぎが必要なのでその金額は決して易しいものではない。

 

 そんな馬車に乗っているのはツクヨミを含め三人であり、前におおらかな茶髪女性、右前に八歳くらいの同じく茶髪の少年が座っている。顔立ちも似ているし年齢的には親子なのかもしれない。ゆったりと窓の景色を眺めていると、茶髪の少年がちょっかいを掛けてこようとしているのが見える。だが、それはすぐに止めさせられた。

 

「すみません、元気っ子でして……」

 

「いえいえ、お気になさらず。お二人はエ・ランテルへ旅行ですか?」

 

「いえ、実は私たちは実家が法国にありまして帰省していたんですよ。本当は夫も来る予定だったんですが、ちょっと前に体調を崩してしまったようで。……今はその帰りなんです」

 

 確かに最近の外は肌寒く、温度変化も急であったので体調を崩してしまうのも無理はないと思われた。特に、こんな時代であるので野外で働く人も少なくない。

 納得していると少年も喋りかけてくる。

 

「お姉ちゃんはエ・ランテルに遊びに来るの?」

 

「私は少し遠いですが王都まで観光へ行く予定でして、エ・ランテルには行きと帰りの一日だけ滞在させて頂こうかなと思っています」

 

「それなら香る紅葉(もみじ)亭には是非寄ってください。あそこは新しく出来たばかりで中も綺麗ですし、安くて美味しいんですよ!」

 

 これは良いことを聞かせて貰ったと心のメモ帳に書き留めたツクヨミは続く女性の話を頷きながら熱心に聞いた。

 その後もしばらくたわいの無い会話は続いたが、心地の良い馬車の揺れと疲れからかとうとう女性は眠ってしまった。

 ガタンと小さく馬車が揺れたので再び景色を見てみると、そこには雄大な草原が広がっている。沢山の草は風に揺れ、海のように地面に波を立てている。遠目には草食動物らしきものが見えるがモンスターはいないようだ。安全な地帯なのか、定期的に退治しているのか。

 取り留めもない考えの中、いきなり膝の上に少年が乗ってきて窓の外を指指した。

 

「3匹いるー!」

 

「遠くにいるねー」

 

 それは小さな角の生えている羊のような生物で、地球のヤギに似ている。名付けるならビッグシープ……いやビッグゴートがいいだろう。

 小さな子供とのコミュニケーションは不慣れであり、無言でまた自分の世界に入り込んでしまっていたツクヨミはいかんいかんと頭を振る。

 

 窓の外から再び少年に目線を移して会話を振ろうとすると、……ん? 

 

 少年は膝の上で既に丸くなっており小さく寝息を立て始めていた。彼を見ながら、『まさかそのために近づいてきたのでは?』と大人気ない勘繰りをしたツクヨミは、ため息混じりに自身のケープを少年の小さな体にかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜に小さな拠点へ停まりながら、殆ど同じ風景を眺め寝ていただけの一行の馬車は、あれから3日後にようやく目的地へと到着した。

 その場所はエ・ランテル。リ・エスティーゼ王国の東に位置する都市であり堅牢な城壁に守られている。この場所は王国と帝国の国境付近に存在しているため交通量も多く、大勢の人が集まり賑わっている。

 そんな城塞都市の外周部にある検問所をこれといった問題なく通過したツクヨミは巨大な門をくぐった先で、寝起きの頭でこれから何をしようか考えていた。

 

「ここがエ・ランテル……。今は何時だっけ」

 

 空を見上げると天頂で太陽が照り輝いている。丁度お昼間頃だろうか? お昼、という言葉に反応したのか自身のお腹が鳴る。うぅ、食い意地の張ったやつだ。昼から宿で昼食を摂るのもお金がかかりそうだと考え、ひとまず露店で食べられそうな物を探そうと歩みを進める。

 

「なんていうか、賑やかだなぁ」

 

 それなりに整えられている街路にはあちこちに馬車が止まり、行き交う人の目には活力がある。商人は既に商談を始めており、朝から用意されていたであろう様々な物資が右へ左へと往復していた。

 

 スレイン法国も栄えてはいるが、どちらかというと静かな雰囲気なのでこういう空気は新鮮である。

 

 人波をかき分けながら中央広場らしき場所に着くと、そこには沢山の露店が立ち並び、各々が客を呼んでいる。売られている物は様々だが、目当ての食べ物からは憎たらしいほどに食欲を刺激してくる良い香りが放たれている。

 ツクヨミの目線の先には焼いた肉を小さなブロック状に切りそろえ、それを数個、棒に刺した物が売られていた。あれにしよう。

 

「すみません、二つ頂けますか?」

 

「ま、毎度あり! 合わせて1銅貨だよ」

 

 ポケットの財布から小銭を取り出し、何故かあたふたしている若い男性の店員から商品を受け取る。正直さほどお腹に溜まる物では無さそうだが、現実(リアル)で食べることの出来なかった本物の肉はやはり魅力的であり、こちらに来てからは好んでよく食べている。他の商品もチラチラ横目で見ながら、ツクヨミは人の落ち着いている広場へと移動した。

 人が多い場所だと、白い髪が目立つのかちらちら視線を向けられている気がするのだ。勿論ただの気のせいの可能性もあるが。

 

 

「ん、100点!」

 

 

 まぁそんなことは一旦忘れ、肉を口に運びながらツクヨミは視界を広場の風景へ移す。その視線の先には子供がごっこ遊びをしていたり、冒険者風のチームが一休みで弁当を囲んでいるのが見える。

 それは和やかで尊く、それでいて淡い。

 

 軽い昼食を終え、思案する。

 夕方は香る紅葉(もみじ)亭に行くとしても時間はまだまだあるだろう。行きたい場所を心の中で列挙する。まずスレイン法国の図書館で知った冒険者組合は欠かせない。他には……マジックアイテムを専門に扱い、日々研究をしているという魔術師組合や現地のポーションを作っている薬師の区間も興味はあるな。

 すっかり観光客気分なツクヨミはゆっくりと腰を上げた。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 夜の8時、すっかりと暗くなってしまったエ・ランテルの街は昼間の騒がしさが嘘のように静まり返っている。しかし、それは一部分でしかない。仕事を終えた者、冒険から帰った者、他にも様々な人が一様に夜の帳を抜けて酒場へとその身を寄せていた。

 エ・ランテルの酒場兼宿屋である香る紅葉亭も例外ではなく、一日の終わりを迎えようとする者たちが真新しいテーブルを囲んでいる。その姿は依頼の成功を祝うもの、料理にがっつくもの、ウトウトしながら食事を摂るものと様々だが……テーブルの中央でそんな光景を吹き飛ばしてしまうような突飛な事が起きようとしていた。

 

「一目惚れしました! 結婚してください!!」

 

 即座に視線が集まる。田舎貴族であるロディー・ラス・デイル・ビョルケンヘイムはあろうことか初対面の相手にプロポーズを行っていた。対象となったであろう白の髪の女性は食事中で、飲んでいたであろう水を吹き出しむせている。

 

 それを見ていたお付きの護衛らしい男が遅れて反応した。

 

「坊ちゃん! いきなりなんてことを言い始めるんですか。それに私たちは成人の儀の途中でしょう!」

 

「離してくれ! 人間言わなきゃならない時ってのがあるんだ。今を逃せば、それをいつ伝えればいい!」

 

 お付きの男は予想外の力説をされ、小さく怯んだ。周りの客は面白いことが起こったと口笛を吹いたりしている。宿の店主もどうしたものかと慌てている中、女性はシドロモドロになりながら小さく答えた。

 

「そ、そんないきなり言われても困りますよ」

 

「あぁ。声も美しい! やはり運命の人か」

 

 男には全く言葉は届いていない様子で、それどころか激励を受けたかのように勢いを増していった。もし彼女が時間停止(タイム・ストップ)を詠唱できたなら迷いなくそれを使い、この場から逃走しただろう。しかし神聖剣士(ホーリー・フェンサー)である彼女に逃れるすべはない。

 

 ある意味レイドボス戦より手ごわいこの状況は、お付きの男が何とか彼を連れ出すまで長いこと続いた。

 ツクヨミの王都までの道のりは遠い。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6.届かぬ哀哭

 ドンッ!! 

 

 それほど広くはない豪華な部屋で、女性は自らの太腿を握った拳で叩いた。それは行き場のない怒りであり、嘆きだ。

 

「……すまない。少し感情的になってしまった。そうか。ダメだったか」

 

 見た目は三十代程だと見受けられる彼女から発せられたのは想像もつかない疲労した声だった。それもそのはず、この女性こそ竜王国の女王であるドラクシス・オーリウクルス。永き時を生き、今最も苦境に陥っている国をまとめている者でもある。

 

 彼女は現在、執務室で部下である30代後半の宰相と共に騎士風の男から報告を受けていた。その内容は残酷なもので、ビーストマンの襲撃にあった近郊の小さな村が壊滅的被害を受けたこと。数ヶ月前から救援を要請していたスレイン法国からやっと届いた書状は『引き続き調査する』といったものだったことだ。

 

「陛下……」

 

 既に兵士も下げられたこの場で、宰相は沈痛に呟いた。最近、少しずつ状況の悪くなってきたこの国を知る者として彼もまた彼女の気持ちを痛いほどに理解していた。

 竜王国は力を取り戻しつつあるビーストマンの標的となっている。その数はまだ少ないが、引いては襲撃を繰り返すビーストマンは厄介極まりなく、深追いすることもできない彼らは着実に被害を増していた。元々軍事力の高くない竜王国は今も手をこまねくだけだ。

 

「分かってはいたんだがな。これは竜王国の問題で私たちが何とかしなければならない。しかし……」

 

 法国は人類の守護者を自称している。そんな存在がいれば、追い詰められた時に期待しない人間はいないだろう。それだけに落胆は大きかった。

 

「いや、そうか。私が竜族の血を引いているからかもしれん」

 

 ドラクシスは真なる竜王である七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)と人間の子孫であり、孫である彼女には竜の血が四分の一流れている。確かに人類至上主義である法国はそのことを良くは思っていないが、今回の件に関してはそのことが原因ではない。それを彼女らが知る由はないが──

 

「そんな理由で人類国家を見捨てるようならば法国に人類の守護者などと語る資格はないでしょう。それに陛下は真なる竜王であり、我々の誇りです。もっと自信をお持ち下さい」

 

「国民を犠牲にしなければ力の少しも出せぬ私は無力そのものだぞ。……だが、礼は言っておこう」

 

 落ち込んだ気持ちを切り替えるようにドラクシスは考える。法国への要請は、細かく被害を書き連ねて送り直すとしても当分は自国で対処しなければならない。報告によるとビーストマンの襲撃はまだ続いており、村に滞在する個体も少ないが存在するようだった。そして村の生き残りは不明……。しかし、生き残りの有無に関わらずとも居着かれては困るので確実に兵は送らなければならない。

 

「村にはすぐに兵士を送る。それと組合へ緊急の依頼を出すことは可能か?」

 

「はい。ただしビーストマン関連となると白金(プラチナ)以上の冒険者が好ましいでしょう。うちには少ないのですぐに見つかるかは分かりません」

 

 冒険者組合は創立からまだ数十年しか経っていないためまだ高位の冒険者は少なく、最高位冒険者であるアダマンタイトはおろか、その一つ下のオリハルコンでさえ一国を見ても数えられるほどしかいない。ちなみに今の竜王国にはアダマンタイト冒険者は存在せず、オリハルコンチームは一つだけだ。

 

「ふむ……。まぁよい。すぐに取り掛かってくれ」

 

「かしこまりました。 すぐに準備させます」

 

 一刻を争うと判断した彼女は正しく、宰相の素早い対応も見事なものだった。しかし、二人はすぐに思い知らされることとなる。ビーストマンの力を。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜、エ・ランテルから発車していた馬車は四日かけて王都リ・エスティーゼの南に位置するエ・ペスペルへと到着した。同じく大都市であるここの交通は盛んであり、日が落ちて間もない現在ではまだ商人たちが忙しなく門を行き来している姿がチラホラ目に入る。

 

 馬車の旅は長時間座りっぱなしであるため、車内からやっと体を出すことができたツクヨミは解放から伸びをする。既に乗り合わせた老人は歩き去っていたため、彼女も慣れてきた検問へと向かった。

 

「次の方〜」

 

 若い兵士の呼びかけと共に前へと歩を進め、荷物を出す。携帯品は日持ちの良さそうな食料品と水分程度であり、兵士はざっと目を通すと通行を許可した。最近分かったことなのだが、この世界では見てくれがかなり重要であり服装が整っているのとボロを纏っているのでは検査の時間は雲泥の差である。

 

 現実(リアル)の空港では国をまたぐ際に恐ろしい程に細かく荷物検査することを知っていたツクヨミからすると、大雑把に感じられて止まないこの世界の検問であるが、機器も無く人類の歴史も浅いのだから致し方ないのかもしれない。

 門のすぐ隣に設置されている木箱の中に税分となる少量の金銭を入れ、兵士たちの間をくぐって門を抜ける。

 

 馬車の停まる拠点というのは殆どが申し訳程度に配置されたごく小さな拠点であり、寝る場所とこぢんまりとした露店が開かれているくらいだ。それに比べると大都市であるエ・ペスペルの街並みは夜でさえ賑やかだと言えるだろう。

 

「何だか少しだけ安心するな…」

 

 街道はまだ整えられていないようだが、大きな建物が横に並び兵士がゆったりと巡回している。

 

 そんな風景を横目で見つつ少数の街灯に照らされながら、今から行うことを考える。着いた時間が夜であるので、エ・ランテルのように観光している時間は残念ながら無さそうだ。そもそも店が閉まっているのもある。

 

 移動にかかる時間は前後する可能性が十分にあるので、元々スケジュールがカツカツであったツクヨミは大人しく寄り道は諦め、明日の朝のために宿を探すことにした。

 そういえば宿に行くなら入浴もしておいた方がいいだろう。ツクヨミは几帳面であるので馬車の停まる合間合間でもよく体を布で拭いているのだが、それでもちゃんと体を洗ったのは四日前。なので、Lv100の姿見であるとはいえ多分そろそろやばい。

 

 ちなみにこの辺りの国々での湯浴みはシャワーが一般的である。もちろんアーコロジーの物とは違う、きちんとした水のシャワーだ。

 

(まぁシャワーも最高なんだけど、いつか湯船にも浸かってみたいなぁ)

 

 かつてネット上で知った風呂なるものを頭の中に想起しながら、ツクヨミは明かりの灯る街路の先へと進んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……。はぁ……」

 

 竜王国の白金(プラチナ)級冒険者であるパルランドは今、疲労困憊であった。昨日の昼より緊急で組合に出された依頼はビーストマンに占拠された村の解放であり、国から報酬が出るというものだった。普通は国と組合はあまり関わりを持たないのだが、内容が内容であるだけに組合に集まっていた多くの高位冒険者はこれに参加することを決めた。

 

 と言っても、そもそも高位の冒険者が竜王国に少ないことや時間が無かったこともあって、今朝この村に出発したのは国の兵士60名弱と自身を含む白金(プラチナ)級冒険者三チームだけであった。まぁそれでも本来なら派遣としては十分すぎる戦力だが……。

 

 パルランドは辺りを見渡す。出発時に出ていた燦々と照り輝く太陽は既に落ちかけており、空は徐々に暗くなっている。緑色の木々に囲まれた村の雰囲気は鬱蒼としたものに変化し、その中心には自身含む何とか生き残っている二十数人が佇んでいる。そして何よりの問題は……それを取り囲むようにビーストマンがいることだ。その数は軽く見ても20体。あまりにも絶望的だ。

 

 到着時は僅か三体だった。しかし奴らと戦闘を繰り広げていると、森の奥深くから少しずつ仲間が集まってきたのだ。

 

 

「う、うわぁぁ!」

 

 声のした方向を見ると錯乱した兵士が点在する家屋沿いに村の外へと走り逃げようとしている。だが……

 

「ガァァァ!!」

 

 

 けたたましい雄叫びと共に全速力で兵士を二体が追いかけ、千切り肉塊にする。それはこの場から誰も逃がさないという意志を感じさせた。

 ここにいる誰も動かない、いや動けなかった。

 

「うっ……。うっ」

 

 隣で同じパーティの仲間が泣き始める。見慣れた魔法のロッドを握りしめ、震えている彼女を同じく仲間の一人が慰める。皆、ここへは村を救うために来たのだ。こんなところで死んでいい人間は一人もいない。

 

 パルランドは剣を握りしめる。英雄に憧れ、努力して、それでも届かなかった彼は自分の非力さを呪った。既に周りの戦意は落ち込んでおり、絶望した表情で座り込んでいるものさえいる。どうにもならない時というのは確かに存在しているのだ。

 ビーストマンは逃げる人間がいなくなったことを確認すると少しずつ距離を詰めてくる。知能の低い彼らは下劣な表情で如何にして対象をいたぶるかを考えているだけだ。

 それは酷く不快なものだった。蹂躙、頭に過ぎった言葉はそれだ。弱者は強者に搾取される。それは自然の摂理であり、受け入れ難い事実だ。

 

 彼は隣で(うずくま)る仲間を片手で抱いた。唐突に思い出が蘇り、目からは熱い露が零れ落ちる。

 

 

 俺は何もしてやれないのか──

 

 

 もはやパルランドは自身の命などどうでもよかった。しかし、それ以上に大切なもののために彼は足掻くことを決意する。……仲間を助けてやりたいという切実な祈りは、疲弊した肉体を突き動かし再び剣を強く握らせた。

 

 涙はまだ枯れていない。痛みで震える右足で地面を踏みしめるとそれを見ていた仲間が左腕を軽く掴む。

 

「無理だ……。俺たちじゃ」

 

 パルランドは手を振り払うと、前へ駆け出し雄叫びを挙げた。

 

「おぉぉぉぉ!!」

 

 両手で持ち直した剣を前にいるビーストマン目掛けて叩きつける。咄嗟の攻撃に怯んだビーストマンだったが、上手く左手の爪で剣を凌ぎ、右腕で反撃しようとする。しかし、それは想定内だった。

 

「武技:斬撃っ!」

 

 爪の上を滑らせ、無理やり軌道を変えた剣閃はビーストマンの左腕を縦に切り裂いた。

 

「ガアアアアア!!」

 

 痛みに悶えるビーストマンはそれでも反撃をやめず、右腕から渾身の一撃を放つがそれは空を切る。

 その隙を見逃さずパルランドはすかさず連撃を叩き込もうとする……が、突如横から現れた大きな爪が体にくい込み肉を切り裂いた。それは目の前の個体のものでは無い。

 

「ぐぁぁ!!」

 

 パルランドの周りには既に五体近いビーストマンが群がっていた。仲間の悲鳴を聞いて駆けつけたのだ。少しずつ数を増すそれらが怒りの表情で近づいてくるのを確認すると彼は声帯が破れるほどに大きく叫んだ。

 

「みんな! 今のうちに逃げろ!!」

 

 彼が声を上げると共に場は揺らぎ、固まっていた者たちはビクリと動き始めた。それを視認したビーストマン数体が移動しようとするが、両手で持った剣をめいいっぱい振り回し妨害する。そして……怒り狂ったビーストマンは一斉に彼へと襲いかかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7.雨降る王国

「我が国の治安状況だが……」

 

 ここはリ・エスティーゼ王国の首都である王都リ・エスティーゼの最奥に位置するロ・レンテ城。長き建造期間を経て作り出されたこの城は外周が1kmを超えるほどの巨大さであり、辺りにもまた立派な塔が点々と建っている。そんな見るだけで圧倒されそうなロ・レンテ城の内部では現在、国の現状を話し合い対策を取るための定期的な会合が開かれている。

 喋っているのは現国王であるウィリアム・シャル・ボーン・デル・レンテス。今年で50歳である彼は年齢より少し老けた声で言葉を続けた。

 

「記録からも分かる通り、悪化している。特に夜の王都は犯罪も増えているようだ」

 

 国王は反応を確かめるように席に座る者の顔を眺める。目に入るのは一癖も二癖もありそうな男たち。彼らは王国の貴族の中でも大きな影響力を持つ六大貴族と呼ばれる存在であり、強かな知恵と莫大な富を有している。そんな彼らは少し間を置くとそれぞれ意見を述べていく。

 

「王都は街灯の設置が行き届いておりませんからな。治安は街の整備で改善できると思いますが」

 

「単純に見回りを増やすというのは?」

 

「いや、そんなことに税を使うより国の発展が第一でしょう。帝国では既に整備を進めつつあると聞きましたが」

 

「それはいけませんな。我が国もそろそろ税を上げ、そこに着手するべきでは?」

 

 様々な意見が飛び交う中、国王は小さくない頭痛を感じた。彼らは一人一人王国を支えようとする味方なのだが、こうして合議になるとどうしても意見が纏まらないのだ。

 

「それは出来ない。最近やっと民の生活も安定してきたのだ。ここで増税でもすれば他国に逃げ出す民も出るだろう」

 

 元々国土の広い王国はモンスターの被害は法国に抑えてもらっているものの、隅々まで手が届いているとは言い難い。特に初期の頃は国民を増やすために税を軽くしていたため、発展が他国より遅れていたのだ。それも年々税を上げて対処してはいるのだが……近年ではそれも限界が来ており国民の不満が増えてきているのも事実であった。

 

「ふむ。そうなると今まで通り、少しずつ近郊の整備をして行くしかないのでは?」

 

「私はあの……冒険者組合や魔術師組合の援助は減らしても良いと思いますぞ。優先度はこちらの方が高いですからな」

 

 ふと部屋の隅の大きなガラスの窓に雨水が滴るのが目に入った。どうやら外では雨が降り始めたようだ。国王は曇りゆく外を感じながら、各々が混迷するテーブルを見渡しては心の中でため息をついた。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 正午には数時間前に現れた黒雲が王国の空を覆い尽くしていた。隙間のない灰色の天上からは大量の雨粒がこぼれ落ち、一面に広がる路面を黒く濡らしている。

 普段は賑やかで人の行き交っている中央通りも寂しく、兵士や住人は屋内へ戻っているのか外に人は殆ど見られない。

 そんな王都の入口である門の前には、傍から見れば怪しげな大小二つの影があった。

 

「こんな所で呼び止めて何の用だ」

 

 小さな人影から声が発せられる。その姿は異様で、体を覆う深紅のローブの下には年季の入った紺の衣服を身にまとい、顔には額に朱の宝石を埋め込んだ白い仮面を付けている。頭の横からは綺麗な長い金髪が垂れており、体型からもそれが少女であることが分かる。

 そんな彼女の声は高くも低くも聞こえるが、トーンはどことなく不機嫌そうに感じられた。声を向けられたもう一つの人影……見れば一級品だと分かる質の良い黒のローブを着た老婆は、右手に持った木製の傘で少女の肩を雨から凌ぎながら笑い答えた。

 

「なぁに、久しぶりに寄ったからな。可愛い嬢ちゃんの顔を見に来たんじゃよ」

 

 皺だらけの顔の表情は若く、発せられた声は生気に満ちている。どうやら二人は先ほど門の前で鉢合わせ、久しぶりの再会を果たしているようだった。しかし、少女の方に再会を喜んでいるという雰囲気は無い。

 小さな影は再び移動を開始しようとする。

 

「待て待て! 待つんじゃイビルアイ。傘もささないで出歩いては風邪をひくぞ?」

 

 老婆が少女……イビルアイに慌てて言葉を投げかけた。その内容は体を心配するものだが、実際は冗談半分である。

 

「お前の小言を聞くくらいなら土砂降りの中マラソンでもした方がましだ。早く要件を言え、リグリット。……どうせまた面倒な話なんだろう?」

 

「お前さんも相変わらずじゃな……。とりあえずここで話すのもあれだし、屋内に入らんか?」

 

 冗談めかしく話すリグリットだが、それでも彼女の言は何処か重たげな雰囲気を醸していた。イビルアイはそんなかつての仲間に少し考える素振りを見せてから、その仮面の下で口を開いた。

 

「いいだろう。では近くの宿へ行くぞ」

 

 ローブが冷たい風の中を舞うと、リグリットもまた一息つける場所へ移動しようと衣服の下の足を動かす。二人が行動を開始する──まさにそんな時であった。

 

 二人の時間が止まった──。

 

 当然だがそれは物理的にではない。彼女たちは命の危機の際に現れる走馬灯のように、スローに感じられる世界で確かな異変を感じ取っていたのだ。

 

 門の先から何かが走ってくる。

 

 膨大な魔力の渦を撒き散らしている訳ではない。……ただそれは真なる竜王が持つような絶対的"力"を確かにその身に纏っていた。

 それは150年の時を生きてきた人外である彼女たちでなければまず知覚することのできない目に見えぬオーラ。

 

 横目で見ると現れたのは二十歳ほどの女性だった。その手に傘は握られておらず代わりに右手を頭上に上げ、白く伸びる長い髪は雨でびしょ濡れになっている。装備は大したことの無いものだが、異変の正体がこれであることを二人は確信した。女性は沈鬱な面持ちでびっしょりと濡れた路面を踏み締め、そのまま遠くへと走り去っていく。

 

 

 ……それを遠目で確認した彼女たちは張り詰めていた空気をゆっくりと弛緩させた。それからリグリットは視線を合わせることなく、独り言のようにポツリと呟く。

 

「なんじゃあれは」

 

 声色は冷静だが、それには驚きと不安が見え隠れしている。無理もない。何せ二人とも過去に似たような出会いはあれど、初めてLv100のプレイヤーを見たのだから。

 

「……分からん。ただ、相当ヤバいぞ。あれは」

 

 仮面の下の表情は分からないが、彼女も滅多に見せない緊迫さを醸し出している。しばらく沈黙が続き、辺りには水音だけが響いていたがそれを打ち消すような咳払いが一つ。

 

「コホン……そうじゃった。イビルアイ、実は今回話そうと思っていたのはそれもある」

 

「どういうことだ?」

 

「覚えておるか? ワシらが戦った魔神戦争を」

 

 イビルアイはリグリットが何を言いたいか分からなかった。その答えは聞かなくても分かっている筈であったからだ。

 

「当たり前だ。忘れる訳がないだろう。あれは100年前の……。あ」

 

「そうじゃ。丁度あれから100年になる。あやつは耳にタコができるくらいその事を話していたよ。結局何も無く今年は終わりそうじゃったがなぁ」

 

 リグリットは目を閉じ、やれやれと呆れたように吐いた。イビルアイはそんな彼女を見据えて真剣に問う。

 

「プレイヤーだと……そう思うのか?」

 

「違うかもしれん。が、可能性はあるじゃろうて。……すまんな嬢ちゃん。もっと世間話でもするつもりじゃったんだがね。あれだけ巧妙に力を隠しておるなら、あやつも気づいておらんかもしれん。叩き起こしに行ってやらんとな」

 

「ツアーか」

 

 イビルアイは先ほど、異変が走り去っていった方面を見る。そこにはもう何も無く、無人の街路が雨に打たれているのが目に入るだけだった。彼女は再び視線を戻し、口を動かした。

 

「待て、私も行く」

 

「なんじゃ、珍しいな。悪いもんでも食ったか?」

 

「ふん、別にすることも無いだけだ。無闇に一人で探るのは危険だろう。それに前から、ツアーには言いたいこともあったしな」

 

 リグリットは先ほどの驚きの表情を同情へと変えると灰の空を見上げて言った。

 

「あんまり責め立てるでないぞ。年寄りは涙脆いからな」

 

「お前は私を何だと思っているんだ!」

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「はぁぁぁ。最悪だ……」

 

 楽しみにしていた王都にやっと到着したツクヨミは来て早々に意気消沈していた。エ・ペスペルから三日、馬車はそれなりに早いペースで小さな小都市を挟み、そこから一日かけて王都へと進んだ。

 

 相乗りであるにも関わらず他に乗客がいなかったその馬車が進むにつれて王国の空は徐々に暗くなっていき、到着する頃には大雨とはいかないがそれなりに強い雨となっていた。降ろされたのは当たり前だが王都手前で雨具を着た馬車乗りのおじさんも心配はしてくれていた。

 

 そして今は、王都の門を潜ってから降り続く雨の中をひたすら走っている。体力的疲れは感じないものの衣服の濡れた感触はやはり気持ちが悪く、一部剥き出しとなった土の地面のぬかるみも精神を疲労させた。

 視界端に映るよく分からない建物の屋根で雨宿りすることも考えるが、遠方まで広がる灰色の空を見てその思考を破棄する。辺りに人がいないことを確認すると走る速度を少し早め、光の灯る民家の間を曲がりながら宿か酒場を探す。

 

 王都の街は思っていたより入り組んでおり、進むにつれ大通りから逸れているような気がした。辺りには小道が続き、建物はあるものの扉はない。多分裏道か何かだろう。

 

 自分の方向音痴さに呆れながらも諦めて来た道を引き返そうとしていると、突如大きなものが水面を叩いたような音がした。どうやら自分が佇んでいる小道の先からだ。耳をすませると響く雨音の奥から喧騒のようなものが微かに聞こえてくる。何事かと確かめるように近づき、角を曲がった場所から顔を出してみると、開けた路地の建物の前で一人の青年が柄の悪い男たち四人に殴り、蹴られていた。男たちは下劣な笑みを浮かべている。

 

 それは初めて目にするこの世界での明確な悪意でありツクヨミの心中を掻き乱した。ここも現実の世界と変わらない……理想の世界ではないことは分かっていたつもりだった。しかし心のどこかでは有り得ない希望を抱いていたのかもしれない。

 

(あぁ、そうか、そうだよね……)

 

 嫌なものを見たと目を逸らそうとしてしまった自分に嫌気がさす。

 特段法国が平和で、ツクヨミも良い人達に囲まれていた。それもあってある意味公平な()()の姿が見えていなかった――それだけの話だ。

 

 

「……失態だ」

 

 

 ツクヨミは息を吐くようにぽつりと呟く。濡れた体に一層染みるように、二カ月の温かな日々と、それでいて何時しか目を逸らしていた現実とが交差した。 

 

 まぁ何にせよ薄暗い雨降る路地に他の人気は無くすぐに助けを呼ぶのは難しい。ならばどうすべきか、答えは既に決まっている。少しずつ心臓の鼓動が早くなり、手が微かに震えた。だがそれもすぐに握りしめられる。

 

『種族とか関係ないですよ。困っている人を助けるのは当たり前ですから』

 

 ツクヨミは小さく目を瞑り開くと、喧騒の方向へと歩を進めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8.暗がりと閃光(1)

ルビが長いのか、改行されている部分があります。


「やめなさい」

 

 曇り空に隠された小さな路地にその言葉は響いた。女性らしい高めの声のトーンは低く、それは王が持つ荘厳さ、もしくは歴戦の騎士の発する威圧感の様なものを感じさせた。

 その言葉を受けた悪漢四人組は小さく怯み、よろよろと片膝で立っている茶髪の青年を蹴る足を止めては視線を上へ動かす。しかし、自分たちに近付いてくるのが喧嘩一つしたことの無さそうな体の細い女性であることを確認すると、すぐに態度を強気なものへと戻した。

 

「あん? なんだあんたは。何て言ったか、もう一回聞かせてくれよ」

 

 体の一番大きな中年の男は太い片足を前へ動かし女性に一歩近づく。その際、わざと大きな足音を立て、上から見下ろすような体勢で威圧を始めた。それを見ていた周りの男たちもまた下品な笑みを浮かべ、目の前の温室育ち然とした女性が怯える様を待っていた。彼らは弱いもの虐めを好む典型的な下衆であり、それが女であれば尚更であった。しかし──

 

 

「やめろと言ったんです」

 

 

 女性はそんな男たちの態度を察したのか先程より怖い声で発言した。

 男は自分より遥かに軟弱そうな存在が強気な態度を崩そうとしないことに眉を顰め、湧き上がる苛立ちとともに声を荒らげた。

 

「なんだと? 女風情が生意気じゃねぇか」

 

 拳を握りしめた男はすぐにでも殴りかかりそうな風貌だったので、今まで眺めていただけの仲間の一人が後ろから男の肩に手を置き、宥めに入った。助けに入った訳では無い。単純につまらないと思っただけだ。

 

「まぁまぁ落ち着けよ。それにしてもとんでもねぇ上玉だな。どっかの貴族様か、その令嬢ってとこか?」

「こんなすげぇ女見たことねえぜ。それこそどっかの王女様か何かなんじゃねぇの?」

 

 今一度男たちは喉を鳴らし、舐めるようにその姿を見る。雨に濡れた白銀色の髪の下には見たことも無いような整った顔が覗いており、濡れた衣服の下から微妙に感じ取れる体格もまたとても魅力的だった。段々といやらしいものへと視線が変化する。そして男の一人がなにか思いついたように足元の青年へと目を向けて喋った。

 

「そういや、こいつ、妹を返せだの言ってたな。この女と交換してやるってのはどうだ?」

 

「そりゃ釣り合いが取れてねぇだろ。客が激しく使うせいでうちの女は消耗が激しいからな。もうボロ雑巾みたいになってるだろうよ」

 

 辺りに不愉快な笑いが響いた。大切な存在を貶されたことに我慢ならなくなった青年は言うことの聞かない膝にムチを打ち、再び立ち上がる。そして怒りの表情で目の前の下劣な笑みを浮かべている中年男に後ろから掴みかかった。その手も痛みで震えている。

 

「ふざけるんじゃねぇ……!」

 

「あん?」

 

 横やりを入れられた男は不機嫌さを隠しもせずに振り返るとそれを振り払った。続けて力を込めた右腕の拳を青年の顔目がけて叩きつけようとする、が──

 

 パシッ

 

 振り抜かれた太い右腕は隣から女性に掴まれピタリと動きを止めた。男は何が起きたか理解できず必死に腕を動かそうとするが1mm(ミリ)たりとも動かせない。空中に自身の腕が固定されたようだった。

 

「な、なん……」

 

「もう一度言った方がいいんですか?」

 

 女性が睨み、今度はその殺気を隠さず言い放った。瞬時に場の空気が凍り付く。男はまるでドラゴンの(あぎと)に挟まれてしまったかのように体中の血の気が引いていくのを感じた。生物としての本能が警鐘を鳴らす。これに歯向かうのは危険だと。しかし、男としての安いプライドが彼の生存本能の邪魔をすることとなった。

 

「こ、この! 女が!」

 

 男は冷たい汗が伝う左腕を自身の懐へと動かし、そこから光る鋭い獲物を取り出した。ナイフだ。

 

 武器を手にして少し勢い付いた男だったがそれも束の間。ナイフを振り上げる前に女性の姿がぶれると、すぐに男の表情は醜く歪む。

 

「っ!?」

 

 それは普通の人間には到底視認することもできない速さの蹴りであり、死なない程度に加減されたそれを受けた男の巨躯は軽々と吹き飛ばされ、路地の奥の方へと転がっていった。

 数回泥を叩く音が鳴り響くと男は7mほど離れた地点でやっと静止した。立ち上がる気配は微塵も感じられない。

 

 それを一瞥もせずに女性は周りで立ち尽くしている男たちに視線を向ける。

 

「本当は助けるだけのつもりでした。しかし、先程妙なことを耳にしまして。此処ではこの方の妹さんを物のように扱っているのですか?」

 

 完全に戦意を喪失した彼らは目の前の化け物の機嫌を損ねないよう必死に言葉を探し、互いに顔を見合わせる。

 

「あ、あれだよ。言葉の綾なんだ……です。うちで頑張って働いてるから……」

 

 男が言い訳を終える前に青年はよろよろと動き始める。汚れた衣服の胸あたりにはよく見ると銅のプレートが着いている。それは銅級冒険者である証だ。そんな彼が言葉を挟む。

 

「嘘をつくな。俺の妹は誘拐されたんだ。ワーカーに調べて貰ってようやく見つけ出したと思ったら……存在しないはずの娼館だとよ」

 

 男の表情が曇り、口篭る。その足は小刻みに震えている。イラつきと不安が半々といったところか。

 

「……それは本当ですか?」

 

「い、いや、違う。誘拐なんてする訳ないだろ。女の方から働かせてくれって言ってきたんだ」

 

「では、その女性を今すぐ連れてきてください」

 

 間髪入れずにトドメが入った。男たちはこの世の終わりのような顔をしながら、いや……だの、それは……だの小言を言っている。誰の目から見てもここの店が後ろめたいことをしているのは明白だった。

 女性が一歩前へ進むと男たちは開いた両の手を前へ突き出す。自身の身の危険を感じ取ったのだろう。言い逃れることは無理だと悟ったのか扉を一瞥し口を開いた。

 

「わ、分かりました。連れてきますから」

 

 

 ────

 

 

 雨が少しずつ弱まりつつある中、ツクヨミは男たちが建物の中へと戻っていくのを確認すると辛そうに立っている青年に近づいた。顔は大人びており20歳ほどか。髪は濃ゆい茶色の長髪であり揉み合ったためかボサボサになっている。泥にまみれた衣服は長袖の灰色のシャツと動きやすそうな長ズボンだ。そして腰には最後まで使わなかった細長い鉄の剣が鞘に収まっている。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 なるべく柔らかな声で話しかけるも青年はビクリと震えた。彼もまた恐ろしい圧を受けた一人である。しかしそれが失礼であることを察したのかすぐに向き直り口を開いた。

 

「た、助かりました。本当に」

 

 青年は開かれたままの怪しげな木の扉をちらりと横目で確認する。今すぐにでも突入したい気持ちを抑えて。

 

「あ、すいません。俺はカーマインといいます。一応冒険者をやって、やらせてもらっています」

 

 カーマインが不得意そうな自己紹介を終える。元々敬語には慣れていないのだろう。そんなカーマインを見て、ツクヨミも笑みを浮かべながら名乗った。

 

「私はツクヨミといいます。そのままツクヨミと呼んでもらって構いませんよ」

 

「ツクヨミさんですか。その……先ほどは驚きました。アダマンタイトでは無いんですよね?」

 

 加えて『いやもっと別の……』と小さく呟いたりもした。

 

「はい。たまに言われますが違いますよ。そんなことよりお体の方は大丈夫なんですか?」

 

 彼を見れば、衣服からはみ出ている素肌には所々青アザが出来ており、どれだけの暴行が加えられたのかひと目でわかる。今も足を庇いながら立っているようだった。

 

「これくらい平気ですよ。ほら、歩いても……いて!」

 

 予想以上のダメージを受けたのか苦悶の表情を浮かべるカーマイン。もしかすると骨までやられているのかもしれない。ツクヨミはお高い現地のポーションを持っていないのでどうしたものかと考えたのち、素早く後ろを向くとカーマインの目から隠れるようにアイテムボックスから下級治癒薬(マイナー・ヒーリングポーション)を取り出した。これはユグドラシル産のアイテムであり、現地の青色のポーションと違って赤色の溶液が入っている。本来ならこんな目立つ物を差し出すのは避けるべきだろう。しかし、今のツクヨミは保身より目の前の人物を助けることを優先した。

 

「これを使ってください!」

 

 青年は視線を動かすと目を見開いた。

 

「治癒のポーション!? そんな高い物使えませんよ!」

 

 体を抑えながらもポーションを受け取ろうとしないカーマインに半ば押し付けるような形で渡す。彼は不安そうな顔で受け取った真紅のポーションを眺め、溶液を揺らすと目の前の人物に視線を移す。ツクヨミが頷いたのを確認すると数秒目をつぶり、ふぅと息をしてはその中身を飲み干した。……効果はすぐに現れた。飲んだ瞬間に彼の体の青あざは消え去り、細かい擦り傷から切った皮膚の至る所まで完全に回復した。

 

「な……。嘘だろ」

 

 それはもはや魔法の域であった。カーマインが何かを言おうと口を半開きにすると、その直後に店の中から男たちが現れた。三人……ではない。ぞろぞろと出てくる悪漢たちは一様に刃物を持っており、被害者の女性を連れてくる等という雰囲気はこれっぽちも感じられなかった。

 

「なんだぁ、兵士は来ないって話だったろうが」

 

 店の入口の方から喚く声がする。

 

「それが、兵士じゃなくてやべぇ奴らなんだよ!」

 

 

「約束は……守られなかったみたいだな」

 

 ツクヨミとカーマインは周りに集まってくる悪漢共を見やるとお互いに戦闘態勢に入る。カーマインは腰に下げた相棒を抜き放ち、(カッパー)とは思えないほどの見事な構えを始める。銅級冒険者とは下っ端として扱われがちだが、その実力は未知数でもあるのだ。それを理解している者は案外少ない。対してツクヨミはこれといって武器は出さない。周りの悪漢はそれを見て余裕綽々の雰囲気を醸し出す。

 

「なんだ。どんなすげぇのが来てるかと思って来てみりゃ、戦えねぇ女とカッパーじゃねえか!」

 

「おい、こいつらで本当にあってるのか?」

 

「間違いねぇ。特にこの女はやべぇから油断するなよ」

 

 先ほど恐怖を植え付けられた男の一人も図体のでかい他の仲間たちが駆けつけたからか少し自信を取り戻しつつあった。その数はざっと十人ほど。確かにそれだけいれば安心してしまうのも無理はないだろう。しかし、彼らは知らない。取り囲んでいるのが絶対的強者、恐るべきドラゴンさえも遥かに超える存在であることを。

 

「カーマインさん、私がすぐに片付けます。その間、何秒か耐えてください」

 

「はは、凄い安心感ですね。俺も少しはやれるとこを見せますよ」

 

 直後、壁を背にしている二人を半円の形で取り囲んだ男たちは数人ずつ刃物を突き出しながら飛びかかってきた。距離は3mほどで彼らがこちらに到達するまで三秒とかからない。普通ならば攻撃を凌ぐだけでも困難を極める。しかし──

 

「ば、馬鹿な」

 

「ぐぁ……!」

 

 ツクヨミは踏み込み、全てのナイフを通り抜けるように避けると正確無比に悪漢の顎へと拳を叩き込んでいった。反応できたものはいない。当たり前だ。ツクヨミは間を置かず、男たちが膝から崩れ落ちる前に再び地面を蹴ると何が起きているか理解さえできていない後列の男たちの意識もまた容赦なく刈り取った。何とも呆気ないがそれで終わりであった。

 すぐさま後方へと意識を移す。既に金属のぶつかる音が広がり、カーマインはその手に握る鉄の剣で残る悪漢二人を引き付けていた。

 

「どうした。 そんなものか?」

 

 カーマインの挑発にいとも容易く乗せられた男たちはナイフを強く握ると一斉に突進した。

 

「この野郎、死にやがれ!」

 

 彼は距離を取るために小さくバックステップを踏むと、振り上げられたナイフの一つを薙ぐように剣で弾き飛ばした。獲物を失った男が前のめりに自身の前へ来たことを視認すると、がら空きとなった男の腹を剣の柄で思い切り突いた。男は強烈な痛みに耐えかね、その場へと倒れ込む。

 

「よし。こいつで終わりだな」

 

 カーマインは近づいてきたもう一方のナイフの振り下ろしを身をよじって寸前で躱すと、その動作と同時に横持ちの剣で敵の横腹を斬りつける。男が切られた箇所を押さえたが最後、すぐにその頭は剣の峰で叩きつけられた。鈍い音が広がると路地には再び静けさが戻る。

 カーマインは剣を鞘へと収めた。少し危うさもあったが、無事に戦闘を終えたようだ。

 

「お強いんですね。見事でした」

 

「ありがとうございます。でも俺はまだまだですよ」

 

 カーマインは頭を小さく掻くと思考を切り替えたのか真剣な眼差しで開いている扉の方を見た。問題の場所だ。屋内からは小さな灯りが漏れている。

 彼は待ちきれないように扉の方向へと歩みを始めた。

 

「……行くんですか?」

 

「はい。この先にはずっと探してた人がいますから」

 

 彼の表情は喜んでいる風ではなく、寧ろ苦しんでいるようだった。こんな所に肉親がいるのだとすれば、どのような目にあっていたか想像に難しくない。対面するのには相当な勇気が必要なはずだ。

 兵士を呼びに行くことも一瞬考えるがすぐに改める。彼もその程度のことを考え無かったはずが無く、それでも結局自力で解決する他無かったのだろう。今更呼んでも面倒なことになるのは目に見えている。それならば──

 

「私も行きます。まだ残っている人間がいるかもしれませんし」

 

 カーマインが振り返る。

 

「それは……本当に助かります。ツクヨミさんが居るなら百人来ようと楽勝でしょう。では、お願いします」

 

 ────



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9.暗がりと閃光(2)

 こつこつとカーマインの靴が音を立てる。それに続くようにツクヨミもまた扉から薄暗い娼館の床を踏んだ。入ってすぐは普通の店内と変わらぬカウンターとなっていた。本来客の相手をするために従業員が立っているであろうカウンターの先に人はおらず、その台の上では小さな蝋燭が静かに火を揺らしているだけだ。先頭を歩いているカーマインは一度立ち止まると後ろをちらりと振り向き喋った。

 

「今のところ人は居ないようですね。さっきので全員だったんでしょうか?」

 

「確かに倒した人数はそれなりに多かったと思いますが、まだ分かりませんね。ここの店も思ったより広そうですし」

 

 外からは複数の壁が繋がっているように見えていたため建物の大きさは分かり辛かったものの、店内はカウンターだけでも数人が行き来して不自由ない広さがあった。曲がりなりにも娼館であるなら、この先にそういった部屋が複数あると考えられるため規模はそれなりのものであると推測できる。またその広い空間の内装も薄っぺらなものではないようだ。少しだけくすんだ白い壁には絵画が数個飾られており、床の一部分には質の良い茶色の絨毯も敷かれている。違法であるにも関わらず、さながら高級店のような雰囲気であった。

 この娼館が金銭的に潤っているのは確かであり、どこかの誰かが膨大な金を落としているということは疑いようもない。その事実にカーマインは眉を顰める。

 

「時間帯的に客が少なそうなのが救いですね。会ったら平静を保てる気がしませんよ」

 

 半分独り言であったそれにツクヨミは冴えない表情を浮かべる。勢いで来てしまったために感情の整理はまだついていない。

 

「とりあえず……カウンターの奥は後回しで右手の廊下から探してみますか?」

 

 現時点で行けそうな場所は隠されていなければその程度であり、カウンターの奥は関係者以外立ち入り禁止といった雰囲気が漂っている扉があるのみだ。そこにカーマインの妹がいる可能性は低いと考えられる。カーマインもそれを理解したのかこくりと頷いた。

 

「はい。案内されそうなのはこっちですしね。先へ進んでみましょう」

 

 二人は右へ曲がる。足を踏み入れた廊下は壁にかけられた複数の蝋燭に小さく照らされている。左側は所々が窪むような形となっており、そこには重厚な木の扉が見える。その全てがしっかりと閉められており、中の様子を確認できないようにしていた。ツクヨミは一番近くの扉の前に立つと隣に立つカーマインに言葉をかけた。

 

「全て使用中ではないと思いたいですが、これじゃ片っ端から確認していくしかないでしょうね……」

 

「見たところ結構部屋もありますね。骨が折れそうです。あっ、俺が開けましょうか」

 

 カーマインは冷たい金属の取っ手を掴むとそれを捻った。『ガチャ』という低い音が二人の入室を拒否する。先程から扉の前に立っていても中の音が聞こえて来ることはなかったが、今もそれは変わらない。防音になっているか、無人なのかは不明である。

 

「鍵がかかってますね。どうします?」

 

「仕方ないので私が開けましょうか」

 

 ツクヨミは代わるように取っ手を握り強引に回した。ドアノブから金属が砕けるような音が響くと、それはくねくねと回転するようになった。何とも脳筋な発想であるがどこにあるかも分からない鍵を探すよりも手っ取り早い。

 

「おぉ……。ドアノブに初めて同情しました」

 

「ん? 何か言いましたか」

 

 カーマインが小さく首を振るとそのまま二人は中へと踏み込む。陽気に振る舞えたのはこれで最後だった。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「シモーネッ!」

 

 薄暗い部屋の中、カーマインが力無くベッドの上に座り込んでいる少女の名前を呼び、走り寄って行く。あれから探索は続き、四つめの扉にしてようやく兄妹は再会を果たしていた。突然の事で呆気に取られていたツクヨミもそんな彼らに近づいていく。見ればシモーネという少女は荒んだ茶髪のロングヘアにボロボロの衣服を身にまとっていた。その姿は無事というものにはほど遠い。

 青アザは当然と言わんばかりに身体中に広がっており、顔は大きく腫れている。裂傷や火傷も多く、鼻が曲がっているため、元の顔が想像もできないほどであった。そんな彼女の姿を見たカーマインは堪えきれなくなったのかその身を優しく抱きしめた。

 しかし、彼女の虚ろな瞳は恐怖へと変化しただけだった。ガクガクとその体を震わせ始める。

 

「…………て」

 

「た……て……」

 

 ツクヨミは苦い表情で拳を握りしめる。もうそれは何度目か分からない。

 ここに来るまでの他の部屋でも同じような被害者の女性を何人も見てきた。中には暴力を振るわれている最中の女性やまだ明らかに子供の少女もいた。そんな彼女たちは皆激しく衰弱していて、今は最初の部屋で保護を行っているものの一様に心を閉ざしてしまっている。その姿はとても痛々しく、どれだけの目に遭ってきたのかを酷く物語っていた。

 そんな光景に慣れるはずもなく、先ほどからずっと悲しみと怒りが入り交じった心地の悪い感情が胸の奥深くで渦巻いている。いつまでも消えてくれないそれをツクヨミは一旦押さえつけると、目の前の少女の傷を癒すべく鞄の中にまとめておいたポーションの一つを取り出した。俯いているカーマインの肩にそっと手を置き、その後彼女の手へと溶液を垂らす。本来ならポーションは飲むものであり、その方が効き目が高いとされている。にも拘わらずそうしないのは被害者の恐怖を煽らないためであった。

 効果はすぐに現れ、みるみる外傷を消し去っていく。大治癒(ヒール)ではないため、体内の病気は治せないがそれでも効果は覿面だと言える。見た目だけは何とか改善したシモーネを見てカーマインも少しは落ち着いたのか小さく顔を拭うと、一歩下がりながら立ち上がりツクヨミへと向き直った。

 

「ツクヨミさん、すぐにここから連れ出してあげるのは難しいですかね……」

 

 その言葉はとても人情に満ちていた。ツクヨミは少し考えると、愁然と返答する。

 

「妹さんだけなら多分可能でしょう。でも他の女性のことも考えますと、二人では厳しいと思います。兵士の方を呼べればいいんですが……」

 

「兵士ですか……。確かに今までとは違うかもしれませんが、信用できますかね」

 

 少々疑いすぎにも感じられるその言葉だが、確かにツクヨミもこの国の兵士、というよりその組織全体に小さな懐疑の念を抱いてはいた。それは職務怠慢というより……そう、もっと別の不安であった。しかし最終的に女性たちを救い出すためには彼らの協力が必要なのは事実。頭を悩ませる問題の中で一つ幸いなことがあるとすれば、度々部屋の中に怪しげな薬が放置されていることくらいか。

 

「まぁどちらにせよ、私たちだけでは手詰まりですからね……。考えすぎかもしれませんし、やるだけやってみませんか?」

 

 提案するとカーマインも躊躇いを断ち切ったのか真剣な面持ちで口を開いた。

 

「分かりました。それじゃあ兵士は俺に任せてください。必ず連れてきます。ツクヨミさんは……妹と被害者の方々をお願いできますか?」

 

 ツクヨミは力強く頷く。それを確認した彼は頭を下げると急ぎ足で部屋を出ていった。一刻も早く、彼女たちを解放するために──

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「なんじゃあお前は! ノックもしな……ぶべぁ!」

 

 女性にのしかかっていた貴族然とした太った男の顔に拳を叩き込む。顎が外れ、白目を剥いた男は地面へとその巨躯を倒した。

 

「ここで最後か」

 

 ツクヨミは一番奥の部屋にいた女性二人に目線を移す。ベッドに倒れた彼女たちは死んでいるのか死んでいないのか分からないほど、ピクリとも動かず音もたてない。僅かに血の匂いを放っている二人にツクヨミは静かに近づくと、鞄から大量にあるポーションの一つを取り出した。実を言うと取得クラスとしては第六位階の信仰系魔法である大治癒(ヒール)は取得できないものの、それより下位の回復魔法程度であればツクヨミも行使することができる。しかしこの世界では金銭を受け取らずに治癒の魔法を他人に使うことは神殿により原則禁止されていた。その理由は複雑だが、どの道使える魔法もポーションの効果とさほど変わらないものなので人前でないにしろ赤い溶液を溢す。

 

 これも殆ど魔法と変わらない気はするが──

 

 被害者を集めている部屋は高位のマジックアイテムで不可視化してあるが、それでも心配性な彼女は今も早く戻るべく、手際よく治療を進める。

 数十秒後、空瓶を鞄に戻したツクヨミは二人をどう移動させるか思案していた。筋力的には二人まとめて抱えていくことも容易いが、それは少し乱暴に感じられたので結局一人ずつ抱えていくことに決める。

 ツクヨミは被害者の女性の背中、そして膝へと手を回し抱え上げる。わずかに女性が反応しビクリとその小さな体を揺らす。そして震える小さな手でツクヨミの服を力なく掴んだ。ツクヨミはそれを暗い面持ちで見つめると廊下の方面へと歩き出した。

 

 視界の端のオレンジの光を浴びながら薄暗い廊下を歩いているとそれは突然聞こえてきた。廊下を踏む足音。音を消しているのか極々小さな音であるがそれは一定のリズムを刻んでいる。言いきれないが被害者でも、今まで見てきた悪漢とも違う気がした。この女性を危険に晒す訳には行かないので、一度部屋に戻ろうと考えていると、視界の先から徐々に人影が濃くなっていくのが見えた。それは半透明であり──

 

 

火球(ファイヤーボール)!」

 

 

 掠れた声がそう叫ぶと突如空中に炎の球体が出現し、辺りを照らしながらツクヨミ目掛けて飛んでくる。ツクヨミは両手の中の女性を庇うようにそれを背で受けた。しかしそれもスキル『上位魔法無効化III』によって彼女へと衝突する前に掻き消された。それは第六位階以下の魔法を無効化するというものだ。

 

「! あぶな……いですね」

 

 ツクヨミは小さく眉を顰めつつ、薄暗い闇の中の人影へと視線を移す。そこには痩せこけた長身の男が立っていた。頭まで黒色のローブで覆い、その右手には枯れ木のような長い杖を握っている。本人は透明化(インヴィジビリティ)静寂(サイレンス)の魔法で闇に溶け込んでいたようだ。それらは低位の魔法であるが効果としては強力で、油断せず魔法で対策するのが基本だ。完全に気配を消す上位の魔法と比べるとまだましではあるが──

 

「ネズミが迷い込んでいるとは思ったが、ほぅ。わしの術を見破ったか。……どんな小細工で火球(ファイヤーボール)を防いだかは知らんが、もう逃げることはできんぞ」

 

 火球(ファイヤーボール)は第三位階の魔法でありこの世界においてその位階の魔法を行使できる者は少ない。そのためこの男もそれなりの実力者だと推測できる。ツクヨミはこの状況をどう切り抜けようか考えるがまだ部屋に女性も残しているため取れる選択肢は存外少ない。

 

「どうした? 顔色が悪いぞ」

 

 煽るように、痩せた顔へ嫌らしい表情を浮かべる男。ツクヨミは相手のペースに乗らないよう冷静に言葉を返す。

 

「あなたは誰なんです?」

 

「ふん、それはわしの台詞だ。だが……そうだな。死にゆく哀れな者に特別に教えてやろう」

 

 男は自慢するように言葉を続ける。

 

「わしは偉大なるズーラーノーン十二高弟の一人よ。聞いたことはあるだろう?」

 

 ズーラーノーン。それは邪悪な秘密結社として有名であるものの、裏で暗躍しているのか殆どその情報は存在しない。そのため唐突にその名前が出てきたことにツクヨミも内心驚きはしたがそれを面には出さない。

 

「それで、そんなあなたが何故こんな所にいるんですか?」

 

「それを答える必要がどこにある? お前たちのような虫けらが知る必要の無い高尚な目的のためだ」

 

「高尚……? 低俗の間違いでしょう」

 

 男はそれを聞くと馬鹿を見るかのように自分が正しいのだと言い返してきた。ツクヨミは両手に抱える女性を後ろわきへと寝かせる。

 

「馬鹿が。我々はゴミ共を利用してやっているのだ。全ては不死(アンデッド)へと昇華する究極の儀式のため。 それを高尚と言わずなんと言う? 」

 

「……なるほど。そんな事のために彼女達は傷ついていたんですね。本当に不愉快な連中です」

 

 ツクヨミが言葉を言い終えると男は不機嫌に杖を構え戦闘態勢に入った。どうやら痺れを切らしたらしい。

 

「ほざけ! 第四位階死者召喚(サモン・アンデッド・4th)。最強の死霊魔法に震えながら死ぬがいい」

 

 骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)が男を守るように前へと四体召喚される。こうして後衛から魔法を放ち、ジワジワと追い詰めていくのが彼の常套手段であった。しかし、にやけ顔になったのも束の間。男はすぐに顔を強ばらせる。ツクヨミがいつの間にか剣を握っていたからだ。まるで瞬間移動させたかのように。腰に伸ばされた腕に男の視線が釘付けになった。

 

「覚悟はいいですか」

 

 初めて銀の鞘から細剣が抜き放たれる。その時、まるで雪が零れ落ちるような音がした。

 ──細剣の名前は『コンフラクトゥス』。ツクヨミの持つ神器級(ゴッズ)アイテムの一つであり、その飾り気のない白銀の刀身は細剣と呼ぶにしてもあまりに薄い。

 

「なんだそれは……」

 

 男は剣にただならぬ気を感じたのか今までの余裕を崩すと、焦り気味に骸骨の戦士へと命令を下す。

 

「ス、骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)達よ。 奴を八つ裂きにしてやれ!」

 

 骸骨の戦士が武器を振りかぶって突進してくる。間合いに入り、四つの武器が振り下ろされようとした時、ツクヨミは恐るべき速度で細剣を横に振るった。突風が吹く。見るとスケルトンたちの体は空間から切断されたように横に真っ二つとなり、その断面には僅かな凸凹さえ存在しない。

 

「馬鹿な!? 有り得ん」

 

 前衛が一瞬で灰と化してしまった男は信じられないものを見るように立ち尽くしていた。だがそれもほんの数秒。いくつもの死線を抜けてきた男はすぐさま魔法で応戦しようとする。しかし──

 

「ライトニっ……ぐぁあぁ!!」

 

 詠唱が完了する前に続けて細剣が男の右手を切り飛ばした。枯れ木のような杖が地面にカランと音を立て転がり落ちる。そこにもう自信溢れた姿はなく男は血の滴る右手を庇いながら歯軋りをした。

 

「く、くそ! 分かった……! 今回は手を引こうじゃないか」

 

 返答は極めてシンプルであった──

 

「地獄へ落ちて下さい」

 

 ツクヨミは目を閉じ、体を捻って左肩から拳を振るう。それは死なない程度であれど、今まででの中では最も力が込められた一撃だった。

 攻撃を受けた男の体はたちまち宙を舞い、恐るべき回転を見せながら廊下の奥へと転がっていく。この世界で猛威を振るうはずだった存在は異界の化け物によって呆気なく瞬殺された。

 

 

 

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

 

 

「なんですと!?」

 

 既に日は暮れ、王都の街も夜を迎えようとする中、ロ・レンテ城にあるヴァレンシア宮殿はとてつもない騒ぎに包まれていた。ことの発端はつい先程。兵士長から緊急の用件が届いたことからだった。執務を終え、寝室に戻ろうとしていた国王は何事かと近衛の騎士に聞いたものの、どうやら彼らにもその内容は伝えられていなかった。

 兵士長が王に直接謁見することは殆どないが、あまりに念を押されたために王はすぐに準備を行った。そして、兵士長から聞かされたその内容は想像を絶するものだった──

 

 

「王よ。これは本当か!?」

 

「まさか……書類が偽物ということはありませんな?」

 

 現在宮廷会議が開かれている。集まっているのは極々少数だ。その理由は扱う内容があまりに危険すぎるからである。

 

「兵士長から直接渡された正式な書類になる。緊急性が高いと判断したのだろう。本日急ぎで私達に用意されたものだ」

 

「し、しかし王都にズーラーノーンと関わりのある建物があり……さらに我ら貴族の一部も繋がりがあったと、にわかには信じ難いですね……」

 

 手元には決定的とも言える多数の証拠が存在する。今も限られた兵士と騎士が忙しなく調査を続けているようだが、王国上層部に違法娼館との癒着があったという事実は疑いの余地がなかった。既に捕まえられる者は拘束している。その中には六大貴族の一人までもが含まれている始末だった。

 

 

『これがもし見つかっていなかったら……。』

 

 

 いつか王国はこの巨大な膿に飲み込まれていたかもしれない。そう思うと国王は背筋に怖気が走った。──いや、なにも終わった訳ではない。実際に今回の事件の打撃は現状の王国にとって厳しいもので、その調整も今後は必要となることだろう。

 

「皆よ。今回の件は非常に嘆かわしいことだ。だがそれでも悪い事ばかりではない。王国の膿が取り払えれば、必ず転機は訪れるだろう。今後は忙しくなるぞ」

 

 夜闇に覆われ始めた王都の星々は微弱ながらも、燦燦と煌めいていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10.日の終わり

 どうしてこうなった──

 

 

 あれから二日後、ツクヨミはびしょ濡れだったのが嘘のように感じられる、太陽が照り付ける灰色の石畳を踏みながら心の中で頭を抱えていた。当初はゆっくりと王都の観光をする予定だったのだが……。ツクヨミの目の前には身分の高そうな騎士風の男が歩いている。

 先ほど宿で朝食を終えた後、広間で本を読みながらゆっくり過ごしていると、この男が宿に現れた。彼はきょろきょろと視線を動かし、ツクヨミを見つけるとそのままテーブルへと歩いてきては用件を語った。

 

 "陛下がお呼びです"と。

 

 その理由は一昨日の一件のせいだ。あの日の夕方は、カーマインが呼んできた兵士たちが迅速に事件の始末をしながら様々なことを聞いてきた。急いで神殿に向かったのかその場にカーマインがいなかったため、ツクヨミが殆ど事の説明を行うことになったのだが……そのせいか、兵士の間では白髪の女性が事件を解決したことになっているらしい。目の前の騎士によるとカーマインもそのように考えているようで、結果ツクヨミが事件解決の功労者として王城に呼ばれることになってしまったのだ──

 

「着きました。こちらへどうぞ」

 

「大きいな……」

 

 ぽつりと小さく呟く。ロ・レンテ城、名前だけは聞いたことのあるその場所は想像よりも遥かに巨大であり、見上げると立派な塔がいくつも見える。それを眺めていると急激に胃が痛くなるのを感じた。ツクヨミは勿論現実(リアル)でもこんな立派な場所に呼ばれたことはないし、ましてや王に謁見した経験など皆無だ。

 緊張した重い足取りで騎士の後ろを着いていく。

 

 ────

 

 広大な城内、汚れ一つないほど綺麗に磨かれた広い廊下を横目で見ながら進む。広く清潔な廊下は全身を鉄の鎧で包んだ兵士……いわゆる騎士が警護にあたっているようで先ほどからちらちらと視線を向けられているのを感じる。目が合った騎士に会釈をすると、彼らもまた礼を返してくる。その動作は優雅であるだけでなく心がこもっていて、彼らの王への忠誠心の高さが窺える。

 そうして長い廊下を進んでいくと重厚で大きな扉が目に入ってきた。

 

「少々お待ちください」

 

 目の前の彼がそう言うと、扉の横に立っている男へと話しかける。その男はほかの騎士と比べても年齢が高く、着ている鎧も少し立派なものだ。多分騎士の中でも偉い人なのだろう。話しながらチラっとその騎士がこちらを見ると、連れてきてくれた騎士に手をあげ、そのまま近づいてきた。

 

「ツクヨミ様ですね。急な招致であったにも関わらず、感謝いたします」

 

 少し低い声で彼はそう言うと頭を下げた。目上の人に頭を下げられることは現実(リアル)ではまず無かったので、ツクヨミはあたふたしながらも同じく礼を返す。

 

「いえ、こちらこそこれ程の場にお招き下さりありがとうございます」

 

 それは本心であった。身分として危うい立場であるツクヨミを王城に迎え入れるには様々な意見の調整も必要だっただろう。相手にも立場があるとはいえ、そこには厚意があったはずだ。

 お互いに礼を終えると騎士が扉へと視線を動かす。そしてツクヨミへとその顔を向けた。

 

「この先が謁見の間となります。準備は宜しいでしょうか?」

 

「はい」

 

 それを聞いた騎士は前へ向き直ると目の前の荘厳な扉を小さく四回ノックした。……少しすると中から威厳に満ちた低い声が聞こえてくる。

 

「入りなさい」

 

 騎士はゆっくりと扉を開けると少し前へ進み、それから道のわきへ動いた。その顔はツクヨミへと向けられている。どうやら先へ進めということなのだろう。

 

 ふぅ……。

 

 ツクヨミは心の中で小さく息をつくとその足を謁見の間へと踏み入れる。

 目に飛び込んできたのは絢爛豪華な広い空間だった。天井は少し高く、床に敷かれた赤い絨毯の先、小さな壇の上には初老の男性が椅子に座っている。その白みがかった黄色の髪の上には金の王冠をかぶっており、服装も豪奢なものだ。ツクヨミが絨毯の上を歩き、部屋の中心で立ち止まると、王はツクヨミが膝を折る前に口を開いた。

 

「突然呼んでしまってすまなかったな。まずは王国を救ってくれた御仁の名を聞かせてほしい」

 

 ツクヨミは膝を屈める。

 

「私はツクヨミという者です。王国を救ったなどとんでもありません。寧ろご迷惑をおかけしたのではと……」

 

「ツクヨミ殿よ、どうか頭をあげてほしい。我は……此度の一件に心から感謝しているのだ。我々の失態が招いていたものは大きい。もしツクヨミ殿がいなければ、王国の未来が暗いものとなっていた可能性も十分にあっただろう。先の言葉も大袈裟ではない」

 

「それにさぞ苦いものを見せることになってしまっただろう。……頭を下げなければならないのは我々の方だ」

 

 俯きながら発せられたその声は威厳とは程遠い弱弱しいもので、王というより一人の老人のものだった。

 

「私でしたら何の問題もありません。もし、お役に立てたのであれば幸いに存じます」

 

 ツクヨミは内心おろおろしながらも柔らかく丁寧に返答する。

 王はそれを聞くと皺のある表情を僅かに緩めた。

 

「そうか。……我も、もうじき選ぶ後継者にこのような問題を残さずに済んで安心している。ツクヨミ殿の功績は大きいだろう。その働きからすれば少ないかもしれないが既に褒美も用意してある。受け取ってくれるか?」

 

「はい。お心遣いありがたく頂戴します……」

 

 王が待機していた騎士へ合図をすると、その騎士はゆっくりとこちらへ歩いてきた。その両手には王国の紋章の入った銀の短剣と膨らんだ質の良い革袋を持っている。騎士はツクヨミの横に立つと深く礼をし、それらを差し出した。手のひらにずっしりとした感触が伝わる。心のこもった確かな重み。それを受け止めたツクヨミは微かに、何かが消失するような感慨に襲われた。彼女はふと思う。

 

 もう戻れないかもしれないな──

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 王都大通りの一角、太陽の光によって路面も温まり始めた頃に、とある真新しい建物内には様々な人が集まっていた。

 まだ新鮮な木の香りのする店内の雰囲気は落ち着いており、テーブルの前に座っている面々は主に飯を食べたり、メニューを見たりしている。ここは新しくできた定食屋であり、まだまだ発展中の王都ではオープンして間もない店にこうして人が集まることは少なくない。

 

「えー、このチーズオムレツってやつをお願いします」

 

 カーマインはメニューを覗き込みながら注文を行う。それを聞いた店員は手に持った小さな羊皮紙にチェックを入れ、会釈をすると店の奥へと戻っていった。窓際の席に座っているカーマインは窓から通りを見やる。そこには少し多すぎると思うくらいに人が行き交っていた。

 ずっと一人で暮らしてきた街。妹を失ってからは色無く見えていた場所だったが、一昨日の奇跡からカーマインの心も穏やかになっていた。

 数分外を眺めた後、テーブルに置かれている冷たいグラスから水を飲む。

 

「ふぅ」

 

 少し前、神殿で妹の見舞いに行っていたカーマインは今でも一昨日のことが信じられない気持ちだった。

 

「ツクヨミさんには感謝してもしきれないな」

 

 今はどこにいるんだろう──小さく心中で呟いていると、それほど調理に時間がかからなかったのか注文していたオムレツが運ばれてきていた。正直お腹にたまるかといえば微妙であったが、今は神殿のこともあって倹約しなければならないのだ。

 コトンと皿が音をたてると目の前には思ったよりサイズのある黄色一色の熱そうなオムレツがサラダと共に姿を見せた。良い匂いが鼻から伝わり、音を鳴らす腹が早く食えと急かしてくる。カーマインが木のスプーンを手に取り、いざそれを食べようとした時だった。

 

 ザワッ

 

 ほんの僅かに店内全体の空気、というより視線が変わったのを感じた。しかしそれもすぐに収まる。なんだったんだ? 不思議に思ったカーマインが顔をあげると……そこには見知った顔があった。

 

「ツクヨミさん?」

 

 そこには珍しい白い髪を持つ、王族然とした女性が立っていた。思ったよりでかい声が出てしまったのか、ツクヨミはすぐにその声に反応すると、少し驚いたようにとことことこちらに歩いてきた。

 

「カーマインさん……二日ぶりですね。まさかここで会うとは思いませんでした」

 

「俺もですよ。色々ばたばたしててちゃんとお礼が言えていませんでしたが、先日は本当にありがとうございました」

 

 立ち上がって礼を言う。するとツクヨミは小さく頭を掻きながら優しく笑みを浮かべた。それはとても様になっていて、少しどきっとする。

 

「お力になれて良かったです。前の席大丈夫ですか?」

 

「ええ。もちろんですよ」

 

 お互いに腰を下ろすと、すぐにカーマインは周りの目線に気づいた。女性からの目線は特にないが、男からのそれは殺気に満ちたものだ。多少の居心地の悪さを感じていると、カーマインがそちらを見ていたからか少し遅れてツクヨミも横を向いた。すると途端に彼らは訓練された歴戦兵のようにピタリと顔を戻した。これにはもう苦笑いを浮かべるしかない。

 

「ツクヨミさん、これがメニューです」

 

「あ! ありがとうございます。カーマインさんも気にせず食べてくださいね」

 

 そう言われるとまだオムレツに手をつけていなかったことを思い出した。

 スプーンを再び持ち上げ、サラダから口へと運ぶ。一度食べ始めると黙々と手を動かしてしまい、ツクヨミもメニューと睨めっこしていたためテーブルには暫し沈黙が続いた。オムレツを半分ほど食した後にカーマインは気になっていたことを口にする。

 

「そういえば、ツクヨミさんは王都に住んでいるんですか?」

 

 メニューからツクヨミが顔をあげる。

 

「いえ、私は法国に住んでますね。王都には観光に来ているので……もうじき帰ることになると思います」

 

「へー、そうなんですね」

 

 カーマインは少しだけ安堵すると、目の前の女性へ言葉を続ける。

 

「……俺も妹が元に戻ったら、王都からしばらく離れるつもりです。まだ分かりませんが、村にでも越そうかなと思っていまして」

 

 彼女は少し驚きつつ、何かを喋ろうとしたが一度その口を閉じた。しかしすぐに暖かな表情で喋り始める。

 

「とてもいいと思いますよ。私もそういう生活には憧れます」

 

「そう言ってもらえて何よりです。俺も、時間があれば法国に行ってみようかなと思います」

 

「ぜひ! それなら神都にも寄ってくださいね。もしかしたら宿で会えるかもしれませんし」

 

 二人で雑談を続けていると、コトリ、横からグラスがそっと置かれた。去り行く店員にツクヨミは軽く頭を下げる。

 

「私も早くメニューを決めないといけませんね」

 

 彼女は笑いながらそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 

 空が茜色に染まり出した頃、ツクヨミは小走りで王都の通りを抜け、広大な敷地にある門の前まで来ていた。ここは魔術師組合本部。新たな魔法の開発やマジックアイテムの研究を行っている建物だ。まだ門は開け放たれており、既に閉まっているのではないかと危惧していたツクヨミはほっと息をつくと少し先に見える白亜の大きな建物の方向へと足を運んだ。辺りには数人の警護兵が歩いているが特に止められる様子はない。

 門を抜けてから少し歩き、緩やかな幅の広い階段を上っていくと開かれた扉が見えてきた。

 

「よし」

 

 扉を潜る。建物へ足を踏み入れるとそこは小さなエントランスとなっていた。高い天井からは煌びやかなシャンデリアが垂れ下がっており、建物内を明るく照らしている。夕暮れ時であるにもかかわらずロビーには沢山の熱心な魔法詠唱者(マジックキャスター)が集まっていた。ソファに座って一足先に船を漕いでいる人も見受けられる。

 特に目的もないツクヨミはカウンターへと向かう。歩いていくとすぐに受付の女性と目が合った。お互いに軽く会釈をすると、女性はそれから挨拶を始めた。

 

「魔術師組合へようこそいらっしゃいました。どのようなご用件でしょう?」

 

「マジックアイテムと巻物(スクロール)のリストを拝見したいのですが、おありですか?」

 

 エ・ランテルでの組合で数時間は見たものだが、玩具のカタログなどを眺めているのが好きだったツクヨミにとってそれは幾ら見ても飽きるものではない。

 まぁ、とはいえこれも完全に娯楽で来ているという訳ではなく、どちらかというと情報収集の側面が強い。

 

 しかしリストが無かったらどうしようか。頭の中で少し心配していると、それが杞憂であるように目の前の女性が快く口を開いた。

 

「かしこまりました」

 

 女性はカウンターの下を覗き込み、そこから厚い書物を二つ取り出すと手元に差し出してきた。それらは思ったより立派なもので、ソファに持っていって読もうかと考えていたツクヨミは嬉しさ半分、悲しさ半分でページを捲った。書物は羊皮紙ではない白い紙で、金糸で文字を縫い取ってある。そこ書かれている巻物(スクロール)のラインナップはエ・ランテルのものと少し違っていて面白い。これは、

 

浮遊板(フローティングボード)?」

 

 頭の中で空に浮かんでいるシュールな板を想像し笑いそうになっていると、呟きを聞いていた受付の青年が声をかけてきた。

 

「その魔法は最近開発されたものなんですよ。第一位階の魔法で主に運搬に使われていますが、他にも色々できるんじゃないかと思います」

 

 ツクヨミは考える。これはきっと転移か……召喚系の魔法だろう。この世界独自の魔法であるため使えるかどうかはかなり怪しいところだが、もし使えれば有用かもしれない。

 

「これ、人を乗せることはできますか?」

 

 ツクヨミが質問すると青年は言葉に少し詰まりながら説明してきた。

 

「あー。この巻物(スクロール)からの発動ですと板の大きさは1m四方ほど、積載重量は50Kgが限界なので……子供を乗せるくらいはできると思いますよ」

 

「なるほど。ちなみにお値段はいくらになりますか?」

 

「一本ですと、金貨一枚と銀貨十枚となります」

 

 一カ月の給料を上回る額を聞かされ、若干怯みながらお礼を言うツクヨミであった。

 

 

 

 ────

 

 

 

「見た? あの人」

 

「見た見た。すごい美人だったな」

 

 閉館の準備をしている魔術師組合職員の青年たちはざわついていた。話題の中心となっているのは先ほど現れた白い髪の女性についてだ。長年勤めている彼らもその女性を目にしたのは初めてであり、その美しさと気品は言葉では言い表せないほどのものだった。

 

「王族? の人だと思ったけど護衛はいなかったし、ここらの人じゃないのかな」

 

 近くで作業をしている女性の一人が男の浮ついた会話に辟易しながらも会話に混ざってくる。

 

「髪の色も珍しい色だったしね。まぁどの道、あれだけ綺麗ならお付き合いしてる人くらいいるでしょ」

 

 現実を突きつけられた男たちは口籠る。確かにあの麗しさは本物だった。魔術師組合の受付を担当している女性陣もそこそこ顔は整っているが、あれはそういったレベルではない。言い寄ってくる男も星の数ほどいることだろう。

 

「で、でもなぁ」

 

「でも、じゃないの。まだ閉館準備終わってないんだから早く手を動かしなさい」

 

 職員たちはその言葉を受けて止まっていた手を再び動かし始めた。魔術師組合の一日が終わる──

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11.世界の胎動

 アベリオン丘陵。それはスレイン法国の西に位置する巨大な丘陵地帯であり、多種多様な亜人たちが日々戦いを繰り広げている場所だ。彼らの戦う理由の多くは縄張り争いであり、弱き種は淘汰されていく。そのためこの場所に生き残っている亜人の多くは獰猛であったり強靭な肉体を持つ種が多い。もちろん例外もあるが──

 

 危険地帯であるアベリオン丘陵に脆弱な人間が足を踏み入れることは殆どない。普通ならば自殺行為であるからだ。しかし現在、そんな丘陵を闊歩している集団がいる。

 顔まで隠れた白のフード付きローブを一様に纏うその集団は陽光聖典。スレイン法国所属の特殊部隊であり、殲滅を主な仕事としている。そんな彼らは近年数を増している様々な亜人の退治に赴いていた。

 既に数日戦い続けている彼らは、太陽が草を照り付ける中、法国に戻るべく歩みを進めている。

 

「隊長、あれは」

 

 隊員の一人がなだらかな地形の先、小さな崖で影ができている場所を指さす。一人だけフードをしていない隊長と呼ばれた若い金髪の男はそちらを向くと一度足を止め、後ろに歩く三十数名の隊員に手で待ったをかける。

 

豚鬼(オーク)が十数匹いるな。話しているのは闇小人(ダークドワーフ)だろう。お前たち、奇襲をかけるぞ。戦闘態勢に入れ」

 

 それを聞いた隊員は手を前に構える。彼らは第三位階までの信仰系、更には魔力系魔法も扱うことができるエリートなので金属の武器を用いることはない。

 慎重な歩みで亜人との距離を詰めていく。そして隊長が右手を上にあげた。

 

「撃て!」

 

 

炎の雨(ファイヤー・レイン)! ……魔法の矢(マジック・アロー)! ……衝撃波(ショックウェーヴ)!」

 

 すぐに数々の魔法が放たれた。豚鬼(オーク)たちはやっとその存在に気付いたのか、大慌てで逃走していく。亜人の中では弱い部類に入る豚鬼(オーク)だが、それでも彼らは人間の数倍の腕力を持っており、数で優っているとはいえこれだけ一方的に彼らを屠ることができるのは陽光聖典が極めて優秀であるからだろう。

 

「一匹たりとも逃がすな。武器を撒き散らす闇小人(ダークドワーフ)もだ」

 

 手際よく魔法が放たれる。見事な連携により、隊員たちは殆ど攻撃を受けることなく、豚鬼(オーク)の数を減らしていった。響く豚鬼(オーク)の叫び。陽光聖典の圧勝は明らかで、それを疑っているものは誰一人いなかっただろう。──その影が現れるまでは。

 

「なんだ!?」

 

 殲滅の最中、突如地面に大きな影ができた。目の前が急に暗くなった陽光聖典の隊員たちは一斉に顔をあげ、逃げ惑っていた豚鬼(オーク)の数体も足を止める。既にその影は空に無く、猛スピードで地面に向かっていた。

 

 ドンッ!! 

 

 すぐに轟音が響き、地面にそれは降り立った。周辺の土が大きく窪み、草はその圧力に屈するように地面に張り付いている。

 辺りに土煙が舞い、少しずつその巨躯が露わとなった──

 

「な、なんだこいつは」

 

 隊長が驚きで声をあげる。その声色には動揺の色が混じっていた。周りの隊員たちも同様に唖然としている。彼らの目の前に現れたのは3m弱はありそうな翼の生えた亜人だった。その体を包む体毛は灰色で、屈強な四肢の先には鋭い爪を生やしている。そして何より恐ろしいのは獣のような頭から生えている角と凍てつく黄色の瞳であった。

 

「我は翼亜人(プテローポス)の王、エシャベリュール。人間ども、早々に失せよ」

 

 その巨躯から荘厳な言葉が発せられる。多くの隊員がその姿から何となく理解した。これは伝説級の存在なのではないかと。しかし彼らも長い間、命懸けで亜人から人間という種を守ってきたのだ。そこにはとてつもなく大きな使命感と神への信仰が存在している。恐怖と誇り、勝てるかもしれない可能性。皆が揺れている中、隊長が怒りで口を開く。

 

「なんだと……亜人風情が」

 

 敵意を孕んだ言葉が向けられる。しかしエシャベリュールはそれを気に留めることもなく、再度大きな牙を覗かせる。

 

「続けるというのなら貴様らはここで死ぬこととなるだろう。これが最後の警告だ、"去れ"」

 

「た、隊長……」

 

 堂々とした死の宣告を受け、隊員の一人が不安そうに隊長に声をかける。誰もが隊長にその視線を向けていた。

 生き残っていた少数の豚鬼(オーク)闇小人(ダークドワーフ)もエシャベリュールの周りに次第に集まり始めている。皆の命が懸かっている状況、隊長は不安げに立ち尽くす部下たちを横目で見ては苦虫を嚙み潰したような表情で強く拳を握りしめる。

 

「か……。くそ。……隊員たちよ! 我々は帰投の最中だ。 万全とは言い難い。ここは一度撤退するぞ!」

 

 隊員の中には負傷している者や魔力が減っている者、荷物を多く抱えている者も多い。それに法国にも予備役の隊員など残っている戦力は存在する。勝てる可能性が無いとは言い切れないものの、ここで下手を打って全滅するような事態は避けねばならなかった。

 だからこそ隊長は交戦したい気持ちを抑え素早く指示を出していく。

 憎き亜人を前にして退くという苦渋の決断。それを下された隊員たちは誰一人異を唱えることなく、その場を後にした。

 

 

 

 ────

 

 

 

「た、助かりました」

 

「大したことはしていないぞ。少し危なかったが……」

 

 陽光聖典が去った後、エシャベリュールは軽く翼を動かしながら豚鬼(オーク)たちと会話を行っていた。亜人の世界は弱肉強食であり、このような光景は殆ど見られない。それが今起こっているのは亜人の中で彼が変わり者であるからだろう。

 木陰に身を潜めていた闇小人(ダークドワーフ)たちもそれを見て、恐る恐るその姿を見せる。

 

「それでも礼を言いますぞ……。しかし、なぜ攻撃しなかったんです?」

 

 その問いを受けてエシャベリュールはその巨大な顎をゆっくりと開く。

 

「無駄な争いは避けたい。それに、亜人も人間も似た者同士だろう?」

 

 彼がそう答えると豚鬼(オーク)闇小人(ダークドワーフ)も顔に疑問の文字を張り付けた。まず彼らには亜人という人間の言葉には馴染みがない。それに自分たちと人間、という分け方であってもエシャベリュールの言葉を理解することはできないだろう。なぜならその二つには身体能力をはじめとする明確な差があるのだから。暫し沈黙が続くと彼は小さく咳ばらいをした後に言葉を続けた。

 

「失敬。つまらないことを言ったな。それで、お前たちは武器の取引か?」

 

「そうです。私たちは武具がないと生き残れませんから……」

 

 豚鬼(オーク)はその豚のような顔を俯かせる。表情は分かり辛いが悲しんでいるのだろう。闇小人(ダークドワーフ)も背負っている武器を一つ片手に持つと喋りだした。

 

「最近は争いも激しいですからな。取引先の種族がいつの間にか消えていることもざらですぞ……」

 

「丘陵から逸れる者が多いのは事実だ。他の地方で迷惑をかける者もな。我もそういった者が出ないように奔走しているのだが……。そう、それで思い出したのだがお前たち、スラーシュの行方を知らないか?」

 

「スラーシュ? あのタコみたいな者どもですかな。確かに見ませんが……なぜ?」

 

 エシャベリュールは小さく目を瞑ると弱く言葉を吐いた。

 

「ずっと昔、小さな友人がいたのだがな。いつの間にか種族ごと行方が分からなくなってしまったのだ──」

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 ローブル聖王国はアベリオン丘陵の更に西側に存在する半島を領土としている。その国土は一つの大きな海により南北に分けられており、半島の入り口には北から南まで全長百kmに及ぶ城壁を作っている。とはいえ、この亜人を凌ぐための城壁もまだ問題点は多い。今も日が落ちかけている首都ホバンスの王城にてその話し合いが為されていた。

 

「ですから、兵士を常に城壁に張り付かせておくのは不可能です」

 

 神殿着を纏った茶髪の女性が喋っている。それに対して反論しようとしているのは現聖王であるリエンダル・べサーレス。まだ若さの残る整った顔立ちと薄い金髪を持つ彼は優れた頭脳の持ち主で、国の北部、南部共に高い支持率を誇っている。しかしそんな彼も容赦なく増え続ける亜人被害には頭を悩ませていた。

 

「しかし、相応の兵力を配置して置かなければいざという時に上手く機能しないだろう。そもそも丘陵から定期的にやってくる少数の亜人の侵攻でさえ無人の城壁が受けるダメージは大きい。それに掛かる費用を考えても配置する兵士を増やすしかないのでは?」

 

「兵あってこその城壁なのは確かです。しかし現状長く配置しておく場所もありませんからね。兵士を増やすのならそれに伴って施設の増築と予算も必要ですし──」

 

 二人しか話していないこの場所には他にも九色(きゅうしき)と呼ばれる聖王国の中心人物が集まっている。彼らは戦闘力の高い者から国家へ大きな貢献をしている者まで様々だ。とはいえ政治事情に疎かったり、さほど頭が回らなかったりする彼らは話し合いにおいて置いてけぼり感があることは否めない。今も全員が"いつものか"と何とも言えない表情を浮かべてはいるが、彼らもまた聖王国を想う者たちなので話の内容自体は真剣に聞いている。

 

「……だと思います」

 

「ふむ。なるほどな」

 

 二人の話がようやく止まったのを見て、九色の一人、体の大きな金髪の男が太い眉を動かしながら少しでも会話に参加しようと口を開いた。

 

「陛下、それでしたら他の国に援助を求めるというのはどうなんでしょうか」

 

 聖王は顎に手を当て考える。

 

「それは厳しいだろう。聖王国が国交を積極的に行えない理由はアベリオン丘陵を挟んでいることが大きくてな。距離も離れているせいでどうしてもお互いに負担が大きくなってしまう。現状でもスレイン法国に任せてしまっている部分は大きいんだ」

 

 聖王国は丘陵の亜人を叩きに行くことはできていない。その代わりに防備を固めてきたのだ。

 増え続ける亜人の群れを国土に入れないために。そして自国だけでも対処できるように。……しかし守りの要である城壁もまだ完全に活かしきれているとは言えず、人員や維持費用など噛み合わないことは多い。今のところはそれでも大きな被害を出したことは無いが、亜人の部隊が一斉に攻めてきた場合は守りに破綻が生じるのではないかと予想されている。

 

「あー、そうなんですね。うーん。国民が皆戦えたらいいんですけどね……」

 

 男は頭を掻きながらお手上げといった様子で椅子に深く座りなおす。彼にしては頑張った方だろう──そう皆が考え、彼によって呟かれた突拍子もない言葉はすぐに流されてしまった。

 

 鐘の音が鳴る。

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

「随分と時間がかかったじゃないか。リグリット、お前も転移魔法を覚えたらどうなんだ?」

 

「無茶を言うでないわ。これでも相当早く到着した方じゃぞ?」

 

 若干不機嫌気味にイビルアイが声を出す。その声は静謐な薄暗い空間に響いた。あれから王国を出た二人は、ある人物に会うためにこの無人の神殿のような場所に赴いている。

 空間の上部から漏れ出している月明りが青白く空間を彩る。小石を地面に投げれば四方まで音が届きそうな場所だが、二人から足音が発されることはない。

 彼女たちが長いこと細い通路を歩いていると、その開けた空間は現れた。途方もない広さがあるその場所の中心は建物によって盛り上がっており、手前には巨大な階段が繋がっている。そしてその上に佇んでいるのは──"白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)"の二つ名を持つ(ドラゴン)、ツァインドルクス=ヴァイシオン。世界の調停者にして彼女たちの来た目的だ。

 

「呑気に寝とるな。あやつも少しは運動した方がいいと思うんじゃが」

 

「そうだな」

 

 少し緊張しているのかイビルアイはぶっきらぼうにそう言うと、綺麗に整った石の段を踏む。リグリットもまた被っている紺のローブを少し整えると階段を上っていった。

 二人が階段の一番上まで来ると月の光を反射している白金の巨体が僅かに動いた。

 

「おや……」

 

 彼は驚いたように言葉を発する。

 (ドラゴン)は鋭敏な知覚能力を有しており、その中でも竜王たる彼の知覚能力は並外れている。それは遥か遠方の気配まで感じ取ることができる程だ。そのため、彼が気配を感じ取ることができない例外である二人であっても流石に話しながら近づいて来られれば気配を察知することは容易だ。つまり驚き声は聞こえていなかったアピールに他ならない。

 

「久方ぶりじゃなツアー」

 

 無邪気な小さな笑みを皺のある顔に張り付けたリグリットがそう言うと、ツアーは顔を上げて二人の顔を見やる。そうしてじっと考え事をしているツアーにリグリットが続ける。

 

「なんじゃ? わしの友は挨拶すら忘れてしまったのか?」

 

 それに対しツアーは柔らかな笑い声をあげる。

 

「あぁすまないね、リグリット、イビルアイ。久しぶりだね。かつての友に会えて嬉しいよ」

 

「友ねぇ? わしの友はあそこにある中身が空っぽの鎧なんだがのぉ」

 

 リグリットは空間の右下に飾られている白金の鎧を見ながら皮肉気に返答した。それはかつての魔神戦争で彼女たちと肩を並べて戦った鎧であり、その正体はツアーの操作する魔法のゴーレムのような物だ。

 

「それについては百年前から謝っているじゃないか……。それで、今日はどうしたんだい?」

 

 その問いを受け、無言で立っていたイビルアイは仮面の顎部分を微かに撫でると本題についてすぐに話し始めた。

 

「ツアー。その様子だと気づいてなさそうだが、私たちは百年目の異変を伝えに来たんだ」

 

「なんだって?」

 

 ツアーの表情が真剣なものへと変わる。この二人が来た時点で何かあるだろうと予想していた彼も、殆ど101年目になりそうなこの時期に全く知覚できていなかった異変について言及されるとは思っていなかったようだ。或いはそう願っていたのか。

 同じく真剣な表情のリグリットもツアーへとその顔を向ける。

 

「プレイヤーかは分からん。ただ、わしらが目にしたのは化け物みたいな力を持った女じゃったな。時期的にも揺り返しの可能性はあるじゃろう」

 

「ふむ。君たちがそう言うなら確かにそうかもしれないね。その者の外見を教えてくれないかな?」

 

 ツアーの言葉を聞き、イビルアイはまだそれほど時間の経っていない王都の門での出来事を記憶から呼び起こす。

 

「見かけただけだが白い長髪の人間だったぞ。装備は大したこと無かったが……よくありそうな白っぽい服だったな」

 

「なるほど。それだと世界に協力する者かは分からない……か」

 

 ツアーの呟きにリグリットは無言で首肯する。かつて世界を荒らしまわった八欲王の中にも女性は存在したという。そのため外見からその人物を判断するのは愚かだと言える。

 ツアーはその視線を白金の鎧に動かすと再び、重々しくその鋭い牙を見せる。

 

「分かった。貴重な情報を感謝するよ。私ももう一度、あの鎧に働いてもらうとしようかな」

 

「お主は来んのか?」

 

「リグリット、私がギルド武器を守っていることは知っているだろう……。もう少し無駄話を楽しんでいたいところだけど、行くかい?」

 

 イビルアイは後ろを向きマントをはためかせると仮面の下で口を開く。

 

「あぁ。行こう」

 

 彼女がそう言うと、それと同時に金属の鎧もがしゃんと音を立て台座から降りる。そして、その兜の両目に青い火が灯った──



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12.薄明かり

 法国における最高会議である神官長会議。スレイン法国のトップである最高神官長、オルカー・ジェラ・ロヌスは今日も疲労した体に鞭を打ち、その席に座っている。

 白に近い金髪と顔中に広がった皺。その風貌は中老にしても少し老けているように見える。しかし、そんな彼は元陽光聖典隊員であり、疲れた表情の中にもまだまだ力強さは健在であった。

 

「皆集まったか」

 

 テーブルには既に六つの宗派の最高責任者である六人の神官長と司法、立法、行政の三機関長。魔法の開発を担う研究館長。軍事機関の最高責任者である大元帥が座っている。話し合いを重んじているスレイン法国では、このように国のトップが一堂に会するのは珍しくない。

 オルカーは席に着いたいつもの面々を確認すると手元の資料を一瞥する。この前の会議からさほど日数は経っていないものの、用意した資料はいつもより多い。それは最近の他国の動きがいつになく忙しないことが起因している。

 

「では、会議を開始しよう」

 

 オルカーは整理しておいた手元の資料を目の前の青白いテーブルへと回していく。12名が囲んでいるそのテーブルは豪華な装飾こそ無いが静謐な神殿によく馴染んでいる。

 

「行き届いたな。……まずは先日起こった事件から話そうと思う。皆、資料を見てくれ」

 

 オルカーがそう言うとペラリと音を立てながら順に紙が捲られていく。

 周りの席からすぐに驚きの声が上がった。

 

「これは……」

「なんということだ」

「王国は大丈夫なのか?」

 

 その内容は先日リ・エスティーゼ王国で起きた大事件、ズーラーノーンと王国上層部に繋がりがあったことを示すものだ。当然今でも王国によって秘匿されているこの事件のことを知る者は少なく、王都に忍ばせておいたスパイによって情報を得たオルカーもまだそれについて多くを知っている訳では無い。

 

「これについてはつい最近のことだ。既に一部の神官長とは話したが、情報はまだうちの諜報員からの伝言(メッセージ)によるものしかない。よって正確性は薄いことを留意してくれ」

 

 オルカーは一呼吸おいて続ける。

 

「まず、結論から言うと事件は既に解決している。ズーラーノーン関係者は一人の女性によって殆ど倒されたようだ」

 

「ほう。その者の情報はあるのか?」

 

「いや、秘匿されているのか……残念ながら情報は無い。判明している事柄についてはリストに記述している通りだ」

 

 席に座る者たちはじっとそれを見る。詳しい事柄は書かれていない。分かるのは王国が腐敗していたことくらいだ。

 全員が難しい顔をしていると深緑の衣装を着た男、風の神官長が資料を片手に持ったまま喋り始めた。

 

「解決で風向きが変わったのはまぁ良かったとして、この人間は戦力にはならないのか? 我らが風花聖典なら調べ上げるのも難しくはないだろう。公でないなら引き込むこともできそうじゃないか」

 

「確かに優秀な人材は幾ら居ても足りん。しかし、風の神官長。ズーラーノーンといっても強さはピンキリじゃ。壊滅と言えば聞こえは良いが、下っ端相手なら大した実力がなくとも可能じゃろうて」

 

 白い髭を生やした老人、大元帥の言うことは尤もで、兵士の助力もあればオリハルコン……いやミスリル程度の腕でも今回の事件は解決できそうに思えた。その人物がアダマンタイトクラスでないとも言い切れないが、低い可能性に賭けて王国に特殊工作部隊を送り込むのは得策ではない。

 オルカーがそう考えていると隣の席から声がした。火の神官長だ。

 

「私も同意見だ。風花聖典を送るほどの大した存在である可能性は低いと思うぞ」

 

「なるほど。他に意見のある者は……居なさそうだな。──では、調査はこのまま行う方針とする。まぁ、今回は議論というより情報の共有が目的だ。この件に関しても伝書が届いた後に再度話し合うこととしよう。次の議題へ進んでも構わないか?」

 

 皆がこくりと頷く。オルカーはそれを確認すると本日の本題へ入ることにした。

 

「よし、それでは次の議題へ移る。内容は竜王国のビーストマンについてだ」

 

「またビーストマンかね? この前法国に残っていた予備役の陽光を送ったばかりだろうに」

 

 半分呆れ顔で水の神官長が口を開く。彼らはここ数回の会議で毎回竜王国のビーストマン被害について触れている。理由としては緊急性が高いことも挙げられるが、それとは別にしつこいほど竜王国女王から文書が送られてくるというものがあった。そのため、この場に座っている誰もが水の神官長と似たような表情でいた。

 たった一人、オルカーを除いて。

 

「そう、その事なのだが……先日、彼らより救援要請が届いた」

 

「なんだと? いや、そんな馬鹿な。彼らがビーストマン風情に遅れを取っているというのか?」

 

「……我々の予想以上の数がいるようだ」

 

 オルカーが言い切ると彼らの表情も固くなる。

 予備役と言えど陽光聖典の隊員は殲滅に特化したエリート。故に人間の十倍の力を持つビーストマン相手であっても彼らが苦戦することなど皆予想していなかった。

 皆が信じられないといった表情で言い淀む。会話が止まってしまったのを見て、オルカーが状況説明を始めようとしたまさにその時──突如この場に不相応な高い少女の声が響いた。

 

「私が行こっか?」

 

 いつの間にか開いていた扉の方へこの場にいる全員が目を向ける。

 そこには黒髪の少女が佇んでいた。吸い込まれそうな灰白色の瞳を持つ少女はスレイン法国の最終兵器といえる存在だ。少し幼い外見と身に着けている緩い白黒の衣装が特徴的で、浮かべている明るい表情の奥には心なしか異様さが感じられる。

 

「番外席次、今は会議中だ。それにお前が出る必要はない」

 

「えー。また? 弱っちい亜人くらいすぐに退治してくるよ?」

 

 彼女は年齢相応の膨れっ面で不満を垂れる。確かに番外席次はその年齢からすれば異常すぎるほどに強力だ。仮に竜王国に彼女を送れば大半のビーストマンを殲滅してくるだろう。にも関わらずそうしないのには複数の理由があった。まず一つ、彼女が幼すぎるという点だ。多少精神に影響をきたすくらいなら問題はないが、戦場に送るとなればその程度で済まない可能性も出てくる。もっとも、それも一番大きな理由である機密性に比べれば小さな問題でしかないのだが。

 特殊工作部隊群の中でも極めて強力な漆黒聖典。その中でも最強格である番外席次の存在を知っているのは法国内でさえ上層部に限られる。故にたかがビーストマンの問題で他国、特に評議国に彼女の存在を知られる危険は冒せない。

 

「今回はなにも陽光聖典の隊員がピンチに陥っている訳ではないのだ。ただ、人員が──と第一席次。彼女を連れていけ」

 

「申し訳ありません。すぐに持ち場に帰らせます」

 

 輝くような金髪に黒と銀色が特徴的な鎧を着た漆黒聖典の隊長が忽然と部屋に現れる。彼は小さく礼をすると、腕を振り回して怒っている彼女を見事な手さばきで背負いそのまま会議室を出て行った。

 騒がしくなっていた部屋に再び静けさが戻る。

 オルカーは空いている扉の方へ近づき、そのまま閉めると無表情で椅子に座っている面々へ向き直った。

 

「……会議が中断されてしまったな。では、気を取り直して続けるとしよう──」

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「着きましたぞぉ」

 

「ん……」

 

 揺れていた馬車が止まる。

 王都とエ・ランテルの中間に位置するエ・ペスペルを出発して数日、白いシーツのかかった狭い馬車内にてツクヨミは深い眠りから覚めた。寝ぼけた耳からは同乗していた若い冒険者たちの声が聞こえてくる。

 

「ありがとよおっちゃん!」

 

 耳が痛くなるほどの大きな声を出しながら降りていく男性にため息を吐きつつ、早く降りなければと粗悪な木製の長椅子からゆっくりと腰を上げる。

 

「んんぅー」

 

 ツクヨミはその場で立ち上がると小さく伸びをした。長時間の同じ態勢から解放された体は多少元気を取り戻す。

 馬車の代金は御者次第であるが、それも先払いなので後は馬車から降りてエ・ランテルに入るだけだ。

 ツクヨミはそのまま歩みを進めて馬車の後部から地面へと飛び降りた。柔らかい茶色の地面に着地する。目の前にはエ・ランテルの──

 

「あれ? ……」

 

 寝ぼけ目をこする。目線の先に広がっているのは城塞都市ではなく言うなれば村だ。夜闇に包まれたその場所に兵士は居らず、遠くには田んぼさえ広がっている。それを視認すると川のせせらぎや虫の鳴き声などもより鮮明に聞こえてくるようになった。

 特有の冷たい風が頬を撫で、一瞬で意識が覚醒する。

 もしかすると数日眠っていて辺境の地に来てしまったのか。流石にそんなことはないだろうと焦り気味に馬車のメンテナンスを行っている老人に声をかける。

 

「すみません、あの……私、先日はエ・ランテル行きと伝えたと思うのですが」

 

 老人は振り向くと顔に驚きの表情を張り付けて返答した。

 

「ええ!? お嬢さん、あの人たちの知り合いじゃないのかい? 乗車の時、何も言わないもんだからそうだと思ったよ」

 

 そんなはずはない。確かに言ったはずだ、確かに……

 

『エ・ランテル行き……』

『リエンタルへお願いします!!』

 

 心当たりはすぐに浮かんで来てしまった。王国の地名は何かとルが最後につくため紛らわしい。ツクヨミも自分の声と被さってしまったためエ・ランテルと聞こえてしまったほどだ。彼の巨大な声も原因の一つだろう。

 一度喋るのを止めたからか目の前の男性は首を傾げていた。……来てしまったものは仕方がない。そう考えツクヨミはすぐに思考を切り替える。

 

「あー、分かりました。では、この場所について教えて頂けませんか?」

 

「あーはい。ここは王国領の小都市だよ。……他の小都市と比べると田舎だけどね。エ・ペスペルから二日ちょっとの距離でトブの大森林と隣接しているのが特徴かな」

 

 老人が流暢に述べる。トブの大森林というのはエ・ランテルの上部に位置する人類未開の地だ。つまり場所としてはそれほどエ・ランテルから離れていないことが予想できる。それほど辺鄙な場所でなかったことに安堵しつつ、気になっている点を口にする。

 

「なるほど。ここからエ・ランテル行きの馬車はありますかね?」

 

「あー……いや、ないねぇ。トブの大森林を沿って移動するのは危険すぎるから、残念だけどエ・ペスペルに一回戻るしかないよ」

 

 老人は後ろ首に手を当てながら申し訳なさそうに答えた。確かに森林地帯周辺はモンスターや亜人が多く生息している。そんな危険地帯を、少なくとも冒険者の護衛無しで通りたがる馬車が存在しないのは少し考えれば分かることだった。

 

「そうでしたか……。わざわざありがとうございます。」

 

 ツクヨミはお辞儀をしてすぐ横にある草が刈り取られた道へ戻る。茶色の地面が道を作っているのでこれを下りながら進めば小都市の入り口に辿り着けるだろう。

 既に空には月が浮かんでおり、遠くの建物群には明かりが灯っている。

 すっかり眠気が飛んでしまったツクヨミはどう時間を潰すか考えながら、道を降りて行った。

 

 

 ────

 

 

 古めかしいカウンターに座る巨体の男が口を開く。

 

「それなら合計9銅貨だね」

 

 一人部屋と黒パン2個の金額としては良心的な金額を提示され、ツクヨミはすぐに鞄からお金を取り出そうと手を伸ばした。ちゃりんと財布の中で銅貨が転がる。その中に大した金額は入っていない。大量の白金貨は手持ちに入れておくにしては危険極まりないので王都を出る前にアイテムボックスへ収納しておいたためだ。

 取り出した銅貨をカウンターへと置く。

 

「毎度! 部屋へ案内しようか」

 

 宿の店主である男はのっそり立ち上がって宿の一角にある階段へ歩いていく。

 小都市に着いてから判明したことだが、今はまだ日が落ちてからそれほど時間が経っていないようだ。それは宿のテーブルで数人が食事をとりながら寛いでいることからも伺える。

 談笑している彼らをちらりと見ながら、ツクヨミも店主の後ろを着いて行く。そして二階へ進もうと段を踏んだ時だった。

 

 バタン! 

 

 勢いよく宿の扉が開け放たれた。

 目の前を歩いていた店主含め、全員が扉の方面に顔を向けた。そこには茶色の顎髭を生やした男が緊迫した表情で立っている。男の服は汗で濡れており、急いで走ってきたことが見て取れた。

 

「どうしたんだ?」

 

 階段の途中まで足を進めていた店主は心配そうに男に近づいていく。階段を降り、テーブルを避けながら店主は入り口まで歩いていった。ツクヨミも彼の後ろを着いて行く。

 ふぅふぅ。男は荒い息を数回吐くと少しは肺に空気を取り戻したのか少し早口に喋り始めた。

 

「ゴ、ゴブリンが出たんだ……」

 

「ゴブリン? 確かに厄介だが、うちではよくあることじゃないか。もしかして大群なのか?人手が足りないとか」

 

 男は首を横に振ると、焦り気味に手振りを交えながら説明を始める。

 

「いやそうじゃない。ゴブリンは冒険者が来てくれて退治してくれたよ。でも、そうこうしてる間にイングレさんとこの娘さんが……」

 

「まさか……連れ去られたのか?」

 

 男は青い顔をしながら無言で立っている。ツクヨミは話を聞きながらこれがかなり厄介な状況であることを理解した。ゴブリンは草原にもいるが主な住処はトブの大森林だ。もし大森林に逃げ込まれた場合、それなりの冒険者でもまず手は出せないだろう。

 ツクヨミも魔法詠唱者(マジックキャスター)ではないので、そうであったなら見つけ出すのは難しいかもしれない。

 

「……もしかしたら、ここにいねぇかって思ったんだが……いないか。」

 

 男は店内を見渡すとがっくり首を垂れた。僅かな可能性に賭けて人の多い場所を探して回っているのだろう。少々の懸念を抱いていたツクヨミも店主の後ろから顔を出す。

 

「あの、もし良ければ現場を教えてもらえませんか?少しは力になれるかもしれません。」

 

「……え? あぁ。えーと森林前の薬師の店の前だ……。そこに人は集まってるよ」

 

 予想外の声が掛かったからか若干戸惑いを見せていた男だったが、藁にも縋るといった様相で説明を行う。じっと腕を組んで唸っていた店主もそれを聞き終えると強く頷き、その重い口を開いた。

 

「よし俺も行ってみよう。店は開けっ放しになるがこの際仕方ない。ほら、お前も固まってないで行くぞ! 走りながら詳しい状況も説明してくれ」

 

 男は頷くと後ろを向いて再び駆け出した。それに続くようにツクヨミや宿の店主、宿で寛いでいた男たち数名も急いで店を出て行った。

 

 

 ────

 

 

 夜の風を抜けていく。薬師の店というのはどうやら更に都市を下ったところにあるようで、街に生えている木々の数も進むにつれ少しずつ多くなっていった。家に明かりは点いているもののすれ違う人の数は少ない。

 走り始めて十分、すぐに人だかりが見えてきた。薬師らしき老人が店の前で火の灯った燭を持っているものの、薄暗いその空間で松明を持っているような人間はいない。

 

「頼む! 力を貸してくれ。どうか森に……」

 

「……すまない。俺にはどうにもできん」

 

 近づくと話し声が聞こえてきた。中心にいる三十代後半といった風貌の金髪の男性がイングレという人物なのだろう。悲痛な言葉で助けを求めている。しかし昼間でさえ危険なトブの大森林に、日の落ちた頃に入りたがるような人物はいないようだ。

 

「ほら、大森林の中にいるとは限らないじゃないか。もう少し周辺を探してみれば」

 

「そう言って何十分も経つじゃないか! もとはと言えばお前のとこの坊主が連れ出していなければ」

 

「もうやめろ、イングレ。せめて朝じゃないと……探索は無理だ」

 

 イングレはその言葉を聞くと男を掴んでいた手を離し、力を失くしてしまったのかその場にへたり込んでしまった。耐え難い絶望。彼は目尻に涙を浮かべ、どうしようもないといった風に頭を抱えた。それを見つめる周りの人間も腰に手を当てながら苦い表情を浮かべている。

 

 

 誰もどうすることもできない──

 

 

 

 

 

「私が行きましょうか?」

 

 

 

 

 

 ただ一人を除いて。

 

 当然ながら集まっていた全員の視線が、先の発言をしたツクヨミに瞬く間に集まった。ただ、それもすぐに呆れや疑念の目に変わる。

 

「死にたいのか、君は。悪いことは言わんからやめときなさい」

 

「そうだ。トブの大森林は女性が入るような場所ではない」

 

 予想していた反応が返ってくる。ツクヨミは冒険者プレートや立派な鎧など見て分かる身分は持っていないので反対を受けるのは至極当然であった。しかしこのまま引き下がる訳にはいかないので、あらかじめ用意しておいた言葉を返す。

 

「……私は第四位階魔法の使い手です」

 

「なんだと? 第四位階? オリハルコンクラスじゃないか!」

 

 場にどよめきが走り、周りのツクヨミを見る目が一瞬で変化した。それは感心、疑念、羨望と様々なものだ。これがもし第五位階などであったなら信じる者は急激に減っていただろう。しかし騙られたそれは『もしかしたら有り得るのではないか』そう思わせるような絶妙なラインであった。

 ツクヨミ自身も一般的な基準の影響力に若干驚きつつ、疑われないよう強気な態度を続ける。

 

「大森林のモンスターなら私一人でも問題ありません。すぐに助け出してきましょう」

 

 自信に満ちた言葉。地獄から蜘蛛の糸が一本垂らされたかのようにイングレはよろよろと立ち上がる。彼は震える足でこちらに近づいてきてはすぐに手を握ってきた。

 

「お願いします。どうか……お願いします……」

 

「大丈夫です。お任せ下さい」

 

 柔らかな声でそう言うと彼は耐えきれなくなったのか嗚咽を漏らし始めた。

 皆が見守る中、ツクヨミは暗闇に包まれたトブの大森林へと足を進めた。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 トブの大森林は元々一直線に150mも進めば頭上に茂った木々によって視界が遮られ暗くなる。足場も悪く、鬱蒼としたその森での人探しは非常に困難だ。さらに突入時は夜。はっきり言って正攻法では無理難題であった。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)であれば物体発見(ロケート・オブジェクト)次元の目(プレイナーアイ)転移門(ゲート)の合わせ技で楽々見つけられるだろう。しかし、戦士職であるツクヨミは精々聖騎士(パラディン)職業(クラス)で覚えられる飛行(フライ)を使える程度だ。

 

 魔法職との格差を感じつつ、マジックアイテムである天使のラッパにより、下級天使18体、ゴブリン将軍の角笛でゴブリン19体を召喚したツクヨミは敵感知(センス・エネミー)生命感知(ディテクト・ライフ)など使えるだけの魔法を使って数時間、ようやく少女の場所を突き止めた。

 ある意味この世界の基準では不正と言えるほどの力技を用いてもそれだけかかる以上、仮に彼らが探索を決意していたとしても死体が増えていただけなのは間違いない。

 

 ツクヨミは耳に手を当てるようなポーズを取ると伝言(メッセージ)の魔法を使用した。

 

『やっっと見つかりましたか。天使さん、御苦労様です……』

 

 視覚情報を繋げているため本来伝言(メッセージ)を使う必要はないが、天使たちも頑張ってくれたので労いの言葉をかける。天使は主の尊き言葉を聞き、感動に打ち震えているようだ。

 

 ツクヨミはどこだか分からない現在地の草むらから、天使の一体が待機している場所へと全速力で走って行った。

 

 

 ────

 ──

 ─

 

 

「それで。なんでハムスターがいるの……。」

 

 時間も深夜に差し掛かる頃、白銀の毛に覆われた強そうな魔獣……ではなく、柔らかそうな体に緑の尻尾を付けた獣に向かってツクヨミは声をかけた。その背中には黄色髪の少女が寝ている。

 

「なんで某の種族を知っているでござるか? じゃなくて、某は森の賢王でござる! 命の奪い合いをしたくないのであれば立ち去るでござるよ!」

 

「では、その背中に乗ってる女の子を、あー渡して貰えますか?」

 

「この少女は某が救った身。低俗なゴブリンの仲間には渡せないでござるよ」

 

 んん? ツクヨミは周りを確認する。そこには任務を終えたゴブリン、天使たちの一部が集まってきていた。それは誰の目から見ても決定的な証拠だろう。

 

「これは……その、違うんです!」

 

「何が違うでござるか。言い訳無用! やはり許さんでござる!」

 

 そう言うと森の賢王は体を器用にねじり、少女を背に乗せたまま鋼鉄のような尻尾を叩きつけてきた。

 ふわりと木の葉が舞うとすぐに轟音が響いた。尻尾攻撃を受けた天使は軽々と吹き飛ばされ、それでも勢いを止めなかったそれはまるで爪楊枝を折るように木々をへし折った。

 

「わっ、と。」

 

 予想以上の攻撃に驚く。これはレベルにすると30はあるかもしれない。そのようなことを思考していると勢いに乗った森の賢王はすかさず二撃目を放ってきた。今度はツクヨミめがけてだ。

 一撃目より少しだけ速度の落とされたそれを右手で弾く。超速でぶつかり合った拳と緑の尻尾の間に激しい火花が散った。のたうつようにその尾を引っ込めた森の賢王の表情はすぐに驚きへと変わる。

 

「素手で某の攻撃を受けたでござるか? やはり人間じゃないでござる……。しかしこれで終わりでござるよ!」

 

 森の賢王は後ろ足に力を込め、全速力で突進してきた。その巨体から発生する衝撃はすさまじく、現実で考えるならトラックに轢かれるようなものだろう。

 しかしツクヨミは溜め息を吐きながら両腕で再び受け止めた。辺りに音が轟くと森の賢王は壁に衝突してしまったかのように小さくない反動を受け、その場で身を屈める。

 

「ぬぅ……。な、ならば」

 

 よろめく森の賢王の体に光の紋様が走った。奥の手である魅了の魔法だ。物理的な防御を貫通するそれは本来なら凶悪そのもの。ただそれも圧倒的なレベル差の前では難なく無効化された。

 

「森の賢王さん、本当に私は助けに来ただけなんですが……」

 

 元より戦う気のないツクヨミは命の奪い合いの最中とは思えない平坦な声でそう言った。しかし、

 

「あ、ありえないでござる……。強すぎるでござるよ。もう殺すなら殺せでござるぅぅ」

 

 あまりにも温度差があったためか会話は失敗し、森の賢王はその場で丸まってしまった。ツクヨミはどうしたものかと頭を掻く。

 

 結局、少女が目覚めるまで説得は続いたという──



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13.一人と一匹

 月明りが木々の上部を薄っすらと照らす。透明色の淡い光は数多の木々に阻まれ、地表部分には一切届かない。そんな真っ暗闇なトブの大森林の奥地は今、一つの強い灯りによって照らされていた。

 背の低い草の生えている道の中心を走るのは、白銀の毛皮を持つ大魔獣、森の賢王。その背には永続光(コンティニュアル・ライト)のランタンを手にした、雪のような色の長い髪を持つ女性、ツクヨミが座っている。 長袖のふわりとしたブラウンの服と肩にかかった薄いケープ。長めの動きやすそうなズボンとその足は揃って右を向いている。

 彼女は同じく目の前に座る黄色髪の村娘然とした十歳ほどの少女を左手で落ちないよう支えていた。

 

「そういえばさっきの天使さんたちはどこに行ったの?」

 

 少女が振り向きツクヨミへ問いかける。先ほど少女が目覚めた際、ゴブリンは下がっていたものの天使は取り囲むようにあの場で佇んでいた。そのインパクトが大きかったのだろう。ツクヨミは若干視線を横に逸らすと後ろ首に手を回しながら答えた。

 

「えーっとね。天使さんは時間が来て消えちゃったよ。消えずに着いてきてる別の子もいるんだけどね……」

 

「あー、そうなんだ。でもその子? も賢ちゃんには追い付けないよね?」

 

 少女がそう言うと森の賢王はピクリと耳を動かしちらりと振り向いた。その顔は少し不満そうだ。

 

「なんでござるか、その変な名前は! 某はもっとかっこいい名前が良いでござるよ」

 

「森の賢王さん。危ないですから、よそ見運転しないでください」

 

「うー。よくわからないでござるが……すまないでござる」

 

 道と言っても周りには蔦の生えた巨木から、曲がりくねった細い木まで様々な種類の木々が行く手を阻んでいる。普通は走っていればどこかしらに体をぶつけてしまうだろう。それをすいすい進んでいけるのはトブの大森林を熟知している森の賢王くらいであるが、それも前を向いていればの話である。

 しばらく会話なしで一行は森を進んだ。静かな森を横目で見ながらツクヨミは鞄からコンパスを取り出し位置を確認する。それは走り始めてから三回目だ。じーっとそれを見つめていたツクヨミは突然その口を開く。

 

「そういえば森の賢王さんはいつもこの辺りにいるんですか? 勝手なイメージですけど森の主ってもっと奥の方にいると思ってました」

 

「主と言っても縄張りはまだまだでござるけどな。実はあんまりこの辺については詳しくないでござるよ」

 

「なるほど。ではここには視察に?」

 

 ツクヨミの言葉を受け、森の賢王は何か言いにくいことがあるのかそっと口を閉ざした。その表情には若干の恥ずかしさと戸惑いが浮かんでいる。それはもし彼女が走行中でなければその頬を掻いていただろうと思わせるものだ。突然喋らなくなったことにツクヨミが小首を傾げると森の賢王は小さく語り始めた。

 

「いや、違うでござるよ。今は冬でござるから……その、探しても中々食べ物がないでござる。それがしはこう見えて沢山食べるでござるからなぁ」

 

 見た通りじゃないか、という突込みを喉の奥に引っ込めたツクヨミはその言葉を聞いて鞄の中を漁り始めた。 取り出したのは2個の黒パン。ライ麦でなく黒糖を使った茶色のパンであり、先ほど宿で買ったものだ。

 

「でしたら、これ食べますか? もう冷えちゃいましたけど」

 

「なんでござるかこれは。焦げ付いてるでござるよ?」

 

「焦げてませんよ。美味しいですから騙されたと思って食べてみてください」

 

 田舎のお婆さんのような台詞を吐きつつ、ツクヨミは森の賢王の顔に手に持ったパンを持っていった。しかし、当人は食べたいと思っていないようで差し出されたパンから顔を背けている。ずっと口を閉ざしていた少女はそれを見て堪えきれなくなったのかお腹を抱えて笑い始めた。

 

「やっぱりいいでござる。それがし、腐ったパンは食べれないでござるよ」

 

「この……強情くんですね。はぁ。とっても美味しいのに」

 

 しゅんとなったツクヨミはそのままパンを鞄に引っ込めた。

 それから数刻の時が流れる。片目を瞑った少女は軽く目をこすると話題を切り替えるべく喋り始めた。

 

「それで賢王さん、さっきの名前の話なんだけど……あれはもういいの?」

 

「そうでござるなぁ。森の賢王と呼ばれるのも何だか水臭いでござるし、ここはカッコいい呼び名を付けて欲しいでござるよ」

 

 今度こそとツクヨミは鞄から羊皮紙と鉛筆を取り出す。やる気は上々であった。

 

「分かりました。お引き受けしましょう。ではそうですね。ハムスターにちなんでハム……。ハム仙人とかどうでしょうか? 聞くところ長く生きているようですし」

 

 何だろうと耳を傾けていた二人はそれを聞くと神妙な顔つきで唸った。

 思っていた反応を得られなかったツクヨミは即座に羊皮紙のメモ帳にハム×を書き入れる。仙人は傑作だと思ったのだろう。

 

「んー、なんでござるかなぁ。絶妙なダサさが滲み出てるでござる」

 

「ハムは可愛いと思うんだけどねー」

 

 少女がうんうんと頷くのを見てツクヨミは鉛筆を止める。

 

「可愛いのはいただけないでござるが、折角姫が考えてくれたものでござるからな。カッコいいを足してそれがしは……ハムスケウォリアーを名乗るでござる!」

 

 え? 

 

 声にならない誰かの言葉は、少女の絶賛とハムスケの自画自賛の中へと消えた。

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 1時間も一直線に走ると、人間の手が入った明るめの森へと出た。とはいえ時間はまだ真夜中なので暗さは相変わらずだ。ツクヨミは先にハムスケの背中から茶色の地面へと降り立つと、上から降りてくる少女を器用に両手で受け止める。

 少し早いが別れの時だ。

 

「お父さんが待ってるだろうから行こっか」

 

 ツクヨミが少女の手を引くと彼女はハムスケへと寂しそうな顔を向けた。

 ハムスケもまた黒いつぶらな瞳をうるうるさせている。事前に分かっていても悲しくなるタイプであった。

 

「姫ぇ、置いて行かないでほしいでござるぅ」

 

「そうは言ってもハムスケ、ウォリアーさんは街に行けませんし。私は一度戻ってきますから……ね?」 

 

 ツクヨミは巨体の友人を宥めると少女と共に小都市の方向へ歩みを進めていく。

 森の入り口付近であるとはいえ、亜人やモンスターは生息しているので油断することはできない。踏み折る木の枝が静かな森の中に音を立てる。少しずつ頭上にある木々が薄くなり、そこから淡い光が入ってくる。

 

 そうして二人は小都市の端に歩み出た。

 

 その場所は薬師の店の前から100mほど離れているくらいで歩いていくのにそれほど時間はかからない。二人は少し足早で目的地へ向かった──

 

「お父さん!」

 

 騒動からそれなりに時間が経ったため、薬師の店の前に未だ残っていたのはイングレと宿の店主、薬師のお爺さんと他数名程度だった。

 彼らは予想していなかった方向、つまり後ろ側から声を掛けられ一斉に振り向いた。一番最初に声をあげたのは胸の前で祈るように手を作っていた男性、イングレだった。

 

「ソフィー!」

 

 イングレは少女の名を呼ぶと緊張した表情を崩しながら走ってきた。そして目の前でしゃがむと優しく彼女に抱き着いた。

 

「あぁ、無事で……よかった、ぁ」

 

 溢れ出る感情はイングレの目からそのまま流れた。ソフィー自身も今の今まで怖い思いをしてきたのだ。彼女も父のそんな姿に感化されたのか、我慢していた涙をぽつりと地面に落とし、大きな肩に顔を埋めた。

 

「しかし、あんたも……本当に無事でよかったよ」

 

 ツクヨミの横から体の大きな男、宿の店主が話しかける。それはきっとここに集まっていた全員が思っていた言葉であろう。どれだけ強い人物であろうと、女性をたった一人で行かせてしまったことへの自責の念、そして無事を祈ろうというせめてもの思いが彼らをこの場所に引き留めていたのだ。 

 

「ありがとうございます。皆さんも夜遅くまでお疲れさまでした」

 

 ツクヨミは残っていた面々一人一人の顔を見る。そこには安堵しているような温かい表情がいくつもあった。それは一夜の事件が幕を下ろしたのだと皆に実感させる。

 

 ツクヨミは最後に抱き合うのを終えた親子に近づいて行った。しゃがんだままのイングレはそんな彼女に気づく。下から見上げるような彼女の姿は綺麗な月明りに照らされ、神々しささえ感じさせた。彼は呆然としていたことに気づきハッとすると、慌てたように立ち上がる。そして、めいっぱい頭を下げた。

 

「本当に、本当にありがとうございました! この御恩は一生忘れません」

 

「頭をお上げください。私は、その言葉だけで充分ですよ」

 

 ツクヨミが言葉を言い終えるとイングレもそっと顔を上げる。

 彼女はそれを確認すると、続けてイングレの前に立っている少女、ソフィーの目線まで体を落とした。少女の青い目は潤んでいるものの、その幼い表情はとても満たされているようだった。

 そんな小さな友人にツクヨミは小声で話しかける。

 

「もう夜歩き回っちゃダメだよ?」

 

「うん。約束する……」

 

 少ししょんぼりした少女の返答を聞き、ツクヨミは目を細めて温かく微笑んだ。そしてそっと立ち上がる。ハムスケが森で待っているからだ。そんなツクヨミを見て、ソフィーは不安げに口を開く。

 

「あの! また、会えるかな……?」

 

 先ほどまで近くで喋っていた二人の距離は再び離れようとしている。

 ツクヨミは星空を軽く見上げた。

 

「うん、きっと会えるよ」

 

 その言葉は彼女の『願い』だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

「ハムスケさん……ほんとすみません……」

 

 深夜のトブの大森林、少し開けた空間の中心には小さな焚火と、それを囲んで座っている一人と一匹がいた。また、その横にはマジックアイテムであるグリーンシークレットハウスによって建てられた拠点がある。その小柄な建物は魔法で作られたコテージであるため、中は外見とは想像もつかないくらい広く、現在は帰ってきたゴブリン達が中で寛いでいる。

 

 問題はまさにそれであった。ゴブリン将軍の角笛で召喚されたゴブリンは微妙なメリットとして死ぬまで消滅しないといったものがある。それは基本有益でしかないものだが、現在のツクヨミの立場からすると珍しくデメリットとなっていた。

 元々外れアイテムであり、ユグドラシルでも殆ど使用されていなかったそれの詳しい効果をツクヨミもすっかり失念していたのだ。

 

「いやいや全然いいでござるよ! それがしも縄張りを広げようとしていた身、仲間ができて頼もしい限りでござる」

 

 スレイン法国は人間至上主義であるため勿論ゴブリンを連れていくことはできない。間違いなく駆除の対象となるためだ。

 悩みに悩んだ結果、ツクヨミがそのことをハムスケに相談すると、なんとハムスケがゴブリンたちを引き取ってくれると言い出したのだ。

 

「それに彼らも召喚されて嬉しそうだったでござるよ? さっきもやる気満々だったでござるし、あんまり心配し過ぎなくても大丈夫でござるよ、姫」

 

 ハムスケは手に持った一級品のキノコを串で焼きながらそう言った。ツクヨミはアイテムボックスから食べられそうな物を取り出しながら喋る。

 

「それならいいのですが。何か──いえ」

 

 ツクヨミは頬を軽くペシペシと叩く。ツクヨミは元々会社員であったため、どうしてもこういった問題では責任を感じずにはいられなかった。それは“生命を生み出す”という内容だけに大きい。しかしこれ以上グダグダ言っても仕方がないのは間違いがなかった。

 口を噤んだツクヨミを見るなり、ハムスケは話を変えるべくキノコを頬張りながら声を出した。

 

「それにしても、姫は強かったでござるなー。それがし初めて殺されると思ったでござるよ。あの時は神様か何かだと思ったでござる……」

 

「神様なんて、そんな。私はただの人間ですよ。少し……異常かもしれませんが」

 

 ハムスケの言葉にツクヨミは苦笑する。そう──ツクヨミは一般人だ。降って湧いた力が大きすぎただけで。

 

「異常、でござるか」

 

 ハムスケは口に運ぶ手を止めた。

 本来、真に強き者は生まれた時から強者である。そのため力を持っていることは当たり前であり、自分の強さに疑いを持つことなど無い。それは自分に手があったり、足があったり、そんなレベルのものなのだ。──だからこそ、ハムスケも意外だったのだろう。

 ツクヨミは上を向き、木の隙間から覗く星空を眺めながらポツリと呟く。

 

「はい。……時々思うことがあるんですよ」

 

 

 

 こんな力無かったらな──って……

 

 

 

 ツクヨミは目を閉じ、この世界に来てから初めての弱音を零した。間違いなく、周りの者は贅沢だと言うであろう悩み。実際その通りだ。しかし、ツクヨミを常に苦しめてきたのは必要以上に与えられた力に他ならなかった。

 

「それでも最初は無いふりをして過ごしてきたかもしれません。でも、それこそ私の我儘だったんです」

 

「ふむ。姫は、先のように責任を感じてしまった……でござるか」

 

 森の賢王である彼女も薄らと真意を理解したのか、真剣な瞳でぱちぱちと音を立てる火を見つめる。ツクヨミはハムスケの問いにそっと頷いた。

 

「──苦しみながらも神に祈る人、命を賭けて戦っている人、差し伸べられる手を待つ人。私が思っていたよりずっとこの世界は助けを求める人でいっぱいだったんです。……それなのに私は」

 

 力があったにも関わらず、ツクヨミはそんな状況からずっと目を逸らしてきた。大切なものを失うのが何より怖くて。しかしこうして向き合ってしまった今、もう、薄明かりの日常に一人帰ることはできそうもなかった。

 だからこそ平凡な日々を求めていたツクヨミは自身が何も出来ないことを望んだのだ。

 

「すみません、変なことを言ってしまって。元から高望みだったんです」

 

 よいしょ、という掛け声とともにツクヨミはその場で立ち上がった。ぱんぱんと土を落とすようにお尻をはたく。そしてツクヨミが具材をハムスケの座る方へ運ぼうとした時だ。

 口を閉ざしていたハムスケがぽつりと話し始めた。

 

「──姫は、優しいでござるな。それがしは知らぬ誰かの分までは頑張れないでござるから……」

 

 ふっと語られるそれに立ち止まる。

 嫌に夜風が頬を撫でているような感覚――。何故か心の動揺を隠せないツクヨミを他所に、ハムスケは昔を思い出すようにそれを続けた。

 

「姫の力がそれがしのものとは比べ物にもならないことはよく分かっているでござる。そのせいで失くしたことも、独りになることもきっとあったでござろうなぁ。……ただそれでもそれがしは、失うものばかりじゃないと思うでござるよ」

 

「でも。でも、相反するんです! 私の求めているものは……」

 

 返答するツクヨミの声は小さく震えていた。それはハムスケの変に真剣みを帯びた話と、自身の悲観的な気持ちがぶつかったためだ。胸の奥の苦しさからか、ツクヨミは左手を胸の前に(かざ)し、静かに掴む。その感情を押し込めるために。しかしそれももう――

 

「遠くからでも見ている者は見ているでござる。ちゃんと繋がっているでござるよ!……少なくともそれがしは姫の苦悩も頑張りも知っているでござるし、たとえ遠くに行こうとも、いつも傍にいるでござる」

 

 ハムスケはいつものつぶらな瞳で、ツクヨミの方を向くとその短く小さな手を伸ばしていた。自分は仲間であると、そう訴えるように。

 

 

 

「……」

 

 

 

 いつの間にか地面に涙の粒がぽつぽつと落ちていた。それはツクヨミの瞳から自らの意思で落ちてきたかのような、そんな涙だった。

 

「あれ」

 

 ツクヨミは半ば困惑するように、いつからか我慢してきたであろうそれを片手で拭う。

 ゆっくりと指先から手の甲へと水滴が伝っていく。

 リアルでも泣いた経験が殆ど無かったツクヨミは、それを見て初めて自分の心が一人で転移してきたあの時から少しずつ擦り減っていたことを知ることとなった。

 

 

 すっかり重たい空気になってしまったトブの大森林の時間が過ぎていく。両者とも口を開かなかったため、少しばかり無言の時間が続いた。ただ、それでも不思議と空気の悪さや気まずさ等は感じられない。

 

 ハムスケは食事を進めることなく、その場でツクヨミを待っていた。とても落ち着いた雰囲気だ。

 

 そうして火が陰る頃、ツクヨミもようやく決心がついたのか心の底にある『一つの想い』を口にした──。

 

 

 

「彼らも……私を忘れないでしょうか」

 

 

 

 ツクヨミは空を見上げて、問いかける。それは涙がまた零れてしまわないようにか。はたまた遠い誰かに思いを馳せていたからかもしれない。

 

 ハムスケは"彼ら"を知っているわけではなかったが、それでも断言した。

 

 

 

「忘れるはずがないでござるよ」

 

 

 

 ────



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14.辺境の大戦(1)

 昇り始めた太陽が荒廃した砂地を照り付ける中、スレイン法国と竜王国の間にある広大な荒れ地のとある場所には臨時で建てられたテントが点在していた。大きさは大小さまざまであり、その小さなテントから少しずつ顔を出しているのはスレイン法国の正規軍兵。灰色の制服の胸部分には鉄の軽鎧を付けており、その頭には傷の付いた鉄のヘルムをかぶっている。

 

 そんな彼らは徐々に中心にある大きなテントに集まっていた。臨時であるために周辺のテントや馬車の配置はそれほど整っていない。兵士たちは食料品から高級なポーションまで積まれた馬車数台に気を遣いながら、早足に集合場所へと足を進める。

 

 広々とした蒸し暑いテントの中には短い金髪に生真面目そうな顔立ちをしている若い兵士が既に待機していた。彼の名前はイーヴォン・リット・ルーイン。几帳面な性格である彼は集合時刻より少し早めにこの場に到着し、隊長であるカールを待っていた。

 

 もっとも、カールはその役職上、多くの仕事を受け持っているため、ギリギリまで仕事をこなしてから集合時刻丁度に来ることが多い。そのため、5分前程度ならまだしも、ルーインのように十数分前に来ることに意味は殆ど無いだろう。

 

 時間が経つにつれ、テントに入ってくる面々の数も増えていく。

 

 百人を超えた辺りからテント内には熱気が溜まり、暑そうに手をパタパタ動かしている者もちらほら見受けられるようになった。ただし、そんな彼らの表情はルーインと同様に真剣なものだ。それは今日より始まる任務の内容が関係している。

 

 お互いに指示を出すことも無く、全員が慣れたようにその場で整列していくと少し遅れて茶色髪の年配者が鉄の兜を片手に持って現れた。

 

 軍の隊長であるカール・エィム・バラックだ。

 彼は皆の前に立ち、見渡すように目を動かす。

 

「よし、集まったな。ではこれより出発の準備を行う。今日の目的地はいよいよ竜王国だ。予定では昼過ぎには到着することとなる。……皆、分っているとは思うが」

 

 カールは一呼吸置くと普段以上に真剣な顔で言葉を続けた。

 

「竜王国は今、ビーストマンの脅威に晒されている。その被害は甚大で我々が出向かなければならないほどだ。奴らは強い。そこらのスケルトンとはわけが違うほどにな。一応現場には本国の別部隊の方もいるから絶対に無理だけはしないように。あくまで我々の任務は物資を届け、部隊の方が対応できなかった敵を抑え込むことだ。分かったな?」

 

「「はい!」」

 

 部下の身を案じるカールの発言に集う兵士たちは力強く返事をする。

 

 彼らがこれから向かう先は恐ろしい亜人の巣窟であり、命の保証など多少なりとも存在しない。心の弱い者、いや並大抵の者はそのような場所に向かうとなれば恐怖で足が竦み、この場から逃げ出してしまいたくなるだろう。しかし既に覚悟を決めている兵士たちの中に臆している者はいない。

 

「よろしい。現場ではローテーションを組みながら常に動き続けることになる。臨機応変といっても厳しい戦いになるのはほぼ確実だろう。しかし……3、いや4日もすれば本国からも強力な部隊が到着するそうだ。よって、今回の戦いはそれまで守り切ることこそが真の目的であり、それは我々の最も得意とするものだ。皆、必ずやり遂げよう。竜王国、いや、人類のために!」

 

「「おぉぉ!!」」

 

 少々熱っぽく語られたそれによって、テント内の熱が急上昇する。

 

 小さな頃から人を守ることの大切さを教えられ、それに信念を置いてきた彼らからすれば今回の任務は自分の存在意義そのものである。そんな任務を前にして興奮を隠すことのできる者はルーインやカールを含めいなかった。

 勿論、彼らも死ぬかもしれないことに不安や恐怖を感じていない訳ではないのだが。

 

 士気の高揚を感じながらもルーインはそっと胸ポケットに手を動かす。ポケットからスレイン法国の紋章の入ったペンダントを取り出した彼は、心をこめるように両の掌でそれを握った。

 

 手のひらに僅かに熱が籠る。そのペンダントには小さな十字架が付いており、六大神を信仰している法国の人間は神に祈るためにこれを所持していることは珍しくない。

 彼もまた、ひと時も忘れたことのない神への信仰を確かめたのだろうか。

 あるいは──

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

「隊員たちよ! 構えよ!」

 

 竜王国の東に位置する荒野に男の声が響き渡る。

 

 地形の段差が激しく、左右に数mの断崖が続いているその場所に集っている者の数は五百人にも及ぶ。これでも集まっているのは全てビーストマンに最低限の対抗ができる者たちだ。

 

 そしてその中でもひと際目立っているのは全身を白のローブで覆った集団、陽光聖典。

 

 本隊ではない彼らの数は二十数名ほどと少ないが、交代しながら最も長くこの場所で戦い続け、その得意の魔法で戦線を維持している。

 

 陽光聖典班長の声を聞き、隊員たちはすぐに戦闘態勢に入る。また、この場に集まる多くの竜王国兵士や白金、ミスリル、オリハルコンのプレートを胸に付けた冒険者たちも武器を構え直した。

 彼らの視線のすぐ先、百mほどの地点にある荒れ果てた黄土色の地面の上には人型の体に獰猛な肉食獣の頭を持つビーストマンの群れが犇めいていた。その数は軽く三百を超える。

 

「しかし凄まじい量だ……。なぜこんなにいる」

 

 竜王国オリハルコン級冒険者であるガレット・インマーシュは重厚な大剣を両手で握りながら、その手に汗を滲ませた。

 

 同じく竜王国の高名な冒険者たちや兵士たちもここ数日戦い続けているものの、敵の数は一向に減ることなく、少しずつ竜王国へと近づいていた。

 この圧倒的な数は二十日ほど前、ビーストマンの群れの撃退に失敗し、村を占領されてしまったことが大きく関係している。

 

 占領後は竜王国が手をこまねいていたこともあり、村を拠点にビーストマンは近隣から大量に集まっていたのだ。

 今より一週間前に到着した陽光聖典はその絶望的状況を何とかするために、村の中から少しずつ拓けた荒野へとビーストマンを誘導していったのだが、その溢れんばかりの敵の前では増援を呼ぶ他なかった。

 

「冒険者。弱音を吐いている暇はないぞ。もう敵は近いのだからな」

 

 班長がばっと前へ片手を伸ばす。

 

「隊員各位! 天使を召喚せよっ!」

 

 白ローブの男たちが第3位階天使召喚(サモン・エンジェル・3rd)を唱えていく。

 天使召喚の魔法により中空には炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)が召喚されていった。

 

 白色の体躯に陽炎を纏う姿はこの世界ではあまり見ることのできない高位の存在のものであり、それを間近で見た竜王国兵士や低位の冒険者は感嘆の声を上げる。

 

「まさか、これほどの部隊が法国にいたとはな。しかし天使だけだと盾役としては少し心許ないか」

 

「……ふん、だったらお前たちがそのでかい剣で奴らを抑えればいいだろう」

 

 法国には冒険者という職業は存在しない。そのため人類のために働く法国部隊の人間からすればモンスターから人を守っているという点では同じである冒険者もよく分からない野蛮人といった印象だ。

 

 陽光聖典班長という上位の立場である彼もそれは変わらないようで、ガレットに対し多少蔑むように言葉を吐いた。元々相性も悪いのだろう。しかしそれを受けたガレットは眉を顰めるようなことはせず、気さくに笑った。

 

「そうだな。俺もうかうかしている場合じゃないか。アンジェシカ、後ろを頼む!」

 

「はいはい」

 

 ガレットが前へゆっくりと駆け出すと冒険者仲間であり、同じくオリハルコン級冒険者の赤髪の女性も黒色のワンドを背中から取り外して走って行った。

 

 それを合図にしたかのように戦いが始まった。

 

 長方形の谷のような形になっているこの場所の両側の壁を伝うように兵士たちが前線を押し上げていく。

 陽光聖典はその場に留まったまま、空中に佇む天使を前へ突撃させた。

 

 30秒も経つ頃にはゆっくりと歩いてきていたビーストマンの表情も憎悪に塗れたものへと変わり、前の方を歩いていた個体は全速力で突撃を始める。元々それほど距離が離れていなかったため、無数の足音と共にすぐに両者がぶつかり合う。

 

 最初に大きな金属音が響き渡った。それは強烈な爪撃を剣や盾で受け止めたものから、避けきれなかった鎧から発せられる悲鳴まで様々だ。

 

「武技、斬刃!!」

 

 ビーストマンの初撃を体を逸らすような形で避けていたガレットはその勢いを利用し、体を一回転させてからそれを放った。

 攻撃を振りぬいていたビーストマンはガードすることもできないまま重剣の一撃を直に浴び、肩を両断された。

 

「ぐがぁぁぁ!」

 

 出血する肩を抑えながらビーストマンはその場でめいいっぱい腕を振り回す。しかし、そんなレベルの低い攻撃を受けるガレットではない。彼は両腕に力を入れると、暴れ狂うビーストマンの頭に剣を命中させる。

 

 致命の一撃を受け、制御を失った獣の体はずしんと地面に横たわる。まずは一体。しかし油断は命取りである。すぐに仲間の悲鳴を聞いたビーストマン3体がガレットへと爪を突き出し走ってきていた。

 

「ぬぉ」

 

 気を取られていたガレットはそれに気づくとその場から飛び退こうと足に力を入れた。しかし──

 ガレットの後方から横をすり抜けるように火球が飛ぶ。その数は三つ。それらは飛びかかろうとしていたビーストマンの顔にそのまま命中し、高熱の火花を撒き散らしながら爆発した。

 

「しっかりしなさい。ほんと、危なっかしいんだから……」

 

 ガレットが後ろをちらりと振り向くと、小さく溜め息を吐きながらアンジェシカが口を開いていた。

 

 第三位階の魔法を素早い感覚で三発発射するというのは極めて難しい芸当である。ただ、それだけにその威力も絶大であり、手痛い反撃を受けたビーストマン数体は焼け爛れた顔を抑えながらそのまま後退していった。

 

 それを見ていた兵士たちもその勢いに乗り、喊声を発しながら前線を上げていく。陽光聖典の後方からのフォローのおかげもあり、序盤の滑り出しは快調だと言えた。少し後方で戦場を眺めていた班長も、順調に前へ進んでいく軍団の後ろを歩く。しかし、その時だった。

 

「ぐぅぅぅぅ」

 

 ドン。横から落下音が響いた。その回数は唖然とする間に急激に増えていく。それは小さな地響きだ。

 

「なんだと!」

 

 班長は首を振り、音のする左右を確認した。

 

 谷の上部の台地には鬱蒼とした木々が茂っているのだが、どうやらそこにビーストマンの集団が潜んでいたようだ。その数は左右にそれぞれ20匹ほど。頭の悪いビーストマンが作戦を立てていたとは考えにくいものの、最悪な形で彼らは囲まれてしまった。ビーストマンは前屈みとなった体を起こすとその口から怒りに包まれた荒い息を吐く。

 

「た、隊員たちよ! て、天使を戻せ! 早く!」

 

 その言葉を聞き、慌てて隊員も動き出した。前線を抑え続けていた炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)たちが下がっていく。

 陽光聖典は魔法詠唱者(マジックキャスター)であるため、前衛無しに接近戦を行うことは不可能。故にその選択は正しいと言える。

 

 しかし天使を退くことの影響は甚大であり、陽光聖典含め、兵士や冒険者の面々もその表情に苦いものを張り付ける。

 

 一度下がるべきか? そのようなことを考えながら、前と後ろを交互に見ていた前衛の者たちからもすぐに小さな悲鳴が上がった。

 

「武装したビーストマン……だと!?」

 

 ガレットが驚きの声を出した。彼らの目の前に突如姿を現したのは岩のようなヘルムを被り、両腕に鉄のガントレットのようなものを嵌めたビーストマン。中心の方に待機していたのかその体躯は他の個体より少し大きく、それが上位者であることが伺える。

 

 この場にいる全員が息を飲む。……このままだと全滅するんじゃないか? 全滅。頭を掠めるその言葉により、一転して戦場は恐怖に支配されつつあった。軍団の動きが目に見えて悪くなり、それを視認したビーストマンたちは彼らを取り囲むように移動を始める。

 

「か、神よ……」

 

 最も降りてきたビーストマンに近かった陽光聖典隊員の一人がそう呟いた。距離を詰めてくるビーストマンを見ては全員数歩後退する。祈りは届かないのか、そう思われた時だ。薄っすらとオレンジ色に変化し始めたその戦場には、もう一つ、戦況を変えるであろう者達たちが駆けつけていた。

 

「……応援?」

 

 視界に黒点が移った班長はそちらをじっと見る。誰も目を向けていなかった後方からは灰色の制服の上に鉄の軽鎧を身に着けた二百人ほどの兵士の軍団がすぐそこまで迫ってきていた──

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 スレイン法国の空は既に暗くなっていた。木製の馬車は、すっかり草の絡まってしまった車輪の動きを止める。巨大な門の前、駐輪場の傍まで走り切ったためだ。ふぅ、と御者は息を吐くと慣れた動きで後ろを振り向く。

 

「着きましたよ」

 

 中から返事は無く、人が出てくる様子も皆無だ。しかし誰も乗っていないわけではない。御者は先ほどより大きな息を吐き、馬から伸びる紐を手放しては地面に足を下ろす。実際のところ終電で叩き起こされる人がそれなりにいるように、この世界でも馬車で目的地に着いても起きない人というのは一定数存在している。そのため、彼も別にそのことに対してそれほどうんざりしているわけではない。

 

「あの、お客さん?」

 

 御者が馬車にかかる白色のシーツを後ろから捲ると、中にはすーすーと寝息を立てている銀髪の女性が座っていた。恐ろしいほどに整った顔立ちにスリムな体型。輝く白い肌は男であればガン見してしまうものだ。御者も例外ではなかったようで起こしに来たにも関わらず、ランプによって薄っすらと照らされたその女性に数秒見惚れていた。

 視線を感じたためか船を漕いでいた女性、ツクヨミは頭をそっと持ち上げると眠たい目を擦り横を見た。そうしてすぐにその頭を元に戻したかと思うと、再び御者の方を向いた彼女は驚いたように立ち上がり、車内の天井に頭をぶつけ回転した。

 

「あぁ、す、すいません。寝てました。すぐに出ますので……」

 

「あ、あぁ。いやそんなに慌てなくても大丈夫ですよ」

 

 ツクヨミは頭を抱えながら持ち上げられているシーツの下を潜り、彼に三回ほど頭を下げた。御者が笑いながら自身の後ろ頭を摩る。お礼を言い終えた彼女はよれた服を手で直すと、そのまま十数メートル先にある門の方向へと向かった。

 

「帰ってきたんだ」

 

 ツクヨミは出発から27日、帰りの道では急ぎの馬車を利用しつつ、ホームであるスレイン法国にようやく戻ってきていた。

 

 彼女は暗くなってしまった巨大な門を見上げる。

 

 実はツクヨミも法国の外に出た経験はほとんどなく、この門を見るのも転移初日を含め二回目であった。ツクヨミは懐かしいものを見るようにそれを眺め終えた後、両端に松明の下げられた石畳の方面へ足を進めた。

 

 門の右下には同僚である兵士の男が白い紙を捲りながら暇そうに椅子に座っている。

 彼は足音に気づき、頭を持ち上げるとすぐに驚きの表情で口を開いた。

 

「ツ、ツクヨミさん!? あ、そうか。今帰って来たんですね!」

 

 少しずつ嬉しそうな声へ変わっていった同僚を見て、ツクヨミはにこやかに微笑む。

 

「ただいま戻りました。アンバートさん」

 

「名前、覚えてくれてたんですね。泣きそうです。あ、入国の手続きでしたね。何か申告の必要なものはありますか?」

 

「えー……いえ、特にはないと思います」

 

「分かりました」

 

 アンバートは白い紙にチェックを入れた。検問終了だ。それでいいのかとツクヨミも苦笑いを浮かべる中、アンバートは思い出したようにペンでリストを小さく叩いた。

 

「あ、そうでした。ツクヨミさん、お仕事の話なんですが、もうしばらくお休みになるかもしれません」

 

「えっと、理由はどのようなもので?」

 

 ツクヨミは疑問の表情を顔に張り付ける。元々三十日の休暇はツクヨミの仕事を軍内で調整するための期間だった。そのため、考えられる理由としてはまだその目途が立っていないとか、問題が生じているといった具合だろう。

 

 王国の御礼により懐事情としては特に問題のないツクヨミであったが、その理由というのはやはり気になるもののようだ。

 真面目な顔に変えたアンバートは椅子から身を乗り出し、人の有無を確かめるように左右に頭を動かした。

 

 人がいないことを確認すると、彼は小声で続ける。

 

「実は、竜王国にうちの軍の結構な人が行っちゃってるんです。秘密裏に。何やら相当ヤバい状態のようで、上の方の人たちも行ってるみたいですね……。私とか巡回の仕事を持ってる方はそれなりに残されてますけど」

 

「え、それって……えぇ? 詳しくお願いします」

 

 あまりに予想外の方向からの言葉にツクヨミは驚きを隠すこともできず、身を乗り出した。

 

「ツクヨミさん、声が大きいです。……ほら、竜王国はビーストマン被害が大きかったじゃないですか。それが今、溢れんばかりに増えてるらしくてうちにまで応援要請がかかった訳です。もう出発からは5日くらいになりますね」

 

 アンバートは目を瞑り溜め息を吐く。

 

「あれから連絡も無いので私も心配ではあります……。現地には強い人たちもいるみたいなので大丈夫だとは思いますが、スケルトンよりは厳しい相手と聞きますし、正直不安で仕方ありませんよ。私もこんなところに座ってないで皆のところに……」

 

「って、あれ? ツクヨミさん?」

 

 アンバートが目を開くとその場に既にツクヨミはいなかった。そこにはただ、冷たい夜風が吹くのみだ。

 

 

 

 

 ────

 ──

 ─

 

 

 

 はぁはぁ……。ツクヨミは胸の上を掴み、冷え切った地面を踏みしめていた。

 

 体力的にはこの程度で疲れることは無い。しかし嫌な想像が頭を過ぎる度に、ツクヨミの心は巨大な何かに握られているかのように苦しくなった。

 ビーストマンはユグドラシルにも存在していたモンスターでそのレベルは10程度。上位種であればそれなりに強くなるが、素では大したことは無い。しかし、それはユグドラシルの基準で考えた場合だ。

 

 この世界の人間のレベルはとても低い。

 

 それは兵士であっても同様で、軍の隊長であるカールでさえレベルにすれば10を少し超える程度だ。

 そんな無茶な状況で大群と戦っているなら……大勢亡くなっている可能性も考えられるだろう。

 

 いや、心の中では分かっている。そうなっている可能性の方が高いことは。

 

「早く行かないと」

 

 杞憂かもしれない、面倒事になるかもしれない。そんなことは彼らの身の危険と比べればどうでも良かった。

 

 ツクヨミはポケットに残っていた木の札を一瞬も躊躇うことなくへし折った。身に着けていた衣服が外れ、純白の聖衣が姿を見せる。

 

 一見、足の方が長いスカート状になったそれは走るのには適していなさそうだが、神器級(ゴッズ)アイテムであるそれを着用したことによるステータスバフは凄まじい。

 

 一度走り始めたツクヨミの体は夜風の中をまるで一筋の雷のように抜けていく。

 

加速(ヘイスト)上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)天界の気(ヘブンリィ・オーラ)! ……」

 

 加えて身体能力向上系の魔法を詠唱していく。Lv100戦士職の身体能力と数多くのバフがかかったその移動速度はもはや常人が目で追うことのできないものだった。

 

 ツクヨミはそれから耳に手を当てるように腕を動かすも、そっとその手を下ろした。

 

(きっと、覚悟を決める時が来たんだろうな)

 

 ツクヨミは何事も無かった時のために灰色のローブを取り出し、高速移動の間に羽織る。

 取り越し苦労であったなら、それはそれで良いだろう。寧ろそうであって欲しいと思った。

 

 

 

 今度私にも王国について教えてくださいね

 

 

 

 この世界に来てから初めて出来た友人の顔が脳裏に浮かぶ。そして次に、受け入れてくれた多くの人達と過ごした光景が浮かんだ。

 

 世界の大きさからすればちっぽけなものかもしれない。それでもツクヨミにとっては、それは何物にも代えられない宝石箱だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15.辺境の大戦(2)

 竜王国首都の中心にそびえる巨大な建造物。その外周は五百数十mほどもあり、その敷地内は複数の馬車が走ることができるほどだ。そして、その周りには堅牢な外壁が続いている。

 

 首都内に敷き詰められた多くの建物を押し退けるように建っているこれは竜王国王城。竜王国建国当初から存在している建物であり、中心に向かい高くなっている石造りのこの城は正統的な姿形で、どこか古めかしさを感じさせる。

 

 そんな竜王国の歴史を象徴するであろう王城は夜闇に包まれており、上下様々な位置に存在する窓からは黄色の灯りが漏れていた。

 

 最上階に位置する国王の自室も例外ではなく、竜王国女王である黒髪の女性、ドラクシス・オーリウクルスは慌ただしい様子で、普段は疲れを癒すはずの深夜の時間帯に寝巻着から正装へと着替えを行っていた。

 

 最近の彼女は早朝から晩まで休む暇がないほどの激務をこなしている。それに加え竜王国は災難続きであり、国のトップであるドラクシスは精神的ストレスも多く抱えている。

 そのため就寝の時間さえ奪われたドラクシスの体は伸びきったゴムのようにくたびれた状態であった。

 

 睡眠を妨げられたドラクシスはてきぱきとした動きで豪華絢爛な衣装に手を通す。いつになく早く、少々乱暴だと言える着替えは傍から見れば安眠を邪魔された女王が怒っているよう見えるかもしれない。しかしドラクシスの心中に燻るのは怒りでも悲しみでもなく大きな焦燥のみであった。

 

「ふぅ」

 

 勢いよく着替え終えたドラクシスは扉へ向かう前に王室としては質素な作りの部屋内を小走りで移動し、首都を一望できる巨大な窓の前へ立った。

 

 冬の夜風に晒されたひんやりとしたガラスに手を当てるとドラクシスは目を細めるようにして遥か遠方を見やった。

 

 目線の先に映るのは延々と並ぶ建物と地平線まで続く広大な荒野。城の上層から目にすることのできる、竜王国のいつもと変わらぬ美しい風景だ。しかしそれは今のドラクシスが見たいものではない。

 

 ドラクシスは眉間に皺を寄せ、目線をすぐ下に落とす。そこには多くの兵士たちが緊迫した様子で街の外へ移動しているのが見えた。

 それは普段では目にすることのない光景であり、ドラクシスを叩き起こした緊急連絡の内容が真実であることを雄弁に語っていた。

 

「本当に……止められなかったのか?」

 

 それを言葉に出すとドラクシスは小さく体を震わせた。

 

 二十日以上連続で行われているビーストマンの侵攻。建国以来のその重大な危機はスレイン法国の援軍のおかげでようやく鎮静されるだろうと考えられていた。しかし集まったビーストマンの群れは減ることなく嵐のように膨れていき、食料を食い尽くしてはそのまま竜王国の本土へと向かってきていた。

 

 大勢の国の守り手たちも大群を完全に止めることはできなかったようで、後退しながら今もなおビーストマンと死闘を繰り広げているという。そしてつい先ほど、竜王国首都に隣接する小都市から十数キロの地点にある前線基地にて黒煙が上がっているのが確認されたのだ。

 

「……くそ、この国はどうなってしまうのだ」

 

 右手で握り拳を作ったドラクシスはそれを窓に押し当てる。先ほど目にした通り竜王国にはまだ多くの兵が待機してはいる。しかし、それも雑兵交じりであり実戦経験の無い者が大半だ。

 

 送り出した精鋭である彼らが止められなかった今、ドラクシスもそこに過度な期待はできなかった。

 

「法国からの本隊とやらは間に合うのだろうか。いや、厳しいか……」

 

 陽光聖典の本隊が法国から出発したのはつい一昨日の話である。

 

 法国と竜王国の距離はそれなりにあり、どれだけ急いでも特殊な移動手段でなければ四日はかかるため、順当にビーストマンが進めば彼らの到着は都市内がビーストマンに荒らされた後となる。

 それもどれだけ粘れるかにかかっているが、本当にギリギリなラインだろう。

 

 こみ上げる頭痛を抑え、ドラクシスは窓ガラスから右手を離すとすぐに踵を返した。黒みをおびた深く艶やかな絨毯の上を靴で踏み、そのまま高級な木製の扉の取っ手を掴む。

 

 ドラクシスがこれから向かうのは宰相のいるであろう会議室。兵士長や国の重鎮が集まっているそこで今後の舵取りを行わねばならない。

 

 ドラクシスは思考を重ねながら、いつになく重いその取っ手をそっと下へ引いた。

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

「班長……その、まだ、下がるんですか?」

 

 太陽の昇り始める前、まだ月明りの照っている薄暗い荒野で男がぽつりとその疑問を目の前の男に投げかけていた。その声は平坦なものではなく微かな怯えの色を帯びている。曲がりなりにも法国の特殊部隊の一員である彼がこうも精神的に追いつめられているのは、この場で戦う数百人の軍勢が今までにないほどの窮地に陥っているためだ。

 

「ぬぅ……」

 

 班長と呼ばれた三十代前半の金髪の男、マルセルは部下の言葉に小さく唸ると状況を再確認するべく首を小さく動かし、左右を見回した。

 

 まず彼ら陽光聖典が立っているのは軍勢の最中心。そこは戦況を確認しやすいよう拓けた形になっており、腕の立つ魔術師やそれを守る重装の兵士が十数人、前を見つめている程度だ。

 

 そしてそれほど離れていない左右には数えることも難しい幾多の兵士が"扇状"に広がっている。それは同じく眼前に無数に群がるビーストマンが味を占めたように人間を取り囲もうと立ち回ってくるためだ。

 

 常に敵が横に広がり迫ってくる以上、力で負けている軍勢はただただ下がり続ける他なかった。

 

 マルセルが苦い顔で言い淀んでいると隊員の一人が焦るように止まっていた口を動かした。

 

「班長、後ろを見てください。街がもう、目に見えるくらい迫ってきているんです。このまま行けば──」

 

「分かっている。分かっているんだ。しかし、どうしろというのだ」

 

 前方にはまだ見えるだけで五百近いビーストマンが蠢いており、その遥か遠方には破壊された前線基地から上がる黒煙が今もなお、人々を絶望させるように上がり続けている。そして荒野を挟んだ後方十数キロ先には朝闇の中でも分かるほどの、街を取り囲む巨大な壁が建っている。それは竜王国の大きな都市のひとつであり、その中心に近づけば首都も存在する。

 

 つまり、これ以上退くことはできない。

 

 前門の虎後門の狼とはまさにこのことと言わんばかりの状況でオリハルコン級冒険者である赤髪のソーサラー、アンジェシカはビーストマンに魔法を叩き込みながら隣に立つマルセルに顔を向けた。

 

「前も後ろもダメならいっそ横に逸れるというのはどうなの?」

 

「そんなことはもう今までずっと試している。ただ、奴らは……我々が大きく動いても街に一直線に移動をし続ける。強い個体に着いて行っているのか、指揮をしているやつがいるのかは知らんが狙いは食料だろう。あれだけの量だからな」

 

 切迫した状況で額に汗を滲ませながらも冷静に説明を行うマルセル。彼はその間にも召喚している炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)に指示を続けている。しかし、それは現状においては問題の先延ばしに過ぎない。

 

「そう、なのね。ただ……そうだとしてもこのままじゃ街が壊滅するだけだわ」

 

「ではどうする? 奴らは我々の大半より強いうえに数もずっと多い。戦っても街を守るどころか、ほぼ間違いなく全員死ぬぞ。それでもいいのか?」

 

 特殊部隊で長年任務をこなしてきたマルセルはアンジェシカへとその顔を向ける。そこに軽視やいつもの余裕はない。彼もまたどうしていいか分からないというのが本音だった。

 

 向けられた重たい言葉にアンジェシカはぎゅっと手の中の黒い杖を握る。そこに怯んだ様子はないが彼女もまた難しい顔をした。言葉を探すように、その場に数秒の静寂が流れる。

 

「確かに勝てないかもしれない。でも、私たちは覚悟を持ってこの場に立ってるわ。少しでも可能性があるのなら、竜王国の人が少しでも助かるのなら私は戦いたい」

 

「何故、そこまでできる?」

 

「……応援してくれてる人たちがいるから、かな。それに私にはあの場所に大切なものが沢山あるの。それ以上にね。……だから、もしかしたらこれは私の我儘なのかもしれないわ」

 

 アンジェシカは切なげな表情で頬を小さく掻く。想いを馳せている内に少し気恥しくなってしまったのだろう。

 

 彼女はすっかり沈黙してしまった班長を見てこれ以上何か言うことは難しいと判断したのか、数歩前へと足を進める。元々彼らは竜王国民でもないのだ。戦場では確かに指揮官的な動きを見せているが、責任を押し付けられるような立場ではない。

 

 彼女は長い赤毛を揺らし、前線で戦うガレットの元へ向かうため駆け出そうと足に力を入れた。

 

「待て、待つんだ冒険者」

 

 突然マルセルがアンジェシカを呼び止める。その声色はもういつものものへ戻っていた。

 

「そうだな。ようやく決心がついた。もう逃げるのは止めだ」

 

「……いいの?」

 

 振り返ったアンジェシカは小さく、それでいて驚いたように声を上げる。嬉しさよりも申し訳なさが色濃く見える彼女が再び口を開こうとすると、マルセルは右手でそれを遮り話し始めた。

 

「我々は陽光聖典、人類を守護する者だ。亜人を前にして敗走など有り得ん。そう、そんなことをすっかり失念していた。本当にどうしようもないな」

 

「班長……」

 

 マルセルは自身の首から垂れている十字架を祈るように片手で握る。

 

「すまない。私の気持ちは先の通りだ。お前たちは──まだ戦えるか?」

 

 振り向いたマルセルから声をかけられた陽光聖典の隊員たちは互いに目配せしながらその場に立ち止まった。頭まで白のローブを被っている彼らの表情は分からないものの、その困惑は容易に見て取れる。

 

 これまでに彼らも犠牲者を出さなかった訳ではない。残酷な死は何度も彼らを追い詰め、絶望させようとしてきた。それは今も似たようなものだろう。ただ、それでも彼らがここまで戦い続けられたのは幼少期から培ってきた神への信仰、そして信頼する班長の存在があったためだ。

 

 運命の選択も僅か数秒。隊員たちは当たり前と言わんばかりに強く頷き返した。

 

「勿論です!」

「はい。どうか連れて行ってください」

 

「そうか。よく言ってくれた」

 

 マルセルは目の前に立つ女性へ視線を戻す。

 

「分かったと思うが、これが我々の答えだ」

 

「ありがとう。本当に感謝するわ」

 

「礼はいらん。憎き亜人を殲滅することこそが我々の役目だ。これ以上奴らに好き勝手されては陽光聖典の名が廃ってしまう」

 

 

 口元に微笑を浮かべたマルセルは腰に下げた笛のような形のマジックアイテムを手に持った。それの効果は単純なものであり、簡単に言えば声を大きくする"拡声"の機能がある。

 マルセルは荒野に声を響かせるべく大きく息を吸う。周りにいる全員がそれを見守っていた。そして──

 

 

「一同! これより我々は、反撃を開始する! これ以上奴らを街には近づけさせんぞ!」

 

 反撃への第一声と共に陽光聖典が前へ動いた。決死の防戦──決して勝算の高くはないそれに、身を投じるように。

 

 




思った以上に長くなりそうだったため話を分割しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16.月光

「はぁ……はぁ」

 

 あれから数十分、いや一時間ほどが経過しただろうか。

 すっかり薄闇に慣れてしまったマルセルの視界には弱りつつある前衛の兵士たちと、当初と比べると余裕の無くなりつつあるビーストマンの群れが映っていた。

 

(しかし、まだまだいるな。見積もりが甘かったか)

 

 微かに照らされた黄土色の地面には大量の猛獣たちが倒れている。十数体倒すことさえ困難なそれを相手に、兵士たちが奇跡的な善戦をしたことは確かだった。しかしそれだけ倒しても状況は好転するどころか悪化の一途を辿っていた。

 

「班長! 炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)、半分を切りました。それと……冒険者の中にも前線を離脱する者が出始めています!」

 

「くっ、追加で召喚しろ! 空いた前衛を埋めるような形でだ!」

 

「は、はい!」

 

 部下たちが魔法詠唱の構えに入るのを見ながら、マルセルは歯軋りする。

 マルセルも別に離脱した冒険者に腹を立てている訳ではない。彼らも今の今まで勇敢に戦っていたのだし、負傷して離脱せざるを得なくなった者も多かったからだ。

 

「そう、そうだ。皆命懸けで戦った。なのに……我々はなぜそうまでして勝てない!」

 

 不快感の正体は何も上手くいかないこの状況。そして漂う敗北の気配。人類の守護者として亜人と戦ってきた陽光聖典の班長としては最も屈辱的なものだった。

 

「くそ! 負けられるか。第3位階天使召喚(サモン・エンジェル・3rd)!」

 

 マルセルは倒されてしまった炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を再び召喚するべく魔法を詠唱する。召喚魔法による急激な魔力の消耗により貧血のような感覚に襲われたマルセルだったが、目の前にはすぐに炎の翼を持った白銀の天使が現れた。

 

 マルセルは光の剣を携え、召喚主の指示を待っているそれを見ながら今取るべき行動を思案する──

 

「ぐぁぁ!」

 

 けたたましい叫び声がすぐにその思考を遮った。声の発生源はマルセルの右前方。荒れ地を踏みしだく竜王国兵士の一人からだ。見れば他の兵士より重装に身を包んでおり、銀のクローズドヘルムは彼がそれなりの地位にいることを示している。そんな彼の体は屈強な体つきの武装したビーストマンによって強く殴りつけられたのか、特に大きな衝撃を受けた脚があらぬ方向へと曲がっていた。

 

「まずいな」

 

 武装ビーストマンが拳を振り下ろそうと男に近づいているのを見て、マルセルは召喚した炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を向かわせる。

 剣を前に構えた天使の突進速度は速い。しかし絶妙に距離が遠かった。

 

(これは間に合わないか……)

 

 男へと瞬く間に距離を詰め切った猛獣は、今まさに宙に上げた拳を振り下ろそうとしていた。周りの者たちも目の前の敵に必死であり、とても助けに行けるような状況ではない。

 内心マルセルも諦めかけていると、突如それは聞こえてきた。

 

「武技:疾風加速っ!!!」

 

 目にも留まらぬ速さで、大剣を構えた巨漢が倒れた兵士の前へと割って入ってきていた。

 突然のことに思わず呆気に取られたマルセルだったが、すかさず鳴り響いた轟音にはっとする。

 

「あいつは……」

 

 重厚な大剣を両の手で握る特徴的な茶髪の大男。オリハルコン級の冒険者であるガレットだった。

 咄嗟に駆けつけてきたのか、無茶な態勢で下から攻撃を受けたガレットの腕は小刻みに痙攣していた。大剣にもひび割れが生じている。

 

(天使での援護、いや、こうなると万一にも負けられては困るか)

 

「班長。どちらへ向かわれるのですか?」

 

 マルセルが足を一歩前へ進めると部下である隊員から声がかかった。

 

「冒険者のフォローに回る。お前たちはこのまま天使での攻撃を続けよ。もし魔力が尽きたら残っている治癒薬(ポーション)での治療に当たれ。私は危機を脱し次第戻る」

 

「分かりました」

 

 部下の頷きを確認したマルセルは、天使と共に足早にガレットへと駆け寄っていく。

 

「しかし無茶だな。敵が多すぎる。……雷撃(ライトニング)

 

 マルセルの指先から前衛に押し寄せるビーストマンへとまばゆい光が放たれる。そして

 

「がぁぁ!!」

 

 もがき声と共に獣の体がくの字に折れ曲がり地面に倒れ込む。脳天を貫いたそれは第三位階魔法。それもビーストマンに有効な雷属性のものだ。

 

「んん。威力はでかいがその分消耗もきついな」

 

 マルセルは頭を軽く押さえる。まだ限界には遠いものの、行く手を阻む敵を殲滅するのはやや骨が折れそうだった。

 

 先ほどの雷撃(ライトニング)で僅かに怯んだビーストマンだったが、そんなものもほんの一瞬。すぐに落ち着き……いや、それを上回る"怒り"に支配された猛獣たちが蛮声と共に迫ってくる。その速度は人間のそれより遥かに早く、巨体と鋭い爪から放たれる威圧感は相当なものだ。

 

 マルセルも若干その勢いに気圧されそうになるが、長年亜人と戦い続けてきた経験はマルセルに鋼のような冷静さを与える。

 

「よし、そろそろ出番だ。来い」

 

「?」

 

 マルセルは中空で待機させていた炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)をすかさず急降下させる。当然ビーストマンは反応することができず、頭をその光の剣で貫かれた。天使はそのまま剣を逆手から持ち替え横に薙ぐように振り抜く。そうしてビーストマンは地面に血を撒き散らし倒れた。

 

(ふぅ)

 

 マルセルは心の中で小さくため息をつき、額の汗を拭う。一体ずつならこの通り問題はない。とはいえ前衛の少ない今、マルセルに攻撃が集中した場合、受けきれるかどうかは不安が残る。そのためにも今なお大量のビーストマンを抑えているガレットを一刻も早く援護する必要があった。

 

「ぐごぉぉぉ!」

 

「くそ、今度は三体か。しかし! 私を舐めるなよ」

 

 人間より遥かに身体能力の高いビーストマンだが、それはあくまで物理的な力だけだ。人間にはそれを上回るための知恵や魔法がある。そして陽光聖典はそれを極めた者たち。その班長を任されているマルセルに、目の前で荒息を立てているだけのたかが三体のビーストマン程度相手ではない。

 

「……散れ、雑魚ども。魔法二重化(ツインマジック)衝撃波(ショック・ウェーブ)

 

 第二位階魔法の魔法が炸裂する。それは同じ攻撃魔法である火球(ファイヤーボール)雷撃(ライトニング)等には劣るものの、それでも全身鎧を大きく凹ませることすら容易い威力を持つ。それが二重で放たれるのだ。特定範囲内で複数体に攻撃するのなら、これほど最適な魔法はない。

 

 マルセルの思惑通り、不可視の衝撃波をその身に受けたビーストマンはまとめて後方へと吹き飛んだ。殺傷は出来ていないが当分は動くことすらできないだろう。

 

「天使よ、そのまま着いてこい。さて冒険者は」

 

 マルセルは視線を移動させ、ガレットの生存を確認する。但しその屈強な体からは多くの血が滴っており、震える膝が地に落ちそうになっていた。

 

「おい、冒険者。大丈夫か!」

 

「あんたは、陽光聖典の……ぐぁっ」

 

「無理をするな。くそ、しかし。やはり武装ビーストマンは手強いか。単体で見ればそうでもないと思っていたのだがな」

 

 マルセルは屈んでいた体を起こし、再び戦闘態勢に入る。しかしすぐさまそれを止めるようにマルセルの腕は横から掴まれた。

 

「確かに、あいつは難度にすれば多分60か70そこらか。勝てなくは……ない」

「なんだと? ならば何故」

 

 マルセルから離されたガレットの腕が前方へよろよろと動く。そこには当然武装ビーストマンが居た。ただし──

 

「三体……だと」

 

 マルセルはゴクリと息を飲む。果たして勝てるだろうか、そんな不安がマルセルの頭を掠めた。

 ガレットの言う通りなら単体であれば何の問題もないだろう。なぜなら今までマルセルが経験してきた戦場には稀に難度80を上回る強敵もいたのだから。しかし、今はそれが複数体もいる。既に魔力も消耗してしまっているし、周りには囲むように佇むビーストマン付きだ。

 ガレットを庇いながら戦うのははっきり言って無謀であった。

 

「下がる。そう、一度下がるべきだ。それなら勝てなくはない」

 

 その方がリスクは遥かに低い。

 

「だが、兵士が……それではここに倒れている兵士たちが死んでしまう」

 

「それは……」

 

 マルセルは口篭る。確かにここで下がれば負傷した兵士たちはビーストマンの食糧と化すだろう。治療できればまだ戦えそうな者も少なからず存在する。ただ、大を取り小を切り捨てることも戦場で生き残るには必要不可欠。言わば仕方の無いことだ。

 

 マルセルの心は既に決まっていた。だが、周りの縋るような視線がそれを口に出すことを憚らせる。

 

 その数瞬の迷いが余計だった──

 

「な」

 

 当たり前だが敵は待ってくれるような相手ではない。武装ビーストマンの一体は既に駆け出しており、その巨腕を掲げて距離を詰めてきていた。驚くべきはその速さ。

 

「て、天使よ! 奴を止めろ!」

 

「がぁ!」

 

 咄嗟にマルセルが指示を出すも、金属を叩きつけたような不快な轟音と共に炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)が光の粒子へとその姿を変える。

 

「な、いかん。冒険者! 前だ! 奴が来るぞ」

 

「ぐ……。武技:斬……撃ぃぃ!!」

 

 青白い閃光を放ち、大剣が振り下ろされる。しかし──

 

 ガキン。

 

 小さな金属音が鳴ると呆気なく剣は宙に弾き飛ばされた。支える体力も、構える時間も足りなかったのだ。

 

「馬鹿な」

 

 あまりに唐突で、それでいて一瞬。マルセルはどうしようも無く腕を止めた。そう、既に猛獣はもう片方の腕を振り上げており、がら空きとなったガレットの頭へと狙いを定めていた。避けようのない致命の一撃。

 

 

 

 それが無慈悲にも振り下ろされた。

 

 

 

 途端に凄まじい勢いで土煙が舞い、とてつもない大きさの衝突音が響き渡る。地面を叩いた音ではない。それが意味することは一つだった。

 

「だから、見捨てるべきだったんだ。なぜそうしなかった。くそ……」

 

 マルセルは拳を握りしめる。どっと心の奥底から虚無感が湧き上がり、次に後悔が押し寄せる。しかしそれに呑まれている時間は無い。ここは戦場の最前線なのだから。

 

(隙をついて部下の元へ戻る。もうそれしかない)

 

 ガレットが死に、自身も危機に晒されているのだ。もはや他国の兵士のサポートなどしていられるわけもない。

 マルセルは思考を切り替え、体を翻す──

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 

 土煙が少しずつ落ち着き、その内部が姿を見せ始める。驚くことにマルセルの目に飛び込んできたガレットは頭蓋骨を粉砕はされておらず、尻もちをついているだけだ。

 

 そしてそんな間抜けな体勢の巨漢の前にはもう一つ影があった。

 

 暗闇に溶けそうな灰色のローブで全身を覆う怪しげな人間。視認できるのはその背中とローブの足元付近から僅かに覗いている白の長髪のみ。

 

 あまりに不可解な状況にマルセルが困惑していると、ビーストマンの巨腕を軽々振り払ったその人物が振り返る。

 

「貴方たち、すぐに下がりなさい。あとは私が何とかします」

 

 仮面。

 

 そうその人物は縦長の渦巻きのような奇妙な紋様をした鉛白の仮面を被っていた。その声はくぐもっているが僅かに高いことが分かる。体格的にも女である可能性が高いだろうとマルセルは踏んでいた。ただ、問題なのは話しているその内容だった。聞き間違えでなければそれは冗談だとしても馬鹿馬鹿しいものだ。

 

「それと、負傷者もできる限り回収して頂けると助かります。あと……」

 

「待て!」

 

 焦るよう続ける仮面の女にマルセルは待ったをかける。

 

「まずお前は誰なんだ。見たところ通りすがりの冒険者といったところだろうが……軍を下がらせるなどそんな無理が出来るわけないだろう」

 

「……」

 

「敵はビーストマンの大群なのだ。多少……いや、どれだけ強かろうと一人で相手するなど不可能。先ほどは防御魔法でも使って防いだんだろうがそう甘くは無い。共に戦うというなら……歓迎しなくもないが」

 

 マルセルは怒りを通り越して、口から溜息を漏らした。

 

(とりあえずこれで状況は理解しただろう。そうなれば命の危険を冒してまで加勢は無いか)

 

 マルセルは冷や水をかけられたように冷静さを取り戻すと、当初の予定通りここから退く準備を始める。幸いにも、今はビーストマンの動きも止まっていた。ある種不自然なほどに。

 

(ん?)

 

 マルセルは目の前の武装ビーストマンを見上げた。パッと見ると外傷は無いように見えるものの、その表情は一切動かない。

 

「……こいつ、まさか死んでいるのか? いや馬鹿な。有り得ん」

 

 視界を左右に動かす。他の、近くにいるビーストマン達も同様だった。

 

「あの、少し待ってください。まず私は冒険者ではありません。言うなら──多分貴方たちがよく知る者だと思います」

 

「どういう……」

 

 早くなるマルセルの心臓の鼓動を傍に、左腕によってバっとローブが捲られる。

 

 ローブの中から姿を見せたのは──頭から地面まで伸びた雪のような白い髪。そして見たこともない豪華絢爛な純白の聖衣だった。その身には控えめでありながら極めて巧緻な金の装身具など、数々の装飾品も身に着けている。それに加え、右手には青白く発光する細剣が握られていた。

 

 マルセルは一秒たりとも目が離せない。かつてスレイン法国の神殿で見た、どんな秘宝よりも神々しいそれらから。

 

「もう一度言います。すぐに全員下がってください。いいですね?」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「しかし班長……良かったんですか?」

 

 あれから数分後、戦場の全ての兵が後退を始めたにも関わらず、残っているビーストマン数百体は中央の人物をじっと威嚇するようその場に留まっていた。

 

「賭けるしかないだろう。あの御方に」

 

 マルセルは胸元の十字架を握る。実際のところ、何の被害も無く隊列を持ち直せただけでも結果としては上々である。しかしマルセルの不安はもはや別のところにあった。

 

「動き始めたぞ……」

 

 ちらちらと後ろを振り返りながら後退する兵士たちの一人がそう呟いた。

 マルセルは息を止め、その場で足を止める。他の隊員たちも同様だ。一人が足を止めると隣の者が。そうして、まだ先頭に立つマルセルからビーストマンまで20mも離れていない状況で、この場にいる全員がじっと荒野の中央を見守るような形で停止した。

 あまりに異様な光景だ。

 

 普段ならマルセルもこのような場面で立ち止まることは無い。他の者を叱責し、全力で安全を確保しに行くだろう。しかし今マルセルを支配しているのは『この人物が何者なのか』という思いだけであり、できるだけ遠くに離れるという選択肢ははなから存在していなかった。

 

「班長、ビーストマンが」

「静かにしていろ」

 

 隊員へ振り向くことなくマルセルが数歩前へと移動する。すると、とうとう痺れを切らしたのかビーストマンも動き始めた──

 

 

 

「スキル発動。付与(エンチャント)神炎(ウリエル)

 

 

 

 静寂に支配された夜明けの戦場。前のめりとなったマルセルの耳に微かにその声が届いた。すると瞬く間に透明色を帯びた炎が剣から立ち昇り、超高温の熱波が流れ込んでくる。

 

 マルセル含め、数百人全員が顔を覆い、後退りする。

 とても目を開けられないような熱気。微塵も容赦のないそれを受けつつも、マルセルは半開きにした目で必死にその光景を凝視した。

 

 ──中央に立つのは静謐を湛える女性。その身に纏う純白の衣は薄明かりを反射する月のように煌めいている。

 既に膨れ上がった透明色の炎は刀身の百倍以上の大きさになっており、右手に握られた剣から一直線に伸びている。刻一刻と姿を変えるそれはまるでのたうつ(ドラゴン)のようで、正しく神話の領域だった。

 

 マルセルは確信する。

 

「神……だ。神が、降臨為された……」

 

 マルセルが震える声でそう呟くとそれを聞いていた陽光聖典の隊員たちも同様に声を上げる。

 

「神……。神よっ!」

 

 自然とマルセルの頬に涙が流れ落ちる。他の隊員も嗚咽を堪えきれずにいた。

 もはや頭を上げることさえできない陽光聖典の各員達は一斉に土下座を始める。それだけ神という存在はスレイン法国の者には大きなものだった。

 

 マルセルがそうしているうちに剣は襲い飛びかからんとするビーストマンへ向けられ、一振りされる。たちまち辺りに落ちた木の葉が舞い上がり、人工物の無い荒れ地をランプのように照らす。

 

 そう、たったそれだけで無数のビーストマンの群れとその脅威は跡形も無く灰と化していた。

 

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 

(はぁぁ……)

 

 急激に精神を弛緩させたツクヨミは先ほど適当にアイテムボックスから取り出した仮面を左手で被り直し、右手に握られた愛剣、コンフラクトゥスに目を向けた。スキルによって付与した追加効果はもう存在しておらず、飾り気のない刀身は夜風で冷やされている。

 

「相変わらず燃費悪いんだよね……これ」

 

 ツクヨミは暗い気持ちを抑え、苦笑い気味にそう呟く。ツクヨミのメイン職業、神聖剣士(ホーリー・フェンサー)聖騎士(パラディン)などと同様に純粋な戦士としての火力は低い。ただ、それを補うようにスキルが存在しており、その内の最も基本なものは一時的に神聖属性の一部魔法を物理攻撃に上乗せするというものだ。それだけ聞くと強そうに感じるが、スキル消費に加えMPも消費し、その効力も短時間の一発屋とはっきり言ってしまえばロマン寄りの性能である。

 

「ふぅ」

 

 ツクヨミはビルドのあれこれを思い出しながら剣を腰に戻し、行動を開始する。

 

 まずアイテムボックス内の無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)から移動中に用意していたアイテムを取り出す。右手へと移動したのは青白い巨大な水晶。その名を魔封じの水晶といい、魔法を予め込めることで一度のみ使用できるというユグドラシルのアイテムである。

 

 ツクヨミは数秒水晶を眺めると、後ろを振り向くことなくそれを宙に掲げた。既定の使用方法に従いクリスタルが破壊され、すぐに極光が辺りを包み込む。

 

「出でよ、寂静の智天使(ケルビム・トランクイリティ)

 

 封じられていた第九位階天使召喚(サモン・エンジェル・9th)の魔法により、地上に光り輝く巨大な天使が降臨する。合計四枚の翼を持つその天使の顔は人間のものと似ており、鎧から伸びる両腕は機械のようだ。そんな異様な外見であるものの、その神聖さは一目で理解できるものであり、その光を受けた荒れ地からは新たな生命が芽吹いていた。

 

「このミスマッチさがあの運営らしいというか、まぁ今はいいか。じゃあそう……ですね。後ろの方々に治癒魔法をお願いできますか? すぐに」

 

 この世界では容易に都市を破壊し尽くせるであろう超級の天使もツクヨミからすれば大した存在ではない。指示を受けた寂静の智天使(ケルビム・トランクイリティ)は小さく小首を傾げ、念話を返す。

 

「ええ、MPは幾ら使っても構いません。ただ蘇生は」

 

 後半は小声で、苦し気に首を横に振る。

 

 天使が魔法詠唱へと移行するのを確認したツクヨミはようやく大衆へと振り返った。そこには呆然と口を半開きにする兵士、土下座し嗚咽を上げている怪しげな白ローブの集団、杖を地面に落とした魔法詠唱者(マジック・キャスター)等、様々な様相の人々が立っていた。

 そしてツクヨミは発見する。傷だらけになりながらもこちらを向いている、この世界での家族とも言える同僚たちを。

 

 ツクヨミは走りだしたくなる気持ちを抑えそっと視線を外す。そうして竜王国首都の方向へと歩みを始めた。

 

 当然のことながら今、ツクヨミは他プレイヤーの存在を心配していた。いやそれだけではない。この世界にもプレイヤーである自分の脅威となるような存在がいるのではないか、そう考えていた。

 天使を召喚したのも治療のためだけでなくそのような存在がいないか監視、そして消滅まであわよくば"網"になってもらうためだ。そのため彼らがツクヨミの正体に気付いていようと気付いていまいとこれ以上近づくことはできない。そこにはもう多くの壁ができてしまったのだから。

 

「(いないと思いたいけどな、三カ月何も無かった訳だし。でもまぁ、一度お別れか。……寂しいな)」

 

 体から息を吐きツクヨミは空を見上げる。

 

 新たな一日が始まるように、いつの間にか空も白み始めていた。




これにて第一章はおしまいです。後半は少し説明フェイズとなりました。今回も見落としが無ければ良いのですがorz
次話は幕間となります。少しずつペースも上げていきたいですね⸜( )⸝


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間
17.閑話~追憶


 アンデッドの蔓延るカッツェ平野から無事にスレイン法国へと移動を果たしたあの初日から、ちょうど一週間ほどが経過した日のこと。

 スレイン法国所属の軍から正式に仕事を貰ったツクヨミは今日もいつもと変わらず施設内の掃除に勤しんでいた。

 

 軍事施設には兵舎の他にも、武器や防具、マジックアイテムから食料まで様々な軍需物資の集まる倉庫や大元帥管轄の司令部、専用の鍛冶場などまで存在している。当然、日も浅いツクヨミが立ち寄れるのはその中でもごく一部であり、現在も掃除を行っている部屋は特に珍しい物もない蒸し暑い部屋だ。

 

 無地の制服に着替えを済ませているツクヨミは両手に持った木製の箒を器用に動かしながら、床に溜まった埃どもを一掃していく。異世界にまで来て何て地味なことをしているのか、そう言われるかもしれないがツクヨミはそれなりにこの仕事を気に入っていた。それはリアルでの社会があまりに酷かったこともあるだろうし、ツクヨミの人生において人と関わり、誰かの役に立つということが極端に少なかったことも関係している。

 

 部屋の角に置いていた塵取りで埃を除去したツクヨミはその後も手際よく水拭き、物の整理を行っていく。小さな部屋でありながら本棚から落ちた本がそのままにされている状況を見て、『誰もこの部屋使ってないのでは?』とツクヨミは掃除の必要性を懐疑する。まぁ、仕事だからと割り切ってしまえばそれまでであり、作業をしていた方が考えることも少なく済むのでツクヨミからすればどうでもいいことではあるのだが。

 

 そんなこんなで15分弱。途中鼻歌を挟みながら行われた掃除は無事終了する。目立って早い訳ではないが、蜘蛛の巣さえ張っていた汚れ切った部屋をその面影なく綺麗にしていると考えると、それは尋常でない仕事量である。

 

「ふう。よし、この部屋もおしまいと。……時間的に今日もこれで終わりかな」

 

 窓から差す爽やかな日の光を受けながら、ツクヨミは額の汗を拭うよう腕を動かす。それはリアルでの人間としての癖のようなもので、実際のツクヨミの体からは汗一つ流れていない。今が冬の時期だからという訳でなく、単にLV100の身体がこの程度の運動で疲れ、熱を持つことはないためだ。

 

 ここに来てから何回目かのその気付きにツクヨミは手をさっと下ろす。

 

(これも気を付けないといけないか……)

 

 今回のようなものは言ってしまえば些細なものであり、それだけで他人が疑問を持つことは稀だろう。しかし実際のところ、その人間離れした力がもたらす日常への弊害はこんなものではない。それはうっかりで人すら殺しかねないほどのものだ。そのためツクヨミも感覚の違いに関してはそれ相応の注意を常日頃行っている。

 

 ツクヨミは手元に掃除用具を束ねると、帰り支度をするため部屋のドアに手をかける。光沢感あるドアノブが微かに音を鳴らすと目の前には立派な石造りの廊下が姿を見せた。ちなみにここも既に掃除済みであるのでピカピカである。

 ツクヨミは初日に比べれば慣れてきたこの廊下を軽い足取りで進んでいく──

 

「あら?」

 

 ツクヨミが広間へ向かっていると廊下の先から見慣れた人物が歩いてきていた。

 

「お疲れ様です、ツクヨミさん。定時なので一応声を掛けに来ましたが、その様子だと大丈夫そうですね」

 

 短い金髪に生真面目そうな顔立ちの若い兵士は優しげな表情で口を開く。彼の名はイーヴォン・リット・ルーイン。転移したツクヨミがこの世界で出会った最初の人物である。身寄りのないツクヨミに気を遣ってか、はたまた隊長であるカールに言われているからかは分からないものの、こうして度々声を掛けてくれる彼はツクヨミの最も親しい人物であった。

 

「ルーインさん、お忙しいところありがとうございます。もしかしてわざわざ探して貰ったんでしょうか。それなら申し訳ないです」

 

 ツクヨミが掃除している部屋の前には作業中であることを示す小さな看板が立ててはある。ただそれでも兵舎はそれなりの広さがあるため、人を探すなら多大な労力を必要とする。

 その容易に想像できる大変さにツクヨミが縮こまっていると、ルーインは首を軽く掻きながら笑顔を返した。

 

「いえいえ、私の班も丁度訓練が終わったところでして。私も暇してたので大丈夫ですよ。それよりどうです? 法国での生活は」

 

 逸れるようツクヨミの横に移動したルーインは、歩きながら話題を切り替える。

 

「少しずつですが慣れてはきました。ただ、まだ分からないことだらけではありますね」

 

「まぁそうですよね。その、分からないことがあれば何でも聞いてくれて構いませんよ。私もツクヨミさんの力に少しでもなれればと思いますし」

 

「そう言って貰えてありがたい限りです。……あのそれでしたら、もし良ければ後で話せませんか?」

 

 半ば振り絞るようツクヨミはそれを口にする。元々ツクヨミは昔から人と一定の距離を置いてしまうタイプだったため、こういった会話は不慣れ中の不慣れであった。ユグドラシル時代では誘う機会さえ無かったことも、それに拍車をかけている。

 ルーインが考える素振りを見せると、ツクヨミの心臓がとくんと小さく跳ねる。だが、それもすぐに杞憂に終わる。

 

「勿論です。ただ、今日は昼過ぎから西の地区に用があるんですよね。丁度街の方なので、ツクヨミさんが良ければ歩きながら話しませんか?」

 

「はい! お願いします」

 

 ツクヨミは心の中でそっと胸をなでおろす。長いようで一瞬だった廊下はもう終わりを見せており、その先には昼を迎えようとする軍人たちが、忙しなく広間を行き交っていた。

 

 

 

 

 〜〜〜〜

 

 

 

 

 太陽が神都を暖かな光で照らす中、ツクヨミとルーインは街の通りを一直線に進んでいた。既にツクヨミは制服から私服である白を基調とした衣服へと着替えを済ませており、その肩には寒さ対策のケープを羽織っている。

 対して隣を歩くルーインは制服姿のままで、巡回の任務ではないのか腰に武器などは見当たらない。それは比較的に平和である法国ではさほど珍しい姿ではない。しかし、そんな身軽さとは反対にルーインの表情は疲れ果てたものだ。そこに先ほどの元気な面影は微塵も感じられない。

 

「流石と言いますか……、私もツクヨミさんの人気っぷりを甘く見ていたかもしれませんね。広間を抜けるのにこれほど苦労したのは初めてですよ」

 

 ルーインは項垂れつつも、はははと笑う。

 先ほど広間に到着したツクヨミは昼休憩に入った兵士、いやそれ以外もいたかもしれない──に囲まれた。隣にルーインがいたことも原因の一つだろう。彼らの動きは訓練でも見せることのない俊敏なもので、普段は鋭い気配を漂わせている兵士が濁流の如く押し寄せてくる様はホラーといってもよかった。

 予期せぬ足止めを食らったツクヨミは状況を脱するのにそれはそれは苦労したのだった。

 

「ま、まぁ偶々でしょう。それに何とか出てこれましたし……ね?」

 

「ええ。それにまぁ、お祭りみたいで少し面白かったです。普段はああいう姿も見れませんからね」

 

 多少は調子を戻したルーインを横目で見ながら、ツクヨミは心地の良い冬の風を肌に感じる。

 

(祭り、か……)

 

 深刻な環境汚染で外に出ることも危険だったリアルでは当然祭りなど存在せず、ツクヨミも歴史の本に書かれていたものや、ゲーム内で開催されていたそれに関する知識しか持ち合わせていない。未だ印象に残っているのは街に赤い提灯をたくさんぶら下げることと、中には魚を掬うイベントがあるといったものくらいだ。

 

「法国でも祭りとかってあるんでしょうか?」

 

「はい。たまーにですけどね。今年は六大神が降臨為されてから五百年目の年だったので大きなものが開催されましたよ。祭りと言っても静かなものではありますけどね──」

 

「なるほど……」

 

 ツクヨミは意外だと思いつつルーインの話を聞く。普段の信仰ぶりからするとそのような特別な年に祝い事があるのは別に変なことでもなく、自然だと思える。しかしながら、いつも静かである法国の人間とツクヨミのイメージする祭りの様相はいまいち合致しない。

 

(まだ知らない色んな顔があるんだろうな)

 

 法国に来てからまだ一週間であるので、寧ろ彼らについて知っている点の方が少ないだろう。

 ツクヨミは当たり前でありながら、それでいて見落としがちなそれについて考えを改めると、もう一つ、話の中で気になっていた点を口にする。

 

「ちょうど五百年目なんですか? 六大神が、その降臨されてから」

 

「? ええ。そういうことになってます。皆が間違っていなければですが……」

 

 予想外の確認を受けたからか顔にハテナの字を張り付けるルーイン。ツクヨミはそんな彼を他所に顎に手を当て考える。

 

 500年前、超常の力で一からスレイン法国を建国したという六大神。同じく400年前、その絶大なる力でこの世界を支配したと伝えられている八欲王。そして彼らが遺したとされるユグドラシルに存在したアイテムの数々。

 図書館にある文献の内容を見てみても彼らがプレイヤーであることはほぼ間違いないと言える。そう、そこまではおおよそ予想できるものだった。

 

(今回の話が本当ならプレイヤーの出現にはきっちり百年の周期が存在している?)

 

 ツクヨミは新たに生まれた可能性について思案する。それは年数でみれば誰でも思いつきそうなもの。しかし、正確な根拠となるのは現状六大神とツクヨミの出現時期のみであって、八欲王に関しては多少ずれている可能性も無くは無いだろう。しかも300年、200年、100年前に関しては不明である。

 そもそも600年以前の転移もあったのか、もしそうだとすれば見つかっていないだけでプレイヤーは沢山いるのか。その問いは、プレイヤーとの関わりの薄いツクヨミにとって面倒事の山に他ならない。

 

「あぁ……頭痛が痛い」

 

「ん、何か言いましたか?」

 

 なんでもないです、とツクヨミは両手をぶんぶんと振り、それから心の中で小さな咳ばらいをする。迷宮に入り込んでしまった思考を切り替えるためだ。

 

 すっかり会話の流れをぶった切ってしまったツクヨミは何か話せそうなことを見つけるため、頭を左右に動かす。

 ツクヨミの視界に映るのは平和で、美しく、静かな法国の風景。先ほどより人気も増え、立ち並ぶ店の前を人々がゆったりと進んでいる。店は雑貨店、食料品店、野菜売り場、玩具販売店や武器らしきものを売っているものまで様々だ。

 

 

 ……。

 

 

 

「あ」

 

 

 

 見ているだけで落ち着けそうな、そんな長閑な光景にも関わらず、ツクヨミはその既視感に嫌な予感を覚え、体を震わせた。

 

「どうかしましたか?」

 

 ルーインが若干心配そうに声をかけてくる。ツクヨミはそんなルーインへゆっくりと振り向くと息を吸ってから口を開く。

 

「すみません。少し道を変えたいなと思いまして……」

 

「特に目立ったものはなさそうですが……。ツクヨミさんがそう仰るなら大丈夫ですよ!」

 

 ツクヨミは機転を利かせてくれたルーインに頭を下げると、いそいそと賑やかな街路を後にしようとした──

 

 

 

「ミ……ゃん」

 

 

 突然、近くから誰かの声が聞こえてきた。聞き覚えのあるような低い声だ。ツクヨミはその脅威となる気配を察し、息を飲む。──すかさず、隣にあるレンガ造りの建物の扉が勢いよく開かれた。

 少し暗い店内から風が漏れるような錯覚を受けると、中からそれは飛び出した。

 

 何かが走ってくる。

 

 

 ────

 

 ──

 

 ─

 

 

「ツクヨミちゃあぁぁぁああぁぁぁん!」

「ぬわぁぁぁ」

 

 電光石火の如く走ってきたのはガタイのいい金髪の大男でその整った顔には口紅が塗られている。その気迫に後れを取ってしまったツクヨミは、オネエに抱えられたまま地面に倒れ込んだ。

 そんなツクヨミを心配して声をかけるルーイン。

 

 スレイン法国は今日も平和だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章
18.竜王の国(1)


復活しました…。お待ちくださっていた方には申し訳なさでいっぱいです。
読み返しながらぼちぼち続きを投稿していきたいと思います。



「……み」

 

 いつの間にか遠ざかっていた意識に微かな音が届く。それは唐突なもので、雑音とも少し違う。

 深く静かな思考の海の中をゆらゆらと漂っていたツクヨミは、鉛白色の仮面の下でゆっくりとその瞼を開けた。

 

「か、神よ。どうかされましたか?」

 

 思考を整えるより先に、後ろから性急に言葉が投げかけられる。それは低い男性のものだった。

 ツクヨミは先ほどの音の発生源もきっと同様のものだったのだろうと直感的に理解すると、歩いていた足をそっと止め、一拍置いてから横を向くようにして振り返る。

 

「すみません。少し……考え事をしていました」

 

 頭を摩るように手を軽く動かす。ぼんやりとした視界の端にいくつもの影が映り、そしてすぐさまそれは明瞭なものへと変わった。

 ツクヨミは現実に戻るように、意識を目の前の──白い厚手の戦闘服を身に纏い、一人を除いてその頭全体を怪しげなフードで覆っている集団へと集中させる。

 

 その奇怪とも言える集団の人数は二十数名。纏まって動くにはそれなりの人数であるものの、綺麗に隊列を組んで進んでいるからか、ごちゃごちゃした印象は感じられない。

 聞いた話では、彼らは『陽光聖典』というスレイン法国所属の特殊部隊であるらしく、その姿は疎か、噂さえ耳にすることは少ない。法国で生活していたツクヨミでさえ、その単語を耳にするのは初めてだった。

 

 そんな法国でのエリート中のエリートである彼らは、立場の観点から見れば軍の末端であるツクヨミよりもずっと上の存在なのだが──今は揃って片膝をつき、ツクヨミの言葉を一言一句も聞き漏らさないといった様子で深々と頭を下げている。

 彼らは今の今まで後ろを黙って着いて来ていたのだが、ツクヨミが突然立ち止まったからか、心配になって声をかけてきたらしい。

 

 ツクヨミが返事をして間もなく、隊の先頭で何故か小刻みに震えていた金髪の男──マルセルがばっと頭を上げ、話し始めた。

 

「何を仰られますか……! 神が我々ごときに謝られるようなことなど一つとしてございません。寧ろ、神の御思考を邪魔してしまった私が愚かだったのです。どうかお許しください」

 

「え、ええ。私は大丈夫ですので……どうか皆さん頭を上げてください」

 

 ツクヨミはマルセルの他、一緒になって懺悔を始めた陽光聖典各員を宥めながら心の内でため息を吐く。彼らは事あるごとに、額を地面に擦り始めようとするのだ。天使で治療した時はもちろんのこと、近づくだけで平伏されることもしばしば。お世辞にも、居心地が良いとは言えないだろう。

 

 ツクヨミも態度を改めさせるべきか度々考えてはいる。しかしながら、彼らが今人生を捧げるほどに待ち侘びていた存在を前にしているということを思うと、それを邪険にするような真似はどうしても躊躇ってしまう。彼らに悪気が無いことは、神、つまりプレイヤーへの信仰を傍から見続けてきたツクヨミも十分すぎるほどに理解しているからだ。

 

 数秒後、陽光聖典の皆々は縮こまりつつもそっと頭を持ち上げる。どうやら持ち直してくれたらしい。

 

「コホン。そういえば……」

 

 一呼吸置き、ツクヨミは背伸びするようにして陽光聖典後方の広大な荒れ地を概観する。そこはなだらかな地形が広がっており、橙色の葉をつけた樹木や枯れ木などが点々と生えている。そのためとても見晴らしは良いのだが、ツクヨミが現状最も気に留めていること、それは確認できなかった。

 

「私たちもそれなりに歩きましたが、まだ兵士や軍の方などの帰投準備は終わっていないのでしょうね。彼らが都市内に移動するまでどのくらいかかると思いますか?」

 

「はっ。神の御指示通り、速やかに帰投するようには言ってあるのですが、燃えてしまった前線基地に残る遺体や物資の回収などを考えると早くてあと三時間は必要だと思われます。それでも神の遣わされた天使様のおかげで負傷者がいない分、想定よりずっと早く終わる可能性も無くはないでしょう」

 

「なるほど」

 

 やはりそれくらいはかかるものか。ツクヨミは片手を顎に当て、それを支えるように腕をお腹に回すと横を向いたまま現状のことを考える。正直な所、他プレイヤー等の危険を考えると任務を放り出してでも帰投して欲しいとツクヨミは思っている。しかし遺体を野ざらしにするとビーストマンは勿論のこと様々なモンスターを呼び寄せてしまうようで、治安の観点からも回収を怠ることは出来ないらしい。

 

(まぁ──流石に現地人がいきなり襲われるようなことはない、と信じたいが)

 

 そもそも他プレイヤーといった存在がいるなら、その関心は同じプレイヤーに向けられている可能性が高い。それはつまり現状最も危険といえるのが兵士や冒険者ではなくツクヨミ本人であるということを意味している。それを考えると今この場に留まっている余裕がないのは明らかであり、楽観的になってでもこの場から離れるのが全員の安全の観点から見ても得策であるといえるだろう。

 

「ただ、そうなると……天使はもう少し離れさせてた方がいいかな」

 

 独り言を漏らしつつ、神妙な顔つきで頭を上下に動かしていたツクヨミは、ふと陽光聖典の視線に気づき小さく咳ばらいする。そしてそのまま恥ずかしさを紛らわすように仮面に触れ、体を翻した。

 

「行かれるのですか?」

 

 後ろからマルセルの声がかかる。

 

「ええ。あまりのんびりしている時間もないでしょうしね」

 

 驚くことに正面へ向き直ったツクヨミの目線の先には、既に竜王国都市に続く立派な門が広がっていた。その距離は遠目で眺めた時よりずっと近く、門番である兵士もこちらを目視できる位置にいる。とはいっても人の大きさはまだ米粒ほどなので、彼らの視力ではこちらが誰かなど一切分からないだろう。

 

「竜王、国……か」

 

 誰も聞き取れないような小声でツクヨミは呟く。

 それはかつて竜王(ドラゴンロード)と呼ばれる存在が建国したとされる国。王国などと比べると小国であるが、それ故に得体の知れない──前々からツクヨミの警戒していた場所の一つだ。

 

 数ある国の中ではスレイン法国も同様に秘密の多そうな国ではあるのだが、やはり転移当初からの拠点というのは大きく、竜王国と比べるとその警戒心は低い。ある意味、最初から一つの暗雲が晴れた状態だったのは幸運だったと言えるだろう。

 

(王国は散々だったし、竜王国では何事もないと良いんだけど。欲を言えば観光──は無理でも街の様子は見てみたいし。でも絶対忙しいんだよね……)

 

 正直、既に雲行きは怪しいと言わざるを得ない。それだけやったことが大きいのだし、あまり浮かれた気持ちではいられない。

 しかし、しかしだ。確か体を洗ったのは二日ほど前であるので、せめて隙を見てシャワーの時間でも確保できないかとツクヨミは思案する。それは人と会うなら必要事項だろう……うん。

 

 一応、ツクヨミがリアルで男性だった頃は、自分の体臭に気を遣うことなどそれ程なかった覚えはある。会社で寝ることはありふれており、水の出るシャワーが無かったことも関係しているかもしれない。しかし、それでも今のように『身体拭いてないな』だとか、人に近づく時『臭くないだろうか』と考えてしまうことはまず無かった。

 それは環境の変化、そして長い馬車生活に狂わされたところもあるとは思うのだが、根源的には何だか身も心も女性になってしまったような──そんな実感を時折感じさせた。

 

 ……

 

 ……

 

 

「んん、じゃあ、そろそろ行くとしましょうか」

 

 ツクヨミは雑念を振り払うように一歩、足を前へ進める。そうすると他の者達もすぐに、ツクヨミの後に続いていった──

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 竜王国は首都を取り囲むように、密集して造られた複数の都市がある。

 ここはそのうちの一つ、大陸中央に最も近い東に位置する都市だ。その立地の都合上、大陸中央で日々争いを繰り広げている亜人の残党が流れ込んでくることも少なくない。それゆえにこの場所には首都以上に多くの軍需が集められており、最終防衛線である門の周りは城塞と化している。

 

とはいっても、それは聖王国のものと比べればみすぼらしいもので、年々ビーストマンの攻撃によって消耗しつつある。

 

 そんな門の中でも特に重要なのが、都市目前に位置する正門だろう。入り口前は石造の建築によって橋のように僅かに盛り上がっており、その周辺は舗装され、速やかな往来が可能になっている。

 

 ──

 

 現在、都市防衛の要であるその場所には門衛となる中年の兵士含め、幾人もの兵士たちが集まっていた。彼らの人数は普段の検問に割かれるそれと比べると格段に多く、都市内と門を忙しなく行き来する者も数えれば百人を優に超えるだろう。

 

「止まれ! 止まれ! おい、ちょっと誰かこっちも手伝ってくれ」

 

 門の後方で、通行を止めるように手を広げる兵士の一人が仲間に助けを求める。元々彼らは昨夜のビーストマン侵攻のため配置された兵であり、鉄製の剣や丈夫な弓と矢、革で出来た鎧など、武器・防具を万全に整えてこの場所にて待機していたのだった。

 

しかし意外にも、ビーストマンは日が昇ってからも攻勢の雰囲気を見せてはいなかった。

 

 それ自体は彼らにとっても願ったり叶ったりだったのだが、そうなると次に浮かんでくるのは『ビーストマンはどうなったのか』という疑問であった。

 

 それは兵士だけでなく、ビーストマン襲撃に夜通し震えていた住民たちも同様であったようで、危険が身近に無いことを知ってからは門の外から遠目に現場を見ようとする者──いわゆる野次馬が大量発生しているのである。

 

「それにしても何がどうなってるんだ? あいつらが止めてくれたのか? ……いや、でもな」

 

 薄々ではあるが、兵士たちも竜王国がビーストマンに追い詰められていることは理解していた。そして今回の襲撃が今までにない大きな波であることも。下っ端である彼らに多くは語られないため、それは経験や兵全体の雰囲気から察せられるものだ。

 

 無論、そこに確証的な何かがある訳ではないので、現在の状況から考えると仲間の兵士たちが善戦したと考えるのが普通だろう。しかし、門に立つ者の多くにはそれが事実でないと、そう思えるようなもう一つの疑念があった。

 

「違うと思うな。お前も見ただろ? あの光を。確かに何かが起こったんだよ。昨日、いや明け方の間に」

 

 後ろからすたすたと歩いてきた別の兵士がお手上げ、といった様相を見せながら兵士たちの会話に混ざってくる。

 

 ──極光。

 

 少しばかり前、十数キロは離れているであろう暗がりの大地、その地平線を切り裂くように白い光が発生したのだ。

 

 流石に位置の関係上、目にした者は門衛や積み荷の準備をしていた行商人などに限られるものの、複数人の証言という信憑性の高さから、実際に目にしていない者もその規格外の現象が確かに起こったことなのだと信じていた。

 

 もっとも、誇張などにより付加されていく胡散臭い情報含めてだ。

 

 暫くの間、門の内外は様々な憶測や噂が渦巻いていた。それはドラゴンがビーストマンを焼き尽くしただの、竜王が帰還しただの、実に竜王国らしいというか"願望に寄っている"内容だ。ただ結局の所、これといった情報が無かったためか次第に事は収束し、騒がしかった人々も各自家に帰る流れへと変化する。

 

 それはごく自然な流れだった。しかし──

 

「す、すみません!!」

 

 門の上に位置する長方形の(やぐら)から、兵士の一人がヘルムに手を当てながら慌てたように降りてくる。どうやら門衛である中年の兵士に用があるらしく、そのまま近づいていく。

 

「どうした? 敵襲か……?」

 

「い、いえ! どうやら陽光聖典の方々が戻ってきているようでして」

 

「なに、マルセル様たちが。そうとなればこうしてはいられん。早く気を引き締めないとな」

 

 いくら上から見ているといってもその高さは3、4mといった所だ。角度的にも彼方の地平線が見える訳ではなく、望遠鏡の設置されていないここからではその存在の特定には時間を要する。つまり彼らはもうある程度の距離まで近づいてきているのだろう。

 

「そ、それともう一つ……」

 

「なんだ?」

 

 急いでいるという雰囲気を醸している門衛に、兵士は緊張した面持ちで続けた。

 

「見たことの無い御方が──陽光聖典の先頭を歩いています」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 先ほどまで熱を失いかけていた門周辺が、ざわりざわりとその騒がしさを取り戻していた。まだ昼前であるがその人気は通常より遥かに高い。

 

「お、おい。あの人達は誰なんだ?」

「凄い衣装だ……。王族の方だろうかね」

「スレイン法国に王族はいないんじゃなかったか」

 

 怪しげなローブ姿の集団、陽光聖典はそもそもスレイン法国の神官長直轄の特殊工作部隊である。そのため任務を共にする竜王国兵士と顔を合わせ行動することはあっても、民衆の前などにはまずその姿を現すことはない。

 

 それが今、正門に堂々と現れたのだ。混乱が起きるのも無理はないだろう。

 

 

 ──しかしそれ以上に場をざわつかせているのは、彼らの先頭を歩く謎の女性の存在だった。

 

 

 綺麗に揃えられた艶やかな白色の前髪と、地面へ届きそうなほど長い、背丈ほどある後ろ髪。砂上に輝くそれに、人々の視線が集まったのは言うまでもないだろう。

 

 女性の顔は奇妙な渦巻きの紋様の描かれた仮面で隠されているものの、真珠のように輝く白い肌が前髪の厚い触角から微かに覗いている。

 

 また、その身体には金の刺繍の入った袖の大きい純白の衣を纏っていた。

 スカート部分など、衣の端々に透明に近い灰色のレースも使われており、砂埃一つついていないそれは豪華ながらも軽やかな印象を受ける。

 

 その風貌はお淑やかな姫のようで、もっと別の……神々しい何かを感じさせていた。

 

 人々が呆気に取られている内に、一行は門の前に到着する。誰もが落ち着かない様子で声を発するのを憚っていたが、どうであれ仕事を遂行しなければならない中年の門衛は何とか落ち着いた表情で一歩前へと進んだ。

 

「マルセル様、無事お戻りになったようで何よりです」

 

「うむ。全ては神のおかげだ」

 

 表情は固いが、班長であるマルセルの声は生き生きとしていた。とはいえ傍からすれば何が起きているのかまるで分からないので門衛は今最も疑問にあることを口にする。

 

「……そ、それで、皆さまがここにいるということはビーストマンは無事撃退されたということでしょうか?」

 

 周りの者達も静かに会話へ耳を傾ける。

 一瞬、マルセルは仮面の女性に目配せをしたかと思うと、小さく頷いた後にそのまま話し始めた。

 

「あぁ。先ほどビーストマンの群れは全て倒された。出ていた竜王国の兵士や冒険者の多くも無事だ。そう──それも全てこの御方、神であらせられるツクヨミ様が我らにそのお力を貸して下さったお陰なのだ」

 

「か、神……ですか?」

 

 マルセルを含む陽光聖典の二十数名は言い終えると同時にツクヨミへ頭を下げた。とても冗談を言っている雰囲気ではない。

 

 まるでそうするのが当たり前と言わんばかりで、『この人が神なんだ』と直感的に感じさせるほど、皆がその空気に一瞬にして呑まれていた。

 

 門衛は息を飲む。目の前に立つツクヨミというこの御方に無礼でも働こうものなら、即座に首が飛ぶだろうということを理解したためだ。スレイン法国に恩のある兵士もある程度その辺は弁えている。しかし、皆が皆そうではない。

 

「神って……あの?」

「大罪を犯したってあれとは違う、よな」

 

 後方から発されるごく小さな無数の声が残滓のように流れてくる。そう、ここはあくまで竜王国。竜王(ドラゴンロード)に建国され、(ドラゴン)を重んじる国。

 

 彼らにとって"神"とは周辺諸国に広まっている四大神よりも、神の力を持ち、生物を虐殺したという八欲王の方が印象に強い。

 勿論、四大神を信仰する者や八欲王は神の力を奪った不届き者だと割り切っている者もいるが、そうでない者も一定数いる。

 

その根底にある"畏れ"は幼い頃から育まれたものだからだ。

 

 住人たちが醸し出す空気は存外分かりやすいもので、当の本人であるツクヨミや陽光聖典各員も当然気が付いていた。

 

 そんな彼らをマルセルが不愉快に思わないはずもなく、一転爆発しそうなほど不機嫌な様相へ変化した彼は、物申すように足を前へ運ぼうとする。

 

 咄嗟のことに門衛も言葉に詰まっており、フォローは間に合わない──

 

 

「ツ、ツクヨミ様……」

 

 

 その時、マルセルを御すように、軽く右横を向いていたツクヨミが片手を持ち上げた。主に窘められたマルセルははっとした表情でその身を引く。

 緊迫した状況の中、雑念を振り払うように初めて仮面を通してくぐもった女性の声が響いた。

 

「遅れましたが……先ほどマルセル様が紹介してくださった通り、私はツクヨミと申します。神というのは大袈裟かもしれませんが、確かに今朝、状況の悪い前線に助けに入りました」

 

「それに関しては、本当に感謝の言葉もございません」

 

 門衛はそれを聞くと精一杯に頭を下げる。降りかかる怒りを収める……といった思いもあっただろうが、何よりも竜王国を救ってくれた恩人に対する非礼に申し訳無さを感じていたのだろう。

 

「いえいえ、私も私情がありましたし……それにこのような唐突な訪問にもなってしまいましたから」

 

 ツクヨミは立場上頭を下げることはしなかったが、それでも半分詫びるような態度で接した。

 

 本来この世界において身分の差は明瞭であり、仮にも一国のトップといえるような人間と庶民とでは全く対等ではない。それは常識であったため、門衛はその寛大さに驚きを隠せなかった。

 

「とんでもございません! 兵士一同、国を救って頂いた方の来訪を歓迎せぬ者は居りません」

 

「ありがとうございます。ご迷惑でないかと考えていたのでそう言って頂けるのは有難い限りです。……さて、それで今回こちらへお邪魔させて頂いた理由なのですが」

 

 ツクヨミは一拍置いた後、仮面をちょんと触り、続ける。

 

「まぁ内容は単純なもので、今回のビーストマン騒動──それに介入した身として上の方と一度お話する必要があると思ったのです。こうして大事にもなってしまいましたからね」

 

「なるほど。確かに……そうですね。ではこちらから報告ということで上に掛け合ってみましょうか?」

 

 門衛は静かに息を呑みながらも、先の失敗の挽回を図るように親身に話を進めていく。その間も決して突っ込みすぎるような真似はしない。

 

「そうして頂けると幸いです。このような姿(なり)のままではいまいち信用に欠けると思いますが、お互いにとってとても大事な話になると思いますので」

 

「は、はい! すぐに準備します。少々時間がかかると思いますので、その間そこにいる兵士に兵舎……いや近くの宿へ案内させましょう」

 

 通常こういう場合は門に備え付けられている小部屋か、兵舎辺りに連れていくのが一般的だが流石にそれは不味いと思ったのだろう。突然指名された兵士も忙しなく案内を始める。

 

 慣れない手つきで門を激しく往来する彼らにツクヨミも若干の後ろめたさを感じている様子だったが、右後方にいるマルセルは主の真意とは裏腹にお構いなしであった。

 

「金なら私が幾らでも負担する。良いか? ツクヨミ様に相応しい宿を用意するのだ」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19.竜王の国(2)

 神聖不可侵の部屋の大扉が音も立てずに開かれる。

 揃って部屋に入ったのは十一名の者たち。法国のトップである最高神官長と、六つの宗派の最高責任者である各色の神官長。司法・立法・行政を司る三機関長に、魔法開発を行っている研究機関長だ。

 本来はこれにもう一名、軍事機関の最高責任者である大元帥が加わるのだが、今日は何故か現れていない。

 

 彼らは部屋に入場するなり、用意していた掃除用具を手に清掃を開始する。これは静謐な蒼の空間をより清めるためであり、神官長会議を行う前に必ず行われている。

 

 人口1000万を超える国の頂点に立つ者達は、一切手を抜くことなく部屋の埃の一片までも取り除いていく。二、三十分経つ頃には元々綺麗だった部屋は更なる輝きを得て、彼らを祝福していた。

 そうして日課の掃除をやり遂げた十一名は、部屋の奥に鎮座する六体の像へ深々と頭を下げる。疲れを感じていても、信徒としてこれを怠るような真似をすることはない。

 

「今日もまた、人間たる我々に生があることを神に感謝致します」

「感謝致します」

 

 一列に並んだ全員が唱和し終えるとようやく会議の準備が開始する。清掃用具は端に集められるように置かれ、清潔(クリーン)の魔法で身体を清めた者が順番に巨大な円卓へと腰をかけていく。その机の上には既に必要資料などが並べられている──

 

「ん、まだ来ないか」

 

 最高神官長であるオルカー・ジェラ・ロヌスは白みがかった眉を落とすと、ピタリと閉じた扉の方を一瞥する。そうして、はぁ……とため息交じりの低い声を上げた。神官長会議はスレイン法国における最高会議であるので、遅刻など当然許されない。午前であるとはいえ、眠い目を擦ってでも出席する必要があるのだ。

 

「大元帥か。何か緊急の案件でもあったのではないか?」

 

「確かにあり得る話ではありますね。今の軍は忙しい立場にありますので」

 

「いや部屋で倒れているという線もありますぞ。老齢ですからな」

 

 土の神官長や水の神官長も同様に、未だ現れない老人について言及する。中には冗談交じりに心配する声もあったが、どの道会議を遅らせる訳にはいかないので、切り替えるようにオルカーが号令を出す。

 

「まぁ良い。ひとまず、この十一名で本日の会議を開始するとしよう」

 

 席に着いた他の十名も首肯する。

 

「では最初の議題は、今問題となっている竜王国のビーストマン侵攻に関して」

 

 この件は前回、前々回と続き取り上げられている。法国の軍のみならず、特殊部隊の陽光聖典さえ投入されることになったこれは、重要度として極めて高い。

 

「ここ数日のことだが、攻勢は激しさを増しているようで、軍の兵士はおろか現地に留まっていた陽光とも連絡が取れていない状況となっている」

 

「まさかやられたのか?」

 

「それは分からない。ただ状況は良くないと考えられる。既に送り出した陽光聖典本隊が到着するまであと三日を要することも考えると……竜王国内まで火が及ぶこともあり得るだろう」

 

 オルカーは重く口を閉じる。もしかするとスレイン法国の貴重な戦力を失っているかもしれないことと、人類国家への小さくない打撃の懸念。その組み合わせは悪夢だ。しかし既に出来る限りの手は打っていたことを考えると、今回はどうにもならなかったと言わざるを得ない。漆黒聖典という奥の手もあるにはあったが。

 

「まぁ本隊であればビーストマンの撃退も余裕でこなせると思いますが、彼らを急がせることは出来ないんですかね?」

 

 研究機関長の問いに、オルカーでない、光を宗派とする神官長が答える。

 

「無理をすれば、あと二日と少しといったところでしょう。とはいえ竜王国はカッツェ平野と国境の湖の間を通らないと行けませんから、中々大変ですね」

 

「なるほど。……となると確かに被害は馬鹿になりませんね。これは今後の支援も視野に入れるべきでは?」

 

 苦い顔で全員が資料へと目を落とす。自国のことだけでも忙しいことを考えると、現実逃避したいというのが正直な気持ちだろう。しかし竜王国は東から迫りくる亜人共を食い止めるためには必要な国家なので、切り捨てることはできない。

 オルカーは話をまとめるように一度頷く。

 

「そうだな。必要に応じて今後話し合いになることは頭に入れておこう」

 

「しかし、まさかこれほどとは何度も驚かされる。巫女姫の大魔法による監査も並行して始めるべきかもな」

 

「確かに。大元帥から状況確認を取ってからにはしたいが、準備はしておいていいだろう。……よし、他に何かある者はいるか?」

 

 一同顔を合わせるが、口を開く者はいない。

 

「無いか。まぁ、この議題は後回しでも良かったかもしれないな。あやつが後で入ってくるようなら、もう一度話し合いの機会を設けよう。という訳で、次の議題へ進む。皆資料を捲ってくれ」

 

「……森妖精(エルフ)の件か」

 

 それはかつて協力関係にあった、法国の南西に位置する森妖精(エルフ)の国に関する内容。 ──いや、今も表向きは協力関係にはあるのだが、それも最近捻じれつつあるのだった。

 

「そう、最近また森妖精(エルフ)の王が人間の国から民を連れ出している」

 

「全く……あの人間もどきは。何やら言い分もあるようだが、あれは拉致といっても過──」

 

 

 バタン。

 

 

 森妖精(エルフ)国に関する議題が始まろうという時、それを遮るように閉じていた大扉が勢いよく開かれる。

 オルカーと、資料に目を通していた残りの十名も何事かとそちらへ目を向けた。前述した通り、ここは神殿の最奥。入って来られる人間は限られる。それを踏まえると、現れたのは予想通りの人物だった。

 

「はぁはぁ……」

 

「大元帥、遅れて来たのも悪いがもう少し静かに入りたまえ」

 

 闇の神官長が隣から呆れたように言う。タイミングが良いのか、悪いのか扉の先には白い髭を生やした老人、大元帥が立っていた。ただ、どうやら様子がおかしい。興奮したように体を震わせ、目をぎらつかせている。

 そんなただならぬ様子に、若干気を損ねていたオルカーも心配して声をかける。

 

「どうした? 何かあったか?」

 

 老人は心を落ち着けるよう、清潔な聖衣の袖を右手で摩ると震える口を動かした。

 

「ぁぁ……。つい先ほど軍の諜報部で、現地にいる法国軍部の伝言(メッセージ)を受けての。それから竜王国とも諸々確認してたんじゃが、とんでもないことが判明した」

 

「何だ? 勿体ぶらずに早く言え」

 

 

 

 

 

「神じゃ──」

 

 

 

 ……

 

 

 

 …

 

 

「は?」

 

 

 

「もしかすると神が降臨為されたやもしれん!」

 

 

 

 瞬間、複数の椅子が転がる音が部屋内に響く。オルカーも椅子から立ち上がり、唖然と目を見開いていた。口も自ずと半開きになっている。

 

 皆言われたことが理解できないといった様子だった。

 

 神の降臨──。

 

 そんなことが本当にあり得るのか。

 現実のことなのか。

 聞き間違えではないのか。

 

 そのような数多の思考が、瞬く間に室内を駆け巡る。

 

 オルカーも喉の奥から声にならない何かを発すると、大元帥の方へとそのままよろよろと歩いて行った。微かな疑念を抱きつつも、無限に湧き上がる歓喜の感情は到底抑えきれない。

 

「ぁ、ええ!? そ、それは本当か? 神が……降臨為されたというのはっ!」

 

「大元帥よ! ど、どういうことだ!?」

 

「詳しく聞かせてくれ!!」

 

 椅子から転げ落ちていた神官長や、三機関長も法国において最も重要な話を聞くべく近付いていく。森妖精(エルフ)の国の問題など最早脳みそから転げ落ちてしまったという様子だ。

 

「待て! 皆一旦落ち着こう、大元帥も席に着くのだ!」

 

 その方が話もしやすいだろうと、動揺しつつも風の神官長が舵を切る。

 それから数分後、ようやく静まりを取り戻した議場で話の整理が始まった──

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

「……そうか。ビーストマンは、倒されたのだな」

 

 竜王国王城、その内部にある書類の積まれた会議室にて女王であるドラクシス・オーリウクルスはほっと息をつきながら、椅子へと腰掛ける。同時に特徴的な黒色の髪が揺らめいた。

 ドラクシスの目の前に立つのは、先ほど会議室に入ってきた王城騎士長だ。彼は慌てた様子で現れると、目下の緊急事態であった竜王国へのビーストマン侵攻が、突如現れた一人の存在の手によってひとまず幕を下ろしたことを報告してきた。

 

 それは深夜から気を張り詰めていたドラクシスの精神を弛緩させるには十分な内容であり、長机を見渡せば、宰相含む竜王国の要人たちも皆、安堵の胸をなでおろしていた。

 

「は! 生き残った兵士は天使によって治癒され、現在切り上げの最中。多くの冒険者も無事のようです」

 

「なるほど。これは大きな借りを作ることになってしまった」

 

 手を叩いて喜んでもいいような状況であるにも関わらず、ここにいる全員がくたびれた表情をしているのは単に疲弊し尽くしているからではない。それは今回の件を解決した人物の背景が関係している。

 

「しかしスレイン法国が神と呼ぶ存在、か。とんでもないのが現れたものだ……」

 

 ドラクシスは開け放たれたままの扉をちらりと見た後、目を軽く瞑りながら独言する。

 神と呼ばれる彼らはある年数の周期を持ってこの世界へ現れることがある。その影響はいつの時代でも絶大なものであり、それらに関する文献は多数残され後世へと伝えられていく。

 

 六大神や八欲王などもその例で、今や知らぬものがいないほどに有名だ。

 

 だが、一般に齎される神の情報と竜王国女王であるドラクシスが持つ情報ではその量も質も天と地の差である。それは言うなれば表と裏。神……すなわち『ぷれいやー』の裏側を知るドラクシスからすれば、今回の件は新しく生まれた頭痛の種だと言えた。

 

(窮地を救って貰ったことには感謝しかないが、ぷれいやーは竜王の怨敵。竜王国女王としてどう立ち回るべきか……)

 

 竜王はプレイヤーのことを『竜帝の汚物』と呼ぶほどに忌み嫌っている。

 ドラクシス自身は直接に被害を受けた訳でもないのでそれほどまでに嫌悪してはいないが、やはり幼少のころからそう教えられてきただけあってあまり良い印象を持っているとは言い難い。

 まぁ実際は多種多様な彼らに強い警戒心を抱いているというのが適切であり、竜王が物を言ってこないなら人類の味方であるプレイヤーと敢えて距離を置くようなことはしないだろう。

 

 再度机に置かれたペンを握り、書類を瞥見する。

 

「国内の被害が無いのなら、法国への御礼もまぁ痛い出費だが可能だろう。ただ……そのツクヨミという人物を国内に引き留めることは可能だろうか」

 

「スレイン法国が後ろに付いていることを考えれば厳しい、というより不味いでしょうね。ただ、戦力としても影響力としても、引き込めればこれほどの人材がいないことは確かです。協力関係を仰ぐか、第二の拠点としてもらうのはいかがでしょうか」

 

 一人ぴんとした背筋で隣に座る宰相がすかさず答える。それを受けたドラクシスはペンを持ったまま机の上で両手の指を合わせ、今後の方策を練る。

 

 竜王国の戦力事情は度々話題になるが、その実態はかなり渋いものだ。それは定期的な亜人被害にすり減らされ、国が貧しくなり、発展していかないという負のスパイラルによるところが大きい。

 しかも数十年前に誕生した冒険者組合により、近隣の国家からは有望な冒険者が沢山生まれていったのだが、竜王国からは未だアダマンタイトは生まれておらず、その下のオリハルコンでさえ、僅か二名しか現れていない。

 

(その二人さえ失いかけたというのは、笑えない話だ)

 

 そのため、このようにしてはいるが今回の一件は不況に喘ぐ竜王国に与えらえた一本の蜘蛛の糸だった。誤って千切ってしまうようなことがあれば、そのまま奈落に落ちる可能性だって十分ある。

 ビーストマンによる被害もこれで終わった訳ではないのだから。

 

 ドラクシスは気持ちを一層引き締めるように息を吸って吐いた。

 

「そういえば騎士長、ツクヨミ殿は今どちらにいる?」

 

「はい! 確か今は、都市東にある由緒ある宿……七色亭に滞在しています。門衛によると、今回の件の報告も兼ねて謁見を希望しているようでして」

 

 …………

 

 ……

 

 ……

 

「それを先に言わんかっ!!!」

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 まだ日が天頂に昇りきらぬ頃。

 

 寂れた店内の端に位置するテーブルに、イビルアイは腰掛けていた。

 

 左隣は空席。目の前には見慣れた白銀の鎧が、背後から靡く巨大なマントによって隠されるよう覆われている。その頭部には同じく竜の頭のような形をした白銀の兜を被っており、目の奥からは青白い光を微かに漏らしている。

 

 店内には他にも胸に銅や鉄のプレートを下げた数人の冒険者と思わしき人間と店主らしき男性が居るが、警戒しているのかこちらに近づいて来ようという気配はない。

 

 イビルアイが時間を潰すようにテーブルを覆う何重にもかけられた魔法の数々のチェックをしていると、前に座る同行者、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の二つ名を持つ(ドラゴン)であるツアーがおもむろに話し始めた。

 

「ここに留まっていたのは正解……だったんだろうね。二度手間にならずに済んだのは君たちのお陰だよ」

 

「まぁ、どちらかというとリグリットの意見だがな。私も気が無かった訳ではないが」

 

 世界の揺り返しが起こったのか調査するべく、大陸中央から移動してきた三人。そんなイビルアイ達が今滞在している地点は竜王国内の西に位置する都市だった。

 

 一応ここに着いたのはもう昨日のことであり、暫しの休憩を挟んでから足早にエランテルまで移動する予定ではあったのだが、こうして今も留まっているのはビーストマンの攻撃が近年稀に見るくらいに激しかったためだ。

 

 別に身動きが取れなかった訳ではない。ビーストマンなど三人からすれば雑魚も同然で、足元のアリといったレベルである。しかし、それでも都市の端で様子を窺っていたのは国内に住む住人にまで被害が出る恐れがあったためだった。

 ツアーとしては一刻も早く移動したかったようだが、蹂躙を見過ごすのは流石に気が引けたしリグリットも寝心地が悪くなると動かなかった。

 

「ただ結局私たちの出番は無かったようだけどね。おかえり」

 

「何を話してたんじゃ?」

 

 コトンと木製のコップがテーブルへ置かれ、質の良い黒のローブを着た老婆、リグリットが結われた白い髪を揺らしながら隣に座ってくる。

 

「要るか? イビルアイ」

 

 コップに注がれた果実水を見つめているとリグリットから声がかかった。

 

「いや、いらん」

 

「冗談じゃよ」

 

 かかかと悪戯に笑う老婆に水晶の短剣(クリスタルダガー)を叩き込みたくなる衝動を抑えて、話を戻す。

 

「それでツアー。先ほど言っていたことだが、あれは本当なのか?」

 

 聞き返すのはここに集まる前にツアーから告げられた衝撃の内容。揺り返しが本当に起こったことなのか──という今回の調査の言わば答えに当たるものだ。

 

「うん。ビーストマンを吹き飛ばした魔力は本体の方でも一応感知できるくらい強力なものだった……。ほぼ間違いなくプレイヤーの、恐らくは第八位階以上の魔法だよ」

 

「八位階以上……か」

 

 イビルアイは何度聞いても慣れないその単語に息を飲む。リグリットも同様に真剣、というより険しい表情をしていた。

 本来魔法というのは第三位階で熟練というレベルであり、第五位階のものが使えれば英雄の領域だ。それ以上になってくるとそれこそ大儀式や魔神といった存在でなければ発動は不可能。人間の限界を超えている。

 そんな相手と対峙するようなことがあれば、いかにこの世界で飛び抜けた強さを持つイビルアイやリグリットであっても手に負えないと言わざるを得ない。

 

「しかし今回の件がプレイヤー絡みとすると、そやつはどちらかというと善人寄りなんじゃないかの? 先の魔法は竜王国を守るために発動させたと考えるのが自然だと思うんじゃが」

 

 イビルアイもこれには半分同感だった。若干愚直すぎるような気もするが。

 しかしツアーはそうは思っていないようで、少し考える素振りを見せながら言葉を返した。

 

「……どうだろうね。確かプレイヤーを君たちが初めて目撃したのは王国だったと思うんだけど、それを考慮するとプレイヤーは竜王国の人間でない可能性もある。それこそ何か目的があって行動したのかもしれない」

 

「確かにな」

 

 考えても答えの出ない問題を前に沈黙が流れる。そうして数秒の後、リグリットがやや強引に本題へと移った。

 

「んん、それでこれからどうするかね。ツアーお主はそのまま接触しに行くのか?」

 

「いや……姿くらいは確認しに行きたいけど、一旦評議国に報告へ戻ろうかなと思うよ。世界盟約にも関わってくるだろうからね」

 

「ほぅ。意外じゃな。てっきりハンマーで殴り込みに行くのかと思っておったが」

 

 ツアーは鎧で戦闘する際に宙に浮く槍、刀、ハンマー、大剣を振り回すのが特徴的であるため、そのことを言っているのだろう。

 冗談めかしく話すリグリットに対してツアーがいつものように笑い返すのだろうとイビルアイは思っていたが、白銀の鎧はその空っぽの兜を僅かに前へ傾け、瞳の奥の灯を明滅させただけだった。

 

「……どうした?」

 

「ん、いや実はね。一つだけ動き辛い理由があるんだ。話すか少し迷ってたんだけど君たちにも一応話しておいた方がいいかもしれない」

 

 イビルアイ、そしておそらくリグリットも心当たりのない内容を、ツアーは一拍置いてから語り始めた。

 

「知っての通り、竜王国は100年以上前に七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)が作った国なんだ。つまり一応ここは彼の領域(テリトリー)ということでもある。だから、音沙汰がないとはいえ色々荒らし過ぎるのは考えものでね」

 

「話は分かるが──そもそも生きてるのか? そいつは。領域(テリトリー)だの言う割には一切話を聞いたことがないが」

 

 同種族間、それこそ竜王(ドラゴンロード)の間でも様々なしがらみがあるのは理解できる。しかし、これだけ自分の国が疲弊しているにも関わらず、姿さえも見せないのは果たしてあり得るのだろうか? 

 

「彼は古いドラゴンだから、もしかしたら寿命が来ているのかもしれないね」

 

 古い竜というのはつまり八欲王との戦争以前に生きた個体のことを指す。ツアーはそんな昔のことを思い出すようにして続けた。

 

「ただ私の知る限りの彼は、なんていうか執念深い竜って感じが拭えない。誰も近寄らないからいつの間にか変態竜なんて呼ばれていたけどね」

 

「人間との間に子供を作った、じゃったか」

 

「うん。そうして国を立ち上げた後は知っての通りだよ。初代の女王が亡くなった時も山頂に居たんじゃなかったかな」

 

 ツアーは含みのあるように話し終える。

 確かにそれだけ聞かされるとその一連の流れに何か思惑を感じてしまうと、イビルアイは思った。考えすぎかもしれないが、国家全体が蜘蛛の巣であるような、そんな一面性を。

 

 何とも言えないもやもやした気持ちをイビルアイが抱いていると、話を戻すようにツアーは咳払いする。

 

「コホン、少し話が逸れてしまったね。そういう訳で私は色々確認した後に戻る予定だけど、君たちはどうするんだい? もちろん評議国に来てもいいんだけど」

 

「私は……そうだな。もう少しここから様子を見たいと思っている」

 

「わしも一先ずは嬢ちゃんと行動しようかの。老いぼれが評議国に行っても世話になるだけじゃろうしな」

 

「そうか。それなら暫しの間お別れになるね」

 

 イビルアイは席を立とうとしているツアーへ、去り際の口を開く。ひとつだけ気になっていたことがあったからだ。

 

「待てツアー、最後に一つだけ聞きたいことがある。世界盟約の件だが、お前は今回のプレイヤーが世界にとっての猛毒になりうると考えているのか?」

 

 数瞬の考える素振りの後、それは答えられた。

 

「まぁそう……だね。ないとは言い切れないと思う。プレイヤーの強すぎる力は世界にとって危険だから」

 

「それは──」

 

 イビルアイは口籠る。別に今回現れたとされるプレイヤーを信じるような気持ちは今一切持っていないし、これから八欲王のように世界の敵となる可能性も十分あり得る。ツアーの危惧も正しいと言えば正しい。

 ただ、プレイヤーを一括りにして否定的態度を取る彼らのことを見ていると、どうしても昔のことを思い出してしまった。

 

 

 ──リーダーも、リーダーも世界にとっては猛毒だったのだろうか。

 

 

 その言葉は胸の奥で突っかかって、声に出てくることはなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20.竜王の国(3)

 暖簾(のれん)をくぐると、それほど広くない空間が姿を見せた。出て隣には小さな棚があり、中には竹のようなもので作られた黄色の籠と、それにもたれるよう掛かったタオルがある。

 

 見たまんまの脱衣所に入ってきたツクヨミは、少々物珍しいように辺りを散策した後、当初予定していた通り体を清めるための準備を開始する。

 

 既にその顔に仮面は付けておらず、動きはここに来るまでのそれよりもゆったりとしたものへ変わっていた。その理由はここが普通の安宿と違い、個室の中に作られたものであるため、時間的制約や他人への配慮が必要ないためである。

 

 そもそもの話だが宿の一室内にシャワールームがあるというのはこの世界では珍しい。脱衣所も基本的には扉の先に公共的な場所として設けられていることが多いのだ。

 

 そのため、このように天井から吊り下げられた布で柔らかに空間を区切ること自体が、今泊っている宿──『七色亭』の風格の高さを表していると言えるだろう。……とはいえこれでも王国や帝国に存在する高級な宿と比べれば見劣りするらしく、共に案内されたマルセルが不服を言っていたのは庶民暮らしのツクヨミからすれば謎であった。

 

「この装備脱ぐのも久しぶりだなぁ」

 

 ツクヨミのメイン防具である神器級(ゴッズ)の聖衣は実のところ、こちらに来てから殆ど出番が無かった。それこそこうして脱ぐのは転移初日のカッツェ平野以来かもしれない。

 

 ツクヨミは日本の和服ほどではないにしろ、ローブともドレスとも言えそうな複雑な構造であるこれを脱ぐと用意されていた籠には入れず、代わりにアイテムボックスの中に放り込む。手首飾りや靴も同様にだ。ただし、頭に着けている煌びやかな金の装飾は外すのも色々と面倒な細かさなのでそのままにしておく。

 

 そうして最後に下着を畳んで籠の中へ置き、タオルを肩にかけた。一糸纏わぬ姿、というやつだがもう完全に慣れてしまったために何も思うことは無い。ただ、ちらりと目に入る真珠のような白く細い腕を見ていると、ここのどこからあれほどの力が出せるのかとは未だ疑問に思うことはある。

 

 ツクヨミはこの世界の法則についてあれこれ考えながら、歩き出す。

 

 シャワー室には簡素な鏡と風呂椅子、タオル掛け、それに木製の桶のような物が置いてあった。ツクヨミはタオルを用意された場所へセットし、さっと椅子に座る。そうすると一般人より遥かに長いツクヨミの後ろ髪は地面へと垂れてしまったため、それを膝上に持ち上げてからシャワーの栓を捻った。

 

 恐らくここにも湧水の蛇口(フォーセット・オブ・スプリングウォーター)が使われているのだろう。このマジックアイテムは広く一般にも使用されており、巨大な都市ではこれの巨大な物を水源としているところもあるという──

 

「ひゃ!??」

 

 恐ろしく情けない声を上げてしまうツクヨミ。先の水が冷えてしまっていたのか、文字通りシャワーから冷水を浴びせられてしまったのだ。

 

 マルセルら陽光聖典が部屋の外、宿の廊下にて待機していたことは不幸中の幸いだったと言えるだろう。微かな悲鳴でも彼らなら駆け付けてくる可能性はある。あと、まぁ単純に恥ずかしいというのもなくはない。

 

 程なくして水温は徐々に上昇し、お湯となって冷えた体を温め始めた。

 

「あぁ、やっぱ風呂はいいわ~……」

 

 おっさんのような声を出しつつ頭の上からお湯を流す。久々に寛いではいるものの、それでも一応警戒を解いているということはない。

 

 実はツクヨミの左手には今も装備を素早く切り替えるための課金アイテムが二つ握られている。プライベートな時間にこのような気を張りたくはないものだが、風呂や睡眠の間は最も無防備な時間だ。女王に会うまではひとまず備えておいた方がいい。

 

 まぁ、それらを使用しても結局のところ登録装備以外のその他諸々(下着とか──)までカバーしてくれる訳ではないので来てくれるなというのが正直な気持ちであるが。

 

 動きの止めた左手に意識を移し、そんなことを考えているとシャワーの水滴が指を流れ落ちていくのが目に入る。同時に麗しい光が一瞬だけ起こった。

 

(あ、そういえば他の指輪装備し忘れてた……)

 

 人差し指。無課金でも指輪の装備が可能なその指には、助けに入る移動中に仮面のついでで取り出した探知系から身を隠す指輪が付けられている。

 

 普段から見た目の都合で指輪を殆ど外した状態にしているツクヨミではあるが、それでも両手全ての課金指に、登録した指輪が存在する。

 

 時間止め対策のもの、移動阻害に耐性を与えるものなど特定の状況下で力を発揮する指輪から、ビルド用に製作された指輪まで。

 それらは中級者以上のプレイヤーならほとんどが強くなるために取り入れる要素であるため、これを外したままというような手抜きはしていられないのが現状だ。

 

 

 ツクヨミはざーっと身体にお湯をかけ終えると、次に木製の桶の中からサラサラとした透明な液体を手で掬い、それを四肢へ塗っていく。それは植物の灰を()して取った灰汁に水を混ぜ薄めたものであり、石鹸やシャンプーなど無いこの世界の洗剤である。

 

「古代の知恵ってやつだね。風呂場で使うのは初めてだけど」

 

 安宿は基本水洗いのみなのであまり見かけないが、裕福な家庭などでは使われているらしいそれを、シャワーとの合わせ技で活用していく。

 そうやって一通り体を流し終えたツクヨミは、最後にタオルで綺麗に身体を拭き上げた。

 

 思っていた以上の長風呂になってしまったことに若干の焦りを感じつつも、脱衣所の籠へと手を伸ばし、先とは逆の流れで服を着ていく。

 

 余談だが、ツクヨミはスカート状の衣類を身に着けた経験がリアルでも此方でも殆ど無かったため、脚の下の違和感がとてつもないことになっていた。丈は長いため、すーすーするという程ではないが何か形容しがたい感じだ。

 

 そのため今はアイテムボックス内から探し出したグレーのタイツ装備を使用することにしている。

 

「コホン。他に何か準備することはあったかな……」

 

 装備を到着時の状態へ戻したツクヨミは、濡れた髪を乾かしている間に指輪などを装着する。別に戦いに行くわけではないのだが、もしもの時の対策は必要だ。それに何かしていなければ落ち着かない、という気持ちもあった。

 

(あぁ──あと"あれ"も出しておくか) 

 

 ツクヨミはすぅと息を吸うと、慣れた手つきで中空の窓を開く。そうして腕をいつもより奥の方へと移動させ、それを掴んだ。

 

 ゆっくりと爆弾でも取り出すような慎重さで手を引いていく。数秒後そこから姿を見せたのは『光の輪』と形容できそうなアイテムだった。

 取り出してみるとそれなりに大きく、その輪の外側部分には白い翼が花開くよう浮いている。

 

 

 

 その神々しいアイテムの名前は──光輪の善神(アフラマズダー)

 

 

 

 ユグドラシルに存在する全アイテムの頂点に位置するアイテム群であるWI(ワールドアイテム)の一つ。その中でも特に強力な効果を持つとされる二十種類に分類されるものだ。

 

 それはユグドラシルをプレイしている者ならまず知っているくらいに有名な物であり、入手の難易度も極めて高い。ソロなどではまず手に入らない代物である。

 にも拘わらずツクヨミが今これを保持しているのには幾つかの理由がある。まず一つ目の理由としてユグドラシルがサービス終了を迎えることになり、アイテムの価値が暴落したこと。

 

 これは分かりやすく、終わりが近づくにつれ自分の装備以外のアイテムを投げ売りする者は多かった。それにこういったアイテムはギルド保持であることが主で、そのギルドマスターがギルドを爆破すると同時に放出されることは意外に多い。

 

 二つ目の理由は競争率が低かったこと。これも前述したものと似ており、全盛期はとっくに過ぎていることもあって熱量の残っているプレイヤーが少なく、値段が低くても買い手が見つかるとは限らなかった。

 

 そして最後に、この光輪の善神(アフラマズダー)というWI(ワールドアイテム)はあまり人気がなかったことが挙げられる。有名で効果も派手ではあるのだが、対象が世界一つを覆うほどの範囲であるというのがあまりにも実用的でなかった。対となる闇輪の悪神(アンラマンユー)含め、言ってしまえば自己満足か観賞用の類のアイテムであり、使おうものなら批判の対象である。

 

 そのためサービス開始から十二年、ついに使われることは無くその出番を終えた……はずだったのだが、今こうしてその眠りから醒めるように輝かしい光を周囲に放っている。

 

 そんなこれでも所持していれば他のWI(ワールドアイテム)の効果から身を守ることができるというのは数少ない利点の一つだと言えるだろう。しかし、こちらの世界ではボックス内でも守りが発動しているのか確かめようがないので、とりあえず付けられるものは付けておこうという見解に至る。

 

 いざ装備しようとすると光輪は自分からツクヨミの背中の方へ移動していく。ちょっとカッコいいな、等とツクヨミは内心で思った。

 

「じゃあ、そろそろ出掛けますかね」

 

 扉の先ではマルセルが何やら誰かと会話をしているようで、ぼそぼそと話し声が漏れている。

 

 まぁ小国とはいえ中央区まで移動するのだから移動にはそれなりに時間が掛かるだろう。まだ迎えは来ていなさそうだし、待っている間に昼食でも取れるだろうか。

 そのようなことを頭に巡らせつつ、ツクヨミは手に持っていた奇妙な縦渦巻きの仮面を再び被ってから、そっと銀のドアノブを回した。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 昼はあれだけ眩しかった太陽も、徐々にその光を弱め、遥か彼方の山に隠れようとしていた。

 

 寒さの残る1月の黄昏前、明るい夕日に晒された竜王国首都の中心にある王城。階層にすれば高い位置にある窓の大きな一室にて竜王国の命運を握るであろう、そんな話し合いが始まろうとしていた。

 

「まずは遠路はるばる王城まで来てくれたことに感謝したい」

 

 竜王国現女王であり、一応だが真なる竜王に分類されているドラクシス・オーリウクルスは普段より気持ちの入った声で、向かいに座る女性へと言葉をかけた。

 

「いえいえ、こちらこそお招き頂きありがとうございます。また本日はお忙しい中迎えにまで来てくださったこと、心より御礼申し上げます」

 

 椅子に腰掛けたまま丁寧な態度で目の前の女性は返答する。

 純白の豪奢な衣装に身を包み、神々しい光を背負う彼女の名はツクヨミ。一応今回の件の功労者であり、竜王国の危機を救った恩人という立場になる。……が、その背景は推し量るほど複雑なものとなる。

 それはこの話し合いが謁見の間でなく、応接のための部屋で行われていることからも窺えるだろう。普通、一国の王がこうして誰かと向き合いながら話をすることはまず無い。それこそ同じ王族レベルの相手でなければ。

 

 しかし見方によってはツクヨミはそれを超えているかもしれない存在。

 いまいち距離感の掴み辛い状況、ドラクシスは自分の立ち位置も考えながら口を開く。

 

「いや、竜王国はツクヨミ殿のお陰で救われたのだ。その偉大さを考慮すればそれも当然のことだろう」

 

「そう言って頂けて幸いに存じます」

 

 ツクヨミはそう言って行儀良く頭を下げる。美しい雪のような白い髪も僅かに揺れた。

 

 ドラクシスはこうはしているものの心の内では少しほっとしていた。右後ろで静かに佇む宰相も大方同様の気持ちだろう。それは話に聞いていたのが、見たこともない衣装に仮面を被った存在で、しかもスレイン法国の祀る神……『ぷれいやー』であるというものだったからだ。

 それこそ八欲王のような無法者であれば、命の危険もあっただろう。それほどの警戒心を持って臨んだのだ。

 

 ──ただ実際に現れたツクヨミは仮面を外していた。おそらく警戒を解いている訳ではないのだろうが、仮面を付けたままでは失礼に当たると思ったのか、それともこの場で意味がないと判断したのか。何はともあれその素顔を晒している。亜人やアンデットでもなく、同じ人間だ。

 

 そして何よりその物腰も柔らかなものだった。多少警戒が揺らいでしまうというのも仕方がないだろう。

 

(しかし女の私が言うのもあれだが、とてつもない美しさだ)

 

 凛とした目に紫の瞳。そして優しい表情と謙虚な姿勢。

 完成され過ぎているその美に見惚れない男はいないだろうと思えるほどだ。実際自然と警戒心を解いてしまうような魔力がある。

 

 ドラクシスは緩みそうになる気を一層引き締めると、少し間を置いてから話を切り出した。

 

「ではそろそろ本題に入らせて頂こうと思う。まず、ツクヨミ殿が食い止めてくれたビーストマンの侵攻だが……これは長い間苦しめられてきた問題だった。それ故に今回ツクヨミ殿が竜王国にもたらしてくれた恩恵は計り知れない。改めて、竜王国の代表として礼を言う」

 

 感謝を表現するよう頭を下げる。そうしてツクヨミの様子を窺った後、言葉を続けた。

 

「言うまでもないが、既に国中にその偉業は広まっており、救国の英雄に皆が感謝している。これを機に竜王国は活力を取り戻していくだろう。ただ……そんな時だからこそツクヨミ殿にお願いがある。どうか今後も竜王国にその力を貸してくれないだろうか。この国には貴殿のような存在の助けが必要なのだ」

 

 懇願するように問いかける。先にも言った通りビーストマンの被害はこれで終わる訳ではない。巨大な波は去ったが、それが次いつ来るかは分からないのだ。その時は無事か。そんな保証はどこにもない。だからこそ、このチャンスを棒に振るようなことは出来ないのだ。

 

「私個人と協力関係を結びたい、という認識でよろしいでしょうか」

 

「うむ。そういうことになる。あくまで法国との関係は切り離して考えたいと思っているがどうだろうか」

 

 ツクヨミは少し考える素振りを見せてから話し始める。

 

「なるほど。まだ私は法国に住む一介の人間に過ぎませんが──その話し振りから察するに私が"神"であることを踏まえて……その力を借りたいということですかね」

 

 言葉の真意を汲み取るような返答にドラクシスはただ一つ頷く。

 

 法国という単語は今後絶対に出すことになるため、こういう流れになることは必然であった。

 むしろ、城内まで着いて来ていたはずの陽光聖典をツクヨミが外で待機させていたことも考えると、彼女もこうなることは想定していた可能性がある。

 

 ただ、それにしても頭の回転が早いようだ。話が早いのは助かるのだが、理を持っている相手にはそれ相応に頭を使わなければならないため疲労も大きい。

 

「その通りだ。ここに残ってくれとまでは言わない。ただ竜王国の民を守れるだけの力を、必要な時に貸して欲しいのだ。もちろんそれに見合うよう竜王国も出来る限りのことに協力する。……女王として誓おう」

 

「そうですか、話は分かりました。実を申しますと私も竜王国女王であらせられるドラクシス陛下へ望むものがあるのです。それをお受け頂けるのであれば協力しましょう」

 

 来た、とドラクシスは心の内で漏らす。実のところ彼女が仮面を付けているという報告を受けた時にこの"報告の場"がツクヨミ本人にとっても重要な意味を持つことは薄っすらと察していた。なぜなら身元を隠している存在が、ただ国家のそれに手を突っ込んだからといって報告を迫られることはない。本気で隠れているだけなら逃げてもいいのだから。

 

 そうしないということは、この謁見で何かを持ちかけたいと考えているからに他ならない。

 つまりはここからの要求が本命であり、それさえこちらが受けられるのであれば"神"との協力関係を無事結ぶことができるということだ。

 ドラクシスは緊張した面持ちでそれを尋ねる。ゴールはすぐそこなのだ。

 

「本当か! ……それで、望むものとは何だろうか。竜王国でできることなら良いのだが」

 

「それに関しては大丈夫だと思います。むしろ陛下にしか頼めないことかもしれません」

 

 鼓動が早くなる。ドラクシスでなければ難しい、という言葉は嬉しいようで不安を感じさせるものだった。

 

 それはさっと告げられる。

 

 

「私が今求めているのは──私と同じ神と呼ばれる者たちの情報……それと竜王に関する情報です」

 

 

「なっ!?」

 

 声を上げたのは右後ろにいた宰相だった。がたりと僅かに体勢を崩したのが見なくても分かる。

 ドラクシスも同様にその言葉を頭の中で反響させていた。ぷれいやーに関する内容が来るかもしれないことは想定していたが、まさか竜王に関することまで聞かれるとは思っていなかった。

 しかし確かにぷれいやーの立場からすると、険悪な関係にある竜王の情報を聞いておきたいというのも分からなくはない──

 

「それはあまりにも!」

 

「よせ」

 

 ドラクシスは興奮気味の宰相へ、抑えるよう片手で指示を出す。ただでさえぷれいやーへの警戒心が強いのだから、タブーに触れられればこうなってしまうのも無理はない。

 

 取り乱している人間を見たからかほんの少しだけ落ち着きを取り戻したドラクシスは咳払いしてから返答する。

 

「ツクヨミ殿すまない。少しデリケートな問題なだけあってな。どうか、気にしないでくれ」

 

 優し気、というより真剣な表情へ変わっているツクヨミの目を見ながら、すぅと心の中で息を吐いた。

 

「ただ一つだけ聞かせてくれ。それは具体的に何のために必要なのだ?」

 

「身を守るために必要な情報です。決して悪用しないことは約束しましょう」

 

「そうか……」

 

 俯きながら考える。

 ドラクシスは幼い頃から、国を建ててくれた竜王である祖父への感謝は続けてきた。そして八欲王の悪逆非道な行いも同時に教えられてきた。今でもぷれいやーを信じられない気持ちは大きい。

 

 しかし、国民のことを考えれば間違いなく今は手を伸ばすべき時であろう。自分の気持ちなど今は何の価値も生まないし、今までの政治だって常に実を取り続けてきた。

 こんな状況にも関わらず姿さえ見せてくれない竜王と、反してその力を貸してくれようとしているぷれいやー。

 

 どちらを選ぶべきか、それが分からないほどドラクシスの頭は悪くはない。

 

 そう、明白なはずだったのだ。

 

「ぷれいやーの情報は可能な限り渡そう。探索も必ず行う。ただ……本当にすまない。竜王の情報だけは漏らせない。それは祖国の裏切りになってしまうかもしれないから」

 

 ドラクシスの口から紡がれた言葉は心で決めたそれとは全くの別のもので、恐らくツクヨミを失望させてしまうものだった。

 自分でも混乱していたが、何とか状況を取り繕うべく言葉を発する。

 

「それ以外のことなら、何でもする。頭なら幾らでも下げよう! だから、どうか私を信じてくれないか」

 

 息が上手くできていないのか、絶え絶えとなってしまう声が室内に響く。どう考えても無理な流れなのは傍から見ても分かるほどだった。

 実際、竜王の情報こそがツクヨミの最も求めていたであろう点なので、それ以外に価値を見出してもらうのは厳しいと言わざるを得ない。彼女の背後には竜王国より遥かに大きな国であるスレイン法国もついているのだから、もとよりこちらが提供できるものは少ないのだ。

 

(女王失格だな……。これは)

 

 ドラクシスは消沈したように前屈みとなってしまっていた体を起こす。暗い表情は決して見せないようにしているが、やはり気持ちは落ち込んでしまっている。

 そもそも相手を危険に晒してしまうかもしれない選択なのだ。激昂されてもおかしくはない。

 返答を聞くのは恐ろしかったが、対面からはすぐに驚くような内容が告げられた。

 

「……了解しました。では竜王国からはプレイヤーの情報を、こちらからは一先ずアイテムを提供するということで協力を始めましょう。無理を言ってしまったようで申し訳ありませんでした」

 

「ぇ、え? 本当にいいのか?」

 

「はい」

 

 驚きのあまり聞き返してしまうドラクシスであったが、返ってくるのはYesの一言だった。おまけに目の前に座る彼女は『プレイヤーのことを知っていることには驚かされましたけどね』など言いながら、笑いを漏らしている。

 どうやら緊張の糸が切れてしまったのはお互い様であったらしい。

 

「か、感謝する。ではツクヨミ殿、今後とも宜しく頼む。詳しい話は後ほどさせて頂こう」

 

「こちらこそ宜しくお願い致します。ドラクシス女王陛下」

 

 窓から差す夕暮れを受けながら、二人は握手を交わすのだった──

 

 




会食も書きたかったのですが、カットされました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21.霞中の晴天

<かちゅうのせいてん>

分割できなかったため、長めです。


 光を多く取り入れるよう設計された、通常のそれよりも遥かに巨大な縦長状の窓へと早朝特有の肌寒い風が叩きつけられる。

 地上より随分と高い位置にある綺麗に磨かれたその窓は僅かな結露を発生させつつも、透明な朝の日差しを室内へと届けていた。

 

 王城内の一角に作られた部屋の中には今、絢爛豪華な衣装を身に纏う一人の女性が腰を降ろしている。衣装と同様に、その頭部から流れ落ちる艶やかな髪は雪のような白色。

 紫の瞳の上から覗くまつ毛は瞼ともに若干下がっており、若さを感じさせる凛としたその顔立ちに反して大人びた表情を形作っている。

 

 まさに冬の中に佇む女神……という様相を醸している彼女の名はツクヨミ。スレイン法国の信仰対象である神であり、現在激動する世界の中心にいるであろう人物だ。──いや囲まれているという表現の方が正確かもしれない。

 

 ツクヨミは豪華な部屋の中に設置されている小柄で柔らかな椅子の上で寛いでいる。靴はこちらの世界でも現実(リアル)の世界でも室内にいる時は履いているのが普通であるが、ツクヨミの足には今それは装備されていない。その理由は床に敷かれた上等な絨毯を汚さないため──ではなく、単純に肌触りが心地いいからである。

 

 光輪の善神(アフラマズダー)を背負うツクヨミは少し前屈みの姿勢で両手で持った古本のページを捲る。黒褐色の丸テーブルの上には同じような分厚い本が数冊積まれている。

 

 その内容は近代の歴史とプレイヤーに関する伝承。上等な紙に綴られているそれは一般人ではまず読むことの許されないもので、王城にある書物の中でも鎖に繋がれて保管される類の代物だ。

 

 紅茶片手に読むといった真似は流石に出来ない。

 

 ツクヨミは要所以外はさらっと読み流す感じで読書を進めていき、そしてようやく"最後"の本を閉じたのだった。

 

「いやー疲れた……」

 

 昨日の女王との話し合いから、書類での契約の後、軽い会食を挟んで客室へ案内されたツクヨミはシャワーを済ませてからそのままベッドへダイブ……はしなかった。

 

 城内とはいえ、来てすぐの警戒心もあったし何より竜王国の宰相から関連の本の一部を渡して貰っていたため、その内容が気になってしまったのだ。

 

 まぁその甲斐あって、夜中の間に多大な知識を得ることのできたツクヨミであったのだが、朝日が昇ってからというもの度々睡魔に襲われている。パチパチと音を鳴らす暖炉が部屋の内部の温度を丁度いいくらいに維持しているのも原因だ。

 

(ここで寝たら昼夜逆転は不可避だろうなぁ。しかし、維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)に手を染めるのは……)

 

 時々こんな時、馴染むのに長い時間が掛かるとはいえ、食事・睡眠が不要になるというアイテムの存在が頭を過ぎる。しかし、リアルでもエナジードリンク重ね飲みで一度体調を崩したことがあるツクヨミは、ぶんぶんと頭を振ってからアイテムボックスに伸ばしかけた手をそっと下ろす。

 指輪が最適化されているとは限らないし、それに今付けたとて眠気が解消されることは決してない。ならば気合が一番確実だ。

 

 ツクヨミは小さな欠伸をした後、立ち上がる。

 

「んんん」

 

 めいっぱい背伸びをしてから、カーテンの開け放たれた窓へ歩み寄り、その先に見える広大な街並みに目を落とした。

 

 しんと静まり返った街に人の気配は少なく、舗装された道の上を歩くのは老人と、それに連れられた犬くらいだ。

 

「私も散歩したいな……」

 

 現に今回の行動で他プレイヤーに関する心配事は解消されつつあった。

 百年周期の転移というのはやはり予想していた通りで、書物で話に出てきていたのも500年前の六大神、400年前の八欲王、200年前のプレイヤー、100年前の英雄やミノタウロスの発明家など現状の脅威となる存在ではなかった。

 

 それを考えると前ほど臆病になる必要はない訳だが、それでも未知の世界の重圧は無限に続く夜闇のように足を動かすことを憚らせる。

 

(それでも、前に進まないと駄目だよね)

 

 濡れた窓に反射している自分の姿はかつての沼地での記憶を想起させた。

 

 ツクヨミは懐かしむように微笑すると窓から視線を外し、気持ちを切り替えるように部屋の入り口の重厚なドアを一瞥する。

 

 客人という扱いであるとはいえ決して暇ではないので、朝の準備を開始するべく皺ひとつない天蓋付きベッドの横に移動する。

 そうして揃えて置いておいた白のブーツを手に取り、ベッドに腰掛けた状態で履く。

 

 (すね)から膝下まで脚を巻き付けるような白銀の装飾のあるこれも伝説級(レジェンド)の装備に分類されるものである。現地の人間からするとインフレも甚だしいことだろう。

 

 身支度の流れで仮面も身に着ける。

 

 未知の相手に顔バレするリスクを考えての事だったこれも、今となってはデメリットの方が大きいかもしれない。しかし素顔で動くことに些かの不安を残していたツクヨミは念には念をということでそのまま歩みを進めた。

 

 

 ドアに近づき銀の取っ手を引くと、たちまち品格ある廊下と複数の人影が姿を見せた。

 

 

「神よ。本日もその光り輝く御姿を我らの前にあらわしてくださったこと、心より感謝いたします」

 

「皆さん。おはようございます」

 

 張りきったように頭を下げ、朝らしからぬ堅苦しい挨拶をしているのはいつもの面々。陽光聖典隊員たちだ。

 

 その人数が三名と少ないのは大人数での待機は逆に神の御座す領域への不遜とかいった謎の理由があるのと、そもそもマルセル含めて早朝から東の地区へ出払っているためだ。

 

 聞いた話によると陽光聖典はビーストマンの件を放りっぱなしたまま随行の任務に移行していたため、現地での仕事がまだ数多く残っているらしい。明日辺りに本隊が到着するらしいのでその準備もあるのだろう。

 

 そのように忙しなく働く彼らが、昨日も夜通し警護する気満々だったというのは狂気としか言いようがない。ツクヨミもそれは流石に止めたので、今は寝てから起きてきたのだと信じたいが。

 

「お早う御座います。神よりの御挨拶、身に余る光栄に存じます」

 

 ややオーバーなリアクションに後退りしそうになるが、昨日部屋から出ていったときは嗚咽を上げられたことを考えると今日は大分ましな方である。

 

 少しずつ対応にも慣れてきたツクヨミは廊下を歩きながら彼らに本日の予定を話す。

 

「さて、今日の朝はドラクシス陛下とお話する予定があるので少しバタバタするかもしれません。昼からは……私も東の方へ出掛けようかと思っています」

 

 三人は出過ぎないようにか背筋をぴんと伸ばしたまま黙って着いて来ていたので、ツクヨミは振り向きながら言葉を続けた。

 

「あくまで私用ですから、お三方は残られても構いませんよ。どうしましょうか?」

 

「我々は神のしもべでございます。どうぞ御心のままに」

 

 それ一番困るやつ……とツクヨミは内心思ったが、彼らの立場上それ以外の返答も難しいのだろう。

 ツクヨミは咳払いするような仕草の後に口を開いた。

 

「それでは、ご同行願いますね」

 

 陽光聖典の隊員はそれを聞くなり、体を震わせながら最敬礼を返した。普段からマスクを被っているため表情の読み取りにくい彼らであるが、これだけ感情を露わにされればそれも分かるというもの。

 

 ツクヨミは複雑な気持ちを抱きながらも、再び歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「やっぱり無理なんじゃない? 凄い偉い人みたいだったし……」

 

「うーむ」

 

 竜王国の昼過ぎ、中央通りからやや逸れた住宅街を歩くのは冒険者然とした二人。一人は雄々しい顔立ちをしたガタイのいい茶髪の男。その顔は険しい表情により少しだけ老けて見えるもののまだ二十代後半といったところだろう。

 

 背中には立派なグレートソードを背負っており、身に纏う銀の鎧に付いている無数の傷は、彼が歴戦の猛者であることを語っている。

 

 そしてもう一人は灰のような色のマントで全身を覆う赤髪の女性。その手には彼女が魔法詠唱者(マジックキャスター)であることを示す漆黒のワンドを持っている。

 

 ややツンとしたその顔の造形は若く、二十手前くらいであることが窺える。

 

 そんな彼らの胸にはオリハルコン冒険者であることを示す真鍮色のプレートが付いていた。それは二人がこの竜王国で最高位の冒険者チーム、二色颯(にしょくそう)であることを示している。

 その知名度は当然ながら高く、道行く者は例外なく彼らに視線を送る。

 

 しかし注目に慣れている様子の二人はそれを気に留めることなく颯爽と歩を進めていった。

 

「確かに王城の人に伝えてもらうのが確実ではあるが……。やはり直接お礼をしたいものだ」

 

 ガレットはビーストマン侵攻での命の恩人である、銀髪の女性に会いに来ていた。

 

 竜王国の都市は亜人侵攻の弊害によって生存圏を広げにくく、人口密度がリエスティーゼ王国などと比べるとかなり高くなっている。そのため周りを囲む都市からなら二、三時間ほど歩くことで中央の王城まで辿り着くことが可能だ。

 

 それもあって二人は昼過ぎには王城に到着していたのだが、どうやら入れ違いになってしまったらしく女性は王城内には居ないようだった。

 

 門に立つ騎士も詳しくは知らないようで、朝から陽光聖典が現地へ出払っていたことくらいしか情報のないガレットたちはこうして途方に暮れている訳だ。

 

「それか、また日を改めて来るというのはどう? まぁ……いつまでいるのか分からないけれど」

 

 王城から東まで、辿れそうなルートを急ぎで探索しながらかれこれ数十分が経過していた。この感じなら会える望みは薄いだろうとアンジェシカは考えているようだった。

 

 確かに全く別方向に進んでいるのかもしれないし、屋内に居る可能性も少なくない。仮に会えたとしても話ができるかは微妙なところだ。

 

 ガレットは諦めたように返事をする。

 

「そうだな。今日の所は一旦帰るか」

 

 念を入れるなら、今から王城へ戻っていつまで女性が国内に滞在しているのか伺うのが確実ではあるのだが、流石にこれだけ歩いた後で戻るのは面倒だと思ったガレットは、ため息を吐きたくなる気持ちで帰り道へと足を向ける。

 

 曲がり角を進みながら、薄っすらと子供の声の聞こえてくる小路へと足を踏み入れた──

 

 

 

「「あ」」

 

 

 

 二人の声が重なる。目線の先に、一際目立つ豪奢な衣装の女性と陽光聖典隊員たちが現れたからだった。

 

(……こ、子供?)

 

 女性は屈んでおり、手を軽く差し伸べた状態で固まっている。

 先まで聞こえていた複数の足音は既に遠のいており、遅れたように一人の子供、耳が特徴的に尖がっている──が土で汚れている服を庇いながら、その場から離れているのが見えた。

 

 

 何が起こっていたんだ? とガレットは頭に疑問符を浮かばせていたが、立ち上がり何事もなかったかのように再び歩き出そうとしている女性を見て、当初の予定を思い出す。

 

 ガレットはアンジェシカと共に、異様な雰囲気を醸し出している四人組へと駆けよっていった。

 

「あっ! すみません!」

 

「え? あら、あなた方は」

 

 ガレットが声をかけると女性はその奇妙な紋様をした仮面越しに言葉を発した。

 

 改めて近くで見ると、その背中には神々しい光の環が浮いており、美しい白の羽が空中に漂っていた。

 目に飛び込んでくるその煌びやかな装飾と装備は、冒険者の追い求める秘宝のイメージを更に神格化させたような代物で、高位の冒険者であるガレットでさえこんなものが世界に存在するのかと信じられない気持ちになる。

 

 そんな彼女の姿から浮かぶ言葉は他の者たちが囁くように"神"そのもの。竜王国ではそれなりの地位を得ている二色颯(にしょくそう)も、そのスケールの前には容易く霞んでしまうだろう。

 

 事実、話しかけたはいいもののガレットは委縮してしまっていた。女王陛下に謁見した時と同等か、それ以上かもしれない。

 

 そんなガレットの様子を察したのかアンジェシカがフォローに入る。

 

「あ、その、私たちは竜王国の冒険者チーム、二色颯(にしょくそう)の者です。私はアンジェシカ、この隣のデカいのがガレットと言います。本日はこの前のビーストマンの件での御礼を伝えたいと思い、参りました」

 

「そうでしたか。わざわざありがとうございます!」

 

 女性は行儀よく会釈する。対等に接してくれている彼女の行動にガレットは言わずもがなだが、周りにいる白ローブ姿の隊員もおろおろしていた。

 

 流石にこのまま黙ったままでは失礼だと察したガレットは口を開く。

 

「神様は命の恩人ですから……こちらが出向くのは当然のことです。むしろお邪魔になっていなければ良いんですが」

 

 とんでもないと、身振り手振りで伝えてくれる女性。

 

 ガレットは精一杯の感謝を込めつつお礼を述べながら頭を下げたのだった──

 

 

 

 

「では、これにて失礼……。しようかと思っていたのですが、進む方向は同じなんですかね?」

 

「私たちは東の門近くまで行きますが……。お二人はどちらに?」

 

「あー同じ道だと思います。実はきた、っぐお」

 

 ガレットはアンジェシカに横腹を肘で殴られてしまう。

 

「丁度東地区内に家がありますので、一度帰宅しようかと考えています」

 

「なるほど。では、もしよろしければご一緒に行きませんか? 竜王国に詳しいお二人の話も聞いてみたいですし」

 

 当然断る理由は無いので、ガレットは首肯しながらその提案を受け入れる。

 

 それから集団は歩き始め、近隣住民の姿も見え始めてくる。

 

 先とは比べ物にならないくらいの視線の量。普段とは少し"感じ"の違うそれから気を紛らわすように、ガレットは先ほど気になっていた事柄を質問しようとする。

 何か会話をしなければという思いもあっただろう。

 

「そういえば、これ聞いていいのか分からないのですが──先ほどは何が起きていたのでしょうか? 子供の姿を見かけたのですが」

 

 聞いていいのか分からないなら聞くな、というアンジェシカの視線が痛い。しかし、冒険者は知的好奇心が身体の構成要素の大部分であるため仕方がないのだ。

 女性は仮面越しに頬を掻くような挙動をしながら答えた。

 

「あー、実は集団で苛めをしていたようで……。助けに入るつもりが怯えられてしまったみたいです」

 

「そのようなことが……。お見苦しい所を見せてしまったようですね。一応良い国ではあるのですが」

 

 非常に悲しいことだが、竜王国で差別的行為が行われるのはそれほど珍しいことでない。国柄として貧しさがあるため、心に余裕のない国民が多いのだ。

 

 特にエルフやハーフエルフは法国で冷遇されている都合で竜王国へ流れてくることもあり、あまりよく思っていない人々の間で迫害が起きていたりする。

 

 まぁこれも国外の人にするような話ではないだろう。

 

「ガレットが無神経な発言をしてしまい申し訳ないです。根は良いやつなんですけど、すぐ口に出してしまうといいますか」

 

「フォ、フォローが痛い……」

 

 つい飾らぬ言葉が出てしまう。それを見ていた女性はそんな様子が可笑しかったのか、軽く笑いを堪えている様子だった。

 

「お二人は仲がよろしいのですね」

 

「い、いやそんなことないですよ。私はこいつが心配なだけで……」

 

 アンジェシカはぶんぶんと杖を持った両手を振りながら否定していた。それは冗談半分のものだと分かる。

 

 しかし確かに、師匠と弟子のような関係からいつの間にかガレットが支えられるような形にはなっているのは事実だった。

 

(アンジェシカは凄いからな。俺とは違ってアダマンタイトも夢じゃないだろう。その時、俺は──)

 

 ガレットは遠くない未来のことを頭の片隅に仕舞いながら、帰路へとその足を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 この時期の薄暮は早く、あれから3時間ほどが経過した現在、若干の曇り空を見せている竜王国はその隙間から覗く太陽によって灰色と黄色のコントラストを作っている。

 

 そんな中、此処での用事を済ませた様子のツクヨミは随行していた陽光聖典の三名へと指示を出していた。

 

「20分ほど席を外しますので、それまでマルセルさんと合流し、本務を手伝ってあげて下さい。もしもの時は伝言(メッセージ)を飛ばしますので」

 

「承知致しました」

 

 白ローブの男たちはごく丁寧に敬礼を行う。付き従うことが本日の彼らの任務であり──使命であるが、遥か至高の存在であるツクヨミが命じたことであればそれを最優先するのは当たり前のことだった。

 

「時間が来れば門の方まで迎えへ行きます」

 

 ツクヨミはそう言い残すと、舗装された道を一人で歩いて行った──。

 

 

 ちなみに今回ツクヨミが遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)などを使わず、わざわざこの場まで歩いて出てきたのは、その目的が視察を重視したものでなく、ある一つの私用を達するためのものであったからである。

 

 その私用とは弔い。

 今回のビーストマン侵攻で亡くなった人の数は決して少ないものではない。遅れて来た法国の人間はまだしも、現地の兵士などは最前線で常に戦っていた訳なのでそれも当たり前の話だ。

 

 アンデットの蔓延るこの世界での埋葬は早く、実のところ、葬儀自体は昨日の内に終わっている。そのため今回顔を出したのはツクヨミの個人的な思いの部分が大きい。

 

 

 では、その用事を終えたはずのツクヨミはなぜ一人になったのか。

 

 それは心を落ち着けるという意味もあっただろうが、本当の目的は"人払い"であった。

 

 集団墓地のすぐ近く、国内では端に位置するこの場所の人通りは少ない。一応街灯もある、踏み鳴らされた道の横には狩り揃えられた草や木々も叢生している。

 

 そんな場所のベンチの前へとツクヨミは立つ。隣には巨大な木が生えていた。

 

「何か御用があるのでしょうか」

 

 ツクヨミが言葉を発すると、遅れて上空から声がした。

 

「……気付いていたのか」

 

 葉を茂らせている巨木の上の太い枝には、額に朱の宝石の付いた仮面を被っている少女が座っている。深紅のローブを着た少女は墓地の方を見据えたまま言葉を続けた。

 

「後をつけるような形になってしまったのは謝る。中々出てこれるタイミングが無くてな」

 

 少女はそう言うと、トスンという擬音が似合うような着地を行う。

 

 そうしてベンチの真ん前に降りて来た少女は深紅のローブをはためかせながら、仮面の奥から口を開いた。

 

「まず初めに──私の名はイビルアイ。世界の揺り返しの調査をしている者だ」

 

「初めまして。ご存じかもしれませんがツクヨミと申します。……もうお一人いた気がしましたが、そちらの方は席を外されているのですか?」

 

 ツクヨミは見渡すように軽く首を動かす。特段変わった点はなく、人らしき影は見当たらない。

 

「あぁ、仲間は少し離れた場所にいる。一対一の方が話しやすいだろう?」

 

「そうでしたか。お気遣いありがとうございます」

 

 皮肉でも何でもなく感謝している様子のツクヨミに少しやり辛さを感じているのか、イビルアイは軽く咳払いを行う。

 

「まぁ私も馬鹿みたいに敵対する気はないからな。ただ、それでもこの世界で永く生きる者として聞いておきたいことはある」

 

 正面に立つイビルアイは単刀直入に質問を始める。貴族のような、回りくどい会話は好きではないのだろう。

 

「実直に言おう。ツクヨミ──お前は何をするつもりで現れた?」

 

 鋭く、厳然たる言葉。イビルアイが発するそれは抽象的であり、捉えどころのないように感じられる。が、確かに彼女らが抱く疑問の大部分を孕んでいた。

 

「何をするつもり、ですか。難しいですね。でも大切な人達を守るために来たのは確かです」

 

「ほう。大切な者を守るために姿を明かしたと?」

 

「それは……どうでしょう。確かに大きなきっかけではありました。しかし思えばそれだけではなかったように感じますね。竜王国の人達も、いえ」

 

 頭を悩ませるように考え込んでいたツクヨミ。しかしイビルアイの言により、少しずつそれも氷解する。

 

 周辺にはいつしか黄色(おうしょく)の暖かな光が差す。

 

 ツクヨミは純白の衣の前に持ってきた閉じかけの手のひらに目を向けると、考えが纏まったようにイビルアイに視線を戻した。

 

 

 

「私は、世界にいる──遠い誰かの居場所を作るためにここまで来たんだと思います」

 

 

 

 そう。きっとそれが全ての根底だったのだろう。

 

「なるほどな。その誰かというのは、人間のことか?」

 

 イビルアイは地面を照らす光には目もくれず、すかさず言葉を返した。通常であれば言うまでもないようなことであるが──

 

「いえ、手を取り合えるのなら亜人も……魔獣も、異形もです。スレイン法国には怒られるかもしれませんけどね」

 

 ツクヨミは誰かのことを思い出したのか遠い目の中で笑った。イビルアイはその答えに衝撃を受けたようで若干の間固まる。

 

 夢物語のようで決してありえない。いや、誰もが放棄していた未来が語られたのだ。

 

「まぁでも、結局は私の我儘なのかもしれません。命を導くという思いで、世界を変えてしまうかもしれませんから」

 

「そうだな。その通りだ。……反発するやつも現れるだろう。それが正しいことなのかは、分からんな」

 

 難しい表情を浮かべるツクヨミへイビルアイはそう述べると、この場を立ち去るように身を翻す。

 背を向けたイビルアイはひとしきり遠くの景色を眺めてから、去り際に言葉を漏らす。

 

「しかし別に我儘でもいいんじゃないのか。世界はそうやって回るんだ。救われるやつの方が多いなら、それで十分だろ」

 

 それだけはどことなく柔らかな口調だった。風でマントが揺らめく。

 

「もういいんですか?」

 

 ツクヨミは仮面を被った顔を傾けている。もっと色々と聞かれると思ったのだろう。しかしイビルアイが足を止めることは無かった。

 

「あぁ、あまり時間もないんだろう? 何となくは分かったから大丈夫だ」

 

 

 ……

 

 

 そうして一切の足音は鳴らさずに、イビルアイは街路の方へ戻っていく。すぐ近くには平気そうにしながらも、心配するよう佇む老婆が立っているからだ。

 

「どうじゃった?」

 

 同行者である質の良い黒のローブを着た老婆、リグリットは壁の方からイビルアイへ近づいて行き、尋ねる。

 

「あー、うーむ。悪いやつではなさそうだったぞ」

 

「そうか……。一緒に旨い酒は飲めそうな感じじゃったか?」

 

「知らんが、そういうだる絡みは受けないんじゃないか」

 

 プレイヤーの"力"よりも、寧ろ"人間性"を重視していたであろう二人は歩き出した。

 かつて魔神戦争で共に戦った、気のいい仲間のことを思い出しながら。

 

「──なんというかな。ほんの僅かだが懐かしい匂いだった。信じてみるのも悪くはないかもな」

 

「もう百年前。あれから何も変わっとらんからな。新しい風も必要じゃろうて。わしらはわしらで、冒険者でも始めてみらんか?」

 

「どんな風の吹き回しだ。少なくともお前とは御免だぞ」

 

 

 

 

 ────

 

 ──

 

 ──

 

 

 

 

 はぁ……はぁ。

 

 

 一方その頃、イーヴォン・リット・ルーインは走っていた。かつてないほどの全速力で。

 

 着ているのは軍の制服である灰色の衣服。私服に着替えることもしていないのは、今がまだ勤務時間中であるためだ。

 それでもこうしてルーインが隊長から僅かな時間を貰い──仕事から抜け出しているのは先ほど偶然にも彼女の姿を見てしまったからだった。

 

 侵略するビーストマンを一掃し、竜王国を救ったスレイン法国の神。

 

 国の誰もが待ち望んだ存在。

 

 しかしルーインは知っている。豪華絢爛な衣装を着ていようとも、仮面を被っていようとも、あれは確かによく知る友人の姿であると。

 

 そんな背丈ほどある白の髪をした彼女は、十数分前に陽光聖典を連れて集団墓地へと消えていった。

 

 そのためルーインはその場所に急いで向かったのだが、いざ着いてみても彼女の姿は確認できない──。

 

 

「どこにいるんだろう……」

 

 

 ルーインは集団墓地周りを散策する。竜王国の街がどういった構造なのかは知らないため闇雲にであった。

 

 体力は無限ではないため、消耗したルーインは額の汗を拭いながら腰を折り立ち止まる。

 そして数秒の後に再び歩き出す。もう会うことさえできないかもしれないと思うと、諦めるという考えはあり得なかった。

 

 ルーインは黄色(おうしょく)の空を見上げ、熱の籠った左手で祈るように小さな十字架の付いたペンダントを握った。

 

 

 曲がり角を曲がる。

 

 

 人のいない小路地を走る。

 

 

 墓地を抜け、西へと下ったそこに──

 

「いた……」

 

 ルーインはようやくその人物を見つける。その華奢な身体には今も純白のローブを纏い、神の秘宝の数々を身に着け、仮面を被っていた。

 

 名前も……その姿も同様の彼女がなぜ仮面を付けているかは分からないが、何か顔を隠す理由があるのかもしれない。

 しかし、ルーインは仮面を付けた彼女がぽつんと一人でベンチに腰かけているのを見ると胸が締め付けられるようだった。

 

「ツクヨミさん」

 

 

 ……

 

 

「──え?」

 

 動揺したようにツクヨミは俯いた顔を上げる。ルーインはそのままベンチに近づいていった。

 まずは謝ろう、ルーインはそう考えていた。しかしあまりにあの日と違い過ぎる彼女に別の言葉が出てくる。

 

「あの、大丈夫ですか……?」

 

 一時(ひととき)の静寂。

 

 ツクヨミはどうしていいか戸惑っている様子だった。

 もしかして不味いことをしてしまったのではないかと不安になるルーインだったが、それも数秒。

 

 ツクヨミは心の準備を整えたのかその左手をそっと持ち上げた。

 白い指が仮面の上に置かれ、下に動かされる。

 

 

 仮面から現れたのは変わりない顔だった。

 

 

「久しぶりですね、ルーインさん。 私は大丈夫ですよ。少し寝不足ですけどね」

 

 ツクヨミは穏やかな笑顔を見せる。

 

 ひと月ぶりほどに見たその友人の姿に涙が出そうなほどの安心を覚えるルーインだったが、状況が状況であったのでその心中は複雑なものとなっていた。

 

 この再会はもう変わってしまった上での再会なのだから。

 

「その、ツクヨミさん。……すみません。私たちが弱いばかりに」

 

 死にかけたあの夜からルーインは不甲斐ない自分を許すことができずにいた。静かに暮らしていたはずの彼女が神という身分を背負うことになってしまった原因は、きっと自分たちにあると考えていたからだ。

 

 それなのに──ツクヨミは怒るどころか再会を嬉しそうにしてくれている。

 

「謝らないでくださいよ。こうなったのは決して皆のせいではありませんから。それに、私がこの道を選んだんです。今も後悔はしていませんよ……?」

 

 ツクヨミはそう言うと、隣にどうぞと言わんばかりに横へずれる。

 ルーインは座っても良いものかと深憂したが、結局隣へ腰掛けた。

 

「ありがとうございます。私は、本当に良い友人を持ちました」

 

「こちらこそですよ。実は私の初めての友達はルーインさんでしたから。会いに来てくれて本当に嬉しかったです」

 

 それから、木陰のベンチに座る二人はしんみりとした雰囲気で語り合った。たった数カ月の思い出をそうは感じさせないように。

 

 ……

 

「行く前に、一つだけお願いがあるんですがいいですか?」

 

 そんなことをツクヨミが呟く。

 

「なんですか?」

 

「その……少しだけ肩を貸してもらいたいです」

 

 いいですよ、とルーインが言う前にツクヨミは寄りかかってきていた。にしても体重掛け過ぎである。

 

「ちょっと重いです」

 

「あ、すみません。実はかなり眠くてですね。やばいんですよ」

 

「ちゃんと寝ないと駄目ですよ?」

 

 心配するルーインを他所目にツクヨミはリラックスしたように目を瞑っていた。

 

 そのまま1分くらいが経っただろうか。眠ってしまったんじゃないかと思っていたツクヨミがおもむろにその口を開く。

 

「あ、そういえば」

 

 

 

 

 

 

 ──王国も悪くない所でしたよ。

 

 

 そんな約束の内容が紡がれていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22.交錯する意志

 バハルス帝国。

 アゼルリシア山脈を隔てた、リ・エスティーゼ王国の東に位置するこの国は100年前の魔神戦争の後に生まれた比較的新しい人間国家である。

 

 その規模は近隣の国家の中でも巨大であり、同時期に誕生したリ・エスティーゼ王国に人口は劣っているものの、国力という面では引けを取らないかそれ以上であるとさえ言われている。

 

 そんな帝国国土の西に位置するのは首都である帝都アーウィンタール。

 帝国の心臓部であるこの都市には、国の発展に必要不可欠な研究機関や各種行政を司る建物など重要な施設が数多く集まっている。

 

 中でもその中心にそびえる皇城は帝国で最も重要な場所だと言えるだろう。国の方針を決定し執り行うその場所では、国家の運命を左右するような選択が年百年中行われている──

 

 

 ────

 

 

「ついていると言うべきか、ついていないと言うべきか……」

 

 高級な赤の寝椅子に腰掛け、金の装身具で飾られた頭を両手で支えるようにして唸っているのは帝国の若き皇帝、アルフリッド・ルーン・ファーロード・シル・エル=ニクスだ。

 

 現在アルフリッドは自らの居城であるこの城の皇帝執務室にて、信頼できる部下より報告を受けながら会議を行っている。

 

 その内容は他国の情勢に関するもの。普段は帝国をより発展させるための話し合いに時間が割かれているため、たまに行われるこのような会議では特に厄介ごとが持ち込まれることが多い。

 

 中でも今回のそれは今までと比較にならないくらいの大事であった。

 

 頭を抱えたくなる気持ちでアルフリッドが力なくソファに持たれ掛かっていると、すぐに横から声が掛かる。

 

「まさか、王国の事件に続いてこのようなことが起こるとは……。私も信じられません」

 

 そう返答するのは、銘木を素材とした小さな椅子の上に窮屈そうに座る壮年の男。帝国軍の最高責任者である大将軍だ。

 

 黒の全身鎧に身を包み、肩から赤銅色のマントを羽織る冷酷な戦場の指揮官も今は困惑の表情を晒している。帝国の今後を心配しているのかその口調は重い。

 

 いや、見渡せばこの執務室にいる人間の大体がそのような雰囲気の中にあった。悲嘆しているわけではないが、その雲行きの怪しさは机に散乱した書類を見ても察することができる。

 

「王国の……ズーラーノーンの件を聞いた時は苦笑いを浮かべたものだが、あれも今となっては些事だったか」

 

 アルフリッドは皮肉気に笑う。

 帝国は目下のライバルである王国へ諜報員を送り込んでいるため、数週間前に起きた事件の全貌も粗方把握している。

 

 その内容から察することのできる王国の低迷具合は呆れてしまうほどのもので、成長中の帝国からしてみれば同規模の国の失速はまさしく追い風であった。

 

 加えて国王であるウィリアム・シャル・ボーン・デル・レンテスは子供にも恵まれておらず、後継者の取り決めもまだ上手く行っていない状況だ。代替わりをスムーズな期間に終え、既に三年が経過している帝国とはこれまた大きな差が生じている。

 

 そう──最近はそういった理由が積み重なり、帝国は大きく勢い付いていた。それはこんなご時世であるにも関わらず、腐敗を理由に王国を併合してしまおうという話が帝国大貴族から挙がるほど。

 

 無論そんな浅はかな考えは既に一蹴してしまったのだが、アルフリッド自身慢心していた部分もあっただろう。

 

 今になって思えば、一連の流れも小さな予兆の一つに過ぎなかったのにだ。

 

 

「一応、もう一度だけ確認する。先ほどの──神が現れたという報告に誤りはないな?」

 

 

 アルフリッドは未だに信じられないその内容を、左右開きの重厚な扉の前に立つ皇室護兵団(ロイヤル・ガード)へ聞き返す。しかし、返ってくるのは先ほどと同様のものだった。

 

「はっ。竜王国に向かった近場の間者の連絡によりますと、ビーストマン侵攻が解決したこと。その際に神らしき人物が現れたことは間違いないようです。伝言(メッセージ)の内容のためそれ自体の信憑性は薄いですが、確かに法国が新たな馬車を出している情報など平野の砦からも報告が挙がっています」

 

「……なるほど。確か事件から三、四日は経っていたな?」

 

「はい。正確には把握しておりませんが」

 

 アルフリッドは視線を外し、額に手を当てながら考える。

 

 神が現れたというのが本当なら、それはもう王国などに構っている場合ではない。世界情勢は瞬く間に動くことになるだろうし、その影響は既に周辺国家にも出始めているはずだ。

 

 竜王国はまさにその典型。その恩恵を最初に受けたとなると、弱小国家から一転、強国にのし上がる可能性も十分に考えられる。

 

 かといって今から同じように接触しに行くことは困難だろう。なぜならスレイン法国は神を待ち詫びていた背景があるために、恐らくその馬車とやらで件の人物を迎えに行っているはずだ。

 

 現状法国を殴れる人間国家などあるはずもないため、それを阻止するのは不可能。あの評議国でさえ、今は盟約で縛られているのだから。

 

「やはり伝言(メッセージ)というのがネックだな。何をしようにも情報が不確かではかなわん」

 

「でしたら陛下、何卒私をお使いください。飛行(フライ)転移(テレポーテーション)の魔法でなら直ぐに飛んでいき、事実を確認できましょう。それに私の"目"であればその力量も同時に測ることができますぞ!」

 

 すぐに対面から言葉が返ってきた。アルフリッドがそちらに目を向けると、そこには象牙色のローブと複数の水晶の繋がった巨大なネックレスを身に着けた白髪の老人が寝椅子の上に腰掛けていた。

 

 

 老人の名はフールーダ・パラダイン。帝国最強・最高の大魔法詠唱者にして主席宮廷魔術師である。

 

 

 その実力は大陸でも有数と言われる"第六位階魔法の行使者"であることからも窺い知ることができ、三重魔法詠唱者(トライアッド)の異名は周辺諸国に轟き渡っている。

 

 そんな化け物であるフールーダはもう百年以上の時を生きているらしく、祖父の代から皇帝に仕えている帝国の右腕のような存在なのだが──ここ最近は魔法省に入り浸りほとんど姿を見せていなかった。

 

 そのこともあり、アルフリッドはこの老人に度々不信感を募らせている。もっとも元々の信頼も大きいのだが。

 

「確かに悪くない考えではありそうだが……。竜王国内に要人を行かせるのは後々面倒になりそうな気がしてな」

 

「なるほど……。では国境の湖近辺まで魔法で移動し、そこから情報魔法で調査を行うのはいかかでしょう?」

 

「ほう、そんなことまで可能なのか?」

 

 魔法の見識自体はそれほど広くないアルフリッドは驚きに声を変える。

 

「情報魔法とはその名の通り、情報を得るための魔法。その用途は多岐に渡り地中を見る魔法は言わずもがな魔法的視力強化も──」

 

「あー、すまない。そういう話は後にして、今は実現可能か教えてくれ」

 

「申し訳ございません。できるか、できないかで言えば可能でしょう。移動より少々時間がかかるかもしれませんが……もし行かせて下さるのなら、全力を尽くすことを約束致します!!」

 

「あ、あぁ。そうか」

 

 普段の教師然とした態度とは明らかに違う熱の籠ったフールーダの進言を受け、アルフリッドもまたそのメリットについて熟考する。

 

 まず、フールーダを現地まで送ることはそれほど難しいことではない。

 

 帝国は王国と同様に封建国家である都合上、重要な決定などは大貴族なども交えて話し合わなければならないが、それでもやはり皇帝の権力というのは大きく、この程度の判断にいちいち議会を通す必要はない。

 

 今回が緊急という側面を孕んでいるのもそれを後押しする。しかし、それは同時に皇帝が責任を負うということでもあるのだ。

 

(まぁ流石に行って帰ってくるだけだ。日数がそれほど掛かる訳でもないし、リスクは低いだろう。いざという時は呼び戻せばいいしな)

 

 反してそのメリットは大きいと言える。

 

 まず主席宮廷魔術師の口伝えという信頼性の高さ。そして……それを得られる早さ。何より、フールーダの生まれながらの異能(タレント)によって神とやらのおおよその実力──言わば今後の立ち回りを大きく左右するであろう追加情報までが得られる可能性もあるのだ。

 

 法国内に入られてからの情報収集が難しいことを考えれば、今回の機会を逃すのはあまりに惜しい。

 

「よし分かった。ではフールーダ、今回の見極めはお前に託そうと思う。最悪見つからなければ実際に目撃した帝国の人間から話を聞いて来てくれるだけでもいい」

 

「ありがとうございますっ!!」

 

 少し気が立っているように見える老人は深々と頭を下げる。アルフリッドはそれを気にしつつ釘を刺すように続けた。

 

「今回の真の目的はあくまで神が本当に現れたかの確認だ。帝国として大々的に接触するにはまだ早いだろう。そこは慎重に頼むぞ? フールーダよ」

 

「ははぁ! 勿論でございます、陛下」

 

 それを聞いていた大将軍もまた頷く。立ち上がり執務室を後にするフールーダと皇室護兵団(ロイヤル・ガード)

 

 アルフリッドは再び机に目を落とすと、散らばった書類の整理を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

「そうなのだ……ツクヨミ殿。分かってくれるか」

 

「えぇ。まぁ私なんてドラクシス様と比べればまだまだですけどね……」

 

 雨上がりの空の下、燦々たる陽光に照らされた王族用馬車の内部では、二名の女性が話をしていた。

 

 一人はドラクシス・オーリウクルス。言わずと知れた竜王国の現女王である。その多忙っぷりは周辺諸国の人間(竜)の中でもトップクラスであり、今も仕事中と言えば仕事中である。

 

 そしてもう一人はツクヨミ。いつの間にか一般人から神に昇格していた彼女もまた心労の絶えない人間だ。

 

 そんな忙しい王様、神様の二名は室内の柔らかな長椅子の上へ(はす)向かいになるよう座っている。初日はぎこちなかった彼女らも数日の会食などを経て、少しは打ち解けている様子だ。

 

 政治的視点がないとは言い切れないが、置かれている状況の似ている二人は同性ということもあり共通の悩みを吐露している。

 

「ここまで忙しいと何もできなくてな。私もそろそろ結婚を考えなくてはならない年なのだが、相手さえ見つかっていないのが正直な所だ」

 

 世継ぎの問題というのは王にとって重要である。それは寿命の長い、竜の血交じりのドラクシスにとっても例外ではない。にも関わらず、相当な美貌の持ち主である彼女が孤独に苛まれているのは間違いなくビーストマンのせいだろう。

 

「それは辛いですね。私も長いこと独り身だったので少し分かりますよ」

 

 ツクヨミが何処か遠い目をしていると、顔にハテナを張り付けたドラクシスが疑問を投げかける。

 

「ん、ということは……ツクヨミ殿は既に結婚為されていたか?」

 

「あ、いや。違います違います! 今も未婚ですよ。先のは言葉の綾と言いますか……」

 

 あたふたしているツクヨミが少し可笑しかったのかドラクシスは微笑みながら呟く。

 

「まぁツクヨミ殿の見た目なら言い寄ってくる男はごまんといるだろう。いや、逆に少ないのか?」

 

 危機に瀕している種族であるからか、この世界で恋愛や結婚を行う人の数は存外多い。それは16歳ほどで成人と見なされることからも察することが出来るだろう。

 そういった背景もあってか、男性も女性と関係を持つことに関しては積極的であると言える。それこそ金を払ってでも。

 

 しかしそれもあくまで一般的な話であり、絶世の美女と呼ばれるような者や一国の女王など明らかに格が高い人物に対してはその熱も尻すぼみとなっていく。何とも不思議な話であるが、身分社会の弊害であった。

 

 

 その後も車内ではゆったりとした会話が続いていた。そうしているうちに、いつしかガタンと馬車が停車する。

 

 

「女王陛下、そしてツクヨミ様。北の門へ無事到着いたしました」

 

「うむ、分かった」

 

 執事のような高級な衣装に身を包んだ専用の御者へドラクシスが返事をする。それを確認したツクヨミもまた、ドラクシスの顔に目を向け頷くとその身体を起こす。

 

「仮面は被らなくても大丈夫なのか?」

 

「はい。やはりこちらの方がすっきりしていますから……」

 

 その言葉にどんな思いがあったのかは分からない。しかしツクヨミの飾り気ない笑顔を見たドラクシスは何かを感じたのか穏やかな表情を浮かべながら『そうだな』と頷いた。

 

 降りやすいようエスコートする御者の横をドラクシスが、そして最後にツクヨミが通り抜ける。

 

 

 

 ・

 

 

 

 ツクヨミはすっかり水の乾いた路地へと降り立つと、辺りを確認するため首を動かす。目に入る者の中に一般の住民は居ない。そのことから、どうやらこの場所は人払いの行われた後であるということが分かる。

 

 ツクヨミはふぅと足を前へと動かすと、門の正面を見据えた。

 

 そこには住民の代わりとなるように佇む陽光聖典隊員たちの姿があった。視界いっぱいに映る五十名を軽く超えるであろう陽光聖典の総勢は揃って片膝をつき、神の到着を待つように頭を下げている。

 

(寒くなかったのかな……)

 

 先程まで雨の降っていた冬の中、ローブ姿でピクリとも動かない彼らを心配しながら、ツクヨミは声を発する。

 

「顔をお上げください」

 

 辺りに声が響くと、訓練されたようにばっとタイミングよく顔が上がる。と同時に驚きの声が挙がった。

 

「ツ、ツクヨミ様……! そ、その尊い御顔は……」

 

 中央に位置する陽光聖典隊長が目尻に涙を浮かべながら尋ねてきた。数日前に本隊とも顔合わせ自体は済ませていたため、それほど反応は大きくないかと思っていたが……どうやら甘かったようだ。見るとマルセルらも体を震わせ、目から一筋の涙を流している。

 

 ツクヨミは何と言ったものかと、脳内で思考した後に返答する。

 

「仮面は外すことにしました。ですのでこれが、一応私の素顔となります」

 

 難しい理由や厳かな言い回しである必要は感じなかったためにツクヨミは事実だけを伝える。後ろに立つ竜王国女王への配慮も少なからず頭の片隅にあっただろう。

 

「我々程度の者にその麗しき真の容貌をお見せ下さるとは、なんたる慈悲深さ……。その深遠なるご配慮に心より感謝いたします」

 

 法国の彼らはその容姿を賛美するように空を仰ぐ。そこまでされると流石に少し気恥しくなってくるというものだ。

 

 ツクヨミが顔に伸びそうな手を抑えていると、使命を思い出したであろう彼らは動き始める。

 

「さてツクヨミ様。既にお聞き及びのこととは存じますが門の先には光の神官長、そして大元帥がおられます。どうか我らに恩寵をお与え下さい」

 

 ツクヨミがここに来る前にも告げられていた内容を、陽光聖典隊長より聞かされる。それはスレイン法国からの迎えに他ならない。

 

 陽光聖典の各員は機敏な動きで門の前から退くように整列していく。東の門より堅牢さでは劣りそうだが見栄えという点ではそれ以上であるよう感じられる、両端に巨大な石柱を構えた門が姿を見せる。

 

 ツクヨミはこの門の先はきっと別世界に繋がっていることを察していた。

 

 元の場所へ帰るようで、全く違う場所に旅立つような──何とも言えない不思議な感覚だ。しかしもう迷いはない。

 

「承知いたしました」

 

 そう言ってツクヨミが一歩前へ進もうとすると、後ろから声が掛かる。

 

「ツクヨミ殿……健闘を祈る!」

 

「こちらこそ。またお会いしましょう」

 

 わざわざ見送りにまで来てくれたドラクシスにそう言うと、今度こそ北門を抜けるべく歩みを進めていった。

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 同刻、光の神官長は歓喜にその身を震わせていた。その両膝は地面に落とされ、長いこと跪くような姿勢となっている。もしそうしていなければ、きっと足をがたがたと揺らすことになっていただろう。

 

 それはきっと隣で同様の姿勢を取り続けている大元帥も似たようなものだ。

 

 光の神官長はざっと周囲を見渡す。

 

 北の門からはまだ待っている存在は現れていない。そのことに落胆し、同時に安堵する。石橋の横には並ぶように"法国の切り札"達が五名、二・三に分かれるようにして片膝を突き、神の帰りを心待ちにしていた。

 

 彼らは言わずと知れた『漆黒聖典』。その内訳は隊長である第一席次、宝玉を操る第三席次、回復を司る第四席次、純戦士である第六席次、防御に特化した第八席次となる。

 

 そんな役で分けられた漆黒聖典の面々は殆どスレイン法国の外に出されることは無い。

 

 それが今回動員されているのは軍、そして陽光聖典が既に国外へ出ていたため神官長らの護衛となる人材が不足していたため。もう一つは神にそれ相応の敬意をお見せするためだ。こちらが比重としては大きいだろう。

 

(しかし我らは何と幸運なのか。竜王国に派遣したのが別の部隊であったなら、きっとこの場には参加できなかっただろうな)

 

 光の神官長は前の神官長会議を思い出す。あの知らせの後は本当に狂喜乱舞であった。全員が号泣し、我こそがと立ち上がり、現地へ赴こうとしていたのだ。

 

 しかし、いかに優れた法国と言えど国のトップが一斉に他国にその足を運ぶのは危険極まりない。そのため余力は残しつつ、最大限の敬意を払って、今回の最高責任者である二人が神に相応しき馬車をこの場まで運んで来たのだ。

 

 最速最高の馬、八本馬(スレイプニール)を七頭も所有していたのはこれまた幸いだった。普通の馬などでは神を随分と待たせる羽目になっただろうことが容易に想像できる。

 

(いや、もしかするとその考えこそが傲慢だったのではないか。神がもっと素晴らしい移動手段を持っているということも十分考えられる……。何ということだ……!)

 

 今更そんな考えのよぎってしまった光の神官長はその頭を抱えたくなる。そもそも余計なことだと、跳ね除けられることもあり得るのだ。そんなことになれば耐えられるか分からない。

 

 

 しかし──そんな考えもすぐに吹き飛ばされる。

 

「っ!!」

 

「なんという……」

 

 神……つまり部下から聞いていたツクヨミなる御方が、現れていた。

 

 門の先から迫ってくるその姿は想像を絶するほどに神々しかった。身に纏う光の全てを結集したような装備の数々は神殿で保管されている宝を遥かに上回る輝きを放っており、背中に浮かぶ光臨はまさに神の威光を体現していた。

 

 そのあまりに素晴らしい光景に自然と涙が溢れ出る。濁流の如く押し寄せる感情の波は口から嗚咽を漏らさせた。しかし神の御前であるため、それを必死に押し込める。

 

 徐々に近づいてくる女神。その顔もまた、完璧というのが相応しい造形だった。

 

 そんな非の打ち所がない絶対者を前にして、漆黒聖典の面々も同様に息を飲む──。

 ツクヨミはそんな漆黒聖典の手前で足を止めると、視線をぐるりと動かした。

 

「お忙しいところご足労頂き恐れ入ります」

 

 豪勢な馬車の前でひれ伏す光の神官長らへと、ツクヨミは挨拶を行う。

 

 光の神官長は自身にその視線が向けられていることに畏れ多さを感じながらも、どうしようもなく歓喜する喉を震わせる。

 

「とんでもございません。六大神に代わり人類を守護して来た者の一人として、神の御姿をこの目で拝むことが出来るのは何よりの喜び。我々一同、神のご慈悲に深く感謝申し上げます」

 

「どうか頭をお上げください」

 

 神官長は地面にこすりつけていた額を上げる。神と話しているという事実にこれ以上ない幸福を感じるが、酔い痴れている場合ではない。これは法国の──人類の命運さえ左右する会話なのだから。

 

「既に話は伺っております。これから皆様は法国へ移動されるのですね?」

 

「はっ! その手筈となっております……」

 

 いつしか喜びと同じくらいの恐怖が足音を立て迫ってきていた。

 それは拒絶という名の恐怖。この流れでそれはないと言い聞かせつつも、もしかしたらという思いは拭えない。最も彼らにとって耐え難く、もしそれを聞かされれば瞬く間に絶望し、自害するだろうと思える言葉。

 

 それを回避するため光の神官長は必死に頭を動かす。何を言うのが正しいか。不快を抱かれないか。それだけを考えて。

 

「神よ、このまま法国の神殿へお越しいただくことは可能でしょうか……? 拙いものかもしれませんが、馬車は精一杯の物を用意させて頂きました。勝手な願いであることは承知しております。しかし何卒、何卒宜しくお願い致します……」

 

「私からもお願い致します。陰から見守っていてくださった神の温かさを、どうか、人類にお与え下さい」

 

 大元帥も続けて発言した。

 それを聞いたツクヨミは驚いたような表情をした後、どこか困惑している様子を見せる。捲し立てるような感じになってしまったのは不味かっただろうか。

 

 そのような思いを頭に浮かばせた光の神官長は額に汗を垂らす。冬の風に当てられた冷たいものだ。

 

 それから少しずつ足音が二人に近づいていった。心臓の鼓動が鳴り響く中、近くで音が止む──

 

「え、ええ。勿論です。寧ろそのつもりで来たのですから」

 

 それを聞き、光の神官長はそっと胸を撫で下ろそうとしたがすぐに言葉が続いた。

 

「しかし、一つだけ伝えておかなければならないことがあります。それは皆様の掲げる理念と私の理念に少々の違いがあるということです」

 

「それは……。どういった違いがあるのでしょうか……」

 

 光の神官長が恐る恐るといった具合に聞き返すと、ツクヨミはどこか言い辛そうに、しかしはっきりとそれを口にした。

 

「スレイン法国は人類を守るために活動されていますね。とても素晴らしく尊敬できることだと思います。ただ……私はこの力を人の為だけに振るうつもりはありません」

 

「そ、それは亜人にも神の慈悲を与えるということですか!?」

 

「友好に接することができる全ての種族の者に対して、です」

 

 光の神官長はそのあまりのスケールの大きさに絶句する。人類を守ることこそ至上であると教えられ、それが力の限界でもあった法国の民からすれば微塵の考えも浮かばない思想であった。

 

 しかし果たしてそんなことが可能なのだろうか? 

 

 憎しみさえ抱く化け物共を頭に浮かべると、無意識にそういった疑念が浮かぶ。しかしそれは神の力を疑うという絶対にあってはならぬことだった。

 

「もっとも、これは私の勝手な考えですので皆様の価値観を否定するような意はありません。もし、これが法国としてダメなことであれば立ち去ることでお許し下さい」

 

「許しを請う必要など何一つとしてございません! 我々は神のために在るのです。人類を御守り頂けるのであれば神のあらゆる想いに応える覚悟があります!」

 

 漆黒聖典もまた一様に目を瞑り、頭を下げている。当然だ。それくらいのことで信仰心を失うような者がこの場にいるはずもない。

 

「ありがとうございます」

 

 そう言ってツクヨミは腰前に両手を揃え、軽く頭を下げた。

 

 光の神官長は大元帥と共に畏れ多くもその身を起こすと、神の案内を開始する。

 

 と同時に一番手前で誰よりも深く頭を下げていた漆黒聖典の一人、輝く金髪に銀と黒が特徴的な鎧を着た第一席次も動き出した。

 

 そうして他の漆黒聖典各員も隊長に続いていった──。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23.光と影

複雑すぎる世界情勢。

お気に入り1000ありがとうございます!好きを書いたものだったので、沢山の方に読んで頂けて本当に有難いです。


 ホバンス。

 それは大陸西に位置するローブル聖王国の首都。

 

 数々の城壁、要塞都市などを超えた先にあるその都市は亜人の攻撃を日々凌いでいる聖王国内では比較的に安全であり、人口はもちろんのこと出入りする人間の数も他の都市に比べて著しく多い。

 

 当然、そんなホバンスには重要施設も多数ある。

 

 国のトップである聖王の住まう聖王国城。共に国を支える神殿勢力、その本拠地と言える神殿の数々。

 それらは全て政治の中心的場所であり、実質的にホバンスは南北に分かれる聖王国の意志を統合するような働きを担っている。

 

 

「あー、はい。分かりました。──ではそちらの方も引き続き宜しくお願いします」

 

 綺麗に磨かれた黄褐色のタイル床の上を歩く女性は疲れた表情で一息つくと、伝言(メッセージ)の魔法を解除するよう耳に当てていた手をそっと下ろす。

 

 銀のカチューシャを着けた腰まで届く長い茶髪。そこから覗く顔つきはまだ若く一般のそれと比べるとかなり整っている部類だと言えるが、睡眠不足であるのか目元には薄っすらと隈が出来ていた。

 

 そんな彼女の名前はキャリスタ・カストディオ。各国に広がる神殿勢力所属の最高司祭であり、聖王国を側面から支える神官団の長である。

 

 そういった背景を持つカストディオには日々、数多くの連絡が送られてくる。いや──その知恵を借りようとする国内の者からの相談や国外の神殿から共有される報告を含めれば……多いなどといったレベルではない。

 

 しかしながら今、カストディオはこれまでの忙しさなど大したことは無かったのだと悟りを開いたような思いでホバンス内にある聖王国城へと足を運んでいた。

 

(神の降臨……ね。早く真偽が判明すればいいんだけど)

 

 一昨日、一定の独立機関である神殿からカストディオへ連絡が入った。

 竜王国から聖王国まで、王国を経由して伝えれられたその内容は『人類の味方である神がその御姿を現されたかもしれない』という耳を疑ってしまうようなものだ。

 

 本来発覚からそれほど時間が経っていない段階でこの距離での連絡のやり取りが起こることはまずない。遠いということは緊急性も低く、伝言(メッセージ)の魔法に頼ることになるので情報としての価値が限りなく低いためだ。

 

 にも関わらず、竜王国内の神殿から連絡が寄こされたのは今回の一件が異例の事態であるということに他ならない。そのため、現在は早急な事実確認と神殿間の連携による各国への情報伝達が求められている。

 

 まぁ当然と言えば当然だが最高司祭であるカストディオもその役割の多くを担っているのだ。

 

 こつこつと靴から固い音を鳴らし、目的地まで歩いていると脳内に直接語りかけられるような感覚が来る。

 

『カストディオ、まだ掛かりそうなのか?』

 

 聞きなれた渋い声、おそらく参謀長のものであるそれを受け、カストディオは伝言(メッセージ)越しに溜め息を堪える。

 

「今向かっているところですよ。あと3分もかかりませんが少し急ぎますね」

 

『助かる』

 

 ぷつりと魔法が切れる。ちなみに内容から声色まで鮮明に聞き取れるのは二名の距離が近いからであり、これが数十km以上となると莫大なノイズが混じることによって非常に聞き苦しい伝言(メッセージ)となる。

 

「よし……」

 

 カストディオは気を引き締め直した後、足早に磨かれた階段を上る。度々すれ違う神官や騎士に会釈されながら、目的の部屋の前まで移動していく。

 出入りが激しいからか扉の開け放たれた会議室。話し声の漏れているその場所へと入室する──

 

「失礼します」

 

「カストディオか、忙しいところすまないな。いや挨拶は不要だ。それより何か進展はあったか?」

 

 腰の位置まである長机。その前に立っているのは薄い金髪の上に冠を戴く男性、現聖王であるリエンダル・べサーレスだ。豪華な純白のガウンを身に纏う彼は長い付き合いであるとはいえ一応聖王国の頂点に立つ存在である。

 

 そのため形式上でも礼節を欠くような真似はしない。

 

「いえ、残念ながらこれといった進展はありません。一応、証言自体は集まってきているのですが……結局のところそれも遠い地からの伝言(メッセージ)に依存してしまいますね。やはりこれ以上は何らかの接触が必要かもしれません」

 

「なるほどな。まぁとりあえずはその証言内容から聞かせて貰おう」

 

 カストディオは頷いた後、手に抱えていた書類を地図の広げられた机の上へ配っていく。隣に立つ熟練といった雰囲気を醸す参謀長もそれを手伝うように手際よく紙を回していった。

 

「これは……凄いな」

 

「有り得るのでしょうか。こんなことが」

 

 聖騎士団長、兵士長など机を囲むようにして立つ聖王国の精鋭たちも口々に驚きの声を漏らす。

 

 書いてあるのは神の降臨を始めとしたその特徴や偉業。もちろん国家間において明確な不利が生じてしまうような内容までは記載されていない。

 

「確かにこれが本当なら神と言われるのも納得できる。聖王国としては何としても協力を仰ぎたい存在だ」

 

「しかしスレイン法国との間にはアベリオン丘陵がありますからの。確認だけでもかなりの時間を要しますぞ」

 

「うむ。しかも王国への経路には確か、何だったか。亜人が発生しているという話だったが」

 

 リエンダルが兵士長の方へ視線を向ける。

 

「はい。現在、他国への唯一の経路である北の海沿いの道にはスラーシュという亜人が出没しています。目新しい種であること、アベリオンの山岳に挟まれた場所であることを考えると通行は危険かと思われます」

 

 何とも不幸な話であるが、元々聖王国は亜人の動向に左右されやすい国であるためそれ自体は特に珍しいことでもない。

 しかし問題はそのタイミングである。

 

「私もそう思います。しかし、だからといってこのまま退くのを待っているのは少し悠長であるかもしれません。このまま周辺諸国に置いて行かれる可能性も考えれば、いずれ対処しなければならないその亜人を退治しておいた方が良いのではないでしょうか」

 

「なるほど。そうだな……。友好関係にある人魚(マーマン)の助けを借り、海路を利用してみるというのも一つの選択肢ではあるが」

 

 聖王は頭を悩ませるように唸る。海軍率いる船の移動は陸地のそれと同様にリスクも高く、湾を渡ったことはあれど未だ真水の海へ出航したことはない。それを考慮すると海路の使用は些か冒険的であると言わざるを得ない。

 

(空輸でもできれば……というのは無い物ねだりね)

 

 カストディオは進言を心中に飲み込む。

 恐らく聖王も別の手段の難しさを踏まえたうえで、聖王国の外敵に打って出る能力の低さを懸念しているのだろう。

 

 少しの沈黙の後、リエンダルは話し始める。

 

「カストディオの言う通り、大事な経路をこのままにしておく訳にはいくまい。かといって焦りは禁物だ。仕方がないが冒険者組合とも協力しながら亜人を退治、そして王国を介して神に関する情報を集めていこうと思う。──意見のある者はいるか?」

 

 異論はないようで皆一様に口を閉ざしている。

 

「では、そういった方向で話を進めていく。まずは具体的な方策から話し合うとしよう──」

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

 左右の壁には青の炎が灯っている。

 

 とても狭い薄汚れた通路。深淵を思わせる暗き地中の底へと続く階段を一人の男が降りていく。

 

 男は頭頂から足元までその全身を墨色のローブで覆っており、その手には一匹の大蛇を思わせるような青漆(せいしつ)の杖を握っている。

 

 そして特に異彩を放つのはその顔。そこには祭祀を思わせる、宗教色の強いくすんだ灰色の仮面を被っていた。

 

 男は空間に鈍い靴音を響かせながら、延々と続くその通路を下って行く。螺旋のように緩いカーブを描くその階段も、奥へ進むにつれて少しずつその幅を大きくしていった。

 

 男は階段を降り切ると、鉄格子を構えた廊下──その茶色の地面を踏みしめ歩く。その足取りはとても慣れたものであり、男の落ち着いた様子は彼が此処を訪れた回数が一度や二度程度でないことを推察させた。

 

「これは……副盟主様!!」

 

「副盟主様だっ!」

 

 窪んだ巨大な空間の入り口。その近辺に立っていた青のフード付きローブを纏った怪しげな男たち──いや見れば女性らしき人影もある、が歩いてきた副盟主と呼ばれる男に平伏していった。

 

 若い者から老人までその年代も多様だ。ただ一つ同じなのは気が狂ったようなその表情。目は見開き、口は半開き。中には荒い息さえ吐いている者もいる。

 

 その様子はまさに狂信者と言えよう。

 

 恐怖心などではない純粋な憧憬の念を抱いている彼らへと男は向き直り、髑髏の指輪を嵌めた青白いその手を軽く持ち上げる。

 

「よい。スルシャーナ(しん)の子らよ。我らズーラーノーンは家族同然の存在。上も下もない」

 

 乾燥した低い声で男はそう言うと、神殿のような建造物……闇視(ダーク・ヴィジョン)を使わなければ到底先を見通すことのできないような暗闇の先へとその足を進めていった。

 

 

 ──ズーラーノーン。

 

 

 それは二十五年ほど前に誕生した、死を隣人とする魔法詠唱者(マジックキャスター)からなる邪悪な秘密結社のことである。

 

 その組織構造は強大にして偉大な力を持つ盟主を頭に抱き、その下に十二高弟と呼ばれる幹部、そして高弟に忠誠を誓った弟子を置くというもの。また、下部組織には邪教の信者も含まれるという。

 

 そんな彼らの目的はただ一つ。死に寄り添い、それを克服することである。

 故にズーラーノーンに所属する者は死の超越者であるアンデッドに強い憧れを抱いており、理想に近づくためならばどんな残虐行為でも喜んで行うという早迷惑な性質を持っている。

 

 それは副盟主と呼ばれる男──リヒター・イフ・ソルネウスも例外ではない。

 

 

 …………

 

 ……

 

 

「集まったか」

 

 それから程なくして会合が開かれた。

 

 その場に集まったのはズーラーノーン十二高弟。十二名のうち九名が出席する薄暗い円形の会議場は石造の壁へ立て掛けられた蠟燭型マジックアイテムの青い光によって照らされており、その怪しげな雰囲気を嫌というほど演出している。

 

 そんな部屋の中心には円卓があり、全体的に暗い衣装を着た彼らはそれを囲むように氷のように冷えた肘掛付きの椅子へと腰を下ろしている。

 

 初めに声を上げたのは入り口から最も遠い──上座に坐する男。実質的にズーラーノーンを組織する副盟主ことリヒターであった。

 

「さて、集まったのはこれで全員。二名は行方不明。一名は知っての通りだ。今回はその件に関する報告になる」

 

「あの馬鹿者。重要な役目を果たさず捕まりおって」

 

「そう言うな……。彼奴の任務は大役であるが故にその難度も高かったのだ」

 

 皺くちゃ顔の老婆が仲間の一人について言及すると、それにつられるように全員の視線が空白の席へと移動する。

 その席は幹部の中でも王国を腐敗させるべく貴族を中心に薬をばらまいていた老人のものだ。

 

「嘆かわしいことだが我らが同胞は今も牢の中にいる。王都にいた信者の手も借りたが……結果は芳しくない」

 

 リヒターは溜め息混じりに首を振る。寧ろその失敗によって現在の王城はその警戒レベルを高めているのだ。

 

「しかし助けないという訳にはいかんだろう? あの者は強力な死霊術師(ネクロマンサー)。処刑されるのは避けねば」

 

「そうは言えど危険ではないか? 牢周りの防御は固いというではないか」

 

 仲間意識の強い幹部、それほど腕に自信があるわけでない幹部が分かれるように意見をぶつけ合う。

 

 実際の所ズーラーノーンの個々の戦闘力は安定していないのが現状であり、リヒターのように英雄の領域を踏む者もいれば、第三位階魔法に届かない高弟も少なからずいる。

 

「まぁ落ち着け。既に逃げ延びた貴族への手引きは済ませてある。まだ時間的猶予はあると言えよう」

 

「うーむ。ただ、時間があったとしても助け出す方策が無くてはな」

 

「忘れたのか? もうじき二月だろう……?」

 

 リヒターの言葉に他の者が目を丸くする。理解したという風に中年の魔法詠唱者(マジックキャスター)らしき男も杖を腰前で撫でながら答える。

 

「なるほど。あれに合わせるのか」

 

「そうか。そうすれば我々幹部が総力を出す必要もなく、比較的安全に救出できるな」

 

 皆が納得したように頷く。どうやら方針は決定したらしい。

 

「提案するつもりだったのだが、どうやら異論はなさそうだな。ではそういうことで宜しく頼む。まずやるべきはエ・ランテル墓地への移動だ」

 

「日数にはかなり余裕がありそうだが。まぁ慎重に人員を整えて王都へ向かえばよいか」

 

「その間に姿を御隠しになられた盟主様を見つけらればこの上ないじゃろ」

 

「……そうだな。その流れで間違いはない」

 

 リヒターは上座の後ろの汚れた鏡、かつては通信用であったそれを横目に捉えると立ち上がる。

 十二高弟も腰を上げ、部屋を出ようとしていた時だった。

 

「あぁ……あともう一つだけ伝えることがある。危うく忘れるところだった──」

 

 負の感情の混ざったその声色に、一瞬だけ空気が冷え込む。

 

「勇敢な信徒の証言によれば、彼奴を貶めたのは背ほどある白い髪の女らしい。そのため、もしその人物を見つけたら私に報告せよ。必ず」

 

「りょ、了解した」

 

 強者の怒気を前に萎縮する幹部の面々。しかしそんな彼らを傍目に老婆は心底楽しそうに尋ねた。

 

 

 もし見つけたらどうするのかと。

 

 

「……我らの同胞、そして大義を奪おうとしたのだ。そのような愚か者には救いなき絶望と苦痛をくれてやろう」

 

 副盟主はそう言い残しその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

「ツクヨミ様、無事神殿前へと到着いたしました」

 

「今降ります」

 

 黒を基調とした高級感漂う馬車の室内。大きなソファの上に座るツクヨミは扉越しに声を掛けてきた漆黒聖典の隊長へと返事をすると、馬車を降りるために腰を持ち上げる。

 

 普通、馬車旅は長い時間体勢が固定されてしまうため、体の不調……特に腰痛などが起きやすい。

 

 しかしツクヨミが乗車していたのは一般のそれとは違う、紛れもない最高級の馬車。快適な車輪(コンフォータブル・ホイールズ)によって揺れは殆どなく、室内は明るく広々としており、八本馬(スレイプニール)輓獣(ばんじゅう)であるため移動も早い。

 

 そのため、竜王国から法国という長距離の移動を終えたツクヨミは、その本来の大変さに反して今一切の疲れを感じてはいなかった。

 

 それは一日半という、長旅慣れしていればそれほど苦ではない時間での到着ができたことやその間も適度な停車がなされていたことが大きいだろう。

 

(本当に、何から何まで申し訳ないな……)

 

 ツクヨミは長い髪を後ろに流してから扉を開け、足元の石畳へと降り立つ。

 

 窓の景色からも分かっていた通り、外は既に暗くなっているようだった。しかしツクヨミは外の予想外の状況に驚く。それはその場に集っていた人の多さだ。

 

「お寛ぎのところ御用立てしてしまい、大変に申し訳ございません」

 

「い、いえ大丈夫ですよ……」

 

 深々と首を垂れる漆黒聖典の隊長の後ろには、一緒に戻ってきた漆黒聖典以外の隊員含む計八名の者が並んでいる。

 

 いや、それだけではない。

 

 そこには青や緑、茶色や赤など様々な色の制服を着た別の聖典らしき存在まで道の左右に分かれるよう整列していた。一様に片膝を付き、頭を下げている彼らの人数はパッと見ただけでも軽く100はいる。

 

(た、確かに法国内に入ってから馬車越しに頭下げてる住民の人とかいたけども。しかしなんというか凄いね……)

 

 月と端々の永続光(コンティニュアル・ライト)に照らされた状態で固まっているツクヨミに、隊長の隣に立つ神官長の一人が声を掛けてくる。

 

 純白の衣装を身に纏う優しい表情をした中老の男性だった。

 

「ツクヨミ様、心よりお待ちしておりました。法国の代表として深く御礼申し上げます。また神のご来訪をこのような慎ましい人数でお迎えする我々をどうかお許しください」

 

「え? め、滅相もございません!こちらこそ何から何までありがとうございます」

 

 ツクヨミの正面で感極まったように涙を流している神官長たち。彼らはそれを拭いつつ、その後パレードの準備をしていることなどを伝えてきていたが、ツクヨミは終始ぽかんとするほかなかった。

 

 ……

 

「では、神殿へ案内させて頂きます」

 

 六名の神官長と大元帥、他五名が神都の中でも立ち入りの制限される場所である巨大な石柱聳える大神殿前の敷地内を、ゆっくりと案内するように歩き始める。

 

 ツクヨミの後ろには漆黒聖典の八名が警護にあたるように移動する。中でも第三席次である漆黒の衣を着た初老の男性は手元にある宝玉を操作しながら辺りを入念に索敵していた。第四席次である金髪の少女もまた、きょろきょろと心配そうに首を動かしている。

 

 彼らが警戒心を強くしているのは、恐らく帰国途中に馬車へ何らかの探知魔法が引っ掛かったからだろう。

 

(まぁ、位置的にも多分王国か帝国だろうと思うけど)

 

 ツクヨミは左手に嵌めた指輪に目を向ける。人差し指に嵌まるのは探知阻害の指輪。汎用性が高く、多数のプレイヤーが着用するその指輪だけで中位までの探知はある程度カバーできる……が。

 

 PK対策のためツクヨミは探知対策に2スロットを割いている。細かいことは省くが、規定回数使い切りの指輪で攻勢防壁のように広範囲探知を確定で阻害し、カウンターで逆探知する。つまり相手人数と位置を割り出すのだ。

 まぁ、実際のユグドラシルでは逃げる時に付け替えていたものであったが。

 

 そのため杜撰な探知に対するツクヨミの警戒は薄い。いや、むしろ今はそれどころではないのだ。

 

「この階段を上った先に存在するのが中央大神殿。かつて六大神が集まられたという、最も古くからある神殿でございます」

 

「なるほど」

 

 ツクヨミは改めて目の前の長い階段に視線を向ける。幅の広い石造りのそれは複数の暖かな灯りに照らされており、神都の中央に位置する緩やかな台地の上へと続いている。

 

「周りには六大神殿もございますが……と、申し訳ございません。飛行(フライ)の魔法を使わせた方がよろしかったでしょうか?」

 

 石段に足を掛けたツクヨミを見るなり最高神官長は漆黒聖典にちらりと目を向けた。

 

「いえこのままで大丈夫ですよ」

 

「さようでございますか。神の寛大さに感謝致します」

 

 いちいち大袈裟に頭を下げる神官長達に少しずつ精神を削られつつも、ツクヨミは階段を上っていく。周りに家屋がないことも景色を壮観とさせる要因であり、横に目を向けると石柱は言わずもがな所々によく分からない建築物が点在する。

 

 ツクヨミは話題を振ることも兼ねて、天井が吹き抜けになった神殿のような建物を指差す。

 

「あちらはどういった建物なのでしょうか?」

 

「あれはティナゥ・アル・リアネス。水の大神殿内にある聖域の一つでございます。巫女姫による大儀式が行われるのも聖域内でしてその際にのみ立ち寄りが許されています。……宜しければ巫女姫も神の御前にお連れしましょうか?」

 

「それには及びません。夜も遅いですからね」

 

 巫女姫というからには女性であると考えられるし、流石に寝ているところを叩き起こすのは可哀想だろう。そういった思いからツクヨミはその申し出をやんわりと断る。

 

 それからも興味深く外の景色に目を向けつつ階段を上がっていると、その段差も少しずつ終わりが見えてきていた。

 

 当然ながらツクヨミの身体能力からすればこの程度の上り下りは余裕も良い所だが、神官長のような歳を召した人には中々きついんじゃないだろうか。そのような考えを心中に抱きつつも先に進む。

 

 そうして一分も経たぬうちに斜面は平地へと変わる。すぐに──目の前には大神殿が姿を現した。

 

 今まで見てきた古典的な神殿とは異なり、宮殿に近い実用性を感じるその建物は全体的に蒼を感じさせる。

 動きを止めた神官長らがそっとこちらに振り返ると、中心に立つ最高神官長が皺のある口を開いた。

 

「大神殿へ到着致しました。最上階には空いた部屋も多くありますので、ツクヨミ様にはどうかそちらをお使いいただければと思います」

 

「ありがとうございます」

 

「いえいえ、ツクヨミ様に感謝されるようなことは一つとしてしておりません。我々が無理を言ってお招きしたのですから。……さぁさ、こちらへ」

 

 連れられるようにツクヨミはその壮大な建物へと足を進めていった。

 

 ──

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24.閑話~大神殿

少しだけ言い回しの修正をしております。


 静謐と呼ぶのが相応しい一室。

 

 いつの間にか部屋内にある簡素なベッド上に横向きになって寝ていたツクヨミは、ステンドグラス越しに取り込まれる朝の陽射しを顔に受け、その目を覚ました。

 

「んー」

 

 ツクヨミは眠たげな声を上げながら上半身を持ち上げ、目を擦る。

 

 その服装は昨夜大神殿にやって来た時と同様の純白のローブを纏ったものであり、頭や腕に付けた金の装飾はおろか背中に装備した光輪の善神(アフラマズダー)さえ外していない。

 

 そのため、今の今まで結構無茶な体勢で寝ていたようだ。

 

 ツクヨミは寝ぼけ目で見慣れない室内を概観する。

 

 青の大理石を基調とした広々としたその空間の天井からは彫刻のように繊細な──硝子のシャンデリアが吊り下がっている。

 

 他の家具も同様に洗練されたものであり、壊せば高額の請求をされそうな物ばかりであるが、最低限の数しか置かれていないからかその印象は質素なものだ。

 

 そんな部屋内にはステンドグラスの嵌め込まれた窓が複数あり、彩られた水色と白のフィルターを通して外の陽射しを取り込んでいる。

 

「あー……思い出した。神殿に来たあと寝ちゃってたか」

 

 スレイン法国神都の中央に位置する大神殿。周りには沢山の建造物の存在するこの場所は、神の居城という役割は勿論のこと礼拝堂から議場、離れには公人等の生活の場まであるという。

 

 その中でもツクヨミが最高神官長に案内されて来たこの部屋はかつて六大神が住んでいた部屋と同じ階層にあるという、言わばスレイン法国最高の神聖領域であり、住むどころか立ち寄ることも憚られている。

 

 そんな場所で着いて早々爆睡するには相当な胆力が必要だろう。勿論ツクヨミはそのようなものは持ち合わせていないし、寧ろ環境が変われば落ち着かずそわそわしてしまう類の人間である。

 

 それなのに夜中の警戒もすることなくこのような朝を迎えてしまったのは、馬車で殆ど寝ていなかったことや神として振る舞いながら重鎮と接さねばならなかったことなど、様々な要因から来る疲労や緊張が重なった結果であった。

 

(しかも到着してからもあれだったし……。本当に無事に済んで良かったなぁ)

 

 ツクヨミは戻りつつある鮮明な意識で昨夜の出来事を回想する。

 

 

 ──あの到着の後、一緒に大神殿内に入ったのは神官長ら含む十二名の要人と第一から第八までの漆黒聖典隊員だった。巨大なエントランスホールの正面には神々しい像が鎮座していて、その左右には上層へと続く豪勢な階段が伸びていた。

 

 元々最上階の部屋へ行くことは伝えられていたため、その階段を使って部屋まで案内されることは予想出来ていたのだが、まさかそこから『見知った顔』が出てくるとは──あの時は思いもしていなかった。

 

 その人物が降りてきてからはそれはもう騒がしくなり、小さな友人がツクヨミへ馴れた口調で話しかけているのを見るや『神に対して不敬な態度だ!』と憤る神官長やしつこく関係性を問いただそうとする大元帥などが会話を投げ交わし始め──ツクヨミの精神を見事削り取ったのだ。

 

 最高神官長がいなければ搬送されることになっていたかもしれない。

 

 

「まぁ今日は特に何もなさそうだしその分ゆっくり過ごそう……」

 

 ツクヨミは切り替えるようにベッドから立ち上がると、艶やかな白の髪を後ろに纏め、その白い靴を硬質な床に下ろす。

 

 昨日から話に出ていたパレードとやらも準備にはまだ数日かかるという話なので、それまでは羽休めの期間として神殿内に留まることになるだろう。そのため、出来ていないことを消化するのも悪くない。

 

(ひとまずはシャワーかな?)

 

 ツクヨミは持ち上げた裾に鼻を近づけスンスンと軽く匂いを嗅ぐ。幸いなことにローブが匂うということは無い。しかし神器級(ゴッズ)の装備と言えど、汚れない訳ではないのでたまには洗濯も必要だ。

 

「うん、やっぱり湯浴み中に済ませちゃおうか」

 

 清潔(クリーン)の魔法が使えないツクヨミは手洗い以外に方法が無いので、これまた水場にいる時間が必要となる。まぁ最近は体を洗うこともできていないので一石二鳥というやつだろう。

 

 色々と理由を付けつつ幸せ気分で風呂の準備を開始するツクヨミ。

 

 

 ──しかしそんな時間も空しく、コンコンと重厚な扉が叩かれた。

 

 

「ツクちゃん入るよー」

 

 返事も待たずにドアノブが引かれ、すぐにそれを拒否するような音が鳴る。聞き覚えのある高い少女の声に一瞬怯むが、ツクヨミは急いでドアの方へと向かう。

 

 鍵を開けると、すぐさま小さな人影が室内に入ってきた。そしてそれはツクヨミの腰に抱き着いてくる。

 

「おはようアリシア……。朝から元気だね」

 

「うん。昨日は邪魔されて話せなかったからさ」

 

 昨夜のことを思い出したのか、少し不満気な表情を浮かべる黒髪の人物。彼女こそ転移当初から度々会っていたツクヨミの友人にして、漆黒聖典──番外席次の地位に坐する少女、アリシアである。

 

 この世界では珍しい黒髪と灰白色の瞳という組み合わせ。そして身に着けている緩い白黒の衣装が特徴的な彼女は、少しすると腰から離れた。

 

 昨日見た槍のような戦鎌(ウォーサイズ)は装備していないため、その姿は十代前半のあどけない少女といった感じだ。

 

「でも大丈夫なの? また神官長さん達に怒られないといいんだけど」

 

 心配気味にツクヨミは問いかける。

 

 先の通りアリシアは昨日もやらかしているため、神官長らはおろか漆黒聖典の隊長にもその動向を警戒されている。それにこの場所は何と言っても最上階であり、いくら漆黒聖典の隊員であるとはいえ易々と立ち寄れる場所でもないだろう。

 

「うーん。分からないけど……それでもツクちゃんに会いたかったし」

 

 アリシアは人差し指を合わせながらこちらを見ている。ツクヨミはその一連の言動のみで撃沈した。

 

「なるほど。ま、まぁそんなに大事でもないだろうし何かあったら私が話そうか。でも皆にはあまり迷惑を掛けないようにね?」

 

「分かった」

 

 初日同様甘々になってしまっているように思えるが、それも仕方がない。ぼっちであったツクヨミからすれば会いに来てくれるというのはそもそも嬉しいことであり、それが妹属性を持つアリシアなら猶更である。

 

 アリシアは部屋の中を興味深く観察した後、口を開く。

 

「そう。それでさ、良ければ神殿内を案内しようと思うんだけど……どうかな?」

 

「あー、確かに私はここに来たばかりだからね。ただ──」

 

 大神殿に来てからツクヨミはまだ体を洗っていない。順当に考えれば、待ってもらってから活動した方が衛生面の心配はしなくて済む。

 

 しかし諸々の作業もしていればそれなりの時間が必要になることだろう。それは朝早く来てくれた友人にも忍びないため、ここはお姉さん(?)として譲歩することとする。

 

「いや、そうだね。じゃあ……案内してもらおうかな」

 

 それを聞くや否やアリシアはツクヨミの手を引きながら、廊下の方へ戻って行く。

 

「よしじゃあ行こう!」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 神殿内をそれなりに歩いた後、一行はある部屋の前で立ち止まった。

 

 薄明かりの通路の先にあるここは五柱の神の装備が眠る場所。番外席次が守護する神聖領域である。

 

「えっと。ここは入っても大丈夫なの?」

 

「本当は駄目だけど、ツクちゃん神様だし大丈夫じゃない?」

 

 もっともらしい意見を受けたツクヨミが固まっていると、その間にアリシアは扉を開け中へ入って行った。ツクヨミは悩んでいる風だったが、仕方なしにアリシアの後を追う。

 

 二人が足を踏み入れたその空間は宝物庫のようで、左右には積もるほどの大量の金貨が散らばっていた。それらは一般に流通している金貨とは異なるユグドラシルの金貨であり、硬貨には女性の横顔が彫られている。

 

 数えるのも億劫となる金貨の山。それを見れば、普通の人間なら驚き舞い上がるかもしれないが、歩く二人の反応は薄い。

 

「あ、懐かしいなーこれ。確かイベントの装備だよね」

 

 いつの間にかツクヨミは壁に掛けられた装備の類を夢中で見ていた。女子高生のような防具から明らかに使い辛そうな造形の鎧まで、実用性を一切感じさせないそれらの装備はユグドラシルの物であり、基本的に聖遺物級(レリック)の等級で揃えられていた。

 

 ユグドラシル基準ではぼちぼちといった性能のそれらも、この世界の基準ではとてつもない性能を誇る。

 

 しかし強い装備には当然職業(クラス)の制限などがかかるため、神の遺産と言えるこれらを使いこなせる者は漆黒聖典の中で見ても限られる。

 

「装備も凄いんだけどね。でも奥にある物はもっと凄いよ」

 

 守護者ということもあって室内の構造に詳しいアリシアが宝物庫の奥へとツクヨミを引っ張っていく。

 

 ツクヨミは部屋の奥に鎮座するそれを見るなり驚きの声を上げた。

 

「ワ、ワールドアイテムっ!?」

 

 そこにあったのは白銀の生地に、天に昇る金の龍が刺繍された装備型のアイテム。

 

 ユグドラシルの中でもゲームバランスを崩壊させるほどに強力なアイテム群であるWI(ワールドアイテム)の一つ、傾城傾国(ケイ・セケ・コゥク)だった。

 

 その効果は相手の耐性を無視して魅了効果を与えるという恐るべきものだ。

 

「わ、わーるどあいれむ? っていうの……これ?」

 

 独自の単語だからか上手く聞き取れなかったアリシアが聞き返す。

 

「アイテム、ね。しかしまさかこんなヤバい物があるとは……」

 

 ツクヨミはしゃがんだまま唇に指を当て、眉間に皺を寄せた状態で何かを思案しているようだった。そんなツクヨミのただならぬ様子にアリシアがどう声を掛けたものかと悩んでいると──

 

「……絶生遏絶(ぜっせいあつぜつ)、なぜこの神聖領域に人間がいる?」

 

 洞窟に響くような低い声で少女の異名が呼ばれた。後ろからの声だったためにツクヨミは驚き、跳ねる。

 

「ルフー、この人は人間じゃなくて神様だよ」

 

「ルフスだ。……人なのか神なのかは知らないが、私にとっての神はあの御方しかいない」

 

 汚れた漆黒のローブを頭から被るのはスケルトン。空虚な瞳の中には灯りの一つもないが、それが高位の存在であることはその立ち振る舞いからも窺える。

 

 ルフスはその両手に"神の国の槍"を抱えた状態でツクヨミの方を向き声を発する。

 

「ここは偉大なる御方の残された秘宝が眠る地。もし其方に悪意が無いというのなら、此処を早急に離れて頂きたい」

 

「さ、左様でしたか……。ずかずか入ってしまって申し訳ございません。ではこれにて失礼させて頂きます」

 

 そそくさと退散するツクヨミ。

 

 アリシアは明らかに不満気な表情を顔に張り付けており、ルフスへ何やら物申そうとしていたが、ツクヨミに引きづられながらその場を後にすることとなった──

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「今度は怒られないよね……?」

 

 昼前の太陽が外の通路を照らす。神殿内の粗方を見て回ったツクヨミは、次に外へ伸びる建物の案内を受けている。

 向かっている場所は訓練施設。存在が秘匿されている六色聖典が日々訓練を行っている場所であり、外に設置されているが屋根は付いているらしい。

 

「訓練の見学は神官長も行ってるし大丈夫だよ。それにさっきのも怒られるようなことじゃなかったし……。神様なんだから」

 

 むすーっとしているアリシアを見ながら、『いや悪かったと思うよ』とは言えないツクヨミは話を戻す。

 

「なるほどね。ちなみにアリシアは訓練とかはしないの?」

 

「時々参加してるけど、いつもは宝物殿の守護を優先されちゃってさ。中々外に出してもらえないんだ」

 

 だから退屈なんだよね、と少女は付け加える。それを聞き、ツクヨミは小さく眉をひそめる。

 

 それは一種の隔離という側面も持っているのだと推考できる。その歳で外に出してもらえないのは精神的にかなり参りそうだし、数カ月前──ちょくちょく神殿から抜け出して図書館に来ていたのはそういう背景あってのことなのだろう。

 

(何かしてあげられたらいいんだけどな……)

 

 ツクヨミが一人唸っていると、どうやら目的地に着いたようだった。

 

「ツクちゃん、こっちから行こうか」

 

 石柱並び立つ施設の周りをぐるりと移動した後、横の石段を上り空間の内部へと入る。

 

 矩形の闘技場のようなその場所では、最近は激務で碌に時間も無かったであろう漆黒聖典の面々が訓練に励んでいた。

 

 訓練用の武器を用いて鉄の音を屋内に響かせているのは漆黒聖典の隊長と第二席次。隊長をサポートするように後ろから魔法を放つのは第三席次。反対に、金髪の少女である第四席次は第二席次の回復や、隊長の妨害を行っている。

 

「チーム戦か。いいなぁ。楽しそう」

 

 ぽつりとそんな言葉が漏れる。訓練に対してそんな思いを抱くのもどうなんだという話ではあるのだが、ツクヨミはゲーム内では1体多のPKばかり受けていたため、こういう協力戦には憧れがあるのだ。

 

「他のメンバーは休憩とか鍛練をしてるみたいだね。どう? 私たちも乱入してみる?」

 

 悪戯な表情でアリシアが声をかけてくる。ツクヨミは頬を搔きながら答えた。

 

「いやー。邪魔になっちゃうんじゃないかな?」

 

「……そう? 皆大好きな神様が来てくれたって知ったら喜ぶと思うよ? もう第七席次は気付いてるみたいだけど」

 

 目を向ければ、確かに水を足元に置いて頭を下げている茶髪の女性がいた。

 

「それに私も遊んでみたいなぁ。ツクちゃん、強いんでしょ」

 

 続けてアリシアが念を押す。その声は落ち着いており、どことなく漆黒聖典番外席次の一面が感じられた。

 

「うーん、じゃあ隊長さんの邪魔にならないなら少しだけ場所をお借りしようか」

 

「よしっ!」

 

 言質を取ったとばかりに少女は観客席のようなこの場所から、中央の黄土色の地面へと駆け下りていく。ツクヨミもそれに着いて行くようにゆっくりと段の上から降りていった。

 

 お構いなしに戦場に乱入したアリシアを見るや、隊長らは戦闘を中断する。

 

「番外席次ですか、職務はどうし──」

「ツクヨミ様!?」

 

 こちらに気付いた彼らは一斉にその頭を下げ始める。ツクヨミはもう申し訳なさでいっぱいだ。しかしアリシアはというとどこか誇らしげな態度であった。

 

「隊長、ツクちゃんがチーム戦に混ざりたいってさ」

 

 番外席次としてのその言葉に隊長は小さくため息をつく。

 

「その言葉遣いはいかがなものかと思いますが、なるほど。神はそのような気持ちであったのですね。気が付くのが遅れてしまい申し訳ございません」

 

「え?」

 

「ツクヨミ様の剣を受けられるとあらば、これ以上名誉なことはありません。ぜひやりましょう!」

 

 灰髪の槍使いである第二席次も賛同を始める。アリシアに関しては既に準備運動まで始めていた。

 

「しかしそのまま執り行えば、万が一ということもあります。もし神に傷を負わせてしまうようなことがあれば我々はその罪の重さに耐えられないでしょう……」

 

 拳を握りしめ、悔しそうにする隊長。それ聞いた第二席次も先の自分の発言が軽率であったことに気付き、慌てて頭を下げる。

 

(そ、そんなになのか……)

 

 ツクヨミは軽いノリで来てしまったことに若干後悔しつつ、このまま引き下がることを考える。しかしそれではアリシアが報われないだろう。

 

「で、では──これを使うのはいかがでしょうか?」

 

 ツクヨミは虚空からアイテムを取り出す。

 

「それは……竹の刀ですか?」

 

「ええ。竹刀(しない)といいまして丈夫でありながら、プレイ……人には殆どダメージを与えない代物です。これを先に当てた方が勝ちということでどうでしょうか」

 

 勿論これはユグドラシル産の武器であり、地味に不壊属性が付いている正真正銘のネタアイテムである。

 

「なるほど。神のご慧眼、そしてその配慮には感服致します」

 

「……無から物体を呼び出すことができるその手腕も流石という他ありませんな」

 

 いつの間にか横に立っていた第三席次も称賛の言葉を送ってくる。ツクヨミは数本の竹刀を追加で取り出したのち、一応下級治癒薬(マイナー・ヒーリングポーション)も人数分用意した。その赤い溶液にも驚きの声が上がったのは言うまでもない。

 

 そして、そのまま細かいルールも決める。魔法での攻撃は水弾を撃ちだす水の飛沫(ウォータースプラッシュ)によるもののみ。攻撃でなければ武技や魔法等も使用可能。頭や急所への攻撃は禁止、といった具合だ。

 

「チーム分けはどう致しましょうか?」

 

 隊長が尋ねてくる。

 

「乱戦……というのは厳しいですよね」

 

「はい、第三や第四は後衛ですので」

 

「じゃあ、ひとまずツクちゃんと第四席次のペア対私たちでいいんじゃない?」

 

 アリシアの提案はつまり2対4である。それは流石に厳しいのではないかと隊長が申し出るが、ツクヨミはそれを了承した。実際、それは良い配分であっただろう。

 

「一旦それでやってみましょうか。私もどれだけ出来るか分からないので、どうかお手柔らかにお願いします」

 

 

 

 ♦

 

 

 

(よし……)

 

 漆黒聖典第一席次である隊長は息を整える。前衛には隊長、番外席次が構えており──その一歩後ろに第二席次。そして後方には第三席次が佇んでいる。

 

 全員が英雄級か、それを超えるという四名。そんな彼らが作り出す陣形はほぼ無敵であり、並みのモンスターはおろか魔神クラスであっても戦える強さを誇る。

 

 しかし油断はできない。それもそのはず。四人の相手は至高の神その人なのだから。

 

(ツクヨミ様はああ仰られていたが、きっと我々の為を思ってこの機会を授けて下さったのでしょうね。なんと慈悲深き御方か)

 

 隊長は心の中で神に精一杯の感謝をすると、息を吐きながら戦闘態勢に入る。やるからには全力である。……でなければ意味がない。

 

 暫し息が詰まるような緊張感が流れた。

 

「では始めますよ!」

 

 第七席次の掛け声を聞き、竹刀を握る手をより一層強いものとする。そして──魔法で戦闘の合図が出されると同時に、戦場は瞬く間に動き始めた。

 

「武技:能力向上、能力超向上!」

 

 初めに動いたのは番外席次だった。先手必勝と言わんばかりに武技を発動させた後、その小さな足で地面を蹴り上げる。轟音が鳴り、砂煙が吹き荒れると、恐るべき速さで番外席次はツクヨミへ飛んでいく。

 

(どうなるっ)

 

 到着までは一秒とかからない。しかし隊長にはそれが走馬灯のように長いものとして映っていた。

 

 

 

 ツクヨミは一向に動く気配がない──

 

 

 

 そうして……パンッと鋭い衝突音が鳴り響く。

 

「なっ!?」

 

 その時、隊長にはツクヨミの動きが一切見えなかった。ただ確かに番外席次の攻撃は弾かれており、その体の向きを変えさせている。

 

「武技:即応反射っ」

 

 しかしさすがは番外席次といった所で、体の重心をずらすとそれを軸としながら目にも留まらぬ連続攻撃を繰り出す。

 

 軽く数百キロは出ているだろうその攻撃をツクヨミは足を止めた状態で弾いていく。まだ余裕さえありそうだ。

 

「まずいな。武技:縮地!」

 

 隊長は武技によりその距離を詰める。彼女の攻撃が止めば、ツクヨミは容赦なくその隙をついてくるだろう。そうならないためにも一斉に攻撃を仕掛けることが大事だ。

 

 ただ、それは理想でしかない。

 

大地の束縛(バインド・オブ・アース)!」

 

 その動きは森祭司(ドルイド)である第四席次の魔法によって止められる。地面から蔦が出現し、隊長の足を掴む。剣で千切れない以上かなり厄介な魔法だ。

 

 第三席次の解呪の魔法によりそれが掻き消えるまで、少なくない時間をロスすることとなった。

 

 やはり届かない番外席次の攻撃は少しずつその速度を下げ、そして強く払われる。

 

「っ」

 

 番外席次が声ならぬ声を上げると同時に竹刀がふり抜かれる。

 

 一名脱落かと思われた時、硝子にぶつかったような衝突音が響いた。目を向けると番外席次とツクヨミの間には透明な板が発生しており、攻撃を阻んでいる。

 

 それは正しく完璧なタイミングによる防御魔法だった。

 

(流石ですね……第三席次。では私もそろそろ参りましょう)

 

「「武技:能力超向上、流水加速!!」」

 

 息を合わせたように第二席次と同時に武技を発動させ、ツクヨミへと駆ける。第四席次による妨害は続いているが、流水加速によって研ぎ澄まされた意識によりそれらを回避する。

 

 そして音速とも言えるような速度で目の前の絶対者へ竹刀を振るった。

 

 しかしそれも、すぐに体でない何かにぶつかる。

 

「二人同時は……少々骨が折れますね」

 

 ツクヨミはそう言いながら隊長と第二席次の取り囲むような超速の回転攻撃を体術を合わせた剣裁きでいなしていく。隊長は変則的に攻撃を試みるも、まるで永遠の距離がそこにあるように届かない。

 

 ただ一つ分かるのは、この御方の強さが我々の想像を遥かに超えているということだ。

 

 少しずつ額から汗が流れ落ち、流水加速による神経の負荷が増大する。しかしこの程度で動きを止めることは無い。

 

「いや三人だよっ!! 武技:限界突破──神速」

 

 死角から現れた番外席次の攻撃がそこに加わる。隊長は極みまで洗練された動きの中で、腕に握られたそれを振り抜く。

 

「これで終わりです!」

 

 三方向からの同時攻撃。これは流石に受けきれない──

 

 ……

 

加速(ヘイスト)

 

 そう呟かれた瞬間、ツクヨミの姿が目の前から掻き消える。微かな地を蹴る音がした。

 

(上!?)

 

 隊長は反射的に空を見上げた。

 

 ツクヨミは何か魔法を使ったのか、或いは回転のエネルギーを限界まで利用したからかは分からないが、物理的にあり得ないような動きを空中で見せ、そのまま地面へ着地した。

 

 隊長はそのあまりに凄まじい動きに感嘆の声を漏らす。

 

「ま、まじかっ」

 

「なぜツクヨミ様が驚かれているのですか……」

 

 はははと笑うツクヨミはその場で立ち上がると、楽しそうに口元を緩ませながら真剣な表情で口を開いた。

 

「では今度はこちらから行きますよ──」

 

 ……風が舞った。

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 

 大神殿の会議室。日が落ち、窓の外から灯りを確保できないその部屋は蝋燭を光源として明るさを保っている。

 そんな落ち着いた雰囲気を醸している部屋の中にいるのはいつもの面々。国のトップである最高神官長。六人の神官長と司法、立法、行政の三機関長。魔法の開発を担う研究館長に軍事機関の最高責任者である大元帥だ。

 

 パレードの日程が進んでいることもあり、最近では大神殿での神官長会議の回数も増えている。しかしながら、彼らがここへ頻繁に集まっている理由はもう一つある。

 

 それは──神のいるこの場所に少しでも長く滞在していたいという思いに他ならない。

 

 最高神官長であるオルカー・ジェラ・ロヌスもそれは同様であり、休憩中であるこの時間でも各自満たされたような表情で椅子に座っている。

 

「そういえば」

 

 そんな闇の神官長の言葉から話は始まった。オルカーはそちらに視線を向ける。

 

「今日の昼、神が直々に漆黒聖典隊員の訓練に付き合ってくださったそうだ」

 

「おぉ! なんと素晴らしい。全く羨ましい限りだ」

 

 座る者は一様に数回頷く。何より素晴らしいのは、神がそこまで人類の為に尽くしてくれているということだ。

 

「安全を確保した上での実戦もあったそうだが、その内容は凄いぞ。なんと神は漆黒聖典を四人纏めて相手にし、見事勝利されたらしい」

 

 続けて言う闇の神官長の言葉に他の者も驚嘆する。オルカーも同様に眉を上げる。

 

 そもそも神というのはそこに居てくれるだけでも有難い存在なのだ。なぜならそれは絶対の安心に繋がるし、人類の士気の向上にもなる。何より道を示してもらえるというのが大きい。

 

 しかし降臨した神はその恩恵だけでなく、それに相応しい力も人の為に振るって下さるという。

 

 漆黒聖典を四人同時に相手する実力、そしてビーストマンの群れを一撃で倒すその攻撃の威力。

 

(果たして神は、どれだけ我々の想像を上回る存在なのだろうか)

 

 オルカーの口角は自然と緩んでいた。

 

「我々もこのままではいかんな。ツクヨミ様の為にも必ずパレードを成功させねば」

 

「そうだ。不埒な輩が現れぬよう、しっかりと警戒しなければな」

 

「軍と陽光聖典が戻るまであと二日か。到着次第すぐに執り行おう」

 

 パレードの準備は元々光の神官長と大元帥が竜王国へ行く前から始まっていたため、もう殆ど完了していると言っても差し支えない。ただ、警備が手薄では何が起こるか分からないため、彼らの帰りを待つ必要があるのだ。

 

 オルカーは意見を出し合う彼らを眺めながら声を発する。 

 

「パレードの最中は巫女姫の次元の目(プレイナーアイ)による周辺監査も行う。その辺りも大丈夫か?」

 

「勿論ですとも。既に巫女姫は休ませております」

 

 水の神官長が返答する。そう……巫女姫の魔法上昇(オーバーマジック)は体力、魔力ともに大幅に消耗するため、一定の休養期間が必要となるのだ。それもあって巫女姫はまだツクヨミへの拝謁を賜っていない。

 

 同じことを考えていたのか火の神官長も低い声を出す。

 

「ツクヨミ様にはまだ巫女姫をお見せできていませんでしたな」

 

「うむ。それはツクヨミ様にも失礼というものだろう。パレードが終わり次第、彼女らには褒美として拝謁の機会を与えよう」

 

 巫女姫はその力の源である叡者の額冠の影響で自我を失っている。そのため、実質的に神と対面することはできない。

 

 そのことを哀れに思いつつも、オルカーは気持ちを切り替えて再び始まる会議に臨んだ──。

 




戦闘が書きたかったのです…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25.神の通り道

 リ・エスティーゼ王国のヴァランシア宮殿。主に宮廷会議などで使用されるその場所は大きく分けて三つの区画があり、そのどれもが一般の立ち入りを禁じている。その中でも特に厳重であると言えるのは王族の住居として使われる最も大きな建物だろう。

 

 豪華絢爛という言葉をそのまま体現したような宮殿内は日の光を多く取り入れるための巨大な窓が連なっており、天井部に吊り下がる煌びやかなシャンデリアの数々と共に場内を明るく演出する。加えて広々とした廊下に立ち並ぶのは巨大な燭台を抱えた像の数々だ。

 

 正しく光を結集させたような場所であり、そこは貧相な王国内とはとても思えないほど贅沢な造りとなっている。

 

 昼前、そんな王族の住居である区画内──その廊下を歩く一つの人影があった。白髪の入った金髪の上に王冠を被り、肩から橙色のローブを背負うその人物はこの場所の所有者といえる存在。

 

 王国の現国王であるウィリアム・シャル・ボーン・デル・レンテスである。

 

 ウィリアムは真剣さを極めたような表情を皺の入った顔に浮かべたまま、上等な絨毯の敷かれた道を進んでいく。その足取りは少しばかり急いでいるよう感じられる。それはもうじき始まる会議──もしくは情報共有というべきだろうか、に遅れないようにするため……はたまた心の内に秘める焦燥感の表れか。

 

 どちらにせよ、ウィリアムは足早にその場を後にする。宮殿の廊下には掃除や王族の世話のためにメイドなどが出張っていることが多く、ウィリアムの姿を目にした彼女らは変わらず最敬礼を返す。余談だが、王宮には貴族の令嬢などが箔をつけるためやってくることも多く、その所作は優雅なものから多少ぎこちないものまで様々だ。

 

 特に気を留めることもなく、目的地に向かうウィリアムだったが、横の通路から現れた一人の青年を目にするとその足を止めた。

 

「国王陛下。これは失礼致しました」

 

 考え事をしていたからか、少し気付くのに遅れた青年は身を屈めて頭を下げる。金髪に青の瞳。上等な絹で作られた衣服を纏う彼に対し、ウィリアムは目元を僅かに緩めながら語りかける。

 

「構わないとも。それよりランポッサよ。我は今議場へ向かっているのだが、良ければ少しだけ話をしていかないかな? 最近は話せていなかっただろう」

 

「私で宜しければ是非」

 

 ウィリアムが歩き始めると、青年──ランポッサもまた後ろからついてくるようにその身を起こす。

 

「本当に、本当に最近は忙しないと言う他なくてな。今はまさしく王国の岐路といった時だろう」

 

「それ程なのですか?」

 

 落ち着いたトーンの中に驚きを含ませたその声を聞き、ウィリアムは大きく頷きながら答える。

 

「問題が解決していると言っても、多くはまだ山積みだ。どこから崩れるか分からない。……それに周辺諸国は、いや世界は既に大きく動き出している。ランポッサは知っているか? 神が現れたという話は」

 

「聞き及んではおります。しかし本当なのでしょうか? 英雄譚や神話の中の話ではなく」

 

 それはランポッサだけでなく、噂を知る全ての者の思いであろう。

 

「真偽はまだ分からない。ただ、もしそれが本当であれば国として立ち尽くしている場合ではないだろう。いや、もう出遅れているのかもしれぬな」

 

 ウィリアムは目前の天井を見上げるようにして続けた。

 

「それも全ては我のせいだ。王としては無能もいいところだろう」

 

「そのようなことは……!」

 

「事実だ。しかし、だからこそこのままでは終われぬ。必ず王国の未来を明るいものへと回復させ、お前たちへ渡す。そうせねばならない」

 

「陛下……」

 

 ランポッサは沈痛な面持ちのまま少しずつ歩く速度を下げる。会議の行われる部屋の前へと近づいてきたためだ。

 

「つまらぬ話を聞かせたな。さて、そうだ。神だったな……」

 

 ウィリアムは扉前の通路で考える素振りを見せると、思い出したようにランポッサに向き直る。

 

「んん、ランポッサよ。行く前に一つだけ聞かせて欲しい。もし神が願いを叶えてくれるのだとしたら、お前なら何を望む?」

 

 孫や子にする御伽噺のような内容の問いだったが、ランポッサは真剣に答えた。

 

「王国の安寧を願います」

 

「ほう。発展ではなく、か?」

 

「はい。確かに発展も大事ですが、それに人……民がついて来られなければ意味はありません。民が安心して暮らせる──それこそが国にとって何より大事なことではないでしょうか」

 

 それを聞くなりウィリアムは目を瞑り微笑んだ。

 

「やはり我が弟の子というべきか、お前は既に王の器を持っている。跡取りの問題に関しては安心できそうで何よりだ」

 

 それを聞いたランポッサは表情を崩すより先に首を左右へと動かし、辺りを確認した。誰かに聞かれていないかという風に。

 子息のいない国王の跡取りとして最も優位な立場にあるランポッサといえ、実子である訳ではないため、そういった話で一切波風が立たぬわけではない。歴史的に例が少ないということも過敏になる要因だろう。

 

 しかしウィリアムは特に気にする様子無く続けた。

 

「では行ってくるとしよう。体調には気を付けるのだぞ?」

 

 そう言うと現国王は重厚な扉へとその老いた足を進めていった。

 

 

 

 ♦

 

 

 

 ごく短い安らかな時間も終わり、といった気持ちでウィリアムは青の絨毯の先にある玉座へと向かう。開始時刻丁度であるが、それより早く集まっていたのか道の左右には二十名を超える貴族の面々が王の到着を待つよう立っていた。

 

 静まった室内。ウィリアムは多くの視線を集めながら、玉座へとその腰を下ろした。

 

「さて、皆集まっているな?」

 

 ウィリアムはそう言いながら集まった面々の顔を眺める。玉座近くには"一名減った"六大貴族が立っており、その周りには駆け付けて来た辺境伯含む伯爵たちが並んでいる。貴族社会を生き抜いてきた彼らの佇まいには一切の澱みがなく、その見てくれだけは心強いよう感じられた。

 

「今回集まったのは話し合いの為だ。既に聞いている者もいるだろうが、人類の神が竜王国近くに降臨したという噂が広まりつつある」

 

 王国としてはどう対応すべきか、とウィリアムが付け加えると、それを聞いていたガタイのいい貴族──六大貴族に名を連ねるボウロロープ侯が話し始めた。

 

「対応ですか。……お言葉ですが陛下。今回の件はあくまで噂。神など誇張したものに過ぎません。わざわざこの忙しい時期に構うことはないでしょう」

 

「私もボウロロープ侯に同意です。王国はズーラーノーンの事件から何とか立ち直り、今はひと月後の舞踏会に向けて準備中ではありませんか。今注力すべきはそこであると考えますが」

 

 鼻下に髭を生やした金髪の伯爵が追従する。確かに王国は伝統である宮廷舞踏会を来月末に控えており、今もばたばたした状態にあった。それを考えれば、言っていること自体は間違っていないだろう。見れば他の貴族の多くも頷いている。

 

(しかし……断定して動くのは愚かとしか思えぬ。まだ些事であればいいだろうが)

 

「一理ある。しかし噂であろうが、今回の件が只事でないのは事実だ。話では既にスレイン法国はおろか帝国も動いているというではないか。それでもお主らは外には目を向けぬと言うのか?」

 

「それは……」

 

 言い淀む貴族たち。その中から若い六大貴族の一人が声を上げる。

 

「陛下の仰られる通りです。周辺諸国が動いているのなら、王国も少なからず調査すべきでしょう」

 

 言い返すはボウロロープ侯。

 

「この大事な時に、不足している人員を更にそちらに割くと?」

 

「それしか方法はないと思われます。最悪、舞踏会の日程を遅らせるというのも視野に入れるべきかと」

 

「それは……王国の名声に響くのではありませんか? 宮廷舞踏会は他国の使節も参加する行事。下手なことをすれば王国が舐められる原因となりますぞ」

 

 一度火がついてしまうと話は止まらなかった。元々タイプが違うのか六大貴族だけでも合議の意見が纏まることは少ない。その上今回は参加する人数も多いのだ。

 

「いっそ、その神とやらを舞踏会に招待するのは如何ですかな?」

 

「それはいい。それなら王国の地位も示すことができ、更にこの目で神を見定めることもできましょう」

 

 あまりに短慮な物言いが室内を駆ける。いつの間にか表れていた頭痛が老体を襲う中、ウィリアムは迷走する会議を元に戻すべく咳払いを行う。

 

「話を戻そう。王国としての対応だが……まずは急ぎで件の調査を開始すべきだと我は考えている。決めつけて動くには内容が大きすぎるためだ。確かに人員を回す必要はある。が、このまま他国との遅れを広げるよりはましと言えよう」

 

 それに賛同する老人の声が一つ。

 

「確かに。周辺国家との間に溝が生まれる可能性を考えれば、日程の遅れもこの際はやむ無しですな。それに何か判断するのも情報を収集してからの方が些か有意でしょう」

 

 ウィリアムは白い髭を蓄えた老貴族であるウロヴァーナ辺境伯の言葉に頷きながら、強引に話を進めていく。というのも彼らに任せていれば碌な結論に至らないためだ。

 

「うむ。それが賢いだろう。今話した方針に異論がある者は?」

 

 貴族はお互いに顔を見合わせるが、特に何もなくそれを戻す。国王の言に異論を挟む者はいないようだった。

 

「それでは、王国は降臨したという神の情報を収集する方向性で進む。具体的方策としては何やら式? を催しているらしい法国に人員を送るなどが考えられるが……他に何か思いつく者は?」

 

「はっ。それなら情報の出処であると思われる神殿勢力に話を聞くというのはいかがでしょう?」

 

「動いているという帝国を注視するのも良さそうですな。彼らなら何か隠していてもおかしくありませんから」

 

「では──」

 

 開始してからというもの、ようやく会議らしい会議となったそれを眺めながら、ウィリアムは心中で深い息を吐く。一件落着というにはまだ早いが、それでも安堵の息の一つや二つは吐きたくなるものだろう。何せ不安の種は無限にあるのだ。

 

(神なる者か……。もしそれがまことの存在であるなら、せめて八欲王のような存在でないことを願いたいものだな)

 

 ウィリアムはちらりと右側の壁にある大きな窓に目を向ける。そこから見える昼の空は果てしなく、遥か彼方の地平線まで続いている。

 

 スレイン法国に居るという神。

 

 ただただ国王はその現状に複雑な思いを巡らせる──。

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

「っと。後は──そこの荷物を降ろしてもらっていいですか?」

 

「お安い御用ですぞ。ほれ」

 

 スレイン法国の主なる都である神都。普段は静かな街並みであるそこも、記念すべきパレードの当日であるその日は溢れんばかりの人気であふれていた。

 

 集まっている者の殆どは法国在住の国民であり、現在は監査も厳しいため、既に入国していた幸運な旅行者以外の他国の人間はほぼいない。まぁそれも当然であり、今回のパレードは駆け付けようにも他国の人間の耳に入る頃には諸々の準備が終わっているほど、突然で、迅速な開催であったのだ。

 

 それでも国内にいる殆どの民が無事参加できているのはスレイン法国の国家体制がこれでもかというほどに整っているからであろう。

 

 既に通告が完全に行き届いている状況下。神がその御姿を現されるという一大行事に、全ての法国民が歓喜し、神都へ殺到していた。熱心である彼らは通告を受けたその日から準備を開始しており、神都から遠い者は早々に移動を。パレードの通りに住居を構えた者は外に出ているあらゆるものを退かした。

 

 しかし、それだけタイトな日程であったので慌て顔で最後の準備を行う者も少なくはなかった。

 

 ──

 

「いやはや、助かりました。お爺さんありがとうございます」

 

「何のこれしき。魔法を使えば、効率化は容易いですからの。0位階魔法、つまり生活魔法はその名の通り生活の為の魔法。これだけでも魔法の実用性が窺えますな。しかしそれだけではありませぬ。魔法は──」

 

 聞かれてもいない魔法のうんちくを語るのはぼろ布のような衣を全身に羽織った老人、フールーダ・パラダインだ。

 フールーダは周知である通り、帝国所属の主席宮廷魔術師であり、スレイン法国の住人であるどころか旅行者でもない存在。神の降臨を歓ぶパレードに居合わせる者としては幾分か相応しくないよう感じられる。

 

 しかしフールーダは数日前に仕事を放り出し──神の乗る馬車を追って法国内に転移してからというもの、ここに住む信者を凌ぐほどに神のお披露目というこの日を心待ちにしていた。

 

 それは帝国の皇帝から受けた『他国との摩擦を避けるため慎重に動け』という注意を放り捨て、平野にいる部下からの制止を振り切ってまで、他国に不法侵入していることからも窺い知ることができるだろう。

 

 まぁそれでも神聖不可侵とされる大神殿へ直行していないのはフールーダなりの国交への配慮か、微かに残った理性……もしくは危険本能が働いたからか。何はともあれ本人は慎重に立ち回っている。

 

「──つまり」

 

 意気揚々と話していたフールーダは、先の荷物を両手で抱えた若い店主らしき男が苦笑いしていることに気付くと、ハッとした様子で演説するよう上げていた手を下ろす。それは本来の衣服である象牙色のローブが身を隠すための衣から軽くはみ出していることに気付いたためだ。

 

 実際のところ青年は特に気にした様子もなく、物置に移動しようとしているだけなのだが、過敏になっているフールーダは警戒した様子でフードを深く被り直す。というのも、パレードの始まる前ということで人通りが増えると同時に、警邏の数も増しているからだ。

 

(私としたことが目立ち過ぎたか……? 見れば何やら"一般人に扮した者"もおる。ここまで来て捕まるのは何としても避けねば)

 

 フールーダは鋭い眼光でちらちらと左右を確認すると、もはや店主は眼中にないといった様子で人波へと足を運んだ。周辺諸国でも有名であるフールーダは顔バレの危険も少なからずあり、ぼろのローブで目立つのを避けていても、不審者然としたその姿で呼び止められる可能性は残っている。

 

 そのためフールーダはこのタイミングで歩道へと移動し、人混みに紛れるよう身を隠す。本来であれば、ここで透明化の魔法まで使用するところであろう。

 

 しかし、高位の魔法使いであるフールーダは透明化の魔法が有用であると同時に、それが第一位階という低位の魔法であり、看破される危険性を孕んでいることを理解していた。そして看破に引っ掛かろうものなら不審者として詰所まで連行されるのは確実である。

 

 そういった考えを巡らせているからかフールーダは慎重に息を潜め、ただただ過行く時間の中、神の到着を待つ。最悪、大魔術師であるフールーダは転移(テレポーテーション)睡眠(スリープ)の魔法で逃げ果せることも可能なのだ。

 

(まだか、まだ始まらんのか? 神の魔力を早くこの目で見たいぃ)

 

 準備の手伝いなどで気を紛らわすことのできないフールーダは今にも発狂しそうな気持ちの中、手元にある時計型のマジックアイテムの時刻を確認する。

 

 11:12。

 

 針が示すのは昼前。パレードは正午丁度から開始され、大神殿前から神都の大通りを馬車が進んでいくという。見れば他の信徒たちもそわそわとした様子を隠し切れずにいた。

 

 一応フールーダが待機しているのは神殿敷地内から少し離れた場所にある──比較的兵士の少ない通りであり、開始されてからも到着まではもうしばらく掛かることが予想できる。

 

(はぁ……はぁ)

 

 時間が近づくと、急くような気持ちも一層強くなるのが人間というもの。危険は知りつつも『少しだけ』という思いでフールーダは通りを上り、人波から顔を出す。もはや己の役職も、皇帝への愛も、帝国への忠誠も今のフールーダにはどうでもいいものであった。

 

 

 全ては魔法の深淵を覗くため。

 

 

 それこそがフールーダの人生の全てであり、神の降臨は正しくその祈願──長らく待った教えを乞うことのできる師の存在を叶えるかもしれないものだ。だからこそフールーダは期待と不安を抱え、背を低くして待った。

 

 大神殿に居るという神。強引に立ち会うことが難しかったその御方が、遂に人前へと姿を現すその(とき)を──。

 

 

 

 

 

 ♦♦

 

 

 

 

 

(は、はぁぁぁ、緊張するー……)

 

 一方その頃。神殿敷地内の中央に坐する大神殿の最上階、最高の神聖領域とされる神の住まう一室でがちがちに固まっている者がいた。

 

 光り輝く純白のローブに背中を照らす光輪。全身に装備された金色の装飾品の全てがおそろしいほどの神聖さを醸しており、頭から垂れる特徴的な白の髪は傷一つない状態で繊細なベッドの上に丸まっている。

 

 まさに準備は万端……という状態で現在、正座待機しているその者の名はツクヨミ。1000万を超える人々からその登場を待たれているスレイン法国の神である。

 

 パレードの当日ということもあって普段よりも早起きをしていたツクヨミは、既に湯浴みなどによる身の清めは済ませ、装備の状態なども完璧なものを保っている。神官長らのお墨付きであるのでそれは間違いないだろう。……多分。

 

 しかし、元々は一般人であったツクヨミからするとパレードに主役として出席するなど想像もできないことであり、沢山の人の注目を受けるというのにはやはり大きな不安があった。胃がきりきりと痛んでいるのもきっと気のせいではない。

 

「それに何かこう、少し目的から逸れちゃって無いか心配だな──」

 

 元々は人助けの為にこの道を選んだツクヨミであるが、最近では人に何かをさせることの方が多くなっている。まぁ今回のパレードが人々に勇気を与えるという神の仕事、そう考えるなら特に間違ったことはないだろう。

 

 しかし……

 

 ツクヨミはベッドから立ちあがると、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)などのユグドラシル産マジックアイテムが多数置かれた長机の前へ移動し、その上にある上質な一枚の紙を手に取る。

 

 そこには本日の日程が緻密に記載されている。正午……つまりあと1時間弱で始まるパレードの進行から、終わった後の大神殿でのもてなしの内容まで。また直接関与することのない国の祭りに関しても全て、各色神官長や行政機関長らがツクヨミの許可を経て計画していた。

 

 それは相当な手間であっただろう。対して今回ツクヨミが彼らにしてあげられるのはパレードで手を振ることくらいだ。そうなると不満……というより、このままで大丈夫なのかという不安の方が強く現れてくる。

 

(まぁ、竜王国の会談も今回のも地盤固めの時期、というとそうなんだろうし……。焦るのは良くないか)

 

 ふぅと息を吐いたツクヨミは手にしていた紙を懐にしまう。そうして再びベッドの方へ歩み寄ると、扉の方を向くようにして腰掛ける。今はただ目の前のことに集中するのみだ。

 

 目を瞑り、息を整える。

 

「せめて……足は引っ張らないようにしないとね」

 

 時間になれば、神殿の関係者が迎えに来るという話だったので、ツクヨミはゆっくりとそれを待った。

 時計の無い静寂の室内に時が流れる。少しずつ時刻が進み──

 

 間もなくして扉がノックされた。

 

「ツクヨミ様、御部屋にいらっしゃいますか?」

 

 低い、老いた男の声だった。ツクヨミは多少は聞き慣れたその声の主に返事をする。

 

「はい。どうぞお入りください」

 

 ツクヨミがベッドから立ち上がると同時に、失礼致しますと最高神官長が扉を開ける。白に近い金髪。苦労が絶えないからか皺の広がった顔には緊張と安堵の色が混ざっていた。

 

 最高神官長はローブを着た腕を揃え、その場で最上のお辞儀をすると、ツクヨミの方を向きその口を開く。

 

「無事パレードの準備が整いました。お時間となりましたので、共に下の階までお越し頂けますか……?」

 

 ツクヨミはこくりと頷く。それを確認した最高神官長は喜色の表情を僅かに見せると、開いた扉を抑えたまま数歩後ろに下がった。

 

 ツクヨミは部屋内の青白い硬質な床を純白の靴で踏む。軽いコツコツとした音が密閉された部屋から微かに鳴り響く。

 

 そうして扉を抜け、巨大な廊下へとその足を踏み入れた。

 

「では、参りましょう」

 

 最高神官長は案内するように廊下の先を歩く。魔獣でも通れそうなその大きな廊下には多数の巨大な窓が付いている。が、それは王国にある光を取り入れることに特化したそれとは違い、外から覗かせず、高い耐久度を持っているという特異な性質があるため、魔法のような青白い日の光がそれを通して室内に差している。

 

 大神殿の建物自体が蒼っぽいということもあって光源の少ないこの場所は少し薄暗く、並び立つ石柱も相まって聖なる領域であることを実感させる。

 

「最高神官長……いえ、オルカー様」

 

 法国のトップである最高神官長──他の神官長もだが、の距離感をイマイチ掴みかねているツクヨミは、失礼にならないよう目の前の老人を呼び止める。

 

「重ねてになりますが、本日はこのような機会を頂きありがとうございます」

 

「滅相もないことでございます。我々にとって神に尽くすことこそが至上の喜びであり、救いそのものなのですから。寧ろ、ツクヨミ様を長くお待たせしてしまったことを申し訳なく思います」

 

 険しい表情のまま歩みを止める最高神官長。それを見てツクヨミは優しく首を振る。

 

「いえ、私なら大丈夫ですよ。……それよりどうでしょうか? 街の様子は」

 

「はっ。既に神都にはツクヨミ様の降臨をお祝いするべく、多くの国民が集まっております。また公道近辺には多くの兵士や民に扮した聖典が警護にあたっており、そちらの方も万全を期しております」

 

「なるほど。パレードが終わった後のことは、紙に書かれた通りでしたよね」

 

 最高神官長は深く頷く。

 

「はい。既定の道を行列が走り終えた後はツクヨミ様を正式にもてなす為、大神殿の一室にてお食事を御用意させて頂こうと思います……。またツクヨミ様にお手間を取らせぬよう、その際には行政機関長らが神都での指揮を執り行いますのでどうかご安心ください」

 

「祭りの準備ですね。何から何までやらせてしまって申し訳ございません」

 

 今回の行事は間違いなくパレードがメインであると言えるが、一応それに伴って祭りも開かれるとのことだ。それは言葉通りの"祭り"であり、神の降臨をお祝いするため──という理由で同時に準備が進められている。

 

 まぁ本来祭事の中にある行事の一つとしてパレードが存在していることを考えればそれほど驚くことでもないのだろう。ただ、この短期間でそこまで手を回しているのは流石法国と言う他なかった。

 

(そういえば、今年はあれか。六大神の祭りがあったとかルーインさんが話してたっけ……。対応の早さはそれも関係してるのかな)

 

 ツクヨミはかつての同僚の言葉を思い出しながら、今回の祭りに思いを馳せる。神都にそれだけの人間が集まっているのなら、準備期間が短いなりにも賑やかなものとなるのだろうか? いや多すぎて混雑するのだろうか? 

 

 そんなことを考えながらぼーっと窓の外に目を向けていると──

 

「ツ、ツクヨミ様。どうかされましたか……?」

 

 最高神官長から戸惑いの声を掛けられる。ツクヨミはハッとしたように表情を戻した。

 

「あ、いえ! なんでもありません。時間も迫っていますし、そろそろ行きましょうか」

 

 今は目の前のことに集中しようと通路の奥へと足を進める。

 

 ツクヨミは最高神官長の後ろを着いて行き、左手にある直線の階段を下りる。そして一つ。もう一つと段を下りていき──。

 

「ツクヨミ様、お待ちし」

「ツクちゃあぁん!」

 

「ぐはっ」

 

 一階に続く二階の扉前。そこにいたのは金髪に銀と黒の鎧を着た漆黒聖典第一席次、そしてその肩に乗る白黒の緩い衣装を着た少女だった。

 

 不服そうな表情を浮かべた小さな少女はあろうことか戦鎌(ウォーサイズ)を手にしたままツクヨミに飛びついてきていた。

 

「ツクちゃーん……私も連れてってぇ。隊長が煩いんだよぉ」

 

「ば、番外席次。ツクヨミ様に対し不敬であるぞ。早く離れるのだ」

 

「全く、ツクヨミ様はお忙しいのですよ? 貴方はもう少し漆黒聖典としての自覚を持つべきです」

 

(誰もケガの心配はしないのね……)

 

 ツクヨミは各々の反応に若干複雑な気持ちになりつつも、自身の胸部に張り付いている番外席次と格闘している最高神官長に目を向ける。どうやらツクヨミの背中に手を回しているからか、二人とも引き剥がしに難航しているらしい。

 

 その様子に少しおかしさを感じるが、今は遊んでいる時ではない。

 

「ごめんアリシア。私もいっぱいいっぱいで……。ほら? すぐ帰ってくるからさ」

 

「えぇぇ」

 

 ぽんぽんとアリシアの頭に手を置くと、観念したように彼女はその身を地面へと下ろした。その表情は落胆しているのが一目で分かるものだ。可哀想だが仕方がないだろう。

 

遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)……は駄目か。あれはカウンターが怖いしな。私が魔法詠唱者(マジックキャスター)なら何とかしようもあるんだろうけど)

 

 前衛職である自分の性能に心の内でため息を吐きながら、ツクヨミは扉を開いてくれている漆黒聖典隊長の横を通る。すかさずそれに最高神官長も追従した。

 

「では、行ってきますね」

 

 ──

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26.祭祀

 それが空に鳴り響いたのは、冬の太陽が丁度天頂に昇った頃であった。

 

「っ!」

 

 高い管楽器のような音色。この世界独自の楽器から奏でられるそれは、神都中央に祀られる神殿区画内から始まると、一定の規則を持ちながら瞬く間に遥か遠方の空へと流れていった。

 

 演奏──。優雅で神聖さを感じさせるそれを聞けば、神の行進が今より始まるのだと推測することは容易だろう。見れば、スレイン法国の神都大通り、その中でも最も神殿区画に近い場所にいた者達はきょろきょろと動かしていた視線を一斉に門の方へと向けていた。

 

 巨大な格子門までの距離は約十数メートル。建築物がなく、樹木が点々と生えているその場所の周りには多数の兵士や騎士が今も整列している。既に解放された門の前に立つ彼らは元々、神聖不可侵である神殿区画の入り口と都の大通りを繋ぐ十字路を警護し、溢れる民衆を抑える役割を担っていた。

 

 ある者は不届き者を絶対に通すものかと強い正義感を胸に。ある者は神の役に立てる光栄な仕事を任されたことに歓喜し、今回の任務に臨んだ。

 どちらもその奥底にあるのは絶対の信仰と忠誠。今も職務を全うする彼らがまだ見ぬ神の為のパレード、その始まりを前にして緊張を露わにしているのは言うまでもないだろう。

 

 それでも幸いなこと──いや、予想通りというべきか。今の今までパレードを邪魔するような素振りを見せる法国の民は一切居なかったため、現場の状況自体は落ち着いていると言えた。

 

 楽器音が近づいてくるとともに期待は膨らみ、息を飲んでしまうような雰囲気が人々の間を駆け巡る。

 

 そうして間もなく、門の奥からは列を成した大量の人間が姿を見せた。

 

 

 

 スレイン法国としては待ちに待ったであろう祭礼。それがついに始まりを迎えるのだった。

 

 

「ぉぉ」

 

 一定の間隔を保って歩道上に立っている多くの民衆は興味を抑えきれないといった様子で首を伸ばし、あるいは背伸びをするなどして車道へとその視線を向ける。

 

 初めに現れたのは多種多様な楽器を両手に抱える者達だった。吹奏楽団……というほどに格式張った部隊ではないが、主に祭事の際などに情調を上げるため出勤することが多い存在。彼らは基本的に吟遊詩人などと同等の働きを有するが、国のお抱えということもありその練度は非常に高い。

 

 そんな彼らは美しい演奏を披露しながら車道の中央を歩いていく。奏者の数だけでもそれなりに長い列を構成できるほどであったが、続くように後方の神殿区画から現れるのはそれを遥かに上回る量の人々だった。

 

 それはまさに長蛇の列だと言えるだろう。恐らく数千から数万といった単位の人数で構成されるパレードは壮観の一言であり、移り行く存在の外観もまた多種多様なものだった。

 

 軍の兵士、銀の甲冑に身を包んだ神殿の騎士、衣を身に纏った神官、着飾った馬を引く御者など、スレイン法国の公務に従じる多くの者達が順に列を成しスレイン法国に降り立った神を祝福するように旗などを振り上げ大通りを進んでいった。

 

 冷たい外の風は瞬く間に人々の熱気で温められ、普段は静寂に包まれている法国の路地には数えきれないほどの足音が響く。

 

 そして数分。小柄な馬車列が増え、華やかなパレードが一層の盛り上がりを見せる頃、それは唐突に──地面に小さな影を作るよう現れた。民衆の間にどよめきが走る。

 

「天使様だ……!」

 

 道の中空には白色の体躯に陽炎を纏う存在が数体現れてきていた。──陽の光を一身に浴びるその天使の名は炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)

 

 半透明の金の翼と銀色の剣を携えたこの天使は第3位階の魔法によって呼び出すことが可能で、この世界の一般の常識から考えるとかなりレベルの高いモンスターに分類される。

 ……いや、モンスターという呼び方はこのスレイン法国においては不適切であろう。なぜなら古くよりこの国では天使は神の遣いだと信じられており、人々の信仰を集めるほどの存在であるからだ。

 

 そのため、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を目にした民衆の多くは即座にその場で身を屈めるような姿勢を取る。初めに信仰厚き信徒が。そして次にそんな彼らを見た一般的な住人達が祈るよう空を仰ぐ。

 

 また、少数ではあるがそんな光景に目を輝かせる子供やまじまじと興味深くそれを見つめる信者もちらほらと見受けられた。

 

 

 しかしそんな空気も突如として一変する──。

 

 

「あれは……?」

 

 

 天使の後ろから超希少な馬である八本馬(スレイプニール)が進み出てくると同時に、最高神官長、各色の神官長や各種機関長といったスレイン法国のトップに立つ存在までもが歩いてきたのだ。

 

 上に立つ者が私欲に塗れた人間でならないという自浄──それもあって質素な立ち振る舞いを彼らがすることは珍しいことでない。しかし、それでも今回の神官長らの雰囲気は普段のそれとは明らかに違っていた。

 後方に見える大きな馬車。その下を、まるで従者が道を整えるように進んでいたのだ。

 

 

 ……

 

 ……

 

 

 瞬間、歩道に佇む全ての者は息を呑むような表情でその場へと一斉にひれ伏した。

 

 多少の遅れも許されないと言わんばかりに親は子の頭を下げさせ、気の抜けていた者は地面に身体を叩きつけるほどの速度で舗装された地面に両手を付く。

 

 神の登場──。幼い頃から六大神への信仰を守り、生活を共にしてきた法国の民でさえ、それは実感の湧かないものであっただろう。

 

 ゆっくりと進んできたのは白を基調とした豪華な馬車であった。三頭の八本馬(スレイプニール)が牽いている車体は一般で使われるものより大きく、側部から垂れる幕も含めて繊細な装飾が数多く施されている。

 

 また、特筆すべきはその構造だ。人が乗り込む車体の部位は屋根とそれを支える四本の柱で構成されており、その位置も二階建てを思わせるような高さがある。それはきっと神の乗り物として設計された物であり、その姿形はまるで移動する神殿のようであった。

 

 そして当然ながら、開放的なその場所には一つの存在が座っていた。

 

 煌びやかな玉座には、艶やかな長髪を後背に流す女性が映っていた。その髪色はこの辺りでは極めて珍しい雪のような白色。本来は色素が薄く、傷つきやすいはずの白髪であるが、女性の持つそれは白銀で出来た絹糸のように美しく滝のように流れている。

 

 また、澄んだ紫色の双眸を宿した(かんばせ)は非の打ち所がないほどに美しく、落ち着きに満ちたその表情と相まってその容貌は女神を思わせる。それは神が直接造りたもうた芸術品であると、そう感じてしまう程の凄みがあるが──本人が神とされる以上その表現は不適切であろう。

 

 それほどの身なりには、それに相応しいほどにあり得ない精巧さを誇った装飾品の数々と、神々しささえ感じさせる白色の聖衣を纏っている。

 

 

 どれもが世界を逸脱した代物であり、神を神たらしめる要素となっていた。

 

 

 恐る恐るといった様子で覗き込むよう馬車を見上げていたスレイン法国の信徒達は後光さえ差すその姿を見るなり言葉を失い、ただただ涙を流す。

 

「神が……神が、再び我々の前にその御姿を現わして下さった……」

 

 誰もが信じられないという様子で目の前の存在を仰ぎ見ていた。勿論、今回のパレードにて神が直々に登場することは彼らも知っていたことで、それを見に来た人が大半なのは間違いがない。しかしそれでもまだ夢のようなその話を、期待こそすれど眉唾な物だと考えていた者は多かったのだろう。

 

 それもそのはず。なぜなら神とはその名の通り神話や伝説に語られる存在であり、元来身近に触れられるような存在ではないのだ。

 

 

 それが今──目の前にいる。そんな彼らの心中は窺い知ろうにもあまりに深く、その感動はどれだけのものであろうか。

 

 

 人々は震える体を地面に擦りつけながら思い思いに祈る。

 

 

 数百年の時を経たスレイン法国と神の逢瀬。それは正に生きた歴史そのものであった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

(うわぁ。流石というべきか……本当に凄いな)

 

 パレードも進み、神の登場によって場が静寂に包まれる中、当のツクヨミは高所にある玉座からちらちらと人々の様子を確認しながら、その動向に息を吞んでいた。

 

 視界の左右に映るのは冷風を厚着で凌ぐ無数の人間。

 殆どがこのスレイン法国の国民であろう彼らはようやく道路に進み出て来たツクヨミを見るなり平伏し始め、その瞳から涙を溢れさせたり、ひいては祈り出したりしている。それは少々衝撃的な光景だ。

 

 一応ツクヨミもそのような反応を予想していなかった訳ではない。今までも一部ではあるが法国の人間から神として崇められることはあったので、ここでも似たような反応が起きることは十分考えられた。

 

 しかしここまでとは思わなかった、というのが率直な感想であった。

 

 そう──実際に目の前で起こる驚天動地の光景は一国という途轍もない規模で起こっているものであり、視界一杯、それも路地の向こう側まで続く数えきれない人々の集団によって構成されている。

 

 その一人一人が神を信じて生きているこの世界の住人達であるというのだから、目が丸くなるどころか目が回るというものだ。未だ外見的な冷静さは辛うじて取り繕っているものの、それでも内心はそわそわである。

 

「……」

 

 ツクヨミはそんな状況下で心を落ち着けるよう膝の上に一旦視線を落とすと、軽く曲げた左腕で腰に下がる自身の愛剣、その白銀に光る鞘を撫でる。

 

 戦場でない街中などで普段は装備しないこれだが、今回は披露目の場であるということで一応持ち出している。指輪に関しても同様だ。今も指には10つの輝き──つまり両の手指全てに様々な凝ったデザインの指輪が嵌まっている。

 

 WI(ワールドアイテム)も含め、正真正銘のフル装備。それは外見を装飾するという意味合い以外に、外敵への警戒という役割も僅かながらある。

 

 プレイヤーはまだしも、この世界にまだ見ぬ強敵がいる可能性は捨てきれない。それこそ竜王や悪の組織であるズーラーノーン、大陸中央にいるという亜人の勢力などこの世界は未知に満ち溢れている。

 

 そういった観点からしてみても今回のパレードは気の抜けないものであった。……まぁ、それに関しては実際のところ憂慮に過ぎなかったのだろうが。

 

 

 

 しばしの時を経て、ツクヨミは視線を街路へと戻す。そこに映るのは変わらず整列し、身を屈めた人々の列。

 

 一定の間隔を持って並ぶ彼らの見通しは背の低い建造物群も相まって良く、周りに佇む警邏を考えても、とても異色の強者やそれに準ずる者が出てこれる雰囲気ではない。

 

 ようは目立ちすぎるのだ。人混みに紛れてナイフで特攻……のような劇等でお馴染みのシチュエーションはこの状況を鑑みればどうしても考えにくい。

 

 それに加え空からの攻撃は六色神殿にいる巫女姫の大魔法、次元の目(プレイナーアイ)によって。

 魔法による接近等は近くに隠れる聖典や、宙に浮く天使によって対策されている。過保護とも言えそうなその徹底ぶりにより、奇襲の可能性はかなり低いと言えた。

 

 現に、神官長らも気を張っている──という雰囲気ではなかった。ツクヨミの下方を歩く彼らは民衆の方にその視線を向けてはいるが、たまにちらりと覗くその表情は基本的に穏やかなものだった。

 

(ふぅ。しかし……一先ずは良かったな)

 

 そんな平穏な光景が続いているのを確認したツクヨミは椅子の上で小さく息を()く。

 

 安全が確保されており、進行ともに支障がないというのは喜ばしいことである。しかし安堵した理由はもう一つある。

 

 今回、ツクヨミが神として奉戴されるにあたって開かれたパレード、これは当然スレイン法国の国事に当たる。そうなれば当然だが発生する問題がある。それは民意だ。

 

 更に詳細に語ればスレイン法国は宗教国家であり、その国民は六大神という建国に携わった神を信仰している。つまりこの国に新たな神として招かれるためには、そこに住む人々に"同様の神として認めてもらう"必要があったのだ。

 

 尤もスレイン法国のトップである最高神官長はその問題に関して考慮さえしていなかった風であったが……。

 

(あの人達はなんていうか信仰心が凄いからなぁ。ツクヨミ様は神! 敬われて当然! みたいなスタンスだし……。でも今の状況を見るに、あながちこの国において変な考え方でもなかったのか)

 

 ツクヨミはスレイン法国にて1カ月ほど前まで生活していた身ではあった。ただ、それでも宗教観を把握できるほどに長い月日を重ねてはいたとは言い難い。そのため、500年間という長い年月を六大神信仰に捧げていた人々が、ぽっと出の神様をはたして受け入れてくれるのかという疑問は薄っすらと感じていた。

 

 もしかしたら国を管理し、人類の存亡をかけて日々奮闘していた法国のトップや実際に戦場で戦う聖典、軍の面々とは受け取り方が違うのではないか。そう考えた。

 

 

 しかし、此処で得られた民意は神官長らの思想と殆ど同等のものであった。

 

 彼らが神の中に何を見て、何を考えているかは未だ分からないが、それでもスレイン法国がツクヨミの来訪に喜んでくれているのはパレードの光景を見れば明らかだった。

 

(まぁ全員が全員ではないかもしれないけど。でも、嬉しいな)

 

 ツクヨミは刻々と進む馬車の上から、感極まった様子で咽び泣く人々の姿を再度眺める。

 

 当然ながらそこに先ほどまで見ていた人々の姿はなく、あるのは姿形・表情も違う一人一人の人物だった。

 

 通り過ぎていく路地の景色。そこに映る天を仰ぐ老婆や顔を伏せ震える男性。ちょっと寒そうにしているこの時期にしては薄着の子供。そしてその先に……その場で膝をつき、わなわなと震える一人の老人が──

 

 

 

『ツクヨミ様』

 

 

 

 突然の伝言(メッセージ)。名前を呼ぶそれが耳に届くと、緩みかかっていた気が一瞬でハッとする。

 

 聞こえてきたのは低い男性の声。それは今も後方の馬車に身を潜め、極秘の護衛に当たっている数名の漆黒聖典の内の一人──漆黒聖典第三席次の声だった。

 

 第三席次は魔法職、特に宝玉による探知系魔法を得意としている。つまりその存在が何らかの異変を感じ取ったのだろう。

 

 伝言(メッセージ)を返すことができない状況にあるツクヨミは第三席次の続く言葉を待つ。ただ、その前に異変は起こることとなった。

 

 

 

「あの方が……あの方が本当に神なのか!!?」

 

 

 

 不自然に一人立ち上がったフードを纏う老人が、掠れた声でそう叫び始めたのだ。

 

 場の静寂を切り裂くようなしわがれた声が辺りに響き渡る。不敬とも取れるあまりに場違いなその物言いに対し、周りの者が冷めた視線を送る。

 

 ツクヨミも突然のことに戸惑っていた。しかし今も目の前の車道を歩く神官長。……彼らだけが怒る訳でも無視する訳でもなく、先の歩道に立つその老人を見て驚愕していた。

 

「フ、フールーダ・パラダイン……!? まさか本当に不法侵入していたのか」

 

 最高神官長の驚きの声。そしてその呼ばれた名前に路地の困惑はますます強くなった。

 それは必然だった。なぜならフールーダ・パラダインはツクヨミも本による知識で知っているほど、周辺国家で名立たる存在であるからだ。

 

(え、えぇ? パラダイン氏って帝国の人だよね確か。それに不法侵入ってどういうこと?)

 

 ツクヨミの頭上に無数のハテナが浮かぶ。どうするのが正解か一切分からぬまま、馬車は速度を落としつつもそのまま進んでいく。

 

 前を歩く行政機関長や大元帥に目を向ければ、何やら近くの兵士に指示を出しながら、老人を退場させようとしていた。その顔はこれ以上ないほどに緊迫に包まれている。

 

 最高神官長もまた、進行を止めてしまわないように御者に指示を出していた。その際ツクヨミとちらりと視線が合うと、その体を震わせ、頭を下げていた。

 

 そんな気まずい空気の中、それを引き起こした元凶は次の行動を開始していた。

 

「ま、待ってくだされっ! もう少し近くであのお方を見させてくれぇぇ!!」

 

「奴を取り押さえろ!」

 

 これには溜まらずツクヨミも声を上げそうになっていた。老齢の大魔法使いはぼろ布のようなローブを脱ぎ捨てると、象牙色のローブを蒼く光らせる。飛行(フライ)の魔法を発動させたのだ。

 

 フールーダは近くに来ていた兵士や騎士を撒くと、すぐそこまで迫ったツクヨミの座る玉座目掛けて飛翔してきた。

 

 すかさず、周辺を浮遊していた炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)数体がそれを阻むべく動き出す。数少ない上位種である監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)も同様だ。

 

 天使は武器を使うことなく、その腕でフールーダを捕まえようとするが、続く老人の詠唱により数体がその動きを鈍らせる。監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)は構うことなく動いていたが、天使はそれほど小回りが利くわけではないので飛行(フライ)の魔法を使用した老人の卓越した動きには苦戦しているようだった。

 

 ちょこまかと飛び回る老人の動きはそこそこ早い。馬車の動きにも付いてくるそれを見かねてか、神官長の指示で漆黒聖典も動き始める。

 

「神の御前であるぞっ! 束縛(ホールド)鈍足(スロー)

 

「……全く、本当にその通りです。 抵抗弱体化(レジストウィークニング)

 

 扉を開け、馬車の横に掴まるように立った第三、第四席次は魔法による束縛を試みる。超一流の魔法詠唱者(マジックキャスター)森祭司(ドルイド)の連携は見事であり、帝国最強・最高の大魔法詠唱者さえも一筋縄ではいかないようであった。

 

 動きの制限されたフールーダは天使に囲まれていた。しかしそれでも諦めようとしないフールーダは解呪を繰り返し、応戦する。おそらく魔法勝負に火が付いたのもあるだろう。

 

 パレードの邪魔を続けるフールーダに神官長らは業を煮やしているようだった。そんな光景に住民もあたふたしている。

 

(うーん。これは何とかするべきか)

 

 流石にこのままでは良くないと思ったツクヨミは、小さくため息をつくと、彼らに味方するべく特殊技能(スキル)を発動することとした。

 

 

特殊技能(スキル):覇気」

 

 

 ぽんと呟かれたそれにより、瞬く間に絶大な気が放出される。

 

 フールーダを対象に発動した戦士職特殊技能(スキル)であるそれは相手の行動を一定時間阻害するもの。オーラシリーズと違い、常時発動(パッシブ)ではないものの、その分効果は強力。Lv100プレイヤーに使用しても1秒くらいは完全に動きを止められる上、レベル差があればあるほどその効果は長いものとなる。

 

 ツクヨミの特殊技能(スキル)を受けたフールーダは硬直したような体勢で地面へと落下する。

 

 すかさず、そこまで駆け寄った兵士たちがフールーダの両肩を掴み、奥へと連行していった。何やら駆け付けたらしい一般人風の聖典も付き添いに参加するらしい。

 

 

(よし、一旦これで大丈夫かな)

 

 

 ようやく一件落着か。漆黒聖典の面々を見ると驚いたように数度ツクヨミとフールーダへ視線を交差させた後、お辞儀をしてから馬車内へと戻っていくのが確認できた。

 

 しかし続く最高神官長ら。こちらは残念ながら……とてもトラブルが解決したという雰囲気ではなかった。

 その顔面は先程と打って変わり、死にかけと思えるほど蒼白なものへ変わっている。

 

 ツクヨミはそれを見て、逆に申し訳ないことをしたのではと反省するが、その心中とは裏腹に全員がこちらを向き、堪えきれないようにその場に平伏する。馬車も同様に停止する。

 

「ツクヨミ様、大変申し訳ございません……。このような失態を犯したうえ、ツクヨミ様の御手を煩わせてしまうとは。これは我々の命をもってして償う他ありません。いえそれでも事足りるかどうか……」

 

「え、い、いえ。私は気にしていないのでお気になさらないでください。それに今回のはあの方の暴走が原因ですし……ね?」

 

「し、しかし」

 

 それでも食い下がる彼らを見て、ツクヨミは一息ついて宥める。

 

「では……そうですね。次からはこのようなことが無いよう注意をお願いします。それで今回の不祥事は終わりとしましょう。パラダイン氏も丁重に送り返してあげて下さい」

 

 その言葉を聞き、神官長らは瞳に涙を浮かばせると、すぐに御意といった風に最大限の頭を下げる。

 

 

 

 そして彼らは立ち上がると、止まっていたパレードの列を進めるべくその足を再び動かし始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ~~~

 

 

 

 

 

 

 

(はぁ、まじ疲れた……)

 

 現在、空には夕焼けが浮かんでいた。

 

 あれから数時間。特に何事もなくパレードを終え、大神殿に戻ってきたツクヨミは神殿区画の案内やら、外での演奏によるもてなし等でそれなりの時間を過ごした。

 

 そして、街の方で本格的な祭りの準備が始まるという夕方の時間になってようやくこの自室に戻ってくることができたのだった。

 

 そんなツクヨミの装備はここでも変わらず純白色の聖衣。あまり良くは無いと知りつつもそのままベッドダイブしているツクヨミは、リアルでは絶滅寸前だったギャルのような心の声を上げながら枕にその顔を埋めている。

 

 もうそんなこんなで数十分となるだろうか。今は晩餐に向けて食事の準備が執り行われており、もうすぐこの部屋に人が呼びに来る予定となっている。

 

 食事に関しては、まぁそれほど嫌な気分は抱いていない。なぜなら神殿に戻ってから軽食は取ったものの、それは少量であり、今日の激務に事足りるものではなかった。そのため今もお腹は順当に減っていると言える。

 

 それに晩餐と言っても今回のそれはそれほど格式ばったものではない。本来はコース料理という絶望的にマナーが複雑なそれを広い部屋で一人取ることになっていたのだが、ツクヨミの要望によりそこは変更してもらっている。

 食べ辛いというのもそうだし、皆で一緒に食事を取りたいという思いもあった。そのため今日は普通のディナーといった感じである。

 

 元々この世界での食事は好きなので、本日最後の用事ともいえるこれはある意味ご褒美に近いものがあった。

 

(なんかお腹減って来たな)

 

 夕食の想像をしていると積み重なった疲労と共に、急激に腹が減ってきて、それに呼応するようにお腹が鳴る。

 

 ごろんと体を翻すと、狙ったかのようなタイミングで扉がノックされた。

 

「ツクヨミ様、お食事の用意が整いました」

 

「ありがとうございます。今向かいます」

 

 見られていないとはいえ、少々の恥ずかしさを感じたツクヨミは体をベッドから起こすとそのまま扉の方へ向かう。

 

 

 それからは、部屋まで呼びに来てくれた最高神官長と共に食事処へ向かう流れとなった。

 

 宮殿内の広い一室の前には既に帰投した漆黒聖典(番外席次除く)が膝を付いていた。

 ツクヨミはそんな彼らを一瞥した後、途中で合流した各色神官長、大元帥の計八名と共に扉の開け放たれたその部屋の中へと足を踏み入れる。すると護衛である彼らもまた、同様に後ろから着いてきた。

 

 部屋内はシャンデリアによって照らされているため明るく、その中央にある巨大な長机にかかるテーブルクロスが白く光り輝いている。

 

 その上には当然精細な白や銀色の食器が並んでおり、作り立てと思われる料理の数々が湯気を立てながら並べられていた。

 

 最高神官長に案内されるままツクヨミが引かれた正賓席に着くと、神官長らもまた頭を下げながら順に席に着いて行く。ちなみに今回行政機関長らがいないのは、今もなお進んでいる祭りの準備を指揮しているからであり、大元帥はこの食事の後交代に入るらしい。

 

「ツクヨミ様。本日は貴重なお時間を割いて頂き、心より感謝致します」

 

 席に着いてから少しして、最高神官長が皺交じりの表情を柔らかなものへ変え、感謝の言葉を口にする。あの事件から少しばかりの時間が経ち、多少は気持ちを取り戻した最高神官長。その服装は正装のローブ姿であり、今日着ていたものとも若干デザインが違うようだ。

 

「いえ、こちらこそ、このような機会を頂きありがとうございました。本日はとても素晴らしいものでした」

 

 ツクヨミがそう言うと、周りにいた光の神官長、大元帥が感極まったように涙ぐむ。絶え間ない準備をしてきたからこその表情であった。

 

「恐縮でございます……。では、これ以上神をお待たせさせる訳にはいきませんので、どうかツクヨミ様の御好きなタイミングで料理の方をお召し上がりくださればと思います」

 

 最高神官長が再度頭を下げ、食事を促してくれる。

 

 目の前には見たことも無いような豪壮な肉の料理だったり、軽そうなサラダだったりがあるが、当然手元には皿やナイフ、フォークといった食器、そして見るからに高そうな葡萄酒の入ったグラスがあった。

 

(晩餐だし乾杯とかあるのかな? でもそんな感じの雰囲気でもないような)

 

 周りを見渡せば、にこにことした表情でツクヨミを待つ、色とりどりの服装の老人が座っている。それは少々どうするか戸惑う光景だった。

 

「で、では頂きます」

 

 ツクヨミは目の前で手を合わせ、軽く目を瞑った後グラスに手を伸ばす。そして少量の酒を口に含んだ。Lv100であるため酔っぱらうことは多分無いだろうが、それでも限界を試したことは無いので油断はできない。

 

 ツクヨミがワインを飲むと、他の面々もまたグラスに手をつける。

 

 そうして食事が開始した。

 

 

 

 ……

 

 

 

 ……

 

 

 

「そういえばツクヨミ様、先ほどの手を合わせるものですが、あれは何かの儀式なのでしょうか?」

 

 他愛もない会話を交えながら食事が進み、ぼちぼち部屋の空気も落ち着いてきた頃だった。

 闇の神官長がその鋭い眼差しの元そのような質問を投げかけて来た。

 

「いただきます、のことですか? あれは私の国に昔からあった風習みたいなものでして」

 

「左様でございましたか! ツクヨミ様の御国といいますと神の国の風習……ということですね」

 

 神のおわした国。その言葉に神官長らの目が光る。

 

「ほう! 神の国。すると六大神の方々も同じような風習をお持ちだったのでしょうか」

 

 ツクヨミはその問いに少しばかり考える。六大神がプレイヤー、それは多分間違いないことだろう。スレイン法国に受け継がれているリアルの文化、特に法律などの規則は多分それなりにある。

 しかし食事関係の細かい部分が西洋的に発達しているのはなぜだろうか。

 

(ユグドラシルがファンタジー的な感じの世界観だから? いや、多分違うな。もしかしたら元々いた現地の人たちと一緒に六大神が国を作ったのかも)

 

 それなら説明は付く。元々現地的な文化自体は存在していて、六大神はそれにそこまで干渉しなかった。もしくはリアルでないギルドの文化だけが取り込まれた。

 

 特に死の神と言われる最後まで残った六大神は食事ができないアンデッドの可能性が高いので、これも原因の一つかもしれない。

 

「まぁ……はい。六大神の方々もいただきますくらいは、していたかもしれませんね」

 

 ツクヨミがぽつりと呟くように言うと、その言葉に感動したように七名は表情を変える。いや、部屋内にいる漆黒聖典も驚いている風だった。 

 

「それは、素晴らしい……! 六大神様方のことまで教えて頂けるとは、感謝致します!」

 

 よほど嬉しかったのか、手元にあるハンカチで涙を拭く水の神官長。それを見てツクヨミも頬を緩める。

 

「いえいえ。感謝されるようなことなどございません。それにこうしてお食事ができ、話が出来るのも皆様がこの国──いえ人類を守ってくれていたお陰ですから」

 

 ツクヨミはリアルのディストピアのこと、そしてこの国で過ごした日々のことを思い出しながら語る。

 

「私の方こそ御礼を言わせてください。神官長様、そして大元帥様。今は居ない方もそうですが……これまで本当にありがとうございました。私は新参者に過ぎませんが、これから少しでもお役に立てるよう頑張りますね」

 

 僅かな酔いか、そういった空気があったからか普段よりツクヨミは内心を吐露していた。

 

 ツクヨミはこの世界が──ここに生きる人々が好きだった。たった数カ月だがその思いは本物だ。それはきっと今後も変わることは無いだろう。

 

 ……

 

 ……

 

「皆様?」

 

 話し声や食器音も止まり、室内が静寂に包まれていた。そのことを不思議に思い、ツクヨミは顔を上げる。

 

 驚くことにそこには滝のように涙を溢れさせる六色神官長と大元帥の姿があった。それは先程のハンカチで触っていた量の比ではなく、タオルが必要なのではと思う程の勢いだった。

 

 それほどの感動に包まれているであろう最高神官長は鼻から息を吸った後、ハンカチで何とか涙を押し留めてから感極まった声を上げる。

 

「その言葉だけで、今までの全てが報われました。……ツクヨミ様はやはり六大神と同様、我々の思う神、そのものです」

 

 隣の神官長もまた、僅かに気を取り直してから言いたいことを続ける。

 

「ツクヨミ様は水のような澄んだ御方。慈悲の神に違いありません……」

 

「いやいや、風の如く颯爽と降臨された救世主……。まさに豊穣の神という他ありません」

 

「万物を支える……大地の神とも言えるのでは?」

 

「火のように強き御方。太陽の神でしょう……」

 

「それならば、人々を照らす光明の神。それ以外にありません」

 

「いえ……ずっと陰から見守ってくださっていたツクヨミ様こそ、宵闇の神に相応しい御方かと」

 

 口々に賞賛の言葉を浴びせてくる神官長には少々の気恥ずかしさを感じざるを得ない。しかしこれにはツクヨミも一言訂正を入れる。

 

「ありがとうございます。どれも素晴らしいのですが……少々惜しいですね。私は一応"月の神"ですから」

 

 ツクヨミは口を抑えて微笑む。設定上の話ではあるが、そういった話をするのはやはり楽しいものだった。

 

 空も少しずつ暗くなり、晩餐もそろそろ終わりが近づいている──。

 




街の様子も書きたかったのですが、尺都合と、連続で書いていたため単純に作者が力尽きました;;


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27.深き森の強者

大変遅くなってしまいました。今年の初投稿となります。


 遠くに浮かぶ地平線からは、いつしかまどろんだ夜闇を溶かすように──青色を帯びた陽の光が差し込んできていた。それからすぐに、空の彼方より鳥の唄う声も聞こえてくる。

 

 スレイン法国のみならず周辺国家も巻き込み、人々を慌ただしさに包み込んだ神の顕現した日の夜もどうやら明けの時が来たようだった。

 

 大陸は淡い光で満ち始めている。周辺の国々に並び立つ主要な街の多くは、昨夜の時点から既に人工的な灯りがぽつりぽつりと浮かんでいたが、今はそれもかき消されようとしていた。

 

 

 そこに新たな朝の到来を疑う者はいない。

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 エイヴァーシャー大森林。スレイン法国の南方に広がる広大なその森も、日の出前の朧げな光を受けながら早朝の時を迎えようとしていた。

 

 高い樹木に囲まれた森の中は薄明かりが入るだけでまだ暗い。その内部に広がる音も風で舞い散る木の葉の掠れる音であったり、目を覚ました鳥の囀りなど静かなものが多く、多くの生物がまだ活動を開始していないのが窺える。

 

 そんな静かな森の中だからこそ、動く生物(もの)というのは目立つものだ。

 大森林の辺境地、中心部にある森妖精(エルフ)の王都圏から多少離れた場所でその者達は動いていた。

 

 映る影は二つ。一つは屈強な体つきの男のものだ。男の顔には少々の皺があり、中年であることが分かるがその眼光は鋭い。また背中には鉄製の銛のようなものと麻袋を担いでおり、右手には刃が三日月形となった斧を握っている。

 

 そして隣に並ぶようにして歩くのはその者よりずっと若い、青年の男。その青年は後ろに矢筒と籠を背負っており、左手には木製の弓を持っている。どちらも同様に狩人然とした風貌であった。

 そんな彼らは見て分かるように人型の生物で、人間に酷似している。……が、厳密には人間ではない。

 

 森妖精(エルフ)──。横に長く伸びた耳に、優れた聴覚。人間より長寿だとされる彼らは此処、エイヴァーシャー大森林に国を持つ人間種の一つである。

 

 ぼさぼさとした金髪頭の二人もまた、例に漏れずこの場所で生活を営む森妖精(エルフ)の一員であり、早朝という時間に関わらず森の奥へと足を運んでいた。

 

 

「はあ、しかしこんな早くから出て来なくても……。昼からじゃ駄目だったの?」

 

 

 初めに口を開いたのは眠そうに獣道を歩く青年だった。その口調は砕けたもので、空いた右手で首を触りながらの言葉であったが、そんな青年の様子に男は眉を顰める訳でもなく対応する。

 

「あぁ。昼からはやることも多いからな。こうして動ける時に動いておくのが大事なんだ」

 

 男は当然といった表情でそう言うと、青年から視線を外し、ふぅと白い息を吐いた後、上空の樹木の隙間から差し込む光に目を移しながら言葉を続ける。

 

「お前も知っているだろう? 今は村の貯蓄もあまりない。厳しい時期だ。朝ならモンスターも少ないし、動きも鈍い。森の収穫を行うには絶好の時間だぞ? それにお前も」

 

「はいはい……。村の一員として──だろ? 分かってるよ」

 

 男の言葉に観念したように、青年は肩を竦めながら返答する。

 

 村。先も話したように、エイヴァーシャー大森林の内部には森妖精(エルフ)の王国が存在する。その規模は人類国家と同様に大きく、森林内を枝分かれするように次々と勢力を伸ばしている。

 そんな中でも森妖精(エルフ)の王国の端の端──。この場所のような辺鄙な場所では森妖精(エルフ)が集落を形成し、村となってお互いの生活を支えあっている。

 

 そのため、冬という厳しい時期に食料等の物資が不足することはそこに住まう者、皆にとっての死活問題であり、もしそうなれば村の誰かがこの凍える道を行き来しなければならなくなる。

 元々そうならないための村ではあるのだが、今現在彼らがこうした状況にあるのは何も貯蓄を怠っていたからではない。

 

 その原因は大きく二つ。いずれも外的要因で、突き詰めると一つの問題点に帰結する。

 

 

「……頑張って集めても大体上に持っていかれるし、俺たちはほんとやってられないよね」

 

 真剣な表情で視線を落とす青年に、男は何度か口を開閉させていた。頭に浮かぶ言葉を飲み込んでいるように。

 

「仕方ない。中央では人口の増加も相当なものだと聞くし、あっちはあっちで大変なんだろう」

 

「大変、ねぇ。それもあの王が馬鹿みたいなことしてるせいだと思うけどな……。物資も、人も取っていってさ。ほんと滅茶苦茶だよ」

 

 青年は苦い顔で何かを思い出しながら愚痴を溢す。その発言はある種この"森妖精(エルフ)の王国"においてタブーとされるものだった。

 王への悪口、もし王宮に聞かれでもすれば一発で首が飛ぶであろうそれを聞き、隣を歩く男は否定こそしないもののすぐに後ろを振り返って辺りを確認する。

 

 幸い深い森の中ということもあって人影は見当たらなかったのか、男は安堵の表情と共に『んん』と小さく咳払いをする。

 

「あまり外でそういう事を言うな……。まぁ、確かにここ最近の状況が以前にも増して悪いのは事実だが。人間とのやり取りもめっきり減ったしな」

 

 エルフ王が強力な軍隊を作ることに注力しているのは、この辺りでは有名な話であった。しかしそのことで外交──特に法国との関係が疎かにされているという問題については、やはり知らぬ者が多い。

 

 村人程度の存在であれば猶更のことだ。

 

 閉鎖的。数百年の時を生きるという彼らでも感覚的な部分だけでは判断に厳しい部分がある。そのため"弱い森妖精(エルフ)"はただ……新たな風の吹かぬ暗闇の中を手探りで行くしかない。

 

「だから──」

 

 男が言葉を紡ごうとした時。

 

 雑念を吹き飛ばすように、道の右奥からパキパキと木の枝が折れる音が響いていた。その音の意味するところは一つであり、男は慌ててその足を止め、武器を握りしめる。

 

 

「っ、構えろ!」

 

 

 先ほどまでの会話の雰囲気とは一転し、緊張した空気と共に素早く戦闘態勢に入る二人。

 暗い木陰。獣道の奥からぬるりと出てきたのは体長1.5mにもなる四足獣であった。

 

 淡黄褐色の毛皮に鋭い爪。そして特徴的な巨大な牙。犬のような見た目でありながら、虎のようにも思わせるその姿は……

 

「サーベル・ウルフの子供か。かなり痩せている個体、恐らく餌を求めて彷徨っていたのだろう。運は悪いが、何にせよ同族じゃなくて良かった」

 

「……()るよね?」

 

「あぁ」

 

 迷うことなく彼らは動き出す。そうしなければ死ぬと知っているからだ。

 

 男は手斧を前に構えながら距離を取るようにゆっくりと後退する。そして青年も下がりながら右手を(えびら)へ伸ばし、中から矢を取り出しながら、左の木の隙間に足を掛ける。

 

 狭い森の道。鬱蒼としているこの森の中では如何に森妖精(エルフ)と言えど、飢えた獣から逃げ回るのは困難であり、不用意に突っ込めば一瞬で首を刈り取られる。そのため、彼らの動きは慎重かつ、敵を確実に仕留めるための動きだった。

 

 サーベル・ウルフもまた牙の隙間から涎を垂らしながら爪を地面に突き立てて進む。睨み合い、そして──

 

 

『ッ!!』

 

 

 一瞬。難度10近い魔獣は男を標的に定め、一瞬にして距離を詰める。その動きは俊敏という他ない。

 

 男は慣れた身のこなしでそんなサーベル・ウルフの体当たりを辛うじて避けると、すぐさま突き立てられる爪による攻撃を手斧で弾く。それから後方に転がりながら、獣の足に斧による殴打を食らわせる。

 

 命懸けの一撃は重いものであるが、やはりその動きは冒険者などと比べれば拙いものである。しかし連携という面においては彼らもそれに劣らない。

 

 

「今だ!」

 

 

 苦悶の表情を浮かべるサーベル・ウルフが右足を振り上げようとする前に男が掛け声を上げる。

 

 するとすぐに側面から弓矢が放たれる。風を切る音と共にそれは獣の胴を貫き、そして次に放たれた矢はあっさりと頭を射抜いていた。森妖精(エルフ)には弓の名手が多いとされるが、隣に立つ青年の正確さは目を見張るものがあった。

 

 急所を射抜かれたサーベル・ウルフはそのまま、重力に屈したようにドスンと地面に身体を叩きつける。ピクリとも動かなくなったそれを見て、張り詰めていた息も漏れ出したようだ。

 

 

「ふぅ……。何とかなるものだね。って、その手……大丈夫?」

 

 見れば男の下の地面に血が滴り落ちている。

 

「あぁ、このくらいなら問題ないさ」

 

 青年の心配する声を受けた男は、斧を持った右手から流れる血を左手で抑えながら答えた。ポーションといった高い物は無いので、千切った布を器用に巻き付けているようだ。

 

「流石に嵩張るから帰りに回収しよう。何にせよ良い収穫になったな」

 

「手伝うよ」

 

 危険と隣り合わせ。助けとなるものは少ない。しかしそれが彼らの日常だ。二人は手早くサーベル・ウルフの体を道の脇に引きずり動かすと、そのままの足で歩き始める。厳密に言うと一人は冴えない表情で数瞬の間固まっていた。それを見て男は諭すように笑う。

 

「俺たちは目の前のことを全力でやるだけだ。さぁ、止まってないで行くぞ?」

 

 そう言うと、青年もまた森妖精(エルフ)の王都──三日月湖近辺にあるその場所とは逆の方向へとその足を進めていった。

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

(はあ……全く何事だ)

 

 もはや不機嫌さを隠すつもりもなく、歩き慣れた自身の居城内を闊歩する。

 

 右手には高級なワイングラスと注がれた琥珀色の葡萄酒。それに口を付けて飲むが、やはり寝起きということもあっていつもより不味い。

 口を拭い、後ろを歩く女にグラスを付き返すと、女は慌て顔でそれを受け取り、赤を基調とする荘厳な部屋を後にしていった。

 

「ふぅ」

 

 そのまま城の最上階、その奥──元々寝室が近い位置にあるのでそれほどの移動距離を必要としないその場へと歩を進める。黄金の刺繍が施された皺ひとつない絨毯を踏みしめた先の壇上にあるのは玉座。

 

 自身に最も相応しい椅子。

 それを一瞥してから、気まぐれにその真横に備え付けられている磨き上げられた巨大な窓の前に移動する。

 

 そこからは森妖精(エルフ)の王国、その輝かしき王都の姿が一望できる。専用のバルコニーほどではないが、最上階から映る景色は美しいものだった。

 

 しかし──

 

 

「つまらん」

 

 

 彼は蔑むような眼で下界を見下ろしていた。

 蠢くのは力を持たぬ弱者の群れ。それはあまりに理想には程遠い。

 

 そう、彼は強すぎたのだ。その強さのあまり、いつしか逆らう者が居なくなるほどに。

 

(……)

 

 他の者とは違う白く伸びる長い髪の上には木で作られた冠を、その両の瞳には別々の色彩を放つオッドアイ──森妖精(エルフ)の王の証を持ち、その全身を豪華な鎧で覆う──。

 

 そんな彼こそが森妖精(エルフ)の王。権力のみならず超常的な血の力を持つ彼はまごうことなきこの国の絶対者であり、この国に存在するあらゆる物が彼の所有物だ。しかしそんなものは彼を満足させるに至らない。

 

 

 彼──エルフ王の抱く夢、それは──

 

 

(私の子が……軍隊が世界を席巻する。私の血であれば可能であるはずだ。それなのに、何故これほどまでにゴミばかりなのか)

 

 世界征服の野望。それは未だ叶っていない。生まれてくる強者は皆無であり、その兆しは未だ見えていなかった。……その原因は──答えは既に出ている。

 

 父親が自分なのだから問題は母親、つまり身籠る方にあるのだ。

 

 一時森妖精(エルフ)の女では駄目なのかと人間にも手を出したことがあったが結果は同じだった。あまりに彼らは弱すぎて、生まれてくる子は森妖精(エルフ)であれ半森妖精(ハーフ・エルフ)であれ、自身の強さの半分にも満たぬ者ばかりであった。

 

 エルフ王は窓を叩き割りたくなる。下を歩く弱者にも、そんな者しか生まぬ後ろの女共にも腹が立ってくる。しかし窓を壊すことはしない。窓を壊せば修理も大変だし、部屋が散らかることになる。

 彼は優しい王なのだ。そんな無駄なことに彼らの時間を割かせはしない。

 

「さて、報告だったな。……早く話せ」

 

 エルフ王は大事な報告があるとの話を起床の後に知らされていた。緊迫した様子であったので早く出てきたものだが、どうせ大したことではないだろうと今も考えている。

 

 そのためエルフ王は窓辺から離れることなく、跪く弱者に目を向ける。

 

 老人の森妖精(エルフ)が後ろに数人。その前には三名の女エルフが並んでいる。左から髪色が金、黄緑、桃となっており、顔もそこそこ整っているが大して特別な能力も持たぬ者たちだ。

 

 強張った視線が合うと、真ん中の女が座礼をしてから報告を開始する。

 

「は、はい。スレイン法国の件なのですが、調査により先日パレードを執り行っていたことが判明致しました」

 

「ほう。そうか。……最近の不審な動きとやらはそれが原因だったか」

 

 法国。それはエルフ王が最も警戒する国である。法国は強者とまではいかないが、それなりの精鋭を多数抱えているらしく、軍事力もかなりの水準を誇っている。規模に関しても横の繋がりに関しても底の知れない──世界征服するにあたってかなり面倒となりそうな存在だった。

 

 そんな国の話が出てきたことにより心の中での重要度ランクが一つ上がる。

 

「それで?」

 

 情報としてそれが全てということはないだろう。そう思いエルフ王は続きを話すことを促す。すると隣の女が頭を下げ、真剣な表情の中語り始めた。

 

「そのパレードなのですが、どうやら"神"の降臨を祝うためのものだというのです」

 

 

 ピクリと、エルフ王の眉が上がる。

 

 

「神……だと?」

 

「は、はい。その者は恐ろしいほどの強さを持っており、竜王国に侵攻するビーストマンの大群を一撃で屠ったなどという話もあります」

 

「くだらん」

 

 女のばかげた話を聞き、エルフ王は自身の右手を丸めながら嗤う。

 確かにビーストマンなど千体来ようとエルフ王であれば楽に倒しきれるだろう。しかし、一撃で滅ぼすとなると話は別だ。神とやらが範囲攻撃魔法を使うことも考えられるが、少なくともそんな魔法は古代の書物にも載ってはいない。

 

「法国も気が狂ったか。まぁ、しかし神か。強いのは強いのかもしれんな。見た者の話はないのか?」

 

 エルフ王は自身と同様の強者の匂いを嗅ぎ、興奮気味に女に問いかける。

 

(もし女であれば──)

 

 そう。女であれば自身の子を孕むことができる。神と呼ばれるほどの強者と、自分との子供だ。今までの失敗作と比べればかなり期待できるだろう。

 尤もそうである可能性が低いのも明白だ。女はそもそも戦闘力の低い者が多い。軍隊の殆どが男で構成されることもそうだし、六大神や八欲王の言い伝えにも女神の話というのは少ない。そのため、エルフ王も期待半分で聞いている部分はある。

 

「……おい」

 

「は、はいっ」

 

 中々言葉を返さず、互いに目配せする女に苛つきの声を出す。何を考えているのか。そうエルフ王が不審に思っていると、目の前の女から信じられぬ言葉が飛び出したのだ。

 

 

「正確な情報は、ありませんが……聞くには女神であると」

 

「なんだとっ!」

 

 エルフ王は咄嗟に足を踏み出す。その際、女エルフ共がびくついたのは言うまでもない。エルフ王はそんなこと気にもせず、更に女エルフに近付く。

 

「本当に女なのか?」

 

 念入りに聞きただすが女エルフ共の言葉は変わらない。先の内容を反芻しながら、ぎこちなく頷く女エルフをただ見下ろす。エルフ王はここに来て初めて笑った。

 

「ははっ」

 

 思いがけない幸運。空から降ってきた女の存在にエルフ王は自分でも驚くほどの高揚感を覚える。長年の夢が叶うかもしれないという状況に、いつしかエルフ王は強く拳を握っていた。

 

「それは素晴らしい! ならば……そうだな。私自ら法国に向かうというのも悪くなさそうだ」

 

 それが手っ取り早い。圧倒的力を行使すれば拉致も可能だろう。そして国に持ち帰れば、我が子を産ませられる。

 

 エルフ王はそんな未来を妄想しながら外套を翻し、玉座の間を離れんと足を動かす。しかしそんな思考を跳ね除けるように言葉が発される。

 

「お、王よ! それは危険です!」

 

 叫んだのは女の後ろに侍っていた老エルフだった。冷や水を浴びせられたような気分となったエルフ王はこの官職の老人を斬り伏せようかと一考するが、血で汚れるのも嫌であり、また理由を聞くのも大事だろうと冷静な頭で歩を止める。

 

「何故だ? 法国とは現在も友好関係にあり、別に密入国する訳でもない。それに仮に敵対されようとも、奴らなど私にとって取るに足らんのだぞ」

 

「はい。確かに、我らが王は最強の存在であらせられます……。しかし法国内となると人の数は多いでしょう。それに敵対関係になくとも、今後の行為、それに及ぶ可能性を考えますと……エルフ王国にとって危険な判断になるのではないかと愚考致します」

 

 王のするであろうことを理解し、遠回しに批判する者達。その多くが王が敗北し、自分達森妖精(エルフ)が弱い立場に追いやられることを恐れているのだ。強者に守り続けてもらおうという何とも不愉快な者共である。

 

「私からもお願い申し上げます。神はその実力も未知数であり、法国に対しては今まで通り穏便に、慎重に対応して頂ければと……」

 

「はぁ」

 

 あまりの失望に口からため息が漏れ出る。

 もはや怒りさえも通り越し、エルフ王は呆れていた。

 

「分かった」

 

 一瞬喜色の面が浮かぶ。

 

「左様でございますか──」

 

 

 

 

 

 

「それなら、お前たちが神をここに連れて来るがいい」

 

 

 ……

 

 ……

 

 当然だとエルフ王は言い放つ。強者の女が現れたというのに黙って指を咥えているなど有り得ない。

 

 確かに神が同程度の実力者であれば──彼らの言う通り王と言えど危険はあるかもしれない。単身で向かい、それを捕え、法国の面々を退けてこの場まで戻ってくるのは至難の業だ。

 

 ではそれが危険だとするならどうすればいいか。……簡単だ。この者達が神を連れて来ればいい。(こちら側)であれば神の女などどうとでもなるのだから。

 

(弱者の有効活用か。これを機に覚醒でもしてくれればいいのだがな)

 

 エルフ王は(しもべ)が王国の役に立つことを願いながら、今後の策について思いを巡らせる。

 それは何と寛大で慈悲深い想いであろうか。……しかしそれに対して先程から眼前の森妖精(エルフ)達は信じられないと言わんばかりに口を開け、目を丸くするのみだ。

 理解力の低いこの者達には王の考えの少しも伝わってはいないようだ。

 

 

 エルフ王は冷酷に手を振り上げ、再び厳命する。

 

 

「二度言わせるな。神の女を連れてこい。これは王の命令だ」

 

 開いた手から魔力を迸らせる。凄まじい力が女の横を通り過ぎ、突風として旗を揺らす。このまま魔法を発動させれば彼らの命は容易く奪われるだろう。

 それは何もこの場だけ……ということではない。そして彼らもそれを良く理解しているようだった。

 

 エルフ王はようやく必死さを表情に浮かべた彼らを蔑むような瞳で眺めた後、上げた手を払うように鎧の腰に戻す。

 

 

 静寂と化した玉座の間。そこを彼が後にするのは、それからすぐのことだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28.新たな朝(1)

毎度亀更新ですみません。また少しずつ落ち着いてきたので投下します。



 スレイン法国の首都である神都にも青白い日の光が昇る頃のこと。

 

 神の居城と謳われる大神殿、その最上階にある一室では、新たな神であるツクヨミが未だその瞳を閉じていた。

 前日のパレードの疲れもあっただろうか。いつもよりも深い眠りについた頭の中には、ここではない別の場所の景色が映し出されており、朝になってくるとそれは目覚めてくる意識と共に鮮明なものへと変わっていった。

 

 

(…………)

 

 

 夢──。そう、その朝方ツクヨミは脳内、はたまた魂の世界とも言えるであろう夢の中にいた。それはリアルの頃と変わらず曖昧模糊としたものだ。

 

 ツクヨミがこの世界でも夢を見始めたのは、もうだいぶ前からの事だった。

 行きつけの宿で寝る時も、馬車に揺られる夜も……人間である以上夢を見ることは多分にあり、もはやそれは生活の一部と言ってもいいものだった。元々そういうものだと経験していた以上当然のことで、特段その内容について思うことがあったことはない。

 

 

 しかし──。

 

 

(ん……)

 

 朝の薄れ気味な意識の中。図らずも彼、いや彼女は寝ている状態のままその思考を取り戻した。ある種の不可解さが目に留まってしまったと言ってもいいだろう。

 

 眼前に広がるその場所は、一言で表すなら『漆黒の星空に彩られた世界』だった。夜空は暗いようで暗くなく、その下には驚くほど白い平原が地平線の彼方まで広がっている。そしてそんな辺鄙そうな場所に立ち尽くすのは自分だけだ。

 それは明らかに現実感のない光景で、夢の中でもこれは夢だなと感じてしまうほどのもの。

 

 

 しかしそんな見てくれよりもずっと心に引っ掛かる不可解さ──。それは、この夢をもう"三度も見ている"という点にあった。

 

 

 彼女はきょろきょろと辺りを観察した後、リラックスするように息を吐いてからその意識を自身に向ける。腕を持ち上げれば、垂れた白い裾と共に、きめ細やかな白い腕と長く伸びる指が映った。その更に手前には華奢な体が、その足元には当然と言わんばかりに白い髪が這っている。

 

 ツクヨミ──。本来はそうでないはずの自分の姿だ。しかしそんな状態にあっても今一切の違和感を覚えることは無い。

 

 彼女は咄嗟に片手で頭を抑える。知るはずの無い平原に、何処となく懐かしさを感じ始めて──

 

 

 

 

 ……

 

 

 ……

 

 

 

 

「っ!」

 

 ツクヨミはハッとするようにその目を開いた。

 

 その身体は当然のことのようにベッドの上にあり、手元には肌触りのいいシルクか何かの掛け布団が握られている。寝起きだというのに驚くほど冴えた頭は、先の光景と今見渡している天井一面の光景との違いに少々の混乱を起こしていたが、それもほんの一瞬のことだった。

 

 すぐに現状を理解したツクヨミは掛け布団を押し退けてから上体を起こすと、目元を擦りながら現在生活している大神殿の一室で溜め息混じりに声を漏らす。

 

「夢か」

 

 輝く色とりどりのステンドグラスからは既に朝の日差しが入ってきている。それが恐らく浅い夢の瀬からツクヨミを連れ戻してきたのだろう。部屋の中は神殿の構造上未だ薄暗いが、窓の方を向いた顔に当たる自然の柔らかな光はどことなく心地がいい。

 ツクヨミはそんな光をぼうっと眺め、感傷に浸る。

 

「昔はアラームで起きてたんだっけ……」

 

 化学物質の雲に覆われていた前の世界。そこには当然こんな日の光はなく、電気の灯かりや無機質なアラームのみが時間を支配していた。それが普通であり、当たり前のことだった。

 しかし最近では──随分とこの"灯かり"に慣れてしまった気がする。……いや、忘れてしまった、という方が正しいのかもしれない。

 

(たった数カ月前のことなのに)

 

 ツクヨミは『昔』と不意にそれを表現していたことにも、苦笑を浮かべる。

 夢の中でもそうだが、最近では少しずつ昔の記憶が薄らいでいる。それは元の自分を失うような感覚であり、存在さえツクヨミになっていくような感慨。

 尤も"こちらの比重"の方が大きくなりつつある今、そもそも自分は誰なのかとも言えそうな話だが。

 

「はぁ……。まぁ思い詰めても仕方ない、か」

 

 具体的な対策もない以上、哲学的な思考にいつまでも耽っている暇はない。

 実際、生活には支障がないのだ。

 ツクヨミは頭頂の髪をくしゃりと掴むと、気持ちを切り替えるようベッドからその足を降ろした。

 

「っと」

 

 横向きに座った状態で初めに目に入ってきたのは置き時計だった。机の上に置かれたそれはツクヨミがユグドラシルのアイテム群を整理する際に取り出していたものであり、謎に宝石で飾られたファンタジー色強めのものとなっている。

 この部屋には元々時計が無かったので、一応時計としての機能を有しているこれは便利だった。その時刻を確認すると、現在が7時43分であることが分かる。

 

「まだ朝方か。……うん。でも一応急いだほうがいいかな」

 

 昨日パレードが終わったため少しゆっくりしたい気持ちもあるが、残念ながらそうはいかない。

 

 今日の昼とて認識合わせも兼ねての最高議会の集会に参加させてもらうことになっている。それに何やら"人と会う約束"もあるらしいので、思った以上にタイトなスケジュールになるかもしれないのが現状だ。

 

「今日も頑張ろう……」

 

 ツクヨミは息を吐くように腹部に手を当てると、立ち上がってから質素な内観の寝室を寝間着のまま移動。そのまま隣にある洗面所まで足を運ぶ。

 

 そこには化粧台とはまた異なった精巧な鏡と、石で造られた水の受け皿のようなものがある。

 

 ツクヨミは何の変哲もない歯ブラシを無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)から取り出してから鏡の前で歯を磨くと、口を濯いで吐き出す。その後、顔を水で濡らしてからタオルで拭く。

 

 鏡にはさっぱりとした自分の顔が映っている。多少伸びたような気がする白い前髪を一瞥しながら、ツクヨミは自分の手の平──そして手の甲から爪へ視線を移す。手入れは続けているため、どちらもまだそれほど伸びてはいないが、成長すればいずれまた切ったりする必要が出てくるだろう。

 

(前のハサミは壊れちゃったし……どこかに良い爪切りでもあればなぁ)

 

 法国で緩く生活していた時の失敗の記憶を思い出しながら、ツクヨミは唸る。ツクヨミの爪などは人間のそれであるにも関わらず、馬鹿げているほどの硬度を持っている。聖遺物(レリック)の武器に使われる貴金属未満では恐らく傷さえつけられないほどだ。通常の物では話にならない。

 

「それこそユグドラシルのアイテムももっと活用していくべきか」

 

 ツクヨミは洗面所から出ると、机の上に乱立する遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)等に視線を送るが、時間が掛かりそうなのでまた後にしようと着替えの準備を始めるのだった。

 

  

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「ふむ。街の治安は思ったより問題なさそうだな。運営費用の方はどうだ?」

 

「軍部と行政の作業負担が多少大きいだけで、そちらは予算内で十分収まるかと」

 

 大神殿内の入り口付近にある一室で、二名の話し声が聞こえてくる。一つは最高神官長であるオルカーのもの。もう一つは帽子から靴まで青色で染め上げた水の神官長のものだ。

 彼らのいる部屋は全体的に質素で棚には造花等が飾られており、壁際には六大神の紋章が立て掛けられている。そこに窓はなく、それほど広くない一室の中央には書斎机が置かれ、机の上に少量の書類が積まれている。

 

 本来であればあまり使われることのない部屋──そんな場所で二人は今、スレイン法国で開催されている祭りについての話し合いを行っている。朝のひと時であるものの、しわがれた声、その表情はお互いに張りきったものだった。

 

「なるほど。では私が祭りの件に関して動くことはそれ程ないな。……ただ一応、行政機関長からの要請には速やかに対応できるよう体制を整えておこうか」

 

「ええ。念には念を入れておいた方がよいでしょう。何せ神の為の祭りなのですから。失敗は出来ない」

 

「失敗か……。そうだな。これ以上は何としてでも避けたいものだ」

 

 対面に立つ水の神官長の当然の言葉に、同じ志を持つオルカーは優れない表情で苦笑していた。それは胸の引っ掛かりというやつだろうか。

 水の神官長もまたそれを見て、改めて同じ内容を思い出したのか唸る。二人がこうして朝から仕事を徹底しているのも、"前日のパレードでの失敗"がある意味尾を引いた結果であったからである。

 

「……私も、昨日は本当に血の気が引いたものです。我々の愚かさもそうですが、かの御仁には本当にしてやられましたな」

 

「パラダイン公。いかに数少ない人類の戦力といえ、神に対してあのような振る舞い。今思い出しても怒りで震えそうだ」

 

 最高神官長であるオルカーは、話している内に昨日の出来事──帝国の重鎮であるフールーダ・パラダインが神であるツクヨミに飛びつこうとした光景を思い出したのか、眉間に皺を寄せた。

 実際、秘密主義を孕んだスレイン法国であのような行為に及んだとあれば、例え要人であってもどうなるかは想像に難くない。彼らだけであればそれこそ戦争に発展した可能性もあっただろう。

 

 水の神官長もその憤りには同意を示しつつ、神の意向に沿って話を続ける。

 

「正直、私も最高神官長と同様、帝国にはかなり失望した身。しかしパラダイン公に関しては……神が直々に許されている。であればそれ以上は不要でしょう。我々は今の祭事に集中することこそが最大の償いであるかと」

 

「ああ、私も全くそう考えている。我々の元に降りて来て下さった神──ツクヨミ様の恩情に感謝しながら、本日も公務を遂行せねばな」

 

 スレイン法国のトップであるオルカーもまた、自分の感情は重要でないと首を振る。

 話が一区切りついた二人は改めて次の仕事に取り掛かると、一目散に手元の書類の整理を始める。持ち込まれた書類以外の積まれた束に関しては……今のところ対処を急ぐ必要はない。そのため、最低限の情報共有、交換を経て祭りに関する予算状況の確認や問題の把握を含む公務の多くは数十分で終了する。

全てではないにしろ、その手際の良さは流石という他ない。言うなれば王国貴族の数倍の早さだろう。

 

「よし、一旦はここまでですね。私は水明の件もありますので、そろそろそちらに向かおうと思います」

 

 水の神官長は一応は上の立場である最高神官長に軽くお辞儀をすると、部屋を出るべく身を翻した。途中ちらちらと時計に目をやる素振りも見せていたが、そのままドアノブへと手を掛ける。

 

 ガチャリと音を鳴らし、ドアを開け退出すると思われた水の神官長。しかし、彼はふと何かに意識が及んだのか再度、最高神官長へと向く。その表情はついでというにはあまりにも真剣そのものだった。

 

「そういえば、ツクヨミ様は今どのように?」

 

 少し遅れて書類を抱えたオルカーがその口を動かす。

 

「ツクヨミ様なら先ほど会食の間に朝食へ向かわれたと第一席次より報告があった」

 

「第一席次……。現在ツクヨミ様の御部屋の警護を任されている彼ですね。御部屋を離れられたのはツクヨミ様のご意思で?」

 

「あぁ、どうやらそのようだ。私も詳しい理由までは特に聞いていないがな」

 

「なるほど。ツクヨミ様の御手を煩わせていないかが何とも気掛かりな所ですが……我らが神が起床なされたということなら、私も速やかにご挨拶へ向かうとしましょう」

 

 そこまで言うと水の神官長は一時も待てないというように外へと歩みを始めようとしたので、書類整理を一通り終えたオルカーもまた慌てざまに立ち上がる。

 

「私も向かう。そろそろお食事も終えられる時間だろう。巫女姫の準備は……神の高貴な御姿を拝謁した後にする。水の神官長もその件は頼んだぞ」

 

「ええ。六大神殿には彼らも向かわせます。では急ぎましょうか──」

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 会食の間は、大神殿内でも特に使われることのない部屋であった。元々は六大神の食事処として存在したとされるこの場所は、その一柱さえ存在しなくなった今、スレイン法国の記念となる年に神官長らがひっそりと食事の席を囲む程度でしか開かれない。

 

 そんな場所にツクヨミが朝向かった理由は単純だ。部屋の机がアイテムで散らかっていたこと。わざわざ給仕に最上階の部屋まで食事を持ってこさせるのに気が引けたこと。そして前日に利用しており、気楽だったからだ。

 とはいえ、先ほど並んでいた朝食はそのような配慮もミジンコのように小さく感じれるほど手が込んだものであり、食べながらにして庶民的な罪悪感を感じたのは記憶に新しい。

 

 そして今、ツクヨミは会食の間を後にし──そして唐突に現れたいつもの面々に声を掛けていた。

 

「では、皆様。また後で……。集会ではどうか宜しくお願い致します」

 

「はっ!!」

 

 通路脇に並び、恭しくお辞儀する最高神官長含む数名の神官長。出待ちから神の遠謀が云々かんぬんと言っていた彼らに少々気疲れしたツクヨミは、失礼にならないようその様子を確認しながら横を通り過ぎる。

 唯一ついてくるのは白銀の鎧を身に纏った第一席次。最上階から常にツクヨミの傍に控え、連絡や案内などを行ってくれている彼の働きは非常に有難いものであるが、歩調を合わせピタリとついてくるその姿は感嘆を通り越して少々不気味だ。

 

 

 しかしこれからどうしようか──

 

 

 議会の席まではまだ時間がある。それまで時間をどう過ごそうかとツクヨミは歩きながら考える。

 このまま大神殿内の散策を行ったり、部屋に戻ってからアイテムの整理をしたりするというのも悪くはない。しかしそれはどことなく窮屈さも感じさせる。階段を降り、大広間に着いた頃、ツクヨミは巨大な窓を見てふと思い出した。

 

(そういえば今日から街ではお祭りが開かれてるんだった)

 

 パレードを経てこちらは何やら終わった感があったが、神都……いやスレイン法国では神の降臨を祝う祭りが今も盛大に行われているという。外界の音の少しさえ届かないこの聖域にいるとそれをつい忘れそうになってしまうが、神官長が朝から動き回っているのもそれが大きな理由なのだ。

 

 ……あー、どうせなら私も祭りの様子は見ておきたいなぁ。

 

 そんな情動がふつふつ湧いてくる。何せ自分の祭りなのだ。こんなに気になるものもない。せめて遠目からでもとツクヨミは外に出る意思を固めると、第一席次の方へ向き直った。今も黙って着いて来てくれている彼には先に断っておく必要があるだろうと。

 

「第一席次様、すみません。これから少し境内を散歩して来ようかと思っている所なのですが、宜しいですかね?」

 

 それに対し第一席次は澄んだ青の瞳を閉じ、優雅に頭を下げる。

 

「私から了承を得る必要はございません。どうぞ神の思う儘に。私は……如何致しましょうか?」

 

「では、そうですね。少しだけ一人で動きたいので先に部屋の方へ戻って警備をお願いできますか?」

 

「畏まりました。聖域の境内であれば多数の聖典もいるとは思いますが、どうか御身体にはお気を付けください」

 

 そう言うとスタスタと第一席次は去っていく。

 少しだけ申し訳ないことをしたのではないかとツクヨミはその背中を見送りながら思いつつも、振り返ってからはなるべく足早に大広間を横断し、そしてその目前にある重厚な扉──それを両手で押し開く。

 

 

 わっ

 

 

 開け放たれた扉からは冷風が入り込み、薄暗い室内から一転。眩しい朝の日差しが現れた。驚くことに外は明るいものの雪がちらほら降っており、それはもう神々しい一枚の絵となっている。

 ツクヨミは大神殿を出るように一歩前へとその足を動かす。

 ここに立つと毎度思うことだが上から見下ろす石段は割と高く、その下には平地まで続く更に長い石段が伸びているので、この場所の高さはかなりのものであることが窺えた。

 

 この体で落下しても怪我をすることはないだろうが、慣れないうちは一段一段慎重に降りるのが得策だろう。ツクヨミは途中石段の横にある手入れされた花壇などに目をやりつつも、大神殿の建てられた土壌──その丘の上に着地する。

 

 この聖域の敷地はかなり広いため、遠くに見える神都の下街からは残念ながら未だ何の音も聞こえてこない。夜であれば太鼓の音なども鳴っているのかもしれないが、今は視界一杯が無人の状態であると言われても信じてしまうほど静かな世界がそこに広がっていた。

 

 

(こうしてみると、まだまだ分からないことだらけだね……)

 

 

 住んでいる国のことさえ、まだ把握できていないことは沢山ある。もしツクヨミの願い──この世界の人々の暮らしを守ることを叶えていくのなら、今後もっと世界中の情報を集めていく必要は出てくるだろう。神になったことで手の広さは十分なのだから、自国の祭りの様子を知るその行動も、目的の第一歩になってくれればと願うばかりだ。

 

 

「とりあえず横に移動してと。双眼鏡とか……持ってたかな」

 

 ツクヨミは中空に伸ばした手で虚空のアイテムボックスを開き、中のアイテムを探る。ユグドラシルのアイテムの種類は膨大であり、中にはゲーム内での使い道が殆どない小ネタアイテムも多くあった。その中では遠距離を見れるアイテムは実用の範囲内であるため所持しているプレイヤーも少なくはなかっただろう。

 

 しかし探してみると思ったよりそれは見つからない。そのためツクヨミは仕方なく、本型アイテム──特定のデータクリスタルや込められた魔法を誰でも一度だけ使用できるそれを使い、比較的ドロップしがちな低位魔法鷹の目(ホーク・アイ)の魔法を発動する。

 

 元より高い視力が更に高くなり、数キロ先の光景でもくっきりと映るほど視界が鮮明となる。……しかし悲しいかな。当然と言えば当然だが、建物が邪魔をして街道の様子はよく見えず、色々と自身の位置を変えてみてもそれは大して変わらなかった。傍から見れば不審者然とした、何とも哀愁漂う光景だ。

 

「流石に見えないか……。となると部屋で遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)でも使った方がいいのかな。でも対策の水晶必須だし、それはそれでなんか違うというか」

 

 ツクヨミが項垂れ気味に独り言を発していると、それは後ろから唐突にかけられた。

 

「これはこれは、ツクヨミ様。本日も我らの前にその高貴なる御姿を現して下さったこと深く感謝致します。……しかし如何されたのでしょう。もしや体調に問題が……?」

 

 特段低い男の声だった。ツクヨミはぴんと背筋を伸ばし、頬を覆いたくなるような気持ちで振り返る。

 

「こ、これはグレーム様。いえ、私なら大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 

 グレーム・ラスタ・アーヴィング。基本的に神官長の名前と顔の全てを頭に入れているツクヨミは、漆黒の衣装に身を包む壮年の男性……闇の神官長の名を呼ぶ。実際のところ、公務中でなければ名前で呼び交わすことは特に珍しくないのだが、今は見られていた恥ずかしさからの突発的な反応によるものだった。

 闇の神官長はその強面な表情を驚きのものへと変えながら厳かに口を開く。

 

「私程度の名を呼んで頂けるとは……至極光栄でございます。しかし左様でございましたか。であれば問題はありませんが、何かお困りであればいつでも私にお申し付けください」

 

「ありがとうございます。では……お言葉に甘えて少しお聞きしたいことがあるのですが、宜しいでしょうか?」

 

「何なりと」

 

「今開催されていている祭りの事なのですが──」

 

 その様子はどのようなものであるか、とツクヨミは闇の神官長に問うた。現状の直接的な願望である祭りの様子を見られるかという内容まで踏み込まなかったのはそろそろ図々しく感じられたためだ。

 かくして闇の神官長が頷いた。

 

「ツクヨミ様の為の祭りですが、民は皆歓喜に満ち溢れ、そのご降臨を祝われている様子です。特に大きな問題もなく、順調に盛大な催しが行われておりますね」

 

「そう、ですか。それは何よりです」

 

 その気持ちは本心からだ。しかし何か陰りのようなものを感じ取ったのかは分からないが、闇の神官長はツクヨミを視界に捉えつつ追加で言葉を発してきた。

 

「もし宜しければ神も見ていかれますか?」

 

「……え? 大丈夫なのですか?」

 

「当然でございます。神の為の祭りなのですから。……国民は少々、驚かれるかもしれませんが心配は御無用です」

 

 闇の神官長はきりっとした面持ちのまま軽く頭を下げる。そこには強い臣下としての誇りのようなものが感じられた。彼とてその騒ぎがどれくらいになるか想像できない訳はないだろう。

 

(嬉しい提案ではあるけど神様としての身分のまま出ていくのは流石に驚かせるよね……。迷惑はあまり掛けたくないけど、どうしようか)

 

 ツクヨミは心の中で葛藤しつつも、当初の目的を思い出し心を決める。やはり物事を知るならその中に飛び込むのが一番手っ取り早いのは間違いがない。

 

「ありがとうございます。では、誠に恐れ入りますが少しだけお祭りに参加して来ようと思います。ただ……そのままだと騒ぎが大きそうですので、こちらを羽織って行こうかと」

 

 そうしてツクヨミが取り出したのは、灰色のローブ。年季の入った長袖のそれは、初めてツクヨミがスレイン法国に入った時と同じものであった。

 

 ────

 ──

 




書きたいこと詰めてたら思ったより長くなったので分割致します(汗)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29.新たな朝(2)

 冷たい風に吹かれながら、ツクヨミらは石段を下っていく。その内訳は前にツクヨミ、そしてその後方に闇の神官長であるグレームだ。

 

 ツクヨミの格好は先程の白色の衣姿とは一転して地味なものに変わっている。隠密外套(ステルス・ローブ)を纏った全身は足元まで黒っぽい灰色に包まれ、頭の部位も前は使用していなかったフードを深く被ることで隠している。

 

 

 その姿はさながら魔法詠唱者(マジックキャスター)

 

 

 しかし、頭頂が元々装備していた金の装飾品によって微かに盛り上がっていたり、足元まで伸びる白銀の髪を体に巻き付けて腕で支えていたりするので、その見た目は少々の不自然さと怪しさを醸している。とはいえ、魔法詠唱者(マジックキャスター)は元々怪しい存在として認知されている所があるので、じろじろとその正体を探ろうとする者も少ないだろう──

 

 依然として長い段を踏み歩きながら、そんなことをツクヨミが考えていると、

 

 

「しかし……なにも神がそこまでされる必要はあったのでしょうか? ツクヨミ様のご配慮は大変痛み入るものであり、またその意図も承知しております。ただ、民から高貴なる御姿を隠されるだけであれば私の持つ透明化の魔法を行使させて頂くだけで充分ではなかったのかと」

 

 

 畏まった様子で右後方を歩く闇の神官長が淡々と話しかけてきた。最初は馬車を用意するまで言っていた彼も、ツクヨミの説得あってか今までは寡黙に着いて来ていたのだが……その神が不審者と化し、更には普段使いの指輪や光輪の善神(アフラマズダー)といった神器まで外すのを見ては何か思うところがあったのだろう。

 

 実際透明化の魔法を使う隠密というのは正しい。しかしツクヨミが第九位階の魔法である完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)の発動コストを渋っている今、低位であるそれは完全無欠の方法には程遠かった。

 

 

「念のため、ですかね。透明化は一定時間の制約があるので何度かかけ直してもらう必要がありますし。それに不測の事態……例えばその姿のまま高位魔法に看破されたりしても面倒ですから、こうして古典的に隠れるのも意外と効果的なんですよ」

 

 

 ツクヨミは落ち着いた足取りで歩を進めながら横向きに闇の神官長へ向き答える。対して闇の神官長の表情は相変わらず分かりにくいものであったが、幾らか魔法の話に興味を持っているのは見て取れた。闇の神官長は言葉を反芻するように深く目を瞑ると、帽子を乗せた頭を下げ始める。

 

「なるほど。そこまで見越してのことだったのですね……。神の深慮遠謀、流石という他ございません。どうか無用な言を挟んでしまった私を御許し下さい」

 

「いえそんな。私がそういった魔法を取得していないのが問題な訳で、グレーム様には助けられてばかりですよ」

 

 それは紛れもない本心だ。

 

(……そもそも祭りにひっそり参加させてもらってるのも神官長の厚意あってのことだし、寧ろ謝るのはこっちなんだよね)

 

 朝の忙しい時間に付き合って貰っているツクヨミは"グレーム"に頭が上がらない気持ちだが、これを言い始めればまた話が変な方向へ行きそうだったので、言葉を呑み込んで道の先に進む。

 

 数分が経つ頃には、高い丘からの景色は平地のそれへと変わっていた。

 

 道の中央を歩くツクヨミらの周りには一面の緑とよく分からない岩の建造物、それから六色神殿に続く道のみが佇んでいる。

 如何せん広いだけあって代り映えのしない景色が続く。おおよそ道半ばくらいまで歩いて来ると流石に風景を眺めるのも飽きてきた。

 

 

(何か話せることでもないかな……)

 

 

 そんなことを思い、まず最初に頭を掠めたのは先程から頭上に落ちて来るふわりとした白い水蒸気のこと。

 

「雪も──久しぶりですよね。私はこちらに来てまだそれほど経っていないので、たまに降る雪はやっぱりテンションが上がります」

 

 

「はい。仰られる通り、清く、素晴らしい天気であると私奴も感じます。このような空の元、神に同行できることに改めて深く感謝申し上げます。また、この空も……まるで神の御光臨を祝福されているようで、降りしきる雪の白さもツクヨミ様の崇高たる美を一層輝かせていると──」

 

 

 

 あ、この話題は駄目だったか……。ツクヨミは後ろで深く感じ入っている闇の神官長に苦笑いだ。

 

「なるほど……。いいですよね、雪」

 

 闇の神官長が漸く話を終えたようだったので、ツクヨミは一拍置いてから今度は別の角度から話を切り出すことにした。それは一転して重要な話であった。

 

 

「そういえば、闇の神官長様。だいぶ話が変わってしまうのですが……他国は、他の国は今どんな様子でしょうか。ついこの前"帝国が動いていた"ことといい、やはり何かしらの動きがあったりするのですか?」

 

 

 それはフールーダに絡まれたこと、そして先日竜王国に接触していたからこそ出てきた世界情勢に関する内容。

『話相手』として申し分ない彼は、それを聞くなり緩みかけていた表情を堅いものに変えた。"神官長"としての謹厳さが空気を通して伝わってくる。

 

「はっ。他国の多くはまだ様子を見ているのか、それほど動き出しておりません。王国も……昨日(さくじつ)暴走した帝国も同様でございます。聖王国に関しては神殿経由でのやり取りを、竜王国はツクヨミ様直々に向かわれた件の行動となるでしょう。……そしてエルフ国は音信不通ですが、評議国は──」

 

 

 …………

 

 

「評議国では先日、かの者達の出入りがあったと聞き及んでおります」

 

「……かの者?」

 

「はい。(永久評議員)です」

 

 ツクヨミはピクリと足を止める。永久評議員。この世界の新参者であるツクヨミとてその存在に関しては聞いたことがある。噂ではそれは評議国を統べる多数のドラゴン達であり、その権力もさることながら一国を軽く滅ぼせる力があるという。

 そして何より問題なのはスレイン法国と評議国は仲が壊滅的に悪いということ。立地が離れているのもそのためだ。

 

(評議国とプレイヤーの関係までは詳しくないけど、相手は何せドラゴンだし良くは思ってなさそうかな)

 

 ツクヨミとしては戦争など絶対に避けたいところだが、その存在が先に動いていたというのはかなり心配になる事実だ。

 

「それは全員、なのでしょうか」

 

「残念ながらそこまでは……。ただ、恐らくかの白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)が絡んでいる可能性は高いでしょう。しかし現状の彼らの行動はそれのみであり、逆に大きな動きは一切しておりません」

 

 闇の神官長は神の(うれ)いを察するように言葉を続ける。

 

「それに彼らがもし──こちらに敵意を向けてくるようなことがあれど、我らがあらゆる手を以ってツクヨミ様を御守りさせて頂くことを約束致します」

 

「……ありがとうございます。まぁそのようなことにならないのが一番ですが、もしそうなってしまったら私でなく巻き添えになりそうな人たちのことを御願いします」

 

 ツクヨミは跪く闇の神官長に優しく語りかけると、彼が立つのを待ってから歩みを再開する。

 世間話的なノリから少し危機感を感じる話まで聞いてしまったものだが、戦争というのは些か飛躍した話。まだ他国の人間とも話し合いの機会はあるだろう。

 

 ツクヨミは胸の引っ掛かりを今は一旦仕舞ってから、祭りの開催される神都の街へと歩を進めるのだった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ツクヨミ様、ここからは神殿敷地の外。治安は比較的良好ですが、どうかお気を付け下さい」

 

「は、はい」

 

 パレードの時以上に謎の緊張感を感じつつもツクヨミは巨大な門から足を踏み出した。周りに兵士はいない。それは先程闇の神官長が下がらせたためだった。

 

「では、行きましょう」

 

 いざ祭りへ! 

 

 そんなツクヨミの後ろに続く闇の神官長の姿は既に透明になっており、加えて気配や足音なども立ち消えている。対してツクヨミ自身はローブ姿のまま。今は溶け込み(カモフラージュ)のみ掛けてもらっている。

 

 ツクヨミらが出てきた場所は大神殿の入り口の前となる通りであり、言わば国道だ。車が行き来できるほど道は大きく、その横には立派な石のタイルに覆われた歩道が存在している。そこをツクヨミは今歩いているのだが、残念ながら未だそこは静寂に包まれていた。

 

「ここは静かなんですね」

 

「はい。ここは神の住居となる聖域の入り口ですので、無礼に騒ぐ者はおりません。居たとしても……立ち退かせるだけですが、基本的にこの辺りは公共施設が多いので祭りの集会場となることはございません」

 

「なるほど」

 

 幽霊のように説明してくれる闇の神官長。それを聞きながら道を進んでいると……

 

 

「ツクヨミ様。人が来ます」

 

 

 微かな足音がするとすぐに、目線の先の扉が重そうに開いた。

 横から出てきたのは神官服風の衣装に身を包んだ若い女性だ。本を手元に抱えながら、横の建物──教会から出てきた彼女は、一瞬こちらの方を見るが、特に目線も合うことなく下町の方へ駆けていった。

 どうやら隠密はできているようだ。

 

 闇の神官長は理不尽にも神を素通りした女性に眉を顰めていたが、ツクヨミは気にせず、自身のフードの具合などに用心しながら街の奥へと進んでいく。

 

 

 

 ……ガヤガヤ

 

 

 

 それから数分が経つと、神都の街にも少しずつ人気が増えてきていた。祭りの騒ぎも少しずつ聴覚に届いてくる。慎重に見渡せば、人々の様子は明るく、老若男女皆楽しそうな表情で道を歩いていた。まるで未来は明るい、と言わんばかりの様子であった。

 

 そんな光景にはツクヨミも少しほっとした気持ちになる。

 

「ん。あちらでは物を売っているみたいですね。少し見に行ってみましょうか」

 

 フードの上の雪を払いつつ、すっかり消えている闇の神官長を先導するよう進む。

 街を区切るように存在する門を潜り抜けると、小さなレンガ造りの建物が並ぶ場所に着いた。そこは人の数もかなり多くなっており、よそ見をしていればぶつかる程度の人口密度となっている。

 

 流石に神都の商業地区に比べればこれでも質素なものなのだろうが、上を見れば旗のような物が下がり、開かれた露店を見れば、食べ物や天使の木像、それによく分からない金属の何かなどが売ってある。まったくアーコロジー出身者にワクワクするなという方が無理な話である。

 しかし、何もツクヨミとて遊びに来たわけではない。

 

(お金は持ってきてるけど、此処は大人しく観察に留めておこうか)

 

 ツクヨミは理性でお祭り気分を鎮静化すると、人にぶつからないよう気を遣いながらパラパラ雪の降る道を進んだ。沢山の行き交う人々の会話なども目撃し、そろそろ祭りの雰囲気も理解出来てきた頃だ。

 

 

 

 そろそろ別所にも移ってみようか、そう考えていた時──。

 

 

 

「ん?」

 

 少し人だかりの落ち着いた目線の先。道の離れとなる街灯の近くにはベンチがあり、そこに二つの影が佇んでいた。距離が離れており人が寄り付いていないが、"それ"は確かに聞こえてくる。

 

「……」

 

 小さな影の悲し気な声だ。ツクヨミは唐突なトラブルの予感に行動を数瞬迷うが、次の時には後ろへ声を掛けていた。

 

「すみません、神官長様。少しだけここで待っていてもらえますか? すぐ戻りますので」

 

「? か、畏まりました」

 

 しっかり着いて来ていた闇の神官長に深く隠れた頭を下げ、ツクヨミはそちらに歩み寄っていった。

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

「グスン、グスン」

 

「……」

 

 木製のベンチに腰掛ける少女は今、啜り泣いていた。どうにも悲しい気持ちが収まらず、隣に座る一回り大きな金髪の少年──自身の兄に縋るよう泣いていた。しかしかれこれ十分、状況がどうにかなるようなことはなかった。

 

 事の発端は朝からのこと。今日は神様が降臨した次の日ということで祝日になっており、少女もまた街で開催される祭りに出かけていた。兄と一緒にだ。両親は何やら偉い人とお話があるらしく、二人は銀貨一枚というそれなりの小遣いを渡され、フライング気味にこちらに出てきている。

 

 しかし不運にも少女はそのお金をどこかに落としてしまったらしい。そのため、祭りだというのに何も買えず、兄の買い物に付き合わされている。そして何より心に来ているのは兄だけがそのお金で小さな金属製のアミュレット、いわゆるお守り──を買っているということだ。

 

 年頃だというか、背伸びをしたい時期だというか、つまりそういう背景で泣いているというのが現状である。

 

「なぁ、いい加減泣き止めよ……。ほら、父さんにまたお金貰えばいいじゃん」

「……でも、お守り、買いに来れないかも」

「それはそうだけどさぁ」

 

 兄が困り顔で手元のアミュレットに数度目線を行き来させる。

 

 そんな時のことだった。

 

 

 

「……どうしたの? こんなところで泣いて」

 

 

 

 うわっ! と声を出しそうになった。いや、隣の兄は実際に出していただろう。声のした方に目を向ければ、いつの間にか隣には屈んだ大人の女性らしき人が佇んでいた。その顔はよく見えない。しかし何より恰好が異様だった。黒いローブに包まれた姿は明らかに怪しい人のそれで、恐らく親からも近づいてはいけないと言われる類の人の恰好だった。

 

「え、あ……」

 

 怖いというよりは緊張して上手く言葉が出ない。しかしすぐにでも逃げなかったのは、恐らくその声が女性特有の優しいものだったからだろう。

 それは兄も同様のようだった。

 兄は少し警戒気味ではあるが少女の代わりに、手に握られたお守りを見せながら喋り始める。

 

 

「えっと。じ、実はこいつがこれが欲しいって言い出して。でも、馬鹿だからお金落としたらしくて。それでお守り買えなくてベソかいてるん……です」

 

「そういうことだったの……。なるほど、ちなみに幾らくらい?」

 

「銅貨9枚です」

 

「いや、結構高いな」

 

 

 女性から鋭い突込みが入る。少女も家柄で割と金銭感覚が狂っているところがあるが、確かに銀貨1枚近いお金は決して安くない。それこそ、美味しいお菓子も複数買えるし、安い宿なら食事付きで泊まれるくらいの金額だ。

 それを落としたという事実に……また悲しくなってくる。

 

「あー、大丈夫大丈夫! お姉さんお金あるから。じゃあこのお金で買ってくる?」

 

 そうして女性はローブの懐から銅貨を取り出すと、美しい手の上にそれを乗せてこちらに差し出してきた。少女は突如現れた大人(救世主)の存在にまた泣き出しそうになったが、それをグッと堪えて腕で涙を拭う。ついでに鼻も啜る。

 

「ありがとうございます。でも、泣いちゃったので、ちょっと恥ずかしいかも」

 

「あー、そっか。……じゃあ分かった。私が代わりに購入してきて渡すよ。お兄さんの物と同じ物でいいよね?」

 

「あ。……妹が何から何までごめんなさい」

 

 隣に座る兄が見たことないほど律儀に頭を下げる姿に少々の楽しさと申し訳無さを感じつつも、少女は既に立ち上がって兄の示した方向の通りへ歩いて行ってしまった女性を見送るように俯いていた顔を上げる。

 

 既に悲しい気持ちは消え去っていた。少女はさながらヒーローのような、姿の分からない女性のことを夢想する。

 

 

(どんな人なんだろう)

 

 

 とても親切な女性。母と同じくらいか、少し若いくらいだろうか。時折見せる機敏な動きは少女の女性像と少し違っていたが、何はともあれ恩人に変わりはない。

 それから数分。思ったより早く通りから戻ってきた女性は、何かから隠れるようにこちらに走ってくるとベンチの横に屈んでからそれを差し出してきた。

 

「はい。今度は失くさないようにね」

 

 両手で小さな金属製のアミュレット──お守りを受け取る少女。その嬉しさからついにこりと笑顔がこぼれる。

 

 

 

 その流れのまま女性の方へ顔を上げると、その時、一瞬目が合って──

 

 

 

「おい!! ふざけるなっ」

 

 

 

 突然、道の真ん中から男性の大声が響き渡った。少女は肩をびくりと揺らし、咄嗟にそちらに目を向ける。見れば服の一部が汚れた男性が顔を強張らせて目の前の転んだ老人を睨んでいた。

 どうやら先ほどのはこちらに向けられた言葉ではなかったらしい。しかし安堵したのも束の間、すぐに男は次の怒鳴り声を上げ始めた。

 

 

「どこぞの薬師だか知らんが、私を誰だと思っている!? 私は由緒ある家紋をスレイン法国に持つベリオッド家の長だぞっ。この服とて、我がベリオッド家にて代々伝わる六大神の時代からの遺産……」

 

 一拍置いてから男は更に声を大きくする。こちらにも容易に届く声量で。

 

「それを、汚い薬で汚すとは……っ。神への侮辱に他ならない! 謝罪として金貨15枚は払って貰おう!」

 

 必死に頭を下げる老人に対し、男は法外な金額を叩きつけていた。それは貴族ならまだしも一介の薬売りが払えるような金額ではない。しかし今にでも殴りかからんとする男の勢いは本物で、周りにいるこちらも何かすべきなのかと不安になるような状況であった。

 

(怖い……)

 

 少女はいきなり始まった騒ぎにぎゅっと目を瞑るように動けなかった。隣では「ユグドラシルにそんな装備なかったと思うけどなぁ……」とか意味不明の言葉が聞こえてきたが、少女はそれどころではなかった。

 少女は助けを求めるように片眼を開けて、隣の女性の裾を掴む。

 

 女性はというと少し驚く素振りを見せるが、すぐに状況を察したようで少女の背中を摩ると、耳に手を当てて小声で何かを話していた。

 

「このっ!」

 

 そんなことに女性が時間を使っていたためか男は既に地面の小石を拾い上げていた。そして女性もそれを見て焦ったのか、とうとう立ち上がって間に入っていく。間一髪だった。

 

「何だ、お前は? いきなり間に入ってきて。私はベリオッド家の者だぞ? 聞こえなかったのか!」

 

「ええ、聞こえております。しかし今は祭りの最中。暴力は良くないと思います。祀られる神様の失礼にもなるでしょうし、ここは話し合いを──」

 

「何だと? 貴様のような怪しい者に我らが神の何が分かるというのだ! この服は神の遺産。それを汚され話し合いだと!?」

 

 男はその言葉によほど腹を立てたのか、女性の方へ手を伸ばし始めた。女性もそこまで短絡的とは思っていなかったのか驚いた様子で距離を取っている。立ち上がった薬師も止めに入りで、めちゃくちゃになっている状況。

 

 しかし、そんなカオスな状況もすぐに終わりを迎える。

 

 ──その場の全てを収めるような重々しい声が突如として響き渡ったのだ。

 

 

 

「静まりたまえ」

 

 

 

 六大神の紋章を象った漆黒のローブ。神官位の更に上位者のみが被ることの許される立派な帽子。

 そこに現れたその御仁はそれを見事に着こなしていた。彼こそ、この国の誰もが知る人物──

 

「や、闇の神官長……様?」

 

 少女も、ベリオッドとかいうおっさんも縮まり返るようにその遥か高位の存在に目を向けていた。

 

「貴殿かね。六大神、そして新たに降臨為された神、ツクヨミ様の名をみだりに唱える者は」

 

「……」

 

「今は祭りの最中である。くれぐれもそういった言は慎むように。清潔(クリーン)

 

 闇の神官長がそれを唱えると、たちまちベリオッドの服に付着した薬品の類の染みは掻き消えた。異を挟むことなどできるはずもない。ベリオッドはただ頭を下げるしかなかった。

 

「では私はこれにて」

 

 闇の神官長は騒ぎが収まったことを確認すると元来た方向へ去って行く。その際ちらりとローブの女性の方を向いたような気がしないでもない。

 そして闇の神官長の近くにいた人々もまた、放心状態からようやく心を取り戻し、緊張から解放されるように歩きを始めた。それはせき止められた水がまた流れ出すような光景だった。

 

「ごめんね。じゃあ私も行くよ」

 

 女性は近づいて来てからこちらに頭を下げると、何か急いだ様子で去っていく。

 

「あ、ありがと──」

 

 それを言い終える前に、女性は人混みの向こうへと消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 

「色々と御迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません……」

 

「いえいえ、神が謝るようなことなど一つとしてございません」

 

 出て来てから一時間ほど。祭りを十分に見て回ったツクヨミらは神殿内に帰投している最中であった。敷地内であるので、隠密外套(ステルス・ローブ)は既に外した状態で、光輪の善神(アフラマズダー)もまた背中に装備し直している。

 

 いつもの完全装備というやつだ。しかしツクヨミの表情は冴えない。身バレはしなかったものの、色々と大胆に動き回り、神官長には多くの面倒をかけてしまったためだ。

 

(怒ってるかなぁ。いや流石に怒ってるよね。慎重とはなんぞやって感じだったし……)

 

 ツクヨミは今日のそれを反省しつつ、右前方を歩いてもらっている闇の神官長を一瞥する。基本的に闇の神官長は声色も変えず、表情も少ないので感情が読みにくい。それに今は前を歩いておりどんな顔をしているのかも見えなかったので、話しかけることも憚られた。

 

 そんなこんなで時間が過ぎる。無言のまま数分が経ち、そろそろ丘も遠目に見えてくる頃のこと。意外にも先に声を発したのは闇の神官長の方だった。

 

「……ツクヨミ様は今回の祭りへのご参加、お楽しみ頂けたでしょうか?」

 

 突然の問いに驚くも、その答えは一つだけだった。

 

「勿論です。グレーム様のお陰でとても楽しむことが出来ました。寧ろ私ばかり楽しんで少し申し訳ない気持ちです」

 

「いえいえ。そのお言葉こそが我々の至上の喜びでありますので、そう仰って頂けて何よりでございます」

 

 闇の神官長は立ち止まる。これだけは申し上げておきたい、という風に。

 

「私はツクヨミ様が祭りにご興味を抱かれていると知った時、とても嬉しい気持ちでした。少々のお目汚しをしてしまったことは深く反省する点ですが、今でもその命を受け、ご一緒できたことは光栄に思います」

 

 ……

 

「ですから今後も神がお求めになられるなら、遠慮なく何でもお申し付けください。それが我々の生きる意味であり、救いそのものなのですから」

 

 

 闇の神官長はそう言い切ると、鷹揚に頭を下げてから再び歩き始めてしまった。周囲にはただ余韻のみが残る。しかし、それは短くも神官長の健気な訴えそのものであるよう感じられた。

 

(遠慮なく、か)

 

 

 姫は、もっと我儘でもいいんじゃないでござるか?──

 

 

 そんな内容を遠回しに話していた友人のことを、ふと思い出した。

 

 いつの間にか……ツクヨミは自分を押し殺すことを良しとしていたのかもしれない。だからこそ、今回のお願いを闇の神官長は快く引き受けてくれたのだろう。それが神の数少ない望みだったからだ。

 

(私ももっと、彼らと向き合ったほうがいいのかもしれない。我儘に、我儘にね……)

 

 ツクヨミはそんな自分を想像しつつ、果たして大丈夫かと少し可笑しくなるが、そんなのでも幾らか胸のつかえが取れるような気がした。

 

 ツクヨミは歩く。長い平地を。そして大神殿を目指す。

 昼からは重大な会議があるので、遅れることはできない。それに人と会うという約束もあるのだ。

 

 ツクヨミは石段の下まで着き、そしてその時、それの真の意味を理解することとなった。

 

 

「ツクヨミ様。民への寛大なご配慮の元、祭りへご参加頂き誠にありがとうございました。我々も今、"巫女姫"と共に大神殿へ戻る所でしたので、どうぞ、先にお進みください」

 

 

 そう声を掛けてきたのはこの国のトップである最高神官長。しかし、集まっていたのはそれだけではなかった。見れば水の神官長、水明聖典と共に、跪く多数の儀仗兵の女たち。そしてその間に立つ──薄絹に覆われた全裸同然の人形の如き少女達がそこにはあった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30.巫女姫

「ふむ、なるほどな。なるほど……?」

 

 その頃、法国の北東に位置する国家である帝国でも国の今後を左右するような重大な会話が為されていた。

 場所は帝都アーウィンタールの中央に位置する皇城。その煌びやかでありながら無駄のない造りの内装は、近代における帝国の順調な繁栄を表していると言える。しかし、それもこれまでの話だ。

 

 帝国は今、建国史上最大の危機に直面していた。

 

「フールーダよ、今何と言った……? 私の聞き間違い──いいや、きっとそうだろう。すまないがもう一度言ってくれ」

 

 帝国の若き皇帝であるアルフリッドは対面からの信じられない言葉に、さらりと伸びる自身の金髪の髪をくしゃりと掴む。現在起こっている問題──それは端的に言うと法国との著しい関係悪化だ。

 突然齎された"苦情の書簡"の詳細を知るためにも、朝の緊急会議を終え皇帝執務室に戻ったアルフリッドは、今回の一件の元凶を部屋に招き話を聞いている。

 

 対面に座る白髭を蓄えた老人は昨夜魔法で帰還してから今の今まで城の別室にて謹慎中だった訳だが、その表情は反省というより、悔しさを目いっぱい表現していた。それを見た時から怪しむべきであったのだ。

 

「ですから、陛下。神のパレードに参加したまでは良かったのですが、神に魔力が感じられなかったのです。そのため、せめてっ……せめてその身に纏う物が魔法の武具でないか確認するべく、列から飛び出し近づきました」

 

「参加‥‥いやただの不法入国なのだが、まぁそれはいいか。さっき飛行(フライ)がどうとか言っていたが、まさか近づいたとはそういうことなのか?」

 

「はい。何せ神が高い場所にいたものですから」

 

「……止められなかったのか?」

 

「いえ、それについては残念ながら止められました。隠れていた精鋭部隊がすぐに出現し、邪魔をしてきたのです。ですのですぐに魔法で応戦し──」

 

「もういい……。お前が帰って来れたのは奇跡だったのだと、よく分かったよ」

 

 一通りフールーダの話を聞き、聞き間違えは無かったことと当初の認識が甘かったことを痛感したアルフリッドは、二人しかいない静寂の室内でだらんとソファに身を預けると、メイドに事前に用意させておいたテーブル上のティーカップの一つを手に取る。

 気を落ち着かせるようカップに注がれた極上の紅茶を嗜む。

 

「はぁ。関係悪化……というより崩壊の危機だな」

 

 パレードの前、魔法狂いの老人が失踪してから嫌な予感がしていたアルフリッドは法国に万が一の連絡を入れていたが、そのフォローを遥かに下回る部下のやらかしにはもう絶望するしかない。

 

(書面には神の慈悲によって許しとくみたいなことが書かれていたが……実際そんなわけはない。周辺諸国同様スレイン法国の庇護下にある帝国だが、この非礼……そのままにしておけば爪弾きは免れない)

 

 対立や戦争まで行くかはまだ分からない。しかし例えば法国が今回の件に憤りを感じ、発展途中である帝国への支援を止めればそれだけで帝国は今後あまりに大きな不利を背負うことになる。そうなれば笑うのは王国だ。

 

「王国……。王国。くそ、ズーラーノーンの事件があった時は間抜けな奴らだと笑っていたが、こうなると来月の宮廷舞踏会で指を指されるのは間違いなく帝国になるぞ。とっくに招待状も来ているしな」

 

「へ、陛下」

 

 半ば独り言のように呟いていたアルフリッド。皇帝のそんな焦燥とした姿を見て流石のフールーダも事の重大さを理解してきたのか、息を呑み、そして視線を落としている。

 

 アルフリッドとて何も件の犯人を吊し上げ、叱責したい訳ではない。特に目の前に座るフールーダにはこれまで魔法技術、軍事、皇帝の顧問などあらゆる面で世話になっているし、魔法に狂っているのも事前に分かっていたことだ。であれば、安易に情報収集に行かせたアルフリッドにも当然責任はある。

 

 アルフリッドは冷静さを取り戻すと手に持ったティーカップをテーブルに置き、そしてそれらを踏まえて真剣に語る。

 

「フールーダよ。お前はこれまで帝国に多大な貢献をしてきた。それは間違いない。しかし今回のお前の失態が大きいのも事実だ。向こうが許したとはいえ、()()()での対応はせねばならない」

 

 アルフリッドは息を吸う。

 

「まずフールーダ・パラダインは当分謹慎だ。魔法省への出入りも控え、研究は一時中止だ」

 

「そんなっ!?」

 

「私とて手痛いのだ。しかし宮廷主席魔術師はお前にしか務まらん。こちらを貴族派から守るには表向きの処分は必須。……もっともそれで許されるかは周りの出方次第だがな」

 

 身の振り一つ。それが今後の帝国の発展を大きく左右する。いきなり球体の上で踊れと言われたものだ。アルフリッドは出来る限りの打開策を捻り出しているのだが……

 

「主席の座はよいので、せめて魔法研究だけでも何とかなりませぬか……」

 

「お前というやつは……。まったく。忠誠心を持てとは言わんが、機を待つことは覚えてくれ。神も魔法も帝国にいれば近づけるときは来よう。その時はお前にも振ってやる。だから今は大人しくいていろ」

 

「……」

 

 フールーダがようやく大人しくなったのを見て、アルフリッドは頭痛を感じながら空を仰ぎ、そして最後の言を放つ。

 

「そして帝国は──私は謝罪の機会を得られるよう法国に書簡を送ろう。これに全てが懸かっている。お前もせめてそれらが上手く行くよう祈り、そして反省していろ。……下がっていいぞ」

 

 アルフリッドがそう言うと、フールーダは一礼した後に背を向け、両手開きの扉を潜り去っていく。

 先ほど宮廷主席魔術師が座っていた席は空席となり、辺りは静寂に包まれていた。

 

 アルフリッドは机の上に残された手の付いていないティーカップを眺めながら、今後の帝国の未来、そしてスレイン法国に現れたという神──。それを取り巻く法国上層部の動向について思いを廻らすのだった。

 

(切り捨ての準備とか、してないといいな)

 

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

 

 百名を超える集団を連れ、長い石段を上ったツクヨミは、巨大な石柱に支えられる仄暗い青を帯びた建造物──大神殿に戻ってくると巨大なエントランスの中央でようやく彼らに振り返った。

 

(……)

 

 丁度後ろには、彼らの先頭に立つ最高神官長であるオルカーと水の神官長。先ほどまで行動を共にしていた闇の神官長の姿がある。そしてその丁度横に立つように並ぶのが、先ほど下で見た()()()だった。

 

 背はツクヨミよりひと回りほど小さい彼女たち。恐らく年齢は十代半ばほどである彼女らは全部で6名であり、皆身体には裸同然の薄絹を纏っている。そしてその頭には奇妙で透明感あるサークレットを。顔には虚ろな表情が常に張り付いており、両目には布が巻きつけられている。

 

 

 

 それは言うなれば人ではなく、物であった。

 

 

 

 ツクヨミは眉を顰め、息を呑む。ツクヨミが立ち止まり、無言であるのでその後ろにいる人物たち──いつの間にか片膝を折っている長く伸びた青の衣が特徴的な水明聖典の人々と、同じく平伏する鎧を着た女性の儀仗兵たちにも微かな動揺が漂っていた。

 

 

 しかし、その状況で最も動揺していたのはやはりツクヨミ自身であっただろう。

 

 

 ツクヨミは先程の紹介でこの少女らの正体は分かっていたが、もう一度オルカーに聞き直した。

 

「彼女たちが……巫女姫なのですか?」

 

「は、はい。彼女たちこそ、長年スレイン法国を守るため、その身を捧げてきた巫女姫でございます」

 

「……そう、ですか」

 

 一言で言うならばショック、だろうか。スレイン法国。こちらに来て最も長く暮らしてきた国。人類を守るため奮闘する国家。触れてきた人々も、景色もまた綺麗なものが多すぎた。だからこそ、こうした闇をここでも目の当たりにすると思っていなかった。

 

 

 分かっていたはずなのに。

 

 

 ただ、知ろうとしなかっただけ。いつしか救いや理想を押し付けていた。力のない彼らはそんなことをしなければならないほど追い詰められていたのだ。世界は、人類はそうだったじゃないか。

 

「すみません……」

 

「ツ、ツクヨミ様!?」

 

 目の前のそれは確かに非人道的な行いである。命を道具として扱うのは到底許されることではない。しかしそれでも、口汚く罵倒したり叱責したりする気は起きなかった。

 

 ツクヨミは己の不甲斐なさを恥じ入るように額を手で覆った後、少女たちに近付き、そして少し屈んだ状態で巫女姫の一人の手を取った。

 水気を含んだ手は小さく、驚くほど冷たい。当然表情は変わらないので、微かに感じられる脈さえなければ生きているか死んでいるか判別することさえ難しいだろう。

 

 自分が彼らにとっての神であるなら、どうすべきかは分かっている。自分本位な選択、はたまた傲慢さから来る行動であるかもしれない。しかし、ここまで来たのならせめて正しいと思うことを為したいのだ。

 

 ツクヨミが目を瞑り、確たる思いをその身に宿していると、隣からバッと音がし、そしてすぐに震えるような声色が発せられた。

 

 

「申し訳……ございませんっ。まさか神がそれほどご傷心されるとは思わず。無配慮な行いでした。また巫女姫に関しましても人類の危機、そして彼女らの了承あってのこととあれど、この国の守り手として許されざることを行っているのは理解しております……。ツクヨミ様。どうか、どうか御許し下さい!」

 

 

 そう懺悔するよう跪き、目に涙を貯めながら言うのは最高神官長だった。他の神官長も程度の差はあれど震えるよう頭を下げている。ツクヨミが心を痛めている、というのはあまりに見て分かりやすかったのか。しかしその他にも彼らなりに感じる所があったのだろう。

 ツクヨミは手を離すと、真剣な面持ちで語りかける。

 

「頭をお上げください。非道なれどその恩恵に肖っていた私も、また皆様に謝らなければならない立場です。もっと、目を向けるべきでした。ずっとそれを抱えられていた神官長様を責めることなどできません」

 

「ツクヨミ様……」

 

「今まで巫女姫という存在が必要だったのも理解はできます。そしてそれを承知でお聞かせください。彼女たちを"元に戻すこと"は可能ですか? 私がいる今だからこそ、この役から救えるなら救いたいのです」

 

 頭を上げ、少しはホッとした様子の彼らだが、ツクヨミのその問いに数瞬固まる。

 

「元に、でございますか。それは目だけでなく、心の正気も取り戻した状態ということでしょうか?」

「はい」

「それは……。少し難しいと言いますか」

 

 明らかに言い淀んだオルカーを見て、代わるように隣で聞いていた闇の神官長が頭を下げてから説明してくる。

 

叡者(えいじゃ)額冠(がっかん)。それが巫女姫の自我を消失させているアイテムなのですが、これは強大な魔法の発動を可能にする反面、適合、そしてその取り外しが非常に難しいアイテムでもあるのです。……端的に申しますと、外すと彼女たちは発狂し、それを治療する術は我らにはございません」

 

「なるほど……。つまりデバフ系装備なのですね。……今までは、いえ。額冠を外してから大治癒(ヒール)を使用したことは?」

 

「そのような魔法は……。畏れながら伝わっておりません。我々ではせめて眠らせる魔法を掛けることくらいしか」

 

「……状態の重ね掛けは可能、なるほど。であれば、オルカー様。破壊まで行かずとも、もしかしたら私の知る魔法でなら目も発狂も纏めて治癒可能であるかもしれません」

 

「本当でございますかっ!!」

 

 ツクヨミは喜色の声を上げる最高神官長を向き、そしてなお懸念の一つを口にした。

 

「しかし、この方法だと叡者の額冠を一度外すことになるので、巫女姫の力は国から失われることになります。勿論その穴は私の力で出来るだけ埋めたいとは思っていますが、如何でしょう。 私としては少女は少女として笑っていてほしいのですが……」

 

 ツクヨミはそう言うものの内心少々の罪悪感を感じていた。何故なら現地のマジックアイテムである叡者の額冠のデメリットのみを消し去る方法を多分自分は有しているからだ。

 それは流れ星の指輪(シューティングスター)の力。今は左の人差し指につけているその指輪は魔法職以外でも発動できる3度のみのお願い系アイテムであり、課金アイテムの中でも超貴重でどの職にも人気があった。しかしそれはツクヨミでさえ一つしか持っていない替えの効かないアイテム。こちらの世界に来て間もない今、それをいきなり使うのはあまりに短絡的。

 

 そんなツクヨミからすれば完全な策とは言えない少々狡い提案であったが、最高神官長は当然と言わんばかりに首を縦に振った。

 

「元々六大神に建国されたこの国──人類を守るため、戦ってきたのが巫女姫。その神が降りて来て下さり、その役目を終えろと言って下さったなら、それ以上の救いがどこにありましょう。神の力と光は絶対。それに比べれば我らの力など矮小です。どうか我らを御導き下さい」

 

「ありがとうございます。出来る限り……私も尽力致します。ですから、どうか皆様も私にお力添え下さい。私は……人の力になりたくてここにいるのですから」

 

「神……」

 

「ツクヨミ様っ!!」

 

「おぉ光よ……」

 

 心底真面目に話しているとその何処かが彼らにクリティカルヒットしたのかツクヨミを讃えるような声が静かに湧き上がっていた。先ほど普通に話していた最高神官長も感極まったような感じになっている。この感じは未だに慣れず、少し落ち着かない。

 

「あ、でも。一旦は集会で他の方の了承も取らないといけませんね。巫女姫は……一度ベッドのある部屋などで休ませておいて頂けますか?」

 

「か、畏まりました……」

 

「ではそろそろ──」

 

 

 

 

 

 バタンッ!! 

 

 

 

 

 

 その時、勢いよく扉が開いた。それは上の階のものだ。恐らく騒ぎを聞きつけてきたのだろう。その影は左右に伸びる階段の手すりから身を乗り出すと、こちらを見てすぐに大声を出す。

 

「え? 何事!? ツクちゃん? 神官長達泣かせてるの?」

 

 そう言うのは黒髪と灰白色の瞳の少女。槍のような戦鎌(ウォーサイズ)を背負った少女、アリシアは漆黒聖典の仕事を投げ捨ててこちらに来たようで、何やらとんでもない勘違いをしているようだった。

 

「え? いやいや違うよ。 これには色々と訳があってだね……」

 

「わ、わけ? ま、まぁ、色々大変だよね……うん」

 

「おい」

 

「番外席次、お前、神に対しまた……。しかも持ち場を離れておるではないか」

 

「どうかされましたか」

「おや、ここに集まられていたのですね」

 

 時間も時間であり、集会に参加する他の神官長も集まり始めたことでエントランスはしばらくカオスな状況となった。それから半ば逃げるよう、奥の間に消えていった神の姿が目撃されたという。

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

「では、あらためて集会を開始致しましょう」

 

 磨かれた大理石。巨大な白亜の柱が並ぶ神殿の最奥。神聖不可侵であるこの場にはなんと十三名の者が集まっていた。これだけの人数が集まったことは、スレイン法国の建国以来でもそうないことであろう。

 

 席にはそれぞれ最高神官長に六色神官長。司法、立法、行政の三機関長に研究館長。そして軍の最高責任者である大元帥の十二名が座る。この面々がこの場に集うことは最高会議である神官長会議にてしばしば見られることだ。

 

 

 しかし今はこれに加え──神が最奥に座られている。

 

 

 この事実は最高神官長であるオルカー・ジェラ・ロヌスにとって夢のようで、泣きたくなるほどの幸福であった。いや、オルカーはツクヨミとこの面々の中では比較的対話している方であるので、まだその感動も小さいだろう。激務の間を縫うようにしてこの場に参加してきている神官長以外の長たちは、きっと心臓が張り裂けるほどの至福と緊張を味わっている。

 

 見れば、神であるツクヨミ──白銀の髪を靡かせる、この上なく綺麗な紫の瞳を持ったその御方と同じ席に座ることに、皆少なからず畏れ多さを感じているようであった。

 

「今回は、先に通達したように我らが神であらせられるツクヨミ様にも御参加頂いている。これは神を迎えたスレイン法国の方向性を今一度確認するためであり、集会と言えどその重大性は神官長会議より高いものである」

 

 オルカーは面々を見渡しながら続ける。

 

「時間にして今回はそれほど長くないが、皆も心して神の御言葉を聞くように。……ではまず私から、今までの法国の経緯(いきさつ)と方針について話させて頂きます」

 

 オルカーは最も離れた椅子からツクヨミの方を向くと、スレイン法国について説明するように口を動かした。それはこの国に住んでいれば周知である内容が殆どである。

 

 

 スレイン法国が人類を守るため、人類至上を掲げて力の限り活動してきたこと。

 エルフなどの近縁種はまだしも、亜人とは生活圏を守るため敵対していること。

 他国には間接的支援をしていることなどである。

 

 しかしそれを踏まえたうえで、とオルカーは言葉を足す。今まではそれで良かった。というよりそれしかできなかった。しかし今は神の降臨によって大きく状況は変わりつつある。

 

「我々は法国を、そして人類を守るため在る。そして誠に有難いことにそれには神も力をお貸しいただけるという。しかし──人類至上ということに関しては神は異なる意見を持たれているとのこと。それは皆も聞いていることだろう」

 

 見渡せば、神官長や三機関長、大元帥なども鷹揚に頷いている。この前、光の神官長と大元帥が竜王国に神を迎えに行ったとき、それは神より告げられ広まった。オルカーもそれを初めて聞いた時は驚いたものだ。

 

「ではツクヨミ様、お願い致します」

 

「は、はい」

 

 少々緊張した様子で神もまた頷くと、すぐにその美しい声を響かせた。

 

「最高神官長様が語られた通り、私は人類にお力添えすることは勿論の事、それ以外……可能なら友好に接することのできる全ての種の為にその力を使いたいと思っています。これは皆様の方向性と少々の乖離があるものかと私も思っていますが、これについて何か疑問はございますか?」

 

 一拍置いて、恭しく声が掛かる。

 

「それは亜人だけでなく、例えば異形に分類される種も……ということでしょうか」

 

「おい……それは」

 

 闇の神官長の突飛な問いに火の神官長が食いつくよう止めに入るが、ツクヨミはそれを静止してから話す。

 

「まぁ、あまり現実的でないですがそうですね。たとえ異形のものであっても、友好であれるなら友好であれるようにしたいと思います」

 

 その言葉に一同が衝撃を受けたのは言うまでもないだろう。

 オルカーもまた生者を憎むアンデッドなど敵以外として認識したことは無い。力無き者がそんなことを言っているのであれば『何を馬鹿なことを』と笑っていたところだ。しかし、相手は神。それを可能にする力を持っている存在であった。

 

「何たる慈悲深さ。それはもはや、弱き我らの想像も及ばぬ領域でございます。しかしツクヨミ様、何故に彼らにそれほどこだわるのでしょう? ツクヨミ様の優しさは既に我ら人間にこれほどまでに広がっているというのに」

 

「……」

 

 どうしても分からない疑問をオルカーは神に尋ねていた。人類至上であれという思考にいつしか染まった"最高神官長"はどうしてもその答えが出なかった。それは極限のマイナスを辛うじてプラスに保っていた自分たちがそのプラスばかりに目を向かわせていたからであろうか。

 

 ツクヨミは数瞬考える素振りを見せると、少し儚げに笑うよう話を続ける。

 

「私にはこの世界で魔獣の友人がいます。亜人の仲間も少ないですがいます。彼らと話してみて、本質的に私たちはあまり変わらないなと思いました。それを種族が違うからと受け入れないのはやはり寂しいですし……それにこれは何もただの施しではありません。人間にとっても大事なことだと思います」

 

「と、申しますと……?」

 

「……至上性はやはり差別を生んでしまいます。それが皆様に必要だったことも勿論重々承知してはいます。しかし、それはいつか排他的な思考を生み、将来同じ人間にも向けられるようになるでしょう。私たちの世界がそうでしたから」

 

「っ!!」

 

 オルカーは、いやこの場にいる神官長や大元帥などの全員が息を呑んでいた。大を取り、小は切り捨てる。それが当たり前になっていた自分たち。仕方がないと巫女姫のような存在を作り出し、懐疑の念さえ抱くことなく運用していた我らの果て。それが、傲慢以外の何なのだろうか。

 

「ですから……私は平等は難しくても、少しは相手に寄り添えるようこの力を使っていきたいのです。すみません、少し説教じみたことを言ってしまって」

 

「いえ、本当にありがとうございます。我らは……我らは嘗ての六大神の思いを都合のいいよう解釈し、大義と称して傲慢になっていたのだと今更気付かされました。ツクヨミ様の御言葉のお陰で、ようやく自身を顧みることができました」

 

 オルカーは震える声を絞り出すように、必死にツクヨミに言を返す。他の者も同様だ。力が及ばなかったのは事実だが、それでもあまりに自分たちは未熟であった。このまま神が現れず、我らが寿命で死んでいたらと思うと法国の未来はぞっとするものであっただろう。

 

「ツクヨミ様のご方針、よく理解できました。元々それに対して異は無かったのですが、益々素晴らしいものであると確信しております。……他の者、他に意見や質問はないか?」

 

 左右の席の者も異論はないという風にこちらを向き、頷く。

 

「では以後、スレイン法国は神の方針に付き従うものとしましょう。とはいえ、こちらは民の心情もあるので、方針の融和も少しずつとなるかもしれません。……ツクヨミ様、宜しいですか?」

 

「勿論でございます」

 

「ではそういうことで。今回の集会の大きな内容は以上。それと最後に皆、先ほどの巫女姫の件なのだが──」

 

 これは後のスレイン法国にとって大きな転換となる集会であった。

 

 オルカーは先程エントランスで行われた巫女姫に関する処遇について話す。ツクヨミの先ほど話した内容込々でだ。

 結果、満場一致で巫女姫の治癒が決定したのはすぐ後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 大神殿内の一室、六つのベッドが置かれた青暗いその部屋の中には巫女姫たちが眠らされている。赤・青・緑・茶・白・黒の宝石がそれぞれ付いたサークレットを被る金髪の少女達の目隠し布は剥がされ、近しいベッドに横たわっている。

 

 

 コツコツと足音がすると、開け放たれた部屋の扉から人が入ってきた。

 

 

 その内訳は魔封じの水晶や他アイテムを抱えたツクヨミ、そして最高神官長と光の神官長。加えて巫女姫の発狂処理と深いかかわりがある漆黒聖典(アリシア除く)の面々であった。

 

 皆緊張した面持ちである。

 

「では、光の神官長。これを」

 

「これは?」

 

「第十位階の信仰形魔法である清浄の場(フィールド・オブ・クリーン)の魔法が込められた水晶です」

 

 

 

「第十位階っ!!???」

 

 

 第十位階。明らかに常軌を逸した位階を告げられ、光の神官長のみならず、最高神官長や漆黒聖典もまた目を見開く。叫んだのは一人ではないだろう。当然だ。この世界では第六位階以上の魔法はもはや異次元の領域とされており、使える人間は殆どいない。それなのに第十位階とは……彼らの予想の範疇を遥かに超えている。

 

「そのような貴重な物を!! なりません! 我らには勿体なさすぎます」

 

「いえ。大治癒(ヒール)だと巻物(スクロール)で行けるにせよ枚数が嵩みますし、上位のそれも後掛けでどうなるか心配なので先に発動しておけるこれで回復と状態異常が何とかなるなら安いものですよ」

 

 実際、前衛プレイヤーであるツクヨミからすればこういうアイテムは必需品であったので、バンバン使うだけに量だけは多く持っている。こちらで入手の機会がないにせよ、レアな課金アイテムに比べればかなりましな方なのだろう。

 ツクヨミは一瞬指輪に目配せすると、紫の花のようなものを漆黒聖典の隊長に手渡す。

 

「これは状態異常を直す代わりに眠り状態にするもの。いざという時はこれを嗅がせて下さい。それでも駄目な時は……別の方法を取ります。では、光の神官長。準備を始めましょう」

 

「はっはい……!」

 

 そうして、光の神官長が水晶を掲げると辺りが光に包まれ──

 

「最高神官長、外しますよ」

 

「はっ」

 

 

 

 

 ────

 

 ──

 

 ──

 

 

 

 

「……」

 

 ここは何処だろう。闇。無限に広がる闇の中で、少女は意識を取り戻した。一切の無から立ち直った自分の意識はまだぼんやりとしており、何か考えるようなことはできない。しかし、確かに肌で感じられることはあった。

 

(寒い……)

 

 そこはとてつもなく寒かった。それと体も鉛のように重かった。自分の身体が自分のものでないように、そして自分が誰なのかもイマイチ理解できないまま、少女は目の前に映る──一筋の光に向かって歩き出す。

 何故かはわからない。ただ、本能的に吸い込まれるように。蛾が光を求めてその炎のぬくもりに飛び込むように少女もまた手を伸ばした。

 

 ゆっくりと……意識が戻っていき──。

 

 

「っ!!」

 

 

 突如として目を覚ました。くっきりと映る天井は青暗いが、部屋全体がまるで天国にいるようなふわふわとした光に包まれており、毛布に包まった自身の身体を包み込んでいた。

 

「て……ごく?」

 

 慣れない舌遣いで話すと自分の声が部屋に響く。咄嗟に違和感を感じた目に手を伸ばすと、皮膚の柔い感触と共にすべすべとした瞼。そして、視界に微かに映り込んでいた人影に意識が行った。

 

「!! し、しんかんちょう。……様?」

 

 ゆっくりと体を起こすと、そこには他にも自分と同じような格好をした少女がおり、そして優しく手を握ってくれている女の人。そして見慣れた神官長の姿があった。

 

 少女は……いや光の巫女は思い出す。

 

「そ、そっか。戻って……これたんだ」

 

 それに安心感を覚えると、途端に両の瞳から涙が流れだした。

 両手で取り留めない涙を拭う。記憶がフラッシュバックするように、ここに来た時のことが思い出されていた。

 

 

 突然神様の新たな巫女として送り出され、親を置いて神殿に向かった時のこと。

 出迎えてくれた神官長の背が高く怖かったこと。

 自分がどうなってしまうのか、不安で仕方なかったこと。

 

 

 

 最後に、神官長が祈ってくれたこと。

 

 

 それらのことを思い出し、今になって震えと涙が止まらなくなる。しかし──

 

「良かったです……。本当に」

 

 隣に屈む女性。白い髪を流すこの上なく美しい身なりをした、神々しい御方。最高神官長でさえ恭しく接しているこの御方を、光の巫女姫は直感で理解した。

 

「か、神様? 貴方様は、神様……なのですか?」

 

「ええ、きっとそうだと思います」

 

 女性は歯切れ悪くそういったが、光の巫女姫にはもうそうであるとしか思えなかった。

 

「……神様っ!!」

 

 不敬であるかもしれない。しかし、光の巫女姫はただ目の前の女性に抱きつく。その時、最高神官長が何か言いたげにしたが、結局その言葉は発せられなかった。

 

 

 

「今は、ゆっくりお休みください」

 

 

 

 それが、光の巫女姫が神と会合した最初の時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 

 

「本当に行かれるのですか? 本当に?」

 

「ええ。それしかもう道は残されていないわ……」

 

 スレイン法国の南西。深い樹木に覆われたその場所では、国の命運を決める新たな遠征が始まろうとしていた。王城の前、柵の前で周りを気にするよう話しているのは二人のエルフ。

 

「なぜ貴方様のような聡明な方があのような王のために……。今回の一件も法国と戦争になりかねない滅茶苦茶なものであると聞きました。それなのに!」

 

「ん。貴方も第二兵団の騎士長様なのだから、もう少し口には気を付けるべきね……。それに貴族や生まれなんて今のエルフ国には関係ない。私はただの女で、多少使えるからと置いてもらってるに過ぎないのだから」

 

 黄緑色の髪をした女エルフ。宮廷文官というかなり高い地位にいるはずの女エルフは服の調子を整えるように細い指で生地を引っ張ると、目の前の鎧を着た青年に続ける。

 

「それに、私は戦争を始めるために行く訳ではない。他の国が動く前に書簡を送って、解決の糸口を探る。そのために中継地まで行くの。……ここに長々いたら殺されそうだしね」

 

 その言葉に青年のエルフは眉を顰める。まだ納得できていないようだ。

 

「しかし、彼らはそうは思っていないようですが」

 

「あー、彼らはそうね……。古い時代のエルフだから不安だわ、本当に」

 

 そう言って二人が目を向けるのは如何にも隊長といった風貌をした中年のエルフと、弓などの武器を抱えた感情の無さげなエルフ共。彼らは文官である女エルフと共に送り出される、言わば"実戦用の部隊"であり、エルフ王に忠誠を誓っている屑である。しかし王が送り出してきた以上、もはやそれを邪魔立てすることはできない。

 

 女エルフは戻ってきた同じ文官である二人を遠目で確認しながら、最後に青年に小さく笑いかける。

 

「まぁ頑張るわ。これが例え法国に対する裏切りだとしても……私たちは暗闇で止まる訳にはいかないのだから」

 

 そう言って、女エルフは青年から離れると実戦の部隊と合流していく。遠くに離れていく彼らの背中は、とても小さなものだった。

 

 




エルフに関しては16巻での名前を一部引っ張ってくる可能性が微レ存です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

31.準備

「何を話しておられるのですか?」

 

 女性特有の高い声色が広い空間──奥行にして数十メートルはありそうな議事堂の最奥でぽつりと響いた。

 豪華というより壮大。用意された椅子は人には大きすぎる物が多く、高い天井からは巨大な照明が吊り下がる。そんな場所には──

 

「おや、君か。足音が小さいから誰かと思ったよ」

 

「……」

 

 竜を模した白金の鎧。そして人間の大きさを優に超える赤みがかった姿の人食い大鬼(オーガ)が佇んでいた。

 

「御戯れを……白金の主。貴方様であれば、僅かな気配の変化でもそれが誰かなどお見通しでしょう」

 

 そして声を掛ける女性もまた人ではない。

 兎人(ラビットマン)鉄鼠人(アーマット)土掘獣人(クアゴア)の近親種に当たる彼女は白の毛皮と橙色の瞳が特徴的な二足歩行の、華奢な服を着た兎といった姿をしている。

 

 

 

 彼らは皆アーグランド評議国の評議員を務める者達だ。

 その中でもとりわけ地位が高い……絶対者とも言える永久評議員の一人は荘厳な声を魔法を通して発する。

 

 

 

「こっちの身体だとそうでもないよ。それより、さっきの話だったね。私たちはこの国について少し話していたところで……私はその近況を聞きながら色々と驚かされていたところさ。此処は君たちに随分任せきりだったからね」

 

「ツアー様はお忙しいですからね。主不在の時、評議国を正しく導くのは我々の務めでございます」

 

「私も、彼女と同意見で、ございます。白金の主。我々は、剣のような物、ですから」

 

「そうかな──」

 

 ちらりと巨大な透明の窓の外にある綺麗な景色を眺めてから言葉を漏らすツアー。それは確認か。それとも疑問だったのか。主の独白に白兎は深く頷くと、言葉を続ける。

 

「はい。……しかし、だからこそツアー様が未だここに残られているのは大きな理由があるのではと考えております。先日永久評議員の方々で話し合いがあったようですが、このタイミング。やはり……脅威なのですか? 彼らは」

 

「……それはぷれいやーのことかい? それならそうだね。今回スレイン法国に行ったという彼、いや彼女は強さだけで見れば私達(ドラゴンロード)から見ても脅威だろう」

 

「それは、かなり危ういのでは……。法国と言えば亜人排斥を目論む評議国の仮想敵国。放っておけば、我々は攻撃される恐れが──」

 

 そこで待ったが掛かる。評議員達の焦りを他所に、ツアーは変わらず整然とした態度だった。

 

「いや、実はその心配に関してはあまりしていない。私の友人の話ぶりからも、今回のぷれいやーが世界を蹂躙する可能性は低いと見ている」

 

「それ、ならば、何故?」

 

 隣の大鬼(オーガ)からの疑問の声も、白兎の困惑も当然のものだった。今回のプレイヤーが友好的ならば、わざわざこの世界で最強とも謳われる存在が未だ此処に残る理由がないからだ。

 

 彼らの疑問に応えるように、ツァイン・ドルクス・ヴァイシオンは眼の奥の青い灯を揺らす。

 

 

 

「それはね。私は今回の転移が、必ずしも()()()()()()()()んじゃないかと考えているからだよ。それを確認するまでは安心するのも早い」

 

「なるほど。仲間や従属神の有無ですね。確かに法国に舞い降りた神が善人でも、周りがそうであるとは限りませんからね。まぁ、あの国の上層部にも言えそうなことですけど」

 

「ふぅむ。では、白金の主。我々は、それらの、調査を行えば、良いですか?」

 

 巨大な拳を握る大鬼(オーガ)。やる気は上々といった所だろうか。しかし、ツアーはそれに首を振る。

 

「いいや、君達はこれまで通りで構わない。……まぁ言い換えれば彼らをあまり刺激しないように頼みたいんだ。永久評議員にもそう言ってある。少し大変だったけどね」

 

「他の永久評議員の方々も色々意見を持っておられるようですからね。何はともあれ静観、承知致しました。実際下手に動かない方が我々は安全そうですね」

 

「それも、そうですな。それに、確かにケッセンブルト様の仰られていた通り、八欲王や()の英雄みたく、ぷれいやー? が勝手に消えることも、考えられますし」

 

 評議国は基本的に竜王傘下なこともあり、反プレイヤーな立ち位置にあるが、それでも永久評議員の過激さは群を抜いている。単独のプレイヤーに対して様子見という対応を取ったツアーを全面的に支持していたのは、それこそオブシディアン・ドラゴンであるケッセンブルト=ユークリーリリスくらいだった。

 

 

 

「……ツアー様? どうかされましたか?」

 

 

 

 何故か数秒固まっていたツアーに白兎は声を掛けた。

 

「いや、何でもないよ。じゃあ一先ずはそういう感じで行こう。私はまた少し調べ事に入るから、どうか君たちも気を付けてね」

 

「「はっ!」」

 

 そう言い残すと、白金の鎧の主は首筋に着いた白の羽毛を翻しながら、すぐに議事堂の出口へと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

 

 あれから五日の時が過ぎた。

 

 神の降臨により行われたパレードや、それに纏わる祭りの催しの多くが終了し、少しずつ落ち着いてきたスレイン法国は次の日常に向かいつつあった。

 市民などは大抵が家に戻り、信心を持って仕事に取り組んでいる。公共機関で働く者や、離れの村に住む者──いわゆる農家と呼ばれる人々も同様だ。

 

 そしてその生活の変化は神官長といった政治的存在に加えて、神であるツクヨミにも当然及んでいた。

 

 

 

「むむむ」

 

 

 

 午前。大神殿にも太陽が昇り、辺りを優しく照らしている頃。ツクヨミは大神殿内にある巨大な図書館で頭を捻っていた。

 あれから色々とやることが多すぎて、疲れ気味だったツクヨミだが、今は神秘的で奥ゆかしさのある図書館で作業をしているからか、新鮮な気持ちで作業を行えてはいる。座っている椅子はふかふかで心地よささえあるし、魔法の光源で照らされた室内は高い天井さえ見渡せるほどクリアだ。

 

 しかし、目の前の机上に置いて広げた"それ"の内容は思ったより難しかった。それでも一つ幸いなのは内容も文字も此処の物より見慣れていることだろうか。幅広なそれのページをぺらぺらと捲っていると──

 

「先ほどの物と同じ物ですか? 何だか見たことのない文字ですが……ツクヨミ様の御持ちの物なのでそれも凄い物ですよね」

 

 すぐ隣から声がした。そちらに目を向けると立っていたのは金髪に碧眼の少女だ。頭上から質素な装飾を垂らし、その体には薄着の白い神官服を着ている。

 

 ツクヨミはそんなすっかり神殿に馴染みつつある少女に少し困り顔で笑いかける。

 

「ええ。これは少し貴重な物ですが、それより使用する素材の用意が大変ですね。なのでもう少し皆さんにお手伝いして貰うことになるかもしれませんが、あれだったら少し休んでもらっても大丈夫ですよ? 病み上がり……みたいなものでしょうし」

 

 そう言うと少女は両の拳を可愛く握り、

 

「何を仰いますか。神様が御国のために頑張っていらっしゃるのに、我々だけ休むなどできません! それにツクヨミ様の御力になれるのは一巫女姫としてこの上ない名誉であり喜びです!」

 

『コクコク』

 

 何とも信仰厚き言葉が返されるのだった。離れた位置で慎重に作業している似たような青の衣装、そして茶の衣装を着た少女も頷いている。

 

 巫女姫──。それが彼女たちの素性だ。彼女らは先日、ツクヨミによって叡者の額冠の呪いから解放されたので、分類としては一応ここでの役目を全うした存在である。そのため、最高神官長も情報漏洩の懸念があったようだが、彼女たちに全ての自由を与え、ある者は此処に残し、ある者は街に戻らせた。その中には親への久しい挨拶などもあっただろう。

 

 しかし、結局のところ巫女姫は全員この場に戻ってきた。多少の恐怖心はあれど、法国を、そして自分を救ってくれた神のために働きたいと上申したのだ。

 

(神官長も前向きだったのは良かったけど……大丈夫かなぁ。殆ど未成年、って言ってもこっちじゃ成人だけどさ)

 

 幸い巫女姫は元々マジックアイテムへの適正も高く、魔法の知識や才能にも長けていたので大神殿の内情を知る者としてはかなり貴重な人材だった。そして世話係にもまた事欠いてはいない。

 

 

 ツクヨミはちらりと図書館の入り口の方に目を向ける。

 

 

 そこには水の副神官長や光の副神官長、それに土塵聖典の隊員数名などがいる。彼らは国政で忙しい六色神官長などの代わりにツクヨミに付く者達であり、当然巫女姫の監視や警護といった役割を持っている。

 ちなみにこれは余談だが、補佐となる副神官長は女性が多く、特に高齢の者が多い。それは女人のみの六色神殿──巫女姫の聖域での職務が存在していたからでもあるが、これはまぁ細かい話だろう。

 

 

「それなら良いのですが、皆さんもお体にはお気を付けくださいね」

 

 

 そう言うとツクヨミは目の前の作業に再び集中する。

 

 

 今行っているのは──あるアイテムの実験。そして今後を見据えた周辺状況の改善である。というのも、今までツクヨミはこの世界に来てから様々な物事を解決するためにユグドラシルのアイテムを消費してきた。それはツクヨミが集めてきた膨大なアイテム量に比べて決して多い量ではない。

 

 しかし……当然だがこちらの世界で消費した高位の水晶や巻物(スクロール)、ポーション、課金アイテムといった物はこちらで二度と手に入ることはない。何かある度に使いまくっていては、懐の消耗もかなり激しいものとなるだろう。

 

 

 そしてそこで考えたのが『傭兵モンスターの召喚』である。

 

 

 傭兵モンスター。それは召喚にユグドラシル金貨を使うという欠点はあるものの、魔法で呼び出すモンスターと異なり時間経過で消える事が無いという利点がある。これはいざという時の戦力としても、何かを行う際の手足としても極めて有用な(しもべ)となる。

 

 ここ、大神殿の一階にある歴史の書物が並ぶ室内で行っているのは正に召喚用の本型アイテムの試用だ。勿論、スペースは図書館というだけあって十分に広い。

 

(しかし思った以上に必要素材が多いな。さっきの小型ゴーレムは安い金貨だけだったけど、こっちは上級モンスターの素材を1、2、3……4種も要求してくるのか)

 

 これにはツクヨミも内心で愚痴を溢す。時々だが、そのサイズやレアリティ、強さによって金貨だけでなくレアモンスターの素材を要求してくるものがある。これは割と怠いやつであり、特に課金ガチャでそういう本が出てきたときには"クソ運営"とプレイヤー達は叫んだものだ。

 

「まぁいっか……。どの道、今後も足は必要になるしね」

 

 そう──現状一番の課題は移動の足そのものだった。ツクヨミは今後……というより近日中に国内へ出かける予定があるのだが、その際の移動の方法はやはり問題となった。馬車だと時間が掛かりすぎるし、走って行くのはあまりにあまりにもだ。そんな神様が居たら正直嫌だろう。

 

 そのため、騎乗用の高レベルモンスターの召喚は他のアイテムとの併用もしやすいという利点もあるので、あまりケチるべきではない。逆に言えばツクヨミは今、回復や巻物(スクロール)の研究については研究館長にアイテムを渡して(丸投げして)いるのでそれほどアイテムの消費もない。

 

(回復と言えば、下級治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)の研究が法国で既に進んでたのは驚いたけど、それ以上に研究館長の乱舞には震えたな……っていうのはまぁいいか)

 

 ツクヨミは先日の情景を頭に浮かべながらも、そっとその思考を振り、おもむろに中空でアイテムボックスを開いてから、素材アイテムの一部を取り出す。そして巫女姫たちと整理を開始した。

 

「これはそっちですね」

 

「なるほど。ではこれはこっちと」

 

『タタタッ』

 

 そうして十五分ほど、散乱していた素材もコンパクトにまとまったので、ツクヨミは一旦それらを回収してから儀式に使用する分の素材を無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)に入れ、ショートカット化する。これで傭兵モンスター召喚の準備はOKである。

 

 ツクヨミは椅子から立ち上がる。

 

「ツ、ツクヨミ様……?」

 

「これから少し大きなモンスターを呼び出すので、場所を移しましょう。そうですね、裏庭の方とか……お借りしても大丈夫でしょうか?」

 

 振り返り、ツクヨミが声を掛けた先の老婆──水の副神官長は鷹揚に頭を下げながら答える。

 

「勿論でございます。最高神官長様にも神の御心のままにせよと仰せつかっておりますので、我々はすぐに準備を。ほら、皆の者、早く移動の準備を!」

 

「「はっ!!!!」」

 

 そうして、ツクヨミを筆頭に図書館から多くの人々がすぐに出ていった。屋内は再び静寂に包まれた。

 

 

 ────

 ──

 

 

 大神殿の玄関を抜け、重厚な扉を開ける。辺りは薄っすらとした日が昇っており天気は悪くない。

 ツクヨミはそのまま整った石段を踏みしめ下の平地に降りると、左手に伸びる大神殿の後方に続く道を進んでいった。少しずつ緑の茂った、広い空間が現れてくる。

 

 

(ここを通るのもここに来て二回目かな? あの時はアリシアとだったけど、一週間……とちょっと前くらいのことか。忙しすぎて何か久しぶりって気がしてくるなぁ)

 

 

 ついこの前まで教会の偉い方が挨拶に来ていたり、神官長から政治の状況を聞かされたりしていたツクヨミはある種神殿に引きこもっていたのだが、こうして外に出てくるとやはり気持ちの良いものだった。

 

 

「この辺り……でいいかな?」

 

 

 裏庭は美しい噴水に見事な花壇や六大神の彫刻、他には奥に訓練用の施設や宿泊の建造物があったりするのだが、ツクヨミはそこから少しだけ距離を取った、背の低い草生える平地まで歩いてから後方を確認した。

 

 そこには先ほど手伝ってくれていた少女三人とそれを見守っている副神官長達、土塵聖典の姿がある。皆畏まった様子でツクヨミの後を着いて来ていたようだが、これから起こることへの関心はやはりあるようだった。そりゃ小型の歩兵ゴーレム……勿論低レベル──で感嘆の声を上げていたのだから、でかいモンスターの召喚とまで言われたら気にはなるだろう。

 

 

(最高神官長も()()の使役は大丈夫って言ってたし。よし、じゃあ早速やってみますか)

 

 

 ツクヨミは傭兵召喚用の本を懐から取り出すと、無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)内の素材アイテムを床に並べ、そして必要量のユグドラシル金貨をアイテムボックスからリリースする。

 

 

 

「儀式魔法、発動」

 

 

 

 先程と同じように……いや遥かに眩い光が本から発生し──

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 

 少女、アリシア・デイス・ファーインは自身の武器である巨大な戦鎌(ウォーサイズ)を横に置いたまま、退屈そうに訓練場のドームを上から眺めていた。

 

 その場にはいつもの面子。第一から第六までの漆黒聖典がいる。

 第七、第八席次は番外席次の代わりに宝物殿の警護……といってもその前の通路でだが──のためここにはいない。それは秘匿された漆黒聖典と言えど、来たるときに備えて全員が訓練を欠かさぬべきという神官長達のお節介なローテーションの賜物であり、アリシアもそれに付き合わされているという訳だ。

 

 羨ましくも今日は少し嬉しそうに訓練を行っている隊長は、何やらこちらに気付いたのか剣を収めると、訓練場を乱さぬようこちらに近付いてくる。

 

「番外席次、折角来たというのに訓練はしていかないのか? 今日は特別にツクヨミ様がお造りになられたゴーレムが試験も兼ねてとのことで……神官長から与えらえれているというのに」

 

「私はいいよ別に。あれぐらいなら、もしかしたら壊しちゃうかもだし……皆の邪魔しても悪いでしょ?」

 

「……」

 

 下で隊長が難しい顔をするのを見て、アリシアは少しだけ目を逸らす。少しだけ居心地が悪い。まぁそれは前からの話であるが。

 

 アリシアはエリート中のエリートである漆黒聖典の中でも頭一つ抜けて強かった。神官長曰く神の血が混ざっているとか何とかで、昔から特別扱いをされており大神殿から出たことは殆どない。だからといってここでの訓練が気晴らしになるかと言うと、それは最初の頃だけの話だった。

 

 ようは相手になる相手がいないのだ。辛うじて戦いになるのは隊長のみ。競う相手も、超える目標もいないのに強くなれと言われてもやる気が出る訳が無かった。

 

 

 だからこそ、あの日──。

 

 

 図書館で物珍しい銀髪の人物を見つけ、そしてその人物こそがこの国に降臨した神であると知った時は本当にワクワクしたものだ。本当に運命だと思ったのだ。

 アリシアの退屈を打ち砕く、ただ一人の存在。

 

 しかし最近ではその神、ツクヨミとも会う頻度は落ち、アリシアは既定の任務を再度任されているのみであった。正直、神官長達にツクヨミを占領されている……という気分を抱いてるというのは正解だ。

 ただただ不服である。

 

「そうか。まぁ、私で良ければいつでも相手になるから、気が向けば参加してくれると嬉しい」

 

 そんなアリシアに隊長は怒ることなく気を遣ってそう言ってくると、少しこちらを気にしつつ背を向ける。力不足でも感じているのだろうか。アリシアは少しバツが悪くなって、何を言うか迷った挙句、ちょっとした内心を吐露することになる。それは言うなれば独り言の部類であった。

 

「……ツクちゃんでも、あれ以上のモンスターはやっぱ難しいのかな」

 

「どうだろう。言ってしまえばあのゴーレムとて我々からすれば規格外といえる存在なのだ。ツクヨミ様も気を付けてと仰られていたらしいし、訓練相手としてこれ以上は無いと言えるほどの上質な魔物。戦士であられるツクヨミ様がどこまで可能かは、正直私程度では窺い知れないな」

 

 好奇心はあれど、神を試すような真似はしたくないという態度の隊長はそれだけ言うと歩いていく。

 アリシアもまた、もやもやした気持ちを吐き出すように武器を持つと、第三席次達と対峙しているゴーレムを一瞥してから立ち上がった。

 

 

(一応素振りでもしとくかなぁ)

 

 

 そんなことを思った時だった。

 

 

 

 

『!?』

 

 

 

 

 まるで強大なモンスターが現れたような、強大な力の奔流とも言える肌触りがここまで流れてきた。それは確かに微かなものだ。しかし、百戦錬磨の強者である彼ら……特にアリシアや隊長がそれを察知できないはずがない。何か外から魔力も漏れている気がする。

 

 

「っ!! すぐ外か? 皆、一度訓練を止め、外に行くぞ! もしかしたらたった今何かが起きたかもしれない!」

「音も……します。風の音です!! モンスター、それこそドラゴンかも」

「ゴーレムよ、止まれ! よし、命令は問題ない。隊長よ、直ちに向かおう!」

 

 

 そうして一目散に武器を構えたままアリシア含む漆黒聖典の七名は外に出る。皆慌てた表情だが、鋼のような冷静さを持って駆け出した。しかし、すぐにその足を止める。

 

 

 

 ──雲の隙間とも言える上空から、とてつもない怪物が姿を現わしていたのだ。

 

 

 それは巨大な翼、長く伸びる鋭い鉤爪、雄々しい立派な嘴を持っている。

 姿は上半身が鷲、下半身が獅子といったものだ。

 

鷲獅子(グリフォン)……? いや、そんなレベルの存在なのか? あれは」

 

「す、凄い……」

 

 目線の先のそれはアリシアから見てもヤバいモンスターだった。生まれて此の方見たこともない魔獣であり、強さも風格も桁違いだ。

 しかし関心してる場合じゃないというのは正にその通りで、すぐに思考を切り替える。

 

 敵ならば討たなければ。

 

 

 が──

 

 

「見よ! あちらにツクヨミ様がおられるぞ。副神官長や巫女姫もだ。……ということは、やはりあれはっ!!」

 

 

 第三席次のその言葉を理解できなかった者はいなかった。皆が息を呑み、そして駆け足気味にそちらに近付いて行く。もしかしたら危険が迫っているかもという思考は未だ捨てずに。

 

 

「あれ? 皆さんも来られたのですね」

 

 

 そうして近づいて行くと、およそ15mくらいのところで神の声が聞こえてきた。するとすぐに、風をはためかせながら巨大な鷲獅子(グリフォン)、全長にして10mを超えるであろうそれがツクヨミの横に着地すると、頭を下げながら丸まった。

 

 もはや口をぽかーんと開けるしかない。見ればツクヨミの後方に侍る巫女姫は腰が抜けたように座っており、副神官長に至ってはその生物の神々しさに涙を流し、平伏している。土塵聖典も似たようなものだ。

 

 実際、アリシアも感動と、謎の誇らしさのようなものが湧きたって感情がぐちゃぐちゃになっていた。

 そんな様子の中、第一席次である隊長だけがすぐさまツクヨミの前へ行くと膝を折り挨拶した。

 

「ツクヨミ様、まず神聖なる儀式に割って入ってきてしまったことを謝罪致します。そしてこちらが……新たなツクヨミ様の御遣いであられるのですね?」

 

「つ、遣い? ああ、まぁそうですね。今後移動などにも必要になるだろうと思い、古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)を召喚させて頂きました。どうか仲良くしてあげてくださいね」

 

 そう言うとツクヨミはその黒と灰色のコントラストが美しい鷲獅子(グリフォン)の毛皮をそっと撫でていた。鷲獅子(グリフォン)は基本的に騎乗用のモンスターとして飼いならすのが難しいと言われているので、それがここまで微動だにしてないのはとても珍しい光景だった。

 そんな光景にアリシアはきっと間抜けに口を開けていただろう。

 

「ツ、ツ、ツ……っ」

「ん?」

「ツクちゃん凄すぎだよ……!」

「うわっ!?」

 

 軽く行くつもりが勢い余って抱き着いてしまった。ツクヨミは鷲獅子(グリフォン)が危害を加えられると思ったのか、少し前のめりに来ていたので捕まえやすかったのだ。

 

「アリシア……?」

 

「ごめん。でもやっぱここが一番いい」

 

「それは、ちょっと恥ずいんだけど」

 

 ツクヨミは笑いながらも、軽く頭を撫でてくれる。それはまるで、もう離れて久しい母親の胸の中にいるような気分だった。

 

「もう少しだけいい?」

 

「……いいけど、でもまたすぐ出ることになるかも」

 

 そのツクヨミの言葉にアリシアは少々の寂しさを憶えるが……しかし、いつまでもこうしていられないのも分かっている。

 いつものように周りに不敬だ! と言われないことに少し疑問を感じつつもアリシアはその温かさを感じながら、そっと離れた。

 

 別に大して離れる訳でも別れる訳でもないのだから。

 

「あれ?」

 

 そして気を取られていたから今まで気付かなかったが、いつの間にか彼らの後ろには大元帥の姿があった。どうやら何か用があるようで小走りでここまで来たようだ。

 

「申し訳ございません、ツクヨミ様。軍の方の仕事に少し手間を取ってしまい……。しかし、凄まじい魔獣ですな。ツクヨミ様の御力に、改めて敬服いたします」

 

「ありがとうございます、大元帥様。しかし何もお急ぎにならなくても良かったのですよ? 先の件は早くて多分明日から、だと思いますから」

 

「そうでございましたか。しかし、国内とはいえ遠出となりますから、ツクヨミ様が良ければ後でその道程等についてお話し致しましょう」

 

 そう言って彼らは話を終える。神と神官長達は次に何をしにいくのだろうか。そんなことを考えながら、アリシアは自分より遥かに巨大な鷲獅子(グリフォン)の姿を見上げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 

 

「それで、今日は何の話かな?」

 

 青白い空間。永続光(コンティニュアル・ライト)が浮いた室内で、闇の神官長が焦げ茶の飲み物、こーひーと呼ばれるものが入ったカップを机に置きながら座る。そこは応接室のような空間となっていた。

 

 闇の神官長の隣には、茶髪に赤の帽子の火の神官長が座り、そしてその対面にはとてもリラックスした様子とは言えない真面目くさった顔をした最高神官長が座っていた。

 

「最近、法国が他国と多くのやり取りをしていることは知っているな」

 

「当然だとも。帝国のみならず、王国も、聖王国も、そして森妖精(エルフ)も今は相手にしているからな」

 

「書簡の多さには流石に忙しさを感じざるをえない。最高神官長も大変だろう。私はまだ請け負う範囲が狭いからましだが」

 

 労いの声を掛けたりする彼らの様子は会議よりはラフなものだが、最高神官長の真剣な雰囲気に決してふざけたりする真似はしない。

 一体何を話すのだろう、そんなふうに待つ二人に最高神官長は一呼吸置いてから口を開いた。

 

「うむ。それでだが、やはりその内容を見るに我々と他国の間には大きな隔たりがあるように思う」

「隔たり?」

「そう、言うなれば彼らは今のこの状況の重大性を特に理解していない」

 

 最高神官長がそう言うと、二人はある程度話の方向性が見えてきたのか仕事モードのスイッチが入る。休憩中に何をと思うかもしれないが、別にこういった話は人類を纏めてきた彼らにとって珍しい話ではない。

 闇の神官長はカップを持ちながら、対面の言を一定は理解しつつも議論を進めるべく疑問を飛ばした。

 

「そうかな? 少なくとも帝国や聖王国は神の降臨がどういった損得を齎すか理解しているよう感じるが」

 

「それは確かだ。しかしそういう理解ではない。他国はこの地に神が……ツクヨミ様が"降臨された意味"を何一つ理解していないということだよ」

 

「どういうことだ? 最高神官長よ」

 

 少し難解な言い回しが続いたため、火の神官長はその真意を聞くべく最高神官長に強く尋ねた。"降臨された意味"などと言われれば、彼らとて適当な意識ではその内容を聞けないためだ。

 

 最高神官長は長く考えごとをした老人のように、それを厳かに語り始める。

 

「火の神官長、そして闇の神官長。お主らは考えたことはあるだろうか。ツクヨミ様は何故、今になって我々の前に姿を現わして下さったのかと」

 

「……」

「……」

 

「これについてはツクヨミ様の現れる前、その動向に着目すればすぐ分かる」

 

 それにピンと来たのか、火の神官長が落ち着いて返答する。それはツクヨミが竜王国で見つかった後、大元帥などの証言から明らかになり、一度上層部で話題になった内容だったからだ。

 

「軍部に混じり、陰から我々を見守ってくださっていた……。なるほど、軍部か」

 

「そう、軍部という我々の組織の中でも言うなれば"現場"であるそこから世界を見ておられたのだよ」

 

 続けて最高神官長は申し訳なさそうに視線を下げる。

 

「そして覚えているか? ズーラーノーンの事件。あれの解決者の容貌、それに関する風花聖典からの情報を」

 

「っ。まさか」

 

 予想していなかった情報に火の神官長は息を呑み、そして闇の神官長は目を閉じながらポツリと呟く。

 

「銀髪の容姿をした女性。そして異常な強さ。秘匿の件もあってあの時は分からなかったが、間違いなくツクヨミ様であろうな」

 

 最高神官長はただ、重苦しく頷く。

 

「……ツクヨミ様はこの世界の腐敗を知っておられたのだ。そして、力無き人間のことも。この意味が分かるだろうか。ツクヨミ様は、我々を──いや、この世界を救うために此処まで来て下さったのだ」

 

「なんと、いうことだ……」

 

 もはや火の神官長は気の利いた言葉さえでなかった。スレイン法国の上位陣とてその真なる意を理解せず、奇跡だと言って喜んでいた。しかし本当はそうではないのだ。

 

「それでもなお、彼ら(周辺諸国)は、この状況の重大性を理解していると言えるだろうか?」

 

 している訳がない。そんな言葉が聞こえてくるようだった。闇の神官長もカップを置いてから神妙に頷く。

 

「そうだな。特に、遠回しに舞踏会に呼ぼうとする王国や神と一度話したいから森に来てくれと言う森妖精(エルフ)はかなり危うい。しかし……それは我々の責任でもある。そうだろう? 最高神官長」

 

「その通りだ。それを今日は伝えたかった。我々はあまりに他国に隠し事をしすぎた。それがいつか、彼らにまやかしの平和を与え、堕落へ誘うとも知らずにな」

 

「……」

 

 皆無言だった。

 スレイン法国。それは秘密主義国家であり、なるべく情報を統制して人類をまとめ上げてきた。それは神無き世の不安定さであったり、王国と法国の宗教観の違いなどもあって仕方のない処置であった。

 しかし、それは同時に彼らの首も絞め上げていたのだ。

 

「やはり他国と対等に接するため、話すべきなのか。全てを。しかしそれは混乱の波にならないだろうか」

 

「可能性が無いとは言い切れない。……しかし、今だからこそ。ツクヨミ様が──神がいる今だからこそ、人は危機を、現実を受け入れられるかもしれない」

 

「それが最高神官長の見いだした活路なのだね……。理解した。そのチャンスは、確かに長くはないな」

 

 

 室内に再び静寂が流れ、そして最高神官長が意を決したように口を開く。

 

 

「私は来月の宮廷舞踏会へ行こうと思っている。そのための準備を今後行うつもりだ。帝国も含めてな」

 

「まぁいいんじゃないか。あまり焦りすぎても良くないが、正直遅かったくらいだからね。最初は情報を絞る必要もあるかもだが」

 

「確かに。ただ、それでも神には話しておくべきだろう。神は国内の辺境地まで行かれるようだから、どこか機を見てね」

 

 

 最高神官長が頷く。その話はここで一旦終わりのようだった。

 

「はぁ。陽光の仕事に加え、軍部への見舞いまで、本当に神の慈悲深さには頭が上がらないものだ」

 

「全くだよ。この前の帝国の件に至っては──」

 

 話が神の慈悲などに切り替わると、場の空気は一転。皆の舌は滑るように進んでいった。

 六大神の内容なども交え、気付けば数十分が経過する。

 午前のひと時も終わりが近づく頃、扉からノック音が聞こえてきて──

 

「神官長……外が、裏庭が凄いことになっておるぞ!」

 

 しわがれた声が外から聞こえてきたので、三人は慌てて腰を上げその場を後にした。

 

 

 それから彼らがその光景に仰天したのは言うまでもないだろう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32.ひと時の出立

 明日(みょうにち)、ツクヨミは大神殿の入り口とも言える開け放たれた壮大な扉の前に出てきていた。

 

 石造の屋根に覆われたその場所は地面に影を作っており、今も神殿室内を延長したような暗がりを見せているが、ひとたび外に目を向ければ、そこはその明るさに瞼を数度開け閉めさせたくなるような景色が広がっている。

 

 

 尤も、この体だと目を(つんざ)くような眩しさなど殆ど感じられないが──

 

 

 外の景色や肌に触れる冷たい風の感触をツクヨミが昨日に引き続き味わっていると、少し畏まったように後ろから声を掛けられた。

 

「ツクヨミ様。法国内と言えど大神殿の外への出立。どうかお気を付けて」

 

 振り向くとそこには見慣れつつある第一席次の姿があった。他の漆黒聖典からは隊長と呼ばれている、ツクヨミもその本名については知らない彼は片膝を付き、主の外出を見送るように頭を下げている。その動きは鎧を着ているものの優雅であり、貴族上がりの騎士のようにも、屋敷で働く執事のようにも感じられる。

 

「ありがとうございます。またすぐ戻って来るとは思いますが……それまで部屋のこと等はお願いしますね」

 

「はっ! 命に掛けて、神の帰る場所は警護させて頂きます」

 

 隊長の表情はガチであり、言葉以上にその使命感と本気度を感じさせるものだった。

 そこまで畏まらなくてもとツクヨミは内心思うが、神に対する態度としては特に間違っていないだろうと思われたので敢えて口には出さない。

 ツクヨミは隊長の言に軽く頷きを返してから、外に一歩踏み出す。

 

 

(……いい天気だ)

 

 

 輝かしい空に目を向ければ、太陽の位置は既に高い所まで上がっており、もう今が昼時になりつつあることを示していた。朝の時間は基本的にツクヨミの私的な時間となっていて、神官長も気を遣ってか仕事を振って来ない──というよりもっと世話をさせてくれと懇願されるくらいなので出来ることも少ない。

 

 そのため、これからがツクヨミの本格的に動ける時間という訳だ。

 

 ちなみに今日はようやく法国内とはいえ外に向かう予定になっている。これは準備が出来たので前倒しになったとも言えるが、昨日召喚した古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)が思いのほか早く活躍できそうなのは素直に嬉しい所だ。……とはいえ初めての外での仕事。その緊張感も同様に高いと言える。

 

 ツクヨミは普段より気合を入れてから、魔法の光の灯っていない道の中を緩やかな手摺と共に下っていった。すると──

 

「あら、大元帥様に……それに神官長の皆様も」

 

 そこには既に、朝から待機させていた古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)の周りを囲むようにして佇む大元帥。そして最高神官長と六色神官長の姿があった。

 

 幾らか畏まったその光景は神官的要素も相まってやや神話的に見える。まぁそれはいいとして、今回ここを出るのはツクヨミと大元帥の二人ということになっている。ということは彼らは態々見送りに集まったのだろうか? 

 ツクヨミが地面に降り立つとすぐに最高神官長であるオルカーが代表して頭を下げ始める。

 

 

「ツクヨミ様。本日もその高貴なる御身を我らの前に晒して下さったこと感謝致します」

 

「「感謝致します」」

 

 

 恭しい声が8つ同時に響く。これはもはや恒例というか挨拶である。もはや突っ込んでも仕方ないので、ツクヨミもせめて神様っぽく鷹揚に頷いておく。

 

「皆様お揃いで。もしかしてお見送りに来て下さったのでしょうか?」

 

「はい。ツクヨミ様が国内の兵士──いや人類のために法国西の国境地まで向かわれるとのことで、畏れながら御前に集わせて頂きました。本来であれば神の御出立……聖典や儀仗兵も含めてのものにすべきかと考えましたが、神の邪魔になってもと思いこうした形を取っております。矮小なる我々をどうか御許しください」

 

「あ、い、いえ。全然大丈夫ですよ。聖典の方も忙しいでしょうしね。神官長様も大元帥様も忙しい中ありがとうございます」

 

 ツクヨミはオルカーの長台詞に若干気圧されつつも、ちらりと視界端に入った大元帥──いつもの軍服より畏まった式典服のようなものを着ている、に目を向け、そうだと話を始めた。

 

「皆様既にご準備いただけているようですね。そういえば、今日は先日から話している通り、傭兵による移動を考えていますが……それは大丈夫ですか?」

 

 指さすのは古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)。全長は10m以上あり、豪華な鞍は付いているものの、乗るのは一苦労といった感じだ。幸い古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)は今も大人しいし、試しに騎乗してみた時も暴れるようなことは無かった。しかしただの人間である彼らからすればそれに乗って移動するのは恐怖でしかないだろう。

 

 しかし大元帥は固くその瞳を閉じると、力強く頷く。

 

「全く問題はございません。……寧ろ宜しいのでしょうか? 私程度の者を神の召喚された神獣に乗せて頂くというのは」

 

「ええ。そこはお気になさらず。ただ、他の移動法。例えば今回試そうと思っているマジックアイテムでも大元帥様の移動自体は可能でしたので、もし気が変わったら言って下さいね」

 

 実はこの話は先日からしているし、その時の彼の答えも言わずもがなだった。しかしながら現物を見て気が変わるというのも無くは無いし、ツクヨミも人を乗せた状態で事故を起こさないか結構な不安がある。それを含めての念押しだ。

 

「ご配慮ありがとうございます。しかし今回の出立は同行する者が恥ずかしながら私くらいなものですので、せめてそこは御一緒頂ければと思います」

 

「……畏まりました。ではそういうことで、そろそろ出る準備を始めますね」

 

 全員が頷くのを見てから、ツクヨミは彼らの間を通るようにして目の前の召喚獣へと歩を進めた。魔法による召喚と違い、金貨による召喚であるこの魔獣とは残念ながら意識の繋がりは感じられない。精神的な結びつきを作る魔法も掛かっていないので当然だ。

 しかし体を低い体勢に屈め、小さく鳴く姿を見れば、その内にある信頼関係は見て取れる。

 ツクヨミは古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)を軽く撫でてから、最後にアイテムボックスからアイテムを取り出す。

 

「ツクヨミ様、そちらは……?」

 

「これは転移門の鏡(ミラー・オブ・ゲート)というもので。この前話していた転移アイテムですね」

 

「おお! その神器が、二点間を無限に行き来できるという伝説のアイテムなのですね?」

 

「ええ、まぁ……。使い辛い面もあるので、そこまでの物でもないですけどね」

 

 大袈裟に目を光らせる闇の神官長に返答しつつ、ツクヨミは両手で持った──遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)によく似た大鏡に目を向かわせる。

 

 転移門の鏡(ミラー・オブ・ゲート)。それは最上位の転移魔法、転移門(ゲート)とよく似た効果を持つマジックアイテムだ。距離は無限であり、転移の失敗率も0%。

 

 しかし、やはりというべきか誰でも使えるだけあって転移門(ゲート)に比べればその性能はかなり劣る。まず、転移のポイントとなる二点は自分で行って設定しなければならない。つまり思い浮かべただけでぽんとは飛べない仕様となっており、当然他の足を要する。しかもそれに加えて軍勢のような、大多数の人間を通せるほどの大きさには広がらないというものもある。そのため、MPを消費しないとはいえ転移門(ゲート)が使えるプレイヤーはそちらを使うのが普通だ。

 実際、このアイテムは拠点間を結ぶための仕掛け的側面が強く、ユグドラシルでもそちらの用途で使われることが殆どだった。

 

(とは言っても、セットすれば一瞬で行き来できるのは便利だけどね。今回は只の実験になりそうだけど)

 

 ツクヨミがこれを取り出したのはあくまで今後の為の試用であり、神官長や聖典が向こうまで付き添うという予定はない。まぁ一瞬で個人が行き来できるというのは皆のちょっとした気休めにはなるだろうが。

 

(よし、これでいいかな)

 

 手に魔力のようなものを送ると鏡が仄かに光ったので恐らく片側の設定は完了だ。ちなみに今発動されれば裏庭辺りに接続されることだろう。

 

「お待たせいたしました。では大元帥様、行きましょうか」

 

 鏡を再び虚空に戻したツクヨミは恭しく立っている大元帥に手を差し出すようにする。大元帥が近づいてくると、今更もう一つの問題に気づいた。

 

(そういや、高い……よなぁ)

 

 屈んでいるとはいえ、古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)の座面までの高さは軽く人の背丈以上はある。常人が馬に乗る感覚で乗り上げるのは恐らくかなり厳しい。申し訳程度の手綱と(あぶみ)はあるが、まず届かないだろう。かといって上から引っ張り上げるのも老体にはかなり酷である。

 

 どうしたものかとツクヨミがその場で考え込んでいると、大元帥とオルカーが一斉に頭を下げ始めた。

 

「申し訳ございません! すぐに足を持ってまいります!!」

 

 彼らも上がれないことを察したのか、はたまたツクヨミが上がれないと思ったのか大急ぎで石段を駆けあがろうとする。ツクヨミはそれを急いで止める。

 

「それには及びません! それにほら、飛行(フライ)。こうすれば上がれますし、大元帥様も持ち上げられると思います」

 

「おぉぉ。なんと素晴らしい」

 

「ご迷惑をお掛けします……。しかし宙に舞うツクヨミ様が光り輝いて……なんと神々しい」

 

 ただの低位階魔法だが、見た目のインパクトが強かったようだ。魔法の光、陽の光、光輪の光。浮いていることも相まって神様し過ぎたのか、彼らが再度平伏し始める。

 

(ま、またこのパターンか……)

 

 流石に面倒くさいと思わざるを得ない彼らを宥め、白髪の老人を鞍の上まで運ぶのにそれから数分ほどが掛かった。

 

「では行きますよ?」

 

「はっ!」

 

 少し溜め息混じりにツクヨミは古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)に合図を送る。すると下から力強い地鳴りが聞こえてくる。魔獣使い(ビーストテイマー)の職業は持っていないツクヨミは頼むぞという気持ちで手綱を心なしか強く握る。傭兵だからその辺は指示に忠実だろうが、正直不安だ。

 

 いざという時は飛行(フライ)で安全確保しようと思いつつ、二人はその場を飛び立つ。

 

 離れた位置に移動して体を屈めている神官長達の姿もまた、瞬く間に小さくなっていった。

 

 

 

 

 ──

 

 

 

 

「おお」

 

 一面に広がる青空の景色は、多少外面を取り繕っているツクヨミであっても感嘆の声を隠せないほどであった。

 

 あれから数十分。古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)飛行(フライ)とは比較にならない速度で上空へと昇り、法国の空を優雅に滑空している。予想していた通り、方向を定める最初の操縦には苦戦させられたものの、それでもその背の上は思った以上に快適だった。

 ユグドラシル由来の鞍の効果かは分からないが、受ける風もそこまで強くはなく、本来は極寒であろう空の上でもほんのりと温かみを感じられるような空間がそこには広がっている。体感としてはパレードの時の、あの乗り物に近い。

 

 初めはかなり緊張していた大元帥も、出発から少し経った今ではこの空の移動に目を丸くしているようだった。

 

「我らが法国の景色が、これほどまでに長く続く……。こんな景色が見られるとは夢にも思っておりませんでした」

 

 その声色は少し潤んでいる。彼の抱く感動は長く法国を守り続けてきたからこそのものなのだろう。

 実際、ツクヨミもこの世界はアーコロジーに比べかなり綺麗だと思ってはいたが、上から俯瞰するとその美しさに言葉を忘れそうになる。

 

 

 法国の国土は広い。住居もリアルにある高層ビルなどではなく一軒家が殆どで、舗装された路地の並びは芸術的で自然とよく融和している。そして今はそんな都市の中心たる神都を抜けてきた所だろうか。

 多くの都市が続くこの空の下は基本的に平地であり、所々に大きな川が流れていたりするが、それでも都市というだけあって多くの活気が立ち籠めている。それは豆粒のような馬車が行き交う姿だったり、煙突から白い煙が上がる姿だったりと様々だ。

 自然もいいが、こういう何気ない文明的光景も悪くはない。もっと先には穀物や作物を育てる畑や村もあるのだろうか。

 

(っていかんいかん。完全に旅行気分だった。これからしに行くのはちゃんとした仕事なんだし、もっとしっかりした気持ちで挑まないと)

 

 ツクヨミは頭を振る。今回の出立──それは当然だが遊びや旅の類ではない。言うなればれっきとした神の仕事の一つであり、目的も多数ある。

 

 まず大まかな最初の目的としては、法国西の国境地まで行き、そこの兵士達に顔を出してあげることだ。これは先程オルカーも語っていた内容だ。

 勿論、本来であれば神直々に軍を訪問すること等はあり得ないのだが、これは彼らがモンスターの発生する国境地を守る者であり、不用意に動くことは出来ず、パレードにも参加できなかった者がいたことからツクヨミが配慮した内容である。

 

 そして二つ目は陽光聖典の仕事を代わるためだ。

 これは竜王国がビーストマンに襲われる前の時期──陽光本隊が西の地に赴いていた際に亜人の王? に絡まれたことで、異種族排斥のみならずアベリオン丘陵の調査自体が中断されてしまったことが原因である。

 最初は漆黒聖典に渋々引き継がせる予定だったらしいが、折角なので表立って動きやすいツクヨミが亜人となるべく敵対しない方向で丘陵の様子を見て来ることになっている。

 

 そして最後は──やはり国内についてもっと知るためである。

 

(まだ世界……いや法国でも知らないことが多いしね。百聞は一見に如かずっていうか、やっぱり人助けするにしても外の状況は見ておかないと)

 

 ツクヨミは今回の出立の大まかな理由を頭の中でもう一度確認する。マジックアイテムや傭兵の実験という側面もあるにはあるので、それなりに忙しいことになるかもしれない。

 

 一日で終わるかな。微かな不安が頭を掠める。会社で仕事が溜まりまくっている時に感じるようなあれだ。まぁ最悪転移門の鏡(ミラー・オブ・ゲート)があるので、ツクヨミ自身は残業してもいいだろう。それに神官長とて調査が長引くことくらいは考えてるだろうし……。

 そんなことを考えながら頭を痛めていると、後ろから老人の声が掛かった。大元帥だ。

 

「ツクヨミ様、お体に変わりはありませんか? 私程度の者が言うのもあれですが、かなりの高高度ですので……」

 

「私は大丈夫ですよ。それより大元帥様こそ大丈夫ですか? 確か、空では酔いやすいと聞きましたし」

 

 原因は揺れ、だったろうか。リアルの知識を引っ張り出してツクヨミは話す。まぁ自分でも心配するところはそこか? と思う部分であるが。

 

「私は問題ございません。全ては神の召喚獣、古の鷲獅子(エンシェント・グリフォン)? 殿のお陰でしょう。私もこれほどとは思いませんでした。やはり……高位のま、神獣であらせられるのでしょうか?」

 

 その時、大元帥の目の奥が確かに光った。軍の最高責任者なだけあって強さなどには敏感なのかもしれない。ツクヨミは軽く空を見上げ、この魔獣の情報を攻略サイトから思い出しながら答える。

 

「まぁそうですね。確かレベル90くらいありますし、強いには強い……と思います」

 

「れべる90?」

 

「あ、すみません。難度であれば、大体270くらいかと」

 

「難度270っ!?」

 

 大元帥が鞍から落ちそうになるくらい驚きながら叫ぶ。その目は驚愕の色に染まっており、ツクヨミと古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)の間を忙しなく動いている。

 ツクヨミも少し驚くかなと思っていたが、正直そこまでの反応があるとは予想していなかった。

 確かにこの魔獣はこの世界からすれば桁外れに強い。しかしユグドラシル準拠だとまぁまぁといったレベルだ。普段からツクヨミ(カンストプレイヤー)を見ている彼らがそれだけ驚くのは、やはり目で見てその強さが分からなかったからなのだろう。

 

「お、大声を出してしまい申し訳ございません。しかしまさか、それ程とは。私は神の力を真に理解できていなかったやもしれません。……しかしその傭兵でしたか。その方々はそう簡単に召喚できるものなのですか?」

 

「それは難しい質問ですね。簡単とも言えるし、難しいとも言えます。召喚には費用が掛かりますからね。それにほら、これだけ大きいと場所も取りますし──」

 

 ツクヨミは古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)の毛並みを摩りながら答える。便利な傭兵召喚だが、この世界だと一定のデメリットがある。それは置き場所のみならず、維持費用が掛かることだ。特に魔獣ともなると食料が必要となるので、その辺りの問題も生じる。それは法国の規模から考えれば些細なものだが、ツクヨミとてあまり無計画に生き物を増やすのはどうなのかと思っていた。それこそかの森の例もある。

 

 大元帥が何か言いたげにする中、ツクヨミは続ける。

 

「ですので、その辺りも模索中ですね。人型にゴーレム……。大元帥様も何かアドバイスがありましたら是非お願い致します」

 

「か、畏まりました」

 

 大元帥が大きく頭を下げる。そうして二人の会話は終わる。

 

 ツクヨミはふと下にある大きな水車を見ながら思った。

『そうだ、食事も疲労もない人型のアンデッドを働かせるのはどうだろう』と。例えば指揮系統の傭兵アンデットに低位の現地スケルトンを捕まえてきてもらう……などだ。

 

(うーん。人と異業種の融和……にはならないな。下手すれば混乱に暴動が起きそうだ、やっぱ止めておこう)

 

 未だ後ろで畏まりつつも目を輝かせている大元帥を肩越しに確認しつつ、ツクヨミはあと二、いや三時間くらいはかかるかもしれない国境地に意識を向ける。

 神官長達は今、各国の政治的仕事で忙しいようだ。ならばせめて、ツクヨミも違う方向ながらも力にならなければならない。

 

 少しずつ、目的地が近づいていく──

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 カチャ。

 

 木製のドアに取り付けられた金属製のドアノブが心地よい音を立てながら回る。比較的綺麗な室内──石畳によって少々冷たい印象を感じさせるその部屋に、軍服姿の男が入っていった。

 

「調子はどうかな。神官の諸君」

 

 ばっと、大袈裟気味に男は艶やかな薄い茶髪の上に被った軍帽に手をやりながら、広い室内で治療にあたっているらしい神官たちに目を見やった。その内訳は中年くらいの神官が1に、若い男の神官が1、女の神官が2といった所だ。

 

 年配者が少ないということもあり、彼も多少は砕けた態度を取っているのかもしれないが、残念ながらその受けは悪い。まぁ当然だろう。

 

「指揮官殿ですか。見舞いに来て下さったのは感謝致しますが、治療の最中ですのでもう少し静かに入室頂けると幸いです」

 

 そう言葉を返すのは若い金髪の女神官だ。彼女は今も治療台に寝ている軍の兵士の治療を行っているようで、その手からは回復魔法特有の透明色ある緑色の光が出ている。絶賛仕事中という訳だ。彼も神官のそれがどれほど大事な職務なのか知らない訳ではないので、そこそこ高位の地位にあるといえ素直に頭を下げる。

 

「それはすまないね。覚えておくよ」

 

「それ何回目ですか……。まぁいいですけど、今日は何か御用ですか?」

 

 軍部と神殿勢力。それはスレイン法国ではかなり近しい役柄ではあるものの、それでも仕事や立ち位置は全く異なる。志が同じ方向、ようは神に向いているというだけだ。それもあって、女性も少し警戒気味である。

 

「久しぶりの顔出し……というのもあるが、本音は人手だね。最近は亜人の動向もめちゃくちゃだからこっちの消耗も激しくて、復帰できそうな人員はいないだろうか」

 

 男はそう言いながら室内を見渡す。柱のある広い室内には質素な寝台が多くあり、そこには多数の兵士たちが鎧を脱いで横になっている。その数は神官の何倍であろうか。数えるのも億劫になる。答えは神官達に聞かずともわかるものだった。

 

「残念ながらいませんね。そもそも回復魔法を扱える神官は少ないですし、それも完治まで時間が掛かるものなのです。まぁ、ポーションでも使えばましにはなるんでしょうけど」

 

「それは本末転倒というものだな。ポーションは物資としてかなり貴重なものだ。……しかしそうか。困ったな」

 

「……それほど何ですか?」

 

 女性の問いに男はやれやれと頷く。

 

「ほら、つい先日神の降臨に際してパレードが開催されただろう? 私は恥ずかしくも行けなかったが……しかし仲間くらいはせめて行かせないとと思ってな。神に顔向け出来ないだろう? しかし、今更そのしわ寄せがな」

 

「それは指揮官としてどうかと思いますが……」

 

「言うな。私は元々武闘派だしな」

 

 男が腰にある立派な鞘をちょっと自慢気に触る。その所作に女性は苦笑するが、返ってきた声色は優しいものだった。

 

「まぁ、私も不敬ながら参加できなかった身なので強くは言えませんが。……ただ、貴方が参加しなかったのは意外でしたね。あれだけ普段から神、神と言っていましたので」

 

「……」

 

 男が黙るのを見て、女性も手を止める。言い方が悪かったと思ったのだろうか。しかし男は次の瞬間には空を仰いでいた。

 

「いや、だって神だぞ? なんと素晴らしい響きか。それに今回スレイン法国に降臨されたのは女神だという。御名前はツクヨミ様……であったか。ああ、やはり仕事を放り出して出るべきであったかもしれない」

 

 その発言に女性が若干引き気味になったのは言うまでもないだろう。

 

「同意するところもありますが、神の御名をみだりに唱えるのは感心しませんね。それに軍の仕事を放りだすというのはこの国を守ってくださった六大神様への裏切りかと」

 

「これは失敬。私としたことが。しかし、まぁそういうことなのだよ。いざという時は君たちも力を貸してくれると──」

 

 

 腰に手を当てた男が柄にもなく真剣な眼差しでそう言葉を投げかけていると、バタンっと扉が開く音がした。何事かと二人が入口へ振り向くとそこには血相を変えた副指揮官の姿があった。急いできたのか軍服がよれている。

 

「コスタート指揮官、すぐに戻ってください!」

 

「どうした、亜人か?」

 

 鋭い視線で指揮官──コスタート・クフル・ツィアートは問いかけるが、副指揮官はすぐにその首を横に振った。

 

「アンデッドです! アンデッドが現れました!」

 

 

 

 

 

 ──

 

 

 

 

 

 スレイン法国辺境の地。アベリオン丘陵に接したこの場所では度々モンスターが出現する。その内訳は大半が亜人だが、時には魔獣、はたまたアンデッドも出現することがある。それは戦いの絶えないこの地に負のオーラが溜まりやすいことが原因だ。

 

 そのため、国境に隣接するこの場所には多数の砦が築かれており、周りにも一定間隔に見張り台を置くなどして外界の敵に対処している。

 その殆どは防衛戦だ。当然遠距離での攻撃力は高く、魔法詠唱者(マジックキャスター)は育成が難しく少ないが、弓兵の数だけで言えば、全て合わせれば軽く千を超えるだろう。勿論此処に駐屯しているのはその何分の1といったレベルだが、それでも彼らがそう易々とモンスターの侵入を許すことは無い。しかし……

 

「む、これは……相当だな。昼もアンデッドの群れと交戦したと聞いたが、いつの間にこんなに湧いてきた?」

 

「分かりません」

 

 副指揮官に連れられて前線近くの櫓までやってきたコスタートは近くにいた若い兵士に問うが、彼は焦った表情をするだけで、この状況のまずさを良く理解していないようだった。

 

「どう見る? 副指揮官」

 

「正直ここまでのものは見たことがありません。近くを通る亜人も避けていることから、二次被害はそれほど心配なさそうですが、それでも我々だけだと骨が折れますね」

 

 副指揮官の言はやはり芳しくないものであった。コスタートも櫓から望遠鏡を使いそこを見る。太陽の少し落ちたその荒地近辺では既に遠距離攻撃で応戦している兵士も見受けられた。

 

骸骨(スケルトン)骸骨弓兵(スケルトン・アーチャー)骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)。少ないが獣の動死体(アンデッドビースト)。そして、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)か……」

 

 はっきり言って悪夢のようなラインナップだ。個体個体としては珍しくない者も数が多いし、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に関しては強敵にも関わらず二体も発生していた。それは誰かが嫌がらせで召喚したのではと思えるような軍勢だった。

 

 無論、砦が壊滅するレベルまでは行かないだろう。しかし人員の消耗している今においては、弓矢の通じないアンデッドは厄介この上ない相手だった。

 

「はぁ。仕方ない、私も出よう。副指揮官、兵士の動員は任せたぞ。出来ればアンデッドを退散できる神官も呼んでくれ」

 

「し、指揮官っ」

 

 コスタートは軍帽をわざとらしく深く被ると、剣を抜き放って櫓の下──小さな門から外に出る。

 

 門の近辺には既に遠距離から石矢による攻撃を試みる者や、剣と盾を持って攻撃の糸口を探る者が居た。彼らはこの砦の指揮官を見るとばっとその頭を一斉に下げようとするが、コスタートはそれを止める。

 

「アンデッドの軍勢は固まってこちらに向かっているようだ。数は60といったところだろう。それ自体はどうということはないが、種類は強いものもいる。なるべく砦に近付かれる前に、こちらから誘導・敵を分散しつつ各個撃破していくぞ」

 

「「はっ!」」

 

 コスタートが仕事モードで指示を飛ばすと、それを聞いた兵士たちも少しずつ前へと移動を開始する。

 ちなみにアンデッドは弓等の遠距離攻撃はほとんど効かないので、魔法という手段が無ければ近距離戦が正しい姿だ。しかしそれだと被害も大きくなる。そこで用いられるのがアンデッドの知能の低さを利用した多対一である。

 

 コスタートもまた後ろから参戦してきた兵士──隊列を組んでいるざっと100名そこらのそれに混じり前進する。指示を飛ばしながら、たまに飛んでくる骨の矢を弾き進むという将軍のような仕事をしていると、少しずつだがアンデッドの姿が近づいてきた。

 

「久しぶりだが、まぁ大丈夫だろう」

 

 左右でアンデッドと交戦を始める兵士が出始める頃、コスタートは自身へと一直線に向かってきた獣の動死体(アンデッドビースト)、それを捕捉し大袈裟に片手剣を構える。

 ちなみにコスタートの戦闘での職業(クラス)は普通の剣士であり、特別な魔法の才能はない。しかしその腕前はかなりのもので、それは時に部下に剣を教えるほどのものだった。もし彼に魔法の才能があれば、間違いなく六色聖典……いやその内の五色にスカウトされていただろう。

 

 コスタートは軍服を風で揺らし──

 

「ぎゃう!」

 

 一閃。綺麗な太刀筋で《アンデッドビースト》の身体を切り裂く。銀製の質の高い剣は即座にその場から振り払われると、次に目の前の骸骨(スケルトン)二体に向かう。これも一瞬だった。

 

 コスタートは骸骨(スケルトン)の剣撃を自身の剣でいなすと、軽やかな踏み込みと共にその頭蓋を吹き飛ばす。続いて横から殴りかかって来る骸骨(スケルトン)には、片手剣の素早い横振りの一撃をお見舞いし、その流れで胴体の骨を裂きながら頸椎までもを切断する。如何に痛みを感じないアンデッドとはいえ急所さえ攻撃すれば反撃が来ることは無い。

 

 コスタートは地面に倒れ伏し、その身から灰を撒き散らした骸骨(スケルトン)に目を落とすとふぅと息を吐く。この程度の相手なら同時に抑えてもどうということはない。

 幸いにも後ろからは神官の魔法による援軍も来てくれたようだ。

 

「横もどうにかなるだろう。後は……あれか」

 

 仲間の死を物ともしないように近づいてくるのは骨の竜(スケリトル・ドラゴン)二体に骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)五体。中央から逸れることなくこちらに来る彼らに知性があるとは思いたくないが、砦まで距離があまりない以上、引きながら戦うのも考えものだ。

 

 しかも骨の竜(スケリトル・ドラゴン)には魔法の絶対耐性がある。神官では一切歯の経たない相手だ。ならば、必然的にその相手をするのは彼や、数少ない強兵に限られる。

 

「よし、やるか」

 

 覚悟を決めたようにコスタートは数度息を吐くと、周りにちらりと視線を行き来させたあと、目前まで迫った骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に接近する。骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)ともう一体の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の気を引いてもらっている間に倒すという訳だ。

 

 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が明らかにこちらを認識すると、その巨大な腕部──大量の骨が埋め込まれているような不気味な見た目のそれで叩き潰そうとしてくる。

 コスタートはそれを横に飛び退くようにして避けると、強く踏み込みながら剣で斬り返す、が。

 

「硬いな。スケールの差もあるんだろうが、効いてるのか? これ」

 

 如何せんアンデッドの反応が悪いだけあってダメージを与えられているのかかなり分かりづらい。

 コスタートは剣で撒き散らされた人骨の破片を一瞥しつつ、続く左手の先に付いた凶悪な爪による攻撃、何か飛んで来た骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)の流れ弾の魔法を避ける。そして素早い剣撃を繰り返した。

 

「な。まじか?」

 

 非常に残念なことにもう一体の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)がそのぼろぼろの翼でこちらに飛来してくると、どがんと巨大な音と砂嵐を撒き散らしつつ横に着地した。

 強者の気配でも感じたのかあまりに早すぎる合流であり、こうなると流石にコスタートであっても厳しいと言わざるを得ない。

 

「指揮官っ!」

 

「すまない、一度下がる! それまで耐えてくれ」

 

 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は尻尾を動かし、兵士を弾き飛ばしながらこちらに四足で近づいてくる。一瞬で囲まれるようになってしまったコスタートは、無理に入ってこようとする分断されてしまった兵士の一人を手で制すと、息を呑んでから敵の攻撃に集中する。

 横からの引っ掻き。これは上手くタイミングを合わせ、剣でいなす。そして次に──

 

「ここだ!」

 

 目の前の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)がこちらに嚙みつこうとしてきたタイミング。そのタイミングでコスタートは身を屈めるようにして回転すると、噛みつきを辛うじて回避してから後ろを向いて疾走する。

 

 正に完璧な後退だった。しかし──

 

「っ!!」

 

 不運にもその時、コスタートの右足に激痛が走った。

 

 見れば魔法の矢が脹脛に突き刺さって、掻き消えた。

 

「し、指揮官殿っ!!」

 

 恐らく釘付けだったはずの骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)、その生き残りの一体がこちらに向けて魔法の矢(マジック・アロー)を放ってきたのだ。それは致命傷には程遠い魔法であり、狙ってのものではないだろうが、それでもコスタートの足を止めるには十分すぎた。

 

「くっ」

 

 すかさず左から骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の攻撃がやってくる。またもや噛みつきだ。

 それしか出来ないのかとコスタートは内心苦笑すると、汗ばんだ手でその迫りくる顔面に剣を突き立てる。複数ある目玉の中へのカウンターだ。

 

(っ。いまいち効いてないじゃないか)

 

 コスタートは苦肉の策を物ともしないこの化け物に舌打ちする。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)はすぐにコスタートごと首を持ち上げると、ぶんぶんとハエでも振り落とすようにその巨大な頭部を振り回し始めた。

 

 その高さは優に3mを超えている。地面に叩きつけられれば大ダメージは必至だ。

 

 コスタートは必死に剣を掴む。しかし、それも長くは続かない。

 間もなくコスタートのみが空中に投げ出される。

 

(くそ……少し失敗したか。まぁまだ立て直せるはずだ。受け身を取って、それから──)

 

 地面に目を向けてから、軍帽を落としたコスタートは訝しんだ。何故ならその時の皆の視線──それは何故か骨の竜(スケリトル・ドラゴン)より上に向けられていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 昼下がり。イビルアイは王都の街並みを眺めながら、とある建物に足を運んでいた。その建物とは冒険者組合。勿論、イビルアイからすればそんな騒がしそうな場所に赴くのは面倒という他ない。もし、あの面倒な白銀のドラゴンの言が無ければ、まず立ち寄ることは無かっただろう。

 

(はぁ、全く。あいつは本当に人遣いの荒いやつだ)

 

 イビルアイは深い溜め息を吐きつつ、人通りの多いここ、王都の重要施設が集まる表通りを歩く。

 

 リグリットとツアーと別れてからのイビルアイは、馴染みの王国に戻ってからはたまに神となったらしい()の女性の話を噂づてに聞きながら、こうしてスローライフを満喫していた。

 前は百年の揺り返しということでバタバタしていたものだが、今となってはそれもイビルアイからすれば終わった話だった。何故なら話を聞く限りだと、彼女が世界に仇為す可能性は低いと考えられたし、多種族との融和の話などはかつての英雄達が首を突っ込んで邪魔をするような内容でもなかったためだ。

 

 いや、それこそが嘗て彼らの目指したものだったのかもしれない。

 

 

「とはいえ、従属神の暴走か。確かにツアーの言うことも一理はあるが」

 

 

 そして、その話を蒸し返してきたのがツアーだった。

 

 ツアーは未だ百年の揺り返しの災害を警戒している。曰くぷれいやーはぎるどなるものと共に転移することが多く、そこには従属神やぎるてぃ武器があるらしい。次はその情報を集めてくれ、とイビルアイにも話が来たわけだ。

 

(正直、もう一度首を突っ込むというのは好かんが……まぁやることもないし、少しは手伝っといてやろうというあれだな)

 

 内容自体は確かに重大だ。リグリットも確かエ・ランテルに滞在して情報を集めているらしいので、イビルアイも何かとこまめに王都で情報を集めている。

 しかし、外の光景に再度目を向けてみると──

 

「いらっしゃい、いらっしゃい! 安くなってるよ~」

「これが数十金貨の価値があるマジックアイテムで……」

「法国に神が現れたってまじなの? 会ってみてー」

 

 こんな感じで王都は碌なことを話している人間がいない。神に関する情報がまだ流れるほどに日が経っていないからか、王国全体がもうすぐ開催されるという宮廷舞踏会に引っ張られているかは分からないが、イビルアイはここに大した痕跡があるとは思っていなかった。

 

 まぁ、なので冒険者組合もついでと言えばついでで特に期待はしていない。

 

 イビルアイは目前にある古めかしくも重厚な扉を開ける。

 

「……」

 

 落ち着いた室内の香りが漂うと、その中には当然クエストボード──いわゆる仕事の貼り出された掲示板に集まっている冒険者や、一仕事終えてソファで休憩している冒険者チームなどが見られた。大体が胸に銅や鉄、たまに銀のプレートを付けており、イビルアイ目線で大した存在はいない。

 

 イビルアイはそんな冒険者たちに目もくれず、端にある壁際の椅子に座る。ちなみにイビルアイは怪しい白の仮面に派手な赤のマントという魔法詠唱者(マジックキャスター)でも大概な見た目をしているが、気配を消す魔法を使用しているのでこちらに注目する者は少ない。

 

(ふん)

 

 イビルアイは談笑する冒険者の面々──内容のない会話を繰り返している、を眺めながら、腕を組む。長き時を生きるアンデッドであるイビルアイにとって、仲間と共に生活を共にするなど窮屈極まりないものである。結局のところ人は独りだ。己が強くなければ生きていくことは出来ない。だからイビルアイは特に仲間を作らないし、必要だとも思わない。かつての仲間──消えてしまったリーダーの代わりを務められるような者もいないのだし。

 

「希望、か。あまり持ちたくないものだな」

 

 イビルアイは遠い夢を語っていた彼女の姿を頭の中から一度振り払うと、冒険者組合内の会話に再度耳を傾けた。

 

 当然だがここは組合なので、話の中にはクエスト内容を吟味するものも多い。ただ……、今日は珍しく国家事情である案件もその中に紛れているよう感じられる。

 

「エ・ナイウルに一回行って、それから聖王国の方面か。少し手間だけど、どう? 報酬は悪くないみたいだけど」

「うーん。まぁいいんじゃない。あそこは海もあって美味しいものも多いらしいし、出るモンスターもスケルトンとかでしょ」

「まぁな。ってお前は美味い飯食いたいだけだろ……」

 

 時事的な話をしているのは銀級冒険者の4人組のようだ。今、聖王国では王国との安全経路を確保しつつ国家間の情報網を開通しているらしく、このクエストもその手伝いという訳だろう。

 

(北か、まぁ行ってみてもいいかもな)

 

 聖王国は流石に遠いような気がするので、未探索のエ・ナイウル近辺はまぁ悪くないかもしれない。丁度いい退屈しのぎになるだろう。

 イビルアイがそう考えていると扉がぱたりと開いた。室内に冷たい風が入ってくる。

 

「あ、あれって」

「うそ」

 

 イビルアイの時とは違い一斉に視線が入口に向かう。入ってきたのはバケツのようなヘルムを被った重戦士、如何にも野伏(レンジャー)という長帽子を被った鋭い目付きの金髪の男。そして前空きのヘルムを被ったTheベテランという戦士だった。その装備はどれも一級品と一目見て分かるものであり、その胸に光る"青色の鉱石"も彼らが王国最強の冒険者の一つであるアダマンタイト級であることを示していた。

 

 鋼鉄──。人々は彼らをそう呼ぶ。初期からの名残らしいがその評判は高く、多少バランスが悪いようにイビルアイは感じるが、魔法を手品だと思っている貴族達も一目置いているという噂がある。

 

 そんな一癖も二癖もありそうな彼らは冒険者組合のカウンターの方に歩いていくと、持ち込んだと思われる依頼書を受付嬢に差し出した。

 

「これは……依頼ですね。なるほど、ギガント・バジリスクの討伐ですか。ではこちらで手続きを行っておきます。どうかお気を付けて」

 

 受付嬢がそう言うと、鋼鉄の面々は頷きを返し──そして組合を出て行った。

 

(何だったんだ。まぁとはいえ、あまり私の件とは関係なさそうだな)

 

 イビルアイは彼らが出て行った扉の方を数秒眺めた後、そろそろ行くかとその席から腰を上げた。 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

33.アベリオン丘陵(1)

 

「んー。何か様子がおかしいですね……。軍の人達は大丈夫でしょうか?」

 

 アンデッドの群れが発見されて間もなくの頃、召喚した古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)で空を飛び進んでいたツクヨミはようやく現れてきた砦柵(さいさく)や丈夫そうなテントを流し見しながら、その先にある一際大きな砦の方を指差し、同行者へとその口を開いていた。

 

 下にはここに来るにあたって辿ってきた草の刈り取られた黄土色の地面が今も続いており、横に伸びる小拠点を行き来する荷車も見受けられる。一見すると平時の軍の光景だ。しかしツクヨミがそれに違和感を感じたのは、砦の兵士たちに加え白い衣服に身を包む神官までもが一方向──門を通って国境外へと出て行っていたからだ。

 

 ここに来るまでに少しずつ高度を下げているので、更に西の方面にあるというアベリオン丘陵の様子まで完全に把握できるわけではない。ただ……武器防具を装備して集団が動くとなると恐らく敵襲からの掃討戦が予想されるので、ツクヨミも目の前の程度がどのくらいなのかを軍に最も詳しい存在に尋ねているという訳だ。

 

 大元帥は顎に手を当てると、遠くを見るように目を細めてから、ツクヨミに頭を下げてきた。

 

「申し訳ございません。私も目が悪い方ではないと思うのですが、ここからだと細かな様子が見えず少々判断が難しくあります。ただ、確かに神が仰られる通り軍の者達に平時らしからぬ動きは見られますので、近くの者を掴まえて話を聞きましょうか?」

 

 大元帥の提案はツクヨミからしても尤もだと思う内容であった。雑に動くよりは現地の人間に話を聞いてから動く方が遥かに間違いは少ないだろう。

 

(ここは国境ってこともあって普段からこんな感じなのかもしれないしな)

 

 ツクヨミは首に手を添えながらこれからの行動を思案する。

 スレイン法国にとって重要な防衛拠点である此処は、先も言ったがパレードに参加できなかった者がいたくらい忙しないと聞いている。それもあってツクヨミも敢えて準備に手間を取らせないよう、事前に連絡することなく現地まで足を運んだのだ。そのため、着いて早々戦っていても不思議という程ではないし、変な登場の仕方をしない方が今後の対応や予定も進めやすい。

 

 見れば、大元帥も口ではそうは言いつつも表情が緊迫しているとは言い難い。ある意味軍人としてこういう状況には慣れているのだろう。しかし──

 

「……」

 

 ツクヨミは一旦静止して主の次の指示を待っているであろう古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)の背の上から、今も向いている門の方に意識を集中する。

 女性の神官──ふと目が行ったその存在がどことなく焦ったような動きで門を出て行く──。まるで竜王国での彼らを想起させるように。近くの、物資を投げ捨てて門を走り抜ける兵士も必死さを顔に張り付けていた。

 

(何を迷っているんだか……。この道を選んだのも、そうする為だっただろう?)

 

 この世界で命が失われるスピードは想像より遥かに速い。それは日常的なモノで、世界からしてみれば不変で些細な内容だろう。しかし、同じ人として──此処でただ突っ立ている訳にはいかない。

 ツクヨミは白髪の老人に向き直る。

 ある意味高すぎるカルマが、既に一つの結論を導き出していた。

 

「すみません大元帥様。やはり緊急のように見えるので、私だけで少し向こうの様子を見てきます。鷲獅子(グリフォン)……は指示が難しいかもなので、一旦一緒に降ろさせて頂きますね」

 

「しょ、少々お待ちを。神が向かわれるのであれば、私めもこのまま空の上をご一緒致します!」

 

「いえ、それには及びません。大元帥様を危険に晒したくはありませんし……それに、大元帥様には砦の方に事情を聴いたり、こちらの状況をお伝え頂ければと思っております。宜しいでしょうか?」

 

 ツクヨミは少しばかり強引に大元帥に提案する。それは立場上狡い行いかもしれない。しかし、ツクヨミが横から介入するとなると国境近辺で変なパニックを誘発することも考えられるので、大元帥に別所で行動を起こしてもらうのは安全面以外にも大きな利点があった。それに悠長にしている時間もあまりないのだ。

 

 大元帥は数瞬の迷いを瞳に見せるが、それでも答えを出すのにさほど時間は掛からなかった様子だ。こちらに向かって力強く頷く。

 

 

「神がそう仰られるのであればっ」

 

「……ありがとうございます」

 

 

 お互いの意思が定まると、ツクヨミはすかさず騎乗獣へ指示を飛ばした。それによって上空で大きく向きを変えた二人は直近のテント──今は無人であるので爆風で吹き飛ばされる者もいない──に降り立つと、鷹揚に言葉を交わしつつ一度別れることとなった。

 古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)を大元帥に着いて行かせるかは迷うところだったが、法国の軍門も近く、万一暴れられても困るのでこの場で待機を命じる。

 

 予定が色々狂ってしまったが、いよいよ現地での行動開始である。

 

 

飛行(フライ)

 

 

 ツクヨミは細い息を吐いてから再度その魔法を掛け直すと、地面を蹴って素早く上空に昇る。白いローブが突然の風と共にはためく。

 ちなみに鷲獅子(グリフォン)を連れて向こう側に行かなかったのは小回りが利きにくく二度手間になる可能性があったことと、もし介入の必要性が無いほどの状況であった場合にそっと……そう、そっと戻ってくるためである。

 

 

 距離にして数百メートルほどであろうか。殆ど時間を掛けずに砦の上を突っ切り、国境沿いの櫓の真上付近まで来るとその戦場の全貌が明らかとなった。

 

 

骨の竜(スケリトル・ドラゴン)。……アンデッド?」

 

 

 丘陵というだけあってなだらかな地形だが、草が踏み鳴らされたのか所々地面の荒れたそこには軍の兵士数百に後ろで支援魔法を唱える神官数名。そして少数の骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)と一対の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が立ちはだかっていた。

 

(召喚……ではなさそうか)

 

 警戒するように見渡してもそれ以外の存在がいるような気配はない。そも召喚主が悪意あるプレイヤー等であれば、わざわざあの程度の魔物を出すとは考えにくい。その裏を掻いたとまで言うなら、もうどうしようもないだろうが。

 

 しかし、まぁ骨の竜(スケリトル・ドラゴン)はレベルにして20と少し。それが二体同時に発生したと考えればそれは正しく不幸であり、現地の人間にとって情けも救いもない状況であろう。

 

 ツクヨミは腰に下がる剣──コンフラクトゥスを抜き放つと、上空から骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の位置まで急速に移動した。

 

 人々を脅かす強大な敵。それを排除するために。

 

 

 

 ────

 

 

 

 僅かに黄色みを帯びる太陽が地面を照り付ける。当然ながらその太陽の日を浴びるツクヨミの神器(ゴッズ)装備も光り輝くように空を切っていた。月明りとはまた違う光は光輪の善神(アフラマズダー)の後光と混ざり合う。

 

 時期も相まって暑さは感じない。しかし、いざ見知らぬ法国の人間の前に立つとなると高まる緊張感もかなりのものだった。

 神としてどう振る舞い、目の前の対処をすべきか。本当はそんな大層な存在でもないツクヨミにこの場での正解など分からないが……今更そんなことは言っていられないので、せめてなるべく皆を驚かせない方向で救援を考える。急がないといけないのに神として重大な事故(インシデント)は起こせない。そんな無茶ぶりが胃に重く圧し掛かる。

 

 

「しかし、どうやって降りようかな……」

 

 

 おおよそ骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の斜め上まで来たツクヨミ。高度は少し下げてはいるものの位置は未だ10mほどの上空であり、下で混戦が行われているために足の踏み場に困っていた。

 

(強引に前に降りる? いや、怪我させる可能性がある以上、いっそ横方向から倒してもいいかもしれない)

 

 幸い、彼らは向かい合うように陣地を取っている。横ならば容易に降りられるだろう。ただ、下ではアンデッドが猛攻の姿勢に移ろうとしており、既に戦場も一触即発という雰囲気を醸していた。そのため、着いたばかりとは言え悩んでいる暇も無かった。

 

(考えるより行動か)

 

 ツクヨミはぐっと剣を握ると、急いで側面に回るべく飛行(フライ)で宙に浮く体を急発進する。機転としては悪くなかっただろう。

 

 しかし、そんな時だった。

 

 

「「し、指揮官殿っ!!」」

 

 

 下方から、男たちの叫び声が響いた。ここからでも容易に聞こえるほどの声量で発せられたそれの発生源にツクヨミが慌てて目を向け直すと、その近くには骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の眼に剣を突き立てる軍帽を被った男の姿があった。

 

(あれは、不味いな。どうしよ)

 

 ツクヨミは息を呑む。

 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)はああ見えてちゃんと骸骨(スケルトン)系に分類されるため、弱点に見える眼球などでも刺突には大きな耐性を持っている。そのため痛覚も無く、複眼であるあれには殆どあの攻撃は通じていないだろう。

 それどころか、手痛いカウンターを受ける可能性が高い。

 

 にも関わらずツクヨミが迎撃に向かわないのは男が骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に持ち上げられ、空中で振り回され始めたからだ。

 

「っ。んん……先に彼を助けるか」

 

 後手にはなるが、巻き添えで殴ってしまうよりはその方が随分とましである。ツクヨミは手元の剣を一度収めるとその後はどうすればいいか、等と頭を回しながら急旋回。そのまま降下する。

 

 

 そうしていると間もなく男が宙に放り出されたのだった。ツクヨミは空中で手を伸ばし──若い茶髪髪の男に近付いて行った。

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 そんな素っ頓狂な声をつい先ほど軍帽を落とした男──コスタート・クフル・ツィアートは漏らしていた。

 

(何が起こった?)

 

 頭に浮かんだのはそれだ。

 荒地踏みしだく戦場。つい先程骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に吹き飛ばされたコスタートは、何故か上を向く部下の兵士達を見下ろしつつ、高高度からの着地に備え受け身の体勢を取っていたのだが、体を地面に打ち付けるよりずっと早く空中で()()()()()()

 

 その衝撃とは軍服を勢いよく掴まれたものだ。一瞬だけ見えた閃光の如き白き存在は、コスタートに近付くなりその背を片手で掴むと、大の男の体を苦にもしないように回転させながら空中で抱えたのだった。それはきっと見事なものだっただろう。しかし、当の本人であるコスタートからすればそれは予想だにしない出来事であり、咄嗟に目を瞑ってしまったので、そこでどんな出来事が繰り広げられたのかは分からなかった。

 

 そのため、今見ているのが未だ中空に抱えられたコスタートの最初に見る、"変転した戦場"の光景だった。

 

 

(だ、誰だ? この(ひと)……)

 

 

 静止していた状態から右を向くと、そこには自身を両手に抱える女性が佇んでいた。

 

 髪の毛はこの辺りでは珍しく白い。瞳は紫。控えめに言って滅茶苦茶美人だ。しかし、そんなことがどうでも良くなるくらいの情報がそこにはあった。

 

 ──清楚……いや高貴ささえ感じさせる白のローブ。肌の面積が少ないながらも、薄地で非常にスマートなそれが女性の身を包むように下に流れている。そして頭には黄金の頭飾りがこれまた五月蠅さを感じさせない絶妙な程度で飾られており、その背面には神々しき光輪が浮かんでいた。

 

 それにここまで近くであれば、女性の手に嵌まる巧緻極まる指輪の数々さえ目に入る。

 

(……)

 

 コスタートも最初は召喚された天使様か何かに助けられたのだと思っていた。ここには神官だって駆け付けたし──まぁ天使を召喚できるほどの優れた術者などいないが、それが合理的な判断からの結論だと疑いはしなかった。

 

 しかし、今はどうか。あまりに情報が……そう、部下から聞いた神の容姿の情報に合致しすぎている目の前の存在。それを眺めていると、どうしてもあり得ないはずの想像が頭に浮かんでしまう。

 

 コスタートは恐る恐る口を開こうとし──

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 

 声を掛けられた。鳥の囀りのように美しい若い女性の声だった。心配するようにこちらに目を向ける姿は正しく女神だ。しかしコスタートが感じていたのは憧憬を通り越してもはや畏怖の念であった。もしこれが現実で、本当にこの方が"スレイン法国の新たな神"であったなら自分はどうすればいいのか。

 

 情けないが口は動かず、辛うじてコスタートは頭を縦に振る。不敬かもしれないがそれが精一杯だった。

 女性はそんなコスタートに少し複雑な表情で笑いかけた後、下方を向いた。

 

「突然の介入で申し訳ございません。しかし、あまり時間もないので一旦降りますよ」

 

 力強い声に引きずられるようにコスタートも下を向く。気付かなかったが、地面に並ぶ兵士達もこちらを見上げながら、その手に握っていただろう剣を呆然と落としていた。まぁ客観的にこんな光景を見ていたとしたらそれも至極当然のことだろう。

 

 

 彼らは──いや自分たちは今、こんなに近くで神の姿を目にしているかもしれないのだから。いや、もしかしたら二度目の人間もいたりするのかもしれないが。

 

 

 ぞっとするような想像を振り払っていると、魔法による降下の速度は思ったより早かったようで、女性と抱えられっぱなしのコスタートはすぐに地に着地することとなった。地面の禿げたその周りは当たり前だが兵士達が二人を避けるように後退したために人がいない。

 コスタートもすぐに女性から離れるよう、その両手から降りる。自分と同じように困惑する仲間を見たからか少しだけ落ち着きを取り戻していた。

 

(ふぅ……。落ち着け。ここは戦場だ。それに彼女がまだ神と決まった訳でもない。神がこんな所に来るはずがないんだし、何か似たような人の可能性も……)

 

 コスタートは煩い心臓を抑えつつ、地面に落ちた帽子を屈んでから拾い上げた後に、素早く向き直る。幸い女性は既にアンデッドの方を真剣な表情で見上げながら立っていたので、顔を向けたまま対話するようなことはなかった。

 

(御名前を聞いてみる……? いや、それより)

 

 ひとまずは骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の対処が先だろう。

 

(だが、武器がないんだよな)

 

 コスタートはその事実に眉を顰めた。感覚的に腰に伸ばした手、そこに己の武器はない。研ぎ澄まされた銀の剣は未だドラゴンの瞳に刺さったままなのだ。これでは戦いようがない。

 

 コスタートは歯切れ悪く、目の前の神々しすぎる光輪の方に声をかける。

 

「その……すみません。助けて頂いたのに私は武器が無く。奴は強敵なので、宜しければ一旦撤退でも……」

 

 この場の指揮官としてコスタートは女性に提言する。一旦は守るべき対象として考慮した結果だった。

 しかし──

 

「そうですね。皆様は少しだけ下がって頂けますか? 後は私の方で何とかしましょう」

 

「お、お待ちを! それは少し危険かもしれません。いくら何でもこれほどのアンデッドの群れを一人でなど」

 

 一切危険を顧みない女性の発言に、コスタートは慌てて声を返す。情報の足りない今、急時として当然の忠告だっただろう。

 ただ……それは不敬で愚かな問いであったのだと、コスタートはすぐに分からせられることとなる。

 

「私はツクヨミ。法国の神である者です。この程度の相手であれば何の問題もありません」

 

 女性はそう答えながら、精巧でありながら装飾の一切無い剣を抜く。そして──

 

 

 眼前に骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の腕が振り下ろされた。

 

 

(っ!!!)

 

 一種の混乱状態の中、コスタートはその身を守らねばと反射的に手を伸ばしていた。しかしすぐに鈍器で強化ガラスでも殴ったような音が辺りに響く。

 その強靭であるはずの攻撃が、女性に一切通用することなく瞬く間に無効化されたのだ。

 

 コスタートは目をぱちくりとさせながらもようやく現状を理解してきた。

 

「え。まさか本当に……神? 本当に?」

 

 目の前では既に目にも留まらぬ斬撃を受けたらしい骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の一体が細切れになっていた。はっきり言って夢だと思いたいが、頬に触れる灰が煩わしさを感じさせるように、これが現実であることを教えてくる。

 

 

 何にせよ状況はもはや大きく変わっていた。

 

 

(このまま突っ立ったままはヤバい)

 

 

 数瞬固まっていたコスタートは先程の女性──いや、神の厳命を思い出すと、指揮官として震える口を動かす。この遅れは法国の民として大きな失態である。

 

「皆! 下がれっ! 神だ……。神であられるツクヨミ様がご降臨された! 戦いの御邪魔をしないよう一度下がるぞ。剣は後にしろ!」

「は……。はっ!!」

 

 コスタートは率先して周りを下がらせる。勿論、神の身の心配が無い訳ではないので自分は最後だ。

 だが悲しきかな。誰もがそんな時素早く動ける訳ではなかった。

 

「おい、そこの! 早く退け。今もアンデッドの攻撃は来ているんだぞ!」

 

「あ……」

 

 退き遅れた兵士の一人。鉄製の剣を地面から拾い上げていた若い金髪の男がアンデッドの方に身構えていた。

 そう、敵は骨の竜(スケリトル・ドラゴン)だけではない。その後方には未だ骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)が点々と生き残っている。その一体がこちらに魔法の光弾を放ってきていたのだ。

 

 

 ──第一位階魔法、魔法の矢(マジック・アロー)の攻撃である。

 

 

(まずい。致命傷に程遠いとはいえ、これは流石に間に合わない……)

 

 

 諦め気味に目を細めたその時──目の前におわす神、ツクヨミが横向きに呪文のようなものを唱え始めたのが見えた。

 

 

特殊技能(スキル):回転する神聖の盾(トワリング・セイント・プロテクター)

 

「は?」

 

 するとすぐにツクヨミが伸ばした左腕の先に向かって高速回転する光の盾のようなものが飛んでいった。

 兵士を対象に発動したらしいそれは、飛んで来た魔法の矢(マジック・アロー)を意にも介さず受け止め弾く。まるで神世と現世を阻む壁のようであった。

 

 もう一度、骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)が魔法を発動しようとする。今度はツクヨミに向かってだ。しかし、何故かそちらに突風が吹くと、その周辺にいた全ての骸骨の頭部は滅茶苦茶にはじけ飛んでいた。訳が分からない。

 

「すみません。あまり時間を掛けても厄介なので、もう一気に倒しちゃいますね」

 

「っ!? そ、それはどういう……」

 

 突然神に振り向かれ、どぎまぎするコスタート。言っていることもよく理解できず、不敬にも聞き返してしまう。ぺたりと尻餅をついていた横の兵士も意味不明という面持ちだった。

 

 そう、この時コスタート達は──神と呼ばれる存在の本当の力をほんの少しも理解していなかったのだ。

 

 

 

 

「──三重の刃(トリプレッド・ブレイド)

 

 

 

 

 

 神がそれを発すると、()()()()()。いや、通り抜けたといってもいいかもしれない。

 

 目にも見えないその鋭すぎる三つの衝撃は空気を切り裂くような音を鳴らすと、瞬く間に骨の竜(スケリトル・ドラゴン)含む近くにいた全てのアンデッド達の体を断絶し、骨すら残さず纏めて灰にしていた。

 

 そうして辺りは戦闘の痕跡も感じさせないほどの静寂に包まれる。本当にそれは呆気ない出来事だった。

 

(これ、夢。じゃないんだよな……)

 

 コスタートはもう一度それを確かめるべく頬っぺたをつねるが、痛みはある。理解し難いがこれは現実のようだ。コスタートはもう一度草が踏み荒らされた大地を見やった。そこにあるのは変わらず汚らしい自分たちの戦場だ。

 

(こんなところに神が来るわけがない。当たり前だ。……でも、神は──)

 

 事実助けに来てくれた。

 

 それを理解した時、コスタートの内に畏敬、優越、幸福、様々な感情が巻き起こった。しかし、今はそんなものどうでも良くなるくらいの光景が目の前に広がっていた。

 

 コスタートは前を向き、それを脳裏に焼き付ける。

 

 そこにあったのは、太陽に照らされた神が光輪を携えて戦場で振り向く姿。将来これは間違いなく吟遊詩人が語り、絵画になるだろう。そう確信するほどに美しく、高貴な情景であった。

 

 

「神よ。ただ、ひたすらに感謝致します」

 

「……」

 

 

 だから──コスタート含め、見守っていた全ての兵士たちがツクヨミに土下座の姿勢を取ったのは、ある意味自然な流れだったと言えよう。

 

 後ろから、急ぐような足音も近づいて来ていた。

 




おまけ的にスキルの情報を載せておきます。

……

回転する神聖の盾(トワリング・セイント・プロテクター)
→神聖剣士(ホーリーフェンサー)のスキル。文字通り魔法の盾を飛ばす。飛び魔法に強いが、射程はそれほど長くなく、大きな動きに対応しないので攻めに使い辛い。それと剣士は左手が空くので極めようとするとプレイングの要求値が高い。


三重の刃(トリプレッド・ブレイド)
→剣士全般の上位スキル。威力が高く、割と主力的な技。連発は出来ない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34.アベリオン丘陵(2)

 空から男性を抱えたり、兵士を庇いながら剣を振り回したり。

 そんな具合でアンデッドの掃討戦を何とか終えたツクヨミは、目前の脅威が過ぎ去ったことを視認すると神器・コンフラクトゥスを鞘に納めながら安堵の息を一つ吐いた。

 

(いやはや骨が折れた。……アンデッドだけに)

 

 心の中では渾身のネタが流れる。

 まぁ何にせよツクヨミはこういった戦闘の経験には乏しく、ユグドラシル(ゲーム)内のソロ護衛ミッション等の時と同様に、基本的に人を守りながらの戦いは苦手であった。

「神としてどうなんだ」そう問われればそれはもう頭を下げるしかない話であるが、人命が懸かっている今回……かつて同職であった彼らを無事に後退させられたのは何よりだったと言えるだろう。

 

 

 ふぅと漏らした息が白い風と共に消え、微弱な風が相変わらず長い髪を揺らす。

 神としての仮面──凛とした表情を再び被り直したツクヨミは、砦のある後方へとそれから向き直った。……彼らの安否を確認するためである。

 

 そして、そこに映る光景は相変わらずのものであった。とはいっても、ツクヨミが予想していたそれと"同等のもの"が広がっていたかと言うと、とてもそうではない。

 途端に先ほど終わった感を漂わせていた頭を抱えたくなる。

 

(あぁ失念してた……。そりゃあ、そうなるよ、ね)

 

 ツクヨミの視界に飛び込んできたのは数百に及ぶ兵士と数名の神官。横に散っている彼らは全員が地面に伏し、ツクヨミに頭を下げている。彼らは涙を流していたり、手を組んで祈りを捧げたりしており、その信仰厚き姿は竜王国の時のそれを数段パワーアップさせたようなものだった。パレードで鍛えられていなければ卒倒していたかもしれない。

 

(ま、まぁあの時は咄嗟だったし。私の素性も……ってそんなことはいいか。怪我、怪我してる人いるし早く帰さないと……)

 

 ツクヨミは彼方に逝きかけていた意識を辛うじて取り戻す。

 先ほど戦いが起こっていたこともあって、当然と言えば当然だが負傷している者もいる。そんな者が体を折り畳んでいるからか、草の禿げた地面には所々小さな血の染みが出来ており、隣の者など辛そうに体を震わせている始末だ。……いや、その人物は怪我はしていないのか。

 

 

 何はともあれ彼らを早く戻らせる必要があるだろう。幸い重傷者は見当たらず、神官も近くにいるのでツクヨミがあれこれしすぎることもない。

 ツクヨミは彼らに声を掛けようし──そこで、こちらに向かって走って来る存在に気付いた。

 

 

「……ツ、ツクヨミ様っ! ご無事でしたか!?」

 

 

 門兵を引き連れて、大慌てで声を掛けてきたのは今回のツクヨミの同行者である大元帥だ。今日はその身に礼服を着ている白髪の老人は少し走り辛そうにしているが、見てくれを気にしていない走りなので思いのほか速い。そんな軍の最高責任者の姿を見て、周りの者からも小さくない驚きが起こっていた。

 

 目前まで来て即座に膝を折る大元帥一向にツクヨミは色々申し訳無さを感じるが、急ぎで口を開く。

 

「大元帥様、私は大丈夫です。こちらは何とか片付きましたので……。それよりその、彼らのことなのですが」

 

「軍の者……。彼らがどうかなさいましたか? ま、まさかとは思いますが、神に不敬を!?」

 

「い、いえ! そうではなく! 怪我をしている者もいるので、早く戻らせた方がいいだろうと思いまして」

 

 ぶんぶんと小さく手を振るツクヨミ。今の今までこの状況を全く疑問視していなかった風の大元帥も、神のそんな姿を見てはっとしたように再度頭を下げる。

 

「も、申し訳ございません。神が御救いになられたというのに、未だ戦いの血を流し、目前におわす神にご心配をかけるという非礼。直ぐに叱りつけ、帰らせます」

 

「い、いや、そこまでではないので。どうか丁重に対応してあげて下さい」

 

「はっ! ツクヨミ様のご慈悲に感謝致します」

 

 そこまで言うとようやく大元帥は一番近くにいた兵士の一人──若い茶髪髪の、手元に軍帽を置いた砦の指揮官らしき男性に声を掛け始めた。彼らはその場で畏まったやり取りを経ると、その場から広く、兵士たちに指示を出していく。

 

 指揮官がその場から動き出そうとするのを見て、ツクヨミはハッととある事を思い出し、アンデッドの残骸の残る後方に駆ける。そうして戦闘中からんっと音を立てて落ちていた"それ"を手元に拾い上げると彼に再び近付いていった。

 

「あの、指揮官様。先にこちらをどうぞ」

 

「こ、これは、私の剣……。神よ、私程度の為にわざわざ感謝致します。この御恩、生涯忘れることはございません」

 

(ほんと大袈裟なんだよな……。いや、でもこれが正しい反応なのか?)

 

 騎士のように跪く指揮官。隣の老人が鷹揚に頷いているのを見たツクヨミは、微妙な顔も出来ないのでとりあえず頷いておいた。状況的にも戦闘の助力含めてのことであろうし、指揮官──の方もとても満たされている様子だ。

 

「そういえば、折角なので御名前をお聞きしても大丈夫ですか?」

 

「はっ。大変申し遅れました。私、コスタート・クフル・ツィアートと申します。そしてあちらにいるのが、副指揮官。まぁ、彼は殆ど司令のようなものでございます。ただ、それでも我々は神都の軍司令に比べれば末端の者ですので、どうか役職名でお呼び下さい」

 

「なるほど。分かりました」

 

 そう言うとコスタートはぺこりと頭を下げた後、軍帽を深く被り直してから近くの金髪の女神官に状況を説明しにいった。恐らく彼も駐屯地司令的な役割を持っているのだろう。

 

(さて、これからどうするか)

 

 ツクヨミが頭を回していると、同じようなことを思ったのか大元帥もすぐに声を掛けてきた。

 

「ツクヨミ様。この後は御予定通り、一度砦の方に戻られますか?」

 

 その問いに、ツクヨミは左腕を掴みながら少し考え、そして頷く。

 

「そうですね。私が行かないと周りも少し戻り辛い所もあるでしょうしそうしましょう。案内は門兵さん……いえ、副指揮官様に任せようかなと思っております」

 

「コスタートと名乗る指揮官ではなく……ですか?」

 

「はい。というのも、彼は少し足を怪我しているようなので」

 

 これは先ほどから視認していることだが、コスタートは片足を庇いながら歩いている。それは微小なもので常人であれば足をじっと見つめないと発見も難しいと思われるが、ツクヨミほどの戦士であればその異常を看破するのは容易である。

 大元帥もそちらに目を向けた後、息を呑み、ただただ頭を下げる。

 

「ツクヨミ様のご配慮、軍の最高責任者として感謝申し上げます。では、ただちに此処の副指揮官なる者を呼んで参りますので今しばらくお待ち下さい」

 

 

 そう言うと、再び大元帥は走って行った。

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

「どうか、御足元にお気を付けください」

 

 あれから数分弱。お礼の言葉を何度も掛けられつつも、他に問題となるようなことも無く先の戦場であった丘陵の端から歩いて戻ってきたツクヨミらは、砦の玄関となる門の前でそう声を掛けられていた。

 

 口を開いているのは先頭をいそいそと歩く、黒に近しい髪の男性。厳密には茶髪に分類されるであろう彼は指揮官に続くこの砦の前衛的な実力者である副指揮官であり、軍服がしっかりしているのは言わずもがな、年齢も平均的な兵士より上だ。恐らく30代前半くらいであろう。

 

 余談だが、指揮官であるコスタートは20代の男性であり、そういった若い人材が順当なエリートである副指揮官などを差し置いて軍事上の高階級に立つというのは割と珍しいことである。

 

(私のいた軍部は……まぁ首都周りってこともあって年上の人が多かったしな)

 

 ツクヨミの経験則からしてみても、こちらの世界でも軍内は基本的に年功序列である。それでもコスタートがあれなのは人望があったからか、はたまた圧倒的な実力があったからというのは想像に難くない。まぁ、ここがスレイン法国中央軍部から離れた辺境の駐屯地だからこそという線もあるだろう。

 

 ともあれ、ツクヨミは大元帥と副指揮官という年上のエリート──何なら元上司、に挟まれ歩いている。まぁ慣れた言えば慣れたシチュエーションである。しかし、一番気まずく感じるのは見慣れた制服姿の兵士たちが砦に入るとよく目に入ることであった。

 

 ツクヨミは拠点内に切り替わり、一応は荷車が通ったりしているであろう固く整った土の道を踏みながら、なるべくきょろきょろしない程度に砦等の建物に目を向ける。

 

 門の近くにあるのは櫓。営庭。そして、その先には石造の大拠点のようなものが建っている。

 

 

(しかし、荷物も結構多い。あちこちに積まれてるし、上から見るのと全然違うというか。案外デカいな……)

 

 

 砦柵(さいさく)やテントが木や布で作られているから勘違いしやすいが、主要な建物は大体が石造であった。近くの岩から削り出したのか、街から運んで来たのかは不明だが、造りは割としっかりしており積み重ねたような重厚感があった。

 

「そういえば」

 

 前述の建物に少し近付いてきた所で、副指揮官が立ち止まった。何やら話があるらしく、すぐにこちらに視線を向けてくると緊張感のある面持ちで彼は口を開く。

 

「もしかしたらこれは失礼にあたる質問かもしれないのですが……今後の為にもどうか私共にお聞かせ頂ければと存じます。……さて、その内容なのですが我らが神と大元帥様はどのような流れを経て、こちらまで足を運んで下さったのでしょうか?」

 

 丁寧に、そしてかなりへりくだった態度で割と重要な内容を問われる二人。それは予想内の、というより当然の質問であった。

 

 ツクヨミは言うなれば彼らの神そのものだ。そんな存在がやってくるとなれば、本来なら儀式ものなのだが、今回はこちらの配慮なども重なり、彼らに諸々を準備する時間はなかった。尤も、アンデッドの派生のこと等も考えれば結果を見てもそれは良い判断だった。しかし大元帥という責任者が同行しているとはいえ、現地の兵の心境は冷や汗ものなのだろう。

 

 

(本当はもう少し慎ましく登場する予定だったけど……さっきので予定も狂っちゃたしな。どう話そうか……)

 

 

 ぶっちゃけ来た理由等を正直に話したとしても問題がある訳ではない。ただそれだと向こうにかなり気を遣わせることになるだろう。

 ツクヨミがそのことに頭を悩ませていると、横からスッと大元帥が礼服を揺らしながら出てくる。大元帥は忠臣の如くこちらを窺ってから軽く頭を下げてから話を始めた。

 

「それについては儂の方から話そう。我々がここの拠点まで来たのは丘陵の異変の調査を行うためが主じゃな。尤も、ツクヨミ様の寛大なご慈悲による拠点来訪という側面も当然あるが、さしあたって特別な準備は不要じゃ。お主らもよく働いておるしな」

 

「なるほど。そのようなことが。改めて神の御慈悲、そして我らが軍のご采配に感謝致します。……ただ、大元帥様。お恥ずかしながらそれについて一つだけ心配な点がありまして」

 

「なんじゃ?」

 

「現在、我々の拠点には神がおわすに相応しい御部屋がないかもしれません。というよりないでしょう。そのことにつきましては大丈夫でしょうか……?」

 

 

 半分嘘も混じっている大元帥の言に少しは安心した様子の副指揮官だったが、「元々それが言いたかったのだろうな」という話を、建物に目を向かわせながら口にしていた。

 ツクヨミは柔らかな笑みを浮かべて、小さく首を動かした。

 

「全然大丈夫ですよ。私達もそれほど長居は致しませんし、多分動き回ることになると思います。なので荷物を置ける程度のお部屋をご用意頂ければ幸いです」

 

「左様でございますか。では僭越ながらその方向で進めさせていただきます。 幸い施設は近いのですが、早速向かわれますか?」

 

「あー……いえ。それも良いのですが、折角ですので皆様のいる拠点を差支えない範囲で案内願います。その後向かわせて頂こうかと!」

 

「はっ!!」

 

 すっかり張りきった様子の副指揮官はそうして再び歩き出した。

 ちなみに既に周りには大勢の戻ってきた兵士や拠点内で作業をしていた人間が遠巻きにこちらに黄色い視線を注いでいる。それは動き出しても当然続くので、傍から見れば面白いのだろうが、本人からするとかなり胃の痛い状況であった。

 

(副指揮官の彼も大変そうではあるけど、私も何か心の安らぎが欲しいものだ……)

 

 そんなことをふと思ったツクヨミであったが、まだまだ拠点内での顔見せも続くだろうと気を引き締める。

 それから数分後、副指揮官が続いて何かに丁寧に手を向けて口を開いた。

 

「この先は拠点倉庫……物資や武器などが収納されておりますが、そちらも見て行かれますか?」

 

 

(え? いいんですか?)

 

 心の奥でガチなユグドラシルプレイヤーが一瞬目を光らせた。そうしてすぐに安らぎが訪れることとなったツクヨミは、この体になっても相変わらず好きなファンタジーの為に口を開いた。まぁ現地を知ることは大事なので決してサボりをしている訳ではない。

 

「是非お願いします」

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 軍服姿の兵士たちが運搬作業のため、縦横20mほどはある倉庫の中を動き回っている。

 人数はほんの数人。裏口の方でも出入りは激しく、普段よりもこせこせと動き回る彼らはとても忙しない。まぁそれも当然だろう。

 

 この砦の大まかな指揮に携わっている副指揮官はそんな部下たちの姿を見ながらふぅと小さく息を吐いていた。

 

(いやはや。まさか大元帥様だけでなく、我らが神がこの地に降臨されるとは)

 

 自身の心の中にあるのは困惑、喜び、畏怖、他にも色々である。

 はっきり言ってパレードで一度は見上げた神と一緒にいる実感があるかと言われれば今も無いし、もし自身が偉大なるその人物の案内を任されていなければ、今頃拠点内ではしゃぎながら、神に祈りを捧げつつ、屋内の年寄り達に自慢をしていたことだろう。それほど副指揮官は現在心浮いた状態にあった。

 

 

(しかし本当に、なんと美しい御方であろうか……)

 

 

 副指揮官は目の前の、武器が並んでいたり、鎧がカゴに入れられていたりするそこ──たったの数m先に佇む神の方に再び目を向けた。その姿は相変わらず純白のローブに包まれており、白く長い髪も相まって雪のような純潔さを感じさせる。そして先の強さを象徴する剣も腰に下がり、背後に浮かぶとてつもない光輪も未だ健在。

 

 長年六大神を信仰してきた法国の民にとって、これほどの神々しさはもう叫ばずにはいられないほどだ。しかしそんなことは出来ない。今は神の御前であるのだから。

 

 もう一度深呼吸する。

 

 ちなみに本来であれば首を垂れ、この場で平伏しつつ、神の御傍に控える必要がある副指揮官がこのように神と大元帥を眺めるような位置に立っているのには理由がある。それは目の前にもう一人立っている部下の兵士──羨ましくも本日の装備の点検に戻ってきた彼が二人に話しかけられており、武具の説明などを現在行っていたからだった。距離に関しては最初は邪魔をしない為で、扉近くの警戒も行っていた。

 

 今は若干御傍に寄っているが。

 

「しかし、まさか神がそれほどこちらの装備に注目されるとは。何か理由があるのだろうか?」

 

 ごく小さな小声で副指揮官はそれを漏らす。

 当然だが、スレイン法国の軍で使われている武器、防具は他国に比べてそれほど飛び抜けた性能をしている訳ではない。勿論品質も悪くはないが、比べるもおこがましい神の装備からすれば、それはその辺の石ころを身に纏っているのと変わりないだろう。

 

 しかし神は興味津々に剣や装備を見ている。どれほどの遠謀がそこにあるかは分からない。しかし、自分たちの装備についての情報が神の役に立つのなら、これほどのことはないだろう。副指揮官は様子を窺った後、そろそろ話も終わりそうであったので、小さく頷いてから三人に近付いていった。このまま何もしない訳には行かない。

 

「神よ。もし宜しければ後で数点の装備を御部屋に運ばせますが、いかが致しましょう」

 

「え。いや、流石にそれは悪いような気がしますが……」

 

「いえいえ、滅相もございません。神の御役に立つことが我らの喜び。そうですよね、大元帥様」

 

「うむ。すぐに準備させるように」

 

「はっ!! 私も長々とした説明……。神をこの場に縛り付けてしまい申し訳ございませんっ」

 

 そうして直ぐに兵士は積まれた荷の裏に走り去っていく。自身の使命を完全に理解しており、これには副指揮官としてもにっこりである。

 

 そしてツクヨミはというと優しい表情でそれを見守っており、その佇まいはまさしく女神そのものであった。

 

 

 少しずつ作業の人員も増えていく──。

 

 

「色々すみません。……では私達もここにずっと留まっている訳にはいきませんし、そろそろ行きましょうか」

 

 ツクヨミは開け放たれた、日光の差す扉の方に戻っていく。

 神に関してはこの後部屋に案内した後も、恐らくは先ほど聞いた『丘陵の異変の調査』に向かわれるだろう。それに何やら乗ってきた鷲獅子(グリフォン)……? の様子も見に行く予定らしい。

 

 本当に、身を粉にして人類の為に働かれる御方だ。

 

 目の前の存在に尊敬の念を抱きながら副指揮官は急ぐようにして倉庫の扉から出る。少しずつ太陽の日も落ちていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

35.アベリオン丘陵(3)

 

 あの後、軍の倉庫から出てきたツクヨミ達はそのまま拠点内を散策。

 一通り近くの通りを回った後は、先の予定通り中央に建つ砦に戻り、部屋の案内を終えた副指揮官らとそこで一度別れることとなった。

 

「――では、私共はこれにて。また何かございましたら、何なりと仰せ付けください」

 

「分かりました」

 

 恭しい声と共に頭を下げる軍の一行がツクヨミの目の前で90度体を折りつつ、その場で暫し静止する。

 彼らの内訳は先頭に立つ副指揮官と、後ろに並んでいる数人の高官達――外ではなく砦内に控えていた者達だ――となっている。

 

 

(……少し畏まりすぎじゃないか?)

 

 

 ツクヨミがそう思ってしまう程度には、彼らはのっそりとした動作で上体を起こすと、使命を全うしたという風に去り際に胸に手を充て黙祷。

 それから外壁と同様である石造の通路を下がっていった。

 

 ……

 

 見慣れた軍服の男達が通路先の左手の階段を降りるのを見て、ツクヨミもまた視線を元に戻す。そう、砦というだけあってここはそれなりの規模感となっているが、ツクヨミ……それと大元帥の今いるフロアは二階となっている。

 

 廊下の広さもそれなりにある。大の大人が複数往来しても支障はない程だろう。しかしまぁ、彼らが去ってしまった今人気(ひとけ)は少なく、辺りは壁に掛けられた装飾台の灯かりや、空き窓となっている矩形の穴から入る日の光が充満しているのみとなっていた。

 

 

 ツクヨミは戻した視線の先――今も空いたままとなっている重厚な部屋の扉を挟み――そこから覗ける綺麗な部屋の中を眺めると、最後にその身体の向きを180度回転させた。

 

 ベッドダイブする時間にはまだ大分早いだろう。

 

 

「ん、何はともあれひと段落ですね。……大元帥様、改めて色々とトラブルにお付き合いさせてしまって申し訳ございませんでした」

 

「何を仰いますか。私はツクヨミ様の光栄なる従者でありますし、トラブルといいましてもそれは軍の為に行って頂いた事。私の方こそ神に御礼を申し上げたくございます」

 

 後ろを軽く向けば、今まで寡黙であった白い頭髪をした同行者が深々とお辞儀を返してくる。その動きには一切の澱みがない。

 

「ありがとうございます。そう言って頂けるのであれば私も救われます。でも――お疲れがあれば全然仰ってくれて大丈夫ですからね。私のことはお気に為さらず」

 

「はっ!しかし、それこそご心配は無用でございます。確かにそれなりの距離を歩いてきたのは事実。しかし神の従者として活力は未だ有り余っておりますので」

 

「そ、そうでしたか。それなら良かったです」

 

 老体にとって重労働ではなかったろうか。そんなツクヨミの疑問を跳ね除けるように現在進行形で瞳に力を漲らせる大元帥が、続けて言葉を投げかけてくる。それはまさに本題についてであった。

 

「はい。それで――早速ですがこれからは如何されましょうか?」

 

「そうですね……」

 

 そこでツクヨミは少し考え込んだ。というのも来てからどたばたで本来の日程は何それ状態であり、顔見せも砦案内の際に大方終わらせてしまったので、時刻的なルートは使い物にならない状態であった。それに今まで失念していたが、昼食の時間などの神の立場上あってしかるあれも乱入によって完全に無視している。

 

(んーむ)

 

 ただ、だ。それを今更要求して余計な時間を取らせるのも目的から大きく逸れることになるし、現地の方にも迷惑というものだろう。

 別に飯がなくなったとして元ディストピア民であるツクヨミが困ることはないのだから。

 

 

(そうね。まだ仕事も結構残ってるし、強引にでも"職務中です"ルートでいったほうが良さそうだな。そのことを皆に伝えて――仮に用意してもらうにしても夕飯くらいで。でも調査やらが長引けば結局あれか。まぁそこらへんは後で考えよう……)

 

 正直凡人の頭ではいっぱいいっぱいであったのでツクヨミは頭の中で一先ずの考えを纏めてから、大元帥へその旨を伝える。

 

「幸い私も疲れてはいないので、このまま残りのお仕事の方を終わらせに行こうと思います。宜しいですか?」

 

「勿論でございます。全ては神の御計画、その御心のままに」

 

 ははーっと平伏の姿勢を取る大元帥にごく庶民的な苦笑いが出るが、なんにせよ話が早いのは助かる。

 

 ツクヨミは懐のアイテムボックスからおもむろにアイテムを取り出すと、それを片手で持ち上げて見せた。挨拶回りを終え、残った仕事の一つ、この世界でのマジックアイテムの実験を早々に終わらせてしまうためだ。

 

「では早速ですが」

 

「おお!! そちらのアイテムは出発時にご用意なさっていた物と同じ物でしょうか?」

 

「ええ。転移門の鏡(ミラー・オブ・ゲート)。無限距離転移アイテムですね。こちら許可も取ったことですし発動は本当にすぐのことでしょう」

 

 そこでツクヨミは一拍置き、

 

「――なので、大元帥様には先に……古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)の停めている基地の方に軍の方と向かって頂けますか? 多分そこで丘陵の調査についても行えると思うので」

 

 言葉を繋ぐ。一応この段取りを提示した理由は多くあるが、明確なのは時短と早めの意思疎通の為が大きい。

 ただ、それでも彼にとっては別の方向で不可解な言が含まれた内容であったので、その表情には当然の如く疑問の色が浮かんでいた。

 

「調査。アベリオン丘陵の……ですか? か、畏まりました。神がそう仰られるのであれば直ちに高官の者らに地図を持たせ、向かわせて頂きます。砦の近くではありますがツクヨミ様もどうかお気を付け下さい」

 

「ありがとうございます。私も終わり次第、魔法で向かわせて頂きますね」

 

 ツクヨミがそう言うと、大元帥は主の御意を得たというように頭を下げ、そして通路奥に戻って行った。

 

 

 

「さて」

 

 

 

 いよいよ転移門(ゲート)を開いてみようかと、銀の装飾が豪華な大鏡に視線を向けるツクヨミ。

 

(ん、でも一応向こうに連絡を取っといた方がいいか?ホウレンソウは社会人として大事だし……。それにここで発動するのも転移先が大神殿ってのがあるからだしなぁ)

 

 少々面倒くさい話だ。しかし放置はできない。

 ともすればちょっと緊張した面持ちでツクヨミは伝言(メッセージ)の魔法を構える。気持ちは営業のサラリーマンといったところだろうか。勿論、リアルの彼はそうではなかったが。

 

 ツクヨミは数瞬誰に掛けるか悩んだのち、とりあえず最高神官長にそれを送ることにした。

 そうして伝言(メッセージ)を発動すると、最高神官長オルカーは凄まじく驚いたのち恭しくそれを受け取ると、快く転移門(ゲート)発動の許可を出してくれた。

 というより向こうも既に準備は出来ていたようで、転移門(ゲート)先には人も向かわせてくれるとのこと。

 これだけのことが信用の低い伝言(メッセージ)で出来てしまうのだから、ツクヨミの立ち位置のヤバさが窺える。

 

「ん。じゃあ気を取り直して、いざ使ってみようか」

 

 そうして、ユグドラシルから広く重宝されていた転移門(ゲート)、それに極めて近い何かを生み出せるというそれと魔法的な感覚を繋げる。この辺りは慣れである。

 

「お?」

 

 鏡が光ると、その闇は目の前に現れた。下半分を切り取ったような半円形の亜空間。中心から波紋が広がるようにそれが形作られる様は壮観であったが、見栄えの凄さよりも「危険がないか」にその思考が向いていたために感動は小さい。

 

(ん。この距離でも問題は――なさそうだな。異常も無いようだし後は聖典の方を待ってから此処を出よう)

 

 指でつついたり、腕を突っ込んでみたりで安全を確認した後、心の中でそう独白する。

 そして陽光聖典だが、こちらはすぐにやって来た。ある意味早すぎるほどに。

 

 どうやら全力疾走で来たらしい。

 しかし息一つ切らしていない彼らは相変わらずであり、ツクヨミはそっとその場を後にすることになった。

 

 

 

 

 

 ――――

 

 

 

 

 

「ふぅ」

 

 外では冷えた風が、自然豊かな地に散る擦れた木の葉を運ぶように流れていた。まだ春が来ていないこともあって相変わらず外は肌寒くなっている。

 尤もそれを鷲獅子(グリフォン)騎乗中や骸骨(スケルトン)討伐時に感じなかったのは気持ちが他に行っていたからか、今が太陽の少し隠れる――曇り空の天気に見舞われているからかもしれない。

 

 

(まぁ……私は()()()()()()どっちでもいいんだけどね)

 

 

 一時単独となったツクヨミは砦から出た景色をもう一度眺め直したが、すぐに隣でがしゃりと鎧が擦れる音がした。

 

 

「し、失礼いたしました!神よ。再度その高貴なる御姿を我々に晒して下さったこと、感謝致します!」

 

「あっ。えっと、楽にして貰って大丈夫ですよ」

 

「まさか、滅相もございません!私なぞが神の御前で楽になどっ。いや、でもその御言葉に従わないのは不信? 大体、私程度が神と言葉を交わすなどあっても良いのだろうか……」

 

 ぶつぶつと、体を平伏させた状態で一人自問自答を始めた若い門兵。信仰心が高すぎるが故か、法国の人間はたまにこうなることがある。正直対応に困る。

 

「大丈夫ですよ。ただ、あまり時間もないのでお先に。……お仕事頑張ってくださいね」

 

「あっ。お、お気を付けて!!」

 

 後ろから聞こえてくる門兵の言葉を受けながら、ツクヨミは飛行(フライ)の魔法を発動させ、ばっと上空斜め上に飛び上った。勿論早々に大元帥らと合流するためであるが、一人であるツクヨミを呼び止めようとする者は当然の如くいない。

 

(それでいて視線はあるのが、ちょっとむず痒いんだよな)

 

 まぁ仕方ない話である。

 ツクヨミはその場を離れるように一定の高さまで上昇すると、舗装された道の脇――樹木が茂る林道の上を魔法による速度ですいすいと移動し始める。

 

 ちなみに向かっているのは方角にすれば東。西側の門を抜けた先にアベリオン丘陵が広がっていることを考えれば逆側と言える。これが大元帥が疑問に思ったことでもあるだろう。ただ、一言で言うならばユグドラシルのアイテムは"ズル"なので実験がてら多用していこうという話だ。

 

 

「よっと」

 

 そして二分弱。距離自体は大したことがなかったので、ツクヨミはすぐに目的地まで到着する。

 

 着地に関しては離陸時の逆だ。斜め下に滑り落ちるように移動し、下に生える低身長の草を絨毯のように踏んでから速度を殺す。

 ツクヨミからすれば何の気ない動作だが、地を踏む者から見れば音も無く、光輪を背後に携えて行われるその一連の動きは、まるで神が天界から降りてきたような錯覚を覚えさせるだろう。

 

 

「ツクヨミ様!……何ともお早いご到着で。崇高なる神器の行使、無事に終えられましたか?」

 

「はい。そちらは何とかなりました。出入り口の方も……神殿の部隊の方が来てくれて」

 

「おぉ。それは素晴らしいという他ございません。私の方からも重ねて感謝申し上げます。調査の方も既に準備を整えておりますので、どうか良きタイミングで御始め下さい」

 

「分かりました。ありがとうございます。では早速――おっと」

 

 先とは少々異なる人員に迎えられつつ、早急に整えたんだろうなという開けた大テントの下に向かっていたのだが、その前に巨大な影に阻まれた。

 巨大な胴体。鋭利な爪。雄々しい嘴。そして壮大な翼。お待たせしていた古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)である。そう、この子を迎えに来たというのも予定にある。

 

「ご、ごめん。……待たせたね」

 

「ぐぅぅぅうる」

 

 そんな圧倒的存在が近づいたので、中にいた軍人は多くは再び動揺に見舞われることになったが、頭を下げてこちらによしよしを要求してくる彼があまりに可愛かったもので、ツクヨミはよしよしから餌やりというダブルコンボをかましてしまった。

 

「か、神は食糧を生産できるアイテム等もお持ちだったのですね……」

 

「あー。はい。金貨消費するのだけがネックですが便利なアイテムですよ」

 

 "ダグザの大窯"。そんな意外にデカい、アイテムボックスの肥やしの一つを中空に仕舞いながら大元帥に返答する。といってもその内容はゲーマーが初心者に効果を説明するような、そんな感じのあれだ。

 

「ま、まぁ何はともあれお待たせ致しました。改めて調査の方、始めさせて頂いても宜しいですか?」

 

「勿論でございます。ただ……ツクヨミ様。その前に一つご質問をさせて頂いても宜しいでしょうか?」

 

「はい。何でしょう」

 

「その……ツクヨミ様も御承知かとは思われますが此処はアベリオン丘陵から離れた場所。また見通しも悪くあります。そのため、用意させた地図等はございますがどのように現地調査を行われるのかと……」

 

 やはり手順を聞く必要があったのだろう。

 低姿勢な大元帥が慎重に言葉を選びながら疑問を投げかけて来る。その内容は予想できた通りのものであり、普通の調査なら外に出て行ったり、兵士に話を聞いて回ったりするのが一般的か。

 ツクヨミはテントの中心、使い古された複数の地図の並べられた机の上座前で立ち止まり、それを説明する。

 

「それについてですが、まず皆様へのご説明が遅れてしまって申し訳ございません。少しバタバタしてしまったもので」

 

「と、とんでもございません!!」

 

「それで……そうですね。アベリオンの調査はこれで行えないかと思っております」

 

 そうしてツクヨミが再び虚空から取り出したアイテムはこれだ。

 

「そ、そちらは先程の。転移門の鏡(ミラー・オブ・ゲート)……でありますか?」

 

「いえ。似ていますが違います。これは"遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)"、指定したポイントを映し出す――言ってしまえば次元の目(プレイナーアイ)みたいなものです。話しておられましたよね?」

 

「プ、次元の目(プレイナーアイ)……!??」

 

 

 その瞬間、大元帥が驚愕の瞳で机にことりと置かれたその鏡を凝視する。その驚きようは凄まじく、白い髭を蓄えた顎に手を持っていき、片手で口をふさぐほどだ。そんな軍最高責任者の反応に、周りの軍官の注目も集まる。

 

「だ、大元帥閣下。そ、その次元の目(プレイナーアイ)というモノはどのようなもので……?」

 

次元の目(プレイナーアイ)は第八位階に属する大魔法。法国の魔法力を結集させ、相当な労力を割いてやっと数回の発動が()()()()()ような魔法じゃな」

 

「そ、そんなにですか!?」

 

 第八位階。そんな神話的な数値が大元帥より発されたことで軍官の注目もまたスタンド式の銀の鏡に集まる。「まさか魔法まで網羅されておられるとは……」などと老人も小声で呟いており、皆のテンションは最高潮であった。

 

 ただ、当のツクヨミはちょっとこそばゆいような気持ちでそれを眺めていた。というのも、確かに遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)は索敵に便利なマジック・アイテムである。ただしその手軽さ故に弱点は大きく、低位の情報系魔法で隠蔽され、室内は特殊な工程を踏まねば覗けず、魔法のカウンターも受けやすい。……そんなちょっと扱い辛い微妙系に数えられるアイテムなのである。勿論、ゲーム:ユグドラシル内での話だが。

 

「コホン。まぁ、そんな感じです。ただ、カウンターの恐れもあるので発動には注意です。此処を選んだのもある種それが理由で――発動まで少し離れていてもらえますか?」

 

「はっ!!」

 

 そのため、実はツクヨミもこの世界に来てまだこのアイテムを試したことはない。それは日常生活には不要であったこともあるし、神になってから真に自室だと言える部屋が無かったことも原因だ。仮に神殿内で変な人間でも探知に引っ掛けて自動発動の怪物召喚(サモン・モンスター)爆裂(エクスプロージョン)でも喰らおうものなら大惨事もいいところであった。

 その点、このテント程度であればまだ被害は少なく、少人数である彼らをツクヨミの特殊技能(スキル)で守ることは容易である。

 

 ……

 

 ツクヨミが慎重にそんな遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)を起動させると、それは驚くほど簡単に外の風景を映し出した。

 画面にはテントとその周辺にある木々たちが上から見下ろされるような形で映っている。その様は無機質であるというか、それが当たり前であると言わんばかりのものだった。

 

 なんか行けてそうです。そうツクヨミが丁寧に付け加えると、恐る恐るその横へと、立ち尽くしたままだった彼らが近づいてくる。

 

「お、おぉぉ!流石は神の御業!!これほどまでに容易に、次元の目(プレイナーアイ)を内蔵する神器を操られるとはっ!!」

 

「神の御威光に我々一同、改めて感服致します!」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 凄い横から褒めて来るそんな大元帥らに「やべぇ、どうやって視点動かすのか分からん……」とは言えず、ツクヨミはそれっぽく現在地上空を映し出した風のそれを眺めつつ、手元で手を動かしたりしてみた。

 すると、ユグドラシルでのスクロール操作に近い手振りでそれは動いた。円を描いたりするとまた場面が変わる。

 

「……こんな感じで、アベリオン丘陵の方を広く見つつ何か異変がないか調査できないかと思っているのですが、いかがでしょうか?」

 

 振り返り、ツクヨミは恭しく体を折ったりしている彼らに口を開く。その結果はまぁ察しというか数回頷いたりしてその賛同を強くアピールしていた。

 ある意味ベストな形に収められてよかったとツクヨミは内心でほっとしつつ、それから目的の作業を始めた。

 

 時には地図と比べながら視点を移動。そうして西の砦を超え、荒れた丘陵に再び景色が移った時。

 

 ツクヨミはそういえばと少し気になっていたことを口にする。

 

「アベリオン丘陵の調査ですが、確か最初に亜人の王を名乗る者が現れたとか言っておられましたね。それに先程もアンデッドが沢山湧いていたりしたようですが、それらはよくある事なのでしょうか?」

 

「はっ。それについては現地の監査を行っている私が答えさせて頂きます。まず亜人の王に関してはここ最近の新たな情報で、滅多にないことに違いありません。が、実はアンデッド共に関しましては丘陵では頻繁に湧くことがございます。死もまたよく起こる場所であるからでしょう。ただ――」

 

 そこで男は一拍置き、眉を逼迫したように下げ、語る。

 

「それでもここ一カ月ほどの湧き方は異常であると認識しております。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)など一体出現するだけでも稀なのに、それが複数同時など……。本当に神の御力に助けられております」

 

「なるほど」

 

 やはりどっちも異常なんだなと男の話を聞き、まずツクヨミの頭に浮かんだのは丘陵内に別プレイヤーが潜んでいる可能性だ。超常の存在であるプレイヤーであれば、アンデッドの召喚は当然容易い。それにそのプレイヤーの種族が亜人であれば、それも間違いなく強力であるので王を名乗っているのも理解はできる。

 

 ……しかしそれらに整合性があるかといえば――流石にこじつけ感があるように思える。

 

(プレイヤーならそれこそ最低で死の騎士(デス・ナイト)骨の竜(スケリトル・ドラゴン)なんてまず作らないだろうしな)

 

 加えて亜人種というのもアンデッドと関連が薄い種族であり、アンデッド召喚術を多用するプレイヤーなら普通は異業種を選択するはずである。つまり、何らかの例外が無い限りそれらは関わりのない事象である可能性が高く、そうなると別プレイヤーの仕業である可能性もまた薄くなるだろう

 

 ツクヨミは鏡の風景を動かしながらアベリオン丘陵を眺める。

 

 殆どは草原であるが、都市部と比べ緑が多く、高低差の大きい丘陵の細部まで調べるのは相当に難しい。しかしながらそれでも広く状況を俯瞰しつつ気になった部分を拡大、というのは非常に効率的な作業であった。

 

 ……

 

 ……

 

 そんなこんなで話を聞きながら調査を続け一時間、更には二時間弱が経過。種類様々なアベリオン丘陵の原生であるという亜人をちらちら目撃しつつ、近隣を探索した結果、分かってきた内容は以下である。

 

 

 

・群れがばらばらであり、様々な種の亜人が少数で丘陵内を徘徊している。

・たまに亜人の死体が放置されている。

・そのせいか低位のアンデッドがちらほらうろついている。

・そしてそのアンデッドを亜人が破壊している。

 

 

 

 アンデッドに関する情報はそれなりに集まった。とはいえ突出した強者の痕跡は一切見つかっておらず、元凶の有無については未だ不明だ。

 

(しかし、アンデッド。アンデッドか……)

 

 そこでツクヨミは記憶にまだ新しいあの王都の事件。その中心人物である、"アンデッドの世界を夢見る老人"のことをふと思い出した。確かにあの男なら喜んでアンデッドを世に増やそうとするだろう。しかし彼はツクヨミが捕まえたのだし、距離に関してもあまりに遠すぎる。やはり連想できるだけで微妙な線だろう。

 ツクヨミは思考を振り、目の前のことに集中する。

 

「あれから結構探索しましたが、王らしき個体も見当たりませんね」

 

「ふむ……。特殊部隊の報告によれば確かにこの辺りとのことだったのですが」

 

 大元帥が指差した地図の箇所を再度眺めながら、ツクヨミもまた慣れてきた鏡の操作を続けていると、数分後隠れたように点在するそれが見えてきた。

 

「あっ。一応集落?っぽいものがこの辺りにありました。崖で陰になってましたね」

 

 ようやく知性の高そうな亜人の村らしきものを発見だ。

 

闇小人(ダークドワーフ)。こやつらは一応非亜人でございます。しかしまぁ、亜人に武器を蒔く厄介な奴らでして……おっと、これは大変失礼致しました」

 

「いえ。でも、数は少なそうですね」

 

「確かに。ツクヨミ様の仰られる通り、活気は少ないように思えます」

 

 そうして闇小人(ダークドワーフ)の集落を眺めつつ、大元帥と話をしていると、明らかに敵憎しという目で画面をじっと見つめている他の軍官たちがいたので、ツクヨミも色々とその感情を察して画面を変えることにした。

 

 しかし、まぁ結論から言うと新しい情報はそれ以上なく、同時に外も薄っすらと暗くなり始めていたので、今日の所はこれ以上は難しいだろうという判断が大元帥より下された。

 あれだったらアイテムボックス内にまだ3,4個はあるであろう鏡を最初から同時に運用するべきだったかもしれない。そんなことも思うが、それも一長一短である。

 

(さて)

 

 そんなこんなで外は既に曇天模様。屋内にはぽつぽつ雨音が漏れ始め、ちらりと覗ける地面には雨の雫が零れている。そんな状態であったので皆撤収の準備を急いで始めている。

 

(何にせよ今日の調査はここまでかなぁ。流石に広いだけあって難航するな)

 

 分かったのか分かってないのか微妙である現状に何とも言えない靄が残る。あれだったら明日帰る時にも現地を見て回るか――それか闇小人(ダークドワーフ)に直接話を聞きに行ってみるのもいいかもしれない。

 そんなことを思うが、後者はちょっと厳しそうだなと息を吐く。

 

 傘を持った兵士がこちらに複数走ってくるのを見て、ツクヨミもまた立ちあがった。

 

「……ツクヨミ様。夕刻に至るまで、そのお力、そして御身の貴重なお時間を割いて下さったこと心より感謝申し上げます。目的の殆ども達成されたよう思われますので、どうか御身体をお休めになられ、本日残りの時をお過ごし下さいますよう」

 

 恭しく礼を取る大元帥が付け加える。

 

「――もし宜しければ夜は神都、大神殿に戻られますか?」

 

「いえ。それも考えましたが、折角御部屋も用意いただいてるわけですし、今日はこちらで過ごしましょう。武器を見たり色々したいことも残っていますしね」

 

「左様でございましたか。では、迎えも参ったようですので戻りましょう」

 

 そうしてツクヨミは濡れた地面、そしてその先に続く路盤を古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)、そして木傘を代わりに掲げた大元帥・軍の面々と共に戻って行った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

36.丘陵の夕暮れ

 

 再び砦に戻ってきたツクヨミは、働いている軍人に軽く挨拶をした後、大元帥らと別れそのまま二階端にある部屋に帰ってきた。今回の仕事の大半を終えたためだ。

 

 

「お疲れ様です。何か異常はございませんでしたか?」

 

「はっ。この区画にも、神の造りたもうた異界の扉にも、一切の異常はございませんでした」

 

「そうですか。それは良かったです」

 

 

 ツクヨミは部屋の手前。そこであれからずっと警備をしていたであろう陽光聖典の隊長に声を掛けていた。30十代ほどの彼は整った顔を伏せ、膝を付く。周りにいる三名の──相変わらず怪しいフードを被った隊員も同様だ。ただ、班長であるマルセルはいないようだった。

 

「……神よ。先程は申しそびれてしまいましたが、丘陵の調査という我々のやり残した仕事を代わりに引き受けて下さったこと、本当に感謝致します」

 

「いえいえ。大変な仕事だと思いますし、私の方も完遂……には至りませんでしたので。亜人の王も結局見つけられませんでしたし」

 

「それはもしやエシャベリュ―ルのことでしょうか」

 

「あっ。そう。前に大元帥様がそのような名前を教えてくださいましたね」

 

 調査の件について立ち話をしていると、本職から亜人の王の名前が出てくる。実はツクヨミも仕事をするに当たって小耳に挟んでいた名だ。しかし、まぁ聞き覚えは一切ない名だったので軽くスルーしていた。正直申し訳ない話だ。

 

 ただ……これは何か情報を得られる機会かもしれない。そう思いそれを口にするが──

 

 

「隊長様はそのエシャベリュールについては何かご存知でしょうか?」

 

「いえ。私も一瞬遭遇した程度ですので。巨大な翼亜人(プテローポス)であるくらいしか……」

 

「そうですか。まぁ大体そのような感じですよね。教えて下さりありがとうございます」

 

「いえいえ。とんでもございません。全ては神の為に」

 

 

 残念ながらそれ以上の情報はなさそうだった。

 深々と頭を下げる陽光聖典隊長にツクヨミは軽く会釈をした後、ようやく部屋の前に移動し、その木製のドアについた金属製の取っ手を捻る。

 

 それは特に抵抗することなくツクヨミの入室を許可した。

 

 

 

「……はぅ」

 

 

 ぱたん、と扉が閉まると夕暮れの静けさと共に少し疲れがやってきた。朝から慣れないこと続きだったからだろう。

 ツクヨミは部屋に入るなり靴を脱ぐとそれを中空に収納しておく。それから部屋を見渡すと、まず右奥のベッドが目についた。

 

(仕事終わりとはいえ、就寝時間には……まだ早いよね)

 

 ベッドの上でごろごろすることも考えたが、それも少し味気ないというもの。

 ツクヨミは何かできることは無いかと頭を捻る。するとその時、視界端にあるものが映った。

 

 それは武器スタンドだった。

 

 

「ん。もう運んでくれてたんだ」

 

 

 左手の壁際に佇む木製のスタンドには、スレイン法国の軍で使われているであろう武器群が丁寧に飾られている。それはツクヨミが昼に興味を示し、そして後で運んでもらうよう指示していたものだ。

 

 軽く近づくと、なるほど。武器などは綺麗に手入れされており、剣の鞘などに至ってはきっちりと嵌められている。これは向こう側の配慮だろう。

 

 そんな手間の掛かっていそうな装備群を見て、ツクヨミもあまり汚しては悪いだろうと思い、一先ず手洗いを探す。すると、辛うじてこじんまりとした浴室のようなモノがあったので、そこで手を拭いてから戻ってきた。

 

 

 再度武器スタンドに目を向けてみる。

 

 

 鉄製の剣。木製のしなやかな弓。それに伴う矢筒。そして珍しめ──といっても現地基準であるが──な装飾された古びた杖。意外と色んな種類がある。実際に勤めていた時はまじまじと見たことのないものばかりだ。

 

 控えめに言ってテンションが上がる。しばらくそんな感じで眺めていたツクヨミだが、流石にそれだけで終われる訳も無く、そっと一つを手に取ってみる。

 

「おぉ」

 

 剣を持ち上げてみると、それはやはり軽く、羽を持っているような感覚に近かった。しかしこれは実際の所ツクヨミの異常な膂力のためであろう。

 剣の鞘を外してみても、その刀身には細かな傷が無数にあり、やはり特別な装備ではない。

 

(この様子だと他の武器も──)

 

 剣を戻し、隣の弓に手を伸ばす。当然何事もなく装備できるだろうとツクヨミは思っていたが、その予想は奇しくも裏切られることになる──

 

 

「っ!!」

 

 

 初めに言うと持ち上げることはできた。しかし、それを手元に構えようとするとぱんっ! と、変な音が鳴り響き、1m程の弓がツクヨミの手元から地面に落下したのだ。あまりに突然の衝撃に、ツクヨミは自身の手と弓を交互に見やった。

 

 当然思い当たる節はない。いや──

 

(……装備制限?)

 

 そんな言葉が頭を過ぎる。思えば確かにツクヨミはこちらの世界に来て別の武器種を装備したことはない。であれば戦士職が野伏(レンジャー)系統の武器を付けられないというのは分かる。しかし、ここがユグドラシル内ではないということがツクヨミを悩ませる。

 

 

(もしかして私の方にまだそういう、ゲーム的な制約が残ってたりする?)

 

 

 実はこれまでの生活でもユグドラシルの素材が上手く料理できない等の些細なことはあった。となるとその可能性も決してゼロではないだろう。

 システムの仕業か。それともアバターの感覚の仕業か。何も分からない今はただ試すしかない。

 

 

 ツクヨミはユグドラシルとの違いを確かめるように、無理やり武器の装備を開始してみる。

 

 一度目、失敗。

 

 二度目、微妙に失敗。

 

 三度目──

 

 

「ん」

 

 

 意外にも無理やりそれを握り込むことに成功する。

 

 意識的にであれば、物理法則に則って別種の装備を構えたりすることもできるようだ。

 しかし、悲しいかな。感覚的に扱えている感じは非常に乏しい。恐らくだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()状態にあるのかもしれない。

 

 

(うーん。同じように、現地の人にも職業ごとの縛りがあったりするのかね……)

 

 

 ツクヨミはぷらんぷらんと握った弓を力無く振ると、一旦それを戻してから、数種類の武器種を抱えて机に戻った。

 

 背の低い椅子を引いて、机の武器に各武器種を並べる。そうしてツクヨミは椅子に腰かける。

 こんな大事なことが今更判明してしまったのはあれだが、幸い検証の時間はあった。

 

 

(さて。まぁ杖やらは置いとくとして、次に試すべきはまず現地の剣をちゃんと使えるかだな。特殊技能(スキル)、そう特殊技能(スキル)は使えるのか──)

 

 

 最低限こちらの世界の剣を装備することはできていた。ただ、そうなると次に気になるのがそれをツクヨミが完全な状態で扱えるのか、だ。

 ツクヨミは前衛職──特に魔法を付与して戦う、魔法剣士に近い役職だ。そのため、新たな世界の装備に自身の魔法を付与できるかは大きな問題であった。

 

「じゃあ、こうしよう。……特殊技能(スキル):付与(エンチャント)、MP」

 

 ツクヨミは数瞬悩んだのち、魔法剣士系統で一番初歩的な、MPを攻撃力に一定時間付加する能力を使用する。ちなみに神聖剣士(ホーリー・フェンサー)付与(エンチャント)ではその特殊技能(スキル)の力で一部神聖魔法を付与できるので、普通ならこれはかなり勿体ない使い方である。

 

 

「よし、いけたかな?」

 

 

 そしてその発動の結果はというと、慎重な甲斐もあってか魔法攻撃力の付与には成功していた。

 

 ……

 

 ……

 

 しかし諸手を上げて喜ぶには、どうもその様子がおかしかった。

 

 というのも効果を受けた剣の刀身は内側から青白く光り、まるで魔法の武器のような様相でツクヨミの手元に収まっているのだ。

 普通はこのような光り方はしない。ユグドラシルのデータクリスタルに内包されているような武器なら、その武器の刀身などに纏わりつくようにエフェクトは発生する。

 

 

(何か失敗した?)

 

 

 それもあってツクヨミは不安げに上や下からちらちら鉄製の剣を眺めた。しかし異常はない。それどころか10分過ぎても効力が衰える気配がない。気のせいかと思って更に十数分。

 

 やはり効果が切れない。

 

「……」

 

 ツクヨミは唖然とする。一応言っておくとバフの効果時間は長くて普通7分程度。流石にここまで時間が経てば、机の上に置いたこれの状態も何となく理解はできてくる。ようはツクヨミの持つ付与(エンチャント)、それの効果が現地の武器に対し時間制限なく発動──そのまま武器を魔法武具化させているかもしれない──そういうことのようだ。

 

 

 一瞬、ツクヨミもたまたま誰も知らない裏技を見つけたような、そんな嬉々とした感覚に包まれた。しかし冷静になって考えてみるとこの手元に置かれた武器も大切な軍の備品の一つ。当たり前のことだが、勝手に弄り回し、ましてや勝手に魔法を付与したりしていいものではないだろう。

 

 それに気づいた瞬間、途端にやりすぎた──いや、やらかしてしまったのではないかという思いが湧き上がってくる。

 

 

「え、凄いんだけどさ……。でもどうしよ……。全然戻らないし」

 

 

 一転、焦るツクヨミ。手元には完全に変質してしまった魔法の武具。鞘に戻したとしてもその異様な存在バレないということはないだろう。それに軍の備品なので、数に関してもきちんと管理されている可能性は高い。

 

 そのため、打つ手なしのツクヨミに残された選択肢は一つだけ──

 

 

 ……備品を滅茶苦茶にしたことを素直に謝る。

 

 

 それしかないだろう。こういうのは隠しておいて後でバレるのが一番怖いのだ。

 ツクヨミは剣と鞘を持ってすぐに立ち上がると、部屋を出るべくそのいつになく重い取っ手を引いた。

 するとすぐに陽光聖典の姿が廊下に映った。

 

「神よ。いかがなされましたか?」

 

「あ、いえ。ちょっと軍の方にお話しがありまして……」

 

「左様でございましたか。お呼び止めしてしまい誠に失礼致しました」

 

 ツクヨミは手元で「いえいえ」と小さく手を振りながら、廊下を小走りで進む。相手としてはまず大元帥が見つかるのが理想ではあるが、それは言ってしまえば少々狡い行いだ。となると、ベストはやはりここの責任者だろう。

 そんなことを思いながら人を探していると二階の階段前に軍人が現れた。

 それは良くも悪くも昼に案内をしてくれた真面目な副指揮官だった。

 

 

「これは我らが神。なにやら深刻そうな御顔をされていますが……。どうかされましたか? まさか不手際が──」

 

「そ、そうではなく。すみません、先ほど運んでもらった武器のことなのですが……」

 

 ツクヨミは手元に抱えていた鉄製の剣を見せる。嫌なくらい青白く光り輝いている。

 

「こ、これは……。魔法の武具? お、お渡ししたものには無かったかと記憶しておりますが」

 

「はい……。実は部屋で触っていたら魔法化させてしまったようでして」

 

 

 その言葉を受けた副指揮官はというと口を半開きにし、ただただ言葉を失っていた。それも当然だろう。ツクヨミも自分が貸していた装備が無断で変質させられていたら言葉を失う自信がある。それに立場上怒れない相手ときた。

 もはや申し訳ないという言葉しかない。

 

 ツクヨミは素直に頭を下げる。

 

「申し訳ございません。完全に私の失態です」

 

「と、とんでもございません!! 神が謝られるようなことなどっ。し、しかしこれは……。正直私程度では判断に困るレベルのものでしょう。一度神官、それにコスタート指揮官にお見せしに行こうと思うのですが、こちらお運びしても宜しい物でしょうか?」

 

「え? はい。元々皆様の物なのですから、副指揮官様の思うようにお願いします」

 

「寛容なるその御心。誠にありがとうございます。では……神もごゆるりと」

 

「あっ」

 

 そうして副指揮官は慌てるように行ってしまった。色々と引っ掛かる言動もあったが、聞くのはまたの機会だろうか。

 

(幻滅されてないといいな……)

 

 そんな不安を感じながらとぼとぼとツクヨミは部屋に戻っていく。戻ったら何をしようかと思案しながら。

 

「武器を触る気にはなれないし。……まぁ、とりあえず服でも着替えようかな」

 

 落ちかけた日差しが窓から差していた。

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

「神様、ご無事かなぁ……」

 

 もうじき日が落ちるという頃、大神殿で働く一人の少女がその身を微かな夕日の赤色に染めていた。

 

 手には魔法について書かれた本。体には薄地のローブ。その頭からは艶やかな長い赤毛──微妙に茶に近いそれが綺麗に伸びている。

 そんな彼女の正体は土の巫女姫。かつては魔道具として、そして今は神殿で働く巫女姫の一人である。

 

 土の巫女姫は既に仕事も終わった時間に、大神殿の裏庭から出てきて早速、夕日を眺めながら新たな神であるツクヨミのことを頭に浮かべていた。それはある種の不安。自身を守ってくれる存在が遠くに行ってしまっているという恐れ。

 

 当然、土の巫女姫もすぐに神が帰ってくることは知っている。しかし、自分がこうして外に出てきてしまう程度には、まだあの出来事から立ち直れていないことも確かだった。 

 

 数日会う機会が無かったとはいえ、離れて一日でこれというのもかなり重症だろう。

 

 そんな自分が嫌になる。

 

「はぁ、駄目だな。私……」

 

 土の巫女姫は大きく息を吐くと、こうしていても仕方ないと足を入り口の方へ向け、そして動かす。ちなみに土の神官長はというとその役職柄上、裏方で仕事をしていることが多く、今も忙しく残業(?)しているのは確実である。そのため、挨拶に赴くということもない。

 

 ……

 

 土の巫女姫が道沿いに少し歩いているとすぐにその立派な石造の柱が姿を見せた。と、同時に何やら不審な光景がその反対に映り込む。

 

 予想外のその出来事に土の巫女姫はそっと足を止め、目を凝らす。それは斜め下に佇んでいた。

 

 

「あれは……番外、席次様?」

 

 

 白黒の衣装に身を包む黒髪の少女。その背にはその身長と同等ほどの戦鎌(ウォーサイズ)を装備している。

 間違いない。大神殿内でたまに見かける漆黒聖典の一人──神官長達が番外席次と呼ぶ少女だろう。

 

 土の巫女姫はそんな雲の上に近い存在に対し、何をどうすればいいか悩んだが、階段下で敷地内の様子を窺うように隠れる番外席次は年相応の子供そのものだ。そんな彼女だったからか、土の巫女姫も大して物怖じせず、近づいて声を掛けることが出来た。

 

「あ、あの。何をされて──」

 

「しーっ! 今、気を窺ってるんだから静かに」

 

 階段を降りて話しかけてみると灰白色の瞳の少女は口元に手を当て、こちらに怖い顔をしてくる。今度は小声で再度喋りかけた。

 

「あ、あの。番外席次様、何をされていらっしゃるのですか……?」

 

「ん。ほら、あれだよあれ」

 

「な、なんですか……あれ」

 

転移門(ゲート)。……っていうだってさ。聞くにあれの先にツクちゃんがいるらしくて、どうにかして入ってやれないかなーと」

 

 番外席次は下にある転移門(ゲート)、それに指を指しながら、その周りにいる陽光聖典に怨嗟の目を向けていた。どうやら自分にだけ教えられていなかったことにも腹を立てているらしい。

 

(ま、まぁ要するに、番外席次様はツクヨミ様の元に行かれようとしていると……)

 

 それははっきり言って衝撃の内容としかいいようがない。他の人なら絶対に止める案件だろう。

 しかし絶賛孤独に悩む土の巫女姫としては、そこに多少の惹かれる部分があったのは確かだった。

 

「大丈夫なのですか? そのようなことをして……。番外席次様とはいえ、流石に怒られるのでは」

 

「大丈夫、大丈夫。怒られるのは慣れてるし、行けばツクちゃんが何とかしてくれるよ」

 

「な、なるほど。そうなのですね……」

 

「巫女姫ちゃんも行く?」

 

 そのため、そんな突飛な提案に動揺することとなった。土の巫女姫としては不安しかない内容だ。しかしそれを即座に蹴らないのはある意味そういうことでもあった。

 

「わ、私は……」

 

「よし。だいぶ手が空いた! 今がチャンス。ほら! 行くよ」

 

「あっ」

 

 少女に手を引かれる土の巫女姫はおぼつかない足取りで早々と階段を駆け下りていく。それは新たな道が自分に拓けていくようで──

 

 でも土の巫女姫があまりに遅いものだから、途中から番外席次に抱えられることになったのは本当に情けない話だ。

 

「ば、番外席次様!?」

 

「……あー、もう! アリシアでもファーインでも良いからそう呼んで!」

 

「で、ではファーイン様っ。人、多そうですが勝算は……?」

 

 土の巫女姫はそんな戦い染みた台詞を吐く。まぁそのくらいの勢いがこの場にあったのだ。

 番外席次はそれを聞くなり口元に挑戦的な笑みを浮かべる。

 

「正直ね……。楽勝」

 

 番外席次は優雅に階段から飛び、空中より平地に着地すると、野営の準備でもしようとしていた陽光聖典の隙間をそのまま縫うように走り抜ける。それは迅雷であった。

 

 こちらに気付いた陽光聖典隊員の一人が驚きの声を上げる。

 

「な、何事!?」

 

「ごめんね。行かせてもらうよ~」

 

 大神殿内ということもあって、転移門(ゲート)までの距離は非常に短い。そのため、彼らが気付く頃には二人はその内部に足を踏み入れていた。

 

 一瞬で視界の景色が変わる。

 

「こ、ここは?」

「砦?」

 

 そこで横からぱっと掴む手が飛んでくる。それを異様な反射で番外席次が避ける。

 

「おっと」

 

「んん? こ、これは番外様?」

 

「そだよー」

 

「……神に何か御用がございましたか?」

 

 目の前で相対するは陽光聖典の中でも偉そうな人。口調は丁寧だが、その態度には警戒もまた含まれている。

 ようやく番外席次に降ろしてもらった土の巫女姫だが、正直その厳格な視線からは隠れていたかった。

 

「いや、用って程ではないけど。折角だし御邪魔しようかなーと。その辺にいた巫女姫ちゃんも連れて来てね」

 

「申し訳ございませんがお引き取りを。神は──って番外様」

 

「ツクちゃんお邪魔するよー」

 

 しかし番外席次に真面目な話は通じなかった。番外席次は土の巫女姫の背中を引っ張りながら男の手をすり抜け、飄々と隣にある部屋のドアを引いていた。かなりの速度で扉が開け放たれ、部屋の内部もまた姿を見せる。

 

「……え」

 

 そこには絶賛着替え中の神がいた。まぁと言っても下のスカートを履き替えているくらいで他の着替えは既に終わっているみたいだ。とはいえ、唐突の乱入に動きが止まってしまったようで、真珠の如き白い御御足(おみあし)が晒されていた。それはとてつもなく美しい曲線を描いており、まるで芸術品のようであった。

 いつもと違う黒っぽい衣装。それも相まって不敬にも見惚れてしまう。しかしそれも一瞬だ。

 すぐにやってしまったことの重さに気付く。

 

「よっと」

 

 バタンと扉が閉まる。陽光聖典の人が罪を犯す前に番外席次は扉を閉めていた。あぁ……私はどうしたら。

 

「ツクちゃん、レディとして鍵は閉めとかないと」

 

「あーごめん。忘れてた」

 

「ええー……」

 

 しかし神は怒っているムードは一切なく、寧ろ自分が悪かった的な感じで着替えを済ませていた。

 土の巫女姫は何が正しいか分からなくなる。

 しかし、何か言わなければ。

 そんな思いで、土の巫女姫は絞り出すように口を開いた。

 

「あ、あの。……申し訳ございません、神様。私、来てしまいました」

 

 それは懺悔であろうか。途端にとんでもないことをしてしまったのではないかと思い、泣きたくなってくる。しかしツクヨミはそんな自分に目を向けると、目を細めて笑った。

 

「大丈夫ですよ。私も暇してましたし。まぁいきなり来たのには少し驚きましたが──わざわざお二人が来てくれて嬉しいです」

 

「そ……それなら良かったのですが。皆怒っているのではないかと」

 

「大丈夫だって! ツクちゃんが大丈夫って言ってるんだし。……ね?」

 

 そんな自分とは裏腹に番外席次は悪戯っぽくツクヨミに目を向けた。そしてツクヨミはそれに困ったように笑ってから応答する。

 

「ま、まぁ。そうですね。神殿の方には私から何とか言っておきましょう」

 

 それを受け、番外席次は「ほらね」と言わんばかりにこちらに視線を送って来る。

 土の巫女姫はほっとする。いや、それ以上に嬉しかった。自分に安心できる居場所を作って貰えているような気がして。

 

(そうか。番外様も、もしかしたら……そうだったのかも)

 

 土の巫女姫の中でそんな考えがちらりと浮かぶ。しかしそれは今回は置いておこう。

 

 ツクヨミはそれから土の巫女姫にその椅子を差し出してくると、自分は床に。そして番外席次はというと、そのままベッドダイブからそれを椅子代わりにした。

 不敬にもほどがあるが、神がそれを良しとされた。そして他愛もない話をしつつ十数分が経つ──

 

「そういえば、これ持ってきてたの忘れてた」

 

 それは突然のことだった。ガサゴソと番外席次が包装された袋のようなものを懐から取り出してくる。

 

「こちらは?」

 

 土の巫女姫が気になって聞くと、番外席次は意気揚々と答え始める。 

 

「神官長達が隠し持ってたやつでさ。こーひーってやつと一緒に食べるらしいよ」

 

「ま、まさかそれは伝説の……」

 

「そう。くっきぃ」

 

 おぉ、とツクヨミが驚くのを見て、とんでもないものなんだろうと土の巫女姫も机に袋と共に広げられたその焼き菓子を見る。確かに、言われてみれば焼き色も丁度良く、露店でこれほど見事なものは中々見られない……と思う。

 

「こ、こんな凄い物頂いても大丈夫なのですか?」

 

 土の巫女姫が素朴な疑問を投げかけると、番外席次が得意げに指を立てる。

 

「ふふふ。大丈夫だよ。なぜならこれはツクちゃんに、いやツクヨミ様に捧げる食べ物。つまり御神饌なのだから」

 

「なるほど。確かにそうでした……」

 

「分かるけど、なんかせこいな」

 

 ツクヨミが素の突込みをかましていたように見えたが、土の巫女姫は気のせいだろうと思い、一緒にそれを頂いた。ちなみに毒見は番外席次がしていた。

 そんなこんなで話したり、時に悩み相談室が開催されたりして、楽しい時間がそれなりに過ぎ去った。もう夜という時間帯だろう。

 

 ……

 

「いや、ほんと二人とも今日はありがとうございました。それにこんな時間までお付き合いさせてしまいすみません」

 

「何をー。私とツクちゃんの仲じゃないか。今日は朝まで寝かさないよ」

 

「いや、流石にそれは御迷惑かと……」

 

 そんな感じで別れ際にも揉めていたのだが、奇しくもそこである一報が入る。それは皆にスレイン法国での職務を思い出させるような、そんな報告であった。残念だがここで三人は一度別れることになる。

 

 

「神よ。夜のお時間に誠に申し訳ございません。しかし緊急の内容になります」

 

「何か問題が起きましたか?」

 

「はっ。実は昼の調査で不明だった闇小人(ダークドワーフ)。その数名を砦敷地内で捕らえました」

 

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 

 その夜、スレイン法国の歴史上でも稀な、闇小人(ダークドワーフ)の捕縛が行われた。

 その理由は領地侵犯であり、窃盗。そう、闇小人(ダークドワーフ)の一団は砦の物資を狙い、夜襲を仕掛けていたのである。

 しかし結果は失敗。力のない彼らは難なく捕縛される。普通ならその時点で処刑は免れなかっただろう。

 

 しかしそれでも彼らが未だ生き永らえているのはツクヨミが砦にいたためである。尤も、そのせいで夜の警備ががちがちになっていたというのは、彼らからすれば何とも皮肉な話であるが──

 

 

「それで……何故このようなことを?」

 

 

 あれから少し経ち、険しくも美しい女性の声がくぐもった地下牢に響いていた。隣には軍服に着替えた大元帥、そしてその反対に軍帽を被ったコスタート指揮官。それ以外の軍人はいない。そんな状況であるからか、素手である彼らも怪訝な表情をした後、ゆっくりとその口を開いた。話し出したのは背の低い闇小人(ダークドワーフ)の男。壮年で髭面の、団体の長らしき男だ。

 

「言い訳じみているかもしれないが、村に食糧が足りなかったのだ。……無論、取引できる物資もな。実のところ今回も元々は狩りの予定で出てきたが、もう無理だと私が言った」

 

 男がちらちら周りの者にすまなそうな顔をするが、コスタートがそれを無視するように厳かに口を開く。

 

「だから軍の物を奪おうと? そしてそれを新たな亜人の肥やしにする気だったのだな?」

 

「……」

 

 その言葉を受け、闇小人(ダークドワーフ)も黙り込む。まぁ指揮官のそれは正論だ。亜人と日々戦っているスレイン法国からすれば、その行いはもはや彼らに戦争を仕掛けているようなもの。

 とはいえ法国もまた闇小人(ダークドワーフ)を近年排除対象にはしているので、そもそも敵同士ではあるのかもしれない。

 そんな彼らをツクヨミは宥める。

 

「まぁまぁ。それで……いつもそうなのですか?」

 

「いや、違う──」

「……んん」

「い、いえ違います。いつもは盗みなどせず、丘陵で上手くやっております……。ただ今年は亜人とのバランスも悪く、冬ということもあってかなりきついのです」

 

 敬語に言い換えた闇小人(ダークドワーフ)に、ツクヨミは気になった点を聞いていく。

 

「バランス……。それは、あれですか? 近年アンデッドが発生したりしているという」

 

「知っていましたか。現状はそれが大きいですな」

 

「亜人の王に関しては?」

 

「関係はありますが、バランスが崩れたのは間違いなくアンデッドのせいだと思われます」

 

 そこで闇小人(ダークドワーフ)は語る。

 丘陵にアンデッドか突如湧き出したということ。そしてそれを受け、亜人も力を付けだしたということ。そして、それに自分たちが遅れを取っていること。つまり、全ては一連の流れによって起こっていたのである。

 ちなみに王に関連してエシャベリュ―ルのことも少しだけ聞きだせたが、どうやら彼ら亜人は今バラバラの状態にあり、その中で少ない存在が手を取り、変化に対処しているのだという。

 

「なるほど。王が増えているのもそういう……。しかし現状突破口はなさそうですね。大元帥様はどう思いますか?」

 

「はっ。こやつらの言が正しいなら、こちらも早めに手を打たなければ面倒になるかと。それこそ亜人が丘陵を離れて法国や聖王国に攻撃を仕掛けるようなことがあればツクヨミ様のご理想も……いえ」

 

「大丈夫ですよ。私も大元帥様の仰られる通りかと思います。そこで……ちょっと私なりに考えてみたのですが、こういうのは如何でしょうか?」

 

 そこでツクヨミは二人を手繰り寄せ、その耳元で何か考えを喋る。その様子を不安そうに見守る闇小人(ダークドワーフ)の一行だったが、すぐにコスタートの驚きの声に目を向けることとなった。

 

「そ、それは……大丈夫なのですか? いえ。神の御計画を疑う訳ではないのですが、このような者共など信用に値しないかと!」

 

「ふむ。いや、甘いぞコスタート指揮官。なるほど。流石は神、私は完璧な作戦だと思います」

 

「ほんとですか?」

 

 今度はツクヨミが不安そうな顔をしていたように見えたが、まぁそれは置いておこう。

 ツクヨミ達は牢に再度近づくと、それから闇小人(ダークドワーフ)達にある提案をした。それは本来であればあり得ないことであった。

 

「すみません。内緒話みたくなってしまって。それで話なのですが。……良ければ我々と取引を致しませんか?」

 

「なっ。と、取引……? 知っての通り私達はもう何も持っていませんが……」

 

 闇小人(ダークドワーフ)の男は震えるような声を絞り出した。

 ここまで話していれば彼らとて、この女性が法国の上位者であることは分かるだろう。そんな存在──あまつさえ黒のヴェールに似た最高品質のローブを纏う者が取引を持ち出してきたのだ。もはやその対価は魂なのではないかと思えてくる。実際、法国には白ローブのやばい集団がいるのだ。

 

「いえ。私達が要求するのは物ではなく、協力です」

 

「協力……?」

 

「はい。というのも、昼もやってみたのですが、私達だけではどうしても丘陵を調査、ましてや練り歩き話を聞いて回るのは難しかったです」

 

「──なので、皆様にそれを頼みたいのがまず一つですね」

 

 そこで闇小人(ダークドワーフ)が待ったをかける。

 

「ま、待って頂きたい。我々は力も弱く、未だ亜人と取引をしている身。それをいきなり人間側の調査員のようなことをすれば反感も買いかねません。それに村には……申し訳ございませんが、貴方がたのことを疎ましく思う者もいるでしょう」

 

 ようやく闇小人(ダークドワーフ)に正直な所を話された指揮官と大元帥は露骨に眉間に皺を寄せたものの、なんだかんだ頷く。

 

「まぁ確かにそうでしょう。……なので、調査の件はこちらの協力が必要だと思わないなら亜人の皆様だけで続けて頂いて構いません。私が一番お願いしたいこと、それは今回の情報の()()にこそあるのです」

 

「伝達……?」

 

「はい。つまり、アベリオン丘陵に住む多くの亜人達に、人類の大いなる神が降臨したことを伝えて欲しいです」

 

 そこで、闇小人(ダークドワーフ)達は目の前の存在が恐らくの神であることにまず衝撃を受ける。そして次に疑問が湧いてくる。

 

「それは……何故ですか? あなたにどのような利点が?」

 

 当然の疑問だ。そしてそれに答えるように、ツクヨミはその理由を語り始める。

 

「利点ですか。そうですね。正直に申してしまいますと、私自身は皆様と争いたくはないと思っております。なので、こちらに巨大な剣と盾があること。それさえ知ってもらえれば、お互いに下手な藪をつつかずに済むかなと」

 

「なるほど。……何となく理解しました。つまりは貴殿らもこちらに無用な手出しをするつもりはない。が、我らが手を出してくるならその時は容赦しないと」

 

「それは少し言い方があれですが……まぁそんな所ですね。お互いにメリットはあると思います。それに私としては法国と貴方がたとの関係も今後少しずつ変えられたらと思っていますから。協力を求めるならいつでも歓迎です」

 

 それを聞いた闇小人(ダークドワーフ)達は難しい顔をするが、確かに結局はお互いに話をしていなかったことも原因だ。であるならこのような甘すぎる提案にも、少しは耳を傾けるべきなのだろう。

 

「あっ。それと引き受けて下さるなら、当然身柄の解放。それに食糧の方も私からお渡ししましょう」

 

「それはもう……我々に選択肢がないではないですか」

 

 苦笑交じりの笑いを闇小人(ダークドワーフ)が溢すのをみて、ツクヨミも申し訳なさげに笑顔を作る。

 そうして、人類と亜人。それを繋ぐ役を担った者達が、確かにここから解放されていった。

 必ずその言を伝えると約束して──。尤もまだまだその溝は深い。

 

 

 ……

 

 ……

 

 

「はぁ」

 

 そうしてそんな光景に、ツクヨミは微かに疲れたよう息を吐く。それは達成感であろうか? それとも自分によって変わっていく世界への憂いと不安であろうか。

 

 丘陵の一日が終わるよう、心地の良い夜風が舞っていた。

 

 




最初の構想では、到着からここまで実は一話で終わる予定でした。……我ながら恐ろしいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

37.異変

 

 スレイン法国の首都である神都。そこには、首都というだけあって様々な重要施設が存在する。

 

 例えば神の住まいであった神殿群。寄付金を募り、時には人々の治療を、そして日課の礼拝も執り行う教会。国を守る軍の総本部。国を運営する議会などだ。

 

 それらは一般に開かれているものも、開かれていないものもあるが、基本的にその知名度は高い。

 

 しかし、中には名前だけで、あまりその細かな内情を知られていない機関というのも存在する。

 その最たる例が『スレイン法国・魔法研究機関』であろう。

 

 

 ……

 

 

 永続光(コンティニュアル・ライト)を湛えた照明。質素な内観。巻物(スクロール)が広げられた台に、そこを行き来する職員。

 もし王国の人間が見たなら、まず間違いなく魔術師組合を連想するであろう建物内に一人の男がやってきていた。

 一般の立ち入りが悉く禁止されているこの魔法研究機関において、この場まで立ち入れるのは彼を含めて他十数名程度だろう。

 

 

「おぉ、闇の神官長よ。君も来てくれたか。もう諸々の仕事は終わったのかい?」

 

「ああ。一先ず連絡事項も済んだ。問題はないだろう」

 

 

 ガチャリと扉の閉まる音が響き、男──漆黒のローブと神官帽を身に纏う現闇の神官長であるグレーム・ラスタ・アーヴィングはこじんまりとした部屋に入室する。

 

 部屋に入るとすぐ、研究者というより学者然とした衣装、そして目元に付けられた上等なモノクルが印象的な研究館長の姿が目に入る。

 

 

 彼は今回、グレームをここに呼んだ張本人である。……と言っても、グレームがここに来るのは国の研究成果を利用するためによくある事なので、今更あれこれ思うことはない。それに忙しい身であるとはいえ、こういう会合を設けるのは非常に大事なことであった。

 

 グレームは研究館長の隣にいる同僚──今は机の上に置かれた見慣れない色のポーション類に目を向けている老人にも声を掛ける。後でグレームも研究物について話を聞けないかと心の中でメモをしながら。

 

「光の神官長も既に来ていたか」

 

「うむ。朝の会議以来だが、今日はあまり時間も無いだろう? 集まるのも早い方が良いと思ってな」

 

 

 グレームはそんな光の神官長の言に強く頷いた。今日は本当に時間がないのがネックである。

 そしてそんな二人の立場を理解してか、研究館長もいつもの長ったらしい研究自慢を隅に置いて話を始めてくれた。

 

 

「では早速、先の話に移ろうと思うんだが……いいかな?」

 

「勿論だとも。確か、今朝の会議の内容だったね?」

 

 

 それを受け、研究館長が宜しくと言わんばかりに頷いた。

 

 知っての通り、スレイン法国では多数の意見が重んじられているので、重要な会議がしばしば行われている。神官長会議がその代表例だろう。

 

 ただ……当たり前の話だが、毎日国のトップ全員を集める最高議会が開かれている訳ではない。そのため、突発的な決め事や情報提供を行わなければならないときは小会のような形で、神官長だけで集まって意見を纏めることも多い。

 

 勿論そこで重大な決め事などはしないのだが、それもあってか偶に秘匿された空間(こういう場)で、こうしてお互いに方針をすり合わせることがある訳だ。

 

 

(とはいっても、こうして彼に呼ばれたのは初めてだがな)

 

 

 役職柄上顔を合わせることはよくある研究館長。それもあって仕事中にさらりと聞いてくるパターンの方が普段は多いのだが……今回の件は()()()()()()特別だったのだろう。

 

 グレームは朝の小会の件──つまり神への対応についての内容を話すべく口を開く。

 

 

「ではまず決定事項。そうだな。帝国の件についてから話そうか」

 

 グレームは人差し指を一つ上げる。

 

「皇帝の謝罪の件に関しては研究館長も聞いていたろう? あれが纏まったので、一先ずその内容をツクヨミ様の御耳に入れることとなった。早い方が良いだろうと思ってな。あとの受け入れの是非に関しては神の御判断次第となるだろう」

 

 鷹揚に頷く研究館長。それを見て、グレームは続けて話を始めた。

 

「そして……これの方が今は重要だな。研究館長よ。神が西の辺境地にご滞在されているのは知っているな?」

 

「無論だとも。人類の為、そのような場所まで赴かれるとは。なんと慈悲深い御方か」

 

「間違いない。そしてその神が本日の午後帰られる。我々はその準備と──その帰路の安全を確保すべく動いている。既に動かしていた面々を含めて今は指揮の段階だな」

 

 ふむ、と研究館長が顎に手をやり、話しかけて来る。

 

「お主が動いているということは陽光聖典でなく、漆黒聖典も動くことになったのかな?」

 

 それに対し、グレームは首を振る。

 

「いや、漆黒聖典は動かさない。大神殿から動かすリスクが高いし、何より少数戦力としてだけ見れば我々は神の足元にも及ばぬ身だ。であれば()()を動かしたりするより、効果的な人材を他から探した方が良い」

 

 ふと昨夜の件を思い出して苦笑するグレームに、研究館長もまた苦笑いする。

 

「まぁそのため、今は火滅聖典と遠方の軍に南側の監査、空いていた水霊聖典に国家周辺の広域警戒、そして陽光聖典全てに神の近辺警護を任せているという具合だ。……光の神官長、補足はあるか?」

 

「いや特には。こちらも夜にちょっとしたトラブルがあった以外は何も問題は起きていないし、神もご無事だ。正直、これで問題ないとは思うのだが……」

 

 そこで光の神官長の言葉が止まる。グレームも何が言いたいかは何となく分かった。研究館長がここぞとばかりに探りを入れる。

 

「何かあるのか?」

 

「いや何かというほどではないが、ツクヨミ様は行きと同様空から戻られるらしい。あの御方の海より深いお考えのことだ。何か御理由があるのだろうと思うが、その移動中に何もなければと思っただけだよ」

 

 光の神官長の主張はつまりこうだった。帰り道は行きよりも敵に待ち伏せ等をされやすいので、国内とはいえ油断できないということ。特に最近は帝国のように……他国の動きも忙しなくなっているためだ。

 

 ある意味過保護気味な内容に、だからこそか火が付く。

 

「しかし、空だぞ? それこそドラゴンでも出なければ……というのは有り得なくはないのか。これは仮の話なんだが、評議国の竜王が変な難癖をつけて飛んでくる可能性はどれくらいあると思う? 闇の神官長よ」

 

「まずないだろう。盟約に関しても未だ何か言ってきている訳ではないし、地理的にも厳しいと言わざるを得ない。ただ……0とは言い切れないのも確かだ。この前不審な動きもあったしな。……やはり、もう一度神に進言すべきか?」

 

「いやいや神の御決定に異を唱えるのか? それこそ神への不信ではないか。それに評議国より怪しげな動向をしている国は他にあるだろう? それこそ──」

 

 

 そんなことを熱心に話している時だった。

 

 丁度グレームの元に一通の伝言(メッセージ)が届く。

 

(何だこんな時に)

 

 正直少しそう思ったのは内緒だ。しかし闇の神官長であるグレームに連絡してくる人間は多くはない。そのため、重要な内容である可能性もまた高い。

 グレームは白熱しつつある場を少しばかし窘めるとその声を受け取った。

 

 

 するとその声の主は光の神官長同様、よく聞き知る人物のものだった。

 

 

『闇の神官長。今は大丈夫か?』

 

「これは最高神官長。無論だとも。今ちょうど魔法研究機関にお邪魔している所だが、何かあったかね?」

 

『うむ』

 

 

 そういうと最高神官長は一拍置いて厳かにそれを伝えてきた。

 

『……南の都市間・国境沿いで何か問題が起きた可能性がある。時期だけあって偶然ではないかもしれん。今は調査中だが、可能なら戻ってきてくれるか?』

 

 グレームは迷いなく即答する。

 

「すぐに向かおう」

 

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

 

「皆様、本当にお世話になりました」

 

 スレイン法国西の辺境地。軍基地の立ち並ぶその平野内において、ツクヨミはようやく別れの挨拶まで漕ぎついていた。

 

 正直結構な時間をここで過ごしたような感覚がある。しかし考えてみるとここに来たのは昨日のことであり、アンデッドの討伐もドワーフとの邂逅も昨日のことなのだ。加えて、今日も朝から他の基地を回ったり、そこに隣接していたアンデッドを軽く掃討したことも考えれば、その仕事量は誰がどう見ても多い。

 

 まるで軍で働いていた時にそこらじゅうの部屋を綺麗にして回っていた時のようだ、と微妙な感傷に浸るツクヨミであったが、まぁなんにせよ新たな神に恥じぬ働きは出来たことだろう。

 

 

 空からは柔らかな日差しが入り、もうここでの役目が殆ど終わったことを指し示しているようだった。

 

 

 ツクヨミの目線の先にはこの軍内で出会った人々が感謝の念を湛えて平伏していた。

 先頭には軍の指揮官であり主要砦の管理者であるコスタート。その隣には副官である副指揮官。そして後ろには多くの軍関係者と神官団が座している。

 

 相変わらず壮観な見送りに胃を縮こませていると、コスタートがふるふると首を動かした。

 

 

「何を仰いますか。このような辺境の地まで来られ、我々──下々に姿をお見せ下さるどころか、更には数々の奇跡まで起こされた。世話になったなどとんでもない。我々が神にその身を、いや心までもを救われたのは疑いようもございません!」

 

 コスタートが真摯にそれを語り終えると、後ろからは感極まって涙を流す者まで現れてきた。これはいつもの不味い展開だ。

 

(……そもそも奇跡って何だ!?)

 

 そんな思いが一瞬頭を駆けるが、棒立ちではいけないので、何とかそれっぽい言葉を紡ぎ出す。

 

「そ、それは良かったです。皆様のお役に立てたのであれば、法国の──今回の件に携わってくれた神官長様なども幸いでしょう」

 

「はっ。誠に有難い限りです。私も折角であれば大元帥様や、先日より集まってくださっていた特殊部隊の方々にも御礼を申し上げたかったのですが……もうお帰りになられたようですね」

 

 そう言い、きょろきょろと首を左右に動かすコスタートにツクヨミはこくりと頷く。

 

 コスタートが言う通り、大元帥様と陽光聖典はつい先ほど首都である神都へと帰っていった。その手段はいうまでも無くツクヨミの発動した転移門(ゲート)である。

 正直に言えば、転移門(ゲート)の位置を調整することで、ツクヨミと古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)含めて大神殿まで皆で一飛びということも可能ではあっただろう。

 

 しかしツクヨミはそうしなかった。

 

 それは何故か。その理由は言ってしまえば単純で、個人的にちょっと時間に余裕を持ちたかったのと、見慣れた空をもう少しゆっくり飛んでいきたいという少々我儘な思いがあったからだ。

 

 

(流石に忙しそうな彼らにはそんなこと言えないけどね……)

 

 

 なので表向きには大元帥への労いとツクヨミの地理把握のためということにはなっている。勿論一緒に帰りたがっていた大元帥への良心の呵責はあったが。

 とはいえそれでも結果的に一つ良かったのは、帝国の皇帝への対応を少し遅らせられたことであり、その回答も空の旅の途中で少しばかし考えることが出来るだろう。

 

「では、そろそろ出ますが最後に」

 

 ツクヨミは思考を目の前のそれに戻すと、忘れないうちにアイテムボックスからあるものを取り出す。

 

 

 取り出したのは天使のラッパ。お馴染みの天使召喚系アイテムである。課金ガチャどころかイベントダンジョンの雑魚(※ユグドラシル基準)がドロップしていたのは内緒だが、そのため残している数も少ない意外にレアな代物だ。

 ツクヨミはそれを両手で渡す。

 

「大したものではないですが、天使を召喚できるマジックアイテムです。きっと今後の防衛の役に立つでしょう」

 

「よ、宜しいのですか? 我々程度にこのような貴重なマジックアイテムを」

 

 ツクヨミはそれにこくりと頷いた。正直に言うと本当はもっと強力な召喚アイテムを渡す予定だったのだが、大元帥に止められたのだ。やはり軍内とはいえ絶妙なバランスというのもあるのだろう。

 

「大丈夫ですよ。寧ろこのような物で申し訳ございません。どうか皆様に、良き加護があらんことを。そして決して、無理はしないでくださいね」

 

 もし何かあったら──

 

 そこまで言葉が出掛けたが、さっと引っ込める。それはきっと望まれていない言葉だからだ。

 

(頑張ってくださいね)

 

 そうしてツクヨミは彼らの視線を背負うように、その場から鷲獅子(グリフォン)と共に離れた。きっと彼らなら武器共々上手く使ってくれるだろう。そう信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が真上にあるように、悉く照らされた草原を見下ろしながらツクヨミは帰路を進んでいた。

 

 古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)の飛行速度はやはり凄まじく、大気は音を立てて切り裂かれ、舞い上がった天空からの景色は、道中にある小屋でさえ米粒とも砂粒とも言えそうな大きさへと変えていた。

 

 

 軍拠点を立ってからもう三十分程が経っただろうか。既に彼の地は遥か後方。転移門(ゲート)も当然閉じてきたので、あそことの繋がりはもう殆ど無くなってしまったと言っていいだろう。次行くのもいつの話になるかと思うと、たった二日の出来事だとはいえ少し寂しく思えた。

 

 まぁある意味現実世界での旅行みたいなものだろう。それが生死をかけた世界であり、軍という懐かしい環境だったというだけで。

 

「……むぅ」

 

 しかしいつまでも感傷に浸っている暇はない。ツクヨミは現在のスレイン法国の大変な立場にあるので、色々とやるべきことも多いのだ。

 そうこう今後の事を考えていると、ふとツクヨミはあることに気が付いた。

 

「しかし早いな。乗ってるのが私だけだから、この子本気出してないか?」

 

 気付けば草原が終わり、ぽつぽつと農村が現れてきている。これは都市に近付いている証拠であった。

 ……つまり30分弱程度で半分とまでは行かなくても結構な所まで戻ってきているということだ。

 

 これは想定外だった。

 

 普通は喜ばしいことだろう。しかし、ツクヨミは現在地上偵察、兼お空で休憩中なので、あんまり早く帰られても困る。帝国の件についてもまだ整理できていない。

 

 そのため、ツクヨミは古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)にそっと手綱で指示を出した。

 

 ほぼ一般人であるツクヨミがなぜそんなことを出来るかというと、まぁ出る前に隊長にこっそり教えてもらったからである。

 

(神殿の皆は色々出来てすごいよね……)

 

 特に戦闘のスペシャリストである漆黒聖典などは幼少の頃から様々な訓練を積んでいたりするらしい。勿論ツクヨミは彼らほど上手くは出来ないので、精々その話を頭の中でイメージし、何とか古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)に上手くやってもらうだけである。

 

 幸い古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)は指揮官系統を取得する種であるためか非常に賢いので、この程度の粗末な動作でも何がしたいのか何となく理解しているようであった。

 

 

 鷲獅子(グリフォン)が右側に移動する──。

 

 

「ふぅ」

 

 、そんなこんなで帰路が良い感じになったことで、ツクヨミはもう一度地理について整理する。

 この辺りは中くらいの都市が点々と存在し、その間に細かな農村と草原が存在するという典型的な国土だった。ただ王国と一つ違う所を挙げるとするならば、それは恐らく傾斜の緩さであり、この辺りはかなり平たく、逆に向こうに広がる森と繋がってか木々がぽつぽつ生えている印象がある。

 

 

 そのため──人は少ないが上からの見晴らしはとても良い。

 

 

 ただ──

 

 

(ん)

 

 

 だからこそであろうか。

 

 南に遠回りしながら10分ほどが経った頃、一台の馬車。今まで見てきた複数の馬車とは少し毛色が違うそれにぱっと目が止まってしまった。

 

「止まってる?」

 

 まず気になったのはそれだ。その馬車は一切の動きをしていなかった。それも草原道のど真ん中でである。

 ツクヨミは飛行速度を落とす。

 

 続いて気になったのはその馬車が完全に孤立しているということ。普通ならこのような辺鄙な場所を進む馬車というのは危険を避けるため、ある程度の纏まった集団で動いたり、兵士や冒険者──スレイン法国にはいないが──を伴って進むことが多いのだ。

 

 それはある種の旅人としての常識であった。

 

 ……

 

 そして最後。これが近づいてみると一番大きな異常であった。

 

(ゴブリンの死体。それに……まぁ分かってたけど馬がいないな)

 

 加えて御者もいないので、何かしらの事故が起こったのは明白だろう。

 

 

「助けない訳にはいかないな。乗ってた人は無事だろうか」

 

 

 ツクヨミは古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)の背中からすぐに飛行(フライ)で降下する。正直よくあることのようには見えるし、面倒事に首を突っ込んでいる自覚はある。

 

 しかしツクヨミはこういう時、助けないという選択肢の取れない類の人間だ。だからこそすぐに思い知らされることとなる。

 その面倒事が、自身の想像を遥かに超えた悪路に続いていることを。

 

 

『ツクヨミ様。突然の伝言(メッセージ)、申し訳ございません』

 

「こ、これは最高神官長、何かございましたか?」

 

『はっ。誠に嘆かわしいことですが、緊急事態でございます』

 

 

 それから最高神官長は怒りとも自省とも言えない声でそれを告げてきた。

 

 

 

森妖精(エルフ)です。森妖精(エルフ)の者達が法国に奇襲を仕掛けてきました!!』

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

38.エルフの意思

 

 

「え、森妖精(エルフ)の奇襲‥‥?」

 

 

 突然遠方から告げられたその伝言(メッセージ)に、ツクヨミは内心戸惑っていた。

 

 森妖精(エルフ)。それについてはツクヨミも知っている。恐らくはスレイン法国の南にあるエイヴァーシャー大森林──そこに国を建てているという彼らのことだろう。しかしなぜ彼らの名前が今出てくるのか。それについては、はっきり言って見当も付かない。

 

 何か見落としていたか? そんな思いがふと頭を過ったが、結局思い当たる節もなかったので、ツクヨミは観念してその話の続きを問うことにした。

 

 

「最高神官長様、それは本当ですか?」

 

 

 空中で飛び出した足を止め、北上した道の先──神都に続く町々の方を見ながら、スレイン法国の最高位者、オルカ―にその口を開く。するとすぐに耳元で緊迫した声が返ってきた。

 

『は、はい。正直に申しますと私も耳を疑いました‥‥。しかし兵や聖典の証言によりますと、街中で巧妙に姿を隠しながら、武器を持ち歩く森妖精(エルフ)がいるとのこと。国家ぐるみかは分かりませんが既に負傷させられた者も存在します』

 

「……目的は?」

 

『分かりません。ただ、襲撃を受けた兵は一様に彼らを呼び止めています。密偵──考えたくはありませんが刺客など、計画的な……それこそ神を狙う愚かな犯行の可能性もあり得るかと』

 

 そこで最高神官長は報告を終える。

 

 それは聞けば聞くほど確かに奇襲と言えそうな内容だった。しかも証言や被害さえある事実に、ツクヨミは内心焦りと戸惑いを隠しきれない。

 理由は分からないが、森妖精(エルフ)が何らかの目的をもって今法国で暴れているらしい。

 

(種族的に多分外からかな。だとすると、国絡みの計画もあり得る……?)

 

 というより、言伝(ことづて)によればその可能性の方が高いかもしれない。

 現在帝国の件で絶賛頭を働かせ中だったツクヨミからすれば、勘弁してくれと言いたい状況だ。ただ、優先度が高いのは間違いなくこちらだろう。

 

(うーん、本当にどうしよう……)

 

 問題なのは相手の意図が全く分からないこと。そして、自分が無意識に何かやらかしていたのかもしれないということだ。

 元々スレイン法国と森妖精(エルフ)の王国の関係は良くないし、これが戦争の火種なる可能性も十分あるだろう。

 だからこそ、現在迂遠気味なツクヨミは少しでも冷静になろうと細く息を吐いた。

 

「分かりました。私も注意しておきます。それと神官長様の方でも何か分かったら私にすぐご連絡ください」

 

「畏まりました。ツクヨミ様は……この後すぐに戻られますよね?」

 

 その問いに、件の当事者として頷きたい気持ちが強くなるが──

 

 

(こっちを放って行く訳にもいかないよね)

 

 

 ここに寄った理由。真下に存在する混戦の跡と半壊したテント付き馬車を見て、考えを改める。

 

「申し訳ございません。実はこちらで事故があったようでして……私はそれを解決してから戻ろうと思います。なので、法国の方──特に警備の方には極力怪しい者に近づかないよう通達ください」

 

「しょ、承知いたしました。しかし事故ですか……。もしかするとそれは森妖精(エルフ)共の仕業やもしれません。ツクヨミ様も危険等ございましたらすぐにお引き返し下さい。即座に我々が駆けつけますので」

 

「ありがとうございます。では……あとでまた」

 

「ははっ」

 

 そうして最高神官長との魔法の繋がりは切られた。

 正直時間が惜しい面は否めなかったが、被害が広がらなければまだましに事を運べるだろうという判断であった。

 

 

 ……

 

 

「なんか大変なことになっちゃったな……」

 

 宙に吹く風は変わらずツクヨミの白い髪とローブを撫でており、その横には首を傾げるように古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)が強風をまき散らしながら飛んでいる。それでスカート部が度々捲れそうになっているのは内緒だ。

 

 

 まぁ何にせよ、状況は変わってしまったと言っていい。

 

 

 なるべく早く神殿に戻る為、ツクヨミはここでの事故を確認、怪我人がいれば急いで手当してあげる必要がある。

 

 手始めに発動している飛行(フライ)の魔法、それを駆使して高度を下げた。

 全速力で現場に向かいたいところだが、随分と目立つ場所にいたので警戒も怠れない。それこそ今はツクヨミが標的にされている可能性も高いからだ。

 

(しかし森妖精(エルフ)、エイヴァーシャー大森林。まさにこの辺じゃない?)

 

 ツクヨミは、自身が法国の南西──丁度相手が森から出てきてすぐに奇襲できそうな場所に来ていることに苦笑いする。まぁここまであり得ない位置だと寧ろ安全かもしれない。

 

 周りを見回してから──辺りに敵らしき存在が居ないことを確認すると、ようやく飛行(フライ)の魔法を解除する。

 

「よっと」

 

 そのままふわりと柔らかい草原の上に着地すると、目の前には先ほどの、道から大きく外れた白いテント付きの馬車が見えた。

 相変わらず不用心というか、違和感を感じる外観だ。

 それもあって心中では被害を装った巧妙な罠の可能性も浮かぶが……どの道石橋を叩いて回る時間もないので、ツクヨミはこの状況下で最も効果的であろうそれを、後光を伴って発動した。

 

 

生命感知(ディテクト・ライフ)

 

 

 低位階だが馴染み深い魔法。コスパが良いので対PK戦でこまめに使っていたそれを唱えると……。

 

 驚くことに(というのもあれだが)外観の傷ついたテントの中から薄っすらと2つのオーラが感じ取れた。逆にそれ以外の、道の間に倒れている数体のゴブリン等から生命力は感じられない。つまりはテントの中の彼らが此処での生き残りということが予想できる。

 

(人かどうかは分からないけど、でも中で動けてないようだし困ってるのかな)

 

 それに国土内ということを考えればそれが法国の人間である可能性はかなり高い。それこそ潜伏した森妖精(エルフ)のとばっちりでも受け、中で重症を負っていることも考えられるだろう。

 

 

 よし。ツクヨミは意を決すると、それに走り近づいていった。

 

 

 道の間に揺らめく不快な血の匂いは強烈だ。ビーストマンの時ほどではないが、十分眉を顰めたくなるそれをツクヨミは超え、覆い布の右に回りそっと顔を覗かせる。

 

 日陰となった室内。薄暗くも、風通りの良いその場にいたのは──

 

 

 

 ……

 

 

 ……え? 

 

 

 

 予想外としか言えない存在。

 

 それは法国の旅人でも、他国の冒険者でもない──()()()()森妖精(エルフ)の者達だったのだ。 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「えっと……」

 

 

 日を受け輝く長い髪。それを揺らめかせながら、ツクヨミはテントの荷台内に視線を向けている。

 

 そこは木造の作りであり、左右に備え付けの長椅子がある何の変哲もない物であったが、ただ一つだけ異様な点があった。

 それは先も言った通り、乗っている者の風貌。いや身分というべきだろうか。

 

 

森妖精(エルフ)の──女性?)

 

 

 そう。乗っている──いや、正確には中の地面に具合悪く座り込んでいる2つの存在は、どちらも耳が特徴的に尖っている、美しい森妖精(エルフ)の少女達だった。しかもそれだけではない。

 

 そのどちらもがその身に高そうな服を着ており、背中に申し訳程度の襤褸のマントを羽織っていた。

 その姿はどこからどう見てもこちらを害そうとする戦士や狩人のそれではなく、寧ろ貴族や令嬢のそれであった。

 だからこそツクヨミも困惑する。

 果たして彼女らは奇襲の件と関係あるのか……? と。

 

 

「……え、あ」

 

 

 しかし、そうこうしているうちに森妖精(エルフ)の一人がこちらの存在に気が付いていた。

 綺麗な黄緑色の髪を肩くらいまで伸ばしている彼女はツクヨミの方を向くと、下から上まで視線を動かした後、静かに息を呑む。

 

「……」

 

「あ、あの。大丈夫ですか?」

 

 そうして固まってしまった森妖精(エルフ)の女性。その表情には明らかな驚愕と畏怖の色が表われている。それはこの場面だと"どちらの意味"にも取れるものかもしれない。

 

 しかしながら、今はそんなことより彼女らの()()の方がツクヨミは気がかりだった。

 

(思ったより酷い怪我だ)

 

 よく見ると目の前の森妖精(エルフ)は肩に矢でも刺さっていたのかそこから血が滲んでおり、上等な長めのスカートも所々汚れ、横たわった足首には掠り傷や打撲痕が見える。更に奥の一回りほど若い金髪の森妖精(エルフ)の少女にいたっては頭に血の染みた布を巻いていて、壁にもたれた状態で気を失っていた。

 

 それは明らかに助けを必要としている、か細い者の姿だっただろう。

 

 そんな状況にツクヨミが反射的に一歩近寄ると、怯えるようにびくりと前の彼女が反応したので、ツクヨミもなるべく優し気な声で彼女らと接することにした。

 

「コホン。私は通りすがりで、別に何かしようという気はないのでご安心を……。そ、それにほら。こう見えて回復の魔法が使えるんです。少しですが」

 

 そうして目の前で聖騎士(パラディン)系統である信仰形魔法を疑似的に使ったりしてみる。

 すると少しは落ち着いたのか女性森妖精(エルフ)は溜まった息を胸から吐いた後、こちらに濃い翡翠色の瞳を向けて口を開いた。

 

「あ、あの。助けてくれる……のですか? 森妖精(エルフ)である私達を──?」

 

「無論です。まぁ確かに私は法国の人間ですが、困りごとに種族は関係ないですからね」

 

 それに言ってしまえばツクヨミは異形種の友人がいるくらいだ。ユグドラシルでも人気だった森妖精(エルフ)など感覚的にもう殆ど同類みたいなもので──まぁ確かに現在の問題が絡んでいる種族ではあるが、困っている人を見過ごすような真似は到底出来ない。

 

 例えそれが塩を送る行為になったとしても──。

 

(問題になったら後で責任を取ろう)

 

 ツクヨミは純白のローブ越しに片手を伸ばすとそれを迷いなく唱えた。

 

 

重傷治癒(ヘビーリカバー)

 

 

 一応は第三位階というこの世界基準ではまぁまぁな信仰形魔法。ツクヨミとしては初心者の頃を思い出させるそれを発動すると、淡い光の発現とと共に目の前の森妖精(エルフ)の全身の負傷がみるみるうちに回復していく。その効果は雑多なポーションが高級品である現地基準で言えば、絶大という他ないだろう。

 

 全身の倦怠感。痛み。それら全てから解放された彼女が唖然とした表情を見せたのは言うまでもなかった。

 

「……後ろの森妖精(エルフ)さんも治しときますね。重傷治癒(ヘビーリカバー)

 

 続けてそれを金髪の少女の方にも唱えると、同じくして彼女の受けた身体のダメージの全てはまるで時間が逆行していくように消えて無くなっていった。ユグドラシル的に言えば素の体力が低かったためだろうか? 

 

(まぁ流石に本職の大治癒(ヒール)ほどの効果は無いんだけどね)

 

 そのため彼女がすぐに気絶から起き上がるということはない。それはツクヨミからすれば少々申し訳ない部分だったが……

 

 黄緑髪の森妖精(エルフ)はそうは思っていないようで、寝息を立てるようにすぅすぅと心地良い表情に戻った少女の体を軽く抱き締めると、安堵の涙を目じりに浮かべていた。それは何とも愛情深い光景だった。

 

「まさか。本当に、ありがとうございます!」

 

「いえいえ」

 

 身体の前で小さく手を振る。

 まぁ何にせよ、呆気ないがこれで怪我人の問題は一旦解決だろうか。色々聞きたいこともあったが彼女らは回復したばかり。変に刺激するのも憚られた。それにこちらの時間がないこともあったので、今回は仕方ないだろう。

 ツクヨミは生気を取り戻した彼女達からそっと離れると、神殿に急ぐべくその足を岐路に向ける。

 

 しかしその時──

 

 

 

「あ、あのっ!」

 

 体を翻したツクヨミの方に黄緑髪の森妖精(エルフ)がマントをはためかせながら降りてきていた。その目はもう先ほどの弱り切った目ではなく、前を向いた決意に満ちた目であった。そのことにツクヨミは内心驚く。

 そしてそんな彼女は明らかに何らかの目的を持ったように、帰ろうとしているこちらに向けて慌てて話しかけてきた。

 

「何度も申し訳ございません。しかし、命の恩人である貴方にこれだけはお聞きしておきたくて」

 

「何でしょう?」

 

「法国の神様」

 

「え?」

 

 

 

「貴方様が法国の神様……なのですか?」

 

 

 

 その問いを受けた瞬間、ツクヨミは指先に至るまでその動きを一斉に止めた。いや──正確には周りに最大限の知覚を張り巡らせ、大人しく向こうの平原で待機している僕を見やったりした。しかし他の者の気配は当然のようにない。

 

 そんなツクヨミの動きが存外分かりやすかったのか、黄緑髪の森妖精(エルフ)はある種確信めいたようにそれを呟いた。そう、彼女はこちらを知る者のようだった。

 

「やはりそうでしたか……。では私達のことも知っていて……」

 

 よく分からないがその場でぎゅっと手を握る森妖精(エルフ)

 図らずもどうやら完全に身バレしたたしい。まぁ正直な話、光輪の善神(アフラマズダー)さえ背負ったその見た目があまりに露骨すぎたのは確かだったろう。

 彼女はふぅとように息を吐くと、その続きを話し始める。そこからが森妖精(エルフ)の本題だった。

 

「助けていただいた身でありながら、すみません。しかし。しかし! 貴方様が()の神様であられるのなら、どうしてもお願いしたいことがあるのです。実はそのために私たちは此処まで来たといっても過言ではないのです」

 

「な、何でしょう。お願いしたいこととは」

 

 奇襲の件。それも相まってツクヨミは何か重大な関連のありそうな彼女の願いを、おぼつかない口調で聞き返す。その内容については──はっきり言って分からない。何故ならツクヨミからすれば、森妖精(エルフ)のことなどつい先ほど伝言(メッセージ)で知ったばかりなのだ。

 

 

 しかしそんなツクヨミを他所に、高貴な振る舞いの彼女は一拍置くとそれを語りだした。

 

 

「私達を。いえ──森妖精(エルフ)の国を」

 

 

 

 どうか。

 

 

「どうかお救い頂きたいのです……! この蛮行から」

 

 

 

 その熱の籠ったとんでもない懇願。それはどこか、そう──。どこか別の国の女王の姿を、ツクヨミに思い出させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 

 言ってしまった──。

 

 エルフは自国の問題を、あろうことか他国の人にしてしまったことを恥じつつも、藁にも縋る気持ちで自身の黄緑色の髪の隙間からその神々しすぎる御方を見つめていた。

 

 森妖精(エルフ)の国を救ってほしい。

 

 更に言うならばあの狂気の王、デケム・ホウガンの手から救ってほしい。そんな今までの思いをここに降った希望──最初に目にしたときは本当に驚いたものだ──に吐き出していた。

 

 

 正直な話、口にしておいてあれだがエルフは断られるだろうと思っていた。何せその内容はあまりに馬鹿げているし、向こうにメリットだって殆どない。それにそれを(のたま)っているのは向こうからすれば只の小娘。

 助けてもらった身としてもあまりに厚かましく、無理な望みだとは分かっていた。

 

 ……

 

 にも拘わらず、何故か今、法国の神であるこの御方はとりあえず話を聞いてくれている。馬車の荷台の入り口に座っているエルフはそのことに感謝しつつ、同じく隣に腰かけている()の女性に緊張気味にその口を開いていた。

 

 この機会は決して無駄にできない、と。

 

 

「まずは自己紹介を……。私は森妖精(エルフ)王国の文官を務めさせて頂いているリディス・ヤーデと申します」

 

「リディス様ですね。私は──ご存知かもしれませんが、ツクヨミと申します。……それで先のお話についてですが」

 

「あ、申し訳ございません。時間も差し迫っていると思いますし、早速お話させていただきますね……」

 

 そうしてリディスはあの日のことを思い出すように、それの経緯について語り始めた。

 

 

 ────

 

 ──

 

 

 

 

 あれは一週間ほど前のこと。

 

 森妖精(エルフ)王の直々の命により、森妖精(エルフ)の王城から出発させられたリディスと他の森妖精(エルフ)の文官。そして王直属の実戦部隊は、エイヴァーシャー大森林を抜け、そのすぐ傍にある北の中継地まで足を運んでいた。

 

 その目的は言うまでもないが、法国の神を王の代わりに森に連れてくること。もしくはそのための実力行使という、何とも野蛮で後先考えない内容だった。

 

 中継地というだけあって巨大な木造の作りのその砦の中には多数の人物が行き交っていた。それは森妖精(エルフ)の行商であったり、森妖精(エルフ)王国の兵士であったり、はたまたごく少数ではあるが"法国の人間"まで。

 

 そして自分達はその中でも特に古い建物である、とある兵舎のような場所に足を運び、そこで法国上層部と書簡のやり取りなどを行っていた。

 

 

 最初は希望にしがみ付いて穏便にやっていただろう。しかし──

 

 

「拒否……?」

 

「は、はい。やはり厳しいようです。せめて王側から神殿に挨拶に来るなら歓迎する、と。法国からは来ています」

 

 リディスは木製の机の上。上質なインクとペンの置いてあるその横長の部屋内で、同じく文官である金髪の彼女と話をしていた。

 

 その内容は森妖精(エルフ)である彼女らの送った書簡に関するもの。

 

 最初は法国の神を歓迎するため、一度、神に森妖精(エルフ)の王国へと足を運んでいただけないかという内容を送ったが、まぁ当然の如く拒否された。

 

 そして今回はどうしてもと送り直した文章が、道理から外れていると空しく棄却された流れだった。

 

(分かっていたけど、やはり……)

 

 厳しい。というのが答えだった。法国の言っていることは正論すぎたし、自分達だって手段は違えど森妖精(エルフ)王の命に付き従い、ただ法国を──そしてその神様を陥れようとしているに過ぎなかったからだ。

 

 

「……決まりだな」

 

 

 そしてそこで動き出したのが彼らである。

 

 

「ま、待ってっ。 まだ何か他の方法が──」

 

「あると? ふん、馬鹿馬鹿しい。時間の無駄だ。我々はただ王の命に従い、神とやらを捕縛してくるだけだ」

 

「しかし……もし失敗すれば、それこそ森妖精(エルフ)の未来は」

 

「何だと? 失敗──?」

 

 そこで実戦部隊の長、今回派遣された中でも特に王からの信頼の厚い中年の森妖精(エルフ)である、第一王国騎士長がリディスの胸倉をつかんできた。

 その瞳は薄暗い青であり、ただただ冷酷で、ゴミを見るような瞳だった。

 

 王国騎士長はその低い声でリディスにしわがれた口を開く。

 

「何を勘違いしている? 王は元々()()()に我々を派遣なさったのだ。貴様らのお遊びで時間を費やすことの方が余程失敗だろう。……大体、相手は女だ。我らが下手をうつことなどあり得ない」

 

 見れば周りの実戦部隊の連中もこちらを鼻で笑うように立っている──。負けることなど到底考えていないという風に。

 

 

「や、やめてください!」

 

 

 そんな時、彼女が声を上げた。

 金髪の──自分より一回りほど若い彼女は、震えながらも横に割って入ってくる。

 そしてそれを見た王国騎士長は面白くなくなったのか、「ふん」とリディスからその手を離した。

 

「まぁいい。我々は当初の予定通り、用意していた馬車を使い法国に向かう。全ては王の絶対の命の為に」

 

 もはやその流れはどうにもならなかった

 それこそ、このまま自分たちがぐずぐずやっていても、森妖精(エルフ)王であるデケムがしびれを切らし、結局法国とばちばちの関係になることは避けられなかっただろう。

 部屋から男達が出ていき、そして辺りに静寂が舞い降りる。

 

「私達は……どうしたらいいんでしょう」

 

 今にも泣きだしそうな金髪の少女がそこには立っていた。正直リディスだって分からなかった。このまま手をこまねいたまま明らかに目の前に見えている人類最強の大国との戦争に突入するか。それとも、ただ絶対の王に歯向かって死ぬか。

 

 どちらも選びようがないような内容。そんなものしか選択肢がなかった。

 

 

 だからあの時、自分がそちら側に振れたのは──きっと頭のネジが外れた部分はあったのだろう。

 

「……もう一度取り合おう」

 

「え?」

 

「もう一度。今度は顔を合わせて法国に話に行くのはどうだろう。 もし法国に希望があるのなら、森妖精(エルフ)の……現状も交えて」

 

 そうすれば何か変わるかもしれない。自分達は救われないかもしれないが、森妖精(エルフ)の大勢の命は助かるかもしれない。

 そんなはっきり言って頭のおかしい"造反"の内容を真剣に聞きつつ、それを首肯してくれたのが彼女だった。

 

 

 そうして、リディスたちは信頼できる他の数名の文官にもその話をしたのち、できる限り早い深夜の時間から、実戦部隊を追うように法国に向けて馬車を走らせた。気の弱そうな若い御者と共に。

 

 ただ、その後のことは知っての通りだ。

 

 殆ど馬車の向かうことのない危険な北の道。単独で走ることを余儀なくされたリディスたちは不幸にも、旅立った数日後モンスターに襲われた。馬は暴走し、荷台は荒れ狂った。その勢いで多くのゴブリンは倒れたものの、同時に御者は傷を負い、軛を外された馬と共に失踪してしまう。

 

 そして残されたのは無念にも負傷し、拝謁という使命も果たせず、動けなくなった二人だけ。

 

 

(そう。そこで……終わるはずだった)

 

 

 

 ────

 

 ──

 

 

 

 無事話を語り終えたリディス。それに対し、ツクヨミはぶつぶつと言いつつ首を縦に振っていた。

 

「なるほど。要はその森妖精(エルフ)の王様? の目的が私の無力化な訳で、その為に法国に変な輩が来ていたのか……。そして、そんな時にお二人が──」

 

 その現状を伝えてくれたと。

 

 リディスはそれに重苦しく首肯する。これが正しい行いなのかは分からない。ただの裏切りなのかもしらない。しかし、それでもこの人ならと。リディスはその全てを話した。

 

 

 そしてそれを認めるようにツクヨミがぐっと体の前で握り拳を作る。

 

 

「分かりました。あとは私が何とかしましょう。エルフ王? もまぁ最悪倒して、両国救うということで」

 

 

 誰もが考えなかったそれを目の前の女性が軽々と語る。

 

 

「しかし王は本当に……本当に最強です。もしかしたら戦うのは厳しいかもしれません……」

 

「まじか。プレー……んんでは無いと思うんだけど。 まぁその辺りはまた考えましょう」

 

「今から行かれますか?」

 

「ええ。実はすでに法国内の街にその実戦部隊という方がおられるようで」

 

 それを聞き、リディスは顔を青くする。当然と言えば当然だが、やはりというべきである。

 

「そ、それは急いだほうがいいかもしれません! 彼らは本当に外道で……もしかしたら市民を盾にするようなこともあり得るかと」

 

「そうですか。では、飛ばしていきましょう、お二人もついてきてくださると助かります」

 

 

 そこで丁度良くも金髪の少女が起きてくる。

 

 ツクヨミは地面に降りてそっと平原の方に指さした。そちらをリディスが向くと、

 

 

古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)が待ってます」

 

 

 

 そこには──とんでもない"風"が吹いていた。

 

 




毎度開いちゃってすみません(後半はちょっと疲れました)
次回は来週か、再来週ごろになります。また何かあれば進捗報告に書かせて頂こうと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

39.分岐点

 

 スレイン法国に六色ある聖典の内の一つである火滅聖典。それは先日より神の帰路を守る為、南の都市で監査を続けていた部隊である。

 

 

 そんな部隊の長である男。赤と黒を基調とした戦闘服をその身に纏うくすんだ金の髪を持つ彼は今、急ぎ道をゆく自分の横に()()()同じく奇抜な恰好に身を包む女性へとその口を開いていた。

 

「それで、我らが神はご無事なのでしょうか?」

 

 

 彼らにとっての目下の最重要事項について縦に首が振られる。

 

 

「私も詳しくは知らないけれど……風の神官長曰くもうじきお戻りにはなられるとのことよ」

 

 そう言葉を返してくる彼女もまた、火滅聖典隊長とさほど変わらない20代後半といった年齢の女性である。その特徴としては緑と白色を組み合わせた薄地のローブを着ていることくらいであり、まぁ言うまでもないが、彼女も六色聖典の一つである風花聖典。その隊長であった。

 

「そうですか」

 

 火滅聖典隊長はそうして情報収集に特化した盟友からの連絡を受けると、先まで走り出しそうだった片足をそっと抑え、その胸を撫で下ろす。

 

(一先ず神はご無事のようだ……)

 

 信者の一人としてこれほど幸いなことはない。しかし、それで気を緩められないのが今の状況だろう。

 

 隊長はすぐにその瞳に火のような輝きを戻すと、隣で歩く速度を合わせ移動してくる風花聖典隊長、そして後方から早歩き気味で着いてくる数名の──同じような戦闘服を身に着けた火滅聖典の部下と都市の巡回兵を連れ、問題の街へと視線を戻した。

 

 

 

 そう。現在──スレイン法国は森妖精(エルフ)による襲撃を受けている。

 

 

 

 といってもその規模は極めて小さく、今隊長が歩いている南の都市の一角、広い商店などが立ち並ぶその街道に目を向けてもそんな騒乱が起きているとはとても思えない程だった。

 

「……」

 

 しかし、それもまやかしである。

 

 自分達は──法国上層部は確かに知っている。兵などの証言もあるように、今、確実に愚かな森妖精(エルフ)がこちらに潜伏し、何らかの機を窺っていることを。その目的は明確には掴めていないものの、タイミング的にも場所的にも新たに降臨された神であるツクヨミが狙われている可能性は高かった。

 

 

 そして、それを事前の段階で発見できなかったのは正しく火滅聖典の失態であった。

 

 

(今はツクヨミ様も離れられているし、兵士は負傷。となるとやはり我々が何とか奴らを排除しなければならない……)

 

 幸い今は神官長や大元帥の命もあって、ある程度は人払いがされている。他の聖典が基本遠くにいるということも考えれば、実働的な部分は彼らに任されているというのもあながち間違いではないだろう。

 

 隊長は今後どうするか考えながら、再度重要な内容を彼女に問いかけた。それは先程風花によって遠隔から聞かされた話だった。

 

「そういえば、神は。ツクヨミ様は不審人物への手出しはなるべく控えるよう仰られたのですよね?」

 

「ええ。それは伝言(メッセージ)通り。ただ、ここも小さくない都市故、短時間ながら負傷者も数名出たから……それもあって神も無用な被害を避けられる為にそれを御指示されたのかもしれないわ」

 

「なるほど。相も変わらず何と慈悲深き御方でしょうか。しかしそうなると少し悩みますね……」

 

 火滅聖典と風花聖典の隊長は難しい顔で南の道を進む。というのも、最悪なことに森妖精(エルフ)共はこの神聖な地を踏み荒らし、更には神都を目指して移動していることが今までの動向から明らかとなっている。

 

 それをここまで"近づいて"なお看過するのは、栄えある従者としてどうなんだ。そういった話だ。

 

「神の御計画に触れる可能性。どう思います?」

 

「そうね。無いとは言い切れないかも……。ただ、私が言うのもあれなのだけど……やはり神をお守りするのが──」

 

 っと。珍しく彼女と意見が合致しかけたそこで、火滅聖典隊長の耳元に魔法の繋がる感覚が走った。

 

 伝言(メッセージ)である。隊長は急ぎそちらに意識を集中し、話し始める。恐らくそれが何度かやり取りを交わしている、広域の探査を得意とする水明聖典のものだと察したからである。

 

「水明ですか?」

 

『ああ。急ぎ森妖精(エルフ)共の件だ。随分かかってしまったが、ようやく場所が特定できたのでな』

 

 一瞬目を細め、火滅聖典隊長が足を止める。周りにいた他の者も察したように止まる。

 

『どうやら奴らは目立つことを避けたのか、その通りの東にある住宅街──その端にある細い路地を使って慎重に、それでいてかなりの速度で神都に向かってきているようだ』

 

「小路でも抜けていましたか。道理で先回りしても出会わない訳です」

 

 隊長は小さく息を吐く。

 一時はスレイン法国の地下水路にでも隠れられたら、と警戒していたがそちらは杞憂だったようだ。

 何はともあれ、表を走っているのなら、如何に法国が広くともそれを見つけられぬ六色聖典ではない。元々非合法な奥の手である聖典なのだ。その練度も他国の兵士や諜報員などとは訳が違う。

 

 それは分かりやすく冒険者の基準で例えるのなら、全員がミスリルどころかオリハルコンに匹敵する部隊。更にその隊長クラスともなれば、そのオリハルコンの中でも上位と言える者達なのだ。

 

(まぁ、その殆どが国内にいる状況というのは中々久しいんですが)

 

 火滅聖典隊長は暫し考えたのち、比較的近距離だと言える伝言(メッセージ)を返す。それはずっと用意していた言葉だったかもしれない。

 

「話は分かりました。では、そちらには我々が向かいます」

 

『良いのか?』

 

「ええ。これ以上近づかれては流石に無視も出来ないでしょう。それに元々私達の目が甘かったのが事の原因ですから」

 

『……。承知した。しかし距離の関係でこちらも即座の応援に行けないことは留意しておいてくれ』

 

 本来であれば確認する必要もないような内容が伝えられたのは、それだけ敵側も手練れだということだ。

 そうして向こうからの伝言(メッセージ)が切れたことを確認すると、止まっていたお互いの時も動き出す。

 

「では私もそろそろ行くわね。どうかご無事で」

 

「ありがとうございます。なるべく他の被害は出ないように善処しますね」

 

 そう返事をする頃には、風花聖典隊長の細身な姿は街の空気に溶け込むよう、魔法の力によって消え去っていた。

 

(ふぅ)

 

 火滅聖典隊長は最後に細い息を吐く。

 

 そして、部下と共に問題の場所へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

 一方その頃。不当な訪問者たる森妖精(エルフ)達は──。

 

「想像より遥かに温いな」

 

「全くですな。もうすぐ神都ですよ」

 

 瞬く間に法国内に侵入し、街中の影を縫うようにその道を走り抜けていた。

 距離にすれば120、いや150kmといったところだろうか。序盤は殆ど動向もバレていなかったので、巧みに南の門を抜けた彼らは、()()()()の貨物車の荷台と共に移動。一度の野宿を挟みつつ、それから爆速で街の中心へとかけ進んでいる。

 

 

 列を成す彼らの先頭は当然、王・デケムの命をその身に戴く森妖精(エルフ)の第一騎士長。

 

 神の捕縛という前代未聞の作戦を言い渡された彼は、黒のローブに身を包み、他の誰よりも年季の入った隠遁者の如き姿で、今も手に握った古く粗悪な地図を眺めながらあり得ないほどに的確に道を進んでいた。

 

 それは並外れた野伏(レンジャー)としての才があってこその芸当であろう。

 騎士長はもう一度地図に付けた目印を指で追う。後ろの仲間が言うように、あと数十分も走れば神都に入る。そんな距離感の中、誰一人として追手が現れない──。

 

 そんな状況に騎士長も少しだけ訝しむ。

 

「この調子なら神とやらも簡単に捕まえられたりして」

 

「確かに。こっちを探ってる奴も当分見当たらないしな。とはいえ、流石に神殿……? に入るのは大変かもしれんぞ」

 

「魔術師でもいたら、少しは厄介でしょうね」

 

(本当にこの程度なのか?)

 

 余裕を溢す同胞を見ていると一周回って危機感が湧いてくるが、騎士長自身も今まで声を掛けてきた兵士があまりに弱かったことから、もしかしてという感情を捨てきれない。

 

 自分達が強すぎたというあれだ。はっきり言って、森で常に戦っていた自分達は練度が違ったのかもしれない。

 

「元々力負けするとは微塵も思っていなかったが、それでも手こずらされることさえないとはな。……人類最強も名ばかりか」

 

「騎士長の仰る通り。あの森妖精(エルフ)の小娘共も法国を過大評価しすぎなんですよ。我々ならそれこそ、このまま神都で暴れて、向こうから出てきてもらうってのも無理ではないかと」

 

 森妖精(エルフ)の数人がかつての文官を鼻で笑い、彼の意見に頷いて行く。ある意味それは今までの緊張の裏返しだったのかもしれない。全員が意気揚々と街を隔てる小門の方向へと向かう。

 

 

 

 

 

(……音?)

 

 ただし、騎士長だけはそこで漸く聞き入れることになる。微かな……意図的に音が消された追跡者の足跡。それは後方からではなく、寧ろ立体的に、所々から発生していた。

 

「騎士長?」

 

 足を止める。それはかなり洗練された集団のようで、既にこの通りへと近づいて来ていることが窺えた。少しずつ周りの者もその異変に気付く。

 

 そして──

 

 

 

魔法三重化(トリプレッド・マジック)

 

 

 

「そこかっ!!」

 

 

 腰の剣を引き抜いて"屋根の上を見た"。そこに居たのは陽の光と共に現れた赤装束の男達。

 騎士長の知らない、謎の部隊の全員が三重化された魔法を構えていた。

 

「「「「魔法の矢(マジック・アロー)!!」」」」

 

 瞬間、10,20どころではない不可避の光弾が自分たちの立つ地面目掛けて降り注いでくる。

 騎士長含め、森妖精(エルフ)の全員が頭上からの猛攻撃を耐え凌ぐように、己の獲物を使ってそれから身を守る。

 

(狙いは辛うじて分散している。私からしたらなんてことはない攻撃だが──)

 

 見れば他の者はそうでもないようで、急速な負傷の蓄積により、その場に立っていられなくなった味方も少数ではあるが出てきた。そのダメージは如何に一位階の魔法と言えど甚大ということだろう。

 

 正直、苦くも先手を打たれた状況として芳しいとはとても言えない。

 

 ただ、そんな時でも森妖精(エルフ)の騎士長は余裕だった。いや、何より冷静だった。すぐに意識を研ぎ澄ますと、更に正面から音が三つ聞こえてくるのが分かった。それは明らかに意識の外から来ようとしている者達。

 

 それを狩人の目で捕捉する。

 

「お前たち。前だ! こちらが本命だ」

 

「もう遅い! 魔法三重化(トリプレッド・マジック)衝撃波(ショック・ウェーブ)!!」

 

 赤と黒の衣装を着た隊長らしき男。それが先程のように三重の魔法を唱えると、たちまち不可視の衝撃がこちらに向かって発生する。

 狭い路地の大気は歪み、家の前に並んだ花瓶などはたちまち砕け散ると、隊長含め森妖精(エルフ)の全員をそれが襲う。

 

「ぐぅ!!」

 

「ま、また魔法か……!!」

 

 甚大ではない攻撃だ。距離が離れているとはいえ、その広範囲魔法の威力はオーガの三連撃に匹敵するだろう。ただ、それでも彼らが吹き飛びつつも命を刈り取られずに済んだのは、その攻撃に事前の対処ができたこと。そして全員が何だかんだ森妖精(エルフ)王国の精鋭戦士であったからだった。

 

「……人間風情が舐めた真似を。おい」

 

「は、はっ」

 

 騎士長は冷酷に戦場を見据えると仲間に指示を出す。そして森妖精(エルフ)も察したように耳に手を当て、別動隊を呼ぶ。なに、予定は狂ったがこの程度の相手なら何の問題にもならない。

 

 そんなずば抜けた強者の余裕。それを以って騎士長は彼らへの反撃を決意する。

 

「怪しい真似はさせんぞ! 魔法の矢(マジック・アロー)!」

 

「ふん。先程の多重攻撃は終わりか? ならば──お前たちに教えてやろう」

 

 騎士長は仲間に向かって放たれた光弾を無駄のない剣戟で弾き飛ばすと、目の前の地面を蹴り上げる──。狙うは正面。敵の隊長含む三名だ。

 

(後ろの輩も降りてきたか。ならば向こうはあやつらに任せよう)

 

 騎士長は視線を戻す。そして先ほどのようにもう三重化を使ってくる気配のない敵に全力の攻撃態勢を取る。やるなら迅速にだ。

 

森妖精(エルフ)風情が舐めた口をっ。 炎焼騎士槍(バーンランス)!」

 

「武技:要塞っ」

 

「……なに!?」

 

 炎を纏った魔法の槍が高速で飛んでくるのを見て、騎士長はなんとそれを完璧なタイミングで発動した要塞によって正面から受ける。

 

 言ってしまえば、近づけば勝ちな騎士長。対して近づかれれば負けな魔術師(相手)

 どちらが有利かは判断が分かれるところだろうが、ただ一つ言えるのは、上級者同士のその攻防は熾烈を極めるということである。

 

 まず、けたたましい音と共に移動阻害が発動する。それを熟達した身のこなしで回避する。次に地面から巨大な岩が襲ってくる。それを体の節々に掠らせながらも、握る剣で弾き飛ばす。身を守り、空気を削り取るように炎の柱が発動する。

 

 その全てを、騎士長は己の剣一つで消し飛ばしていく。

 

「くっ……!」

 

「まぁ少しはやるようだな。だが、その程度の力で私は止められん」

 

 確かにこの男は強い。恐らく周辺国家で見てもかなりの実力者だろう。だが、そんなことは英雄の領域に足を踏み入れつつある騎士長にとって問題ではなかった。

 

 すかさず空中へ飛び、剣を前に構える。

 

「させるものか。 石壁(ウォール・オブ・ストーン)!!」

 

「残念だが、これで終わりだ」

 

 

 ──武技:超斬撃!! 

 

 

 それが発動すると、紙を裂くように石の壁は真っ二つとなり、近くにいた赤服の男の部下二人も風圧で吹き飛ぶ。

 邪魔者が消えてから更に、騎士長は斬撃を繰り出す。

 

「ぐはっ」

 

 まぁ、一つ小癪なことがあったとすれば、攻撃時に隊長が二重で障壁を繰り出してきたことで完全には仕留めきれなかったことだろう。

 

 横なぎの攻撃を受けた敵の隊長はそのまま左の壁に打ち付けられ、口から小さく血を吐く。騎士長はそんな男へと歩いて近付いてく。もはや勝敗は決したと言っていいはずだ。剣を前に構えながら、唯一こちらの脅威となりそうだった者へのとどめを刺す準備をする。

 

「後ろの者どもも耐えてくれている。更にはもうじき仲間も来る。そう言う訳で、貴様らもここで終わりという訳だ」

 

「それは……どうだか」

 

 しかし不敵にも男はくすんだ金髪から炎のような目を覗かせながら、立ち上がって来る。それが妙に引っ掛かる。何故ならそれは、騎士長が何万と見てきた死に怯えた弱者の目ではなかったからだ。

 

「私からも一つ言わせて貰いましょう」

 

「この期に及んで何だ?」

 

「──我々はこの地では決して負けない、ということです。ましてや薄汚い小悪党などにね」

 

 男はそういうと意味ありげに、騎士長の後方の空を指差してきた。

 

 何かのはったりか? 

 

 騎士長にはそうとしか思えなかったが、もはや虚を突かれて負けるようなこともあり得ないので、とりあえず肩越しに振り返ってみる。

 

 

(やはり何もないな。所詮は死に際の時間かせ……)

 

 

 しかしそう思ったのも束の間──。すぐに感じたのは匂いだった。それも焦げた匂いだ。更に上から新たな足音も近づいてくる。

 騎士長はそこで初めて表情を歪めた。

 

 

 ドサリ。そんな音が鳴ると同時に、炎系の魔法によって焼かれたであろう森妖精(エルフ)の仲間二人が屋根の上から落ちてきたのだ。当然、この二人もかなりの手練れであったはずだ。

 

「部隊を別けていたのは我らだけではなかったと?」

 

「その通り。それに、汚い手はこちらも得意なのですよ」

 

 後ろの隊長は青い治癒薬(ポーション)を手元で素早くへし折る。加えて周りで倒れていた赤い服の男達も立ち上がり、こちらに魔法を構えていた。

 

 騎士長は剣を横に薙ぎ、空中で固定すると苛立ちを隠さぬように発する。

 

「……楽に死ねると思うな」

 

「やれるものなら」

 

 一転、体力は残っているものの多勢に無勢の状況となってしまった森妖精(エルフ)の騎士長。彼は周りで倒れゆく同胞を見ながら、英雄の怒れる前足を踏み出した。

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

「あわわわわわわ……!!」

 

 そんな中、ツクヨミ達はというと。

 

「いい加減慣れたらどうなの……?」

 

 先ほど事故現場から助けた森妖精(エルフ)の文官二名と、あろうことか法国の空を飛びまわっていた。これは急遽発生した世界平和の為の流れであり、正確には古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)で爆速移動した後、南の都市の上空から飛行(フライ)の魔法で降りてきて、そのまま屋根上を飛んで人を探しているという方が正しい。

 

 ちなみに古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)に関しては方角を示したら了解したように飛んでいったので多分大丈夫なはずである。

 

 そして彼女らだが──黄緑髪の森妖精(エルフ)であるリディスは早々に飛行(フライ)の感覚に慣れていて移動を続けているものの、もう片方の金髪の少女の方は、気絶から起きて来て早々に気絶しそうなほど慌てている。

 

「すみません。私も急ぎなもので……もう少しだけ辛抱ください」

 

 ツクヨミはそんな二人に頭を下げる。

 

 昔着ていた灰色の羽織物。目立ちすぎるという理由で今装着しているそれが風で揺れると同時に、すかさずリディスが手を振り、言葉を返してくる。

 

「な、なにを仰いますか。元々は私達の起こしたこと。それなのにこんなに奔走して下さって……」

 

 そう言って逆にしゅんとしてしまった彼女に、ツクヨミも少しばかり口を噤む。まぁ難しい問題であろう。ツクヨミも先ほど神官長に現場の場所を聞き出し、更にはそこに向かうことを告げた際には珍しく猛反対されたものだ。勿論──森妖精(エルフ)の重要人物と話を付けたことも伝えたが、その時にはもう神官長自身も混乱していて、向こうの情緒が不安定になっていた。

 

(ただ、向こうの事情も分かったことだし、このまま私が行って事を収めるのが一番平和的だと思うんだよね)

 

 ツクヨミの願いはただ皆が平和でいられること。そのための力なら幾らでも振るうつもりだ。

 

「しかし流石に時間がかかりますね」

 

「見た感じ凄く広いですもんね。法国……」

 

「神様の──そ、その魔道具でも厳しい感じなんですか?」

 

遠隔視の鏡(ミラー・リモート・ビューイング)ですか? 移動しながらだと思いのほか難しくて……」

 

 この前向こうで実験していた遠隔視の鏡(ミラー・リモート・ビューイング)だが、早速こちらで活用させてもらっている。しかし操作は運任せという他ない。

 

「ちょっとやってみますか?」

 

「え!? そんな貴重な物を私風情が。あっでも、意外と……」

 

 試しに両手持ちのそれをリディスに貸してみる。すると、彼女は慣れた手つきでそれをどんどん動かしていく。それはさながらおっさんプレイヤーが新要素に難航しているのを、若いプレイヤーが一瞬で自分のモノにするような風景に近い。

 

「あっ!! 見つかりました」

 

「えっ」

 

「どうやら既に交戦しているようです。すぐに向かいましょう!!」

 

 ツクヨミは一瞬でそれが見つかったことに安堵と胸へのダメージの両方を感じながらも、一旦は羽織った灰色のローブを盛り上がった背から取る。

 そうしていよいよ、太陽の輝きを全身に受けながら、森妖精(エルフ)の二名と共に急いで現地に向かっていった。

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

「ぐぅ……」

 

「流石に、中々しぶといですね……」

 

 あれから更に少しの時間が経ち、敵の合流した部隊と激戦を繰り広げた森妖精(エルフ)の騎士長は初めてその膝を地面についた。

 

 英雄級に届く存在。森妖精(エルフ)の王国でも王を除いて最強と言われた自分。そんな自分が今──敗北を喫しそうになっている。その事実に自然と口が曲がる。

 

(何故だ。この私が、こんなところで!)

 

 森妖精(エルフ)の騎士長は手に握る剣を更に強く握りしめると、焦げ付いた地面から再び立ち上がる。周りを見れば、他の森妖精(エルフ)も顔を顰めた状態で膝を付いていたり、死んでいるのか生きているのか分からない状態で横たわっていたりする。

 

 ただ、それは相手も同じだ。数は多いが、相手の赤装束も大なり小なりダメージは受けており、敵の隊長も息は上がっている。

 

 まだやれないことは無いはずだ。

 

 ……

 

 そんな思いを抱きながら、狭い路地で自分を囲む数十人の精鋭に殺気を向ける。ここを何とか突破し、王の命令を遂行する──。そんな何にも代えられぬ使命が彼にはあるのだから。

 

 騎士長は絞り出すように口を開く。

 

「私は負けられない。我が誇りに掛けて王の厳命を守り抜くっ」

 

 

 

 

 騎士長は敵に飛びかからんとする。自分でも分かるほど無謀な一撃。追い詰められた者特有の隙だらけの一撃を放とうとした時であった。

 

 

 

 

「……ツ、ツクヨミ様!?!?」

 

 敵の隊員の一人が発したその言葉にどうしようもなく疲弊した身体が止められる。それは騎士長にとっても聞き覚えのある名前だったからだ。

 

 騎士長は焦るように振り返る。有り得ない。聞き間違えか? そんな思いを胸に、自身の視線を後方に向ける──。

 

 そこには女がいた。白い髪の女だった。更にその身を包むのは、噂にも聞いていたあまりに神々しい装備の数々であり、騎士長に目の前の存在がスレイン法国のまごうこと無き神だと嫌というほど知らしめていた。

 

 

 

(ば、馬鹿な……。標的が、何故ここに?)

 

 

 敵の隊長以外はそんな騎士長と同様の表情をしていたことだろう。

 ただ、森妖精(エルフ)の騎士長にとってはもう一つ大きな問題があった。それは神の横に仲間の筈の森妖精(エルフ)の文官達が立っていたことである。

 

 本来であればあり得ない状況。実際、他の仲間も倒れながら困惑の瞳を向けていた。ただ、騎士長だけは、それを見るなり今までの全ての事柄が点と点で繋がっていくのを感じていた。

 何処までも乾いた笑いを浮かべながら、目の前に現れた真実を語る。

 

「そうか。そういうことだったんだな! お前達が我らを、森妖精(エルフ)を売ったのだな! だからこそ我らはこうして追い詰められている。違うか!?」

 

 それに答える者はいない。文官も言葉に詰まっている風だった。男はやはりそうなんだと、それを信じ込むように呪詛を吐く。

 

「愚かな。なんと愚かな。我らが絶対の王に逆らうなど……。そこの女に夢でも見たのだろうが、ただ殺されるだけだぞ! お前も、私も、ここにいる全員な」

 

「そ、そんなことは……」

 

「言っておくが、英雄の領域を踏む私でさえ、王にとっては赤子ほどの存在でしかない。もはや他の未来など無いのだ!」

 

 勝ち誇るように言いつつも、実際のところ騎士長の体も絶望により微かに震えていた。こんなふざけた終わり方でいいのか。良いはずがない。

 騎士長は折れかけた脚を踏みしめ、剣を握る。

 

 そうだ。それならいっそ自分が使命を全うするまでだ──。

 

「だから私が、私がここで神の身柄を」

 

 懐から麻痺毒の塗られた短剣を取り出し、どうしようもなく突進する。朽ちかけた身体。その限界を超えた超高速──。

 

 騎士長はこちらの動きに全く反応できていない目の前の神を見据え、これはいけるのではと僅かに口角を上げる。

 

 逆転勝ちだ! 騎士長の刹那のような短剣の軌道が彼女の横腹を捉える。そして──

 

 ……

 

 ……

 

 今までのことが夢だったかのように、目の前の神の姿が突然掻き消えた。まるで時が止まったかのように。

 

(な、なにが起こった!?)

 

 更にもう一つ。

 握っていた剣が粉々に砕け散っている。いや、それだけではない。自分の持ち替えていた長剣、周りにいた仲間の握る武器。その全てが悉く砕け散っていた。

 

 あり得ない。敵は剣を取り出す素振りさえ見せていなかったはずだ。

 

 そんな騎士長の困惑を他所に、後ろから確かに神の声が聞こえてきた。

 

「貴方の王は、ここにいる全ての者を殺すと言いましたね」

 

 彼女の荘厳ささえ感じさせる声が狭い路地で確かに響いていた。それは確かに騎士長が先程いった紛れもない真実の言葉だ。だが、彼女は続ける──

 

 

 

「ならば私は、ここにいる全ての者を救いましょう。貴方方には相応の罰を受けて貰うことになるかもしれませんが」

 

 

 

 もはや騎士長は振り返る気力さえ起きなかった。ただ自分が敗れたという事実。それを知った時、彼はその場にゆっくりと倒れ込んでいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

40.森の使者との会合

少々遅れてしまいました。そして前回のカルマ値の覚え間違えについてはお騒がせしましたorz またどこかでステータス纏めてもいいかもですね。


 

 スレイン法国への森妖精(エルフ)の奇襲。そんな珍妙で、ある意味歴史的な出来事から二日が経過した。

 

 規模としては小さかったそれを受けて、国中で何か変化があったかというとそんなことはなく、今は"何もなかったように"綺麗に舗装され直した戦場跡を、何も知らぬ法国の市民が歩いている。

 

 一応というべきか、何とか保たれた安寧な光景。それ自体は別に悪いことではないだろう。寧ろ、現実(リアル)の──日々不安の付き纏う半無法地帯を知っているツクヨミからすれば、内々で処理されているとはいえ人々が平和な気持ちで日常を送れるのは何よりだと思う。

 

 ただ、だからこそか。

 

 それを処理しきるというある種の責任が法国上層部(上に立つ者達)に付き纏うのは自明であった。そしてその最上位に君臨してしまっているツクヨミは当然ながら休んでいる暇などなかったので──いや、周りの者は全力で休ませようとしていたが──まぁ何はともあれ、帰って来てからずっと"本日の会合"に向けた準備や手伝いをしてきた。

 

 それは言うまでもなく、森妖精(エルフ)の代表との会議である。

 

(ようやくか……)

 

 ツクヨミは心の中で息を飲み、今座っている高級な長椅子、それに一層腰かける。周りを見渡せば、左前にはこちらに気づき──優雅に頭を下げてくる最高神官長と闇の神官長、火の神官長が。右前には先日あったばかりの黄緑髪をした森妖精(エルフ)の文官リディスと……もう一人の文官である金髪の少女がぽつんと座っている。

 

 どちらもが今は礼服、もしくは美麗な貴族然とした服を身にまとっている。それは彼らの正装であるし、彼女らがあれから急ぎで修繕し準備してきたものでもあるだろう。

 

 そんながちがちの場に、まだ始まっていないのに息を吐きたくなる。

 

 そう。これはれっきとした国際会議である。それもかなり際どいタイプの。

 そのためか両者の目は既に真剣そのものであり、少なくともこれが今回の件の事情聴取だけでなく、根本的な問題解決を目指したものであることも何となくわかる。そしてこの切迫した状況下で、それでも二日という時が必要だったのは、まぁ妥当だったことということか。

 

(あの武装集団も今は牢の中。オルカー様達にもきちんと向こうの事情は伝えてるから、大丈夫だとは思うけど……)

 

 ちなみに今いる場所は法国の大神殿近くに建てられた大使館。

 

 ツクヨミは奥行きあるテーブルの上に置かれた湯気の立つ紅茶に目を向けたりしながら、若干不安な話し合いの始まりを見守る。

 そして当然ながら最初に口を開いたのはこの国のトップであり、神を除いて最も政治的発言力のある薄い金髪の老人であった。

 

「では、まずは今回の件に関する貴殿らの言い分を聞こう」

 

 敵意があるとまではいかないが、それでも峻厳な声色を含んだ語気は強い。中間に座っているだけのツクヨミでさえ、おぅと若干怯んでしまいそうなものだ。しかし驚きだったのはそれを受けた森妖精(エルフ)の彼女達がしっかりと受け答えを始めたことだろう。

 

「はい。今回、森妖精(エルフ)の騎士長含む一部の者達が貴国を襲撃するという、本来あってはならない事態が起こってしまったこと、改めて謝罪させて頂きます。そしてそれについてですが、発端はエルフ王の暴走が主であり森妖精(エルフ)上層部としては本意でなかったことと、こちらも命の危機がありやむを得ない状況だったのはお伝えしたくあります」

 

「ふむ、なるほど。……つまりは王の独断であったと。しかし王の責とは国の責、それに神の御身を危険に晒したことに変わりはないのでは?」

 

「それは、仰る通りでございます……。ただ、それでもこれだけは言わせてください。王国の森妖精(エルフ)全体としては王の横暴に立場上苦しめられているところはあり、神への害意を持っている民など全くといっていいほど居ないことを」

 

 リディスの訴えに最高神官長は眉をひそめるも、暫し口を噤む。部屋の奥で待機している漆黒聖典の面々も同様だ。

 正直に言わせれば、神官長からしたら神に敵意を向けた森妖精(エルフ)はそれだけで敵でしかないだろう。しかしそれでも今悩むのは、紙一重で彼女らが法国の味方をしようとしたこと。……加えて『民』の存在。森妖精(エルフ)の民が神を貶めようとしていない証言を得たことで、彼らもまだ"人類"の仲間側である可能性が浮上したためである。

 

 闇の神官長、グレームがその口を開く。

 

「訴えは分かりました。また、それに一考の余地があることも。ただし目立った被害が無いとはいえ──こればかりはその被害の中心たるツクヨミ様の御意向も伺う必要があるでしょう。ですよね、最高神官長」

 

「まさしく。全ては神の御意向が優先される。ツクヨミ様、いかが致しましょう?」

 

 え? この流れで振るん? と言いたくなる状況だが、一斉に部屋内の視線がツクヨミの方を向いてきたことを考えると、もはやそれを止めることはできない。

 

 諦めて、ツクヨミは背筋をぴんと伸ばして話をすることにした。

 

「私としては別に直接攻撃を受けた訳でもないので、森妖精(エルフ)の皆様に温情をかけることに否定的ではありません。ただ、今回の件に原因があるというのなら、それは取り除くべきだと考えます。今回は王の暴走が発端でしたかね?」

 

「は、はい。左様でございます。……元々は王自ら、単騎で戦いを仕掛ける勢いでしたので」

 

「ではその理由をお教え頂けますか? 王がなぜ私を狙っているのか。そこに原因があるかもしれません」

 

 聞いていてなんだが、これは恐らく神という強大な存在が邪魔であり、どうにか無力化するのが目的なんだろうなとツクヨミは内心思っている。 

 

 しかし、それに答える者はいない。

 

「?」

 

森妖精(エルフ)の文官殿。我らが神の問いに早く答えたまえ。不敬であるぞ」

 

「あ、も、申し訳ございません。その……誠に申し上げづらいのですが」

 

 リディスが何故か言いあぐねていると、隣の金髪の彼女が意を決してそれを放ってきた。全員が一斉にそちらに耳を傾ける。

 

 

「し……子孫です」

 

「は?」

 

「ですから王は、神に自身の子を産ませようと考えているようなのです」

 

 

 バンっ!! 

 瞬間、長机を叩きつけ、怒り狂うように立ち上がる音が聞こえる。

 立ち上がったのはいつも冷静な最高神官長だ。幸い紅茶は丈夫な机の上で揺れるのみだった。

 

「なっ! なんたる不敬!! 神に危害を加えようというだけでなくっ、(よこしま)な考えを持って接触を企てていたなどっ!! 生かしておけるか!」

 

 その勢いたるや、本当に戦争が起こりそうな雰囲気であった。

 法国側の全員が不機嫌な顔をしているのは、もはやはっきり見なくても分かる。

 

 もう少し言葉の選び方もあったのでは……と、ツクヨミも思わなくもないが、正直に目的を言ってくれたのは有難いことだ。ツクヨミは改めて自分の身体に目を向けて、んー……と唸る。

 

 そうか。そういう目でも見られるのか。胸元の白いローブを眺め、そして首を振る。

 

(って、いかんいかん!! この人たち止めないと)

 

 ツクヨミは息を吸ってから、怒る神官長、肩を竦めるエルフに言葉を投げかける。

 

「静粛に」

 

「これは……失礼致しました」

 

「エルフのお二方。まずは、正直にその真意を伝えてくださったことに感謝します。そして話を戻しますが、それを聞いてやるべきことは大方決まりました」

 

「……と、言いますと?」

 

「エルフ王を倒します」

 

 ツクヨミがそう宣言すると同時に、テーブルの両脇から抑えきれない動揺と驚愕が伝わってくる。それはそうだ。相手は周辺国家でも化け物と噂される存在であり、一国の王なのだ。

 

「ツ、ツクヨミ様。それは御身が出向かれてということでしょうか……?」

 

「はい」

 

「き、危険でございます! 先の話をお聞きしたでしょう! 奴は低俗であり、神がやってくるのを待ち構えているのです」

 

 焦る神官長サイドにツクヨミも一つ頷き返す。だが、彼らも分かっているだろう。全てを解決する最善手が何なのか。

 

「承知しております。しかし、相手の思惑がそれである以上、彼を野放しにしていれば森妖精(エルフ)との問題の解決などできません。そしてもう一つ。私以外で彼を逃さず、確実に鎮圧できる者がこの場にいますか?」

 

 その言葉に漆黒聖典含む部屋の全ての者が黙り込む。

 ツクヨミ自身も、少々意地悪な物言いをしていることはよく分かっている。しかしこれは事実であり、ツクヨミ自身も……自分のせいで彼らが傷付く姿など見たくはなかった。

 

「大丈夫です。私は皆様の神なのですから。……それに、私も無策で行こうと言っている訳ではございません。神官長様、そして森妖精(エルフ)の文官のお二方にも力をお貸し頂きたい」

 

「は、はい。神様、本当に申し訳ございません。私たちにできることであれば何でも仰ってください。しかし、非力な我らに一体何ができましょうか?」

 

 ツクヨミは口に手を当て考えると、すぐにそれを発する。

 

「まずはエルフ王の力がどの程度か、なるべく具体的に教えてほしいです」

 

 絶対的な情報。言うなれば相手がプレイヤークラス──それも上位のものであれば、ツクヨミもあらゆる手を考えねばならないだろう。つまりそこは確実な作戦立てするにあたって最も重要な指標だ。

 

「そうですね。私達も王が実際に戦っているところは見たことがありませんが……伝説によれば王はその王獣を召喚し、森の長でさえ、一撃で屠ると言われています」

 

「森の長……まさかエイヴァーシャーの連甲熊(アンキロウルスス)のことですかな?」

 

「恐らくはそのレベルの存在かと思われます……」

 

「強いのですか?」

 

「はい……。長クラスとなると、恐らく漆黒聖典の者でも一筋縄ではいかないかもしれません。それほどの魔獣です」

 

 漆黒聖典の隊長が頷いていることも考えたら、きっとそうなのだろう。

 

(ユグドラシルでは聞いたことないモンスターだな……)

 

 恐らく似たような名前の同種もいなかったので、こちらの世界固有の存在である可能性は高い。その強大な相手を一撃となれば、エルフ王のレベルは50……いや60以上は確実だろう。

 

 むー……。ツクヨミは思った以上に強いかもしれない相手に内心唸る。

 

 その後、他にも情報は尋ねてみたものの、結局は恐ろしく強いの一言で明確な情報は出てこなかった。そのため、最終方針としてはツクヨミも観念して自分の持てる限りの最善を尽くすことにした。後処理など色々大変にはなるのは、まぁ仕方ない。

 

「分かりました。では、こちらも念には念ということで、古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)下位クラスの僕を多数用意してから向かいましょうか。神官長様、それで構いませんね?」

 

「全ては神の御意向のままに」

 

「では時間ももうあまり掛けられないので出発は明日にでも。……向こうから呼ばれているという"大義名分"もあるので、いっそ一部を残した全員で向かってもよいですね。リディスさん、後で打ち合わせ出来ますか?」

 

「は、はい! 私は問題ございません」

 

「ではそういうことで。今回の件はエルフ王に責任を取ってもらいましょう」

 

 ひとまず丸く収まったかな? あとはその変態王を他国でぶっ飛ばせば一件落着となりそうなので、ツクヨミも油断はできないなと気を引き締めながら、終わった会議の席を立つのだった。

 

 あ。この際、後でどこか自由に使えそうな土地の話をしてもいいかもしれない──

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 翌日、あらゆる準備と手配を急ぎで終えた上層部の面々と森妖精(エルフ)の文官。

 

 彼らは件の根本的な収束に向かうため、主要の人物を引き連れた全員で南下した。勿論、普通の手段でではない。

 

「う、嘘……」

 

 森妖精(エルフ)の文官であるリディスは口に手を当て驚く。何せ、法国の大使館内に設置されていた亜空間のような扉に案内のまま入ってみたところ、まるで魔法で景色が移り変わったようにここまで飛んできたのだ。

 

 目に映るのは巨大な兵舎のような建物と、青々とした木々、そして要塞のごとき木の柵。先日まで自分たちがいた法国との中継地だ。尤も一部の某森妖精(エルフ)たちは帰ってこれてないが……。

 

「皆様到着されたようですね」

 

 声のした方を向くと──光輪を携えた御方、スレイン法国の神であるツクヨミが、謎の鏡のようなものを手に抱いた状態で周りを見回していた。傍には先日から目にしているあまりに神々しい鷲獅子(グリフォン)のみが鎮座している──

 

(とうとう、ここまで来たんだ……)

 

 慣れ親しんだ光景を見ていると、そんな感慨が浮かんできた。

 正直なところ、もう終わったという状況まで経験したリディスからしたら、この場に偉大なる神だけでなく、最高神官長や強そうな漆黒の戦士達、赤のローブを着たマジックキャスター等が協力のもと集まっているというだけで、凄まじい奇跡が起きていることが分かる。

 

 ただ、だからこそか。

 

 今のリディスの胸の内にあるのは期待以上の不安だった。

 

 それは森妖精(エルフ)の王国が王を失った後も体裁を保てるかということか? 

 それとも実質的な支配を森妖精(エルフ)が受けてしまうのではということか? 

 

 違う。

 

 確かにそれは国の重役として間違いなく気にするべきことだろう。ただ、今の彼女の内には『彼らがこれでもし、あの王に及ばなかったら』という、決してあってはならない最悪の状況への不安のみが渦巻いていた。

 

(もしこれで神様が負けてしまったら……私は)

 

 どんな顔で彼らに言葉を掛ければいい? それは処刑されるよりずっと恐ろしいことかもしれない。

 

 そんな想像をしてしまったリディスが来て早々暗い顔で俯いていると、すぐにそっと肩に手を置かれた。それは神様のものだった。

 

「……大丈夫ですよ」

 

「神様。本当に行かれるのですか?」

 

 狡いと分かっていても声に出さざるを得なかった。だが、彼女はそれに嫌な顔をするでもなく、ただ優しく微笑んできた。

 

「ええ。行って必ず勝ちます。そして皆さんに平和を届けましょう!」

 

 ぐいっと細い腕を上げる彼女に、確かな頼もしさを感じ──でも高貴な御方がするそのポーズが少しおかしくてほっとした笑いが零れてしまう。それにも気にした素振りを見せず、ツクヨミは思い出したように続けた。

 

「あ、そういえばあれを聞きに来たんでした。リディスさん、ここから徒歩だと……確か王城までは二日くらいかかるのでしたっけ」

 

「は、はい。比較的安全で早いルートでもそれくらいですね……」

 

「ではここからまた転移門(ゲート)を繋げに行かないとですね。あぁ、絶対また神官長様に止められますよ……」

 

 今度は「はぁ」という顔をしたと思えば、ツクヨミはこちらに向き直って手を伸ばしてくる。

 

「では、流石に今度はルートも分からないので、少ししたら案内お願いしますね? 飛行(フライ)

 

「うわっ」

 

 身体が浮遊感に包まれる。つまりはこれから王城まで向かうということか。

 リディスは再度気を引き締める。

 

 そして、奥の人だかりに歩いていくツクヨミの背中を目で追った──

 

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

「遅い……」

 

 あまりのイラつきように、手に持ったグラスに力が入る。ピキピキと硝子から嫌な音が鳴った。

 足を揺らし、気を紛らわすが、それでも短気は収まらない。

 

 もはや男は限界であった。

 

「あの雑魚共、既に失敗しているのではなかろうな?」

 

「そ、そのようなことは……ないと思いますが」

 

 よぼよぼの老人が返答してくる。が、殆どそれを聞いてなどいない。

 

 男……頭からは白の髪を垂らし、その上に冠を被る森妖精(エルフ)の王、デケム・ホウガンはグラスを持ち上げたままその場を立ち上がると床に敷かれた絨毯を踏みしだき、歩みを始める。

 

「お、王よ。ど、どちらへ」

 

「決まっておろう。法国へだ。もはやあいつらでは埒があかん。ここまで連絡もないのだから、それはもう失敗したようなものだ」

 

 デケムは道を開けるのに時間が掛かった老人を軽々と蹴り飛ばすと、目の前の扉に向かって前進する。

 

 そうだ。

 

 なぜ最初からこうしなかった。

 弱者である部下共に少しでも期待し、おめおめ時間を無駄にしていた自分に腹が立ってくる。

 

 神が女ということを聞き、少し気を良くしてしまったからか? 

 

 なんにせよ、もはや止まる事は出来ない。ここ数日は夜の日課も行わず、英気を養ってきたのだ。その結果がこれとあれば、役立たずのこいつらも自害すべきだろう。

 

(やはり他者を信じるなど愚かな弱者のすること。信じるは己のみ。我は絶対の強者なのだ)

 

 デケムは歩く。

 

 ここ最近ずっとしている世界征服の構想と、自身の腕の中に納まる、見たこともない神の姿を妄想しながら。

 

 ふぅ。

 

 その未来ももう目前だ。デケムはゆっくりと扉に片手を伸ばし──そして

 

(!?)

 

 扉が独りでに開いた。

 

「!? お、王……これは失礼しました。しかし緊急事態です!」

 

「なんだ」

 

 くだらんことなら即座にこの騎士を壁の染みにしてやろう。そう思いながら、デケムはイラついた顔で言葉を待つ。

 騎士はすぐに息を飲み、真っ青な顔でそれを口にしてきた。

 

「ほ、法国です! 法国の者と王国の文官様がやってきました。……曰く、神が来た――と」

 

「……」

 

 

 神が来た?

 

 

 それを頭の中で理解した瞬間、デケムの口元に笑みがこぼれる。いや、それだけではない。

 

「は、ははははっ!!!」

 

 デケムは笑う。願ってもいない状況に歓喜で身体が震えていた。状況を察するに、あの女共がその口先で上手いこと神の女をここまで連れてきたのだろう。

 

(やればできるではないかっ)

 

 デケムは拳に力を込め、これ以上ないほどに上機嫌で目の前の騎士に伝えた。

 

「すぐに案内させろ」

 

 夢の世界はすぐそこまできている。

 デケムはまだ手に持っているグラスを目の前まで持ち上げ、そっと揺らした――

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

41.エルフ王戦

 

 玉座の間に続く扉。王城らしく意匠を凝らしたその豪華な扉がついに開かれる──。

 

 

 ぐぐぐぐぐ、とまるで重い物でも引くような素振りで開かれていく入口のそれは両開きだ。石造であるそれの大きさは大の男が両手を広げて入場できるほどに広く、しかし、極めて巧緻に作られ手入れの行き届いている扉は非力な文官であっても開けることに苦労はしないだろう。

 

 それでもその所作がいつもよりずっと重たく見えたのは、それだけ開ける者が緊張していたか、もしくはこの場の重苦しい雰囲気がそれを否応なしに演出していたからだ。

 

 石の床に引かれた真っ赤な絨毯。王の玉座へと伸びるそこの上を、扉の奥から出てきた者達が歩いてくる。

 

「来たか」

 

 そうぽつりと呟いたのは部屋内の一段高い場所にある椅子の上で、ワインの代わりにどこか奇妙な球体を右手で弄っていた男。エルフ王であるデケムであった。

 デケムは謁見の間にづかづかと入ってくる者達──勿論膝を折るようなことはしていない──をただ上から見据える。平時であれば彼も不快さに眉を顰め、怒れるその右手を震わせただろう。だが、今の彼はこの上なく上機嫌であった。

 

 まぁそれもそのはずである。何故なら、侵入者(彼ら)をこの場に呼んだのもデケム本人であるのだから。

 

「お、王……」

 

 どういう状況かと困惑している王城仕えの老人が堪らずデケムの方へ視線を動かしてくるが、デケムはそれを無視する。いや、正直どうだって良かった。それほどまでに彼はこの状況に、来たるべき未来に興奮していたのだ。

 

(さて)

 

 硬質な鎧が軋む音や規則的な足音が次第に部屋中に広がっていく。

 

 まず先頭。脇に逸れて緊張気味に歩く森妖精(エルフ)の文官二名と、第二騎士長の姿が現れる。そしてその近くを警護するように立つのは、デケムも見たことのない白銀と漆黒の入り混じった見事な鎧を身にまとう金髪の若い男。続くように新緑のローブを身にまとった女やかなりの重量がありそうな鎧を着た大柄な戦士などが部屋の中央に集まってきた。数にすれば10と少しといったところだ。

 

 まごうことなきスレイン法国の部隊。

 

 数こそ少ないもののその実力は確かなようで、実質の敵国がこれほどの戦力を抱え、この場にやってきたことに、デケム自身も少しは驚き──いや、内心感心するようにそれを見下ろしていた。

 

 が──。

 

 すぐに彼の目の色は変わる。

 

「……っ」

 

 周辺国家レベルで見てもかなり上位の人間達。そんな彼らが突然道を譲るように脇に逸れたかと思うと、その奥から突如として若い女と老人共が現れた。

 

 問題は当然女の方である。

 

 見れば純白の衣──後光によって照らされた衣服は黄金の装飾とともに恐ろしいほど神聖な輝きを放っており、室内にかつてないほどの存在感を放っていた。だが、それよりもっと凄まじいのはそんな衣装に身を包むその女自身こそが、他にあるどんな装飾よりもずっと美しかったということであろう。

 

 無垢な白色の髪。それは綺麗に揃えられ、そこから覗く紫色の瞳は紫紺の宝石(アメジスト)か、もしくは星の煌めく夜空のような深さを感じさせる。当然、その顔立ちはエルフのどんな美女より気高く、隠しきれない聡明さを醸しており、控えめに袖から覗く腕は真珠のように白かった。

 

 デケムもそんな存在の登場に一瞬気を取られたが、すぐにそれがスレイン法国の神なのだろうことに気づくと、その口角を大きく吊り上げた。

 デケムの求める強者。自分が陽であるならば、その対となる陰である強者。その血の対象として、彼女はあまりに完璧に見えたからだ。

 

「エルフ王」

 

 声がかかる。デケムが内心身を震わせている間に、既に敵の方も準備が出来たのだろう。デケムは自分を取り巻く大勢、そして声を掛けてきた女へと向き直る。

 

「……貴方がそうなのですね?」

 

 冷静な声には薄っすらと敵意が滲む。十中八九スレイン法国に刺客を送った張本人だと知っているからだろう。

 しかし、意外にも即座に襲い掛かってくる雰囲気はない。デケムは不意打ちすらしてこない敵の温さに再びその口元を緩め、高慢な声を出す。

 

「あぁ、そうだ。私こそがエルフの王、デケム・ホウガン。今のエルフ種の頂点にして、これから世界の全てを統べることになる者だ。……して貴様が、神だな?」

 

「ええ。人々からはそう呼ばれていますが──」

 

「ほう。では、特別に名を聞いてやろう」

 

 デケムが極めて傲慢な口調で、相手を跳ね除けるようにそう言い切ると、周りに立っている法国の者から殺気めいたものが向けられる。が、当の本人は一拍置いてから「失礼」と言うと『ツクヨミ』という名を明かしてきた。その動じなさもまたデケムは気に入った。

 

 玉座から身を起こし、その場に立つ。

 

「正直に言うとそれほど期待はしていなかったのだがな。精々強者として子さえ孕めれば良いと……。しかしこれほどの存在とは」

 

 正直に言うとデケム自身も驚いていた。が、実物を目前にするとこうもなるものかと新しい感覚に酔いしれた彼は、続いて『気が変わったな』と、それこそ独り言を吐くように神をその目に捉え、玉座の段を降り始める。

 そうしてすぐに彼らの立つ地面と同じ高さまで降り立つと、王である自身と同じ髪色を持つ彼女に話を切り出す。いや、それは正しく一方的なものだった。

 

「ツクヨミよ、喜ぶがいい。お前を王たる私の妻としてやろう」

 

「……お断りします、と言えば?」

 

「無論、力づくでそうするまでだ」

 

 デケムは、もはや剣さえ抜いてしまった法国の部隊に睨みをきかせるよう圧倒的自身の力──その源たる魔力を開放する。それはこの世界の逸脱者など遥かに超えた王の"気"。目に見えぬものでありながら、その強大さは優秀な戦士ほど激しく感じ取ることとなるだろう。

 デケムはその表情に余裕を張り付けたまま、話を続ける。

 

「貴様らが何をしに来たのかは知らんが、この世界には絶対のルールがある。それは力を持つ者は、その力で相手を従わせられるということだ。貴様らお得意の"話し合い"など介さずともな」

 

「……」

 

「教えてやろう。暴力というものがいかに素晴らしいものか。お前は──すぐに私に屈服することになる」

 

 そこまで言い終えると右手を宙に持ち上げる。当然魔法を発動するためだ。だが、それより先に腰にある剣を抜いてきた女が、魔法の発動を抑止するようにそこで剣先を止めると、徐に口を開く。

 

「なるほど。貴方の理念はよく分かりました。つまり強き者は更に強き者に従うということですね」

「無論だ。それこそが真理だ」

 

 デケムは当然のように女を見下ろす。長剣一つ分ほど離れた間合いで。それは彼から言わせれば、容易に命のやり取りが可能な距離であった。だが、そんなデケムに彼女は──

 

 

「では話は早いです。……エルフ王、私と戦いましょう。貴方がもし私に勝てたなら、私は貴方の妻でも何でもなって差し上げます。ただし」

 

 ツクヨミは付け加える。

 

「もし貴方が負けたなら、私の言うことには何でも従って頂きますよ」

 

 あろうことか決闘を申し込んできた。そんな状況に周囲はざわめき、話を纏めてきたであろう法国側さえ若干の焦りを見せている。勿論、デケムも呆気に取られていた。それほどまでに……怒りを忘れるほどに女の言うことが信じられない。

 

「ツ、ツクヨミ様、それは流石に危険ではないでしょうか……」

「このような危険分子、皆で叩き潰してしまえばよいことですっ」

 

 が、ツクヨミは首を横には振らない。元々は自分という存在が撒いた種であるからだと。

 

「はは、ははは」

 

 反面デケムは笑う。まぁ元々この部屋を見渡す限りだとデケムとまともに戦える者はこのツクヨミだけだろうことが窺えるので、それはまぁまぁ賢明な判断だったかもしれない。しかし、それでも全員で掛かってくるべきだった、そう思わざるを得ない。デケムは愚かにも残った勝算さえ投げ出した女ににやついた笑みを浮かべる。

 

「まさかこの私に自ら戦いを挑んでくるとはな。無知とは怖いものだ。……いいだろう。万が一にも貴様が勝てたなら、何でも好きにするといい。だが、先の発言そのまま返すぞ?」

 

 デケムは満足げに白の長髪を翻すと、彼らに付いてくるように手を上げる。

 

「全員でついてくるがいい。特別に、この城の最上階で私の力を見せてやる」

 

 これ以上ない上機嫌でデケムはそう言い放つ。最上階──それはこの城で最も重要な部屋である宝物庫のある階層である。本来であれば人を招くようなことは決してない。

 

 しかし、それでも彼がそうしたのは気分が良かったのもそうだが、臣下含め、神の敗北という戦いの結末をしかと皆に見届けさせるためだ。

 デケムは未だに右手に掴んだ──最近は私室に置いていた宝物庫持ち出しのアーティファクトに目を向け──それから奥の扉の方へと悠々と歩いて行った。

 

 城の不安げな空気は、まるで嵐の始まりを予期させるようだった。

 

 

 

 

 

 

 ──────

 

 

 

 

 

 風が吹く。

 

 いや、正確には室内なのだからそんなものは吹いていなかっただろう。しかしそれを感じさせるほどに、この部屋は広く──がらんとしていた。

 百メートル四方。それがこの最上階の部屋の大きさだった。驚くべきことにその床の殆どは土で覆われており、壁や仕切りの類は一切ない。まさに異質な空間であった。

 

 

「では、始めるか──」

 

 

 威厳に満ちた低い男の声を聞き、一同ははっと向き直る。部屋の奥の、扉のある方向にデケム・ホウガンが佇み、その前にはツクヨミが立つという構図。まさに正々堂々の一騎打ちという雰囲気であり、それをスレイン法国の面々とエルフ王国の者達が横に少し広がりながら後方から見守るという形であった。

 

 

「見るがいい。これが神をも超える王の力だ!」

 

 

 デケムがそう叫ぶと、地面の土がまるで、一つの生き物のようにうねりながら、彼のもとに集まっていく。

 そして次の瞬間、それは巨大な一つの塊となり、目の前で途方もない化け物となった。

 

 そのおぞましい光景に、この場にいる全員が息を飲む。

 

「馬鹿な……。なんだあの化け物は」

 

 そう堪らず口を開いたのは先頭、第一席次の横で不安げにそれを見上げる第三席次だった。

 第一席次もまたその右手に握られた長剣を強く握りしめ、それを無表情に見据える。

 先ほどからエルフ王に向き合っていた第一席次だから分かる。エルフ王は傲慢だが、確かにその実力は類を見ない化け物であった。恐らくその力はここにはいない番外席次をも大きく上回っているし、たとえ漆黒聖典全員でかかっても、その勝算は低いだろう。

 

 ……にもかかわらず。

 

 今現れた化け物──恐らく土の精霊の類のあれはそんなエルフ王より強大なモンスターとしてのオーラを感じさせた。

 

(神をお助けしなければ)

 

 きっとその瞬間の誰もがそう思っただろう。しかし、それより早く戦闘は動き始める。もはやそれを止めることはできない。

 

 

 ──!! 

 

 

 土の精霊がデケムの前から動き出したと思うと、その近くに立っていたツクヨミへとその巨腕を振り下ろす。その速度はかなりのもので、デケムがさっさと勝負を終わらせたいが故に起こった攻撃だった。

 地面を均すように、致命の一撃が降りかかる。

 

「ほぅ。これを避けるとはな」

 

 だが、それを寸前のところでツクヨミは回避していたようだ。我らが神はすぐに何かの魔法を発動させたかと思えば、すぐに相手の攻撃がやってきて、また避ける、という状況だった。

 誰の目で見てもツクヨミの劣勢に見える。その状況にとうとう痺れを切らしたように第三席次が杖を握る姿で第一席次に声を掛けようとしてくるが──

 

「第三席次、よせ」

 

「何故です。闇の神官長っ」

 

「神はまだ助けを求められていない」

 

 後ろに立っていた闇の神官長であるグレームに止められる。曰く、『神は我らにこの場にいる者達を守れ、不審があれば報告せよ』と言った。

 それにだ。エルフ王は気づいていないが、ツクヨミはこの場に来るにあたって強力な僕を──なんと八体も連れてきているという。それらは隠密を得意としており、一部はどちらかというと守りに長けていることもあって自分達も目にしたことはあれど、先ほどからどこにいるのか分からなくなることは多い。

 

 それが動き出していないということは、神はまだその時ではないと言っているのだろう。

 

 第三席次もそれを察したようで、ぐっと引き下がる。とはいえ、グレームもまた平気そうな顔をしているが、その拳を血が出そうなほど強く握っていた。恐らく漆黒聖典(自分たち)と違って戦う力の一切を持たないグレームこそ、一目散に神を守れと叫びだしたいはずなのだ。

 

「神は本当に、無茶をなされるっ」

「後で……御身をもう少しお大事になさるよう、進言が必要です。これは」

 

 祈るように戦場を見つめる法国の面々。だが、それに反して相手は決して容赦などしない。

 寧ろデケムはあれからずっと優勢であるからか、調子に乗ったようにその攻勢を強めていく。

 

「どうした。その程度なのか……? 反撃すらできていないように見えるが?」

 

「……」

 

 ツクヨミは剣を握りしめた状態で全て寸前のところで土の精霊の攻撃を避けている。地面は属性攻撃による衝撃によりところどころが焼け焦げたり、凝固するようにへこんでいる。確かにこんな中で反撃は難しいかもしれない。ただ……それでもツクヨミが凄いのはその攻撃にまだ掠りさえしていないことだ。

 

 普通、大型モンスターというのは耐久力とその一撃が強力な分、攻撃の一つ一つは大振りで遅い。しかし、それでもそれらのモンスターとの戦いで重傷を負う者が多いのは、いくら遅かろうと巨大な一振りというのは小さな人間では避け難いのだ。第一席次とてあの巨大な存在が、あんな高速で連撃を繰り出してくるのなら、回避に徹しても10秒さえ凌ぐのは困難だろう。

 

 それだけで、ツクヨミの強さも伝わってくる。彼女はデケムの口撃にも一切気にしない様子で悠々と、宙を舞い、全てを軽やかにいなすのだ。それはまさに優雅という他ない。

 

「おい、いつまで逃げ回っている。言っておくがこの精霊に疲れなどないぞ。私とてそうだ。早く反撃しないと勝利など不可能だぞ?」

 

 数分程そうしていると、とうとうデケムが痺れを切らしたように眉を顰め始める。デケムはあれから魔法の一切を発動していないものの、ちょこまか避けられては中々仕留められないこの状況に苛つき始めている様子だ。

 

 この時ツクヨミとデケムでようやく目があったような――そんな感慨を第一席次は覚えた。

 

「そうですね」

 

 室内に凛とした声が響く。

 

「私もそろそろ決めてしまおうかと、そう思っていたところです」

 

「何だと……?」

 

 ツクヨミは汗一つかいていないその身を跳躍させると、再び第一席次達の視線の先の地面に下がるように降り立つ。室内に等間隔で灯る光を全身で受けるように、彼女は彼らの前に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 ──────

 

 

 

 

 

 

「私の聞き間違いか?」

 

 目の前にいる──いや、正確には目の前に立つ土の精霊、ユグドラシルでの名で呼ぶならば根源の土精霊(プライマル・アースエレメンタル)の奥に立つデケムの声を聞きながら、ツクヨミはこれから彼をどう倒すか考えていた。

 

(ああは言ったものの、思ったより難しいな)

 

 というのが率直な感想だろうか。正直に言うと、殺すだけならば簡単だった。

 

 何故なら彼は"弱かった"。恐らくツクヨミに比べれば、それはかなりである。

 

 まだ魔法などを明かしてこないため、正確なことは言えないものの、ツクヨミはこの戦闘で既に汎用の探知系魔法のいくつかを使用することでおおよその敵の体力、魔力量、周辺の状況などの状況を割り出していた。勿論、それ専門のプレイヤーには大きく劣るだろうし、万が一にも相手がそれを読み、虚偽情報(フォールス・データ)系統の魔法を、あえて耐性なども持たずに発動していたなら話は変わってくるかもしれない。

 

 しかし、ツクヨミにはこの相手がそれほどの策士だとはどうも思えなかった。

 

「おい」

 

「ごめんなさい。……そういえば一応一つ、聞いておいてよいですか?」

 

 ツクヨミは半ば強引に話を切り出す。それは今の彼女にとって凄く重要なことだった。

 

「貴方が負けたら、何でも好きにしていい。その言葉に偽りはありませんね?」

 

「何を言い出すかと思えば。はっ! 王に二言はない。無論、お前が私に勝つなど不可能だがな」

 

 デケムは念押しの内容を笑い飛ばすと、更なる追撃をかまそうとしてくる。

 

 

「いけ。ベヒーモスっ。最高出力でやつを躾けてやれ」

 

 

(二言はない……か。それを聞いて安心しましたよ)

 

 

 ツクヨミはようやっと腕の中の剣を振るう決意をする。まぁ別に今までも機を窺っていただけであるのだが。

 しかし元々は"倒す"と言い、殺すべきだという彼らの意見を蹴ってまで制圧を望んだのは、事実だ。それはきっとツクヨミの甘さであり、弱さでもあるだろう。

 

(それでも私は)

 

特殊技能(スキル)付与(エンチャント):神雷霆(ケラウノス)

 

 

 ――より良い未来を、彼らと共に探したかった。

 

 

 ツクヨミが特殊技能(スキル)を発動すると、その右手に握られる細剣、コンフラクトゥスの刀身から尋常ではない聖なる雷の気が溢れ出してくる。

 

 当然、それを見やったデケムからは警戒するような眼差しを向けられるが、問題はない。既に攻撃を始めている根源の土精霊(プライマル・アースエレメンタル)を止められはしないからだ。

 

 本来であれば土の精霊に神聖属性とはいえ雷の魔法の付与は相性が悪い。しかし、それでもこの魔法を選択したのは、それを押し通せるほど"圧倒的力の差"があること。そしてデケム自身を血みどろにすることなく、それいて完全に制圧するにはこれ以上の攻撃が無かったことがあげられる。

 

 

「さて」

 

 

 高速で頭上に降ってくる巨腕。正直殺しに来てるだろと言わんばかりのそれを、まるで赤ん坊の腕を捻るように回避し、腕に巻き付くように跳躍しながら更なる特殊技能(スキル)を発動する。

 

三重の刃(トリプレッド・エッジ)

 

 途端にミシリ、と岩が嫌な音を上げたかと思うと、巨体は身を軋ませ、次には腕を持ち上げ抵抗してくる。

 だが、あまりに遅すぎる。

 ツクヨミはそれを避けることもなく、空中で剣の斬撃を複数回浴びせることによっていなす。そんなことを続けているうちに、根源の土精霊(プライマル・アースエレメンタル)の身体は徐々に悲鳴をあげはじめ、ヒビから微かな放電をしていたかと思うと、次の瞬間には腕が、胴が、そして頭が地面に崩れ落ちていった。

 

「っ!?」

 

 デケムに限ってはその超高速の戦闘がよく見えてもいなかったようで、言葉を失っている。

 更に言えば、彼は特に奥の手も用意していないようだ。そしてそれはPVPの場において致命的であった。

 

「覚悟はいいですか」

 

「くっ」

 

 デケムは絶対の信頼を置くモンスターを突如失ったことで、焦るように先ほどから握っているアーティファクト──ユグドラシルではモンスターの捕獲や敵の拘束を複数回発動できるアイテムを右手で持ち上げ、素早く発動しようとしていた。まぁあれも恐らくユグドラシル産と同じものであれば中級のアーティファクトであり、精々レベル60くらいまでしか効力を発揮しないものである。

 

 当然、レベル100であり、行動阻害に完全の耐性を得ているツクヨミには効かない代物だが──

 

特殊技能(スキル)罰する十字架(パニッシュメント・クロス)

 

 既にその効果の届く範囲は何となく把握していたので、それを蹴散らすように遠距離から輝く透明色の十字架を発生させ、立っていたデケムごと吹き飛ばす。勿論、この特殊技能(スキル)は射程こそ長く、妨害に有用な分、ダメージは殆どない。

 

 ツクヨミは起き上がり、魔法を発動する気配を見せたデケムに、すかさず距離を詰めては雷撃の一撃を放つ。それはレベル差的に避けようのない一撃だ。

 

「ぐわぁぁあぁぁぁ!!!」

 

 一応言っておくと刀身で切りつけてはいない。しかし、衣服が焦げ付くほどの超高圧の雷撃を受けたデケムはたまらずその身を捩り、叫ぶ。正直少々可哀想な気持ちになってくるツクヨミであったが、ここは彼の過去の所業(主に文官の苦しみ)を思い出し、心を鬼にする。

 

「負けを認めるならこれ以上は致しません」

 

「ふざけるな。この私がぐぁぁぁぁあ!!!」

 

 だが、思いのほか頑丈な彼はあまりに耐え難かったのか、とうとう火事場的な速度で面倒な魔法を唱えてくる。

 

沙羅双樹の慈悲(マーシー・オブ・ショレア・ロブスタ)!」

 

 それは一定の時間、徐々に微量の体力が回復していく効果と、即死に対する完全耐性を得る森祭司(ドルイド)の魔法だ。そして更に厄介なのは体力がゼロになって死亡した際にレベルダウンを引き起こさず復活できるという追加効果まである。

 

 デケムは未だに座り込んでいるにも関わらず、それを発動できて得意げな顔だ。

 

(いっそ逃げ出して……?)

 

 ツクヨミは覚悟を決め、息を吐く。

 

「手加減はやめましょう。全身を一撃で葬ります」

 

「は?」

 

 ツクヨミはコンフラクトゥスを天に掲げると未だ効果の持続する神雷霆(ケラウノス)の効力を更に強化する。正直、神炎(ウリエル)ほどではないが燃費の悪い魔法だ。ただし当然、その威力は甚大であり、生身の体などに当てれば如何に彼がレベル70そこら(?)であろうと消し炭になる可能性は高い。そうなると、自動蘇生さえ起らないこともあり得るので、ツクヨミはなるべくそうはならないよう、地面と生身のぎりぎりを狙う。

 

「……!!」

 

 一閃。それが放たれる。

 

 すると彼の意識はそれだけで一瞬にしてショートしたようで、完全な気絶にまで至っていた。というより焦げ臭い始末だ。見れば下半身がかなり重症なようで、変な痙攣を起こしている。これにはツクヨミも少しやりすぎたかと思ったし、同じ──その……昔のよしみとしてその部位の負傷にはぞっとしてしまうものだ。

 

 ツクヨミはふぅ、と力強い溜息を吐くと、それから倒れたデケムを片手で引きずっていった。

 

「神官長様。終わりました。ご心配をお掛けいたしましたね」

 

「と、とんでもございません。ご無事で何よりでございます……」

 

 それでもちょっと不服だったのは若干引かれていたように感じたことだろうか。勿論気のせいかもしれないが。

 

「ツクヨミ様っ!!」

 

 すぐに漆黒聖典が駆けつけてくる。こちらもツクヨミの心配をしているだけで無事そうだ。ツクヨミは辺りを見渡し、既にエルフの文官たちが城の騎士や祭司のような老人に話をつけてくれているのを見て、ほっと胸をなでおろした。

 

「全員無事そうですね。良かったです」

 

「はい。正しく神の御加護によるものかと」

 

「そうだと良いのですが。……では私達も外で警護にあたってくださっている火滅聖典の方まで戻りましょうか」

 

 そう。実のところここには結構な人数で乗り込んできたが、一部の方々には古の鷲獅子王(エンシェント・グリフォン・ロード)含めて外で不審なことがないか待機してもらっている。まぁ、結果としては何もなかったようだ。

 

 ツクヨミは掴んでいたデケムをよっと抱えると、それを周りに駆けつけてきた者達……新たな僕に引き渡す。

 

 鷲獅子(グリフォン)と同様に傭兵モンスターである彼らは当然ツクヨミがここに来るにあたって金貨で生み出したモンスターであり、内訳として隠密に優れる忍者系統の傭兵であるハンゾウが4体。同じく隠密に優れ、幻術を扱えるカシンコジが2体。そしてそれをサポートするように盾役であるグランドアーマーが2体である。どれもがレベル80を超えており、万が一に備え持ってきたのだが、あまりに戦力差があったので結局活用することはなかった。

 

 しかし、彼らにはこれからの役目がある。

 

「デケム・ホウガンは責任をもって法国領の南の離れに連れていきます。そこはちょっとした村を作る予定ですし、厳重に彼らに監視させるので大丈夫なはずです。それで良いですよね。リディスさん」

 

「はい。問題ございません」

 

 そうして近づいてきたエルフの文官の一人に声を掛けるも了承を得られたので、ツクヨミは帰る準備をする。

 

「あ、あの!」

 

 その時、エルフ達から声を掛けられる。

 

「ツクヨミ様……。本当に、本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません」

 

「いえ、いいんですよ。それより──」

 

 ツクヨミは疲れ気味に宝物庫の内部を見回しては呟く。

 

「これからが大変ですね。私ができることは本当にこれくらいまでですから……エルフの未来、そしてそれをつかみ取るまで。どうか頑張ってください」

 

「はい……!」

 

 ツクヨミはそうして最上階の階段を先頭で降りていく。

 とても壮大に思えたエルフとのいざこざ。それを迅速に解決したスレイン法国の面々は、いそいそと、それでいて神を労うようにその後に続いて行ったという。

 

 まだこれで終わりではない。広大な世界の中で、そう思わせるように。

 




次話からはまた色々な国が帰ってきます。
まだ二章が終わっていないことに焦りを感じざるを得ません()


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

42.舞踏会に向けて

今回も大概投稿期間を空けてしまって申し訳ないです(亀+繁忙期で死んでおりますorz)

今話もいつもみたく情報量多めのため、読者様には少し負担を強いてしまっているかと思いますが、「こんなことあったな」と思い出しながら読んで頂ければ嬉しいです。


 

 エルフ王が倒され、法国と森妖精(エルフ)の王国との衝突が何とか避けられてから、早いこと三週間が経った。

 

 森妖精(エルフ)の王国はというと王が不在になり即座に大混乱……ということにはならず、何だかんだ文官と騎士達が互いに協力し、上手いことやっているらしい。

 

 ……

 

 そんな直近の内容が律儀に記された手紙をツクヨミ──あれからスレイン法国、その中心地たる大神殿へと戻ってきている──は自室で読みながら、口元に小さな笑みを浮かべていた。

 

 今更考えてみると、先の件はかなり勢い任せなところがあったのは否めない。普段は慎重な方であるツクヨミがそうなってしまったのは、やはりエルフ王であるデケムの動きがあまりに突拍子無かったからで、その結果が空回りしなかったことだけは不幸中の幸いだったといえよう。

 

 

 ちなみにデケムはというと今、その側近達と共に、ツクヨミの召喚した傭兵らが率いる法国の新たな小拠点の方で大人しくしてもらっている。

 ただ、流石にというべきか付けている監視役のハンゾウからの話によるとツクヨミはデケムから相当恨まれているようで、重症から起き上がって早々『奴はどこだ』だの『早く会わせろ、今度こそ王の力で屈服させてやる』だの喚き散らしているらしい。

 

 僻地だとはいえ、なんとも恐ろしい話である。

 

(ていうか、それを堂々と敵地で喧伝するのは肝据わりすぎじゃない?)

 

 ツクヨミは軽く息を吐きつつ、デケムのことを頭の片隅に追いやる。

 

 

『負けたら、相手の言うことは何でも聞く』

 

 

 そんな口約束を理由にあの場で始末しなかったのだから、長い目でその処理は考えることになるだろうと。

 

「まぁ、当分は暴れられないだろうし、ひとまずは平和になって。いや……大事にならなくてよかった」

 

 目元を緩めるとそのまま文を読み進め、感謝の言葉が精一杯に綴られた手紙の内容を最後まで読み終える。

 それから少しして、ツクヨミは遠方の空を眺めるように──といっても見えはしないのだが──ふと窓の方を見やった。

 

 

 

 ステンドグラス越しに入ってくる多様な透明の光は涼しげながらどこか温かさを感じさせる。そう──この長かった冬もそろそろ終わりを迎えようとしている。時期にすれば早春といったところだろうか。

 

 

「……これから更に忙しくなると思うと震えるな」

 

 

 ツクヨミは切り替えるように椅子から立ち上がると、そのまま部屋内の化粧台へと近づいていき、読んでいた手紙を備え付けられた引き戸へと丁寧にしまった。本当なら返事でも書いた方が良いのだろうが……今回はお互い多忙のため止めておく。

 

 そう、最近は森妖精(エルフ)の件に掛かりきりだったが、法国も当然他国との外交で忙しい。その中でも特に北東にある帝国とのやり取りは重要で、ここ1,2週間は"パレードの時の不祥事"として皇帝が直々に謝罪、もとい割り込んできたりでツクヨミもくたびれていたのが実情だ。

 

(まぁ、結局あの変なご老人も来なかったし、それに皇帝陛下にも一旦は安心してお帰り頂けただろうし。そこは問題ないよね、多分)

 

 で、逆に問題があることというのも、残念ながらある。

 

 ツクヨミは切り替えるように引き戸から手を離すと、その顔を上げる。

 そこには鏡に映る己の姿がある。今は薄地の衣服と頭に小さな金の冠を被っているのみであり、寝起きというほどではないが、神官長などと会い()()()()をするには心許ないものであった。

 恐らく今日もこれから忙しくなると思うので、そろそろ準備を始めるべきだろう──

 

 ツクヨミがそう思ったまさにその時だった。

 

 バタン! 

 

 狙いすましたようなタイミングで、勢いよく部屋の扉が開け放たれた。

 

「ツクちゃーん。いる?」

 

 静謐な扉、人々が言うには神聖不可侵、その中でもかなりその色の強いであろうツクヨミの居室のそれを一切物怖じせず開けてきたのは、すっかり懐いてしまった彼女。白黒の衣服を纏った黒色の髪を持つ少女、おなじみの番外席次ことアリシアであった。

 

「いたいた。ほら、ぼーっとしてないで、早く行くよ!」

 

「え? なんかあったっけ……」

 

 部屋に入ってきて早々、ツクヨミの左手を掴んでは外に行こうとする少女に、呆れやちょっとした叱り言葉も吹っ飛んでしまい、ツクヨミは困惑気味に返答する。

 

 正直身に覚えはない。

 

 そんなツクヨミの様子を察してか、灰白色の瞳が、白い睫毛越しに一瞬こちらを向いたのが見えた。

 

「ほら、前言ってた"舞踏会の準備"? ってやつ。何かあれの衣装がだいぶ集まってきたらしいよ? 私もさっき遊びに……じゃなくて、どんなもんか視察してきたし、一緒に見に行こうよ」

 

 皆も待ちわびてるみたいだしさ~、と最近では珍しく上機嫌な少女は廊下の先へと歩いていく。

 ひどく強引だが、直近──恐らく1か月後には最も重大な内容になっているであろうそれの話を持ち出されたツクヨミは、どうするか迷うも結局アリシアに付いていくことにした。恐らくはツクヨミを待っている者もいるのだろう。

 

(しかし舞踏会、王国の宮廷舞踏会か。自分が出る訳でもないだろうに、やけに楽しそうだな……)

 

 足裏にタイツ越しの床の冷たさを感じながらも、ツクヨミはそれを見守る。というのもアリシアはツクヨミ達がエルフの国に乗り込んだとき、例外的に現地に連れては行かなかった。その理由は大人として色々あったが、本人はそれが不服だったようで、帰ってからはまぁまぁ拗ねていたものである。

 それもあって今回も実質彼女を蚊帳の外にしてしまうことにツクヨミも申し訳なさを感じていたのだが、それに関しては大丈夫だったらしい。

 

(靴に関しては、最悪アイテムボックスから取り出せばいっか)

 

 相変わらず甘々なツクヨミは青を基調とした暗めの廊下を一分ほど歩き、そのまま二階へと降りる。歩いていると前からは厚い本を数冊抱えた第七席次が見えたり、隊長クラスの聖典が通りかかったりしたが、皆一様にビビり散らかしていたので、無難に挨拶をして通り過ぎさせてもらった。

 

 

 そんなこんなでツクヨミもちょっと軽率だったのではと思い始めた頃、良くも悪くも目的地が見えてきた。扉は開いており、部屋内の灯りがそこから漏れ出ているようで、絶賛仕事中のようである。

 

 流石に今更戻るのもおかしいだろう。

 

 そのため、覚悟を決めたツクヨミは手を引かれるままそっと入室することにした──。

 

 

「よいしょ、またお邪魔するよー」

「ど、どうも」

 

「あ、はい! 番外席次様、番外席次様……と、ええええ!?」

 

 入室するや否や、困惑……というより驚愕したような声が聞こえてきた。

 ツクヨミがそちらを向くと、部屋の中には光の巫女姫と水の巫女姫。そして、老婆である水の副神官長が佇んでいた。どうやら衣装などを室内に並べ、選別している最中であったようだ。

 

「すみません。アリシアに呼ばれたものでそのまま来てしまいました。もしやお邪魔でしたか……?」

 

「我らが神よ、滅相もございません。この副神官長、御身自らこの場にお越しいただき、至極光栄でございます」

 

「も、申し訳ございません。私も……神様にこんなに早く来て頂けると思っていませんでしたので、先程はとんだ不敬を! すぐに準備いたします!!」

 

 そう言うや否や、光の巫女姫がツクヨミへと駆け寄ってきて──部屋の奥にある丸い上等な机の方へと案内してくれた。これから紅茶なども準備してくれるらしい。

 ツクヨミは至れり尽くせりな対応に申し訳なさを感じつつも、ぱっとそこに腰かけると、改めて室内を見回す。

 

 そこは高級なドレス、それから儀式用のローブなどが集められている少し大きな部屋のようで、一言で言うなればドレスルームというやつだろう。巨大なクローゼットは趣深く、装飾を拵えた全身鏡、壁に掛けられた蝋燭、石造の柱などはなんとも法国の建物らしい。

 

 ただ一つ言えるのは、外に出ているドレスの数が滅茶苦茶に多く、もしかして全国から集めてきた? と思えてしまうほどに部屋内が色とりどりだということか。

 

(そうか。私が前に見たいって言ったからか……。でも、今更『そういう社交の場での衣装がちらっと見ておきたいなー』、みたいな軽いニュアンスで言ったなんて言えない……)

 

 記憶に新しいのは帰ってすぐの頃。王国で近日開催される舞踏会の存在を知り、興味本位でそれを呟いたときのことだ。勿論、()()()は特段気にした訳ではなかったし、そんなにすぐ集められるとも思っていなかった。

 

 それがこれである。

 

 ツクヨミが当事者的に息を黙り込んでいると、対面に座ってきたアリシアが声を掛けてきた。ようやく本題らしい。

 

「しっかしさー。王国の宮廷舞踏会だっけ? そういうのツクちゃんあんまり興味ないかと思ってたけど違った?」

 

 

 意外に鋭いところを突いてくる。ツクヨミは少し考えてから、正直に答える。

 

 

「まぁうーん、興味がない訳ではないんだけどそうだね……。そういう華やかなのには疎いかも。政治も詳しい訳ではなかったし」

 

「だったらどうして?」

 

「……そりゃ、"国王から直々に招待状を貰った"からだよね」

 

「うわ。大胆!」

 

 アリシアが面白がるように顔を上げ、悪戯に笑みを浮かべる。

 そう、ツクヨミは丁度先日、その招待状を受け取ったのだ。そしてここで言う大胆の意味──それは一国の王からの招待を軽く話すことを指すのではなく、寧ろ、『国力の劣るリ・エスティーゼ王国の国王程度が、スレイン法国の最上位者──それも神という人知を超える存在をこの時期に招待する』という行為を揶揄した言葉なのである。何とも人間基準で絶対の力を持つ彼女らしい発言である。

 

(ただまぁ確かにアリシアの言う通り、断ろうと思えば断れたのは確か)

 

 そしてそれを断らず、王国からの招待を受け、今回それに参加を決めたのはただ単にツクヨミの優しさだけではない。

 

「えっとね。フォローするなら他にも行く理由はあるんだよ」

 

「ふぅん? というと?」

 

「一つは神官長様達も今回行かれること。私も話を聞いたのはちょっと前で……これが大きいかな」

 

「へー、ツクちゃんが行くからじゃないんだ」

 

 アリシアは不思議そうに部屋内の副神官長にちらっと視線を向ける。実際、周辺国家の治安を統括している法国であるが、その要人が社交の場に赴くのは稀らしい。

 そして、それでも今回彼らがそこに向かうのは、つまりはそれなりの理由があるということ。

 

 ツクヨミは既に聞いているが、神官長は今度の舞踏会で人類の団結を促すために動くらしい。……いや、正確には"動いている"の方が正しいか。

 

 その目的はツクヨミの目指す世界平和……必死に生きる者に安寧な居場所を作ることとも合致するものであり、勿論出しゃばるつもりはないのだが、神として──話の中心人物として彼らの役に立てる時があるのなら、今後の為にもそうすべきだろうと思ったのだ。

 

「そう。それで最後だけど、実は王国のウィリアム様とも少しだけ面識があってね。聞けば竜王国のドラクシス様も来てくださるみたいなので、今度の会には行った方がいいかなと」

 

「……なるほど。なるほどね」

 

 アリシアは全て理解したという風に頷きながら、そしてこちらを見る。

 

「つまりはツクちゃんが凄いお人好しだから行くってことだよね?」

 

「えぇ……!? いやいや、理由があるというか、メリットというか。ほら、力を見せつけて世界を良い方に進めようっていう──これは私の陰謀なのですよ」

 

「そっかそっか」

 

 しかしアリシアには上手く伝わらなかったようで、テーブル越しに温かく見守られている。なぜだろう。

 そうこうしているうちにテーブルには暖かな湯気の立ち上る紅茶が置かれ、それに数度手を付けた頃、アリシアが再び立ち上がった。

 

「まぁ大体は察したよ。それでさ、ここからが真の本題だよね。そんな舞踏会にツクちゃんはどんな衣装で臨むかという」

 

「それは」

 

 ぶっちゃけいつもの神器で行けば間違いないと思うが、それを口にするより前に、彼女が話を制してきた。

 

「まぁまぁ。どうするにせよまずは色々見てみようよ。……ねぇ巫女姫ちゃん。もしツクちゃんが新しい衣装を着ていくなら、どんなものが似合うと思う?」

 

「お、御身の高貴さにかなうものなど人の世に無いかと思われますが、しかしあちらに掛けられている純白のドレスなど素敵かと思います」

 

「恐れながら、ツクヨミ様は夜闇のように美しい御方。であれば、あちらの黒を基調とした法国のドレスの方が良いのでは」

 

 声の方を向くと、光の巫女姫と水の巫女姫が早速年相応な感じで盛り上がり始めていた。何なら水の副神官長でさえ、『ふむ……』と口に手を当てながらツクヨミの着る衣装の吟味を始めていた。これはまずい流れである。

 

「──まぁまぁ、見ただけじゃわからないだろうし、一旦は着てもらったらいいんじゃないかな?」

 

「アリシアさん?」

 

「か、か、神様に着ていただくなど畏れ多くっ!」

 

「でもこれだけ集めてくれたんだろうし、ツクちゃんも色々着てみた方が社交の場の衣装について詳しくなれるんじゃないかな」

 

 なるほど。

 ツクヨミは心の中で察した。初めからアリシアの狙いはこれであったのだと。

 

(というか多分根に持ってるな、これ……)

 

 ツクヨミは観念したように心中で一つ溜息を吐く。

 

 ただまぁ、正直なところ今までユグドラシルの限られた装備や肌の露出の少ないある意味"平民的"な恰好をしていることが多かったツクヨミにとって、女性用の派手な衣装などは未知であるため、逆に何かしらの知見になるかもしれない。……そう思うことにし、立ち上がる。

 

 

「分かりました。では着てみましょう。着替えはどちらで行ったらよいでしょうか」

 

「はっ。それでしたらあちらに幕がございますので、どうぞこちらへ」

 

 すると老婆である水の副神官長が頭を下げ、道を案内するように前を歩きだしたので、ツクヨミも立ち上がり、それに付いて行った。

 

 しかしその後はまぁ、気慣れないドレス──肩が露出していたり、胸元が開いたりしているそれを試着して、更にはそれをべた褒めされるという羞恥プレイを味わったツクヨミが、無事ライフポイントを削り取られたのは言うまでもなかった。

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

「ふむ……」

 

 法国の北東にある地、帝国。その中心地たる帝都アーウィンタールにて、同じように豪華絢爛な全身鏡の前で自身の衣装を丹念に確かめる男がいた。

 

「ロイス、この衣装はどうだ?」

 

「はい。陛下の聡明たる御姿もあって非常に優美かつ、威厳と品格をよく表現できているかと存じます。正しく帝国の皇帝にふさわしき御姿かと」

 

 ロイスと呼ばれた男、質の高い衣服に身を包んだ帝国の秘書官が、目の前に佇む若き皇帝に淀みなく頭を下げながら答えた。

 彼の言葉は絶賛としか言いようのないものであったが、ここ帝国においてはそれも別に定型的な世辞という訳ではない。実際、広い皇室内にいる他の秘書官や近衛の衛兵も、内心は同じことを思っていたことだろう。

 

 

 アルフリッド・ルーン・ファーロード・シル・エル=ニクス。

 

 

 帝国の若き皇帝。すらりと伸びた身体に、金のように輝く髪と、薄い赤色の瞳。

 そんな彼が今纏っているのは赤と黒を基調とした壮麗な衣装であり、今はゆったりとした外套も身に着けているため、普段より少し派手な恰好だと言えるだろう。

 

 当然、こういった一つ一つの衣装や装飾の派手さにも政治的意味合いがある。

 

 普段であればそれを完璧な形で周囲に見せつけていくアルフリッドであったが、今の彼の表情はいつもの自信満々の表情ではなく、寧ろ強大な敵を前に警戒する、戦場に立つ一人の男のようであった。

 

「……だといいのだがな」

 

 アルフリッドは小さく息をつく。まさしく、いつもなら絶対に見せないような雰囲気だ。

 そんな皇帝の姿に、優秀な秘書官が続けて声を掛けてくる。

 

「陛下は、此度の王国の宮廷舞踏会に何かご懸念が……?」

 

「あぁ。まぁ私が直々に参加するのもそうだが、今回は法国の者も来る。それに……前回のあれが来るなら──もはやそれは舞踏会という名の戦場だ」

 

 王国の宮廷舞踏会。それはもう何十年も続いてきたものであり、基本的には長い年月を掛けて発展してきたリ・エスティーゼ王国の為の行事であるが、その他でも周辺国家の交流の場として、度々帝国などからも使者を送り、協力という名の腹の探り合いをしてきた。

 

 そのため、今回も例年通り……という予定をアルフリッドも持っていたのだが、残念ながらそうは行きそうにない。いや、心労的な部分に目をつむるのならば、それはいつもの退屈な小競り合いではなく、逆に帝国の失態を一気に巻き返せるだけの潜在的可能性を秘めていた。

 

 だからこその戦場という言葉。比喩的なものだと知りながらも、皇帝のそんな発言に部屋内の空気が引き締まるのは自明であった。

 

「神……やはり、陛下のご高覧にかないましても、かの者はそれほどまでに周辺国家への影響力があると?」

 

「ある、というよりは絶大だな。法国があれだけ担ぎ上げているのもそうだし、本人も思ったよりずっと──そう、話せるように見える。本心は分からんが、我々を即座に許す寛容さ……しかしそれが逆に不気味だが」

 

 アルフリッドは思い出す。先日──謝罪という名目で法国に出立したときのことを。

 勿論それは帝国の要人が法国の神に不敬を働いたという国際問題の後処理的なもので、アルフリッドもかなりの準備をしていったものだ。

 スレイプニールの馬車で法国に向かって数日、思ったより丁寧に関所を通されたアルフリッド達はそのまま神都にある神殿の大広間ような場所で神官長による謝罪の受け入れをしてもらった。

 

 だが、そこでアルフリッドも驚いたのは、神本人もその場に居合わせていたことだ。

 

(人知を超える存在。ともかくいえるのはフールーダをまたその場に連れて行かなくて良かったということだが、正直あれはヤバいのかさえ分からない……)

 

 アルフリッドは口籠る。しかし、少なからず話ができる存在であるならば、やりようはある。

 神官長が明言していた訳ではないので、確定で神が舞踏会に姿を見せるかは怪しいところだが、それでも王国から法国に招待が行っていることは前回の訪問で神官長と話した内容から推察できているし、可能性は十分にある。

 

(尤も、他の国に声を掛けている可能性も高いということだが──)

 

「まぁいい。ともかく、だ。今後神との友好関係を築くことは、我が国にとって計り知れない恩恵をもたらすだろう。それは他の国々も理解している。だからこそ、此度の舞踏会はそういう場になることを踏まえて、失敗は二度と許されないのだ」

 

 どこぞの主席宮廷魔術師と違い、真剣に話を聞く部下に続ける。

 

「それに法国の神官長からも重大な話をしたいと来ている。つまりこれはただの話し合いではない。帝国が法国の横に並ぶための、新たな時代を作るための戦いなのだ」

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 その頃、王国では──

 

「それで、今月末に開催される宮廷舞踏会についてですが──」

 

 迫ってきた舞踏会の日程を前に、ヴァランシア宮殿の会議室内にて絶賛話し合いが行われていた。

 地方の貴族達が行う普通の舞踏会などとは違い、これは王国宮廷主催のものであるということで、集まっている面々も豪華である。

 

 まず、この場所の主人である国王、ウィリアム・シャル・ボーン・デル・レンテスはその筆頭であろう。そして次に、その護衛である王国騎士長。

 加えてこの国を支える大貴族である五名。そして財務を管理する大臣や、王族の血を引くランポッサなどである。

 

 尤も、日程的には舞踏会前の催しなどは既に開かれており、今行っているこれらも最終調整的な部分に過ぎない。しかし、そんな中ある一報が届くこととなる。

 

「失礼いたします、陛下。御耳に入れたいことがございます」

 

「ふむ、なんだ?」

 

「先日招待状を送った法国の神様なのですが……その」

 

 側近は言葉を選びつつ、若干困惑したようにそれを告げた。

 

 

 

「なんと来られるようです」

 

 

 

「それは本当か!」

 

 ウィリアムはそれを聞くなり、目を見開き、腰掛けに力を入れるが、すぐにその力を緩める。ウィリアムとしてもそれは間違いなく朗報だろう。法国という実質の上位国の、それも……散々国を挙げて調べに調べた神話の存在が王国の行事に来てくれるのだから。

 しかしウィリアムは複雑な心境でもあった。

 

(神はやはりツクヨミ殿なのだろうな……。我々を救ってなお、今回も来てくれるのか)

 

 ウィリアムはかつて王国の窮地を救ってくれた恩人を思い出す。と言ってもそれほど前ではないのだが、出回った神の特徴の全てが合致する彼女を、もしそうなら知り合いとして招待できるのではないか――そんな邪な思いで無理に誘ってしまったのは否めないだろう。そしてそれが政治的な計算を孕むことも。

 

(だが……)

 

 そうとは言えど、それでもウィリアムは国王として改めて彼女に礼を言いたかった。そして今後も王国に力を貸してほしいと、そう願うために。

 

「分かった。神への最大限のもてなしの準備をせよ、決して無礼のないようにな」

 

「はっ!」

 

「しかし陛下、今般の会は凄まじいですね。これで帝国に法国に竜王国、聖王国は少しトラブルがあるようですが、ほぼ周辺国家全ての盟主が揃うのでは?」

 

 興奮したように話すのは大貴族でも最も若い男、ペスペア侯であり、それには他の貴族のみならず、ランポッサも頷きの表情を見せていた。

 それに対し、ウィリアムは冷静に告げる。

 

「うむ。だが、勘違いしてはならぬ。此度の件は法国にて重大な話がある故、起こった集まりでもあるのだ」

 

「それもそうでございますな。しかしながら、陛下、恐れながら申し上げますが、我が王国がその地位を認められているという事実も、また忘れてはならないものかと」

 

「ええ、ボウロロープ候が仰られるように、国に神が来られるというのも前代未聞ですからな」

 

 それを受け、ボウロロープ候が気分を良くしたように続ける。

 

「尤も、その神が神話に聞くような存在であるかと言えば、また別でしょうがね」

 

「ボウロロープ候」

 

 ウィリアムはそんな発言を行う彼を見て、断固とした低い声で言葉を紡いだ。

 

「法国の敬う神の寛容さを忘れ、公的に不敬な発言を行うことは一国の王として許容できぬ」

 

「これは私としたことが、失礼いたしました」

 

 即座に引き下がるボウロロープ候だが、その顔色の奥には不満の色が見えているような気がしなくもない。まぁ彼からすれば王国の軍事力をはるかに凌ぐ意味の分からない神話の存在など受け入れられないのだろうが、そんな思いで外交を滅茶苦茶にされたものでは溜まったものではない。

 

 ウィリアムは仕切り直すと、椅子に再度身を預けた。

 

「では今後の話を続けるとしよう──」

 

 




世界情勢が難しく、筆者もどこぞの帝国皇帝の頭皮みたくなりそうです(冗談)

次回は年末辺りを予定しておりますmm


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

43.一つの灯

皆様あけましておめでとうございます。
私はインフルで寝ておりました(白目)
今年も宜しくお願いいたします。


 

「陛下、もう行かれますか?」

 

「うむ。こちらでの準備も終わったし、そろそろ出ようと思う。準備は出来ているか?」

 

「はい。今朝より準備しております」

 

「そうか」

 

 竜王国。

 

 その中でも中央に位置する、巨大で古風な場内の一室から、二人の人間が出てこようとしていた。

 

 一人はドラクシス・オーリウクルス。一人とは言うが、純粋な人間でない彼女は竜王の血を引くこの国の女王であり、長い黒髪をなびかせ、その美しさのあまり女性を嫉妬させそうな整った顔に親譲りという程でもない琥珀色の瞳を宿して、(くだん)の対応を行う。

 

 そして、此度の宮廷舞踏会へ向かうための準備は万端──そう声を掛けてきたのがもう一人の人間──この国の全般的な政務を担当もとい補佐する竜王国の宰相である。

 

 ドラクシスは書斎から立ち上がると、朝から着ている公人用の慎ましい黒っぽいドレスをはためかせ、出口へと振り返る。

 すぐ隣にある開け放たれたドアの近くには既に宰相や近衛の騎士が立っており、こちらに慎ましい視線を向けていた。

 

「陛下も……準備は万端のようですね」

 

「あぁ。というか、最近は──そう。仕事をしていないと落ち着かないというのが若干あってな」

 

「それはずいぶんと、あれですね」

 

「あれとはなんだ」

 

 この国のトップに対してまぁまぁ失礼な雰囲気を見せる宰相だが、このような関係も今に始まったものではない。それもあってドラクシス自身も特段気にすることなくそれをあしらうと、開け放たれた扉から部屋を出る。

 

 するとすぐに彼らも後ろから付いてきた。

 

 ……

 

(いよいよ出立か)

 

 ドラクシスは若干の不安感とプレッシャー、そして近々もう一度彼女に会えることへの期待と喜びを胸に、兵士達の警護する城内、その階下へと降りて行った。

 ちなみに余談だが、この城は改築や拡張が昔から行われてきたこともあり、元々縦に大きかったが、一番下となる一階もかなり広いものとなっている。そのため、ドラクシスも一階の廊下を歩いた後、地上から少し高い位置にある出入り口に暫しの時間をもって到着した。

 

「さて」

 

 ドラクシスは息を整え、外の石床に一歩足を踏み出す。それからその身を翻し、城内から見送るように恭しく立っている側近にその顔を向けた。

 

「では、私はそろそろ長い馬車旅に備えるとして──」

 

 

 

 

 

「……その間、この国のことは頼んだぞ!」

 

「陛下」

 

 そう声を掛けるや否や、色々と複雑な宰相の表情が向けられた。その表情は『丸投げされたー』とも、『陛下は大丈夫だろうか』とも、やっぱり『丸投げされた』とも読み取れる。

 

 実際、これは女王から大変な国の一挙一動を任されるということであり、もしこれが()()()の竜王国であったなら、彼も流石にそれは無理があると止めに掛かっていたことであろう。

 

 しかし、今回は辛うじてそうではない。

 

 その理由は彼もまた、女王自らが件の舞踏会に行かなければならないことを理解しているからであるし、であればそれが実現可能であるかというと、やはり実現可能であると断言できるくらいには、竜王国に余裕が生まれつつあることを実際に肌で感じてきた者であるからだ。

 

 本当に……どちらも前までであれば考えられもしなかったことである。

 

 ドラクシスはしみじみとそんなことを感じながら、ドレスの裏の裾に入れていたあるものを取り出し、宰相に手渡した。

 

「その代わりという訳ではないが、宰相。暫しこれも渡しておこう」

 

「これは、先月より城内に保管しているあの神器の?」

 

「うむ。ツクヨミ殿から頂いたアイテム類が城内の──あの部屋にあるのは宰相も知っていると思うが、それを持ち出すための鍵だ。本当に必要であれば私に連絡して使ってくれ」

 

 ある種の奇跡の象徴。それがこの鍵の存在である。

 

 ドラクシスも言ったように竜王国には今、ぷれいやーであるツクヨミから支援と称して提供された数々のアイテムが厳重に保管されている。その中の細々とした物には有難いことに既に使用しているものもあり、例えばゴーレムの馬を複数召喚するアイテムなどは、実際に軍で使用し、村々を亜人の脅威から守るのに大きな効果を発揮している。

 そのお陰もあって空いた人員を他に回せたり──などと話し出すとキリがないくらいには様々な恩恵を直近で受けられているのだが、だからこそ信頼できる者でそれらを大切に管理する必要があった。

 

「承知いたしました。陛下の御厳命、そしてかの神の御慈悲を胸に、舞踏会の開催中はこの命をもって必ずや竜王国を守り抜いて見せます」

 

「重い重い! もう少しこう、いつもの感じでいいのだがな……」

 

 ドラクシスは急激に張り切りだした部下にちょっと溜息を吐くも、まぁそのくらいの心持ちが丁度いいだろうと納得する。特にアイテムの中には高価な杖……第七位階の魔法を発動できる連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)? の杖などもあり、ドラクシスのように興奮して、竜の咢の付いたそれをそれっぽく構えたりするなどは避けた方がいい。

 

(尤も、そんな逸物でさえ、効果が微妙であれば遠慮せず言ってくれという彼女の表情ときたらおかしいという他なかったな)

 

 思い出し笑いを堪えつつ、ドラクシスはようやく体を翻した。

 

「では、用も済んだしそろそろ行ってこよう」

 

「陛下、どうかお気をつけて」

 

「うむ」

 

 そうしてドラクシスは城から伸びる石段を下りていくと、下で警護に努める多数の兵士達と騎士、そして複数の豪奢な馬車を視界に捉えていく。いつもとそれほど違う訳ではないが、それでも皆どこかしら緊張しているように見える。あまり機会にないことだから、それも仕方がないだろう。

 

(私も外に出るのは久しぶりだしな)

 

 元々、今回の王国の会とて招待が届いていたのはもうずっと前のことであり、それをつい先日にツクヨミに誘われて、ようやく決意したものである。そう考えるとドラクシス自身、舞踏会の国交そのものより、どうにか恩人の力になりたいという思いの方が強いかもしれない。激動の他国……特に法国全体からしてみれば何を呑気なことをと指を刺されるかもしれないが。

 

(まぁ人類の団結を促すという神官長の言には賛同できるし、現地ではそこも協力できることの一つか。ただ、そうなると評議国がどう出てくるかが心配だな)

 

 ドラクシスはふと空を見上げる。いつもと変わらぬ透き通る青い空の中には、一つ、小さな雲が浮かんでおり、それが凄く遠くに流れていた。

 

「雲、ドラゴン、龍か」

 

 あの時は竜王たる祖父の不利になることは出来ない、などとリスクを承知で言ったわりには、ドラクシスもいつの間にか、ツクヨミの身を案じるように日々彼らの動向を追ってしまっている。

 

 そしてそんな(ドラゴン)統治国家である評議国は何やら内部で揉めているのが現状らしい。それが永久評議員たる竜王全体を巻き込んだものかは流石に分からないものの、ドラクシスは、今度の舞踏会が不穏な何かに巻き込まれないことを風に祈った。

 

「行くか」

 

 

 

 

 

 ♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 この時期、王国の宮廷舞踏会の開催に伴って賑やかとなる場所として、まず王都がある。それは当然と言えば当然で、催しの殆どが王都で行われるのだから、平民から貴族まで、あらゆる身分の人がその膝元に集まるのは、たとえ世間知らずな貴族でも分かることだろう。

 

 しかし、『であればそこが一番か』と問われるとそれは恐らく違う。

 

 質の高いローブを着こなした白髪の老婆はそんなことを思いながら、ここ──少し日も暮れ始めたのに、未だ人々の行き交う姿の絶えない王国の城塞都市エ・ランテルの中を歩いていた。

 

「まったく、これだけわちゃわちゃするのは想定外じゃったな。確か嬢ちゃんはちょっと前にエ・ナイウルの方に行ったと聞いておったが」

 

 これを見るに大正解だったのぉ、と心の中で呟く。

 

 老婆──その名をリグリット・ベルスー・カウラウという──は、同じく13英雄時代の仲間であるツアー、そしてイビルアイと別れてからはここ、エ・ランテルに滞在し、世情を見守っている。

 

 と言っても何もしていなかったという訳ではなく、心配性の(ドラゴン)であるツアーが『ぷれいやーはまだしも、従属神やまだ見ぬぎるてぃ武器があれば世界の脅威になりえるかも』等ともっともらしいことを言い始めたので、リグリットも重い腰を上げて、直近ではエ・ランテル付近の調査を行っていた。

 

 

 正直一度は問題なしと認めた相手のあれこれを探るのは気乗りしなかった。けれど、結局本人に直接コンタクトの取りようもなかったので、仕方なしに最初にリグリットが目を付けて探索したのが、無人の野であり、謎の多い霧めいた地"カッツェ平野"であった

 

(あそこは逆に閑散としすぎて、しかも広すぎてあれじゃったが、結果的には当然大したものはなしと)

 

 まぁ当然の流れに行きついた訳である。

 ただし、それでもリグリットが未だ街道を俯き気味に歩きながら唸っていたのは、そこでの唯一の疑問点を思い出していたためであり、それはカッツェ平野を飛行(フライ)で駆け回っていた時、ぶっちゃけ別の意味で怪しいと思う人物に出会ったからであった。

 

 特徴を言えば特にこれといったものが無い女性。どこにでもいるような金髪で、瞳は赤。そして襤褸のローブを一つ身にまとっているだけであり、その力も一切感じなかった。それに、実際に声を掛けてもきちんと応答し、自然に会話のできる普通の人間というのは確かだった。

 

 ……だからこそ場違いな不気味さを感じたという話であるが。

 

 そんな人物を頭に浮かべながらリグリットが歩いていると、ふと通りの街灯柱にもたれている冒険者たちの声が耳に入ってきた。

 

「そういや最近、謎の集団……確かズーなんちゃらってのが街の外で暴れてたらしいぞ」

 

「なんだそれ、また与太話か何かか?」

 

「いやいや、本当の話さ。この前、アダマンタイト冒険者の──あの鋼鉄のメンバーの一人がそれの集団と交戦して痛み分けたとか何とか組合で聞いたんだよ」

 

「まじかよ。相当やべーじゃん」

 

 同じ冒険者の、それもトップである者の噂話を興味津々に話している冒険者たち。言ってしまえばいつもの他愛もない内容である。

 

 しかし今のリグリットには思い当たることが無くもない。

 

(ズーラーノーン。あれもそうじゃったのかもな)

 

 近年──といってもリグリットの感覚ではだが──増長している闇の秘密結社。ぷれいやーだけでなくそういった存在もまた時代の節目であるのか各所で増えまくっており、同じ不死(アンデッド)使いとしては迷惑甚だしいものであった。それはもし揺り返しが無ければ、間違いなく見つけ次第懲らしめてやる対象だろう。

 

 だが、今は生憎そんなものを探し回っている暇はない。

 

(そう、今はトップシークレットな探索中じゃからのぉ)

 

 話を戻すと、リグリットが現在エ・ランテル内で歩いているのは街の外縁部。多数からなる三重城壁の一番外側の区域である。と言っても城壁内周部ではあるので人通りは多く、この時期だと王国の民のみならず、外から来た帝国の者や法国の旅行者、流れの商人、どこぞの貴族然とした者など文字通りわちゃわちゃである。

 

 そんな中で現在、リグリットが一縷の望みにかけて探しているのが王族等の馬車であり、宮廷舞踏会に出席する王族がいれば、ここエ・ランテルを中継所とする可能性があるため、もしかしたらスレイン法国の神であるツクヨミも同じように通りかかるのではないかと、まぁ思ってみた訳だ。

 

(正直経路も分からん、日程も分からんじゃ無謀にもほどがあるんじゃがな)

 

 とはいえすることも無いので、ぶらぶら散歩がてら門を回っているという感じである。

 

 ……

 

「ここもおらんか」

 

 そんなこんなで数十分。人気のない路地なども時に通りながら街を散策していたリグリットは、行商しか停まっていない門を通り抜け、次の門へと向かっている途中、奇妙な音を聞くことになった。それはとある街角でのことであった。

 

(……ん?)

 

 打撃音と呻き、それが建物の傍から聞こえてきたのだ。と言っても音は微小である。それでもリグリットがそれを知覚できたのは、彼女が人外の知覚能力・隠密能力を有しているからに他ならない。

 

「殺しますか」

 

「あぁ、見られたからには生かしておけん」

 

(はぁ、今日は散々だのぉ)

 

 リグリットは溜息を吐きつつ、腰に下げた立派な剣を撫でると、いつもの悪戯めいた表情を浮かべながら話し声の方向へと近づいて行った。

 

 

 

「……こんな日に物騒なものじゃな」

 

 

 

「だ、誰だ!?」

 

 街角にいたのは4人の男達と地面に転がった商人。その内三人は青黒いローブを着こなしており、その手には先端の曲がった長い木製の杖を握っている。そしてもう一人は貴族然とした背の高い男、大した装備は身に着けておらず、その手に中身の詰まった袋を持っている。

 

 なるほど。状況をおおよそ理解したリグリットは、こいつらの不用心さに少し呆れかえる。

 

 夕暮れ時とはいえ、もう少し場所と恰好は考えるべきだろう。

 

「賄賂か、それとも麻薬か何かか。まぁどちらでもいいんじゃが、善良な一般人を手に掛けるのは──流石に浮かれてましたじゃすまんのぉ」

 

「貴様っ!」

 

 リグリットが首や手を振りやれやれと演じてみれば、男達は煽られたと思ったのか完全に戦闘態勢に移行する。まぁ実際煽りなところはあるのだが、それでも相当気の早い連中である。

 

 それに──

 

(意外に心得ておるのもおるな)

 

 目の前で杖を構えた男達、その中でも後ろに立つ──多少高そうな杖を握っている男は恐らく死霊術を増強するアミュレットを装備しており、それがただのチンピラでないことが窺える。

 

「お主ら、もしやズーラーノーンか?」

 

「……だったらどうする」

 

「どうもせんのぉ。まぁ適当に懲らしめるだけじゃよ」

 

「このっ。 命知らずの老人風情が」

 

 流石に痺れを切らしたのか魔法を発動してくる男達。その内訳は酸の矢(アシッドアロー)恐怖(フィアー)負の光線(レイ・オブ・ネガティブエナジー)

 特に最後のものなどは、対象が不死(アンデッド)であれば回復させることができるという死霊使いには便利な魔法だが、当然のように生身の人間にぶっ放してきている。

 

不死の精神(マインド・オブ・アンデス)

 

 それに加え追加で盾壁(シールド・ウォール)を発動し、攻撃をそのまま避けるリグリット。その卓越した動きに、敵の動きが若干強張る。

 

「な、ならば! 第一位階死者召喚(サモン・アンデッド・1th)──」

 

「残念ながら遅いのぉ」

 

「ぐぁ!」

 

 ズーラーノーンの一人がアンデッド召喚の魔法を唱えきる前に、リグリットは腰に下げていた剣を抜き放ち、その束で飛び込んだ敵の顔面横を強打する。

 流石に逸脱者クラスの彼女である。手加減されているとはいえ、男はそれに気づく間もなく気絶し、ピンボールの玉か何かのように地面をスライドしては体を地に横たえる。

 当然隣に立っていた男は悲鳴を上げ後ずさりだ。

 

 だが──

 

「ふっふふ。だが、俺は既に魔法を発動した! この魔道具により最大限強化された第二位階死者召喚(サモン・アンデッド・2th)の魔法をな! ……行けアンデッド達! この死にぞこないをあの世に送ってやれ!」

 

 魔法を発動した親玉らしき男は、杖を撫でながら意気揚々としていた。ついでというにはあれだが、もう一人のズーラーノーン信者も、懲りずこちらに負の光線(レイ・オブ・ネガティブエナジー)を放とうとしていた。

 その姿は哀れという他ない。

 

「強き者ばかりでないのはこの世の真理。じゃが、心さえ弱いお主らにはそれも過ぎた言葉じゃな」

 

 リグリットは少し真面目くさった顔でそれを発動する。

 

第五位階死者召喚(サモン・アンデッド・5th)

 

「なんだと!?」

 

 それを発動するや否や、リグリットの前に重装骸骨戦士(ヘビー・スケルトン・ウォリアー)が出現する。それが盾を構えつつ、敵の魔法を受け流し、加えて剣を薙ぎ払うと、それだけで相手の召喚したアンデッド──低位のスケルトンは砕け散った。

 

 それには流石のズーラーノーンも唖然としている。

 

「ば、馬鹿な!? 第五位階の死霊術っ!? そんなもの私どころか同じ高弟のあの者にも……」

 

「何を勘違いしておるのか知らんが、これが全力ではないんじゃがのぉ」

 

 何はともあれ終わりであろう。リグリットは、じりじりと後ろの壁に下がるようにし、今は尻餅さえついているズーラーノーンの親玉に目を向け、骸骨(スケルトン)に指示を出す。ちなみに部下の方は杖まで折られ、既に気を失っていた。

 

 そうして近づく重装骸骨戦士(ヘビー・スケルトン・ウォリアー)

 どちらが悪人だと言いたくなるシチュエーションだが、決して殺しはしないようにゆっくりと骸骨(スケルトン)が盾を持ち上げ、そして──

 

 

 

 

 

 

 

 

「……善の炎(ホーリー・フレイム)

 

「!!」

 

 

 だがその瞬間、眩い神聖な光が起こる。

 

 たちまち白い炎に包まれた重装骸骨戦士(ヘビー・スケルトン・ウォリアー)が呻きを上げながら盾を体の前に構え、後退してくる。第五位階の、それも()()()()による攻撃であった。

 

「大丈夫か」

 

「リ、リヒター!! すまん、恩に着る」

 

「……なるほど、仲間か。しかしまさか神官様までズーラーノーンにおるとはのぉ」

 

 リグリットは多少の警戒心を胸に城壁の方を見上げる。そこから飛行(フライ)によって降りてきたのは祭祀を思わせる、宗教色の強いくすんだ灰色の仮面を被る、全身ローブの男。一瞬イビルアイを思い出すくらいには怪しい風貌の男であった。

 

(恐らく私より弱いじゃろうが)

 

 しかし先ほども見たようにこれは神聖属性の魔法を使うようであるため、不死(アンデッド)使いであるリグリットには少しだけ相性が悪いと言えよう。だが、相手は慎重派であるのかそうは思っていなかったようで──

 

飛行(フライ)魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)太陽光(サンライト)、そして──」

 

 

 毒の霧(ポイズン・ミスト)

 

 

 めちゃくちゃ害悪な魔法をばら撒き、逃走を図ろうしていた。というよりその手筈を完全に整えた、という方が正しいだろうか。

 

「これはやられたのぉ」

 

 正直に言えば追いかけることは可能である。しかし、単騎で相手もあのレベルだとやはり待ち伏せリスク等が大きいのと、この惨状をそのままにして行く必要があるという問題がある。そして元々人命救助をするために割って入ったのだから、どちらを選ぶべきかは言うまでもない。

 

「仕方ない。重装骸骨戦士(ヘビー・スケルトン・ウォリアー)、霧の中の者を運び出せるかの」

 

 そんなこんなで仕方なしにリグリットが謎の居残り掃除をさせられていると、数分。流石に騒動を察したのかやってくる者達の姿があった。

 

「おい、大丈夫か」

 

 如何にも野伏(レンジャー)といった長帽子を被る鋭い目付きの金髪の男が屋根から降ってきて話しかけてきた。見ればその胸にはアダマンタイトのプレートを身に着けている。

 

(もうちょっと早く来てくれんかの……)

 

 そんなことを思いながら、リグリットは毒の霧の方に指を刺す。

 

「微妙じゃな。まぁ人は回収しといたし、後は衛兵がいれば何とかなるじゃろう。……しかし物騒なのが王国にも集まっとるのかのぉ」

 

「そうか。あの怪しい輩がまた……。いや、すまん、遅れて悪かったな。私はアダマンタイト冒険者、鋼鉄の者だ。後は責任をもって、その──処理しておこう」

 

 後半、彼の歯切れが悪かったのは、恐らく毒の霧の中から最後の人間を運び出してきたのが重装骸骨戦士(ヘビー・スケルトン・ウォリアー)だったからである。

 

 

 そうしてリグリットは召喚術を解除してから、その場を後にした。

 

 

 ──

 

 

『やぁリグリット。その後のそちらの調子はどうだい?』

 

「いきなりじゃのぉ、ツアー。じゃが、残念ながらお前さんの欲しがる情報は0じゃなぁ」

 

『そうか。それは残念だよ。今度こそ ギルド武器の情報などが得られればと思ったのだけど』

 

 もうリグリットが宿に帰ろうとしている夕暮れ時、唐突に伝言(メッセージ)越しに白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の声がやってくる。

 

『でも、まぁ仕方がないね。君達に無茶をさせてばかりだし、こればかりは本人に聞くのが手っ取り早いかもしれない』

 

 そこで彼は一拍置くと話を切り出した。

 

 

 

『評議国では既に話をつけてあるんだけど、今度の舞踏会には私が出ることにするよ』

 

 

「……そうか」

 

 リグリットはそれに心配気味に、それでいてちょっと遠い目をしながら対応する。するとツアーがやけに不服そうに続けた。

 

『これは(ドラゴン)としての勘なんだけど、今何かすごく失礼なことを考えなかったかい?』

 

「なんで分かったんじゃ?」

 

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 夜。この世界では多くの者が寝静まる時間──スレイン法国の神都にある大神殿のエントランスでは、珍しく一つの灯りが灯っていた。

 

 広間となるその場所に置かれた長椅子に腰かけるのは、白き髪を持つ新たなこの国の主、ツクヨミ。そんな存在は現在その首を曲げ、雪が降っているかのような美しき繊細な白い睫毛越しにぱらぱらと本を捲っていた。

 

 ……

 

(いや、むずいなぁ。なんだこれ)

 

 さて、その両手に握る本のタイトルは『王国の舞踏会の歴史』。その時点でもう何となく察しが付くかもしれないが、ツクヨミは絶賛、もう目前まで迫ってきたそれに向けて勉強中なのであった。ちなみに自室でないのはちょっとした気分転換である。

 

「もう眼鏡なしでも解読は容易になったとはいえ、礼儀とか大丈夫かなぁ」

 

 なんて、今更思い始めたツクヨミだが、まぁでもそうなってしまうのも仕方がないのである。

 

 何故なら、王国宮廷舞踏会への出立は明日から。

 

 神官長としては『神が我々と同行など恐れ多い! 是非空路で行ってください!』というスタンスを終始保っていたが、ツクヨミとしても流石にそれはどうかと思い、今回に関しては馬車にて既定のルートを行く予定である。

 

 とはいえ、八本馬(スレイプニール)なら本当に一瞬みたいなものだろう。

 

「……前は半月かけて王都まで行ったんだっけ」

 

 ふとそんなことを思い出す。それに比べると……まぁ味気ない道中だろう。

 

「あれから私は上手くやれてるかな」

 

 ふとそんなことを呟いてみる。思えばこの世界に来て本当に……色々な出会いや別れのようなものがあったが、ツクヨミ自身はちゃんと未来に──来るべき現実に向かえているだろうか。

 

 何より大好きなこの世界をよくできているだろうか。

 

「少しでもできてたら、嬉しいんだけどなぁ」

 

 それが今のツクヨミの本心であろう。そして願わくば、それがずっと続けば──

 

「ツクちゃん、何ぶつぶつ言ってるの?」

 

 

「うわ!?」

 

 

 等と久々に感傷らしい感傷に浸っていると、後ろから声がかかる。そこにいたのは番外席次ことアリシアであった。

 

「こ、子供が夜更かしとは……よろしくないですね」

 

「別にいいじゃん、明日行く訳でもないんだしー。てか、それ何の本?」

 

「いや、これは。あの──歴史書! 歴史書だよ、アリシアさん。長ったらしいあれだよ」

 

「うっわ。図書館の頃から思ってたんだけど、ツクちゃん本の趣味悪いね」

 

 アリシアはもはや見る気も失せたのか、本の表紙から視線を外し、ツクヨミの肩に両腕を乗っけてくる。

 本の趣味が悪いは、まぁまぁ酷い言われようであるが。

 

「それよりさ、アリシア。今度、武技についてもっと教えてよ」

 

「んー、えー? 良いけど。でもツクちゃんまた上手く出来ないんじゃない?」

 

「むむ。まぁそうなんだけどさ。何か勘とかないのかなーって」

 

「分かった分かった。じゃあ私は教える賃金代わりにあそこに連れて行ってもらおうかな!」

 

 

 

 アリシアがふふんと楽しそうにそれを切り出す。

 

 

 

「……一応聞くけどどこ?」

 

「エルフ王のとこ!」

 

「却下でございます」

 

 

 

 今日も大神殿は平和であった。

 




そろそろ二章も終盤です。
そして途中で登場した善の炎(ホーリー・フレイム)ですが、作中でも書いておりますがヘルフレイムより下位の魔法となっています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

44.王都集結

もう4月という事実に震えております。聖王国編の映画楽しみですね(こちらは溜め回です


 大神殿で出立準備をしていたあれから数日後。

 

 ツクヨミとその一行はすぐに神都から出発し、遠路はるばる王国の首都である王都までやってきていた。

 

 足は当然法国の抱える馬車。それも最高級のものであり、ツクヨミの乗るそれに至ってはお馴染みの最速馬である八本馬(スレイプニール)、旅の揺れを大幅に軽減する快適な車輪(コンフォータブル・ホイールズ)は言わずもがな、車体部分も謎に豪華な白色を基調とした外観にて作り上げられており、『いつ用意した?』と言わざるを得ないほどお値段の高そうなものであった。いや、そのレベルの代物は恐らく、単純に金を出せば買えるというものでもないだろう。

 

 ……まぁなんにせよ、そんな馬車に乗り、かつ一切の寄り道をすることも無かったためにすぐに目的の舞踏会開催地までやってきたツクヨミらは今──王都の街の手前にあたる車道を走っている。

 窓から顔を覗かせてみれば、まだ辺りに草原が広がっているが、あともう数分もすれば城下町の端が見えてくるのだろう。そんな塩梅の肥沃な場所であった。

 

「……ここに来るのも2回目か」

 

 そんなことを呟きつつ、実際は()()とルートも違うその初見の景色に見惚れるように外を見ていると、同じく横を走っている馬──それに乗った白いローブを着こなした屈強な男と目が合った。

 

 言わずと知れた法国特殊部隊、陽光聖典の隊長だ。

 

 彼は今回の外遊に同行するツクヨミの護衛の一人であり、その周りにいる陽光聖典班長マルセルや周りの部下たちも同じく、ツクヨミという神を護るために馳せ参じた法国の精鋭騎士のようなものである。もっとも、恭しく胸に手を当てている彼らの顔は真剣ながらもどこか嬉々としており、聖典という存在も突き詰めればただの信心深き信徒だということを思い出させてくれる。

 

(うん。ていうかこの調子だと陽光聖典の方ばかりお連れするのも、ちょっと悪い気がしてきたな)

 

 ツクヨミは顔を引っ込めつつ、内心そんなことを思う。というのも今回同行しているのは陽光聖典と漆黒聖典、それと神官長達という組み合わせであり、特殊部隊の中では割と何でもできる彼らが選抜されるのは妥当と言えば妥当だというものの、やはりいつもの感は否めない。

 

 他の色の者達はそんな配役に不満を持っていないだろうか。……未だ慣れない立場だからかそういう部分を気にしてしまいがちなツクヨミであるが、あまり気にしすぎるのも良くないだろうとは思う。

 

「まぁ今回はもう仕方ないとして……今度他の方々にも何かお頼みして──何かしていただこう」

 

 そんな謎すぎるタスクを、自分の心の中のメモに書き留める。そうしているうちに──

 

 ガタリッ

 

 石段に乗り上げたような微かな感覚が車内に伝わってくると、目的地に到着したのか、周りの者が徐々に馬から降りていくのが、窓から見える横の景色から辛うじて読み取れた。

 ツクヨミは自分はどうしたものかと考えるも、何かしらの指示があるまで一旦動かない方がいいだろうと、その場にちょっと姿勢を正した状態で座り直す。こういう時間が一番緊張するのだ。

 

(何か話してる)

 

 閉め切られた高級馬車の中は基本的に小窓から音を拾う程度で遠くの音はあまり聞こえないのが常であるが、ツクヨミの優れた聴覚は集中している今、数m先の会話を拾えている。

 

 流石に魔法もアイテムも使っていない状態のため、一言一句とまではいかないものの、平坦な声や状況から察するに、王国の門番と神官長辺りが今後の道のりに関して話しているのが分かる。それが十数秒続いたと思うと──今度は足音がこちらに向かって近づいてきた。それはすぐにピタリと止まった。

 

「ツクヨミ様。お休みのところ申し訳ございません。今、宜しいでしょうか」

 

「はい。何でしょう」

 

「ありがとうございます。……報告ですが、先ほど馬車が王都に到着いたしました。そしてこれから王国の者に案内してもらいながら一時間ほど掛けて内部へ向かう予定ですが、ツクヨミ様が宜しければ一度ご休憩なされますか?」

 

 ノックし、窓越しに頭を下げているのは闇の神官長であるグレーム。どうやら向こうと話は済んでいるようで、ツクヨミの体調を気にしてやってきてくれたらしい。

 

 勿論、ツクヨミとしては運ばれてきただけなので疲れなど全くない。あるとすれば今後に向けた気苦労くらいだろう。

 そのため、少し畏まってから返答する。

 

「いえ、このまま行っていただいて大丈夫です。ちなみになのですが、案内してくださる方というのは?」

 

「リ・エスティーゼ王国の兵士長とのことです。一般的なそれより階級は上のようでして、信頼はできるかと」

 

「兵士長様……ですか」

 

 なんか聞いたことあるな、と──意外な心当たりを感じつつ、ツクヨミはグレーム側に座席を近づけながら続けた。

 

「グレーム様。問題なければでよいのですが……私もその方へご挨拶に伺っても? この後のことも少しお聞きしたいですし」

 

「ええ。何一つ問題ございません。ただ、今後の日程をお聞きするのみであれば、神が直々に赴かれずとも我々から聞き出すこともできますが」

 

 グレームが顔を上げたのを確認し、ツクヨミはそっと扉を開けると、「それにはお及びません」と断りを入れてから慎重に王都の地に足をつけた。外のひやりとした風が全身を撫でると、(おもむろ)に長い髪が揺れたのでそっと抑えた。

 

(とりあえず第一印象が大事だよね)

 

 などとリアルの頃のそれを思い出しつつ、ふぅと息を吐いてから門へと近づいて行った。

 

「これはツクヨミ様。……いかがなされましたか」

 

「私も兵士長殿へご挨拶へ伺いました。お初……ではないのですが、今回()お招きいただきありがとうございます、王国兵士長殿。ツクヨミと申します」

 

「ツクヨミ様……。スレイン法国の神の御姿をこの目で拝見でき、光栄の極みでございます」

 

 それだけ男は言うと、緊張したように吐く息を止めた。見れば周りにいた兵士達はもうがっちりと固まっている。ツクヨミとしては知った顔──そう、先日王国へ訪れた際、色々あって城へ連行されたときの付き添い人が彼であったので、「先日はお世話になりました」くらいの感覚だったのだが、少し悪いことをしただろうか。

 そんなことを思っていると、兵士長も気を取り戻したのか話し始めた。

 

「私の方こそ先日、そして今回とご来訪いただきありがとうございます。再度神がリ・エスティーゼ王国を訪ねてくださったこと……いえ、やはり前回のズーラーノーンの一件から、既に神の御計画のうちだったのでしょうね。そう考えますと、もはや私共は上げる顔がございません」

 

「あ、頭をお上げください! すべては私のしたいようにしているだけですから……」

 

「神の御慈悲に感謝いたします」

 

 そうしてまた一人、ツクヨミの思惑の外で信徒が爆誕したのであった。

 

 

 ────

 

 

「では話を戻しますね……。今後についてなのですが、兵士長殿にご案内頂き、そのままロ・レンテ城まで向かわれる形でしょうか」

 

「はい、そうさせていただこうかと。舞踏会の開始は夕方ごろとなりますので、それまで城内の御部屋でお寛ぎいただければと思います」

 

 なるほど。やはり寄り道できる感じではなさそうである。まぁそれも当然であり、彼らからしてみればツクヨミ達は主賓も主賓。逆に言えば何かあっては困るのだろう。

 そうとなればツクヨミも黙って従うのみである。ぶっちゃけた話、最近はトラブルメーカーなところもあると自覚しているのだ。

 

「承知いたしました。では、案内のほどよろしくお願いいたします」

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 時刻が少しだけ経ち、昼過ぎ。

 

 リ・エスティーゼ王国首都である王都の大通りはいつも以上に賑わっていた。

 宮廷舞踏会という大きなイベントのある今日は他国の使節や一部国の代表の来訪もあるため、そういった馬車の行き来が多いのはもちろんのこと、実際に会には参加できない庶民たちも、その前の催しという形で、少し浮かれ気分の中街に出ていたりする。その熱気は法国のパレードほどではないものの、物流の多さという面ではそれを凌いでいた。

 

「ほとほと面倒なものだ」

 

 そんな楽しい雰囲気に包まれた人々に対して、男──明らかに他の者とは一線を画す重プレートに重苦しい兜を身をつけた彼は──気だるげに息を吐いていた。それをたしなめるように、横から低い声がかかる。

 

「まぁまぁ。その警護が今日の我らの仕事なわけで、確かにこう──騒ぎまくる楽しさはよく分からんものだが……彼らにとってはこれが我らの冒険のようなものなのだろう」

 

「なるほど。レアもの探しか」

 

 等と、意味不明なことを言っている三名。一見、荒くれ者のように見える彼らだが、その正体は冒険者である。

 

 人呼んで『鋼鉄』。

 

 現在の王国唯一のアダマンタイト冒険者である彼らは、その胸にアダマンタイトのプレートを付けており、道行く人に珍しさと、羨望の目を向けられている。当然、その実力に違わぬものを全員が持っている彼らが、なぜこんな冒険者らしくない仕事をしているのかにはやはり理由があった。

 

 それは"宮廷直々からの依頼"である。

 

「普段は冒険者嫌いのお偉い様方がそれほど気にされるということは、それほど大事な仕事ということでもあるのだろうな。この警邏は」

 

「うむ。まぁ平和のためだ。少しくらい貢献しようではないか」

 

 男達の言う通り、王国貴族間での冒険者の評判は悪く、通常であればこのような場に駆り出されることはまずない。にも関わらず彼らがエ・ランテルから呼び戻されたのは、実のところ国王であるウィリアムが近年の王国の状況──特にズーラーノーン関係のそれを憂いて念入れの対策したためである。加えて彼らが脳筋のパーティ……魔法等をあまり使わないことが、比較的王国貴族からの受けがよかったこともあるだろう。

 

「それにあの不審者共には、我らも痛い目見せられているからな」

 

 まぁそんなかくかくしかじかとした経緯があり、冒険者『鋼鉄』は今回、舞踏会のための見回りを行っているのである。

 

 数分ほど、人通りの多い歩道を練り歩きながら、一行の散策が続く。

 鋼鉄のリーダーであるネムガント・ガーレは先頭を歩きながら、鋼鉄のヘルムからふと視線を動かした。

 

「ふむ。神、か」

 

「……ん?」

 

「前にも噂になっていた神の話題が今日は多いようだな」

 

 仲間たちもそれにつられるように首を動かす。すると確かに聞こえてくるのは普段からすると物珍しい単語の数々であり、その中でも特に話題になっていたのは スレイン法国の神が今回来ているらしい、という話題であった。何なら「目があった」、子供が手を振っているのを止めようとしたら手を振り返してくださった、等『本当か?』と言わざるを得ないような内容も散見されている。

 

 神話という存在を幼き頃より追い求める冒険者という生き物にとって、それらは興味深く、それでいてまさかと思うのは当然のことであった。

 

「本当なら会ってみたいものだな」

 

 仲間の一人である野伏(レンジャー)がそう言うと、戦士仲間である彼も頷いた。

 

「レアな装備をお持ちかもしれないしな」

 

 だが、用心深いネムガントは唸りながら答えた。

 

「案外、名前だけかもしれないぞ? よくある話だ。名声・見た目だけというオチで──ほら。ああいう奴らのことだ」

 

 ネムガントが立ち止まると、その視線の先にはいつものように喚き散らしている王国貴族の姿が映った。どうやらそのスレイン法国の神に早く会うべく馬車を急いで飛ばしていたところ、壁に突っ込んだらしい。大層に着飾っているが、アホという他ない。

 

 ネムガントは溜息を吐きながら、喧噪の方へと歩みを進めた。

 

「我々も……我々の仕事をしようではないか」

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

「ツクヨミ殿。ようこそ、我が国へお越しくださいました」

 

 太陽が天頂から落ち始め、日は少しずつ色味を増している。

 そんな頃、兵士長と共に王都の最奥に位置するロ・レンテ城に到着したツクヨミは、最高神官長、光・闇・火・風の神官長と共に、リ・エスティーゼ王国の国王、ウィリアム・シャル・ボーン・デル・レンテスより歓迎の挨拶を受けていた。

 

 場所は正面の人通りの多い場所とはまた違う区域であり、豪華な門と庭園がそこには広がっていた。恐らく、特別な客人──特に、スレイン法国のような機密の多い国と会合する時はこのような場所を選んでいるのだろう。

 

(というか一国の陛下からこんなに丁寧な挨拶をいただくなんて、なんかこう……胃が痛い)

 

 この前アルフリッドと会った時もそうだが、こういった場に来ると、改めてもう立場が変わったのだと実感させられるものだ。

 

「陛下、お久しぶりです。こちらこそ今回もこのような素晴らしい場にお招きいただきありがとうございます」

 

「そう言っていただけると有難いものです。さて、ずっとお立ちいただくのも申し訳ありませんし、そろそろ城内へ案内いたしましょうか。宜しいですかな、最高神官長殿も」

 

「無論でございます、ウィリアム殿。それと後でで構いませんが、件の内容について事前に会話できますか」

 

「ええ。こちらこそお願いいたします」

 

 そうして、何やらご老人同士で約束を取り付けたかと思うと、ウィリアムが兵士長と共に城内の入り口へ向かったため、ツクヨミと神官長も建物の内部へと足を踏み入れた。

 

 ……

 

(でかい)

 

 最初に浮かんだのはそんな感想であった。

 

 ロ・レンテ城。王国の誇る最大級の建造物であるこれは、外周1400メートル、20の円筒形の巨大な塔と強固な城壁によって広大な土地を囲んでいる。そのため、その内部も当然のように広く、無数の部屋と連なるシャンデリア。そして、巨大な窓から地平の先の日光を取り込んでいる。前回来た時も、この圧巻の豪華さに震えたものだが、いかにツクヨミが世間的に神という存在に変貌したとしても、その内面自体が変わっている訳ではないので、今も内心ビビり散らしているのが現実である。

 

 しかしそんな姿を見せる訳にもいかないので、ツクヨミは今、後光の差す立ち姿の中赤い絨毯を堂々と踏む人物として国王についていっていた。

 

「しかし、正直なところ驚きました。ツクヨミ殿がまさか、スレイン法国に語り継がれる神であらせられるとは。無論、あの時から特別なものを感じていたのは、王として噓偽りなく述べられることですが」

 

 荘厳でありながら小さく笑うウィリアムに、ツクヨミも答える。

 

「あの時は、そうですね。私もだいぶ無茶をしたものですから、陛下の穏便な御対応には救われました。訳あってこのようなお披露目になってしまったことにつきましては申し訳ございません」

 

「いえ謝られるようなことはございません。寧ろ、我が国がこうして舞踏会を開けたのも、元を辿れば神の隠されし恩寵の賜物なのですから」

 

 先頭で感慨深く杖を撫でるウィリアムに対し、全力で頷く者達が横と後ろに複数名。

 

「まさに。ツクヨミ様の御慧眼は流石という他ございませんでした。我々も件の内容を知ったときは耳を疑ったものです。勿論、貴国のみを叱責する意図はなく、我々スレイン法国上層部もまた根本的な人類の問題を見落としていた愚か者でした」

 

「そんな中、我々を導くように先頭に立たれたのが我らが神であった、と」

 

「そういうことだグレーム。誠に計り知れぬ神の智謀。それを人類のためにと振るってくださっているツクヨミ様につきましては、もはや慈悲の神と呼んでも差し支えないほどの希望の存在という他ないでしょう」

 

 やめて。恥ずかしいから。

 

 周りの面々のある種の勘違いを城内に広められながら、一行は上の方の階に到達する。元々ツクヨミ達の通ってきた場所自体がそれほどの人の行き来のない場所であったが、この辺りは更に少ないようである。

 ツクヨミが一瞬窓の外の眺望に見惚れていると、国王の隣に立っていた兵士長がこちらに振り返り答えた。

 

「この先に複数の部屋の用意がございますので、宮廷舞踏会開催時刻まで、そちらでお寛ぎいただければと思います」

 

「うむ。問題等あれば、兵士長でも給仕を務める者でも、遠慮なく申しつけいただければと──」

 

 そこまで言うとウィリアムは奥の部屋に目を向かわせてから続きを発言する。

 

「そういえば既に竜王国女王殿や聖王国の方も来られておりましたな。アルフリッド殿はまだですが、もうじき来られるかと。皆様が宜しければ国の代表同士、世間話の時間を設けるというのも、些か有意やもしれませんね」

 

 ウィリアムはそれだけ言うと、丁寧に会釈したのち、廊下の奥へと戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 ~~~~

 

 

 

 

 

「それでな、ビーストマンの大群が極光に包まれたと思うとな。なんと、次の瞬間にはすべてが消え失せ、その中心には神話に語られるような神とその剣のみが佇んでいたらしい」

 

「へ、へぇー。それは凄いですね……」

 

「それでな。見た者によると、あれ。なんだっけな。確か三対の翼を生やした天使が世界を覆うように──」

 

 王国ロ・レンテ城の上階。使用される多くは他国からの主要人物来客時や、王国の王族・大貴族が仕事を行う際の場所である。

 

 そんな場所の一室にて、格式高いテーブル一つを挟みながら優雅に会話を楽しんでいる(?)女性が二人いた。

 

 一人は漆黒の長い髪に、美しい琥珀のような瞳を持つ女性。竜王国女王、ドラクシス・オーリウクルス。

 そしてもう一名はしなやかで艶のある茶色の髪に、神殿祭司らしい礼服を身にまとう女性。神殿勢力の最高司祭であり、聖王国の神官団長でもあるキャリスタ・カストディオである。

 

 ドラクシスとカストディオは立地の関係上それほど密接な関係が今まであったわけではなかったのだが、お互い国の代表──もっとも、カストディオは聖王の代理として──この機会に親交を深めていた。

 

 まぁ会話といってもドラクシスが一方的に話している、が正しいのだが。

 

 普段のキリっとしたドラクシスの印象も一応知っているカストディオは、紅茶を嗜みつつ今も意気揚々と話す彼女に同じく軽口をたたく。

 

「女王陛下、失礼ながらそれ、お酒入ってたりしますか」

 

「失敬な。一切入っとらんぞ……多分。それにいくら酒を煽るにしてもそれは舞踏会が始まってからだろう?」

 

「いや、まぁ。そうなんですけど……」

 

 何だかんだ常識人なつっこみを入れてくるのがなんともである。そんなこんなで二人が話していると、ふと部屋にノックが入った。

 一体誰か。神妙な雰囲気になりつつも、ドラクシスが返事をすると、そこから入ってきた人物は、二人の想像を上回る人物であった。

 

「ど、どうも。失礼いたします」

 

 白髪に落ち着いた紫色の瞳。白色の神器に、些か神々しすぎる光臨。明らかに『どうも』みたいな軽めの雰囲気で人間の部屋に入ってきていい存在じゃないそれは、スレイン法国の神であるツクヨミであった。

 

「ツクヨミ殿! また会えて嬉しい限りだ。先日は本当に世話になった」

 

「いえいえ。ドラクシス女王陛下もお久しぶりです」

 

「え……ええええ!?」

 

 

 そんな会合が果たされる中、部屋の中で同じく立ち上がりこの状況に困惑している人物がいる。それはカストディオである。

 

(え、え? ツ、ツクヨミ? ってことはこの方があの? スレイン法国の神様? 神なの? 神が目の前にいるの? ……思った以上に神々しすぎて立ち眩みが)

 

 普通で常識的で、それでいて一般的な感性だからこそ起こったその悲劇を、ツクヨミはまだ知らない。

 

 もうじき舞踏会が始まろうとしている──

 

 




次回宮廷舞踏会となります。おおよそ人物も集まりましたが、まだ影も出ていない彼の動向には注目いただければと……。

次話は1,2週間後に投下予定となっております。宜しくお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

45.宮廷舞踏会[序]

本当はキリよく1話にまとめる予定でしたが、思った以上に量が多く纏められなそうでしたので、序と終に分けてさせていただいております(いつもの)


 

 宮廷舞踏会。

 

 その開催規模は言わずもがな巨大であり、毎年恒例で開かれるその会には全国各地に散った王国貴族が一斉に集まるため、普段はその広さ故に閑散としたロ・レンテ城内も、期間中だけ賑やかとなるのはいつものことであった。

 

 今回も、そんな宮廷舞踏会には多くの者が集まっている。

 

 時間は夕暮れ時。

 

 開催の場である大広間には既に多数の高位の人間達が集まり、待ちきれぬとばかりに談笑を始めていた。まだ端のテーブルには多くの料理も並んでおらず、楽器を演奏する者達も最後の手入れと言わんばかりに立ち位置を整え、息を潜めている。

 

 そんな毎年いつも見ているはずの光景──。それを……栄えある王家の一員であるランポッサはただただ落ち着かぬ様子で眺めていた。

 このひと時がまるで──嵐の前の静けさのように思えてならなかったからである。

 

「……今回の会、みなには楽しんでもらえたら良いがな」

 

 ランポッサが冷静さを取り戻そうとしている中、隣に立つウィリアムが主催者としてそう言葉を零していた。その視線の先は会場の中央を眺めてはいるが、どことなくこちらに向けられたものでもあるような気がした。

 ランポッサはただそれを静かに首肯する。そして、ウィリアムと共に改めて今回の参加者一人一人に目を向ける。

 

 先ほども述べたように、今回の舞踏会にはかなりの人数が参加しており、長さだけでも50mを優に超える壮大な空間を埋め尽くさんとするほどに、王国の貴族──その他にも周辺国の使節や著名な商人などが集まっている。いや、勿論それだけではない。

 

(あそこにいるのは……帝国の宰相殿。それに右上には聖王国の神官? そしてあれは……)

 

 挙げればキリがないが、招待客には珍しい存在もちらほら見られる。その中には当然、まだ直接外交に携わることの少ないランポッサの知らぬ者も幾ばくかいる。

 

「陛下、あの隅にいる奇抜な恰好の者達はどのような方でしょうか」

 

「そうか。ランポッサは見るのは初めてか。……あそこにいるのは法国の特殊部隊。我も詳しくはないが、相当な実力者であり、彼らの神の護衛……とのことらしい」

 

「なるほど。ありがとうございます!」

 

 すなわち、普段は表に出てこない彼らさえ今回は出てきているということである。

 そこでランポッサは思い出す。そういえば()()()()()()()()もいたはずだと。

 

「そういえば陛下。帝国、法国、竜王国、聖王国の方は見受けられたのですが、その……評議国の方は?」

 

 そう、評議国だ──。

 正式名称をアーグランド評議国という()の国は、周辺国家では珍しく亜人主体の国家であり、その最上位者として国を治めているのは竜だという。そんな国の使者が今回やってくるという話を又聞きしていたランポッサは、どのような者が現れるのかと半分警戒していたものである。しかし、どこの集団を見ても亜人らしき者は見当たらない。

 

「ふむ。……来るという話は、伺っていたのだがな。確かに見当たらぬ」

 

 ウィリアムもまた顎髭を撫でながら、威厳のある様子で場を見下ろしていた。君主である彼には当然、参加者の情報も王国兵士や騎士達から上がってきているはずなので、やはり居ないということなのだろう。

 

(まぁ、ある意味今回はそれどころではない、か……)

 

 そうこうしているうちに、ようやく会も始まろうとしているのか、宮廷勤めの司会が段に上がり挨拶を始めたので、ランポッサとウィリアムもまた広間の中央に近づいて行った。

 

 

 

 道を開けられつつ、部屋を横断する形で敷かれた豪華な朱色のカーペットの手前に二人が到着すると間もなく、ぱちぱちぱちと周りからの盛大な拍手が国王に向けられた。だが、本来なら玉座に座る彼も今だけは主賓たちを持て成す立場であった。

 

 

 そう、いよいよ、前代未聞の舞踏会が開幕するのだ。

 

 

「皆様。そして、既にお聞き及びのことと存じますが──今回の会には特別な来場者の方が多数お越しになっております。まずはその著名な方たちを拍手でお迎えいたしましょう」

 

 司会がそれを告げると、今まで雑談を交わしていたような者達の関心も一斉にそちらに集まる。

 

「帝国の若き皇帝、アルフリッド・ルーン・ファーロード・シル・エル=ニクス陛下の御入場です」

 

 瞬間、『おお』という観衆の声が漏れだすとともに、満開の拍手を受けながらアルフリッドとその近衛の護衛達──一名はあちら側の将軍だろうか──が大扉の先から現れてくる。衣装は帝国らしい洗練されたものであり、派手というよりは夜会によく馴染んでいるという印象を受ける。

 

 そして極めつけはやはり、アルフリッドの優雅さそのものだろう。

 

 アルフリッドは堂々と道の上を歩きながら、にこやかに周りを見渡し、手まで振っている。その姿は自信に満ち溢れており、見目麗しい若き皇帝の"ご尊顔"を見た女性たちからは黄色い悲鳴まで上がっている。中には王国側の声も含まれていそうで、ランポッサとしてもそれで良いのかと言いたい気分であった。

 

「続きまして御入場いただきます。竜王国の栄えある女王、ドラクシス・オーリウクルス陛下──遠路はるばるお越しいただいております!」

 

 そう男が言うや否や、扉より歩いてやってくる竜王国の女王。心落ち着く時間がないとはまさにこのことだが、これもまた凄いという他なかった。

 女王とその側近の者はどちらも女性であり、見た目の美しさは勿論のこと、その佇まいも上品この上ない。

 さらに言えば女王であるドラクシスから発せられる人ならざるような威厳が、周りの者──いや、実際に言うと王家の者であるランポッサさえも感嘆させたのは確かだった。

 

「流石に凄いですね」

 

「うむ、だが……お主もいつかあれに混じっていくのだぞ?」

 

「陛下」

 

 小声とは言え、まぁまぁ大胆な発言をする国王。それを諫めるランポッサであったが、次の瞬間にはウィリアムは顔をこちらに向けて、極めて真面目な顔で話しかけてきた。

 

「では、私もそろそろ彼らの元に行ってくるとしよう。……ランポッサ、次の入場はよく見ておきなさい。きっとそれはお前にとっても──今後の王国にとっても、()()()()()()()ものとなる」

 

 そう言い残すとウィリアムは向こう側へと去っていく。ランポッサが呼び止める間もなく。

 

(さて、司会も言っているが聖王国の王は諸事情により代理の出席、そして評議国の代表も不在か。となると残るのは──)

 

 そこまで考えが行き着くと、ようやく司会による最後の紹介が行われた。それはどの時の口上より重く、そして慣れた者であっても隠し切れない緊張感を孕んでいた。

 

「最後に──スレイン法国、最高神官長および六色神官長。そして……」

 

 

 

 

 先日人の世に舞い降りた神ご本人が、ご入場になります。

 

 

 

 

 司会もよくそれを言いきれたものだと、ランポッサはその時になって初めて思った。それほどまでに目の前に現れた光景が現実的でなく、形容し難いものだった。この時のことを、きっとランポッサは生涯忘れないだろう。

 

 歩いてくる()()は夜の全てを支配するような"漆黒の衣装"に身を包み、けれどこの世の全てを照らすような光輪を背負っていた。

 彼女が踏みしめる一歩一歩が、まるで小さな振動となってランポッサの足元に伝わってくるような──そんな奇妙な感覚さえ感じ、もはや場の雰囲気に押され感情がおかしくなっているのか、それとも何かの魔法が働いているのかそれさえ分からない。

 ただ、ランポッサは彼女の存在感に圧倒されるのみだった。

 

(あれが神、なのか)

 

 人知を超えた存在という言葉には──納得しかなかった。

 これを相手にウィリアムが普通に会って話してきただろう事実に、今更懐疑の念が浮かぶほどである。

 

 

 ……あまりにも凄すぎて誰も言葉を発せない。

 

 

「……」

 

 

 そうしている内に神はそのまま極めて長い白髪を揺らしながら、皆の間を優美に通り抜けていった。その間──不敬にも当たりそうな話だが──拍手する手すら動かせたものは殆どいなかった。

 

(私も甘かった……。ただ、この様子であれば万が一にも王国貴族から変な問題を起こすこともないだろう)

 

 ランポッサは堪えきれず息を吐くと、最後に対岸に並ぶ大貴族の一人、ボウロロープ候に目をやる。開催前まではかなりいきり立ち、神を過小評価していたボウロロープ候だが、今の彼はすっかり腰を抜かしそうになり、目を回している。隣にいる腰巾着の貴族達も同様だ。

 

 まぁ、あれを見せられれば仕方ないとさえ思える。

 

 ランポッサは改めて歴史上で神と呼ばれる存在の偉大さに感服し、そして、今後の立ち回りについて深く考え直すのだった。

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

(あ、あれ?)

 

 すたすたすたと、会場のど真ん中を足早に通り過ぎる者がいた。その者は白い髪を置き去りにするように、けれど湧き上がる大丈夫か? という感情を決して見せないように、全力で虚飾の神々しさを演出しつつ、その場を後にしていた。

 まぁそれもその筈である。何故なら、自分より前にここを通っていた帝国や竜王国の代表である二人組は皆堂々と入場していき、それでいて巨大とも思える拍手を貰っていたのだから。

 

 神と持て囃されているものの、中身はやはり一般のそれと変わらないツクヨミが不安に思うのも無理はない状況であった。

 

「知らずのうちに、なんか粗相でもしたかな……」

 

 小声でそんなことを漏らしつつも、結局リアルでも経験のない内容であったので、「ええい! もうなるようになれ!」という気持ちでツクヨミは目の前の首脳陣と合流する。ちなみに今回の舞踏会本番で最終的に着てきた装備はアベリオン丘陵に行ったときと同じ伝説級相当のドレスであり、夜会ということもあって先程神官長とも話しつつ、少し衣装を変えてみたのだ。

 

 

 まさか魔女っぽかったなんてことはないだろう。うん。

 

 

 丁度その時、後ろから着いてきていた最高神官長──な、泣いている? ──も合流し、場の緊張が解かれるように華やかな音楽も鳴り始めた。

 

 

「神よ。間近でこのような場に立ち会えたこと、光栄の極みにございます」

「まさに。世を照らす光そのものでした」

 

「あ、ありがとうございます……?」

 

 そのまま最高神官長は手拭いで涙を拭くと、「失礼」と言いつつ、各国の代表たちの前に歩み出た。

 

「ウィリアム殿。エル=ニクス殿。そしてオーリウクルス殿。一人感極まってしまい申し訳ない」

 

「いえいえ。私も神であらせられるツクヨミ殿の御姿には、改めて尊崇の念を抱きましたよ」

 

「私としても、本気モードはこれほど凄いのかとびっくりしたものだ」

 

 等とアルフリッドを初め、女王であるドラクシスも口々にこちらを賞賛してくる。それが社交辞令なのかは少々分からないが、王国の王であるウィリアムもまた、それに力強く頷いていた。

 

 そうしてその場に──更に聖王国からの使者である最高司祭──キャリスタ・カストディオも合流すると、その流れで少し立ち話が起こった。まぁ彼ら全員が一国の王や代理であるのだから、きっとこういった場で話したいことも多いのだろう。そんな中ツクヨミはどうかというと……正直内容的についていけないので、『ふんふん』と、とりあえず神っぽく突っ立っておくのみである。

 

(まぁ私も今回はあくまでシンボルというか。神官長のアシストが主な訳だし、変に出しゃばらないくらいが丁度いいかもしれない)

 

 そしてその方がツクヨミとしてもやりやすいのは事実だ。ツクヨミは絶妙な距離感に立っている給仕から、漆黒聖典隊長を挟んで行われた飲み物のようなものの提供を今の状況を鑑みてやんわり断ると、その流れで周りに並べられている料理の数々に目を向けてみた。

 

 匂いこそそれほど強くないものの、視界端のテーブルには赤身のかかった新鮮そうなステーキや、この世界ではかなり高級そうな部類のパンが並んでおり、良くないとはわかっていても強制的に気が逸らされた。だが、当然ながらがっつきに行ける訳もない。

 

(拷問か……)

 

 そんなこんなで密かに肩を落とすツクヨミだったが、主催者であるウィリアムがやんわりとこちらの状況を察してか、いよいよ本題に入った。

 

 

「さて最高神官長殿。今日は話があるとのことでしたが、長々と立ち話するのもあれですので、宜しければあちらの席で会話しますか? 勿論、食事等を楽しまれた後でもよいですが」

 

「神は──。いえ、問題ないとのことですので、ウィリアム殿の御言葉に甘え、そろそろ本題に移らせていただいても? 存外時間が掛かるやもしれませんので」

 

「承知いたしました。では、エル=ニクス殿。オーリウクルス殿、それにカストディオ殿も問題ないでしょうか」

 

「無論だよ」

「あぁ、問題ない」

「御話の旨、承知いたしました」

 

 ウィリアムは全員の返答を聞き頷くと、部屋の隅──巨大な階段の隣にあるラウンドテーブルまで皆を案内した。

 

 

「では、話し合いを始めましょう──」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 大理石を用いて作られた円形の机、その周りの席には合計して6名の人間が座った。

 

 一人は当然リ・エスティーゼ王国の国王であるウィリアム。その右には順に、バハルス帝国の皇帝であるアルフリッド、スレイン法国の神であるツクヨミ、そしてウィリアムの対面となるように──同じくスレイン法国の最高神官長であるオルカー、聖王国の聖王代理である最高司祭・カストディオ、最後に竜王国の女王であるドラクシスである。

 

 これだけの面々が一つの場に集まることは、これまでの人類史を見ても初であろう。

 

 厳重に周りの警護が固められ、魔法さえ掛けられているこの空間に押し入ろうとする者はもはや王国貴族でさえもおらず、皆が口を噤んだこの場には、舞踏会広間に鳴り響く美しい音楽だけが流れていた。

 

「まずは、改めてこのような場を設けてくださったリ・エスティーゼ王国、国王陛下に感謝の意を表する。また、急であるにも関わらず集まってくれた各国の代表にも礼を言わせていただきたい」

 

 オルカーはそう言ってから、真剣な顔色で話し始めた。

 

「今回集まっていただいたのは、法国より事前にお伝えした通り、()()()()()を各国にも知っていただくため、というのがメインになります」

 

 皆頷きながら、真剣に周辺国家で最大の国主にあたる老人の言葉に耳を傾ける。勿論ツクヨミもそうである。

 

「結論から申し上げますと、人類は極めて危篤な状況()()()。知っているかもしれませんが、まず我々人類は大陸において端の領土に追いやられている状況であり、その周りには強大な力を持つ亜人──そして魔獣やドラゴンといった強大な存在が国家レベルで囲むように点在しております。そしてそれを最も実感していたのは竜王国でしょう」

 

「……うむ、正しくそうだ。竜王国は近年もビーストマンの被害が抑えきれぬほどに苛烈な攻めを受けていた。それを静止してくれていたのが法国だったのは私からも真実だと証言できるし、もし()()()()竜王国が倒れていれば、次に攻撃を受けるのは他の国家だったのは間違いないように思う」

 

「なるほど。女王陛下は一国家だけの問題ではない、と。そう言いたい訳だな?」

 

「まぁ実直に言えばそうだな。勿論竜王国の問題なのは重々承知しているが──と、話せば長くなるので、神官長殿にお返ししよう」

 

 オルカーは頷き、続ける。

 

「オーリウクスル殿が述べてくれたように、周りの亜人国家は強大そのもの。そしてそのために、スレイン法国は人類存続をかけ、500年に渡り尽力してきました。ただ、それでも限界というものはありました──」

 

「──我々は全てを背負って、更には全てを公にしないまま周辺国家の安寧を守り切るほどの力は無かったのです。そして当然綻びが生じ始めていた。そんな我らに力を貸してくださったのが、この場におわすツクヨミ様です」

 

 いきなり話を振られたツクヨミは、荘厳に目を瞑って会釈する。

 そこでオルカーは意を決したようにある言葉を口にする。

 

 

 

 

「皆様は 百年の揺り返し についてご存じでしょうか?」

 

 

 

 

「百年の、揺り返し?」

 

「申し訳ないですが、存じ上げませぬ」

 

 ウィリアム含め、多くの者が知らないという表情をする。当然だ。何故ならそれはスレイン法国が今まで、若い周辺国家を混乱させないために持ち出さなかった機密中の機密なのだから。それこそ辛うじて知っているのは竜王直系であるドラクシスくらいだろう。

 

「百年の揺り返し……それは100年ごとに神の力を持つ者がこの世界にやってくるという法則。それは500年前の六大神様に始まり、八欲王、ツクヨミ様と今でも続いております。勿論、明確に確認されていない時期もありますが──これが意味することが分かりますか?」

 

「ふむ、私はおおよそ分かったように思う。つまり、思った以上に我らの生存圏は不安定……そういうことだろうか? それこそ周辺国家でいがみ合っている暇がないほどに」

 

「聖王国の神殿祭司としましても、100年という周期は長いようで存外短い気もしますね。八欲王のような影響を考えると」

 

「まさにそういうことです。逆に言えば、我らが手を取り合えるタイミングは今しかございません。ツクヨミ様がいる──この時代でしか」

 

「……」

 

 皆、それを受けて口籠る。

 曲がりなりにも国家の代表たちだ。もはや内容と状況は概ね理解している状況で、あとは国主としてどういったスタンスで発言すべきか。その一点のみが彼らの頭を回転させている。

 それにぶっちゃけてみるとかなり先の長い話である。そのため「もう少し考えてからでもいいのでは?」といった後ろ向きな発言が出ることも全く不思議ではない。

 

 そんな中、最初に発言したのは若き皇帝であるアルフリッドだった。

 

「なるほど。状況は理解した。最初に言っていた人類の現状、そしてそのために協力すべきということ。まぁ多少は事前に聞いていたというのもあるが、帝国としては大いに賛成する内容だ。必要あらば法国への今後の支援も、帝国であれば可能だろう」

 

 アルフリッドは意外にも前向きな発言を繰り広げ、そのまま話を終える。その思惑としては勿論今後の揺り返しを見据えた部分もあるだろうが、それよりも成長途中の帝国が規模として明らかに上位にある法国と対等な関係を結べる良いきっかけ。そのようなところも間違いなくあるだろう。

 

 次に、話を静かに聞いていたウィリアムも口を開く。

 

「王国も同じ気持ちだ。近年の情勢は曲がりなりにも良くはない。このような時こそ大きな括りでの協力関係があるというのは双方にとって大きいだろう」

 

「私の答えは決まっている。竜王国は勿論──」

 

 話はいい方向にまとまりそうであった。

 

 法国やツクヨミといった面々が安堵の念を抱く。そしてドラクシスが口を開きかけた時その時。

 

 

 ────

 ──

 

 

「失礼、ちょっといいだろうか」

 

 

「!?」

 

「なっ!?」

 

 音もなく、いきなりその場に現れた者がいた。それは──欠けていた招待客の一人。

 明らかに場違いな白銀の鎧と全身ほどの長さのある4つの武器を身にまとい、頭部には竜を模した兜を被った評議国絶対の存在。

 

 竜王、ツァインドルクス=ヴァイシオンであった。

 

 




次話の[終]で一区切りとなる予定です。次は恐らくそんなに文量が無いので早いと思います。

ただ登場人物と世界情勢が暴れていてイカーナの脳が悲鳴を上げているので、誤記等ありましたら宜しくお願い致します(自業自得


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。