スリザリンの継承者―魔眼の担い手― (寺町朱穂)
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賢者の石編 1話 壊れた世界

 目が覚めた時から、私の記憶は壊れていた。

 

 記憶喪失ではない。

 記憶は記録のように残っている。

 だけど、それが自分の物とは思えないだけ。

 

 こんな変な状況を治す術なんて、11歳の私には分からない。

 

 今の状況を例えるなら、機械に記憶を移植したような状態、といえば分かりやすいだろう。自分が自分ではないような、私が私ではないような薄気味悪さがある。そもそも、私が私なのかすら分からない。

 

 まるで、出来の悪いSF映画みたいだ、と自嘲する。いまの私はSF映画なんて見たことがないのに、単語だけ知っているのが、どこか滑稽で笑いそうだ。

 

 

 私は誰だろう?

 ここは、どこなのだろう?

 私は、なんでここにいるのだろう?

 

 

 考えれば考えるほど、泡のような思考が頭の中で溢れかえって混乱してしまう。まるで、鏡の中の迷路に迷い込んだみたい。

 

 

 だから、今の私にできることはただ一つ。

 私の物と思われる「壊れた記憶」をテープレコーダーのように視聴し続けるしかない。

 いや、視聴と呼ぶにはおこがましい。

 他人事のように「自分自身の壊れた記録」を眺めている。

 

 視界が塞がれている以上、自分の内側に潜っていくしかない。

 

 そう、今の私にできるのは、それだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ、落ち着いたかい?」

 

 

 扉が軋みながら開く音がする。

 部屋に入ってきた人物は、そんな言葉を投げかけてきた。

 声のした方向を向くが、当然何も見えない。包帯が両目を塞ぐように巻かれているのだから、見えるわけがなかった。

 でも、人のいる気配はしていた。どこか作り物のような優しい声。この声は知っている。昨日、自分の自傷行動を力尽くで止めた男だと直感する。

 あの後、まるで睡眠薬を盛られ、ぷつんと電源が落ちるように眠ってしまった。だから、あまり覚えていない。

 

 それでも、確信に近い思いを抱いて問いに答えた。

 

「よく分からない、です。……貴方は医者ですか?」

 

 昨日の周囲の様子。そして、今も鼻に入ってくる病院独特の消毒液の匂いから、ここが病院だということが分かった。

 おそらく、いま私の横にいる声が、いわゆる担当医と呼ばれる人間なのだろう。

 

 

「そうだね。君……セレネ・ゴーントさんを受け持っている医者です。セレネさんは知らないと思いますが、2年前に君が入院した時から、受け持っているんです」

「2年前?」

「そう、2年前です。2年前、君は交通事故でトラックと接触したんです。覚えていませんか?」

「……まぁ、一応は」

 

 

 覚えているといったら、それは嘘になる。

 先ほどまで視聴していた目覚める前の「最後の記憶」には「トラック」なんて映っていない。映っているのは、悪臭のする灰色の髪をした男が襲い掛かってくるところ。黒い服を着た少女は、必死でその男から逃げていた。そして、鋭い歯を持った男が、少女に触れようとしたとたん、急に遠くまで飛ばされていったということ。

 そして、どこからともなく放たれた赤い閃光に当たったところで、少女、すなわち、おそらく私自身、セレネ・ゴーントの記録が途絶えていた。

 

 

 次の映像は……正直、思い出したくない。

 あれを夢と呼ぶには、いささか強烈過ぎる。

 

「セレネ、大丈夫かい?」

 

 今度は、別の男の声がした。私は新たな声の方を見る。

 

「僕だよ?クイール・ホワイトだよ」

「……義父さん?」

 

 先程の記録を頼りに、答えれば、見えてなくても彼が喜んでいる様子が伝わってきた。

 

 

 

 彼の名前はクイール・ホワイト。セレネ・ゴーントの養父だ。

 

 本当の父親は、どうやら生まれて間もなく死んだらしい。

 そのあたりは曖昧でセレネの記憶に残されていなかったが、繋ぎ合わせた情報から察するに『殺人事件』だったようだ。家には鍵がかけられていたはずなのに、その日は何故か開いていた。だから警察は、殺人の線も疑った……けれども、父親には外傷がなく、だからといって病気の痕跡も見つからなかった。

 まさに、ミステリーって奴。母親は死ぬのをまるで予期していたかのように、セレネを幼馴染のクイールに預けたそうだ。

 そして、彼はセレネを実の娘の様に育て、セレネも彼を実の父親の様に慕っている。

 

 

 勉強も運動も学年1番の神童で、誰よりも上に輝く「優等生」。

 それが私、セレネ・ゴーントらしい。

 

 

 とはいっても、実感が全然わかない。

 ついさっき――医者の言葉を借りれば、私の実感があるのは2年ぶりに目を覚ましてから、今に至るまでの一日分の記憶しかない。

 それ以前の記憶は、すっかり私から切り離されていた。思い出そうと努力すれば、記憶は記録のように浮かび上がってくる。

 ただ、それは『セレネ・ゴーント』という少女が歩んだ9年間の記録映画を視聴するみたいに、味気のなく遠く離れた世界の話に感じてしまうのだ。

 

 2年近く、昏睡状態だったからだろうか?

 ここにいる私は、産まれてから一日程度しか経過していない。

 

 少なくとも、セレネ・ゴーントの生きた9年間の記憶は、壊れてしまっていた。

 だから、優等生なんて言われても実感わかないし、目の前の義父を慕うこともできない。

 

「大丈夫かい、セレネ?」

 

 クイールの心配そうな声が耳に届いた。私は咄嗟に、

 

「はい、問題ありません。ただ、少し身体が硬いです」

 

 と、答えてしまう。

 半分だけ、嘘をついた。記録映画のセレネ・ゴーントは、クイールと名乗る養父に心配かけまいと動いていた。だから、今の私も同じように動いた方が色々都合良いと判断する。

 

「あと1週間もすれば目の包帯も取れるみたいだよ」

「目?」

 

 あぁ、そうだった。

 私は、包帯を巻かれた目に指を這わせた。

 そう、私は目の前に広がった『世界』に嫌気がさし、とっさに眼球を押し潰そうとした。

 未遂に終わったが、悲しいことに、回復してしまうらしい。

 

「そしたら外も見えるようになるね」

「外、ですか」

「嫌かい?」

「―――いえ、楽しみです」

 

 そう言って強張った顔の筋肉を動かし、笑ってみせると、ほんの少しだけ安心した雰囲気がクイールだけからでなく、医者からも伝わってきた。本音を言うと、外なんて見たくない。でも、そんなことを言うと、入院が長引くかもしれない。それが嫌だった。

 

「また来るからね」

 

 遠ざかっていく人の気配。私は、また枕に頭をつけた。

 

 それからの私は、当たり前のようにイイ子を装った。

 薄っぺらい味のする病院食を黙って食べたし、診察も無抵抗で受けた。早く退院したいと思っていたから。

 

 だが『退院して何をしたい?』と問われると答えに詰まる。特にしたいことは思いつかない。

 ……ただ無性に、明らかに非日常な空間から逃れたかった。

 かといって、日常に戻って何がしたいと言われても言葉に詰まってしまう。

 

 本音を言えば、きっと更に入院が長引くだろう。

 だって、言えるわけがない。

 

 この世界が、こんなにも怖くて脆く視えることを治したい、だなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのうちに、就寝時間が過ぎたのだろう。

 うるさかった外が静かになる。

 やることがなさ過ぎて寝すぎたせいで、夜はこうして頭が冴えている。無論、することは何もない。時折聞こえるのは看護師の巡回の足音を聞きながら、自分らしくなるための手がかりとしての記録を見返すだけ……のはずだった。

 

 

「ほう、起きてすぐに『球血膜下出血』に陥るほどの眼球圧迫とは」

 

 誰かいる。

 誰かが自分の横に立っている。面会時間でもないし、主治医でもない人物がいる。私は慌てて跳ね起きると、手探りでナースコールを押そうとした。

 

「ちょっとだけ待ってくれないかの。君は知りたいのではないかね?

 その目に映るようになった『死の線』について」

 

 ボタンを押そうとしていた指が、ぴたりと止まった。

 この人――今なんて言った?

 

「誰ですか?」

 

 私は慎重な声色で尋ねた。

 

 声の質から考えるに、横に立っているのは相当の歳を取っている男だ。

 当然、私の知っている医者でもないし、クイールでもない。看護師でもなさそうだ。こんな夜更けに一体何の用なのだろうか?

 

「はじめまして、セレネ。ワシはダンブルドア教授と言うものじゃ」

「教授?――それは、医者の類でしょうか?」

 

 でも、口にしてから、その考えは少し違っているかもしれない、と思った。

 もし、いつも昼間に現れる主治医が私の状態を調べるためによこした医者なのだとしたら、なんでこんな時間に現れるのだろうか?

 

 そもそも、面会時間もとっくに過ぎた時間にやってくるなど、まともではない。

 

 どうやら、私の記憶部分だけが壊れただけでなく、完全に頭が狂ってしまったのかもしれない。もしかしたら、これも恐ろしくて怖い夢の続きで、自分の妄想が生み出しているのかもしれない。

 そう考えると、薄ら笑いが浮かんでしまう。

 

 だけどその一方で、狂っていると思いたくない私もいた。

 だから、ダンブルドアと名乗る怪しげな老人に対して、警戒心を一層強めた。

 

「いやいや、ホグワーツという名の学校に勤めている教師じゃ。近い未来に君が入学する予定の学校じゃよ」

「私は近隣の公立学校に入学する予定だと、義父から聞いています。そんな名前の学校じゃないです。……なにを企んでいるんですか?」

 

 警戒心をむき出しにして話しかける。

 だが、彼の放つ雰囲気は穏やかなままだ。本当に何を考えているのか分からなくて、気味が悪くなってきた。

 セレネの記憶の自分は「優等生」らしく振る舞っていたが、こんなとき、正解が浮かんでこないことを考えると、果たして本当に「優等生」だったのかと自分を疑いたくなった。

 

「うむ……そうじゃのう。君の本当の両親の知り合いとでも言おうかの。そろそろ頃合いかと思い、会いに来たのじゃ」

「……本当の両親の知り合いですか?」

「知り合いじゃ。もっとも、言葉を交わしたことはないがのう」

 

 教師を名乗る男は、どこか愉しそうに話しだす。

 実に怪しい話だった。

 本当の両親の知り合いなのだろうか。話したこともないのに、知り合いだなんてナンセンス。

 そもそも、本当に知り合いだったと仮定しても、どうして人目を避けるような時間帯に尋ねてくるのだろうか。

 

「これでも仕事が忙しくのう。残念なことに、この時間しか空けられなかったんじゃよ。『闇の魔術に対する防衛術』の先生の不始末に対する苦情の吼えメールで部屋が黒焦げになってしまってのう」

 

 私は少し、ぞっとした。

 今、もしかしてこの男は私の考えを読んだのだろうか?

 しかも、何て言った? 何メール? 闇の魔術? 学校というのは、オカルト的な学校なのか? やはり、これは私の頭が見せている妄想なのか? 疑問符ばかりが、泡末のように浮かんでくる。

 もちろん聞きたいことは、沢山ある。だから、その中でも最も分からない言葉の意味を尋ねることに決めた。

 

 

「最初に言った『死の線』ってなんですか?」

「それは君が一番よく分かっている事柄じゃ。君が視えてしまっておる線のことじゃよ」

 

 

 ダンブルドアと名乗った男は、穏やかな口調でそう言った。

 一番よく分かっている。当然だ。眼を開けた瞬間、この世界に広がった黒い線。脆そうで、触れれば世界が崩れ落ちてしまいそうな幻覚に陥る、恐ろしくて怖くてたまらない線。

 いや、幻覚ではない。

 私は幻覚ではなく、本当にあの線を切ったら世界が崩壊する、と確信していた。

 

 

「君は視たのじゃろう? この2年間『』を」

 

 ダンブルドアが手を差し伸べるように、言葉をかけてくる。

 この人は、本当に自分のことを分かっている。あの上っ面の言葉しかかけてこない主治医よりも、ずっと私の状態を見抜いている。

 

 そのことに、ぞっとしながら、ゆっくりと震える指で触れるように、この2年間見続けてきた悪夢の記憶に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 あそこは暗くて、底は昏かった。

 光も音もない海の中に浮かんでいる。そこに果てなんてなかった。いや、初めから堕ちてなどいなかったのかもしれない。

 何もない空間。光も闇もない。俗にいう「無」という言葉すらそれには当てはまらないだろう。形容することが無意味に思える『』の中において唯一の異物――それが私、セレネ・ゴーントだった。

 

 

 目を背けたくなるような毒毒しい色彩をした『』。

 ずっと、遠くを見ても――ずっと何かを待っていても何もない。そうだ――これが「死」なんだと思った。死者しか到達しえない世界で、たった1人の生者が私だった。意識を失っていた2年間ずっと「」を観測し続けていた。

 

 ああ、思い出したくもない。

 永遠と続く悪夢を観測し続けていたのだ。

 

 

 否。

 

 観測ではない。

 気が狂いそうになる中で、死という概念に触れていたということは、むしろ観測ではなく戦いの激しさに近かったのかもしれない。だから、目が覚めた途端、あの世界にひたすら近くなった異様な視界に気付き、怖さのあまり目を潰そうとした。

 

 この両目は、あのおぞましい世界につながっている。

 昏睡から目が覚めて初めて目にしたものは、線だった。人にも壁にも空気にも、禍々しくも清麗な線がついている。その線は常に動いていて一定していない。けれど、確実にそこにあって、今にもそこから「死」がしみ出しそうな強迫観念にとらわれた。あの線を斬ったら、そこからボロボロと崩れていくのが見えた気がした。

 

 

 もう、あんな世界に行きたくない。

 あんな、怖い世界に堕ちたくない。

 怖くて、気味の悪い思いはもうたくさんだ。

 

 だから、目を潰そうとしたのだ。主治医や看護師が全力で止めてきたから、失敗したけど。

 

 

「やはりそれは『直死の魔眼』じゃ」

「直死の、魔眼?」

 

 私は呆けたように聞き返しながら、さらにダンブルドアなる男に対する警戒心を引き上げた。

 こいつ、やっぱり人の心を読んでやがる。

 どんな手を使ってるのかは、知らないが。

 しかし、自分にない答えを持っている。私は警戒しながらも、慎重に耳を傾けた。

 

「非常に珍しいものじゃ。わしも昔からの友人から聞いたことがあるくらいじゃよ。その友人でさえ、見たことがないと言っておったのじゃからの。

 いや――実に、実に珍しいモノじゃ。あっ!これこれ、早まるでないわい。例えその眼を潰したところで、見えてしまうものは視えてしまうぞ?」

「そうですか。珍しいなら、手術でもなんでもして売りさばこうと思ったところだったんですよ。残念ですね」

 

 そう言って、眼に伸ばしかけた手を膝に戻す。

 気のせいか、手が震えている。寒くないのに、怖くて怖くてたまらなかった。目を取っても纏わりついてくる、この薄気味悪い世界とどう付き合っていけばいいのだろう?

 

「セレネ、いいかね?」

 

 穏やかな口調の中に真剣な色が混じっている。もしかしたら、ここからが本題なのかもしれない。

 

「わしは、その能力を避ける方法は知らない。だが、忠告を授けることは出来る」

「忠告、ですか?」

「いかにも。よいか、セレネ。

 『死』を恐れることは大事な事じゃ。じゃが、『死』を避けることを考えてはいかんぞ」

「私は――」

 

 あんな世界に堕ちたくない。死にたくない。あれを見てないから、そう言えるのだ。だから、私はもう死にたくない。

 男は、そんな私の想いを見透かしたように首を横に振るった。

 

「だが、それはおろかな事よ。特に、君は一歩間違えればより深い闇へと堕ちていく可能性が、他の誰よりも強いのじゃよ」

 

 それはどういうこと?と問う前に、男は立ち上がった。まるで、私の質問を遮るように話し始める。

 

「いかんいかん。そろそろ時間じゃ。続きの話はまた今度にしよう。では、また会おうセレネ。

 なにしろ、君が産まれたときから、ホグワーツに入学することが決まっていたのじゃからのう。それでは、学校で会おう」

 

 そう言うと、パチンっという音と共に、男の気配がまるでなくなってしまった。

 病室には、ふたたび静寂が訪れる。まるで、だれもいなかったように。

 

 いまのは、夢、だったのだろうか?

 いや、違う。夢じゃない。妄想でもない。いったい何者なのだろうか。

 

 私は、しばらくそれを考えていたが、いつの間にか浅い眠りへと堕ちていった。

 

 

 

 

 

 




はじめまして、寺町朱穂です。
リメイク前の作品とは違った味が出るよう、しっかりとした完結を目指して頑張りたいと思います。
以後、よろしくお願いします。



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2話 私は東へ、君は西へ

 世界が、気持ち悪い。

 気分転換に散歩に出かけてみたが、頭痛はひどくなる一方だった。私は痛くなる頭を押さえ、公園のベンチに腰を掛ける。

 

 空を見上げる。

 空だけは自分の知る青空で、眺めているとホッとした。

 目が覚めるような青い空を雲が悠々と流れ、視界から消えていく。あの世界には不気味な「死の線」は映っていない。

 空を見ているうちに、頭痛と吐き気が少しずつ波をひいていくのを感じる。

 

「なんとか慣れてきたけど、それでもキツイ」

 

 退院して1か月。

 視界に浮かぶ『死の線』は、相変わらず消えない。

 気を抜かないようにすることで、なんとか視えなくなる。だけど、ふと気を緩めた瞬間、たとえばTVをボンヤリと眺めている時や目が覚めた瞬間などに、いきなり飛び込んでくる。

 

 完全に不意打ちの一撃は、たまったものではない。

 だから、疲れはたまっていく一方だ。

 

「勉強もしないといけないし、はぁ……」

 

 私は嘆息した。

 

 眠っていた2年分の溝は、予想以上に大きかった。

 学校に復学したが勉強についていけず、補習や特別的な支援を受け、家ではクイールに手伝ってもらいながら勉強をする日々を送っていた。それでも、2年の溝を埋めることは難しい。

 勉強漬けで疲れ果てれば、また気が抜けて、線が視界一面に広がってしまう。

 しかし、セレネ・ゴーントが――記憶で見る限り、優等生だった彼女が、疲労困憊で落ちこぼれる姿なんて、露見させてはいけないのだ。そう思い、私は記憶にあった『セレネ・ゴーント』らしく頑張れば頑張るほど、頭が加熱されたように痛む。

 

 そう―――今みたいに。

 私は歯を食いしばって、身体を丸めた。

 空を見ているのも辛くなり、瞼を閉じて、ただただ疲れが取れるのを待つ。

 

 

「――っ」

 

 遠くから、子どもが遊ぶ声が聞こえてくる。

 幸せ絶好調と言った声は、私の心を逆なでする。みんなこの線が視えないから、普通に笑っていられる。だけど、私は……一生、この眼から離れられない。潰してもどうにもならない以上、永遠に恐ろしいまでに継ぎ接ぎだらけの世界に生きていかなければならないのだ。

 そのことを考えるだけで、再び吐き気が込み上げてくる。脳の痛みは頂点を越し、額からは汗が絶え間なく流れ落ち始めた。

 

 

「ねぇ」

 

 そんな時だった。

 ふと、可憐な声が降ってきた。

 誰かが自分を見下している。身体を起こし、注視してみると、そこには女性が立っていた。

 赤くて長い髪が特徴的な女性は、どこか遠くに行くのだろうか。大きなトランクを抱えていた。

 

「あなた、辛いでしょ?」

 

 彼女はまるでこちらの心を見透かしたように、透き通った青い目で覗き込んでくる。

 

「あなたは……?」

 

 私の顔色は、見知らぬ女性に心配されるほど悪かっただろうか。私が「大丈夫」とやせ我慢の返答をする前に、彼女は私の手をつかんできた。そして、硬くて冷たいなにかを握らされる。

 

「これ、あげるわ」

 

 冷たいそれは、何の変哲もない眼鏡。

 女性はいたずらに成功したときのように微笑むと、私の鼻を軽くつついてきた。

 

「いいかしら。この眼鏡は線を消すことができるの。そのことだけは覚えておいて。

 私、この世界にあまり干渉したらいけないって言われてるから、出会った記憶は消させてもらうけど、眼鏡のことだけは覚えているように調整するから」

 

 赤い髪が美しくたなびかせながら、女性は寂しげに微笑んだ。

 彼女の言っていることの意味が分からず、痛む頭を押さえながら質問しようとしたが、その前に彼女は手をすっと私の頭にかぶせてきた。

 

 途端、焼き切れそうだった脳が甘く蕩ける。目を閉じてはいけない、と第六感が叫んでいた。だが、私は唐突に訪れた眠気に耐えられない。意識がブラックアウトする瞬間、女性の口元が動くのが見えた。

 

 

「じゃあね、縁があったらまた会いましょう。

 でも、次にそんなところに寝転がっていたら、蹴り飛ばしちゃうから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが、赤い魔女と私の最初の出会い。

 しかし――この出会いを思い出すことはない。

 

 

 私が魔女と再会するのは、当分先の話――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫?」

 

 

 肩をゆすられ、ゆっくりと眼を開ける。

 額に傷のある少年が、覗き込んできていた。どうやら、頭が痛すぎて意識を失ってしまっていたらしい。

 

 

「……はい、問題ありません」

 

 

 額に手を当てようとし、軽く握った眼鏡の存在に気がつく。

 そうだ、眼鏡をかけなくては―――。私は、握っていた眼鏡をかけた。

 すると、いままで世界に漂っていた『線』が綺麗に拭い取られていく。ようやく、ホッと息を吹き返せたように思えた。これで、常に気を張り詰めさせる必要がなくなる。それだけで、ずっと気が楽になった。

 

 

「あっ、君も眼鏡をかけているんだ」

 

 

 私は顔を上げて、少年の顔を見た。額に稲妻型の傷がある少年も眼鏡をかけていた。

壊れかけの眼鏡だ。家が貧乏なのだろうか。見れば服もだぶだぶでサイズが合っていない。

 

「ええ、まぁ」

「あれ? ねぇ、ひょっとして、君―――セレネ?」

「そうですが、貴方は?」

 

 正直、見覚えがない。

 私が尋ねると、少年の顔に少し笑顔が広がった。

 

 

「僕だよ、ハリー・ポッター!覚えていない?」

「ハリー・ポッター?」

 

 

 記憶に検索をかける。

 しかし、該当する名前が見当たらない。私は申し訳なさそうに首を横に振った。すると、ハリーと名乗る少年は、しょんぼりとうな垂れる。その姿を見て、若干申し訳ないような気持ちになった。

 このハリー・ポッターと名乗った男の子は、私の名前を知っている。いったい、彼はどこで知ったのだろうか?

 

 

「実は4年くらい前―――セレネのお父さんが、担任の先生だった時期があるんだ。

その時に一緒に遊んだんだよ?覚えていない?」

「4年前?」

 

 

 今度は、4年前の記憶を入念に検索してみる。

 すると、ひょろっとした眼鏡の少年が浮かび上がってきた。

 確かに4年前―――クイールの忘れ物を届けに行ったとき、一緒に遊んだ男の子がいた。校舎に寄りかかり、寂しそうにしていた男の子に声をかけたのを覚えている。

 だが、一緒に遊んだ時間は極めて短かった。遊び始めた直後、大柄な少年達がハリーをイジメてきたのだ。ハリーと一緒に、その少年達から逃げ、気がつくと――どういうわけか、ハリーは校舎の屋根の上に座っていた。

 

 

「屋根に上った子、でしたっけ?」

「そうだよ! 僕だよ!」

 

 

 不思議な出会いもあるものだ。

 まさか、ここで再会するとは思わなかった。

 私は、重たい腰を上げる。ハリーは、再び少し寂しそうな顔に変わった。

 

 

「えっ、もう行っちゃうの?」

「はい、そろそろ夕飯の支度をしないといけませんから」

「そうなんだ、それなら仕方ないね……また、会おう!」

 

 

 私は、ハリーと握手をして別れた。

 

 

 私は東に、ハリーは西に。それぞれの帰路へ向かう。

 

 

 夕焼けの中に、2つの影が長く伸びている。

 この時の私は、まだ自分の運命を知らなかった。

 

 

 そして、たぶん――ハリー・ポッターも。

 

 

 

 

 




※3月1日:誤字訂正
※2018年11月:大幅改定


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3話 魔法使いの街

 

 7月31日 ロンドン。

 

 

「おかしいな……確かこの辺りなんだけど」

 

 

 クイールは、キョロキョロっと辺りを見渡した。地図を片手に、何度も何度も首をかしげている。

 出発前「ロンドンは大学時代から通っている。僕の庭のようなものさ!」と鼻を高くしていたのが、まるで嘘のようだ。

 

「漏れ鍋なんてパブ、どこにもないな。地図だとこの辺りなんだけど……」

 

 クイールは地図とにらめっこを続けている。

 私は地図から目を話し、ぼんやりロンドンの通りに目を向けた。

 

「そもそもパブに魔法の杖や箒が売っているのでしょうか?」

 

 つい、疑問を口にする。

 

「私たち、騙されているのでは?」

「そんなことない!」

 

 ずっと抱いていた疑問を口にすると、クイールはムッと眉間にしわを寄せた。

 

「セブルスは悪人顔だけど良い奴なんだ!! そんな嘘をつくはずない、と信じたい」

 

 後半、クイールの目がわずかに泳いだ。

 やはり、信じ切れていないようだ。当然である。私自身、半信半疑だ。私は「入学案内」に目を落とし、小さく呟いた。

 

「このご時世に、魔法学校なんて」

 

 

 

 

 

 

 そもそも始まりからして、おかしな話だった。

 

 昨日の夕方、前触れもなく、不思議な訪問者が玄関先に現れた。

 『セブルス・スネイプ』と名乗った男は、真夏なのに黒いローブを羽織っていた。この時点でおかしく、警戒するはずなのに、クイールは全く警戒しなかった。どうやら、クイールは、彼の知り合いだったらしい。クイールは久々の知人の来訪に驚き、慌てて歓待の準備をし始めようとした矢先、セブルスはそれを止めた。

 

『今日はお前の義娘に用がある』

 

 セブルス・スネイプはそう言うと、封筒を差し出してきた。

 

 

 

 『ホグワーツ魔法魔術学校』の入学案内を。

 

 

 そう、おかしい。

 絶対にありえない。私が魔女で、魔法使いの学校に通うことになったという時点で、なにかがおかしい。いやダンブルドアなる教授からホグワーツとやらの存在は聞いていたが、それでも俄かに信じがたい。

 しかも、魔法の学用品を買うために、ロンドンの平凡なマーケットを訪れているなんて、やっぱりおかしい。しかも、学用品を買うために、まずは「漏れ鍋」なるパブを探すなんて、絶対におかしい。

 

「いや、ありえないことが、ありえないのかな?」

 

 つい、目を抑えながら呟く。

 眼鏡のおかげで視えないが、今も私の前には『死の線』が広がっているはずだ。それは科学的に「ありえない」。まさに「魔法」の所業といっても過言ではない、はずだ。

 

 だから、パブに魔法の学用品が売っていても、おかしくない、のかもしれない。

 

「それで『漏れ鍋』でしたっけ?」

 

 私はクイールの持っている地図に目を落とし、再び顔を上げ――

 

「あれですよね、義父さん」

 

 案外、あっさりと見つけることができた。

 文字通り、目と鼻の先にある。

 

「義父さん、アレでは? ほら、その本屋とレコード店の間」

 

 まぁ、見落としてしまうのも無理はないかもしれない。

 『漏れ鍋』というパブはちっぽけな薄汚れたパブだったし、足早に道行く人たちは、パブの隣にある本屋から反対隣りにあるレコード店へと目を動かし、真ん中の寂れたパブなんて全く目もくれていないのだから。

 

「ん―――あっ!! そうだ、あれだよ!! なんで気が付かなかったんだ?」

 

 クイールはおどけたように笑い、いそいそとパブの入り口に近づいた。古びた入り口だったが、取っ手はかなり磨かれている。見た目のわりに、それなりに、繁盛した店なのかもしれない。

 

「よし、行くよ。セレネ、パブは大人の店だから、僕から離れないようにね」

 

 クイールはそう言うと、ゆっくり扉を開けた。

 パブに足を踏み入れてみれば、薄暗い空間が広がっていた。ガヤガヤとしゃべっている人はいるが、そこまで気にならない程度のモノだ。ロンドンの喧騒とは全く違う。酒と煙の臭い。

 

 だけど、それだけだ。

 私は、内心がっかりした。

 

「魔法の欠片もない」

 

 賑やかな空間だ。

 着ている人の服装こそ、古風極まりないマントや山高帽が目立つが、それ以外は特に目立って奇妙なところは見当たらない。ただのコスプレ会場のように考えていると、1人の男の人が近づいてきた。

 最初は暗くて顔がよく視えなかったが、その顔がはっきり見えたとき、クイールの顔に浮かんでいた緊張の色が消え、代わりに、ぱぁっと花が咲いたように明るくなった。

 

「セブルス!来てくれたのか!!」

「耳元で叫ぶな」

 

 眉間にしわを寄せる男。

 彼の名前は「セブルス・スネイプ」。先日――私に入学案内の手紙を届けた人物であり、クイールの友人だ。ねっとりとした黒髪に鉤鼻、土気色の顔をした男で、先日と同じ漆黒のローブを纏っている。

 ……見た目からして、スネイプ教授は魔法使いだと主張している。一体、どのような経緯で、魔法使いと非魔法使いの彼らが友達になったのかは知らないし、興味もない。私は優等生らしく大人しく黙って、彼らの行動を見守った。

 

「お前達は魔法界のことを全く分からないから、来てやったまでのことだ。

 それに我輩も薬問屋と本屋に行かねばならんのでな」

「あはは。本当に素直じゃないな〜。まっ!そういうところがセブルスだけど」

 

 ――気のせいだろうか?

 今一瞬、スネイプ先生がため息をついたような気がした。

 

「まぁいい。とにかく行くぞ。

 特にセレネ、お前はこれからすることをしっかり覚えておけ」

 

 そう言うとスネイプ先生はパブを通り抜けて、壁に囲まれた小さな中庭に私たちを連れだした。ゴミ箱と雑草が2・3本生えているだけの庭だ。

 その壁のレンガを杖で、とんとんとん、と叩く。すると、叩いたレンガが震えて、次にクネクネと揺れたのだ。真ん中に小さな穴が出来た。そう思うと、それはどんどんと広がり、目の前には人が余裕で通れるくらいの大きなアーチ型の入り口が出来た。

 アーチの向こうには、小綺麗な石畳が続いている。

 

「ここが『ダイアゴン横丁』だ。

 魔法関係のモノなら大抵のものがそろう横丁だ。覚えておけ」

 

 アーチの向こうを覗き込み、私は思わず

 

「……すごい!」

 

 と、感嘆の声を漏らしてしまった。

 漏れ鍋に感じた魔法感のなさと期待外れ感は、一気に遠くへ飛んで行った。

 

 ロンドンのマーケットにも負けず劣らずの賑わいが広がっている。

 それぞれ違ったマントやらローブやらを着ている魔法使いが楽しそうに語り合い、見たこともない凛々しい花を抱えていた。店の外に積み上げられている大鍋が日の光を浴びてキラキラと反射している。その隣では、フクロウやカラスが愉快気に鳴くペットショップがあった。いや、フクロウだけでなく、動物図鑑に乗っていない二股の猫や曲芸をするネズミも店先に並んでいる。

 本屋なんて、表紙の絵が動いていた。

 トリックアートではない。写真の人物が生きているように不規則な動きをしているのだ。

 どこを見ても初めてみるモノばかりで、キョロキョロと辺りを見渡しながら進む。心なしか、歩調がスキップを刻み始めていた。

 

「すごい、すごいです!」

 

 初めて見るものに、とめどなく溢れ出てきた感動を現していた。

 もしかしたら、目が覚めてから初めて「楽しい」と感じた瞬間だったかもしれない。

 自分が「魔女」だと知らされたときも刺激があったが、この横丁の雰囲気の方が刺激的だ。まさかロンドンに……しかも、こんな空間が、あんな薄汚れたパブの裏に広がっていたなんて、想像したこともなかった。

 

「スネイプ先生、どの店に行くのですか!」

 

 自分の声が弾んでいることが分かる。

 心がうきうきした。純金の鍋が鎮座していた薬屋か、伝統のありそうな杖の店か、それとも煌びやかなローブがショーウィンドーに並んでいる服屋か。

 私が尋ねると、スネイプ先生は淡々と教えてくれた。

 

「まずは金を換金しないとな。マグル……非魔法族の金はこの世界では使用できん」

「へぇー。銀行もあるのか」

「あるに決まっておろう。ここが『グリンゴッツ魔法銀行』。魔法界唯一の銀行だ」

 

 そこに建っていたのは、小さな店が立ち並ぶ中、ひときわ高くそびえる真っ白な建物だった。磨き上げられたブロンズの観音開きの扉の両脇に、黄金と深紅の制服らしき服を着た謎の生物が立っていた。

 

 

 何処からどう見ても、明らかに人間ではない。

 なにしろ、11歳の私よりも小さいのだ。彼らは、せいぜい5歳児ほどの身長しかない。

その上、浅黒く賢そうな顔つきをし、先のとがった顎髭を持ち――どう見ても人間のモノより遥かに長い指。

 

「その、セブルス?あれは人間か?」

 

 クイールも同じことを考えたらしく、こっそりスネイプ先生に耳打ちをしていた。

 

「あれは小鬼、ゴブリンだ」

 

 声を低くしてそう教えるスネイプ先生。

 なるほど、道理で人間っぽくないわけだ。

 グリンゴッツの中では、沢山の小鬼が秤を使って金を量ったり、大きな帳簿をつけたりしている。

 

 どの小鬼も真剣にその仕事に取り掛かっていた。

 その小鬼の1人に、手持ちの金を魔法界の金に換金してもらう。

 

「これ……純金、ですか?」

 

 どっしりと重い金貨を、しげしげと見つめてしまう。

 

「無論だ、混ざりものなど価値もない。

 よく覚えておけ、セレネ」

 

 スネイプ先生が、私の掌の上に銅貨を並べた。

 

「この銅貨が、1クヌートだ。

 クヌートは29枚で、1シックル――この銀貨と同じ価値を持つ。そして、銀貨が17枚で、1ガリオンだ」

 

 スネイプ先生が、貨幣の説明をしてくれた。

 私は、今言われたことを口の中で反芻する。

 

「この金貨――ガリオンは、シックル銀貨17枚分。それで、このシックル銀貨は、クヌート銅貨29枚分、ということですね?」

「そうなるな」

 

 子どもながらに、本当に銅貨29枚と純銀1枚が釣り合っているのか……と、少し疑問に思うが、きっと魔法で解決できる問題なのだろう。

 私は慎重に手のひらサイズの金貨や銀貨を財布にしまい、ようやく本題の買い物が幕を開けたのだった。

 

 

「とりあえず、まずは制服だな。

そこの店で買ってこい。その間に我輩は薬問屋に行ってくる」

 

 グリンゴッツから出ると、スネイプ先生は1つの店を指差した。看板には『マダム・マルキンの洋裁店』と書いてある。

 

「確かに採寸の間は僕たち、暇だからね。

 じゃあ、僕もセブルスについて薬問屋に行ってくるけど、1人で大丈夫かい、セレネ?」

「父さんは心配性ですね。私はもう11歳ですよ」

 

 私がしっかり答えると、心配そうだった顔をしたクイールは、一瞬で笑顔になった。

 クイール・ホワイトは、本当に分かりやすい人だ。やはり……何故この人と、少し陰気な雰囲気が漂うスネイプ先生が友達になれたのだろう。

 しかし、考える時間は今ではない。まず制服を買うことが最優先課題である。私は古めかしい扉を、ゆっくりと開けた。

 

「ごめんください」

「いらっしゃい、お嬢ちゃん。ホグワーツなの?それならここで全部そろいますよ?」

 

 

 私が扉を開けると、中から紫色の服を纏ったずんぐりとした体型の魔女が出てきた。

 

「はい、今年入学なので制服を一揃え欲しいのですが」

「分かったわ、じゃあ今から採寸をしますわよ」

 

 私はもう1人いた魔女に踏み台の上に立たされると、頭から長いローブを着させられて、ピンでとめ始めた。動いてはいけない、と指示されたので、目だけを動かし、周囲を観察した。

 だが、面白いところは見つからない。長いローブが置いてある以外は他の洋服店と変わりなかった。自動で伸びる巻き尺とかあるのかと思ったが、意外と手動で採寸している。だから、されるがままに、突っ立っていた。

 

 そうしているうちに、時間が過ぎ――誰かまた客が来たようだ。

 私と同じくらいの男の子だ。プラチナブロンドの髪が特徴的で、どことなく自信に満ち溢れた顔をしている。

 

「やあ、君も今年入学するのかい?」

 

 男の子が話しかけてきた。どうやら、彼も今年入学するらしい。

 

「まぁ――そうです」

「僕の父上は隣で教科書を買ってる、母上はどこかその先で杖を見ている」

 

 ずいぶん気取った話をする子だ。魔法使いの良家の子なのかもしれない。

 

「そうですか」

「それで、これから僕は、2人を引っ張って競技用の箒を見に行くんだ。

 1年生が自分の箒をもっちゃいけないなんて、理由が分からないね。父上を脅して一本買わせて、こっそり持ち込んでやる。君は自分用の箒を持っているのかい?」

 

 男の子が尋ねてきた。

 私は返答に困ってしまった。箒を持っているには持っている。庭掃除用の箒だが――。

たぶん、掃除用とは違う『この世界の箒』について聞いているのだろう。やはり、物語に登場する魔法使いのように、自由に空を飛ぶ箒が存在するのだ。そう考えると、ちょっとだけ、心が躍った。

 

「いいえ」

「クィディッチはやらないの?」

「いいえ。もしかして、クィディッチとは、箒を使った競技ですか?」

「そんなことも知らないのか? まさか、穢れた血か?」

 

 男の子の目に『嫌悪』の色がチラつき始めた。

 「穢れた血」なんて、あまり良い言葉には思えない。おそらく、魔法族でないことに対する侮辱の言葉だろう。

 生粋の魔法使いってのは非魔法族を嫌っている、というところだろうか?

 白人が黒人や黄色人種を差別するみたいに、この世界にもそういう観念ってあるのかもしれない。魔法使いも、実に人間らしい発想をするものだと、頭のどこかで感じた。

 

「穢れた血という意味が分かりませんが、非魔法族の社会で育ったことは事実です。

 ただ、魔法使いの親を幼い時に失くし、それからは非魔法族の社会で暮らしていました」

 

 だから、たぶん自分は魔法族生まれだと答える。

 

 正直なところ、両親の記憶となると、途切れ途切れの『セレネの記憶』に、さらに靄がかかってしまう。

 クイールの友人だから、母親はマグルだったということは分かる。しかし、父親はどうだろうか?

 あの夜――私を訪ねてきた自称『魔法使い』の老人が「君の父親を探していた」と言っていたことから考えると、恐らく父親が魔法使いだったのだろう。ゆえに、私はマグル生まれではない。

 

「それは大変だったね」

 

 すると、その眼から『嫌悪』の色が薄れた。入れ替わる様に、憐れむような色が滲み始める。

 

「そうでもないですけど」

 

 そう答えたとき、丁度採寸が終わったらしい。

 私は、すとんと踏み台から降りた。

 

「君の名前を教えてくれないかい?」

 

 私が勘定を終えた頃、男の子がそう尋ねてきた。

 

「『セレネ・ゴーント』です」

「僕は『ドラコ・マルフォイ』。じゃあホグワーツで会おう。たぶんね」

 

 やはり、少し気取った感じだ。私は少し微笑み、手を振った。

 

「それでは、マルフォイ。ホグワーツで会えたらいいですね」

 

 外に出ると、丁度クイールとスネイプ先生が戻ってきた。

 クイールが大きな鍋を抱えている。その中を覗き込んでみると本や薬の材料らしきものなどが入っていた。材料らしきものは―――あまり、口に出して気持ちのよいモノではないから、直視しなかった。

 

「他の学用品も買ってきてくれたの?」

「薬問屋に行くついでにね。凄かったよ、まさに黒魔術で使いそうなものばかりで――興味深かったけど、ちょっと気持ち悪かったな。

 来年は一緒に行こうか」

 

 クイールは、子どものように目を輝かせている。

 私は静かに頷いた。コレが最後の機会じゃないのだから、来年行けばいい。

 そして、改めて「必要なものリスト」に目を落とした。

 

「鍋もあるし、教科書もある――薬の材料もあるし、制服の予備もある――望遠鏡は自分の奴を持っていけばいいから――あとは、杖ですね。

 そういえば、このフクロウってどういう意味ですか?入学案内にも『フクロウ便』って書いてありましたけど?」

「魔法界ではフクロウが手紙を配達する。

 そういえば、お前はフクロウをまだ持っていなかったな」

「フクロウに手紙? 珍しいな」

 

 クイールはほうっと腕を組んだ。

 

「ハトに手紙を持たせるなら聞いたことがあるけど、フクロウに手紙を持たせるなんて。それじゃあ、非魔法族の方法で手紙を出すとそっちにはつかないのか?」

「いや、つくことにはつくが、時間がかかりすぎる。

 ……そうだな、入学祝いとして、我輩が買ってやろう」

 

 

 スネイプ先生が、なんかありえないことを言い始めた。

 スネイプ先生にとって、私はクイールの義理の娘に過ぎない。なのに、何故こんなによく接してくれるのだろうか?私の理解の範疇を超えていた。

 

「そんな……もったいないです」

 

 私が恐縮すると、スネイプ先生は片眉を上げた。

 

「そこまで驚くことがあるか?そもそも、お前の名付け親は我輩だぞ?」

「そんなこと……え? 父さん、その話は本当でしょうか?」

 

 クイールに視線を向けると、彼も驚いたように目を丸くした。

 

「あれ!? セレネには言ったことがなかったけ?」

「はい、少なくとも記憶にありません」

「そうだった、か。

 うん、実はね、セレネのお母さんは最初、僕に名付け親になってくれるように頼んだんだ。でも、あまり良い名前が思いつかなくてね……。だから、セレネのお母さんに許可を貰って、共通の知り合いだったセブルスに頼んだのさ」

 

 ……そんな秘話があったのか。

 私はまじまじとスネイプ先生を見つめる。

 まさかこの目の前にいる怪しげな魔法使いが名付け親だったなんて、かなり意外だ。

 

「まぁ、そういうことだ。分かったなら行くぞ」

 

 そのまま、スネイプ先生は近くの店に進んでいった。私とクイールは、慌てて後を追いかける。鳥の糞の臭いが鼻を刺した。ペットショップだ。店中はどことなく薄暗く、宝石のように輝く目があちらこちらでパチクリさせている。

 

「フクロウだらけ、ですね」

 

 人生で初めて、こんなにフクロウを見た気がする。少し不気味だったけど、セレネらしく――私は背筋を伸ばしてフクロウを視た。

 

「そうですね」

 

 私は、慎重にフクロウを見ていった。

 プライバシーのぎっしり詰まった手紙を運ぶフクロウなのだ。ちゃんとしたフクロウを買わなければ、のちのち問題になる。

 そうこうしているうちに、また客が入ってきたようだ。

 

「ん?スネイプ教授!!」

 

 客は入って来るなり、大きな声で叫んだ。

 フクロウたちがびっくりしてバサバサッと羽を動かす。でも、大声を出さなくても驚いたかもしれない。だって、入ってきた客は黒い髭モジャの大男だったのだから。

 

「ハグリッド。そうか……そういうことか」

 

 スネイプ先生は、ハグリッドの横をチラッと見てそう言う。私も彼の視線を辿ると

 

「もしかして、ハリー・ポッター、ですか?」

「えっ!?まさかセレネ!?セレネが何でここにいるの!?」

 

 やせっぽっちの眼鏡男子、ハリー・ポッターだった。

 どうやら、ハリーも魔法使いだったらしい。

 

「ポッター?ポッターか!」

 

 クイールは、満面の笑みを浮かべてハリーに近づいていく。

 そういえば、ハリーはクイールの教え子だったっけ。ハリーは、驚きのあまり今にも目が零れ落ちそうだ。

 

「ホワイト先生、久しぶりです。もしかして、先生も魔法使いだったんですか?」

「いや、僕は違うよ。セレネがその――ホグワーツ?へ入学することになってね。

 それにしても、しっかり食べてるかい? 一回り痩せているじゃないか」

 

 クイールとハリーが、話に花を咲かせている。

 久し振りの教え子との再会なのだ。ハリーもクイールには懐いていたらしく、どことなく懐かしそうな顔をしていた。今は、そっとしておこう。

 私は彼らからそっと離れて、スネイプ先生の近くに歩みを進めた。だが、近づいてみて先生の雰囲気が、先程までと少しだけ違うことに気がつく。

 

「スネイプ先生?」

 

 気のせいか。

 ハリーのことを、睨んでいるような気がする。彼は懐かしさと憎悪と寂しさと愛おしさという形容しがたい感情が入り混じった視線をハリーに向けていた。

 

「スネイプ先生?」

 

 私はもう一度、先生に呼びかけてみる。

 ここでようやく、先生の瞳から奇妙な色が消えた。

 

「なにかな、セレネ・ゴーント?」

「……いえ、なにも」

 

 疑問を口にしかけたが、やっぱりやめることにした。

 別段、興味はない。今はフクロウの品定めに専念しよう。

 

 

 私は気づかないふりをして、再びフクロウに目を向けた。

 

 

 

 

 

 




※3月3日:誤字訂正
※3月5日:一部改訂
※7月24日 大幅改定


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4話 9と4分の3番線の旅

「本当に大丈夫かい?イジメとか有ったらすぐに連絡をよこすんだぞ?

それから、男と2人っきりにならないこと。それから――」

「大丈夫ですよ、父さん」

 

 心配そうに顔を歪めるクイールを、私は手で制した。

 記憶にある養父は、ここまで心配性だっただろうか?と浮かび上がる疑問を一蹴し、私は静かに答えた。

 

「心配してくれてありがとうございます。私は大丈夫です。もう行かないと、今度は父さんの方が間にあいませんよ?」

 

 今日はこれからロンドンで会議があるらしく、クイールはそれに出席しないといけないらしい。キングス・クロス駅までは送ってくれたが、今から車をとばさないと会議に間に合わないはずだ。だがしかし、クイールは一向に動こうとせず、心配そうな顔を崩さない。

 まったく、そんなに私が頼りなく思えるのだろうか。

 

「分かってるか?いいか、男は狼なんだぞ?

 特に発情期の男というのは、肥えた兎を見るとすぐさまとびかかるような連中ばかりで――」

「大丈夫ですって!!そんな奴らは撃退できますから」

 

 大げさではなく、撃退できる。

 運動神経はそこそこにある方だと自負しているし、今の私には『杖』がある。最悪――クイールは知らないが、退院してから、こっそり購入したナイフを懐に忍ばせてある。このナイフと『眼』を使えば、どんな怪物が来ても倒せる自信があった。

 クイールは、しばらくブツブツと何か言っていたが、最後に大きなため息をついた。

 

「はぁ、そうだな。そこらの男よりセレネは強いからな。

 でも、困ったことがあったらすぐにフクロウを使うんだぞ?それからセブルスに相談するように!!」

 

 そう言うと、クイールは傍に停めた車へ向かった。何度も何度も振り返り、不安げにしていたクイールだったが、やっと車に乗り込み大通りへ消えていく。

 

「……さて」

 

 

 私は彼が去ったのを見届けてから、少し重たいカートを押した。

 

「でも、問題はここからなんだよな」

 

 優等生の皮を捨てた私は、大きくため息をついた。

 下種な男共は、簡単に撃退できるが、この問題は撃退できそうにない。

 誰かに聞くのが恥ずかしく、クイールにも相談できないまま終わってしまった切符に目を向ける。

 

 

「どこだよ、9と4分の3番線って」

 

 改めて案内板を見上げるが、そんな場所があるわけない。

 切符も入学案内も隅から隅まで読んでみたが、どこにも行き方なんて書いてなかった。

 魔法使いの常識なのかもしれないが、私みたいなマグル出身者相手に不親切すぎるだろ? こういうことは、しっかりと書いておいてほしい。

 とりあえず、9番線と10番線のあたりまでカートを押してみる。悲しきかな。やはり『4分の3番線』なんて、何処にも見当たらない。

 

「はぁ……あんまりやりたくないけど」

 

 こうなったら、最終手段に出るしかない。

 私はそっと、眼鏡を外してみる。

 途端に浮かび上がってくる『線』『線』『線』。薄らと吐き気が込み上げてきた。だが、この程度の『線』なら問題ない。

 

 ダンブルドア教授は、このうじゃうじゃと絡み合う『線』を、『死の線』だと教えてくれた。

 それは、私にも何となく理解できる。この『線』斬れば――いや、なぞるだけで、きっと『線』は壊れて、その場所は死ぬ。それは、人にも無機物でも変わりない。

 

 

 もし……9と4分の3番線が、魔法によって隠された場所なのだとしたら、その場所にも『線』が絡みついているはずだ。私は空間に目を凝らし、9番線と10番線の間をゆっくりと歩いた。

 

「あれかな?」

 

 1柱だけ。

 9番線と10番線の間の柱が……そう、ちょうど3本目の柱だけ、他の柱と比較して『線』がやたら多い。なるほど、だから9と4分の3番線なのか。納得しながら、眼鏡をかけなおす。私は3本目の柱に近づき、そっと手をかざしてみた。

 

「っ!?」

 

 柱に手がめり込む。

 だが、痛みはない。いや、魔法で隠された入口だとは予想ついていたが、これはこれで驚く。

 私はカートを反転させて、ゆっくりと柱へ向けて進む。

 柱の向こうに広がっていたのは、ローブの人影で溢れる「もう1つの駅」だった。

 紅色の蒸気機関車が、乗客でごったがえすプラットホームに停車している。

 ホームの上には『ホグワーツ特急11時発』と書いてあった。―――なんとか、無事に辿り着けたようだ。

 

「さてと――空いている席を探すか」

 

 まだまだ時間はある。早く空いてる席を見つけて、のんびり本でも読んでいよう。

 そんなことを考えつつ、私はカートを押しながら人の溢れるホームを歩き始めた。

 

「ここでいいかな」

 

 席は案外、簡単に見つけられた。まだ、時間が早いからだろう。

 コンパートメントに押しこんだトランクから、適当な本を取り出した。

 ホグワーツに来るまでは、予習と復習漬けの日々を送っていたので、こういうのんびりとした時間は久しぶりだ。11歳までのマグルの勉強は、なんとか終わった。しかし、私の勉強は終わらない。このまま魔法界に身を埋めるなら、ホグワーツの勉強だけで問題ないだろう。だが、万が一――魔法界が肌に合わなかったら、マグルの世界に戻らなければならない。

 イギリスにおける義務教育の年齢は16歳。

 数学や語学、理科や社会。それらの科目は、当然のことながらホグワーツにない。マグルの世界で生きることも視野に入れるのであれば、もっと勉強しなければならないのだ。

 

「優等生のセレネ・ゴーントならば、両方勉強する」

 

 マグルの教科書や参考書は、すでにトランクに入っている。

 ペットのフクロウ……バーナードに頼み、クイールへ送付すれば採点してもらえるだろうから、何も問題ない。ページを開こうとしたが、少し思いとどまった。出発の時くらい、勉強しなくてもいいだろう。記憶の中の『セレネ』の価値基準に照らし合わせ、そう判断した『私』は、別の本をめくった。

 そうしているうちに、時間が過ぎていたのだろう。突然、汽笛が鳴る音がホームに響き渡った。汽車が滑り出す。私は、本から顔を上げて外を眺めた。

 母親や父親が、各々の子供に手を振る。赤毛の女の子が半べその泣き笑いで、汽車を追いかけてくる。だが、もちろん追いつけるわけもなく、途中で立ち止って手を振っていた。

 

「出発だ」

 

 心なしか、うずうずしてきた。

 汽車がカーブを曲がると駅が見えなくなる。家々が窓の外を飛ぶように過ぎていくのを、ぼんやりと眺めていた。肩肘をついて、ぼんやりロンドンの町並みに思いをはせる。

 これから1年は、今までいた『日常』には戻れない。

 

 

 この先には、新しい『日常』が待っている。『魔法』と名のつく『非日常』の世界が――。

 

「私……本当に、魔法使いなんだ」

 

 ポケットから、新品の杖を取り出してみた。

 

 オリバンダーと名乗る老人の所で購入した一品。

 沙羅の木にセストラルの毛、29㎝の杖は、私を確かに選んだ。その時のことを思い返すたびに、オリバンダー老人が私の耳元で囁いた不審な言葉が、脳裏によみがえってくる。

 

 

『こちらの杖は、そちらの方の額に傷を残した魔法使いのモノになる予定だった杖なのです。

 しかし、この『沙羅の木』から作られたということが気に入らなかったらしく、あの人はその杖ではなく、イチイの杖を選ばれました』

 

 『そちらの方の額』というのは、ハリーの額にはしる稲妻型の傷のこと。

 あの時は詳しく知らなかったけど、どうやら『ヴォルデモート』とか名乗るサイコパスがハリーを襲った時に受けた傷らしい。つまり、この杖はヴォルデモートの手に渡る予定だった、ということになる。

 

「まぁ、杖なんて誰が使っても同じのように思えるけど」

 

 

 だけど……なんとなく嫌な感じ。

 「私」が「サイコパス」と同じだと告げられたみたいで、嫌な気持ちになる。

 確かに私は、曖昧な存在だ。私が誰なのか、いまだに分からない。ただ、『セレネ・ゴーント』という過去の記憶に従って動いているだけだ。それでも、大量殺人鬼と同じだと言われるのは胸糞悪い。思い出すだけで、腹が立ってきた。

 

「ここ空いてる?他の所はどこもいっぱいなの」

 

 ガラリっとコンパートメントが開いたので、私の思考は一旦中断する。

 入ってきたのは、栗色の髪をした女の子だった。私は瞬時に『セレネ』の顔を作り上げる。

 

「別に構いませんよ」

「ありがとう。助かったわ」

 

 少女はニッコリ笑って、私の前の座席に座る。

 窓の外に流れていたロンドンの町並みは消え、代わりに牧草地帯が広がっていた。

 

「私は、ハーマイオニー・グレンジャー。あなたの名前は?」

「セレネ・ゴーントと言います。こっちはバーナード」

「フクロウを飼ってるのね、もしかして魔法界出身なの?」

「いいえ、私はマグル出身です。親は魔法使いらしいですが」

 

 そう言うと、ハーマイオニー・グレンジャーの眼が益々輝いた。

 がしりっと両手を捕まれ、眼を覗き込まれる。

 

「あなたもマグルで育ったのね!私も同じなの!仲良くしましょ!」

「あっ……はい」

 

 彼女に押し切られるような形で、私は頷いた。

 それから彼女は、物凄い勢いでしゃべり始めた。

 自分がマグル生まれで、両親は魔法使いではないということ。手紙が届いたときは物凄く驚いたということ。でも、それと同時にとっても嬉しかったということ―――などなど。

 私は相槌を打ちながら、彼女の話に耳を傾けていた。話を聞いて分かったことだが、彼女もセレネ同様『優等生』らしい。むしろ、中身がいい加減な『私』より『優等生』なのではないかと思う。小匙分ほどの親近感が芽生えた。

 

「ふぅ―――そろそろ着替える?」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーの話に区切りがついたのは、ちょうど昼ごろだった。

 私達はいそいそと着替えて、ネクタイを整えた所でコンパートメントの扉が叩かれる。いぶかしみながら開けてみると、そこに立っていたのは、人のよさそうなオバサン魔女だった。

 

「嬢ちゃんたち、なにかいかが?」

「そうですね……」

 

 私は、財布から銅貨を何枚か取り出しながらカートを覗き込んでみる。

 一応、昼飯は持ってきてあるが、ここで売っているのは魔法界のモノだ。

 みたこともない珍しいモノが、カートの中にあるのかもしれない。カートを覗き込むと、色とりどりの菓子が並んでいる。どれもこれも、見たことのないものばかりだ。 私はハーマイオニーと一緒にお勧めを聞きながら、いくつかの菓子を買うことにした。

 

「やっぱり、魔法界の絵ね! すごいわ、イラストが動いてる」

 

 ハーマイオニーは、蛙チョコレートについてきた『マーリン』のカードをしげしげと眺める。花の魔法使いはカードの向こうで優しく微笑んでいた。だが、その微笑みは、どことなく胡散臭い花の魔法使いである。

 

「チョコにも魔法がかかってたし。

 セレネは不思議に思わないの? 私と同じで、手紙が来るまで別の学校に進学する予定だったのでしょ?」

 

 ハーマイオニーは不思議そうに、こちらに視線を向けてきた。

 

「そうですね」

 

 私は、持ってきたサンドイッチの最後のひとかけらを口に押し込んだところだった。

しばらくモグモグと噛んで、飲み込んでから話し始める。

 

「魔法界ですし、絵が動くくらいありえない話ではないと思いますよ。

それよりも、車内販売で菓子以外のモノが売ってなかったのが気になりました」

「菓子以外のものが売ってない?」

「はい。昼時ですので車内販売で軽食が売っていても不思議ではありません。しかし、魔法の菓子しかありませんでした」

 

 かぼちゃジュースと言う名の飲み物があったが、胸焼けするくらい甘ったるい。魔法使いは、虫歯率が高いのではないか?と邪推してしまう。いや、虫歯を魔法で治すから問題ない、のか?

 

「セレネって変なところに気がつくのね」

「そこまで変なところ、でしょうか?」

 

 くすりと笑うハーマイオニーにムッとして、言い返そうと思ったが――大人げないので怒りの矛を収める。―――そんな時だった。

 ガラリっと予告なしに、コンパートメントの戸が開かれる。丸顔の少年が立っていた。

 

「あの……ヒキガエル見なかった?僕から逃げてばかりなんだ」

「ヒキガエル?みなかったけど、セレネは?」

「私も見ていません。もしかしたら、家に忘れてしまったのでは?」

「そんなことないよ!」

 

 丸顔の少年は、肩をしゃくりあげながら反論してきた。

 

「汽車に乗る前もいなくなっちゃって……でも、それは婆ちゃんが見つけてくれたからよかったんだけど、乗ってからしばらくしたらいなくなっちゃったんだ」

「なら、探しましょ!」

「……そうですね、手伝いましょう」

 

 ハーマイオニーが、そして、やや遅れて私が立ち上がる。すると、ロングボトムがキョトンとした顔をした。

 

「ヒキガエルでいいのよね?」

「そうだけど、なんで手伝ってくれるの?」

 

 おいおい。今まで、誰も手伝う連中がいなかったのか。

 まぁ、仕方ないと言ったら仕方ないのかもしれないが。私自身、『優等生』である『セレネ』を演じていなかったら、面倒だと思って手伝わない。自分に一利もないことに労力を割いても、意味がないと思う。

 ――けれど、私は『セレネ』なのだから、手伝わなければならない。

 もっとも、そんな本当の理由なんて言えず、私は黙り込んでしまった。

 何も言わない私の代わりに、ハーマイオニーが口を開いた。

 

「困ってる人がいたら助けるのが当たり前でしょ?

 私は、ハーマイオニー・グレンジャー。この子はセレネ・ゴーント。アナタの名前は?」

「僕はネビル。ネビル・ロングボトムっていうんだ。

 ありがとう、ハーマイオニーとセレネ!」

 

 ネビル・ロングボトムは顔を真っ赤にして礼を口にした。いくらホグワーツに到着するまで時間があるとはいえ、もう昼を過ぎてしまっている。私達は、三手にわかれて探すことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先に制服に着替えておいてよかった」

 

 

 ついつい呟きながら、窓の外に目を向ける。

 窓から差し込んでくる光は、車両を蜜色に染める時間帯だった。

 あと、少しでホグワーツへとたどり着くのだろう。それなのに、トレバーという名の蛙は全く見つからない。もう1時間は探している。

 

 

「やっぱり、ロングボトムが忘れてきたんじゃないか?」

 

 

 だけど、手伝うと私は言ってしまった。

 探さなければならない。内心ため息をつきながら、次に調べようとしたコンパートメントをノックしようとする。

 そんな時だ。中から悲鳴が聞こえてきたのだ。咄嗟に、私は蹴破るように扉を開け放った。

 

 

「何かありましたか!?――――ってハリーとドラコ・マルフォイ?」

 

 

 コンパートメントのありさまに、私は思わず『素』に戻ってしまう。

 菓子とその包み紙が床に散らばるコンパートメント。そこにいた5人の少年のうち、2人は見覚えのある少年だった。しかも、今にも取っ組み合いを始めそうな情けない姿をさらしている。

 

 

「「セレネ?」」

「……なにがあったのですか?」

 

 

 急激に熱が冷めていった。

 体格のいい少年は、血がにじんでる指をかばっていた。

 口元に赤い何かを滴らせているネズミ。そのネズミを、赤毛の少年が抱いている。恐らく、赤毛の少年が持っているネズミが、あの体格のいい少年の指を噛んだのだろう。悲鳴の原因は、たぶんそれだ。

 

 

「なに。僕たちの所のお菓子がなくなったんで、貰おうとしたらゴイルの指にウィーズリーのネズミが噛みついたんだ」

 

 

 マルフォイが、落ち着き払った感じで答えた。すると、ハリーがムッとした表情を浮かべ言い返す。

 

 

「僕たちのお菓子を、無理矢理取ろうとしたんだ」

 

 

 どうやら、この2人は凄く仲が悪いらしい。火花が飛び散っていた。

 首を突っ込むんじゃなかった。『後悔』の二文字が頭を横切り、心の中でため息をつく。

 もう「あ、そう。喧嘩はするなよー」とだけ言って、帰りたい。だけど、私は『セレネ』なのだから、この場を優等生らしく円満に収めなければならない。

どうやったら、円満に済ませることが出来るだろうか。少し悩んだ結果、1つしか解決案が思い浮かばなかった。

 

 

「私は現場を見ていないので、詳しいことは分かりません。

 ただ、そろそろ汽車がつく時間帯です。菓子ならホグワーツでも買えると思いますので、今は我慢したらいかがでしょうか?」

「なんだって、セレネ」

 

 

 マルフォイの眉間に筋が立つ。

 その奥にいる取り巻き達の拳が、わなわなと震えていた。

 だけど、こうするしかないのだ。状況的に判断して、どちらが良いのか悪いのか、決めるのは不可能なのだから。もっとも、これだと一方的にマルフォイが悪かったみたいになってしまうので、ハリー達側にも一言――

 

 

「ハリー、貴方たちも気を付けた方がイイですよ?

 沢山お菓子を持っていたのだから、1つや2つ分けてあげることが出来る『心のゆとり』を持つべきです。それから―――赤毛の貴方、ネズミの管理はしっかり行うこと。傷口から細菌が入る恐れがあります」

 

 

 勝ち誇っていたハリーと赤毛の顔が歪んだ。

 誰もが何か言いたそうだったが、これ以上巻き込まれるのは御免だ。私はさっさとコンパートメントから離れた。しばらくすると、また揉めあう音と本日2回目の悲鳴が聞こえてきたが、私は無視する。もう巻き込まれるのは、嫌だった。

 

 

「今、悲鳴聞こえなかった?」

 

 

 ハーマイオニー・グレンジャーが前から走ってきた。

 

 

「聞こえました。でも、たいしたことじゃないから放って置いていいと思います」

 

 

 私は正直に伝える。

 ただの菓子の取り合いの延長戦だろう、たぶん。私の答えを聞き、少し悩んだハーマイオニーだったが

 

 

「でも、心配だから見てくるわ」

 

 

 そう口にすると、ハリー達の居るコンパートメントの方に走っていった。

 私はハーマイオニーの背中を見送ると、窓の外を眺める。

 汽車がどんどん速度を落としている。窓の外の山や森が薄紫色の空の下に沈んでいた。

 

 

 

 ホグワーツはもうすぐだ。

 

 

 

 

 




※3月3日:誤字訂正


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5話 組み分けの儀式

一部、追記しました(2019年5月16日



「まもなく『組み分けの儀式』が始まります。ここで待っていなさい」

 

 マクゴナガル副校長と名乗った魔女は、それだけ言うと去って行った。

 その途端、静まり返っていた広間に、ざわめきが波のように広がり始める。

 

「組み分け、か」

 

 ぽつり、と呟く。

 マクゴナガル副校長は、詳しい内容を何も話してくれなかった。

 魔法使いらしく、魔方陣の上に乗って呪文を唱えるのか? それとも、怪しげな水晶玉で占ったりするのだろうか?

 いずれにしろ、この人数だと時間がかかりすぎると思うから、簡易的な儀式だと思うが……  

 正直、不安はあまりなかった。どこまでも広がる湖と星空の向こうに、このホグワーツを見た瞬間から――不安なんて吹き飛んでしまっていた。むしろ、この素晴らしき城で魔法を学べることに対する期待ばかりが膨らんでいく。

 それに、たかが寮を決める組み分けで死ぬような目にはあわないだろうし、高い金を払ってまでして学用品までそろえた子供を『儀式不適合だから退学!マグルの中等教育学校に行きなさい』って真似はさすがにしない……と思う。

 

 ありえないと信じよう。

 

「おや、1年生だ」

 

 そんなことを考えていると、壁の中から人が現れた。

 半透明で、どことなく古めかしい――ダイアゴン横丁で見かけた魔法使いたちよりも一段と古めかしい衣装を身に纏っている。

 彼らは、自らを『ゴースト』、つまり、死んだ人間だと名乗り、ピーブズがどうとか、思い思いのことを言って、再び壁の中へ去って行った。いや、壁を通り抜けたというべきか……

 それにしても、死んでゴーストになるなんて、不思議な現象だ。

 しかもゴーストというのに、眼鏡をずらして『眼』で睨みつければ、最初は視えなかったが、注視してみると、きりきりと痛む頭痛と共に、彼らにも線が薄らとついていることが分かった。幽霊になっても、『死』が待っているなんて、嫌な感じがする。

 いくら『魔法界』でも、『不死』という概念はないのかもしれない。もしくは、あったとしても『禁忌』か、あるいは……。

 

「セレネ、どうしたの?眼鏡の調子が悪いの?」

 

 ロングボトムが、話しかけてきた。

 先程見つけたヒキガエルをしっかりと抱きしめ、不安そうな顔をしている。

 私は外しかけた眼鏡を元に戻し、ロングボトムに向き合った。

 

「いいえ、ちょっと曇っていたので拭いていただけです。――あっ、副校長先生が戻ってきましたよ?」

 

 丁度良い具合に、マクゴナガル先生が戻ってきた。

 

「みなさん、始まります。着いてきなさい」

「うぅ、とうとう組み分けが始まるんだ」

 

 ロングボトムは、蛇に睨まれた蛙のように震えだす。お腹が痛み始めたのか、片手で腹を撫でていた。

 どうやら、無事に話題を逸らすことが出来たらしい。内心、ホッとしながら歩みを進める。

 他の生徒たちの足取りは、どことなく重い。無理もない、これからやる儀式の内容を知らされていないのだから……。

 私も、彼らの列に混じって大広間に入った。

 

「うわぁ……」

 

 広間に入った瞬間、思わず、感嘆の声を漏らしてしまった。

 大広間の中には、まさに『魔法』に満ち溢れた『黄金』と呼ぶにふさわしい空間が広がっていた。つい、浮き足立ちそうになる。

 何千というろうそくが空中に浮かび、4つの長いテーブルを照らしている。テーブルには、おそらく四つの寮ごとに分かれて上級生が客席し、ろうそくの明かりでキラキラ輝く金色の大皿とゴブレットが置いてあった。

 まだ、何も置いていないということは、これから食事が配られるのだろうか。しかもこの量となったらかなりの時間が必要だ。きっと、これにも魔法を使うに違いない。

広間の奥の上座には、もう一つ長いテーブルがあって、先生方が座っていた。

 スネイプ先生や、ハグリッドもそこにいた。マクゴナガル先生は、上座のテーブルの所まで私達を引率する。私達を興味深そうに眺めてくる上級生の視線が痛い。

 

「空じゃなくて天井よ、魔法で夜空のように見えるだけ。『ホグワーツの歴史』という本に書いてあったわ」

 

 ハーマイオニーが得意げに話し始めた。

 私もつられて上を見上げてみる。すると、そこには夜空が描かれていた。

 プラネタリウムに負けず劣らずの夜空だと、感心してしまう。いや、プラネタリウムとは違いこちらの夜空には雲もある。

 

 魔法って凄い!

 

「やはり魔法で作られた天井なのですね。超高性能プラネタリウムかと思いました」

「あら、知らないの?ホグワーツの中だとマグルの機械製品は狂うのよ?」

「―――そ、そうですよね」

 

 ……しまった。

 そうとは知らずに、ステレオを持ち込んでしまった。

 イヤホンがあれば問題ないだろ、と思ってトランクに詰めた私のバカ。少し落ち込んでしまう。狂ったまま動かなくなる前に、クイールの所へ送り返そう。

 愛想笑いでその場をごまかしながら、なんとか別の話題を探す。

 

「それにしても、とても綺麗な場所ですね。本物と見間違えてしまいます」

「そうね―――あれ?ねぇ、セレネ。あの帽子は何かしら?」

 

 ハーマイオニーは、不安そうに前を指した。

 指先を辿れば、この歓迎色が漂う晩餐会には相応しくない薄汚れた帽子が鎮座していた。

 

「さぁ……分かりません」

 

 素直に答えた時だった。

 なんと帽子が動き出して詩を歌い始めたのだ。

 AIか? あの帽子は人工知能が内蔵されているのか? 私が目を疑っている間にも、帽子の唄は進んでいく。

 どういう仕組みか分からないが、この帽子が「組み分け」をするらしい。詩の内容は四つの寮の特色を謳ったものだった。

 

・グリフィンドール

 

勇敢な騎士道精神を持った人が集まる寮

 

・ハッフルパフ

 

心優しく忍耐強い人間としてできた人が集まる寮

 

・レイブンクロー

 

勉学に対する意欲が一際強く、学力の高い人が集まる寮

 

・スリザリン

 

どんな手段を使ってでも目的にたどり着こうとする人が集まる寮

 

 

 

 簡単にまとめると、こんな感じだった。

 私はどこの寮に入るのだろう?

 私は、まだ記憶が確かに持てなくて、どこか曖昧な存在だけど、それでも、この数週間で、多少なりとも自分の傾向が分かってきていた。

 

 まず、グリフィンドールは……たぶん違う。

 私に騎士道が似合うとは思わない。だいたい騎士道なんて堅苦しいとさえ、思ってしまう。騎士様は人助けとか利害関係なしに率先して行うのだろうが、自分はメリットとデメリットについて考えてから動いてしまう。正々堂々な行動も性に合わない。

 だから、たぶん違う。

 ハーマイオニーはその寮に入りたがっているみたいだが、どうなのだろう?知的なハーマイオニーはレイブンクローが似合う気がする。ちなみにロングボトムは、ハッフルパフだろうか?先程も私に気遣ってくれたし、なんだか全体的に優しい感じがする。

 

 さて、グリフィンドールは消去するとしたら、残る寮は3寮。

 だが、ハッフルパフもない。私は、自分が優しいとは思わない。もし、優しいのであれば、これまでのセレネを考えてから行動する以前に、ロングボトムを助けるために動いただろう。

 そうなると、残るはレイブンクローかスリザリン。優等生路線まっしぐらの『セレネ』なら、レイブンクローが一番向いているのかもしれない。

 

 

「名前を呼ばれたら順に前に出てきてください。

 ハンナ・アボット!」

 

 金髪のおさげの少女が前に転がるようにして出ていく。

 ハンナと呼ばれたその少女に、マクゴナガル先生が古びた帽子『組み分け帽子』をかぶせると彼女の目が隠れた。

 

 そして一瞬の沈黙。

 

「ハッフルパフ!」

 

 右側のテーブルから歓声と拍手が上がり、ハンナはハッフルパフのテーブルに着いた。

 

「ねぇ、改めて聞くけど、セレネはどこの寮がいいの?」

 

 後ろに並んでいるハーマイオニーが、こっそり尋ねてきた。

 

「そうですね、平穏に暮らせるならどこでもいいです。

 さきほどの帽子の歌を聞く限りですと、消去法で『レイブンクロー』か『スリザリン』でしょうか?」

「『スリザリン』!?」

 

 信じられない!! と、ハーマイオニーは驚愕を露わにした。その隣にいるロングボトムも驚いて目を大きく開いている。何か不味いことでも言っただろうか? とりあえず、理由を説明することにする。

 

「私は、騎士道精神は持ち合わせていませんし、ハッフルパフが求めるような忠実は持ち合わせていませんから。

 となると、レイブンクローかスリザリンかと思いまして」

「セレネはスリザリンは止めておいた方がいいわ。闇の魔法使いを多く輩出しているって言うし、評判を聞く限りだと『最悪』よ!?」

 

 かなり真剣に訴えかけてくる。

 そんなに評判悪いのか、スリザリン。チラッとスリザリンのテーブルの方を見る。

 まぁ、確かにガラの悪そうな奴もいるが、ガラの悪そうな奴ならグリフィンドールやレイブンクローにだっている。

 

「そうでしたか……たとえどこの寮に組分けされても、よろしくお願いします」

「そうね。出来れば同じ寮がいいけれど」

 

 ハーマイオニーが囁いたその時だった。

 

「セレネ・ゴーント」

 

 私の名前が呼ばれた。

 いつの間にか私の番が来たらしい。私は前に進み出た。

 

 全校生徒が私の方を見てる。

 先生方も私の方を見ている。

 突き刺さる視線が痛い。

 

 少しだけ緊張してきた。私が、こんなに注目されたのは初めてだ。

 けれど、ここは記憶にあったセレネらしく堂々と歩く。周囲の視線なんて気にしてない、と言わんばかりに。

 マクゴナガル先生が私の頭の上に、すっぽりと帽子をかぶせる。 私の視界を闇が覆った。

 

『む!?まさかゴーント家の子かね?』

 

 頭の中で低い声が聞こえる。 恐らく帽子の声だろう。こうして帽子と対話をしながら、寮を決めるのかもしれない。

 

「ゴーントの家名を御存じなのですか?」

『もちろん知っている。まさか生き残りがいたとはな』

「生き残り?つまり、私以外は全て死んでいるということですか?」

『いや、1人だけ生きている可能性がある奴はいるが……

 おしゃべりはこのくらいにしておこう。ゴーントの家系ということは君の寮は決まっておる。

 その寮に入れば偉大なる魔法使いへの道が開けるだろう。

 君の入るべき寮は―――

 

 スリザリン!!』

 

 帽子が、最後の言葉を広間に向けて叫んだのが聞こえる。

 途端にスリザリンから、歓声が湧きあがった。帽子を取ると、私はスリザリンの席へと向かう。

 そうか、私はレイブンクローではなく、スリザリンだったか。予想は外れたが、それにしても『ゴーントの家系』で選ばれるなんて……これまで家系なんて意識したこともなかったけど、有名な家系なのか?

 そんなことを考えながら、ふと途中でチラリっとハーマイオニーやロングボトムの方を見た。2人とも『信じられない』という顔をしている。少し近くに佇んでいたハリーも、同じような顔をしている。マルフォイも意外そうな顔をしていた。

 

 

 少し、心外である。

 

 そこまで嫌われているのか、スリザリンという寮は。

 でも、私を迎え入れてくれた上級生は普通に私を歓迎してくれた。私は、先にスリザリンに迎え入れられていた体格のいい女子生徒の横に座った。

 

「あんたさ、てっきり『グリフィンドール』かと思った」

「どうしてですか?」

 

 初対面で、そんなことを言われるなんて。

 私が『わけわからない』という顔をしていると、その女子生徒は言葉を付け足した。

 

「アタシはミリセント・ブルストロード。聖28一族のブルストロード家出身よ。

 あんたは、列車の中でヒキガエル探してた子でしょ?」

 

 その瞬間、記憶が蘇る。

 そうだ、確か……ロングボトムのカエル探しの時に尋ねたコンパートメントで、

『いないわよ、さっさと出て行って』

 と、追い出された。あまりいい思い出ではないが、ある意味、十分に予想出来る反応だ。他人のカエルの行方なんて、普通は興味がないわけだし。

 

 

「そういえば、その時に尋ねたコンパートメントで会いましたね」

「お人好しと言ったら『グリフィンドール』か『ハッフルパフ』って相場決まってるからね。

 で、あんたは馬鹿そうに見えなかったから『グリフィンドール』って思ったのよ。

 まさか、スリザリンに来るなんてね」

 

 少し『嫌悪』の色が強い視線が突き刺さる。

 なんかむかつく。だが、そんな色を微塵も出さずに、私は平然を装った。これでマグル生まれだと知られては、ますます馬鹿にされる。ここは、魔法使いの家系だと示した方が良いのだろう。

 

「帽子が『ゴーント家の人はみんなスリザリン』って言っていましたが――ゴーントって家系を知っていますか?」

「『ゴーント』? 聞いたことがないわよ。どうせちっぽけで細々と続いてきた家系でしょ?

 あんた、自分の家系のことも知らないの?」

「両親は物心つく前に死んで、以後はマグルの家で過ごしていましたので」

「それは災難だったわね。まぁ、これから7年間、よろしくね」

 

 ミリセント・ブルストロードが手を差し出してきた。

 口調に反して、意外と礼儀はあるみたいだ。聖なんたら一族といっていたが、魔法界の名家のお嬢様に違いない。私はその手を握り返した。

 

「やぁ、ゴーント。君もスリザリンだったんだね」

 

 ブルストロードと少し話をしていると、隣に誰かが腰を掛けてきた。

 ドラコ・マルフォイだ。

 どうやら、彼もスリザリンだったらしい。

 

「あなたもスリザリンだったんですね」

「……僕の組み分け、見てなかったのか?」

「ごめんなさい、見ていませんでした。7年間、よろしくお願いします」

 

 そう言って手を差し出せば、ふんっと鼻を鳴らした。

 どうやら、先程のことをまだ根に持っているらしい。腕を組んだまま、マルフォイは口を開いた。

 

「とりあえず7年間、僕に迷惑をかけるなよ。それにしても驚いたな。君はレイブンクローか、グリフィンドールかと思ったのに」

 

 何故、そろいもそろってグリフィンドールかレイブンクローと言われるのだろう。

 記憶にあったセレネらしく演じているので、レイブンクローというのは分かる。だが、そんなに私はグリフィンドールらしく見られているのだろうか。

 

「ほらごらん、有名人の組み分けだ」

 

 視線を向けてみると、ハリーが壇上に上がるところだった。

 ハリーが組み分けってことは、ハーマイオニーとロングボトムは終わってるに違いない。

 見回してみると、2人ともグリフィンドールの席に座っていた。

 心の中に冷たいものが、じんわりと広がった。

 

 まぁいい。今は、ハリーの番だ。

 

 広間に奇妙な沈黙が広がる。そして、あちらこちらから囁き声が聞こえてきた。

 そういえば、ハリー・ポッターは有名人だったことを思い出す。

 

「どうせグリフィンドールよ」

 

 ミリセントが、吐き捨てるように言った。

 私はああ、と納得する。

 

「たしか、ハリーは魔法界の英雄でしたっけ?」

 

 なるほど、騎士道精神を謳うグリフィンドールは、英雄と呼ばれる人間を輩出している寮なのかもしれない。事実、この国では『騎士道=英雄』というイメージがある。例えば、アーサー王伝説がその筆頭だ。アーサー王もガウェイン卿やトリスタン卿など騎士道を遵守する騎士たちが英雄と謳われてきた。

 

 しかし。

 

「赤子の時に、ヴォルデモートとかいうサイコパスを倒したから英雄だなんて。本当かどうか、本人に自覚がないのに英雄扱いなんて……少し迷惑でしょうね」

 

 私の知る限り、ハリーは自分のことを英雄だと認識していなかった。

 むしろ、虐待されていた。クイールから聞いたが、彼の両親は幼い頃に亡くなり、いまは叔父叔母のところで暮らしているらしい。担任時代は『児童相談所に通報するべきかどうか……』と悩んでいたそうだ。

 

「だいたい、ヴォルデモートって……どうかしましたか?」

 

 そう呟いてから、周囲の様子がおかしいことに気がついた。

 私の周りだけ、不自然に静まり返っている。マルフォイもブルストロードもハリーの方を見ていたはずなのに、私の方を見て唖然としていた。

 

「どうしましたか?」

「ご、ゴーント? 今、『あの人』の名前を……」

 

 その先の言葉は、グリフィンドールから湧き上がった歓声で聞こえなかった。

よく聞き取れないが、どうやら私は言ってはならないことを言ってしまったらしい。もう少し、調べてから話すようにしよう。そうしなければ、『優等生』の皮がはがれてしまう。

 私は、とりあえず

 

「ごめんなさい」

 

 とだけ、謝っておいた。

 

 

 その後、宴が始まった。

 宴の前にダンブルドア校長が立ち上がり、なにか言うのかな?と身構えると、校長はにっこりと微笑んだ。

 

「新入生の諸君、入学おめでとう。在校生の諸君、久しぶりじゃ。歓迎会を始める前に、わしから言うことはこれだけじゃ。

 それ、わっしょい、こらしょい、どっこらしょい。以上じゃ。それでは、宴を始めるとしようかのう」

 

 セレネがぽかんとしていると、ダンブルドアが手を挙げる。

 すると、金色の皿の上に、大量の料理が現れたのだ。セレネは少し、眼をぱちくりさせた。この怪奇現象について、上級生は何も語らず、賑やかに食事を始める。先輩方が食べているので、これはホログラム的な何かではなく、本当の料理なのだろう。

 

 セレネは手近なローストビーフを皿に取ると、おそるおそる一口、食べてみる。

 

「……おいしい」

 

 料理は頬が落ちるくらい美味しかった。

 ちょっと味付けが濃いような気もしたが、それを打ち消せるほど美味しい。もしかしたら、意識が回復してから、いや、今まで食べた中で、最もおいしい料理かもしれない。

 

「ふん、まあまあな料理だな。僕の屋敷の料理の方が凄いけど」

 

 マルフォイが高説を述べている。

 彼はぺらぺらと自分の家の料理がどれほど美味いのかを語っていた。彼の隣に座った少し犬に似た顔立ちの女子生徒が、うっとりと聞き入っている。

 

 彼の話を聞き、相槌を打っている者がいるなら、もう自分は関係ないだろう。

 私はそう判断すると、素晴らしき料理を味わうことに専念するのだった。ローストビーフにシェパードパイ、ヨークシャープディング、そして、見たことのない肉や野菜料理の数々……なお、ニシンの頭が飛び出てるパイやウナギのゼリー寄せには、手を付けなかった。

 

 

 最後のデザートも食べ終わり、ナプキンで口を拭いていると、再びダンブルドア校長が立ち上がった。

 

 

「皆大いに食べ、大いに語り合ったことだろう。寮へ行く前に一言二言、伝えなければならないことがある。

 まず、校庭にある禁じられた森への立ち入りは禁止じゃ。1年生と一部の上級生に注意しておくぞ」

 

 一瞬、ダンブルドアの青い瞳がグリフィンドールの方へと向けられた。

 おそらく、そこに「一部の上級生」がいるのだろう。

 

「続いて、管理人のフィルチさんからじゃ。授業の合間に廊下で魔法を使うことは禁じられておる。同時に、噛みつきフリスビー、叫びヨーヨーなど使用を禁じられている魔法道具一覧の長いリストに記されておる。もし、気にある生徒がいれば、見に行くと良い」

 

 ダンブルドア校長はそう言いながらも「きっと、誰も見に行かない」と思っているような口ぶりだった。フィルチと呼ばれた管理人は、少し怒ったように校長を見ている。

 

「最後に一つだけ言っておこう。

 今年度に限り、4階の右側の廊下は立ち入りが禁じられている。そこに近づいてはならない。恐ろしい死が待っているからのう」

 

 恐ろしい死。

 最後の言葉だけ、ダンブルドアの口調に真剣な色が混ざった。

 周囲の上級生も息を飲む空気が伝わってくる。廊下で魔法を使うな、とか噛みつきフリスビーを使うな、なんてことはダンブルドアにはどうでもよくて、最後の4階の廊下の話だけは本気のようだ。

 

 よほどのことがない限り、近づかないようにしよう。

 

 死ぬのは怖い。

 そう思えてしまうくらい、死のイメージは強烈である。

 わざわざ4階に近づいて、『』の世界に飛び込むような真似はしたくなかった。

 

 

 

 

 



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6話 闇の魔術と魔法薬

7月27日:大幅改定



 なにごとも、はじめが肝心である。

 肝心……なのだが……

 

「……迷った」

 

 先ほどから同じ廊下をぐるぐるぐるぐる回っている気がする。

 右に行っても左に行っても、階段はおろか脇道すら見当たらない。そもそも、どこからこの廊下に入ってくることができたのだろうか。

 もうくたびれて、そのまま廊下に座り込みたくなってしまった。

 

 入学してから1週間、ほとんど勉強に明け暮れていた。

 授業で指名されても、もちろん予習した範囲のことは答えられる。いずれ、今までの予習も追いつかなくなるので、授業の復習をテキパキと終わらせて、次の予習を取り組む。その時間を縫って、マグルの勉強に取り組む。

 こんな毎日を送っていたせいだろう。

 

「友達もできないし、こうして1人で移動し迷子になってしまうなんて」

 

 無様だ、私。

 鞄に入りきらなかった本をぎゅっと抱え込む。

 しかし、過去の記憶で見た『セレネ・ゴーント』でいるためには、こうして勉強しないといけない。

 『私』が『セレネ』である以上、常に『優等生』として頂点に君臨せねばならないのだ。

 もっと、もっと頑張らなくては―――

 

「どうしたらいいんだよ、本当に」

 

 しかし悲しきかな。

 現実とは非情である。叫んだところでなにも状況は変わらない。

 だいたい、何にでも魔法を使うモノじゃない。

 その典型的な例が階段だ。ホグワーツには142もの階段があって、しかもそれ一つ一つに何かしらの特徴があるなんて馬鹿げている。もちろん、浪漫はあるが限度というものがあるのだ。広くて壮大な階段や、狭くてガタガタ揺れる階段ならば、まだ許せる。だが、金曜日にはいつも違う所へ繋がる階段や、真ん中の辺りで毎回1段消えてしまう階段というのは正直やめて欲しい。

 いや―――階段よりも、扉の方がたちが悪い。

 丁寧にお願いしないと開かない扉や、正確に一定の場所をくすぐらないと開かない扉、扉に見えるけど実は固い壁のふりをしている扉などなど、奇妙な扉が多すぎる。

 

「オマケに、肖像画の人物もしょっちゅう訪問しあっている。場所の把握がしにくいじゃないか」

 

 いろんな場所に魔法をかけすぎているせいで、逆に不便に感じる。これも勉強の1つなのか?記憶力を養う為とか? 冗談は、休み休みにしてほしい。

 

「誰かに聞くべきか? いや、でもこの辺りに人は……」

 

 いなかったはず――と呟きながら角を曲がった時だった。

 鏡の前でコソコソ何かしている2人組が目に飛び込んできたのである。

 背格好からして上級生だろう。2人とも赤毛ののっぽで、瓜二つの外見をしていた。

 

「奇跡だ!」

 

 顔の筋肉が緩むのが分かった。いそいそと道を尋ねようと近づいていく。日頃の行いの良さが、報われたのだろうか? 私が駆け寄って声をかけるより先に、2人は私に気づいたらしい。同じタイミングで振り向くと、オウムのように代わる代わる口を開いた。

 

「こんなところで何してるの?」

「いきなり授業をサボるつもり?」

「新学期早々、授業をサボるなんて、たいした度胸だよな」

「ま、オレたちもサボってるけど」

「ははは、たしかに」

 

 2人は顔を見合わせて笑っている。声から笑い方までそっくりだった。まるで、鏡を見ているかのようである。そんなことを頭の隅で考えながら、私は早口で尋ねた。

 

「実は道が分からなくなってしまいまして。『闇の魔術に対する防衛術』の教室はどこでしょうか?」

「なーんだ。ただの迷子ってこと?」

「制服も新品だしね。おっと、スリザリン生か」

 

 私のネクタイに視線が向けられる。

 緑の地に銀の縞模様が入ったネクタイは、少しおしゃれで、着けていると誇らしい気持ちになる。

 

「はい、スリザリンの1年生です」

「珍しいな、スリザリンの迷子って」

「スリザリン生って常に群れてるイメージあるからな」

「もしかして、いじめられているとか?」

「仲間外れか。そういえば、マグル出身者がスリザリンに入ったって噂になってたな」

「そんなことありえません!」

 

 私は頬を膨らませながら反論する。

 

「私、マグルの世界で育ちましたが、いじめなんて受けていませんから」

 

 少しムキになって答えると、双子は「冗談さ」と笑った。

 

「『闇の魔術に対する防衛術』の教室だろ? 反対側の塔さ」

「反対側ですか――って嘘だろ?」

 

 私は愕然とした。

 反対の搭……ここからだと、軽く20分はかかってしまう。下手したら30分かかるかもしれない。ショックのあまり、抱え込んでいた本が数冊、ばらばらと床に落ちてしまった。

 

「人生、山あり谷ありさ。スリザリンの新入生よ」

 

 そんな私を慰めるかのように、肩をぽんと叩かれた。

 

「だが特別に、短縮ルートを教えて進ぜよう」

「おっと!ただとはいわないぜ。簡単なことだ。俺たちがこの辺りをうろついていたってことを口外しないと誓えるなら教えよう」

「特にフィルチに教えるな」

「マクゴナガルやスネイプもうるさそうだな」

 

 さぁどうする?という感じで、こちらを見てくる。なんだかんだ言っていられない。もし、嘘だとしたら先生に「ここの廊下で授業サボって、しかも、困っている下級生に嘘の道を教えた悪い先輩がいました」と言いつければいいことだ。私は無言でうなずくと、2人はニヤリと笑った。

 

「そこにタペストリーがあるだろ? あそこの裏には、秘密の通路がある」

「通路を抜けたら、とにかくまっすぐ進む。道の奥には、牧場の絵がかかってる」

「一番大きな牛の腹をくすぐるのさ」

「そうしたら絵が扉に早変わり!」

「扉を開けて、右に曲がると後は階段を上るだけ」

「あっという間にご到着」

 

「ありがとうございます!!!」

 

 私は一礼すると、一目散にタペストリーをめくる。

 すると、2人の言った通り、本当に古い扉が現れた。私は迷わずその扉を開けて、急な階段を駆け下りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうやら、彼らは正しいことを教えてくれたようだ。

 先生が入ってくるのと、ほとんど同じタイミングで教室に滑り込むことができた。

 ―――異様なまでに、にんにくの臭いが充満していたが、そこまで問題ではない。間に合ったことの方が大切だ。ホッと胸をなでおろす。

 チャイムと同時に教室に滑り込むと、珍しそうに同寮の子達は眺めている。だけど、誰も話しかけてこない。

 ――まぁ、別にかまわない。私には、友達を作って遊んでいる暇なんてないのだから。悲しくはない。私は何事もなかったかのように慌てず、ゆっくり席に座った。

 

「ち、遅刻ぎりぎりですね」

 

 席に着いた途端、ターバンを巻いた先生がおっかなびっくり話しかけてきた。

 

「すみません、クィレル先生。次からは気をつけます」

「べ、別にか、構いませんよ。ち、ちなみに、貴方の名前は?」

 

 要注意生徒として覚えられたくない。これからの成績で見返してやろう。 

 そんなことを考えながら、静かに名前を答えた。

 

「セレネ・ゴーントです」

「ゴーント!?」

 

 その瞬間、クィレル先生は飛び上がった。

 あまりにも凄い勢いで飛び上がったものだから、すぐそばに立てかけてあった壺が床に落ちる。ばしゃんと音を立てて、中に入っていた透明な液体が飛散した。

 

「きゃっ!」

 

 近くにいた女子生徒……ダフネ・グリーングラスが、小さく悲鳴を上げる。

 しかし、誰もが零れた水よりも、度を逸したクィレル先生の驚き方に唖然としていた。

 

「ゴーント?き、君は、い、い、今、ゴーントと、名乗ったのかな?」

「はい」

 

 何か問題があったのか?

 今まで名前を名乗っただけで驚かれた経験は1度も――いや、1度だけある。

 『組み分け帽子』を被った時だ。もしかして、『ゴーント』という苗字は一部で意外と有名なのか? ミリセント・ブルストロードは知らなかったみたいだが……時間の合間を縫って、ゴーントについて調べてみるのも面白いかもしれない。

 

「し、出身は?」

「詳しいことは知りません。……両親は生まれて間もない頃に死に、マグル社会で育てられましたので」

 

 私が正直に答えると、不思議なことに、クィレル先生は先程にもまして顔色が悪くなってしまった。まるで、得体のしれない何かに怯えているようだ。私ではなく、もっと別の何かに――。

 いや、それには大して興味がない。

 今は、授業をつつがなく進行してもらいたい。私のプライバシーの公表なんて『闇の魔術に対する防衛術』と関係ないように思える。

 さて、授業の開始をどう切り出そうか……そうやって悩んでいるうちに、クィレル先生は、また何か聞こうと震える口を開けた。

 

「き、君は――」

「先生、授業を始めてください」

 

 まるで助け舟を出すように、唐突に1人の生徒が口を開いた。

 退屈そうに膝をついている背の高い男子生徒だ。1年のスリザリン生の中でも背が高く、青い瞳をしている。ニンニクの臭いが嫌なのか、顔をしかめていた。

 まさに、渡りに船という奴だ。私はその男子生徒に便乗して、先生に言葉を投げかけた。

 

「早く授業を始めてください」

「……そうですね、授業を始めましょうか」

 

 こうして、ようやく授業が始まった。

 しかし、肝心な授業は肩透かし、といっても過言ではない。

 他の授業同様、予習内容以上のことはやらなかったし、興味をひく話も聞けなかった。例えば、マクゴナガル副校長先生が担当する『変身術』では、実際にアニメーガスという『動物に変身する魔法』を目の前で実演してくれたり、『妖精魔法』の授業でも、マグルの科学的な理論ではありえない超常現象を見せてくれた。

しかし、そういったことは一切ない。先生自身の『闇の魔術』からの『防衛体験』もなく、唯一、教科書に記載されていなかったことと言えば――

 

「ルーマニアで吸血鬼に襲われてから、ニンニクを常備するなんて――それこそ非科学だろ」

 

 魔法で対処しろよ、魔法で。

 次の『魔法薬学』の授業に向かう途中、ぽつりと不満を漏らしてしまった。

 そもそも、ここは学校だ。それも本によれば『今世紀もっとも偉大な魔法使い』と称されるダンブルドアが校長なのだから、そう簡単に吸血鬼なんて化け物が侵入してくるわけがない。

 

「本当に、変な学校」

 

 『セレネ』の記憶にあり、私自身も通ったマグルの学校は、こんなんじゃなかった。

 どちらがいいのか、と問われても分からないが――。まあ、どっちもどっちなのかもしれない。

 

「ん?」

 

 その時だ。

 とぼとぼと地下牢へ向かう丸顔の少年が、視界に入ってきた。

 確か、ネビル・ロングボトム。グリフィンドールに組み分けされた少年だ。

 ――そういえば、次の『魔法薬学』はグリフィンドールと合同だった、気がする。まぁ――別に話しかけなくても構わない。しかし、ネビルが少し暗い雰囲気を漂わせている原因も気になった。

 

 目の前にいるのは、一人ぼっちで歩いている知り合い。

 こんなとき、『優等生』のセレネ・ゴーントだったらどうするか?

 無視するか、話しかけるか。

 

「ネビル、でしたよね?」

 

 答えは、話しかける。 

 私は今日も『セレネ・ゴーント』らしく振舞った。

 

「うわっ、セレネ!びっくりした、どうしたの?」

 

 私が話しかけると、ネビルはその場で跳びあがる。……予想以上に驚かれてしまった。少し悲しい。

 

「次はグリフィンドールと合同授業ですから、私も地下牢へ向かうところです。

 よろしければ、途中まで一緒に行きませんか?」

「うん、別にかまわないけど――その、大丈夫?」

 

 不安そうに、ネビルは尋ねてきた。

 私は首をかしげそうになる。大丈夫?と問われるようなことがあっただろうか?

その言葉は、むしろ私がかける言葉だと思っていたが―――別に体調がすぐれないわけでもないし――。

 私が悩んでいると、ネビルは小動物のように辺りを見渡してから、小さな声で囁いてきた。

 

「セレネってスリザリンでしょ?グリフィンドールの僕と一緒にいたら、色々と言われるんじゃない?」

「別に言われたところで、成績には響きませんよ?」

「いや、そういう問題じゃないよ!?友達と仲悪くなったりしない?」

「問題ありません」

「いや、問題あると思うけど!?」

 

 私は、慌てふためくネビル・ロングボトムを落ち着かせる。

 やっぱり、コイツは良い奴だ。何故、グリフィンドールなのだろうか?この優しさが勇敢さにつながるってことか?

 

「この一週間、セレネはどうだった?」

「珍しいことばかりでした。本と現実は違うのですね」

 

 本で読んで理屈としては理解していても、これまでマグル社会で学んできたことでは説明できない超常現象は、実際に見てみないと納得できそうにない。――特に、変身術や妖精呪文は。

 

「天文学も、マグルの知識とは少し違うところが興味深いです。ネビルはどうですか?」

「それが――薬草学以外は、さっぱりなんだ」

 

 疲れたように、ネビルは肩を落とした。

 私は少し目を開いてしまう。私のようなマグル育ちとは異なり、ネビルは生粋の魔法界生まれ魔法界育ちだ。超常現象は見慣れているはずだし、特に違和感なく受け入れることが出来ると思うのだが――、思い過ごしだったのか?

 

「『変身術』の計算とか、『妖精呪文』のレポートとか、難しくて。他の子達も――ハーマイオニー以外、呻いているよ」

「……計算?レポート?」

 

 私は、少し眉をひそめてしまう。

 確かに、変身の過程で計算が必要だし、課題レポートも出た。だが――

 

「あのレベルの計算なら、10歳で習うはずですよ。

それに、レポートといっても授業を受けての感想文を羊皮紙1枚でしたよね?」

 

 そのくらい、初等教育で習ってきた範囲ではないか。

 もしかして、ネビルは特別な支援が必要なのか?と思ってしまったが、どうやらそうでもないらしい。ネビルは力なく笑った。

 

「うん、一応あのくらいは家庭教師に習っていたけど、でも実際に授業としてやるのは初めてだったから」

「授業として初めて?学校には通っていなかったのですか?」

「うん。マグルの小学校に通う子もいるけど、基本的には家庭学習だよ」

「そうなんですか―――って、なにそれ?」

 

 あまりの衝撃に『セレネ』の仮面がはがれてしまった。

 魔法界は、常に私の想像を超えた所にあるようだ。

 

「セレネ?」

「いや、問題ありません。そうですか……意外です」

 

 つまるところ、金がない子には教育の権利が与えられないということではないか。

 思い起こせば、ホグワーツに入学するためにも入学金が必要だった。

 魔法界は、まさかの義務教育がないことが判明した。教師のクイールには、知らせられない。学校に通えない可能性のある子がいるだなんて、聞いただけで卒倒しそうだ。

 

「あ、そろそろ着くみたいだね」

 

 少し話している間に、目的地にたどり着いたらしい。

 地下牢は薄暗く肌寒かった。壁にはズラリと並んだガラス瓶。その中にはアルコール漬けの動物がぷかぷかと浮いている。これはスネイプ先生の趣味で集めたコレクションなのだろうか?

 スネイプ先生はまだ来ていない。寮ごとに分かれ座っているみたいだったので、ネビルと別れ適当にスリザリン生の隣に座る。隣の女子生徒――パンジー・パーキンソンは軽蔑の視線を私に向けてきた。

 

「あら、ゴーント? アンタってロングボトムと仲良かったの?」

「不都合なことでも?」

「アイツ、グリフィンドールの落ちこぼれよ?」

「なにか問題ありますか?」

 

 私は、大鍋を机に置くと頬杖をついた。パンジー・パーキンソンが文句を言いたそうに口を開いたとき、スネイプ先生がマントを翻して登場した。

 

「静まりたまえ」

 

 スネイプ先生は出席を取り始める。淡々と出席を取る先生だったが、ハリーの名前まできてちょっと止まった。

 

「あぁ、さよう、ハリー・ポッター。我らが新しい……スターだね」

 

 猫なで声でそう告げる先生。となりのドラコとその取り巻きのクラッブやゴイルがクスクスと冷やかすように笑った。そういえば、入学初日に『ハリーは魔法界の英雄だ』と苦々しくドラコ・マルフォイが言っていたような気がする。

ハリーの方を見ると、少し嫌そうな顔をしていた。

 

 出席を取り終えた先生は、私達を見わたした。

 

「このクラスでは、魔法薬調剤の微妙な科学と、厳密な芸術を学ぶ」

 

 いつもの私なら、『魔法なのに科学って――』とツッコミを入れるかもしれないが、その時の私はそんなことを微塵も考えてなかった。

 

 先生の口から語られる言葉に惹きつけられてしまっていた。

 頬杖をついていた手は、いつのまにか膝の上に置かれていた。

 

「このクラスでは、杖を振り回すようなバカげたことはやらん。

そこで、これでも魔法かと思う諸君多いかもしれん。沸々と沸く大釜、ユラユラと立ち上る湯気、人の血管の中を杯めぐる液体の繊細な力、心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力。

 

 諸君がこの見事さを真に理解するとは期待しておらん。我輩が教えるのは、名声を瓶詰にし、栄光を醸造し、死にすら蓋をする方法である。

 

 ただし、我輩がこれまで教えてきたウスノロたちより、諸君がまだマシであればの話だが」

 

 薄暗い教室は、シーンと静まり返っていた。先生が、完全に薄暗くて肌寒いこの地下牢を支配していた。

 

「ポッター!」

 

 先生の鋭い声が響き渡る。

 突然のことなので、ハリーが一瞬ビクゥっと身体を震わせたのが見えた。

 

「アスフォルデルの球根の粉末に、ニガヨモギを煎じたモノを加えると何になるか?」

 

 私は、記憶を探った。

 たしか、眠り薬。『生ける屍の水薬』と呼ばれる強力な眠り薬だったような気がする。

 教科書の最初の『魔法薬学を始めるにあたって』と書かれたページに例として挙げられていた薬だ。

 

 ハリーは、分からないらしい。

 当然だ。あんな細かいところまで読む人は、滅多にいないし、今までマグルの中で育ってきたのだから、知っているわけもない。

 

「分かりません」

「チッ、チッ、チ。有名なだけではどうにもならんらしい。

ポッター、もう1つ聞こう。ベゾアール石を見つけて来いと言われたら、どこを探すかね?」

 

 ハリーの隣に座っているハーマイオニーが思いっきり高く、椅子に座ったままで挙げられる限界まで高く伸ばしている。が、スネイプ先生の黒く冷静な双眸は真っ直ぐハリーだけを見ている。いや、冷静というより、憎悪の色が少し混じっている気がするが、気のせいだろうか?

 脳裏に浮かび上がるのは、ダイアゴン横丁でみせた複雑な視線。あの時に見せた懐かしそうな色は、何処へ行ってしまったのだろうか?この一週間の間に、なにがあったのだろうか?

 疑問が渦巻いてくる。推測しようにも、私には理解できなかった。

 

「セレネ、一緒にやらないかい?」

 

 ドラコ・マルフォイが話しかけてきた。

 どうやら、いつの間にか話が終わって2人一組で薬を作ることになったみたいだ。特に断る理由もない。私は了承すると、さっさと調薬の支度を始めた。

 

「あのさ、セレネ。忠告しておくが、少し付き合いを大切にした方がいいぞ」

 

 材料を斬りながら、マルフォイが囁きかけてくる。

 

「パーキンソンやブルストロード、それからグリーングラスもずっと君と話したがっている。

 さっき、セレネに助け舟を出したノットもそうだし、ザビニだって―――。

 勉強を減らして、もう少し柔軟に付き合ったらどうだ? そんなに勉強しなくても、君は十分できるだろ」

「知識は、いくらあっても無駄にはなりませんよ」

 

 人と付き合わない理由は、簡単だ。

 『優等生』でいるためには、勉強しなければならない。

 セレネは、優等生であり、凡人と遊んでいる暇なんてない。そのような暇があれば、勉強に回した方がいいに決まっている。確かに、誰か友達を作った方がイイ、という焦りはあるが――焦りのために、私の中身――要は『セレネ・ゴーント』を捨てるわけにはいかないのだ。

 

「それに――あの程度の勉強量では、足りませんから」

「足りない?予習・復習にくわえてマグルの勉強までやっているなんて、正気の沙汰じゃないと思うが」

「ですから、その量が足りないと言っているのです。そろそろ真面目に取り組みましょう。

 おしゃべりは御終いです」

 

 私は、無理やり話を切り上げた。

 しばらく、沈黙が続く。私は少し、辺りを見渡した。

 思った以上に、私達の班が抜き出ている。私は、本で学習済みとはいえ初めてのことなので、少し手順が疎かになりがちだが――マルフォイが、意外と慣れた手で作業を進めるからか?

 

「ちょっと意外ですね。マルフォイは、なんにも出来ない坊ちゃんかと思っていました」

「君、けっこう失礼だな。僕は純血の一族、マルフォイ家の長男なんだ。教養としてこれくらい出来ていて当然さ」

 

 怒ったようにしゃべるマルフォイだったが、褒められたのが嬉しかったのだろう。顔が少し赤くなっていた。

 

「僕の父上は在学中、2番目に得意だった科目が『魔法薬学』でね。少し予習の手伝いをしてもらったのさ」

 

 マルフォイは得意げにしゃべりながら、干したイラクサの量を計る。私は、適当に相槌を打ちながらヘビの牙を砕いた。気を良くしたのか、マルフォイは結構ペラペラとしゃべり続ける。

 しかも、先生が他の生徒に質問したり、こちらに背を向けている隙に、近くにいる私にしか聞こえないような小さな声でしゃべるのだ。その上、作業の手も止まらずに順調に進めている。少し感心してしまった。

 

 

 

 

 

 さて――どうやら、私達の所が一番進行速度が速く、うまく出来ていたらしい。

 先生がスリザリンに得点を1点くれた後、皆に集まるようにと声をかけた。

 

 

 その時、事件が起きた。

 

 

 地下牢いっぱいに強烈な緑色の煙が上がり、シューシューという大きな音が広がった。

 慌てて手で鼻をふさぎあたりを見わたすと、発生源はネビルと黄土色の髪をした少年の鍋らしいことが判明した。

 

 なぜか鍋の原型がなくなっていて、こぼれた薬が近くの生徒たちの靴に穴を空けていた。災難だったのはネビルだ。薬を直接浴びてしまったらしく、腕や足のそこらじゅうに真っ赤なおできが容赦なく吹き出し、痛くてうめき声をあげていた。

 

「馬鹿者!」

 

 スネイプ先生が怒鳴り、魔法の杖を一振りすると、こぼれた薬が跡形もなく消えて行った。

 

「大方、大鍋を火から降ろさないうちに、山嵐の針を入れたんだな。

 医務室に連れて行きなさい」

 

 苦々しげにスネイプ先生は黄土色の髪の子に言いつけた。

 それから突然、彼らの隣で作業をしていたハリーと赤毛の子に矛先を向けた。

 

「ポッター! 針を入れてはいけないと何故言わなかった?

 彼が間違えれば、自分の方がよく見えると考えたな?グリフィンドールもう1点減点」

 

 ハリーは言い返そうとしていたが、赤毛の子に大鍋の陰で、先生に見えない様に、ハリーを小突いてから何かささやいている。善意に考えれば、先生はたぶん『自分のことだけをやるのではなく、常に他の人にも気を配れ』ということを言いたかったのかもしれない。

 だが、ハリーに対する視線から考えると『ただ単に、意地悪したいだけ』にも見える。

 ……というか、たぶん後者だ。

 

 

 この1週間で、スネイプ先生の恨みをかうようなことをしたのだろうか?

 

 

 

 赤毛の男の子に慰められているハリーを横目に見ながら、静かに地下牢を出た。

 

 

 




3月7日:一部改訂
3月22日:誤字訂正


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7話 飛行訓練

7月27日:大幅改定



 この学校には、体育の授業がない。

 

 

 代わりに「飛行訓練」がある。

 ……けれど、それも1年生まで。

 体育嫌いの子にはいいのかもしれないが、2年以後は身体を動かす授業がないのだ。 食事は三食好きな物だけ食べることができるので、肥満体型になりやすいのではないか? と思うが、この学校には丸々太った人が少ない。

 その理由は、たぶん学校の作りが関係していると思う。

 なにしろ、ホグワーツは城だ。あまりにも、広すぎる学校は移動するだけでも骨が折れる。

 長くて急な階段をひたすら上り下りをしたり、東の塔の上の方で魔法史の授業があったと思えば、次は西の塔の傍の温室で薬草学の授業というように、とにかく動かなければならない。先日はグリフィンドール生のおかげで、いたるところに移動を短縮するための隠し通路があるということが判明したが、どこがどこに繋がるのか分からない。

 

 ……それ以前にまず隠し通路の位置が分からない。

 なので、ひたすら短縮せずに歩き回ることになる。これがかなり疲れるのだ。

 

「それに、授業一つ一つでも結構疲れるんだよな」

 

 私は誰に言うのでもなく、独り言を呟いた。

 

 例えば変身術。

 モノを変身させるということは、言葉で表せば簡単だが、実際には物凄く疲れる。

 初回の授業の時に、マッチを針に変身させる練習をした。なんとか針に変えることが出来たが、とても疲れてしまい倒れ込みたかった。

 物質の素材を理解し、理を作り替えるのだから、それは頭を使うし、神経を集中させなければならない。まさに、針に糸を通すような作業である。

 また、ただ理の変換をイメージするだけでなく、そのイメージを実現化させるための魔力を練らなければならないので、疲労は更に積み重なるばかりだ。

 

 とはいえ、嬉しかったこともある。

 マッチ棒を針に変身させる事が出来たのは、学年で私とハーマイオニー・グレンジャーだけだったのだ。

 いかにも厳格な雰囲気の変身術の教授、マクゴナガル先生が点数をくれ、少し褒めてくれた。

 

「今日のセレネさん、ちょっと機嫌が良いね」

 

 そんな時、後ろから声をかけられた。

 振り返ってみると、三つ編みのスリザリン生が微笑みながら立っていた。

 

「ダフネ・グリーングラスでしたっけ? 私、普段と変わらないと思うのですが」

「ううん、違うよ。人を寄せ付けるな、という雰囲気が少し和らいでいるように感じたんだ」

「……」

 

 少しだけ心外そうに顔を歪めてしまった。そんなに、私は人を寄せ付けないオーラを出しているだろうか? 確かに、特定の仲が良い人物はいない。誰かと共に動きたい、仲良くしたいとも思わないが、そこまで拒絶する空気は醸し出していない、と思う。

 

「人を見る目が無いですね、ダフネ・グリーングラス」

 

 とはいえ、この少女と話す気分ではない。

 私はグリーングラスを引き離すように、足早に歩いた。

 

 空はどこまでも青々と澄み渡っていて、飛んだら自分も空気と一体化しそうなくらい気持ちの良い日だった。少し風があったが、無風の日より少し風のある日の方が好きだ。芝生の上には20本の箒が並べられている。箒を見ただけで、少し気分が高揚した。

憧れの箒が――いま、私の目の前にある。箒の周囲だけが、光り輝いて見えた。

 箒に乗って空を飛ぶ。

 まるで、おとぎばなしの魔女みたいだ。

 しかも、箒に乗って行うクリケットのようなスポーツがあるなんて。

 なんて、素晴らしい……いや、興味深い話なのだろう。

 

「セレネさん、目が輝いているよ」

 

 追いついてきたグリーングラスが、少しからかうような口調で話しかけてきた。

 

「箒に興味があるの?」

「グリーングラス、どういう意味ですか? 私、クィディッチになんて、興味の欠片もありません」

「私は、クィディッチなんて一言も言っていないよ?」

「箒といったら、クィディッチだと思っただけです」

「セレネさん、顔、赤くなってるよ」

 

 私は、その発言を無視して箒に歩み寄った。

 見た目は、ただの古ぼけた箒だ。魔力も何も感じない。本当に、これで飛べるのだろうか?私を支えられるのか?空の上で、折れたりしないのだろうか?

 ちょっぴり、不安になった。

 

「みなさん、これから『飛行訓練』を始めます」

 

 そんなことを考えていると、すぐに飛行魔法の先生であるフーチ先生が来た。彼女は白髪を短く切り、鷹のような黄色い目をしている。どこまでも箒で、すばやく飛んで行けそうな人だと思った。

 

「何をボヤボヤしてるんですか」

 

 フーチ先生は、開口一番で怒鳴る。

 

「皆、箒の側に立って。さぁ、早く!」

 

 完全に体育会系の人だ。

 テキパキやらないと、ゲンコツが降ってくるかもしれない。 いや、ここは魔法使いの世界だから、降ってくるのは呪文だろうか。

 

「右手を箒の上に突き出して。そして、『上がれ!』という」

 

 皆が一斉に『上がれ!』と叫んだ。

 すると、古くて小枝が何本かとんでもない方向に飛び出している箒がスゥッと私の手の中におさまった。 だが、飛び上がった箒は少なかった。

 私の見える範囲だと、ハーマイオニー・グレンジャーやダフネ・グリーングラスの箒は地面をコロリと転がっただけだったし、ネビル・ロングボトムの箒は1㎝たりとも動かなかった。1度で飛び上がったのは、私を含めほんの数人しかいない。

 もし、魔法使いの使う箒に意志というモノがあるのだとすれば、馬の様に乗り手の気持ちが分かるのかも――とか考えてみる。中々飛び上がらないハーマイオニー達の顔は、強張っていて緊張している。馬が乗り手を舐めるように、箒も乗り手を選ぶのだろうか――。

 

「次に、箒の乗り方を指導します。はい、そこ!違ってる!!」

 

フーチ先生は1人1人箒の握り方を直していく。

 私の握り方も直されてしまった。ただ普通に箒をつかめば良いという問題ではないらしい。

 空を飛んでも落ちないように、私は必死になって掴み方を頭に叩き込んだ。

 

「さあ、私が笛を吹いたら、地面を強くけってください。3つ数えたら吹きますよ。

1,2……」

 

 ところが3つ数え終える前に、おそらく緊張してしまったのだろう。

 ネビル・ロングボトムが『遅れたくない』というような顔をして地面を蹴ってしまったのだ。 しかも、思いっきり強く。

 

「こら、戻ってきなさい!!」

 

 ネビルは先生の声が聞こえているのだと思うが、制御できないのだろう。

 シャンパンのコルクの栓が抜けたように勢いよく飛んでいくネビル。真っ青な顔をしたネビルはどんどんと空へと上がっていく。 怖くて悲鳴も上げられないようだ。ネビルは、真っ逆さまに落ちた。そして――

 

「ひぃぃ!!」

 

 ネビルの悲鳴が、校庭に木霊した。

 そして、壁や木々にぶつかりながら、情けなく墜落した。フーチ先生は、誰よりも早く真っ先に駆け寄った。フーチ先生が、ネビルの様子を確認する。ネビルの軽く呻いている様子が、人混みの間から見て取れた。どうやら、息はあるらしい。

 

「あーあ、手首が折れている」

 

 もちろん、無傷というわけではさすがにいかなかったみたいだ。

 しかし――

 

「手首骨折ですむ?」

 

 あの高さ――軽く6メートル以上あったのに、手首の骨折だけですんでしまうとは。

 下手したら、命を落とす危険性のある高さだ。もしかしたら――ネビルは、知らない間に魔法を使ったのかもしれない。いや、フーチ先生の魔法かもしれない。

 

「全員、ここで待っていなさい。ただし箒には触れない事。もし、箒に指一本でもふれた場合は、クィディッチの『ク』の字を言う前に、この学校から出て行ってもらいます」

 

 フーチ先生は厳しい口調で言い放つと、ネビルを連れて医務室へといった。

 それにしても、ネビルは災難続きだ。この間の魔法薬学の時も痛そうだったし、汽車では蛙をなくしていた。誰にでも、不幸の星はあると思うが、あれは異常だろう。

 

「アイツの顔を見たか?あの大まぬけの」

 

 ネビルを少し憐れんでいると、マルフォイが大声で笑い出した。

 マルフォイの失敗を笑うハリー達もハリー達だが、怪我をしたネビルを笑うマルフォイもマルフォイだ。そんなマルフォイだが、手に何か丸いキラキラとした球体を持っていた。

 

「ごらんよ!ロングボトムの婆さんが送ってきたバカ玉だ」

 

 よく分からないが、ネビルの持ち物が箒から落ちた衝撃で落としてしまったらしい。ガラス製みたいなのによく割れなかったな、とか場違いなことを考えてしまう。

 あれだけの高さから落ちたにもかかわらず、命も持ち物は無事だった。そう考えれば、ネビルは『不幸』ではなく『幸運』ということになる。『落ちこぼれだ』と公言していても、実際には『薬草学』という得意科目があるらしいし……

 

「あっ」

 

 だが、その瞬間、来週『薬草学』の試験があることを思い出した。ネビルの玉の行方がどうなるのか気になるが、今の私はそれどころではない。私はローブの中から教科書を取り出すと、復習を再開することにした。少しでも時間を有効活用しなければ……

 

「ちょっと、セレネも何か言ってやって!!」

 

 ハーマイオニーが私の肩を叩く。セレネは教科書から顔を上げた。

 

「どうしたのですか、グレンジャー……何故二人は空にいるのです?」

 

 透き通った青い空に、2人の姿が浮かんでいた。

 ハリーとマルフォイが、箒に乗って空を飛んでいる。私は、少し目を見開いてしまった。

 

「規則やぶりなのに、みんな応援しているのよ!酷いでしょ!?」

「ん、あ、あぁ、そうですね」

 

 まさか口が裂けても言えない。

 本当に、箒で空を飛ぶことができる。

 その事実に、驚いてしまっていたなんて。

 

 私は、こほんと咳払いをした。

 箒に対する憧れを一旦脇に置き、冷静な視線を上に向けた。そして、少し息をのむ。幼い頃から箒に乗りなれているマルフォイと、初めて箒に乗るハリーに技術の差がほとんど見られないのは、確かに驚きだ。

 しかし、今は、先生がいないとはいえ授業中。キャーキャーと言う女子たちや、感心する赤毛の子はもう少し自粛するべきだと思うのも事実。私は、静かにため息をついた。

 

「少し静かにしたらどうでしょう?騒いでいたら他の先生に気づかれますよ。

 言いつけを破るのを止めなかった同罪で、叱られるのでは?」

 

 少し咎めるように言うと、本当に一瞬だけ、水を打ったかのようにピタリと声が止まった。

 

「いや、でもハリーは凄いって。だって初めてなのにあんなに飛べるんだ。マルフォイの奴なんて、飛ぶのが怖くて顔がこわばってるじゃないか」

 

 赤毛の子が笑った。いや、アレは高くて強張ってるのではなくて、ハリーが初心者なのに頭角を現したから、だと思う。赤毛の子に続くように、それぞれの子たちが自分たちの意見を主張し、空の二人を見上げ盛り上がっている。

 

「取れるものなら取るがいい、ほら!」

 

 マルフォイがそう叫ぶ声が聞こえてきた。その言葉と共に、彼はネビルのガラス球を空中高く放り投げる。透明な玉は稲妻の様に地面に急降下する。ハリーは、箒の使い方を熟知しているかのように、まっすぐガラス球に向かって飛んでいった。地面すれすれのところで球をつかみ、間一髪でハリーは箒を引き揚げ水平に建て直し、草の上に転がるように軟着陸した。

 

 その手に、傷一つないガラス球を握りしめて。

 

「ハリー・ポッター!」

 

 

 マクゴナガル先生が駆け寄ってきた。ハリーの表情が誇らしげに輝いていたが、彼女の登場で一気に青ざめる。マクゴナガル先生は授業が入っていなかったのだろう。

 それで、私達の声を聴いて駆け付けたところ、さっきの様子を目撃したという感じだと思う。

 ハリーは小刻みに震えている。

 

「まさか……こんなことはホグワーツで一度も」

 

 先生の眼鏡が激しく光っている。

 その時、私は小さな疑問が芽生えた。あの光は確かに激しいモノだが、怒りの色ではない気がした。

 上手くは言い表せないが、例えるなら勝利への情熱というのだろうか?

 それに、注意をするのであれば、ハリーだけではなくマルフォイにもしないとおかしい。  

 マクゴナガル先生は、うなだれるままのハリーを連れてどこかへ去る。 なんとなく奇妙な予感が胸をよぎった。

 

「これでポッターは、退学だな」

 

 マルフォイは、取り巻きのスリザリン生と一緒に高笑いをしていた。

 

「可哀そうだね、ハリー・ポッター。もう退学なんて……セレネさんはどう?」

 

 グリーングラスが箒をつかみながら、静かに問いかけてきた。  

 私は静かに首を横に振る。

 

「私には……分かりません」

 

 その後、フーチ先生が帰還し、残った生徒で訓練を再開することになった。

 15メートル程までしか飛行を許してもらえなかったが、周りの人と比べて1番優れているかとか、「セレネ」らしく振舞えているとか、そんなことはすっかり頭から消え去った15分間だった。

 鳥になった気分とは、まさにこのことだろう。

 身体が浮きあがり、髪が膨れ上がる。空を自由に飛ぶのは風と一体になったみたいで快感だが、頼りになるモノは古びて折れそうな箒だけ。地面に足はつかず、きゅんっと腹の奥が縮み上がりそうになる。

 

 

 理想と現実のギャップとは、まさにこのこと。

 

 

 

 自由に飛ぶのはいいが、クィディッチみたいに競技で飛ぶのは御免である。

 

 

 

 

 




3月7日:誤字訂正


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8話 10月31日

 

 10月31日、ハロウィーン。

 朝から厨房で、こんがりとしたパンプキンパイを焼いているのだろう。甘い匂いが廊下を漂っていた。口の中に唾液がたまってくる。今にも腹が、くぅっと鳴りそうだ。

 

 

 しかし、ハロウィーンだからといって、私の日常は変わらない。

 いつも通り授業を受け、図書館にこもる。私の変わらないルーチンワークをこなすだけ。

 優等生のセレネがハロウィーンの菓子を楽しみにしている。

 そんな醜聞を知られるわけにはいかないのだ。菓子の香ばしい匂いを嗅いだ瞬間、私は、いつも以上に勉強にのめり込もうと決めた。

 最後の授業が終わり、足早に図書館へ向かう。少し調べ物が、たまっている。菓子の誘惑? トリックオアトリート? そのような行事に浮かれ騒ぐ私ではないのだ。

 さて、心躍る夕食までに、どこまで進めることが出来るだろうか――なんて考えていた時だ。

 

 

「セレネっ!」

 

 

 小さな叫びが、現実に私を引き戻した。

 振り返ると、ネビルが人混みの中から飛び出してきたところだった。彼もハロウィーンを楽しみにしているのだろうか、と思ったが、少し様子がおかしい。

 ネビルは丸い顔を不自然なくらい青ざめさせていた。

 

 

「ハーマイオニー知らない、セレネ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく、どこにいるんだ?」

 

 

 ネビルと別れて、ハーマイオニーを探し始めて1時間。

 そろそろ夕食が始まっている時間だ。いや、もうとっくに始まっている。

 

 

「女の子を泣かすようなことをするなんて、な」

 

 

 ネビル曰く、ハーマイオニーは朝の授業が終わると、泣きながら飛び出してしまったらしい。その後、午後も全く姿を見せず、行方知れずのまま。どうやら、ハリーと一緒に行動している赤毛の少年が放った『頭でっかちだから、友達がいないんだよ』という陰口に傷ついてしまったようだ。いや、私――いや、優等生なセレネであっても同じことを言われたら傷つく。本人のいないところで悪口を囁かれるのも胸糞悪いが、目の前で言われるのも嫌だ。そのくらい、11歳にもなるのだから気づけっての、と思う私がいた。

 マルフォイにしろ、赤毛の少年にしろ、幼稚な男子が多すぎる。

 

 

「ネビルは、女子トイレのどこかにいるって言ってたけど――本当にいるのか?」

 

 

 ここのトイレにいなかったら、私は夕食へ行こう。

 きっと、もうすでに夕食に向かっているに違いない。そう思いたい。

 そんなことを考えながら、ドアを開ける。中には、人の気配はない。

 

 

「ほら、ここも空振りだ」

 

 

 やっぱり、ハーマイオニーは泣きやんで夕食へ向かったのではないか?

 あれから一時間ほど経過している。そうだ、きっとそうに違いない。私は小さくため息を吐くと、トイレから出て行こうとした。しかし――

 

 

「せ、セレネ?」

 

 

 古めかしい音を立てながら、個室のドアが開かれる。

 そこには、目元を紅く腫らしたハーマイオニーの姿があった。どうやら、ビンゴだったようだ。

 

 

「どうしたの、そ、そろそろ夕食だけど」

「それを言うなら、貴女は何故ここにいるのですか?」

 

 

 ハーマイオニーは、少し顔を俯かせる。

 頬を伝う涙が光った。少し意地の悪い問いかけをしてしまったかもしれない。

 罰の悪い気持ちが、込み上げてくる。トイレに漂う空気が、ますます淀んで取り返しのつかないものへと変わりつつあった。――この気まずい状況を、何とかしなければならない。

 セレネだったら―――こんな時、どんな言葉をかけるだろうか?

 頭を抱えたその時だった。

 

 

 

 

 

ぐぅぅ……。

 

 

 

 

 場違いな音が、トイレに木霊する。

 ハーマイオニーの泣き腫らした顔に、きょとん、とした色が浮かんでいる。私の顔が、熱くなっていくのを感じた。

 

 

「と、とにかく、今は食事の時間です。食べないことが、身体に毒。

 まずはしっかり食べて、しっかり休む。これが一番です!」

 

 

 紅くなった顔を誤魔化すように、私は言葉を捲し上げた。 

 すると―――どこに笑うポイントがあったのだろう?ハーマイオニーは、初めて会った時のように、くすり、と笑みをこぼした。

 

 

「なにが、おかしいんですか?」

「ううん、セレネもお腹すくことがあるんだなって思ったの」

「私も人間です。生命活動を行う上で、食事は欠かせません」

「あっ、ごめん!そういう意味で言ったんじゃなくて――」

 

 

 しかし、その先の言葉は別の音に掻き消されてしまった。

 ――ずぅん、と低く響いた謎の足音に。

 途端に、ハーマイオニーの顔から笑顔が消えた。

 

 

「セレネ――この音、なに?」

「分かりません」

 

 

 トイレの芳香剤の甘い匂いの中に、悪臭が漂ってきた。例えるなら、汚れてボロボロになった義父の靴下と、掃除を滅多にしない公衆トイレの臭いを混ぜたような――吐き気がする臭い。それと同時に、少しずつ近づいてくる巨大な足を引きずるように歩く音、低いブァーブァーという唸り声も近づいてくる。

 

 

「何?何が来るの?」

 

 

 私は、杖と―――それから、袖の下にいつも隠し持っているナイフがあることを確認する。

 初歩的な呪文でなんとかなるといいけど、いざとなったら――眼鏡を外せるように準備を整える。そうしているうちに、何か巨大なモノがトイレのドアを押し開けた。

 

 

「き――キャァァッァァァアアア!!!」

 

 

 ハーマイオニーが、悲鳴を上げる。私も目の前に立ちふさがる巨体に、思わず言葉をなくしてしまう。

 そこにいたのは、4メートルもある怪物だった。 墓石のような鈍い灰色の岩石のようなゴツゴツした身体を持ち、禿げ頭。 手には頑丈そうな棍棒を引きずっている。

 

 

「と、トロールがなんでここに!?」

 

 

ハーマイオニーは恐怖で動けないのか、ガクガク震えたまま突っ立っていた。

 

 

「こんな時――こんな時――」

 

 

『セレネ・ゴーント』だったら、どう行動する?

 

 

 棍棒を引きずって入ってくるトロールを見上げながら、自問自答した。

 目の前には、既習呪文では倒せる見込みのない怪物。

 倒すとしたら、ナイフを使って『線』を切るしかない。でも、体格差は一目瞭然だし、『線』を切るために近づくことも出来るか分からない。身体能力は高い方、だと思う。でも――倒せる見込みは、ほとんどない。では、怯えているハーマイオニーと一緒に逃げる?

 ハーマイオニーを出口へ逃がし、自分は颯爽とトロールを始末する?でも、逃げるが勝ち、という言葉もあり、今回の場合――逃げて後は先生に任せた方がいいのかもしれない。

 だが、どうやって逃げればいい?

 

 

 セレネだったら――セレネだったら――私は、どう行動すればいい?

 

 

 

「ここは――女子トイレですよ」

 

 

 手が震える。

 気がつけば袖口からナイフを取り出し、トロールに向けていた。

 これが、『セレネ』が考えるであろう最良の『答え』だ。一見すれば優等生らしからぬ危険な判断だが、それでも優等生らしく堂々と優雅にふるまうセレネであれば、こうして強大な敵にも立ち向かう、であろう。

 

 

 

「ハーマイオニーは、隙を見てあの扉から外に逃げてください」

 

 

 声が、少し震えてしまった。

 

 

「でも――セレネは、どうするの?」

「すぐに後を追います。問題ありません」

 

 

 私は、そう言いながらハーマイオニーの背中を軽く押した。それが合図のように、トロールが巨大な棍棒を振り下ろしてきた。 なんとか私は右に転がって、ハーマイオニーは左に走り抜けて、避けることに成功した。標的を外した棍棒は、トイレの個室のドアへと振り下ろされる。木製のドアは為す術もなく、木っ端みじんに粉砕された。

なんという力だろう。背筋がぞわり、と逆立つ。だけど――この『眼』の前では無力のはずだ。私は眼鏡を外して『眼』を開けた。

 

 

「――っ!」

 

 

 頭が軋む。

 ここのところ、滅多に『眼』を開いていなかったからだろう。

 膨大な量の『線』が視界に広がり、壁にも、床にも、トロールにも、こちらを見ながら走るハーマイオニーにも、そして、私の手にも『線』が絡みつく。

辺り一面にはびこる『線』を視て――『死』への恐怖が蘇る。

 そう、これをなぞれば『死』ぬ。ハーマイオニーも、トロールも、私も、なにもかも。

 生き物でも、生き物ではなくても、そこに『存在している』ものならば――『線』があるものならば、なにであっても『死』んでしまう。

 

 

「私――」

 

 

 世界は、こんなに『死』で満ちている。

 あっけないくらい簡単に、人は死んでしまう。すっかり忘れていた、大切なこと。

 

 

「私、死にたくない」

 

 

 この眼鏡をかけてから、なんで忘れていたんだろう?

 『死』が、こんなにも恐ろしい物だ、ということを。優等生とか、そういうこと以前に、どうしてこんな選択をしたのか、訳が分からない。

 

 

 でも―――口にしたことは、守らないと。

 

 

 恐怖で顔を歪ませるハーマイオニーを見て、自分自身に言い聞かせた。

 私は、再び持ち上げられた棍棒を見据えた。ナイフを構え、腰を低くする。

 

 

「じゃあ、その武器から仕留めますか!」

 

 

 わざとその場を動かないで、挑発するような視線をトロールに向けて放った。 すると、読み通り――トイレの天井すれすれまで持ち上げられた棍棒は、一気に私目がけて振り下ろされた。棍棒が急速に迫ってくる。私は、ぶつかる寸前まで引きつけて、ひょいっと左に跳んだ。棍棒は派手な音を立てて、床に大穴を開ける。 タイルがはがれ、整えられたモザイクタイルは見る影もない。

 

 

「今っ!」

 

 

 私は、床にめり込んだ棍棒にナイフを振り下ろした。バターを切る様に、棍棒に纏わりついた『線』を切った。『線』を切った瞬間、棍棒はただの木片と成って使い物にならなくなった。

 

 トロールは、何が起こったのか分からないらしい。

 頭の悪そうな表情で、壊れなかった棍棒の『持ち手』をしげしげと見つめている。 振り落とした時のまま、身をかがめた態勢で――

 私は、トロールが動き出す前に出口へ駆けた。

 

 

「セレネ!どうしよう、開かない!!!」

 

 

 先に辿り着いていたハーマイオニーが、ドアノブを回す。

 しかし、ドアは開く気配を見せない。なんでさっきまで開いていたドアが、閉じているのだろう?

 ―――でも、そんなこと考える暇なんてない。今にも、トロールが襲ってくるかもしれないのだ。私は真っ青な顔をしているハーマイオニーの側まで来ると、ローブの中から杖を取り出した。 杖でドアノブを軽く叩く。

 

 

「『アロホモラ‐開け』!」

 

 

 ようやく、あっさりドアが開いた。 私達はトイレから出ると、急いで鍵を閉める。ドアの向こうから、トロールの唸り声と暴れ狂う音が聞こえる。――間一髪だったらしい。

 

 

「うかつだったわ。私、魔女なのよ。アロホモラは基本呪文集に載っていた基礎呪文じゃない。なんで、私は出来なかったのかしら」

 

 

 呆けたようにハーマイオニーは口走っていたが、ドアにトロールが激突する音で言葉を止めた。もし、このドアを破って襲い掛かってきたら―――もう棍棒を切ることが出来ない以上、『眼』でトロールを解体しないといけない。私に、それが出来るだろうか?

 いや、出来なくてもやり遂げないといけない。

 

 

「ハーマイオニー!?」

「って――セレネもなんでいるの!?」

 

 

 廊下の向こうから、ハリーと赤毛の子が荒い息をして走ってきた。 彼らは私達を見て何か安心したらしい。 何か言おうと彼らは口を開きかけたが、トロールの怒声を聞いた途端、驚いたように口をつぐんでしまった。

 

 

「なんでもいいから、早く先生を呼びに行かないと!!」

 

 

 ドスン!ドスン!!とトロールがドアを突き破ろうとしている音が、廊下まで震わせていた。ハリー・赤毛・ハーマイオニーは、恐怖で動けないらしい。誰も何も言わずに、ただ震えながらドアを視ている。

 

 

「なにしてんだ!早く先生を呼びに行かないと、みんな死ぬぞ!?」

「ブォォォン!!」

 

 

 私が3人を叩いて走り出そうとした時―――とうとうトロールがドアを破壊してしまった。 私は軽く舌打ちをすると、ナイフを構えて――まだ固まっている3人の前に立った。

その時だ。

 

 

「ステューピファイ!」

 

 

 赤い閃光がトロールの顔面を直撃した。 トロールは間抜け面をしたまま、後ろに倒れる。

 私は茫然と、ナイフを降ろした。

 

 

「一体全体あなた方はどういうつもりなんですか!?」

 

 

 マクゴナガル先生の鋭い声が聞こえる。振り返ってみると、そこには杖を構えたマクゴナガル先生が息を荒げて立っていた。 声だけでもわかったが、怒りと冷静さが入り混じった表情をしている。 彼女の後ろからはスネイプ先生、それからクィレル先生がいた。

 クィレル先生はトロールを一目見ると、ヒーヒーと弱弱しい声を上げ、胸を押さえて廊下に座り込んでしまった。

 

 

「殺されなかったのは運が良かった。

なぜ寮にいるはずのあなた方が、ここにいるんです?」

「寮?」

 

 

 時計を見るが、まだ夕食の時間だ。

 察するところ、トロールが侵入したせいで寮に戻る様に指示された、のかもしれない。

 眼鏡をかけながら、そんなことを考えていると、ハーマイオニーが唐突に口を開いた。

 

 

「私のせいなんです。先生」

 

 

 皆の視線が、トロールからハーマイオニーへ移された。

 小さいけどハッキリとした口調で、ハーマイオニーは話し始める。

 

 

「私が、トロールを捜しに来たんです。私、1人でやっつけられると思いました。

あの……本で読んで、トロールについていろんなことを知っていたので。

 

 でも、ダメでした。トイレにいたセレネが助けてくれなかったら、私は死んでいました。

 セレネが、トロールの棍棒を粉々にしてくれたんです。 ハリーとロンは――夕食の時に私がいないことに気が付いて、心配して助けに来てくれたところなんです」

 

 

 マクゴナガル先生は私とハリー、それからロン――と呼ばれた赤毛の子を見る。

 ハリー達は、『ハーマイオニーの言う通り』という表情を浮かべていた。実際、たぶん間違っていないだろう―――話の後半部分だけは。

 マクゴナガル先生と目が合うと、私も迷うことなく頷いた。本当のことを話してもよかったが―――ハーマイオニーが良しとしたんだ。私が、横から口出しすることではない。

 

 

「ミス・グレンジャー、なんという愚かな真似を。グリフィンドール5点減点です。貴方には失望しました。

 貴方たちもですよ。1年生が野生のトロールと対決しようとするなんて、生きているのは運が良かったからです。ですが、友を思うその気持ちは大切なものです。よってミスター・ポッターとウィーズリーには5点、それから――実際にトロールに立ち向かったミス・ゴーントには10点与えましょう」

 

 

 私は、少し目を見開いた。

 まさか、今の行いで減点されたとしても、点がもらえるとは思っていなかった。

 それは、ハリー達も同じことだったようで、眼には驚きの色が浮かんでいた。

 

 

「その幸運に対してですよ、3人とも。

――中断されたパーティーの続きは寮でやっていますので、まっすぐに帰るように」

「はい」

 

 

 私は、先生方に一礼をすると歩き出した。

 だけど、3歩も進まないうちに、ふと――気になることが脳裏に浮かびあがる。私は足を止めると、その疑問を口にした。

 

 

「あの――1つ、いいですか?」

「どうしたのかな、ミス・ゴーント?」

 

 

 スネイプ先生が、答えてくれる。

 私は、床で鼾をかいているトロールを指さした。

 

 

「あのトロール、どこから入って来たんですか?」

「侵入経路は不明だ。だが、普通に生活していれば出会うことは無い。

『禁じられた森』に生息している生物でもないのでな」

「そうですか、ありがとうございました」

 

 

 私は礼を言うと、その場を立ち去った。

 1人で肌寒い廊下を進みながら、先程の戦いについて思いをはせる。

あの戦いで、私が負けていたら――マクゴナガル先生の言う通り、『死んでいた』。

『死』、それは、『』の世界へ落ちていくこと。そこから、這い上がることが出来ないこと。

 

 

「嫌」

 

 

 あんな怖い思いは、もうしたくない。

 私は、死にたくない。まだ、死にたくない。もっと、生きていたい。

 でも――あの場所に落ちたくないから、生き続けるの?

 だったら――私は――何のために、生きているの?何のために、勉強しているの?

 優等生でいるためだ。

 だけど、それだけのためだけに――私は、生きているの?

 あの時、一面に映し出された『線』を視て――本当の世界を思い出した。

 私は、『セレネ・ゴーント』だけど、私の知る『セレネ・ゴーント』は、9歳までの記憶しかない。

 つまり、『線』がある状態で、どのように行動したのかは分からないのだ。

 

 

 つまり、私は今までの『セレネ』とはいいがたい存在であり、『セレネ』とは違う。

 

 

 

 では―――私は、誰なのだろう?

 

 

「やめた、別のことを考えよう」

 

 

 言葉に出来ない恐怖を締め出すように、頭を振う。

 すると、次に思い浮かんできたのは、鼾をかいたトロールだった。

 侵入経路不明のトロールは、この後どうなるのだろう?

 森にいるのでなかったら、誰かが手引きした可能性が高い。では、行き場を無くしたトロールはどうなってしまう?人里に下りてきたクマ同様、処分されてしまうのか?

 

 

「勝ったら相手が死ぬ、でも負けたら私が死ぬ、か」

 

 

 どっちに転んでも『死』が待っている。

 けれど、私は『死』が怖くてたまらない。だから、勝ち続けないといけない。

 勉強でも、なんでも―――勝たなければならないのだ。

 

 

 これからも、勝たないと―――死ぬ?

 いや、さすがに行き過ぎだ。状況と場合によっては、死ぬこともあるだろうが、負けることは、良くないことだ。怖いことだ、と痛感する。

 

 

「負けるのは、ダメ」

 

 

 口から零れた言葉は、闇の中へ消えていった。

 

 

 

 

 

 





7月27日:大幅改定


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9話 スリザリンの継承者

「おい、そこの1年生!」

 

 

図書館から帰ると、急に背の高い人たちに囲まれた。

クィディッチの緑色のユニフォームを纏い、がっしりと筋肉のついた身体つき。

ざっと見ただけで、7人の大男が私を囲んでいる。いや、違うな――。直接囲んでいるのは、この7人だけだが、少し遠巻き気味に険しい視線を向けてくるスリザリン生が多数いる。

何か不味いことをしただろうか、記憶を探ってみるが――これといって特に問題は起こさなかったはずだ。

 

 

「何の用でしょう?」

「何の用、だと!?しらばっくれるな、この1年が!!」

 

 

どすの利いた声で、真ん中の長身の男が叫ぶ。

薄暗い談話室に、男の声が木霊した。何事か、と寮の方から人が下りてくるのが視界の端に映る。しらばっくれるも何も、知らないのだから仕方ない。

 

 

「お前、本当にスリザリン生なのか?」

「スリザリン生ですよ?『組み分け帽子』がスリザリンだと叫んだ場面を、視ていなかったのですか?」

「そういう問題じゃねぇよ!!」

 

 

ダンっと、1人がテーブルを叩く。

テーブルの上の花瓶が飛び上がり、音を立てて四散する。遠巻きに見ていた女子生徒――たしか、ダフネ・グリーングラスが、小さく悲鳴を上げたが、他の人は割れたことに無頓着だった。

 

 

「お前、グリフィンドールと仲良くしているんだってな?」

「しかも、あの憎きハリー・ポッターと」

 

 

あぁ、なんだそのことか。

私は、呆れたように肩を降ろした。

 

 

「別に、仲良くしているつもりはありませんよ?」

 

 

事実、ハリーと仲良くしていたことは無い。

『あのハリー・ポッターと、1年生のロン・ウィーズリーとセレネ・ゴーントが、侵入してきたトロールを倒した』という噂が広がり、3人と仲良いと勘違いされてしまっている。だけど、実際に仲良くした経験は皆無と言ってもいい。特に、ウィーズリーは、廊下ですれ違うたびに睨むような視線を向けてくる。

ハリー・ポッターとは、すれ違って会釈をする程度の仲でしかない。たぶん、義父のクイールが彼の担任をやっていなければ、もう少し疎遠だっただろう。

 

 

「グリフィンドールと一緒にいるところを、俺は何度も見ているぞ?」

「確かに、図書館でグリフィンドール生のハーマイオニー・グレンジャーと『調べもの』をすることはありますね」

 

 

ハーマイオニーは、『ニコラス・フラメル』なる人物について調査している。

ハーマイオニーが言うには、どうやら去年までは入ることが出来たらしい『3階の禁じられた廊下』に、『ニコラス・フラメル』なる人物がかかわった何かが隠されているらしいのだ。凶悪な『3頭犬』に護らせるほど、重要な何かが――。

私自身の勉強も忙しいが―――1フロアを封じてまで護ろうとしている『何か』の正体が気になってしまった。だから、忙しい時間の合間を縫って協力している。

今日だって、『ニコラス・フラメル』について調べていた。生憎と、これといった収穫は何もなかったが。

 

 

「しかも、クィディッチの寮対抗試合にも顔を出さないなんて――もしかして、グリフィンドール席で応援していたんじゃないだろうな?」

 

 

男はそう言うと、隣に立つ――まるでプロレスラーのような巨体の男に合図を送る。

巨体の男は待ってました、と言わんばかりに拳を鳴らした。―――嫌な予感が、胸を横切る。

 

 

「恥を知れ、この『非スリザリン』!!」

 

 

その一言と共に、拳が迫ってくる。

この圧倒的な体格差で、拳が当たっては不味い。

私は半歩、右に身体を動かそうとする。しかし、その時、視界に入ってきたのは、後ろから私を抑えつけようとする太い腕だった。

この腕に捕らわれたが最後、私は奴らの気が住むまで殴られてしまう。そんな姿、優等生である『セレネ・ゴーント』に許されるはずがない。

 

 

 

『弱い者は死ぬ』

 

 

何故だろう。

床に伸びたトロールが脳裏に浮かんでくる。

それとともに、強烈な『』のイメージがフラッシュバックした。

そうだ、私は負けてはない。負けて、セレネに――いや、私自身に汚点をつけてはいけない。負けることは死であり、死を避けるためには勝たなければならないのだ。

 

 

「仕方ない」

 

 

私は、しゃがみこんだ。

もともと、体格差がかなり開いた相手だ。

ストレートの拳は、そのまま標的を変えることが出来ない。ただ、何もない空間へと打ち出される。後ろから迫っていた太い腕も同じこと。むしろ、このままでは自分に拳が当たってしまうので、咄嗟に左へ避けてしまったらしい。

この隙を、私は逃さない。そのまま、男の胸に下から突き上げるようにぶつかり、遥かに背が高く体格の良い男を押し倒した。

 

 

「1人目」

 

 

頭を強く打ち、気を失った巨体の男を一瞥して、他の6人に視線を向けた。

 

 

「まだやります?」

 

 

最初に話しかけてきたリーダー格らしき男に、視線を向ける。

男は怯んだようにたじろいたが、次の瞬間――逆に頭に血を登らせてしまったらしい。ローブの袖から、杖を取り出したのだ。

 

 

「この1年のガキが!!」

 

 

その途端だ。

数多の呪文が、私に向けられる。

私はその呪文の雨を潜り抜けようとしたが、1つだけ――眼鏡に当たってしまった。

眼鏡は宙を描き、リーダー格の男の手の中に納まった。

 

 

「どうだ!眼鏡が無ければ、動くことも出来ねぇだろ、このガリ勉――が?」

 

 

その後の言葉は、紡がなかった。

いや、紡ぐことが出来なかった。

何しろ、眼鏡を奪われても私の足は止まらない。あの眼鏡は伊達眼鏡といってもいい代物で、度は全く入っていない。ただ『眼』を抑制するだけの眼鏡だ。線が一面に広がり、頭が痛み始める。だけど、そんな些細なことを気にする余裕はない。飛んでくる呪文を交わしながら、一つ一つ『観察』する。

そのうちに、『面白い線』が視えてきた。

 

 

「ま、マーカスっ!なんでアイツ、眼鏡ないのに動けるんだよ!?

呪文が一発も当ってないぜ!?」

「まぐれだろ!?数撃てば当たる!」

 

 

その言葉に、ふんっと鼻を鳴らした。

毎時間のように図書館と教室を移動している私の脚力を、甘く見ないでもらいたい。

だいたい、そんな闇雲に撃っても魔力を消耗するだけだ。効率よく、狙いを定めて撃たなければ意味がないと、『闇の魔術に対する防衛術』の教科書にも書いてあった。この人たちは、読んでいないのか。はたまた、頭に血が上っているのか。いや、そんなことはどうでもいい。

――もう避ける必要は、なくなったのだから。

私は杖を左手に移し、代わりにナイフを構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後に――とあるスリザリン生は、この時の状況をこう語る。

 

 

「眼鏡が吹き飛んだ途端、アイツの纏っていた空気が変わったんだ。

黒い眼から、禍々しい青い眼に――。しばらく、アイツは避けていた。まるで、ダンスでも踊るような軽やかな身のこなしで、全ての呪文を避けていた。だけど、突然、避けるのを辞めて歩き始めたんだ。

―――何でもないように、青い眼で哂いながら。

当然、呪文は歩いているアイツに集中する。だけど、アイツはナイフを鞭のように振り下ろすだけだった。ナイフを振り下ろした瞬間、呪文が全部消失するんだよ。いくらマーカスたちが呪文を撃ったところで、何も変わらない。むしろ、呪文の乱発でマーカスたちの方が、へとへとだった。だけど、アイツは汗1つかいていない。青い眼を爛々と輝かせて、くたびれたマーカスたちの前に立ったんだ。もう、他のクィディッチ選手たちは一歩も動くことが出来なかった。マーカスだけが、最後の力を振り絞って呪文を唱えたが――それも、あっけなく消失させられてしまうと、そのまま座り込んでしまった。

セレネ・ゴーントは黒く艶やかな髪を軽くなびかせ、最後の呪文を薙ぎ払った時――静かな口調で、こう言った。

 

 

『話にならない。人の交友関係に口出しする前に、魔力の扱い方も勉強なされてはいかがかと思いますが?』

 

 

くるり、とそれっきりマーカスたちに背を向ける。

その無法備な背中に向けて、マーカスはここぞとばかりに叫んだ。

 

 

『サーペンソーティア―蛇よ、出でよ!』

 

 

マーカスの杖の先から、腕程の太さの大蛇が飛び出した。

蛇は、セレネ・ゴーントの首元にまっすぐ飛んでいく。

だけど、彼女は一言、何か囁いた。何を言っていたのか、聞き取ることは出来なかった。それは、言葉ではなかったんだ。そう、まるで蛇が唸るようなシューという低い音、と例えるのがいいかもしれない。

すると、不思議なことが起きたんだ。先程まで殺気を纏っていた蛇が、とたんに大人しくなった。そして、なんとセレネ・ゴーントを護る様に地面に這い始める。大蛇を従えて、威厳に満ち溢れ、振り返ることなく颯爽としたその姿に―――傍観者と化していた僕達は確信したんだ。

優等生?いや、優等生なんて枠を突き抜けた異彩な存在――蛇を操る『パーセルタング』の力を秘め、遥かに体格の良い上級生をも倒す。いつもの馬鹿丁寧な仮面を脱ぎ捨てた残虐な笑み――

 

 

そう、彼女こそ、『スリザリンの継承者』だ」

 

 

 

 

 




※3月8日誤字訂正


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10話 クリスマスの前に

クリスマス休暇が近づくにつれて、冬も一段と厳しくなっていた。

ホグワーツは、雪化粧でおおわれている。湖は叩いても割れないくらいに凍りつき、吐く息が白い霧のように立ち上る。誰もが暖かい釜に近づいて、暖をとっていた。

こんな日でも、私は図書館へ向かう。一向に『ニコラス・フラメル』が誰なのか見当もつかず、時間ばかりが過ぎていき、焦りを覚え始めていた。だが、今日は図書館へ行く前に、森番・ハグリッドの家を訪ねていた。

 

 

「この蛇、どうやって手に入れたんだ?」

 

 

ハグリッドは、蛇の鱗を無骨な指で撫でながら診断する。

私は当たり障りのないよう、真実を一部だけ伝えることにする。ハーマイオニーから聞いた話だと、ハグリッドという人物は見た目通り『単純』な男らしい。真実を全て伝えなくても、見抜かれることは無いだろう。

 

 

「魔法の練習で生み出した蛇です」

「そうか――だから、こんなに弱っとる。今日が峠だろうな」

 

 

マーカスが最後の力を振り絞って生み出した蛇を、ゆっくりと見下ろした。

息も絶え絶えで、赤い舌は力なく動いている。その様子は、少し痛々しかった。クィディッチのキャプテンから『迷惑をかけたお詫び』として無理やり押し付けられた蛇で、正直扱いに困っていたのだが――こうして死に瀕しているとなると情が湧くものだ。

どうしても生かしてやりたいと思ってしまう。

 

 

「助ける手段は、もうありませんか?」

「こうなっちまった以上、運命だと思って諦めるしかねぇな。魔法で生み出した生き物は、寿命が短けぇから、仕方ねぇんだ。魔法が切れて消滅まで一緒にいてやることが、せめてもの供養っちゅうもんだ」

「……ありがとうございます」

 

 

助ける方法は、ないらしい。

私は蛇をケージの中へ入れると、ハグリッドの小屋を出る。

コートを着込んでいても震えてしまう寒さに耐えながら、雪をかき分けた。

 

 

「それにしても、今日が山場か」

 

 

やはり、魔力で作られた動物は、生み出した魔力が切れると死んでしまうようだ。元々この世にない命を、無理やり魔力で作り上げるのだから――当たり前といえば当たり前だ。

例えるなら、電池が切れると動かなくなる電気機器、といったところだろう。

この蛇も、もう少しで魔力が切れて動かなくなってしまう。電気機器と違うところは、新しい電池として魔力を供給することが出来ない。寂しい気持ちが、心の中に浸透していく。

 

 

「ねぇ君、何持ってるの?」

 

 

ホールを歩いていると、ふと声をかけられた。

私は、内心嫌な気持ちを押しこめて、優等生の仮面を被る。――が、次の瞬間、嫌な気持ちは消えた。そこにいたのは、スリザリン生ではなく、ドレッド頭のグリフィンドール生だった。

そう言えば、最近話しかけてくる鬱陶しいスリザリン生たちは、こんな気軽に声をかけてこない。少し考えればわかることだったが――疲れているのだろうか?

 

 

「これ、ですか?」

 

 

私は、蛇が入ったケージを見せる。

すると、ドレット頭は面白そうに目を輝かせた。

 

 

「へぇ―蛇を飼ってるんだ!」

「魔法の練習で生み出しました」

「いや、それでも飼おうって思うのが凄いな。俺だったら、すぐに捨てちゃうぜ。

そうだ!面白いモノを見せてもらった礼だけど、これあげるよ!」

 

 

ドレッド頭は、腕に抱えた箱を渡してきた。

気のせいか――中から動くような音がする。

死にかけた蛇を見て、『面白いモノ』と称すことは気にいらないが――それでも、あげるといわれたものを断るわけにはいかない。これといって、断る言い訳も思いつかなかった。

私はケージを床に置いて、ドレット頭の手から箱を受け取ることにする。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

と言って箱を開くと、そこには黒い塊が入っていた。長い毛むくじゃらの肢が、蠢いている。

私は、思わず袖の下に隠し持っていたナイフを取り出し、振り上げた。

 

 

「ストップ!!殺すのはタンマ!!」

 

 

ドレッド頭は泣き笑いしながら、止めてきた。私は、ハッと我に返ってナイフを下ろす。

どうやらこのドレッド頭は、私を驚かせたかったらしい。よく見れば、それは少し大きいタランチュラだった。虫は嫌いでも好きでもなく、文字通り『興味がない』。だが、こうしていきなり目の前に突き付けられると、拒否反応が出てしまう。

 

 

「いや~まさか本気で殺そうとする人がいるなんて。というより、いつもそこにナイフ隠しているの?」

 

 

タランチュラの入った箱をドレッド頭に返すときに、自分の失態に気づく。

私は『優等生』だ。『優等生』がナイフを常備しているわけがない。だけど、これに対する言い訳は既に考えてある。私は澄ました顔で、

 

 

「護身用です。世の中、物騒ですので」

 

 

と、静かに返した。すると、ドレッド頭は少しひきつった顔をする。

 

 

「いやいや――ナイフ隠し持ってる方が物騒だろ。

でも、おもしろいね!君なんて名前?俺はリー・ジョーダン。3年生のグリフィンドール生」

「私はセレネ・ゴーントです。スリザリンに所属しています」

 

 

その途端、愉しそうな笑顔が一変し、露骨に嫌そうな顔をされる。

 

 

「あっ、そうか。スリザリン生だから蛇飼ってるんだな、ふーん」

 

 

ジョーダンは、去って行った。

私をバカにするような表情を浮かべて―――。

グリフィンドール生の中には、スリザリン生を露骨に嫌がる生徒が多数いる。どうやら、あのジョーダンと言うドレッド頭もその1人だったようだ。恐らく、コートのせいでネクタイが視えなかったのだろう。私は『優等生』なので、そんな些細なことを気にしない。しかし――

 

 

「あいつら、が問題なんだ」

 

 

ジョーダンに憎悪の視線を向けるスリザリン生数名が、視界の端に映る。

私は内心ため息をつくと、ケージを抱え、そのスリザリン生に歩みを向けた。

 

 

「何をなさっているのですか?」

 

 

優等生の仮面を被り、そのスリザリン生たちに歩み寄る。

すると、彼らの顔に憎悪とは別の赤味が浮かび上がってくる。正直、気持ち悪かったが――それをいつも通り無視すると、私は言いたいことだけを簡潔に伝えた。

 

 

「私はあの人と、ただ1人の『ホグワーツ生』として話していただけですよ。

それに――貴方方がこれからしようとしていることを実行したら、誰に迷惑がかかると思いますか?」

「……申し訳ありません」

 

 

謝るスリザリン生に、私は何でもないというように手を振った。

 

 

「謝る必要はありません。以後、行動に気を付けてくださいね」

「は、はい!!」

 

 

私はスリザリン生に背を向ける。

どっと疲れが出たが、ここで休むわけにはいかない。

スリザリンのクィディッチチームの選手に絡まれてから、私の環境が変わった。

あの時、絡んできたスリザリン生を徹底的に、しかも談話室の入り口で倒したからだろう。それから、『スリザリンの継承者』として私を信奉する上級生が増え始めたのだ。

正直、勉強の邪魔でしかないし平穏の妨げにしかならない。基本的に手綱を握っているつもりだが、時折――今のように、私に不敬を働いたグリフィンドール生に鉄槌を下そうと考える輩がいる。あの場でクィディッチ選手を倒さなかったら、こんなことにはならなかったと後悔する反面、あれでよかったのだと納得する私もいる。

あの場で反撃していなかったら、私は惨めな学校生活を送ることになっていた。

友達も出来ず、優等生でもない。そんな―――寂しくて、誰からも見向きもされない7年間を――。

 

 

「ああしないと、死んでた」

 

 

私は死んでいた。

彼らを倒さないと、死んでいた。だから、生き残るために倒した。

その結果がどうであれ、私はこうして生きている。生きているなら、それでいいではないか。

 

 

「生きている」

 

 

ケージの中の蛇を見下ろす。

いまは、生きている。

人の手によって作り出された人工的な生命体だが、それでも生きている。

でも、もうすぐ命の炎が消えかかっている。助ける方法は、今の私にはなかった。

 

 

「それにしても、不思議」

 

 

考えてみると魔法で生き物を生み出すとは、極めて不思議な現象だ。

現代の科学において、ロボットという疑似人間を作り出すことは出来るが、ここまで完成度の高いロボットは見たことも聞いたこともない。

1年生用の基本呪文集や変身術の教科書には、何もないところから有機物を生み出す魔法は掲載されていない。マッチ棒という無機物を、全く違う物質構成である針へ変身させる方法は載っているのに――。少しずつ、変身術に興味が湧いてきた。

蛇を自室に戻したら、図書館へ行こう。今年のクリスマスは、変身術関連の本を読み漁ろう。

もしかしたら、その中に『ニコラス・フラメル』につながるヒントが隠されているかもしれない。

 

 

淡い期待を込めて、私は歩みを速めた。

 

 

 

 




3月12日:一部訂正


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11話 賢者の石

「何かがおかしい」

 

 

ふと、口から言葉が零れ落ちる。

普段は誰も気にも留めない独り言だが、この時ばかりは違った。

 

 

「どうしたの、セレネ?」

 

 

まだ部屋に残っていたダフネ・グリーングラスが、私の呟きを聞きとめてしまった。

スリザリン生には、大きく分けて3種類に分かれる。私を「スリザリンの継承者」と崇める連中、私のことを恐れて避ける連中、そしてグリーングラスのようにどちらにも属さない連中だ。グリーングラスは、私に怯えることなく、かといって過剰に接することもなく、以前どおりに同級生として接してくれる。少し……珍しい存在だ。

 

 

「いや、別に何でもありませんよ」

「そう?ちょっと気になるんだけど」

 

 

グリーングラスは、人懐っこい笑顔を浮かべていた。

私はグリーングラスから目を逸らすと、本に目を落とす。変身術の歴史に関する本の隅に、「ニコラス・フラメル」という名前が小さく掲載されていた。変身術の亜種――鉱物を黄金に変身させることに特化した「錬金術」の権威として。

 

 

「それにしても、セレネは凄く本を読むんだね。これ、錬金術の本でしょ?」

 

 

足元に置かれた古い一冊の本を、グリーングラスへ捲り始める。

私は少しだけ、驚いてしまった。ホグワーツに「教科」として取り上げられていないこと分かる様に、かなり廃れた過去の学問だ。現に錬金術関連の本は、図書館の隅で埃を被っている。この本だって、探し出すまでに苦労したものだ。「変身術の歴史」のコラムに記載されていなければ、私も錬金術に対して興味を抱かなかったかもしれない。

 

 

「グリーングラスは、錬金術を知っているのですか?」

「ちょっとだけ。3つ下の妹が錬金術に興味を持っているの」

「そうですか」

 

 

グリーングラスの妹は、勉強家らしい。

私よりも幼いのに、錬金術に興味を抱いているとは――だが、今はそんなこと関係ない。

「錬金術」は、鉱物から黄金を生み出す学問だったが、時が流れ「賢者の石」という伝説の鉱物を創造する学問へと変化していったらしい。「賢者の石」は、いかなる鉱物をも黄金に変身させる力があるだけではなく、飲めば不老不死になる「命の水」の源でもある。その現存する唯一の石を作り出した者こそ、「ニコラス・フラメル」なのだ。フラメルとフラメル夫人が600歳を超えることから察するに、この石が贋作である可能性は、0に等しい。

恐らく、3頭犬は「賢者の石」を護っているに違いない。だが――

 

 

「グリーングラス、1つ尋ねてみてもいいですか?」

「えっ、セレネが私に!?い、い、いいけど……上手く応えられるか、分からないよ?」

 

 

グリーングラスは、急に顔を恥ずかしげに赤らめた。

優等生の私が尋ねることなので、難しいことを考えているのかもしれない。だが、これは極めて簡単な質問だ。むしろ、他の人の意見を聞きたいという意味合いが強い。

 

 

「3頭犬――ケルベロスを知っていますか?」

「ケルベロス?うーん、物語に出てきたような……ごめん、よく分からない」

「ありがとう、助かりました」

 

 

やはり、ケルベロスは魔法界でも有名な怪物らしい。

記憶が正しければ、ギリシャ神話に登場する怪物だ。グリーングラスのような一般学生でも知っている可能性が高く、その気になれば伝説を調べることが出来る。つまり、簡単に突破される可能性があるのだ。つまり、ケルベロスだけに護らせている可能性は低く、他にも護りの魔法をかけている可能性が高い。だが――そんな大事な品物を、わざわざホグワーツに保管する必要があるのだろうか。しかも、今年から――

 

 

「そ、そういえば、セレネは今日予定あるの?あっ、もしかして今日のスリザリン対レイブンクロー戦を観に行くなら、私も一緒に――」

「申し訳ありません。私は、調べ物をするため図書館へ」

 

 

私は、鞄の中に本を詰める。

あまりに大量の本を詰め込まれた鞄は悲鳴を上げていたが、そんなこと気にする余裕はなかった。新しく調べないといけないことが、出来てしまったのだ。万が一、鞄が切れてしまったら、その時はその時だ。新しい鞄を調達しても良いし、それまではビニール袋か何かに入れて運んでも良い。今は、この本の山を図書館に返し、新しい本を読まなければ――

 

 

「あ、じゃあ、玄関ホールまで一緒に行ってもいいかな?」

「構いませんよ」

 

 

優等生のセレネが、彼女の誘いを断る必要はない。

だけれども、急いでいることも事実。私は、グリーングラスより半歩前を歩いた。

私を誘うだけで気力を使い果たしてしまったのだろうか、グリーングラスは嬉しそうに微笑みを浮かべたまま、何も言わなかった。

しばらくの間、黙って歩いていた。

普段は静かな休日の朝だが、今日はクィディッチの試合があるからかもしれない。だが、それにしても何かがおかしい。異様なほどに騒ぐ声が、廊下で反射している。しかも、玄関ホールに近づくにつれて、騒動は大きくなっていった。

 

 

「何かあったのかな?」

 

 

グリーングラスは、不安そうに呟いた。

私も一抹の不安を覚えたが、優等生らしく普段通りの口調、普段通りの表情を心がける。

 

 

「そのようですね」

 

 

玄関ホールは、蜂の巣をついたような大騒ぎだった。

各寮の生徒が入り混じり、口々に何かを騒ぎ立てている。寮の得点を記録している大きな砂時計が、あまりの生徒の多さに隠れて見えない。

 

 

「ゴーント、それからグリーングラスもいるじゃないか」

 

 

人混みの中から抜け出してきたマルフォイが、話しかけてきた。

いつになく上機嫌で、顔がにやけている。

 

 

「その顔を見ると、さすがのゴーントでも、何が起こったのか分からないみたいだな」

 

 

気取った口調で、マルフォイは話し始めた。余鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気を纏っている。

この嬉しそうな雰囲気。私より先に情報を手に入れた、と言うことだけではないらしい。マルフォイが手放して喜びそうなこと、といえば――

 

 

「グリフィンドールで問題が発生しましたか?」

「その通り。ポッターとグレンジャーとロングボトムが夜に抜け出して、グリフィンドールを150点減点したんだよ」

「「150点!?」」

 

 

私とグリーングラスの声は、同時に響いた。

150点ということは、1人50点と言う計算だ。しかし、どうにも腑に落ちない。記憶が確かであれば、夜歩きは20点の減点と罰則だと校則に規定されていたはずだ。しかし、30点も増加してしまっているとは、どうしてだろうか。

 

 

「夜出歩いただけではないみたいですね」

「そこに気づくとは、さすがゴーント。だが、その理由までは知らないと」

「……マルフォイは、ハリー・ポッター達が何をしでかしたのか、詳しく知っているのですね?」

 

 

そう尋ねると、ますますマルフォイの鼻が高くなった。

 

 

「あいつらは、夜中にドラゴンを運んでいたのさ」

「ドラゴン!?」

 

 

グリーングラスが、小さな悲鳴を上げた。

ドラゴンは最高級の危険度を誇る魔法生物で、取扱いには厳重な注意をしなければならないと本に書いてあった。そんなドラゴンを、どうして一般学生に過ぎないハリー達が運んでいたのか、私には理解できなかった。とてもではないが、作り話にしか聞こえない。しかし、マルフォイは自信満々に話を続ける。

 

 

「そうさ!先生たちは、口止めしているみたいだけどね。森番が手に入れたドラゴンを、天文学の塔で専門家に引き渡す手伝いをしてたんだ」

 

 

マルフォイの話に、グリーングラスは驚きの色を隠せない。とんでもない事態に、失神してしまいそうだ。私は、視線をマルフォイから砂時計へと移す。集っていた生徒が減り、ここからでも砂時計が視えるようになっていた。マルフォイの言う通り――積み上がっていたグリフィンドールの大粒のルビーが、ショベルカーで根こそぎ掘ったかのように減っている。1度の授業で稼げる点数は良くて10点だと換算すると、150点を今から積み上げ直すのは至難の業だ。これで、今年のグリフィンドールが寮対抗杯を手にする可能性は限りなく0に近くなったと言えよう。しかし――

 

 

「2つ疑問があります、マルフォイ」

「なんだ、ゴーント。他に聞きたいことでもあるのか?」

 

 

マルフォイは、今にも高笑いを始めそうだ。

調子が良い奴、とは、まさに彼のことを指すのかもしれない。そんなことを考えながら、私は指を2本――マルフォイの鼻先に立てた。

 

 

「1つ、先生が箝口令を敷いている内容を、何故そこまで詳しく知っているのです?

それからもう1つ。一晩でスリザリンから20点程減点されているようですが、心当たりはありませんか?」

「さ、さぁ。なんのことやら、僕にはわからないね。

と、とにかく!ドラゴンなんて野蛮な物に関わるグリフィンドール生と関わらないことだな」

 

 

マルフォイは、急に歯切れが悪くなり、取り巻き2人と逃げるように立ち去って行った。

私は、少し肩を降ろした。調子が悪くなったら直ぐに逃げ出す、なんて3流にも程がある。授業で手際の良いマルフォイの評価を上げていたが、少し下げる必要がありそうだ。

 

 

「どうしてドラコは逃げ出しちゃったんだろう?」

 

 

グリーングラスは、消え入りそうな声で呟いた。

別に教えても教えなくても良いが、私は優等生のセレネ・ゴーントだ。悩んでいる人があれば、自分の分かる範囲で教えることも仕事の1つ、のはずだ。

 

 

「恐らくですが、あの夜に出歩いていたのではないでしょうか?ハリー・ポッター達が、ドラゴンを運ぶ現場を捕えようとしたのかもしれません。

――それでは、グリーングラス。私はこのあたりで」

 

 

まだ茫然としているグリーングラスに背を向けて、私は目的地へと急いだ。

ハリー達がドラゴンを運んだこと、グリフィンドールが最下位になってしまったことなんて、もう興味がなかった。誰もいない図書館で、本を返しながら古びた天井を見つめた。吹き抜けになっている図書館の上には、3階の廊下が―――そして、さらに上には、4階の廊下が広がっている。

 

 

「『賢者の石』は、この城にある」

 

 

600年以上、どこか別の場所に保管されていた「賢者の石」が、4階の廊下という手に届く場所にある。どうしてホグワーツに、それも去年までは通行できた場所に保管するのだろうか。まるで「ここにあります、盗んでください」と言っているようなものだ。

ここで考えられる推理は2つ。

1つ目は、4階の廊下はダミーであり、他に安全な隠し場所が用意されている。

2つ目は、4階の廊下に本当に「賢者の石」があるが、盗みに入ったところで見つけ出すことは出来ずに捕まるだけ。

どちらの選択肢を選んだとしても、共通点は1つ。すなわち、「賢者の石」を盗もうとしている「誰か」がホグワーツに潜入している可能性があるということだ。それでなければ、ケルベロスと言う目に見える脅威を用意する必要がない。

 

 

「まぁ……そいつの正体なんて、どうでもいい。……あ、これだ」

 

 

私は、探していた本を取り出した。

誰が「賢者の石」を狙っているなんて、私には興味がなかった。必要なことは、「賢者の石」がホグワーツに、そして恐らく「4階の廊下」にあるということだ。

 

 

「『ギリシャ神話――ケルベロスの伝説』、これですね」

 

 

埃をかぶった古びた本を、やっとの思いで引っ張り出した。

埃を払いながら、私は笑みが込み上げてくるのを抑えきれない。

永遠の命をもたらすという「賢者の石」を手に入れることが出来れば、もう「死」を恐れる必要がなくなる。私は永遠の存在になり、身体からは「線」が消えるはずだ。

 

 

眼鏡がないと生きていけない世界とは、これでお別れだ。

そして、あの吐き気のする空間に落ちる必要もなくなる。

 

 

「さてと、勉強しますか」

 

 

防御の魔法に関しては、勉強する必要がない。

先日の一件で、魔法にも「線」があることが判明した。防御の魔法なんて、「線」を切ればいい。だから、今の私に必要な知識は、ケルベロスの倒し方と、他に攻撃的な怪物がいた場合に対する対処魔法を覚えること。

この2点だ。教師の目を欺くことなんて、考える必要もない。

 

 

何故ならセレネ・ゴーントは、誰もが認める「優等生」なのだから――。

 

 

 

 



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12話 2つの顔


前半、ハリー視点です。




 

 

 僕は、愕然とした。

 

 セブルス・スネイプの魔の手から「賢者の石」を護るため、数々の罠を乗り越えてきた。

 ロンの機転とハーマイオニーの学年屈指の頭脳を借りて、ここまでやってきたのだ。

 

 今、僕の隣に2人はいない。

 ロンはチェスの間で犠牲になり、学年屈指の頭脳を誇るハーマイオニーも、先程別れなければならなくなってしまった。

 

 だから、僕は、2人の想いを背負ってここにいる。

 それなのに――……

 

「まさか……なんで」

 

 目の前にいたのは、クィレルだった。

 普段とは打って変わり冷静沈着なクィレルは、この場にヴォルデモートがいると話した。しかも、スネイプが僕のことを護っていた、と言い始めた。

 僕の頭は、混乱する。今まで考えていたことが否定され、新たな真実を立てられたのだ。

 しかも、クィレルは誰かと話すように独り言を呟き始めたのだ。

 ぞっとする。背筋が凍りそうだ。どうすればよいのか分からず、クィレルの奇行を眺めているしかない。

 

「……ポッター、ここに来い」

 

 クィレルが呼んだ。

 彼の後ろには、望みを映し出す「みぞの鏡」があった。

 

 僕は逆らいたかったが、彼の言葉には強制力があった。

 だから、逃げることも断ることもできず、鏡の前にたった。

 

 

 嘘をつかなくてはいけない。何が見えても嘘を言えばいい。必死で僕はそう考えた。青白く怯えた自分の姿が鏡に映る。

 以前、見たときは自分の死んだ両親が映った。きっと、今回も同じ光景が映るのだろう。

 そんなことを考えていると、次の瞬間、鏡の向こうの自分が僕に笑いかけてきた。鏡の中の僕はポケットに手を突っ込み、血の様に赤い石を取り出した。そしてウィンクをしてポケットに石を戻す。すると、そのとたんにポケットの中に何か重いモノが落ちるのを感じた。

 

 なぜか、信じられないけど、僕は『石』を手に入れてしまったのだ。

 

「どうだ?何が見える!!」

「ダ、ダンブルドアと握手してる!!僕のおかげで、グリフィンドールが優勝して――」

「嘘だ!!」

 

 クィレルが唇を動かしていないのに、どこからか声が響く。ここまで来るときに破った「悪魔の罠」が僕をその場に釘付けにしてしまったように、指一本すら動けなくなってしまった。

 

『俺様が直に話そう。そのくらいの力ならある』

「分かりました」

 

 クィレルが、ターバンをほどこうとしている。見たくない、その中にあるモノが恐ろしいモノだと直感した。でも、目を背けられない。

 するりっとターバンが落ちた。ターバンを巻いていないクィレルの頭はずっと小さく見えた。

 僕は悲鳴を上げそうになった。けれど、喉が詰まったように声が出なかった。

 クィレルの後頭部には、もう1つの顔があった。僕が、これまでに一度も見たことがないような恐ろしい顔だ。蝋の様に白い顔、獣のように血走った目、鼻孔は蛇のような裂け目になっていた。

 

「ハリー・ポッター。また会ったな」

 

 恐ろしい顔は、低い声で蛇の声のように囁いた。

 僕は後ずさりしたかったが、怖くて動けない。あの顔の正体が何者なのか、クィレルは口に出していなかったが、自然と名前が口から零れ落ちた。

 

「……お前は、ヴォルデモート……」

「そうだ。だが、この有様を見ろ。

 ただの霞と影にすぎない。誰かの身体を借りて初めて形になれる……この数週間はユニコーンの血が俺様を強くしてくれた……この忠実なクィレルが俺様のためにユニコーンの血を飲んでいるところを森でみたはずだ。だが、完全なものとは程遠い。そのためにも『石』が必要だ。命の水さえあれば、俺様自身の身体を創造することができるのだ。

 さて、ポッター、まずはお前からだ。ポケットにある『石』を渡してもらおう」

 

 

 ヴォルデモートは、何故か「石」を持っていることを知っていた。

 途端に、魔法が解けた様に肢の感覚が戻ってきた。よろよろと僕は後ろに後退する。

 どうやって守ればいい?

 僕は混乱した。赤子の頃に、ヴォルデモートを撃退したらしいが、どうやったのかは全く記憶にないし、再び勝てるとも限らない。しかも、クィレルという大人の魔法使いもいるのだ。

 僕は、ロンみたいに魔法界で生きてきたわけでもなく、ハーマイオニーのように学年屈指の頭脳の持ち主でもない。

 魔法を習って1年足らずの、ただのハリー・ポッターだ。

 

 一人で、勝てるわけがない。

 だけど、立ち向かわないといけない。

 勇気を振り絞って、勝利する算段を必死になって考え始めた時、ヴォルデモートは嘲笑うように口を開いた。

 

「そこの子鼠も、隠れていないで出てきたらどうだ?」

「「えっ?」」

 

 僕とクィレルの声が重なる。

 ヴォルデモートは鏡越しに一点を――僕の斜め後ろの柱を睨みつけていた。

 

「……さすが、今世紀最大の闇の魔法使いですね」

 

 聞き覚えのある凛とした声が、部屋の中に響き渡った。

 かつん、かつん、と軽快な音と共に颯爽と現れたのは、スリザリンの少女……

 

「セレネ?」

「魔法薬の試験以来ですね、ハリー・ポッター」

 

 セレネが口元に微笑を浮かべていた。

 彼女は同級生の中では背が低く、端正な容姿と儚げな印象を併せ持った秀才だ。ちらちら燃える炎の光が眼鏡に反射し、彼女の心情をうかがい知ることはできない。

 ただ、彼女は規則破りを嫌っているように見えた。

 ハーマイオニーと似たタイプで、勉学に勤しみ、知識の吸収に励んでいる。彼女が規則を破って減点された、なんて話は一度も聞いたことがない。

 

 だから、どうして、彼女がここにいるのか、僕には理解できなかった。

 

「どうしてセレネが、ここに……?」

「言わなくても分かりませんか?

 今日は試験の最終日で、どの先生も採点に忙しく、見回りに人手を割く余裕はありません。もし、『ニコラス・フラメル』なる人物が関係する『大切なモノ』を暴こうとする人間がいるのだとしたら――今日は絶好の日和でしょう。

 しかし……まさか、本当に『賢者の石』が隠されているとは、思いませんでした」

 

 少し驚きの色が滲んだ言葉を聞きながら、僕は記憶を辿った。

 ハーマイオニーがセレネに「『ニコラス・フラメル』を知っているか」と尋ねたことがあった。

 しかし、それは空振りに終わった。ハーマイオニーが少しがっかりしていたことをよく覚えている。

 

 もしかしたら、セレネは勉強の合間を縫って、独自にフラメルについて調べていたのかもしれない。

 僕はいくらか気が楽になった。

 セレネ・ゴーントが加勢に来てくれた。これで、一人ではない。

 

 僕達が対するのは「闇の魔術に対する防衛術」の先生とヴォルデモート。

 勝率は物凄く低いけど、1パーセントくらい上がった。

 一人より、二人で立ち向かう方が、ずっといい。

 

「ゴーントの末裔だったか……どうだ、俺様と手を組まないか?」

 

 ヴォルデモートがセレネに水を向けた。

 悪の誘惑だ。

 セレネは何も答えない。ゆっくりと階段を音を立てながら降りる。セレネは正体を現すように眼鏡を外しながら

 

「非常に興味深い話ですね」

 

 と、小さく、しかしハッキリと呟く。

 そして、ローブから優雅に杖を取り出した。

 僕は雷に打たれたような衝撃を受けた。

 セレネは、僕の隣まで降りて来ていた。杖で左掌を叩く様子は、まるでヴォルデモートに対して拍手を送っているように見える。心なしか、言葉の端に敬意の念が籠っているような気もする。

 僕は後ずさりするように、セレネから一歩離れた。

 

「セ、セレネ!?アイツはヴォルデモートだ、騙されちゃいけないよ!!」

「ハリー・ポッター」

 

 鈴の音の様に美しい声が、地獄の底なし沼から響いてくるような印象を受けてしまう。セレネの眼が禍々しい青色に輝いていた。彼女の後ろに、何か強大な闇が控えているように幻視してしまう。

 

「セレネ!?」

「ハリー・ポッター。少しの間、動かないでくださいね」

 

 セレネは、僕に向き合うと杖を突きつけてきた。

 その様子を見て、ヴォルデモートが高笑いした。

 

「無様に裏切られたな、ポッター」

 

 僕は、その場から動けなかった。

 セレネの瞳に眼が引き付けられていた。青い瞳はたくさん見てきた。ロンやマルフォイ、ダンブルドアも目が青い。

 けれど、セレネの青は違う。彼女の青い瞳には、限りなく「死」の色が濃厚に滲み出ている。

 それは、両親が死んだ夜に眼にした、緑色の光と重なって見えた。

 

「セレネ、やめるんだ!!」

「『ペトリフィカス・トタルス-石になれ』!!」

 

 セレネが呪文を叫んだ。

 僕は、もう駄目だと歯を食いしばる。

 

 

 ところが、僕が全身金縛りで倒れることにはならなかった。

 呪文を唱える瞬間、セレネは杖を僕から離し、杖の方向を左へと向けたのだ。

 

 そう、油断し切っているクィレルの方へ。

 

「なっ!?」

 

 例えるなら、バスケットボールのパスを回す光景に似ていた。

 見ている方向も進行方向も確実に僕なのに、まったく別の安全な場所へボールをパスする。

 呪文と言うパスを受けたクィレルの両腕は身体の脇に貼り付き、両脚は閉じられてしまった。そして、大きな音を立てながら、前のめりに倒れ込んだ。

 

「……さてと、これで数分間は『例のあの人』を無効化できますね。今のうちに逃げますよ、ハリー」

 

 セレネは僕の腕をつかむと、来た道を走り出した。

 僕は後ろに振り返ることも出来ずに、セレネの背中を見つめ続ける。

 入口を塞いでいた黒い炎は、影も形も見当たらない。セレネは迷うことなく扉を開け、未だに鼾をかいているトロールを乗り越え、チェスの間に辿り着いたとき、ようやく足を止めた。ロンやハーマイオニーの姿は、何処にも見当たらない。もうダンブルドアを呼びに行ったのだろう。そう思うと、緊張していた心が解れる気がした。

 

「はぁ……はぁ……とりあえず、ここまで来たら、一安心ですね」

 

 セレネは荒い息を整えるように、ビジョップの残骸に寄りかかる。

 僕も糸の切れた人形のように、その場に座り込んだ。しばらく互いの息の音だけが聞こえた。

 

「僕……僕、てっきり、セレネがヴォルデモートの味方をするかと、思ったよ」

「まさか」

 

 セレネは、それこそありえないというように首を横に振るった。彼女の額から汗が流れ落ちている。そして、疲れた様に青い瞳を閉じた。

 

「この場合の勝利条件は、『賢者の石』を他の人に渡さない事です。

 それから……あんな無様な姿になってまで生き延びようとする敗者の手下になんて、なりたくありませんから」

 

 それは、優等生(セレネ)らしからぬ侮蔑の色を帯びた発言だった。

 さすがのセレネでも、ヴォルデモートの塵にも等しい無様な姿には嫌悪感を抱いたのだろう。

 

「しかし、そろそろ魔法が解ける頃でしょうから……作戦を考えましょう」

「作戦?」

 

 僕が問うと、セレネは目を開けた。

 やはり瞳は見慣れた黒ではなく、不気味なくらい蒼く輝いている。

 

「きっと、このまま走っても追いつかれてしまいます。少し『石』を見せてくれませんか?」

「あっ、うん」

 

 セレネが指し伸ばした手に、僕は「賢者の石」を乗せた。

 一見すると普通の石のようで、とてもではないが魔力を帯びているようには見えない。しかし、炎にかざして視ると、どことなく赤く輝いているようにも見えた。

 

「これが石、ですね」

 

 セレネは感慨深く呟くと、大切そうにローブの内側に終いこむ。そして、代わりに杖を取り出した。炎に照らされた横顔は、どことなく覚悟を決めた色を放っている。

 

「ハリーは、石を持ったふりをして逃げてください。私は、ここで足止めをします」

「でも、セレネは……」

「心配しないでください、私は生きて帰りますよ」

 

 どことなくぎこちない笑みに、少し不安を覚えてしまう。でも、セレネ・ゴーントは僕より遥かに上を行く魔法を扱う。もうじきダンブルドアも来ると思うから、きっと……

 

「よくもやってくれたな、1年生風情が!!」

 

 クィレルの鋭い声が、宙を割いた。

 セレネは声に反応する間もなく、壁に吹き飛ばされてしまった。

 

「セレネ!!」

「小汚い小娘の処分は後回しだ。今は石をよこせ、ポッター!!」

 

 セレネの思惑通り、クィレルとヴォルデモートは僕が「石」を持っていると思い込んでいるみたいだ。クィレルは気を失った様に倒れ込む――現在「石」を隠し持つセレネには目もくれず、僕に襲い掛かってきた。

 

「石を渡せ、ポッター!!」

「やる……ものか!」

 

 額の傷が鈍く痛む。しかし、痛みに呻いている場合ではない。クィレルが、首を絞めようと僕に手を伸ばしてきた。僕は咄嗟に手を伸ばし、クィレルの顔をつかむ。

 

「あぁぁああ!!」

 

 

 クィレルは、転がる様に僕から離れた。

 クィレルの顔は、無残なまでに焼けただれていた。どうやら、クィレルは僕の皮膚に直接触れることは出来ないのだ。そうと分かってしまえば、話は早い。クィレルが痛みでうめいている間に、僕は飛び起きるとクィレルの腕を捕まえて、力の限りしがみついた。クィレルは悲鳴を上げて僕を振りほどこうとしたが、僕は放さない。そのうちに、額の痛みは益々ひどくなっていった。視界から色が消え、辺りが黒く染まっていく――。

 

「殺せ!殺せ!!」

 

 ヴォルデモートの恐ろしい声が、近く――いや、遠くから聞こえてくる。

 クィレルの悲鳴も、全て遠のいて―――意識が下へ下へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やった……やったぞ」

 

 

 私は、身体中の鈍い痛みに耐えながら、ゆっくりと立ち上がった。

 ハリー・ポッターに宿る力により、クィレルは土塊へと変わり、ヴォルデモートは身体を無くして飛び去って行った。この場に立っているのは、私だけ……そう、「賢者の石」を手にした私だけだ。

 

「何もかも、計算通り。私が……勝ったんだ」

 

 私は拳を高く掲げたくなった。

 

 一人でここまで到達するのは、正直、少し難しかった。

 だが、難しかっただけで、できなかったわけではない。

 オルゴールでケルベロスを眠らせ、難しい罠は「眼」を使って突破した。いくつかの扉は開かなかったので、直死の魔眼で強引に突破する。

 

 最後の最後の「鏡の間」で、クィレル先生がいたことには驚いてしまった。しかし……先生が、ターバン越しのヴォルデモートと交わしていた会話から、ハリー・ポッターが「石」を手に入れる鍵を握っていることが分かれば、そのまま隠れているだけで良かった。

 ハリーからの信頼は、それなりに得ている。クィレルを一時的に無力化すれば、彼から石を受け取ることなんて朝飯前だ。

 

「ただ、飛ばされたのは痛かったな……まぁいい。さっさと帰るか」

 

 私は、そのまま杖を適当な駒へと向ける。

 練習した変身術で「賢者の石」のレプリカを作り上げ、ハリーを連れて帰還すれば全て解決だ。ハリーは幸い、命に係わる怪我をしてなさそうだ。レプリカは本物として再び保管され、無事に守り通せたと皆は安心する。そして、私は念願の「賢者の石」を手に入れることが出来る。

 

 賢者の石さえあれば、死を克服することができる。

 死を克服することが出来れば、こんな眼鏡がなくても、死の線が視えない生活が送れる。

 他者の線は視えてしまうかもしれないが、少なくとも、自分の身体に蔓延る線は消滅する。 

 もう、目覚めるたびに、自分が崩壊していく幻影を見なくて済む。

 

 この石があれば、自分の身体から死の概念は拭い去られ、自分の身体の死を見なくて済むのだ!!

 

 素晴らしいではないか!

 まさか、誰もセレネ・ゴーントが石を盗んだなど思うまい。規則破りは表面上行わず、学年でも高い順位をキープしている少女が、それも1年生が、クィレルやヴォルデモートの目をかいくぐって盗むとは思うまい。

 たとえ、石がレプリカだと気付かれても、シラを切り通せばいい。

 

 犯人は、消滅して行方知れずとなったクィレルへ向けられるのだから――。

 

「『ジェミ――」

「そろそろ帰る時間じゃ、セレネ」

 

 この場にいるはずのない声が、チェスの間に木霊する。

 突然のことで、呪文を唱える手を止めてしまった。

 心臓を鷲掴みにされたような感覚が、電気の様に身体を駆け抜けた。

 おそるおそる振り返ると、そこにはダンブルドア校長が立っていた。柔らかな笑みを浮かべ、私に手を伸ばしている。私は、呆気にとられて校長の掌を見つめた。

 

「しかし、その前に大事な石を返してくれないかの?」

 

 

 

 

 




次回、「賢者の石編」が終了です。


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13話 青い瞳

「石を渡してもらおうかの、セレネ」

 

 

ダンブルドアの出現により、私の脳内は今までにないくらいの速度で回転する。

このまま石を差し出すなんて、勿体無いことは出来ない。しかし、優等生のセレネ・ゴーントの行動を考えると、ダンブルドアに逆らうことなんてご法度だ。そもそも、ハリー・ポッターやクィレルの話によると、ダンブルドアは遠いロンドンまで出張していたはず。なのに、何故―――ここにいる?

 

 

「ロンドンに着いた時、ワシはいるべき場所を離れてしまったことに気がついたのじゃよ。そして、慌てて帰って来たというわけじゃ」

「そうですか」

 

 

戻ってくるタイミングが、遅すぎるような気もするが――今はそれどころではない。私にとって、なんて間の悪い帰還だろう。ひとまずは、この場を切り抜ける方法を模索する。しかし、ダンブルドアは

 

 

「さて、話を戻そう。その石を渡してもらおうかの、セレネ」

 

 

全てを見透かしたような瞳で、私を覗き込む。

私は内心、小さく舌打ちをした。何と言い繕ったとしても、嘘は全て見抜かれてしまうだろう。真実を言いたくない、しかし嘘をついたところで意味がない。石が欲しい。あの恐ろしい「死」から逃れる方法も、この「線」だらけの世界から逃れる方法も、全て手に入れたい。しかし、実現するためには目の前の強敵―ダンブルドア―を騙さなければならない。しかし、ダンブルドアに嘘をついても見破られてしまう。あの青い瞳の前に、嘘は通じない。

私が目覚めてから、初めて「欲しい」と思った物を手に入れ、ダンブルドアに嘘をつかず、どこまでも優等生らしく、どこまでもセレネ・ゴーントらしく振舞うためには―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は、石を護ろうとしただけです」

 

 

青い眼をしたセレネは、まったく笑っていなかった。

開心術を使わなくても、嘘をついていることは分かっていた。以前、病室で出会った時のセレネ・ゴーントと今の彼女は何も変わっていないように思えた。あの時から、何も成長していない。「死」を怖がることしか出来ない、自己も持たない少女のままだ。

そんな少女が「賢者の石」を手に入れてしまったが最後、石を手放すとは思えなかった。

だからこそ、しばらく見張っていたわけだが―――どうやら、目論見はあたってしまったらしい。

 

 

「先程『複製魔法』をかけようとしていたみたいじゃが、何故かね?」

「石のレプリカを作ろうとしていました。錬金術の最高峰とまで謳われる「賢者の石」を調べようと思いまして」

 

 

セレネは、ローブの中から石を取り出した。

それは、本物の賢者の石だった。炎に照らされて、赤く輝く石を見間違えるはずがない。

しかし、あそこまで出し渋っていたセレネが素直に石を出すとは、思えない。何か裏があるはずだ。わしは「開心術」を使うことにした。セレネの眼を覗き込み、彼女の思考を探る。

 

 

「純粋に研究対象として、手に入れようとしたのじゃな?」

「はい」

 

 

セレネは、迷うことなく答えた。

わしは、戸惑ってしまった。

セレネは、嘘をついていない。研究対象としてではなく、永遠の命を手に入れるために欲していたはずだ。そう、先程までそこに漂っていたトム・リドルの様に。

 

 

「この石を、使おうと思わないのじゃな?」

「はい」

 

 

またしても、間髪入れずに答える。

そんなはずがない。明らかにセレネ・ゴーントは嘘をついている。

わしは心を読み取ろうとして、愕然とした。こんな状態、今までに見たことがない。

まさか――この年齢から、わしをも拒む「閉心術」を使いこなしているのかと思ったが、すぐに違うことに気づいてしまう。

セレネは、「閉心術」で心を閉ざしている状態ではなかった。

ただ純粋に、何も考えていなかった。今の彼女は、何も考えずに話している、ということになる。そんなことは、ありえない。

 

 

「それでは――君は、永遠の命に興味がないのじゃな?」

「興味はあります。非常に調べてみたいです」

 

 

人間は、必ず何かを考えている。

話す言葉ですら、無意識下において言葉を事前に反芻してから話しだす。

どれほど早く話すとしても、言葉を発するに至った考えの基盤が存在する。

しかし、今のセレネ・ゴーントにはそれがない。自己がなく、考えもない。そう、それはすなわち――何も考えていない。

 

 

「あくまで研究目的、ということかね?」

「はい」

 

 

いや、よく思考を読み取れば、考えている。

しかし、考えが出て言葉にするまでの間が、今まで見た誰よりも早いのだ。

誰よりも早く、優等生らしい言葉が飛び出してくる。

それは1年間――どこまでも優等生らしい立ち振る舞いを自らに強要した結果、なのだろうか。

 

 

「憐れじゃな」

 

 

言葉が零れ落ちてしまう。

わしは目を瞑ると、開心術を止めた。

まるで人形と対峙しているようで、心が痛くなる。大切な生徒が心を閉ざす以前に、これほどまでに悲惨な状態になっていようとは思わなかった。

自分の記憶を自分の物として遡ることが出来ない。その時点で既に少女は壊れていた。だが、そこから日々の積み重ねを通じることで、新しい自己を獲得して欲しいと――いや、獲得できると思い込んでいた。しかし、実際には違った。

 

 

目の前の少女は、壊れたままだった。

 

 

「憐れ、ですか?」

「いや、何でもない。セレネ――君がそこまで研究したいというなら、わしからニコラス・フラメルに教えを乞う機会を作ってもよい」

「本当ですか?」

 

 

目を輝かせることもなく、淡々に応える。

決められた手段に従う人形のように。なんとも憐れな光景だろうか。果たして、彼女は本当に人間なのか疑いたくなってしまう。

しかし―――

 

 

「だから、ひとまず石を返してくれないかの?」

 

 

一方で、不安要素も残る。

彼女は「意図的に」考えを放棄しているのではないか、と。

 

 

「分かりました、先生。その代わり、ニコラス・フラメルさんに会わせてくださいね。直接、錬金術について聞きたいことが山のようにあるのです」

 

 

覗き込むだけで気分の悪くなる青い眼を閉じ、通常の黒い瞳へと戻った。

セレネは、ゆっくりと石を渡す。わしは石を受け取ると、表情を緩めた。わしの掌に乗せられた石は、明らかに「賢者の石」だった。

 

 

「あぁ、もちろんじゃ――セレネ」

 

 

わしが姿を現す前の呟きが、脳内を反芻する。「勝った」と言う言葉は、明らかに優等生らしからぬ発言だ。――学生時代のトム・リドルを思い出してしまう。

誰が視ても品行方正な優等生で、問題を起こさない。しかし、トムは様々な事件の黒幕として暗躍していた。そして、ヴォルデモートへと成長してしまい、すっかり闇の世界に浸かってしまった。もう、彼は戻ってくることが出来ない。わしは、トム・リドルを正しい道へ導くことが出来なかった。このままセレネを帰してしまえば――トムと同じ道を辿る気がしてしまう。

 

 

「それでは、私はこれで帰らせていただきます」

 

 

セレネはローブを翻し、わしに背を向けた。

 

 

「覚えておるかの、セレネ。以前、病室で君に言った言葉を」

 

 

わしは、遠ざかる小さな背中に声をかけずにはいられなかった。

セレネは立ち止り、ゆっくりと振り返る。その横顔は、ハッとするくらいトム・リドルと瓜二つだった。

 

 

「死を避けることを考えてはいけない、でしたよね?」

「そうじゃ―――永遠の命とは、実に虚しいものじゃよ。

決して、追い求める価値がないことじゃと分かっておいて欲しい」

「――はい、分かりました。それではお休みなさい、ダンブルドア校長先生」

 

 

小さい背中。

わしはこの一年間、クィレルの手から「賢者の石」を護るために活動してきた。それが、ハリーを護ることにも繋がり、ヴォルデモートの復活を遅らせることにも繋がると信じて。

しかし、もう1つ大きなことを見逃してしまっていた。

直死の魔眼を持ち、死に怯える少女を正しく導くという重大な仕事を。

 

 

「セレネ、わしは君を信じておる」

 

 

セレネは、闇に落ちない。

こちら側に戻ってくることが出来る、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大広間に着いたときには、既に人で溢れていた。

広間は、緑の布地を銀で縁取ったスリザリンカラーで彩られている。蛇を描いた巨大な横断幕が、味気ない壁に色を添えていた。寮対抗杯を手にした祝いとして、スリザリンのテーブルは喜びの絶頂に達していた。

 

 

「セレネ!もっと喜びなよ!!」

 

 

ダフネ・グリーングラスのツインテールが、ウサギの様に飛び跳ねている。

どうやら黙々と本に目を落とす私が、喜んでいないと思ってしまったようだ。

事実、純粋に喜ぶことは出来ない。先日の敗退は、私の心に大きな影を落としていた。しかも、私を敗退に追い込んだ人物が同じ空間にいるのだ。優等生のセレネ・ゴーントの存在に傷をつけてしまった。いくら傷が小さくても、いくら傷を知る者が1人しかいなかったとしても、喜べるはずがない。

ただ、こうして借りてきた本を読み、現実を逃避する。

 

 

「優勝したことには、喜んでいますよ」

 

 

この世界は弱肉強食。

敗者は惨めに死ぬ。私の所属する寮は、他の寮に勝った。それは当然の結果であり、勝たなければならない。喜ぶまでもなく、当然の結果だ。

 

 

「ふん、こんな時まで優等生面とは――余裕だな、ゴーント」

 

 

両手に花――もとい、パンジー・パーキンソンとミリセント・ブルストロードを従えたマルフォイが、鼻で笑ってくる。パーキンソンもブルストロードも――特に、パーキンソンは恍惚とした表情を浮かべ、マルフォイの顔を見つめていた。

 

 

「それにしても、何を読んでいるんだ?試験は、とっくに終わっただろ。もしかして、ゴーントは補習の勉強か?」

「錬金術の本ですよ、マルフォイ」

 

 

私は「錬金術」に興味があるという設定になってしまっている。

日時は未定だが、ニコラス・フラメルと面会する機会を手に入れた以上、少しでも錬金術に関する知識を蓄積しなければならない。優等生セレネ・ゴーントの勉強は、まだまだ終わることを知らなかった。

 

 

「錬金術なんて、古臭い勉強してるな」

「知識はあればあるほど、役に立ちます」

 

 

それを聞いたマルフォイは、何か言おうと口を開く。

しかし――その言葉は、ダンブルドアの声に隠れてしまった。

 

 

「また、1年が過ぎた」

 

 

ダンブルドアの口調は、あの夜に話した時に似ている。どことなく朗らかで、落ち着き払っていた。

 

 

「さて、それでは寮対抗杯の表彰を行うことになっとる。点数は次の通りじゃ。

4位グリフィンドール312点。3位ハッフルパフ352点。2位レイブンクロー426点。1位スリザリン472点」

 

 

1位のスリザリンと、4位のグリフィンドールの間には160点も差があった。

ハリー達が以前150点を減らしたことが、160点も差を広げたのだろう。

しかし、結局のところ――、ハリー達が150点減点していなかったとしても、スリザリンは10点勝っている。結局は、スリザリンの優勝には変わりなかったのだ。

しかし、学校中からハリー達はイジメを受けていた。150点も寮の点数を減らした悪者として。

少しだけ、可哀そうに思えてしまう。一度でも罰則を受けて負けた者は、結果がどうであれ痛い目を見るのだ。やはり、負けてはいけない。

 

 

「よしよし、良くやったスリザリン」

 

 

スリザリンのテーブルは、嵐のような歓声と足を踏み鳴らす音で溢れかえっている。

誰もが、思い思いの方法で喜びを表していた。私も本を閉じ、手を叩く。周りの空気に当てられてだろうか、少し頬が緩んだ気がした。

 

 

「じゃが、最近の出来事も勘定に入れなければならん」

 

 

喧騒が嘘のように、大広間は静まり返った。スリザリン生から、少し笑みが消えた。なんだか、嫌な予感が胸を横切る。先生が咳払いをすると、口を開いた。

 

 

「駆け込みの点数をあたえよう。

まずは、ロナウド・ウィーズリー。

近年、稀にみる最高のチェスを披露してくれた。50点を与える」

 

 

グリフィンドールから、天井を吹き飛ばしそうな歓声が上がる。

ウィーズリーは、酷く日焼けしたように頬を紅く染めていた。どうやら、あのチェスの間を突破したらしい。だが、特別に興味はない。時間短縮のために「チェスの間」は「眼」を使い突破した。その難易度は、私に関係なかった。

 

 

「次に、ハーマイオニー・グレンジャー。

火に囲まれながら冷静な論理を用いて対処したことを称え、グリフィンドールに50点を与える」

 

 

ハーマイオニーは、腕に顔を埋めた。嬉し泣きをしているように視える。グリフィンドール生たちは我を忘れて、まるで自分たちが1位になったかのように狂喜していた。

その反対に、スリザリン生は声が出ないみたいだ。マルフォイもダフネも、他のスリザリン生も笑顔が凍り付いている。

 

 

「次にハリー・ポッター」

 

 

大広間は、水を打ったように静まり返った。

 

 

「その完璧な精神力と、並外れた勇気を称え、グリフィンドールに60点を与える」

 

 

耳をつんざくような大騒音だった。私は思わず耳をふさいだ。

それと同時に、脳が高速で回転する。グリフィンドールの点数は、160点加算された。つまり、スリザリンと同じだ。あと1点、そう、あと1点多く入ってしまえば――スリザリンは、負けてしまう――

 

 

「続いて、セレネ・ゴーント」

 

 

私は、立ち上がりそうになった。

そうだ、あの時――私はクィレルに呪文を浴びせた。1年しか魔法の勉強をしていないのにもかかわらず、大人を一時的に無力化させることに成功したのだ。これは、実際に石を護り抜いた上にクィレルを倒したハリーと同じ、は難しいかもしれない。しかし、少なくとも50点が貰える。いや、実際に罠を1人で潜り抜けてきたことも評価されると考えたら――それより多い可能性も期待できた。

私は、期待に胸を膨らませる。

 

 

「授業や試験の範囲に限らず、ありとあらゆる分野に興味を示す、その尽きることのない探究心を称え、スリザリンに20点を与える」

「20点!?」

 

 

私の叫びは、スリザリンの歓声に飲まれてしまった。

私はクィレルを無力化し、先生たちの張った罠を潜り抜けた。ハリーやハーマイオニー達よりも、多く点数を貰えるはずだ。しかし、20点とは何故だろうか。

私が考えていると、ダンブルドアの口が再び開いた。

 

 

「勇気にも色々ある」

 

 

ダンブルドアの言葉は、私の思考とスリザリンの歓声を遮った。

 

 

「敵に立ち向かうよりも、味方に立ち向かう勇気の方が難しい。

よってわしは、ネビル・ロングボトムに20点を与えたい」

 

 

爆発的な歓声が、グリフィンドールから湧きあがった。いや、グリフィンドールだけではない。レイブンクローやハッフルパフからも大歓声が湧きあがった。少なくとも、スリザリンの単独優勝が防がれたことが嬉しいのだろう。狂ったような大歓声だった。

 

 

「グリフィンドールと、同一優勝だと?」

 

 

誰かが呟いた。

スリザリン生は、誰もが唖然としていた。

私の加点がなければ、王者から滑り落ちていたかもしれない。

単独優勝を維持できなかった、しかもグリフィンドールと同点ということは、スリザリンに耐えられない屈辱だった。悔し過ぎて泣いている上級生が、ちらほら見受けられた。

 

 

「なんで?」

 

 

ダンブルドアと、目が合う。

その瞬間、単独優勝の敗因を悟った。

 

 

「探究心――しか、評価されてない?」

 

 

あの時、咄嗟に口から出た言葉しか評価されていない。

あくまでダンブルドアは、「錬金術の探究のため賢者の石を必要とした」と評価しているのだ。他諸々を触れていないのは―――賢者の石を盗もうとした行為で減点されてしまっているから、公表したら傷つくと考えたのかもしれない。

記憶が正しければ、窃盗は40点の減点対象。人の物を盗むという非道徳的な行いは、夜歩きよりも罪が大きい。本来は、賢者の石を護り通せることに成功したことに対する60点。しかし、そこから40点の減点を―――私の評価のために、話さないでくれた。

「優等生」という仮面を奪われたら最後、私には何も残らない。セレネ・ゴーントという存在は死んでしまう。つまり、情けをかけられたということだ。

もちろん、加点という事実には変わらない。だから、「石を護り通せた」という評価の代わりに「探究心」という言葉を掲げたのだろう。

 

 

「さて、グリフィンドールも優勝したので、装飾を変えなければならんのう」

 

 

ダンブルドアが、大きく手を叩いた。

緑と銀で彩られていた大広間に、赤と黄金のグリフィンドールをイメージした装飾が加わっていく。

 

 

「なんか、残念だったね、セレ――ネ、どうしたの?眼が赤いよ?」

 

 

ハッと我に返る。

気を引き締め、ダンブルドアから目を逸らした。

眼が充血してしまうほど、屈辱を感じていたのだろうか――。優等生セレネ・ゴーントにあるまじき失態だ。

 

 

「赤い、ですか?」

「あ、うん―――さっきは赤く視えたんだけど、光の加減かな?気のせいだったみたい」

 

 

どうやら眼の色は、元に戻ったらしい。

それにしても――アルバス・ダンブルドアは恐ろしい魔法使いだ。

これは、もしかすると「石」を使おうとしたことに気づいているかもしれない。

つまり、思考を放棄しても心は読まれてしまう。それは、人生経験の差かもしれない。

 

 

「悔しいな」

 

 

ふいに、言葉が零れ落ちる。

何が悔しいのか、少し理解できない。だが――なんとなく、悔しさの要因は分かっていた。

私は料理に向かう前に、もう一度――校長席を視た。

青い瞳は、もう私を見ていない。朗らかな笑顔を浮かべた彼は、グリフィンドールを眺めている。

 

 

 

 

 

アルバス・ダンブルドア。

歴代最高だと称される魔法使い。

その頂は高く、私は足元にも及ばない。私は情けをかけられた敗者で、向こうは勝者。

優等生であるセレネ・ゴーントは、常に優等生でなければならない。

だから負けることはご法度であり、勝たなければならない。幸い、この負けはダンブルドア以外には知られていない。

 

 

 

死を克服する。

そしてダンブルドアに勝って、負けを帳消しにする。

これで、私はセレネ・ゴーントを取り戻すことが出来る。

 

 

 

完全な優等生であり、身体に奔る線に怯えることのない、セレネ・ゴーントに。

 

 

 

 

 




賢者の石編、終了です。
次回から、秘密の部屋編に入ります。
毎日は難しいですが、投稿する際は20時投稿を心がけていきたいと思います。
※3月22日:訂正


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秘密の部屋編 14話 8月の日差しの中で

秘密の部屋編、開始です。




 

「これも、違う」

 

 

本を棚に戻し、小さくため息をついた。

賢者の石に関する情報は、明らかに少なかった。フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店と言う魔法使いの本屋に来て1時間、錬金術関連の本を読み漁ってみたが、どれも期待外れ。そもそも、錬金術関係の本自体が少ない。時代遅れだから読む人もいないのだろうが―――、こうも求めているモノがないとすると、他の方法を考えなくてはならない。

 

 

「――もう12時過ぎてる」

 

 

時計を見て、小さくため息をついた。

クイールと約束した時間まで、あと30分しかない。せっかく魔法使いの本屋に来ているのに、帰る時間は刻一刻と迫ってきていた。目星となる本が見つからないまま、教科書だけ購入して退散なんて勿体無い。入口の喧騒とは打って変わり、閑古鳥の鳴く錬金術コーナーを1人歩く。再び目についた書籍を手に取ってみるが、目次をみて落胆してしまった。

 

 

「また、真理の探究か」

 

 

現代において錬金術は、変身術の亜種という側面が皆無だ。

「真理の探究」という哲学的な意味合いが強い。故に、「賢者の石」に関する書籍がほとんど出版されていないのだ。やっとの思いで石関連の書籍を見つけ出したとしても、石を作り出す方法はもちろん、概要と歴史しか書かれていない。

 

 

「やっぱり、古本屋の方があったかもな―――ん?」

 

 

その時だ。

埃を被った小さな本に、眼が止まる。黒い背表紙を撫でると、金糸で題名が小さく記されていた。

 

 

「『大癒師ケルススを超えた者』」

 

 

吸いつけられるように、ページをめくる。

そこに記されていたのは15世紀の錬金術師――「テオフラストゥス・フィリップス・アウレオールス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム」、通称「パラケルスス」の半生と残した秘術に関する物だった。そこに記されていた一文に、眼が奪われてしまう。

 

 

「石を作り出した?」

 

 

私は愕然とした。

パラケルススは、賢者の石を作り出したと書かれている。

しかし、ホグワーツで読みふけった「賢者の石」についての書籍では、パラケルススの名前は一言も出てこなかった。むしろ、ニコラス・フラメルが賢者の石を作り出した唯一の人物、だと書かれていた。これは、一体どういうことなのだろうか。諸説さまざまあるということか、それとも――意図的に隠されたのか。

 

 

「――?」

 

 

私は、ページをめくった。

マグルの医者の家系だったパラケルススは、ある事件をきっかけに錬金術へと傾倒していく。狂気めいた執念と研究への情熱が、掠れた文字から滲み出ていた。

 

 

「――、ゴーント。おい、聞いてるのか!?」

 

 

肩を強く叩かれ、ようやく本から顔を上げる。

同級生の少年が、後ろに立っていた。プラチナブロンドの髪が、店内の淡い灯りを浴びて、輝きを増している。私は本を閉じると、少年に向き合った。

 

 

「久し振りですね、マルフォイ。一体、いつからそこに?」

「少し前からだ。

優等生様は、人がいることにも気づかないくらい、読書に夢中だったってわけか」

 

 

どことなく皮肉を含んだ言葉に、偉そうな態度。

いつものマルフォイの様子に、私は何も思うことは無い。私は時計に目を落とすと、すでに20分経過していた。そろそろ、クイールとの待ち合わせの場所へ行かなくてはならない。

 

 

「興味深い本でしたので、読み込んでいました。

それでは、マルフォイ。また、ホグワーツで――」

「おい、どこに行くんだ?あまり話してないぞ」

 

 

本を籠の中に入れて去ろうとすると、マルフォイが呼び止めてきた。

マルフォイの言う通り、会ってから数秒も経っていない。しかし、今現在――マルフォイと話して私のメリットになることは特にない。それに、クイールとの待ち合わせの時間が刻一刻と迫ってきているのだ。時間に間に合うためには、早急に買い物を終わらせなければならない。

 

 

「レジへ行きます。そろそろ義父との待ち合わせの時間ですから」

「マグルの義父か?」

 

 

くだらない、と言うように鼻を鳴らす。

マルフォイは柱に寄りかかると、忌々しげに呟いた。

 

 

「今、1階はロックハートのサイン会で混みあってる。2階で会計した方が、早く済むぞ」

「ロックハート、ですか?」

 

 

つい最近、何処かで聞いたことのある名前だ。

そう――確か、これから購入する教科書の作者の名前だった気がする。籠に目を落とせば、一般的な教科書とは似ても似つかぬ豪華な書籍――の表紙の写真と目が合った。波打つブロンドの髪に完璧な笑顔が特徴的なイケメン魔法使い。こちらにウィンクをしてくる写真を見ると、俳優やモデルのように思えてしまう。少なくとも、この書籍に記されているような――トロールや吸血鬼を華麗に倒す人物には、到底思えなかった。

 

 

「忠告、ありがとうございます」

 

 

私は2階で会計を済ませると、階段を下ろうとした。

しかし――降りる前に、1人の男が私の前に立ち塞がった。マルフォイと同じ髪の色をした男性は、私を値踏みするかのように見下ろしている。男が退く気配は、まるで無かった。

 

 

「ゴーント、父上だ」

 

 

マルフォイは、自慢げに男を紹介した。

私は2人を見比べてみる。

確かに、マルフォイは髪の色だけではなく、男の面影を受け継いでいるように感じた。しかし、どことなくマルフォイと纏う空気が違う。マルフォイは偉そうにしている雰囲気しか纏っていないが、男の方は、静電気のような威圧感を放っていた。

 

 

「はじめまして、マルフォイさん。セレネ・ゴーントと申します」

「君のことはドラコから聞いている、ミス・ゴーント」

 

 

淡々とした声、仮面を被ったような無表情。

一瞬、スネイプ先生の姿が――そして、鏡の間で対峙したクィレルが脳裏によぎったのは、気のせいだろう。

 

 

「『スリザリンの継承者』と、呼ばれているそうだね」

「スリザリン生の一部が呼んでいるだけです。私は、ただのスリザリン生に過ぎません」

 

 

それでは、と去ろうとしたのだが、マルフォイの父親は階段を通させてくれなかった。

次第に苛立ちが湧き上がってきたが、私はセレネ・ゴーント。誰もが認める優等生だ。苛立ちを心の奥に押しこめ、出来るだけ柔らかな口調で

 

 

「すみません。義父と待ち合わせをしていますので」

 

 

と、言ってみる。

しかし、マルフォイの父親は依然として動かない。

 

 

「君は、似ているな」

「似ている?」

「……いや、なんでもない。これからも、ドラコと仲良く頼むよ」

 

 

マルフォイの父親は、私の頭を軽く撫でると場所を開けた。

誰と似ているのか、何か隠したように思えるが――生憎、私には時間がない。マルフォイの父親に頭を下げ、マルフォイに少しだけ手を振ると、階段を駆け下りる。

入口は、ロックハートを一目見ようとする魔法使いで溢れかえっていた。なんとか人混みを縫い、押し出されるように外に弾き出される。ギルデロイ・ロックハートの人気は、目を見張るものだった。

 

 

「そんなに凄い魅力のある人か、あいつ?」

 

 

9冊の本が入った袋を担ぎ上げると、私はクイールとの待ち合わせ場所に急ぐ。

大量の本を持ち歩くことは、慣れている。しかし、夏の日差しの中で運んだのは、初めての経験だった。汗と共に体力まで流れていくような、奇妙な脱力感を覚える。

 

 

「セレネ、大丈夫かい?」

 

 

その言葉と共に、急に本を持つ手が軽くなった。

見上げてみると、そこにはクイールが微笑んでいる。

 

 

「迎えに来たよ、セレネ。よく頑張ったね」

「……ありがとうございます」

 

 

少し照れくさそうに、私は視線を逸らした。

まだ待ち合わせの時間になっていないが、大荷物の私を心配して迎えに来てくれたらしい。

唯一の家族だが血縁関係のない養父とは、良好な関係を築いていると思うが――少し私に優し過ぎるように思うのは、ただの気のせいだろうか。

深く考えない方がいいのか、それとも―――

 

 

「あの……すみません」

 

 

髪の毛が、くるくるっとカールした少年だった。年齢は、私と同じくらいだろう。育ちの良さそうな服装をしているにもかかわらず、両親の姿は見当たらなかった。

 

 

「イーロップのフクロウ百貨店は、この先で合っていますか?」

「その通りだよ。僕達もそこに行くところなんだ。良かったら、一緒に行かないかい?」

 

 

クイールが応えると、あからさまにホッとした表情を浮かべた。

 

 

「ありがとうございます。あの――もしかして、君、スリザリン生のゴーントさんですか?」

 

 

どうやら少年は、私のことを知っているらしい。

私が頷けば、少年は明るい笑顔を浮かべた。

 

 

「ハッフルパフ生のジャスティン・フィンチ・フレッチリーです。

君のことは知ってますよ、もちろん。ハーマイオニー・グレンジャーのライバルですよね?」

「……ライバルではありませんよ?」

 

 

私が応えると、フレッチリーは不思議そうに顔を傾けた。

 

 

「そうですか?『獅子寮のグレンジャー、蛇寮のゴーント』と例えられていますよ」

「初耳です」

 

 

確かに私とハーマイオニーは、学年の中で1番の点数を争っている。

杖を使う教科において、私はハーマイオニーの上を行くが、杖を使わない教科――すなわち、魔法史や天文学は、ハーマイオニーに一歩及ばない。帰りの汽車ですれ違った時、「次は負けないからね」と言われた。

学年の1位2位を争う優等生として、競争しているように見えるのかもしれない。

 

 

「それにしても、驚いてしまいました。

ゴーントさんはスリザリン生だと聞いていたので、てっきり魔法族出身の方だと思い込んでいました」

 

 

スリザリン生に、マグル生まれは皆無といっていい。

大半が魔法族出身の家柄の良い生徒で構成されていることくらい、私も知っていた。

マグル育ちの私は馬鹿にされることもあったが、既に成績と魔法で捻じ伏せている。そのせいで私を蔑むスリザリン生はいなくなったが、代わりに「スリザリンの継承者」として崇拝されるようになってしまった――。

 

 

「父親は魔法使いだったらしいですよ。しかし――」

「色々とあってね、今はマグルの僕と一緒に暮らしているんだ」

 

 

その先の言葉を、クイールが奪うように紡いだ。

私は少し眉間に皺を寄せたが、クイールもフレッチリーも気づいていないみたいだ。クイールの横顔に、少しばかり焦りを視た。別に両親が死んだことくらい、隠す必要はない。私を気遣って、か?それとも、何か別の理由でもあるのだろうか。

 

 

「そうですか……。

実は僕もマグルで育ちました。もっとも、両親はマグル生まれですが」

「フレッチリーも、マグルで産まれ育ったのですね」

 

 

彼の服装は、床を掃除するようなローブやマントと似ても似つかない――私達と同じマグル世界の服装だ。良く視れば、服の端に有名ブランドのロゴが印刷されている。

 

 

「はい。元々はイートン校への入学が決まっていました」

「イートン校!?」

 

 

クイールは、青ざめている。

私も叫びそうになってしまった。イートン校といえば、イギリス屈指の名門校だ。

制服だけで、700ポンドもかかるのだ。700ポンドもあれば、ちょっとした海外旅行が楽しめる。その大金を制服だけに費やすのだから、年間の学費なんて目を覆ってしまう大金だ。

しかも、金さえあれば誰でも入れるというわけではなく、幼い時から血の滲むような勉強を続けて来て、ようやく入学が許される。そこに入学するということは、すなわち上流階級と言うことを表し、末は政治・経済、または産業界のエリート街道が約束されたことを意味する。

 

 

「ホグワーツの入学を、辞退しなかったのですか?」

 

 

つい聞いてしまった。

イートン校に入学するまでにかかった費用や時間、それら全てを換算すると想像出来ない程の大金だ。私はホグワーツ入学に対して、そこまで何も思うところはなかった。優等生のセレネ・ゴーントらしく、クイールや説明に来てくれたスネイプが「ホグワーツに入学しなさい」と言われたから頷いただけ。進学先についても、目覚めた時期の影響で私立受験は間に合わず、公立の学校へ行くことが決まっていた。だから、金銭面で特に問題はなかった。しかし――さすがにイートン校や私立の学校へ進学が決まっていたとすれば―――少しは躊躇うのではないだろうか。

 

 

「あー……うん、父様と母様は反対していましたが、魔法の訓練も大切ですから」

 

 

フレッチリーは、どことなく寂しそうに答える。

やはり、家族と揉めてしまったらしい。聞いてはならないことを聞いてしまったようで、少しだけ気まずい。もしかすると、両親と不仲になってしまった結果――1人でダイアゴン横丁に来ているのかもしれない。

 

 

「でも、僕はホグワーツに来て良かったと思いますよ」

 

 

次に顔を上げた時、フレッチリーは嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

 

「僕は、ホグワーツで新しい目的を探すんです。

今までは父様や母様が目的を作ってくれました。今度は、僕が1から作り上げるんです」

「目的、ですか」

 

 

フレッチリーの瞳は、輝いていた。

フレッチリーの目的は、まだ見つからない。だから、それを探すために勉強する。

目的を見つけることが勉強。私には、少し信じがたい発想だ。私が勉強する目的は、優等生であり続けるため。それが、セレネ・ゴーントでいる証だから。

唯一――ここにいる「私」が持つ目的と言えば――

 

 

「さぁ、ついたよ。2人とも」

 

 

気がつくと、ふくろう百貨店の前に辿り着いていた。

大した距離ではなかったのだが、かなり歩いたように思える。

 

 

「フクロウの餌を買ったら、3人で昼御飯を食べて、残りの買い物をしようか?」

「えっ、いいんですか?申し訳ないです」

 

 

フレッチリーは、恥ずかしそうに首を横に振る。

しかし、クイールは柔らかな笑みを浮かべていた。フレッチリーに、教え子を見つめる教師の眼差しを向けている。

 

 

「買い物は、大勢でした方が楽しいよ。―――ね、セレネ?」

 

 

クイールは、私に同意を求めてきた。

特別断る理由もない。むしろ、目的を探すために勉強するフレッチリーに興味が沸いた。

何より――ここで断るのは、セレネ・ゴーントらしからぬ行動だ。私は静かに目を閉じると

 

 

「構いませんよ」

 

 

その言葉は、蒼い空に消えていく。

8月の照りつける日差しの下。

私達の買い物は、まだ始まったばかりだ。

 

 

 

 




3月22日:誤字訂正


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15話 9月1日

 

「すみません」

 

 

トランクとトランクが激突し、互いによろけてしまった。

9月1日。9と4分の3番線。ホグワーツ全校生徒と保護者が、決して広いとは言えない駅のホームに集中する。私も人の流れに注意してトランクを担いでいた。しかし、少し余所見した時に、ぶつかってしまった。

 

 

「大丈夫だよ」

 

 

その子は、少し変わった感じの子だった。

濁り色のブロンドの髪をした子で、足元の何かを拾おうとしている。彼女の視線を辿ってみると、そこには1冊の雑誌が落ちていた。何人もの人に踏まれたらしく、靴の痕がいくつもついていて、あまり触れたくない雰囲気を醸し出している。

それでも少女は、表紙を軽くポンポンと叩いて、大切そうに抱えた。

 

 

「もしかして、私とぶつかった拍子に落としてしまいましたか?」

「そうだよ。でも、気にしないで。たぶんラックスパートにやられてたんだと思うから」

「ラックスパート?」

 

 

聞き覚えのない言葉に、首をかしげてしまう。ケルベロスという特定の魔法生物に関しての知識はあるが、その他の魔法生物についての知識はない。それでも、魔法生物と言うのはマグル世界の神話生物が多い。それにしても、ラックスパートと言う名は聞き覚えがなかった。

 

 

「ラックスパートはね、人の眼には見えないの。その辺りにふわふわって浮いていて、人の頭に入ってボンヤリさせちゃうんだ」

「そうですか」

 

 

さすが魔法界。不思議な生物がいるものだ。

私は納得すると、トランクを持ち直した。

 

 

「私、ルーナ・ラブグッド。今年入学するんだ。アンタも今年入学?」

 

 

ルーナ・ラブグッドは、スキップする様についてくる。どうやら、私も同期だと思われてしまったらしい。確かに、身長は伸び悩んでいた。スリザリンの同期の中では、私の背が1番低い。それは成績に繋がらないため、特に気にしないようにしている。

 

 

「私はセレネ・ゴーントと言います。スリザリンの2年生です」

「あっ、ごめん。てっきり1年生かと思った」

「謝る必要はありません。気にしていませんから」

 

 

ラブグッドより、一歩先を歩く。

ラブグッドは何か言いたげな顔をしていたが、気にしない。

私は汽車に入り込むと、空いている席を探す。

学年の指定はなく、最前列の車両以外は自由席だ。大半の席は生徒たちで埋まっていたが、中ほどの車両に1つ―――誰もいないコンパートメントが残っていた。

 

 

「良かった、空いてるところがあって!」

 

 

私が入った後から、ラブグッドも入り込んでくる。

 

 

「どうしているのです、ラブグッド?」

「どうしてって?」

 

 

どういうこと?と首をかしげる。文句の言葉が喉元まで上がって来たが、無理やり捻じ伏せる。私はスリザリンの優等生、セレネ・ゴーントだ。この程度で文句を言う人間ではない。

 

 

「いえ、なんでもありません」

「そう?―――あっ、パパだ!!」

 

 

ラブグッドは銀髪を輝かせながら、窓から体を乗り出した。

大きく手を振る先には、一際奇天烈な男性が立っていた。その人の周りだけ、人が寄りついていないようにも見える。三角と丸を合わせたような、不思議な首飾りを提げている。

 

 

「セレネのパパは?」

「私の義父さんは――あそこですね」

 

 

ホームを覗いてみると、小さくクイールの姿が視えた。

クイールも私の顔に気づいたのだろう。ニコッと微笑み、こちらに手を振る。だから、私も彼に手を振り返した。ちょうど、それに呼応するかのように汽笛が鳴り響く。小さいクイールの姿は豆の様に小さくなり、ついには消えてしまった。ホームは遠ざかり、ロンドンの町並みが流れていく。

 

 

「あっという間の夏期休暇、でした」

 

 

小さな呟きも、窓の外と共に流れていく。

宿題とマグルの勉強、そして錬金術の勉強をしている間に、いつの間にか夏期休暇が終わってしまった。2カ月は、あっという間だった。これから長いようで短いホグワーツでの生活、再び幕を開ける。

 

 

「――っん」

 

 

その時、途端に眠気が襲ってきた。

昨日遅くまで――いや、連日遅くまで読書やら勉強やらをしていたからだろうか。瞼が急激に重くなる。本を読もうとしていた指が重く、思うように動かない。

 

 

「寝てもいいよ。到着したら、起こすから」

 

 

ラブグッドは、雑誌から顔を上げないで言った。

同席相手がいる以上、寝てしまうのは失礼な気がする。しかし、これ以上――目を開けることは難しい。ここは、ラブグッドの好意に感謝することにしよう。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

旅は長い。

これから夕暮れ時まで1人のんびり、午睡を貪るとしよう。

少しくらい――意識を手放しても許されるはずだ。そう思い目を閉じたが最後、私の意識は深く深く―――沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「■■――!」

 

 

小さな少女は、部屋に飛び込んだ。

成績のトップを示す通知を握りしめ、満面の笑みを浮かべている。傍から見ている私まで、表情が綻んでしまいそうだ。■■を喜ばせるため、誰にも負けないように努力し続けた結果だった。今の少女は、ちっぽけな公立学校の頂点ではなく、イングランドでも有数の成績を誇っていた。全ては、■■を喜ばせるため。たった1人の大切な人に笑ってもらうため。それだけのために、少女は成績のトップスコアを目指し続けていた。

目的が、ついに叶った。これで、ようやく―――夢が実現する。

 

 

「私だよ、■■!」

 

 

しかし、次の瞬間――少女の表情は固まってしまう。部屋の中には、誰もいなかった。

レースのカーテンが風に揺れ、黄色のリコリスが白い部屋に映えている。それ以外は、椅子とベッドしかない殺風景な部屋。ここの主は、何処へ行ったのだろう?

 

 

「■■?」

 

 

少女は、不思議そうに周りを見渡す。

誰も少女の声に、反応する人はいない。少女の言葉は、白い空間に吸い込まれていく。

次第に、少女は怖くなってきたのだろう。白い世界から逃れるように、廊下に飛び出た。そこで、背の高い人にぶつかってしまう。

 

 

「セレネ!!」

「ねぇ、義父さん。■■はどこ?」

 

 

クイールは、泣き出す一歩手前の表情を浮かべている。

だんだんと、少女も泣き出しそうになってきた。だけど、涙をこらえるように拳を握りしめる。ぐしゃり、と成績通知表に皺が寄った。

 

 

……。

 

 

 

「あっ、セレネ。目が覚めた?」

 

 

薄らと目を開ける。

心地の良い汽車の揺れ。温かい午後の日差し。

いつの間にか――前の席には、ハーマイオニー・グレンジャーと赤毛の少女が腰を掛けていた。

 

 

「ハーマイオニーと……そちらの方は?」

「ジニー・ウィーズリーだって。空いてる席探してるみたいだったから、誘ったんだ」

 

 

ラブグッドが代わりに応える。

相変わらず、先程の雑誌を読んでいる。表紙が違うので、バックナンバーだろう。一体彼女は雑誌を何冊持ってきているのだろうか。―――いや、それは置いておこう。

私は、ジニー・ウィーズリーに視線を戻すと、少し目を細めた。

 

 

「ウィーズリー?もしかして、ロン・ウィーズリーの妹さんでしょうか?」

 

 

ジニー・ウィーズリーは、私の問いかけに頷いた。

燃える様な赤い髪に、鳶色の瞳、そばかすは――どことなくウィーズリーを連想させた。

 

 

「初めまして、ジニー・ウィーズリー。私は、セレネ・ゴーントと言います」

 

 

ジニー・ウィーズリーと握手を交わす。ハーマイオニーは、意味ありげに微笑んだ。

 

 

「ね、スリザリン生だって悪い人ばかりじゃないのよ」

「悪い人ばかり?」

 

 

私が目を細めると、ハーマイオニーの表情は苦笑いへと変わる。

大方、ジニー・ウィーズリーは兄同様、スリザリン生について好印象を持っていなかったのだろう。この寮間の溝はどうならないものかと、つい考えてしまうが――それは、優等生のセレネが気にすることではない。

 

 

「そういえば、セレネはどんな夢を見ていたの?なんというか――うなされていたけど」

 

 

ハーマイオニーが、話題を変えてきた。

私は数分前まで視ていた夢に、想いを馳せる。どんな夢を見ていたかは、よく思い出せない。

小さなセレネ・ゴーントが、白い部屋に走り込んでいる夢。嬉しくてたまらなかった気持ちが、急激に萎んでいく感覚は、不思議と現実のように思えてしまう。しかし、セレネ・ゴーントの9年間の記憶に、あのような場面は残っていない。きっと、ただの夢だったのだろう。だが―――懐かしいような、悲しいような、胸が締め付けられる感じがした。

 

 

「問題ありません。大した夢ではありませんでした」

 

 

夢から、気持ちを切り替えよう。

私は、外を眺めた。のどかな農村風景が流れては消えていく。

劇的な変化もない風景は、私を一層、憂鬱な気持ちにさせた。ふと、気を緩めると考え込んでしまうのだ。

 

 

あの夢は、本当にあった出来事ではないか、と。

 

 

 

 



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16話 ナルシストの防衛術

学校が始まり、私は図書館通いを再開させていた。

錬金術師パラケルススの本は、相変わらず少ない。図書館の中でも埃臭い奥の奥を探し歩いても、1週間で2冊しか発見できなかった。しかも、そのうちの1冊は既にダイアゴン横丁で購入したものだったので、実質1冊しか発見できていない。何故、錬金術関連の本が少ないのだろうか。それとも、パラケルススが異端なのだろうか。

 

 

「久し振りですね、セレネ」

 

 

囁き声で、私は顔を上げる。

前に座っていたのは、ジャスティンだった。ロックハートの本を広げ、にこやかに微笑んでいる。

 

 

「こちらこそ久し振りです、ジャスティン」

 

 

ダイアゴン横丁で行動を共にしたこともあり、少し仲良くなった。スリザリンとハッフルパフと所属寮が違うので会う機会は滅多にないが、偶にこうして図書館で会う。後に、ハーマイオニーも交えた3人で話す機会も増えるのだが―――それは、また別の話。

 

 

「セレネは、ロックハートの授業の噂――聞きましたか?」

 

 

ジャスティンは、司書のいる位置を確認してから――さらに小さい声で問うてきた。あの日――書店を騒がせていたギルデロイ・ロックハートは、今年から「闇の魔術に対する防衛術」の教師に就任した。彼の行う授業は、この昼休みの後――つまり、次の時間だった。本の記述と本人に対する印象から、そこまで期待できる授業が行われるかどうか疑問を感じてしまう。しかし、もし―――万が一、あの本通りの男であるならば、授業に期待出来る。本に記載されていない裏話が、聞けるかもしれないのだ。だから若干――本当に小匙一杯分くらいの淡い期待はしていた。

 

 

「あの男――いや、失礼。あの先生の授業で、何か起こったのですか?」

 

 

しかし、ジャスティンの反応を見る限り――その期待は消え失せそうだ。

 

 

「グリフィンドールの授業で起こった出来事らしいのですが―――教室に放ったピクシー妖精に為す術もなかったらしいんですよ」

「やっぱり、そうでしたか」

 

 

授業への期待は、あっけなく塵と化した。

自信満々に悪戯好きのピクシー妖精を放ち、逆に襲われ逃げ惑う姿が目の前に浮かんでくるようだ。そのような男の授業に出るだけ、時間の無駄に思えてしまう。このまま図書館に残って、パラケルススについて調べていたい。だが、授業に出ないと単位が貰えない。

私は、小さくため息をついた。

 

 

「やっぱり?」

「あの本は、まるで物語です。面白く纏められていますが――恐らく、あれはロックハート先生が体験したことではないと思います」

 

 

首をかしげるジャスティンに、私は囁き返した。

 

 

「本では、あんなに目の覚めるようなことをやっているではありませんか。

もしかしたら、噂も体験授業の一環かもしれませんし」

 

 

どうやら、ジャスティンはロックハートに疑問を覚えつつも、心酔しているらしい。

心酔する理由は、分かるような気もした。電話ボックスまで追い詰められても、土壇場の逆転劇を見せたり、荒れ狂う狼人間を、素手で叩きつけたりするなんて、華々しい活躍した人物の教えを乞う機会は、滅多にない。そのような人物は、自分から遠い世界の出来事であり、それが身近にいるとなったら――興奮するのが人というものだ。

 

 

「描写表現が、足りな過ぎます」

 

 

私は、本を閉じる。そろそろ始業10分前の鐘が鳴る時間だ。

私は貸出手続きの準備をしながら、話しを続ける。

 

 

「もし、実際に体験したことであるならば、もう少し臨場感の出る表現が出来るはずです。

しかし、全てが軽いタッチで描かれています。つまり――」

「誰かの体験談を、ロックハートがゴーストライターとして書いているということですか?」

 

 

ジャスティンが、どこか辛そうに呟いた。

楽しい夢から覚めてしまったような、どことなく陰のある苦い横顔だった。

 

 

「なんとなく――それは、僕も感じていました。実際に会ったロックハートは、目立ちたがり屋な方でしたし。この本に書いてあるような――勇気溢れる魔法使いなんて、滅多にいませんよね」

 

 

その声と共に、始業前を告げる鐘が鳴り響いた。

その瞬間、ジャスティンの表情は先程までの穏やかな表情(もの)へ戻っていた。机に出していた本を鞄に戻し、私達は立ち上がる。

貸出手続きを終えた私は、ジャスティンと別れ、まっすぐ前年度までクィレルが使っていた教室へと向かった。教室は様変わりしており、右を見ても、左を見てもロックハートの顔写真が微笑んでいる。スリザリンの同級生は、既に揃っていた。ダフネとブルストロードとパーキンソンの3人は、ロックハートについて、頬を染めて熱心に語っている。

反対に、ドラコ・マルフォイら男子生徒一同は興が醒めた様に退屈そうにしていた。

 

 

「みなさん、静粛に」

 

 

ロックハートは、マントを翻して現れた。

そして、ビンセント・クラッブの持っていた「トロールとのとろい旅」を取り上げる。ウィンクを続ける自分自身の写真のついた表紙を、得意げに高々と掲げた。

 

 

「私だ」

 

 

本人もウィンクをする。

前方の女子3人の間に、うっとりした様な甘い空気が漂った。

 

 

「ギルデロイ・ロックハート。勲三等マーリン勲章、闇の力に対する防衛術連盟名誉会員、『週刊魔女』5回連続『チャーミング・スマイル賞』受賞。

もっとも、私はそんな話をするつもりではありませんよ。バンドンの泣き妖怪バンシーをスマイルで追い払ったわけじゃありませんしね!」

 

 

ロックハートは笑うのを待ったが、ごく数人が曖昧に笑っただけだった。

しかし、その反応を気にすることもなく、ロックハートは言葉をつづけた。

 

 

「全員が私の本を全巻そろえたようだね?今日は最初にちょっとミニテストをやろうと思います。心配無用―――君たちがどれくらい私の本を読んでいるか、どのくらい覚えているかをチェックするだけですからね」

 

 

テスト用紙が配られる。

基本的な内容は、頭の中に入っている。雪男の倒し方や鬼婆との出会いの瞬間、吸血鬼の対処法などは完璧だ。私は眼鏡を押し上げると、ペンを構える。

 

 

「制限時間は30分です。よーい、始め!」

 

 

私は、勢いよくページをめくった。

 

 

1.ギルデロイ・ロックハートの好きな色は何?

2.ギルデロイ・ロックハートの密かな大望は何?

3.現時点までのギルデロイ・ロックハートの業績の中で、アナタは何が一番偉大だと思うか?

 

 

思わず、ペンを置きそうになった。

このテストで、本の内容をいかに理解しているのか、本当に図ることが出来るのだろうか。特に3問目は、テストではない。これは、雑誌の読者アンケートだ。本の内容を参考に自分の考えを書く問題なのかもしれないが、目の前に本人がいる以上――公正なテストとはいいがたい。

こんなことをしているならば、図書館に戻って錬金術の本を探していた方がましだ。しかし、進級するためには単位は必要だ。それに、セレネ・ゴーントは優等生だ。この程度で怒り、感情の赴くままに行動するなんて、ありえない。私は記憶の断片を頼りに、全力で回答する。

例え、虫唾が走るようなロックハートの授業であっても、セレネ・ゴーントは優等生であらねばならぬ。

 

 

「ちっちっち――皆さん、ちゃんと私の本を読んでいますか?」

 

 

30分後、ロックハートは答案を回収し、クラス全員の前で捲り始めた。

ちゃんと読んでいる?もちろん、私は読破した。しかし、このテストは本の内容とは一切関係ない。全てロックハートについて、どこまで知っているのか問うテストだった。

 

 

「『狼男との大いなる山歩き』を、もう少ししっかり読まないといけない子が多いですね。

第十二章ではっきりと書いてある様に、私の誕生日の理想的な贈り物は、魔法界と非魔法界のハーモニーですよ。それから、私の密かな大望は、この世界から悪を追い払い、ロックハート・ブランドの整髪剤を売り出すことです。みなさん、しっかり読んで来てくださいね」

 

 

読んだ。

だが、そのようなところまで目を通していなかった生徒は多いだろう。

ロックハートの悪戯っぽいウィンクに、私は内心ため息をついた。マルフォイなんて、呆れてものが言えない、という表情を浮かべていた。その後ろに座っていたセオドール・ノットとザビニ・ブレーズは、声を押し殺して笑っている。しかし、女子生徒3人はロックハートの話に、うっとりとした表情で聞き入っている。あの男のどこが魅力的なのだろうか。性別は同じでも、私には理解できなかった。

 

 

「情けないですね、グリフィンドールではミス・グレンジャーが満点を取ったというのに。

このクラスの最高得点は、ミス・ゴーントの50点です。嘆かわしいことに、4問も間違えてしまっています」

 

 

つい、拳を握りしめてしまった。

4問しか間違えなかった、ことが奇跡だ。クラスで1番を取ったというのに、何の達成感もない。むしろ、気怠さが増したようにすら思えてしまう。

 

 

「それでは、始めましょうか。『雪男とゆっくり1年』を開いて」

 

 

それからは、ロックハートが本を読み上げるだけの退屈な時間が過ぎていく。時折、誰かを指名し――本を朗読させる。退屈極まりない授業。ロックハートの自慢話に、欠伸が出そうになった。

 

 

この1年――無駄な時間をどう過ごそうか。

形だけ真面目に聞いているふりをしながら、そればかりを考えていた。

 

 

「おや、1時間とは早いモノですね。それでは、今日はこれまで」

 

 

待ちわびた鐘の音が、教室内に響き渡る。ロックハートは白い歯を見せながら、私達に手を振った。私はロックハートに背を向けると、さっさと廊下に出た。次の授業は、マクゴナガル先生の変身術だ。変身術は錬金術と同系列の学問だ。夏期休暇中の錬金術の自学習で疑問に思ったことを、尋ねてみようか。何かヒントになりそうな事柄を、手に入れられるかもしれない。そんなことを考えながら歩いていた時だ。

 

 

 

「おい、ゴーント」

 

 

振り返ってみると、そこには背の高いスリザリン生が立っていた。

 

セオドール・ノット。先学期は、ほとんど話したことがなかった同級生の1人だ。今頃になって、私に何か用だろうか。私は足を止めて、セレネらしい表情を浮かべた。

 

 

「何か用ですか?」

 

 

ノットは難しい表情を浮かべ、ポケットに手を入れている。

言おうか言わないか、迷っているようにも見えた。何も言わないノットに痺れを切らし、去ろうとした時――ようやく口を開いた。

 

 

「ゴーントは、何で蛇語を扱えるんだ?」

 

 

 




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17話 蛇語のルーツ

蛇語――通称:パーセルタング。

 

 

それは古来より、闇の魔術に深い関わりがあるとされる。

サラザール・スリザリンが蛇語を操ったとされ、その直系の末裔の者も操ったと伝承されている。イギリスにおける蛇語使いは、サラザール・スリザリン直系の末裔が非常に多い。

 

 

「そして、最後の蛇語使いは『例のあの人』ということでしたっけ?」

 

 

「生粋の貴族―魔法族家系図」という古びた本を捲りながら、セオドール・ノットの話を反芻した。心地の良い昼下がり、私はノットと一緒に談話室のソファーに腰をおろしていた。

どうやら夏期休暇中、ノットは父親に私が蛇語を操れることを話したらしい。それを聞いた彼の父親は、椅子から転げ落ちる程、仰天したそうだ。そこで初めて、ノットは「ヴォルデモートも蛇語を使う」ことを教えてもらったらしい。

 

 

「つまり、『例のあの人』は、スリザリンの末裔だ。

だから、ゴーントは『闇の帝王』の娘なんだろ?」

 

 

ノットは、杖を弄びながら断言する。

クィレルの後頭部に貼り付いていた塵も同然な姿が、脳裏に浮かんできた。せっかく夕方にはハロウィーンのパーティが待っているというのに、気分は急降下してしまう。私は、大げさにため息をついた。

 

 

「ありえません」

 

 

私は、ノットの鼻の先に本を突きつけた。

 

 

「いいですか、そもそも『蛇語』が話せるからと言って、スリザリンの末裔とは限りません。

確かに、スリザリン直系の末裔の家名は『ゴーント』です。しかし――」

「ゴーント家は、滅んでいる。ありえない、だろ?」

 

 

ゴーント家は、モーフィン・ゴーントとメローピー・ゴーントなる人物を最後に、血が途切れている。メローピーが純血の家庭に嫁入りした記録は見当たらず、子どもを為した記録も本に記載されていない。モーフィン・ゴーントに至っては妻子を持たぬまま獄中死している。

 

 

「恐らく『あの人』は、たまたま蛇語を扱えたのでしょう。私もその類です」

「たまたま『ゴーント』という苗字を持って、たまたま『蛇語』を使えるなんて妙だろ。『闇の帝王』と血の関係がないなんて、ありえない」

「では、ヴォル――『例のあの人』は、何歳なのですか?」

 

 

頭に血が上り、つい名前を口走りそうになった。

だが、既のところで言い直す。ヴォルデモートとそのまま名前を口にするなんて、優等生らしからぬ失態だ。私は息を整えると、揃えた資料を並べた。

 

 

「『あの人』が力をつけ始めたのは、1966年頃です。この時には、既にホグワーツを卒業してから年月が経過していたと考えられます。そして、私が生まれたのは1980年。もし、私の父親だとするならば、どんなに若くても、40代後半です。

しかし、私の父親は20代だったと聞いています」

 

 

セレネ・ゴーントの記憶に、父親の姿はない。

産まれる前に死んだのだから、姿を知らないのは当然だろう。

だが、事件に巻き込まれる前――学校の宿題か何かで両親について調べた時、確か20代だったとクイールは教えてくれた。私の父親がヴォルデモートなんてありえないし、認めたくない。

 

 

「しかも、父は死んでいます。母が私を産んだ直後に死にました。墓だってあります。

 1981年まで活動を続けていた『あの人』が父親なんて、ありえません」

 

 

調べるだけ、時間を損してしまった。

さっさと本をノットに突き返して、私は錬金術の本でも読むことにしよう。「賢者の石」の材料や製造方法についての手がかりは、まだ微々たるものだ。ここで一発、発想の転換が必要かもしれない。そのためにも、私には勉強が必要なのだ。くだらない蛇語のルーツを調べている時間なんて、存在しなかった。

しかし――

 

 

「だけど、これだけは言わせてくれ。

サラザール・スリザリンは東洋人だ。お前は、その血を受け継いでいると思うぞ?」

「馬鹿馬鹿しいです。そこまで、私をスリザリンの末裔にしたいのですか!?」

 

 

私はノットに本を押し付けると、談話室を飛び出した。

確かに私は、蛇語を話すことが出来る。それは、魔法界では珍しい体質かもしれないだろう。

だが、そこまで気にすることでもないだろに。私が否定しているのだから、それで引き下がればいいのに―――。

 

 

「だけど――確かにイギリス人らしくない顔」

 

 

トイレに入り、鏡に映った憂鬱気な自分の表情を見る。

黒い髪は、別に目立つ程ではない。吸い込まれそうな黒い瞳は、確かにイギリスには少ない。ロマかアジア人かと思ってしまう。肌の色も、厳密に白とは言い切れない。限りなく白に近い黄色は、やはりロマかアジア人のような気もする。

 

 

「義父さんに、聞いてみようかな」

 

 

母親のこと、父親のこと。

今まで気にも留めてこなかったことを、尋ねてみよう。

父親の写真は分からないが、クイールと仲が良かったのであれば、母親の写真くらいは残っているかもしれない。

 

 

「それに――勢いで『末裔説』まで否定したけど、末裔かもしれない」

 

 

ヴォルデモートの直子である、という説は絶対にありえない。

しかし、その場の勢いで否定してしまった「スリザリンの末裔」という点だけは、真実かもしれない。

メローピー・ゴーントとモーフィン・ゴーント。

この2人の名前には心当たりないが、その父親の名前には心当たりがあった。

私は、ローブから学生証を取り出す。

 

 

「あっ、セレネ!一緒に大広間に行かない?」

 

 

その時、トイレにダフネ・グリーングラスが入ってきた。

麦わら色の髪を、優雅に2つに結いている。別段断る理由もない。私が頷くと、ダフネは嬉しそうに破顔した。

 

 

「良かった。じゃあ、ちょっと待ってて。私、すぐに済ませるから」

「分かりました」

 

 

学生証の名前を見下ろしながら答える。

私は、蛇語を話せる。

私の姓は、スリザリンの直系と同じゴーントだ。

スリザリンは東から来た魔法使いであり、私は東洋人らしい容姿をしている。

そして

 

 

「私の本名は――セレネ・マールヴォラ・ゴーント」

 

 

学生証に刻まれた名前を呟いた。

マールヴォラ。これは、モーフィンとメローピーの父親、マールヴォロ・ゴーントと名前が似すぎている。

メローピー・ゴーントの確かな生没年が不明で、かつ短期間で足取りをつかむことは出来なかった。まさかとは思うが―――私の祖母はメローピーなのだろうか。

しかし、そのことを何故、名付け親のセブルス・スネイプが知っている?彼は、私の母と面識が無かったと言っていた気がするが。

 

 

「セレネ、ごめん。お待たせ!」

 

 

ダフネが、トイレから出てきた。

私は学生証をしまいながら、一旦この件は忘れることにする。

スリザリンの血を引いているか、いないか。そんなことは、大した問題ではない。

今は、錬金術の研究を進めて「賢者の石」を生み出す方法を探ることが先決だ。

 

 

「いいえ、問題ありません」

「そう?」

 

 

私達は、ハロウィーンの夕食の席へと向かった。

去年は諸事情で参加出来なかったので、今回が初参加となる。

 

 

「凄いでしょ、セレネ」

「はい――これは、凄いです」

 

 

少し感動してしまう。

巨大なカボチャ型の提灯が広間を照らし、生きた蝙蝠が羽ばたいている。

テーブルには、カボチャ料理が並べられていた。パンプキンパイ、パンプキンサラダ、そしてパンプキンプディング。そして、粉砂糖で化粧した城型チョコレート、苺やブルーベリーといった宝石のような果物を乗せたタルト、ジャック・オ・ランタンを模った飴細工といった菓子類が華を添えていた。

セレネ・ゴーントの記憶を見渡しても、ここまで豪華なハロウィーンなんて知らない。

 

 

「去年、来れなかったことが――非常に残念です」

 

 

ハーマイオニーも、きっと同じように感じているはずだ。

しかし、グリフィンドールのテーブルには彼女の姿が見当たらなかった。いや、ハーマイオニーだけではなく、ハリーやロン・ウィーズリーの姿も無い。今年は、3人揃って何処へ行ったのだろうか。

 

 

「セレネも、甘い物が好きなんだ!」

 

 

どの菓子も食べてみたくて少しずつ、されども全種類よそったせいだろう。気がつくと皿から、菓子が零れ落ちそうだった。少し――はしたなかったかもしれない。優等生らしい表情を浮かべながら、

 

 

「全種類の味を確かめるためです。別に、好きと言うわけではありません」

 

 

と言ってみたが――説得力はなかったらしい。

ダフネは面白がるように、くすりと笑った。

 

 

「じゃあ私――セレネの誕生日には甘いお菓子を送るね。って、あれ?セレネの誕生日っていつ?」

「11月の末日です」

「へぇー、1か月後なんだ!」

 

 

そう言えば、1月後だ。

去年は、私をスリザリンの継承者だと思い込んだ崇拝者たちが、本やら菓子を大量に送ってきた。菓子は、1人で食べきれる量ではなかったので家に送ったが――クリスマスのプレゼントといい誕生日といい、大量にプレゼントが届くため、クイールには「友達が多い」と誤解されている。誤解を解いても優等生の皮が剥がれるだけなので、そのままにしているが――

いや、そのようなことはどうでもよい。

私はダフネの話に相槌を打ちながら、ハロウィーンの一時を楽しんだ。

 

 

 

「それにしても、今年はトロールが来なくてよかった」

 

 

帰路についたとき、ダフネは幸せそうな顔をして呟いた。

 

 

「トロールが来ても、ロックハート様がいるから大丈夫だけどね!!」

 

どうやら、ダフネはロックハートに心酔しているらしい。

ただ自分の著書を読むだけの授業しかできない男に、心酔する要素があるのだろうか?

 

 

「そうよね!ここでトロールが来ても、ロックハート様の武勇伝を彩るだけよ!」

 

愛猫を抱えながら、ミリセント・ブルストロードが近づいてきた。

 

 

「そうよね!絶対に倒すよね!」

「カッコいいよね、ロックハート様!!」

 

 

2人は、ロックハートの魅力について語り合い始めた。

彼女たちの周りに、桃色を連想する空間が構築されている気がする。ロックハートは自著を読むだけの授業しかしない男であり、この間のクィディッチの試合ではハリー・ポッターの腕を治すはずが、腕の骨を全部失くしてしまうという謎の行為をしたはずなのに、どうしてそこまで心酔しているのか理解できない。

もっとも、腕の骨をなくすという呪文には興味が尽きないが。

 

私は、そっと2人から離れた。

ロックハートには、興味がない。さっさと部屋に戻り、錬金術の本を読もう。

 

 

『血の臭いがする――血の臭いがするぞ!』

「なに!?」

 

 

突然の声に、私は周囲を見渡した。

会話声で五月蠅い人混みにいるのに、異様なまでに声はハッキリ通っていた。

いや、奇妙なことは、それだけではない。地獄の底から響いてきたような声なのに、誰一人として気にしていない。誰も声を気にもかけず、普段通りの会話を楽しんでいる。

 

 

「どうしたんだ?」

 

 

いつの間にか隣を歩いていたノットが、心配そうに尋ねてきた。

数十分前まで険悪な雰囲気になったのにもかかわらず、心配してくるとは――。実はお人好しなのかもしれない。だが、そのようなことは関係ない。

 

 

「いえ、なんでも」

 

 

このことは、言わない方が身のためだ。

この様子だと、誰にもこの声は聞こえていない。誰にも聞こえていない声が聞こえるなんて、頭がおかしいと思われてしまう。それは、優等生にあってはならない。

 

 

「キャ―――!!」

 

 

その時、悲鳴が場を貫く。

今度は、他の人にも聞こえたらしい。悲鳴を耳にした人たちは、瞬間、異様なまでに静まり返った。

何かあったのか、隣の人と話したり、突然の悲鳴に立ち尽くしたりと、その後の反応も人それぞれだった。

 

 

「なんだ、今の悲鳴?」

 

 

ノットにも聞こえたらしい。

不快そうに眉間に皺を寄せていた。

 

 

「ちょっとどけ!道を開けろ!」

 

 

マルフォイが部下達を引き連れ、他の人達を押しのけて前に出ようとしていた。

一体、前で何が起きているのか。もしかしたら、先程聞こえた声に、関係しているのかもしれない。私は、周囲の人に軽く頭を下げながら人垣を押しのけて最前列に出る。まるで、何かに突き動かされるように。最前列に出ると、禍禍しい文字が眼に入った。

その文字は、壁に何かが書かれて光っていた。高さ30センチほどのところに血を思わせるような真紅のペンキで書かれた文字が、松明に照らされて光っている。

 

 

 

 

≪秘密の部屋は開かれたり  継承者の敵よ、気をつけよ≫

 

 

 

水溜りが、文字を妖しく反射している。

管理人のフィルチの飼い猫――ミセス・ノリスが、水溜りの文字を覗き込むように固まっていた。

その先には、夕食の席にいなかった3人の姿が視えた。彼らも顔を青ざめさせ、壁の文字を見つめている。

 

 

「継承者の敵は気をつけろ!次はお前たちの番だぞ、『穢れた血』め!」

 

 

マルフォイが、静けさを破るように叫ぶ。

『秘密の部屋』は、サラザール・スリザリンが城のどこかに残したと言われる部屋のこと。

『穢れた血』とは、マグル生まれの者を蔑む純血主義の言葉のこと。

つまり、ここで言う「継承者」とは「スリザリンの継承者」を指している。

だが―――

 

 

「スリザリンの継承者が、現れた?」

 

 

先程までの少し幸せな気分が、吹き飛ばされた。

私は、スリザリン生の間で「スリザリンの継承者」だと噂されている。もしかしたら、本当に私が「スリザリンの末裔」かもしれない。

しかし、私はこんなことしていない。優等生の私が、こんな真似をするわけがない。

私以外にも、スリザリンの継承者がいるのか?それとも、これは継承者の名をかたった模倣犯の仕業か?

 

 

「これは――?」

 

 

気がつくと、ノットも人混みをかき分けて来ていた。

彼の視線は、壁の文字に吸いつけられている。私は彼の腕を掴むと、来た道を無理やり戻った。寮へ戻るために、別の道を進む。一本別の道に入れば、そこには人がいない寂しい空間が広がっていた。

 

 

「お、おい!ゴーント!!まさかと思うが――あれは、お前の仕業なのか!?」

「やっていません!!」

 

 

私は、即座に否定する。

スリザリンの継承者だと崇拝する連中は、明らかに私の仕業だと思うだろう。だが、あれは私の仕業ではない。しかし、このままだと罪を私に擦り付けられてしまう。ここまで積み上げてきたセレネ・ゴーントという優等生の地位が、一気に崩れ落ちることは阻止しなければならない。

 

 

「セオドール・ノット。貴方は私が『スリザリンの継承者』かどうか―――知りたがっていましたよね?」

 

 

本来なら、1人で調べる必要があるかもしれない。

だが、私はマグル育ちで魔法使いの家系について詳しく知らない。もちろん、図書館で調べれば解決するだろうが、他の勉強と並行して調べるとなれば、時間が足りな過ぎる。

調べている間に冤罪をかけられたら―――セレネ・ゴーントは終わってしまう。

 

 

「誰が主犯なのか、一緒に探してくれませんか?」

「なんで俺が――」

「継承者が誰なのか、知りたいんですよね?」

 

 

一歩後ろに引くノットに、私は詰め寄った。

行き場を無くしたノットは、壁に背をつけた。杖を取り出そうとポケットに手を伸ばすが、私からすると動作が遅すぎる。

 

 

「『エクスペリアームス―武器よ、去れ』」

 

 

私の方が素早かった。

ノットの杖は指から抜けて、私の左手に納まる。そのまま杖を、彼の喉元に押し付けた。

 

 

「協力してください、セオドール・ノット。

上手くいけば、貴方の抱いている疑問は解けますよ?

私が蛇語を扱う原因も、本当の継承者が誰なのかも、分かるかもしれません」

「杖を取り上げて――脅しか?」

「脅し?とんでもありません。これは交渉です」

 

 

 

私は、ノットから奪った杖を――ちょうど逃げるように窓から出て行く蜘蛛に向けた。

変身術で習った内容を頭に浮かべながら、杖を振るう。

 

 

「お前――いったい何を!」

 

 

ノットが言い終える前に、閃光が奔った。

閃光は蜘蛛に当たり、何の変哲もない蜘蛛は一瞬にして蛇に変わった。蛇になった蜘蛛は、驚いたように右往左往している。

 

 

 

「あの蜘蛛のようになりたくなければ、協力してください」

 

 

自分が蛇になった姿を想像したのだろう。

ノットの顔は、恐怖で歪む。

しかし、恐怖が浮かんだのは一瞬だった。すぐに持ち直し、私を殺さんばかりの勢いで、睨みつけてきた。

 

 

「俺が訴えたら、どうするつもりだ?」

「蛇になってしまったら、訴えるも何もないですよね?そもそも、蛇と会話できるのは、私だけですし」

「俺がいなくなったら――」

「ミセス・ノリスに『あのようなこと』が起こった後ですよ?

生徒が1人消えても、『継承者』が疑われるだけです」

「ならなおさら、ゴーントが疑われ」

「私には、不本意ながら崇拝者がいます。彼らと一緒にいたという事実を作り出せば、良いだけの話です」

 

「っく――汚いぞ、お前」

「汚い?」

 

 

こちらを睨んでくるノットを、私は一蹴した。

 

 

「私は、汚くありませんよ。セオドール・ノット。ただ、協力を申し出ているだけです」

 

 

しばらく無言の時が続いた。

遠くから、こちらの廊下に歩いてくる足音が響いてくる。時間がない。私は無表情を装いながらも、内心焦り始めていた。このまま誰かが廊下に入ってきたら、優等生らしからぬ行動を見られてしまう。もう少し柔らかく協力を頼めば良かった――と、後悔が湧き上がってきた。

 

 

「……」

 

 

ノットは、無言で私を睨んでいる。

そして――

 

 

「分かった。協力する」

 

 

ため息とともに、ノットは了承する。

私はホッと胸を撫で下ろした。突きつけた杖をローブに戻し、左手の杖を返す。

 

 

「ありがとうございます、ノット。もちろん、この調査のことは内密に」

「お前、とんでもない優等生だな」

 

 

ノットは、吐き捨てるように言い放つ。汚くて結構。詰まる所、人に知られなければ良いのだ。だから私は、にこやかな微笑みと共に言葉を返した。

 

 

「それでもセレネ・ゴーントは、優等生ですよ」

 

 

私が本物の継承者なのか、それとも唯の勘違いなのか。

どちらにしろ、私に嫌疑の眼を向けられる可能性は高く、免罪を被せられる可能性も高い。

だからこそ、行動する。

 

 

私の無実を証明するために―――。

 

 

 

 




※3月29日:一部訂正


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18話 早朝の図書館

ジャスティン視点です。
※3月29日:訂正



 

郵便の時間、僕――ジャスティン・フィンチ・フレッチリーは少しだけ寂しくなる。

 

 

同じハッフルパフ寮のアニー・マクミランやハンナ・アボットやスーザン・ボーンズ、そして他の先輩方や後輩の皆には手紙が届く。――でも、僕の所には一通も来ない。僕は――フレッチリーの名を穢した異端児だから。

代々――フィンチ家もフレッチリー家も、政治家や医師を輩出している名家だ。だから、僕も政治家になるために勉強をしていた。いや、させられていた。

勉強することに疑問を覚えることもなく、淡々と与えられた課題をこなす日々。遊ぶ時間も無く、そもそも遊ぼうという考えを抱くこともなく、僕は毎日の生活を送っていた。

イートン校に入学が決まった時も、誰も誉めてくれる人はいない。フィンチ家もフレッチリー家も、それは当然のことで誉めるに値しないのだ。とはいえ、必死に努力して積み上げた成果を誉められないのは少し悲しいことだった。

 

 

僕は――どうして勉強しているのだろう。

このまま勉強を続けていても、誉めてもらえることは無いのではないか?

誰からも認められることもなく、親の敷いたレールの上を歩くだけの人生を送るのだろうか。

まだ、自分が何をしたいのかは分からない。でも――それでも、僕は自分で何かを選びたい。

ジャスティン・フィンチ・フレッチリーの生きる目的を探したい。

 

 

ホグワーツの入学許可証が届いたのは、そんな時だった。

両親は、入学に猛反対した。だけど、僕はその反対を押し切って――初めて、自分の意志で物事を決めた。両親に逆らったのも、それが初めてだった。両親は、僕のことを許していない。父親は「魔力なし」と判断された弟の勉強に打ち込み、僕には見向きもしない。

母親は「訓練された魔法使いがいることは、大切なことね」と言うけど、それは口だけ。僕に気遣って言っているだけだった。

手紙が来ることもなく、出したところで意味のある手紙は帰ってこない。

だから今日も、僕は郵便の時間が来る前に大広間を出ようとする。ホグワーツに入学したこと自体に後悔はしていない。それでも―――この時間は苦痛なのだ。

 

 

「あっ、今日も1人で図書館に行くのか?」

 

 

僕の背中に、アニーが声をかける。

ミセス・ノリスの事件が発生して以来、マグル出身の僕を気にかけてくれる。

「スリザリンの継承者」だと噂されているハリー・ポッターに、僕がマグル出身だと漏らしてしまったから――。

 

 

「大丈夫です。彼は――まだ、食事中です」

 

 

僕はアニーに、弱弱しい微笑みを返した。

ハリー・ポッターは、友人と一緒に食事をとっている。今なら1人で移動しても何も――問題ないはずだ。

1人、図書館へ出かける。

今から始業までの1時間――いや、移動時間も考えると45分間。僕は、スリザリンの少女と一緒に本を読む。少女が読むのは、決まって錬金術関連の書物。真剣な表情で本を読み、見知らぬ物質の構造式と計算式をノートに書き写し、時折何かを考え込む。だから、話しかけることはしない。僕は、ただ予習と復習をするだけ。たまに、どうしても分からないところがあると、作業の様子を見て話しかけてみる。

そうしたら――作業を止めて、的確に教えてくれる。そんな彼女と一緒にいることは、心落ち着く一時だった。

 

 

「あっ、良かった。今日もいる」

 

 

今日も、いつもの席に腰を掛けている。

声を上げなければ、美しい人形と見間違えてしまうだろう。

セレネ・ゴーントは、古びた本を読んでいる。黒い制服から覗く細い手足と、陽の光とは無縁な白い肌。憂いがちな趣は、人間らしい意志を感じさせない。

誰よりも黒く艶やかな髪も、眼鏡の奥の黒い瞳も、どことなく神秘的で――まるで、美しい絵画の様に図書館に溶け込んでいた。

 

 

「おはよう、セレネ」

 

 

椅子を引き、セレネの前に腰を掛ける。

セレネは、本から顔を上げることなく

 

 

「おはようございます、ジャスティン」

 

 

とだけ言った。

やや丁寧過ぎる声。

これが、セレネ・ゴーントのセレネ・ゴーントらしい特徴の1つだろう。

少し前まで、セレネ・ゴーントを誤解していた。グリフィンドールのハーマイオニー・グレンジャーと同じ勉強熱心な才女かと思っていた。スリザリンであるということも加えて、マグルの世界で生きていた頃の僕と同じように英才教育を受けてきた純血主義のサラブレットかと思い込んでいた。

でも、ダイアゴン横丁で出会ってから――少しずつ誤解が解けて行った。

セレネ・ゴーントは魔法使いの血こそ引いていても、マグルで育っていた。

更に言えば、受け答えが人形のようだ。絵にかいたような優等生でありつつも、ハーマイオニー・グレンジャーとは、どこかが違う。セレネも、少し前の僕みたいに、誰かに認めてもらいたいから勉強しているのだろうか?いや、完璧なセレネに限って、それは無いだろう。

僕も鞄から教科書を取り出し、捲り始めた。

 

 

 

「……」

「…………」

 

 

朝の陽光が、窓から影を落としている。

古書の香りに包まれて、僕達は静寂の中で本を読み続ける。

早朝から図書館を使用する奇特な人間は、僕達しかいない。司書のマダム・ピンズでさえ、朝食のため図書館の席を外していた。

 

 

「……」

 

 

ふと、視線を上げてみる。

セレネは、いつも通り本を読み進めていた。今日は珍しく、メモを取らないらしい。

ただ静かに、本を捲っている。本を読むセレネの姿は、図書館で最も鮮やかに見る者を魅了するようだ。完全なる不意打ちである。どうにかして意識を逸らそうと、僕は教科書に目を落とす。しかし、今度は静寂が耐えられない。僕は、つい

 

 

「すみません、セレネ。1つ尋ねてもよろしいですか?」

 

 

と、前々からの疑問を1つ――尋ねてみてしまった。

セレネは、本を捲る手を止める。しかし視線は本に落としたまま、こちらの質問に応答してくれた。

 

 

「なんですか、ジャスティン」

「その――セレネは、東洋系の血を引いていますか?」

 

 

セレネの顔立ちは、イギリス人とは違いすぎる。

正確に言えば、欧米人には無い神秘的な雰囲気を醸し出していた。特徴、雰囲気、たたずまい、総合的に見ると、やはり東洋系――特に、アジア系の容姿に思えるのだ。

 

 

「詳しく分かりませんが、恐らくは東洋人の血を引いていると思いますよ」

 

 

セレネは、淡々と答えてくれた。

まるで、自分の血筋に興味がないようだ。しかし――それにしては、先日――1日だけ、「生粋の魔法族」という本を熱心に調べていた。巷を騒がす「スリザリンの継承者」について調べていたのかとも思うが、よく思い出してみれば――あれは、ハロウィーンの前だったようにも思う。口では興味がない素振りをしているが、実はセレネなりに、自分の血筋を探していたのかもしれない。

 

 

「しかし、何故そのようなことを聞くのです?」

「えっ――?」

 

 

セレネの眼が、僕に向けられている。

黒い瞳からは、今までの無機質・無表情・優等生らしさが消えていた。

吸い込まれるような黒い瞳は、まるで僕の魂胆を探るかのような鋭い光を携えていた。もっとも、魂胆なんかない。ただ、僕は気になっただけだ。だから、尋ねてみた。それだけである。

 

 

「いえ、他意が無いなら結構です」

 

 

セレネは、再び本に目を落とす。

このまま普段通り――特に会話もない読書に戻っていたら――この後、何も起こらなかったかもしれない。だけど、僕は気になってしまった。優等生らしさが一瞬、何故消えたのかと。

 

 

「気になったから聞いただけです。ですが、珍しいですね。セレネから何かを尋ねて来るなんて」

「えっ?」

 

 

本を捲ろうとしていた指が、ピタリと止まった。

 

 

「そうでしたか?」

「そうですよ。何か、ありましたか?」

 

 

セレネは、本気で驚いているみたいだ。

僕を見つめて、何回か瞬きをする。しばらく僕の眼を覗き込んだ後、何事もなかったかのように首を横に振った。

 

 

「いいえ、何もありませんよ」

 

 

無機質な声が、寂しく木霊する。

僕達の会話は、これで終わった。セレネは本に、僕は教科書に没頭する。

しばらく普段通りの時間が過ぎていく。時計の針が進む音、ページをめくる音、どこか遠くで楽しく話し合う声―――そう、普段通り。だけど、何かが違う。

 

 

「セレネ」

 

 

もう一度、声をかけてみる。

セレネは顔を上げることなく、

 

 

「何ですか?」

 

 

とだけ答えた。

別に、特別用があったわけではない。ただ、声を変えてみたかったから声をかけてみただけだ。―――なんて、どことなく気恥ずかしい言葉は言えるわけもなく、必死に話す内容を探した。

 

 

「その……いつも1人ですが、スリザリンに友達はいないのですか?」

「そうですね――」

 

 

セレネは少し考え込むように、指を持ち上げる。

 

 

「ダフネ・グリーングラスは、たぶん友達ですよ」

「グリーングラスさん、ですか」

 

 

しかし、果たして―――セレネ・ゴーントは、本当にグリーングラスのことを友達だと思っているのだろうか。少なくとも、僕やアニー、ハンナそしてスーザンみたいな関係を築いているようには思えなかった。

僕は―――セレネの友達なのだろうか?

 

 

「そろそろ行きます。予鈴が鳴る頃ですし」

 

 

セレネは、早々と片付けを始めてしまった。

僕は焦った。1番肝心の問いを尋ねていない。だけど、直球に「僕はセレネの友達?」と尋ねるのも恥ずかしい。でも――今聞かないと、きっと後悔する。

僕は勇気を振り絞って、顔を上げた。

 

 

「冬休み!」

「……冬休み?」

 

 

去ろうとするセレネの背中に、声をかける。

セレネは不思議そうに振り返ると、首を傾けた。

 

 

「冬休み、予定は何かありますか?

無いのでしたら、一緒に大英博物館に行ってくれませんか?マグル育ちの友達は、セレネしかいないんです。マグルで育っていた頃には、友達いませんでしたし……魔法族の友達は、マグルの博物館に興味が無いみたいなんです。だから、一緒に行ける友達は、セレネしかいないんです!!」

 

 

言いたいことを、一気に言葉にする。

言い切った。僕は、人形のようなセレネの顔を見つめる。

断れば、僕達は友達ではなかった。しかし、断られなければ―――僕は、セレネの友達と言うことになる。

 

 

「クリスマス、ですか」

 

 

セレネの問いに、僕は無言でうなずいた。

久遠の時が過ぎた気がする。僕の顔に熱が集まり、赤くなるのが良く分かる。もっと良い――婉曲に確かめる方法があったはずなのに、だけど僕は変な問いかけをしてしまった。

何て恥ずかしいことを言ってしまったのだろう。僕は、その場から消え失せてしまいたかった。

 

 

「……はぁ」

 

 

セレネは、怪訝そうな顔をして息を吐く。ゆっくりとローブを翻しながら、僕に背を向けた。

 

 

「別にかまいませんよ。クリスマスはマグルの世界に戻る予定でしたし」

 

 

それでは、とセレネは去っていく。

図書館には、僕だけが取り残された。

一瞬の空虚な感覚の後、心躍る夢にいる様な満足感が胸を支配した。

嬉しくてたまらない。飛び跳ねて叫び出したかった。この気持ちが、一体何なのか自分にも分からないけど―――でも、あのセレネの友達だということが証明された。

 

 

それが、嬉しくてたまらない。

 

 

「必ずですよ、セレネ」

 

 

僕の呟きは、誰にも聞かれることもなく図書館に吸い込まれていく。

初めてだった。ここまで―――クリスマスが待ち遠しいのは。

 

 

僕は、どことなく浮ついた気持ちでクラスに向かうのだった。

 

 

 

 



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19話 禁書

7月27日:大幅改定




 

 

 それは、魔法薬学の授業のことだった。

 薬を煮る音が、静かに響き渡る。

 無駄な雑談は、聞こえてこない。誰もが黙々と、自分の鍋に向き合っている。

 

 

 

「よし、出来た」

 

 

 私は、出来上がった魔法薬――「膨れ薬」を小瓶に詰める。

 そっと周りを見渡してみれば、私が1番に完成したらしい。小瓶を提出すれば、スネイプは小さく笑みを浮かべ

 

 

「よく出来たな、ゴーント。

 スリザリンに20点」

 

 

 と、得点をくれた。

 私は軽く頭を下げると、席に戻った。

 入れ代わりに、ハーマイオニーが小瓶を提出しに行く。彼女から受け取った小瓶を一瞥し、ふんっと鼻を鳴らす。そして、スネイプは

 

 

「片づけをしたまえ」

 

 

 とだけ言った。

 スネイプは、寮の差別が激しい。ハーマイオニーがグリフィンドール生ではなく、スリザリン生――いや、レイブンクロー生辺りだったら、点数がもらえたかもしれない。

露骨な差別は、いかなるものなのか……

 

 

「あれ?」

 

 

 その時だ。

 片づけを始めた視界の端に、奇妙な光景が移った。

 ハリーとロン・ウィーズリーが、何やらコソコソと話している。ハリーの手の中には、何か細長いものが握られていた。目を細めてみてみれば、それは「暴れ花火」だった。普通の花火より威力の高い魔法族の花火だと聞いたことがある。

 

 

 なぜ、花火を――しかも、授業中に持っているのだろう?

 考えを巡らせたその時だった。

 ハリーは、花火をクラッブの鍋に放り込んだのだ。

 クラッブは難しい顔をしながら、薬草を刻んでいる。鍋の異変に気がついていない。

 

「……まさか」

 

 嫌な予感的中。

 燃え盛る鍋に、勢いよく火花を飛び散らせる花火が投入され――そして、巨大な音が教室を震わせた。鍋は爆発し、煎じていた「膨れ薬」が空を舞う。

 私は、慌てて杖を引き抜いた。

 

 

 

「『プロテゴ‐守れ』!」

 

 

 

 杖の先から、防御の盾が展開される。

 まさに、間一髪だった。降り注がれる薬品の雨から、我が身を護る。

 魔力を込めればクラス全体に展開する傘の代わりになったのかもしれないが―――生憎、そこまでの余裕は無かった。

 貫くような悲鳴が、クラス中に湧き上がる。前の席に座っていたマルフォイやパーキンソンは、顔いっぱいに薬を浴びて、整った鼻が風船のように膨れている。鍋が急に爆発したクラッブは最も悲惨な有様だ。大皿の様に大きく腫れぼったい目を、両手で覆いながら右往左往していた。

 

 

「静まれ!静まらんか!!」

 

 

 スネイプは、怒鳴り声を上げる。

 どうやら原因究明の前に、薬品を浴びた生徒の治療に乗り出すらしい。薬品を浴びた生徒を集め、「膨れ薬」の対称「縮み薬」をかけ始めた。授業どころの話ではない。右も左も大混乱だった。

 

 

「一体、どうして爆発しちゃったんだろう?セレネはどう思う?」

 

 

 奇跡的に難を逃れたダフネ・グリーングラスは、不思議そうに首をかしげていた。

 私は、その原因を知っていたが―――話す気にはなれなかった。

 

 

「問題は、どうして?ではありませんよ。何故、爆発させたのか?です」

「何故?」

 

 

 困惑した様な表情を浮かべる彼女を尻目に、私は片付けの支度を再開する。

 そして、逃げるように教室を去った3人組の後を追った。3人組は、辺りを確認しながら万年故障中の女子トイレに転がり込む。

 

 

「なるほど――人の寄り付かない場所は、こそこそ何か企むに丁度良いってことですね」

 

 

 人が寄り付かない場所だからだろう。

 私の呟きは、意外と響き渡ってしまった。トイレの中に入った3人組は、跳び上がる様に振り返る。1人の手には、毒ツルヘビの皮が握られていた。上級魔法薬でも滅多に使わないと噂される材料で、彼らは何を調合しようとしたのだろう。

 3人のうちの1人……ハーマイオニーが、勇気を振り絞るように前に出た。

 

 

「セレネ。どうしたの、こんなトイレに?」

「どうしては、こちらの台詞です」

 

 

 私もトイレに入り込むと、薬が煮え立つ鍋を一睨みする。

 

 

「材料を取るために、鍋に花火を入れて授業崩壊させるなんて――らしくありませんよ、ハーマイオニー・グレンジャー」

 

 

 後ろに控えていたハリー・ポッターとロン・ウィーズリーの顔まで、青ざめていく。

3人とも、小刻みに震えている。

 ――ただ鍋を爆発させた現場を見られていたからでは、ここまで驚かない。つまり、彼らが隠れて調合中の薬品は、ホグワーツの校則に違反しているか校則どころか法律に違反しているもののどちらかである。

 優等生、セレネ・ゴーントとしては咎めなければならない。

 

 

「その材料――毒ツルヘビの皮ですよね?

 大切な授業を台無しにしてまで、何を調合しようとしていたのですか?」

「セレネ、分かってくれ。これには、訳があるんだ」

 

 

 ハリーが、前に出てくる。まるで、煮え立つ鍋をかばうように。

 挑戦するかのように、私に対峙している。顔に浮かんでいた怯えの色は薄まり、代わりに挑戦的な色が浮かんでいた。

 

 

「訳?」

「今は言えないんだ。でも、ここは見逃して欲しいんだよ」

「……」

 

 

 優等生のセレネであれば、ここは見逃さずに先生に報告する。

 しかし―――ハリーやハーマイオニーたちが規則を破ってする行動も気になる。しかも、この魔法薬。どこからどう見ても2年生程度の教科書に記されている魔法薬とは思えない。おそらくは、下級生閲覧禁止の棚にある類の本だ。

 

 

「セレネ、お願いだ」

「作っている薬は、合法的なモノですか?」

「それは――」

 

 

 ハリーの勢い良かった言葉が萎んでいく。

 私は、湯気を上げる鍋を再び確認した。鍋から上がる湯気の具合、独特な臭い、毒ツルヘビの皮、そして非合法的な薬と言えば、導き出される答えは、やはり1つしかない。

 

 

「『ポリジュース薬』は、『最も強力な薬』という本に記載されているはずです」

「なんで、そこまで分かるんだよ!?」

 

 

 ロン・ウィーズリーが絶句する。

 どうやら「当たり」だったらしい。

 ポリジュース薬は、自分以外の誰かに変身出来る効能を秘めているらしい。スネイプが、数か月前に授業で話していた内容だ。しかし、その薬の効能は今の私には関係ない。

 問題なのは、それが書かれた本が、禁書の棚にあるという一点のみだ。

 

 

「禁書の棚の本を、どうやって持ち出したのですか?

 私の記憶では――下級生が「禁書」の棚の本を借りるためには、先生のサイン入り許可書が必要だったと思いますが」

 

 

 3人は顔を見合わせて、何かを言い淀んでいる。

 ここが、正念場だ。私は、セレネ・ゴーントの優等生らしい笑顔を作り上げる。気を許しても良さそうな、柔らかい笑顔を3人に向けた。

 

 

「私は、貴方たちを見逃します。しかし――禁書の棚から本を借りるためには、並大抵ではない苦労が必要です。いったい、どのような方法を取ったのか――少し気になりまして」

 

 

 3人の顔から、緊張が解けた。

 なんだ、その程度のことを話せば見逃してもらえるのか、と思ったらしい。

 ハリーは、どこととなく緩んだ表情で教えてくれた。

 

 

「ロックハートにサインを貰ったんだ。何を借りるかも見ないで、サインを書いてくれたよ」

「なるほど」

 

 

 ……悔しい。それは盲点だった。

 眼から鱗が落ちるとは、まさにこのことだろう。

 目立ちたがり屋なギルデロイ・ロックハートは、とにかくサインをしたがる。その悪癖を利用した良い作戦だ。何故、思いつかなかったのか―――少し悔やまれる。

 

 

「分かりました。このことを、私は誰にも話しません。

無事に調合できるといいですね。それでは――」

 

 

 3人に背を向けて、私は歩き出した。

 視界の端に映ったハリーが、何か言おうとしていたが―――私には関係ない。大切な情報は、しっかりと手に入れた。

 

 

「おい、ゴーント。どこをほっつき歩いていたんだ」

 

 

 階段を降りれば、ノットが廊下の端から駆けてきた。

 ハロウィーンの時に協力関係を結んで以来、こうして2人で行動する回数が増えた。もっとも、私もノットも互いに用事がなければ話しかけることはない。

 ノットが話しかけてきたということは、興味深い証拠をつかんだか、その証拠が空振りに終わったか。そのどちらかだった。

 

 

「少しトイレに用に行っていました。

それで――どうしたのです?」

「……父上の伝手を使って手に入れたメローピー・ゴーントの消息だ」

 

 

 束になった羊皮紙を、乱暴に手渡してくる。

 メローピー・ゴーントは、私の祖母かもしれない人物だ。私は、歩きながら目を通した。

 

 

「マグルと駆け落ちして、1年足らずで捨てられる。

 スリザリンに伝わる家宝を売り払うまで困窮した生活の末、マグルの孤児院の前で死去。寂しい死に方ですね。――彼女に子供は?」

「いた。トム・リドルと言うらしい。こっちは、今調査中だ」

「トム・リドル」

 

 

 ありふれた名前だ。

 少なくとも、マールヴォロやモーフィン、メローピーよりも庶民的な名前に驚いてしまう。

 駆け落ちしたマグルの名前だろうか、それとも、メローピーが庶民に憧れを抱いていたのだろうか。

 

 

「なんだか、機嫌が良さそうだな」

「そうですか?気のせいでしょう」

 

 

 私は、どことなく弾む気分で「闇の魔術に対する防衛術」の教室へ向かった。

 メローピーの出産記録により、スリザリンの末裔かもしれないという疑惑は高まってしまったが、それよりも「禁書」の棚に近づく方法が手に入ったことの方が嬉しかった。

 ロックハートが自著を音読するという―――普段通り退屈な授業だったが、出来る限り熱心に講義に耳を傾ける。

 

 

「あの――ロックハート先生、よろしいでしょうか?」

 

 

 そして、授業が終わった後、ゆっくりと先生に歩み寄った。

 出来る限り平静な声を務めて、やや控えめに許可書を差し出した。

 

 

「図書館から借りたい本があります。

『狼男と大いなる山歩き』に出てくる、『石になった僧侶』を理解するのに役に立つと思うのですが――生憎と、禁書の棚にありまして、誰か先生のサインが必要なんです。

このようなことを頼めるのは、ロックハート先生しかいません。どうか、お願いします」

「『狼男と大いなる山歩き』ね!」

 

 

 ロックハートは許可書を受け取り、私に白い歯を見せた。

 

 

「あれは実に大変な経験だったよ。――面白かったかい?」

「はい。とても楽しんで読みました。非常に興味深かったです」

「そうかい、そうかい」

 

 

 上機嫌のロックハートは、孔雀の羽ペンで、許可書に似合わぬ派手なサインを書き上げる。ハリーの言う通り、ロックハートは私が何を借りるのか――全く確認しなかった。

 

 

「ありがとうございます、先生」

 

 

 許可証を鞄の中に滑り込ませ、ロックハートに背を向ける。

 最後の手段として、マクゴナガル先生に頼もうかと思っていたが――こちらを選んで正解だ。

 正直、「石になった僧侶」など興味の欠片もない。

 私が欲しいのは、賢者の石の情報だけ。

 いまだ1割すら完成形を思い浮かべることが出来ない上に、図書館の錬金術関連の本は読みつくしてしまった。こうなったら、もう残された手がかりは禁書の棚だけだった。

 

 

 ダンブルドアと約束した以上、ニコラス・フラメルには直接謁見できる。

 それならば、今はもう1人の錬金術師――パラケルススについて調べることが先決だ。

 

 

「なに、学年の最優秀生徒を応援することに、誰も文句を言わないでしょう。

それよりも――ミス・ゴーントは『決闘クラブ』に、もちろん出席しますよね?」

 

 

 ロックハートの気取った声が、背中にかかる。

 正直、振り切って図書館に駈け出したいところだったが―――サインを書いてもらった以上、無碍にはできない。私は仕方なく、優等生らしい表情を浮かべて振り返った。

 

 

「決闘クラブ、ですか?」

「えぇ、実はダンブルドア校長先生から、私が決闘クラブを始めるお許しをいただきましてね。私自身が、数えきれない程の経験をしてきたように、自らを守る必要が生じた万一の場合に備えて、皆さんをしっかり鍛え上げる場を設けようと思いまして」

 

 

 ……。

 正直、興味を無くしてしまった。

 せっかくの機会だという事と、優等生であることをアピールするために参加しようと心に決めていたのだが、この男主催ということで行く気が失せてしまった。

 教えるのがロックハートだということで、果たして本当に決闘を学べるのだろうかと不安だった。しかし、セレネ・ゴーントは優等生だ。ここで断ることの方が不自然である。

 

 

「はい、もちろんです、先生」

 

 

 ―――渋々、頷くしかなかった。

 しかし、目的は達成出来た。それだけで、良しとしよう。 

 

 

 私は、ロックハートの研究室に背を向けると、そのまま図書館へ向かおうとした。

許可書の入った鞄を、大切に握りしめて。

 

 

 

 




※3月29日:誤字訂正


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20話 決闘クラブ

7月27日:大幅改定


 

 ヴァン・ホーエンハイム・パラケルスス。

 

 

 彼は「遍く人々を、愛し子を救うために成すべきことを成す」をモットーに、マグルの世界に魔法や研究成果を広めた異端の魔法使いだ。

 その溢れるばかりの才能をマグルのために使い、魔法使いに疎まれ、死に追い込まれた。異端の天才魔法使いが残した書物の大半は死後、処分され歴史の闇へと葬り去られてしまう。

 

 そんな彼だが、錬金術の世界ではわずかに痕跡を残している。

 彼に比肩する錬金術師は後世にいたるまで出現せず、彼の錬成した「賢者の石」はニコラス・フラメルのものとも違った性質を携えていたという。

 その性質とは――

 

 

「吸収?」

 

 

 つい、セレネは声に出して読んでしまった。

 理解が追い付かない。その衝撃がよほど大きかったのだろう。叫びほどはいかないが、近くのスリザリン生たちを驚かすくらい大きかったらしい。気がつけば、談話室に集ったスリザリン生たち全員が「なにごとか?」という視線を感じる。

 

 

「セレネ、どうしたの?」

 

 

 やはりというべきか、最初に声をかけてきたのはダフネだった。

 

 

「いえ、少し予想外のことが書いてありましたので、驚いてしまいました」

「へー、セレネにも予想外のことがあるんだ」

「私も予想が外れることくらいあります、人間ですから」

 

 

 本をぱたん、と閉じながら言い返す。

 すると、ダフネはくすくす笑った。

 

 

「なにかおかしいことでも?」

「ううん、なんでもない」

 

 

 どこがおかしいのか、ダフネはしばらく笑い続けていた。セレネは理由が分からず、首を少し傾げた。しかし、ダフネが笑う理由よりも今はパラケルススの「賢者の石」についての知識の探求が先だ。

 夕食も終わり、寝る前の読書も兼ねて談話室で勉強をしていたが――これだと集中できそうにない。セレネは小さく息を吐いた。

 

 

「それでは、私――部屋へ行きます」

「え? 今日は決闘クラブだよ?」

 

 

 立ち上がりかけたが、待ったをかけられる。

 セレネは気持ちが重く沈み込むのを感じた。

 

 

「決闘クラブ、ですか」

 

 

 ロックハートの決闘クラブの質なんて、たかが知れている。

 正直、出る価値もない。いくら優等生を演じているからといって、ロックハートに媚を売るようなことができるだろうか。そのようなこと、やりたくない。むしろ、優等生だから出ないという手もあるのではないだろうか、とさえ考えてしまう。

 

 

「セレネ、いやなことから逃げちゃだめだよ」

「別に嫌なことではありません。出るに決まってますよ!」

 

 

 売り言葉に買い言葉とは、まさにこのことである。

 ダフネの言葉を受け、勢いに任せて参加すると言ってしまった。もう後戻りはできない。

 

 

「行こう、セレネ」

 

 

 セレネは彼女に引きずられるように談話室を後にする。

 振りほどくことなど、簡単だっただろう。だが、たまにはこれでいいか、と思う自分もいた。

 

 

「それにしても、人が多いですね」

 

 

 そう驚いてしまうくらい、夜にもかかわらず人通りが多かった。

 「継承者」とやらの事件が多発し始めて以来、8時以降に廊下を出歩く生徒は稀だった。しかし、今日は違う。どこを見渡しても人で溢れかえっていた。人ごみの中にマルフォイたちやハリーたちもいる。ジャスティンもハッフルパフ生たちと一緒にいた。

 

 

「しかも私たちくらいの生徒が多いね。あそこにいるの、一年生だし」

 

 

 ダフネの視線の先を辿れば、赤毛の顔色の悪い女の子がいた。

 

 

「皆、不安なのかもしれませんね」

 

 

 すでに防衛術を習っているならともかく、1,2年生はろくな防衛呪文を知らない。今年度の「闇の魔術に対する防衛術」の教師はもちろん、昨年度のターバン男もしっかり教えてくれたとは言い難かった。

 

 

「セレネ、誰が教えてくれるか知ってる?」

「……知らない方がいいですよ」

 

 

 むしろ、教えた方が彼女のためだったのだろうか、と考えながら決闘クラブの会場――大広間に足を踏み入れた。食事用の長いテーブルは全て取り払われ、一方の壁に沿って金色の舞台が設置してあった。何千ものロウソクが上を漂い、舞台を照らしている。

 

 

 

「えっ!? セレネ、知ってるの?」

「まぁ、知っていますけど……」

「だれだれ?教えて!」

 

 

 しかし、セレネがその人物の名を口にする前に、金色の舞台に男がさっそうと登場した。

 

 

 ギルデロイ・ロックハートだ。

 深紫色のローブを着た彼の後ろには、いつもの漆黒のローブを翻してスネイプが現れた。

 

 

「静粛に!みなさん、集まっていますか!?結構結構!では…」

 

 

 ロックハートが、いつもの笑顔で話し始めた。

 非常に珍しい組み合わせだ。スネイプは相当機嫌が悪いのだろう。上唇がめくれあがっている。今のスネイプなら神話上のバジリスクではないが、目だけで誰かを殺せそうだ。

 よくロックハートは笑顔で演説をしてられるな、と少し感心してしまった。おそらく周りを見ていないのだろう。ロックハートは女性を魅了する笑顔を浮かべながら、言葉を紡いでいく。

 

 

「ご覧のように二人で作法に従って杖を構えています。それから3つ数えて最初の術をかけます、大丈夫ですよ、お互い殺すつもりはありません」

 

 

 長々とした演説が終わったようなので、ロックハートの説明に耳を傾けた。お互い殺すつもりはない、とロックハートは言うが、はたして本当だろうか。少なくとも、スネイプはロックハートのことを殺しそうな勢いで睨んでいる。

 もっとも、本当に殺したら牢獄行きになってしまうので、殺しはしないと思うが。

 

 

「1―2-3」

「エクスペリアームズ―武器よ去れ!」

 

 

 『3』とカウントした直後に、スネイプが振り返り杖から目のくらむような紅色の閃光を繰り出す。

 ロックハートの杖は吹き飛び、彼は派手な音とともに壁に打ち付けられた。ダフネや他の女子生徒たちが驚いて手で口を覆っている。

 セレネは床に情けなく大の字に転がったロックハートを見て、思わず呆れてため息をつきそうになった。マルフォイやハリーたちは、堪えることなく笑っている。

 

 

「さぁ、みなさん」

 

 

 ロックハートは、髪が乱れたままふらふらと立ち上がる。しかし、笑顔は忘れていない。ある意味、プロ根性だ。そこだけは尊敬に値する。もっとも、尊敬はしないが。

 セレネが冷ややかな目で見ている間にも、ロックハートの語りは続く。

 

 

「今のが『武装解除の術』です。ごらんのとおり…私は杖を失ったわけです―――あぁ、ミス・ブラウン、ありがとう。スネイプ先生が生徒に今の術を見せたのは素晴らしい考えです。

 しかし、今先生がやろうとしたことはあまりにも見え透いていましたね。それを止めようとしたら、いとも簡単に出来たでしょうが……」

 

 

 ここで、ようやくロックハートは言葉を止めた。さすがに、スネイプの殺気を感じたらしい。少し離れている自分がいる場所まで伝わってくる濃厚すぎる殺気だから、これに気が付かない人はいないだろう。

 

 

「模範演技はこれで十分ですね!さあ、2人1組になって練習です!」

 

 

 ロックハートがパンパンっと手を叩いた。

 それから、セレネはしばらくダフネと一緒に武装解除の呪文を練習した。しかし――

 

 

「ダフネ、それ本気?」

「ほ、本気でやってるよ! エクスペリアームス!!」

 

 

 ダフネは顔を真っ赤にして呪文を口にしたが、セレネの杖はぴくりとも動かなかった。

 

 

「こうやるのよ『エクスペリアームス―武器よ、去れ』!!」

 

 

 セレネが素早く口にする。すると、杖の先から赤い閃光が奔り、ダフネの杖は弧を描きながら宙を舞う。

 

 

「発音は完璧です。あとは、込める魔力の量ですね」

 

 

 セレネはダフネの杖を手にしながら、考察を口にした。

 

 

「すごいな、セレネ。私、聖28族なのに、魔力量が少なくて……」

 

 

 ダフネはがっくし、と落ち込む。

 

 

「聖28族? ……ああ、純血の一族のことですか」

 

 

 ノットの祖先が書いた本が、セレネの脳裏に浮かんだ。

 聖28族とは、1930年代の時点で「間違いなく純血の血筋」と認定された一族のことである。このなかには「マルフォイ」や「グリーングラス」「ブルストロード」「ノット」など見覚えのある名前が並んでいる。よく読めば「ゴーント」という一族の名前も28族の中に入っていた。

 

 

「うん。でも、私の一族には呪いがあって――」

 

 

 この先、ダフネが話そうとしていたのだろうか。

 セレネは聞き取ることができなかった。

 

 

「危ないっ!!」

 

 

 そもそも、最初から考慮すべきであった。

 なにせ、最初の指示が「2人一組になって決闘に練習をするように」だけだったのである。場所の指定がなかった以上、そこら中で――しかも、決闘の際に使用する呪文を明確にしていなかったせいで――呪いやらなにやらが乱発していた。相手にかけるだけならいい。その相手が避けてしまったとき、その呪いの標的は別の人物へと向けられてしまう。

 

 そして、その呪いは今、まっすぐダフネに向けられていた。

 いまから防御魔法を討とうにも間に合わない。セレネの足は勝手に動き出し、そして――

 

「――ッ!!」

 

 

 自分の身体を盾にするように、ダフネと呪いの間に割り込んでいた。

 当然、例えようもない激痛がセレネを襲う。

 

 

「やめなさい、やめ!! ああ、ブルストロード、首を絞めるのはやめなさい! そこ、鼻血は止まるから大丈夫。セレネ・ゴーント! 気を失うのは早いですよ!」

 

 

 ロックハートが何か叫んでいるのが聞こえる。

 だが、痛みでどうでもいい。それも遠くなり、どんどん視界が暗くなっていく。

 

 

「セレネっ、ごめん! ごめんね!」

 

 

 ダフネが涙をいっぱいに浮かべながら、自分を見下している。

 自分は、なにをやっていたのだろう。

 決まっている、優等生だからだ。頭のどこかでそんな声がしたが、それは違うような気がした。ダフネを助けようとしたとき、そんなこと考えていなかった気がする。

 

 

「私……セレネ、失格だな」

 

 

 痛みは臨界点を突破している。

 もう限界だ。

 なにせ、石になった人を戻すことができるほどの技術がある世界だ。

 この程度の傷、マダム・ポンフリーなら治すことができるだろう。

 

 セレネはその言葉を最後に、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、目が覚めたとき、セレネは医務室にいた。

 痛みはなく、指も動くし、他にも不都合な点はなさそうだ。セレネは自分が起きたことを告げようとして、おかしなところに気づいた。

 

 

 しかし、医務室には誰もいない。

 校医の姿すら見当たらないのだ。

 いったい、どういうことだろうか。

 セレネが疑問を感じていると、医務室の前が騒がしくなってきた。

 

 

「早く、こちらへ」

「ひどい……こんなことって!」

 

 天文学科のシニストラの後ろ姿が入ってくる。その後に続けて、フリットウィックの小さな姿が。

 二人は何かを運んでいる。石像のようなものの片端を重そうに持って運んでいる。セレネは目を丸くした。

 

 

「ジャスティン?」

 

 

 ジャスティン・フィンチ・フレッチリ―だ。

 冷たく、がちがちに硬直し、恐怖の痕が顔に凍りつき、虚ろな目が天井を凝視している。

 

 

 

 セレネは眼に熱が集まるのを感じた。

 

  

 

 

 

 



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21話 ポリジュース薬

ハリー視点です。

7月27日:大幅改定


 

 

 今年のホグワーツは、例年にも増して人がいない。

 

 ハロウィーンにミセス・ノリスが、クィディッチ戦の次の日にコリン・クリービーが、そして事件に拍車をかけるように、ジャスティン・フィンチ・フレッチリーが石になったというニュースは、ホグワーツに更なる混乱を招いた。

 こうなったら、学校に得体の知らない怪物が徘徊しているのは事実だ。

 誰もが逃げるように帰宅したため、今現在――ホグワーツは葬式かと思うくらい静まり返っている。だけど、僕達には関係ない。

 その日、僕とロンとハーマイオニーは、「ポリジュース薬」の最後の仕上げに入っていた。

 

 

「本当にこれで、クラッブとゴイルに変身できるのか?」

 

 

 汚泥のような液を睨みつけながら、ロンが呟いた。

 

 

「ええ、きっちり1時間。貴方たちはクラッブとゴイルに変身して、スリザリンの談話室に潜入出来るはずよ」

 

 

 僕達は、スリザリンの談話室へ侵入する。

 スリザリンの継承者は、絶対にマルフォイだ。彼は代々純血だと公言し、マグル生まれが次々に石になる状況を喜んでいる。僕たちは、スリザリン生に変身してマルフォイから真実を聞き出す。

 

 

「でも、君は誰に変身するんだ?」

「私のは、もうあるわ」

 

 

 そう言うと、ハーマイオニーは1本の髪の毛を取り出した。

 

「セレネ・ゴーントよ。この間の決闘クラブの後、彼女が入院したとき、お見舞いに行ったの」

 

 

 黒い髪の毛を、ポリジュース薬の中に落とす。しかし――色に変化はない。クラッブとゴイルの髪の毛を入れた時は、一瞬で透明から眼を背けたくなるような色に変化したのに―――ハーマイオニーのカップは、透明のままだ。

 

 

「本当にゴーントの髪の毛なのか?」

 

 

 ロンが眉間に皺を寄せて、ハーマイオニーを尋ねる。

 

 

「ベッドについていた髪の毛を一本拝借するくらい、造作もないわ」

「というか、正気かよ!? マルフォイが継承者じゃなかったら、アイツが継承者だ」

「セレネは違うわ、マグル育ちだもの。

 でも……変ね、色が変わらないなんて。予備の方を使うわ」

 

 

 結局、ハーマイオニーは、セレネの髪の毛を入れた液は捨てた。そして、ミリセント・ブルストロードの髪の毛を使うことにした。彼女の髪の毛を入れた瞬間、あまり飲みたくないような泥色に変わる。ハーマイオニーは、嫌そうに目を細めた。

 

 

「やっぱり――捨てなきゃよかった」

「いや、捨てて正解だね。考えてみろよ、セレネ・ゴーントが継承者だったら――」

「だから、セレネは継承者じゃないわ。は、早く飲むわよ!効力がなくなっちゃう!」

 

 

 僕達は、乾杯する。

 だけど、この泥まみれの液体を飲む気には中々なれなかった。

 勇気を振り絞って鼻をつまんでポリジュース薬を飲む。僕は思わず両手を口に当てて吐き出しそうになった。例えるなら、煮込みすぎたキャベツっていうのだろうか。いや、もっと酷い。余りの不味さに身体が拒否反応を示すのと並行するように、身体に変化が起こり始めた。

 

 息がまず詰まりそうになり、身体全体がどっと溶けていく気持ち悪い感じがした。身体が少し縮み、手がみるみる間に膨れ上がっていく。ハーマイオニーがこっそり調達してきたブカブカのローブが、ピッタリになった頃、僕は完全にゴイルの容姿になったみたいだ。

 

 

「2人とも大丈夫?」

 

 

 ロンがいる隣の個室から、クラッブの声が聞こえる。

 

 

「あぁ」

 

 

 僕は返事をする。でも、僕の口から出たのはゴイルの唸るような低音の声だった。僕は個室から出て先に個室から出ていたクラッブの姿をしたロンと対面した。どっからどう見てもクラッブ。今目の前で起こっていることが少し信じられなかった。

 それにしても、ハーマイオニーは何で出てこないんだろう?

 心配して声をかけようとしたとき、個室の中から金きり声が聞こえてきた。

 

 

「私、行けそうにない!早く行って!1時間しか持たないのよ!!」

 

 

 確かに、実行できる時間は少ない。とりあえず、ハーマイオニーの言う通りに僕たちはトイレから出て、スリザリンの談話室に急いだ。

 でも、スリザリンの談話室ってどこなんだろう?ロンに尋ねようとしたけど、僕と同じ疑問をロンも持っていたらしい。まさか、あんな不味い薬を飲んだのに、何もしないまま終わりになってしまうのか?

 クラッブの姿をしたロンがどうするかウンウン唸りながら考えていた。はっきりいって、クラッブが何か考えているそぶりをしている姿は気味悪かった。クラッブもゴイルも何か考えて行動しているところって見たことない。

 

 

 

「とりあえず、スリザリン生って朝食の時、いつも地下牢の入り口から出てくるよな?」

 

 

 ロンはそう言って地下牢の方を指差す。僕もうなずいて、そこでスリザリン生がやってくるのを見張ることにした。

 しかし、時は空しく過ぎていく。やっとの思いでマルフォイと出会い、何とか談話室まで辿り着いたのは――本当に運が良かったとしか言いようがない。

 

 

 そこは、グリフィンドールの談話室と正反対の空間だった。

 粗く削られた石壁の、どことなく陰湿な感じがする。

 ちなみに、グリフィンドールの談話室は深紅で統一されている部屋で、暖炉がいつも暖かく燃え上っている。スリザリンの談話室も暖炉はあったが、燃え方もどこか陰鬱とした雰囲気を醸し出している。作りは壁に立派な彫りが施されていて、金がかかっているのはわかるけど――全体的に冷たい感じがした。

 こんな所では―――くつろげない。

 

 

「これを、読んでみろ」

 

 

 マルフォイはソファーに腰をおろすと、僕達に新聞を投げてよこした。

 僕とロンは、気まずい思いに駆られる。一面に記載されていたのは、ロンのお父さんが、51ガリオンの罰金を支払うことになったという記事だった。そう、僕達のせいで―――。

 

 

「どうだ?おかしいだろう?」

 

 

 マルフォイの問いかけに、僕は、ワンテンポ遅れて、沈んだ声で笑った。

 

 

「アーサー・ウィーズリーはあれほどマグルびいきなんだから、杖を真っ二つにへし折ってマグルの仲間に入ればいいのに」

 

 

 マルフォイが蔑むように言う。『ロンのパパを馬鹿にするな!!』と叫んで殴り掛かりたかったが、そうしたら今までの計画が全て水の泡になってしまう。僕は何とか残った理性を総動員させて、我を保っていた。怒りで顔が歪んでいくのが自分でもわかる。隣に腰を掛けているロンの顔は、異常なほど怒りで赤く染まっていて、ぷるぷると震えていた。

 

 

「ウィーズリーの連中の行動を見てみろ。本当に純血かどうか怪しいものだ」

 

 

 マルフォイを……いや、スリザリン生をみると、どうしてセレネがスリザリンに入ったのだろうかと常々疑問に思ってしまう。マグル出身でマグルの血を引いている彼女は、純血主義とは無縁の存在だ。組み分け帽子が、ボケてしまっていたのだろうか? 

 彼女こそ、グリフィンドールやレイブンクローにふさわしいのに……。

 

 

「また、その新聞を見ているのか」

 

 

 1人のスリザリン生が、大量の本を抱えて入ってきた。

 同じ学年だという事は知っているが、名前は知らない。こちらに話を振って来ませんように――と、必死に願う。ロンも同じことを考えているのだろう。クラッブの考えている姿が異様に感じてしまうが、きっとそれは僕も同じなのかもしれない。

 

 

「他に読むものはないのか、ドラコ」

「僕が何を読もうと関係ないだろ、親衛隊隊長殿」

「……その呼び方は止めろ」

 

 

 スリザリン生の額に、血管が浮かび上がった。

 余程、気に障ることだったのだろう。しかし、ホグワーツで親衛隊なんて今まで聞いたことが無い。ロックハート親衛隊があるかもしれないが、目の前のスリザリン生は明らかに男だ。

 だから、僕は疑問に思って、つい

 

 

「誰の親衛隊?」

 

 

 と、尋ねてしまった。

 途端に、2人の顔色が一変する。互いに信じられないという目付きで僕を見た。

 

 

「セレネ・ゴーント親衛隊のことに決まってるだろ、ゴイル。

 まったく――お前がこれ以上間抜けだったら、後ろに歩き始めるだろうよ」

「だから、俺は親衛隊に入った覚えはない!」

 

 

 本を乱暴に机に放り出し、そのスリザリン生もソファーに座る。

 彼は「親衛隊」と呼ばれたことを、本気で嫌がっているように見えた。

 

 

「俺が、アイツと最近一緒に行動しているせいで、信奉者共から勝手に呼ばれているだけだ。

 まったく……父上が『真の継承者に忠誠を尽くせ』なんて言われなかったら、こんな雑事を引き受けるものか」

「真の継承者?」

 

 

 ロン――いや、クラッブの姿をしたロンの口から言葉が零れる。

 僕も、口をあんぐりと開けてしまった。真の継承者――まさか、セレネが継承者なのか?

 

 

「まさか、セレネが継承者なのか?」

「当たり前だ。聖28族のゴーント。アイツは、その末裔だ。ゴーントがスリザリンの末裔だということは、アイツに言われて調べるまで知らなかったが……」

「なら!」

「もっとも、アイツは今回の騒動を起こしていないけどな」

「えっ!?」

「少し考えればわかるだろ。ハッフルパフのマグルが襲われた時、アイツは医務室で寝込んでいた。

 しかも、授業の合間を縫って、古臭い錬金術の勉強に、血筋探し、夜は遅くまで予習復習にマグルの中等教育の勉強と来た。倒れない方が、おかしい」

 

 

 親衛隊長と呼ばれたスリザリン生は、指折りながら数える。

 ――今更ながらに、セレネは物凄い勉強熱心だと痛感した。

 ハーマイオニーと同じくらい熱心に勉強していると思っていたが、セレネがマグルの勉強もやっているとは考えたこともなかった。

 魔法界まで来て、よくマグルの数学とか国語を勉強する気になれるな――と、少し感心してしまう。

 

 

「じゃあ――今騒動を起こしている奴は、誰なんだ?君なら、知っているんだろ?」

 

 

 僕は、マルフォイに尋ねる。

 すると、マルフォイは残念そうに首を横に振った。

 

 

「何度も言わせるな、ゴイル。僕は知らないし、父上もこの件には深く関わるな、と 言っている。――だが、ノット。お前なら騒動の主を知っているんじゃないか?」

「悪いが、知らないな」

 

 

 結局、情報を聞き出すことが出来ず、肩を竦めた時だった。

 ロンが、脇をつついてきた。

 視ると、クラッブの髪が、どんどんロンそっくりの燃えるような赤髪に変わっていくところだったのだ。ぴったりだった服が、だんだん緩くなってきている気がする。薬の効き目が切れ始めているのだ。僕たちは打ち合わせ通りに、腹を抑え――

 

 

「「胃薬が必要だ」」

 

 

 と叫んで一目散で、マルフォイ達に背を向ける。そして、ハーマイオニーが待つトイレへと駆け戻った。

 どんどん緩くなっていくローブをたくし上げながら、廊下を全力疾走する。派手に音を立てながら階段を駆けのぼり、やっとの思いでトイレに転がり込んだ。

 僕は荒い呼吸を繰り返しながら、柱に寄りかかった。隣で同じように、息を整えているロンが話しかけてくる。

 

 

「まぁ、全くの時間の無駄にはならなかったよな」

「うん」

 

 

 僕は少し落ち込んでいた。真犯人は分からなかった。でも、セレネがスリザリンの『真』の継承者だったなんて――考えもしなかった。何故、マグル育ちのセレネが継承者なのだろう。いや、問題は――そこではない。今、騒動を起こしているのは「偽物の継承者」だということだ。それは、一体誰なのだろう。僕に濡れ衣を着せ、マグル生まれを襲っている人は誰なのか――

 

 

「襲っている奴が誰なのかは、まだ分からないけど、少なくとも本物の存在は分かった」

 

 

 ロンは、少し弾んだ様子でハーマイオニーがいる個室の戸を叩いた。

 しかし――

 

 

「帰って!」

「どうしたんだよ。もう元の姿に戻ったはずだろ?それとも、まだブルストロードの鼻かなにか、着けているのか?」

 

 

 ロンが冗談交じりでそう言う。だが、彼女に反応がない。

 

 

「僕たちは、君に話さないといけないことが、山ほどあるんだ!」

 

 すると、ハーマイオニーが入っているトイレの個室の扉が開いた。しかし、出てきたのはハーマイオニーではない。トイレに住み着いているゴースト『嘆きのマートル』だ。するり、と小部屋の戸から出てきたマートルは、物凄く嬉しそうに笑っている。

 

 

「見てのお楽しみ!酷いから!!」

 

 

 僕とロンは、何て声をかければいいのか分からなかった。ロンは、後ろの手洗い台にはまりそうになってしまうくらい驚いている。ハーマイオニーの顔は、残酷なまでに変わり果てていた。

 

 

「あれ、ね――ネコの毛だったの!ミ、ミリセント・ブルストロードは猫を飼っていたに、ち、違いないわ!それに、このせ、煎じ薬は動物変身には使っちゃいけないの!」

 

 

 泣きわめくハーマイオニーの顔は、黒い毛で覆われ、目は鋭い黄色に変わっていたし、髪の毛の中からどう見ても三角耳が突き出していた。

 

 

「セレネの、毛、を使えば良かった!!」

 

 

 ローブで顔を隠し、ハーマイオニーは泣き続けた。

 

 

「医務室に行こう、ハーマイオニー。マダム・ポンフリーは追及しない人だし」

 

 

 マートルが大笑いして僕達を煽り立て、その笑い声に追われるように、僕達は足を速めた。

 急いで医務室に向かう僕達の背中に、マートルの意地悪い声が追いかける。

 

 

「アンタの尻尾を見て、みんな、なんて言うかしら!!」

 

 

 

 

 

 




7月15日:一部訂正


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22話 日記のリドル

お久しぶりです。
久し振りの更新ですが、覚えていてくださっていましたでしょうか?
これからも、少しずつ地道に頑張っていきたいと思います。

あと、この回から一人称ではなく三人称で執筆していきたいです。
よろしくお願いします!!





 

 

 ――秘密の部屋。

 50年ぶりに息を吹き返したそこには、怪物と少女がいた。

 少女――セレネ・ゴーントはひたすら走り、滑り込むように物陰に隠れる。

 

 

 

 セレネは、物陰に身を隠していた。

 荒い呼吸を整えながら、どうしてこうなってしまったのか理由を考える。

 

 

 セレネにだけ聞こえた不気味な声、水溜りの上で石になった猫、我先にと逃げ出す蜘蛛、フィルムが焼き焦げたカメラ、石になったゴーストと一緒に発見されたジャスティン――その全てから導き出される答えを模索し、怪物が蛇の王者「バジリスク」だというところまで突き止めた。

 そのバジリスクが、巨体を隠すためにパイプを使って移動していた、と言うところまで分かれば後は簡単だった。

 

 

(パイプを使えば、あの巨体を隠せる。そのパイプが繋がるのは、トイレだ。

だから、秘密の部屋の入口は直ぐに見つかったけど――)

 

 

 その瞬間、セレネは気がついた。

 足元に伸びる巨大な影――バジリスクの影を見つけ、咄嗟に後ろに跳ねとぶ。

 先程までセレネが立っていた場所に、バジリスクの牙が突き刺さる。まさに、間一髪だった。セレネは、バジリスクの頭から目を逸らす。そして、その影に向けて叫んだ。

 

 

「頼みます、少しでいいので話を聞いてください!」

 

 

 バジリスクの影を注視し、叫ぶように呼びかける。

 しかし、いくら蛇語で呼びかけても無意味だった。返答として繰り出されるのは、全てを死に至らせる猛毒の牙。コミュニケーションは依然としてとることが出来ない。

 

 

(不味いな、このままだと会話する前に「眼」を視ることになる)

 

 

 セレネは冷や汗をかいた。

 眼を見て死ぬか、間接的に見てしまい石になるか、今もなお襲い来る毒の牙で命を落とすか。自分が死ぬ未来しか見えない。ぞくり、と震える身体を抑えつけ、セレネは脳に鞭を打った。

 いくら同学年の誰よりも勉強をしているとはいえ、目の前の怪物を昏倒させる呪文は知らなかった。麻痺呪文や妨害呪文でどうにかなる相手には、到底思えない。上級生の教科書に記載されていた「許されざる呪文」を使えば、簡単に従わせることが出来るかもしれない。

 しかし、そんな高度な魔法は、今のセレネに扱えなかった。

 

 

「私はスリザリンの末裔だ、バジリスク!!」

 

 

 声が、空間を貫く。

 セレネの真上に重なる影は、躊躇うことなく牙を振りかざした。

 咄嗟に、杖を振り上げなければ―――命はなかっただろう。

 

 

「っく、仕方ない――『オブスクーロ-目隠し』! 」

 

 

 杖先から黒い布が飛び出すのを、視界の端に捕えた。

 避けようと身体を捩じるバジリスクの巨体が、影となり壁に映る。

 それと共に、甲高い悲鳴が頭上から降ってくる。慎重に顔を上げてみれば、バジリスクの目は黒い帯に覆われていた。怪物の脅威は、これで失われた。セレネはホッと胸を撫で下ろし、ようやく「眼」を開いた。

 視界一面に広がる「線」「線」「線」。込み上げてくる吐き気に蓋をして、まっすぐバジリスクを睨みつける。バジリスクにも「線」が纏わりついていた。バジリスク本体が持つ――斬ればバジリスクが死ぬであろう「線」と、行動を縛る鎖の様に纏わりつく「線」の二種類が視える。

 セレネは、軽く鼻を鳴らした。

 

 

「あぁ――だから、言葉が通じなかったんだ」

 

 

 いくら呼びかけても返答がない理由が、これでハッキリした。

 セレネは、杖を左手に持ち替える。そして、右手のナイフを回した。脅威は完全に0になったわけではない。まだ、蛇の王者――バジリスクには全てを死に至らしめる毒の牙が残っている。毒の猛威を掻い潜り、目指すはバジリスクを縛る様に絡みつく「線」。

 

 

「目的の第一段階、開始早々失敗するわけには――いかないよね?」

 

 

 あの線が、バジリスクを真に縛る線。あれさえ断つことが出来れば、バジリスクは自分の手に落ちる。不思議と、そんな確証を抱く。

 セレネは狙いを定めると、勢いよく地面を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー・グレンジャーが襲われた。

 

 

 今まで「ハリー・ポッター=スリザリンの継承者」だと信じていた生徒は、この知らせによって考えを改めた。ハリー・ポッターが親友の少女まで石にするはずがない、と。

 

 

 それでは、誰が継承者なのだろうか。学校中で、様々な意見が飛び交うことになった。先生に引率されての移動中、談話室、至る所で密かに推理に花を咲かせていた。しかし、花を咲かせるだけで、実際に解き明かすため行動をする生徒は皆無に等しかった。常に先生が生徒を護る様に監視している。授業と授業の移動はもちろんのこと、トイレや図書館へ行くだけでも、寮監の引率が必要になっていた。夜間の見回りは強化され、自由に行動出来る時間など無くなってしまっていた。現に、今も「呪文学」の教室まで薬草学のポモーナ・スプラウト先生が引率していた。列の最後尾を歩きながら、内心舌打ちをする。

 

 

「危険は去ったのに、何故このような見回りをするのか――驚きますね」

 

 

 その時だ。前方からギルデロイ・ロックハートが引率する列がやって来るではないか。

 幸運なことに、それはグリフィンドールの1年生の列だった。コリン・クリービーが石になり、どことなく沈んだ雰囲気の列の最後尾には、ジニー・ウィーズリーが歩いている。大股で歩くロックハートとは対照的に、暗く沈んで白い顔をしていた。セレネは、こっそりと杖を取り出す。そして、すれ違いざま――

 

 

「『アクシオ-日記帳よ、来い』」

 

 

 消え失そうなくらい小さな声で、呟いた。

 ジニーが脇に抱える本の中から、一冊の古本が飛び出しセレネの腕に納まった。古びた日記帳の表紙には、トム・リドルの名前と50年前に発行されたことを示す文字が刻まれていた。物思いに沈んでいるジニーは、日記帳を奪われたことに気がついていない。そのままぼんやりと、ロックハートについて行ってしまった。

 

 

「セレネ、どうかしたの?」

 

 

 ダフネ・グリーングラスが不思議そうに振り返った。

 セレネは普段通り柔らかな表情を浮かべ、

 

 

「いいえ、何もありませんよ」

 

 

 とだけ言った。古びた黒い表紙の日記帳を、優しく撫でる。

 ――欲しい本は、手に入った。一番後ろの席に座り、日記帳を開く。案の定、何も書かれていなかった。

 ビンズ先生がゆらゆらと教室に入ってきたが、セレネは日記帳を隠そうともしなかった。

 

 

「では始めますよ」

 

 

 ビンズ先生も気にすることなく、一本調子で教科書を読み始めた。

 なにせ、教科書とノートを読み上げるだけで終わる授業だ。いつも5分と経たない間に、クラス全員が催眠術にかかったように放心状態になってしまう。先生はそれすら気に留めず、淡々と講義を続けるのだ。斜め前のミリセント・ブルストロードは開始5分も経っていないのに、涎を垂らして寝入っている。奥に座るドラコ・マルフォイと取り巻き2人組は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。普段は真面目に授業を受けているダフネ・グリーングラスやセオドール・ノットの眼ですら死んでいる。

 本来は授業中に別のことをやっていてはいけないのだが、みんな放心状態で先生も絶対に注意してこない。魔法史の授業は、内職をするにちょうど良い時間だった。

 それでもセレネはノートを取っているが、今日だけは別だ。羽ペンをインクに浸し、躊躇することなく日記帳に文字を書き込む。

 

 

「初めまして、トム・リドル」

 

 

 文字は一瞬、紙の上で輝いたと思うと、跡形もなく消えてしまった。

 そして、真っ白なページに戻ったかと思うと、今使ったインクが滲み出してきて、セレネが書いてもいない文字が現れたのだった。

 

 

「初めまして。どうやって、この日記を手に入れましたか?」

 

 

 引き当てた。

 セレネの顔が、喜びのあまり歪みかけた。しかし、喜ぶのはまだ早い。ここから先の交渉が大事なのだ。セレネは息を落ち着けると、慎重に文字を書き込んだ。

 

 

「廊下で拾いました。明日には、持ち主――ジニー・ウィーズリーへ届ける予定です。

失礼――自己紹介が遅くなりました。私の名前は、セレネ・マールヴォラ・ゴーントと申します。

恐らく、貴方の母方の祖父の曾孫にあたる人物です」

 

 

 結局、父親の名前は見つからなかったが――そうしておこう。

 ゴーントの一族を遡ると、サラザール・スリザリンにたどり着いた。

 もし、自分がゴーントの末裔なのだとするならば、いろいろと合点がいく。まず蛇語を話すことができる。ミドルネームもマールヴォロ・ゴーントと似すぎている。セオドール・ノットを介して手に入れた髪や瞳の色といった情報と照らし合わせても、血縁関係を完全否定できる要素はなかった。

 

 トム・リドルの娘だか孫と名乗っても良かったが、彼に子どもはいないことは調査で分かっていたので、何か尋ねられたらモーフィン・ゴーントの孫だと言い張ることにしよう。

 

 もっとも、彼に子どもがいたという記録も残っていないが。

 

 

「曾孫? 僕の母方の親戚に、子どもはいなかったはずですが」

「貴方が日記に記憶を封じてから、生まれたのでしょう」

 

 

 返事を待つ。

 日記は――いや、日記の中に宿るトム・リドルは考え込んでいるようだ。

 返信の間が、最初よりも少し長くなる。だが、それでもビンズ先生が次のページをめくる前に返信が浮かび上がってきた。

 

 

「僕の血縁は全て死に絶えたとばかり考えていたので、少し驚いてしまいました」

「私も同じです。両親は既に他界し、祖父も祖母もこの世を去っていたので、こういう形で親族と話せるとは、思ってもいませんでした」

 

 

 慎重に言葉を選ぶ。

 相手の警戒心を、少し解かなければならない。本来なら時間をかけて行うべき作業なのだが、セレネには時間が無かった。マンドレイク薬が完成して、石になった生徒たちが目覚める前に――もっと言えば、彼らが怪物の正体を話しだす前に、出来れば全てを終わらせてしまいたい。

 

 

「本当に不思議ですね。ですが、1つ疑問が残ります。

どうしてこの日記の所有者が、ジニー・ウィーズリーだと知ったのでしょうか?彼女は、この日記の存在を人に伝えたくなかったように思えます」

 

 

 それに対する返答も、すでに用意してある。

 本来ならば、もう少し会話で和んでから提示する予定だったが――聞かれたのだから、答えよう。むしろ、ここで嘘をついてしまった場合、交渉が上手く進まなくなってしまう。

 

 

「バジリスクが教えてくれました」

「バジリスク?」

 

 

 さすがのトム・リドルも虚を突かれたのだろう。

 日記の向こうで驚いている表情が、瞼の裏に浮かぶようだ。セレネは羽ペンにインクを浸しながら、夜に考えていた文章を反芻した。

 

 

「先日、秘密の部屋へお邪魔した時に、お会いしました」

 

 

 嘘ではない。

 

 セレネは、すっと目を細めた。

 セレネは、「50年前、秘密の部屋が開かれた時、マグル生まれが1人死んだ」と言う情報から、そのマグル生まれが死んだ場所を調べた。ハーマイオニーが石になる前だったので、今とは異なり比較的自由に校舎を歩き回ることが出来たのだ。イースター休暇を利用して「嘆きのマートル」が住まうトイレに忍び込み、使い物にならない蛇口を入口だと認定するのは、さほど難しいことではなかった。

 そこで、セレネはバジリスクと対峙した。

 

 

「バジリスクに不思議な魔法がかかっていたので、解除するまでに苦労しました」

 

 

 恐らく、あの呪文は上級生用の教科書に記載されていた「服従の呪文」だろう。

 他の誰にもバジリスクを渡さぬよう、完全に支配下に置いていた。セレネが蛇語で呼びかけても、バジリスクは応じるどころか襲い掛かってきた。

 

 

「目隠しの魔法で目を隠してしまえば、バジリスクは無効化出来たも同然です。

その後――服従の呪文を解除し、言葉を交わしました。それで、貴方が日記の中に生きていることを――ジニー・ウィーズリーを通じて、ハリー・ポッターを倒そうとしていることを、知ったのです」

「それを事実だと――貴女は、信じるのですか?」

 

 

 そういう風に切り返してくる時点で、事実だと認めているようなものだ。

 セレネは羽ペンにインクを浸しながら、獲物が釣竿にかかった確信を感じた。顔をノートに埋めるように、文字を書き連ねていく。

 

 

「安心してください、誰にも言いません。言ったところで、信じてもらえませんし。

その代り――私も手伝わせてくれませんか?」

「手伝う?」

「ハリー・ポッターは、私が、この騒動を引き起こしている『スリザリンの継承者』だと信じています。

どうやら、クリスマスに私の出自を知ってしまったみたいですので。

貴方でしたら―――日記の中に封じられた記憶の中の『継承者』と現実の『継承者』、どちらが事件の当事者だと思います?」

 

 

 どことなく焦ったように、切迫した様に、一気に書き上げた。お蔭で、文字が乱雑になってしまうが―――関係ない。ようは、セレネ・ゴーントが追い詰められた状況にいると思い込んでもらえればいいのだ。セレネは、トム・リドルの返事を待った。

 

 

「……後者でしょうね。つまり、君は――僕の計画に協力することを申し出ているのですか?」

 

 

 手に汗を握る気持ちから、解放されたようだ。

 セレネ・ゴーントの考えは、日記の中のトム・リドルに伝わったらしい。――第二段階完了が近づいた。だが、少しでも気を抜いたら、日記の中から心の中を見透かされそうだった。セレネは、呼吸を落ち着かせると羽ペンを握り直した。

 

 

「貴方は、ハリー・ポッターを殺したい。私は、ハリー・ポッターに罪を押し付けたい。

企みが達成できれば、貴方は現実世界への復帰を果たし、私は貴方の従者として仕えましょう」

「まさか、無計画と言うわけでもないではありませんよね?」

「私を貴方の傘下に加えていただけるのであれば―――計画をお話しします」

 

 

 そこから、ずいぶんと長い時間が経過した。

 ビンズ先生がページを捲りながら、ゴブリンの反乱について話す声が遠くに聞こえる。セレネは呼吸を忘れて待ち続けた。2分――3分――そして、5分が経過した頃――待ち望んだ黒い文字が滲み上がってきた。

 

 

「いいでしょう。計画について、話してください」

 

 

 セレネは、立ち上がって叫びたいくらいの歓喜に襲われる。

 計画の第一段階がバジリスクの懐柔にあったとすれば、これが第二段階の完了の合図だった。

残るは、計画の第三段階のみ。あと少しで―――自分の計画が達成できる。

 セレネは、真の狙いが突き止められないように、浮き足立つ気持ちを抑えて「表の計画」を書き連ねた。

 

 

 いずれ『秘密の部屋』の在り処を突き止めるであろう――ハリー・ポッターを陥れ、全てを手に入れる計画を――。

 

 

 

 

 

 

 




8月16日:一部訂正


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23話 秘密の部屋

 

 

 ぽたり、と天井から滴が落ちる。

 秘密の部屋は、いつになく陰気な雰囲気で満ち溢れていた。

 

 

リドルに操られたジニー・ウィーズリーと一緒に部屋に来てから、どれだけの時間が経過しただろうか。

時計を見ると、既に3時間が経過しようとしていた。しかし、まだ誰もやって来ない。セレネは、次第に焦り出していた。セレネが寮にいないことを隠すよう、セオドール・ノットらに誤魔化すように命じてはあった。だが、それもそろそろ限界かもしれない。

 冷たいナイフの柄を握りしめ、歯を食いしばった。

 

 

「来ないね、ハリー・ポッターは」

 

 

 1人の青年が、ぽつりと呟いた。

 ジニー・ウィーズリーの生命力を吸い取り、つい数分前に具現化した青年だった。セレネが手に入れた「切り札」――何かの皮で装丁された古びた本を興味深げに見ている。セレネは石像に腰を掛けたまま、リドルから視線を逸らした。

 

 

「来ますよ、彼は」

「果たして、本当に来るかな?」

 

 

 セレネは立ち上がると、杖をローブの中に終い込んだ。

 ハリー・ポッターなら、きっとやって来る。セレネは、焦りながらも、どこか確信を抱いていた。 しかし――いつまで待っても来る気配は無い。こうして、ぼんやりと時間を浪費するよりは、有効利用しよう。そう決めたセレネは、早速リドルに問いかけた。

 

 

「来ますよ。それに、来てもらわなければ――貴方も復讐出来ないんでしょう?」

 

 

 リドルは、どことなく不機嫌な表情を浮かべていた。

 彼の名前は、確かにトム・リドルだ。間違いなくメローピー・ゴーントの息子であり、サラザール・スリザリンの末裔だ。しかし、彼にはもう1つの名前がある。

そう――それが――

 

 

「未来の――闇の帝王」

 

 

 彼の名前である「TOM・MARVOLO・RIDDLE(トム・マールヴォロ・リドル)」を並び替えれば、見えてくる文字――それは、「I AM LORD VOLDEMORT(私はヴォルデモート卿だ)」になる。

 尤も、このことはセレネ自身の力では辿り着けなかった。

 服従の呪文を解いたバジリスクから教えてもらい、なんとか導き出すことが出来た答えである。このことは、ある意味で「嬉しい誤算」だった。

 

 

「そうか、君は気づいたんだね。それで――どうするつもりかな?

僕がヴォルデモート卿だと知ってなお、僕に従うのかい?」

「もちろん。私の意志は変わりませんよ。

それよりも、1つ尋ねたいことがあるんです。

昨年度、未来の貴方が『賢者の石』を手に入れようとしていました。賢者の石を使い、自らの肉体を取り戻した後――どうするつもりだったのでしょうか?」

 

 

 あの塵芥のような姿から、復活するために使うことは目に見えている。しかし、その後――賢者の石をどうするつもりなのか、セレネは気になっていた。

もちろん、過去のリドルが未来のヴォルデモートと同じ考えをするとは限らない。しかし、同一人物である以上、似たような思考回路を持っているはずだ。セレネは、黙ってリドルの反応を待つ。

 リドルは、退屈そうに天井を見上げた。

 そして――

 

 

「そうだね……砕く、かな」

「砕く?」

 

 

 セレネは、眉間に皺を寄せた。

 賢者の石には、永遠の命を約束する力がある。しかも、それは伝説ではない。事実、フラメル夫妻を何百年と生き続けさせている程の絶大な効力を誇っている。

 なのになぜ、砕くという勿体無い行為に奔るのだろうか。

 

 

「驚いているみたいだね」

 

 

 リドルは驚くセレネの表情を見ると、面白そうに鼻を鳴らした。

 

 

「『賢者の石』は、確かに永遠の命を約束する。それは魅力的だろう。

だけど、石自体は有限だ」

 

 

 リドルは静かに言う。

 その説明だけで十分だった。

 賢者の石を使い切ってしまったら、もしくは落として壊したり、盗まれてしまったら――命の水を蓄えている間は死なないが、直に緩やかな死が訪れる。実際に、賢者の石が砕かれた今現在、フラメル夫妻は刻一刻と迫る死の準備をしていると聞く。

 

 

 

 

 あの石の力は素晴らしいが、石自体が永遠ではないのだ。

 

 

 

「まぁ、あの石が無くても関係ないけどね」

「関係ない、ですか?」

 

 

 それはどうして――とセレネが問う前に、リドルは話題を切り替えた。

 まるで、深く探られることを防ぐかのように、まったく別の話題に逸らされてしまう。

 

 

「ところでセレネ。

君が手に入れたコレだけど、本当にバジリスクに匹敵する効力があるのかい?」

 

 

 リドルは、先程から弄んでいた一冊の本を掲げた。 

 セレネは、何でもないように微笑んでみせる。

 

 

「もちろん。

その本を手に入れるのに、苦労したんですよ。知り合いに頼み、『夜の闇横丁』で購入したんです。

 

 

恐ろしい魔力が籠っているんですから――『ルルイエ異本』には」

 

 

 くすり、とセレネは笑ってみせる。

 だが、どうにもリドルの腑に落ちないらしい。ぺらぺらとページをめくり、びっしりと書き記された複雑な漢文を眼で追っている。

 

 

「君は凄い、恐ろしいと連呼するけどね、僕にはちっとも恐ろしく感じないんだ。

その神話も知らないし」

「クトゥルフ神話ですよ。

旧支配者と呼ばれる神々と眷属の織りなす神話です」

「どこの神話? 中国の神話なのかな?」

「アメリカ大陸です。 もっとも、目撃談や伝説は世界中にありますが。

御存じありませんか? ニャルラトホテプやハスターは有名ですよ」

 

 

 セレネは、ハッキリと言い放つ。

 リドルは、自分の知らない神話の存在に懐疑的だった。だけれども、神話を作り話だと断定しなかった。

 魔法界には、神話上の生物だと思われていたケルベロス、ユニコーン、バジリスクやケンタウロスなどが存在する。だから一概に、神話を作り話だと断定できないのだ。

 

 

「そこに書かれている呪文を唱えれば、クトゥルフを呼び寄せることが出来ます」

「のこのことポッターが来たら、まず僕がポッターから杖を取り上げ、バジリスクに襲わせる」

「バジリスクが逃げた先で私が待ち構え、至近距離でクトゥルフを召喚するということですよね」

 

 

 古書を受け取ったセレネは、静かに言葉をつづける。そして、腕時計に視線を走らせた。

 どんなに遅くても、ハリー・ポッターが来る頃だ。そろそろ配置についた方が良いだろう。パイプに隠れようとリドルに背を向けたセレネだったが、ふと――思い出したかのように一言、尋ねるのだった。

 

 

「そういえば、貴方は何故――不死を望むのですか?」

 

 

 ダンブルドアは、「不死を求めた者の末路」として亡霊に成り果てたヴォルデモートを例示した。

 そして、ついさっき「賢者の石が無くても関係ない」と、別の方法で不死を求めることを示唆していた。

 リドルは、セレネの問いに目を細めた。そして、まだ侵入者の気配がないことを確認すると

 

 

「そうだね、完璧な存在になるためだよ」

 

 

 淡々と、何でもないことのように答えた。

 だからセレネは、追及する。セレネが聞きたかった答えは、そんな「ありきたり」の解答ではなかったのだ。

 

 

「完璧とは、つまりどんな存在ですか?」

「だから、死という欠点を補った存在さ」

 

 

 リドルは、さも当然と言うように言葉を続ける。

 

 

「死は、欠点。なるほど……では、欠点を補った完璧な状態で、貴方は何を望むのです?」

「決まっているだろう。

マグルや穢れた血を排除し、純血の魔法族で世界を統べるため――」

 

 

 と、ここまで言ったとき、リドルは口を閉ざした。

 そして、セレネの魂胆を見透かそうとするように睨みつけてきた。

 

 

「何故、そのようなことを聞く?」

「いえ、少し興味を抱いただけですよ。それでは、後はお任せしますね――未来の帝王様」

 

 

 セレネは、優等生らしい笑みを浮かべパイプの中に去って行った。

 そして、秘密の部屋の状態が分かるか分からないかの境界で足を止める。セレネは、外の様子に耳をすませた。

 

 

「ジニー! 死んじゃダメだ!目を覚まして!!」

 

 

 ハリーの声が、響き渡る。

 ついに、待ち望んだハリー・ポッターのお出ましだ。

 セレネの準備は万全だった。杖を再び取出し、ハリー・ポッターを静かに待ち構える。

 

 

「トム・リドル――君は、ヴォルデモートだったのか」

「俗なマグルの父親の名前を、この僕がいつまでも名乗るとでも?

偉大なるサラザール・スリザリンの血を引いた、この僕が。

だから、僕は自分に新しい名前を付けた。いつか――魔法界の誰もが恐怖し平伏す最強の存在になった時、口にするのを恐れる名前を!」

 

 

 リドルが、自分の真の名前を言い放つ。

 これは、ハリーから杖を奪い取ったという合図だ。セレネは、にやっと笑うと杖を自分の左足に突き付けた。

 

 

「『ディフェンド-裂けよ』」

 

 

 躊躇うことなく、自らを傷つける。

 左足が、生々しく裂けた。傷口からは、血が溢れだしてくる。

 切り傷が生じた鋭い痛みに、セレネは顔をしかめてしまったが、まだ我慢できる程度だった。流れ出す血を指ですくい、頬や腕に塗りつける。

 

 

(遠目から視たら、傷だらけの満身創痍に視えるだろうな)

 

 

 セレネは、左腕も同様の行為を行う。

 時間が経過すればするほど、血が流れ出ていく。セレネは、だんだんと身体が冷えてきたような気がしてきた。制服に血や周囲の泥をこすりつけ、ホッと一息ついたとき――

 

 

「さぁ、バジリスクよ!

忌々しいハリー・ポッターを殺せ!!」

 

 

トム・リドルの叫び声と、誰かが逃げる足音が聞こえてきた。

激しい足音は、パイプの中に入った瞬間、大きく木霊する。だんだんと近づいてくる足音に、セレネは体勢を整えた。

 

 

(早く――早く来い、ハリー・ポッター)

 

 

徐々に、しかし、確実に足音は近づいてきていた。

セレネは、今か、今かと待ち望む。そして、ついに――

 

 

 

「――えっ、セレネ?」

 

 

 

 ようやく――ハリー・ポッターが目の前に転がり込んできた。

 汗と泥にまみれ、眼鏡はひび割れている。握りしめるのは、杖ではなく古びた帽子で頼りないことこの上ない有様だが、不思議と絶望していないようだ。

 

 

(知り合いの私と会ったから? いや違う、もっと別の何かだ)

 

 

 セレネは、ハリー・ポッターが絶望していない理由を考えようとした。だけれども、今はそれどころではない。後でじっくり考えるとしよう。そう思い直すと、セレネは苦々しい笑みを浮かべた。

 

 

「セレネ!? どうしてここに!?」

「それは、こっちの台詞です」

 

 

 傷つけた左腕を庇いながら、セレネはハリーに近づいた。

 

 

「私は、トム・リドルから自分の所有物を取り返そうと来たんですが――貴方は、一体どうして?」

「僕は、ジニーを助けるためだよ。

そうだ、早くジニーを運び出さないといけないんだ。だけど、僕はバジリスクに追われてるんだ。やっとの思いで振り切れたんだけど、今にも出てくるかもしれない。

それに、聞いて! トム・リドルの正体はヴォルデモートで――」

「落ち着いて、ハリー」

 

 

 セレネは、興奮状態で話しだすハリーを制する。

 

 

「貴方が言わんとしていることは、分かっています。

だから――1つ提案があります」

 

 

 セレネは、傍らに抱えていた古本を―――ゆっくり捲った。

 

 

 

 



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24話 勝者の条件

 

 トム・リドルは、勝利を確信していた。

 馬鹿なジニー・ウィーズリーとスリザリンの末裔を名乗る小娘を利用し、もうすぐ憎きハリー・ポッターを殺すことができる。リドルは、ポッターから奪った杖を手の中で回しながら笑った。

 手筈通り、そろそろセレネ・ゴーントがポッターを始末している頃だろう。奇妙な装丁の本を使い、新しい「秘密の部屋の怪物」を召喚する。

 その直後――本当の怪物、バジリスクがセレネ・ゴーントを殺すことになるとは知らずに。

 

 

「運が悪かったな、あの小娘」

 

 

 スリザリンの継承者は2人もいらない。

 いつ自分にとって代わる存在になるか、分からない不安要素は全て排除する。

 確かに、あの末裔を名乗る小娘は相当の実力を持っている。服従の呪文を解除できるほど意志が強く、狡賢な知恵もまわる。本来なら、喉から手が出るほど欲しい手札だろう。

 だが、それ故に排除しなくてはならない。

 

 

「スリザリンの継承者は、僕だけでいい」

 

 

 その時だ。

 背後に、しずしずと何かが現れる気配がした。もちろん、現れるモノといったら1つしか考えられない。リドルは、勝者の笑みを浮かべた。

 

 

「戻って来たか、バジリスク」

 

 

 忠実なる下僕の名前を、振り返ることなく口にする。

 ぴちゃりっという水音と共に、血にまみれた何かが放り出された。それは、獅子が刻まれたネクタイとスリザリンの紋章が縫い付けられたローブだった。どちらも、致死量と思われる血がこびりついている。

 バジリスクは、見事仕事を達成してきたらしい。当面の敵は殲滅され、あと恐るべきはダンブルドア――だが、彼も既にホグワーツから追い出され、何も手出し出来ないだろう。

 これから――再び自分の時代が幕を開ける。

 魔法界を統べる最強の魔法使い、ヴォルデモート卿の復活だ。

 

 

「っくっくっく――はっはっはっは!!

生き残った男の子は、運が良かっただけだったんだ!

スリザリンの継承者も、これで僕だけだ!!

これからは僕が――闇の帝王、ヴォルデモートが再び世界を支配する!!」

 

 

 希望を胸に、高笑いをする。秘密の部屋に、トム・リドルの笑い声が響き渡った直後のことだった。

 

 

「なっ……!?」

 

 

 血の塊が、口から零れた。

 自分の命が、徐々に失われていく感じがする。

 自分の胸を見渡せば、そこには巨大な穴が開いていた。何が起こったのか、まったく理解できない。いや、本当は理解できていたのかもしれない。リドルは、ゆっくりと重たい頭を後ろに回した。

 

 

「き……さま…!」

 

 

 ハリー・ポッターが、バジリスクの牙で日記帳を貫いている。

 日記帳からは、インクが激流のようにほとばしり、ハリー・ポッターの手の上を流れている。

 

 

「これが最後だ!」

  

 ハリー・ポッターは、日記帳目がけて再び牙を振り下ろした。

 

 

「ヴォルデモート!」

 

 

 日記帳に牙が突き刺さった瞬間、トム・リドルの悲鳴が響き渡った。

 リドルは痛みと自分が消えうせる恐怖で悲鳴を上げながら、どうして計画が破綻したのか考える。  

 そして、ハリー・ポッターの後ろに佇む人影を見つけ――1つの結論に至った。

 

 

「この――小娘――がっ!!」

 

 

 血まみれになったセレネ・ゴーントは、勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 リドルは、彼女を呪い殺そうと睨みつけようとした。しかし、セレネの目を見た途端、恐怖が全身を駆け抜けた。

 眼鏡を外したセレネは、蒼い瞳をこちらに向けて笑っている。禍々しいまでに蒼い瞳だ。その瞳に魅入られた瞬間、死への恐怖が倍増させる。リドルは声なき悲鳴を上げた。

 

 

 (あの瞳は、なんだ?

 あれは、人間なのか?

 それとも―――)

 

 

 

 死。

 偉大なるサラザール・スリザリンも、その血を引く母ですら回避することができなかった存在が、自分の前に佇んでいる。

 強大な死は、静かに微笑みを浮かべ――何かを呟いた。その口の動きを読み取り、理解した時―――ハリー・ポッターが握りしめた牙が、完全に日記を両断した。

 耳を貫く絶叫と共に、トム・リドルは世界から消え去ってしまった。

 

 

 

 そう、呆気ないくらい簡単に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、1年が過ぎた。

 ホグワーツ特急は、生徒たちを乗せてロンドンへ走る。

 セレネは、1人――車窓を眺めていた。流れゆく風景を、なんとなく目で追う。たった1年前振りだというのに、特別懐かしいとも思わない。ただ、見覚えがあるはずの景色を眺めながら、首元に軽く巻きつく蛇の鱗を撫でていた。

 

 

『これが――外の世界なんですね』

 

 

 耳元で、誰かが嬉しそうに囁いた。

 舌を出して囁く蛇は、バジリスクだった。本来であれば見上げるばかりの巨体の持ち主だが、縮小呪文の効果で普通の蛇と見た目は変わらない。脅威の塊ともいえる黄色の双眼も、今であれば覗き込んでも、死んだり石になってしまうこともない。セレネの魔眼同様、魔力を通すことで効果が発動する仕組みになっているのだった。しかも、バジリスクの方が直死の魔眼よりON/OFFの切り替えがしやすいらしく、特別製の眼鏡やコンタクトを発注する必要はなさそうだ。――もっとも、どこに発注すれば、セレネがかけてる眼鏡が手に入るか分からないが。

 

 唯一、他の蛇と異なる点を挙げるとしたら、牙が1本欠けているという事くらいだろう。2本の牙のうち、1本はハリー・ポッターに杖に代わる武器として渡してしまったが、いずれ生えてくるはずだ。

 

 

 

『私――ずっとホグワーツの中で生きてきましたから――外の世界は、素晴らしいですね』

 

 

 バジリスクは、どことなく幸せそうだった。

 そして、ふと思い出したかのように――バジリスクは口を開いた。

 

 

『そういえば、結局――あの変な装丁の本は何だったんですか?

継承者様は、ハリー・ポッターと合流した後、迷うことなく燃やしていましたが』

『あぁ、あの本は茶番の小道具だよ』

 

 

 どうせ、このコンパートメントには自分しかいない。

 セレネは指を立てると、静かに蛇語で真実を告げた。

 

 

『トム・リドルに取り入るための偽物の手土産。

 ただ、仲間になりたいと言っても、信じてくれないだろうから』

『なるほどですね――しかし、手土産が受け入れられなかった時はどうするつもりだったのです?』

『受け入れられるさ。

 なにせ、この世界には神話上の生き物……バジリスクやユニコーンが本当に存在する。クトゥルフ神話の怪物がいても不思議ではないって考えるはずだ』

 

 

 セレネは、車内販売のカボチャパイを齧った。

 ほのかに甘い味が、口の中に広がっていく。成功を噛みしめるように、パイを咀嚼する。

 

 

『クトゥルフ神話は神話に間違いない。

 それに、ルルイエ異本は漢文で呪文が書かれている。それだけで神秘的だ。

 未来の彼なら万が一と言う可能性もあっただろうけど、一介の学生に過ぎないリドルが漢文を読めるとは思えないし、それに―――

 

 

 マグルの作り話に過ぎないクトゥルフ神話を、純血主義のトム・リドルが知っているとは考えられないだろ?』

 

 

 ここが最も大事なところだ。

 トム・リドルがホグワーツに在籍していたのは、1938年から1945年の7年間。

 H.P.ラヴクラフトが、創り出したクトゥルフ神話が本格的に広まり始めたのは、ラヴクラフトの死後――つまり、1937年以降だ。1938年にホグワーツに入学してから、マグルの世界と半ば決別していたと考えられるヴォルデモートが――アメリカ発祥の、しかもマグルが書いた創作物を読むとは考えられない。

 適当に抜粋した東洋の文字を書き殴り、魔法と魔法薬を使って古びた書物のように変身させた。一見すると、太古の昔からある古書の完成だ。

 

 

『神話と言い張れば、あとは問題ない。

 私も――最初は、本当に昔からある神話だと思っていたから。

 ――まぁ、少し考えれば、遭遇しただけで正気を失う魔法生物が存在するわけないって、分かりそうなものだけど』

 

 

 バジリスクは、黙って話を聞いていた。

 しかし、上手くリドルを騙すことが出来たとはいえ、セレネの表情は物思いに沈んでいた。バジリスクは、首をかしげる。

 

 

『浮かない顔ですよ、継承者様。

聞きたいことが、聞きだせなかったのですか?』

『いや、聞き出せた』

 

 

 セレネが、トム・リドルに尋ねたかったことは1つ――「何故、不死を求めるか」の一点だけだった。

 セレネ・ゴーントは、本当の自分が分からない。

 そもそも、自分は過去のセレネ・ゴーントと同一人物なのかすらあやふやで、確かな自分の気持ちが分からない。

 けれど――1つだけ、自分の気持ちだと断言できるくらい強い衝動があった。

 そう、それは――

 

 

「私は、死にたくない」

 

 

 死を恐怖する感情だ。

 優等生を演じる受動的な感情からは、産まれるはずもない「賢者の石」に対する執着心。

 それは、もしかしたら『』と接していた期間に出会った恐怖感からかもしれない。眼鏡を外すと浮かび上がってくる、あの線のせいかもしれない。

 いずれにしろ、自分の大半は「死」に対する恐怖で作られている。

 それが分かるだけで、セレネは少しだけ安心することが出来た。

 

 

 だから、セレネはトム・リドルの――いや、ヴォルデモート卿の思想に少なからず共感していた。死にたくない、私も石を手に入れ「死」を逃避したいと。

 しかし、盲目的に共感することは危険だ。そう直感したセレネは、いつでもリドルを裏切ることが出来る体制を整えてから、詳しく彼の思想を本人から聞き出して――文字通り、幻滅した。

 

 

 

 ヴォルデモートは、純血主義だ。

 死を拒否した後の思想が、マグルを殲滅するという思想に共感することができなかった。

 マグルの社会で生きてきたからかもしれない。他の理由があるのかもしれない。

 いずれにしろ、セレネはトム・リドルを切り捨てた。

 

 

 全ての罪をリドルに押しつけ、再び自分は陽の下を歩く。

 負けた方が「悪」であり、「死」が待っている。そして、何があろうと勝った方が「正義」で、物事を決める力を手に入れるのだ。

 適当に作った「ルルイエ異本」を「リドルが使っていた謎の魔道具」だと偽り、「今やっと効果を封じ込めたばかりだ」と言えばいい。証拠もハリーの前で燃やしてしまったので、跡形も残らなかった。

 バジリスクも失神呪文で気絶させた。バジリスクが死んだと勘違いしたハリーが、リドルの本体――つまり古びた日記帳――を仕留めに向かった後、「殺した」と偽って、こうして生かすことが出来た。

 秘密の部屋へ乗り込んだハリーや、その協力者のロン・ウィーズリーと一緒に「ホグワーツ功労賞」なる賞を受諾し、なおかつ夏休みを利用して、ニコラス・フラメルと正式に会う機会まで手に入れた。

 

 

 

 勝者のセレネは、全てが順調だった。

 

 

 

 ある1点の謎以外は。

 

 

(何故――リドル本体に、死の線が視えなかった)

 

 

 その理由だけが、分からない。

 眼鏡を外しても、リドルの身体に纏わりついているはずの「死の線」が視えなかった。誰にも、あの気持ち悪い線が纏わりついている。今まで、纏わりついていなかったのは、たった1つ。

 塵芥の霞同然なヴォルデモートだけだった。

 

 

(石が無くても、不死を完成させた――ということ?

 だけど、あの日記帳には線が纏わりついていた。

 ハリーに「杖に代わる武器」として渡したバジリスクの牙で壊すことが出来なかったとしても、私の眼を使って破壊することが出来た。

 リドルは――賢者の石を手に入れたら、最低限利用し砕くと断言していた。

 日記帳という有限の道具を砕かれたら死ぬとは、考えていなかったのだろうか。

 もしかして――日記帳に自分の記憶を封じ込める他にも、不死の方法を幾つか用意していた、ということ?

 

 あの日記は、捨て駒だったのか?)

 

 

 セレネは、首を横に振った。

 考えが纏まらない。

 あの日記帳が、ヴォルデモートの不死の理由だと考えられるけれども、断定はできない。ただ単に、若い時から自分はこんなに凄かったのだ、と鼓舞するためだけに作られたものかもしれない。いずれにしろ、情報が足りな過ぎる。

 

 

『まだまだ――やることがありそうですね、継承者様(あるじ)』

『そう――ね』

 

 

 静かに呟いたとき、誰かがドアを控えめに叩く音がした。

 セレネは、バジリスクに視線を向ける。バジリスクは意図を察したのか、黙ってトランクの中にもぐりこんだ。その尻尾が消えた時、セレネは

 

 

「どうぞ」

 

 

 入室を促す。

 ゆっくりとドアが開いた時、セレネは少し目を見開いてしまった。

 

 

「久し振りです、セレネ」

 

 

 そこにいたのは、ジャスティン・フレッチリー・フィンチだった。

 物静かなハッフルパフ寮の少年は、いつも通り控えめな笑顔を浮かべていた。

 何故、このタイミングで現れたのか。セレネには、理解できなかった。

 

 

「どうして、ここに?

てっきり、ハッフルパフ寮の方々と一緒にいるとばかり」

「ええ、さっきまでアニーやハンナ達と一緒にいました。

だけど、1つ――セレネに、言い忘れていることがあったんです」

「言い忘れていること?」

 

 

 セレネが首をかしげると、ジャスティンは、どこか寂しそうに微笑み――ゆっくりと頭を下げる。

 

 

「ごめんなさい、クリスマスの約束を守れなくて」

 

 

 そう言われて、やっと――セレネは思い出した。

 彼が石になる前に、一緒に大英博物館へ行こうと約束したことを。

 たった半年前の約束なのに、大昔に起こった出来事のように思えた。遠い遠い昔の約束を思い返しながら

 

 

「あれは、トム・リドルのせいですから気にしないでください」

 

 

 と言う。

 約束を守れなかったのは、ジャスティンのせいではない。バジリスクにマグル生まれの生徒を襲わせていた、もっといえば、ハリー・ポッターに関わりの深いマグル生まれを襲わせていたトム・リドルのせいだ。バジリスクの視線を間接的に見て、石になってしまった彼は被害者といえよう。

 

 

「そうかもしれませんが――それでも、約束を破ってしまったことには変わりありません。

 あの、えっと、その……」

 

 

 ジャスティンは、何か言い淀んでいる。

 何を言い出すのだろうか、と黙って次の言葉を待つ。しかし、時は無限に与えられているわけではない。言い淀んでいる間に、車窓の風景は穏やかな農園から一変しビルが立ち並び始めていた。そろそろ、ロンドンに到着するというアナウンスが流れ始める。

 ジャスティンは、情けなく息を吐いた。

 

 

「……すみません、また今度」

 

 

 ジャスティンは淋しそうに別れを告げると、セレネに背を向ける。

 小さな背中を眼で追うセレネだったが、大きくため息をついて――気がつくと

 

 

「ダイアゴン横丁、一緒に行きません?」

 

 

 と言っていた。

 ジャスティンは、驚いたように振り返る。これ以上ないくらい目を丸くさせて、固まっていた。

 

 

「別に深い意味はありません。

 ただの埋め合わせ、ですよ。時間の都合上、大英博物館は無理そうですが」

 

 

 言葉通り、深い意味は無い。

 セレネは、1人で行動することが多い。むしろ、この2年間で1人に慣れてしまった。

 だが、偶には誰かと一緒に行動するのも悪くない。

 それに、あの言い淀んでいた反応からして、彼は、マグル出身の誰かとマグル社会の話をしたかっただけにちがいない。

 たまには、魔法界とは別のマグルの話をするのも良いだろう。今回、マグルの知識が役に立ったのだから、マグルも捨てたものではないのだ。

 マグルの情報を手に入れる人間と関係を築いておくことで、何か良いことがあるかもしれない。

 

 

「きっとですよ!今度こそ約束ですよ、セレネ!!」

 

 

 ジャスティンは嬉しそうな声を挙げ、大きく手を振りながら駆けて行った。

 セレネはしばらく彼の背中を見送っていたが、自分も降りる支度をしなくてはならない。そっと、コンパートメントに戻る。

 

 

『継承者様、先程より機嫌が良さそうですね』

 

 

 いつの間にか、トランクから顔を出していたバジリスクが教えてくれた。

 その指摘で、セレネは自分の頬が緩んでいることに気がつく。

 何故笑っているのか、セレネには分からなかった。

 

 

『そうか?

それよりも、大人しくトランクの中に入ってな。家に帰ったら、出してあげるから』

 

 

 再びバジリスクがトランクに入った時、ホグワーツ特急は動きを止めた。

 窓の外を眺めれば、沢山の魔法使いやマグルの服に身を包んだ保護者が群がっている。その中に紛れて、懐かしい義父の姿を発見する。クイールも、セレネの姿を見つけたのだろう。セレネに向けて、大きく手を振ってきた。

 

 

「今は、考えるのを止めようか」

 

 

 小さく呟くと、セレネはトランクを担ぐ。

 今日くらいは、しっかり休もう。明日から、再び目的に向けて活動を再開すればいい。

 

 

 セレネは、短い夏休みに向けて歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 




秘密の部屋編、これにて終了です。
次回から、アズカバンの囚人編に入ります。


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アズカバンの囚人編 25話 ニコラス・フラメル

アズカバンの囚人編、始まります。
2018年11月 大幅改定しました。



 太陽が、裏庭の草木を照りつける。

 額から、一筋の汗が流れ落ちた。セレネは作業の手を止め、腕で汗を拭う。そのまま空を仰げば、雲一つない晴天が広がっていた。

 自分の瞳の色より薄くて、どこまでも静かな青空だった。眺めているだけで、何故か落ち着く。雑草を抜き終わったあと、この芝生の上で眠ることが出来たら、どれほど心地よいことだろう。

 

 

「……まぁ、無理な話だけど」

 

 

 セレネは、大きくため息を吐く。

 まだ、たまっている仕事が山のようにあるのだ。休んでいる暇など、セレネには無かった。腰をかがめ、再び雑草を抜く作業に専念する。裏庭の雑草をすべて抜くなんて、どんなに効率よく抜いたとしても、太陽が沈むまでかかってしまうだろう。

 朝、太陽が上る前から抜いているにもかかわらず、荒れ放題だった庭は、たった4分の1しか片付いていない。体力が、汗と一緒に流れていくみたいだ。

 セレネは、平均以上の体力はあると自負していた。ただの雑草ならば、造作もなく引き抜けていただろう。しかし、この庭の雑草は強情過ぎた。青々とした立派な茎をもった雑草は、どれもこれも堂々と地面に根差している。本気で抜きにかからなければ、びくともしないのだ。

 

 

(本当――何年、放置していたんだよ?)

 

 

 文句を胸の内に秘めて、セレネは雑草を抜く。

 幾ら抜いても、抜いた気がしない。真夏の太陽は、天井を通り過ぎる。汗を拭うことすら煩わしい。もう、セレネの体力が限界に差し掛かった頃――

 

 

「セレネちゃん、ごくろうさま」

 

 

 優しそうな声に、セレネはハッと顔を上げた。

 振り返ってみれば、裏庭の3分の2は平らになっている。雑草の束は、小高い丘のように積み上がっていた。その奥に、小さな老婆が佇んでいる。

 

 

「本当に、見違えるようだわ。ありがとう、ちょうど昼食が出来たところよ」

 

 

 老婆は、上品な笑みを浮かべる。

 セレネは疲れた表情を引っ込め、優等生らしい笑顔を浮かべた。

 

 

「ありがとうございます、フラメル夫人」

 

 

 待ちに待った夏休み。

 セレネ・ゴーントは、フラメル夫妻の家に滞在していた。

 ダンブルドアと約束した通り、ニコラス・フラメルに教えを乞うためだ。ニコラス・フラメルが高齢であるということも考慮され、泊まり込みで1ヶ月と言う短い期間だったが、それでも稀代の錬金術師から学ぶことが出来る珍しい機会だ。

 セレネはダンブルドアが用意してくれたポートキーという移動装置に乗って、パリに住まうニコラス・フラメルの家を訪れたのである。

 

 しかし――

 

 

(もう今日で、3週間たつのに、何にも教えてもらっていない)

 

 

 シリアルを食べながら、セレネは内心ため息をついた。

 この3週間で行ったことといえば、掃除・洗濯・朝夕食の支度・買い出し・家のペンキの塗り替え・屋根の修理など、全て身の回りの家事手伝いばかりだった。肝心な錬金術について何も教えてもらっていない。炎天下の下での肉体労働ばかりなので、すっかり日に焼けてしまった。

 

 

(もしかして――私、お手伝いさんか何かと間違えられてる?)

 

 

 この3週間、何度も考えた不吉な推測が浮かんでくる。

 今までは、ずっと「何か理由があるはずだ」と自分に言い聞かせていたが、さすがのセレネも限界だった。あと、残された時間は1週間しかない。それが終われば、クイールの待つ家に戻らなければならないのだ。

 家に帰ることは、嫌ではない。しかし、何も得ることが出来ずに終わるのだけは避けたかった。

 

 

「あの――私、いつ錬金術について教えて貰えるんでしょうか?」

 

 

 その日の夕食時、とうとうセレネは口火を切った。

 今言わなければ、いつ訴えればいいのだろうか。

 セレネの唐突な訴えを受けた老人――大錬金術師ニコラス・フラメルは、最後の一口を静かに飲みこむ。そして、黙ってセレネを見つめた。

 

 

「ミス・ゴーント――。君は、今まで何を学んできた?」

「何を、ですか?」

 

 

 突然の問いに、セレネは言葉に詰まってしまった。

 この場合、どういう風に答えたら良いのだろうか。今まで独学で学んできたことを言えばいいのか、それとも――実はこの3週間の間、フラメルが何かを教えてくれていたのだろうか。

 セレネが悩んでいると、フラメルは長く息を吐いた。

 

 

「いいかな、錬金術は科学だ」

 

 

 フラメルは、静かに講義を始める。

 セレネは何度か瞬きをし、思いついたまま疑問を口にする。

 

 

「だけれども、錬金術も魔法ですよね?

 私が今まで調べた限りだと、どれもこれも化学的な物質法則を無視した結果を出しています」

 

 

 時間の合間を縫って図書館に通い、かなり錬金術を勉強したつもりだ。

 数種の魔法薬と魔法を組み合わせることで、元素を別の元素に変えてしまう。それこそ、銅に複雑な魔法薬と難しい呪文を重ねることで、金へと変化させてしまうのだ。物質の最小単位である元素を変化させることなど、現代の科学力を以ってしても考えられない。

 もっとも、本物の金とは異なる。だから、溶かした瞬間に魔法が解けて元の銅に戻ってしまうらしい。試したことはないが、錬金術で作られているガリオン金貨を熱したら、価値が急降下しクヌート銅貨になってしまうのだろう。マグルの世界よりも金の価値が低いのは、こういった背景から来ていたりする。

 

 

「錬金術は、卑金属を他の物質に変身させる。

 その時点で、マグルには不可能――つまり、錬金術は魔法に分類されるはずです」

「君は、勘違いしているようだ」

 

 

 やれやれ、とニコラス・フラメルは首を横に振った。

 セレネは、眉間に皺を寄せてしまう。間違ったことは、何一つ言っていないはずだ。一体、何処を勘違いしているのだろうか。

 

 

「勘違い、ですか?」

「化学は――そうだな、科学の一側面でしかない」

「それは、分かります」

「だけど、魔法は科学ではないのだよ」

 

 

 フラメルは、年季を帯びた杖を取り出す。

 杖を暖炉に向けて一振りすると、緑色の炎が燃え上がった。先程まで火の気が無かった暖炉は、轟々と薪を燃やしている。

 

 

「これが、魔法だ」

 

 

 フラメルは、小さく呟くとまた杖を一振りする。

 暖炉の火は、だんだんとおさまり、小さく、小さくなって最後には消えてしまった。

 先程まで火が燃えていたとは思えない暖炉を見て、セレネは

 

 

「それは分かりますよ。物理法則を完全に無視しています」

 

 

 と言い放った。

 何の変哲もない杖に魔力を通して振るうだけで、炎が生れるわけがない。

 クイールが定期的に送ってきてくれるマグルの教材のお蔭で、これでも一通りのマグルの知識は修めているつもりだ。セレネは、物理的に化学的にそれを行うことが無理だと知っている。でも、そんな不可能を可能にする現象が魔法なのだ。セレネは、そう理解していた。

 

 

「そうだな。

 この世界は、様々な物理法則で縛られている。

 魔法使いは、己の魔力を使うことで物理法則に干渉し、強引に結果を生み出す。

 火の無いところに火を、水の無いところに水を、という感じだ」

 

 

 しかし――、とフラメルは言葉をつづけた。

 

 

「錬金術は、少し違う。

 魔力を使い、物理法則に干渉するところまでは同じだ。

 だが、錬金術師は、魔力を使い一時的に法則を書き換える。

 変身術が一番近いな――『石』という自然物に魔力で干渉し、法則を書き換える」

 

 

 手近な石に杖を乗せて、軽く叩く。

 石は、あっという間に小さなネズミへと変わった。そのネズミをフラメルは蛇――セレネのバジリスクに放り投げる。転寝をしていたのだろうか。半分眠そうなバジリスクは、ぱくりと一口で――先程まで石だったネズミを食べてしまった。そして、何事も無かったかのように、とぐろを巻いて眠ってしまう。

 

 

「魔法は、強引に干渉して結果を生み出す――

 簡単に言えば、『奇跡』を起こす。

 しかし、錬金術や変身術は干渉して、そこにある法則や情報を書き換えて、まったく別の物を創り出す」

 

 

 だから、変身術には論理的な思考速度が必要とされる。

 いかに素早く的確な思考を行うことが出来るか、が重要視されてくるのだ。

 

 

「魔法と錬金術は、魔力の使い方が違うのだ」

 

 

 ニコラス・フラメルは、机に両肘をつけた。

 軽く指を組み、じっとセレネを見据える。

 

 

「この3週間、ずっとテストをしていた。

 今まで出してきた雑務を、いかに的確に素早く片づけることが出来るかを」

 

 

 セレネは、ハッと息をのんだ。

 今までの雑務には、意味があったのだ。驚くセレネをよそに、フラメルは話を続ける。

 

 

「錬金術は、非常に繊細かつ高度な思考力と、忍耐力がいる。

 ワシらのような老人に色々言われても文句を言わず、課題をやり遂げる忍耐力。

 そして、その課題を効率的に素早く片づける思考力と行動力を図っていたのだ」

 

 

 セレネは、唖然とした。

 今までの雑務の全てに意味があるのかもしれないと、考えたことはあった。しかし、考えつかなかった。その言葉のお蔭で、少しは今までの苦労が報われる気がした。

 そうでなければ、今までのことは全て徒労に終わっていただろう。

 忍耐力や思考力を図るためとはいえ、もう少し他の方法は無かったのだろうか、とも考えてしまうが――もっとも、定期的に買い出しで街に行くことで、セレネの得になったこともあった。だから、深く考えないことに決めた。

 

 

「……まぁ、ワシらが楽したいという理由もあったがな。

 さて、明日から錬金術の勉強を始めよう」

「はい!」

 

 

 セレネは、元気よく頷いた。

 これで、ようやく錬金術が学べると思うと嬉しかった。

 いきなり『賢者の石』について学ぶのは無理かもしれない。

 だけれども、直接教えを乞うことでヒントが手に入る可能性が高い。

 セレネは、この3週間を振り返る。ただの雑務に追われた3週間は、辛いばかりで良い思い出など1つも無かった。しかし――

 

 

(もしかしたら、無駄なことなんて無いのかもな)

 

 

 これまでも、これからも、無駄なことなど1つも無い。

 どんな些細なことでも、その積み重ねが何かに繋がるのだ。もし、少しでも手を抜いて作業をしていたら――きっと、錬金術を教えてもらう前に家へ帰されていたかもしれない。

 これは、魔法で生み出された奇跡ではない。自分が、我慢してやり遂げた成果だ。

 

 

 

 セレネの心は、いつになく晴れやかだった。

 

 

 

 

 



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26話 見えない敵

2018年11月23日 大幅改定


 

 アスファルトの道が揺らいだ。

 問答無用の強烈な日差しに、目を細めてしまう。セレネは、先程までいたクーラーの良く効いた文房具店に戻りたくなった。もう少し涼みたい。心なしか、後ろ髪を惹かれてしまう。

 

 

「……まぁ、今日が最終日だから、早く帰らなくちゃ」

 

 

 セレネは愛用の鞄を背負い直すと、石畳の道を歩き始めた。

 

 フランスの首都 パリ。

 そこの中心部から少し離れた場所に、フラメル夫妻の家があった。

 東洋の方では、パリが「花の都」と謳われているだけあり、その活気はロンドンを思わせる。もっとも、地下鉄の治安や全体的な空気はまるで違ったが。

 ずっと、フラメル家の雑用や錬金術の勉強で家に閉じこもっていたこともあるだろう。興味深い店も多く、ついふらふらと足を踏み入れたくなってしまった。

 

 

「……よし!」

 

 

 セーヌ川の河岸でバカンスを楽しんでいるパリ市民を横目で見ながら、一歩、また一歩とフラメル夫妻の家へ帰る。

 そして、入り組んだ裏道を抜けると、1月ほど前までは、屋根は崩れかかり、裏庭には雑草が勢いよく生い茂り、壁という壁は見事に朽ち果てていた。その幽霊屋敷を立て直したのは、紛れもなくセレネだった。

 

 

「ただいま帰りました」

 

 

 玄関に手を掛け、そっと扉を開ける。

 片手で扉を押し開き、家の中に入って行った。そして、家の中の異変に気がついた。中から、人の声が聞こえたのだ。フラメル夫妻しかいないはずなのに、もう1人――男性の声が聞こえてくる。セレネは鞄を背負い直すと、慎重にリビングの扉をノックした。

 軽い音が響くと、一瞬――中の声が止まる。そして――

 

 

「セレネちゃん、入りなさい」

 

 

 フラメル夫人の声が聞こえてきた。

 セレネは軽く目を瞑ると、息を整えた。中にいる人物は、既に予想が出来ていた。だからこそ、余計に緊張する。

 

 

「失礼します」

 

 

 大錬金術師のリビングは奇天烈な物が多い。

 実用性でいえば、スリザリンの寮のリビングの方が居心地が良いだろう。手狭な空間には、簡素な物か奇天烈な物しか置いていない。そんなリビングには、3人の老人が額を合わせていた。どの顔も和やかで、老人とは思えない快活さを醸し出している。そのうち、2人は1ヶ月で見慣れてしまったフラメル夫妻だ。そして、もう1人は――

 

 

「1か月ぶりじゃの、セレネ」

 

 

 アルバス・ダンブルドアが静かに笑った。

 セレネは、とびっきり優等生らしい笑顔でダンブルドアにお辞儀をする。

 

 

「久し振りです、ダンブルドア先生」

 

 

 1カ月前、セレネをフラメル夫妻の家に連れて来てくれたのは、紛れもなくダンブルドアだった。そして、自宅に戻る今日――セレネを送るために訪れたのだろう。

 

 

「フラメル先生、街で言われたものを買ってきました」

 

 

 鞄をテーブルの上に置く。切れそうなくらい膨れ上がった鞄の中には、これだけで、数週間――山籠もりが出来そうな量の食料品が詰め込まれていた。明らかに錬金術とは関係ない買い出しだ。しかし、600歳を超える御高齢のフラメル夫人の苦労を想えば、文句を言わずに引き受けたのだった。

 賢者の石の力が切れるまでは、食事をしなくても生きていられたらしいのだが、いまは食事をしなくてはいけないらしい。

 

 

「あぁ、ありがとう。セレネ、それは台所にしまっておいてくれないかな?」

「はい、了解しました。

 ついでに、部屋にトランクを取りに行ってきます。ダンブルドア先生、それでは後程」

 

 

 セレネは、ダンブルドアと目を合わせないように――静かに退室した。

 一応――設置されている冷蔵庫に食品を詰め込みながら、そっと指を鳴らす。すると、何処からともなくバジリスクが姿を現した。

 

 

『どうかしましたか、継承者様?』

『――バジリスク、他に何かがいる気配はある?』

 

 

 バジリスクは、静かに辺りを見渡した。

 出自はどうであれ蛇の仲間であるバジリスクは、温度で周囲を識別する力を持っている。『服従の呪文』をかけられている時のように、無理やり働かされている時は使えない能力だったが、こうして普通の状態の時には何の問題も無く使うことが出来たのだった。

 

 

 ――セレネは、「眼」を使えば、姿を隠した人を見つけることが出来る。

 例え姿を消していたとしても、「死の線」まで消すことはできないのだ。

 しかし、線を視るためには眼鏡を外さなければならない。眼鏡を外した時点で、辺りを警戒していることがばれてしまう。だからこそ、セレネはバジリスクを使うのだった。

 

 

『――いますね、これは――アルバス・ダンブルドアの鳥です』

『ダンブルドアの鳥?』

 

 

 一瞬、手が止まる。

 意味が分からなかった。

 たまたま手に持っていたマーガリンに目を向ける。賞味期限を確認する様に、マーガリンのパッケージを見つめながら

 

 

『どうして、そこまで分かるの?』

 

 

 と、尋ねてしまう。

 バジリスクは、私の脚に寄り添いながら淡々と

 

 

『あれは、以前――ハリー・ポッターに「組み分け帽子」を届けた、ダンブルドアの不死鳥の体温に良く似ています』

『不死鳥?』

 

 

 記憶を呼び起こす。

 そして、セレネは思い出した。

 あの秘密の部屋の決戦の時、ダンブルドアがハリーに送った『組み分け帽子』。それを届けたのは、ダンブルドアの不死鳥だった。しかも、驚くべきことに、私やハリー、ウィーズリー姉妹、それに何故か途中まで同行していたギルデロイ・ロックハートを足につかませた状態で、秘密の部屋から校長室まで疲れを見せることなく飛ぶだけの力を持つ。

 普通では考えられない筋力だけではなく、姿を隠せる特殊能力まで持っているとは、さすがに知らなかった。セレネは、小さく息を吐いた。

 

 

『姿を隠して、遠くから監視と来たか。

 信用されていないな、私は』

 

 

 マーガリンを冷蔵庫の中に入れ、ぱたんっと扉を閉めた。

 見張られているとなれば、下手な行動は出来ない。セレネはそのまま、台所の扉まで歩いた。冷蔵庫の下に、先程の鞄を置きっぱなしにしたまま――

 

 

『バジリスク、不死鳥がいなくなったら――あれを元の場所に片付けて置いてくれる?』

『了解しました』

 

 

 バジリスクの声を聴いてから、廊下に出た。

 荷造りは、ほとんどできていた。元々、持って来たものは少ない。薬剤調合セットも錬金術の本も、替えの衣類も何もかも既にトランクの中だった。トランクの中に入れていないのは、出かける前まで読み込んでいた錬金術のノートだけだった。

 たった1週間の授業だったが、それだけでノートを2冊も消費していた。それだけ学ぶことが多く、初めて知った内容が多かったのだ。錬金術の基本となる四大元素の理論は、頭で理解していたはずだが、実際に目にしてみると理解が不十分だったことに気が付かされたり、様々な応用法の実践には呆気にとられてしまった。

 

 

 だが、それにしても――

 

 

(不死鳥とやらは、今も私を監視しているのだろうか?)

 

 

 ノートを優しく撫でながら、セレネは考えを巡らせた。

 重たくなったトランクを引きずり、リビングに向かう。その途中で、ふと――

 

 

「あっ、鞄忘れた」

 

 

 と呟き、台所に戻った。

 冷蔵庫の下には、鞄が寂しそうに置き忘れられていた。バジリスクの姿は無い。ホッとした様な表情を作り、鞄を抱きしめる。もちろん、鞄の上から中身を確かめて。

 

 

(よし――入ってる)

 

 

 セレネは、笑みを浮かべた。

バジリスクが、忠実に主の命令を実行したらしい。セレネは何事も無かったかのように、鞄を殊更丁寧にトランクに詰めると、部屋を出た。廊下には、役目を終えたバジリスクが待機している。セレネは、バジリスクに手を伸ばした。

 

 

『ありがとう、仕事御苦労さま』

『いえ、当然のことですよ――不死鳥は、継承者様を監視していたようです。

私の後をついてきませんでした』

『それは良かった』

 

 

 セレネの腕を伝い、バジリスクが上ってくる。

 襟巻のように首に巻きついたバジリスクを撫でながら、リビングに戻った。

 

 

「先生、ただ今戻りました」

 

 

 優等生の仮面をかぶり、にこやかに微笑む。

 フラメル夫人は、よたよたと覚束ない足取りでセレネに近づくと

 

 

「セレネちゃん――家の仕事を引き受けてくれて、本当にありがとう。

これは、お礼よ」

 

 

 そう言って、何かを握らせてくれる。

 手を開けてみれば、そこには小さな黒い水晶が輝いていた。不思議に輝く黒い水晶は、持っているだけで熱を発散しているみたいだ。

 

 

「魔除けよ。錬金術師が言うのもあれだけど――今年のホグワーツは、危ないらしいから」

「危ない、ですか?」

 

 

 セレネは、眉間に皺を寄せてしまった。

 ホグワーツは、イギリス魔法界でも1位2位を争うくらい安全な場所とされている。第一、子供に勉強を教える場所なのだから、安全でなければならないのだ。

 

 

「これ、お前。不安にさせてはならん。

それに、実際――奴らは校門を護るだけだ。逆に安全になった、といえるかもしれんぞ?」

 

 

 ニコラス・フラメルは夫人を諌めた。

 ニコラス・フラメルは、セレネを見上げる。不安がるな、と言うような仕草をした後――そして、厳しい表情で言い放った。

 

 

「いいか、ミス・ゴーント。

 君は、修練すれば最高の錬金術師になれる――その素質がある。

 くれぐれも、忍耐を忘れるな。耐えて、耐えて、耐え忍べ。そしたら、道が開ける」

「はい、フラメル先生。 ありがとうございました」

 

 

 セレネは背筋を伸ばし、一礼する。

 フラメルは、最後の一週間で脳が悲鳴を上げるくらい錬金術を教えてくれた。

 たとえ、その中に――賢者の石に関する内容が入っていなかったとしても――セレネは十分だった。

 

 

「それでは、行くとするかの。3、2……1」

 

 

 セレネはダンブルドアの手をつかむ。

 瞬間、吐き気のするような回転の後、懐かしい自分の家の前に立っていた。足元には古びたバケツが転がっている。おそらく、またダンブルドアがポートキーを作ったのだろう。確か、ポートキーを個人で作るのは犯罪だった気もするが、ダンブルドアのことだ。そのあたりの許可はしっかりととっているのだろう。

 セレネは、2,3度深呼吸をすると

 

 

「送ってくださり、ありがとうございます――ダンブルドア先生。

 最高の1ヶ月でした」

 

 

 ダンブルドアの手を離し、頭を下げた。

 目を見た瞬間、全てが読み取られる。あの途方もなく気持ち悪い感覚を、避けるためだった。だからダンブルドアが、どのような表情を浮かべているのか――セレネには分からなかった。

 

 

「セレネが喜んでくれたなら、それで良かったんじゃよ。

 それでは、また9月に」

 

 

 それだけ言うと、ダンブルドアはマグルの町並みとは不釣り合いなマントを翻し、何処かへ消えた。セレネは首に巻きつくバジリスクに、視線を向ける。

 

 

『行った?』

『はい、どこにも気配はしません。本当に――帰ったらしいです』

『そう』

 

 

 今度こそ、本当にセレネの口元が歪んだ。

 セレネは、家の鍵を開ける。そこには、嬉しそうに破顔させたクイールが待っていてくれた。

 

 

「お帰り、セレネ。 勉強は楽しかったかい?」

「はい、義父さん。物凄く勉強になりました! ずっと知りたかったことも、知ることが出来ましたし」

 

 

 ――そう、セレネは「賢者の石」に関する情報を手に入れていた。

 ニコラス・フラメルの部屋を掃除している途中で見つけた――賢者の石の研究ノート。

 こっそり持ち出し、買い物の度に文房具屋のコピー機でコピーをしていた。貯めに貯めた小遣いは使い果たしてしまったが、大錬金術師の研究記録を手に入れたと思えば安いものだ。

 ダンブルドアの不死鳥が見張りをしていると知った時には焦ったが――原本はバジリスクが元の場所に戻してくれたので、まったく問題は無い。

 

 

 大錬金術師の研究記録のコピーは、最後の1ページまでトランクの中に詰め込まれていた。

 

 

 これから、ゆっくり読み解いて行こう。

 

 

(耐えに耐える。 何事も、無駄なことなんて無い。しっかり覚えておくよ――フラメル先生)

 

 

 

 

 

 



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27話 甘いお菓子と吸魂鬼

 ホグワーツ特急に揺られながら、窓の外を眺める。

 

 

 賢者の石の研究資料を読み解く気力もなく、移りゆく景色をぼんやり眺めていた。

 手に入れた研究資料だが、どうやら暗号化されているらしい。一見すると、研究資料ではなく何かの観察日記のようだ。しかし、ニコラス・フラメルは錬金術師だ。錬金術師は、研究資料を暗号化する習慣があると聞く。実際に、よく読めば「酸」を表わす緑色のライオンが描かれていたり、黄金を表わす太陽が大きく描かれていたりするなど、錬金術に関連した暗号が散りばめられている。

 ここ数週間、睡眠時間を削って読み解こうとしてみたのだが、なかなかはかどらない。外国語の翻訳に辞書が必要であるように、解読するための資料が手元になさ過ぎた。ホグワーツの図書館を利用しなければ、暗号を読み解けそうにない。

 

 

「――はぁ、暇ですね」

 

 

 セレネは、ぼんやりと目を落とした。

膝の上のバジリスクも、とぐろをまいて心地よく眠りを貪っている。どこまでも静かで、汽車が走る音だけが響いていた。

 

 

「私も――寝ますか」

 

 

 大きな欠伸を噛みしめて、そっと目を閉じようとする。

 その時だ。がらり、とノックも無しに扉が開く。突然のことだったので、セレネは反射的に杖を向けた。

 

 

「おい、なに臨戦態勢を取ってんだよ?」

 

 

 そこに立っていたのは、背の高い少年だった。

 その後ろには、控えめな少女の姿も見える。セレネは、肩を落とした。ゆっくり杖をしまいながら、

 

 

「ノットとダフネですか。失礼しました」

 

 

 と謝る。ダフネは曖昧に微笑んだが、ノットは気を悪くしたらしい。

 

 

「あまり謝ってるように、聞こえないぞ?」

 

 

 そういうと、前の座席に荒っぽく腰を下ろした。

 

 

「……私は、同席する許可を出した記憶はありませんが」

「ごめんね、セレネ。他に空いている席が無くて」

 

 

 ダフネが隣に座りながら、すまなそうに笑った。

 セレネは小さくため息をついた。他に席が無いと言うなら、仕方ない。それに、セレネ・ゴーントは優等生で通っている。ここで追い出したところで、イメージが下がってしまうだけだ。

 

 

(まぁ――この2人の前では関係ないかもしれないけど)

 

 

 スリザリン生の前では、既に一般的な優等生の仮面が外れかかってしまっている。

 セレネは、2人を気にせず寝ようと――再び瞼を閉じようとした。しかし、眠ることが出来なかった。眠りに落ちかけた時、ダフネ・グリーングラスが

 

 

「せ、セレネ!? どうしたの、その蛇!?」

 

 

 と、大きな声を挙げたからだ。

 爬虫類を好ましく思う女は少ないことくらい、セレネも知っていた。驚かれた時の対処法も既に考えてある。セレネは、バジリスクを撫でながら静かに答えた。

 

 

「私の飼い蛇です」

「飼い――蛇?

大丈夫? ミリセントの猫が食べたりしない?」

 

 

 そう言われて、ようやく――ミリセント・ブルストロードが猫を飼っていたことを思い出す。非常に大人しい猫で、談話室の隅で一日中眠っているような猫だ。バジリスクに襲い掛かるとは思えない。それに、ホグワーツに戻り次第――セレネはバジリスクを元の大きさに戻して、秘密の部屋に放し飼いするつもりだった。セレネは、バジリスクの鱗を撫でながら

 

 

「ご安心を。何も問題ありませんから」

 

 

 と、言い放った。ダフネは、怖々――バジリスクを覗き込む。

 バジリスクは面倒くさそうに薄く目を開けた。そして、鬱陶しそうにダフネから頭を背ける。

 

 

「へぇ――蛇か――セレネらしいと言えば、セレネらしいのかな?

それで、名前は?」

「名前、ですか?」

 

 

 ダフネに指摘されて、初めて――今までバジリスクと呼んでいた事実に気がついた。

 セレネの様子を見て、気がついたのだろう。ダフネとノットは顔を見合わせると、苦笑いを浮かべた。

 

 

「セレネって、意外と抜けてるよね」

「たまたま忘れていただけです。今から付けますよ」

 

 

 セレネは、バジリスクを見下ろした。

 犬を犬と、人間を人間と呼ぶように、バジリスクをバジリスクと呼んでいたのだと思うと、セレネの心の中に嫌な感情が広がっていく。 

 

 

『今まで気がつかなくて、すみません。バジリスク、貴方に名前はありますか?』

『――そうですね――私も、考えたこともありませんでした』

 

 

 バジリスクは、考えるそぶりを見せる。

 トム・リドルも、バジリスクのことはバジリスクと呼んでいた。きっと、今まで名前を付けてもらったことが無かったのだろう。セレネは、顎に軽く指を当てる。

 

 

「そうですね――どのような名前が良いでしょうか?」

「俺達に聞くな」

 

 

 そう言いながらも、ノットは考え込むように腕を組む。

 

 

「そうだな――ペットの名前なんて適当で良いだろ。

それこそ、ジョンとかマックスとか」

「犬みたいだよ、それだと。

そうね――えっと、そういえば、セレネは、フクロウの名前はどうやって付けたの?」

 

 

 ダフネが、座席の隅を指さした。

 そこには、セレネのフクロウ――バーナードが居眠りをしていた。セレネはバーナードを一瞥すると、名付けた当初の記憶を掘り起こす。

 

 

「セント・バーナード犬からですね」

「セント・バーナード?」

「山岳救助犬として重宝されている犬種ですよ。

雨の日も、雪の日も、迷うことなく手紙を運ぶフクロウになるように、と」

 

 

 実際、名前の通り――バーナードはしっかり活躍してくれている。

 仕事には何処までも忠実で、例え荒れ狂う嵐の日であったとしても、無事に手紙を届けてくれたこともあった。

 

 

「なるほど――うーん、難しいね、蛇の名づけって」

 

 

 ダフネも、腕を組んで考え込む。

 いくつか名前を口にしながら、違う違うと首を横に振り、そしてようやく――ダフネは、ぽんっと手を叩いた。

 

 

「私は、お菓子の銘柄とか植物とかをペットの名前を付けているけど――

 そうだ! セレネって、錬金術好きでしょ――よく、錬金術の勉強をしているし」

「まぁ、好きではありませんが――勉強はしていますね」

「でしょ? だから、錬金術が好きなセレネの蛇ってことで、『アルケミー』はどう?」

「アルケミー?」

「そう、アルケミー!」

 

 

 ダフネは、名案だと言わんばかりに嬉しそうな顔をしている。ノットも、「まぁ、悪くは無いな」という表情を浮かべていた。

 セレネは錬金術に興味があるだけで、特別好きと言うわけではなかった。だけれども、いちいち否定するだけ面倒だ。それに、何より――響きが良い。

 

 

『貴方の名前は、アルケミーで良いですか?』

 

 

 バジリスクは、一瞬息を止めたように固まった。

 そして、ゆっくりと頭を持ち上げる。黒々とした丸い目が、セレネを見据えた。

 

 

『嬉しいです。アルケミー……良い名前を頂戴いたしました。ありがとうございます、継承者――』

『その代わり、継承者様と呼ぶのは止めてください。

私は確かにスリザリンの継承者ですが、あまり呼ばれて嬉しく無いのです』

『分かりました。それでは、我が主と』

 

 

 ぺろん、と長い舌を伸ばすと、セレネの顔を軽く舐めた。

 そして、再び眠ってしまった。どことなく、その横顔が先程までよりも嬉しそうに見える気がする。セレネは、思わず顔を綻ばせた。

 

 

「アルケミーで良いみたいです。

良い名前、ありがとうございます――ダフネ」

「お礼なんて、水臭いよ」

 

 

 ダフネは笑いながら、百味ビーンズを開けた。

 見た目こそ似たようなゼリービーンズだが、百味と言うだけあって食べるまで味が分からない。チョコ味やマーマレード味と言った様な普通の味もあるのだが、中には臓物味や鼻くそ味といった商品化して良いのだろうか、と疑問を覚える味まで入っている。

 

 

「セレネも食べる?」

「私は――遠慮しておきます」

 

 

 下手に食べて、噂の耳くそ味にあたってしまった日には目も当てられない。興味こそあるが、今までセレネは手を出したことが無かった。

 

 

「なんだ、ゴーントは怖いのか?」

 

 

 ノットは、からかうように笑った。そして、適当に1粒口の中に放り込む。しかし、次の瞬間、ノットの顔から色が拭い取られた。何が起こったのか察したセレネは、かぼちゃジュースの瓶をノット目がけて放り投げる。未開封だったジュースを、ノットは一気に飲み干した。その様子を見て、セレネとダフネは顔を見合わせた。

 

 

「一応聞いておきます。何味だったんですか、ノット」

「……腐った卵味」

 

 

 蒼い顔をしたノットは、荒い息を繰り返す。

 味を聞いた瞬間、ダフネは嫌そうに百味ビーンズを見下ろした。

 

 

「セオドール……酷い味にあたったんだね。

私もあたったことあるよ……腐臭を凝縮したような――ちょっと思い出したくもないかも」

「危険なものに手を出さないことが、1番なのでは?

本当に、魔法界のお菓子は奇妙なものばかりですね」

 

 

 セレネは、今まで出会った魔法界のお菓子を思い浮かべた。百味ビーンズも需要の意味が分からない菓子の筆頭だったが、セレネは蛙チョコレートも好きにはなれなかった。本物の蛙のように飛び回るチョコレートが、食べにくかっただけではない。蛙チョコレートは、飛び跳ねて床やテーブルに降りる。埃の付着したチョコレートを食べる気には、どうしてもなれなかった。他にも、一度にたくさん食べると舌まで溶けるペロペロ酸飴や、食べると口から煙が出る胡椒キャンディーみたいに変な菓子が多すぎる。

 純粋に美味しい菓子は、無いのだろうか。

 

 

「それは、偏見だよ!」

 

 

 ダフネは、珍しく憤慨したような表情を浮かべた。

 

 

「セレネは、美味しい魔法界のお菓子を食べたことが無いからそう言うんだよ。

大鍋スポンジケーキは、ほっぺたが落ちそうになるくらい美味しいし、砂糖羽ペンも甘くて蕩けそうになるの。

そうだ!ホグズミードに行ったら、ハニーデュークスの店へ一緒に行かない?

たくさんお菓子を取り扱っている店だって、上級生から聞いたことがあるんだ」

 

 

 ダフネは、目を輝かせながら言った。

 ホグズミードとは、3年生以上が行くことを許されるホグワーツの麓にある村だ。

 イギリスだけではなく、世界で唯一のマグルの存在しない村だといわれている。上級生のほとんどが行くことを楽しみにしており、どうやら息抜きの場所になっているらしい。

 

 

「もしかして――セレネ、ホグズミードには行かない?」

「行きますよ。魔法使いだけの村には興味がありますし。ちゃんと許可証も貰っています」

 

 

 

 セレネは、ホグズミードに興味があった。

 魔法史にもたびたび登場する村には、ホグワーツの生徒や教師、学校に用事のある保護者や役人が訪れる。そのためか、辺鄙な場所にある村にもかかわらず、店が揃っているだけではなく、それぞれの品ぞろえもダイアゴン横丁に引けを取らないらしい。

 ダフネの言う菓子屋には対して興味が無かったが、セレネは本屋に行って掘り出し物の本を探そうと考えていた。

 

 

「早く行きたいですね、ホグズミード」

「行きたいな、ホグズミード」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこまでも平穏な時間が、過ぎていく。

 しかし、その平穏な時間の終焉を現わすかのように――窓の外の天気は刻一刻と悪化していく。昼過ぎの時点では、車窓から見える丘陵風景が霞むほど雨が降り出していたが止むことはなく、学校に到着する2,30分ほど前になると、外は雷雨で墨色に染まってしまっていた。外の様子は、まったく見えない。雨は激しく窓を打ち、風は唸りをあげていた。

 

 

「嫌だな……このまま、降りないといけないのかな?」

 

 

 ダフネが、小さく呟いた。

 傘をさしたところで、横から吹き付けてきそうな雨だ。せっかくクリーニングに出した制服をいきなり汚してしまうと思うと、セレネも気が滅入ってしまう。

 

 

「ゴーントは、防水魔法を使えないのか?」

 

 

 ノットが、真っ暗になっている窓の外を見ながら尋ねてきた。

 セレネは曖昧な表情を浮かべると、ゆっくり首を横に振った。

 

 

「残念ながら、練習中です。

眼鏡程度の面積でしたら問題ありませんが、全身となると――」

 

 

 やってみないと分からない。

 セレネは最後まで言おうとして、ふと口を閉ざした。汽車が、いきなり速度を落とし始めたのだ。時計を確認してみるが、まだ到着するには早すぎる。

 セレネ達は、互いに顔を見合わせた。

 

 

「どうしたんだろう?」

「故障、でしょうか?」

「故障? ホグワーツ特急が?」

 

 

 汽車は、ますます速度を落としていく。

 そして、ついに止まってしまった。あまりに急に止まったせいだろう。荷物棚からトランクが落ちる大きな音が、聞こえてきた。そして、何も前触れもなく灯りが一斉に消え、辺りが闇に包まれた。セレネは、杖を取り出すと呪文を唱えた。

 

 

「『ルーモス-光を』」

 

 

 ぼぅっと杖先に光が灯る。

 不安そうなダフネの顔と、怪訝そうなノットの顔が浮かび上がった。2人も杖を取り出し、呪文を唱えるところだったらしい。3人とも杖灯りを用意すると、慎重にコンパートメントを見渡した。コンパートメントの中には、特に変化が見当たらない。ノットが窓に杖を突きつけて、外を確認しようとする。しかし、外が暗すぎるせいだろう。一寸先までしか見えず、あまり意味が無かった。

 

 

『アルケミー……何が起きたのか、分かる?』

 

 

 セレネは、足に巻き付いてきたバジリスクのアルケミーに問いかける。

 

 

『分かりません。ただ――何かが、乗り込んでくることは分かります』

『誰? 人?』

『さぁ――分かりません』

「セレネ、お願いだから――今は蛇語を止めてくれないかな? ちょっと怖い」

 

 

 ダフネが、そっと身を寄せてくる。ダフネの身体は、小刻みに震えていた。

 

 

「分かりました。

ただ、アルケミーが言うには――誰かが乗り込んで来たらしいです」

「乗り込んできた? 誰か乗り遅れた生徒でも――いや、違うな。この距離なら、直接ホグワーツに出向いた方が早い」

 

 

 ノットが冷静に分析する。

 ホグワーツまで、残り30分ほどの距離だ。わざわざ汽車を止めて乗る必要性が無い。それこそ、去年のハリー・ポッターみたいに――方法はどうであれ、直接ホグワーツへ行った方が効率的だ。汽車を止めて、全員に迷惑をかけることはないだろう。

 

 

「だいたい、どうして停電になったんだ?」

「ちょっと見てきます」

 

 

 セレネは、扉をそっと近づいた。

 汽車が止まったからだろう。窓を打つ雨風の音が、一段と激しく響いていた。

 外を確認する様に、ゆっくり扉を開く。前には何もいない。しかし――

 

 

「なに――あれ?」

 

 

 隣のコンパートメントの前に、何かがいた。

 マントですっぽり体を覆った天井まで届きそうなくらい大きな黒い影だった。だが、単に背の高い人というわけではない。その手は灰白色に冷たく光り、触れることを躊躇うようなかさぶたに覆われ、まるで水中で腐敗したか死骸のような何かが、隣のコンパートメントを開けようとしている。

 途端に、セレネは寒気を感じた。しかも、ただの寒気ではない。息が詰まるみたいに苦しかった。寒気が皮膚を通り越して、身体の内側まで深く潜り込んでいく。胸の中、そして心臓へと――

 

 

「エクスペクト・パトローナム―守護霊よ、来たれ!」

 

 

 膝から力が抜けた瞬間、隣のコンパートメントから銀色の光る何かが飛び出し黒い影を吹き飛ばした。黒い影は、弾き飛ばされるように逃げていく。黒い影がいなくなると、途端に息を吹き返したかのように周囲が温かくなった。汽車に明かりが灯り、再び動き始める。

 身体に温かさが戻るのは少し先になりそうだが、押しつぶされそうだと感じるほどの重圧はなくなった。セレネは立ち上がろうとしたが、手足に力が入らない。

 

 

「だ、大丈夫――何があったの、セレネ?」

 

 

ダフネが、怖々と近づいて来た。

ダフネも、その後ろのノットも、血の気が失せたような表情だった。

 

 

「何かいたのか、ゴーント?」

「分かりません――ただ、そこに――黒い影が――」

 

 

 セレネの声は、聞き取りにくいほど掠れてしまっていた。

 震える指で、先程まで黒い影がいた場所を指す。

 すると先程――黒い影が入ろうとしていたコンパートメントから、継ぎ接ぎだらけのローブを纏った男性が出てきた。どことなく厳しい表情の男性だったが、セレネに気がついたのだろう。優しそうに微笑むと、セレネ達に近づいてきた。

 

 

「君たちは大丈夫かい?」

 

 

 男性は、セレネに手を貸してくれた。

 セレネは、壁に背を預けるように立つ。ダフネが、おずおずと男性を見上げた。

 

 

「あの――何かいたんですか?

セレネが扉を開けて外を確かめた瞬間、冷気が入ってきて――セレネが座り込んじゃって、その、えっと――」

「吸魂鬼――通称、ディメンター。 魔法使いの監獄――アズカバンの看守だよ」

 

 

 男性は、チョコレートを割りながら答えてくれた。

 吸魂鬼――セレネは、魔法生物に関する本で読んだ記憶を思い出した。あまりしっかりと読んでなかったが、幸福を食料とする存在と書かれていた気がする。

 

 

「吸魂鬼――ですか?

で、でも、アズカバンから出てこないって」

 

 

 ダフネの震えがひどくなる。

 男性は、ダフネを落ち着かせるように軽く肩を叩くと、3人にそれぞれチョコレートを渡した。

 

 

「指名手配犯、シリウス・ブラックの捜索だよ。

さぁ、チョコレートを食べなさい。気分が良くなるはずだ。僕はこの後、車掌と話があるから――これで」

 

 

 男性は、ローブを翻して去って行った。

 セレネは何も食べる気がしなかったが、申し訳程度に一口齧る。すると、足の先まで一気に暖かさが広がった気がした。

 

 

(魔法界のチョコ?いや――違う。マグルの世界のパッケージだ。

そういえば、雪山で遭難した時はチョコを食べて体を温めるって聞いたことがあるような)

 

 

 セレネは、チョコレートを食べながら考える。

 しばらくの間、誰も何も話さなかった。黙ってチョコレートを食べ続け、汽車に揺られる。汽車から降りて、黴臭い馬車に乗ってようやく――ダフネが口を開いた。

 

 

「怖いな――一生幸福な気持ちになれないんじゃないかって思った」

 

 

 ようやく心の整理が出来てきたのか、ダフネの表情に少しゆとりの色が見えた。

 

 

「アズカバンに送られる真似だけは、したくねぇな……」

 

 

 ノットも、ぼそりと呟いた。

 セレネも頷き返す。あのような生き物と24時間を共にするなんて、とてもではないが耐えられなかった。

 

 

「でも、不思議だよね――シリウス・ブラックは、どうしてアズカバンから脱走できたんだろう?

あの吸魂鬼と13年間ずっと一緒にいたのに。」

「そこだよな……。別の感情に支配されていたとか、か?」

「えっ? シリウス・ブラックはアズカバンから脱走したんですか?」

 

 

 セレネは、少し驚いてしまった。

 だが、セレネ以上にダフネとノットは驚いたらしい。信じられない者でも見る視線を、セレネに投げかける。

 

 

「知らなかったの、セレネ?」

「マグルのニュースで見ましたけど――確か、殺人犯だと聞いていましたが、魔法使いだったんですね」

「ただの魔法使いじゃないよ!

例のあの人の手下で、大量のマグルを殺したんだよ? 本当にもう凶悪殺人犯なんだよ」

 

 

 ダフネは、いかにシリウス・ブラックが恐ろしいかを説明する。

 その間にも、馬車はホグワーツを目指す。壮大な鋳鉄の門を、ゆっくりと走り抜けた。門の両脇に石柱があり、その頂点に羽を生やしたイノシシの像が立っている。何故ここでイノシシの像なのだろうかと疑問に思う前に、セレネの視界に見たくないモノが飛び込んできた。

 

 

 

 また、吸魂鬼がいたのだ。

 

 

 イノシシの像の上の方に2体、頭巾をかぶったそびえ立つような吸魂鬼が漂っていた。ノットやダフネの顔から、再び血の気が引いていくのが見えた。セレネは、またしても寒気に襲われる。気分を落ち着けるため、座り心地の悪い座席のクッションに深々と寄りかかった。

 だが、これだけでは終わらなかった。門の傍を通過する直前、吸魂鬼が2体ともセレネの方を見たのだ。頭巾で顔が分からないが、確実にセレネの方を見た。滑るようにしてセレネの方に急降下してくる。

 

 

(これは――何か危ない)

 

 

 セレネは、咄嗟に杖を引き抜いた。

 

 

「プロテゴ―護れ!」

 

 

 力いっぱい、渾身の魔力を込め防御魔法を放つ。

 杖先から噴出された透明の盾が、吸魂鬼の進行を阻もうとした。だが、奴らはそんな盾を気にしない。盾を軽々と払いのけると、一気に距離を詰めてくる。セレネには、もう呪文を唱える気力も、眼鏡を外してナイフを使う気力も残っていなかった。

 氷のように冷たい感覚が身体の芯を貫き、目の前が霧のように霞み始める。あの2年間、『』を観測していた時の感覚が一気に押し寄せてきた。それと同時に、頭が今にも割れそうな痛みが襲い掛かってくる。遠くで、誰かの叫び声が聞こえた。それと同時に、遠くから響いてくる恐ろしげな声。

 

 でも、それが誰の声なのか――知っている誰かなのか、それとも違うのか。もう、判別することが出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界の端に何やら銀色の生き物が映ったのを最後に、セレネは意識を手放してしまった。

 

 

 

 




一部訂正:8月3日


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28話 赤い夢と現実

 白い世界は、赤く染まっていた。

 燃え盛る世界に、逃げ道が何処にあるか分かっている。セレネは、後ろに逃げればいい。

 ここで引き返して、走りだせばいい。そうすれば、自分は助かることが出来る。

だけど――

 

 

「私は――まだ、帰れない」

 

 

口元をハンカチで覆う。

そして、精一杯走った。後ろに背を向けたまま、目的地を目指して。

 

 

「っく」

 

 

 煙で目が痛い。

 涙が出てくる。

 だけれども、セレネは走り続けていた。

 セレネ一人なら逃げることが出来る。だけれども、この先にいる大事な人は――火事のことを知らない。逃げないといけない事実を知らずに、そのまま焼け死んでしまう。

 悪い予感に突き動かされるように、セレネは赤い空間を駆け抜けた。

 

 

「っ――■■!」

 

 

 汗が出る。

 炎を飛び越え、嫌になるほど見慣れた白い扉の前に立った。

 白い扉は、まだ無事だった。セレネは突き破る勢いで、扉の中に足を踏み入れた。

 どこまでも白い部屋の真ん中には、やはり彼女が横たわっていた。

 以前の部屋にいた時と同じ――どことなく憂鬱そうな表情を浮かべて、リコリスを眺めている。彼女は、セレネに気がついていないのか、それとも無視しているのか、リコリスに視線を向けたまま動いていなかった。

 

 

「■■、逃げよう! 火がね、そこまで来てるの」

 

 

 セレネは、必死に呼びかける。

 しかし、彼女は全く動こうとしない。セレネは、拳を握りしめて彼女の腕を掴んだ。

 

 

「ねぇ、逃げようよ!! ■■! 死んじゃうよ、このままだと」

 

 

 その瞬間だった。

 彼女は、初めて頭を動かした。ゆっくりと動かし、虚ろな視線を向けてくる。

 いや、虚ろな視線ではない。

 

 

「■――■?」

「死んじゃう?」

 

 

 彼女は、薄く微笑んだ。

 ここではない――もっと遠くのどこかを観る様な狂気を帯びた視線に、セレネは震えあがってしまった。咄嗟に、彼女から手を放そうとするが、逆につかまれてしまう。

 

 

「じゃあ、一緒に死にましょう――可愛い御嬢さん」

「――っ!!」

 

 

 セレネは、声にならない悲鳴を上げる。

 腕を離そうとするが、予想以上に強い力でつかまれていた。むしろ、つかむ力は益々強くなっていった。恐怖に比例する様に、身体が熱くなっていく。

 熱くて、熱くて、死んでしまいそうだ。

 セレネは身をよじりながら、■■に懇願した。

 誰よりも大事で、誰よりも大切で、誰よりも―――自分を見て欲しい人に。

 

 

「やめてよ――まだ、まだ、死にたくないよ。

一緒に生きようよ――――

 

 

 

 

 

ママ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――っ」

 

 

 ゆっくりと瞼を開ける。

 目覚めたばかりの頭で、ぼんやりと辺りを見渡した。

 赤い色は、どこにも見当たらない。

 そこは、途方もなく白い部屋だった。清潔そうなベッドが並び、薬品の香りが漂っているだけの白い部屋。落ち着いたカーテンの隙間から、月灯りが差し込んでいる。ここがホグワーツの医務室だと気がつくまで、そう時間はかからなかった。

 

 

「夢――?」

 

 

 どことなく熱い額に、手を当てる。

 あれは、間違いなく悪夢だった。ただ、悪夢にしてはハッキリと鮮明に覚えていることが気がかりだが――それでも、悪夢に違いない。

セレネは、そっと胸を撫で下ろした。

脇の机に置いてあった眼鏡をかけ、立ち上がろうとする。身体が、どことなく熱い。あんな夢を見たせいか、セレネは酷く汗をかいていた。いや、それとも熱のせいで――あんな夢を見てしまったのだろうか。

 

 

(顔――洗ってすっきりしよう)

 

 

 セレネは、小さくため息をつく。

 いつの間にか着替えていたパジャマは、汗を吸って気持ち悪い。それに、途方もなく手足が怠かった。額も熱くて堪らない。セレネは、立ち上がろうと手に力を込めてみる。しかし、不思議と上手く力が入らなかった。

 

 風邪をひいてしまったのかもしれない。

 そういえば、昨夜は酷い雨だった。

 セレネは、靄のかかった頭で昨日のことを思い返す。汽車から馬車に移るとき、一応傘をさしたが全く役に立たなかった。タオルで身体を拭いた記憶が無いので、それが原因で風邪をひいてしまったのだろう。その上、あの恐ろしい吸魂鬼がやってきて――

 

 

「――っ!」

 

 

 セレネは口を押さえた。

 吸魂鬼に襲われた時、あの激しい悪寒と全ての感情が奪われていく感覚が一基に襲い掛かってくる。まるで『』に再び足を踏み入れる様な感覚は、二度と味わいたくない。あの後の記憶を思い返そうと努力してみるが、どうしてもセレネは思い出すことが出来なかった。

 

 

「……気絶、したのかな?

だから、風邪を引いて――あんな夢を見たのかも」

 

 

 確認するように、セレネは呟いた。

 酷いことは続くものだ。

 セレネは、無理やり自分を納得させた。

自分はいったいどれほどの時間、気絶していたのか。それだけでも確認しなければならない。セレネは、なんとか立ち上がろうとした時――

 

 

「ミス・ゴーント、無理して動いてはいけません」

 

 

 どこから現れたのか、校医のマダム・ポンフリーが自分を寝かしつける。

 再び横の体勢になったセレネは、ぼんやりと天井を見上げながら――

 

 

「――今は何時ですか?」

 

 

 掠れる声で尋ねる。

 マダム・ポンフリーは、見たことも無いような大きなチョコレートの塊を小さいハンマーで細かく砕き始めていた。

 

 

「ちょうど11時ですよ。

いいですか、貴方は私が良いというまで入院です。さぁ、これを食べたら水と薬を飲んで寝なさい」

「……」

 

 

 11時。

 あれから、5、6時間は経過している。

 セレネは、額に腕を置いた。どこまでも、熱かった。

 

 

「まったく――吸魂鬼を学校の周りに放つなんて。

シリウス・ブラック対策とはいえ、魔法省は何を考えているんだか」

 

 

 マダム・ポンフリーは、文句を言いながらチョコレートを砕く。セレネは、その様子を眺めていた。

 

 

「他の――馬車に乗っていた人たちは、どうなりましたか?」

「みなさん命に別状はありません。夕食の宴に参加し、今は寮にいますよ――さぁ、食べなさい」

 

 

 次の質問をする前に、チョコレートの塊を口の中に押し込まれてしまった。

 セレネは、咽かえりそうになりながらも何とか食べる。しばらく黙って食べていると、廊下から何人かが歩いてくる音が聞こえてきた。

 

 

「いいかね、ポピー」

「ああ、ダンブルドア先生!スネイプ先生も。どうぞ――ただし、目を覚ましたばかりですので、あまり長時間は――」

「ほんの数分じゃよ」

 

 

 チョコレートの効果か、少しだけ楽になった身体を起こしあげる。

 入口からダンブルドアと、寮監であり名付け親のスネイプが入ってくるところだった。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

 スネイプは、真っ先に口を開いた。

 セレネは、少し驚いてしまう。スネイプの顔が、心配そうに歪んでいる表情を今まで見たことが無かった。余程、彼に心配をかけてしまったのだろう。セレネは頭を下げた。

 

 

「大丈夫です。心配しないでください」

「大丈夫ではありません!38度も熱が出ているんですよ? 絶対安静です!」

 

 

 しかし、マダム・ポンフリーがキッパリと言い放ってしまった。

 やはり熱が出ていたのか、とぼんやり思いながら、セレネは3人の顔を眺めた。

 

 

「本当に、あの場にルーピン先生が居合わせていなかったら――どうなっていたことか。

キスの執行がされていたかもしれないんですよ?」

「キス?」

「吸魂鬼が刑を執行する手段じゃよ、セレネ」

 

 

 ダンブルドアが、優しく微笑みかけてきた。

 しかし、どうしても――全てを見透かしてしまいそうな青い眼を覗き込むことだけでできなかった。セレネは、少しだけ俯いて目が合わないようにした。

 

 

「手段?」

「そう、手段じゃ。吸魂鬼が刑を執行することを『吸魂鬼のキス』と呼ぶのじゃよ。

執行されたが最後、死よりも恐ろしいことになる」

 

 

 死。

 その言葉が、セレネの心に深く突き刺さった。

 死より恐ろしい、とは一体何なのだろうか?セレネの頭が、混乱する。だけれども、それと同時に――何故だか理由が分かった気がした。

 吸魂鬼は、幸福と言う幸福を全て吸い尽くす。その延長線上で、人間が生活するうえで大切な何かまで吸い取ってしまうのかもしれない。

 出会っただけで、人を気絶させ――時によっては死より恐ろしい場所へ誘う。セレネは、何故かクトゥルフ神話を思い浮べてしまった。

 

 

「いいか、ゴーント」

 

 

 スネイプが、話し始めた。

 セレネは意識を戻し、少しだけ顔を上げる。

 

 

「絶望を味わったことがある者であればあるほど――吸魂鬼に襲われやすい」

「絶望、ですか」

 

 

 セレネは、頷いた。

 『』という存在に触れていた期間を――絶望、という表現では生ぬるい。あの期間を思い出すだけで、吐き気がした。

 セレネは、吐き気を抑えるように唇を噛みしめた。

 

 

「つまり――私は、これからも吸魂鬼に襲われる可能性が高いという事ですね?」

「そうだな」

 

 

スネイプは、どことなく辛そうな顔をしていた。

なんとなく、嫌な予感が胸を横切る。セレネは、胸の上に重たい石が圧し掛かったような気がした。

 

 

「今年からシリウス・ブラック対策として、吸魂鬼が学校への入り口という入口を固めている。もちろん、ホグズミード村へ向かう道もだ。だから、吸魂鬼がいる間は――たとえ、許可証があったとしても、ホグズミード村行きを許可することが出来ない」

「これも、君の命のためなのじゃ、分かってくれないかのぅ?」

 

 

 ホグズミード村へ、行くことが出来ない。

 吸魂鬼は、ホグワーツ周囲の至る所を警備している。そばを通過しただけで、セレネは襲われたのだ。ホグワーツから出ようとしたら――再び襲われる運命は目に見えていた。

 

 

「対抗策は――吸魂鬼を一時的にでも追い払う呪文は無いのですか?

汽車の中で――男の方が、吸魂鬼を追い払っていました」

 

 

 対策手段がない生物は、存在するわけがないのだ。

 吸魂鬼を制御する術がないのであれば、どうやってアズカバンに看守として制御しているのか分からない。

 しん、とその場が静まり返る。

 それは、たった数秒だったかもしれない。だけれども、セレネには途方もなく長い時間が過ぎ去ったように思えた。

 もし、断られたら独学で探すのみだ――そうセレネが決心した時、ダンブルドアがようやく口を開いた。

 

 

「……そうじゃな、今後のためにも習得した方が良いかもしれん」

「しかし、校長――あの呪文は非常に高度な魔法です。

13歳の魔法使いが習得できるとは――」

「セブルス」

 

 

 スネイプの話を制す。

 そして、ダンブルドアは静かに言葉を紡いだ。

 

 

「セレネなら、あの魔法を習得できるはずじゃよ。

だが、焦らずとも良い。今はゆっくりお休み――セレネ」

 

 

 それだけ言うと、ダンブルドアは去って行った。

 スネイプは、何か言いたそうな表情を浮かべ、ダンブルドアが去っていった方向を見つめていた。しかし、首を横に振るとセレネに向き直る。

 

 

「今夜は、ゆっくり休め。

お前にもしものことがあった時には、クイールに示しがつかない」

 

 

 スネイプは、静かに囁いた。

 セレネの肩を軽く叩き、口元を僅かに緩める。いつもは不機嫌そうなスネイプだが、この時は優しい表情を浮かべていた。

 

 

「何か質問はあるか、ゴーント?」

「あ――はい、あります」

 

 

 一瞬迷ったセレネだったが、結局質問は出来る時にした方が良いに決まっている。セレネは慎重に言葉を選びながら話した。

 

 

「先生は、私の名付け親で――私の両親を御存じなのですよね?

ずっと前から気になっていたんです。私の両親は、どのような人だったのでしょうか?」

 

 

 あんな夢を見たせいかもしれない。

 セレネは、両親のことが気になった。両親は生まれて間もなく死んだと聞いているし、断片的な記憶を遡ってみても両親の姿はどこにも無い。先程の夢で、最後に自分が「ママ」と呼んでいた人物が出てきた。もちろん、それは現実にあったことではないと断定できる。

 しかし――それでも、セレネは両親が――特に、夢に出てきたマグルの母親のことが気になってしまっていた。もちろん、クイールに聞けば、詳しく教えてくれる可能性が高い。

だけれども、今はスネイプに聞きたかった。

 

 

「お前の父親は知らない。母親は――」

 

 

 一瞬、スネイプの顔に奇妙な色が浮かぶ。だが、その色は直ぐに懐かしむ色に変わってしまった。

 

 

「メアリー・スタイン。クイール――お前の義父が好いていた幼馴染の女性だ。

マグルだったが、不思議な雰囲気の女だったな」

「不思議な――雰囲気ですか?」

「あぁ――」

 

 

 スネイプは静かに目を閉じる。

 まるで、何かを考え込むかのように――。

 

 

「科学者だったらしい。

寝食を忘れて研究し続けていたと、クイールが嘆いてた。

あぁ、あとよく東洋へ旅行していたな――土産を貰ったこともある」

「土産?」

 

 

 セレネは、顎に指を当て考え込む。

 よく思い返してみれば、家のリビングには東洋系の置物が多い。

 あれは、母が買ってきた置物だったのかもしれない。東洋に関わる研究をしていたのだろうか。母親は、どういう研究をしていたのだろうか。疑問がいくつも思い浮かんでくる。

 しかし、セレネが問おうとした瞬間、

 

 

「今日は、もう遅い。

早く寝て、体調を整えることだ」

 

 

 スネイプは話を切り上げ、去ってしまった。

 まるで、それ以上――話すことを拒むかのように。

 

 

「さぁ、この水を飲んだら早く寝なさい」

 

 

 マダム・ポンフリーは、コップを手渡してくる。セレネがコップの水を飲み干し、身体を倒したことを確認すると、安心した様に去って行った。

 セレネは中々寝付けなかった。寝返りを打ち、ぼんやりと外を眺める。

 

 

 

 いつの間にか――また雨が降り始めていた。

 雨粒が窓ガラスに当たって弾け、細かい水滴となり流れ落ちていく。ランプの灯りで照らされた室内からは、漆黒の闇に覆われた外の様子は見えない。見えるのはガラスに映し出された、自分の青白い顔だけだった。

 

 

 

 




8月14日:誤字訂正


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29話 リディクラス

 今年の新学期は、色々と物騒な幕開けをした。

 1000人近い未成年が学校に集まれば、何かしら事件が起きるのは当たり前だ。しかし、今年のような人の生き死に関わる事件が起きるのは極めて稀だろう。

 1つ目は、言うまでもなく吸魂鬼に生徒が襲われかけた事件だ。

 シリウス・ブラックのホグワーツ侵入を防ぐために配置された吸魂鬼が、一般生徒を襲ったのだ。幸いにも近くに防衛術の先生がいたこともあり、寸でのところで救出され命に別条はなかったが、吸魂鬼の恐ろしさを学校中に震撼させた事件だった。

 そして、もう1つは―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日になると、セレネの熱は下がっていた。しかし、「万が一のことがあるから」と、マダム・ポンフリーは退院の許可を出さなかったのだ。退院許可が下りなければ、医務室から出ることは叶わず、したがって授業にも出席できない。そのためセレネの初授業は、他の3年生より1日遅れて始まった。

 しかし、特に困ることは無い。3年生から選択授業が始まり、科目数が増えたとはいえ、予習に費やす時間は十分にあった。1回や2回、出席しなかったところで障壁にすらならないだろう。特に心配することはなく、しいて懸念事項を挙げるとするならば、宿題の有無くらいだった。

 

 

「セレネ!」

 

 

 古代ルーン文字学の教室に入ろうとした時、ハーマイオニーが後ろから声をかけてきた。走ってきたのだろうか、ハーマイオニーは荒く息をしていた。

 

 

「大丈夫?もう退院していいの?」 

「私は大丈夫ですが――貴方の鞄の方は大丈夫ですか?」

 

 

 ハーマイオニーの鞄は、今にも破裂しそうなほど教科書が詰め込まれている。今学期、彼女の鞄が限界を迎えなかったとしたら、それは奇跡としか言えない気がした。

 

 

「問題ないわ。ちょっと受講する科目が多いだけよ。それより、セレネは選択授業で何を選んだの?」

「『数占い』『魔法生物飼育学』『古代ルーン文字学』ですね」

 

 

 他にも「マグル学」や「占い学」といった科目が選べるようになっていたが、それを選ぶと時間割が重なってしまう。さすがに、自分を2人に分ける呪文は知らない。そうなると、必然的に2科目ほど削る必要が出てくるのだ。魔法使いの視点からマグル世界を学ぶ「マグル学」は、なかなか捨てがたい科目だった。何しろ、セレネの周りにいる魔法族と言えば、そろいもそろって純血主義ばかりで、誰もがマグルに対する偏見を持っている。純血主義ではない一般的な魔法使いのマグルに対する認識を深めておくことも、それはそれで興味深いだろう。そう考えたセレネだったが、これを受講するためには「数占い」を諦めなければならない。

 錬金術書の読み取りには、計算や論理的思考が非常に関係してくる。もしかしたら、「数占い」で習う内容が関係してくるかもしれない。2つの科目を天秤にかけ、結局――数占いを選んだのだった。

 

 

「セレネは占い学を受講しないのね?

それで正解よ!あの科目、インチキ臭いの。数占いとは大違いよ――あっ、私は全部の科目を受講しているの。今の所、数占いの授業で宿題は出てないわ」

「ありがとう。ちなみに、魔法生物飼育学で宿題は出ましたか?」

 

 

 そう尋ねると、ハーマイオニーの顔色が一気に曇る。何か嫌なことでも思い返したように、教室の中を覗きこんだ。彼女の視線を追ってみると、その先にはスリザリン生が纏まって座っていた。

 

 

「あの人達が何か?」

「うん――実はね、あの人達というかマルフォイが――」

「あらっ、ゴーント!!」

 

 

 ハーマイオニーは、小さく声を潜めて何か言うとした瞬間、スリザリン生の中から声が上がった。マルフォイの取り巻きの1人、パンジー・パーキンソンだ。今日は、彼女がクラッブとゴイルを率いていた。

 

 

「貴方、医務室にいたんでしょ?

ドラコの容体はどうだった?」

 

 

 パーキンソンは、真っ先に昨日――医務室に緊急搬送されてきたドラコ・マルフォイの容体を尋ねてきた。そのことに思い至った時、セレネは、どうしてハーマイオニーの不機嫌な表情を浮かべたのか理解できた。

 

 

「痛がっていましたよ」

 

 

 昨日の昼過ぎ――丁度、魔法生物飼育学の授業が行われていた頃、ハグリッドがマルフォイを抱えて医務室に飛び込んで来たのだ。あまりにも勢いよく飛び込んで来たものだから、医務室が揺れて棚から幾つかの小瓶が床に落ちたことを覚えている。

 

 

「遠目から見た限りですと、鋭利な刃物で切られたようでしたね。

もっとも、マダム・ポンフリーが杖を一振りしたら塞がりましたが。念のため、一日泊まらせただけのようです」

 

 

 セレネは、それだけ言うと手近な席に着いた。

 パーキンソンは何か言いたそうな表情を浮かべていたが、こちらに背を向け、スリザリン生の輪に戻って行った。

 

 

「じゃあ、マルフォイの腕は治ったのね」

 

 

セレネの隣に腰を下ろしたハーマイオニーは、どことなく嬉しそうに話し始める。

 

 

「もちろんですよ。だいたい、骨が無くなった腕を一夜で元に戻す程の医療技術があるのですから、あの程度の傷は直ぐに治らないと逆に変です。

それで、宿題は出ましたか?」

「出なかったわ。ハグリッド、授業中に戻ってこなかったもの。

でも、良かった。マルフォイの傷が治ったなら、そこまで大きな問題にはならない――といいんだけど」

 

 

 その時、教師が入ってきたので、話は終わりになってしまった。

 しかし、ハーマイオニーの望みどおりに事態は進まない。マルフォイの傷は完治したはずだ。しかしマルフォイは、白い包帯を大げさなくらい巻いて退院したのだ。時折、もうないはずの傷口に手を当て、痛がって見せたりするものだから、マルフォイは重症としてホグワーツ生の間に浸透してしまった。

 スリザリン以外からも、ハグリッドに対する責任追及の声が上がったのは言うまでもない。

 廊下ですれ違ったハグリッドは、あまりにも落ち込んでいるのだろう。

 見上げるばかりの巨体なのに、何故か小さく縮んで見えてしまった。通り過ぎていくハグリッドを横目で見ながら、「闇の魔術に対する防衛術」の教室の扉を開けた。

 

 前任者2人と比較すると、かなりまともな教室だ。誰かの後頭部の匂いを隠すために漂っていた強烈なニンニク臭は充満していないし、自分の写真をベタベタ貼り付けているわけでもない。ただ、机とイスと黒板だけがある平凡かつ質素な教室だった。

 今年から『闇の魔術に対する防衛術』の授業を担当するリーマス・ルーピンは、汽車で見かけた時より健康そうだった。セレネの記憶が確かならば、頬がこけていた。だが、今日は少し丸みを帯びて血行が良さそうになっている。もしかしたら、ずっと貧しい暮らしをしていて、ろくに食事をとることが出来なかったのかもしれない。ルーピンは、集まったスリザリン生を眺める。そして、安心させるような笑顔を浮かべた。

 

 

「教科書を鞄に戻してもらおうかな。今日は実地練習をすることにしよう。杖だけあればいいよ、ついてきて」

「実地練習? いままでそんなこと、あったか?

僕は、こんな怪我をしているというのに」

 

 

 マルフォイがクラッブとゴイルに悪態をついているのが聞こえてきた。

後半の言葉には同意しないが、前半の言葉にのみ同意する。今まで、一度も授業で実地練習をしたことは無かった。

 ルーピンに続いて廊下に出る。授業中のため、誰もいない廊下を歩いていく。時折、ゴーストがふわふわ浮いているのを見かけた。だが、それ以外は特に何もなく、職員室に辿り着いた。ただ今は授業中なので誰も先生いない。

 

 

「こんなところに危険が潜んでいるんですか?」

 

 

 ブレーズ・ザビ二が疑問を口にした直後だった。

 職員室の奥のタンスが、不自然に揺れたのだ。あまりにも唐突に揺れたものだから、全員に緊張の色が奔る。セレネの隣にいたダフネが、ひぃっと小さな悲鳴を上げた。

 

 

「心配しなくていいよ。中には『まね妖怪』、通称『ボガート』が入っているんだ。

こいつは暗くて狭いところを好む。これみたいなタンスとか流しの下、それから食器棚などかな。さてと、では『まね妖怪』とはいったい何でしょう」

 

 

 何人かが手を挙げる。ルーピンは、最初に手を上げたノットを指名した。

 

 

「形態模写妖怪。一番怖いと思うものに姿を変えることが出来る」

「その通り。だから、中の暗がりに座り込んでいる『まね妖怪』は、まだ何の姿にもなっていない。

戸の外にいる誰かが、何を怖がるのかまだ知らない。『まね妖怪』が一人ぼっちの時にどんな姿をしているのか、誰も知らない。しかし、私が外に出してやると、たちまち、それぞれが一番怖いと思っているものに姿を変えるんだ」

 

 

 ルーピンが話している間にも、タンスは揺れていた。

 あの中に潜む「まね妖怪」は、どのような姿をしているのだろうか。少しだけ、興味が湧いてくる。

 ビデオカメラをタンスに仕掛けておけば、その正体が分かるかもしれない。だが、ホグワーツに電気製品であるカメラを持ってきたら壊れてしまう。もし「まね妖怪」の正体が知りたいのであれば、学校の外で探さないといけないのだ。そのようなことを考えている間にも、ルーピンの説明は続いていく。

 

 

「『まね妖怪』を退治するときには、誰かと一緒にいるのが一番いい。どんな姿に変身すればいいのか分からずに、混乱するからね。

こいつを退散させる呪文は簡単だ。しかし、精神力が必要だ。こいつを本当にやっつけられるのは『笑い』なんだ。君たちは『滑稽』だと思う姿に『まね妖怪』を変身させる必要がある。

初めは杖なしで練習しよう。私に続いて言ってみようか――――『リディクラス―バカバカしい』!」

「「「リディクラス―バカバカしい!」」」

 

 

 クラス全員が一斉に唱える。その声に反応したのか、タンスが呼応する様に揺れる。さらに奥にも突然揺れたタンスが見えたことを考えると、どうやら他のクラスの分もあるらしい。

 ルーピンは、出席簿に目を落とした。

 

 

「よし、じゃあ、まずは――ダフネどうだい?」

「わ、私ですか!?」

 

 

 突然指名されたダフネは、絶望した様に立ち尽くした。あのタンスを開け放った瞬間、自分の苦手とするものが飛び出してくるのだ。誰であったとしても、好んでやりたいとは思うまい。ダフネは、おずおずと先生に近づく。ルーピンは、ダフネの方を軽く叩いた。

 

 

「ダフネ、君が世界で一番怖いと思うものはなんだい?」

「バロール」

 

 

 囁くように、小さな声でダフネは答えた。ルーピンは何やら考える仕草をする。

 確かバロールというのは、ケルト神話に登場する魔神だ。「すべてを殺すという眼を持っている」と本に書いてあった。ある意味、自分の「眼」と似ている能力だ。セレネは、そっと眼鏡を直した。

 

 

「ふむ――つまり、『眼』さえなければバロールは怖くないよね?

そうだな、ダフネ。出来るだけバカバカしいアイマスクを思い浮かべるんだ。出来るかな?」

 

 

 ルーピンの問いを聞いたダフネは、やや考えた後、躊躇いがちに頷いた。その反応を視たルーピンは、穏やかな口調のまま口を開いた。

 

 

「『まね妖怪』がタンスからウワッーっと出てくるね?そして君を見ると『バロール』に変身するんだ。

そしたら君は、杖を上げて叫ぶ『リディクラス』ってね。

その時に、脳内に思い描いたアイマスクに全神経を集中させる。全て上手くいけば、バロールはアイマスクで視界が遮断され、慌てふためくことになる」

「ほ、本当に?私に出来るかな?」

 

 

 ダフネの顔色は、いつになく不安そうに歪んでいた。緊張のあまり、顔が青ざめていた。

 

 

「出来るよ、君なら。

じゃあ、みんなもちょっと考えてみて。何が一番怖いかってこと。そして、どうやって可笑しな姿に変えられるかもね」

 

 

 部屋が、静まり返る。誰もが、目をつぶって考え込んでいた。セレネも目をつぶると、少し俯きながら考え始めた。

 自分の怖いモノは決まっている。昏睡状態の時に触れた「」や「死」だ。あれより怖いモノは思いつかない。だが、果たして「まね妖怪」が「」に変身出来るかどうかと聞かれたら、首を横に振る。 「」は、「まね妖怪」ごときが表現できるモノではない。物というよりも、概念に近いように思える。仮に「」に変身したとしても、「」をどうやったら可笑しくできるだろうか?

 セレネには、まったく想像できなかった。

 

 

「みんな、いいかい?」

 

 

 セレネは弾かれたように顔を上げた。周りを見渡してみれば、みんな覚悟を決めたような表情になっている。ミリセント・ブルストロードなどは準備万端らしく「いつでも来なさいよ!」と言いながら腕まくりをしていた。

 セレネは無表情を装いながら、内心酷く困っていた。まだ「まね妖怪」が何に変身するのかさえ思いつかない。優等生で通っているセレネ・ゴーントならば、ここで颯爽と倒すのだろう。しかし、今のセレネにはそんな自分の姿が思い浮かばなかった。

 せいぜい、自分の番が来る前に終わることを祈るしかない。

 

 

「ダフネ、3つ数えてからだ。1、2、3、それ!!」

 

 

 ルーピンの杖の先から、火花が迸り、タンスの取っ手に当たった。タンスが勢いよく開き、中から何かが現れる。

 寝起きのようにボサボサと広がった痛んだ長髪――ケルトの魔神「バロール」が、のっそりとタンスの中から姿を現した。片目は開きギラギラとした目でダフネを睨んでいたが、もう片方の「バロールの魔眼」と恐れられる方の眼は、大きく重い瞼で覆われていた。ダフネは杖を振り上げ、震える手で狙いを定めると、目をつぶった。

 

 

「り、リディクラス!!!」

 

 

 パチンっと鞭を鳴らすような音がしたと思ったのもつかの間、次の瞬間になるとバロールが躓いた。真っ赤な布地に、人を挑発するような大きな目が描かれたアイマスクをかけられた状態で。馬鹿馬鹿しいアイマスクを取ろうとするバロールだったが、取れないらしく悪戦苦闘している。

 どっと笑いが上がった。「まね妖怪」は、その笑い声に戸惑ったように動きを止める。

 

 

「パンジー、前へ!」

 

 

 パンジー・パーキンソンが、前に出てきた。ダフネは、慌てて後ろに下がる。バロールはパーキンソンの方を向いた。すると、またパチンっという音を立ててバロールは消えた。

 そこに現れたのは、粗い毛並に鋭い牙と爪をもった二足歩行の動物――ダラリと涎を垂らしている狼男が立っていた。ルーピンの横顔が辛そうに歪んだように見えたのは、気のせいだろうか――。

狼男は一吼えすると、パーキンソンに襲い掛かろうと膝をかがめた。パーキンソンは真っ直ぐ狙いを定めて叫ぶ。

 

 

「リディクラス!」

 

 

 パチン!という音が響く。狼男の口に輪がはまり、口が開かなくなった。御丁寧なことに、鉄製の輪には可愛らしいレースがついている。ゆったりとした女性物の服も着せられており、セレネはグリム童話を思い出した。お婆さんの服を剥ぎ取った狼は、このような姿で赤ずきんを待っていたのだろうか。

 

 

「次、ドラコ」

 

 

 マルフォイが、腕を庇いながら顔で前に進み出る。パチンっと音を立てて「まね妖怪」が変身したものは、頭をフードにすっぽり包んだ何かだ。セレネは吸魂鬼かと思ったが、どうやら違うらしい。フードを被った何かは、まるで獲物をあさる獣のように地面を這ってきた。銀色に光る液体が、隠れた顔から滴り落ちている。

 マルフォイの顔は一瞬ギクリと強張っていたが、左手につかんだ杖で何とか狙いを定めると叫んだ。

 

 

「リディクラス!!」

 

 

 パチンっと音とともに、それはネズミに変身した。自分のしっぽを追いかけて、クルクル回り始める。

 

 

「次は、ザビニ!」

 

 

 ネズミが尻尾を追いかけるのを止めて、ザビニの方を見た途端、パチンっと音とともに今度は巨大な黒い犬が現れる。目をギラつかせたクマほどもある大きな犬は、ザビニにゆっくりと近づいて行った。

 

 

「リディクラス!」

 

 

 ザビニが叫ぶと、パチンっと音を立てて、バルーンアートの犬になった。先程までの凶暴性は消え、ふわりふわりと職員室を漂い始める。

 

 

「次、セレネ!」

 

 

 もう自分の番が来てしまった。

セレネは杖を構えた。まず、「」に変身するとは思えない。死という概念に変身するとも思えない。一体、何が現れるのだろうか。砕かれた完成目前の賢者の石、とかかもしれない。そんなことを考えながら、セレネは犬の間抜け面を視た。

 

 

パチン!

 

 

「えっ?」

 

 

 セレネは呆気にとられてしまった。

 現れたのは、女の子だった。

 肩にかかる程の艶やかな黒い髪が風に揺れ、袖から伸びる手足は何処までも白い。どことなく儚げな雰囲気を醸し出している。

 顔は見えない。黒い影が顔にかかり、表情が見えなかったのだ。ただ、唯一――眼だけが光っていた。禍々しいくらい蒼い瞳は、まるで、そう――

 

 

「リディクラス!」

 

 

 セレネは、問答無用に杖を振るう。

 人形のように突っ立っていた「まね妖怪」は、前に躓いた。少女の姿は消え、一瞬、馬鹿馬鹿しい服に身を包んだピエロが浮かび上がったかと思うと、「まね妖怪」は破裂し、何千という細い煙の筋になって消え去った。

 

 

 

「良くやった!」

 

 

 全員が拍手をする中、ルーピンが大声を出した。

 

 

「みんなよくやった! そうだな、まね妖怪と対決したスリザリン生1人につき5点あげよう。最初に僕の質問に答えてくれたセオドールにも5点だ。

みんな、いい授業だったよ。宿題はまね妖怪――ボガードに関する章を読んで、まとめを提出してくれ。期限は次の授業までだ。今日は、これでおしまい」

 

 

 その一言と共に、スリザリン生は興奮しながら職員室を出た。

 しかし、セレネはあまり心が弾まなかった。まね妖怪は無事に倒すことが出来た。しかし――

 

 

「でも、最後――セレネの時、何に変身したの? 知り合いの子?」

「さぁ、分かりません。ずっと昔に出会った誰か、かもしれないですね」

 

 

 ダフネの問いに、セレネは嘘をつく。

 セレネにも、最初は誰に変身したのか分からなかった。だけれども、あの青い眼を見た瞬間、気がついたのだ。

 

 

 

 まね妖怪は、自分に変身した。

 セレネ・ゴーントに。

 

 

「本当に、馬鹿馬鹿しい」

 

 

 小さく呟くと、セレネは図書館へ足を向けた。

 今の授業を忘れ、錬金術の勉強に打ち込むために――。

 

 

 



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30話 守護霊よ来たれ

 

 ハロウィーンの朝、セレネは少し不快な気持ちになった。

 今日は、3年生が初めてホグズミード村へ行くことが許可される日だ。誰もが彼もが「村へ行ったら何をするか」という話題で盛り上がっている。

 しかし、別にそれはどうでも良い。朝食の席でも

 

「まずは、三本の箒に行きましょうよ!バタービールを飲んでみたかったのよねー!」

「俺達、ハニーデュークスに行く」

「お前らさ、部屋に食べきれないほどの菓子があるだろ」

「僕は叫びの屋敷だな。母上には絶対に行くな、と念を押されたけどね。なに、イギリスでもっとも怖い屋敷なんて嘘に決まってる」

「ねぇ、ドラコ。2人でマダム・パディフットの喫茶店に行きましょうよ。その取り巻き共は置いておいて」

 

 などと騒ぐマルフォイ達の会話を、気にも留めてなかった。

 普段通りに朝食を済ませると、誰かに話しかけられる前に席を立つ。しかし、大広間から出た瞬間に、つかまってしまった。ほとんど話したことも無いスリザリンの上級生が、セレネの前に立ち塞がったのだった。

 セレネは、またか……と、うんざりしながらも、それでも寮の外なので優等生の仮面をかぶった。

 

「何かご用でしょうか」

「はっ、これから俺はホグズミード村へ行くのですが、何か欲しいものはございますか?」

 

 この問いかけを、一体何度耳にしたことだろう。

 ホグズミード村へ行ける日程が掲示されてから、そろそろ1ヶ月。セレネは、これまで何人もの上級生から同じ質問をされていた。共通している点は、全員スリザリンの上級生であるということと、その全員が「スリザリンの継承者」の信奉者であるということだ。

 1年、2年と信奉者は増え続け、ノット曰く「セレネ・ゴーント親衛隊」なる組織がスリザリンに結成されているらしい。全20か条以上の令が定められているらしく、その事実をノットから知らされた時、何とも言えない複雑な気持ちになったのは忘れられない。どのくらい隊員がいるのかといえば、先日入院した際、見舞い客が絶え間なく訪れたほどだ。

 もっとも、マダム・ポンフリーが面会謝絶していたおかげで、その全員の訪問を受けずにすんだわけだが。

親衛隊員からの好意を受け入れるのは簡単だが、問題はその後だ。セレネの脳裏に浮かび上がるのは、去年の誕生日――11月30日の朝、目を覚ますとプレゼントの山が築かれていた光景だ。ひとつひとつ中身を確認することに1日を使ってしまい、思わず消失呪文を使いたくなってしまった。それから数日間、セレネの機嫌が悪かったこともあり、それ以後は親衛隊の条例に「継承者自身が望まぬ限り、貢物は可能な限り控えるべし」という一文が追加されたらしい。

 しかし、それは裏を返せば「望むものならば、貢物をしても構わない」ということであり、こうして親衛隊の生徒が何か欲しい物は無いのかと、尋ねてくることが度々あった。もちろん、何が欲しいのか言った瞬間、去年の誕生日の二の舞になってしまう。

 だからセレネは、好意を丁重に断り続けていた。

 

「ありがとう、気持ちだけ受け取っておきますね――ベイジー」

「えっ、俺の名前を知っているんですか?」

「――名前くらいは覚えていますよ」

 

 ノットがリストアップした親衛隊のリストは、一応目を通してある。

 親衛隊など興味ない。だが、いつか何かの役に立つかもしれないし、逆に問題を起こすかもしれない。だからこそ、しっかり目を通すようにしているのだ。

 

「それでは」

 

 なにやら感激した様に顔を赤らめるベイジーを置いて、さっさとその場を退散する。

 大理石の階段を登り、誰もいない廊下を歩く。

 

「セレネ!!」

 

 その時だ。

 後ろから自分を呼び止める声が聞こえた。セレネが振り返ると、廊下の向こう側からハリーが走ってくるところだった。セレネは立ち止り、ハリーが追いつくのを待つ。

 

「久し振り、セレネ。マクゴナガル先生から聞いたんだけど、セレネもホグズミードに行かないで、城に残るんだよね?」

「まぁ――そうですね」

 

 そう答えると、ハリーはたちまち嬉しそうな表情を浮かべた。

 

「ハリーも残るんですか?」

「あー、うん。実は、叔父さんからサインを貰うことが出来なくて」

 

 ハリーは力なく笑った。

 だけれども、それでも居残り仲間を見つけられたことが嬉しかったのだろう。すぐに表情を緩め、嬉しそうに尋ねてきた。

 

「セレネはこの後、何をするの?」

「吸魂鬼を追い払う方法を習いに行きます、先生と約束しているので」

 

 今後のためにも、習っておいた方が良い。

 学校に在籍している間は良いが、万が一――野生の吸魂鬼と出会うことがあって、対処できずに死んでしまうことは避けなければならない。だからこそ、セレネは先生に頼み込んだのだった。吸魂鬼を撃退する魔法は、標準魔法レベルを遥かに超える。故に、1日で教えることはできない。だからこうして、ホグズミード村に行けない日程を練習日に定め、教えてもらうことになったのだ。

 

「吸魂鬼の防衛術か――あの――もしよかったら、僕も連れて行ってもらえないかな?

その、僕も吸魂鬼は苦手だし」

「そうですね――私は構わないのですが――」

 

 セレネは、先生の顔を浮かべる。

 飛び入りでの参加を許容してもらえるとは、到底考えられなかった。だけれども、物は試しともいう。

 

「とりあえず、頼んでみますか?」

「頼むよ、セレネ! 一緒に行こう!!」

 

 セレネは、ハリーと一緒に廊下を歩きはじめる。

 しかし、歩き始めて数分もしないうちに、ハリーの表情が曇った。

 

「あの――セレネ、ルーピン先生の研究室は、この階じゃないよ?」

 

 何かを確認するかのように、ハリーが囁いてくる。

 ルーピンの研究室は、この階ではない。セレネは歩きながら、首をかしげる。

 

「それは知っていますよ。しかし――どうして急にルーピン先生の研究室が出てくるのですか?」

「いや、ほら――闇の魔術に対する防衛術の先生は、ルーピン先生じゃないか。

あっ、もしかして、ダンブルドアから直接習うとか? それにしても、校長室はここじゃ――」

「――ハリーは、何を勘違いしているのですか?」

 

 とある一室の前で、セレネは立ち止る。

 その頃になると、誰に習うつもりなのか理解したのだろう。ハリーの顔色は見るに堪えない程、青ざめていた。ハリーは震える指で、部屋の扉を指した。

 

「セレネ、その――まさかと思うけど、この部屋じゃないよね?」

「ここで間違いないと思いますよ」

「ここの部屋、あの――えっと、誰の部屋か分かってる?」

「もちろん。この部屋は、寮監で私の名付け親の―――」

 

 そこまでセレネが言った時だった。

 音を立てながら、扉が開く。開かれた扉の隙間から、長身の黒い男が姿を現した。まるで、イギリスが滅んでしまったかのような仏頂面をした男の名前は――

 

「スネイプに、吸魂鬼撃退法を教わるの!? セレネ、君は正気?」

「ゴーント――何故、ポッターもいるのかね?」

 

 スリザリンの寮監、セブルス・スネイプだった。

 スネイプもハリー同様、心底嫌そうな表情を浮かべている。

 

「先程、私が吸魂撃退法を習いに行くと言ったところ、ハリーも一緒に習いたいと――」

「いいえ!やっぱり、僕はやらなくていいです。頑張ってね、セレネ」

 

 それだけ言うと、ハリーは逃げるように去って行った。

 余程、スネイプのことが嫌いなのだろう。瞬く間に廊下の角を曲がり、ハリーの姿は視えなくなった。

 

「入りたまえ、ゴーント」

「はい、お邪魔します」

 

 部屋は薄暗く、壁に並んだ棚には何百というガラス瓶が置かれていた。ガラス瓶の中は、さまざまな色合いの魔法薬が並んでいる。いや、ガラス瓶だけではない。動植物の断片が浮かんでいるガラス瓶もあった。セレネは、理科実験室にでもいる気分になった。扉を閉め、魔法薬を眺めていると、スネイプは軽く咳払いをした。スネイプは、少し開けた明るい場所に移動していた。

 

「さて、ゴーント――我輩が君に教えようとしている呪文は、非常に高度な魔法だ。標準魔法レベルを遥かに超える――『守護霊の呪文』だ」

「守護霊、ですか?」

「さよう」

 

 そう言いながら、スネイプは軽く手招きをする。セレネは、棚にぶつからないように注意しながらスネイプのいる場所に移動した。

 

「呪文が上手く効けば、守護霊が出てくる。それが、吸魂鬼を払う盾となる」

 

 セレネの脳裏に、ホグワーツ特急で見た光景が浮かんでくる。

 恐らく、あの時目撃した銀色の光が守護霊なのだろう。スネイプは話し続けた。

 

「吸魂鬼は、希望、幸福、生きようとする意欲などを貪り喰らって生きる。しかし、守護霊は本物の人間なら感じる絶望というものを感じることが出来ない。だから、吸魂鬼は守護霊を傷つけることが出来ない」

 

 スネイプは杖を取り出した。

 そして、何もない空間に杖を向ける。

 

「何か一つ、幸福なことを思い浮かべる。その思い出を渾身の力で思いつめ、呪文を唱える。

――『エクスペクト・パトローナム-守護霊よ来たれ』!」

 

 杖先から銀色の光が飛び出した。目が眩む程の光は動物の形をとる。それは、一頭の牝鹿だった。牝鹿は、部屋の端から端までをゆっくり駆けた。優雅に駆けていく銀色の牝鹿が、やがて霞になって消えていくと、思わずセレネは

 

「凄い」

 

 と呟いていた。

 これが、標準レベルを超えると言った理由に納得がいく。物質を消失させたり出現させたり、姿を変えたりする呪文とは一線を画していた。

 

「次は君の番だ、ゴーント。やってみたまえ」

「はい」

 

 セレネは杖を取り出して、何もない空間に真っ直ぐ向けた。

 

「幸福な思い出を浮かべろ、いいな」

「はい」

 

 返事をしたのは良いが、セレネは戸惑っていた。

 いざ、幸福な思い出を浮かべようとしてみたが、何も浮かんでこないのだ。セレネ・ゴーントの記憶は途切れている。ホグワーツに入学してから、そこまで幸福なことは無かった。その前の記憶を探れば幸福な思い出があるのかもしれないが、自分の物と感じられない。セレネは悩んだ末に、ヴォルデモートを出し抜いた時のことを浮かべた。

 1年生の時――初めて、賢者の石を手にした瞬間を。

 

「『エクスペクト・パトローナム-守護霊よ来たれ』!」

 

 杖の先から、何かが噴き出した。一筋の銀色の煙だ。しかし、それだけだった。煙は、形を帯びることなく消えて行った。セレネは、もう一度――賢者の石を手にした瞬間に神経を集中させる。しかし、集中させれば集中させるほど、その後に何が起きたのかまで思い出してしまう。その想いを振り払うように、セレネは杖を振るった。

 

「『エクスペクト・パトローナム-守護霊よ来たれ』!」

 

 杖から銀色の煙が出る。一瞬、形を帯びたかと思ったが、それはセレネの見間違いだった。形の無い煙のまま、空間に消えて行った。

 

「これでは――駄目ですよね」

「そうだな。最低でも有体守護霊――形のある守護霊を作り出せるようになる必要がある。

最悪、それでも身を護れなくはない。しかし、吸魂鬼と対峙した極限状態の中で作り出すとなると話が変わってくる。

――別の思い出を選んだ方が良いかもしれん。先程まで君が浮かべていた思い出は、十分な強さではなかったようだ」

「はい――分かりました」

 

 セレネは、眼を閉じた。

 ヴォルデモートを出し抜いた、賢者の石を手に入れた。あの歓喜に勝る幸福は、いくら考えてみても無かった。

 

「守護霊は、強い幸福な思いが作り出す。

思いつかないのであれば、幸福な場面を自分の中に作り出すことも1つの手だ」

「幸福な場面を作り出す」

「そうだ、幸福なことを思い浮かべろ」

 

 セレネは、ゆっくり目を開けた。

 幸福なこと。自分が幸福に思う事とは、何だろうか。セレネは必死で考えた。

 セレネが唯一自分の気持ちだと断言できることは、死を克服することだ。つまり、今製作しようとしている賢者の石を作り上げた瞬間、きっと自分は幸福に思うはずだ。悲願だった死を克服するのだから。

 

「いけるか?」

「はい」

 

 赤い石を思い浮かべる。

 赤い石が自分の手の中にある様子を、それを飲み干す様子を強く思い浮かべた。その瞬間、自分の腕に奔っていた「線」が消えていく。そして――

 

「『エクスペクト・パトローナム-守護霊よ来たれ』」

 

 杖先から、銀色の光が飛び出した。

 今度は、ボンヤリとした霞ではない。煙が何か巨大な物を形造っていく。しかし、それには足が無く、手も無かった。滑らかな身体を持つそれは、蛇に見えた。しかし、蛇にしては、あまりに巨大すぎる。決して狭い部屋ではないにもかかわらず、部屋が急に狭く息苦しくなった気がする。巨大な蛇はとぐろを巻くと、セレネの方に頭を向けてくる。その蛇の目は、固く閉じられていた。

 それを視た瞬間、セレネは気が付いた。

 

「大きな、蛇?」

 

 バジリスクによく似た守護霊に手を伸ばそうとすると、すっと霞になってしまった。

 しばらく呆然としていたが、スネイプが軽く拍手する音で我に返る。

 

「上出来だ、ゴーント。スリザリンに20点与えよう」

 

 スネイプの表情には、感心するような色が浮かんでいた。

 セレネは守護霊がいた場所を見つめながら、ポツリとつぶやく。

 

「今のが――私の守護霊ですか?」

「そうだな。守護霊には魔法使いの数だけ種類がある。

さて、ゴーント。今日はこれで終わりだ。我輩は、これから用事がある。寮に帰りたまえ」

 

 スネイプは、小瓶を握っていた。

 どうやら、その小瓶を誰かに届けに行くらしい。セレネは丁寧に頭を下げると、その場を辞した。

 図書館に向かいながら、セレネは守護霊がバジリスクの形をした理由を考えていた。それは、スリザリンの継承者だからバジリスクの姿になったのだろうか。それとも、まったく別の理由があるのだろうか。

 

 どこからか甘い香りが漂ってくる。

 厨房で、今日の夕食の準備が着実に進んでいるのだろう。

 カボチャの甘い香りを吸い込んだセレネは、誰もいない廊下を歩きだすのだった。

 

 

 

 



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31話 真実と虚構/恐怖の敗北

 2年近く待たせてしまい、申し訳ありません!
 少しずつ更新を再開させていきます。




 秘密の部屋は、すっかり息を吹き返していた。

 

 

 スリザリンの継承者が去り、そこに住まう怪物は息絶えた――ように錯覚したのは一部の人間だけ。

 実際には、本物の継承者(セレネ・ゴーント)が解放し、生き延びた怪物(バジリスク)も無事に生息している。

 

 

 そして、この日も――セレネ・ゴーントはバジリスクを連れ添い、秘密の部屋を訪れていた。

 

 

 セレネは常時湿った陰気な場所を訪ねるのは嫌だったが、その嫌悪感に目を瞑ってまで訪れなければならなかった。

 実は、この「秘密の部屋」の最奥部――そこには、古書で埋め尽くされた書斎が眠っている。それも、サラザール・スリザリンが正当な継承者のために残していった貴重な古書だ。残念なことに、そのうちの多く――特に、闇の魔術に関する書物は、不自然なまでに紛失しているが、幸か不幸か、セレネが必要としていた錬金術関係の書物は残されていた。

 

 故に、こうして時折――時間を見つけては、部屋に閉じこもるような日々を送っている。 

 

『それで、主様は帰省なさるのですか?』

 

 スリザリンの怪物――バジリスクのアルケミーは、石の上に腰を掛ける少女に問いかけた。セレネの隣には、幾冊もの古書が積み重なっている。

 

『帰省する。

 ただ、煙突飛行ネットワーク――という方法を使ってだけど』

『煙突飛行? あの汽車で帰るのではないのですか?』

『安全面を考慮して、らしいよ』

 

 ぱたん、と書を閉じる。

 守護霊の呪文を覚えた以上、吸魂鬼を払いのけることは理論上可能だ。

 しかし、あくまで理論上(・・・)

 

 吸魂鬼の前で実際に守護霊を出したわけではなく、ためすわけにもいかない。それに、セレネが作り出した守護霊が実態をとどめておく時間は短く、せいぜい5,6秒程度。

 

 そんなもの、実際には役に立たないだろう。

 

 さらにいえば、守護霊で払っている隙を狙ってシリウス・ブラックが行動を起こさないとは限らないのだ。だから、セレネは未だにホグズミード村へ行くことが許可されず、学校内から外に出る唯一の方法で帰省するという特例処置を受けることになったのだった。

 

『まったく、主様だけがホグズミード村へ行けないなんて。前の主ですら行くことが出来たのに。

 今度、こっそり秘密の抜け道を通って行きますか? 今でしたら、のんびりと土産物を購入することが出来ますよ?』

 

 アルケミーは、静かに囁いた。だが、セレネは首を横に振る。

 

『遠慮しておく。それに、菓子類の土産なら貰ったから』

 

 セレネは、ベッドの横に積み重なった菓子を思い返した。

 ダフネやノット、そしてジャスティンから貰ったホグズミードの菓子だ。

 ダフネは「マグルのお菓子に負けないくらい、美味しいはずだよ」と太鼓判を押してくれた。

それらは、どれもこれも奇妙な菓子だった。どんどん膨らんでく風船ガムや、舐めている間は浮き上がってしまう飴など、あっと驚く菓子ばかりだ。

 この菓子と比較すれば、マグルの菓子は味気ない物にみえてしまうのも分かる気がした。

 

『でも……ジャスティンが買ってきてくれた飲み物は欲しいかもしれないな』

 

 セレネはジャスティンがペットボトルに入れて来てくれた飲み物――「バタービール」を思い出し、つい頬が緩ませる。

 バターの甘い香りが漂う炭酸飲料は、彼女の心をつかんだ。

 一口飲んだ瞬間に、クッキーのような甘い味が広がっていく。未体験の味に、セレネは少しだけ感動してしまった。衝動に突き動かされるまま、ジャスティンに「お金は払いますから、次も買ってきてくれますか?」と頼んでしまったほどである。

 

 

 ……余談だが、この会話が親衛隊に聞かれており、部屋一杯のバタービールの樽が届くことになるとは、まだ誰も知らない。

 

「それにしても……不思議ね」

 

 セレネは、ニコラス夫人がくれた石を触っていた。すべすべとした感覚を味わいながら、ぼんやりと呟く。

 

『どうかしましたか?』

『いや、吸魂鬼ってナズグールと似ているなって思ったんだ』

 

 セレネは、「指輪物語」を思い出していた。

 ナズグールとは、物語の鍵を握る「1つの指輪」を追い求める死霊のことだ。

奴らが叫べば、人の意志を砕いてしまう。黒いフードを被った彼らの吐く息は、生命力を弱めて気絶へと追い込む。

 吸魂鬼は幸福を食べ物にするので少し異なるが、外見や生命力を弱まらせて気絶に追い込むという点は酷似している。

 きっと、ナズグールと対面したならば、吸魂鬼と対峙した時のような恐怖を覚えるのだろう。

 

 

 吸魂鬼もそうだが、ナズグールなんかとも出会いたくない。

 

『失礼ですが……ナズグールとは?』

『ナズグールは、さすがにトルーキンの創作か』

 

 クトゥルフ神話も創作で、ニャルラトホテプなんて存在しない。

 では、マグルの世界で語られる伝説の生物は架空の存在なのか? と思えば、フランケンシュタインの怪物は魔法史に存在するらしい。それに、シャルルマーニュ十二勇士のアストルフォが愛用していたヒッポグリフは存在する。アストルフォ自身が魔法を使用した描写は存在しないにもかかわらずだ。

 

「……いや、アストルフォは魔女と関係していたっけ?

 だけど、フランケンシュタインはメアリー・シェリーの創作だとばかり……」

 

 どこまでが真実で、どこまでが虚構なのか。

 知識を深めれば深めるほど、その見極めがつくようになる。だが、調べれば調べるほど疑問が生まれる。

 たとえば、魔法使いはマグルに存在がばれないように暮らしているにもかかわらず、何故アストルフォやフランケンシュタインのように、マグルへ魔法の存在が漏れているのか。

 

 完璧に隠すのは無理だ、と断定してしまえば話は早い。

 だが、フランケンシュタインや――錬金術師でいえば、パラケルススはマグル世界にも名を知られている。むしろ、断片的な記録をたどる限り、パラケルススは魔法で培った知識を広めようとしていた。

 

 これは、いかがなものなのか?

 真か嘘か。真相は知識を深めればわかるものなのか、それとも永遠に闇のままなのか。

 

『……それで、主。考えているところすみませんが、シリウス・ブラックについて、いかがなさいましょう?』

『あぁ、それも問題か』

 

 

 セレネは憎々しげに言葉を返す。

 

 ハロウィンの夜、シリウス・ブラックが侵入したのだ。

 結論から言えば、教授陣は彼の尻尾を捕らえることができず、生徒たちは不安に駆られたまま授業が再開された。

 

 いまもどこか、近くに潜んでいるかもしれない。

 

 

 セレネは正直、ヴォルデモート(サイコパス)に心酔する殺人鬼(シリウス・ブラック)なんて、心底どうでもよかった。

 だが、スリザリン寮内では「スリザリンの継承者」と呼ばれてしまっている。ひょんなことから噂を聞きつけた殺人鬼が、「勝手に闇の帝王の称号を騙るな!」と襲ってくるかもしれない。

 最悪、「眼」を使う――もしくは、アルケミーに戦闘を任せればよいのだが、それが公になった時の説明が大変だ。

 

 

 

 シリウス・ブラックが身近にいると確定した以上、早急に始末しなければならない問題である。

 なにしろ、過去の新聞記事によれば、杖の一振りで大通りにクレーターを作り上げた男だ。爆発系の魔法一発でピーター・ペティグリューという親友だった男を含めたマグル13人を殺したらしい。

 あまり直接対決したくない相手である。

 

 

『……あの夜に校内に忍び込んだのは、黒い犬一匹なんでしょ?』

『はい。大型の黒犬一匹です』

『……となると、奴は無許可の動物もどき(アニメーガス)か』

 

 動物もどき(アニメーガス)とは、任意に動物へ変化することができる魔法だ。

 有名どころでいえば、変身術のミネルバ・マクゴナガルがそれに該当する。しかし、その習得には危険が伴い、魔法省の許可がなければ学ぶことすらできない魔法である。

 

『だからどうした、なんだけど。

 その黒犬が近くに来たら、撃退する。もしくは、対話を試みる。それしか対策はないか』

 

 シリウス・ブラックが「賢者の石」や「錬金術」の知識が深い、なんて話はない。

 とんだ無駄な労力を使う羽目になりそうだ。セレネは嘆息する。

 

 

『もういい。今日は帰る』

 

 石をポケットにしまい、適当に幾つかの本を手に取る。

 本日も大した進展はなし。賢者の石の完成に近づく記述は見当たらず、フラメルの研究ノート解読作業も進まなかった。この調子では、ホグワーツを卒業する年齢になっても、賢者の石の制作など不可能。

 ホグワーツの図書室や秘密の部屋並みに本が所蔵されている場所は、少なくともイギリス魔法界になかった。

 いっそのこと、将来はホグワーツで教鞭をとることを希望しようか?なんて考えながら、セレネはアルケミーの頭に飛び乗る。

 

『お送りしますね、主。今日はどこまで?』 

『図書室の横。それでいいわ』

 

 アルケミーの移動手段である大型パイプは、ホグワーツ内に張り巡らされている。

 いちいち女子トイレまで登って行くより、人目のつかない場所まで送ってもらった方が早いし、なにより怪しまれない。

 

『このあたりでいい。ありがとう』

 

 セレネは適当な場所で降りると、パイプから出る。

 豪雨が窓に激しく当たり、騒々しい音を出していた。外を出るのも億劫な嵐だが、図書室どころか城内の人気は少ない。

 記憶が正しければ、今日は「グリフィンドールVSハッフルパフ」のクィディッチが行われているはずだ。今シーズン初の試合に、今朝は誰もが浮き足立っていた。

 

 ……クィディッチ。

 セレネは箒が苦手だ。無論、それで飛べたらどれほど素敵なことなのだろう、と夢想することはあったが、地に足がついていない感覚が恐ろしく思えるのも事実。

 何度か「スリザリンのチームに加わらないか?」と勧誘を受けているが、断り続けるのは、そのことが理由だったりする。

 

 もちろん、誰にも真実を口外する気はないが。

 

「……ん?」

 

 誰もいない廊下を曲がると、ひどく陰鬱な空気の2人組を見かけた。

 ハーマイオニー・グレンジャーとロン・ウィーズリーだ。競技場から帰ったばかりなのか、雨と泥にまみれている。だが、そんな服装の乱れを気にしている様子はない。ただただ、黙って俯いていた。

 

 ……ハリーの姿がない。

 グリフィンドールの花形(シーカー)である彼の姿が見当たらない。なんだか不吉な予感に駆られた。

 しかし、話しかける雰囲気ではない。セレネはそっと元の角に戻ると、別の道から寮に戻ることにする。

 

 

 

 

 

 

 ハリー・ポッターが吸魂鬼に襲われ、箒から落ちたことを知ったのは、数時間後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 ハリー・ポッターは奇跡的に生還した。

 ダンブルドアの呪文のおかげか、20メートル落下したというのに眼鏡1つ割れていない。ただ、吸魂鬼に襲われたこと、そして、愛箒ニンバス2000が暴れ柳に衝突し、木端微塵になってしまったことなど、精神的な疲労は計り知れない。

 

 故に、その週末は入院生活を送っていた。

 ハリーは抵抗もせず、文句も言わなかった。

 ニンバス2000の残骸を傍に置き、まるで親友の1人を失ったような辛い気持ちに耐えていた。

 

 

 そんな彼の元には、次から次へと見舞客が訪れる。

 ハーマイオニーとロンは夜以外、つきっきりでハリーのベッドのそばにいた。

 

 

 しかし、誰がなにをしようと、なにを言おうと、ハリーはふさぎ込んだままだった。

 みんなには、ハリーを悩ませていたことのせいぜい半分しか分かっていなかったのだ。

 

 吸魂鬼に気絶まで追い込まれる恐ろしさや、死神犬(グリム)に憑りつかれているのではないかという疑念は話して解決するモノではないし、その恐怖を共感できるものでもない。ましては、後者の件については誰にも話していなかった。

 

 

「じゃあね、ハリー」

「また来るからな、元気出せよ!」

 

 

 その夜、彼はハーマイオニーとロンを見送ると、そっと瞼を閉じた。

 

 しかし、眠れない。

 否、睡眠に落ちることはできる。

 だが、何度も何度も吸魂鬼に襲われた時の感覚が襲ってくる。

 

 吸魂鬼がハリーに近づいたときに、ハリーは母親の最期の声を聞いたのだ。

 ヴォルデモートから自分を護ろうとする母の声。そして、ヴォルデモートが母親を殺す時の笑い声を。

 

 

「やめてくれッ!」

 

 じめっとした腐った手、恐怖に凍りついたような哀願の夢にうなされ、飛び起きた。

 

「はぁ……はぁ……また、夢か」

 

 ハリーは冷や汗をかいていた。額に手を置き、呼吸を落ち着かせる。

 瞼を閉じるたびに、そんな夢をみる。夢だと理解していてもなお、彼を苛むのだ。

 

「ずいぶんとうなされていましたね、ハリー・ポッター」

 

 唐突に、静かな声が上から降ってくる。

 弾かれたように視線を向ければ、そこには眼鏡の少女が腰をかけていた。古びた本に目を落し、退屈そうな表情を浮かべている。

 それは、絶対に深夜、出歩いたりしないような優等生――そう、彼女の名前は――

 

 

「セレネ……ゴーント?」

 

 

 

 

 



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32話 深夜の訪問者

「セレネ・ゴーント? どうして、ここに?」

 

 

 ハリー・ポッターの目がこれ以上ないくらい見開かれる。

 当然の反応である。セレネは本を閉じた。自慢ではないが、ハーマイオニーと並び優等生の自分が消灯後に外出し、しかも、医務室に見舞いへ訪れるなどあり得る話ではない。

 

「お見舞いですよ、ハリー・ポッター。昼間は訪れることができませんから」

「昼間?」

「あなたのお友達は……スリザリンを必要以上に蔑視しているところがありますので」

 

 セレネが疑問に答えると、ハリーは少し怒ったような顔になった。名前は出さなかったが、誰のことを言っているのか伝わったらしい。

 

「ロンは悪い人じゃないよ」

「ええ、悪い人ではありませんよ。ただ、スリザリン生全員を悪の魔法使いや差別主義者だと信じて疑わないだけで」

 

 淡々と言えば、彼には思い当たる節があったのだろう。表情から怒りの色が少しずつ消えていくのが見えた。

 

 グリフィンドール生の大半は、スリザリン生全員を悪として認識している。

 当然である。スリザリン生は他寮と比較しても縦横のつながりが非常に堅固だ。比較的人付き合いの悪いセレネ自身でさえ、下級生と上級生の顔と名前、おおまかな性格は一致している。その分、どこの寮よりも閉鎖的だ。他寮との交流がある薬草学や魔法薬学の授業のときでさえ、スリザリン生はスリザリン生で固まる習性があった。

 つまり、外部に情報が漏れにくい分、スリザリンに対する悪印象な固定観念が否定されることは少ない。ましては、固定観念を信じて疑わない生徒――主に、グリフィンドール生はスリザリンを嫌う一方である。

 純血主義でも悪の魔法使いでもないスリザリン生からしたら、とんでもない風評被害であった。

 

 

 もっとも、悪の魔法使い云々はともかく、純血主義者が多いことは否定しない。

 

「セレネは、その、『純血主義は間違ってる』って言わないの?」

「私が反対運動を起こしたところで、なにも変わりませんよ。

 なにせ現在のスリザリンを率いるのは、マーカス・フリントですから」

「フリント?」

 

 ハリーの頭の上に疑問符が浮かぶのが見えた。

 

「クィディッチキャプテンの? マルフォイじゃなくて」

「ハリー、あなたも随分とマルフォイを敵対視していますね」

 

 ロン・ウィーズリーほどではないが、彼のドラコ・マルフォイに対する嫌悪感は尋常ではない。記憶をさかのぼれば、おそらく1年時のホグワーツ特急での出会いが起因しているのだろう。

 セレネは彼らが菓子の取り合いで喧嘩する場面を思い出しながら、息を長く吐いた。

 

「はぁ……マルフォイ家はフリント家と同格かそれ以上ですが、彼はまだ3年生です。あなたは3年生が『グリフィンドールのリーダー』だと宣言したら、それに従うことができますか?」

「あー……えっと……」

 

 ハリーは困惑したように考え込んだ。

 この例は、ハリーに難しかったかもしれない。グリフィンドールは寮内の縦のつながりが、スリザリンほど強くないからだ。

 

「よく分からないけど、たぶん変な感じがする」

「そういうことです。だから、マルフォイは現時点でトップになることはありません」

 

 セレネはどうすれば分かりやすく説明できるか、少し悩んでしまった。

 

「つまりですね、フリントは純血の一族です。有名どころでいいますと……そうですね、ホグワーツの校長を務めたフィニアス・ナイジェラス・ブラックの妻はフリント家出身です。

 くわえて、クィディッチの才能もあり、勉強もそこそこにできるとなれば、寮のトップにたつのは必然かと」

 

 スリザリンで頭角を現すのは簡単だ。

 純血のなかでも特に有名な家系であること、もしくは、それに匹敵するカリスマ性を表せばいい。

 フリントは前者だ。

 セレネたちが入学する前まで、彼がスリザリン唯一の純血一族だった。スリザリンにおいて、彼の権力は絶大だ。フリント政権と呼ぶにふさわしい。そんな彼が大活躍するであろうクィディッチの試合を観戦に行かないのは、非スリザリンであり、いじめの対象だ。セレネがクィディッチの観戦に行かなくても無事でいられるのは、フリント派に次ぐ第二派閥を率いているからであろう。

 

「そういえば……」

 

 セレネは最近気になり始めた嫌なことを思い出してしまった。

 フリント派のなかから、ゴーント派――つまり「セレネ・ゴーント親衛隊」へ移籍する者が増え始めている。たとえば、エイドリアン・ピュシーはその筆頭だ。昨年の「スリザリンの継承者」騒ぎで、セレネが「ホグワーツ特別功労賞」を取ったことをキッカケに、親衛隊に入隊した。 

 そのせいで、今年のクィディッチチームから追い出されてしまっている。

 

「どうかしたの、セレネ?」

「いや、別になんでもありませんよ」

 

 寮内の結束が固いということは、その結束から外れる者を敵対視するのは当然。

 だが、セレネは1年時に彼らを蹴散らした。その結果、フリント派は自分を危険視している。ゆえに、当初こそ自分たちの派閥に入れようとはしなかったが、セレネの力が大きくなるのを看過できなかったのだろう。

 

 服従を迫るか、徹底的に叩きのめすか。

 いまのところ、彼らは前者の方針を取っている。たとえば、幾度となくクィディッチチームに勧誘してくるのは、これが起因しているに違いない。

 だが、いつそれが転じるか分からない。

 いずれにしろ、このまま進めば、どこかで両派閥が衝突するのは必然だ。賢者の石の謎もまだ解明できていないというのに、頭が痛い。すべてノットに丸投げしてしまおうか、とさえ思えてしまう。

 

 

「それにしても、ブラックってことは、あのシリウス・ブラックと関係があるの?」

 

 セレネが頭を悩ませていると、ハリーが話しかけてきた。セレネは慌てて思考を止め、昨年度叩き込んだ家系図を脳裏に浮かべた。

 

「え? ……えっと、はい、そうですね。シリウス・ブラック直系の祖先だったはずです。たしか、シリウス・ブラックが最後の末裔だったかと」 

「最後の末裔がアズカバンの囚人で、大量殺人犯か」

 

 ハリーは遠い目をした。

 

「先祖は学校長を務めるほど優秀な人だったのに……」

「祖先がどうであれ、親戚がどうであれ、それぞれ違いますから」

 

 セレネは、はっきりと否定した。血のつながりが人柄に通じると仮定してしまうと、自分はヴォルデモートと同類になってしまう。大量殺人犯の純血主義者で寄生しないと生きていけないような奴とつながりがある。そう考えるだけで、悪寒が身体を奔った。

 

「血のつながりで人柄を判断してはならない、ということで一つアドバイスです。

 ブラック校長は子沢山で、その大半が魔法族と婚姻を結んでいます。ブラック家やマルフォイ家はもちろん、ポッター家も親戚です。つまり、あなたとマルフォイは親戚同士ということに――」

「マルフォイと僕が親戚だって!?」

 

 ハリーは病室全体に響き渡る声で叫んだ。セレネの耳がつーんと痛くなる。

 これでは医務室の鬼、マダム・ポンフリーがなにごとかと起き出して来てしまう。急いで「声が大きい」とジェスチャーをすれば、ハリーは慌てて「ごめん」と謝ってくれた。幸いなことに、彼女は眠ったままだったようだ。

 

「でも、それ本当? 僕、信じられない」

「えっとですね……マルフォイの母親はブラック家の娘ですし、たしか……シリウス・ブラックの大叔母がポッター家に嫁いでいましたので、親戚ということになるかと」

「それ、かぎりなく遠い親戚だね」

 

 ハリーは安心したように息を吐いた。

 

「……でも、たしかにその通りだ。

 僕とマルフォイは全然違うし……それに、セレネもヴォルデモートもサラザール・スリザリンの末裔だけど、ぜんぜん違うよ」

「分かったならいいのです」

 

 セレネも少しだけ安心した。医務室に来た当初、彼の顔色はかなり悪かった。それも、いまにも自死を選んでしまうのではないか、と思うほどに。

 それが若干であるが和らいできている。

 

「まぁ、それだけ叫ぶことができるのであれば、もう安心です」

 

 セレネは椅子から立ち上がると、帰り支度を始めた。

 彼は義父の教え子であり、非常に使える駒だ。事実、いままで二度も自分の都合に利用させてもらっている。敗北に落ち込んだまま再起不能になり、駄目になってしまうのはかなり惜しい。

 だが、この様子なら大丈夫だ。彼なら、なんとかなるだろう。

 

「あのさ、セレネ」

 

 ハリーに背を向けようとしたとき、後ろから声をかけられた。どこか自分のしようとしていることに戸惑うような顔をしている。どうしたのだろうか、と問いかける前に彼は口を開いた。

 

「セレネはさ、こんなこと聞くのは悪いけど、その……吸魂鬼に襲われたとき、意識を失ったことがあるよね?」

「はい、ありますけど」

「そのとき、なにか見る? 声が聞こえる、とか」

 

 ハリーの言葉を聞いた途端、セレネの脳裏に赤い映像が急速に浮かび上がってきた。

 どこを見渡しても、赤、赤、赤。そのなかを走る小さな自分。

 そして、その行く手に横たわっているのは――

 

「……秘密、ということにしておきます」

 

 セレネは目を伏せると、静かに応えた。目の前で彼が落ち込む気配がする。

 おそらく、彼は辛さを共有したかっただけなのだ。よくよく考えてみれば分かることである。文字通り、気を失うレベルまで吸魂鬼の影響を受けるのは、この学校には2人しかいない。しかも、同級生で一緒にヴォルデモートと戦った経験が2回もあるとなれば、仲間意識が芽生えるのは必然である。

 

 セレネに利用されていた、という自覚がなければ。

 

 気がつけば、セレネは口を開いていた。

 

「……あなたは幸運ですよ」

 

 セレネが言葉をかけると、ハリーの纏う空気にかすかな困惑が生じた。

 

「幸運? 僕が?」

「箒から落ちたら、普通死にます。

 ヴォルデモートと対峙したら、普通は死にます。1年生や2年生ならなおさらです」

「それは……みんなのおかげだし、僕は運が良かっただけで……」

「そう、運が良かったのです」

 

 セレネ自身、いままでの自分は運が良かった、と感じている。

 考えに考え抜いたとはいえ、クィレルを出し抜いたときも、ヴォルデモートからバジリスクを奪い返したときも、ニコラス・フラメル夫妻から賢者の石の研究成果を手に入れたことも、すべてが綱渡りであった。

 ダンブルドアという障害もあったが、それに対する策も講じ、幸運の上に成り立ったことである。

 

「いまのあなたがすることは、箒が壊れたことを嘆き、吸魂鬼に恐怖し閉じこもることではありません。

 まずは命が助かったことを喜び、次になにをするべきか対策を考え、行動するべきです」

 

 しかし、ハリーはまだ落ち込んでいる。

 

「でも、僕……もうじき死ぬかもしれないんだ。……僕、死神犬を見るし」

「たしかに、死神犬は死の先触れと言われていますが、元をたどれば墓の守り人です。

 だから、見ただけで死ぬなんて、ありえません」

 

 セレネは首を横に振った。 

 死神犬といえば、大きな黒犬……おそらく、アルケミーが発見した犬のことだ。あれはシリウス・ブラックであり、死神犬ではない。だが、確証がつかめていない現状、それを口にするわけにはいかなかった。

 

「でも、どうして『ありえない』と言い切れるの? 違うかもしれないじゃないか」

「ハリー、それは初歩的なことです。

 魔法生物はいます。ユニコーンとかヒッポグリフとか……。

 しかしですね、見ただけで死ぬ、なんて魔法生物はいません。それが本当なら、その魔法生物はどうやって繁殖をするのですか?」

「あっ……」

 

 セレネは本をハリーに押し付けた。

 

「入院生活は退屈でしょうから、それで時間を潰したらどうでしょうか?」

「……『バスカーヴィル家の犬』……シャーロック・ホームズって、図書室にあったの!?」

「残念ですが、トテナム・コート通りで買った本です」

 

 セレネは苦笑いを浮かべた。そもそも、ホームズは創作物だ。無論、ホームズの生みの親 コナン・ドイルが魔法使いだったこともありえない。

 正真正銘、マグルの本屋で購入した一冊である。

 

「不可思議な現象にも、大抵はトリックがあります。

 トリックさえ判明すれば、対策を立てることができるのです」

 

 お気に入りの一冊だったが、暗唱できるほど読んでしまっている。

 いまは自分よりも、死神犬に悩む彼にこそふさわしい。

 これを機に、自分の見ている死神犬に疑問を持ち、恐怖を払拭してくれたら幸いだ。シリウス・ブラックだと看破してくれれば、なお良しである。

 

「ありがとう、セレネ。大事に読むよ」

「それでは、ハリー・ポッター。私はこれで」

 

 セレネはそれだけ言うと、医務室の出口へ足を進ませた。

 出口の向こうには、見張り役のアルケミーが主人の帰りをいまかいまかと待っている。なるべく早く帰って、今日はもう寝ることにしよう。

 

「あの、セレネ。その……またなにかあったら、相談してもいいかな?」

 

 不安そうな声を背中で受ける。

 セレネは答える代わりに、背を向けたまま軽く手を振った。

 

 

 静かな夜の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後、ハリーは退院した。

 マルフォイはグリフィンドール敗北に喜び、食事中にもかかわらず、幾度も吸魂鬼の真似をしている。セレネが軽く視線を向けると、彼はいったい何を勘違いしたのか、得意げに語り始めた。

 

「本当に爽快だった、まさか吸魂鬼に襲われて箒に乗りながら気絶するなんて。あれだと、ポッターはクィディッチの試合に出られない。グリフィンドールは今年も優勝できずに終わるね。

 セレネも観に来ればよかったのに」

「ええ、行けばよかったですね。ハリー・ポッターと同様、私も吸魂鬼に襲われていたかもしれませんから」

「あ……そうだったな、セレネは吸魂鬼が苦手だったか」

 

 マルフォイの顔に、罰の悪そうな色が広がっていく。

 セレネはパンを口に放り込み、不快な気持ちと一緒に飲み込んだ。

 

「不快な思いをさせたお詫びといってはなんだが、僕の家のクリスマスパーティーに参加しないか? マグルで育った君にはもったいないくらいの豪華さで――」

 

 マルフォイが「いかに我が家のクリスマスは凄いか」と自慢話を続けている間、セレネは少し考え込む。顎に軽く指を添え、視線を一瞬だけ、マーカス・フリントの方に向けた。彼はおしゃべりに夢中でこちらに気を配っているようには見えない。

 そうなると、導かれる答えはおのずと限られてくる。

 

「――どうだい、セレネ? 来る気になったかい?」

「えー、ドラコ! セレネばかり、ずるいわよ! 私は誘わないの?」

 

 パーキンソンがむっと顔を膨らませ、マルフォイに身体を密着させる。

 

「もちろん、当たり前だよ。君も誘うさ。それで、セレネはどうだい? 父上の許しもとってある」

「お父様の許しも、ですか」

「ああ、父上が君と会うのを楽しみにしているんだ」

 

 マルフォイは得意げな顔で言った。もはや、セレネが来ることが決定しているような口ぶりである。

 

「まぁ、君の家はマグルだから、迎えをよこすよ。帰りもしっかり送るし、なにも問題ない」

「そうですね……魅力的ですが、先約がありますので」

「先約?」

「ええ、そちらと日程の都合がつけば、よろこんで参加させていただきます」

 

 マルフォイの表情が固まった。

 

「別に構わないが、いったい誰とクリスマスパーティーに行く約束をしたんだ? ノットやグリーングラスかな? それだったら、二人も一緒に――」

「違います」

「違う? ……もしかして、ポッターか? それとも、あの汚らわしいグレンジャー?」

 

 マルフォイの固まっていた表情が、奇妙に歪み始めた。

 まさに、純血主義らしい反応である。セレネにとってマルフォイは、たんなる寮が一緒の同期生程度の認識でしかなく、好きでも嫌いでもどちらでもなかったが、明らかに差別主義な一面には嫌悪感を覚える。

 

「まさか」

 

 セレネは首を横に振ると、静かに立ち上がった。

 別に答える義理はない。だが――

 

「じゃあ、誰と行くんだ?」

「そんなに知りたいのでしたら、教えましょうか」

 

 一つ面白いことを思いついてしまった。我ながらに素晴らしい策である。セレネは若干口角を上げると、わざと少し嬉しそうな口調で教えた。

 

 

 

「私、ジャスティン・フィンチ・フレッチリーのクリスマスパーティーに招待されているんです」

 

 

 

 



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33話 かつてない危機

 その日の午後のことだ。

 

「ゴーント、こっちに来い」

 

 談話室に入った途端、怒りを抑えたような声が呼び止めてきた。

 セオドール・ノットだ。ノットは腕を組みながら、壁に寄りかかっていた。相当いらいらしているのか、指でリズムを刻むように腕を叩いている。

 

「どうかしましたか?」

「どうかしましたか、じゃない! お前な、穢れた血と付き合うのはやめろ」

 

 開口一番、世事は抜きで本題を切り込んできた。

 

「自分の立場、分かっているのか?」

「ええ、もちろん」

 

 セレネはそれとなく周りに視線を奔らせ、自分たちの他に人がいないことを確認する。

 

「スリザリンの継承者」

 

 セレネはそう言いながら、手近なソファーに腰を下ろした。

 自分が「本物の継承者」であることは、スリザリンでは周知の事実だ。否。半信半疑、という言葉の方がふさわしいのかもしれないが、直接尋ねてくる猛者はおらず、親衛隊に入るような熱狂的信奉者は「セレネ=継承者」だと本気で信じている。

 

「それが問題でも?」

「大ありだ、この馬鹿!」

 

 セレネが鞄から教科書をとり出そうとすると、ノットはそれを手で制した。

 

「自分の立場が分かっていながら、どうして、ハッフルパフの――しかも、よりにもよって、穢れた血とクリスマスパーティーに行く約束を口にした?」

「もちろん誘われたからですよ、他に予定が入っていませんでしたから」

 

 数日前、ジャスティンに図書室で誘われたことを思い出しながら答えた。

 

「イギリス上流階級のクリスマスパーティーなんて、この機会を逃したら一生行けそうにありませんでしたし」

「だからってな、スリザリンの末裔が穢れた血との約束を優先するなんて……」

 

 ノットの額に筋が浮かび上がった。だが、まだ怒りを抑えている。拳を硬く握りしめ、深呼吸を数回すると、低い声で忠告して来た。

 

「いまは俺が情報統制をしているから、親衛隊が離れていかないだけだ。『穢れた血』とクリスマスを過ごすほど仲が良いなんて、嘘八百だと。

 だがな、それは時間の問題だ。このままだと、早晩に崩れるぞ」

「随分と親衛隊を気にしているのですね」

「当たり前だ。オレが隊長だからな」

「意外でした。私、てっきり、いやいや隊長を務めていたのかと」

「嫌に決まってんだろ!」

 

 ついに、ノットの怒りが爆発した。

 勢いよくテーブルを叩いた。あまりに強く叩いたせいで、ガラスのテーブルに盛大な亀裂が入る。だが、そのことに彼は気づいていない。彼の目は忌々しそうに、セレネの涼し気な顔を睨み付けていた。

 

「父上の命令だ。父上の命令がなければ、お前なんかの下にはついていない! だがな!」

 

 ノットは、音を立てながらソファーに座った。

 

「お前が失墜すれば、俺まで被害を受ける。父上の名を出せばなんとかなるかもしれないが、残りの四年間、いや、卒業後も肩身の狭い思いをする羽目になるんだ。そんなの耐えられるか!」

「……私も同感ですよ」

 

 セレネは軽く腕を組んだ。

 

「親衛隊は不本意ですが、私、こう見えて負けず嫌いなんです」

 

 最初に襲いかかって来たスリザリン生を倒したあの夜から、目立ちたくないと口では言いつつも、優等生の自分に汚点をつけることは嫌で、他の誰かに負けるのは更に嫌、失墜など御免被る。セレネはローブから杖をとり出した。杖を一目見た瞬間、ノットの身体が強張るのがハッキリ分かった。

 

「そう簡単に欠点を出して、敵を喜ばせると思いますか?」

「……まさか、わざとか?」

「当たり前です」

 

 とんとんと、杖で掌を叩いた。

 

「これはすべて策ですよ」

 

 それに続けて、小さな声で作戦を口にした。話が進むにつれて、ノットは目はだんだん丸くなっていく。しまいには、口まで阿呆みたいに開けていた。

 

「おい……まさか、それ、本気で言っているのか?」

「この私が、嘘を言うと思いますか?」

 

 セレネはほくそ笑むと、杖先を亀裂に向ける。

 

「『レパロ―直れ』」

 

 杖先がなぞったところから亀裂は塞がり、瞬く間に傷はもちろん、曇り一つないガラスのテーブルに戻った。

 

「もっとも、あなたに強制はできません。賛同いただけなければ、降りてもかまいませんよ」

 

 セレネは一応、逃げ道を用意する。

 ノットはしばらく考え込むようにうつむいていたが、意を決したのだろう。大きく肩を落とすと、長い息を吐いた。

 

「……分かった。こうなれば一蓮托生だ。その策、乗ってやる」

「さすが、セオドール。物分かりがいいですね」

 

 セレネは口の端を上げた。

 だんだんと寮の入り口が騒がしくなり始める。他の生徒たちも戻ってきたのだろう。ちょうど区切りも良い。セレネは立ち上がると、ノットの肩を軽く叩いた。

 

「あとはお願いします」

「……ったく、オレに丸投げかよ」

「丸投げとはとんでもない。あなたを信頼しているからです」

「……最初は『蛇にしてやる』って脅してきたくせに」

「そうでしたっけ? 私、脅しとは無縁の優等生ですよ」

  

 わざとはぐらかすと、ノットは苦虫を潰したような表情を浮かべた。

 

「相変わらず、とんでもない優等生だな」

 

 セレネはにこやかな笑みを浮かべると、そのまま女子寮に向かった。

 方針は決まった。行く先も定まっている。あとは、前に進むだけだ。空のベッドに横たわり、そのまま窓に視線を向ける。ここからは、湖の底が見える。心を落ち着かせるような、静かで深い緑色の世界。

 

「クリスマスが待ち遠しい」

 

 セレネは笑みを浮かべ続けていた。

 クリスマスに起きるであろう出来事を想像するだけで、胸が弾み、本を読む気もうせてしまう。これほどまでに、12月を待ち焦がれたことがあっただろうか。

 水中人が大イカと戯れながら、湖を悠々自適に泳ぐ――その姿を、セレネはしばらく眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、待ち望んだクリスマス。

 セレネは服を整え、こなすことを頭に叩き込み、パーティーに乗り込んだ。

 出発前、セレネの世界最高峰――エベレストまでに昂った気分は、いまや最底辺まで落ちていた。気分はマリアナ海溝を突破し、なかば諦観の域に達している。

 到着して早々、セレネを待ち受けていたのは予想していなかった強大な敵であった。

 それはスリザリン内の派閥争いなどとは比べ物にならないくらい厄介で、ヴォルデモートより恐ろしく、ダンブルドアよりも逆らってはいけない雰囲気を醸し出している。

 

「最悪、こんなことになるなんて」

 

 セレネは廊下を足早に進みながら、悪態を吐いた。

 

 派閥争いなど、頭痛の種でしかない。

 ヴォルデモートは杖や「眼」で立ち向かえばいい。

 ダンブルドアも慎重にことを運べば、いずれ隙をつくことができる。

 

 ところが、セレネの目の前に立ち塞がる「今回の敵」は、頭痛そのものであり、物理的手段で攻撃することは不可能であり、精神的隙をつくことも短時間では困難を極める。 

 ある意味、今まで立ち向かったことのない種類の相手だ。

 だが、まだ心は折れていない。

 

「さて、どうすればいいの」

 

 セレネは迫りくる強敵から、いかにして、この場から逃げ出すかだけを考えていた。 

 ヒールで歩きにくい足を懸命に動かしながら、思考に鞭を討つ。

 しかし、いくら考えても逃げ出す術は思いつかない。

 ここは大通りに挟まれ、四方は高い塀と生垣で囲まれた要塞のような屋敷だ。少なくとも、一介の子供に過ぎないセレネ独力での脱出は困難を極めていた。

 

「誰かに助けを求めるのが一番なんだろうけど……」

 

 セレネは、まず親衛隊を思い浮かべた。「こういうときこそ、役に立て!」と思うが、生憎、彼らメンバーは誰一人としてパーティーに呼ばれていない。バジリスクのアルケミーは騒動の元になるので、ホグワーツで留守番中だ。

 唯一、助け舟を出してくれそうな義父は、仕事でここには来れない。

 杖は鞄に入っているので、最悪の事態が来たら抜くことになるだろう。だが、ここは学校外。17歳以下の子供は学校外で魔法を使うことを禁じられている。

 

「この状況、生命の危険……に匹敵すると言い張れば、魔法省も許してくれるか? いや、だけど――」

「見つけたわ、あそこよ!」

 

 廊下の角を曲がった瞬間、敵と鉢合わせてしまった。

 セレネの身体は、バジリスクに睨まれたかのように固まってしまう。

 

「さあ、セレネちゃん。観念しなさい」

 

 敵――三人の婦人が廊下を塞いでいた。

 すぐに来た道を引き返したいが、苦手なヒールに対し、相手は踵の低い靴だ。ホグワーツで鍛えた脚力があるので負けはしないだろうが、相手はこの場を熟知している。持久戦で負けるのは目に見えていた。

 よって、ここは穏便に断り、敵の戦意を喪失させ、徹底させるのが良策だろう。

 セレネは慎重に言葉を選びながら、彼女たちに話かけた。

 

「私は……観念もなにも、ただ申し訳なく思いまして……」

「申し訳ないなんて! そんなことないわよ。

 さあ、おとなしく綺麗になりましょう!」

 

 婦人はにこやかに宣言すると、いかにも高価な化粧道具を掲げた。

 

「そうそう、女の子はおめかししなくちゃ!」

「せっかくのクリスマスだもの!」

 

 彼女の後ろの婦人は、鮮やかなドレスを、その隣にいる婦人は煌びやかなアクセサリーを。

 セレネは自分の顔が引きつるのが分かった。ゆっくりと後ずさりしながら、彼女たちとの距離を取る。

 

 おしゃれをする? 冗談ではない。

 

「私はこのままで十分ですから」

 

 優等生らしく謙虚に振る舞う……というのは表向きの理由に過ぎない。

 本当は他人が勝手に自分の身体に触れ、玩具のようにあれこれ衣装を試されるのが、たまらなく嫌だからだ。己の人権も尊厳をも侵害され、まるで物のように扱われる――なんたる恥辱だろうか。セレネの身体はぞくりと震えた。

 

「そもそも、ジャスティンの誘いとはいえ、私は一般庶民に過ぎませんから」

「そんなことを言わずに、さあさあ!」

「いえ、だから、私は――」

「遠慮しないで、セレネさん」

 

 しかし、悲しきかな。

 後ろから、がっしりと腕をつかまれてしまう。

 ぎぎぎ、と音を立てながら首を後ろに回せば、そこにいたのはセレネ以上に腕が細く、身体も細い婦人だった。眩しいまでの無邪気な笑顔を浮かべ、セレネの脱走を拒む。

 

「じ、ジャスティンのお母さま?」

「せっかくのパーティーですもの。ちょっとくらい綺麗になったところで、文句は言われないわ。

 それにね――」

 

 彼女の言葉に、悪意の欠片もない。

 だが、セレネからしてみると悪魔だった。油断すれば、小さく悲鳴を上げそうになる。

 

「私、女の子を着飾らせるのが夢だったの」

 

 あれよあれよという間に近くの衣裳部屋に放り込まれ、苦痛と恥辱の時間が始まる。

 連れ込まれたら最後、抗うこともできず、うっとうしい化粧、めまぐるしく変わる衣装、触るのも恐れ多いようなアクセサリーをつけては外される。

 

 ああ、なんでパーティーの数時間前から会う約束をしてしまったのだろうか。

 せめて、パーティーが始まる数分前ならこんなことにはならなかったはずである。

 セレネが己の未熟さを悔いている間にも、婦人たちの楽し気な会話と服選びが途切れることはない。孤立無援とはまさにこのこと。脱出不可能、救援皆無、どこまでも孤独で絶望的な状況である。

 

 

「さあ、セレネちゃん。あなたはどんなドレスが似合うのかしら」

 

 それから二時間弱――セレネ・ゴーントはジャスティン・フィンチ・フレッチリ―の母親の着せ替え人形になった。

 

 

 

 

 

 



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34話 人形の夜

「セレネ、すっごくいい!」

 

 長い長い着せ替え人形の時間も終わり、ようやく再会した友は頬を赤らめていた。

 

「とっても似合っていますよ!

 いえ、セレネが到着して早々、お母さまが専属のスタイリストと連絡をとっていましたので『きっと、着飾っているんだろうな』と思っていましたが……まさか、ここまで凄くなるとは思いませんでした!」

 

 ジャスティンは最初からセレネを助ける気などなかったらしい。

 セレネは初めて彼に殺意を抱いた。 

 

「……あなたのお母さまが二時間以上、あれを着せたりこれを着せたりした挙句に選んだ衣装ですからね。似合っていないわけないと思いますよ」

 

 セレネは皮肉をこめて、やや乱雑に言った。

 ジャスティンはセレネのあからさまに不機嫌な様子に気づくと、少し罰の悪そうな表情を浮かべた。

 

「あー……ごめんなさい。お母さまは女の子を着飾るのが夢だったみたいでして……ほら、僕は男兄弟ですから」

 

 そのことは既に知っている。

 着せ替えられながら、何度となく同じ話を聞かされた。

 服など機能性重視で、みっともない程度でなければ構わない。

 無論、イギリス上流階級のパーティーということで、義父に「セレネのお母さんが来ていたパーティードレス」を出してもらい、ダフネから借りた本で軽く化粧をしたのだが、それはジャスティンの母親からしてみれば「まったく似合わない失敗作」だったらしい。

 

「……まあ、眼鏡は許して貰えましたので、それだけは良かったです」

 

 セレネはため息をつくと、ぎりぎり杖が入ったパーティーバッグを抱きしめた。

 眼鏡はとられそうになったが「視力はいいのですが、特殊な色覚異常がありまして!」と訴えれば、あっさり許してくれた。どうやら、魔法族特有の目に関する異常だと認識してくれたらしい。

 それを想えば、少しだけ掻き乱された気持ちが落ち着いた。この眼鏡を外した瞬間に広がる世界に比べれば、着せ替え人形になる程度、容易な課題である。

 

「本当にごめんなさい、母が迷惑をかけて」

「……迷惑ではありませんよ。たぶん、これほど素晴らしいドレスを着たのは生まれて初めてです」

 

 セレネはドレスの裾をつまんだ。

 迷惑でないのは嘘だが、ドレスの感想に関していえば本当だ。

 セレネは、窓ガラスに映し出された自分の姿を一瞥した。

 

 腰を結ぶ大きめなリボンとチュールが特徴的なスカートは可愛らしく、だがオフショルダーなので肩元が少し恥ずかしい。短めな黒髪も編み込まれ、優雅に結わかれていた。軽めに施された化粧は、13歳の少女を大人っぽく見せている。

 まさに、別人だ。

 化粧や衣装を馬鹿にしていたが、前言を撤回した方が良いのかもしれない。化粧や衣装一つ違うだけで、与える印象は大幅に変わってくる、と。

 ふと――シンデレラもこんな気分だったのかと感じる。灰に汚れた娘も、魔法で瞬く間に変わっていく自分に驚きを隠せなかったに違いない。

 

 

 もっとも、セレネをエスコートするのは白馬に乗った王子様などではない。たんなるホグワーツの同級生だ。セレネはジャスティンにぎこちない笑みを向けた。

 

「しっかりクリーニングに出して、返しますね」

「なにを言っているの、セレネさん」 

 

 その言葉を聞いた瞬間、身体が硬直するのを感じた。

 ジャスティンの母親である。いつのまにか、セレネの後ろで優雅に微笑んでいたのだ。

 

「その服もアクセサリーも、すべて差し上げますわ」

「で、ですが……」

「その代わり、また遊びに来てくださいね。ジャスティンも他の息子たちも、着飾り慣れていない女の子を連れてくることがないのよ」

「しかし……」

「そもそも、学校の友だちを連れてくるのが初めてなのよ」

 

 ジャスティンの母親は喜色満面で話し始めた。

 

「もちろん、どんな娘さんだろうと不安でしたわ。なにしろ、ほら、学校の友だちといえば、大きな言葉では言えないけど、魔法使いでしょ? もちろん、息子の友だちは魔法の世界出身の方ばかりで、話を聞く限り、どの方も上品だったのだけど、価値観がずれているようで……とにかく心配していたのよ。私はね、ジャスティンを政治家か学者の道を志すよう教えていたのだもの。イートン校に合格するために、生後間もないころから家庭教師を雇って……でも、『この子は、魔法の世界で生きていくのだから……』と諦めていたわ。

 だからね、あなたのような魔法の世界出身ではない娘さんを連れてくるなんて、もっと思わなかった!」

 

 その勢いはまさに、怒涛。

 口を挟むすきなど与えない。自分の話したいことだけを一方的に語る。否、語るなどという表現では生ぬるい。語り尽す、だ。

 

「どんな娘が来るか、気が気でなかったわ。家督は継がないにしても、フレッチリー家の名に恥じぬ娘でなければ許さないって思っていたの………ああ、気にしないで、セレネさん。私、セレネさんを気に入りましてよ。きっと……あら! あらっ! あそこにいるのはハリウッド俳優じゃなくって!? 大変、すぐに挨拶に行かなくては!

 それでは、セレネさん、ごゆっくり。ジャスティンは、粗相がないように」

 

 それだけ言うと、ドレスを翻し風のように走り去っていった。

 まさに、嵐のような女性だ。

 はたっと我に返れば、セレネのことなど忘れたかのように、俳優たちに黄色い歓声を上げていた。

 

「凄いお母さまですね……ジャスティン、なに笑っているのですか?」

 

 ジャスティンはくすくす笑っていた。

 

「失礼。セレネが怖がっているところ、初めて見ました」

「怖がってなどいません。少し苦手なだけです」

 

 セレネは唇を少し尖らせた。

 普段は優等生の仮面をかぶっているが、あればかりは御免被る。

 優等生らしく逆らうことなく、大人しく彼女に従えばよかったのかもしれないが、ただの人形に成り果てるのは生理的な嫌悪感がある。

 それから、あのように嵐のような女性は、セレネの人生の中で初めての出会いだった。ゆえに対処方法が分からず、流されるままに屈辱の数時間を過ごすことになってしまったのである。

 

 まだ、ヴォルデモートの方が「立ち向かおう」という意思が芽生える。できれば二度と出会いたくない人種だった。

 

「たしかに、お母さまはおしゃべりですから」

「度が超えています」

「それは、セレネがしゃべらないだけですよ。スーザンやハンナも興奮すると、あれくらいしゃべります。だから、僕とアーニーはたじたじで」

 

 話しながら歩いていると、次第に笑い声や音楽の音が大きくなってきた。

 部屋に入ると、息をのむくらい開けた空間が広がっていた。気品のあるシャンデリアなどの照明器具が白い壁を黄金に輝かせている。天井からは真紅と深緑の垂れ幕が交互にかかり、テーブルにはテレビや雑誌で眺めたことのある御馳走が並んでいた。その周囲を煌びやかな男女が細いグラスを片手に談笑している。

 

「素敵ですね」

 

 ウェイターが持ってきたグラスを手に取り、奥へと進んでいく。

 パーティー会場の中央には、首が痛くなるほど高いモミの木が飾られていた。

 クリスマスツリーは赤や金のリボンと銀の鈴で飾られ、感嘆の息を零してしまう。あまりにも美しいので、セレネはつい

 

 

「まるで、魔法みたい」

 

 と呟いてしまった。

 この世界に魔法はある。だが、あれは確かにマグルの作ったクリスマスツリーだ。魔法使い特性のツリーではない。だが、魔法に負けず劣らず素晴らしい。

 

「魔法でないってことは理解していますけど、素晴らしいですね」

「いいえ、あれは魔法ですとも」

 

 一人の老婆が近づいてきた。

 だが、彼女を老婆、と呼ぶのは申し訳ないかもしれない。

 背筋は定規でも入ったかのようにピンと伸び、白髪は上品に整えられている。皺だらけの顔も気品があり、誇り高さを感じられた。

 

「私の曽祖父が、魔法使いから譲り受けたクリスマスツリーよ。リボン一本一本に邪気払いの魔法がかけられているそうなの。本当かどうか分からないけど」

「おばあ様!」

 

 ジャスティンの背中も老婆のようにぴんっとまっすぐになった。

 

「ひさしぶりね、ジャスティン。寮制の学校に入ったとは聞いていたけど、まさか外国の学校だとは思わなかったわ。そちらは、学校のお友だち?」

「……はい、セレネ・ゴーントと申します」

 

 セレネは丁寧にお辞儀をした。

 ホグワーツは外国、ではなかったが、ジャスティンの反応を見る限り、祖母には彼が魔法使いである、ということを知らせていないらしい。

 

「……ゴーント?」

 

 ジャスティンの祖母の顔が一瞬歪んだ。セレネは首を傾げる。

 

「あの……なにか?」

「いえ、ごめんなさいね。ゴーントという名に聞き覚えがありまして」

「えっ!?」

 

 セレネは驚きのあまり、持っていたグラスを落としそうになった。

 

「どうしたのですか、セレネ?」

 

 ジャスティンが訝しそうにこちらを見てくる。

 セレネは急いで驚きを隠した。

 

「失礼しました。ゴーントという苗字は珍しいな、と感じまして。もしかしたら、親戚かもしれないので教えていただけれると嬉しいのですが」

 

 セレネは慎重に言葉を選びながら尋ねた。

 老婆はじっとセレネの目を見つめる。その眼差しはセレネの心を見透かそうとしているようだったが、ダンブルドアほどの眼力はない。セレネが真剣に見つめ返すと、老婆はややあってから口を開いた。

 

「六十年以上前の話よ」

 

 静かに前置きすると、老婆はゆっくり話し始めた。

 

「リトル・ハングルトンにね、大富豪の一家がいたの。そこの息子がとてもハンサムで、若い娘は誰もが彼に熱を上げたものよ」

「おばあ様も含めて、ですか?」

「ええそうよ。今思えば性格は少し……いいえ、かなり傲慢で礼儀がなってなくて、本当に良い人とはいえなかったけど、そこらの映画俳優よりずっとかっこよかったの。

 そんな彼がある日突然、駆け落ちしたのよ。誰もが驚いたわ。美男子だったことは確かだったし、皆熱を上げていたのは間違いないのだけれど、彼と駆け落ちしてまで一緒になりたいと思う人はいなかったし、しかも、相手は、あのメローピー・ゴーントだったのですもの。

 その知らせを聞いた瞬間、驚きのあまり紅茶のカップを落としてしまったわ」

「メローピー・ゴーント」

 

 

 セレネは名前を反芻した。

 「生粋の貴族―魔法族家系図」に「ゴーント家 最後の末裔」として記されていた名前だ。

 

「とても美しい人だったのですね」

「いいえ、そんなことはなかったわ!」

 

 ジャスティンが尋ねると、老婆は少し怒ったような口調で言った。

 

「青白くて、髪に艶がなくて……おまけに、家は村はずれの草むらの中。扉の入り口には蛇の死骸が打ち付けられているのよ。父親は犯罪者で監獄に入れられてるらしくて……。もちろん、結婚生活は長く続かなかったわ。半年後、彼女を連れず、たった一人で村に現れたの。『騙された』と言いながら。

 ……まさか、あなたは彼女の親戚、かしら?」

「いいえ、知りません」

 

 セレネは断言した。

 十中八九、メローピー・ゴーントはヴォルデモートの母親であり、富豪の息子が父親だろう。

 大方、メローピーが魔法で富豪の心を操ったが、なにかしらの理由で魔法が解けて、富豪は逃げていったといったところだろうか。その後、メローピーはヴォルデモートを産んだ。

 

「私の家はロンドンですし、リトル・ハングルトンという村の名前は初めて聞きました」

「そうよね、あなたはメローピーともトムとも似ていないもの。

 不快な思いをさせて、ごめんなさいね」

「いいえ、そのようなことはありません。お話しいただき、ありがとうございます」

 

 セレネがにこやかに答えると、老婆はほっと安心したように息を吐いた。

 

 リトル・ハングルトン。

 セレネは村の名前を心の片隅に止めた。

 

「ミセス! ああ、ここにいらしたのですか!」

 

 燕尾服の男性が声を上げて近づいてきた。

 その声を合図に、初老の男性が老婆の周りに集まってくる。そのなかの数名には、マグルの新聞で見覚えがあった。閣僚や有名企業の社長だ。きっと、セレネが知らないだけで、他の男たちも似たような立場にちがいない。

 ジャスティンは去りたそうにしていたが、セレネはあえて彼女の隣に立っていた。

 

「まあまあ、お久しぶりですわ。大臣になられたんですって?」

「おかげさまでなんとかやっていますわい」

「ミセスも御元気そうで何より。……おや、こちらの御二方は?」

 

 話を振られ、ジャスティンの身体がびくりと一瞬跳ねたのを感じた。

 

「私の孫とその友人ですの」

「はい、ジャスティン・フィンチ・フレッチリーと申します」

「セレネ・ゴーントです。よろしくお願いします」

 

 ジャスティンは背筋を伸ばしながらも、どこかそわそわしていた。

 ちらちらこちらに視線を送ってくる。まるで「はやく別の場所に行こう」と促しているようだったが、セレネはそれに気づかないふりをした。

 

「これはこれは、聡明そうな……ベックマンです。お見知りおきを」

 

 初老の男が手を差し伸べてきた。ジャスティンが緊張気味にベックマンの手を握り返すのを待ってから、セレネもそっと手を差し出す。

 それからしばらくは、初老の男女と手を交わす時間が続いた。ときに談笑し、聞かれた問いには持っている知識を総動員して答える。

 

「……すみません、この後、予定がありまして……」

 

 最後にガリアスタの色黒い手を握り返し、別れた後――セレネはすまなそうに口を開いた。

 時刻は、すでに7時を回っている。気がつけば、1時間近くが経とうとしていた。 

 

「まぁ!? 知らなかったわ!」

 

 老婆は口に手を当て驚き、ジャスティンは酷く落ち込んだ表情を浮かべていた。

 

「ごめんなさいね、年寄りにつきあわせてしまって……本当は2人で回りたかったでしょうに」

「いいえ、そんなことありません。興味深い一時でした」

 

 セレネはドレスの裾をつまみ、軽くお辞儀をした。

 

「僕、出口まで送っていきますよ。あ、タクシーを呼んだ方がいいですか?」

「ありがとう。だけど、タクシーはいりません」

 

 セレネはジャスティンと一緒に出口へ向かう。

 セレネはやや足早に、ジャスティンは少し遅めに歩みを進めていた。

 

「時間が経つのはあっという間ですね」

 

 ジャスティンが悲しそうに口を開いた。

 

「僕、もっとセレネと一緒にいたかったです」

「私もですよ」

 

 セレネも言葉を返した。

 

「もう少しパーティーを楽しみたかったです」

「でしたら、来年もどうですか?」

 

 ジャスティンは少し焦り気味の口調で提案してきた。

 

「来年もパーティーがありますし、次は、その……もう少しのんびり……どうですか?」

「ありがとう、考えておきます。とても楽しかったです、ジャスティン。それから、お母さまにドレスの礼を伝えておいてください」

 

 セレネは丁寧に礼を口にし、最後「それでは、ホグワーツで」と言うとすぐに出口へ飛び出した。

 約束の時間が迫っている。

 ヒールが脱げそうになったが、なんとかバランスを保ちながら早足で進む。

 

 一歩路地に入ると、そこには待ち合わせ通りの人物がいた。

 否、人ではない。

 長い耳、テニスボールのような目、薄汚いシーツを貧相な身体に巻き付けた生物――屋敷しもべ妖精だ。

 

「セレネ・ゴーント様でいらっしゃいますね」

 

 しもべ妖精は甲高い声で尋ねてくる。セレネは頷き、肯定の意を示した。すると、しもべ妖精は枯れ枝のような手をこちらに差し出してきた。

 

「お待ちしていました、それではお連れ致します。お手を貸してください」

 

 冷たい手を握りしめると、セレネは腹の底から持ち上がるような浮遊感を覚えた。

 事実、足が地面から浮きあがっている。風が唸り、身体が回転した。視界の景色が、めまぐるしく世界が変わっていく。例えるなら、気分はジェットコースター。安全ベルトなしで一回転しているような感じだ。または、全自動洗濯機に叩き込まれた、という例えも悪くない。

 初めての感覚に吐き気を覚えながらも、どうにか真顔で足が地面に触れたとき、セレネは安堵の息をついた。大丈夫だと理解していても、知識と経験は結び付かないものである。

 

「つきました、ゴーント様」

 

 小綺麗な茂みが続いている。

 同じ高さで刈りそろえられた茂み、冬にもかかわらず青々と柔らかそうな芝、絶え間なく湧き出ている噴水、そして、クジャクが悠々と庭を闊歩する。

 一目見ただけで、金持ちの庭だということが分かった。

 

「さて、やってやりますか」

 

 良い子の人形の時間は終わり。ここからが勝負どころである。

 セレネは口の端を片方だけ持ち上げた。乗り込むのは、マルフォイ邸のクリスマスパーティー。

 

 

 夜はまだ、これからだ。

 

 

 



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35話 セレネのクリスマス

「こちらです」

 

 屋敷しもべ妖精は深々とお辞儀をすると、すぐに先導を始めた。

 セレネはその後ろを歩く。しもべ妖精が歩くたびに、垂れ下がった耳が跳ねるように動いていた。

 

 しもべ妖精を見たのは初めてだった。「幻の動物とその生息地」で概要を眺めたことはあったが、「大きな屋敷に仕える」ということくらいしかしらない。だから、実物を目にすると首を捻ってしまった。

 あまりにも服装がみすぼらしすぎるのだ。

 枕のカバーをくり貫いたような布だけを身に纏っている。雪がちらつく寒空の下だというのに、靴はもちろん、靴下すら履いていない。一応はシミひとつない清潔な布のようだったが、見ているこちらが寒くなってくる。

 

 「しもべ」なんて言葉では生ぬるい。これでは、まるで「屋敷奴隷妖精」だ。

 

 だから、セレネは思わず

 

「あなた、上着は持っていないのですか?」

 

 と、尋ねてしまった。

 すると、しもべ妖精はびっくりしたように跳ねた。そして、身体中を震え上がらせながら、怯えたようにこちらを見上げてくる。

 

「ミズリーはこれ以上の洋服を求めません!」

 

 しもべ妖精は金切り声のようなキーキー声で叫んだ。

 

「ミズリーは由緒正しいマルフォイ家にお仕えするしもべ妖精です! ええそうですとも、服など必要ありません!」

「ですが、とても寒そうに見えますけど」

「お嬢様はお優しい御方です。しかしながら、ミズリーたちしもべ妖精のことを分かっておいでではありません。しもべ妖精に服を与えるということは、すなわち『解雇』ということなのですから!」

 

 ミズリーと名乗る妖精は「解雇」という言葉を口にした瞬間、眩暈をしたように身体を揺らした。自分で口にすることが恐ろしくなるほど「解雇」されるのが嫌なのだろう。

 

「寒ければ、身体を温める魔法を使えばいいだけの話でございます。新しい服など滅相もございません!」

「……そうですか」

 

 

 それっきり、セレネは何も尋ねなかった。

 本人が満足しているなら、部外者が口を出すことではない。

 

 

「こちらでございます、ゴーント様」

 

 

 しばらく進むと、玄関があった。 

 セレネの倍ほどの丈がある。オーク材の玄関には意匠を凝らした彫り物が施されていた。中央にはハグリットの頭でさえ、すっぽり入りそうなくらい大きいクリスマスリースが掲げられている。

 これだけでも、ドラコ・マルフォイが「マルフォイ家のクリスマスパーティーの素晴らしさ」を自慢する理由が分かった気がした。

 

 

「ミズリーさん。案内、ありがとうございました」

「敬称など滅相もございません! また、帰宅の際にお呼びくださいませ。お送りいたします」

 

 

 ミズリーは叫ぶように言うと、玄関を開けて早く中に入るように促した。

 家の内装も贅の限りを尽くしたような素晴らしさだった。金銀輝く華やかな装いではなかったが、調度品の1つ1つが品よく収まっている。

 ホールと思われる場所に近づくにつれ、笑い声や音楽、賑やかな話し声がだんだんと大きくなってきた。

 

 

「やあ、よく来たね!」

 

 ホールに到着して早々、ドラコ・マルフォイは両手を広げながら現れた。

 彼は黒いビロードの詰襟ローブを着ている。教会の牧師のようだったが、非常に良く似合っていた。

 だがしかし、いつも引き連れている子分の姿がない。右隣には、パンジー・パーキンソン、そして左隣にはミリセント・ブルストロードが微笑んでいた。

 

 

 両手に花である。

 

 

 もっとも……悲しいことに、花たちのドレスはあまり似合っていなかった。

 ブルストロードはせっかく大人っぽくてスタイルが良いのに、子どもっぽい可愛らしさを前面に出したフリフリピンク色のドレスを着ている。身長も高いので、アンバランスであることこの上ない。

 少し小太りなパーキンソンも同じだ。フリルだらけの淡いピンク色をしたドレスは、彼女のふくよかさを強調してしまっている。

 本人たちの趣味趣向の赴くままにドレス選びをしたのだと思うが、指摘した方がいいか?と考えてしまう。

 

 

「お招きありがとう、マルフォイ」 

「待ちくたびれたよ、セレネ。この僕が直々に、由緒正しい魔法族のパーティーを案内してあげよう」

「んまぁ、ドラコ。ひどいわ。私という者がありながら」

「そうよそうよ。私たちも案内しなさいよ!」

 

 

 マルフォイは少女二人に腕を絡めとられ、まんざらでもない笑みを浮かべていた。

 セレネはパーティーに集った参列者に、ざっと目を通す。ほとんどが大人の魔法使いだ。男性陣はコスプレのようなローブを身に纏い、女性陣は華やかなドレスローブを纏って談笑している。

 おそらく、ホグワーツ在籍児はセレネたちだけだった。

 

「あなたが招待したのは、私たちだけですか?」

「もちろんそうさ。父上の許しを貰ってね」

 

 マルフォイは、どうだとばかりに胸を張る。

 完全に私的なパーティーのようだ。パーティーに誘ってきたときの様子から「私的なもの」だと予想を立ててはいたが、本当にスリザリン派閥争いも関係ないものだったらしい。

 

 

「すばらしいだろ、セレネ。マグルのパーティーと比べてどうだい?」

 

 

 マルフォイは鼻を鳴らした。

 なるほど、確かに悪くはない。

 天井と壁はエメラルドグリーンと紅色の垂れ幕で優美に覆われている。天井の中央には花が咲いたようなシャンデリアが下がり、中には本物の妖精がそれぞれ金の粉をまぶしながら羽ばたいている。天井を貫きそうなほど巨大なツリーにかけられた銀のオーナメントの中にも、1匹ずつ妖精が入っていた。煌びやかな光を放ちながら、ぱたぱた飛び回っている様子は幻想的だ。

 招待客の合間を縫うように、銀のお盆が歩いている。否、訂正しよう。銀のお盆を頭に乗せたしもべ妖精が歩いている。先ほどのミズリーと似たような服装をした妖精たちが、静かに料理やジュースを運んでいた。

 

 

「魔法界のパーティーもすばらしいですね。まさか、妖精が見られるとは思っていませんでした」

「そうだろう、そうだろう」

 

 

 マルフォイはすっかり気分を良くしたようだ。しもべ妖精から白く泡立っている飲み物を受け取ると、上品そうに飲み干した。

 

 

「それにしても、セレネ。君の衣装はどこで手に入れたんだ?」

「そういえば、かなりいいドレスだけどマダム・マルキンのところ? それとも、トウィルフィット・アンド・タッティングの新作?」

「もしかして、グラドラグス魔法ファッション店? あんたはホグズミードに行けないのに、どうやって採寸したの?」

 

 

 マルフォイの問いに対し、パーキンソンやブルストロードも被せて質問をしてくる。特に、パーキンソンやブルストロードは興味津々といった様子でドレスを見つめていた。

 最初は「マグルの品なんて~」とからかうつもりかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 

 

「ブルストロードたちもこのドレスが気になるのですか?」

「ええ。だって、あんたに似合ってるんだもの。あたしに似合わない道理がないじゃない」

「眼鏡をとれば、もっと似合うのに。ゴーントって本当にお洒落のなんたるかが分かってないわね。ミリセントはどう思う?」

「ねー、パンジーもそう思うわよね。せっかくの可愛いドレスが眼鏡のせいで台無し。そのドレス、私が着たら、もっと着こなせるわ。というか、本当にどこのブランドなの?」

「隠さずにすべて白状しなさい」

 

 パーキンソンたちは代わる代わるに言いながら、こちらに詰め寄って来た。

 ご覧の通り、かなりドレスにご執心だ。

 

 

「そんなに気になります?」

「ええ、次のパーティーには絶対にそのドレスを着ていくわ」

「だから教えなさい。さあ、さあ!!」

「……実は私、よく知りません。これは、貰い物なのです」

 

 

 セレネはドレスの裾を軽く持ち上げ、にこりと微笑んだ。

 

 

「フレッチリーのお母さまが見立ててくださったので、マグルの品ということは分かりますけど」

 

 

 それを聞くと、パーキンソンとブルストロードは目を見開いた。パーティーということを忘れてしまったかのように、口をあんぐり開けて凝視してくる。

 

「それから……」

 

 せっかくの機会だ。セレネは放心状態の2人に近づくと、こっそり耳元で囁いた。

 

「もっと、よく見られたいのでしたら、ドレスを考えるべきかと。

 良いドレスなのでしょうけど、もう少し自分に合ったものを選ぶべきだと思います。

 たとえば、ブルストロードはシックなドレスを格好良く着れば、大人の魅力が出ると思います。パーキンソンはもう少しピンク系ではなく暗色にした方が見栄えが良いですよ。フリルも少なめにした方が、よりすらっと見えるかと」

「あ、あんた。どこでそんな知識を……」

 

 パーキンソンがようやく声を絞り出す。

 セレネは微笑んだまま

 

「知識はいくらあっても悪い物ではありませんよ」

 

 と言った。

 本からの知識ではなく、ダフネ・グリーングラスとの雑談で得た知識だ。半分聞き流していたが、まさかここで役に立つとは思わなかった。

 パーキンソンはしばらく顔面蒼白だったが、徐々に顔に赤みが戻って来た。赤みなんてレベルを通り越して、真っ赤である。耳まで茹で上がったように赤く染め、セレネを睨み付けていた。

 

「ぱ、パンジー?」

「ドラコ、ごめんなさい。ちょっと席外すわ」

 

 パーキンソンは放心状態のブルストロードを連れて、人ごみの中へと去って行った。

 

「……ちょっと言い過ぎてしまいましたか」

「君は2人に何を言ったんだ!?」

「いえ、ちょっとしたアドバイスを」

 

 

 もっとも、こうなることは想定のうちだ。

 むしろ、2人に席を外してもらうために指摘した助言である。

 

「マルフォイはどう思いました? マグルの品とは思わなかったでしょ?」

「ふ、ふん。こっちの店の方がずっと良い品もある。別にどうってことないね」

 

 

 マルフォイはぷぃっと顔を背けた。

 

「セレネは『穢れた血』やマグル贔屓過ぎる。スリザリンの恥だぞ」 

「あら、本当に恥でしょうか? 私、別に純血主義が悪いと言っているわけではないですけど」

 

 セレネが驚いたように手で口を覆えば、マルフォイも不思議そうに瞬きをした。

 

「血を大事にすることは、別に悪いことではないと思いますけど」

「でも、セレネはマグルのドレスを着るし、今日だって『穢れた血』の誘いに乗ったんだろ? 僕より先に!」

「前にも言ったと思いますが、そちらの方が先約だったからです」

「だけど!」

「マルフォイ。純血主義を掲げたヴォル――例のあの人は、どうして負けたのだと思いますか?」

 

 グラスのジュースを回しながら、静かに問いかける。

 マルフォイは突然の問いかけに片方の眉を上げると、少し憎々しい声で答えた。

 

 

「それは……ハリー・ポッターの力が強力だったからか?」

「たしかに、それも一理あるでしょう」

 

 

 ヴォルデモートは確かに強力だ。

 あの日記に封じられていた16歳のトム・リドルですら、策を講じなければ勝てなかった。もし、リドルと正面から魔法勝負をしていたら勝てたかどうかも危うい。バジリスクの加勢があったとしても、勝利は難しいだろう。

 

 16歳の時点で強敵なのだ。それが完全に力をつけた全盛期なら、どれほど強力な魔法使いが挑んでも勝てなかった理由が分かる気がする。

 それに打ち勝った「生き残った男の子」は、ヴォルデモート以上に強力な力を秘めている――と考えても不思議ではない。

 

 

「ですが、それだけではないと思います」

「それだけではない? どういうことだ?」

「つまり今の風潮にあっていなかった、それだけです」

「ふう、ちょう?」

 

 マルフォイは首を傾げる。

 セレネはジュースを一口飲むと、静かに語った。

 

「中世であれば、なるほど。たしかに、あの人は魔法界の頂点に君臨できたでしょう。魔女狩りで親兄弟、子どもを亡くしたばかりであれば、例のあの人が掲げる純血主義に流れるのは道理です。

 ですが、現在はどうでしょうか?」

 

 現在、中世に流行った魔女狩りは行われていない。

 むしろ、マグル界で魔法はファンタジーのものだと割り切られている。いまだイギリスでは迷信が根強く残っているが、都会に出るとそれも薄くなってきている。

 

 つまり、マグルにとって魔法使いとは「そもそも存在しないもの」なのだ。 

 魔法使いはマグルの脅威ではなく攻撃対象になりえない。

 

 

 少なくとも、いまは。

 

 

「現在はマグル生まれも多く、混血魔法使いも多い。マグルに対する危機感も拒絶感も薄い。そのような者たちが純血主義に流れる比率は少なく、例のあの人の信奉者になる率も少なかったと聞きます」

「それはそうだけど……」 

「二つ目の質問です。現在の魔法世界のトップは、誰でしょうか」

 

 魔法省大臣?いや、違う。

 行政での頂点かもしれないが、実際に最も影響力の強い魔法使いは彼ではない。

 

「……ダンブルドア、か?」

「ええ。アルバス・ダンブルドア。

 マグルやマグル生まれ、混血を差別せず、平等に接する賢人。そんな彼がトップに立っていて、それを多くの魔法使いが容認しています。つまり、それが世論です。この世論で再び純血主義の『例のあの人』が現れたら……間違いなく、あの人は敵側」

 

 

 セレネは、ジュースの最後の一滴を飲み干す。

 

 

「あの人が掲げる純血主義も敵側になり、攻撃されるでしょうね」

「そ、そんなもの無視すればいいだろ」

 

 マルフォイは怒ったように言った。

 

「あの人の味方になる、ならないはともかく! 純血主義が正しいのは当然なんだ!

 それに、あの老いぼれダンブルドアの考えがいつまでも正しいって皆が思うとは限らない」

「ええ、確かにそうかもしれませんね。時を待つ。それも一つの手かもしれません」

 

 ですが――、とセレネは言葉を続けた。

 

「ダンブルドアなら、ぬかりなく後継者を選び出します」

 

 いくら偉大で絶大な力を持つダンブルドアにも寿命がある。彼なら寿命が来る前に、自分の影響力を他の誰かに受け渡すと考えても不思議ではない。それも、似たような考えを持つ者に。

 それが、ハリー・ポッターなのか。はたまた、セレネの知らない誰かなのかは分からないが。

 

「純血主義が肩身の狭い思いをする世の中は、このままではいつまでも変わらないでしょう。あの人が復活しても、ダンブルドアが死んでからも」

「……」

「現在の風潮は、マグルを迫害せずに、マグル生まれを受け入れていこうというもの。

 むしろ、マグル生まれが大多数を占める現在、ヴォルデモートの考え方は少数派です。……純血主義も」

 

 セレネは空になったグラスを回す。

 グラスは妖精の黄金の光を浴びて、きらきらと輝いていた。

 

「血を尊ぶのは否定しません。むしろ、血を誇りに思うことは素晴らしいと思います。そこは、羨ましいです」

 

 

 ゴーントの血は、面倒ごとを背負い込んでくる。

 セレネは自分の血を胸を張って誇ることができなかった。偉大なるサラザール・スリザリンの末裔だが、「だからなんだ?」と思うだけで、むしろ、大量殺人犯 クレイジー・サイコパスなヴォルデモートと血縁関係があると考えると虫唾が奔る。

 だから、マルフォイのように誇りを持って「純血主義」を語ることができるのは素晴らしく、少し羨ましく思っていた。

 

 

「マルフォイ。マグルの中にも素晴らしい技術者がいます。混血の魔法使いやマグル生まれの魔法使いの中にも。仲良く交われとは言いませんが、最低限の付き合いはしていくべきだと考えますよ。

 純血主義も寛容さを取り入れるべきだと」

 

 

 ちょうど、しもべ妖精が見計らったかのように通りかかる。セレネはグラスを妖精に渡すと、口の端を上げた。

 

 

「パーティー、楽しかったです。それでは、ホグワーツで。もう少し話が聞きたければ、そのときに」

 

 

 セレネは考え込むマルフォイに向かって一方的に別れを切り出すと、そのまま出口へと向かおうとする。

 すると、三歩と進まないうちに、銀色の長髪を優雅に流した男性がセレネの進路に立ちふさがった。

 

「マルフォイのお父様ですね。本日はお招きいただきありがとうございました」

「……息子とはずいぶんと楽しそうな会話をしていたようだな」

 

 どうやら、彼はマルフォイとの会話に耳を立てていたらしい。

 

「あのお方に似ていると思ったが、違うところもあるようだ」

「……それは、あの人のことですか?」

「さあ。……今後とも息子と仲良く頼む」

「ええ、私も仲良くお付き合いしたいと考えています」

 

 

 二人は互いに微笑を浮かべ、それぞれ進むべき方へと去っていく。

 セレネはマルフォイ氏が笑顔の下で何を考えていたのか――思いを馳せるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、いうのが私のクリスマスね」

 

 

 スリザリン寮の談話室。

 セレネはお気に入りのソファーに座ると、前に座る不機嫌な男子児童に話した。

 

「有意義なパーティーだったわ。これでマルフォイの純血主義が少し寛容になって、フリント卒業後も友好的な関係が築けるといいのだけど」

「お前なぁ……」

 

 

 不機嫌な男子児童ことセオドール・ノットは疲れたように頭を抱えた。

 

 

「まあ、そんなに上手くいかないでしょうね。もう少し、マグルの技術力を見せつける工夫をした方が良かったかしら? いずれにしろあと、1つ2つ策を弄さないと……ノット?」

 

 

 セレネは軽く首を傾げた。ノットの不機嫌度が明らかに上がっている。なにか問題のあることを言っただろうか、と考え込んでいると、ノットはこちらを睨み付けてきた。

 

 

 

「クリスマスだったんだよな? マグルにしろマルフォイにしろ、さぞ立派なクリスマスパーティーだったんだろ?」

「そうね。立派だったわ」

「はぁ……それなら……」

 

 

 ノットはため息をつくと、呆れ果てた声色で嘆くのだった。

 

 

「お前さ、もう少し純粋にパーティーを楽しめよ」

 

 

 

 

 



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36話 もしもの話

 

 クリスマス休暇が終われば、また日常が始まる。

 

 教科書が詰まった重たい鞄を提げ、教室から教室へと移動する日々。その合間を縫って図書室や大広間へと足を運ぶ。

 だが、その日常に変化が訪れていた。

 

 

「もう、セレネ。あんたさ、もう少し髪をしっかり梳かしなさいよ」

 

 

 朝食をとるため大広間へ向かう途中、1人の少女が少し怒ったような口調で櫛を手渡してきた。

 セレネはその櫛を受け取ると、小さく息を吐いた。

 

 

「寝癖は直っていますし、これでも問題ないのでは?」

「日々のブラッシングが大切なのよ。あんたはさ、素材がいいんだから気を配りなさい」

 

 

 少女――ミリセント・ブルストロードは腰に手を当てながら、むすっと言い返した。

 

 

 クリスマスの日にドレスに対して意見をしてから、彼女との距離が変わった。

 具体的に言えば、クリスマス休暇が終わった初日の出来事。

 彼女は朝食もそこそこに、ハッフルパフのテーブルへ赴き、ジャスティンに

 

 

『セレネ・ゴーントのドレスは、どこのブランドなの?』

 

 

 と尋ねたのである。

 訂正。尋ねたというよりも、あれは脅迫に近かった。ブルストロードは狼人間も逃げ出すような不機嫌極まるオーラを纏い、苦虫を噛みつぶしたような顔でジャスティンに迫っていた。これには、ジャスティンは肝を冷やしたのだろう。彼は半分泣きそうな顔になりながら教えていた。教える口調は微かに震えていたのは、きっと悪くない。

 

 

『勘違いしないで。あたしは素敵なドレスが欲しいだけ。たまたまマグルが、それを作っていたってだけよ』

 

 

 ブルストロードはそう言いながら、スリザリンのテーブルへ戻って来た。

 

 

『見てなさい、ゴーント。次にパーティーがあったら、あんたを絶対に招待するから。美しく着飾ったあたしを見て、後悔しても遅いんだからね』

 

 

 なにを後悔するのだか、とセレネは思ったが、彼女が嬉しそうなので放っておくことにした。

 

 それ以後、なにかある度に構ってくる。

 主に身だしなみ関係で口を出してくるのだ。

 

 

「まったく。いいこと、セレネ。あんたは、あたしの服装にケチをつけたのよ? ということは、あたしより身だしなみがなってないってことは許されないの」

「そういうものでしょうか?」

「そういうものなの! それに、女ってのは綺麗にしてなんぼのものよ。ねぇ、ダフネもそう思うわよね?」

「まぁ……たしかに、綺麗にした方がいいってことは否定できないかな」

 

 

 ブルストロードの問いかけに、ダフネは曖昧に笑った。

 

 

「でも意外。ミリセントってマグルのことを毛嫌いしていなかった?」

「あら失礼ね。あたしはマグルは嫌いよ。ただ、素晴らしいドレスを作る職人だけは別。セレネの言葉を借りるなら『有能な者であれば、マグルも登用する』よ。マグルには、とびっきり素敵なドレスを作らせるの。それを、あたしがマグルより着こなせば何も問題は起きないわ」

 

 

 ブルストロードは胸を張りながら答えた。

 このように、彼女の純血主義は少し寛容的になった。派閥もフリント側からセレネ側へと移り、大広間や授業の移動時間はセレネ・ダフネ・ブルストロードの三人で行動することが増えた。

 

 

 

 結果良ければすべてよし。

 

 

 ミリセント・ブルストロードは代々純血の一族のみ名を連ねることが許される「聖28族」の末裔だ。生粋の家系が派閥に入ったこともあり、危惧されていた派閥の離散は解消された。しかも、彼女がマグルの有用性を認めている。おかげで、親衛隊の中でマグルを悪く言う生徒は減少し、少なくとも自分にとって有効であるかどうかを確かめるようになった。

 

 彼女が派閥に加入したおかげで、良いことづくめである。

 

 

 しかし、そう簡単に物事はうまくいかない。

 パンジー・パーキンソンとの距離感はさらに広がったように感じるし、ドラコ・マルフォイの純血至上主義が崩れるわけがない。相変わらず、純血仲間ばかりと固まり、ハーマイオニーのことを邪険にしている。

 

 別にそれでもかまわない。

 最悪、蒔いたタネが芽吹かなければ別の策を考えればいいだけだ。

 

 

 

「まったく、本当にホグワーツにはいい男がいないわね」

 

 

 ブルストロードは、嘆くように空を見上げた。

 

 

 

「あたしに声をかける男子が一人もいないなんて。ダフネはどう? いい男がホグワーツにいると思う?」

「うーん……ハッフルパフのセドリック・ディゴリーやレイブンクローのロジャー・デイビースとかかな? かっこいいと思うよ」

「……たしかに、そこはいい男ね。でも、あたしから声をかけるには勇気がいるかも……セレネはいい男知ってる?」

「いい男ですか?」

 

 

 セレネは軽く腕を組んだ。

 そんなこと、いままで一度も考えたことがなかった。数人の顔が浮かんだが、誰も彼も何かしらの欠陥を抱えている。セレネが知っている中で一番のいい男は、ジャスティンだ。気配りができるし、なにより話しやすい。顔だってそこまで悪くなく、それなりの金持ちである。しかしながら、彼女が少しばかりマグルに対して寛容になったとはいえ、ここでマグル生まれを推薦するのは時期早々な気がした。

 セレネは口元に手を添えると、少し考えてから口を開いた。

 

 

 

「セオドール・ノットはどうでしょう? とても使い勝手のいい男ですよ」

「あのね、それを言うなら、あんたの『手下』でしょ? いい男の範疇に入らないわ」

「それでは……ネビル・ロングボトムはどうでしょう? 代々魔法使いの家系ですし、性格も悪くありません」

「駄目よ、まるっきり駄目だわ。スマートさが足りないの」

 

 

 ブルストロードは、呆れ果てたように首を横に振った。

 

 

「もう、セレネってばお子様ね。恋愛の基礎基本が分かっていないわー。こればかりは、私の方が勝ってるかも」

「……なんですって?」

 

 

 セレネは、鼻高々のミリセントに詰め寄った。

 

 

「もう一度、言ってみてください。なにが、私より勝ってると?」

「恋愛スキルよ。セレネは平均点以下ね」

「……平均点以下とは、ずいぶん言いますね」

 

 

 セレネの本心で言えば、恋愛なんてくだらない。

 正直、興味の欠片もないものだが、ブルストロードに負けるのは癪に障った。

 誰かに負けること自体、虫唾が奔るのに、同級生の女子に負けるのは問題外だ。たとえ、それがくだらない恋愛スキルであっても……

 

 

「ブルストロードも人のことは言えないのでは? 恋愛スキルとやらが高いのであれば、すでに彼氏の一人二人いてもおかしくないと思いますが」

「うぐっ……せ、セレネだっていないじゃない」

「私は……いないのではなくて、作らないだけです」

「あたしだってそうよ!……わかったわ! 勝負よ」

 

 

 ブルストロードはびしっとセレネの鼻に指を突き付けてきた。

 

 

「私たちのうち誰かが、来年のバレンタインまでに彼氏を作ること! 勝った方が負けた方になんでも1つ言うことを聞かせられるっていうのはどう?」

「面白いですね、受けて立ちましょう」

 

 

 セレネは不敵な笑みを浮かべた。

 ブルストロードが「今年のバレンタイン」ではなく、わざわざ「来年のバレンタイン」を指定したということは、それまでに彼氏ができる自信がなかったと推察される。

 この時点で勝ったも同然だ。あとは勉学と賢者の石研究に励みながら、その片手間に彼氏探しをすればいいだけである。

 

 

「あんたが負けたら楽しみね。ふふふ、継承者さんになにをしようかしら」

「もしもでもありえませんよ。私も楽しみにしていますね。あなたに何をしてもらおうか、考えておかないと」

 

 

 セレネが微笑んでいると、ダフネはどこか困ったような顔で話しかけてきた。

 

 

「あのさ……二人ともに質問なんだけど、引き分けの時はどうするの?」

「「そんなことありえない」」

 

 

 セレネの声とブルストロードの声がぴったりと重なった。

 それとほぼ同時に、大広間から飛び出してきた影に気付いた。ネビル・ロングボトムだ。寸でのところで躱したので、激突は避けられたが、謝る余裕もないらしい。赤い封筒を引っつかみながら、転げるように走り去っていく。気のせいだったのだろうか。赤い封筒からは、黒い煙が噴き出していたように見えた。

 

 

「いまの封筒って……」

「吼えメールよ、きっと」

 

 

 ダフネが疑問に答えてくれると、ほぼ同時に玄関ホールの方から爆発音が聞こえてきた。ネビルの祖母だと思われる声が魔法で百倍にも拡大され、

 

 

「なんたる恥さらし! 一族の恥!!」

 

 

 とガミガミ怒鳴っていた。

 

 

 一体、ネビルが何をしてしまったのか。

 

 この疑問に答えてくれたのは、ハーマイオニーだった。

 古代ルーン文字学の授業で、久しぶりに彼女とゆっくり話す時間が取れたのである。この授業をスリザリン生で受講しているのは、セレネの他、ノットとブレーズ・ザビニしかいない。ノットはザビニと一緒に行動しているので、他の授業よりも彼女と話しやすい時間だった。

 

 

「グリフィンドールの寮にシリウス・ブラックが侵入したことは知ってるでしょ?」

「それは知ってます。なんでも、ブラックにロン・ウィーズリーが襲われかけたとか」

 

 

 つい2日ほど前、深夜にブラックが侵入したと騒ぎになったのだ。

 グリフィンドールの寮がブラックに襲われるのは、これで2回目である。

 大方、狙いはハリー・ポッターで、今回もロン・ウィーズリーを彼と間違えたのだろうが――

 

 

「……それと、ネビル・ロングボトムがどう関係しているのですか?」

「うん、実はネビルが書き溜めていた『今週分の合言葉』をブラックが盗んでいたらしくて……」

「それを見て、侵入したと」

「そうなのよ……ネビル、可哀そう。今のグリフィンドールの合言葉って、すぐに覚えにくい言葉に変わっちゃうから書き溜めておいていたのに」

「ですが……妙ですね」

「妙? ネビルが?」

「いえ、ブラックが」

 

 

 大量殺人鬼のシリウス・ブラック。

 ヴォルデモートの腹心であり、人殺しに快楽を覚える変態が、ロン・ウィーズリーを殺せなかったのか。杖も持たずに眠りこけている相手など、たとえ目を覚まされたとしても対処できそうなものである。ましては、周りにいるのは訓練を2,3年しか受けておらず、そのうちの2年間はロクな『闇の魔術に対する防衛術』を習っていない素人魔法使いときたものだ。

 この状況で、逃走する意味が分からない。

 

 

「逃走するとなると、また潜伏しないといけませんし……警備は厳重になります。再度の侵入は困難です。となると、どうして彼は逃げたのでしょうか。確実にホグワーツに戻ってこれるという算段があったのか、それとも……」

 

 

 セレネは口元に指を当てて考え込んだ。

 シリウス・ブラックは恐らく『動物もどき』だ。だから容易に人の目をくらますことができる。このことを先生方に話した方が良いだろうか。しかし、話すとなると事情を最初から説明しなければならない。具体的に言えば、『秘密の部屋』のバジリスクがまだ生きていて、ペットにしている辺りから。

 

 

「あのね……セレネ、一つ相談があるの」

 

 

 ハーマイオニーが少し悩んだような顔で尋ねてきた。

 

 

 

「もしよ、もしだけど、この城の内部が分かる地図があったら……一人一人の動きから、ホグズミードにつながる秘密の抜け穴まで書き込まれている魔法の地図が、もし手に入ったら……どうする?」

「それはもちろん!」

 

 

 「自分で使う」と言いかけ、慌てて口を瞑んだ。

 これは、あまりにも優等生からかけ離れた発言である。すべての人の動きが把握できるなら、面倒ごとに巻き込まれるリスクを減らせる。こっそりホグワーツを抜け出し、新しい錬金術関係の書籍やバタービールを買うことも可能だ。

 だが、これらの行為は規則を破ることにも繋がる。優等生なら絶対にしない。

 セレネは自分を落ち着かせるように深呼吸をした。

 

 

「もちろん、寮監に報告します。シリウス・ブラックが近辺に潜伏している以上、安全面から考えても渡すべきかと」

「そう……よね。そうよね、やっぱりそうなのよね」

「……まさか、そのような地図を持っているのですか?」

「私は持っていないわ!」

「……私は、ですか」

 

 

 セレネは目を伏せた。

 私は、ということは、ハーマイオニー以外の誰かが地図を持っている。

 

 

「まぁ、最近……ホグズミードへ行く許可が出ている日に、ハリー・ポッターを見かけないので、どうしてなのかと思いましたが……その地図と関係があるのでしょうか?」

「ま、まさか。そんなことありえないわ」

 

 

 ハーマイオニーの目は泳いでいた。

 図星である。

 実に羨ましい話ではある。セレネは小さく息を吐いた。

 

 

「こんな時に城を抜け出すなんて、暢気なものですね」

 

 

 セレネは荷をまとめながら、ふと――ハーマイオニーの顔色に気がついた。

 

 

「そんなことよりも、あなたの目の下にくまができています。ほどほどに睡眠はとった方がいいですよ?」

「ありがとう、セレネ。でも、大丈夫よ」

 

 

 そう言いながら微笑む彼女だったが、はちきれんばかりの鞄を見る限り、大丈夫とは言い難かった。

 今日の古代ルーン文字学でも山のような宿題が出された。他の授業でも同じである。セレネでさえ、9科目しか受講していないのに、彼女はそれを上回る12科目も履修しているのだ。セレネとは異なり、マグルの勉強や錬金術の研究をしていないとはいえ、多過ぎである。そのうち、いくつかの授業が被っているとなれば、欠席した分の補習を自分でやらなければならず、試験にも響いてしまう。

 しかも、彼女の鞄の間からは『ヒッポグリフ裁判記録』『魔法生物に関する飼育条例』といった本が顔をのぞかせていた。

 

 これは、本気で自分より追い込まれた状況である。

 

 

「倒れてからでは遅いですよ。ハリーたちも心配します」

「……そうだといいんだけど。いま、ちょっと喧嘩中なの」

「喧嘩?」

「実はスキャバーズ……ロンの飼っているネズミを、私の猫が食べたんじゃないかって」

 

 

 ハーマイオニーは肩を落とすと、喧嘩の経緯を話してくれた。

 ウィーズリーのネズミがいなくなり、彼のベットの上には血とオレンジ色の猫の毛が残されていたのだという。

 

 

「……猫がネズミを襲うのは当たり前ですし、スキャバーズでしたっけ? それは檻にいれていなかったのですか?」

「入れてないわ。放し飼い」

「では、ハーマイオニーが文句を言われる筋合いはありませんよね」

 

 

 セレネはきっぱりと言い切った。これは、完全にウィーズリーの飼育ミスである。

 

 

「気に病むことはありません。管理不足による自業自得です」

「ありがとう、セレネ」

 

 

 ハーマイオニーは疲れたように笑った。

 

 

「それにしても、スキャバーズでしたっけ? それって、たしか……」

 

 

 セレネは一度だけ、スキャバーズと思われるネズミを見たことがあった。

 1年時のホグワーツ特急で、ネズミがゴイルの指に噛みついたところを目撃したのである。指が一本ないネズミであった。それなりに太っており、猫からしたら食べ応えがあるネズミであったことだろう。

 

 

「しかし、シーツの上に血ですか……」

 

 

 セレネの頭の中にモヤモヤが広がっていく。

 

 

「べっとりとついていたのですか?」

「いいえ、数滴。最初、ロンが鼻血でも垂らしたのかと思ったわ」

「……それって、本当に……」

「セレネ?」

「いいえ、なんでもありません」

 

 

 

 血があったのだから、そのネズミは死んだのだろう。

 しかし、どうしてこうも気になってしまうのか。

 

 

 たかが、飼い猫がネズミを食べたというだけの話なのに。

 

 もしも、生きていたとしても――特に変わったことなど起きないのに。

 

 

 

 



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37話 予言

 

 もやもやした疑念を抱えたまま、季節が過ぎていく。

 

 

 これといって、セレネの身の回りに特別な変化はない。しいてあげるなら、マルフォイがホグズミード村から逃げるように帰ってきて「ポッターの生首を見た!」と馬鹿げた与太話をするなどの騒動はあった。だが、それ以外に他に特別変わったことはなかった。

 

 

 セレネの日常は変わらない。 

 シリウス・ブラックが継承者を狙う行動に出ることもなく、安心して過ごすことができている。勉強も順調で、期末試験も問題なくクリアできそうだ。賢者の石や錬金術関係の解析が一向にはかどらないことだけが、セレネの悩みの種であった。

 

「……やっぱり、別の方法を探った方がいいかな」

 

 セレネは小さく呟いた。

 賢者の石の解析は手詰まり。他の死の攻略方法を模索した方が早い気がしてきた。 

 そもそも、ヴォルデモートは亡霊のような状態に成り果てても生きている。あのような姿になってまで生きながらえたくはないが、彼が見出した不死の方法について探るのも一つの手かもしれない。

 

「別の方法ってなに?」

 

 セレネが嘆息を突くと、ダフネ・グリーングラスが覗き込んできた。

 

「いいえ、独り言です」

 

 セレネは短く答えた。ダフネも少し気になる表情を浮かべているが、その隣を歩くミリセント・ブルストロードも意外そうな顔をしている。

 

「ふーん、あんたにも悩みごとがあるんだ」

「私にだって、悩みごとの一つや二つありますよ」

「まぁ、悩みごとなんて今は忘れましょうよ! なにしろ、あたしたちは勉強から解放されているのだから!」

 

 

 ブルストロードは、セレネの背中をとんっと叩いた。

 彼女の言う通り、今日は期末試験の最終日だ。

 3年生で「占い学」と「マグル学」を受講している生徒は試験をしている時間帯だが、それ以外の試験はすべて終わっている。試験が終わっているということは、あとは自由時間。試験結果が発表されるまで、なにをしても文句を言われない素晴らしい期間が始まるのだ。

 

「そうですか? テストの復習をした方が良いのでは?

 私、魔法史の『中世の魔女狩り』に関する説明文、書き漏れがあった気がしてならないの」

「セレネ、もう忘れようよ。終わったことなんだからさ」

「そうそう! もうぱーっと忘れてのんびりしましょう。セレネはくだらない見直し以外は暇でしょ? ちょっと付き合いなさいよ」

「くだらないとは、あんまりですよ」

 

 セレネが抗議をしようと、ブルストロードの方へ顔を向ける。しかしそのとき、セレネは前から走ってくる生徒に気がつかなかった。危ないと思ったときには、もう時すでに遅し。お互いの肩同士がぶつかってしまった。

 

「痛っ」

「すみません、って……セレネ!」

 

 ぶつかった相手は、ハリー・ポッターだった。

 よほどテストができなかったのか、と心配してしまうほど白い顔をしている。ハリーは少し迷ったように視線を上に向けると、なにか決断をしたのだろう。わずかに震える声で話しかけてきた。

 

「……セレネ、相談があるんだ。ちょっとこっちに来て」

「別に構いませんよ。……すみません、私はこれで」

 

 ダフネとブルストロードに断りを入れ、ハリーに引きずられるようにその場を後にした。

 ハリーはセレネを廊下の隅に連れてくると、言葉を選ぶように話し始めた。

 

「実は……さっきトレローニー先生が、とっても変になったんだ」

「トレローニー先生とは、占い学の先生ですよね」

 

 セレネは酒瓶を手にして歩いている先生を思い出す。誰かに文句を言いながら千鳥足で歩いている先生の後ろ姿を見て、正直、占い学を取らなくてよかったと思ったものだ。生徒の目の前で酔っ払う先生には、あまり教えてもらいたくない。

 たとえ、どれほど有能な教授であったとしてもだ。

 

「うん。普段もちょっと変わってるんだけど、普段より変になったんだよ。声が太くなって、白目になって、こう言ったんだ。

『今夜、真夜中になる前、その召使は自由の身となり、ご主人様のもとに馳せ参ずるだろう』って」

「……」

「それで、他にも『闇の帝王は召使の手を借り、再び立ち上がるだろう』……って言ったんだ。

 そのあとは普通というか、元に戻ったんだ。でも、自分が言ったことはなにも覚えてないみたいで……」

「闇の帝王、ですか」

 

 セレネは腕を組むと壁に背を預けた。

 

「十中八九、ヴォルデモートのことですよね」

「僕もそうだと思う。あれが本物の予言だったったのかは分からないけど」

「今夜、真夜中になる前。召使は自由の身となりか……つまり、今はまだ召使は自由ではないってことですね」

「そうなるよね。えっと、たしか……『12年間、鎖に繋がれていた』って言ってた」

「それって、シリウス・ブラックのことなのでは? いいえ、違うかもしれません」

 

 セレネは口にしてから、違うと首を横に振った。

 

「ブラックを縛る鎖はアズカバンを脱獄した時点で解放されています。となると、ブラックとは別の誰かが解放されるということでしょうか?」

 

 そうなると、ヴォルデモート側の人間が確実に2人も増えてしまうことになる。

 しかも、ヴォルデモートが再び立ち上がるときたものだ。ヴォルデモートは『もう一人の継承者』の存在をよく思っていない。それは、昨年の日記の記憶と対峙したときに分かったことだ。あのリドルは、セレネを駒としか認識していなかった。それも、使い終わったら処分する駒として。

 

 となると、ヴォルデモートが復活したときに命を狙われるのは明白である。

 なんとしてでも、復活を阻止したい。

 

「それとも、ブラックを縛っていた他の鎖が切れるということなのでしょうか」

「セレネは……予言を信じるの?」

「さあ、どうでしょう」

 

 セレネははぐらかした。

 個人的には、占いなど信じない主義である。占いなど不確かなもので自分の人生や運命が決められているとは、絶対に思いたくない。そんな気持ちもあり、占い学を受講しなかった。

 

 しかし、今回は違う。

 普段から先生と接している生徒が「尋常ではない」と訴えてきているのだ。予言の内容も本当ならば恐ろしいことである。

 

「ですが、用心に越したことはありません。予言が本物であることを念頭に入れて、行動した方がいいかと」

「つまり、ヴォルデモートが復活するってこと!?」

「落ち着いてください。まだ予言にすぎません。予言の段階であれば、まだ覆すことができます」

 

 予言は予言だ。

 まだ起きていない未来のことだ。事実ではない。つまり、今からの行い次第では、その未来を変えることができるかもしれないのだ。

 

「もし『12年間、鎖に繋がれていた者』がアズカバンに収監されていて、真夜中に脱獄する――ということなら、私たちに打つ手はありません。しかし、ブラックのことを指しているなら、まだ対処ができます」

「でも、僕たちはブラックがどこにいるのか知らないよ」

「その場所は見当がついています。そして、彼の目的も」

 

 セレネは深く息を吐いた。

 

「ブラックは『禁じられた森』にいます。そして、おそらくブラックの目的は、ハリー……貴方を殺すことです」

 

 セレネはハリーの胸をまっすぐ指さした。

 禁じられた森へ消えていった黒い犬、二度のグリフィンドール寮への襲撃、そして何よりもシリウス・ブラックがヴォルデモートの腹心だということ。この三点がそろえば容易に想像ができた。

 

 もっとも、禁じられた森に潜伏していることを知った経緯は語れないが。

 

「禁じられた森にいるってことは知らなかったけど、目的なら僕も知ってるよ」

 

 すると、ハリーは肩をすくめた。

 

「ブラックに僕の命が狙われているってこと。でも、それと予言がどうつながってくるの?」

「ブラックを縛っていた鎖が『復讐』だったらどうでしょう?

 自分の尊敬する主を殺した相手に対する復讐に縛られていたのだとしたら?」

「……復讐が終わったら、ヴォルデモートを助けに向かうってことか。

 それで、今夜、ブラックは僕を本気で殺しに来るかもしれない?」

「おそらくは、ですけど」

 

 セレネは淡々と説明したが、内心は凄く驚いていた。

 「自分が殺されるかもしれない」というのに、ハリーがあまりにも平静だったからだ。しかも、彼の瞳の奥には静かな炎が燃え始めている。

 

「なら、ちょうどいい。僕もあいつに会いたいと思ってたんだ」

 

 ハリーは吐き捨てるように言った。

 

「あいつは、僕の両親をヴォルデモートに売ったんだ。僕の両親を殺したんだ」

「……だから、シリウス・ブラックを殺すと?」

 

 セレネが問うと、ハリーは黙って頷いた。

 それを見て、つい眉をひそめてしまう。セレネには、正直――理解できない感情だった。自分に置き換えて考えてみたとしても、両親の記憶はもとより薄いので、ほとんど思いつかない。義父のクイールが誰かに殺されたら、それは想像できないくらい落ち込むだろう。だが、相手を殺すまで行かない。事故にあう前の自分なら話は変わってきただろうが、いまの自分は義父に対して特別な感情を持つことはできなくなってしまっていた。

 

「あいつが僕を殺しに来るなら、返り討ちにしてみせる」

「しかし、貴方が覚えている戦闘系の呪文は『武装解除』くらいでは?」

「それは……そうだけど……」

「一人では勝ち目がありませんよ」

 

 セレネは壁から背を離すと、ハリーに一歩近づいた。

 

「7時に玄関ホールで待ち合わせしましょう。各自、戦闘する準備を整えて」

「待って、セレネ! それって、君もブラックと戦うってこと!?」

「ヴォルデモートに復活して欲しくありません。ですので、加勢します」

「駄目だ!」

 

 ハリーは強い口調で否定した。

 あまりに強い声に、向こうの廊下を行き来していたハッフルパフ生がびっくりした面持ちでこちらを見てきた。セレネたちは愛想笑いをすると、人通りの少ない廊下を歩き始めた。

 

「君を巻き込むわけにはいかないよ」

 

 ハリーが少し声を潜めた。

 

「これは、僕の問題だ」

「相談された時点で、すでに巻き込まれていますけどね」

 

 セレネはため息をつくと、ハリーの横に並んだ。

 

「私たちが一緒に闇の魔法使いと戦うのは、もう2回もあったじゃないですか。いまさらです」

 

 正直、そこまでハリーの腕前には期待していない。

 ただ、セレネは1年生の時、ハリーが得体のしれない魔法でクィレルを撃退したことを覚えていた。ブラックにもあの塵にする魔法が効くかもしれない。もし効かなければ、自分の魔法と『眼』で対処すればいい。

 

 それに、セレネには最終手段「アルケミー」がいる。

 さすがの大量殺人鬼 シリウス・ブラックでも、突如バジリスクが襲いかかってきたら対処に手間取ることだろう。そのすきに、寮監の先生方を呼べばいい。

 夜歩きで20点減点されてしまうのは痛いが、ヴォルデモート復活に比べれば遥かにましだ。

 

「……分かったけど、無理はしないでね」

「ハリーこそ、足手まといにはならないでくださいね」

 

 セレネは軽く手を振りながら、その場を立ち去った。

 待ち合わせの時間までに、まだいくらかの時間はある。その間に戦闘の準備を万全に整えなければならない。セレネは廊下に誰もいないことを確認すると、壁に身を寄せた。

 

『アルケミー、聞こえる?』

『……はい、主様。どうかしましたか?』

 

 問いかけてしばらくすると、壁の向こうから声が聞こえてくる。

 セレネは周りの様子を目で確認しながら、やや早口で用件を言った。

 

『例のシリウス・ブラックと今晩、戦うことになるかもしれない。ブラックの潜伏場所の調査と戦闘時に加勢する準備を整えて欲しい。頼める?』

『もちろんです、我が主』

 

 アルケミーは一切悩むことなく、承諾してくれた。

 

『ブラックは禁じられた森にいます。戦うということは、森まで出向かれるのですか?』

『ブラックをおびき出せるなら、どこかの空き教室。無理なら、禁じられた森まで探しに行く』

『御武運を。私はいつでも動けるように待機しています』

『ありがとう、アルケミー』

 

 セレネは軽く壁を叩くと、大広間へ向かった。

 夕食をとりながら、ちらりとグリフィンドールのテーブルに目を向けてみる。ハリーはハーマイオニー・グレンジャーやロン・ウィーズリーと一緒に食事をとっていたが、どうも様子がおかしい。顔色は強張り、両腕を汲みながら食事をしている。よく目を凝らせば、ローブがわずかに膨らんでいるように見えた。

 

 あれは、シリウス・ブラックを倒すために用意した秘策か何かなのだろうか。

 

「セレネ、さっきポッターと何を話していたの?」

 

 セレネが考え込んでいると、ダフネが尋ねてきた。

 

「ちらちらグリフィンドールの方を見てるけど」

「トレローニー先生は変な先生だという話でした」

「あー……確かに変わっているよね。食事にも降りてこないし。でもさ、それって二人っきりで話す内容かな?」

「私も同感です。それでは、私は先に失礼します」

 

 さらっと話を切り上げて、大広間を出る。

 

 杖はある。

 ナイフも持った。

 戦闘用に使える魔法も暗記済み。アルケミーは蛇語で呼べば、すぐに来てくれる。

 

「あとは、隠れるだけね」

 

 セレネは小さく呟くと、杖を取り出した。

 いくら準備万端に整えていても、ハリーと出会う前に先生に発見されて寮に戻されては元も子もない。

 玄関ホールを通り過ぎ、少し角に入った空き教室に姿を隠す。セレネは深呼吸をすると、ゆっくり杖を掲げた。

 

「『ディサリジョメント‐目くらまし』」

 

 練習中の『目くらまし』の呪文を唱えながら、こんこんと軽く頭を叩く。

 すると、身体の表面全体に冷たいものが、トロトロと流れる感じがした。視線を下に落とせば、呪文の効力で身体はすっかり見えなくなっていた。正確に言えば、透明になったというわけではない。例えるなら、カメレオンの保護色のように背後の風景と同化していた。

 

「よし、成功ね」

 

 

 あとは、玄関ホールに向かい、ハリー・ポッターを待てばいいだけである。

 セレネは玄関ホールに向かうと、寮対抗の点数を表している砂時計のへりに腰を掛けた。時計を見ると、七時十分前だ。いつハリーが来てもいいように目を凝らして待つ。

 

 ……しかし、だ。

 

 ハリーは、待てど暮らせど来ない。

 

 酔っぱらって上機嫌のハグリットが入ってきたリ、青白い顔をしたルーピンが外へ出て行ったり、その後を追いかけるようにスネイプが走って出て行ったりしたが、一向に肝心なハリー・ポッターは来なかった。

 

 

『いやな夜ですね』

 

 アルケミーの不機嫌な声が聞こえてきた。

 

『吸魂鬼の動きが活発です。いつも以上に空を飛び回っています』

『それは不吉ね……』

 

 セレネは大きく肩を落とした。

 もう待ち合わせの時間から、実に1時間以上経過している。これまで待つのは時間の無駄だ。そう思って立ち上がりかけた瞬間だった。

 

 

 

 

 スネイプが戻って来た。

 

 ハリー、ハーマイオニー、ウィーズリー、そして、シリウス・ブラックを担架に載せて。

 

 

 

 



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38話 シリウス・ブラック

 

 セレネは開いた口が塞がらなかった。

 

 

 スネイプの後ろに浮かんでいるのは、確かにシリウス・ブラックだった。

 ハリーが待ち合わせ場所に来ることができなかったのは、おそらくシリウス・ブラックと絡んでいるのだろうが、そのようなことはどうでもよい。

 

 

 問題は、スネイプがブラックを捕まえていることである。

 スネイプは満足そうな表情でダンブルドアに経緯を語っていた。要約するに、ホグズミード村のはずれにある「叫びの屋敷」にシリウス・ブラックは潜伏していた。ハリーたちはブラックに錯乱呪文をかけられており、ブラックが無実だと信じて襲いかかって来た、と。

 

 

「では、こいつはどこに閉じ込めておきましょうか?」

「……そうじゃのう。ひとまずは、わしが八階のフリットウィック先生の執務室へ連れて行こう。あそこなら、早々に脱出はできまい。

 ……セブルス、すまぬがこの三人を保健室へ連れて行ってもらえないかの。コーネリウスには、わしの方から連絡しよう」

 

 

 ダンブルドアはそう言うと、杖を軽く一振りした。

 すると、杖先から銀色の不死鳥が現れ、悠々とどこかへ飛び去って行く。ダンブルドアはそれを見届けると、宙に浮いたままのブラックを連れて歩き始める。

 

 セレネも少し離れた場所から、ダンブルドアの背中を追いかけた。

 スネイプの方も気になったが、今はブラックが大事である。

 

 

 まだ、真夜中までには時間がある。

 ダンブルドアの隙をついて、ブラックが逃げ出さないとは限らない。 

 

 しかし、ブラックが反撃に出る様子もなく、気絶したままフリットウィックの執務室に運ばれていった。少し離れた場所から後をつけたためだろう。セレネも執務室に入ろうとしたが、鼻先で閉められてしまった。開けることは容易だが、「目くらましの呪文」をかけた意味がなくなる。

 セレネは黙って扉の傍に立ち、再び開くのを待った。

 

 

「――残念じゃよ、シリウス。君がもう少し、人間的に行動していれば――」

「いいえ、私が――」

 

 

 なにやら話声が聞こえてくる。

 だが、扉越しのせいで詳細な内容まで聞こえてこない。

 

 

「これでお別れじゃ、シリウス」

 

 

 音を立てて扉が開かれる。

 ダンブルドアの横顔を覗き込むと、不思議なことに少し寂しそうにも見えるし、嬉しそうにも見えた。大量殺人鬼と最後に何を語り合ったのか。セレネには分からないし、そこまで興味もなかった。

 

 ……閉まりゆく扉に身体を滑り込ませ、部屋の中に入った瞬間、ダンブルドアと目が合ったのは、おそらく気のせいだろう。

 

 ブラックは部屋の中で一人、空を見つめていた。

 汚れ切った髪を掻きむしりながら、なにかぶつぶつ呟いている。

 暗い落ちくぼんだ眼下の奥で目がギラギラしているのが見えなければ、まるで死体かゾンビかと思ったところだろう。血の気のない皮膚が顔の骨にピッタリ張り付き、まるで髑髏のようだ。

 

 

 恐ろしい顔立ちだが、二つ顔がある男に比べれば遥かに普通である。

 

 

 この機を逃すわけにはいかない。

 

 

 

「『フィニート‐終われ』」

 

 

 自分に向けて杖を振る。すると、さぁーっと熱い液体のようなものが身体の表面を流れた感じがした。ブラックが驚いて目を剥いたところを見るに、無事に「目くらまし」が解けたのだろう。

 本当なら「目くらまし」をかけたまま奇襲をかけるのが上策だ。けれど、まだそこまで技量が達していない。それに、無言で呪文をかけることがまだできない以上、魔法を放つ際には詠唱をする必要がある。それでは、目くらましをしている意味がなくなってしまう。

 

 どうせバレるなら正々堂々、バレた方がいい。

 

 

 セレネはにやりと口角を上げると、ブラックに杖をまっすぐ向けた。

 

 

「お前は……!?」

「こんばんは、殺人鬼さん」

 

 

 ブラックの目はセレネの杖に向かい、次にセレネのローブの胸に刻まれた「スリザリン」の紋章に向けられると、にやりと黄色い歯を剥き出しにするように笑った。

 

 

 

「お前は……スリザリン生か。スリザリンが何の用だ?」

「大した用件ではないの。ただ――悪いけど、死んでもらえないかしら?」

 

 

 セレネは優等生の仮面をかぶったまま、にっこり微笑んだ。

 そして、まっすぐブラックの胸に狙いを定める。

 

 本来なら、ここで確実に相手を殺せる魔法「アバダ・ケダブラ」を使いたいところだが、まだ一度も試したことがない。

 なので、ここで大事になってくるのはブラックを戦闘不能にすることだ。

 吸魂鬼に引き渡せばキスが執行され事足りるが、そいつらがうじゃうじゃいるアズカバンから抜け出してきた男だ。執行ミスや取り逃がしも考えられる。

 

 

「アンタが生きていると、ちょっと困るかもしれないの」 

 

 

 なので、ここで確実に殺す。

 殺せなくても、せめて戦闘不能に陥れる。

 

 

 

「『フリペンド‐撃て』!」

 

 

 ありったけの魔力を込めて呪文を放つ。杖から放たれた閃光は、まっすぐブラックの胸に向かって宙を奔った。しかし、ブラックもただでは負けてくれない。閃光が届くか届かないかというところで床を蹴り、呪文を躱した。

 そのまま、セレネに接近してくる。一歩、一歩が大きく、すぐに距離を詰められそうだ。

 

 

「――ッ『ステューピファイ‐麻痺せよ』!」

 

 

 赤い閃光が奔るが、それも躱されてしまう。

 あっという間に差を詰められ、ブラックは目と鼻の先まで接近していた。セレネは次の呪文を唱えようとしたが、その前にブラックの手が右腕に伸びる。杖を握りしめる腕が拘束され、そのまま押し倒されてしまった。頭を強く打ったせいだろう。セレネの視界に銀砂が舞い、ぶつけた衝撃で眼鏡が飛んでしまった。

 

 

「あっ!」

 

 

 セレネは立ち上がって、すぐに眼鏡を取ろうとするが、ブラックは足でセレネの胴体を押さえつけてきた。左手でセレネの杖を奪い取ると、すぐ右腕に持ち替えて喉元に押し付けてくる。

 

 

「形勢逆転だな、お嬢さん」

「――ッ」

 

 

 セレネは起き上がろうと身体を反らしてみたが、ブラックが馬乗りになっているせいでビクともしない。

 セレネは舌打ちをした。 

 マグルの勉強も魔法も勉強し、規則の一つも破らない優等生で通ってきているが、所詮は少女に過ぎない。教室同士の移動はもちろん、頻繁に図書室や秘密の部屋に行くなどかなり城を歩き回り、足腰は鍛えられているとはいえ、それは少女の範疇である。

 

 

 鍛え抜かれた大の男の力には、到底及ばない。

 

 

 しかし――

 

 

「――ッ、さて、それはどうかしら?」

 

 

 セレネは、ここで負けを認めない。

 負けを認めたら最後、ブラックに殺される。ブラックほどの魔法使いならば、躊躇うことなく「アバダ・ケダブラ」を使うことができるだろう。ブラックは意気揚々と唱えるはずだ、セレネの杖を使って。

 このままでは、自分自身の杖に殺されるのである。

 

 そんな自殺めいた死に方は、絶対にごめんだ。

 

 

 セレネは瞬きをするとブラックを注視した。

 

 すると、ブラックの身体全体に黒い線が浮かび上がってくる。相変わらず、見ているだけで胸の奥から吐き気が込み上げてくるような不快な線である。それが自分の腕にも広がっているのだから、さらに反吐が出そうだった。

 

 

「お前……その目は……?」

 

 

 ブラックの瞳の奥に驚きの色が浮かび上がる。

 だが、その問いに答える暇はない。セレネは左手を掲げ上げる。そして、ブラックの右腕に奔る線を手刀でなぞった。

 

 黒い薄気味悪い線をなぞった場所から血が溢れ、果実を分けているかのように切れていく。

 

 

「ぐわあ――ッ!」

 

 

 ブラックは杖を握りしめたまま切断された右腕を押さえつける。

 あまりの痛みに顔をしかめており、押さえつける圧力も緩んだ。この隙をセレネは逃さなかった。自由になった右腕で隠していたナイフを取ると、身体を思いっきり起こす。その勢いでブラックの首に奔る線にナイフを伸ばすと、彼は慌てたように飛び退いた。

 

 

「お前……その眼は……一体?」

 

 

 ブラックは左腕で右腕の切り口を庇うように押さえつけながら、セレネを睨み付けてきた。

 セレネはナイフを手の中で回した。

 

 

「どうでもいいでしょ」

 

 

 セレネは床を思いっきり蹴る。

 ブラックには杖がない。そのうえ、片腕を失った。腕を失った痛みのせいだろうか。先ほどよりも速度が落ちている。

 

 狙うは、シリウス・ブラックの首。

 

 

「これから、死ぬのだから」

 

 

 ブラックの顔からは、ますます血の気が失せていく。

 血が地面に滴り落ちる音を聞きながら、セレネは一気にブラックとの距離を詰め、そして――

 

 

 

 

 

 

『アロホモーラ‐開け!』

 

 

 

 唐突に、窓が開かれた。

 セレネは乱入者に気を取られ、思わず足が止まってしまう。ブラックも窓に目を向けると、固まった。

 

 

「ハリー!? ど――どうやって?」

 

 

 ブラックが窓の向こうの人影に、声にならない声で尋ねた。

 窓の向こうには、ハリーがいた。

 ハリーとハーマイオニーがヒッポグリフに乗っている。二人ともホグワーツに降り積もる雪よりも白い顔をしていた。

 

 

「シリウス、乗って! 時間がないんです」

 

 

 ハリーはヒッポグリフの滑らかな首の両脇をしっかり押さえつけ、その動きを安定させた。

 

 

「ここから出ないと吸魂鬼がやってきます。マクネアが呼びに行きました」

「待ちなさい、ハリー・ポッター。これは、どういうこと?」

 

 

 セレネはハリーの方へ歩み寄ると、思いっきり睨みつける。

 

 

 この際、どうして医務室で気絶している彼らがヒッポグリフに乗っているのかは気にしない。

 ただ、大切なのは予言である。

 

 

「あの予言を成就させないためにも、ブラックを逃がすわけにはいかないと約束しましたよね?」

「セレネ、ブラックじゃなかったんだ。ペティグリューのことだったんだよ!」

「ペティグリュー? それは、この男に殺されたのでは?」

 

 

 セレネはブラックの背にナイフを突きつける。

 

 

「詳しいことは後で話す。本当にシリウスは無実で、ペティグリューがヴォルデモートの配下だったんだ!」

「……本当に?」

「うん」

 

 

 ハリーの目には、嘘の色が見えなかった。

 

 

 

「……ペティグリューの特徴は?」

「太っていて少し禿げている男、ネズミに変身できるんだよ。スキャバーズ……えっと、ロンのネズミがペティグリューだったんだ!」

「……そのあたりの事実、あとでしっかり聞きますから」

 

 

 

 セレネはナイフを下ろした。

 確かに、12年前の新聞を読む限り――あの事件には不可解な点があった。

 

 巻き込まれたマグル12名の遺体は残っているのに、ペティグリューの遺体は指一本だったということだ。

 通りに大きなクレーターを生じさせるほどの爆発呪文だったにせよ、見つかったのが指一本で他の肉片や服の欠片すら残っていないのは不自然である。

 トカゲの尻尾きりのように、殺される直前に逃げ出したのだとしても、この12年間――ペティグリューが無実だった場合、姿を隠し続けた意味が分からない。

 

 ペティグリューは、何者かから隠れ続けないといけない身だった。

 

 

 それは――おそらく、ヴォルデモート。

 

 

「ヴォルデモートが復活したら、その男は確実に敵に回るのですから」

 

 

 

 セレネは杖を拾うと、ハリーたちに振り返ることなく部屋を出た。

 そして、壁に手を当てると早口で話し始めた。

 

 

『アルケミー。校庭にいる一本指がないネズミ、捕らえることはできる?』

『承知しました』

『朝まで探して見つからなければ、戻ってきて構わない』

 

 

 もう遅いかもしれない。

 完全に手遅れかもしれないが、打つべき手はすべて打っておいた方がいい。壁の向こうからアルケミーの気配が消えると、セレネはもう一度、「目くらまし」を自分にかけて寮へ急いだ。

 

 

 

「『闇の帝王は召使の手を借り、再び立ち上がるだろう』……か」

 

 

 セレネは口の中で呟いた。

 予言なんて不確かなものを信じたくない。 

 しかし、もし――本当に成就してしまったら?

 

 現にヴォルデモートの部下は12年の鎖から解き放たれ、逃げ去って行ってしまった。

 ヴォルデモートの復活が1年後なのか、2年後なのか―――はたまた、10年後なのか、それは分からない。だがしかし、事前に予防をすることはできる。 

 

 

「少し、対策を整えないと」

 

 

 セレネは暗い地下に続く道を降りながら、自分のやるべきことの多さに息を吐くのだった。

 

 

 

 

 



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炎のゴブレット編 39話 リトル・ハングルトン村

 

 リトル・ハングルトン村。

 

 ジャスティン・フィンチ・フレッチリーの祖母が教えてくれた「トム・リドル」が住んでいた村は、非常に寂れた田舎にあった。

 

 

 せっかくの夏休みに、若者がわざわざ好んで訪れようとする場所ではない。

 

 見どころもなく、これといった産業もない。

 ただ村の中心部に大きな御屋敷が立ち、いまセレネが向かっている村のはずれに寂れた小屋がある。それだけの村である。

 

 

「……暑い」

 

 

 セレネは額から流れ落ちる汗をぬぐった。胸の位置まで届く雑草が陽光を浴びて、そよいでいる。そんな雑草が生い茂る中を掻き分けながら、セレネは進んでいた。

 

 

 この先にある小屋を目指して。

 

 

 夏の日差しは容赦なく照りつけてくる。とにもかくにも暑くてたまらない。お気に入りのシャツが汗でピッタリと身体と張りつく感触が、この上なく気持ち悪かった。

 

 

「ゴーント先輩、お水をお飲みになりますか?」 

「タオルも用意してありますよ」

 

 

 後ろから可憐な声をかけられる。

 セレネは後ろを振り返ると、大丈夫と笑いかけた。

 

 

「ありがとう、フローラとヘスティア。貴方たちこそ大丈夫?」

「問題ありません、ゴーント先輩」

「私と姉様はしっかり水分補給をしてますので」

 

 

 銀髪の双子姉妹は、同じタイミングで頭を下げた。

 フローラ・カローとヘスティア・カロー。二人とも聖28族出身であり、セレネ・ゴーント親衛隊に属している。一学年下ながら卓越した魔法力は数多の生徒を圧倒し、親衛隊の幹部の座を射止めたらしい。

 

 

「セレネ先輩。私たちを誘ってくださり、ありがとうございます」

「この光栄は忘れません」

「そこまでかしこまらなくて構わないわ。気楽に行きましょう……貴方もね、ノット」

 

 

 セレネはカロー姉妹の後方をついてくる少年に微笑みかけた。少年は不機嫌極まりないと言わんばかりの顔をしている。

 

 

「……なんでオレが夏休みにこんなど田舎に来ているんだ……しかも、お前の命令で」

「仕方ないではありませんか。義父が私一人で旅に出させてくれないのです」

 

 

 セレネは肩をすくめた。

 

 

 本当なら、ゴーントの住んでいた小屋を一人で見に来たかった。

 

 

 結局、ピーター・ペティグリューは取り逃がしてしまった。

 12年間鎖で縛られていた者が解き放たれてしまった以上、トレローニーの予言が成就してしまう可能性が出てきた。ヴォルデモートが復活するかもしれないと分かった以上、彼を倒すためには彼の生い立ちも知らなければならない。そこに弱点が隠されている可能性があるからだ。

 

 しかし、ヴォルデモートの関連施設である以上、なにかしらの呪いがかかっている可能性がある。

 

 

 そこに、マグルで一般人の義父を連れて行くわけにはいかない。だが、彼は『女の子が一人で旅をするなんて、絶対に許可できない』と許してくれないのだ。『一人で行くなら、僕も行くよ』と宣言し、付いて来ようとする。

 

 これはまずい。

 義父の同行を阻止するために、セレネは誰かホグワーツの知人を誘うことにしたのである。

 

 ノットは大きく舌打ちをした。

 

 

「なら、他の奴を誘えばよかっただろ? それこそ、ハッフルパフのあいつとか」

「残念ながら、ジャスティンは財力はありますが、闇の魔術に対する知識がそこまでありません。その点、ノット……あなたはそれなりに呪いの知識も豊富ですし、成績も優秀です。私の補佐にも慣れています」

「……本当に理由はそれだけか?」

「ええ。それだけです」

 

 

 ちなみに、カロー姉妹を同行させたのは、義父に「男と二人で旅をするなんて……!」と怒られたからである。ダフネ・グリーングラスやミリセント・ブルストロードを誘っても良かったのだが、彼女たちよりもカロー姉妹の方が成績が優れていた。そのうえ、彼女たちはセレネに対する心酔度合いも高く、先学期はフリントの派閥とぶつかり小競り合いも起こしていないらしい。要注意人物でもあるが、それと同時に予期せぬ事態が起こった時に裏切る可能性が限りなく低く、こちらの指示を瞬時に聞き入れることができそうな双子なのである。

 

 

「ゴーント先輩、あそこではありませんか?」

 

 

 ヘスティア・カローがまっすぐ指を差した。

 生い茂る草の向こうに、小さな廃屋が見えてきた。年季の入った壁に、嫌というほど深緑のツタが巻き付いている。屋根瓦がごっそり剥がれ落ちて、垂木がところどころむき出しになっている。外装のほとんど全てがはげ、白いペンキが使われたのであろうと思われているところも、薄くなって消えかかっていた。

 小屋の脇には何かを掘り起こしたような穴が開いていたが、それの上にも雑草が生い茂り、人の手がまったく入っていないことが分かった。

 

 

「……珍しい趣味だな」

 

 

 ノットは表情を引きつらせていた。

 蛇のミイラが扉に打ち付けられている。セレネも眉間にしわを寄せてしまった。恐らく、ここがスリザリンの末裔「ゴーントの家」だということは間違いない。

 蛇はスリザリンを象徴しているのだろうが、扉に打ち付ける趣向は理解しがたい。

 いずれにしろ、スリザリンの末裔が住んでいるにしては、貧相な造りだ。ここに、こんなところにスリザリンの末裔が住んでいたなんて、誰も思わないだろう。私だって調べるまでは、もっと豪邸に住んでいたのかと思っていた。

 

 それこそ、リトル・ハングルトン村にあるような豪邸に。

 

 

「……一応、鍵はかかってるようね」

 

 

 セレネはドアノブを回してみるが、扉はビクともしない。

 

 

「仕方ない。オレがやる」

 

 

 ノットが大きくため息をつくと、体重を扉にかけるように押し開けた。

 その途端、何十年も小屋の中に充満していた埃が一気に襲ってきた。思わず、咳き込んでしまいそうだ。それにしても、真っ暗で中が良く見えない。

 

 

 

「姉様」

「ええ、こちらに灯りがありますわ」

 

 

 フローラ・カローがランプに明かりを灯した。

 

 

「……これは酷い」

 

 

 天井には蜘蛛の巣がはびこり、床は何十年も溜まりにたまった埃で覆われている。テーブルにはカビだらけの腐った食べ物と思われる残骸が放置されているし、汚れのこびり付いた深鍋の中にも蜘蛛の巣がかかっていた。そこらじゅうに酒瓶と思われる瓶が転がり、溶けた蝋燭が1本だけ忘れられたかのように転がっている。

 

 こんなところに、ヴォルデモートの生い立ちに繋がる何かが残されているとは、到底思えなかった。

 

 

「……気持ち悪いですね」

「……ええ、本当にひどい。一応、警戒しなさい。なにか呪いがかかっているかもしれないわ」

 

 

 セレネは眼鏡を外した。

 いくら『廃屋』とはいえ『スリザリンの末裔』が住んでいた小屋だ。未知の魔法がかけられているかもしれない。たとえば、何かに触れた瞬間に死んでしまう呪いとか。安全の確認を、した方がイイだろう。そっと『眼』を開けてみると、そこら中に今にも崩れ落ちてきそうな『線』が浮かんでいる。だが、特に魔法をかけられた痕跡はなさそうだ。…ある一角を除いて。

 

 

 

「……あれは?」

 

 

 セレネは汚れがこびりついている大鍋の影に隠された小箱に注目した。

 他の器物とは比較にならないくらい、大量の「線」が密集している。そう、まるで、幾重にも魔法が複雑に駆けられているかのように――。

 

 

「しばらく話しかけないでください。あれを解体するので」

 

 

 セレネはナイフを構えた。

 小箱を取り囲むように、複雑に張り巡らされた『線』を慎重に斬っていく。どんな強力な魔法でも、この『眼』の前には無力だ。作業をしている間にも、汗が絶え間なく流れ落ち、口が渇いてくる。

 

 

「隊長、あれはもしかして――噂に聞く、ゴーント先輩の不思議な力ですか? 1年生の時、フリントたちの魔法をことごとく切り伏せたという――」

「見えない糸を切っているみたいですね……あれは、ナイフで魔法を解いているのですか?」

「……オレも詳しく知らないが、一種の消失呪文だろうよ」

 

 

 三人が後ろでひそひそと話している声が遠くから聞こえてくるようだ。

 やっと最後の一本を斬り終えたとき、箱は解体され、中から金色の指輪が転がり落ちてきた。

 

 

「これは……?」

 

 

 金の指輪は、金メッキとは比べ物にならないくらいの味わいを醸し出していた。中央に嵌められた怪しげに光る黒い石には、不思議な三角の印が彫られている。まるで、美術館に展示されていたとしても、おかしくない。絶対にこの家にあるものすべてを売り払ったとしても、この指輪を購入することは出来ないだろう。

 

 

「このマーク……もしかして……」

 

 

 フローラが小さく呟いた。

 

 

「知っているのですか、フローラ?」

「ええ。たしか……ペベレルの家紋だったかと」

 

 

 セレネには聞き覚えのない言葉だった。解説を求めるように、ノットに視線を向ける。すると、彼は肩を落として説明してくれた。

 

 

「ペベレルは何世紀も前に途切れた純血の家名だ。知ってるだろ、『三兄弟の物語』。あれのモデルになった一族だ」

「三兄弟の物語?」

 

 

 聞いたことのない話に、ますます眉間に皺を寄せる。

 すると、ノットは驚いたように瞬きをした。

 

 

「吟遊詩人ビードルの物語だ。魔法使いに伝わるおとぎ話だよ」

「……つまり、赤ずきんや美女と野獣みたいなものか」

「それは分からないが、そういうものだ」

「そう……」

 

 

 少し興味を惹いたが、それよりも問題なのは指輪にこびりつく「線」の多さだ。

 先ほどの箱とは比較にならないほど、おびただしい量の魔法が掛けられている。これを指にはめたが最後、考えられないほどの呪いが襲いかかってきそうだ。

 セレネは口の端を上げた。

 

 

「とにかく、きっちり殺した方がいいですね」

 

 

 呪いが密集している黒い石に、ナイフの切っ先を向ける。

 ちょうど一年前、フラメル夫人に貰った黒い石とよく似た石だ――と思ったのもつかの間、表面に人の顔が浮かび上がって来た。

 

 秘密の部屋で対面したトム・リドルに瓜二つの顔だ。

 後ろから覗き込んでいたノットたちが、あっと声を飲む声が聞こえてきた。

 

 

「おまえの心を見たぞ……お前の心は俺様のものだ」

 

 

 石の中心から、押し殺したような声が聞こえてきた。

 

 

「お前の夢を見たぞ、セレネ・ゴーント。俺様と組めば、その願望はたやすく叶えられる。願いを叶える方法を教えてやろう。なに、安心しろ。俺様も試した方法だ。

 さぁ、この指輪をはめろ、セレネ・ゴーント」

 

 

 どうやら、この一瞬でセレネの心を読んでしまったらしい。

 セレネはふっと小馬鹿にするように笑った。 

 

 

「……生憎と命乞いする奴と組む気はない、トム・リドル」

 

 

 刃が光り、ナイフが躊躇なく振り下ろした。鋭い金属音と長々しい叫び声が、廃屋が音を立てて揺れるくらい響き渡る。天井が今にも崩れ落ちてくるのではないかと思った時、ようやく声が途切れた。パキンと乾いた音を立てて、黒い石に亀裂がはいる。

 

 

 何年も忘れ去られていた廃屋に、静けさが戻った。

 

 

「そこに宿っていたモノは、消えたみたいですね」

「先輩、今のはもしかして……」

 

 

 フローラとヘスティアが話しかけてきた。

 ヘスティアは少し怖かったのか、セレネの袖をぎゅっと握ってくる。セレネはヘスティアの頭を軽く撫でると、指輪を拾い上げた。

 

 

「一応、嵌めない方がいいんじゃないか? なにかまだ宿ってるかもしれないぞ」

「ノット……忠告、ありがとう」

 

 

 セレネは指輪をポケットに滑り込ませる。

 

 この指輪の他に特別目立ったものはない。

 

 セレネたちが外に出る頃には、すでに日は傾き始めていた。空は蜜色に染まり、家々に明かりが灯り始めている。

 

 

「……はぁ、今頃はクィディッチワールドカップが開催されているのだろうな」

 

 

 ノットが肩を回しながら文句を口にする。

 

 

「今夜、勝ったチームが明後日、アイルランドと戦うんだよ」

「隊長。嘆かなくても結果は見えています」

「絶対にブルガリアが勝利するに決まってますわ。あのビクトール・クラムがいるのですから」

「いいえ、姉様。絶対に日本です。トヨハシ・テングには敵いませんわ」

「ごめんなさいね、クィディッチワールドカップがあるというのに」

 

 

 セレネが言うと、カロー姉妹は慌てて「そんなことはない」と口にした。

 

 

「どちらせよ、明後日の決勝戦は見に行けるのです」

「私たち、切符が手に入っているのです。ゴーント先輩もどうですか?」

「ありがとう、でも遠慮しておくわ。それに――」

 

 

 セレネは丘の上の屋敷に目を移した。

 

 

「まだ、今日の用件は終わってないもの」

 

 

 

 

 



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40話 リドルの館

 

 リドルの館のいまの持ち主は、大金持ちだったが屋敷に住んでいなかった。

 村人に話を聞けば「税金対策」で所有しているだけだと言ったが、詳しく聞いてみても分からないと首を傾げていた。

 

 丘の上にひっそりとたたずむ屋敷は怪しげで、なにか幽霊が出てもおかしくない怖さを感じさせる。

 

 

「……おい、お前本当に行くのかよ」

 

 

 セレネが門を乗り越えると、ノットが不安そうな声で尋ねてきた。

 

 

「不法侵入だろ、これ。犯罪だぞ?」

「あら、先程の小屋も不法侵入よ。許可なしに入ったのだから。それに、侵入しているのは私だけではないみたいよ」

 

 

 セレネは二階の窓を指さした。灯りがないはずなのに、ちらちらと光が見え隠れしている。

 

 

「お化け屋敷みたいですね、ヘスティア」

「少しワクワクしますね、姉様」

 

 

 カロー姉妹は少し浮足立った声色で会話している。彼女たちはとっくに門を乗り越えてセレネ側に来ている。

 こちらに来ていないのは、ノットただ一人だった。

 

 

「もしかして……ノット、怖いのですか?」

「まさか! オレが怖いなんてありえない!」

 

 

 ノットは怒ったように言うと、セレネの後に続いて門を乗り越えた。

 

 

「それにしても、ゴーント先輩。ここに『例のあの人』が暮らしていたのですか?」

「それは分かりません。……しかし、あいつの父親が暮らしていた屋敷です」

 

 

 いままで調べた記録によると、ヴォルデモートの父親は彼が産まれる前に妻を捨てて屋敷に戻って来た。それ以後、我が子のことを気にかけた様子もなかったらしい。

 

 そして、死んだ。

 

 ある夜、毒殺、刺殺、射殺、絞殺、窒息の跡もない、まったく傷つけられていない状態で。

 

 

「おそらくですけど、父親は『例のあの人』自身の手によって殺されたのでしょうね。マグル生まれであることを嫌悪していたみたいですし」

「なら、ここには『闇の帝王』の痕跡はないんじゃないか?」

「そうですね。可能性が限りなく低い。ですが、0%ではありません。だから探す、それだけです」

「本当に……それだけか?」

「さあ、どうでしょう」

 

 

 セレネは不敵な笑みを浮かべた。

 理由は単純。面白そうだからである。カロー姉妹が言ったように、お化け屋敷みたいで楽しそうだったからだ。ヴォルデモートの痕跡を探るのも理由の一つだが、夜の屋敷に侵入して探すのは少し心が躍った。優等生らしくない行動だが、たまにはいいだろう。

 

 

「姉様、姉様。これは……この壁に開いた二つの穴はいったい……?」

「ヘスティア、それは通気口よ、ええ、きっとそうよ」

「ですが、姉様。このような細い穴では空気を通す意味をなさないのでは?」

 

 

 カロー姉妹は電気のコンセントに興味津々だ。

 ランプを近づけてじっと見つめている。

 

 

「フローラ、ヘスティア。一応、杖だけは忘れないようにしなさい」

 

 セレネは杖を握りしめながら二人に声をかけた。

 

 

「どこに闇の魔術が隠されているか、分からないのだから。それから、それは電気のコンセント。通気口ではないわ」

「電気……? マグルが魔法の代わりに使うものですか?」 

「ええ。結構役に立つのよ、ホグワーツの外では」

 

 

 セレネはそう言いながら階段を上った。

 

 一応は先ほど、外から見えた灯りの正体を目指して進んでいる。もしかしたら、地元の子供たちが遊び半分で忍び込んでいるのかもしれないが、もしかしたら闇の魔術に関する何かかもしれない。少し用心しながら、階段を上っていく。

 

 

「マグルの絵画は動かないんだな……ん?」 

 

 

 ノットが小さく呟く声が聞こえてきた。

 セレネがノットの方を振り返ると、ちょうど彼の傍を一匹のネズミが通っていくところだった。

 

 

 

 

 

 そう、指が一本足りないネズミだ。

 

 

 

 

 

「『アクシオ‐来い』!!」 

 

 

 セレネは考えるより先に呪文を叫んだ。

 途端、ネズミがセレネの手の中に納まる。ネズミは手から逃れようと、キーキー鳴きわめきながら抵抗していた。

 

 

「おい、ゴーント! 未成年の魔法の使用は――」

「禁じられているかもしれないけど、そうでもしないと捕まえることができなかったもの――痛っ!」

 

 

 ネズミがセレネの指を思いっきり噛んでくる。痛みで目を細めながら、血が滲む様子を見下した。

 

 

「このネズミ風情が……先輩に傷をつけるなんて……」

「ええ、姉様。許せません。許しがたいことです」

 

 

 カロー姉妹が静かに怒りを燃やしている。

 

「アバダ・ケダブラを使いますか?」

「磔の呪いをかけた方がいいでしょうか?」

「……二人とも、過激すぎよ。もう少し優し目の呪いをかけなさい。

 それに、『許されざる呪文』をこのネズミにかけたら、アズカバン行きよ。だって、これ、人間だもの」

「人間?……ということは、動物もどきか?」

 

 

 ノットが不審そうに目を細める。

 

 

「マクゴナガルが猫に変身するように、こいつはネズミに変身してると?」 

「ええ、それも例のあの人の配下、ピーター・ペティグリュー」

 

 

 てっきり、ヴォルデモートが身を隠していると噂されるアルバニアに向かったと思っていた。まさか、ロンドンから300キロも離れた片田舎に潜んでいるとは驚きである。

 

 

「だが、どうやって証明するんだ?」

「そうですね……」

 

 

 セレネは考え込んだ。

 1番手っ取り早い方法は、『フィニート・インカンターテム‐呪文よ、終われ』だ。呪文すべてを終わらせる魔法なので、おそらく動物もどきの変身も解ける。しかし、この状況で解いてどうしろというのだろうか。未成年の魔法使い四人で元に戻ったペティグリューを拘束するのか。拘束したとしても、どうやって大人に伝えればいいのだろうか。

 

 あれこれ考えを巡らせたが、自分たちでどうにかできる問題と思えなかった。

 

 セレネは肩を落とした。

 

 

「……仕方ない。ノット、このネズミを持っていてくださいね」

 

 

 セレネは暴れるペティグリューをノットに手渡すと、再び杖に力を込めた。

 

 

「『エクスペクト・パトローナム‐守護霊よ、来たれ』」

 

 

 杖の先から現れた白い煙が銀色の大蛇になり、空を這うようにして飛び去って行く。

 

 

「……スネイプ先生に伝言を送りました。……上手く着くといいのですが」

 

 

 守護霊に伝言を持たせる呪文である。先学期末、ダンブルドアはひょいっと簡単に行っていたが、非常に高度な技量が必要になってくる。セレネはこれまで何度か試してみたのだが、一向に上手くいかない。今回も上手くいっている保証はなかった。

 というよりも、上手くいかない可能性の方が高いのだ。無理だった時の対抗策を、早急に考えないといけない。

 

 ところが、5分後。

 

 ネズミが逃げ出さないように格闘していると、ぽんっと軽い弾くような音と共に、スネイプが現れたのである。彼は休暇中にもかかわらず、ホグワーツで教鞭をとっている時と同じ黒いローブを纏っていた。

 

 

「セレネ・ゴーント、未成年者は学校の敷地内以外で魔法を使用してはいけないと習ったはずだが?」

「すみません、先生。火急の要件でして……」 

 

 

 この様子だと、守護霊に伝言は乗せられていなかったのだろう。

 セレネは少しだけ悔しい気持ちになったが、いまはそんな些細なことよりペティグリューである。

 

 

「実はこのネズミのことなのですが……」

 

 

 セレネが事情を説明すると、スネイプは静かにうなずいた。

 

 

「なるほど……事情は分かった。にわかには信じがたいがな。だが、試してみる価値はある。

 これは、実に簡単な呪文で正体を明かすことができるのでな。カロー、下がっているがいい。ノット、ネズミから手を離すな」

 

 

 スネイプは杖を抜くと、無言で杖を振った。すると、青白い光が杖からほとばしった。ネズミは宙に浮き、そこに静止した。小さな黒い姿が激しくよじれた。そして、ぽとりと地面に落ちて、そして――

 

 

「この人が、ピーター・ペティグリュー……?」

 

 

 一人の男が手をよじり、後ずさりしながら立っていた。

 まばらな色褪せた髪はくしゃくしゃで、てっぺんに大きな禿があった。ネズミ臭さが漂っており、はあはあと浅く早い息遣いでセレネたちを見渡した。

 

 

「せ、セブルス・スネイプ……」

「久しぶりだな、ペティグリュー。まさか、我輩のことを覚えていたとは」

 

 

 ペティグリューが何か答えようとする前に、スネイプはまた杖を鞭のように振った。杖先から縄が飛び出し、瞬く間にペティグリューを拘束する。

 

 

「す、スネイプ。学生の時のことは悪かったと思ってる。だから――」

「我輩としては、どうして12年間、生きながらえてなお姿を現さなかったことの方が不思議だ」

 

 

 スネイプはねっとりとした声色でペティグリューに話しかける。ペティグリューはキーッとネズミのような小さな悲鳴を上げた。スネイプはそんなペティグリューを一瞥すると、セレネたちの方へ視線を向けた。

 

 

「この男は一度、しかるべき場所へ連れて行く。カロー、ノット。君たちの保護者にも、迎えに来るよう連絡しておこう。セレネはここで待っているがいい。我輩が直接送ろう」

 

 スネイプは二匹の白銀の鹿を創り出すと、ペティグリューを連れて姿くらましをした。

 

 おそらく、彼が作り出した守護霊は、伝言をノットとカロー姉妹の保護者に伝えに行ったのだろう。スネイプは顔色一つ変えずにあそこまで高度な呪文を成功させたのだ。セレネは、やはりホグワーツの教師は凄いと感心した。

 

 

 

 最初に来たのは、ノットの父親だった。

 

 セレネの手を握り、「これからも息子をよろしく頼む」と言うと、ノットを連れて颯爽と姿くらましをして去って行った。

 

 

 

 フローラとヘスティアの両親は来なかった。 

 代わりに来たのは、彼女たちの従兄であった。アレクト・カローと名乗った従兄は、ずんぐりしていて目が細い。色白で不健康そうな男であった。

 

 

「ほう……お前が『スリザリンの継承者』か」

 

 

 と、じろじろとセレネのことを値踏みするように視てくる。

 実に気色悪い視線である。さらに、さっさと帰ってくれればいいのに

 

 

「またスネイプは戻って来るんだろ? オレはあいつに話があるんだ」

 

 

 と言い出し、そのあたりをぶらぶらと歩き回り、そこらかしこに置かれているマグルの製品にケチをつけている。

 

 やがて、アレクトは

 

 

「ん、あっちに灯りが見えるぞ」

 

 

 と叫ぶと、階段を上って行ってしまった。姿が見えなくなると、フローラが申し訳なさそうな顔で謝って来た。

 

 

「すみません、ゴーント先輩。従兄が失礼なことを……」

「いいのよ、別に構わないわ」

 

 

 

 セレネがそう言うと、再びぽんっと軽い音が聞こえてきた。

 スネイプが戻って来たのかと思ったが、現れたのはマクゴナガルだった。

 

 

「スネイプ先生は手が離せない状態ですので、私が代わりに来ました。ゴーント、貴方を自宅まで送りましょう。

 フローラ・カロー、ヘスティア・カロー、貴方たちの保護者はまだ来ないのですか?」

「マクゴナガル先生、それが……上へ行ったきり帰ってこないのです」

「従兄のアレクトが来たのですけど……」

「アレクト、ですか」

 

 

 マクゴナガルの眉がぴくっと動いた。

 

 

「仕方ありません、呼んでくることに――」

 

 

 と、マクゴナガルがそこまで言ったときだった。

 アレクトが戻って来た。

 しかし、様子がおかしい。白い顔からさらに血の気が失せ、身体中がぶるぶると震えている。右腕を痛そうに抑えながら、血走った眼はある一点を見つめていた。

 

 

「……アミカスを呼んでこねぇと……はやくしねぇと……」

 

 

 小さい声でなにやらぶつぶつと呟いている。狂ったように呟く様子は、まさに異様であった。

 

 

「アレクト・カロー?」

「い、いや、なんでもない。なんでもない! ほら、フローラ、ヘスティア。さっさと帰るぞ」

 

 

 すぐにでもこの場から逃げ出したいと言わんばかりの早口で、双子姉妹の手を握り「姿くらまし」をした。

 

 一体、彼は何を見てしまったのだろうか。上の階にはなにがあるのだろうか。セレネは上を見上げる。たしかに、階段の踊り場の先――廊下の一番奥のドアが半開きになっており、隙間からちらちらと灯りが漏れていた。黒い床に金色の長い筋を描いている。

 

 

 

「……誰かいるのでしょうか?」

「そうですね。ですが、あとのことはマグルに任せましょう」

 

 

 マクゴナガルが下の階を指さした。

 

 腰の曲がった男が鍵をじゃらじゃら鳴らしながら上って来るのが見えた。おそらく、この屋敷の管理人か誰かだろう。

 

 ここにいては、少し面倒なことになりそうだ。

 

 

 セレネはマクゴナガルが差し出した手を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はたして、アレクト・カローは何を目撃したのか。

 

 管理人のマグルが、このあとどうなってしまったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 それが分かるのは、まだまだ先の未来の話――。

 

 

 

 

 

 



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41話 ホグワーツ特急に乗って

「『クィディッチ・ワールドカップでの恐怖』……か」

 

 

 セレネは日刊預言者新聞の一面をさっと流し読みした。

 写真の中では、ヴォルデモートの証、通称「闇の印」がちかちかと点滅している。クィディッチワールドカップで起こった死喰い人たちの暴動と死人が出た噂のことが記載されていた。

 

 ペティグリューのことについては、本当に小さな記事しか出てなかった。

 

 しかも、記事によれば、魔法省大臣が事情を聴きだすために連れて来た吸魂鬼がペティグリューに襲いかかり、12年前の事件の詳細を話すことができなくなってしまったらしい。

 結果、まだシリウス・ブラックの容疑は晴れず、指名手配されている。12年前のマグル大量殺害事件の真相は闇のままだ。

 

 

「まあ、どうでもいいけど」

 

 

 新聞をベッドの上へ放り投げる。

 

 ブラックの生死はもうどうでもいい。

 無実なのにも関わらず、腕を斬ってしまったことは申し訳なく思っている。恨まれているかもしれない。

 だが、それよりも大事なことは予言である。ペティグリューが捕縛されたことにより、予言は成立しなくなった。よって、ヴォルデモートの復活も阻止できたかもしれない。

 そう思うと、セレネは比較的心が楽になった。

 

 運命だの予言だの定められた未来を信じたくないし、興味をそこまで持つことができない。

 しかし、もしそれが本当に実現するのであれば、全力で阻止するまでである。そして、今回はできる限りのベストを尽くした。これで駄目なら、あとは復活に備えて魔法などの修練を重ねるするしかない。

 

 

「セレネ、そろそろ行く時間だよ」

 

 

 下の階から、義父の呼ぶ声が聞こえてきた。

 セレネは行儀よく返事をすると、重たいトランクを持ち上げて階段を駆け下りた。

 

 

 

 今日は9月1日。

 ホグワーツ特急が発車する日である。

 

 

 

 

「また半年間もセレネと会えなくなるなんて、寂しいな」

 

 

 義父のクイールは寂しそうな笑みを浮かべた。

 

 

「たまには手紙を書いてくれると嬉しいよ」

「分かりました、お義父さん」

 

 

 車にトランクを詰め込みながら、セレネはにっこりと笑い返した。

 

 

「なにか学校で困ったことや危険が迫った時は連絡するんだよ。できる限り力になるから」

「ありがとうございます」

「……絶対だよ? 僕は君のお母さんから君を託されているんだからね」

「お母さん、ですか」

 

 

 セレネは小さく呟いた。

 セレネは自分の母親の顔を知らない。

 名前はメアリー・スタイン。性別は女。クイールの友人。科学者?であり、東洋に旅行する趣味がある。この程度の情報しか知らなかった。

 

 

「お義父さんは心配し過ぎです。私、もう大人ですよ」

 

 

 セレネは後部座席に乗り込みながら、やや怒ったような口調で言ってみる。

 すると、運転席のクイールは少し乾いたような笑い声をあげた。

 

 

「ははは、セレネはまだまだ子どもだよ。14歳じゃないか。だから、僕に心配させてくれ」

「それでも、私は十分大人です。学校の規則を破ったこともない優等生です。なので、心配しなくても大丈夫です」

 

 

 ぷいっと口を尖らせて言えば、クイールは苦笑いをしながらエンジンをかけた。

 しばらく車内は静寂に包まれる。車にぶつかる雨音だけが、やけに響いて聞こえた。ホグワーツに着く頃には雨がやんでいるといいな、なんて考えながら窓の外を見つめる。灰色の風景に自分の浮かない顔が映し出され、セレネは心の中で舌打ちをした。

 こんな風景を見ていると、昨年度、吸魂鬼に襲われて医務室に入院したことが蘇ってくる。

 

 あの夜も今のように自分の顔は歪んでいて、雨が窓に弾けて流れていっていた。

 

 

「……メアリー・スタイン」

 

 

 だからだろうか。気がつくと、セレネはぽつりと呟いていた。

 

 

「私のお母さんは、どのような人だったのですか?」

「それは……」

 

 

 クイールは言い淀む。そして、言葉を選ぶように教えてくれた。

 

 

「セレネのお母さんはね、不思議な人だったんだよ」

「不思議?」

「丘の上のお屋敷に住んでいてね、幼い頃から僕と一緒に遊んでいたんだ。でも、学校は別々でね。大きくなると彼女はフランスの学校に留学したんだ。よくね、フランスから手紙が届いたよ」

 

 

 その時のことを思い出したのだろう。クイールの目元が緩んだのが見えた。

 

 

「ボーバトンだっけ? そんな感じの名前だったよ。ピレネー山脈のどこかにあるって言ってたっけ。

 その学校を卒業してからは、ずっと屋敷にこもって研究していたよ」

「どのような研究ですか?」

「それが、僕が聞いても笑って答えてくれないのさ」

 

 

 クイールの答えに、セレネは眉をひそめた。

 

 

「もしかして、怪しい研究をしていたのでしょうか?」

「あはは、そうかもね。だって、子どもの頃……メアリーは言ってたんだ。『私の将来の夢はあるモノを創り出すこと』だって」

「あるモノとは?」

「それは、さすがに教えてくれなかったよ。なんとなく、想像は出来たけど」

「……そうですか。ちなみに、私の父は?」

 

 

 すると、彼は悲しそうな顔になった。ゆっくり首を横に振り、知らないと口にする。

 

 

「あの家に男の人が出入りしているところは、一度も見たことがないんだ。だから、あの日――メアリーから乳飲み子のセレネを託された日は、とても驚いたよ。

 『名付けは、セブルス・スネイプに頼みたい。ただし、ミドルネームはマールヴォラ。ファミリーネームはゴーント』って」

「もう、すでにゴーントというファミリーネームは決まっていたのですか?」

「うん。そうだよ」

 

 

 セレネは口元に手を添えて考え込んだ。

 その時点で、自分のミドルネームとファミリーネームは決まっていた。

 

 ゴーント家の当主に、マールヴォロ・ゴーントと言う名の男がいる。

 あまりにも彼と似たミドルネーム。そして、ファミリーネームは蛇語を使えるゴーントだ。こうなると、随分と父親候補が限られてくる。

 

 しかし、これは明らかに矛盾が生じてくる。 

 

 マールヴォロはもちろん、『生粋の貴族-魔法界家系図』に記されていた最後のゴーント家の人物、モーフィンもセレネが産まれる遥か昔に死んでいる。

 そうなると、残された人物はトム・マールヴォロ・リドルのみとなってしまう。つまり、ヴォルデモートだ。セレネとしては、あんな亡霊紛いの大量殺人鬼が父親だと思いたくないし、絶対に認めない。

 

 

「それまで、母はゴーントの関係者と付き合っていなかったのですか?」

「そうだね、ゴーントなんて初めて聞いたから『ゴーントってどんな男なんだ?』って聞いたことがあるんだ。そしたら、凄い剣幕で『いまはそれどころじゃない』って怒られたよ。

 ……それから数時間後に……」

 

 

 クイールは顔をわずかに伏せた。

 

「メアリーの屋敷から、父親の遺体が発見されたんだ」 

「……えっ?」

 

 

 

 セレネはクイールの顔をまじまじと見つめた。

 クイールはちらりとセレネの方を一瞥すると、申し訳なさそうな顔になった。

 

 

「君も大きくなったから言っていい頃かもしれない。

 僕が『やっぱり、赤子なんてあずかれないよ』って言いに行ったんだ。そしたら、家の鍵が開いていて、玄関を入ってすぐのところに……倒れていたんだよ。白い髪で赤い目をした男が」

「それって……」

 

 

 セレネが身を乗り出したとき、車はキングス・クロス駅の駐車場に停車した。

 

 

「この話の続きは、またクリスマス休暇にしよう」

「そんな……」

 

 

 とてもいいところだったのに、とセレネは頬を膨らませた。御馳走を目の前で取り上げられた気分である。

 クイールはどこか寂しそうな笑顔で車からトランクを下ろした。手際よくカートに載せると、駅構内に向かって押し始める。

 

 

「それなりに長い話になるんだ。君は……あまり、思い出したくない話もあるだろうし」

「そんなものありませんよ」

「強がらなくていいんだ。君はまだ庇護される存在なんだからね」

 

 

 クイールはセレネの髪を優しく撫でた。

 その手は少し硬かったが、撫でられているとじんわりと身体が温かくなっていく気がした。

 

 

「だ、大丈夫ですから!」

 

 

 セレネは頬を赤らめると、その手から逃れる。そのままクイールからカートの持ち手を代わると、てきぱき9と3/4番線へ急ぐ。

 そんな時だった。

 

 

「あっ、ゴーントじゃないか」

 

 

 聞きなれた声に、優等生の仮面をつけ直す。

 振り返ると、そこにはドラコ・マルフォイがいた。彼の下僕――クラッブとゴイルの姿は見えない。代わりに、父親であるルシウス・マルフォイがいた。

 

 

「こんにちは、マルフォイ。良い夏休みでしたか?」

「もちろんさ。僕はクィディッチワールドカップの決勝戦を貴賓席で観覧したんだ。目の前でビクトール・クラムがウロンスキー・フェイントをかけるところを見たのさ」

 

 

 どうだ、と言わんばかりの表情で自慢話をしてくる。

 生憎、セレネは箒に興味はあってもクィディッチにそこまでの関心はない。

 

 

「そうですか。貴賓席とは凄いですね」

「そうだろう。父上が聖マンゴ魔法疾患障害病院に多額の寄付をして――」

「それよりも、前を見ていないと柱にぶつかりますよ」

「えっ――うわっあ」

 

 

 マルフォイは間一髪のところでカートを逸らし、柱を回避した。少し恥ずかしかったのだろう。彼の耳が真っ赤に染まっていく。セレネはそんな少年を横目で見ると、ルシウス・マルフォイに頭を下げた。

 

 

「こんにちは、マルフォイさん。クリスマスは招待してくださり、ありがとうございました」

「あれは、ドラコがしたことだ。礼を言われるようなことではない」

 

 

 そんなことを話していると、クイールが少し嬉しそうに目を輝かせながら近づいてきた。

 

 

「セレネ、もしかして学校の友だち?」

「え……いえ、友だちというよりも同寮の同級生です」

「そうなんだ。僕には仲がよさそうに見えたけどね。君、セレネと仲良くしてくれてありがとう」

 

 

 マルフォイはクイールを見ると何も答えなかった。

 純血主義の彼にとって、マグルなど虫けら以下の存在である。ただ、小さく、本当にわずかに黙したまま頭を下げると、セレネの方を振り返ることもなく早足で去って行った。

 

 もしかしたら、クイールがマグルとはいえセレネの育て親だったからかもしれない。

 意外と礼儀正しい男である。セレネは口元に笑みを浮かべた。

 

 

「恥ずかしがり屋なのかな、あの子は」

「さあ、どうでしょう」

 

 

 何気ない話をしながら、9と3/4番線の柵を通りに受ける。

 もうすでに紅色に輝く蒸気機関車 ホグワーツ特急は入線していた。吐き出し白い煙の向こう側に、ホグワーツの学生や親たちが大勢、ゴーストのような影になって見えた。フクロウの声も時折聞こえ、魔法の世界に足を踏み入れたような気持ちがした。

 

 誰もいないコンパートメントを見つけると、クイールに手伝ってもらいながら荷物を運び入れた。

 

 

「それじゃあ、またクリスマスにね」

「そのときは、さっきの話の続きをお願いします」

 

 

 窓から身体を少し乗り出し、ホームに立つ義父に話しかける。

 これで、また約半年間も会えないと思うと少し寂しく思えた。そのうちに汽車がしゅーっという音を上げ、音を立てながら進み始めた。

 

 

「なにかあったら、すぐに連絡するんだよ」

 

 

 クイールは汽笛に負けないくらい大きな声で叫んだ。

 

 

「君は、僕の義娘なんだから!」

 

 

 クイールは微笑みながら手を振ってくる。セレネも大きく振り返した。そして、列車がカーブを曲がると、彼の姿は小さく小さくなり、点となって消えた。

 

 

「……行ってきます、お義父さん」

 

 

 もう聞こえない相手に向かって、小さく呟いた。

 セレネは席に腰を掛け直すと、鞄の中から本を取り出した。錬金術関係の本を読み、賢者の石の錬成方法を解析したいところだったが、生憎と資料が足りな過ぎる。こればかりは、ホグワーツに戻る必要があった。

 しかたないので、マグルの書籍――ベオウルフを読むことにする。

 

 

 セレネは汽笛を遠くに聞きながら、最初の一ページをめくろうとした――その瞬間だった。

 

 

「セレネ師匠!!!」

 

 

 コンパートメントの扉が勢いよく開き、小さな影が飛び込んでくる。

 セレネは考える間もなく杖を取り出し、影にまっすぐ突き付けた――が、その影はセレネの足元に蹲ると額を床にこすりつけながら、感極まる声で叫び出したのであった。

 

 

 

 

「セレネ師匠! スリザリンの末裔様! どうか、私を弟子にしてください!!」

 

 

 

 

 

 



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42話 新入生

 

 

「……弟子、ですか?」

 

 

 セレネは困惑してしまった。

 

 小さな子どもは、今も自分の目の前で床に額をこすりつけている。

 顔をよく見ていないので詳しく分からないが、少なくとも親衛隊に所属するスリザリン生でないことだけは確かであった。

 しかし、このホグワーツ特急に乗っているので、ホグワーツの生徒であることには違いない。セレネは小さく息を吐くと、杖をしまった。

 

 

「……申し出はありがたいのですが、私は弟子を取っていませんので。強くなりたいのであれば、他所を当たってください」

「そこをなんとか! スリザリンの末裔から直々に指導を頂きたいのです」

「……私の指導よりもホグワーツの教授陣の方が立派な指導をしてくれるわ。弟子になる以前に、授業を真面目に受けて、予習復習をしっかりしなさい」

「謙虚なところもさすがですー!」

 

 

 その子は顔を上げると、目をキラキラと輝かせながら見つめてきた。その眼に見つめられるとセレネはだんだんむず痒くなってくる。

 

 

「そもそも、貴方は誰ですか? いきなり扉を開けるなんて、礼儀がなっていません」

「あっ、申し遅れました」

 

 

 ぴしっと立ち上がると、これ以上ないくらい背筋を伸ばした。

 

 

「僕は、グラハム・プリチャード! 今年の新入生――」

 

 

 と、彼が名乗り始めた、その時のことだった。

 

 

「「そこまでです」」

 

 

 開けっ放しになった扉の向こうに、2人の少女が姿を現した。

 フローラ・カローにヘスティア・カローだ。彼女たちは塵芥を見るような視線をグラハムに向けていた。

 

 

「通報を受けました。ゴーント先輩に直接弟子入りを志願する不届き者がいると」

「私たちでさえ、恐れ多くてできないことをやってのけるなんて……なんて、羨ましい!」

「代わりに、私たちから教育を授けてあげましょう」

 

 

 静かな怒気を孕んだ声色で通告すると、それぞれ片方ずつグラハムの腕をつかみ上げた。

 

 

「えっ、えっ? な、なにが起きるんですか!?」

「言い訳は私たちのコンパートメントで聞きます」

「親衛隊に入隊するのですよね? それならば、規則を徹底的に頭に叩き込んでもらいます」

 

 

 グラハムは情けない悲鳴を上げながら、カロー姉妹に連行されて去って行った。

 

 

「……まったく、なんなんだ」

「セレネは人気者だね」

 

 

 セレネがコンパートメントから顔を乗り出し、去り行くカロー姉妹の背中を眺めていると、声をかけられた。聞き覚えのあるおっとりとした声に、今度はホッと胸をなでおろす。

 

 

「ダフネ・グリーングラスですか。お久しぶりですね」

「うん、久しぶりだね。あっ、コンパートメントいっしょに座ってもいいかな? いい席が見つからなくて」

「どうぞ……そちらは?」

 

 

 ダフネの後ろに隠れるように佇む影に声をかける。

 先ほどのグラハムと同じくらい小さく縮こまった影であった。セレネに話しかけられると、ひっと小さな悲鳴を上げ、ますます縮こまってしまった。なにが恥ずかしいのか分からないが、耳まで赤く染めている。

 

 

「あー、私の妹のアステリアよ。普段はこんなに大人しくなくて、いつも話しているような子なんだけど……」

 

 

 ダフネはコンパートメントに入りながら苦笑いをした。

 

 

「きっと緊張してるのね。だって、アステリアはセレネのファンなの」

「ファン? 私、特に何もしてませんが」

 

 

 セレネも席に座りながら、こてんと首を傾げた。

 

 

「1年生の時はダンブルドア先生から直々に20点も貰ったし、秘密の部屋の謎を解いて『ホグワーツ特別功労賞』を貰ったし、蛇語だって使えるし、成績は1位2位を争っているし……十分、ファンができると思うよ。現に親衛隊だってあるし」

「……たしかに、それは事実ですが……」

 

 

 セレネは小さく肩を落とした。

 目の前で恥ずかしそうにもじもじとしているアステリア・グリーングラスにしろ、先程のグラハム・プリチャードにしろ、自分のことを直接知りもしないのに好意を持っている。その事実を知ると、なんだかむず痒い気持ちになった。

 

 

「変なことを吹き込まないでください。私は一介の生徒です」

「一介の生徒がスリザリンの巨大派閥のリーダーをしていないと思うけど」

「一介の生徒です」

 

 

 セレネが強調すると、ダフネは「まぁ、そんなところもセレネだよね」と言って笑った。

 

 

 それからしばらく、雨脚が強くなる音を小耳に挟みながら、2人で他愛もない話に花を咲かせた。

 その多くはクィディッチワールドカップの話だった。

 

 

「見てこれ、ビクトール・クラムの人形なの! ワールドカップで買ったんだ」

 

 

 ダフネはミニチュア人形を出す。クラムは真っ黒な眉をした無愛想な顔をした青年だった。

 

 

「ワールドカップで直接見たんだけど、とってもカッコよかったんだ。サイン、貰いたかったな……」

「有名人からサインは早々もらえませんよ。よほどの運がない限り」

「そうだよねー、本当に」

 

 

 ダフネはがっくりと肩を落とす。その背中を軽く叩きながら、セレネはクラム人形を見下した。セレネには、正直小気難しそうな男の良さが分からなかった。少なくとも、ダフネがほっぺたを赤らめながら興奮気味に話すほど、彼が良いとは感じなかった。

 

 

 そんな話をしているうちに、汽車は次第に速度を遅めていった。それと引き換えに、雨脚はますます強くなっていく。空は完全に黒く染まり、デッキの戸が開いたときなんて頭上で雷が鳴り響いた。外は土砂降りで、誰もが背を丸めて目を細めながら降りていく。

 まるで頭から冷水を何倍も浴びせかけるように、雨は地面に激しく叩きつけていた。

 

 一年生は伝統にしたがい、ハグリッドに引率され、ボートで湖を渡ってホグワーツ城に入る。

 

 

「……うわー……こんな日に湖を渡りたくないな」

 

 

 ダフネは妹の背中を見送りながら、身震いをした。 

 セレネたち上級生は馬車に乗り込み、城を目指す。

 

 

「本当に奇妙な馬ですよね」

 

 

 セレネは馬車を引く馬を一瞥した。

 馬車を引く馬は、以前から気になっていた。見た目は馬というよりも爬虫類に近い。まったく肉がなく、黒い皮が骨にピッタリと張り付いていて、骨の一本一本が透けて見える。頭はドラゴンのようで、瞳のない目は白濁し、じっと遠くを見つめていた。しかも背中の隆起した部分からは巨大な翼が生えている。

 

 魔法生物なのだろうが、あまりにも奇妙である。

 少なくとも、現時点におけるセレネの知識と符合する魔法生物はいなかった。

 

 

「馬?」

 

 

 しかし、ダフネはきょとんとした。

 

 

「なにもいないけど?」

「……そんなはずありませんが……」

 

 

 セレネは馬車に乗り込みながら、もう一度馬に目を向けた。

 やはり、白濁の目をした馬が目の前にいる。手を伸ばせば触れることだってできそうだ。

 

 

「すぐそこにいますよ。ほら、棒と棒の間に」

「でも、馬なんていないよ?」

「いや、馬はいるもん」

 

 

 すると、セレネの脇で夢を見るような声がした。

 隣に目を向ければ、先に馬車に乗り込んでいた少女がこちらを見ていた。レイブンクローのネクタイを巻いている。

 

 

「あんたがおかしくなったわけでもないよ、私にも見えるもん」 

「よかった。そうですよね」

「えっ、ということは私がおかしいのかな」

 

 

 馬が見える人間が二人もいることで、ダフネは焦りを感じたのだろう。慌てて目をこすったが、やはり何も見えないのか、不思議だなーと首を何度も傾げていた。

 

 

 

 ますます豪雨は激しさを増し、びしょぬれになったこと以外は特に変わったこともなく、ホグワーツに到着した。組み分けの儀では、アステリア・グリーングラスとグラハム・プリチャードを含む数人の生徒がスリザリンに入り、拍手で迎え入れた。

 アステリアは可愛らしく笑っていたが、セレネと目が合うと慌てて目を逸らされてしまった。

 同じくグラハムからも目を逸らされてしまったが、彼は宴中もずっと何かに怯える様にびくびく震えていた。

 

 

「……一体、フローラたちは何をしたんでしょうか?」

「気にするな。あいつらが行き過ぎた指導をしただけだ」

 

 

 セオドール・ノットがセレネの独り言を拾い、はぁっと疲れたように肩を落とした。ブレーズ・ザビニが彼の肩を慰めるように叩く姿が見えた。

 

 

「……なんか、申し訳ないことをしたのかもしれませんね」

「そんなことはない。お前が一人でも弟子を取ってみろ。後が大変だぞ」

「そうかもしれませんが……」

 

 

 セレネはグラハムにちらっと視線を向ける。彼は皿にフォークやナイフが当たる音だけでもびくっと震え、きょろきょろと辺りを見渡していた。おそらく、彼をそのようにした原因――カロー姉妹は優雅に上品な手つきでステーキを切り分けていた。

 

 

「さあ、新入生諸君よ」

 

 

 ダンブルドアが前に立ち、手を大きく広げた。

 

 

「おめでとう。古顔の諸君よ、お帰り。

 みんなよく食べ、よく飲んだことじゃろう。いくつか知らせがある、もう一度耳を傾けてもらおうかの」

 

 

 ダンブルドアは笑顔で全員を見渡した。

 彼が語るのは例年通り、管理人のフィルチからの通達事項、禁じられた森への立ち入り禁止について、ホグズミード村へは三年生になってから――など、いつもの諸注意事項だった。

 

 

 しかし。

 

 

「寮対抗クィディッチ試合は今年は取りやめじゃ。これを知らせるのは、わしは辛い役目での」

 

 

 この話以外は。

 誰もが絶句し、悲鳴を上げた。スリザリンのクィディッチチームに所属するモンターギューは、驚きのあまり口をパクパクさせている。

 だが、しかし、同じくクィディッチチームの花形、シーカーを務めるはずのドラコ・マルフォイは違った。彼はさもありなん、仕方なしと肩をすくめていた。

 

 

 これは、いったいどうしてなのか。

 セレネが考えている間に、ダンブルドアは話を進めた。

 

 

「これは、10月に始まり、今学期末まで続くイベントのためじゃ。

 実はのう、今年はホグワーツで『三大魔法学校対抗試合』が開催されることになった」

「御冗談でしょう!!?」

 

 

 グリフィンドールのテーブルの方から大声が聞こえてくる。

 

 

「いいや、ミスターウィーズリー。わしは決して冗談なんぞ言っておらんのう」

 

 

 ダンブルドアは愉快そうに言った。

 

 

「三大魔法学校対抗試合とは、ヨーロッパの三大魔法学校の親善試合じゃ。若い魔法使い、魔女たちが国を越えて絆を築くには、これが最も優れた方法だと衆目一致するところじゃった。

 夥しい数の死者が出るに至って競技そのものが中止されたのじゃが、今年から復活することにする」

 

 

 いたるところで、興奮した声がささやきあうのが聞こえた。「夥しい死者」という箇所に触れている人はごく少数で、誰もが「どんな競技をするのか」とか「優勝したら何がもらえるのか?」とかそんな類の話に花を咲かせていた。

 

 

「優勝者には1000ガリオンが与えられる。じゃが、安全面を考慮して、参加資格がある生徒は17歳以上じゃ」

 

 

 ダンブルドアがそう告げた瞬間に、少し騒ぎが静まった。「出場したい!」というオーラを醸し出し興奮していた16歳以下の生徒たちが、しゅんとなっている。

 17歳以上ということは、6年生以上ということ。

 

 4年生のセレネには関係ないことだった。

 

 

「セレネさんは、立候補するのですか?」

 

  

 アステリア・グリーングラスが掠れたような声で尋ねてきた。

 

 

「立候補するなら、私、全力で応援します」

「……ありがたいのですが、私は10月で13歳です。参加することはできません」

「あっ……す、すみません」

 

 

 アステリアは熟しきった林檎よりも赤く顔を染めると、顔を俯かせ、それっきりなにも話さなくなってしまった。

 

 

「でも、出場できたらカッコいいわよねー」

 

 

 ミリセント・ブルストロードが夢見心地な声で言ってくる。

 

 

「セレネはどう思うの?」

「私は出場したくありません。……死にたくないので」

 

 

 セレネは「優等生のセレネ」ならば立候補していたと考えていた。

 しかし、それ以前に死の危険は冒したくない。

 死を回避し、あのおぞましい線を視ない生活を送りたいのに、わざわざ死の危険に飛び込むような真似は絶対にごめんであった。

 

 

 今回は観戦するだけになってしまうが、そこから何か学べるものがあるかもしれない。何にしろ、外国の魔法使いをみることが出来るのだ。しかも、おそらく代表選手はエリート中のエリート魔法使い。そうとう凄い人が来るのだろうから、勉強になること間違いなしだ。

 

 

 もしかしたら、なにか「賢者の石解析」のヒントに繋がるものが見つかるかもしれない。

 

 

 雨に濡れて滑りやすい廊下を歩きながら、セレネは少しだけ10月が待ち遠しくなった。

 

 

 






……弟子入り志願者はあの子だと思いましたか?
残念、別の子です。原作では名前しか上がっていない男の子でした。

彼女の性格も変わっているので、今後もリメイク版をお楽しみください。




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43話 服従の呪文と魔法の目

 新学期になり、初めての授業は散々な結果に終わった。

 

 『魔法生物飼育学』の授業で扱った『尻尾爆発スクリュート』。

 それは、いままで聞いたこともなければ見たこともない生物だった。なにしろ、殻をむかれた奇形の海老のような姿で、ひどく青白いぬめぬめとした胴体からは勝手気ままな場所に足が突き出し、頭らしい頭が見えない。それが百匹近く籠の中に詰め込まれていたのだ。

 木箱の中でうようよと闇雲にうごめく様を見て、グリフィンドールの女子生徒が

 

 

「ギャーっ!!」

 

 

と悲鳴を上げて飛び退いたのは、絶対に悪くない。

 パーキンソンやミリセントは卒倒して、白目をむいて気絶しかけていた。

 

 

「ハグリッド先生、この生物は……教科書に記載されていませんが」

 

 

 セレネがそう言いながら『幻の動物とその生息地』を掲げると、ハグリッドは得意げな様子で答えてくれた。

 

 

「そりゃ、こいつが新種の生物だからだ。いま孵ったばっかしだ。

 そんで、おまえたちが自分で育てられるっちゅうわけだ! そいつをちいっとプロジェクトにしようと思っちょる」

 

 

 セレネは呆れて返す言葉がなかった。

 

 尻尾が爆発し、針で刺してくるような生き物を生徒に任せていいのだろうか。新種ならなおさらのこと、専門家の仕事である。そのような未知の生物を生徒に触れさせ、万が一のことがあったらどうするというのだろうか。

 セレネと同じ班でスクリュートを飼育しているダフネ・グリーングラスは遠い目をしながら

 

 

「……魔法生物飼育学って、もっともふもふな魔法生物と触れ合える授業かなって思ったのに……」

 

 

 と呟いていた。

 一つ向こうの班では、ドラコ・マルフォイが

 

 

「おやおや、なぜ僕たちがこいつらを生かしておこうとしているのか、僕にはわかったよ。火傷させて、刺して、噛みつく。これが一度にできるペットだもの、誰だって欲しがるだろ?」

 

 と、皮肉たっぷりに言っていた。

 それを受け、ハーマイオニー・グレンジャーが

 

 

「可愛くないからって役に立たないとは限らないわ。ドラゴンの血なんか素晴らしい魔力があるけど、誰もペットにしたいとは思わないでしょ?」

 

 

 と反論している。しかし、彼女の表情は酷く強張っている。

 おそらく、あれはマルフォイを黙らせるためだけに言ったのだろう。事実、今日の授業を見る限りでは、ハグリッドも「尻尾爆発スクリュートの有効性」が分かってないようだった。

 

 

「うー、いやいや!! こんな授業はもうごめんよ!」

 

 

 ミリセント・ブルストロードがスクリュートの爆発に巻き込まれ、火傷した手を庇いながら叫んだ。

 

 

「絶対にダンブルドアの許可は取ってないわ!! パパに手紙を書いて訴えてもらおうかしら!」

「本当にその通りだよ」

 

 

 ダフネも涙目で同意する。

 

 

「セレネもそう思うよね?」

「まあ……そうですね」

 

 

 あれが成長して手が付けられなくなったとき、ハグリッドはどうするのだろうか。

 それこそ、『三大魔法学校対抗試合』に選ばれたエリートに競技の中で倒してもらうのだろうか。そのことを話すと、彼女たちは苦笑いをした。

 

 

 

 そのあとは、特に目立った事件はなかった。

 ネビル・ロングボトムが魔法薬の授業中に、大鍋を溶かしてしまったことを除いては、だが。彼は魔法薬学との相性が悪く、これで溶かした鍋は六個目である。

 ネビルは泣きながら樽一杯の角ヒキガエルの腸を出す、という処罰をやっていた。

 

 宿題もそこまで出されることもなく、普段のマグルの勉強と賢者の石の研究をするため図書室や秘密の部屋に通う日々を送っていた。

 図書室では、ハーマイオニーとすれ違ったが、会釈をするだけで終わった。

 

 

 昨年度末のシリウス・ブラックの件以降、セレネはハーマイオニーとハリーから少し避けられていた。

 無理もない、とセレネは考える。 目の前で無実だった男の腕を切り落とす様子を見せられたら、危ない人物だと避けられても不思議ではない。

 ただ、そこまで彼らに避ける気がないのだろう。二人とも、こちらに何か伝えたいような顔をしていた。

 

 ただし、ロン・ウィーズリーは別である。

 彼はいまや完全な敵意を向けてきていた。過激派のフローラたち親衛隊に襲撃されるのは、きっと時間の問題だろう。

 

 

「……止めるように先に命令を出そうかしら」

 

 

 セレネは小さく呟いた。

 

 

「命令ですか?」

 

 

 その言葉を拾った少年がいた。

 ハッフルパフのジャスティン・フィンチ・フレッチリーだ。今日も制服のローブをしっかり締め、背筋を伸ばして立っている。

 

 

「命令だなんて、しもべ妖精……でしたっけ?に言うみたいですね」

「気にしないでください。こちらの話です。スリザリン内で、いろいろありまして」

「そうですか……なにかあったら言ってくださいね、僕、できる限り力になりますから」

 

 

 そう言って、にかっとジャスティンは爽やかに笑った。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 セレネも微笑み返したが、内心では現状、彼の助けを得るようなことは起こらないと考えていた。

 マグルの世界に伝手を作るためには彼の力を借りる必要があるだろうが、今のところ必要ない。今のセレネに必要なのは、賢者の石の解析方法と他の不死に至る方法を探ること、そして、万が一にもヴォルデモートが復活したときのために備える力を手に入れることだ。

 

 

「僕、次は『薬草学』の授業なんです。玄関ホールまで一緒に行きませんか?」

「別に構いませんよ。私は『闇の魔術に対する防衛術』なので」

 

 

 すると、ジャスティンの顔が少し青ざめた。

 

 

「何回目ですか?」

「防衛術の授業ですか? 次で二回目ですけど」

 

 

 セレネがさらっと答えると、ジャスティンの顔は更に強張ってしまった。

 

 

 『闇の魔術に対する防衛術』

 

 昨年度のリーマス・ルーピンが「人狼である」ことが判明し、退職してしまったため、新しい先生が担当していた。

 それも悪の魔法使いと戦う歴戦の「闇払い」アラスター・ムーディだ。

 

 

 初回の授業なんて、魔法使いに禁じられた三つの呪文『服従の呪文』『磔の呪い』『アバダ・ケダブラ』を目の前で蜘蛛を使って実演したのだ。

 本来は魔法省が六年生以上に見せることを限定させている呪文を、わずか四年生に見せるなんてどうかしている。だが、彼の解説は分かりやすく非常に実践的であった。

 

 なので、セレネは少し――次の授業を楽しみにしていたのである。

 

 

「あれは……ずいぶん怖かったです。セレネも気をつけてください」

「そこまで凄い呪いを実践したのですか?」

「僕は……口にするのもおぞましいです」

 

 

 少し震えるジャスティンと別れると、セレネは杖を取り出した。

 毎晩磨いているので、清潔に保たれている。魔法も魔力も万全、どのような呪いを習っても大丈夫な心構えもできている。

 むしろ、少しでも実践的な呪いを学びたい。

 

 セレネは少し口角を上げて、闇の魔術に対する防衛術の教室の扉を開けた。

 

 

 

 そして、驚いた。

 まさか、ムーディーが「服従の呪文」を一人一人にかけて、呪いの力を示し、果たして生徒がその力に抵抗できるかどうかを試すと発表したのだ。

 

 ジャスティンが怯えていた理由も分かった気がする。

 おそらく彼は、呪いに抵抗することができなかったのだ。

 

 ムーディは机を一振りして机を片付けると、教室の中央に広いスペースを作った。

 そのとき、ノットが迷いながら手を挙げる。

 

 

「先生、それは前回、人にかけるのは違法と習いました」

「ダンブルドアがこれがどういうものなのかを、体験的におまえたちに教えて欲しいというのだ」

 

 

 ムーディの義眼「魔法の目」がぐるりと回って、ノットを見据え、瞬きもせず、不気味な眼差しで凝視した。

 

 

「お前の父親が裁判で『抵抗できなかった』と証言した呪いだぞ? ええ? ヴォルデモートにかけられて、仕方なく悪事を働いたとな」

 

 

 ヴォルデモートの名が出たとき、一同の身が固まった。ダフネとミリセントは悲鳴を上げ、パーキンソンはマルフォイにしがみついた。

 

 

「お前たちの父親のことをよく知っとるぞ……親父に言っとくんだな、ムーディが目を離さないと」

 

 

 ノットは黙り込んだ。

 

 その後、ムーディは一人一人を呼び出して『服従の呪文』をかけ始めた。

 呪いのせいで、スリザリン生たちがおかしなことをし始めるのを、セレネは黙ってみていた。

 クラッブとゴイルは本物そっくりな豚の物まねをし、ダフネは部屋の真ん中で見事なバレエを踊り始めた。マルフォイはビートルズの曲を歌いながら、教室をケンケン跳びで三周した。マルフォイがマグルのメジャー曲を知るわけがないのに、完璧に歌いきっている。

 

 

 これは、かなり恐ろしい呪いである。セレネはごくりと唾をのんだ。 

 自分ならば、魔法をかけられる直前に『線』を叩き切ればよいが、かかってしまってはそうもいかない。呪いをかけられてから『魔眼』を使うことができるのだろうか。

 誰一人として、呪いに抵抗できたものはいなかった。呪いを解いたとき、初めて我に返るのだ。

 

 マルフォイは絶望で顔が青ざめていた。

 

 

「そんな……この僕がマグルの歌を……」

「心を強く持てば、支配を受けないですむ。いついかなるときでも、心を強く持てば支配されぬ! まさに油断大敵!

 次、ゴーント!!」

 

 

 セレネが前に出ると、その杖はすぐに胸へ向けられた。

 

 

「『インペリオ‐服従せよ』!」

 

 

 それは、最高に素晴らしい気分だった。

 すべての思いや悩みも優しく拭い去られ、漠然とした幸福感に包み込まれていく。気分が緩み、ふわふわと浮かぶような感じがした。

 

 

 ……ウサギの真似をしろ

 

 

 誰かの声が聞こえた。

 ムーディの声だ。義父よりも優しく、すべてを委ねたくなるような甘くて柔らかく包み込まれるような声である。セレネはその声に従うように、足を曲げた。

 

 

……腕を頭の横で伸ばせ。そして、教室を跳ねまわるのだ。

 

 

 腕を動かしかけ、ふと――どうしてこんなことをするのだろう?と疑問に思う。

 周りにはスリザリン生が多くいる。皆が自分のことを見ている。なのに、何故――ウサギの真似をしなければならないのだろうか。

 

 

……ウサギのように跳びはねるのだ。

 

 

 そのようなことは、気が進まなかった。

 どうしてやらなければならないのか、ちっともセレネには理解できなかった。そうなると、いま足を曲げている意味も分からない。

 セレネがふわふわした感情の中、悩んでいると、再びムーディーの声が聞こえてきた。

 

 

……早く跳びはねろ。跳ねれば楽になれるぞ。

 

 

 その声と共に、ふわふわと春の長閑な気候が雪崩れ込んできた。

 ああ、このままこの声に委ねてしまいたい。そう気もちが緩んだとき、眼鏡の向こうに『線』が見えた。床一面に張り巡らされた黒く禍々しい『死の線』だ。

 

 セレネはぎょっとして身体が固まった。

 それと同時に、なんて馬鹿なことをしているのだろうという気持ちが一気に広がっていく。

 

 

……ウサギのように跳べ!! いますぐに!!

 

 

「やるものか!!」

 

 

 セレネは闇雲に杖を振った。

 次の瞬間、セレネの脳内から長閑な感覚が一掃された。

 冬の朝に洗顔したように、一気にすっきり澄み渡る感覚が爪先から頭までを貫いた。

 

 幸福感は一切なくなり、現実が戻ってくる。

 

 すると、セレネは、いま足をかなり曲げていることに気づいた。

 

 それと同時に、ムーディが己の前に盾の呪文を構築していることにも。

 

 

「よくやった!! わしに針刺し呪いをかけようとしたな!? よい、それでいいのだ!!」

 

 

 ムーディは唸るように笑った。

 杖でコツ、コツとセレネに向かってくると、肩を強く叩いた。 

 

 

「見たか、おまえたち! ゴーントが打ち勝ったぞ!! やつらは、おまえを支配するにはてこずるだろうよ。スリザリンに10点をやろう!」

 

 

 セレネは照れくさくなった。

 完全に支配されたわけではなかったが、少し足を曲げる程度にはムーディに支配されてしまった。それはすなわち――負けを意味する。

 

 

「すごいね、セレネ!!」

 

 

 ダフネに拍手で迎えられたが、セレネの心はそこまで晴れない。

 結局、この時間に抵抗できたのはセレネだけだった。

 

 

「ちょっと来い、ゴーント」

 

 

 終業のベルが鳴り、皆が帰る頃――、ムーディはセレネだけを呼び止めた。

 青くギョロッとした眼がセレネを見据えている。

 

 

「お前のことは、ダンブルドアから聞いているぞ」

「……校長先生からですか?」

「そうだ。『闇の帝王』の配下を気取っていたクィレルと戦ったとかな」

 

 

 セレネは黙った。

 ムーディが何を言おうとしているのかが、まったく理解できなかったからだ。

 

 

「興味深い術を使うとも聞いた。今回はそれを使ったとは思えなかったが、一度見せてもらってもいいか?」

「……申し訳ありません。あまり使いたくないので」

 

 おそらく、彼が言っているのは『直死の魔眼』のことだろう。

 危険を感じたときは迷わずに使うが、今はその時ではない。セレネは軽く頭を下げると、ムーディは何か考え込むように黙ってこちらを睨み付けていた。

 不敵な笑みを浮かべたムーディは、分厚いコートの中に手を突っ込んだ。杖を取り出すのかと思い、セレネは素早く杖を構える。だが、彼が取り出したのは使い古した携帯用酒瓶だった。酒瓶を持ち上げグイッと飲み干すと、不味そうに顔をしかめる。

 

 

「もういい、行け。今日はよくやった」

 

 

 それだけ言うと、セレネを解放してくれた。

 彼は、いったい何を言いたかったのだろうか。

 

 

 

 セレネは釈然としない思いを抱えて、教室を飛び出した。

 

 

 

 その背中を、じっと「魔法の目」が見つめていることを感じながら。

 

 



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44話 三大魔法学校対抗試合

 

「ボーバトン、だと?」

 

 

 つい、セレネは素で呟いてしまった。

 

 玄関ホールの掲示板に書かれていた『三大魔法学校対抗試合開催に関する諸注意事項』を読み、呆気にとられてしまっていた。

 

 

「へー、ダームストラングとボーバトンが来るんだね。楽しみだね、セレネ。……セレネ?」

 

 

 ダフネが心配そうに顔を覗き込んでくる。

 セレネははっと我に返ると、いつもの優等生の仮面をかぶった。

 

 

「そうですね、とても楽しみです」

「そう? なんだか、驚いているみたいだけど……」

「そんなことありませんよ。ほら、急がないと次の授業に遅れてしまいます」

 

 

 セレネは掲示板に背を向けると、颯爽と歩き始めた。ダフネが慌てて後を追いかけ来る音が聞こえる。セレネは冷静を装っていたが、内心はかなり動揺していた。

 

 なにしろ、自分の母親――メアリーの母校の名前と同じだからである。

 

 マグルだと思い込んでいた母親が、れっきとした魔女だった可能性が出てきたのだ。

 もしかしたら、ボーバトンが来校したら母に関する話を聞くことができるかもしれなかった。クイールから聞くよりも、より詳しく思い出を語ってくれるかもしれない。

 

 

 そう思うと、かなり気分が弾み始めた。

 具体的に言えば、グラハム・プリチャードのノートにサインするくらい気分が良くなっていた。この事実を聞きつけた親衛隊員たちがこぞってサインを求め、セレネの前に長い行列が生じ、気分が降下したのは、また別の話である。

 

 

 

 

 そして、ついにダームストラングとボーバトンが来校する日になった。

 

 大広間はもちろん、廊下の隅から隅まで清掃され装飾がされている。この大広間1つとっても、普段とは様変わりしていた。壁には各寮を示す巨大な絹の垂れ幕が掛けられている。スリザリンは緑地に銀の蛇で、グリフィンドールは赤に金の獅子。レイブンクローは青にブロンズの鷲で、ハッフルパフは黄色に黒の穴熊だ。廊下に飾ってあった煤けた肖像画の何枚かが汚れ落としされているし、甲冑も今までにないくらい磨かれ輝いていた。

 

 

 出迎えのため、玄関ホールに向かうと各寮の寮監が生徒たちを整列させていた。

 

 

「ゴイル、帽子が曲がっているぞ。クラッブ、ボタンがとれている。ワリントン、お前はもっと背筋を伸ばせ」

 

 

 スネイプが低い声で注意を飛ばしていた。

 そのまま、皆が並んだまま正面玄関を降り、城の前に整列した。寒い夕方だった。良く晴れ渡り雲一つ見当たらない。透き通ったような夕闇が迫り、禁じられた森の上には青白い月が輝き始めていた。

 

 アステリア・グリーングラスたち一年生が期待で本当に震えているのが見えた。

 

 

「ほほー!」

 

 

 ダンブルドアが先生方の並んだ最後列から声を上げた。

 

 

「わしの目に狂いがなければ、ボーバトンの代表団が近づいてくるぞ!」

 

 

 誰もがダンブルドアの指した方向を見た。

 すると、6年生が森の上空を指して叫んだ。

 

 

「あそこだ!!」

 

 

 なにか大きなもの、箒よりもずっと大きいものが濃紺の空をぐんぐん大きくなりながら疾走してくる。

 

 

「ドラゴンだ!!」

 

 

 グラハム・プリチャードが気が動転したような金切り声を上げた。

 

 

「違うよ、あれは空飛ぶ船だよ!」

 

 

 グリフィンドールの一年生、デニス・クリービーが叫ぶ。

 

 

 結論から言うと、デニスの推測の方が正しかった。

 巨大な黒い影が禁じられた森の梢をかすめたとき、城の窓灯りがその影を捕らえた。巨大なパステルブルーの馬車だ。大きな館ほどん馬車が十二頭の天馬に引かれて、こちらに飛んでくる。

 その天馬も金銀に輝くパロミノで、それぞれがゾウほども大きい。

 

 

「きれい……」 

 

 

 アステリアの感嘆する声が聞こえてきた。

 金色の天馬は着地すると太い首をもたげ、火のように赤く燃え上がる大きな目でこちらを見てきた。

 

 

 馬車の扉が開くと、ぴかぴか輝く黒いハイヒールが片方現れた。子どものそりほどにもある靴である。続いて現れた女性は、セレネが今までに見た中で最も背が高く、貫禄のある女性だった。彼女に続き降りてきた淡い水色の薄手のローブを着た少年少女がより小さく見えてしまう。女性は長身のダンブルドアよりも頭三つ分ほども高く、巨人かと思ってしまう。

 

 

「きっと、あれがボーバトン校長のマダム・マクシームだわ」

 

 

 ミリセント・ブルストロードがセレネに耳打ちして来た。

 セレネの位置からでは、マダム・マクシームとダンブルドアがなにを話しているのか分からない。ただ、マダムが寒さで震えるボーバトンの生徒たちを引き連れて、城の中へ入っていくのを見届けた。

 

 

「ほら、セレネ。あっちを見て!! 湖よ!」

 

 

 ダフネがセレネの袖を引き、そちらに視線を向けると、ちょうど湖から巨大な帆船が浮かび上がるところだった。まるで、映画に出てくる海賊船のようだ。難破船のようにも見える怪しげで巨大な船は、ゆらりゆらりとこちらへ近づいてくる。

 斜め前にいるカロー姉妹が

 

 

「あれが、ダームストラングですね」

「姉様、どの人も皆強そうですね」

 

 

 と、乗員が下船してくる様子を見ながら、こそこそと話していた。校長と思われる男は滑らかで銀色の毛皮を羽織っている。ひどく痩せて、貧相なあごをした男だった。

 少し離れたところにいるマルフォイが

 

 

「あれが、イゴール・カルカロフ校長さ。僕の父上の古い馴染みでねー」

 

 

 と、パーキンソンに向かって鼻高々に語っている。

 セレネはダームストラングはボーバトンほど興味がない。早くこの歓迎が終わり、大広間に入って料理を食べたくて仕方なかった。

 

 

「見て! 見て、セレネ!!」

「凄い、まさか、本物!?」

 

 

 なので、いきなり周囲の女子生徒が金切り声を上げ始めたので驚いてしまった。

 

 

「どうしたのですか、2人とも」

「ああ、セレネ。羽ペン持ってない?」

「ごめんなさい。寮にあります。なぜ、いま羽ペンが必要なのですか?」

 

 

 セレネが尋ねると、ダフネもミリセントも顔を真っ赤にしながら高らかに叫んだ。

 

 

「「ビクトール・クラム様が来てるからよ!」」

 

 

 と。

 セレネは2人の視線の方向を辿った。すると、確かにダフネがホグワーツ特急の中で見せてくれた人形そっくりの男が歩いている。

 

 

「あれが、世界最高のクィディッチ選手ですか」

「そうよ。まさか、学生だったなんて……あー、サインを貰いたいわ」

 

 

 ミリセントが蕩けた声で呟いた。セレネは彼女の背中を軽く押した。

 

 

「大丈夫です。しばらくこの城に滞在するのですから、きっと貰う機会がありますって」

「そうだといいんだけど」

 

 

 セレネも適当に言った慰めだったが、その機会は意外と早く訪れた。

 歓迎の夕食の時、ダームストラングの生徒たちが、スリザリンのテーブルに着いたからである。これにはスリザリン以外の多くの生徒たちが落胆していた。

 その生徒たちの顔を横目で見ながら、マルフォイは誰よりも得意げな顔をしていた。彼は身体を乗り出すようにして、クラムに話しかける。

 

 

「やあ、君があの有名なビクトール・クラムだって? 僕は、ドラコ・マルフォイ。イギリス魔法界でも由緒正しき血統の末裔さ」

 

 

 マルフォイが話しかけると、クラムはむすっとした表情をした。しかし、根は律義なのだろう。マルフォイが次々に繰り出してくる問いに一つ一つ丁寧に答えている。おかげで、まだ分厚い毛皮のコートを脱げていない。

 セレネはため息をついた。

 

 

「マルフォイ。彼はまだコートも脱いでいません。なのに、それを妨げるように話しかけるのは、いかがなものでしょう?」

 

 

 セレネは隣の席のマルフォイに話しかけた。

 

 

「客人を優先しない行為は、スリザリン生の品位に関わると思いますが」

「うっ……」

 

 

 マルフォイは喉を詰まらせたような表情になると、それ以降、しばらく何も語らなかった。

 クラムを含むダームストラングの生徒たちは毛皮のコートを脱ぐと、興味津々で星の瞬く天井を眺めている。対するレイブンクローの席に座るボーバトンの生徒たちは、いまだにスカーフやショールを身に着けたまま震えていた。

  

 

 これは、学校間の差異という奴だろう。

 場所しかり、教育しかり。ホグワーツと異なっている。まさに、これは異文化交流だ。

 

 

 

 

 

「皆、大いに食べ、飲んだことじゃろう。

 そろそろ三大魔法学校対抗試合の代表選手を決める方法を発表するかの」

 

 

 食事が終わる頃、ダンブルドアが大きく手を開いた。

 

 彼の背後には、今回の対抗試合開催に尽力した魔法省の二人――ルード・バクマンとバーテミウス・クラウチが座っている。

 

 

「参加三校からは各一人ずつ、代表選手を選出する。その代表選手を選ぶのは、公正なる『炎のゴブレット』じゃ!」

 

 

 ここで、ダンブルドアは管理人のフィルチが持ってきた箱を杖で三度叩いた。

 すると、箱はゆっくり溶けていき、中から大きな荒削りの樹のゴブレットが現れた。一見見栄えしない杯だったが、その名の通り、青い炎が踊っている。

 

 

「代表選手に名乗りを上げたい者は、羊皮紙に名前と所属校名をはっきり明記、ゴブレットの中に入れなければならぬ。ただし、年齢に満たない生徒は誘惑にかられることがないように。

 『炎のゴブレット』の周りには、わし自らが年齢線を書くことにする」

「ダンブルドア自らが年齢線を書くのか」

 

 

 それなら、ますます参加は不可能である。

 

 

 眼を使い、年齢線そのものを破壊してしまえば簡単だが、そのあとに年齢線を張り直すことができない。あのダンブルドアのことだ。壊したのが何者か、すぐに突き止めてしまうだろう。

 

 

 

 

 

 

 なので、セレネはたいして気に留めることなく翌日の土曜日――ハロウィンを迎えた。

 大広間の飾りつけは、すっかり変わっていた。生きた蝙蝠が群がって魔法のかかった天井を飛び回っていたし、何百というカボチャが浮かび、にたぁっと笑っていた。

 

 セレネが一足早く椅子に座り、本を読んでいると、隣にノットが腰を下ろした。

 

 

「スリザリンから誰が立候補したか、知ってるか?」

「いいえ、誰です?」

「ワリントンとモンタギュー」

「……そう」

 

 

 二人とも、スリザリンのクィディッチ選手である。

 二人とも昨年度はフリントの右腕・左腕として腕を鳴らしていた人物だ――が、セレネからしたら小物である。一年生のセレネにあっけなく負けていた時点で、代表選手にはまずなれまい。

 

 

「まあ、2人は無理でしょうね」

「親衛隊からも誰か立候補させるか?」

「いいえ、別にいいわ。誰が代表選手になっても、一丸となって応援すればいいだけよ」

 

 

 セレネは本に目を落としたまま、淡々と言った。

 親衛隊に代表選手になれそうな実力者はいるが、みんな17歳に達していなかった。

 

 

「ちなみに、他は誰が立候補したか知ってる?」

「オレが知っている限りだと、グリフィンドールのアンジェリーナ・ジョンソン。レイブンクローのロジャー・デイビス。それから、ハッフルパフのセドリック・ディゴリーだ」

「みんなクィディッチ選手ね。まるで、スポーツの祭典だこと」

「……なんだか、乗り気じゃないみたいだな」

 

 

 ノットが眉を上げて尋ねてきた。

 セレネは本をぱたりと閉じると、自分の頭上で笑うカボチャを睨みつけた。

 

 

「今日がハロウィンだからよ」

「……ああ、そういうことか」

 

 

 ノットも合点したように目を閉じる。

 

 毎年、ハロウィンの日に何か騒動が起こっている。

 

 

 1年目はトロールの襲来。

 2年目はバジリスクのアルケミーがミセス・ノリスを石化させた。

 そして昨年度、つまり3年目は、ヴォルデモートの支持者と思われていたシリウス・ブラックが『太った婦人』を襲った。

 

 このように毎年何か事件が起こっているのだ。今年の『三校対抗試合』の『代表選手』を決めるという1つのイベントはあるが、先程から感じるこの悪寒は何なのだろう。

 なにか、とんでもないことが起こりそうな気がする。

 

 

「まあ、さすがに4年連続はないだろ」

 

 

 ノットは楽観的な声色で言った。

 

 

「この状況でどんな事件が起きるんだよ。名門魔法学校の校長が三人もそろっているんだぞ? どんな事件が起きても対処できそうじゃないか」

「それはそうですけど……」

 

 

「さて、ゴブレットは、ほぼ決定したようじゃ」

 

 

 ダンブルドアは髭を撫でながら、ゴブレットを見上げた。

 ダンブルドアがゆっくり手を伸ばすと、ゴブレットの炎が青から紫色に近い赤へと様変わりする。火花が飛び散り、一気にメラメラと宙を舐めるかのように燃え上がった。その炎の舌先から焦げた紙が1枚、ダンブルドア先生の手の中にハラリと落ちていく。炎の色は青白い色に戻り、静かにゴブレットは燃え続ける。

 

 

「ダームストラングの代表選手は…『ビクトール・クラム』」

 

 

 老人と思えないほど力強く、はっきりとした声でダンブルドアは読み上げた。

 大広間が拍手の嵐、歓声の渦に包みこまれる。

 

 

「そうよ、やっぱりクラム様よね!!」

「そうそう、クラム様が代表選手に決まってるわ!!」

 

 

 ミリセントとパーキンソンが黄色い声を上げていた。そのまま二人は、スリザリン寮のテーブルの奥で立ち上がったクラムの後を追っている。彼は右に曲がり、教職員テーブルに沿って歩き、その後ろの扉から、隣の部屋へと姿を消した。クラムが私たちの前から姿を消した頃、再びゴブレットの炎が赤く染まる。炎に巻き上げられるように、焦げた紙が飛びだし、ダンブルドアの手に収まった。

 

 

「ボーバトンの代表選手は……『フラー・デラクール』」

 

 

 レイブンクローの席についていた美少女が、優雅に立ち上がる。シルバーブロンドの豊かな髪をさっと振って後ろに流し、滑るように進み始めた。全身から『私が選ばれるのは当然よ』というオーラが滲み出ている。美少女が大広間を横切る間、たくさんの男の子が振り向き、何人か呆けたように口を開けていた。

 

 

 そして、三度、「炎のゴブレット」が赤く燃えた。

 次は、ホグワーツの番だ。誰もが息をのみ、身を乗り出すようにダンブルドアの声を待つ。

 

 

「ホグワーツの代表選手は……『セドリック・ディゴリー』」

 

 

 まるで大統領就任式かと思われるくらいの歓声が、大広間を包み込んだ。ハッフルパフ生が総立ちになり、叫び、嬉しそうに足を踏み鳴らした。セドリックと思われる青年がニッコリと笑いながら立ち上がる。その中には、普段は大人しいジャスティンもいた。笑顔で喜ぶ彼を見ていると、不思議と自分まで嬉しくなってくる。

 

 

「結構、結構。さて、これで3人の代表選手が決まった。選ばれなかった生徒も含め、あらんかぎりの力を振り絞り、代表選手たちを応援してくれることを信じている。選手に声援を送ることで、みんなが本当の意味で貢献でき―――」

 

 突然、ダンブルドアの言葉が切れた。不自然な静寂に大広間が包まれる。

 

 

「セ、セレネ。あれ…」

 

 

 ダフネが手で口を覆い、ゴブレットを凝視している。ダフネだけではない。セレネを含めた全校生徒が「炎のゴブレット」に目を向けていた。

 

 

 「炎のゴブレット」が再び燃え始めたのだ。

 

 何が起こったのだろう?っと考える前に、火花がほとばしり、炎が空中を舐めるように燃え上がり始める。眼がおかしくなったのかもしれないと思い、眼鏡をさらに押し上げ腕で目をゴシゴシと擦る。そして眼鏡を元の位置に戻して見てみると、燃え上がっていた火は消えていた。

 

 

 しかし、代わりにダンブルドアが羊皮紙の切れ端を凝視している。

 

 長い長い沈黙が大広間を支配する。ダンブルドアが珍しく、困惑した表情を浮かべていた。彼にも何が起きたか分からないみたいだ。

 

 

 

 

 今日はハロウィーン。

 

 例年同様、かぼちゃがにたぁと嘲笑うような事件が起きてしまったようだ。

 

 セレネは「願わくば、巻き込まれませんように」と心の中で祈る。

 

 

「ハリー・ポッター」

 

 

 ダンブルドアが長い沈黙を破り、声を上げる。

 大広間の目が一斉にグリフィンドールの男の子に向けられた。セレネは石のように固まった彼に視線を向けると、内心、ほっと一息をついた。

 

 

 

 よかった。妙な事件に巻き込まれないですみそうだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなことを想いながら、セレネはダンブルドアに視線を戻した。

 彼は、ハリーの名が書かれた羊皮紙を凝視している。否、違った。羊皮紙は重なっており、もう一枚、何者かの名前が書かれた紙があった。

 いま、ホグワーツの生徒の名前が呼ばれたのだ。

 次は、ボーバトンかダームストラングの生徒の名前に違いない。誰もが困惑したまま沈黙を保ち、ダンブルドアが次の呼ぶ名前を待っている。

 

 長い沈黙の後、ダンブルドアは重たい口を開いた。

 

 

 

 

 

「セレネ・ゴーント」

 

 

 

 ハリーに続き、今度は自分が固まる番だった。

 

 

 

 

 



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45話 イレギュラーの代表選手

 

「ありえません!!」

 

 

 気がつくと、セレネは叫んでいた。

 

 

「私が、私が入れるはずありません!」

 

 

 セレネは立ち上がり、主張していた。

 いままで表向きは、まったく規則を破らない模範的な優等生を演じてきた。そのことは一部の人間を除き、誰もが知っている事実である。

 ホグワーツの四年生で優等生の名を挙げるなら、セレネ・ゴーントとハーマイオニー・グレンジャーの二人の名前が真っ先に上がるほどだ。四年生という枠をはずしても、セレネの名前は上がるだろう。

 

 いままで四年間、積み上げてきたものをここで崩してたまるものか!

 セレネは身を乗り出しながら、ダンブルドアに向かって叫んだ。

 

 

「筆跡を確認してみてください! 私は――っ!」

「ハリー・ポッター! セレネ・ゴーント! ここへ来なさい!」

 

 

 しかし、ダンブルドアは意に介さない。

 どこか怒ったように声を荒げながら、セレネとハリーの名前を呼ぶ。

 

 

「セレネ、行きなよ」

 

 

 ダフネが優しくセレネの背中を押しながら囁いた。

 

 セレネはスリザリンとレイブンクローのテーブルの間を歩いた。拍手も歓声も上がらない。当然である。セレネは混乱する頭で必死に事態を整理する。

 

 自分は確実に入れていない。

 少なくとも、この二日間はダフネ・グリーングラスやミリセント・ブルストロード、それか親衛隊のスリザリン生と共に行動していた。周りには常に誰か人がおり、入れていないことは自他ともに証明できる。

 

 

 そうなると、選択肢は一つ。

 だれかが、セレネの名前を入れた。

 

 一番怪しいのは、カロー姉妹を筆頭とする最もセレネを崇拝している親衛隊幹部陣だが、彼らは一様に17歳を超えていない。

 そもそも、彼らがハリー・ポッターの名前も入れる意図が分からない。

 つまり、親衛隊は完全に白だ。

 

 

 全生徒の突き刺さるような視線を感じながら、セレネとハリーはダンブルドアの前に立った。

 

 

「さあ、あの扉から……ハリー、セレネ」

 

 

 ダンブルドアは微笑んでいなかった。

 教職員テーブルの横を黙って進みながら、他の先生方の反応を確認する。どの先生方も、客人であるマダム・マクシームやカルカロフ、それからクラウチやバグマンも驚ききった顔を浮かべている。ハリーを贔屓しがちなハグリッドでさえ呆然とし、口を大きく開けていた。普段、生徒の前で動揺しているそぶりを見せないマクゴナガルとスネイプでさえ狼狽している。

 

 代表選手達が消えて行った扉から大広間を出ると、代表選手の控室に繋がっているのであろう短い廊下があった。ゆっくりと降りながら、ちらりとハリーを横目で見る。

 彼の表情からは、なにも読み取ることができない。

 

 

 だが、あの時――ハリーが呼ばれた瞬間の様子から考えるに、彼は代表選手に自分から立候補していない。

 

 通路を進んだ先にあった小部屋の扉を開けると、そこは暖かそうな部屋が広がっていた。暖炉の火が轟々と燃えている。心地よさそうな暖炉の前に、すでに選ばれていた代表選手のクラム、フラーそしてセドリックが座っていた。3人とも—―当然の反応だと思うが――なぜ新たな生徒、しかも見るからに年下の生徒が二人も入って来たのか分からないらしく当惑の色を浮かべていた。

 

 最初に不愉快な沈黙を破ったのは、ボーバトンの代表選手、フラー・デラクールだった。

 

 

「どうしまーしたか?わたーしたちに、広間に戻りなさーいということでーすか?」

 

 

 どうやら、伝言を伝えに来たと思ったらしい。

 セレネは彼女にどう伝えたらいいか分からなかった。ちらりとハリーに視線を向けると、彼も困惑しており、助けを求めるような視線をこちらに向けてくる。

 セレネは小さく息を吐くと、首を横に振った。

 

 

「すみません、私もどう説明すればいいか分かりません」

 

 

 代表選手が三人とも、セレネたちの周りに集まってくる。

 皆、とても背が高い。顔を見るためには、見上げなければならなかった。

 

 

「どーいうことでーすか?」

 

 

 フラーの問いに答える前に、背後の扉が開いた。

 せかせかした足と共に、ルード・バグマンが部屋に入ってくる。バグマンはセレネとハリーの腕をつかむと、はしゃいだ声で叫んだ。

 

 

「いや、すごい!! まったくすごい!! ご紹介しよう、信じがたいことかもしれないが、三校対抗代表選手だ!! 四人目と五人目のね!!」

 

 

 クラムはむっつりとした顔で、セドリックは当惑し、そして、フラーはこれ以上ない笑顔を浮かべた。ちなみに、フラーの表情こそ完璧な笑顔だったが、目はまったく笑っていない。

 

 

「とてーも、おもしろいジョークです」

「いやいや、とんでもない! ハリーとこの子の名前が出てきたのだ!!」

 

 

 すると、フラーは軽蔑したようにバグマンに言った。

 

 

「このひとは、競技できませーん。若過ぎまーす!!」

 

 

 彼女が言うと、背後の扉が開き、大勢の人が入って来た。

 ダンブルドアを先頭に、すぐ後ろからクラウチ、カルカロフ、マクシーム、マクゴナガル、それからスネイプだ。マクゴナガルが扉を閉める前に、壁の向こうで何百という生徒が騒ぐ声が聞こえてきた。

 

 

「マダム!」

 

 

 フラーがマクシームを見つけると、つかつかと歩み寄った。

 

 

「この小さーい男の子と女の子も競技に出ると、このひとが言ってまーす!!」

 

 

 セレネはつい杖に手が伸びそうになった。

 だが、寸でのところで押しとどめる。セレネがアステリア・グリーングラスやグラハム・プリチャードのことを幼く見ているように、彼女たち17歳からしたら自分たちは子供である。

 ハリーも同じことを感じたのか、むっとした顔をしていた。

 

 

「これは、どういうこーとですか?」

「私もぜひ、知りたいですな、ダンブルドア」

 

 

 マダム・マクシームに続き、カルカロフも続けて声を上げた。彼は冷徹な笑みを浮かべている。まるで彼の青い眼は氷のかけらのようだ。

 

 

「ホグワーツの代表選手が、3人とは?開催校は代表選手を3人出してもよいとは――伺っていないのですが――それとも、私の規則の読み方が浅かったのですかな?」

 

 

 カルカロフは意地悪い笑い声をあげた。

 ダンブルドアは何も答えない。ただ、ハリーとセレネを見下した。

 

 

「ハリー、セレネ。君たちはゴブレットに名前を入れたのかね?」

「「いいえ」」

 

 

 セレネとハリーの声が重なった。

 

 

「上級生に頼んで、君たちの名前を入れたのかね?」

「「いいえ!」」

「ああ、でもこの人は嘘をついていまーす!」

 

 マクシームが叫んだ。

 セレネはつい彼女を睨み付けた。

 

 

「嘘ではありません! 筆跡鑑定をしてみてください。真実薬を飲ませても構いません! それから――」

「もういい、セレネ」

 

 

 スネイプがぽんっとセレネの肩を叩いた。

 マクゴナガルも怒ったように、マクシームの前に進み出る。

 

 

「まったく、バカバカしい! ハリーとセレネが年齢線を越えるはずがありません! 4年間、彼らを受け持ってきた私には分かります! 上級生を説得して代わりに名前を入れさせるようなこともしていないと、私たちは信じています!! もちろん、ダンブルドア校長もです!

 それだけで、みなさんは十分だと存じますが!」

 

 

 マクゴナガルの言葉に、セレネは思わず胸を打たれた。

 セレネにとって、マクゴナガルは「変身術」の先生でしかない。とても厳しく、上手く呪文を成功させたときのみ優しく微笑んでくれる先生だ。

 その先生が、しっかり自分たちのことを見ていてくれたのだと思うと、なんだか無性に嬉しくなった。

 

 

「……規則は絶対だ」

 

 

 一瞬静まり返った場に、クラウチの声が響き渡る。

 

 

「炎のゴブレットから名前が出た。ならば、その者は試合で競う義務がある」

「しかし!!」

 

 

 カルカロフとマクシームが彼の判断に食い下がる。

 その間、セレネは再び――どうして、自分の名前がゴブレットに入れられていたのかを考える。

 

 

 あのダンブルドアの質問を考えるに、下級生でも上級生に入れさせてもらえれば立候補できたことが分かる。それは物凄い抜け穴のような気がするが、問題は17歳以上の人間なら、当人でない名前を入れることができたということだ。

 

 

 では、その者は、ハリーとセレネの名前を入れて何をしたかったのか。

 

 

 セレネは自分たちの共通点を考えてみる。

 ホグワーツの4年生、眼鏡をかけている、蛇語を使える、そして、ヴォルデモートと対峙したことがある。

 

 だが、これだけでは分からない。

 次にどうしてセレネたちを出場させたかったのか。命の危険がある大会に、わずか14歳の子供たちを。まるで、殺したいと言っているようなものだ。では、セレネとハリーが死に、一番得するのは誰なのだろうか。

 

 そこまで考えたとき、セレネの顔は蒼白になった。

 

 

「……まさか、ヴォルデモートの仕業?」

 

 

 セレネが呟くと、辺りはしんと静まり返った。

 

 

「なかなかいい着眼点だな、ゴーント」

 

 

 コツコツと音を立てながら、ムーディが入って来た。

 

 

「魔法契約の拘束力だ。選ばれた者は戦わなければならなん。簡単なことだ。ゴブレットからポッターとゴーントの名前が出るように仕組んだ。ポッターとゴーントが代表選手に選ばれ、死ぬようにな」

 

 

 息苦しい沈黙が流れた。

 その沈黙を意に介さず、ムーディは語る。

 

 

「何者かが、強力な錯乱の呪文を使い、ゴブレットを欺いた。わしの想像では、ポッターとゴーントの名前を四校目と五校目の候補者として入れ、それぞれ一人ずつしかいないようにしたのだろうよ」

「まさか!」

「……いや、そのまさかのようじゃのう」

 

 

 ダンブルドアは紙を広げる。

 

 切れ端には、それぞれ「マホウノトコロ ハリー・ポッター」「レイエン女学院 セレネ・ゴーント」と記されていた。

 誰もが息をのむ。その緊迫した空気の中、ムーディは携帯用酒瓶を開き、荒っぽい仕草で飲み干した。そして、身震いをすると一同に向かって言い放つ。

 

 

「ポッターとゴーントを殺そうとしている者がいる。おそらく『闇の帝王』の関係者が、この城の中にな」

「バカバカしい、生徒の悪戯の類だろうよ」

 

 

 しかし、それをバグマンが一蹴した。ムーディの魔法の目がじろりと彼を睨みつけたが、まったく意に介していない。

 

 

「さて、そろそろ開始といきますか」

 

 

 バグマンはこのような状況だというのに、なぜかうきうきとしている。ニコニコした顔をしながら部屋を見渡した。

 

 

「そうだな、規則は絶対だ」

 

 

 クラウチも同意する。彼はバグマンのように喜んではない。むしろ、病気のようだった。目の下には黒いくまが浮きあがり、皺皺の皮膚に青白い顔をしている。

 

 

「君たちの勇気を試す課題だ。

どんな内容かは教えられないが。未知のものに遭遇した時の勇気は、魔法使いとして非常に重要な資質だ。

11月24日。全生徒、並びに審査員の前にて行われる。

 

 選手は、競技の課題を完遂するに当たり、どのような形であれ、先生方を含む一切の他人からの援助を頼むことも、受けることも許されない。自力で解決しないとならない。それから、選手が会場に持ち込める武器は杖だけだ。

 第一の課題が終了後に、第二の課題についての情報が与えられる。試合は過酷で、また時間のかかるものであるため、選手たちは期末テストを免除される。

 ……アルバス、これで全部だと思うか?」

「わしもそう思う」

 

 

 ダンブルドアはクラウチをやや気遣わし気に見ながら言った。

 

 

「バーティ、さっきも言うたが、今夜はホグワーツに泊まっていった方がよいのではないか?」

「いや、ダンブルドア。私は役所に戻らねばならない」

「私は泊まるぞ、クラウチ!」

 

 

 同じ魔法省の役人であるバグマンが、陽気に叫んだ。

 

 

「役所よりこっちの方がずっとおもしろいじゃないか!」

 

 

 そういう問題か?とツッコミたくなったが、クラウチは黙って首を横に振ると、小部屋から出て行った。マダム・マクシームはフラーの肩を抱き、早口のフランス語で何か話しながら素早く部屋から出て行き、それに続くようにカルカロフもクラムと一緒に黙って部屋を出て行った。

 両校とも、顔は強張り、怒ったような空気を纏っている。

 

 

「ハリー、セドリック、セレネ。3人とも寮に戻って寝るがよい」

 

 

 ダンブルドアが微笑みながら言った。

 

 

「グリフィンドールも、ハッフルパフも、スリザリンも君たちと一緒にお祝いしたくて待っておるじゃろう」

 

 

 セレネたちは三人一緒に部屋を出た。

 大広間にはもう誰もいなかった。蝋燭が燃えて短くなり、くり貫きのカボチャがギザギザの歯を不気味に光らせていた。

 

 

「いったい、どうやって名前を入れたんだ?」

 

 

 セドリックが、興味深そうに見てきた。

 

 

「僕は入れてない。本当のことだよ」

「私も同じです。入れていません」

「ふーん…そうか」

 

 

 セドリックは信じていないことが分かった。そのまま、彼は大理石の階段を登らず、右側のドアから消えて行った。

 

 

「……まったく、本当に災難ですよ」

 

 

 セレネは長く息を吐いた。

 

 

「セレネは……セレネは、信じてくれるよね? 僕が入れていないって」

「当たり前です。私も同じ立場なのですから。それより、よろしくお願いしますね」

 

 

 セレネは当惑するハリーを見据えた。

 

 

「これで三度目です。おそらく、私たちの名前を入れたヴォルデモートの配下と戦うのは。それも二人一緒に」

「あっ……そうだね」

「それでは、せいぜい互いに死なないように頑張りましょう」

 

 

 セレネは軽く手を振ると、地下に続く道を降りて行った。

 肌寒い廊下を小走りで進みながら、粗く削られた石壁に向かって合言葉を唱えて寮に入る。

 

 

 その途端、大音響がセレネの耳を直撃した。

 何が起こったのかを把握する前に10人余りの手が伸び、セレネをガッチリと捕まえて談話室に引っ張り込む。振り払おうとしたが、セレネをつかんでいるのは、2倍ほど体格のいい年上の男子生徒達だ。腕力で敵うわけがない。抵抗も出来ないまま、拍手喝采・大歓声・口笛を吹きならしているスリザリン生全員の前に立たされた。

 

 

「……なんて、面倒なことなのかしら」

 

 

 セレネが小さく呟いたことなどおかまいなしに、次から次へとスリザリン生が話しかけてくる。

 

 

「ゴーント先輩、素晴らしいです!」

「さすがです、どうやってゴブレットを出し抜いたのですか!?」

「『老け薬』も使わないで入れたなんて、びっくりですよ!」

 

 

 誰もが年齢線を出し抜き、ゴブレットに名前を入れたのかを気にしている。聞きたがっている。セレネの気持ちなど気に留めることもなく。

 セレネは最初こそ一つ一つ否定していたが、次から次に来る質問の波に辟易とし、上級生が軽々しく肩を叩いてきたとき――プチンと切れた。

 

 

「『黙れ』」

 

 

 蛇語で呟き、肩の手を払いのけると一気に静まり返った。

 

 

「私、入れていないと言いましたよね? だいたい、この私がわざわざ死ぬ可能性のある大会に出場すると思いますか?」

「……たしかに、それはないよな」

 

 

 最初に口を開いたのは、セオドール・ノットだった。彼はくしゃくしゃと髪を掻きながら、面倒くさそうに眉をひそめ、セレネを見据えた。

 

 

「お前が選ばれた時の顔を見たぞ。うん、あれで入れてないと確証した。

 ということは、問題は誰がゴブレットに名前を入れたかということか?」

「……まあ、その通りね」

 

 

 セレネは少し頬が赤くなるのを感じた。

 ダンブルドアに名前を呼ばれた時、完全に自分は取り乱していた。あまり見られて心地の良いものではない。

 

 

「生徒にゴブレットを騙すなんてできないから、まさか……先生か魔法省の役人が騙したってこと?」

 

 

 ダフネが疑問を挟む。何人かの生徒がそれに同意した。

 

 

「セレネを代表選手にして、どうするの? 死の危険もあるのに」

「それよ、ムーディも言ってたけど、おそらく……そいつの目的は私とハリー・ポッターを殺すため」

 

 

 あえて、ヴォルデモートの手先とは言わなかった。それを言わなくてもここにいる大半は気づいてくれるだろう。ポッターを殺したい人間がいるという段階で、多少勉強していればだいたい相手は予想できるはずだ。

 

 

「……ハリーはともかく、どうして私を殺すのかが分からない。継承者は2人もいらないから?」

「ゴーント先輩は殺させません」

 

 

 フローラ・カローが声を上げた。

 その声を皮切りに、次々と声が上がった。主に親衛隊に属する生徒たちが声援を上げる。

 

 

「先輩は課題に集中してください。私たちがこの校内に紛れ込んだ『あの人』の手先を探します!」

「そうですよ、怪しい人を見かけたらすぐに知らせます!」

「がんばってください!!」

「僕たちが絶対に死なせません!!」

 

 

 その声は、先ほどまでの好奇心に満ちたものではない。とても温かく、優しい声だった。セレネは目を見開いた。まさか、ここまで親衛隊を含むスリザリン生が自分に協力的だとは思わなかったのだ。

 

 

「……ありがとう、ございます」

 

 

 セレネは声が詰まりそうになりながらも、お礼の言葉を口にする。

 

 その一方、頭の冷めた部分で、ハリー・ポッターのことを考えていた。

 

 いまではこんなに優しいスリザリン生たちだが、最初は好奇心に突き動かされるまま質問攻めにされていた。自分は半ば蛇語で脅すように静かにさせたが、それはハリーにできるとは思えない。

 

 

 

 

 彼は……大丈夫だろうか?

 

 

 

 

 

 



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46話 杖調べと新聞記事

 セレネが思っている以上に、親衛隊の行動は素早かった。

 

 構成員の誰もが「セレネ・ゴーントを守る」という目標に向けて、一丸となって怪しい人物、ヴォルデモートとつながりがありそうな人物について、片っ端から調査を開始したのである。

 

 セレネが代表選手に選ばれてから数日も経てば、幅が5センチほどの調査資料が出来上がっていた。

 

 

「そう……カルカロフは死喰い人だったのね」

 

 

 魔法薬学の授業に行く途中、セレネは資料をめくりながら歩いていた。セレネが何気なく書いてあった内容を呟くと、隣を歩くダフネ・グリーングラスが息をのんだ。

 

 

「……ねえ……それなら、カルカロフがセレネを殺そうとしてるの?」

「いや、それはないです」

 

 

 セレネはダフネの考えを一蹴した。

 

 

「ここに、彼は『アズカバンの投獄を免れるため、多くの死喰い人の名前を告発した』と書いてあります。これでは、ヴォル……『あの人』や死喰い人に嫌われているはずです。

 ……まぁ、私の首を手土産に、仲間に戻ろうとしているのかもしれませんが……『あの人』全盛期ならいざしらず、いまは塵以下の存在になっている以上、わざわざ危険を冒してまで命を狙ってくる意味が分かりません」

「じゃあ……あんまり考えたくないけど、スネイプ先生? 元、死喰い人ってここに書いてあるよ」

 

 

 ダフネはあたりを見渡すと、小声で囁いてきた。それも、セレネは首を横に振って否定する。

 

 

「カルカロフと同じ理由です。わざわざ危険を冒して、私を殺す意味が分かりません」

「じゃあ……だれ?」

「それが分かれば、苦労しませんよ……ん?」

 

 

 資料を鞄にしまおうとしたとき、前の方から、ハッフルパフ生が歩いてくるのに気付いた。

 誰もが赤いバッジを胸に掲げている。バッジには「セドリック・ディゴリーを応援しよう!―ホグワーツの真の代表選手を!」と赤い蛍光色の文字が燃えるように輝いていた。

 その中の一人――ジャスティン・フィンチ・フレッチリーの胸にも、そのバッジは輝いている。

 

 

「あっ……」

 

 

 彼は、セレネが近づいてくることに気づいたのだろう。

 気まずいような表情になると、バッジを隠すように胸を抑えた。バッジはちょうど色が緑色に変わり、「汚いぞ、ポッターとゴーント」という文字が点滅していた。

 

 

「あの、セレネ……これは、その……みんながしているからで……していないと、仲間外れにされるような感じがして……」

「ごほん。ゴーント、君にはもうジャスティンに関わらないでもらいたいんだ」

 

 

 ジャスティンが口ごもっていると、同じく