史上最凶最悪の師匠とその弟子 (RYUZEN)
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第1話   邪神との出会い

 後になって振り返れば、人生なんてほんの些細な切欠で大きく変わってしまうものだ。

 例えば一つ電車を乗り遅れるだけで重要な会議に出席できずに会社をクビになったり。或いは事故に巻き込まれ死んでしまったりと。

 そういったなんでもないように見えて実は途轍もない分岐点というのは人生に幾つも潜んでいる。

 極普通の子供だった内藤翼にとってもそうだった。気付かぬうちに致命的な選択ミスを犯し、平々凡々で終わるはずの人生は、まったく想定外の方向に飛んで行ってしまったのだ。

 忘れはすまい。あれは良く晴れた日のことだった。

 天気予報では降水確率80%などと言っていたが、その予報は外れだったらしく、空には雲一つない青空が広がり、太陽は暖かな日差しを干されたワイシャツに当てていた。

 だが良い天気とは裏腹に翼の心は雨模様。というのも学校でうっかりとクラスのガキ大将の足を踏ん付けてしまい、それから紆余曲折あり何故か明日、土手で決闘することとなってしまったのである。

 江戸時代じゃあるまいし、決闘なんて実に古臭いことをガキ大将が言いだしたのは、クラス内でドラマの『宮本武蔵』がブームで、三日前に巌流島の決闘が放送されたのと無関係ではあるまい。

 とはいえそのドラマを見ていない翼としては迷惑千万なことこの上ない。

 

「はぁ。決闘なんてどうしよう?」

 

 自分の家の縁側でゴロゴロ転がりながら、翼は憂鬱に空を仰ぐ。

 自画自賛になるが翼は運動神経は良いほうだ。リレーの選手に選ばれたこともあるし、両親が他の親と比べても通知表を気にするタイプだったので、体育の成績も5以外にとったことはない。

 だがしかし。両親が厳しいことが災いした。これまでの人生で軽い争いくらいは何度か経験したが、殴り合いの喧嘩なんて一度もやったことがないのだ。

 

「ガキ大将の丸山……なんかお兄さんが空手家で色々教わってるらしいし」

 

 素人同士なら単純に体がデカくて運動ができる方が勝つだろう。

 運動神経なら翼はガキ大将に負けてないが、丸山はガキ大将になるだけあって体もデカく喧嘩の経験者。しかも武術の嗜みもあるときている。

 これでは喧嘩未経験者の武術未経験者の翼では勝ち目なんて皆無に等しい。

 だからどうしたものか、と悩んでいるのだ。

 

「逃げてもどうせ学校で会うことになるし、喧嘩せずに謝っても『根性無しー』とか言われて襲い掛かられそうだし。はぁ~~」

 

 深々と溜息を吐く。溜息をつくと幸せが逃げるというが、これでかなりの量の幸せが逃げていっただろう。

 しかしこの時の翼は馬鹿だった。喧嘩慣れしたガキ大将なんて本物の〝恐怖〟と比べればなんら大したことがない存在だったことが分からなかったのだから。

 

「あれ?」

 

 そこで気付いた。家にある柿の木。まだ青く熟していないものばかりだった中に、二つだけ赤々と熟したものがある。

 

「…………よし」

 

 どうせ考えたって解決策が浮かぶわけではないのだ。気分転換に腹ごなしでもしよう、と翼は柿の木に駆け寄ると台の上に立って柿をとる。

 台所へ持って行って包丁で切り分けようか、そのままむしゃぶりつくか。一瞬悩むが、

 

「やっぱり果物は切らずに食べるのが男らしいな、うん」

 

 適当に理由をつけながら一つはこのまま食べ、もう一つは切り分けようと決めると、翼は柿を口の中へ頬張ろうとして、

 

「――――カカ。日本、風林寺のじっさまの国に来たのは初めてじゃが、これがこの国の果物かいのう」

 

「!?」

 

 いきなり背後からかかってきた声にギョッとして振り返り、振り返ってから更にギョッとした。

 翼の背後に立ち、さも自分の庭のように堂々と縁側に座っていたのは未知の生命体だった。いやその者の余りにも現実離れした雰囲気が錯覚させてしまうだけで、恐らくは人間なのだろう。

 浅黒い肌の色と若干の訛りのある日本語から察するに外国人。見た事のない民族衣装のようなもので身を包んでいて、それがその国の習慣なのか別の理由からなのか靴は履いておらず裸足だ。手足に刻まれた皴からして老人だろう。

 だがなによりも異様なのは顔をすっぽりと覆った仮面だ。鬼を模したような造りであるそれは、老人の雰囲気と合わせて神話の動物がそのまま抜け出してきたかのような印象を受ける。

 

「えっと、あの」

 

 どなたですか、と聞きたかったのだが老人の雰囲気に呑まれてしまい声が出せない。

 だが仮面に覆われているせいで表情は分からないが、なんとなくその視線が翼の手にある柿に向けられているのは分かった。

 なんとなく直感で『この人の機嫌を損ねると不味い』と悟った翼はおずおずと片方の柿を差し出して、

 

「良かったらお一つ、どうですか?」

 

「ほう。では頂くかいのう」

 

 ふと気のせいかもしれないが一瞬老人が笑ったような気がした。

 翼から柿を受け取った老人はムシャムシャと「美味美味」と呟きながら果実を頬張る。なんとなく何もしないでいるのが気まずかったので、老人に倣って翼も柿をパクパクと口に運ぶ。

 やがて種まで残さずに柿を食べ終えた老人は、

 

「水分の摂取には果物が一番じゃわいのう。うむ、程よい渋さも良い味じゃ。小僧、この果物はなんて名前かいのう」

 

「か、柿です」

 

「柿か……柿……覚えたぞ。小僧、礼を言おう」

 

「い、いえ大したことはしてません」

 

「カカカカカ。我が礼を言うなど滅多にないこと。もう少し嬉しそうにしたらどうかいのう」

 

「はぁ、そうなんですか」

 

 滅多に礼を言わないとは、この人は余程偉そうというか傲慢なのだろう。

 これはなんとなくのイメージでしかないが、明日決闘することになっているガキ大将の百万倍くらい偉そうだ。

 

「ま、とは言っても『闇』どころか、武の道に入ってすらいない小童では知らぬが道理というものか。だがこれもなにかの縁。

 風林寺のじっさまではないがのう。気紛れに世直しの真似事でもしてみるか。……わっぱ!」

 

「は、はい!」

 

 まじまじと見つめられると筋肉が萎縮してしまう。

 唾を呑み込んだ。

 老人はなにもしていない。ただ内藤翼を真っ直ぐに見据えているだけだ。なにかこちらに敵意なんて向けてはなく、寧ろ敵意より好意すら向けられているだろう。

 だというのにこれほどまでに心臓が五月蠅いまでに鳴り、緊張の糸が全身を縛り付けるのは自分という存在が、この老人と比べてどれほどチッポケなのか本当的に知ったからだ。

 臓の足の裏を眺める、踏み潰される寸前の蟻はこういう気分を味わうのかもしれない。

 

「果物の礼じゃ。なにか願いを一つ言ってみよ。拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードが大抵の願いなら一つ叶えてやるわいのう」

 

「願い!?」

 

 いきなりのことに思わずオウム返しに聞き返してしまった。

 

「あの。願いって……なんでもですか? なんでも叶えてくれるんですか、本当に」

 

 ランプをこすったら魔人が出てきた、みたいな荒唐無稽な展開に目を白黒させながらも、どうにか翼は口を開くことに成功する。

 

「心配せずとも我は神じゃからのう。〝大抵〟は叶えてやるわい。とはいえ何某かを甦らせよ、などとは言うなよ。だが何某かを殺せなら歓迎じゃがのう」

 

「……………」

 

 冷や汗が流れる。

 老人は本気だ。もしも翼が『ならガキ大将殺してくれ』と言ったら本気でこの老人はガキ大将を殺すだろう。そう感じさせるだけの迫力がジュナザードと名乗った老人にはある。

 

「な、なら」

 

 ガキ大将を殺して、なんて願いは論外だ。勿論ガキ大将には腹が立っているが、流石に殺すのはやり過ぎだ。それにガキ大将が殺されたら、自分も殺人教唆だとかなんとかで逮捕されてしまうかもしれない。この年で前科者になるのは御免だ。

 かといって殺さない程度に痛めつけてくれ、なんて頼んでも本当に死なないだけで半死半生とかにされてしまうかもしれない。

 暫く悩んだ後、翼は。

 

「そうだ!」

 

「決まったかいのう」

 

「はい。えーと、ジュナザードさんは武術家……なんですよね? やっぱり達人とかなんですか?」

 

「カカカ。それはそうじゃ。我は神、拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードじゃわいのう。亡き師匠曰く、我を超える武術家は現れぬそうじゃわい。現に未だ我を超える強さを我は見た事がないわいのう」

 

「……………」

 

 余りにもスケールのデカい話に面食らったが、パンと軽く両頬を叩いて気を入れ直す。

 

「それでなんですけど、実は色々あって武術を習う必要がありまして。身近に武術家がいないので教えてくれれば嬉しいな、と」

 

「我の武術を?」

 

「駄目ですか」

 

 武術について門外漢の翼は良く知らないが、口振りからしてこの人がかなりの武術家なのは間違いない。

 そんな武術家に自分のような子供が武術を教えてくれ、と言っても断われるのが精々だろう。そう思っていたのだが、

 

「カッカカカカカカカカカカカカカカカカ!! 我に武術を教えよと言うか! 世間知らずのわっぱというのは恐ろしいのう。地獄を知らぬが故に、微塵も恐れず地獄に飛び込むのじゃから」

 

「は? 地獄?」

 

「良いだろう。拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードがお前の願いを叶えてやるわいのう。

 まさかこの極東で我に弟子入りを志願してくる者がいるとは予想もせんかったわい。これだから人生というのは面白い。永年益寿するものじゃわいのう」

 

 そうジュナザードと名乗った老人は言うと、重力などないように軽々と翼の体を持ち上げてしまった。

 

「な、なにを――――!?」

 

「暴れるでない。我に弟子入りを志願したのはお前自身じゃろう。久々に我が常夏の故郷へ戻るとするかいのう」

 

「いや俺は」

 

 ただガキ大将との決闘に勝つ為、喧嘩のコツのような物を教えて欲しかった。

 だが翼がその本音を言う間もなく、

 

「逝くぞわっぱ」

 

 なにか後頭部に軽い衝撃が奔ったかと思うと、ライトがOFFになったように意識がブラックアウトする。

 この日この時。極普通の子供でしかなかった内藤翼の人生は死んだ。そしてかわりに最凶最悪の師匠の弟子としての人生が新たに始まってしまったのだ。

 

 



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第2話   地獄の入り口

 次に目覚めた時、そこは別世界だった。

 天井は学校の体育館なんて比べ物にならないほど高く、壁には物々しい彫刻や仮面などが飾られている。全体的に映画で見たローマのコロッセオを屋内に閉じ込めたような印象を覚えた。

 

「起きたようじゃのう。この我の眼下で呑気に眠りこけるとは豪気なわっぱじゃわいのう」

 

「!」

 

 翼がいる闘技場の上の階。さながら観客席とでもいうような場所にある禍々しい玉座。そこに当然のように腰を掛けているのは、翼を連れ去った張本人、拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードだった。

 やはり仮面のせいで表情は読めないが、雰囲気からしてこちらを見下ろし嗤っているように見えた。

 

「あの――――ここは何処ですか?」

 

「ティダード王国……といっても小僧には分からんかいのう」

 

 コクリ、と頷いた。

 ティダード王国――――聞いた事がない国名である。マイナーな国でも大抵の国名なら言われれば「ああ!」となるものだが、ティダード王国に関してはそれすらない。

 きっと日本人で知っている人なんて殆どいない小国中の小国に違いない。もっとも翼が無知なだけかもしれないが。

 

「インドネシアに隣接する100以上もの島々から構成される小国じゃわい。この我の故郷でもあるわいのう。

 そしてここは我の城で、わっぱの立つそこは我の城の闘技場じゃ。そら、どんな阿呆にでも分かるよう説明してやったのじゃ。その小さな脳味噌にしかと叩き込むわいのう」

 

 ジュナザードはリンゴを頬張りながら説明した。

 そこで漸く心が落ち着きを取り戻してきたお蔭で、周囲のものが良く見えるようになる。ジュナザードのインパクトが余りにも強くて気付かなかったが、ここにいるのはジュナザードだけではない。

 浅黒い肌で大柄の明らかに日本人でもカタギの人でもなさそうな強面の男達が見下ろしていて、ジュナザードの玉座に近くには侍女らしい人もいる。

 彼等には肌の色と髪の色くらいしか共通点はない。が、敢えて一つだけあげるとするならば彼等が皆ジュナザードに対して敬意と、それに勝るほどの恐怖を向けていることだろうか。

 なにもかも分からないことだらけだが、少しだけ分かった事がある。

 ここは日本ではなく、自分は眼上にいる仮面の老人によって拉致されたということだ。

 

「カカッ。その年でよく周りを見ておるわいのう。ここに連れてくるまでに軽く調整は施したが、その目は悪くないわいのう。後は身体の素養じゃが」

 

 ジュナザードが鷹のように鋭く、蛇のようにねっとりと翼を見据える。

 まるで心まで丸裸にされたような感覚。心臓の鼓動が純粋な恐怖から激しさを増していく。

 ただ黙っているのに耐え切れず、翼は意を決して自分の正直な感情をぶつけることにした。

 

「す、すみません。その申し上げにくいんですけど、出来たら日本に帰してくれたら嬉しいんですが」

 

「帰る? 何故?」

 

「そりゃ、親も心配してますし。そもそも拉致なんて法律に――――」

 

「知ったことじゃないわいのう」

 

 怒鳴ったわけではない。ただ低く呟いただけなのに、闘技場の気温が一気に氷点下まで下がった様な気がした。

 

「法で縛られるのは人だけじゃ。我は神、邪神だわいのう。我に武術を教えよと頼んだのはわっぱ本人じゃろう。若造といえ男なら、己の発言には責任をもつべきじゃわい」

 

 一瞬で玉座に座っていたジュナザードが目の前に現れる。

 まさかテレポート、と勘繰るがそうではない。床にはなにかが猛スピードで擦ってきたような焼け跡がある。信じ難いことにこの老人はただ物凄く早く動いただけで瞬間移動染みたことを実現しているのだ。

 

(に、人間業じゃない……)

 

 あんぐりと口を開ける。シルクァッド・ジュナザードが自分を神と名乗るのは決して誇張でもなんでもなかったのだ。

 こんなことが出来る人間なんているわけがない。邪神、その二文字が脳裏を過ぎった。

 

(ああ。駄目だ、これ)

 

 理解を超えた恐怖と遭遇した時、人間に出来るのは諦めだけだ。

 最低最悪なことにシルクァッド・ジュナザードという老人は本物の神……邪神だった。警察や軍隊なんて治安維持だとかなんだと言いつつ所詮は人を相手にするためのものに過ぎない。

 警察や軍隊は人を捕まえ、殺せるかもしれないが〝神〟を殺すことはできない。昔から神を倒すのは同じ〝神〟か〝英雄〟だと決まっているのだから。

 

「してどうするのじゃ、わっぱ。武術か、それともあくまで家に帰りたいと言うか?」

 

 人間の道を捨てて邪神の教えを受けるか。それとも家に帰るという意志を曲げずに貫くか。

 だがこれだけは確信をもって分かる。仮に翼が「家に帰りたい」と言えば、この老人は微塵の容赦もなく内藤翼の命を摘み取るだろう。殺意すらなく、さながら蟻を踏み潰すような気軽さで。

 かといってこの人物から武術の教えを受けるのもまた死の道だろう。邪神と怖れられたこの人物がまともな修行をつけてくれるとは思えない。

 彼に学ぶということは99.9%の死か、0.1%の到達かの二者択一だ。

 究極どころではない。これは最悪の二択である。即ち死ぬか、それとも限りなく死ぬ可能性の高い地獄へ逝くか。

 

「答えろワッパ。我は気が長いほうじゃないわいのう。はよう答えんと痺れを切らして、手が滑ってしまうかもしれんわい。

 いや日本よりわざわざ連れてきてただ殺すのも勿体ない。他の有望な弟子候補を堕とすのに使う道具として磔に――――」

 

「やります。武術を教えて下さい」

 

 磔、という不穏な単語が出た瞬間に即答していた。

 こんな怪物に武術を教わるなんて狂気の沙汰なのは百も承知だ。だがどっちを選んでも死ぬなら、生き残る可能性が僅かでもある方を選んだ方が良い。

 

「決まりじゃわいのう。ほれ」

 

 ジュナザードが合図をすると、いつのまにか大柄な男が二人なにか重りを持って現れる。

 瞬間移動というほどではないが、動きを見ることはできなかった。どうやらジュナザードが飛び抜けているだけで、彼等も相当な化物らしい。

 もし自分も生き延びる事が出来れば、これくらいの領域に立てるのだろうか。そんな荒唐無稽なことが思い浮かんで消える。

 

「武術を教えるといっても、基盤がなってなければ話にならんわいのう。じゃから先ずはお前が我の修行に耐えうる素材なのか試そうかいのう」

 

「た、試すって……なんです、これ?」

 

 カチャカチャと体中に装着される重りという重り。自分の体が重くなっていくのを如実に感じた。

 

「これから一週間、その重りをつけたまま一日この闘技場を100周くらいやっとこうかのう。我ながら生易しすぎるが、闇に浸かってもいないド素人なのじゃから手加減せねばのう!」

 

「ど、どこが手加減なんですか!」

 

 見まわした限りこの闘技場をぐるっと周ればざっと250mくらいあるだろう。そんな所を100周となると25㎞だ。一日25㎞だと一週間で175㎞。

 しかも歩くことすら厳しいような重りをつけて走るなんて正気の沙汰ではない。

 だが邪神ジュナザードはそんなこと気にも留めない。

 

「嫌ならやらなくても構わんわいのう。出来なかったら単に廃棄する弟子候補が一人増えるだけじゃわい」

 

「ッ!」

 

 やらなければジュナザードによって、自分の命はあっさり奪われる。

 どれほど理不尽だと思っても、死にたくないならやるしかないのだ。やってクリアするしかない。この邪神のテストを。

 

「我は他の弟子候補の所へ行くが……これは我なりの気遣いからの忠告じゃがのう。くれぐれもサボるでないぞ。サボればお前の監視役が我の言いつけを破ったお前を殺してしまうかもしれんわいのう」

 

「……はい」

 

 そう言うとジュナザードは今度は懐からバナナを取り出し食べながら去っていった。

 

「―――――――」

 

 何人かの部下がジュナザードに着いて行ったが、さっきまでジュナザードに果物を運んだりしていた侍女や、翼に重りをつけた達人数名は残っている。彼等がジュナザードのいう監視役といったところか。

 ジュナザードの部下である彼等に泣きついても助けてくれるとは思えない。

 意を決して翼は175㎞の地獄の第一歩を踏み出した。

 

 

 

「さーて。あのワッパはどういう具合に壊れておるかいのう」

 

 翼を拉致してここティダード王国に連れてきた張本人、シルクァッド・ジュナザードは一週間ぶりに島の外れにある居城を訪れた。

 ジュナザードが来た事を察知するとプンチャック・シラットを〝極めた〟とされる達人たちが一斉に跪いて迎える。

 常識を超越し達人となった彼等が跪くという異常。だがそれも無理もないこと。

 富国強兵、帝国主義、植民地主義を掲げ大国同士が争っていた戦時下。

 武力をもたないアジアの小国でしかなかったティダード王国は西洋列強国にとって恰好の獲物に過ぎなかった。

 滅びを待つのみだったティダードを救ったのが、当時シラットゲリラ部隊の指導者だったシルクァッド・ジュナザードである。

 あくまで無手を貫き遂には侵略の野望を打ち砕いたジュナザードはティダードにおいては救国の英雄。武の狂気に憑りつかれ、邪神と化して尚も彼はティダード国民中から慕われている。

 

「お帰りなさいませ、ジュナザード様」

 

 侍女の一人がジュナザードを迎え入れる。ジュナザードは侍女からリンゴを受け取りながら、

 

「ワッパはどうじゃ? 監視役に殺されたか?」

 

「いいえ。今は気絶して闘技場で倒れています」

 

「そうかいのう。ま、それも無理なきこと。ティダードで幼い頃から武を刻んだ童でも出来ないテストが、武門とは程遠い国で生を受けた小僧に出来るわけないわいのう」

 

 ジュナザードは最初から自分が連れてきた子供が与えた課題をこなせないのなど承知していた。

 さぼって監視役に始末されるならそこまで。精根尽き果て死んでいるのもそれで良し。

 始末されず愚直に課題をこなそうと足掻いていたなら、たっぷりと恐怖を味わわせて、それに耐えうるようなら更なる地獄を体験させる予定だった。

 

「それでわっぱは何周で力尽きた?」

 

「恐れながら邪神様。彼は見事一週間700周を完走いたしました」

 

「なんじゃと?」

 

 闘技場に着く。そこにあったのは精根どころか魂まで尽き果て、半死半生で倒れている子供だった。

 だがどこか安らいだ表情に見えるのは地獄を乗り切ったという達成感と安堵か。

 

「カカッ」

 

 この子供を日本から連れてきたのは、ジュナザードからしたらただの気紛れに過ぎなかった。

 達人を潰すのにも飽きたから、弟子の育成にでも力を入れようかと思った矢先に「武術を教えろ」などと請われたが故の暇潰し。

 だが――――

 

(あのわっぱの体力じゃ、我の与えた課題をこなすなど無理じゃった。限界を超えたとて同じこと。つまりあの小僧は限界を超えた上で更に超えて、これを乗り切りおったということわいのう。

 わっぱにそんな精神力を与えたのは、さしずめ死の恐怖。人を真に突き動かすは恐怖と女宿は言っておったが、こやつ……)

 

 常人が抱く死の恐怖と死への恐れだけではここまでできない。この少年は生への執着心が人並み外れている。

 それによく観察すれば筋肉のつきかたや体格もシラットを極めるのには理想的だ。

 或いはこの少年が百の地獄を乗り越えれば、シラットの至高へ至ることもできるかもしれない。

 

「わっぱを医務室へ運べぃ! 予定変更だわいのう。我もちっとばかし本腰を入れて仕込むとするかいのう」

 

 ティダートには西洋医学でも解明できていない未知の薬草が多くある。それにジュナザードの居城には最新の医学も導入されていた。ここの設備なら半死人も三日で生者に戻るだろう。

 いつものジュナザードなら弟子に心を壊す秘薬を使って、心をもたぬ武の塊にしようとした。だが心を壊せば、生への強烈な執着という素養を潰すことになる。

 投与する秘薬は肉体改造と、永年益寿の実験用のものだけでいい。

 自分の連れてきた少年を見下ろして、ニィと邪悪に邪神と畏怖された男は嗤った。



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第3話   悪意ある課題

 常夏の国というフレーズに違わず、ティダード王国には日本のように四季はなく毎日が夏だ。

 だから住民は皆涼しい格好をしているし、男としては嬉しいことに女性の服もわりと露出度が高い。

 今日のティダードの天気も一日中晴れ模様。きんきんと光る太陽が眩しいものだった。

 だが一方でこの国に来てから翼の心が晴れたことはない。

 一週間の地獄のようなテストをどうにかクリアしてから二日の休息をとった後、急にジュナザードは指導に熱心になった。

 やはり課題をクリアしたのがジュナザードの機嫌を良くしたのだろうか。

 翼としてはジュナザードが自分に興味を失って、放り出してくれた方が嬉しい限りなのだが――――もう殺されないだけ良いと思うしかない。

 シルクァッド・ジュナザードという妖怪に関してはもう色々と諦めた。

 

(プンチャック・シラットだったか。ジュナザード……さんが達人の武術って)

 

 休息を終えての一週間はひたすらにシラットの基礎を叩き込まれる毎日だった。

 最初のテストの時は課題だけ出して後は放置だったというのに、この一週間はジュナザードがつきっきりで指導するものだから、肉体的よりも精神的な疲労が凄まじい。

 だが最初は向かい合うだけで膝を折りそうになったジュナザードを相手に、どうにか面と向かって話せるようになっただけ進歩したと思うべきだろうか。

 そして今日はジュナザードに武術を教わるようになって初めての外出だった。

 

「何処へ行くんですか、えーとジュナザード……さん?」

 

 まさか拉致犯と呼ぶわけにもいかない。なにか良い呼び方が思いつかなかったので、適当な敬称をつけて呼ぶ。

 だがジュナザードの部下達にはそれが好ましくなかったようだ。

 

「拳魔邪神様に対して無礼だぞ小僧。ジュナザード様とお呼びせよ」

 

「!」

 

 翼が驚いたのはジュナザードの部下に叱責されたからではない。この鉄仮面な部下が普通に日本語を話したことに対してだ。

 

(こいつ、幾ら話しかけても無視した癖に……)

 

 きっと日本語が話せないのだから仕方ない、と諦めた悲哀を返せと言いたい。本当にそんな事を言ったらなにをされるか分からないので言いはしないが。

 

「別に構わんわいのう」

 

「し、しかし邪神様」

 

「我は構わぬ、と言ったのじゃが」

 

 睨むと同時に、その部下の顔面にジュナザードの拳が炸裂していた。

 敬愛する相手から予期せぬ攻撃を喰らった部下はボールのように吹っ飛び、地面で三回バウンドしながら木に激突する。

 

「邪……神様……ごふっ!」

 

 ぴくぴくと痙攣していた部下は、救いを求める信徒のようにジュナザードに手を伸ばすが力尽き斃れた。

 

「カッカッカッ。うっかり手加減を忘れておったわいのう。折角のマスタークラスというに殺してしまったわい」

 

「う、嘘――――死んじゃったんですか!? は、早く救急車を」

 

「ここにそんな便利なものはないわいのう。それにあってもあれは完全に死んでおるわい。神域の名医も死者までは蘇らせんわいのう。無駄じゃ」

 

「…………」

 

 ただの問答で少し気に入らない発言をしただけで、容赦なく自分を慕う部下を殺害する。

 軍事国家の独裁者だってもう少し分別があるだろう。自分が武術を教わっている男の恐ろしさを翼は再確認した。

 

(それにしても)

 

 目の前で人が死んだのに我ながら不思議なほど落ち着いている。

 或いは自分自身の生存本能というべきものが、この恐ろしい妖怪から命を守る為にメンタルを逞しく成長させてくれたのかもしれない。

 

「それでジュナザードさん。これから何処へ行くんですか?」

 

「森じゃわい」

 

「……森ですか」

 

「そう、森じゃ。シラットの神髄はジャングルファイト。アレをやるにはジャングルがベストじゃわいのう」

 

「アレ?」

 

「カカカカカカッ。なにをするかは着いてのお楽しみじゃわい」

 

 懸けても良いが、どうせ碌なことではない。懸けても、といってもチップにするのが自分の命しかないのはご愛嬌だ。

 ジュナザードに連れられて二人で動物園での観客を呼ぶための偽物ではない、本物の木々が生い茂るジャングルへ足を踏み入れる。

 靴を履いている自分でも木の根や石に躓きそうになり、簡単に進めないのに、裸足のジュナザードはひょいひょいと先に進んでいく。

 

「到着だわいのう」

 

 ジャングルの中ではわりと開けた場所に出ると、ジュナザードが漸く足を止めた。

 翼の目が見開かれる。

 

「子供……? それも沢山」

 

 自分と同年代から少し年上に年下まで。男女問わず二十人以上の子供がそこにいた。

 だが肌の色からして日本人は翼だけだろう。他の子供は皆浅黒く日に焼けた肌をしている。

 子供達は彼等からしたら未知の存在である翼をジトっと見つめていた。隣りにいるジュナザードに助けを求めるが、ジュナザードはニヤニヤしているだけで助けてくれる気配はない。

 仕方ないのでここは、

 

「初めまして。日本から来た内藤翼です」

 

 礼儀作法に乗っ取り挨拶をする。

 しかし子供達は無反応。それはそうだ。子供の彼等に英語ならまだしも日本語が分かるわけがない。

 挨拶をされた子供達は挨拶を返すことはなく、翼の知らないインドネシア語でヒソヒソと話し始めた。

 

「……あのジュナザードさん。彼等は一体」

 

「こやつらか? こやつらはお前と同じ我の弟子候補だわいのう」

 

「弟子候補って、テストは終わったんじゃないんですか?」

 

「阿呆。我にシラットの教えを請いたいわっぱは掃いて捨てるほどいるのじゃ。そのわっぱの中から、お前を弟子とするならそれ相応の試練を乗り越えぬと」

 

「試練?」

 

 ジュナザードの雰囲気が変わる。

 好々爺めいた陽気さは消え失せ、冷血にして冷徹な邪神としての顔が表へ出てきた。

 

「ここに集まった童たちはのう。拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードの弟子の座をかけて、唯の一人になるまで殺しあうために集まったのじゃわいのう」

 

「こ、殺しって!?」

 

「驚くことじゃないだろう。より優れた者を弟子にとるのは武術家として当然のこと。そして武術家の優劣を決める一番手っ取り早い術こそ殺し合い」

 

「そんな無茶苦茶、皆が従うと思ってるんですか!」

 

「従うわい。なにせここに集まった童たちは予め我から弟子を選ぶやり方を教わった上で来たのだからのう」

 

「……!」

 

 振り返る。

 自分以外の子供が纏っていた雰囲気、なんとなく既視感があったのだが漸く分かった。

 病院のベッドで余命宣告された祖母と同じ、死ぬ覚悟をもった目。こんな目を祖母の五分の一も生きていない同年代の子供がしていることに翼は戦慄した。

 ジュナザードの言葉は正しく。彼等は殺し殺されるためにこの場所に集まったのだ。

 

「ルールは至ってシンプル。自分以外が死ねば勝ち。殺すためにどんな手段を講じようと構わんが、武器は禁止じゃわいのう。石を蹴って飛ばすくらいなら大目にみるが、石で殴りつけたり投げるのはルール違反。それに戦う場所はこのジャングルだけじゃわいのう。

 万が一じゃが、ルール違反を犯した者がおればそやつは我が殺す。あと我を殺し返す自信があるなら幾らでもルール違反して構わんわいのう」

 

「ちょっと……」

 

「わっぱ。我が『Dimulai』と言ったらスタートじゃわいのう。心の準備をしておけ」

 

 ピシャリと有無を言わさぬ口調で言い切ると、ジュナザードは子供たちの輪の中心に立った。

 そして、

 

「『Dimulai』」

 

 合図の言葉が放たれた瞬間、ジュナザードはその場から幻影のように消え去り。子供達は一斉に自分以外の全てを殺すために動き始めた。

 そんな中、翼は。

 

「せ、戦略的撤退っ!」

 

 死への恐怖から、全力疾走で逃亡した。

 



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第4話   クシャトリア

 必死にジャングルを走り回る。自分が森の中を歩きなれていないことなど気にも留めず、ただひたすらに両足を動かした。

 火事場の馬鹿力というものなのか。行きは木の根に躓きはしたが、そんなこともなく人気のない大樹の陰まで来て漸く立ち止まった。

 

「はぁはぁ……な、舐めてた。とんでもない人なのは分かってたけど、まさかあそこまで常軌を逸しているなんて……」

 

 最も優秀なものを弟子として選ぶために、弟子候補全員を殺し合わせて一人残った人間を弟子にする。言葉にしてしまえばそれまでのことだが、やってることは滅茶苦茶も良いところだ。

 こんなことを弟子候補に強いるジュナザードもジュナザードだが、それを知って挑む弟子候補も弟子候補である。

 

「くそっ!」

 

 自分一人以外を殺し尽くすバトルロワイヤル。多くのサブカルチャーに恵まれた日本出身の翼は、そういった物語を何度か見たこともあるし、その時は画面の向こうの戦いに手の汗握ったものだ。

 だが自分が画面の向こうの登場人物と同じ境遇になって初めて、そのルールの余りの非人道性に戦慄する。

 

「これから、どうする?」

 

 ジュナザードは〝やる〟と言ったら〝やる〟妖怪だ。ジュナザードが一人になるまで終わらないと言ったら、決してこの森に生きた人間が一人以下になるまで殺し合いは終わりはしない。

 例えずっとここで隠れていて運よく見つからなかったとしても、残った一人が翼を殺しにくるだろう。自分以外の全員が殺しあった挙句に全滅するのが望ましいが、流石にそんな都合のよすぎることは望むべくもない。

 かといってジャングルから逃げれば、ルール違反と見なされジュナザードの手で殺されてしまう。

 

「あっ、ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーッ!」

 

「!」

 

 遠くであがる悲鳴……否、そうではない。

 如何にティダードで話されているインドネシア語が分からずとも、その声に滲んだ恐怖と無念からそれがただの悲鳴でないことくらいは分かる。

 これは断末魔だ。たった今、自分と同じ弟子候補の一人が死んだ。他の弟子候補の手にかかって。

 

『カッカッカッ。どうしたわっぱ。逃げておるだけでは勝てんわいのう』

 

「その声! ジュナザードさん!?」

 

 驚き周囲を探すが、風で揺れる木々があるだけで。仮面を被った老人、シルクァッド・ジュナザードの姿はない。

 気配を消しているのか、それとも翼の知らない未知の方法をしているのか。或いは単純にスピーカーのようなものがジャングルに隠されているのか。

 シルクァッド・ジュナザードという存在を知る前なら確実にスピーカーだと確信したが、知った今となっては判別がつきにくいところだ。

 

『お前は生きたいのじゃろう。ならば遠慮することはないわいのう。我がお前に教えたシラットの技を振るえぃ! さすれば道は開けよう』

 

「シラットの技を学ぶことは……諦めました。だけど、もう止めて下さい。別に殺し合いじゃなくても普通に組手でも十分じゃないですか!」

 

『十分じゃないわいのう。武の極みとは数多の流血の果てに到達するもの。己の手を染めずして、我がプンチャック・シラットの至高を得ることはできんわい』

 

「だからって!」

 

 仮にジュナザードの言う通り教えられたシラットを使い生き延びたとしても、それは即ち他の弟子候補を殺めるということだ。

 平和な日本でも、いいや日本でなくとも殺人という禁忌への忌避感は人間ならば誰もが等しく持っている。

 自分の命のためとはいえ、そう簡単に人を殺す決心なんてつけることはできない。それが自分と同年代の、学校のクラスメイトと同い年くらいの子供とくれば猶更だ。

 

『カカカカカカッ。やめたいのならばやめても構わんぞ』

 

「本当ですか!?」

 

『おうとも。我は邪神であるが鬼ではないわいのう』

 

 思わぬ温情に希望が生まれかかるが、それは次の一言で泡沫の夢と消える。

 

『死ぬ自由くらいはくれてやるわいのう』

 

「……!」

 

 結局はそこに行き付く。

 誰かを殺さない道を選べば、自分が死ぬこととなり。自分が生きる道を選べば、誰かを殺すことになる。

 どちらを選んでも幸福にはならない。要は自分の幸福を願うか、他人の幸福を願うか。その二つに一つ。他の道はありはしない。

 

『そぅら。話をすれば影じゃわいのう。来おったぞ、粋の良いのが』

 

「え?」

 

 ジュナザードに言われ咄嗟に身を屈める。少し遅れてさっきまで翼の頭があった場所を通過する蹴り。

 

「――――っ!」

 

 インドネシア語で発せられる怒声。

 翼と同じ弟子候補の少年だ。彼の方は既に誰かを殺してきたのか、身体には返り血と思わしき鮮血がこびり付いている。

 

「く、来るな!」

 

 もう一度逃げようとするが、ジャングルの多いティダード生まれだけあって相手の方がここでは速い。直ぐに回り込まれてしまった。

 相手はシラットの構えをとると、子供でありながら猛獣のような殺意で襲い掛かってくる。

 

(鋭い動きだ。けど)

 

 これまでずっとジュナザードにつきっきりで扱かれたお蔭で、翼の目は速い動きに慣れている。

 子供としては早くてもジュナザードの速度と比べれば止まっているようなもの。ジュナザードに教わったシラットの回避法を駆使して、攻撃を捌いていった。

 

『身を守るのはそこそこじゃがのう。防御だけで勝つことはできんわいのう』

 

(分かっている! そんなことは――――)

 

 ジュナザードは性格に恐ろしく問題があるが、指導力の高さは認めざるをえない。

 密度でいえば恐ろしく濃かったのを差し引いても、たった一週間の修行で翼の中にはシラットの基礎が根付き始めている。そのシラットを使えば防御だけではなく、逆に攻撃することもできるだろう。けれど相手の殺意に圧されてしまい、どうしても攻撃の手が繰り出せないのだ。

 しかしそんな生半可な気分での防御が長く続く筈がない。遂に首を絞められた。

 

「がっ……うっ……!」

 

『いよいよ絶体絶命じゃわいのう。ほれどうする? 予めこれだけは言っておくが、お前がどうなろうと我は助け舟を出す気はないわいのう』

 

 首がどんどんと絞めつけられていく。遊びや喧嘩ではなく、殺す意志をもってされる首絞めは息苦しさが段違いだった。少しでも気を抜けば、意識を手放してしまいそうになる。

 このまま何もせずにいたら自分は死ぬだろう。これまでも感じた死が、最も自分に接近してくるのが分かった。

 自分は死という底なし沼に足をとられていて、頭まで沈みきってしまった時、二度とは這い上がれない場所に沈む。

 

(畜、生っ!)

 

 死にたくなんてない。だってまだ二十年も生きてないのだ。これから楽しい事も沢山あるというのに、こんなところで死ぬのなんて御免だ。

 自分の生を望めば、誰かを殺すことになる。そうなれば自分はめでたく立派な殺人者だ。

 だが自分の命か他人の命かを選ぶとするならば、

 

「やっぱり――――自分の命だよなぁ」

 

 プツンと頭の中で決定的ななにかが切れた。

 口元が歪み「クヒッ」と不協和音めいた笑いを漏らすと、自分の体を軸に首を絞めていた相手をそのまま投げ飛ばした。

 

「Tiba-tiba, saya itu berarti!?」

 

 無抵抗だった相手が突然動いたことに、相手の少年が混乱する。

 その隙を翼は逃さない。鳩尾、顎、首。人体の急所という急所に連続攻撃を叩き込む。けれど所詮は子供の力。急所に攻撃を入れても致命傷を与えることはできない。

 

(あれは)

 

 ふと目端に尖った大きな石が転がっているのを見つける。

 ジュナザードは石で殴りつけることや投げつけるのを禁じたが、転がっている石に相手を叩きつけるのは禁じていない。

 純粋に丁度良い凶器を見つけた喜悦から、口元が綻んだ。

 

「第一のジュルス!」

 

 渾身の力を籠め相手の腹部を突く。腹を思いっきり突かれ動きが止まった。

 ジュルスとはシラットにおける型。そしてジュナザードが編み出し、ジュナザードから教わったのは18のジュルス。まだ一週間故に翼が満足に使えるのは二つが精々だが、その二つで人一人殺すには十分だ。

 動きの止まっている相手の膝裏を蹴ると、さっきのお返しとばかりに首に腕を回す。そして、

 

「死ね!」

 

 体格で勝っていた事もあり、相手の少年はふわりと投げられる。

 狙い通り投げられた先にあるのは翼の見つけた尖った石。石の尖った場所に頭を思いっきり叩きつけられ、さっきまで元気に翼を殺しにきていた少年は絶命した。

 

『カカカカカ。多少荒っぽいが、まぁ初めてにしては上々じゃわいのう』

 

「……ジュナザードさん」

 

『なんじゃい』

 

「残りは後何人ですか?」

 

『それが喜ぶといいわいのう。お前がそこで転がってたわっぱと遊んでるうちに一人消え二人消え、今はお前を含めないで二人じゃわい』

 

「分かりました」

 

 つまり殺すのは後二人ということだ。

 翼は迷わずに戦いの喧騒のある方向へ走ると、返り血で濡れ熾烈な殺し合いをする二人の少年と少女がいた。

 二人は相手を殺すのに夢中でこちらに気付いてはいない。不意打ちする好機だった。

 

「――――」

 

 声も出さず迷わず二人に突っ込むと、二人が反応するよりも早く先ずは少年の方に金的を蹴り飛ばした。

 

Ada kelangsungan hidup masih(まだ生き残りがいたのか)!?」

 

 少年が先にやられたことで少女の方は構えをとるが、それよりも早く翼は動いていた。

 

猛獣跳撃(スラガンハリマウ)!」

 

 さながら自分自身を虎に見立てて襲い掛かり、自分の全体重をのせて少女の首をへし折る。

 自分の力だけで殺せないならば、他の力を加えればいい。体重というのは腕力を補う力として最も使いやすいものの一つだ。

 

「終わりだ」

 

 最後に金的を蹴られ倒れた少年の首に足をかけて、全体重をのせ踏み潰し止めを刺す。

 再びジャングルには静寂が戻ってくる。そして自分の命の危機に我を失った心も、一緒に戻ってきた。

 

「うっ!」

 

 自分が殺してしまった二人の人間の遺体を見て、思わず胃の中のものを吐き出す。今朝食べたリンゴなどという果物が胃液と一緒にジャングルの大地にぶちまけられた。

 翼のぶちまけた嘔吐物に蟻などの蟲が殺到してくる。それを見て更に吐き出した。

 

「ようやったわいのう」

 

 自分をこの地獄に送り込んだ張本人、シルクァッド・ジュナザードが音もなく背後にいた。

 もうそのことに驚くことはない。行き場のない憎悪と怒りを込めて、拳魔邪神を睨む。

 

「カカカカカカッ。新鮮な良い殺気じゃ。だが止めよ、主ではまだ我を殺すことなどできんわいのう」

 

 パイナップルを咀嚼しながらジュナザードは言う。

 

「わっぱ。主の名前を聞いておこうかいのう。名乗れ」

 

「……………」

 

 何度かジュナザードに名を名乗ったことはあったが、これまで一度も名前を呼ばれることはなかった。

 だがそのジュナザードが名前を聞いたということは、つまりはそういうことだ。

 

「内藤、翼」

 

「ナイトウ? ツバサ? ふむ……ナイトウ・ツバサ…………ナイトウ……ナイト。そうじゃわいのう。貴様はこれよりクシャトリア、サヤップ・クシャトリアじゃ」

 

「え?」

 

「不満かいのう」

 

「……いえ」

 

 どうせ嫌だといっても無駄だ。変に機嫌を損ねて殺されたくなどはない。

 ジュナザードは手にもっていたパイナップルの残りを全て口の中に放り込むと、ごくんと呑み込んだ。

 呑み込まれた果実がここで死んだ子供達の魂のような気がして背筋が凍る。

 

「クシャトリア。この課題をもって貴様を我の正式な弟子として認める。これからは我のことを師匠(グル)と呼べい」

 

「はい、師匠(グル)

 

 尊敬と敬愛はなく、あるのは無限大の恐怖だけ。

 こうして極普通な日本の少年は、拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードの弟子となった。

 



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第5話   ティダード王国

 正式にジュナザードの弟子になってから時間が経つと、あくまでティダード国内に限ってはそれなりに自由な時間も許されるようになった。

 幾ら拳魔邪神ジュナザードが邪悪、外道、ドSの三拍子を地でいく人物であろうと彼も格闘家の中の格闘家。

 そして格闘家というのは医者とは別ベクトルで人体のスペシャリストといっていい。だからこそ力を伸ばすのには厳しい修行だけではなく、時には息抜きや休息が必要だというのも分かっている。

 無論のんびり出来る時間なんていうのはごくごく稀のこと。仮にジュナザードが留守の時でも、代わりの達人に指導されるので休暇なんて一か月に一度あればいいほうだ。

 だがどれほど偶の休みであろうと休息というのは嬉しいもの。休みになると翼――――改め、クシャトリアは観光気分でティダードを散策したりもした。

 

「おやクシャトリア様。お出かけですかな? なんなら車を回しますが――――」

 

「いえ。お構いなく」

 

 これは正式な弟子になって何日かしてから気付いたのだが、自分はどうもティダードでは敬われる側の人間らしい。

 散々師匠の外道っぷりを間近で見てきたクシャトリアには、にわかには信じられない事だが、シルクァッド・ジュナザードは嘗ては救国の英雄と呼ばれた人物であり、今もなおティダード国民はジュナザードを恐怖しつつも敬服している。

 そしてその英雄ジュナザードが正式な弟子ということで、クシャトリアも一定以上の扱いをティダード国民から受けていた。

 虎の威を借る狐そのものだが、別に自分が望んだことでもないし、腹を空かせている時に果物をくれるのは有り難いのでこれはこれで良いことだった。

 ティダード王国にいる間に他人の会話に聞き耳をたてているうちに、インドネシア語もそこそこマスターしたので意思の疎通に問題はない。

 

「はぁ~あ。果物もいいが、偶にはファーストフード店でハンバーガーでも食べたいなぁ」

 

 師匠に倣ってというわけではないが、手頃な岩に腰を掛けリンゴを齧りながらクシャトリアは空を仰ぐ。

 日本からここティダードの地に連れてこられて半年余り。両親はどうしているだろうか。

 地獄のような毎日が続くせいで、深い望郷の念を抱きながらクシャトリアは自分が『内藤翼』だった頃の両親の顔を思い浮かべる。

 

『ああそうそう。日本でのお前のことじゃがのう。闇が圧力をかけ川に溺れて死んだということになったわいのう。親の心配はする必要はないわい』

 

 日本の両親について聞いた自分に、ジュナザードがあっけからんとそう返事したのを思い返す。

 ジュナザードの言う〝闇〟がなんなのかは知らないが、ティダード王国でのジュナザードの扱いを見れば、それが嘘か真かの判別はつく。

 そして日本にまで手を回せるほどの手の広さを考えると、自分に地球上で逃げ場所なんてないという残酷な事実もクシャトリアは思い知った。

 きっともう自分が日本人として日本へ戻り、あの平和で穏やかな生活に戻ることは永久にないのだろう。

 

「クシャトリアか。そこでなにをしている?」

 

「あ、メナングさん」

 

 クシャトリアに話しかけてきた男性はメナング。達人級のシラット使いで、ジュナザードに最も近い腹心だ。

 医術の心得があり、あのジュナザードの腹心でありながらかなりの常識人であることもって、それなりにクシャトリアとは良く話す間柄だ。

 というよりクシャトリアが勝手にティダード良い人ランキングナンバーワンに認定してるほどの人だ。

 

「いえ、ちょっと日本の事を考えてて」

 

「日本……確か梁山泊のある極東の島国だったな」

 

「梁山泊? 梁山泊なら日本じゃなくて中国じゃないんですか。水滸伝でしょう」

 

「気にしなくていい。まだお前が知る必要のないことだ」

 

 そう言われると聞きたくなるのが人間の性分。

 だがそうやって危ないものに手を出したら痛い目みるのは、ジュナザード相手に「武術を教えてくれ」なんて言ってしまった人生最悪の失言で身に染みているのでここは黙る。

 触らぬ神に祟りなし。君子危うきに近寄らずだ。

 

「だが故郷か。クシャトリアは日本からジュナザード様が連れてきたのだったな」

 

「はい。……本当は通りがかりの達人にちょっと武術のコツを教えて欲しいだけのつもりだったんですけどね。気付いたらこんなことに」

 

「――――――――あの御方も、昔は高潔な真の英雄だったのだがな」

 

 メナングの瞳には決して変わらぬジュナザードへの忠誠心と、ジュナザードへの憤りの二つが入り混じっていた。

 ティダードの国民としても武術家としてもジュナザードを尊敬しているが、人間的にはジュナザードの非道には否がある。

 子供である自分が偉そうな断定はできないが、予想するならこんなところだろうか。

 ジュナザードに対して溢れんばかりの恐怖を抱いているだけのクシャトリアには分からない感情だ。

 

「メナングさん。あのこれはオフレコでお願いしますよ」

 

「なんだ? 藪から棒に。君のことを哀れにも思うし出来れば祖国へ帰してやりたいとも思う。しかし私はジュナザード様の部下だ。帰してくれと頼まれたも聞けんぞ」

 

「分かってますよ。そんなことじゃありません。ただ本当に師匠(グル)は英雄だったんですか? にわかには信じられないんですが」

 

「…………お前が疑うのも無理はない。なにせもしも英雄だった頃のあの方を知る人物が、時間でも飛び越えて今のジュナザード様を見ればお前と同じ意見をもつだろうからな」

 

「!」

 

「戦時の英雄は平和の中では英雄たりえないのか。それとも殺し合いの狂気が平和の中で溜まりに溜まった結果なのか。或いはあの御方が変わってしまったことはあの御方御自身にさえ分からぬことなのかもしれない。

 だがこれだけは断言しよう。拳魔邪神ジュナザード様がティダードを侵略から救い、国を守った英雄なのは間違いなく本当のことだ」

 

「分かりました。それに考えれば意味のないことでした。昔の師匠が英雄でも、今の師匠が邪神なら今の師匠の弟子の俺には関係ないんですから」

 

「……すまんな」

 

「謝らないで下さいよ。ここで頼りになるのはメナングさんだけなんですから」

 

 リンゴを食べ終えると、今度は葡萄を懐から取り出して食べる。

 このティダード王国に来て数少ない良かったことは、日本では食べられない新鮮で美味いフルーツを気軽に食べれるということだ。

 

「クシャトリア様、ここにおられましたか」

 

 ジュナザードがクシャトリアの世話役として付けられた侍女が小走りで走ってくる。

 

「えーと、確かミカン……」

 

「ミランです、クシャトリア様」

 

「ああそうそう。どうも最近フルーツばかり食べていたせいでね。それで何の用だ? 今日の修行はOFFのはずだけど」

 

「邪神様の気が変わられました。クシャトリア様におかれましては、直ぐに鍛錬場へと戻るようにと」

 

「短い休み時間だったな」

 

 ここでクシャトリアにごねるという選択肢はない。師匠の呼びつけを破るとは即ち死を意味するのだから。

 クシャトリアが師匠から解放されるにはクシャトリアが師匠を超える強さを手に入れるしかない。だがそれは果たして何十年後か、はたまた一生懸けても不可能か。

 

「クシャトリア」

 

 鍛錬場へと向かう寸前でメナングに呼び止められる。

 

「こんなこと気休めにもならんかもしれんが。クシャトリア、お前には才能がある。あのジュナザード様が目をかけるほどの類稀な……十年に一度の才がな。だからお前なら他の者なら死ぬことでも耐えられる……と思う」

 

「最後に余計な一言を入れないで下さいよ」

 

「す、すまん。だが才能があるというのは本当だ。なにせまだ生きているからな。才能がなければ今頃お前は邪神様に殺されている」

 

「………………でしょうね。じゃあ神童は神童らしく、死なない気で励んできますよ」

 

 才能がなければ殺されていた、というのは間違いではないだろう。

 自分の師匠が『失敗作』とみなせば、それが弟子であろうと問答無用に殺害する超弩級の危険人物なのは良く知っている。それに師匠が殺さなくても、あのバトルロワイヤルの課題で他の弟子候補に殺されていたはずだ。

 その意味で今こうしてクシャトリアが生きているのは、一重に武術の才能があった故なのだろう。

 

「ところでミラン。なんでまたいきなり休み返上に? これまで殺し合いをさせられたことは一度や二度じゃあないが、休みを取りやめにして修行なんてことはなかったはずじゃないか」

 

「それが私は詳しく知らないのですが、弟子入り希望者が来たとかで」

 

「弟子入り希望?」

 

「はい。それでジュナザード様は弟子入りにクシャトリア様を倒すことを条件にしたと」

 

「……成程」

 

 勝手に自分を弟子入り条件にした師匠ではなく、よりにもよってこんな時に押しかけてきた弟子入り希望者に対して怒りを燃やす。

 お陰で貴重極まりない休みの日は台無しだ。この借りはしっかりと返させて貰おう。

 尤も師匠の性格からすると、借りを返すどころでは済まないことになりそうだが。

 クシャトリアは複雑な気分のまま鍛錬場へと入っていった。

 



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第6話   静と動

 鍛錬場には既にジュナザードと、もう一人見たことのない男がいた。

 浅黒い肌とティダードの民族衣装。身長はざっとクシャトリアの二倍はある。体格を含めた質量なら三倍、或いは四倍。かなりの巨漢だった。

 状況からいってあの巨漢がジュナザードに弟子入りしにきた男なのだろう。

 しかしジュナザードと巨漢の男を比べると遥かに巨漢の方が大きいのだが、並んで立ってもジュナザードが小さいようには見えない。これが達人のオーラというものなのだろうか。

 

師匠(グル)。クシャトリア、参りました」

 

「うむ」

 

 スイカを切り分けずに野性的にむしゃぶりつきながらジュナザードが頷く。

 

「これが拳魔邪神ジュナザード様の正式な弟子ですか。ただの小僧ではないですか」

 

 嘲るような目で巨漢がクシャトリアを見る。

 それにクシャトリアはムッと……なることはなかった。年齢的にも自分は『小僧』呼ばわりされても仕方がない上に、このくらいで一々怒っていてはジュナザードの弟子なんてやっていられない。

 

「師匠。そちらは?」

 

「我の所に弟子入りしにきたこの国の者じゃわい」

 

(この国ということはティダード国民か。ティダード人なら師匠の恐ろしさは知ってるだろうになんて命知らずな)

 

「カッカッカッ。若いもんは往々に命知らずのものじゃわいのう。我とて若い頃はジャングルで軍隊を皆殺しにしておったのじゃ」

 

「!?」

 

 自分の心中を読まれた事にギョッとする。身体能力が超人クラスなだけでなく、心まで読めるのだろうか。

 改めて自分の師匠の底しれなさに身震いした。

 

「ジュナザード様。本当にこの小僧を倒せば私を弟子とお認めになってくれるのですね」

 

「倒せれば、だがのう」

 

 世界最強のシラットの達人の雷名は伊達ではなく、ジュナザードの所には弟子入り希望者がそれなりの頻度で訪れる。

 メナングの話によれば弟子をとるかどうかはその時のジュナザードの気分次第だそうだが、仮に弟子にしても大抵は数か月で壊れてしまうらしい。だが、

 

「師匠。前に弟子入りに来た人は即座に追い返したのに、何故今回は変な課題を出して試すような真似を?」

 

「なに。お前と組手――――いや死合わせるにはこやつが丁度良い腕前だったのでのう。じゃが二週間前に弟子入りにきたワッパは妙手。達人未満弟子以上の中途半端な使い手じゃわいのう。

 お前の素養がどれだけ優れていようと現段階のお前の実力では引っ繰り返っても妙手クラスには勝てん。死合いは一方の勝ち目が皆無だと面白うないわいのう」

 

「………………」

 

 弟子の死合いを見世物かなにかと思っている師匠には山ほど文句があるが、文句をつけたら殺されるので黙る。

 だが命懸けで弟子入りにきておきながら、ただの組手(死合い)の相手代わりにしか扱われていないことに巨漢の機嫌が目に見えて悪くなっていく。

 一方師匠であるジュナザードはクシャトリアを見下ろしてニヤニヤと嗤っていた。

 

(さてはわざとこのデカブツを怒らせたな)

 

「察しが良いのう。その通りじゃわい」

 

「…………」

 

 また心を読まれたが、もう驚きはすまい。

 ジュナザードの部下に促されて鍛錬場で巨漢と対峙する。シラットの達人に弟子入りにくるだけあって、相手の使う武術も同じシラット。

 筋肉や体格、それに体重からしてパワーはあちらが上なのは確実。後は技の勝負になる。

 

「分かっていような。クシャトリア、それとそこのデカいの。これは組手じゃなく死合いじゃわいのう。どちらか一方が一方を殺すまで終わらんわい」

 

「勿論分かっていますとも、ジュナザード様。貴方の弟子をこの手で打ち砕いてみせましょう」

 

「毎日のように組手ばっかしてますが、死合いは久しぶりですね」

 

 あの日。拳魔邪神の正式の弟子になった殺し合いの時と同じ、相手を殺さなければ自分が死ぬ戦い。

 相手が巨漢の大男ならば、同年代の子供を殺めるよりも気分は楽だ。

 

「始めよ」

 

 ジュナザードの合図でクシャトリアと巨漢の男は同時に構えをとる。

 流派は違えどやはり巨漢の武術も自分と同じプンチャック・シラット。

 

「ティダードの英雄たる拳魔邪神様の弟子となるに相応しいのは、拳魔邪神様と同じくティダードの地で生まれた者。日本だかなんだか知らんが、貴様のような小僧! 我が手で消してくれるわぁ!」

 

 先に仕掛けてきたのは巨漢の方。地面を這う蛇のように真下から迫ると足技を膝にかけてきた。

 日本で良く知られる空手などにはない上下からの変則攻撃。それがプンチャック・シラットの恐ろしさの一つでもある。

 

(……見える)

 

 常日頃クシャトリアが組手の相手をするのは、力を弟子クラスまでセーブしたジュナザード本人か、或いはどこからか連れてきたクシャトリアより数段格上の武術家だ。

 だからこそだろう。自分と同程度の速さでしかない巨漢の動きを、クシャトリアの動体視力は完全に捉えていた。

 

「そこだ!」

 

 巨漢の蹴りを回避すると、逆に拳打を男の腹に叩き込んだ。

 

「が、あ――――」

 

「おいおい。嘘だろう」

 

 驚いたことに巨漢はクシャトリアのただの一発の拳打で地面に倒れてしまった。

 余りにも呆気なさ過ぎる終わりに、クシャトリアは目を白黒させながらも死合いを終わらせるために止めを刺す。

 

「そこまでじゃ。うむ、良い調子じゃわいのう。細腕でデカブツを屠る力。我が日頃から秘薬で肉体をちっとずつ改造してきた成果があったわい」

 

「改造って、黙ってそんなことしていたんですか!?」

 

「カッカッ。そう慌てんでも別にお前を薬物中毒者に仕立てたわけじゃないわいのう。お前の体という体についている筋肉を、秘伝の秘薬と訓練法で細く鋭く強靭に作り変えてきただけじゃわい。

 武術においてブヨブヨと無駄に太い筋肉など寧ろ足枷。必要な個所に必要な筋肉を必要以上につける。我がプンチャック・シラットを極めるには、相応の下地を整えておかねばならんわいのう」

 

「下地……」

 

 肉体改造という不穏なフレーズには震撼したが、思った以上にまともなことだったので一安心だ。

 クシャトリアも一人の男。筋肉ムキムキの体というものに興味がないわけではないが、師匠の意向に逆らうほどのものではない。

 

「下地といえばお前もそろそろ分岐点じゃわいのう」

 

「分岐点?」

 

「ある一定以上の武術家はのう。大きく二つのタイプに分けることができる。即ち静と動のタイプじゃわい」

 

 静かの静と、動くの動。反対的な意味合いをもつ二つの文字。しかし分岐点だと言われてもクシャトリアにはなにがなんだか分からず困惑するしかない。

 ジュナザードの弟子となってただ我武者羅にやってきてなんとなく強くなった実感はあるが、具体的に自分がどの程度の強さなのかはさっぱりなのだ。

 

「常に心を落ち着かせ冷静さを武器に戦うのが静のタイプ。感情を爆発させリミッターを外す動のタイプじゃわいのう。

 二つのタイプに優劣はなく一長一短じゃが、静のタイプは守勢に優れ実力を安定して発揮できる傾向が強く、動のタイプは攻勢に優れムラはあるが爆発力が凄まじい傾向がある」

 

「成程。それで俺はどっちのタイプなんですか?」

 

「それは今後のお前次第じゃわいのう。中には性格的にどちらか一方のタイプにしか進めん者もおるが、お前は静と動、両方の素養があるわいのう。どちらに転ぶかははてさて神のみぞ知ると言ったところかいのう」

 

「神、ですか」

 

「そうじゃ。神じゃ」

 

 拳魔邪神ジュナザードは物言わぬ死体と成り果てた巨漢の上に腰を下ろすと、懐から出したオレンジを咀嚼し始める。

 弟子を自分の思うが儘に仕上げようとする師匠のことだ。なにかクシャトリアでは考えつきもしない荒業で強引にタイプを決定することも出来るのかもしれない。

 

「静のタイプか動のタイプ……二つ同時に選べない以上、どちらか一方を選ぶしかないんですよね」

 

 個人的にはリミッターを外す動のタイプは危なそうなので、静のタイプを選びたいところだ。

 だがこれは自分でそのタイプに進もうとすれば進めるといったものではない。どうしたものかと悩んでいると、

 

「いや……二つ同時か。前代未聞のことじゃが、それもそれで面白いかもしれんわいのう」

 

「は?」

 

「風林寺のじっさま程になれば体の身中線を境に二つのタイプを同時発動できるし、我の秘薬と下地があれば二つのタイプを同時に修めさせるのも不可能じゃないわいのう。

 壊れる危険性はかなり高いが、壊れたらそこまでの素材。我の手にかかれば別の弟子など幾らでも作れる……。良し、決まりじゃわいのう。我はこれから少し出る。お前はもう休んでいい。元々今日は休みじゃったからのう」

 

 自分の言いたいことだけを言うと、捉えられない速度でどこかへと行ってしまった。

 何故だろうか。休みになったというのに全く嬉しくない。

 

「なんでこうなるんだろう」

 

 ある種の諦めの境地に達したクシャトリアは、疲れたように笑いながら天を仰いだ。

 ふと転がっていたリンゴをとって食べる。甘いリンゴなのに何故かしょっぱい味がした。



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第7話   九拳の会合

 良からぬことを思いついてしまったらしい師匠ことジュナザードが城を留守にして数日が経った。

 

「出かけるぞ」

 

 突然戻ってきた拳魔邪神ジュナザードの鶴の一声、否、神の一声で、クシャトリアは文句を言うことすらできず突然の遠征をすることになってしまった。

 自動車なんて乗っていたら時間がかかって仕方ないと、師匠に背負われ一時間。クシャトリアが連れてこられたのはティダード王国首都にある空港だった。

 

(空港は意外に綺麗なんだな……。日本の空港と比べても見劣りしない)

 

 これまでクシャトリアが見聞きしてティダードに抱いていたイメージは、アジアの危ない発展途上国というものだった。

 治安だって宜しくないし、酒場に行けば銃で武装した傭兵がたむろしている。ジュナザードの威光で、その居城には戦火はこないが、少し街へ出ればティダード正規軍とゲリラがドンパチしているのも良く目にする。

 しかし真っ先に標的になりそうな空港だけは戦火の跡もなく平穏そのものだ。

 

(……きっと師匠が自分が使う場所だからってなんとかしてるんだな)

 

 唯我独尊、傲岸不遜、自分勝手――――自己中心的人物の特徴をコンプリートしたような師匠のことだ。

 ティダード中が戦火に巻き込まれて焦土と化しても大爆笑するだけだが、自分の城や自分の使う空港が破壊されることには怒るだろう。

 そしてティダードにおいてジュナザードの怒りを買うことは、神の怒りを買うことも同じ。はっきりいってティダード国王に糞を投げつけて激怒させるより恐ろしいことなのだ。

 仮にジュナザードがなにもしていなくても、誰もジュナザードの怒りをかいそうなことはしないのだろう。

 

「師匠」

 

「なんじゃ」

 

 空港の壁に貼られている飲食厳禁という張り紙など何処吹く風とばかりに夕張メロンを食べている師匠。

 係員は幾人かいたが、それを注意しようとする勇敢(無謀)な者は誰一人としていなかった。

 

「これまで何度か別の場所に連れてかれることはありましたけど、いきなり海外だなんて……。どうしてなんですか?」

 

 日本なら兎も角、ここはティダードだ。

 ティダードは小さな島の集まった国なので、移動に船を使うことはあっても基本的に飛行機なんて使うことはない。空の便を使うとしても精々がヘリコプターだ。おまけに師匠はジョークでもなんでもなく海の上を走れるので船すら必要ない。

 故にわざわざ空港に来た以上は海外に行くのは確定しているのだ。

 

「……クシャトリア。貴様、我の修行方針に口を挟むつもりかいのう?」

 

「い、いえ。そういうわけじゃ」

 

 ギロリと、瞳を殺意で光らせながら睨むジュナザード。クシャトリアは慌てて取り繕った。

 

「冗談じゃ。別に怒っておるわけじゃないわいのう。お前は恐怖には敏感に反応するからからかい甲斐があるわい」

 

「ぐ、師匠(グル)!」

 

「カッカッカッ。クシャトリアよ、前に静と動のタイプの話をしたじゃろう」

 

「ああ、あれですか」

 

 なんとなく予想はついていたが、やはりそうだった。

 師匠曰く、自分は静のタイプか動のタイプ。二つのどちらに進むかの分岐点にあるらしい。

 どちらのタイプに進むかは自分自身で決められるものではなく、自分の性格やスタイルで自然と決まるものらしいが、中にはどちらのタイプにも進める可能性のある者もいるそうだ。

 そして非常に不幸なことにクシャトリアもそういった両方のタイプに進める可能性がある者の一人で、更に最悪なことに本来どっちかにしか進めないはずなのに、ジュナザードは武術的興味本位100%で静と動、両方のタイプを修めさせようとしている。

 

「先に開展を求め、後に緊湊に至る。早い話が武術家としての段階じゃ。お前はその緊湊に足を踏み入れている故、我の力をもってすれば静と動どちらにも転ばすことができるわいのう」

 

「師匠や弟子が自分で決められるようなものじゃないんじゃなかったんですか?」

 

「我は神じゃ。不可能なんてないわいのう。じゃが感情のリミッターを外す動のタイプをベースに、静のタイプを修めさせるよりも、安定感のある静のタイプをベースに動のタイプを修めさせた方が成功率は高い。

 よって貴様には先ず我と同じ静のタイプの修行から始めるわいのう」

 

「師匠って静のタイプだったんですか。てっきり動のタイプだと」

 

 人は見た目によらないとはこのことだ。

 イメージ的に動のタイプは乱暴だったり筋肉隆々な巨漢が多いような気がしたが、明らかに野獣染みた師匠が静のタイプとなると、細見の動のタイプの達人もわりといるのかもしれない。

 

「だけど静のタイプの修行をするのに、何故海外へ?」

 

 師匠が静のタイプならわざわざ海外へ行かなくても、師匠が教えればそれで済む。タイプは同じなのだから。

 そうでなくてもジュナザードの部下にはメナングを始め達人の部下が何人もいる。その中には静のタイプもいれば動のタイプもいるだろうし、教える相手に不足するということはないだろう。

 

「我としたことが貴様の育成が愉しくてついつい時間をかけておったが、そのせいで死合いを全然しておらず体がうずうずしておるんじゃわいのう。

 だからお前をある者に預け、我は適当に強者探しでもして来ようと思ったのじゃわい。ついでに貴様にあの女をスパイさせれば、我の探究を進めることになり一石二鳥だわいのう」

 

「す、スパイ!? 本当にこれから何処へ行くんですか?」

 

「――――日本じゃ」

 

 ティダードから一機の専用ジェットが極東の島国へと飛ぶ。

 クシャトリアがジュナザードに連れ去られて半年余り。まったく予期せぬ形でクシャトリアは日本へと戻ることになった。

 

 

 

 日本についても、クシャトリアには久々の故国に感慨にふける時間も与えられることはなかった。空港について直ぐ黒服黒サングラスの男達の案内で、黒塗りのリムジンに乗せられてしまった。

 正直拉致でもされている気分だが黒服たちにはこちらに対しての敬意はあれど敵意のようなものはない。

 

「師匠。この人達はなんなんですか?」

 

 救国の英雄であるジュナザードがティダードにおいて影響力があるのは分かるが、ここはあくまで日本だ。

 ティダードと違って拳魔邪神への信仰なんて欠片もないし、肌の色からして黒服たちがティダード出身にも見えない。

 

「はて? そういえばまだお前には教えてなかったかいのう。こやつらは〝闇〟の使いっぱしり。九拳の我の足になりにきたのじゃわい」

 

「闇? 九拳?」

 

 またもや未知の単語が飛び出してクシャトリアは首を傾げた。

 闇、というのは暗闇の闇と受け取る事が出来るが、九拳に関してはさっぱりだ。

 

「我も発生当初から闇に加わっていたわけじゃないがのう。第二次世界大戦でかなりの達人が死にまくったもんで、武術の失伝を防ぐために武術の保存を目的に結成された組織といったところかいのう」

 

 戦争なんて我は軽く生き残ったがのう、とジュナザードは笑った。

 果たしてそれは戦争で死んだという達人を見下してのものか、それとも戦争を真っ向から叩き潰し国を一つ救った己の腕を誇ってか。それとも理由のない混沌とした感情からか。

 弟子であるクシャトリアをもってしても、拳魔邪神の心中を読み解くことはできない。

 

「それだけなら、別に物騒な組織でもなさそうですね」

 

「闇は表で蔓延っておる活人拳なんてお遊びじゃなく、殺人拳こそ武術の真髄闇に所属する達人たちの集う場所じゃわいのう。闇人が請け負う仕事は要人の暗殺と護衛じゃわい。あと皆殺し」

 

「やっぱり碌でもない組織でした……」

 

「我が名を連ねている一影九拳は闇の無手組の最高幹部。ここに名を連ねれば殺人許可証を手に入れられるわいのう」

 

「本当に碌でもない組織でしたね。逮捕されないんですか?」

 

「闇は政財界に息もかかっておるし、下手に闇に反抗すれば自分の首が物理的に飛ぶわいのう。あとは金の力じゃわい」

 

 垣間見た闇の世界に、元一般人のクシャトリアは溜息をつく。

 この世界屈指の超危険人物ジュナザードに、自由に殺人できるパスポートを与えるなんて正気の沙汰ではない。

 しかも一影九拳ということは、師匠と同じ達人が後九人もいる計算になる。はっきり言わなくても最悪だ。

 

「着きました」

 

 車が止まり、黒服がドアを開ける。師匠に続いて車から出ると、思わずクシャトリアは「おぉ」と声を漏らした。

 眼上に聳え立っていたのは城だった。ジュナザードの城とは違う、日本らしい大名かなにかが住んでいそうな城。

 

「拳魔邪神様。櫛灘様がお待ちです」

 

「行くぞ、クシャトリア」

 

「はい、師匠」

 

 師匠に続いて城内に入っていく。

 驚いた事に城内の灯りは電気ではなく蝋燭だった。時代錯誤もここまでくれば驚嘆するしかない。

 そして一際大きな襖を開けると、そこには胴着をきた妙齢の女性が一人待っていた。

 

「久しいのう。女宿の」

 

「まさかお前がわしを呼ぶとはのう。しかも弟子とは、珍しいことがあったものじゃ」

 

 闇の無手組の最高幹部。一影九拳に名を連ねる二人の達人が暗い城内で出会った。

 



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第8話   制空圏

 胴着……いや、あれは巫女装束だろうか。大きく胸元の開いている巫女装束に大きな数珠を首から下げた女性は、一見すると神に仕える神官にすら見える。

 だがジュナザードという恐怖の権化のような達人と一緒にいるクシャトリアだからこそ、彼女がただの巫女では有り得ないと直ぐに悟る。

 彼女が発している底知れないプレッシャーはジュナザードとまったく同種のものだ。

 ジュナザードと彼女がこうして対峙しているだけで、周囲の風景が歪んでいる錯覚を覚える。

 

師匠(グル)。この方は?」

 

「妖拳の女宿、櫛灘美雲。我と同じく一影九拳に名を連ねる柔術の達人じゃわいのう」

 

「一影九拳!?」

 

 確かにこの女性、櫛灘美雲が只者ではないのは一目で分かったが、まさか師匠と同じ一影九拳だとは思わなかった。

 師匠であるジュナザードが――――仮面のせいで顔は良く分からないが――――かなりの高齢だったので、他の一影九拳もてっきり年を召している人が多いのだと想像していたのである。

 けれど『妖拳の女宿』の異名をとる彼女は、顔立ちや瑞々しい肌からいって二十代あたり。かなり若い。

 

「女宿っていうと二十八宿の一つでしたっけ。若いのに一影九拳になるなんて、凄い方なんですね。えーと美雲さんは」

 

「若い? こやつが? カッ、カッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカッ!」

 

 クシャトリアは至極真っ当な感想を言っただけだというのに、ジュナザードは意地悪く哄笑した。

 

「まったくの見当違いも甚だしい。外見は若い女のそれ、故に貴様が気付けんのも無理はないわいのう。じゃがこやつは女子なんて生易しいものじゃないわい。

 独自の永年益寿の法により、二十代で己を止めた妖怪。この我よりも長い時を生きた女だわいのう」

 

「う、嘘でしょう。幾らなんでも」

 

 縋るように櫛灘美雲へと視線をやるが、クシャトリアの淡い希望もむなしく彼女がジュナザードの言葉を否定することはなかった。

 

「女の年齢を弟子とはいえ他人に話すとは、若造というのは礼儀がない」

 

(……師匠を若造扱いなんて、完全にババアじゃないか。実年齢はどれくらいなんだ)

 

「やれやれ。師が師なら弟子も弟子じゃのう。女を婆呼ばわりとは、主は日頃どういう教育を弟子にしているのかえ」

 

「!」

 

 師匠以外の人間に心の中を読まれたことに驚いて飛び退きそうになる。一影九拳は全員が高度な読心術でも会得しているのだろうか。

 正に尋問・拷問いらず。本当に一影九拳全員が読心術の使い手なら、達人は武術家ではなく敏腕刑事としてもやっていけるだろう。

 

「我の弟子育成ならアンタに言われるまでもなく、全く問題はないわいのう。偶々見つけた素材も上質なもの故、それなりの仕上がりになっておるわい」

 

「確かにお主が弟子をとりつきっきりで修行させて、まだ生きているおるのじゃ。才能があるのは当然じゃが」

 

(というか才能がなければ死んでいたのか)

 

 思い当たる節は幾つもある。

 危険な組手だって毎日のようにさせられたし、何回かは相手が本気で殺しに来る死合いもさせられた。時には敵が武器をもっていたこともある。

 仮に自分に才能がなければ、その何度も繰り返された死合いに敗れ無残な死体を晒していたかもしれない。

 自分という人間が武術の才能をもって生まれた事を、クシャトリアは神……は邪神なので、仏に感謝した。

 

「じゃがわしが見出した候補も中々。果たして主の弟子で勝てるかな」

 

「我に手抜きはないわいのう。仮にアンタの候補に敗れることがあれば、所詮はそこまでの器。壊れても惜しくないわい」

 

「良い度胸じゃ。入れ!」

 

 美雲が鋭く放った言葉は城内に染み渡るように反響する。

 その合図を受けて襖が開き、一人の男が室内に入ってきた。年は大体クシャトリアより四歳ほど上。白い胴着と、足運びを隠すために袴を着用していた。

 

「美雲様。樋上直、参りました」

 

「うむ」

 

 美雲に呼ばれて入ってきた少年といってもいい年齢の男は、恭しく美雲に頭を垂れる。

 どうも正式な弟子ではなく弟子候補らしいが、その姿は自分とジュナザードのそれより遥かに師弟の図だった。

 

「女宿。賭けの内容は覚えておろうな」

 

「主の弟子がわしの弟子候補を殺せば、ぬしの弟子の修行を少しばかし手伝う。じゃがわしの弟子候補が主の弟子を殺せば、弟子候補を正式な弟子とし、今後一切の独断専行を武術家の誇りに懸けてしないと誓う。主こそ忘れてはいないじゃろうな?」

 

「我の弟子が負ければ、じゃがのう」

 

「その自信がいつまで続くか見物じゃな」

 

 長きに渡り武術界の頂点の一つに君臨し続けた達人同士は、静かな中に確かな闘志を燃やして睨みあう。

 漸く理解した。師匠の話によれば『文化としての武術を保護』するという名目もあり、一影九拳同士での私闘は原則として禁じられている。言うなれば不可侵条約のようなものがあるのだ。

 だが強敵との死合いを求めるジュナザードからしたらこれは面白くないことだろう。仮にも自分と同じ地位に立つ世界屈指の達人を知りながら、その達人と戦うことができないのだから。

 けれど不可侵条約はあくまで一影九拳同士の戦いに限定される。弟子と弟子候補による死合いを禁じる掟は闇には存在しない。

 つまりこの戦いは拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードと妖拳の女宿こと櫛灘美雲。二人の九拳による代理戦争なのだ。

 

「クシャトリア。今回もいつも通りじゃわいのう」

 

「分かっています、師匠」

 

 よくよく思い返せば本格的な他流試合は初めてのことだが、やることは何も変わらない。いつも通りだ。

 いつも通り負ければ、自分が死ぬだけ。万が一相手の師匠、櫛灘美雲がジュナザードより出来た女性で、クシャトリアが殺されるところで割って入って命を救っても、師匠であるジュナザードにその命を奪われるだろう。

 だからこそ、

 

「第二のジュルス!」

 

 既に殺し合い、敗北は死という絶対的な恐怖がクシャトリアの精神をヒートアップさせている。

 先手必勝、容赦ない連続攻撃を相手の弟子候補、樋上に叩き込んだ。

 

「年のわりには悪くない仕上げじゃのう。だがこのわしが目を付けた男はその程度でやられるほど甘くはない」

 

 美雲の言う通りクシャトリアの繰り出した連撃はどれも紙一重で回避されていた。

 腕が掴まれる。互いの重心を良く理解した巧みな投げは、重力を失ったようにクシャトリアの体を浮かす。

 

「させるか!」

 

 投げられるわけにはいかない。投げ落とされる直前、自分の足を樋上の首にかけて逆に転ばした。

 毎度毎度ジュナザードに吹っ飛ばされているのが幸いした。地面に投げ出されながらも受け身をとったクシャトリアは、転ばせた樋上に追撃を掛ける。

 急所を狙った鋭い突き。されど、

 

「小手返し!」

 

 突いた手を取られ、手首の関節を捩じられてさっきのお返しとばかりに転げさせられてしまった。

 地面へ落とされる直前、畳みを叩き受け身をとると地に両手をつけたまま回し蹴りを横腹に喰らわす。

 

「ごっ……ぁ! ちっ。シラットにとっては不利な平らな畳の上でここまで動くとは。だが負けん。漸く音に聞く櫛灘美雲様に弟子入りする絶好のチャンスを得たのだから。

 拳魔邪神の弟子。年下を手にかけるのは気がのらないが、四肢が砕けてもその才能をここで摘ませて貰います」

 

 樋上の雰囲気が変わった。

 これまでの戦いで乱雑に放たれていた闘志が内側に押し込まれ、風に揺れる池のように静かに立つ。

 

「摘まされてたまるか。ここで死んだら、これまで苦労して生き延びた甲斐がない!」

 

 相手の雰囲気が一変したのは気になるが、それが攻撃の手を止める理由になりはしない。

 さっきと同じ複雑な連撃で樋上に襲い掛かる。だが変わったのは雰囲気だけではなかったのだとクシャトリアは身を以て知ることになる。

 

「ふっ――――」

 

 突きが蹴りが組み技が。あらゆる技が弾かれ躱され落とされていく。

 まるで樋上の周囲に丸いバリアでも張られているかのようだ。樋上を中心とした丸い球体、それに入った全ての攻撃があっさりと無力化されていく。

 樋上が一歩踏み込んだ。

 

(まずっ……!)

 

 真に優秀な技とは攻撃と防御が同時にできるようになっているもの。

 樋上が使っている技の正体は良く分からないが、これほどの技ならば必ず攻防が一体となったもののはずだ。樋上の周囲に、否、彼の手の届く円の結界に取り込まれれば一貫の終わり。

 クシャトリアは自分の生存本能による直感に従い、樋上から飛び退き距離をとった。

 

(やばいかも、これ)

 

 これまで組手や死合いで自分より強い相手とは何度も戦ってきた。

 しかし今回はただ相手が自分より強いだけではない。強さの差ならそこまで大きくはないが、その僅かな差がある段階を超えた者と超えていない者という決定的な違いを生んでいる。

 

「逃がしません」

 

 依然として焦らず冷静なまま、円の結界を張った樋上が追ってくる。

 クシャトリア、嘗てない程のピンチだった。

 




 みんな大好きロリキャラの千影出したかったけど、時系列的に千影が生まれていたとしても戦闘どころじゃない年齢なので残念ながらオリキャラです。


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第9話   開展と緊湊

 冷静かつ慎重に、隙無く近づいてくる樋上に対して、クシャトリアはじりじりと後ずさるしかない。

 心を落ち着かせて冷静に『樋上』という男を俯瞰してみると、ハッキリと彼の周囲に円形の結界染みたようなものが視えてくる。

 あれがなんなのか、どういう技なのかは具体的には分からない。だが武術家として、或いは生命の第六感があの技の正体を教えてくれていた。

 

「ジュナザード、主が弟子にとって生きているだけはあるのう。未だ緊湊に至っていないというのに、感覚的に制空圏を察知するとは悪くない素質じゃ。

 じゃがお前ともあろう男が読み違えたのう。わしの弟子候補と戦うには早すぎたようじゃ。壊すのには惜しい才じゃが、お主の弟子であればまぁ良かろう」

 

「…………………」

 

 美雲にそう言われても、ジュナザードが特に反論することはなかった。マンゴーを食べながら、黙ってクシャトリアと樋上の死合いを見ている。

 師匠の性根を知っているクシャトリアからしたら野次を飛ばされるより、沈黙される方が恐ろしい。

 敗北すれば先ず死ぬだろう、と改めてクシャトリアは再確認した。

 

「はっ――――!」

 

 いつまでも向かってこないクシャトリアに痺れを切らした樋上が踏みこんでくる。

 ただでさえ体格で劣る自分は耐久力で不利だというのに、樋上の結界――――美雲の口振りによれば制空圏――――に取り込まれれば、怒涛の連続攻撃で抵抗する力すらなくボロボロにされるだろう。

 兎にも角にもやられるわけにはいかない。クシャトリアは全力で樋上から後退していった。

 耐久力では体格のある樋上が勝るが、速度ならジャングルで鍛えたクシャトリアに分がある。

 狭い室内であるにも拘らず、子供の小躯故の小回りとすばしっこさで制空圏から逃れていった。

 

「逃げ足の速い。だが逃げてばかりじゃ勝てないぞ!」

 

(……ごもっとも)

 

 追う方と追われる方。どちらが有利なのかは状況による。

 だがこの狭い室内での追走劇ならば逃げ場所が少ないため圧倒的に追う側の有利だ。いつまでも逃げることに徹していたら、逆に自分の体力が尽きてしまう。

 

(樋上の『制空圏』とかいうもの。それを崩さなければ勝ち目はない)

 

 確かにクシャトリアは緊湊に至っておらず、未だに開展にいる武術家。対して樋上はまだ漸く至ったばかりとはいえ緊湊に至った武術家。

 総合的な差でいえば僅かなもの。兵法次第で幾らでも逆転できるものだが、ある一定の領域に至っているか至っていないかの差は大きい。

 

「だが制空圏だって無敵じゃない!」

 

「くるか」

 

 逃げてもいずれ死ぬなら、リスクがあったとしても攻めるしかない。

 クシャトリアは後退から一転して全速力で樋上に目掛けて突進する。だが樋上の制空圏に入る直前で、直角で横合いに曲がり、樋上の背中に回し蹴りを入れる。

 前から駄目なら後ろからと思っての行動だったが、それも通用することはなかった。

 

「鋭い蹴りだ。だがその蹴りでも私の制空圏は……崩れない!」

 

「っ!」

 

 クシャトリアの蹴りを掴んだ樋上は、その足を離す事なくクシャトリアの顔面に両手で止めを刺してきた。

 これを喰らう訳にはいかない。咄嗟に横に転がり、それを回避して空いた片方の足で樋上の顔面を蹴り払う。

 

「ちっ!」

 

 蹴りを防ぐのに樋上が手を離す。それと同時にクシャトリアは飛び起きて、また全速力で後退した。

 

「だから逃げてばかりじゃ勝てないと、何度も言っているだろう。今度は逃がさない。覚悟して貰おう」

 

 樋上の両目が妖しい光を発する。両手を広げ、前面の退路を塞ぎながら近付いてくる。

 クシャトリアは樋上が近付くごとに後ろへ退いていくが、

 

「!」

 

 遂に背中が壁に突き当たった。

 

「追い詰めたぞ」

 

「……!」

 

 部屋の角に追い詰められたクシャトリアには、もはや後ろどころか左右にも逃げ場はない。肝心の前は樋上の制空圏が完全に塞いでいる。

 今のクシャトリアは蜘蛛の巣にかかったトンボも同じだ。そして獲物を糸で絡め取った蜘蛛は、優位に立ちながらも油断なく慎重にこちらの喉元を食い破ろうとしている。

 

(どうする、この状況……)

 

 逃げる、降参するという選択肢がない以上、クシャトリアがとれるコマンドは少ない。

 自決などは論外だ。命乞いだって意味はない。攻撃か防御か、どちらか一つを選ぶしかないのだ。

 クシャトリアからしたら防御を選びたいが、自分のような小躯が制空圏に飛び込んで意識を失わずにいられるか怪しいものがある。

 これでもう少し自分が、せめて高校生くらいの年齢で尚且つタフならば、一か八かで制空圏に飛び込んで、強引に近付いていくなんて根性論的作戦もとれたのだが、今のクシャトリアではそれも出来ない。

 だとすれば残るのは、

 

(奴の制空圏を破るしかない!)

 

 如何な制空圏とて絶対無敵などではないはずだ。

 もしそうだとすれば制空圏が使える者は全員無敵ということになっているし、そもそも歴史上で一般兵に打ち取られた豪傑なんて幾らでもいる。歴史に名を残すほどの豪傑が、よもや緊湊に届いていないなんていうこともないだろう。

 彼等の死が制空圏が無敵ではないことを現している。

 

(そうだ……俺は一度、あいつに攻撃を喰らわしている)

 

 あれは死合いが始まったばかりの、未だ樋上が制空圏を張っていなかった戦いでのことだ。

 だから厳密には制空圏を破ったわけではないのだが、それならばそもそもどうして最初から制空圏を発動しなかったのかという疑問に行き付く。

 クシャトリアを子供と侮っていたから、という可能性もある。だが尊敬する達人に弟子入りできるかどうかの分水嶺で、絶対的優位に立ちながら油断しないような相手がそんな舐めたことをするだろうか。

 

(いや、しない。つまりは)

 

 まだ樋上という武術家は制空圏を完全には使いこなしていない。そのせいで発動するにも時間がかかったのだ。

 今の自分では完全な制空圏を打ち破るのは難しいかもしれない。しかし未だに不安定な制空圏ならば、或いは崩すことも出来る可能性はある。

 

「カッカッカッ。そうじゃ、殺れ。殺らねば死ぬのはお前自身じゃわいのう」

 

 ジュナザードの言葉、それが終わると同時にクシャトリアがその場で屈みこんだ。

 制空圏を発動しているからか樋上が不穏なものを察知したのだろう。クシャトリアを取り押さえるべく近付いてきた。それこそがクシャトリアの狙いとも知らずに。

 

「秘技……畳返し!」

 

「なっ!」

 

 ちゃぶ台返しの容量で畳を返して樋上にぶつける。

 まったく予想外のことに樋上が呆気にとられ、向かってきた畳を防ぐのに〝両手〟を使った。

 

「こんなもので……!」

 

 だが畳を振り払った時、そこにはさっきまでいたクシャトリアの姿はない。

 瞬間移動したように消えたクシャトリアに樋上は呆然とするが、明かりが映し出した影がクシャトリアの居場所を教えていた。

 

「上か!?」

 

 そう、畳で樋上の視界を封じた僅かな隙に、クシャトリアは壁を駆けあがり上へ跳んでいたのだ。

 前後左右が塞がれたのならば、行く場所は上のみ。

 まるで背中に翼が生えているかのように樋上の真上へと躍り出たクシャトリアは、樋上の制空圏が崩れて結界が綻びが出ているのを悟る。

 千載一遇の好機。ここを外せば、勝ち目は永久に失われる。

 

「ここだぁ! 台風鈎(トパンカイト)!」

 

 制空圏に空いている穴目掛けて、全体重をのせた蹴りを首筋に叩き込んだ。

 

「がっは……! お、のれ……」

 

 急所である首に強烈な蹴りを喰らったものの、樋上はどうにか堪え再び制空圏を張り直そうとする。

 しかしクシャトリアは敵にそんな時間など与えてはやらなかった。

 

「カッ、カァアアアアアアアアアッ!!」

 

 樋上という一人の人間が完全に動きを停止するまで、急所という急所に攻撃を続ける。

 何十秒、または何分ほどそうしていたのかはクシャトリアにも分からない。だが、

 

「それまでじゃわいのう」

 

 肩に手を置かれ、それが自分の師匠のものだと分かると漸くクシャトリアは攻撃の手を止めた。

 

「ぐ、師匠……」

 

「残念じゃったのう女宿の。我が弟子クシャトリアは絶望的な生と死の狭間に追い込んでこそ。それを読めなんだアンタの負けじゃわいのう」

 

「別にそこで転がっている男はわしの弟子じゃなく、あくまで弟子候補。わしが櫛灘流を教え込んだ本物の弟子であれば、ここで伸びていたのは主の弟子の方だったろう」

 

「カーカッカッカッカッ! 九拳の一人ともあろうものが負け惜しみかいのう!」

 

 げらげらとさも面白可笑しそうに笑う師匠と、能面のように無表情の櫛灘美雲。自分の師匠は通常運転だが、美雲の方はジュナザードに対して苛立ちを覚えているようだった。

 彼女から発せられる冷たい殺意に、クシャトリアなど意識を手放してしまいたいくらいだというのに、まったく動じずに挑発する師匠は流石と言う他ない。見習いたいとも思わないが。

 

「じゃがお前の言う通り負けは負け。賭けに従い、お前の弟子は暫くわしが預かる。クシャトリアと言ったか。そちも異存はなかろうな?」

 

「……もう、諦めていますから」

 

 それにこの人の方が師匠のジュナザードと比べればマシかもしれない。

 勿論より最悪という可能性も皆無ではないが、幾らなんでもジュナザードより酷い師匠が他にいるとは思えなかった。

 だから諦め半分、期待半分でクシャトリアは頷く。

 

「クシャトリアよ。励んでくるのじゃぞ」

 

 さも好々爺みたいに餞別の言葉を送るジュナザードだが、クシャトリアには師が何を言いたいのか分かる。

 櫛灘流に伝わる二十代そこそこで時を止める永年益寿の秘伝。それを少しでも探ってこいと言っているのだ。

 

「……努力します」

 

 断言するのも恐ろしくて出来なかったので、仕方なくクシャトリアは政治家みたいな曖昧な返事を返した。



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第10話  静の発露

 城での戦いを終えてから、美雲に手を引かれ連れてこられたのは、あの城よりも時代を感じさせる和風建築の御屋敷に来ていた。

 大きさや荘厳さなんていうインパクトでは城より全然劣るはずなのに、なによりも精霊でも住んでいそうな神秘的な雰囲気に呑まれ圧倒される。

 これほどの神秘的な空気。世界遺産に指定されるような場所を訪れても、そう感じることはできないだろう。

 

「美雲さん。ここは?」

 

「わしの家じゃ。わしの櫛灘流の道場のようなものと思えば良い」

 

「ここが……?」

 

 ティダードという一つの国を影から完全に支配し、神にまでなるジュナザードもジュナザードだが、こんな御屋敷をもつ美雲も美雲だ。

 武術家としての強さだけではなく、こういったところからも一影九拳、ひいては闇という組織の底しれなさを感じる。

 

「ジュナザードの弟子に稽古をつけるなど不本意じゃが、あ奴もわしも武術家じゃ。武術家としての約定は守らねばならん。拳魔邪神は殺すような稽古をつけろなどと言っておった故、加減はせんぞ」

 

「……お、お手柔らかに」

 

 ジュナザードの拷問――――を通り越して処刑のような修行を強いられているクシャトリアは酷い扱いには耐性がある。

 例え重税を課せられた農民だろうと、貴族に仕える奴隷だろうと、ジュナザードの弟子よりはマシだろう。

 しかし耐性があるのは平気というわけではない。痛みを我慢できたとしても痛いものは痛いのと同じだ。

 これから始まるであろう修行にクシャトリアは覚悟だけはしておいた。

 

「クシャトリア」

 

「え、あ。はい、なんでしょう!」

 

 考え事をしていた時に、いきなり声をかけられて驚く。美雲は溜息まじりにクシャトリアを、正確には足を指差した。

 

「土足で人の家に上がり込もうとするとはどういうことじゃ。家に上がる時は靴を脱げ」

 

「あ、すみません。どうもティダードでの生活が長くてうっかりしてました」

 

 ティダードでは家にあがると靴を脱ぐという概念が、というよりそもそも靴を履くという概念が余りない。

 師匠のジュナザードだって年がら年中、裸足で行動しているし、クシャトリアも今回のような遠出の時は兎も角、正式な弟子となってからはずっと裸足で生活していた。

 靴を脱いで並べると、美雲に続いて屋敷に入る。

 屋敷の大きさに似合わず、中は調度品もない簡素なものだったが、その簡素さが屋敷本来の香りというものを引き出しているような気がした。

 

「あそこがお前が寝泊まりする部屋、あれが厠、三つ先の部屋が基礎トレーニング用の部屋じゃ。今日より何日間になるかは分からぬが、わしが面倒見ている間はここに住み込むことになろう。覚えておけ」

 

「はい」

 

「そしてここが主な修行場所じゃ」

 

 連れてこられたのは一際ただっ広い部屋だった。柔道家の御屋敷だけあって畳が一面に敷き詰められている。

 師匠の城にある鍛錬場ほどは広くないが、百人が修行しても有り余るほどのスペースがあった。ここなら組手をするのには申し分ないだろう。

 

「さて。早速じゃがクシャトリア。お前の稽古を始めるとしよう」

 

「いきなりですか」

 

 普通の道場なら一旦休んでこれからのことを話してから修行に入るところを、死合いが終わりこっちに来てから直ぐに修行。

 これでは死合いで死んだ弟子候補だって時間的にまだ浮かばれていないだろう。

 

「わしがちと修行を見てやって『至った』ばかりだったとはいえ、奴は紛れもなく静の武術家としての道を決定し、尚且つ荒削りとはいえ制空圏を会得してもいた。

 開展止まりの武術家同士ならばマグレや時の運で勝敗など幾らでも変わる。じゃが開展と緊湊の武術家同士の一対一をすれば、まぐれが起きても開展が勝つ確率は限りなく低い。

 クシャトリア。お前はわしの弟子候補をただの偶然、幸運により倒したのか? 違うじゃろう。お前は弟子候補の制空圏を視認し、兵法をもってして制空圏を乱し、そこを突き勝利した」

 

「…………」

 

 クシャトリアは神妙に頷いた。

 美雲に言われた事は全てが本当のことである。クシャトリアは樋上の制空圏らしきものを視て、それを乱すことを念頭に置いて戦い、どうにか勝ちを拾うことができた。

 運が良かったというのも決して間違いではないのだろう。だが制空圏を視ることができなければ、運が良かったとしても確実に自分は死んでいた。

 

「その感覚は得難いものじゃ。熱とは冷めやすいもの。一旦休みを入れてから修行を行えば、あの死合いでお主の視た制空圏を〝視た〟感覚も失われよう。

 鉄は熱しているうちに叩かねば、名刀は生まれん」

 

「分かりました。御教授のほど、お願いします」

 

「うむ。師と違って素直じゃな」

 

 こうも合理的に説明されては断るなんてことはできない。

 大体いつもはやっている修行にどういう意味があるのかすら教えられずに、地獄に突き落とされているのだ。それに比べれば理由が説明されただけ天国である。

 

「では始める。構えよ」

 

「はい。――――――って、嘘!?」

 

 さっきまで向かい合って対峙していた美雲が、増えた。

 合わせ鏡にでも映されたかのように一人、二人、三人、四人。四人の櫛灘美雲が出現し、クシャトリアの四方を囲む。

 

「ぶ、分身の術!? 美雲さん、貴女は柔術家じゃなくて忍者だったんですか!?」

 

「そんなわけがなかろう。ただの気当たりによる残像じゃ」

 

「気当たりって」

 

 気当たりというのは殺気や闘気などを発することで相手を威圧させ、それによるフェイントを行ったりする技術だ。獰猛な肉食獣に睨まれ、恐怖に足が動かなくなるのと似たような原理である。

 自分の師匠のジュナザードほどの達人になれば、気当たりだけで相手を昏倒させてしまう『睨み倒し』のような芸当もできるが、こちらはある程度の精神をもつ武術家には効果がない。

 

「もうなんでもありですね。達人って。かめはめ波までいたりして。なーんて」

 

「おるぞ」

 

「っているんですか!?」

 

「かめはめ波という名称ではないが、手から波を出す奴はおる。もっともあくまで気当たりと拳圧で吹っ飛ばすだけで光線を出すわけではないが」

 

「……………底しれませんね」

 

 クシャトリアの脳内に筋斗雲にのったジュナザードが、掌から良く分からない波を出している光景が浮かぶ。

 あのジュナザードが波まで会得してしまったら恐ろしいという次元を百段階くらい超えてしまうので、これが現実にならないことを祈るのみだ。

 

「話が逸れたな。制空圏の修行を始めるとしよう。これからわしはお前に当て身を繰り出す。無論、全力ではなく弟子クラスのお前でも防げる程度に加減してのう。

 防御するのでも躱すのでもなんでもいい。ただ直撃だけは避けよ。ゆくぞ!」

 

「ちょっと作戦タイムを――――うあ!」

 

「問答無用じゃ。実戦で相手が馬鹿正直に待つと思うのか?」

 

 ただの残像だなんて大間違いだ。四人となった美雲は確かな質量をもって、クシャトリアに当て身を繰り出してくる。

 手加減しているというのは嘘ではなく、当たっても吹っ飛ばされることも死ぬこともない。だが、

 

「……うっ!」

 

 当たると途轍もなく痛い。しかも痛いだけで跡が残ったりしないよう絶妙な調整がされている。

 クシャトリアは柔軟な全身をくねくねと曲げ、我武者羅に攻撃を掻い潜っていく。

 

「違う!」

 

「いつっ!」

 

 当て身ではなく弾丸のようなデコピンがクシャトリアの額を叩く。

 ただのデコピンだというのに、まるでマグナムがぶつかったかのような衝撃がした。

 

「無駄に動くでない。最小限の動きと最小限の防御で躱すのじゃ。良いか、怒りや闘志を外に発するのではない。刺身を一飲みにするように、内側に取り込むのじゃ」

 

「内側に……?」

 

「心を静め、己が心を鏡とせよ。さすれば己が心が目では捉えられぬものを映すじゃろう。明鏡止水――――やってみよ」

 

「……………」

 

 言われた通りに浮き立つ心を静め、これまで外に発していたものを呑み込んだ。

 心が静まったからだろうか。これまで視えなかったものが視えてくる。庭で囀る小鳥、風に揺られる草木の音色。

 呑み込んだ気は内側に浸透していき、逆に思考は脳味噌という小さな枠を飛び越えて空間全体に広がっていく。

 

「もう一度やるぞ。今度は躱してみよ」

 

「はい」

 

 再度繰り出されてくる数多の当て身。どれも当たれば痛いが確かに躱せないほどではない。

 だが残像で四人に分身しているため、襲い掛かる当て身は合計で八つだ。一つを躱したところで、残る七つがクシャトリアの体を撃ち抜くだろう。

 

(まだだ)

 

 一つを見るのではなく、一点に視線をやりながら全体で捉える。自分の両手と両足が届く範囲内で、自分の陣地を作り上げた。

 これが制空圏なのだと悟る。だが制空圏といえど完全同時の八つの当て身を四本の手足で跳ね除けることはできない。

 だからこそ当て身の手から逃れるのではなく敢えて前へと出る。自分から当て身へ向かっていき、それが直撃する寸前で手をはたき軌道を逸らす。

 

「そこだ!」

 

 道が開けた。当て身を叩き落とした前面に更に踏み込んで、クシャトリアは囲いを突破した。

 体中に痛みはない。完全に躱しきったのだ。

 

「それが制空圏と静の気じゃ。よく覚えておくことじゃ」

 

「これが……? はい、分かりました」

 

「では一旦休憩としよう。そろそろ昼食頃であるしな」

 

「昼食の時間……そんなものをしっかり用意してくれるなんて、なんて良い先生なんだ!」

 

「それが終われば制空圏と静の気を念頭に置きつつ、組手を軽く150本じゃ」

 

「だけど修行はやっぱり鬼なんですね」

 

 しかし人権が保障されているかは怪しいが、少なくとも修行は処刑ではなく拷問レベルだ。

 普段より軽い足取りで昼食が用意されているという場所へと歩いて行った。

 

 



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第11話  領域侵犯

 いきなり師匠の武術的興味本位七割で櫛灘美雲に暫く預けられることになったクシャトリアだったが、なんだかんだでここの生活に馴染んでいた。

 幾ら見た目の年齢が二十代だからといって実年齢はジュナザードを超えるほどの婆――――もとい御年を召されている女性。

 人間の体の構造なんて熟知しきっている上に、どこをどうすれば人間を壊さず苦痛だけを与えられるかについても知り尽くしている。

 連日の組手は量と質、両方において濃いもので、組手が終わる頃には指先一つ動かせなくなるのが日常だった。

 しかし死ぬかもしれない修行をする美雲の方が、死ぬような修行をさせるジュナザードからすれば幾分かマシというものだ。

 それに美雲がクシャトリアにやらせたのは武術の修行だけではない。

 

「勉強、ですか」

 

「そうじゃ。武術家といえど、ただ武のみを極めれば良いというわけではない。歴史に名を残すほどの武術家は学問にもそれなりに心得があったもの。

 九拳の中には侮るものもいるがの。わしも最新のスポーツ科学を取り入れて櫛灘流をより発展させたもの。武術家としても人間としても、学問はつけて損するということはない。

 それに我が櫛灘流を学ぶ以上、戦うだけしか能のない愚か者を出しては門派の恥。学問の方もそれなりのものを叩き込む。なにか異論があるのかえ」

 

「いえ是非やりましょう! まったくノープロブレムです。勉学最高です! 俺は勉強をするために生まれてきた男なんですから」

 

「やけにやる気じゃのう」

 

 そう。武術だけではなく、美雲は勉強の時間までしっかり用意してくれていたのだ。

 修行の合間合間に周囲の人々の会話に聞き耳をたてて、どうにかインドネシア語をマスターしたクシャトリアにとっては勉強の時間をくれるだけでも天国である。

 ジュナザードと出会う前。ただの日本人の子供でしかなかった頃には面倒だと思った勉強が、武術地獄に堕ちた今となっては黄金のように輝く時間だった。

 勉強においても美雲はそれなりに厳しい師だったので、決して心休まる時間というわけではなかったが、取り敢えず肉体の方は休める。

 それに美雲の場合、マスタークラスなのは武術だけではないようで。勉強を教えるのも達人だった美雲の授業は厳しいが非常に分かりやすく、クシャトリアの脳味噌はスポンジのように教えられたことを吸収していった。

 

(美雲さんは武術家をやめても、予備校の講師としてやっていけるな)

 

 きっと彼女が講師になった予備校は嘗てない程の東大合格者を量産することだろう。

 誉め過ぎと思うかもしれないが、これはクシャトリアの嘘偽りない本心からの感想だった。

 

「ご飯も美味しいし」

 

 櫛灘流の永年益寿法の一貫なのか、ここで出される食事は和食ばかりだ。

 洋食党やパン党からすれば悪夢のような環境。かくいうクシャトリアも特別和食が好きだったわけではない。というよりそもそも食事に対して深い拘りなんてなかった。

 だが長いこと日本から離れていたクシャトリアにとって和食は郷愁を覚える味。師匠の出鱈目さを知った今となっては、家族の所へ戻ることは半ば諦めている。だからこそ久しぶりに食べれるのは嬉しいものだった。

 そして短いような長いような勉強の時間を終えると、今日もいつも通り美雲との組手の時間となる。

 

「第一のジュルス!」

 

 殺気を込めながらクシャトリアは棒立ちする美雲に攻撃を仕掛けた。

 師匠からの強要や相手が殺気を向けてこない限り、誰かを殺す気で攻撃するのは主義に反する行為だが、どうせ一万回殺す気で攻撃して一万回防がれるのが分かりきった相手。

 それに師匠に死合いをやらせられ続けた弊害だろうか。殺意を込めなければ、どうにも技のキレが落ちる。

 

「殺意を発しつつも、気は完全に内側へと閉じ込めておる。静の気の扱い方はそれなりに覚えたようじゃのう。じゃが」

 

 突きが美雲の肌に触れたと思った時だった。

 クシャトリアは自分の体が無重力地帯に投げ出されたかのような気分を味わう。体重をなくしたクシャトリアは、くるくると空中を回転しながら投げ飛ばされる。

 

「――――!」

 

 足が地面についていなかったとしても決して慌てない。明鏡止水。いついかなる時も心を静め冷静さを保つ。それが静の極意だ。

 飛ばされながらクシャトリアは天井を蹴ると、投げられた勢いを殺して畳に着地する。

 

「力を限界まで抑えたわしから一本とるのにはまだまだ全然じゃな。じゃが静の気を体得したばかりの弟子クラスにしては上々よ」

 

「……美雲さん。これまで師匠(グル)に対しては、殺されるのが恐くてどんな修行をさせられても不用意に質問なんて出来なかったんですけど。

 美雲さんが我が師匠より遥かに人格者であることに期待して、一つだけ質問したいことがあるのですが良いですか?」

 

「なんじゃ。永年益寿の術以外なら教えてやって良いが」

 

「――――――」

 

 どうやら自分が師匠から櫛灘流の『永年益寿』の秘伝を探るよう言われてきたことなどは彼女にはお見通しらしい。

 ジュナザードもどうせ彼女にばれていることなど承知の上でクシャトリアにスパイさせているのだろうが。

 

「毎日毎日、基礎練習はそこそこに組手ばっかりしてますけど。基礎を疎かにして良いんですか?」

 

 クシャトリアも子供の身故に偉そうな事を言えるわけではない。

 しかし武術にせよスポーツにせよ技術的なものばかりではなく、マラソンや筋トレなどの基礎トレーニングにも重点を置くものだ。

 だというのにクシャトリアはジュナザードの下でも、美雲の下でも余り基礎トレーニングを重点的にされたことはなかった。

 

「基礎を疎かにしているわけではない。じゃが基礎トレーニングに重点を置いていないだけじゃ」

 

「どういうことですか?」

 

「そもそも今の武術家と違い、昔の武術家など基礎トレーニングなどあまりしなかったもの。嘗ての武術家は基礎トレーニングが要らぬほどに組手をやったのじゃ。

 組手で筋肉をつければ、筋トレで筋肉をつけるのと違い純粋に武術に必要な筋肉だけがつくからのう」

 

「……だったら今の武術家はどうして筋トレとかするんですか?」

 

「基礎トレーニングが不要なほどの組手をするとなると、必然的に組手の比重が大きくなる。じゃがこれは相応に危険性が伴うことでな。肉体の故障や死の危険性が常に付き纏う」

 

「ああ。納得です」

 

 恐ろしく効率的だが危ない修行と、やや不効率だが安全な修行。弟子の命をなんとも思っていないジュナザードなら、確実に前者を選ぶだろう。

 もしかしたら自分が五体満足で生きているのは宝くじで一等賞を当てるほどの幸運なのかもしれない。

 

「質問は終わりか。なら組手の続きじゃ。突いて来い」

 

「……はい」

 

 再び正眼で櫛灘美雲という武術家を捉える。

 両手をだらんと下げた姿は、一見すると隙だらけだ。だが彼女の防御が城壁のそれだというのは、これまで何百回何千回と攻撃して見事に防ぎきられたクシャトリアは良く知っている。

 これこそが武術を極めた真の達人の制空圏。まだ制空圏を体得したばかりのクシャトリアとは雲泥……否、砂粒と太陽の差だ。

 

(相手の制空圏を破る為には、自分自身の制空圏で相手の領域を犯す……つまりは囲碁と同じ陣取り合戦!)

 

 自分も制空圏を張って、美雲に突進していく。美雲の制空圏に踏み入ったクシャトリアは、猛攻をぎりぎりで防ぎながら制空圏を維持しながら突き進んでいく。

 例え制空圏を突破され、当て身が体を霞めても怯まない。内側に凝縮した気を乱されることなく、一歩一歩近づいて行った。

 

「今だ!」

 

 一瞬美雲の制空圏が乱れる。そこへクシャトリアは全力の突きを繰り出した。

 

「良い仕上がりじゃ。これだけ打たれながら制空圏を崩さなかったのは誉めよう。じゃが」

 

 クシャトリアの腕が掴まれた。ぐるん、とクシャトリアの体が一回転する。

 どんな投げ技でも技3の力7でやるものだ。しかし櫛灘流に限ってはその常識は通用しない。

 

「櫛灘流は技10にして……力ゼロじゃ」

 

 技十にして力は要らず。それこそがあらゆる柔術において櫛灘流が異端とされる真髄。

 クシャトリアはまるで自分から転んだように、まったく力を掛けられずに投げ飛ばされた。

 

「まだまだ精進が足らんのう、クシャトリア」

 

「いつ、つ……」

 

「とはいえ制空圏の修行はこの辺りで一段落じゃな」

 

「じゃ、じゃあ」

 

「次は限界ギリギリの命懸けの死合いの中で極意を垣間見せるとしよう」

 

「いやぁああああああああああああああ!!」

 

 修行が楽になるのでは、という希望は一瞬にして泡沫の夢と消える。

 幾らジュナザードよりマシとはいえ、やはり達人なんて皆同じ穴のムジナなのだとクシャトリアは再確認した。

 

 



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第12話  餞別

 人の住む都市部から大きく外れた小道を、クシャトリアは美雲に連れられて歩いていた。

 電車とバスを乗り継ぐこと三時間。更に徒歩三十分。しかしながら一向に目的地に到着する気配はない。

 

「はぁはぁ……うぅ」

 

 クシャトリアは日焼けで浅黒くなった肌に玉のような汗を滲ませ、心底苦しそうに歩いている。

 本来日頃の処刑・拷問そのものの修行で同年代と比べて遥かにスタミナのあるクシャトリアは、電車とバスに徒歩の合計三時間半の移動をしたところで疲れることなどありえない。

 そのクシャトリアが疲れているのは両手にあった。

 右手と左手には一目で『重い』と分かるほどの重りがぶら下がっていて、しかも美雲からはそれをつけたままTの字でいることを言い付けられている。

 梃子の原理を少しでも齧っていれば、いや齧っていなくても人間なら感覚的に分かることだ。腕を畳んで小脇に抱えるのではなく、腕を伸ばして物をもてば伸ばしている長さだけ重さは増す。

 それをTの字、左右両方の手でやっているのだからクシャトリアの腕にかかる負担は並大抵のものではない。

 これを三時間半だ。クシャトリアの疲労は限界ぎりぎりだった。それはもう電車やバスで奇異の目線に晒されることなど気にもならないほどに。

 お目付け役でもある美雲さえいなければ、クシャトリアはもう土の地面をベッドにして今にも熟睡して休みたい気分だった。

 

「美雲さん……はぁはぁ……お、お願いですからこれ外して下さいよ」

 

「駄目じゃ」

 

 クシャトリアが肩で息をしながら抗議するも、美雲はまったく取り合うことなく却下した。

 

「き、筋トレはあんまりしないんじゃなかったんですか?」

 

「安心せよ。別にわしが修行方針を変更したというわけではない。制空圏と静の気、わしは日頃の修行で芽を出して水をやり育てきた。ここまでくれば後は花を開かせるのみ。

 三時間半、お主に苦行を課しておるのも開花のための下準備じゃ」

 

「これが、ですか?」

 

 両方の手で重い重りをTの字で持って三時間半。これのどこが制空圏と静の気の修行を花開かせる下準備なのか全く分からない。

 師匠と違って美雲の場合は気紛れで妙な事をさせるということはなく、あくまで修行は合理的なものだ。だから無駄なことはさせないだろう、とは思うのだが。

 

(逆に言えば合理的なことなら幾らでも地獄を押し付けてくるんだよな)

 

 無駄のない修行、無駄のない恐怖、無駄のない苦痛。どれも美雲の所にきてからクシャトリアが味わったものだ。

 ジュナザードの修行よりは幾分かマシだったが、無間地獄が焦熱地獄になったところで辛いことに変わりはない。

 

「着いたぞ」

 

 美雲がピタッと足を止める。着いたと言われクシャトリアはキョロキョロと辺りを見渡すが、そこには人気のない木々が広がるだけで何もありはしない。

 

「目的地ってここが? 随分と殺風景というか、なにもないところですね」

 

 こんな場所ならわざわざこんな超ド田舎まで来なくても、他に幾らでも場所がある。わざわざ三時間半かけて遠出をする必要もない。

 美雲の意図が分からずに首を傾げていると、美雲はしゃがみ込み両手の重りの鍵を解く。

 

「早合点するでない。着いたとは、お主の重りを外す場所に着いたという意味じゃ。ここが目的地ではない」

 

「成程。……しかし重りがないと両手が一気に軽くなった気がしますね」

 

 どっしりとした重量感が消え失せた両手は小鳥の羽のようだった。

 しかし解放されたといっても、あの重量に三時間半も耐えていたのである。両腕には力という力が一滴残らず搾り取られていた。

 

「だけど何で目的地に着く前に重りを外してくれたんです?」

 

「わしも両手に重りをつけたまま死合いをさせるほど鬼ではないのでな」

 

「そういうことですか。そりゃ両手が重りで塞がってたら死合いなんて…………え? 死合い?」

 

「目的地に到着してからでは、重りを解く時間がなかろう」

 

「そういうことじゃなくて、これから死合いするんですか!?」

 

 何を今更、というような呆れ顔で美雲は首肯した。漸く重りから解放された解放感など一瞬で消え去り、クシャトリアの心は一気に絶望の最下層へと落ちていく。

 走馬灯で見ているのか。周囲に兎の白昼夢が横切った様な気がした。

 

「冗談止めて下さいよ! 幾らなんでも無茶ですよ!」

 

 師匠ジュナザードよりはマシな修行だったから、これまで何も文句を言わずに大人しく従ってきたクシャトリアも今回ばかりは限界だった。

 まったく力の入らない両手を指差しながら、全力で猛抗議する。

 

「美雲さん! 分かってるんですか。俺これまでこの重りをTの字で三時間半も持ってきたんですよ! それなのにいきなり死合い? 両腕にまともに力が入らないのに、どうやって死合いするんですか!? 俺に死ねと? 死んだらどうするんですか!?」

 

「葬式は特上と上のどちらが良い?」

 

「どっちも嫌ですよ! だけどどうせなら特上で!」

 

 文句を言いつつも、ジュナザードなら葬式すらあげてくれないだろうし温情的なのでは、と思ってしまった自分が嫌だった。

 外道師匠に鍛えられているか最近自分の幸福の上限が恐ろしく下がっているような気がする。

 

「そう恐れるでない。死合いといっても今回戦う相手は緊湊に至っていないお前より格下の相手じゃ。両腕に力が入らずともなんとかなろう」

 

「格下……? それならまぁ」

 

 緊湊未満ということは美雲から修行を受ける前の自分と同等かそれ以下程度の実力ということだ。

 制空圏について無知であったあの頃の自分ならば、例え両手が使えずとも倒す自信はある。なにせ人間には手が使えなくても、手の三倍の強さがある足という武器があるのだから。

 

「では行くぞ」

 

「ちょっと、まだ心の準備が!」

 

 有無を言わさず美雲はクシャトリアを抱き抱えると、一っ跳びで木の枝まで跳躍し、まるでモモンガのように空中を滑り木から木へと飛び移っていった。

 

「見よ。あれがお前が死合う相手じゃ」

 

 木の上から美雲がある一点を指差す。指が指示している方向を視線で追って行くと、そこには古ぼけた神社のようなものがあった。

 社は錆びて崩れかかっており見るに堪えないが、一際立派な台座に日本刀が置かれているのが印象的だった。

 けれどそんなことよりもクシャトリアが注目したのは日本刀の周りに集まる男達だ。

 

「な、ななななななんなんですかあれは!?」

 

「日本に幾つかある死合い場の一つじゃ。今回はあの台座に置かれた刀の所有者を決める戦いじゃのう」

 

「そうじゃなくてあの人達!」

 

 ビシッと刀を囲むように集まっている厳つい男達を指差した。

 時代錯誤な着物に脇差という出で立ちの男から、黒い服に小太刀というヤクザ物めいた男、おまけに全身ピアスにアフロヘア―で槍をもった明らかに変な男もいた。

 

「お前より格下の武術家たちじゃが?」

 

「全員武器持ってるじゃないですか! しかも木刀じゃなくて真剣! おまけに全員大人だし。騙したんですか!?」

 

「失敬な。騙してなどおらぬ。わしの見る限り集まっている連中は全員緊湊未満、武術的にはお主に劣るものばかり。ただ数が多く武器を持っているだけではないか」

 

「全然ただで済むレベルを超えてますからね?」

 

 軍隊を一人で殲滅してしまいそうな達人からすれば、日本刀やら槍やらを持った大人の集団なんて雑魚同然なのだろう。

 だがクシャトリアは達人どころか妙手に至っていない弟子クラスの武術家。或いはこれから無限の努力を重ねて行けば彼女と同じ場所に到達できるかもしれないが、少なくとも今は弟子クラスの上位程度の実力だ。

 武器を持った大人の集団は十分に強敵である。

 

「なんじゃ。ジュナザードの奴めは対武器戦を伝授しておらんのか?」

 

「いや、それは伝授はされてはいますけど」

 

 元々シラットは徒手格闘術だけではなく武器術も内包した武術だ。

 ジュナザードがあくまでも無手を貫いた事から、クシャトリアは武器を使った戦い方は余り詳しく教わっていないが、ジュナザードの配下には武器の達人も多くいる。

 だから対武器戦の組手相手には事欠かなかったし、集団戦闘の心得もあった。

 

「だけど幾ら何でも両手が碌に仕えない状況で、武器ありの多対一なんてやったことありませんよ!」

 

「……つまりお主は死合いをやりたくないと申すのだな?」

 

「ま、まさかやらなければ殺す……とか?」

 

「失礼じゃな。わしはジュナザードではない。そのような真似はせぬ」

 

「ほっ」

 

「ただお前を引き取りに戻ったジュナザードに、お主が死合いから逃げたと教えてやるだけじゃ」

 

「!」

 

 あの師匠が、だ。あの極悪非道にして残虐無比なジュナザードがだ。

 他人の師匠の前で自分の弟子が死合いから逃げたと知れば、どういう行動に出るだろうか。

 

(お前みたいな失敗作に我がシラットは極められん、だとか何とか言って殺されるな)

 

 脳裏に残虐に笑うジュナザードが、クシャトリアの首を手刀で切り落としている図が浮かぶ。

 これはただの想像に過ぎない。が、ここで逃げればその光景は現実のものとなるだろう。

 

「分かりました。やります……」

 

「人を真に突き動かすは恐怖。奴の事は好きではないが、弟子に恐怖を植え付ける事に関しては奴以上の者もおるまいな。己の弟子を良く仕上げておる」

 

「どうも」

 

「餞別じゃ。持って行け」

 

 美雲は懐からあるものを取り出すと、クシャトリアに手渡した。

 ずっしりとした重み。目を凝らして視線を落とすと、それは素人目にもはっきりと業物と分かる見事な手甲だった。

 

「これは?」

 

「わしも弟子が可愛いのでな。銃弾だろうと弾く代物じゃ。奴等の刀など楽に弾くじゃろう。上手く使え」

 

「はい、美雲さん」

 

 手甲を送ってくれるだけ、やはり師匠よりは優しさがあると思っておこう。というよりそう思わなければやってられない。

 覚悟を決めてクシャトリアは木の上から飛び降りた。

 

 




 地獄に落としつつもフォローを忘れない。それがBBAクオリティー。


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第13話  先制

 重い気分でクシャトリアは錆びれた神社の石段を上がっていく。

 美雲から餞別に貰った手甲はしっかりと両腕に装備している。こんなものがあっても焼け石に水のような気もするが、生存確率を少しでも上げる要素ならそれは歓迎するべきものだ。

 しかしクシャトリアには手甲のプラスを打ち消して余りあるほどのマイナスも美雲から受け取っていたのだ。

 

『お前の師、ジュナザードからお主宛ての言伝じゃ。死合いの前にこのメモに書かれた事を死合い場に集まった連中に言えとのことじゃ』

 

 師匠から美雲に預けられたメモに視線を落とすと再び大きな溜息をつく。

 溜息をつく度に自分の中の幸せが抜けていくような気がしたが、どうせそんなものジュナザードに出会ってしまった時に全て蒸発しているだろうから関係ない。

 憂鬱な気分の中、それでも背水の覚悟でクシャトリアは錆びた神社の社を潜り抜けた。

 

「ん? なんだ、やけに小せぇのが来たと思ったら餓鬼じゃないか」

 

「おいおい。子連れで死合い場なんて来た馬鹿はどこのどいつだよ」

 

 境内に入ると武器を持った男達の奇異の視線に晒される。

 しかしこんな視線、電車やバスでずっとTの字で重りを持たせられていたクシャトリアからしたらなんてことでもない。

 大人たちの視線など気にせずクシャトリアは境内を進んでいく。

 

「待て坊主」

 

 ポン、と和服に袴姿のサムライ染みた男がクシャトリアの肩に手を置いた。

 

「どうしてこんなところに来たか知らねえが、ここはお前さんのような子供の来る場所じゃねえんだ。ほら、お駄賃やるから帰りな」

 

 そう言って千円札を渡してくるサムライ染みた男。

 馬鹿にしているのではなく、彼なりの気遣いのつもりなのだろう。本心でいえばクシャトリアは彼の気遣いを受け入れたくてたまらなかったが、師匠が師匠な以上、それを呑むわけにはいかない。

 

「お気遣いありがとうございます。ですが……俺にも退けない理由があるので」

 

「退けないだって? お前さんみたいな坊主がどんな理由でこんな所に来たってんだ。

 分かってねえなら教えておくが、ここは合い場。餓鬼のお前さんにも分かりやすく言えば殺し合いする場所だ」

 

「知ってますよ。あそこに置かれている刀の所有者を決めるために、これから皆で真剣勝負するんでしょう」

 

「だったら帰れ。ここは餓鬼のお前さんには教育上宜しくない場所だ」

 

「帰りたいのは山々なんですが、こちらも命が掛かっているので。特に刀に興味はありませんが、勝たせて貰いますよ」

 

「おいおい」

 

 サムライ染みた男は困った様な呆れた様な顔をする。

 美雲に妙手以下どころかクシャトリア未満の実力者の烙印を押された者の一人とはいえ、彼には彼なりに剣士としての矜持がある。

 自分より年下の、しかも二十歳どころか十五に手が届かないような子供を手にかけるのは忍びない。かといって死合い場で手を抜くとなると礼儀に反する。

 そういった複雑な心境が彼の中を渦巻いているのだろう。

 

(いい人だなぁ)

 

 そんなサムライ染みたオッサンを見ながら、クシャトリアはしみじみと思った。

 武術的にどれほど劣っていようとこのサムライみたいなおっさんは、クシャトリアの中での人格者ランキングにおいてあの美雲すら超えてナンバーワンに躍り出た。ちなみにジュナザードは不動のワーストワンで殿堂入りである。

 

「はははははははっ。こんな餓鬼が参加するだけでも爆笑もんだっていうのに勝つ気かよ」

 

「井戸の中しか知らない蛙というのは無謀なものですね」

 

「おまけにこの餓鬼、素手じゃねえか。ナイフ一つも持ってねえ」

 

 サムライのオッサン以外は、子供でしかも無手で参加しにきたクシャトリアに明らかな侮りの目を向けてきた。

 敢えてクシャトリアはそれを訂正することはしない。相手が侮り油断しているということは、こちらに対して隙を見せているということだ。

 好き好んでこんな場所に死合いをしにきたわけではないクシャトリアにとって、その隙は有り難いものだ。

 とはいえ、

 

(なんで師匠は傍にいないでも俺を追い詰めるかなぁ)

 

 もう一度、美雲に渡されたメモの文字列を見ながら嘆息した。

 だが言わない訳にはいかない。真っ直ぐにこの場に集まった男達を見渡すと、出来るだけ無感情かつ棒読みでメモの内容を音読する。

 

「あー、おほん! ええと、これは事前に申しあげておきますが、これはあくまで師匠(グル)が言えって強要したことであって俺の本心ではありません。そこを念頭に置いて下さい。

 では……おいこのチキン共。俺はお前等みたいな雑魚と一人ずつ遊んでやる時間はねぇんだよ。全員一片にかかってきな」

 

『………………』

 

「ビビったか? だったらチキン以下のビビり共は便所へこもって玉のねえ竿をしゃぶり合ってな」

 

 メモの内容を一呼吸で言い終わると、恐る恐る集まった男達を眺める。

 美雲からは緊湊未満とされたものの、彼等は一般人レベルにおいては十二分に強者だ。チンピラどころか下手なヤクザすら目を背け隠れる存在。

 それが明らかに自分より格下で弱っちい、小学生ほどの子供にこれ以上ない程に馬鹿にされた。その事実が信じられる彼等は固まっている。

 しかしそれは言葉が脳に届き、内容を脳味噌を完全に理解するまでの間。

 予期せぬパンチのショックから覚めれば次に待つのは、

 

『小僧ォォォォッ!』

 

 怒りの大噴火。大地に閉じ込められていた怒りという溶岩が一斉に噴き出して、顔を真っ赤に染めながら武器を構えて襲い掛かって来る。

 だがクシャトリアはその大噴火が起きることを事前に予想しきっていた。

 天気だって同じ。天気予報で雨が降ると知っていれば、事前に傘を用意して被害を最小限に抑えることができる。

 敵がどういう行動に出るかを知るからこそ、先手をとることができるのだ。

 

マカン(喰らえ)ッ!」

 

 一番最初にこちらを舐めきって怒りのままに突進してきた男の顎に、鞭のようにしなる蹴りを喰らわした。

 自分が攻撃が喰らうかもしれないという心の準備ができておらず、更に蹴りが急所を襲えばどんな屈強な男も無防備な子供と同じ。

 先ずは一人。武器持つ男達の一人が大地に崩れ落ちた。

 敵は残り――――13人。武装は刀、槍、薙刀と盛り沢山。

 

(明鏡止水だ……心を静かに、水面のように鎮め……相手の動きを感じ取る……)

 

 美雲に預けられる前。

 ジュナザードの命令で武器をもった相手と死合いをさせられた時は、流石に緊張で気力が行き場を失って彷徨ってしまっていた。

 しかし美雲との修行で静の気を会得したクシャトリアは同じ失態を犯さない。

 自分自身の気力を呑み込んで、冷静さを保ち、一点へ集中した視点と空から俯瞰する広い視野を同梱させる。

 そうすれば自分どころか、相手のことまでもが自分の脳に伝わってきた。

 

「こいつ……」

 

 死合い場に集まった一人のただの一撃での撃沈。

 目の前で起こった動かしようのない出来事が、死合い場に集まった男達のクシャトリアに対しての認識を『ただの身の程知らずの餓鬼』から『得体の知れない面妖な餓鬼』へ切り替える。

 

「さて。上手く一人は潰せたが」

 

 遠くよりクシャトリアと男達の死合いを眺めながら美雲は呟く。開展未満とはいえ、集まった何人かは後少し背中を押してやれば緊湊に至るものも多い。

 クシャトリアの実力を知った彼等にはもう油断などはなかった。彼等は全力でクシャトリアという年端もいかぬ子供を殺しに来るだろう。

 

「問題はここからじゃな」

 

 両手に碌に力も入らず、武器を持った集団との戦闘。

 命の瀬戸際といえるほどの危機であるが、美雲がこれまで教えた事をしっかりと体得していたとすれば必ず勝てるだろう。

 美雲は愉快げに嫌いな同胞から預けられた弟子を見下ろしていた。

 

 




おまけ

ジュナザード「ううむ……」

メナング「お悩みですか、ジュナザード様」

ジュナザード「クシャトリアに死合い場でさせる挑発文句をなににするか思いつかなくてのう」

メナング「挑発、ですか」

ジュナザード「さて、どうしたものか」

ペングルサンカン「ゴニョゴニョ」

ジュナザード「なに? ここをこうすれば良いのかいのう?」

メナング(ジュナザード様にはペングルサンカンの言葉が分かるのか……?)

ペングルサンカン「ゴニョゴニョゴニョゴニョ」

ジュナザード「ほう。日本語ではここをこうした方が良いとな? はっははははははははははは! 出来たわいのう!」

ペングルサンカン「ブワッハッハッハッハッ!」

メナング(何を言っているのか激しく気になる)


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第14話  流水

 刀、槍、薙刀。現代人からすれば時代錯誤の、社会の裏側に住む武術家にとっては未だに現役の武器が一斉に襲い掛かってくる。

 クシャトリアは平静さを保ちつつ、自分の周囲に制空圏を構築した。複数からの同時攻撃への対処など、美雲との組手で何度も経験している。今回は襲い掛かってくるものが手から武器に変わっただけだ。

 

「はっ!」

 

 両手を操り迫りくる武器を迎撃する。槍の切っ先、薙刀の刃には触れずに。尖っていない場所を叩き落とし、攻撃の来ない安全地帯へと体を移動していった。

 しかしクシャトリアの両腕は未だにこれまでの苦行によって痺れが残り力が入らない。

 

「……!」

 

 完全には迎撃できずに、刀が僅かに左手を霞める。

 細い左手から血が噴出する。痛みはするがあくまでも霞めただけ。戦闘継続には支障がない。

 それに刀が手を霞めようと霞めまいと大した違いはない。どうせ両腕はまともに動いてくれないのだから。

 

(両手が満足に使えればもっとしっかり制空圏が維持できるのに。これじゃ自由に戦えない)

 

 多対一に両腕の疲労というハンデがクシャトリアを追いこんでいく。

 せめて一対一ならしっかり動く足技を中心に対処もできたのだが、十三人相手に両腕が使えないというのはかなりきつかった。

 手甲も余り役に立ってくれない。

 

「背後ががら空きだぞ、小僧ォ!」

 

「!」

 

 がら空きの背中に向かってくる十文字槍。鋼鉄のように鍛え上げた肉体といえど、本当に鋼鉄で出来ている訳ではないのだ。

 一影九拳クラスの達人になるとどうだか知らないが、あんな槍の直撃を喰らえばクシャトリアの体など一溜まりもない。

 限界まで身を捩り、寸前のところで槍を躱す。

 

「お返しだ!」

 

 槍は兵器の王と称されるほど、あらゆる国・地域で使われた武器。その必殺の技はなんといっても〝突き〟だ。

 しかし槍術のみならず必殺の技はもし外せば自分を窮地に追いやるもの。槍もその例外ではない。

 槍を避けたクシャトリアは、槍使いの男の懐に入る―――――

 

「させんよ」

 

 直前で剣士の刀に妨害された。

 懐に入ることに失敗したせいで今度はクシャトリアに隙が生じてしまった。そこへ繰り出される武器の雨。

 まともに防ぐことは今のクシャトリアの両手では難しい。ならば、

 

(窮地にこそ敢えて自分から飛び込む!)

 

 そして、

 

(インパクトの瞬間。最小限の力で攻撃をいなす!)

 

 槍や薙刀を軽く手甲で殴る。ここにくるまでクシャトリアが散々体感してきた梃子の原理と同じだ。

 尖端に加わった衝撃は何倍にもなって武器を持つ男達の手にかかり、その軌道を逸らす事に成功する。

 とはいえここでの戦闘はきつい。クシャトリアは小さい体を活かして、攻撃を掻い潜りながら神社の壁を背にした。

 

「壁を背にすれば後ろからの攻撃はないってか。良い判断だが、それは自分で逃げ場を塞いだのと同じだ」

 

 男達の一人の言葉は正にその通りだ。クシャトリアは背後からの攻撃へ対処する必要がなくなった恩恵と、背後の逃げ場を失うという弊害の両方を得た。

 しかし逃げ場がないのは最初からだ。もし逃げられて命が助かるならばとっくに逃げ出している。だが一体何処へ逃げればシルクァッド・ジュナザードの魔の手から逃れられるというのか。

 ジュナザードの呪縛から逃れるには、もはや死ぬしかない。そして死にたくないならば結局のところ逃げずに戦う以外の道はないのだ。

 

「明鏡止水、心を水面のように鎮め…………相手を映し出す」

 

「なにをブツブツ言ってやがる! 死ね!」

 

 櫛灘美雲という女性は弟子に対して厳しいが、決して無意味なことも無駄なこともしない人だ。

 ただ嫌いな相手の弟子であるクシャトリアを殺したいのなら、制空圏の修行なんてさせずにさっさと葬っていただろう。だから美雲はクシャトリアを殺すためにここへ送ったのではない。

 クシャトリアの実力ならばこの死合いに勝てると思っているからこそ、ここに一人で送り出したのだ。生存確率をあげるため手甲まで持たせて。

 

(というか師匠があんな人なのに、美雲さんまで外道だったら心がもたない……)

 

 わざわざ三時間半も重りをつけて両腕を碌に力が入らなくしたのも、必ずしっかりとした理由があるはずだ。

 この死合いはあくまで修行の一貫。修行の為に両腕に力が入らないようにしたということは、これまで美雲は両腕に力がなくてもこの場を乗り越える術をクシャトリアに伝授してきたということに他ならない。

 

「――――そうだ!」

 

 クシャトリアの動きが切り替わる。否、動きが変わったのではない。クシャトリアの型が動作がシラットからまったく別のものに切り替わる。

 振り落された刀を手甲で弾くと、手慣れたように向かってきた十文字槍を掴み取る。

 力を入れる必要はない。何故ならば、

 

「櫛灘流は技十、力……ゼロ!」

 

「ぐおっ!」

 

 十文字槍使いの男は足を地面から離し、重力を失うと硬い地面へ叩きつけられる。

 マットや畳ではなく硬い地面に、しかも石に当たるよう投げられて十文字槍使いは完全に意識を失っている。

 

「こいつ! 面妖な技を!」

 

 それに意識を沈め、よく美雲の教えを実行していけばこそ見えてくる。これまで美雲が組手の中で叩きこんできた技の一端が。

 オーバーに躱す必要などない。自分の頭に向かってくる槍を避けるのに、わざわざ体ごと逸らす必要はないのだ。ただ頭を少し曲げればそれですむこと。

 最小限の動きで確実に敵の動きを避けて、ゆっくりと近づいていく姿は男達から見ればまるで透明人間のようにも映っただろう。

 クシャトリアは武器をもつ男達に接近すると、

 

「これで四人」

 

 二人一片に体勢を崩してやると、転げた二人は頭と頭を強打しあって気絶させた。

 なんとなく戦いの流れは掴んだ。あとはこの流れに乗れば、相手が何人いようと対処は簡単。

 

「貴様ァ!」

 

 流れが分かるからこそ、流れに圧されない場所も自然と頭に流れ込む。

 武器を持つ男達はクシャトリアを中心とした渦に吸いこまれながら、渦の中心に刃を届かせることなく、無重力地帯に巻き込まれた浮遊感を味わいながら宙へ飛ばされていった。

 

「こいつは驚いた。こんな田舎くんだりまで来てみるもんだ。まさかお前みたいな坊主に大の大人が壊滅状態たぁな。末恐ろしいもんだ」

 

 最後の一人。サムライ風のおっさんが大太刀と小太刀を構え正眼で見据える。

 もはや彼に最初の侮りは一切ない。彼の目にあるのは対等の好敵手へと向けるもののそれとなっていた。

 

「いざ、参る!」

 

 繰り出される大太刀。クシャトリアはふわりとそれを避けると、大太刀は神社の壁に突き刺さる。

 これで大太刀は一時的に使用不能だ。

 

「不覚……! だがっ!」

 

 大太刀を封じても男には小太刀が残っている。だがこれまで十三の人間から数多の武器で襲われてきたクシャトリアにただの小太刀一振りを対処するのは楽な仕事だ。

 小太刀をもつ手首を捕まえると、膝蹴りを顎に喰らわせた。

 

「今日も、どうにか生き残れたか」

 

 この場に集まったものの完全沈黙を確認すると、台座に置かれていた刀を手に取る。

 初めて持つ刀は意外と重かった。

 

 

 

 死合いの様子の一部始終を見下ろしていた美雲は、満足げに笑みを深める。

 櫛灘の技を見せたことと、ある男への嫌がらせ混じりに仕込んでおいた技についても不完全ながら再現してみせたこと。どれも期待通りの成果だった。

 

「そこで見ておるもの。出て来たらどうじゃ」

 

 クシャトリアの様子を見下ろしながら、美雲は背後の木陰に潜む者に声を掛ける。

 

「気付かれていましたか、女宿殿」

 

 木陰から姿を現したのはティダードの民族衣装に身を包んだ男だった。

 気配の殺し方、足の運び方からいってジュナザード配下のシラットの使い手。それも隠密に優れたマスタークラスだ。

 

「して、なにようじゃ? ジュナザードにわしの首級を獲るように言われたか?」

 

「御冗談を。私はメナングというもの。ジュナザード様の命で、クシャトリアの様子を見に来ただけです」

 

「師には似ずに礼儀は弁えておるようじゃな。して、お前の主の弟子の仕上がりはどうじゃったかな?」

 

「――――これはあくまで私見、ジュナザード様のご意見とは全く関係なきことと予め断っておきますが……想像以上かと。制空圏と静の気のみならず櫛灘流柔術に、あれはまさか――――」

 

「無敵超人の秘技の一つ、か?」

 

「……はい」

 

 無敵超人、風林寺隼人。

 武術界において闇の武器組が長と並び称されるほどの達人にして、間違いなく世界における最強の武術家の一人だ。

 その無敵超人の秘技が一つこそ流水制空圏。

 制空圏を薄皮一枚まで絞り込み、敵の動きを最小限の動きで躱し、相手の流れを読み、遂には自分の流れに相手を乗せてしまう技だ。

 

「御自身の正式な弟子ならいざしれず、どうして仮の教え子でしかないクシャトリアに無敵超人の秘技を」

 

「秘技といっても櫛灘流の秘技ではない。あくまでも無敵超人の秘技じゃ。教えたところでわしの懐は痛まぬ。それに無敵超人は弟子をとらぬことで有名。

 奴には昔、色々とあってのう。奴の秘伝をよりにもよって殺人拳の弟子に仕込んだと知れば、奴の悔しがる顔が目に浮かぶようじゃ」

 

「……………は、はぁ」

 

「もう良いか。わしは死合いを終えた弟子もどきを労いにいかねばならんのでのう」

 

 美雲は呆気に囚われるメナングを置き去りにして、手にした日本刀をしげしげと眺めるクシャトリアのもとへ行く。

 クシャトリアは初めて目にする本物の日本刀をしげしげと眺めていたが、美雲がきたことを知ると刀を納刀した。

 

「あ、美雲さん。仰ったとおりどうにか勝ちましたよ」

 

「当然じゃ。勝てるように仕込んでおったからのう。じゃが、一人まだ息があるのがおるのはどういうことかえ」

 

「あぁ。この人ですか」

 

 クシャトリアはまだ生きている一人、サムライ風の男を見下ろす。

 サムライ風の男はクシャトリアにやられ半殺しにされているが、まだしっかりと心臓は動いているし息もある。然るべき治療をすれば、しっかり健康体に戻るだろう。

 

「死合い場に集まった中でこの男は律儀に一対一になるまで待っていたが、だから手を抜いたのか?」

 

「そんなんじゃないですよ。ただこっちを殺す気がない人が相手だと、なんていうか戸惑うというかイマイチやる気が出ないというか。殺せと仰るなら止めを刺しますけど……」

 

「良い。今日はもう遅い。帰るぞ、クシャトリア。夕飯は赤飯じゃ」

 

「おぉ!」

 

 美雲とクシャトリアは転がった男達の死体と、ただ一人の生存者を背に去っていく。

 黒い雲から金色の月が覗き、クシャトリアを照らした。

 



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第15話  帰宅

 終わりというのは何時だって誰にだって何にだって等しくやってくる。

 病弱な老人だろうと、武術を極めた達人だろうといずれは死ぬ。

 永年益寿の秘術を使い老化を止め、健康に常に気を配り、最新医療施設と名医を控えさせながら暮らしたとしても長寿を得ることはできても不死を得ることはできない。

 五十億、六十億、七十億と増え続ける人類だっていずれ恐竜のように地上から姿を消す日がやってくるだろうし、そもそもこの地球とて不老不死ではないのだ。何十億年か先には地球消滅の日がやってくる。

 だから当然、美雲の家に預けられている日々も終わりが来た。

 

「カッカッカッ。女宿の、弟子が世話になったわいのう」

 

「人に礼をする時くらい食べるのを止めたらどうじゃ?」

 

 相変わらず果物――――今日は蜜柑を食べながら、まったく誠意のない礼を言うのはジュナザード。クシャトリアの史上最凶にして最悪の師匠だ。

 ジュナザードから今日弟子を連れて帰る、という連絡がきたのがつい一時間前。久しぶりの休みの日だ、と浮かれていたクシャトリアの心を一気に氷点下にまで落としてくれた。

 

「クシャトリアよ。女宿からしかと教えは受けたであろうな?」

 

「……はい」

 

 ジュナザードからの指示。櫛灘流の永年益寿の秘伝についても、自分なりに探りは入れてきた。

 施されてきた修行の数々や食事に至るまで、美雲にやれと言われた事はしっかりと覚えている。

 これだけ覚えていればティダードに戻っても櫛灘流柔術の自主練もある程度は出来るかもしれないし、なによりもジュナザードに怒られないで済む。

 

「わざわざ弟子に確認せずとも、わしのさせた修行に不備はない。この期間で出来る最大のことをしたと自負しておる」

 

「カッカッカッ! 女宿ともあろう女にそうまで言わせるかいのう。では精々弟子の仕上がりには期待しておくわいのう。帰るぞ、クシャトリア」

 

「はい、師匠(グル)

 

 頭を切り替える。

 ジュナザードから美雲のもとへ預けられて一か月ほどの間。ここでの生活はティダードでの地獄と比べれば天国だった。

 連日のように殺し合いを強要されることもなく、勉強の時間すら与えられ、師匠に殺されるかもしれないとビクビクと脅えなくてもいい。

 本心を吐露するのならジュナザードの弟子に戻らず、このまま美雲に弟子入りしたいくらいだ。

 

(だが俺はシルクァッド・ジュナザードの正式な弟子だ)

 

 拳魔邪神と畏怖される男を尊敬しているのでも、好いているわけではない。

 かといって同じようにジュナザードに弟子入りしようとした者達を殺したのだから、彼等に報いるためにジュナザードの下で達人にならなければならない、なんていう殊勝な思いもなかった。

 ジュナザードの弟子にされてからクシャトリアが思うのは今も昔もたった一つ。

 

〝生き延びる〟

 

 そのためだけに、あらゆる努力と地獄を耐えてきた。死ぬほどの地獄でも、本当に死んでしまうよりは良いと乗り越えた。

 ジュナザードのもとに戻る恐怖はあるが、ジュナザードから逃げることなど出来ないと知っているからこそ、ジュナザードが「戻る」と言えば大人しく従う。

 自分の命を守る為に。

 

「美雲さん、さようなら。またいつか」

 

「ふっ。そうじゃな、またいつか。お主が死んでいなければ、また会おう」

 

 最後に振り返り美雲に別れを告げた。死んでいなければ――――そう、死ななければ或いはまた会う日もあるだろう。

 ジュナザードの後ろをついていき、クシャトリアは行きに乗ったのと同じ黒塗りのリムジンに乗りこんだ。

 

 

 

 それからのことは改めて思い返しても短い時間だった。

 自動車一時間半。自家用ジェット数時間。更にまた自動車二時間。諸々の時間を合計すれば大凡九時間。これが日本からティダード王国の、ジュナザードの城に戻るのにかかった時間である。

 この九時間はこれまでのクシャトリアの生涯で最も短く感じた九時間だった。

 城に戻って直ぐクシャトリアはティダードの民族衣装に着替え直し、念のため美雲から貰った手甲を両腕につけてから久しぶりの鍛錬場へと向かった。

 

「来たかいのう、クシャトリア」

 

 鍛錬場には既にジュナザードが待っていた。

 

「お待たせして申し訳ありません、師匠」

 

「良い」

 

 クシャトリアは両掌を合わせジュナザードに挨拶をする。

 ジュナザードはクシャトリアの両腕にある手甲に目をやり、暫し注視してから日本で仕入れて来たらしい青山リンゴをかっ喰らった。

 

「お前を女宿に預ける前に申し付けておったことは覚えておろうな?」

 

「はい。櫛灘流の永年益寿の秘伝、流石に直接聞きだすことはできませんでしたが、美雲さんに教わった事は全て頭と体に叩き込んであります」

 

「カッカッカッ。それは上々、では話せ」

 

「はい」

 

 クシャトリアは一切の省略することもなく、美雲から教わり、やれと命じられたこと全てをありのまま伝えていく。

 櫛灘流の教えを受けたクシャトリア自身、なにがどう永年益寿に関わることなのかは分からなかったが、ジュナザードにとってはそうではないらしい。

 度々「ほう、そういうことかいのう」やら「興味深い……」などとコメントしつつ頷いている。

 しかしクシャトリアが美雲から教わった、制空圏を薄皮一枚まで絞り込む『流水制空圏』のことについて話すとジュナザードの雰囲気が変わった。

 

「流水制空圏とな。女宿は随分とお前を気に入ったようだわいのう。己の秘技ではないとはいえ、風林寺のじっさまから盗んだ秘技を教えるとは。我としたことが驚いたわいのう」

 

「え? この秘技って美雲さんの編み出した技じゃなかったんですか!?」

 

「そうじゃ。無敵超人、風林寺隼人。我の……………まぁ古い知り合いの編み出した108の秘技の一つだいわのう」

 

 無敵超人、まるでキン肉マンに出てくるキャラクターみたいだ。

 ジュナザードが知り合いと呼び、美雲が技を盗むほどの相手。恐らくは風林寺隼人なる人物もかなりの達人に違いない。

 それもジュナザードがじっさまと言ったあたり、かなりの高齢だろう。

 

「やっぱりその人も一影九拳なんですか?」

 

「違う。奴は闇の殺人拳とは対極。活人拳などを掲げる爺だわいのう。そして我と引き分けた唯一の男だわい」

 

「……!」

 

 もしかしたら、それはジュナザードが引き取りにやってくるという連絡が来た時よりも凄まじい衝撃だったかもしれない。

 史上最悪にして最凶。並ぶものなき魔人とすら思っていたシルクァッド・ジュナザードと引き分けるような怪物がいる。

 そのことがとても信じられない。

 

「じゃが風林寺のじっさまの秘技か。そうじゃな、流水制空圏を会得した褒美に我も幾つか知るじっさまの秘技を一手授けてやろうかいのう。おい、そこの」

 

「はっ」

 

 ジュナザードが合図をすると、部下の一人が巨大な檻をもってくる。

 檻の中に入っていたのは、一目で獰猛と分かる大虎だった。余程腹を空かせているのだろう。大虎は涎を垂らしながら、クシャトリアとジュナザードを睨んでいる。

 

「離せ」

 

「はっ!」

 

 ジュナザードの命令に反論一つすることなく、部下の男は虎を檻から解き放った。

 檻から出て自分が自由になったのだと理解したと悟った虎は目の前にいる得物。クシャトリアに飛びかかってきた。

 

「我ではなくクシャトリアへ向かうとは、獣の分際でどちらが格上なのか本能的に分かるようだわいのう。じゃが無駄じゃ」

 

 ジュナザードが一瞬にして虎を蹴りあげ、殴り易いよう腹を晒させる。そして、

 

「数え抜き手! 四、三、二、一ッ!」

 

 怒涛の四連抜き手。大虎は腹に四つの穴を開けて、完全に生命活動を停止した。

 檻から放たれて僅か十一秒。獲得した自由に比べ、余りにも短い寿命だった。

 

「しっかり見ておったであろうな。通常の抜き手を四と見立て、そこから指の数を三、二、一と減らしていく抜き手。風林寺のじっさまの技の一つだわいのう。

 この技の優れたところは数が減るごとに威力を増すのみならず、一発一発の抜き手に性質の異なる特殊な力の練りが加えることで、三発目まで防いでも最後の一発で必ず相手の防御を貫くところだわいのう。

 今のお前にはちと難しい技じゃが、流水制空圏は覚えたことであるし我ならば教えられなくはないわいのう」

 

「……凄い」

 

 ジュナザードの技が凄いのではない。自分こそが最強であるとするジュナザードに、技を盗もうと思わせた事。それがとんでもなく凄い。

 無敵超人、風林寺隼人が師匠と引き分けたというのは事実なのだろう。そうでなければ師匠は技を盗んだりしない。格上が格下から教わることなどない、というのが師匠の考え方なのだから。

 

「カッカッカッ。じゃがこれだけではないぞクシャトリア。我にはもう一つお前に渡すものがあるわいのう」

 

「渡すもの?」

 

「それは……これだわいのう!」

 

 ジュナザードが自慢げに見せたのは仮面だった。

 クシャトリアはおずおずとそれを受け取ると、その仮面を観察する。ジュナザードの仮面と同じ意匠の、悪魔や妖怪を想起させる仮面だった。

 師匠の目線がこちらに向いている。被れ、と言っているのだろう。

 

「では」

 

 一応は師匠からの初めてのプレゼントというやつだ。文句を言えば洒落抜きで殺される。

 クシャトリアは仮面を被るが、

 

「お、重い……」

 

 サイズが完全に合っていなかった。被れはしても、こんな仮面をつけて戦っていては碌に目が使えずに敵にやられるだけだ。

 というよりこんな重いものを頭に被っていたら動きが鈍るどころではない。

 

「駄目かいのう。ならばこれはどうじゃ」

 

 それからもジュナザードが寄越した仮面を一つ一つ被ってみるが、どれも大きすぎたり小さすぎたりでピッタリ合うものは一つもなかった。

 ジュナザードは仕方なく部下に木材を用意させると、

 

「オーダーメイドだわいのう」

 

 あろうことか自分自身で木材を掘り始めた。

 ジュナザードは武術のみならず芸術にも覚えがあるようで、瞬く間に新しい仮面を一つ作ってしまった。

 

「今度は問題ないわいのう」

 

 妖怪や悪魔とも違う。優美にして高貴な騎士と、空を駆け抜け自在に飛ぶ鳥を混ぜ合わせ合体させたような仮面。

 差し出されたそれを受け取ると被る。オーダーメードに偽りなく、その仮面は始めからクシャトリアの肉体の一部のようにピッタリと合った。

 

「カッカッカッ! やはり我の弟子であれば仮面がなくてはいかんわいのう!」

 

「拘りがありますねー」

 

 結局、その日は仮面選びで時間が潰れ修行はなしとなった。

 



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第16話  Pledge of Blood

 ティダード王国へ戻り、ジュナザードから仮面を貰った次の日。クシャトリアは朝目覚めると、これまで通り鍛錬場へと赴く。

 朝起きて最初に目に飛び込んでくるのが見慣れた天井だという事実を認識して、少しばかり美雲の所が恋しくなったのはジュナザードには秘密だ。

 

「おはようございます、師匠」

 

 自分は礼儀作法など知った事ではないという唯我独尊ぶりだというのに、自分に対して礼を損なうようなことをすれば怒るのがジュナザードだ。

 鍛錬場に着いたクシャトリアはしっかりとティダード式の挨拶をする。

 

「クシャトリア。早速じゃが静の気を練ってみよ。女宿の仕込みに不手際があるとも思えぬが念のためだわいのう」

 

「はい」

 

 美雲から教わったことを頭の中で反芻した。心を水面のように鎮め、闘気や気迫を体の内側に取り込み凝縮する。

 散々美雲のところでやってきたことだ。例え朝一番だったとしても、敵の猛攻に晒されながらでも気を練れないということはない。

 ジュナザードの指示通り、クシャトリアは静の気を練りあげることに難なく成功した。

 

「カッカッカッ! あ奴に預けたのは正解だったわいのう。亀の甲より年の功というやつかいのう。文句のつけようがない仕上がりじゃわい。これで後腐れなく次の修行に移れるというものじゃ」

 

「次の修行、ですか」

 

「なんじゃ、忘れたのかいのう? 静の気と動の気、お前には両方仕込むと前に言っておったろうに」

 

「あ」

 

 不覚にも完全に忘れていた。

 動の気。クシャトリアが美雲との修行により体得した静の気とは対極に位置する武術家としてのタイプ。

 静の気が気を内側に凝縮するのであれば、動の気は寧ろ気を外側に爆発させる。静の気が心を鎮めるのならば、動の気は心のリミッターを外す。

 守勢に優れる静のタイプとは反対に、動のタイプは攻勢に優れる傾向が強いという。

 

「本来武術家のタイプは静と動どちらかに別れるもの。一度静のタイプに進んでしまえば、どのような相手と戦う時も基本的に静の気をもって戦う故に、戦闘時でも感情のリミッターを外すようなことはない。

 もしも万が一外すようなことがあれば、それは静の武術家としては失格。心を荒ぶらせた静の武術家ほど脆いものはない。じゃが予めリミッターを外す術を仕込んでいれば、その限りではない……かもしれんわいのう」

 

「かも、なんですか?」

 

「我も静のタイプと動のタイプを修めたわけではないわいのう。武術家として予想はできるが、完全な予測まではできんわい」

 

 武芸を極め達人という頂きにおいて尚も頂点に君臨するジュナザード。静の気と動の気を完全に同レベルで修得するというのは、ジュナザードをもってして未知の領域だという。

 いうなればクシャトリアはこれからジュナザードという科学者に実験を施されるモルモットというわけだ。

 死んだら惜しいがそこまで。生き残れば大成功。

 

(これほど弟子思いの師匠はいないよ。逆に)

 

「褒めてもなにもでんわいのう」

 

「……………」

 

 もはや心を読まれたくらいで驚きはしない。

 クシャトリアはいつか読心されないように閉心術を会得しようと心に誓った。

 というより会得しなければ、いつか心の中の失言でジュナザードに殺されそうだ。せめて心の中のプライバシーくらいは確保しておきたい。

 

「それで動の気の修行じゃが、我秘伝の秘薬をもって行う」

 

「秘薬……」

 

 そこはかとなく嫌な響きだ。

 ティダード王国は西洋医学ですら未知の薬草の宝庫であり、師匠がそれを使った医術にでも秀でているのは知っている。

 クシャトリアも何度か組手で負傷し師匠に治療されたこともあった。そしてそれ以上に秘薬とやらで肉体改造を施され続けてきている。

 正直秘薬と言われても嫌な予感しかしない。

 

「恐れずとも、秘薬で動の気を解放させるのは他の武術や流派でも行われていることじゃ」

 

「そうなんですか?」

 

「うむ。特にお前の場合、普通に修行させても無意識に静の気を練ってしまう可能性が高いわいのう。秘薬がなければ修行が上手く進まん。ほら、飲め」

 

 差し出されたのはコップに並々と注がれた液体。 

 色は緑茶が真っ青になるくらいの緑。ジュナザードの秘薬は腐ったオレンジと腐敗したバレーボールに甲虫をグチャグチャにして煮込んだような、なんともいえない異臭を漂わせていた。

 

「……これ、何をどう調合したんですか?」

 

「知る必要はないわいのう。さぁ飲め」

 

「………………いただきます」

 

 呑み込んだ途端、食道と胃の中が嘗てない吐き気で引き裂かれそうになった。

 口を飛び越えて脳天を突きぬけるほどの酷い味で、味覚という味覚が犯され尽くされる。いっそ殺して欲しい程に苦しさに、クシャトリアは吐き出しそうになるも、吐けばまた同じものを呑まされるという恐怖がそれを抑えていた。

 

「はぁはぁ……うっ」

 

 秘薬の効果は直ぐに現れた。

 感情が高ぶる。気を内側に抑え込み凝縮することができない。原子炉のように稼働する気は内側ではなく、外へ外へとその力を解放しようとしていた。

 冷静な判断力は消え失せ、ただ近くにいるものを殺し尽くせという絶対命令が脳を支配しようとする。

 

「これでお前の感情のリミッターは外れた。後はその気を安定させれば、動のタイプを体得できよう。じゃが気を付けることじゃ。もしも扱いに失敗すれば、感情のリミッターが外れっぱなしになり戦うだけの獣と成り果てる可能性もあるわいのう」

 

「ぐ、師匠! 他の流派でもやってるから危険はないって言ったじゃないですか!」

 

「戯け者。そのようなこと言っておらんわ。我はただ他の武術においてもやられていると言ったまで。危険がないなどとは一言も言っておらんわいのう」

 

 シレッとジュナザードは嘯く。

 ジュナザードは鍛錬場から修行を見下ろすため上の階の玉座まで一っ跳びで移動すると、部下に指示を出してまた檻を持ってこさせる。

 以前は檻に入っていたのは大虎だったが、今日檻にいたのはある意味では虎なんかよりも凄まじいものだった。

 

(あれって――――人、間?)

 

 リミッターが外れ今にも暴れ出しそうな体を押さえつけながら、クシャトリアは檻に閉じ込められた男を見る。

 男の年齢は大体十六か十七ほどだろうか。黄色い肌と黒髪黒目からいってティダード国民ではなく東洋人。だが日本人という感じでもない。あの顔立ちは恐らくは中国系。

 中国人らしき男はしかし、人間でありながら虎よりも理性ない瞳で唸りクシャトリアを檻から威嚇していた。

 

「そやつの名は李進。動の気の解放に失敗し、完全に理性と人間としての人格すら失い、ただの敵を屠るだけの獣と化した男じゃわいのう」

 

「……!」

 

 李進はジュナザードの言葉も聞こえていないのか、大口を開けて叫びながら檻を破壊しようともがいていた。

 動の気の解放に失敗すれば自分も彼と同じようなことになる。自分が辿るかもしれない末路を間近に見てクシャトリアは歯を食いしばった。

 

「中華において鳳凰武侠連盟と勢力を二分する武術組織、黒虎白龍門会から安く買った失敗作じゃわい。遠慮なく壊せ」

 

「人身売買ですか。人権団体が聞けば発狂しますね」

 

「聞かぬふりをすれば発狂などせんわいのう」

 

 クシャトリアの皮肉に対して、ジュナザードも痛烈な皮肉を返す。

 国の中枢にすら手を伸ばしている闇だ。人権団体程度はどうこうできるはずもないし、その人権団体にも闇の力は及んでいるのだろう。

 

「始めよ」

 

 ジュナザードの声と同時に檻が開き、野獣の形相の男は野獣の動きで飛び出してくる。

 

「ッ!?」

 

 野獣の動き――――というのは李進のリミッターが外れ、理性を喪失からの比喩ではない。

 幾らリミッターが外れようと、それはあくまで動のタイプの暴走によるもの。その動きには武術家としての技が残っている。

 そして李進の動きというものがまるで昨日ジュナザードが戦い一方的に屠った大トラと被るのだ。

 

(中国拳法には動物を模した拳法があるって聞いたが、これがそれか!? 確か形意拳だかなんとかいう……)

 

 李進の猛攻を捌こうと制空圏を張ろうとする。だが感情が高ぶって、どうしても目の前の敵を抹殺しろという強迫観念に押されてしまい、上手く制空圏を維持することができない。

 いっそ感情に流されるままに身を委ねてしまえば楽になれるのだろうが、それをすれば待つのは李進と同じ理性なき狂戦士へ堕ちる末路だ。

 

「ウガァアアアアアアアアアアアアアッッ!」

 

 虎の爪――――を模した腕が地面を抉り取る。

 自分と同じ弟子クラスでありながらこの破壊力。動の気の暴走が齎す力はこれほどのものか。こんなものをまともに喰らえば肋骨が折れるどころではすまない。内臓ごともっていかれてしまう。

 今にも暴走し敵に向かってしまいそうな心を必死に押しこめつつ、クシャトリアは見っとも無くも李進から逃げる。

 

「くそっ」

 

 だが何処へ逃げるというのか。

 ジュナザードの弟子となった時点で、クシャトリアにこの地球上のどこにも逃げる場所などはない。

 

「やるしか、ない……」

 

 活路は――――生き残る道は、敵の屍の向こう側にしかないのだ。

 これまでと同じように、此度も敵を殺し生を掴み取るしかクシャトリアが生き残る術はない。

 

「クシャトリア」

 

 大声を出したわけでもないのに、鍛錬場に響き渡るジュナザードの声。

 

「我が秘薬で強引に気を内側から外側へ発散しているお前は……そうさな。言うなればビルの角に立たされ、背中を押されている人間だわいのう。

 そして今のお前はビルから突き落とされまいと、必死になってビルの内側に戻ろうと両足に力を入れてふんばっているといったところか」

 

 だが戻ることはできない。

 ジュナザードの秘薬は気合や根性だけで無効化できるほど生易しいものではないのだ。

 猛毒を呑んだ人間に死という末路しか残っていないのと同じ。ジュナザードの秘薬を呑んだ以上は秘薬の効果が切れるまで、ビルから突き落とされるのを拒むしかないのだ。

 

「それはどうかいのう。ビルから飛んだ時、本当に地面に落下するだけか? そうではない。ビルから突き落とされても助かる道はある。

 無傷で、そう……下手に留まろうとするから落ちる。下手に恐怖で足が竦むから中途半端になる。助かるには寧ろ押されるがままに全力で飛び、向こう側のビルに着地すれば良い!!」

 

「――――ッ!」

 

 ジュナザードは史上最凶最悪の師匠だが、同時に世界最高峰の武術を極めた達人でもある。

 だからこれだけは断言できる。認めたくはない事だが、武術家としてのジュナザードのアドバイスは恐ろしく的確だ。下手すれば櫛灘美雲を凌ぐほどに。

 

(どうせこのままではじり貧。ならば)

 

 真綿で首を絞められながらの死よりも、ギロチンで一気にスッパリの方が良い。後者の方が助かる確率が高いのならば猶更。

 覚悟を決める。

 これまで外側に出て行こうとするのを必死に抑えていた闘気。これを思いっきり外側へ爆発させるように放出した。

 

「     」

 

 声を失う。ある領域を超えた爆発は安定し、視界が開け脳は外側に無限大に拡大していく。

 外側に飛び出そうとする力と、それを抑えつけようとする精神に閉ざされ鉛のように重かったからだが今では羽のように軽い。

 いける、と確信した。

 

「ふっ!」

 

 背中に翼が生えているように、クシャトリアは宙を舞うと素早く李進の背後に降り立つ。

 そして李進の両足を払い転ばすと、その首根っこを踏みつけて首の骨を折った。

 

「ハァハァ……ハァ……………」

 

 戦いは終わった。だというのに解放された動の気が収まらない。

 思いっきりビルから飛んで向かい側のビルに着地したというのに、本能はまたビルから飛ぶことを欲している。

 しかし敵はいない。だが本能が敵を欲している。

 二つの命題がエンドレスで回り続け遂に、

 

「うっ、ぐぁぅああああああああああああ!」

 

 頭が割れる。

 脳髄が頭という小さな殻を突き破り、外側に出てこようとしているようだ。血液が沸騰し、血管は浮き出て、瞳は血のように滲んでいく。

 

「いかん。効能を増した分、ちと刺激を増し過ぎたようじゃ。リミッターを解除し、動の気を安定ラインまで飛ばしたというのに尚も暴走しようとしているわいのう。次からは気をつけねばならんな」

 

 弟子の生命の危機に呑気にキウイを食べながら、ジュナザードはクシャトリアは素早くクシャトリアの肩に手刀を喰らわせる。

 

「う、」

 

「じゃが50%のギャンブルに興じてみた甲斐はあったわいのう。動の気の解放については大成功じゃわい」

 

 意識が遠のいていく。

 ジュナザードの笑い声と、沸き立つような脳の不快感を最後にクシャトリアは意識を手放した。

 

 

 

 

 次にクシャトリアの意識が戻ると、クシャトリアはどこかに寝かされていた。

 体の茹だりや熱気は収まっている。ジュナザードに呑まされた秘薬の効果が切れたのだろう。しかし秘薬の副作用からか。未だに体は思うように動いてくれない。

 美雲にTの字で重りを持たされた時も似たような疲労感を味わったが、今度はそれが全身にある。

 

(ここは……?)

 

 鼻孔を擽る薬品の臭い。どうやら自分は城にある治療室のベッドにいるらしい。

 修行中に死にかけ運ばれることが多いのでクシャトリアには直ぐに分かった。

 

「意識が戻ったかいのう、クシャトリア」

 

 クシャトリアを見下ろすジュナザードが珍しく労わる様な声を出す。

 返事をしようとしたが、口を開けても上手く声が出ない。ジュナザードもそれを知ってか返事をしないことを咎めることはなかった。

 

「それでいい。こんな下らんことで死なれては興覚めというもの。生きて生きて……生き抜くが良い。立ち塞がる全てを屠ってのう」

 

 ジュナザードが初めてクシャトリアの前で、その顔を覆い隠す仮面を外す。

 中から出てきたのは年老いた老人の顔――――などではなかった。

 浅黒くも艶のある肌、色素のない白髪。若く美しい青年というより少年とすらいっていい顔だ。だがその美しさを、喜悦に染まった目が台無しにしていた。

 

(これが師匠の素顔)

 

 櫛灘流の永年益寿の秘法をあれほど知りたがっていた理由が分かった。

 ジュナザードの顔こそ若い少年のものだが、手足や肌は老いた老人のもの。顔だけではなく全身や、もしかしたら内蔵まで若く保つ櫛灘流の永年益寿を知りたがるのも当然といえるだろう。

 

(師匠は俺のように、ただ生きたいなんて理由で長寿を望むほど……生易しい怪物じゃない)

 

 だとすれば師が長き生を求めるのは、己自身の武術的狂気から。

 より強い相手と死合うため。凄惨な殺し合いをするため。戦火に身を投じ続けるため。狂気の形は様々だろう。

 その狂気がジュナザードを生へと駆り立てる。自分自身を殺すほどの武人と巡り合うまで。

 

「我の立つ場所まで這い上がってこいクシャトリア……。覚えておけ、お前が武術家としての成長を止めた時。それがお前の死ぬ時だわいのう」

 

「……………………」

 

 ジュナザードは敵を欲している。強い敵を、より強い敵を。

 シルクァッド・ジュナザードは育て搾取する者である。クシャトリアという若い芽を育てられるだけ育て上げ、そして才能を開花させ武術家としての絶頂を迎えた時、ジュナザードは自分の手で育て上げたそれを喰らうのだ。

 

(師匠のもとで技を磨き達人になっても、俺が武術家として登り切れば俺は死ぬ)

 

 修行の中で死ぬか、修行の果てに死ぬか。

 そんなものはどちらも嫌に決まっている。ならば道は一つしかない。

 

〝シルクァッド・ジュナザードを殺す〟

 

 ジュナザードが搾取者だというのならば、搾取者を倒してしまえばいい。

 そうすればもうジュナザードに恐怖する必要はなくなる。自由を手にすることができるのだ。

 この日。クシャトリアは静かに、自分の師匠をどんな手を使っても殺すと心に誓った。 

 



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第17話  死神

 照りつける太陽の下を黒塗りの車が走る。道が舗装されていないせいで、車は時折ガタンッと揺れながらもタイヤを回転させ続けていく。

 空はこれから起こる運命など知らない様に清々しいまでに青かった。

 クシャトリアは窓から流れゆく風景を頬杖をつきながらぼんやりと眺める。日の光の角度によってか一瞬窓にクシャトリアの顔が映った。

 ジュナザードの弟子になってから何年が経っただろうか。

 黒髪黒目の極当たり前の日本人の容姿だったクシャトリアの顔はしかし、今では熱帯地域での長い生活で肌は浅黒くなり、瞳は動の気の解放で投与された秘薬の副作用で真っ赤になり、日々の肉体改造のせいか髪は色素を失い所々が白くなっていく。あと数年も経てば髪から黒い箇所はただの一本たりともなくなるだろう。

 こんな見てくれではもう誰もクシャトリアが実は日本生まれの日本育ちの日本人だったなどと気付けまい。どうせ日本には戸籍も残っていないのだからどうでもいいといえばそれまでだが。

 

「着きました。ボーイ……いえ、翼もつ騎士。サヤップ・クシャトリア」

 

「ここが今回の任務地というわけか」

 

 クシャトリアは髪を掻きながら車外へ出る。

 降り注ぐ日光と高い気温が全身を焼くがティダードほどではない。ティダードでの生活が長いクシャトリアにとっては少し涼しいくらいだ。

 だが注目すべきは照りつける太陽などではなく、麓にある村だろう。

 

(随分と錆びれている)

 

 元々裕福とはいえない国なので、田舎の村が貧しいのは別になんらおかしいことでもないが特にここは極め付きだ。

 お金がないというより、そもそも村全体から活気や生気が抜け落ちている。これほど酷い村は世界中探してもそうはあるまい。

 原因はなにかと探し直ぐに気付いた。

 

「子供がいない?」

 

「あの村の子供はここら一帯を根城にするグスコーっていう男に攫われたんですよ」

 

「身代金でも要求する気か?」

 

「まさか」

 

 ここまで運転した男は肩を竦めた。

 身代金誘拐は裕福な家の子供を狙うものだ。こんな貧しい村の子供達を丸ごと誘拐したところで、手に入れられる身代金などたかが知れている。

 そもそも身代金なんて回りくどい方法をとるより、普通に略奪の限りを尽くした方が効率的だろう。

 この国の治安とグスコーという海賊ならそれだけの暴虐が許されるのだから。

 

「身代金じゃないとなると……どこかに売り払うつもりか。出すところに出せば子供は高く売れるからな」

 

「でしょうね」

 

「俺も捕まったらどうしようか」

 

「悪い冗談は止めて下さい」

 

 クシャトリアはそれなりに背も高くなったがまだまだ少年と呼べる年齢。グスコーの一味に掴まれば、この村の子供と同じように売られる可能性は十分にある。

 もっともこれでもクシャトリアは若くして弟子クラスの殻を破り、達人と弟子の間にある武術家の位階――――妙手へ至ったもの。妙手にもピンからキリまでいるが、その中でもクシャトリアは比較的達人寄りだ。

 単なる海賊に捕まるほど弱くはないし、仮に掴まっても簡単に脱出できる。

 ただ掴まって売り払われても、自分の師匠に拉致された時よりはマシな境遇かもしれないと脳裏を過ぎっただけのことだ。

 

「それで今回の闇からの任務はなんだったっけ?」

 

「あ、はい」

 

 ガサゴソと黒服が助手席に置かれた鞄を漁る。

 クシャトリアが弟子から妙手になってからというものの、ジュナザードの指示で遠征死合い代わりに闇からの任務を数多く受けるようになっていた。

 闇からの依頼は要人の暗殺や護衛、組織壊滅など様々だが今回の仕事はどんなものか。

 

「ありました。えーと、やっぱりあのグスコーって海賊関係です」

 

「一味を皆殺しにしろって? それともグスコーの首だけ獲れって?」

 

「いえ。殺しは任務に含まれていません。グスコーの一味に盗まれた、さる名家の家宝であるペンダントを取り返す事。それが今回の任務です」

 

「それは良い」

 

 グスコーは大型の船と多数の部下を保有するかなりの規模の海賊だ。

 武器密輸にも手を染めている為、部下は機関銃やバズーカだって持っている。幾ら妙手になっても銃火器で武装した百人以上の海賊集団を全滅させるなんて御免蒙る。出来ないとは言わないが、死ぬリスクだって高いのだから。

 

「じゃあ早速、行ってくるか」

 

「ご武運を」

 

 家宝のペンダントとやらを取り返すついでに、一党の財産の一部でもパクッて帰りは豪遊しよう。

 そんなことを考えながらグスコーなる男がボスの座にいる一党の拠点が見える所までやってきた。

 

「デカい船だな」

 

 巨大な船、それがグスコーのアジトだった。

 ビルや建物ではなく船であれば移動するのも自由自在だし、陸から離して停泊することで外敵の侵入も防ぐことができる。

 悪党の親玉だけあって頭もそこそこ周るらしい。

 

「美雲さんなら海面を走って船までいけるだろうけど、海渡はまだ触りしか教わってないからな。となると」

 

 ここは水の上を走るなんて超人技ではなく、人間らしく泳いでいくとしよう。

 クシャトリアはいつだったかジュナザードに貰った仮面を被ると、服も脱がずに海の中に飛び込んだ。海水を吸い込んで服が重くなるが、そんなことものともせず魚の速度で海を進んでいく。

 

「さて」

 

 船のところまで泳いできたクシャトリアは、持ってきた縄を引っかけて船を捩り昇り潜入した。

 甲板に登ったクシャトリアは物陰に潜みながら様子を伺う。

 見張りの男達が機関銃をもってうろついているが、まさか陸地から離して沖に停泊している船に侵入者が来るとなど思ってすらいないのだろう。見張りたちには明らかな油断があった。

 クシャトリアがジュナザードから教わって来たのは武術だけではない。ティダードの薬草を用いた医学に、隠遁術についても仕込まれている。

 妙手の自分では達人級を誤魔化す自信はないが、相手がただの人間なら気付かれる心配はない。

 

(ペンダントがある倉庫の場所は)

 

 クシャトリアの目の端に一人でぶらついている男が目に留まる。倉庫の場所が知りたいなら内部の人間に喋らせるのが一番だ。

 

「もがっ!」

 

 背後から男の口を塞いで声を出せないようにしてから、空き部屋に引きずり込んだ。

 

「喋るな。下手に騒ぐと騒げないようになる」

 

 此処に来るときにくすねておいたナイフを男の喉元に当てて囁きかける。

 武器を使うのは無手組の武術家としての主義に反する上に八煌断罪刃みたいで気に入らないが、こういう時の脅しは目に見える分かり易いものであったほうが効果的だ。

 

「グスコーがさる名家から盗んだペンダントがある倉庫はどこだ?」

 

「ぺ、ペンダント? 知らねぇよ! 一々盗んだものがなにかなんて下っ端の俺が覚えてるわけが――――」

 

「なら宝がある倉庫は?」

 

「ば、馬鹿じゃねえのか! そんなこと言ったのがばれたらグスコーさんに殺されっちまう!」

 

「そうでもない。少なくともここで大人しく喋れば、ここで俺に殺される心配はなくなる。さぁ、どうする?」

 

 脅しつけるよう笑みを浮かべながらナイフを押し当てる。

 

「分かった! 話す! この部屋を出て右に曲がった角を左に行けば倉庫だ」

 

「ごくろうさん」

 

 聞きたい情報を聞き終えたクシャトリアは男の腹を殴り気絶させる。これでこの男は一時間はここでぐっすりだろう。

 後は倉庫に忍び込んで、資料に添付されたものと同じペンダントを回収すれば任務完了だ。

 部屋から出てクシャトリアは再び気配を消して通路を進む。

 全てが順調。このまま何事もなく終われば万々歳だったのだが、そうは問屋が卸してくれなかった。

 

「あいたっ」

 

 倉庫へ続く通路を歩いていると、どしんと壁にぶつかる。

 

「可笑しいな。角を左に行けば倉庫じゃなかったのか。壁があるなんて聞いて……ない……ぞ?」

 

「やぁ。アパチャイだよ」

 

 ニッコリと敵意なく挨拶してくる褐色の肌の大男。壁だと思ったものは壁ではなく壁のようにデカい人間だった。

 褐色の巨人――――アパチャイは敵意なく寧ろにこやかに微笑みかけてくる。

 しかし反対にクシャトリアの内心は軽くパニックに陥っていた。

 

(気配を消していた俺にあっさり気付いたことといい、ここまで自然に回り込んだことといい……間違いない! この男、達人級(マスタークラス)だ!)

 

 よもやこんな小悪党の一味にマスタークラスの武術家がいるなど完全に予想外だ。

 クシャトリアは良く調べもせずに、妙手でも出来る任務として寄越した闇を呪う。

 

「おい、アパチャイ。倉庫の掃除が終わったら次は便所を――――って。そこのテメエ、なにしていやがる!」

 

 更に最悪なことにアパチャイのみならず、他のグスコーの部下達にも潜入が気付かれてしまったらしい。

 これはかなりのピンチだった。

 

 

 




 一気に達人になった後まで飛ぼうと思いましたが、折角なので「妙手」時代の話を挟みました。


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第18話  白昼夢

 前門の達人、後門のマフィア沢山。四面楚歌、完全に囲まれてしまっている。

 銃をもったマフィアだけならクシャトリアの力で十分に突破することもできるが、相手に一人マスタークラスがいるとなると簡単な任務は最難関任務に早変わりだ。

 

(やばいな。どうする……?)

 

 達人との戦闘経験が皆無なわけではない。

 力を制限したジュナザードや美雲との組手は何回もしているし、運悪くマスタークラスと遭遇してしまい戦った事もある。

 だが今回は流石に分が悪いという次元ではない。

 なにせ目の前にいるマスタークラスから発せられるプレッシャー。達人級でもかなりの上位の実力者だ。

 未だ妙手のクシャトリアでは逆立ちしたって勝てる相手ではない。

 

「勝てないのならば……ここは、逃げる!」

 

 三十六計逃げるにしかず。勝てない相手と無理に戦い玉砕するよりも、例え臆病者と罵られようと恥を忍んで撤退し命を繋ぐ。これもまた兵法。

 死ねばそこまでだが、生きていればまだ幾らでもチャンスはあるのだから。

 

「チッ。逃がすか餓鬼!」

 

 男達が機関銃をクシャトリアに照準する。

 ジュナザードならどうか分からないが、人間は決して弾丸より速く動くことは出来ない。しかし向けられた銃口から弾道を予想し、トリガーを引く指から発砲のタイミングを掴むことはできる。

 弾道とタイミングが分かるのなら回避するのは難しいことではない。

 発射された機関銃を突きを躱すように掻い潜ったクシャトリアは、三秒で五人のマフィアを昏倒させた。

 

「うおっ! この餓鬼、銃弾を避けやがったぞ!?」

 

「アパチャイ! テメエも棒立ちしてんじゃねえ! 侵入者をぶっ殺すんだよ!」

 

「アパ? 殺すのはよくないよ! 殺しちゃったら美味しいもの食べられなくなるよ」

 

「あぁ! グスコーさんの恩を忘れたのか!? 御託ぬかしてんじゃねえぞ!」

 

「………………」

 

 なんだか良く分からないがマフィアとあの達人――――アパチャイのコミュニケーションは上手くいってないらしい。

 敵の不和はこちらの好機。敵がぐだぐだとやっている間にクシャトリアは全力で通路を駆けていく。

 任務を放棄することになるが、自分の命には代えられない。それに気合や根性に作戦だけではどうしようもならない敵というのが、この世界には存在しているのだ。

 

「くそっ! だったら殺さなくて気絶でいい! 兎に角あいつを止めろ!」

 

「アパ。それなら分かったよ」

 

 敵の混乱も長くは続かない。最終的にマフィアが折れる形でアパチャイに戦うことを認めさせる。

 その後の動きは速かった。アパチャイはその巨体に似合わぬ超高速で、容易く先に走っていたクシャトリアを追い抜くと進路に立ち塞がった。

 

「くっ……!」

 

 達人の壁。ある意味では核シェルターよりも頑強なものに道を塞がれてしまった。

 巨大とはいえ通路は広い。アパチャイの左右には通り抜けられる隙間はある。しかしその隙間を通ることはライオンの牙をハンマーで殴りつけ、五体満足で戻ってくるよりも難しい。

 なによりも無造作に立っているようでいてアパチャイからは蟻の抜ける隙もありはしない。達人級は伊達ではないということか。

 

「アパパパパパ~」

 

「!」

 

 アパチャイが動く。

 足の運びから踏込、それにこの速度。避けるのは不可能だ。

 達人級の突き…………弾丸なんかより遥かに恐ろしいそれを受けるしかない。

 

(だ、だが!)

 

 どうして悪党の用心棒なんてしているかは知らないが、殺すことを拒否したことといい、それに邪気のない微笑みといいアパチャイは悪そうな人間には見えなかった。

 もしかしたら手加減をしてくれるかもしれない。そんな風に思ったクシャトリアは次の瞬間、自分の楽観の甘さを思い知る。

 

「イ~ヤバ~ドゥ!!」

 

「ぼべらっ!?」

 

 巨人のトンカチで殴りつけられたような衝撃。クシャトリアの体は足を床から離し、ボールのようにくるくると飛んでいった。

 壁に叩きつけられる直前、飛びそうになる意識をどうにか繋ぎ止めて受け身をとる。

 

「……はぁはぁ…………なんて、パワーだ」

 

 達人級でも上位の力量という評価が間違いでなかったことを悟る。

 クシャトリアも妙手ではかなりの実力者だ。相手が並みの達人ならこうまで一方的にやられることはなかった。

 それがアパチャイ相手では大人と子供。まったく歯が立たない。

 褐色の巨人。アパチャイがどしんどしんと、ゆっくりと近づいてきた。

 いきなり全力攻撃を喰らった時も殺意はなかったので、殺すことはないかもしれないが、気絶されマフィアに捕まってしまえば、アパチャイに殺されなくてもマフィアに殺される。

 かといってアパチャイを倒すことなど土台不可能だ。

 

「くそっ……」

 

 そんな時だった。果たして追い詰められたクシャトリアの走馬灯なのか、笹をもったウサギが目の端に止まる。

 

「あぁー! あそこで愉快なウサギとカエルがリンボーダンスを!」

 

「本当かよ!? どこよ、どこでリンボーしてるよ!」

 

(今だ)

 

 アパチャイがウサギとカエルのリンボーダンスを探しているうちに、クシャトリアは嘗てない速さで廊下を駆け抜けると、船の窓を蹴り壊して脱出した。

 潮水のしょっぱさも今のクシャトリアには聖水の泉にも等しい。

 呑気にしていたらアパチャイが追撃をかけてくる可能性もある。クシャトリアは一目散に沖へ泳いで撤退していった。

 

 

 

「酷い一日だった」

 

 海水で濡れた服を着替え仮面をとったクシャトリアは散歩しながら思案に耽る。

 マスタークラスの達人の存在。しかもあの強さは下手すれば達人の中の達人、一影九拳と同じ特A級だ。

 無理だと承知していながらシルクァッド・ジュナザードを殺すことを目的とするクシャトリアは、いずれ特A級の達人という頂きに立つつもりでいる。

 しかし未来のクシャトリアが特A級の達人になったとしても、現在のクシャトリアは所詮一介の妙手。一影九拳クラスの相手と一兆回戦っても一兆体の死体を量産するだけだ。

 

「これからどうするか」

 

 マスタークラスが相手にいるとなると、命を懸けなければ任務を成功させることはできない。かといってこんな取るに足らない任務に命を懸けるほど酔狂でもなかった。

 一度闇に敵にマスタークラスがいると報告してマスタークラスの援軍を頼むか、それとも仕事を変わって貰うのがベストだろう。

 闇の上層部はジュナザードほど酷くはない。正当な理由があれば援軍や交代くらい認めてくれるはずだ。

 

「あ」

 

 歩いているとクシャトリアの腹がグーと鳴った。

 

「取り敢えず腹ごしらえ腹ごしらえ」

 

 懐からリンゴを取り出して食べる。料理とか違いフルーツは生でそのまま食べられるのが良い。

 しかしどうせなら昨日のことで疲れていることだし座って食べたかった。

 リンゴを咀嚼しながら手頃な木陰を目指す。

 

「腹が減っては戦は出来ぬですわ。お弁当にしましょう」

 

 すると懐かしい国の言葉を聞いた。

 日本語、クシャトリアにとっては以前の祖国である日本の言葉である。この日本から遠く離れた、しかも観光地でもなんでもない場所で日本語を話す者がいるということに関心を覚えたクシャトリアは、小さな人影がとことこと歩いているのを見つける。

 人影の正体は金色の髪に青い瞳に整った顔立ちと、ハリウッドの子役でも通用しそうな容姿の少女だった。

 

(へえ)

 

 だがクシャトリアには一目でその少女がただの少女でないと分かった。

 少女が着ているのが胴着だということもあるが、その足運びに武術の臭いがある。

 

「どなたですの?」

 

 視線に気付いたのか少女が振り返る。

 無造作に見えて自然と未知の相手を警戒し、どんなことになっても対応できるような構え。幼いのによく仕込んである。

 

「悪い悪い。懐かしい国の言葉を聞いたもんでついね。お嬢さんは日本人?」

 

「そうですわ。そういう貴方は――――」

 

「俺はクシャトリア。ティダード王国……と言っても分からないか。インドネシアの方にある国から来た旅の武術家みたいなところだよ」

 

「まぁ! 貴方も武術をなさってるんですの。私は美羽、風林寺美羽ですわ。ここには御爺様の世直しの旅のお共にきましたの」

 

「風、林寺……だって?」

 

 武術界において『風林寺』という姓とくれば、思い当たるものは二つ。

 クシャトリアの師であるジュナザード、闇の武器組の長である世戯煌臥之助と並び最強の武術家だとされる我流の達人。無敵超人・風林寺隼人。

 

(そして)

 

 闇の無手組が最高幹部、一影九拳において長を務める闇の一影。

 一影の正体を知る者は闇でも少ない。だが師匠や美雲との縁もあって闇の中枢に比較的近い位置にいるクシャトリアは、一影の名前についても知っている。

 闇の一影、その人の名こそ風林寺砕牙。無敵超人・風林寺隼人の実の息子だ。

 

(というとこの子は――――)

 

 風林寺隼人の孫にして風林寺砕牙の娘。

 そして世直しにきている武術家というのは無敵超人・風林寺隼人。

 

「なんてこった」

 

 よもやこんなところで、世界の裏側に直接・間接的に大きく関わる重要人物と会うことになるとは。アパチャイのことといい、今日は厄日だ。

 クシャトリアは深いため息を吐いた。

 



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第19話  交換

「どうかなさいましたの?」

 

 少女、美羽はキョトンと不思議そうな顔でクシャトリアを見上げる。

 見た目こそ可愛らしい外見の少女だが、幼いながらによく刻み込まれている武術の跡といい、彼女が無敵超人の孫娘なのはほぼ確定だろう。

 

「いや、なんでもない。だが風林寺とくればなにかと武術家にとっては有名な名前だからね」

 

 風林寺隼人は自分の師匠たる拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードと並び立つ数少ない武術家だ。

 貨物船にいた用心棒のアパチャイもかなりの達人だったが、それ以上に無敵超人は敵対したくない相手である。

 だが彼の無敵超人とあろう者がアパチャイのように海賊(マフィア)の用心棒なんかする訳がない。

 

(上手く立ち回れば無敵超人に貸しを作る良い機会かも)

 

 闇の殺人拳とは対極に位置する活人拳の達人であり、闇とは敵に当たる人物でもあるが、武術の世界における頂点の一人に貸しを作る意義は大きい。

 無敵超人への貸しは少なく見積もっても金の延べ棒以上の価値がある。

 

「あ!」

 

 空腹を主張する腹の音が美羽のお腹から鳴る。

 奇妙な沈黙。クシャトリアは気まずげに頬を掻きながら、

 

「折角だし一緒に食べようか?」

 

「そ、そうですわね! 積もる話もある事ですし」

 

 お互いにあの腹の音は聞かなかった事にする。クシャトリアと美羽は手近にあった食事タイムには絶好の木陰に歩いていく。

 木陰につくと、木を背に座り込んだ。クシャトリアの昼食はリンゴ、そして美羽が取り出した弁当は二個のおむすびだった。

 

「やっぱりどこの国でもお弁当はこれですわね」

 

「やっぱりどこの国でも弁当はこれだな」

 

 美羽とクシャトリアはおむすびとリンゴを口に運ぼうとして、それに水を差す様に盛大な腹の音が響いてきた。

 流石にこの腹の音は聞かなかったことにはできない。腹の音がした所を見ると、そこには完全に木と一体化して気配まで溶け込んでいる褐色肌の大男が体育座りしていた。

 

(というかこいつ、どこからどう見ても昨日のアパチャイじゃないか。なんでこんな場所で体育座りなんかしているんだ)

 

 不幸中の幸いというべきか、アパチャイは自分が昨日の襲撃者であると気付いていない。こういう時はジュナザードから貰った仮面様々だ。

 アパチャイは腹の音を太鼓のように鳴らしながら、空腹に耐えるよう遠くを見つめている。余りの空腹が遂に涙まで流し始めた。

 

「…………」

 

 一瞬、美羽と顔を見合わせる。

 美羽は自分の二個あるおむすびに視線を落とし僅かに迷ってから躊躇いがちにおむすびを一個差し出した。

 

「良かったらお一ついかがですかですわ?」

 

 おむすびを差し出されたアパチャイはニッコリと嬉しそうに微笑むと、大きな手でおむすびを受け取った。

 大きなおむすびもアパチャイという大男の手に収まってしまっては非常に小さく見える。

 

「じゃあおむすびの変わりに、俺のリンゴをあげよう」

 

「大丈夫ですわ。私にはもう一個ありますし、それだとクシャトリアさんの分がなくなってしまいますわ」

 

「子供が遠慮するものじゃない。……といっても別に俺もまだ大人でもないけど。それに俺にはまだ葡萄がある」

 

 クシャトリアは懐から新たに葡萄を取り出す。これは昼食用ではなくおやつ用だったのだが、果物のストックはまだまだあるので問題はない。

 

「なら遠慮なく、ありがとうございますですわ」

 

「どういたしまして」

 

 枝から果実をとらずに、寧ろ枝ごと葡萄を一気に食べる。

 丁寧にお皿に切り分けていたのも遠い昔。ティダードでジュナザードと一緒に生活しているうちに、果物はそのまま食べるのが当たり前になってしまった。

 

「ん?」

 

 アパチャイがおむすびの一部を指に載せると、ピュルルルと口笛を吹く。

 なにをしているのか、と不思議に思ったが直ぐに答えは出た。アパチャイの口笛を聞いて、鳥や兎、リスに狸などの動物が集まっていく。

 

(すごっ)

 

 敵の達人が傍にいるということの警戒心すら忘れ、クシャトリアは目を見開く。

 集まって来た動物たちにおにぎりを分け与えるその姿は、武術の達人というよりも神話に出てくる精霊のようですらあった。

 ふと一羽の小鳥が口に咥えたさくらんぼをアパチャイに渡す。アパチャイはそのサクランボをクシャトリアに差し出した。

 

「アパチャイにおにぎりをくれた子にリンゴをあげたから、アパチャイはサクランボをあげるよ」

 

「ど、どうも」

 

 確かにこれで美羽がおにぎりをアパチャイにあげ、アパチャイはサクランボをクシャトリアにあげ、クシャトリアはリンゴを美羽にあげで丁度一周した。

 闇での任務中とは思えない程の安らいだ一時だったが、それも長くは続かなかった。

 クシャトリアは男が数人近付いてくる気配を察知する。恐らくはグスコーの手下だろう。クシャトリアは気配を消して、こちらに来る男達から見えないよう木の裏側に隠れた。

 

「やい、アパチャイ! なにしてやがる!」

 

「飯を食いたければサボるんじゃねえ」

 

 不躾な乱入者のせいで集まって来た動物たちも逃げてしまった。男達に連れられてアパチャイは貨物船に連れ戻される。

 奇妙なものだ。アパチャイの強さならばグスコーの一味など一人で壊滅できるだろうに、あんな下っ端如きにいいように使われるとは。

 男達がいなくなるとクシャトリアは木陰から姿を出す。

 

「なんであんな連中に使われているんだか」

 

「ええ。あの方、悪党の用心棒をするような悪い人には見えませんもの」

 

 理由は違えど、同じ疑問をクシャトリアと美羽は共有する。

 

「君は彼について何か知ってるのかい?」

 

「私も村の方に聞いただけですが、アパチャイ・ホパチャイ。裏ムエタイ界の死神と呼ばれた武術家だとか」

 

「裏ムエタイ界だって?」

 

 世界の裏側。スポーツマンシップに則った表のスポーツ武術とは異なる、より実践的で危険性の高い裏の格闘技。

 裏ボクシングや裏レスリングなど種類は様々で、裏ムエタイ界もそのうちの一つ。

 一影九拳の一人にして炎のエンブレムをもつムエタイ使い、拳帝肘皇アーガード・ジャム・サイが嘗て所属していたのも裏ムエタイ界だ。

 

(アーガード殿ならアパチャイ・ホパチャイについても知っているかも。だけど美雲さんと違ってアーガード殿の連絡先は知らないし)

 

 どちらにせよアパチャイほどの達人が、金目的なんてつまらない理由であんな三流マフィアにいい様に扱き使われているはずがない。

 達人級の用心棒なんて普通なら金の延べ棒一つで一回分の依頼が妥当なところなのだから。

 

「お嬢ちゃん。俺もこの辺で失礼するよ」

 

 兎も角、まずは情報収集だ。特にここに来ているであろう無敵超人のことを調べる必要がある。

 上手い具合に無敵超人とアパチャイが潰しあってくれれば任務を達成することもできるが、逆に下手をすれば無敵超人とアパチャイの両方を敵に回すことになりかねないのだから。

 



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第20話  翼と羽の共闘

 裏ムエタイ界の死神に無敵超人。

 二つの大きなイレギュラーの存在を知ったクシャトリアは任務を一時中断して昼の時間を使って情報収集に徹した。その結果クシャトリアは付近にある村から耳寄りな話を掴むことに成功する。

 曰く無敵超人の目的はグスコーの一味の壊滅。どうも子供達を攫われた村の者達が、自分達の全財産を報酬に無敵超人に子供達を取り返して貰うことを頼んだらしい。これは村人から直接聞きだしたことなので確かなことだ。

 

(敵にマスタークラスがいたことには絶望したが、これは災い転じて福となすチャンスだ)

 

 無敵超人・風林寺隼人の目的が子供たちの奪還及びグスコーの一味壊滅だというのなら、クシャトリアの目的とも利害が一致している。味方になることはあれ敵になることはないだろう。

 それに無敵超人の力をもってすれば、あの褐色肌の巨人――――アパチャイがどれほど強い達人であろうと敵ではない。自分の師匠ジュナザードは特A級の達人をも超えた最高位の達人であり、その師と互角の無敵超人の強さも最高位なのだから。

 情報を集め終え夜まで待ったクシャトリアは、無敵超人が海を走り貨物船に襲撃を掛けたところも確認した。

 後は無敵超人がアパチャイと戦っている騒動の中、目的の品を回収すれば任務完了である。

 とはいえ折角無敵超人がいるというのに、馬鹿正直に任務を達成するだけというのも芸がない。

 

「留守番かい。お嬢ちゃん」

 

 クシャトリアは沖から貨物船を眺めていた美羽に声をかけた。

 

「貴方はクシャトリアさん。こんなところで、どうなさったんですの?」

 

「これから仕事に行く所に君の姿が見えたもんでね。だが無敵超人と畏怖され武術家たちの頂点にあるような御仁が、よもや村の全財産なんてはした金で人助けとは。まったく大した御方だよ。どこぞの邪神様に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。飲んだところで変わる様な性根でもないが」

 

 遠いティダード王国でクシャトリアの師匠がくしゅん、とクシャミをした。

 

「御爺様の事をご存知なのですか?」

 

「俺も武術家の端くれ。武術家にとって頂点に君臨する一人の名前くらい知っているとも。それより君もあそこへ行くのか?」

 

 無敵超人が奇襲をかけたことで、嘗てない大騒ぎになっている貨物船を指差した。

 幾ら最強の武人の孫娘とはいえ美羽はまだ十歳にも満たぬ子供。銃を装備した海賊くずれの拠点に行くなど危険極まりないことである。

 しかし美羽はコクンと頷いた。

 

「アパチャイさんにどうしてももう一度会ってみたいですわ。だって悪い人には見えませんでしたもの。悪党の用心棒なんてしているのもきっと事情があるはず。

 出来ればアパチャイさんを説得して、掴まっている子供達を救出しますわ」

 

「勇敢なものだ」

 

 きっと祖父の世直しに連れられ、かなりの戦いを経験しているのだろう。幼いというのに技だけではなく、武術家としての心構えがしっかりしている。

 無敵超人は武人としてではなく指導者としても化物らしい。

 

「なら俺も同行しよう」

 

「宜しいんですの?」

 

「実は俺の仕事というのもグスコーの一味に関してでね。連中に奪われたさる名家の家宝を取り返しに来たんだ。その仕事のついでだよ。

 それに俺は達人というほどのものじゃないが、まだ弟子クラスの君よりは強い。足手纏いになることはないだろう」

 

「妙手の方だったんですの、クシャトリアさんは。それなら心強いですわ」

 

「決まりだな。それじゃあ早速行こう。あんまりモタモタしていたら全て君のお爺様に片付けられる」

 

 共闘することになったクシャトリアと美羽が向かったのは港にある船着き場。

 幾らなんでも無敵超人のように海を走って襲撃することは技量的に不可能であるし、泳いでの襲撃は時間がかかり過ぎる。

 港に駐留していたグスコーの部下達を手早く倒すと、彼等が乗ろうとしていたボートを奪取した。

 しかしここで些細な問題が発生する。

「いかん。奪い取ったはいいがボートの操縦なんてしたことがなかった……」

 

 これまでの闇から下される任務をこなすうちにパラシュートでのスカイダイビングに、タンクローリーの無免許運転は経験したが船の運転はやったことがなかった。

 だが捨てる神あれば拾う神あるとはいったもの。救いの手は直ぐ近くにあった。

 気絶された男を無理矢理叩き起こして、操縦をさせるかとクシャトリアが悩んでいると、美羽がボートのエンジンのところにしゃがみ込む。

 

「前に見た事があるタイプですわ。操縦はしたことはないですけど、エンジンを起動させるくらいなら」

 

「本当か?」

 

 美羽が手慣れた手つきでエンジンを起動させると、ボートがエンジン音を鳴らしながら海を滑り始めた。

 一度動いてしまえば方向転換は物理的な意味で手動で行えばいい。ボートはみるみるうちに貨物船に近付いて行った。

 

(まったく助けるつもりが助けられてたら洒落にならないな。この年でその強さ、末恐ろしいもんだ)

 

 妙手の殻を破り達人に至るには才能と無限に等しい努力の二つが必要不可欠だ。

 しかし彼女なら恐らくはその殻を破り達人に至ることができるだろう。もっとも武術家などいつどんなことで死ぬか分からぬ存在。

 達人になる前に死んでしまう可能性もゼロではないが。

 ボートが貨物船の下まで着く。ここまで近付くと船内の騒ぎがより大きく聞こえてきた。

 

「この高さじゃ幾らなんでも船上まで飛ぶのは難しそうですわね。クシャトリアさん、なにか梯子のようなものはありませんか?」

 

「必要ない。このくらいの高さならいける」

 

 クシャトリアは美羽を抱えると、一気に船上まで跳躍する。

 海面から船上までの高さは大体4~5m。達人ではなく妙手でもぎりぎりで飛べるくらいの高さだ。

 どうにか船上に着地すると、クシャトリアは美羽を降ろす。

 

「これで貸し借りはゼロだな」

 

「そんなことお気になさらないでいいですのに。それにしてもお爺様がたかが船一つを制圧するのに、ここまで時間をかけるなんて。やっぱりアパチャイさんがいるからでしょうか」

 

「無敵超人が奇襲をかけて十分。特A級なら制圧どころか船をミンチにしても御釣りがくるな。それがまだこうして原型を留めているということは、やはりその可能性が高いだろうね」

 

 それにもう一つハッキリする。

 無敵超人相手にここまで保たせることができるということは、アパチャイ・ホパチャイは特A級か、それに限りなく近い達人だ。

 やはり妙手の自分では勝てる相手ではなかった。最初の襲撃で撤退を選んだ自分の判断の正しさを悟る。

 

「クシャトリアさん。子供達がどこに囚われられているかはご存知ですの?」

 

「残念ながら。俺が知っているのは倉庫の場所だけだ。ああ、こんなことなら最初に潜入した時に粗方聞きだしておけば良かった」

 

 こうなれば虱潰しに探すしかない。

 クシャトリアと美羽は出来るだけ騒動の中心――――無敵超人とアパチャイが激闘を繰り広げているであろう場所を避け、船の廊下を走っていく。

 

「おい、餓鬼が二人逃げているぞ!」

 

「捕まえろ!」

 

 子供の捕えられている場所を探し通路を左に曲がったところで、二人の見張りと出くわす。美羽は「しまった」と言ったが、クシャトリアは逆に口端を釣り上げた。子供の見張りならば子供の囚われている場所を知っているだろう。

 男達が銃口をクシャトリアと美羽へ向ける。男達は銃を向ければ二人が両手をあげて降参するだろうと高を括っていたのだろう。そこに敵意はあっても殺意はなかった。

 それが二人の男の敗因にもなる。男達が銃口を照準するよりも早く、クシャトリアの蹴りが銃を蹴りあげて手から弾き飛ばした。

 

「て、テメエ!」

 

「させませんわ!」

 

 ナイフを取り出そうとした男の股間に、美羽の容赦ないアッパーが炸裂した。

 達人から素人に至るまで金的は男の急所。モロに金的をやられた男は悶絶し倒れた。

 情報を聞き出すのは一人いれば事足りる。もう片方の男には右膝蹴りを喰らわせ気絶させる。

 クシャトリアはニコニコと微笑みながら金的をやられた男に歩み寄った。

 

「さーて」

 

「な、なんだよ。お前なんぞに何も教えねえからな……」

 

「あ、そう。なら愉しい愉しい拷問タイムの始まりだ。両手両足の爪を剥がしてからペンキを塗りたくるネイルアートの刑と、歯を全部抜き取るお年寄りの気持ち体感コース、玉と竿を潰す手動性転換手術……どれが良い?」

 

「ひぃぃぃぃいい! そ、それだけはぁ! なんでも話すからそれだけはやめてくれぇ!」

 

「だったら捕まえた子供はどこにいるかキリキリと吐いて貰おうか」

 

「そこまでだ!」

 

 折角後少しで情報が聞き出せるというところで不躾な邪魔者が入る。

 声のした方向を見れば、そこには捕まえた子供達に銃口をつきつける男たちがいた。

 

「貨物室で暴れていやがる魔神の仲間か? 餓鬼の癖しておっかねえ奴等だぜ」

 

「だがグスコーさんを甘く見たな。子供の見張りは完璧だぜ。大人しくしろよ……テメエ等が変な真似をすりゃこいつらの一人の頭がパーンだ」

 

「不覚を取りましたわ……」

 

 下卑げた笑みを浮かべる男達を睨みながら美羽は歯を食いしばる。

 

「人質に拉致か」

 

 ポツリとクシャトリアは脅える子供を見つめながら呟く。

 抗う事の出来ない力によって住んでいた場所から拉致されて、暴力によって支配される子供。その姿が嘗ての自分とダブってしまうのは偶然ではないだろう。

 あれはジュナザードに連れ去られた当時のクシャトリアそのものだ。しかし彼等とクシャトリアに違いがあるとすれば、

 

「残念だが――――」

 

 動の気の解放。感情のリミッターを外して爆発的な強さを得たクシャトリアは、男達が対応できないようの速さで背後に回り込むと、人質をとっていた男達を一瞬で気絶させた。

 

「俺は人質如きで拳を鈍らせるほど甘くはない」

 

 殺しはしない。クシャトリアはこちらに殺意をもたない相手と、妙手未満の相手は殺さない主義だ。

 男達を気絶させたクシャトリアは動の気を引込めると、今度は静の気を纏う。

 周囲の気配を探ったところ近くにもう敵はいない。きっと他の兵隊は無敵超人の戦っている場所へ行ったのだろう。

 

「助かりましたわ、クシャトリアさん」

 

「ふっ。これで貸し一つだ。というわけで君達がグスコーに捕まった子供達でいいんだね。君達はもう自由だ」

 

 手刀で子供たちの拘束を解き、クシャトリアはいつだったか自分が言って欲しかった言葉を言った。

 



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第21話  別々の帰路

 グスコーに捕まっていた子供達は解放した。子供達にこれで全員かと確認したところ、首を縦に振って頷いたので間違いはない。

 これで子供の命を人質にされる恐れもなくなった。後はボスであるグスコーさえ抑えてしまえば、船の制圧は完了である。

 クシャトリアと美羽は救出した子供たちと一緒に騒ぎの中心、無敵超人が戦っている貨物室へと向かう。

 

「うわぁ!」

 

「しっかりして下さいまし! 絶対に大丈夫ですから」

 

 船の揺れで転びそうになった子供を美羽が支える。

 クシャトリアや美羽は武術の修行で体の重心は安定しているため、この程度の揺れでは転ぶことなどないが、普通の一般人には少しきついだろう。

 かといって人数が人数だ。五人くらいならクシャトリア一人でおぶることもできるが、子供全員をおぶるのには無理がある。厳しかろうとなんだろうと自分の足で歩いて貰う他ない。

 

「暴れすぎだ無敵超人に死神……! この船、この分だとそろそろ沈没する……!」

 

「ですわね」

 

「くそっ。リアルタイタニックなんて俺は御免だぞ。。よりにもよってこんな錆びた船で。どうせ船諸共海に沈むんなら一兆円の豪華客船じゃないと御免だ」

 

「そういう問題ですの?」

 

「沈むくらいなら、の話だよ。自分が明日死ぬのに老後の貯金をする馬鹿はいないだろう。死ぬのなんて地球が爆発しても絶対御免だが、死ぬんならせめて盛大にいきたい」

 

「成程。私も明日死ぬのならば可愛いにゃんこを思う存分に愛でてから死にたいですわ。あ、あと暗刻屋(あんこや)のデラックス餡蜜も食べておきたいですわね!」

 

「酒池肉林……いや、フルーツジュースの池に果物の林に……あと全世界の美女ハーレムに溺れるというのも捨て難い。地獄を見た分、死ぬほどの贅沢をしなければ割に合わないからな……」

 

「は、破廉恥ですわ! 人生最後に不健全なことをしては晩節を汚しますわよ。馬さんのように取り返しのつかない方もいますが。

 そんなことにお金を使うのではなく、クシャトリアさんも最後にニャンコの楽園を作ってニャンコの可愛いらしさを――――」

 

「猫? ああ、美味しいよね」

 

「ニャンコは食用じゃありませんわ!」

 

「二人とも呑気に話してないで急いでくださいよぉ!」

 

 子供の一人が悲痛な叫びをあげて、クシャトリアと美羽は我に返った。ついつい話がヒートアップして、立ち止まって口論していたらしい。

 沈没しそうな船で緊張感のない会話をしたクシャトリアと美羽はコホンと気を取り直す様に咳払いしてから、改めて貨物室に走る。

 

「そうだな……急がないと」

 

 貨物室へ行く理由が増えた。

 外敵を警戒して港から離し沖に停泊させたことといい、混乱の最中でも子供の見張りを欠かさなかったことといい、グスコーという男はかなり慎重な性格をしている。

 そのグスコーなら船の沈没という船乗りにとって最悪の凶事を想定し、脱出の術くらいは用意しているだろう。

 万が一グスコーに脱出の手段がなかったとしても、無敵超人ならば沈没する船から子供を抱え逃げるくらいはどうということはない。

 足手纏いの子供がいなければ、クシャトリアは自分一人でどのようにも出来るのだから。

 貨物船へ近づく度に戦いの騒音は大きくなってくる。しかしそれだけではなく拳の交わる音に混じって無数の銃声も響いてきた。

 意識を研ぎ澄ませ気配を探ると、ぶつかり合う巨大な気が二つと無数の小さな気を感じ取ることができた。

 大きな二つの気が無敵超人とアパチャイ。その周りを囲む無数の小さな気がグスコーとその部下達のものだろう。

 幾らクシャトリアでも透視までは出来ないが、気配の揺らぎから大体なにが起こっているっかの予想はできる。

 

「――――銃弾飛び交う中、銃弾を気にもせず戦うとは流石は達人級」

 

 ある一定のレベルの武術家であれば銃弾を避けるのはそう難しいことではない。クシャトリアも弟子クラスだった時点で弾道と発射タイミングを予想し回避する技術を身に着けていた。

 しかし強力な敵と戦いながら、無数の銃弾を回避し続けるとなると難易度は格段に増す。

 少なくとも今のクシャトリアには出来ない。だがいずれは最低でもあの領域に立たなければならないのだ。シルクァッド・ジュナザードを殺すために。

 ドアを蹴り破り貨物船に侵入する。

 

「へへっ。遅かったな餓鬼共は連れて……………って、テメエ! なにしてやがる!」

 

「子供ならしっかり連れてきたとも。ただし人質としてじゃなく脱出のために、だが」

 

 モジャモジャの髪に髭、顔写真で見たグスコーの顔だ。

 グスコーは子供達を人質に無敵超人の動きを抑えるつもりでいたのだろう。頼みの綱であった人質が解放されているのを見て露骨に狼狽えた。

 

「どうやら貴様も年貢の納め時のようじゃのう」

 

「あ! おにぎりの子とリンゴの子よ!」

 

 貨物船で褐色肌の男と対峙している老人。いや年は確実に八十歳以上だと思えるのに、その全身を覆い尽くす闘気が老人という弱々しいイメージを吹き飛ばしていた。

 2mほどの巨体をもち、両手両足には鋼鉄の手甲と足甲背中。美羽と同じ金色の髪を戦いの邪魔にならぬよう後ろで結った出で立ちは老人というよりは老将という表現が正しい。地獄の閻魔ですらこの男を前にしては跪くしかあるまい。

 彼こそが無敵超人・風林寺隼人。クシャトリアの師、シルクァッド・ジュナザードと並びうる最高位の達人が一人。

 無敵超人はグスコーを睨みながら、もう片方の目はクシャトリアに向いている。

 その目に殺意はなかったが、クシャトリアは自分の心が見透かされているような錯覚を覚えた。

 ジュナザードや美雲に心を読まれながら必死で身に着けた閉心術で、クシャトリアは己の心を覆い隠す。

 暫し無敵超人は片目でクシャトリアを注視していたが、やがて両目を完全にグスコーへ向け直した。

 

「く、くそっ! この妖怪爺めぇ。だが侮ったな。この距離なら人質としては十分だぜ。おい爺、餓鬼を殺されたくなけりゃ……あれ? 俺の拳銃がねえ」

 

「お探しのものはこれかな?」

 

「!」

 

 クシャトリアはグスコーが狼狽しているうちに掏り取った拳銃を指でつまんでぶら下げる。

 今度こそグスコーの顔が蒼白になった。

 

「う、おおおおおおお! もう自棄だ! おい、アパチャイ! 船をぶっ壊してもいいから、こいつら全員やっちまえ!」

 

「グスコーさん、それよりその子供達はなによ」

 

「じゃっかしいんだよ! テメエが腹を空かせて死にかけている時に飯を恵んでやった恩を忘れたんじゃねえだろうな! テメエは俺様の命令通りに動いていりゃいいんだよ!」

 

「アパチャイさん! この人達は悪い人たちですわ! 子供達を攫って売り捌こうとしてましたの!」

 

「て、テメエ!」

 

 美羽に己の悪行を暴露されたグスコーは怒りに顔を真っ赤にした。

 子供を売りさばこうとしている、そう聞いた途端にアパチャイの表情が変わる。アパチャイは純粋な怒りをこれまで守っていたグスコーに向けていた。

 

「ゲームセットだな、グスコーさん」

 

「や、やかましい!」

 

 クシャトリアがそう言うと、激昂したグスコーがヤケクソになって掴みかかってくる。

 だがグスコーがクシャトリアに触れるよりも早く、グスコーの体が宙に浮いた。

 

「あれ? 走っても進まない? な、なななななななななんで俺、宙に浮いてるのぉ!?」

 

「それはわしがお主の頭を持ち上げておるからじゃよ」

 

「ひぃぃぃいいいいいいいいいい!」

 

「だから言ったじゃないか。ゲームセットだって」

 

 無敵超人に頭を持ち上げられたグスコーは、子供のようにもがき暴れまわるが、そんなことで無敵超人の手から逃れられるわけがない。

 グスコーは部下達に助けを求めようとするが、部下達は部下達でアパチャイ一人にのされていた。

 

「では、いよいよお主には消えて貰うかの。根まで腐った男じゃ、残りの人生全て費やしても真人間には戻れまい……」

 

「え!?」

 

「駄目だよ! 死んだら生きられないよ!」

 

 グスコーを殺す旨の発言をした無敵超人をアパチャイが止める。

 

「良く分からんが優しいのう、お主」

 

 アパチャイの嘆願を受けてか無敵超人がその手を放した。

 解放されたグスコーは地面に着地するや否やキッと睨むと、懐からナイフを取り出して襲い掛かる。

 

「ふ、はははははは! この距離なら避けされまい!」

 

 それでもはやグスコーの運命は決まったも同じだ。

 例え密着していようとたかがマフィアが奪えるほど無敵超人の命は安くはない。

 

「忘心波衝撃!」

 

 グスコーの頭を無敵超人の手が左右から叩く。

 無敵超人百八秘技が一つ、忘心波衝撃。グスコーの頭部に繰り出された衝撃波はグスコーの命ではなく、その脳回路に侵入し記憶そのものを消し飛ばした。

 

「話には聞いていたが、使えるのか」

 

 嘗て無敵超人・風林寺隼人が拳魔邪神ジュナザードより伝授された彼の秘術。記憶を消すという冗談のような技だ。心を支配することに関しては右に出る者のいないジュナザードの秘術だけあってその力は確か。もうグスコーは何の記憶ももたない真っ新な状態に戻された。

 命を奪うのではなく罪に汚れた人生を奪う。これが活人拳的な天誅というものか。

 

「ぐ、グスコーさんが死んだ!」

 

「一味もこれまでだ! 逃げるぞ、船が沈む!」

 

 ボスが死ぬと部下達は一目散に逃げ出していく。

 

「浮きそうなものに子供をつめるのじゃ」

 

「アパ! 気絶している人も皆よ!」

 

 しかし船の沈没にも慣れている達人とクシャトリアに美羽は慌てず木箱や樽を貨物室から探した。

 揺れていた船がとうとう致命的な一線を超えて沈んでいく。そして、

 

 

 

 依頼をやり遂げグスコーの一味を壊滅させ、子供達を取り戻した美羽と祖父である隼人は村へ戻ると村人たちからの熱烈な歓迎を受けた。

 親子の再会に美羽は目頭を熱くし、隼人も「親子の再会はいつ見ても良いものじゃ」と目を細め言う。

 とはいえ二人は世直しの旅をする身。やることをやり終えたらまた流れなければならない。

 

「このたびは誠に……ありがとうございますっ! 本当にありがとうございますっ!」

 

「そう畏まらんで良い。アパチャイ君」

 

「アパ」

 

 村人のお礼をニコニコと受け取ると、隼人は背後に立っていたアパチャイに声をかける。

 アパチャイは分かったと頷くと、子供が三人は入りそうな大きさの箱を持ってきて置いた。

 

「キャ、す、凄い……」

 

 村人たちが驚き口元を覆い隠すが、それも無理もないことだろう。

 木箱に入っていたのは目がくらむような金銀財宝。グスコーが貨物船に溜めこみ、船と一緒に海に沈んだ財宝だったのだから。

 

「アパチャイと三日かけてさるべーじしたんじゃ。同じものが港に20箱隠してある。武器もじゃ。その金で傭兵を雇って、もう二度と襲われないようにしなさい」

 

「なにからなにまでありがたい!」

 

 隼人は信用できる知り合いの傭兵の連絡先を教えると、

 

「では報酬を頂こうかのう」

 

 村人たちが村中から集めた全財産。今回の世直しの報酬を掴んだ。

 それを見てギョッとしたのは村人たちである。村の全財産など高が知れている。そんなものに手を出さずとも、グスコーの財宝を持てるだけ持っていった方が遥かに金になるだろう。

 だが村人がそれを尋ねると、無敵超人と謳われた武術家はあっさり答えた。

 

「いや……皆の思いの詰まったこの金こそ、その財宝の千倍の価値がある!」

 

 風林寺隼人は孫娘の手を引いて村を後にする。

 手を振って別れを惜しむ村人たちの姿が完全に見えなくなってから、美羽が口を開いた。

 

「お爺様」

 

「なんじゃ?」

 

「クシャトリアさんはどうなさったんですの? 助けて頂いたお礼を言いたかったですのに、船が沈んでから姿を見ていませんの」

 

「彼ならば連中に奪われた〝ぺんだんと〟を取り返したら一足先に帰ったよ。もしも次に会う時があれば、お礼はその時に言いなさい」

 

「はいですわ」

 

 美羽はそれで納得して歩き出す。だが隼人は孫娘には決して悟られないよう、遥かな過去に思いを馳せた。

 なんとなく美羽は頭上を見上げる。そこには日が落ちて黒く染まった闇が広がっていた。

 

 

 

 

「お疲れ様です、クシャトリアさん」

 

「ああ。お疲れだ」

 

 二日前降りたのと同じ場所で、クシャトリアは黒い車に乗り込む。場所が同じなら自動車も運転手も二日前とまるで同じだ。

 違うのは時間くらいだろう。二日前は昼だったが、今は夜だ。

 

「これ。依頼にあったペンダント」

 

 クシャトリアは無敵超人とアパチャイがサルベージした財宝から探し当てたペンダントを黒服に渡す。

 黒服はペンダントを舐め回す様に見つめ、写真と見比べると「確かに」と頷いた。

 紆余曲折あったがこれで任務完了。胸を張って〝闇〟に戻ることができる。

 果たして胸を張って帰れる場所なのかどうかは自信がないが。

 

「貴方ともあろう御方が随分とお疲れですね。たかがマフィアからペンダント一つ盗んでくる、貴方からすれば難易度の低い仕事だったじゃあないですか」

 

「イレギュラーが一つあるだけで簡単な任務が極悪な任務に早変わりすることもある」

 

 例えば敵に特A級の達人の用心棒がいたり、無敵超人が第三勢力で存在したりという。

 事前にイレギュラーを知っていればこの任務は破棄されるか、実力に覚えのある達人級預かりとなっていただろう。本来なら妙手のクシャトリアがやるようなことではない。

 よくもこうして五体満足でいるものだとクシャトリアは自分で感心する。

 

「アパチャイ・ホパチャイに風林寺隼人、か」

 

『お主はわしの古い知り合いと瓜二つじゃ。さしずめお主は彼奴の弟子かのう?』

 

 一目で自分をシルクァッド・ジュナザードの弟子だと看破したその眼力は流石と言う他ない。

 いやそうでもないか。日々の肉体改造のせいかクシャトリアの容姿は師匠の素顔と見間違うほど近いものとなっている。

 ジュナザードの素顔を知る者なら、そこに関係性があると見抜くのは難しいことではない。

 

「まぁ。もう二度と会わないことを祈っておくか」

 

 無敵超人・風林寺隼人が長老を務める梁山泊はスポーツ化した現代武術に馴染めない豪傑たちの集う場所。

 殺人拳こそ真の武術と掲げる闇とは対極に位置する活人拳を掲げる場所だ。

 闇と梁山泊は暗黙の了解で不可侵が定められており、今のところは冷戦中といったところである。

 だからクシャトリアと彼等が再会するということは、闇と梁山泊が全面戦争に踏み込もうとしているということに他ならないのだ。

 



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第22話  一影九拳

 武術、それもスポーツ武術が主流の表社会の武術とは違う裏世界の武術界には大きく分けて二つの思想がある。

 一つが活人道。武術とは強者から身を守る為に弱者が生み出した技術であり、己を守り他者を守り人を活かす道こそが真髄とする思想。

 もう一つが殺人道。武術とは如何に相手を効率よく破壊するかであり、非情の拳、人を殺める殺法こそが真の武術とする思想だ。

 活人道と殺人道。表社会では無論その殆どが活人拳であるが、裏社会に君臨する武術家たちはその多くが殺人拳寄りの者達である。

 そして殺人道を掲げる秘密結社こそが闇。真の武人の集う場所という看板に違わず、闇に所属する達人級の数は世界一といっていいだろう。

 とはいえ一口に達人といってもその強さは千差万別だ。無手での武術家と武器を使う武術家で無手組と武器組に分けられもするし、高位の達人であれば下位の達人が束になっても叶わないし、達人という枠において雑魚と呼ばれる者もいる。

 だがどれほど下位の者でも達人は達人。努力の果てに万人が到達しうる妙手とは違い、才能ある者が無限の努力の果てに辿り着ける頂きである。

 そんな達人たちが集う組織だからこそ、その序列は徹底した実力主義。特に無手組はその傾向が強い。

 故に無手組を統括する最高幹部たる一影九拳は全員がその武術において最強と称される使い手ばかりだ。

 そして現在。某国にある古の城塞を改装した拠点に、無手組最高幹部たる一影九拳が集結していた。

 しかし全員が全員直接集結しているわけではない。中にはネット回線を使いモニターでの参加をしている者も多い。

 

「こうして一影九拳が顔を会わせるのは何年ぶりのことだったかのう。しかし変わりないようでなによりじゃ」

 

 一影九拳が一人。水のエンブレムを担う柔術家。妖拳の女宿・櫛灘美雲は上品に口元を抑え笑う。

 美雲から発せられた言葉に、モニターの向こう側にいる褐色肌の男が苦笑した。

 

『変わりないって、そりゃアンタだけは言っちゃいけないだろう。何十年その顔のまんまなんだ?』

 

「お前も拳魔邪神と同じかえ。女の年齢を詮索するなど〝まな~違反〟じゃぞ、裏ムエタイ界の魔帝。それとも拳帝肘皇と呼んだ方がいいか?」

 

『フ。そうだな、失敬失敬。弟子に礼儀作法を注意する俺がこの調子じゃいかんな。先程の質問は忘れてくれ』

 

 あのアパチャイ・ホパチャイの兄弟子にして最強のムエタイ家と謳われる武人。

 拳帝肘皇アーガード・ジャム・サイが謝意を示す。とはいえ陽気な顔をしながらも、その瞳は冷血そのもの。或いはエンブレムの炎と同じく警戒の炎が揺れている。

 完全なる実力主義の弊害といっていいだろう。武器組最高幹部の八煌断罪刃はある程度の仲間意識があるが、一影九拳に関しては九拳同士での争いを禁じる不可侵条約があるくらいで仲間意識は限りなく薄い。

 

「それにしても拳豪鬼神殿は未だ放浪から戻らず、ディエゴ殿も偶々外せない任務中で出席できないとは。一影九拳が全員集結するのはいつになることやら」

 

 座禅を組んだまま髭を生やした仏のような雰囲気をもつ男性が言う。

 この場で九拳たちと対等に話す彼も当然一影九拳の一人。セロ・ラフマン、拳を秘めたブラフマンの異名をもつカラリパヤットの達人だ。

 

「魯慈正。主の友人の馬槍月はまだ行方知らずなのか?」

 

『我が友は渡り鳥のような男。一影九拳の席であろうと、彼を縛り付けることは叶うまい』

 

 月のエンブレムをもつ九拳として、モニターを使い集いに参加している魯慈正は本来の一影九拳ではない。

 真の月のエンブレムをもつ武人は梁山泊の豪傑が一人たる馬剣星の実兄にして弟と共に中華最強の達人と称される男、拳豪鬼神・馬槍月。

 魯慈正は放浪癖のある馬槍月のかわりに、その席を預かっているのだ。

 代理であり、さる戦いで視力を失ったとはいえその実力は未だ真の達人。一影九拳と同等の権威をもっている。

 

「カッカッカッ。そういえば人越拳神、お主のところの弟子は元気にしているかいのう」

 

 恐らく一影九拳でも最強クラスの実力をもつ武術家、拳魔邪神ジュナザードが沈黙を貫くサングラスの男に話しかける。

 

「いや、今頃は俺の言いつけた修行をこなしている頃だ。元気でいられては困る」

 

「面白味のない答えじゃのう。あの小僧は中々に素養が良い。なんなら我の弟子と交換でもするかいのう」

 

「………………」

 

 人越拳神・本郷晶。最強の空手家の一角を担う男のプレッシャーが露骨に増した。

 本郷晶は一影九拳でも比較的に情が深い男だ。特に弟子のことは厳しくも愛情をもって接している。その彼からすれば弟子を道具か物扱いするジュナザードは気に入らない相手の一人だ。

 

『争いはやめたまえ。同じ志をもつ者同士が争ってなんになる』

 

 モニターの奥でキャンパスに絵を描いている金髪の美丈夫が拳魔邪神と人越拳神を嗜めた。

 アレクサンドル・ガイダル、ロシア最強のコマンドサンボ使いにして芸術家。一影九拳では比較的仲間意識の強い部類に入るが、殲滅の拳士と畏怖されるのは伊達ではなく、嘗て癇癪から一個中隊を皆殺しにしたことで軍を追われた経緯をもつ。

 

「――――静まれ」

 

 闇の無手組がトップにして一影九拳の長。一影の言葉が発せられると、これまで好き勝手に話していた九拳たちが口を閉ざす。

 無敵超人・風林寺隼人やその孫娘と同じ金色の髪。闇の武術家らしからぬ背広姿に両手に手甲を装備した出で立ちは、無敵超人を知るものにはその影が垣間見えるだろう。

 彼こそが無敵超人の実の息子にして闇の一影、風林寺砕牙

 自分本位な者が多い九拳たちを黙らされた事実が、一影の権威を現している。

 

「今日こうして我等が集まったのは定例の報告会議の一貫であるが、もう一つ、拳魔邪神より自身の弟子の育成を完遂したという報告がありその披露目のためでもある」

 

 九拳たちの視線がジュナザードへ向けられるが、当人はそんな視線など知らぬとばかりに洋梨を頬張っていた。

 しゃりしゃり、という果物を咀嚼する音が暫し響く。

 

「ジュナザード殿の弟子というとYOMIのジェイハン……は、若すぎますな。となると彼の方ですか?」

 

 比較的ジュナザードと近しいセロ・ラフマンが問うと、ジュナザードは洋梨を呑み込んでから首肯する。

 

「我には及ばぬがのう。お主等、我以外の九拳と互角程度には仕上げておいたわいのう」

 

 自分には届かないが、他の九拳とは互角。自分を九拳で最強と称して憚らない傲慢さに九拳たちが眉を顰める。

 

『だから同志たちで争いの種を持ち込むのはやめたまえ』

 

 最初に声を発したのはアレクサンドル・ガイダル。温和な口調だがある程度付き合いの長い九拳たちには、これが激昂する一歩前だと直ぐに分かった。

 

「武人であれば強さを証明するのは言葉ではなく……戦いによってだ」

 

 直接の参加ではないため癇癪を起してもここの被害は出ないだろうが、ここで彼にキレられると話がややこしくなる。

 それを察した一影が仲裁に入った。

 

「入れ」

 

 一影がそう言うと、右目に眼帯をつけた初老の使用人が扉を開く。そしてその開いたドアからティダードの民族衣装に身を包んだ男が入ってくる。

 身長は大体180cm。だが顔は仮面に隠されていて分からなかった。

 その人物を見た美雲の口端が面白そうに吊り上がる。

 一影の前に来ると仮面の男は、顔を覆う仮面を外す。中から出てきたのは色素の失せた真っ白な髪と血のように赤い目をした褐色肌の男。

 見る者が見れば「若い頃のジュナザードと瓜二つ」。ジュナザードの素顔を知る者が見れば「ジュナザードと瓜二つ」と言っただろう。

 

「拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードが弟子、サヤップ・クシャトリア参りました」

 

「ご苦労。足を運んでもらい早速で悪いが、君にはこれから組手をやって貰う」

 

 闇における組手は世間一般における組手とは多少違う。

 普通の組手なら加減を守り寸止めをするものだが、殺人拳を掲げる闇の組手はより実践的な緊張感をもたせるためそういうようなものは行われない。

 なので必然、組手中の事故での死亡者は活人拳の組手よりも多くなる。

 

「拳聖」

 

「はい」

 

 拳聖と、一影に呼ばれた男はどこか嬉しそうな顔で前へ出た。

 白いフードを羽織るその出で立ちは現代人というよりも戦国時代の豪傑を思わせる。

 彼こそ最も新参者の一影九拳にして流のエンブレムを担う緒方流古武術の達人、名を緒方一神斎。

 恐らく一影九拳で最年少であろう緒方だが、その実力は決して他の九拳に劣るものではなく、闇の最高幹部の席に座るに相応しいだけの実力を有している。

 ジュナザードの弟子であり、いずれはジュナザードから『王』のエンブレムを継承する可能性の高い九拳候補と最年少の一影九拳。

 他の九拳も認める味な対戦カードだった。

 

「〝拳聖〟緒方一神斎殿。若輩ながら一手お相手仕ります」

 

「はははははは。そう畏まらないでくれ。〝闇〟にいた時間ならそちらの方が上だし、武術的にも私と君にはそう差はないだろう。

 周りが私より年季も実績もある御方等ばかりで私も少しばかり息が詰まっていたところだ。年も近いんだからもっとフランクにいこう。まぁ短い付き合いになるか長い付き合いになるかは天のみぞ知ることだがね」

 

「…………ならば、一手相手願う」

 

 達人の拳はそれそのものが拳銃やナイフより遥かに恐ろしい凶器。

 同格の達人同士による組手であれば、組手が終わった時、どちらか一方の心臓の鼓動が止まっている可能性もゼロではないのだ。

 

「カハァアアアア……」

 

「コォォォ―――――」

 

 緒方は周囲にあるものを震わせるほどの動の気、クシャトリアは周囲の気を吸い込む静の気。

 動と静、相反する二つの気が練られまだ始まってもいないのに互いを牽制しあう。

 

「始め」

 

 一影の合図が響くと緒方とクシャトリアが同時に動いた。

 先制するは動の気を爆発させた緒方。岩を容易く砕く剛拳は隕石そのもの。されどその隕石はクシャトリアの制空圏に侵入した瞬間に撃墜された。

 手を叩き落としたクシャトリアは、逆襲とばかりに流星の如き突きを放つ。

 

「セェ、ヤァアアアアアアアッッ!」

 

 されど動の気を極めた豪傑に生半可な攻撃は通じない。全身を回転させその円運動で突きを回避すると、緒方は猛獣のように飛びかかり首の関節を破壊しにいった。

 組手とは思えぬ殺意がありありとこもった組み技(サブミッション)

 だがクシャトリアもジュナザードの弟子となって寝ていたわけではない。組み技など幾らでもかけられ、その度に生き抜いてきた。今度も同じ。

 

「ゴッ、ァアアアアアッ」

 

 クシャトリアの纏うオーラが百八十度変わる。内側に凝縮されていた気が、今度は逆に外側に爆発していった。

 

『ほう、驚いた。あれは私やディエゴ殿と同じ動の気だ』

 

「静の気と動の気、その両方を極めさせるとはジュナザード殿も無茶をなさる。よくもこれまで生きていたものだ」

 

 アレクサンドルとセロ・ラフマンが関心と呆れが半々に呟く。

 

「はぁぁぁッ!」

 

 動の気を発動させたクシャトリアは、その剛力をもって緒方の組み技を振り解く。

 予想外の行動で必殺を抜け出された緒方は怒るどころか興奮したように笑い、より必殺の構えをとった。緒方の気の脈動をクシャトリアも感じ取り、自身も必殺の構えをとる。

 

「緒方流……」

 

「無敵のジュルス……」

 

「「数え抜き手!!」」

 

 踏込は同時。一方は伝授され、もう一方は盗み。

 源流は同じでありながら自身の流派で独自発展させた同一の必殺がぶつかり合う。

 

「「四、三、二!」」

 

 数え抜き手、通常の抜き手を四と見立て、一つ一つの抜き手に異なる気の練りを加えることで、最後の一発で確実に相手の防御を突き崩すことにある。

 三手までは互いに相殺。そして最後の四発目の抜き手が放たれる。

 

「「一ィィィィッ!」」

 

 絶対に防御を貫く最強の矛同士の激突は、どちらの防御も貫くという結果に終わった。

 クシャトリアと緒方は互いに吹き飛んで壁に激突する。これが殺し合いであれば、ここから更に凄惨な戦いが繰り広げられるだろうがこれはあくまでも組手だ。

 

「そこまで!」

 

 故に一影により終わりが告げられた。

 組手が終わったことで緒方もクシャトリアも闘気を雲散させていく。戦いが終わればノーサイド。恨みっこなし。これは組手においても同様だ。

 殺人拳の武術家であれ武術家は武術家。その程度のことは弁えている。

 

「どう見る?」

 

「先に当たったのはクシャトリアの抜き手じゃったな。だが」

 

「威力は緒方殿が上だったかと」

 

 一影の問いかけに美雲とセロ・ラフマンが其々答える。

 

「ならば引き分けということにしておこう。拳聖、ご苦労だった」

 

「いえ。私も得るものがありましたよ。クシャトリア、後で静の気と動の気の運用について是非とも君の意見を聞かせて欲しいものだ」

 

「時間があれば」

 

「ふっ。期待しているよ」

 

 緒方はさっきまで悪鬼の如く戦った男と同一人物とは思えぬ柔和な笑みを浮かべると、自分の椅子へと戻っていく。

 

「君もご苦労だった、サヤップ・クシャトリア。そして拳魔邪神、九拳と同格の弟子を育て上げた功績は大きい。よって以前、闇の達人たちと私闘を行い十人を殺めたことについては、此度の功とで相殺としよう」

 

「いっそ弟子に九拳の席を譲ってお主は隠居でもしたらどうじゃ?」

 

 美雲が冗談半分、半分は本気でジュナザードをからかう。

 

「カッカッカッ。そやつが我を殺しこの首級を獲ってみせたら、九拳の座なぞくれてやるわいのう。じゃがまだその時ではないわい。のう、クシャトリア」

 

「――――はっ」

 

 他の者がどうであれ、クシャトリアにとっては漸くスタートラインに立ったに過ぎない。

 クシャトリアの目的は師匠シルクァッド・ジュナザードを殺すこと。ジュナザードという特A級すら超えた最高位の達人。九拳と肩を並びうる強さを得て初めてクシャトリアは師の足に手をかける所まで来たのだ。

 

「じゃが我が足元まで這い上がってきたことは認めてやらねばならんわいのう。クシャトリア、これから貴様は拳魔邪帝シルクァッド・サヤップ・クシャトリアを名乗れい」

 

「……!」

 

 ジュナザードの姓を与え、邪神に次ぐ邪帝の称号をも与える。それはつまりジュナザードがクシャトリアのことを自身の一番弟子にして継承者と認めた証でもあった。

 だが丹精込めて作り上げた継承者を自身の手であっさり殺すが故の邪神なのだが。

 サヤップ・クシャトリア、否、シルクァッド・サヤップ・クシャトリアは自分の立つ頂きの更に高い位置に君臨する師匠を見据えていた。

 



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第23話  蛇の王

 拳魔邪帝、そしてシルクァッドという姓。

 どちらも武術家にとっては重い銘だ。ジュナザードの弟子であり、恐らくは誰よりもジュナザードに近いクシャトリアだからこそその重みが理解できる。

 邪帝、邪悪なる帝王。邪神に次ぐというシンプルな理由でつけられた渾名だけあって大仰なものだ。

 だがクシャトリアの目的とは拳魔邪神の抹殺、つまりは神殺し。神を殺そうと言うのに、帝王の玉座程度でビクビクしていても仕方がない。

 闇にも九拳の継承者候補として公認され、達人として一人前と認められた以上、クシャトリアにはやらねばならぬことがあった。

 

「…………」

 

 クシャトリアは飛行機に乗って一人、ティダード王国へと飛んでいた。

 昔、それこそ自分がまだ弟子クラスだった頃は外出一つとってすら自由ではなく、師匠たるジュナザードの許可が必要だった。妙手になってからも闇から下される任務をこなす時以外では自由行動は認められてはいなかった。

 しかし今ではこうして自分で飛行機の予約をとり、自分で日本だろうとティダードだろうと行き来できる。

 これもジュナザードから免許皆伝のお墨付きを受けた証だろう。これから強くなるためには師から学ぶのではなく、師から教わった事を自分自身で磨いていくのだ。

 

(とはいえ所詮は仮初の自由だがな)

 

 免許皆伝、一人前と認められたところで別にジュナザードから破門されたわけでも、師弟の縁がきれたわけでもない。

 ジュナザードが一度命令すればクシャトリアはそれがどんなに厭な命令であろうと従うしかないし、一人前だと高を括り成長を止めれば直ぐにジュナザードは自分を殺すだろう。

 師弟関係という名の首輪は今もクシャトリアの首に繋がっている。

 

『当機は間もなくティダード空港に到着致します。クシャトリア様、どうぞシートベルトをお付けになって下さい』

 

 機長のアナウンスが機内に響く。

 これはジュナザードのお下がりのプライベートジェットなのでクシャトリア以外に乗客はいない。

 自家用ジェットを軽く用意できることといい世界各地に大豪邸や高層ビルのような拠点をもつことといい、闇の資金力は闇の最深部に近い位置にいるクシャトリアをもってしても想像もつかないものがある。下手すればその資金力は大国のそれと比肩するかもしれない。

 そんなことを考えながらもクシャトリアは大人しくシートベルトをつける。

 クシャトリアも一影九拳たちと肩を並べる特A級の達人の端くれ。飛行機墜落程度では死にはしないが、飛行機ではキャプテンの指示には従うのがマナーというものだ。

 ジュナザードという反面教師が身近にいた分、クシャトリアは比較的そういった常識は弁えている。

 シートベルトをしっかり付けたからというわけでもないが、飛行機は無事に着陸した。

 

「さて」

 

 プラウ・ベーサーにあるティダード王国首都ティダードを、クシャトリアは鞄一つに背広姿という何処を歩いても不審ではない格好で歩く。

 ティダードの民族衣装に仮面という出で立ちは人目に付きやすいと思って背広できたのだが、ここティダードでは間違いだったかもしれない。

 アジア有数の内戦地帯であるティダードには傭兵やチンピラもどきがかなりうろついている。背広姿の方が民族衣装よりも目立つ。

 しかしどうもそれだけではないようだ。

 

「ねぇ、あの御方……」

 

「ああ。そっくりだ」

 

「……もしやあの御方がジュナザード様が自身の継承者とされたクシャトリア様か。祈っておこう、御利益があるかもしれない」

 

 ティダード人たちがクシャトリアの顔を見てはヒソヒソと囁き合う。

 師匠シルクァッド・ジュナザードはティダードでは知らぬ者などいない有名人。教科書にも若き日の顔写真が載っているほどだ。

 そしてジュナザードの日々の肉体改造や薬の副作用もあってクシャトリアはジュナザードと瓜二つの容姿になっている。

 日本人も死んだはずの福沢諭吉のそっくりさんが往来を歩けば注目するだろう。

 

(だからといって祈るのは止めて欲しい)

 

 拳魔邪神の継承者という話はティダードにも広まっているらしく、ティダード国民はクシャトリアの顔を見る度に祈ったり跪いたりしている。

 しかし祈られたところでクシャトリアは単なる一介の達人。御利益なんぞあるわけがない。

 

「ここか」

 

 ティダード王国のあらゆる意味においての中心。王国の統治者たる王族の住まう宮殿の前に来てクシャトリアは足を止める。

 クシャトリアが宮殿の前に来ると、宮殿を守る衛兵たちが横一列に整列し敬礼した。宮殿の入り口では高貴な佇まいの少年とそれによりそう少女がクシャトリアのことを待っていた。

 

「ようこそお出でになられた、拳魔邪帝シルクァッド・サヤップ・クシャトリア殿。我が兄弟子」

 

「初めましてティダード王子、ラデン・ティダード・ジェイハンくん。それとも王子と呼んだ方がいいかい?」

 

「無用です。貴方は我が兄弟子にして、ティダードの英雄ジュナザード様が己の名を与えた一番弟子。ティダードの王としても、ジュナザード様の弟子としても貴方は敬意を払う存在故に。

 兄弟子殿。そして隣りにいるのが第二位の王位継承権をもつ我が妹の――――」

 

「お初御目にかかります、ラデン・ティダード・ロナです。クシャトリア殿」

 

「宜しく、ロナ姫。……成程」

 

「どうかなされましたか?」

 

 ティダード王国は伝統を重んじる国で王は代々武術を修得している。

 だからだろう。YOMIであるジェイハンは勿論、ロナ姫にも武術の臭いがあった。

 

「師匠や私にジェイハンくんのように無手という感じではないな。さしずめシラットの武器術を嗜んでいるとみた」

 

「っ! ええ、その通りです。私の護衛でもあるバトゥアンより教えを受けています。だけど何故そのことを」

 

「足運びや筋肉の付き方を観察すれば無手の武術家か武器使いくらいかは分かる。これでも達人の端くれだからね」

 

「そうなのですか?」

 

「はははははは。ロナ、達人は余達の常識では測れぬ御仁ばかり。何事も諦めが肝心だぞ」

 

 ジュナザードという達人たちの中でも極め付きの非常識の弟子だけあって、ジェイハンには達人と付き合う上での心構えが出来ているようだ。

 

「既に歓迎の準備はできております。どうぞ中へ。これ、兄弟子殿の荷物を持って差し上げぬか」

 

「なにからなにまですまないね」

 

 クシャトリアの鞄には手甲や仮面など大事なものも入っているので、普通なら誰かに預けるなんてことはしない。

 だがティダード王子以前にジェイハンはクシャトリアにとっては弟弟子。その行為を無碍にするほどクシャトリアは意地悪くはなかった。

 

 

 

 王子直々のもてなしだけあって、出される料理は全てが一級品。果物も最高のものが揃っていた。

 しかしクシャトリアは別に贅沢極まる歓待を受ける為にジェイハンのもとへ足を運んだのではない。

 宮殿で長旅の疲れを癒し、空腹を満たすとクシャトリアは早速だが本題に入ることにする。

 

「ジェイハン、これからは〝闇〟についての話しだ。すまないが人払いをお願いする」

 

「はっ。これ、バトゥアン。兄弟子殿の言う通りにせい」

 

「ですがジェイハン様。我々はジェイハン様の護衛の任についている者。我等も闇には関わりがあります。どうか我等だけでも」

 

「余の命令が聞けぬと申すか。いいから出てゆかぬか。それともお前は兄弟子殿が余を亡き者にするとでも考えているのか? 不敬であるぞ」

 

「……申し訳ありませぬ。ただちに」

 

 王族の護衛であり、シラットの武器使いの達人であるバトゥアンは渋々といった様子で広間から出ていく。

 バトゥアンが最後に一瞥して広間から出ると、ここにいるのはクシャトリアとジェイハンのみになった。

 

「余の臣下が失礼を致した。クシャトリア殿を疑う不敬、王として詫びましょう」

 

「いやいや。主君の不興をかっても主を気遣う。これも彼が性根の正しい者の証。気にすることでもない。それで私が君のところに来たのは、エンブレムの継承やYOMI絡みのことだ」

 

 闇――YAMI――からアルファベット一文字変えただけの『YOMI』は、表向きはただの武道派集団として認知されているが、その実態は闇人の育成機関。闇の達人の弟子が所属する達人への登竜門的な組織だ。

 その中核を担う幹部は一影九拳の弟子が務めており、幹部たちは師と同じプラチナ製のエンブレムを持っている。

 リーダーは人越拳神・本郷晶の一番弟子である叶翔。人越拳神の空手のみならず、一影九拳全ての武術を継承する『一なる継承者』となるため幼き日より闇で純粋培養された殺人拳の申し子だ。

 ティダードの王子でありジュナザードの弟子であるジェイハンも、他の九拳の弟子たちと同じくYOMIに所属している。だが彼が他のYOMI幹部たちと違うのは、ジェイハンがジュナザードの『王』のエンブレムを持っていないことだ。

 

「九拳のエンブレムはその者の一番弟子に渡される。だから王のエンブレムは、こうして私がもっているわけだ」

 

 懐からクシャトリアはプラチナ製の『王』と描かれたエンブレムを取り出す。

 

「だが私は師匠より免許皆伝のお墨付きを貰い独り立ちした身。師弟でなくなったわけじゃないが、既に俺はYOMIではなく一人の闇人。よってこのエンブレムは、師匠のYOMIである君に譲られる」

 

 クシャトリアはずっと前にジュナザードから渡されたエンブレムを、ジェイハンに渡した。

 ジェイハンは神妙にエンブレムを受け取ると、それを嬉しさの滲んだ顔で握りしめる。

 

「クシャトリア殿。私に王のエンブレムを渡したという事は、貴方はどうするので。ジュナザード様の後を継いで九拳の座を継承するのですか?」

 

「師匠がそういうつもりだったなら、あのお披露目の場でそうなる予定だったのかもしれないが、師匠は未だに一影九拳の席にあった方が面白いと踏んでいるようでね。今のところ継承する予定はない。

 だが……師匠が九拳の座を降り隠居したり、病気かなにかで急死なされたら、恐らく私が『王』を継承し新しい九拳になるだろう。その時は君も師匠――――ジュナザード様の弟子から私の弟子になるという形になると思う。お互いにその時に生きていればの話しだがね」

 

 冗談めかして肩を竦めると、ジェイハンも苦笑した。

 だがクシャトリアは冗談めかしていても冗談で言ったわけではない。師匠があのジュナザードな以上、無事に生き延びられる可能性の方が低いだろう。

 ジュナザードが死ぬまでにどちらか一方、または両方とも死んでいる可能性は大いにある。

 

「では仮に長い修練の果てに私が貴方と同じ頂きに到達した場合は?」

 

「私と君で継承者争いが勃発することになるだろうね。言うまでもないが闇が重要視するのは血筋ではなく実力。より強い者こそが継承者に相応しいと考えるだろう」

 

 そう思うと自分とジェイハンは不思議な関係だ。未来によっては将来師弟になるかもしれないし、殺しあう関係になるかもしれない。

 ともあれ言うべきことと渡すべきものは渡した。クシャトリアは腰を上げる。

 

「ではこのあたりで失礼する。これから闇との用事があるんでね」

 

「車を用意させましょう」

 

 ラデン・ティダード・ジェイハン、彼というカリスマと指導力を得て内戦続きのティダードは漸く一つに纏まろうとしている。

 彼は非常にジュナザードを尊敬し父のように慕っているようだがだからこそ危うい。

 ジュナザードの弟子として大成する条件。クシャトリアに言わせるなら、それは命に関してとことん自分本位になることだ。

 争いと殺し合いによる混沌を好み、自身も自分本位であるジュナザードにジェイハンがどう映ることやら。

 

(死ぬなよ)

 

 クシャトリアは兄弟子として、弟弟子の武運を祈った。




 一々解答するのが面倒なのでここで明言しますが。
 クシャトリアの年齢はしぐれと同い年です。


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第24話  一影からの指令

 クシャトリアが弟弟子であるジェイハンに『王』のエンブレムを渡してから数か月後。

 無手組の長たる一影からの招集を受けたクシャトリアは、一影の待つ居城へと足を運んだ。

 良く言えば個性豊か悪く言えば自分勝手な者達の多い達人の纏め役である一影は、他の九拳たちよりも忙しく一影九拳の会議にも欠席することも多い。

 そんな一影直々の呼び出し。余り良い予感はしなかったが、クシャトリアも闇人が一人。ジュナザードほどの異次元の強さがあれば、一影の呼び出しをスッポカスことも出来るのかもしれないが、生憎とクシャトリアは師ほどの強さはないし師程の豪気さはない。

 

「ここが一影殿のおられる場所か」

 

 一影の使いに連れてこられたのはベルギーにある屋敷だった。

 殺風景な草原の中にポツンと聳える日本式の御屋敷は、明らかに周りの風景から浮いていた。ここまでシュールだとある種のホラーである。

 クシャトリアは若干げんなりしながらも、一影の待つという部屋へ赴く。

 部屋に入ると、既に一影が椅子に座って待っていた。

 

「一影殿。シルクァッド・サヤップ・クシャトリア、お呼びということなので参上しました」

 

「急にこんなところに呼び出して悪かった、拳魔邪帝。だが何分、私は暫くここでやることがあるのでね。……かけてくれ」

 

「はい」

 

 テーブルを挟んで一影の前の椅子に腰を掛ける。

 セットされた髪に背広姿をきっちりと着込んだ出で立ちは武術家というよりも、世界で活躍する一流企業化というイメージを抱く。

 雰囲気も物静かなもので、とても闇の無手組を統括する男には見えない。

 しかしそれは外面のイメージに過ぎない。クシャトリアの師匠ジュナザードと違い不要な殺人を行う外道ではないが、逆に言えば必要なら老若男女問わずの殺戮をも持さない御仁だ。

 実際クシャトリアは闇に反抗する抵抗組織を年齢性別問わず皆殺しにしろという命令を一影直々に受けた事がある。

 

「拳魔邪帝、君は『梁山泊』のことは知っているだろうな?」

 

 一影の確認にクシャトリアは首を縦に振るう。

 殺人拳の対極たる活人拳を掲げる達人の集う場所だ。

 武術家の頂点に立つ一人である無敵超人・風林寺隼人、ケンカ100段・逆鬼至緒、哲学する柔術家・岬越寺秋雨、あらゆる中国拳法の達人・馬剣星、裏ムエタイ界の死神・アパチャイ・ホパチャイ、剣と兵器の申し子・香坂しぐれなど錚々たる面々が所属している。

 梁山泊の豪傑たちは全員が特A級の達人であり、一影九拳とも肩を並べる実力者ばかりだという話だ。

 うち無敵超人とアパチャイ・ホパチャイについてはクシャトリアも実際に見たことがあり、その話が嘘ではないことは身に染みて分かっている。

 

「活人拳を掲げながら『最強』を名乗る梁山泊は、殺人拳と非情の拳こそ真なる武術とする我々にとっては許し難い存在といえる。しかし我々と梁山泊には暗黙の了解があり、敵対はしあっていても激突はしない冷戦状態が続いていた。

 とはいえ同じ状況は永遠には続かない。東西冷戦に終わりがあったように、我々と闇にも冷戦終結の兆しが見え始めた」

 

「和平が成立、なわけはないでしょうね。となると」

 

「事によってはこれより全面戦争になるかもしれん」

 

「……!」

 

 闇と梁山泊の全面戦争。そんなことになれば先ず間違いなく大事になる。

 下手すれば一影九拳が三分の二に削れるかもしれないし、国が一つ消えてなくなるかもしれない。

 決して誇張ではなく闇と梁山泊はそれだけの影響力と力をもっているのだ。

 

「なにかあったんですか?」

 

「梁山泊が弟子をとった」

 

「本当ですか、それは」

 

 武術において弟子とは重要な意味をもつ。

 そも武術とは先人から伝えられてきた技術であり、師から武を継承した者には師の教えを次の世代に伝える義務がある。武術組織たる闇も弟子育成を重要視しており、次世代の闇人育成のためにYOMIという組織を作るほどだ。

 クシャトリアの師匠ジュナザードを始め一影を除く九拳全てが、自分の継承者となる弟子を幹部としてYOMIに所属させている。

 

「しかしこれまで弟子をとろうとしなかった梁山泊が何故いきなり……。梁山泊といえば確か拳聖が、梁山泊最初の弟子となる予定だったと聞きますが」

 

「その通りだ。もっとも梁山泊の長、風林寺隼人の反対により実現することはなかったが」

 

 自分の実父について語りながらも、一影には親子の情のようなものは見えなかった。

 闇の長としては肉親にも非情であろうと心がけているのだろう。

 ともあれこれまで弟子をとらずにいた梁山泊が弟子を迎えたのは確かに大きな転機であるといえる。

 その弟子が途中で逃げたり、潰れたりする可能性もゼロではないが、もしも内弟子として正式な弟子となれば全面戦争のトリガーを引くには十分すぎる切欠になるだろう。

 

「あれほど弟子入りを渋っていた梁山泊が迎え入れた弟子ということは、やはり一なる継承者の翔くんのように特別な血統なので?」

 

「それはない。これが闇の諜報部が調べ出した梁山泊に弟子入りした者のデータだ」

 

 一影がテーブルに梁山泊の弟子についての報告書を置いた。

 クシャトリアは唾を呑み込みながらその報告書に目を通す。

 

「えーと、白浜兼一、荒涼高校一年生。10月12日生まれ、身長165cm、体重50kg。父親は一流商社で部長職を務める白浜元次、クレー射撃での入賞経験あり。母親は白浜さおり専業主婦。妹に白浜ほのか十二歳」

 

 プロフィールのさわり程度を流し読みしたが、なにか特別なところはどこにもない。

 白浜なる武術家の血統なんて存在しないし、何か身長が高いだとか体重が重いだとかいう身体的特徴もなかった。

 強いて特殊なところをあげれば父親がクレー射撃での入賞経験があるところだが、一影九拳のYOMIと比べればその経歴も平凡そのもの。

 

「なになに……。中学生時代はいじめられっ子で、高校時代からは苛め対策に空手部に所属。しかし入部した空手部でも苛められ、退部をかけた試合で同級生の大門寺と戦い反則負け。空手部を自主退部。

 空手部を止めた後に梁山泊に入門。現在は園芸部に所属。成績、中の下、運動神経、中の下、ルックス、中、体格、中の下、ケンカ指数、下、根性、下の下、総合評価E-、ランク、虫けら級。なんですこれ?」

 

 後半の虫ケラ級だとかいうやけに具体的なデータは置いておくにしても、どこをどう見ても梁山泊の弟子になるような者には見えない。

 添付されている顔写真にしても『物静かな高校一年生』という感じで武術をやるようなタイプにも見えなかった。

 苛め対策に空手部に入った事や、反則負けしたとはいえ試合に挑んだことを含めれば、勇気あるいじめられっ子というのがこのデータからプロファイルできる人物像だ。

 

「情報部の話によれば、彼が梁山泊に入門する切欠となったのは彼と同じ荒涼高校に在籍する無敵超人の孫娘の紹介があったからということだ」

 

「……まぁ出生や経歴は武術の素養に必ず関係があるものでもありませんからね」

 

 クシャトリアにしてもジュナザードに拉致される前はごく普通の日本人の少年でしかなかった。

 だがそのクシャトリアにしてもジュナザードの関心を引くだけの才能があったからこそ、こうやって若くして九拳と肩を並べる達人になることができたのである。

 白浜兼一にしても同じ類なのかもしれない。

 

「拳魔邪帝。君は荒涼高校に教師として潜入し白浜兼一の動向の監視及び調査をやって貰いたい。教師としての身分や教員免許などについては闇が用意しよう」

 

「美雲さんの教えが良かったので、高校生レベルなら教えることはできると思いますが…………どうして私に? 梁山泊の弟子の調査となると、最悪梁山泊の豪傑と戦闘になる可能性もあります。私ではなく他の九拳に任せた方が良いのでは?」

 

「君は拳魔邪神より隠密術を教えられ、変装術と閉心術にも長けている。君がこなしてきたミッションの中にも潜入捜査が幾つかあり、その全てを成功させた実績があるだろう。九拳と並ぶ実力を持つ君ならば、万が一の時も安心できる。

 それに拳魔邪帝。他の九拳の方が良いと君は言うが、他の九拳たちに潜入ミッションなんて出来ると思うのか?」

 

「………………」

 

 想像してみる。九拳たちが普通の学校(それも不良の巣窟)で教師になったことで起こる地獄絵図を。

 

 ジュナザードは論外だ。皆殺し的な意味で学級崩壊すること確実である。そもそもあの自分本位な師匠が一影からの任務なんて真面目に励むわけがない。

 人越拳神・本郷晶なら性格的には悪くないが、潜入ミッションなんて断るだろうし、そもそも梁山泊の逆鬼至緒とはライバル関係であり顔なじみ。よって潜入には向かない。

 現在も絶賛放浪中の馬槍月は授業をボイコットして自習ばっかり。

 セロ・ラフマンは座禅を組んで授業しそうだ。

 美雲はあのけしからん恰好で授業したら色んな意味で学校が血の海になる。そもそも無敵超人と顔見知りだ。

 アーガード・ジャム・サイもアパチャイの兄弟子であり顔なじみ。性格はまともだが潜入向きでもない。

 笑う鋼拳ディエゴ・カーロは学校を毎日学園祭にしそうであるし、そもそも年がら年中覆面しているので論外。

 アレクサンドル・ガイダルは癇癪起こして生徒を皆殺しにしそうなので除外。

 緒方は元々梁山泊の弟子になる予定だったので顔が知られている上に、体育教師にでもなろう者なら生徒に危険極まる技を教えそうなので却下。

 

「……謹んでお受けします」

 

 げんなりしながら、任務をやる旨を伝えた。

 対ジュナザードの読心術に会得してある閉心術を併用すれば潜入にはうってつけだろう。

 

「助かる。ああそうだ、拳魔邪帝。これを持って行け」

 

 一影が投げ渡したパスポートを受け取る。そのパスポートは一影九拳なら常にもっているものであり、闇人であればある任務をする際に渡されるものだった。

 

殺人許可証(フリーマーダラー)ですか。物騒ですね」

 

 殺しという禁忌を合法化する悪魔のパスポート。

 これがあればクシャトリアは天下の往来で罪のない子供を殴り殺したとしても罪に問われることはない。

 

「ミッションの際に必要があれば使うといい。ただし白浜兼一を含めた梁山泊の関係者には手を出すな」

 

「了解です」

 

 一礼してから一影の部屋から出る。

 クシャトリアはまた面倒なことを引き受けてしまったと嘆息した。

 

 

 



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第25話  潜入

 在籍数が800名を超えるマンモス校だけあって、荒涼高校の実物はパンフレットなどよりもずっと大きく見えた。

 よもや小卒すらしていない自分が、こんな形で高校の校門を――――それも生徒ではなく教師という立場で潜ることになるとは思いもよらなかった。

 ジュナザードの弟子に強引にされた時、未来が予想できないものだとは分かっていたが、クシャトリアは改めてそのことを思い知る。

 なにはともあれ先ずは職員室に行かなければならない。

 校内の見とりに関しては昨日のうちに全て記憶しているので、クシャトリアは迷いなく職員室へ足を運んだ。

 途中生徒達の奇異の目線が突き刺さるが、気にせずに職員室のドアを開けた。

 

「失礼します。臨時教師として本日この学校に赴任した内藤翼というものですが」

 

「内藤先生、待っていましたよ」

 

 職員室の教師の中から壮年の男性が近付いてくる。髪の毛が一本もないツルツルの頭は、窓から差し込む日の光を反射して輝いていた。

 

「私は日本史の教師で、これから君が授業を教えるクラスの一つの担任をしている安永福次郎です。分からない事があったらなんでも聞いて下さい」

 

「ご丁寧にありがとうございます。そちらの方は?」

 

 安永教諭にまるでリスみたいについてきた女性に視線を移す。

 

「彼女は私のクラスの副担任の――――」

 

「国語を教えてる小野杏子です。よろしく~」

 

「小野先生! 内藤先生は貴方の後輩になるのですから、先輩として模範になる振る舞いを!」

 

「ご、ごめんなさい~!」

 

「………………」

 

 安永教諭が絵にかいたような石頭教師なら、小野教諭は逆にのんびりとした――――こう言っては失礼だが、如何にも生徒に舐められそうなタイプの教師だった。

 担任と副担任だというのに真逆の二人だが、だからこそ組み合わせとしては上手く纏まっているのかもしれない。

 

(安永教諭は教師として長そうだ。武術はしていないが、人生を一つのことに継ぎこんできた特有の気配がある)

 

 なにも優れた勘の良さをもつのは武術家だけではない。武術家ではなく芸術家や企業家だろうと一流の人間は一流の眼識を持つ者だ。

 そしてクシャトリアも一影九拳と並ぶ実力を身に着けた一流の武術家。分野は違えど相手が一流か、それ以下なのかは分かる。

 

「どうかしましたか、内藤先生?」

 

「なんでもありません」

 

 こういう手合いに気を緩めていては最悪自分のことがばれる恐れもある。安永教諭に対しては達人級の眼力があると仮定した上で対応しよう。

 クシャトリアは正反対の二人の教諭を見比べながらそう決めた。

 

 

 

 幾ら潜入ミッションであっても、否、潜入ミッションだからこそ潜入先に怪しまれないよう、擬態している役割に成り切らなければならない。

 これまでマフィアの構成員、ファーストフード店の店員、さる企業の社員などに成りすました経験のあるクシャトリアだが教師になるのは初めての経験である。

 

「初めまして。産休をとられた間宮先生の代わりに世界史の教師として赴任した内藤翼です」

 

 安永教諭のクラス、つまりは梁山泊の弟子と無敵超人の孫娘。監視対象にして調査対象でもある二人の重要人物が所属する重要クラスだ。

 クシャトリアは嘘偽りで塗り固めた自己紹介をしながら、件の二人が自分を興味深そうに見る生徒の中にいることを確認する。

 

(風林寺美羽。あれから随分経つが見違えたな。前に見たときは豆粒みたいだったのに。眼鏡をかけているのは、目を酷使し過ぎて近眼にでもなったのか? ……いや、あの眼鏡は伊達だな)

 

 どうして伊達眼鏡なんてつけているのかは知らないが、風林寺美羽その人で間違いなら問題はない。

 白浜兼一についても他の生徒と同じように、突然の臨時教師にそれなりの興味があるようで関心をクシャトリアに向けている。だが、

 

(………………………………なんだ、あれ?)

 

 梁山泊の弟子になる程の者なのだから、才能に満ち溢れたダイヤモンドの原石なのだろうと思っていた。

 だというのに直に見た白浜兼一には才能の〝さ〟の字すら見受けられない。まだ動きそのものを見た訳でないから断言することはできないが、クシャトリアの目には白浜兼一がどこにでもいる凡才にしか映らなかった。

 

(白浜兼一については保留しよう。武術家なら戦っている所を見ないと判断がつかん)

 

 余り白浜兼一や風林寺美羽を気にしていては不審がられる。クシャトリアは二人から意識を外すと、生徒達全体を見渡す。

 特殊な境遇にいるのは白浜兼一と風林寺美羽の二人だけで、他の生徒は普通の者ばかりだった。

 

「では早速だが授業を。教科書の43ページを開いて」

 

『えぇー』

 

 サクサク授業を始めようとすると何故か一部の生徒から不満の声があがった。

 

「なにか?」

 

「先生。最初の授業なんだから、授業は休みにして質問タイムにしましょうよ」

 

「………………」

 

 そう言ってきた男子生徒の心を読む限り、純粋にクシャトリアに質問したい事があるというより勉強が嫌だから授業を質問タイムで潰そうとしているようだ。

 勉強が好きな生徒なんてそうはいない。勿論ゼロではないがその絶対数は少ない。大抵の生徒は勉強なんて好きではないものだ。高校生活の経験はないクシャトリアだが、学校生活の経験はあるのでそのくらいは分かる。

 

「分かった。だが授業の時間もあるので質問は5つまでだ」

 

 クシャトリアは嘆息しつつも許可を出す。

 教師としての役割を与えられたからには、その役割を果たさなければならない。それにこれは良い機会だ。質問によっては白浜兼一か風林寺美羽に自分に対しての興味を覚えさせることができる。

 調査するには調査対象とある程度距離が近い方がやり易い。

 

「どこの学校の出身ですか?」

 

「K大学の文学部だ」

 

 有名校の名前に感嘆の声が漏れるが、勿論これは真っ赤なウソである。

 そもそもクシャトリアは大卒どころか小学校すら卒業していない。日本でのクシャトリアの経歴は幼稚園卒園から小学校入学まででストップしている。

 K大学文学部卒なんていうのは闇が潜入用にでっちあげた偽物の経歴に過ぎない。

 

「あのぉ。私、皆から影が薄いって言われるんですけど、どうすれば影が濃くなるでしょうか?」

 

「日差しの強い所にいけばいいだろう」

 

「好きな女性のタイプは?」

 

「美人って言葉が似合う女性です」

 

 正しくはこれに巨乳でスタイルが良く尻が軽いから気軽に付き合える女性、とつくが潜入している手前過激な発言は自重する。

 教育の場でこんな発言をすれば下手したら初日にして懲戒免職だ。

 

「好きな漫画家は?」

 

「松○名俊」

 

「貴方は神を信じますか?」

 

「はい」

 

 全て潜入のために作り上げた設定をさも自分のことのように語る。

 ただ神を信じているのは本当だ。なにせクシャトリアの師匠は拳魔邪神ジュナザード。ティダードにおける正真正銘の〝神〟である。

 天国のようなものがあってそこに神様とやらが住んでいるのかは知らないが、生きた人間が神に至ることができることは知っている。

 最後にバンソーコーをはった少年、白浜兼一が手を挙げているのを見て心の中で笑った。

 

「はい、白浜くん」

 

「しゅ、趣味はなんですか?」

 

 ここで武術といえば白浜兼一と風林寺美羽の両方から関心をひくことができるだろう。

 しかし達人であることを隠して潜入しているのに、自分から武術家であることを明かすことはできない。

 だからこそ情報部の調べた白浜兼一の関心をひけるような趣味を語ることにした。

 

「趣味は読書です。大学館シリーズなどよく読んでいました」

 

 白浜兼一の目が驚いたように見開かれる。クシャトリアは一先ず思惑が成功したことを確信した。

 

 

 

 初仕事を終えてたクシャトリアは、闇の用意したセーフハウスであるマンションへ戻る。

 そして『内藤』という表札のかかっている部屋へ入った。

 綺麗に整頓されている本棚、安く買ったソファ、最新式の冷蔵庫、人形や絵なんていう規則性のない品々で飾られた内装。本棚の奥には年頃の男性が好みそうなDVDがさり気無く混ざり、友人に囲まれた写真が何枚か飾られている。

 

「…………」

 

 自室と隣室を隔てる壁の前に立つと、目印のカレンダーの左横に手を置く。すると指紋認証が作動し、天井の一部が開いた。クシャトリアは一っ跳びで開いた天井から真上の部屋に飛ぶ。

 最初の部屋がどこをどう見ても普通の一般人の部屋だったのに対して、真上の部屋は最新機器が導入された如何にもなセーフハウスといった雰囲気を醸し出していた。

 クシャトリアにとって内藤翼という表札のあった部屋はそこにあった内装も含めて内藤翼を演じる為の偽物の部屋に過ぎない。本物のセーフハウスは内藤翼の部屋の真上にあるこの部屋なのである。

 

「さて」

 

 本物の自室に戻ったクシャトリアは黒く染めていた髪を洗い流し、肌を白く見せていた闇が開発した特殊なファンデーションも落とし、カラーコンタクトを外す。

 たったそれだけのことで黒髪黒目肌色の肌をした極普通の青年は、白髪赤目褐色肌の異人へと変貌した。

 

「日本に用意させた俺の屋敷と比べれば犬小屋だが、一影からの依頼だ。暫くはここで我慢しなければ」

 

 テーブルに置かれたザクロを掴むと喰らいつくと、果物の血肉が口内に染み渡る。

 ザクロの味は人肉の味と言うが、さて。これまでクシャトリアの食べた肉のどれとも違った味がした。

 




アレクサンドル「本日より美術を教える事になったアレクサンドル・ガイダルだ。宜しく」

武田「留年二年目にして担任が一影九拳になるのは予想外じゃな~い」

兼一「不安が一杯だ……」

アレクサンドル「今日は風景画などをしよう。生徒諸君、絵具を出したまえ」

宇喜田「でよぉ。実はこの前うちで飼っている猫が――――」

アレクサンドル「人の授業中に私語してんじゃねぇええええええええええ!!」ドガッ

宇喜田「ぼひゃぁらぁ!?」

武田「宇喜田ァァァァアアアアアア!!」

ボリス「師匠(ウチーチェリ)! まだ授業開始五分前です!」

アレクサンドル「おっといけない。私の時計が進んでいたようだ。除菌ティッシュをくれ、ボリス」

美羽「きゅーきゅーしゃ! きゅーきゅーしゃですわー!」

武田「うおおおおおおおお!! 死ぬなぁあ! 宇喜田ぁぁああああ!!」

宇喜田「」チーン


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第26話  下校

 不良対策と意中の相手である美羽につられ梁山泊に入門して以来、兼一にとって下校というのは学校という安息地から有料地獄巡りへのカムバックと等しい。

 だが今日に限っては地獄へ戻る道中でありながら兼一の足取りは軽快だった。

 そのうち鼻歌でも歌いだしそうなステップに、並んで歩く美羽が気になって口を開く。

 

「兼一さん。どうなされたんですの?」

 

「え? なにがです?」

 

 梁山泊の内弟子であり住み込みで修行している兼一と、梁山泊の長老の孫娘である美羽は当然ながら帰る場所も同じなら住む場所も同じである。

 兼一の寝泊りする場所は離れなので一つ屋根の下とはいえないが、それでも美羽と並んで歩いての登下校は兼一にとって数少ない癒しの時間の一つだった。

 

「そんなに嬉しそうになされて、なにか良いことがありましたか?」

 

「ふふっ。よくぞ聞いてくれました。実は……」

 

 兼一は我が意を得たとばかりに自分の鞄をガサゴソと漁る。そして、

 

「じゃーん! 大学館のもしもの時の大学館シリーズ〝喧嘩した相手と和解する方法百選〟です! ずっと探してたんですけど絶版になってて手に入らなかったんですよね。

 新島はインターネットで買えばどうこうって言ってたけど、僕はネット関係にはそんな詳しくないし」

 

 パソコンで購入といっても梁山泊にはパソコンなんて財政的にあるはずがないし、新島に借りを作るのも論外だった。後でどんな無理難題をふっかけられるか分かったものではない。

 だから兼一は地味でも本屋や図書館を手当たり次第に探して目当ての本を見つけるしかなかったのだが、今日漸くこの本と巡り合うことができたのだ。

 

「喧嘩した相手と和解する方法……? 兼一さん、誰かお友達と喧嘩をなされたんですか?」

 

「いえ。そういうわけじゃありませんよ」

 

 一年生の兼一からしたら先輩であるが、メルアドを交換した友人である武田や、その武田の親友の宇喜田との仲は良好だ。喧嘩などはしていない。

 中学からの悪友の新島はある意味常に喧嘩状態ともいえるので今更和解する意味などない。そもそも人類と宇宙人の皮を被った悪魔の間に和解の二文字などないのだ。

 

「ほら。僕って最近ずっとラグナレクの連中に狙われてるじゃないですか。だからこの本に書いている内容をやれば平和的に解決できるんじゃないかなーっと。…………まぁ、こんなことでどうにかならないことなんて薄々感づいてるんですけどね」

 

 フッと煤けた笑いを零す。

 大門寺と試合する事になった時、梁山泊から脱走する時、幾度も大学館シリーズを頼ったがその全てで痛恨の失敗を喫してきた。

 和解する方法なんて暗記したところで、きっと気休めにしかならないだろう。

 

「そ、そんなことありません。戦いではなく話し合いで解決しようとなさる兼一さんの考えは立派ですわ!」

 

「え? 立派ですか、僕?」

 

 兼一は美羽の慌てたフォローに少しだけ元気を取り戻す。

 半分お世辞なのだろうとは思うが、好きな人に立派と言われて悪い気がしない男はいない。兼一も例外ではなかった。

 

「ですけどどこで探されていた本を見つけたんですの?」

 

「ああ。それなんですけど聞いて下さいよ。昨日臨時教師として赴任してきた内藤先生も大学館シリーズの愛読者で、この本を貸してくれたんですよ」

 

「内藤先生が……?」

 

「ええそうですけど。どうしたんですか、美羽さん?」

 

 内藤先生の名前を出した途端、美羽の顔色が変わった。

 雑談に興じる平和的な雰囲気から一転、過去を想起するように目線を遠くに向ける。

 

「私の気のせいかもしれませんが、あの内藤先生という方。どこかで会った様な雰囲気を一瞬だけ感じたんですの」

 

「え!?」

 

「うー、思いだせませんわ。記憶力にはそこそこ自信がありましたのに」

 

「そ……それってまさか小さい頃に合った初恋の相手とかそういう」

 

「まぁ。違いますわよ。そんなんじゃありませんわ。ただお爺様との世直しの旅で似た雰囲気の方と話したような覚えがあるだけで。

 それにそんな雰囲気を感じたのもほんの一瞬ですし、やっぱり私の勘違いだと思いますわ」

 

「はぁぁぁぁあ~。そうですかぁ……良かった」

 

 安心した余り肺の中の息を全て吐き出してしまう。

 美羽が演劇部部長で美男子の谷本夏とロミオとジュリエットで共演した時もドギマギしたが、今回は下手すればそれ以上の不安が過ぎりかけた。

 幾ら主人公とヒロインとして共演するといっても演劇は所詮は虚構の舞台でのこと。だが幼い日の初恋相手は現実の脅威である。自分の思い過ごしで本当に良かった。

 

「あいたっ」

 

 考え事をして歩いていたせいで誰かとぶつかってしまう。

 

「すみません。余所見してい……て?」

 

「あぁ゛ どこに目ェつけとンだテメエ!?」

 

 兼一がぶつかった相手は鼻にピアスをつけて髪の毛を逆立てた如何にも不良という風体の男だった。

 ピアス男は兼一とぶつかったことに怒り心頭という様子でしかも男の周りには仲間と思わしき不良が三人ときている。

 ハンドルをきって人との接触をどうにか回避したら、水溜りにスリップして壁に衝突した気分を兼一は味わった。

 

「兼一さん! 今こそ内藤先生から貸して貰ったあの本を実践する時ですわ!」

 

「はっ! そうでした!」

 

 美羽に言われ兼一は本で見た内容を思い起こす。

 人を見かけで判断してはいけない。この鼻にピアスをかけてはだけた胸元に刺青があって、おまけに煙草を吹かしている男だって、実は田舎の御婆ちゃんを気遣うピュアな青少年かもしれないのだ。

 本に書かれていた通り兼一は敵意のない朗らかな笑みを浮かべつつ、ニコニコと手を差し出した。

 

「ごめん、僕が悪かったよ。仲直りし――――」

 

「舐めたことぬかしてんじゃねぇぞゴラァ!」

 

「ひぃ! やっぱ駄目だー!」

 

 和解の為の方法その一、笑顔で握手は一瞬で失敗した。

 そんな時だった。ピアス男の仲間の一人が兼一を指差して耳打ちする。

 

「おい黒井。こいつ、まさかあの白浜兼一じゃねえか?」

 

「白浜って新白の切り込み隊長のか!? へへへへへっ。こいつぁラッキーだぜ。白浜兼一をぶっ潰せば幹部に取り立てられるって話だからな。

 このラグナレクが誇る新星、赤き稲妻こと黒井たかし様の力を八拳豪に示すチャンスだぜ! 死にな、白浜兼一!」

 

「やっぱり結局こうなるのか」

 

 苛められっことしての経験があるせいで、不良オーラ全開の相手に恐怖を捨てることはできなかった。

 だが兼一とて梁山泊で遊んでいるわけではない。一日一日が辛すぎて一週間に思える程に過酷な修行で魂をすり減らしているのだ。

 自称〝赤き稲妻〟が殴りかかってくると、兼一の体は反射的に動き鼻ピアスの腹に突きを入れていた。

 

「う、ごぉぉ……! こいつ如何にも雑魚みてえな顔して、なんてパンチだ……。くそっ! 逃げるぞ、お前等」

 

「お、おう!」

 

 鼻ピアスがやられると他の仲間達は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

 だが不良の撃退には成功したものの、貸して貰った本の内容を役に立てることはできず気分はブルーである。

 

「お見事ですわ。日頃の修行で腕にもかなり筋肉がついてきましたわね」

 

「でも本の通りに話しあいで解決することは出来ませんでした……」

 

「一度や二度の失敗で落ち込むことはない。自転車を乗るのをマスターするのに何回も転ぶように、失敗は成功の秘訣でもあるのだから」

 

「はい、先生…………って、内藤先生!?」

 

「やぁ。喧嘩かい?」

 

 振り返ると、まるで最初からそこにいたように紙袋を抱えた内藤先生が立っていた。

 手に抱えている袋には蜜柑が大量に入っている。近所のスーパーで蜜柑の特売があったのでそこで買い込んだのだろう。

 

(あれ? これって僕、ピンチなのでは?)

 

 内藤先生は臨時といえど教師。そして兼一は教師に喧嘩を見られた生徒だ。

 停学、退学、美羽と離れ離れという不吉な単語が兼一の脳裏を飛び交う。

 

「そんなに怯えなくても別にこのことを他の先生に報告したりしないよ」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「見たところ正当防衛のようだし、そもそも喧嘩くらいで一々どうこうしていたら荒涼高校の生徒が三分の一くらい学校からいなくなっちゃうしねぇ」

 

「た、確かに」

 

 荒涼高校は偏差値が低いこともあって、毎年多くの不良が入学してくる不良の巣窟とすら揶揄される学校だ。

 校内で煙草をふかす生徒だって何度か見たことがあるし、喧嘩もそれこそ連日のようにあちこちで起きている。

 

「にしても良い動きをしていたね。白浜くんは空手とかそういうのをやっているのかい?」

 

「は、はい。空手もやってます」

 

「へぇ、頑張ってるんだねぇ」

 

「ええ。毎日死ぬ思いをしてやってます」

 

 こういう言い方をすると大抵は凄く辛い修行をしているという意味に受け取られるが、兼一の場合は少し違う。本当に死にそうになりながら修行をしているのだ。実際、臨死体験をしたのも一度や二度ではない。

 

「じゃ。私はそろそろ行くよ。これから用事があるんでね。また明日」

 

 蜜柑を一個袋から取り出して齧りながら、内藤先生は去っていった。

 

 

 

 クシャトリアは兼一たちの見えない場所まで来ると、その場から掻き消えるように高速移動をしてビルの上に移った。

 下校していく兼一と美羽の後姿を見据えながら食べかけの蜜柑を呑み込む。

 

「空手〝も〟か。梁山泊には空手、柔術、中国拳法、ムエタイ、武器術の達人がいるが、これで最低でも二つ以上の武術をやっているのは確定か」

 

 事前に渡されたデータで空手、柔術、中国拳法、ムエタイを教え込まれているのは知っていたが、情報というのは自分で直接確かめなければ100%信用できるものではない。

 

「それにしてもラグナレクと小競り合いだって? ラグナレクといえば拳聖が主催している育成プロジェクトの一つじゃないか」

 

 一影九拳の一人で新参でもある拳聖は特に弟子育成と弟子をとることに熱心な男だ。

 拳聖は表向きは武闘派の不良グループとして幾つかの組織を作り上げ、野に埋もれている若い才能を収集しようとしている。

 ラグナレクはそんな人材育成プログラムの一つで、確か拳聖が直々に教えを授けた弟子の朝宮龍斗がトップを務めているはずだ。

 

「一影九拳の一人の人材育成プログラムと敵対する梁山泊の弟子、か。これは一影の仰ったように全面戦争の引き金になるかもしれないな」

 

 これは兼一だけではなく、ラグナレクについても調べた方が良さそうだ。

 だが一影九拳の主催するプログラムに一人の闇人でしかないクシャトリアが迂闊に手を出すわけにはいかない。

 クシャトリアは拳聖と連絡をとるまで用意されているセーフハウスに戻った。

 




本郷「席につけ。化学の授業を始める」

宇喜田「いてて。昨日は酷ぇ目にあったぜ」

兼一「馬師父と岬越寺師匠が保健室にいて良かったですよ」

本郷「アンモニアは液化し易く、また――――」

生徒A「でよぉ。昨日、隣のクラスの山田の姉ちゃんが駆け落ちしてよぉ」

生徒B「マジかよ。凄ぇ」

本郷「人越拳ねじり貫手!!」

宇喜田「ぶっぷべッ!?」

武田「宇喜田ァァァァアアアアアアアア!!」

兼一「ど、どうして雑談していた生徒AとBじゃなくて宇喜田さんを攻撃するんですか!?」

本郷「俺は武人以外は手にかけん」キリッ

夏「だからって変わりに柔道家の宇喜田を攻撃するなよ……」

美羽「きゅーきゅーしゃ! きゅーきゅーしゃですわ!」

武田「うおおおおおおおおお! 死ぬなァァァァ! 宇喜田ァァァアアア! 心臓マッサージしてやるぞぉぉおお!!」グッグッグッ

宇喜田「」チーン



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第27話  拳聖

 闇は昔ながらの武術である殺法を伝承させていくことを目的とする、現代人からすれば時代錯誤な思想をもつ組織である。

 だが思想が時代錯誤であっても、それは決して時代遅れとイコールではない。

 寧ろ闇は発達したスポーツ科学や医療分野などを積極的に取り入れ、武術をより高き領域へと到達させようとしている。闇の組織には達人だけではなく、人知を超えた達人に研究心を刺激されたその道の権威たちも多く所属しているくらいだ。

 中でもクシャトリアにとって恩人であり第二の師ともいうべき櫛灘美雲は、櫛灘流の永年益寿を完璧なものとするために、自身も最新のスポーツ科学に精通している。

 そして最新技術を導入しているのは武術だけではない。一影九拳の会議にイントラネットを使うこともある。

 だからクシャトリアも一影九拳の一人である拳聖と連絡するのに使ったのはなんら特別なものではなく、一見するとなんの変哲もない極普通の携帯電話だった。

 見た目こそただのケータイだが、闇の研究者が作り上げた受信力諸々が並みのケータイとは段違いの代物である。

 一応クシャトリアも一影九拳に近い位置におり、一影とも直接話せるほどの闇人。一影九拳の連絡先については殆ど知っている。

 若干一名未だどこかに放浪中で連絡がとれない御仁もいるが、それは例外中の例外だ。

 

「拳聖……出るかな」

 

 拳聖、緒方一神斎の連絡先にかけると発信音が鳴る。

 連絡先を知っているからといって決して連絡がとれるわけではない。以前にアーガードに連絡を入れた時は大事な用事だったのに『決闘中はケータイの電源は切るのがマナー』だとかで全然繋がらなかった。

 それに幾ら闇のケータイが優れているといっても、ケータイである以上、電波が届かない場所にいては連絡はとれない。

 

『はい、もしもし』

 

 だがそんな心配は無用だった。ケータイから拳聖のどこか陽気な声が聞こえてくる。

 

「もしもし、連絡が繋がって良かった。九拳の方々に連絡してまともに繋がる確率は半々といったところだったが、これからは六割になったよ」

 

『この声はクシャトリアだな。ははは、久しぶり。元気にしてるかい』

 

「その様子だとそちらも変わりないようで」

 

 一影九拳の中で緒方とクシャトリアは年齢が近いことと、一緒に武術の研究をしたり秘伝を教え合ったりするので比較的親しい間柄だ。

 もっともクシャトリアは緒方の武術的狂気が師匠と通じることがあり少し苦手だが、逆に言えば師匠よりはマシなのでそのことに対しての嫌悪感は薄い。

 

『いつぞやは私の考案した技の実現に協力してくれてありがとうね。静と動の気両方のエキスパートの君の意見は実に参考になったよ。早速弟子の一人に仕込んでおいた』

 

「……おいおい。あの技はまだ未完成。使えば一時的に爆発的な力を得られるが、俺の見立てだと弟子クラスなら一分間も使えば精神と肉体が崩壊していってとんでもないことになるぞ」

 

『クシャトリア、私はね。武術においては才能も凡庸も関係なく、全ての人間が平等だと考えている。才能なんて武術においてはほんの些細な要素の一つ。どんな理由があれ武術を教わりたい者全てが平等に武術を教わるべきだと思う。

 それがどれほど危険な技であろうと、教えを請われれば喜んで私は技の伝授をしよう。君に私の秘伝を教えたのと同じようにね』

 

「行き過ぎた差別主義も狂っているが、行き過ぎた平等主義もそれはそれで同じ穴のムジナだと思うけどね」

 

『相変わらず辛辣だねぇ。だけど君は私を止めはしないのだろう?』

 

「君が自分の弟子にどんな技を教えようと、それは君の師弟の問題だ。人の師弟の問題に他人が口を出すものじゃない。それに」

 

 緒方一神斎が開発し、完成を目指している禁忌の技。

 静と動、二つの相反する気を同時発動させることで爆発的な力を得る秘伝。もしもそれが完成すれば静の気と動の気を同時に修めたクシャトリアにとって大きな力となる。

 静の気だけのジュナザードには出来ない技。きっとそれは師匠を殺す時の戦いで心強い武器となるだろう。だからこそクシャトリアも緒方の研究に協力しているのだ。

 生半可な覚悟では邪神を殺すことはできない。

 人が神を殺そうとするのならば節操なしと後ろ指刺されようと多くの奥義を盗み、外道に手を染めることを厭ってはいられないのだ。

 全ては師匠ジュナザードを殺す為。ジュナザードを殺さずしてクシャトリアに真の自由は訪れない。

 

『それで今日はどんな用だい? まさか私と他愛もないお喋りに興じる為に連絡したんじゃないんだろう、拳魔邪帝』

 

「一影から命じられたミッションに問題が発生してね。君は今どこにいる?」

 

『闇ヶ谷、日本の心臓と呼ばれる樹海さ。少し……修行と供養のためにね』

 

「おかしいな。死合いで殺した相手の死を悼んで供養するような人間だったっけ、おがちゃんは?」

 

『違うよ。だが死合いで殺した相手の中に、まだ自分で自分の行く道を決めることのできぬ赤子の魂がいたのは私にとって不覚であり悔やむべきことだ』

 

「……………そうか」

 

 武術の発展の為なら己の死すら厭わない緒方も、なんの罪もなければ武術家ですらない赤ん坊を殺めたことは堪えたらしい。

 しかし緒方のいる闇ヶ谷といえば都心から半日かけても辿り着けない様な樹海だ。出来れば直接会って話したいことだったが、わざわざ話をするために闇ヶ谷に赴く訳にもいかない。

 クシャトリアは電話越しで妥協することにした。

 

「俺が一影から命じられた任務については?」

 

『すまないがここ最近はずっと闇ヶ谷に籠もっていたんでね。何を命じられたんだい?』

 

「梁山泊がとった弟子の監視と調査」

 

『――――ほぉ。梁山泊のくされ爺め。やっとこさ弟子をとりやがったな』

 

 緒方は本来なら白浜兼一よりも先に梁山泊最初の弟子となるはずだった男。

 自分を差し置いて梁山泊の弟子となった男に興味津々の様子だった。

 

『で、どういう奴だい? その弟子っていうのは』

 

「一言で言えば……才能の欠片もない、どこにでもいる極普通の高校一年生?」

 

 クシャトリアは白浜兼一を観察して収集した情報をそのまま教える。

 普通の相手なら梁山泊の一番弟子がそんなはずがないと、冗談かなにかだと一蹴するようなことだが、緒方もまた普通の男ではなかった。

 

『フッ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! あのじじいらしい! 才能がない、そうか才能がないか! 梁山泊め、中々面白そうな弟子を育成しているじゃないか。

 それで梁山泊の弟子の監視で私に連絡しなければいけない事っていうのはなんだい?』

 

「チーム・ラグナレクだったっけ、君の人材育成プログラムの一つ。どうも梁山泊の弟子の白浜兼一というのがね。そのラグナレクと抗争みたいになっているらしくて」

 

『詳しく聞かせてくれ』

 

「これはまだ調査中だが、強さに目を付けられてラグナレクに襲われるうちに、白浜兼一とその悪友が新白連合なる組織を作って本格的な対立関係にまで発展したらしい。

 どうする拳聖? ラグナレクのリーダーをしているオーディン、朝宮龍斗はまだYOMIに名を連ねているわけではないとはいえ君の正式な弟子だ。

 ラグナレクと新白連合の抗争など我々からすれば子供の喧嘩に等しい、が、史上子供の喧嘩が国同士の争いに発展した例は数多い。

 下手すればこの抗争を切欠に闇と梁山泊の全面戦争が勃発しかねないぞ」

 

『それはそれは。私の企画したプログラムが戦争の引き金になるとは名誉なことだ』

 

「おいおい」

 

 冗談は止めろ、とは言わない。緒方は本気だ。本気で自分が戦争の引き金を引くことを名誉に思っている上に、戦争の勃発を心待ちにしている。

 しかし人知を超える強さを手に入れた達人にとって、己の武を満足に振るえない泰平の世は退屈極まるもの。乱世の豪傑は治世においては凡夫。豪傑が豪傑らしくあれる戦争を求めるのは達人の性といえるかもしれない。

 

「戦争のことは一先ず置いておこう。白浜兼一の調査と監視をする上で、君のところの組織と接触や干渉する事があるかもしれない。

 一影九拳の一人のプログラムに、一影九拳の弟子の俺が無断で干渉すると問題になりかねないから、その許可が欲しい」

 

『他ならぬ君の頼みだ、いいとも。だがお願いを聞くついでに私の願いも聞いて欲しい』

 

「分かった。俺にできることなら」

 

 こちらの要望を聞いて貰っておいて、相手の願いを断ることはできない。

 緒方とはジュナザードを殺す為の『研究』の大事な大事な協力者。良好な関係を保っていく必要がある。

 

『私は闇ヶ谷に籠もっている身だからねぇ。都会の様子は良く分からないんだ。そこですまないんだがラグナレク以外の人材育成プログラム、マビノギオンとティターンという名前の組織なんだが、そこの様子を代わりに見て来てくれないかな』

 

 ギリシャ神話におけるティターン神族に、ブリテンの物語のマビノギオン。北欧神話の終末の日であるラグナレクといい、緒方はヨーロッパの神話や伝説が好きなのかもしれない。

 クシャトリアは潜入ミッション中だが別に四六時中、白浜兼一につきっきりで監視をする訳ではない。そもそも梁山泊の豪傑たちの所で一日の殆どを過ごす白浜兼一を、誰にも気づかれず二十四時間監視するなんて他の一影九拳でも不可能だ。

 だから一日くらい別の街へ赴き緒方の主催するプログラムを見に行くのは難しいことではない。

 

「そのくらいなら喜んで」

 

 緒方の人材育成プログラムというのにも興味がある。

 もしかしたら一影九拳のYOMIたちに匹敵するダイヤの原石が眠っているかもしれない。

 話を終えたクシャトリアは電話を切った。

 




アーガード「さぁ。席に着けー。これから倫理の授業を始めるぞ」

兼一「ふぅ。良かった、あの人なら闇でもまともだ」

アーガード「えー、無知の知というのは哲学者ソクラテスの言葉で自分自身が無知であることを知ってる人間は、自分が無知だと知らない人間よりも賢いってことだ」

プルルルルルルル……

宇喜田「おっといけね。ケータイが鳴っちまっ――――」

アーガード「完璧なる白神象の領域(ソンブーン・ヤン・エラワン)!」

宇喜田「へびょひゃぁ!?」

武田「宇喜田ァァアアアアアアアアア!!」

アーガード「授業の前には携帯電話の電源は切っておこうな、マナーだ!」

コーキン「宇喜田孝造、身長180cm。柔道家。……享年、19歳。プロファイル完了」

夏「言ってる場合か!」

美羽「きゅーきゅーしゃ! きゅーきゅーしゃですわ!」

武田「うぉおぉおおおおおおおお! 死ぬなぁぁああああ! 宇喜田ァァアアアアアアアアア! 仏の顔も三度目なんだぞぉおおおおおおおおお!」

宇喜田「」チーン


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第28話  調査

 拳聖・緒方一神斎が自分のYOMIを選ぶために作り上げた、 表向きには武闘派不良集団に偽装している人材育成プログラム。

 達人であるクシャトリアにとって、それを調べることは梁山泊の弟子の調査や監視と比べれば遥かに難易度の低い仕事である。

 白浜兼一の調査をする時は彼の師匠、梁山泊の豪傑たちに自分の存在が露見するという危険性を常に警戒していなければならないが、拳聖の頼みをこなす上ではそんな警戒は無用である。

 いくら人材育成プログラムにダイヤの原石が集まろうと所詮は弟子クラスの域を出ない者ばかり。

 ジュナザード仕込みに隠遁術をもつクシャトリアが気配を遮断すれば、見つけることは不可能となり、容易く彼等の拠点にも忍び込める。

 一日で一つのチームと決めて、既にこの二日間でクシャトリアはチーム・ラグナレクとチーム・マビノギオンの調査については完了していた。

 

「マビノギオンの構成員の下端雑魚太郎。総合評価E、と。」

 

 クシャトリアが調査するのは、主に人材育成プログラムに集まった者の武術的素養についてだ。

 だがあくまで素養であって現時点での実力ではない。達人がつきっきりで指導すれば、どれほど素質のない者でも妙手クラスまで押し上げることはできる。

 故に重要視するのは『達人』になれるほどの伸び代があるかどうかだ。

 

「マビノギオンの極支の男(サブミッションマン)。これは中々の素質がある人材だな……」

 

 異名通りルグは関節技を得意とする男だ。多くの抗争で敵対チームの者達を外してきている。碌な師匠もなしに殆ど我流だろうに見事なものだった。

 けれど彼の特徴はそんなところにはない。彼の一番の特徴は彼が全盲であること。要するに彼は目が見えていないのだ。

 だが生まれつき盲目というハンデを背負ったからこそ、彼は視覚以外の感覚と気を読む力が異様なほどに発達している。気を読む技能に至っては妙手クラスに手が届いているかもしれない。

 更に外界を知る一番の手段である視覚がなかったせいで、彼は自分の内部に膨大な気を溜めこんでいる。彼が気の解放を修めれば、気に関しては達人に近い領域にまでいけるだろう。

 

「一影九拳のYOMIたちと比べても劣らない素養、評価A+……と」

 

 しかしチーム・マビノギオンで目ぼしい人材はルグくらいだ。

 他のメンバーは五十歩百歩。一般人レベルではそこそこの才能がある秀才、悪く言えばYOMIレベルでは凡夫な者ばかり。

 もっともルグという才能を探り当てただけでチーム・マビノギオンは十分に役目を果たしたといえる。

 

「それにしてもチーム・ラグナレク。白浜兼一が抗争しているっていうチームは凄いな」

 

 マビノギオンはチームリーダーと幹部全員探して目ぼしい人材がルグ一人しかいなかったのに対して、ラグナレクは幹部全員が目ぼしい人材ばかりだった。

 

「第八拳豪バルキリー、本名は南條キサラ。元第三拳豪フレイヤ直属部隊ワルキューレ所属、テコンドーの使い手……新参だけあって八拳豪では未熟だが、優秀な師匠がつけば化ける可能性十分。精神面もそこそこ自立しているが、冷酷なようでいて情に脆いところがあるから総合評価C。

 第七拳豪トール、本名は千秋祐馬。相撲を異種格闘技用に改良した実戦相撲の使い手。スポーツとしての武術ではなく、実戦としての武術を求めていることから闇人になる素養もある、か。精神面も含めてB評価にしておこう」

 

 生死を分けるのは技でも力でもない。心だ――――という一影の言葉通り、精神面というのは武術において重要な要素の一つだ。一胆、二力、三功夫という言葉も中国拳法にはある。

 しかしクシャトリアは純粋な精神の強さで評価しているわけではない。

 拳聖の弟子としてYOMIに、ゆくゆくは闇人になるには非情の心が重要となる。どれだけ精神が強くても、それが活人拳的な強さならば闇人としてはプラスではなくマイナスだ。

 

師匠(グル)から教わった心を壊す秘術に、心を作り変える秘術を使えば人格なんて考慮する必要もないが、流石にそれはやりたくない)

 

 そもそも緒方はジュナザードの秘術なんて知らないし、クシャトリアも緒方にだけは教える気はないので考える必要もないが。

 

「第六剣豪ハーミット、谷本夏…………って何処かで聞いたことがある名前だと思ったら放浪中の拳豪鬼神・馬槍月殿の弟子じゃないか。なんで馬槍月殿の弟子が緒方の人材育成プログラムに……。

 人格、実力どれをとっても問題なし。総合評価はA+といいたいところだが馬槍月殿の弟子なので評価保留にしておこう」

 

 一影九拳の間には不可侵条約のようなものが定められている。放浪して九拳の席を友人の魯慈正を預けているといえ彼も九拳の一人であることは変わらない。

 もし馬槍月と同じく九拳である緒方が馬槍月の弟子を弟子にしてしまえば重大な問題が発生しかねないのだ。

 

「第五拳豪ジークフリート、九弦院響。我流で生み出した変則カウンターの使い手。新白連合の切り込み隊長・白浜兼一との戦いに敗れたショックでラグナレクを離れ行方不明。

 実力はスリーオブカードにも迫ると噂されているが、余りに性格に難があるため第五拳豪の地位に留まり部下も殆どいない。作曲を邪魔すると誰彼かまわず殺意を向ける」

 

 武術と芸術を両方極めたアレクサンドルも激昂して一個中隊を皆殺しにするほど性格に問題がある人物だが、このジークフリートも十分その素質を備えている。

 芸術家で武術家というのは気難しい人物が多いのかもしれない。

 悩んだ末、クシャトリアはA評価をつけておいた。

 

「第四拳豪ロキ、本名不明。ラグナレクの戦う参謀と自称するだけあって策略と策謀に関しては中々。実力で第五拳豪や第六拳豪に劣るが、兵法と虚実に関しては飛び抜けている……。精神面が闇に向いているからB評価にしておこう。

 第三拳豪フレイヤ、本名は久賀舘要。久賀舘流杖術の正統後継者で神武不殺の信念をもち…………駄目だ。実力も才能もトップクラスでも、精神面が活人拳寄りの上に無手組の緒方とは相性最悪。惜しい人材だが彼女は駄目そうだな」

 

 しかも久賀舘流杖術といえば戦時下であっても不殺を貫き、闇の誘いを断り続けた伝説の杖術家・久賀舘弾祁の流派だ。

 そういう意味でも闇に加わる可能性は皆無に等しいといえるだろう。

 

「第二拳豪バーサーカー、本名は吉川将吾。武術に関してはまったくのド素人。天賦の才のみで数多くの武術家を沈めてきた無敵の喧嘩屋。動の気の素養も中々。

 精神面でもYOMIの弟子たちがもつような強さへの執着もあって十二分。評価A+が妥当か……」

 

 現時点での実力は兎も角、才能においてはこのバーサーカー。YOMIのリーダーの叶翔にも匹敵しかねない。

 叶翔は暗顎衆という特殊な出自故の天賦の才能だったが、このバーサーカーは突然変異の天賦の才だ。

 

「第一拳豪オーディン。彼についてはもはや語るまでもなく評価A+、と」

 

 クシャトリアは緒方の武術の研究を手伝う過程で、オーディンこと朝宮龍斗とは面識もあり実力も知っている。

 なので今更彼の実力を調査する必要もなかった。調べずとも緒方が一番よく知っているだろう。

 

「そして――――」

 

 クシャトリアの視線の先ではこの辺りの街で幅を利かせる不良グループ、爆走冷蔵庫連合の構成員五十人と、緒方の人材育成プログラム・ティターンのリーダーであるクロノスが一人で戦っている。

 多勢に無勢。でありながらクロノスは巨体によるパワーと耐久力を活かして五十人の不良たちを一方的に蹂躙していく。

 

「総合評価B……ってところか。悪くないが、他のチームと比べたら飛び抜けてもいないな」

 

 クロノスの名前の横にBと書くと、クシャトリアはビルから飛び降りて地面に着地する。

 これでラグナレク、マビノギオン、ティターン。全ての調査が終わった。緒方もこれで満足するだろう。

 クシャトリアが帰ろうとすると、丁度見計らっていたようなタイミングでケータイが鳴る。

 

「はい、もしもし」

 

『やぁ、クシャトリア。そろそろ終わった頃だと思ってね』

 

「どんぴしゃだよ。今さっき最後のティターンの調査を一通り終えたところだ」

 

 電話の相手は予想通り緒方だった。クシャトリアは嘆息しながらも応対する。

 

『ティターンに集まった人材はどうだった? 君の目から見て目ぼしい人材はいたかい?』

 

 マビノギオンとラグナレクについては昨日報告を入れている。

 前日のラグナレクが異例の人材の宝庫だったこともあって緒方の声には期待が満ちていた。

 

「残念ながら期待に答えられそうにはないよ。リーダーのクロノスはそれなりだったが他は全然。クロノスにしてもラグナレクのオーディン、バーサーカー。マビノギオンのルグのように飛び抜けているわけでもない。総合的に見て評価はBというところかな」

 

『そうかぁ。それは残念至極、君が言うんだから間違いないんだろうねぇ。じゃあティターンの方は失敗か』

 

「ラグナレクの方が人材の宝庫だったんだから、チーム一つの失敗なんて損失でもなんでもないだろう。それにクロノスにしても龍斗くんほど飛び抜けてないだけで十分に素養はあるんだし」

 

『ふっ、そうだね。ネガティブになっても仕方ない。前向きに考えるとしよう』

 

 今直ぐYOMI入りしても十分やっていける才能の持ち主だけで三人も緒方は手に入れたのだ。

 人材育成プログラムが成功したことの証明にこれ以上のものはいらない。

 

「やっちまえ!!」

 

 歩いていると路地の裏から男達の怒鳴り声が響いてきた。

 無視しようと思ったが、なんとなく心がざわめき怒鳴り声のしている場所を覗きこむ。

 するとそこには無数の不良たちと、不良に囲まれたゴシックロリータと呼ばれるファッションに身を包んだ少女が一人いた。

 

「クロノスを爆走冷蔵庫連合の奴等が抑えているうちに、俺達のグループがティターンの幹部たちを袋にする!」

 

「リーダーの作戦は完璧だぁ!」

 

「ティターンのアタランテー。ここでぶっ殺してやるぜぇ!」

 

 金属バットや鉄パイプをもった男達の一斉攻撃。それを向けられるのは男達より一回りも小さい少女。

 誰の目から見ても明らかなパワーバランスはしかし、

 

「リミッ!」

 

 少女が動いた瞬間に覆された。

 

「ぶぅっくすっ!?」

 

「ぎらぐぁぃっ!?

 

「べくたっ!?」

 

 まるで夜の空を自在に舞う燕のような動き。地面と壁を縦横無尽に駆け抜けた少女の蹴りで、男達は一瞬でのされてしまった。

 少女の動きには無駄も多く、荒削りで、未熟な所も多い。だが一万人を一人一人調べまわっても見つけ出せないほどのものを少女はもっていた。

 

『どうしたんだい、クシャトリア?』

 

「――――いたよ。目ぼしい人材が」

 

 クシャトリアは心のメモ帳にアタランテー、総合評価A+と書き記した。




兼一「漢文の授業の馬槍月先生……また自習か」

夏「初日から数えて十五回目じゃねえか。あの不良師父。なんでクビにならねえんだ」

武田「だけど教師が留守なら宇喜田が殺されることもないじゃな~い。な、宇喜田」

宇喜田「」チーン

武田「宇喜田ァァアアアアア!?」

夏「ああ。昨日うちの師父に酒を付き合わされて、急性アルコール中毒でな」

美羽「きゅーきゅーしゃ! きゅーきゅーしゃですわ!」

武田「宇喜田ァァァア!! 酒は二十歳になってからだぞぉぉぉおお!」


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第29話  秘伝の一つ

c.m.様が描いて下さったクシャトリアのイラスト

【挿絵表示】



 ギリシャ神話に因んだチーム名だからか、ティターンの幹部たちに贈られる異名もギリシャ神話に因んだものが多い。

 リーダーのクロノスという名もギリシャ神話の主神ゼウスの父親である農耕の神からとったものだ。

 アタランテーも同じ。アタランテーとはアルゴー船の冒険などで有名な、ギリシャ神話に登場する女狩人の名前だ。

 不良たちを一分も経たずに撃沈してみせたゴシックロリータなファッションの少女は「ふい~」とのんびりと汗を拭う仕草をする。

 そのまま少女は踵を返し帰ろうとして、一部始終を見ていたクシャトリアと目が合った。

 

「のわー! まだなんかいた!」

 

 気配を消していたせいで直に見るまで気付けなかったのだろう。アタランテーはクシャトリアを見た瞬間、飛び退くと構えをとった。

 クシャトリアのことに気付けなかったのは特に減点には値しない。クシャトリアが気配を消してしまえば、弟子クラスでそれを感知するのは不可能なのだから。

 寧ろ敵と思わしき相手を発見して直ぐに警戒態勢をとれたのが高評価である。

 

「新手の敵!? はっ! そのガングロに赤い目に白髪……まさかイシュバール人!? リミは国家錬金術師じゃないお!」

 

「………………」

 

 だがこの訳の分からない言動は低評価せざるを得ない。

 クシャトリアも自分の容姿が日本人離れしていることは分かっているし、クシャトリアが日本人であることを知る者など師匠や美雲を始めとした一部の人間だけだ。

 断じてイシュバールだとかいう聞いた事のない人種ではない。

 

『どうしたんだいクシャトリア。電話越しでも疲れたムードが伝わってくるが』

 

「拳聖。君が言った目ぼしいメンバーの中にアタランテーなんて名前はどこにもなかったのはどういうことなのか説明して欲しい」

 

『アタランテー? それが君が見つけた目ぼしい素材の渾名かね。……以前オーディン、朝宮龍斗からは八人目の拳豪が生まれたと報告を受けたばかりだったがクロノスからはまだだった。きっと彼女は幹部に取り立てられたばかりだったんじゃないかい』

 

「……なるほど」

 

 となると丁度クシャトリアが拳聖に仕事を頼まれた時あたりにアタランテーが幹部になったということだろう。

 タイミングのせいとはいえ危うくティターンで最高の素養をもつ人材を見逃すところだった。自分の調査ミスをクシャトリアは自省する。

 

「あのぉ」

 

 アタランテーがおずおずと尋ねてくる。

 

「なにか?」

 

「電話で拳聖とか言ってましたけど、それってティターンの象徴だっていう拳聖様のことですか?」

 

『いいよ、正直に答えても』

 

 達人である緒方にはケータイより離れた位置にいるアタランテーの声も簡単に聞こえるようだ。

 人材育成プログラムの主催者の許可もとれたのでクシャトリアは正直に言うことにする。

 

「私はクシャトリア。拳聖の……知り合いみたいなものだ。彼の頼みでね。リーダーのクロノスを始めとしたティターンのメンバーたちの才能や実力諸々を調査しにきた」

 

「えぇー! それじゃリミがアタランテーじゃなくて小頃音リミって名前だってことも、最近ティターンの幹部に取り立てられたことも、実はリーダーのクロノスを倒してリミがリーダーとして爆誕する野望も、そのために秘密の特訓してることも全部ばれちゃったんですかー!」

 

「……………アタランテー、小頃音リミ。一つ先達として忠告するが、君は知らない人に会ったら口にチャックをしておいた方が良い」

 

 こういうタイプが詐欺師に騙されて人生破滅させたりするのだろう。少しばかり彼女の将来が心配になってしまった。

 クシャトリアは溜息をつきながらもあたふたと狼狽している彼女に視線をやる。

 アタランテー、小頃音リミのお頭の残念さはA+の評価をAに落とすのは十分だったが、彼女の失言のお蔭で色々と分かった。

 

「リーダーを倒して自分がリーダーに。下剋上なんて、面白いことを考えるじゃないか」

 

「や、やっぱりこのことリーダーに報告とかしちゃいます? リミ、怒られちゃうんですか?」

 

 リミは心配そうに目を伏せる。

 ティターンのリーダー、クロノスは自分の敵には徹底的に容赦ない性格をしている。リミが女で少女であることなど関係ない。リミが自分に対して反逆の意志をもっていることを知れば、確実にクロノスはリミを完膚無きにまで潰しに掛かるだろう。

 そして潜在的な素養は兎も角、現時点の実力はクロノスの方がリミより上。今戦ってもリミに勝ち目はない。それが分かるからこそリミも今直ぐに対決を挑まず、秘密の特訓で力を蓄えているのだろう。

 

(相手の力量を正確に把握して戦いを避ける判断力を持ち合わせている、か。お頭とか性格は残念極まりないが、決して考えなしの阿呆じゃない。天性の直感力にも秀でている。評価をA+に戻す必要があるかな、これは)

 

 天性の野性的な判断力といい、リミは静のタイプより動のタイプ寄りの武術家に見える。けれど決してそれだけではない。

 彼女もクシャトリアと同じ静のタイプと動のタイプの両方に進める素質をもつ逸材だ。ますますもって拳聖が好みそうな素材である。

 

「いやこのことをクロノスに報告する気はない」

 

「ほ、本当ですかぁ!?」

 

「予備校の優劣が頭の良し悪しで決まるように、我々にとっての優劣は強いか弱いかで決まる。クロノスが君に敗れるのなら彼はそこまでの人材だったということ。寧ろ拳聖はクロノスを倒すほどの人材がいたことに喜ぶだろう。

 クロノスを倒すのは簡単なことじゃないとは思うが励むと良い。頑張っていれば、或いは拳聖が己の弟子として取り立ててくれるかもしれないぞ」

 

「よ、良かったぁー。まだクロノスと戦っても勝てない様な気がしてたし。リミの直感はやたら当たるもん」

 

 果たして拳聖の弟子になることが、武術家として正解なのかは分からない。

 自分の弟子を実験体にするような拳聖のこと。仮にリミが拳聖の弟子になっても途中で壊れてしまう可能性もある。

 しかし拳聖の弟子になるもならないも全て小頃音リミという人間が己の意志で決めること。クシャトリアの口出しすることではない。

 

「ちょっと待った! タンマタンマ!」

 

「まだなにかあるのかい?」

 

 帰ろうとしたところをリミに呼び止められ、クシャトリアは気だるけに振り返る。

 調査を完了して小腹も空いてきたところなので、クシャトリアは帰ってパイナップルを食べたかった。

 けれど腹が空いているから年下の少女の言葉を無視するほどにクシャトリアは自分勝手でもない。

 

「拳聖様の友達っていうことは、ずばりクシャトリアさんも武術の達人なんですよね!」

 

「……」

 

「どうよリミの名推理。ずばり真実はいつも一つ!」

 

「嘘をついても仕方ないから白状するが、確かに巷では達人級(マスタークラス)なんて呼ばれている者の一人だ。拳聖ともまぁ以前の組手では引き分けだったしねぇ」

 

 いつかの組手はコンマ数秒先に最初に攻撃を入れたのはクシャトリアだったが、コンマ数秒後により強い攻撃を入れたのは緒方だった。

 組手としてはクシャトリアの勝ちかもしれないが、闇の武人にとって戦いとは即ち殺人。その観点でいえばより威力の強い緒方の方が殺人拳的には勝者といえる。

 謂わばクシャトリアは試合には勝って勝負に負けて、緒方は試合には負けたが勝負に勝った。故に引き分け。

 

「だったら折角なんだしリミに秘密の必殺奥義とか教えて下さい! 石破天驚拳とか天翔龍閃みたいなのっ!」

 

「なんだいその技は? どこの流派だ」

 

「えぇー! 有名なのに知らないんですか? だったら北斗神拳みたいなので!」

 

「……北斗神拳って」

 

 ずっと以前、クシャトリアが拉致されて国外に連れて行かれる前の記憶を穿り返すところによれば、北斗神拳は秘孔をついて人体を内部から破壊する暗殺拳、だったような気がする。

 幾らなんでも指で人体を突いて爆発させることなど出来はしないが、似たような事ならクシャトリアも経穴を抉ることがやれる。

 とはいえそれはカラリパヤットの秘伝の一つ。クシャトリアも色々苦労して技を盗み出したが、一朝一夕で教えられるようなものではない。

 

『いいじゃないか。何か一つ秘伝を教えてあげれば』

 

「……簡単に言ってくれる」

 

 切るのを忘れたケータイから緒方の愉快気な声が発せられる。

 しかしこのままだと無視して帰っても着いてきそうだ。弟子クラスの追跡を撒くなど容易いことだが、女性というのは時に舌を巻くほどに執念深いもの。下手にこの場で切り捨てても逆に面倒な事になっても困る。

 

「仕方ない。それじゃ一つだけ秘伝を教えよう」

 

「やった! これでリミもサイヤ人みたいにパワーアップして、クロノスを倒してリッミリッミにしてやんよ!」

 

「……リミ。君はさっきの戦いからみるにスピードに自信があるようだが」

 

「は、はい。スピードならクロノスよりも断然上でティターンでリミがナンバーワンですよ?」

 

 アタランテーは結婚相手の条件としてかけっこを出し、夫候補をハンデで自分より先に走らせ、追い抜かれた者はその場で処刑してきたという伝説がある。

 性別が女性で俊足が売りのリミにはアタランテーは中々にピッタリな異名といえる。

 ちなみにギリシャ神話で最も足が速いとされるのは英雄アキレウスの愛馬であるとされ、二番目に足が速いのがアキレウスであるという。

 

「ならこれから走る時に手足を交互じゃなく同時に前後させるといい」

 

「同時に?」

 

「難場走りといってこれをマスターすれば君の速度は格段に上昇するはずだ」

 

 古武術身体操法の一つでナンバ歩きの原理を取り入れた無敵超人の秘技の一つだ。

 これを発展させていけば海渡という海面を走る脅威的な走法を行うことができるようになるだろう。

 

「それじゃこのあたりで失礼する」

 

 秘伝の一つを授けたクシャトリアは踵を返しその場から去る。

 実演もせず口で教えただけで再現できるような技ではないが、取り敢えず秘伝の技を教えた。

 後は彼女が自分でなんとかすることだ。

 




緒方「やぁ、みんな。体育教師の緒方一神斎だ。今日の授業は貫手についてやっていこうか。上手く急所を突くことで人を殺せる素晴らしい技の数々……君達に伝授しよう!」

兼一「いえ、間に合ってます」

夏「この前は歩法、その前は関節技ときて貫手。武術の授業しかしてねえ……」

緒方「先ずは―――――――」

宇喜田「やべぇやべぇ。寝坊して遅刻しちまったぜ!」

緒方「……ドタマにきたぜ」

兼一(あ、死んだな)

緒方「数え抜き手! 四! 三! 二! 一ィィィ!!」

宇喜田「おっべらぁあ!?」

武田「宇喜田ァァァァアアアアア!!」

緒方「……ふぅ。これが貫手だ! みんな、良く見てたかな?」

武田「うぉぉおおおおおおおおお!! 穴が四つくらい空いてるけど死ぬなァァアア! 宇喜田ァアァァア!!」

美羽「きゅーきゅーしゃ! きゅーきゅーしゃですわ!」

宇喜田「」チーン



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第30話  買収

 先進国と発展途上国という二つの言葉がある。読んで字の如く先進国は経済的に豊かな国であり、発展途上国はまだ経済成長の途上、比較的豊かではない国だ。

 そんな発展途上国に分類される国の一つから、アジア有数の先進国であり武術大国でもある日本に、飛行機を乗り継いで一人の男が来日した。

 これから会う人物が人物のため男の纏う服装は綺麗に整ったものを背伸びし、顔には重たいものを背負っている者特有の責任感が張り付いている。

 先進国に金持ちと貧乏人がいるように、途上国にも金持ちもいれば貧乏人もいる。だが途上国は先進国のそれより貧富の差が大きくなりやすい。そして男は少数の富裕層ではなく貧民層に位置する人間だった。

 

(待っていろよ、皆)

 

 男の生まれ育ち住んでいる村は酷く貧乏だった。

 別に圧制者に苦しめられているだとか、悪党の被害にあっているだとか明確な貧困の理由があるわけではない。強いて言えば有り触れた理由で男の村は貧困に喘いでいた。

 そんな貧しい村出身の男がわざわざ外国まで来てやる事といえば一つしかない。即ち出稼ぎである。

 といってもただの出稼ぎではない。

 貧しさのせいで満足に食べ物を食べることができないというハンデを背負いながらも、男の体格はしっかりしていて体力に満ちている。

 しかしどれほど屈強な肉体をもっていようと男一人が普通に出稼ぎしたのでは、村を襲った貧乏と言う名の魔物を殺すことなど到底出来ないだろう。

 村そのものを貧乏から救うにはかなりの纏まった金が必要となる。

 男はこの地で千金を得るために、村の全財産の三分の一を預かって此処へ来たのだ。

 

「確か、このあたりか」

 

 慣れない異国の地に四苦八苦しながらも、男は地図と周りの風景を交互に確認しながら目的地に近付いていく。

 目的地である屋敷は広大なものだった。よく手入れされた庭に噴水。立派な門の前には警備員らしき制服の男が立っている。男はその屋敷を見上げて思わず自分の国の石油王の邸宅を思いだした。

 しかし屋敷に圧されてはいられない。男は唾を呑み込みながら警備員らしき男に近付いた。

 

「すまない。私は――――」

 

「主より既に話は聞いている。入れ」

 

「……………」

 

 緊張しながらも男は黒服の案内に促されるままに屋敷に入る。

 時々屋敷で働いているメイドと擦れ違いながら歩いていると、一際大きなドアの前に辿り着く。

 

「ここからはお前が一人で行け。くれぐれも非礼のないようにな」

 

「……分かっている」

 

 そう、この屋敷の主を自分の国の石油王と同列に見ることなどできない。

 何故ならばこの屋敷にいるのは人間でありながら、その強さを魔人の領域にまで到達した達人。表社会の道理を捻じ伏せる怪物なのだから。

 男は緊張を呑み込んで、魔城のドアを開いた。

 

「待っていた。お前が今日の提供者か」

 

 部屋にいたのは男よりも遥かに若い、美しいとすら言える男だった。

 年は十代後半から二十代前半だろうか。赤い目に白髪とした異様な面貌も相まって人間というよりも書物の中から抜け出した鬼のようですらある。

 だがこの男は鬼なんてものではない。鬼よりも恐ろしい邪悪な帝王だ。

 邪帝の左右両隣りには彼の側近らしい浅黒い肌の男と、金髪碧眼の男が立っている。

 

「初めまして。拳魔邪帝シルクァッド・サヤップ・クシャトリア殿。本日は私のような者に面会の機会を与えて下さり感謝の念に堪えません」

 

 大国に匹敵する影響力をもつという闇。その一影九拳が一人、拳魔邪神ジュナザードの一番弟子にして自身も九拳と並ぶ実力を持つという達人。シルクァッド・サヤップ・クシャトリア。

 彼が男が大金を稼ぐための商売相手であり、男の掛け替えのない財産の買い手でもある。

 

「挨拶はいい。早速お前が売りに来たものを教えて貰おう。それにより値段も変わるからな」

 

「……はい」

 

 自分より年下の男に不躾に命じられて思うことがないわけではない。

 しかし男にとって優先すべきは村を救うこと。ちんけなプライドなんてその為なら幾らでも売り払う覚悟が男にはある。なにせ男は自分にとって一番大事なものを売るためにここに来ているのだから。

 

「一対一、特に実力が近い者同士の戦いになれば戦いにある種の流れがあります」

 

 説明しながらも男は武術という人類の生み出した技術に則った構えをとる。

 男がクシャトリアに売りに来た財産は金銭でもなければ宝石でもない。男にとって一番の、そして何にも勝る財産。それは自分の師匠より託された武術に他ならない。

 闇の武人でもクシャトリアは特に他流派の奥義や秘伝の吸収に熱心な人物だ。

 クシャトリアのやっていることの一つが奥義と秘伝の買い取り。金に困った武術家に金を払うことで、その武術家がもつ奥義と秘伝を買い取る。そして武術を売った者は金を受け取る代償に、その拳を封印され武術家であることを捨てなければならない。

 画家の財産が絵を描く手であるように、武術家の財産は辛い修行で刻み込んだ武術そのもの。それを売り払うなど武術家にとっては絶対にしたくないことであるし、自分に武術を伝授した師を裏切るしてはならないことでもある。

 だが悲しいかな。金で真の友情や強さが得られない様に、世の中には友情や強さではどうしようもならない事というのも確実に存在しているのだ。

 そして男の村を救うには武術ではなく金が必要。

 

(許して下さい。師匠)

 

 心の中でもう何千回目になるか分からぬ師への謝罪を繰り返しながら、男は自分の武術全てをクシャトリアに伝え終えた。

 

「これが、私が師より託された我が流派の奥義・秘伝の全てです」

 

「アケビ」

 

「はっ」

 

 クシャトリアが褐色肌の側近、アケビに声を掛けると彼は無音でその場から消えると、直ぐにアタッシュケースを持って現れた。

 アケビはクシャトリアと一瞬視線を交錯させてから、テーブルにアタッシュケースを置いてパカッと中を開けた。

 

「これは――――!?」

 

「望みのものだ。お前の武術・秘伝、確かに全て買い取った」

 

「お、おお……! ありがたい、これだけの金があれば村も救われる……!」

 

 アタッシュケースに所せましと突き詰められていた男の国の紙幣。この金を持って帰れば貧困に喘ぐばかりだった村はたちまち生き返ることだろう。

 自分の武術を売りはらったことに悔いが一切ないと言えば嘘になる。しかしこの金で村が救えるのだと思えば売った甲斐があったというものだ。

 

「では約束通り、拳を封じ武術を捨てて貰う」

 

「分かっております……。例え命の危険に晒されようと師より託された拳を握ることはありません」

 

 武術を売り払った身で言えたことではないかもしれないが、武術家としての誇りがあるからこそ武術を絶対に使わないと断言する。

 だがクシャトリアは頭を振った。

 

「残念だが、俺は赤の他人の口約束を信じるほどお人好しじゃない。ホムラ」

 

「はっ!」

 

「な、なにをなさいますか!?」

 

 ホムラと呼ばれた金髪の側近が男を背後から羽交い絞めにする。

 クシャトリアほどではないにしてもホムラもマスタークラスなのだろう。妙手の男の力で振りほどくことはできなかった。

 

「口約束は信じられない。だから絶対に拳を握れなくなるようにさせて貰う」

 

「そ、そのようなことせずとも私は決して死ぬことになろうと拳を握ることはしません!」

 

「ならば村の為なら?」

 

「!」

 

「例えば村が悪党だかなんだかに襲われた時、或いは自分の友人が殺されそうになった時、武術家としての誇りをかなぐり捨てても禁じたはずの拳を握るんじゃないのか?」

 

「――――――っ!」

 

 反論を封じられる。

 村を救うために武術家としての誇りを捨てた男に、クシャトリアの言葉を否定することができるはずがない。

 

「心配しなくても腕を切断するとか荒っぽいことをするわけじゃない。大丈夫、痛みなんてないさ」

 

 クシャトリアが無表情で近付いてくる。

 武術家としての最後の意地か、どうせなら最後の瞬間まで睨んでいてやろうと目を大きく見開いた。そして、

 

「忘心波衝撃!」

 

 こめかみを両手で叩かれ強い衝撃が頭に侵入する。衝撃は頭蓋骨を伝わり中の脳味噌に届くと、脳味噌に記憶されている男の財産を根こそぎ抹消していった。

 衝撃を受けたショックで男は意識をシャットダウンする。そこへクシャトリアは更に幾つかの経穴を指で突いた。

 

「お前の武術家として培った全記憶を抹消して、経穴を突いて発揮できる力を弟子クラスレベルに制限させて貰った。これでもう買い取った財産が他に伝わる心配はない」

 

 忘心波衝撃で消された記憶を復元できるのはその技を知るものだけだ。

 ジュナザードの生み出した秘中の秘たるこの技が使えるのは、ジュナザード自身とその一番弟子たるクシャトリア、そしてジュナザードから伝授された無敵超人・風林寺隼人だけだ。

 例外として強固な精神力を持つ者なら自力で記憶を取り戻せるかもしれないが、それとて並大抵のものではない。

 それに予備の経穴も突かれている。男は完全に武術家としては一生を終えた。

 

「ホムラ。彼を帰せ、くれぐれも丁重に。それなりに良い買い物をさせて貰った」

 

「はっ!」

 

 側近に後を託すと、クシャトリアは奥の部屋へと引っ込んでいった。

 




ラフマン「今日の音楽の授業は発声練習をしますよ。皆さん規律」

宇喜田「ケータイの電源OFF、遅刻なし、サングラスも外してるし身だしなみも完璧。今日の俺は隙がないぜ」

ジーク「おぉ! 我等が連合友情のメロディー。ラ~ララ~♪」

夏「なんでテメエがここにいるんだよ、ジークフリート! お前ここの生徒じゃねえだろ」

ジーク「そこに音楽と我が魔王がおられるからです!」

ラフマン「はい、そこの二人。私語はいけませんよ。さぁ深呼吸して」

宇喜田「すぅぅぅはぁぁあああああ~~」

ラフマン「――――――真言秘儀(マントラタントラム)

兼一「っ! ま、不味い! 皆、耳を塞ぐんだ!」

宇喜田「へ?」

ラフマン「恐怖の真言(きょうふのマントラ)

宇喜田「うぉおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

武田「宇喜田ァァァァアアアアア!!」

兼一「不味い。ショックで心停止してる……」

美羽「きゅーきゅーしゃ! きゅーきゅーしゃですわ!」

武田「うぉぉおおおおおおお! 死ぬなぁあああああああああ! 宇喜田ァァアアアアア!!」

宇喜田「」チーン


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第31話  うねり

 途上国から来た男から財産を買い取り、その技を吸収したクシャトリアは別室でじっと巨大モニターを見ていた。

 巨大なモニターに映し出されているのはクシャトリアが必死で集めに集めた拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードが〝本気〟の実力を垣間見せた戦闘場面。

 合計して三時間にも満たない映像を集めるのにクシャトリアは十四回死にかけている。この映像はクシャトリアにとって師匠を殺すための大切な武器であり、同時に億の大金に勝る価値をもつ財産でもあった。

 

「………………」

 

 言葉を発することもなくクシャトリアはじっと画面を見ながら、魂の髄にまで刻まれた動きを再確認する。

 弟子ではなく一人の武術家としても、ジュナザードの動きは感嘆するものばかりだった。足運び一つ、突き一つがどれもが文句のつけようもなく完全。

 刀にせよ拳銃にせよ純粋な機能美を追及した兵器というのは独特の美しさを宿すものだ。しかしジュナザードの武は美しいすら通り越して神々しくすらある。

 

〝拳魔邪神〟

 

 大仰なその異名が、ジュナザードにとっては決して大仰ではないことは弟子のクシャトリアだからこそ良く分かる。

 画面を見つめながら何度も師匠との戦いをシミュレートしているが、クシャトリアが師匠に勝てたことは一度もない。

 クシャトリアの脳味噌で行うイメージの戦いでも、クシャトリアは師に3238敗していた。うち勝利と引き分けは一つもない。

 

「ふっ。目指す頂きはまだまだ遠いな」

 

 映像を見終えると、クシャトリアは一息ついた。

 潜入ミッション中のため普段は闇が与えたセーフハウスで過ごしていたクシャトリアだが、今日は学校が休みなのでこうして日本に用意した屋敷に戻ってきている。

 久しぶりの自宅ということで久々に大画面で師匠の動きをじっくりと見ることや、新たに一つの流派を吸収することもできた。

 中々に有意義な休日だったといえる。

 

「邪帝様」

 

「ん?」

 

 クシャトリアの隣りに立っていた浅黒い肌の男が話しかけてくる。

 彼はアケビ、闇に所属する達人の一人だ。特A級には至らないが、達人の中でも中位あたりに位置する実力者であり、以前仕事でクシャトリアが命を助けて以来、紆余曲折あってクシャトリアの側近となった。

 

「貴方が拳魔邪神様を超えるため常に他流派の秘伝の吸収に余念がないのは知っておりますが、本当にジュナザード殿を倒すのに役立つのでしょうか?」

 

「まぁ確かに俺の師は特A級というある種の位階すら超えた所におられる御仁だからな」

 

「いえ、そういうことではなく。今日、己の秘伝を売り払いに来たあの男。明らかに達人未満、妙手にやっと手が届いた程度の実力です」

 

「そうだな」

 

 ジュナザードや美雲の鋭い目に晒され続けたクシャトリアは高度な閉心術を体得していると同時に、相手を視る眼力も鍛え上げている。

 そのクシャトリアの目から見ても今日来た男はやっと弟子クラスの殻を破った程度の武術家でしかなかった。はっきりいってクシャトリアなら一切相手の体に触れずに倒すこともできるだろう。

 

「邪帝様。仮にも九拳に肩を並べる実力者でもあられる貴方が、学ぶべきところなどあるのでしょうか?

 

「それは早計というものだ。アケビ、一つ簡単な質問をするが……達人の弟子は確実に達人になるのかな?」

 

「いいえ。どれほど優れた才能の持ち主で優れた指導者に恵まれたとしても、無限に等しい努力がなければ達人級には届きません」

 

 クシャトリアやアケビも達人級と呼ばれる頂に立つ者だが、もしも二人が才能にかまけて努力を怠っていれば今頃はまだ妙手の殻を破れないまま、弟子でも達人でもない危うい所をうろうろしていたかもしれない。

 神童と呼ばれる才能の持ち主でもなれるかどうか分からない場所。それがマスタークラスなのだ。

 

「その通り。達人の弟子から必ず達人が生まれることはない。だったら嘗て特A級が起こした流派だったとしても、後継者に恵まれずに特A級が生涯かけて手に入れた奥義と秘伝が現代では妙手そこそこ程度の武術家に受け継がれているという事例は決して少なくはないんじゃないか?」

 

「――――あ!」

 

「俺が求めているのは妙手そこそこの武術家が辿り着いた秘伝なんかじゃない。彼等の師匠が生涯をかけて到達した秘伝だよ」

 

 達人級であればその埒外の強さを活かして、金を稼ぐ方法なんてそれこそ幾らでもある。

 短絡的な強盗という手段であってもマスタークラスとそうでない者とでは成功率に雲泥の差があるし、マフィアの用心棒ですれば一定の額で大金を手に入れることもできるだろう。非合法手段が厭ならば政治家のボディーガードというのもありだ。

 しかし妙手や弟子クラスの武術家はそうはいかない。達人ほど金を稼ぐ手段はなく、場所によっては貧困に苦しんでいる者も数多い。

 

「達人級から秘伝を盗むのは並大抵のことじゃない。達人級ほどになれば己の武術に対しての矜持も人一倍な上に、それほどお金に困っている人もいないからなぁ」

 

 勿論お金である程度融通してくれる人もいるにはいる。

 実際クシャトリアは一影九拳の一人である馬槍月から本当の秘中の秘は兎も角、絶招を幾つか教わった。

 ちなみに馬槍月から絶招を教わった代金は三億円分のお酒である。教わった絶招の原理よりも、三億円分の酒が一週間で馬槍月の胃に消えた時は仰天したものだ。

 

「緒方みたいに目ぼしい達人に死合いを挑んで、その中で秘伝を奪い取るなんて手法をとるほど俺は極悪でもないし。こうやって貧乏武術家の足元を見て、秘伝を買い叩いているわけだよ。

 外れもあるが今日みたいにそこそこ面白い秘伝を見つけることもできるし、中には特A級相手にも有効な奥義を持っているような大当たりもある」

 

「そこまで深いお考えだと知らず御見それ致しました」

 

「別に褒められることでもない。やっていることは美術品を買い漁るのと特に変わらんわいのう……って師匠の口調がうつった」

 

 アケビと話しながら桃に舌鼓をうつ。無論いつも通り皿に切り分けるなんて面倒臭い手順はカットである。

 果肉を歯で咀嚼すると溢れ出る血液のように果汁が口内を満たした。脳内シミュレートで渇いた喉を癒すのにはやはり果物が一番だ。

 クシャトリアがフルーツを食べていると、テーブルに置かれたケータイが着信音を鳴らす。

 楽しみに水を差された気分だが、潜入ミッション用の内藤翼のものではなく、仕事用のシルクァッド・サヤップ・クシャトリアのケータイにかかってきたのだ。無視はできまい。

 

「もしもし……」

 

『やぁクシャトリア。私だよ私』

 

「ワタシワタシ詐欺なら切るが」

 

『ははははは、下手な冗談だ。君ほどの達人が声で人を判別できないはずがないだろう』

 

 朗らかに笑いながら拳聖――――緒方一神斎が言った。

 

「一影九拳の御一人が一介の闇人にどんな御用事で?」

 

『うん、それなんだが。君の調査対象の白浜兼一くん、昨日学校を休んだんじゃないかい?』

 

「……どうしてそれを?」

 

 緒方の言う通り白浜兼一は昨日学校を休んだ。だがクシャトリアはそのことを誰かに喋ったりしてはいない。

 闇ヶ谷でに籠もっている緒方が、クシャトリアの監視対象が休んだことを知っているのは明らかに奇妙だった。

 

『実はね。彼、私のところに来たんだよ』

 

「来たって闇ヶ谷に? ……成程。白浜兼一くんの休みの理由は山籠もりか」

 

 聞くところによれば闇ヶ谷はあの無敵超人も愛用する修行場所だという。

 過去も現代も山籠もりは武術家にとってポピュラーな修行の一つ。だとすれば闇ヶ谷に籠もっている緒方と出会ってしまうのはそれほどおかしいことではない。 

 

『単なる山籠もりじゃあないがねぇ。俺のことを自分の弟子の修行に利用しやがった。相変わらず食えない爺さんだよ』

 

 嫌いと明言する無敵超人のことを話しているせいか、緒方の口調が荒々しいものに変わる。

 だがそこに風林寺隼人への嫌悪はあっても、白浜兼一に対する嫌悪はなかった。

 

「具体的にどういう風に利用したんだ?」

 

『どうも彼、私の弟子の龍斗にやられたせいで精神的に危うい状況だったんだがね』

 

「だった?」

 

『今はもう元に……いや元以上に落ち着いた状態に戻ったよ。危ういラインを超えて安定ラインに到達したというべきかな』

 

 白浜兼一は緊湊には至っていない武術家で制空圏も把握していないように見えたが、どうやら緊湊に至ったようだ。

 無敵超人・風林寺隼人のことだ。これから白浜兼一に制空圏、或いはその極みである流水制空圏を伝授している頃かもしれない。

 

『動のタイプを極めた末に修羅道に落ち殺人拳の使い手である私に会わせることで、自分の弟子に動のタイプと修羅道を歩んだ先を見させる。あの爺の考えはそんなとこだろう。

 白浜兼一くんは得難い人材だから私の弟子にならないか勧めたんだがね。断られてしまったよ。今では立派に静のタイプを選び人道を歩む活人拳の武術家さ』

 

「……………我が師も無茶無謀しかしない人だったが、風林寺隼人もそれに勝るとも劣らない」

 

 だが決して弟子をとらないと有名な風林寺隼人が修行をつけるとは、この分だと白浜兼一は梁山泊の弟子という事実が揺らぐことはなさそうだ。

 

『それでクシャトリア。白浜くんに触発されて私もそろそろ都会に出向こうと思うんだ』

 

「一影九拳の一人が動く、か」

 

 YOMIに所属する弟子達も緊湊に到達していることであるし、そろそろ本格的に闇が動き始めるかもしれない。

 というより緒方はその気で都会に出向こうとしているのだろう。

 これはそれなりの覚悟はしておいた方が良さそうだ。

 

 




美雲「保険の授業の時間じゃ。教科書の33ページを開け」

宇喜田(やべぇ……。なんて破壊的な胸だ。こりゃアフリカ象……いや! マンモス級のボインだ!)ドキドキ

夏「鼻の下伸びまくってんぞ」

宇喜田(席が教壇の前でこれほど嬉しいと思った事はない)

夏「聞いちゃいねえな」

美雲「おっといけないのう。胸元がはだけてしもうた」

宇喜田「ブホォォォォォ」ピュー

武田「宇喜田ァァァァアアアアアア!」

宇喜田「我が人生に一片の悔い……なし」ガクッ

武田「うぉぉぉおおおおお!! 宇喜田ァァアアアアア! 鼻血で出血多量死なんて洒落にならないぞぉぉおおお!」

美羽「きゅーきゅーしゃ! きゅーきゅーしゃですわ!」

兼一「師父……」コソコソ

剣星「分かってるね。例の瞬間はしっかりおいちゃんがカメラで激写しておいたね。三千円であげちゃうね」ヒソヒソ

兼一「貴方は日本一素晴らしい中国人です」

宇喜田「」チーン


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第32話  新たな発見

 切欠は本当に突然のことだった。いやもしかしたらそれはクシャトリアが緒方の頼みを聞きいれた時から、或いは一影から任務を命じられた日から決まっていたのかもしれない。

 運命。形に見えないそれを信じない者は多いが、ある程度の領域に立つ者であれば一度や二度は偶然とは思えない奇妙な巡り合わせを体験したことがある。

 例えばそれは守りたいと思える異性との邂逅であったり、例えば厳しくも愛のある師たちとの出会いであったり。はたまた愛など皆無の極悪を凝縮したような邪神との邂逅であったり運命の形は様々だ。

 ただ一つだけ断言できるのは偶然のような必然はよくあるということである。

 白浜兼一が闇ヶ谷に連れていかれ、そこで静の気を歩むことを無意識に決めてから数日後。

 

「やぁ。こうして直接会うのは三か月と二十四日ぶりだね」

 

 電話で予告した通り〝拳聖〟緒方一神斎は闇ヶ谷で自分の殺めた者に対する供養に一段落つけて、梁山泊の弟子と緒方の弟子の作り上げた武闘派組織が抗争を続ける都会へと出てきた。

 そして都会へと戻った緒方がやってきたのはクシャトリアのセーフハウスだった。

 クシャトリアの潜入ミッションは闇にとって不倶戴天の宿敵である『梁山泊』が関わっているため、闇の中でもトップシークレットに近い扱いがされている。

 これを知っているのはミッションを命じた一影を始めほんの一部の者しかいない。

 だが緒方は一番の新入りとはいえ無手組最高幹部一影九拳に名を連ねる達人。クシャトリアのセーフハウスを知るのはそう難しいことではない。

 

「……会いに来るなら、事前に連絡してくれないかな」

 

 近代的マンションに白いフードを羽織り、隆々たる筋肉を惜しげもなく晒している男がいる光景はかなりシュールだ。

 このマンションそのものが闇が用意したセーフハウスで、住人の三分の二が闇の人員でなければ一騒ぎあってもおかしくはなかった。

 

「おっとすまない。実は此処に来る時に携帯電話が壊れてしまってね。やっぱり時速三百キロの風圧に晒され続けたのが悪かったのかな」

 

「相変わらず無茶するな」

 

 緒方の籠っていた闇ヶ谷は平均的な人間が通常の交通機関で行こうとすれば、どれだけ急いでも一日以上はかかるような辺鄙な場所だ。

 だがそこは人間を超越した達人。強靭な脚力という頼もしいものを駆使すれば格段に時間を短縮することができる。

 闇ヶ谷から都会に戻る際、緒方も自分の脚力を駆使してきたのだろう。

 

「念のために確認するが、誰かにつけられたりはしてないだろうな?」

 

「そんな初歩的なミスをするようじゃ、私は一影九拳をクビになってしまうよ。闇を去ってまた流浪の達人の一人に戻るのも、それはそれで面白そうだが」

 

「冗談に聞こえないぞ」

 

「ふっ。半分本気だからね。だが今は闇を離れる気はないよ。闇は武術を高めるにこれ以上はない場所であるし、闇にいた方が死合いが身近にもある。なによりこれから楽しいお祭りが始まるのに寸前でどこかへ行くほど私は酔狂じゃないんでね」

 

「〝宣戦布告〟でもしにきたのか?」

 

「ご名答。白浜兼一くんもそれなりの実力にはなったんだ。良いタイミングだろう。私はあの白浜くんも未来の武術界のためにも是非欲しい逸材なんだがねぇ」

 

「確かに彼は面白い男だが、そうか……緒方一神斎にそこまで言わせるか。ま、気持ちは分かるがね」

 

 白浜兼一には才能がない。才能が凡庸な凡才なのではなく、才能が欠片もない凡人だ。無才と言い換えても良い。

 だがそうでありながら白浜兼一はここ最近でクシャトリアが高評価をつけたトール、ハーミット、ジークフリートといった才能ある逸材たちを倒している。

 師匠の弟子育成能力が優れていると言えばそこまでだが、それだけにしてはここまでの戦果は異常だ。

 これで白浜兼一が才能溢れた天才なら、凄い才能というシンプルな理由で済むのだが、彼は才能のない凡人ときている。

 達人であるクシャトリアをもってしても良く分からない不思議で興味深い人物。それがあの白浜兼一なのだ。

 

「それでわざわざ人の潜入中のセーフハウスまで調べ上げて、そんな電話でも話せることを言いに来たんじゃないんだろう。本題は?」

 

 白浜兼一について語っていた研究者めいた好奇心溢れた顔が、武術を極めた豪傑の笑みに変わる。

 

「頼みやお願い、というよりは提案かな」

 

「提案?」

 

「クシャトリア。君、弟子とってみる気はないかい?」

 

 緒方の口から飛び出した予想外の提案に、クシャトリアは瞳を大きく見開かせた。

 

 

 

「それで。それがその弟子か?」

 

 緒方に連れられ渋々とやって来た所にいたのは、武術家らしからぬゴシックロリータなファッションに身を包んだ、武術家というよりはテレビの向こう側でアイドルでもしていそうな容姿の少女だった。

 というより彼女とは初対面ではない。いつだったか緒方の頼みを引き受けた時に奇妙な巡り合わせで一つ秘伝を授けた小頃音リミだ。

 

「どーも、お久しぶりでーす。ティターン幹部改め〝新〟リーダーのアタランテー、小頃音リミです。クシャさんに教えられたことを頑張ってたお蔭で、クロノスの時代オワタさせてきましたお!」

 

「………………よりにもよって、これが?」

 

「ははははは。ちょっと残念なところはあるけど、素直な良い子じゃないか。才能にも満ち溢れてやる気も十分! 弟子として十分だと思うがね」

 

 小頃音リミ、彼女の才能を最初に見出したのはクシャトリア自身だ。緒方に言われずともリミの才能については知っている。

 クシャトリアの見立てではあの風林寺美羽や、YOMIのリーダーの叶翔には一歩劣るが数万人に一人の逸材といえるだろう。

 

「ほら、アタランテー。君からもお願いして」

 

「はい! ご指導ご鞭撻のほどお願いします」

 

 緒方に唆されるままクシャトリアに頭を下げるリミ。

 だが頭を下げられたところで「分かりました。弟子にしよう」とは言えない。

 

「悪いが、他を当たってくれ」

 

「えぇー! どうしてですかぁ!? 前にリミに凄い走り方を教えてくれたじゃないですか!」

 

「秘伝を一つ授けるのと正式な弟子にするのは訳が違う。弟子なんて生まれてこのかたとったことなんてない上に、そもそも君は緒方の人材育成プログラムのリーダーなんだ。私みたいな弟子育成素人に弟子入りするより、そこにいる緒方――――拳聖に弟子入りする方が…………」

 

「?」

 

「いや、なんでもない」

 

 ティターンのリーダーならば拳聖の弟子になる方が良い、と言いかけてクシャトリアは止める。

 自分の弟子を実験体にして武術の発展と進歩の礎に利用するような緒方に弟子入りすることを、リミにとって一番良い選択肢だなどとは言えない。

 ジュナザードよりマシかもしれないが無間地獄が焦熱地獄に変わっても地獄であると言う事が変わるわけではないのだ。

 

「兎に角。緒方も緒方だ。なんで自分の弟子を選ぶためのプログラムで見つけた逸材を他人の弟子にしようとする? なにか裏でもあるのか疑われても仕方ないぞ」

 

「クシャトリア、君は少し勘違いをしているようだ。ティターンやラグナレクは人材育成プログラムであって私の弟子育成プログラムじゃあない。

 勿論、私がリミを弟子にするのもそれはそれでアリだろう。だが私もリミ以外にも三人ほど私のYOMIとして迎え入れる人物に心当たりがあるんでね。得難い人材を私一人で独占するよりも、君という弟子育成能力が未知数な者に渡した方が武術はより発展すると思うんでね」

 

「……話は分かった。だがやはり弟子入りは断らせて貰う。俺は弟子育成にかまけている時間はない。俺には他人を高めるよりも先ず自分を高め、そして殺さなければならない奴がいる」

 

 クシャトリアもシラットという武術を極めた達人だ。武術家として自分の業を次の世代に繋ぐためにもいつかは弟子をとる日はくるだろう。

 だがそれはジュナザードを殺し、クシャトリアが真に自由を獲得してからだ。

 

「師は弟子を育て、弟子は師を育てる……」

 

 踵を返そうとした時に緒方の声が背中にかかり、クシャトリアはピタッと足を止めた。

 

「私はなにも武術の発展のためだけに弟子をとらないかって提案しているわけじゃない。クシャトリア。君、伸び悩んでいるだろう」

 

「…………」

 

 図星だった。厳しい修行の果てにこうして一影九拳と肩を並べるだけの強さにはなることが出来た。

 だがしかし師匠たるジュナザードが立つ場所は特A級よりも更に上にある地点。武術という概念における頂上に君臨する者がジュナザードなのだ。

 クシャトリアも多くの秘伝を収集することで自分の武術を高めようと四苦八苦しているが、どうしてもジュナザードのいる場所に到達する足がかりが得られないでいる。

 

「弟子をとり自分の業を教える中で、ただ一人で修行するだけじゃ得られないものを得ることができるかもしれない。どうだい?」

 

「……新しい発見、か」

 

 人に教えるには教わる側の三倍の労力が必要、人に教えることで自分の知識や技も練磨される。これは武術のみならず勉強やスポーツでも言われていることだ。

 ジュナザードから独立し一人で黙々と技を高め続けてきたが、弟子をとることで新たな発見を得られるのならば弟子をとる価値はあるのかもしれない。

 

「本人の意志はどうなんだ?」

 

「ん? 確かにそれは重要なことだったね。リミ、君は私と彼。どっちを師に仰ぎたい?」

 

「うーん。リミはクシャさんの走り方をマスターしたらクロノス倒せたし、クシャさんの弟子になりたいんですけど……。あ、だけど拳聖様の弟子になれば龍斗様と兄妹弟子なんだ。龍斗様の妹……えへへへ。龍斗お兄様なんて良い響きぃ」

 

 リミは龍斗様、などと呟きながら一人の世界に旅立ってしまっていた。

 龍斗様とはもしかしなくてもオーディンこと朝宮龍斗のことだろう。どうもリミは朝宮龍斗にお熱のようだ。

 

「決めたお! 迷ったけど初志貫徹でクシャさんの弟子になります!」

 

「……ちなみに理由は?」

 

「だって兄妹だと結婚できないじゃないですか!」

 

 ツッコミ所は山ほどあったが、取り敢えずクシャトリアはリミに強烈なデコピンを喰らわす事にする。

 達人のデコピンを喰らったリミは「うにゃ!」と悲鳴を上げながら吹っ飛んでいった。




ディエゴ「やぁ皆! 笑う鋼拳ディエゴ・カーロの日本史の授業の始まりだよ」

レイチェル「待ってましたマエストロ!」ドンドンパフパフ

兼一「うわ~。一番不安な人がきちゃったよ。っていうかなんで日本史」

ディエゴ「ちなみに授業風景は某動画サイトにより、全世界に生放送中だ! 首相も見てるから張り切って学んでくれたまえ!」

宇喜田「マジかよ!?」

ディエゴ「仕事をただこなすのは仕事人。だが私はエンターテイナー。学校の退屈な授業すらエンターテイメントにするのだよ!」

レイチェル「さっすがマエストロ! 他の九拳にはできないことを平然とやってのける!」

イーサン「ソコニシビレル、アコガレルゥ」

ディエゴ「第一問! 本能寺の変の首謀者の名前は?」

レイチェル「Oh……これは難しい問題デース。豊臣……秀吉? 平賀源内? 明智小五郎?」

ディエゴ「さぁどうするカストル。ヒントが欲しいかね」

レイチェル「う~ん……ハッ! 閃いた! 答えは明智光秀! 明智光秀でファイナルアンサー!」

ディエゴ「ふふふふふっ。明智光秀か。気になる答えは……」

レイチェル「ゴ、ゴクリ」

ディエゴ「大正解~!!」

レイチェル「やった! 偶然にも正解しちゃったわ!」

夏「……なんだこの茶番」

ディエゴ「第二問。では本能寺の変で殺された光秀の主君といえばだ~れだ~。宇喜田!」

宇喜田「織田信長じゃねえのか」

ディエゴ「馬ッ鹿野郎ォォォォオオオオオオ!」

宇喜田「びょほらぁ!?」

武田「宇喜田ァァァアアアアアアアア!!」

ディエゴ「あっさり問題に答えるなァーーーッ! もっとエンターテイメントにやれぇ!」

武田「うぉぉおおおおおお! 宇喜田ァァアアアア! 死ぬなぁああああああ!!」

美羽「きゅーきゅーしゃ! きゅーきゅーしゃですわ!」

宇喜田「」チーン


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第33話  課題

 拳聖の紹介もあって小頃音リミがシルクァッド・サヤップ・クシャトリアに弟子入りした次の日。

 初めての修行ということで緊張していたリミはいきなり自家用ジェットでフライトすることになった。

 持ち物は「着替えを沢山もってきた方が良い」と忠告されていたので、いつものゴシックロリータなファッション各種に運動着が何着か。

 

(いきなり海外で修行なんて、これがインターナショナルってやつね。ちょっと面食らったけど、海外で泊まり込みの修行なんて露骨なパワーアップフラグだしっ! 龍斗様に相応しい女になるために頑張るお!」

 

「覚悟を新たにするのは良いが、途中から心の声が口に出ているぞ」

 

「え、本当ですか!?」

 

「ああ。より高度な武術家同士の戦いになると相手の心をも見透かし技をかけあうようになる。弟子クラスに完全に心を閉ざせなんて言いはしないが、せめて心の声のチャックくらいは閉じておけ」

 

「はーい」

 

 クシャトリアに窘められたリミは素直に返事をした。

 性格は色々と残念なところのあるリミだが、良くも悪くも強くなるという思いに一直線で、特に反発せず師匠の教えを受け入れる素直さに関しては中々のものだ。

 素直さなど武術に関係ないと思えるかもしれないが、なまじ才能に溢れ実力があると返って師の教えに反発してしまうもの。我流で技を磨く者はさておき、師に師事する弟子としては素直さも立派な一つの素養なのである。

 

(待っててくださいね龍斗様。リミは格段にパワーアップして戻りますから)

 

 リミにとって一生忘れないであろう出来事……。

 新リーダーの座をかけてクロノスと勝負し勝利した時、リミに待っていたのは新リーダーを歓迎する喝采ではなく、実力を示した挑戦者に対する裏切りだった。

 リミをリーダーと仰ぐのに不服としたティターンの兵士達は、クロノスが気絶していることとリミが疲弊していることを良い事に、リーダーの座を簒奪すべく袋叩きにしようとしたのである。

 そんなリミを危ないところで救ったのがオーディンこと朝宮龍斗であり、その時に龍斗が「私は強い者が好き」と言ったため、龍斗の心を射止める為にリミはクシャトリアに弟子入りしたのだ。

 もし仮に龍斗が強い人ではなく「綾波レイが好き」と言っていたら、今頃リミは武術など放り捨ててコスプレイヤーとしてブイブイ言わせていただろう。

 

「そういえばリミ、着替えだけ沢山持ってこいって言われたから着替えとかくらいしか持ってきませんでしたけど、海外へ行くのにパスポートとかは要らないんですか?」

 

 二人だけしかいない客席に座りながら、リミは素朴な疑問をクシャトリアにぶつける。

 海外旅行するにはパスポートが必要。そんなことはエジソンは偉い人くらい誰でも知っている常識だ。

 

「闇の武術家には任務の際に、一影九拳には常に殺人許可証(フリーマーダラー)が与えられる。これがあれば法治国家で無差別殺人をやろうと御咎めなしになる悪夢のパスポートだ。

 そんなものを発行するだけの力をもつ〝闇〟の達人とその教え子がパスポートなしに海外旅行なんて些末なことで罰を受けると思うのか?」

 

「ほえ~~。闇って凄いんですね~」

 

「……殺人許可証なんて世界の暗部を聞いた反応がそれだけか。最初にあった時から思っていたが変わっているな。

 だが寧ろこちら側に来るなら好都合。一般人の尺度で物事を考えていたら、達人蠢く闇の世界ではやっていけない。

 達人というのは価値観がズレている人間の総称でもある。達人と付き合っていくためにはある種の諦観が不可欠。覚えておくといい」

 

「じー」

 

「ん?」

 

 達人は価値観がズレた人間の総称だと言い切った〝達人〟にリミはわざとらしい疑いの視線を向ける。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアは若輩といえど一影九拳に比肩する力をもつ達人。達人が価値観のずれた人間だというなら、それはクシャトリアにもブーメランで返ってくることだ。

 

「じゃあクシャさんもやっぱり価値観おかしいんですか?」

 

「失礼な。俺をあの人達と一緒にしないで欲しい。自画自賛になるが、シルクァッド・サヤップ・クシャトリアほど人間的にも価値観的にもまともで屈指の常識性を持ち合わせた男はいないと自負している」

 

 えっへん、と胸を張るクシャトリア。

 リミは知らない事だが一影九拳に名を連ねる面々は、一度会ったら絶対に忘れられない様な濃ゆい面子ばかりだ。

 クシャトリアも外見的には白髪赤目と目立つ容姿をしているものの、性格においては一影九拳と比べれば余り目立つ方ではない。

 

『当機は間もなく――――』

 

 リミとクシャトリアが話していると飛行機が空港に到着する。

 今も内戦が断片的に続くインドネシアの島国、ティダート王国。そこがリミの連れてこられた場所だった。

 

 

 

 ティダートに着くや否や休む間もなく、ヘリコプターに乗り換えてやって来たのは島だった。

 いやティダートは元々幾つもの島が集まって出来た国であるが、リミとクシャトリアが来た島には人のいる気配のない所謂無人島だ。

 木々が青々と生い茂り、森からは鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 太陽に照らされる海は透き通った水晶のようであり、武者修行に来たのでなければリミはとっくに水着に着替えて泳ぎ始めていた事だろう。

 

「あのぉ。ここは……?」

 

「俺の島」

 

「う、嘘ぉ!?」

 

「嘘じゃない。これこの島の権利書。この国で信仰を集める神でもある我が師匠(グル)から、もう他に面白い場所見つけたから要らないとか言われて譲り受けた正真正銘の私的財産だ」

 

 クシャトリアが懐からインドネシア語で書かれた権利書らしきものを見せる。

 国の神様を師匠にもつことに島の所有者。リミは早速クシャトリアの教えの正しさを身に染みて理解した。

 

「無人島に連れてこられるなんて、嫌な予感がビンビンするんですけど。やっぱり凄い厳しい修行するんですか?」

 

「ふっ。そう身構えなくていいよ」

 

 クシャトリアが安心させるよう微笑むと、リミの肩に手をポンと置いた。

 

「確かに俺の師匠。拳魔邪神シルクァッド・ジュナザードは悪魔だ、鬼だ、外道だ、最悪だ、性根が歪み切ってドリルになっている。それはもう俺も人道と倫理にゲロを吐きかけるような修行で、神経とか倫理観とか諸々を磨り減らされた。

 だが自分が酷い目にあったからって、同じことを自分の弟子にやらせて、その弟子がまた弟子に同じことをしての繰り返しじゃ救いがないじゃないか。

 自分がやられて嫌だったことは自分の弟子にはしない。不幸の連鎖はこうやって終わらせなければ。修行だってそんな酷い事はしないよ」

 

「し、師匠……! なんかリミ、猛烈に感激したお!」

 

 クシャトリアの背後に後光が差す。さっきまで神様の弟子だったり島もっていたり規格外の金使いの人というリミの認識が、一転してクシャトリア=仏へと変わった。

 後光を差したクシャトリアは慈愛に溢れた微笑で、懐から紙とペンを出して、手刀で切断した切株の上に置いた。

 

「じゃあ。修行の前にこれを書いておいてね」

 

「はい! ……………ってなにをですか?」

 

「遺書に決まってるじゃないか」

 

「ぶぶぅぅぅ!!」

 

 後光が差したのも束の間。当然のことのように飛び出した爆弾発言にリミは吹き出してしまう。

 遺書――――それは死にゆく人が、親しい者に送る最後のメッセージ。なるほど高級な紙と高そうなペンは如何にも遺書を書くのに相応しいといえよう。

 だが問題はそんなことではない。遺書を書かせるということはつまり死ぬ可能性が高いこと。酷い事はしないなどと言っておいてこれはどういうことか。

 

「な、なななな! 不幸の連鎖は終わらせるってなんだったんですか!? リミ、これから死ぬようなことさせられるとですか!」

 

「死ぬようなも何も……修行って普通は死ぬようなものだろう」

 

「ノー! 完全にノーだお! リミは達人じゃないけど流石に『違う』って断言できますよ!」

 

 武術の修行には常に死亡事故はつきものだ。闇のみならず表の世界のスポーツ武術でも、練習中の死亡事故は起こり得るものである。

 弟子の育成に熱心な師匠であれば『死ぬかもしれない』修行をさせることもあるだろう。

 だが『死ぬかもしれない修行』と『死ぬような修行』は似ているようで別物だ。

 

「嫌ならいいんだよ、別に書かなくても。拳聖の勧めもあって弟子をとることにしたけど、今はまだ正式な弟子じゃなくてあくまでも弟子候補……。弟子入りを辞めたいなら辞めても構わないとも。

 勿論、弟子入りを断ったからって無人島に置き去りなんて酷いことはしない。しっかりファーストクラスの空の旅で日本へ帰って貰うさ」

 

「……う」

 

 強くなるために達人の弟子になると決めたのだ。

 恋の為で武術をするなんて少し不純かな、と思わなくもないリミだが愛しの龍斗に相応しい女になるためここで逃げ帰るという選択肢はなかった。

 

「分かりました。ハイリスク&ハイリターン、死ぬ気で修行してスーパーに生まれ変わっちゃいますよ!」

 

「ああ。自分から地獄落ちを選んでしまうか。まぁ人生の選択は自分ですべきもの。何も言うまい。う~ん、それにしても弟子にしっかり選択肢を与えるなんて、俺はなんて優しいんだ。拳魔邪帝なんておっかない異名じゃなくて、慈愛の拳とか優しい達人とかいう異名に変わらないかな~」

 

 一つ分かったことがある。

 クシャトリアは嘘をついている訳ではない。ただクシャトリアの〝優しい〟のレベルは限りなく低いところにあるのだ。

 

「書きましたよ。それで死ぬような修行ってなにをするんですか?」

 

 ごくり、と唾を飲みながら尋ねる。

 

「なーに。いきなり同年代の少年少女で殺し合いをしなさいなんて物騒なこと言わないさ。ただ少しこの無人島で一か月ほど過ごしてくれればそれでいい」

 

「い、一か月ってここで!?」

 

 私有地であるといってもこの島は全く手入れなどされていない無人島そのもの。

 一か月を過ごすとなると、当然のことながら食べ物がいる。飲み物がいる。飲み物はまだどうにかなりそうだが、食べ物の方は問題だ。

 無人島にコンビニなんてあるわけがないし、リミはキャンプをした経験もありはしない。無人島での自給自足と言われても何をすればいいのかさっぱりだ。

 頼みの綱の鞄の中にも服はあっても食べ物はなかった。

 

「そうだよ。ただ弟子といえど女……だから気を利かせて着替えを沢山もってこいって忠告したんじゃないか」

 

「忠告が間違ってますよ! どうせなら食べ物を沢山とかにして欲しかったです! そしたら一杯色々持ってきたのにっ!」

 

「やだな~。それじゃあ修行にならないじゃないか。ま、俺も鬼じゃない。大学館の『もしもの時の無人島漂流シリーズ上下巻』とナイフ、あとおやつのバナナを置いていくからこれで頑張ってくれ」

 

 クシャトリアはさくさくと本とナイフとバナナを置くと、ヘリコプターに乗り込んでしまう。

 

「た、タイム――――!」

 

「ああそうそう。その森の中には師匠が放し飼いにした猛獣とかもいるからくれぐれも注意するように。この遺書、もし死んだら朝宮龍斗に渡しておくよ。だから安心して頑張ってくれ」

 

「か、カムバックプリーズ!!」

 

 リミの悲痛な叫びが木霊する。だがヘリコプターは無情にも飛び立ち青空の向こうへ消えていった。

 




ジュナザード「今日の生物の授業はメロンの生態についてやろうかいのう」

兼一(生物の授業が始まってから今日で十五回目……。授業内容が果物ばっかり)

夏(いい加減にフルーツ以外やれよ)

武田(と、誰もが思ってるけど、あんなのに反抗したら殺されるのは確実だから誰も何も言えないじゃな~い)

宇喜田「誰も言わねえなら俺が言うぜ」

武田「やめろ宇喜田! 死にたいのか!?」

宇喜田「……フッ。キサラに伝えてくれ。宇喜田は男だったと」

武田「宇喜田ぁぁああああああああああああああ!!」

宇喜田「先生! フルーツの授業ばっかやってねえで偶には――――」

ジュナザード「転げ回る幽鬼!!」

宇喜田「ぼひゃらぁ!?」

武田「うぉぉおおおおおおおおおお! 宇喜田ァアアアアアアアア!!」

美羽「きゅーきゅーしゃ! きゅーきゅーしゃですわ!」

宇喜田「」チーン

兼一「……」ビシッ

ケンイチが無意識のうちにとっていたのは「敬礼」の姿であった。
涙は流さなかったが、無言の男の詩があった。奇妙な友情があった。


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第34話  クシャトリアの授業

 一寸先は闇。未来とは不安定で不確定で予想しきれぬもの。

 小学生に入学した頃はジュナザードの弟子になることなんて思いもしなかったし、同様にジュナザードの弟子だった頃はこうして日本の高校で教鞭をとることになるとも思わなかった。

 そういえば自分の小学一年生の時の夢が学校の先生だったことを、クシャトリアはふと思い出す。

 社会の厳しさも何も知らない子供の頃に抱いた夢であるし、志した理由も担任の先生が格好良かったからそれに憧れて……というなんとも単純な理由だった。

 尤も今の今まで忘れていたということは、子供の頃に戯れに抱いた理想図の一つ。時間の流れと共に忘れ去られる子供の思い出に過ぎなかったのだろう。

 子供の頃にスポーツ選手を志した者が成長してもずっとスポーツ選手を目指すのは稀なことだ。子供は飽き易いもので、次の年には夢の内容が別のなにかに変わるなんてざらだ。

 だが――――例え子供の頃に一瞬抱いた夢だとしても、今教壇に立っているということは一応夢を叶えたということになる。

 願わくば『師匠を殺す』という願いも遠からず成就することを祈りたいものだ。

 

「――――というわけで、前漢から帝位を簒奪し新王朝を開いた王莽だったが、周の時代を模した現実離れした政策だったため、内政でも外交でも失敗し、最終的には漢の皇族血筋の豪族だった光武帝によって平定された。

 こうして漢王朝は復活するわけだが、一般に新王朝前の漢を前漢、後を後漢と呼称している」

 

 今日は白浜兼一と風林寺美羽のいる一年生ではなく、最終学年である三年生の授業だ。

 三年生は受験シーズンなため不良の巣窟と呼ばれるこの学校でも、生徒全員が熱心に授業に耳を傾け――――なんてことはなく、一人ほど胡桃を握って挑発するようにカラカラと鳴らす生徒が一名。

 おまけに教室にいる生徒も僅か九人だけしかいない。一クラス三十人から四十人が妥当なことを考えれば有り得ない出席人数だ。

 といってもこれは別に学級崩壊を起こしているわけではなく、これが三年生の成績やら出席日数諸々が危険粋な生徒を集めた補習だからだ。

 この学校の世紀末ぶりを思えば寧ろ九人しか補習を喰らわなかったことは僥倖とすら言っていいだろう。

 

「筑波、五月蠅いぞ」

 

「………………」

 

 だが幾ら九人しかおらず、しかもほぼ全員が授業を真面目に聞いていなかったとしても、クシャトリアは授業中に胡桃をカチャカチャと鳴らすことを黙認するほど優しくもなければ、不良に怯えるほど弱くもない。

 胡桃を鳴らして眼を飛ばす元空手部の副部長、筑波に注意する。

 しかし筑波は注意されて態度を改めるどころか無表情なまま胡桃を鳴らし続けた。

 

「はぁ。これがアレか。俗に言う先生の言うことを聞かない俺カッコイイー病か。確かこういうのってなんていうんだっけ。羞恥病?」

 

「先生、それを言うなら厨二病だぜ」

 

「ああそうそうそれそれ」

 

 成績不振と出席日数の不足により、めでたく親友の武田と一緒に補習を喰らっている宇喜田がツッコミを入れる。

 武田と宇喜田、この二人は監視対象ではないが新白連合の副将で白浜兼一の友人でもあるので、クシャトリアの要注意人物リストにものっている者達だ。

 とはいえ白浜兼一と違って達人に教えを受けているわけでもなく、所詮は一般の武術家の枠を出ないが。

 

「実は少し医術を齧った事はあるんだが、その厨二病なる病気は恥ずかしながら今の今まで聞いた事が無くてね。一人の教師として治療してあげたいのは山々だが知らない病気を治すことはできないんだ。

 だから今直ぐ病院に行ってお医者さんに見て来て貰いなさい。腕の良い医者を知ってるから」

 

 クシャトリアが丁寧に語りかけると、筑波はそれを侮辱と受け取ったらしく、鋭い目つきで胡桃を握りつぶした。

 空手部で部長をさしおいて一番の実力だったというのは伊達ではないらしい。一般人からしたら、それなりに握力が強いようだ。

 だがクシャトリアがたかが胡桃を握りつぶすくらいで今更驚くはずがない。クシャトリアを驚かせるなら、せめて鉄球を握り潰すくらいしなければ。

 

「面白い一発芸だな。胡桃を鳴らすのを止めたのは偉いが、教室のど真ん中で握りつぶすのは頂けない。床に胡桃の破片がおっこちているじゃないか。後で掃除しておけよ」

 

「……舐めた口を聞くじゃねえか、先生よぉ。この学校の教師はどいつもこいつも骨のねえヘタレ野郎ばっかで、俺がちっとばかし睨むと身の程を弁えて大人しくなったんだがなぁ。

 どうやらアンタはそうじゃねえらしい。勇気があるな、先生。精々夜道には気を付けることだ。舐めた口を訊かれた教え子がタガを外しっちまうかもしれねからな」

 

「過大評価だ。私はそう勇気がある方じゃない。ただお前如きに勇気を振り絞る必要がないだけだよ」

 

「テメエ」

 

 露骨に侮辱された筑波が立ち上がる。しかし筑波の最後の理性が『教師に大っぴらに暴力を振るえば退学になる』と囁き筑波をぎりぎりで押し留めた。

 武田と宇喜田がやや面倒そうに立ち上がろうとするが、クシャトリアはそれを手で制した。

 こんな下らない事で弟子クラスの手を借りるなど武術家としての誇りが許さないし、武田たちはラグナレクと存亡をかけた決戦を行った後でダメージが残っている。

 怪我人の手を借りるわけにはいかない。

 

「それと舐めた口を聞いているのはお前の方だ。あんまり反抗的な態度をとるようなら拷――――」

 

「なんだよ? 反抗的な態度をとるならなにしてくれんだ?」

 

「……いや、日本の教育機関では残念ながら体罰は禁止だったな。うん」

 

 人間を手っ取り早く支配し突き動かすには恐怖が一番だ。

 そして恐怖を植え付ける最もお手軽なのが肉体的苦痛。人体について知り尽くしたクシャトリアなら、傷痕をつけず痛みだけを与える殴り方や、逆に傷痕を残すやり方も心得ている。

 クシャトリアとしたら最も効果的な死の恐怖を用いたいところだが、流石に一般人の不良相手にそれをやるほど大人気なくはない。

 

「へへっ。いいんだぜ俺は。なんなら空手部の試合って形をとって、合法的に殴り合える場所を作ってやってもいいんだ」

 

「肉体的苦痛が駄目となると精神か。なぁ筑波……席について、大人しく授業を大人しく受けろ」

 

 ゾワリと、筑波はナイフを背中に当てられたような恐怖を覚えた。

 クシャトリアは筑波に一切の手出しをしていない。その場から全く動いていないし、なにか威圧するような素振りをしているわけでもなかった。

 ただ筑波は本能的に『この相手の言葉に逆らってはいけない』と悟る。

 

「……チッ」

 

 やがてクシャトリアと正面から対峙していることに耐えられなくなった筑波は、舌打ちをしつつも席に着いた。

 

「ひゅー。やるじゃな~い。ボカァいつ割って入って筑波をのそうか考えてたのに無駄な心配だったじゃな~い。一体なにしたんですか、内藤先生」

 

「何にもしてないよ。ただ誠心誠意、相手の目を見て話せば心は通じるものだ」

 

 武田の問いに曖昧に答えるが、勿論本当になにもしなかったわけではない。

 クシャトリアがやったのは気当たりだ。相手に殺気や闘気をぶつけることで相手を威圧する技術で、高度な武術家になると気当たりでフェイントを生み出したり、自分の残像を出現させるような芸当もできるようになる。

 だが武術において重要な意味を持つ気当たりだが、決して武術家だけの業ではない。

 例えば学生は第一印象でなんとなく逆らってはいけない先生と舐めても問題ない先生を判別することができる。

 これも気当たりが関係して、生徒に舐められない教師というのは相応の気当たりを無意識に発しているのだ。

 不良の巣窟と呼ばれる荒涼高校で安永教諭がまともに授業を続けていられるのは、彼がベテラン教師でその経歴が彼の気当たりに磨きをかけているからだろう。

 そしてクシャトリアは教師としては初心者でも、気の扱いに関してはプロフェッショナル。

 一般人相手なら気当たりで心臓を止めるも、相手を気絶させるも、威圧させて大人しくさせるも自由自在だ。

 今回は意図的に筑波が大人しくなる程度の気当たりを、筑波だけにぶつけることで手を下さずに筑波の精神を屈服させたのだ。

 

「じゃあ授業を再開しよう。筑波のせいで授業時間を五分無駄にしたから五分間延長ね」

 

「えぇー。そりゃないぜ先生! 俺これから町の道場に行かねえといけねえんだぜ」

 

「宇喜田。心配しなくても君の道場には私がしっかり御宅の門下生が補習を喰らったので遅れるかもしれませんと報告してある。安心して勉学に励んでくれ」

 

「うぉぉおおおおおおおおおおおお! 俺の先輩としての威厳がぁあああああああ!」

 

 宇喜田が頭を抱えて机に蹲る。どうやら先輩の威厳を保つため道場には補習のことなどは黙っていたらしい。

 

「えー、そんなわけで。光武帝によって復活した漢王朝だが、220年には曹丕によって帝位の禅譲がなされ漢王朝は滅びる。曹丕が帝位につき魏王朝の初代皇帝になると、蜀を支配していた劉備と呉を支配していた孫権も皇帝を僭称して、魏・呉・蜀の三国が鼎立する世に言う三国時代に突入する。

 三国が並び立つ三国時代だが、魏王朝から禅譲を受けた司馬炎が新たに晋を建国して百年ぶりに中国を統一することになる。じゃ次は――――」

 

「ちょっと待つじゃな~い!」

 

「武田、なにか質問か?」

 

「ちょ~っと三国時代をさらっと流し過ぎじゃな~い。もっと赤壁の戦いとか色々あるじゃないですか。この日のためにボカァ、図書室にあった三国志を読んで予習してきたんですからね」

 

「いや三国時代は特に重要なところでもないしさらっと流して、隋までいきたかったんだけど。中国史だけじゃなくて西洋史も教えないといけないし」

 

 これまで喧嘩やなんやらで詰め込むべきものを詰め込んでこなかった、すっからかんの頭に最低限の世界史知識を詰め込むのがクシャトリアの仕事だ。

 だが最低限といっても、それを短期間で教えるとなるとかなりきついものがある。

 

「もう少し! この僕の努力に免じてもう少しだけ掘り下げて下さい! 三国時代の質問ならボカァ、華麗に答えますよ」

 

 時間は押しているが、補習にきた生徒がここまで熱心に教えを求めるのは初めてだ。

 ここは教師として生徒の熱意を汲んでやるべきだろう。

 

「なら問題。劉備の息子で蜀の二代目皇帝の名前は?」

 

「劉禅」

 

「よし、じゃあ次にいこうか」

 

「待ったぁ! 初歩中の初歩の質問しかしていないじゃな~い! もっと、もっと詳しく掘り下げてから! せめて劉禅じゃなくて関羽とか孔明を――――」

 

「何を言う。劉禅は三国時代で一番在位期間が長い皇帝なんだぞ。劉禅を称えろ、崇めろ、奉れ」

 

「ボカァ! 劉禅より断然、関羽ですよ! 女の子なら貂蝉ですけど。宇喜田、お前は三国志で誰が一番好きなんだい?」

 

「いきなり話し振るなよ。俺はあんまり詳しくは知らねえけどよ。張任はカッコいいと思ったぜ」

 

「筑波ァ! 君は?」

 

「王元姫だろ。金髪ポニテとか最高だな」

 

「チッ。三國無双か……ゲーム脳め」

 

「あぁ! ほざくんじゃねえよ、にわか三国志マニアッ! どうせ横山しか読んでねえんだろうが!」

 

「王元姫もいいけどよ。俺は蔡文姫もいいと思うぜ」

 

「宇喜田ァァァアアアアアア!!」

 

 何故か世界史の授業は武田という一人のボクサーによって、いつのまにか三国志について語る場所と化してしまっていた。

 クシャトリアは頭を抱えながら嘆息し、生徒全員に威圧程度の気当たりを放ち大人しくさせる。

 余談だが結局授業は三十分間の延長になった。

 




 感想欄で荒しが発生したので、感想をログインユーザーのみからの受付に変更致しました。読者様におかれましてはご理解のほどをお願いいたします。
 阿斗、星彩は俺の嫁。RYUZEN的な意味で。


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第35話  付き添い

「こじんまりとした部屋じゃのう。とても一影九拳の継承者候補の住む家とは思えぬな」

 

 クシャトリアの潜入しているセーフハウスを突然訪ねてきた美雲が、部屋に入るなり開口一番で言った。

 闇が用意した完璧なまでに作り上げた『極普通の独身男性』は、従者つきの邸宅に住む美雲からしたら馬小屋みたいなサイズでしかないだろう。

 

「一介の教師が豪華絢爛な屋敷に住むわけにもいかないでしょう。潜入するには潜入先に溶け込まなければ。ま、ここが物足りないのは事実ですがね」

 

 なにせこのセーフハウスでは巨大モニターも修行施設もない。修行施設に各種最新機器が完備されているクシャトリアの自宅と比べれば雲泥の差だ。

 かといってクシャトリアもプロ。プロ意識にかけてミッションを手抜きすることはできない。梁山泊が関係しているとなれば猶更だ。

 

「それと、久しぶりだね。千影、会うのは何か月ぶりだっけ?」

 

 クシャトリアは美雲が連れてきた少女に尋ねる。

 美雲の腰にも届かない小柄な背丈と胴着。夜の闇を溶かして流し込んだような黒髪に、どこか浮世離れした雰囲気。ともすれば美雲と親子にも見える少女は、櫛灘美雲の弟子の櫛灘千影だ。長らく不在だった櫛灘流柔術の正当後継者である。

 九拳である美雲の弟子ということから分かるように、まだ十五にも満たぬ年齢でありながらジェイハンと同じくYOMIの幹部に名を連ねる者である。

 

「二か月と二十一日ぶりです、クシャトリア兄」

 

「もうそんなか」

 

 正式な内弟子となったわけではないが、クシャトリアも櫛灘流柔術の教えを受けた者の一人。千影にとってはクシャトリアは一応兄弟子にあたる。

 こうして独り立ちしてからは正式な師匠のジュナザードより、美雲と会うことの方が多いことも手伝い、もう一人の弟弟子のジェイハンより見知った間柄だ。

 

「で、どうして妖拳の女宿殿が直々にこんな場所に足を運ばれたんです? 今は闇も忙しいところでしょう」

 

 梁山泊の一番弟子である白浜兼一と新白連合。〝拳聖〟緒方一神斎の弟子である朝宮龍斗とラグナレク。二つの抗争は決戦の果てに朝宮龍斗の敗北という形で幕を下ろした。

 しかし結果的にこの抗争が梁山泊と闇の全面戦争の引き金にもなってしまった。

 緒方による梁山泊に対しての宣戦布告。更には梁山泊の史上最強の弟子が、少なくとも緒方の弟子を倒せるだけの実力を有している事実。

 これをもって闇はこれから始まるであろう戦争に向かって慌ただしく動き始めた。

 最初は闇の弟子育成機関YOMIから、そしてより深い闇の深淵に。クシャトリアの見立てではそろそろ九拳が招集する会議が開かれることになるだろう。

 緒方と同じく梁山泊との決戦を待っていた節のある美雲も、戦いに向けてやるべきことは多いはずだ。

 ジュナザードは全くやろうとしないので全て代理のクシャトリアがこなしているが、九拳ほどになると戦い以外にデスクワーク染みたことをしなければならないことも多いのである。

 

「それに白昼堂々とセーフハウスに入ってきて、念のために確認しておきますが誰かに見られたりとかは?」

 

「わしがそのような不手際をするとでも? 可愛い弟子に信頼されず悲しいのう」

 

 よよよ、とわざとらしく袖で目を隠す美雲。お年寄りは若者をからかうという若者からしたら傍迷惑な趣味をもっている。

 クシャトリアはそんな嘘丸出しの泣きまねに騙されるほど馬鹿ではないが、このままだと話が進まないので嘆息しつつ口を開いた。

 

「謝りますから泣き真似は止めて下さいよ。それで本題は?」

 

「千影のことでちとお主に頼みたいことがあってのう」

 

 泣き真似を一瞬で止めると、真剣な顔で美雲は自分の弟子を差した。悪戯好きな年寄りとしての側面は消え失せ、冷酷無比な闇の武人としての顔。

 どちらが本当の櫛灘美雲なのかはクシャトリアも分からない。だが欲を言えば前者であって欲しいところだ。

 

「千影がどうかしたんですか。俺の目から見ても千影はその年にして他のYOMIに劣らぬ実力の持ち主。櫛灘美雲が〝一なる継承者〟と推すだけあると思いますが」

 

 今でこそ一なる継承者は〝人越拳神〟本郷晶の弟子である叶翔になっているが、それが決まるまではかなり話が拗れに拗れたものだ。

 半数の九拳たちは自分の武術に対する矜持か、それとも無関心故か一なる継承者そのものに興味がなかったようだが、残りの半数は熱心に一なる継承者に己の弟子を推薦していたため、議題はかなり紛糾したときいている。

 結局はかねてより一なる継承者として育成されてきた叶翔が正式に選ばれることになったわけだが、もしも叶翔という筆頭候補がいなければ議論は更に伸びていたことだろう。

 

「わしの弟子が優れているなど、師であるわしが一番良く知っておる。千影はお主が以前、己の糧とするため壊したわしの弟子候補の数十倍は素養ある弟子なのじゃからのう」

 

「人が好き好んで貴女の弟子候補を殺めたみたいに言わないで下さいよ。壊させたのは一体どこのどなた達ですか」

 

「はて。年をとると物忘れが激しくてのう……」

 

「都合の良い時だけ年寄りにならないで下さい。貴女は外面も内臓も二十歳そこそこで停止しているでしょうに」

 

「ふふふ。なぁに内臓が若く止まったままでも、長く生きればそれだけ多くの記憶が脳に収まることとなる。そうなれば如何に若い脳のままでも忘れるものじゃよ。お主もいずれ分かる」

 

 美雲と同じくクシャトリアの肉体にも永年益寿の法が施されている。今は本当に若いためその実感はないが、十年や二十年も経てばその成果が如実に表れることになるだろう。

 もっともクシャトリアの永年益寿は櫛灘流のものと完全に同一のものではなく、櫛灘流の永年益寿を四苦八苦の末に暴きだしたジュナザードが自分流の永年益寿も組み合わせたものだ。

 櫛灘流の永年益寿は甘いもの厳禁の食事制限がついていたが、ジュナザードはそれを克服することに成功した。恐ろしきはただそれをフルーツを食べるのを止めたくないだけに成功させたジュナザードの執念であろう。

 実験的に施された永年益寿のせいで今ではクシャトリアの髪色もこんなに真っ白だ。

 

「話を戻すが、きたるべき戦いに備え千影にも対武器戦を学ばせようと思ってのう」

 

「……梁山泊に武器使いの達人はいても、武器使いの弟子はいませんが?」

 

 白浜兼一は動きの節々から対武器戦の心得を持っているように見えたが、武器を使う者特有の臭いは彼から感じ取れなかった。

 もしこれから白浜兼一がいきなり武器術の特訓をし始めるなんてことがない限り、YOMIの弟子たちが梁山泊との戦いにおいて対武器戦をすることはないのである。

 

「なぁに。梁山泊の弟子だけではなく、その先を見越してのことじゃよ」

 

「武術家である以上、いずれ武器を持つ相手と戦うことになる。その時のための予習ということですか?」

 

「ふむ。そういうことにしておこうかのう」

 

 思わせぶりな発言だが、藪を突いて蛇を出しそうな気配がしたので敢えて追求はしない。

 美雲は懐から写真を取り出しテーブルの上に置く。覗き込んでみると、写真に写っていたのは一振りの日本刀だった。

 それなりに武器術についても精通しているクシャトリアには、それが名刀であると一目で分かった。

 

「関の孫六兼元。白石なんたらとかいう男の持っておる刀じゃ。千影にこれを狩りにいかせる故、お主はその付き添いをやって貰いたい。わしは他にやることがあるのでのう」

 

「へぇ。刀狩ですか、なんだか懐かしいですね。……しかしどうして刀を?」

 

「そろそろ武器組と交流を深くしておくべき時がくる予感がするのでのう。その一貫でもある。武器組は名刀をなによりも欲しておるからのう。お主も八煌断罪刃と仲直りでもしたらどうじゃ」

 

「ははははは。品性のない相手と仲良くする趣味はありませんよ」

 

「で、引き受けてくれるのか?」

 

「………………」

 

 ただの付き添いならば別に断るような理由はない。美雲はジュナザードほど加減を知らなくもないし、弟子クラスの千影を行かせるということは、その場所には弟子クラスの実力の者ばかりしかいないのだろう。

 ならばクシャトリアにとっては危険性など皆無に等しい。だがなんとなく嫌な予感がするのだ。それがクシャトリアに即答を躊躇わせる。

 

「はぁ。分かりましたよ」

 

 だが結局のところクシャトリアに選択肢などあってないようなものだ。

 他の者ならばいざしれず、櫛灘美雲の頼みを断ることはできないのだから。

 

「決まりじゃな。千影や、よく学んでくるのだぞ」

 

「はい、先生。――――宜しくお願いします、クシャトリア兄」

 

「こちらこそ」

 

 平和な一日はこうして過ぎていく。

 

 

 

 

 一方その頃。クシャトリアによって無人島に置き去りにされたリミはなにをしているのかといえば。

 

「うぎゃぁぁあああああああ!」

 

 全力で虎から逃げていた。

 その虎は明らかにインドネシアの無人島にいるような類ではなかったが、そこは嘗てのジュナザードの私有地。なにがあってもおかしくはない。

 

「リミは食べても美味しくないお! 喰らえ、林檎アタック!」

 

 自分から興味を逸らそうとリミはジャングルで入手した林檎を投げつけるも、それは虎の嗜虐心を煽る効果しかなかった。

 リンゴを鼻先にぶつけられた虎は一層獰猛にリミを追う。縦横無尽にジャングルを走り回るリミと、大地を滑るように走る大虎。

 腹を空かせた虎は小頃音リミという肉を喰らうため涎を垂らしながら追ってくる。

 

「こんな所でリミは死なないんだから! さっくり生き残って龍斗様のハートをゲットだぜ!」

 

 ジャングルという足場の不安定な場所ながら、天性のバランス感覚でクシャトリアから教わった走り方を実践するリミは、木と木の間を縫うように走り跳び回りながら虎を引き離していく。

 小頃音リミ。彼女はクシャトリアが呑気にお茶を飲んでいる時も逞しく生き残っていた。

 




 このペースで投稿し続けると降伏する前に孔明みたく死ぬので、恒例の三日に一回ペースに切り替えます。なので読者様におかれましては……お願いでございます。命だけは、命だけはお助け下され。


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第36話  イチゴ

 美雲から頼まれた通りクシャトリアは、美雲の愛弟子の千影を伴って田舎にある死合い場へと向かった。美雲によれば、関の孫六兼元なる刀をもつという白石何某とやらがそこで死合いをするという。

 櫛灘美雲は超然とした浮世離れした佇まいからは想像できないがあれでかなりの情報通である。美雲がそこで死合いをしているといえば、まず間違いなく白石何某はそこにいるのだろう。

 

「…………」

 

 イチゴをさも煙草のような気軽さで食べながら歩いていると、隣の千影がじっと自分を見つめているのに気付く。千影の視線の先にあるのはなんであろうクシャトリアが食べているイチゴだ。

 クシャトリアがイチゴを食べ、残りのイチゴが減る度に千影は露骨に青ざめた顔をしては、まだ残りがあることを確認してそわそわした表情に戻る。

 千影とそれなりに面があるといっても、それはあくまで武術家としてのもの。武術の修行以外でこうして二人歩くなんてことはなかったので、このように表情をコロコロと変化させる千影は初めて見た。

 元々千影が纏っていた年不相応の冷然とした雰囲気はどこかしらに消え失せ、好きな物に目を輝かせる子供そのものになっている。もしかしたらこれが櫛灘千影が武術家としてではなく、ただの人間として育った場合の素顔なのかもしれない。

 

「イチゴ、好きなのか?」

 

「!」

 

 ビクッと千影は悪戯が主人にばれた猫のように肩を震わす。けれど僅かに期待感が垣間見えるのは決してクシャトリアの見間違いではないだろう。

 読心術を体得したクシャトリアでなくとも、千影の顔を見ればそこに「欲しい」とデカデカと書いているのが分かるはずだ。しかし一影九拳の弟子である千影が金銭的に困っているわけでもないし、イチゴなんて手に入れようと思えば簡単に手に入れられるだろう。そうでありながらイチゴ一つにこうまで目を輝かせるのは不思議だ。

 

「いるか?」

 

 躊躇いがちに尋ねると、千影はぶんぶんと勢いよく首を縦に振った。ここまで欲しがる者に食べられればイチゴも悔いはないだろう。

 クシャトリアの持ってきたフルーツは別にイチゴだけではないので、千影にあげようとして――――寸前で手を引っ込める。

 

「そうか。櫛灘流は永年益寿のために甘いものは厳禁だったか。なら監督役を任された俺があげるわけにはいかないなぁ」

 

「!?」

 

 極楽浄土から一転、千影は無間地獄に突き落とされる。念願の甘い物の指先にまで触れながらお預けを喰らった千影は、さながら断頭台にあがる死刑囚のそれだった。

 今時子供でもたかだかイチゴ一つにここまで反応したりはしないだろう。武術面・頭脳面の双方において神童の名を欲しいままにする大人顔負けの天才は、だからこそ精神的には酷く純粋な子供なのかもしれない。

 

「ふっ。冗談だよ。ほら、食べたかったんだろう。はい、イチゴ」

 

「いいんですか? 私のお目付け役を頼まれたのに」

 

 一度天国から地獄に突き落とされた千影は拗ねた目でクシャトリアを睨んでくる。

 些かからかいが過ぎたようだ。子供というのは大人の思う以上に細かいことを根に持つから侮れない。

 

「確かに美雲さんにばれれば怒られるかもしれないな。だからこのことは美雲さんには内緒だ。それさえ約束できるならあげよう。どうだ、約束できるか?」

 

「く、櫛灘の名にかけて」

 

「はは。じゃあ、はいこれ」

 

 櫛灘流の食事制限に逆らうことを、櫛灘流の名に誓うのはおかしい気がしなくもないが、そんな細かいことは千影にとってどうでも良いことのようだ。

 クシャトリアからイチゴを受け取った千影は幸せそうにイチゴをほうばる。

 

(これは美雲さんも大変だな)

 

 まだ社会の多くを知らない子供故の純粋さ。今の千影はなにも描かれていない白い画用紙のようなものだ。闇人である美雲によって、その画用紙には黒が描かれつつあるが、今後によってはどのようにも変化する可能性を孕んでいる。

 闇の武術家としてそこに危うさを覚えないわけではなかったが、それは櫛灘美雲と櫛灘千影の師弟の問題であって、部外者であるクシャトリアの口出しすべきことではない。

 強いて言えば武術家としては恩義のある美雲に味方したいが、人としては子供の千影に味方したい。かといってクシャトリアが二人になるわけにはいかないので、クシャトリアはどっちの味方であるがどっちの味方でもないスタンスをとる。後はその後の運次第だ。

 

「ままならないものだ」

 

 クシャトリアと千影の一行はそろそろ目的地に近付いてきていた。

 

 

 

 

 死合い場には既にサムライが如き精悍さを持ち合わせた武人と、眼鏡をかけたどこか危険な殺意を放つ男が対峙していた。

 これから死合う二人以外にその場にいるのは、神妙に死合いを待つ三名の男達と、住職のような佇まいの禿げ頭の男だけ。彼はこの死合いの立会人であり、死者が出た場合はそれを供養する役目をもっている。

 

「おお、やってるやってる」

 

「誰でい!」

 

 殺意と闘気で張りつめた死合い場の空気をうち壊すように、そこへクシャトリアが呑気な声を出しながら割って入る。死合い場に集まっていた男達が一斉に振り向いた。

 クシャトリアは一瞬で男達を見渡して、サムライの精悍さを持ち合わせた武人の腰にあるのが関の孫六兼元だと確認する。

 

「お前が白石何某か」

 

「何某なんて名を親につけられた覚えはねぇな。だが林崎夢想流の白石国郷ってなら間違いなくこの俺よ。それで人に名前を尋ねたお前さんは何者だ? ここはテーマパークじゃねえぜ。餓鬼連れなら別ンとこ行きな」

 

「……餓鬼?」

 

 餓鬼呼ばわりされた千影がピクリと眉を動かす。千影は幼いながら美雲に武術を教え込まれ、それなりに武術家としての矜持もあるだろう。子どもと見縊られれば腹立ちもする。

 だがそういう所に反応してしまうあたりが、まだまだ幼いと思わなくもないのだが、わざわざ妹弟子の不興を買う事はないので黙っておく。

 

「シルクァッド・サヤップ・クシャトリア、お前の腰にあるものを頂きに来た」

 

「っ!? シルクァッド……クシャトリアだと!? 闇の無手組が俺の刀を所望とはどういうことだ。まさか無手から武器に転向するつもりかい」

 

「まさか。ちょっとした頼まれごとでね。取り敢えず」

 

 クシャトリアの眼光から途轍もない量の気当たりが解放された瞬間、白石以外の死合い場に集まった者達が糸の切れた人形のように昏倒した。

 まるで重力が十倍になったかのような圧迫。それに歯を食いしばって耐えながら白石は刀に手を掛ける。

 

「お、お前ぇ! なにしやがった……!?」

 

「君以外に用はないんでね。平和裏に気当たりを喰らわせて眠って貰った。……しかしこの程度の気当たりで気絶するとは、死合い場なんて所に集まった連中にしては不甲斐ない。とはいえ君は他より出来るようだ。うん、このままだとちょっと厳しいかな」

 

 気当たりで動けないでいる白石の背後に一瞬で回り込むと、クシャトリアは白石の経穴を指でついた。

 

「っ! なにを、しやがった……!?」

 

「これでよし、と。――――千影」

 

「はい」

 

 今の千影では万全の白石を倒すのは難しい。かといって任務を放棄するわけにもいかず、かといって戦いが始まってしまえば、クシャトリアが手を出す事も出来ないとなれば、クシャトリアがやれることは限られている。

 クシャトリアに経穴をつかれ、今の白石は全身が麻痺して全力を出すことはほぼ不可能。これならば千影でも倒せる。

 

「後は任せた。俺の役目はあくまでもお目付け役。ここは仮にも死合い場だからね。仮に君が殺されそうになっても、死合い中は手出し出来ないからそのつもりで。死なない様に頑張りなさい」

 

「承知しています。いつものことですから」

 

 白石何某の相手を千影に任せると、クシャトリアは座り心地の良さそうな石の上に腰を下ろした。

 クシャトリアが美雲から受けたのは千影のやるべきミッションのサポート。邪魔な連中はそのサポートの一貫として排除しておいたが、白石何某を倒し刀を奪うのは千影の役目である。これを奪ってしまっては千影を連れてきた意味がない。

 

「へっ。自分の弟子に仕事を任せて自分は見物とは随分と良い御身分だな」

 

「良い御身分だよ、俺は。これでも帝王なものでね。王様より偉いんだ」

 

「皮肉すら通じねえか……。いいだろう、ならその餓鬼。ちっとばかしの怪我は覚悟しな!」

 

 クシャトリアから強烈な気当たりを受けながら、子供を殺めまいと一線を守る姿は武士の鏡と言えなくもない。

 だが今回に限ってそれは武士の矜持の現れではなくただの油断だった。絶対に殺さない様に、悪く言えば加減された刃など妖拳の継承者にとっては止まっているも等しい。

 蜃気楼のように掻き消えた千影は小柄さを活かして懐に潜り込むと、自身より遥かに巨大な白石を容易く投げ飛ばしてしまった。

 

「が、は……! な、なにが起こった!?」

 

 白石何某は自分がなにをされたのかまるで分からない様子だ。無理もない。力ゼロで投げる櫛灘流柔術はそれを知らない者からしたら、まるで妖術の類にも思えてしまうのだから。

 にしても流石は櫛灘美雲。幼いながら弟子によく己の流派を仕込んである。

 

「言い忘れていたが千影は俺の弟子じゃない。妖拳の女宿・櫛灘美雲の一番弟子だ」

 

「櫛灘だと……!? ハッ。道理で面妖な技を……使う……もんだ……」

 

 無念を呟きながら白石は気絶した。油断なく敵が完全に沈黙したことを確認すると、千影は白石の腰にあった刀を抜き取る。

 これで千影に与えられたミッションは完了だ。

 

「――――やれやれ。美雲さんめ、こういうことか」

 

 心底に疲れた声を絞り出しながら、クシャトリアは木を蹴りつけた。鋼鉄のように鍛え上げた蹴りは凶器そのもの。クシャトリアに蹴られた木は真っ二つに折れて倒れた。

 いきなりのクシャトリアの行動に千影は目を白黒させる。

 

「クシャトリア兄。なにを?」

 

「俺にここまで気付かせないとは驚きだ。さぞや名のある武術家とお見受けする。何者だ。名を名乗れ」

 

 クシャトリアが蹴りで破壊した木。足場だった木が破壊される寸前にそこから飛び降りた人影は、ふわりと音をたてずに地面に着地する。

 着地一つとっても神業。達人であるクシャトリアにここまで接近を気付かせなかったことといい確実に達人級だ。

 

「香坂流……香坂しぐれ。その刀を貰い受け……る」

 

「驚いた。梁山泊が出て来たか。戦争を望んでるのは緒方だけじゃないということか」

 

 空を仰ぐと、そこで美雲が悪戯気に笑っているような気がした。

 

 



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第37話  名将の心得

 偶然付き添いを頼まれた刀狩の依頼に、偶然緒方が梁山泊に宣戦布告したタイミングで、偶然に梁山泊の達人の一人とミッションがバッティングする。

 これを全て単なる偶然と片付けるほどクシャトリアは能天気ではない。ここまで偶然が重なればそれはもはや必然だ。

 大方梁山泊との戦争を望む美雲が、自分の弟子に達人の対武器戦と武器術を見せる為にこれを仕組んだのだろう。

 

(相変わらず食えない人だよ)

 

 櫛灘美雲という人間がいなければクシャトリアはいなかった。

 これは決して比喩表現ではない。美雲の所に預けられるという心が安らぐ時間がなければ、ジュナザードの下での地獄に耐え切れず、肉体が無事でも精神が壊れていただろう。

 その意味で櫛灘美雲はクシャトリアにとっては命の恩人だ。だがその命の恩人はジュナザードほどでないにしても、こうして自分を困らせて楽しがる節があるのが頭の痛いところである。

 

「剣と兵器の申し子、香坂流武器術の継承者。こんな所で梁山泊の達人と出逢うなんて光栄の至り。だがこちらも仕事でね。その刀を闇の武器組のところへ持ち帰らないといけない。出来れば退いてくれると嬉しいんだが?」

 

「だ…め。ボクもその刀に用があって来…た。刀を置いて行け。さもなければその首級頂戴す…る」

 

 香坂しぐれから噴き出した鋭利な刃物のようなそれにクシャトリアは目を見張らせる。

 なんの飾り気もない相手の命を奪うことだけを追求し尽くした限りなく純粋なる殺意。その規模ときたら気当たりを受け流す修行を積んだクシャトリアですら僅かに肌がささくれるほどだ。

 千影などは心の底に沈めたはずの本能的恐怖を呼び覚まされ、クシャトリアの背後に隠れてしまっている。

 

(驚いた。活人拳、いや武器使いだから活人剣か。活人剣の使い手がここまでの殺気を放つとは。色んな意味で驚きだ)

 

 強烈な殺意を嗅ぎ取って、クシャトリアの魂に焼き付いた魔物が眠りから覚めつつある。

 魔物の名前は生存本能。今日に至るまでシルクァッド・サヤップ・クシャトリアを地獄から生還させ続けた、生物なら誰もが持つ欲求だ。特A級という頂きまで上り詰め、肩を並べる武人が数えられるほどになった今、クシャトリアの内に眠るものが目覚める機会は少ない。

 何故ならば人並み外れた生存本能が目覚めるには、命の危険が必要不可欠なのである。特A級の達人に命の危険を抱かせるのは同じ特A級の達人か、それ以上の怪物だけだ。

 そしてクシャトリアの魔物を目覚めさせた香坂しぐれは確実に特A級の達人。闇に堕ちれば一人を脱落させてでも八煌断罪刃に選ばれるほどの逸材だ。その武人が殺意を放つなら、クシャトリアに命の危険を感じさせるには十分すぎる。

 張りつめた一触即発の雰囲気の中、無手と武器の達人は睨みあう。そして、

 

「な~んちゃっ……た」

 

「へ?」

 

 断頭台のように張りつめた空気が一気に雲散した。

 ついさっきまで鋭利な刃物ほどの殺意を放っていた香坂しぐれは、完全に殺意を引込めてしまっている。変わりに放たれているのは活人剣の武人らしい、殺意なき純粋な闘志だ。

 余りのことに先程までの殺意が冗談だったと理解するのにクシャトリアは1.5秒を擁した。

 

「なんちゃった? そこはなんちゃってじゃないのか?」

 

「ボクの家ではそうなん…だ」

 

「へ、へぇ~。日本は不思議が沢山あるんだな」

 

 香坂しぐれにはクシャトリアを倒して刀を奪う気はあっても、クシャトリアと千影を殺す気はないということだ。余りにも殺人拳に浸り過ぎたクシャトリアからしたら、闘志を向けられつつも殺意はないというのは少しばかり戸惑いがある。どうにもしっくりこないとでもいうのだろうか。

 クシャトリアはジュナザードのように常に殺し合いを求める武術的狂気は持ち合わせていない。だが刀を渡してお引き取り願うという魅力的な選択が諸々の事情で出来ない以上、戦う他ないのだ。

 己の武器である拳を握ると、背後にいる千影に兄弟子として口を開く。

 

「千影。これより対武器戦の実戦を見せる。よく見ておくように。……ただ相手が相手だ、悪いお手本を見せることはできないが、そこは自分の想像力で補ってくれ」

 

「はい、先生」

 

 流石に千影は師の教育が行き届いている。武器を己の手足とする武器使いの制空圏は、武器のリーチ分だけ無手の武術家の制空圏よりも巨大になる傾向がある。その例に漏れず、香坂しぐれの制空圏はクシャトリアどころか、その背後にいた千影まですっぽりと覆っていた。

 その制空圏の広大さを視た千影は、自分の身長ほどもある刀を抱えたまま、香坂しぐれの制空圏の外へと出ていく。

 

「さて。そちらも頭の上に乗っけている鼠を降ろせ。戦いに巻き込んで、ペットを死なせたくないだろう?」

 

「優しいんだ…な。お前……」

 

「無駄な殺生は主義じゃないだけだ」

 

 殺人拳にどっぷり浸かっておいて、今更不殺を騙るわけではない。ただ闇でのた打ち回る悪鬼にも一欠けらの矜持くらいはあるだけだ。

 それに経験上、活人拳の使い手は自分の痛みより他者の痛みに怒る者が多い。わざわざ彼女のペットらしい鼠を傷つけて怒りを買うこともない。

 しぐれと対峙しながらクシャトリアは美雲から譲られた手甲を宙に放ると、慣れた動きでそれを両腕に装着する。

 

「いざ!」

 

 無手にて挑むクシャトリアに剣と兵器の申し子がとった武器は――――背中に背負う日本刀だった。いや人を斬る事に追及し尽くしたそれは日本刀というより人斬り包丁と称した方が相応しいかもしれない。

 大剣すら弾くクシャトリアの手甲も、達人の一振りをまともに受ければどうなるかは語るまでもない。が、まともに受けられないならば、まともに受けないのみ。

 突きの際に腕を回転させ渦を生み出すことで、風すら置き去りにする刃を受け流す。並みの剣士相手ならこれだけで決着がついていたかもしれないが、言うまでもなく香坂しぐれは並みの剣士などではない。

 クシャトリアが渦で刃を受け流したのならば、しぐれは極限まで力を抜いて、柳のような動きで受け流す。クシャトリアの突きはしぐれを霞めただけで終わり、今度はしぐれが逆襲とばかりに音速の刃を振るった。

 

「っと。危ない危ない」

 

 はらりと数本の髪の毛が落ちた。服の肩が切れ、そこからスーツの中に着込んだワイシャツが覗く。

 クシャトリアは斬撃を完全に回避しきった。おまけにしぐれは殺さぬよう刀を返し切断力のない背面で刃を振ったのである。だというのにこの様。直撃を喰らえば痛いではすまないだろう。だがなまじ目が良すぎるせいで、当たっても死にはしないだろうという安心がクシャトリアの動きを鈍らせてしまう。相手に殺意がないとやる気が出ないのは昔からの欠点だ。

 動揺をよそにしぐれは休む間など与えてはくれない。驚くべき事にしぐれは刀から両手を離した。剣士が自ら刀から手を離すなど正気の沙汰とは思えない行為だが、香坂しぐれはただの剣士ではない。剣士でもある武器術の使い手だ。

 

「香坂流…五月雨手裏剣」

 

 刀から手を離した一瞬で、しぐれは無数の手裏剣を投げつける。完全に円形に見えるほど高速回転する手裏剣はさながら極小の竜巻だ。弾丸並みの速度のそれが直線的ではなく変幻自在の軌道を描きながらクシャトリアに向かってくる。

 しかもただ全ての手裏剣が馬鹿正直に対象に向かうのではなく、一部の手裏剣は意図的に対象ではなく対象の逃げ場となるであろう場所に飛んでいた。ある一定の領域に達した武術家同士の戦いは殴り合いや斬り合いというよりも、囲碁のような陣取り合戦となるものだが、それは無手と武器使いの戦いにおいても例外ではない。

 

(兵器の申し子は伊達じゃないか! 手裏剣術も剣術並みに達人とは恐れ入った!)

 

 日本で武士が修得するべしとされた武芸十八般といえば棒術、杖術、短刀術、剣術、弓術、槍術、手裏剣術、十手術、薙刀術、鎖鎌術、捕手術、含針術、柔術、馬術、水術、抜刀術、隠形術、砲術などがあげられるが、香坂流武器術を修めた香坂しぐれは無手の柔術など以外は全て同レベルで修得していると考えてよいだろう。

 見た目から判断するにまだ三十にも達していないというのにこの技量。末恐ろしいものだ。年齢に関してはクシャトリアも人の事を言えた義理はないが。

 

「無数の手裏剣が相手ならば……無数の体で相手しよう!」

 

 体内を巡る気を練り上げ、それをもって己自身を形作る。気当たりを用いた技術のその究極系、気当たりにより完全に自分と同一の気配をもつ残像だ。

 勿論完全同一の気配をもとうとそれは気当たりが生み出した幻。蜃気楼のようなもの。弟子クラスのような格下相手なら、高速移動を駆使して完全に分身したように振る舞うことはできるが、同レベルの達人相手にそんなことはできはしない。

 生み出された残像は本物のように攻撃するかもしれないが、その残像には実体などありはせず、残像の攻撃を喰らっても傷一つ受けはしないだろう。

 だがそれで十分だ。どの残像が本物なのか分からないのならば、一つの本物の攻撃を躱すために全ての残像の繰り出す攻撃に対処しなければならないのだから。

 クシャトリアの気当たりで生み出された寸分変わらぬ二つのシルクァッド・サヤップ・クシャトリアの影。手裏剣を強引に叩き落としながら三人のクシャトリアがしぐれに襲い掛かる。

 

「っ!」

 

 気当たりで残像をも生み出したことには、さしものしぐれも驚愕したようだ。本気になれば残像は十以上は出現させられるジュナザードに対抗するために会得した残像は、視覚は勿論のこと武術家としての第六感でも初見で見抜くことは不可能な代物である。

 更に言えばクシャトリアとしぐれの実力はほぼ拮抗している。実力の拮抗した相手による一つの本物と同時に二つのによる一斉攻撃。如何な兵器の申し子といえど苦戦は免れまい。

 が、その考えが甘かったことをクシャトリアは悟ることになる。

 しぐれの刀としぐれ自身が混ざり合ったように同色に染まっていく。元々手足のように使っていた刀が、完全に香坂しぐれそのものとなっていった。

 この感覚をクシャトリアは何度か見た事があった。故にクシャトリアはそれが来る前に全力で回避することができた。

 

〝心刃合錬斬〟

 

 武器を己の手足とする極意の先にある奥義。武器と己を一体化する、真の達人のみが体得できる武器術の到達点が一つだ。

 残像などものともせず、しぐれの一斬は完全に本物のクシャトリアを見切っていた。もしも知り合いの伝手で『心刃合錬斬』を見た事が無ければ、今頃クシャトリアの体には刀の峰で殴りつけられた痕がくっきり浮かんでいたことだろう。

 

「驚いたな。俺の残像を一瞬で看破するなんて、一体全体どんな魔法を使った?」

 

「臭…い」

 

「なに? ――――そうか。手裏剣に塗ってあった痺れ薬。あれを喰らうようなヘマはしなかったが、匂いだけは手甲に付着していたわけか」

 

 自分の手甲にこびり付いている花粉の匂いを嗅ぎ取る。手裏剣に痺れ薬を塗っておく用意周到さもそうだが、残像を見た一瞬で視覚でも第六感でもなく、嗅覚で本物と偽物を判別することを選択するという決断力も見事なものだ。

 気当たりによる残像は視覚を騙し、第六感すら欺く。しかしさしもの気当たりも手甲にこびり付いた匂いまで再現することはできない。

 にしても恐るべきは香坂しぐれの嗅覚。

 達人であれば五感といえるもの全てが常人の及ばぬ領域にまで高められているものだが、僅かな痺れ薬の臭いをかぎ取るほどとは相当なものだ。

 

(これ以上は些か危険、か)

 

 別に追い詰められているわけではない。だがこれ以上やるのならばクシャトリアも完全に殺る気を出さざるを得なくなる。というよりも殺人拳の担い手であるクシャトリアは、本気を出すには拳に殺意をのせなければならない。

 だが香坂しぐれはクシャトリアを倒す気ではいるが殺す気ではない。こちらに殺意のない相手と達人未満を殺めるのはクシャトリアの主義に反する事だ。

 かといって、みすみす撤退を許してくれるほど甘い相手ではないだろう。

 

「そちらが奥義を見せたのならば、こちらも面白いものを見せよう」

 

 丁度良いタイミングでもあった。かねてより緒方と共同開発していた例の技。それをより洗練させるためにも、いつかは自分自身で使わなければと思っていた所だ。

 香坂しぐれであれば技の実験台として申し分ない。

 

「静動轟一ッ!」

 

「……! それ…は」

 

 静の気と動の気、対極にあり決して交わることのない二つの気が『シルクァッド・サヤップ・クシャトリア』という器の中で溶け合い融合していく。

 静の気と動の気の同時発動。これは言うなれば密閉空間で火薬を爆発させ続けるようなもの。一時的に正確無比にして強力無比な攻撃を繰り出せるようだが、その反面、長く発動していれば肉体と精神が崩壊する。

 緒方の弟子であった朝宮龍斗が使用し再起不能になったという曰くつきだ。達人とはいえ使用には相当の危険を伴う。

 だがクシャトリアはこと気の扱いに関してはエキスパート。朝宮龍斗とは違い、自分の肉体と精神が崩壊しないですむギリギリのタイミングは心得ている。

 

「……ゆくぞ」

 

 心の中を荒れ狂う気を内部で抑えつけながら、クシャトリアは猛獣のように猛々しく、学者のように理知的に技を繰り出した。

 静の気らしい鉄壁の制空圏を張りながら、暴風の如き拳の連打でしぐれの制空圏を崩していく。

 しかし香坂しぐれも武器術を極めた真の達人。再びその姿が己の刀と重なり合っていった。

 

――――心刃合錬斬。

 

 己と武器とを完全に一つとする、武器術の一つの到達点。

 されど香坂しぐれが武器と己を一つにするというのであれば、今のクシャトリアは静と動を轟一させている。相容れぬものを強引に融合させた気の奔流、武器と己の同一に劣るものではない。

 

「静動轟一・地転蹴り(トゥンダンアン・グリンタナ)!」

 

 刃の一閃と蹴りが空中でぶつかり合い、周囲に突風を撒き散らした。

 技の速度は互角。しかし動の気の爆発分だけ破壊力でクシャトリアが勝った。しぐれの脇腹に受け切れなかった蹴りが霞める。

 ここが攻め時と判断したクシャトリアは更に追撃をかけるべく、地面に両掌を叩きつけた。

 

「秘技・地脈返し」

 

 地面に流し込まれた力が、大地をガムテープのようにめくり上げる。地面を返したことで香坂しぐれの退路を塞いだ。後はひたすらに突撃して畳み掛けるのみ。クシャトリアはしぐれを潰すために飛びかかった。

 だがここでクシャトリアにとっても想定外の事が起こる。

 

「っ! 闘忠丸、危な…い!」

 

 地脈返し、その広範囲な技は香坂しぐれのみならず、礼儀正しく地面に座り込んでいたペットの鼠まで巻き込んでしまっていた。

 香坂しぐれのペットの闘忠丸は鼠だてらに優れた力量をもつ武人。天敵の猫が来ようと返り討ちにするだけの実力をもっている。しかし特A級の達人の技を回避するのは難しい。

 しぐれが鼠を守る為に生まれた隙、そこへクシャトリアの突きが叩き込まれた。

 

「……流石」

 

 静動轟一を止めて、元の静の気のみの発動に戻す。

 やはり梁山泊は伊達ではない。あれだけ隙を見せたのに見事に鼠を守り切り、しかも咄嗟に体を回して致命傷を避けた。回避力においてはクシャトリアを上回っている。

 鼠を傷つけられかけたしぐれは、僅かに怒りの籠った目を向けていた。

 

(香坂しぐれの首級か)

 

 倒すのならば予期せぬ一撃を浴びせられた今が好機だろう。しかし、

 

「退くぞ、千影」

 

 クシャトリアはあっさりと撤退を決断した。

 

「クシャトリア兄?」

 

「殺さぬよう鼠を降ろさせておいてこの始末。これで首級をとったら笑い物だ」

 

「逃げるの…か?」

 

「貴女も鼠を早く医者に見せたいだろう。ここは無効試合としておこう。決着はいずれ――――つけないで済むことを祈ってるよ。殺意をもたずに来る相手は苦手だから、出来る限り戦いたくない」

 

 それだけ言うとクシャトリアは千影を抱えて撤退する。

 彼女のペットの鼠は命に別状はないにしても傷を負っていた。死合いの中、自分の身を危険に晒してでも守ろうとしたペットである。医者に診せるのを優先し、追ってくることはないだろう。

 

「む。やられ…た」

 

 己を超える速度で全力で遠ざかっていくクシャトリアを見据え、しぐれは少しだけ悔しそうに呟いた。

 

 

 

 

 ジャングルファイトはシラットの神髄。故に青々と茂る木々の間を縫って全力疾走することなど、シラットを極めた武術家であるクシャトリアには造作もないことだ。

 戦いの中、純粋なスピードなら自分の方が勝っていると判断し、一目散に撤退したのは正解だったといえるだろう。周囲1㎞を見渡しても香坂しぐれの姿はない。少しひやひやしたが完全に撒けたようだ。

 

「良かったんですか? 逃げて」

 

 乱暴に抱えられ世界一恐ろしい絶叫マシーンより上下に揺られた千影は、頭に葉っぱをつけながら恨めし気に口を開いた。

 相手が相手だったとはいえ、少しばかり配慮して撤退するべきだったかもしれない。帰りに甘い物でも買ってやらなければ、これは機嫌を直してくれないだろう。

 

「確かに香坂しぐれの首級は目的の日本刀の百億倍は価値があるものだ。これを獲ることができたなら、俺の名声は鰻登りだろう。

 だがやるべきことをやり終えたら速やかに退くのが名将の戦というものだ。何某の刀を奪取するという当初の目的は果たしているわけだからね。あれ以上、戦うのは余計というものだ」

 

「名将、ですか?」

 

「孫子くらいは読んでいるだろう。神童なんだから」

 

「……はい」

 

 千影にはこう言ったがクシャトリアが香坂しぐれとの戦いを避けたのには二つほど理由がある。

 もしもクシャトリアと香坂しぐれが本格的に死合えば、それは宣戦布告で緊張状態にある闇と梁山泊の戦端を開く切欠となるだろう。そうすれば否応なく梁山泊の目は戦端を開いたシルクァッド・サヤップ・クシャトリアに注目するはずだ。

 梁山泊にはただでさえジュナザードと肩を並べる風林寺隼人という怪物もいる。そんな達人たちの矢面に立つなど御免蒙ることだ。

 そしてもう一つは、

 

(静動轟一、やはり危険な技だ)

 

 あのまま戦っていれば、そろそろ肉体と精神の崩壊が始まりかけていただろう。静動轟一で得た優勢など一時的なもの。香坂しぐれがそれを看破し、持久戦に持ち込めば逆にクシャトリアが窮地に追い込まれていたかもしれない。

 

(しかしこれで静動轟一がどういうものなのかも体感できた。暫くは静動轟一の研究を行って……実戦で使うのはもう少し後だな)

 

 ふとクシャトリアは想いだす。

 

「そういえばもうそろそろ一か月たつなぁ」

 

「一か月?」

 

「こっちの話しだよ」

 

 小頃音リミを無人島に置き去りにして丁度三十一日。生きていれば今頃は原始人みたくしぶとくなっている頃だろう。

 そこではたと気づいた。今日が丁度一か月目で、既に日は落ちあと数時間もすれば一日は終わる。そして日本からティダードまではどんなに急いでも飛行機だけで数時間はかかるだろう。そうなるとクシャトリアがどれだけ急いでも一か月後に迎えに行くという約束を果たすのは不可能ということになってしまう。

 

「ま、不測の事態に対応できるようになって武術家としては一人前か」

 

 これもまた修行の内と、ティダードに電話して別の誰かに行って貰うという選択を冷酷に切り捨てると、クシャトリアと千影は帰路についた。

 



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第38話  生還

 千影を美雲のところに連れて帰り任務完了を報告してから、直ぐに部下に指示して飛行機を用意させたクシャトリアは、自分の弟子候補を置き去りにした無人島へと赴いた。

 赤道直下の国であるティダードは御多分に漏れず年がら年中熱い国で、それは生い茂るジャングルからもそれは明らかである。しかし今日に限っては雲が太陽をすっぽりと覆い、ティダードにしては涼しい温度に保たれていた。

 約束の日から一日遅れて無人島に迎えに来たクシャトリアだが、問題となるのは果たして小頃音リミが生きているかどうかだろう。

 サバイバル生活についてのノウハウの書かれた書物やナイフ一本を渡せば、万人が一か月無人島で生き残れると思うほどクシャトリアは人間を妄信してはいない。

 リミの運動神経を考慮すれば五分五分といったところか。……いや、頭脳方面が残念な分、四割程度かもしれない。

 

「ほぉ。やるもんだな」

 

 だが島に踏み込んだクシャトリアはその懸念が無用だったことを悟る。少し驚きつつもクシャトリアは気配を感じた木を蹴り倒すと、その上に潜んでいた人間をキャッチした。

 一か月+一日も無人島で生活していただけあって体重も落ち、服も薄汚れているが、それでも心臓はしっかりと動いていたし呼吸も正常だった。

 しっかりと検査しなければ分からないこともあるが、医学の心得もあるクシャトリアの目から見て小頃音リミは疲労はあるものの至って健康体そのものである。

 

「Zzz……」

 

「起きろ」

 

「ほぎゃ!?」

 

 完全に爆睡しているリミの額にデコピンを喰らわせ、眠りに落ちていた意識を強引に覚醒させる。

 リミはクシャトリアの顔を見て目をパチクリさせていたが、やがて尻尾を踏まれた猫のように飛び退いた。

 

「く、クシャさん! あ…ありのまま今起こった事を話すお! 『リミは迎えに来るクシャさんを驚かそうと、木の上でスタンバってたらクシャさんに服を掴まれてぶら下がっていた』。な、なにを言ってるか――――」

 

「前置きが長い」

 

 幾ら修行は死ぬものといっても、少しばかり扱いが酷過ぎただろうか、と思っていたと言うのに想像以上の元気さに面食らう。

 無人島で一か月生活するというのは、最新技術に慣れ親しんだ日本人にとって想像以上に過酷なものだ。

 自然界の弱肉強食の摂理に放り込まれ、いつ殺されるか分からないというプレッシャー。これまで当たり前のように食べていた食べ物を、自分で生きた命を殺め食べ物にする作業。そのどれもが肉体面のみならず精神をも締め付ける

 武術の修行なんてとんでもない。無人島という極限空間において、人間は生きるだけでも大変なのだ。

 だというのに迎えに来たクシャトリアを驚かそうとしたり、ふざけたりするくらいに心の余裕を残すとは……。

 

(こいつ。実はかなり大物なのかも)

 

 ただ武術の素養があるだけではこうはなるまい。小頃音リミは大抵の事にはへこたれない精神的タフさを、恐らくは無人島入りする前から持っていた。

 真面目にとぼけているリミを見つめながら、クシャトリアは小頃音リミの評価を十段階くらい上げる。

 

「そうだクシャさん! 一か月後に迎えに来るって言ったのに、なんで昨日迎えに来てくれなかったんですか? リミずっと待ってたのに、全然来ないから木の上で寝ちゃったじゃないですか!」

 

「……さて、なんのことだろう。俺はジャスト一か月に迎えに来たつもりだが」

 

「え? だけどだけどリミが無人島に来たのが十三日で……今日がたぶん十四日だから、一日遅れで」

 

「はははははは。なにを言ってるんだ。無人島にきたのは十四日じゃないか」

 

「あり? そうでしたっけ?」

 

「うん」

 

「……うーん。じゃあリミの勘違い?」

 

 リミの頭脳がやや残念で良かった。こうして強気で断言すればコロッと騙されてくれる。

 自分の不手際の隠蔽に成功したことを喜びつつも、一方でリミの将来に不安を感じた。リミの天然さ、良く言えば純粋さは美点でもあるが欠点にもなる。財布をすられても財布をすられたことにすら気づかないリミは、詐欺師からすれば格好のカモだろう。

 

「さて。気を取り直して一か月しっかり生き残った君に言おう。よくぞ生き残った小頃音リミ。合格だ……約束通り君を私の正式な弟子として迎え入れよう」

 

「は、はい!」

 

 弟子をとるなど初めての事で不安は積もるばかり。己を高めることで忙しい自分が、弟子をとっても良いのか。拳聖に良いようにのせられたのではないか。ここにくるまで幾多も考えた事だ。

 だがクシャトリアも武人の端くれ。一度正式に弟子を迎え入れた以上、中途半端は許されない。

 小頃音リミという武術家の卵を達人の領域に連れていくまで、全身全霊で面倒を見て、己の武術の全てを伝授する義務が生まれたのだ。尤もこれには、さもなければ死ぬかという但し書きがつくが。

 

「お試し期間はこれにて終了。これからは俺の事を師匠(グル)と呼べ……」

 

「了解です、師匠(グル)

 

「………………いやぁ」

 

 初めて呼ばれた師匠というフレーズはなんとも甘美なものだった。

 ずっと師匠と呼ぶばかりだったのが、こうして師匠と呼ばれる立場になり始めてそれを知る。まだ弟子をとって一歩を踏み出したばかりだが、一影九拳たち(ジュナザード以外)が自分の弟子に入れ込む理由が少しだけ分かった様な気がした。

 

「師匠? まさか照れてるんですか?」

 

「お、おほん! 早速、修行――――と、いきたいところだが武術家にとって休息もまた修行の一貫。本格的な修行は三日後とする。それまでよく体を休めておくように」

 

「やった! 久しぶりに龍斗様に会いに行けるお! 無人島修行で格段にパワーアップしたリミを見たら、龍斗様のハートキャッチも楽勝ですよね?」

 

「いや、全然パワーアップとかしてないよ?」

 

「へ?」

 

 リミの笑顔が氷漬けになったように固まる。

 弟子の期待を裏切るようで悪いが、クシャトリアも師匠として弟子の間違った考えは改めなければならない。

 

「無人島にこもってるだけで強くなんかなれるわけないだろう? 無人島にこもれば格段に強くなれるなら、俺だって一年でも二年でもこもるさ。

 ま、完全にパワーアップが皆無とまで言うつもりはないけど、精々スタミナがついたくらいだろうね」

 

「が、がびーん! じゃ、じゃあなんのために無人島一か月0円生活なんかしたんですか!?」

 

「それは生きることを覚えるためさ」

 

 無人島で一人放り出されたリミは、最初は戸惑いはあったはずだ。

 文明の皆無の孤島に孤独に置き去りにされた恐怖。自分より小さな小動物を殺し、その肉を喰らうことにも抵抗があったかもしれない。

 そんな中に放り込まれたリミは一か月という月日で、徐々に服の汚れだとか変なプライドなどの余計な物を削ぎ落とし、ただ生きることを自覚したはずだ。

 

「他の闇の達人なら、己の弟子に敵を殺める覚悟と死ぬ覚悟をつけさせるところだが――――俺の意見は少々異なる。死ぬ覚悟などする必要はない。代わりになにを犠牲にしても生きる覚悟をもてばいい。それさえ持てばその他の心構えなんて勝手に付随するものだよ。他ならぬ俺がそうだった」

 

 師匠ジュナザードにより殺されなければ生き残れないという状況に追い込まれることで、闇人なら避けては通れぬ殺しの洗礼を乗り越えた。

 生きるとは他者の命を奪うこと。自分の命だけを絶対に守ろうとするならば、いずれ自分の命のために他人の命を奪う時がくるだろう。

 その時に明確な生きる意志をもたねば迷いを生むが、生きる覚悟を身に刻んでいればいざ殺しの洗礼を受ける段階になっても迷うことはあるまい。

 

「おまけに無人島生活でシラットの神髄でもあるジャングルでの動き方にも慣れ親しむことができる……。生きる覚悟をつけられ、合否判定もできて、ジャングルでの動き方も自然に身につく。一石二鳥ならぬ一石三鳥だ」

 

「なんか分からないけど、それじゃあリミの一か月間は無駄じゃなかったんですか?」

 

「それは保障しよう」

 

 これからは潜入ミッションと自分の修行に加えて、弟子の育成をしなければならない。少しばかり自分の予定表を書き換える必要があるだろう。

 迎えのヘリに乗り込みながらクシャトリアはそんなことを考えた。 

 




リミ「ふふふっ。師匠、リミはちゃんと分かってるんですよぉ」

クシャトリア「なにが?」

リミ「厳しいこと言ってるけど、本当はハガレンとかピッコロさんみたく、死んじゃわないようにこっそり見守ってくれてたんですよね」

クシャトリア「いや、してないよそんなの。時間が勿体ないじゃないか」キッパリ

リミ「えぇ!? じゃ、じゃあリミが本当に死んじゃったらどうしたんですか!?」

クシャトリア「大丈夫だ」

リミ「?」

クシャトリア「俺も鬼じゃない。しっかり知り合いの葬祭ディレクターと相談して、どこに出しても恥ずかしくない葬儀であの世に送ってやるとも」

リミ「気遣いの方向性が激しく間違ってるお!」


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第39話  地獄に落ちましたわ

 無人島から戻ってきて三日後。静動轟一なる技の後遺症で半身不随になり白髪になった龍斗に仰天するなんてことはありつつも、言葉通りリミの本格的修行が始まった。

 弟子入りを頼んで早々に猛獣蠢く無人島に置き去りにされるという、人権団体が気絶しそうな扱いをされた事を思えば、これから始まる本格的修行がまともでないことは瞭然だ。

 クシャトリアは己の師匠と自分を比べて『自分は優しい』などと素敵過ぎる勘違いをしているが、ジュナザードを知らないリミからしたらクシャトリアは優しいどころか極悪だ。

 地獄の最下層に梯子をたてて登ったところで、そこが地獄の最下層であるということは変わらない。そのことを知るべきだと思うが、やはり達人には常人の理屈は当て嵌まりはしないのだろう。どれだけリミがブーブー文句を言っても、そんな筈はないの一点張りだった。

 ただそんな地獄巡りを控えたリミだったが、元々の能天気さが幸いしてか比較的気分は高揚していた。

 馬鹿を決して侮ってはいけない。天才と馬鹿は紙一重という言葉もあるように、馬鹿の馬鹿げた馬鹿な行動は時に天才の常識をも超えるのである。

 

(龍斗様が半身不随になってたのは驚いたし、リミも思わず焦った余りブラックジャック先生を連れてこようとしちゃったけど……よくよく考えればリミ的にチャンスかも。

 ただでさえ強い龍斗様が地獄の修行をやってちゃリミが追い付くなんていつになるか分からないし、龍斗様が半身不随で文字通り足が『止まって』いる今リミが強くなれば)

 

 もわもわとリミの脳裏に並みいる悪漢やらなんやらに襲われる龍斗と、彼のピンチに颯爽と駆けつけて、敵を薙ぎ倒す自分の姿が思い浮かぶ。

 妄想90%であるが、実際リミの考えは完全に的外れではない。拳聖・緒方一神斎に最も長く教えを受けたオーディンこと朝宮龍斗は、彼の弟子の中では最も芽のある者だ。

 単純な素養でいえばバーサーカーが、内包している気の総量ではルグが上回るだろう。だが龍斗は気の扱いではバーサーカーを上回り、武の素養ではルグを上回っており、また強くなろうとする向上心も人一倍だ。

 静動轟一の気の副作用で半身不随となり車椅子というハンデを背負った今でも、リミやバーサーカーと戦って勝利するだけの実力を持っている。

 されど武術において重要な要素なのが下半身。半身不随というハンデにより、肝心要の足腰が役立たず状態となると、どうしても武術の成長速度は遅れざるを得ない。

 故に龍斗が半身不随から回復できていない間に、追い抜こうとするリミの判断は正しいものだ。本人がそこまで深く考えているのかは分からないが。

 

「……おい、リミ」

 

「えへへ。龍斗様、駄目ですよ~。そこはサクランボ……」

 

「いいからこっちを向け阿呆」

 

「ひょわっ!」

 

 助けた龍斗に「君はなんて強いんだ。僕の嫁になってくれ」と言われた所で、リミの妄想はクシャトリアの容赦ない足蹴りにより吹っ飛ばされた。

 

「修行初日に余所見とは良い御身分じゃないかリミ……。もしかして無人島生活が温すぎて退屈だったかな」

 

 にっこりと微笑むクシャトリアだが、氷のように冷たい目はまったく笑ってはいなかった。

 まだ短い付き合いながらシルクァッド・サヤップ・クシャトリアという人間が「良い人」そうでいて「本当は恐い人」なのは身に染みて分かっている。リミは慌てて弁解のため口を開いた。

 

「ち、違いますよぉ~。初日だからキンチョーしちゃっただけです」

 

「あぁそう。余裕そうだから修行の密度を三割くらいゲインしようとしたんだが……」

 

(なんで残念そうなんだろ、師匠)

 

 弟子入りをあれだけ渋っていたというのに、いざ師匠になってみると実にノリノリである。

 もしかしたらクシャトリアは人を苛めて愉しむ危ない趣味の持ち主なのかもしれない。そんな失礼なことを考えたリミだったが、

 

「自分の弟子に鬼畜扱いされるとは心外だなぁ」

 

「!?」

 

 自分の心中を完全に見透かされた事に、リミの背筋に冷たい手が這ったような悪寒が奔った。

 

「それとも……リミはそうされるのが好みなのかな?」

 

「いえいえ! リミはノーマルに愛を育むのが好みとですよ! あ、でも龍斗様が望むのなら……えへっ」

 

「元気そうでなにより。じゃあその元気を削ぎ落とすとしよう」

 

 さっきのように目の笑っていない脅しを込めた笑みではなく、心の底から朗らかにクシャトリアは微笑んだ。

 なのに何故だろうか。リミにはその笑顔がさっきの笑みよりも数倍恐ろしく感じた。そのリミの直感は正しく的中することになる。

 

 

 

 

 修行といっても最初はそこまで突飛なことをやるわけではない。

 武術のみならず、軍隊の訓練でもスポーツでも等しく重要視されるのが基礎体力、スタミナである。一回走って体力を切らすようなモヤシなら、例え40ヤード走を4秒で走る俊足であっても役には立たない。

 だから最初にリミがやらされたのは小頃音リミの総合力を測る意味も込めての基礎練習だった。ただし質は相変わらず鬼畜だったが。

 

「無人島で死ななかっただけあって基礎体力は中々だな。スピードだけなら本郷さんのところの叶くんにも匹敵するかも」

 

「はぁはぁはぁ……はぁ……」

 

 弟子が地獄の基礎修行で疲労困憊になっているというのに、師匠のクシャトリアは椅子に座ってノートPCを開いていた。時折手が果物に伸びたり、フルーツジュースに伸びたりする。

 そんな師匠を恨めし気に見上げるも、クシャトリアは弟子に気を使って果物の摂取を控えるような殊勝な性格ではない。

 これから何か嫌な事が始まる予感もしたので、それを遠ざけるためにリミは気になることを尋ねることにした。

 

「師匠、一ついいとですか?」

 

「ん?」

 

「……なんでPC三台も同時にやってるんですか?」

 

 動かないのは椅子に腰かけている下半身だけだ。クシャトリアの上半身は残像すら生み出しながら高速で動き、三つのノートPCを同時に操るという離れ業を超えた何かをやっている。

 二つのPCならば、両手を駆使すれば、その道のプロならどうにか出きそうではある。だがクシャトリアがやっているのは三つだ。なのに同時とは一体どういうことか。

 

「いいかいリミ。時は金なりという諺通り人間はどうやったって時間を買う事は出来ない。だから人が時間をどうこうするには、力で奪い取るしかないんだよ。

 三台のPCを同時にやることで単純計算で俺の時間は三倍。更に常人の三倍早く操作することで更に三倍。合計九倍だ。人間、頑張れば24時間を216時間にすることも出来るんだ。リミも将来のために覚えておいた方がいい」

 

「な、なんかもっともらしい事を言ってるけど、絶対におかしいと思います!」

 

 時は金なりという諺にしてもそうだ。普通の人間なら時間ばかりは金で買えないのだから時間は大切にしよう、という意味に受け取るだろう。

 少なくとも時間は金で買えないのだから、常識はずれの身体能力で人の九倍を生きよう――――なんて解答には至らないはずだ。

 

「それに弟子の修行中にPCでなにしてるんですか?」

 

「一台はリミにも関係のあることさ。リミの運動能力とかその他諸々のデータを入力したり、それを加味しての修行をどうするかを計算してたりしていた。俺も流石にPCほど計算早くないしねぇ。PCもやるものだよ……」

 

「人類が計算でPCと張り合おうとしないで下さい」

 

「もう一台は闇関連の報告書とかその他諸々。最近梁山泊と戦いが激化しちゃったから、一影九拳のお歴々にパシリみたく扱われている俺は大変なわけだよ。はぁ~あ、師匠死ねばいいのに」

 

「本音が漏れてるお……」

 

 この常識外れ極まるクシャトリアに、鬼だの悪魔だの外道だのと散々に扱き下ろされるジュナザード。

 リミにとって師匠のそのまた師匠であるジュナザードは、雲の上を突きぬけて宇宙空間の存在とすら言っていい。

 絶対に会いたくないと恐怖する一方で、一度くらいどんな人なのか見てみたいという野次馬根性があるのも事実だった。

 

「そして最後の一台は……」

 

「ご、ごくり」

 

「スーパーマリオブラザーズだ」

 

「ずこー!」

 

 修行のデータ入力、闇への報告書ときて最後にゲーム。落差の激しさにリミは漫画のようにずっこけた。

 

「な、何故にスーパーマリオブラザーズ?」

 

「……潜入ミッションのため、俺も最近の若者の流行についていかなければならないんだ」

 

「いや全然最近の流行じゃありませんとですよ、スーパーマリオブラザーズ」

 

 未だに根強いファンをもつ傑作ゲームであるが、ハードがファミコンであるし、最近というよりは寧ろ昭和の流行といっていいだろう。

 勿論これが出来たところで若者の流行に精通しているということには全くならない。

 

「話を引きのばして休憩時間を伸ばそうとしていたところ悪いが、そろそろ修行を再開しようか」

 

「!」

 

 リミの必死の奮戦空しく、修行再開の四文字が下される。

 PCを操作していた手を止めると、クシャトリアはメロンを頬張りながら立ち上がった。

 

「これからやることは単純だ。50m走ってくれればいい」

 

「50m、ですか」

 

「そ、50m。学校でもやるだろう」

 

「確かにやりますけど……」

 

 リミは自分の立っている場所を見渡す。リミとクシャトリアのいる場所は縦横ともに50mもありはしない。真っ直ぐ50m走れば確実に踏み越えてはならぬ所を超えてしまうだろう。

 そしてリミは下を見下ろす。50mほどの距離にある地表を。そう、リミがいるのは地面ではない。50mの高さがあるビルの屋上だ。

 

「じゃ、普段通り頑張ってくれ」

 

「できるかーー! こんなところ走ったら落ちちゃうじゃないですか!? リミはチャクラとか使えないですお!」

 

「難場走りは教えただろう。あれがしっかり出来れば50mくらいは問題ないはずだ。下から上じゃないだけいいだろう」

 

「お、落ちて死んだらどうするとですか!?」

 

「………………墓は普通のと十字架のどっちがいい?」

 

「どっちも嫌! リミの入るお墓は朝宮家オンリーですお!」

 

「ぶれないねぇ。だがその墓に入りたいなら頑張って生き残るしかないな。まぁ下にはマットも敷いておいたし、アケビも待機してるから下手なことしなければ死ぬことはないよ。頑張れ」

 

 どん、とクシャトリアがリミの尻を蹴り飛ばす。強制的に死地に放り出されたリミはヤケクソ気味にビルの壁を走っていった。

 傍から見ればそれは殺人の決定的瞬間に映った事だろう。というよりも半ば殺人未遂も同然だ。しかし残念なことに今日も日本の治安組織は、闇に対して無力だった。

 

 

 




 次回作は恋姫で主人公は劉禅、ヒロインは黄皓、ラスボスは腹黒シバショー。そんな夢を見ましたはわわ。


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第40話  九拳会議

「闘忠丸が負傷し…た。見てやってく…れ」

 

 梁山泊に戻るなり、しぐれはクシャトリアの技に巻き込まれて負傷した闘忠丸を見せた。

 武を極めた達人の中には武のみならず他の分野においても優れた才の持ち主がいる。梁山泊の豪傑たる秋雨と馬剣星が正にそれで、両名とも武を極めた達人でありながら医術にも秀でいる。

 もっとも秋雨に至っては武術や医術どころではすまない才気煥発ぶりなのだが今はおいておく。

 普段はエロの概念が呼吸して歩いているような剣星も闘忠丸が負傷しているとみるや、秋雨と一緒に真剣な表情となって診察を行う。

 

「ふむ。傷は浅いものではないが、幸い致命傷はないしこの分なら後遺症もないだろう」

 

「念のため、おいちゃん特性の漢方を処方しておくね」

 

「ん。ありが…と」

 

 闘忠丸の無事が分かり、普段表情を変えることの滅多にないしぐれが心から安堵を浮かべた。

 

「しぐれや。随分と……手強い相手と戦ったようじゃのう」

 

 負傷したのは闘忠丸だけではない。しぐれもまた、強烈な一撃を貰っていた。

 秋雨と剣星がしぐれの安堵を我が事のように喜ぶ中、梁山泊の長老である風林寺隼人は目敏くそれを見抜く。

 

「お主ほどの者に一撃を与え、闘忠丸にも傷を負わせる。とても並みの達人に出来ることではないのう。まさか闇がお主の首を狙ってきたのかね」

 

「たぶん…ボクの首を狙ってきたわけじゃないと思…う。刀の取り合いになっただけだ…し。だけど気になったことが一つあ…る」

 

「気になることとな」

 

「うん。ボクと戦った白髪頭、兼一の幼馴染が使った静の気と動の気を同時発動する技を使って…た」

 

「!」

 

 黙って話を聞いていた秋雨と剣星も目をむいた。

 兼一の幼馴染である朝宮龍斗、彼の師匠とは一影九拳が一人、拳聖に他ならない。その朝宮龍斗と同じ技を使ったということは、当然相手は闇の関係者ということになる。

 

「あとクシャトリアって名乗って兼一より小さい弟子を連れて…た」

 

「クシャトリアじゃと!?」

 

「知っている…の?」

 

「わしの旧い知り合いの弟子じゃよ。そうか、彼がのう。時間が進むのは早いものじゃ」

 

 遠くを見据える風林寺隼人の目に浮かぶのは過去への回帰か、それとも好敵手の変貌を惜しんでか。或いは。

 

 

 

 

 

 太平洋を航行するタイタニック号を思わせる豪華客船。

 船内ではさぞや各国を代表する富豪や著名人が楽しくやっているのだろうと、庶民ならば嫉妬心を灯すような船だが、この船が客船ではなく個人の所有物であることを知れば腰が抜けてしまうかもしれない。

 この船の持ち主は拳聖・緒方一神斎。若輩とはいえ押しも押されぬ一影九拳の一角を担う武人であれば、この程度の船を一隻や二隻所有するのも大したことではない。一影九拳の中には船どころか、一国で神として崇められているような怪物もいるのだから。

 珍しく弟子の育成に熱を入れているのか、最近まったく顔を合わせていない己の師匠のことを考えながらクシャトリアは船内を進む。

 

「やぁ。待ってたよ、クシャトリア」

 

 配下の案内で何台ものモニターが設置されている部屋に入ると、緒方がフランクに手をあげ挨拶してきた。周囲を見渡すが闇の通常構成員がいるだけで、緒方以外に達人級の武術家はいない。

 

「……直接の参加は君だけか?」

 

 今日は梁山泊に対しての宣戦布告に伴い今後どうするかについて話し合う一影九拳会議だというのに、会議場にいるのが会場の主の緒方だけというのは、一影九拳の面々の自分勝手さを如実に表しているだろう。

 豪傑たちが一致団結し友情という絆で結ばれた梁山泊と闇は、その組織の性格がまるで異なる。梁山泊が仲間ならば、闇はあくまでも同盟。達人たちが集まった連合に過ぎない。故に任務がぶつかれば闇人同士が潰しあうというのも珍しくもないことだ。クシャトリアも以前、闇の武器組とミッションがバッティングしてしまい争いになったことがある。

 以前に自分がジュナザードから免許皆伝というお墨付きを貰った時は一影九拳が八人も参加していたが、あれはレア中のレアなことだ。

 

「いや、実はもう一人来る予定だ」

 

「ほう」

 

 緒方に誰かと尋ねる前に、クシャトリアもその気配に気づいた。

 抑え込んでも抑えきれぬ静かだか熱い闘気。岩すらバターのように斬る刃をもちながら、完全に鞘に収まったこの気配の持ち主をクシャトリアは一人しか知らない。

 

「お久しぶりです、本郷晶殿」

 

 クシャトリアは礼儀正しく背筋を伸ばし、その人物を出迎えた。

 長髪を背中にまでかかるほど伸び、びっしりコートを着込んだ出で立ちが生真面目な性分を現している。猛獣すら射抜く鋭い眼光を隠す様に、黒いサングラスをつけた姿は、一見すると悪魔的でもあった。

 だが余り恐怖を感じないのは、その圧倒的なる力が本人により完全に制御されているからだろう。

 この人物こそケンカ百段の異名をとる逆鬼至緒と並び最強の空手家と称される武人、人越拳神・本郷晶だ。

 

「拳聖だけではなくお前もいたのか、拳魔邪帝。久しいな」

 

「ひゅー。ハイテク~」

 

 本郷の横からひょっこりと青い長髪を後ろで結った少年が顔を出した。

 

「おや。叶くんも来ていたのか」

 

「どうも~、拳魔邪帝殿」

 

 空を自由に飛ぶ鳥のような奔放さをもった少年は叶翔。本郷晶の一番弟子にして、やがては一影九拳全ての武術を伝承することになる一なる継承者だ。

 飄々としているがその実力はクシャトリアが弟子にとったリミをも大きく上回り、目算だが現時点では風林寺隼人の孫娘・風林寺美羽よりも強いだろう。

 一影九拳全ての弟子でもある彼は当然ながらジュナザードの弟子でもあり、一応クシャトリアにとって三人目の弟弟子ともいうべき存在である。

 

「人越拳神・本郷晶殿。それに叶翔くんも息災そうでなにより。他の六人の準備も整っています。待たせると機嫌を損ねてボイコットしてしまうかもしれませんので、早速会議を始めましょう」

 

 少し待たされたくらいで重要な会議をボイコットするなど常識的に有り得ないが、世界屈指の非常識人の集いに常識を当て嵌めることの愚かさはこの場にいる全員が知っている。

 緒方の促し通りクシャトリアと本郷は自分に宛がわれた席についた。それを確認した緒方が手をあげて部下に合図すると、六つのモニターがパっと起動し、六つのモニターに世界各国に散らばる一影九拳を映し出した。

 

「便利なものですな。こうして世界各国に散らばる闇の同志たちとこうも簡単に会うことができるのですから」

 

『全くだ。しかしずっと山籠もりしていた拳聖君は最新のIT技術にはついていけないんじゃあないかね』

 

「いえいえ。山籠もり中も最新技術には何度かお世話になりましたよ。都会にいる同志と伝書鳩でやり取りしていたんじゃ、この何事も高速化する現代でついていけませんからね」

 

 からかうような魯慈正の言葉に緒方は柔和に答えた。魯慈正はあくまで剣豪鬼神・馬槍月の席を預かる代理に過ぎないが、武術家としての年季と実力は九拳に名を連ねても申し分ないものであり、彼が年長で闇でも先輩にあたることから、正真正銘の九拳である緒方よりも高い扱いを受けている。

 緒方がこれに対して文句を言わないのが彼の社交性が高いことも理由の一つだが、一番には魯慈正という武術家としての先達に敬意をもっているからだろう。

 

(ま、なまじ武術に対しての執着心を除けば比較的常識人なせいで、隠しても隠し切れない非常識の塊のお歴々に顎で使われているんだろうが)

 

 クシャトリアも自分が同じ境遇だけに、緒方がどうして扱き使われているかが良く分かる。

 誰もが一影九拳のパシリになれるわけではない。一流の剣士が一流の剣をもつように、一流の達人はパシリにも一流を求める。そして緒方もクシャトリアも一流のパシリになれるだけの高い能力を不幸なことに備えてしまっていた。

 お陰でこうして一影九拳に貧乏くじばかり引かせられ扱き使われている。

 緒方は自分の立場を利用して、梁山泊との戦争をコントロールしている節もあるが、戦争の矢面に立ちたくないクシャトリアにはいい迷惑でしかない。

 能力とは必ずしも持つ者を幸福にしないものだと改めて実感する。

 

『しかし。また一影殿は留守か』

 

 笑う鋼拳の異名をとるマスクをした武術家が、真っ黒のままのモニターを見つめながら言う。

 闇の一影、無手組の長を務める実力者は今回の会議も欠席だった。前にクシャトリアが一影の拠点の一つに赴いた時、書類の三連スカイツリーが聳え立っていたので仕事が忙しい故だろう。

 これでは一影九拳が勢ぞろいするのはいつになることか。

 

『そういえば拳魔邪帝殿。ジュナザード殿はどうなされたので?』

 

「昨日私のところに自分の代理で会議に参加しろと連絡がかかってきましたが、何分なにかに縛られるのが嫌いな人ですので、今どこで何をしているかはさっぱりです」

 

 セロ・ラフマンは年齢が近いこともあり、ジュナザードと比較的友好な関係を築き上げているある意味奇跡的な人物である。

 敵には冷酷だが、ジュナザードと友好的関係を築ける菩薩ぶりからクシャトリアも自分勝手な九拳たちの中では信用している方だ。

 

『ふっ。己の弟子に自分の務めを押し付けて自分は好き勝手とはのう。あ奴もさっさと弟子に九拳の座を譲り渡して隠居すれば良かろうに。わしとしてもその方が都合がよいのじゃがのう』

 

『妖拳の女宿殿。我等九拳には不可侵が定められているのです。他の九拳の師弟問題に口だしするものじゃありませんぞ』

 

『そうじゃな。今の発言は忘れてくれ、セロ・ラフマン殿』

 

 美雲が危ない発言をしかけたが、セロ・ラフマンの取り成しもあって何も起こらずに終わる。

 こうしてクシャトリアが代理で九拳会議に出る度に美雲はこういう発言をするので、クシャトリアにとっては毎回冷や汗ものだ。

 万が一ジュナザードに自分が九拳の座を狙ってジュナザードを排斥しようとしている、なんてありもしない話が伝われば一貫の終わりである。ジュナザードを倒す為に努力を続けているクシャトリアだが、残念ながら未だ邪神を殺す目途はたっていない。クシャトリアはまだ時間が欲しいのだ。

 対梁山泊のため集まったのに、いつまでも他愛ない話をしていても仕方ない。本題に入るため緒方が代表して口を開いた。

 

「魯慈正殿。御命令通り地躺拳の弟子をぶつけましたが、まぁ、私の言った通りの結果に終わりました。少々慎重過ぎるのでは?」

 

 先だって白浜兼一の実力調査の名目で、YOMIの一人を白浜兼一と戦わせたが、返って来たのは敗北の報だった。

 だが緒方に慎重さを指摘された魯慈正は顔色一つ変えず淡々と反論する。

 

『分かっていないな。一影九拳が求めるのは梁山泊の弟子の首級ではない。あくまで梁山泊が育てる史上最強の弟子の首級だ』

 

『その通り。白浜兼一の首級はいずれ我々のいずれかの弟子が獲るだろう。だが世間が彼を最強の弟子と認める前に殺してしまっては意味がない』

 

 魯慈正にアーガード・ジャム・サイが追従する。だがしかし緒方が言いたいのはそんなことではなかった。

 

「分かっておりますとも。ただ私が言いたいのはもし今貴方達のYOMIが白浜少年と戦おうと、案外彼は良い死合いをしてくれるんじゃないかということです」

 

『君の弟子が敗れたからといって、我々の弟子まで一括りにして貰っては困るよ拳聖』

 

「いえ」

 

 初めてクシャトリアが会議に口を挟む。

 緒方を含め九拳たちの視線がクシャトリアに集中する。九拳たちに睨まれれば並みの人間なら白目を向いてしそうなプレッシャーだが、ジュナザードの殺意を浴び慣れたクシャトリアが今更モニター越しの視線に憶するはずもない。

 まるで動じずにクシャトリアはジュナザードの代理として自分の私見を語る。

 

「彼の弟子の朝宮龍斗は客観的に評価して、貴方達のYOMIに勝るとも劣らない実力の持ち主です。残念ながら彼は技の後遺症で半身不随となってしまいましたが、五体満足の彼を連れてきて他のYOMIと勝負させれば互角の戦いをしてくれたでしょう。 

 そして白浜兼一……。これも私見ですが、私の目から見て、彼の現段階の実力は〝朝宮龍斗〟と比べて劣っている。にも拘らず彼は実力で勝る相手である朝宮龍斗を下し勝利した……。つまり彼は実力差を別のなにかで補った。一影殿風に言うならば心の力でしょうか。

 まぁ兎も角。白浜兼一はYOMIと肩を並べる強さをもつ朝宮龍斗に勝利した。なら他のYOMIと戦っても良い勝負をするという拳聖の発言は的外れなものじゃないでしょう」

 

「質問いいですか、クシャトリア殿ー」

 

 はいはーい、と本郷の後ろで会議を聞いていた叶翔が学校でするように手をあげる。

 本郷が注意をする様子がないということは、翔が質問することを許しているのだろう。

 

「なんだい、翔くん」

 

「随分と高く白浜兼一を買っているようですけど、拳魔邪帝殿の目から見て俺とそいつが戦えばどちらが勝ちますか?」

 

「君だよ」

 

 きっぱりと断言する。

 確かに白浜兼一は梁山泊の師匠たちに地獄の修行を課せられている甲斐あって短期間に如実に強くなった。こうしている間にも彼は修行を続け一歩ずつ強くなっているだろう。

 だが叶翔には敵わない。なにせ翔は暗鶚から闇が買い取った純粋培養の殺人拳の申し子。武術に浸かって来た年季も才能もなにもかもが違う。

 彼に対抗できる同年代となると、一影の弟子である鍛冶摩か風林寺美羽くらいしか思いつかない。

 

『そういえば主は一影に命じられ最強の弟子の調査をしていたのだったな』

 

「はい、美雲さん」

 

『丁度良い。白浜兼一についての調査内容、ここで教えてくれんかのう』

 

「……そう報告すべきことはありません。特別な血統もなければ、なにか優れた素養があるわけでもない。白浜兼一は梁山泊の弟子になったことを除けば、どこにでもいる在り来たりな高校生に過ぎないでしょう。ただ個人的には緒方と同じで興味深いと思いますが」

 

『ほう。どうしてじゃ?』

 

「努力だけではどうにもならない頂きがある、持たぬ者は持つ者には敵わない、分を弁えろ、才能がないからこれ以上は成長しない……一体どれほどの達人が、こういった言葉で才能の欠片もない凡人を切り捨ててきたことか。

 それが悪いとは言いません。私も最近弟子をとりましたが、貴方達のお弟子と同じく才能溢れた将来有望な子です。対して白浜兼一には才能が欠片もない。凡人、凡夫、凡愚。呼び方は色々とあるでしょう。

 もしもそんな才能の欠片もない白浜兼一が我々達人の領域にまで上り詰めたとしたら、それは闇と梁山泊の戦争などよりも重大な事件になるとは思いませんか?」

 



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第41話  人越拳神の頼み

 久しぶりの九拳会議は結局のところ特に何事もなく終わった。

 対史上最強の弟子に備えてYOMIを全員召集し、YOMIのリーダーの叶翔の指揮下に置く。対梁山泊の豪傑については一先ず静観。本格的な全面戦争に突入するタイミングは情勢を伺いながら対応する。

 日本に拠点を置く緒方はYOMIの目付け役を務め、潜入ミッション中のクシャトリアは時間がある時には緒方の補佐をすることになる。

 要するにYOMIの招集以外は行き当たりばったりという方針だ。だが一影九拳たちの気位の高さを思えば、纏め役の一影が不在でYOMIだけでも集結が決定しただけでも十分かもしれない。

 

「やれやれ、モニター越しとはいえあのお歴々を相手にするのは疲れるねぇ」

 

 クシャトリアの心中を代弁するように、緒方はわざとらしく伸びをして体をほぐした。

 闇の一影九拳ともなればその権力は大国の大臣にも勝る。緒方も新入りということで苦労しているのかもしれない。

 

「それにしてもクシャトリア。ちょっと意外だったよ」

 

「俺が九拳会議で積極的に発言したことか、それとも白浜兼一を高評価していることについてか」

 

「うーん。両方、かな」

 

 クシャトリアがジュナザードの代理で会議に参加するのは一度や二度ではない。ジュナザードはクシャトリアに免許皆伝のお墨付きを与えて以来、会議などの面倒なことをクシャトリアに丸投げしているため、ここ最近ではジュナザード以上に会議に出席している。

 しかしクシャトリアはあくまでも代理に過ぎず、また魯慈正ほどの権威を黙らせるほどのキャリアがあるわけでもない。そのため九拳の会議であってもある程度は分を弁え、率先的に発言するということは少なかった。

 緒方もそれは知っているので不思議に思ったのだろう。

 

「差支えが無ければ理由を教えてくれないかい?」

 

「……大したことはない。ただ今回は俺が白浜兼一の調査を一影直々に命じられていて、白浜兼一の情報についてはあの中で誰よりも知っていたから発言したまでのこと。

 発言するべき時に発言をしないのは、分を弁えて慎むのとは違う。物事は臨機応変にいかなければならないだろう。それに毎度毎度、あの面々相手に堂々と自分の言いたいことを言う君と比べたら俺の発言なんて大した事ないだろう」

 

「はははは。折角の一影九拳の名前だ。利用し尽くさなければ損じゃないか」

 

「君らしい」

 

 殺人拳側に属する武術家であれば誰もが目指す一影九拳という地位。緒方はそれを自分の目的のために利用できるものとしか考えていない。

 その考えはジュナザードの継承者という立場を利用して、多くの秘伝を買収しているクシャトリアと非常に似ていた。

 武術平等論という己の思想に従い、どこまでも武術を発展しようとする緒方と、ジュナザードを殺すために武術を高めようとするクシャトリア。

 まったく目的の違う二人だが、あらゆるものを利用して武術を高めようとするという共通項があるが故に、クシャトリアと緒方は利害の一致という名の友人関係を構築できているのだろおう。

 

「クシャトリア」

 

「なんですか、人越拳神殿?」

 

 クシャトリアが緒方と話していると、本郷が声をかけてきた。

 

「一週間前。お前の師、拳魔邪神が翔の修行をつけることになっていた。知っているか?」

 

「いえ。聞いていませんが」

 

「そうか」

 

 一なる継承者の叶翔に修行をつけるのは一影九拳全員の義務だ。

 もしも万が一クシャトリアが九拳を継承すれば、ジュナザードの代わりに叶翔に修行をつけることになるだろうが、まだ九拳の代理人に過ぎないクシャトリアが知るはずがない。

 だが次の言葉でクシャトリアは関係ないと決め込むことが出来なくなった。

 

「ならば一週間前、拳魔邪神が翔の修行をすっぽかしたのも知らんだろうな」

 

「……え? すっぽかしたって修行を、ですか?」

 

「そうだ」

 

 チラリと本郷の隣りにいる翔を見ると、少しだけ悪戯げに頷いた。

 自分の師匠が激しく唯我独尊かつ自分勝手極まる人間だということは、クシャトリアが一番よく知っている。

 しかし一影九拳にとってなによりも大切な一なる継承者の育成を完全にすっぽかすとは、流石に思いもしなかった。放浪癖で九拳を友人に丸投げしている馬槍月も、95%放任することはあっても完全にすっぽかすことはなかったというのに。

 自分の弟子の修行をすっぽかされた本郷にしては、己の顔に泥を塗られたも同然。おまけに本郷晶は九拳でも特に一本筋の入った御仁だ。約束をすっぽかすなんて不義理は一番嫌いだろう。

 クシャトリアを見る本郷から底知れない威圧が発せられているのは決して勘違いではないだろう。

 

「それは申し訳ありません。師にかわって謝罪します」

 

「お前が謝ることではない。弟子の不始末はそれを育てた師の責任だが、師の不始末を弟子に押し付けることはできん。謝るべき者がいるとすれば、それは拳魔邪神以外にはいない」

 

「……ならやはり代わりに謝罪しておきます。私の師匠が誰かに頭を下げるなんて地球が三度滅んでも有り得ませんから」

 

 ジュナザードも生物学的にはホモサピエンスに分類される存在だ。永年益寿でどれだけ死を遠ざけようと、形あるものはやがて滅びる。それはジュナザードも例外ではなく、いずれ邪神にも死ぬ時が訪れるだろう。

 けれどジュナザードが死ぬことはあっても、誰かに頭を下げるなんてことは絶対にない。これだけはジュナザードの弟子として断言できる。

 

「いいと言っているのに律儀なものだ。お前の爪の垢を煎じて奴に飲ませたいものだな」

 

「飲んで変わるような性根じゃありませんよ」

 

「まぁそれはいい。……クシャトリア、これはあくまでも頼み。断ってくれても構わん。が、もしお前の都合が合うのであれば奴の代わりにお前が翔に修行をつけてくれ」

 

「私が?」

 

「奴の不義理のせいで翔の修行に遅れが出た。一日の遅れは二日の修行によってしか挽回できん。かといって空手家の俺ではシラットを教えることはできんからな。お前ならば実力的にも申し分はないだろう」

 

 頼みという形をとっているが、ジュナザードが不義理をした手前、クシャトリアとしては断るなんてことはできない。

 相手が我の強い九拳たちからも一目置かれ、一影からも信頼されている人越拳神・本郷晶とくれば猶更だ。

 

「分かりました。そちらが構わないのであればお受けします」

 

「助かる。翔、お前も分かったな」

 

「はい先生。高名なる拳魔邪帝殿が弟子をとったと聞いて、ちょっと興味もありましたから」

 

 個人的に一なる継承者という存在に一人の武術家として興味がある。梁山泊の白浜兼一が史上最強の弟子ならば、彼は正に史上最凶の弟子。未来の武術界を二分する武人となりうる一人だ。

 それに叶翔という同年代でありながら格上の武術家は、リミにとっても良い刺激となるだろう。マンツーマンにはマンツーマンのメリットがあるが、集団で学ぶのはマンツーマンにはないメリットがあるものだ。

 

「宜しく翔くん」

 

「こちらこそ、クシャトリア先生」

 

 あくまでジュナザードの代役とはいえ、修行をつける以上は師弟は師弟。挨拶も込めて握手をする。

 一影九拳全員の教え、十の武術を教わっているというのは伊達ではないだろう。手の感触一つにも異なる複数の武術の痕があった。

 

「――――待て。妖拳の女宿から伝言がある」

 

 クシャトリアが翔を伴って船外から出ようとすると、本郷が背を向けたまま呼び止めた。

 

「美雲さんから?」

 

「修行をつけるなら、ついでに櫛灘流柔術についても教えておいてくれ、だそうだ」

 

「は?」

 

「確かに伝えたぞ」

 

 本郷は一方的に用件を伝えるとさったと一人どこかに立ち去ってしまう。柔術でもかなり特殊な櫛灘流柔術を教えられるのは美雲を除けば、直々の修行を受けたクシャトリアくらいだろう。

 強かな美雲のことだ。どこからか本郷が翔の修行をクシャトリアに頼むことを知り、ついでにクシャトリアを使って櫛灘流の稽古をさせようとしたに違いない。

 

「シラットに柔術に大変だね、クシャトリア」

 

「緒方……」

 

 ポン、と手を置いた緒方は慰めの言葉でもかけてくれるのかと思いきや、

 

「ついでに緒方流についても教えておいてくれ。私はちょっとYOMI関連で忙しいから」

 

 慰めどころか、ここぞとばかりに更なる要件を押し付けてきた。

 シラットや櫛灘流柔術ほどではないにしても、武術の共同研究のため緒方から緒方流古武術についても教わっている。本格的なものとなると流石に無理だが、基礎的な動きや技を教えるくらいは問題ない。

 そこまで知っていて緒方はクシャトリアに頼んできたのだろう。

 

「お、俺は便利屋じゃないんだが……」

 

「任せたよ」

 

 断りたいのは山々だが、悲しいかな。緒方とは研究仲間という関係を崩さないためにも仲良くしていかなければならないし、本郷には負い目があるし、美雲には返し切れぬ恩がある。

 他の九拳ならいざしれず、この三人からの頼みでは断ることは出来ない。

 

「なんていうか大変ですね、クシャトリア先生」

 

「俺の味方は君だけだ。もし修行中に死んだら特注の葬儀をあげてあげよう」

 

「それはお断ります。修行で死んだら、先生に殺されますから」

 

「違いない」

 

 冷たい風が吹きすさぶ。一影九拳は今日も平常運転だ。

 



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第42話  一なる継承者

「彼は叶翔、人越拳神・本郷晶の一番弟子にして闇が誇る一なる継承者だ。諸々の事情があって、師匠の代わりに俺が修行をつけることになった」

 

「へぇ。君が拳魔邪帝殿の弟子? ふーん」

 

 九拳会議から戻って来たクシャトリアを出迎えたリミは、クシャトリアから叶翔を紹介された。

 弟子入りして暫くしてからリミもクシャトリアから闇やYOMIについては一通り教えられている。故に一なる継承者という存在がどういうものなのかについても分かってはいた。

 だがだからこそリミは『叶翔』と名乗った自分と同年代の少年に目を丸くする。

 

(うわー。一なる継承者っていうから如何にも恐そうでビリビリッな人かと思ったけど、本物は全然違うんだー)

 

 空を溶かし込んだような水色の髪を後ろで結った髪形。頬にある鳥を模したタトゥー。そして左右非対称のオッドアイ。なんとなく空を自由に跳び回る鳥を擬人化したような少年だった。

 リミの抱いていた一なる継承者へのイメージ――――筋肉ムキムキで全身傷だらけの厳ついマッスル男とは全くもって似ても似つかない。

 だがイメージとは違っても、その強さは本物だ。

 

(一なる継承者っていうのはガチっぽいわ。だって今のリミじゃ全然勝てる気がしないもん。リミの直感ってかなり当たるし、この人と戦うのは不味そうね)

 

 クシャトリアと緒方からは揃って『頭が残念』という評価を受けているリミだが、野性的な判断力は決して悪くない。その天性の直感は猛獣蠢く無人島に放り込まれたことで、より深く研ぎ澄まされている。

 だからこそリミは叶翔という男の危険性を判断して、戦いを避けなければならないという正しい解答を得ることができた。

 

「成程。その名も高き拳魔邪帝殿が弟子にとるだけある。悪くないじゃないですか。素養と眼力、他のYOMIと比べても劣らない。いや一部は上回っている。確か緒方先生の人材育成プログラム出身でしたっけ?」

 

「そうだよ。まだ正式にYOMIに迎えたわけじゃないから、まだ所属はティターンのリーダーのアタランテーだ」

 

「アタランテー。ギリシャ神話の女狩人ですか」

 

「彼、好きなんだよ。神話や伝説に準えた異名をつけるのが」

 

 クシャトリアと翔は会って話した回数はそんなに多くないというのに、まるで兄弟のような気楽さで会話していた。

 一なる継承者でありジュナザードの弟子でもある叶翔はクシャトリアの弟弟子の一人でもあるが、この仲の良さはそれだけでは説明がつかない。

 なんとなくで上手く説明することはできないのだが、リミには二人にどことなく似たような雰囲気があるように見えた。心の奥底でなにかを溜めこんでいるような所が特に。

 

「……リミ、お前はわりと人を見る目があるな。わりと間違っていない見解だ、それは」

 

「師匠! ま、またリミの心を読んだんですか! 心のプライバシー侵害ですお!」

 

「何を今更。侵害もなにも弟子に人権なんてないだろう」

 

「ガーン!」

 

 実に良い笑顔で非人道的なことを断言したクシャトリアに、リミはガクッと項垂れる。

 憧れの龍斗に相応しい女になるという野望のため、自ら進んで地獄に落ちる道を選んだリミだが、エジプトの奴隷階級よりも酷い扱いに今では少しだけ後悔していた。

 そんなリミを見た翔はポンと肩に手を置いて、

 

「達人と付き合う秘訣その一。奴等は皆ズレているので突飛な行動に一々傷つかないこと。大丈夫、これは俺だから言えるけど、君の師匠の拳魔邪帝は達人の中ではまともな方だよ」

 

「そ、そうなの……?」

 

「一影九拳の先生方は個性的な御方ばかりだからねぇ。ま、でも……」

 

「でも?」

 

「人格がまともなことと、修行がまともなことは全く別問題だけどね」

 

「………………」

 

 リミの脳裏にこれまでクシャトリアから受けた修行という名の拷問が思い浮かぶ。

 ある時は無人島にいきなり放り込まれ、ある時は度胸をつけるためとヤクザの事務所に単身送り込まれ、またある時はビルから突き落とされた。

 こんな苛めの数々が達人の修行では優しい方なんて、精神の健康の為にも思いたくはない。

 

「お互い弟子同士積もる話もあるかもしれないが、修行をつける前に交流も含めて一つ組手でもしておこうか」

 

「えっ?」

 

「俺は構いませんよ。やっぱり武術家同士、拳を交えないと分からないこともありますしね」

 

 リミは了承を示した翔と、いきなり組手をすることを命じてきたクシャトリアを交互に見比べる。

 クシャトリアの修行はビルから突き落とされる、なんて技の修行を除けば基本的には組手が中心だ。というより修行の殆どは組手とすらいっていい。

 そしてリミの組手の相手というのは誰であろうクシャトリア張本人だ。勿論達人のクシャトリアと本気で組手をしたらリミは蒸発するので、クシャトリアは自身の実力を弟子クラスまで抑えた上でのことだが。

 だがこうして自分と同年代の、しかも格上と戦うのはリミにとって余り経験のないことだ。緊張からゴクリと唾を呑み込む。

 師匠の命令は国家元首の命令にも勝る。

 直感が交戦を避けろと警鐘を鳴らすほどの格上相手とはいえ、組手であれば油断しなければ死ぬことはない。リミはみっちり教え込まれたシラットの構えをとり、叶翔と対峙した。

 

「師匠……」

 

「なんだ」

 

「この人ってリミより強いですよね」

 

「うん、強いよ。一なる継承者として彼は一影九拳からは我流武術、空手、柔術、中国拳法、ムエタイ、ルチャリブレ、カラリパヤット、コマンドサンボ、そしてプンチャック・シラットの合計十の武術の教えを受けている。

 多くの武術の教えを受けることが強さに繋がるわけじゃないが、幼い頃からメインで教わっている空手だけでもお前よりも数段高い位置にいる」

 

「う……! も、もしかして龍斗様よりも強いとですか?」

 

「うん、強いよ」

 

「龍斗様より強いって、それじゃリミの勝ち目ゼロじゃないですか!?」

 

「そいつは早合点じゃないかい」

 

 リミの言葉に待ったをかけたのは意外なことに叶翔だった。

 小頃音リミより数段高みにいるとクシャトリアが太鼓判を押した叶翔。彼ならば自分の実力がリミに勝っていることなど分かっているだろうに、何故か彼はリミの勝ち目がないという発言を否定する。

 

「早合点?」

 

「空を自由の飛ぶ鳥だって羽に怪我しちゃ飛べないし、飛べなければ地を這う虫けらに甚振られることも――――腹立たしいことにある。実力で勝っても一瞬の油断や隙で格下に負ける事もあるから、死合いの中で絶対に気を抜くなって先生も言ってたしね」

 

 もっとも俺は絶対に負ける気はないけど、と翔は付け加える。翔の言葉を聞いてクシャトリアも感心するように腕を組んで頷いていた。

 翔に言われたこともあって、もう一度、リミは叶翔の姿を俯瞰する。

 実力が勝る相手が必ず勝つわけではない、というのはクシャトリアも頷いていたし本当のことなのだろう。

 だがやはりリミには自分が叶翔を倒すビジョンが全く浮かばなかった。自分で思い浮かばないのならば、ここは先人の知恵を借りるしかない。

 

「師匠。愛しい弟子のため、アドバイスをお一つプリーズOKですか?」

 

「アドバイス?」

 

「なんでもいいです。なにか戦う上でのコツとか弱点とか、勝利の秘訣とかを」

 

「気合」

 

「精神論じゃない方向でお願いします」

 

「……そうだな。一影九拳全員から武術を教わっているとはいえ、全ての武術を同レベルで修得しているわけではない。彼のメインはあくまで空手で、戦闘スタイルも空手家のそれだ。

 基本的に空手は平らな大事での戦いを想定されて作られているから、ジャングルファイトを真髄とするシラットの上下変則攻撃は苦手な部類だろう。だから地を這って関節を狙うのが有効だろう」

 

「な、成程!」

 

 まさかの懇切丁寧なアドバイスだった。あのクシャトリアがこんなに的確な助言をくれたのは予想外だったが、これは翔と戦う上で強味となる。

 リミはしっかり教わった事を胸に刻んだ。だがオチはあるもので、

 

「しかしこの方法は彼には通用しない」

 

「なっ! なんでですお!?」

 

「だってこのアドバイス、彼もここで聞いてるし」

 

「あ」

 

 それはそうだ。別にヒソヒソ内緒話をしたわけではないので、アドバイスの内容は向かい合っている翔に筒抜けだ。

 幾ら相手に有効な攻撃を教わったところで、それが相手に知られていれば大した意味はない。空手以外に九つの武術を修得している翔ならいくらでも対応策を編み出せるだろう。

 

「というわけだ。翔くん、武術には其々得手不得手がある。君は空手以外にも九つの武術を修得しているんだから、それを上手く使い分けて不得手を潰していくといい」

 

「はい先生、肝に銘じておきます」

 

「あー! どっちの味方なんですか師匠!」

 

「強いて言うなら中立だね。……少なくともこの組手では」

 

「むぅ」

 

 確かに組手の立会人である以上は、中立の立場をとるのは正しいことなのだろう。

 けれどクシャトリアの弟子のリミとしては、やはり師匠に自分の味方をして欲しい気持ちはあった。

 

「じゃ、そろそろ始めようか」

 

 クシャトリアが呟くと、空気が入れ替わった。

 気を抜けば一瞬で呑まれる。リミはクシャトリアへの不満を閉じ込めて、全神経を叶翔へ向けた。

 



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第43話  嫉妬

 組手のため叶翔と正面から対峙したリミだが、早速動けなくなっていた。

 別にいきなり両足をやられて自慢のスピードを封じられただとか、そういうわけではない。走ろうと思えば走ることはできるだろう。ただし後ろ向きに全速力で。

 

(ど、どうしよう……。どう攻めても効く気が全然しない)

 

 格上と戦うのはこれが最初ではない。達人のクシャトリアは例外なので除くにしても、元ティターンのリーダーだったクロノスだって『速度』という一点を除けばリミよりあらゆる面で勝っていただろう。

 だが自分より強い相手でも、これまでは自慢のスピードを駆使して翻弄し、動きを崩したところに猛攻をかけ勝利を収めてきた。だというのに叶翔相手にはスピードでどうにかなるような気がまったくしない。

 無人島に置き去りにされた時、猛獣に睨まれ『絶対に勝てない、逃げろ』と否応なく悟ったことがあるが、リミが今抱いているのはそれとまったく同じである。いや知恵ある人間が相手の分、より酷いとすらいえるかもしれない。

 

「来ないのかい? ならこっちから仕掛けさせてもらうけど」

 

 強者の余裕故か叶翔はリミの動向を観察するだけで、自分から動こうとはしない。けれどそれとていつまでも続きはしないだろう。ずっとリミが停止していれば、いずれ痺れをきらして仕掛けてくるはずだ。

 これで余裕が長じて油断もしてくれればラッキーなのだが、翔は余裕風を吹かしてはいてもリミの息遣いまで注意を払っており、付け入る隙らしいものは全くなかった。

 

(リミちゃん、ピンチですよ~。これは)

 

 クシャトリアの言っていたリミより数段上というのは、翔への贔屓でもおべっかでもなんでもない。純然たる事実だ。

 才能だけならばリミもダイヤの原石とすらいっていい逸材だが、叶翔は才においてもリミの上をいく。武術家としての経験も含めればその差は歴然だ。

 

「リミ、相手を観察するのは大切なことだが観察するばかりでも勝てはしない」

 

「で、でも師匠!」

 

「何度も言うがこれは実戦ではなく組手……修行だ。実戦なら失敗とは死だが、修行や練習は寧ろ失敗するためにある。深く考えず取り敢えず自分の力をぶつけてみるといい」

 

「自分の力を?」

 

「もっともビビッて小便ちびりそうになるチキン女なんて、朝宮龍斗は好きになってくれないだろうけどね」

 

「むっ! 今のはミニマムカチンときましたとですよ。リミの愛の力、見せてやるお!」

 

「それでいい」

 

 気を入れなおす。

 弟子入りしてからリミは遊んでいたわけではないのだ。ティターン時代の自主練習が飯事に思えるくらい恐ろしい地獄に叩き落されこれまで生きてきた。シラットの型も教わっている。

 それに昔から才能やら暴力は愛の前に破れると相場が決まっているのだ。

 

「とぅ!」

 

 先手必勝だ。始め、の合図すらなくリミは全速力で駆ける。

 スポーツの試合であれば咎められる行いだが、闇の武人同士の戦いにそんな優しいルールなんてない。負ければ死、死にたくなければ負けるなの世界だ。

 故にクシャトリアと、そして組手相手の翔も特に驚くことはなかった。

 

「第一のジュルス!」

 

 ジュナザードの流派にある十八ジュルスの一番目。

 戦いにおいて初撃ほど重要な意味をもつものはない。上手い具合に先手をとれれば戦いの流れを味方につけることもできるし、逆に初撃を貰えばこちらの士気も落ちて不利になる。

 だからこそリミは最初に教わり一番自信をもって行える技に全神経を集中して繰り出した。

 

「なーるほど。拳魔邪帝殿の弟子だけある。綺麗な……羽のある鳥のような動きをする。うん、俺の好きな動きだ。地を這う虫けらは嫌いだけど鳥は好きだし。さしずめ燕かな、君は」

 

「っ!」

 

 リミの目からは叶翔が忽然とその場から瞬間移動したように見えた。しかしお伽噺ではあるまいし、どれだけ武術を極めようと人間がテレポートなんて出来る訳がない。

 翔がやったのは単にリミの拳がヒットする寸前に、風を切る羽のように宙に舞いリミの背後をとっただけだ。

 

「だけど残念。君は探していた俺の片翼じゃないみたいだ」

 

「まずっ!」

 

猛獣跳撃(スラガン・ハリマウ)!」

 

 叶翔が虎に擬態した動きで飛びかかってくる。明らかに空手とは異なる、その動きは紛れもなくプンチャック・シラットのもの。

 瞬間、リミの魂に刷り込まれてきた経験がその技の内容をフラッシュバックさせ回避行動をとらせる。

 ジャングルで本物の虎に襲われた体験が活きた。リミはぎりぎりで翔の技を躱すことに成功する。

 

「惜しい惜しい。シラットの使い手にシラットで戦うのはちょっと不味かったかな? シラットの先生の前だからシラットをメインでいこうかな、とか思ったんだけど。ああ、どうでした先生。俺の動き?」

 

「悪くない。我が師匠に教えを受けない時もしっかり自分でよく復習してきたのが一目で分かるよ。本郷晶殿も良い弟子をもって鼻が高いだろう」

 

「光栄です、先生」

 

「あー! 組手中に仲良くやるの禁止ー!」

 

 本当の師弟より師弟みたいに仲良く話しているクシャトリアと翔。リミはその会話を強引に中断させる。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの弟子は小頃音リミの筈だ。そのために無人島で一か月を生き延びたのだから。

 だというのにクシャトリアはさっきから翔のことを誉めてばかり。

 負けたくない、その気持ちが心の中で膨れる。

 

(こうなったら絶対に勝って一泡吹かせてやるお!)

 

 先日クシャトリアから教わったばかりの技。早くもそれを試す時がきた。

 自分の中で膨れ上がった感情を全力で外側へ放出して、リミは叶翔を倒すべく飛びかかる。

 

地転蹴り(トゥンダンアン・グリンタナ)!」

 

「決死の一撃か。だったらこちらも最近思いついた新技で対抗してみよう。先生、見ててください」

 

 そういって翔は両肘を後ろに下げ前屈みになる。自分の体を一つの砲弾へと変えた翔は、両足で地面を爆発させることで一気に発射した。

 リミのアクロバティックな回転蹴りを身を捻らせていなすと、翔は気を練り上げた両腕を解き放つ。

 

「双派双手数え抜き手!」

 

 右腕には緒方流のもの、左腕にはシラットのもの。無敵超人が編み出し、異なる武術で独自発展した抜き手が同時に発動する。

 全力の蹴りをいなされたリミにそれを回避する術はない。

 

「八、六、四、二ィィィ!!」

 

「が、はっ……!」

 

 メインが空手だけあって翔は手を鉄のように固く研ぎ澄ませている。八、六、四、二と合計八度の抜き手を同時に喰らったリミは肺の中の空気を全て吐き出した。

 リミは飛びそうになる意識を、ぎりぎりで繋ぎとめながら叶翔を見る。

 

「――――!」

 

 刹那、視線が交錯した。

 数え抜き手。無敵超人が秘技にして嘗て緒方が伝授された技であり、嘗てジュナザードが盗んだ技でもある。

 一なる継承者である叶翔が、二人の師匠から教わった同種異質の同じ技。

 普通の数え抜き手は四、三、二、一の四度目で終わりだが、この荒業にはまだ最後の一撃が残っている。翔は両掌を合わせると、全霊をこめた最後の抜き手を繰り出す。

 

「そこまで。勝負はついた」

 

 直前。クシャトリアが翔の腕を掴んで止めの一撃を止める。懸命な判断だったといえるだろう。もしもクシャトリアが止めず最後の一撃を許していたら、冗談ぬきでリミは死にかねないダメージを負っていたところだ。

 組手で相手を殺すような攻撃を繰り出すのは厳禁。であれば活人拳的には翔の負けなのだが、闇が掲げるはあくまで殺人拳。加減を守る云々など関係なく、無事に立っていた方が勝利者だ。

 つまり――――この組手、小頃音リミは叶翔に完敗したのだ。

 

 



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第44話  次の機会

 双派双手数え抜き手、まだ開発したばかりなこともあって荒削りな所も多いが悪くない技だ。

 完成すれば通常の数え抜き手と使い分けてることで、かなり安定した運用が可能になるだろう。クシャトリアは暫し翔と新技についてあーでもないこーでもないと話し合った。

 しかしいつまでも翔と話している訳にも行かない。

 

「さて、リミ」

 

「つーん」

 

 敗北のショックやらその他諸々でご機嫌斜めなのか、リミはぷいっとそっぽを向いてしまった。

 なまじ普段が素直だけに、クシャトリアに少しだけ衝撃が奔る。

 

「リミ、なにを拗ねている」

 

「負けちゃったリミのような駄目駄目な弟子の相手なんてしてないで、そっちのポニテ男子の相手をしてたほうがいいんじゃないんですか?」

 

「…………成程。判断力に優れているが、お頭が少し足りず、口は羽のように軽い上に武術家としての経験も浅い。確かに彼と比べればリミは色々と駄目駄目だろう。現に組手でも完全敗北したわけだし」

 

「がーん! 可愛い弟子がこんなこと言ったら普通は『そんなことはない! 明日の夕日に向かって走ろう!』って言うところですよ! KY! クシャ師匠はKYだお!」

 

「阿呆か。夕日は大気圏の外側にあるのに、夕日に向かって走れるわけないだろうに」

 

「そういうこと言ってるんじゃないお……」

 

 淡々と返しつつも、内心でクシャトリアは驚いていた。

 意外なことにリミが拗ねていた一番の原因は叶翔に完膚なきまでに敗北したことではなく、クシャトリアが自分よりも他人の弟子の翔ばかりに構っていたか。

 こういう人間の感情を一般ではこう言う。即ち、嫉妬と。

 

(嫉妬されるほど優しい修行を課したつもりはなかったんだが、そもそも師匠が自分より他の人間を目にかけたら嬉しいだろう。常識的に)

 

 試しにジュナザードが自分ではなく、誰か他の弟子にばかり構っているところを想像する。ジュナザードが他の弟子に構うということは、必然的にクシャトリアには目がいかなくなるということであり、修行の地獄も僅かながらに軽減するだろう。

 もしそうなることがあれば修行時代の自分は狂喜乱舞したに違いない。

 

(まてよ)

 

 今度はジュナザードではなく、師匠を美雲にしてシミュレートしてみると、少しだけ仮想の他の弟子に腹立たしい思いが湧き上がってきた。

 ジュナザードの修行が半ば以上に処刑で常軌を逸したのを更に逸しているが、美雲の修行も大概にして地獄だ。でありながらこの差異。

 ここから導き出される結論としては、師匠に対する好感度によっては、師が他の弟子ばかりに構うということに関して抱くことも百八十度変わるということだ。

 

(だがやはり意外だ)

 

 弟子に好かれよう、良い師であろうなどと余り意識してはいなかったが、どうもリミはクシャトリアという師匠に対して好感を抱いているらしい。

 

(本人の意思ありきとはいえ、自分の地獄に落とすような相手に好感をもつとは……まさかリミはM? 道理でどんな厳しい修行でもへこたれない訳だ)

 

 本人が聞いたら全否定すること確実な結論に至る。

 とはいえこのことをリミに聞けば『龍斗様が望むならリミは女王様でも奴隷にでもなりますぅ~』だとか言いそうなので完全に間違っているとも言い辛いが。

 

「――――と、まぁ。君は翔くんに比べれば未熟なところばかりだというわけだが、それになにか問題が?」

 

「へ?」

 

「最初に言っただろう。武術家にとって真の敗北は死ぬこと。リミ、お前は死んでいるのか?」

 

「し、死んでないですよ! 寧ろここで体破裂して死んだらどこの北斗神拳ですし」

 

「なら、問題はないな。さっきお前は叶翔くんに比べ劣っていると言ったが、達人の目から見ればお前も翔くんも目くそ鼻くそ五十歩百歩。未だ成長途上の未来有望な武術家の卵だ。

 敗北したのなら自分がどうして敗北したのかを考え、その原因を克服し次は勝てばいい。死合いに負けて死んだなら次はないが、生きているリミには次があるんだから」

 

「師匠……。なんかリミ、猛烈に感――――」

 

「それに慰めの言葉? はははははははは、馬鹿を言っちゃあいけないなぁ~。俺が敗北し傷心の弟子にすることなんて一つに決まっているじゃあないか」

 

「ひっ!」

 

 ニコニコと微笑みながら、リミの両肩をがっしりと掴む。

 絶対に逃がさないように掴まれて、リミの顔がみるみるうちに蒼白になっていった。

 

「あ、あのぉ~。それってもしかしなくても」

 

「大丈夫、敗北の悔しさをかみ締める必要なんてない。そんな余裕、残さぬよう今日は徹底的に追い詰めるから♪」

 

「い、やぁああああああああああああああああああああああああああああ!! 助けて龍斗様ぁあああああああああああああああああ!!」

 

 修行場に哀れな子羊の悲鳴が響き渡る。だがその悲鳴は、彼女の意中の相手に届くことはなかった。

 変わりにその悲鳴を聞いた叶翔は珍しく苦笑しながら、

 

「達人と付き合う秘訣その三、死なないこと。どうやら邪帝殿は厳しい御方のようだ。俺も覚悟はしておこうっと」

 

 そう言うと翔は自分から、地獄に飛び降りていった。

 

 

 

 

「潜入ミッションに、内弟子に、一なる継承者に、拳魔邪神殿の代理に。大変だね、クシャトリア」

 

「全て代役がいないというのが悲しいよ」

 

 翔に修行をつけてから一週間後、クシャトリアは緒方の頼みで彼の拠点の一つを訪れていた。

 これで頼みの内容というのが死合いをしようだとかなら丁重に断っていたところだが、今回に限ってはそういう無理難題ではない。

 緒方に頼まれクシャトリアがやっているのは、禁忌の技〝静動轟一〟で半身不随となった朝宮龍斗の治療である。

 自画自賛になるが……静の気と動の気、相反する二つの気を同時に修めた武人であり、また医術の心得もある自分は静動轟一の治療にはうってつけの人材だろう。

 

「ふむふむ……。やはり気の乱れが酷いな。ここには秘伝の薬を塗っておいて、と」

 

 動かなくなった龍斗の足をほぐし、時々強く握るなどして調子を確かめながら、クシャトリアはティダートの薬草を駆使して治療をする。

 

「ありがとうございます、拳魔邪帝様。わざわざ来て頂いて」

 

 半身不随のため車椅子に座ったまま朝宮龍斗が礼を言ってくる。

 以前に見たときは黒かった髪は、静動轟一で体内組織が乱れてしまったことで脱色して白くなっていた。クシャトリアも似たようなことで白髪になった口なので、少しだけ共感する。

 

「いやいや。礼を言われるようなことじゃない。実を言うと俺にも下心があってね。君を治療することは俺にもメリットがあることなんだよ」

 

「メリット……?」

 

「静動轟一の後遺症で半身不随になった君を調べれば、静動轟一について興味深いデータがとれる。勿論、治療の方はしっかりやっているから心配しなくていい。……ま、動けるようになるかは君次第だが」

 

「ふむ。どうなんだね、クシャトリア?」

 

 緒方が話しに入ってくる。その顔は大切な愛弟子の回復を心配しているというより、静動轟一という禁断の技の完成を夢見る研究者のそれだった。

 武術平等論を掲げ己の命すら武術の発展に捧げている緒方にとって、静動轟一の完成は弟子一人を破棄しても成し遂げたいことなのだろう。

 だからというわけではないが、クシャトリアは龍斗が治る方法の前に静動轟一について話すことにした。

 

「静動轟一は静の気と動の気を同時発動する禁断の技だが、それは静の気と動の気の同時運用を意味しない」

 

「というと?」

 

「そうだな……。例えるなら動の気を赤色、静の気を青色だとしよう。赤色の絵具と青色の絵具を混ぜた時に出来るのは赤と青が混在した色じゃなく、紫という赤でも青でもない新たな色だ。

 静動轟一についても全く同じことが言える。静の気と動の気を融合することで発動する気は、静動轟一の気という静の気とも動の気とも異なる新たな気だ。

 俺も一度、自分で静動轟一を使ってみたから分かるが、この静動轟一の気はとんでもなく扱いが難しい。なんといっても体の中で火薬を爆発させ続けているようなものだ。コントロールを誤れば体中の気が著しく乱れ、精神すら崩壊しかねない」

 

「車のエンジンみたいだね。で、それを踏まえて君は静動轟一を正しく運用するにはどうすればいいと思う?」

 

「車のエンジンっていうのは良い例えだよ。原理としては似ているから。……そうだな、静動轟一のコントロールする術と、内側で起こる気の爆発で壊れないほど強靭な器。この二つさえ揃えば、あくまで理論上は静動轟一をノーリスクで使用できるだろう」

 

 本当にそれはただの過程、単なる机上の空論だ。

 静動轟一の気のコントロールくらいならばなんとかなるだろうが、それに耐えうる肉体ばかりはどうしようもない。幾ら肉体強度を達人の領域まで高めようと、人間の体である以上は限度がある。

 もし静動轟一の気を発動し続けて壊れないような者がいるとすれば、それは人間ではないなにか別の生命体だ。

 

「やはり完成までの道のりは遠いかぁ。今はリスク覚悟の一時的ドーピングか、必殺を繰り出す一瞬のみの発動に限定するしか用途はないか」

 

「……それで朝宮龍斗君の半身不随だが、これは静動轟一で体内の気が著しく乱れたことが原因。時間をかけて気の均衡を整え、静動轟一の気のコントロールを身につければまた歩けるようになるはずだ」

 

「本当ですか?」

 

「ああ。ついでに静動轟一の気のコントロールに成功すれば、器が崩壊する一定時間内ならば静動轟一をノーリスクで運用できるようになるはずだ」

 

 クシャトリアは静動轟一の改良案について考え付いていたが、敢えて緒方には言わなかった。

 教えを請われれば誰であろうと迷わず己の秘伝を伝授する緒方である。このことを緒方に言えば、誰かに漏らしてしまう可能性があるし、どうせこれは動の気を極めた緒方には使えぬものだ。

 

「それじゃ朝宮龍斗くん、約束は果たしておいてくれよ」

 

「……私は構いませんが、治療の対価がリミが秋葉原をうろうろするのに付き合え、なんてことで良かったのですか?」

 

「なぁに。最近リミも中々頑張っていたし、師匠からのご褒美というやつだよ。あとくれぐれも俺が君に頼んだことは言わない様に。

 リミは細かいことを気にするような人間じゃ……というより細かいことを考えられる頭の持ち主じゃないが、水面下で取引があったなんて知ったら楽しみも半減だからねぇ~」

 

 ジュナザードさえクシャトリアが武術的に大きな成長を果たした時は休暇や、美雲の所へ行くという飴を与えていたのだ。

 鞭うつばかりでは人は成長しない。地獄に突き落としてばかりではいつか地獄が日常となり慣れてしまうだろう。適度に楽しみや休息を入れてた方が、落ちる地獄はより深いものになり慣れがくることを防げる。

 リミの更なる修行メニューを考えつつ、クシャトリアは緒方の拠点を後にした。

 



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第45話  死亡報告

 一影九拳の弟子たちが名を連ねるYOMIの幹部たち。彼等は来たるべき戦いのため、リーダーである叶翔の指揮下で多くのミッションをこなしていた。

 ミッションの内容は色々だ。日本中にある道場に道場破りを仕掛けて闇の傘下にすることでもあるし、闇の支配圏を広げるために要人の護衛などをすることもある。

 そして彼等の師である一影九拳の狙いが梁山泊の豪傑たちの首級であれば、その弟子である彼等が狙うのは『梁山泊』の一番弟子〝白浜兼一〟の首級。

 世界広しといえど、闇の弟子集団全員から命を狙われた元いじめられっ子は史上初だろう。似たような理由で武術の世界に入ったクシャトリアは、彼に対して同情するが、立場上クシャトリアが彼を助けることはできない。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアはあくまでも闇の武人。白浜兼一、ひいては梁山泊の敵だ。白浜兼一という武人を調査・監視する任も帯びている。

 もっとも白浜兼一についての情報は粗方調べ終えたので、現在やっているのは監視のみ。その監視にしてもかなり適当で、今は彼の監視よりも他のミッションに割く割合の方が多い。

 今日の仕事もそれだ。

 クシャトリアの眼下には、未来の闇を担うYOMIたちがソファに座って集結している。緒方と一緒に彼等のお目付け役をするのもクシャトリアの仕事だ。

 一方YOMIではないリミは、機関銃ぶらさげた男達に追われている頃だろう。

 

「いいんですか、クシャトリア先生」

 

「なにがだい?」

 

 クシャトリアの隣りで、手摺に座りながら翔はどこか愉快げに尋ねてきた。

 

「今日、先生の潜入中の学校ってスキーに行ってるんでしょう? 闇の武人シルクァッド・サヤップ・クシャトリアではなく、一教師の内藤翼先生としては学校行事をサボるなんて不味いのでは?」

 

「失礼な。人をサボり魔みたいに思わないでくれ。俺は三年生の補習の面倒を見るという実に教師らしい仕事を押し付けられたから、スキーに行く教員から外されただけだよ。ずる休みしているわけじゃない」

 

「いやぁ、そういうことじゃなくてジェイハンのことですよ」

 

「…………」

 

 緒方の仕掛けでアレクサンドル・ガイダルの一番弟子ボリス・イワノフが、誤って梁山泊に道場破りを仕掛けた一件以来、闇と梁山泊の戦争の火蓋は切って落とされた。

 そしてボリスに続く対白浜兼一の第二陣として送り出されたのがラデン・ティダート・ジェイハン。拳魔邪神ジュナザードの弟子にして、王のエンブレムをもつYOMI。そしてクシャトリアの弟弟子なのだ。

 今頃ジェイハンは雪山で白浜兼一と戦っている頃かもしれない。

 

「弟弟子が史上最強の弟子と戦っているのにその余裕。地を這う虫けらなんて気にせず踏み潰すだけってことですか?」

 

 地を這う虫けら――――もしかしなくても白浜兼一のことだろう。

 あの風林寺美羽を自身の片翼として、淡い想いを寄せる翔からしたら白浜兼一は恋敵。またその武術スタイルも生きも泥臭く、闇で純粋培養された殺人拳の申し子たる翔とはなにもかも対極だ。

 彼からすれば白浜兼一は天敵とすら言ってもいいのかもしれない。とはいえ翔が見下すように、今の白浜兼一では実力的に翔の天敵となるには力不足だが。

 だが叶翔にとって力不足でも、他の者にとって必ずそもそうは限らない。

 

「地を這う虫けら……踏み潰すだけか。だそうだが実際に彼と戦った者としてはどうかな、白浜兼一という男の評価は。朝宮龍斗くん、ボリス・イワノフくん」

 

 クシャトリアは直立不動で休めの姿勢で待機しているボリスと、下半身不随で車椅子に座ったまま俯いている龍斗に問いを投げる。

 他のYOMIたちの視線が自然、二人へ向けられる。龍斗とボリス、沈黙を先に破ったのはボリスだった。

 

「奴と戦った時、自分は妙なものを感じました。そう、まるで爪も牙もない小動物が、虎の威もないのに自信満々に挑発してくるような……。なにより奴の目の中に不思議な光を見た。あのまま続けていれば、果たして倒れていたのはどちらだったか」

 

 ボリス・イワノフは命令絶対の融通が効かない石頭だが、実力においてはYOMI全員から認められるほどのものだ。

 彼にここまで評された事で、他のYOMIたちの中でも白浜兼一への警戒度が上がる。一方、白浜兼一の幼馴染でもある朝宮龍斗は、

 

「馬鹿ですよ。ただのお人好しの馬鹿です」

 

 高評価どころか、仮にも自分を負かした相手を馬鹿と一蹴した。

 

「馬鹿、馬鹿か。だがそれが彼の強さの根源ともいえる」

 

 確かに馬鹿といえば白浜兼一は間違いなく馬鹿だろう。

 それは単に学校の成績が今一つだからではない。生き方や性分に信念、ただでさえ才能がないのに自分の信念で自分をさらに追い込んでいるあたりが馬鹿としか言いようがないだろう。

 信念故に臆病のようでいてここ一番では勇気を発揮し、逃げたいと思いながら逃げる事ができない。世渡りが下手な人間の典型とすらいえる。

 だが命を懸けても譲れぬ柱がある人間は、才能の有無に関係なく強くなるものだ。

 

「へぇ。先生はあの虫けらを買ってるんですね。でもそれにしては弟弟子が奴と戦うのに放置なんて、よっぽど弟弟子を信用しているんですか?」

 

「いやジェイハンが負けることも大いにあり得ると見ている」

 

 ジェイハンは、というよりティダートは亜熱帯の国でありティダート人は熱さに慣れた民族だ。ティダートの民族衣装に露出が多いのもそれが理由といえる。

 しかし今回ジェイハンが白浜兼一と戦っているのは冬の雪山。あの誇り高いジェイハンが雪山だからといって王子の衣装を変えるとは思えないし、伝統通りで裸足に王子の服のまま戦いを挑むことだろう。

 寒さという猛威に、雪という成れぬ戦場。ここまで不利が重なれば実力の八割程度しか発揮することはできまい。

 

「そうだね、下手すれば死ぬかもしれない」

 

「あの虫けらがジェイハンを? あの平和ボケした能天気面に人を殺めるような度胸があるとは思いませんけど」

 

「だろうね」

 

 白浜兼一は例え自分が死んでも、殺す相手を殺さない男――――心の髄まで活人拳を目指す武術家だ。

 或いは彼にとってなによりも大切な存在、風林寺美羽が殺されでもしたら、優しさ故に復讐心が爆発し殺人拳に堕ちるかもしれないが、今のジェイハンでは白浜兼一はまだしも風林寺美羽には勝てない。そんなことは起こらないだろう。

 

「だがなにも俺は白浜兼一がジェイハンを殺すと言ったわけじゃない。殺すのは我が師匠、シルクァッド・ジュナザードだ」

 

「ジェイハンの師匠じゃないですか」

 

「そうだよ。いい機会だから一つYOMIの皆に教えておくが、我が師匠ジュナザードは危険だ。君達の師匠は君達に厳しいながらも愛情をもって接しているかもしれないが、我が師匠は弟子を自分の武術的狂気を満たす道具としか思っていない。

 もしもジェイハンが白浜兼一を倒せないか、もしくは醜態を晒せば師は一切の情けもなくラデン・ティダート・ジェイハンを廃棄するだろう」

 

 それだけではない。ジェイハンというカリスマと能力のある人物が指導者となることて、内戦状態が続いていたティダートに平和の兆しが見え始めてきている。これは戦乱を好む邪神にとっては望ましくないことだ。

 例えジェイハンが武術家としてジュナザードの期待に応えようと、ジュナザードにとってジェイハンは邪魔な存在になりつつあるのだ。

 だがここで仮にジェイハンが死ねばどうなるだろうか。ジェイハンの妹のロナ姫には、国を纏めるほどの指導力や能力はない。ほぼ確実にティダートは再び国民同士が血で血を洗う内戦状態に逆戻りすることだろう。

 

「それが分かっていてジェイハンを放置すると?」

 

 龍斗が僅かに鋭い目で言った。

 

「行ってどうなる? まさか師匠と戦ってジェイハンを守れ、とでも。馬鹿を言っちゃいけない。俺はジェイハンのことが人間的に嫌いじゃないが、命を懸けて守りたいと思うことはない。俺が命を懸けて守るのは今も昔も自分の命だけだ」

 

「――――」

 

「おっと、電話だ」

 

 ケータイの着信ボタンを押すと、部下のアケビから想像していた事態が起きてしまったと告げられる。

 クシャトリアは深々と溜息をつく。師匠が弟子を壊すのはこれで何度目かと思いながら。

 

「ジェイハンが雪崩に巻き込まれて死んだそうだ」

 

『………………』

 

 九拳のYOMIだけあって、誰も自分の同胞が死んだことに驚く様子はない。

 これでいい。彼等にはジェイハンは死んだとだけ伝えたクシャトリアだが、アケビから報告されたのはそれだけではなかった。

 

『ジュナザード様により引き起こされた雪崩に巻き込まれるも、王子ジェイハンは自力で雪から這い出て脱出。ジュナザードから殺されぬよう身を潜めた』

 

 こちらが正しい情報だ。

 今のところクシャトリアにはジェイハンの生存を誰かに伝える気もない。流石に弟弟子の死刑執行所のサインするほどクシャトリアは非道ではないし、なによりもジェイハンの生存は上手く使えばジュナザードを殺すのにも役立つカードとなる。

 忘れてはならない。ジェイハンはティダートの王子、言うなれば一国の独裁者だ。確かに個人の強さではジュナザードに及ぶものでもないが、その権力は決して馬鹿にできるものではない。

 

(ジェイハンを旗頭に、俺が後見人となって師匠と戦争ごっこでもやらかすのも悪くない。まぁ今やっても絶対に負けるからやらないが)

 

 ジュナザードを殺すため自分の修行に余念のないクシャトリアだが、なにも真っ向勝負で正々堂々と倒す必要などはどこにもない。

 例えば連戦に継ぐ連戦で疲弊しきった所を、背後から襲っての勝利でも勝利は勝利だ。

 



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第46話  師弟、二つ

 梁山泊と闇の戦争の本格化、それによる影響はなにも闇やYOMI幹部ばかりにあるわけではない。

 白浜兼一の監視、自分の修行、YOMIのお目付け役……etc……。常人ならば三回は過労死するような過密スケジュールをこなすことが出来ているのは、一重にクシャトリアの非凡さ故であろう。

 しかし如何に拳のみで最新の兵器をも超越する強さを身に着けた『達人』といっても、体が一つしかないのは一般人と同じだ。過密スケジュールのせいで犠牲になってしまうものもある。

 その犠牲になったことの一つがリミの修行だ。

 これまでは比較的ちょくちょくと時間を見つけては、直接修行を見ていたクシャトリアだが、最近では直接指導するのは三日に一回。後は自身の側近のアケビとホムラ、そして送られてくる修行メニューによる自主練に任している。

 リミとしては修行の負担が少しだけ減って嬉しいやら、あんまり構ってくれなくて寂しいやらと複雑な心境だ。

 そして今日は三日ぶりにクシャトリアが直々に修行を見てくれる日である。しかもクシャトリア曰く、今日は珍しく他に予定がないそうなので一日つきっきりだそうだ。

 

「ふっ、とぉ! とりゃぁ!」

 

 クシャトリアの厳しい目があることもあり、リミはふざけず真面目にこれまで徹底的に反復練習してきたジュルスを繰り返す。

 弟子入りしてまだ半年も経っていないリミだが、意外にもクシャトリアの弟子育成能力が高かったことと極悪な修行の甲斐あって、既に基礎的な動きはマスターしていた。

 

「うん、俺がいない間もサボってはいなかったようだな」

 

 リミの動きを見終えたクシャトリアは、洋梨を食べながら満足げに頷いた。

 

「当然ですよ! リミはバリバリ強くなって龍斗様をメロメロにしちゃうんですからね! 絶対にサボったりしませんよぉ~♪ それに――――」

 

「それに?」

 

 弟子入りしてからこれまで、クシャトリアに心の中で思った事を看破されること37回。心の中で思った事を声に出して自爆すること97回。

 ここまでポカを重ねれば幾らリミでも自分には嘘を吐いたり情報を黙っていることが恐ろしく苦手なことくらいは分かる。

 そして仮にサボったとして、クシャトリアにそのことがバレでもしたら……。

 

(これまでの師匠のやり方から見て、ミサイルに括り付けて某国に飛ばすくらいはやりかねないお)

 

 藪を突いて蛇を出すことはない。どれだけ修行が厳しくても、修行の厳しさを減らすために命懸けのサボりを強行するほどリミは命知らずではなかった。

 

「リミ、流石の俺もミサイルに括り付けて飛ばしたりはしないぞ」

 

「ま、またリミの心読んだ!?」

 

「そうだな……。精々腹を空かせた猛獣たちの檻に、全身に松坂牛を括りつけて放り込むくらいだ」

 

「そしてやっぱり鬼だお!」

 

 ライオンや虎やらが蠢く檻の中に閉じこまれる自分を想像して、リミは長く辛い一か月無人島サバイバル生活を思いだしてしまった。

 無人島で猛獣に追い掛け回された時は必死に逃げてどうにかなったが、檻の中ではそうもいかない。ある意味、無人島より最悪である。

 

「師匠」

 

「ん?」

 

「いつもリミの心を読んでますけど、どうやって読んでるんですか? もしかして師匠ってギアス能力者?」

 

「良く分からないが、別に魔法や超能力を使っている訳じゃない。ある一定の武術家ならある程度は使えるスキルだよ。

 よく人の心を知るなら目を見ろ、とか口は笑っていても目は笑っていないだとか言うだろう? 目とは人の心を映し出す鏡。高度な武術家同士の戦いになると、互いの目を見て相手の動きを読み合ったりするんだよ」

 

「なんか凄そうな技能ですけど、本当にそれで心の中を全部読めちゃったりするんですか?」

 

「ある程度、観の目を磨けばね。尤も達人級ほどの武術家になると心を閉ざす術くらいは修得しているから、リミにしているように心を完全に見透かすなんて難しいが」

 

 閉心術、読んで字の如く心を閉ざす術。この単語を聞いた瞬間、リミの両目がキラリと輝いた。

 これまでクシャトリアの読心術にどれほど赤裸々な思いを見透かされてきたか。この術さえ会得すれば、リミは心の中のプライバシーを確保できるのだ。

 リミが師匠に閉心術を教えてくれるよう頼みこもうとした時だった。

 

「カッカッカッ。ようやっているようだわいのう」

 

『!?』

 

 普段まったく心の読めないクシャトリアが、傍目にも分かるほどに顔を歪めるのをリミは見た。クシャトリアの視線の先を辿ると、いつからそこに居たのか。クシャトリアが稀につける仮面と同じ意匠の仮面をつけた老人が、周囲の景色と溶け込むように存在していた。

 人間の形をしているのに人間ではないもの。まるで神話に登場する動物のような現実離れした気配を感じる。

 だがそれ以上にあのクシャトリアが殺意すら滲ませ、その人物を睨んでいるのがリミにとっては驚きだった。

 

「……師匠」

 

「師匠って、まさかこの人が?」

 

 リミにとって唯一無二の師匠であるクシャトリア、そのクシャトリアの師匠である人物。一影九拳の一人にして、あのクシャトリアが自分より強いと断言するほどの武術家。

 拳魔邪神シルクァッド・ジュナザード、比喩ではなく世界最強の人間の一人である。

 

「これはこれは。九拳会議やその他諸々を弟子に押し付け御多忙な師匠が、こんな所に一体なんの御用ですか?」

 

 驚きから一転、喜怒哀楽の一切が読み取れない能面めいた顔でクシャトリアが口を開く。

 

「カッカッ。弟子をとったと聞いたが……この娘がお前がとった弟子かいのう」

 

「っ! リミ、今直ぐ外へ出て行きなさい」

 

「へ、でも修行は……」

 

「早くしろ! 横浜の中華街の関帝廟までマラソンだ! 行って来い! 行かなければ北海道まで行かせるぞ!」

 

「ら、ラジャーだお!」

 

 北海道までマラソンなんて冗談ではない。

 普段怒鳴ることのないクシャトリアの剣幕に圧され、リミは慌てて飛び出していった。

 

 

 

 

「それで、どんな御用です? まさか自分の弟子がしっかりと教え子に修行をつけられているか心配になって来たなんて感動的なことを仰ったりはしないでしょう」

 

 つい少し前に自分の手で自分の『弟子』を殺めた――――実はまだ死んでないが――――ジュナザードに皮肉げに問うた。

 嘗てのクシャトリアなら師匠を相手に皮肉を言う度胸すらなかっただろう。しかし特A級の達人という一つの頂きに上り詰めたクシャトリアである。いつまでもそんな弱腰ではいられない。

 

「我相手に皮肉とはのう。ちと見ぬ間に偉くなったものじゃわい。その様子だと弟弟子の末路についても知っておるか」

 

「ええ。雪崩で押し潰したんでしょう」

 

「そう恐い顔で見るでないわい。素養は悪くなかったが、心が弱かったし邪魔な存在になりつつあったからわいのう」

 

「…………」

 

 ジュナザードには自分の弟子を殺めた罪悪感は悔恨は欠片も見受けられない。

 闇とは殺人拳を掲げる集団、この太平の世にあって悪と呼ばれて当然の存在である。だが一影九拳に名を連ねる武人たちには彼等なりの信念があり誇りがあり、そして武術家として超えてはならぬ一線は守っている。

 しかしこのジュナザードは違う。活人道でも殺人道でもない、真正の外道だ。

 

「じゃがのう。あの程度の弟子は我ならば幾らでも作れるが、それなりの素材を見つけるのはちと面倒じゃ。そこでクシャトリア。主の弟子、小頃音リミと言ったかいのう。あれ我にくれんかいのう」

 

「……渡せと言われて渡すとお思いで?」

 

「ほほう。我に逆らうのかいのう」

 

 それでも良いぞ、と挑発するようにジュナザードは指をくいと動かす。

 クシャトリアはその挑発に乗る事など出来る筈もなかった。挑発にのって戦ったところで勝機など万に一つしかない。億に一つくらいならあるかもしれないが、そんな分が悪いといった次元ではないギャンブルに命を懸けることはできなかった。

 涙を呑んで従うしかない。今までもそうしてきた。クシャトリアがやるべきなのは例え恥知らずと笑われようと、ジュナザードを殺す力を得るまで生き延びること。

 クシャトリアが首を縦に振る。直前、リミの顔が脳裏を過ぎった。

 

「いいでしょう」

 

「カッ?」

 

「勝負を受けましょう、師匠。貴方が勝てばリミを弟子にでもなんでもするといい。ただし貴方が負ければリミのことは諦めて貰う」

 

 ジュナザードの目が怪しく光ったような気がした。

 



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第47話  師弟対決

 シルクァッド・ジュナザードとシルクァッド・サヤップ・クシャトリア。共にシラットという武術の頂きに君臨して勇名を馳せる者同士が、極東のビルの一室で対峙する。

 今にも五体を両断せんとばかりに放たれる抜き身の刀の如きクシャトリアの殺意、それを浴びて平然とするは邪悪な気を体内で渦巻かせる邪神ジュナザード。

 もしもこの場に一般人が、否、妙手未満の武術家がいれば二人の間にある不穏というには生易しすぎる空気に気を失ったかもしれない。

 

「カッ、カカカカカカカカカカカカッ! これは予想外だわいのう。よもや! この我と戦うのを恐れ慄き逃げ惑っていた我が愛弟子が、己から我に勝負を挑むとはのう。

 どういう風の吹き回しか気になるのう。最強の弟子の監視のため学校に潜り込んだと聞いたが、よもやそれに当てられおったか?」

 

「まさか」

 

 クシャトリアは呆れるよう肩をすくめる。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアは修羅道を歩む闇の武人だ。例え組織という『闇』から抜け出すことはあっても、闇という世界から抜け出すことは叶わない。

 日の当たる世界に戻れれば素晴らしいのだろう。人並みの幸福というものも得られるのだろう。だが所詮は置き去りにした過去。今になって取りに戻る気にはなれなかった。

 

「師匠は俺の性根についてなど言わずとも知っているでしょうが、俺は勇敢というより臆病な人間です。勝ち目の薄い勝負に自分から飛び込むことはありません。

 逆に言うなら俺が自分から勝負を挑むということは勝算らしきものはしっかりあるってことですよ。拳魔邪神シルクァッド・ジュナザード殿」

 

「――――面白い」

 

 ジュナザードの纏っていた空気が変わる。これまで内部に押さえ込んだいた好奇心の入り混じった殺意が、暴風のように溢れ部屋内に渦を巻いた。

 十年以上の付き合いだ。クシャトリアには仮面越しでもジュナザードが高揚を覚えているのが手に取るように分かった。

 

「クシャトリア! 我が仕上げた最高傑作よ。我を殺す目処がたったのであれば、それを我に見せてみよ! 代わりにシラットの至高を賞味させてやるわいのう!」

 

「落ち着いてくださいよ師匠。これまで何年もかけて用意してきたご馳走。未完成のままに食してしまうつもりですか?」

 

「カッ」

 

「白状すれば今の俺では今の貴方を殺せる気がしない。だからハンデありのゲームで決着をつけませんか?」

 

「ゲームじゃと?」

 

「ええ。ルール無用の死合いではなくルールありきのゲームです」

 

 閉心術で完全に心を閉ざしながらも、心の中では冷や汗ものだった。真っ向からジュナザードと戦ったとしても、クシャトリアには勝機など皆無に等しい。

 しかしルールのない殺し合いならば兎も角、ルールありきのゲームであれば話は別。やり方次第ではジュナザード相手に勝ち目がある。

 もっともこの提案を受けるかどうかはジュナザードにかかっている。もしもジュナザードがゲームにのらなければ、その時は腹を括るしかないだろう。

 

「どのようなゲームじゃ?」

 

(――――乗ってきた!)

 

 第一段階は一先ずクリアだ。後は如何にジュナザードの興味をひけるかにかかっている。

 

「……ルールは到って単純。拳を交えて戦い殺すか降参させるかすれば勝利。時間制限はなし。ただし師匠にはハンデとして」

 

 クシャトリアは近くにあったチョークを手にとると、丁度相撲における土俵くらいの広さのラインをひいた。

 

「この線の中から出るのは禁止、出た場合はその場で敗北」

 

「追い詰められればラインから逃れれば助けるという算段かいのう。狡い考えじゃわい」

 

「勿論それだけではありません。師匠に場所のハンデがあるなら、俺には肉体のハンデ。俺は戦う上で両足と左手を封じる。攻撃に使うのはこの『右手』だけ。右手だけで貴方を倒しましょう」

 

 瞬間、ジュナザードの目の色が変わった。

 自分のハンデを聞かされた時の退屈げな雰囲気とは一転した、なんとも愉快そうな声色で笑う。

 

「我が師より我を超える武術家は現れぬと言われ半世紀。よもや右腕一本で我を倒そうなどと大口を叩く阿呆は始めてじゃわいのう! じゃがその大言もまた良し! 我が弟子ながらよく咆えた」

 

「では」

 

「良かろう。お前のゲームにのってやるわい。右手一本なにをするのかは知らぬが、見事! この我を殺してみよ!」

 

「……畏まりました。ならば始めましょう、死合いではなく試合を」

 

 ジュナザードがクシャトリアのひいたラインの中に入る。

 闇の武人同士の戦いにおいて「始め」の合図などは不要。互いが、ではなくどちらか片方がもう片方に殺意を抱いた瞬間。それがスタートとなる。

 しかしこれは死合いではなくゲーム。故に、

 

「さぁ。始めじゃわいのう! 来い、クシャトリア!」

 

 拳魔邪神ジュナザードによって、ゲームの開始が宣言された。

 

「…………」

 

 だがゲームが開始されながらも、クシャトリアは動かなかった。ラインから5mほど離れた場所。文字通りジュナザードには手も足もでない場所で、クシャトリアは師匠を眺めていた。

 なにかの策かとワクワクしていたジュナザードだが、一分が経ち二分が経っても身動き一つしないクシャトリアに、ジュナザードが口を開いた。

 

「どうした? 来ぬのかいのう」

 

「…………」

 

 クシャトリアは暫しジュナザードを見ていたが、その言葉に返答することなく背中を向けると歩き出した。

 拳魔邪神相手に背を向けるなど首を差し出すも同然の暴挙。されど〝ルール〟のためにジュナザードはその背中を襲うことはできない。

 

「これ~っ! どこへ行くのかいのう!」

 

「……分かりませんか? この勝負、既に俺の勝ちだ」

 

「なんじゃと?」

 

「チョークでひいた白いラインは貴方という武術家を閉じ込める監獄だ。ならば俺はなにもする必要はない。貴方が動けない間に、一影に押し付けられた仕事でもこなすとしますよ」

 

「じゃが何もせずに勝てはせぬぞ」

 

「それはどうかな。このゲームに時間制限はない。戦いの決着がつくまで十年でも百年でも永遠に続く。拳魔邪神ジュナザード、貴方は最強の武術家だ。本気の戦いで勝てる者など、梁山泊の無敵超人くらいでしょう。

 だが貴方は人間だ。人は信仰と畏怖によって神になることは出来るが、それは人の体が朽ちて初めて完成する。

 その牢獄に閉じ込められている以上、貴方は食べ物を得ることができない。食べ物を摂取することができなければ、どんな超人であろうといずれ死ぬ。俺は牢獄の外で呑気に果物でも食べながら、一ヶ月でも三ヶ月でも貴方が餓死するのを待てばいい」

 

 古より伝えられ彼のナポレオンも愛読したという孫子の兵法書。それが基本としているのが『戦わずして勝つ』こと。

 そして兵糧とは軍の命に等しい。一体この人類史でどれほどの名将が兵糧不足により膝を屈し、どれほどの名将が敵の兵糧を焼き払うことで勝利を収めたことか。

 最初からクシャトリアにジュナザードと殴りあうつもりなどありはしなかった。

 敢えて右手だけで戦うと己に制限をつけるような真似をしたのも、ジュナザードの興味をひき、そしてジュナザードの意識を右手に集中するため。

 右手だけで戦うと言えば、どうしても意識が右手でどう勝つのかにいってしまい、その裏までは察せなくなる。

 或いはジュナザードであれば本気の本気でクシャトリアと戦おうとすれば、この策に気付けたかもしれない。だがどんな策でくるのかを楽しむため敢えて思考を停止していたことで、ジュナザードはまんまと罠にはまった。

 

「カッ、カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ!!」

 

 狂笑。ジュナザードがこれは傑作だ、と大笑いしながら白い牢獄を踏み越えた。

 ルールなど知らぬとばかりに襲ってくる――――と、普通の人間なら思うところだが、クシャトリアは構えることはしなかった。

 

「お前の勝ちじゃ、クシャトリア」

 

 あっさりとジュナザードはクシャトリアの勝利と自分の敗北を認める。

 ジュナザードは外道であるが、武術家としての彼なりの矜持をもっている。ゲームに負けたからといって激昂し、襲い掛かる惨めな真似をするはずがない。

 

「約束通りお主の弟子についてこの場は諦めよう」

 

「この場は、ですか」

 

「そうじゃ」

 

 つまりまた気が乗れば来るかもしれないということ。敗北した場合の条件を、永遠にリミを弟子にとらないにするべきだったと後悔するも後悔先に立たずだ。

 今はジュナザードを退かせたことを喜ぶべきだろう。去っていくジュナザードを見送ることなく、クシャトリアは嘆息した。



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第48話  招待状

 一つのことを学び、極めようとする者達が一定数以上集まれば、誰が一番なのかを知りたくなるのは人間の常である。

 だからこそ武術のみならずスポーツや広くは料理に至るまで『大会』というのはいつの時代も行われてきた。

 表の世界で最も有名な大会といえば、やはりオリンピックがあげられるだろう。日本人的には甲子園だとか国立だとかの方が身近で分かりやすいかもしれない。

 そして表の世界のスポーツ選手が自分達の腕を他者と競い合いたいという願望があるように、裏の世界を生きる武術家にも同じ願望がある。そんな願望が形になったのが裏ボクシングであり裏ムエタイでもあるのだろう。

 また当然、表のようにメディアに大々的に放送されるものと違い、裏の大会は往々にして血生臭く表沙汰にならないものにありがちだ。いや、表沙汰にできる裏の大会など皆無に等しいだろう。

 参加者は賞金首や殺人犯が当然のようにいるし、観客は殺人、女、薬などの臭いを纏った悪党たち。では彼らの中で頂点に君臨した者に与えられるは栄光か、それとも別のなにかか。

 

――――闇の世界で最も有名な『大会』にDオブDというものがある。

 

 正しくはDesperate fight of Disciple、略してDオブD。

 日本語訳で「弟子の死闘」という名前の通り、20歳未満の弟子たちによって開催される武術大会だ。裏社会では伝統ある大会で、ここで優勝した武術家の中には今は達人として名を轟かせている者も数多い。

 主催者は闇にも多大な出資をしている武術マニアの大富豪フォルトナだ。

 もっと世界は武術を中心にして回るべき、最強の兵器は人間自身などと言って憚らない危険人物で、多くの孤児を養子にしては己の武術的好奇心を満たすために消費する悪党だ。

 開催地であり彼の私有地であるデスパー島には、フォルトナの雇った達人に最新科学を用いた防衛システムがしかれており、例え国軍であろうと陥落させるのは難しい鉄壁の要塞といった体をなしている。

 

「また面倒なことを人に押し付ける」

 

 クシャトリアはテーブルに置かれた手紙を見下ろし、深い溜息を吐いた。

 溜息と一緒に幸福が抜け落ちていくような気がしたが、きっとただの錯覚だろう。逃げていくような幸福など、今の自分には思い当たらないのだから。

 

「栄誉なことじゃないか。一応裏社会じゃ格式ある大会のゲストに招かれるなんて」

 

「人事だと思って勝手に言う。なんなら代わってくれてもいいんだが」

 

「いやいや。すまないけど私はバーサーカーやルグの面倒を見ないといけなくてね。二人を大会に放り込むのも面白そうだが、私の目から見るにまだ時期尚早だ。ここは謹んで辞退させてもらうよ」

 

 自分のためではなく、弟子の育成のために断るのがなんとも緒方らしい。

 クシャトリアは改めてテーブルに置かれた招待状に視線を落とした。招待状の差出人の名はフォルトナ。言うまでもなくDオブDの主催者の名前である。

 無論、招待といってもクシャトリアを選手として招こうなどというトチ狂ったことをフォルトナがするわけがない。仮にも一影九拳にも比肩する武術家が弟子クラスの大会に参加すれば、大会ではなくただの虐殺劇になってしまう。

 観客が望むのは生死をかけた死闘であり、一方的な処刑ではないのだ。故にこの招待状は選手としてではなく賓客、ゲストとしての招きである。

(まぁ。未来ある若者が成す術なく虐殺される、っていうのも需要がないわけじゃないが)

 

 権力という極上の玩具を手に入れた人間は、場合によっては暗い欲望をもつもので、適当な孤児を攫ってきては、わざと逃がして猟銃片手に狩りを楽しむ――――なんていう悪趣味な遊びを、クシャトリアは見た事がある。

 

「師匠ー! 拳聖様の弟子との交流組手しゅーりょーしました! 聞いてくださいよ、リミ。なんと六勝四敗! 勝ち越しだお!」

 

 緒方の弟子との交流組手のため連れてきたリミが、意気揚々とそう言ってやって来た。

 半身不随で治療中の朝宮龍斗を除いた、緒方の二人の弟子。バーサーカーが五度、ルグで五度の合計十戦。弟子クラスではの但し書きはつくも、両名とも優れた素養と実力をもつ武術家だ。

 その相手に合計六度の勝利を勝ち取った。

 これは実に師匠として鼻が高いところだが、ただでさえ調子にのり易いリミは飴五分の鞭九割五分の割合でやった方がいい。故に、

 

「そうか。なら負けた回数×一時間、明日の組手に費やそう」

 

 しっかりと鼻っ面に鞭を叩き込んでおいた。

 

「お、鬼だお……鬼がいるお……。おろ? この招待状なんなんじゃろ。…………英語、読めないお。でもこの天下一武道会の三倍くらいビッグなコロシアム。

 ピンときた! 謎は全てとけたし、真実はいつも一つ! まさか師匠、大会に出るんですかー! これから待望の達人トーナメント開始ですか!?」

 

「…………苦労してるね、君も」

 

「才能はあるんだがなぁ」

 

 同情的な視線を送る緒方に、クシャトリアは嘆息で応じる。

 とはいえお頭の方は残念極まるリミだが、無造作に置かれている手紙に気付くあたり、妙に注意深いところがあるので侮れない。

 

「DオブDは二十歳未満の武術家限定の大会だ。俺は出ないよ」

 

「えと、じゃあ選手ってばまさかリミ!? 遂に銀幕デビューの時が来てしまったんですか!」

 

「阿呆。闇から選手として参加するのは九拳のディエゴ殿とラフマン殿のYOMI二人。カストル姉弟だ。招かれているのは俺一人だけ……」

 

「良く分からないけど、凄そうな大会にVIPで招かれるなんて凄いんですねぇ~」

 

「…………武術家として百歩譲って光栄だとしても、人間的には行きたくないが」

 

「ふぇ? なんでですお?」

 

「理由は色々ある。実力は兎も角、フォルトナが師匠に近い性質だということが一つ。だが一番にはDオブDを仕切るため招かれたディエゴ・カーロ殿があそこにいるからだよ」

 

 笑う鋼拳ディエゴ・カーロ。邪神や鬼神や拳神など物騒な異名が飛び交う九拳において、ともすればどこか陽気さすら感じる異名。

 しかし以前、彼と仕事をしたことがあるクシャトリアは〝笑顔〟のマスクの裏側に鬼も泣き出す〝怒り〟のマスクが隠れていることを知っている。

 

「ディエゴ・カーロって人がいると、そんなに駄目なんですか?」

 

「ふっ。ディエゴ殿は一影九拳でも特に派手な御仁でね。暗殺任務を受けたら、花火で暗殺対象を派手に打ち上げるなんて朝飯前。エンターテイメントのためならなんでもやるクレイジーさで並ぶ者はいない。

 俺が一影や美雲さんの頼みでどれだけ事後処理に走り回らせられ、どれだけディエゴ殿に無理難題無茶振りをふっかけられたか。断言しよう。かぐや姫の我侭すらあれに比べれば子供のおつかいだね。

 DオブDに行けば、どうせディエゴ殿のエンターテイメントに付き合わされ、事後処理やらなにやらで奔走させられるに決まってる」

 

「じゃあ行かなければいいじゃないですか?」

 

「そうもいかないんだよ。最悪なことに一影直々に笑う鋼拳の暴走を抑える役と、カストル姉妹等のお守りも命じられているし。おまけに相手は九拳で、俺は一介の闇人だから頼まれれば断れない。ふ、ふふふふふふ」

 

 中間管理職の悲哀を漂わせるクシャトリアの背中は煤けていた。

 幹部と下っ端の間にいる人間が苦労するのは、日本の企業から大国に匹敵する力をもつ秘密結社でも変わらなかった。

 

「――――拳魔邪帝殿」

 

「ん?」

 

「あ、龍斗様!」

 

 体調のため今回の交流組手にも不参加だった龍斗が、車椅子をひいてやってくるとリミが顔を明るくして飛びつこうとする。

 だが龍斗もさるもの。車椅子を巧みに操りあっさりとリミを回避する。拳聖がよく制空圏を仕込んでいるのが良く分かる動きだった。

 

「う~。龍斗様が冷たい~」

 

「リミ、恋愛に積極的なのはいいが時と場所を選べ。それより。なんだい、龍斗くん」

 

「DオブDに梁山泊が招待されたというのは本当ですか?」

 

「耳が早いね。ああそうだよ」

 

 今回DオブDには梁山泊の史上最強の弟子・白浜兼一ならびに無敵超人の孫娘・風林寺美羽がDオブDに選手として招かれた。梁山泊の豪傑たちも全員が観客として招待されていることだろう。

 これは全て一影九拳の総意ではなく、DオブDを仕切ることになったディエゴ・カーロが大会を盛り上げるためにやった独断である。しかし幾ら独断といっても招いてしまったものは仕方ない。今になって取り消すわけにはいかない以上、万が一の事態だけは防ぐ必要がある。

 ただでさえ忙しいのに梁山泊の参戦というイレギュラーがなければ、クシャトリアがDオブDに行くことはなかっただろう。

 クシャトリアは梁山泊の参加を聞いた龍斗は目を伏せ、曇った眼鏡の向こう側で考え込む。

 本人は隠しているつもりなのだろうが、読心術を会得するクシャトリアには彼が幼馴染と嘗て淡い恋心を抱いていた相手を心配しているのが瞭然だった。

 だから彼が次に言うであろう言葉もなんとなく予想はついていた。

 

「……拳魔邪帝殿、そして拳聖様。一つ私の願いを聞いては頂けませんでしょうか?」

 

「なんだね、龍斗。言ってみなさい」

 

 緒方がやんわりと促す。心なしか表情がどことなく楽しげだった。

 

「どうか私をデスパー島に行かせてください。選手として参加させてくれ、と言うのではありません。本当にただ行かせて頂けるだけで結構です。どうか、お願いします」

 

「龍斗が行きたいなら師匠として私は背中を押すが、クシャトリアはどうだい?」

 

 緒方には他にやることがある以上、龍斗がDオブDに行くにはクシャトリアが面倒を見なければならない。

 はっきりいって彼を連れて行ったところで荷物が増えるだけかもしれないが、

 

(彼の目)

 

 朝宮龍斗は生半可な気持ちで行きたいと言っているのではない。ここでクシャトリアが断れば、自分の力だけでなんとしてもDオブDに行こうとするだろう。

 言っても聞かないのであれば、目の届くところで面倒を見たほうがマシだ。

 

「分かった。ただし軽挙な行動は慎むこと。それが条件だ」

 

「はい」

 

「はいはいはーい! 龍斗様が行くならリミも行きます! 龍斗様、二人でDオブDに優勝しましょうね!」

 

「いや僕は大会に参加するわけじゃ……」

 

 龍斗とリミの二人を眺めながらクシャトリアは考える。

 これまでリミはクシャトリアと実戦に近い組手は何度もやってきたが、一方で年の近い武術家との死闘に関しては未経験に等しい。叶翔の時はただの組手であるし、ティターン時代のものは単なる喧嘩。死闘と呼べるのは贔屓目に見てもクロノスとの戦いくらいだろう。

 DオブD。二十歳未満の武術家が我こそはと参加する戦い。リミにとっては良い修行になるかもしれない。

 

(うん。ディエゴ殿なら飛び入り参加の一つや二つは面白いからで認めてくれるか)

 

 憂鬱なDオブDだったが、弟子の修行と思えば少しは面白く……もとい、やる気が沸いてくる。  

 リミは自分の師匠が悪いことを考えているのにも気付かず、今は龍斗と一緒に南の島へ行けることを無邪気に喜んでいた。

 

 



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第49話  フォルトナ

 リミと龍斗の二人を伴ってデスパー島へとやって来たクシャトリアは、早速DオブDの主催者であるフォルトナと対面していた。

 島の中にあって教会のような荘厳な雰囲気を漂わせた玉座の間。そこにはクシャトリアたちばかりでなく、DオブDを仕切るために招かれた一影九拳が一人、ディエゴ・カーロとYOMIのカストル兄妹もいた。

 

「今日は良い日じゃ。一影九拳が一人に大会を取り仕切って貰えるばかりか、未来の一影九拳まで招けたのじゃからのう」

 

「……まだ未定ですよ。武術家なんて明日なにがあるかわからないのですから」

 

 ジュナザードから免許皆伝の証を貰ったクシャトリアだ。未来の対抗馬であったジェイハンがジュナザードによって切り捨てられた以上、ジュナザードが死ねば、ほぼ確実に『王』のエンブレムと九拳の地位を受け継ぐことになるだろう。

 ただそれはジュナザードが死ぬ時に、クシャトリアが生きていればの話だ。死んでいては九拳になることはできない。

 

「それより本当かね? ディエゴ殿。最強の豪傑たちの集団、梁山泊が誇る最強の弟子を招いたとは?」

 

「ハハハハハハハハ! トーゼン! 私こそが真のエンターテイナー! 私が取り仕切る以上、DオブDは嘗てない盛り上がりでオーディエンスをワクワクさせる! そして最高のエンターテイメントには最高のゲストが不可欠!」

 

 異名通り『笑顔』のマスクを被った覆面レスラー、ディエゴ・カーロが愉快げに言い放つ。

 闇の大義や武術家の主義など二の次で、なによりもエンターテイメントを重視する彼は一影九拳屈指のトラブルメイカーである。

 フォルトナとディエゴは梁山泊という最高のゲストにご機嫌な様子だが、それに振り回されるクシャトリアは胃が痛くて苦笑すら浮かばない。

 

「我々闇を差し置いて不遜にも最強を語る梁山泊。梁山泊の豪傑たちが手塩をかけて育てている史上最強の弟子こそ史上最高のゲスト! そして史上最高のゲストが我が弟子に敗れた時、史上最高のゲストは史上最高の噛ませ犬に変わる。そうだな、カストル」

 

「はい、先生(マエストロ)

 

 ディエゴの後ろに控えた金髪の少女が恭しくお辞儀をする。

 彼女こそ笑う鋼拳の一番弟子カストル、本名をレイチェル・スタンレイ。その隣にはセロ・ラフマンの一番弟子でレイチェルの実弟のボルックス、イーサン・スタンレイの姿もあった。

 

「素晴らしい! 流石は笑う鋼拳じゃ! こうまでワクワクしたのはいつ以来か……」

 

「お気に召して頂けたようでなにより」

 

「梁山泊の史上最強の弟子と無敵超人の孫娘。そして次代の闇を牽引していくYOMIの精鋭! 正に次世代を担う若者達の激突というわけじゃ。明日の開会が楽しみでならんよ」

 

 玉座に座るフォルトナは、ディエゴとクシャトリアを見ながら実に上機嫌そうに笑う。

 空間に笑い声が反響する。だが常人ならいざ知れず達人の目は誤魔化せない。

 目の前にいるフォルトナは本物のフォルトナではない。最新の技術と大金を惜しげもなく投入し作り上げられた、フォルトナの形をした精巧な機械人形だ。カメラとマイクを使い生身の人間が喋っているように見せかけているのだろう。

 本物のフォルトナは島のどこか遠くで、潜んでいるはずだ。

 呆れるほどの用心深さだが、この臆病と思われかねない慎重さがフォルトナの力をここまで増大させてきた理由でもある。

 

「それで」

 

 フォルトナの注意がクシャトリアとディエゴから、飛び入りでDオブDに参戦することになったリミと龍斗に向けられる。

 

「飛び入り参戦した拳魔邪帝の弟子とはこの二人かね?」

 

「は、はい! 小頃音リミです! ちなみに独身、未来は龍斗様の嫁です」

 

「彼女の発言は適当に聞き流してください。なんなら殴って良いですよ」

 

 フォルトナ相手にまるで臆さずいつものテンションで挨拶するリミと、リミのアプローチをさらりと受け流し辛辣な突っ込みを入れる龍斗。

 少しだけ二人に関心しつつも、クシャトリアは訂正のため口を開く。

 

「私の弟子はリミ、彼女だけです。車椅子にのった彼は緒方一神斎の弟子ですよ」

 

「ほう! 拳聖殿の弟子とな! では今回のDオブDには笑う鋼拳、拳を秘めたブラフマン、拳魔邪帝、拳聖の弟子が揃い踏みというわけじゃな」

 

「そうなりますね」

 

「ふふふ。わしはこの島に武術の聖地を作りたいのじゃ。ローマのコロッセオのようにのう。武術界の未来を担う若者達の死闘の場を作ったのも一重にそのためじゃ」

 

「分かっておる。世界有数の武術の理解者フォルトナ殿」

 

「フフフ。ディエゴ殿、貴方とは本当に気が合うのう。人の創り出した究極の美、それが武術じゃ」

 

「いかにも。世界はもっと武術を中心に生まれ変わるべきだ」

 

 クシャトリアの横では危険人物二人が完全に意気投合していた。

 武術中心の世界、武術を存分に震える乱世を好み平和を疎むジュナザードと似たような思想である。ここにジュナザードがいればどんな反応をするのか気になったが、どうせろくな事にならないのは目に見えているのでクシャトリアは考えるのをやめる。

 どうせ考えるのであれば不毛なことではなく建設的なものにするべきだ。例えばリミの修行メニューだとか。

 

「………………」

 

「どうしたのかね、クシャトリア」

 

「いえディエゴ殿。燃やすのと氷付けはどちらが良いかと」

 

「ハーハハハハハハハハハッ! 決まっているじゃあないか! エンターテイナーならレッツファイヤー! ジャパニーズ焼き討ちあるのみ!」

 

「分かりました。じゃあ焼く方向で」

 

 これでDオブD後の修行メニューは決まった。毎度のように命の危険はあるが、この修行を乗り切ればリミの強さはまた一つアップするだろう。

 一度弟子にした以上、中途半端に終わっては門派の恥。他のYOMIにも負けないよう弟子改造計画を急がねばなるまい。

 

「……なんかブルッときたお」

 

「大丈夫だリミ。君は風邪なんてひかないから」

 

「へ? なんでですか?」

 

「………………」

 

 龍斗の皮肉に、天然のリミはまったく気付いた様子はなかった。

 そんな二人のやり取りを眺めて、横にいたレイチェルがくすくすと笑う。

 

「けどいきなりだから驚いたわ、オーディン。貴方がDオブDに参加するなんてどういう風の吹き回し? YOMIでもまったくイベントに無関心だったのに」

 

「君に説明する義務はない」

 

「あら、冷たいわね。車椅子の選手なんて露骨に目立つ要素をひっさげて来たところ悪いけど、オーディエンスの喝采は渡さないわよ」

 

「別に目立つために車椅子にのっているわけじゃない」

 

 同じYOMIである龍斗とレイチェルだが、二人の間に仲間意識など皆無に等しい。このあたり師匠が師匠ならば弟子も弟子ということだろう。

 それにこの大会においては、リミと龍斗、レイチェルとイーサンでチームは別々なので、場合によってはYOMI同士の潰しあいになる可能性は十分にある。

 

「まったく」

 

 一影九拳にせよYOMIにせよ、武術も良いが少しは協調性というものをもって欲しい。

 その願いが叶わぬことと知りながらも、そう思わずにはいられなかった。主に心労的な意味で。

 

 

 

 DオブDの前夜祭。裏社会でも最も有名な大会の一つだけあって、その前夜祭もまた華やかなものだ。

 選手としての参加者を除けば、列席者には男女共に仮面で顔を隠した者が多く、さながら仮面舞踏会といった体をなしていた。

 まるで中世の貴族社会にタイムスリップしたかのようなパーティー会場で極普通の格好をした、極普通の少年が一人。

 言わずとも知れた梁山泊の史上最強の弟子こと白浜兼一である。

 DオブDへ招待してきたのは〝闇〟。となればDオブDそのものが確実に罠。パーティーの食事に毒でも混入されているかもしれない。

 兼一は小市民根性、良くいえばまともな危機感に従い警戒心をMAXにしていた。だというのに、

 

「ガハハハハハハ! 酒だァ! 酒が足りねぇぞぉ! 酒もってこーい!」

 

「アパパパパパパパパ! ここのハンバーグ、食べても家計が真っ赤にならないって凄いよ!」

 

「おっぱい触らせるね! お尻でもいいね!」

 

「貴方達は敵地の真っ只中でなにやってるんですか!!」

 

 危機感皆無で好き放題やっている自分の師匠たちに気炎を吐く。

 とはいえ兼一の気炎など梁山泊の豪傑にとってそよ風どころか空気のようなもの。全くお構いなしに各々のやりたいことを続行した。

 

「まったくあの人達は。ここは100%罠だっていうのに、全然緊張感がないんだから」

 

「まぁまぁ。皆さんくつろいでいるように見えますけど、全員が武を極めた達人ですわ。ああやってくつろいでいても、しっかり警戒心をもっていますですわ。…………たぶん」

 

「たぶんってなんですか!」

 

 流石の美羽も暴飲、暴食、セクハラの化身となっている三人を見ては口ごもってしまった。

 周りの仮面つけている客達はマフィアやら武器商人だというのに、こうして眺めていると自分の師匠が一番まともじゃなさそうなのが悲しかった。

 

「落ち着…け。襲ってくる気配はな…い」

 

「しぐれさん?」

 

「だろうねぇ。もし形振り構わずここで襲い掛かるくらいなら、わざわざこのような場所に招かずとも直接梁山泊に乗り込めばいいだけだ。

 それと毒殺を警戒して食事に手をつけないでいる必要もないよ。毒なんて混ざっていればアパチャイが臭いで気付くし、そもそもそんな手段で我々を殺しては、闇の存在意義が失われるからねぇ」

 

 梁山泊でも一番物騒で警戒心が最も高そうなしぐれに、比較的常識人の秋雨が同意すると僅かに兼一の不安も収まる。

 不安が収まると忘れていた空腹を思い出す。そういえばこっちへ来てから禄に食べていなかった。ここらでしっかり栄養補給しておかなければ明日の戦いに支障をきたすかもしれない。

 

「よし」

 

 意を決してテーブルに置かれた皿に手を伸ばす。

 

「気をつけろ。そのチキンにはAPTX4869が仕込まれている」

 

「!?」

 

 咄嗟に伸ばしていた手を引っ込める。慌てて声のした方を振り向くと、そこには仮面を被りスーツを着込んだ男性が立っていた。

 仮面といっても他の賓客たちがつけている西洋風のものではない。先住民族や古い部族だとかに伝わっていそうな、鳥と騎士を混ぜ合わせたようなものだ。

 明らかに異様な佇まい。だというのに他の客達が彼に注意を払っている様子はなかった。

 

(まさか気配を消して、風景と一体化させて……。あれ? でも僕には普通に感じるということは、まさか僕達にだけ意図的に気配を察知できるようにしているとか。そんな馬鹿な)

 

 ある筈がない、と思ったところで人間の常識を平然と超越する師匠たちが脳裏をよぎった。そこで二人の師匠が兼一と美羽を守るよう自然に前へ出た。それに長老も二人の後ろで目を光らせている。

 だが達人に睨まれても仮面の男は平然と、逆に睨み返した。

 

(ま、まさかここで始まるのか!?)

 

 壮絶なる達人バトルの勃発を予感して兼一が身構えた。

 

「あ。いつかの白髪頭だ。久し振…り」

 

「いやいやその節はどうも。鼠は大丈夫か?」

 

「ずこー!」

 

 さっきまでの気当たりのぶつかり合いはどこへいったのか。

 まるで友人みたくフランクに挨拶をかわしたしぐれと仮面の男に兼一はずっこける。

 

「う…ん。特に問題はなかっ…た」

 

「それは良かった。鼠を傷つけないよう下ろさせてから戦ったのに、こちらの注意不足からうっかり巻き込んでしまったからね。気にはなっていたんだ」

 

「チュチュチュチュチュ」

 

「ふむふむ。あれはこちらの迂闊でもあった。気にするな、か。分かった、ではあのことはチャラということで」

 

 ナチュラルに鼠と会話する仮面の男。明らかに怪しい。

 だというのに不思議と李天門やクリストファーのような威圧感は感じない。

 

「あのしぐれさん。その人、お知り合いですか?」

 

「う…ん。前にちょっと刀狩で…ね」

 

「刀狩りって、それじゃあこの人がしぐれさんに手傷を与えたっていう!」

 

 弟子である兼一は『香坂しぐれ』という武術家の凄まじさは体で理解している。

 年齢不詳なため正確に何歳なのかは分からないが、見た目的には梁山泊の豪傑でも最年少。でありながらその実力は他の豪傑と比べてなんら劣るものではない。

 その香坂しぐれに一撃を与えたのが、この仮面の男だというのだ。であれば当然この仮面の男も師匠たちと同じ達人。

 

「改めて名乗ろう」

 

 男は仮面に手をかけると、ゆっくりとそれを外す。

 

「拳魔邪帝シルクァッド・サヤップ・クシャトリア。はじめまして」

 

 息を呑んだ。かなり若い。年は十代後半から二十代前半くらいだろうか。

 雪のような白髪に浅黒い肌。そして黒の中で妖しく光る赤い双眸。その人間離れした容姿も相まって、どこか現実離れした神秘的な雰囲気を放っていた。

 後ろにいた長老の目が僅かに悲しげに揺れたような気がした。

 



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第50話  前夜祭

 DオブDの前夜祭に参加したのが単なる気紛れなら、その会場で梁山泊の面々を見かけたのは偶然だった。

 しかし悪くない機会である。

 梁山泊がこのDオブDでなにかを起こす算段をしていようと、彼等にも彼等なりの作戦があるだろう。いきなりこの前夜祭の会場で暴れだすなんてできないし、そもそもここで達人が戦えば周囲の人間も巻き込んでしまう。

 闇の武人ならば周囲の人間が死のうと大怪我しようとお構いなしであるが、活人拳を掲げる彼等が『悪人』たちとはいえ、命を軽んじる行いをするはずがない。

 またクシャトリアにしても、こんな所で戦いを仕掛ければ、主催者のフォルトナと進行役のディエゴの面目を潰すことになってしまう。

 よってこの前夜祭に限り闇も梁山泊もノーサイド。矛を置くしかないのだ。

 梁山泊の豪傑たちと平和裏に会話できるなんて、そうそうあることではない。

 

「しぐれさんから名前を聞いてもしやとは思っていましたが、やはり貴方でしたのね。クシャトリアさん」

 

「ふっ。そうそう白浜兼一くんはさておき、君とは久し振りだったね、お嬢さん。いいや、無敵超人が孫娘・風林寺美羽」

 

「美羽さん! 知り合いだったんですか!」

 

 闇の武人であるクシャトリアと美羽が面識があったことに兼一が驚きを露にする。

 

「ええ。アパチャイさんが梁山泊に来られる切欠となった世直しで手を貸して下さいましたの」

 

「懐かしいな」

 

 風林寺美羽と共闘し、グスコーの一味に捕らえられていた子供達を救出した過去。

 最初は今後のために無敵超人・風林寺隼人に恩を売るだけのつもりだったのが、ついつい囚われの子供に感情移入してしまい、少しばかり熱くなってしまったのをよく覚えている。

 

「あの時はまだ俺も未熟で妙手の枠を出ていなかったが、今は闇の達人の末席に座らせて貰っている」

 

「おめでとうございますわ……とは言えませんわね。子供達を助けるのに協力して下さった貴方が、闇の武人だったなんて。残念ですわ」

 

「人間必ずしも自分の道を自分で決められるわけじゃないからね」

 

 もしもジュナザードさえいなければ、クシャトリアも闇に入ることなどなかったかもしれない。

 いやそもそもジュナザードと出会うことがなければ、こうして武術の世界に入ることもなく、極普通の日本人として一生を終えたことだろう。

 だがジュナザードの弟子となってからは、ジュナザードのしいたレール―――というには生易しすぎるか。ジュナザードの用意した断崖絶壁を登らされ続けてきたようなものだ。

 クシャトリアが闇に入ったのもその一貫である。

 

「それはさておき風林寺隼人殿、岬越寺秋雨殿、香坂しぐれ殿……それとあっちで飲み食いセクハラしてる三人方。此度は大会を仕切るディエゴ殿の補佐を務めさせて頂く。

 出来れば今回は我々同士の戦いはなしの方向でいきたいものです」

 

「はっはっはっ。何を言っているんだい、シルクァッド・サヤップ・クシャトリア君。私達は単に我等が弟子一号の勇姿を見にきただけだよ。なぁんにもする気はないとも。特におかしいことはねぇ」

 

 白々しく岬越寺秋雨が言った。

 哲学する柔術家は伊達ではなく、高度な閉心術で心を隠蔽しているため、その心を読むことは出来ない。しかし余りにも露骨な棒読みに、なにかしようとしているのが丸分かりだった。

 どうせ自分達がなにかしようとしていることくらい敵もお見通しなのだから、敢えて仄めかすことで探りを入れようという魂胆だろう。

 だがそれが分かってなにか教える必要はない。

 

「それはそれは。ところで今このパーティー会場で数人に虐められるお年寄りがいたらどうします?」

 

「注意するよ。それで聞かないのなら少しばかり痛い目にあって貰うね。悪を見てなんにもしないのは『おかしい』ことだろう? 梁山泊的に」

 

「成る程。確かにそれは〝おかしい〟ですね」

 

「ああ。実に〝おかしい〟」

 

「ふふふふ……」

 

「ははははは」

 

「「はっ、はははははははははははははははははは」」

 

「長老。僕、突然お腹が痛くなってきたんで、大会は棄権してお家に戻りましょう! 是非そうしましょう!」

 

「何を言っとるんじゃ兼ちゃん。秋雨くんもおかしいことは何もしないと言うとるじゃないか」

 

「あれ絶対になにかするって宣言しているようなものですから! おまけに敵にこっちがなにかすることバレバレですから!」

 

 白浜兼一が必死に自分の棄権と、家に帰りたいという願望を叫んでいるが、それが達人に届くはずもなく。あっさりと流されてしまった。

 なんとなく他人事の気がしなかったので、クシャトリアは心の中でエールを送っておく。

 

「ところでクシャトリア。お主の師匠、ジュナザードは相変わらずかのう」

 

 無敵超人の口から自分の『師匠』の名前が出た途端、クシャトリアはピタリと愛想笑いを止める。

 風林寺隼人とシルクァッド・ジュナザード。梁山泊と闇、活人拳と殺人拳。身を置く場所は異なれど、武術の頂点に君臨する超人同士。

 クシャトリアはどういう経緯あってのことは知らないが、自分の師匠と風林寺隼人が知り合いだということは知っている。ジュナザードに言わせれば鬱陶しい相手、風林寺隼人に言わせれば古い知り合いであり友人。

 どちらが正しいのかは分からないが、少なくとも風林寺隼人がジュナザードを九拳で最も警戒していて、同時に気に留めているのは確かだ。

 

「相変わらずですよ。昔とまるで変わりありません」

 

「……そうか」

 

 ティダートの老人の話を聞く限り、ジュナザードも大昔は高潔で平和を守る英雄だったそうだが、クシャトリアにとっては今も昔も戦乱と闘争を愛する邪神だ。

 

「あの、少し気になったんですけど、シルクァッドってもしかしなくても雪山で戦ったジェイハンの師匠、シルクァッド・ジュナザードと同じ苗字ですよね」

 

 兼一がおずおずと尋ねてくる。さっきまで食事に手をつける事すらビクビクしていたというのに、仮にも闇の達人であるクシャトリアに質問してくるとは。案外度胸があるのかもしれない。それともただ無神経なだけか。

 どちらにせよ少しばかり白浜兼一の情報を改める必要がありそうだ。

 

「師匠だよ。シルクァッド・ジュナザードは俺の師匠だ」

 

「She show?」

 

「師匠だよ。し・しょ・う」

 

「…………え、えぇえええええええええええええええええええええええぇぇぇぇえっ!!」

 

「なんだね兼一くん、騒々しい」

 

「他のお客さんに迷惑だから騒がないよう…に。この前そう〝てれび〟で言って…た」

 

「これが騒がずにいられますか!」

 

 秋雨としぐれに注意されながらも、兼一の慌てようは収まることはない。

 

「あの人がジュナザードの弟子なら、あの人も僕の命を狙ってるってことじゃないですか! しぐれさんに一撃入れる達人に命を狙われるなんて、僕はどうすればいいんですかぁ!」

 

「いや、その心配はない」

 

「へ?」

 

 口振りからして一影九拳であるジュナザードの弟子=YOMIの一人=自分の命を狙っていると考えてしまったのだろう。

 だがそれは完全なる兼一の勘違いだ。要らぬ不安を抱かせるのもなんなので、クシャトリアは兼一の誤解を解くことにする。

 

「確かに一影九拳の弟子たち、君も知るところのYOMIは史上最強の弟子――――つまり君の首級を狙っている。しかし俺はジュナザードの弟子ではあるがYOMIではない。

 既に師匠より免許皆伝を与えられて独り立ちした身であるし、そもそも達人クラスの俺が弟子クラスの君を殺めても、世間は史上最強の弟子を闇の弟子が倒したと納得はしないだろう。

 だから俺が君を殺そうとするなんてことはないよ…………直接は」

 

「最後が不安ですけど、そういうことなら良かったですよ……」

 

「ふっ」

 

 クシャトリアは白浜兼一の命を狙わない。だが闇からの指令によってはクシャトリアの弟子。リミが兼一の命を狙うことは十分にある。

 もしそうなれば彼は「女性に手をあげない」という主義をもっているようなので、苦戦することは確実だろう。

 

「おっと」

 

 胸ポケットに入れていたケータイのバイブレーションが震動する。

 

「失礼、電話のようだ。白浜兼一くん、それじゃあ健闘を祈っているよ。参加者にはYOMIも混ざっているからくれぐれも注意することだ。あと黒虎白龍門会あたりも梁山泊に興味津々だから気をつけたほうがいい」

 

「えーと、ありがとうございます」

 

 電話をかけてきた相手からして、内容はパーティー会場で話していいような内容ではないだろう。クシャトリアはパーティー会場を後にする。

 その後ろで、

 

「闇の達人にしては気の良さそうな人でしたね長老」

 

「兼ちゃん、彼には気をつけなさい」

 

「へ? 何でですか? 寧ろこれまで襲ってきた達人の中じゃ一番まともに見えたんですけど」

 

「いいかね。完全に制御された暴力というのは、時に無秩序な暴力より恐ろしいものなのじゃよ」

 

 

 

 

 パーティー会場を出て、半径100m以内に聞き耳をたてている者がいないことを確認してから通話ボタンを押す。

 

「もしもし」

 

『あ、お久し振りです。クシャトリア先生ー!』

 

 陽気に電話をかけてきた相手は誰であろう。一なる継承者の叶翔であった。

 本来彼の先生は一影九拳たちなのだが、以前彼の稽古を見て以来、翔はクシャトリアを先生呼びするようになっている。

 

「翔くん、なにか緊急のことかい。君は本郷さんや緒方と一緒にスポーツ科学のためのデータ提供に行ってるんじゃなかったかな?」

 

『またまたぁ。先生、面白そうなイベントに参加しているらしいじゃないですか。DオブDでしたっけ? 野球の新人王みたいな大会』

 

「あんまり適切じゃない表現だな。新人王より甲子園の方が良いだろう。未成年者限定の大会なんだから」

 

『おお、確かに』

 

 いずれ闇の次世代を担う弟子集団とはいえど、YOMIは闇の下部組織に過ぎない。故にYOMIのメンバーは闇の作戦行動や方針についても知らされない事も多い。

 だからDオブDにディエゴ・カーロ及びシルクァッド・サヤップ・クシャトリアが招かれたことは、YOMIの幹部ですら知らぬこと。だが叶翔は一影九拳全員の弟子であり、YOMIのリーダーでもある。その情報力は侮れないものがある。その情報力でDオブDのことも知ったのだろう。恐らくは梁山泊の参戦についても。

 

『だけどクシャトリア先生も水臭いですね。そんな面白そうなイベントに呼んでくれないなんて。しかも俺がずっと探してた片翼まで参加するだなんて、もう行くしかないじゃないですか。

 というわけで俺、今そっちへ向かってますから』

 

「……はぁ」

 

 この自由奔放さは誰に似たのだろうか。それとも生まれつきのものだろうか。

 或いはずっと闇という鳥篭に閉じ込められてきたからこその反動かもしれない。

 兎も角、この分ではクシャトリアが「止めろ」と言っても聞きはしないだろう。

 

「分かった。だがくれぐれも軽挙な真似はしないでくれ。特にディエゴ・カーロ殿は空気の読めない振る舞いは好きじゃないだろうから」

 

『あ、それ俺が空気読めないってことですか?』

 

「蒼穹の如く澄み渡る空が、己の内にある気を読めないのは道理だろう。人間が自分の中身を見ることができないように」

 

 翔との電話を終えると、クシャトリアはパーティー会場へ戻る。

 一なる継承者〝叶翔〟がこの島にやって来る。そのことがどのような事態を引き起こすかは神ならぬクシャトリアには分からない。

 ただ一つだけ断言できるのは、叶翔にもしもの事があればクシャトリアの責任になるということだ。

 

「誰か代わってくれないかな」

 

 当然、クシャトリアの代理など誰もいない。

 その後、パーティー会場へ戻ったクシャトリアに新白連合の乱入と、それによるトーナメント表の修正などなどの仕事が舞い込むことになるのだが、それはまた別の話である。

 



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第51話  試合開始

 DオブD、大会当日。栄えある――――かどうかは分からないが――――第一線は昨日の前夜祭で飛び入り参加した新白連合チームと某国の特殊部隊チーム。

 闇の一影九拳が取り仕切る大会に乱入してきた意気込みは天晴れなれど、所詮は日本の学生の集まり。殺しのプロである特殊部隊チームに勝てるはずがない。会場を血で暖めるための生け贄、ただの殺戮劇――――という観客の予想は完全に外れ、蓋を開けてみれば新白連合の快勝といっていい結果に終わった。

 J隊員は武田に一発場外KOされ、三人の下っ端隊員もあっさりトールに薙ぎ倒され、リーダー格のK隊長はフレイヤに破れ、新白連合の損害は下っ端の水沼少年のみ。

 

「ははははははは。単なる生け贄としか思っていなかったが、これは大番狂わせじゃのう! 素養溢れた素晴らしい子供たちじゃ」

 

 新白連合の快勝という結果に驚きながらも、嬉しそうにフォルトナは言った。

 クシャトリアはフォルトナに誉められた新白連合の少年達に同情する。フォルトナはジュナザードとも似た性質のある男だ。その男が手放しに素養を誉めることは必ずしも良いことになるとは限らない。寧ろ悪いことになる確率の方が高いといえるだろう。

 ましてや彼等は梁山泊の史上最強の弟子と知り合いといえど後ろ盾もなにもない身。闇というバックアップがついているYOMIとは立場が違うのだ。

 

「まぁ、このくらいは当然でしょう。彼等なら」

 

 とはいえ闇のクシャトリアが彼等に肩入れするわけにもいかない。

 周囲の観客が驚く中、クシャトリアは平然とコメントする。

 

「そういえば君は一影の命で史上最強の弟子の調査をしていたんだったっけねぇ。ということは」

 

「新白連合についても一通りは」

 

 幹部級がダイヤの原石ばかりといえど、未だ新白連合は街の不良を大きく逸脱する規模には到っていない。ましてやその構成員は才能はさておき、出自にそう突飛なものはない。

 クシャトリアの調査力をもってすれば、新白連合の幹部達の個人情報を入手するのは難しいことではなかった。

 

「さっきJ隊員を倒したボクサー、彼は裏ボクシング界の破壊神、ジェームズ志馬の弟子。そしてあのフレイヤと名乗った杖術使いは、梁山泊の豪傑にも勝るとも劣らないとされる伝説の杖術使い久賀舘弾祁の孫娘。

 闇にもそれなりに名の通った達人の弟子が二人もいるんです。その他の子にしてもダイヤの原石といっていい才能が集まっている。特殊部隊チームに快勝することくらい驚くには値しません」

 

 ディエゴのように大会全てを取り仕切っているわけではないが、クシャトリアも主催者側の一人。新白連合のみならず個々のチームの情報も掴んでいる。

 特殊部隊チームと言えば聞こえは良いが、実力的には今大会に集ったチームでは下位。元は日本の不良集団に過ぎずとも、拳聖直々に見繕った才能たちに及ぶべくもない。

 

「成る程のう。DオブDに乱入する度胸に見合うだけの実力はあるということじゃな」

 

「はい」

 

「ふむふむ。じゃあそれも踏まえてトーナメント表を修正しないと♪」

 

 ディエゴが愉快そうにペンを片手にトーナメント表を書き換えていく。

 この大会、実はまだトーナメント表が発表されていない。参加者の実力を把握し、その上で最も面白くなるトーナメント表を作るというディエゴ・カーロの意向のためだ。

 どうやら新白連合の実力の高さは彼にとっても少し予想の上だったらしい。

 

「あんまり変な風にはしないで下さいよ」

 

「失敬な。変な風なんかにはしない。面白い風にはするがねぇ」

 

「お手柔らかに」

 

 なんにせよ第一回戦は無事に終了。新白連合はイレギュラーだったが、彼等は所詮弟子クラスの集まりであり、DオブDの1チームに過ぎない。大会を引っ掻き回す程度はできても、大会を転覆させることは不可能だろう。

 一時はどうなることかと危惧したが、この分なら大会は滞りなく進行できそうだ。クシャトリアはほっと一息つき、

 

『続きまして第二試合はキックボクシングハリケーンズ、カイエン大杉選手対……謎の青年、我流X!』

 

「ほっほっ。お手柔らかに頼むわい」

 

「!!???」

 

 申し訳程度に縁日で売っているようなヒーローの仮面をつけているが、立派に蓄えた髭は隠しようもない。我流Xなどとふざけた名前を名乗っているが、どこからどう見ても無敵超人・風林寺隼人その人だった。

 クシャトリアの耳に隣のディエゴの大爆笑が届く。一影九拳でも最もフリーダムで問題を起こすディエゴ・カーロが仕切る大会。故にクシャトリアもなにが起こっても平静さを保つ覚悟はしていた。

 だがこれは流石のクシャトリアも目が点になった。

 

「…………ディエゴ殿、この大会はいつから年齢制限を撤廃したので?」

 

「え? してないよ、そんなの。だって本人が我流X、年は二十歳って言ってるし」

 

「あからさまに嘘じゃないですか。どうするんですか、あんな怪物を大会に入れて。異物を排除するならあんな核兵器みたいな怪物を使わないでも、俺がサクッと始末しておきますが?」

 

「はははははははははははははは! まだまだ全然分かっていないな。これはこのディエゴ・カーロの大会。折角のイレギュラーを暗殺だとか失格だとか、そんな面白味のないやり方で退場するなど論外。

 ルール違反者を大会から弾くにしてもエンターテイメントにやらねば」

 

 そう言うクシャトリアとディエゴの視線は我流Xではなく、キックボクシングチームの一人であるスキンヘッドの優男に向けられていた。

 ともすればチームの中でも最も影が薄く弱そうに見えるその男。しかし他の者の目は誤魔化せても一影九拳の目は誤魔化せない。

 あの男は年齢は五十代のキックの魔獣と呼ばれる達人だ。大方DオブDの優勝賞金である1000万ドルに目が眩んで紛れ込んだのだろう。

 だが今回ばかりは相手が悪かった。

 

「違う!! 百万倍じゃ!!」

 

 会場では件のキックの魔獣が我流Xに一撃――――いや、デコピン一発で吹き飛ばされたところだった。クシャトリアたちのいる主催者席にホームランされた魔獣を、立ち上がったディエゴがあっさりとキャッチする。

 

「ほれ見ろ! やはり達人級であったではないか、マスクマン!」

 

「フフ。失礼失礼。お陰で良いものが見れましたよ♪」

 

 調子よさ気に言いつつもディエゴ・カーロの声には他にはない敬意のようなものが含まれていた。

 エンターテイナーと言いつつもやはりディエゴ・カーロもまた武術を極めた達人。武術家として無敵超人にはそれなりの敬意をもっているのだろう。

 或いはエンターテイメント以上に、無敵超人の戦いを観戦し学ぶために、こんなことを仕組んだのかもしれない。

 

「それでどうするんですか、ディエゴ殿。キックの魔獣は排除しましたが、我流Xはこのままにしておくんですか?」

 

「フフフ。私が用が済んだからといってあんな面白要素の塊を失格させると思うかね?」

 

「いや、まったく。まぁホドホドに頼みますよ」

 

 我流Xには最初は度肝が抜かれたが、この大会には彼の弟子であるレイチェル・スタンレイもいる。

 少なくとも我流Xを好き放題に暴れさせ続けるなんてことはしないだろうし、我流Xこと風林寺隼人にしてもそんな大人気ない真似はするまい。

 

「そうそうクシャトリア。言い忘れていたが次は君の弟子の出番だぞ」

 

「おや、もうですか」

 

 我流Xの試合からインターバルである五分が経過する。そして、

 

『第三試合。カポエイラチーム対……えーと、朝宮夫婦チームです!』

 

 会場の隅で車椅子にのった少年が、ゴスロリファッションの少女をどつき倒した。

 

 

 

 

 ジェノサイダー松本がふざけたチーム名を言い放った瞬間、オーディーンこと朝宮龍斗がやったことは、隣で「夫婦だなんて……きゃっ!」などと照れている小頃音リミに拳骨することだった。

 

「痛っ! 龍斗様、朝宮家じゃなくて小頃音家の方が良かったとですか? 婿養子がいいなら早く言ってくれれ――――ぼぎゃっ!?」

 

「君は空気を読んだほうがいい」

 

「うぅ。二度もぶった……親父にもぶたれたことないのに……」

 

 リミをスルーして龍斗は司会のジェノサイダー松本にチーム名変更の旨を伝える。リミはブーブーと文句を言ったが、龍斗が少し本気で睨むと大人しくなった。

 そしてジェノサイダー松本は改めて宣言する。

 

『えー、では改めまして。第三試合、カポエイラチーム対チーム・ラグナレクを始めます』

 

 どんなチーム名にするか迷った挙句、嘗て自分が率いたラグナレクを流用することにした。

 新白連合との戦いに敗れ壊滅した組織ではあるが、これまでチーフを務めていた龍斗にはそれなりに思い入れがあるし、なによりこの大会はお忍びのような形で参加しているので、拳聖や緒方流の名前を出すことは避けたかった。

 龍斗は車椅子をリミに押されながらリングに上がる。

 車椅子にのっているからだろう。会場のあちこちから自分のことを侮るような囁きが聞こえてきた。一方で、

 

「龍斗! どうしてここに!?」

 

 以前戦った幼馴染の声はよく会場に通ってきた。

 久し振りに幼馴染の顔を見た事に頬を緩めつつも、龍斗は敢えて返事をせずに前を向く。白浜兼一、彼と話す機会は他にある。

 

『試合開始!』

 

 だから手早く目の前の敵を片付けるとしよう。

 

 

 




 投稿が一日遅れて申し訳ありません。確認しましたところ、昨日の予約投稿日が一日ずれてました。読者の皆様にこの場を借りて謝罪致します。なので……お願いでございます。命だけは、命だけ はお助けくだされ~~


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第52話  オーディーン

 カポエイラとはブラジルの古い格闘技である。カポエイラ、或いはカポエラと聞けば多くの日本人は、逆立ちしたまま高速回転して敵を蹴り倒す武術を思い浮かべるだろう。だがこれは日本人の勘違いで、逆立ちをして蹴る技も勿論あるが、実際には地面に足をつけて戦う方が多い。

 かつてまだ世界に奴隷制があった頃、カポエイラは権力に対抗するための術として時の権力者たちに禁じられていた。だが圧制者の弾圧の中、奴隷として虐げられた者達はダンスと擬態することでカポエイラの修練を行ってきた。

 もしもカポエイラの戦いを見て「美しい舞いを見ているようだ」と感じたのであればそれは決して錯覚ではない。カポエイラとは権力者に虐げられ、服従しながらも影で反逆の牙を研ぎ続けた「反骨心」を宿した武術なのだ。

 

(カポエイラか。一影九拳でカポエイラの達人はいなかったが……昔とった杵柄で知識はある)

 

 龍斗は〝拳聖〟緒方一神斎に弟子入りする前は、ひたすらに強さを求め様々な武術の道場やジムに通ったことがある。

 才能には溢れていたが、スポーツ格闘家ではなく実戦、それも闇の修羅道に近い精神をもっていた龍斗は、結局どの道場でも一ヶ月と居つくことはなかった。だが嘗て通った道場の中に『カポエイラ』を教えていた所があったため、その触りくらいは分かっている。

 龍斗はカポエイラチームの五人を品定めするように見据えた。

 チーム名がチーム名だけあって全員がカポエイラの使い手だろう。試合前のジョーゴ――――カポエイラにおける組手のようなもの――――からして間違いない。

 そしてチーム全員が嘗て龍斗が通った道場の師範代よりも格上だ。かつての拳聖という本物の武術家と出会う前の自分であれば負けていたかもしれない。

 

「はっ! DオブDはバリアフリーに熱心だな。……そこの白髪頭。なに考えてるのか知らねえが、ここは怪我人の来るところじゃねえぜ。怪我人を甚振るのは趣味じゃねえからよ、死にたくないんならさっさと棄権しな」

 

「…………」

 

 厄介なのは一際精悍な顔つきをしたロンゲの男。佇まいからいって、この男がチームのリーダー的存在だろう。心なしか他の者たちも畏まっているように見受けられる。

 他にはチームの紅一点、アイシャというらしい少女もそこそこの使い手だ。後の三人は自分なら特に問題もなく倒せるレベルだろう。

 

「おい聞いてんのか!」

 

「ん? すまなかった。考え事をしていたものでね。どうせ聞く価値のあることでもないだろうと無視をしていたんだが、もしかして重要な用件だったかな」

 

「て、テメエッ!」

 

 とぼけたような龍斗に、さっきから挑発していたシルビオの眉間に青筋がたった。

 最初の怪我人を甚振るのは嫌だという発言、適当な挑発にこの激昂。紳士的で強いリーダー格のようなイメージを抱かれたいと、必死に背伸びしている直情的な人間。彼を評価するとそんなところだろう。

 

「もういいぜ。ここまで虚仮にされたんだ……怪我人だろうと容赦はなしだ。リーダー! あいつは俺がやる。いいよな?」

 

「落ち着けシルビオ。安い挑発にのるんじゃない」

 

「け、けどよ!」

 

「気当たりで分かる。あの男……車椅子に乗ってこそいるがかなりの使い手だ。甘く見たら足元を掬われるぞ」

 

「さっすがリーダー。敵を良く見てる」

 

「!?」

 

 冷静に物事を把握するリーダーに、顔を赤くする紅一点のアイシャ。シルビオはそんなアイシャを見て苦々しい表情を浮かべていた。

 龍斗は幼馴染の兼一と違って鈍感ではないし、男女の機微にもそれなりに聡い方だ。というより人間関係に疎くては、仮にも総勢1000にも達しようという巨大組織を纏められるはずがない。

 だからカポエイラチームのやり取りを見ていて直ぐにピンときた。

 

(これは三角関係というやつか)

 

 恐らくはシルビオはアイシャが好きで、アイシャはリーダーが好きで、肝心のリーダーは色恋沙汰よりも武術一辺倒といったところだろう。

 そのことが分かるとシルビオが背伸びしていたのも、一重にアイシャの目をひくためだったのかもしれない。……少しだけ、龍斗の中でシルビオの評価があがった。

 しかし手を抜く道理はない。

 

「リミ、頼みがある」

 

「はい、なんですか龍斗様♪ 龍斗様のためなら火の中水の中スカートの中ですよ」

 

「君はあのアイシャを相手しろ。他は僕がやる」

 

 静かな呟きだが、会場のマイクはそれを聞き逃さなかった。

 龍斗は実質的に自分一人でカポエイラチームの四人を潰すという宣言したようなものである。シルビオの挑発を遥かに超える大胆不敵な言葉に会場中がざわめいた。

 

『おおっと! 車椅子に乗る朝宮選手! カポエイラチーム四人を一人で相手にする気だぞォーーーーっ! これは一体どうなるのか!?』

 

『ははははははははははは! 決まりだな。この試合のルールはバトルロワイヤル。朝宮龍斗、エンターテイナーならば有言実行だ! やると言ったのならばやりたまえ』

 

 ディエゴ・カーロの鶴の一言で試合のルールも変更される。

 バトルロワイヤル、参加者全員がリングに上がって相手チームがリングから消える、または戦闘不能になるまで戦うというシンプルなルールだ。

 カポエイラチームの五人に対して、二人だけのコンビであるチーム・ラグナレクには不利なルールだが、この程度の不利は寧ろ良いハンデだ。

 余りに試合が温すぎては逆に修行にもなりはしない。

 

「く、はははははっははははははははははは! 調子にのって墓穴を掘ったな。いいぜ、望み通り相手にしてやる。車椅子だろうが怪我人だろうがもう手加減なしだ。

 リーダーや他の奴等の手なんて借りねえ。テメエは俺一人ぶっ殺してやる!」

 

「だから冷静になれ。相手が自分から不利なルールにのったんだ。わざわざ馬鹿正直に一対一で戦う必要は無い。四人全員であの車椅子の男を倒し、それから五人全員で片割れの女を潰す」

 

 シルビオは反論しようとするが、意中の相手であるアイシャがリーダーに尊敬の目線を向けているのを見ると咳払いをして、

 

「おっほん! そうだな、俺もやっぱりそう思ったところだ。アイシャ、ふざけた格好してるがあっちの女も結構な使い手だ。先走って一人で倒そうとせずに、俺達が車椅子野郎を倒すまで防御に徹するんだぞ」

 

「分かってる」

 

 格好をつけて精一杯に自分の冷静な考えをアピールしたつもりのシルビオだが、残念ながらアイシャから返ってきたのは素っ気ない反応。取り合えず龍斗はシルビオの健闘を祈っておいた。

 さっとカポエイラチームの四人が龍斗を取り囲むようにばらける。これで龍斗は背中以外の四方向からの同時攻撃を対処しなくてはならなくなったわけだ。

 そんな様子を見てリミが口を開く。

 

「えーと、リミは龍斗様の頼みならなんでも聞いちゃいますけど、お一人で大丈夫ですか? あ、いえ龍斗様の実力を疑ってるとかじゃなくて、龍斗様はその……」

 

「大丈夫だ」

 

「龍斗様が断言するなら心配オールナッシングですね! OKだお! サクッとあのアイシャってやつ倒しちゃうんで見ていて下さいね」

 

「いいから君は君の戦いに集中しろ。来るぞ」

 

 既にゴングは鳴らされている。否、例えゴングなどならない不意打ちだったとしても、あのディエゴ・カーロはそれもまた面白いと認めてしまうだろう。

 ともあれ龍斗の予想通り四方向からの同時攻撃が龍斗に襲い掛かった。

 足の力は腕の三倍という言葉通り、常に人間の体重を支えている足は突き技よりも強烈な威力をもっている。そしてカポエイラは足技主体の格闘技。ボクサーがひたすらに突きを極めるように、カポエイラの使い手も足腰を重点的に鍛えている。

 龍斗も緒方一神斎より課せられる厳しい修行で打たれ慣れているが、足で地面に踏ん張ることのできない車椅子の身では、まともに受身をとるのも難しい。この同時攻撃が命中すればかなりのダメージを受けてしまうことだろう。

 

(当たる気は更々ないがね)

 

 緒方より特別な修行をさせられ『静動轟一』をも体得した龍斗は、静の気と動の気の両方を修得している。

 今回龍斗が発動するのは静の気。心を沈め、気を自分の内側へと凝縮し、世界を空間で把握することに努めた。自分の手が届く範囲、敵の蹴りの軌道、自分の出来ること。全てが視える。

 新白とラグナレクとの決戦において白浜兼一に敗北したといえど、純粋な実力において朝宮龍斗は白浜兼一を上回っていた。兼一もYOMIに対抗するため更なる修行を身に課しているだろうし、自分はこんな状態なので今もそれは同じと言うことはできないが、少なくとも『制空圏』の完成度ではまだ上回っている自信がある。

 そして朝宮龍斗の制空圏にこの程度の同時攻撃はまったく『同時』と言うには値しない。

 

(四人は同時に蹴りを放ったつもりだろうが、個々の速度とタイミングに微妙なムラがある。完全同時じゃなくほぼ同時なら捌くのは容易だ)

 

 龍斗は一番早くきたシルビオの足を蛇のような腕の動きで絡めとると、自分の車椅子を軸にして放り投げた。

 後からくる三つの蹴りは投げながら回避する。そして車椅子を素早く滑らせると今度は二人の男の鳩尾に突きを入れた。

 

「う、おおおっ!」

 

「がはっ!」

 

「あ、ぐぁ!」

 

 シルビオは無様な叫び声をあげながらリング外に飛んでいき、二人の男は拳聖直伝の突きを急所に喰らって気絶した。

 これで残るはリーダーが一人だけ。

 

「思ったより打たれ弱いな。こっちは足腰が立たないから、突きに重さがこもらないのに一撃で沈むだなんて」

 

「…………そう余裕に構えていていいのか?」

 

「おや」

 

 龍斗のかけていた眼鏡に皹が入り壊れる。あの攻防の最中、リーダーの足がほんの僅かに眼鏡を掠めていたのだろう。

 眼鏡を失ったことで龍斗の見ていた景色がぼんやりとしたものに変わった。

 

「卑怯と言うな。相手の弱点をつくのも立派な兵法、恨むのなら目が悪く生まれた己の身を恨むんだな」

 

「ふ、ははははははははは。君は私から目を奪ったつもりかもしれないが……良いのかい? 私は伊達や酔狂でオーディーンなんて大層な異名で呼ばれたわけじゃないんだぜ」

 

「……ハッタリか?」

 

「そう思うなら試してみればいい。もっとも――――君が来なくてもこちらから行くが!」

 

 車椅子の車輪が龍斗の手で回され、飛ぶような勢いで走る。

 リーダーの男は蹴りを放ち、龍斗を迎撃するがもはや遅かった。目で見えなくても龍斗にはしっかり感覚で視えている。

 神話において主神オーディーンは己の目を失うことと引き換えにあらゆる知識を得たという。そして研ぎ澄まされた観の目は時に心を読み解き、時に動きを先読みする。

 視力の低下というハンデを得た代償に、朝宮龍斗の観の目はより完全なものとなった。心を読み解くことまではできないが、今の龍斗には相手の動きが全て読めていた。

 必殺の蹴りも、動きが読めているのならば止まっているのと同じ。

 

「グングニル!」

 

 決して外さぬ百発百中の突き。リーダーの攻撃と防御を素通りして、吸い込まれるように龍斗の手が吸い込まれていった。

 

「はっ……がっ! な、なんだこの技は……。俺が防御すらできん、だと……?」

 

「リーダーだけあって打たれ強いね。流石に兼ちゃんほどじゃないが。蹴りの威力といい判断力といい僕の知るバルキリーよりも上だったが如何せん相手が悪かったね。そう易々と敗れるほどYOMIは甘くない」

 

「YOMI、だと……っ? 道理で……一から、鍛えなおし、だな……」

 

 負けたが、どこか吹っ切れたように笑うとカポエイラチームのリーダーはリングに沈んだ。

 四対一の不利な戦いに平然と勝利したことで、会場の盛り上がりが増す。

 

「あ、龍斗様。リミも今終わったところですよ!」

 

 龍斗がリミの方を振り向くと、丁度チームの紅一点だったアイシャがリング外に蹴り飛ばされているところだった。

 リーダー(とシルビオ)の言いつけを守り、防勢に徹していたらしいアイシャだったが、クシャトリアから毎日修行という名の拷問を受け続けているリミのスピードには勝てなかったようだ。

 

『試合終了ォーーーーッ! 圧倒的! 正に圧倒的な強さ! チーム・ラグナレク、カポエイラチームをあっさりと下し二回戦進出です!!』

 

 やることは取り合えずやった。これで師の面目を潰さないで済むだろう。

 未だにトーナメント表が公開されないのが気がかりだが大した問題ではあるまい。一仕事を終えた龍斗はまるで我が事のように自分の勝利を喜んでいた幼馴染を見て苦笑した。

 



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第53話  忠告

 カポエイラチームに圧勝すると龍斗はなんでもないようにリングの外へ戻る。

 車椅子でありながら四人の武術家を同時に相手どり勝利したことで、観客が沸き立っているが、龍斗は同僚のレイチェルのような目立ちたがり屋ではないので、歓声を無表情で流した。

 

「師匠ー! 見てましたか、リミしっかりかっちり勝っちゃいましたお! 勝利のV!」

 

 尤もリミの方はたかが一回戦を突破した程度でお祭り騒ぎしているが。

 クシャトリアにDオブDに連れて行ってもらうよう頼んだのは、拳聖以外にそれなりに面識がある闇人で一番頼みを聞いてくれそうな人物だったからだが、そのせいで済し崩し的にリミを連れてくることになったのは誤算だった。

 別にリミの力が当てにならないというのではない。贔屓目抜きにしても『小頃音リミ』は武術家としてかなりの強さをもっている。嘗てのラグナレクで彼女に勝てるのは自分とバーサーカーくらいだろう。ティターンの元リーダーは伊達ではないのだ。

 しかしながらリミの能天気な性格は慎むということを知らない。ただでさえ龍斗がDオブDに来た目的はYOMIの深い所に拘わることなのだ。下手に騒げば取り返しのつかないことになりかねない。

 

(はぁ。僕が手綱をひいておくしかないのか)

 

 クシャトリアはDオブDの運営などで忙しいだろうし、そもそも龍斗のDオブD参加は完全に独断行動。リミはそれに付き従っただけの形である。もしもの時の責任は龍斗がとることになるだろう。

 そうならないためにも動く時はリミを抑えておく必要がある。

 

「龍斗!」

 

 物憂げな表情を浮かべていると、龍斗に駆け寄ってくる少年が一人。

 ムエタイのバンテージ、カンフーパンツ、胴着の下には鎖帷子。あらゆる武術の服装を混ぜ合わせた格好をする弟子など世界に一人だけ。

 梁山泊が誇る史上最強の弟子・白浜兼一。そして朝宮龍斗の幼馴染だ。

 

「やぁ、兼ちゃん。久し振りだね」

 

「久し振り……じゃなくて、そんなことより無事だったんだね。良かった……」

 

 龍斗の無事を我が事のように喜ぶ兼一を見て、龍斗は「相変わらずだな」と苦笑する。

 ラグナレクと新白連合の最終決戦で敗れた龍斗は、火の海になった倉庫から拳聖によって救出された。

 しかしこのお人よしを絵に描いたような幼馴染は、そうとは知りながらもこれまで心のどこかで自分の心配をしていたのだろう。

 

「五体満足とはいかないけどね。どうにか生きているよ」

 

「そうだ! その足は、まさかあの時の戦いで僕から受けたダメージが――――」

 

 兼一の視線が龍斗の足へ向けられ、次に龍斗の体を支え仮初の〝足〟となっている車椅子に移る。

 

「半分正解で半分間違いかな。兼ちゃんの攻撃で動かなくなるほど僕も軟な鍛え方はされていないよ。僕の足が動かなくなったのは技の後遺症さ」

 

「技の……?」

 

「君も知っているだろう。相反する静の気と動の気を同時に発動する最凶の技。静動轟一だよ」

 

 兼一の顔つきが途端に変わる。

 それは果たして人間の体を削り取るような技に対しての怒りか、それとも静動轟一を発動させてしまった自分への義憤か。

 どちらにせよ朝宮龍斗の幼馴染は以前とまったく変わっていないようだ。

 

「兼ちゃんが気に病むことじゃない。静動轟一が危険な技だと薄々感付いていながら使用したのは僕自身。僕がこんな様になっているのも僕の自業自得だ」

 

「で、でも!」

 

「あの御方は武術に対しては狂気ともいえるほどの愛情をもっておられるが、決して望まぬものに無理強いはしない」

 

 武術においては全ての人間が等しく平等、武術を学ぼうとする意欲がある者は平等に学ぶ権利がある。それが龍斗の師、拳聖・緒方一神斎の提唱する武術平等論だ。

 だからこれまでも拳聖から辛い修行を課せられることはあっても、それを強いられるようなことはなかった。あくまでも最終的判断は教えを請う側にある。

 それが正しいことなのか悪いことなのかは、所詮一介の弟子に過ぎない龍斗には分からない。ただ少なくとも拳聖はそれを正しいと思っていることは確かだ。

 

「お、おい兼一。大丈夫なのか? そいつお前の幼馴染つってもあのオーディーンなんだぞ。俺様のキャッチした情報じゃYOMIに入ったって噂も――――」

 

「分かってる」

 

 新白の宇宙人が兼一になにやら耳打ちするも、兼一は態度を一切変えずに真っ直ぐに龍斗を見つめている。

 

「龍斗、君は――――」

 

「待った。ここではなんだから話はあっちでしよう」

 

 口を開きかけた兼一を手で制する。

 二人だけで話そうという誘い。兼一の仲間である新白連合のメンバーが心配そうな視線を送るが、兼一はただひとこと「大丈夫」とだけ言う。

 

「分かった」

 

「助かる。ああそれとアタランテー」

 

「はい、なんですか龍斗様!」

 

「君は新白連合の――――特にそこの宇宙人面した生命体が忍び込まないよう見張っておいてくれ。私もこんなところで死人を出すのは本位じゃないんだ。頼むよ、アタランテー」

 

「了解ですお。アタランテーはいつでもどこでも龍斗様の味方ですぅ」

 

 ふざけた言動をするリミだが、その天性の直感力に支えられた気配探知力は相当のもの。見張り役にこれ以上の適任はいない。

 といっても兼一の師匠、梁山泊の豪傑たちが盗み聞きに来れば防ぐことは不可能だが、

 

(新白連合は兎も角、梁山泊の豪傑たちに知られてもどうということはない。どうせ兼ちゃんが話すだろうし)

 

 ことは闇とYOMI、なによりも風林寺美羽に関係すること。こんな重要な情報を兼一が師匠に話さない道理はない。

 暫く進み周囲に誰の気配もない所に来ると龍斗と兼一は止まる。

 

「それで話ってなんなんだい?

 

「―――――美羽から目を離すな」

 

「っ!? どういうことだ、龍斗!」

 

 白浜兼一と朝宮龍斗にとって風林寺美羽は特別な女性だ。龍斗にとっては〝強さ〟を追い求め武術の世界に身を投じた切欠であり、そして兼一にとってはいつか自分で守れるようになりたい憧れの人物。

 もしかしなくても兼一にとっては自分の命よりも重い大切な人だ。

 その人物の危機を告げる龍斗に、兼一の顔つきが焦りをもったものに変わる。

 

「YOMIのリーダー、叶翔が美羽を狙っている。奴は美羽を〝闇〟に連れて行くつもりだ」

 

「本当なのか、それは?」

 

「ああ。君も心当たりがあるんじゃないか?」

 

「!」

 

 龍斗は知らないことだが、以前兼一と美羽が二人で植物園に行った折、叶翔は父親の情報を餌に美羽を連れ去ろうとしたことがある。

 故に兼一にとって『叶翔が美羽を連れ去ろうとしている』というのは現実的な危機感のある情報なのだ。

 

「分かった。叶翔は絶対に美羽さんに近づけやしない」

 

「それじゃ足りない」

 

「え?」

 

「叶翔は美羽がなによりも欲している『情報』をもっているし、闇には確かに美羽の求めるモノがある。例え君が叶翔を近づけまいとしても、彼女の方から叶翔に近付いてしまうことは大いに有り得る。

 そして一度〝闇〟に足を踏み入れてしまえば、もう彼女は闇という牢獄から抜け出すことはできなくなるだろう」

 

「龍斗、叶翔がどうして美羽さんを狙うのか知っているのか?」

 

「いや。僕が知っているのは叶翔が美羽を己の片翼として欲していることだけだ。クシャトリア殿は気付いている様子だったが、このことについては教えてくれなかったしね。

 ただ叶翔は幼少期から闇により純粋培養されてきた殺人拳の申し子。そしていずれ一影九拳全員の武術を継承する一なる継承者だ。その強さは僕や君を遥かに凌駕する。或いは美羽でさえも……」

 

「…………」

 

 普段の兼一なら美羽より強いなんて信じられない、とリアクションをしただろう。

 けれど実際に叶翔と対峙したことのある兼一はそれを否定することはできない。

 

「僕が話せるのはこれまでだ。すまないが、これ以上は話すことができない。察してくれ」

 

「ありがとう」

 

「さて。それじゃ戻ろうか。兼ちゃん、自分の試合がまだなんだろう?」

 

「あ、そうだった」

 

 自然と兼一が龍斗の車椅子を押す。

 いつもは自分でやる、と断ってきた龍斗だが今回はそうすることはなかった。

 



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第54話  世紀末

 龍斗と兼一が会場へ戻ると、丁度次の試合が始まるタイミングだった。

 流石にラグナレクの元リーダーであり、現在はYOMIの幹部に名を連ねる自分が、YOMIと敵対関係にある新白連合のメンバーがいるベンチに行くわけにはいかない。

 兼一と別れると龍斗はリミと一緒に自分達のチームのベンチへと戻った。

 

「龍斗様、なにを話してたんですか?」

 

「探りを入れているのかい? 僕が梁山泊の弟子と密通しているんじゃないかって師匠に報告するために」

 

 はっきりいって梁山泊の史上最強の弟子に、風林寺美羽が攫われる危険性や叶翔の危険性を説く。

 もしかしなくてもYOMIにとっては裏切り行為にあたる。拳聖・緒方一神斎はこの程度で自分をどうこうするほど心の狭い人間ではないが、このことがYOMIに伝われば当然龍斗の立場も悪くなるだろう。

 相手がリミだからといっておいそれとぺらぺらと話すわけにはいかない。

 

「いえいえ! そんなこと全然ノーですよ。ちょっと気になっただけです!」

 

「…………」

 

 あたふたと手をパタパタさせるリミ。

 これが演技だとしたら大したものだが、リミにそんな人格的器用さはない。探りを入れるにしても、もっとマシな人選をするだろう。

 リミに調査の仕事を任せるなど、ナイフで蕎麦を食べるようなものだ。致命的人選ミスである。そんなミスをあの拳魔邪帝がするはずがない。

 

「そういえばまだなのか、トーナメント表は」

 

 電光掲示板を見上げるが未だにトーナメント表は発表されていない。

 自分やリミ、新白連合。そして我流Xの存在など今大会におけるイレギュラーは出尽くした感があったので、もうトーナメント表を決めているだろうと思っていたのだが予想が外れたらしい。

 

「…………」

 

 ディエゴ・カーロはエンターテイナーだが、いやエンターテイナーであるからこそ自分のショーの準備は念入りにするはずだ。

 イレギュラーの力量を把握し終えたなら、会場を盛り上げるためにも直ぐにトーナメント表を発表するはずである。

 それがないということは、つまり。

 

(まだこの大会に〝なにか〟あるのか?)

 

 懸念であればいい。考え過ごしであればいい。

 しかしながら龍斗の悪い予感は見事なまでに的中してしまった。それも最悪な形で。

 

『続きましてはニューヨーク・ストリートファイターズ対……』

 

 武術大会であるため民族衣装や胴着を着ている参加者が多い中、一際目立つ流行りのファッションに身を包んだ五人の若者達。

 成る程彼等がニューヨーク・ストリートファイターズなのだろう。全員がストリートファイターらしい格好をしている。

 それなりの美形が揃ってもいたので、観客の女性から黄色い視線を向けられていた――――筈だった。対戦相手が対戦相手でなければ。

 会場中の視線はまったくストリートファイターズには向いていなかった。数百数千の視線を集めるのはたった一人の男。

 

『世紀末救世主! ケンシロウーーッ!!』

 

「ぶほぉぉおぉおおっ!!」

 

「!!!?????」

 

 会場中の一定の層に属する者達が目を見張らせた。新白連合チームなど世間知らずの美羽以外全員があんぐりと口を空けてポカンとしている。リミなど飲んでいたコーラを噴き出していた。

 

「りゅ、りゅりゅりゅりゅりゅりゅ龍斗様! ケンシロウだお! 北斗神拳の伝承者がいるお!?」

 

「れ、れれれれれ冷静になれアタランテー!」

 

 そう言いつつも龍斗の手は震えていた。静の気の解放を修めている龍斗だったが、この予想外にも程がある事態で平常心を保つのは不可能だった。

 

「漫画のキャラが現実に現れるなんて有り得るわけがない。あれはきっとただの仮装――――コスプレだ!」

 

 そう、ノンフィクションなら兎も角として、現実に漫画の登場人物が存在するはずがない。だからあれはケンシロウのコスプレをしたただの人間のはずなのだ。

 龍斗は頭ではそんなこと百も承知している。しかしあのケンシロウのコスプレをした男の纏う重圧感、明らかに修羅場を一度や二度潜った程度は身に着かないほどのものだ。

 リング外から会場を眺める龍斗でさえこれほどのプレッシャーを感じているのである。実際のあの化物と対峙しているストリートファイターズのプレッシャーは如何程のものか。

 

「ふ、ふざけたコスプレなんかしやがって! そ、その化けの皮、直ぐにでも剥いでやるぜ!」

 

「…………」

 

 ストリートファイターズのリーダー格が怒鳴るが、どもっているせいでまったく挑発になっていない。

 彼等と対峙していたケンシロウ(仮)はそんなストリートファイターズを馬鹿にするでも詰るでもなく、重圧感を纏ったまま棒立ちしている。

 

『ふっふっふっ。私じゃなく素人が見ても役者が違うのが明白だな。よし、では今度もルールはバトルロワイヤル形式だ』

 

 ディエゴ・カーロの鶴の一言でルールが決定する。

 これで数的には五人フルで参加しているストリートファイターズが圧倒的に有利な形となったが、そんなことにどれほどの価値があるというのか。

 そこまで考えて気付く。ディエゴ・カーロがバトルロワイヤル形式にしたのは戦力比を均等にするためなどではない。単なる時間短縮のためだ。

 

「い、行くぞお前ら! かっこんで袋叩きにしてやれ!」

 

『お、おう!』

 

 ストリートファイターだけあって集団でのルール無用の戦いには慣れているのだろう。

 だが今回ばかりは相手が悪かったとしか言えない。

 

「北斗百烈拳!」

 

『びゅぅへぇらぁあああああああああああああああーッ!?』

 

 一撃、いや百撃だった。視認すらできない突きでストリートファイターズの五人は吹っ飛ばされる。

 まったく相手にもならずに吹っ飛ばされたストリートファイターズだがこれを恥じと思う必要は無い。こんなもの子供の徒競走に競走馬が参加するようなもの。そもそもの土台が違いすぎる。

 だからこそ龍斗が驚いたのはここからだった。

 

「ち、畜生が……っ」

 

 立ち上がったのだ。ストリートファイターズの五人が。

 あれだけの連撃を喰らったためボロボロだが、まだ戦うには問題がないように見える。

 

(……どうなっている?)

 

 ケンシロウ(仮)の拳速は確実に弟子級どころか妙手すら超えた達人級のもの。達人の突きを喰らって弟子クラスの人間が立ち上がれるはずがない。

 だがここでハッと気付いた。あのケンシロウ(仮)は北斗百烈拳と言っていた。ということは、もしかすると。

 

「お前はもう死んでいる」

 

「…………」

 

 姿と格好がまんまなら声まで似ていた。

 ケンシロウ(仮)に指差され自分達の死を告げられたストリートファイターズだったが、彼等が反論することはなかった。

 実況のジェノサイダー松本がそそくさとストリートファイターズに近付き、その脈に手をあてる。

 

『し……死んでいますッ! 五人全員立ったまま死んでいますッ! 漫画のように体が破裂することはありませんでしたが、確かに既に死んでいましたァーーーーッ!』

 

『お、ぉおおおおおおおおおお!』

 

 まさかの漫画再現に会場中の熱気が天井知らずに上がっていった。

 その気持ちも分かる。達人という常識の枠をこえた者を知る龍斗でさえ、驚きを隠すことができないのだから。

 

「りゅ、龍斗様。あんなの漫画だけと思ってたんですけど、本当に時間差で人を殺すなんて出来るんですか?」

 

「それは――――」

 

「できるよ」

 

「っ! 拳魔邪帝殿!」

 

 何時の間にかディエゴの隣にいたはずのクシャトリアが龍斗とリミのベンチに座っていた。

 クシャトリアはリンゴを頬張りながら、五人のストリートファイターズとケンシロウ(仮)を眺める。

 

「達人級になれば人間の肉体についての理解も深まっていく。ある程度器用な達人ならあれくらいの芸当は楽に出来るさ。といってもあれは時間差で死ぬようただ殴ったんじゃない」

 

「というと?」

 

「殴ったのは見せかけ。君達の目には見えなかったと思うが、彼はストリートファイターズ五人全員を戦闘不能にならない程度に力を抑えて殴りながら、肉体にある経穴をついて心臓を止めたんだ。だからほら」

 

 クシャトリアが指差す方では担架にのせられたストリートファイターズの所に梁山泊の秋雨と剣星が駆け寄っていた。

 二人は衛生兵から担架をひったくると『死んでいる』五人の解穴をつく。するとストリートファイターズの止められていた心臓が再び活動を始め、五人全員が息を吹き返す。

 

「ああして蘇生させるのも簡単というわけだ」

 

「………………」

 

 クシャトリアの話を聞いていて改めて実感できた。

 あの男は自分達の勝てる相手ではない。ディエゴ・カーロがトーナメント表を発表しなかったのも間違いなくこの男の存在故に違いない。とすればキックの魔獣の禿げ頭を我流Xで排除したように、あのケンシロウ(仮)も我流Xに排除させる算段だろう。

 我流Xの正体は無敵超人・風林寺隼人。相手が達人であろうとなんの問題もありはしない。

 

「あっ。トーナメント表が発表されたよ」

 

「本当ですか? どれどれ……なッ!?」

 

「どうしたんですか龍斗様…………げぇ!?」

 

 龍斗とリミは電光掲示板を見た瞬間に硬直する。

 龍斗とリミの次の試合の相手――――そこにはケンシロウの五文字がはっきりと記されていた。

 



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第55話  主神再臨

 新白連合勝利、我流Xの登場、北斗神拳伝承者ケンシロウの襲来。羅列するだけでとんでもないことが起きた、波乱に満ちたDオブD初日だがどうにか無事に終わることができた。

 梁山泊チームも、因縁ある黒虎白竜門会を下して二回戦に駒を進めた。

 もっとも黒虎白竜門会は強敵で、美羽はともかく兼一は常人なら一週間は包帯がとれないダメージを受けたのだが。

 

「まぁ大丈夫だろう。兼ちゃんなら」

 

 白浜兼一の打たれ強さが尋常でないのは実際に戦った龍斗が一番良く分かっている。

 まともな弟子クラスなら十回は気絶してもおかしくないだけの突きを喰らわせても立ち上がる様はさながらゾンビのようだった。

 元ラグナレク第五拳豪に不死身の作曲家と呼ばれたジークフリートがいたが、不死身の称号は彼にこそ相応しいかもしれない。

 

「確かに彼なら問題ないだろう」

 

「拳魔邪帝殿」

 

 龍斗がベランダで夜風に当たっていると、背後からクシャトリアに声をかけた。

 あっさり背後をとられたことに驚くことはしない。弟子クラスならいざしれず、達人級――――それも一影九拳クラスの怪物にとって、気配を悟られずに後ろをとることなど造作もない。

 これでも龍斗は以前から達人の師をもち教えを受けてきた者。最近達人を知ったばかりのリミよりは遥かに達人を理解している。

 

「白浜兼一くんは単に丈夫なんじゃない。中国拳法における内気功に筋肉は瞬発力と持久力を兼ね備えたものに改造されている。

 外側だけじゃなく五臓六腑、内側も鍛えられ回復力も促進された彼の体は着実に『普通の体』を逸脱し始めているといえるだろう。

 あれくらいの負傷なら一日ぐっすり休めば治るはずだ」

 

「……彼ののタフさは知っていましたが、それほどですか?」

 

「それほどなんだよ。いやはやあんな風に弟子を弄くるなんて……実に興味深い。うちもやってみようかな」

 

「いやいやいやいや。やんなくていいとですよ! よそはよそ、リミはリミですお!」

 

 クシャトリアの弟子改造計画にリミがスライディングで「待った」をかける。

 達人の中にあってまともな人格の持ち主であるクシャトリアだが、その修行の方はまともとは程遠い。今でさえ弟子を殺す気満々の修行をしているのに、更に兼一の修行プログラムまで取り込んだらただの処刑になるだろう。

 いや一瞬で終わりな分、処刑のほうがまだマシかもしれない。

 

「冗談だよ。白浜兼一くんとお前じゃ伸ばすべきところも違う。人間、得意分野を活かし不得手な分野を消すよう心がけなければ」

 

「不得手な分野……?」

 

「……そう思って頑張ったんだが駄目だった。あれだよ、馬鹿は死ななきゃ治らないっていうのは嘘だな」

 

「ちょ、思わせぶりなことを! まさかリミ、一度死んだんですか!?」

 

「一度? いいや一度死んでなんかいないよ。一度は」

 

「ぎょえええええええええええ!」

 

「…………」

 

 騒がしく漫才みたいなやり取りをするクシャトリアとリミ。二人のせいで夜のしんみりとした雰囲気が台無しだった。

 龍斗は眼鏡を拭いて曇りを落としつつ肩を落とす。……やはりリミを連れてくるのは断固として阻止するべきだった。龍斗は何度目かにならぬ溜息をついた。

 

「とまぁ白浜兼一くんを心配しているなら明日の試合には回復しているだろうから心配ない。今夜なにもなければ、だが」

 

「それはどういう?」

 

 クシャトリアは黙って指を刺した。龍斗は指の先を目で追い、そしてそこにある光景を見た瞬間ぎょっとする。

 

「美羽、それに叶翔……!?」

 

 月明かりをスポットライトに屋根の上で対峙する二人は、顔立ちが美しく整っているだけあってさながら歌劇のようですらある。

 乙女心をもつ女性ならその神秘的な光景に溜息すらつくかもしれないが、龍斗には叶翔の瞳の奥にある妖しい光に気付いていた。

 スパルナ、美しき翼をもつ男と渾名された叶翔が欲するのは己の片翼となる女性。即ち風を切る羽のように美しく戦う武人、風林寺美羽。彼女こそ叶翔が求める片翼。

 

「拳魔邪帝殿。止めなくて宜しいのですか? 叶翔は美羽を……無敵超人の孫娘を連れ去るつもりです。本気で。これは闇の意向に反するのでは?」

 

 YOMIのリーダー、叶翔は奔放な男だ。同じYOMIである龍斗がなにを言おうと叶翔は聞く耳もたないだろう。

 だが叶翔がYOMIのリーダーであろうと、一影よりYOMIの目付け役を任されているクシャトリアに逆らうことはできない。それに何故かは知らないが叶翔はクシャトリアに気を許しているようであるし、彼が止めれば叶翔は一旦手を引くだろう。

 一縷の望みにかけて、暗に翔を止めるよう促すがクシャトリアは首を横に振るう。

 

「俺はYOMIの目付け役であってリーダーじゃない。彼が闇に仇なす行為に及ぶつもりなら止めるが、この段階で無敵超人の孫娘を抑えることは闇にとって利益にならないこともない。なにせ彼女は風林寺一族と……いや、これは君に話すことでもなかったか。

 そもそもあれは弟子同士の戦いだ。弟子同士の戦いに師匠は出ない、これは活人拳・殺人拳問わず達人の鉄則のようなものだ」

 

「分かりました」

 

「りゅ、龍斗様? まさか止めにいくんですか!? いやいや、龍斗様が強いのはリミ百も承知してますけど、叶翔はヤバイですお! どのくらいヤバいかというと目の前でロリを傷つけられた一方通行くらいヤバいんですよ!」

 

 訳の分からない例えでリミが制止に入る。彼女の言う通り叶翔が危険な男などということくらい龍斗とて承知している。

 だが武術家には退きたくても退けない時というのがあるのだ。あの日の駄菓子屋にいた一人として、彼女を闇の空へ行かせるわけにはいかない。

 

「無謀だな。万全ならいざしれず、叶翔は車椅子に乗ったままの君が勝てるような相手じゃない」

 

「勝てはせずとも足止めくらいにはなるでしょう」

 

 十分……いや五分でも三分でもいい。ただなんとしても兼一が駆けつけるまで翔の誘拐を阻止する。

 しかし龍斗が車椅子をひこうとすると、クシャトリアが行く手を遮るように前に立つ。

 

「邪魔をするんですか?」

 

「言っただろう。弟子クラスの戦いに師匠は介入しないと」

 

 クシャトリアの指が龍斗の足に触れる。瞬間。

 

「――――ッ! ――――ッ!?」

 

 声にならない激痛。足の骨という骨が粉々に潰されて硫酸を流し込まれたような……もはや形容することの難しい痛み。

 時間にすれば僅か十数秒。されどその十数秒の激痛は龍斗にとっては数時間にも感じられた。痛みのせいで目を大きく開かせながら、龍斗は肺の息を吐き出した。

 

「な、なにをなされたのですか? 」

 

「う、嘘……。龍斗様、足が……?」

 

「足? なっ! これは――――」

 

 痛みのせいで気付くのが遅れた。

 半身不随になって動かなくなった足。だがその足が今はしっかり朝宮龍斗の全身を支え、しっかりと地面を踏みしめている。

 

「立った! 龍斗様が立った!」

 

「少し静かにしてくれリミ。それより拳魔邪帝殿。これは一体?」

 

「静動轟一を研究していた過程で発見したツボをつき、一時的に乱れた気を整えた。あくまで一時的なもの故、回復したわけじゃない。だが十分か二十分くらいは元のように立って動けるだろう」

 

「弟子の戦いには介入しないのではなかったのですか?」

 

「戦いには介入しない。師が弟子にするのは弟子の戦いを代行することではなく、弟子が万全の力を発揮できるよう戦う前に仕上げることだ。こちらはやることはやった。後は自分でなんとかするといい」

 

 といっても俺は君の師匠ではないが、とクシャトリアは付け加えた。

 正直ありがたい援助である。感覚すら喪失し、ハリボテのようであった足。それが今ではしっかり自分の足だという実感がある。

 叶翔との戦力差は足が動く程度で埋まりはすまいが、これで戦いにはなるだろう。

 

「うー。龍斗様、そんなにあの女のことが大切なんですかぁ。あんな女、翔の好きにさせれば――――」

 

「いいのかリミ。彼が美羽を連れ去ったら、彼女は闇にくるわけで。YOMIにいる龍斗とは急接近することになるわけだが」

 

「よっしゃあ! さっさと誘拐犯を妨害しましょう龍斗様! 例え世界中が敵に回ってもリミは龍斗様の味方ですよ!!」

 

「…………拳魔邪帝殿」

 

「実力は保障する。実力は」

 

「ご助力感謝します」

 

 クシャトリアの言う通りリミは実力の方は大したものだ。手綱を握れるかどうかは不安だが、戦力と考えていいだろう。

 龍斗はベランダを飛び降り、叶翔を妨害しに急いだ。

 

 

 

 DオブD一回戦終了後の夜。新白連合の武田、フレイヤ、トールは明日の試合のため調整をかねて練習をしていた。

 我流Xにケンシロウ(仮)は異次元の住人なのでおいておくにしても、世界中の弟子クラスが集まる大会だけあって参加者は一筋縄ではいかない者ばかり。

 特にラグナレク第一拳豪オーディーンのいるチーム・ラグナレクは確実に強敵だ。なにせリーダーであるオーディーンは我の強い七人の拳豪たちを実力で従えていた怪物。車椅子に乗っていたとしても油断していい相手ではないことは、今日の試合結果が証明している。

 それにオーディーンだけではなく共に参戦していた小頃音リミというのも中々に厄介な使い手だ。そのためこうしてコンディションを整えていたのだが、

 

「どうしてこんなことになるんだか」

 

 武田たちの目の前にいる空色の髪の優男。それはいい。顔も名前も分からない赤の他人にいちゃもんつけて絡むのは全員卒業している。それがただの通りすがりだというのならば、例え空からいきなり飛んできたとしても問題ではないのだ。

 問題なのは男に抱かかえられ気絶している少女。それは確認するまでもなく風林寺美羽その人だった。

 

「何者かは知らないが今直ぐハニーを放したたまえ。さもなければ誰であろうと容赦はしない!」

 

 明確な敵意を込めて睨む武田、そしてトールとフレイヤ。元八拳豪二人と達人に弟子入りした武田。その三人の敵意を浴びている男はしかし、まったくといっていいほどに自然体だった。

 立ち振る舞い一つとって隙がない。三人は同時に「この男、できる」とその強さの底知れなさを感じとった。

 

「ふーん。誰かと思ったら虫と一緒にいた新白なんたらとかいう連中じゃん。美羽はこれから俺と闇の空へ行く。本当にこの人のことを想うなら邪魔をするな」

 

「だまらっしゃい! 夜中に女子を抱かかえた優男がいたのなら、わしルール的に97%そいつは悪人決定なんじゃ!」

 

「トールの言い分はさておき、見知らぬ男に連れ去られようとする知人を見過ごすことはできん」

 

 トールは隆々たる筋肉を漲らせ、フレイヤは杖を構える。武田もまたボクサーの魂である拳を握り締めた。

 

「やれやれ。美羽の知り合いだから見逃してやろうと思ったのに」

 

 男の纏う気配が変わる。周囲の気温が一気に氷点下まで下がったような悪寒。しかし、

 

「そこまでだ、叶翔。彼女を闇に連れて行くというのなら私が相手しよう」

 

 殺気を掻き消すように放たれた鋭い声。武田、トール、フレイヤの視線が『聞きなれた声』に一斉に振り向いた。

 叶翔がニヤリと獰猛に笑う。

 

「「「オーディーン!」」」

 

 三人の視線も気にせず、朝宮龍斗は叶翔の眼前に立った。

 ラグナレク第一拳豪オーディン、YOMIがリーダー叶翔。月明かりの下で二人は相対した。

 

 



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第56話  介入

 黒虎白竜門会との試合で傷ついた体を押して、美羽を攫った叶翔を追った兼一だったが早くも障害にぶつかっていた。

 叶翔の親衛隊である勢多と芳養美。この二人が翔を追いかける兼一の前に立ち塞がったのである。

 

「翔様は虫けらと仰ったが、話とは違い猛火のような男だ」

 

「だがここから先は行かせはしない」

 

「くっ……!」

 

 人越拳神・本郷晶の弟子たる叶翔の親衛隊だけあって、二人が使う武術もまた空手だ。

 ただ同じ空手といっても勢多の方は手技、芳養美の方は足技を主体としている。

 この全く同じであるというわけではないというのが厄介なところで、空手は空手でも動きに差異があるため、同時に襲い掛かられるとどうにもタイミングを誤ってしまうのだ。

 せめて体調が万全ならどうにかなったかもしれないが、ダメージの残る今の兼一では二人を同時に相手にするのは難しい。

 

「そらぁ!」

 

「っぁ……っ!」

 

 これまで必死になって平常心を保ち制空圏を維持していた兼一だったが、勢多の強烈な手刀に体を浮かせられる。

 梁山泊でこれでもかというくらいに足腰と受け身を鍛えてきたお陰で、地面に大の字に倒れるという無様を晒すことはなかったが、腕が電撃でも浴びたように痺れてしまっていた。

 防御して尚もこれだけの破壊力。もし直撃していれば先ず間違いなく内臓までダメージが達していただろう。

 これだけの実力をもちながらYOMIの幹部ですらなく、リーダーの親衛隊に過ぎないというのだから如何にYOMIという組織が底知れないかが分かる。

 

「ほぉ。やるじゃないか。あれを受けるなんてな。今日の試合で満身創痍なのにやるものだ」

 

「出来れば一介の武人として万全の貴様と死合ってみたかったが、これも我等が主君たる翔様の意志。悪く思うなとは言わん。ここで沈んで貰う」

 

 勢多と芳養美がじりじりと距離を詰めてくる。このまま一気に決着をつける気だろう。

 

(どうする……?)

 

 彼らの技の破壊力は未だ痺れの残る自分の腕が証明している。

 それに二対一、負傷中と不利な要素が目白押しだ。ましてや相手は殺人拳。これまでのような喧嘩ではなく、本気で白浜兼一という人間を殺しに来ている。

 いつもなら戦略撤退を考えるべきところであるが、今度ばかりはそうもいかない。

 叶翔が連れ去ろうとしている女性は風林寺美羽。白浜兼一にとっていつか守ってあげたいと思った女性。ここで自分の命を惜しんで逃げてしまえば、もう兼一は武術家でいることはできない。

 

(二人に手間取っているわけにはいかない! こうなったら例え危なくても、強引にでも突破する!)

 

 勢多と芳養美は強敵であるが別に必ずしも倒さなければいかないわけではない。兼一にとって一番重要なのは美羽を取り返すこと。敵を倒すことは二の次、三の次だ。

 そして短期決戦を挑もうにも、この二人はそう楽々と倒れてくれるような相手ではない。だとすれば倒すのではなく、あくまでも突破することだけに集中する。

 

「づぁ!」

 

「せぁッ!」

 

(――――来る!)

 

 二人が必殺の一撃を繰り出そうとした瞬間、兼一もそれと合わせて肉体を動かし、

 

「ストリートでならしたこのリミの実践的なキックッ!」

 

「ぼぎゃへぇらぁ!?」

 

 寸前。稲妻のように飛来してきたゴスロリ少女によって、芳養美は顔面を蹴り飛ばされて吹き飛んでいった。

 跳躍の勢い+重力+キック力の合計分の威力を喰らった芳養美は、回転をしながら樹木に激突して動かなくなる。明らかに人体の構造的に不味い倒れ方をしているが、呼吸はしているので生きてはいるのだろう。

 兼一は余りのことに声すらなく、見事な不意打ちをかましたゴシックロリータなファッションの少女を見る。

 

「やっほー。龍斗様の幼馴染。リミお姉さんが助けにきてあげたよ」

 

「き、君は龍斗と一緒にいた!?」

 

 まさかの援軍に兼一は目を白黒させる。お姉さんと言う割りに年齢は離れていなさそうだが、このあたりはノリというやつだろう。

 龍斗の近くにひょこひょこ着いているのを見た以外は特に面識のない相手であったが、何故か知らないが兼一は妙なシンパシーを抱いた。なんとなくこの少女とは話が合う気がする。達人の被害者的な意味で。

 

「お、お前は小頃音リミ!」

 

 相方を失った勢多は怒りを滲ませながら、ゴスロリファッションの少女――――小頃音リミを睨みつけた。

 

「拳魔邪帝殿の弟子がどういうことだ。よもや拳魔邪帝殿は我々を邪魔しに」

 

 勢多の声には怒り以外にもどこか恐れのようなものがある。

 

(拳魔邪帝って、もしかしなくても前夜祭にも出席していた人、か)

 

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリア。自分の師である香坂しぐれに一撃与え、アパチャイが梁山泊に来る切欠となった出来事にも関わっていた人物。そしてなによりも長老が危険と言った男。

 というと小頃音リミ、彼女はクシャトリアの弟子ということになる。

 

「君、如何して僕に加勢を?」

 

 クシャトリアが闇の武人だというのならば、その弟子であるリミも当然闇側の人間ということになる。

 闇側の人間が梁山泊の弟子である自分を助けYOMIのリーダーを妨害する理由はどこにもない。

 

「ふっ。あの風林寺美羽が闇に来ちゃったらリミが困るのよ。龍斗様の幼馴染はさっさと翔を追って。ここはリミがなんとかしてやんよ」

 

「……恩に着る」

 

 まだ事情は良く分からないが、この状況では味方は誰であろうとありがたい。女性を殿にして先に進むのは気が引けるが、彼女の強さは試合で見ている。

 兼一は翔を追って全力で地面を蹴った。

 

 

 

 

 

 叶翔の強さは理解していたつもりだったが、こうして敵として対峙すると感じるプレッシャーは並大抵のものではない。

 相手は自分とそう年の違わないで弟子クラスの武人に過ぎないというのに、まるで達人を前にしているかのようだ。

 

「オーディーン、なんでここに?」

 

「試合では兼ちゃんと話すばかりで禄に再会を喜ぶこともできなかったが、久しいじゃないかフレイヤ、トール。それに……」

 

「?」

 

 龍斗の目が色黒のボクサーで止まる。

 

「…………すまないが君は誰だ?」

 

 色黒ボクサーがずっこける。しかし龍斗も悪気があったのではない。

 本当に頭に該当する人物がいないのだ。どこかで見た覚えはあるのだが、それすら思い出せない。

 

「武田! 元ラグナレクの突きの武田一基! チーフだからって忘れるなんて酷いじゃな~~い!!」

 

「ああ。バルキリーのところの技の三人衆の一人か。確かラグナレクを脱会して新白連合に入ったんだっけね」

 

 元拳豪であり押しも押されぬラグナレク幹部だったフレイヤやトールと違い、武田は現在の実力はどうであれラグナレク幹部に仕えていた腕っ節に過ぎない。

 龍斗はラグナレクのリーダーであったが全ての構成員の名前を覚えていたわけではなかったので、武田のことはうっかり記憶から抜け落ちていたのだ。

 

「まぁ再会を祝うのは後にしよう。そもそも祝うような間柄でもなし。――――下がっていろ、叶翔は私が相手をする」

 

 いつでも仕掛けられたにも拘らず叶翔は龍斗たちのやり取りを眺めたまま動こうとはしなかった。

 強者故の余裕か、それとも興味本位か。どちらにせよ龍斗のやることは変わらない。

 

「へぇ。オーディーン、君って静動轟一の後遺症で半身不随になったって聞いたけど治ったのかい?」

 

「完治したわけじゃない。拳魔邪帝殿により一時的に動くようになっただけだ。しかし君を止めるには十分すぎるだけの時間は貰った」

 

「……ふーん。じゃあ俺を止めるのはクシャトリア先生の意志?」

 

「いいや、私の意志だ」

 

「だろうね。あの人が本気で俺を止めるつもりなら、とっくに俺は寝かされてるはずだし」

 

 叶翔が美羽を決して傷つけないよう丁寧に地面に降ろす。

 フレイヤ、トール、武田の三人と対峙しながら降ろすことのなかった美羽を降ろす。それは叶翔が朝宮龍斗を敵になる相手として認めた証左だった。

 龍斗も眼鏡を外し、自身の制空圏を完全にして叶翔に対抗する。

 

「念のために言っておいてやる。YOMIのリーダーとしての命令だ。そこを退け、オーディーン。さもなければ死ぬぞ」

 

「断る」

 

 叶翔がYOMIのリーダーで、朝宮龍斗がYOMIの一幹部などもはや関係ない。

 目的が食い違い譲れぬものがある以上、それはもうリーダーと幹部ではなくただの敵と敵だ。

 叶翔と朝宮龍斗。白浜兼一が過去に乗り越えた壁と、これから乗り越えるべき壁がここに激突する。

 



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第57話  ラグナレク 対 YOMI

 龍斗の繰り出した蹴りと、叶翔の前蹴りが炸裂しぶつかり合う。ぶつかりあった足と足はまるで刀で鍔迫り合いになるよう拮抗する。

 

「くっ……!」

 

 だがこれまで半身不随で車椅子生活だったことで差が出た。

 静動轟一の後遺症で足が動かなくなってからも鍛錬は怠っていなかったが、やはりずっと使っていないものは衰えるが道理。対して叶翔は龍斗が車椅子で足を鈍らせている間にも、本郷晶の厳しい修行で足腰を鍛え続けてきた。

 拮抗は五秒。威力で押し負けた龍斗は後方へ飛ばされる。

 

「は、はははははははははは! なまっちょろい蹴りだね! オーディーン、そんなんじゃ緒方先生の名が泣くぞ!」

 

「……ついさっきまで車椅子だった男に蹴りで勝ったからって調子にのらないで貰いたいな」

 

 翔は空を滑る鳥のように迫ってくる。一見すると直線的な動きでカウンターの格好の餌食になりそうであるが、実際にかけようとすれば叶翔は研ぎ澄まされた観の目で容易くカウンターにカウンターをかけてくるだろう。

 弟子クラスとしては最高峰の速度を前にして、龍斗は焦ることなく逆に心を落ち着けて呼吸を整える。

 叶翔が目を細め、朝宮龍斗の急所に狙いを定めた。これまでのような遊びではない本物の殺意が叶翔に宿り、殺気がその拳にも乗った。

 

(いきなり必殺か。早々に決着をつけるつもりか)

 

 この流れを龍斗はYOMIでの組手で一度だけ見て知っていた。叶翔は貫手を繰り出すつもりだ。

 貫手は通常の突きとは異なり、手の指を真っ直ぐにして指先で相手を貫く技である。そんな技なのでしっかりと鍛えていない者が行えば、指の骨を折るなどの危険性があるが、彼の人越拳神が自分の弟子を貫手で怪我をするほど中途半端に戦わせるはずがない。

 そして貫手は突きよりも力を一点に集中させることができるため、急所に命中させれば弟子クラスでも一撃で相手を殺しかねない危険きわまる技でもある。

 ましてや相手はYOMIのリーダー叶翔。彼の貫手の鋭さは槍にも匹敵するだろう。

 

(だがスパルナ! あまり私を舐めるなよ)

 

 車椅子生活を強いられたことで確かに足腰は以前よりも鈍ってしまった。しかし足腰を使わなかった分、修行のエネルギーの殆どは上半身に向けられた。そして車椅子という不安定な状態で戦い続けた龍斗には、五体満足では得られなかった抜群のバランス力を体得している。

 故に今や龍斗の制空圏の鉄壁は嘗ての朝宮龍斗を完全に上回っている。

 

「人越拳・ねじり貫手!」

 

 通常の貫手に更に強力な回転力を加えた人越拳神・本郷晶の代名詞ともされる技。まともに喰らえば例え肉体を鋼のように鍛えてきた龍斗であろうと一撃で死ぬだろう。運が良ければ重症で済むかもしれない。

 叶翔の繰り出す貫手の速度は正に神速。達人級と比べれば遅いのかもしれないが、見えないという点においては同じことだ。

 だがしかし。龍斗の観の目はしっかりと叶翔の貫手を視ていた。

 

「ふ――――っ!」

 

「ひゅー! あれを防ぐなんてやるじゃないか!」

 

「その技は既に『視て』いる……!」

 

 叶翔の繰り出した必殺の貫手。龍斗はそれを自分にインパクトする寸前に、横から手首を叩くことで軌道を逸らした。

 これまで多くの武術家をただの一撃のもとに屠ってきた必殺技をあっさりと弾かれ、流石の叶翔も少しだけ驚いた顔をする。

 叶翔からしたら小石に躓いたような感覚かもしれないが、龍斗としてはここを見逃す手はない。

 

「緒方流、白打撃陣!」

 

 気血を送り込み重さを増した突きが叶翔の脇腹を掠めた。これには叶翔も軽口を叩く余裕を失い、近くにあった木を駆け上がると後方へ大きく跳んだ。

 出来れば今の突きで倒すまではいかないにしても、それなりのダメージを与えたかったのだが、やはりYOMIのリーダーは伊達ではない。突きがインパクトする寸前、体をくねらせることで突きを避けてしまった。

 だが逃がさない。龍斗は体を回転させ、退く翔に回し蹴りを喰らわせた。

 

「ぐ、うぉっ……!」

 

「ちっ。浅かったか」

 

「ふ、あはははははははははははははは。こうも見事に一撃貰ったのは久しぶりだな。クシャトリア先生が評価するだけあるね。あの虫けらに負けたからってちょっと侮っていたよ。先生からは敵を過小評価されるなって言いつけられているのに失敗失敗。

 君から受けたこの傷はその授業料ってことでありがたく頂いていくよ。……しっかりお返しもするから、死んでも化けて出るなよ。朝宮龍斗……!」

 

「心配しなくても、私もオーディーンなんて呼ばれる者だ。死ねば潔く天へ還るさ」

 

「そうかい。なら安心して沈め!」

 

「―――――!」

 

 完全に本気になった叶翔は更に動きが鋭かった。それになんとなく余裕のようなものも垣間見える。

 さっきまでの叶翔は邪魔者がうじゃうじゃ出てくる前に美羽を闇に連れて行こうと、言うなれば急いでいた。それは龍斗を相手にしていた時も同じ。叶翔の頭には『美羽を闇に連れていく』ということばかりが満ちており、そのために眼前への敵に対しての集中がわずかに欠けていた。

 相手が自分より遥かに格下の武術家であればそれで問題はなかっただろう。凡百の天才たちを容易く踏み潰すだけの凄味を叶翔は持っている。しかし龍斗は次世代の一影九拳を担うと目されているYOMI幹部の一人。例え叶翔でも容易く潰せるような相手ではない。

 そのことを叶翔も理解したのだろう。完全に頭を切り替えた叶翔にもはや「美羽を連れ去る」という思考はない。あるのはただ「目の前の敵を倒す」ということのみ。

 

(これが叶翔、か)

 

 同じYOMIとして、同年代の武術家として戦慄を隠すことができない。

 叶翔がYOMIたちを束ねるリーダーに選ばれ一なる継承者たりえる理由は、決して天賦の才の持ち主だからでも幼いころより武術に浸かってきたからでもない。

 年齢に似合わぬ抜群の精神の安定性。武に対しての心構え。

 即ち技体のみならず心をも優れているからこそ叶翔はYOMIのボスとして君臨しているのだ。

 

「そらそらぁ! オーディーン、動きが鈍ってきたんじゃあないか!!」

 

「……!」

 

 動きが鈍ったのではない。叶翔の猛攻が凄まじく思うようにこちらから攻撃が出せないだけだ。

 龍斗は必死になって制空圏を維持するも、叶翔はメインとする空手のみならず他の武術を所々に混ぜたトリッキーな動きをするため、さっきまでと違いリズムを測りにくい。

 これまで龍斗は相手の流れを掴み、それによって観の目で動きを読むことで制空圏を完璧にしてきた。だというのに叶翔は十数秒ごとに武術どころか呼吸のリズムまで変えていくため全くリズムが掴めず、結果として制空圏に穴が空いてしまっている。

 防戦一方。このままではジリ貧――――だが、これでいい。元より龍斗の狙いは叶翔を倒すことなどではない。あくまでも兼一が駆け付けるまでの足止め。

 今頃リミが翔の親衛隊の二人を相手しているだろうから、兼一もここに全速力で向かっているだろう。それまで保てば、

 

「っ!」

 

 その時だった。龍斗の両足に痺れが奔る。

 クシャトリアが経穴をつくことで一時的に回復させた両足。それがまた静動轟一の後遺症に侵されようとしているのだ。

 

「おっ、隙あり」

 

 足のしびれが龍斗の動きを一瞬止めて、その停止がこれまで維持されてきた制空圏を完全に瓦解させる。

 叶翔はそこへ両手を突き出し横回転しながら突進してきた。

 

「無双千木車!」

 

 闇の無手組の頂点に君臨し拳の魔鬼たちを束ねる者。一影の技が龍斗の体を抉りとるように突き刺さる。

 痺れてきた両足では地面に踏ん張ることもできず、龍斗はボーリングのピンのように飛ばされて壁に叩きつけられた。

 

「はぁ……はぁ……くっ。こんな所で……っ」

 

「そこそこ楽しかったけど終わりは呆気なかったな。俺の邪魔したとはいえ、同じYOMIを死なせたら先生に殺されるし命だけは見逃してやるよ。

 今度俺に挑む時は足のほうを完治させてから挑むんだね。ま、次があるかどうかは分からないけど」

 

 叶翔の興味はもう龍斗から外れていた。地面に下ろした美羽の所へ戻り、もう一度抱き抱えようとして、

 

「待……て。まだ勝負は……終わっていない……」

 

「ふーん。緒方先生の弟子だけあるな。まだ立つのか? だが止めておけ。お前じゃ俺に勝てないのは理解しただろう。勝てない勝負に挑むのは勇気ではなく蛮勇。緒方先生はお前に教えなかったのか?」

 

「教えられたとも。しかし……人間、退けない戦いというのがあるとも教わっている」

 

 自分はあの日、大人のヤクザにも怯むことなく戦った少女に憧れ、その強さを求めて武術の世界に身を投じた。

 その自分がここで逃げては、あの時の弱かった自分と何にも変わっていなかったことになってしまう。あの日、太極バッチをかけて戦った者の一人としてここで膝を屈するわけにはいかない。

 幸い直撃の寸前、自分から後方へ跳んだため威力は抑えられている。車椅子という不安定な足場で戦ってきた経験のお蔭だろう。

 

(とはいえこの状態じゃ叶翔の足止めなぞ不可能。危険な賭けとなるが――――)

 

 静の気と動の気を同時発動する最大のタブーにして最凶の技。静動轟一を使うしかない。

 まだ後遺症が完治したわけでないのに、静動轟一を使えば確実に大きな障害が残るだろう。そのことを承知していながら、龍斗がそれを躊躇うことはなかった。

 外側に爆発させる動の気を、自分の内側へと飲み込んでいく。

 

「追いついたぞ叶翔!」

 

 しかし幸いにも龍斗が静動轟一を使うことはなかった。

 翔の親衛隊二人を振り切った兼一が漸く追いついたのである。翔は兼一が来たことに露骨に不快感を露わにして舌打ちする。対して龍斗は安心したように朗らかに微笑む。

 

「フ、真打登場か」

 

「龍斗。その傷は叶翔に……? じゃあ翔を止めるために」

 

「兼ちゃんが気に病むことじゃない。僕は僕の信念に従ってまで。君のためにやったわけじゃない。それじゃあ僕は退かせて貰うよ。明日の試合もあるしね」

 

 それにそろそろ両足の方もタイムリミットが近づいている。

 後数分もすれば元通り朝宮龍斗の両足は動かなくなるだろう。

 

「虫けら一匹が地べたを這いずって来たくらいで退くなんて。さっきまで静動轟一まで使って喰らいつこうとした奴には見えないな」

 

 去っていく龍斗の背中に、翔の言葉が突き刺さる。

 

「見た目通りにいかないから、僕はここにこうしているんだよ」

 

 振り返らずそれだけ言うと、龍斗は全てを幼馴染に託して去って行った。

 



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第58話  躊躇

「………………」

 

 クシャトリアの眼下では動の気を暴走させる美羽と、それを止めようとする兼一、そして美羽の暴走を歓迎しつつ兼一の奮戦を嘲笑う翔の三者三様の体をなしていた。

 負傷している兼一では動の気を暴走させている美羽に勝つことはできない。いや、そもそも暴走していない状態の美羽に勝てないのに暴走状態の美羽に勝てるはずがないのだ。

 だから兼一が美羽を倒して止める、という結末は先ずあり得ない。故にこの戦いがどう転がるかは風林寺美羽が暴走状態から立ち直れるかどうかにかかっている。

 もしも美羽が暴走から立ち直ることができれば、兼一と二人で叶翔に勝ち目も出てくるだろう。逆に立ち直ることができなければ、

 

(その時は史上最強の弟子の躯がデスパー島の土に還り、無敵超人の孫娘が闇の空に舞うことになるだけだ)

 

 太極図などが白の中にも黒があり、黒の中にも白があることを示すように人間の善悪は表裏一体。

 多くの人を救った善人が些細な切欠で悪へ堕ちることがある。多くの人を危めた悪人が些細な切欠で改心することがある。

 そして風林寺美羽は梁山泊長老の孫娘であり、闇の無手組が長たる風林寺砕牙の一人娘。活人拳から殺人拳に堕ちる素養は十分にあるのだ。

 

「どちらに転ぶにしても俺は手出しはできないが……そうさな。ここは龍斗くんの手前、白浜兼一くんの応援をするとしようか」

 

 クシャトリアは近くの木になっていたリンゴをとりながら、完全に観戦モードとなる。

 弟子の戦いに師匠は出ない、これは梁山泊も闇も変わらぬ武術家の鉄則だ。別に兼一と翔はクシャトリアの弟子ではないが、かといって弟子の戦いに達人が出張るなど大人げないもいいところだ。

 それに自分にも一人、招かれざる客が来ている。彼の相手をしてやらなければならない。

 

「そこに隠れている奴」

 

「…………」

 

「用があるのならば出てきたらどうだ? それとも黙って監視しているだけが望みかな。一つ忠告するが俺を監視したいのなら、あと数百mは離れておいたほうがいい。その距離で俺を監視したければ、せめて達人クラスにはなって貰わなければ」

 

「やはり次期一影九拳と噂されるだけありますね。私程度の隠伏では拳魔邪帝の半径10mに立ち入ることすら出来ませんか。やはり達人級の壁は大きく厚い」

 

 そう言って姿を晒したのはスーツに眼鏡をかけていたサラリーマン風の男だった。

 なんの変哲もない電車にでも行けばそれこそ幾らでもいるような無個性な人間。だが日常的姿の男が非日常的な場所にいるのは、これ以上ないほどにミスマッチだった。

 大会主催者側の一人であるクシャトリアは、このサラリーマン風の男を知っていた。

 名は田中勤、天地無真流というチーム名でDオブDに参戦した選手の一人である。

 

(いや)

 

 チームというのは不適切な表現だったかもしれない。

 なにせ天地無真流のメンバーは田中勤ただ一人だけ。一人だけの参加者をチームとは言えないだろう。

 

「昼の試合は見事な内容だったよ。自分より遥かに体格で勝る相手を、少し寝れば元気になるよう加減した上で、一本貫手で鎮圧するなんて弟子クラスにはそうそう出来ることじゃない。

 昨日の試合でも予測はついていたが、君は既に弟子クラスの壁を越えて妙手になっているね?」

 

「やれやれ。察しが良いのは気配に対してだけじゃないんですね。仰った通り若輩の身ですが妙手を名乗らせて貰っています。ああ、年齢は十九なので二十歳未満っていうDオブDのルールには違反してませんよ。なんなら会社……は不味いので戸籍でも調べてください」

 

「19で妙手、それに会社か。生き急いでいるな。それとも…………死に急いでいるのかな?」

 

「っ!」

 

 田中勤の顔が強張る。恐らく無意識のうちにとったであろう構えは天地無真流のものだろう。

 その構えをクシャトリアは他で見た事があった。

 闇の一影九拳が一人、拳聖・緒方一神斎。彼と組手をした時に似たような構えで向かってきたことがある。緒方の使う緒方流古武術は様々な古武術を混合し再構成した流派。そして緒方が武術を収集する方法はクシャトリアのような金で買収するなんていう穏便なものではなく、秘伝をもつ武術家と死合いをした上で奪いとるもの。

 緒方が天地無真流の動きを取り入れているということは、つまりはそういうことなのだろう。

 

「……拳魔邪帝クシャトリア。貴方は拳聖・緒方一神斎と盟友であると聞いた。その貴方に聞きたい。緒方一神斎はどこにいる?」

 

 田中勤の瞳、そこにあるのは緒方一神斎への殺意――――だけではなかった。

 間違いなく緒方一神斎を殺したいとは思っているが、同時にそのことを迷ってもいる。

 

「師匠の敵討ちが目的か?」

 

「ええ。我が師・御堂戒は奴の武の探求により殺された。その仇を、弟子としてとらねばならない」

 

「……俺は御堂戒という武術家は知らないが、君の中にある迷いから推測するに活人拳の武術家だったのかな」

 

「――――――」

 

 濁りのない真っ直ぐな目。それを肯定の意思表示だとクシャトリアは受け取った。

 

「よくドラマなんかで『復讐なんて死んだ人は望んでなんかいない』って説教するパターンがあるが、実際に望んでるか望んでないかなんて遺書があるわけでもなし。分かるわけがないわけだ、が。

 君の方は少し事情が異なるな。人を活かすと書いて活人拳。活人拳を志す武術家が己の復讐を弟子に望むわけがない。つまり君の復讐は正真正銘『死んだ人は望んでない』わけだ。迷いの種はそれか」

 

「やれやれ。一影九拳には驚かされることばかりですよ。まさか初対面でそこまで見抜かれるだなんて。

 否定はしません。貴方の指摘されたことは概ね正解です。しかし人間、頭では分かっていてもどうしようもならない感情というのもあるんですよ」

 

「人間は理屈の生き物じゃないからねぇ~」

 

 まったく理屈の通用しない生物(ジュナザード)に常識の通用しない修行をさせられ続けてきたのだ。

 人間の感情の前に理屈がどれほど容易く流されるかは承知している。

 

「話を戻します。緒方一神斎の場所を教えて貰いたい」

 

「いやだ」

 

「……!」

 

「緒方のいる場所を話したら情報漏洩になるしねぇ~。それとも力ずくで聞き出すか?」

 

 田中勤は19歳でありながら妙手の域に達した武術家。このDオブDに集った武術家は例外を除いて全てが弟子クラス。間違いなく彼は今大会最強の男だ。

 だが強いといっても所詮は妙手。仮にも特A級の達人の端くれであるクシャトリアと戦った場合、その勝敗などもはや論ずるにも値しないことだ。

 田中勤もそれは理解しているようだ。眼鏡をクイッと上げて、

 

「いえ。止めておきます。貴方と戦えば私は死ぬでしょう。私が命を懸けて戦うべきは緒方一神斎。貴方ではありません」

 

「いい判断だ」

 

「では代わりにさっきと比べれば些細な質問を一つ。緒方一神斎はこの島に来ていますか?」

 

「ふむ」

 

 このくらいの質問であれば教えても特に問題にはならない。だがDオブDのトーナメント表を思い出し、少しばかり温情を見せることにした。

 

「教えてもいいが一つだけ条件がある」

 

「拳魔邪帝の出す条件、なんだか悪魔の取引をしている気分ですよ。して条件とは?」

 

「明日の試合。君と新白連合の試合を棄権しないことだ」

 

「……そういうことですか。分かりました、では失礼します」

 

「緒方がいるかいないかは聞かなくていいのか?」

 

「もう必要なくなりましたよ。緒方一神斎がここにいない以上、私がDオブDに参加している理由はない。だから貴方がただ奴がいないと言っていれば、私は明日の試合を棄権していたでしょう。逆にいるのならば、潜入のためまだトーナメントに残っている必要がある。

 わざわざ私がDオブDの試合に残るようにしたこと。それが奴がこの島にいないなによりもの証明ですよ」

 

「ふ。頭の回転も悪くない。明日の試合は頼んだよ。そうさな、先達者として稽古でもつけてやってくれ。勝つか負けるかは任せる」

 

「YOMIと敵対する新白連合に肩入れする理由を聞いても?」

 

「倒すにしても敵が弱すぎても話にならない。そういうことだよ」

 

 新白連合は粒は揃っているが、現段階ではチーム・ジェミニ。レイチェルとイーサンのチームには敵わない。あの二人と試合をすれば下手すれば殺される可能性もある。

 それよりかは田中と戦って負けるか、次の試合に出場困難になる程度に痛めつけられたほうが死なずにすむだろう。

 

「これが最後の温情だ。だがもしこのDオブDが終わっても、こちら側に来ようとするならば……」

 

 その時は明確なるYOMIの敵対者としてクシャトリアも相応の対応をとることになるだろう。

 



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第59話  二回戦

 叶翔の美羽の誘拐騒動から一夜明け、龍斗は無事にDオブD二回戦の日を迎えることができた。

 美羽が動の気を暴走させ、修羅道に堕ちかけるというイレギュラーはあったものの、それもどうにか兼一の策略……いや、あれを策などと高尚な言い方をしていいのかは大いに疑問なところであるが、それは兎も角。兼一のショック療法により美羽の心を戻すことにも成功し、叶翔を退かせることもできた。

 あれだけ美羽に執着していた翔がここまできて大人しく退くとは考えられない。大方この日になにか仕掛けてくるつもりだろう。

 叶翔のことといい懸念事項は多いが、ともあれ今は目の前の試合に集中するしかない。龍斗としては万が一のために、まだDオブDの試合に残っておきたいところだった。

 

「龍斗様。足の方は大丈夫ですか?」

 

「ああ。特に後遺症は起きていない。全て元通りだ」

 

 リミが腰を折り、心配そうに龍斗の顔を覗き込む。

 クシャトリアのツボ押しにより一時的に動くようになった両足だったが、一夜明ければ完全に元の役立たずに戻っていた。そのため龍斗は一度はお別れした車椅子を再び自分の足とすることになった。

 そのことを不満に思う筈がない。そもそもあれは一時の奇跡のようなもの。魔法が解ければ元に戻るのはお伽噺でもお約束だ。だが一度回復した両足で歩く感触を味わってしまうと、こうして車椅子に戻ってしまったことが酷く憂鬱に感じてしまう。

 リミの手前、そんなことはおくびにも出さないが。

 

(いや、悩んでも仕方ない。兼ちゃんみたいに前向きに考えよう)

 

 クシャトリアの力あってこそとはいえ、一度は両足が動くようになったのだ。足が動かないのは静動轟一による体内の気の著しい乱れ、だと原因も既に分かっている。

 ならば後は……せめて静動轟一の気をコントロールするだけの術を練ることができれば、今度はあのツボ押しによる一時的な回復ではなく、完全に快復させることも不可能ではないはずだ。

 

「また龍斗様の足が動かなくなっちゃったのは残念ですけど、何事もないなら良かったです。二回戦! リミ、龍斗様の手を煩わせるまでもなくサクッサクッとドバーって倒しちゃいますから、龍斗様は大船に乗った気でいて下さい!」

 

「……やけに元気だね。まさか二回戦の相手が誰か忘れたのかい?」

 

「ほぇ。相手?」

 

 その時、コロシアムの観客たちの喧騒を貫くように実況のジェノサイダー松本の声が、マイクにより何倍にも拡大されて轟く。

 

『二回戦! 第一試合! チーム・ジェミニと並び今大会優勝候補の一角! 〝拳聖〟緒方一神斎と〝拳魔邪帝〟シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの弟子二人! 次代の闇を担う最精鋭二人組ッ! 紹介しましょう、チーム・ラグナレク!!』

 

 ディエゴ・カーロの口利きがあったのだろう。望んでもいないというのにド派手な紹介と、それに負けないくらいド派手な爆竹が鳴り響いた。

 しかし次の対戦相手が誰なのか、リミと違いしっかりと覚えている龍斗としては、この派手さは自分達の冥福を祈る鎮魂歌にも聞こえた。

 

『そしてぇえええッ! それと対するは自称・北斗神拳伝承者! 世紀末からやってきた救世主! ケンシロウだぁぁあああッ!!』

 

 龍斗たち以上にド派手な花火をあげて、どこかで見たような恰好をしたどこかで見たような男がゆっくりとリングに歩いてきた。

 歩く、ただそれだけだというのに、そこに王者のような威風を感じるのは彼の強さ故だろうか。

 ジェノサイダー松本の紹介でやっと思い出したのか、リミが顔面を蒼白にしてケンシロウを凝視していた。

 

「りゅ、龍斗様ぁぁああ! リミたちあれと戦うんですか!? あれと!?」

 

「大船に乗ったつもりはどうしたんだい?」

 

「大船程度じゃ五秒で沈んじゃいますって! ケンシロウですよケンシロウ!! 師匠からは無理ゲーな相手との戦いは避けるようにって言われているし、ここは棄権しちゃいましょうよ。命あっての物種ですお!」

 

「ふーっ。君にしては妥当な判断だ」

 

 逃げることを臆病者のすることだとただ謗る者がいるとすれば、その者は臆病者にすら劣る愚か者だ。

 戦いにおいて『逃げる』ことは立派な戦術の一つ。勝てない相手と戦えば華々しく玉砕することはできるかもしれない。けれどそれで人生は終わり。生きていればあったかもしれないチャンスを全てふいにすることになる。

 しかし勝てない相手から逃げることで、自身の出血を防げば、或は逆転の機会を得ることができるかもしれない。

 ケンシロウなんてふざけた名前を名乗っている相手だが、その実力はおふざけでもなんでもなく本物の達人。弟子クラスの龍斗とリミが五百人いても敵わぬ怪物だ。

 故に棄権という選択肢は最善の策といえる。だが戦いというのは残酷なもので、最善の行動をとりたくてもとれない状況というものがあるのだ。

 

「リミ、言い忘れていたが一つ拳魔邪帝殿から伝言がある」

 

「師匠から?」

 

「もしも試合結果が二回戦脱落以下なら無人島三か月だそうだ」

 

「え、えええええええええええ!! 三か月もあの島に放り込まれたら、人間の言葉忘れちゃいますって!」

 

「嫌なら勝つしかないな。それと三回戦まで進めば三日の休みをくれるらしい」

 

「三日の休み!? そ、それは嬉しいですけど、でも対戦相手がアレだし」

 

 リミはチラっとリング上でポキポキと拳を鳴らす世紀末救世主(自称)を流し見する。

 三か月の無人島生活など絶対に嫌だし、三日間の休みは絶対に欲しい。けれどあのケンシロウと戦って勝つ見込みは皆無。そんな逡巡がリミの脳裏を駆け巡っているのだろう。

 その気持ちは分からなくもない。だが、

 

「心配するな。勝ち目はある」

 

「け、けど相手は達人ですよ?」

 

「僕のことが信じられないのか?」

 

「――――――!」

 

 拳魔邪帝クシャトリアは達人の例にもれず、色々と常識外れな人だ。一方で達人の中では常識的でもある。

 そのクシャトリアが、だ。達人級と戦って倒せなどという無茶を通り越して無理な課題を弟子に与えるだろうか。

 答えはNOだ。龍斗の師である拳聖もそうだった。修行や組手などで無茶苦茶な課題を出されることもあったが、一度たりとも絶対に不可能な――――無理な課題を与えることはなかった。

 

(それに僕の予想が正しければ、あのケンシロウの正体は――――)

 

 大会主催者であるディエゴ・カーロの黙認。わざわざクシャトリアが暗にこのケンシロウを倒せと命じた理由。それらを繋ぎ合わせれば大体のところは読めてくる。

 とはいえこのことはまだ確信のないことなので、リミには言わない。そちらの方がクシャトリアにとっても良いだろう。

 

「行くぞ」

 

 覚悟を決めると、龍斗はハトが豆鉄砲を食らったように呆然としていたリミに声をかける。

 

「は、はい! リミはいつでもどこでもフォーエバーで龍斗様を信じてます。リミの命、龍斗様に預けちゃいますね。きゃっ!」

 

「…………はぁ」

 

「別にアレを倒してしまっても構わんのだろう? キリッ! き……決まったお……」

 

「猛烈に棄権したくなってきたんだが……」

 

 これから達人級と戦うというのに、このマイペースさと能天気さ。ある意味、この天然っぷりこそリミの最大の才能なのかもしれない。

 龍斗は何故か戦う前からどっと疲労感が伸し掛かってくるのを感じて空を仰いだ。

 リミに車椅子を引かれ、自称世紀末救世主と相対する。

 

「…………………」

 

 ケンシロウを名乗る男は、龍斗とリミを水面の如き瞳で見下ろす。

 気配を呑み込んでいるせいで、達人を前にしたプレッシャーは感じていない。

 

『それではDオブD第二回戦第一試合、スタァァアトォォォオ!!』

 

 実況の合図で龍斗とリミが同時に動き出す。

 コロシアムの玉座ではディエゴ・カーロの隣にいる『クシャトリア』が静かにそれを見下ろしていた。

 



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第60話  回帰

 達人級と弟子級による戦い。大人と子供――――いや天地ほどの差がある武術家同士による試合。

 勝ち目などあるはずがない。弟子の上の位階に妙手があり、達人はその上にある領域。万人が相応の努力と時間があれば到達できるのが妙手であれば、達人とは才能ある者が無限の努力を重ねた果てに辿り着けるか辿り着けないかという人外の領域。

 故に朝宮龍斗と小頃音リミに最初から勝機などありはしなかった。だからこそDオブDの観客たちが楽しみにしているのは、若者たちの魂を削りあう死闘ではなく、達人が若者をその力により蹂躙するという図式。戦いの興奮ではなく、処刑を愉しむため観客たちは目を輝かせていた。

 けれど観客たちの予想とは裏腹に、朝宮龍斗と小頃音リミは達人級であるケンシロウ(仮)とそれなりの戦いをやっていた。

 

「どういうことなんじゃ」

 

 観客席の更に上の階にある玉座にて、リングを睥睨するフォルトナが疑問を漏らす。

 

「拳聖と拳魔邪帝の弟子というだけあって、あの眼鏡の少年と奇天烈な恰好の少女は素晴らしい素養をもっているようじゃが、彼と戦えば一瞬で蒸発するじゃろうし……。やはり手加減しているのかのう?」

 

「………………」

 

 フォルトナはリミの師である〝クシャトリア〟に声をかけるが、クシャトリアは黙したまま何も語ることはなかった。

 自分の弟子が達人と戦っているのに、まるで他人事のように平然としている。

 

「はーはははははははははははっ! 違いますよ、フォルトナ殿! 彼は手加減なんてしていません。あれは演じているだけです」

 

 答えないクシャトリアに代わって、ディエゴが――――観客には聞こえないようマイクを切って――――口を開いた。

 フォルトナが興味深げに「ほぉ」と唸る。

 

「演じるとな?」

 

「左様。ケンシロウ――――あれの中身の彼は芸達者な人物でして、武術のみならず医術や隠密術など様々なことに精通していましたね。中でも彼が得意とするのはアレ、変装術ですよ」

 

 ディエゴ・カーロは姿形どころか声までそっくりに再現している『ケンシロウ』を指さした。

 フォルトナは日本の漫画については良く知らないので、指をさされたところでアレが本物に似ているのか似ていないかなど分かりはしないが、ディエゴ・カーロが自信をもって断言するなら似ているのだろうと判断する。

 

「外面は兎も角、中身の彼が演じているのは『過去の彼』本人! 達人といっても最初から達人だったわけではない。私が嘗て力ない赤子で、未熟な弟子クラスだった頃があるように。彼にもそんな時代があった。

 彼はそんな過去の自分を自分で演じることで、自分の実力を妙手一歩手前の弟子クラスまで落としている。あれならそれなりに素質ある弟子二人掛かりで挑めばそこそこは戦えるでしょう」

 

「成程のう。そんなことが……。てっきりただ手加減しているだけと思っていたのじゃが、一影九拳というのはわしの想像を容易く超えるのう。あいや、彼はまだ一影九拳じゃあなかったかのう」

 

「ははっ! ま、彼が演じれるのは過去の自分だけじゃありませんがねぇ」

 

「…………」

 

 二人の会話を流し聞きながら、玉座に座る〝シルクァッド・サヤップ・クシャトリア〟はリングを見下ろす。

 リング上では丁度、ケンシロウの拳がリミに炸裂したところだった。

 

 

 

「こほっ、はぁ……はぁ……」

 

 ケンシロウ(仮)に殴り飛ばされたリミは、上手く受け身をとって消耗を最小限に留める。

 クシャトリアの修行の根幹は一に組手、二に組手、三に徹底的に組手の兎にも角にもの組手中心。その組手で毎回のようにクシャトリアに吹っ飛ばされていたお蔭で、受け身に関しては梁山泊の白浜兼一ほどではないにしてもかなりのレベルに達していた。

 リミは土埃を払いながら立ち上がった。リミが吹っ飛ばされている間も、ケンシロウは龍斗の制空圏を犯そうと猛攻をかけている。自称龍斗様の嫁、龍斗様の守護神のリミとしては見過ごすことはできない。

 

「うおぉぉりゃぁああ!」

 

 相手が格上であることなどの恐怖を、愛の力で平然と乗り越えると雷光染みた飛び蹴りを浴びせる。

 女性故の非力さを補うため、速度という長所を活かすため、これまで脚力や足腰に重点を置いてきたリミの飛び蹴りはシンプルであるが弟子クラス相手には必殺の威力をもっていた。

 その飛び蹴りをケンシロウは一瞥することもなく、制空圏によっていなしてしまう。

 

「うそっ!」

 

「スローすぎて欠伸がでるぜ」

 

 蹴りをいなしたケンシロウは逆にリミの足首を掴むと、まるで風車のように振り回し、鈍器代わりに龍斗へ叩き付けた。

 リミに対して辛辣な態度をとり続けていた龍斗だったが、自分の身を守るためとはいえ、自分に対してストレートな好意をぶつける相手を殴ることもできず結果として防御が遅れる。強烈な衝撃を横合いから受けた龍斗は、車椅子の身であるため碌な受け身もとれずに地面に投げ出された。

 龍斗と同じように地面に倒れ、まるで嗚咽のように車輪を回す車椅子。ケンシロウはそれを躊躇いなく踏み潰した。

 

「……どうした? 得意の制空圏を張らないのか?」

 

「くっ……!」

 

 制空圏もなにも、半身不随の龍斗は車椅子がなければ碌に動くことも儘ならない。

 龍斗の実力なら、並の相手ならそんな状態でも倒せてしまえるだろう。されどケンシロウに変装した彼は並の相手とは対極に位置する怪物だ。

 

「龍斗様の車椅子の仇ぃーーーー!」

 

 愛する人の足であった車椅子が無残にも砕かれるのを見て、一気に怒りを爆発させたリミが背後より奇襲をかける。

 嵐のような拳打。ケンシロウに変装している彼は、龍斗から意識を外して鉄壁の制空圏をもって防いだ。

 リミはただの怒りに任せて我武者羅に四肢を振り回しているわけではない。怒りに身を任せながらも、その動きにはクシャトリアが骨の髄まで教え込んだシラットの色が色濃く出ていた。

 それを見てケンシロウに変装している彼は口元を綻ばせ、

 

「アタァ!」

 

 慈悲の欠片もなく、背中に肘鉄を喰らわせた。リミは重力に引っ張られるように、地面に叩き付けられてしまう。

 これがボクシングなどの試合などなら、ダウンすればもう攻撃されることはない。しかしDオブDは大会形式をとっているものの、その在り方は限りなく実戦そのもの。殺し合いの場で倒れるというのは命取りになることだ。

 そのことを知っているためリミは急いで立ち上がるが、ケンシロウが予想された追撃をしかけてくることはなく、寧ろ立ち上がるのを待っていたように腕を組んでいた。

 

「もしかして……」

 

 ことここに至ってリミは漸く気づいた。

 リミの組手の相手は主にクシャトリアだが、当然リミと特A級のクシャトリアでは勝負になどなるはずがない。そこでクシャトリアが行っているのが実力までも他人に変装することで、己の実力を弟子クラスや妙手レベルまでセーブする憑逆回帰組手。

 ケンシロウの動きはその組手をやっているクシャトリアとそっくりなのである。

 

「まさか、ケンシロウの正体は師匠……?」

 

「ふっ」

 

 これまでの仏頂面から一転、愉快な笑みを浮かべる世紀末救世主。これまで一緒に修行してきたリミには、その笑みが師匠のものだと直ぐに分かった。

 その笑みは紛れもなく肯定の意思表示。けれどケンシロウに化けたクシャトリアが拳を下ろすことはなかった。

 

「俺は北斗神拳伝承者ケンシロウ……だが仮に俺の正体がお前の師匠だったとしたならば、お前の師匠がこうしてここにいる意味は理解しているな?」

 

 ゴクリと、リミは多量の唾を飲み込んだ。相手がクシャトリアだった以上、これはリミにとってもう試合ではなく組手だ。つまりは修行の一貫。

 相手がクシャトリアである以上、相手をノックダウンさせて勝利なんていうのは夢のまた夢の更に夢の彼方。100%有り得ないことだ。

 よってリミが二回戦を突破する方法は唯一つ。クシャトリアの設定しているノルマをクリアすることのみ。

 

「正体が師匠だったのは驚きましたし、これが修行だっていうのもなんとなく分かりましたけど……龍斗様の車椅子の仇は討たせて貰うお!!」

 

「やってみろ」

 

 拳魔邪帝クシャトリアの弟子クラス時代と、拳魔邪帝の弟子。両者は慣れた雰囲気で激突した。

 

 

 



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第61話  鏡写し

 ケンシロウ――――に変装している拳魔邪帝クシャトリア。拳魔邪帝の一番弟子である小頃音リミ。二人による組手は押すリミと、それを悉く受けるクシャトリアの構図が出来上がっていた。

 勿論クシャトリアが本気であればリミなどは0.01秒で蒸発している。こうして勝負……いや組手になっているのはクシャトリアの側が憑逆回帰組手により自分の実力を弟子クラスレベルまでセーブしているためだ。

 だとしてもこの会場にいる殆どの人間はそんな事情などは知りもしない。達人相手に必死に喰らいつくリミは今や会場中の視線を集めていた。

 車椅子を破壊されたことで、自分の足を失った龍斗は離れた位置から師弟の戦いを眺めていた。

 リングの中にいながら戦うでもなく、地面に座り込んでいる自分は傍から見れば酷く滑稽だろう。

 

「…………あの動き」

 

 しかしジェミニのレイチェル・スタンレイは兎も角、龍斗にとって会場の観客などは限りなくどうでもいい存在だ。

 龍斗が注意を払い視線を向けているのは、ただひたすらにクシャトリアとリミの組手とは名ばかりの実戦だった。

 防戦主体といえクシャトリアは一切攻撃に回ることがないわけではない。リミの動きが乱れれば容赦なく鉄拳という名の鞭で鼻っ面を叩いていく。だがクシャトリアの弟子であるリミは流石に愛の鞭を受け慣れている。鉄拳を喰らっても、我武者羅に喰らいついていく。

 その構図に龍斗は覚えがあった。

 

(あれは確か僕が静動轟一のため〝動の気〟の解放を行った時のことだ)

 

 静の気と動の気を同時に解放する、気の扱いにおける禁断の技――――静動轟一。それを修得するには必然的に静の気と動の気、二つの気を解放できることが前提条件としてある。

 仮に片方の気しか解放できていないのに、静動轟一を使用すれば運が良くて不発。最悪の場合だと体内の気のバランスが崩れ暴発しかねない。

 龍斗の基本的なスタイルは静のタイプだが、静動轟一を修得するため拳聖より動の気の解放についても教わっている。

 自分の感情を爆発させて戦うリミと、その爆発を引き出そうと絶妙な加減を加えながら攻撃するクシャトリア。

 全く同じものというわけではないが、龍斗もこのような組手を闇ヶ谷で拳聖としたことがあった。

 

(…………成程。僕の車椅子をこれ見よがしに破壊したのはリミの怒りを煽るため、ということか。よくよく考えればリミもそろそろ気の扱いについて覚えてもいい段階だな)

 

 リミの実力は既にYOMIの幹部たちとそこそこ戦えるレベルに達している。伸びしろはまだまだあるので、もう少しすれば完全に肩を並べるまでになるだろう。そうなればやはり気の扱いについてもある程度は知っておかなければならない。

 だが動のタイプは爆発力は高いのだが如何せん扱いが難しい。動の気を極めた挙句に感情のリミッターが外れっぱなしになり、敵と見れば襲い掛からずにはいられない狂戦士と化した武術家も少なくはないのだ。

 よって動のタイプの解放を修めるにはリスク承知で薬物などを用いた危険策か、段階をおって解放する安全策があるわけであるが、どうやらクシャトリアは安全策の方をとっているらしい。

 リミはいつも師匠は鬼だのなんだのと言っているが、拳魔邪帝クシャトリアには最後の最後のラインではやはり優しさがあるようだ。

 

「――――呑気に観戦していていいのかな?」

 

「っ!」

 

 背後から鈍器で殴られたような打撃を喰らう。

 試合をする人間しか入ることのできぬこのリングで、龍斗を後ろから攻撃することができる人間は一人しかいない。

 

「拳魔邪帝……クシャトリア殿。いつのまに」

 

「クシャトリア? 知らないなぁ~。誰だい、それ」

 

 わざとらしく誤魔化すクシャトリア。

 龍斗は自由に動く首をさっきまでリミとクシャトリアの戦っていた方向に向けた。そこにもうケンシロウのコスプレをしたクシャトリアの姿はなく、郵便ポストのように微動だにせず棒立ちしているリミだけがいた。

 つい数十秒前までは猛火の如き猛攻をしていたというのに、ピクリとも動かず、完全にリングの景色と同化してしまっていた。あれならば精巧なマネキンと言われたら信じてしまうかもしれない。

 

「彼女をどうしたんですか?」

 

「リミはノルマをこなした。だからこっちが終わるまで暫く眠って貰っている。ほら。ずっと倒れていると敗者ということで片づけられるかもしれないから、ちょっとだけ手を加えたが」

 

 この人であれば人一人を立ったまま気絶させるなど児戯のようなものだろう。特に驚くには値しない。

 それよりも気になるのは言葉の前半だ。

 

「ノルマをこなした、と言いました。ならばこの試合はこれまででは? てっきり私はご自身の修行のためにこの大会を利用したのだと思いましたが」

 

「やはり君は頭の回転が良い。その思慮深さ、うちの弟子にも見習ってほしいものだよ。だが」

 

 ゾクリ、と龍斗の背筋に寒気が走った。

 

「だからこそ考えが足りない」

 

 なんの技法もなく、無造作に繰り出された蹴りはしかし、下半身が付随で車椅子もない龍斗にとっては回避不能の攻撃だった。

 朝、朝食をとることがなかったのは幸いだっただろう。もし朝食をしっかり摂取していれば、今頃リングに胃の中のものを吐き出していたに違いない。

 腹を蹴り飛ばされた龍斗は咳き込みながら、自分を蹴った拳魔邪帝クシャトリアを見上げた。

 

「なにを、なさるのですかっ!」

 

「武人同士が対峙しているならやることは一つだろう。戦いだ」

 

「戦い……? しかし私は」

 

「緒方から君のことも頼まれているからな。うちの弟子と同じく君にも稽古をつける。ああ当然のことだが、君の方がノルマをこなせなければ試合は君たちの負けということになる」

 

「――!」

 

「さぁ組手だ。立て、立って掛かってこい」

 

 半身不随の車椅子生活を与儀なくされた人間に対して、クシャトリアはそんな無茶を言った。

 龍斗は立ち上がらない。否、立ち上がることが出来ない。

 そもそも立てるなら最初からとっくに立ち上がっている。好き好んで車椅子生活をする者などいるわけがないのだから。

 

「やれやれ。掛かってこないのか? 私はこうして立っているのに(・・・・・・・・・)

 

 クシャトリアが自分の顔に手をかけると、その面貌を別の面貌にしていたマスクをベリッと剥がし取った。

 マスクだけではない。全身を覆っていた変装用の皮が剥がれ全く別人の姿がそこに現れる。

 最初は下らないコスプレを止めて、正体を現したのかと思った。だが違う。ケンシロウの中から現れたのはクシャトリアの浅黒い肌ではなく、東洋人らしい黄色い肌だった。

 色素を失った白髪とは対照的な黒髪、同年代と比べ頭一つ分は高い身長、理知的な眼鏡、ローマ数字のⅠを刻んだ手袋。

 その人間を朝宮龍斗は誰よりも知っている。嘗て何気なく鏡を見れば、そこに必ず映っていた人間だ。

 

「僕、だと……?」

 

 白浜兼一に敗れる前、ラグナレクのリーダーだった頃の朝宮龍斗が目の前に現れた。

 理性ではそれがクシャトリアの変装に過ぎないということは分かっている。だというのに歯はがちがちと震え、視線は過去の自分から離れない。

 

「静動轟一!」

 

 そして過去の己は、過去の己と同じように、今の自分になる原因となった技を発動した。

 

 



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第62話  ミラーマッチ

『おおっ! これはどういうことなのか!! 北斗神拳伝承者ケンシロウ選手が自分の顔に手をかけたと思えば、中から現れたのは対戦相手である朝宮龍斗選手の顔!!

 こ、これはまさか朝宮龍斗選手は双子武術家だったのかぁあああ! それともプロジェクトなんたらで作られたクローンなのかぁぁあ!?

 と、兎に角! とんでもないことが起こりました!!』

 

 勿論龍斗には双子などいないし、ましてやクローン人間を作られた覚えはない。目の前の朝宮龍斗はただのクシャトリアの変装だ。

 朝宮龍斗――――に擬態したクシャトリアが発動させたのは静動轟一である。

 内側に呑み込む静と外側へ爆発させる動。青と赤、守と攻、水と炎。本来相容れるはずのない気が混ざり合い、危険な鬼気が立ち上っているのを龍斗は間近で感じている。

 唾を飲み込み、驚愕を露わにする。

 なにもクシャトリアが静動轟一を使ったことに驚いているのではない。クシャトリアは静の気と動の気の二つを同時に極めた達人。静動轟一を発動することなど容易いことだ。

 問題なのはクシャトリアがいとも平然と静動轟一を発動させ維持し続けていることだ。

 

(こんなことが、出来るのか……?)

 

 静動轟一が禁忌とされるのは一重にその危険性故。

 確かに静動轟一を使えば一時的に爆発的な戦闘力を得ることができるが、その代償に使い続ければ肉体と精神が崩壊していくというリスクを背負う。そのことは身をもって体験した龍斗は身に染みて理解している。

 不幸中の幸いにも精神が崩壊して廃人になることこそなかったが、肉体の崩壊により体内の気が乱れ、こうして両足で歩くこともできない無様な姿を晒すことになったのだ。

 だというのに静動轟一を発動して既に1分以上経過しているというのに、クシャトリアに肉体や精神の崩壊が始まる予兆は見受けられない。

 

「よもや完成させたというのですか、静動轟一を!」

 

 クシャトリアはかねてより静動轟一に対して並々ならぬ関心を寄せ、熱心に拳聖と共同研究に勤しんでいた。龍斗の足の治療も静動轟一を完成させるためのデータ収集という意味合いの方が強かった。

 静動轟一なんてハイリスクな技、到底完成できるようなものではないと龍斗は思う。しかしシルクァッド・サヤップ・クシャトリアは十代後半から二十代前半そこそこで既に一影九拳と肩を並べるだけの強さに到達した天才。

 クシャトリアであれば禁断の領域を踏破し、禁忌をただの奥義に落としかねない。

 

「いや」

 

 だがクシャトリアは首を横に振ってそれを否定する。

 

「静動轟一の気をコントロールすることは出来たが、流石に静動轟一なんて猛獣が子猫に思えるくらいのじゃじゃ馬を抑え込むだけの器を作ることは不可能だった。

 スペックは十分でもハードの方が追い付いていかないんだな、これが中々。一応達人といっても人間であることには変わりないわけだからね。人間である以上、限界はある」

 

 だから静動轟一を完全にするには人間を超えて神に至らなければ、とクシャトリアは付け加えた。

 それは果たして天上の神々を指して言ったのか、それとも彼の師匠のことを言ったのか。

 付き合いの長くない龍斗に推し量ることはできなかった。

 

「まぁコントロールはできるようになったんだ。達人の俺ならば1分……いや3分か。大体それくらいはノーリスクで発動させ続けることができるだろう」

 

「……既に貴方が発動してから3分以上経過していますが?」

 

「早合点するな。あくまで本気で発動させた場合の話だよ、三分っていう時間制限は。

 組手にあたって気の方も弟子クラスレベルまで抑え込んでいるから、このくらいなら何時間発動させてようと達人の肉体は壊れたりしない」

 

 そう言うとクシャトリアは〝眼鏡〟を外すと、右腕を上に左腕を下に……以前の五体満足だった頃の朝宮龍斗と全く同じ構えをとった。

 構えだけではない。静動轟一を常時発動している以外は気配から目つきに至るまで『朝宮龍斗』そのものだ。

 突然夜空に浮かぶ月が二つになった気色の悪い感覚。いや月が自分なせいで余計に気分が悪い。自分と全く同じ人間が目の前にいるというのは、想像以上に気分が悪くなるものだ。例えそれが変装だと分かっていても。ドッペルゲンガーを見た人間はこんな気分になるのかもしれない。

 

「さぁ。ミラーマッチだ、朝宮龍斗。これは嘗ての君自身の強さ・実力だ。これを倒したその時、君は嘗ての自分を超えた証を手にすることができる」

 

「……!」

 

 話が終わると静動轟一を発動したクシャトリアが突進してくる。動の者のような獣染みた突進。でありながらその周囲には頑強な制空圏が発動している。

 これが静動轟一の厄介なところだ。静と動の融合により気が高ぶるだけではない。静の気と動の気の短所を潰しあい、長所を前面に押し出してくる。

 兎に角、クシャトリアは本気だ。完全に実力を『朝宮龍斗』にしたまま、一切の慈悲なく襲い掛かってきている。その目には確かな殺意が宿っていた。

 

「くっ! 車椅子がなくとも、私とて拳聖様の弟子!」

 

 足を使わず両腕の筋力のみで体を支えると、横に体を投げ出す。

 龍斗がさっきまで倒れていた場所に落石のような突きが突き刺さった。もし龍斗が回避していなければ、今頃自分は串刺しにされていただろう。

 

「足の力は腕の三倍というが、だとすれば腕の力を三倍にすれば腕を足代わりにすることができる。流石は緒方、弟子をよく仕込んでいる。だが下半身の力なしに勝てるほど、嘗ての君は脆弱だったのか?」

 

「――――!」

 

 今日この時ほど過去の自分が弱ければ良かったと思ったことはない。

 車椅子になってからバランス感覚など伸びたところも多いが、全体的には下半身が使えなくなったせいで弱体化している。例え車椅子があったとしても、嘗ての五体満足の、しかも静動轟一を発動している己に勝つことはできなかっただろう。

 ましてや車椅子なしでは万に一つの勝機もありはしない。ならば勝つためには、

 

(そういうことか。貴方は私に両足を自力で動かせるようになれ、と)

 

 どうせ自分の考えていることなどお見通しなのだろう。クシャトリアがニヤリと頷いた。

 

(静動轟一は体内の気の著しい乱れが原因。それを聞かされてから、僕は車椅子に座ったままずっと静動轟一をコントロールする気を練っていた。

 そして昨日、僕は拳魔邪帝殿の手を借りてとはいえ一時的にだが両足が動かすようになった。あれは秘伝のツボみたいな便利なものを押されたんじゃない。恐らくは私の気の練りを外側からフォローされたのだ……。

 とすれば私は既に他人の力を借りたといえど静動轟一の気のコントロールに成功している。あれを自分だけの力で出来れば)

 

 朝宮龍斗は再び地面に両足をつけて歩くことが出来るようになる。

 いきなりこの土壇場で無茶と思わないでもない。だが龍斗は常識的に考えて無茶な速度で制空圏を体得して目の前に現れた『まったくもって才能のない幼馴染』を知っている。

 ならば少なからず才能に恵まれた自分が弱音をあげることなど出来るはずがない。

 

「はぁああああああああああああああああああああああああッ!!」

 

 五臓六腑から息を吐き出し、大気中の空気を限界まで呑み込む。

 乱れた己が体を、己の力をもって征服し、龍斗は地面を踏みしめた。

 

「立ったか」

 

「はぁはぁ……お蔭さまで、どうにか」

 

 失われていた感覚が戻っている。脳から命令を送れば足が当然のように動く。まだ本調子とはいかないが、どうやら静動轟一の気のコントロールに成功したようだ。

 今の自分であれば、いける。

 

「静動轟一!!」

 

 己を一度壊した禁忌の技を発動させる。

 以前はこれのせいで醜態をさらしたが、静動轟一の気のコントロールを身に着けた自分であれば30秒間は均衡状態を維持することができるだろう。

 だがそれを超えた時は即ち死。よって30秒で決着をつける。

 

「はっ――――!」

 

「いいぞ、来い」

 

 クシャトリアが演じているのは朝宮龍斗だ。ならばわざわざ動きを確認するまでもなく、自分の頭脳はその動きを知り尽くしている。

 眼鏡をとり観の目を全開にして、龍斗は信じるに足る必殺必中の突きを繰り出す。

 

「グングニルッ!」

 

 北欧の主神が担う槍は、嘗ての自分の盾をすり抜けその体に突きを叩きこんだ。

 かつての自分は足掻くも、もはや勝敗は決している。完全に万全の体に戻った今の自分が、過去の自分に敗れる道理などありはしない。

 

「ふっ」

 

 拳打を浴びたクシャトリアは後方へ飛んだ。

 傍目にはボロボロの状態のクシャトリア。だがボロボロに見えるのは演じている外面だけだろう。中身のシルクァッド・サヤップ・クシャトリアという達人には欠片もダメージなど通ってはいない。

 だがこれが組手である以上、勝敗は決したといって良かった。

 

「ノルマ達成だな。これで緒方に貸しを一つ作れた。…………それじゃポチッとな」

 

 特撮物の怪人の末路のように、過去の朝宮龍斗の体が爆発した。

 もくもくと上がる黒煙。取りあえずこれは二回戦突破ということでいいのだろう。

 

「Zzz……」

 

 リングで派手な爆発音が響いたにも拘らず、呑気に寝入っているリミを見て、龍斗はこれで三十七回目の溜息をついた。

 



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第63話  命令

 龍斗とリミとの組手を終えたクシャトリアは、完全に変装を解いてコロシアムの外に出ていた。

 背後からコロシアムの殺意と歓喜とが溶け合った熱気が伝わってくる。以前まだ自分がクシャトリアではなく、ただの普通の少年だった頃に親に連れられJリーグの試合を観戦しに行ったことがあったが、この熱気はそれとは比べものにならないほどの密度と熱さをもっている。

 やはり生身の体で、剥き出しの生命をかけて殺しあう大会はスポーツとはまるで異なる雰囲気をもつものなのだろう。

 コロシアムを見上げながらクシャトリアはそんなことを考えた。

 

「クシャトリア様」

 

「む。アケビか?」

 

 クシャトリアの側近であるアケビが音もなく前に現れた。アケビはクシャトリアが命じていたデスパー島の調査で得た情報について報告する。

 アケビの集めた情報によれば、やはりデスパー島内部で不穏な動きがあるそうだ。まだ派手なことはなにも起きていないが、既に警備兵の一部が謎の昏倒を遂げたり、謎の行方不明になっているらしい。

 

「この島にはフォルトナが金で集めた達人級が何人か守りについている。そういう連中まで失踪しているとなると、やはり梁山泊も一枚噛んでいるな」

 

「……恐らくは。少なくとも私とホムラを含めた並の達人に、達人級を騒ぎを起こさず倒すことは難しいでしょう。であればやはり梁山泊の豪傑たちが絡んでいる可能性は高いかと」

 

「だろうな。彼等からすればこんな世界中の悪党見本市みたいなところに乗り込んできて、なにもせずに帰るなんて活人道から外れる行いだろうし。義を見てせざるは勇なきなり……ということか」

 

 それに梁山泊の達人たちなら、並の達人の十人や五十人は音もなく鎮圧することも不可能ではない。

 若輩ながら彼等と同じ領域に立っているクシャトリアだから、彼らの実力については正しく把握していた。

 

「それとクシャトリア様。もう一つ気になる情報が」

 

「なんだ?」

 

「実はフォルトナが世界中から集めた雇った達人の中に、魯慈正様に仕事を押し付けて放浪されていた拳豪鬼神・馬槍月殿がいると」

 

「槍月殿が?」

 

 古の豪傑のように立派な虎髭をたくわえた武人を思い返す。梁山泊が豪傑が一人、馬剣星の実兄にして共に中華最強の武人とされる達人の中の達人だ。

 友人に月のエンブレムを押し付けて何処へ行っているのかと思っていたが、よもやこんな場所にいるとは。

 これはクシャトリアにとっても誤算だった。しかし一影九拳の一人がここにいるのに、嬉しい誤算とは言えないのが悲しいところだ。

 

「どうなさいますか? 会われますか?」

 

「いいや。やめておこう。下手に会ったら戦いを挑まれそうだ。せめて俺が一影九拳なら不可侵を盾にも出来たんだがな。俺はまだ九拳じゃないし」

 

「一影九拳ではありませんが、同じ闇の同志ではありませんか。杞憂では?」

 

 アケビが真っ当な進言をする。普段ならクシャトリアも信用している部下の進言を容れていたが、今回ばかりは首を横に振った。

 

「お前もまだまだ一影九拳について理解が足りていないな。天が崩れ落ちることを心配しなきゃならないのが一影九拳なんだよ」

 

「そうなのですか?」

 

「ああ。尤もこれは梁山泊のお歴々にも言えることだが」

 

 優れた体には優れた心が宿るもの。であれば常識外れの肉体には常識外れの精神が宿るもの。

 そんな常識外れの二大勢力、一影九拳と梁山泊が一つの島に集まっているのだ。例え呉学人だってなにかあると分かるだろう。

 

「師匠ー!」

 

 アケビと話していると少し怒った様子のリミと、疲れ切ったように後ろからついてくる龍斗がやってきた。

 

「なんだリミか」

 

「なんだじゃないですお! どういうことなんですか! 折角リミと龍斗様の愛の力で師匠の極悪なノルマをクリアして三回戦まで進んだのに、ここでリミたちは棄権なんて!? あと二回勝てば優勝なんですよ優勝!」

 

「はぁ。そんなことで怒っていたのか」

 

 リミにとって武術とは愛を掴むための手段。だというのに意外にもこういう勝負事に執着したりもする。

 若者の心とは達人をもってしても完全に分からぬもの…………と天を仰ぐシルクァッド・サヤップ・クシャトリア年齢不詳。推定年齢十代後半から二十代前半。言うまでもなく世間からすればクシャトリアも十分若者に入る年齢である。

 

「もうリミも龍斗くんもこの大会でやるべきことは終わったからな。リミは動の気解放の足掛かりを得たし、龍斗くんも静動轟一のコントロール法を体得した。既に十分すぎる成果は得ている。これ以上の戦いは無意味だ」

 

「で、でも」

 

「それに幾ら静動轟一のコントロールをマスターしたといっても龍斗くんは足が動くようになったばかり。無理して戦ってまた体を壊しちゃ元の子もないだろう」

 

「龍斗様のお体が第一ですよね。ラジャーです。納得しました」

 

「………………」

 

 龍斗と顔を見合わせ心の中で二人して溜息をつく。リミの一途っぷりは良く分かったし、一人の人間をここまで想えるのは得難い美徳だが、龍斗の名前を出せばあっさり頷く単純さは問題だ。

 師匠としては矯正するべきなのかもしれないが、こればかりは何を言っても曲げられる気がしない。

 いっそ忘心波衝撃でも喰らわせて新たな人格でも植えつけてやれば、クシャトリアの思うが儘の弟子を作り上げられるだろうが、流石に師匠と違ってクシャトリアはそこまで外道ではない。

 そうやって自分の弟子について頭を悩ませていると、懐のケータイのバイブが振動した。ケータイを開いてみれば、そこにあるのは非通知の三文字。

 

「もしもし」

 

 嫌な予感を感じながらも電話に出る。

 

『……私だ、クシャトリア。無事なようで安心した』

 

 声の質で一発で分かった。電話をかけてきた相手は闇の一影、風林寺砕牙。

 一影九拳の誰かだろうと当たりをつけていたが、一影直々からの連絡というのは少し驚きだった。

 

「一影殿。一介の闇人にどのような御用ですか?」

 

『国連軍が動いた。デスパー島を制圧し、集まっている裏社会の要人たちを一網打尽にする算段だろう』

 

「――――!」

 

 一影は徹底した合理主義者らしく単刀直入に事実を告げる。

 なにかあると確信していたが、国連軍とはこれまた大物が出てきたものだ。

 

『国連軍だけならデスパー島の戦力で如何様にも料理できるが、そこに梁山泊の豪傑たちが集結しているなら今日でもデスパー島の主の名前は摩り替るだろう。

 我々闇としてはフォルトナ氏は有数の出資者であるし、DオブDは裏社会でも名の通った大会。その会場が落ちれば闇にも波紋が広がる。

 命令だ。クシャトリア、デスパー島の陥落を阻止しろ』

 

「……やれと仰られるならやるしかありませんが、作戦成功は期待しないで下さい。俺とディエゴ殿で梁山泊の達人を二人、デスパー島の戦力で二人と仮定しても、残り二人を抑えることができません。特に貴方の父君を。

 もし本気で作戦成功を祈って下さるなら最低でも本郷殿、アレクサンドル殿、ラフマン殿、アーガード殿、緒方と美雲さんを増援に連れてきて下さい」

 

 戦力的には一影九拳最強だが師匠のジュナザードはいらない。

 下手にジュナザードなんてくれば、余計に事態がややこしいことになる。

 

『一影九拳のほぼ全戦力だな。当然その要望は却下だ。君が阻止は不可能だと判断したのなら、こちらの被害を最小限にするよう動いてくれ』

 

「どのように?」

 

『それは――――――』

 

 一影からの指示を言われ、クシャトリアは頷いた。

 梁山泊の豪傑たちと戦うのではなく、これならばデスパー島の戦力でもどうにかできそうだ。

 

「分かりました。努力します」

 

『武運を祈る』

 

 電話が切れる。コロシアムでは丁度試合が終わったのか爆発的な歓声が轟いたところだった。

 クシャトリアはケータイをしまい、一影からの命令をこなすために立ち回り始めた。

 



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第64話  達人と達人

「うぅ……酷い目にあった」

 

 龍斗やリミがやったように、やっとの思いで我流Xこと長老から「合格」の二文字を引き出した兼一は、千鳥足で梁山泊チームのベンチへ戻る。

 昨日の黒虎白龍門会や叶翔との戦いのダメージが抜けきってない中での我流X戦。良い経験はつめたかもしれないが、兼一の体はボロボロだった。

 

「大丈夫ですかですわ、兼一さん」

 

「み、美羽さん!」

 

 倒れかけた兼一を美羽が支える。

 我流Xと0.0002%組手という常軌を逸した組手をしたのは兼一だけではない。美羽も兼一と共に我流Xと死闘を繰り広げた。

 風林寺美羽という少女は同年代の武術家の中でも抜きん出た実力の持ち主だが、それでも長老との0.0002%組手は決して易しいものではない。あの組手で美羽もかなり消耗したはずだ。

 だというのにボロボロで今にも倒れそうに歩く自分に対して、美羽は自分を気遣ってくれている。この優しさに甘えては、史上最強の弟子の名折れだ。

 

「ぜ、全然へっちゃらですよ! このくらいなら、いつもアパチャイさんにやられ慣れてます!」

 

「まぁ!」

 

「そうよ! 兼一、よくアパチャイに殴られてお星さまになってるよ! 死んでないし全然ダイジョーブよ!」

 

 アパチャイの暴論に苦笑いしつつも、兼一はどうにか震える足を押さえつけ自分の足でベンチへ戻ってきた。

 不思議なものである。本当は立っているのも辛いのに、虚勢を張っていると少しだけ楽になってきた。

 

「人間の体なんてそういうものね。空元気でも元気を出すのは重要ね。病は気からという諺もあるくらいだしね」

 

「馬師父、ナチュラルに心を読まないで下さいよ」

 

 ベンチに腰を下ろして、ふと周囲を見回すとそこにさっきまでいた人達がいないことに気付く。

 

「あれ? 新白連合の皆はどこに?」

 

「あいつ等なら作戦会議に行ったぜ。次の試合だからな」

 

 逆鬼師匠の言う通りトーナメント表における次の試合のカードは、新白連合VS天地無真流となっている。

 兼一は黒虎白龍門会との試合の後、気絶していたので見てはいないのだが、天地無真流の田中勤なる人物は一見すると何処にでもいるサラリーマン風の男だが、岩のような大男たちを指先一つでKOした猛者だそうだ。

 新白連合の皆も勝つために作戦会議に余念がないのだろう。

 

「だけど幾ら強くたって相手は一人だし、きっと勝てますよね」

 

「……いいえ。それはどうでしょう」

 

「美羽さん?」

 

「美羽の言う通り…だ。あの男が本気でくれば全員で襲い掛かっても勝てな…い」

 

「そんな! しぐれさんまで!?」

 

 元第三拳豪フレイヤ、元第七拳豪トール、元第八拳豪のキサラ。それに達人級のボクサーに教えを受けることで格段に実力を伸ばした武田。

 新白連合にはこれだけの戦力が揃っているのである。それこそ我流Xやらケンシロウなんてルール違反な別格を除けば、たった一人で打倒するなんて出来ないだろう。

 

(いや僕は一人だけ、それが出来そうな男を知っている)

 

 叶翔、YOMIのリーダーのスパルナ。

 あの男の実力であれば新白連合全員を一人で相手取るなんてことも不可能ではないかもしれない。

 

「まさか田中さんって人は叶翔並の使い手なんですか?」

 

「いいや。それは違うのう」

 

「長老! で、ですよね。叶翔みたいなのがそう何人もいるわけが……」

 

「彼、君の言う叶翔くんより数段以上は格上じゃ」

 

「う、うっそーん……」

 

 叶翔はどれほど素質溢れていようと未だその位階は弟子クラス。対して田中勤は十九歳でありながら既に弟子クラスより一つ上の位階、妙手に至っている武人。

 十年後がどうなるかは分からないが、現時点では田中勤は叶翔よりも遥かに強い実力者だ。

 そう聞かされた兼一は叶翔より遥かに強い武人ですら達人ではないという事実に、思わず空を仰ぎたくなった。

 

「あれ?」

 

 そこで兼一は違和感に気付いた。兼一が質問する度に、適格な助言をしてくれる人が見当たらない。

 

「岬越寺師匠が見当たりませんけど、なにかあったんですか?」

 

「秋雨くんはちょっとばかし野暮用があってのう。なぁに、秋雨くんならば心配はいらんよ」

 

「はぁ。野暮用ですか」

 

 闇の巣窟、裏社会のドンたちが集まるデスパー島でよりにもよってヤクザ嫌いの岬越寺秋雨が野暮用。

 寒気がしたが、兼一は心の平穏のため努めて考えないようにした。

 

 

 

 DオブDの試合が一層盛り上がりを増していた頃、クシャトリアはリミと龍斗を伴ってデスパー島のセキュリティーに来ていた。

 セキュリティールームにはクシャトリアの予想通り見張りの兵士やウェイター、メイドなどに擬態して潜入していた国連軍の狗がなにやらコンピューターを弄っている。

 大方国連軍の攻撃のための前準備だろう。

 

「いたいた。埋伏の毒発見」

 

「っ!? シルクァッド・サヤップ・クシャトリア!? 何故ここに! お前はDオブDのコロシアムにいるはず」

 

「あれは優秀な部下の変装だよ」

 

「くっ……!」

 

「無駄な抵抗は止めた方がいい」

 

 拳銃を取り出そうとした男に、気当たりをぶつけて動きを硬直させる。

 クシャトリアにとって拳銃など玩具のようなものだが、一々避けるのも面倒だったので、石ころを蹴り飛ばして拳銃を破壊しておいた。

 

「俺もこんな島が消滅しようとどうでもいいんだが、一影からの命令でね。デスパー島陥落は出来る限り阻止しなくてはならない。

 達人未満の相手は例え殺意をもって挑んできても殺さない主義だが、今回は一影から邪魔者は殺せという言いつけがあるから…………残念ながら君達を皆殺しにしなきゃならないんだ。すまないけど」

 

『――――ッ!』

 

 デスパー島に潜入するくらいだ。彼らは達人ではないとはいえ、達人の出鱈目さを知る者ばかりだ。

 その達人に皆殺しにすると宣告された彼らは、まるで死刑判決を受けた被告人のように蒼白だった。

 

「リミ、龍斗くん。下がっていろ。穏便にやるが、少し刺激が多い。ま、君たちもいずれ経験することだから目を慣らしておくといい」

 

「了解ですお」

 

「……はい」

 

 こういう場所だというのにリミは呑気に、龍斗は冷たく答えた。

 龍斗は緒方が仕込んでおいたのだろうが、リミも何度かヤクザの抗争のど真ん中に突き落したりしてきただけあってそこそこ度胸がついてきたらしい。

 殺人拳の弟子としては悪くない兆項だ。

 

「せめてもの情けだ。痛みは与えず眠るように絶命させよう」

 

 先ずは最初にクシャトリアを拳銃で撃とうとした男を、その勇気を称えて一番恐怖を感じずに済む最初に終わらせる。

 だがクシャトリアの手は男の命を刈り取ることはなかった。

 

「やめたまえ。人生は一度きりの得難い財産。命令だからと易々と奪うものじゃない」

 

「っ!」

 

 自分の腕を掴んでいた手を振り払い、後ろへ飛びのいた。

 達人であるクシャトリアの腕を容易く捕えたのであれば、その者もまた達人なのは道理。

 

「哲学する柔術家、岬越寺秋雨殿。やれやれ面倒な人が来られたものだ」

 

「ふっ。君も武術家なら命の尊さについてじっくり思索に耽るのも悪くはないよ。どれ考える時間を与えようじゃないか」

 

 若者たちが命を懸けるコロシアムの外れで、二人の達人の命を懸けた死闘が始まろうとしていた。

 



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第65話  田中勤

『一回戦のチーム・ラグナレクの激闘! 我らが我流Xの戦いの興奮の冷めやらぬ中の二回戦! 第四試合は前夜祭で飛び入り参戦してきた今大会のダークホース! 新白連合!』

 

 実況解説者のジェノサイダー松本の声が会場中に響くと、新島を先頭に新白連合の面々がコロシアムの前に来る。

 無論コロシアムの前に来たからといって新島は戦わない。新島春夫は人外の宇宙人だが、その戦闘力は決して人外ではない。YOMIどころか、そこいらのチンピラとまともに殴り合えば十秒たらずで撃沈するだろう。

 だがなにも強さとは腕っぷしのみではない。オーディーンやスパルナなどといった屈指の強さがないにも拘らず、彼が新白連合の総督の地位についていられるのは、彼の奇妙なカリスマと優れた眼力、頭脳があるからだ。

 その頭脳は達人をもってして『世が世なら軍師として名を轟かせた』と評されるほどのもの。総大将の中には自ら前線へ赴くことで兵を鼓舞するタイプもいるが、彼はまったくその逆。自分自身を最も安全な所に置き、そこから配下の将兵に指揮を出すタイプだ。

 

――――ただし、時と場合によっては臨機応変に前線に赴くことが出来るというのも、彼が軍師として優れる所以であるが。

 

 そんな彼がわざわざ戦わないのにコロシアムの前まで出てきた理由は一つ。

 新白連合の敵を見定めるためだ。

 

『そぉぉぉぉしてぇえええッ! 新白連合と対するは一回戦にて対戦相手を指先一つでダウンさせた謎の男! 年齢19歳既婚者のスーパーサラリーマン! 天地無真流! 田中ァァアァァア勤ゥゥゥゥウウウウウウウウウウウ!!』

 

 余りにも容貌が地味なせいか、なにかと派手な新白連合の入場と比べれば歓声はまばらだ。

 しかし何処からどう見ても平凡なサラリーマンにしか見えない男、田中勤はまるで心を揺らすことなくコロシアムに立った。

 

(あれが、新白連合……)

 

 田中にとって、本来この戦いは不要なものだ。

 元々田中はこの大会に栄誉を求めて参加したのでもなければ、賞金目当てに来たのでもない。田中の目的は唯一つ、嘗て〝拳聖〟の武術的狂気の犠牲となり殺害された師〝御堂戒〟の仇討だ。

 この大会に来たのも、一影九拳の一人が大会に列席し、拳聖の弟子が選手として参加するという情報を入手したからに過ぎない。

 だが大会にいた一影九拳は拳聖ではなく笑う鋼拳ディエゴ・カーロ。拳聖の弟子は確かに参戦していたが、田中の目的はあくまでも拳聖。その弟子に手を出すつもりはないし、用もなかった。

 拳聖の弟子を人質にとって拳聖を引きずり出す、なんて下種な策謀が脳裏を掠めたことはある。しかし田中勤とて腐っても武人。仇討という師の志した活人拳とは真逆の道を行き、師の顔に泥を塗ってしまっているのに、これ以上流派を穢すことは出来なかった。

 ともあれ拳魔邪帝クシャトリアより『拳聖はデスパー島』にいないという情報を聞き出すことはできたのだ。拳聖のいない島にもはや留まる理由はなく、無理して仕事を休んで来ているので、本来ならばすぐにでも大会を棄権し日本へ戻るべきだ。

 だがそうしないのは明日の試合を棄権しない、という条件でクシャトリアから情報を聞き出したからである。

 次期一影九拳最有力候補、ジュナザードの後継者とも目される男と交わした約定を破るほど田中は命知らずではない。

 それに一人の武術家として興味もあった。

 新白連合、DオブDの前夜祭にて無謀にも飛び入り参加してきた日本の不良集団。将来達人にも到達しうる器を秘めた原石たち。

 彼らが果たして闇の殺人拳の申し子たち、YOMIと対峙できるのか否か。

 己も活人拳の弟子として、いや活人拳を志していた者として一度その実力を見ておきたい。

 

『ふふふふっ。これはこれはまた面白いカードだ。う~ん、彼はもう棄権するから私はノータッチだったんだが……成程。彼も味な真似をする……。

 よぉぉぉし! たった今、この試合のルールが決まったぞ! 試合ルールはバトルロイヤル! 全員で戦って、相手のチームを全滅させた方が勝利! VSケンシロウやVS我流Xと同じルール。楽しんでくれたまえ』

 

「ほう……」

 

「っ!」

 

 田中にとっては予想内のことだったが、新白連合にとっては予想外のルールだったのだろう。

 代表して総督の新島が、審判でもあるディエゴ・カーロに確認をとる。

 

「ケケケケケ、ミスター・カーロ。分かってんのか? バトルロイヤルルールってことはつまり、俺様達の有利ってことなんだぜ?」

 

 DオブDは本来1チーム五人までだが、飛び入り参加の新白連合は特例で全チームメイトの中から五人を選別することができる。

 兼一と美羽は梁山泊チームという括りなので、新白連合の主戦力となるのはフレイヤ、トール、武田、キサラ、ついでに宇喜田の五人。

 対する田中勤は単独での出場。彼一人で参戦してきている。そうなると戦いは1対5の新白連合有利の形となるのだ。

 新白連合にとっては喜ばしいことだが、主催者のディエゴ・カーロは闇の武人。薄気味悪すぎて手放しに喜べたものではない。裏があると勘ぐるのは当然のことだ。

 

『ふふふふっ。当然! 私が君達を依怙贔屓しているわけじゃあない! 私は生まれながらのエンターテイナー! 笑う鋼拳ディエゴ・カーロ!

 とんがり耳。私が君達有利なルールにしたのは、そっちの方が面白そうからだよ。……さぁ、選抜した五人をリングへ送り出せ』

 

「……チッ」

 

 新白連合は兎も角、田中には選別すべきチームメイトなどはいない。自分一人で堂々とリングへ上る。

 一方の新白連合はどうももめているようだ。耳をすませば、田中にも彼等のやり取りが聞こえてくる。

 

「ど、どういうことじゃな~い。闇の達人が僕たち有利なルールにしてくれるなんて。……ハッ! まさか改心して味方になったとか?」

 

「いや、ないだろ。宇宙人、お前はどう思う?」

 

「……可能性として一番ありえるのは、あの田中勤って奴が五人を相手に出来るだけの実力者って線だ。俺様の新島アイでも正確な強さは判別できなかったし、前回の試合で指一本で敵を撃沈させたことといい、かなりの使い手なのは間違いねえ」

 

「なんじゃと!? わしら五人を?」

 

「ともすればあの田中勤もオーディーンやチーム・ジェミニと同じYOMIなのかもしれないな」

 

「け、けどよ。どっちにせよ棄権って選択肢がねえ以上、普通に五人選んで戦うしかねえんじゃねえか」

 

「宇喜田の言う通り、確かに他に選択肢はない、か」

 

 新白連合は悩みに悩んだ挙句、結局フレイヤ、トール、キサラ、武田、宇喜田の最もベターな五人を送り出す決断をした。

 そう、如何な名軍師といえど他に選択肢などないのならば残された選択肢を選ぶしかない。

 

『若き魂をぶつけ合え! 第四試合開始!』

 

 審判ディエゴ・カーロの合図で試合が開始する。

 相手が弟子クラスだというのと、クシャトリアから『稽古でもつけてやってくれ』と頼まれていたこともあり、田中は自分からは動かず出方を伺う。

 新白連合の五人も余りにも自分達有利の状況過ぎて、どう動いたものかと迷っているようだった。すると、

 

「うぉおおおおおおおおおおお!!」

 

 新白連合の五人から一人、宇喜田が猛然と突進してきた。

 

『こ、これはぁああッ! 新白連合の宇喜田選手がまさかの単騎突撃!! どうする、田中勤!』

 

「やめろ! 宇喜田、無茶だ!」

 

「心配すんな武田! この田中って野郎が雑魚なら俺がこのままリングから突き落とす! 強くても隙くれえは作ってやる! その隙にお前たちが――――」

 

「ふっ!」

 

「ぶひょえぁ!?」

 

「宇喜田ァァアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 あの巨体に組まれても面倒なので、田中は軽い一本貫手を喰らわせた。

 宇喜田は奇妙な断末魔をあげてリングに沈む。威力を抑えての貫手なので命に別状もなく後遺症も残らないはずだ。

 戦いに巻き込まれては危険なので、田中は宇喜田を抱えリングの端へと寝かせておく。

 

「さ、次の方どうぞ」

 



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第66話  流星

 新白連合のフレイヤ、トール、キサラ、武田の四人が緊張した面持ちで田中を見る。いきなり仲間を瞬殺されて動揺しているのが丸分かりである。

 だが若いながら伊達にDオブDに飛び入り参加してきたわけではないらしい。仲間が瞬殺された動揺から即座に立ち直ると、田中を囲むように構えた。

 

(やれやれ。一時はどうなるかと思ったけど、これで軌道修正できたかな)

 

 田中にしてもいきなり宇喜田を瞬殺してしまったのは想定外のことだった。クシャトリアより依頼されたのは二回戦を棄権しないことだが、新白連合の若者たちに稽古をつけることも頼まれている。

 19歳の若輩者とはいえ、田中勤は妙手のランクにあって上位クラス、かなり達人に近い位置まで上り詰めている武術家である。弟子クラスが五人束になってかかってこようと、本気になれば瞬殺することは容易だ。

 しかしそれでは意味がない。

 話してみて分かったがシルクァッド・サヤップ・クシャトリアは闇の中枢にいる人間にしては会話の通じる方だ。これからもなにかの機会に情報を聞き出す必要にかられるかもしれない。その時のために余り彼の機嫌を損ねる訳にはいかなかった。

 見たところ彼等の中の四人、特に南條キサラは既に次の段階に進むか進まないかの瀬戸際にある。この試合でせめて一人くらい殻を破らせておけば、クシャトリアも満足するだろう。

 

「……………」

 

 新白連合の四人たちは田中を囲んだまま動かない。大方四対一で襲い掛かるのは武術家としての矜持に傷をつけると考えているのだろう。

 だがそれは不要だ。

 

「気を遣うことはない。四人同時に掛かってくると良い。同じ位階の相手ならいざしれず、私を弟子クラス四人掛かりで襲っても門派の恥にはならない」

 

「それ、どういうこと――――」

 

「そいつの言う通りだ、野郎共~!」

 

 武田が聞き返す前に、新島の叫びがリングに木霊した。普段は宇宙人面で不気味な笑い声をケタケタと響かせる顔も、今はゾンビでも目の当りにしたように真っ青になっている。

 新島は武田たち四人などお構いなしに捲し立てた。

 

「今さっき梁山泊の爺さんに聞いた! そいつ田中勤は……妙手! 俺様は良く知らねえが、弟子クラス以上の使い手らしい! 一対一で勝てる相手じゃねえ!!」

 

『!』

 

 田中勤が弟子クラス以上、達人未満のクラス――――妙手。

 そのことを聞いて四人達から迷いが消え去る。弟子クラスが同じ弟子クラスを複数で襲えば門派の恥になるだろう。しかし位階の上の武人を、弟子クラスが複数で挑んでも恥にはならない。

 

「妙手……志波大先生に達人と弟子の中間だって聞いたけど、まさか僕と一歳違いで妙手クラスなんて凄いじゃな~い。対抗心がグツグツと煮えたぎって来たよ」

 

「ガハハハハハハハ! 妙手だろうとなんだろうと、全世界の太めの男性のために! この分厚い掌をぶち当ててやるわい!」

 

「汗臭いんだよ、アンタ等。……ま、宇喜田の仇はとらせて貰うよ」

 

「バラバラに攻撃するな。呼吸を合わせて同時にいくぞ。如何な妙手とはいえ、四方向からの同時攻撃であれば防ぐのは至難の筈だ」

 

 田中はずり落ちてきた眼鏡をくいっと上げると、四人が攻撃してくるのを待つ。

 ただし今までのように無防備を晒すのではなく、師から教えられてきた天地無真流の構えをとり迎撃準備を万全とする。

 田中勤は妙手で彼らは弟子クラス。戦えば1000回戦って1000回勝利するだろう。しかし1001回目はどうなるか分からない。

 岩をも砕く達人が一瞬の油断で格下に敗北することがある。格下が磨き上げてきた一つの奥義で、格上の命を奪うことがある。

 武術の世界がそういうものであると、田中勤は身をもって理解していた。だからこそ相手が格下だからといって油断もなければ驕りも一切ない。

 

「ジャイアントネコメガエルパンチ!」

 

雷槌(トールハンマー)!」

 

「ダブルトルネードチッキ!」

 

「久賀舘流極意“導父”!」

 

 下方向からは武田のカエルパンチ、上からはキサラの踵落とし、右からはトールの張り手、左からはフレイヤの杖。

 見事な四方向からの同時攻撃。活人拳の武人らしく仲間と呼吸を同一にするのも見事なものだ。だがやはりまだまだ荒削りな所が多い。

 

「トール君だったかな。君は自分のパワーと耐久力に頼り過ぎて、技が大振りになりがちだ」

 

「どすこい!?」

 

「人間、どれだけ肉体を鋼鉄にしようと弾けない技というのがある。それを覚え、必殺の時以外に隙の多くなる大振りの技は控えるようにした方が良い」

 

 同時攻撃を座したまま待つことはない。田中は先ずは右、トールの懐に潜り込むと鳩尾を軽く突いた。

 本気ならば兎も角、手加減した田中の突きではトールの鋼の筋肉を突破することはできない。だが急所が的確につかれたのならば話は別。

 トールが声を出すこともできず地面に沈む。

 

「逃れたか! だが背中を晒したな!」

 

 見なくても制空圏はしっかりと捉えている。背後からフレイヤの突き出した杖が迫っている。

 田中は振り返らないまま杖を掴みとると、思いっきり引っ張った。餌に喰らいついた魚のように、杖を掴んでいたフレイヤは背後から田中の前方に投げ出される。

 形成逆転。田中はこれまた手加減した貫手をフレイヤに突き出した。

 

「君には特に言うことはない。良い師の教えが垣間見える素晴らしい杖術だ。師を信じて教えを乞うていれば、いずれ大成できるだろう。それは君も同じだ、ボクサー君」

 

「うおおおおお! 幻の左ッ!」

 

 強烈な左ストレートに、的確なカウンターを叩きこみフレイヤに続いて武田を一蹴する。

 これで残るは一人だけ。

 

「フレイヤ姉をよくも!」

 

 南條キサラは風を切る羽のように宙を舞いながら、流れるような足技を繰り出してきた。

 見事、と手放しに賞賛したいところだがそれは出来ない。確かにこの動きは見事だが、これはあくまでただの猿真似、模倣に過ぎない。

 武術とは師の模倣から始まるものだが、ただ真似をするだけで、それを自分の血肉と出来なければ猿真似で終わってしまう。

 

「風林寺殿のお孫さんの動きを吸収して再現したようだが………それは君の動きじゃないだろう。他人の動きではなく、自分に最も適した動きでなければ殻を破ることはできない」

 

「がっ!」

 

 軽く呼吸を乱してテンポを代えると、途端にキサラの風を切る羽の動きに乱れが生じる。

 そこを田中は見逃さず、足を掴んで放り投げた。これで四人。田中勤は三度、呼吸するまでに返り討ちにしてみせた。

 

「終わりかい? ………………ん?」

 

 全員軽く気絶させて止めにしようと近づこうとした時だった。遥か上空から悲鳴のようなものが轟いてくる。

 ふと田中が空を見上げると、デスパー島の対空防衛システムが作動してミサイルが発射された。

 

(梁山泊のお歴々が動き出した? いや、それにしては……あれは!?)

 

 よく目を凝らせば、何かがこのリングに落下してきている。会場中に響き渡る悲鳴――――否、歌声を奏でダークフォールしてくるのは人間だ。

 余りにも小さすぎてミサイルは目標を補足することなく上空へ消えていく。

 そしてその人間が防衛システムを抜けた瞬間、ギリギリのタイミングでパラシュートを開いた。急激な落下の勢いが、パラシュートが急激に減速。

 単身でミサイルを掻い潜る無謀をやってのけた人間は、見事にリングに着地するとパーフェクトな受け身をとって転がった。

 

「ジ~ク」

 

 その男は立ち上がり、

 

「フ」

 

 ポーズを決めると、

 

「リ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ト~~オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 雄叫びとも歌声ともとれぬ極声を、コロシアム全体にまで轟かせた。

 



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第67話  ジークフリート

 会場は上空からド派手な乱入をしてきた謎の男に拍手喝采だった。いや会場だけではない。大会主催者であるディエゴやフォルトナまでも「ブラボー」と叫んでいる。

 気持ちは分からないでもない。対空防衛システムのミサイルを掻い潜りながら、リングに降下を果たした乱入者などDオブDの長い歴史でも初めての事だろう。

 これが試合会場ではなくサーカスであれば、田中も拍手の一つはしていたかもしれない。が、これはサーカスではなく武術の試合だ。

 そしてこのタイミングで乱入してきたということは、ほぼ確実に彼は新白連合の隠し玉ということになる。それを示すかのように、空中より現れた男は新島に恭しく頭を垂れた。

 

「遅ればせながら馳せ参じました、親愛なる我が魔王よ」

 

「うむ、良く来た。待っていたぞ、ジーク。……ミスター・カーロ!」

 

 新島がニヤリと口端を釣り上げて、玉座のディエゴ・カーロに向かって叫ぶ。

 ディエゴは分かっていると言わんばかりに、こちらも口端を釣り上げると、

 

「ははははははははははははははは! 言わずとも良い! この私がこんなオモシロ生物の参戦を認めないわけないだろう? 飛び入り参加上等!! 試合への乱入を認めよう!!」

 

 マイクではなく地声。会場どころか空の果てまで響く大音量がコロシアムを震わす。

 新白連合の隠し玉――――ジークフリート、彼はあくまでも乱入者。大会における異物。彼を新白連合チームに加えるにしても、既にこの試合においては定員の五名を出し切っている。

 故に通常のルール規定においてジークフリートが田中との試合に参加することは出来ない。

 だがそこは一影九拳屈指のトラブルメイカーたる笑う鋼拳。大会規定などその場のノリで好き勝手に変更し特例を認める。

 

「ケッケッケ。悪く思うなよ、田中さんよ。我が新白連合のシークレット・ウェポン! ジークフリートが来た以上、さっきまでと同じになるとは思うなよ!」

 

「その通り。チベットの墓前で修行し更なるパワーアップを遂げて帰参を果たしたジークフリート! もはや菩提樹の葉ほどの弱点もない!」

 

「北欧神話かい? いや北欧神話ならばシグルズ、ジークフリートならニーベルンゲンの歌か。どちらにせよどこかの誰かの好きそうなネーミングだね。そういえば君も彼の育成機関出身だったか。納得だよ」

 

 ニーベルンゲンの歌の主人公、英雄ジークフリートは悪竜を退治した際、その返り血を浴びたことで不死身の肉体を手に入れた。しかし背中に菩提樹の葉が一枚貼り付いていてため血を浴びられず、この場所だけが彼の弱点となったという。

 〝拳聖〟緒方一神斎は武術をなによりも愛し、その発展の為ならば己の死すら厭わないある種のマッドサイエンティストであるが、彼は武術以外に各地の神話を好んでいる。

 そのため彼が主催する育成プログラムの幹部級には神話や英雄譚に因んだ異名が与えられる、と田中は地道な調査から掴んでいた。ジークフリートと名乗る彼も同じ口だろう。

 

「だが例え菩提樹の葉ほどの隙がなくても、やることは変わらない。如何な不死身といえど、不死身を超える破壊をもってすれば突破も出来るだろう」

 

「…………なんとエネルジコ(力強い)な気配。一筋縄どころか十筋縄でもいかなそうです。総督、お下がりを」

 

「心配するな。とっくに俺様は後退済みだぜ」

 

 いつのまにかリングの近くで野次を飛ばしていた新島は、梁山泊の達人たちのいる所まで後退していた。

 田中は目を見開く。凄まじい早業だ。妙手の自分すら新島がいつ退避してのか分からなかった。見たところ武術の経験は皆無のようだが、危機回避能力の一点ならある意味既に弟子クラスを超えている。

 ダイヤの原石ばかりの新白連合のボスを務めるだけあって、彼も一代の傑物なのは確からしい。

 

「さぁ!」

 

 ジークフリートが地面を蹴り、

 

「殴~り~な~さ~い」

 

 自分から殴られやすいように無防備を晒した。

 常人なら不可解ととる行動だが、田中は一瞬で看破する。隙だらけのようで、絶対回避と防護を念頭においた待ちの態勢。あの見事な受け身。力を受け流す技術。

 緒方がどうして不死身の英雄ジークフリートの異名を彼に送ったか納得する。

 

「成程。後の先、カウンターの使い手というわけか。どれ、試してみよう!」

 

 梁山泊の豪傑達ならいざしれず、未だ修行中の田中勤にはその人物を視ただけで完全に実力を把握できるほどの眼力はもっていない。

 菩提樹の葉ほどの弱点も消えたと豪語する彼がどの程度の実力なのか。一度拳を交えねば把握できない。田中は挨拶代りに威力を抑えた正拳突きを叩きこんだ。

 

アパッシオナート(熱情的に)

 

 拳が触れた瞬間、ジークフリートの円運動に取り込まれ威力が吸収・減衰していく。拳は弾かれ、防御を成功したジークフリートはパーフェクトなタイミングでのカウンター攻撃を放ってきた。

 だが田中も妙手。パーフェクトなカウンターを弟子クラスとは一線を画す身体能力で強引に躱す。

 

(驚いた……! これほどのものか!)

 

 ただの一度の交錯だったが、ジークの実力を知るには十分だった。

 田中は後退してずり落ちてきた眼鏡をクイッと上げる。

 

「あれを躱しますか。やりますね」

 

「それはこちらの台詞だ」

 

 威力を抑えたとはいえ、田中の正拳突きではトールの防御を突き破り気絶させるだけの威力があった。それを彼は全くのノーダメージで防いでみせたのだ。

 ただの防御ではこうはならない。ジークフリートの独楽の如き円運動が、破壊力を完全に0にして受け流してしまったのだ。

 

「その年で見事なものだ。君はまだ弟子クラスだが、攻撃を無力化する術については完璧にマスターしている。そのまま研鑽を続けていれば、いずれ達人へ至ることも不可能じゃないだろう。私などより余程才能があるよ」

 

「褒め言葉と受け取っておきましょう。ラ~ラ~♪ 失礼、素晴らしいメロディーが浮かんでき――――」

 

「だが今は私が強い」

 

 彼に対しては、これまでの田中勤では些か力不足。

 手加減を完全に止めるわけではない。だがこれまでの強さからもう一段上の強さへ武術家としてのレベルを切り替える。

 

「天地無真流! 数え抜き手!」

 

 相手がカウンターで来るのならば、カウンターを無効化する技を使うのみ。嘗て師が無敵超人より伝授された秘技をここで使う。

 ジークフリートはさっきと同じようにカウンターで迎撃する構えだが、そんなものはこの技には無意味。

 

「数え抜き手! 四ッ!」

 

 最初の一撃、ジークフリートは巧みな円運動で抜き手を受け流すことに成功する。

 しかし次はこうはいかない。今度は円運動を無効化する気の練りを込めての抜き手を放つ。

 

「三ッ!」

 

「ぬっ……ペザンテ(重々しく)!?」

 

 カウンターしきれなかったジークの腹に、抜き手が容赦なく突き刺さる。

 これで二撃目。だが数え抜き手はまだ後もう二撃残っているのだ。残り二撃で完全に彼を倒すことが出来るだろう。

 田中は三撃目を放つ、寸前。

 

「ニャニャニャニャニャ!」

 

「っ!」

 

 先ほど倒したキサラが復活し、強烈なる蹴りを飛ばしてきた。咄嗟の事態に田中は慌てず、制空圏で蹴りを全て弾く。

 だが復活してきたのはキサラだけではなかった。

 

「ウルトラボロパンチ!」

 

「どぉぉぉすこい!」

 

「久賀舘流極意“閃雲”!」

 

 これまで倒れていたフレイヤ、トール、武田の三人も戦線復帰して各々の必殺を繰り出してきた。

 しかも三人が三人とも戦いが始まった最初のものとは技のキレが違っている。この年代の弟子クラスは伸びやすいものだが、このわずかな期間で更なる成長を遂げたのだろう。才能というものは恐ろしいものだ。

 田中は制空圏を維持したまま三人の猛攻を防いでいく。

 

「ミケヨプチャギ!」

 

「突撃のGoaTrance!」

 

 自分としたことが、少しばかり復活した三人に気を取られ過ぎたようだ。ジークフリートとキサラに対応するのが一拍遅れた。

 南條キサラの最初のそれとも風を切る羽とも異なる、まったく未知の動き。そう例えるなら猫の動きで繰り出された蹴りが腕を弾き、ジークフリートの突撃が服を掠める。

 攻防は時間にしたら数秒のことだった。其々の必殺を回避しきった田中は、逆襲の裏拳を五人に喰らわせた。

 

「まだ……まだ」

 

「わし等はまだ戦える……っ」

 

 だが倒してもまだ彼等は立ち上がる。田中は苦笑してジークフリートの突撃が掠めた服を見下ろす。

 手加減したとはいえ、まさか自分が弟子クラスから一撃喰らうとは。まるで予想していないことだった。

 

「私もまだ修行が足りないということですか。もういいでしょう、この試合。棄権します」

 

「っ! どういうことだい。僕らは満身創痍だけど、そっちはまだまだ全然余裕じゃな~い」

 

「簡単なことですよ。私のDオブDで果たすべき目的は既に終わっている。この試合に出たのはあくまで拳魔邪帝との約定があったからこそ。

 その約定も十分に果たしたでしょう。そこまでダメージを負えば、次の試合での勝ち目がどうかくらい、君たちのボスなら分からない筈はないだろうし」

 

 だからもう田中勤がこの大会にいる意味はない。そもそもこれは弟子クラスたちの戦いであるべきだ。妙手の自分が大会に交じるのは無粋というものだろう。

 それだけ言い切ると田中はあっさりとリングから降りて行った。

 

『え~~~~。というわけで、田中選手の突然の棄権宣言により……勝者! 新白連合っ!!』

 

 気を取り直すような実況者の声で、漸く新白連合の彼等に勝利の実感が湧いてきたのかほっと一息ついているようだった。

 しかし大変なのはこれからだ。彼等がこれからも闇やYOMIと戦おうとすれば、互いの命を懸けた本物の殺し合いに直面する日も遠くないだろう。

 

(果たして彼等全員が生き延びることができるか)

 

 それは神ならぬ田中勤には分からないことだった。

 



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第68話  欠点の克服

 このタイミングで岬越寺秋雨が出てくるとは、つくづく自分も運がない。出鼻を挫かれるとはこのことだ。

 残念ながら一影から下されたデスパー島陥落阻止という命令をこなすことは諦めた方が良いだろう。相手が彼の哲学する柔術家である以上、クシャトリアから別の事に構う力は失われた。

 クシャトリアがすべきことは全身全霊で岬越寺秋雨と戦うこと。少しでも気を抜けば最悪の場合、ここでクシャトリアはお縄につくことになる。

 

「デスパー島では〝おかしな〟ことはしないんじゃなかったんですか? 岬越寺秋雨殿」

 

「ふっ。〝おかしな〟ことはしていないさ。まったくなんにもね。そもそも私達が世界中の悪党が集まったこの島でなんにもしない方が〝おかしな〟ことだろう。シルクァッド・サヤップ・クシャトリア君」

 

「いや、まったく」

 

 岬越寺秋雨の一挙手一投足に気を払いながら、クシャトリアは周囲の気配を慎重に探る。

 幸いなことに周囲からは達人の気配は感じられない。どうやらここにいる梁山泊の豪傑は岬越寺秋雨だけと考えて良さそうだ。

 ジュナザードなら兎も角、クシャトリアに特A級の達人二人を同時に相手取る規格外の強さはない。もしも周囲にもう一人豪傑がいれば詰んでいたところだった。

 

「リミ、龍斗くん。二人は下がっていろ。相手が梁山泊の豪傑となると、俺も周囲に気を配る余裕はない」

 

「は、はい!」

 

「…………」

 

 岬越寺秋雨は活人拳の武人。闇の側に属するとはいえ、まだ子供の二人に手を出すことはないだろう。

 だが戦いの余波が運悪く二人を巻き込まないとは限らない。実際前に梁山泊の香坂しぐれと戦った時は鼠を巻き込んでしまった。用心にこしたことはない。

 

「それとこれより静と動の二つを修めたハイブリット型。その極みを見せる! その目に焼き付け今後の参考にするように」

 

「わ、分かりました!」

 

「…………ええ。勉強させて頂きます、拳魔邪帝殿」

 

 リミと龍斗は起こる戦いの影響が届かない物陰に隠れるも、その眼はしっかりとクシャトリアと秋雨へ向けていた。

 秋雨の方は今のやり取りの間にも攻撃することはできたはずだが、こちらのことを尊重してくれていたのか、二人を巻き込むことを嫌ってか手を出すことはなかった。

 しかし二人が安全な所まで逃れると、やや眉間に皺を寄せ口を開く。

 

「小頃音リミだったか? 危ういところがあるが、素直な良い弟子だ。あんな素直で真っ直ぐな子を悪の道へ引きずり込むことに師として思うことはないのかね?」

 

「人を若者を地獄に落とす邪神みたく言わないで欲しいな。力を望み弟子入りを望んだのはリミ自身。俺はリミの意思を尊重しているに過ぎない。リミが望まないのならば今すぐにでも師弟の縁を切るまで。

 例えリミが殺人拳を極め、数多の人間を危める外道に堕ちようと――――それはリミの選択の結果であって俺には関係のないこと。知ったことじゃない」

 

「…………弟子と共に悩み、苦しみ、考え、成長し、そして導くのが師匠たる者の務めだろうに。度の過ぎた自由意志の尊重は責任放棄と同じ。やはり闇の思想とは相容れないな」

 

「元より闇と梁山泊は不倶戴天の敵。思想で合わないのは当然のこと」

 

 内部に溜め込んだ気を一気に爆発、解放。クシャトリアが外側に炎のように放出させたのは暴力的な動の気。

 目から鋭い眼光を迸らせ、クシャトリアは風を追い越す勢いで岬越寺秋雨に突貫した。音に聞こえた柔術家を相手取るには余りにも単調な行為。直線的過ぎるそれは、岬越寺秋雨に衝突する寸前にほぼ直角に横へ逸れる。

 例えクシャトリアの速度を捉えきるだけの〝目〟をもった達人であろうと、こうも急激な方向転換をされては途端に姿を見失い、瞬間移動をしたと錯覚してしまうだろう。

 岬越寺秋雨の死角へ回り込んだクシャトリアは殺意ののった手を猛虎の如く振り下ろす。

 

「ふっ――――」

 

 が、こんなことでやられているようでは岬越寺秋雨は梁山泊の豪傑として名を轟かしてはいない。

 急激な方向転換による消失にも全く動じず冷静を保っていた秋雨は0.001秒後にはクシャトリアを再補足しその腕を捕まえていた。

 柔術家に腕を〝捕え〟られるという意味を知らないクシャトリアではない。気の爆発で強引に手を振り払うと、後頭部に回し蹴りを叩きこむ。

 

「――――、は」

 

 風を払う蹴りはしかし、インパクトする直前を手刀で逸らされて外れる。

 入れ替わった攻防が再び逆転した。秋雨が手を伸ばし、空を切った足を捕まえようとするも。

 

「静動転換」

 

 瞬間、クシャトリアの纏う気が百八十度正反対のものへ反転。外側へ爆発していた動の気から、内側に凝縮する静の気へ。

 入れ替えると同時に発動するは静の極み流水制空圏。薄皮一枚まで絞り込まれた制空圏をもって、ふわりと秋雨の手を避ける。

 クシャトリアは手で五体を支えると、鋭い回転蹴りを放つ。

 

地転蹴り(トゥンダンアン・グリンタナ)っ!」

 

 ジャングルファイトを真髄とするシラットの上下変速攻撃。武術家としてのタイプが瞬間的に切り替わったことも合わさり、どんな達人でも僅かに気が乱れてしまうことは避けられないだろう。

 されど岬越寺秋雨は静のタイプを極めきった本物の武人。1000の達人が動揺するような事態にも一切の乱れはなく、徹底的な冷静さで機械染みた正確さで技を対処していく。

 

「暗外旋風締め」

 

 腕全体を用いた締め技に回転まで加えた技。こんなものを喰らえば例え一影九拳でもただではすまないだろう。

 死にはせずとも脳震盪による気絶は免れない。まさに活人拳的な必殺技といえる。

 こんなものを喰らっては一貫の終わりだ。クシャトリアはまた静と動の気を瞬間的に転換、動の気を解放して全力で後方へ飛んだ。

 

「驚いたね。相反する静の気と動の気を完全に極め、二つの気を両立しての運用法まで確立するとは。いるんだよねぇ。二兎を追って二兎を得ちゃうタイプ」

 

「武術のみならず芸術・学術・医術まで極めた才気煥発の達人に言われても皮肉にしか聞こえないが……賞賛はありがたく受け取っておこう」

 

 とはいえやはり哲学する柔術家は強敵だ。岬越寺秋雨が無傷なのに対して、クシャトリアは一発貰ってしまっている。

 秋雨はこと〝投げ〟という一点においてジュナザードにも匹敵するだろう。

 データによれば岬越寺秋雨の年齢は38歳。その38年の人生でクシャトリアより多くの死闘を繰り広げてきたのだろう。

 どんな天才武術家でも経験ばかりは一朝一夕で得られるものではない。武術の世界に浸かった時間の長さはそれだけ岬越寺秋雨の優位となっている。

 だがクシャトリアの不利はそれだけではない。

 

「やはり駄目だな。昔から殺さなければ殺される闘いにばかりに送り込まれたせいか、相手に殺す気がないとどうしても殺意をのせるのが難しくなる。昔から変わらない俺の欠点だ」

 

「ふふ、欠点かね。なるほど闇の殺人拳ではそれを欠点と言うのかもしれないが、活人拳ではその欠点を即ちこう言う。美点と!」

 

「美点欠点なぞ大抵は表裏一体なものさ。だが俺も達人の端くれ。己の欠点を克服する術は持っている。今回は一影からの殺害命令も出されているからな。そっちに殺す気がなかったとしても殺す気でやらせて貰う」

 

 自己に埋没し、自分自身の負の感情を呼び覚ます。

 十数年前に感じた死への恐れ、ジュナザードへの怒り、それによって心の中で熟成されてきた殺意。

 余計なものは一切要らない。ひたすらに殺す意思だけを刃のように研ぎ澄まし鞘に納めた。一般人に向ければそれだけで死にかけない殺意、それを一気に抜刀した。

 

逆・殺氣発射(ターメリック・プヌンバカン・クグムビラ)

 

 練りに練られた殺氣の標的は岬越寺秋雨ではなくクシャトリア本人。

 純粋にして巨大な殺氣が波のようにクシャトリアの心に押しかかった。相手に殺意がないが故にまったく震えなかった生存本能が一気に狂うほどにのたうち回った。

 クシャトリアが目を上げた時、そこにはどす黒い殺意が宿っていた。

 



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第69話  カオス

 自己暗示というものがある。自分で自分に〝そう〟だと言い聞かせることで、それを本当のことだと意識させることだ。

 別に自己暗示そのものは特別な技術でもなんでもない。スポーツ選手やマジシャンなど多くの観客の前で己の技を披露するような者ばかりではなく、極普通の社会人や学生だって自己暗示の一度や二度したことがあるだろう。

 例えばホラー映画を見る前に自分自身に「恐くない」と言い聞かせたり、受験などで「自分は合格できる」と信じたり、これらは些細なことばかりであるが立派な自己暗示の一つである。

 当然ながら武術家にとっても自己暗示は無縁のものではない。特に「人間の心」を操ることにかけては並ぶ者にいないジュナザードは、優れた暗示術をもっている。記憶を消すという超人的な秘術と組み合わせれば、一人の人間を自分の思い通りの人間へと作り変えることすら叶だろう。

 そしてジュナザードの一番弟子であるクシャトリアもまた、師から「人間の心」を支配する秘伝について伝授されていた。

 

――――殺氣発射(プヌンバカン・クグムビラ)

 

 ジュナザードの編み出した秘術の一つであるこれは、膨大な気と強烈な殺気を放出することで、相手を殺気に呼応させ相手の行動を誘導する技だ。

 殺気を感じ取り咄嗟に対処できる一定レベル以上の武人相手にしか効果はないが、かといって一般人相手に使って無意味というわけではない。

 達人の内包する膨大な気に、強烈な殺気を凝縮し放出すれば、一般人にとってもはやそれは槍や刀と同じ凶器に等しい。人知を超えた殺意の奔流は生きようとする気力を奪い去り、ショックで心臓を止めてしまうことだろう。

 それだけの殺気をもしも自分自身に向ければどうなるか。

 言うまでもない。人間ならば誰しもが持つ生存本能を刺激され、強制的にエンジンをフルスロットルにさせるだろう。

 殺意を向けられなければ、今一つやる気が出ないという欠点。その欠点をクシャトリアは自分で自分に殺意を向けるという自己暗示によって補った。

 もう相手が活人拳の使い手で、こちらに殺意を向けていないなど関係はない。

 十数年もの間、数多の武術家に命を狙われ続け肥大化した生存本能は完全に活動を始めた。今のクシャトリアには突きどころか歩法一つ、呼吸一つにすら殺意がのっている。

 これでシルクァッド・サヤップ・クシャトリアは正真正銘の殺人拳の武人と成った。

 

「随分と野蛮なことをするんだねぇ。これだから殺人拳は」

 

「ふっ。俺の知人なら逆にこれだから活人拳は、と答えるだろう」

 

 つい先ほどまでは敵同士でありながら、どことなく親しみすらあったクシャトリアと秋雨の会話。だが今の二人にあるのは殺意と敵意のぶつかり合いだけだ。

 殺人道と活人道、決して相容れぬ二つの道を歩む武人同志のお互いを否定しあう気迫。傍で戦いを見守る龍斗とリミからは、もう声を発する余力すら失われてしまっていた。

 合図もなく、二人の達人の戦いが再開する。

 

「はぁぁあああああああああッ!」

 

「ふっ――――!」

 

 暴力的な動の気を解放し、死なない気で相手を殺す拳を振るうクシャトリア。

 明鏡止水の静の気を解放し、死ぬ気で相手を活かす拳を振るう岬越寺秋雨。

 全く対極の気と拳の衝突が、周辺一帯に人工的なハリケーンを起こした。

 

「っと!」

 

 達人の中でも特に防勢に秀で、数多の達人の戦いを無傷で制してきた岬越寺秋雨の頬にクシャトリアの拳が掠る。

 掠っただけでは所詮その頬に一筋の傷をつけただけであり、ダメージとしては皆無に等しいだろう。けれど拳が掠るということは即ち攻撃が届いたということである。

 ということはその拳がほんの数㎝、否、数㎜でも逸れればダメージが通るということだ。

 

(尤もその数㎜がたまらなく遠いわけだが……)

 

 岬越寺秋雨もさるもの。どうにか掠る程度までは成功しているものの、それ以上までは中々踏み込ませてくれない。

 これまで多くの武術家と戦ってきたクシャトリアだが、ここまで手応えを感じさせない相手と戦ったのは以前に美雲と組手をした時以来だ。

 

「やれやれ。慣れないな」

 

 クシャトリアが苦々しい思いをする一方で、秋雨の方もそれなりに苦戦を強いられていた。

 梁山泊の武人として、世界最高峰の柔術家として多くの好敵手と語らい死線を潜り抜けてきた秋雨にとって、自分と同格の特A級の達人と交戦した経験も少なくはない。その中にはクシャトリアと同等、それ以上の武人との交戦経験すらある。

 だが秋雨の戦った武術家の中には1秒~5秒ごとに静の気と動の気を転換してくるような武人は誰一人としていなかった。

 静動転換。

 静の気と動の気を次々に入れ替え、まったく攻撃のリズムを読めなくするハイブリットタイプのみが可能とする秘技。

 これは岬越寺秋雨という最高峰の柔術家相手にも有効だった。

 

「しかし闇の武人にしては珍しい。殺人拳の連中は大抵が自分の命を捨ててまで他人の命を奪いにくるものだが――――君の武術は純粋に自身の命を守るために鍛え上げられた護身のものだ」

 

「貶しているのか?」

 

「いいや、褒めているのさ」

 

「結構! 自分の命が危険にさらされようと、殺法に手を染めない精神には敬意すら表するが、殺意なき拳で殺意ある拳には勝てん!」

 

「それはどうかな。活人拳には使えぬ殺人拳の技があるように、活人拳だからこその奥義っていうのもあるんだな」

 

「――――っ!!」

 

 突然のことだった。激しい攻防を続けていたクシャトリアがいきなり地面に激突する。

 投げられたのではない。殴り飛ばされたわけでもない。それどころか岬越寺秋雨はクシャトリアに対して指一本すら触れてはいなかった。

 指一本も触れず、クシャトリアはさながら投げられたように地面へ叩き付けられたのである。

 

「……これは……そうか、成程。気当たりによる反射を逆手に取ることで、俺の体を崩すよう誘導したのか」

 

「おや、一発で見抜いてしまうとは恐れ入った。真・呼吸投げ……優れた危機回避能力をもつ誠の達人のみに使える私の究極奥義だよ」

 

「………………面倒な技を」

 

 クシャトリアが秋雨の奥義を一発で見抜けたのはなんてことはない。師匠であるジュナザードが同様の原理の似た技を奥義としていて、それを伝授されていたからに他ならない。

 しかしながら真・呼吸投げ。彼の岬越寺秋雨が奥義というだけあって厄介な技だ。

 他の闇人なら或は己の命を投げ捨てた捨身になることで対処が可能かもしれない。しかし常に己の命を守るため、生きるために武術をやってきたクシャトリアはそれ故に捨身の戦法をとることができない。

 秋雨の真・呼吸投げはクシャトリアにとって天敵とすらいっていい技だった。

 

「恐れ入ったよ岬越寺秋雨。確かにこれではこちらは碌にお前に触れることすら出来ない。だがしかし……こちらも同じ技を使ったらどうだ!」

 

「……ほう」

 

 クシャトリアは腰を屈め、左右の手首を別方向へ折り曲げる異様な構えをとった。そして、

 

 

 

 

「なんだ、これは」

 

 クシャトリアと秋雨の死闘を見ていた龍斗はあまりのことに、らしくなく口をぽかんと開けてしまっていた。

 隣にいるリミも完全に想像を絶する戦いぶりに目をパチクリさせている。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアと岬越寺秋雨。共に達人級の中でも特に畏敬の念をもたれる特A級にまで到達した真の達人同士。

 二人の戦いは龍斗やリミたち弟子クラスのものとは次元が違っていた。

 

「ぬぅぅう!」

 

「おおぉぉぉおおお!!」

 

 投げられては投げ、投げては投げられ。

 クシャトリアと秋雨は交互に地面に叩き付けられては起き上がり、逆に相手を叩き付けるというのを超高速で繰り返している。

 ただし。お互い、相手に指一本たりとも触れずに。

 

「か、カオスだ」

 

 恐らく二人の間では超高度な技撃軌道戦が繰り広げられているのだろう。

 だが二人の強さが完全に異次元過ぎて、龍斗たちの目には何もない所で二人の大人が自分から地面にぶつかっているというカオスな光景にしか見えなかった。

 冷や汗が垂れる。

 これが武の頂。高度すぎて常人にはまるで理解できぬ戦い。

 しかし二人の相手に一切触れない死闘は唐突に終わりを告げる。

 

「――――っ! 地響き……いや、爆発音か」

 

 予期されていたことが起きた。

 遠くから響く銃声、観客たちの逃げ惑う声。国連軍のデスパー島制圧作戦が遂に始まったのである。



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第70話  囮作戦

 国連軍のデスパー島制圧作戦の開始と同時に、まるで競走馬が一斉に走り出すように、島にいる数多の武人たちも動き出していた。

 若者たちが命を賭け戦う試合を一目見ようとやってきた裏社会のVIPたちは、捕まってはたまらぬと逃げ惑い。

 ディエゴ・カーロとジェミニのカストル姉弟はオーディエンスのいない戦いはしないと早々に退却し。

 田中勤は拳聖のいない島に用はないと、逸早く島から退去し。

 新白連合の者達は香坂しぐれの先導でデスパー島からの脱出のため、赤兎馬二号へ向かい。

 フォルトナはそんな彼等を自分の息子とすべく狙い。

 梁山泊の豪傑たちは国連軍の援護のために島中に散り。

 白浜兼一と叶翔はコロシアムで互いの誇りと魂をかけての死闘を繰り広げている。

 多種多様な動向。その中でシルクァッド・サヤップ・クシャトリアと岬越寺秋雨は真っ向から対峙していた。

 

「はぁ……やはり間に合わなかったか」

 

 クシャトリアは軽く嘆息する。

 一影からのデスパー島陥落阻止というオーダー。ほぼ不可能なミッションであったが、完全に0%というわけではなかった。

 けれど国連軍の攻撃が始まってしまった以上、刹那の可能性はゼロになった。もうクシャトリアがなにをどうしようと陥落を阻止することはできない。

 それもこれも、ここにクシャトリアを釘づけにした岬越寺秋雨のせいだった。

 

「まったく大したものだよ。闇を差し置いて史上最強の看板を持つだけある。裏社会においてある種の聖域ですらあったデスパー島をこうも陥落させるとは」

 

「おや。気が早いね、クシャトリア君。まだこの島は陥落していないよ」

 

「どうせ明日には島の支配者はフォルトナから国連に塗り替わっているんだ。気が早いということもないだろう。そもそも〝無敵超人〟を招き入れてしまった時点で、七割方陥落していたようなものだ」

 

 鉄壁の城壁も内部からの攻撃には酷くもろいものだ。内部の毒が超人に達人集団であれば尚更だ。

 デスパー島の陥落は不可避。クシャトリアがこう判断した時点で、ミッションは次の段階へ移行する。もしも陥落を阻止できないのであれば、闇の損害を最小限にするよう努めろ――――それが一影からの指令だ。

 一つ目の指令をこなすことはできなかったのだ。二つ目はどうにかこなさなければなるまい。というより、こなさなければ一影に何を言われるか分かったものではない。

 

「さて。俺はもういい加減、貴方に構っている時間的余裕もないわけだし、ここは貴方の勝ちということにしておくから見逃してくれないか?」

 

 クシャトリアは冗談めかして言う。

 本気で岬越寺秋雨が自分を見逃してくれるなんて思ってはいない。完全なる駄目元だ。

 

「え~やだ~」

 

 予想通り秋雨から発せられたのは拒絶の言葉。梁山泊の豪傑たちの中でも特に頭脳派で知られる岬越寺秋雨のことだ。クシャトリアのやろうとしていることにも検討がついているのだろう。

 梁山泊側からしたら、弟子のためにもここで出来る限り闇の力を削いでおきたいはずだ。

 

(そういえば一影と岬越寺秋雨は嘗て友人同士だったか)

 

 一影、風林寺砕牙は紆余曲折あって殺人拳に堕ちる前は梁山泊の豪傑たちに名を連ねていた。

 その中でも同年代だった岬越寺秋雨とは仲が良かったらしい。これは一影本人に聞いたことなので確かな情報だ。

 

「やむをえないな。ならば少々手荒な方法をとらせて貰おう。……………静動轟一ッ!!」

 

「――――っ!?」

 

 達人の体に内包された弟子クラスとは比べものにならないほど膨大な気。それがクシャトリアの内側に凝縮され起爆する。

 龍斗との試合で使った気を抑えた中途半端なものとは違う、正真正銘の全力の気の融合。

 体の内部で爆弾が爆発するような感覚。途轍もない爆発力、並の人間なら一瞬で肉体が崩壊するほどのそれを、極限にまで鍛え抜かれた鋼鉄の器は耐えきった。

 

「やれやれ。背筋が凍るとはこのことだな。静動轟一、私が最も嫌う技だが……君ほどの達人が使えば、そうまで化けるか」

 

 命を守るための弱者が生み出した技術こそが武術。そう掲げる活人拳にとって、己の命を削って他人を殺す静動轟一は最凶最悪の技といえるだろう。しかし最悪と思いつつも岬越寺秋雨は静動轟一の性能や恐ろしさを正しく認識していた。

 動の気と静の気の二つの融合。それにより生まれる気の奔流。岬越寺秋雨とクシャトリアの実力は今のところ経験の差もあって秋雨が若干有利といったところ。だがしかしその差はジュナザードとクシャトリアの間に横たわるものと違い絶対的なものではない。その日の運によっては勝者はコロコロと変わるだろう。

 しかし静動轟一を使用したこの瞬間のみ、クシャトリアの実力は岬越寺秋雨を上回った。

 

「だが一人の武術家として君に負けるわけにはいかない。君の肉体が崩壊し武術家として死を迎える前に、死ぬ気で君のことを止める。それが活人拳だ!」

 

「心配しなくても引き際は心得ている。限界がくれば止められるまでもなく勝手に止めるさ」

 

 静動轟一の気の完全なるコントロール、達人級の器。これらの要素があって尚、静動轟一をノーリスクで維持できるのは3分程度。

 それ以上使い続ければ肉体になんらかの異常が起きかねない。

 

「だから手早く決着をつける。ゆくぞ」

 

 静の気の極み流水制空圏発動。続いて動の気を完全解放。これらを同時に行う。

 

「うおぉおおおおおおおおおおお!!」

 

 超人染みた雄叫びをあげながら、クシャトリアは秋雨に速攻を仕掛ける。

 静動轟一を発動させ埒外の戦闘力を得たクシャトリアへ対抗し、秋雨がとったのは防御の構え。防御といってもただの防御ではない。襲い掛かってきた相手を徹底的に殲滅するための、超攻撃的防御陣形だ。

 それを見て自分の狙いが成功したことを確信し、クシャトリアは口端を釣り上げた。

 

「!」

 

 ポーカーフェイスの秋雨が驚愕する。

 静動轟一という禁断の技を発動させたクシャトリアがしたのは秋雨への攻撃ではなかった。近くにあった巨大な機材を掴むと、それを思いっきり宙へ投げたのだ。

 機材は放物線を描いて地面へ落下していく。そして落下する先にいるのはデスパー島の衛兵たち。

 

「いかん!」

 

 秋雨はこの時点で完全にクシャトリアの目論見を看破しながら、衛兵たちを守るためにすっ飛んで行く。

 

「そうだ、そうせざるをえまい! あの衛兵が死のうと国連軍にも梁山泊にもなんら痛くはないだろう。だが例え悪党であっても死にそうな人間を見捨てれば……もはやお前は活人拳でなくなるのだから!」

 

 殺人拳が非情の拳であれば、活人拳は優しさの拳。白浜兼一がそうであるように、活人拳は優しさ故に強くなるが――――優しさ故の弱点をも抱えることとなる。

 岬越寺秋雨が自分から離れたこの一瞬、座して待つクシャトリアではない。

 

「退くぞ、二人とも」

 

 問答無用。返答すら聞かず龍斗とリミの二人を抱えると、地面を蹴り全速力でその場を離れる。

 静動轟一、流水制空圏、動の気の解放。大技をこれでもかと大盤振る舞いしたからこそ、どうにか欺けたが岬越寺秋雨相手に二度も同じ手は通用しない。これが逃げる最初で最後の好機だ。

 振り返る余裕すらなく、クシャトリアは全力で秋雨から逃げて行った。

 

(今回は俺の負けだな。同じ特A級であの強さ。超人への道はやはり遠い……。もっと強くならなければ)

 

 一時はどうなるかと思ったが、岬越寺秋雨という稀代の柔術家との交戦経験を得たことは大きい。この戦いを参考に今後の自分の修行、それとリミの修行に活かしておこう。

 クシャトリアは心の中でリミの修行の密度を更にゲインさせた。

 

「そういえば翔くんが戦ってるんだったな」

 

 一影は闇の損害は最小限に済ませろと命じた。その中には一なる継承者、叶翔の保護も含まれる。

 もし叶翔に万が一のことがあれば、確実にそれはクシャトリアの責任となるだろう。

 クシャトリアは電話で部下のアケビやホムラに指示を飛ばしながら、コロシアムに足を向けた。

 



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第71話  君を愛する

 どうにか岬越寺秋雨から『逃げる』ことに成功したクシャトリアは、デスパー島沿岸にてVIPたちの脱出の手引きをしていた。

 といっても全てのVIPを助けるわけではない。裏社会のVIPたちといえど、中には闇にとって不利益になる連中も含まれている。

 闇にとって利益になる者は脱出用の船に乗せ、どちらでもないものも出来れば助け、不利益な者は島に残せ。それが一影がクシャトリアに出した命令だ。

 よってクシャトリアは一影の息のかかった者に渡された不利益な者たちの『リスト』に載っている人間を気絶させ、それ以外は船に乗せるという作業をしていた。

 

「クシャトリア様。このあたりが頃合いではないでしょうか」

 

「うん、そうだな」

 

 アケビの進言に頷く。

 デスパー島のあちこちで聞こえていた銃声や爆発音が段々と小さくなってきた。国連軍の制圧が完了しつつあるという証左だろう。

 武術のみならず軍事にも精通したフォルトナの拠点だけあって、相当の防御力をもっていたデスパー島も、流石に梁山泊+国連軍のダブルパンチには耐えきれなかったようだ。

 寧ろここまで耐えたことを賞賛してもいいくらいだろう。

 

(ここに国連軍が来るまで後10分といったところか。国連軍くらい蹴散らせるが、流れ弾が船にあって万が一があればことだし……………ここは欲張り過ぎない方がいいか)

 

 クシャトリアは決断した。

 一影九拳が一人、ディエゴ・カーロが早々に島から退却した以上、この場における闇の指揮権はクシャトリアが握っている。

 クシャトリアの決定は闇の決定だ。

 

「船を出せ。この包囲網、もう逃げてこられる者もいないだろう」

 

「……フォルトナ氏は未だ来ておられませんが?」

 

「アレは底辺中の底辺の更にどん底の底辺だが、一応は達人級だ。そうそう死にはしないだろう。それに実力では最弱だが、あれは頭が良い。自分の退路くらい自分で用意している」

 

「分かりました」

 

 いかれた武術マニアのフォルトナのことだ。大会で目をつけた新白連合の連中を自分の〝養子〟にするために動いてでもいるのだろう。

 だが梁山泊の豪傑たちも自分の弟子の友人たちを守ろうとするだろうし、確実に豪傑の一人を守りにつけている。フォルトナの目論見はほぼ100%失敗するはずだ。

 そうなればフォルトナは死ぬか、国連軍に捕まるか。どのみち碌な末路は待っているまい。

 

(自分の築き上げた王国で、その栄華と共に滅びるといい。これだけの戦いで終わるんだ。武術家として本望だろう? フォルトナ)

 

 嫌いな人間の凋落は最高の娯楽。フォルトナの末路を思い、クシャトリアは暗い喜びに浸る。

 が、直ぐにそんなことを思っていても無駄だと思いなおすと改めてアケビに指示を出した。

 

「お前たちは船を出航させろ。島のテリトリーから出ても油断するなよ。特に無敵超人・風林寺隼人は海くらいは平然と走って追ってくるからな。兎に角、全速力で闇の支配圏まで逃げろ」

 

「はっ! クシャトリア様はどうなさるのですか?」

 

「俺は翔くんを連れて後から脱出する。翔くんに万が一があれば人越拳神殿に殺されるからな。あの御仁は敵に回したくない」

 

「……では、お先に失礼させて頂きます。ご武運を」

 

「船にはリミだけではなく緒方の弟子の龍斗くんもいる。そっちもくれぐれも頼むぞ」

 

「分かっております」

 

 師匠と上司と職場環境の悉くに恵まれなかったクシャトリアだが、不幸中の幸いというべきか部下においてはそこそこ恵まれた。

 長時間、岬越寺秋雨に足止めを喰らいながらスムーズに脱出作戦を指揮できたのはアケビの下準備と、クシャトリアに変装していたホムラの先導あってこそである。

 この二人がいなければ仕事量的に過労死は確実なので、これからも二人は大切にしていきたいものだ。

 脱出作戦の指示を出し終えたクシャトリアは、船を見送ってからコロシアムに急ぐ。

 やはり国連軍優勢らしく、コロシアムに向かう途中でフォルトナの私兵たちが逃げ惑っているのが見えた。

 

「……ん?」

 

 フォルトナの私兵の生き残りだろう。一台の戦車がクシャトリアに砲口を照準した。

 劣勢によるパニックで砲口を向けた相手がシルクァッド・サヤップ・クシャトリアだと分かっていないのだろう。戦車は城壁を砕く徹甲弾を吐き出した。

 クシャトリアは嘆息しながら、腕全体と両手で己に飛んでくる徹甲弾を撫でる。

 

「櫛灘我流秘技、砲弾返し」

 

 クシャトリアに飛んできた砲弾が、方向を反転させ、そのままの勢いで戦車に命中した。歩兵の小火器を物ともしない戦車の装甲も、戦車の吐き出す徹甲弾を防ぐことはできず無残に爆発四散する。

 櫛灘我流秘技、砲弾返し。その名の通りクシャトリアが櫛灘流の秘術を元に生み出した我流技である。対人戦闘には全くもって役立たない技だが、相手が重火器を取りそろえた軍隊であれば重宝する技だ。

 邪魔な戦車を片づけたクシャトリアは、改めてコロシアムに急ぐ。

 先の戦車からしてデスパー島にいるフォルトナの私兵たちは統制を失い、疑わしいものには誰彼かまわず砲口を向ける有様だ。この分だとコロシアムで戦っている叶翔も危ないかもしれない。

 万が一の事態が現実味を帯びてきた。

 クシャトリアがコロシアムに突入する。そこでは今まさに二人の若き武術家たちの決着がつこうとしていた。

 

『兼一~~ッ! 負けるなぁああ!!』

 

「うおぉおおおおおっ!!」

 

「……ッ!!」

 

 スピーカーから響き渡る白浜兼一への声援は、新白連合の者達によるものだろう。

 そしてコロシアムの中心では満身創痍、もはや立つ力すら残っていない白浜兼一と叶翔。

 叶翔の正真正銘の最後の力を振り絞った突きを、白浜兼一は最後の力を振り絞って躱す。双方最後の力を出し尽くした攻防が終わる。であれば決着がつくのは必然。

 全ての力を失い地面に倒れたのは叶翔。そして戦いが終わり、大地に立っていたのは白浜兼一。

 

「そうか……負けたのか、翔くんは」

 

 クシャトリアはポツリと漏らす。

 もしも武術家の戦いが単純な強弱比べであれば負ける筈のない戦いだった。叶翔は才能でも経験でも、実力においても白浜兼一の上をいっていた。だが敗北したのは叶翔で、勝利したのは白浜兼一。

 目の前の光景をクシャトリアは脳裏に焼き付ける。誰よりも弱いものが、誰よりも強いものを倒す。その景色こそが、クシャトリアが師を倒す鍵となるものなのかもしれないのだから。

 

『あ~~あ~~~。本日は晴天なり……』

 

 マイクから聞こえてくる老人の声。それは梁山泊の長老、風林寺隼人のものだった。

 風林寺隼人はこほんと咳払いをすると、高らかに宣言する。

 

『DオブD決勝戦、勝者・白浜兼一じゃ!!』

 

 コロシアムからは万の観衆は失われ、戦いを最初から最後まで見守るは風林寺美羽だけだったというのに。会場中のスピーカーからは若き歓声が空にまで轟く。

 対して敗北者、叶翔にかかる言葉は一つとしてありはしない。これは彼が敗者で、白浜兼一が勝者だからだけでは。デスパー島にいるのが新白連合ばかりでYOMIが一人もいないからでもない。

 仮にこのデスパー島にYOMIの構成員たちがいようと、誰一人として声を張り上げる者はいなかっただろうし、戦いの最中、応援する者もいなかった。恐らくはこれが白浜兼一が叶翔を圧倒していた一つの優位。

 ふと叶翔の姿が自分にだぶる。

 

――――壮絶なる孤独。

 

 それは叶翔だけのものではない。

 あの日、邪神の弟子となって以来、友情も愛情も全て喪失したクシャトリアも共有する心の起源だった。そして白浜兼一にも自分を投影してしまうのは、彼の武術の起源が自分と似ていたからだろう。

 

「やれやれ。一なる継承者が史上最強の弟子に敗北か。これはまた闇で一波乱ありそうだな。美雲さんあたりは自分の弟子を一なる継承者にしなかったことに文句を言うだろうし……………む、あれは?」

 

 達人であるクシャトリアだからこそ気づけた、大歓声の中に紛れ込んでいる微かなる殺意。瓦礫の影にフォルトナの私兵の生き残りが潜み銃口を向けていた。銃口の先にいるのは戦いの勝者たる白浜兼一。

 クシャトリアは直ぐにその私兵を潰そうとして止める。フォルトナの私兵の殺意が向けられているのは白浜兼一だ。梁山泊の史上最強の弟子だ。闇の武人である己が守るわけにはいかない。

 

「君のことは嫌いじゃないが、俺にも立場というものがある。悪く思ってもいいが恨んでくれるな」

 

 満身創痍の兼一は気づかなかったが、幼い頃より銃声響き渡る戦場を祖父と旅した風林寺美羽はそれに気づく。兼一を守るために美羽が自分の体を盾に銃口の前に飛び出した。

 だがやはりクシャトリアは動かない。例え風林寺美羽が闇の一影の娘であろうと、彼女は梁山泊の人間。残念ながらクシャトリアは闇の一影の指示を受ける身であって、風林寺砕牙の指示を受ける身ではない。

 

(いや、まて)

 

 そこでシルクァッド・サヤップ・クシャトリアは致命的な判断ミスをしていたことを理解した。

 幼い日より戦場を渡り歩いた経験をもつのは風林寺美羽だけではない。敗北し大地に倒れていた叶翔もまた、殺人拳の申し子として戦場を知る者だ。

 そして叶翔がなによりも執着するものこそが、初めて鳥かごの外で自分と同じものを感じた少女、自身の片翼とした風林寺美羽。

 

「いかん!」

 

 事ここに至り漸くクシャトリアは動いた。

 兼一を守るために割って入った風林寺美羽、彼女を守るために更に割って入った者がいる。言うまでもない。叶翔だ。

 

――――オレは君を守り抜くまでけっして死んだりしない。

 

 叶翔が風林寺美羽に贈った、心の想いをそのまま形にした愛の告白。その中にあった言葉。

 彼はその言葉を傷つきもはや動けるはずのない体で遵守していた。

 そして、

 

〝銃声が鳴った〟 



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第72話  分岐点

〝銃声が鳴った〟 

 

 叶翔の体に穴が開いて、そこから噴水のように血が噴き出す。その光景を兼一はまるで夢を見ているような気分で見ていた。

 足は鉛のように動かない。指はボンドで固められたように動いてくれない。ただ頭だけがハッキリとしていて、その光景を脳裏に焼き付けている。

 

「沈めっ!」

 

 瞬間だった。叶翔が目に最後の光を灯してフォルトナ兵に蹴りかかろうとする寸前、どこからか飛来した手甲が兵士の頭を吹き飛ばした。

 それを見た叶翔は心底安心したように微笑むと、命を燃やし尽くして地面に倒れていった。

 

「翔ーーっ!」

 

 この世で最も愛する人の絶叫が木霊する。倒れ掛かる叶翔を美羽が受け止めた。

 兼一も満身創痍で銅像になったかのように動かない体に、無理矢理に気血を通して動かす。

 

「なんて無茶をする……。己の体を盾にするなど正気か!」

 

 手甲をフォルトナ兵に投げつけた張本人、クシャトリアが翔の隣に着地すると素早く容体を確認していく。

 医学知識など岬越寺師匠からの受け売りくらいしか持たないが、その手つきは非常に慣れたもののように見えた。

 

「クシャトリアさん!? お願いしますわ、翔を――――」

 

「言われるまでもない」

 

 美羽の懇願よりも先に、クシャトリアは植物マニアの兼一ですら知らない薬草を取り出すと、それを翔の傷口に張り付けていく。

 

(血が……あんなに!?)

 

 翔から流れ出していく夥しい血液。これまで出血くらい何度も経験した兼一だったが、あんな量の血が流れる光景など見たことがない。

 いや、あるといえばある。以前TVで見た医療ドラマ。そこで交通事故にあって死亡した犠牲者があれほどの血を流していた。

 勿論ドラマは所詮は虚構、現実ではない物語に過ぎない。だが目の前で倒れる叶翔は虚構でもなんでもなく現実だ。

 クシャトリアの素早い処置で血は止まったが、その光景は最悪の未来を脳裏によぎらせるには十分すぎるほどのものだった。

 そして元一般人の自分ですら分かるのである。幼い頃よりそういう場所を渡り歩いてきた美羽は、よりシビアに物事を見ているだろう。その証拠に彼女はこちらの胸が痛くなるほど悲痛な顔で、滝のような涙を流していた。

 

「無事か……? 美羽……」

 

 一秒後には永久に覚めない眠りについても不思議ではない状況。でありながら死の淵にいる叶翔が案じるのは美羽の身のみだった。

 その姿に兼一は武術家ではなく、風林寺美羽という女性を愛する一人の男として敬意を表さずにはいられない。

 

「な、何故……あのようなことを?」

 

「き、君の防弾スーツでは、アサルトライフルの弾は防げ……ない」

 

「そんなこと聞いてるんじゃないですわ!」

 

「それに……やっと見つけた俺の片翼だった」

 

 ゴホッと叶翔は血を吐き出す。そこで自分の運命を悟ったのか、翔は兼一に腕を突き出す。

 

「白浜兼一!」

 

「う、動いては駄目ですわ!」

 

 治療のためには怪我人は安静にさせておくべき。そのことを知らぬ筈がないだろうに、クシャトリアが翔を止めることはなかった。

 或はこれが叶翔の『最期の言葉』となるかもしれないから、止めまいとしているのかもしれない。

 

「俺はもう美羽を守れねえ……。だから貴様が守れ! 闇より降りかかる邪悪なもの全てから!」

 

 翔から託された思いを兼一は無言で受け取ると、拳を合わせる。それで自分の役目を終わったと、叶翔はゆっくりと目を閉ざした。

 一人の男の死、それを察して声のない絶叫が轟く。

 

「まだだ。まだ彼には息がある」

 

 だがこの場で一人だけ、クシャトリアは冷静に言った。兼一と美羽の目に希望が再点火する。

 

「ほ、本当なんですか!? お、お願いします……叶翔を、助けてください!」

 

「私からもお願いしますわ! 翔を……」

 

「君たち梁山泊からしたら叶翔は敵だろうに。だが危険な状態だ。寸前で手甲を投げ入れ弾丸の軌道を逸らしたから最悪は免れているが、このままだと遅かれ早かれ同じことだ。

 ティダートの秘薬だけじゃきついな。手術は薬草ほど得意じゃないが、やるしかない……!」

 

「手術!?」

 

 こんなところで手術などできるのか、と問おうとして兼一は思い出した。

 デスパー島には試合で重傷を負った選手のために最新医療設備が導入されている。兼一や新白連合の皆も世話になったので良く知っている。

 あそこならば手術に必要な機材も一通り揃っているだろう。

 クシャトリアが叶翔を抱き抱えた。その間にも刻一刻と叶翔は死に引きずられていっている。急がなければ、ならないだろう。

 

「そういうことならばおいちゃんたちも協力するね」

 

「馬師父!?」

 

 今最も来てほしい人の一人が現れたことに、兼一と美羽は目を輝かせる。

 

「逆鬼どんは秋雨どんを連れてくるね。手術なら秋雨どんが一番得意ね」

 

「おうよ!! 待ってろ、直ぐに連れてきてやる!!」

 

 馬師父がクシャトリアと共に医務室へ走っていき、逆鬼師匠は岬越寺師匠を呼ぶために飛んで行った。

 梁山泊と闇、二大勢力に所属する豪傑たちが一人の命を救うために奔走している。これならばきっと叶翔も。

 安心したせいで緊張の糸が切れたのか、兼一は眠るように気絶した。

 

 

 

 

 兼一が次に目を覚ました時、視界に飛び込んできたのは長老の笑みだった。

 体が上下にがくんがくん揺れる。この感覚は闇ヶ谷へ行くときに感じたものと同じものだった。どうも長老に抱えられているらしい。

 

「おお、目が覚めたか兼ちゃん」

 

「ちょ……長老。あいつは……叶翔は、どうなりましたか? 手術は!?」

 

 体の痛みすら忘れて、長老の隣を並走する馬師父と岬越寺師匠に言った。

 そこに叶翔の手術をした一人であろうクシャトリアの姿はない。無論、叶翔も。

 

「彼の手術は――――大失敗したね!!」

 

「えええええっ!?」

 

「冗談ね」

 

「師父!? こんな時にふざけないで下さい!」

 

 あまりの不謹慎さに怒るが、そこで気づいた。手術の大失敗が冗談ということは、結果がどういうものだったのかは予想のつくことだ。

 馬師父の後を岬越寺師匠が引き継ぐ。

 

「クシャトリア君の応急処置が完璧だったお蔭で、どうにか危ういところで一命をとりとめたよ。峠は越えたし、もう大丈夫だ」

 

「そうですか」

 

 聞きたかった答えを得られて、兼一は心からほっとした吐息を漏らす。

 叶翔の無事。昨日まではあれほど嫌いで嫌いでたまらなかったというのに、今では彼の無事をこれほど喜んでいる自分がなんとなくおかしかった。

 

「それで叶翔はどうしたんですか?」

 

「あいつならガングロ仮面が連れて行った…よ」

 

「が、ガングロ仮面って」

 

 もしかしなくてもガングロ仮面とはクシャトリアのことだろう。

 確かに浅黒い肌でよく仮面をつけているが、あんまりといえばあんまりな渾名だ。

 

「けど良かったんですか。あいつを闇に戻しちゃって」

 

「あいつの師匠、本郷晶はテメエの弟子を見殺しにするような男じゃねえ。寧ろ下手に闇から引き離そうとする方が危険だ。

 あの小僧、闇の一なる継承者なんだろ。それが梁山泊や国連に身柄を抑えられたら、連中のこった。どんな手を使ってでも取り返しにくるぜ」

 

 いつも好戦的な発言をすることの多い逆鬼師匠が、珍しく冷静な発言をする。

 国連や梁山泊、それに闇とのパワーバランスなどという複雑な勢力関係については良く分からない。だが師匠がそういうということは、それが一番正しい判断だったのだろう。

 だが叶翔が美羽を守ったのは闇からしたら許しがたいことのはずだ。もしも闇がそのことで叶翔になにかしようとすれば。

 

「心配すんな。本郷の奴なら、例え闇を全部敵に回してもテメエの弟子を守る。あいつはそういう男だ」

 

「叶翔の師匠のこと知ってるんですか?」

 

「ああ。好敵手だ」

 

 逆鬼師匠がここまで信頼を寄せる相手など、兼一の知る限り梁山泊の師匠たちくらいだ。

 それほどの信頼を向けられるというのであれば心配することはない。

 兼一は忘れていた痛みを思い出して悶えた。

 



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第73話  一影九拳集結

 梁山泊と闇で起こった抗争の最前線、そこにある闇側の施設。

 武闘系秘密結社といえど裏社会に影響力が強く、資金面においても充実している闇の施設は最新鋭のセキュリティーに守護された近代的なものだ。

 だが如何に最新のセキュリティーといえど、この施設においてそれは飾り以上の価値を持ちえない。何故ならばここに滞在している者たち自身が、どんな防衛システムにも勝る鉄壁の守護者となるからだ。

 そしてこの施設において未だ嘗て数度しか起こっていない異常事態が発生している。もしも心あるものが見れば、これからなにが起こるのだろうと戦々恐々とし、下手すれば遠い国外に逃げ出しかねない。

 〝一影〟風林寺砕牙。

 〝妖拳の女宿〟櫛灘美雲。

 〝拳魔邪神〟シルクァッド・ジュナザード。

 〝拳聖〟緒方一神斎。

 〝笑う鋼拳〟ディエゴ・カーロ。

 〝殲滅の拳士〟アレクサンドル・ガイダル。

 〝拳を秘めたブラフマン〟セロ・ラフマン。

 〝拳帝肘皇〟アーガード・ジャム・サイ。

 〝拳豪鬼神〟馬槍月の代理を務めている魯慈正を含めれば一影九拳が一堂に会している。

 これまで定例の九拳会議でも一影はほぼ欠席、他の者にしてもモニターを使っての参加だったのが、今回は十人全員が直接の参加だ。

 もはやそれは天変地異の前触れといっても過言ではない。事実この十人が本気になれば国の一つや二つは容易く吹っ飛ぶ。

 

「来たようじゃな」

 

 美雲が呟く。他の者達はなんの反応も返さない。ここに集った者達は全てがその武術における最強の達人たち。

 であれば美雲が言わずとも、なにかが来たことくらいはとうに分かっている。

 美雲の言葉の正しさを証明するかの如く、部屋の壁が粉々に粉砕された。壁を壁とも思わず、真っ直ぐ建物を直進してきたのは人越拳神・本郷晶。

 この場に列席するべき一影九拳、その最後の一人だ。

 一影からは追って沙汰するため部屋の前で待機と伝えられているはずだが、彼の人越拳神ともあろうものが己の弟子に関わる重大事にそんな指示を守るはずがない。

 

「我が弟子が……叶翔が撃たれただと?」

 

 サングラスの奥にある鷹の眼光がその場に集った者全員を貫いた。

 人越拳神・本郷晶からは怒気に交じって殺意すら放たれている。だが一影九拳たちはその殺意を涼やかに受け流した。

 本気ではない人越拳神の殺意に恐れおののくような半端者は一影九拳には一人もいない。

 

「ええ、残念ながら」

 

 本郷の怒りの問いかけに答えたのは拳聖・緒方一神斎だった。

 動の気を極め過ぎたことで、戦いでは神話で語られる狂戦士のような戦いをする緒方だが、平時においては温和な人間だ。

 緒方の冷静な態度、それに叶翔が撃たれただけで死んではいないことから、本郷は僅かに殺意を収める。

 

「翔には銃口の向きから銃弾を躱す術を叩きこんでいた。拳魔邪帝、お前ならば知っていよう。何故、翔は撃たれた?」

 

 一影九拳だけが集まったこの会議において、事態の全貌を知る人間として、そして次期一影九拳の一人として、例外的にクシャトリアは列席を許されていた。より正しく言えば一影直々に列席するよう命じられていた。

 人越拳神を相手に事実をオブラートに包むなど不要。そもそもそういった気遣いを求める人ではない。

 クシャトリアは淡々と事実をありのままに語った。

 

「叶翔くんは梁山泊の白浜兼一に敗れた後、フォルトナの私兵の残党が白浜兼一に照準しているのを発見。白浜兼一を守ろうと飛び出した風林寺美羽を守るため、自分の身を盾にしたんです」

 

「……お前ほどの男がその場にいて防げなかったのか?」

 

「防げましたよ。ですがフォルトナの私兵が最初に狙っていたのは白浜兼一。助ける義理はないと見過ごし……対応が遅れました」

 

「翔の容態は?」

 

「梁山泊の岬越寺秋雨と馬剣星の二人が手術に協力してくれたこともあって、どうにか命に別状はなく済みました。今は眠っていますが、直に目を覚ますでしょう。目覚めてからでなければ100%とは言えませんが、恐らくは後遺症は残らないかと。

 本郷殿。元はといえば翔くんが風林寺美羽を庇うことに咄嗟に思い至らなかった私の過失です。処分はなんなりと」

 

「いや、感謝する。お前がいなければ、我が弟子は死んでいただろう」

 

「………………」

 

 あの人越拳神が礼を言ったことに、クシャトリアは目を丸くする。

 ちらりとクシャトリアが他の者達を見れば緒方も驚いているようだった。ジュナザードは仮面のせいで表情は分からず、こんな時でも構わず果物を食べている。

 美雲は相変わらずの無表情で冷酷な顔だ。

 

「非情なる拳、それが闇の資質」

 

「あの男はやはり一なる継承者としては不適合だった」

 

「何……?」

 

 翔を侮辱する言葉を吐くセロ・ラフマンと魯慈正に、本郷は収めていた殺意をまた放ちだす。

 だがその殺意を浴びても二人が発言を撤回することはない。

 

「だから言ったろう。初めからわしの弟子を一なる継承者へ選んでおけば良かったのじゃ。人越拳神、お主は師としてまだ未熟じゃな。体を鍛えるのは上手くても、心を作り上げるのがなっておらぬ」

 

「同志諸君。仲間割れはよしたまえ」

 

 弟子の心を自分の思うが儘に作り変えようとする櫛灘美雲、弟子の心の自主性を尊ぶ人越拳神。同じ闇にあって二人の思想は水と油だ。

 一触即発の雰囲気を、静かに風景画を描いていたアレクサンドル・ガイダルが諌める。

 思想こそ対極だが本郷にせよ美雲にせよ喧嘩っ早い人間ではない。寧ろ達人たちの中では比較的理性的な部類だ。アレクサンドルの諌めで拳をひこうとするが、そこへ更なる火種を投じる者がいた。

 

「カッカッカッ! 仲間割れじゃと? わしら九拳はみな一様に己の武術こそ最強と思っとるわい。闇として纏まっているのは謂わばこれ、ただの不可侵条約。仲間としての結束など、端からないわいの」

 

 今日ジュナザードが食べているのは葡萄だった。しかもよく見ればあの葡萄は黒い真珠と呼ばれるピオーネである。

 どんな時であろうと果物を忘れず、果物を食べ、味を楽しむ。人格的には史上最悪であるが、そのフルーツに対しての姿勢はクシャトリアも敬意を表さずにはいられない。流石は自分の師匠である。

 この会議が終わったら自分も未知の珍味探しでもしてみようか、とクシャトリアは会議とはまるで関係ないことに思いを巡らせる。

 

「静まれ」

 

 と、クシャトリアが果物のことを考えている間に会議は一段落していたようだ。

 一影の鶴の一声でこれまで不穏な会話をしていた九拳たちが口を閉ざす。ただひとり、果物を頬張っているジュナザード以外はだが。

 

「叶翔の今回の失態、責任は重い。が、彼以上に一なる継承者になるに相応しい素養の持ち主は他にはいない。よって叶翔は一時的にYOMIリーダーの称号を抹消、YOMIからも除名する。一なる継承者の計画についても一旦凍結する。異論はないか?」

 

『………………』

 

 ジュナザードが葡萄をごくんと呑み込み、今度はどこに持っていたのかパパイヤを咀嚼し始める。

 会議場にジュナザードがパパイヤを食べる音だけが響く。誰も異論を唱えない。叶翔の師である人越拳神ですら無言だった。

 反論はないと確認すると一影は「鍛冶摩」を呼べと近侍に命じる。

 暫くすると筋肉質で隻眼の青年が一影の前に現れた。彼こそ鍛冶摩里巳、闇の一影が一番弟子だ。

 

「お呼びでしょうか一影様」

 

「当面の間、お前がYOMIの取り纏めをやれ。闇の思想を徹底的に叩き込むんだ」

 

「はっ。仰せとあらば」

 

 鍛冶摩が臨時リーダーの就任を受け入れる。そもそも彼に師匠の命令を拒む気など最初からありはしなかったのだろう。

 叶翔はリーダーの座を一時剥奪、一なる継承者の計画も凍結。ただし頃合いを見計らって元の地位に戻すことはありえる。妥当といえば妥当な裁定だろう。

 公平な判断故に誰からも文句はなく、一影九拳が集結した会議はそこで終わった。

 

 



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第74話  殺人拳と活人拳の差

 一影九拳会議が終わった後、集まった九拳たちは一部を除き各々の拠点へ帰って行った。

 特に美雲、アレクサンドル、アーガード、セロ・ラフマン、ディエゴには、これから弟子を使って行われる梁山泊側への仕掛けの準備もある。一影九拳は暇ではないのだ。

 そんな中、会議に列席していたクシャトリアだけは一影から内々に呼び出しを喰らっていた。

 

「会議中じゃなくて、他の九拳の方々がいなくなってからということは内密の話ですか?」

 

 面倒事の予感を感じて憂鬱になりながらも、一影を前にそんな態度を表に出す訳にもいかない。対外的には真面目な表情でクシャトリアは尋ねた。

 一影はどっしりと座ったまま、静かな双眸を向けてくる。心を読むことに関しては既に妙手クラスの鍛冶摩の師だけあって、その表情からはなにも読み取ることができない。

 息遣いが聞こえる、瞳が微かに揺れ、心臓が動いているのも分かる。確かな血肉をもつ〝人間〟であるのは間違いない……間違いないのだが、どうにも非人間めいたプレッシャーを感じてしまうのは一影の心が完全に閉ざされているからだろうか。

 

「DオブDでは御苦労だった。フォルトナのことは残念だったが、君が動いてくれたお蔭で被害を最小限に抑えることができた」

 

「それは闇にとって叶翔くんを撃たれたことは対して損失じゃないということで?」

 

「死んだならまだしも、彼は生きている。ならばどうということはないことだ。寧ろ彼が闇人となる上での欠陥を露呈させたのは幸いだろう。欠点を知らずに欠点を克服させることはできないのだから」

 

「欠点、ですか?」

 

「そうだ」

 

 叶翔が身を挺して庇ったのは風林寺美羽。一影の、風林寺砕牙の実の娘だ。一影にとって謂わば叶翔は実の娘を守った娘の恩人とすらいっていい。

 だが一影は娘の命を守った叶翔の行為を『闇人としての欠陥』で片づけた。

 完璧なる閉心術で隠蔽された一影の心は、恐らくは彼の実父である風林寺隼人をもってしても見抜けはしまい。だからクシャトリアも淡々と語る一影の真意がどういうものなのかはさっぱり分からなかった。

 

「成程。風林寺美羽(・・・・・)の命を守ったことは間違いだったと、そう仰るわけですね。風林寺砕牙殿(・・・・・・)

 

 敢えてクシャトリアは一影を本名で呼び、どこか挑発めいた口調で言う。自分でやっておいて冷や汗ものだが、殺されはしないという確信がクシャトリアにはあった。

 これまでの一影の指示の傾向から判断するに、その根底にあるのは最小の犠牲をもって事を収めることである。

 元々は梁山泊の一員として活人拳を志していただけあって一影は必要のある殺しであれば、老若男女問わず容赦なく殺戮するが、逆を言えば必要のない殺しは決してやらない。

 そしてこの場においてシルクァッド・サヤップ・クシャトリアを殺すことは、確実に一影と闇にとって大きな損失。必要があるどころか、不利益となる行為だ。

 クシャトリアの考えは正しく、一影は何もすることはなかった。だがクシャトリアの挑発にも一切反応することもなかったが。

 

「そうだ」

 

 一影は迷いなく自分の娘を見殺しにしていた方が正解だったと言う。その瞳に揺れるものはなにもない。

 

「命を張って守ることが殺人拳として必ずしも不正解とは言えん。武術の伝承のためであれば、時に殺人拳であろうと己の身を挺してなにかを守るということが必要となるだろう。

 しかし風林寺美羽は梁山泊長老の孫娘。YOMIのリーダーが命を張って守るべき者ではない。彼の行為は一影九拳全ての継承者となる者としては不適格な行いだ」

 

「………………」

 

 もしもこの場にいたのが自分ではなく、梁山泊の風林寺隼人であればどういうリアクションをしただろうか。激怒するか悲しむか、それとも別のことか。

 どちらにせよ数分後にはこの部屋は跡形もなく滅茶苦茶になっていることだろう。

 

「……では、本題に入りましょう。一影、よもや貴方ほどの御仁が人を労うためだけに呼んだんじゃないでしょう。なにか厄介ごとですか?」

 

「君は話が早くて助かる。他でもない叶翔のことだ。今回の失態で彼を一時的にYOMIから除名し、一なる継承者の計画を凍結したが……君の意見を聞いておこう。他に彼以上に一なる継承者に相応しい弟子はYOMIにいるか?」

 

「いません」

 

 即答した。緒方と一緒にYOMIの御守もやっているクシャトリアは、YOMIの構成員を全員その力量から趣味嗜好に至るまで把握している。だからこその断言だった。

 美しき翼を持つ者(スパルナ)。叶翔以上に一なる継承者になるに相応しいだけの素質の持ち主はいないと迷いなく告げる。

 

「それは一なる継承者になれるだけの素養を持つ弟子はいます。美雲さんが強く推してる千影然り、他の九拳の方々のYOMI然り。ああ、だけど鍛冶摩くんは難しいですね。彼、才能ありませんから」

 

「ああ、そうだ」

 

 自分の弟子を「才能ない」と断言されたにもかかわらず、一影はなんら反論することはなかった。

 鍛冶摩里巳は強い。一影が暫くの間の代行に過ぎずともYOMIリーダーを任せたのは、それが務まるだけの実力あってのこと。断じて一影の意向を傘に着てのものではない。

 しかしながら彼には才能というものがこれっぽっちもなかった。はっきりいってその凡才っぷりは梁山泊の白浜兼一と同等クラスだ。

 

「梁山泊のように達人全員が平行してみっちり修行をつけるなら別かもしれませんが、一影九拳は纏まりがない上に多忙な人ばかり。だからどうしても修行密度がバラけてしまう。

 翔くんは器用なのでそのあたり上手くやれてましたが、鍛冶摩くんの才能じゃ翔くんと同じことは無理でしょう。彼は魂をすり減らすほどの修行がなければ、たった一つの技すら身に着けることはできないのですから」

 

「分かっている。だからこそ私も鍛冶摩を一なる継承者に推薦したことはなかった。では他の弟子は?」

 

「……一部、翔くんを上回る部分がある弟子はいます。千影であれば技術、コーキンでいえば情報収集力、ボリスならば冷静さといった具合に。しかし総合的に見て叶翔以上の素養をもつ者はいません」

 

「ありがとう、もういい」

 

 クシャトリアですら分かっていることを、一影が分からない筈がない。

 となるとこれは念のための確認作業だったのだろう。

 

「一時的に一なる継承者の計画を凍結させたが、いずれは計画を再開することとなるだろう。だがそうなった時に叶翔に仕込んでいた武術のキレが落ちていては問題だ。

 かといって計画が凍結している以上、直接の師たる本郷以外の九拳に叶翔の育成をさせるわけにはいかない。クシャトリア、君はシラット以外の武術についてもそれなりに精通していたな?」

 

「翔くんが武術のキレを落とさないよう修行を見てやれと?」

 

「叶翔一人でも自主練習はできる。だが間違った動きを覚えないようするには、やはりその武術を知る者が近くにいた方が良い。それも本郷が納得するだけの実力者が。君ならば合格だろう」

 

「…………一影、本来であれば無手組の長である貴方にこんなことを言いたくはないのですが、今でさえスケジュールがきつきつなのに、更に仕事を増やすのは時間的に無理ですよ」

 

 荒涼高校への潜入、ジュナザードの代理としての仕事、YOMIの御守り、自分の修行、リミの修行。ここに叶翔の修行が加われば、もう眠る時間をゼロにするしかないだろう。

 今でさえ替え玉や代理人を駆使してどうにかやっているのだ。いくら達人の体力が常識外れだからといって、これ以上仕事をすれば死ぬ。

 

「寧ろ仕事を減らして下さい。荒涼高校への潜入は白浜兼一についての情報は粗方入手したので良いでしょう。あとYOMIの御守り役も緒方がいるんですし、そちらに一任するという方向で……」

 

「悪いが却下だ。YOMIの弟子たちを荒涼高校へ送り込み、活人拳に圧力をかけるという計画。YOMI幹部であれば万が一のこともないはずだが、彼らは些か常識性に欠ける節がある。念のため君には今暫くはあの高校へいて、彼等をそれとなく監視して貰いたい」

 

「うっ」

 

「それに拳聖にはボリスのことなど独断専行を行う節がある。彼にもストッパーは必要だ」

 

「ぐっ!」

 

 仕事を減らしてほしいという切実な願いは、一影にばっさりと粉々に切断されて海へ捨てられる。

 呑み込んだ唾の味は何故か塩の味がした。

 

「心配しなくても叶翔にみっちり修行をつけろというわけじゃない。あくまで腕を鈍らせないようにして貰いたいだけだ。それならばそう時間もとられないだろう。引き受けてくれるのならば報酬は弾もう」

 

「報酬? 金ならもう使いきれないほどありますが?」

 

「私の秘伝を三つ伝授する、それでどうか?」

 

「……ほう」

 

 クシャトリアの目の色が変わった。

 無手組が長、一影が極めた武術は我流。その名の通り一影が実戦の中で研ぎ澄ませ、暗鶚の秘術などを取り込んで進化してきたこの世に二つとない武術。

 その秘伝の一つとなれば十億出しても惜しくない価値をもつ。それを三つ。悪い条件ではない。

 

「これだから貴方の部下は止められない。飴と鞭の使い方を良く心得ておられる」

 

「任せたよ、クシャトリア」

 

「お任せを」

 

 仕事が増えるのは負担だが、一影の秘伝三つとなれば等価交換どころかクシャトリアに利益があるくらいだ。

 一影からの任務を引き受けたクシャトリアは退室しようとして、扉の前で足を止めると振り返らずに口を開く。

 

「一影。あの時、俺は白浜兼一と風林寺美羽を見捨てようとしました。あれは闇人として正しい判断だったんですか?」

 

「ああ。糾弾する理由はどこにもない」

 

「ですがそのせいで動くのが遅れて、結果的に翔くんが撃たれました。俺が活人拳だったのなら、迷わずに二人を助けて翔くんが撃たれることもなかったでしょう」

 

「何が言いたい?」

 

「いや、ね。人を壊すことに関して殺人拳は活人拳の上をいきますが、人を守ることに関して殺人拳は活人拳に及ばないと思っただけです。別に大したことではないので気にしないで下さい」

 

 一影が返答することはなかった。

 



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第75話  疑問

 DオブDでの騒動から数日後、叶翔は闇の医療施設のベッドでゆっくりと閉ざされていた目蓋を開けた。

 起き上がろうとすると痛みが奔った。痛みの発生源を見下ろせば、そこには包帯で巻かれた自分の腹部。数日間も寝ていたせいで曖昧になっていた記憶が、その痛みと共に蘇ってくる。

 

(そうか……。俺、生きているのか。ちょっと意外。完全に死んだと思ってた)

 

 まるで他人事のように『自分が生存していた』という重大事を認識する。

 師より教え込まれた自分の状態を客観視する能力の賜物であるが、それ以上に現実感のない夢遊病めいた気分を翔は味わっていた。

 腹部の痛み、薬品のにおい、白い天井、ベッドの肌触り、空気の味。五感の全てが自分がいる場所が紛れもない現実世界だと教えてくれているのに、どうにもそれを実感することができない。

 原因は不明だ。こんな気分、これまでの人生で味わったことがなかった。

 だが思い当たる節がないでもない。

 

(やっぱりあそこで明確な死を感じ取ったからかな)

 

 DオブDで美羽を庇い、そして死ぬ。叶翔という武術家はあそこを己の死地と定めた。

 だからこそ憎い恋敵であり、この世で一番気に入らない相手である白浜兼一に自分の片翼を託したのである。

 なのに結果的に自分はこうして生き残ってしまった。別に生きていることが嬉しくないわけではない。死ぬより生きている方がいいとも思うし、命の恩人であろうクシャトリアには感謝の念もある。

 だが――――死に場所で死ねなかった武人の心は、どうしても行き場をなくし迷ってしまう。

 

「――――目覚めたようだな」

 

「げっ」

 

 翔は露骨に顔を真っ青にした。

 病室のドアの前にポケットに手をつっこみ君臨するは人越拳神・本郷晶。叶翔が最も長い時間を共にした師匠である。

 サングラスをかけているのと、元々の無愛想さのせいで表情は全く分からない。しかし彼の弟子である翔には、ゴゴゴゴゴという擬音が聞こえてきそうなプレッシャーから怒気を発しているのが丸分かりだった。

 

「は、ははは。先生、どうにか生きています……。ええと」

 

「翔、俺はDオブDなど出る必要はないと言ったな」

 

「えーと、はい先生」

 

 冷や汗を流しながら答える。

 さっきまでの死に場所で死ねなかったことによる迷いなど、もう宇宙の果てまで吹っ飛んでしまっていた。鬼も泣いて逃げ出す怒気に、翔はこここそが自分の死に場所だと悟る。

 

「なのに強引にDオブDに乱入し、あまつさえ史上最強の弟子に敗北した。相違ないな?」

 

「そ、相違ありません」

 

 史上最強の弟子、白浜兼一に敗北した。

 自分でもそのことは認識していたつもりだったが、こうして師に改めて言われると胸の奥からなにかが込み上げてくる。

 煮えたぎる熱い感情。水を求めて彷徨う狼の飢餓感に近いそれ。

 初めての感情だ。或はこれこそが悔しいと――――負けたくないという思いなのかもしれない。

 

(悔しい……悔しいか。はははは、そうだ。俺はまだ生きているんだ。次は勝ってやる。勝って美羽を……)

 

 ふつふつと湧き上がる獰猛な闘争心。白浜兼一との再戦を想像し、翔は自然と笑みを浮かべた。

 

「史上最強の弟子に敗北したのが笑うほど嬉しいか?」

 

「へ、あいや違いますって! 夏……あーうーんと、ハーミットの勝ちばかりじゃ得られない経験値っていうのが少し分かったというかなんというか……」

 

 翔はあたふたと言い訳する。

 

――――勝ち続けろ。

 

 それが本郷晶が叶翔に言い聞かせ続けてきた教えだ。師である本郷晶が強く言いつけたことを敗ればどういうことになるのか、翔は身をもって体験していた。

 だというのに自分は師が最も強く言い聞かせてきた教えを破ってしまった。

 本気ではなかった、心のどこかで敗北を期待していた、相手には数多の声援があった。叶翔とて武人。そんな下らない言い訳で己の敗北を覆い隠すことなどできない。あれは完膚なきまでに自分の敗北だった。

 しかし翔の恐れを裏切るように、予想していた激昂が訪れることはない。恐る恐る顔を上げると、分かる人にしか分からぬほどうっすりと笑みを浮かべた師がいた。

 

「翔、お前は今回の失態でYOMIのリーダーから降ろされることになった。YOMIからも一時的に除名されることになる」

 

 本郷晶は翔がこれまで持っていた〝空〟のエンブレムを見せると、それを自分の懐にしまう。

 エンブレムは一影九拳がYOMIの象徴。YOMIではなくなった翔にそのエンブレムを持つことは許されない。

 

「別にYOMIのリーダーに拘りはないんですけど、エンブレムまでなんて徹底してますね」

 

 YOMIのリーダーから降ろされ、YOMIからも除名される。普通の弟子であれば最大の罰であろうそれ。

 しかし翔にとってはYOMIから除名される悔しさよりも、余計な束縛から自由になる開放感が勝った。だからそのことに否はない。だが師との繋がりであるエンブレムまで失うのは少し寂しいものがあった。

 

「リーダーの座は兎も角、時間が経てばYOMIに戻されるだろう。〝落日〟のこともある」

 

「あぁ。世界にまた大きな戦い起こしてドンパチやろうっていう」

 

 武術家が短期間で成長するには実戦に次ぐ実戦を潜り抜けるのが一番の早道だ。

 だからこそ戦争が日常となる戦乱の世では、多くの武人が戦場で散る一方で多くの武人が短期間で達人に至ったという。

 闇の目的からいっても、落日により世界規模の戦争が起こる前にできるだけ多くの若い武人を確保しておきたいはずだ。

 

「だが、例え一影がどう言おうと俺は半端者をYOMIに戻すつもりはさらさらない。お前は白浜兼一に敗北した。ならば何故自分が敗北したのか、その理由について考え……次は勝て」

 

 次は勝て、という言いつけ。それはどんな指示よりもすんなりと翔の心に入り込んできた。

 

「はい、先生」

 

「快復してからは地獄が待っていると思え。――――だから早く傷を治すがいい。お前がここで寝ている間にも、史上最強の弟子は更に力を磨いているのだからな」

 

 そう言い残して本郷晶は去っていく。その背中を見送りながら、翔は「はっ」と気づく。

 

「先生。なんで言いつけを破ったことや負けたことを怒っておいて、美羽を庇ったことは怒らなかったんだろ?」

 

 へんなの、と呟き翔は天井を見上げた。

 

 

 

 

 クシャトリアがビルの屋上へ行くと、そこには既に美雲が待っていた。

 

「遅くなりました。なんの御用で?」

 

 風にあおられ、夜の闇のような黒髪を靡かせながら美雲は振り返る。

 月を背にしたその出で立ちは、その艶やかな佇まいと相まって神秘的ですらあった。

 

「人越拳神の弟子がやられ、一影の弟子がYOMIの主導権を握った。こちらの史上最凶の弟子がやられたのじゃ。YOMIと史上最強の弟子の戦いもより激しさを増していくことじゃろう」

 

「……ええ」

 

 緒方一神斎の梁山泊への宣戦布告、ボリス・イワノフの梁山泊への道場破り。この二つで破られた冷戦構造。だが今回の叶翔の敗北は決定的だった。

 これまでのような小競り合いではない。梁山泊と闇の戦いはこれより食うか食われるかの本格的なものとなっていくだろう。

 相手が活人拳であるが故に可能性は低いが、一影九拳の何人かが削れるかもしれない。

 

「ご自身の弟子が、千影が心配ですか?」

 

「わしは人越拳神ほど未熟ではない。わしの弟子であれば万が一にも負けることはあるまいて」

 

「…………」

 

 否定はできない。櫛灘千影が13歳でありながら優れた武術家であるというのもある。しかしなによりも櫛灘千影は相性という点で、白浜兼一にとって最悪の相手だ。

 白浜兼一は女子供を殴らないという信念をもっている。そう、信念だ。白浜兼一は例え自分が殺されることになろうとも、女子供に手をあげることはないだろう。

 そしてよりにもよって櫛灘千影は〝女〟で〝子供〟でもある。殴らずに組技を用いて無傷で制圧しようにも、彼以上の柔術家である千影にそんなことをするのは不可能。

 千影が叶翔より強いということはできないが、相性的に千影が兼一に負けることはまずありえまい。

 

「わしが気にするのは落日のことじゃ。梁山泊と戦いながら、闇は久遠の落日のため動くことになるじゃろう。わしは活人拳を軽蔑しておるが軽視はしておらぬ。梁山泊は闇にとって最大の敵。これと当たるには一影九拳も一致団結せねばならぬ」

 

「……それは、難しいですね」

 

「そうじゃ。我が強い九拳といえど、一影の命があればある程度は制御もできる。じゃが一名ほど一影ですら縛りきれぬ男がいるのでな」

 

 誰であるかなど言うまでもないことだ。クシャトリアの師、拳魔邪神ジュナザードのことである。

 

「独断専行だけならばまだ良し。じゃがあの男の場合、下手すればこちら側に牙を向きかねん。奴が弱ければどうとにもできるが、最悪なことに奴の実力は一影九拳随一。一影ですら抑えられるか怪しいもの。

 やれやれ、これでは一影九拳の纏まりなど夢のまた夢じゃな。どうすれば一影九拳が纏まると思うかえ。拳魔邪神の一番弟子クシャトリアよ」

 

 挑発するような笑みを浮かべて言い放つ美雲。

 それを受けたクシャトリアは怒るでも無表情でいるでもなく、つられるように口端を釣り上げた。

 

「簡単なことです。拳魔邪神ジュナザードが死ねばいいんですよ」



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第76話  合否

 龍斗の障害克服、史上最強の弟子と史上最凶の弟子の激闘と敗北、デスパー島陥落、叶翔の被弾、YOMIのリーダーの交代。

 両手の指だけでは足りないほど多くのことがあったDオブDだが、一か月も経てばその記憶も色あせ、負った傷も癒え過去のものになっていく。

 季節は3月。仄かな風が芽吹き、多くの若者たちが門出をきる直前。桜は桃色の芽を出し、桜が並ぶ公園では桜の花びらとよっぱらいオヤジの演歌がオーケストラを奏でる。

 学生にとっては次の学年へ進級する狭間。卒業生にとってはキャンパスライフを控えた春休み真っ盛り。

 梁山泊の史上最強の弟子こと白浜兼一も、傷をいやし今は来るべき戦いへ向けて厳しい修行の中にいることだろう。新白連合総督の宇宙人……もとい新島も情報収集に余念がなく、他の者も修行に勤しんでいる。

 そして武術家でも部活動に所属しているわけでもない者は、存分に休暇を満喫していることだろう。

 だが世の中には例外もいるわけで、

 

「うぉぉぉぉおお! 今頃兼一くんやハニーはYOMIとの戦いへむけて修行しているっていうのに、どうして僕らはこんな所で呑気に勉強しているじゃな~~~い!!」

 

「畜生……。キサラと猫パークにいく約束だったのによぅ」

 

「ははっ。このザマァ。テメエがリア充ぶろうなんざ一兆年早いんだよ宇喜田。フラレっちまえ」

 

「なんだと筑波!! フラれることすらできねえ癖に偉そうに。お前は一人でゲームのキャラに欲情してやがれ」

 

「ンだとゴラァ! 俺は兎も角、俺のゲームを馬鹿にするのは許さねぇぞ! 赤セイバー最高だろうが!!」

 

「ざけんな! 赤とか論外! セイバーは青一択だ!!」

 

「宇喜田ァアアアアアアアアアア!!」

 

「そこの三人。黙らないと退学にするぞ」

 

「「「はい、すみません」」」

 

 久方ぶりに〝内藤翼〟の姿となったクシャトリアは、絶海の孤島でもたった十人ぽっちの教室でも騒がしい三人を注意すると嘆息する。元気なのはいいがその元気を少しは勉学にも向けて欲しいものだ。

 どうして武田、宇喜田の新白連合の将軍たちに筑波を加えた三人が、春休みなのに修行するでもなく学校の教室で勉強しているか。それには込み入った事情がある……わけではなく、単に成績がレッドゾーンなせいで補習を喰らっているだけだった。

 最終学年である三年生でありながら補習という状況が示す通り、クシャトリアの「退学にするぞ」とはブラフでもなんでもない。補習の態度が悪ければ本当に退学にしてしまえるのだ。

 

「三人とも……。自分たちの置かれた状況が分かってるのか? これは最後のチャンスなんだぞ」

 

「い、いやぁ。今頃他の皆が修行して着実に強くなっているのに、自分はこんな所でなにしてるんだろと思ってしまいまして」

 

 武田が苦笑いしながら頭をポリポリと掻く。その顔にあるのは焦り。もっと強くならなければ、という武術家ならば誰しもが一度はもつ感情だ。

 彼の裏ボクシング界の破壊神に教えを授けられた彼は、DオブDにおいても新白連合随一の活躍を見せた。クシャトリアは岬越寺秋雨とやりあっていたので見ていないが、力を抑えていた田中勤にそこそこ喰らいついてもいたらしい。

 しかし叶翔、オーディーンといった明らかな格上たちや、そんな格上たちと戦い勝利した白浜兼一の存在が、彼の闘争心に火をつけたのだろう。

 クシャトリアもその気持ちは同じ武術家として良く分かる。良く分かるが、それとこれとは別問題だ。

 

「長期休暇中に武術に専念したいんなら、これからは出席くらいはちゃんとすることだ。ああ、退学届出すのなら今すぐに武術の修行に行ってもいいが」

 

「い、いえいえ。そりゃボカァ、ボクシングで身を立てていく所存ですけど、やっぱり高校くらいは卒業しておきたいなぁと」

 

「だったら今は勉強に励むしかないな、残念だけど。というわけで武田、ナポレオンが制定した史上初の本格的な民法典はなんだ?」

 

「出師の表」

 

「阿呆。それは諸葛孔明が劉禅に出した上奏文だ」

 

 何故か自信満々に答えた武田の珍解答をばっさり切って捨てる。

 あまりの珍解答にナポレオンが綸巾と羽扇を装備しているカオスな絵面が浮かんだ。

 

「はぁ。これ昨日教えたところなんだがな……。仕方ない。宇喜田、答えろ」

 

「ブック・オブ・ナポレオン!」

 

「全然違う。じゃあ筑波」

 

「死海文書」

 

「死ね!」

 

 それからも他の補習喰らった生徒に同じ問題を投げかけるも法の書だの、五輪の書だの全く意味不明の解答ばかり。

 あまりに散々たる有様にもはや溜息すら出てこなかった。荒涼高校がド底辺の偏差値だということは承知していたが、その中で更にド底辺がここまで酷かったとは流石に想定外だった。

 

「ったく。こんなんで明日のテスト大丈夫なのか。明日のテストでもしアレな点数とればこれだぞこれ」

 

 クシャトリアが首を切るジェスチャーをすると、この界隈で恐れられた不良たちも顔を真っ青にさせる。

 高校へは潜入で入っているだけといえ、クシャトリアにもプロとしての矜持がある。教師として潜入したのであれば教師としての職務は全うせねばならない。

 さしあたってこの補習生を無事に明日のテストを突破させることが、クシャトリアの責務なわけだ。といってもクシャトリアに出来ることはそう多くない。出来ることといえば明日のテストを突破できるように、

 

「……地獄の勉強をさせるしか、ないなぁ」

 

 まともな方法で突破させられないのなら、まともじゃない方法を使うだけ。

 言い聞かせて駄目なら叩いてみろ。多少非人道的なやり方を使っても、後でやばい記憶だけ消せば問題にもなるまい。

 クシャトリアは哀れな子羊たちを見渡してニヤリと嗤った。

 

「ちょ、内藤先生。なにか物凄くいい顔してるんですけど、地獄の勉強ってただの猛勉強ですよね? なんかジェームズ志馬大先生がかなりヤバい修行を僕にさせる時と同じ顔なんですけど、それ」

 

「ははははははは。大丈夫だよ。諺にもあるだろう。聞かぬは一生の恥、痛みは一日の恥と。さぁ、勉強を始めよう」

 

「ぎゃぁあああああああああああああああああああああ!!」

 

 その日、補習室に不良たちの断末魔が響き渡ったという。

 

 

 

 

「武田50点、宇喜田53点、筑波57点……」

 

 不良たちは緊張した面持ちでクシャトリアの言葉を待っている。

 テストの合格点は60点。60点とっていれば文句なしに合格突破だったのだが、補習生でこの三人だけが後一歩及ばない50点。

 ここで恩情をかけて合格とするか、冷酷無情に不合格と切り捨てるか。それは全てクシャトリアの一存にかかっている。

 

(合格か不合格か。結果だけで判断するなら不合格だが、補習前だったら10点だってとれなかっただろうし……)

 

 未来ある武術家に汚点をつけるのも気が進まなかった。

 それに下手に不合格にして一念発起して武術に専念されても、それはそれでYOMIのためにはならないかもしれない。

 

「ま、努力の甲斐はあるにはあったか」

 

「っ! それじゃあ!」

  

「合格だ。明日からは存分に武術の修行に励むと良い」

 

「よっしゃあ! これで僕たちも高卒だ!」

 

「おう! 俺も柔道家として箔がつくぜ!」

 

「へっ。漸く存分にエロゲが出来るな」

 

「アホか。卒業なんて出来るわけないだろう」

 

「「「へ?」」」

 

「これ退学回避のためのテスト。お前たちは退学を回避しただけ。そもそも週四日で休んでるような残念極まる出席日数で卒業できるわけないだろう。ドゥー・ユー・アンダー・スタン?」

 

「ということは……」

 

「四年目の高校生活頑張れよ」

 

 やることをやり終えたクシャトリアは荷物を片づけていく。補習で時間をとられてしまったが、クシャトリアは他にもやることが山積みなのだ。

 男どもの無念の雄叫びを聞き流しつつ、クシャトリアは去って行った。

 



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第77話  予感

 四月になり荒涼高校も新学期になった。

 その偏差値の低さから不良の巣窟とまで揶揄される荒涼高校には、その看板に相応しい柄の悪い新入生が毎年入学してくる。今年もその例に漏れず少なく見積もって新入生の一割は、中学時代に不良グループにいた連中だった。

 尤もここ最近は新白連合が荒涼高校に睨みをきかせている甲斐あって、不良生徒による問題行動は格段に抑えられているといっていい。

 なにせ新白連合で――――本人は認めないかもしれないが――――総督に次ぐ或は比肩するだけの権威をもつ白浜兼一は元いじめられっ子。しかも根っからのお人好しときている。新白連合の構成員がカツアゲなどといった弱者を虐げる行為をするはずがなく、また連合に所属しない不良たちも新白連合を敵に回すことを恐れて、そういった行動を大っぴらにすることはできない。

 中には新白連合なんぞ知ったことかとばかりに暴れまわる命知らずもいるが、そういった連中は連合の精鋭たちによって物理的に身の程を知ることになる。

 だが今年は例年とは少し違っていた。

 

――――YOMI幹部たちの荒涼高校への潜入作戦。

 

 これには大まかに分けて三つの目的がある。

 一つ目には武術漬けで世間知らずのYOMIたちに、俗世間というものを学ばせること。学校とは社会の縮図であり、未成年が社会を知るには学校が最適だ。

 二つ目には活人拳勢力の弟子集団(と闇では思われている)新白連合の者達に闇の殺人拳を啓蒙すること。

 そして三つ目はYOMIを史上最強の弟子の近くに配置することで、梁山泊に精神的プレッシャーをかけることだ。

 DオブD優勝、叶翔撃破、デスパー島陥落。

 手を出したのは闇からだったといえど、梁山泊はいささか以上に暴れすぎた。

 もはや両勢力の激突は不可避。YOMIの荒涼高校への侵入は、謂わば開戦を告げる一番槍だ。

 

――――そうして彼らは送り込まれた。

 

 潜入するメンバーに選ばれたのはレイチェル・スタンレイ、イーサン・スタンレイ、ボリス・イワノフ、ティーラウィット・コーキンの四人。

 年齢も高校に侵入するには、それなりに社交性も備えているためベストな人選といえよう。彼らは留学生という名目で堂々と新白連合の喉元に近づくことに成功した。

 そしてもう一人。

 クシャトリアは飾り気のないスーツを着込んだ『内藤翼』としての姿で、荒涼高校の階段を登る。最後の階段を登り終えて屋上へ出ると、ただっ広い屋上の片隅でひっそりとメロンパンを頬張る少女が一人。

 レイチェルたち四人は留学生という形で荒涼高校に侵入を果たしたが、もう一つ怪しまれずに学校へ入る方法がある。

 一年に一度、学校が最も多くの新顔を迎え入れる行事。即ち入学式。

 櫛灘千影。今回の潜入組の最年少で日本人である彼女は、飛び級した天才少女という触れ込みで十四歳でありながら荒涼高校へ潜入していた。

 

「千影」

 

「内藤先生。なにか御用ですか?」

 

 YOMIの幹部たち全員はクシャトリアが荒涼高校に教師として潜入していることを知っている。

 だがクシャトリア=内藤翼であることは、彼等がYOMIであることと違い一応は秘密事項だ。誰かの目が光っていることを警戒した千影は、わざと兄弟子にするものではない冷淡な反応をした。

 

「……昼休みにこんな所で一人で食事か。もしかしてクラスメイトと上手くいっていないのか?」

 

「あの人たちが鬱陶しかったので、一人で食事を食べれる場所に来ただけです。他意はありません」

 

「天才少女は大変だな」

 

「私は天才なんかじゃありません。ここの生徒のレベルが低すぎるだけです」

 

「……否定できないのが悲しいね」

 

 荒涼高校生徒の知識量が平均的高校生と比べて著しくアレなのは、この一年間、補修組の面倒を見てきたクシャトリアは良く知っている。

 鳴くよウグイス織田信長と答えられた時は驚いたあまり教室を半壊しそうになったくらいだ。

 

「ちなみになにがどう鬱陶しかったんだ? 今の俺は一応この学校の教師であるし、なにか問題が発生しているなら改善させることも吝かじゃない。美雲さんにも頼まれているし」

 

「5544518474828282×827387981だの894789729827÷398279827598272はなんだだの、こんな簡単な問題を解かせて解いてみればなにが面白いのか凄いと褒め称える。意味が分かりません」

 

「お前にとって簡単でも、他の人間にとってはその計算を暗算でやるのは難しいということだ」

 

「……48465416416411641÷106834521057は?」

 

「453649.40037081856」

 

「簡単じゃないですか。他のYOMIでもこれくらいは簡単にできますよ」

 

「あー、だから全員が優れたIQをもっているYOMIを基準にしちゃいけない。極普通の一般人は君や他のYOMIたちと比べ遥かに劣ったIQの持ち主ばかりなんだから。

 俗世間の……いいや世間一般の常識、世間一般の当たり前。それらを学ぶこともお前や他のYOMIに命じられた任務の一つ。これもまた修行と思い励むしかないな」

 

「意味不明な連中に意味不明な質問をされる現状を改善してくれるのでは?」

 

「任務続行に致命的な障害が発生するほどの問題ならいざしれず、それくらいの問題は自分で対処しろ」

 

 人間は飽き易い生き物。今は上野動物園にパンダが来た感覚できゃーきゃー騒いでいても、そのうち別のブームを見つけて流れていくだろう。

 クシャトリアの見立てでは荒涼高校の生徒が別のなにかに夢中になって、天才少女に飽きるのは後一か月かそこいら。一か月も同じ学校で勉強していては、天才少女の存在は珍しいものから日常的なものとなる。

 もっともそれはクラスメイトだけで、櫛灘千影が学校中の日常になるまではもう二か月はかかるだろうか。

 

(ま、変なことにはなっていないようでなによりだ)

 

 新白連合が睨みを利かせている影響で荒涼高校の治安は良くなった。だがカツアゲや暴力などの事件が完全になくなったわけではない。

 人間というのは自分達にとって当たり前でないものや、特に秀でている者、目立つ者などを排斥する傾向がある。有り体にいえばいじめの対象とする。

 もしかしたら千影がそういうものの対象でないかとひやひやしたが、どうもそれは杞憂だったらしい。

 

(世間知らずの千影のことだ。不特定多数の悪意に晒されたら、相手をうっかり殺しちゃうかもしれないし)

 

 別に殺しを否定するわけではないが、校内で殺人沙汰などを起こされては隠蔽が面倒だ。

 梁山泊との本格的な戦争状態に入ったせいで、闇の国家機関への影響力も曖昧になっていることだし、下手したら逮捕なんてことになりかねない。

 

「こんな下らない所で学ぶことになんの意義も見出せません。早々に史上最強の弟子を始末するのでは駄目なのですか?」

 

「史上最強の弟子の首級を誰が獲るかは九拳の間で揉めに揉めていてね。自分の弟子に史上最強の弟子の称号を与えたい師は多い。美雲さんもその一人だ。

 議論は続いているが、最終的には順番で一人ずつ戦いを挑んでいく形になるだろう。誰が先になるかは分からないが」

 

「そうですか」

 

「それに順番が守られるかどうかも不明だ」

 

「?」

 

 一影九拳の我の強さと唯我独尊っぷりを良く知るクシャトリアは、一影九拳全員が議論で決められた決定に大人しく従うなんて思えない。

 本郷晶、アレクサンドル・ガイダル、セロ・ラフマンあたりは兎も角として、ディエゴ・カーロ、緒方一神斎、そしてジュナザードあたりはどう動くがさっぱりだ。

 クシャトリアは嘆息しつつ鞄から蜜柑を取り出すと、千影にぽんと渡した。

 

「これは……?」

 

「温州蜜柑。美雲さんの所じゃどうせ砂糖なしのカステラだとか、アンコなし餡蜜とかしか食べてないんだろう。良かったら食べるといい」

 

「……感謝致します、クシャトリア兄」

 

 千影はマスコット、ボリスは教師の言いつけを100%遵守する模範生、コーキンは寡黙なイケメン、レイチェルは相変わらず、イーサンはその不思議な魅力でクラスメイトから人気を獲得しているらしい。

 一時はどうなるかと思ったが、各々どうにかやっているようでなによりだ。

 その時、ケータイに一通のメールが届く。

 

「……そうか。アレクサンドル殿が仕損じたか」

 

 つい先日あったロシアの女議員の暗殺任務。闇は九拳が一人、アレクサンドル・ガイダルを派遣した万全の布陣をもって臨んだ。

 それが失敗した。梁山泊の岬越寺秋雨と逆鬼至緒の二人によって。

 これからも闇は闇排斥派の人間を殺そうとし、梁山泊はそれを妨害しに動くだろう。

 

「…………俺の任務とも、そろそろぶつかるかもしれないな」

 

 嫌な予想だけは意地悪く当たってしまうだけに、クシャトリアは自分の懸念に憂鬱になった。

 



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第78話  依頼内容

 YOMIの荒涼高校への転入から早数か月。梁山泊一番弟子、白浜兼一はどうにかこうにか五体満足で生き延びていた。

 ボリス・イワノフとの死闘、イーサン・スタンレイとの死合い、櫛灘千影との出会い。死ぬような目にあったのは両手の指では数えきれないほど。だがその度に師匠方に修行で殺されていたお蔭で、実戦で死ぬことは免れた。

 

(ま、まあ一度だけコーキンに殺されかかったけど)

 

 コーキンとの戦いに敗れ、心臓が一度止まったことは忘れることができない。

 もしも適切な心肺蘇生法が実行されていなければ、今頃自分は墓の下で白骨となり埋まっていたことだろう。あの時のトラウマは師の一人、武器と兵器の申し子・香坂しぐれの刀狩りについていったことで克服したものの、思い出すとまだ背筋が凍りつく気分を味わう。

 とはいえ今、自分の背筋が凍りついているのは、

 

「アパパパパ。兼一、今日は難しいことなにもしないよ。これまでのお皿洗いでアパチャイと普通に組手するよ!」

 

「ひぃぃぃいいいいいいいいい!!」

 

 全力でアパチャイより逃走を計る兼一だったが、即座にしぐれの鎖鎌に雁字搦めにされて捕まる。

 

「逃げる…な」

 

「に、逃げてるんじゃありません! これは戦略的撤退です! 孫子曰く、三十六計逃げるに如かずって大学館の『いざという時の戦争シリーズ』に書いてました!」

 

「大丈夫よ、兼一! アパチャイ、今日はなんにも新しいことしないよ! これまでのお皿洗いよ!」

 

「お皿洗いじゃなくておさらいですよ! ……いや、そうじゃなくて普通に組手が一番恐ろしいんですよォーーーー!」

 

 梁山泊一番弟子、白浜兼一には師匠が六人いる。

 一人は言わずと知れた梁山泊の長老。とはいえ長老は所要でふらふらと出かけることも多いし、日常的に稽古をつけてくれているわけではない。

 これまで兼一に多くの恐怖を刻み込んだ香坂しぐれは武器使い。兼一は無手の武術家のため、必然的に修行密度は他の師匠たちよりも薄い。

 馬師父と逆鬼師匠は厳しくもあるが、どことなく(他の師匠と比べたら)甘さもあるほうだ。逆鬼師匠には修行を抜け出してラーメン屋に連れて行って貰ったこともあるし、馬師父とはエロ本談義で盛り上がったこともある。

 そして最後の二人。この二人が修行における恐怖の象徴だ。

 二人のうち一人、岬越寺秋雨は梁山泊でも一番の常識人で理知的な人物である。しかしその常識人は一度修行に入ると鬼になる。まるでアニメのマッドサイエンティストの如く新たな修行マシーンを生み出しては、兼一を地獄に突き落とし、しかも甘さは一切ない。

 兼一の修行プログラムのスケジュールを組み立てたのも岬越寺師匠であり、ある意味では兼一の地獄を生み出す根源ともいえる。

 そして最後の一人が裏ムエタイ界の死神アパチャイ・ホパチャイ。

 

「さぁ! 兼一、好きに打ち込んでくるよ!」

 

「うっ!」

 

 にこにこ微笑みながら、アパチャイがミットを叩きパーンと良い音を鳴らす。公園で多くの子供たちの人気を集める微笑みも、兼一には死神の笑みにしか見えなかった。

 アパチャイ・ホパチャイは梁山泊の師匠たちで一番優しい人だ。それは一番弟子として断言できる。

 しかし師匠たちで一番社会常識というものに疎いアパチャイは、致命的に手加減が苦手だ。

 最近は段々と手加減も出来るようになっているし、兼一も仮死状態になるような回数は減ってきている。しかし修行が進みヒートアップしてくると、ついうっかり羽目を外した拳が出る時があるのだ。

 

(ほ、本音を言えば今すぐにでもに、逃げたい……けど!)

 

 ボリス・イワノフ、イーサン・スタンレイを倒したといっても、YOMIはまだまだこの日本にいる。嘗て自分を一度殺したコーキンもその一人。

 こうしている間にもYOMIは修行を重ねどんどん強くなっているだろう。その彼等を倒すには自分も強くなるしかない。

 

「お願いします、アパチャイさん!」

 

「お……。やる気になっ…た」

 

 兼一の目に闘志が点ると、しぐれも鎖鎌の拘束を外した。自由になった体でしっかりと地面を踏みしめると、目の前の死神を見据える。

 自分を一度殺したコーキンはムエタイ家。そしてムエタイ家としてアパチャイとコーキンのどちらが上かなど論ずるまでもないことだ。

 アパチャイとの組手はムエタイ家のコーキンと戦う上で良い経験になるはず。

 

「いきます!」

 

 崖から飛び降りる気分で、兼一はアパチャイ・ホパチャイへと向かっていった。

 

「いつもながら修行に精が出ますな」

 

「……あ、本巻警部」

 

 兼一がアパチャイに激突するよりも早く、来訪者が声をかけてきた。

 本巻警部。逆鬼師匠の知り合いで、時たま警察でも対処不可能な仕事を持ち込んでくる小太りの刑事だ。

 闇の動きも活発になっているようだし、また仕事を持ち込んできたのだろう。

 

「アパ?」

 

「へ?」

 

 しかし声をかけられたからといって、余所見をしてしまったのがいけなかったのだろう。

 アパチャイの突きは余所見をした兼一の顔面に吸い込まれていった。

 

「あびゃぶぃぁ!?」

 

 アパチャイの突きが炸裂し、兼一は吹っ飛ばされる。

 奇妙な断末魔をあげながら、今日も兼一は星になった。

 

 

 

 

 普段から撃たれ慣れている甲斐あって、直ぐに目を覚ました兼一は本巻警部から逆鬼師匠への依頼について聞いた。

 

「女スパイさんの救出ですか? いつつっ……」

 

「動かないで下さいまし。まったくもう修行中に余所見するからですわ」

 

「す、すみません」

 

 美羽からの治療を受けながら、兼一は逆鬼師匠と本巻警部の顔を見比べる。闇絡みの仕事だけあって、いつもは飄々としている逆鬼師匠も真剣そのものだ。

 馬師父たち師匠方も勢ぞろいして本巻警部の話を黙って聞いている。ただ接骨院の仕事が大盛況でここ数日泊まり込みの岬越寺師匠と、世直しの旅に出かけている長老だけがいなかった。

 

「彼女は闇から逃げ出した後、闇の監視網から逃れるため今は山中に潜んでいます。どうか彼女を保護して頂きたい」

 

「所在不明ならまだしも、場所が分かってんなら普通は梁山泊が出るまでもねえ。だってのにここへ来たってことは……おやっさん。その女スパイを狙ってんのは余程の大物ってわけか?」

 

 逆鬼師匠の問いかけに、本巻警部は苦笑した。

 

「やれやれ。皆様に隠し事はできませんな。仰る通り彼女を狙っているのは闇でもかなりの大物。無敵超人、二天閻羅王と肩を並べる九拳最凶最悪の達人。あの拳魔邪神ジュナザードの一番弟子、拳魔邪帝シルクァッド・サヤップ・クシャトリア。それが闇の刺客です」

 

「拳魔邪帝だと!?」

 

 逆鬼師匠が持っていたビールの缶を握りつぶした。

 拳魔邪帝クシャトリア。DオブDでディエゴ・カーロと共に主催者側として参加していた闇の武人だ。

 兼一の脳裏に白髪赤目の優男の顔が過ぎる。ふと隣を見れば、幼い頃に拳魔邪帝クシャトリアと共闘したこともある美羽が深刻な目をしていた。

 

「拳魔邪帝クシャトリア。彼は一影九拳でこそありませんが、その実力は九拳と比べてなんら遜色ないものとされ、次期一影九拳の最有力候補と目されている男です。

 それとこれはあくまで噂に過ぎませんが、拳魔邪帝は闇でも他流派の吸収に熱心な武人で、あの一影からの教えも受けているとか」

 

「あの野郎かぁ。ったく秋雨も爺も肝心な時にいねえんだからな」

 

「お引き受け下さいますか?」

 

「人命がかかってるってんなら断る理由はねぇよ。それに拳魔邪帝ってなら相手にとって不足はねぇ」

 

 逆鬼師匠が獅子を思わせる獰猛な笑みを浮かべた。

 一方馬師父がこっそりと本巻警部の持ってきた女スパイの写真を見ると、エロオヤジを思わせる獰猛な笑みを浮かべた。

 

「おいちゃんもいくね。女スパイ……もとい拳魔邪帝ならば相手にとって不足はないね」

 

「あなたは女スパイさん目当てでしょう!」

 



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第79話  策

 闇から情報をもって逃げ出した女スパイを抹殺せよ。

 この指令そのものは特に珍しいものでもない。闇人の一人として、これまでクシャトリアは多くのミッションをこなしてきた。その中には暗殺や粛清といった『殺し』を擁する任務も当然のようにある。

 だが今回はターゲットの保護に乗り出した相手が問題だった。

 

「梁山泊が、動いただと?」

 

「はっ!」

 

 情報を報告しにきたアケビが、跪いて返事をする。梁山泊参戦、その報告を聞いたクシャトリアは露骨に顔を歪める。

 思い起こすのはいつかの刀狩りとDオブDでの死闘。

 達人となり正式に闇に迎えられてから、クシャトリアは梁山泊の豪傑のうち二人と戦ったことがある。

 一人は香坂しぐれ。兵器の申し子と謳われる香坂流武器術の継承者。まだ三十路にも達しない妙齢の女性でありながら、特A級の達人に名を連ねる女傑だ。

 もう一人は岬越寺秋雨。哲学する柔術家。武術のみならず医術、学術、芸術までも極めた才気煥発の偉人。

 両名ともに一影九拳に匹敵、凌駕するほどの実力者たちだ。

 だとすれば他の達人たちも、その二人と同格、または凌駕するだけの実力者と見て良いだろう。

 

「どうやら国連が、梁山泊と縁の深い警視庁の本巻警部を通じて助力を頼んだようです」

 

「本巻警部?」

 

「闇排斥派に属する一人です。階級は警部ですが、叩き上げのベテランで警視庁内部での人望もある……少々厄介な男です。殺しますか? 住所や家族構成などの調べはついていますが?」

 

「一影から受けたのは女スパイの抹殺だ。他の誰かを殺害する命令は受けていない。殺すべき時が来たら闇が動くだろう。それに仮に殺すとしてもスパイを消してからだ」

 

「……はっ。出過ぎた発言をしました」

 

 しかしあの梁山泊が重い腰を上げるとは、その女スパイは余程の情報を闇から盗み出したのかもしれない。と、そこまで考えたことでクシャトリアは己の思考の的外れさに気付く。

 梁山泊は重い腰などではない。こと人の命が関われば梁山泊の腰は酷く軽くなる。そう、地球の裏側で自分達がいなければ死ぬ人間がいるのであれば、梁山泊は迷いなく飛んでいくだろう。

 女スパイの盗み出した情報が重要なものかそうでないかなど、梁山泊にとっては関係ないのだ。

 

「それで梁山泊は誰が来た?」

 

「ケンカ100段・逆鬼至緒。あらゆる中国拳法の達人・馬剣星の二人です」

 

 梁山泊について調べていたホムラが、アケビの報告を引き継いで言った。

 

「二人……!? 難敵だな。難敵が二人で……最悪といったところか」

 

「だいじょーぶですよ、師匠! リミ、そのりょーざんぱくなんて良く知りませんけど、師匠ならちょちょいのちょいで楽勝ですお!」

 

「無理」

 

「え、えぇー!」

 

 リミの脳天気な声援をばっさり切り捨てる。

 ケンカ100段・逆鬼至緒は彼の人越拳神・本郷晶の最大の好敵手であり、同等の実力を持つとされる最強の空手家。そして馬剣星は九拳が一人、馬槍月と共に中華最強の武人と歌われた豪傑。

 その実力が特A級にあることは疑いようがない。

 

「ぐ、師匠でも無理なんですか!? いつものように無敵のシラットでなんとかしてくださいよォーーー!」

 

「だから無理だ。俺一人で逆鬼至緒か馬剣星のどちらかを相手をすることは出来る。だが仮に俺と梁山泊の豪傑一人の実力を互角と仮定しても、あちらにはもう一人豪傑がいるんだ。1の力と2の力、どちらが強いかなどリミでも分かるだろう?」

 

「でもでも。こっちにはアケビ氏とホムラ氏いますしおすし!」

 

「アケビとホムラが二人掛かりでも、梁山泊の豪傑一人を道連れにすることも出来ないよ」

 

 クシャトリアの側近であるアケビとホムラはそれなりの実力をもつ達人だ。けれど梁山泊や一影九拳と戦える程の実力にはない。

 時間稼ぎに徹して十分保つかどうかといったところだろう。二人掛かりで三十分といったところか。

 

「…………」

 

 クシャトリアに『勝てない』と断言されたアケビとホムラは黙ったままだ。

 表情に変化はない。彼等も達人、自分の実力については正確に把握している。自分が梁山泊の達人と挑めばどうなるか、分からないなんてことはないだろう。

 

「だが、そうさな。俺の師匠なら例え相手が特A級二人だろうと大した障害にもなりはしないだろう」

 

「師匠の師匠ってあの不思議な雰囲気の人ですよね? そんなに強いんですか?」

 

「ああ、強い。師匠は俺が本気で恐れる二人のうち一人にして、最も恐怖する男だ」

 

 拳魔邪神シルクァッド・ジュナザード。特A級の達人を超えた超人の領域にある最強の武人の一角。無敵超人と互角ともされる実力をもってすれば、相手が特A級二人であっても圧倒することができるだろう。

 そしてシルクァッド・サヤップ・クシャトリアが自由を手にするには、梁山泊の豪傑二人を単独で屠る怪物を殺さなければならない。クシャトリアは改めて師匠という壁の高さを確認して、憂鬱な気分になった。

 

「成程。リミが師匠のこと恐がるのと同じ気分ですね。理解したお。……あれ? それじゃあ、もう一人師匠が恐い人って誰なんですか? あの櫛灘美雲って人ですか?」

 

「違う」

 

 櫛灘美雲は一影九拳でも上位の実力を持つ武術家だ。90歳を超えて20代の艶を保っている姿は妖怪とすら言っていいだろう。

 だが彼女はクシャトリアにとって恐怖の対象たりえない。彼女と一緒にいて感じるのは恐怖ではなく安らぎだ。

 シルクァッド・ジュナザードが若き日のクシャトリアに拭えぬ恐怖を刻んだのならば、櫛灘美雲は忘れえぬ愛情を注いだのだろう。

 今になって客観的に考えると、美雲がクシャトリアにしてくれたことはそれほど大それたことではなかった。、逃げ場所のない地獄に叩き落されたクシャトリアにとって、櫛灘美雲の傍にいる時が唯一安らげる時間だった。

 

「俺が師匠の次に恐ろしいのは〝一影〟だよ」

 

「……? あの紳士っぽい人ですか? そんなに恐いイメージはなかったんですけど」

 

「いいか? 完全に制御された暴力というのは、時に無秩序な暴力より恐ろしいものなんだよ」

 

「そういうものなんですか?」

 

「そういうものなんだ。とまぁそんなことよりも、今はミッションをどうするかだな。どうも梁山泊は弟子を連れているようだし、今日はリミにも働いて貰うぞ」

 

「ブ、ラジャーだお!」

 

 敵の戦力は特A級の達人二人に弟子クラス一人。対するこちら側の戦力は特A級の達人一人に通常の達人二人、あとは弟子クラス一人。

 純粋な戦力でいえば敵の方が上だ。まともにぶつかり合っても勝ち目はない。ならば、

 

「策を弄するとしよう」

 

 力で勝てないのならば頭脳で補う。それが戦いというものだ。

 



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第80話  戦力二分

「ここが……女スパイさんの隠れている場所ですか?」

 

 逆鬼師匠と馬師父に連れられて恒例の裏社会科見学にやって来たのは、観光開発に失敗してくたびれた感のある錆びた街だった。

 風雨に晒され文字が削れた看板が、なんとも言えない物悲しい雰囲気を醸し出している。きっと元々は『ようこそ、湯の街へ』だったであろう看板は、今では『よう、湯の街』になっていた。

 

「正確には隠れている山の麓ね。近くに露天風呂があるらしいから、やることをやったら帰りに覗き……入っていくのも良いかもしれないね」

 

「言っとくが女湯覗いてる時間はねぇからな」

 

 馬師父の発言に逆鬼師匠が冷静にツッコミを入れる。

 自分が梁山泊に入門して暫くの間は、逆鬼師匠のことを梁山泊で最も恐ろしい人だと警戒していたが、こうして一年以上も内弟子をやっているうちに、もしかして逆鬼師匠は師匠たちで一番まともな人なのかもしれない、と思えてきたのだから、未来というのは分からないものだ。

 それと温泉があるといっても、街の寂れ具合からして、馬師父(と自分)が好きな若い女性の観光客などいないだろう。覗きを慣行しても、そこにあったのは絶世美女(ただし七十年前)などという悲惨なことになりかねない。

 

「そういえば逆鬼師匠と馬師父が二人で行動するのって珍しいですよね」

 

「あぁ? そうかぁ?」

 

「そうですよ」

 

「兼ちゃんに言われてみると、確かにそうかもしれないね。言われてみると逆鬼どんもおいちゃんも、秋雨どんやアパチャイと行動することが多いね」

 

 よく逆鬼師匠が競馬に行く時に連れていくのはアパチャイさん。ロシアの議員の警護のような〝仕事〟の際には岬越寺師匠と行動を共にすることが多い。特に岬越寺師匠やアパチャイさんとは日常的にもよく話しているのを見たことがある。

 対して馬師父は日常的にはいつも……と、そこまで考えて兼一は頭を抱えた。

 

(駄目だ。馬師父の日常なんてセクハラしてるとこしか思い浮かばない)

 

「あっ! 兼ちゃん、なにか失礼なこと考えているね!」

 

「仕方ないじゃないですか! 全部事実なんですから!」

 

 馬師父の日常といったら盗撮したり、ボディタッチを慣行したり、温泉を覗きに行ったり、エロ本を売りに来たり、そういうセクハラ関連ばかりだ。

 改めて自分の師父の駄目人間っぷりを思い知って、兼一はなんとも言えない気分になった。

 だがいつまでもこんな気分では入られない。気を入れなおすために、多少強引に話を進めることにする。

 

「そ、それで逆鬼師匠と馬師父はあんまり二人で行動しませんけど、なにか理由とかあるんですか?」

 

「ねぇな。単なる巡りあわせだろう。今回はこうして二人で来てるわけだしな」

 

「強いていうなら、おいちゃん一応鳳凰武侠連盟の元最高責任者だから、逆鬼どんの仕事内容によっては、おいちゃんが行くと事態がややこしくなることもあるね」

 

「な、なるほど」

 

 日常的にはただのエロい人でしかない馬師父も、人は見かけだけで判断できないもので、黒虎白龍門会と中国を二分する鳳凰武侠連盟の元総帥だ。

 師父の娘の蓮華によれば「なんかめんどくさくなった」と言って妻に全責任を渡して日本に来てしまったそうだが、師父がその気になれば直ぐにでも中国に戻り総帥に還り咲くことができるだろう。というより、今でも馬師父に総帥に戻って欲しいと願う武人は数多いと聞く。

 謂わば馬師父は中国武術界のトップとすら言っていい超大物。兼一は良く分からないが、そんな人が政治などが関わる逆鬼師匠の仕事に参加すれば、問題が発生することもあるのだろう。

 

「二人ともお喋りはそこまでにしておきな。来客だぜ」

 

 空気が一気に緊迫したものへと変わる。ピリピリと肌を焦がす敵意のようなものが、弟子クラスの兼一にも感じられた。

 けれど兼一の実力では敵意がどこから放たれているのかまでは分からない。縋るように師匠を見ると、逆鬼師匠と馬師父の目は右にある看板へと向けられていた。

 

(あの看板の裏に敵が……シルクァッド・サヤップ・クシャトリアが、いるのか?)

 

 その考えは正解だった。DオブDの前夜祭で出会った仮面の男が、看板の裏側からぬっと姿を晒す。

 以前会った時と違うのは、前回が洒落なスーツをしっかり着込んでいたのに対して、今は民族衣装らしきものを纏っていることだろう。

 なんとなく冬山で戦ったジェイハンの着ていた服と意匠が似ている。きっとあれがティダートの民族衣装なのだろう。

 

「やれやれ。梁山泊の豪傑相手では、気配を消して接近するのも一苦労だ。だがまさか、30mたらず近づいただけでばれるとは恐れ入った」

 

「ばーか、70mだよ。下手なタイミングで気付いた素振り見せたら逃げられるかもしれねえからな。わざと近づけさせてやったんだよ」

 

「…………ふっ。やはり人越拳神殿の好敵手という話は嘘ではないというわけか。ケンカ100段・逆鬼至緒。それとあらゆる拳法の達人・馬剣星。改めて名乗ろう、シルクァッド・サヤップ・クシャトリア。拳魔邪神ジュナザードの一番弟子だ」

 

 逆鬼師匠と馬師父、そしてシルクァッド・サヤップ・クシャトリアが縦長の二等辺三角形を描いて対峙する。

 数の上では2:1。梁山泊の戦いに多対一はないから、逆鬼師匠と馬師父が二人掛かりでクシャトリアを相手することはないにしても、これは兼一の目から見ても有利な状況だ。

 

「おい剣星、お前は兼一を連れて女スパイのとこへ急げ。こいつは俺が相手をしておく」

 

「逆鬼師匠? どうしてですか、わざわざ別行動をとらなくても――――」

 

「分からねぇのか。あの野郎がこのタイミングで出張ってきたって事は、既にスパイの隠れている場所が露見してる可能性が高ぇんだよ。

 あいつの目的はスパイを殺すことだ。俺達を殺すことじゃねえ。それが俺達の前に現れたってことは、俺達からスパイの情報を吐かせるか――――」

 

「囮!」

 

「そうだ」

 

 ここに逆鬼師匠と馬師父を釘づけにしつつ、別働隊が女スパイを殺す。

 闇に潜入するくらいだ。女スパイもそれなりの戦闘技術は会得しているかもしれないが、よもや達人級の強さをもっているわけではないだろう。闇の武人が刺客として差し向けられれば一溜まりもない。

 兼一の目つきが変わる。

 

「分かりました。急ぎましょう、馬師父!」

 

「いい返事ね。逆鬼どん、武運を祈るね」

 

 逆鬼師匠はこれまでも闇の刺客と戦い、護衛対象を助けてきた。今回も心配は要らない。きっとクシャトリアを倒して、追いついてきてくれるだろう。

 達人たちの戦いで、一介の弟子でしかない自分がどこまでやれるのかは分からないが、自分は全力で拳を振るうだけだ。

 

(だ、だけど……)

 

 やはり覚悟を決めようと恐いものは恐い。達人たちの戦いを背に、兼一は恐怖で全身を激しく振動させていた。



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第81話  フェイク

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの急襲と、殿を務めた逆鬼師匠。そして女スパイが隠れ潜んでいるという山へ急ぐ剣星と兼一。

 だが兼一が女スパイが隠れているらしい山小屋に到着すると、懸念されていた別働隊の姿はどこにもなかった。

 兼一は恐る恐る周囲をキョロキョロと見回すも、やはり近くに人影はない。もしかしたらクシャトリアが師匠二人を抑えているうちに別働隊が女スパイの所へ向かう、なんてただの考えすぎだったのだろうか。

 

(本当に、そうなのかな)

 

 武術家として、というより小中高で苛められてきた『いじめられっこ』の本能というべきものが、ここいら一帯から危険な臭いをかぎ取っていた。

 ゴクリと唾を呑み込む。本音を吐露すれば今すぐにでも逃げ出したいが、あの山小屋に助けを待っている人がいる以上、逃げるという選択肢はない。それは馬師父も同じだろう。

 

「馬師父……」

 

「行くね」

 

 馬師父も怪しさは感じているようだが、やはりここに突っ立っている訳にもいかない。山小屋の前へ行くと、そのドアを軽くノックした。

 山小屋の中で張りつめる気配。中にいるであろう人物が、ノック音に警戒しているのだろう。

 

「……誰っ!」

 

「心配しないで下さい! 僕たちは梁山泊……貴方を助けに来た……味方ですっ!」

 

 敵と間違われて発砲でもされたらたまらない。兼一はこちらが味方であると告げる。

 闇にスパイとして潜り込むくらいだ。闇の敵対勢力である梁山泊の存在も女スパイは知っていたらしく、はっと息を呑む声が聞こえた。

 

「梁山泊? まさか、あの? 本当に?」

 

「なにしているね! 兼ちゃん!」

 

「師父!? な、なにか僕、不味いことしちゃいましたか……?」

 

 嘗てない勢いで激昂した師父に、兼一は慌てた。

 

「不味いね! もう滅茶苦茶不味いね! ここはおいちゃんが『お嬢さんを助けに来た、もう安心ね』と優しく告げて、女スパイどんにフラグをたててキャーキャーされるパターンね! これがNTRというやつかね!?」

 

「え、いや僕はそんなつもりじゃありませんよ! 僕には美羽さんというものが……じゃなくて、さっきの深刻そうな顔はそんなこと考えていたからなんですか! こんな時くらい真面目にやって下さいよ!」

 

「おいちゃんは真面目ね! 真面目にエロく生きているね」

 

「そういうのを不真面目っていうんですよ!」

 

「…………あの、お取り込み中のところ悪いんだけど、貴方たちがあの梁山泊なの?」

 

「あ」

 

 山小屋のドアを開けて、引き攣った顔の女スパイ。

 キャリアウーマンを思わせるスーツは、どことなくくたびれている。端正な顔立ちにこびり付いた隠しても隠しきれぬ疲労感が、これまでの彼女の苦難を想像させた。

 そんな女スパイは明らかな疑いの目を馬剣星と白浜兼一の二人に向けていた。

 苦難の果てにやっと来たと思った味方が、わけのわからない口論をし始めたのである。しかもそれが帽子を被ったいかにも胡散臭そうなおっさんと、極普通の高校生な兼一では疑いたくもなるだろう。

 

「そうね、お嬢さん。梁山泊が一人、馬剣星ね。女スパイどんを助けにきたね」

 

「馬剣星!? あらゆる中国拳法の達人っ! それにそっちの子供……どこかで見た覚えがあると思ったら、梁山泊の史上最強の弟子!」

 

「い、いやぁ。それほどでも……」

 

 兼一は照れ臭そうに頭を掻いた。

 師匠の七光りだということは理解しているが、それでも面と向かって史上最強などと言われると照れてしまう。

 

「照れてる場合じゃないね。逆鬼どんが拳魔邪帝を足止めしている間に急ぐね」

 

「誰のせいで無駄な時間をとったと」

 

 兼一の抗議は当然のようにスルーされた。だが師父の言うように急いだ方がいいのは確かだ。

 一番恐ろしいクシャトリアは逆鬼師匠が相手取っているとはいえ、こんな人気のいない山で達人に囲まれるなど悪夢以外のなにものでもない。

 

「おう。どうやら無事に救出できたみてえだな」

 

「逆鬼師匠!?」

 

 女スパイを連れて逃げようとしたところで、逆鬼師匠が追い付いてきた。ジャケットのボロボロさが激戦の凄まじさを物語っている。

 

「ったく。ちっとばかし手間取っちまったぜ。あの野郎……」

 

「倒したんですか?」

 

「いいや、一度は追い詰めたんだけどな。まんまと逃げられっちまった。ったく逃げ足の速ぇ野郎だぜ」

 

「逃げた……?」

 

 クシャトリアが逃げ出したことではなく、逆鬼師匠から逃げることに成功したという実力に舌を巻く。

 やはり拳魔邪帝なんてとんでもなさそうな異名をもっているのは伊達ではないのだろう。梁山泊でも凶暴性にかけて並ぶ者なしの逆鬼師匠から逃げるなど、並みの達人に出来ることではない。

 

「おい兼一、なんか失礼なこと考えてねえか?」

 

「め、滅相もありません!」

 

「チッ。まぁいい。それより剣星、そっちのねーちゃんが闇から逃げ出したっつう女スパイか」

 

「――――逆鬼どん。昨日、逆鬼どんが飲んだ酒の銘柄はなんだったね?」

 

「あ?」

 

 女スパイに近づこうとしていた逆鬼師匠が、止まる。馬師父は鋭い眼光を逆鬼師匠へ向けて、まるで敵の前にいるかのような剣呑な気を放っていた。

 兼一は良からぬ気配を察して逆鬼師匠から後ずさる。

 

「ど、どういうことですか師父?」

 

「逆鬼どん。歩幅がいつもより1.23㎜狭いね。顔にある古傷も、ほんの数㎜だけ上にずれてるね」

 

「おいおい。んなの単なる見間違えだろ。んな小ぇことで疑うのかよ」

 

「疑うね。赤の他人ならいざしれず、逆鬼どんは梁山泊で共に武を高め合う掛け替えのない友! 見間違えるはずなどないね」

 

「…………ふ、ははははははははははははははははははははははははははは!!」

 

 逆鬼師匠が、いや逆鬼師匠の皮を被っていた者がべりべりと変装を解く。その中から現れたのは浅黒い肌をした白髪の男。

 忘れるはずがない。DオブDの前夜祭で見たシルクァッド・サヤップ・クシャトリアその人だ。真っ赤な目が兼一と女スパイ、そして馬師父の三人を睨む。

 

「よくぞ見破った。流石は梁山泊」

 

「流石なのはそっちね。おいちゃんの良く知る逆鬼どんだから看破できたものの、これが全くの赤の他人だったら完全に騙されていたところね。ところで本物のシルクァッド・サヤップ・クシャトリアがここにいるということは、逆鬼どんと戦っている方は――――」

 

「あっちは俺に変装した俺の部下だよ。今頃逆鬼至緒は俺の部下二人に足止めを喰らっている頃だろう。30分は来れない」

 

「十分ね。……兼ちゃん、女スパイどんを連れて先に逃げるね」

 

「わ、分かりました」

 

 自分がここにいても何の役にも立たないことは兼一も分かっている。

 兼一は女スパイの手をひいて、山を全速力で走り下りて行った。

 



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第82話  師の戦い、弟子の戦い

 完全にとはいかなかったが、この段階でクシャトリアの計画は七割方は成功したといっていい。

 馬剣星と逆鬼至緒は双方ともに一影九拳クラスの豪傑。ジュナザードならいざしれず、クシャトリアが単身で挑んだところで勝ち目などありはしない。勝算はゼロだ。

 ここにアケビとホムラが加わったところでそれは同じ。或は一人を道連れにすることはできるかもしれないが、二人目は無理だ。そもそもクシャトリアの受けた任務は女スパイと彼女の奪った闇の情報を抹消することであって、梁山泊の達人を殺すことではない。

 仮に梁山泊の達人を殺すことに成功したところで、女スパイに逃げられてしまえばミッションは失敗だ。

 かといって梁山泊の達人を無視して女スパイを狙おうにも、どこに潜んでいるかクシャトリアは掴んでいない。そのため女スパイの居場所を知るためにも、護衛に来た梁山泊の達人に案内して貰う必要があった。

 女スパイの居場所を見つけ、彼女を殺害する――――クシャトリアが今回のミッションにて行うべきはこれだ。

 そのためにアケビとホムラを使い、梁山泊の達人の一人を引き離した。女スパイを発見できても、達人が二人いては迂闊に手が出せない為に。

 後は馬剣星と白浜兼一を尾行し、女スパイを発見。然る後に逆鬼至緒に変装して、女スパイに近づき、彼女を始末すればいい。

 尤も最後の仕上げである『逆鬼至緒に変装して女スパイを始末』するということだけは、馬剣星の慧眼により失敗してしまったわけだが。

 

「第七のジュルス!」

 

「天王托塔!」

 

 ジュナザードの流派にある18の流派のうち、特に殺傷力に優れたジュルスによる流れる連撃。それを剣星は体重を乗せた放った猛虎の如き拳打で、その流れを真っ二つに断ち切る。

 中華では剛の槍月、柔の剣星とされていたそうだが、伊達に〝あらゆる中国拳法の達人〟などと呼ばれているわけではない。柔拳のみならず剛拳においても馬剣星は凄まじかった。

 空中でくるりと回転しながら、クシャトリアは岩の上に着地する。

 

「その小躯でこの力……。馬槍月殿と比べれば劣るにしてもこのパワー。一体全体その体はどういう構造になっているんだか。余程自分の肉体を弄ったんだろう」

 

「おいちゃん生まれつき体が小さくてね。寸勁はよく練ってあるね。それと人を改造人間みたいに言わないで欲しいね。改造人間は秋雨どんの方ね」

 

「……ああ、あの御仁も凄かった」

 

 DオブDで拳を交えた梁山泊の柔術家、岬越寺秋雨。

 全身を瞬発力と持久力を併せ持つ筋肉に改造した彼の肉体は、もはや人間のものと言っていいのか不安になるほどのものだった。

 肉体改造についてはクシャトリアも余り人の事は言えないが、中でも岬越寺秋雨は極め付きである。

 

「と、お喋りしている暇はなかった」

 

 アケビとホムラが逆鬼至緒を抑えていられるのは、どれだけ多く見積もっても30分。それまでに勝負を決することができなければ、クシャトリアの負けだ。

 体内時計を確認する。逆鬼至緒が交戦を始めてから既に26分が経過している。ここまで到着するのに10分としてタイムリミットは14分。約0.25時間だ。

 

「噂によればあの拳豪鬼神・馬槍月を倒したほどの柔拳。相手にとって不足どころかお釣りがくるが――――こちらも与えられたミッションはこなさなければならない。突破させて貰う」

 

「やれるものならやってみるね。人を守る時こそ真価を発揮する、それが活人拳。そして可愛いおんにゃのこを守る時に炸裂する。それがエロね!」

 

「…………すまない。こっちは真面目にやっているんだが?」

 

「何を言うね! 男であれば、どんなムッツリでも心の奥底に熱いエロ魂を持っているもの。人類皆エロ! エロがあるから人生ね!」

 

「………………」

 

 必ずしも優れた精神の持ち主に、優れた実力が宿るわけではない。才ある者が善人とは限らず、溢れんばかりの才をもつ外道もいる。

 そのことは師匠が師匠なだけあって身に染みて理解していたクシャトリアだが、どうやら馬剣星も同じ類らしい。

 実力はあっても性格に問題があり過ぎるのは、どうも一影九拳だけの問題でもなかったようだ。

 深すぎる溜息をつきたくなるのをどうにか堪え、クシャトリアは気分を変えて目の前の敵に全神経を集中させる。

 

(言動がアレでもやはり達人か。立ち振る舞いに隙がまるでない。それどころか、こちらが僅かにでも隙を晒せば一気に呑み込んでくる威圧感がある)

 

 これほどの実力者相手だ。岬越寺秋雨の時と同様、命の危険がない故に殺意が鈍ったクシャトリアの拳では倒すのは困難。

 であれば岬越寺秋雨と戦った時と同じく、強引にでも自分の内側にある殺意を引き出すしかない。

 

逆・殺氣発射(ターメリック・プヌンバカン・クグムビラ)

 

 練り上げた殺気を、自分自身に向けて発射。自身の中にある生存本能を刺激し、生存のための殺意を呼び覚ます。

 それを見て剣星の目が鋭く細まった。

 

「自分に殺意を向けることによる自己暗示かね。やっぱり殺人拳は好きになれないね」

 

「その余裕がいつまで続くかな。今頃……そっちの弟子がやられているかもしれないのに」

 

「!」

 

 そう、クシャトリアの戦力は自分とアケビとホムラだけではない。

 小頃音リミ、自分の一番弟子もここに連れてきている。そして弟子クラスが狙うのは弟子クラスだけだ。

 

 

 

 

 クシャトリアが自分自身に向けた膨大な殺意は、クシャトリアの生存本能を刺激するだけに留まらず、その余波が山々にまで伝わった。

 鳥などの小動物はその強烈なる殺気に耐え切れず絶命し、ある程度の生命力をもつ動物たちは恐怖の鳴き声をあげながら離れていく。

 殺意は山を下る兼一にも伝わってきたが、兼一には殺意に慄く暇もなかった。

 

「リミリミキークッ!」

 

 女スパイの手をひいて下山する途中、いきなり物陰から一人の少女が奇襲を仕掛けてきたのである。

 

「うわっ!」

 

 皮肉にもこれまで不良たちに付け狙われてきた経験が活きた。リミの蹴りを喰らいながらも、兼一は吹っ飛ばされず、その場で踏みとどまる。

 足場の悪い山でありながら、地面から足を離さずに済んだのは、梁山泊の修行でしつこいまでに足腰を強化されたお蔭だった。

 

「き、君はっ!?」

 

「クシャ師匠の命令で颯爽登場。銀河美少女!」

 

 少女はバーン、と擬音が鳴りそうなポーズをとる。だがそんなツッコミどころ満載のポーズに、兼一はツッコむ余裕すらない。

 小頃音リミ。DオブDで龍斗と一緒にいて、美羽が叶翔に連れ去られた時には助けてくれた少女が、兼一の行く手を遮るように現れた。

 

(そうだ……彼女は)

 

 DオブDで聞いていたではないか。小頃音リミ、彼女は拳魔邪帝シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの一番弟子。

 以前アレクサンドル・ガイダルの議員襲撃に弟子のボリスが同行したのと同じ。拳魔邪帝クシャトリアが来るのならば、その弟子のリミも来ているのは自明の事だった。

 

「やっほー、また会ったね。龍斗様の幼馴染。悪いけど師匠命令だから、そこの女スパイはリミが貰うお」

 

「…………スパイさん! 彼女は僕が相手をしますから、逃げて下さい!」

 

「だ、だけど!」

 

「早く! 僕なら大丈夫ですから」

 

「……わ、分かったわ。死なないでね」

 

 女スパイが逃げ出すと「逃がさないお!」と叫び、リミが追ってくる。兼一は自分の体を盾にして、リミの追撃を遮った。

 その代償にリミの蹴りがクリーンヒットしたが、前に喰らった叶翔の蹴りほど威力は大したことではない。歯を食いしばって耐えきった。

 

「ぐぅぅ、痛つつっ」

 

「あれ喰らって倒れないなんて、流石は龍斗様の幼馴染。ガンダリウム合金を蹴ってるみたいだお」

 

「いや、僕はガ○ダムじゃないから。あと……ここは通さない! 彼女を捕まえたいのなら、僕を倒してから行って貰う!」

 

「へぇ~。活きがいいじゃん。リミ、アンタみたいのは嫌いじゃないお」

 

「…………」

 

 兼一は肘をやや曲げて腕を前に出す前羽の構えで防御を固める。リミは虎のような徹底攻撃の構えをとった。

 しかし活きのいい発言をした兼一だったが、内心では心臓バグバグだった。

 

(ど、どうしよう~! 僕は女性は殴れないし、師匠達もいないし美羽さんもいないし。ジェロニモ~!)

 

 恰好よく決めておいて、最後は締まらない兼一だった。



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第83話  禁断の技

 超低空飛行するジェット機の如き勢いで、小頃音リミは正確無比な蹴り技を繰り出してくる。

 ここは山岳地帯。言うまでもなく足場は最悪だ。畳の上や平地と比べれば、その差は歴然としている。

 だというのに小頃音リミ、彼女の動きには足場の悪さに戸惑う様子は欠片もない。寧ろ斜面を逆に利用して、滑る様に動き兼一を翻弄する。

 

――――シラットの真髄はジャングルファイト。

 

 以前ジェイハンと戦った時、美羽に言われたことを思い出す。

 ここはジャングルではないが、急な下り坂のある三次元的なバトルフィールドだ。ならば基本的に平地での戦いを想定している空手や柔術より、シラットは有利に戦うことができるのかもしれない。

 

(だが。にしてもこれは……!)

 

 リミが海に飛び込むように兼一の死角へ入り、そこから刺突を思わせる蹴りが飛んでくる。

 制空圏の修行を積んで〝観の目〟を養っていたのが幸いした。そうでなければ兼一は、脳天に直撃を受けて昏倒していたことだろう。

 ぎりぎりの所で蹴りを回避すると、体を回し視点を変えることでリミのいる『死角』を捕捉する。

 

「くっ」

 

 冷たい汗と一緒に赤い血が滴り落ちた。蹴りを躱した際、完全に回避しきれずに頭を掠めたのだろう。側頭部にはナイフで切り付けられたような傷が出来ていた。

 

(凄い……なんて速さだ)

 

 デスパー島で一度だけ会話したことはあったし、彼女の戦いを観戦したこともあった。だがやはり本当の強さというのは観戦するだけでは分からないもの。こうして彼女と対峙して初めて兼一は、小頃音リミという武術家の強さを正確に把握した。

 力が強いだとか技が巧みだとかいうのではなく、彼女は純粋に〝疾い〟のである。兼一は師匠や美羽との修行や組手で、速さにはそれなりに目が慣れているが、その自分をもって捉えきれぬスピードをリミは持っていた。

 あんまり考えたくないことだが、ことスピードで言えば叶翔や美羽以上かもしれない。

 

「くすくす。リミのスピードに手も足も出ないみたいだね。龍斗様の親友でマグレとはいえ勝ったって言うから、きっと凄く強いと思っていたけど拍子抜けだお。フリーザ様を想像してたらヤムチャだった気分」

 

「し、失敬な!」

 

「リミの直感も全然ビビッてこないし、もしかして実は打たれ強いだけで弱い? キリトさんだと思ったらキバオウだった気分だお」

 

「更に失敬な!」

 

 兼一は新白連合の皆から満場一致で〝お人好し〟と太鼓判を押される人間だが、梁山泊にて修行に励む武術家の端くれ。弱いなどと言われたらカチンとくるものがある。

 ただそれ以上は反論しなかった。武術家としての強さを証明するのは己の拳ですべきこと。口ですることではない。少なくとも師匠ならばそうするだろう。

 悔しさを拳に込めて、ぎゅっと鬱血しそうなほどに握りしめる。

 

「…………ふーん」

 

 そんな兼一を見て何か思うことがあったのか、リミが興味深げに視線を送ってくる。

 

「やっぱり雑魚ってことはないかな。だってあの龍斗様を雑魚が〝マグレ〟でも倒せるはずないし……なんか不思議だね。龍斗様が興味津々なのがちょっと分かったかも。リミは龍斗様一筋だけど」

 

 リミが前傾姿勢をとる。美羽も体得している難場走りを行うのだろう。長老が編み出し、そこから緒方一神斎やジュナザードにも伝わった走法だ。

 ただの走法と侮るなかれ。これを完全に体得すれば、垂直な壁を走ることさえ不可能ではなくなる。達人級ともなれば海面を疾駆することすら可能だろう。

 現にリミはこの走法を用いて、最悪の足場である山岳地帯にて縦横無尽の戦舞を披露してみせたのだ。

 

「本当は龍斗様との過去エピとか聞きたいこと山ほどあるけど、師匠(グル)からあの女スパイを捕まえるよう言われていることだし、ちゃっちゃと倒させて貰うお!」

 

「断る!」

 

 跳ねるようにリミが疾走を始める。こうなっては兼一からは手が出せない。せめて足場がもっとマトモならば少しくらい追いすがることが出来たかもしれないが、こんな所では不可能だ。

 今更ながらいつぞや兵法を身に着けておかなかったことを後悔する。こういう場所でこそ兵法というのが活きただろうに。

 

(ええぃ! 無いものねだりしても仕方ない! 師匠から教わったことを思い出せ。あの人たちが教えてくれたことの中に、きっと現状を打開する方法があるはずだ!)

 

 己の本能を解放し、直感を武器にして戦う者こそが動のタイプならば、冷静な思考を武器に敵を分析しながら戦うことこそが静のタイプの本領。

 高速移動から放たれる数多の蹴撃を躱し、回避しきれないものは防御しながら必死に頭を回転させる。

 

「はははははははははははは! 防御ばっかりじゃ勝てないお! ずっとリミのターン!」

 

 正にその通りだ。例えピッチャーがパーフェクトなピッチングをしようと、攻撃で1点も入れられなければ勝利することはない。

 それに回避しきれないダメージが徐々に兼一の体に蓄積されている。このまま防戦を続けても、いずれ耐久力にも限界がくることだろう。

 いつも師匠に吹っ飛ばされているせいである種ギャグ染みた耐久力を誇る兼一だが、決して不死身のモンスターというわけではないのだ。死ぬまでしぶといだけで死なないことはない。

 一つだけ救いがあるとすれば、リミの攻撃力がスピードにまるで比例していないということだろう。

 小頃音リミ、彼女はスピードでこそ叶翔や美羽に匹敵、凌駕するほどのものがある。反面、技の威力そのものは然程ではない。お蔭で兼一の限界がくるまでは、かなりの時間的余裕がある。

 

(きっとクシャトリアさんは長所である〝速度〟を重点的に強化したんだな。となると攻撃力じゃなくて耐久力も低いかも)

 

 これは推測に過ぎないが、兼一には自分のそれが正解だという自信はあった。

 恐らくは一発。一発だけでも攻撃を直撃させることができれば、防戦一方の現状を打開できる。

 

(かといって女性には手をあげられないし…………こうなれば、やるしかないのか)

 

 これだけは絶対にやりたくなかった。人間として、男として、そして朝宮龍斗の幼馴染として。

 だが今使わずして使うべき時はない。兼一は目をライトのように輝かせると〝禁断の技〟を解放した。

 

「うおおおおおお!! とぅぅぅぅう!!」

 

「っ!」

 

 奇声をあげながら、まるでプールに飛び込むようなポージングで2mほどゲインする兼一。余りにも異様な行動に、リミがビクンッと肩を震わせた。

 そのまま兼一は色んな意味で良い子には見せられない卑猥な指使いでクネクネさせると、雄叫びをあげながらリミに突撃していった。

 

「秘技! 馬師父エロモード!」

 

「なっ! へ、変態になった!?」

 

 自分の貞操の危機を感じたリミが、これまでで一番の殺意ののった蹴りを放つ。しかし今の兼一はある意味において、動の気の解放以上に心のリミッターが外れている。蹴りくらいで止まることはなかった。

 指をワキワキさせながら、兼一が明らかにアレな顔付でリミに迫る。もしここに善良な一般市民がいれば、通報されるのは間違いないだろう。

 

「い、いやぁああああああああああああ! へ、変態だおぉおおおおお! 師匠、ヘルプミー!」

 

「あちょーーーっ!」

 

 エロは全てを凌駕する。エロモードに突入した兼一に恐いものなどない。これまで苦しめられた悪路を平然と突っ走り、不審者のオーラ全開でリミを追う。

 ここに完全に攻守は入れ替わった。

 リミはゴシックロリータなファッションを好むオタク女子。当然その手のことにも理解はあるが、一方で非常に一途で純情な所もある少女だ。

 そんな少女が目から桃色光線を放つ変態に追われれば、もはや冷静さなど保っていられるはずがない。

 

「うぅ! 親友の事が大好きな女の子にセクハラしようとするなんて最低だお!」

 

「だからこれだけは使いたくなかったんです。大丈夫、指先をちょこっとだけ! ちょこっとだけですから!」

 

「ぎゃぁああああああああああああああああああああああ!!」

 

 戦いは完全に喜劇に落ちた。シリアスは明日の彼方へホームランされ、混沌だけが場を支配する。しかしこの茶番劇は唐突に終止符を打たれることとなった。

 まるで天雷が落ちたのではないかと恐怖する爆発音が響き渡る。途轍もない衝撃に山が鳴動し、大気が慄き震えた。

 

「あれは!」

 

 兼一は見た。自分達の眼上、山の中腹にて二人の人間がいる。一目で直感した。この二人の人間こそが、天災が如き衝撃を生み出した元凶であると。

 二人のうち一人は言うまでもなく馬剣星。兼一の師父だ。もう一人はシルクァッド・サヤップ・クシャトリア。リミの師匠、拳魔邪神ジュナザードが一番弟子。

 互いに傷だらけで満身創痍の両者。だがそれでもギラついた戦意に些かの衰えもなく、二人の武人は睨み合っていた。

 そして二人の達人が〝奥義〟を繰り出した。

 

 



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第84話  奥義

 兼一とリミの戦いから、時間は僅かばかり遡る。

 二人の弟子が各々の信念・目的のために戦い合っている最中、彼等の師達も命懸けの死闘を繰り広げていた。

 演舞のようですらある拳打。暴風雨の激しさをもっていながらも、その動きは流麗にして緻密。一拳一蹴全てが無駄のない必殺をもって、敵を”制圧〟すべく殺到していく。

 13億を超える人々が住む中華の大地。その13億人にて〝最強〟とまで称された剛と柔の武人。うち柔の最強たる武人こそが馬剣星だ。

 剛拳においては兄・馬槍月に劣るとはいえ、それは他の達人と比べ力が弱いというわけではない。確かに馬剣星はパワーで槍月に劣る。だが槍月に劣るからといって、他の達人に劣るというわけではない。馬剣星の攻撃全てが並みの達人相手であれば、ただの一撃で昏倒させるだけの破壊力を秘めていた。

 けれど馬剣星と対峙するクシャトリアもまた並みの達人ではない。

 馬剣星が中華最強の達人ならば、クシャトリアの師たるジュナザードは世界最強の超人が一人。

 そのジュナザードより全ての奥義を伝授され、後継者としての〝名〟を与えられたクシャトリアもまた真の達人。静と動、二つの極めた気を総動員して馬剣星の猛攻を捌いていく。

 

「はぁああっ!」

 

「ちょわあああっ!」

 

 奇声にすら聞こえる雄叫びをあげながら、クシャトリアの貫手と馬剣星の突きがぶつかり合う。

 大地が沈むほどの踏み込みに、両者の立つ地面が振動する。

 戦いはまったくの互角――――と、言うのは些か誇張が過ぎるというものだろう。

 現状クシャトリアと馬剣星の戦いはほぼ拮抗しているといっていい。しかしそれはクシャトリアの面妖な戦い方、静と動の二つの気を瞬時に転換するという荒業によって齎された結果だ。

 静動転換。原理は単純だが相手にペースをつかませないという、中々に優れたクシャトリアの秘技が一つ。

 だがこの技の性質はあくまでも初見殺し。初見の相手でこそ多大な力を発揮するが、逆に既知の相手にはさほど効果を発揮しない。

 馬剣星は初めて目の当りにする『静動転換』のせいで苦戦を強いられていたが、長く拳を交えるにつれて初見は初見ではなくなろうとしている。

 完全に剣星が静動転換を用いた戦い方に〝慣れて〟しまえば拮抗状態は崩れ、クシャトリアが逆に押され始めるだろう。

 

「っと。やはり強いな、馬剣星殿。槍月殿と並び称されるだけある。岬越寺殿といい貴方といい……梁山泊の豪傑は化け物揃いだな。それだけの力を持ちながら、古びた道場で貧乏生活しているのが少しだけ不思議だよ。

 その強さを活かしてもっと器用に生きれば、地位に名誉に金女にその他諸々。大抵のことは欲しいままだろうに」

 

「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」

 

「……ほう」

 

「おいちゃんは欲張りね。美味しい食べ物に女子高生……どれも大好きね。けれどそれだけでは満足できない。共に笑い共に泣く友がいなければ」

 

「成程、活人拳らしい理由だ」

 

「それともう一つ! 地位や名誉にお金を傘に女の子を我が物とするなど邪道! エロき魂を胸に宿す者ならば、己の力をもってエロき荒野を切り開くべきね!」

 

「…………成程。変態らしい理由だ」

 

 後半の方は覚えていると自分まで頭が悪くなりそうなので、早々に記憶メモリーより強制排除する。

 最近分かってきたことなのだが、梁山泊の達人も一影九拳に負けず劣らずの非常識人揃いだ。

 スポーツや武術は心技体の三位一体が重要という話は聞くが、どうして特A級の達人に限って〝心〟に少し問題のある人間しかいないのだろうか。

 自分のことを棚に上げてクシャトリアは空を仰いだ。

 

「だが実力の方は確からしい」

 

 静動転換の弱点は編み出した張本人であるクシャトリアが一番知っている。そのため多少のリスクは覚悟で速攻で勝負を決めに行ったのだが、見事なまでに受けきられてしまった。

 

「やはり年季の差か。ポテンシャルが同格な以上、どうしても経験の差が濃く出る。若いのも厭なものだ。せめて俺が後十年は経験を積んでいれば」

 

 クシャトリアと馬剣星、武術家としてのスペックそのものにそこまで極端な差はない。

 しかしクシャトリアが特A級まで到達したのは比較的最近だ。対して馬剣星は十年以上も前に特A級に到達し、それからも多くの激戦を潜り抜けてきた。

 技ならば器用さで、力ならば肉体的素養で幾らでも追いつける。だが多くの強敵と戦った者だけが獲得できる戦いの経験値。こればかりは〝才能〟だけではどうしようもない。

 クシャトリアも特A級となる過程で激戦を繰り広げてはいるし、死線の質でそう劣っているわけではない。けれど馬剣星と比べると数で致命的に劣っている。

 

「贅沢な悩みね。おいちゃんくらいの年になると、逆に若い頃が懐かしく思うね」

 

「若い時は早く成長したいと願い、老いればあの頃に戻りたいと思う。そういうものだろう、中華最強の武術家殿」

 

「見解の相違ね、拳魔邪帝クシャトリア。おいちゃん、あの頃を懐かしむことはあっても、あの頃に戻りたいと思うことはないね。なにせあの頃には逆鬼どんや兼ちゃん、梁山泊の皆が一人もいないからね」

 

「隣人に恵まれているようで羨ましい限りだよ。さて、お喋りは終わりにしよう」

 

「――――来るかね!」

 

 戦いが長引けば長引くほど、どんどんクシャトリアは不利となっていく。

 かといって静動転換では攻めきれず、静動轟一はまだ未完成の技。場合によっては逆鬼至緒とも戦う必要がある以上、出来れば温存しておきたい。

 故にシルクァッド・サヤップ・クシャトリアは奥義を使うことを決断した。

 

「見せてやる。これが静と動の二つを極めたハイブリット型にのみが到達できる極みの技だ……」

 

 体の中で静の気と動の気、両方を強く深く練りあげる。白と黒、青と赤、静と動。異なる色をもつ二つの気がクシャトリアの内より発生していった。

 練られた気はグラスに注がれるワインのように、シルクァッド・サヤップ・クシャトリアという器を満たしていく。

 

「静動轟一。あの眼鏡の子やYOMIの子が使っていた技かね」

 

 クシャトリアが静と動の気を同時発動させたのを見て、剣星が苦々しく呟く。

 命を活かすことを信念とする活人拳にとって、命を削り命を奪う静動轟一は最悪の技。嫌悪するのは至極当然だ。

 しかしクシャトリアはそれを否定するかのように口端を釣り上げた。

 

「違うな、馬剣星。静動轟一はハイブリット型であればという但し書きはつくが、会得すること自体は然程高くない」

 

 尤も朝宮龍斗のように完全に〝静動轟一〟の気をコントロールするレベルとなると、また話は違ってくるのだが今は関係ない。

 

「言っただろう。これはハイブリット型の極み……奥義だと」

 

 肉体という一つの器にて発動した相反する二つの気。それが混ざり合うことなく、別々に両立していく。

 クシャトリアが顔を上げた時、その双眸が赤と青の異なる色に発光したような錯覚を剣星は覚えた。

 

「奥義〝静動轟双〟」

 




 後書きというか報告的なものです。
 来週。なんと史上最強の弟子ケンイチが完結するそうです。なんやて!?
 久遠の落日がどうにかなったけれど、まだ解決していない因縁があるのに完結です。なんやて!?
 ちなみに「凄ェ!」「文房具屋だ」「隊長」「丸太」などで有名な彼岸島のように、タイトル変更して新章スタートという情報はありません。なんやて!?
 よって史上最強の達人ケンイチやら史上最強の妙手ケンイチやら史上最強の変態ケンセイなどの続編が始まるか不明です。なんやて!?
 更に余談ですが「にじファン」時代から私のssでは、主人公がわりと高い確率で死にます。なんやて!?
 なのでケンイチの最終回の内容によってはそういうことも起こります。なんやて!?
 あと化物語で一番の萌えキャラは阿良々木君のアホ毛だと思う。なんやて!?


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第85話  奥義ラッシュ

 不気味なまでの静けさが場を支配する。

 静の気とも動の気とも、静動轟一の気とも異なる別種のオーラに、空間そのものが戸惑っているかのようだった。

 

「これは……驚いたね」

 

 馬剣星をもってして、月並みな驚きすら出てこない。それだけクシャトリアの奥義は常識的に有り得ないことだったのだ。

 静動轟双。静の気と動の気を同時に運用するハイブリット型、それを突き詰めたクシャトリアが編み出した奥義。相反する気を融合させることなく同時発動する荒業だ。

 言うは易しだが、実行するのは至難に更に至難を重ねた無理難題だ。

 

「あのYOMIの子達が使った静動轟一は原理としては単純。静の気と動の気を同時発動する……ただそれだけ。だけど拳魔邪帝クシャトリア。その技はそれと似ているようで別物ね」

 

「――――クッ。一目で技の性質を完全に看破されるなんて、この奥義を編み出した者として少しショックだ」

 

「世辞はいいね。技の性質を看破できても、技を再現するのはおいちゃんには到底不可能ね。例えるならば一つのグラスにワインとジュースを注ぎながら、カクテルにすることなく別々に存在させ続けるようなもの。

 正直一人の武人として、どういう原理で技を作り出しているのか興味津々ね」

 

「なに。静の気と動の気は砂糖と水じゃない。元々静の気と動の気は相容れないもの。無理に混ぜ合わせようとすれは反発しあい、それ故に肉体を壊す。ならその反発を利用すれば、理論上は混ぜずに同時発動するのも不可能ではなくなる」

 

 静動轟一が赤と青を混ぜ〝紫〟という色を生む禁忌であるのならば、静動轟双は赤と青を一つの場所に両立させる秘技だ。

 尤も原理として単純な静動轟一と比べ、静動轟一をコントロールできるほどの気の扱いができ、更に静の気と動の気を同レベルかつ高度に極めなければ発動は土台不可能。ほんの僅かでも静と動どちらか一方に傾き過ぎれば、バランスが崩れ技は不発に終わるだろう。

 そのため弟子クラス時代から両方の気を磨き続けたハイブリットタイプ以外には、例えジュナザードであろうと発動不可能なオンリーワンの奥義たりうるのだ。

 

「ただし二つの気を混ぜ合わすことで途轍もない爆発力を生み出す静動轟一と比べれば、効果の程は劇的と言えるレベルじゃない。

 だがこの技が静動轟一より優秀な技たりえるのは、使用の際にデメリットが皆無ということでね」

 

「!」

 

 発動すれば肉体と精神の崩壊を孕む静動轟一に対し、静動轟双は静の気と動の気を融合させてはいないのでそのようなリスクは存在しない。

 リスク皆無の強化技。自画自賛になるがクシャトリアはこれほどに素晴らしい奥義もないと自負していた。

 

「――――ここからが本番だ。悪いが俺も梁山泊の豪傑と二対一は御免蒙る。これで終わらせて貰う。動の気掌握、静の気掌握。続いて流水制空圏発動」

 

「……長老の秘技。秋雨どんの言ってた通りね」

 

 音もなく立っていた場所より消失すると、次の瞬間にはクシャトリアと剣星は200m離れた岩の上で拳撃を交わしていた。

 直接の干渉があったわけではなかったが、二人の達人が死闘を繰り広げるには10mはある巨岩は脆すぎた。戦いの余波を受け巨岩が崩れ、周囲の木々が粉々に飛び散った。

 

「こぉぉああああああああッ!」

 

「ほっ、せっ――――」

 

 マグマのように強烈でありながら、スナイパーの狙撃の如き正確無比な猛攻。剣星は経験に裏打ちされた〝勘〟を最大限に活用し、攻撃を捌いていくが明らかに押されていた。

 これこそが静と動の気を同時発動することによって齎される、パワーとコントロールを完全に両立させた戦い方。

 拳魔邪神ジュナザードすら持たぬ、拳魔邪帝クシャトリアだけの力だ。

 

「どらぁあああああああ!」

 

 遂にクシャトリアの蹴りが防御を掻い潜り、剣星の脇腹に直撃する。だが流石は剣星。小躯を補うため硬功夫の修行をよく積んできた肉体強度は鋼のそれ。直撃を受けながらも、致命的なダメージを負うことはなかった。

 なによりも馬剣星の瞳は、傷を負いながらも真っ直ぐにクシャトリアを捉えたままだ。攻撃を受けた時も、今この瞬間も『静動轟双』の打開策を思考し続けているのだろう。

 彼もまた静のタイプを極めた武人なのだと、クシャトリアは改めて思い知らされた。

 

(やはり梁山泊の豪傑は曲者揃いだ)

 

 静動轟双の力で現状クシャトリアが優位だが、僅かな気の緩みが死に直結するのが武人の世界だ。

 何度かアケビやホムラとの組手では使用した〝静動轟双〟だが実戦での使用はこれが初めて。まだ予期せぬ危険や弱点がないとも限らない。ここは優勢のうちに、リスクを冒してでも勝ちを急ぐべき時だ。

 クシャトリアはここに自分が収集してきた数々の奥義を解放する。

 

「――――行くぞ」

 

 先ずは一つ目。シラットの次に長く触れてきた武術たる櫛灘流柔術。

 嘗て櫛灘美雲より伝授された技をここに晒す。

 

「櫛灘流、千年投げ」

 

 クシャトリアより発せられる二つの気が、やがて粘土細工のように固まり、空中に巨大な幻影を映し出した。

 幻影として闘神の如く投影されしは拳魔邪帝クシャトリアが影。だがその影は影にあってマヤカシに非ず。

 千年投げという名の通り、闘気によって具現化した手が、地面より無数に生え、それが意思をもつかのように馬剣星へと殺到していく。

 

「ぬっ、……むっ!」

 

 クシャトリアのそれは美雲のものよりは劣るが、千年投げは櫛灘流が奥義の一つ。馬剣星をもってしても軽口を叩く余裕すらなく、幾千もの手を回避することに努める。

 もしも一度でも手に捕まえられれば、抵抗する余地なく投げ殺される。柔術家の仲間がいるだけあって、そのことを即座に理解したのだろう。剣星の頬には僅かに冷や汗が流れていた。

 

「まだまだ――――ッ!」

 

 クシャトリアの奥義ラッシュは終わっていない。

 千年投げは強力な奥義だが、一対一での戦闘ではなく、どちらかといえば多対一での殲滅奥義。それを敢えて初手にて使用したのは、必殺を期待してではなく囮としての効果を求めてのこと。

 櫛灘流の奥義の次は、他の武術家より吸収し、クシャトリア自身が作り上げた奥義をもって。

 

七つに踊る化身(ヴィシュヌ・アヴァターラ)

 

 これまで巨大な幻影として投影されていた(ビジョン)が消失し、変わりにクシャトリアの前面に円を描くように六体の残像が出現。

 そして出現した残像が本体と同時に機関銃めいた突きを乱射した。本体と残像で都合七人による連撃。一つ一つが致命傷となりうる飛礫を受けきりながら、剣星はクシャトリアの目に危険な色が宿ったのを見る。

 

「我流、玄武爆」

 

 これまでで最大の破壊力を秘めた奥義は、静かな言葉と共に解き放たれた。

 四神が一つ、玄武。神獣の暴威を具現化した攻撃は、闇の無手組が長たる一影――――風林寺砕牙の奥義である。

 雷鳴を思わせる爆音。果たして嘗て梁山泊の一員だった男の奥義は、梁山泊の豪傑を屠るには十分すぎる威力をもっていた。踏みとどまることすら許さず、剣星の体が吹き飛ばされる。

 

「これで止めだ――――!」

 

 並みの達人なら先程の技で十中八九死んでいるが、相手は梁山泊の豪傑。念には念を入れて、駄目押しの一撃を喰らわせに行く。

 殺すには正にうってつけ。邪神ジュナザードの秘奥をもって、ここに梁山泊が一角を土へ還す。

 

転げ回る幽(ハントウ・グルンドゥン・プリン)――――ぬっ?」

 

 だがクシャトリアが奥義を使おうとした瞬間、唐突に体内の静の気と動の気が消滅した。

 

「なに、が……?」

 

「思った通りね」

 

 してやったりといった風に、にやりと笑うは防戦一方だった馬剣星。

 

「静動轟双、確かに高度な技ね。けど高度な技にはそれ故に弱点があるもの。お前さんがおいちゃんを殴りつけた時、経絡をついて体内の気を乱させて貰ったね」

 

「――――なっ! しまった、静動轟双は!?」

 

 これが片方の気だけを使う武術家や、静動轟一であればなんともならなかっただろう。

 しかし静動轟双は静の気と動の気の絶妙なバランスで初めて成り立つ奥義。体内の気を乱されバランスが狂えば、たちどころに技が解除されてしまう。

 そして突然に気を解除されたクシャトリアは無防備。剣星にとっては絶好の好機に他ならなかった。

 雷光にすら映る速度で馬剣星がこれまでのお返しとばかりに、己の奥義を解放する。

 もし無防備のままに剣星の奥義を受ければ挽回は不可能。手段を選んでいる余裕はなかった。

 

「浸透水鏡双掌ッ!」

 

「静動轟一!」

 

 剣星が奥義を使って少し遅れて〝静動轟一〟が発動する。静動轟一の爆発力で、全力で回避行動をとるクシャトリアだが――――時既に遅い。剣星の奥義は後ほんの数㎜の所まで迫っていた。

 クシャトリアで炸裂する爆薬。湖を干上がらせるほどの双掌打が、クシャトリアの外面と内部を同時破壊していった。

 それでも静動轟一で獲得した運動力を使って、完全にやられる前にどうにかして衝撃から逃れることに成功した。

 

「はぁ……やはり、梁山泊と戦うのは……これだから……」

 

 肩で息をしながら馬剣星を睨む。

 浸透水鏡双掌。馬剣星の奥義だけはある。ただの一撃で形勢を覆されてしまった。命に別状もなく後遺症も残りはしないが、一週間は動くことも儘ならなくなる。そういう一撃だった。静動轟一を用いて回避していなければ、確実にそうなっていただろう。

 しかし対峙する馬剣星もまた満身創痍。一影の奥義を喰らったのだから、それも当然といえるだろう。

 同時に確信する。互いに残る手は一つのみ。次の交錯で戦いは決着する。

 故にクシャトリアと剣星は、互いに最大の奥義を繰り出した。

 



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第86話  救う者、殺す者

 兼一は血管が浮き出るほど眼を大きくして、眼上にて対峙する二人の〝達人〟を見上げる。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアと馬剣星。

 恐らく二人が二人とも、もはや立っているのも限界だろう。それこそ今すぐ倒れてもおかしくはないはずだ。

 満身創痍でありながら、尚も限界以上の実力を発揮し続ける――――人間の生命力の枠を超えたファイティングスピリッツ。

 無限の修練の果てに人間の領域を超越した〝達人〟は、体力でも気迫でもない何かを動員し、己の必殺を解放する構えをとった。

 馬剣星がとったのは、猛虎のような構え。兼一がまだ教わっていない技のものだったが、きっと馬剣星という武人のオーラ故だろう。対峙しているのは自分ではないというのに、重力が十倍になったかのようなプレッシャーが伸し掛かってきた。

 

「あれは――――」

 

 そしてシルクァッド・サヤップ・クシャトリア、彼が纏っているのは静動轟一の気だ。

 叶翔や龍斗も発動していたそれであるが、やはり達人の気の総量は弟子クラスとは比較にはならない。弟子クラスの静動轟一も脅威だったが、クシャトリアのそれは脅威を通り越してもはや天災クラスだ。

 肉体と精神に極度の負担を強いるため、達人であろうと長時間の発動は自殺行為である静動轟一。

 されどほんの刹那。必殺の奥義を繰り出す一瞬に発動を限定させてしまえば、肉体のかかる負荷など皆無に等しい。

 

「……ぐ、師匠(グル)。普段から厳しさの中に厳しさのあるドSだけど、シリアスモードはやっぱり恐いお」

 

「いや、師匠をドS呼ばわりは――――ああ。駄目だ、僕には否定できない」

 

 上に竜虎もかくやという視線で睨み合う達人がいれば、兼一とリミも茶番めいた戦いなどはしてはいられない。

 不覚にも任務のことすら忘却し、生唾を呑んで自分達の師匠の勝利を願う。

 師匠の勝利を信じる兼一だが、なにせ武を極めた達人同士による奥義のぶつかり合いだ。

 それがどのような結末を生むのか、未だ達人には遠く届かぬ兼一には分かる筈もない。

 

『――――――ッ!』

 

 鋭い踏み込みは同時に。翼をもつ騎士の如く、空を舞うはクシャトリア。大地の力を我が物とし、空から落ちてくる天災を迎撃するは馬剣星。

 

天波(ブラフマラー)――――」

 

「――――猛虎」

 

 繰り出される奥義。しかし奥義のぶつかり合いという戦いの華は、無粋なる災害に横槍を入れられた。

 先程の地響きよりも遥かに大きく山全体が奮える。達人をもってしても想定外のことに、繰り出された奥義は互いに狙いを外した。

 クシャトリアの天雷を思わせる貫手は剣星の右肩を掠めるに止め、剣星の絶招はクシャトリアの脇腹に掠っただけだった。

 それでも達人の奥義だけあって掠っただけでも威力は十分。剣星の肩は日本刀で切り付けられたが如く血が吹き出し、クシャトリアは吹っ飛び大岩に叩き付けられた。

 だが依然として地響きは続いている。

 

「う、わ……わわわわ」

 

 地響きは小さくなるどころか、どんどん大きくなっていった。

 兼一は歯を食いしばり兎にも角にも倒れないよう、必死に足と地面を縫い付けた。

 

(そ、そういえば。何処かで同じような振動を感じたような。そう、あれは学校でスキーに行った時、雪崩に巻き込まれそうになって…………うん? なだれ……雪崩? ま、まさか)

 

 自分の予感が外れであって欲しいと願いながら、兼一は視線を上へとずらしていく。

 そして兼一は自分がつくづく運に恵まれないのだと改めて思い知らされた。

 

「じぇ、ジェロニモォオオオオオオオオオオ!!」

 

 奇声をあげる。頂上より津波の勢いで雪崩落ちてくる土砂。

 クシャトリアと剣星。二人が内包した武を全て解放するということは、天災を具現化させるにも等しい。そして天災同士の激突に耐え切れなかった山は、新たなる天災を引き起こしてしまった。

 進路にあるもの全てを呑み込んでいく土砂は、さながら大きく口を開けた龍のようですらある。あんなものに巻き込まれたら確実に生きてはいられないだろう。

 

「はっ! そ、そうだ。君も早く逃げ――――って早い!?」

 

 兼一がリミに警告した時、既にリミの背中は遥か遠くにあった。

 呆れるを通り越して尊敬に値するほどの逃げ足の速度である。きっと彼女も恐ろしい師匠に追い回されているうちに、あの逃走技術を身に着けたのだろう。

 

「ぼさっとしてないで、兼ちゃんも逃げるね」

 

「は、はい!」

 

 クシャトリアとの戦いでのダメージが効いているのだろう。よろよろと立ち上がりながら剣星が手を差し伸べてきた。

 兼一は迷わずその手をとろうとするが、その直前に目の端にある光景が映る。映って、しまった。

 

「ぐっ……! ええぃ、こんな時に!」

 

 自分の弟子と同じように、クシャトリアも即座に退避しようとするが、運悪く足が地面に陥没してしまった。

 理解はしている。クシャトリアは達人、それも一影九拳クラスの豪傑だ。土砂より逃れるなど実に容易いこと。

 だが戦いで大きなダメージを負ったのはクシャトリアも同じ。もし万が一肉体に負った重度のダメージが妨害をすれば、

 理屈ではなかった。思考が追い付いた時には、既に白浜兼一の体は動いていた。

 

「兼ちゃん! 止めるね、彼なら一人でも――――」

 

 師父の声すらも今の兼一には届かない。悪路を我武者羅に乗り越え、兼一はクシャトリアに手を伸ばした。

 

「クシャトリアさん、捕まって下さい!」

 

「なっ! 君はなにを――――」

 

 クシャトリアが最後まで言い切ることはなかった。土砂が兼一とクシャトリアを呑み込んでいく。

 梁山泊の弟子と闇の達人。二人は山の中へと消えていった。

 

 

 

 

 クシャトリアが土砂に呑まれて消えた頃、その師たるジュナザードは櫛灘美雲に呼ばれ、闇の管理しているプールまで来ていた。

 いつか一番弟子と出会って以来、お気に入りとなった柿を咀嚼しながら、ジュナザードはプールを見る。

 

「のう、女宿」

 

 一見するとプールには誰もいないが、よく見ればプールの中に沈んで瞑想している女性がいることに気付くだろう。

 櫛灘美雲が水中で瞑想を始めて一時間以上。世界記録の倍以上、息を止めていることにジュナザードはさして関心を示さない。

 そもそも達人というのは呼吸器官一つとって人間離れしている。ジュナザードにとっても一時間程度呼吸を止めているのは難しいことではない。

 これでクシャトリアであれば美雲の瞑想を邪魔すまいと、彼女が浮き上がってくるまで大人しく待つのだろうが、生憎とジュナザードがそんな紳士的であるはずがない。

 

「聞いているのかいのう」

 

 爪先でプールを蹴ると、モーセの如くプールが二つに裂けた。

 

「やれやれ。若い者はせっかちでいかんのう」

 

「カッカッカッ。お主からすれば我ですら若造扱いかいのう。永年益寿にて時間を止めたお主の年齢、ちょこっとばかし気になるわいのう。

 のう、女宿の。お主は何歳なんじゃ? 白寿はとうに超えていると我は見るが――――」

 

「女に年齢を尋ねるなど失礼な男じゃな。少しは弟子を見習ったらどうじゃ?」

 

「カッカッカッ。そいつはすまんのう、女宿。我はあやつほど狡くはないんじゃわい。で、女宿。お主が我を呼び出すとはどういうことじゃわいのう。よもや世間話に呼んだわけじゃないじゃろう?

 クシャトリアを寄越せと言うなら聞けぬ相談じゃぞ。あれは我が育て上げた果実。熟しきったアレの武を喰らうのは、我の愉しみじゃわいのう。

 ……じゃが武術家としてではなく、女として体の火照りを鎮めるのにアレが欲しいというのであれば、好きに使って良いぞ。カッカカカカカカカカ! 年齢差五倍以上! 最近流行りの年の差婚、逆光源氏計画というやつかいのう!」

 

「下種の勘繰りじゃな」

 

 厭らしく嗤うジュナザードに、周囲から闘気で具現化した手が伸びてくる。

 だがジュナザードは容易くそれを回避すると、あろうことか天井に着地した。

 

「おっと、危ない危ない。で、本題はなんじゃわいのう?」

 

「拳魔邪神。笑う鋼拳の弟子を、お前が引き取る話は保留になったのじゃったな」

 

「うむ。それなりに良い素材であったし、我であればシラットを極めさせられたものを。勿体ないことじゃわい」

 

「フッ。実はな、ジュナザード。更に良い素材について心当たりがあるのじゃが知りたいか?」

 

「ほう」

 

 仮面の奥でジュナザードの目が怪しく光る。

 黒い殺意を胸に秘め、櫛灘美雲は妖艶に微笑んだ。

 

 



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第87話  遭難した? そうなんですよ

「なにぃ! 兼一の奴が拳魔邪帝の野郎と土砂崩れに巻き込まれただとぉ!?!?」

 

 逆鬼の野太い怒鳴り声が、山全体にまで反響する。

 剣星は帽子の鍔を抑えながら、普段のお気楽さが嘘のような深刻な表情で頷く。

 

「おいちゃんが着いていながら……我ながら不甲斐ない。馬剣星、一生の不覚ね」

 

 クシャトリアと剣星の死闘によって齎された大規模な土砂崩れは、完全に地形そのものを変えてしまっていた。

 そう。呑み込まれた人間の生存を絶望視するほどに。

 愛する弟子が自分達の立つ地面の下に埋まっているかと思うと、逆鬼の怒りが際限なく高まっていった。

 だが逆鬼は激情家ではあるが、人の気持ちを考えず当り散らすほど子供ではない。憤怒から一転して落ち着いた顔付に戻ると、

 

「いや、不覚なのは俺もだ。俺の方も拳魔邪帝の手下共に時間をとり過ぎちまった。俺が早めに連中をのしてりゃこうはならなかったってのによ」

 

「こういう時はいっそ怒鳴られた方が気が楽なものね。けど中々楽にしてくれない。逆鬼どんは厳しいね。ちょっと秋雨どんに似てきたかね」

 

「馬鹿野郎。ンなわけねぇだろ。大体な、兼一はこの俺の弟子だぞ。俺の弟子がこの程度で死ぬわけねぇだろ。こんくれぇで死ぬような男なら、今頃とっくにアパチャイにやられてる」

 

「それは言えてるね」

 

「ま、それより――――」

 

 話しながら逆鬼はチラっと視線を逸らす。

 

「ぬぉぉおおおおお! 師匠ぅぅぅぅぅぅぅぅ! まだ全然強くなってないのに、リミ残して埋まらないで下さいお!

 あ、けどけど。リミが見つけたらゴホービで修行は三日くらい休みにして下さい。龍斗様をデートに誘いたいんで!」

 

 色気も可愛いらしさもあったものではない叫び声をあげながら、小頃音リミが手あたり次第に瓦礫を掘っている。

 口調こそ些かアレなものの、その必死さは逆鬼や剣星にも良く伝わってきた。拳魔邪帝クシャトリア、鬼の如き修行を課す彼だが、意外に弟子からはそこそこ慕われていたらしい。

 

「まさか兼一だけじゃなくて、拳魔邪帝まで埋まっちまうとはな。……お蔭で女スパイは無事に送り届けられたが」

 

「ただお蔭で兼ちゃんが無事な可能性が高くなったね」

 

「どういうことだ?」

 

「おいちゃんとの戦いで負傷していたけど、拳魔邪帝ならばぎりぎり土砂崩れから逃れることは出来た筈ね。その彼が脱出せずに兼ちゃんと一緒に埋まったということは」

 

「奴が兼一を助けている可能性が高いってことか」

 

 剣星はコクリと頷いて肯定した。

 弟子クラスの兼一に達人級のクシャトリアが一緒にいるとなれば、それだけで生存の可能性はかなり上昇する。

 

「そうと分かれば話は早ぇ! さっさとこのあたりの岩盤をぶっ壊して――――」

 

「止めるね、逆鬼どん。逆鬼どんが全力で地盤を壊しまわったら、第二の土砂崩れが起きるかもしれないね」

 

「チッ。なら第二波がねぇよう慎重にやりゃいいんだな? くそっ。こんなことなら拳魔邪帝の手下共をのすんじゃなかったぜ」

 

 気絶させて街中にふんじばったアケビとホムラのことを思い出して逆鬼は舌打ちする。

 あの二人は特A級でこそないが、それなりの達人だ。猫の手も借りたい現状、大きな力となっただろう。

 しかし今更後悔しても仕方ない。逆鬼と剣星に出来るのは自分の弟子の無事を祈り、慎重な捜索をすることだけだ。

 

 

 

 太陽の日差しがまるで注がれない暗闇。だが暗闇に導を示すように、仄かな光源が宙に浮いていた。

 おぼろげな意識のまま兼一は藁をも掴む思いで光源へと手を伸ばす。

 

「やめろ、火傷するぞ」

 

「――――はっ!」

 

 光源の正体――――ライターの火に指先が触れようとした刹那、伸ばした手が叩き落とされる。それで兼一も目が覚めた。

 目覚めた兼一はなにがなんだか分からないまま周囲を見渡す。

 左右前後上下。あらゆる方向へ首を向けるが、光を放っているのはクシャトリアの手にあるライターのものだけ。それ以外は暗闇一色だった。

 恐る恐る手で探ってみれば、ごつごつとした感触がする。

 

「こ、ここは……?」

 

「さぁ。恐らく山の中というのは分かるが、正確な位置はさっぱりだ。なにせ俺も土砂から逃れるために我武者羅に地面を突き破っていたら、何時の間にかここに到達していた口でね」

 

「土砂……そうだ、僕は」

 

 地面に足をとられたクシャトリアを助けようとして、結局助けられずに一緒に土砂に巻き込まれてしまったのだった。

 ということはここは山の中。取りあえず闇の牢獄の中という最悪のオチではなくてなによりだ。

 

「はぁ、白浜兼一くん。君は本当に臆病なんだか勇敢なんだかアホなのか分からない男だな。達人の俺なら一人でも脱出できるとは思わなかったのか?」

 

「す、すみません。なんだか気付けば体の方が動いていまして」

 

 助けることが出来たのならまだしも、こうして一緒に土砂に呑まれ、逆に助けられるという無様を晒した兼一に反論の言葉はない。

 きっと無事に戻れば師匠達に叱られるだろう、と思いながら謝る。

 謝られたクシャトリアの方は怒るでもなく、どこか疲れたように嘆息すると、

 

「別に謝って欲しいわけじゃない。そもそもこうして君を助けてしまったのも俺の判断なわけで、いや闇の武人が梁山泊の弟子を助けるなんて、本当になにをやってるんだ俺は。だが助けに来たのは君の方で―――」

 

「あの、クシャトリア……さん?」

 

「人助けなんて柄でもないだろうに。美雲さんはまだしも、師匠に敵の弟子を助けるなんて甘えを見せたことを知られれば」

 

 なにやらブツブツと一人で呟いているクシャトリア。なんとなく危険な臭いがしたので、兼一は黙ったままそれを見守っていた。

 

「よし。白浜兼一くん、これはお返しということにしておこう」

 

「お、お返し?」

 

「デスパー島で君のところの師匠が翔くんの手術に協力してくれただろう。そのお礼。うん、これなら良い。殺人拳でも恩は返さなければいけないからな」

 

 あまり良く分からないがクシャトリアが納得しているのなら問題はないのだろう。

 そんなことより重要なのはこれからどうするかだ。

 光なき洞窟に二人で閉じ込められる。しかも一緒に閉じ込められている相手は拳魔邪帝クシャトリア。

 

(こ、これってもしかして凄い状況なのでは)

 

 もしも一緒に閉じ込められたのが美羽だったら、と考えてしまったことは口が裂けても言えないことだった。

 

「兎も角。ここを脱出しないとな」

 

 クシャトリアが立ち上がる。兼一はゴクリと生唾を呑み込む。

 

「脱出って、やっぱり周囲の岩をドガガガって壊すんですか?」

 

「それでもいいけど、それをやると俺は兎も角、君の方はぺしゃんこになると思うがいいのか?」

 

「お願いします。別の方法で」

 

 土下座する勢いでお願いする。人間いずれ土の下に埋まるものだが、よりにもよってこんな誰もお参りにも来てくれない場所に埋まるつもりはない。そもそも兼一には生きてやりたいことがあるのだ。

 

「ま、その方法はとりたくてもとれないんだがね」

 

「どういうことですか? 達人級なら簡単に出来ると思うんですけど」

 

「それは俺も達人の端くれ。暗鶚の暗殺術には土潜りの秘術もあるし、大して難しいことじゃない。だがそれは俺が万全の場合の話だ。生憎と君の師父にやられたダメージがかなり残っていてね。ここまで逃れるのに最後の力も殆ど振り絞った。なんか岩の破片が体に刺さったりもしたし、わりと瀕死だ。歩くのも辛い」

 

「瀕死なんですか!? わりと!?」

 

「ま、瀕死程度はよくあることだ。それよりここが洞窟か何かなら、出口があるかもしれん。取りあえずこの先へ行ってみよう」

 

 そう言ってクシャトリアがライターの火を向けると、確かに奥には道が続いていた。かなり狭いが幸い人間二人くらいは通れそうである。

 

「分かりました。行きましょう」

 

 クシャトリアが闇の武人だというのは承知している。しかし今は梁山泊も闇もなく、ここからの脱出が最優先。

 ここを脱出するまでの間は、クシャトリアの指示に従うようにしよう。兼一はそう決断した。

 



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第88話  尊い拳

 洞窟を歩いてどれ程の時間が経過しただろうか。時計を持っていない兼一には正確な時間は分からないが、既に二、三時間は歩き続けた感覚がある。

 だが洞窟のような密閉された暗闇では、人は時間の進みを早く感じるだとかいう話を聞いたことがある。ということは現実にはまだ一時間も経過していないのかもしれない。

 

「…………」

 

 先導するクシャトリアは何を話すでもなく、無言のまま黙々と足場の悪い洞窟を進んでいく。

 自分なんて壁や天井に頭をぶつけたことなんて数えきれないほどなのに、すいすいと障害物などないかのようにすり抜けていくあたり負傷しても達人は達人である。

 だがクシャトリアほどの達人なら、兼一のことなど放り出せばもっと早く進めるだろう。なのにこうしてわざわざ兼一のペースに合わせてくれていた。

 

(叶翔の時といい、もしかしたら凄く良い人なのかも)

 

 クリストファー・エクレール、李天門、ディエゴ・カーロ、アレクサンドル・ガイダル、そして拳魔邪神ジュナザード。

 白浜兼一がこれまでに見た闇の達人というのは全員が冷酷にして非道な者ばかりだった。冷酷なばかりではない人もいたが、やはり瞳の奥に殺人拳特有の陰が燻っているように見えた。

 しかしシルクァッド・サヤップ・クシャトリア。拳魔邪帝などという仰々しい異名をもつ武人に余りそういう気配はない。

 となると当然のように一つの疑問が湧いてくる。どうして彼は闇に所属しているのか、という。

 

「クシャトリアさん」

 

「ん? どうした? 腹でも減ったのなら、ご馳走を想像しながら唾でも飲んでいてくれ。生憎と持ち合わせがない」

 

「いえいえ。まだお腹の方は大丈夫です。あの、この機会に一つ質問していいでしょうか?」

 

「答えられる範囲ならな」

 

「ありがとうございます。じゃあ」

 

 許可も出たことなので、兼一は意を決して口を開く。

 

「なんで闇に入ったんですか?」

 

「――――――」

 

 クシャトリアは完全に心を閉ざしているのか、流水制空圏を会得した兼一にも彼の心は読めない。

 ただなんとなく空気から唖然としているのは伝わってきた。

 

「白浜兼一くん。君は武術の才能はお粗末だが、人の地雷を踏み抜くことにかけては天才的だな」

 

 これまで新白連合の仲間にも指摘されてきたことを、闇の達人にまで指摘され兼一の心に雷が落ちる。

 

「す、すみませんっ。さっきのは忘れてください」

 

「生憎と記憶力は良い方なんでね。そうそう忘れることはできないな。実際そう畏まられるほど大した理由があったわけじゃない。俺の師匠が闇の一影九拳の一人だった。だから俺が達人になった日、闇に所属することになった。要はこれだけのことだよ」

 

「……はぁ」

 

 確かに闇の達人の弟子が、成長し自身もマスタークラスに到達した時、闇に名を連ねるのは自然な流れのように思える。

 梁山泊でも仮に兼一や美羽が師と同じ領域にまで登り詰めることができれば、豪傑の一人として名を連ねることになるだろう。

 ただそうなるとまた新しい疑問が出てしまう。

 

「ならもう一つだけ。クシャトリアさんはどうして武術を? あの、こう言っては失礼かもしれませんけど、ジェイハンを……自分の弟子を殺すような人の弟子になろうと思ったんですか?」

 

 ジュナザードとクシャトリアが師弟関係なのは知っている。けれど自身の弟子を唯一度の失態で殺すジュナザードと、リミとそれなりに良好な関係を築いているクシャトリア。

 この二人が師弟と言われても、どうにも納得できないものがある。上手くは説明できないのだが、YOMI達にもあった師への尊敬。それがクシャトリアには一切ないように感じられるのだ。

 

「その質問の答えはシンプルだよ。そもそも俺は弟子になろうと思ってなんていないからな」

 

「……どういうことですか?」

 

「兼一君。君の事は調べさせて貰った。君が梁山泊の門を叩いたのは、サイモンだかダイモンという男との空手部の退部をかけた試合が切欠だったね」

 

「は、はい!」

 

 もう一年以上も前のことだが、あの日のことは鮮明に思い出すことができる。

 当時、空手部に所属していた兼一は大門寺と『負けた方が退部する』という条件で試合をした。紆余曲折あって兼一は反則負け。試合に負けて勝負に勝った形で部を去ることになったが、その際に初めて武術を授けてくれたのが風林寺美羽。

 そこから更に紆余曲折あって、兼一は本格的に梁山泊の門を叩くことになったのだ。

 

――――もしも。

 

 もしも大門寺と試合をせず、美羽の教えを受けていなければ。

 白浜兼一が梁山泊に入門することも、新白連合の皆と友達になることもなかったのかもしれない。 

 そういう意味で大門寺との試合は、白浜兼一にとって大きな人生の転機といえるのだろう。

 

「実は俺も似たような口なんだよ。詳しい説明は省くが、当時小学生だった俺はガキ大将と一対一の喧嘩をしなければならない羽目になってね。

 自慢じゃないがあの頃の俺は喧嘩なんてまるでしたことのない人間で、勝ち目なんて皆無に等しかった。だがそこに現れたのが我が師ジュナザードさ。

 師匠は我が家に生えていた柿を所望してね。俺がそれを渡すと、師匠は願いを一つ叶えてやろうと言った。なにも知らなかった俺は、特に深く考えず武術を教えてほしいと言って――――こんなことになったわけだ。早い話が拉致されたんだよ。

 君の人生が梁山泊へ入門したことで大きく変化したのなら、俺の人生はあの日に一度終わらされたんだろう」

 

 クシャトリアが自虐気に笑った。

 驚きに兼一は目を見張らせる。まったくの偶然だろうが、クシャトリアが武術の道に進み始めた切欠は兼一のそれと非常に似通っている。

 だが一つ決定的に違うところは、兼一が武術によって光を手にしたのに対して、クシャトリアは武術によって闇に叩き落されたことだ。

 

「師匠の修行は処刑に等しかった。蠱毒のようなものさ。二十人余りの子供を集めて殺しあわせ、生き残った一人を弟子にとる。

 正式な弟子になっても同じだ。静の気の解放、動の気の解放、妙手となった時。気の掌握、達人になった瞬間。武術家としての転機には常に死の洗礼があった。闇の任務抜きに、純粋に達人になるまでの修行の過程で俺が殺した数は100人を超える。

 尤もそのことは後悔してはない。殺さなければ、俺が師匠に始末されていただろうし。人でなしなことに今は罪悪感すら抱いていない。ようは俺にとって俺一人の命は、あの名前も知らない100人の命より遥かに重かったわけだ」

 

「……………っ」

 

 とても現実では考えられない壮絶な内容に、兼一は肯定も否定もすることができない。

 当然だ。例え切欠が似ていても、兼一とクシャトリアは歩んできた道程が違いすぎる。クシャトリアの人生を肯定できるのも否定できるのも、彼と同じような人生を歩んだ者だけだろう。

 ただ兼一は勇気を振り絞り一言だけ絞り出した。

 

「戻ることは、できないんですか?」

 

「無理だな。俺にも殺人拳としてのプライドがある。我が拳は幾百の命を糧に得た結晶。今更これを捨てることはできん」

 

「そう、ですか……」

 

 どれだけ説得しようと、この意思は崩せない。兼一にはその確信があった。だから兼一もそれ以上は食い下がることはなかった。

 

「やれやれ。こんな話をしたもんだから、しんみりしてしまったな」

 

「い、いえ。そんなことは」

 

「じゃあ老婆心から一つ助言らしいものをしておこう」

 

「……はい」

 

 殺人拳の達人から、活人拳の弟子への助言。兼一は神妙な面持ちでクシャトリアの言葉を待った。

 

「兼一くん。人を殺すことは誰にでも出来ることなんだ。特別な覚悟なんてする必要はない。ほんの少しでも自分が『死ぬかもしれない』という恐怖があれば、人間は驚くほど容易く人を殺せてしまう。俺もそうだった。

 しかし〝死んでも殺さない〟覚悟は誰にでも出来ることじゃない。人の血に汚れていない君の拳は、例え自分が死んでも他者を殺めぬ覚悟の象徴。誰かを守り救うことのできる尊いものだ。それを大切にすることだ。一度落ちてしまえば、もう二度と戻れはしないのだから」

 

「分かりました。肝に銘じます」

 

 兼一は自分の両手を見下ろす。その手は多くの武術家を打倒したが、未だに誰一人の命も奪っていない。

 この血に汚れていない手を汚れぬままに生涯を完遂させる。それが活人拳を志す者が目指すべきところだ。

 

「おっと。話をしていれば――――喜ぶといい。出口だぞ」

 

「!」

 

 パっと顔を上げると、そこには岩壁が聳えたっている。ただこれまでの岩壁と違うのは、外界から僅かに光が差し込んできているということだ。

 光があるということは、この岩壁の向こう側に出口があるという証左に他ならない。

 

「このくらいの壁ならば壊せそうだな。そらっ!」

 

 クシャトリアが壁を蹴ると、行く手を遮っていた岩が粉々に砕け散った。岩が砕け散った後には、光の溢れる出口が現れる。

 久々に浴びる太陽の光に、兼一は喜び外へと飛び出した。

 

「やりましたね、外ですよ!」

 

「その、ようだ……うっ!」

 

「クシャトリアさん!?」

 

 どさっとクシャトリアが岩を背にして倒れた。兼一が慌てて駆け寄ると、原因は直ぐに分かった。

 クシャトリアの脚に傷がある。傷口からして馬師父との戦いでのものではなく、岩の破片が突き刺さって出来たものだろう。

 見たこともない薬草で応急処置が施されているが、明らかにまだ足りていない。本格的な処置が必要なのは明白だった。

 

「血を流し過ぎたな。少し、眠る。君は師匠と合流すると、いい」

 

「なっ! だ、誰か! 馬師父、逆鬼師匠ーーッ! 僕はここです! 早く来てください!!」

 

 兼一が大声で叫ぶと、兼一を探していた二人もそれに気付く。

 二人が兼一たちのいる場所に走ってくるのと、クシャトリアが完全に意識を落とすのはほぼ同時だった。

 



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第89話  入院

 曰く、人間には自分の人生を最低だと思う日が来るとのことだ。

 クシャトリアにとってジュナザードに出会った瞬間から、人生は一気に崖下まで一直線。

 それからどん底のどん底といっていい生活が続いているわけであるが、ジュナザードに出会ったその日が最低の最低。不幸の底の底だというのならば、今は少しはマシになっているのだろう。

 少なくとも日毎ジュナザードに死ぬような修行を強いられることはないし、それなりに自由な時間もある。

 闇から押し付けられる仕事は目が回り過ぎた挙句に飛び出すほどのものだが、不可能なわけではない。死ぬ気で頑張れば一時間ゆっくりと珈琲を飲みながら読書に浸る時間をとることもできる。

 というわけで幼き日に最低の最低を経験した自分にとって、これからの人生で訪れる不幸などは所詮劣化品ばかり。恐れるに足らずだ。

 

〝自分の人生を最低だと思う日が来る〟

 

 リミが押し付けてきた漫画の登場人物の残した名言である。

 現実と夢の狭間で下らないことに思考を費やしていると、とうとう意識を落としているのがだるくなり、クシャトリアは渋々と目を開けた。

 鼻につくのは薬品の臭い。お世辞にも裕福とはいえない病室。そして近くに感じられる達人の気配。

 クシャトリアは直ぐに自分がどうしてこのような場所にいるのか、ここがどこなのかに当たりを付けた。

 

「――――どうやら世話になったようですね、岬越寺秋雨殿」

 

「おやおや。こういうのは医者の側が『目が覚めたようだね』と言ってから現状を説明するのがお約束というものだよ。シルクァッド・サヤップ・クシャトリア君。……ううむ。こうして君の名を口にしてみると中々どうして長いね、君の名前」

 

「名付け親は主に師匠だ。文句はそちらに言ってくれ」

 

「はははは。まさか、人の名前にケチをつけるほど私は人でなしじゃないさ。サヤップ・クシャトリア……翼もつ騎士。大抵の武人の異名は戦い方や流派によって決まるが、君の異名は名前を直訳したものなのだね」

 

「なにか気になることでもありましたか? 哲学する柔術家殿」

 

「大したことじゃないさ。ただ君も知っているかもしれないが、うちの弟子一号……兼一君は若いのに読書が趣味という今時珍しい若者でね。いつだったかも新しく学校に転任してきた教諭に、貸して貰った書物を楽しく読んでいたものさ」

 

「…………」

 

 思い起こされるのは一影より荒涼高校潜入を命じられ直ぐのこと。

 任務に入ったクシャトリアは白浜兼一に近づくため、彼の趣味で興味を引かせた。

 

「確かその教諭の名前は――――内藤翼だったかな?」

 

 武術のみならず芸術、医術、果ては音楽まで極めた才気煥発の偉人。哲学する柔術家、岬越寺秋雨。その評判に偽りなしといったところだろう。

 よもや僅かなヒントからクシャトリアの正体にまで感付くとは。ここまでくると素直に驚嘆する。

 だがクシャトリアも任務で潜入している以上、そうそう正体を暴露するわけにもいかない。

 潜入も不必要になっているが、一影の許可があるまでは面倒でもあの学校に留まる必要がある。

 

「共通の趣味をもつ先生と出会えて御宅の兼一君もラッキーでしたね」

 

 心を閉ざす。ジュナザードの眼力から逃れるため必死になって獲得した閉心術だ。如何な岬越寺秋雨といえど、心を閉ざしたクシャトリアの内心を読むことは出来ない。

 ただ岬越寺秋雨もさほど熱心に探りをいれてきたわけではないが、ふっと笑うと。

 

「君もとうに把握していることだろうが、医者の義務として念のために説明しよう。洞窟から脱出した後に倒れた君を――――」

 

「所属が所属なので一般病院に送るわけにもいかないから、梁山泊に連れて行き岬越寺殿が治療を担当した。敵である俺を助けたのは活人拳としてのスタンスから、あともう一つは俺が兼一君を庇ったお礼。そんなところでしょう?

 まぁ感謝はしていますよ。朝目覚めたらビッグロックの監獄の中っていうのも洒落になりませんからね」

 

「心配しなくてもそんなことはしないよ。君ほどの達人になると、しっかりと戦いで負かしてからでないと牢獄の役目を果たしてくれないだろうしねぇ」

 

「…………成程。つまりビッグロックとは――――」

 

()ゥゥゥゥゥゥウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ()ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」

 

 静寂を打ち破る途轍もなく騒々しい声が病室に響き渡る。病院内ではお静かに、という常識に唾を吐く所業に、医者である秋雨は苦笑するだけだった。

 ドタドタと足音を鳴らしながら、クシャトリアのいる病室にリミが飛び込んでくる。

 

「師匠! いつもニコニコあなたの隣に這い寄る愛弟子、リミがお見舞いにや――――どぶぅらぁ!?」

 

 弾丸をも弾く手甲がリミの脳天にクリーンヒットし、リミがすっ転んだ。手甲の方は器用に秋雨がキャッチして、置いてあった場所に戻した。

 

「すまん。意図的に手元が狂った」

 

「う、うぅ……。い、意図的ってわざとってことじゃないですか! 女の子の顔に物を投げつける人は将来DV夫になる確率が高いんですお! ソースはこの前見たドラマ」

 

「心配するな。俺も男、死合い以外で女性を殴るような下種じゃない」

 

「な、ならリミは!?」

 

「内弟子に女の子も糞もないだろう」

 

「ガーン!」

 

 肉体的ダメージに精神ダメージの追加攻撃でリミは完全にKOした。ジャイアンにいじめられたのび太くんのように、地面にのの字を書いて落ち込む。

 それを見かねてクシャトリアはポンと優しくリミの肩に手を置いた。

 

「リミ……。そう落ち込むな」

 

「ぐ、師匠?」

 

「これ俺が寝てた間の修行メニュー。今日中にやっておけ」

 

「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああ!」

 

 修行メニューと口に出した途端、リミは脱兎のごとく病室から逃げて行った。

 まだ弟子クラスだというのに妙手にも迫る反射神経である。危機回避能力を高めていった甲斐があったというものだ。

 

「素直な子だな。なんだかんだで師を心から尊敬し愛している……良い弟子だ。ただどことなく危うい所もあるように見えるが?」

 

「リミは一途だからな。まったく寄り道せずに、家に帰るだけの日々が毎日続けば心に支障をきたすこともあるだろう」

 

「そちらの悩みかね? いやはや、若き青春というのはいいものだねぇ」

 

 岬越寺秋雨がしみじみと頷く。このくらいの年齢になると、青少年の恋愛事は人生を潤す楽しみの一つなのだろう。

 主にリミ関連でクシャトリアにも覚えがある。

 

「白浜兼一君も青春真っ盛りじゃないので? ほら、無敵超人の孫娘の風林寺美羽と」

 

「う~ん。あの二人はなんだかんだで強い絆で結ばれた相思相愛の間柄と睨んでいるが、何分二人とも恋愛方面には奥手だからねぇ。私もアドバイスしたことがあったのだが、あんまり兼一君の役に立っていないようだし」

 

 哲学する柔術家のことだ。恋愛相談なんて俗な悩みに宇宙法則だか物理法則を入り混じて助言したのだろう。

 読書好きな趣味から分かる通り白浜兼一は典型的な文系。物理法則などで恋愛を説明されてもチンプンカンプンだったに違いない。

 

「ついでに長老は『美羽と結婚するのは自分を倒してから』なんて言うものだから、あれは成就するまで長いだろうね」

 

「おいおい」

 

 無敵超人を倒すほどの武人となれば、それはもはや特A級をも超えた超人だ。

 達人ですらまともな方法では到達不可能な頂きだというのに、超人となれば一体どのような地獄を超えればいいのか。

 

「ま、それはさておき。取り敢えず梁山泊に病人を襲うような人間はいないから、傷が癒えるまでは療養していくといい」

 

「……言葉に甘えさせて貰うよ」

 

 幸い秋雨の処置が良かったので、直ぐに戦線復帰は叶うだろう。ただその前に闇と連絡をとらなければなるまい。

 クシャトリアは電話を探して立ち上がった。

 



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第90話  切っ掛けは突然に

 人間関係において他者とのコミュニケーションというのは必要不可欠なことだ。

 シマウマにしてもライオンにしても草食動物、肉食動物問わず哺乳類というのは大抵群れをつくる生き物である。群れという集団があれば、その集団を統括するリーダーが存在し、群れ同士のコミュニケーションが行われるようになるのも当然だ。

 そして現代において最も巨大な群れを作った生物がなんなのかと言うと、勘のいい人間ならば察せるだろう。他ならぬ人間だ。

 社会や国家。果ては下町のジジババによるゲートボールクラブに至るまで。人間は巨大な群れの中に更に小さな群れを作り、その群れの中にまた小さな群れをという具合に、もう群れ群れな生物といっていい。

 特A級の達人という人間の常識を置き去りにした魔人達ですら、梁山泊や闇という集団に属しているのだから、人間の群れを作る習性は筋金入りといっていいだろう。

 人間は一人では生きていけない。学校の先生やお父さんお母さんに爺さん婆さんドラマに漫画にアニメ。○○は復讐なんて望んでない、復讐はまた新しい復讐を生むだけだ、とかいうのと並んで使い古された台詞の一つだが、こうやって冷静に考えるとある種の真実があるのだろう。

 つまりなにが言いたいかというと、どんな組織でも『ほうれんそう』は大切だということだ。なにせ食べれば超人的パワーが発揮される。

 

「それでこうして電話に出ているということは無事なんだな?」

 

『……はい。梁山泊の連中が山の方へ行っている間に、どうにか意識を取り戻し脱出を。しかし拳魔邪帝様が土砂崩れに巻き込まれているなどとは夢にも思わず……』

 

「いい。あれは九割方俺の失態だ」

 

 病室にあった黒電話でクシャトリアはアケビと連絡をとっていた。

 闇への報告の前に、現状を正しく把握するため先ずは自分の部下に連絡をつけておかなければならない。

 

「で。ターゲットだった女スパイはどうなった?」

 

『……我々も追撃はしたのですが、既に国連の闇排斥派の手に渡った後で。スパイが国連に保護された以上、我々の情報力だけでの追撃は不可能でしょう。ですから』

 

「任務失敗、か」

 

『………………』

 

 そもそも闇は女スパイを殺したいのではなく、女スパイの持っている情報を消したかったのだ。

 国連に保護された時点で彼女の持っていた情報は敵に渡っているだろうし、もはや彼女を殺すことは報復以外の意味を持たない。

 そしてここでまた使い古された台詞の一つの登場だ。復讐は何も生まない。

 女スパイを殺すことに何の利益もないのなら、これ以上彼女を追うのは時間の無駄というものだ。

 

「ふふっ。これまで多くの任務をこなしてきた。中には一国の国家元首の暗殺、誘拐もあったし組織一つの壊滅もあった。だが初めてだよ。この俺が任務を果たせなかったのは」

 

『申し訳ありません、邪帝様。全ては我々の――――』

 

「いや、俺の失態だ。お前たちは俺の指示に従い、逆鬼至緒の足止めという役割を果たした。役割を果たせなかったのは馬剣星を殺せなかった俺だけ……いや、女スパイ確保を命じていたリミもだな。よし、リミの修行メニューを厳しくしよう」

 

 これ以上、修行を厳しくすればリミの生存率がまた著しく下がるような気がしないでもないが、きっと大丈夫だろう。

 クシャトリアは小頃音リミの図太さを信じている。

 

「……それと潜入任務の件だが」

 

『それについては邪帝様が眠られていた間は、ホムラが変装して代わりを務めていました。今も学校でしょう』

 

「ならいい。尤もそろそろお役目御免が近づいていそうだがな。ホムラはそのまま代理を続行、アケビはリミに修行をつけておいてくれ。いつもの五割増しで」

 

『はっ!』

 

 アケビへの連絡を終えれば、憂鬱になる上への報告をやらなければならない。

 黒電話のダイヤルを回してとある電話番号へとかける。更にそこから多くのものを経由して、闇の中枢部へと伝播が届く。

 

『クシャトリアか?』

 

 まだ一言も発していないのに、受話器から一影の冷淡な声が響く。どうやら受話器越しの気配だけで誰だか察してしまったらしい。

 

「御久しぶりです、一影。御多忙とお見受けするので単刀直入に報告しますが――――」

 

『任務失敗の件についてか?』

 

「流石に耳が早い。ええ、その通りです。それでですね、実は紆余曲折あって梁山泊で治療を受けたわけですが、紆余曲折の説明は必要ですか?」 

 

『いや、不要だ。大体の予想はつく。梁山泊の流儀は分かっているつもりだ。君が梁山泊の治療を受けたからといって、君を裏切り者扱いなどはしないから安心してくれ。

 これからいよいよ〝落日〟も迫ってきている。君ほどの人材をつまらぬ理由で切り捨てるほど私も愚かではない』

 

 本当にトップが敵の事情に詳しいと、説明に余計な手間をかけずに済んで良い。

 底知れぬ恐さはあるが、ジュナザードが予測不可能な天災なら、一影の方は闇の長として目的が定まっている分、敵対しない限りは殺されないという安心感がある。

 仕事をこれでもかというくらいに押し付けるのは止めて欲しいが、ジュナザードと比べれば一兆倍はマシな上司だ。いやジュナザードと比べる方が間違いかもしれないが。

 

「てっきり任務失敗のペナルティーがあると思ったんですが、まさかの全くの無罪放免ですか?」

 

『今回は相手が悪かった。私の聞いた話によれば梁山泊は馬剣星と逆鬼至緒の二人を駆りだしたのだろう? 梁山泊の豪傑二人と対するには一影九拳が二人は必要。ガイダルの一件で分かっていたはずなのだがな』

 

「共同任務なら是非とも美雲さんでお願いします」

 

『考えておこう』

 

 珍しく鉄面皮の一影が苦笑した。

 そんなに可笑しいことを発言したつもりはないのだが、何か妙なところでもあっただろうか。クシャトリアは頭を捻って考えるが、答えが出ることはなかった。

 

「それともう一つ。岬越寺秋雨に潜入の件を感付かれました。まだ証拠まで掴んでいないと思いますけど、90%以上当たりをつけてますよ」

 

『……ふむ。彼なら気付くのも無理ないだろう』

 

「そろそろ潮時では? 白浜兼一君の情報については報告し終えていますし、今更監視の必要もないでしょう。YOMIの潜入も一時はどうなるかと思いましたが、今ではそれなりに馴染んでいますし」

 

『教師生活は辛いか?』

 

「――――いえ。まぁああいうのも、悪くはない、と思いますよ」

 

 生徒としてではなく教師の形とはいえ、もう一生緑のないと思っていた高校に通えるのは悪くない気分だった。

 まるで失ってしまった青春を取り戻すようで、潜入関係なく学校行事を楽しんだこともあっただろう。だが、

 

「如何せん他の仕事が多くて……正直スケジュールが厳しく……」

 

 ここ一か月のクシャトリアの平均睡眠時間は脅威の一時間足らず。徹夜が五日間続くこともざらにある。

 如何に人知を超えた達人といえど疲労はするのだ。というより達人の体力がなければ、クシャトリアはとっくに過労死していただろう。

 

「アケビとホムラも頑張っていますが、そろそろ限界です。他に回してください」

 

『私もなんとかしてやりたいのは山々だが、笑う鋼拳と殲滅の拳士の両名がビッグロックに収監され一影九拳も人手が不足していてな。

 だが確かにそろそろ潜入任務の意味は消失しつつある。そうだな、もう一つなにか切欠があれば君は休職という形で荒涼高校から撤退して貰おう。それでどうか?』

 

「分かりました」

 

 一影との連絡を終える。憂鬱だった闇への報告だが、一影の恩情で特に問題もなく終わってなによりだ。

 クシャトリアが受話器を置くと、丁度病室のドアが開いた。

 

「あ、クシャトリアさん。目が覚めたんですね」

 

「どうもですわ」

 

 恐る恐る病室に入ってきたのは兼一と美羽の二人だった。学校帰りなのか二人とも着ている服は荒涼高校の制服である。

 

「……兼一君に……風林寺美羽。成程もうこんな時間か。何か用か?」

 

「今日は尋ねたいことがあってきました」

 

「尋ねたいこと?」

 

「貴方が内藤先生なんですか?」

 

「――――――」

 

 余りにも真っ直ぐなストレートがど真ん中に吸い込まれていく。

 切欠があれば潜入任務から撤退させる。そう一影に言われたのはついさっきだが、流石にこうも早く切欠が訪れるとはクシャトリアも予想していなかった。

 

 



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第91話  邪帝の正体

 クシャトリアと兼一が秋雨の経営する接骨院で再会してから、時間は数時間ほど遡る。

 前日に裏社会科見学があったからといって、次の日の学校が休みになる筈もなく、山を脱出した翌日には兼一はいつも通り学校へ登校していた。

 そして学校が終わると暇だったので美羽と一緒に新白連合に顔を出してみたのだが、そこで宇宙人の皮を被った悪魔こと新島に捕まったのだ。

 

「よう、大将。土砂崩れに巻き込まれたり、敵の達人を捕虜にしたり昨日は災難だったそうじゃねえか」

 

「新島。なんだか今日は厭に邪悪な顔付だな。あと何処から嗅ぎ付けたか知らないが捕虜にしたんじゃない。入院しているだけだ」

 

 兼一と新島の付き合いは新白連合の誰よりも長い。なにせ中学時代からの悪友だ。

 そのため非常に不本意ながら新島の様子の変化も分かってしまう。本当に不本意だが。大事なことなので二回言いました。

 

「ケケケケケケケ。実は闇に潜入していた俺様の諜報員が耳よりな情報をキャッチしてな」

 

「諜報部ってそれロキじゃないか! 第四拳豪の!」

 

「20号さんもいますわね。あ、この餡蜜煎餅美味しいですわ」

 

「ケケケケケ。人材を適材適所に振り分けて使い尽くすのも将の務めってやつさ」

 

 新島の持つコンピューターには黒服の男たちに囲まれ孤軍奮闘するロキと20号が映っていた。

 第四拳豪ロキ。言うまでもなくキサラやジークと同じくラグナレクの中心人物だった一人だ。いや参謀であった彼は、事実上チーフの龍斗や第二拳豪のバーサーカー並みの強権をもっていたといっていいだろう。

 そんな彼もラグナレク壊滅後、探偵事務所を開いていた所を新島の紹介で谷本コンツェルンの探偵部に雇われ、今では立派な新島の手駒だ。

 しかし彼が新白連合に齎した情報は貴重なものばかりで、ロキの能力の高さを伺わせる。

 そもさん。ロキはこの悪魔的頭脳をもつ新島を、純粋な知略で上回ったこともある数少ない一人。そして龍斗が参謀として任じた男でもある。

 能力が高いのは当たり前かもしれない。

 

「それで新島。耳よりな情報ってのはなんなんだ?」

 

「新島? 新島大魔王様だろうが……と、いつもなら言うところだが、今回は事が事だ。いいか? これは冗談でもなんでもねえぞ。実はな、ロキによればYOMIだけじゃなく闇の達人が一人この学校に潜入してるらしい」

 

「なっ!」

 

「……本当ですの?」

 

 衝撃的過ぎる情報に兼一どころか、あの場馴れしている美羽ですら表情を強張らせた。

 

「冗談でもなんでもねえって言ったばかりだろ。こいつはガチだ。で、その潜入している達人っていうのがまたヤバい奴らしくてな」

 

「どんな人なんだ?」

 

「シルクァッド・サヤップ・クシャトリア。次期一影九拳最有力候補とか言われてるらしい怪物だ」

 

「――――!?」

 

 今度こそ兼一は美羽と二人して絶句する。

 拳魔邪帝クシャトリア。言うまでもなく昨日の裏社会科見学で死闘を繰り広げ、今は岬越寺接骨院で入院中の人物だ。

 

「そ、それは確かなのか!?」

 

「ロキは仮にも俺様にちょこっ~と劣る頭脳の持ち主だぜ。ガセネタを掴んだりしねえよ」

 

「そんな……。だけどもし本当だとしたら、一体クシャトリアさんはどういう風にして潜入してるんだ? 僕は学校であの人の姿を見たことないぞ」

 

「闇にはルパン三世もかくやって言う凄ぇ変装技術があるらしい。それで別人に成りすましてるんじゃねえか?」

 

「!」

 

「ケケケケケケ。その驚きよう、心当たりがあるようだな」

 

「……ああ」

 

 二日前での裏社会科見学。あの時、クシャトリアは自分に変装した部下を足止めに使い、自分は逆鬼師匠に変装することで女スパイを始末しようとした。

 あの時はクシャトリアが変装したのが馬師父の良く知る逆鬼師匠だからこそ、変装を見抜くことが出来たが、もしそれが全くの赤の他人だったとすれば、或は馬剣星ほどの達人の目をもってしても正体を見抜くことはできなかったかもしれない。

 

「ま、となると問題は拳魔邪帝が誰に変装しているかってことだが。誰か怪しい奴に心当たりはあるか?」

 

「いや、僕には特に。美羽さんは?」

 

「うーん。そのような方に覚えはありませんわね」

 

「ま、そう簡単にボロを出すわけもねえか」

 

 情報は得られなかったというのに、新島は特に残念がる様子もなく、手で持っているコンピューターに情報を入力する。

 

「ちっとばかし手間だがこうなりゃ学校の全生徒の身元を洗うしかねえな」

 

「大変そうだな。でもそれで分かるのか?」

 

「もといる別人に成りすますより、架空の人物を作り上げてそいつに変装した方が色々と楽だからな。そうなると怪しまれずに学校に入ってこれた今年の一年の中に、身分や経歴を偽造した奴がいるはずだ。そいつを――――」

 

「やぁ皆。ちょっと遅れて悪かったじゃな~~い」

 

「ったくよう。なんでこう補習ってのがあるんだよ。一日六時間授業で終わりでいいじゃねえか」

 

 新島が言い切る前にドアががたっと開き、武田と宇喜田の二人が入ってくる。

 宇喜田は補習授業についてぶつぶつ文句を言っていたが、なんだかんだで休まずに出席するあたり、余程留年が堪えたのだろう。

 兼一は密かに自分は勉強を頑張ろうと決意した。

 

「やぁ。兼一君、ハニーと宇宙人となにを話しているんだい? 少し気になるじゃな~~い」

 

「あ、武田さん。実は新島と学校に潜入している闇の達人について話してたんですよ。……新島?」

 

「……………」

 

 新島の様子がおかしい。目がチカチカと点滅しながら、頭のアンテナが怪しげな電波を飛ばし、口はパクパクと魚のように動いている。

 様子がおかしいというよりは、様子が人外のそれと化していた。

 やがて新島が真剣そのものの目つきで武田と宇喜田のいる方へ振り向く。

 

「なぁ武田、宇喜田。お前たちの補習担当教師の名前は……〝内藤翼〟だったな?」

 

「そうだけどよぉ。それがどうしたんだ?」

 

「内藤翼は確か去年の途中から荒涼高校に転勤してきたんだったな?」

 

「お、おい新島! まさかお前――――」

 

 兼一の問いに答えることはなく、新島はずかずかと黒板の前へ行くと、チョークでデカデカと『内藤翼』と書いた。

 武田と宇喜田は突然のことについていけず目を白黒させていたが、兼一は背中にナイフをつきつけられたような悪寒を覚えていた。

 

「なぁ。武田に宇喜田。翼を英語にしたらどう読む?」

 

「バード!」

 

「馬鹿、武田。そりゃ鳥だ。翼はウィングゼロ・カスタムのウィングだろ」

 

 武田の珍解答は無視しつつ、新島が翼の下にカタカナでウィングと書く。そして内藤の下にはカタカナでナイトウと書いた。

 繋げて読むとナイトウ・ウィング。DQNネームだと思ってしまったのは兼一だけではないはずだ。

 そしてナイトウとウィングから其々矢印をひいて交差させると、ウィング・ナイトウと書き直す。なんとなくお笑い芸人の芸名のようだと思った。

 

「で。このナイトウから一文字消せば……こうなる」

 

 新島が黒板消しで『ウ』の字を消すと、ウィング・ナイトというSFアニメのロボットの名前みたいなものが残った。

 直訳すれば翼、騎士。繋げるのならばさしずめ翼の騎士と読むのが適当だろうか。

 

「そしてこの文字をティダート王国の公用語、つまりインドネシア語に訳すと……まさかの」

 

 ウィングは翼という意味をもつサヤップへ。ナイトはインドにおける身分階級のうち王族・武人階級を現すクシャトリアへと書き直された。

 二つの単語を繋げて読めばサヤップ・クシャトリア。翼もつ騎士。

 

「そ、そんな。まさか……」

 

「単なる偶然って可能性もあるが、俺様は9割方正解だと睨んでるぜ」

 

「!」

 

「内藤翼の正体は闇の武人、シルクァッド・サヤップ・クシャトリアだ」



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第92話  いるべき場所

 ベタベタで全く変化のない刑事ドラマでは、犯人が刑事に追い詰められるというシーンが99.9%の確率である。

 追い詰められた犯人の行動パターンとしては抵抗する、逃げようとする、人質をとる、自殺しようとするなど様々だが、これも95%ほどの確率で御用となる。偶に残りの5%くらいの確率で、犯人が自殺に成功したりするものの、それは非常に稀な例だ。

 しかしいざ自分が犯人と同じような立場になってみれば、余りにも簡単に逃げられそうなもので拍子抜けだった。

 

「…………」

 

 兼一はどこか申し訳なさそうに、けれど真っ直ぐにクシャトリアのことを見ている。その様子からして岬越寺秋雨からクシャトリア=内藤翼と教えられたようにも見えない。

 そうなるとソースは梁山泊以外の、さしずめ新白連合あたりだろう。

 クシャトリアの脳裏に新白連合の総督、あの宇宙人と悪魔を融合させた生命体の顔が浮かぶ。

 

(さて、どうやら白浜兼一君はまだ半信半疑。完全に疑ってはいないようだ)

 

 白を切ることは簡単に出来る。ただ白を切りとおしたところで、一度生まれた疑問を解消するのは難しい。こうなるともう潜入の目的、史上最強の弟子と新白連合の調査という仕事をこなすのも難しくなるだろう。

 それにそもそも調査の仕事は粗方完了しているのだ。無理に潜入を続ける理由もない。

 

「ばれちゃ仕方ない。そうだよ、兼一君。確かに俺は内藤翼という名前で荒涼高校に潜入していた。内藤翼としての経歴は殆ど真っ赤なウソだよ」

 

『!』

 

 名前以外は、とは言うことはなかった。

 それなりに見知った教師が闇の達人で、しかもそれがクシャトリアだったことに兼一と美羽も驚きを隠せないようだ。身が強張り緊張しているのが手に取るようにわかる。

 白浜兼一が感情を表に出し易い人間なのは知っていたが、風林寺美羽の方も案外と表情に出るタイプのようだ。

 クシャトリアの上司である一影こと風林寺砕牙が、常にポーカーフェースなのとは対照的である。

 

「ど、どうして潜入なんてしてたんですか!?」

 

「別に答えても構わないが、少しは自分で考えたらどうだい? 特に複雑怪奇な事情があるわけじゃない。十分に予想はつくはずだ」

 

「……転入してきたYOMIのバックアップとか?」

 

「惜しい。今年からそれも仕事に含まれたが、俺が教師として潜入したのは去年。まだ梁山泊と闇の抗争が本格化する前だ」

 

「うっ」

 

 わりと自信があったのだろう。自分の答えをばっさり切り捨てられた兼一は、心にダメージを受けていた。

 どんなプレッシャーにも負けずに命懸けで戦ったと思えば、些細な事でショックを受ける。つくづく精神的に強いのか弱いのか分からないタイプだ。

 お蔭で調査の際どう報告すればいいか苦労したのも良い思い出である。

 

「梁山泊と闇の抗争前。内藤先生、いいえクシャトリアさんが転勤してきたのは時期的にはまだラグナロクが存在していた頃だったですわね……」

 

 美羽は形の良い顎に指を当てながら熟考する。美羽の脳内では幾つもの推測が飛び交っているのだろう。読心術を会得したクシャトリアには、美羽が多くの可能性を展開しているのが分かった。

 やがて一つの結論に達した美羽が面を上げる。

 

「潜入の目的は兼一さん、ですわね?」

 

「ふっ」

 

 見事な答えにクシャトリアは口端を釣り上げた。

 

「ぼ、僕が目的ってどういうことですか?」

 

「いいですか、兼一さん? 闇が梁山泊を倒し、最強の看板を奪い取るには師匠だけではなくその弟子も倒す必要がありますわ。それは兼一さんも知っていますわね?」

 

「はい。だからこそこうしてYOMIと戦ってきたわけですから」

 

 叶翔、ボリス・イワノフ、ラデン・ティダード・ジェイハン、イーサン・スタンレイ。当時まだYOMIではなかった朝宮龍斗と谷本夏を除外すれば、白浜兼一は既に四人のYOMIを撃破している。

 だがまだ全員のYOMIが倒されたわけではなく、これからもYOMIは兼一の首級を狙い続けるだろう。

 

「ですが兼一さん。兼一さんが来るまで梁山泊にはそもそも弟子がいなかったんですの。私はお爺様の孫娘ですが、梁山泊の弟子というわけではありませんですし。

 倒すべき弟子がいなければ、例え闇が梁山泊から最強の看板を奪いたくとも、真の意味で勝利することはできませんわ。だからこそ梁山泊と闇が争うことは、これまでありませんでしたわ。けれど――――」

 

「僕が弟子となったことで、状況が変わった?」

 

「中々の名推理だよ、風林寺美羽。流石は学校一の優等生」

 

 わざとらしくクシャトリアはパチパチと拍手する。

 

「美羽、君の言う通り潜入の主な役割は、梁山泊の一番弟子〝白浜兼一〟の調査だ。白浜兼一が梁山泊の弟子として相応しい人物か、正式な弟子として迎えられているのか、YOMIと戦える程度の実力はあるのか……。それを見極めるために、俺は荒涼高校で君たちに近づいたんだよ。

 兼一君がラグナレク第一拳豪オーディーン、朝宮龍斗くんを撃破した段階でYOMIに機が熟したと報告したのも実は俺だ。他にも色々と調べさせてもらったよ」

 

「い、色々……?」

 

「例えば小学四年生の時、体育の授業中に――――」

 

「あー、あー!! ストップ! それ以上は止めてください!」

 

「他にも君の父親が妻に送ったラブレターの内容とか、君の母親が夫へ囁いた愛の言葉とか、君の妹が胸を大きくするために怪しげな呪文を唱えたこととか……」

 

「なんでそんなことまで知ってるんですか!?」

 

「不眠不休の調査の成果だ。闇の情報力にかかれば、家庭のプライベートだろうと政治家の裏金ルートだろうと簡単に暴き立てられる」

 

「ごめんなさい。闇を舐めてました」

 

 兼一は底知れない闇の組織力に戦慄していた。

 実のところここまで細かく調査できたのは、クシャトリアのパシリ根性による無駄な頑張りの成果なので闇の情報力は余り関係ない。

 ただわざわざ訂正する義理もないので、クシャトリアは勘違いさせたままにしておいた。

 

「ま、君にばれてしまったから潜入任務もこれで終わりだ」

 

 置いてあった手甲を装備し直すと、クシャトリアはすたすたと病室を出ていく。

 負傷は完全にひいていないが、処置の方は完璧に施されている。三日もあれば戦いに支障がない程度には回復するだろう。

 故にもうここに留まる理由もない。

 

「闇へ、戻るんですか?」

 

「君はこちら側の人間、俺はあちら側の人間。ならあちら側へ戻るだけさ。

 梁山泊には叶翔君の治療に俺の治療と恩は出来たが、その代わり君の命は守り通したし……ま、貸し借り無しのイーブンとしよう」

 

 荒涼高校に戻ることはないと思うと、らしくもない寂しさに襲われる。けれどそんなものはとうの昔に死んだ感情だ。

 当たり前の感傷を振り払うと、当たり前ではない闇の底へと戻っていく。

 

「クシャトリアさん! その、もし良ければ梁――――」

 

「洞窟で言っただろう。一度落ちればもう二度とは戻れないと」

 

 差し伸べされた手を振り払う。十年前には欲しくて欲しくて溜まらなかったものだが、今のクシャトリアには必要のないものだ。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアは殺人拳を担う闇の武人。活人拳側に戻ることはない。

 

「一年とちょっとだったが、教師生活も悪くなかったよ。あと武田、宇喜田、筑波の留年三人組にちゃんと勉強しろと伝えておいてくれ」

 

 最後にそれだけ言って、クシャトリアは光に背を向けると、自分のいるべき場所へと戻っていった。

 




 このssを見た皆様。本日0時よりFate/stay nightの一時間スペシャルです。私のssのことなど忘れて、是非生で見ましょう。私も忘れます。


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第93話  謀略

 犬でも猫でも、なんなら狸でもゴリラでもコブラでもいい。なにかしらのペットを飼っている人間は、当然の如くペットを世話する責任が生じる。

 餌を与え、粗相の始末をし、散歩に連れて行き、なにか病気になったら動物病院に連れて行く。飼い主がするべき義務を適当に列挙すればこんなところか。

 そしてペットを飼っていた経験がある者ならば分かるだろう。家族で旅行に行く際、ペットを連れて行くことは特別な宿泊施設でもない限り不可能だ。かといって人間ならまだしも、ペットを一匹で家に放置するわけにもいかない。

 そういう場合、大抵は親戚や友人などに、一時的にペットの世話を頼むものだ。

 言うまでもなくクシャトリアはペットなど飼ったことはない。そんな暇があれば自分の修行に精を出しているだろう。

 しかしペットではないが、弟子をとってはいる。ペットと弟子。まるで共通点のない二つだが、それに対して責任と義務が生まれるという点では同じだ。

 そしてクシャトリアは一影九拳の本郷晶より、ペットならぬ弟子を預かっている所だった。

 

「クシャトリア先生ー! 学校止めさせられたって本当ですか? 先生も大変ですね。汚職とかやっちゃいました?」

 

 デスパー島で銃撃を受け重傷を負った叶翔。常人であればリハビリに三か月はかかるとまで診断されたそうだが、伊達に一なる継承者に選ばれてはいない。

 暗鶚の血族であり、幼き日より人越拳神の修行を受けていた翔は、僅か二か月で全快どころか元のポテンシャルを完全に取り戻していた。

 今も準備運動に足を使わずに崖を登らしているのだが、無駄口を叩く余裕すら見せる始末だ。

 リミならば無駄口どころか悲鳴をあげているだろうに、この辺りは武術に浸かっている年季の差が如実に表れているといっていい。

 クシャトリアは崖を歩きながら、口を開く。

 

「ああ。汚職はしてないが似たようなものだ。生徒の一人に俺が影で人をぶっ殺してきたのがばれちゃってね。新白連合、元々はただの不良の集まりみたいなものだったそうだが、その情報力は侮りがたいものがあるな。特に総督の新島春夫。彼にはある意味で風林寺美羽並みの煌めく才を感じる」

 

「新島? 誰です、それ?」

 

「君も一度見てるだろ。君との試合を棄権しに白旗あげにいった男だよ」

 

「あぁ。あの宇宙人面した奴ですか」

 

 溢れんばかりの才能をもつ叶翔は、自分に劣るその他大勢の名を覚えない悪癖がある。

 ただ頭そのものの出来はトップクラスなので、新島の特徴的な顔そのものは記憶していた。

 

「けどあれが俺の片翼――――美羽並みの才能っていうのは解せませんね。あれ、踏みつぶせば簡単に潰せそうでしたけど」

 

「悪い癖だぞ。武術的才能で劣る人間は、凡人とイコールじゃない。君は呂布が武勇で孔明より強いから、呂布の方が孔明より偉大だなんて言うつもりか?」

 

「いやぁ。流石にそうは言いませんけど、それじゃあの宇宙人もどきは孔明ですか?」

 

「孔明かどうかはさておき、妙に高い求心力といい判断力、それに知略。生まれた時代が違えば、一国の元帥になってもおかしくはない逸材ではある。

 新白連合が曲がりなりにもラグナレクやYOMIとの戦いを通して組織を保っていられるのは、総督の新島春夫の影響が強いだろう。そもそも彼がいなければ新白連合は影も形もなかったわけであるし」

 

「ということは、その宇宙人を消せば新白連合は崩壊するわけですね」

 

 翔の目に危険な光が宿る。美羽を庇ったことの罰で、リーダーから降ろされYOMIからも除名された翔に、新白連合と事を構える理由はない。

 ただどうやったら組織を潰せるかどうかという方向に頭が回転してしまうのは、リーダーだった頃の名残だろう。

 

「いいや。新白連合は名前の通り『新島春男』と『白浜兼一』が主柱になって誕生した組織だから、片方の大黒柱が生きているうちは、弱体化することこそあれ完全に崩壊することもないだろう。大黒柱が両方折れれば終わりだが」

 

 新白連合には新島春男と白浜兼一以外に幹部もいるが、誰も彼もリーダーになりうるほど飛びぬけている人間はいない。

 二人が同時に組織から消えるなんてことになれば、恐らく組織は自然消滅することだろう。

 

「ワンマン組織の弱点だな。こういう組織の場合、初代がどれだけ組織を発展させるかじゃなく、二代目以降がどういう組織にするかで長生きするか決まるものだ。あ、それと楽そうだから重り追加ね」

 

「ぬ、おわぁ!」

 

 新たに10㎏の重りを追加され、翔がバランスを崩す。ここは崖であり、既に地上からは20mは離れている。落下すれば死は免れない。それでも叶翔に緊張はなく、直ぐにバランスを取り戻して崖登りを再開する。

 翔が崖を登り終えるのに、それから十分もかからなかった。

 準備運動を終えたことで、早速だが技の修行に入る。とはいってもクシャトリアがさせるのは既に覚えている技の復習だけで、新しい技を教えることはない。クシャトリアが一影に命じられたのは、あくまで叶翔の修めている武術が劣化しないよう維持することなのだから。

 ただ叶翔の才能は他のYOMIと比べても頭一つ飛びぬけている。空手と比べれば、他の九つの武術に比重は置かれていない筈なのに、彼が修得した技は殆ど劣化していなかった。恐らく師の本郷晶が自主練習を命じていたのだろう。

 

「そういえばクシャ先生。貴方の弟子、リミはどうしたんですか? 姿が見えませんけど」

 

 修行を一通り終えて小休止していると、翔が純粋な疑問の表情で訪ねてきた。

 リミが今どこでどうしているか。YOMI幹部なら簡単に予想がつくことであるが、YOMIを除名された翔には、そういった情報も入ってこないのだろう。

 

「リミは任務中だよ」

 

「へぇ。珍しいですね。いつもはクシャトリア先生もついていくじゃないですか」

 

「リミも緊湊だ。任務の一つや二つ一人でこなして貰わなければ。それに相手は新白連合。失敗しても死ぬことはない」

 

「新白連合……また奴等がなにかしたんですか?」

 

「なに。ちょっと闇の重要情報が入ったバックアップディスクをもって逃亡中でね。リミにはそれを回収するよう命じておいた」

 

「わりと重要そうな任務じゃないですか。それ」

 

「そうでもない」

 

 新白連合の所持しているバックアップディスクが、唯一残った証拠能力ある情報ならば、一影九拳クラスが赴く価値があるのだろう。

 ただクシャトリアは新島春男という男の頭脳を高く評価している。あれほどの頭脳の持ち主が、たった一つのバックアップディスクを頼みとするだろうか。

 答えは否だ。バックアップディスクそのものが囮、もしくはバックアップのバックアップが無限に存在する可能性もある。

 それが分かっているからこそクシャトリアが直々に赴くことはないし、他の一影九拳も出張っていないのだ。

 

「それにもう闇と梁山泊の戦いは、情報云々でどうこうなるような次元じゃなくなっている」

 

「〝落日〟は近いと?」

 

「ああ。美雲さんあたりは残る一つの懸念事項が解消されれば、即座に動くことを進言するだろう」

 

「なんです、その懸念事項って?」

 

「それは秘密だ」

 

 櫛灘美雲が『久遠の落日』を実行する上で、取り除くべきイレギュラーと認識している存在。それは誰であろう、クシャトリアの師匠ジュナザードである。

 血みどろの闘争と混沌をなによりも好むジュナザードだ。場合によっては梁山泊と闇、どちらにも属さぬ第三勢力となって暴れる危険性すらある。

 思い通りに動かない最強戦力など不要。櫛灘美雲であればそう考えるだろう。

 

「尤もいずれ解消するさ、その問題も」

 

 既に美雲はジュナザードを粛清するための布石をうっている。上手く事が運べば無敵超人とジュナザード、闇における最大の障害を同時に葬ることも可能だろう。

 師匠を殺すための謀を巡らしていると、クシャトリアのケータイが振動する。

 

「もしもし……」

 

『あ、師匠ー! 聞いてくださいよ! 実はリミ、ディスクを奪うことは成功したんですけど、なんかデブにディスクを握りつぶされちゃって……』

 

「明日の修行、七割増加な」

 

『ひっ!』

 

 リミの仕上がりもそれなりだ。動の気にも慣れてきたことであるし、そろそろ解放を施してもいい頃合いかもしれない。

 それにリミは静の気にも素養のある武術家。ハイブリット型の達人となれるよう、静の気の修行についてもつけるべきだろう。

 最低でも『気の解放』が出来る様になれば、落日を生き延びる確率もぐんと上がる筈だ。

 



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第94話  つばさデッド

 史上最凶の武術家シルクァッド・ジュナザード。人格こそ外道であるが、若き日の彼はティダードを自身の武一つで救済してみせた英雄である。その強さは無敵超人にも並び立つとされ、間違いなくこの地上で最強の武人の一人といっていいだろう。

 また恐らくは史上最強のシラットの達人であるジュナザードは、シラットを嗜む全ての武人にとっての理想であり、目標であり、到達点だ。

 そのため拳魔邪神の凶悪さが知られた後も、ジュナザードに弟子入りを志願する人間は数多い。

 国籍、民族、宗教、人種、性別。弟子入り志願者達は一人一人千差万別、十人十色であるが、たった一つだけ共通点がある。それは誰もジュナザードの領域に到達できないことだ。

 殺人拳における最も分かり易い武の継承とは、即ち殺法である。師より全ての奥義を伝授された弟子が、その奥義をもって師と死合い殺す。師を殺害することによって、自らが師の後継者となる血の継承。

 事実若き日のジュナザードも師を自ら殺害することによって武の継承をしている。スポーツ武術が一般化した表社会では考えられないことであるが、闇と殺人拳にとっては決して珍しくはないことだ。

 だがジュナザードは九十年を超える生涯で、唯の一人も自分を殺しうる弟子を育て上げたことがない。

 ジュナザードの強さが埒外過ぎるというの原因の一つではあるのだろう。けれど大抵の弟子クラスで死亡し、妙手まで生き残ったものも大半が精神を壊され、達人になるまでに至ったのは極僅かだ。

 けれど達人に到達できた者はいても、ジュナザードよりシラットの至高――――彼の到達した奥義全てを伝授された者は一人としていなかった。

 

――――ただし、シルクァッド・サヤップ・クシャトリアが現れるまでは。

 

 特A級に登り詰めた時、クシャトリアは『シルクァッド』の名と『拳魔邪帝』の異名と共に、ジュナザードより免許皆伝を認められた。

 免許皆伝とは師より武の全てを授けられた証。ジュナザードがクシャトリアに教えることはもうなくなったということである。

 つまりあの日、クシャトリアは自由を手にしたのだ。

 ジュナザードがクシャトリアの武人としての完成を待ち、収穫しようとしているのは明白であったが、兎にも角にも自由は自由である。

 もう一々休息をとるのにジュナザードの顔を伺う必要もなく、ジュナザードがいなくても好きなようにどこへでもいける。

 そう、何処へでも。例えば自分が達人でもなければ武人ですらなかった、あの暖かな世界にも。

 今更戻るつもりはなかった。

 自分はシルクァッド・サヤップ・クシャトリア。闇の達人、シルクァッドの名を継ぎし者。唯の極普通の日本人だった『内藤翼』に戻るには、些か以上に武の世界に浸かり過ぎた。

 第一内藤翼は公的には死人だ。わざわざ死人が蘇り、世を混乱させることもないだろう。

 だが一度くらい、せめて嘗ての家族だった人々を見に行くくらいは許されるはずだ。

 クシャトリアは十年前、ジュナザードと出会った地へ。十年前の家へと戻ってきた。

 

『なにも、ない――――?』

 

 そして地上へ戻った浦島太郎は、過ぎ去ってしまった現実を突きつけられた。

 十年前に自分が住んでいた家は跡形もなく消えていた。ジュナザードに弟子入りする切欠となった柿の木も、母の趣味だった家庭菜園も、なにもかも消えてなくなっていた。〝売地〟と書かれた看板だけが、まるで墓標のように突き立てられている。

 最初は引っ越しでもしたのだろうと思った。だが違った。答えは驚くほど簡単に知ることができた。

 

『深夜の悲劇。押し込み強盗に一家惨殺』

 

 当時の新聞にはそう書かれていた。

 パンドラの箱を開いて災いを解き放ってしまった後、箱には最後に希望が残ったという。だがその希望こそが最悪の災厄だったのだ。不幸は不幸だけでは成り立たない。闇は闇だけでは成立しない。人は希望を抱くからこそ、真の絶望に落ちるのだ。

 箱に残った希望/絶望の名は真実。

 真実を知ってしまった瞬間、クシャトリアは人目も憚らず大笑いした。

 なにせ強盗により一家惨殺である。闇の情報力を使えば、直ぐに真相の更なる真相まで分かった。実はその強盗は闇の手の者――――――なんてオチはなく、本当に闇とは何の関係もないただのチャチな強盗犯だった。

 ここに一つの結論が出てしまった。

 ジュナザードの弟子となって以来、クシャトリアは何時ものように『もしもあの時、ジュナザードの弟子にならなければ』と思い続けてきた。もしも弟子入りなどしていなければ、きっと今頃平穏な日常を生きていただろうと。

 しかし突きつけられた真実は、それが間違いだったと告げていた。

 もしもクシャトリアがジュナザードに弟子入りしていなければ、ただ単に強盗殺人の犠牲者に一人の子供の名前が付け足されただけだっただろう。

 

『これじゃまったくあべこべだ』

 

 ジュナザードに弟子入りするという最悪の選択は生へと繋がっていて、日常に生きるという最善の選択は死へと繋がっている。

 最悪の選択をした者が生き、最善を選べば死ぬ。

 あれだけ自分を拉致したジュナザードを憎んでいたのに、ジュナザードに拉致されていなければ自分は死んでいたのだ。これほどの皮肉がどこにあろうか。

 かといってこのことでジュナザードへの憎悪を水に流すわけではない。恩を感じることもない。

 ただこのことを切欠に〝内藤翼〟という可能性は、クシャトリアの中で息絶えた。

 

 

 

「――――転寝なんて、らしくないな」

 

 日本にある屋敷で、クシャトリアは目を覚ます。

 一応刺客の襲撃を気にしなければならない身分だというのに、こんな昼下がりに寝入ってしまうとは。最近働き過ぎだろうか。クシャトリアはここ最近の仕事量を思い返す。

 

(最近は……寧ろほんの少し、減ったか)

 

 荒涼高校への潜入という任務が一つなくなったことで、時間的余裕が増え、その分を休息や自身の修行にあてることが出来るようになった。故につい一か月ほど前よりかは、負担は少ないはずなのだ。

 だというのに全身にはどっと疲れが伸し掛かっている。遅れて先月の疲れが出てきたのか、それとも何かの前触れか。

 

「拳魔邪帝様」

 

「……アケビか、なんだ?」

 

 タイミングよくアケビが現れたことで、なんとなくクシャトリアは後者だろうと当たりをつける。

 そしてクシャトリアの予想は正解だった。

 

「櫛灘美雲様よりお電話が入っております。至急の要件だとかで――――」

 

「貸せ」

 

 にべもなくアケビより受話器を奪う。

 クシャトリアがジュナザードへ向ける感情が複雑怪奇な一方で、櫛灘美雲に向ける感情はシンプルに好意だ。尤も好意も分解すれば色々なものが出てくるわけだが、取り敢えず好意的感情で統一されているのは間違いない。

 

「お電話を変わりました。こうして話すのは御久しぶりですね、美雲さん」

 

『たったの二週間やそこいらで久しぶりもないじゃろう』

 

「おや、そうでしたか? 俺には一か月くらいには感じられましたが」

 

 クシャトリアの体にはけだるさが残っていたが、それを美雲には感付かせないよう、完全に平静な自分を作り上げる。

 

『なんじゃ。若いのにもう痴呆かえ?』

 

「いえいえ。美雲さんと会えない時間は長く感じるだけですよ。それでどのような御用事で? 俺としては特に用はないけど声が聞きたかった、なんて理由だと嬉しいところですけど」

 

『拳魔邪神が動いたぞ』

 

「――――!」

 

『彼奴め。人越拳神と梁山泊の逆鬼至緒の戦いに乱入し、隼人……無敵超人の孫娘を誘拐しおった。十中八九、己の新たな弟子とするつもりじゃろう』

 

「遂に、ですか」

 

『わしが仕込んだ甲斐があったというものじゃ。さて、クシャトリアよ。一影九拳には不可侵条約がある故、わしが出来るのはこれまで。後はお前次第じゃ』

 

「十分ですよ、美雲さん」

 

 美雲との連絡を終える。

 遂に、だ。この時の為だけに必死になって牙を研ぎ続けた。この時の為だけに幾重もの策謀を巡らせた。

 拳魔邪神ジュナザードを抹殺する千載一遇の好機、それが遂にやって来たのである。

 

「アケビ」

 

「はっ!」

 

「ティダードのシンパへ連絡をとれ。師匠の行く場所には心当たりがあるが、一応の裏付けをとっておきたい。そして裏がとれれば、ホムラに師匠の場所を無敵超人へリークさせろ」

 

「了解しました」

 

「それとリミ!」

 

「は、はいぃ!?」

 

 上ずった声が柱の影から零れてきた。

 クシャトリアの鋭い声に、盗み聞きしていたリミが戦々恐々といった様子で出てくる。拳骨を警戒しているのか、リミは頭を完全にガードしていた。

 

「暫く留守にする。暫くは戻らない。留守の間、お前は自主的に修行をしていろ。さぼるなよ」

 

「わ、分かりましたお」

 

 拳魔邪神ジュナザードは最強の男だ。だがジュナザードは世界における絶対強者ではない。指で数えられる程度……というより他に二人だけだが、ジュナザードに並び立てる超人は存在する。

 そんな超人の一人、無敵超人・風林寺隼人。孫娘を浚われた以上、彼がジュナザードと激突するのは必至。幾らジュナザードでも風林寺隼人と対決すればただではすまない。良くて辛勝、悪ければ相討ちもありうる。

 クシャトリアは正面から戦ってもジュナザードには勝てない。だがジュナザードが無敵超人との戦いで消耗していれば、勝機も出てくるだろう。




 ジュナザードに弟子入りしないのが生存ルートかと思った? 残念。死亡ルートでした。
 邪神に弟子入りするか、さもなくば死ぬか。突きつけられた無情な二択。どっちを選んでも地獄行き。戦わない奴に明日を生きる資格はねぇ、とばかりの鬼畜選択肢でした。残念無念また来週、慈悲はない。


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第95話  交差する師弟

 美羽が攫われてから、梁山泊から普段の騒がしくも楽しかった雰囲気は消え、どこか暗いムードが漂っていた。

 あの常日頃からエロ本を読んではニヤニヤしている剣星の顔にまで、影が差している様子は事態の深刻さを想像させる。

 梁山泊にとって風林寺美羽は太陽にも等しかった。その太陽が消えてしまったのだから、雰囲気が暗いものとなるのも自然とすら言える。

 ただ太陽が消え去ったくらいで心を折らすほど、梁山泊の面々は軟な人生を生きてはいない。

 長老はジュナザードを追って風よりも速い速度で世界中を探し回っているし、兼一や他の師匠陣も何かを待っていた。

 兼一たちが待ち望んでいるのは闇――――必ずジュナザードの居場所を突き止めると宣言した、本郷晶からの連絡である。

 一影九拳で最も頑固で人倫に厚い本郷晶。奴はやると言ったことは必ずやり遂げる、とは永遠のライバルたる逆鬼の言だ。

 そんなこともあり、梁山泊は本郷からの連絡が来るまで(長老を除いて)待機していたわけである。

 

「頼もう! 逆鬼殿は御在宅か!」

 

『!』

 

 朝食中、遂に待ち望んでいたものが訪れる。

 その声が母屋に聞こえてきた瞬間、豪傑達と兼一の目つきが変わった。あのアパチャイですら食べるのを止め……はしなかったが、お茶碗を持って、来客者の下へと突っ走っていった。

 結果。叶翔親衛隊である勢多と芳養美は、目を輝かせた豪傑達に囲まれるという、常人なら失神ものの恐怖を味わうこととなった。

 

「ぐっ、うわああ! 囲まれた、もうダメだ!?」

 

「翔様、先立つ不孝をお許しください!」

 

 勢多と芳養美は恐怖に慄きながら、本郷直伝の構えで身を守る。だが彼等を囲む達人のオーラと比べれば、その構えも酷く脆いように見えてしまう。

 二人が死を覚悟したその時、救いの主はやって来た。

 

「勢多さんと芳養美さんですね! 美羽さんの居場所が分かったんですか!」

 

「はっ! し、白浜兼一!?」

 

「そ、そうだ! 本郷様よりの報告だ。ジュナザードの居場所が分かった!」

 

 勢多と芳養美の悲痛な叫びが木霊する。待ち望んできた情報に、兼一と彼の師匠達は生唾を呑み込んだ。

 取り敢えず自分達への敵意が消えたことで安心した勢多と芳養美は、緊張した面持ちで本郷より託された言葉を伝える。

 

「拳魔邪神ジュナザード、彼が向かったのはティダード王国。インドネシアにある島国だ」

 

「ティダード王国!? そ、それは確かジェイハンが王子だった……」

 

「はい。元々神出鬼没で世界中に拠点をもつジュナザードが、自身の弟子ナガラジャことジェイハン殺害後、そこへ向かったのは初めてです」

 

 勢多と芳養美の話を聞き、兼一は否応なく雪崩に巻き込まれ消えていったジェイハンと、己の弟子をまるで躊躇わず殺害した妖怪を思い出す。

 そして刹那、雪崩に巻き込まれるジェイハンが美羽とダブって見えた。

 

「情報筋は確かなので間違いないとみていいかと。それとこの御方に会うように、と」

 

 そう言って芳養美が一枚の写真を手渡してくる。写真に写っていたのは、露出度の高い民族的ドレスを纏った肌の黒い少女だ。

 明らかに日本人ではなく、かといって黒人とも違うような気がする。話の流れから察するにティダードの人だろう。

 

「この人は?」

 

「ラデン・ティダード・ロナ姫。元王位継承権第二位。現ティダード正当王位継承者です。ラデン・ティダード・ジェイハンの妹にあたります」

 

「ジェイハンの!?」

 

「彼女は国を好き勝手に荒らすジュナザードに対して反感をもっているようで、話をすればきっと力になってくれるだろうと」

 

 願ってもいないことだ。ティダードは大小100を超える島国からなる国。しかも兼一たちにはティダードに土地勘がない。

 まったくの見知らぬ土地を闇雲に探すのは些か以上に難行だ。だがティダードの王位継承者となれば、当然ティダードについて詳しいだろう。

 けれどこのことに逆鬼至緒は難しい顔をした。

 

「やけにサービスが良いじゃねえか。これだけの情報を本郷一人で調べたのか?」

 

「いえ。本郷様は拳魔邪神ジュナザードを最も知るであろう人物に協力を仰ぎました。その御方からの助言です」

 

「!」

 

 拳魔邪神ジュナザードを最もよく知る、一影九拳の本郷晶が助言を頼むような人物。

 どんな勘が悪い人間でも、それが誰なのか察しが付くだろう。

 

「クシャトリアさんが、教えてくれたんですか?」

 

「ええ。拳魔邪神の行方を捜索するのに、あの御仁以上の適任はいないでしょう」

 

 芳養美からの肯定に兼一はほっと一息つく。

 ジュナザードの行方についての情報を教えてくれたということは、少なくともこの一件にクシャトリアは関わっていない。

 拳魔邪神だけでも厄介なのに、クシャトリアまでが敵にいるという事態は避けられたようだ。

 

「もう待ってられない。行きましょう!」

 

 居場所も分かった。頼るべき人物も分かった。そして敵の戦力も分かった。ならば後は助けに行くのみ。

 兼一は拳を握りしめて、言い放った。

 

 

 

 

 クシャトリアから一通りの情報を得ると、本郷は準備を済ませて出立しようとしていた。行き先は無論ティダード王国である。

 一影九拳の不可侵を破り決闘に介入してきたばかりか、自分を利用して弟子を強奪したジュナザードの所業。本郷晶は殺人道に身を置くが故にそれを許すことは出来ない。

 

「先生」

 

 しかし本郷が屋敷を出ようとした時、翔に呼び止められた。

 弟子である翔と本郷は長い付き合いである。その付き合いの深さは親子の関係にも並ぶだろう。だから本郷には自分の弟子がどうして己を呼び止めた理由も察することができた。

 

「…………なんだ?」

 

 無視することは簡単である。置いていくのも容易いことだ。だが本郷はそうせず、敢えて立ち止まって翔に先を言うよう促す。

 

「ティダードへ行くんでしょう。美羽を…………俺の片翼にしたかった人を助けるために」

 

「そうだ」

 

「俺も連れて行ってください。お願いします」

 

 常日頃飄々として自由奔放な態度を崩さない翔が、深々と頭を下げて懇願する。これが本郷ではなく他の誰かであれば、驚いて表情を崩していたことだろう。

 本郷が無言で黙り込むと、翔も一言も発することなく頭を下げ続ける。このまま放置すれば土下座でもしそうな勢いだ。

 

「一つだけ条件がある」

 

「はい」

 

「死ぬな」

 

「はい、先生」

 

 長々しいやり取りは不要。本郷晶と叶翔は僅かなやり取りで互いの意思を疎通させた。

 本郷は武を穢したジュナザードを打倒するために、翔は自分の愛した女性を守るために。二人はティダードへと出立した。

 ここに活人拳の師弟と殺人拳の師弟の行き先が交差する。



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第96話  黄泉の国より

 兼一や逆鬼、それに本郷や翔たちがティダード王国へと出立した頃、無敵超人・風林寺隼人は孫娘を探して世界中を走り回っていた。

 世界中を、というのは比喩ではない。海面を疾駆することを可能とする海渡、そして飛行機すら追い抜く超人的脚力。この二つを存分に駆使して、文字通り全世界で規模の大きい聞き込み調査を行っていたのだ。

 ただ今回に限ってはそれがやや災いしたといっていいだろう。

 クシャトリアは風林寺隼人を盤面に並べるため、真っ先に彼にある情報を与えようとした。しかし風林寺隼人が余りにも素早く移動するせいで、彼を補足するのに些か以上に時間がかかってしまった。

 だがクシャトリアの配下――――主にホムラの努力が実り、兼一や逆鬼の出立と少し遅れる形でホムラは風林寺隼人と接触することに成功した。

 

「ジュナザードはティダード王国とな?」

 

「はい。ソースが何処かは聞かないで頂けると幸いです」

 

「ほ? 〝そ~す〟なら梁山泊の台所に買い置きがあったはずじゃが」

 

「そのソースではありません。情報元という意味でのソースです。尤も貴方様ほどの御方であれば察しはつくと思いますが」

 

「あい、分かった。わしは運よく独力で美羽の居場所を突き止めた。これでいいのじゃな?」

 

「感謝します、風林寺殿」

 

 達人を超えた超人としての強さばかりが注目されがちだが、戦国時代から生きているなどと嘯くのは伊達ではなく、風林寺隼人は人生経験の塊のような人物だ。更に言えば長年の経験に裏打ちされた洞察力は、大抵の物事は容易く見抜いてしまう。

 だからホムラがクシャトリアの命で動いている事、そしてクシャトリアが何かを企てていることまで風林寺隼人は感付いている。

 しかし感付いても敢えて踏み込まずにいるのも、優れた洞察力の賜物といえた。

 

「感謝するのはこちらの方じゃ。孫娘のいる場所を教えてくれたのじゃからのう。さて、わしとしては今すぐにでもティダードへ赴き、ジュナザードから美羽を取り戻したいところじゃが……」

 

「――――」

 

「まだ他に話があるようじゃの」

 

「……流石は風林寺殿。それもお見抜きでしたか」

 

 ホムラは自分の心が完全に見透かされているのではないか、と冷や汗を流した。

 風林寺隼人は好々爺めいて笑うだけで何も答えはしない。ただその瞳だけは真っ直ぐにホムラの目を捉えていた。

 

「風林寺殿は今ティダード王国が内乱に次ぐ内乱で荒れに荒れているのはご存知で?」

 

「美羽を探して世界中を走り回っておったら自然と耳に入ってきおったよ。ジュナザードの奴は、まだあのようなことを繰り返しているようじゃな?」

 

 ティダード王国はインドネシアでも随一の内戦地帯だ。街中には常に世界中から傭兵が集まってきており、銃弾が飛び交わない日は存在しないとすらいっていい。自爆テロで建造物が破壊された、なんていうのも一週間に一度の頻度で発生するほどだ。

 利益、宗教、民族、言語。内乱や戦争なんていうのは必ず原因があるものだが、ティダードの内乱に限れば、全ての原因はジュナザードに集約されるといっていいだろう。

 ティダードにおいて神として信仰を集めるジュナザードは、平和を嫌い戦乱を好んだ。故にジュナザードは意図的にティダードに争いを引き起こし、泰平の時代が訪れないようにしているのである。

 一度は高いカリスマと能力を併せ持つラデン・ティダード・ジェイハンにより、纏まりかけた国も、そのジェイハンが死んだことで全てふいとなった。

 ジェイハンが殺されたのは白浜兼一との戦いで醜態を晒したからだが、今思えば平和になりかけた国を再び乱すためでもあったのだろう。

 事実ジェイハンの妹のロナ姫には、カリスマ性はあっても国を治める能力にはかけており、ジェイハンの後を継ぎ切ることはできなかった。王位正当後継者であるロナ姫は、今では寂れた古城に数名の家臣と住む生活である。

 

「現在ティダードで最も強い勢力を率いているのは、ロナ姫の父王の側近だったヌチャルドですが、彼にも国を纏められるだけの器はありません。彼が大勢力を率いていられるのは、彼のバックに拳魔邪神がついているからに過ぎないからです。ヌチャルドが邪神にとって不要な存在と成り果てれば、拳魔邪神は躊躇わず彼を殺すでしょう。

 肝心のロナ姫には国を纏めるカリスマはあれど、国を治める統治能力はない……。このままではティダードは延々と内乱が続くだけでしょう」

 

 孫娘の命が関わっているのだから、ティダードの内乱など知ったことではない。そう考えるのが常識だが、無敵超人・風林寺隼人の精神は凡俗のそれでは計り知れないものがある。

 そんな彼が孫娘可愛さに目を曇らせ、目の前の不幸を見過ごすなんてことはしないだろう。これはそこまでを読んだクシャトリアの計略だった。

 

「興味深い話じゃのう。じゃがお主の〝ばっく〟にいる者と、そのロナ姫が手を取り合えばジュナザードに対抗するのも不可能ではないと思うがのう」

 

「あの御方に今はそのようなつもりはありません。あの御方が手を下さない以上、この内乱を鎮めることが出来るのは唯一人。ラデン・ティダード・ジェイハン王子のみです。

 風林寺隼人殿。この度は我が主の命により、死した王の居場所をお伝えに参りました」

 

「!」

 

 初めて無敵超人の顔が驚きに染まる。

 

「ラデン・ティダード・ジェイハンは雪崩からどうにか生還。ジュナザードの魔手から逃れるため、現在は日本のラーメン屋で余りある手腕を振るっております」

 

「ほほう。ラーメン屋とはのう。YOMIには頭の良い子が多いのう」

 

「私からお伝えすることはこれにて終わりです。では、後の事はお任せします」

 

 ホムラは伝えることを伝え終えると、もうやることはないとばかりに立ち去る。無敵超人・風林寺隼人は何をするでもなくそれを見送った。

 ラデン・ティダード・ジェイハン。ティダードを平和に導くことのできる唯一の可能性。

 思考には一秒もかからなかった。風林寺隼人は風を追い抜く速度で、日本へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 ティダード王国。インドネシアの小国でしかない筈のそこは、今や武術界の中心人物たちの願いと思惑が渦巻く世界の中心となっていた。

 白浜兼一、逆鬼至緒、叶翔、本郷晶。そして無敵超人・風林寺隼人、活人拳の長までもがティダードを目指している。

 事はそれだけでは終わらない。闇の無手組が長、一影こと風林寺砕牙もまた『どうしても駄目な時』は己の娘を守れるよう、変装してティダードに潜入していた。

 だがもう一人。風林寺砕牙の影、もう一人の一影もまた動きがあった。といっても彼の思考にあるのは風林寺美羽でもジュナザードでもなく、本郷晶に同行している叶翔なのだが。

 

「鍛冶摩」

 

「――――はっ」

 

 自分の師に呼ばれてYOMIの新リーダー、鍛冶摩里巳が入室してくる。

 〝一影〟は振り返ることなく、自身の弟子に告げた。

 

「お前も聞き及んでいるな。人越拳神・本郷晶がティダードへ向かった。不可侵の協定を破ったジュナザードへの報復のために、だ。お前のもう一人の師も娘に万が一がないようティダードへ向かっている」

 

 鍛冶摩は風林寺砕牙の弟子だ。故に彼から発端から現状まで一通りの流れは教えられていた。

 ただ叶翔までティダードへ赴いているというのは初耳だったが。

 

「お前に任務を与える。お前もティダードへ向かえ。目的は――――」

 

 一影が任務の内容を言う。聞き終えると鍛冶摩は神妙に頷き、任務を了解した。

 元より鍛冶摩は己の命を武に捧げている。師からの命令を断るなんて選択肢が、そもそも鍛冶摩には存在しないのだ。

 

「して一影様。俺がいない間、YOMIは誰が統括を?」

 

「こういう時、便利に扱き使えるクシャトリアが留守だからな。オーディーンにでも任せておけ。YOMIで一番組織の統率に秀でているのは彼だ。少々不安だが拳聖もいれば問題はないだろう」

 

 本国で修行中の者、師匠探しの真っ最中な者を除いて、本部にいるYOMI幹部は谷本夏、櫛灘千影、レイチェル・スタンレイ、朝宮龍斗の四名。その中なら確かに朝宮龍斗がうってつけだろう。

 千影は人を率いるタイプではなく、レイチェルは論外。そして谷本夏はラグナレク時代、朝宮龍斗の配下だったのだから。

 

「では行け、我が弟子」

 

「――――はっ。務めを果たしてまいります」

 

 旧きYOMIの長が向かった国に、新しきYOMIの長までもが向かう。

 ここにクシャトリアも想定していなかった駒が、新たに盤面に並ぶこととなった。

 




 これでやりたかった夢の対決がやれそうです。


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第97話  一つだけの選択肢

 ジェイハン亡き後、王位正当継承者となったラデン・ティダード・ロナは、一応このティダード王国におけるトップである。ただし一応の但し書きがつく通り、彼女は名ばかりの姫だ。

 嘗てジェイハンが政治を取り仕切っていた宮殿からは、ジェイハンが極東の島国で死亡したと伝えられた三日後には追い出され、ジャングルの奥にひっそりと聳える古城が、今や彼女の領地である。

 金の切れ目が縁の切れ目というのは言ったもので、身分を超えた親友と思っていた者達も、多くが彼女の下を去っていた。彼女に残っているのは護衛役であり腹心だったバトゥアンと、亡きジェイハンの侍女だったシャーム、そしてお金で雇った傭兵が数人だけだ。

 両手の指が不要なほどの家臣。これではお飾りの姫君としても心許ないだろう。

 こんな絶望的な状況でありながら彼女が諦めていないのは、亡き兄の背中が目に焼き付いているからだ。

 

――――ラデン・ティダード・ジェイハン。

 

 王子と民草の溝から、傲慢で平民を見下す悪癖はあったが、それでもバラバラだったティダードを纏め上げた手腕は素晴らしいものだった。

 長く続いた戦乱を終わらせる王子として、平民も家臣たちも皆がジェイハンのことを敬い、それをジェイハンは至極当然に受け止めた。

 民草を見下す傲慢な王者が、一方で民草を幸せにする政を執り行うという矛盾。きっとそれはラデン・ティダード・ジェイハンが民草を見下しながらも愛していたからだろう。

 そんな兄はロナにとって最も尊敬する人物だった。その兄が極東で死に、自分が王位継承者としてティダードを導く義務を背負うこととなった。

 ロナは自分に兄程の才はないことは自覚している。それでも兄と同じ血が自分には流れているのだ。ならば亡き兄の代わりに、ジュナザードの呪縛を打ち払い、ティダードを平和にしなければならない。それが兄への手向けにもなるだろう。

 そうしてロナはバトゥアンと色々と活動はしていたのだが、どうにも情勢は芳しくなかった。

 バトゥアンは達人級の武器使いではあるが、生憎と単身で一国を相手取れる一影九拳ほどの実力はない。

 対してティダードで最も強い勢力を率いているヌチャルドは、金を払って多くのシラットの達人を国外より招聘している。

 バトゥアンの実力なら一人二人を道連れにすることは出来るかもしれないが、全員を一人で撃破するのは、それこそ一影九拳クラスでもなければ不可能だ。

 第一仮にバトゥアンが一影九拳クラスの達人だったとしても、ヌチャルドのバックにはジュナザードがいるのである。

 ヌチャルドをどうにかしたところで、諸悪の根源たるジュナザードをどうにかしない限り、ティダードの呪縛は消えはしない。そしてジュナザードがどれほどの怪物なのかについては、今更論ずるようなことでもない。

 そんな彼女の下に拳魔邪帝シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの使者を名乗る者がやって来たのは、夜の帳が落ちて直ぐの事だった。

 

「拳魔邪帝の使者? それは本当ですか」

 

「はい。姫に内密な要件があると。どうなされますか」

 

「…………」

 

 ロナは暫し顎に手をあてて思案する。

 拳魔邪帝クシャトリア。兄ジェイハン亡き後、唯一拳魔邪神に対抗しうる力をもつ人物だ。もしも彼と同盟することができれば、絶望的な状況を三分にまで持ち直すことは出来るだろう。

 

(だけど、どうして今になって)

 

 クシャトリアに協力を要請することを、ロナは思いつかなかった訳ではない。

 寧ろ先ず最初に思いついて連絡をとったこともある。だがその度にクシャトリアから帰ってきたのは断りの言葉。こちらの敵になることもなかったが、味方になることもなかった。

 一応助言らしいことはしてくれているので、どちらかといえば味方側なのだろう。しかし決して中立のスタンスを崩すことだけはしなかった。

 そのクシャトリアが自分からロナに連絡をとってきたのは、これが初めてのことである。

 

「会いましょう」

 

「……分かりました。姫、くれぐれもお気を付けを。拳魔邪帝はあの邪神より名を分け与えられたほどの男。一筋縄ではいきませんぞ」

 

「承知しています。ですがわらわ達に彼の力を借りる以外、これといった方策がないのは確かでしょう」

 

「申し訳ございませぬ。私が至らぬばかりに」

 

「いいえ。バトゥアン、貴方はよく働いてくれています。至らないのはわらわだけです。……使者を通しなさい。丁重に」

 

「はっ!」

 

 暫くするとバトゥアンに連れられて一人の男が入ってくる。

 ティダードの民族衣装に包んだ、これといって特徴のない男だった。拳魔邪帝に使者として選ばれるからには一角の武人なのだろうが、やはり個性の薄さはどうしようもない。

 特徴のない男はとった行動も当たり前のものだった。ロナの前にくると跪いて、臣下の礼をとる。

 

「拳魔邪帝配下のゲラスと申します。拝謁を賜り光栄の至りです、ロナ姫。此度は我が主人クシャトリアの言葉を伝えに参りました」

 

「ほう。邪帝殿はわらわに何を?」

 

「はい。これより梁山泊の豪傑が一人、逆鬼至緒と史上最強の弟子。そして一影九拳が一人、人越拳神・本郷晶がここティダードに来訪します。拳魔邪神ジュナザードに拉致された少女を助けるために」

 

「……!?」

 

 梁山泊と闇から一人ずつ〝達人〟が来ると聞いて、ロナとバトゥアンの顔は自然と強張る。

 人越拳神・本郷晶といえば最強の空手家の一角と謳われた達人。そして逆鬼至緒は本郷晶のライバルであり、同じく最強の空手家と謳われた男。両名とも確実に特A級の実力者だろう。

 

「しかし彼等は強力な武力を有してはいますが、ここティダードに土地勘がありません。対してロナ姫には土地勘はあっても戦力がない。ただ敵が拳魔邪神というのは共通しています。

 ロナ姫に置かれましては、彼等に共闘を要請してはどうかと。梁山泊と一影九拳の達人を同時に味方にできれば、拳魔邪神を相手にしても勝ち目が見えるだろうと邪帝様は仰っておりました」

 

「成程。拳魔邪帝殿は武のみならず優れた知略もお持ちのようですね」

 

 互いのメリットとデメリットを計算し、とるべき最良の選択肢が提示されている。

 助言という形をとっているが、これは事実上の指示だ。クシャトリアからの助言を退けようにも、他に代案などない以上は受け入れるしかない。

 バトゥアンもそれは分かっているようで、なんとも複雑な顔をしていた。

 

「分かりました。拳魔邪帝殿の助言、有難く思います。して拳魔邪帝殿は此度の内乱にどのような立場でおられるのか?」

 

「我が主人は中立でございます。ただし貴方側寄りの。これでは御不満ですか?」

 

「いえ。それだけ聞ければ満足です」

 

 こちら側寄りの中立ということは、情勢次第で味方に引き込むことも可能ということだ。そして当面の間は敵に回ることもない。

 

「では私はこれにて。我が主人に良い報告を持って帰れそうです」

 

 ロナは「せめて少し寛いでいけばどうか」と言おうとしたが、口を開いた時、既にゲラスの姿は消えていた。ちらりとバトゥアンを見れば、彼もまるで認識できなかったようで目を白黒させている。

 自分は兎も角、達人のバトゥアンにも気づかせぬほど素早く立ち去る技量。拳魔邪帝の恐ろしさを垣間見た気がした。

 

 

 

 

「やれやれ。変装して己を語るのも妙な気分だ」

 

 古城を出て暫くしてから、ゲラスは己の顔を剥ぎ取って溜息をついた。

 月明かりがゲラスの顔を照らす。そこに浮かび上がったのは白髪赤目の妖怪染みた面貌。シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの顔が在った。

 

「ロナ姫はこれで梁山泊と闇に協力を要請するだろう。彼女に選択肢などないのだからな」

 

 人を思ったように動かすのは、コツさえ掴めばわりと容易い。要は他の選択肢をなくしてしまえばいいのだ。第二第三の選択肢があるから人は迷う。選択肢が一つしかないのならば、そもそも迷うことが出来ない。

 尤も筋金入りの愚者だと何も選ばないという選択をしてしまうので、これも絶対的なものではないのだが、ロナ姫は愚か者ではないので大丈夫だろう。

 

「無敵超人、ケンカ100段、人越拳神、史上最強の弟子、王子と王女。これだけの面々が今や我が手の内に。少し癖になりそうだよ。この感覚は」

 

 拳魔邪神ジュナザード。一人の男を抹殺するために、これだけの面子を用意した。

 過剰と思うことはない。あの邪神を相手にするのであれば、これくらいの戦力は必要である。なにせこれは神話以来の神殺しなのだ。神を殺すのに過剰というのもあるまい。

 

「師匠。貴方は常に愉しい死合いを求めていた。己の命を賭した闘争を欲していた。今や名だたる超人・達人が貴方を狙ってティダードに来訪しようとしている。俺から贈るプレゼントです。どうか堪能して下さい」

 

 拳魔邪神ジュナザードといえど不滅の存在ではない。これだけの超人・達人と戦えば、敗北せずとも必ずや疲弊する。

 そして疲弊しきったジュナザードなら、クシャトリアでも殺すことが出来るはずだ。

 

「この時のために……これだけを成す為にこれまで生き抜いてきた。我が悲願を果たすため踊って貰うぞ、武術世界」



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第98話  邪神の魔手

 人間、行動をしなければ何も始まることはない。

 プロ野球選手になる、というのは将来の夢で最もポピュラーなものの一つだ。最近は野球選手より公務員の方が人気なところに寂しいものを感じるが、野球選手も公務員も将来の夢であるということは同じだ。

 だが夢にせよ或は願望にせよ、行動せずにそれが果たされることはない。

 プロ野球選手になるならドラフトに指名されるなり入団テストに合格するなりしなければならないし、公務員になるには公務員試験を突破する必要がある。無論テストに合格するためには、膨大な時間を練習や勉強に費やす必要がある。

 そして現実とは無情なもので相応の努力をつんだ人間が、それ相応の報いを得ることが出来るとは限らない。

 人生の大半を野球につぎ込んでも、プロ野球選手になれない人間がいる。高校生から野球を始めておいてプロになってしまう天才がいる。

 凡人が100の努力をしても100の対価を得れないというのに、稀に10の努力で100の対価を得てしまう天才(幸運)が存在する。

 新白連合の切り込み隊長、なんてものを悪友から押し付けられた白浜兼一は凡人だ。

 兼一の友人はそれこそ煌めく才能の持ち主ばかりだが、兼一は彼等と違って武術的には全くの凡庸だ。

 凡才ですらない無才。それが白浜兼一だ。

 だがそんな兼一だからこそ、師匠から教えられた言葉は全て覚えている。

 

〝男はやるか、ならないか〟

 

 邪神ジュナザードがいるという情報。

 それだけを頼りにティダード王国へ来てしまったわけだが、来て早々にラデン・ティダード・ロナ姫と合流するなど、事はとんとん拍子に上手く進んでいる。

 そして今、兼一はジュナザードがいたという場所に来ていた。

 

「………………」

 

 到着してみれば、そこにあったのは燃やされて炭になった木造の家。黒くなって倒壊した家屋は、まるで焼き討ち後のようですらある。

 触れてみれば、燃えカスには僅かに熱が残っていた。燃やされてからまだそう日は経っていないだろう。

 

(人のいた気配は、ない)

 

 炎は小屋のみならず、人の住んでいた気配まで悉く隠滅していた。ジュナザードがここにいたという情報も、こうなれば怪しいものだった。ジュナザード派が流したガセ情報という可能性もある。

 果たして本当にここに美羽はいたのか、それともいなかったのか。

 兼一の心が後者に傾きかけた時、視界にあるものが映り込む。

 

「ガセネタか」

 

「いえ、違います。美羽さんは確かにここにいたんです」

 

 先程までの自分と同じ考えに至った師の言葉を、兼一は力強く否定する。

 

「なんでそう言える?」

 

「これです!」

 

 兼一は焼き討ちされた家屋に唯一残った痕跡――――髪飾りを差し出した。

 緊急時のためにナイフが飛び出す仕掛けが施された髪飾り、こんなものを所持しているのは世界に一人だけ。

 

「そいつは美羽の!?」

 

「はい。美羽さんのお母さんの形見の髪飾りです」

 

 美羽がどれだけ両親に対して強い憧れを抱いているかは、父親の情報を得るため叶翔に着いていこうとしたことからも分かる。

 そんな美羽が母親の形見である髪飾りを置き忘れるなんてことはしないはずだ。

 兼一たちに自分の居場所を教えるため敢えて残したか、それとも置いていかざるを得ない状況なのか。どちらにせよ好待遇を受けているなんてことはないだろう。

 不幸中の幸いといえば、ジュナザードの目的があくまでも優秀な弟子を我が物とすることだということだ。

 殺す為ではなく弟子として強奪した以上、ジュナザードが美羽を殺すということはないだろう。

 

「美羽さん……」

 

 しかし相手は拳魔邪神ジュナザード。自分の弟子を無慈悲に殺める外道だ。殺されはせずとも一体全体どんな扱いを受けていることか。

 結局。その日は髪飾り以外の手がかりが見つかることはなく、兼一たちは森の中の古城へと戻った。

 古城に戻った兼一は、テーブルに置かれた髪飾りを見つめながら思案に耽る。

 後一歩のところで美羽を助けられなかった自分の不甲斐なさにも腹が立つが、他にも気になるのは事態の陰で暗躍するクシャトリアの存在だ。

 梁山泊のみならずロナ姫の下にも現れ、梁山泊や闇と手を結ぶべきだと助言をしたそうだが、果たして一体全体なにを考えているのか。

 

(クシャトリアさんは拳魔邪神の弟子だ……。けど)

 

 洞窟で聞いた話によれば、クシャトリアは今回の美羽と同じように半ば強引に拉致され弟子にされたらしい。そうなるとジュナザードとクシャトリアとの間には、自分や師匠たちとは対極の感情があると考えても良いだろう。

 少なくともジュナザードのことを語るクシャトリアの顔には、師匠への好意は欠片も見受けられなかった。

 

「クシャトリアさんは何をしようとしてるんだ?」

 

 まさかあのクシャトリアが純粋な善意でこちらを助けてくれるとも思えない。兼一が実際に話した限りでは、クシャトリアはそういったお人好しにも見えなかった。

 ということは必ず何か目的があって梁山泊やロナ姫を援助しているのだろうが、その理由が兼一には皆目見当もつかない。

 ただ美羽を救出する上で、クシャトリアの動きは重要な要素を孕んでいる。それだけはなんとなく予感できた。

 

 

 

 

 クシャトリアが温めていた計画を実行に移す為、ティダードへと向かったことで、必然的に弟子であるリミに構う時間もなくなった。

 恐ろしい師匠の目から離れたリミは、日頃の鬱憤を晴らすようにさぼりまくっている――――ということはなく、毎日自主的な修行に励んでいた。

 普段の言動から勘違いされ易いが、基本的にリミは努力家である。

 想い人である朝宮龍斗の隣に立つ。その願いのため武の道を歩み始めたリミは、結局のところクシャトリアにどのような修行を強いられたとしても逃げることだけはしない。

 この想い人に対する愚直なまでの一途さは、ある意味において白浜兼一とも共通するところだった。

 尤もリミも人の子。日頃地獄を見ているのだから、少しくらい休みたい――――という思いもなくはない。その思いを抑え込み厳しい自主修行を続けているのは、一重にクシャトリアに対する恐怖故だった。

 

(さぼってるのばれたら、罰ってことで師匠からとんでもないことさせられそうだし)

 

 リミはクシャトリアのことが師匠として好きだが、同時にその恐ろしさも身に刻まれている。

 遺書を書かされた上での無人島一か月間放置プレイに始まり、ヤクザの事務所に単身放り込まれ、腹を空かせたライオンに追われ、脚力をつけるために崖から突き落とされ、組手では毎回ボコボコにされ、酷い時など内戦地帯に置き去りにされたこともある。

 本来は活人拳の技である流水制空圏をも会得しているクシャトリアの読心術は相当のものだ。閉心術を会得していないリミでは、クシャトリアに対して嘘をつくことはできない。さぼれば直ぐにばれてしまうだろう。

 もしそうなればクシャトリアは良い笑顔で、己の弟子を無間地獄へと叩き落すはずだ。リミにはその確信がある。だからこそクシャトリアがいなくても、リミは普段以上に自主的な修行に精を出していたのだ。

 

『小頃音リミ、だな』

 

「っ! 誰!?」

 

 地獄の底から響いてきたような低い声が、修行中のリミの耳朶を揺さぶる。リミは瞬時に壁を背にすると、姿を見せぬ謎の来訪者を警戒した。

 しかしどれだけリミが目を凝らそうと敵の姿はなく、どれだけ耳を澄ませようと敵の物音を聞くことはできない。

 ただ途方もない存在感だけが、リミの心臓を鷲掴みにする。

 

(な、なんだかやばめな雰囲気ね。龍斗様の彼女を目指す女として情けないけど、なんだかこの声の人に全然勝てる気しないもん。もしかして達人級……?)

 

 アホだが回る時はプロペラの如き勢いで回るリミの頭が、見えざる脅威によって嘗てない勢いで回転する。

 相手が達人級ならば、弟子クラスのリミが100人いようと勝ち目はゼロ。直ぐに助けを呼ぶという最適の選択肢に思い当たる。

 

「アケ――――」

 

『無駄だ』

 

 この場にいる達人級の一人、アケビに助けを呼ぼうとするも、それは謎の声によって遮られる。

 

『私がどうしてこの場にいるかまで考えが及ばなかったのか? お前の頼みの綱であるアケビなる者はとっくに我が手にかかった』

 

「こ、殺しちゃったの……?」

 

『いや。そうすることも出来たのだがな。拳魔邪帝様はジュナザード様が唯一その名を分け与えられた御方。そんな御方の配下を殺すのは忍びない。気絶しているだけだ。尤も一か月は碌に戦えぬ体だろうがな』

 

 アケビが生きていたことにほっとするが、それ以上に気になる単語にリミは耳を逆立てた。

 

「ジュナザード様? まさか――――」

 

『左様。私は邪神様が配下の達人が一人。ジュナザード様の命により、そなたを捕えに参った。一緒に来てもらうぞ、小頃音リミ』

 

 アケビを倒すほどの達人級相手に、リミが抗える道理はなく。小頃音リミは拳魔邪神の手の者によって連れ去られた。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアが全く知らぬ間に。

 




 クシャトリアは超高速でフラグを回収していきました。


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第99話  来援

 拳魔邪神ジュナザードが己の配下と共にヌチャルドの砦を襲撃した。その報告が兼一に届いたのは、日が暮れて夜の闇が太陽の光を追放する間のことだった。

 急いで砦の見える場所まで行けば、燃え盛る砦が巨大な灯となっている。さながらキャンプファイヤーのようですらある幻想的な景色。だがそれは幻想とは程遠い血腥い戦火の傷である。

 ティダード王国で最大勢力を率いていたヌチャルドの砦には、常時相当数の軍隊や傭兵が防備していた。中には金で雇われた達人級もいただろう。

 けれどそのようなものは拳魔邪神の前には無意味。

 人間は時に英雄となりて怪物を駆逐する。人間は時に英雄すら呑み込む。だが人間は〝神〟には勝てない。

 ジュナザードという神威を相手にしては、如何に堅牢な砦といえど持ち堪えることはできなかった。

 

「有り得ない……ジュナザードがヌチャルドを襲うなんて。ヌチャルドはジュナザードの後ろ盾で大きくなった勢力なのに」

 

「なんだと?」

 

「ええっ! それじゃ味方を襲ったってことじゃないですか!」

 

 まったくの埒外の出来事にロナ姫が唇を震わせながら言う。

 ロナ姫の言葉が真実ならばヌチャルドとジュナザードは協力関係、いや、ジュナザードの方が上位の関係にある。ならばジュナザードが襲うべきなのはヌチャルドの敵であって、ヌチャルド自身ではない。それが普通だ。

 しかし拳魔邪神には人間の普通なんてものは当て嵌まりはしない。

 

「それがジュナザードという男なのです。彼奴は国の安定を望みません。常に動乱の状態を作るため、強くなりすぎた力は仲間でさえ抹殺するのです」

 

「――――っ!」

 

 瞬間、またしても雪崩に巻き込まれ死んだジェイハンの姿がフラッシュバックする。

 確信した。拳魔邪神ジュナザード。嘗ては救国の英雄だったかもしれないが、今の邪神は弁護のしようもない真正の外道だ。

 拳聖、ディエゴ・カーロ、アレクサンドル・カイダル、アーガード・ジャム・サイ、馬槍月、櫛灘美雲。これまで兼一は一影九拳に名を連ねる武人を多く見てきたが、拳魔邪神はその中でも最悪に危険だ。

 しかし、だ。例え危険だろうと、あの砦に拳魔邪神がいるのならば兼一のとるべき行動は一つだ。

 

「とにかく今、あの炎の中に拳魔邪神がいるのなら、行って美羽さんの居場所を聞き出すのみです!」

 

「ばっきゃやろう! そいつは……」

 

 野獣の笑みを浮かべながら、逆鬼至緒が正拳突きで壁を粉砕して道を開く。

 

「俺の台詞だぜ!」

 

 道が開くのと同時に兼一、ロナ姫、バトゥアンの三人も戦場へと飛び込んでいった。

 

「なんてこった! 完全に戦争じゃないか!」

 

 兼一が砦近くに降り立つと、そこでは既に異常なる戦闘が繰り広げられていた。

 砦を守る任を帯びた国軍と傭兵とが入り乱れて銃火を炸裂させている。時に人間の携帯できる砲火を遥かに超えた戦車の砲口が火を噴いて、家屋を丸ごと消し飛ばす。

 ヌチャルド側の兵隊たちにおかしなところはない。急の襲撃に混乱してはいるが、装備も服装も極普通のそれだ。

 常識外なのは彼等の敵の方。砦を襲う敵は一切の銃火器を所持していない。装備している武器といえばカランビットなどのシラット特有の武器だけ。武器を持たず無手の者も多くいる。

 ともすれば装備において圧倒的に劣勢なのはジュナザード側。だというのに彼等は装備において勝るヌチャルド側を完全に圧倒していた。

 その理由は若いながら達人の世界を垣間見た兼一には直ぐに分かった。

 

(――――やっぱり、全員が武術家。それも……弱い人が一人もいない!)

 

 ジュナザード側の戦闘員一人一人が武人。しかもどれだけ弱くても弟子クラス上位の実力者。大半を占めるのが妙手クラスであり、中には達人級もちらほらいる。

 弟子クラスでも上位の実力者となれば、並みの兵隊十人は軽く鎮圧できるほどに強い。そこに弟子クラスを超えた妙手に、妙手すら上回る達人がいるのならば、ヌチャルドの砦が陥落するのも無理はないことだろう。

 冗談抜きでこのままだとヌチャルドの勢力に属する人間は皆殺しにされるかもしれない。

 

「くっ! どうしてこんなに達人級が沢山いるんですか!?」

 

「シラットは日本の空手並みに流派があり、その達人たちを彼奴は門客として飼っているのです!」

 

「なんと」

 

 言いながらバトゥアンが敵シラットの達人の武器を破壊し昏倒させていた。どちらかといえば殺人拳側に属するバトゥアンだが、今回に限っては味方にした梁山泊に倣って活人を貫いていた。それにしても王家の護衛だけあって相当の実力者である。バトゥアンは敵の達人達に一歩も引かずに、殺さずに無力化していっていた。

 だがそれ以上の勢いで敵を沈黙させていっているのが〝ケンカ100段〟逆鬼至緒。並みの達人がまるで相手になっていない。前蹴り一つが達人二人を吹き飛ばし、正拳突きを放てば夜空に人が飛ぶ。兼一は改めて自分の師匠の凄まじさを思い知った。

 ただ如何せん敵は数が多い。幾ら逆鬼至緒という武人が特A級に名を連ねた豪傑でも、その肉体は一つ。どうしても手が届かない場所がある。負けることはないにしても、このままでは死者が出てしまうかもしれない。

 かといって兼一程度では達人級をどうすることもできないので、歯がゆくとも今は邪神と美羽を探すことに全神経を注ぐしかなかった。

 

「――――ッ――――ッ!!」

 

 途方もない悪寒を感じて兼一は飛びのいた。瞬間。兼一の立っていた場所を巨大な刃が抉り取る。

 何事かと兼一が見れば、そこに立っていたのは仮面で顔を覆い尽くした大男だった。

 第一印象は巨人。天を突くような巨体はあのアーガードよりも上だろう。背中には多種多様な人を殺すための武器を背負っている。

 仮面の奥から漏れる声は獣の唸り声そのもので、とても人間のものとは思えない。

 

「な、なんだこの人」

 

「そいつはペングルサンカン。拳魔邪神ジュナザードの弟子の一人だよ」

 

「っ! 貴方は――――」

 

 戦場を散歩するような気軽さで見知った男が歩いてくる。仮面をつけているが体格といい声といい間違いない。拳魔邪帝クシャトリアだ。

 

「才能ある若者を武器組から弟子にとったんだがね。結果は御覧の通り。あらゆる修行に耐え抜いた代償に人を見れば誰彼構わず殺そうとするバーサーカーに成り果てた。

 バーサーカーといっても彼は妙手。弟子クラスでも徒党を組めば倒せない相手じゃないが、少なくとも君一人で勝てる相手じゃないな」

 

「クシャトリアさん!? なんでここに」

 

「散歩だよ」

 

「さ、散歩……?」

 

 明らかに嘘と分かる嘘に兼一は目を丸くする。クシャトリアの嘘に驚いたのではなく、こんな騙す気が欠片もない嘘をクシャトリアがついたことが驚きだった。

 

「おっと。余所見している暇はないぞ。兼一君」

 

「え、うわっ!」

 

 ペングルサンカンは大刀を振り下ろしてくる。巨岩の重さをもつ斬撃を、兼一は慌てて回避した。

 あんなもののの直撃を受ければ帷子があろうと一溜まりもない。

 

「ペングルサンカンは獣と化しているが、だからこそ明確な格上。つまり我が師匠や俺を襲うことはない。そして俺も今のところ君を助けるつもりもない。ま、頑張ってくれ」

 

「あ、ちょっと――――」

 

 まだ聞きたいことは山ほどあるので、兼一は慌てて呼び止めようとする。しかしクシャトリアがパチンと指を鳴らすと、ペングルサンカンが兼一の行く手を遮った。

 信じがたいことだがクシャトリアはこのペングルサンカンと意思の疎通、というより指示を与えることが出来るらしい。

 

「ペングルサンカン。殺さない程度に相手してやれ」

 

「――――ッ――――ッ!!」

 

 クシャトリアの指示に「YES」と返答する代わりに、ペングルサンカンは雄叫びをあげる。

 殺さない程度に、と付け加えてくれた所にクシャトリアなりの恩情を感じるが、それでも厄介なことに違いはない。

 

「くっ。急いでいるのに」

 

 無視して美羽とジュナザードを見つけなければならないが、かといってペングルサンカンはそれを許してくれるほど生易しい相手ではない。

 かといってペングルサンカンは妙手。弟子クラスの兼一だけでは逆立ちしたって勝てない怪物だ。

 一体どうすれば。兼一の頭に弱音が生まれそうになった時、空の上で透き通るような声が鳴った。

 

「よう、白浜兼一。相変わらずノロノロと地べたを這い蹲ってばかりだな」

 

 ペングルサンカンの脳天に蹴りが直撃する。ペングルサンカンを蹴り飛ばした男は、空を切る羽のようにふわりと地面に着地した。

 

「お、お前は……叶翔!」

 

 元YOMIリーダーにして〝史上最凶の弟子〟叶翔。

 この世で一番気に入らないが、この場では一番頼もしい援軍の登場だ。

 

 

 



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第100話  最強と最凶の二重奏

 叶翔がどうしてティダードに現れたのか。YOMIリーダーから外された挙句に除名されたとはいえ、元リーダーなのに梁山泊の助けに来て良いのか。

 そういった当然のような疑問は当然のように全て却下した。

 例え他の誰にも分からずとも、白浜兼一には叶翔の気持ちが分かる。非常に気に入らないが、叶翔の風林寺美羽に対する想いは本物だ。

 彼女を助ける為に動くのに、まどろっこしい理由などは不要。守ると決めたから守る、それだけで命を懸けるには十分だ。

 

「…………」

 

「…………」

 

 兼一と翔の視線が交わる。時間にすれば一秒にも満たぬ刹那、それで二人は完全に意思を同調させていた。

 叶翔が兼一の隣に並ぶ。

 

「美羽を守りに行くのにこのデカブツが邪魔してるんだな。いいぜ。お前の事は嫌いだけど、今回だけは特別に共闘してやる」

 

「ああそうだね。僕も君の事がむかつくが、今回だけはありがたく助けてもらうよ」

 

 あの日の誓いはまだ互いの胸に宿っている。いつまで宿るかと問われれば、二人は迷わず死ぬまでと返答するだろう。

 闇より降りかかる邪悪全てより美羽を守り通す。

 その誓いを果たすため史上最強の弟子と史上最凶の弟子が並び立った。

 

「グゥウゥゥゥ、ガァアアアアアアアアアアッッ!!」

 

 最強と最凶が共闘するという戦場。理性なき狂獣は咆哮をあげながら突貫してきた。

 巨岩が転げ落ちてきたような突進は、人間の骨を粉砕して余りある破壊力を内包している。叶翔は無論のこと、途轍もない頑丈さを誇る兼一でも受ければただではすまない。

 しかし常日頃から達人の速度に慣れきっている二人が、そう易々と直撃を受ける道理はない。

 

「白浜兼一」

 

「なんだ?」

 

「DオブDでやった流水制空圏とかいう技を使え。それで俺に合わせろ」

 

「いいだろう。こういう使い方はしたことないけど、不思議と今は土壇場でも成功するような気がする。――――発動、流水制空圏」

 

 無敵超人が百八の秘技が一つ、静の極み流水制空圏。自身の間合いに展開する制空圏を、体の表面薄皮1枚分にまで薄める。

 ペングルサンカンの突進は発動の数瞬後だった。

 兼一は流水制空圏の第一段階の〝相手の流れに合わせる〟をすっ飛ばして第二段階の〝相手の動きと一つとなる〟まで至る。だがこれは特におかしなことではない。流水で感じ取る相手が、自らこちらに合わせてくれれば第二段階まで移行するのは然程難易度は高いことではないのだから。

 そう、流水制空圏をもって兼一が合わせたのは敵であるペングルサンカンではなく味方である叶翔。

 ペングルサンカンの突進を兼一と翔が左右別方向に回避する。だが驚くべきことに二人の動きは、回避の方向以外完全に同調していた。

 これこそが流水制空圏の応用法。相手を己の流れに取り込むのではなく、味方と流れを同調することで完璧なる連携を可能とする。

 

「ティー・カウ・トロン!」

 

地を転がる金塊(ヒラン・ムアン・パンディン)!」

 

 別方向から完全同時に繰り出されるムエタイ技。弟子クラスであれば回避不能な同時攻撃であったが、ペングルサンカンとてあのジュナザードの修行を耐え抜いた妙手だ。

 野生の本能というべき直観力を総動員すると、体全体を竜巻のように回転させながら同時攻撃を捌く。

 

「■■■■ッ!」

 

 そして殺意のままに暴れ狂うペングルサンカンは、一方で自身の上位者の指示には服従する獣故の従順さも持ち合わせていた。

 クシャトリアからの死なない程度に相手してやれと命じられたターゲット。叶翔を一旦無視して、白浜兼一を第一の標的と定る。

 鋭い風の音を鳴らしながら、ペングルサンカンは白浜兼一を両断すべく刃を振りおろした。

 

「今だ、真剣白浜どり!」

 

「!?」

 

 狂うだけのペングルサンカンに久方ぶりの驚愕が宿る。あろうことか兼一は刃に抱き付くことで刃を堰き止めたのだ。

 ペングルサンカンの刃と兼一の帷子がこすれギチギチと厭な音を奏でる。もしも帷子が壊れれば、僅かにタイミングが逸れれば即死する命知らずの行動。

 それが結果としてペングルサンカンの動きを完全に停止していた。

 

「褒めてやるぜ、白浜兼一。泥臭いがファインプレーだ」

 

 その絶好の好機を殺人拳の申し子が見逃すはずはなく、

 

「人越拳、飛燕ねじり貫手ッ!」

 

 大地より天へと昇る螺旋の槍が、ペングルサンカンの背中に突き刺さる。

 人越拳神・本郷晶の代名詞とすら言われる技である〝ねじり貫手〟の亜種。飛燕の槍は狂戦士に大きな痛手を与えた。

 ペングルサンカンは全身を駆け巡る激痛に、兼一に振り下ろしていた刃の力を弱めてしまう。その間に兼一は抱き付くのを止めて、刃から逃れた。

 再び兼一と翔が並び立つ。

 

(やはり思った通りだ。ペングルサンカンの動きが、鈍い……!)

 

 これまでの戦いを視ていた兼一は心中で確信する。

 クシャトリアはペングルサンカンのことを人を見たら襲い掛からずにはいれない獣と評した。しかしそんなペングルサンカンにとって、人を殺さない程度に戦えというのは存在意義に反するような指示である。

 意図してのものかどうかまでは分からないが、結果的にクシャトリアの指示のせいでペングルサンカンは実力の六割も発揮できていない。

 だがもしもいよいよともなれば、クシャトリアの指示を無視して暴れ回る危険性もある。

 となるとこの場で最適なのは、ペングルサンカンが指示を無視する決断をする暇など与えず、一気に決着をつけることだ。

 

『畳み掛けるぞ!』

 

 どちらが先に言ったのか、それともほぼ同時だったのか。兼一と翔は共に同じ言葉を吐き出した。

 

「流水制空最強コンボ3号!」

 

「九撃一殺!」

 

 兼一と翔はこれまで自分の磨いてきた技を一斉解放する、

 我流、暗鶚流忍術、空手、柔術、中国拳法、ムエタイ、カラリパヤット、古武術、プンチャック・シラット、ルチャリブレ、コマンドサンボ、更には無手にて再現した武器術。

 合計十を超える異なる武術がペングルサンカンの肉体に叩き込まれた。

 

「ウ、ゴォアア!」

 

 苦悶の声をあげるペングルサンカン。攻撃は確かに効いていた。

 ペングルサンカンの巨体より遥かに小さい体躯を活かして、その苦悶の隙に二人は懐に潜り込む。

 そして二人が到達するは密着状態。

 

「小さく前へ……ならえ……」

 

「コォォォォォォオ」

 

 白浜兼一と叶翔。共に数多くの武術を一つの体に宿した二人は、全く同じ技を完全同時に放った。

 

『無拍子!!』

 

 空手、柔術、中国拳法、ムエタイの4武術全ての突きの要訣を融合させた必殺の突き。

 史上最強の弟子が編み出し、史上最凶の弟子が再現した奥義の二重奏。

 

「見事……だ」

 

 ペングルサンカンは最後に獣ではなく武人として賞賛の言葉を送ると、ゆっくりと巨体を大地に沈めた。

 



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第101話  影よりの刺客

「叶翔。今の技……」

 

 ペングルサンカンを倒した兼一は、翔に向き直ると躊躇いがちに声をかける。最後に二人で同時に放った技、無拍子は兼一が自分で編み出したオリジナルの必殺技だ。

 武田が師のジェイムズ志波の協力で、無拍子(オートゥリズム)を編み出しはしたが、あれは無拍子の相互互換というべきもので、兼一の無拍子そのものではない。

 だが叶翔の放った無拍子は、兼一の必殺技であるところの無拍子と寸分違わず同じものだった。

 

「以前の戦いじゃ不覚にも痛い目みたけど、お前のこの技って空手、柔術、中国拳法、ムエタイの突きの要訣を混ぜてるんだろう。だったらこの俺に出来ない筈ないじゃないか」

 

「うっ! た、確かに」

 

 武田が無拍子を再現しようとした時は、彼がボクサーで他四種の武術の心得がなかったため、完全なる再現は叶わず相互互換という形に落ち着いた。

 そのことからも分かる通り『無拍子』を可能とするには、四種類の武術の基礎がしっかり出来ていなければならない。だからあの美羽ですら兼一の無拍子を100%完全に再現することは出来ないのだ。

 けれど叶翔は史上最強の弟子に対する史上最凶の弟子。叶翔が修行してきた十武術の中には空手、柔術、中国拳法、ムエタイも含まれている。当然その基礎も叶翔には根付いているのだ。

 更に叶翔ほどの才能も合わされば、一度喰らった無拍子を完璧なまでに再現するのは不可能なことではない。

 

「ああ、僕の必殺技だったのに……」

 

 武術なんていうのは広く伝わるべきものだとは思うが、やはり自分だけの必殺技が誰かに修得されてしまうというのは、上手く言い表せない喪失感というものがある。

 がっくりと膝をついた兼一に、叶翔がぽんと手を置く。

 

「ははははははは。ま、悔しかったらお前も俺の必殺技を盗めばいいじゃん。尤もお前の残念な才能じゃ無理だと思うけど」

 

「むっ」

 

 恋敵にこうも挑発されると、温厚な兼一も流石にカチンとくる。

 

「言ったな。なら僕は今度お前がよく使ってる〝ねじり貫手〟ってやつを盗もうじゃないか。あとさっきの飛燕なんとかっていうのは」

 

「お前じゃ無理だね。だってあれは俺の先生の〝最強の空手家〟本郷晶の代名詞だぜ。お前に会得できるわけないだろ?」

 

「大丈夫だよ。確かに僕には才能はないけど、僕の師匠には〝最強の空手家〟の逆鬼師匠がいるからね」

 

 叶翔に倣って『最強の空手家』の部分を強調して言うと、叶翔の方もカチンときたのか青筋をたてる。

 

「そういえば弟子の才能が虫けらレベルでも、師匠の方は特A級が揃ってるんだっけ? だけど無理無理。最強の空手家の代名詞を、他の誰かが教えられるはずないしね」

 

「え? それなら大丈夫だよ。最強の空手家は僕の師匠だしね。だけど変だな。いつからねじり貫手は逆鬼師匠の代名詞になったんだろう」

 

「地を這う虫けらなのに吠えるのは一丁前じゃないか、白浜兼一」

 

「その虫けらに負けたのは誰だったっけ、叶翔」

 

 二人の眉間に皺が寄る。兼一も翔も普段では考えられないほど表情が怒りの色に染まっていった。

 口元はひくつきながら、バチバチと火花が散る。

 

「今度会った時は見ていろよ。流水制空圏だっけ? 無敵超人の秘技が一つ、あれを体得しておくから。そうしたら今度は俺の圧勝だね。お前に勝ったら今度は堂々と美羽を迎えに行こう。一度美羽のことをお前に託したけど、やっぱり好きな女性は自分で守りたいしね」

 

「心配は要らない。君が何度来たってその度に迎え撃つし、美羽さんは僕が命懸けで守る」

 

「「…………」」

 

 兼一と翔は親の仇を見るような、敵意に満ちた目で睨み合う。その様子はとてもではないが、数分前にペングルサンカン相手に見事な連携プレイをとった者同士とは思えなかった。

 もしここに新白連合の誰かがいれば驚いたことだろう。YOMIの元リーダーで自由奔放な叶翔はともあれ、白浜兼一は基本的に温厚で滅多に怒ることはない。その兼一が叶翔に対しては些細なことで明確な敵意を向けているのだから。

 だが兼一とて聖人君子ではない。世の中には決して相容れない存在というものがある。兼一にとって叶翔がそれであり、叶翔にとっては兼一がそれなのだ。

 それに仲良しな恋敵なんて普通は有り得ない。

 一触即発の雰囲気が両者の間を流れたが、自然と二人はどちらからというでもなく手を下ろす。

 

「はぁ。言いたいことは山ほどあるけど、それは全部後回しにしよう。それより」

 

「美羽を助けるのが先だ。行くぞ、白浜兼一」

 

 水と油の兼一と翔だが、美羽を守ることには命を懸けるという点では同じだった。共通目的のために矛を収めると、兼一と翔は銃火の飛び交う戦場を駆け抜けていく。

 兼一も翔も感じ取っていた。自分達の師匠すら上回る――――無敵超人・風林寺隼人に匹敵するようで、性質の正反対の邪悪なる闘気が砦にあることを。

 これほどの気当たりの持ち主など世界に五人といない。拳魔邪神ジュナザードは間違いなくあの砦にいる。

 

「あれは!」

 

 兼一は見つけた。砦の上に見知った女性の姿がある。顔は仮面で覆い隠し、纏う衣服もティダードの民族衣装であるが、他ならぬ自分が彼女を見違える筈がない。

 隣にいる恋敵(叶翔)もそれは同じだった。兼一と翔、合わせて四つの眼が風を切る羽のように戦う少女に釘づけとなる。

 シンキングタイムは0.5秒。分数にして二分の一。

 

「美羽さん!」

 

「美羽!」

 

 他の全てを気にもとめず、兼一と翔は美羽のいる場所に走って行った。

 火事場の馬鹿力ならぬ鉄火場の馬鹿脚力。兼一も翔も普段より一回り速い速度で砦までたどり着くと、蜘蛛人間の如く城壁を登っていく。

 しかし生憎と囚われの姫君は待ってなどくれなかった。兼一と翔が城壁を登っている間に、美羽は砦の奥へと立ち去ってしまう。

 間の悪いことに兼一と翔が城壁を登り終えたのは、美羽が砦の内部に消えた後だった。

 

「……おい、白浜兼一。美羽はどこだ?」

 

「見えないということは砦の中だよ。たぶん」

 

 自然と兼一と翔の目が開けっ放しになっている扉へと向けられる。シンキングタイムはついさっきの半分、分数にすれば0.25秒のことだった。

 兼一と翔は競うように扉へと突進していき、

 

「おっと。ちょいと待ってくれよ。君達二人は風林寺美羽に用があるんだろうけど、俺はこっちに用があるんだ」

 

 ばたん、と兼一の知らない男によって扉を閉ざされた。

 

「なっ! お前は」

 

 叶翔の目が大きく見開かれる。

 肌色の肌と黒い髪、訛りのない日本語からして日本人だろう。見事なまでの隆々とした肉体と片目を覆う眼帯が印象的である。

 不思議だった。彼のことなどまるで知らないというのに、兼一は見知らぬ彼に対して奇妙なほどの親近感を抱いていた。それは向こうも同じようで、兼一を興味深げに見ている。

 

「叶翔。君の知り合いか?」

 

「……ああ。鍛冶摩里巳。無手組が長、一影の一番弟子。現YOMIのリーダーさ」

 

「なんだって!?」

 

 叶翔が自分に負けたことでリーダーを降ろされたことも、代わりに鍛冶摩という男がリーダーとなったのも知っていた。いずれ戦うだろうと覚悟もしていた。しかしよもやこんな時に現れるなどとは想像すらしていなかった。

 想定外過ぎる事態に兼一は自分の背中が冷たくなるのを感じた。

 叶翔は暫し鍛冶摩を睨んでいたが、やがて「ちっ」と舌打ちすると。

 

「おい、白浜兼一。こいつは俺が相手をしておいてやる。お前は先に行け」

 

「叶翔?」

 

「だが勘違いするなよ。これは別にお前を認めたわけでも、美羽を任せると決めたわけでもない。お前じゃたぶんこの男に勝てないから、俺がこいつを担当してやるんだ」

 

「分かっているさ。君が僕のために何かするなんて有り得ない。だから」

 

 美羽は必ず自分が助ける。それが白浜兼一の役目だ。

 兼一が美羽の所へ急ぐと、鍛冶摩はそれを止めようとはしなかった。兼一と翔の二人を同時に相手するのは無理と判断したのか、そもそも目的は叶翔だけだったのか。

 どちらでも大した違いはないが、ともあれ兼一は砦への突入を果たした。後は美羽を探し出し、取り戻すだけだ。

 



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第102話  空と影

 闇の弟子養成機関YOMI。叶翔と鍛冶摩里巳は銃声の響き渡る砦の上で正面から対峙していた。

 片や一なる継承者でありYOMIの前リーダーだった叶翔。片や闇の無手組が長、一影の一番弟子であり現YOMIリーダーの鍛冶摩里巳。殺人拳の継承者における二大巨頭というべき二人。或は闇の中でも最も近しい存在とすらいえるのかもしれない。あくまでも肩書き上は。

 だが実のところ叶翔にせよ鍛冶摩にせよ、お互いに言葉を交えた機会は驚くほど少なかった。

 鍛冶摩が元々YOMIに参加していなかったということもあるのだろう。叶翔が鍛冶摩里巳の才能を見抜き関心を示さなかったというのもある。

 しかしそれは翔と鍛冶摩の仲が険悪というわけでもない。

 二人の間柄を一言で説明するのであれば赤の他人というのが適切だろう。

 互いに敵意も好意も抱いておらず、さして交流することもなかった境遇が近しいというだけの他人。

 故にこの二人がYOMI内部において激突するということはなかった。激突する云々以前にそもそも接触しないのだから当然だ。

 だがそれも今日までの話。

 

「ふーん。俺や先生だけじゃなくて、今YOMIのリーダーやってるお前までがこっちに来るなんてね。しかもよりにもよって俺の邪魔をしに。これってお前の師匠の命令?」

 

「はははははは。俺もこんな所に観光旅行に来るほど酔狂じゃあない。察しの通りYOMIの現リーダーとしての仕事だ。我が師の命であれば、弟子である俺は従うのみだからな」

 

「図体と同じで岩みたいな堅物ってわけね。ボリスの奴がやりやすそうなリーダーだ。俺ならお前の下で働くなんて一週間も耐えられないね。YOMIクビになって良かった」

 

「奇遇じゃないか。俺も同意見だよ。生憎と俺もお前を自分の下に置いておいて、使いこなす自信は欠片もない」

 

 両雄並び立たず。叶翔と鍛冶摩は二人ともYOMIという集団を纏めるだけの我の強さがある。しかも一なる継承者と一影の一番弟子と肩書きも互いに負けていない。

 そうなればこの二人が同じ組織で上下関係を築くなど土台不可能。叶翔がリーダーでいる時、鍛冶摩をYOMIに参加させなかった一影の判断力は見事と言う他なかった。

 

「で、鍛冶摩。お前なにしにきたわけ? 俺は美羽を助けに来たわけど、それを妨害するのが〝一影〟の意思ってわけか」

 

「そんなところだ。諸事情があって詳しい理由云々を言うことはできんが……とどのつまり俺は叶翔、お前の抹殺を一影より命じられている」

 

「!」

 

 叶翔はDオブDでの失態でYOMIから除名されたばかりか、一なる継承者も一時的に凍結されている。だが凍結であって中止ではないのは、闇が叶翔の才能を惜しんでいるからに他ならない。

 事実、叶翔の武術的素養は同年代の武術家達の中でも頭一つ飛びぬけている。実力はさておき才能という面で翔に並び立てるのは、同世代では風林寺美羽一人だけ。強いて言えば静動轟一の気のコントロールを会得した朝宮龍斗が、それに次ぐだけのポテンシャルを秘めているが、やはり純粋な才能では一歩劣る。

 なにより叶翔の師匠は人越拳神・本郷晶。闇のみならず世界にも武名を轟かせた本郷は、我の強い一影九拳の中でさえ一目置かれる存在だ。そして翔はYOMIから除名されエンブレムも没収されたものの、未だに人越拳神の一番弟子ということに変わりはない。

 よって現時点で闇が叶翔を粛清するというのは有り得ないことなのだ。いや有り得ないはずだったのである。今日ここに鍛冶摩里巳が現れるまでは。

 

「叶わぬ想いと知りつつも、愛した女性のために己の命を賭して戦場に駆け付ける。中々出来ることじゃない。武術家ではなく一人の男子として、君の行いは素直に尊敬する。天晴だ」

 

「そいつはどうも」

 

「だが非情を根幹とする殺人拳の武人としては、残念なことに軽蔑しなければならん。優しさとは美徳だが、表の美徳が悪徳となるのが闇。

 君のその無償の愛は闇にとっては不要のもの。一影九拳全ての奥義を継承する一なる継承者としては不適格。一影にそう見做されてしまったわけだよ。叶翔」

 

「……お前も白浜兼一の同類だけど気当たりの質は別格だな。この殺気、まるで達人級を相手にしているみたいだ。あいつじゃ逆立ちしたってこんな気は放てない。活人拳ならそれで正解なんだろうけど」

 

 鍛冶摩から放たれる存在そのものを抹消しようとする殺気の奔流。

 幼少期より度重なる死合いで殺意をぶつけられてきた翔だが、これほどの代物を弟子クラスから受けるとは思ってもいなかった。

 自然と叶翔の武術家としての本能が刺激され、口端が獰猛に吊り上がる。

 

「そういえば俺がYOMIのリーダーについてから興味深い話題があってな」

 

「へぇ。どんな?」

 

「YOMI現リーダーの俺と前リーダーのお前。果たしてどちらが強いのか。そんな話題さ」

 

「あるよな、そういうの。強さ議論ってやつ? 俺も学校でよくそんな話したぜ。大総統と晴れの日の大佐、どっちが強いかとか」

 

「大総統だろう」

 

「いいや、大佐だね」

 

「ほう。何故だ?」

 

「俺は尻より胸派だし」

 

「ふっ。お前とはやはり分かり合えんようだ。後学ならぬ来世のため一つ言っておくが女性を胸だけで判断するのは良くない」

 

「心配には及ばないね。俺は美羽のこと胸だけで好きになったわけじゃないから。だから美羽が明日からまな板になっても、俺の好感度はMAXを保ったままさ」

 

「それは実に良いことだ。で、何の話だったか?」

 

「んー。学校でアムロとカミーユのどっちが強いかって議論したって話じゃなかったっけ」

 

「悪いな、それはない。俺はマクロス派なんだ。学校ではマックスとイサムのどっちが強いかについて話してた。勿論俺はマックスの方が強いと思う」

 

「おいおいボケにボケで返すなよ。ツッコミ不在だとボケとボケで終わりなくエンドレスに続くじゃねえか。そこお前が『YOMIの現リーダーと前リーダーのどっちが強いのかって話題だっただろ!』とかツッコミを入れるところだぜ? 空気読めよな」

 

「生憎と持ってるエンブレムが影なものでな」

 

「じゃあ仕方ない」

 

「ああ仕方ない」

 

「「はははははははははははははは!」」

 

 互いにボケにボケてボケ倒したところで、このまま延々と続くかに思われた話題を一旦止める。

 翔と鍛冶摩は深呼吸して、時間を遡り話題を最初に戻した。

 

「それで俺とお前のどっちが強いかという話だが。これが仲間内でも意見が割れてな。コーキン、千影、レイチェル、イーサンは俺が勝つって嬉しい事を言ってくれたわけだが」

 

「ボリスに夏に朝宮龍斗は俺が勝つって?」

 

「ついでに後一人。拳魔邪帝殿の弟子もお前が勝つと言っていたから丁度半々だな」

 

 激しく冗長的かつ余談であり無駄話でしかないことであるが、其々のYOMI幹部たちの意見を纏めると以下のようになる。

 コーキン:叶翔は心に綻びがあるので負ける。

 千影:囲碁で自分に勝ったから鍛冶摩が勝つ。

 レイチェル:なんとなく。

 イーサン:経験値と潜り抜けた地獄の数で鍛冶摩が勝る。

 ボリス:自分が見た中で最も恐るべきポテンシャルをもっていたので翔が勝利する

 朝宮龍斗:兼ちゃんに負けたから今度は勝つ。

 谷本夏:敗北を知ったから翔が勝つ。

 リミ:なんとなく。

 どちらが勝つ方にも『なんとなく』という無責任な意見があり、元ラグナレク出身の龍斗と夏の意見が被っているのが興味深いといえるだろう。

 

「拳魔邪神殿の弟子だったジェイハンにも聞いて、白黒はっきりさせたいところだが生憎と彼は死亡しているからな。となると残るYOMI幹部は俺だけ。元を入れればお前もだ。叶翔、お前はどっちが強いと思う?」

 

「負ける気で戦う武術家がいると思うのか」

 

「いいや。俺も思わん」

 

「なんだよ。それじゃやっぱり半々じゃねえか」

 

「うむ。多数決というのは実に民主主義的なことだが、投票数が同数では答えは出せん。多数決の欠陥というものだな」

 

「話し合いで解決できねえとなると、民主主義的に戦争でもするしかないよな」

 

「ああ。それは良い。実に民主主義的だ。我が師、一影の命令にも沿う」

 

「YOMIの新旧リーダー、宿命の対決ってやつ?」

 

「入場料はいくらだろうな」

 

「さぁ」

 

 下らない掛け合いはこれまでだ。叶翔と鍛冶摩里巳、殺人拳の最奥にて育て上げられた弟子二人がここに激突する。

 天才と凡人、空と影、リーダーとリーダー。即ちこの戦いの勝利者こそが最強のYOMIだ。

 




 そろそろこの作品も完結ですので、次回作に思いを巡らせる時期となりました。
 次回作を思い悩むこの時間ばかりは何度経験しても慣れません。
 ちなみに最初ケンイチに続いて武術繋がりで、まじこいのssを書こうとしましたが、没になりました。
 え? どうして没になったかって?
 というのも武士道プランで劉備、孔明、関羽、張飛の御馴染の四人をクローンとして生み出す――――はずが、ミスって劉禅、黄皓、馬謖、姜維の蜀漢四大ネタ武将を生み出してしまったという内容なのですが、ぶっちゃけネタ過ぎて一発ネタ以外にならないので没になりました。
 ケンイチがバッドエンドを迎えてしまったIFルート後という設定で、クロスとかも考えてたりしますが。


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第103話  宿命の対決

 叶翔は鍛冶摩里巳を理解できない。鍛冶摩里巳は叶翔を理解できない。

 生まれながらに才能に溢れており、それ故に武術の道へ入った叶翔。

 生まれながらに才能に恵まれずに、それ故に武術の道へ入った鍛冶摩里巳。

 二人は多くの共通点をもつようでいて、ある部分が致命的なまでにずれている。

 だからこそ二人は親友にもなれないだろうし、良き好敵手にもなれはしない。だが互いにとっての〝宿敵〟には成り得る。

 鍛冶摩里巳の回転蹴りが翔を掠める。翔の貫手が鍛冶摩里巳を掠める。一なる継承者と一影の継承者。二人の戦いは拮抗状態にあった。

 速度ならば叶翔が勝り、打たれ強さにおいては鍛冶摩が勝り、そして技の威力においてはほぼ互角。そうなると勝敗を分けるのは〝気力〟と〝体力〟。そして時の運だ。

 

「足印相、刳手の印」

 

 鍛冶摩が足指で印を結ぶことによって腕力を増大させる。忍の一族である暗鶚衆に伝わる忍術の一つだ。

 忍術といっても火を噴くなどといったメルヘンなものでも、宗教的な儀式でもなく、言うなればカラリパヤットにおける呼吸法などと同じで、特殊な印を結ぶことで人間の力を引き出す体術である。

 

「突貫二連砲!」

 

 捻りを加えた諸手突きが、空気を貫く音を鳴らしながら翔に迫る。

 弟子クラスでも最上位に位置するといって過言ではない鍛冶摩の腕力が更に底上げされ、爆発的な破壊力を生んでいた。

 

「――――っ!」

 

 されど鍛冶摩が印を結ぶことでどこをどう強化しようと、ことスピードという一点において叶翔は鍛冶摩を完全に凌駕している。スピードで翔に迫れるのは風林寺美羽とリミだけ。他の誰にも叶翔を囚うことは叶わない。

 翔はふわりと風を切る羽のように宙を舞うと、鍛冶摩の猛牛染みた破壊力の諸手突きを躱しきった。

 

「悪かったな、鍛冶摩。その技は、一影から教えられて知ってるぜ!」

 

「ふ、一なる継承者。敵にすると面倒だな」

 

 もしも叶翔に優位があるとすれば、相手の使う武術を身をもって知っているということにあるだろう。

 翔は暗鶚から闇に買われた殺人拳の申し子、そして一なる継承者。当然のように一影から暗鶚の忍術や技についても教え込まれている。故に鍛冶摩の技に対してもある程度先手をとることができるのだ。

 

「今度はこっちの番だ、喰らいな。」

 

 烏龍盤打、一影九拳のうち拳豪鬼神の渾名をもつ馬槍月より叩き込まれた劈掛拳の技だ。

 気血を送り硬質化させた手刀は名刀にも匹敵する。鍛冶摩の巌のような筋肉の鎧は、ちょっとやそっとの打撃ではびくともしない。だからこそ翔は打撃ではなく、限りなく斬撃に近い打撃である烏龍盤打を選択した。

 達人級なら完全に斬撃にまで昇華しているのだろうが、生憎と翔は未だその領域には至っていない。しかし相手が弟子クラスならば十分致死レベルのダメージを与えられるだけの威力があった。

 

「…………」

 

 鍛冶摩は迫りくる手刀を回避しようともしない。目を瞑り、真っ向より受けるつもりだった。

 ぱしんっ、と破裂音が響き渡る。見事に技を喰らった側は電流が奔ったように顔を歪め、技を喰らわせた方はニヒルに笑った。

 技を喰らった側――――〝叶翔〟は自分の手を見下ろす。すると手は剣山にでもぶつけたかのように赤くなっていた。

 

「〝錬鍛凱〟」

 

 気を整えながら鍛冶摩が技の名を告げる。それは翔も教えられたことも、聞いたこともない技だった。

 

「面白い技を使うじゃん。そいつは見たことがなかったな」

 

 より高度な武人になると腕力や脚力といった力のみならず、気血を存分に活かし戦うものであるが、鍛冶摩の使ったのはその最たるものにして反対技だ。

 

「気を練り上げつつ、インパクトの瞬間に気を炸裂させて経絡を遮断するなんてね」

 

「〝鎬断〟の伝授はまだだったというのに、一目で看破するか。殺人拳の申し子と呼ばれるだけある」

 

 どれだけ鋼鉄の如く鍛え上げようと所詮筋肉は筋肉。鎧や甲冑のように常に鉄の硬さを帯びている訳ではない。無防備に脱力した状態の筋肉というのは驚くほど脆いものだ。

 達人とて同じ。達人が人外染みた耐久力を誇るのは、単純な肉体強度だけではなく気血を送ることで肉体を頑丈にしているからだ。だからもしも経路を遮断し気血の効果がなくなってしまえば、鋼の肉体も一転して柔らかな肉となってしまう。

 翔の手刀が直撃した瞬間、鍛冶摩は気を炸裂させることで翔の手の経路を遮断したのだ。手刀だからまだ良かったものの、貫手などを放っていれば確実に指の骨を折っていただろう。

 

「だが静動轟一並みとはいかないまでも、一影もリスキーな技を教えるものだね。よりにもよってお前みたいに才能のない奴に」

 

 鎬断は莫大な気を必要とするため、経絡の通っていない者には使用できない諸刃の剣。

 こればっかりは努力云々ではなく天性の才能が物を言う。暗鶚出身で才能のある翔や美羽ならまだしも、無才の鍛冶摩に使えるような技ではない。

 ただし真っ当な方法では。

 

「代償は払っているさ。しっかりと」

 

 そう言って鍛冶摩はトントンと眼帯を叩く。

 

「鎬断の秘伝を授かった代償として、俺の片目は永久に光を失った。しかし大したことじゃない。元より武術の伝承とは死を覚悟して行うべきもの。たかが片目一つで秘伝を得ることができるのであれば不足はない。尤もお前ならば何も代償を払うことなく、俺が命懸けで掴み取った奥義を体得してしまうだろうがな」

 

「俺が妬ましいかい」

 

「妬む気持ちが皆無というわけではないが、こうして対峙していればそのような気持ちはない。俺の脳髄に占める感情は、目の前の敵を倒す。それだけだ」

 

「そうかい。けど残念だったね、その感情は叶わないよ。勝つのは俺だから!」

 

「いいや俺が勝つ!」

 

 鍛冶摩が暴力的な動の気を解放する。鍛冶摩の巨躯と殺気が合わさり猛禽類染みたオーラを放っていた。

 防御力そのものを抉る鎬断がある以上、真正面からの殴り合いだけは避けなければならない。幸い錬鍛凱でのカウンターのタイミングは先の接触で掴んでいる。二度とは喰らうまい。よって翔が発動させたのは鍛冶摩の暴力的な気とは対極、明鏡止水の静の気だ。

 

「そらぁッ!」

 

 印を結ぶことで強化された蹴りが翔を襲う。

 静の気を解放し制空圏を張った翔は、鳥の如き速度で三次元的に動きながら鍛冶摩の暴風雨染みた攻撃を掻い潜っていく。

 暗鶚の忍術を会得している翔だが、流石に忍術勝負では一影の直弟子たる鍛冶摩に一日の長がある。よって翔は〝一影〟の技ではなく、他の九拳の技をもって鍛冶摩を迎撃した。

 

「トルネードドロップキック!」

 

 空中で壁を蹴り跳躍、回転しながらのドロップキック。先ずはルチャリブレ。ディエゴ・カーロより伝授された技だ。

 人格的にディエゴと相性の悪い翔だが、空中戦を得意とする翔と同じく空中戦を得意とするルチャリブレは武術的相性は悪くない。

 

「ぐぉ……っ!」

 

 蹴りが肩に直撃し、鍛冶摩が顔を歪ませる。

 が、それは自分の技を喰らわす為にわざと喰らっただけのこと。鍛冶摩は怯まずに即座に反撃する。蹴られた衝撃をそのまま遠心力に使い肉体を回転、ラリアットを翔に喰らわした。

 

「――――ちっ!?」

 

 なまじ空中にいたせいで思うように防御ができず、翔の体は吹き飛び砦の壁に叩き付けられた。そこへ鍛冶摩が容赦なく突進してくる。

 翔は即座に立ち上がって鍛冶摩を迎え撃った。

 

「「数え抜き手!」」

 

 奇しくも互いが放った技は同じ数え抜き手。無敵超人・風林寺隼人が編み出した秘技が一つだ。翔は緒方より、鍛冶摩は一影より。教わった人間は違えど同一の技を教えられていた。

 四、三、二と異なる気を練り込んだ抜き手が交差する。果たして最後の一手、威力は完全に互角だった。

 

「「一ィィィィッ!」」

 

 最強の矛と最強の矛が相打った結果がここに出る。翔と鍛冶摩の抜き手は、お互いの抜き手とぶつかることなく、お互いの体にクリーンヒットした。

 しかし技の破壊力は同等でも打たれ強さならば鍛冶摩が勝る。翔が耐えきれなかった威力を耐えきり、鍛冶摩里巳は追いうちにかかる。

 対して耐え切れなかった叶翔はよろめき、致命的な隙を鍛冶摩里巳に晒す。

 鍛冶摩里巳が叶翔に到達するまで二秒。その二秒の間に叶翔が無防備であれば、叶翔はティダードにて心臓の鼓動を永久に止めることとなる。

 久遠の眠り、或は起死回生。

 

「静動轟一」

 

 師、本郷晶より封じられた禁忌をもって、叶翔は起死回生する。

 暗鶚の印など及びもつかないほど叶翔の肉体にエネルギーが漲る。肉体の強化は脚力や腕力のみならず全身を駆け巡り、全能感が翔を満たした。

 

地転蹴り(トゥンダンアン・グリンタナ)!」

 

 止めを刺しにきた鍛冶摩に、逆に止めとなりうる回転蹴りが直撃した。静動轟一の圧倒的な爆発力に、鍛冶摩は気を炸裂する時間もなかった。

 これにはさしもの鍛冶摩も地面へと斃れ込み、

 

「まだまだぁ……」

 

 即座に立ち上がった。

 

「白浜兼一と同じでゾンビみたいな野郎だ」

 

 静動轟一を用いた上での蹴り。如何なYOMIであろうと喰らえば一溜まりもないであろう一撃だった。

 だが翔は悪態をつきながらも、鍛冶摩が立ち上がったことにさして驚きはしない。

 鍛冶摩里巳は白浜兼一と同じだ。思想も信念も違うが、歩んできた道のりは同じ。

 白浜兼一であればあの一撃を喰らって立ち上がったことだろう。ならば白浜兼一と同じ鍛冶摩里巳がこうして立ち上がるのもまた不思議ではないことだ。

 ふとデスパー島での決勝戦の戦いが翔に思い起こされる。

 圧倒的に優勢のはずだった。負ける筈のない戦いだった。なのに負けた。

 あの敗北の味を、翔は片時も忘れたことはない。次こそは負けるものかと、常にあの敗北を胸に修行してきた。

 故に。

 

決着(ケリ)をつけるぜ」

 

 白浜兼一と同じ鍛冶摩里巳に負けるなど、叶翔の武術家としての矜持が許さない。

 

「ああ、来い」

 

 それは鍛冶摩里巳にとっても同様。ボスとしてYOMIを率いる男が、YOMIより除名された男に敗北するなど許されない。敗北者にYOMIのリーダーたる資格などないのだから。

 

「九撃一殺!」

 

 翔が一なる継承者として刻み込まれた十ツの武術。それら全てが鍛冶摩里巳に牙をむく。鍛冶摩の目には叶翔と自分を含めた十人のYOMIが同時に襲い掛かってきているようにも映った。

 コーキンのムエタイが、千影の柔術が、ボリスのコマンドサンボが、レイチェルのルチャリブレが、谷本夏の中国拳法が、朝宮龍斗の古武術が、ジェイハンのシラットが、イーサンのカラリパヤット、そして叶翔の空手が。鍛冶摩の肉体を容赦なく切り刻む。

 暴風の如き連撃。それでも鍛冶摩はひたすらにある瞬間を待っていた。

 そして九つ目の連撃が終わり、その時は訪れる。

 

(ここ、だ……っ!)

 

 一影九拳の技を繋げていく連撃には数十のパターンがあり、通常そのパターンを読み切るなど不可能。常人であればその規則性皆無の連撃に対応できず、ただ嬲られるだけだろう。

 だがこの技にはたった一つの法則がある。

 技の流れも、順番も、どんな技なのかもバラバラな九撃一殺。されど最後の一撃、最後の一手だけは必ず一影の技で締めくくられる。鍛冶摩里巳の師匠である一影の技で、だ。

 それが一影の技であるのならば、鍛冶摩にはそれがどんなものなのか分かる。

 なにせ一影より最も多く教えを受けてきたのは、叶翔ではなく鍛冶摩里巳なのだから。

 

――――風林寺、無影手。

 

 叶翔が最後に繰り出そうとしているのはこれだ。

 その技を熟知していた鍛冶摩は、完璧なまでに攻撃を回避して、逆にこちらの攻撃に打って出る。

 叶翔と目が合う。自分の失態に気付いたのだろう。だがもう遅い。

 

「風林寺、神塵し!」

 

 風林寺流に対しては風林寺流をもって。闇の一影、風林寺砕牙より教えを受けた技が叶翔に突き刺さった。

 腹を抉る拳に叶翔はゆっくりと斃れていく。これで終わり、そう鍛冶摩が認識しかけた瞬間、翔のオッドアイが発光した。

 

「静動轟一ッ!」

 

 文字通り限界を超えて叶翔が再稼働する。倒れかけた体を強引に立て直し、自分が最も信頼する人物より賜った、その人物の代名詞を放つ。

 断言できる。叶翔は限界だ。静動轟一で肉体に無理矢理に力を流して、強引に足を大地に縫い付けているに過ぎない。最後に一撃を放つのと同時に叶翔は戦闘不能になるだろう。

 ここで鍛冶摩には二つの選択肢があった。

 真っ向から勝負するか、それとも避けるか。

 どちらを選んだ方が良いというわけでもない。強いていえばどちらにも勝ち目があり、それと同じくらいの負け目がある。

 可能性が五分ならば鍛冶摩のとるべき選択は決まっていた。即ち真っ向勝負。

 

「人越拳・ねじり貫手ッ!」

 

「鎬断ッ!」

 

 拳が交差する。砦の上に若き二人の武術家の血が迸った。

 



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第104話  バグ

「梁山泊の豪傑と闇の豪傑。相容れない両者が並び立てばこうなるのか」

 

 果たしてそれは誰が漏らした言葉だったのだろう。ロナ姫に味方するバトゥアンか。もしくはヌチャルドに味方する兵士か傭兵、もしくは誰とも知らない第三勢力か。

 戦いは数だよ兄貴――――日本において屈指の知名度を誇るアニメ作品の中において、とある人物が発言した言葉だ。その言葉はあながち的外れではなく、戦いにおいて重要視されるのは物量である。

 親父と兄貴と違って某ドS並みに戦下手の癖して、やたらと自分で戦争したくなる中坊……もとい仲謀率いる呉軍10万を、800人で突撃してフルボッコにした挙句に、仲謀と孫呉の皆さんに一生忘れられない思い出(トラウマ)を刻み付けた張遼というリアル三國無双もいるわけだが、そんな性質の悪い冗談のような戦果がそう何度も発生することはない。というより何度も起きていたら困る。

 こういった少数が多数を撃破するという物事が脚光を浴びるのは、それが滅多に起きないことだからだ。ただし滅多に起きないこれらのことは、決してただの偶然で起こるわけではない。

 少数をもって大兵力を撃破したという戦果の背後には、必ず幾つもの要因がある。日本の桶狭間の合戦では雨天、地の利、奇襲を選択した信長の采配、幸運など諸々の要因があって信長は今川義元を撃破した。

 そう、大戦果の影には必ず幸運と鬼謀の二つがあるのだ。

 え? 合肥の戦い? 知らん。それは歴史家の管轄外だ。

 ともあれ、である。戦争というのは基本的に数で勝る側が圧倒的に有利。科学技術が発達して、兵器の質が有り得ないほどに向上している先進国同士の戦争であればまた異なってくるのだが、少なくともティダードの内戦において兵器の差は然程ではない。

 ここで戦力比を整理すると、まずヌチャルドの側には正規兵・傭兵合わせて1000人を超える兵隊がいた。その中には金で雇い入れた達人級すら存在する。対してロナ姫の戦力は7人である。更に言えばまともに武装しているのは雇った傭兵(しかも雑魚)だけだ。途中、闇から二人ほど援軍が駆け付けたが、それでも合計数は9人。勢力というよりは単なる集団にも等しい。

 常識的に考えて勝利云々以前の問題だ。

 だがロナ姫にとっては幸運なことに、今回のこれは合肥と同じく歴史家の管轄外の戦争だった。

 

「今回は闇の過失だ。今だけはお前の流儀に合わせてやる」

 

「はっ! すかしている暇があるんなら手ェ動かせ!」

 

 戦場を蹂躙するは最新兵器でもなければ、大兵力でもない。たった二人の空手家だった。マシンガンの掃射も戦車の徹甲弾も、人類が生み出した兵器の悉くが空手の技によって破壊されていく。

 それはもはや戦争というよりは、怪獣に挑む人類の図そのものだった。言うまでもなく人類側がヌチャルドの勢力で、怪獣が二人の空手家である。

 しかも驚くべきことに、二人の達人は戦場を容赦なく蹂躙しているようでいて、その実、唯の一人も殺していない。死んでいるように気絶している者はいるが、死んでいる人間は皆無だった。

 二人の空手家に襲い掛かるのは第三勢力、ジュナザードに飼われているシラットの達人達。

 達人である彼等は等しく無限の努力を積み重ね、人を逸脱した力を獲得した怪物達。拳のみで戦場を闊歩することを許された怪物達である。

 しかしながら怪物如きで怪獣の進撃が止められるだろうか。狼人間や吸血鬼は人間にとっては太刀打ちのできない怪物そのものだろう。されど狼人間に吸血鬼が、果たして暴れ狂うゴジラを止めることができるかと言われれば、答えはNOだ。

 

「胴回十字蹴り」

 

「上段回し蹴り」

 

 二十人ほどいた達人達が怪獣たちに蹴り飛ばされ宙を舞う。

 逆鬼至緒と本郷晶。嘗ては共に歩む好敵手同士でありながら、信念の違い故に異なる道を歩んだ両者。殺人拳と活人拳において最強の空手家と謳われた豪傑たち。

 その二人が組んだ時、それ即ち無敵。既にヌチャルドの兵士達も、ジュナザードに組する達人すらも、圧倒的過ぎる強さに心を折られていた。

 二人の進軍を阻める人間など、もうこのティダードには存在しない。

 故に二人は悠々と砦まで歩を進め、

 

「カッカッカッ。嬉しいのう、そちらから我の下へ出向いてくれるとわのう。こちらから行く手間が省けたわい」

 

 ピタリと足を止めた。

 二人の豪傑の進軍を阻める〝人間〟などティダードには存在しない。よって二人の前に現れたのは人間ではなかった。

 

「ジュナザード……俺と本郷の決闘に横槍を入れた件……」

 

「俺達をダシにして梁山泊の娘を攫ったことの……」

 

『落とし前をつけにきた』

 

 逆鬼と本郷がピッタリと同じことを言い放つと、ジュナザードは喜悦を滲み出しながら大笑いした。

 

「若造二人が我を前によくぞ吠えた。ビンビンと殺気と敵意が伝わってくるわいのう。それに大事な娘を攫われていながら、ケンカ百段からは〝殺意〟は感じぬ。風林寺のじっさまが認め梁山泊に迎え入れただけあって、筋金入りの活人拳ということじゃな。

 逆に人越拳神の方には我に対する殺意が溢れておるわいのう。根本が同質の癖して対極に進む、人間というのは愉快なものじゃわい。

 じゃがのう、若造ども。互いに万全とはいえ二人掛かりでも我には――――」

 

 拳魔邪神が言い終えるよりも早く、逆鬼と本郷の突きと蹴りがジュナザードに襲い掛かった。

 

「若造はせっかちでいかん。人の話は最後まで聞けと、お主等は教えられなかったのかいのう」

 

 特A級の本気の同時攻撃をいともあっさりと回避したジュナザードは、無重力地帯を泳ぐかのような動きで木の上に着地する。

 

「はっ! 生憎と俺ン家は言葉より先に手が出る家系でね。ンなもん口で教えられてねぇよ」

 

「それに貴様こそ他人の死闘に横槍を入れるなど師から教わらなかったのか?」

 

 逆鬼と本郷に皮肉を返され、ジュナザードはより笑い声を大きくした。

 武術家として強さの頂点に君臨した拳魔邪神ジュナザード。人の身で邪神にまでなり果てた彼の望むものは唯一つ、死闘のみ。

 最強の空手家二人というのはジュナザードにとって絶好の遊び道具だった。

 

「カッカカカカカカカカッ。良かろう良かろう、最近は我が弟子インダー・ブルーの育成が愉しくてそちらばかりに精を出しておったが、稀には息抜きも必要じゃわいのう。

 来るがいい、小僧共。ちっとばかし武術の極みというものを垣間見せてやるわいのう。冥土で悪鬼どもに語って聞かせるが良い」

 

 ジュナザードより殺気が噴出する。余りにも強烈過ぎる殺意の奔流は、ティダードの空を覆い尽くすほどのものだった。

 そしてその殺気はティダードにて気を伺う一人の男にも伝わり、ニヤリと怪しい笑みを浮かべた。

 

 

 

 ヌチャルドのいる部屋に入った兼一の目に飛び込んできたのは、今にもヌチャルドを締め殺そうとする仮面の少女だった。

 ジュナザードの『邪神』を模した仮面、クシャトリアの騎士を模した仮面、それらと意匠を同じくする鳥を模した仮面。

 顔で見えているのは口元だけだったが、それは間違いなく美羽だった。なによりもはち切れんばかりの胸を見間違える筈がない。

 

「やめろ!」

 

 咄嗟に兼一は鋭く言い放っていた。

 未知の人物が現れたことに、美羽はヌチャルドを締め殺すのを止めて、目を兼一へ向ける。

 ゾクリと氷柱が背中に突き刺さったような悪寒を味わう。仮面の奥にある美羽の瞳は暗く、とてもではないが大丈夫には見えなかった。

 

「…………」

 

 美羽はヌチャルドを締めたまま動かない。ただ視線だけが兼一に突き刺さっていた。

 余りにも美羽が止まったまま動かないせいで、よもや時間が停止しているのではないかという錯覚を覚えてしまう。しかしゆらゆらと揺れる炎がそれを否定していた。

 時間は今この瞬間もしっかりと流れている。止まっていたり、遅れたりしているということはない。

 

「美羽、さん?」

 

「…………」

 

 黙っているのが耐えられず、兼一は恐る恐る美羽に語り掛ける。だが名を呼ばれても美羽はピクリとも反応しない。

 

「美羽さん!」

 

 今度はより強く。闇に反響するほど大きな声で、彼女の名を叫ぶ。すると初めて美羽に反応があった。

 

「兼一さん?」

 

「っ! 気づきましたか!」

 

 ヌチャルドを放り捨て、美羽が躊躇いがちに近寄ってくる。兼一は安心させるよう微笑みを浮かべて、美羽に手を伸ばし、

 

「兼一さん?」

 

「ぼぎゃぁっ!?」

 

 いきなり美羽に思いっきり顔面を蹴り飛ばされた。

 まったく容赦も手加減もない、それどころか殺気すら込められた蹴りを受け、兼一はゴロゴロと転がり壁に叩き付けられる。

 

「い、いきなりなにを!? まさか出会い頭に胸を見たことを怒って……いいや、そうじゃなくて僕の事が分からないんですか!?」

 

「兼一さん?」

 

「っ!」

 

 声だけは普通に名前を聞き返すように、なのに殺意だけはそのままに。美羽が機械的に襲い掛かってきた。

 助けに来た女性に襲われる、まったく予想もしていなかった事態に兼一は狼狽する。

 

「くっ! 一体なにがどうなってるんだ……?」

 

 兼一の問いに美羽が答えてくれることはなかった。

 

 



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第105話  師の教え

 美羽は「兼一さん?」という問いを壊れた時計のように繰り返しながら、容赦のない攻撃を加えてくる。

 しかもその攻撃は美羽がいつも使っている風林寺流の技ではない。動きそのものは〝風を切る羽〟を思わせるそれであるが、そこから繰り出されるのはプンチャック・シラット。クシャトリアやジェイハンと同じものだった。

 

「うっ! 美羽さん! 正気に戻って――――」

 

「兼一さん?」

 

「そうです、兼一ですから蹴るのを止め――――っ! 駄目だ、話が通じてくれない」

 

 どれだけ兼一が呼びかけようと、美羽は攻撃を止めることはない。まるで体と口が別々の意思で動いているかのようだ。

 長老の話によればシルクァッド・ジュナザードは超人に到達した武術家でありながら人間の心を支配する術に長けているという。長老の百八秘技が一つ、忘心波衝撃も元々はジュナザードの技だったとか。

 恐らくジュナザードは美羽の記憶を消して、そこから独自の秘術を用いて美羽の中に別人格を作り上げているのだろう。

 

(でなければ、こんな!)

 

 美羽の拳や蹴りに宿るのは殺意。活人拳を志す武人が決して宿してはならぬものだ。

 ただ兼一が活人拳だからか、それともこれまで数多くのYOMIと命懸けの戦いをしてきたからか。兼一には確信していることがあった。

 

(美羽さんはまだ誰も殺していない!)

 

 あのヌチャルドを締め殺そうとした時も、美羽には確かな迷いがあった。人を殺めることを躊躇していたのである。

 もしもジュナザードの秘術が『風林寺美羽』の人格を完全に塗り潰していたのならばこうはならない。きっと心の中で美羽とジュナザードの生み出した別人格が激しく戦っているのだ。

 

――――落ちてしまえば、もう二度とは戻れはしないのだから。

 

 クシャトリアに言われた言葉を思い出す。

 ただの一度でも誰かを殺してしまえば、その手を血で汚してしまえば、完全に美羽の人格は塗り潰されてしまうだろう。

 例え自分の意思ではなく、ジュナザードに心を操られたせいだとしても、殺人という罪過は美羽のことを闇へと落としてしまう。そうなってしまえば手遅れだ。

 

「美羽さん。僕は貴女の為ならば死んでもいいと思っています。しかし」

 

「兼一さん?」

 

「貴女を救うため、貴女にだけは殺される訳にはいかない!」

 

 白浜兼一は風林寺美羽と戦うことは出来ない。だが風林寺美羽を闇に落とそうとする邪悪と戦うことは出来る。

 流水制空圏を発動し、その目をピッタリと美羽と合わせた。瞳は闇色に濁っていて、心を操られている苦しみが兼一にも伝わってくる。

 

「うおおおおおおっ!」

 

 夫婦手。剥き出しの武術をもって兼一は美羽へと挑みかかり、

 

「兼一さん?」

 

「ごぱぁっ!?」

 

 あっさりと蹴り飛ばされる。夫婦手の前の手と伏兵的な後の手を用いる暇などない。前の手を繰り出すよりも早く、疾風の如き蹴りが兼一の胸を強打した。

 心臓を突き刺す蹴りに、心臓が一瞬制止する。だが弟子クラスの中で兼一ほど心停止を経験している人間などいない。即座に復活すると、もう一度流水制空圏を張り直す。

 

(なんてこった。美羽さんが強いのは知っていたけど、今の美羽さんは……いつも以上に、強いッ!)

 

 美羽がジュナザードによって拉致されてからそう日は経っていない。なのに美羽はプンチャック・シラットをまるで違和感なく完璧に使いこなしている。

 これで拉致されたのが兼一ならばこうはいかない。今も基本的な構えを延々と繰り返していたはずだ。改めて風林寺美羽という少女の武術的ポテンシャルを思い知らされる。

 しかしそれだけが理由ではないだろう。

 幾ら美羽のポテンシャルが高かろうと、それに相応しい師がいなければこうも早く修得はできない。

 シルクァッド・ジュナザード。人間としては邪悪の極みのような男であるが、弟子育成能力が高いのは確かなようだ。

 だとしても、やるしかない。

 

――――兼ちゃん。男なら……清く正しくエロくあるね!

 

 素敵な笑顔でサムズアップする師父の顔が過ぎる。

 こんなシリアスな時に思い出すべきことでもないような気もするが、実際デスパー島ではこれでどうにかなったのだ。

 

「こうなれば馬師父、貴方の教えに賭けます! 喰らえ、馬師父式ショック療法!」

 

「!?」

 

 美羽の体がピタリと停止する。兼一は記憶が戻ったのかと顔を輝かせるが、それも本当に僅かな間のことだった。

 セクハラされた怒りが殺意に加わったのか、より強烈な突きの連打が兼一に殺到する。

 

「まだ、まだ……」

 

 だがどれほど殴られながらも、兼一の手は美羽の胸を揉んだまま離さない。美羽への想い、更に男子が等しくもつエロき心が、限界を超えた力を兼一に与えた。

 フラッシュバックする数々の想い出。馬師父にエロ本を貸してもらったこと、一緒に温泉を覗きに行ったこと、師父から写真集を一万円で買ったこと、そして数多のお色気シーン。

 この一瞬、兼一は弟子を超え妙手クラスの変態性を発揮する。

 

「うぉおおおおおおおおお! 最強コンボverエロ!」

 

 胸を掴んだままの手を激しくワキワキさせて超高速で胸をもみまくる。殴られようと蹴られようと、意識が飛ぼうと、兼一の手が止まることはなかった。

 

「あ、ぁ……けん、いち……さん……」

 

 果たして兼一の想いが届いたのか、それとも兼一のセクハラが妙な所を刺激したのか。美羽の瞳に理性の光が戻りかけてくる。

 しかし胸をもむことに夢中になっている兼一はそれに気付くことなく、寧ろ妨害が少なかったことで更に勢いを増した。

 

「うおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

「け、んいち……さん……な――――」

 

「うおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

「なんてことするんですの! 兼一さんのエッチ! 変態!!」

 

「ひでぶっ!?」

 

 この世の女性が編み出した対男性用攻撃の一つ、ビンタが炸裂した。どれだけ殴られようともみ続けるのを止めなかった手が離れる。

 

「あれ……? 兼一、さん?」

 

「うぅ。良かったです、意識が戻ったんですね美羽さん」

 

 恐ろしきかな、エロの力。極限のセクハラの果てに、美羽はジュナザードの呪縛を打ち破り理性を取り戻した。

 尤も過程が過程のせいで余り締まりはなかったが。

 

 



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第106話  闇の一影

 意識が戻った美羽がしたことは、自分の顔に纏わりついている邪魔なもの。拳魔邪神の弟子インダー・ブルーの〝顔〟を剥ぎ取ること。要するに仮面を外して投げ捨てることだった。

 

「兼一さん、ここは……?」

 

 仮面を外し兼一が何千回見惚れたか分からない素顔を露わにした美羽は、状況説明を求めた。

 操られたことがない兼一には理解できないことであるが、操られている間の記憶というのは酷く曖昧なものなのだろう。美羽は5W1Hのうち『Who』の誰が、を除いた全てがさっぱりのようだった。

 状況が状況なので手短に兼一はここがティダード王国だということ、美羽がジュナザードに洗脳され弟子にされていたこと、自分・逆鬼師匠・本郷晶・叶翔が美羽を救出するためにティダードへ赴いてきたことを大まかに説明した。

 ただしどうやって美羽の意識を取り戻したのか、所謂Howだけは敢えてぼかす。ミステリードラマで犯人が開始五分から自白などしないように、わざわざ自分でセクハラ行為を認めることもない。沈黙は美徳だ。

 

「兼一さん。なにか隠していることありませんか?」

 

「イエ、ナンニモ。ボクハ、ツネニ、キヨクタダシクエ――――こほんっ。僕は常に正しくを心がけていますよ。僕は記憶を失った美羽さんと戦いになり、傷つきながらも必死の説得で美羽さんの意識を取り戻した。いやぁ、洗脳された美羽さんは強敵でしたねぇ」

 

「どうして最初片言でしたの?」

 

「そりゃ僕は美羽さんと違って頭の出来も平凡ですからね。インドネシア語なんて一朝一夕に覚えられませんよ」

 

「私達日本語で会話してますわよ」

 

「ひゅーひゅーひゅー」

 

「口笛を吹いて誤魔化そうとして、だけど口笛に吹くのに失敗したので、口でひゅーひゅー言って誤魔化さないで下さいまし」

 

I don't know(私は知らない)

 

「英語で言っても駄目ですわよ」

 

「なっ! 中学校の英会話面接で知らない単語が入った質問の悉くを乗り切った最強の返し技が通じない……ですって? 流石は美羽さん」

 

「はぁ。もういいですわよ」

 

 兼一の必死の誤魔化しの甲斐あって美羽は諦めて――――というより呆れて目を瞑ってくれた。

 事がセクハラだけに、ほっと胸を撫で下ろす。どうにかセクハラがばれて美羽に折檻されるという未来を避けることはできたようだ。

 

「って。こんなこと話している場合じゃなかった!」

 

 外で戦っている戦車の砲弾が流れてきたのか、強烈な炸裂音と共に砦が奮える。

 美羽を助けるという最大の目的を達成することはできたが、ティダードの内戦が終結したわけでもジュナザードが死んだわけでもない。

 なにもまだ終わっていないのだ。

 

「美羽さん、早くここを出ましょう! 逆鬼師匠たちと合流するんです。ジュナザードに出くわす前に」

 

「分かりましたわ。私達だけじゃ百人いたってジュナザードには勝てませんものね」

 

 万が一ジュナザードや、そうでなくてもジュナザード配下の達人に出くわしでもしたら全てが台無しだ。

 そうなる前に安全な場所へ、ここでいうと逆鬼師匠の近くへ逃げなければならない。鍛冶摩と交戦中の叶翔のことも心配だ。

 気絶しているヌチャルドを背負うと走り出すが、廊下に出たところで美羽が蹲ってしまった。

 

「ウゥ……」

 

「美羽さん、どうしたんですか!? まさか怪我を」

 

「ジュナザードの呪縛が、まだ残っているようですわ……。アァ、ケンイチサンヲ、グチャリトツブシタイ……」

 

「こ、恐――――じゃなくて、潰さないで下さい。兎に角、師匠と合流するまではどうにか耐えて。逆鬼師匠の所さえ行けばなんとかなりますから」

 

「いや、残念ながらそれは無理だ」

 

 瞬間、美羽の意識が落ちる。

 美羽自らが意図的に意識を喪失させたのではない。未知の第三者が、美羽の首を叩き眠らせたのだ。それもただ眠らせたのではなく、苦しみも傷も与えず麻酔薬のように。

 しかも驚くべきことに兼一には美羽の意識が落ちるまで、それに全く気付くことができなかった。余りにも速すぎて。

 

「貴方、は?」

 

 まるで最初からそこにいたかのように、一人の男が美羽を後ろから抱き留めていた。

 純金を溶かし込んだかのような金色の髪。天を塗る空と同じ青い瞳。きっと美羽が男性であったらこういう風に成長するだろうし、長老の青年時代はきっとこんな風だっただろう。

 兼一の抱いた感想を裏付けるように、男は名を名乗った。

 

「風林寺砕牙、その子の父親だよ」

 

「――――!」

 

 所要で留守にしているという梁山泊最後の豪傑、長老の息子であり美羽の実父。

 

(この人が、美羽さんの父親)

 

 成程、前にしているだけだというのに途方もない存在感を感じる。まるで長老やジュナザードと対峙しているようだ。

 

「本当に危ない時以外には手を出さないつもりだったが、このままだと倒壊する砦の下敷きになりかねない。人越拳神も君の師匠も拳魔邪神にかかりきりだし、拳魔邪帝も君に構う余裕はなさそうだった。白浜兼一くん、出来れば私のことは美羽には黙っておいてくれ」

 

「え、でも、その――――」

 

「いいね?」

 

「わ、分かりました」

 

 風林寺砕牙の強い眼光に押されて、思わず頷いてしまう。

 砕牙は「良し」と言うと、美羽のことを抱き留めたまま兼一の肩を掴んだ。

 

「つかぬことを聞きますが……」

 

「なんだい?」

 

「どうして僕の肩を?」

 

「決まっているじゃないか。脱出するんだよ、ここから」

 

 瞬間、兼一の体が物凄い勢いで上に引っ張られていく。兼一と美羽、ついでに気絶中のヌチャルド。三人もの人間を抱えているのに、風林寺砕牙はまったく気にした風もない。

 砦の天井を片手で突き破りながら、風林寺砕牙は砦から脱出していった。

 

 

 

 互いに師より伝授された、己の象徴ともいっていい技を出し合った翔と鍛冶摩の交錯は相討ちに終わっていた。翔のねじり貫手が鍛冶摩を貫いたように、鍛冶摩の鎬断は翔の体を抉っていった。

 肩で息をしながらも、それでも師の名誉のため二人の弟子は立ち上がる。

 共に相手の攻撃の直撃を受けた者同士。とても万全ではないが、命を絞ればまだ戦うことは出来る。

 

「ちっ。経絡が遮断されてやがる。これは今日一杯は左腕は役立たずだな。やってくれたぜ。颯爽と美羽の下に駆け付けて、心を射止める白馬の王子作戦が台無しになった。どうしてくれんだよ、鍛冶摩」

 

「なに。やってくれたのはお互い様だ」

 

 鍛冶摩は壮絶に笑いながら、翔の貫手が突き刺された右肩を叩く。翔が左腕をやられたように、鍛冶摩は右腕をやられていた。

 

「それに風林寺美羽は武門の女性だ。白馬にのって着飾ったプリンスなどより、傷だらけでボロボロになりながら助けに来た勇者を尊ぶんじゃないのか?」

 

「だといいがね。ま、互いに余力は少ねえ。決着をつけようか」

 

「俺もここでどちらがYOMIの頂点にいるべき男なのか決めておきたいところではあるが、残念ながら時間切れのようだ」

 

「なに?」

 

 どういうことだ、と翔が尋ねるよりも先に答えは出た。砦の天井を突き破り、一人の男が三人もの人間を抱えて飛び出してくる。

 その男が誰なのか、一なる継承者である翔には一目で分かった。

 

「貴方は一影。驚きましたね、貴方まで来ていたんですか」

 

「直接会うのは久しいな、叶翔」

 

 一影、風林寺砕牙は抱えていた三人、美羽とおまけの謎のガングロ中年&兼一を降ろす。

 美羽とガングロ中年は元より、兼一の方も天井を突き破った衝撃で気絶しているようだった。

 

「これは一影様。〝一影様〟より命じられた『叶翔を試す』という任務、概ね完了しました」

 

「俺を試すだって? どういうことだよ、鍛冶摩」

 

「簡単な話さ。デスパー島で風林寺美羽を身を挺して守ったことで、一影九拳の間でもお前の殺人拳としての資質、非情さの欠落が問題になっていた。それで今回のこれだ。

 殺人拳の申し子でありながら非情さのかける叶翔。果たして叶翔には欠けている非情さを埋めるだけの価値、武術的才能があるかどうか。この機会に試してみよ、と一影は仰られた。

 この俺と戦い敗北するようならばそこまでの器として処分する。だがもしもそうでなければ、処分を一旦保留とする。良かったな、叶翔。この戦いは取り敢えず引き分け、処分は保留だ」

 

「そうかよ」

 

 つまるところ鍛冶摩は兼一たちを邪魔しにきたというわけではなく、叶翔を目的にしてきたということらしい。

 別に試されたことそのものに不快感はないが、どうせならばもっと別の日にして欲しかったと思わざるをえなかった。

 

「鍛冶摩、こちらもやることは済ませた。戻るぞ」

 

「はっ、一影様」

 

 瞬間、テレポートしたかのように一影と鍛冶摩の姿が掻き消える。

 勿論本当にテレポートしたのではなく、ただ物凄く高速で移動しただけなのだろうが、どちらにせよ見えないのならば大差はない。

 

「おい、起きろ虫けら」

 

 なんとなく腹が立ったので、翔は気絶している兼一の頭を蹴りつけることにした。



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第107話  無駄話

 大変、長らくお待たせしました。本当に久しぶりに視点が主人公のクシャトリアに戻ります。



 神様というものは、人間の生活に不可欠な存在というわけではない。

 別に神にお祈りを捧げなければ、明日にでも世界中に大津波が発生して遍く大地が海底に沈むわけでもない。聖母マリアのなんたらを踏みつけたところで、マリア様が天上から降臨して踏んずけた人間を撲殺するわけでもない。

 手塚治虫の漫画にジュースを零して駄目にしたとしても、漫画の神様が現れて怒りの言葉を吐き出すわけでもないだろう。

 世界史の教科書にあったジャンヌ・ダルクの肖像画にチョビ髭の落書きをした少年Aは、三十年過ぎて中年Aになって元気している。神社で立ち小便した悪ガキAは現在は真面目に弁護士をしている。

 お正月に自分の金を賽銭箱に投げ捨てずとも、クリスマスにイエス様に感謝しながら恋人とベッドでハッスルせずとも、人間は病やなにやらで死ぬまで普通に生きていくことができるだろう。

 中世の昔などは神を信じない人間が殺されることもあったそうだが、それにしたって殺すのは神様ではなく、神様を信じている人間だ。ということはつまり異端審問を恐怖して神様を信仰する人間は、神様ではなく神様を信仰している人間を信仰していると言えなくもない。

 あらゆる宗教、あらゆる神話、あらゆる伝説が人間の作り出した物語、或は事実を脚色した創作物だとするのであれば、人は神ではなくそれを紡いだ作者を信じているといっても過言ではない――――と、考える。

 

「だからつまり……神様がいなくても、人は生きていける。けれど不思議なことに、神様がいない文明は存在しない」

 

 何度も断言するが、神様という超常の存在が存在せずとも人間は存在し続けることができる。つまり人間の存在と神様の存在はイコールの関係ではなく、そもそも合理的にあろうとするのならば神様なんて要らないのだ。

 なのに人間と神様は常に一緒だ。世界中の文明全てに〝神様〟と呼ばれる超常の存在が信じられていた歴史が存在する。

 要るはずがないのに、必ず人間の歴史に居る存在。

 存在しないのに人間の歴史に常に大きな影響を与え続けてきた存在。

 

――――神様。

 

 異なる大地で、異なる歴史を歩んだ数多の文明に共通して存在する存在しない存在。

 だがしかし。神様というものは時代が経つにつれて影響力を低下しつつある。

 現代社会でも神様がテロリズムやなにやらの原因になりはするものの、それにしても大昔ほどの規模でも頻度でもないだろう。

 仮に、もしも万が一。

 この世界にある国が先進国だけだと仮定した上で、あらゆる信仰を完全にリセットしてしまえば、もう現代ほど信仰を得る神様が誕生することはなくなるだろう。

 

「要するに神様は人間の未知の象徴だ。人間というのは……まぁ他の動物と比べて頭が発達している。知っているか? 言葉をもつ生物は人間だけなんだ。

 よく犬や猫が意思をもって話し出すとかああいう創作話があるが、あれは全部真っ赤な嘘だ。犬猫などの動物に、人間の言葉を理解する頭はない。

 こんな話を知っているか? アメリカで昔、チンパンジーに人間の言葉を教えるっていう実験があったそうだ。勿論チンパンジーが人間の言葉を喋れるわけがないから、言葉ではなくアメリカ手話を教えようとしたわけだよ。

 確か実験台となった動物はニム・チンプスキーとかいったか。念のため下ネタ大好きな小学生のために捕捉しておくと、プをコにするんじゃあないぞ。マグナムとかの話題で盛り上がれるのは、修学旅行夜のテンションの時と幼稚園から小学校低学年までだからな。

 このチンパンジーの話は映画にもなっているから、興味があるのならばそっちを見てくれ。ぶっちゃけどうしてチンパンジーに人間の言葉を理解させる実験が失敗したのだとか、一々説明すると長くなる。具体的な文字数で言うと二万文字くらい。大体な、理系は俺の専門じゃない。俺の専門は強いてあげるならスポーツ科学だ。ほら、なんだかんだで武術家だからな、俺は。ま、そんなまるで本筋と関係ないことに時間を浪費するのも馬鹿らしいだろう」

 

「あの、拳魔邪帝様?」

 

「なんだい? ティダード正規軍に所属していて、死んだとされている王子ジェイハンに心酔していて、拳魔邪神ジュナザードに反感をもっていて、ティダードを平和にするため自分が実権を握ろうとしているガジャ大佐」

 

「いや、何故そのような説明口調で……。まぁそれはさておき、何が言いたいのです?」

 

「ん、ああ要は人間というのは真理を追い求める生命体ということだよ。どうして世界が生まれたのか、どうして雨が降るのか、どうして鳥は空を飛ぶのか、どうして昼と夜があるのか、どうしてリンゴは地面に落ちるのか。

 こういう普通の動物なら『そういうものなのだ』と当たり前に享受しているあれやこれ。人間はそういうあれやこれに理由をつけたがる。理由はないけど、何故かこうなる――――そういうことに人間は納得できない。この世界の全生物の中で一番面倒臭くて粘着質なのが人間なんだよ。

 かといって大昔の人間というのは知識が狭いから、あれやこれの説明できない現象に理由をこじつける。世界が生まれたのは、神様が世界を作り出したからだ。光が満ちるのは神様が『光あれ』と言ったからだ。太陽は神様の化身だったり、月も太陽の化身だったり、地球は水平で、世界の果てには大蛇がいる」

 

「お伽噺ですな」

 

「ああ、お伽噺だ。だが数百年前、数千年前はそれが世界の真理だった。そう人間に信じられてきたし、当時の人間にとってそれが紛れもない真実だった」

 

「…………」

 

「だがまぁ月並みな言葉だが、人間の科学は進歩した。地球誕生や人間誕生、あれやこれの大抵は科学的に説明がつく世の中になってしまっている。人間が神様が作った泥人形である、なんて今やどれほどの人間が本気で信じていると思う? 俺は知らないが、きっと数えきれる程の数だろう。

 ちなみにガジャ大佐。君は人間はどうして生まれたと思っている? 神様がアダムとイブを作ったからか、それとも――――」

 

「余りその手の学問については詳しくないので一般論しか申せませぬが、サルから進化したのではないでしょうか」

 

「そう、それだよ。神様がいなくても人間は存在できる。この世に要らないはずなのに要る存在であるところの神様。存在しないのに存在する存在。そういうあやふやな存在を、人間はこれまで自分達の理解できないあれやこれの原因として祭り上げ、当て嵌めてきたわけだが――――人間の認識が広がったことで、あれやこれに神様を当て嵌める必要がなくなってしまった。

 きっとこれは一人立ちっていうんだろう。神は死んだと謳いあげた哲学者がいたけれど、きっとそれはこう言い換えるべきだろう。神は要らなくなったと」

 

 そしてここで問題だ。これまでで何回『存在』という二文字が出てきたか。正解者にはハワイ旅行へ行く妄想をする権利をプレゼント。先着五名様まで。

 

「とまぁこれまで俺の元教え子の筑波……おっと、実名を出すのは不味いので仮に生徒Tとしよう。生徒Tのように中学二年生みたいなことを言ったところでだよ。俺が何を言いたいのか分かったか?」

 

「いえ、さっぱりです」

 

「それは良かった。分からないということは君の頭は正常だ」

 

 こんな無駄話の中から、クシャトリアの言わんとしている事が理解できたのであれば、それはもう頭がすこぶる残念かすこぶる上等かの二者択一だ。

 どちらにしても人間として異常なことには変わりはない。平凡から外れているという意味において、天才も痴呆も同じ異常者であるのは確かなのだから。

 だからもしも分かってしまった正解者の誰か。貴方は果たしてどちらの異常者か。

 

「ま、冗長的で無意味で無駄な前置きは終わりにしよう。いい加減、話を進めないと飽きてしまうだろう。君も」

 

「そんなことはありません。拳魔邪帝様」

 

「ああ、分かるよ。立場上、俺のことをよいしょしないといけないんだな。俺の弟子曰く、こういうのをマンセーというらしい。悪くない気分だな……マンセー。まったくどうでもいいことで時間を潰したのに、まるで自分が高尚な話をした気分になれる。

 俺のこれは立場の上下関係によるマンセーだが、マンセーされる理由も色々だ。そしてマンセーによって昇華されるものも色々だ。

 最低のゲス野郎でもマンセーされれば、カリスマある悪の帝王になれる。幼稚な動機で動くつまらん悪党も、美少女だからという理由でマンセーされる。そしてただの一般人もマンセーされれば主人公になれる。主人公だからマンセーされる。

 もしも俺が物語の主人公なら、きっと多くの顔も知らない誰かにマンセーされるんだろう。俺なんて実にチープでつまらない屑な小物なのに、まるで凄味のある悪党と思われたり悲劇の主人公にされたりするんだろう」

 

 と、そこでクシャトリアは言葉を切る。またしても果てしなく無駄な話をして、会話を著しく脱線させてしまった。

 ガジャ大佐もいい加減マンセーするのにうんざりして退屈してきたことだろう。クシャトリアは話を改めて戻す。

 

「本題に入ろう。だから俺は拳魔邪神ジュナザードを殺すんだ」

 

 ぶっ、とガジャ大佐が噴き出した。

 

「待ってください!」

 

「なんだ? 俺は前置きを除外して本題を述べたんだ。無駄話から解放されたんだぞ。もっと喜べ」

 

「除外し過ぎです。なにがどうだから拳魔邪神を殺すのかさっぱりです」

 

 誰かに話をするというのは難しい。伝えるべきことを、100%きっかり伝えるのは更に難題だ。

 話すべきではないことが混ざり、話さなくてはならないことが抜けたり、説明するというのも一つの才能である。

 クシャトリアは説明する天才ではないので、100%きっかり伝えるべきことだけを伝えるのは不可能。

 ならば無駄話という不純物を混ぜながらも、話すべき100%を説明するか。それとも話すべきことだけを話そうとして100%未満の説明をするか選ばなければならない。

 クシャトリアは前者を選ぶことにした。

 

「俺の我が師匠ジュナザードに向ける感情というのは色々と複雑だ。前にこんなことがあった。妙手時代に闇の武器組と交流する機会があったんだが、偶然にも武器組最高幹部であるところの噛ま使い……もとい鎌使いに会ってね。

 知っているかな? 八煌断罪刃の一人であるミハイ・シュティルベイという俺の大嫌いな男だ。そのミハイというのがこれまた漫画に出てくるやられ役の三下に忠実な性格の持ち主でね。そりゃもうわざとやってるんじゃないかって勘繰るほどに。

 で、その噛ませ男はあろうことか悪口を言っただけだ。我が師ジュナザードも所詮は無手の武人、飯事に過ぎないとかなんとか偉そうに。三下臭全開で、俺の前で言ったわけだよ。言っちゃったんだよ」

 

「はぁ」

 

「別に誰がどうジュナザードの悪口を言おうと俺は怒りはしない。外道、下種、人間の屑、糞野郎、吐き気を催す邪悪。全て結構だ。俺もそう思っているし全て事実だ。

 だが――――師匠の〝強さ〟に対する悪口だけは許せない。拳魔邪神ジュナザードは世界最強の男だ。ジュナザードより強い男はこの宇宙に存在しない」

 

 例えジュナザードがこの先、誰かの手で殺されることがあったとしても、それはジュナザードが弱かったからではなく、なにか別の要因があったからだろう。

 自分の命のために多くの命を踏み躙ったクシャトリアだが、これだけは命を懸けて断言できる。

 

「その日からというもの俺は八煌断罪刃が大嫌いになった。まったくあの噛ませにも困ったものだ。あいつ一人のせいで、まだ見ぬ七人の断罪刃を知らず嫌いすることになってしまった。ああいうのがいるから、この世界から人種差別がなくならないんだ。そうは思わないか、大佐?」

 

「…………一つだけ言わせて下さい。今度は無駄話をし過ぎです」

 

「ん? 俺がどうして断罪刃を嫌っているかの理由を知りたい人が多そうだったから、この機会に説明したんだが不要だったか」

 

「貴方の話を聞いているのは私だけですが?」

 

「勘違いするなよ。別にこれからこの話題を出せるタイミングがなかったから、ここで無理矢理に話したわけじゃないんだからな。とまぁティダード人には分かるはずのないリミ仕込のネタは置いておくにしてだ。これからしようとした無駄話を九割排除して一割の前置きを述べよう」

 

 コホンとわざとらしい咳払いを一回。話を切り替える。

 

「多くの国家が神様から独立して、資本主義経済に、銀行で刷られた札束に、解明した物理法則で一人立ちしている現代で、この国には未だに神が世を支配している。

 いい加減、この国も神なんてものに頼らず一人立ちすべき時が来たわけだよ。いや本当ならとっくに一人立ちの時が来ているのに、神様の邪魔が入って出来ないでいる。ラデン・ティダード・ジェイハンも神様の我がままで殺されたようなものだ。

 だから俺は神に反抗心をもっている君を利用して、拳魔邪神ジュナザードを殺す。ティダードの呪縛を解き放つという大義名分を掲げて、俺の呪縛を解き放つために」

 

「……拳魔邪帝様。事が済んだ後は」

 

「俺に君の後見人になれというんだろう」

 

 ガジャ大佐が頷く。拳魔邪神の後継者と周囲に認知されているクシャトリアが後ろ盾となれば、王族ではない一介の大佐でもティダードの王となることが可能だろう。

 ただし恐らく計画が順調にいってもガジャ大佐が王となることはあるまい。なにせ彼が忠誠を捧げた王は死んではいないのだから。

 

「それとガジャ大佐――――」

 

 それと読者の皆様――――。

 

「こんな何の意味もない無駄話に時間を浪費させてしまい申し訳ない」

 

 こんな何の進展もない無駄話に時間を浪費させてしまい申し訳ない。

 

「そろそろ計画を進めるから」

 

 そろそろ展開を進めるから。

 



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第108話  王の帰還

 人間を超えた埒外の戦闘力を保有する通常の達人級が束になっても敵わない超越者。彼等を人々は敬意をもって特A級の達人と呼ぶ。

 梁山泊と一影九拳。活人拳・殺人拳の違いはあれど、特A級にまで登り詰めた豪傑の集う場所とされ、裏武術界からは畏敬の念を抱かせるものだ。その強さに対しての憧憬は、もはや一種の信仰といっても過言ではない。

 故に裏武術界に精通した武術愛好家がこの場にいれば、卒倒してもおかしくはないだろう。

 逆鬼至緒と本郷晶。共に最強の空手家と謳われた二人の豪傑。それがたった一人の武術家に、まるで子供のようにあしらわれていたのだから。

 

「カッカッカッカカカカカカカカカカカッ。風林寺のじっさまが迎え入れ、一影九拳に名を連ねただけあって若いのに筋が良いわいのう。じゃが武術家としての年季が違い過ぎたわいのう。ボウヤ」

 

「……チッ。化け物が」

 

「――――――」

 

 戦闘続行不可能な程ではないにしても、負傷が目立つ逆鬼と本郷に対して、拳魔邪神ジュナザードはまったくの無傷だ。体どころか服にも仮面にも傷一つとしてありはしない。

 これが拳魔邪神ジュナザードの実力。〝無敵超人〟風林寺隼人と〝二天閻羅王〟世戯 煌臥之助と並び立つ世界最強の武人。特A級という百の達人を圧倒する強者二人ですら、達人を超えた超人一人に及ばない。人間を逸脱した絶対強者、闇の一影ですら縛ることの叶わぬイレギュラーは伊達ではないのだ。

 仮定の話だが、ジュナザードを相手したのが逆鬼か本郷のどちらかだけならばジュナザードも傷を負っていたかもしれない。圧倒的過ぎる強さをもつジュナザードが本気を出せば、相手が特A級だろうと直ぐに撃破できる。そうしないためにジュナザードは手を抜き、悪く言えば〝遊ぶ〟ことで戦いを長く楽しもうとするのだ。

 しかし皮肉なことになまじ二人掛かりで挑んだせいで、ジュナザードの遊びや油断が薄まり、ジュナザードはより本気に近くなってしまった。その結果がこれである。

 

「ったく。あの爺と引き分けたっていうのは嘘偽りねえ真実ってことかよ。おい本郷、一影九拳の中であの野郎一人だけ頭一つ飛びぬけてねえか?」

 

「…………もしもジュナザードの〝強さ〟が俺やお前と同等ならば、とっくに一影の手により九拳から排除されていただろう。奴の勝手は笑う鋼拳など及びもつかんものだ。つまり」

 

「それが許される、いや許さるざるをえねえ実力の持ち主ってわけか?」

 

「ああ。ジュナザード、奴は俺達二人よりも強い」

 

 闇内部の序列は、血統も身分も関係なく純粋な強さのみで評価される。今の一影九拳も他の闇人全てより強いと判断されたからこそ、無手組の最高幹部に名を連ねているのだし、YOMI幹部たちも常に継承者の座を狙う挑戦者に勝利し続けているのだ。

 故に無手組の長である一影は、無手組最強の実力者でなければならない。

 事実一影は他の九拳とは頭一つ飛びぬけた強さをもっている。或は一影もまた超人と呼ばれるだけの実力者なのだろう。

 だがその唯一の例外こそがジュナザード。九拳の一人でありながら、一影に匹敵、または凌駕するほどの使い手。それがために歴代の闇の長も、ジュナザードを廃除することも御することも出来なかった。

 反感をもつ者は多くいたが、その悉くがジュナザードの強さの前にひれ伏すざるをえなかったのだ。

 

「さて。弟子育成の丁度良い息抜きになったが、少しばかし浪費が過ぎたかいのう。気が付けば砦が落ちて――――むっ?」

 

 ジュナザードの超人的な視力が砦の天井を突き破る一影、そして彼の抱えていた三人の人間を補足した。

 ヌチャルドに史上最強の弟子――――この二人はジュナザードにとってさして関心のある人間ではない。ジュナザードの視線が釘づけになったのはもう一人、一影の抱えている風林寺美羽だ。

 

「我としたことが本当に遊び過ぎてしまったわい。じゃがよもや彼奴まで出張ってくるとわのう。我が目をもってしても見抜けなんだわい。闇の長などと名乗りながら、彼奴も案外と心が甘い」

 

 風林寺美羽はジュナザードにとって風林寺隼人を敵に回し、人越拳神を利用するなどの労力を使って手に入れた逸材だ。それだけの価値、武術家としての高い素養が美羽にはある。

 美羽を己の弟子にするにあたって、ジュナザードは記憶を消して擬似人格を新たに植え付けている。この暗示は非常に強力で、例え風林寺隼人をもってしても解除することは至難の業だ。

 だがそれにも例外がある。あの無敵超人の孫娘だけあって美羽は途轍もない精神力をもっており、ジュナザードの秘術をもってしても未だ完全に心を支配しきれていない。精神を操ることに長けた人間ならば、暗示を解除することも不可能ではないだろう。

 ましてや美羽を助けた一影は彼女の実父だ。インダー・ブルーとしての人格を抜け出して、元の意識を取り戻していたとしても不思議ではない。

 けれどもジュナザードには美羽以上に〝一影〟の方に意識が傾いていた。

 

「カカッ。ティダードは我が国、どこへ逃げようとブルーの居場所は直ぐに見つけられるわいのう。ならば――――」

 

 空手家二人を相手にするのにも飽きてきたところだ。ジュナザードの殺意は、一影九拳の長たる風林寺砕牙へと向けられていた。

 

「風林寺のじっさまの倅。一影九拳の長というのならば、そこの空手家たちよりは楽しめてくれそうじゃわいのう」

 

 ジュナザードが足を一影へと向ける。一影の方は丁度直弟子の鍛冶摩を抱え、ここティダードより退散するつもりのようだった。

 そうは問屋が卸さない。ジュナザードに目をつけられたのが運の尽き。ギリシャ然り、北欧然り、インド然り。大凡あらゆる神話において、神に目をつけるというのは厄介ごとの前触れなのだから。

 

「テメエ、何処へ行きやがる」

 

 逆鬼に呼び止められ、ジュナザードの脚が止まる。

 

「カカッ。そういえば食い残しはマナー違反じゃわいのう。一影を喰らう前に、貴様等二人の武術家人生を摘み取っておくとしようかいのう」

 

 ジュナザードが手を伸ばす。逆鬼と本郷は身構え、最大の警戒をもって神を迎え撃とうとした。けれど手を伸ばし切るよりも早く、ジュナザードに巨大な鉄の塊が飛んでくる。

 音速を軽く超えた速度で飛んできた巨大な砲弾を、ジュナザードは振り返ることもなくあっさりと回避する。

 しかし無粋な横槍を入れられたことでジュナザードの機嫌は著しく損なわれて、

 

「カカッ」

 

 いなかった。横槍を入れたのが見知らぬ第三者であれば機嫌は急転直下で最悪まで落ちていたが、その横槍を入れた主がある人物だったことで機嫌は寧ろ上がった。

 

「漸く我に刃向ってきたかいのう。……のう、我が継承者」

 

「こうして直接ご尊顔を目にするのは、かれこれデスパー島後の会合以来ですね。我が師匠」

 

 ティダードの戦場にて遂に帝王は神に抗った。

 

 

 

「やれ」

 

 クシャトリアが一言そう命じると、引き連れてきた正規軍が一斉に攻撃を開始する。

 攻撃対象はヌチャルドの勢力とジュナザードの勢力。しかしながらヌチャルドの勢力はもはや白旗をあげている状態なので、実質的にはジュナザードの勢力のみに砲火を浴びせていた。

 そしてジュナザードの勢力を攻撃するということは、この場面においてはロナ姫を助けるということでもある。

 

「拳魔邪帝様。どうして貴方が!?」

 

 これまでどれほど協力を要請しても中立を崩さなかったクシャトリアが、こうしてこれ以上ない形で援軍として現れたのである。当然ロナ姫は困惑し、理由を問いただした。

 

「拳魔邪神ジュナザードの横暴は、例え彼が嘗てティダードを救った英雄としても目が余る。なので溢れんばかりの正義の心に従って、こうしてロナ姫の下へ馳せ参じた。なにか問題でも?」

 

「…………」

 

 まったく心のない、予め用意していた台本を読み上げただけの棒読み。言うまでもなくロナ姫はクシャトリアの言葉を信じることもなかった。ただ理由を信じることができなくても、こうしてクシャトリアが助けに現れた現実は認めるしかない。

 クシャトリアが指でパチンッと合図をすると、即座に数十人の兵士がロナ姫の周囲を固める。

 ジュナザードの勢力には達人達が多くいるが、その殆どは逆鬼と本郷に撃破されており、残っている者だけでは正規軍の物量の相手は厳しい。シラットを極めた達人達は、戦車や銃火器などの闇としては無粋な兵器で鎮圧されていった。わざわざクシャトリアが出張る必要はない。

 よってクシャトリアが意識を注ぐのは唯一人の男、ジュナザードのみだ。

 

「おのれ! 一番弟子でありながらジュナザード様に仇なすか!」

 

「如何に邪帝様といえど邪神様に敵なす輩には容赦せん!」

 

 戦場からジュナザード配下の達人が二人飛び出してくる。クシャトリアは嘆息しつつ、

 

「櫛灘流秘技〝逆さ睨み〟」

 

 達人二人の首が、百八十度反対に捻じ曲げられた。そうなってはもう達人といえど生きていられるはずがない。武術を極めた達人はあっさりと絶命した。

 邪魔者を掃除したクシャトリアは改めて邪神を見据える。

 

師匠(グル)。貴方にシルクァッドの名を与えられて、これほど感謝したことはありませんよ。もしも俺がシルクァッド・サヤップ・クシャトリアではなく、ただのクシャトリアならば正規軍を掌握することは難しかった。

 明けの明星に力を与えすぎたばかりに、三分の一の天使と一緒に裏切られた神と同じ過ちをしましたね。やはりどこの国の神もまるで異なるようでいて共通点がある。緒方がマニアになるのも無理はない」

 

「カカッ。確かその話だと神に刃向った十二枚羽は、結局神をその座から追い落とすこともできず、無様に地獄に落ちたのではなかったのかいのう」

 

「お気遣いされずとも、俺は明星ほど傲慢じゃあない。俺は自分が神に及ばないことくらい理解している。貴方の強さを前にすれば、数百を超える正規軍なぞ何の力にもなりはしない。だから対抗馬を用意した」

 

 その時だった。拳魔邪神に対抗できる力をもつ数少ない一人、無敵超人の声が轟いたのは。

 

「全員、戦をやめい! 汝等の王の帰還なるぞ!!」

 

 ティダードへと現れた無敵超人、その隣に立っているのはラデン・ティダード・ジェイハン。このティダードの王だ。

 王の帰還にこれまで争っていた者達、ジュナザード配下の達人すら熱狂する。

 

「成程。これがお主の隠し玉かいのう」

 

「拳魔邪神ジュナザード、ここで死ね」

 

 初めてジュナザードの瞳に、驚きの色が混ざった。

 




 お知らせです。
 計算してみると12月24日、つまり丁度クリスマスの日にこのss完結しそうです。


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第109話  神の撤退

「我が民よ。私は帰ってきた!」

 

『おおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――ッッ!!』

 

 達人も、男も、女も、子供も、雇われの傭兵すらも。ラデン・ティダード・ジェイハンという〝王〟を雄叫びと共に迎えた。

 銃声は鳴りやみ、かわりに戦場に轟くのは歓声。ジェイハンの妹でもあるロナ姫などは、感動のせいで足が震えていた。

 ここに戦いの趨勢は決したといってもいい。そもこの内乱はジェイハンという王が消えたことにより発生している。よってそのジェイハンが戻れば、争いが集結するのは火を見るよりも明らかというものだ。

 ジュナザードに付き従っていた達人すらも、武器から手を放し、己等の王に傅く。

 

「孫娘を取り返しに風林寺のじっさまが我の前に現れるのは想定しておったし、お主が女宿となにやら策を巡らしていたのは感付いておったが、あの小僧が生きているとは一本とられたわいのう」

 

 驚きながらもジュナザードには不愉快さというものはない。寧ろどこか楽しげに拍手喝采の中心にいるジェイハンを見る。嘗て自分で引導を渡そうとした弟子を見る瞳は、驚くほどの冷酷さに満ちていた。

 あの目はジェイハンを見ているようで、実はまるで見ていない。一人の人間ではなく、舞台の登場人物へ向けるものと殆ど同じだ。

 

「どこまでお主の仕掛けじゃ? 我が雪山でジェイハンを消そうとした所からかいのう」

 

「まさか。演義補正全開の孔明じゃあるまいし、俺はそこまでなんでもかんでも掌の上じゃありませんよ。ジェイハンが雪崩から生還したのは、ジェイハンの類まれなる身体能力故のもの。

 貴方が雪山でジェイハンを消そうとしたのも、ジェイハンが自力で生還したのも、ジェイハンが貴方から身を隠すためにラーメン屋になったのも全て偶然の産物です。そんなジェイハンの動向を俺だけがキャッチできたのも」

 

 なにかがあると予感して、雪山に部下を貼りつかせていたのは幸運だったといえる。もしもそうしていなければ、ジュナザードでさえ『死んだ』と思っていたジェイハンの生存をクシャトリアが知ることはできなかった。

 YOMI幹部には多才な人間が多いが、ジェイハンは特に武術以外の能力の方もずば抜けている。こと政治能力や運営手腕、王としての才幹でいえばジュナザードすらジェイハンには及ぶまい。

 だからこそジュナザードはジェイハンを危険視し、ほんのわずかな失態で彼を粛清しようとしたのだ。

 

「俺のやったことなんて精々が孫娘の行方を追う風林寺隼人殿に、日本のラーメン屋にジェイハンがいるという情報を流しただけ」

 

「言いよるわ。風林寺のじっさますら掌で操ったじゃろうにのう。じゃがこの策、風林寺のじっさまの性格を知り尽くしていなければ成立せんわい。となるとこれはお主だけの筋書ではあるまい」

 

「さて。なんのことだか」

 

 ジュナザードの冷徹な眼光はクシャトリアのみならず、その背後にいる美雲の存在をも見抜いていた。

 特A級をも超えた実力のみに目を奪われがちだが、ジュナザードは分析力もずば抜けている。静のタイプは伊達ではないのだ。

 

「ジュナザード様」

 

 拳魔邪神の配下が一人、メナングが戦場から抜け出してジュナザードの前に参じる。

 一瞬メナングと目が合うが、クシャトリアは何も言うことはなかった。メナングもクシャトリアに対して何か言うことはなかった。メナングはジュナザードの臣下としての義務を全うする。

 

「正当継承者のジェイハン殿が御帰還なされたことで、形勢は圧倒的に我が方の不利です。無敵超人・風林寺隼人もいるとなれば、ここは撤退するべきかと進言させて頂きます」

 

「ふむぅ」

 

 メナングは他者を己の快楽の道具としか見做していないジュナザードが、腹心として信を置いている数少ない一人である。故にジュナザードもメナングの進言には耳を傾けた。

 ジュナザードは数秒ほど沈黙すると、やがて溜息をつきながら、

 

「致し方ないわいのう。特A級が五人来ようと構わぬし、王子が何度蘇ろうと何度も殺すまでじゃが、風林寺のじっさま相手となると我もそれなりの準備をせねばならん。ここは潔く退くのが大人の武人というものじゃわいのう」

 

 唯一自分と対等と認めた男がいるという一点が、ジュナザードに退却を決断させた。決断すれば行動は早い。ジュナザードは他大勢の部下にはまるで構わず、メナング一人だけを連れて戦場から立ち去る。

 一年前は一緒についていったであろうクシャトリアは、師の背中を見送りながら動くことはない。

 

「追ってこんのかいのう、クシャトリアよ。お主の目的は我を殺すことじゃろう?」

 

「俺は貴方とだけは戦いたくない。念のために捕捉しておくと、感傷だとかセンティメントな理由じゃなく純粋に死にたくないからですが」

 

 そもそも自分の手でジュナザードを殺す自信があるのならばとっくにそうしている。

 クシャトリアは殺したい相手を何の理由もなく生き延びさせていくほど呑気ではない。殺したい相手がいるのならば、迷わず即座に殺す。

 そうしなかったのは自分一人の力でジュナザードを殺せる可能性が非常に少ないからだ。なによりも、

 

「貴方が風林寺美羽を誘拐した時点で、もはや貴方と風林寺隼人の激突は不可避となっている。激突を避けるにはもはや二人のうちどちらかが『激突する前に死ぬ』くらいしかない。

 或は貴方が震え慄いて身を隠したのならば話は別ですが、よもや貴方ほどの武人がそんなみっともないことはしないでしょう? いくら相手が唯一互角と認めた男だとしても」

 

「カカカカカッ。我にここまで無礼なことを言った弟子はお前が初めてじゃわいのう。メナング!」

 

「はっ!」

 

「退くぞ。立て直しじゃわいのう。風林寺のじっさまとの死合い、久々に我の血が高ぶってきたわい。それに――――」

 

 ジュナザードが戦場に目を向ければ、戦場はもう戦場ではなくなっていた。ジェイハンというたった一人の男が現れただけで、混沌とした戦場は完全に静まっている。

 このままジェイハンが玉座に戻れば内乱もやがて収まるだろう。そうなればティダードにも平和が訪れるはずだ。だがこの平和には欠陥がある。

 

「所詮たった一人の力で成立した国家なぞ、その一人さえ消せば崩れるもの。風林寺のじっさまを相手にした後でこの国など如何様にもできるわいのう」

 

 ジュナザードとメナングが姿を消す。ティダードに幾つかある己の居城へと戻ったのだろう。

 長くジュナザードの弟子をしていたクシャトリアには、ジュナザードの逃げ場所にも心当たりがあった。

 

「さて、と」

 

 クシャトリアはクシャトリアで他にもやるべきことがある。丁度、風林寺隼人が兼一、美羽、翔の三人を抱えてこちらへ来るところだった。

 首尾よく無敵超人を拳魔邪神にぶつけるために、まだ色々と動く必要があった。

 

 

 

 ジュナザードが退散してからの動きは速かった。元々ジェイハンの熱烈な信奉者でそれ故に軍事政権をうちたてようとしたガジャ大佐は、率先してジェイハンの下に加わり、ティダード正規軍は完全にジェイハンの影響下となった。

 また国外よりジュナザードが招いた達人達については無敵超人、ケンカ百段、人越拳神のオーラに恐怖して退散。ヌチャルドの勢力もほぼ全てジェイハンに吸収され、急速にティダードはジェイハンのもとに纏まりつつあった。

 元ジュナザード配下の殺人拳たちも、拳魔邪神の後継者と目されているクシャトリアが如何にもな〝聖人面〟で表面にだけ心のこもった説得をすることで七割は懐柔できた。残りの三割については、一時的に牢獄に閉じ込めているので当面の間は何もできない。

 ここまでは概ねクシャトリアの計画通りである。

 けれどジュナザードが言った通りこの平和は酷く脆い。ジェイハンが雪崩に巻き込まれ死んだと伝えられてから、一気にティダードが内戦状態になったのが良い例である。

 ジェイハンという一人のカリスマ的指導者によって纏められた国は、ジェイハンという一人の人間が消えるだけであっさりと崩壊するだろう。

 このままジェイハンが辣腕を振るっていけば、そういった統治上の欠点も克服され、やがて一人のカリスマに頼らずとも運営できる国家になっていくだろうが、それは一朝一夕にできるものではない。

 こればかりは豪傑達が殴れば解決するというものではなく、時間をかけてじっくりと取り組まなければならないのだ。

 ただしティダードには時間をかけてゆっくり、などということを許してはくれない火種が残っている。言うまでもなくそれは拳魔邪神ジュナザードだ。

 ジェイハンも強烈なカリスマ性をもつが、長年神として信仰されてきたジュナザードのそれはジェイハンを上回る。

 今は無敵超人を筆頭とした三人の豪傑にクシャトリアがいるのでジュナザードも迂闊に手を出せないが、クシャトリアは兎も角、三人の豪傑も常にティダードに滞在することはできない。三人が立ち去ればジュナザードが潜んでいる必要はなくなり、三日と保たずに平和は崩れ去るだろう。

 そのことはジェイハンも、無敵超人・風林寺隼人も分かっている。

 そして凡俗ならばいざしれず、風林寺隼人ほどの男がティダードの現状を知っていて放置するなんていうのは有り得ない。ティダードの抱える問題を解決するため、風林寺隼人がジェイハンに協力するのは当然のことだった。

 

「と。ここまでがお主の……いいや、美雲の計画かのう」

 

「恐ろしい御方だ、貴方は。我が師匠が対等と認め、美雲さんが落日における最大の障害と見做すだけはある」

 

 クシャトリアの策謀など風林寺隼人にはお見通しのようだった。

 あっさりと策を看破されたクシャトリアは悪びれもせず肩を竦める。

 

「だけどよく美雲さんが一枚噛んでいることまで分かりましたね」

 

「なに。昔ちょっとあってのう。美雲の手練手管は知っておる」

 

「俺の知らない昔の美雲さんを知っているなんて、ちょっとだけ妬いてしまいますよ」

 

「下手に勘繰るでない。浮いた話などではなく、遠い昔に闇の暗躍を阻止するために共に戦った時代があっただけじゃ。袂を分かち別々の道に進んでからは一度も会っておらん。闇と梁山泊の戦いが始まるまではのう」

 

「美雲さんが闇をねぇ」

 

 一影九拳として『久遠の落日』に向けて最も精力的に活動している美雲が、闇の暗躍を阻止するために戦う。

 今ならば考えられないことだが、昔は考えが違ったのだろう。

 

「随分と美雲を好いているようじゃが、お主ほどの男が気付かんわけもないじゃろう」

 

「俺が美雲さんに利用されていることを、ですか? いいんですよ別に。俺は美雲さんの役にたてるなら利用されるだけの男でも。死ぬのは勘弁ですが、それ以外は大抵やります」

 

「何故そこまで?」

 

「特に複雑な話でもありませんよ。精神的に一番追い詰められていた時代に、優しくしてくれたのが美雲さん一人だっただけです」

 

 味方になってくれた人間が偶々美雲だっただけで、もしも違う人間に助けられていたのならば、美雲に対して向けていた感情をその人間に向けていたことだろう。

 人間の感情など以外に簡単なものだ。

 

「美雲さんに対する感情がなんなのか。俺にもいまいち分かりませんし、美雲さんが俺に期待しているのは別のことだと思いますが、どちらにせよ俺と美雲さんの目的は一致している」

 

 クシャトリアは自分の自由を獲得するためにジュナザードを殺さなければならず、美雲は落日を進めるため不確定要素のジュナザードを廃除する必要があった。

 利害などなくともクシャトリアは美雲のために動くが、利害が一致しているのならば言うまでもない。

 

「おっと」

 

 そうやって話しているとクシャトリアのケータイが鳴った。

 

「失礼」

 

 表示されている電話番号は闇のものだ。風林寺隼人の近くで話していいことでもない。

 その場を離れ周囲に誰もいないことを確認してから、クシャトリアは電話に出た。

 

「もしもし」

 

『大変です、クシャトリア様。リミが……リミが!』

 

 ここで初めてクシャトリアは小頃音リミが、ジュナザードに拉致されていたことを知ることとなった。

 



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第110話  賢い選択

 人生において思い悩んでいることは案外滅多に起きないものであるが、逆にまるで意識もしていなければ悩んでもいない、所謂想定外の事態というのはよく発生するものだ。

 クシャトリアは誰もいない部屋で一人静かに沈黙する。ティダード首都プラウ・ベーサーにある王族の宮殿、そこに用意されている来賓用の部屋は人払いがされているため誰もおらず、一人で思考するには正にうってつけの場所といえた。

 思えば自分の心には隙があったのだろう。拳魔邪神ジュナザードを舐めたことなど一度もなかったが、策を張り巡らせる黒幕としての意識が、自分もまた策謀に踊らされている可能性を失念させてしまった。

 その結果が今回のこの様である。

 ジュナザードがリミの才能に興味をもっていたのは知っていた。ジェイハンを消してから、新しい弟子としてリミを渡すよう要求したこともあった。その時はクシャトリアが上手くトンチにかけて一旦諦めさせることに成功したのだが、それは言葉通り一旦でしかなかったというわけである。

 弟子のクシャトリアが自分を殺すために策謀を巡らせていることを察したジュナザードは先手をうって――――いやジュナザードのことだ。クシャトリアの殺意などまるで気にせず、ただ純粋に風林寺美羽が駄目だった際の予備を確保しておいただけかもしれない。

 だがどちらにせよ同じことだ。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの弟子、小頃音リミは嘗ての内藤翼と同じようにジュナザードに拉致された。これはそれだけの話である。

 

「く、十数年前から俺はなにも進歩していない。無様だな、不用意な行動でなにもかも台無しにする」

 

 贔屓目抜きにしてリミの才能は同年代の武術家たちの中でも頭一つ飛びぬけている。経験値や年季では劣っているが、純粋なる才能という一点においてYOMI幹部たちよりも僅かに上回るといっていい。

 武術には心構えや覚悟など精神的なものも重要なので、才能があるから大成できるというものではないが、こと〝心〟に関してはジュナザードにとってなんら問題にはならない。ジュナザードの秘術をもってすれば心を作り変えるなど容易いことなのだから。たった一年間ジュナザードの下で修行し生き延びるだけで『小頃音リミ』という人間は地上から消失して、ただのジュナザードの武を継承するだけの存在が生まれるはずだ。

 

「いるんだろう、メナング」

 

「…………」

 

 闇に潜んでいたメナングがぬらりと姿を現した。

 この宮殿には達人級含めた警備が配置されているが、メナングはジュナザードが隠密に特化して鍛え上げた達人である。この程度の警備を擦り抜けて、こうしてクシャトリアの部屋まで到達するのは難しいことではない。

 

師匠(グル)は俺になんて仰っていた? 俺が叛逆したことにお怒りだったかな」

 

「いえ。ジュナザード様は気にしてはいませんでした」

 

「だろうな。師匠はそういう人だ。そもそも師匠は端から俺が反逆するように育ててきたのだからな。こうして俺が刃向うのは師匠の思い通りというわけだ。

 さて。それより本題に移ろう。メナング……いいや、メナングさん。リミは……小頃音リミは無事ですか?」

 

 拳魔邪帝としてではなく、一人のクシャトリアとして問いを投げる。

 メナングは物憂げに目を伏せるが、やがて真っ直ぐにクシャトリアの目を見返して言った。

 

「無事だ。今は秘薬で眠らせている。インダー・ブルー……風林寺美羽と違ってまだなにも施されてもいない。体にも心にも」

 

「まだ、ですか」

 

「ああ。彼女が拉致されてきた時はまだブルーがいたからな。しかしブルーは取り戻され、ジュナザード様は再び弟子を失った」

 

「本命を奪い返されてから、リミを予備にしようと? 相も変わらず人倫を顧みないお人だ」

 

「それについてクシャトリア、ジュナザード様より言伝を預かっている」

 

「言伝?」

 

「『己の弟子を献上することで、今回の粗相については不問にする。だからこちら側へ戻り、梁山泊と戦え』と」

 

「…………そうか」

 

「『ただしこちら側へ戻らない場合、勿体ないが小頃音リミは始末する』」

 

「ッ!?」

 

「ジュナザード様はそう仰っていた。…………すまん。私に、ジュナザード様を止めることはできなかった。これにて御免」

 

 そう言ってメナングは姿を消した。ジュナザードの所へ戻っていったのだろう。

 ジュナザードは本気で無敵超人・風林寺隼人とここティダードで雌雄を決するつもりだ。クシャトリアを自分の側へ引き戻そうとしているのは、風林寺隼人と戦う上で邪魔となる逆鬼至緒と本郷晶を抑えるためとみていい。

 これでもあのジュナザードからすれば穏便な措置だ。相手は特A級の達人二人だが、命じられているのはあくまでも抑え。撃退ではない。

 誇り高い達人であれば『一対一の決闘に割り込まない』という不文律は心得ているであろうし、ようはジュナザードと風林寺隼人が正面からぶつかり合うように場を整えればいいだけ。クシャトリアにとっては特に難易度の高い仕事でもないだろう。

 

(そうだ。一人を犠牲にすれば、俺の命は助かる。たった一人、リミを切り捨てれば)

 

 自分が生き残るために、他人の命を奪う。己の生のために他者の命を喰らい尽くす。

 殺した人間が全て武術家だったわけではない。中には武術とはなんの関係もない人間もいた。そういった人間も自分は容赦なく殺してきている。

 人を殺すことには抵抗もあったし、罪悪感もあった。しかしこれまで数多の命を奪ってきたことに後悔は欠片もない。

 自分の命を賭して誰かを助けるのは気高いのだろう。自分が殺されようとも、誰かを殺さない覚悟は尊いのだろう。そのことにクシャトリアも人間として憧れもする。

 しかしシルクァッド・サヤップ・クシャトリアは所詮俗人だ。武術家としてどれほどの才能があろうと、精神は極々平凡なそれ。自分の命が最も大切で、そのために他人の命を奪うことを良しとするただの人間だ。

 自分が死ぬことと比べたら、殺人者として生きる方がマシだと思い、百人以上の人間を殺してきた。百人以上の命を見過ごし、切り捨ててきた。

 これまでもずっとそうしてきたし、きっとこれからもそうするだろう。

 

(なのに今更になってなにを迷う……ッ!?)

 

 これまでのように切り捨てればいい。そうすればこの場は取り敢えず助かる。

 ジュナザードを殺す機会はいずれ他にあるだろう。久遠の落日により起こる世界規模の戦争の最中、絶好の好機が訪れるかもしれない。

 そもそもクシャトリアがジュナザードの方へ戻りさえすれば、リミが殺されることもないのだ。

 ただジュナザードによって小頃音リミという人格を破壊し尽くされるだけ。死ぬことはない。

 

「いや、なにを馬鹿な。それは死ぬことと同じじゃないか」

 

 人間の人格とは人生の積み重ねだ。これまでの人生全てが『小頃音リミ』という少女の人格であり魂といえる。

 その人生を消され、別人格に乗っ取られれば――――それは小頃音リミという少女は死ぬということに他ならない。肉体と外見がそのままでも、それは全くの別人だ。

 提示された道筋は二つ。小頃音リミを見捨てて、自分の命を選ぶか。

 

「ジュナザードの下へ行き、リミを取り返すか」

 

 自分で言っていて、その余りの不可能さに呆れ果てる。

 そんなことが出来る訳がない。ましてや他人の命の為に己の命を張るなんて馬鹿らしいことだ。

 いっそ恥を忍んで梁山泊の面々に事情を説明し協力を仰ごうかとも考えたが、そんなことをすればジュナザードはあっさりリミを殺すだろう。ジュナザードは人質を盾にするなんて狡い手を使う男ではない。

 どれほどの時間、一人でいただろうか。ふと部屋のドアがノックされていることに気付く。

 

「誰だ?」

 

『僕です、兼一です』

 

 ジュナザードのせいで気が乱れていたこともあったのだろう。深く考えもせずクシャトリアはドアを開けた。

 

「なんだい、兼一くん」

 

「い、いえ。丁度部屋の前を通りがかったので挨拶をと……。それよりも大丈夫ですか? 物凄く顔色が悪そうですが?」

 

「顔色が、悪い? 俺が?」

 

「はい」

 

 閉心術を会得して以来、達人級にすら心中を見通されたことなどないというのに、兼一はあっさりとクシャトリアが追い詰められていることを見抜いてしまった。

 これは別に兼一が達人級を超える読心術の使い手というわけではなく、クシャトリア自身が心を閉ざせないほどに精神的に参っているだけのことだ。

 そのことをクシャトリアは兼一に見抜かれたことで初めて自覚する。

 

「気にしなくていい。君には特に関係のないことだ」

 

「けど……」

 

「おいおい。君はわざわざティダードまでやって来て漸く想い人を助けることが出来たんだろう。ならこんなつまらない男など気にせず、恋人の看病でもしておいた方が建設的だぞ。

 それに忘れてやしないか? 俺は闇人の一人なんだぞ。何度か巡りあわせで協力することもあったが、基本的に俺と君とは敵同士だ。君の師匠を殺そうとしたこともあったし、そちらの介入で俺の仕事を台無しにしてくれたこともあったな。

 白浜兼一くん。君がお人好しなのは調査で知っているが、助ける相手は選んだ方が良い。俺みたいな人間に手を差し伸べる暇があるんなら、電車で爺さんに席でも譲ってやるほうがよっぽど建設的だ。

 それともなんだ? 俺が君に助けを求めたら、風林寺美羽を救出しにティダードまで来たように、君は俺を命懸けで俺を助けてくれるのか?」

 

「助けます」

 

 NOを求めたクシャトリアの問いに、兼一はYESと即答する。クシャトリアは目を丸くするが、兼一の目は揺れることなく真っ直ぐだった。

 

「僕にはクシャトリアさんの悩みがなんなのかは知りませんけど、それが殺人とか暗殺とかじゃなくて本当に助けを求めての事なら……僕は助けます。ま、まぁ僕の力なんてクシャトリアさんにとっては本当に蟻んこみたいなものでしょうけど」

 

「馬鹿だな」

 

 兼一の話を聞き終えたことで、クシャトリアの腹は決まった。

 

「他人の幸福が自分の幸福になるから、人助けする奴は五万といるが、君は他人の幸福が自分の幸福にならなくても人助けする稀有なタイプらしい。尊いとほんの少し憧れるよ。だが真似したいとは思わないな」

 

 大切な誰かを守るためならまだしも、まったく見ず知らずの人間のために、自分の命を懸けるなど馬鹿げている。

 生憎だがクシャトリアは馬鹿ではなく、どちらかといえば賢い方だ。見ず知らずの人間を助けるために命など懸けたりはしないし、有り余る財産は寄付したりせず95%は自分のために使う。こういう賢い生き方をした方が人間は幸せになれる。

 だから今回もとるべきなのは賢い選択。リミを切り捨て、自分の命を優先する。そうすればクシャトリアは幸福になれるだろう。だが、

 

「俺も一度くらいは――――」

 

「クシャトリアさん?」

 

「すまんが急用ができた。これはティダードまでの交通費だ。とっておけ」

 

 札束を押し付ける様に放ると、クシャトリアは外へ飛び出す。向かう先は拳魔邪神ジュナザードのアジトだ。

 自分が愚かしいことをしている自覚はあったが、クシャトリアの顔は不思議と晴れ晴れとしていた。

 

 



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第111話  馬鹿

 無駄のない行動、無駄のない処理、無駄のない人生。合理主義というのは多くの公人にとって一つの指標となりうるものだ。

 義理人情に遊び心などといった不確定要素を可能な限り排除し、能率を最優先に実益を求め続ける。きっとそれは企業家などにとっては重要な生き方なのだろう。

 お金で解決しないこともあると人は言う。金は全てではない。実益だけが価値あるものではない。人間にはもっと大切なものがある。金だけで解決しないことも世の中にはあるのだと。

 しかしそう謳う人間はこう言われなければならない。即ち金でしか解決しないことも世の中にはあると。愛とは生きる活力になるし、時に世界をも支配する原動力となりうるが、決して万能でもなければ全能でもない。

 ならば愛と金の両方を持ち合わせた人間は、あらゆる困難を解決する術があるのかと問われれば――――残念ながらそれも否だ。

 もしも金と愛の二つだけで事態が解決するのならば、クシャトリアはとっくに師匠という楔を断ち切り自由を手にしていたことだろう。

 金で解決しないことが世界にはある。愛で解決しないことが世界にはある。

 そういった難題を解決する、たった一つの冴えたやり方。

 

――――暴力だ。

 

 野蛮にして原始的な腕力。または武力。それでしか解決しないことが世界には存在する。

 拳魔邪神ジュナザード。あれは正真正銘の怪物だ。金で心を動かすことなど出来ないし、愛で魂を揺らすこともできない。ジュナザードを滅ぼすには、暴力で命を潰すしかないのだ。

 ただし偽りなく世界最強の人間であるジュナザードを、殺せるだけの暴力を振るえる人間など片手の指で足りる程度しかいないのだが。更に残念なことに片手の指の中に『シルクァッド・サヤップ・クシャトリア』の名はない。

 なのにクシャトリアはやって来た。拳魔邪神ジュナザードの牙城に。

 

「……来たのか、クシャトリア」

 

 門の前にはメナングが待っていた。ジュナザードにクシャトリアが来た場合の案内でも命じられていたのだろう。

 恐らくジュナザードとクシャトリアを除けば最も事態を把握しているであろうメナングは、良識人らしく鎮痛な面持ちだ。ジュナザードのような外道なら兎も角、真っ当な人間なら年端もいかぬ少女を拉致することに後ろめたさを覚えないはずもないだろう。

 

「拳魔邪帝クシャトリアだ。師匠(グル)に用があってきた。ここを通してもらう」

 

「承知している。ついて来い、ジュナザード様がお待ちだ」

 

 大きな門が開き、メナングの先導で中へ入っていく。

 

「…………うっかり独り言を漏らすが、小頃音リミはまだ無事だ。奥に閉じ込められている」

 

「!」

 

「だがもしも彼女を奪還しようと企てる者がいれば、看守を命じられた達人の手で始末されるだろうな。そういう指示がジュナザード様より下っている」

 

「………………」

 

 これはメナングの〝独り言〟だ。だからクシャトリアは何も答えないし、追及もしない。それに最低限聞きたかった情報は全て知ることができた。これでもう迷う必要はない。後は精々行動するだけである。

 歩いていたのは時間にすれば数分にも満たぬことだった。拳魔邪神ジュナザードは謁見の間の玉座にてクシャトリアを待っていた。

 周囲にはジュナザードに付き従う殺人拳たちもいる。ざっと見積もって三十人。驚くべきことに全員が達人級だ。無論、一影九拳には遠く及ばないが。

 

「カカカカカカッ。昨日ぶりじゃわいのう、我が弟子クシャトリア」

 

「ええ。昨日ぶりです、師匠」

 

「昔と比べ心を隠すのが随分と上手くなったのう。我の目をもってしても、お主がなにを考えておるのか分からんわい」

 

「ずっと人の心を見透かされ続けたら、誰だって心を隠す術を学びたくもなります。心が丸見えだったら碌に貴方を殺す算段もたてられないでしょう」

 

 ジュナザードが笑った、笑ったような気がした。だが周囲にいる配下の達人達は驚愕しざわめきたつ。

 いずれ自分達が新たに仕えることになるかもしれない邪神の継承者が、よりにもよって邪神の眼前で邪神を殺す算段をたてていたことを宣言したのである。ジュナザードの傍で仕えながらジュナザードの心を知らぬ者にとっては、驚くに値することだろう。反面メナングなどのようにジュナザードを良く知る人間には、特に驚いた様子はない。

 

「カッカッカッカッカッ。じゃがその算段もお主がここに来た時点で失敗に終わってしまったのう。我を殺すのに風林寺のじっさまを使おうとしたのは中々の着眼点じゃが、やや詰めが甘かったのう。いいや足元が疎かにしておったと言うべきか。

 師として弟子にありがたい忠告をしてやるのであれば、大切なものは誰にも見つからぬよう隠しておくものじゃわいのう。もっともお主が弟子のために計画を破棄するかどうかは五分五分じゃったがのう。昔のお前なら見捨てておったろうに、弟子をとって心が弱くなったわい。免許皆伝を与えたからといって放任が過ぎたかいのう。

 弟子を見捨て計画を続行しておったならば、戦いのどさくさで我を殺すことも不可能ではなかったというのに。お主も愚かしい真似をするものじゃわい」

 

「我ながらそう思いますよ」

 

 丁度立場が昨日とは逆転している。

 昨日は周囲にジュナザードの敵ばかりがいたが、今回周囲にいるのはジュナザード配下の殺人拳ばかり。ようは味方だらけだ。

 

「ただ一つだけ訂正して貰いたい。俺は別に貴方の軍門に降りにきたわけじゃあない」

 

「カッ? なら何をしにきたんじゃわいのう?」

 

「決まっている」

 

 指弾。親指で弾かれた硬貨が弾丸そのものの速度で飛び、ジュナザードの仮面を貫く。仮面が蜘蛛の巣状の皹が広がっていき、真っ二つに割れた。

 割れた仮面から現れるのは白髪に赤目のともすれば十代にも見える美しい少年の顔だ。シルクァッド・サヤップ・クシャトリアと瓜二つの顔立ちに、邪神の素顔を知らない者達が絶句する。

 

「策などいらん。俺はお前を殺しに来たんだ、拳魔邪神ジュナザード」

 

「カッ、カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカッ! 正気か? 狂ったか? 勝機があるとでも? 狂っておるのかクシャトリア。真っ向勝負から我に敵わぬが故に策を弄したのだろうに、今になって我相手に真っ向から挑むじゃと?」

 

 玉座から立ち上がったジュナザードから、命を鷲掴みにする殺意の波動が振り撒かれた。大気すら萎縮して消え失せるほどの殺意に、この城全体が微かに振動しているかのような錯覚を覚える。

 しかしクシャトリアにとってこの殺意は十年以上前から浴びせられたもの。慣れによる耐性ができている。

 殺意に動じずクシャトリアは正面からジュナザードを睨み返した。

 

「分かり切ったことを問うなよ師匠。俺は正気じゃないし、勝機も微々たるものだろう。だが不変の神たる師匠には理解できないことだろうが、人間という生き物は可変だ。清廉潔白な聖人が気の迷いで悪を働くことがある。唾棄すべき悪人が気まぐれで善行を積むこともあるだろう。

 俺は賢い人間だよ。自分の利益()のために他人の利益()を奪ったり見捨てたりすることに迷ったりしない賢い人間だ。だがそんな賢い俺にも、人生で一度くらいは馬鹿なことをしたくなる日がある。今日がその人生一度の日だった……それだけのことだ」

 

「風林寺のじっさまに影響を受けたか……いいや、この臭いはちと違うわいのう。じゃがまぁどちらでも良いわい。手塩にかけて育ててきた弟子が、漸くこの我を殺しに来たのじゃ。それに応えてやるのが師の心意気というものじゃわいのう」

 

 ジュナザードが飛び上がり、天井に着地する。そしてそのまま天井を踏み破ると、次の階へと体を滑り込ませた。

 

「なにをしておる? 上がって来んかいのう。このような狭苦しい場所ではなく、上で決着をつけようではないか」

 

 迷うことはなかった。師匠を追ってクシャトリアは上へ跳躍する。ジュナザードと戦い、彼を討ち滅ぼすために。

 武術家となって始めて、いや生まれて初めて、クシャトリアは他人のために命を懸けた。

 

 



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第112話  煉獄

 ジュナザードの呪縛に苦しむ美羽の看病の後、兼一は玉座の間、つまりはジェイハンのいる所に足を運んだ。

 自分の気にし過ぎであればそれでいい。だが兼一にはどうしても先程のクシャトリアの様子が頭から離れないのだ。

 あのクシャトリアの面持ちには見覚えがある。どこで見たかは覚えていないが、見たことだけは覚えている。

 それにいじめられっ子として常に暴力に苦しめられた恐怖に対するセンサー、それがいつになく警鐘を鳴らしているのだ。まだ何も終わっていないと。

 

「ジェイハン、ええと王子?」

 

「おう、平民……ではない、白浜兼一よ。そう畏まる必要はない。余は王でお主は平民といえど、互いに一人の武人として拳を交えた仲ではないか。傅かずとも良い」

 

 前に雪山で戦った時のジェイハンは、海外のドラマに出てくる金持ちのボンボンキャラのお約束のような高慢ちきな人間だったというのに、今のジェイハンからは高慢でありながらも寛容さがある。

 ラーメン屋に拾われて、そこで働きながら身を隠してきたといったが、王子ではなく一人の人間として他人と接したことがジェイハンを人間的に大きく成長させたのだろう。

 ライバルと思い出話に花を咲かせるのも乙なものだが、今はそれよりも優先すべきことがある。

 

「ならジェイハン、ちょっと気になることがあって」

 

「気になること? ロナのスリーサイズは教えんぞ」

 

「誰も聞きませんよ、そんなことっ! いや馬師父なら聞くと思いますけど僕は聞きません! クシャトリアさんのことです!」

 

「我が兄弟子殿がどうかしたのか?」

 

「その様子じゃ君は知らないのか」

 

 クシャトリアは一人立ちしているとはいえジュナザードの弟子であり、ジェイハンはそのジュナザードの弟子だった。

 もしかしたらクシャトリアが何か言伝を残しているかと思ったが、それは違ったらしい。

 

「気になるのう。兄弟子殿になにかあったのか?」

 

「実は――――」

 

 兼一はクシャトリアが何事かに思い悩んでいる様子だったこと、そして自分と話してからふっきったように宮殿から出て行ったことなどを説明した。

 最初は純粋な興味から聞いていたジェイハンだったが、話を聞くごとに表情を深刻なものにしていく。

 

「我が兄弟子殿が思い悩む……? にわかには信じられん。例えティダード全てが敵対したとしても、あの御方は動揺を顔に出すような人ではない。あの御方が悩みを顔に出すとしたら、それは――――」

 

「ジェイハン?」

 

「いやあの御方を心を乱すほどに動揺させることが出来るとしたら、それは我が師匠以外にはいないだろう。確か兄弟子殿はそちと話した後、ここを出て行ったのだったな?」

 

「待った。それじゃ」

 

「もしかするかもしれん」

 

 単身でジュナザードの居城へと乗り込んだ。

 まさかとは思う。以前ならまだしもクシャトリアは既にジュナザードに反旗を翻している。ジュナザードのいる場所に一人で行くなど自殺行為も同然だ。

 だがこうしてジェイハンの話を聞くと、その可能性が一番高いように感じられた。

 問題はどうしてクシャトリアが単身でジュナザードの居城まで赴いたかだが、兼一がその理由について考えるよりも早く、バトゥアンが慌てた様子で駆けこんでくる。

 

「ジェイハン様、大変でございます! 拳魔邪帝殿の配下の者が、主人に会わせろと半死半生の身で!」

 

「なんだと!?」

 

 ジェイハンが驚き腰を上げると、ティダードの民族衣装を羽織った男が玉座の間に入ってきた。

 青を基調とした衣装は流した血のせいで黒く変色している。服の裂け目からは生々しい傷跡が覗いていた。

 この玉座の間に辿り着いたことで彼は力を使い尽くしたのか、糸の切れた人形のようにどさりと倒れる。

 

「バトゥアン、医者だ。医者を呼べ!」

 

「はっ!」

 

「兄弟子殿の配下よ。兄弟子殿は――――」

 

「ジェイ、ハン王子。クシャトリア様にお伝え……下さい…………。リミが、貴方様の弟子を……邪神に攫われ……まことに不甲斐なく……」

 

 そこまで言って男は意識を失った。死んではいない、気絶しただけだ。しかしこのまま放置していれば、本当に死んでしまうだろう。それだけの傷を彼は負っていた。

 

「ジェイハン」

 

「うむ」

 

 言葉は途切れ途切れだったが重要なことは伝わってきた。クシャトリアの弟子、つまり小頃音リミがジュナザードによって攫われた。

 クシャトリアが狼狽していた理由も、単身で邪神の下へ赴いた理由も全てが氷解する。

 道理で見覚えがあるはずである。クシャトリアが宮殿を出ていく時の顔、あれはジュナザードに攫われた美羽を助けに日本を立った日、鏡の前に映っていた白浜兼一の顔そのものだ。

 弟子を攫われたクシャトリアは、兼一と同じようにリミを助けに行ったのだろう。

 

「ロナ!」

 

「は、はい」

 

「兄弟子殿の弟子というのであれば、余にとっては姪のようなもの。余はこれより兄弟子殿の加勢へ行く。お前は余が戻るまでの間、留守を守ってくれ」

 

「お任せ下さい、お兄様」

 

 ジェイハンは留守のことや、自分と一緒にジュナザードの居城へと赴く人選など、テキパキと人々に指示を出していく。こういう所を見ていると本当にジェイハンは王なのだと実感した。

 

「けどジェイハン。ジュナザードのいる場所が何処かは分かるのか?」

 

「余も幾つかは知っておるが、流石にジュナザード様の城の全てを知っているわけではない。だが師匠の配下を何人か捕虜にしている。彼等から聞き出すしか――――」

 

「その必要はないじゃろう。彼奴の居場所ならわしに心当たりがある」

 

「長老!?」

 

 美羽に治療を施していた長老が、立派な髭を撫でながら現れた。隣には騒ぎを聞きつけた最強の空手家二人もいる。

 

「わしとジュナザードは旧知の間柄でのう。恐らくはあそこじゃろう」

 

「旧知……」

 

 以前美羽から聞いた話によれば、長老とジュナザードは一度戦ったことがあるらしい。

 勝負そのものは引き分けに終わったそうだが、口ぶりからすると長老とジュナザードはただ単に戦っただけの間柄ではないのだろう。

 

「ジェイハン殿。道案内と人助けがてらわし等も同行するが構わんかね?」

 

 ジュナザードに対抗できる数少ない武人の助けを断る理由はない。謝意を述べながらジェイハンは長老の同行を認めた。

 

 

 

 ジュナザードとクシャトリア。ティダードにおいて神と崇められた男と、神より唯一名を分け与えられた帝王。

 師匠と弟子。邪神と邪帝。二人のシラットの達人は塔の屋上にて対峙していた。

 ジュナザードから発せられる神気にも匹敵する鬼気が天空を覆い尽くす。それに呼応するかのように空はどんよりと黒かった。

 

「カカッ。いい塩梅じゃわいのう。己の弟子から殺意を向けられることは多々あったが、これほどビンビンとくるものは初めてじゃわい。我の最高傑作だけはあるわいのう。え? クシャトリア」

 

「…………」

 

「だんまりか。若者というのは、お喋りを愉しむゆとりがないからいかん。じゃがこうすれば顔色も変わるかいのう」

 

「!」

 

 パチンとジュナザードが指を鳴らすと、奥の塔に十字架が立てられる。十字架にさながらイエスの如く磔にされているのはリミだ。

 眠らせているらしく騒がしさはないが、あの特徴的な服装を見間違えるはずがない。

 

「約束じゃ。お前が我に勝てば、あの娘は解放してやるわいのう。じゃがお前が負ければ」

 

「リミを殺すと?」

 

「いいや。罪もない少女を殺すなど、そんな心苦しいことは出来んわいのう」

 

 どの口がそれを言うのだ、という喉元まで出かかった指摘を呑み込む。ジュナザード相手にそんな指摘をしたところで意味などない。十年以上も一緒にいたのだ。それくらいは分かる。

 ジュナザードは邪悪に嗤いながら、

 

「ただ我がシラットの至高を極めさせるため、余分な心を消すだけじゃわい」

 

「同じことだ。肉体が壊れても心が壊れても人間は死ぬ」

 

「然様。じゃが死の洗礼なくして武を極めるなど不可能。お主が他人を殺すことで武を極めたように、あの娘は己を殺すことで武を極めるわけじゃわい。

 それが不服のであれば我を殺してみせよ。我が最高傑作、その殺意が偽りないのであればのう」

 

「言うまでもない。我が武はそれだけのために……ただそれだけのために磨き続けたのだから」

 

 クシャトリアとジュナザードが同時に地を蹴った。

 



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第113話  神

 ジュナザードは動かない。自分から動くまでもないということか、それとも純粋にクシャトリアがどう出るかを愉しんでいるのか。

 恐らくは両方だろう。ジュナザードにとって特A級の豪傑ですら自分より格下に過ぎず、死力を尽くすには値しない。ジュナザードが本気を出すに相応しい使い手は無敵超人と二天閻羅王だけだ。そしてクシャトリアはジュナザードが手塩をかけて育て上げた最高傑作だ。ジュナザードも漸く熟した果実をじっくりと味わいながら喰らいたいだろう。

 手を抜かれている上に足掻きそのものを愉しまれている。武人としてはこれ以上ないほどに屈辱的な態度。

 だがクシャトリアはそのことに対して怒りを覚えることなどはない。ジュナザードにはそれだけの実力があるし、なによりそういった慢心をつかなければ邪神を殺すことは不可能なのだから。

 

(――――出し惜しみは、しない)

 

 相手は拳魔邪神ジュナザード。下手な攻撃を一度でもすれば即死しかねない最凶最悪の敵だ。

 シラット、櫛灘流柔術、収集した幾多の奥義と秘伝。静動轟一に代表されるハイブリット型としての極地。クシャトリアの全てを出し尽くさなければ、須臾の如き勝算は虚無へと落ちるだろう。

 

「〝静動轟双〟」

 

 静と動の気を同時発動しながらも、それが溶け合うことなく一つの肉体に同居する。クシャトリアの瞳に赤と青、左右異なる色が宿った。

 静の気と動の気、相反する二つを同規模で極めなければ発動の出来ないハイブリット型のみが到達できる究極奥義。クシャトリアが拳聖・緒方一神斎との長きに渡る共同研究の果てに生み出した秘伝を初手より解放する。

 さしものジュナザードも長きに渡る武術家人生の中で初めて見る技に目を輝かせた。

 

「カカカカカカッ。拳聖の小僧が愉快な技を開発していたのは知っておったが、そのレベルまで技を研ぎ澄ませおったか。我も師として鼻が高いわいのう」

 

「はっ――――ッ!」

 

 無駄口を叩いている暇こそが好機だ。動のタイプが如き爆発力で、静のタイプの如き正確無比な突きを放つ。

 ジュナザードは興味深く技をじっくりと観察しながらも、それに気を取られて回避を忘れるほど抜けてはいなかった。人間は二足歩行する生物、そんな常識を置き去りにしたアクロバティックな動きであっさりと突きを回避していく。

 回避されたところで攻撃の手を緩めることはない。繰り出される突きと蹴りは猛火となってジュナザードを追撃する。

 

「ほれほれ。そんなんじゃ我には触れられんわいのう」

 

「――――!」

 

 遊ばれている、そう分かりながらもクシャトリアは打開策らしい打開策をうつことはなく延々と猛攻を続ける。

 最初は喜色満面の顔付で攻撃を躱していたジュナザードだったが、同じことの繰り返しばかりで飽きがきたのか、徐々に顔が曇ってきていた。

 

「技の原理は面白いが〝ぱわ~あっぷ〟の度合いは然程ではないわいのう。リスクをなくしたせいで、ここまで爆発力を失っては本末転倒じゃわい」

 

「っ!」

 

「どれ。我がちと先達として『爆発力』というものがどういうものなのか教授してやろうかいのう」

 

 そう言うとジュナザードは天空を覆うほどの気を己の内側に凝縮し掌握する。

 気の発動、気の解放、気の掌握。三段階ある気の扱いの到達点ともいえる『掌握』を会得することは、達人になる上で避けては通れないものといっていい。そのため達人級は全員が『気の掌握』を体得しているものなのだが、恐るべきことにこれまでジュナザードは『気の解放』まででクシャトリアと戦っていた。

 それが一気に掌握である。ジュナザードの戦闘力は爆発的に上昇した。

 いや上昇したというのも誤りか。上昇したのではなく、やっと本気の一端を垣間見せたのである。

 

「そらそらそらっ。どうした弟子よ、勇んで挑みかかってきておいてお主の力量はその程度か?」

 

 気当たりによる残像。十三人に分身したジュナザードが一気呵成に襲い掛かってくる。

 クシャトリアも残像を出現させることはできるが、どれほど頑張っても六人が精々だ。なのにジュナザードはその倍以上もの十三人。たったこれだけのことでも力の違いを思い知らされる。

 十三人のジュナザードがクシャトリアの周囲三百六十度を囲むように迫ってきた。退路は完全に塞がれている。唯一開けているのは上だが、もしも跳躍などすれば、その瞬間に十三人のジュナザードも飛び上がり、壮絶な空中戦の末に撃滅されるのがオチだろう。

 だとすれば兵法の常道に乗っ取り一点突破を図るのが妥当といえるが、ジュナザードがそれを予期していないはずがない。

 故にクシャトリアは敢えてその場に踏みとどまった。幸いにしてこういう技に対しての対処法は教わっている。ジュナザードではなく美雲から。

 

「櫛灘流、阿修羅流し」

 

 気当たりによる十三人分身に対して、クシャトリアは闘気によって手だけを具現化させることで応戦する。

 阿修羅と技名にしつつ実際に増えた手の数は30。〝手数〟だけは十三人からなるジュナザードの分身を上回った。

 

「こぉぉぉぉおぉぉっ!」

 

 十三人に分身したジュナザードの同時攻撃を、三十に増えた手が受け流していく。

 静の極みに達した美雲が編み出した対複数戦闘における防御術。それは対ジュナザードにおいても有効だった。

 どうにかジュナザードの攻撃を捌ききると、十三人のジュナザードの分身が全て消滅する。

 

「なに?」

 

 そう、全てが消滅したのだ。分身の中に本物がいればこうはならない。十二体の分身が消滅し、たった一人だけの本物が残るはずだ。

 そうならず全ての分身が消滅したということは、考えられる可能性は一つ。これらの分身は全て偽物だった。となれば本物がいるのは、

 

「上か!?」

 

 咄嗟に対空攻撃の構えをとるが、そこには空が広がるだけ。ジュナザードの姿はない。

 

「残念、不正解じゃわい! 正解は下じゃわいのう!」

 

「!」

 

 地面を潜り進んできたジュナザードが、クシャトリアの両足首を鷲掴みにする。

 完全に不意をつかれた。手首を握ったジュナザードは、自分の体を軸にクシャトリアを振り回した。

 

「ほ~れほれ。回れ回れ~」

 

 ただ回すのではなく、地面や壁に叩き付けながら。全身をうちつけられる痛みが何度も何度もクシャトリアを焼いた。

 ジュナザードが手を止める気配はない。遊ぶように水を吸った雑巾を叩き付ける様に振り回す。雑巾から飛び散るのが水だとしたら、人間であるクシャトリアが打ち付けられる度に飛び散らされるのは血だ。

 

「ほれ、飛んでいけい」

 

 やがて飽きがきたのか、ジュナザードが足首を離して放り投げる。遠心力から生まれたエネルギーはかなりのもので、弟子クラスなら十回は死んでいるダメージを喰らっていたクシャトリアだが、未だに意識ははっきりとしていた。

 空中で受け身をとると、しっかりと地面に着地する。

 

「はぁ……はぁ………はぁ……」

 

「もう息切れかいのう。我はまだ愉しみ足りぬぞ。折角十年以上も時間をかけて仕上げたのじゃわい。もっと我を愉しませぬか」

 

「俺は、貴方を愉しませるため武術をやってきたわけじゃない」

 

「ならなんのためじゃ?」

 

「お前を、殺す為だ」

 

「口だけは一丁前じゃわいのう。じゃが実力の伴わぬ弁舌など所詮は戯言」

 

 ジュナザードが掻き消える。消えるほどに早く、目で認められぬ速さで背後へ移動する。

 クシャトリアはこの技を知っていた。いいやこの技だけではない。シルクァッド・ジュナザードの全てをクシャトリアは知っている。

 免許皆伝は奥義を全て伝授されたという証明。であればジュナザードが扱う技全てをクシャトリアも使えるということであるし、ジュナザードの技全てをクシャトリアは知っているということだ。

 

〝背面潰し《プンハンチユル・プングン》〟

 

 それがジュナザードの繰り出した技の名前。疾風の速度で背後へと回り、五体をフルに使って対象をひねり潰す技。

 超人であるジュナザードの技はそれが奥義でなくとも、直撃すれば死を避けられぬ必殺ばかり。この技もまともに喰らえればまず死ぬだろう。

 かといってこの技は先程までのクシャトリアでは回避は困難だ。完全に回避しれず、大きな痛手を負うことは避けられないだろう。

 ここで痛手を負い動きを鈍らせては、ジュナザード相手の勝機は失われる。

 だからクシャトリアはここが解放するタイミングだと判断した。

 

「流水制空圏第二、台風鈎(トパン・カイト)

 

 第一段階の『相手の流れに合わせる』をすっとばして第二段階の『相手と一つになる』ところまで至る。

 そしてついさっきまでの動きよりも一段上の速度と威力をもって、ジュナザードに回転蹴りを繰り出した。

 ジュナザードに合わせての完璧なるカウンター。狙うは頭部、急所のみ。

 

「なんと」

 

 ジュナザードは意表を突かれたように目を見開き、技同士が激突する寸前で後退する。

 しかしさしものジュナザードも完璧に躱しきることはできず、クシャトリアの蹴りが胸を掠めた。

 

「……やれやれ。外したか。油断しきっているようでいて、常に冷静な視野を持ち続ける。本当に厄介な人ですよ、貴方は」

 

「カッ、カカカカカカカカカ。これは一本とられたわいのう。静動轟双、奥義などと言うわりに爆発力が薄味だったのはこういうわけかいのう。

 わざと爆発力を抑え気味にすることで静動轟双の出力を見誤らせ、我が勝ちにきた時に全力を解放することで完璧なカウンターを決める。

 我相手にこんなイカれた戦術をとる人間は初めてじゃわいのう。前言を撤回しようぞ。流石は我が弟子じゃ」

 

「そいつはどうも!」

 

 静動轟双の完全解放。動の気と静の気、二つの気が凝縮され完全同時に放出される。

 残念ながらクシャトリアの策はジュナザードを掠めるばかりで、手傷を負わせるには届かなかった。しかし見事に策に引っかかったことで、ジュナザードの注目がほんの僅かに散漫になっている。

 命綱というにはか細すぎる糸であるし、闇を照らす明かりとしても頼りなさすぎるが――――それが藁であっても、クシャトリアは掴むしかないのだ。

 

「おおおおおっ!」

 

「カ、カカカカカカカカカカカカカッ! そうじゃクシャトリア! もっと殺意を練り上げ、殺気を解放せい! さすれば万分の一の確率で我に届くかもしれんわいのう」

 

 台風というよりは天雷の如き蹴りの連撃。ジュナザードは未だ慢心しているが、蹴りに込められた力は全力のそれ。邪神の振り抜く蹴りが一度でも直撃すればクシャトリアは即死する。

 そんな絶望的な天雷渦巻く殺風を、クシャトリアは流水を纏って突き進む。

 既に第二段階へと移行している流水制空圏。流れを読み、数瞬先の未来を捉えながら、クシャトリアは闇を疾走する。

 

「風林寺のじっさまの奥義をここまで使いこなすとはのう。女宿に仕込ませた甲斐があったというもの。じゃがクシャトリアよ。風林寺のじっさまは我が唯一同格と認めた武人。その奥義の対策を我がなにも持っておらぬと本気で思っておったのかいのう?」

 

「ッ!」

 

 瞬間、ジュナザードより赤黒い濃密な殺気が噴出する。殺意の波動は光線となって目から飛び出し、途轍もない気当たりによる暴風がジュナザードを中心に渦を巻いた。

 流水制空圏で読み、合わせていた『流れ』が消滅する。否、流水を遥かに超える殺意の激流に、動きの流れが覆い隠されていっているのだ。

 

「どうじゃ? これでも我の動きを読めるかいのう?」

 

「…………流水制空圏のような読心の技を、心を閉ざすことで無効化する達人は何十人も見てきた。しかし逆に心を解き放つことで、心を覆い隠す怪物は初めてだ」

 

 閉心術のように心のドアを閉ざし、侵入を阻むのではない。

 内側に眠る溢れんばかりの殺意。それを爆発的に増幅させることで心を読めなくする。部屋にゴミを撒き散らして、探し物を見つけられないようにするのと同じ原理だ。

 滅茶苦茶としか言いようがないが、実際これのせいでクシャトリアの流水制空圏は無効化されてしまった。もうジュナザード相手に既存の流水制空圏は役に立たない。

 

「だが――――!」

 

 クシャトリアは負けじとジュナザード目掛けて疾駆した。

 例え流水制空圏が封じられようとも、クシャトリアの脳内には海馬に焼き付けたジュナザードの戦いの記録がある。クシャトリアがジュナザードの弟子となってから十数年、暇さえあればジュナザードの動きを観察し続けた。

 このデータを総動員すればジュナザードの動きを寸分違わず再現することも、その動きを予測することも可能である。流れを読むことが出来ずとも、流れのデータが変わるわけではないのだから。

 

渦を巻く落雷(プサラン・ハリリンタル)

 

 ジュナザードの繰り出してきた攻撃を、完全に予測していたクシャトリアは、ベストなタイミングでのカウンターを仕掛ける。

 カウンターの膝蹴りは最適の起動を描いて、綺麗にジュナザードの眉間へと吸い込まれていき、

 

「――――ごはっ!」

 

 それを上回る速度で、クシャトリアの腹に蹴りが叩き込まれた。胃の中のものを全て吐き出しながら、クシャトリアは必死になって後退る。

 

「カッカッカカカーーーッ! 遅い、遅いわいのう!」

 

 ジュナザードの動きは100%予測できていた。しかも静動轟双によってクシャトリアの基礎能力は一回り上昇していたのである。なのにカウンターを喰らわすどころか、技の回避すらできなかった。

 これは断じて予測にミスがあっただとか、静動轟双に欠陥があっただとかいう生易しいことが原因ではない。

 なんのことはない。シルクァッド・ジュナザードの身体能力が、予測を遥かに超越するほど隔絶していた。ただそれだけのことで……それ故に抗いがたい絶望だった。

 

「遅い! 軽い! 脆い! クシャトリアよ、お主はちっとばかし『超人』というものを舐めすぎだわいのう。我や風林寺のじっさまのような『超人』は技が優れておるから『超人』なのではない。

 良いか? クシャトリア。超人というのはのう、単純に力や速さが達人を遥かに凌駕しているということじゃわいのう!」

 

 技だけが上回っているのならば、これまで集めたデータで如何様にも出来た。

 経験だけが上回っているのならば、策を弄することで差を埋められた。

 しかし力や速度、肉体のスペック全てで劣っているのならば、もはやどうしようも出来ない。

 どれだけデータで動きを予測しようと、それを上回る速度で消し飛ばされる。どれだけ策を練ろうと、純粋な力によって強引に捻じ伏せられる。

 故に武術的にクシャトリアがジュナザードを打倒するのは不可能だった。

 

「そうだ。不可能なんじゃない、不可能だった……これまでの武術的常識ならば!」

 

「カッ?」

 

 世界は変わる。技術は進歩する。技は発展する。そして革新が起きた時、嘗ての常識は淘汰されるのだ。

 超人がどれほど出鱈目な身体能力を有しているかなど、ジュナザードを間近で見続けたクシャトリアはとうに理解している。超人という人種が、どれほど理不尽なスペックを有しているかも。

 だがクシャトリアに打倒ジュナザードを諦めるなどという選択は有り得なかった。

 故に手を伸ばしたのである。常識を超えるための禁忌へと。武術界に存在しなかった、禁断の術理をもって、常識を打ち破るために。

 静動轟双が消える。両立されていた静と動、それらが融合し紫色の破滅的なオーラへと変化していった。

 

「――――静動轟一ッ!」

 

 武術に対しての兇的な愛情をもつ〝拳聖〟緒方一神斎が考案し、クシャトリアが開発に協力し続けた技。静動轟一がここに発動する。

 静と動、相反する二つの気を融合させることで生み出されたエネルギー。そのエネルギーが肉体を極限にまで活性化させ、一時的にクシャトリアを『超人』の領域へと押し上げた。

 

「うぉおおおおおおおおおおおおッ!」

 

 ここにクシャトリアとジュナザードの力と速度は拮抗した。もうジュナザードの有利は経験値と技量しか残っていない。この二つならば策とデータで対処可能だ。

 クシャトリアは決死の覚悟で挑みかかり、そして真の絶望というものを思い知らされた。

 

「静動轟一」

 

 クシャトリアは何が起きたのか分からなかった。ジュナザードの体が黒く発光したかと思うと、次の瞬間には殴り飛ばされていた。

 全身を駆け巡る焼けるような激痛。だが目の前で起きている絶望に、クシャトリアは己の痛みなど忘れ、ただひたすらに目を見開く。

 喋ることはできない。口は完全に塞がっている。

 動くこともできない。足は完全に縫い付けられている。

 抗いがたい自然の猛威に晒された時、人は立ち尽くし呆然とすることしか出来ないというが――――だとすればクシャトリアが体験しているのは同じことなのだろう。

 

「あ、あ――――」

 

 拳魔邪帝ジュナザードから立ち昇る紫色の闘気は、静動轟一が発動しているという証。

 しかしジュナザードの静動轟一はクシャトリアのそれとは決定的に違っていた。静動轟一の副作用、爆発的エネルギーの発生による精神と肉体へかかる異常な負荷、それがないのである。ジュナザードの〝超人〟としての規格外の肉体強度が、完全に静動轟一の負担を抑え込んでしまっているのだ。

 

「良い師は弟子を育て、良い弟子は師を育てる……だったかいのう。風林寺のじっさまが口を酸っぱくして言っておったのは。弟子から教わることなんぞ何もないと思うていたが、分からぬものじゃわい。

 カッカッカッ、お主はまっこと良き弟子であったぞ、クシャトリア。なにせこの我に技を教えた弟子など、お前が初めてなのじゃからのう。そら、誇るがいい。閻魔への土産話には丁度良いじゃろう?」

 

「こ、このっ!」

 

「遅いわいのう」

 

 クシャトリアの放った突きが、あっさりジュナザードに掴まれる。

 ただの突きと侮るなかれ。静動轟一を発動し『超人』のポテンシャルを得たクシャトリアの突きは、もはやそれ自体が豪傑を屠るに値する必殺技に等しい。それをジュナザードは、まるで息を吸うような容易さで防いでしまったのだ。

 クシャトリアは静動轟一を使うことで『達人』から『超人』の領域に足を踏み入れた。ならば『超人』が静動轟一を使えば、踏み込む領域はなんだというのか。

 そこまで思考してクシャトリアはジュナザードの異名がなんだったのか思い出した。

 

「か……神……。神になったのか。師匠は神になったのか。神の領域に、足を踏み入れたとでも……」

 

「その通りじゃわいのう。人としての限界を捨て去り、神と戦うことを望んで生きてきたが――――前者の願いは叶ったようじゃわい。感謝するぞ、クシャトリア」

 

 なにが起きたのかクシャトリアには認識できなかった。気付けば激痛と共に、クシャトリアの体は宙を舞っていた。

 速すぎて見えなかったが、痛みの感覚から判断するに恐らく蹴られたのだろう。正に神速だ。その一挙一動が人間の捕捉できる限界を超えてしまっている。

 

「我が弟子、シルクァッド・サヤップ・クシャトリア。我が最高傑作、我が分身、我が現身よ。我を神座へと送った褒美じゃ。我が最大の奥義をもって、苦しまず逝くがいい」

 

 それはもしかしたらジュナザードが弟子にする初めての『情け』だったのかもしれない。

 ジュナザードが必殺の構えをとるのが、スローモーションのように見える。残念なことに走馬灯は浮かばなかった。

 だが浮かばないで良かったのかもしれない。走馬灯に不幸せなことばかりが浮かんできても鬱になるだけだし、幸せなことが浮かんできてもそれはそれで死ぬのが嫌になる。どちらにせよ気分が悪くなるのならば、そんなものはない方が良い。

 クシャトリアは死の恐怖から逃れる様に、目蓋を閉ざす。

 

「風林寺、任力剛拳波!」

 

 クシャトリアを呑み込もうとした死の運命、それを嵐の如き勢いで吹いた神風が吹き飛ばす。

 神話の英傑が降臨したかのような気配に、クシャトリアは閉ざしていた目蓋を開いた。

 

「どうやら間に合ったようじゃのう」

 

 恐らく地上の誰よりも戦歴を重ねてきた雄々しい背中。天を突くような巨躯。

 ジュナザードが唯一対等と見做した最強の武人、風林寺隼人がそこにいた。

 



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第114話  武の深遠

 活人・殺人の垣根を越えて、最強の武人として信仰を集める無敵超人・風林寺隼人。戦国時代から生きてきたという伝説をもつ男は、クシャトリアを庇うように嘗て互いの力を認め合った好敵手と対峙する。

 痛む体に鞭を打ってクシャトリアは体を起こした。間違いなく人類最強の武人二人は、向かい合っているだけで津波のような闘気を周囲に撒き散らしている。余りにも濃密な気当たりに、息が止まりそうな程だった。

 

「カッカッカッ。師弟同士の果し合いに割って入ってくるとは実に無粋。武人の心を忘れてしまったのかいのう?」

 

「わしもこれが正当なる果し合いならば止めはせんよ。じゃがのう、ジュナザード。己の弟子の弟子にあたる少女を人質として捕え、それをもって己の弟子を誘き寄せるなど武人として……否、人として言語道断。見過ごすわけにはいかんのう」

 

「相変わらず鬱陶しい爺さんじゃわい」

 

 ジュナザードが心底からの不快感を露わに吐き捨てる。

 だが無敵超人・風林寺隼人という伝説は、神の領域に至ったジュナザードにとっても無視することの出来ない存在だ。苛立ちを募らせながらも、風林寺隼人に対しては一部の隙も見せていない。

 それは隼人の側も同様。全人全経に気を巡らせて、次の瞬間にも戦いを始められる準備を万端にしていた。

 向かい合う両者。張りつめた緊張が漂う間に、風林寺隼人の目論見は終わっていた。

 

「――――クシャトリアの弟子は助け出したぞ、風林寺隼人」

 

 ジュナザードが風林寺隼人に意識を傾けている間に、気配を殺して後ろから回ってきた本郷が、磔台を壊してリミの救出に成功する。

 普段のジュナザードならば即座に本郷を殺しに向かうところであるが、流石の彼も無敵超人相手に背中を晒すという愚を犯すことはなかった。そもそもジュナザードは完全にリミに対する興味を失っているのか、人質が奪還されたことに特になんのリアクションもしなかった。

 

「うむ、かたじけない」

 

「礼には及ばん。クシャトリアには翔のことで借りがあったからな。それを返したに過ぎん」

 

 ジュナザードが無敵超人・風林寺隼人に意識を向けている間に、本郷がリミを助け出すことに成功する。

 自分の弟子が助かったことを見てクシャトリアはほっと一息ついた。ジュナザードが静動轟一し、全てを諦めかけたものの、どうやらリミを助けることは出来たらしい。風林寺隼人がティダードに駆け付けられるよう色々手を回した甲斐があったというものだ。

 クシャトリアはよろよろと立ち上がりながら、風林寺隼人に礼を言う。

 

「恩に着ます……風林寺殿」

 

「お礼なら兼ちゃんに言ってやることじゃ。兼ちゃんがわし等に君の様子がおかしいことを伝えなければ、わし達がここに来ることもなかったじゃろうしのう」

 

「――――そうですか、彼が……」

 

 ふと塔の下を見れば、遅れてやってくる兼一が見えた。他にもティダードの精鋭を率いてきたジェイハンたちの姿もある。

 安心したことで気が抜けたのか、全身の痛みに倒れそうになるクシャトリア。だがそんなクシャトリアをがっしりとした腕が支えた。

 

「おっと、大丈夫かよ。拳魔邪帝」

 

「逆鬼至緒……」

 

 活人・殺人の空手最強に無敵超人。これほど豪華で頼もしい援軍はそうはあるまい。たった一人で国を相手取れる特A級二人に、人類最強の超人が一人。これだけ揃えば勝てない人間なぞ地上には存在するまい。

 だというのにクシャトリアの心に『不安』が立ち込めたまま消えないのは、拳魔邪神ジュナザードが既に人間の限界を捨て去っているからだろう。超人としてのポテンシャルを『静動轟一』で更に上昇させたジュナザード。その実力はもはや無敵超人ですら抗いがたいものなのではないか。

 クシャトリアも達人の端くれ。無敵超人が武術界にとってどういう存在なのかくらいは理解しているが、それでもジュナザードが強さで遅れをとる姿が信じられないのだ。

 

「逆鬼君、本郷殿。――――今回はわしも皆を守りながら戦う余裕はなさそうじゃ。皆の衆の安全は任せた」

 

「おう、任されたぜ」

 

 本郷と逆鬼はリミとクシャトリアを抱えて塔から飛び降り、地面へと着地する。ジュナザードはクシャトリアのことを見ていたが、追うことはなかった。

 しゅるしゅると心がざわめき立つ。

 役者は交代した。自分の力ではジュナザードに及ばないことは証明されている。打倒ジュナザードは風林寺隼人に任せればいい。それが最初の計画であったし、それが一番ベストな選択である。なのにどうしてか、それを受け入れられない自分がいた。

 

「クシャトリアさん!」

 

「おー、滅茶苦茶にやられちゃいましたね。クシャ先生」

 

「兄弟子殿。御無事で!?」

 

 地面に降り立つや否や兼一、翔、ジェイハンの弟子三人組が駆け寄って来る。

 

「残念だが無事ではないよ、ジェイハン君。御覧の通りズタボロだ」

 

 立っている力すら、今のクシャトリアには惜しい。ドサリと力なく腰を降ろすと、木の幹を背に座り込む。

 そしてテキパキとした動作で懐から薬草を取り出し、自分の傷口に当てていった。ここにある薬草は応急処置用のものが殆どであるが、これを傷口に張って暫くすれば体力も少しは回復するだろう。

 万が一のために薬草は常に持ち歩いた方が良い、と教えてくれたメナングの教えに感謝である。ついでにティダードの薬草について叩き込んだジュナザードにも一厘くらい感謝しておいた。

 

「兄弟子殿。どうして一人で師匠に挑みに行くなどという無茶な真似を」

 

 クシャトリアを除けばこの中で誰よりもジュナザードの実力を知るジェイハンが問うてくる。

 ジェイハンにとってのクシャトリアは、器用で頭の切れる兄弟子だ。その兄弟子が幾ら弟子を人質に囚われたとはいえ、単身でジュナザードに戦いを挑むという自殺行為同然の暴挙に出たのだ。疑問に思うのも無理はない。実際これまでのクシャトリアならば、もっと器用に立ち回っていた筈だ。

 

「……ジェイハン君。覚えておくといい。人間は誰しもそこの白浜兼一くんのような馬鹿じゃないが、人生で一度くらいは馬鹿になる時がくる。俺にとって今日がその馬鹿になる日だったということだよ」

 

 ジェイハンと翔は納得しているようだったが、名指しで馬鹿扱いされた兼一はショックを受けていた。

 だが一応断っておけばクシャトリアは別に兼一のことを馬鹿扱いしたが、馬鹿にした訳ではない。馬鹿と天才は紙一重ともいう。言うなれば馬鹿というのは一種の才能だ。白浜兼一は武術の才こそお粗末なものだが、馬鹿みたいな人の好さはそれに負けないほどに価値のあるものだろう。なにせ特A級の達人の心を揺らすほどのものなのだから。

 

「それよりも――――始まるぞ」

 

『!』

 

 無敵超人・風林寺隼人。拳魔邪神ジュナザード。二人から立ち昇る闘気は、もう天にも昇るほどだった。

 太陽を覆い隠す暗雲も、二人の対峙する半径100mにはポッカリと穴を開けている。神話の英傑や獣すらも裸足で逃げ出す氣に、雲すらが恐れ戦いて道を開けてしまったのだ。

 風も虫も音色を奏でるのを止め、最強の生命体の激突を今か今かと待ちわびている。

 

「カッカッカッカッ。ちと予定は狂ったが、それもまた良しじゃわいのう。神座へと届きし我が武威、じっさま相手に試すのも上々」

 

「ジュナザードよ。外法を得て神に至ったようじゃが『ぱわ~あっぷ』しとるのがお主だけだと思ったら大間違いじゃぞ。わしも多くの友たちに囲まれ、日々成長しておるのじゃ」

 

 最大限にまで増幅したと思われていた闘気が、更に高まっていくのを感じる。極限を超えた闘気は、もう武を修めていない一般人にすら可視化するほどだった。ジェイハンに率いられている兵士達が、映画が現実になったような光景に圧倒され目を白黒している。

 

「―――兼一。よく見ておけよ」

 

「翔。お前もだ」

 

 静かに、逆鬼と本郷が己の弟子に語り掛けた。

 

「あれが武の到達点だ」

 

 一度落ちてしまえば戻ることは出来ない、達人へと至る崖。その深淵に立つ二人の豪傑が、遂にぶつかる時がきた。

 臨界を超えた闘気が爆ぜる。瞬間、この場にいる全ての人間の目に、互いの心臓を貫き合った風林寺隼人とジュナザードの姿が映り込んだ。

 



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第115話  頂上対決

 その場にいるほぼ全員が余りの光景に唖然として、身体を硬直させた。無理もないだろう。これから人間の領域を超えた超人同士の死闘が始まる、そう思った途端に両者が相討ちしていたのだから。

 ジェイハンは師匠(グル)の突然の死を信じられずに肩を震わせ、兼一は長老の死を受け入れられずに息を止めた。しかし達人級へと至った武人たちと、この中で誰よりも達人を見慣れている翔だけは『戦いはまだなにも終わってない』ことを察知していた。

 

「さ、逆鬼師匠! 長老が!」

 

「落ち着け。爺から教わった流水制空圏を使って良く視ろ」

 

「――――え? は、はい」

 

 動きを流れとして捉える流水制空圏、それを発動したことで兼一にもマヤカシのない現実の景色が理解できてきた。

 風林寺隼人とジュナザードは戦いが始まってから一歩たりとも動いていない。兼一たちの目の前で相討ちしたのは、気当たりによる分身であって本体ではなかったのだ。

 恐るべきは達人級と翔以外には看破できないほどの分身を生み出した二人の力量。

 ある一定の域を超えた達人ならば、気当たりによって分身体を生み出すことができる――――それを知っている兼一やジェイハンの目まで二人の分身は欺いてしまったのだ。しかも相討ちして血を流す所まで鮮明に。

 ここまで真に迫った分身を作り出すなど、もはや達人業ではない。正しく超人技だ。

 

「――――噴ッ!」

 

「――――カッ!」

 

 隼人とジュナザードの瞳が輝く。

 瞬間、先ほどの分身など序の口とばかり、数えきれないほどの分身が出現した。しかもその全てが真に迫りきっている。

 さながらそれは分身の軍勢だった。軽く20以上の分身を果たした超人たちは、本体からの思念を受け、隊列を組み敵本体目掛けて突貫していく。

 風林寺隼人の首が切断される。ジュナザードの心臓が抉られる。手足が吹き飛び、内臓がぶちまけられる。戦場以外に形容できない光景がそこにはあった。

 だがそこまでやっておきながら未だに風林寺隼人とジュナザードは『不動』のまま。分身に戦わせながら、本体は敵本体の隙を伺っている。

 

「相変わらず無茶苦茶しやがるぜ。爺のやつ」

 

 空手家の頂点に君臨する一人たる逆鬼をもってして、風林寺隼人とジュナザードの戦いは冷や汗を流すほどのものだった。特A級の逆鬼はその気になれば気当たりによる分身くらいは生み出すことは出来るだろう。だが幾らなんでもこの次元を再現することは出来ない。

 

「正に超常対決だね。これで武器組の首領までいたら、ティダードが吹っ飛んでたかも…。ですよね、先生?」

 

「翔、黙って見ていろ。人生に二度も見られるような光景ではない」

 

 達人同士の死闘ですら珍しいというのに、超人同士による本気の死合いなど100年に一度あればいいほうだ。この死闘を観戦している者は、謂わば歴史の目撃者とすらいえる。

 翔も武人としてそのことは分かっていたので、今度ばかりは神妙に師の言葉に従う。

 

「…………」

 

「…………」

 

 相手の動きを脳内で予測し、攻撃の軌道を読み合う技撃軌道戦というものはあるが、隼人とジュナザードがやっているのはそれの究極系だ。

 分身同士の激しい戦争は延々と続き、終わりが見えない。

 生み出される分身の総数は両者のものを合計しても100に満たないが、倒されたら倒された分だけ次々に新しい分身を出現させるのでキリがないのだ。

 しかしこの世に終わりのないものなどはない。超人といえど体力は無限ではなく、このまま分身を生み出し続けていれば、いずれどちらかの気力が底をつくだろう。そのいずれが果たして何日後、何週間後に訪れるかは不明だが、ともかく終わりが無いことは有り得ない。

 完全に硬直状態となった両者。

 現状を打破すべく動いたのは、やはりというべきかジュナザードだった。

 

「我の現身を傀儡代わりに戦わせるにも飽きた。やはり武人は己の五体で血を流し、死合わねばのう!」

 

 並み居る分身を蹴散らしながら、ジュナザードの『本体』が嬉々として風林寺隼人に向かっていく。武術界広しといえど、ここまで愉しげに風林寺隼人という怪物に向かってくのはジュナザードだけだろう。そして嬉々として襲い掛かるジュナザードの気迫に、まるで呑まれない気力を持つのも風林寺隼人くらいだ。

 用済みとばかりに全ての分身たちが消滅する。特A級にとってすら遠い次元の超人技も、超人たちにとっては単なる前哨戦に過ぎなかった。

 二人の超人は血肉の通った己の拳で奥義を炸裂させる。

 

「風林寺、天降流陣ッ!」

 

「|雲を泳ぐ雷霆」

 

 天より墜落せし隕石と、地面を焼き尽くす雷霆が正面より激突し、途方もない闘気の核爆発に光が爆ぜた。

 ジュナザードがアジトとしていた巨塔は、超人二人の奥義のぶつかり合いに耐え切れず砕け散っていく。崩れゆく巨塔、二人を支えていた足場は消失した。

 なのに隼人とジュナザードは戦いを止めていない。落下する塔の破片を足場に、空中で激しい死合いを繰り広げていた。

 超高速を凌駕する神速の死戦。翔や兼一どころか、並み居る達人の視界からも隼人とジュナザードの姿は消え去る。未だに二人の戦いを視認できているのは逆鬼と本郷と、そしてクシャトリアだけ。特A級以外にはもはや見ることすら叶わぬ次元で、二人の武人は戦っていた。

 

「ふんっ、はぁあああああああああああああああっ!」

 

「カーカッカカカカカカカカカカッカカカカカカッ!!」

 

 着地と同時に周囲一帯の地面がごっそりと吹き飛んだ。空中高く巻き上げられた大質量の地面は、土霧となって森中へ撒き散らされる。

 破壊の中心。まるでビルが丸ごと引っこ抜かれたような空洞で、隼人とジュナザードは互いの突きをぶつけ合っていた。

 

「腕をあげたかいのう。以前のじっさまならこれで押し込めた筈なんじゃが」

 

「お主こそ。拳が一段と研ぎ澄まされておるわい」

 

「カカッ。武を極め、達人の壁をも越えながら尚も力を磨き続ける。武人というのも我ながらしょうもない生き物じゃわいのう」

 

「まったくじゃ。それとジュナザード、今回は船の時間を気にする必要はないぞ。ジェイハン殿が帰りの飛行機を用意してくれるらしいのでのう。わしも往復は疲れるので大助かりじゃ」

 

「ほほう。心に弱さがあった故、切り捨てたが、どんな不良品も役に立つ時があるものじゃわい」

 

「ジュナザードよ。お主が弱さと切り捨てたもの……それこそが人として失ってはならぬ強さであると分からぬか?」

 

「分かる必要など、ないわいのうっ!!」

 

 黒い殺意の竜巻がジュナザードを中心に発生し、隼人はそれに呑まれまいと距離をとる。

 嘗て互いの武を認め合い、一時は友になった風林寺隼人とジュナザード。だが風林寺隼人をもってしても、邪神にまで変貌してしまったジュナザードの心を変えることはできない。

 ジュナザードは呵々と笑いながら高らかに兇気を謳いあげる。

 

「我が欲するはシラットの至高を極め、真に我を継ぐに値する継承者を得ること。そして人の限界を踏破し、神へと挑むこと! それ以外のことなど興味などないわいのう」

 

「己の名を与えたほどの弟子を殺めようとして、なにが継承者じゃ」

 

「聞く耳持たんのう」

 

『――――!』

 

 風林寺隼人が、逆鬼至緒が、本郷晶が、クシャトリアが、兼一が、翔が。それを知る者達が一斉に気付いた。

 ジュナザードの体に静の気と相反する動の気が凝縮し始めている。静の気と動の気がジュナザードという器で融合し始め、神の如き爆発的エネルギーを拳魔邪神に満たしていった。

 

「じゃが『弟子から学ぶ』ということは、それなりに聞く価値があったと今は思うわい。なにせクシャトリアの研究が、我を超人の先へと導いたのじゃからのう」

 

「百聞で駄目ならば、一拳で語るしかなさそうじゃ」

 

 邪悪な静動轟一の気とは真逆の、清廉な流水を思わせる気が風林寺隼人を包み込んでいく。

 静動轟一と流水制空圏。それは奇しくもデスパー島での叶翔と白浜兼一の戦いの再現でもあった。



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第116話  天魔の戦い

 流水制空圏とは無敵超人・風林寺隼人が編み出した静の極みが一つ。相手の身となって物事を考える『優しさ』こそが技の真髄であり、相手を抹殺することを旨とする殺人拳では体得することは困難な技だ。

 クシャトリアは自分が死の恐怖に怯え続けてきた経験を活かして、殺す相手の立場になって考えるという荒業で体得したが、兼一のように優しさという強さで覚醒することこそ真の流水制空圏なのだろう。

 しかし流水制空圏が静の極みだというのならば、静動轟一は静と動の境界線を犯す禁忌の術。静動轟一の出力を上回ることなど出来やしない。

 ましてやジュナザードは心の闇を爆発させることで、流水制空圏の『第三段階』たる「相手を自分の流れに乗せて相手の動作を思うままにコントロールする」まで進むことは困難極まるだろう。

 

――――だから風林寺隼人は静動轟一を発動させたジュナザードに及ばないか?

 

 クシャトリアはジュナザードの強さを信じ過ぎているが故に、なんの疑問も感じず是としていた。だがその考えは余りにも無敵超人という伝説を侮った見解であると直ぐに知ることとなる。

 そもそも長きに渡る武術の歴史において、攻略不可能な技などは存在しない。どれだけ完璧にみえる技でも、必ず突破口や弱点があり、攻略法が編み出されてきた。

 静動轟一は確かに武術の常識を破り、武の深遠に近い禁忌である。だが見方を変えれば所詮は静動轟一も一つの技に過ぎないのだ。

 風林寺隼人の流水制空圏が櫛灘美雲やジェームズ志波といった達人に盗まれたように、静動轟一の術理また風林寺隼人に盗まれていた。

 人を思いやることを重視する活人拳だからこそ、誰よりも静動轟一を敵視してきた梁山泊。だが誰よりも敵視するからこそ、誰よりもその技を研究した。

 恐らくは白浜兼一と朝宮龍斗の戦いで、龍斗が静動轟一を発動させた瞬間より。風林寺隼人は静動轟一を攻略するための技を開発してきたのだ。

 そしてその成果がここに現れる。

 

「流水制空圏、第零段階」

 

「カッ? 零、じゃと……?」

 

 自分ですら知らない段階の存在に、ジュナザードが驚きを露わにする。

 静動轟一の邪気によって発生した暴力的なうねり、その流れは流水となって風林寺隼人の体に流れ込んでいく。それは静動轟一に対して静動轟一をもって対抗するということを意味しない。風林寺隼人が己の内に取り込んでいるのは静動轟一の気ではなく、静動轟一の流れのみだ。

 相手の流れを読むのでも、相手の流れと一つとなるのでも、相手を自分の流れに乗せるのではない。

 敢えて自分から相手の流れに乗ることで、その流れを己の流れとして昇華する荒業。静動轟一を発動せずに、静動轟一の力だけを吸収する対静動轟一用に編み出された秘技。

 ここに風林寺隼人はジュナザードと同じく『超人』の壁を踏破した。

 

「粉ッッ!!」

 

「カッ!」

 

 猛虎の気迫をもって吐き出された気焔の大噴火が、嵐のような突風を噴き荒らす。極限を突破するほどに高まった闘気は、触れるだけで火傷するほどに錬磨されていた。

 ふと戦いを見守る全ての人間の視界から、風林寺隼人とジュナザードの姿が掻き消える。それと同時に周囲一帯に無差別的な破壊が撒き散らされた。

 もはやその死闘を達人ですら見ることは叶わない。特A級のクシャトリアですら、もはや朧気だ。

 何もない空間で一秒の間隔を置かずに発生する爆発音。それは神速で大地を駆け巡る隼人とジュナザードが激突した跡だった。

 

「嬉しや……やれ、嬉しや!! 我の期待通りじゃわいのう!! やはりじっさまもこの領域まで辿り着いてくれたかいのう!!」

 

「外法を用いての一時的なものじゃよ。褒められたことではなかろう。お主もわしも、のう」

 

 姿を見ることのできない者達にとって、虚空より響く声だけが二人がそこで戦っているという証拠だった。

 

「――――これが超人を凌駕した、その先の境地、か」

 

 余りにも遠い次元、余りにも途方のない頂きに、クシャトリアは遣る瀬無く目を伏せる。

 ジュナザードに対抗するために、ほんの一時といえど自分を超人の領域へ押し上げる『静動轟一』に目をつけ研究したというのに。よもやそれがジュナザードが超人の壁を超える手助けになってしまうとは。

 つくづく世界というものは皮肉と残酷に満ち満ちている。これこそがシルクァッド・ジュナザードの本気。拳一つで冥府魔道を歩み、邪神となった男の到達点。

 クシャトリアは幽冥に映る風林寺隼人を視線で追いかけながら、嘆息する。もしも自分にジュナザードに匹敵するだけの才覚があったのならば、無敵超人のようにジュナザードと戦えることが出来たのだろうか。そんな仕様のないことを考えてしまう。

 こんな馬鹿げたことを思考してしまうあたり、自分は自分の思っていた以上に消耗しているらしい。肉体ではなく精神が。

 

「う……むにゃむにゃ……龍斗さまぁ………そこ、もうちょっと優しく……」

 

「…………………はぁ」

 

 人が一世一代の賭けに出て師匠に挑み、そしてこうして圧倒的な力の差に打ちのめされている中、こうなることになった原因たる『弟子』はなんとも幸せそうな顔で寝言を漏らしていた。きっと夢の中で想い人である朝宮龍斗と宜しくやっているに違いない。

 なんとなく腹が立ったのでクシャトリアは、リミの脳天に拳骨を落とすことにした。

 

「ほぎゃっ!? 龍斗様、いきなりSMプレイとか大胆――――ってアレ? クシャ師匠が何故にここにいるとですか? ハッ! 駄目ですお! 師匠を交えた禁断の3Pとかお断りです! リミは龍斗様だけの」

 

「いつまで寝ぼけている阿呆。周りを良く見ろ」

 

「周り……? ほへ。ここ何処ですか? また無人島? ちょ、待ってください師匠! リミには三日に龍斗様とデートに誘うという大切な予定が!」

 

「心配しなくても、お前の言う日付はとっくに過ぎている」

 

「なん……だと……?」

 

 無敵超人と拳魔邪神の一騎打ちという歴史的な戦いに、こんなにも一人で呑気している愛弟子を見ていると、自分の悩みが酷く馬鹿らしく思えてくるのだから不思議だ。

 そしてこんなお頭の足りていない弟子のために、十年以上も守り続けた己の命を懸けるあたり、自分はかなり馬鹿なことをしでかしたのだろう。これではリミのことを怒れない。

 

「細かい話は後だ。それよりも――――」

 

 半径100㎞をすっぽり覆い隠していた闘気のドームが、臨界を超え、遂に爆ぜた。

 瞬間、風林寺隼人とジュナザードの二人が姿を現す。激戦の後を物語るように二人は衣服も引き千切れ、全身からは血を流し、満身創痍という有様だった。

 

「今は何も考えず見ておけ」

 

 満身創痍のジュナザードを始めて目の当たりにしたクシャトリアは、驚きと憧憬の入り混じった瞳で二人の豪傑を見る。

 神速で動く二人の戦いを一部始終捉えることができたわけではないが、隼人とジュナザードの消耗やダメージの度合いは殆ど同等のように思える。だがよく観察すると僅かに風林寺隼人の方が受けているダメージは大きいようだった。

 これは単純に風林寺隼人がジュナザードよりも実力的に劣っていたのか、それとも別の原因があるのか。

 

「やはり……か」

 

 クシャトリアの疑問に答えるように、ジェイハンが冷や汗を流しながら呟く。心なしか彼の唇が微かに震えていた。

 

「なにがやはりなんだい、ジェイハン君」

 

「兄弟子殿は日本からティダードに来るのになにを使いましたか?」

 

「普通に飛行機だが、それがどうか――――まさか」

 

「そのまさかです。風林寺殿は日本からティダードまで走ってきたのです! 太平洋を横断して!!」

 

「なっ!?」

 

 特A級ともなれば水面を走る術を体得しているのはおかしなことではない。他ならぬクシャトリアもそれが出来る一人だ。だがしかし日本からティダードまでの距離を、海面を走って横断するなど狂気の沙汰以外のなにものでもない。

 それをジェイハンを背負いやってのけ、しかも碌に休まないままにジュナザードに挑むなど無茶苦茶だ。どういう体力があれば、そんな無茶ができるのだと。一度肉体の構造を知るために解剖したいくらいだ。

 けれどここで問題となるのはそこではない。

 

「不味いな。いくら爺とはいえ太平洋横断は体力的にきつい筈だ。持久戦にでもなりゃ爺の圧倒的な不利だぞ」

 

 逆鬼の言う事は正鵠をついていた。

 片や前日に小競り合いした程度で万全のコンディションのジュナザード、片や美羽捜索のために世界中を走り回り碌な休息もしていない隼人。長丁場になってどちらの体力が先に底をつくかなど子供でも分かることだ。そして如何な超人といえど決して体力は無限ではない。

 風林寺隼人と直接拳を交えているジュナザードは、そんなことくらいとうにお見通しだろう。もしジュナザードが勝ちを急がずに、持久戦を挑んでくれば、風林寺隼人の勝率は限りなく低くなる。

 だが誰よりもシルクァッド・ジュナザードを知り尽くすクシャトリアは平然としていた。

 

「大丈夫だよ」

 

「なにが大丈夫なんだよ?」

 

師匠(グル)が俺や美雲さんみたいな性格だったら大問題だっただろう。だがあそこにいるのはシルクァッド・ジュナザードだ。血湧き肉躍る死合いが大好物で、退屈極まる戦いを嫌う邪神だ。

 あの師匠に限って持久戦で体力切れを狙うだなんて、そんなつまらない戦法をとるはずがない。それどころか師匠ならば恐らく、本気の風林寺隼人と戦いきるために超短期決戦を挑んでくる。例えば」

 

 奥義の打ち合いのような、とクシャトリアが言った時だった。風林寺隼人とジュナザードの気当たりが無限大にまで増幅していく。

 天を轟かせ、地を震わせ、人を慄かせ。神域の豪傑は己の奥義を繰り出した。

 

「真拳・涅槃滅界」

 

「邪拳・無間界塵」

 

 其の日、ティダードに天地創造の景色が具象化した。

 



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第117話  決死

 武の深遠に立つ両雄の奥義の交錯は、天雷にも等しい衝撃を地上へ齎した。

 風林寺隼人の真拳とジュナザードの邪拳。善なる念と悪なる怨の激突は、大地の揺れが収まると同時に終わり、ここに一つの決着がつく。

 夕焼けで朱色に塗られた大地に一人の豪傑が膝をつき、もう一人の豪傑は大の字に倒れる。

 膝をついた豪傑は、腹から夥しい血を流し、明らかに半死半生の有様だ。ほんの少し、あとほんの僅かでも〝深く〟傷ついていれば致命傷は免れなかっただろう。だがそのギリギリの所で堪えた彼の瞳には、確かな命の輝きがある。心臓は生命の脈動を告げるかのように鼓動を続けていた。

 

――――あとほんの少しで死ぬところだった。

 

 その事実が示すことは唯一つ。彼を傷つけたのは殺人拳の使い手だったということだ。殺人拳の使い手たるシルクァッド・ジュナザードであるということだ。

 この地上の誰よりも、或は史上誰よりも多くの死闘を繰り広げた武人、風林寺隼人。だがしかし彼の拳は未だに唯一人の人間も殺めてはいない。此度の死合いにおいても、その手は血濡れてはいなかった。

 息は荒々しく、両の足で立つことも叶わず。されど風林寺隼人は生きている。

 そしてシルクァッド・ジュナザードは意識を完全に失い、大の字に倒れていた。だが意識はなくとも、その肉体には一つの致命傷もない。命を傷つけず、肉体に後遺症が残る痛手を負わせず、本当に綺麗に意識を刈り取られている。

 受けた痛手は風林寺隼人の方が大きいだろう。だが風林寺隼人は活人拳。人を活かした上で負かすことこそが勝利条件。対するジュナザードは人を殺して勝利することこそが勝利条件。

 であれば痛手の大小関わらず風林寺隼人こそが勝利者で、ジュナザードこそが敗北者なのだろう。

 白浜兼一が、逆鬼至緒が風林寺隼人に駆け寄る。彼の勝利を称える為に。

 ジェイハンが傅く。ティダード人達が涙を流す。ジュナザードの敗北を悼むように。

 本郷晶と叶翔は勝利者を祝うことも、敗者を悼むこともなく、喜怒哀楽の定まらぬ感情のまま、ただ死闘の余韻に身を任す。

 小頃音リミは……クシャトリアの弟子は、一人だけ状況が良く分からずに心を迷わせていた。

 この景色、この揺らめき。

 シルクァッド・ジュナザードは負けたのだ。敗れ、倒れてしまったのだ。

 実に認めたくないことに。

 

(認めたくない……どうしてだ?)

 

 自分で思考し、クシャトリアは自分で自問する。

 クシャトリアにとってジュナザードが敗れたことは喜ばしいことのはずだ。

 ジュナザードを廃除し、真の自由を勝ち取る。ジュナザードという恐怖に怯えずに済む輝かしい未来、それを手に入れたということなのだ。

 だというのにシルクァッド・サヤップ・クシャトリアの魂は納得していない。受け入れることが出来ていなかった。ジュナザードが敗れ、目的が遂げられてしまったということに。

 心が、渇く。魂が、疼く。理性と本能は歓喜しているというのに、どちらでもない〝何かが〟叫び声をあげていた。

 

――――何に対して?

 

 クシャトリアは自答する。自問し思考し、導き出した答え。

 けれどそれを脳裏に描き、心に容れるよりも早く〝異常〟は訪れた。

 

「カ、カカカカカ、カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ…………」

 

 笑っている声が聞こえてきた。

 無間地獄の底から響いてくるように。地獄から這い上がってきた邪鬼の嗤いが、戦いの終わりに酔いしれていた者達の心を凍り付かせた。

 ドクンッとクシャトリアの心臓が跳ね上がる。

 その声を知っていた。その声は師匠が弟子を地獄へ突き落す時にする、とても意地の悪い笑いだ。

 

「たまげた、わいのう」

 

 誰も声を発せない。悲鳴も、驚きも、叫びも。ありとあらゆる心の動きは凍結し、炎がゆらめくように邪悪なる人がむくり、と起き上がった。

 起きてはいけないのに、あっさりと起き上がってしまった邪神。邪悪なる神。拳魔邪神ジュナザード。

 ジュナザードは風林寺隼人を見てニィと笑い、他の者を見回してニヤァと嗤った。

 

「初めてじゃわいのう。この我が……1分と11秒とコンマ1秒ほど……意識を、落とされた。カカカカッ」

 

「意識を、回帰させた……。戻ってきたのか、ジュナザードよ。こんなにも早くに」

 

「十時間ほど眠らせておくつもりじゃったのじゃろうが、あてが外れたようじゃわいのう。クシャトリアを通して櫛灘の永年益寿をちょちょいとばかし取り入れてのう。この老いた五臓六腑を弄っておったが、それが功を成したようじゃわい。こうして早起きできたのじゃからのう」

 

 ジュナザードが風林寺隼人に近付く。するとそれを遮るように逆鬼至緒が前に立った。

 

「おい、ジュナザード。爺は殺されずに、お前を1分気絶させた。武術家としちゃ決着はついてるわけだが、それでもまだ戦うのかよ」

 

 逆鬼は視線で訴えていた。これより先を続けようとするのであれば、もうそれは武術家としての戦いではないと。

 

「カカッ。心配するな小僧よ。我とて武人、じっさまを殺すつもりはないわいのう。じゃが――――」

 

 ジュナザードから殺気の暴風が吹き荒れる。突風めいたそれに、達人に届かぬ弟子クラスは吹き飛ばされてしまった。

 

「じっさま以外は別じゃわい。梁山泊に闇に。良い感じの敵意と殺意をもった達人がこうも雁首を揃えておるのじゃ。こんな御馳走を見逃すほど、我の腹は満腹ではないわいのう」

 

 これがジュナザードの行動倫理だった。

 武術的に風林寺隼人に敗れたことは認める。だから風林寺隼人を殺めることはしない。彼にはいずれ互いが五分の状態で再戦を挑む。

 だが風林寺隼人には敗れても、他の誰にも負けた訳ではない。逆鬼至緒とは、本郷晶とは戦っていない。そしてまだ戦いを欲しているから、戦う。

 そして恐らくは風林寺美羽や、もしかしたら小頃音リミも、或はクシャトリアも。しっかりと奪い、取り返し、盗っていく。

 当然それを風林寺隼人が認める筈がない。彼は致命傷一歩手前の体を押して立ち上がり、逆鬼至緒や本郷晶がそれを庇うように前へと出る。

 

「その傷で戦うのは爺でもやべえだろ」

 

 それが逆鬼至緒の意見だった。

 正しい見解である。もしも風林寺隼人が無理してジュナザードと戦えば、致命傷一歩手前の傷は真実致命傷そのものとなるだろう。

 そうはさせないために逆鬼至緒と本郷晶は肩を並べてジュナザードと相対する。

 

――――改めて自答した解答を、心に描き出す。

 

 風林寺隼人の横を通り過ぎて、闘気を漲らせる空手家二人を押しのけて。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアは一人、シルクァッド・ジュナザードの正面へと立った。

 

「ぐ、師匠。どうしちゃったんですか……?」

 

 震える唇で出された声は震えていた。

 

「お前という弟子のせいで一度馬鹿になった俺は、今度は目の前にいる師匠のせいでもう一度馬鹿になるらしい」

 

 両手を広げる、翼のように。

 敵を見据える、騎士の如く。

 翼もつ騎士、サヤップ・クシャトリア。その名の通りに。

 

「本郷さん。叶翔くんの命を助けた借り、まだ有効ですか?」

 

「……なにをするつもりだ?」

 

「隣にいるライバルを抑えておいて下さい。事が終わるまで。一つの命が終わるまで」

 

 これまでずっと殺せればいいと思っていた。ジュナザードを殺し、呪縛さえ解ければいいと。自分の命が最も大切で、それのためならば全てのものは塵芥に等しいと考えていた。

 なのにどうも実に馬鹿らしいことであるが、この十年間の中でクシャトリアにも武人の魂というやつが根付いてしまっていたらしい。

 別段ありとあらゆる死闘に固執しているわけではないのだ。これは、というライバルなど一人もいない。

 だがジュナザードに、師匠の生涯に終止符をうつのは自分でありたかった。ジュナザードを倒すのも、殺すのも自分でありたかった。それ以外では納得できない。そうでなければ解放されない。

 地獄の日々に積もりに積もった、憎悪も悲哀も――――ありとあらゆる感情がごちゃ混ぜになった何か。それを解消する方法は唯一つ、ジュナザードを自らの手で倒すことだけだ。

 そうしなければならない。そうせねば、きっとこの感情は納得して消えてはくれないだろう。

 ジュナザードが他の誰かによって殺されれば、行き場を失った感情はきっとクシャトリアの心を埋め尽くす。其れはきっと第二の邪神の誕生となる。

 

「それがお主の出した結論かいのう」

 

「どうもそうらしいですね。土壇場になって気付くあたり、俺は救いようのない大マヌケだ。最後の最後で主義を曲げるなど、非難囂々だろうきっと。

 嗚呼、美雲さんならきっと逆鬼至緒に本郷さんを利用して、なんでもいいからジュナザードを殺せ――と、仰るんだろうな。だけどやっぱりこればっかりは、駄目だ。自分から危ない橋を渡っても、これだけは自分でやりたい。貴方は自分で殺りたい。殺してやりたい」

 

 奇妙だった。後ろで誰かが、誰か達がなにかを叫んでいるのだが、まったく耳に入ってこない。

 世界には自分とジュナザードしかいなかった。これなら邪魔者は入らない。入っても気づかないのだから入らないのと同じだ。

 

「殺してやる、ジュナザード」

 

 死ね、とは言わない。殺す、と言う。

 有言が実行されなかったのならば、きっと言霊は己へ降り注いだということなのだろう。

 



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第118話  神速の三叉戟

 殺意、揺らめいて。闘気、渦巻いて。戦いの始まりを、否、再開を告げるように雷鳴が轟く。

 大きく息を吸い、周囲を流れる神域の戦いの残滓を呑み込んだ。ここにシルクァッド・サヤップ・クシャトリアは今一度、遥か遠く険しい頂きに君臨する神へと挑む。

 つい先程の戦いを――――師弟対決の顛末を見ていた者には『無謀』とすら映る行為だろう。なにせクシャトリアはジュナザードにまるで歯が立たなかったのだ。

 善戦はしていただろう。静動轟双と静動轟一、長い研究によって遂には我が物とした奥義と禁忌を駆使して、格上の神相手に喰らいついた。

 だがジュナザードが静動轟一を使用するという、なんとも不条理で残酷な出来事で、クシャトリアが十年以上も研ぎ続けてきた刃は無駄になった。

 人智を超えた神に、人智の極みの武技が通用する道理はない。超人を凌駕する神域に、クシャトリアは成す術もなく敗北し――――無敵超人が駆け付けなければ、確実に命はなかったはずだ。これほど力の差が開いているのなら、もう一度チャンスを得たところで結果は同じ。再戦して結果が変わるのは、実力が拮抗している者同士だけだ。クシャトリアとジュナザードはこれに当てはまらない。

 

「我が弟子ながら愚かな真似をしたものじゃわい」

 

 嘲り、どこか残念がりながらジュナザードは言う。最初と違い今度のジュナザードに遊びはない。

 白浜兼一が生来の性格からくる天然のスロースターターならば、ジュナザードは生来の性格からくる作為的なスロースターターである。

 ジュナザードが本気を出せば特A級といえども三分とは保たない。だからわざと手を抜き『遊ぶ』ことで戦いを長引かせ、その武人の全てを引き出そうとする。ジュナザードが皮や種まで丸のみするのと同じだ。相手の全てを引き出すことで、ジュナザードは武人の全生涯を喰らうのだ。

 しかし既にジュナザードはクシャトリアの全てを引き出してしまっている。その上、クシャトリアの背後には極上の空手家二人がいるときた。

 御馳走を前にして、待ち惚けすることこそ辛いものはない。

 故にジュナザードは油断も慢心もなく、初手より全力でクシャトリアを殺しにかかる。そう、

 

「静動轟一」

 

 禁忌の技を駆使することで。

 だがジュナザードがそれを使うのを見て、クシャトリアは恐れ戦くどころか、激烈に笑った。

 異常は直ぐに現れ――――なかった。

 そう、なにも起こらなかったのだ。

 異常が起こることが異常なのではなく、なんの異常も起こらないことこそが異常。

 武術における最大の禁忌の技、静動轟一。ジュナザードは間違いなくそれを発動した。ジュナザードに限って技を失敗するなどは万に一つも有り得ない。

 なのに現実としてジュナザードの体にはなんの変化もなかった。ジュナザードの体内に凝縮しているのは静の気だけ。動の気は発動すらしない。

 

師匠(グル)、俺は馬鹿なことをしている。だが勝ち目がない戦いをするほど、俺は馬鹿じゃない……」

 

「……じっさまめ、やってくれるわいのう」

 

 ジュナザードが喰らった無敵超人の奥義〝涅槃滅界〟。それに込められた意、心、技、活、闘、勇、拳の念が、静動轟一の邪気を妨害しているのだ。

 あの念が消えぬうち、恐らく数日の間は、例えジュナザードほどの怪物だとしても静動轟一を発動させるのは難しい。無理に発動させようとすれば、七つの念が精神を蝕み逆に弱体化するだけだ。

 ジュナザードの静動轟一発動不可。

 風林寺隼人との戦いでの消耗あり。

 これらの条件があったからこそクシャトリアも命を賭した。ジュナザードを殺すのは自分と定めはしたが、だからといって勝ち目のない戦いをするほど、クシャトリアは馬鹿になりきれない。

 そして当然のことだが静動轟一を使えないのはジュナザードだけであって、クシャトリアはそうではない。ジュナザードが出来ないことを、クシャトリアは身を削って発動する。

 

「静動轟一ッ!」

 

 赤色と青色が混ざり合って、生み出されるのは紫色の邪気。

 心眼が開き、第六感は覚醒する。紫色の気を宿した肉体に、澄み切った流水を纏って、クシャトリアはジュナザードに向かっていった。

 彼の命を自らの手で終わらす、そのために。

 

「「台風鈎!」」

 

 まったく同じモーションで、まったく同じ技が繰り出される。

 速度はクシャトリアが勝り、技の練度はジュナザードが勝り、破壊力は互角。同規模の衝撃を浴びて、二人は同程度の距離を離した。

 やはり戦えた。静動轟一のないジュナザード相手ならば、静動轟一のあるクシャトリアは戦うことが出来る。

 ジュナザードは風林寺隼人との戦いで文字通りの全力を出し尽くしており、表には出さないが消耗があった。諸人を騙せても、誰よりもジュナザードを見てきたクシャトリアの目は誤魔化せない。いつもなら例え静動轟一を発動していない状態でも、同じ技を繰り出して威力が同じになるなんてことはなかったはずだ。ほんの僅か、紙一重の差でジュナザードが上をいっていた。

 それが互角だということが、ジュナザードが消耗しているという証左。

 クシャトリアにも消耗はある。ダメージもある。ティダードの薬草で幾分かは回復したが、完治には程遠い。

 なのに不思議と肉体は重さを感じない。痛みはあるのに、痛みを感じていない。奇妙な全能感が今のクシャトリアにはあった。

 

師匠(グル)――――ッ!」

 

「カッ、カッカッカッカッ! 長い間、お主を作り上げていて我も何を勘違いしたか。そうじゃわいのう。そうじゃわいのう! 我が弟子達の中で誰よりも賢しく才能に溢れて居ったお前が、なんの勝算もなしに我に挑むなど有り得んかったのう! 一番弟子の考えを見誤るとは、我の目も抜けておるわいのう! カーカッカッカッカッ!」

 

 静動轟一を使えず、格下である自分の弟子相手に互角に戦われている――――そんな状況にも拘らずジュナザードは酷く愉し気だった。その笑い声には狂気すら、否、狂気しか感じられなかった。

 

――――もしかしたら……シルクァッド・サヤップ・クシャトリアならば、自分を殺してのけるかもしれない。殺しにきている相手は手塩にかけて作り上げた自分の弟子。だとすれば一体全体どうやって自分を殺しにくるのだろうか?

 

 ジュナザードは自分が殺されるかもしれないという危機を、嬉々として愉しんでいる。クシャトリアにはそう見えた。

 まったくもって厭な師匠である。こんなにも師匠がべらぼうに強くなければ、もしかしたらこうはならなかったかもしれないというのに。

 

猛獣跳撃(スラガン・ハリマウ)!」

 

 虎に擬態して、クシャトリアはジュナザードの喉笛を食いちぎりにいく。比喩ではなく五体で殺せなければ、牙をもって噛み殺す気で迫った。

 弾丸めいた拳打が猛虎となったクシャトリアを妨害する。しかしクシャトリアを守護する流水は、ほんの紙一重で拳打を回避していっていた。それでも風圧だけで肉が千切れそうになるが、その程度の痛みは慣れている。大したものではない。

 クシャトリアの手がジュナザードの肩の肉を剥ぎ取る。その代償はクシャトリアの左腕だった。

 左腕に五本の指が釘のように突き刺さる。気血で鋼鉄とした腕を、ジュナザードの指はいとも容易く穿ってきた。

 だがまだ大丈夫だ。左腕が千切れ飛んだ訳ではない。牽制と盾代わりには使える。

 

「我相手によくやるわい。じゃがどこまで続くかいのう。我と違いお主の肉体ではソレに耐え切れまい」

 

「が、ぬぅぅ……ッ!」

 

 前の戦いと今回の戦い、二つの戦いを合わせて既に静動轟一の限界発動時間が近づいている。残り限界時間は三十秒。

 

「うぉぉおおおおおおおおおおおおおーーーーッ!」

 

 静動轟一で一時的にとはいえ『超人』の領域に達していたからだろう。十三人もの分身が現れて、それがまったく別々の動きでジュナザードに殺到する。

 

「――――十三連。転げ回る幽鬼(ハントウ・グルンドゥン・プリンイス)

 

 クシャトリアが十三人の分身で襲えば、ジュナザードは十三倍の速度で迎撃する。

 十三人のクシャトリアはジュナザードの『奥義』が一つの前に、次から次へ殺されていく。しかしジュナザードが最後の一人、即ち本体を殺しにきた瞬間、

 

「我流〝玄武爆〟」

 

 玄武の気が宿った鉄拳が、ジュナザードを弾き飛ばした。

 闇の一影、風林寺砕牙の奥義は邪神相手にも有効だったということだろう。クシャトリアは吹っ飛ばされたジュナザードを疾風のように追撃していき、

 

(―――――――ぬっ、こんな……ところで……)

 

 静動轟一の限界時間が訪れた。

 始まる。静動轟一の最大のリスク、精神と肉体の崩壊が始まっていく。静動轟一の気をコントロールすることに成功した者は、静動轟一をノーリスクで使用することができる。だがそれは制限時間付きだ。ジュナザードのような『超人』の体をもっていない限り、限界時間を超えれば朝宮龍斗や叶翔と同じように『崩壊』が始まってしまう。

静動轟一を止めなければならない。誰よりも静動轟一を研究してきたクシャトリアは、誰よりも静動轟一のリスクを熟知していた。だが、

 

(まだ、だ……ッ!)

 

まだ静動轟一を解除する訳にはいかない。肉代が崩壊しようと、精神が崩壊しようと、死ななければどうにかなる。まだ大丈夫なはずだ。

 

「あ、ああああああああああああああああーーーーーーーーッ!」

 

 自分でも意味の分からぬ絶叫をあげ、ジュナザードに突貫する。

 瞳から紅の涙を流しながら。内側から肉体ががらがらと壊れていく音を聞きながら。それでもクシャトリアはジュナザードから1㎜も目を離しはしない。目を離せば最後、全て終わる。

 

「このくらいは、予測済みだ!」

 

 大丈夫だ。万が一限界時間を超えてしまった時の対応策も、念のためにクシャトリアは開発していた。

 精神と肉体の崩壊を止めることは出来ない。しかし負荷を片方に回すことくらいならば、達人級の気のコントロールをもってすれば可能だ。

 

――――やれやれ。師が師なら弟子も弟子じゃのう。女を婆呼ばわりとは、主は日頃どういう教育を弟子にしているのかえ。

 

 パリンッ、と音をたてて何かが壊れる。それはクシャトリアの精神に保存されていたモノ。脳と精神に記録されたモノだ。それが脆くも砕け散る。

 果たしてそれは思い出か、それとも思い出ならぬ情報か。或は根源的な人格か。

 

(まだ問題は、ない)

 

 精神は、心は、脳味噌は。未だ武の記憶を宿している。そもそも精神ではなく肉体に焼き付けた武は、例え心が完全に滅び去ろうと失われることはない。だから大丈夫だ。戦闘に支障はなく、戦闘の続行は可能である。

 

――――ようこそお出でになられた、拳魔邪帝シルクァッド・サヤップ・クシャトリア殿。我が兄弟子。

 

 失われていく精神/心の断片。

 急がなくては。心が完全に木端微塵に砕けてしまえば、流石に肉体を動かすことも難しくなる。そうなるよりも早く拳魔邪神ジュナザードを屠らなければ、己の心が自壊してしまう。

 自爆などというつまらない結末だけは、御免だった。折角この世界で何よりも価値あるものを賭しているというのに、それではまるで救いがない。

 

「カーカッカカカカッカカカカカカカカカカカカカカッ! 手塩にかけた弟子に殺意を向けられ、命を奪われる窮地を味わう! 一度体験すると病みつきになりそうじゃわい。

 この分だとまた達人を仕上げても、同じように喰らってしまうわいのう。我ながら業の深いものじゃわい」

 

「無用な心配だ、貴方に未来はない。貴様の人生はここが終着駅だ」

 

 鞭のような手刀がクシャトリアを抉る。抉って、肉を抉り取った。

 全身に激痛が駆け巡る――――はずである。肉を抉られたのならば当然。なのにクシャトリアは痛みを感じることはなかった。きっともう痛みを感じる精神が、砕けてしまっているのだろう。

 

――――拳聖様の友達っていうことは、ずばりクシャトリアさんも武術の達人なんですよね!

 

 とても大切なモノが失われてしまったような気がした。

 だけどまだ大丈夫だ。まだまだ大丈夫だ。まだ後少しくらいは保つ。

 

(だ か ら)

 

 早く撃ってこい、ジュナザード。生涯をかけて辿り着いた奥義を、生涯最期となる一撃を。

 そうでなければ張り合いがない。そうでなければこちらも使えない。そちらが全身全霊を一撃に込めてくれなければ、こちらも技の出し甲斐がないというものだ。

 クシャトリアの祈りが届いたのか、遂にジュナザードがあの構えをとる。

 その構えを、そこから繰り出される技をクシャトリアは知っていた。

 

――――邪拳・無間界塵。

 

 嘗て無敵超人・風林寺隼人と交戦した折、彼の奥義を見たジュナザードがそれと真っ向から対抗するために編み出した邪悪なる拳。

 無敵超人・風林寺隼人が意、心、技、活、闘、勇、拳の念力を真拳に宿すのならば。

 拳魔邪神ジュナザードは邪、神、技、殺、闘、魔、拳の怨念を邪拳に宿す。

 ジュナザードに免許皆伝を与えられたということは、彼より全ての奥義を伝授されたという証。

 言うまでもなくクシャトリアがジュナザードから伝授された技の中にこの『邪拳』は存在する。実際に放つことも出来るだろう。

 ジュナザードの最大最凶の奥義だけあってその威力は強力無比。凡百の達人の奥義とは隔絶した破壊力をもっている。相手が己と同格の特A級であれば、この奥義は最高に頼もしい必殺となりうるだろう。

 だが相手がジュナザードであれば駄目だ。余りにも頼りない。

 静動轟一で一時的に超人の位階に昇ろうとも、技の破壊力で並び立とうとも、この技でジュナザードと打ち合うことは不可能だ。致命的に『念力』で劣ってしまう。

 

(だから俺はずぅっと考えてきた。どうすればジュナザードを殺せるか、どうやったらジュナザードを殺せるのか。この十数年それだけをひたすら考えてきた)

 

 奥義と奥義のぶつかり合いでは勝てない。かといって静動轟一で超人の力を獲得しようと、ジュナザードの守りを突破して何度も攻撃を直撃させるのは並大抵のことではないだろう。

 静動轟一の発動中に当てられて二、三発。邪神を殺すには余りにも頼りない数字だ。

 しかし戦いというのは受けた攻撃の回数が勝敗を分ける訳ではない。

 半死半生となりながら死にもの狂いで放った〝一発〟が、無傷の敵を打ち抜くことがある。

 ただの一撃、ただの一撃で相手を殺すに足る技――――即ち、必殺技を命中させること。それがクシャトリアが見出した唯一の勝機だった。

 かといって奥義と奥義の応酬で勝てないのは知っての通り。

 ならば、どうするか。

 

(必要となるのは――――)

 

――――疾さだ。

 

 早く、速く、疾く。音よりも風よりも光よりも速く、殺される前に敵を殺す。

 相手が攻撃に全神経を集中させる刹那、神速の貫手をもって命を粉砕する。

 打ち合って勝てないのならば、相手に打たれるよりも早く敵を殺してしまえばいい。そうすれば敵の奥義は届きはしないだろう。例え神であろうと、死者に生者を殺すことは出来ないのだから。

 だからそれをこの十数年間磨き続けた。移動の速さではなく、必殺の速さだけを。その成果、今こそ披露すべき時。

 静動轟一の気を右手に集中。防御の一切合財を放棄し、あらゆる意識を一撃のみに傾ける。気血を送り込まれ、紫色の闘気に活性化させられた右腕はもはや鉄槍と化していた。

 ジュナザードの戦いの〝流れ〟が今正に最大の奥義の解放へと向かってゆく。

 それでいい。流れが攻撃に最大限集中する瞬間にこそ、シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの槍は真価を発揮するのだから。

 

「邪拳・無間界塵――――ッ!」

 

 七つの怨念が禍々しい拳へと宿り、それがクシャトリアへと殺到する。だがそれとほぼ同時に、クシャトリアの神槍もまた放たれていた。

 

「――――王波界天殺(ブラフマラー・トリシューラ)ッ!」

 

 津波のように押し寄せる黒い怨念に、投擲された槍が一筋の光となって突き進む。

 十数年間、磨き続けたクシャトリアの槍。それは神域に踏み込んだ神速をもって、ジュナザードの奥義など気にもとめず、真っ直ぐ邪神の心臓へと吸い込まれていった。

 しかしそれでも間に合わない。

 クシャトリアは気付いてしまった。ジュナザードの心臓を貫いても、それとほぼ同時にジュナザードの奥義は自分を粉砕する。

 防御と回避を全て放棄したクシャトリアに、それを防ぐ術はない。殺される前に殺すことを基本理念とした、剥き出しの殺人拳。死中に活を見出すことこそが、クシャトリアの奥義の本質であるが故に。

 恐らくはジュナザードも気づいただろう。

 確定した未来。それはジュナザードとクシャトリアの死。師弟相討ちという結末だ。

 

 

 

 〝王波界天殺《ブラフマラー・トリシューラ》〟

 それがシルクァッド・サヤップ・クシャトリアが生涯をかけて作り上げた、彼だけの奥義の真名だ。クシャトリアの師匠であるジュナザードも、この技を見るのは初めてのことである。

 優れた芸術家が作り上げた絵画や彫刻に、作った者の魂が宿るのと同じ。武人が生涯をかけて作り上げた奥義にも、作り上げた武人の魂が宿る。クシャトリアが放った『奥義』にもまたクシャトリアの魂が宿っていた。

 超人であるジュナザードは眼力もまた人並み外れている。だから『王波界天殺』という技の全てをジュナザードは一瞬で理解してしまった。

 相手が攻撃に全神経を集中させた瞬間、神速の貫手をもって殺される前に殺す。

 言ってみればこれだけのこと。しかし実現させるのは困難極まる。

 この技はその性質上シビアなタイミングを要求される。コンマ0.1秒でも遅れれば技が間に合わずに殺されるだけであるし、コンマ0.1秒速すぎても敵にカウンターを予見され失敗に終わる。息をつく間もない一瞬、それを激しい攻防の中で見出すのだ。戦いの中だけではなく、普段からその敵を観察し、武術的癖に至る全てを知り尽くさなければ、この技は成立することはない。

 故にクシャトリアにとってこの技が成立する相手は唯一人、シルクァッド・ジュナザードだけだ。

 技に込められた理念が伝わってくる。これはシルクァッド・ジュナザードを殺すための技。神を殺すただそれだけの為に鍛え上げられた神槍だ。言うなればシルクァッド・サヤップ・クシャトリアの武人としての『執念』が生み上げた結晶というべきもの。

 

(……美しい)

 

 他人の技に見事と思うことはあった。他人の奥義に感嘆したこともあった。だがジュナザードの生涯で他人の技を美しいと思い、目を奪われたのは初めての経験だった。

 そこでジュナザードは自分の過ちに気付く。

 ジュナザードがクシャトリアの奥義に目を奪われたことで、ほんのコンマ0.1秒だけ拳が遅れた。これまで戦いの中で意図的に手を抜くことはあったが、無意識に手を遅らせたのは初めてのことだった。

 今日は本当に初めて尽くしである。ジュナザードはそんなことを思いながら、初めての死が迫ってくるのを柔和な笑みで迎え入れた。

 

 

 

「あれから半世紀。我も、老いるはずじゃわいのう……」

 

 ふと、そんな声を聞いた。ぶすり、という何かが潰れたような音がする。

 刹那の後、クシャトリアが我に戻った時には、もう全て終わってしまっていた。

 静動轟一を解除し、クシャトリアは自分の意識がまだあることを確認する。心臓は鼓動を続けており、視界はしっかりとしていた。即ちシルクァッド・サヤップ・クシャトリアは生きている。

 次いでジュナザードを見る。ジュナザードは……世界最強の男は……人の身で神域に到達した邪神は……息をしていなかった。

 

「勝った……まさか、そんなはずは……ない……」

 

 勝てるわけはなかった。どちらかが負けるわけがなかった。あの瞬間に確定した未来は両者相討ち、引き分けという結末だったはずである。

 そう、例えば片方が寸前になって意図的に攻撃速度を遅くでもしない限り、どちらか一方が勝利することなど有り得ないのだ。

 

「まさか……貴方が、馬鹿な……」

 

 それだけは有り得ないと断言できる。あのジュナザードが誰かに情けをかけるなど、それこそ絶対に有り得ぬことだ。

 だがもしもジュナザードがそうしたのだとすれば、一体どうして。

 

「師匠……」

 

 ジュナザードは死んでしまった。心臓を跡形もなく潰されて。クシャトリアの手にはジュナザードの心臓だったものが、返り血と一緒にこびり付いている。

 だからもう何を問いかけてもジュナザードは応えてくれはしない。ジュナザードは死んだのだ。

 

「――――」

 

 クシャトリアを縛っていた鎖が、音を立てて千切れ飛んでいく。

 漸く実感が湧いて来る。もうジュナザードはいない。ということはジュナザードに殺される恐怖に眠れぬ夜を過ごすことも、ジュナザードを殺す算段に一日を費やすこともない。

 それは命の危険はどこにでも転がっているものだが、少なくともジュナザードという人生を拘束していたものはなくなったのだ。

 クシャトリアの道を強いるものも、生き方を縛るものはない。

 

「これが『自由』か」

 

 清々しい。まるで心に真っ青な蒼穹が吸い込まれているようだ。

 圧政から解放された市民というのは、こんな気持ちを抱いたのだろうか。

 

「師匠ー!」

 

 調子のよい声を響かせて誰かが駆け寄って来る。果たしてそれは誰だったか。壊れゆく精神と共に消えてしまった少女。けれど思い出は砕けていても、名前だけは記憶野に残っていた。

 小頃音リミ。シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの弟子である少女だ。

 いつもなデコピンの一つでも喰らわせるところだが、今日ばかりはそんな気分になれない。抱きしめてオデコにキスでもしてやりたいくらいだ。

 こんな気分になったのはいつ以来だろうか。いや人生初めてのことかもしれない。

 クシャトリアは気を抜いて、振り返り――――また音を聞いた。

 

「――――あ、」

 

 これまでで一番大きい音。嫌いな部類の厭な音が、脳味噌の裏側にぐわんぐわんと反響する。

 世界が、視界に映る景色がぐにゃりと歪んだ。

 音はどんどん大きくなる。精神が、心が、魂がガラガラと響き、バラバラと崩れていった。

 

「――――、――――っ! ――――、―――――ッ!!」

 

 駆け寄ってきたリミが、涙声になって何かを叫んでいる。周囲は一転して慌ただしくなっていた。

 壊れ消えゆく意識の中、クシャトリアは漸く自分の身に起きたことを理解する。

 

「ああ、なんだ。大丈夫だと思っていたが、限界を超えていたのか」

 

 静動轟一の過負荷でクシャトリアの精神は耐えられないほどに皹が入っていた。それがジュナザードを殺して気を抜いたことで、一気に崩壊を始めたのだろう。

 およそ47秒。クシャトリアが『自由』を手にした時間である。クシャトリアの自由は文字通り泡沫の夢と消えたわけだ。

 

「嫌、だなぁ……死にたくないなぁ……」

 

 情けなくも、心の声を素直に吐き出して。最後にパリンッという音を聞く。

 それでおしまい。クシャトリアの魂は粉々に砕け散った。

 



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第119話  眠れる邪帝

前話を加筆修正したので見ていない方はそちらからどうぞ。


「魂魄というものを知っているかね? 東洋のドーキョーだかなんたらの考え方でね。人間には精神を動かす魂と、肉体を動かすための魄があるそうだ。魂が健在でも魄がなければ肉体は動かせないし、魄は健在でも精神を稼働することは出来ない。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリア……拳魔邪帝、翼もつ騎士、若かりし闇の達人。櫛灘美雲のお気に入りで、一影九拳の一角を担うと目されていた男。

 彼は言うなれば魄は健在なのに、魂だけが壊れてしまった状態と言えるね。命に別状はないし、これからどうこうなるということもない。脳味噌は無事だし、五臓六腑も正常に動き続けている。だが魂だけが抜け落ちているんだ。

 脳味噌が死ぬと脳死判定されるが、魂が死んだ場合はどう判定したらいいんだろうね。魂死? ううむ……ちと語呂が悪い。

 え? 回復する見込みはあるのかって?

 難しい質問をするね。やれやれ質問する方は楽だよね。気になったことを訊けば答えが返ってくるんだから。それが望んでいるものか、そうでないかは別として。君はどちらだと思う? ……失礼。落ち着いてくれ。拳を降ろしてくれよ、本郷殿。私はしがない闇医者……もとい闇の研究員。君のような人外のパンチを受ければ、一撃で夜空に輝くお星さまさ。

 話を戻そうか。彼が、クシャトリアが快復する見込みだったね?

 結論から言えば不明だ。そもそも私は人体の専門家であって、魂の専門家じゃないからね。というより魂っていうのは医者というより、どちらかといえばシンプソンとか坊さんとかの領分だろう。

 だがまぁ精神専門の医者でも匙を投げると思うよ。そもそも『静動轟一』はあの稀代の武術的マッドサイエンティスト、緒方一神斎が考案し、サヤップ・クシャトリアが完成させた禁忌だ。私よりも彼に聞いた方がもっとマシな答えを出してくれるんじゃないのかな。

 やれやれ。緒方殿の名前を言った途端に出て行かれるとは。相変わらず忙しない御方だ」

 

 あの闘いの後、意識を失ったクシャトリアは、直ぐに王宮へ運び込まれ手厚い治療を受けた。それでもクシャトリアの意識はまるで快復せず、最終的により優れた治療のため闇の施設へと運ばれることとなったのだが、その診断結果がこれである。

 やや性格に難がある上に本人の言った通り、彼は魂の専門家ではない。それでも闇という全世界に多大な影響力をもつ組織において、屈指の技術と能力を持つ男の『診断』である。そこに偽りはないのだろう。

 本郷は即座に『静動轟一』の開発者であり、クシャトリアを除けば最も『静動轟一』についての知識をもっているであろう緒方の下へと赴いたが、彼の『診断』も似たようなものだった。

 

「静動轟一で精神が崩壊して、魂が砕け散った……ふむ、成程。クシャトリアほどの達人でも、静動轟一の反動は馬鹿には出来ないということか。これは良いデータがとれましたよ。同じように壊れた例としてはうちの龍斗がいたんですが、達人ではどうなるのかを知りたかったのでねぇ。

 おっと怒らないで下さいよ、人越拳神殿。拳魔邪神殿が亡くなり、その後継者と目されていたクシャトリアまでこんなことになってしまったのです。落日前に一影九拳がこれ以上減るのは不味いでしょう。

 で、彼の快復見込みですが――――敢えて質問に質問で返すなら、本郷殿は死んだ人間が蘇るとお思いで? …………ええ、その通り。我々武人ならば誰しも必ず弁えていなければならないことだ。死んだ人間は決して蘇ることはない。そりゃ心停止状態から蘇生することはありますがね。完全に死んで彼岸の彼方へと逝った人間が、此岸の此方へ還ってくることは有り得ない。うちの龍斗が静動轟一による半身不随から快復できたのは、あれがあくまで死んでいなかったからですよ。

 まぁ現状で私が言えるのは肉体を健康に保ち、時間が経つのを待つこと、くらいですねぇ。魂そのものは砕け散り元のクシャトリアが蘇る可能性は絶望的。しかしもしかしたら徐々に砕け散った魂が修復されていき、新しい人間としてやり直すことは出来るかもしれない。もっとも永遠に砕け散ったままという可能性もありますがね」

 

 長々しい話だが、要するに治療方法は今のところ存在せず、クシャトリアがクシャトリアのままに目覚める可能性はゼロということだ。

 本当に珍しく――――数年ぶりとなる溜息を一つ。サングラスをかけたまま本郷晶は、ベッドで寝かされているクシャトリアを見下ろした。

 拳魔邪神を中心とした数々の戦いのあったティダードは、ジェイハンが帰還したことで落ち着きを取り戻しているらしい。乱立していた勢力もジェイハンの下で集まってきていて、内乱の終結も近いという。やはり争いの元凶だったジュナザードが死んだことが大きいのだろう。

 ただしその犠牲は決して少なくはなかった。クシャトリアもその一人。

 

「………………」

 

 本郷はクシャトリアには借りがある。自分の弟子、叶翔の命を助けられたという大きすぎる借りが。ティダードの一件で少しばかりは返せたが、まだ返し切ったとは思っていない。

 はっきり言って本郷は自分以外の闇を余り信用してはいなかった。自分の弟子を実験動物のように考えている緒方とは考えが合わないし、故ジュナザードは論外。そして、

 

(櫛灘美雲)

 

 クシャトリアは彼女に心を開いている様子だったが、本郷からすればあの女が一番信用できない。

 技の手解きをした教え子でもあるクシャトリアがこんなことになったというのに見舞い一つこないし、今回の事にも影で関わっていた気配がある。或は彼女こそがティダードの騒動のもう一人の元凶なのかもしれない。なんの証拠もありはしなかったが、その推測は決して外れていないと思えてならなかった。

 

 

 

「拳聖様! リミに静動轟一を教えてください!」

 

 緒方が弟子の龍斗に、アタランテー(小頃音リミ)がやってきたと伝えられたのが五分ほど前。

 ある意味クシャトリアが『崩壊』することになった元凶である自分に、彼の弟子は何を言ってくるのか気になっていたが――――流石にこんな言葉が出てくるとは緒方にも予想外だった。

 

「ふむ」

 

 顎を撫で暫し緒方は思案する。

 リミの後ろには鋭く目を光らせた達人が二人。クシャトリアの側近だったアケビとホムラだ。クシャトリアがあんなことになってからは、彼の一番弟子であるリミを仮の主人としているのだろう。とはいえ上下関係は主従あべこべのようだが。

 それに緒方の掴んでいる情報によれば、リミのバックにはあの人越拳神が目を光らせているとか。備えは万全ということだろう。

 

「駄目、ですか?」

 

 目元に涙を溜めて、愛らしい仕草でリミは懇願する。

 その辺の学生ならば、こんな風にお願いされれば一発でノックダウンしてしまうかもしれないが、緒方はリミのような少女にそういう気持ちを抱くほど若くはない。そもそも人を見る目はある緒方には、それが意図的に作ったものであるという判別はついた。

 だが別にこんな風に懇願されずとも、緒方に断る理由もなかった。けれどやはり人間として『理由』は気になる。

 

「いや駄目なんてことはないよ。ただ気になってね。師匠が静動轟一で壊れたのなら、普通はその技を忌避するものだろう。どうして君は自ら静動轟一を学びに来たんだい?」

 

「だって静動轟一のこと詳しくなれば、それで壊れちゃった師匠を治す方法が見つかるかもしれないじゃないですか! あ、けど別にリミは静動轟一を使いたいわけじゃないんですお。でもどういう技なのかは知りたくて……。そもそも静動轟一は駄目って師匠に言われてますしおすし。あれだけ恐い顔で言ってた言いつけ破ったら、起きた師匠にどんなおしおきされるか……」

 

「ははは、成程」

 

 あのクシャトリアに弟子がいないことを勿体なく思い、ティターンのリーダーだったリミを彼に紹介したわけだが、少々勿体ないことをしてしまったかもしれない。

 この素直さ、真っ直ぐさ。これは龍斗やバーサーカー、ルグにはないリミだけの美徳であり長所だ。

 

(いや、もう過ぎたことだ。何も言うまい)

 

 それに私一人で四人も弟子をもつより、クシャトリアに弟子を紹介する方が武術界のために良いだろう。いや今となっては良かった、と言うべきかもしれない。クシャトリアはもうこの世にいないのだから。

 

「拳様。クシャトリア殿は私の治療にも手を尽くしてくれた恩人。私からもお願いします」

 

「りゅ、龍斗様!?」

 

「……アタランテー。一応断っておくが、君の為じゃないから抱き付かないでくれ」

 

「は、はははははははははははは! いやいや弟子同士仲が良くてなにより。いいだろう、アタランテー。静動轟一について私の知る限りのことは君に教えよう」

 

「本当ですか!?」

 

「ああ。武を欲し教えを乞う者があれば、例えどんな相手だろうと私は己の技を伝授するとも。武を学ぼうとする理由に貴賤はない。武を求める人間には、誰であろうと平等に武を学ぶ資格がある。それが私の提唱する『武術平等論』の中心概念なのだから」

 

 リミが『静動轟一』を使ってくれないのは少し残念だが、それも構いはしない。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアの魂は死んだ。それは緒方の目から見ても間違いないことである。だが科学も武術も日々進歩していくものである。もしかしたら静動轟一で完全に精神が崩壊した人間を元に戻す術が見つかるかもしれない。静動轟一には未だ開発者である緒方すら未知の多い技である。可能性はゼロとは言えなかった。

 静動轟一で完全に精神が壊れた人間を元に戻せるか――――この研究も武術の発展に繋がるだろう。

 

「期待しているよ、アタランテー」

 

「はいですお!」

 

 緒方一神斎の双眸が怪しく光る。

 自身の敗北には成れていても、師の敗北に耐え切れず折れる武人は多い。だがこの分ならリミは問題ないだろう。

 この精神力、静動轟一を使うのには必要な要素の一つだ。だからこそ実に惜しい。緒方はしみじみとそう思った。

 

 

 

 日本の山中深くにある闇の施設、そこには無手組を取り仕切る最高幹部・一影九拳が集結する予定となっていた。ただしつい先日死亡したジュナザード、ビックロックに囚われているディエゴやアレクサンドルについては不参加ということになる。

 一匹狼である馬槍月や海外にいるラフマンとアーガードはモニターでの参加。実際に会議場に足を運んでくるのは櫛灘美雲、拳聖、本郷晶、一影だけだろう。

 態々一影九拳を召集してまで開かれた会議の内容は、言うまでもなく先日のジュナザードの一件である。

 実のところ元々ジュナザードは闇の作戦に対して非協力的だったので、彼が戦死したことは寧ろメリットすらあることだったのだが、ジュナザードの弟子であるクシャトリアまでもが意識不明の植物状態になったのは大きかった。

 ジュナザードと違い仕事に忠実だったクシャトリアは、闇の進める多くの計画に直接的・間接的問わずに関わっている。そんなクシャトリアが突然いなくなれば、今後の闇の活動にも支障が出るだろう。

 謂わばこれから行われる会議は『出るであろう支障』を未然に防ぐためのものだった。

 

「この度は残念でしたね、櫛灘さん」

 

 会議が始まる直前、緒方はどこか意地の悪い笑みを浮かべて櫛灘美雲に話しかけた。

 

「見舞いには行かなくて良いのですか? 喜びますよ……もし天国なんてものがあったとして、クシャトリアがそこにいたのならば」

 

「わしが見舞いに行ってクシャトリアが快復するのならば足を運んでも良い。じゃがそうではなかろう。落日を前にして、そのような無駄なことに時間を費やすほどわしは暇ではない」

 

「おや、冷たいんですね。ご自身の直弟子でないにも拘らず、奥義の一端を伝授するほど気にかけておられたのに。愛着はないのですか?」

 

「わしは愛着で奥義を教えるほど酔狂ではない」

 

「では何故? よりにもよってお嫌いな拳魔邪神の弟子に」

 

「……そうさな、これはあくまで例え話じゃがのう。もしも敵国の宰相が主君に叛意をもっていたとすれば、その宰相を支援し王への叛逆を後押しするのは利のあることじゃろう。じゃが邪魔な王が死んだのであれば、もはや宰相を支援する必要なぞありはせん。狡兎が死して、走ることもできなくなった走狗など不要。剥製にでもするしかなかろう」

 

「……ふふ。おっかない女だ」

 

 ティダードの騒動はジュナザードを中心に起きたものだが、その黒幕は目の前に立つ櫛灘美雲なのだろう。妖艶に微笑む美雲を見て緒方はそう確信した。

 彼女にとってクシャトリアは、ジュナザードを廃除するための駒が一つ。それが期待通りジュナザード抹殺をやり遂げたのならば、もはやその駒も用済みということか。

 緒方は自分が外道であるという自覚があるが、彼女の腹黒さと比べれば、自分の外道さもまだまだ甘いだろう。或は彼女こそが一影九拳で最も邪悪な存在なのかもしれない。

 

(まぁクシャトリアもそれが分からないほど愚かな男じゃなかったし、理解した上で入れ込んでたんだろうな。やれやれ、君も中々に狂っているね)

 

 ここにいないクシャトリアに、緒方は心の中で語り掛けた。無論、返事が返って来ることはなかったが。

 

「のう、拳聖。わしとて自分に忠実だった愛らしい男が消えて、それなりに傷ついておるのじゃ。それなりには、な。この話はこれで終わりで良いな?」

 

「ええ。他の九拳には口外しませんよ。私も落日の前に余計な火種を生みたくはありませんからね。ただでさえ人越拳神殿あたりには嫌われていますし」

 

「話が早くて助かる。その調子で頼むぞ、拳聖」

 

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリア。彼という歯車が消えても、世界は終わりはしない。

 くるくると廻る。残酷に、冷徹に、無慈悲に廻り続ける。

 クシャトリアを知り彼の死を悼む人々も、いずれ別の関心事を見つけて、彼のことを忘れ去っていくのだろう。そして彼の死は忘れ去られ、いずれ風化するのだ。

 

――――忘れる。

 

 それは人が過去を振り切って、未来を歩いていくには必要不可欠なことであるが、

 

「優しく、とても残酷だ」

 

 それで緒方一神斎も死したクシャトリアを一先ず意識の片隅に引っ込めて、これからのことに考えを巡らせ始める。

 手始めに新白連合。あそこに属している過半数以上は自分の見出した『素材』であるが、こちら側につかないのならば邪魔なだけ。闇の未来を担う者達のための『生け贄』とするのがベストだろう。

 

『――――揃っているな』

 

 音もなく会議の主催者である〝一影〟が姿を現す。

 顔や体つきは寸分違わず風林寺砕牙のそれ。しかしその中身は実際なんなのか、それは緒方の眼力をもってしても判断がつかない。

 

「今回の人越拳神が拳魔邪神の本拠地を襲撃した件だが……」

 

 挨拶もなく一影はいきなり本題を切り出した。

 それに文句を言う人間はこの場にはいない。誰一人の例外もなく沈黙したまま一影の決定を待つ。

 

「これについては先に人越拳神の死合いに手を出したのは拳魔邪神の側。人越拳神に非はないとしたいが、どうか?」

 

『俺はどうでもいいぜー』

 

『…………』

 

 アーガードが適当に返答した以外には特に声はなかった。他に声が出ないことを確認してから一影は先を続ける。

 

「そして拳魔邪神が拳魔邪帝によって討たれたことについてだが、不可侵条約が結ばれているのはあくまでも一影九拳同士の戦い。師弟である拳魔邪神と拳魔邪帝の戦いを禁じる規則は闇には存在しない。また拳魔邪帝の勝利をもって、拳魔邪神より拳魔邪帝に武が伝承された証とし、新たなる九拳の称号と〝王〟のエンブレムは拳魔邪帝が継承するものとする」

 

「――――待て」

 

 これまで黙したまま何も語らずにいた本郷晶が、椅子から立ち上がり鋭く一影を睨んだ。

 

「クシャトリアは……拳魔邪帝は、ジュナザードとの戦いで精神に大きなダメージを負ったはずだ。九拳を引き継ぐなど不可能だ」

 

「無用な心配じゃ、人越拳神。仕込みは済んでおる。入ってこい、拳魔邪帝」

 

 櫛灘美雲がパンッと手を鳴らして合図をすると、会議場に一影九拳の誰もが知る男が入ってきた。これにはさしもの緒方一神斎も瞠目し、言葉を失う。色素が抜け落ちた白髪、血のように真っ赤な双眸、浅黒い肌。どこか非人間めいた東洋の鬼を想起させる外見をした男は、どこからどう見てもシルクァッド・サヤップ・クシャトリアそのものだった。

 ただしその顔には『生気』というものがまるで感じられない。瞳はなんの色も宿さず、ただ虚空を彷徨っており、表情からは喜怒哀楽全てが欠如している。まるでマネキン人形が糸かなにかで動かされているかのようだ。居な、まるでではなくまさしくと言うべきかもしれない。これは人形のような人間ではなく、人形そのものだ。

 

「貴様、妖拳の女宿……。 一体なにをした……?」

 

 本郷晶の静かな殺意が美雲を貫くが、美雲はさして動じずにさらりと言った。

 

「さっき拳聖に言った通りじゃ。走れなくなった走狗を、剥製にして再利用しておるわけじゃよ」

 

「――――!」

 

 本郷晶が美雲を殺しにかからずに踏みとどまったのは奇跡だろう。一影がいたからギリギリで踏みとどまったが、そうでなければこの会議場で盛大な殺し合いが始まったはずだ。

 

「なるほど。クシャトリアは魂が砕けただけで、身体を動かすための魄そのものは健在。櫛灘流の邪法を用いれば、魄だけの人間を己の好き勝手に操ることも自在というわけですか。これでは迂闊に死ぬこともできませんね。つくづく怪物だ、貴女は」

 

「人を呪術師のように言うでない。わしも魂も魄も死んでおる人間を操ることなどは出来ぬ」

 

「今のところは、ですか?」

 

 どうやらクシャトリアのことを『忘れる』のはまだ先のことになりそうだ。

 ここにいるクシャトリアは生きる屍。動き喋ることはできても心はない。だが心はなくとも鍛え上げた達人の強さはそっくりそのまま残っている。櫛灘美雲のような人間にとっては、案外元のクシャトリアよりも都合の良い存在かもしれない。

 

「はは、ははははははははははははははははははははははははははっははははははははははははははははははははははははははっ!!」

 

 やはり武術は素晴らしい。この世に存在するどんな技術よりも歴史が古く、真実と狂気に満ち満ちている。

 一影九拳其々が別々の表情を浮かべる中、白髪赤目のマリオネットは無表情のまま世界を見つめていた。

 



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設定

■シルクァッド・サヤップ・クシャトリア

異名:翼もつ騎士、拳魔邪帝

年齢:不詳(推定十代後半~二十代前半)

誕生日:不明

身長:184cm

体重:81㎏

趣味:弟子育成、果物巡り

好きな物:フルーツ、櫛灘美雲

嫌いな物:師匠

将来の夢:師匠を殺害し自由になること

『経歴』

 日本人だった頃の名前は内藤翼。しかしその名前は既に失われている。

 幼少期に何気なくジュナザードに弟子入り志願してしまったことで、日本人としての極普通の人生から一転して闇の世界へ転落する。

 ジュナザードにとっては単なる気紛れに過ぎぬ行為であったが「並外れた武術の才能」と「強烈な生への執着」を見出されたことで、正式に一番弟子として迎え入れられた。

 自分を拉致したジュナザードには愛憎定まらぬ複雑怪奇な感情をもっているが、世界中の誰よりもジュナザードの強さを信じ切っている。

 また幼少期に自分に一時的な平穏を与えてくれた櫛灘美雲にその本意を知りながら入れ込んでおり「利用されるだけの男でいい」と言い切るほど。ジュナザードへの感情といい、BBAへの入れ込みようといいヤンデレの素養がある。

 闇では一影九拳未満、一般闇人以上という中間管理職ポジションにおり、そのせいで一影九拳からはパシリとして扱き使われている。

 最終的にはジュナザードに勝利した代償に精神が崩壊し、BBAのマリオネットとして利用され続けることとなった。つまり大好きなBBAに身も心も支配されることになったのである。正にハッピーエンド。え? 違う?

『性格』

 他の大多数の命より、自分一人の命を重んじるある意味人間らしい人間。自身の身の安全のためなら、無辜の人間を犠牲にすることも厭わない。ただ外道な人間というわけではなく、無意味な殺人などは行わない。

 相手が達人級以上で相手が殺意をもってかかってくる場合以外、殺人拳を振るわないという制約を自身に課しているが、自分の命が関わった場合や闇からの命令があった場合は例外で容赦なく殺人拳を振るう。

 特A級の達人で静動轟一を使用すれば一時的に超人級の戦闘力を発揮できるなど、実力そのものはかなり高いのだが、本人の「生き残ること」を優先するスタンスから本気の死合いをすることは稀。

 作中で達人級になってから命懸けで戦ったのは対ジュナザードの一回きりである。

 

 

『作中のオリジナル技』

 

「|逆・殺氣発射(ターメリック・プヌンバカン・クグムビラ)」

 自分で自身に強烈な殺気を送ることで、自分自身の生存本能を刺激し、初手からの全力攻撃を可能にする。

 自分を殺す気がない敵が相手だとやる気が起きないという欠点を補う為、クシャトリアが編み出した自己暗示法。

 

「|七つに踊る化身(ヴィシュヌ・アヴァターラ)」

 気当たりによる分身を六人生み出し、その六人と完全同時に必殺の突きを乱射する。クシャトリアのオリジナル技。

 

「櫛灘我流秘技・砲弾返し」

 櫛灘流の術理を用いることで、遠距離攻撃をそのままの勢いで相手に返す。

 最低でも野球ボール程度のサイズがなければ使うのは難しいが、砲弾だろうと徹甲弾だろうと破壊光線だろうと跳ね返せる対遠距離攻撃用防御術。

 

「櫛灘流・阿修羅流し」

 闘気で手だけを具現化させることで、敵の攻撃をいなす防御技。

 

「櫛灘流秘技〝逆さ睨み〟」

 首を180度反対方向へ捻じ曲げることで敵を殺害する。

 武術家の中には首を180度捻じ曲げても平然と活動できる人間もいるため『必殺』ではない。

 

「閉心術」

 心を閉ざす。読心術を始めとした精神干渉を無効化する。

 

「読心術」

 相手の心を読む。とはいえ表層意識を読み取るだけであって、深層意識を読むことはできない。

 高度な閉心術を会得している者には通用しない。

 

「憑逆回帰組手」

 過去の自分を自分で演じることで、自分の実力を弟子・妙手など自在にセーブする。

 主に弟子との組手で使用。

 

「無敵のジュルス、数え抜き手」

 無敵超人の秘技が一つ数え抜き手をシラットの流派で独自発展させたもの。

 通常の抜き手を“四”と見立て、そこから指の数を“三”“二”“一”と減らしていく技。

 数が減るに従って、指一本当たりの貫通力は増していくだけでなく、一度一度の抜き手にはそれぞれ性質の異なる特殊な力の練りが加えられており、四~二までで抜き手の力を変化させることでいかなる防御さえも最後の“一”では必ず突き抜く

 

「双派双手数え抜き手」

 シラット流の数え抜き手と緒方流の数え抜き手を左右両方の手で同時に行う荒業。

 通常の数え抜き手と違い、八、六、四、二と減らしていき最後に両の手を合わせた一の抜き手を放つ。

 破壊力は通常の数え抜き手より上がる分、防御力は低下する。

 

「奥義四連」

 櫛灘流 千年投げ→我流 玄武爆→七つに踊る化身→転げ回る幽鬼と繋げる連続技。

 特A級の達人の奥義を四連続でかけるので、まともに喰らえば死は免れない。

 

「静動轟一」

 気の運用において最大のタブーにして最凶の技。"静"と"動"という相反する二つの気の同時発動を意図的に行う。

 一時的に強力且つ正確無比な攻撃を繰り出す事ができるようになり、特A級の達人が使用した場合、超人クラスの強さを発揮できるようになる。

 「密閉された瓶の中で火薬を爆発させ続ける」と表現されるように心身への負担は凄まじく、弟子クラスならばものの数分で肉体が限界に達し、使いすぎると再起不能や廃人化の恐れもある使用者にとっても危険極まりない技でもある。

 特A級の達人が使用すれば超人級に、超人級が使用すれば神の領域に踏み込むことが可能。

 クシャトリアがノーリスクで発動できるのは10分まで。

 これをジュナザードが使用した場合、超人級の肉体強度のお蔭で完全安定状態となり、半永久的にノーリスクで発動し続けることが可能。

 

「静動轟双」

 静の気と動の気を混ぜ合わせずに同時発動するクシャトリアの奥義。

 これにより静の極みである流水制空圏と動の気の解放を同時に行うことも可能になり、戦闘力を格段に上昇する。

 静動轟一と違いデメリットは皆無だが、爆発力で静動轟一に一段劣る。

 

「流水制空圏、第零段階」

 相手の流れを自身に取り込むことで、静動轟一を発動せずとも静動轟一の爆発力を得ることができる。

 静動轟一を発動しない相手に使用しても効果はなく、対静動轟一用の技といえる。

 

「邪拳・無間界塵」

 邪、神、技、殺、闘、魔、拳の怨念を宿した邪拳。

 無敵超人の奥義を見たジュナザードが作り上げた〝涅槃滅界〟と同規模同威力の奥義である。

 免許皆伝をもらっているクシャトリアも使えるが、怨念でジュナザードに劣るため、撃ち合えば確実に敗北する。

 

「|王波界天殺(ブラフマラー・トリシューラ)」

 相手の武術的癖に至る全ての情報を収集した上で、戦いを通して相手と自分の戦いの流れを知覚し、相手が攻撃に全意識を集中させる瞬間を見計らい、そのタイミングに全身全霊の抜き手を繰り出す。

 全身全霊を込めた一撃のため防御不可、攻撃に全意識を傾けているため回避不可。抜き手が狙うのは人体の急所であるため一撃必殺。意図的に手を緩めれば技が完成せず、狙う場所も人体の急所という正に剥き出しの殺人拳。

 反面戦いの流れを知覚するまで時間がかかるので初撃で繰り出すことはできず、また防御を捨てて必殺の一撃に全てを集中するので、技が失敗した場合は相手の奥義の直撃で死ぬことになる。

 クシャトリアがジュナザードを殺す為だけに作り上げた奥義。その性質上、ジュナザード以外に繰り出すことは出来ない。

 

「|王波界塵殺(ブラフマラー・アパラージタ)」

 戦いを通して相手と自分の戦いの流れを知覚することで、相手の不意のタイミングを掴み、そのタイミングに全身全霊の抜き手を繰り出す。

 王波界天殺を開発する上で副次的に生み出された技であり、ジュナザード以外にも繰り出すことが可能。剣星との戦いで放とうとしたのはこちらである。

 



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第120話  つばさキョンシー

 草木の一本に至るまでに人の手の入った灰色の大地。立ち並ぶのは砲門を並べた鋼鉄の騎馬、そして大空を翔るために生まれた鋼鉄の鳥達。

 其処は彼等の敵を廃除し、この星の治安を守るという大義のため建設された鋼鉄の牙城。このアメリカという国家で最も安全な場所のはずだった。

 過去形で語る通り其処が安全だったのは過去の話である。鋼鉄の牙城は陥落した。たった一人の『人間』によって。

 

「畜生……! なんだよこれは、なんなんだよこれは!?」

 

 兵士の一人が顔面を蒼白にして叫ぶ。

 基地全体にまで広がった紅蓮の業火は収まることを知らず、この基地にいる命を呑み込むだけでは足りないのか、敷地外にまで魔手を伸ばそうとしている。

 アレは地獄の焔だ。あらゆる命を食い尽くし、復活の可能性を欠片も残さず摘み取る罪過の焔。

 それに呑まれたらどんな命も消えるしかないというのに、兵士の目には灼熱の中を散歩するように歩く『一人の男』の姿が見えていた。

 鋼鉄の騎馬――――戦車が動き出し、無数の砲門が男に照準される。

 ビル一つを吹き飛ばす弾を装填した戦車が、なんの武装もしていない人間に牙をむくなど本来有り得ぬことだ。だがこの場においては例外が適用されるだろう。

 アレは確かになんの武装もしていない。無手だ。だが決して無防備でもなければ、無力でもないのだ。

 一つの砲門が火を噴き、連鎖的に無数の砲門から徹甲弾が飛び出す。数えきれないほどの殺意の塊が男に殺到し、

 

「――――」

 

 それら全てが男に触れた途端、まるでいきなり180度方向転換したかのように跳ね返ってきた。

 無数の徹甲弾はつい数瞬前まで自分達のいた砲門の中に吸い込まれて生き、一台の例外もなく鋼鉄の騎馬を破壊し尽くした。

 後に残るは一人の敵影のみ。

 

「こんな……こんな、馬鹿げたことが、あってたまるか!」

 

 厳しい訓練を潜り抜け、世界最高の設備と装備を与えられてきた。敵国の軍隊どころか、コミックに出てくる怪人(ヴィラン)が群れを成して襲って来ようと撃退する自信もあったのだ。

 だが最高の設備も最高の装備も、厳しい訓練を共に潜り抜けた最高の仲間たちの誇りも。たった一人の『人間』が木端微塵に打ち砕いてしまった。

 これだけの殺戮をなしておきながら、男はあくまでも無反応。工場で決められた単純作業を延々と繰り返すロボットのように、機械的に蹂躙を続けていく。

 

「くそぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 遂に頭のなかでなにかが切れて、兵士は機関銃を乱射しながらたった一人の敵に突進していった。

 戦車の砲弾すら跳ね返した相手が、機関銃でどうにかなるはずがない。そんなことを考える余裕すら兵士には残っていなかった。

 ただ現実を追い出すように我武者羅に銃を乱射し、そして当然のように無慈悲に命を摘み取られた。

 

「……あ、……ああ……」

 

 自分を殺した相手の顔を見る。

 その目は肉体を流れる血液で最も濃い赤と同じ色をしていた。風に流れる髪は色素の抜け落ちた白髪。肌は浅黒く、口からは鋭すぎる犬歯が覗いていた。

 事ここに至り漸く合点がいく。

 この基地が一人の人間に陥落させられることなど有り得ない。ならばそれは人間ではなかった。

 きっと東洋の鬼が地獄から這い上がって来て、人間を喰らいにきたのだろう。

 その証拠に今の今まで無表情だった鬼の面が、口端が吊り上がり〝笑み〟の形へと。

 嗤う。鬼が、嗤っている。

 地獄を笑うのか、地獄にいる人々を嗤っているのか。

 それが分かるとしたら、きっと鬼と同類の人間を止めたモノだけだろう。

 

「――――漸く見つけましたよ、クシャトリア先生」

 

 鬼の動きがピタリと止まる。

 この地獄に似つかわしくない鳥を思わせる奔放な声音。空色の髪をした少年――――いや〝青年〟が左右異なる色の瞳を、鬼へと向けていた。

 

「…………」

 

 クシャトリアと呼ばれた〝鬼〟は、振り返って能面のような顔を青年へ向ける。常人には目視できぬ闘気が、二人の武術家を包み込んでぶつかり合う。

 青と赤。本来なら決して交わることのない二つの気を、二人が二人とも同時に発しながら、ここに二人の武人は再開した。

 

「サヤップ・クシャトリアの〝記憶〟に残っている顔の面影がある。叶翔」

 

「かれこれ十年ぶりですね。俺も成長したでしょう? もうあの頃と違って蚊帳の外ではない。貴方の立っていた所と同じ場所に到達しましたよ。ま、それは俺だけじゃありませんけどね」

 

 クシャトリアは無感動に叶翔の言葉を聞き終えると、特にリアクションもしないまま『作業』へ戻ろうとする。

 だが叶翔の蹴り飛ばした石の破片が、クシャトリアの行く先を過ぎ去って邪魔をした。

 

「お前は、この基地の人間か?」

 

「はははっ! 妖拳の女宿の命令ですか? 魂をやられちゃって、あの御方のキョンシーにされたっていうのは本当っぽいですね」

 

「基地の人間ならば、お前も死ね」

 

 話し合いとは人間と人間がするもの。人間と人形に話し合いなど通じる道理はない。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアというマリオネットは、なんの躊躇いもなく叶翔を殺害対象に加えると襲い掛かって来る。

 十年前ならば……まだ『弟子クラス』だった翔ならば、クシャトリアの攻撃に成す術もなく殺されただけだっただろう。

 だが今の叶翔は十年前とは違う。自分の師と同じ領域へ、達人級へ至っている。

 故に――――。

 

「闇も世代交代といきましょう。ねぇ、拳魔邪帝殿」

 

 真っ向から特A級の拳を受け止めることも不可能ではない。

 

 

 

 

 梁山泊と闇の抗争終結より十年後。まだまだ騒がしい武術界ではあるが、一応の安定を取り戻していた。

 久遠の落日の際に一影九拳の過半数以上が作戦を放棄して、梁山泊側に味方したことも大きいだろう。

 元々闇の無手組と武器組は思想の違いから仲が悪かったが、計画のため一致団結するだけの協調性はもっていた。

 しかしあの一件で無手組と武器組の関係は完全に断絶したといってもいい。今では連携どころか、互いに仮想敵と見做している節すらある。

 噂によれば任務のバッティングした無手組と武器組の達人が、盛大に同士討ちして任務そのものがオジャンになったこともあるらしい。

 だが裏武術界の最大勢力である『闇』が二分化されたということは、表武術界と活人拳にとっては良いことだろう。無手組と武器組が互いに牽制し合うことで、闇の動きは確実に鈍くなったのだから。

 十年という月日は、人類史全体にとっては瞬きするような間に過ぎないが、一人の人間には長い時間だ。十年もあれば人間は変わる。子供が大人になることもあるし、弟子から達人になることもあるだろう。

 梁山泊が一番弟子、史上最強の弟子という渾名で知られる白浜兼一。

 外見が特別優れているという訳でもなく、頭が抜群に良くはなく、武術的才能は皆無に等しい。百人に聞けば百人が凡人だと答える凡庸を極めたような平凡な少年。

 しかし十年という月日は凡人の少年を凡人の青年へと変え、才能の欠片もない武人の卵は、才能の欠片もないままに達人級となっていた。

 活人拳・殺人拳問わず武を極めるには必要不可欠とされていた才能。

 どれほどの努力を重ねても、才能がなければ壁を越えて達人級になることは不可能――――それは間違いなくこの地上の真理だった。

 だとすれば何の才能もなくとも、無限の努力の果てに『達人級』になった白浜兼一は、武術界の歴史を変える革命者とすらいえるのだろう。

 そして武術界の革命者が今現在なにをしているのかといえば、

 

「…………美羽さん。達人になって正式に美羽さんと交際を始めることもできたのに、どうして僕は未だにこんなもの背負って買い物なんてしているんですかぁ!」

 

 血の涙を流しながら、兼一は隣を歩く美羽に叫んだ。

 兼一の全身を拘束するのは、ジェームズ志波が開発し、あの秋雨が魔改造を施した『弟子一号改造ギブスぱ~と44』だ。

 これにより兼一には横綱十人におしくらまんじゅうされるほどの負荷が常にかかっている。しかも両手両足には『根性』という文字のついた巨大な重り。傍から見れば完全にただの変な人である。

 もっともこの街の住人は梁山泊の非常識さを見慣れているので、このくらいで特に反応することはないが。

 

「まぁ。たしかに兼一さんは達人級になりましたけれど、だからといって修行を疎かにしてはいけませんですわ。一日の怠けは二日の遅れ。今の実力に甘んじず、常に精進することが大切なんですもの」

 

「そりゃ美羽さんの言う通りですけど……」

 

 こうして達人級になったわけであるし、そろそろ買い物に行く時くらい重りを外してくれても良いのではないかと思うわけで。

 折角二人っきりで買い物をしているのに、重りのせいで台無しだ。これでは満足に仲を進展させることもできない。

 具体的には買い物中の寄り道デート。そしてゆくゆくは、

 

(やっぱりプロポーズは夜景の見えるレストランとかがいいのかなぁ。そ、それとも奇をてらって矢文とか? いやいや、しぐれさんじゃあるまいし。変に小細工して失敗するよりはストレートに……。

 あ、そうだ! 今度大学館の『人生を分けるプロポーズシリーズ』が出るから購入しておこう。大学館シリーズはいつも頼りになるなぁ)

 

「兼一さん? どうなされましたの、一人でブツブツと……」

 

「い、いえ! ちょっと考え事をしていて」

 

 とはいえプロポーズの際に最大の障害として立ち塞がるのは長老だろう。

 こうして目を瞑れば長老が目から闘気を迸らせながら『美羽の婿となる男の最低条件は、このわしを倒すことだからあしからず!!』と叫んでいる姿が浮かんできた。

 梁山泊の達人として師匠達と本気の組手を出来る程に成長した兼一だが、未だに長老は届かぬ頂きだ。というより長老が強過ぎる。

 長老に勝てる人間がいるとすれば八煌断罪刃の頭領か、或は。

 

「…………っ!」

 

 拳魔邪神ジュナザード。ティダードにて倒れた神域の武人、そしてシルクァッド・サヤップ・クシャトリアの師。

 久遠の落日で櫛灘美雲と共に姿を消して以来、クシャトリアの行方は依然として掴めないままだ。兼一も世直しの旅の最中に世界中を捜索したりはしたのだが、存在の痕跡すら見つけられなかった。

 一体今頃クシャトリアはどこでなにをしているのか。気にならないといえば嘘になる。なにせ自分の無神経な言葉が、クシャトリアの背中を押してしまったようなものなのだ。

 クシャトリアの魂を救い出す力は兼一にはないが、せめて櫛灘美雲に操られている彼の体だけは取り戻したい。そうしない限り兼一の心には、永久にあのティダードの記憶が呪いのように焼き付くことになるだろう。

 

「――――兼一さん」

 

「……ええ。どうやら久しぶりに襲撃みたいですね」

 

 四方八方から発せられてきた殺気に、兼一と美羽は足を止めて、互いの背中を合わせる。

 史上最強の弟子という名前に引き寄せられ、兼一の首級を狙ってくる武人は決して少なくはない。

 しかしいきなりこれだけの殺意に――――しかも気当たりからして全員達人級――――に囲まれるのは初めての経験だった。

 

「隠れていないで姿を現したらどうですか?」

 

 このまま構えていても埒が明かない。挑発するように美羽が言う。すると、

 

『ハハハハハハハハ。流石は彼の無敵超人が孫娘にして、闇の一影が娘。大した威勢の良さだ』

 

 ヌッと周囲の物陰から忍者装束に身を包んだ武人たちが姿を現す。

 梁山泊と闇。十年前に決着した戦いの幕が、再び開かれようとしていた。

 




 読者の方々、クリスマスに完結すると言ったな。あれは嘘だ。


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第121話  燕

『我等、闇が武器組が精鋭。白浜兼一、風林寺美羽。汝等の首級、我等の武勲として頂く』

 

 黒い忍装束に身を包んだ男たちは、無音のままにじりじりと距離を詰めてきた。

 数はざっと十三人。戦いにおいて決闘を重んじる無手組とは違い、戦いを戦争と同義と見做す武器組らしく多対一にも忌避感のない手合いに見える。

 いじめられっ子人生で焼き付いてしまった小市民的感情が鎌首をもたげるが、兼一はそれを師匠との地獄の修行の記憶で封印した。

 恐怖は重要なセンサーであると教えられはしたが、流石にこの年になって想い人の目の前で醜態を晒すわけにはいかない。

 

「兼一さん。私は右を、兼一さんは左をお願いしますわ」

 

「任せてください」

 

 心を落ち着けて、静の気を掌握した。視界が両目ではなく、自身の真上にあるかのように視野が全方位へ広がり、巨大な制空圏が美羽までも覆い尽くした。

 弟子時代は中々発動にムラのあった気の掌握も、達人となった今では呼吸するように扱うことができる。

 美羽もまた龍の如き動の気の奔流を完全に制御して、刺客の集団を睥睨した。

 

『その年にしてこの気当たりとはな。あの梁山泊の継承者たちだけはある。が、だからこそ惜しい。無手ではなく武器を選んでおれば死なずに済んだかもしれんというに』

 

「…………」

 

 基本的に無手と武器ともに対等とみる梁山泊と違って、闇においては無手組は武器使いを疎んじ、武器組は無手の武術を蔑視する傾向が強い。彼等もそういった手合いなのだろう。

 師匠から教わった武を貶されたようで多少カチンときたが、怒りは決して表に出さず明鏡止水を保つ。

 自分の武の証明は口ではなく拳をもってするべし。それが梁山泊の教えだ。

 

『首級、頂戴するッ!』

 

 忍者たちが背中の刀を素早く抜刀し、矢のように飛んでくる。後衛の忍者たちは手裏剣や苦無の投擲で動きを牽制。

 連携にまったく隙がない。集団で行動しているだけあって、まるで集団そのものが一個の生命体のようだ。

 だがこと『連携』に関しては活人拳も負けてはいない。

 苦無と手裏剣を回避しながら、兼一は叫んだ。

 

「美羽さん!」

 

「はいですわ!」

 

 流水制空圏を使い、自分の動きと美羽の流れを同調させる。兼一の静の気と美羽の動の気が互いに気を高め合い、その力を何倍にも増幅させた。

 気の同調。相手を殺すのではなく、相手を思いやることを重視する活人拳だからこそ可能な妙技である。

 

「梁山泊、白浜兼一。受けて立ちます!」

 

 先ずは手足についていた重りを手刀で外し身軽になる。全身を縛るギブスのほうは、ちょっとやそっとでは外せない仕組みになっているので今はそのままだ。

 

「きぃぃぃええええええええええっ!」

 

 意味不明の雄叫びをあげながら忍者の一人が切りかかって来る。

 言動といい纏っているオーラから察するに動のタイプだろう。しかも完全に人の心を失い、修羅道に堕ちる一歩手前の。

 風を切り裂きながら向かってくる刃には触れず、素早く間合いに潜り込んで腕を掴むと、そのまま敵の突進の勢いを利用して投げた。

 投げられた忍者は手裏剣となって他の忍者たちを巻き込んでいき、やがて壁に叩き付けられ気絶する。

 

「長老から教わった人手裏剣……やっぱり凄いな」

 

 空手、柔術、中国拳法、ムエタイ、対武器術。梁山泊では五人の師匠に徹底的に武を仕込まれてきた兼一だが、達人になってからは長老の秘技もかなり伝授されていた。この技もその一つ。

 相手を投げることでダメージを与えつつ、投げに巻き込んだ他の相手も撃破する。一対一の戦闘では余り役に立たないが、こういう複数人同時を相手する場合には絶好の技だ。

 

「おのれ! 史上最強の弟子、我等を手裏剣にするとは許せん! 呼吸を合わせ、同時攻撃を仕掛けるのだ!」

 

『御意!!』

 

「喰らえ、六壕十二無鋼刃!」

 

 技の名の通り六方向からの完全同時攻撃。しかも全員が自分達の武器を完全に己の手足としている。数年前の自分ならば不味かったかもしれない。

 しかし末席ながらも師匠達と肩を並べるまでになった兼一の瞳には、確かな突破口が映っていた。

 彼等の技は見事であるが、まだ足りない。師である香坂しぐれや彼の八煌断罪刃たちのように『武器と己を一体化』させる境地へは達していなかった。

 これならば兼一にも対処できる。

 

「流水制空圏、第三段階」

 

 相手の流れを読み取り、一つとなり、そして自分の流れに相手をのせて動きを掌握する。

 今の兼一には彼等の技撃どころか、彼等の斃れる未来すら見えていた。

 

「〝流水制空最強コンボ7号〟」

 

 一人目にはムエタイのソーク・クラブ、二人目には中国拳法の撃襠捶、三人目には柔術の朽木倒し、最後に空手の様々な技を繰り出す鉄鬼百段で敵を一掃。

 対集団戦のカウンター用に編み出した技のコンボで、一人ずつ確実に忍者たちの意識を落としていく。

 兼一のコンボが終わった時、もう立っている敵は一人もいなかった。

 

「おの……れぇ。梁山泊の史上最強の弟子、これほどのものかっ!」

 

「教えてください。口振りから察するに武器組の方みたいですけど、どうして僕達を襲ったのか」

 

「我等、武器組。例え拷問されようと情報は売らぬ……。それに我等になど構っていて良いのか? 貴様がここで話しているうちに、無敵超人の孫娘の命は――――」

 

「兼一さ~ん。こちらは終わりましたわよ、そちらは大丈夫ですか」

 

「んなっ!?」

 

 意識を刈り取られた忍者の集団がポイと投げられて、忍者たちのリーダー格の男が絶句する。

 彼としては兼一を抑えているうちに、美羽の命だけは奪う手筈になっていたのだろう。だがそれは甘い考えと言わざるを得ない。

 今では美羽との組手でも数回は勝利を収めることができるようになったが、勝率そのものは兼一が負け越している。これが付き合い始めて長いのに、兼一が未だに一歩踏み込めない最大の理由だった。

 

「史上最強の弟子と無敵超人の孫娘の首級どころか、腕の一本すらとることができない、だと……無手の達人などに……こんなバカなことが。これでは無駄死にではないか……」

 

「死なせはしません。僕たちは活人拳ですから」

 

「――――敵の情けなど、受けぬわぁ! こうなれば……うぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

「っ! 待て! なにを――――」

 

 火事場の馬鹿力。人間は追い詰められた時、普段以上の爆発力を発揮するが、忍者集団のリーダーにもそれと同じことが起こったのだろう。

 兼一が慌てて止めようとするが、ギブスが動きを阻害したことで、ほんの僅かに遅れが出てしまう。その間に忍者のリーダーは、偶然近くを通りかかったらしいサラリーマンの首に刀を突きつけていた。

 

「来るなァ! 近づけば、こいつの命はないッ!」

 

「なっ!? 自分の武門を背負って挑みながら、外道に手を染めるんですの!?」

 

 裏武術界に身を置く武人にとって、不意打ちや奇襲などの戦術はされた側が悪いとされる。しかし武とは無関係の人間を人質にとるなどというのは、それとは訳が違う。武人として最低限守るべき一線、それを逸脱した武を穢す行いだ。

 幼少期から武術の世界に身を投じてきた美羽は、これには怒りをあらわにする。

 

「ふんっ! 貴様等含めて目撃者全員を始末すれば武門が穢れることはない。断罪刃のお歴々には正当な決闘で討ち取ったと報告するまでよ。貴様等の命さえ獲れれば後はどうにでもなるわぁ! ハーハハハハハハハハハハハハハハッ!!」

 

 流水制空圏を修めた過程で『読心術』に似た術を体得した兼一には分かる。あの男は本気だ。自分と美羽がほんの少しでも近づいて来れば、容赦なく刃を人質に突き立てるだろう。

 兼一と美羽も男が刃を突き立てるよりも早く、人質を解放できるかと問われれば、難しいと言わざるをえない。それが分かるからこそ兼一も腕で美羽の動きを制した。

 

「……要求はなんですか?」

 

「決まっている! 貴様等の命だ! 貴様たちの命を寄越せ!」

 

「……っ」

 

 人質を見殺しにすることはできない。かといって自分と美羽の命を犠牲にするのも間違いだ。だが突破口が思い浮かばずに男を睨めつけていると、救いは思わぬところからやってきた。

 男の背後にあるビルから一つの影が飛ぶ。黒一色のライダースーツに身を包んでいる女性。女性と一目で看破できたのは、そのライダースーツがピッチリとしていて女性的な凸凹を強調していたからだ。もしもここにエロ親父こと馬師父がいれば、エロい気を迸らせら激写したであろうことは疑いようがない。

 高度な気配を消す能力をもっているらしく、男が背後に迫る女性に気付く気配はない。女性はそのまま隕石のように男へ落下していき、その脳天に鋭い蹴りを喰らわせた。

 

「―――――、――――!」

 

 まったく予期せぬ一撃を頭に受けて、忍者の男は声もなく昏倒する。

 そして兼一と女性の目があった。いや、あったような気がした。気がしたと表現したのは女性が顔をすっぽりと覆う仮面をつけていて、表情を窺い知ることが出来なかったからである。

 顔を隠して行動するのは、親友(本人は否定しているが)である谷本夏にも共通するが、彼女と谷本夏の雰囲気は似ても似つかない。

 燕を模した仮面越しに、兼一に突き刺さる視線。なんとなく兼一には彼女に見覚えがあるような気がした。

 兼一と仮面の女性は暫くそうやって睨み合っていたが、やがて女性が何も言わずに背を向ける。

 

「あ、待ってください!」

 

「……………………」

 

 お礼を言おうと呼び止めるが、女性は無視して立ち去ってしまった。

 



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第122話  心ない人間

 闇の無手組の頂点に君臨する一影九拳は、其々の修めた武術において『最強』と謳われる拳の魔鬼たちだ。

 氷のエンブレムをもつアレクサンドル・ガイダルは最強のコマンドサンボの使い手であるし、無のエンブレムをもつセロ・ラフマンは最強のカラリパヤットの達人である。

 活人拳の総本山たる梁山泊と修めた武術が被っているアーガードや本郷晶にしても、最強と評価を二分するほどの名声を得ている。

 しかし最高幹部たる一影九拳の選定基準は強さだ。一般の闇人の中に一影九拳を超える武人が現れれば代替わりが起こることもある。

 それ故に本来一影九拳の面子は時代と共に変化していくものなのだが、ここ十年間は現役の九拳が皆屈指の実力者だということもあって代替わりは起きていなかった。

 だが代替わりが行われていない理由はもう一つだけある。それは一影九拳に選ばれた十人のうち二人が、長らく消息を絶ち行方知らずということだ。

 十年前の『久遠の落日』で九拳のうち六人が一影の命令に背き、断罪刃と他の九拳と敵対。これにより久遠の落日は失敗に終わった。

 第三次世界大戦阻止の功績に隠れてはいるが、これも無手組と武器組の亀裂が決定的となった大事件である。

 幸いというべきか一影の側についた三人の九拳のうち〝拳聖〟緒方一神斎は、落日後に闇へ戻り元の鞘に収まった。

 けれど一影九拳の中でも最年長で、闇全体に多大な影響力をもっていた櫛灘美雲。そして彼女に支配され『マリオネット』となっているクシャトリアは、闇に戻ることもなく姿を消してしまったままだ。

 闇の中では帰らぬ二人の空席を埋めるため、新たなる九拳を任ずるべきとの声も多い。だが闇内部にも落日賛成派、櫛灘美雲の派閥が残っている。彼等を刺激して無手組が分裂することを防ぐためにも、一影九拳も新しい九拳を任ずることはできない状況だった。

 なにせ今ここで無手組が分裂し勢力を衰えさせれば、落日のことに根を持つ武器組が抗争をしかけてこないとも限らないのである。もしも無手組と武器組の全面抗争ともなれば、戦いの余波は表社会をも巻き込んで、世界大戦級の大惨事となるだろう。

 人数が弟子含めて八人と一匹しかいなかった梁山泊との抗争とは訳が違うのだ。千人規模の達人たちが世界中で殺し合えば、国家の二つ三つは軽く消し飛ぶ。

 櫛灘美雲とシルクァッド・サヤップ・クシャトリア。

 闇から姿を消して尚、武術界全体で無視できない影響力をもつ二人。闇の情報部も二人の捜索は十年間継続しているが、闇内部の美雲派の牽制もあって成果は上がっていない。二人の豪傑は世界の表と裏からも姿を消し、地下へと潜ったままだ。

 だがマリオネットと化しているクシャトリアは兎も角、櫛灘美雲は一度の失敗に泣き寝入りするほど諦めの良い女ではない。

 今この瞬間も梁山泊からも闇からも隠れ、再びの落日に向けて計画を練っている。そういう噂が囁かれるのも至極当然の流れといえるだろう。

 そして更に言えば噂は正鵠をついていた。

 大方の予想通り、櫛灘美雲は『久遠の落日』を再開するために十年間動き続けていたのだから。

 某国の海域にある、地図には『無人島』とされている場所。緑豊かな森林や岩場を隠れ蓑に、その島の地下には櫛灘美雲の隠し拠点があった。

 

「櫛灘美雲、命令を果たしてきた」

 

「うむ」

 

 命令を終えたクシャトリアが帰還しても、美雲は労いの言葉一つかけることはなかった。

 クシャトリアの魂は十年前の戦いで砕け散っている。ここにいるクシャトリアは、美雲が邪法で動かしているだけの人形に過ぎない。

 労いとは人間にかけるもの。もはや人間ではなく『道具』と成り果てたクシャトリアに、温かい言葉をかけることなどは不要。合理的な美雲らしい考え方だった。

 だが何気なくクシャトリアの方へ視線を向けると、美雲の眉がピクリと動く。

 

「どうしたのじゃ、クシャトリア。その有様は?」

 

 美雲が命じたのはアメリカにある『基地』の殲滅だ。

 事前調査でそこに『達人級』の護衛がいないことも分かっている。特A級のクシャトリアにとっては、楽にこなせる仕事だ。

 だというのにクシャトリアの体には、まるで死闘を繰り広げたかのような生傷が残っている。

 

「交戦中に負傷した」

 

「お前を負傷させるほどの武人があの基地にいたのか?」

 

「あの基地にいた人間に達人級はいなかった」

 

「……ならば誰にやられたのじゃ」

 

「途中から基地にやってきた男だ」

 

「それは応援が駆け付けたということかのう?」

 

「知らん。それは聞いていない。命令を果たしていたら、途中から奴が現れた。叶翔は俺の邪魔をしたので戦うことになった」

 

「叶翔じゃと?」

 

 梁山泊の史上最強の弟子に対する、闇が誇る史上最凶の弟子。

 柔術、シラットを除いた八つの武術全てで達人級の実力を身に着け、現在は準一影九拳のような立ち位置にいると聞く。

 予想外の大物に美雲の目は大きく開かれた。

 

「それで叶翔はどうなった?」

 

「逃げた」

 

「…………結論だけ言うでない。過程を纏めた上で結論を答えよ」

 

「交戦し、相当の手傷を負わせた。一か月は戦えないだろう」

 

「それだけの傷を負わせておいて逃がしたのか? お前程の男が」

 

「俺が与えられた命令は基地の殲滅だ。叶翔の殺害は命令に含まれていない。逃げた叶翔を殺す必要はない」

 

「わしと断罪刃の『計画』に叶翔は邪魔になる可能性が高い。それは分かっておるな?」

 

「ああ、恐らくそうだろう」

 

「なら何故見逃した?」

 

「それは命令されていない」

 

「………………」

 

 魂が砕け散る前のクシャトリアならば、確実に叶翔を逃すようなヘマはしなかっただろう。

 武を極めるのに余分な心などは不要、とは美雲の考えであるが、完全な『虚無』というのも考えものだ。

 これがマリオネットの……機械の限界。与えられた命令は、それこそ自分が壊れることも関係なしに実行しようとするが、与えられていない命令はまるで実行しない。要するに馬鹿正直なまでに言われたことしかやろうとしないのだ。

 

「まぁ良い」

 

 言われたことだけしかやらないのは不便だが、言われたことすら出来ない無能と比べればマシだ。

 そして言われたことを無視し、余計なことばかりして事態をややこしくする連中と比べれば遥かにマシである。主にディエゴ・カーロだとか。

 

「これから本格的に我等の『計画』が始まる。それまで体を休ませておれ。いざという時に十全に力を発揮できないのでは話にもならぬ」

 

「分かった」

 

 一切考えることなく、クシャトリアは櫛灘美雲の命令にただ従う。それが機械人形というものだ。

 櫛灘美雲は命令を終えると、クシャトリアから目を離し、計画のための連絡作業を続行する。

 しかし美雲は気付かなかった。美雲が目を離したほんの一瞬だけ、クシャトリアの目に黒いものが宿ったことを。

 

 



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第123話  闇からの使者

 闇との抗争に打ち勝ち、裏武術界に最強の威名を轟かせている梁山泊。

 無敵超人・風林寺隼人を筆頭に特A級の豪傑が蠢いていたそこに、新たに白浜兼一と風林寺美羽が『達人』として加わり、その戦力は大国の軍事力に匹敵するといっても過言ではない。

 

――――ではその梁山泊にとっての最大の敵とは果たしてなにか?

 

 そう問いかけられれば、梁山泊の豪傑全員が口を揃えて断言するだろう。

 即ち〝貧乏〟であると。

 世界中の悪党を震撼させる無敵超人も、貧乏にだけは勝てない。一度は貧乏のせいで梁山泊が存亡の危機に直面したこともある。

 金は天下の回り物という諺があるが、基本的に梁山泊にそれが回ってきたことは一度もない。秋雨の作品絡みで大金を得る機会が巡ってきたことはあるが、それは秋雨の「え~やだ~」という無慈悲な一言で切って捨てられてしまっている。

 秋雨の接骨院、剣星の針灸院、逆鬼の臨時収入がなければ、梁山泊はとっくに資金難で潰れていたはずだ。もしも闇が武ではなく『金』で梁山泊を潰しにかかれば、恐らく一か月で勝敗がついたに違いない。

 それ故に道場破りは梁山泊にとって貴重な収入源でもあった。挑戦者一人につき一万円もぼったくることができ、しかも挑戦者を叩きのめした後は、接骨院と針灸院で治療を行い金をとる。正に美味しい話尽くしなのだ。

 だが中には道場破りという正規の手段をとらず、街中でいきなり襲撃してくる連中もいる。今日の忍者集団などがそれだ。

 そういった連中からは挑戦料はとれないが、代わりに接骨院か針灸院に搬送することで、治療費だけはとるようにしている。

 なので兼一と美羽は梁山泊に帰る前に、襲ってきた忍者たちを荷車に乗せて岬越寺接骨院に立ち寄ったのだが、そこにいた予想外の人物に兼一は思わずマヌケ面を晒すことになった。

 

「やぁ、美羽。こうして会うのは暫くぶりだね」

 

「か、叶翔! なんでお前がここに!?」

 

「そうですわね。かれこれ四か月ぶりですわ」

 

「美羽さんも普通に挨拶しないで下さい!」

 

「……白浜兼一と一緒っていうのが癇に障るけどね。おい、白浜兼一。ここは気を利かせて俺と美羽を二人っきりにするところだろ」

 

 白浜兼一という人間は、温厚な人間だ。悪友である新島には『馬鹿』と呼ばれるほどのお人好しで、しかも武術家でありながら喧嘩が大の嫌いときている。

 そのため兼一が特定の誰かに対して敵意を剥き出しにするということは、相手が余程の外道でない限りは殆どない。

 しかしこの地球上で唯一、叶翔だけは例外だった。兼一は不機嫌さを全開にし、叶翔と敵意をぶつけあう。

 

「気なら利かせているよ、ちゃんと。美羽さんにね」

 

「へぇ。言うじゃん、虫けら。史上最強と史上最凶、どっちが上か白黒はっきりさせようか」

 

 達人級になった兼一と叶翔。ヤクザも泣き出す敵意と敵意が、平和な街中でぶつかり合う。だが、

 

「止めて下さいまし、二人とも。ここは街中ですわよ」

 

「す、すみません美羽さん!」

 

「はははは。ほんの軽い挨拶代わりだよ。オーバーだなぁ」

 

 美羽の制止が入ると、兼一と叶翔は直ぐに敵意を雲散させる。

 いがみ合っているが、同じ女性を愛した者同士。弱いものは一緒だった。

 

「それで梁山泊に何をしに来たんだ? いいや、それよりも」

 

 全身に包帯を巻かれ、痛々しい姿の叶翔に戦慄しながら兼一は問いかける。

 

「誰にやられたんだ?」

 

 叶翔は成りたてほやほやだが、仮にも特A級の達人である。恋敵としては余り認めたくはないことだが、叶翔にこれだけの手傷を負わせられる人間は少ない。

 だが兼一には微かな予感があった。叶翔に手傷を負わせられる程の特A級で、尚且つ梁山泊とも無手組とも距離を置く者。それだけで兼一の頭の中には自然と一人の名前が浮かび上がって来る。

 

「シルクァッド・サヤップ・クシャトリア。行方不明の邪帝殿だよ」

 

 十年ぶりの足音に、兼一は目を見開かせた。

 

 

 

 

 叶翔があそこにいたのは、無手組の使者として梁山泊へ行く前に、名医として知られる岬越寺秋雨の治療を受けておきたかったからだ。

 岬越寺秋雨は武人としてではなく医者としても世界で三本の指に入る御仁。彼に勝る名医は闇にもいない。一刻も早く戦線復帰するためにも、岬越寺秋雨の治療は是非受けておきたかった。

 流石に彼の秋雨をもってしても、即時復活というわけにはいかず、二週間は戦うことは厳禁だそうだが、闇の診断では一か月だったのでこれでも十分すぎるほどである。

 そして忍者集団を岬越寺接骨院に預けた後、叶翔は梁山泊の面々と対面を果たしていた。

 この十年間で何度か梁山泊の豪傑と出会う機会はあったが、こうして全員と対峙するのは初めてのことである。

 十年前弟子クラスでありながら、これと対峙したボリスのプレッシャーは相当なものだっただろう。

 

「――――それで叶翔君。ジュナザードの忘れ形見、拳魔邪帝にやられたというのは本当かのう?」

 

「ええ。最近、闇の武器組の動きが活性化して、反闇派の組織や政治家を潰して回っているのはご存知でしょう? 無手組としては、まだ派手に動きたい刻ではないので、武器組の動きを妨害していたわけですが……そこでまさかの邂逅ですよ」

 

 拳魔邪帝クシャトリアの捜索は叶翔の師、本郷晶も熱心に取り込んでいた。

 それはティダード王国や世界中のシラットの達人とも協力した大規模のものだったが、この十年間でクシャトリアの発見情報は皆無。まったくの成果なしだった。

 それが闇の指示で何気なく赴いた基地で、いきなりの再会である。探しものというのは探している間は見つからない――――そのことをしみじみと思い知らされた。

 

「あの人ってば有無を言わさずいきなり静動轟一を使って殺しにきたもので、無様なことに逃げるので精一杯でしたよ」

 

「成程のう。となるとクシャトリア……いいや、美雲は武器組に協力しているとみて良いということかのう」

 

「恐らくは。落日で敵対した九拳は断罪刃に嫌われていますが、逆に櫛灘殿や拳聖殿はそれなりに好意的にみられていますからね」

 

 本人が変わらなくても、周囲が酷いせいで相対的に評価が上がってしまうことになる。

 九拳たちが落日での裏切りで武器組への印象を最悪にしたのとは逆に、最後まで作戦成就のために戦った美雲、緒方、クシャトリアの印象は上昇したのだ。

 そのため本人の意図したことではないだろうが、緒方などは今では武器組とのパイプ役などを任されている

 

「さて。ではそろそろ本題に入らせて貰いますよ。俺が今日梁山泊へ足を運んだのは〝一影〟の言葉をお伝えするためです」

 

「……一影」

 

「砕牙、かね」

 

 秋雨の言葉に、叶翔は首を縦に振って肯定した。

 嘗て穿彗と思想の違いから敵対した風林寺砕牙は、再び闇の一影として無手組を率いる立場にある。一なる継承者である翔にとっては、自分の十番目の師でもある人物だ。

 

「単刀直入に言いましょう。武器組は落日を再開するつもりです」

 

 聞こえてきた第三次世界大戦の足音に、梁山泊の豪傑全員が目の色を変えた。

 

 



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第124話  一影の仕掛け

 久遠の落日。武人が世界の片隅に追放され、自らの力を満足に震えぬ泰平の世から脱却し、世界へ武人が武人として在れる戦乱を齎そうという計画。

 乱世の猛将が、治世においては凡人でしかないのであれば、世界そのものを変えてしまおうという狂気。要するに大規模な戦争のない平和な時代を終わらせて、世界大戦を引き起こそうというのだ。

 現に櫛灘美雲が闇に入る前の『落日』では、第二次世界大戦が起こってしまった。

 第二次世界大戦でどれほどの人間が死んで、どれだけの被害が出たかは今更語ることでもないだろう。

 落日が成就すれば、泰平は崩れ多くの犠牲者が出る。だからこそ梁山泊の豪傑たちは、世界の闇排斥派と協力して大々的な抗争を繰り広げたのだ。

 

「落日を再開させる、とな?」

 

「はい。そうだ、口で説明するよりもTVで見て貰った方が分かり易いでしょう」

 

 翔はひょいとテーブルに置かれているリモコンをとると、TVの電源をONにする。

 タイミングの良いことにTVでは丁度ニュースがやっているところだった。

 

『――――沖縄に入港した豪華客船ルサールカは一週間の停泊を予定しています。では続いてのニュースです。明後日ニューヨークで行われる各国首脳会議では、世界中で連続するテロについての協議を……』

 

 ニュースキャスターは世界で起こっている謎の襲撃事件、要人の暗殺事件を取り上げつつ、首脳会議の目的について説明している。

 

「御覧の通りです。これが武器組のやろうとしている落日ですよ」

 

「つまり最近連続していやがる事件は全部武器組の仕業ってことか?」

 

 眉間に皺をよせた逆鬼が、ビールの缶を握りつぶす。その目は翔を見ると同時に、TVに映された『被害』に向けられていた。

 明らかに激怒している。こういうところは自分の師と同じだ、と翔は何となく思った。

 

「全部が全部ってわけじゃないですよ。身内の恥を晒すみたいですが、ぶっちゃけ無手組内にも今の一影九拳に反感をもっていて、武器組につく連中もいますしね。

 それに黒虎白龍門会や殺人拳寄りの組織も、武器組に同調する姿勢を見せてます。ま、そのあたりは馬剣星殿の方が詳しいと思いますが」

 

「――――そこの子の言う通りね。つい昨日にもおいちゃんのところに、黒虎白龍門会が怪しい動きをしていると連華から連絡があったね」

 

 一番とぼけた風貌の剣星だが、その実態は全国十万人の弟子を擁するとされる鳳凰武侠連盟の元最高責任者。

 中華で勢力を二分する黒虎白龍門会については、梁山泊の誰よりも詳しい。

 

「というわけで武器組単独の行動というより、武器組を中心にして集まった『落日肯定派』による一斉蜂起といったほうが適切でしょう。

 闇排斥派だった議員、富豪、達人、名士がざっと七十人以上は殺され、闇排斥派の拠点もかなり潰されています」

 

 しかも悪いことに一般人は『闇』のことも『闇排斥派』の存在も知らないのだ。

 そのため一般人にとっては、何の関連性もない要人や施設が世界中で次々とやられているようなものだ。今や全世界が疑心暗鬼に包まれているといっていいだろう。

 

「このタイミングでニューヨークに集まった各国首脳が一斉に死んだりしたら、一体全体どうなってしまうんでしょうね?」

 

『!』

 

 豪傑達の顔が強張る。誰もがそうなった未来を想像してしまったのだろう。

 世界中の人々の心に溜まりに溜まった疑惑という火薬。それらが各国首脳が一斉に暗殺されることにより『爆発』すれば、確実に世界は悪い方向に進んでしまう。

 それだけで第三次世界大戦が引き起こされると断言できないが、確実に戦争の一つや二つは起こるだろう。

 

「〝一影〟の入手した情報では各国首脳会議に八煌断罪刃が襲撃をかけるようです。会議には其々の国が雇い入れた達人級も何人か護衛につくでしょうけど、無意味でしょうね。相手が悪すぎる」

 

「そうだろうねぇ。世界中に断罪刃ほどの達人たちと戦える者がそうそういるとは思えない」

 

 秋雨が冷静な意見を出す。

 八煌断罪刃は全員が特A級の実力者揃い。しかも断罪刃の頭領はジュナザード亡き今、唯一無敵超人と肩を並べる二天閻羅王・世戯煌臥之助がいる。並みの達人が百人いようと、五分と保ちはすまい。

 冷酷なようだが特A級というのは、それだけ並みの達人とは隔絶した強さをもっているのだ。

 

「叶翔。ということは君は梁山泊に首脳会議を護衛して欲しいって頼みにきたのか?」

 

 兼一が合点がいったという風に詰め寄って来る。翔はにっこりとほほ笑むと、

 

「ははははははははははは。闇が梁山泊に助けをもとめるわけないだろ、バーカ」

 

「んなっ!?」

 

「常識的に考えろよ。そりゃ前の落日じゃ武を穢さない為に協力したけどさ。闇は殺人道と梁山泊の活人道は不倶戴天の敵。決して相容れない存在だ。共闘ならまだしも、助けを求めるなんて論外だね。そんなことしたら本当に闇人たちの半数からそっぽむかれるよ」

 

「むむむ……」

 

「なにが〝むむむ〟だ! というわけで、この話を聞いて貴方達がどう行動するかどうかは自由です。俺はあくまで無手組の持っている情報を教えにきただけなので。

 今の話を聞いて無視を決め込もうと、義憤にかられてニューヨークへ護衛に赴くのもどうぞお好きなように。まぁこの情報は首脳たちの方にも流しているんで、近いうちに正式に政府からの依頼が来るでしょうけど」

 

「やれやれ。砕牙もあくどい真似をするのう」

 

「いいや、まったく」

 

「アパ? 良く分からないけど、とりあえず難しいことはぶっ殺してから考えるよ!」

 

 梁山泊は正義の集団だ。誰もが見て見ぬふりをする悪だろうと、梁山泊は決して見逃しはしない。

 悪党がいれば千里を駆け抜けこれを打ち払い、助けを求める声があれば万里を超えて助けに駆け付ける。

 叶翔から『落日』の話を聞いてしまった以上、梁山泊の達人がとる道は一つ。無視するという選択肢など端からありはしないのだ。

 そう。態々助けを求めずとも、ただ情報を渡すだけで闇は梁山泊の力をそっくり利用できるのだ。

 梁山泊のことを内部事情まで知り尽くした〝一影〟ならではの一手だろう。

 

「叶翔くん。落日のことのついでに、もう一つばかし教えてくれんかのう」

 

「なんです、無敵超人殿」

 

「この〝落日〟に無手組はどう動くつもりかのう?」

 

「動きませんよ。いえ動かないというより動けないの方が正解ですね。言ったでしょう? 無手組内部にも落日肯定派は多いと。

 現状一影九拳は無手組の内部分裂を抑えるのに精一杯です。というか最悪のシナリオは〝拳聖〟緒方一神斎殿が武器組につくことでしたね。

 あの御方はこの十年で闇内部にかなり影響力を強めているので、彼が離反すれば本格的に不味いことになる。念の為に一影九拳の三人が、監視についているほどですよ」

 

「成程のう」

 

 ちなみに拳聖の監視をしているのはセロ・ラフマン、アーガード・ジャム・サイ、アレクサンドル・ガイダルの三名である。

 これだけの達人に睨まれていては、拳聖が裏切りを行おうとした瞬間にあの世へ送られることは疑いようがない。

 更に余談だがディエゴ・カーロはこの非常時にも拘わらず某国で格闘トーナメントを主催中。馬槍月は相変わらずの放浪中だ。

 実力は兎も角、結束力で一影九拳が断罪刃を超えることは永久にないだろう。

 

「では失礼します。じゃあね、美羽。今度は二人っきりで会おう」

 

 一影から受けた任務は果たした。これで叶翔の役目はおしまいである。

 そうこれで終わってしまったのだ。クシャトリアの戦いでダメージを負った翔に、これ以上出来ることはもうなにもない。

 

「ほんと、厭になるくらいに無様だなぁ」

 

 握りしめて鬱血した拳が震える。自分の不甲斐なさと悔しさを叫ぶように。

 この震えが収まるのは、夜が明けてのことだった。

 

 



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第125話  引き金

 翔の言った通り、彼が出て行って程なくして本巻警部が政府の使いとしてやって来た。要件は言うまでもなくニューヨークで開かれる首脳会議の警護依頼である。

 断罪刃のことを聞いていた長老は直ぐにこれを了承。もしも依頼がなくとも行くことに変わりはなかっただろうが、正式に政府の依頼を受けたという形になったことで、ニューヨークまでの旅費を政府が全額負担することになった。万年金欠の梁山泊にとって、それは大きいことだった。

 こうして梁山泊はニューヨークへ赴くことがあったのだが、

 

「どうしてですか長老! 僕と美羽さんは日本に残れって!」

 

 断罪刃が首脳会議を襲撃しようとしているのなら、失踪中の櫛灘美雲とクシャトリアがそれに加わっている可能性は高い。

 だからこそ余り戦いに積極的ではない兼一も、今回ばかりは同行を強く訴えたのだが、長老の答えは否だった。

 

「相手が断罪刃で……危険な戦いになるから、駄目なんですか?」

 

「それは違うぞい、兼ちゃんや兼ちゃんも美羽も立派な達人。今更危ないから来るなとは言わぬよ」

 

「ならどうして……」

 

「わしに考えがあってのう。単なる思い過ごしならば良いのじゃが、万が一ということもある。兼ちゃんと美羽には日本に残っていて欲しいのじゃ」

 

「万が一?」

 

 長老の目は真摯で、誤魔化すために嘘偽りを言っているようには見えない。

 それによくよく考えれば、この師匠達が『危ないから来るな』なんて優しさに満ち溢れたことを言うはずもないのだ。

 なにせ弟子の妹が人質にとられても『慣れておいたほうがいい』と傍観し、多数に襲われていても『これも経験』とスルーするような人達である。

 となれば兼一と美羽だけが梁山泊に残されたのは、長老なりの考えがあってのことなのだろう。

 

「分かりました。ご武運をお祈りします」

 

「ははははははっははははははははははっ! 十年前は修行の度に悲鳴あげてばっかだったお前が言うようになったじゃねえか」

 

「逆鬼師匠! それは言わないで下さいよ!」

 

「一日に五回は悲鳴あげて…た」

 

「しぐれさんも一々数えてないでいいですから!」

 

 各国首脳の命がかかった戦場へ赴くというのに、豪傑たちはまったく普段通りのままだ。

 これを呑気と受け取るか頼もしいと受け取るかは人其々だが、兼一は言うまでもなく後者だった。

 

「というわけじゃ。美羽、兼ちゃんと共に留守を頼むぞ」

 

「はいですわ! お任せ下さいまし」

 

 長老と美羽が暫しの別れの挨拶を継げていると、ちょんちょんと兼一の肩を指で叩く者が一人。

 太陽のように輝く頭を、黒い帽子を被ることで隠した、三十年前は美少年だったが現在ただのエロ中年であるその人。馬剣星師父だった。

 

「兼ちゃん。これは……チャンスね」

 

「な、なんですか師父」

 

「断罪刃との戦いに日本とアメリカの往復。おいちゃんの計算では最低でも一週間は梁山泊に戻ってこれないね。つまり――――」

 

「ハッ!」

 

 師父に言われて兼一も気づいた。

 師匠達が全員揃って留守にするということは、梁山泊には兼一と美羽が一つ屋根の下に二人っきりとなるのである。

 こんなことは十年前の抗争で一時的に師匠達が指名手配された時以来だ。

 

「御目付役の長老がいないうちに、兼ちゃんもやることやっておくべきね」

 

「だ、駄目ですよ師父。こんな一大事にそんなこと……不謹慎ですっ」

 

「何が不謹慎なものかね。おいちゃんが若い頃は――――」

 

「剣星、そこまでにしておきたまえ。そろそろ行かねば約束の時間に遅れてしまう」

 

 師父が若かりし頃の武勇譚を語り出そうとしたところで、秋雨がストップをかけた。

 本巻警部が告げた飛行機の時間まであと二時間。確かにそろそろ出発せねば、空港に到着するまでにかなり体力を消耗することになるだろう。

 幾ら特A級といえど全員が長老のように、全力疾走で太平洋を横断できるほど規格外の脚力をもっているわけではないのだ。

 

「では、行くぞ皆の衆」

 

 長老を筆頭とした豪傑たちが、その場から忽然と消失する。いや消失するように見える超スピードで、その場から跳躍する。

 兼一と美羽は戦場へ赴く師の背中を、澄んだ瞳で見送った。

 

 

 

 

 

「政府に潜り込ませていたスパイの報告が来た」

 

「申せ」

 

 ドアを機械的に開けて部屋に入ってきたクシャトリアに、美雲は椅子に座ったまま振り返ることなく答えた。

 

「連中は櫛灘様が意図的に無手組に掴ませた情報を与えられて、まんまとニューヨークへ飛んでいきやがった。ざまぁねぇな、活人拳の糞野郎共め――――とのことだ」

 

 クシャトリアは無表情で無機質のまま、無情に淡々と告げる。

 事が自分の思い通りに運んでいることを確認し、美雲は薄紅色の唇を僅かに緩めた。唇から覗く白い歯がどこか艶めかしい。

 

「御苦労じゃった。じゃが別に発言をそのまま伝えずとも良いのだが――――」

 

「ならばどのように報告すればいい? 考えたところ要約した文章は大体二十六通りほどあるが、そのうちのどれが正解なのか俺には判別がつかない。どこが重要なのか教えられないことには」

 

「……どうせ融通がきかんことは承知している故、今度からも報告をそっくりそのまま伝えればいい。余計に面倒じゃ」

 

「承知した」

 

 八煌断罪刃という梁山泊や一影九拳にも匹敵する武を極めた豪傑の集団。誇張抜きで一国を滅ぼし、一つの文明を傾かせかねないほどの大戦力。だがそれは櫛灘美雲という『妖怪』にとっては囮に過ぎない。

 はっきりと言えば櫛灘美雲は誰一人として他者を信用してなどいなかった。

 十年前の落日は成就まで後一歩というところにいきながらも、終盤で盤上を引っくり返されて無様な失敗に終えた。

 

――――どうして十年前の落日は失敗に終わったのか?

 

 作戦そのものに落ち度はなかっただろう。梁山泊最大のジョーカーである風林寺隼人を、闇最大のジョーカーである世戯煌臥之助を当てることで封印に成功した。

 数の暴力という単純でありながら最も恐ろしい『兵力』を手に入れ、万全の布陣をもって活人拳を迎え撃ったのである。戦略的には櫛灘美雲の勝利と落日の成就は疑いようがなかっただろう。

 だが蓋を開けてみれば内部分裂にイレギュラーのオンパレード、更にはイレギュラーの連続で敗北。落日は失敗に終わり、活人拳の勝利という結果になってしまった。

 この十年間。櫛灘美雲はずっと考え、結論したのである。

 落日失敗の原因、それは他人に引き金を委ねてしまったことだと

 故に今回は決して人任せにはしない。人を操ることはあっても、引き金は自分で引く。

 

「やはり殺人とは自分の手で行ってこそ……じゃからのう」

 

 櫛灘美雲のいる場所、それは沖縄の米軍基地内部。

 そしてそこには豪華客船を使ってアメリカ政府にすら極秘裏に持ち込まれた核ミサイルが存在していた。

 これのトリガーを握るのは櫛灘美雲。闇社会に君臨する〝妖怪〟である。

 



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第126話  師の心

 いかなる時も自由に世界を疾る風も、今宵のみは息を潜める。空を覆う雲は、畏怖するかのように逃げていった。

 世界を震わせ、人を慄かせる大自然が如き気の奔流。これは決して天変地異の前触れでもなければ、神が天上より降臨したのでもない。たった一人の〝武術家〟が己の全力を解き放とうとしている証左だ。

 

「来たようじゃのう」

 

 無敵超人・風林寺隼人はビルの屋上より、この各国首脳が集まる場所へやって来た魔鬼たちを睥睨する。

 敵戦力はたったの八名。だが一人一人が万夫不当――――否、十万の兵に匹敵する猛者だというのならば、それは百万の軍勢が来襲したに等しいだろう。

 

「へっ。あっちもいきなり全力みてぇだな」

 

 逆鬼至緒が睨むのは、八人の魔鬼たちの中でも最悪の怪物。たった一人で軽く三十万以上の軍勢を凌駕してみせるであろう男だ。

 男の名は世戯煌臥之助。武器組の頭領にして、史上最強の武器使いである。

 無手に風林寺隼人あれば、武器には世戯煌臥之助あり。活人と殺人。相容れぬ思想に別れながらも、二人の超人は共に武術界の頂点に君臨する存在だった。

 

「兄ちゃんもい…る」

 

「ミルドレッド・ローレンス、保科乃羅姫、マーマデューク・ブラウンもいるね」

 

「剣星。鼻血が出ているぞ」

 

「これは失敬ね」

 

 今日はあの時のように一影九拳はいない。正真正銘の梁山泊と八煌断罪刃による正面からの総力戦である。

 間違いなく裏武術界の歴史に残るであろう大戦――――でありながら剣星が気にしているのは、セクハラの獲物のことだった。梁山泊一同は溜息をつきつつも、いつも通りの友の姿を笑う。

 それに剣星とてただ単にセクハラしたいが故に断罪刃の顔ぶれを確認していたわけではない。断罪刃の中に別働隊がいて、誰か一人でもビル内部に侵入されれば不味いことになる。そのため断罪刃がしっかり八人揃っているのかを確認したのだ。

 梁山泊が豪傑たちの背にいるは、世界の政治を動かす首脳たち。彼等を殺し尽すことこそが断罪刃の目的であり、彼等を殺させないことこそが梁山泊の勝利条件である。

 或は断罪刃を囮に、それ以外の達人集団による別働隊がいる可能性も否めないが、その時はビルの敷地内に配置された達人の護衛たちがどうにかするだろう。

 梁山泊は目の前の敵。断罪刃のみに集中するべきだ。

 

「―――――梁山泊ッ!!」

 

 気が炸裂し、灼熱染みた闘気が梁山泊の達人たちを襲う。

 だが常人なら一瞬で生命活動を停止させてしまう灼熱にも、豪傑達は眉一つ動かさない。

 

「八煌断罪刃頭領、世戯煌臥之助じゃ! 殺しに来た故、覚悟せいッ!!」

 

 余りにも……余りにもシンプルな宣言。だがそれで十分だった。

 無手と武器。活人と殺人。歩む道も信じる新年も違えど、互いに武を極めた達人。ならば言葉ではなく武をもって語り合うのみ。

 

「梁山泊の長老、風林寺隼人じゃ! 誰も殺さずに来た故、往生せいッ!!

 

 断罪刃が頭領、世戯煌臥之助が二刀を抜き払う。梁山泊が長老、風林寺隼人が拳を握りしめる。

 目にも留まらぬ神速で好敵手へ向かっていった二人を合図に、ここに梁山泊と断罪刃が正面から激突した。

 

 

 

 

 突然なにを言っているんだと思うかもしれないし、理解できないかもしれないが、白浜兼一は美羽と一緒に現在飛行機に乗っていた。

 飛行機といっても旅行や出張へ赴く人間が当たり前に利用する極一般的なジャンボ機ではない。それよりも遥かに小さいが、ファーストクラスのチケットよりも上流階級の証となりうるもの。所謂自家用ジェットというやつに搭乗していた。

 言うまでもないことだが、梁山泊のものでもないし白浜家のものでもない。

 自家用ジェットは安いものでも数億、高ければ数十億もするという正に上流階級の中の上流階級にしか購入を許されない代物だ。

 大国の国家予算にも匹敵する資金力がある闇の最高幹部、一影九拳となれば自家用ジェットどころかジャンボ機を購入することも可能なわけだが、かといって兼一と美羽が二人揃って仲良く闇に拉致されたというわけではない。

 この自家用ジェットの所有者は谷本コンツェルン。要するに兼一の親友(本人は否定している、つまりツンデレ)であるところの谷本夏の所有物だ。

 ではどうして兼一が親友の谷本夏の自家用ジェットに搭乗しているかと問われれば、それは今朝まで時間を遡る必要があるだろう。

 今朝。師匠達が留守の梁山泊で、兼一は日課の組手を美羽とやっている所だった。

 毎日欠かさずやっている日課の組手。だがしかしそこに想い人と二人っきりという但し書きがつくだけで、日常の一ページは甘酸っぱい味をもつものである。

 いつも組手に全力で取り込んでいる兼一も、その時は普段の三割増しの気迫で望んだわけだが、騒動が始まったのは組手を始めようという正にその瞬間のことだった。

 何の知らせもなく、いきなり梁山泊の上空へやってきたヘリコプター。そしてヘリコプターからロープも梯子も使わず、文字通り飛び降りてきたのが、これまた予想外というか想定外というか、とにかく意外な人物だった。

 

「おい、あの宇宙人からの依頼だ。話している時間はねぇから、さっさとヘリに飛び乗りな」

 

 顔写真を送ればどっかの事務所にアイドル候補として採用されても不思議ではないルックスをしているというのに、新島以外はさっぱり理解も共感も出来ない美学のため、奇妙な網眼鏡で素顔を隠した男。

 その顔は余り見たことがないので覚えていないが、その網眼鏡にコートを羽織った出で立ちを見間違えるはずはない。

 十年前……いや十一年前は妹を人質にとられるなど因縁のあった、しかし今ではすっかり谷本コンツェルンと新白連合の情報部門のボスとして活躍しているロキだった。

 それからのことは慌ただしかったので余り記憶がない。

 気が付けば美羽共々ヘリに乗り込んでいて、気が付けば空港に着いていて、気が付けば自家用ジェットに乗せられていた。

 

「なぁ、ロキ」

 

「ん? 今忙しいんだ。俺の思考回路を割くに値しない些末な要件なら口にチャックをしておいてくれ」

 

 そう言いつつロキは高速でノートPCになにかを打ち込んでいく。

 達人であることを除けば、極普通の現代人である兼一はPCもそこそこ程度には使えるようになったが、それでもロキがなにをやっているかはさっぱり不明だった。

 

「些末じゃない、重要な話だ。僕達は一体どうしていきなり飛行機に乗せられたんだい? しかもニューヨークに師匠達の応援に行くならまだしも、沖縄だなんて!」

 

「だから言ってんだろう。お前の友達の宇宙人からの依頼だよ」

 

「新島の?」

 

 兼一の脳内に不気味な笑い声をあげる宇宙人の皮を被った悪魔の顔が浮かぶ。

 なんとなく腹が立ったので、取り敢えず兼一は脳内の新島をフルボッコにしておいた。

 

「一つ俺らしくない僅かながらの良心に従って忠告するがねぇ。友人は選んだほうがいいぜ。お前がまったく俺の計算通りに動かない、合理性っていう人間が持つ当たり前の感情をアッペケペー星に置いてきた訳の分からん奴なことは知っているが、あんな宇宙人を友人にするなんて正気じゃねえ」

 

「違う違う。あいつは友人じゃなくて悪友だよ」

 

「はっ! 似たようなもんだろ」

 

「……で、新島がこんなことをさせるからには『理由』があるんだろうけど、その理由を教えてくれないことには僕はどうもすることができない。新島の意図はなんだ?」

 

「それならもう直ぐ分かるだろうぜ。否応なくな。っと、噂をすればそろそろだ」

 

 ロキが指をひょいとやると、機内にあるモニターにパッと電源がつく。

 画面に映っているのは、兼一の脳内に出てきたものと寸分違わぬ宇宙人の皮を被った悪魔顔だった。

 

『久しいな、兼一。お前がこの映像を見ているということは、オレ様は自宅の豪邸で悠々自適にスペースコーラ片手にポップコーンを摘んでいるところだろう』

 

「…………相変わらずだな」

 

 衝動的にモニターを破壊したくなったが、そこはぐっと堪える。新島は外道だが、モニターに罪はない。

 

『さて、兼一。お前も知っての通りオレ様の新白連合は今や世界的武術団体として躍進を遂げている。忠誠心溢れる団員の護衛任務、TVのCM料に、ジークの作曲した曲の著作権料、その他諸々あってウッハウハだ。

 このまま日本を飛び越え、世界中に支部を設立し、いずれ新白連合は闇をも凌駕する(オレ様にとっての)正義の武術集団として勇名を轟かせることだろう。

 兼一。折角お前も達人になったことだし、我が連合の切り込み隊長としてオレ様のSSS(世界に新白連合を広げて幸せになろう作戦)に協力して欲しい――――と、言いたいところだが、我が連合始まって以来の危機が訪れた。先ずはこれを見てもらおうか』

 

「っ! これは……!」

 

「前の落日でお爺様が破壊したのと同じミサイルですわ! ということは――――」

 

『こいつは二時間ほど前。ある情報筋から仕入れた情報だ。察しの良い美羽ちゃんあたりは直ぐに気付いただろう、そう、核ミサイルだ。こいつがどんな手品を使ったんだか知らねえが、沖縄の米軍基地に運び込まれて発射間近だ。

 しかも発射スイッチを握っているのは櫛灘美雲。行方不明中の一影九拳だ』

 

「――――!」

 

 魂の砕け散ったクシャトリアを『支配』している、ある意味では一連の騒動の黒幕の一人ともいうべき人物。

 武術界の裏側で百年以上も暗躍していた女の名前に、自然と兼一の顔付は険しいものとなった。

 

『もしもここにある核ミサイルがどこかしらに発射……いや、基地内部で「自爆」するだけでも十分〝世界大戦〟の狼煙になる。

 正義の集団である新白連合としちゃなんとしても、これを阻止しなけりゃならねえわけだが、SSS作戦実行と首脳会議の護衛任務で達人級の幹部の殆どが出払っちまっててな。今連合で動けるのは梁山泊で待機していたお前と美羽ちゃん、偶然東京で休暇中だったロキだけだ』

 

(そうか――――師匠達はこれを予見していたのか)

 

 新島の話を聞いて、兼一は漸く自分達だけが梁山泊へ置いて行かれたことの意味を悟る。

 櫛灘美雲と付き合いのあった長老は、彼女がこういう行動に出ることを予想していて、その時のために戦力となりうる兼一と美羽を日本に残したのだ。

 だとすれば櫛灘美雲の野心を止めることは、師匠から託された責務である。弟子としてなんとしても果たさなければならない。

 

『兼一。沖縄には情報を提供してきた「協力者」が既に待機している。そいつと協力してお前と美羽ちゃん、ついでにロキはなんとしても核ミサイル発射だけは阻止してくれ』

 

「チッ。俺はついでかよ。今度あいつの部屋に地雷でも埋め込んでやろうか」

 

 舌打ちしながらも事が事だけにロキの眉間には皺が寄っている。

 卑劣で卑怯で姑息なロキであるが、その性根は決して外道ではない。落日で世界大戦勃発なんてことは防ぎたいのは兼一と同じだ。

 

『梁山泊の幹部たちも急いでそっちへ向かわせるが、距離的に到着まで最低でも一時間は遅れるだろう。頼んだぜ、兼一』

 

「ああ。任せてくれ」

 

 これは絶対に負けられない戦いだ。

 自分達が失敗すれば『落日』は成就して、大勢の人間が死ぬことになる。クシャトリアのことも気掛かりだが、それ以上に落日を成就させるわけにはいかない。

 兼一は覚悟を秘めた目で頷いた。

 

 

 



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第127話  協力者

 飛行機が那覇空港に着陸してから、兼一たちは直ぐに新島の言う『協力者』が待つ場所へと急いだ。

 映像内で新島は『誰が協力者なのかは見れば分かる』と言っていたので、十中八九その人物は兼一の顔見知りなのだろう。ただ新島の口振りからして新白連合の人間ではないことは確かだ。

 櫛灘美雲の情報を新白連合にリークしても不思議ではなく、尚且つ新白連合にも所属していない達人級の武人。

 ここまでヒントがあれば兼一の頭でも候補を何人かに絞り込むことが出来る。そして合流地点で待っていたのは、兼一の想像した候補の中の一人だった。

 

「やぁ、兼ちゃん。直接会うのはかれこれ四年ぶりになるね」

 

「龍斗! 君が新島の言ってた協力者なのか!」

 

 静動轟一の後遺症で色素が抜け落ちてしまった白髪、赤く変色した片目。

 兼一の幼馴染であり、ある意味では『全ての始まり』となった出来事に深く関わった一人。朝宮龍斗がそこにいた。

 

「そうだよ。僕は十年前から闇やティダード王国と協力して……いや、逆だね。彼等の拳魔邪帝捜索に十年前から協力していてね」

 

「――――!」

 

 龍斗とクシャトリアは然程縁が深いというわけではない。静動轟一の治療で龍斗はクシャトリアに恩があるが、関わりといえばそれだけだ。

 だが龍斗の恋人である小頃音リミにとっては違う。リミにとってクシャトリアは唯一無二の師。櫛灘美雲に支配され行方不明となった師匠を捜索するのは当然のことだった。

 そして龍斗も恋人であるリミのためクシャトリア捜索に力を貸していたのだろう。

 

「そうか……櫛灘美雲はクシャトリアさんを自分の手駒にして連れている」

 

「だからクシャトリアさんを捜索する過程で、櫛灘美雲を見つけたんですわね?」

 

「ああ。その通りだ。十年間の努力が実ってやっと邪帝殿を見つけたと思ったら、もっと不味い『爆弾』まで見つけてしまったというわけだよ。

 大変なものを見つけてしまった『不幸』を呪えばいいのか、それとも事前に爆弾を見つけられた『幸運』に感謝すればいいのか怪しいところだ」

 

「僕は、幸運だと思うよ。龍斗たちが見つけてくれなければ、僕達は抵抗することすら出来なかったんだからね」

 

「フッ。確かに、兼ちゃんの言う通りだよ」

 

 皮肉なことだ。櫛灘美雲はクシャトリアを落日成就のための戦力として支配したのだろう。だがクシャトリアを支配したことで、こうして龍斗たちに自分達の計画を露見させることとなった。

 兼一は無神論者というわけでもないにしても、神の実在を熱心に信じているわけではない極普通の人間である。だがもしもこの世に天罰なんてものがあるとすれば、これがそうなのだろう。

 

「チッ。オーディーンの野郎と共同戦線を張ることになるとはな。久しぶりの休暇をエンジョイしてたところに宇宙人からの緊急コールがかかってきたことといい、おみくじが大凶だったことといい、今年は最悪の厄日だぜ」

 

「ロキか」

 

「なんだよ? 心配しなくてもラグナレクの時のように裏切るつもりはねえぞ」

 

「それは上々。また神聖ラグナレクなんて二流集団を頼りにクーデターなんて起こされたら、鎮圧に余分な時間を割いてしまう」

 

「ハッ! あんな雑魚共なんざ端っから期待してなかったよ。ありゃパフォーマンスのために派手目な連中を揃えただけだ」

 

「へぇ。そうなのかい?」

 

「当たり前だ。俺が期待していたのはバーサーカーだけだよ。オーディーンと対抗できるとしたら、バーサーカーしかいねえと踏んだんでねぇ。

 まぁあいつの実力とボスの器だけに目を奪われて、あいつの腹の底まで読めなかったのは戦う参謀一生の不覚だったが……」

 

「バーサーカー、か。懐かしい名前だよ」

 

 龍斗は不思議な声色でバーサーカーの名を呟いた。朝宮龍斗にとってバーサーカーは、単なる自分に従ったナンバーツーではない。

 そもそもラグナレクという組織は、朝宮龍斗という才能に満ち溢れたカリスマにバーサーカーという狂戦士が恭順したことから始まっている。それから更に二人の噂を聞いたフレイヤが加わって本格的な始動となるのだが、最初の切っ掛けはオーディーンとバーサーカーだ。

 不良集団という枠を超えて、幹部たち全員がなんらかの武術に精通した武人だった八拳豪。その中でバーサーカーは唯一人だけなんの流派も持たず、単なる腕っ節のみでナンバーツーに君臨していた。それを可能にしていたのは一重にバーサーカーのもつ天賦の才。実力も心構えも第一拳豪である龍斗が勝っていたが、才能だけならばバーサーカーが僅かに龍斗を上回っていただろう。

 朝宮龍斗……オーディーンとバーサーカー。この二人には好敵手とも、親友とも言えない因縁で繋がっているのかもしれない。

 

「さて。いつまでも再会を喜んでいても仕方ない。今この瞬間にも核ミサイルの発射スイッチが押されるかもしれないんだ。急ごう」

 

 

 

 

 米軍基地にいるのは櫛灘美雲やクシャトリアといった闇の人間ばかりではない。その多くは自分達のいる基地に核ミサイルが運び込まれていることも知らず、闇の存在についても知らない兵士達だ。

 兼一たちが基地に侵入すれば、当然基地の兵士達は迎撃をしてくるだろう。事情を話して協力を仰ごうにも『この基地で核ミサイルが発射されそうになっているので通して下さい』などと言っても、拘束された上に精神病院に連れて行かれるのがオチだろう。

 かといって幾ら核ミサイル発射を阻止するためとはいえ、なんの罪もない彼等を殺して押しとおるわけにもいかず、そもそも一々相手をしている時間的余裕はない。

 そこで兼一たちが米軍基地侵入のためにとった作戦は、

 

「お爺様直伝……梁山波、ですわーーッ!」

 

「くそっ! モンスターだ、モンスターが出たぞッ!」

 

「ファック! 十年前のキジムナーに娘がいやがったのか!?」

 

「畜生ッ! なにが日本は平和ボケしてるんだよ糞野郎ッ! こんな化け物が出てくるなんて聞いてねぇぞ!」

 

 我流Xとお揃いの仮面をつけた美羽が、米軍相手に一人で大立ち回りを繰り広げている。

 美羽が使っている『梁山波』というどこかの雑誌の有名な漫画の技に非常に似たフレーズをもつこれは、拳圧と気当たりで敵を吹っ飛ばしているだけであって、別に地球を破壊するような波が出ているわけではない。そのため直撃しようと精々気絶するだけで、外傷などは皆無だ。

 気当たりを受け流す術を会得している武人にはなんら効果はないが、こういった大勢の敵を一人で傷つけずに無力化するにはうってつけの技である。

 これで相手がそこいらのヤクザ程度ならば、睨み倒しだけで制圧することも可能なのだが、流石にプロの軍人相手では睨み倒しだけでは効果が薄い。だからこその梁山波だった。

 

「よし! 美羽さんが米軍を引き付けている間に僕達は本丸へ乗り込もう!」

 

「ったく。良い案があるからって任せてみれば、策略という優美な響きとは程遠い力技じゃねえか」

 

「だが効果的ではある。美羽が大立ち回りをしてくれているお蔭で、侵入が随分と楽になった。それにしても兼ちゃん、達人になっただけあって君も段々常識から外れてきたね」

 

「ち、違うよ! これは十年前に長老が同じ作戦をしていたから採用したわけであって、僕が非常識というわけじゃ……」

 

「フッ。そういうことにしておくよ。行こうか」

 

 龍斗がフェンスを乗り越えて、櫛灘美雲がいる場所へ走る。兼一もそれに続くが、ロキだけは立ち止まったままだった。

 

「ロキ、どうした?」

 

「悪いな、オーディーン。ここでお別れだ。お前らと違って頭脳派の俺には他にやることがあるんだよ」

 

「……やること?」

 

 そう言うとロキは背を向けて、櫛灘美雲がいるであろう場所とは別方向へ進んでいく。

 この期に及んでまさか闇側に寝返ろうとしているなんてことはあるまい。きっとロキにはロキの考えがあるのだろう。だから兼一も龍斗もロキを止めることはなかった。

 

「――――おい、白浜兼一」

 

 ふと立ち止まったロキが口を開く。

 

「……なんですか?」

 

「この際だからはっきり言ってやる。俺はお前が嫌いだよ。正義だとか友情だとかまるで合理的じゃない理由で行動する奴は、どう動くか予想できねえからな。

 俺が態々沖縄にまで来てやったのも宇宙人からかなりの額の報酬が用意されていたからだ。そうでもなきゃ命を懸けるなんざ御免だよ」

 

「そう、ですか」

 

 兼一は合理的判断や利害による行動を否定するつもりはない。

 無償の奉仕は素晴らしいことだが、働きに対して然るべき報酬を要求するのは人間として当然のことだ。

 

「落日が成就すれば、きっと第三次世界大戦が起きるんだろう。別にそれ自体はどうでもいい。見ず知らずの誰かが何千人死のうと結局は他人事だからな。

 だが第三次世界大戦が起きれば、俺にも世界がどうなるか考えられねえ。俺自身の命も、20号の命も、108号の命も、影武者たちの命も。死ぬのか、それとも生き延びられるのか。まったく予想できねえ。

 そいつは駄目だ。世界がどうなろうと知ったことじゃねえが、そんな明日の命があるのかないのかも予想できねえ未来なんざ御免だ」

 

「ロキ、さん……」

 

「頼んだぞ、白浜兼一。落日を阻止してくれ」

 

「……はい!」

 

 兼一は力強く頷く。

 戦う参謀ロキ――――ラグナレクの裏切り者は、世界ではなく自分に従った部下たちの為に命を張ろうとしていた。

 



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第128話  十年越しの因縁

 兼一たちが米軍基地に襲撃をかけた頃、美雲とクシャトリアは基地内部の一室にいた。十年前はアーガードとその弟子が滞在していた部屋である。

 

「櫛灘様! 大変でございます!」

 

 そこへ軍服を着た小太りな男が慌てて駈け込んで来た。この部屋に入ることができるのは、米軍基地に所属している軍人の中でも美雲の息がかかったものだけ。その例に漏れず小太りの軍人も親闇派に属する男だった。

 

「女のいる部屋にノックもなしに入ってくるとは不作法な奴じゃ」

 

「も、申し訳ない! しかし緊急事態なもので――――」

 

「緊急とな?」

 

「は、はい! なんでも部下の報告によれば、仮面をつけた正体不明の女が基地内で暴れているとか……! これはもしや貴女様の計画が漏れてしまったのでしょうか!?」

 

「このタイミングで襲撃をかけてくるとしたらそうじゃろうな」

 

 襲撃者がやって来たと聞いても、櫛灘美雲の表情に変化はない。

 どんなに完璧な計画でも、予定通りにはいかないことは多々ある。非常識の塊たる達人が関わって来れば尚更だ。

 それ故に櫛灘美雲は事前に数多くのイレギュラーを想定している。土壇場で襲撃者が現れることも美雲にとっては想定の範囲内だった。

 

「どう致しますか! 外で暴れている女は間違いなくマスタークラス。一般兵では相手になりません。こうなれば拳魔邪帝殿に迎撃して貰うしか」

 

「阿呆め。そのようなことをすれば敵の思う壺じゃ。恐らく外で暴れている女は風林寺美羽。隼人の孫じゃろう」

 

「む、無敵超人の!?」

 

「隼人の孫娘ともあろう者が、よもや一般兵に見つかるようなヘマをするまい。となれば十中八九、外で暴れているのは陽動じゃ」

 

「となると敵は既に――――」

 

「侵入しておるじゃろう」

 

 十年前に梁山泊が基地に襲撃をかけてきた時は、相当数の武器組の達人たちが待機していたため、彼等が迎撃に向かったという。

 しかしながら美雲はなによりも計画の露見を防ぐことを重要視していたため、基地内にいる達人は美雲を含めても三人だけだ。

 そうなると馬鹿正直に迎撃するよりも、寧ろ襲撃者を無視して計画を完遂してしまった方が良いだろう。

 

「発射の準備は出来ておるだろうな?」

 

「そ、それは勿論」

 

「ならば今すぐに計画を実行に移す。行くぞ」

 

「ぎょ、御意です!」

 

 美雲が部屋を出ようとするとクシャトリアは黙ってそれに従い、小太りの軍人も続く。だが、

 

「――――やるなら一人で勝手にやりなよ、お婆さん」

 

 ビリビリと痺れるような殺意に美雲は足を止める。殺意の発生源に視線を移してみれば、そこにはライダースーツを纏った女がいた。

 燕を模した仮面が覆い隠しているせいで、どのような顔をしているのかは分からない。だが仮面の意匠はジュナザードやクシャトリアがつけていたものと同一である。そして仮面の女の視線がクシャトリアに釘づけになっているとなれば、正体を看破するのは容易いことだった。

 

「なんじゃ、侵入者とはお前のことだったのかえ。我が弟子、クシャトリアの弟子だった小娘」

 

「っ! 師匠(グル)はアンタの弟子なんかじゃない!」

 

「十年前はのう。今は我の弟子じゃ」

 

 燕の仮面を外すと、そこから現れたのはどこか幼さを残した女性の顔。だが顔の幼さに反して、瞳に宿るのは熟成された濃密な殺意だった。

 小頃音リミ。まだ心のあったクシャトリアは『潜在的には殺人拳の素養を十二分に秘めている』と評していたが、どうやらそれは真実だったらしい。

 

「……私がアンタに要求するのはたった一つだ」

 

 十年前の彼女では考えられない、冷めきった口調でリミが言う。

 

「クシャ師匠を――――返せっ」

 

「分からぬな。仮にわしからクシャトリアを取り返したところで、今のこやつは魂の砕け散った抜け殻に過ぎぬ。今はわしが邪法にて操っておるが、わしから離れればその力も効果を喪失する。態々取り返す必要なぞあるまい」

 

「そんなのは関係ない。返さないなら……ここで殺す!」

 

 瞬間、小頃音リミの姿が掻き消える。

 弟子クラス時代から『スピード』に関しては凄まじいものをもっていたが、達人級に至ったことでそれは次元違いの領域に進化を遂げていた。

 ことスピードだけならば小頃音リミは特A級でも最上級、超人級にすら迫るものをもっている。ただし、

 

「なっ!」

 

「…………軽い」

 

 スピード以外は特A級でも下の下の力しかもっていないリミでは、櫛灘美雲やクシャトリアといった怪物には届きはしない。

 美雲の危機に入力されたプログラム通りに守りに入ったクシャトリアは、リミの蹴りを軽くいなすと、腹に掌底を叩きこんだ。

 

「ごほっ……がっ……はぁはぁ……。師匠(グル)……」

 

 リミが悲しげな瞳で師匠だった男を見るが、クシャトリアは眉一つとして動かさない。

 これでこそ完璧なる殺人機械、武を実行するだけの存在である。美雲は満足げに頷いた。

 

「クシャトリア、そやつにちょろちょろされても面倒じゃ。元々お前の弟子だったのなら、処分はお前自身の手でするが良い」

 

「分かった」

 

「そやつを殺したら、わしの所へ戻ってこい」

 

「分かった」

 

 なんの反論もなくクシャトリアは淡々と美雲の指示を受け入れていく。

 そこにはもう自分の弟子に対する愛情などは欠片もなかった。

 

「――――というわけじゃ、クシャトリアの嘗ての弟子。お前がクシャトリアを取り返したくば、力ずくで奪ってみせるのだな」

 

「なっ! ま、待て!」

 

「待てと言われて待つ阿呆はおらぬ。行くぞ」

 

「は、はい!」

 

 美雲と小太りの軍人はクシャトリアを置いて消えていく。

 そして部屋にはクシャトリアと小頃音リミの二人が残された。

 

「クシャ師匠……」

 

「死ね」

 

 リミには躊躇する時間すら与えられない。心をなくした師は、容赦なく弟子の命を刈り取りにきた。

 

 

 

 

 別ルートから極秘裏に侵入していたリミが、自分の師匠との戦いを強いられていた頃。兼一たちも十年前に置き去りにしていた因縁の一つと対峙していた。

 

「バーサーカー……」

 

「よう、オーディーン。それに白浜兼一。懐かしいな」

 

 バーサーカーはガムを膨らませながら喋るという器用な真似をしながら、兼一たちを油断なく見据えている。

 兼一たちも美雲やクシャトリア以外に闇の達人が基地内部にいる可能性は十分考慮していた。しかし流石にそれがバーサーカーであると予想できた者は誰一人としていなかっただろう。

 

「拳聖様は一影九拳に監視され身動きがとれないと聞いたが?」

 

 闇の内部事情に詳しい龍斗が探りを入れる。バーサーカーはポケットに手をつっこみながら、

 

「だから拳聖様はここには来てねぇよ。ルグも他の元YOMI連中もな。ここにいるのは俺一人だけだ」

 

 バーサーカーは嘘を言ってはいないだろう。そもそもバーサーカーはロキと違って嘘を吐くなんていう姦策を弄するタイプではない。

 やる時は真っ向勝負。どのような策略も圧倒的才能と暴力で捻じ伏せるのがバーサーカーの真骨頂だ。

 

「何故お前が櫛灘美雲に味方をする?」

 

「一つには拳聖様に櫛灘美雲から達人を一人手駒に寄越せっていう要望があったからだ」

 

 だがそれだけならばバーサーカーがここに出向く必要性はなかった。

 〝拳聖〟緒方一神斎は一影九拳でも最も多くの弟子をとっている豪傑である。ルグを始め、バーサーカー以外にも送れる人材はいただろう。

 なのにバーサーカーがここに来た理由、それは。

 

「ここで待ってりゃアンタと戦えるかもしれねえと踏んだんでね、オーディーン」

 

「……!」

 

 バーサーカーの目的は一つ。嘗て主君と仰いだ男、オーディーンと戦うこと。

 ただそれだけのためにバーサーカーは櫛灘美雲の計画に協力し、この場に立っているのだ。

 

「兼ちゃん、君は先に行け」

 

「龍斗?」

 

「命の恩人の頼みだ、断れないさ。それに一対一が望みなら、兼ちゃんは通してくれるんだろう? なぁ、バーサーカー」

 

「ああ。俺もお前たち二人を同時に相手するのは厳しいからな」

 

 バーサーカーの目にはもうオーディーンしか映っていない。正真正銘、落日の成就や櫛灘美雲の計画など眼中にないのだろう。

 一応龍斗と二人掛かりでバーサーカーを倒すという作戦もあるが、それは武を穢す行いである。それは出来ない。

 

「……龍斗、すまない」

 

「礼は無用だ。これは私の望んだ戦いでもある」

 

 第一拳豪オーディーン、第二拳豪バーサーカー。

 旧ラグナレクを支配した二人の武人が、時を経て両名とも達人となって激突した。

 

 



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第129話  半時間

 風林寺美羽は表の米軍たちの目を引き付けるため奮戦し、朝宮龍斗は因縁の相手と死闘を繰り広げ、小頃音リミは嘗ての師と対峙することを強いられている。

 しかしより強いられているのがどちらの側であるかといえば、それは櫛灘美雲だといえるだろう。

 美雲の計画では梁山泊を筆頭とした敵対勢力の目を、八煌断罪刃へと向けておいて、誰にも邪魔されずに核の発射をする予定となっていた。つまりこうして邪魔が入った時点で美雲の計画は狂っているといっていい。

 尤もそんなことは些細な問題である。

 邪魔が入ろうとどうしようと『核ミサイルの発射』さえ出来れば美雲の勝利は確定するのだ。

 たった一発の核ミサイルは世界中に恐怖と疑心暗鬼を撒き散らし、憎悪の潮流はやがて世界を巻き込んだ闘争へと発展する。

 梁山泊や闇排斥派の政治家たちがどう足掻こうと、動き出した流れを堰き止めることはできない。どれほど分厚い堰を築こうと、それを超える濁流が押しつぶす。

 

「もっと余裕をもって計画を実行したかったが止むを得ぬのう。以前の落日と同じ轍をふむわけにはいかぬ」

 

 櫛灘美雲の手には核ミサイルの発射スイッチ。

 たったスイッチを押すだけだ。人間が日々の生活の中で何千回も、何百万回も極々普通にやっていること。

 それだけのことで、何万人もの人間が死ぬことになる。武人として数多の死を目の当たりにしてきた美雲をもってしても、余りの呆気なさにほんの微かな戸惑いを覚えてしまう。

 スイッチ一つで何十万人も殺せるなどとは、随分と人の命も安くなったものだ。やはり銃器や兵器で人を殺めるのは好きになれない。人を殺すのが恐ろしく簡単過ぎる。命を奪うというのは、もっと難しいことであるべきだ。

 そしてもし人の命を奪うことが難しいままであったのならば、櫛灘美雲はこのようなこともしなかっただろう。

 しかしもはや考えても意味のないこと。櫛灘美雲は指をスイッチにかける。

 その時だった。

 

「――――櫛灘美雲ぉッ!」

 

 五体で壁を突き破り、白浜兼一が突入してくる。闇シンパの兵士達が侵入者を殺しにかかるが、兼一はあっさり彼等を無傷で気絶させた。

 

「バーサーカーを倒した……にしては無傷なのは奇妙じゃのう」

 

 試しにモニターへ視線を移せば、朝宮龍斗とバーサーカーが交戦している映像があった。

 バーサーカーが朝宮龍斗と戦いたがっていたのは美雲も知っている。大方バーサーカーは龍斗と一対一で戦うため白浜兼一を見逃したのだろう。

 所詮は他人から借りた戦力。さしてあてにしていなかったのが幸いだ。

 お蔭でこうして計画を実行に移せる。

 

「隼人の弟子、白浜兼一。十年前はお主には随分と煮え湯を飲まされたものじゃ」

 

 美雲にとって櫛灘千影は、ジュナザードにとってのクシャトリアのようなものだった。言うなれば弟子を超えた自分の現身、己が分身。

 心を調整し、感情を消す術を教え込み、永年益寿にて老いぬ体を与え――――櫛灘千影は正に理想的な継承者だった。

 それを壊したのが白浜兼一。風林寺隼人と同じ『他人の運命を変える影響力』。これさえなければ、或は十年前に勝利していたのは闇だったかもしれない。

 

「じゃがちと遅かったのう。今回はわしの勝ちじゃ」

 

 兼一の目が美雲の手にある核ミサイルの発射スイッチを捉える。

 それがなんなのか理解すると兼一の顔は一気に蒼白となった。

 

「や、やめろォッ!!」

 

「日輪はいずれ堕ちる。泰平が終わった先に待つのは、我等武人が存分に力を震える久遠の落日よ」

 

 兼一が大地を蹴って突進してくる。恐らくは自分の命を犠牲にしてでも、核ミサイルの発射を阻止しようという魂胆だろう。

 だがもう終わりだ。ここにいるのが兼一ではなく風林寺隼人だったとしても間に合わない。

 

「さらばじゃ、牢獄の世界よ」

 

 そしてスイッチは押された。

 しかして人類の叡智が生み出した『破壊の筒』は世界へ地獄に変えるべく天へ浮上する。血に飢えた武人たちの腹を満たし、血に怯える無辜の人々を殺戮するという使命を帯びて。

 泰平の世は終わり、ここに久遠の落日が訪れる――――ことはなかった。

 

「……どういうことじゃ?」

 

 核ミサイルは発射されていなかった。

 この米軍基地には現実にミサイルが運び込まれ、発射する準備も出来ていて、そのスイッチを今さっき押したというのに。核ミサイルは沈黙したまま飛び出そうとしない。

 美雲ばかりではなく、核ミサイルを止めにきた兼一もこれには目を白黒させていた。

 

「何故じゃ。何が起こっている? どうして何も起こらぬ?」

 

「原因を調査中です――――これは、ウィルスです! プログラムに奇妙なウィルスが…………これは、一体。あ、モニターがっ!」

 

 プツンと監視カメラの映像を映し出していたモニターの電源が落ちる。

 そしてそれと切り替わるようにモニターがジャックされて、奇妙な網眼鏡をした男の顔が映し出された。

 

「なっ! ロキさん!?」

 

『お集まりの紳士淑女はご機嫌最悪。俺はご機嫌麗しく。世界のピンチには、新白連合雇われの戦う参謀ロキ様にお任せあれ。

 核ミサイルを発射してしまえば勝ち。大方アンタ等はそう高をくくっていたんだろうが、俺を欺くには策の練りが甘かったな。

 ミサイルの発射システムは俺がウィルスで落とした。暫くは核ミサイルは寝んねしたまま動きやしねえよ』

 

「――――そうか。僕達と別れて別行動したのは、このために……」

 

 感情を支配することに長けた美雲をもってしても、この事態には舌打ちを抑えることは出来なかった。

 戦う参謀ロキ。北欧神話由来の名前からして、緒方一神斎の育成プログラム出身者だろう。十年前の落日ではまったく関わってこなかったため、完全にノータッチだった。

 

(新白連合はあの新島とかいう男を除けば、策や搦め手には滅法弱い連中ばかりと思うていたが……このような男もいたとはのう)

 

 美雲は嘆息し、コンソールを操る男に声を投げる。

 

「システムの復旧にはどれほど時間がかかる?」

 

「早くても一時間は――――」

 

「三十分で済ませよ」

 

 櫛灘美雲は冷たい殺意を纏って、白浜兼一に向き直る。

 梁山泊の史上最強の弟子というのは伊達ではないらしい。敵は一人のはずなのに、兼一の背後には無数の豪傑達の影がある。

 その中には櫛灘美雲が最も憎々しく思う風林寺隼人もいた。

 

「わしも武人。十年前は弟子クラス故にわしが手にかけることはなかったが、今はもう別じゃ」

 

「っ!」

 

 白浜兼一もまた十年の月日で達人へと成長した。ならばもう美雲が手を出さないでやる理由はない。

 

「隼人の弟子よ。隼人の奴が信じる正義諸共に、ここで葬り去られるが良い」

 

「断る。門派の誇りにかけて――――僕の信念にかけて、貴女はここで止める!」

 

 殺すではなく止めると言うのがなんとも梁山泊らしい言い草だった。

 システムが復旧するまでの三十分間。この三十分で運命は分かれる。世界が辿るのは平和か戦争か。

 そして三十分が始まった。

 



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第130話  王の役割

「――――もしもし。ん? あぁ、バーサーカーかい。え? ああ、そうかそうか。それはめでたい。君は望みを果たせそうか。いやぁ、櫛灘殿の頼みに応えて君を送った甲斐があったというものだよ!

 宜しい。私も今更アドバイスなんて無粋な真似はしないよ。君が磨きあげた我流の拳を武器に、存分に龍斗と殺し合うといい」

 

 緒方は満足した表情で電話をきる。

 人材育成プログラムで発掘した逸材の中でも最高峰のダイヤの原石、それがバーサーカーだ。

 そして誰よりも緒方一神斎の武を吸収し、遂には完全に我が物とした最高傑作こそが朝宮龍斗である。

 自分が教え『我流』の達人となったバーサーカーと、自分が教え緒方流を極めた龍斗。

 果たしてどちらが勝つのか。それは〝拳聖〟と謳われる男をもってしても分からない。

 

「嬉しそうですね、拳聖様」

 

「はははははははは。当たり前じゃないか、ルグ。なにせ私が手塩にかけて育てた弟子たちが、今正に殺し合おうとしているのだよ。これが嬉しくないはずがないじゃないか」

 

 自分の兄弟弟子達が殺し合いを始めたと師から聞かされても、ルグは顔色一つ変えはしなかった。

 それどころか不思議と納得のいった表情になってポンと手を叩く。

 

「もしかして拳聖様が弟子を多くとられたのは、将来こうして弟子同士を殺しあわせる予定があったからですか?」

 

「私は自分が活人拳の連中から外道と呼ばれるに値する人間だと自覚しているが、そんなことを予定に組む混んだりはしないよ」

 

「…………」

 

「私は亡き拳魔邪神殿とは違う。私は武を求める者には、誰であろうと等しく己の武を伝授する。だが武を求めぬ者に武を強要することはないし、弟子の将来や未来を縛るつもりも毛頭ありはしない。

 私が教えた武を人助けに使おうと金儲けに使おうと自由だし、なんなら闇に敵対する道を選んでも構わない。この戦いだって私が強要したのではなくバーサーカー自身が望んでのものだ」

 

 亡き拳魔邪神と拳聖。一影九拳にあって外道と呼ばれる二人だが、最大の違いはそこにあるといえるだろう。

 ジュナザードは自分の弟子を、己の武を極めさせるための道具としか見做していなかった。だからこそ弟子の信頼を容易く踏み躙り、多くの弟子を自らの手で壊してきた。最終的に弟子であるクシャトリアに殺されたことも因果応報としか言いようがない。

 しかし拳聖は自分の弟子を一切束縛しない。来る者は拒まず、去る者は追わず。時には危険の多い技を実験のために教えることはあるが、それも全ては弟子が望んだが故のことだ。

 ただし、

 

「まぁ、そうなるように育ててきたのは私なのだがねぇ」

 

 武の発展のためであれば人倫を顧みない。この点はジュナザードと非常に似通っているところだった。

 

「バーサーカーと龍斗。さてさて、どちらが勝つのか楽しみだ。そしていずれ――――私の育てた弟子たちが、私を殺しに来ることを待っている」

 

 クシャトリアがジュナザードを殺したように。ジュナザードが己の師を殺したように。

 自分の武の全てを伝授した弟子によって殺される。その儀をもって緒方一神斎の武人としての生涯は完結するのだから。

 

 

 

 一般市民には隠し通されている『闇』であるが、流石に一国の首脳クラスになると人間の常識を超えた達人について一応の知識をもっている。その達人達の中でも頂点に君臨する断罪刃が襲撃してくるという情報があったため、首脳会議の場には国ごとに雇った達人級が護衛として相当数存在していた。

 殆どの首脳達は自分の国への拘りからか、日本なら柔術、モンゴルならモンゴル相撲、インドならカラリパヤットといった具合にその国由来の武術の達人を連れている。

 

「まったく。これでは首脳会議というより各国達人お披露目会よのう」

 

 そんな達人達を見渡しながら、ラデン・ティダード・ジェイハンは深い溜息をついた。

 ニューヨークで行われている各国首脳会議には、国連に加盟している国の首脳が全員参加している。よってティダード王国の国家元首であるラデン・ティダード・ジェイハンがその場にいるのは当然のことだった。

 

「ジェイハン様」

 

「バトゥアンか」

 

 護衛として連れてきたバトゥアンが気配なく近づいてきてジェイハンに耳打ちする。

 

「八煌断罪刃と梁山泊が戦いを開始しました」

 

「やはりこうなったか。それで戦況は?」

 

「私見ですが、ほぼ拮抗していると言って良いかと」

 

「ふむ。拮抗である、か」

 

 八煌断罪刃はその名の通り八人の豪傑で形勢された集団だ。対する梁山泊は白浜兼一と風林寺美羽は留守番なので合計六人。数ならば断罪刃に負けている。

 だが殺人拳と違って活人拳は人を活かし命を繋ぐ拳。活人拳の使い手はお互いの気を合わせることで、その力を何倍にも高めることができるのだ。そのため個人戦なら兎も角、集団戦では活人拳は殺人拳に勝り得るポテンシャルがある。それは数的不利を補うだけのものだろう。

 

「ただし断罪刃の世戯煌臥之助と風林寺隼人殿は我等達人にとっても人智を超えた武人です。どのように転ぶのか、まったく想像もつきません」

 

「――――武人の最終地点である達人級。それすらも凌駕する超人級か」

 

 目蓋を閉じれば蘇って来る十年前の血戦の記憶。

 超人をも踏み越えて神座へと至った拳魔邪神と、その邪気を打ち砕くために闘った風林寺隼人。そして自由を求めて邪神へ挑み、自らの魂と代償に勝利を掴んだ拳魔邪帝。

 あの死闘に匹敵する戦いが外で繰り広げているのかと思うと、ジェイハンの中の武人の本能が燻って仕方ない。だがジェイハンはそれを強く抑え込む。

 多くの達人が人間である前に武人ならば。ジェイハンは人間である前に武人であり、そして武人である前に王だ。武人としての本能よりも王としての責務を優先しなければならない。

 

「余が考慮すべきは万が一の事態か」

 

「……万が一というと」

 

「うむ。断罪刃の連中がここに到達した場合だ」

 

 首脳が護衛に連れてきただけあって、この会議場にいる武人は全員が達人級だ。妙手以下は一人もいない。けれど残念なことに特A級に届いている武人は誰一人としていなかった。

 この中で一番強い武人が首脳として参加しているジェイハン自身であるというのが笑えない。仮にこの場に特A級の断罪刃が現れれば、確実に死人が出ることだろう。

 

「兄弟子殿が御健在であられればのう。闇の達人ではなくティダード王の兄弟子として頼りにも出来たのじゃが」

 

「……ジェイハン殿、それは」

 

「分かっておる。兄弟子殿は我が……………我が…………むぅ。兄弟子の弟子のことはなんと呼べばいいのじゃ? 姪弟子で良いのかのう。

 いや、そんなことはどうでもいい。兄弟子殿の件はリミがどうにかするじゃろう。というより、現在進行形でどうにかしようとしているところじゃろう。

 故に余は余の役割を果たさねばならぬ。弟弟子ではなく、ティダードを背負う者としての役割をのう……」

 

 ここから出て行って梁山泊の援軍に加わるというのは論外だ。

 あそこは今や最高峰の武人たちが激突する神話の如き戦場。特A級に満たぬ達人が割って入っても足手まといにしかならない。

 

「バトゥアン。今のうちに他の達人とよく打ち合わせておくが良い。最悪の事態になった時、慌てずに連携がとれるようにのう」

 

「……はっ」

 

「昨今の情勢を鑑みるに、首脳が一人でも殺されるようなことになれば大変な騒ぎとなる。それがアメリカやロシアのような大国の首脳となれば尚更のう。

 残酷なようじゃが護衛の達人が何人死のうとも、首脳を一人も殺す訳にはいかぬ」

 

「御意」

 

 命を選別するような真似は不本意であるし、ジェイハンの主義にも反する行為であるが、それでも無慈悲で残酷な決断をしなければならぬ時がある。

 まだその時ではないが、外の戦況如何によっては十数秒先の未来にはそういう選択を迫られるかもしれない。ならば今のうちに選択しておいた方が建設的だろう。

 

「さて。あちらはどうなっておるかのう……」

 

 口惜しいがこれ以上にジェイハンに出来ることはない。

 椅子の背に背中を預けると、ジェイハンは遠い島国、日本の沖縄で繰り広げられているであろう戦いに想いを馳せる。

 拳魔邪帝クシャトリアは魂を代価に師匠を倒す偉業を成し遂げた。

 ならば小頃音リミは自分の師匠を倒すのにどのような代価を支払うのだろうか。

 

「願わくば代価なぞ踏み倒してくれれば有難いのだがのう」

 

 



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第131話  バーサーカー

 猛虎を連想させる荒々しい剛腕が嵐となって吹き荒れる。限界を超えるほどに膨れ上がった動の気は、噎せ返るほどに濃密だった。

 特定の武術を学ぶことなく、古流武術の稽古法と実戦の中で研ぎ澄まされていった我流武術。どの流派にも属さぬバーサーカーだけの武技は、朝宮龍斗ほどの武人をもってしてもまるで流れを掴ませてくれない。

 

「しゅっ、らぁああああああああッ!」

 

 地面を転がりながら、同時に蹴りを放ってくるバーサーカー。

 カポエイラともシラットともまるで違うトリッキーな動きは、並みの武人なら訳も分からぬうちに撃破してしまえるだろう。

 だが龍斗とて十年の修行で一角の武人へと成長を果たした身。この程度で打ち倒されるほど軟弱ではない。

 

「相変わらず出鱈目だな、バーサーカー」

 

 制空圏を維持しつつ、未来予知染みたレベルに達した観の目で正確無比に蹴りを叩き落としていく。

 バーサーカーは動の気の申し子のような男だ。龍斗や兼一のように動と静、どちらのタイプに進むかを決めるまでもなく、動の道へ進むことを決定づけられていた狂戦士。そんなバーサーカーと動の気で張り合うなどは愚の骨頂である。よって龍斗が発動させているのは静の気だ。

 相手によって静のタイプと動のタイプを使い分けることが出来る。それがハイブリットタイプの強味だった。

 しかし恐るべきはバーサーカーの攻撃の鋭さである。

 稲妻めいた蹴りには巨岩ほどの重さがのっており、捌くだけで腕が痺れていく。しかも狙いは正確無比で回避することも困難ときている。

 十年前のような単なる無形ではない。無形のようでいて、そこには確かな業がある。

 昔のバーサーカーを知る龍斗には、こうしてバーサーカーの攻撃を受けていると、彼が歩んできた修行の日々が垣間見えてくるようだった。

 

「――――だが、」

 

 バーサーカーが朝宮龍斗と本気で戦うために、拳聖の下で学んできたように。朝宮龍斗も十年間をずっと戦い抜いてきた。

 命を懸けた戦いも幾度となく経験しているし、実際に死にかけたことも何度もある。その日々は決してバーサーカーの十年に劣りはしないはずだ。

 

「喰らえ、グングニルッ!」

 

 これまでの戦いで読み切ったバーサーカーの動きの流れ。そのデータを腕にのせて、回避不能の必中の突きを放つ。

 防御を掻い潜り、回避することも許さぬ突きは吸い込まれるようにバーサーカーへ向かっていき、

 

「――――、――――ッ!」

 

 そこでバーサーカーは信じ難い行動に出た。自分に殺到してきた突きを無視して、龍斗に拳打を繰り出してきたのである。

 防御も回避もとらなかったバーサーカーには必然的に龍斗の突きが命中する。しかし自分の出血など知ったことかとばかりに、バーサーカーは攻撃を続行した。

 カウンターとは口が裂けても言えない、肉を断たせて同じように肉を断つ逆襲の一撃。それは制空圏を貫いて、龍斗に直撃した。

 バーサーカーが受けた無数の突きに匹敵するだけの破壊力を受け、龍斗の両足が地面から浮く。

 

「これで逃げられねえぜ……」

 

 猛禽類のようなバーサーカーの眼光が龍斗を射貫く。

 両足が地面から浮いたのはほんの十数㎝のこと。ほんのコンマ1秒で地上へ復帰するだろう。けれどそのコンマ一秒でも達人にとっては十分すぎるほどの時間だ。

 宙に浮いたことで回避不能となった龍斗へ、バーサーカーの容赦ない連撃が襲い掛かる。

 

「逃げる? 生憎だが、その必要はない……!」

 

 躱せないのならば、その全てを受けきるまでである。

 北欧神話の主神オーディーンの称号を拳聖から与えられた龍斗が持つのは、主神と同じく未来を見通す眼だ。

 観の目による〝先読み〟と明鏡止水の静の気。この二つが合わさったことで朝宮龍斗の制空圏は完全となっている。

 先程のような攻撃の隙を狙っての一撃ならば兎も角、防御に徹した龍斗を突き崩すのは並大抵のことでは不可能だ。そしてバーサーカーの連撃は凄まじいまでの突進力はあったが、生憎と並大抵を出るものではなかった。

 コンマ一秒の回避不能時間。バーサーカーはそれで攻め切ることが出来ず、龍斗に着地を許してしまう。

 地面に両の足がつけば、そこからは龍斗の番だ。

 

「緒方流――――」

 

 腕にありったけの気血を送り込んで、それを鉄で出来た槍へと変化させていく。

 

「白打撃陣!」

 

「拳聖様の技か。だが悪いが、そいつは見たことのあるものだ」

 

 バーサーカーは緒方流を教わってはいないが、修行の過程で緒方流古武術そのものは何度か目にしている。そして組手の最中にその技を回避したことのあるバーサーカーは、当然のように龍斗の突きも躱しきった。

 

「そんなことは、百も承知さ」

 

「なに?」

 

 白打撃陣は囮に過ぎない。本命は別にある。

 ほんの一瞬。必殺を放つほんの一瞬だけ、発動中の静の気に加えて動の気をも発動させていく。凝縮した静の気に動の気が混ざった瞬間、それは破滅的な気を生み出していった。

 

「――――切り裂け、グラム」

 

 世界を殺すほどの殺意を、無理矢理に封じ込めたような冷たい声。それが鳴り響くと同時に、バーサーカーは本能的に死の恐怖を嗅ぎ取って半歩後ろへ後退した。

 刹那、バーサーカーの体がパックリと裂ける。数秒遅れて斬られたことに気付いた肉体が、慌てたように血を噴出させた。

 

「……外した、か」

 

 完全に必殺のつもりで放ったのだろう。バーサーカーの筋肉をばっさりと切り裂くという戦果にも、龍斗は不満げな声を漏らした。

 グラム。それは北欧神話最大の英雄シグルズが振るったとされる魔剣の銘である。

 たかが技一つに大袈裟な、とは口が裂けても言えはしない。静動轟一の気を腕のみに集中凝縮させた手刀の切れ味は正しく魔剣そのものだ。

 咄嗟に半歩足をひいたから良かったものの、そうでなければバーサーカーの肉体は真っ二つに両断されていたことだろう。なんの刃物も使わず、手刀という子供でも簡単に真似できる技で。

 バーサーカーは傷口から流れる自分の血を指で撫でとるとペロリと舐めた。

 

「屈辱の味がするぜ、オーディーン」

 

「今度は敗北の味をたっぷり味わわせてやろう。……お前には申し訳ないが、私の目的はお前の背中の先にあるのでね。一気に決着をつけさせて貰う」

 

「静動轟一、か」

 

 龍斗は静動轟一を用いて、短期決戦を挑むつもりだろう。

 朝宮龍斗がここへ来た目的は、あくまでも核ミサイルの発射を止めること。久遠の落日、世界大戦の阻止だ。正当な決闘ならいざしれず、落日阻止の戦いで禁じ手を躊躇う龍斗ではない。

 そしてバーサーカーもそれを卑怯などと言うつもりはなかった。そもそも静動轟一は自分の師匠の技でもある。

 

「それと言い忘れていたが、私は闇から距離を置きはしたが、別に新白連合に加わったわけでもないし活人拳に鞍替えしたという訳でもない。覚悟することだ」

 

「必要ねえよ。俺はアンタと戦う為にここに来たんだぜ。そんなものは最初からしてきている。それに覚悟するのはアンタの方もだぜ。

 アンタを倒すことを人生の目的の一つとしていた俺が、なんの考えもなしにアンタの前に立つと思っていたのか?」

 

「――――なに? その気配……まさか、バーサーカーッ!」

 

「……我ながら、かなり無茶をしたぜ………。拳聖様にも呆れられたくらいだ。だがその価値はあった」

 

 バーサーカーから漏れ出したのは、彼が常に纏っていた暴力的な動の気ではなかった。感情を爆発させるのではなく抑え込む。明鏡止水の静の気の気配だった。

 静動轟一を使うには当然ながら静の気と動の気、二つの気を同時に発動する必要がある。そして二つの気を発動できるのは、生まれながらに両方の道へ進める素養を持った者だけである。

 バーサーカーは生まれつきもっていた暴力的才能で、努力する秀才・凡人達をまったく努力しないままに蹂躙してきた。だがそのバーサーカーも『静の気』を扱う素養だけはまったくといっていいほどに皆無だった。

 これは別に武術家として欠陥があるというわけではない。そもそも二つの道を選択できる者自体が稀有なことなのだ。静の気を扱う才能がなくとも、バーサーカーには動の気を扱う才能があるのだからまったく問題になりはしない。

 しかし――――静動轟一。静の気と動の気を両方扱えて初めて行える『禁じ手』に対抗するには、同じ静動轟一が必要。そう考えたバーサーカーは、白浜兼一がしてきたような地獄の修行を行うことで、遂には素養の欠片もなかった『静の気』を強引に目覚めさせることに成功したのだ。

 

「これが、その成果だ」

 

 そして努力によって目覚めた静の気が、才能によって生まれつき宿っていた動の気と融合する。

 

「〝静動轟一〟」

 

 努力と才能。この二つを持ち合わせた狂戦士に、もはや隙はない。

 



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第132話  戦神の槍

「オオオオオオオオオおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 才能と努力。二つの力を得た狂戦士の雄叫びが、天雷のように響き渡る。

 静動轟一により発生した気当たりの暴風は、物質的な勢いを伴って龍斗の肌をジリジリと焼いた。これも静動轟一による影響か。赤く変色したバーサーカーの目が龍斗を補足する。

 龍斗はこういう目を何度か見たことがあった。

 自分の身を厭わずに相手を殺す――――決死の覚悟を秘めた目。十年前に若き日の龍斗が拳聖に挑んだ時と同じものだ。

 

「イク、ゼ……。オーディーンッ!」

 

 狂戦士は自分の生涯を賭して主神へ挑む。

 大気を穿ちながら、隕石と見間違わんばかりの突進を仕掛けてくるバーサーカー。主神の名を冠する龍斗は、直ぐにこれをまともに受けることは不可能と悟る。

 兼一の孤塁抜きにも似ているかもしれない。盾を突き出して防御しようと、バーサーカーの突進はその盾ごと粉砕してくるだろう。

 

(回避できないのならば、)

 

 静動轟一を発動したバーサーカーの突進の勢いは、龍斗の出せる最高速度を凌駕している。回避するのは至難の技だ。

 かといってまともに防ぐことも出来ないのであれば、龍斗がとれる選択は一つだけ。即ち受け流すことのみ。

 正面から防げば壊れてしまうであろう盾も、斜めに受け流せば破損することはない。

 

「ソノ動キハ、読メテイタ」

 

「ッ!」

 

 直線から曲線へ。突進していたバーサーカーがいきなり方向を転換する。龍斗の左方向へ飛んだバーサーカーは、鎌鼬のように鋭い回し蹴りを繰り出した。

 鎌鼬の如くというのは決して比喩ではない。風を切り裂く鋭さをもったそれは、もはや打撃ではなく斬撃に等しい。龍斗が静動轟一で放った手刀と同じだ。あれを喰らえば龍斗の体は、どこぞの怪談のように上半身と下半身が真っ二つになるだろう。

 

「怪談は好きだが、自分自身が怪談になるのは御免だな」

 

 気を爆発させることで生まれる破壊力と、気を内側に閉じ込めることで生まれる正確無比さ。この二つを同時に行えることこそが静動轟一の強味である。

 これに対抗するには風林寺隼人の編み出した秘技を使うか、或は毒を以て毒を制す他ない。

 龍斗は無敵超人の生み出した対静動轟一の秘技を使うことは出来ないが、バーサーカーのもつものと同質の毒ならばもっている。

 

「静動陰陽極塞ッ!」

 

 静動轟一の気を両腕に集中、バーサーカーの回し蹴りを正面から受け止める。

 バーサーカーの回し蹴りも、静動轟一の気血で硬質化した龍斗の腕を粉砕することはできず停止した。

 

「リュゥ、ゥゥゥウラァアアアアアアアアアッッ!」

 

 だが止まらない。一度防いだくらいで、このバーサーカーはまるで止まらない。

 一度で粉砕できないのならば、拳が割れて足が避けようと何度も喰らわせてやるとばかりに、バーサーカーは龍斗の防御を壊すべく四肢を叩き付けてきた。

 なんとも原始的な方法だが、それは決して悪手ではない。

 そもそも原始的な方法というのは、まだ幼き文明の人類が編み出した単純(シンプル)な生きる術である。そこには筋の入った道理があるものだ。

 どれほど頑強な要塞だろうと、幾度となく敵の侵略に晒されれば陥落するように。鉄壁の盾も、百度も矛で突かれれば貫かれもするだろう。

 だがそれが分かっていて何度も喰らうことを良しとするほど龍斗も阿呆ではない。

 バーサーカーの連撃を浴びる前に、地面を蹴りあげて距離を離す。

 

(やはり……このままでは、防ぐので精一杯か……!)

 

 何度も言うようだが龍斗の目的はバーサーカーを倒すことではない。核ミサイルの発射を阻止することだ。バーサーカーを倒すことは、あくまで目的を果たすために通過点に過ぎない。

 この後にまだ櫛灘美雲やクシャトリアという錚々たる面子が控えていることを考慮すれば、バーサーカーの戦いで全てを出し切る訳にはいかないのだ。

 特に静動轟一には限界時間がある。達人級になったことで限界時間はそれなりに伸びはしたが、敵の強大さを思えば一分一秒でも温存しなければならない。

 そのためバーサーカーとの戦いでは、静動轟一は瞬間的発動に留め、本格的に発動することはすまいとした。

 しかしバーサーカーは違う。

 バーサーカーはこの戦いに命や誇りもひっくるめた人生全てを賭けて挑んできている。静動轟一を発動し続けているのが、その証左だ。

 瞬間的な静動轟一では、永続的に発動している静動轟一を突破することは叶わない。このまま続けてもバーサーカーが静動轟一の限界時間に達するよりも早く、防御を崩されてやられる。

 

「ああ、そうだ」

 

 ここで龍斗は自分の考え違いを認めた。

 全てを賭けて挑んできた相手に、余力をもって勝とうなどと都合が良い話だろう。

 相手が全てを賭けてきたのならば、こちらも全てを出し尽くさなければ勝てる筈がない。

 

「余力など、残しておいてどうなるというのだ。未来を見通す余り、現在を見るのを忘れては世話がない」

 

 目の前の敵に持てるすべてを出し切ること――――それが死合いの基本であると拳聖は言った。

 拳聖の下を離れて長いとはいえ、そんな初歩的な教えも忘れるなど恥ずかしくて顔から火が出そうだ。

 

「バーサーカー。お前が生涯をかけて私に挑むなら、私も全ての武でお前を斃そう」

 

「面白ェ。来イ……!」

 

 ここで負ければ先などないのだ。ならば先のことなど考えず、今を戦うことに全身全経を尽くす。

 

「〝静動轟一〟」

 

 バーサーカーと同じように、龍斗の静の気と動の気が融合して破滅的な気を纏う。互いに静動轟一を発動したことで、条件は互角となった。

 こうなってしまえば余計な駆け引きなどは無用。どちらが先に相手を倒すのかの勝負である。

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

「ウォオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 

 自分達の肉体と精神を削ることも厭わずに、龍斗とバーサーカーは自分の拳をぶつけ合う。

 それはもはや武人同士の戦いというよりは、原始的な殴り合いに等しかった。

 龍斗の蹴りと、バーサーカーの突きがぶつかり合い、その衝撃の余波で吹き飛ばされる二人。それでも視線だけは離さずに、相手を睨みつけたまま。

 こうして我武者羅に殴り合っている間にも、静動轟一の限界時間が刻一刻と迫っている。それを龍斗もバーサーカーも承知していた。そして先に限界が訪れるのが、バーサーカーであるということも互いに理解していた。

 幾らバーサーカーが努力の末に静の気を会得したといえど、二つの気を同時に扱い技術では、弟子クラス時代から静動轟一を身に着けていた龍斗の方に優位がある。更にはバーサーカーの方が早く静動轟一を発動しているとなれば、どちらが先に限界がくるかは自明の理というものだろう。

 静動轟一という禁忌に対抗するには、静動轟一をもってする他ない。少なくともこの二人の戦いではそうだ。

 故に――――バーサーカーが限界時間のきていない段階で勝負に出るのは必然だった。

 

「……死、ネ」

 

 静動轟一を発動した状態で、バーサーカーは更に脳のリミッターを外す。増大していった動の気が、同時に発動していた静の気を呑み込んでいく。

 二つの気を融合させるのではなく、片方の気をもう片方に喰わせるという禁忌。

 龍斗は改めてバーサーカーの天才性を思い知った。静の気を会得して静動轟一を体得するだけではなく、更に静動轟一の応用技まで生み出してしまうなど並大抵の天才に出来ることではない。

 超人級にも達した動の気の炸裂。限界を超えた動の気のツケで、バーサーカーは理性や感情など消し飛んでいるだろう。忘我状態となったバーサーカーの顔は鬼神そのものだった。

 しかしバーサーカーだろうとなんだろうと――――やはり彼は『人間』だ。

 差し迫る死を前に、龍斗は眼を閉ざす。

 それは決して恐怖からの逃避ではない。寧ろその逆。死に打ち勝つための行動だ。

 見えないからこそ、見えるものがある。

 拳聖の弟子が一人であるルグが、生まれつき盲目であるが故に人の心を見通すように。

 オーディーンたる龍斗も、敢えて己の視界を断つことで、相手が防御しているが故に無意識になった部分を見通すことができる。

 無敵超人が〝孤塁〟と呼ぶその場所を、朝宮龍斗は見つけ出す。

 

災禍招きし必中の神槍(ベルヴェルク・グングニル)ッ!」

 

 戦いは一呼吸のうちに決着していた。

 バーサーカーの狂的なまでの暴威はオーディーンの命には届かずに、オーディーンの神槍はバーサーカーの肉体を貫いていた。

 

「……………また、この感情を味わった。敗北感…………厭なものだぜ、まったく」

 

「――――以前、とある人はこう言っていた。死んでない限り負けではない、と。その傷ならばまだ負けてはいないだろう」

 

 龍斗の突きは急所を外れていた。

 手加減したのではない。バーサーカーの孤塁が、偶然にも急所を外れていたが故の結果だった。

 

「止めは刺さなくていいのか?」

 

「私はお前を殺すために此処に来たわけじゃない」

 

「ハッ。甘い野郎だぜ……」

 

 最後にそう言ってバーサーカーは意識を落とした。

 

「尤もそれは建前で、私にもそう余力があったわけではないことも大きな理由だが」

 

 もうバーサーカーが聞いていないことを承知で龍斗は続ける。バーサーカーの暴威はオーディーンの命には届かないまでも、その身から暫く戦う力を奪うには十分だった。

 兼一を追うため百歩歩いたところで『余力』の尽きた龍斗は、その場で静かに腰を降ろし意識を断った。

 

 



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第133話  届かぬ頂き

 小頃音リミはずっと師であるクシャトリアの再会を焦がれてきた。

 焦がれたといっても、それはリミが龍斗に向けているような異性への恋愛感情ではない。それと似ているようで、まったく性質の違う親愛の情だ。

 想い人が理想とする女性に近付くために、馬鹿正直なまでに力を求めていた頃。最初に自分の才能を認め、教えを授けてくれた恩人。

 本格的に弟子入りしてからの地獄の修行には嫌な思い出が詰まっているが、その経験は今この瞬間も小頃音リミの血肉として生きている。

 リミは世界で一番大切な人が誰かと問われれば『朝宮龍斗』と断言する自信があるが、その次に大切な人は誰かと問われれば『師匠』と断言するだろう。

 第三者の視点で見ればリミの師――――シルクァッド・サヤップ・クシャトリアが良い師であったとは断言できない。

 緒方一神斎ほど外道ではなかったのは確かだし、ジュナザードほど邪悪でも、美雲ほど非道でもなかったが、師として未熟な点は多くあっただろう。

 だが小頃音リミにとってはそのようなことは関係のないことである。小頃音リミにとってクシャトリアが良い師匠かどうかは分からないが、リミにとってクシャトリアは間違いなく好きな師匠だったのだから。

 そんな小頃音リミが一心に探し続けていた愛すべき師は、弟子の献身をまったく眼中に入れることなく、磨き上げた殺人拳を振るった。

 

「躱した、か」

 

 なんの躊躇いもなく、なんの予兆もなく無造作に繰り出された一撃。それは紛れもなくクシャトリアが独自に練り上げた奥義の一つだった。

 機械であるが故に戦いに駆け引きはなく。機械であるが故に必殺を放つことを躊躇わず。そして機械であるが故に、クシャトリアはいつ如何なる状況でも最高のコンディションを維持している。初撃にしていきなり奥義を放ってきたのがその証拠だ。

 この凶悪な初撃を回避できたのは運が良かったのだろう。クシャトリアの腹心だったアケビとホムラ、二人によって教えられたクシャトリアの戦い方。そして屋敷に残っていたクシャトリア自身の戦闘データ。それを念入りに研究し、自分のものとしてきたからこそ、いきなりの奥義にも対応できた。もしもそれがなければ、小頃音リミは戦闘開始十秒にも満たず、その命を散らしていたことだろう。

 

「あは、は。覚悟はしてたけどやっぱり辛いなぁ。こうして師匠に殺されそうになるのって。修行の時は何度も蹴り飛ばされたりしてたけど、ちゃんと手加減してくれてたし」

 

「…………」

 

「でも、リミは良かったですよ。ちゃんと止むを得ない理由があるのを知っているから」

 

 あのジェイハンやクシャトリアのように、止むを得ない理由もなく師から生身の殺意をぶつけられれば、リミの心は折れていた。良くも悪くも純粋なリミの心は、世界からの悪意には耐えられても、大切な人からの悪意には耐えられない。

 しかしクシャトリアがリミに殺意を向けるのは、あくまでも櫛灘美雲がクシャトリアのことを操っているからだ。殺意を発しているのはクシャトリアだが、殺意の発生源はクシャトリアではない。

 だから耐えることができる。逆に倒してやろうと気合いを入れることも出来る。

 

師匠(グル)は、取り返す……! 櫛灘美雲っ!」

 

 対峙しているクシャトリアにではなく、ここにはいない美雲に戦意をぶつけると、リミの姿がその場から掻き消えた。

 幻夜の燕。リミが最も得意とする技で、縮地術の一種だ。

 武術家としてのキャリアに大きな差のあるリミは、クシャトリアにあらゆる面で劣っている。そのリミが唯一クシャトリアに勝り得るのが速度だ。

 完全に特A級でも上位クラスに届く速さに、クシャトリアはリミを見失う――――ようなことは、残念ながらなかった。

 

「…………」

 

 リミの速度にもクシャトリアは眉一つ動かすことはない。

 それはクシャトリアから心が失われていることが理由であるが、仮にクシャトリアに『精神』があったとしても、それを揺らすことはなかったはずだ。

 なにせクシャトリアは仮にも一影九拳の一席に座ることを許された者。リミ以上の速度の持ち主にも、その生涯で何度か出逢っている。

 

「〝静動轟双〟」

 

 クシャトリアが奥義の一つである静動轟双を発動した。

 山火事のように燃え盛っているというのに、まったく熱の感じられない動の気。大雪原のように猛吹雪が吹き荒れているのに、まったく冷たさのない静の気。

 巨大でありながら無温の気は、交わらずに完全に一つの器に同居した。

 幻夜の燕で地面を縮めて地面を駆けるリミに、クシャトリアも同質の縮地術で追いすがって来る。

 

台風鈎(トパン・カイト)

 

「っ! 第六のジュルス!」

 

 日本刀の居合切り染みた回転蹴りを、リミはクシャトリアから教わったジュルスで受け流す。

 だが回避しながらも決して両足を止めることはない。速度以外のあらゆる面で勝っているクシャトリア相手に立ち止まった時。それが自分の敗北の瞬間であるとリミは本能的に悟っていた。

 

「だぁあああああッ!」

 

 動の気を全開にして懸命にクシャトリアの猛攻を掻い潜り、彼の周囲を飛び回る。そして気を練り込んだ蹴りを、クシャトリアに放った。

 クシャトリアにとっての死角を縫うようにして放たれた蹴り。それをクシャトリアは気当たりを感知することで、あっさりと回避する。

 死角からの攻撃をあっさり回避されたリミはしかし、さしたる残念さを浮かべることなく高速移動を再開した。

 

「…………」

 

「秘技〝燕の舞〟――――なんて、前の師匠だったら『馬鹿なこと言ってる暇があったら修行しろ』って言うんだろうな」

 

 ノーリアクションの師匠への寂しさを心の奥へ封じ込めると、リミは高速でクシャトリアの周囲を走り回りながら、隙を見ては蹴りを放つを繰り返す。

 足の力は手の三倍。厳密に三倍であるかどうかは個人差があるが、足の力が手よりも強いのは人類共通のことだ。そのため蹴り技は、あらゆる武術で重宝されてきたし、足技主体の武術もかなりの数がある。

 スピードは兎も角、腕力と耐久力に関してリミは特A級には届いていない。そのリミがまともにクシャトリアと殴り合いなどすれば、確実にリミが先に力尽きるのは明らかだ。

 そのリミがクシャトリアに勝とうとするのならば、あらゆる攻撃を回避しながら、一方的にダメージを与え続ける以外に方法などありはしなかった。そう考えたリミが考え出したのがこの戦術である。 

 燕の舞というのは、リミがその場のノリで適当に思いついた技名だが、決して的外れなものでもないだろう。

 幻夜の燕による超高速移動から繰り出される蹴り技の数々。それは確かに舞いと評するだけの美しさをもっていた。

 

渦を巻く落雷(プサラン・ハリリンタル)

 

 落雷のような蹴りが襲い掛かる。クシャトリアの蹴りは、命中すればリミの全身の骨という骨を砕いて余りある破壊力をもっていたが、当たらなければ必殺の破壊力もナマクラに等しい。超高速移動を武器に回避したリミは、逆にクシャトリアに突きをおみまいした。

 

「…………」

 

 クシャトリアにとっては画鋲が刺さった程度に過ぎないであろう些細な負傷。だがダメージはダメージだ。例え画鋲の針でも、何度も何度も突き刺せばいずれは心臓にも届くだろう。

 超高速で機敏に動き続けるリミを補足するのは困難。そう判断したからか、クシャトリアは体の内側でドロリと濁った、生物的に悪寒を感じずにはいられない『邪気』を練り始めた。

 

「狂鬼・阿修羅道」

 

 捕捉するのが面倒ならば、周囲一帯全てを呑み込むまで。クシャトリアの内側で練られていた『邪気』が360度の全方位へと解放された。

 それはさながら殺気の爆発。クシャトリアを爆心地にして、逃れ得ぬ殺気が周囲の生命全てに突き刺さる。当然クシャトリアの周囲を高速移動していたリミも例外ではない。常人ならば即死しかねないほどの殺意を浴びて、リミはほんの一瞬だけ足を止めてしまった。

 その一瞬でクシャトリアには十分。動きを止めたリミ目掛けて、容赦なく殺人拳を振るい、

 

「触れ、させるかぁああああああああああああああああああっ!」

 

 瞬間。リミの思考回路にあるリミッターが完全に飛んだ。動の気を意図的に暴走状態にさせることによる、苦痛と恐怖の麻痺。こうなってしまっては、例えジュナザードの殺意でもびくともしない。なにせ生命ならば等しくもつ恐怖が、働くのを止めているのだから。実に緒方の好みそうな技である。

 

「どぉですかクシャ師匠ォ! 拳聖様直伝のシュライバーもどき戦法は!!」

 

「…………」

 

 リミの叫びはクシャトリアにまったく届かずに、クシャトリアは粛々と現在の小頃音リミの『考察』を行う。

 今のリミは動の気の暴走により、痛みと恐怖が麻痺している。つまり例え片手が吹っ飛ぼうと内臓を垂れ流そうと、足を潰すか絶命させない限り高速移動は止まることがない。

 

「……成程。もう分かった」

 

 小頃音リミが幻夜に飛ぶ燕だというのならば、クシャトリアの渾名は翼もつ騎士。夜空に飛ぶ燕なぞ、たちどころに背の翼で追いついて、手にもつ刃で両断してみせるだろう。

 それを証明するように燕の舞の観察を終えたクシャトリアが行動に出た。

 

「……静動轟一なぞ、使うまでもない」

 

 瞬間。クシャトリアが気当たりを用いて六人に分身する。分身したクシャトリア達はリミの行く場所を塞ぐように展開し、夜を舞う燕を捕えにかかった。

 リミが分身に驚愕したのも束の間。クシャトリアはリミを〝捉えて〟いた。

 

(――――やられる!?)

 

 明確な死が迫った悪寒が、急激に動の気の暴走状態からまともな精神へと回帰させる。

 

「静動轟一!」

 

 静動轟一は絶対に使うな、というクシャトリアの言葉が脳裏を過ぎったが、リミが発動を躊躇うことはなかった。

 何故ならばリミには確信がある。もしもクシャトリアに意識があったのならばこう言うだろう。自分の命を守るためなら迷わず使え、と。

 

「う、りゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 リミの体から信じられないような力が溢れる。

 今ならば誰でも倒せるという、麻薬にも似た全能感。だが麻薬と違って、それは決して幻覚ではない。ほんの一時の仮初の力ではあるが、ここに小頃音リミはクシャトリアに比肩しうるだけの力を得た。

 そう、比肩だ。凌駕ではない。

 

「…………」

 

 静動轟一を発動したリミの連撃を、クシャトリアは淡々と捌いていく。

 これが拳魔邪帝クシャトリア。静と動の気を束ねし豪傑。十年の時を武術に捧げ、静動轟一を発動しても――――追い越すことの出来ない頂き。

 

「こ、のぉぉぉおおおおおおおお!!」

 

 だがそんなことは認められない。

 クシャトリアを取り戻すために、ただそれだけのために生きてきたのだ。なのに静動轟一という禁忌を使ってすら、師を凌駕できなかったなんて、そんな現実を許すことは出来なかった。

 

地転蹴り(トゥンダンアン・グリンタナ)

 

 クシャトリアから教わった技で、リミが最も得意としてきたもの。それに小頃音リミの全てをのせて放つ。

 しかしリミの全てを賭した一撃にも、クシャトリアが自分の全てを出すことはなかった。

 クシャトリアは左腕でリミの蹴りを受けると、クシャトリアは自分の体に刻み込んだ秘奥の一つを解放する。

 

「我流〝玄武爆〟」

 

 小頃音リミの全てを乗せた蹴りに返ってきたもの。それはクシャトリアの奥義ではなく、他人の奥義だった。

 




本日のリミの敗因:シリアスに徹さずにパロ台詞を言ったこと。


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第134話  弟子の想い

 この世界の重力を集めて叩き付けられたかのような衝撃に、小頃音リミは肉体ごと地面へと陥没させられていた。

 我流〝玄武爆〟。

 クシャトリアが自分で編み出したものではない他人の奥義であるが、技の威力は決して本家本物に劣るものではない。

 無手組の頂点に君臨する男が頼りにする技だけあって、その威力は強力無比。直撃ではなく、掠った程度でリミから継戦能力を奪い去るには十分な破壊力をもっていた。

 もしもリミが回避に力を注がずに、ちょっとでも迎撃に浮気していれば、確実に体は木端微塵になっていただろう。

 しかし即死は免れたとしても、動けなくなった武人に未来はない。相手が殺人拳ならば尚更だ。

 

「……………」

 

 クシャトリアがゆっくりと近づいてくる。手応えは感じているだろうに、その顔に油断の色はない。

 リミはクシャトリアから離れようとするが、全身の運動機能が麻痺していたせいで上手くいかなかった。

 ぬっと伸びてくる左手。リミはそれを払いのけることができず、首を鷲掴みにされた。

 十年ぶりに感じる手の温かさが、いつだったか教えられた技を成功した時に撫でてくれた手と同じで涙を流しそうになる。だがこんな『操り人形』に涙を見せるものかとリミは必死にそれを堪えた。

 

「ぐぁ………う、ぐ……っ」

 

「――――」

 

 首を掴む手がどんどん強まっていく。このまま首の骨をへし折るつもりなのだろう。

 リミは自分の首を絞める手を引きはがそうとするが、クシャトリアの手はビクともしない。

 

師匠(グル)……クシャ、師匠……」

 

「――――スルサイ(終わりだ)

 

 頭へいく血が少なくなったせいだろうか。視界がどんどん薄くなっていく。それに比例して抵抗する力も弱くなっていった。

 死を前にすると人には走馬灯が過ぎるというが、リミの視界にそんなものが映り込む気配はまったくない。それが少し残念だった。

 

「リミを殺す……ん、ですか……?」

 

 死が近づいて、思考回路が嘗てのものに回帰したのか。それとも自身を飾る力もなくなって地が出たのか。リミの口調が十年前のまだ全てが幼かった頃のものに戻る。

 

「その通りだ」

 

「…………う、」

 

 首を握る手が更に強まった。リミは自分の命が更に縮まったことを直感するが、そんなことお構いなしに肺から少ない酸素を総動員して声を絞り出す。

 

「師匠は、なにやってるんですか!?」

 

「…………」

 

「リミを助けるために、あのジュナザードを倒して……やっと『自由』を手に入れたんじゃないですか!? 拳聖様とかに聞いたからリミも知ってるんですよ……師匠がどう生きてきたか」

 

「過、去」

 

 特別な切っ掛けがあったわけではない。ただ櫛灘美雲に囚われたクシャトリアを探す過程でふと思ったのだ。自分は師匠のことを何も知らないと。

 小頃音リミにとってシルクァッド・サヤップ・クシャトリアは恐ろしい、けれど大好きな師匠だ。だがクシャトリアがどのように生きてきて、どういう人生を歩んできたかと問われると、途端に口を噤むしかなくなる。

 クシャトリアを探すのに、過去を知ることが必要になるかもしれない――――それらしい言い訳を用意して、リミはクシャトリアの過去を多くの人から聞き出した。

 それはずっと師匠と会えない寂しさを埋めるための代償行為だったかもしれないが、そのお蔭で師のことをより深く知ることができた。

 クシャトリアがずっとあるものを求めて生きてきたことも。

 

「そうですよ……心がバラバラになって、だけどそれと引き換えに『自由』になったのに、こんな風にまた操られちゃってて良いんですか? 櫛灘美雲って人とどういうことがあったかなんてリミは知らないですけど、悔しくないんですか!? リミは悔しいですよ!!」

 

「…………」

 

「クシャ師匠は、誰かの都合のいい道具になるために生まれてきたんですか!?」

 

「―――――――」

 

 その時だった。リミの首を絞めていた『左手』が離される。

 

「げほっげほっ! …………ぐ、師匠(グル)

 

 もしかしたら声が届いて、自分の心を取り戻したのかもしれない。淡い期待を抱いて師匠を見上げるが、そんな都合の良い事は当然のように起きてはいなかった。

 クシャトリアはリミの蹴りを防いだ時に外れていたであろう『左腕』の間接を入れ直す。それで再びクシャトリアの目に殺意が戻った。

 

「――――――これで、問題はなくなった」

 

「!」

 

 なんのことはない。手を放したのは、関節を入れ直して確実にリミを殺すためであって。別にリミの想いが師に届いた訳ではないのだ。

 心のないクシャトリアが意識してやった筈もないが、結果的にその紛らわしい行動はリミの心を抉るには十分だった。リミの目尻にうっすらと押し殺していた涙が滲む。

 

「さぁ。続きだ……」

 

「くっ! 今の師匠じゃなくなった師匠になんて、絶対に殺されてたまるかぁあああ!」

 

 麻痺していた自分の体に活を入れて強引に立ち上がる。そしてクシャトリアの顔面目掛けて我武者羅に殴りかかった。

 だがそんな自暴自棄な攻撃がクシャトリアに通用するはずがなく、あっさりと回避される。

 

「遅い」

 

「――――っ!」

 

 クシャトリアが背後に回り込む。

 リミは慌てて振り返ろうとして、止めた。既に攻撃動作は完了している。今からでは何をしようと手遅れだ。

 だったらこのまま死んだ方が良い。誰かの操り人形になった師匠を見ながら死ぬくらいなら、このまま地面でも眺めながら死んだ方がマシだ。

 

(今度こそ、幸せな走馬灯が見られますように)

 

 そんな儚い想いを胸に、リミはすっと目を閉じた。

 現実はこんな結末になってしまったが、せめて夢の中では幸せが待っているように祈りながら。

 

「止めだ。王波界塵殺(ブラフマラー・アパラージタ)

 

 クシャトリアの〝奥義〟が放たれる。必殺の魔槍はリミの命を奪うべく、その背中へと吸い込まれていった。

 リミの目蓋の裏に広がるのは暗闇ばかり。残念なことに、走馬灯は見えなかった。

 最後の最期まで冷たい神様を怨みながら、小頃音リミは死んでいった。

 

「……………………あれ?」

 

 違和感に気付いたのは、クシャトリアが必殺を放ってから数秒が経ってからだ。

 魔槍に穿たれてとっくに活動を停止しているはずのリミの心臓。それが今も活動を続けている。恐る恐る目を開いて、振り返れば――――そこにリミの命が助かった理由があった。

 

「……お前は」

 

 クシャトリアが声を漏らす。

 リミを守るように、誰かがクシャトリアの腕を両手で握って止めている。余程凄まじい力で腕を握っているらしく、クシャトリアの突きは1㎜も前に進むことなく停止していた。

 一影九拳に名を連ねるクシャトリアの奥義を防ぐことが並みの武人にできるはずがない。故にその男もまた一影九拳の一人だった。

 心を覆い隠すようなコートとサングラス。その顔を忘れるはずがない。

 

「やらせは、せん。お前に、お前の弟子を殺させる訳にはいかんな」

 

「記憶にある。本郷晶、か」

 

「――――借りを返しに来たぞ、クシャトリア」

 

 人越拳神・本郷晶がここに拳魔邪帝の前に立ち塞がった。

 

 




 きた!本郷さんきた! メイン本郷さんきた! これで勝つる!


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第135話  成功率100%

 本郷晶という殺人拳最強の空手家の来援が信じられる、リミは幽霊でも目の当りにしたかのように目を白黒させる。

 しかし目の前の光景は間違いなく現実のものだ。どれだけ目をごしごしと拭おうと消えることはない。

 

「本郷さん……なんで、ここに?」

 

「クシャトリアには翔の命を救ってもらった借りがある。それが理由では不満か?」

 

「そ、そんなことはありませんけど――――」

 

 弟子(叶翔)の命を救われたから、弟子(リミ)を助けにきた。飾り気のないシンプルな理由だったが、それが本郷晶という一本気な男には実に似合っている。

 口にするのは易し、されど行動に移すのは難しい。

 実際こうして本郷晶がこの場に駆け付けるには多くの政治的障害があった。それでも闇の勢力図だとか、そんな理由で本郷晶を止めることはできない。

 なんのことはないのだ。ディエゴ・カーロがエンターテイナーを貫き、馬槍月が何者にも縛られずに生きることを曲げぬように、本郷晶は如何なることがあろうと自分の矜持を貫き曲げないというだけの話である。

 

「少し下がっていろ。クシャトリアが相手となれば、俺も他を気遣う余裕はない」

 

「…………」

 

 本郷晶はリミを守るように前へ踏み込むと、クシャトリアが冷静に構える。

 クシャトリアが闇に入ってから、本郷はクシャトリアと特別親しくしていたというわけではない。直接会って会話したのは、両手の指で十分数えられる程度である。だがそんな本郷にもクシャトリアの変貌ぶりは人目で分かった。

 無機質な敵意と無乾燥な殺意。永年益寿により肉体的には二十代の若々しさのままだというのに、その顔は死人のように生気がなかった。

 

〝キョンシー〟

 

 映画でも有名な中国の妖怪の名前を思い出した。

 キョンシーは魂だけが成仏し、魄だけが遺体に残ってしまった所謂ゾンビに近い存在である。

 優れた道士は道術を用いることで、キョンシーを自分の意のままに操るらしいが、その例に照らし合わせればクシャトリアがキョンシーで道士は櫛灘美雲ということになる。

 これまで人間どころか数々の猛獣とも戦ってきた本郷だが、流石にキョンシーと戦うのは初めての経験だった。

 

「櫛灘美雲の暗示…………いや、操作か。お前をここで殴り倒したところで、お前の心が戻る訳ではないのは百も承知だが、せめて身体だけでも弟子の下へ返してやらねばな」

 

「人越拳神。お前は闇に所属するはず。今回の落日も阻むのか?」

 

「無論だ。落日は阻止すべし。それが〝一影〟の意向だ」

 

「分かった。お前も殺す人間に加えるとしよう」

 

「排除するのは貴様の内にある呪縛だ。精々死なぬよう渾身で耐えるがいい」

 

「……………」

 

 クシャトリアが自分の体の内側に静の気と動の気を両方練り込んでいく。

 小頃音リミとの戦いでは一瞬しか使うことのなかった禁忌。されど相手が本郷晶ともなれば話は別。術者たる櫛灘美雲の指示を確実にこなすため、クシャトリアは迷わず確実な手段に訴えてきた。

 

「〝静動轟一〟」

 

 溢れるほどの闘気の奔流。二つの巨大な気が生み出すエネルギーは、クシャトリアの階梯を一時的に達人から超人へと押し上げる。

 キョンシーとなっても気そのものは衰えてはいないらしく、静動轟一から放たれる気当たりは十年前とまるで変わらぬものだった。いや下手すれば増大しているかもしれない。

 

「いきなり禁忌を用いてくるとはな。それに心がないだけあってクシャトリアにあった『保身』が消え失せている」

 

 というより自分の命を守るという思考回路が存在していないのだろう。謂わば常に捨て身の状態というわけだ。

 これでは岬越寺秋雨の呼吸投げや、気当たりを用いたフェイントは効果が薄いだろう。

 

「……死ね」

 

 静動轟一で得た超人的瞬発力でクシャトリアが距離を詰めてくる。

 それに対して本郷晶は透明なまでの静の気を練り上げて、自分の体を薄皮一枚で包むように纏わせた。

 

「だが捨て身は決して万能ではない。臆病さや恐怖が活路を開くことも武にはある。例えば俺のように……静動轟一が齎す圧倒的な力に危機感を覚え、必死にその対抗技を盗み出そうとしたように」

 

 あの裏武術界の歴史に残る伝説の一戦。風林寺隼人とジュナザードによる神域の一騎打ちは、今でも本郷晶の魂に刻み込まれている。

 その戦いで風林寺隼人が見せた静動轟一への対抗技。それの仕組みを調べ上げるのに六年、会得するのに三年の時を擁した。

 

「流水制空圏〝第零段階〟」

 

 ここにその成果が現れる。

 ただ静動轟一を打ち破るためだけに新たに編み出された流水制空圏の新たなる境地。それによって本郷晶は静動轟一を発動せずに、静動轟一の流れを手に入れた。

 

「――――!」

 

 瞬間、クシャトリアが静動轟一を解除する。それと同時に本郷晶の流水制空圏〝第零段階〟も無意味なものとなった。だがそれでいいのである。

 

「そうだ、お前はそうするしかない」

 

 流水制空圏〝第零段階〟は『相手が静動轟一を発動している』という条件付きで、ノーリスクで静動轟一の爆発力を得られる技だ。静動轟一のデメリットを超人的肉体で抑え込めるジュナザードのような化物は例外として、どんな達人も静動轟一を長時間発動させればデメリットが全身を破壊していく。

 よって静動轟一と第零段階が戦った場合、静動轟一を発動している側が一方的にデメリットを受けるという悪循環が生まれるのだ。それが分かるからこそクシャトリアも即座に静動轟一を解除したのである。

 これでこの一戦において静動轟一という禁忌は封じられたも同然。そうなれば後は互いの純然たる強さが物を言う。

 

「渦廻斬輪蹴」

 

「!」

 

 静動轟一を解除したばかりのクシャトリアに、容赦のない蹴りが飛んでくる。

 

「不意をつかれても一切ペースを崩さないところは流石だ。だが関係はない」

 

 間髪入れずに鋭い踏み込みで本郷晶が、蹴りを防いだばかりのクシャトリアに接近した。

 クシャトリアの肉体に凝縮する静の気。二つの気当たりが混ざり合うように押し合い、破裂する。二人の豪傑が自らの技を繰り出したのは、それとほぼ同時だった。

 

猛獣跳撃(スラガン・ハリマウ)

 

「断空手刀斬り!」

 

 自らを猛獣としての限界跳躍と、腕を刃としての居合切り。両者の技はしかし互いに掠ることもなく空を切った。相手の技との激突を避けて、相手の急所を互いに狙った結果である。

 お互いに傷を与えることなく交錯した両者は、同時に地面を蹴って180度体を反転。更なる技を解き放った。

 

「無敵のジュルス〝数え抜き手〟」

 

 クシャトリアが繰り出したのは無敵超人の秘技が一つ数え抜き手。性質の異なる特殊な力の練りを加えることで、どんな防御も最後の四発目で必ず打ち破る必殺技だ。

 拳魔邪神ジュナザードはこの技を自らのシラットに取り込み独自発展させている。謂わば風林寺隼人とジュナザード、二人の超人の手が入った技といえるだろう。全力で迎撃しなければ待ち受けるのは死のみだ。

 

「四」

 

 最初の抜き手を身を捩ることで躱しきる。

 そして本郷晶は自分が最も頼りとする技のために構えをとった。

 

「三」

 

 新たな気の練りが加えられた二度目の抜き手が、本郷晶の右肩を切り裂いていく。それでも本郷は攻撃をせず耐えた。

 限界までに気を凝縮させた右腕は、膨れ上がり解放の刻を今か今かと待ちわびている。

 

「二」

 

 三度目の正直とばかりに放たれた抜き手を、本郷は左手で受け流すことで防ぎきった。

 代償として左腕にかなりのダメージを負ったが、そんなものは必要経費である。

 

「一ィ!」

 

 そして全ての防御を打ち破る最後の抜き手が放たれた瞬間、本郷晶は己の右手を解放した。

 

「人越拳ねじり貫手――――ッ!」

 

「……!」

 

 如何なる盾をも貫く最強の矛が、空間を捻じりながら突き進む螺旋の槍によって削られていく。

 確かにシルクァッド・サヤップ・クシャトリアは強い。若いながら特A級の達人となり、櫛灘美雲に付き従った十年間で更に腕を上げている。その実力は決して一影九拳の他の達人に見劣りしないだろう。

 だが〝人越拳ねじり貫手〟は本郷晶の代名詞とすらいえる技であり、最も頼りとする一撃。貫手の勝負で空手がシラットに負けるわけにはいかない。

 

「覇ァ――――ッ!」

 

 ねじり貫手がクシャトリアの手を弾き飛ばし、その胴体に突き刺さった。

 先の激突で威力が減衰しているため、肉体を貫くには足らないが、それでも十分すぎる威力が体の内部にまで浸透しただろう。

 

「櫛灘流奥――」

 

「させんッ!」

 

 距離をとろうとするクシャトリアを追い詰めると、本郷晶はとっておきの技を放つ。

 

「人越拳〝陰陽極破貫手〟」

 

「――――!」

 

 右手と左手で同時に放たれる二つの貫手。うち片方は全身全霊を込めた実の貫手で、もう片方はまやかしである虚の貫手である。

 技撃軌道を占拠されているクシャトリアに、二つの貫手を両方躱し切ることは不可能。防ぐには片方の貫手を抑え込むことで、もう片方を回避する他ない。

 だがもしも虚の貫手ではなく、実の貫手を受け止めなどすれば、絶大な貫通力をもつ貫手は防御などを突き破り急所を抉って来るだろう。

 果たしてどちらが実で、どちらが虚なのか。外した場合は即ち死。

 本来これは50%の二択勝負で、どちらを選ぶかは攻撃を受ける相手の選択にかかっている。

 しかし相手が心なきキョンシーであるのならば話は別。

 駆け引きというのは高度な思考だ。人間ではない機械には出来ない。

 機械的なクシャトリアは機械的に、ダメージが大きい左手の貫手が虚で、ダメージの少ない右の貫手が実であると判断してしまう。敢えてダメージが大きい方で貫手を放つというフェイントをまったく想像できないのだ。

 故に機械であるクシャトリアにこの技は正しく成功確率100%の必殺として機能する。

 そう、機能するはずだったのだ。

 

「――――――クカッ」

 

 機械である筈のクシャトリアが、邪悪そのものの顔で笑みを浮かべるまでは。

 



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第136話  再誕

 確実に成功するはずだった。クシャトリアが心ない『兵器』である限り、心配など有り得ないはずだったのだ。

 しかしながら現実に本郷晶の放った〝陰陽極破貫手〟は受け止められ、クシャトリアを斃すことに失敗している。

 ぎちぎちと骨が軋む音がした。獲物を捕まえた翼竜のように、クシャトリアは両手を本郷晶の腕に食い込ませている。

 だが本郷は自分の腕の痛みなどまったく頭に入ってはこなかった。本郷晶の眼はただひたすらに目の前にいる『クシャトリア』を凝視している。

 其の男はクシャトリアのはずだ。

 浅黒い肌、赤い目、白髪。全てのパーツがそれをクシャトリアであると告げている。けれどパーツはまるで同じなのに、色合いというべきものが180度別物へと変化していた。

 無機質だった肌は、底なし沼の寒々しさを。無感情だった眼は、ザクロのような毒々しさを。無色だった白髪は、あらゆる光を拒絶するかのような否定を。

 

――――世界には同じ顔をした人間が三人はいる。

 

 ふとそんな言葉を思い出した。

 言うまでもなく、この言葉に科学的根拠は何一つとしてありはしない。ただのデマ、或は風聞といった程度のものである。

 だがことシルクァッド・サヤップ・クシャトリアに限っては、最低でも一人は同じ顔をした人間がいたということを本郷晶は知っている。

 シルクァッド・ジュナザード。

 クシャトリアが最も恐れ、最も執着し、最も強いと信仰した邪神。拳魔邪帝の師匠だ。

 有り得ないと本郷の冷静な部分が囁く。ジュナザードはとっくに死んでいる、他ならぬクシャトリアが殺害したではないか、と。そして本郷晶もジュナザードが死ぬ様をこの目で見ている。

 だが本郷晶の直感、または生存本能というべき部分は叫んでいた。コレは〝危険〟だと。

 

「貴様……何だ? なんだ、お前は……?」

 

「カカッ、カーカカカカカカカカカカカカカッ!」

 

 狂ったように笑いながら、クシャトリアの姿をした何者かは本郷を投げ捨てた。

 そして何者かの全身から黒い邪気が噴出する。千年間封じられていた活火山が突如として解放されたかのように、邪気の噴火は留まるところを知らない。

 心の弱い人間であれば吸い込むだけで窒息死するほどの邪気。それが小さなグラウンドほどの広さをもつ部屋を満たした。

 

「一度拳を交えたこともある武人を忘れるなど、意外に薄情な男じゃわいのう……。え? 人越拳神」

 

 クシャトリアの口から発せられたのは、クシャトリアのものではない声だった。

 懐かしさではなく嫌悪感が鎌首をもたげる。これは十年前にも聞いた声色だった。十年前に死んだ男の声そのものだった。

 

「貴様、やはり……ジュナザードッ!」

 

「答えに辿り着くのが遅いわい小童め」

 

 人を小馬鹿にしながら、ジュナザードはニィと笑みを深める。

 

「どういうことだ。その肉体は間違いなくクシャトリアのもののはず。なのに何故だ。十年前の戦いで死んだ貴様が、クシャトリアの体の中にいる?」

 

 シルクァッド・ジュナザードは十年前の戦いで死亡している。これは動かしようのない絶対的な事実だ。何人もの人間がそれを目撃し、ジュナザードの死を観測している。

 ティダードにいるジェイハンしか知らぬという墓所へと赴けば、きっと今もジュナザードの亡骸が眠っていることだろう。

 だが厄介なことにジュナザードはここにもいるのだ。これまで数々の修羅場を潜り抜けてきた本郷晶をもってしても、こんなことは初めてである。

 

「なぁに。こうなってしまったのは我としても計算外、いれぎゅら~というやつじゃわいのう」

 

「イレギュラー、だと?」

 

「クシャトリアは我が唯一己の名前を分け与えた弟子。我の作り上げた最高傑作というべき武人よ。クシャトリアこそは我が継承者、我が現身、我が化身。

 そして彼奴には我が『拳魔邪神』を継ぐために、我自身の邪念を心へ植え込んでおった」

 

「っ!」

 

「十年前の戦い――――クシャトリアが我を殺すという儀をもって、クシャトリアは真実我の継承者となった。我という呪縛から解き放たれたクシャトリアは、王のエンブレムを受け継ぎ新たなる九拳となる。

 じゃが元々クシャトリアは我を殺すために武を磨いておった。故に我が死に、我の呪縛が消えてしまえば、クシャトリアは成長を止める恐れがあった」

 

 否定することはできない。本郷もクシャトリアが多くの武術から奥義を『買い取って』いたことを知っている。それに緒方と一緒に武術の研究に精を出していることも聞いていた。

 それら全てがジュナザードを殺すための努力ならば、目的を果たしたクシャトリアには強くなる理由がなくなってしまう。

 

「まさか、そのために」

 

「そのまさかじゃわい。我の邪悪なる心の中でも一際凶悪なもの――――〝力を求める心〟を奴には植え付けておった。我がクシャトリアに植えた種子は、我の死によって芽吹き、やがて戦いの中で流れる血を啜って花開くじゃろう。じゃが我にも計算違いのことがあった」

 

「…………」

 

「言うまでもないじゃろう。クシャトリアの精神が壊れたことじゃわいのう。邪念とはいえ所詮はただの心の残滓。心の大本であるクシャトリアの魂が砕け散ってしまえば、もう何の役にも立たぬ。我のシラットはクシャトリアの代をもって途切れ、失伝するはずじゃった。じゃがのう。ここで更に我の計算違いのことが起きた」

 

「櫛灘……美雲のこと?」

 

 小頃音リミが立ち上がり、ジュナザードに槍のような視線を向けた。

 だがリミの敵意などあらゆる邪念を受けたジュナザードからすればそよ風のようなもの。顔色一つ変えずに受け止める。

 

「然り。彼奴がクシャトリアに残った魄を邪法で掌握し、己の傀儡としたことで〝運命〟は狂った。永久に眠り続けるはずだったクシャトリアは、眠りながら動き続ける人形に。

 操り人形となったクシャトリアが行った数多の〝殺し〟は、砕け散り空っぽとなった器に残った種子に水を注いだ。

 そして――――」

 

 クシャトリアの魂と混ざり合い、魂のほんの一部となるはずだった邪念は、空っぽの器で何にも交わらずに成長してしまった。

 数少ない必然と、幾多もの偶然。それらが複雑に絡み合って死者蘇生という奇跡が実現してしまったのである。

 拳魔邪神ジュナザードの再誕という形をもって。

 

「もっとも所詮は我など大本の『シルクァッド・ジュナザード』から流れた魂の一欠片。湖に投げ込まれたヘドロの塊。湖を穢すことはできても、湖を満たすことなど出来ん。

 こうして我が意識を目覚めさせられるのも長くても一時間が精々じゃし、人格はシルクァッド・ジュナザードでも肉体はクシャトリアのそれ。嘗ての力を発揮することなぞ夢のまた夢よ。じゃが」

 

 ジュナザードのドロリと濁った眼が本郷晶と小頃音リミの二人を補足した。

 吊り上がるジュナザードの口角。その顔は目を背けたくなるほどの邪悪に満ちていた。

 

「クシャトリアを救いにきたという二人の武人を、縊り殺して愉しむ程度の力はあるわいのう」

 



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第137話  人越拳神

 黒い戦気の渦が、ここにいる全員の注意を吸い込んでいく。

 シルクァッド・サヤップ・クシャトリアに植え付けられたほんの一欠片の邪念。多くの人間を殺め、その死を喰らうことで成長していったそれは、邪気の権化たるジュナザードのものに迫ってきている。

 本郷晶の心臓が、小頃音リミの脳髄が。理解の外にある『脅威』から目を背けようと、必死に眠りにつこうとした。

 だがそんなことは許されない。

 ここで眠ってしまえば死の恐怖からは逃れられるかもしれないが、死そのものからは逃れることは出来ない。狂笑する死の権化を打倒することでのみ、生という未来は切り開かれる。

 本郷とリミは気血を隅々にまで行き渡らせ、クシャトリアの肉体をした邪神が発する殺意の渦を耐え凌ぐ。

 

「ほぉ。空手家のほうは兎も角、そちらの小娘も耐えるとはのう。師がこの様になった後もよく修練しておったとみえる。従順な弟子をもったようじゃわいのう、クシャトリア。カカカカカッ」

 

 聞こえていないのは承知で、ジュナザードは自分の肉体の嘗ての所有者にそう告げた。

 無論クシャトリアが言葉を返すことなどはなかったが、それを聞いたリミはぎりっと歯軋りしてジュナザードを睨みつける。

 シルクァッド・ジュナザード。

 彼の者こそクシャトリアが闇に堕ちた全ての元凶。櫛灘美雲の〝操作〟など、所詮はジュナザードの残した爪痕を利用したこと。そもそもの原因はジュナザードにある。

 クシャトリアの人生を思うが儘にして、遂にはその魂を道連れにしたジュナザード。そんなジュナザードが死後にまでクシャトリアの肉体を乗っ取ってきたのだ。弟子のリミからすれば憎々しい限りだろう。

 櫛灘美雲に向けたものよりも鋭利な殺意が、リミから師の師匠へと注がれた。

 それを受けてジュナザードは、

 

「カカッ。そうじゃわいのう……あのクシャトリアが命を賭して救いに来た己の弟子。その愛弟子を自分の肉体を殺したとあれば――――クシャトリアの奴も、ショックで目を覚ますかもしれんわいのう」

 

「!」

 

「自分の師のためじゃ。喜んで命を差し出せぃ!」

 

 ジュナザードの魔手がリミに迫ってくる。無造作に突き出された掌はしかし、触れればコンクリートだろうと頭蓋骨だろうと握りつぶしてしまうだろう。

 普段ならばリミは驚異的第六感に従いとっくに回避していたはずだ。パワーも技術もなにもかも特A級に満たないリミであるが、ことスピードだけでは特A級の上位クラスに並ぶものがある。中身がジュナザードでも、ポテンシャルがクシャトリアのものならば回避することは決して難易度の高いことではない。

 されどこの一瞬。ジュナザードが適当に放った一言が、リミの足をほんの数秒だけ地面に縫い付けていた。

 

――――自分が死ねば、ショックで師が目覚める。

 

 それはなんの理屈もない、ジュナザードの戯言に過ぎない。ジュナザード自身も特に深い考えがあったわけではなく、軽口として言っただけだろう。

 けれどそれは師匠のことを十年間探し続けたリミにとって、初めて聞く師匠が助かる可能性だったのだ。

 

「――――、あ」

 

 リミがそんな都合の良いことがあるわけない、と我に返った時。もうジュナザードの魔手は直ぐそこにまで接近していた。

 ここまで近づかれてしまえば回避することは出来ない。かといって受けるだけの技量もないのであれば未来は決まったようなものだ。

 

「人越拳ねじり貫手ッ!」

 

 リミの死という未来を、一撃の貫手で粉砕する本郷晶。ジュナザードは後ろに跳びながら軽口を叩く。

 

「カッ? 危ない危ない、人が人を殺そうとしている時に横槍を入れるでないわいのう。ノリの悪い男じゃ」

 

「その娘を惑わせることを言うな……。貴様のような外道には理解できぬだろうが、どんなか細い糸ですら希望に見えてしまう者がいる……」

 

「らしいのう。か細いどころか、絵にかいた糸にすら足を止めるなどとはのう。才能はピカイチじゃが心が弱い。生温い心があるから、土壇場で殺意が鈍る。窮地で足が止まる。あの王子と同じじゃわいのう。

 やはり我が弟子は弟子育成能力にかけては難があるわい。我ならばこやつを弟子にとって直ぐに、まずは弱い心から矯正したじゃろうに」

 

「――――笑止。武とは心・技・体の三つ揃ってのもの。心を捨て去った先に未来なぞありはしない」

 

「あるわいのう。この我こそがその証明じゃわい! 消し去った弱き心は、邪心にて埋めるまで。違うというのなら人越拳神よ。お主の温い殺人拳で我が邪拳を受け止めてみせるがいい――――ッ!!

 

「望むところだ!」

 

 人越拳神と拳魔邪神。共に神の渾名を授かりながら、対極の思想をもつ二人の武人。

 全く相容れない二人が十年前に殺し合うことなく同じ組織に属していられたのは、不可侵条約と一影の威光があったからだ。ジュナザードは一影の威光などはまるで意に介さないだろうが、本郷晶はそうではない。一影九拳でも比較的穏健派である本郷は、一影の方針には自分の主義を曲げない範囲で従っていた。

 しかしこの場には一影の威光もなければ、一影九拳の不可侵条約すら存在しない。であれば二人の対決は必然であり必定だ。

 人を超えた拳神と、魔拳をもつ邪神。ほぼ同時に繰り出された突きの衝突は、その余波だけで床に敷かれていたタイルを粗方吹き飛ばした。

 

「はぁ――――」

 

「カカカッ!」

 

 むちのようにしなる本郷の腕が、ジュナザードを弾き飛ばした。その機を逃さぬとばかりに本郷はそれを追撃。猛雨の如き突きの連打を繰り出す。

 ジュナザードはそれを防ぐばかりで、まるで攻撃を返してこない。その様子はまるで〝しない〟のではなく〝出来ない〟かのようで。

 本郷の違和感に応えるかのように、ジュナザードが嬉々としながら言う。

 

「カ、カカカカカカカカカカカカッ。何度か女宿の目の届かぬところで〝出てきた〟ことはあったが、やはり動かすのと戦わせるのは要領がちと異なるわいのう」

 

 嘗て闇の研究者は人には精神を司る魂と、肉体を動かすための魄があると言った。それをより細かくすれば人には精神たる魂、情報たる脳味噌、肉体がある。

 十年前に死亡したジュナザードは魂、脳、肉体の三つ全てが消滅している。今現世に残るのは精々が遺骨くらいだろう。だがその魂の欠片というべきものは、魂だけが砕け散ったクシャトリアに宿っている。

 そうしてジュナザードの魂が動かしているクシャトリアの肉体であるが、そこにジュナザードの『記憶』は存在しないのだ。

 魂はジュナザードでも、肉体も脳もクシャトリアのもの。つまり本郷の目の前にいるジュナザードは、クシャトリアの記憶と肉体から再現されているジュナザードということだ。

 例えるのならばスポーツカーを運転していた途中で、突然に普通の乗用車に乗りかわってしまったようなもの。混乱するのは無理のないことだ。

 もしかしたらこの混乱のうちに押し切れば倒せるかもしれない。

 

「――――じゃが概ね理解したわいのう」

 

 本郷の脳裏によぎりかけた甘い思考を、ジュナザードの規格外の魂はあっさりと追い抜いていく。

 たった一度の交錯。それでクシャトリアの肉体の動かし方を理解しきったジュナザードは、完全に調子を取り戻した。

 

「なんという出鱈目……」

 

 本郷晶をしてそう戦慄させるだけの異様なポテンシャル。

 こんなものが自分と同じように人間の女の胎内(ハラ)から生まれたというのが到底信じられない。或はジュナザードは地獄の生まれで、閻魔の気まぐれで地上に棄てられたのではないか。そんな荒唐無稽な想像が浮かぶほどにジュナザードは異常だった。

 人智の及ばぬ凶悪なる邪気。魂が肉体に引きずられるというのは聞いたことはあるが、これはその逆だ。

 ジュナザードという魂に、肉体の方が引きずられている。その肉体を神に宿すに相応しい龍体へと変容させていっているのだ。

 変容が完全に完了してしまえば、アレは正真正銘のジュナザードとなる。そうなっては勝機は彼方へと消え去ってしまうだろう。

 防ぐ手段は一つのみ。

 

「己の弟子の体を我が物にしようなど。無粋だぞ、ジュナザード。死者は黙したまま、地獄で寝ているがいい――――っ!」

 

 活人の道に背を向けて、殺人道を歩んだ者であるのならば、死とは絶対のものでなければならないのだ。

 死んでから蘇るなど、まったくもって殺人拳ではない。人を活かすのは、活人拳の領分であろう。故に殺人道を歩んできた本郷晶は、全身全霊をもってジュナザードを否定する。

 

「貴様が変容しきる前に、黄泉路へ叩き返してやる!」

 

「面白いわいのう。やってみるがいい」

 

「無論のこと」

 

「〝静動轟一〟」

 

「流水制空圏〝第零段階〟」

 

 変容が完了してしまえば、ジュナザードは正真正銘の神となる。

 人間ではどうあっても神は殺せない。神殺しの槍(ロンギヌス)でもあれば話は別なのかもしれないが、そんな都合の良い武器、本郷晶は所持していない。本郷が信じるのは己の五体と精神のみだ。

 ならばジュナザードが神に至る前に、ジュナザードをクシャトリアの肉体から叩き出す他ないだろう。静動轟一とジュナザードの邪気も、無敵超人が編み出した流水であれば祓うことも出来るかもしれない。

 

「邪拳・無間界塵」

 

 解き放たれるのは邪神が編み出した究極の奥義。遍く人類全てが膝を屈する邪拳の極地。

 世界を犯す猛毒、邪、神、技、殺、闘、魔、拳の怨念が本郷晶の命を奪い尽くすために落下してくる。

 

「――――、!」

 

 瞬間。本郷晶は自分の死を覚悟した。これは勝てない。こればかりはどうあっても打倒など不可能だ。

 クシャトリアがジュナザードを殺すために『王波界天殺(神殺しの槍)』を鍛え上げた理由を完全に理解する。彼は知っていたのだ。コレと真っ向勝負などしては万に一つの勝ち目もない。一秒の拮抗も出来ないままに死ぬのみだろう、と。だからクシャトリアは防御も回避も捨て、殺される前に殺すという剥き出しの殺人拳をもって応戦したのだ。

 だがこれより本郷晶が放とうとしているのは殺人拳ではない。ジュナザードを祓うための活人の業。これではジュナザードから勝ちを掴むことは出来ない。

 なればこそ、

 

台風鈎(トパン・カイト)

 

 小頃音リミが激突に割って入るのは必定だったのか。

 静動轟一を用いての神速。本郷晶にすら追いつくことの叶わぬ速度そのままに突進し、ジュナザードの邪拳を横合いから蹴りつけた。

 そんなことをしてもジュナザードにさしたる負傷はない。しかし本郷晶は戦いの中で初めて朗らかに笑ってみせた。

 

「良い弟子をもったな、クシャトリア」

 

 邪拳の威力そのものは欠片も衰えていない。人智を凌駕し、あらゆる命を奪う呪いを孕んだままだ。

 しかしリミの蹴りは威力を落とさないまでも向きを変えた。時速300㎞を超える新幹線に、石ころを投げつけたところで何の意味もないだろう。けれどそれが石ではなく岩であれば、岩でなく巨岩であれば。その直撃は新幹線を『脱線』させるには十分すぎるだけの威力となるだろう。

 そして本郷晶はほんの左へ体を逸らすだけで、まったく予定外の場所へ飛んでいった邪拳を躱すことに成功する。

 

「人越拳・流水ねじり貫手――――ッ!!」

 

 流水によって、邪悪は雲散する。ここに雌雄は決した。

 

 



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第138話  許容できぬもの

 本郷晶の貫手を喰らったクシャトリアは、微動だにすることもなく大の字に倒れている。

 無敵超人が編み出し、本郷晶が再現した流水の業は、確実にクシャトリアの体から邪気を祓っていた。流石に心の器に根付いてしまったジュナザードの魂の欠片を完全に消すことはできないが、肉体を操っていたに過ぎない櫛灘美雲の邪法については取り除くことができただろう。

 だからこそクシャトリアはもう動かない。魂が砕け散ったクシャトリアを動かしていたのは、櫛灘美雲の邪法でありジュナザードの邪念である。それがなくなった今、シルクァッド・サヤップ・クシャトリアは元の物言わぬ生ける屍と化すだけ。

 植物状態、脳死――――厳密には違うのだが、医学的にはそれに一番近い状態だろう。

 結局は振り出しだ。

 櫛灘美雲の支配を消し去り、ジュナザードの魂を叩き落しても何も変わりはしない。

 小頃音リミが戻ってきてほしいと願ったものは何も戻らず、クシャトリアは覚めぬ眠りにつき続ける。

 

「ぐっ…………ジュナザードめ、ただでは転ばんか」

 

 躱したとはいえ、恐るべきはジュナザードの邪拳。ほんの掠った程度で本郷晶は十分な負傷を負っていた。

 致命傷ではなく戦闘不能になるほどのものでもないが、肉体の性能が80%ほど低下している。この様では同格との連戦は厳しいだろう。

 

「………………小頃音リミ」

 

「は、はいっ」

 

「師についていってやれ」

 

「ほ、本郷さんは、どうするんですか?」

 

「俺は先へ進む。櫛灘美雲の野心を止めねばならんからな」

 

 小頃音リミと本郷晶の目的が共通しているのは途中までである。リミの最大の目標はクシャトリアの奪還であり、それ以上の望みはない。しかし本郷はクシャトリアを奪還した上で、更に核発射を阻止するという目的があるのだ。

 だから本郷晶の戦いは終わっていない。闇の不始末は闇がつける、例え己の命が燃え尽きようとも。それが殺人拳なりの流儀というものだ。

 

「だ、駄目ですよ! 先にいるのは、あの妖怪なんですよ! そんな体じゃ本郷さんでも――――」

 

「その先を言うな」

 

「でも、」

 

「武人は負けるつもりで戦いへは赴かんものだ」

 

 櫛灘美雲。嘗て無敵超人と共に闇と戦いながらも、思想の違いから闇に組した武術家。久遠の落日を誰よりも知るからこそ、誰よりも落日を望む妖怪。もう一人の史上最凶最悪の師匠。

 分が悪いことくらいは承知している。本郷晶は特A級でも上位の実力者であるが、櫛灘美雲は更にその上をいく最上位。超人一歩手前の女傑だ。互いに万全の状態でも勝機は四割あれば精々といったところだろう。ましてや実力が発揮できない現状では、限りなく可能性はゼロに近い。

 だが本郷は櫛灘美雲を殺しに行くのではなく、あくまで核発射を阻止しに行くのだ。やりようは他に幾らでもあるだろう。

 

 

 

 どんなに外見が美しいものでも、内面は醜く汚れたものであることは往々にしてある。

 美貌で一国を傾かせた絶世の美女であろうと、肉体を掻っ捌いて腸を引きずり出せば、それは見るに堪えない物だろう。

 肉体的ではなく精神的なもの。心に関しても然り。

 人を殺さぬような聖人が、邪なる欲望を秘めていることもある。

 血に飢えた悪童が、一本筋の通った正義感をもっていることもある。

 では果たしてシルクァッド・サヤップ・クシャトリアの心の風景がどうなっているかといえば、それはこう表現する他あるまい。即ち〝黒〟であると。

 心の闇だとか、暗黒の心だとかそういう生易しいものではない。この黒は無だ。何も無いが故の黒である。

 そして何も存在しない黒に、唯一つだけバグのように邪悪な輝きを放つ暗黒があった。

 シルクァッド・ジュナザードの邪念。邪神の魂の欠片。

 本郷晶との戦いで表側に現出し、肉体を変容しかけるところまでいったジュナザードは、流水に押し流されて再びこの奈落へと戻された。

 ここから再び表側に戻れるようになるには、また暫くの時間と血が要るだろう。それが何十年後になるのか、もう永久にその時が来ないのかは分からないが。

 

「ま、どうでもいいわいのう」

 

 命懸けの闘争を求めてやまぬ本能から、ああしてクシャトリアの表側に現出しはしたものの、ジュナザードは生きることに特別執着している訳ではない。

 クシャトリアの記憶にある『シルクァッド・ジュナザードの最期』は、魂の欠片に過ぎぬジュナザードにも納得のいくものであったし、生涯を顧みても欠片の悔恨もありはしなかった。

 ほんの少しだけ怒るべきものがあるとすれば、それは――――、

 

『師匠、本郷さん行っちゃいましたよ』

 

 その時。無の闇に天界の鐘のような声がか細く響く。

 

『あれから十年も経ったのに、核ミサイル阻止のついで的なものでも助けに来てくれるなんて、本当に良い人に恩を売ったんですね。

 師匠は龍斗様の友達のさっぱりしないのと違って、あの妖怪ババアと一緒で腹黒だから、やっぱり下心もあって恩を売っておいたと思うんですけど、そこんところどうなんですか?』

 

 覚めない眠りについていることを考慮しても、否、だからこそ十年ぶりに出逢った師匠に対して適切ではない軽口。それは小頃音リミという少女にとっては、十年前は当たり前だった日常の一ページなのだろう。

 人の心を切り捨てて久しいジュナザードにも、こんな耳元で囁かれれば、その声色に宿っているのが何かくらい手に取るように分かった。

 この少女は悲しんでいる。クシャトリアが覚めない眠りについているように、小頃音リミは終わらぬ悲哀に胸を焦がしているのだ。

 

『ねぇ師匠。なにやってるんですか?』

 

「…………」

 

『リミが調子にのったら鬼畜スマイルで「じゃあ崖昇り三十回追加ね」だとか言って地獄の修行を課してきたじゃないですか。

 師匠(グル)のバーカバーカ。アホ、変態、女の趣味最悪、性癖も最悪、友達ゼロ人、彼女いない歴=年齢。師匠のぽっぴらぴー! ほら! リミ、物凄く失礼なことを言ってますよ。起きてくださいよ、起きて鬼畜スマイル浮かべて下さいよ。なんで黙ってるんですかっ!』

 

 泣きながらリミが師の上半身を抱え、無の世界が声に合わせる様に揺れ動いた。

 

「醜いわいのう。感情を剥き出しに泣きわめく女子供ほど、鬱陶しいものは世にありはせんわい」

 

 泣いていれば加害者でも被害者になれる。泣いていれば同情を誘える。泣いていれば誰かが助けてくれる。

 力のない女子供というのは、力のないことを武器にして、そうやって自分の望むものを手に入れようとするのだ。これが戦争ほど事態が大きくなると、大人の男まで似たような真似をし出すのだから嗤えない。

 故にシルクァッド・ジュナザードは涙が嫌いだ。他人を利用することは大いに結構だが、他人に全て任せるなど吐き気を催す。

 

「クシャトリアは、弟子を見る目がないわいのう」

 

 視線を下に落とせば、そこには無数の割れた鏡が散らばっている。鏡の破片一枚一枚に映っているのは、嘗てシルクァッド・サヤップ・クシャトリアを構成していたものたちだ。

 そう、そして腹立たしいことがもう一つある。

 クシャトリアはシルクァッド・ジュナザードを打倒した。打倒して、自らこそが邪神の継承者であると示したはずなのだ。

 だが邪神の継承者が、今は櫛灘美雲の尖兵として操り人形と化している。このような無様。決して許容できるものではない。

 無の世界に反響する少女の泣き声は終わる気配がなかった。いい加減、ジュナザードも苛立ってくる。こんな喧しい声をこれから先、何年も何十年も聞かされ続けるのかと思うと最悪の気分だった。

 故にこんな下らぬ飯事はそうそうに終わりにするに限る。

 

「――――我が弟子クシャトリアの残骸よ。神殺しを成した褒美じゃわい。我が……貸してやろう」

 

 これまで決して変わることのなかった無の世界が激しく振動する。

 ジュナザードの邪念がさながら星のような引力を放ち、無数に散らばった鏡を集めていった。

 鏡は吸い込まれるようにジュナザードの魂へ溶けていき、それにつられてジュナザードの輪郭も曖昧となっていく。

 これは必然だ。いくらジュナザードのものとはいえ、ここにあるのは所詮は欠片。クシャトリアの魂の欠片を吸収すれば、より大きいものに取り込まれるのが道理というもの。

 吸収する側こそが吸収されているという矛盾。

 このパラドックスこそが、死者の復活という最大最悪のトリックを可能とする。

 

「目覚めるがいい、シルクァッド・サヤップ・クシャトリア――――ッ!」

 

 その言葉を最後に、ジュナザードの意識は完全に闇に溶けた。

 



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第139話  六欲天

 バーサーカーとオーディーン。クシャトリアと小頃音リミ。

 其々因縁ある者同士が死闘を繰り広げた、この米軍基地は魔王の住まう地獄の城塞とすら呼んで良いだろう。

 そして地獄の蓋が開いた時、これまで五十年以上もの長きに渡って〝闇〟に封じられていた悪意は解き放たれる。嘗てナチスと呼ばれた黒い軍団が闊歩し、禁断の太陽が地上に顕現した人類史上最悪の戦い、それと同じものが再び起こるのだ。

 己の力を存分に奮える場所を求めて止まぬ魔鬼たちにとって、それはなによりも焦がれるものだろう。

 そして魔城の最奥。即ち落日の元凶である親玉のいる場所にて、櫛灘美雲と白浜兼一の戦いは九割方の決着がついていた。

 

「随分と頑丈な肉体をもっておるようじゃが、そろそろ限界じゃろう。詰みじゃのう」

 

「……まだ、まだ。勝手に終わらせないで、くださいよ……。僕はまだ戦える」

 

 半死半生で膝をつきながら敵を見上げるのは白浜兼一。対して櫛灘美雲はまったくの無傷だ。

 白浜兼一は決して女性に手をあげないという信念をもっている。故に負傷がないのは自然なことなのだが、櫛灘美雲には服が乱れた様子すらない。これは二人の実力が隔絶しているということを如実に表していた。

 確かに白浜兼一は達人である。才能の欠片もない身でありながら、一握りの神童ですら到達困難な達人の領域にまで登り詰めた。それはさながらミジンコが龍へ成り天へ昇っていくような奇跡に等しいだろう。

 だが例え特A級という頂きに昇っても、未だに櫛灘美雲は白浜兼一にとって手の届かぬ怪物だった。

 一口に特A級といってもピンキリがある。

 特A級に成りたての兼一では、超人一歩手前の櫛灘美雲には届きはしない。こればっかりは気合いや根性や幸運で埋められるものではないのだ。

 

「やせ我慢をするところがまた彼奴にそっくりじゃな。これで才能も隼人とそっくりであれば、わしを止めることも或は叶ったかもしれんというのに惜しいのう」

 

「……!」

 

「お主のような凡夫を達人に仕上げた隼人の手腕は、わしをしても化物と言う他あるまい。いや、隼人ではなく梁山泊全員の成果というべきじゃのう。

 じゃがだからこそ惜しい。活人拳と殺人拳などの境もなく、純粋に一個の武人としてはこう思わずにはおれぬよ。才能が欠片もない者を達人にするのに費やした労力を、もしも才能ある者にしておればどうなっていたか、とな」

 

 才能のない兼一が達人になれたのであれば、もし才能ある原石に同じだけの労力を注いでいれば、より凄まじい武術家が地上に誕生していたかもしれない。それは仮定に過ぎぬことだが、散々自分と他の者との『才能』の差を目の当たりにしてきた兼一にすれば、決して世迷言と切り捨てられるものではなかった。

 しかし生憎と兼一も今更そんなことでショックを受けるほど子供ではない。

 

「確かに貴女の言う通りかもしれません。もしかしたら世界には僕より才能に溢れていて、僕以上に梁山泊の弟子に相応しかった人がいるのかもしれない。

 けれどそんなことは関係ない。誰がなんと言うと僕は梁山泊の一番弟子。僕が梁山泊の弟子に相応しいかは、僕自身が証明する!」

 

「悪くない気迫じゃな。なるほど――――武術的才能は悲しい限りじゃが、その精神性は一つの才能と言えるかもしれんのう。

 梁山泊の連中に言わせれば『活人拳の信念』というものじゃろうなぁ。ああ認めるとも。心ある武人は、時にその信念によって限界以上の力を発揮することもあろう。お前自身、そうやって数多の強敵を倒してきたのじゃろう?」

 

「――――そうだ。信念(これ)は僕が誇るべきものだ」

 

 朝宮龍斗、叶翔、鍛冶摩里巳、そして数々の強敵たち。鍛冶摩を除けば、彼等全員が兼一より遥かに優れた才能の持ち主だった。中にはあの時点での兼一より強いものも多くいた。

 そんな彼等と戦い兼一が勝利してこれたのは、誰にも譲れぬ信念があったからに他ならない。

 

「じゃが無用なものよ。心なぞ武の足を引く邪魔者に過ぎぬ。心あれば時に強くなれるかもしれぬが、逆に心が乱れれば実力を発揮できなくなる。

 事実としてわしの弟子だった小娘も、貴様に影響を受けたせいでとんだ無様を晒しおった。兵器と同じじゃよ――――常に一定以上の性能を発揮できぬ武など、欠陥品じゃ」

 

「違う! 心なき武術などただの暴力。それと千影ちゃんは断じて無様なんかじゃない! 彼女はあの落日でも、貴女の呪縛を打ち破り門派の誇りを守るため戦った! それを笑うことは、例え彼女の師でも許さない!」

 

「敗者ほどよく吼えるわ。だがもはやお前に打つ手なぞありはせぬ。自らの信念に従い死ぬが良い」

 

「――――っ!」

 

 迫って来る櫛灘美雲の手。あれに捕まれれば死ぬと分かっているのに、兼一には躱すだけの力が残っていない。

 だから兼一が死から逃れることができたのは、彼自身ではなく、第三者の介入故だった。

 

「見つけたぞ、櫛灘美雲」

 

「相も変わらずに鬱陶しい面構えをした男じゃな。にしてもいきなり出てきて女の顔面を殴りにくるとは、色男台無しじゃのう」

 

「俺はそんなものになった覚えはないな。加えて言うならば、俺はもはや貴様を女などとは見做してはいない。いい加減に時代を後進に委ねるということを覚えたらどうだ? 自分で幕を下ろせぬというのなら、俺が手伝ってやろう」

 

「そこの隼人の弟子と同じで、随分と吼えよるわ。碌に戦えぬ体で、口ばかりは勇ましいものよのう」

 

 裾で上品に口を抑えながら、櫛灘美雲は性格に本郷晶のコンディションを言い当てた。

 ポーカーフェイスの本郷の顔に変化はないが、どれだけ顔に出してもダメージを隠しきることはできない。

 

「関係のないことだ。俺の全霊にかけても〝落日〟は阻止する――――! 構えろ、妖拳の女宿」

 

「これだから男子(おのこ)は愚昧じゃのう。勝ち目の見えぬ戦いに態々挑み、その命を散らせることを誉れとでも思っておるのか。

 実に馬鹿馬鹿しい限りよ。死を望むほどの屈辱を味わおうと、勝ち目のない戦いからは速やかに退き再起を伺う。それが戦というものじゃろうに」

 

「なるほど、戦場の理屈だな。だが武人である俺が望むのは死合いだ。戦争ではない」

 

「詭弁じゃな。死合いと戦争のどこに違いがある。個人同士の闘争と、軍団同士の闘争。規模は異なれど、ざっくばらんに言ってしまえば要するにただの殺し合いよ。

 死合いも戦争も、人間にとって唯一無二の掛け替えのない命を奪い合うが故に、最もいと生々しき生命の営みに他ならぬ。

 活人拳の微温湯に浸かった者共がわしを否定するのは納得はせぬが理解しよう。じゃがわしと同じく殺人拳という修羅道に生きる者が、このわしを否定するとはどういうことじゃ。

 まったく貴様といい他の連中といい、いつから『闇』はこれほどまでに温くなってしまったのか。拳聖以外の連中は、まるで修羅の覚悟を解しておらん」

 

「俺が修羅道――――人でなしであることなど貴様に言われるまでもない。殺人道を歩む者という点で、俺とお前は紛れもない同類だろう」

 

 本郷晶は親友の願いを聞き届けて親友を殺め、そして好敵手(逆鬼至緒)はそれでも生きていて欲しかったと叫んだ。

 友の意を汲んで殺めた本郷晶と、友の意を振り払ってでも生きていてくれることを望んだ逆鬼至緒。

 本郷晶は殺人拳故に逆鬼至緒の決断を全否定するが、どちらが正しかったのかなど神ならぬ人には――――そう、武の極みにある風林寺隼人ですら答えは出せないだろう。

 だが掛け替えのない親友を殺すことで、初めて殺人を行ったその瞬間より、本郷晶は殺人拳であることを決めたのだ。

 それを否定することは、己の奪った掛け替えのない命までも否定することに他ならない故に。

 

「だが櫛灘美雲。お前が死合いと戦争を同じものと捉えているのであれば、そこが俺と貴様の差異だ。以前の落日で無手組と武器組が決裂したのも、俺とお前が戦う理由も、つまるところはそれだけだ。それだけで十分だ」

 

「阿呆が……」

 

「それともう一つ。どうやら俺よりも相応しい者が来たようだぞ」

 

「なに?」

 

 その時だった。分厚い鉄壁に覆われ、正面の扉以外は一切の侵入を拒んだ部屋。その鉄壁が許容量を遥かに超える衝撃を受けて、轟音と共に巨大な穴が開いた。

 穴から飛び出してくるのは金砂の髪をもつ少女を抱えた――――というよりは、持っている男。

 

「ハハ、ははははははっはははははははははははははははははははははは、ハーハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!! 正気の状態でご尊顔を仰ぐのは久方ぶりですねぇ、美雲さぁんッ!!」

 

「ちょ、師匠(グル)! タンマタンマ! ヒロインの足掴んで全力疾走とかなにしとるとですか!? お姫様だっこは龍斗様専用なんで、せめてノーマルにおぶるのプリーズ!!」

 

 ネジの外れたテンションで喧しく大笑いしながら、邪神の継承者たる邪帝が戦場に乱入する。クシャトリアに足首を掴まれているリミの絶叫が、切実な悲壮感を漂わせていた。

 予想外、想定外、意外、常識外、埒外――――あらゆる全てを裏切る出来事に、さしもの櫛灘美雲も思考が一瞬ショートする。

 だが目を擦って両目を見開こうと、目の前の現実は不動。変わることはない。

 

「なにを舐め腐ったことを言っている? アホ? 変態サディスト? 彼女いない歴=年齢? 人が寝ているのを良いことに、随分と好き勝手に言ってくれたじゃないか?」

 

「い、いやだなぁ~。師匠を起こす為にちょこっと挑発しただけじゃないですかぁ。愛情表現ですよ」

 

「はははは、愛情表見か。そうか、なら仕方ない」

 

「で、でしょう!」

 

「だったら『変態サディスト』らしい愛情表現をたっぷり味わって来いッ!」

 

「ぎゃぁああああああああああああ!! 足が、千切れる~~~っ!」

 

 ぶんぶんとタオルのようにリミのことを風車のように振り回すクシャトリア。

 強烈な旋回音に、リミの悲鳴に混ざって風が唸るように鳴っていた。ニィと口端を釣り上げたクシャトリアは、自身にとってもう一人の史上最凶最悪の師匠目掛けて、それを投げつける。

 

「お目覚めの挨拶代わりに受け取って下さい、無敵超人のジュルスからの人手裏剣ッ!」

 

「いぃぃぃぃぃぃぃやぁぁああああああああああああああああっ!」

 

「――――ぬっ!」

 

 高速回転しながら突撃していったリミは、櫛灘美雲が呆気に囚われていたことも手伝って見事に命中する。

 

「あ~。やはりこうして自分の意識で体動かしていると生きているって感じがするなぁ。こんな開放感は生まれて初めてだ」

 

 いきなり愛弟子を投げつけて、師匠を攻撃するという非道をやらかしたクシャトリアは、周囲の人間全てが唖然とする中で、一人だけ平然と一息ついた。

 先の一撃で美雲が撃破できていれば、これほど楽な話もないのだが、当然ながら彼女はそんな軟な人間ではない。リミのことをほっぽり投げると、驚愕を露わに立ち上がった。

 

「……クシャトリア。何故、目覚めた? お主の魂は完全に砕け散り、意識の暗闇に散らばり修復不可能だったはずじゃが」

 

「ご機嫌麗しく。親愛なる第二の師、美雲さん。いやなに。我が師匠(グル)が脳味噌で爆弾が爆発して痴呆になったのか、初めて真っ当なことをしましてね。その恩恵を授かったわけですよ。

 とはいえ我が師匠(グル)が生涯最大の乱心をしたのも、うちの弟子が俺みたいなロクデナシのために十年間も棒に振った成果なわけで。そういう意味でリミは俺の恩人だ」

 

「恩人を手裏剣にして投げたのか、お主は?」

 

「だから愛情表現ですよ。それに言い訳させて貰えば漸くの『開放』に気が高ぶってましてね。少々の不作法は許して下さると有難い」

 

 ジュナザードの弟子にされて十数年。魂が崩壊し櫛灘美雲の走狗にされて十年間。

 合計すれば二十年間もの年月をずっと牢屋で閉じ込められていたようなものだ。それがいきなり無罪放免になって、娑婆に出られたとなれば気が高ぶってハイテンションになるのも無理はないことだろう。

 クシャトリアは紆余曲折あって手にした『自由』に隠し切れぬ喜悦を浮かべながら、舞台役者のように仰々しく両手を広げる。

 

「さて。美雲さんは傷ついた本郷さんと、兼一君相手には余裕そうでしたが、今この状況でも同じような事を言えますか?」

 

「…………お主とその弟子とて消耗しておろう」

 

「それはどうでしょう。リミ!」

 

「は、はい!」

 

「まだ十分戦えるな? いや闘え」

 

「命令に言い直した!? ぐ、師匠が言うなら勿論ダイジョーブですけど……本音を言えば、ちょっと休憩を挟みたいとかなんとか……」

 

「と、このようにリミのコンディションは万全だ。そう育てた」

 

 追い詰められた状況からのファイティングスピリットを学ばせるため、組手でボロボロにしてから猛獣蠢くジャングルに放り込んだ成果は、確実に実を結んでいた。

 リミは不平をぼそぼそと言っているが、実際のところまだ戦闘は可能だろう。

 

「これで合計四人だ。もしも龍斗君がここへやって来れば更に五人になる。しかも俺には静動轟一を発動するだけの気力もそれなりに残っている。

 月並みな表現ではあるが、これは詰みというものじゃないですかね。降伏をお勧めしますよ」

 

「舐めた口を聞くものじゃ」

 

 櫛灘美雲の全身から心臓を鷲掴みにするような殺気が溢れだす。

 百年を超える生涯でぐつぐつと熟成されてきた殺意は、あのジュナザードにも匹敵する鬼気だった。

 全員が咄嗟に構えるが、瞬間、全ての殺意が雲散する。

 

「ふっ、用意周到なお主のことじゃ。予め核も発射できぬよう手をうってから来たのじゃろうな」

 

「良くお分かりで」

 

「何年お前のことを見てきたと思っておる。それくらいは分かるわ」

 

「では、」

 

「うむ。口惜しいが退くとしよう」

 

 勝てる見込みがなく降伏もしないのであれば、出来ることなど逃げるか玉砕しか道はない。櫛灘美雲は前者を選んだ。

 戦いを戦争と捉え、どこまでも合理的な美雲らしい決断にクシャトリアは苦笑する。

 実のところクシャトリアは、十年間走狗として操られたことに関して美雲のことを恨んではいない。これが赤の他人なら百度殺しても飽き足らないが、櫛灘美雲であれば話は別である。

 しかしクシャトリアを走狗としたことは、結果的に弟子である小頃音リミを悲しませることとなった。クシャトリア自身のことはどうでも良いが、それは師として許容できない。

 このことは櫛灘美雲の野心を砕いてやることで清算としよう――――と、思ってきたわけなので、美雲が計画を放棄して逃げに入れば、もはやクシャトリアに追う大義はないのだ。

 

「残念だ。貴女を倒してから強引に組み伏せるのを愉しみにしていたのに」

 

「〝解放〟されたことで、閉じ込められていた我欲も溢れてきたようじゃのう。弟子の指摘そのままではないか。

 ではな、クシャトリア。そして再び我が落日を阻止した怨敵等よ。またいずれ、次の機会にはわしも相応の準備をしてこよう」

 

 気当たりの応用技なのか。それとも真に神仙の奥義でも披露したのか。櫛灘美雲の姿がその場で忽然と掻き消える。

 外から響いてくるのは、二代目キジムナーに襲われている罪のない米軍兵士たちの悲鳴。

 櫛灘美雲を黒幕とした再びの落日は、こうして幕を閉じた。

 

 



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最終話  神妖なき世界

 櫛灘美雲による核攻撃の失敗と、それによる八煌断罪刃の退却。

 諸行無常、兵どもが夢のあと……という程ではないが、武器組と櫛灘美雲主導による二度目の落日は、世界にとって幸運なことに失敗に終わった。

 アメリカにおける梁山泊と武器組の戦いは若干梁山泊優位なれど、殆ど拮抗状態だったといえる。にも拘らずあっさりと退いたのは、彼等が世界の注意を引きつけるための陽動に過ぎず、本命の美雲が失敗したという報告を受けたからだろう。

 もしも断罪刃が攻撃を続けていても、梁山泊の守りを突破できたか怪しいものであるし、鳳凰武侠連盟や新白連合からも援軍が駆け付けようとしていたので、あのタイミングで退却を選んだ判断は正解だったといえる。

 なにも戦に勝つことだけが名将の条件ではないのだ。むしろ負け戦でこそ、将の本質は問われるものである。風林寺隼人と並び称されるだけあって、世戯煌臥之助の将器もまた並外れたものであることは疑いようがない。彼がいなければ確実に断罪刃の幾人かは、梁山泊の手で捕縛されていたはずだ。

 しかし武器組のダメージも決して少ないものではない。決定的な打撃を受けることはなかったが、満を持して挑んだ二度目の落日失敗という事実は重く響いたはずだ。

 武器組の影響力は衰えざるを得ないだろうし、これで十数年は大々的な攻勢には出れないだろう。無手組の長が一影である間は、そちらも静観を決め込むはずなので、武術界は暫くの間、平和な時代が戻ってくることになるはずだ。

 

「だから存分に修行が出来るわけだ。平和万歳、ラブ&ピース。いやぁ、師匠復活して早々にみっちり修行を見て貰えるなんてラッキーだなリミ。良かったね、お得だね」

 

「いぃぃぃぃぃぃぃぃぃやぁあああああああああああああああああああああああ!! 師匠(グル)。せ、せめて十年間頑張ったご褒美に夏休み的なものを欲しいと切に思うとですよ!」

 

「……嘆かわしい。これがゆとり教育か」

 

「いやいやいやいや! 全然ゆとってないですお! 軍隊の方が遥かに扱いマシですお!」

 

 ジュナザードの呪縛に、櫛灘美雲の邪法。これらに常に縛られ続けていたクシャトリアも、此度の一件で漸くの自由を手に入れた。

 その自由を齎した言うなれば恩人にも等しいリミに報いるため、クシャトリアは早速十年間ほっぽりっぱなしにしていた修行再開を告げたのだが、当のリミは死刑宣告を喰らった被告人のような顔で悲鳴をあげる。

 

「なにが厭なんだ。リミ、お前だって俺に修行を見て貰うことを待ち望んでいたのだろう?」

 

「そ、それはクシャ師匠の修行が懐かしく思うことはありましたけど、一息つくために合間を置いて欲しいというか……」

 

「拳魔邪帝殿」

 

 流石にリミの悲鳴を見かねた龍斗が、神妙な顔で口を開いた。

 

「なんだい、龍斗君?」

 

「リミはこれまでずっとひたすらに貴方を取り戻すため走り続けてきました。そして今、漸く悲願が叶い貴方を取り戻すことができたのです。

 別に甘やかせとは言いませんが、彼女にせめて暫くの間だけでも足を止めて休憩する時間を与えては貰えないでしょうか? 走り続けるだけでは、見えない景色もあるでしょう」

 

「詩的なことを言うようになったな」

 

 真摯な龍斗の言葉に、クシャトリアは笑みを深める。

 

「慌てずとも、ほんの冗談だよ。俺だって誇るべき弟子を労わるくらいの心は残っているさ。ただこういうやり取りが少々懐かしくてね。ちとからかってみたくなっただけだ」

 

「ありがとうございます」

 

「おおっ! さっすが龍斗様! リミには出来ない説得を平然とやってのける! そこに痺れる!憧れるゥ! 龍斗様はリミの婿、異論は認めませんお! 師匠も戻ってきたことだし、ブログで龍斗様との婚約発表して、それから――――」

 

「拳魔邪帝殿、撤回します。かなり元気そうなので、後五年間は走らせ続けても大丈夫でしょう」

 

「ちょ、ちょっと待ってプリーズ! 冗談ぬきでボロボロなんで、せめて三日だけでも御慈悲を!」

 

 昔は正直鬱陶しくも感じたリミの騒がしさも、この二十数年ぶりに自由となった空の下で聞くと愉快な心地になってくる。

 もう故郷というべきものが曖昧になった身であるが、これが「帰ってきた心地」なのだろうか。

 

「そういえばクシャトリアさんは、これからどうするんですか?」

 

 世界の命運をかけた一戦を終えたばかりとは思えぬ喧騒の中、兼一が思いついた疑問を率直に口に出した。

 

「アタランテー……リミさんの師匠に戻るのは分かるんですけど、やはり闇に?」

 

「それは俺の都合だけではどうにも返答できないな。そこはどうなっているんですか、本郷さん。闇に俺の居場所は残ってますか?」

 

 ジュナザードが死んで、美雲の傀儡になってからは一影九拳の座を継承することになったクシャトリアであるが、美雲が無手組と決裂して以来、クシャトリアも無手組と距離を置いてきた。

 そんなクシャトリアが闇に戻るとなれば、政治的問題というのがネックになる可能性がある。そこでクシャトリアは、ここにいる面子の中で最も闇について精通しているであろう人物。現役一影九拳の本郷晶に問いを投げた。

 

「あくまでお前に闇へ戻る意思があるのならば、だが―――――九拳に復帰するのに、特に問題はないだろう。拳魔邪帝の席は未だ残っているし、今のところ九拳を除いた闇人の中にお前以上の適任者(実力者)も存在しない。

 お前が最も気にしているであろう政治的な物事も、さしたる問題にはならん。むしろ」

 

「一影殿からすれば、利になると?」

 

「ああ。お前は一影殿にもそれなりに信用されているからな」

 

 クシャトリアも自分で言うのはこそばゆい限りであるが、クシャトリアは単なる特A級の達人ではない。

 師匠だったジュナザードはプンチャック・シラットという武術界のドンであり、シラットが武器術も内包していることから無手組・武器組の双方に強い影響力をもっていた。

 それらの地盤は『ジュナザードを殺した』ことで、クシャトリアが図らずも全て継承してしまっている。クシャトリアが一影九拳に復帰するということは、一影の影響力を増すことにも直結するのだ。

 十年前の落日以来、どうにも不安定な無手組を鎮めるには、トップの影響力を強めるのは効果的手段である。

 無手組が一影の意志で制御されるということは、第三第四の落日を防ぐことにもなるので、クシャトリアにも相応の利もあった。

 

「分かりました。それじゃあ一影には、俺が後から連絡を入れますよ」

 

 クシャトリアが言うと、龍斗やリミは兎も角として、兼一と美羽は目を丸くした。

 

「宜しいんですの? 聞くところによれば、クシャトリアさんはジュナザードに無理矢理に闇へ入らさせられたと聞きましたが?」

 

 リミの目は今なら闇から抜けて、平和な世界へ戻ることも出来るのではないかと語っていた。

 確かにリミの言う通り闇から抜けることはできる。ジュナザードや美雲もいないのであれば、クシャトリアを闇に縛るものは何もありはしない。

 腹を割って話せば一影もクシャトリアの脱退を認めてくれるだろう。ラグナレクのように脱退リンチなどもないはずだ。

 

「気持ちは嬉しいが、俺も随分と殺してきたからな。今更普通人には戻れん。かといって殺人拳を捨てて、活人拳になる勇気もありはしない。

 まぁ一影九拳という地位はなにかと便利だからな。精々利用させてもらうさ」

 

 そう、クシャトリアは一影九拳なのだ。断じてジュナザードが生きていた頃の中間管理職ポジションではない。

 梁山泊との戦争も終わり落日もないので、任務は適当に配下に丸投げしてゆったり出来るはずだ。

 

「けれど龍斗君も言った通り、俺も少しばかり足を止めてゆっくり景色でも堪能したいので、一週間は間を開けさせてもらいますよ」

 

「構わん」

 

 そう告げると本郷晶はその場で跳躍し、迎えに来たであろうヘリコプターに飛び乗った。

 挨拶もなしにやることを終えたら即座に立ち去るあたり、実に渋い。そのせいでクシャトリアは礼の一つも言うことができなかった。

 

「やれやれ。あの人には敵わないな…………ん? なんだリミ。俺の服の裾を引っ張って」

 

「言質はとりましたからねっ!」

 

「なんの?」

 

「だから一週間は間を開けるって!」

 

「あぁ」

 

 切実に休みが欲しいのか、そう詰め寄るリミの勢いには鬼気迫るものがあった。

 これで『俺は休むがお前は修行だ』と言ったらどういう反応するか見てみたいという邪な衝動にかられるが、流石にそれは酷いので頷く。

 

「お前のことだから、どうせアホみたいに真っ直ぐ全力疾走してきたんだろう。一週間は武術から離れゆっくり静養しろよ。なんなら龍斗君とデートでもしてくるといい」

 

「や、やったーーーー! 式には呼びますからね、{師匠《グル》!」

 

「最高品質のフルーツはあるんだろうな?」

 

 はち切れんばかりの喜びを表現するように、リミは兎のようにピョンピョンと跳ねる。

 以前なら兎も角、あれから十年が経っているわけでリミの年齢も二十代後半。少しは年を考えろ、というツッコミが喉元まできたが呑み込む。

 人間、なにかから自由になった瞬間はテンションがおかしくなるものだ。クシャトリアも今現在それを経験しているので良く分かる。

 ただ飴だけ与えるのもなんなので、しっかり鞭を一つ入れておかねばなるまい。

 

「ただし一週間後には修行再開だ。弟子クラス時代よりかは遥かに進歩していたが、まだまだ免許皆伝には程遠い。みっちり鍛え直してやる。

 スピードだけ特A級で、他が軒並み特A級未満では、一影九拳や梁山泊クラスの相手にもならん。まずはこれらを特A級ラインにまで引き上げて…………いや、待て。今の言葉は忘れろ」

 

「ほぇ?」

 

「スピード特化、大いに結構じゃないか。いっそ吸収力の高い二十代のうちに、スピードだけ超人クラスにまで押し上げてみるか。

 特A級のトップクラスではスピードだけで勝負など夢のまた夢だが、スピードだけでも超人級になれば、それを武器に面白く立ち回れるかもしれない。

 まぁ修行の過酷さと危険度は五割ほど跳ね上がるが、これまでもなんだかんだで生き延びてきたんだし、今度も生還するだろう」

 

「しませんってば! 普通の修行で、普通の修行でオネシャス!」

 

「却下」

 

「相変わらずの鬼っぷりに全リミが泣いたお……」

 

「それとリミ、龍斗君とのハネムーンは何処が希望だ?」

 

「へ? リミは龍斗様と二人っきりなら南極でも宇宙でもバッチコーイですけど、好きなところ行っていいなら秋葉原――――おほんっ! イタリアとか素敵だと思いますお」

 

「分かった。一週間後、足腰を人外にするため軽くイタリアへ走って行こう」

 

「…………………はい?」

 

 リミの顔が奈良の大仏のようになる。だらだらと流れる汗は滝のようで、段々と指が痙攣してきた。

 恐る恐るリミは慎重に口を開く。

 

「走ってって、海はどうするんですか?」

 

「海渡の秘術。まさか会得していないだとか言うんじゃあないだろうな? だったら海は泳ぐことになるぞ。俺はそれでも構わんが」

 

「そりゃ会得してますけど、あれ凄く体力使うんですよ! 地上歩くのと比べものにならないくらい!」

 

「だから修行になるんじゃないか」

 

 彼の無敵超人・風林寺隼人は娘の美羽がジュナザードに連れ去られた際、世界中の海面を走り回って大捜索を行ったという。

 一影九拳クラス相手にスピード特化でいこうというのならば、せめてその三分の二程度の足腰の強さがなければならない。

 

「さぁ。それじゃあ一週間の休みを、どうかエンジョイしてくれ」

 

「い、やぁああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 リミの絶叫は、心地よい調べとなって蒼天に響き渡る。

 だけれど長い長い戦いを終えて、漸く元の日常を取り戻したリミの声は少しだけ弾んで聞こえた。

 

 




 というわけで最終話ですが、近いうちに設定資料的なものを公開するかもしれません。


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設定資料集

※サブタイトル通りの設定資料集です。

※真面目と不真面目をオーバーレイ。

※本編では明かせなかった裏設定などものせています。

※電波。


『メインキャラ』

 

■シルクァッド・サヤップ・クシャトリア

異名:翼もつ騎士、拳魔邪帝、キョンシー

年齢:不詳(推定二十代後半~三十代前半)

誕生日:不明

身長:184cm

体重:79㎏

趣味:弟子育成、果物巡り

好きな物:果物全般、櫛灘美雲、退廃

嫌いな物:質素倹約、禁欲生活

将来の夢:休日が……欲しい……

『詳細』

 十年の時を経て復活したクシャトリア。

 自分のことを縛っていたジュナザードが死亡し、BBAの呪縛もなくなったことで、抑えつけられていた奔放な性質が露わになっている。要するに受験戦争から解放された受験生のノリ。

 しかし完全に十年前の通りに復活したというわけではなく、静動轟一の後遺症で記憶の90%が失われおり、ジュナザードの植え付けた邪念も心に溶けたまま残留している。

 師匠二人、内弟子一人、弟弟子が複数人と交友関係が恵まれているように見えるが、実はリミの言う通り友達はゼロ人。そして彼女いない歴=年齢。拳聖はあくまで研究仲間であって友達とは言い難い。一応まだ内藤翼だった頃に友達はいたので、友達いない歴=年齢でないことが唯一の救い。ただし北方謙三氏の教えを実際にやっているので女性経験が皆無というわけではない。むしろ本編の影で金にあかして結構豪遊していたりする。要するに素人童貞。

 クシャトリアの交友関係がお寒いことになっているのは、本人の問題だけではなく、親しい知り合いが出来たらジュナザードの犠牲にされると悟っていたからでもある。

 十年間BBAと雌伏の時を過ごしていた間、櫛灘流を奥義に至るまで教え込まれ、更には密かに戦場へ出ては実戦経験をつんでいたことで、実力も素で特A級上位クラスまで上昇。静動轟一の限界時間も伸び、静動轟双の安定性も増した。

 流石に長老やジュナザードには届かないまでも、静動轟一と特A級上位の実力が合わさって、対静動轟一の術をもっていない特A級相手ならば圧勝することも不可能ではない。

 一影九拳にパシリにされていた経歴から、達人らしからぬ普通の精神性をもっている―――――というのは誤りで、わりと非常識人。

 リミに拷問まがいの修行を課しては面白がるというサディスティックさをもちつつ、BBAに支配されていることに悦びを感じるという、SでもMでも両方いける変態。愛弟子の女の趣味最悪、性癖も最悪という評価は正当なものと言える。

 どうもBBAに支配されることで生を実感し、リミを支配することで生きがいを感じていた模様。

 恋愛とはお互いに支配し合うものなんだよ、というのがクシャトリアの主張らしい。男でありながらヤンデレ属性とメンヘラ属性を兼ね備えるあたり、もはや救いようがない。恋愛感がアレなせいで、恋愛描写を入れると確実に18歳未満お断りなことになるので本作の恋愛関連の描写が薄くなった原因。これも全部ジュナザードってやつのせいなんだ。おのれジュナザード!

 とまぁそんなこんなだが、一応普通の愛情というのも持っており、リミのために初めて命懸けの戦いに赴いたりもした。

 BBAが精神崩壊した自分をキョンシーにしていたことに怒りを覚えていなかったが、敢えてBBAの邪魔しに行ったのは、BBAがリミを悲しませたからである。

 自我を取り戻し復活してからは、一影からの要望もあって一影九拳に復帰。十年前とは違い正式に九拳になったことで、超重労働の日々からは解放された。……が、そこでトラップ発動。弟子の育成。一なる継承者である翔へのシラットの伝授、弟弟子であるジェイハンへの修行、BBAがいなくなって宙ぶらりんになっている千影へ櫛灘流の稽古などをやることになる。

 これにより弟子四人を同時に面倒を見なければならないという事態に発展。しかも所属がばらばらなので一度に修行を見るのも難しいというダブルパンチにより、闇人の仕事は減ったものの自由時間の方はあんまり変わりませんでしたとさ。

 

■シルクァッド・ジュナザード

異名:拳魔邪神

年齢:90歳以上

誕生日:10月23日

身長:165cm

体重:60㎏

趣味:弟子実験、政治

好きな物:果物全般、特に柿

嫌いな物:肉、魚、小麦

将来の夢:人の限界を捨て去り、神と戦う

『詳細』

 本作品のラスボスであり、全ての元凶とすら呼べる存在。史上最凶最悪の師匠。

 自分にとって不都合な存在になった弟子を、容赦なく殺害(未遂だったが)する非情にして外道な男。おがちゃんと並んで、ケンイチにおける二大外道キャラの一人といえる。そのため本郷さんからは殺人道ですらない外道と評された。

 作中における外道行為は枚挙に暇がないが、元々はティダードを西洋列強の侵略から守り通した英雄であり、善性の人物であったらしい。ロナの発言によればティダードの教科書にも載っているとのこと。

 数々の英雄的行いによって遂には神と崇められるまでになるが、後にどういうわけか邪神へと変貌してしまう。どうしてこうなってしまったのかは、原作でも明かされておらず不明。

 公式に『生涯で己より強い武人と出会うことはなかった』と明言されている作中最強候補の一人。遊びを止めて本気になれば、我等の本郷さんすら一方的にフルボッコにしてしまえるほど実力は隔絶している。ただ風林寺一族出身の長老や砕牙、暗鶚出身のとは異なり極普通の平民出身。血統書つきの天才である長老や穿彗とは違い、突然変異型の天才と呼べるかもしれない。

 原作ですら長老やガノスケ以外には手がつけようのない怪物だったジュナザードだが、本作品では更に静動轟一を会得してしまい更なる化物へ進化。

 静動轟一を発動した場合、その実力はもはや達人や超人といった領域すら踏破し、神域に踏み込んだ神と呼べる存在となる。しかもジュナザードは規格外の精神性と肉体強度によって、静動轟一の負担を完全に抑え込めるので、ノーリスクで半永久的に発動し続けることが可能というチート状態。

 クシャトリアがジュナザードに勝てたのは、クシャトリアがジュナザードの使う技を全て知り尽くしていたこと、長老との戦いにおける消耗で静動轟一発動不可能、クシャトリアの奥義に一瞬目を奪われるなどといった数々の要因あってのことであり、実力的にクシャトリアが真っ向から勝てる相手ではない。そのことはクシャトリア自身も理解していたので、BBAと組んで策略を巡らせることとなった。

 十年後のリミとの戦闘では、クシャトリアの心に植え付けた邪念が現出する形で復活を果たす。しかしクシャトリアの肉体スペックがジュナザードに追いついていなかったことや、リミの横合いからの一撃もあって本郷さんに敗れ去る。その後、クシャトリアの魂の断片を吸収することで、クシャトリアを復活させた。作中クシャトリアを絶望に陥れるだけだったジュナザードが、唯一弟子を救った瞬間である。

 これまで邪悪で通していた反動からか、そのインパクトは凄まじく感想欄での邪神様ツンデレコールが巻き起こった。ツンとデレの比率は無量大数:1。自分を殺すほど成長した弟子に対して、百年に一度くらいデレるかもしれない。

 ちなみにジュナザードがこんな行動に出た最大の理由は、自分を倒したクシャトリアがBBAの操り人形にされているのが不快だったから。邪神様的には自分の後継者となったクシャトリアには、シラットを更なる高みへと導き、それを後世に伝えて欲しかったのだろう。

 

■櫛灘美雲

異名:妖拳の女宿、BBA、エロティックBBA、ヒロインなBBA、妖怪BBA

年齢:九十歳以上

誕生日:12月24日

身長:179㎝

体重:乙女に聞くものではないわ

趣味:ドライブ、ゴルフ、乗馬

好きな物:春風

嫌いな物:真夏

将来の夢:遠い日においてきた…

『詳細』

 この作品のヒロイン。誰がなんと言おうとヒロイン。黒幕系だし、落日だと日本一素晴らしい中国人に脱がされるけどヒロイン。

 クシャトリアにとっての第二の師匠であり、もう一人の史上最凶最悪の師匠。ジュナザードと拳聖が二大外道師匠だが、BBAを加えて三大外道師匠にしてもいいかもしれない。だけどBBAはヒロインです。

 ジュナザードと同じく長きに渡って一影九拳の座にあるだけあって、実力は特A級の中でも指折り。闇最強の柔術家である。個人的に秋雨と最強柔術家対決して欲しかったけれど、別にそんな戦いはなかったぜ!

 外道なジュナザードに虐げられる幼い日のクシャトリアが見出した光でもあるが、これは作為的なものであり、BBAの本意はクシャトリアに自分への愛情を植え付け、ジュナザード抹殺の駒にするつもりだった。

 これだけ聞くと正に外道なのだが、クシャトリアもBBAの意図を普通に察しつつも支配されることに悦んでいたあたり、もう誰が悪いんだか分からない。

 作中だと綿密にたてた計画が、予想外のイレギュラーで台無しにされることが多く、ある意味では一番の被害者と言えるかもしれない。クシャトリアから(性的な意味で)支配したいと狙われていたりする。あれ? なんかBBAがまともな人間に見えてきた。

 こんなんでもBBA本人もクシャトリアにはそれなりの愛着をもっていたらしく、クシャトリアをキョンシー化させたのも「クシャトリアはわしのものなんだからね!」という独占欲の現れであったのかもしれない。

 ああ、この作品の恋愛関係のモラルはいずこへ。

 

■小頃音リミ

異名:アタランテー、クシャトリアの被害者、拳魔邪姫(自称)

年齢:17歳(ティダード編)、27歳(十年後の世界)

誕生日:2月14日

身長:160㎝

体重:ぐわああ!

趣味:ブログ更新

好きな物:龍斗様、師匠

嫌いな物:キョンシー化したクシャトリア、龍斗と過ごす時間を邪魔する全て、櫛灘美雲

将来の夢:龍斗の嫁

『詳細』

 この作品のもう一人のヒロインであり、もう一人の史上最凶最悪の師匠の弟子。

 緒方の主催する弟子育成プログラムの一つ、ティターンの元リーダー。前リーダーであったクロノスを撃破して新リーダーになった。別にガンダムに出てくるティターンズとは関係ない。その後、紆余曲折あって原作とは異なりクシャトリアの弟子となる。

 性格は脳天気でスイーツ(笑)。わりと残念なところもあるが、想い人である龍斗には愚直なほどに一途。金髪ロリ体型でゴスロリで縞パンで胸もありつつ天然で一途と、途轍もない数の萌え要素を秘めた存在であり、こんな美少女にラブコールされ続ければ、未だに初恋の相手(美羽)を引きずっていた龍斗もKOされるというものである。

 その明るい性格がクシャトリアに生甲斐を与えることとなり、ティダード編では最初で最期の命懸けの戦いに赴く切っ掛けにもなった。一応クシャトリアとリミの名誉のために補足すると、クシャトリアとリミの間にあるのは師弟関係であって、両方とも異性としての恋愛感情は全くもっていない。

 十年後の世界では仮面を被りライダースーツを纏った女性として登場する。永年益寿法の影響で十年後の世界でもまったく年をとっておらず、肉体は十七歳の若さを保っている。嘗て多用していたネットスラング皆無のシリアスな喋り方になっているのは、なんとしても師匠を取り戻すという悲壮な覚悟の現れ。逆を言えばネットスラングが出ている時は地が出ているということ。

 肝心の実力に関しては、あの拳聖に十万人に一人の逸材と称されるだけあって中々のもの。ただ流石に翔や美羽といったケンイチ世界の弟子トップクラスには及ばない。だがその一歩手前程度の実力は備えている。これは十年後の世界でも変わらず龍斗や翔が特A級の成りたてだった時には、まだ特A級一歩手前の実力だった。

 

 

『用語集』

 

■アーガード・ジャム・サイ

 名前が似ているけれど、どこぞのラスボスの旦那とは一切関係ない。

 初登場時のやり取りが余りにも三下臭を醸し出していたが、本格的に登場するとアパチャイの兄貴分に恥じぬ超絶人格者だったでござる。

 コーキンが少年漫画によくある年上を敬わないDQNな言動をした際にはやんわりと注意をし、殺し合い前の兼一のケータイが鳴った時は「決闘の前には携帯の電源は切っておこうな。マナーだ!」と大人の武人として忠告もした。

 これはもう本郷さんに次ぐ一影九拳人格者ランキング第二位の地位は不動のものといっても過言ではないだろう。

 

■朝宮龍斗

 リミの婿。兼一とは幼馴染。

 三十秒間だけ静動轟一をノーリスクで使えるようになるというチート技に目覚めた。

 あのフレイヤを車椅子に座ったままの状態でいとも容易く無傷で無力化するなど、実力はYOMI内でも屈指。覚醒後はたぶん鍛冶摩とか翔をぬけば一番強いと思う。

 よくボケるリミに冷たいコメントを出したり、物理的に諌めたりするが、それが快感になりつつあるのが最近の悩み。

 十年後の世界では闇からは抜けているものの、活人側になることはなく、政府雇われの武術家になっている。

 

■アケビ&ホムラ

 クシャトリアの配下その1とその2。

 褐色肌でティダード出身なのがアケビ、金髪でヨーロッパ出身なのがホムラである。

 二人とも師匠がジュナザードに仕えていた縁で、クシャトリアの配下となった。

 

■アレクサンドル・ガイダル

 一影九拳の一人でありながらロシア軍にも所属している軍人でもあるという異色の人物。

 ロリコンシスコンマザコンを極めた赤い彗星や爆竜大佐やテレサ・テスタロッサたんやルーデル閣下といい、フィクションの軍人の人気キャラにはやたらと大佐が多いが、その例に漏れず彼の階級も大佐である。え? ルーデルはフィクションじゃなくてノンフィクションだって? やっていることがフィクションよりフィクションらしいからいいんですよ!

 大の銃火器アンチで、銃を向けられた途端にプッツンするほど。癇癪から一個中隊(だいたい150人くらい)を皆殺しにしたことがあるらしい。

 こんな如何にもな危険人物だが弟子への愛情は本物で、弟子の前だとキレることもないとのこと。大佐、部下の前でもキレないで下さい。

 しかし考えて欲しい。彼の階級は大佐……大佐である。当たり前のことだが、二階級特進コースのような例外を除いて、大佐になるためには階級を一つずつ上げていかなければならないのだ。

 つまり銃を見れば我を失うほどキレるという軍人としては最悪の悪癖をもちながらも、大佐に昇進するまで軍を追われるほどの問題を起こさなかったということでもあるのである。

 アレクサンドル・ガイダル……彼が大佐となるまで、どれほど自分の心の内側に眠れる凶暴性と戦い続けたのか。その激戦を知る者は彼自身のみである。

 

■アパチャイ・ホパチャイ

 中の人がジャッキー・チェン。兼一にとっては師匠達の中で最も優しい男にして、最も恐ろしい男。

 恐らく兼一を生死の境に追い詰めた数ならば断トツの一位だろう。

 

■池袋

 人外魔境。

 

■イーサン・スタンレイ

 レイチェルの弟だが、性格は正反対。兼一のフレンド。

 やたらと寡黙だがクラスメイトにはかなりの人気をもっていたらしい。

 

■一影九拳

 闇の無手組の最高幹部である十人の達人。一影の異名を持つ風林寺砕牙を長に、九人の異名に〝拳〟の一文字をもつ武術家が集う。

 一影九拳の選別は純然たる実力によって決まり、そのため代替わりは頻繁に起こる。ただし櫛灘美雲とジュナザードの二人は、代替わりすることなく長い間、その地位に所属していたとのこと。

 ジュナザードが「ただの不可侵条約」と評した通り、集団としての結束力や仲間意識は恐ろしく低い。ラストバトルで半分以上が梁山泊側に寝返ったのも、それと無関係ではないだろう。ただし所属している全員が梁山泊の豪傑と互角以上の実力をもっているなど、個々の強さは八煌断罪刃を上回る。

 十年後の世界ではクシャトリアが王のエンブレムをもつ九拳として復帰。また意図せずして櫛灘流を修めてしまったことから、櫛灘美雲が復帰するか千影が相応しい実力になるまでの期間「水」の九拳を代行することになった。

 

■宇喜田孝造

 不死身の宇喜田。後書きだとマ○キチなコナンssで何故か酷い目に合う光彦並みの不死身っぷりを誇り、何度殺されようと次の回には何事もなかったかのように復活する。

 ただしこれは後書き内だけのことであって、本編にその不死身っぷりが適用されないのが残念なところ。三国志では張任が好きらしい。

 

■ヴォル様

 お辞儀をなによりも重んじる礼儀正しい御方。ベラ様の御主人様。CVはえなりかずき。

 ネタキャラ扱いされているが、最終兵器爺と鬼畜眼鏡以外はまともな戦いにもならなかったことから、めちゃんこ強いのは間違いない。

 これは次回作のタイトルは「魔法界の史上最凶最悪の師匠とその弟子」で決まりやな。いや嘘だけど。

 

■大神

 神ゲー、否、大神ゲー。プレイしなきゃ損。

 

■緒方一神斎

 拳聖という異名をもつ武人。一影九拳が一人にして、ラグナレクやティターンなどの組織の主催者。愛称はおがちゃん。

 武術平等論を掲げ、平然と自分の弟子を実験台にする外道。才能や家柄目的に関係なく、武術においては全てが平等であるという信念をもつ。ジュナザードと並びケンイチ界の二大外道師匠の一角である。

 しかしジュナザードが救いようのない正真正銘の外道なのに対して、彼に関していえば「武術を抜きにすれば紛れもない善人」であることは疑いようがない。

 田中さんのワイフを殺めた際に、武術家ではないお腹の子まで殺してしまったことを悔いて山に籠り仏像を彫る、幼い日のなっつんを悪党から救い出し教えを授ける、遭難していた兼一を助ける、バッグに動物を手当するための薬を常備しているなど、彼の人間的美点はかなり多い。また武術の発展のため弟子を実験台にする非情さをもちながらも、弟子に対する確かな愛情も持ち合わせている。このためクシャトリアに憎まれたジュナザードとは違い、自分の弟子に怨まれたことは一切ない。

 武術への狂的な愛情は紛れもなく本物であり、根っからの善人である兼一すら「疑いようのない外道なのに心の底から憎みきれない」とまで思ったほど。もしかしたらケンイチ世界で最も武術を愛している人なのかもしれない。

 その徹底した姿勢からクシャトリアは「行き過ぎた平等主義者」と評している。

 ちなみに昔は原作での描写から一影九拳の中でも実力は低い方なのだろう、と考えている読者が大半だったが、落日戦では静動轟一を発動し同じ特A級であるラフマンとアーガードを瞬殺するという驚異の実力をみせつけた。

 特A級の達人が静動轟一を発動したらどれだけヤバいかが分かる事例であり、このためこの作品のプロットそのものが書き換えられた。

 もしおがちゃんの弾けっぷりがなければ、静動轟一に関しても控えめの強化に落ち着いて、ジュナザードが神化するようなこともなかっただろう。

 ジュナザードや本郷さんとは別方向で好きなキャラの一人なので、またケンイチのssを書くことがあるのならおがちゃんを主人公にしたい。

 

■オレンジ

 果物なので言うまでもなく邪神様の好物の一つ。

 ピンク髪のクーデレロリという嫁をゲットし、オレンジ農園を経営しているリア充な忠義の男の異名でもある。

 果物大好きな師匠がいながら、オレンジネタを使えなかったのが一生の悔い。

 

■核ミサイルちゃん

 落日でも十年後の戦いでも世界を変える秘密兵器として用意されながらも、一度も日の目を見ることの出来なかった悲運のキャラクター。

 好きな言葉は突撃、座右の銘は一撃必殺。出番は僅かだが恐らく作中最強クラスの攻撃力をもつキャラであり、某盟主王によればその一撃は宇宙の癌であるコーディネーター24万を浄化できるとされる。

 

■鍛冶摩里巳

 女みたいな名前をしているが、筋肉ムキムキの紛れもない男。ただし「なんだ女か」とか言われても、カミーユみたいに殴りかかってはこないと思う。

 一影の修行で弟子クラスでありながら高度な読心術をもっており、閉心術を会得していない相手の思考を読みとることが可能。

 その力で頭脳で遥かに上回る千影を将棋で撃破することに成功している。きっとチェスならシスコンをこじらせて世界に反逆した童帝も倒せるだろう。

 

■活人拳

 武術における二大流派の一つ。読んで字の如く人を活かし守る拳。

 作中だと梁山泊や新白連合はこちらで、現実のスポーツ武術なども勿論こちらに当たる。

 殺人拳には非情さと殺気で劣るが、優しさを武器とした活人拳の気は仲間と連携することで力を何倍にも増すことが出来る。

 

■カップリング

 RYUZENがこれに五月蠅い方なので美羽は「兼一×美羽以外は認めねぇ!」と美羽がヒロインになる可能性は最初から皆無だった。

 他にもギアスだとC.C.は「ルルCこそ至高、それ以外は邪道」と叫んでロスカラでも頑としてC.C.を攻略しなかったりした。

 

■叶翔

 クシャトリアの生存フラグ。彼の命を助けることに失敗した場合、自動的にクシャトリアのデッドエンドが確定します。

 自分が生き残るために他人を殺し続けてきたクシャトリアが助かるには、他人の命を助ける必要があるというところがなんとも皮肉である。

 基本的に誰に対しても温厚に接する兼一が敵愾心を燃やし「気に入らない」と断言するレアな人物。だが嫌よ嫌よも好きのうちとは言うもので、これだけ嫌うということは一方で兼一も翔も誰よりも強く相手のことを意識しているのだろう。

 案外、翔が女の子だったら兼一に惚れていたかもしれない。

 

■神

 本作独自の武術の位階。超人級の武人が静動轟一を発動させることで、人間の限界を捨て去って一時的に到達した武の深遠。神域とも称される。

 速度一つとって特A級の達人が目視すら難しいほどで、もはや人間では太刀打ちできない規格外の強さを発揮する。

 当初こんな位階など登場する予定はなかったのだが、ジュナザードの夢が「人間の限界を捨て去り神に挑戦する」だったことから思いついて、登場することとなってしまった。

 

■上条さん

 どんな相手だろうと熱い説教と男女平等パンチによって粉砕する、ラノベ界で最も有名な主人公の一人。

 単純なスペックだけ羅列すると歴代ラノベキャラでも飛びぬけているわけでもないのだが、取り敢えず上条さんがいるとなんとかなりそうな安心感は異常。

 

■ガンダム

 俺がガンダムだ。

 

■紀伊陽炎

 仇名はのっぺりさん。本人はニョニョたんと呼んでほしいらしい。

 武器組に所属する一介の達人なのだが、しぐれと互角に戦ったことから「ミハイとかより強いんじゃね?」とよく言われる。

 実はもう一人のクシャトリアの師匠候補。クシャトリアの運命はジュナザードの弟子になるか、のっぺりさんの弟子になるのかの二者択一だった。どっちも地獄……。

 ちなみにのっぺりさんの弟子になった場合、兼一たちと同世代になり自分の愛刀を美少女に擬人化して欲情する危ない人になっていた。

 そしてヤバい意味で刀と一体化することで、弟子クラスでありながら心刃合錬斬を使いこなすチートになる。

 

■姜維

 趣味は北伐、将来の夢は北伐、好きな言葉は北伐、生甲斐は北伐、座右の銘は北伐、人生の指針は北伐。

 人材と国力を生け贄に捧げ、ひたすら北伐。国が滅びようと、主君が降伏しようと北伐北伐北伐北伐北伐。

 

■キョンシー

 魂が砕け散って廃人となったクシャトリアを、BBAが邪法を用いて動かしているモノ。

 実力こそクシャトリアそのものだが、心ない兵器であるが故に融通が効かないという欠点がある。

 とはいえ学習能力はあるので、十年間の間にクシャトリアは櫛灘流を修めることを達成した。

 

■キング・クリムゾン

 作者にとっての秘密兵器。退屈な修行風景や成長の「過程」を消し飛ばし「結果」だけを残す最強のスタンド。

 よくザ・ワールドとどっちが強いか議論になる能力。だけどレクイエム相手は勘弁な!

 

■金髪ポニテ

 俺、ポニーテール萌えなんだ。

 

■久遠の落日

 世界大戦のような世界規模の戦いを意味する。または闇による世界大戦を引き起こす計画の名前。

 BBAが二度に渡って引き起こそうとするが、二回連続で梁山泊の活躍により阻まれた。

 

■櫛灘千影

 ロリ、クール、天才、甘党など数多くの萌え要素を秘めた兼一のニューヒロイン。

 取り敢えず宇喜田は爆死すればいいと思う。いやっほおおおおおおおおおおおおおおおお!!

 

■クリストファー・エクレール

 金の亡者。逆鬼の元同僚の殺し屋さん。特A級には及ばないまでも、それなりに善戦が可能な実力をもっている。

 殺しが大好きな快楽殺人者だが、一番好きなのはお金らしく、金さえ払えば趣味じゃない正義の味方業にもせっせと勤しむプロ。

 

■暗鶚衆

 才能ある者同士を交配させることで、より優秀な個体を人為的に産み出す試みを現代に至るまで続けていた忍の一族。要するに優生学の一種。

 その力は戦時下において遺憾なく発揮され、単独で数個師団(一個師団がだいたい1万~2万人)に伍する戦闘力を持つとされる。

 風林寺砕牙と妻である静羽を筆頭とする解放派、暗鶚の長を筆頭とする継承派の二つに分かれての内部抗争の末、一族は世界各地に散らばることとなった。

 なおこの内部抗争の最中、風林寺砕牙は活人に徹し切ることができず殺人拳に堕ちている。

 

■拳魔邪帝

 クシャトリアの異名の一つ。元ネタは言うまでもなくジュナザードの異名である拳魔邪神。

 ジェイハンが王でジュナザードが神なので、間をとって帝とした。裏設定だが十年後のリミは一部で拳魔邪姫の異名で呼ばれている。

 

■岬越寺秋雨

 哲学する柔術家、ドラえもん、うるさいヒゲなど多くの異名をもつ柔術家。

 ケンイチ作中で最も完璧超人という言葉に相応しい偉人であり、むしろ苦手なものを探すのが不可能なレベル。

 唯一の弱点がピーマンであり、ピーマンにだけは勝てない。

 

■香坂しぐれ

 梁山泊の豪傑の一人。剣と兵器の申し子という異名をもつ武器術の達人。

 兼一が無手の達人のせいで教える機会が他の師匠より少ないのが悩み。兼一が元空手部じゃなくて元剣道部ならばワンチャンあったかもしれない。

 

■KOUMEI

 蜀漢の丞相。三国志演義では最大級の演義補正を受けまくり過大評価され、なまじ正史を齧った人間からは逆に過小評価されるなど、ある意味三国志で一番正当な評価から遠い人物。

 RYUBIのためにえーんやこーらと働いて働いて働き抜いて過労死した。

 

■古なんとかさん

 誰だっけ、こいつ。

 

■逆鬼至緒

 ツンデレ。ケンカ100段のツンデレ。金髪白人美少女に熱烈なラブコールを受けているツンデレ。

 無職かと思ったら、しっかり仕事していたツンデレ。実は英語が喋れるツンデレ。

 

■殺人拳

 武術における二大流派の一つ。修羅道とも表記される。活人拳とは対称的に、武は如何に効率的に敵を破壊するか―――即ち殺法を重視しており、活人拳とは相容れない関係である。

 闇側の武人は全員が殺人拳で、砕牙や田中勤のように元は活人拳でも後に殺人道に堕ちることもある。田中さんの場合は、殺人道に堕ちたものの、実際に殺人に手を染めることがなかったのが救いか。

 現実だと軍隊の格闘術などは殺人拳に該当するといえるだろう。

 

■c.m.様

 偉大なる挿絵提供者様。

 全員『礼』だッ! 支援者のc.m.さんだ!

 

■ジェームズ志場

 武田の師匠のボクサー。異名は裏ボクシング界の破壊神、破壊神シバ。

 破壊神というのはそのボクシングスタイルのみならず、、ヒンドゥー教の破壊を司る神であるシヴァ神にかけているのだろう。

 長老の秘技である流水制空圏を数多き口伝をもとに再現し、武田に伝授するなど弟子育成能力は確かなものがある。さすがお兄様。

 

■ジークフリート

 カイザー・ラインハルトの永遠の友達で、死ぬのが早すぎた人。

 オレンジ卿の愛機になったり、サーヴァント化した挙句に男の娘に萌えて自害したりする。

 ジークフリード? 俗っぽい名前だね。

 

■シャア・アズナブル

 通称レッド・コメットのシャア。ロリコンとシスコンとマザコンを極めた偉大なる男。

 ハマーン様に熱烈なラブコールを送られているが、華麗にスルーし続けている駄目人間。

 駄目人間っぷりを咎められると「サボテンが、花をつけている」と意味不明な発言をすることで煙に巻こうとする。

 味方でいると大したことのないのに、敵になるとめちゃんこ強くなるキャラの典型。

 

■史上最強の弟子ケンイチ

 偉大なる原作。え? 二次創作だけで原作は知らない? 

 そんな貴方は今直ぐ本屋へGO! 武術とエロが貴方を待ってます。目指せ、全巻コンプリート!

 

■シバショー

 劉禅時代の蜀漢にとってのラスボス。三国一の下種野郎。

 主君である皇帝を殺害するのは当たり前、実行犯に全責任を擦り付けることも。その際に殺害を命じた賈充にはまったくのノータッチなのもポイント。

 シバショーにとって蜀漢併合は天下統一のやり損ない。一回の暗殺で人が三人死ぬ。前に立つだけで主君の皇帝が泣いて謝った、心臓発作を起こす皇帝も。KOEIに圧力をかけて、三國無双に晋勢力を追加。しかも自分を綺麗なイケメンキャラにさせて、金髪ポニテの嫁まで作らせる。

 と、このように彼の外道っぷりは曹操が聖人君子に見えるほどで、他にも腹黒エピソードは数多い。

 三國無双だと司馬一族揃って「才あるものが治める世」を築くと言っていたけど、司馬一族の晋王朝は超絶ド暗愚である二代目皇帝の司馬衷の活躍により、三国時代がマシに思えるほど悲惨な時代に突入するのでした。残念無念また来世。

 

■ジョナサン・ジョースター

 二次元に変態紳士は数多しといえど、変態的な意味のない本当の紳士はレアである。

 放映中のジョジョのアニメ第三部に首から下だけ出演予定。どうでもいいけど首から上はどうなったのさ。

 

■白浜兼一

 原作の主人公にして、実は一番描くのに苦労したキャラ。

 というのも達人級と弟子級で実力がハッキリと別れているケンイチという作品の都合上、主人公を達人級と設定するとどうしても「オリジナル主人公が原作主人公よりも遥かに強く太刀打ち不可能」という地雷を踏んでしまう。

 そのためクシャトリアと兼一が絡むと、自然とクシャトリアが上から喋ることとなり、下手すると原作主人公sage&オリ主マンセー&SEKKYOUという最低要素目白押しである。

 原作を借りた二次創作で原作を貶めるような描写をしてはならないため、クシャトリアと兼一の会話では、出来る限り説教臭くならないようにしつつ、読者の方々に「白浜兼一」という人物に悪印象を持たれないよう最大限の注意を払っていた。

 果たしてその成果があったのかどうかは、読者諸兄に判断を委ねたい。

 

■新白連合

 宇宙人・新島春男が結成した武術組織。新島の〝新〟と白浜の〝白〟で新白連合である。

 ナンバーワンは無論総督である新島春男。そしてナンバーツーは切り込み隊長の白浜兼一と思われる。

 当初は目ぼしい人員が新島、兼一、武田、宇喜田の四人しかいなかった弱小組織だったが、ラグナレクのメンバーを吸収していったことで巨大になっていった。新島は新白連合を格闘技の団体として財団法人にしようと目論んでいる。

 トップである新島が独特の統率力とカリスマ性をもち、幹部達は軍人の集団を撃退できるほどの強さを誇るなど、その規模は不良集団の枠を軽く超えている。

 全体的にバランスの良い組織だが、敢えて欠点をあげるなら良くも悪くも新島と兼一の二人が中心の組織なので、二人がいなくなると上手く回らなくなって自然消滅するかもしれないというところか。

 

■水銀党

 現在ナチ党との戦争準備のため党員募集中。

 

■鈴木はじめ

 故人。逆鬼至緒と本郷晶の共通の友にして、彼等が道を違えることになった原因にもなった人物。

 彼を交えた三つ巴の戦いは、過去回想という形ではあるが、ケンイチを代表する名バトルの一つである。

 

■セイバー

 型月のドル箱アイドル。王としてだけではなく、ヒロインとしても十年間戦い続けた。たぶん更に十年戦える。

 セイバーはあ俺のもんだってええ言っただろおおおお!

 

■静の気と動の気

 ある一定の領域に到達した武術家は、心を落ち着かせる静のタイプと感情を爆発させる動のタイプに分かれる。基本的には性格の向き不向きで決まるが、中には二つの道のどちらにも進める稀有な者もいる。

 静の気は安定性が高く精密さに優れ、動の気はムラがあるも爆発力が高く、破壊力に優れている。

 他作品のキャラが静のタイプか動のタイプか妄想してみると楽しいかもしれない。

 

■静動轟一

 緒方一神斎の開発した気の扱いにおける禁忌にして最凶の技。静の気と動の気を同時発動し融合させることで、一時的に爆発的な強さを獲得できる。

 作中の描写を見る限り体得難易度は高くはないが、修得には静と動の二つを修める必要があるため、素質がない人間には体得不可能。

 

■刹那丸

 のっぺりさんの嫁。原作だとのっぺりさんが戦死したため、未亡人になってしまった。

 悲しいけど、これ戦争なのよね。

 

■セロ・ラフマン

 カルマンさん。全国のロリコン共を熱狂させた千影の妄想に現れる人の元ネタ。

 なんか言葉だけで人を殺すことができる。しかもどこぞのギアス能力と違って一人につき一回の制約もない。KIRAがこの力をもっていたら、初対面でLは殺されていただろう。

 髭にこだわりをもっているのか、逆鬼師匠に髭を引っ張られた時は怒った。あのジュナザードの友人をやれていたという奇跡のような存在でもある。

 

■穿彗

 もう一人の一影。幼馴染といえば、昨今ではギャルゲやラノベでも癖のあるメインヒロインの踏み台として扱われたり、メインヒロインとして抜擢されても人気がサブヒロインにいってしまうという残念なポジションになりがちであるが、彼の場合はその幼馴染を親友にとられてしまった。ま、現実なんてそんなものである。現実で幼馴染との恋愛が許されるのは幼稚園児まで。

 個人的に兼一を闇堕ちさせたら砕牙になって、その砕牙が更に闇に堕ちしたら彼のようになりそうな予感がする。

 

■総統閣下

 ニコニコ動画で御馴染の総統閣下。たぶん世界一有名な独裁者。

 HELLSINGの少佐とかシュトロハイムとかルーデルとか黒円卓とかの上司。様々な媒体で主に悪役として大活躍のナチスだが、そんな彼等を束ねていた総統閣下こそ最強なのは確定的に明らかである。

 ドリフターズだとなんか異世界に一人ほっぽりだされて、大帝国を作り上げていた。閣下パネェ。

 

■ソ連

 断崖絶壁に立たされている資本主義より一歩進んだ状態である社会主義を掲げる赤い国。国家元首はヨシフおじさん。

 特産品は兵士で、一年中畑で腐るほどとれる。国家元首を馬鹿って悪口を言うと国家機密漏洩罪になる恐い国。

 

■武田一基

 ガングロでイケメンなため女性人気根強いボクサー。

 かつては八拳豪未満の実力に過ぎなかったが、良い師を得たことでメキメキと頭角を現していった。だが成績は悪い。

 本作だと何故かにわか三国志マニアにされている。

 

■達人級

 マスタークラスと読む。妙手の壁を越え、人間の領域を逸脱した武人たちの総称。

 地面から家の屋根へ一っ跳びで跳躍、壁をパンチで粉砕など人外染みた行動が可能になる。

 才能ある人間が無限の努力をして至れるか至れないかという頂きであり、才能ない者は決してたどり着けないとされる。

 

■立華凛

 なんだ男か。

 

■田中勤

 天地無真流古武術の正当継承者で、活人拳の弟子でありながら妻と子の復讐のために、敢えて師の教えに背き殺人拳へ身を堕とした男。

 武術を志した境遇など非常に兼一と共通点のある人物で、ある意味では兼一が辿るかもしれないIFの未来を暗示している人間でもある。

 過去回想などを除外すれば、ケンイチの原作中で明確に死が描かれた数少ないキャラ。

 本作だとティダード編から十年後にキング・クリムゾンするため顛末が描かれていないが、翔と違ってクシャトリアが関わることもなかったので、原作通りの最期を迎えている。

 

■谷本夏

 仇名はなっつん、異名はハーミット。

 普段纏っている黒いコートは、フードを被るだけで仮面もつけていないのに正体を隠せるという脅威の隠密性を誇る。

 あの逆鬼師匠とも肩を並べるケンイチ界のツンデレキャラ。中の人がベジータでジーク・カイザー・ラインハルトでニンジンいらないよ。

 

■ダンブルドア

 最終兵器爺。魔法界の無敵超人、全盛期のダンブルドアのコピペが出来るくらい凄ェ人。

 二次元においてホモキャラや両刀使いはやたらと強キャラ率が高いのだが、それはイギリスの児童書でも同じだったことを証明してくれた。

 

■超人級

 達人すら凌駕した世界最強の武人だけが到達する位階。特A級の達人も超人には遠く及ばない。

 本作だと長老、ガノスケ、ジュナザードの三人がこれに該当。原作で明言されてはいないが、砕牙や穿彗もこの位階にあった可能性がある。

 

■筑波先輩

 元空手部副将で、兼一を一度は負かした男。やられたっきり再登場はなしという典型的な序盤の敵キャラ。

 だが武田と宇喜田と同じ三年生だったというのが運のつき。何故かオタクキャラされて、武田や宇喜田とアホなやりとりをすることに。そして三人揃って留年した。

 王元姫や赤セイバーに萌えていたので、恐らく金髪巨乳キャラが好きなのだろう。ちなみに原作では彼がオタクだという事実は一切ない。

 

■翼もつ騎士

 クシャトリアの異名の一つ。

 一見すると厨二チックだが、サヤップ・クシャトリアを直訳しただけなので、なんのひねりもない単純な異名である。

 

■ディアボロ

 情熱ある暴力団のボス。現在はレクイエムを喰らって永久に死に続けている。きっと世界一巡後もどこかで死に続けているはず。

 密かに再登場を期待しているキャラの一人。

 

■ディエゴ・カーロ

 マスクマン。存在そのものがネタの宝庫過ぎるので、普通に説明してもネタになってしまう兼一屈指のネタキャラ。

 タイトルを勝手に変更したり、思いっきり読者に向けてメタ発言したりと、その暴れっぷりは作中随一。エンターテイメントに命を賭けており、あの剣星すら天晴と言わしめた。

 フリーダムの権化で闇の秩序なんてまるで気にせずエンターテイメントに奔る彼だが、同じようにフリーダムな性質である翔とは滅法相性が悪い。

 これはディエゴが盛り上がる空気を作ることの達人なのに対して、翔は自分の目的のために空気をぶち壊すタイプだからだろう。観客あってのエンターテイナーと、自分と敵さえいれば十分の武人の違いとも言いる。

 

■ティターン

 おがちゃんの主催していた弟子育成プログラムの一つ。元ネタはティターン神族と思われる。

 幹部が北欧に因んだ異名をもつラグナレクとは違い、クロノス(ゼウスの父)やアタランテー(ギリシャ神話の女狩人)など幹部はギリシャ神話に因んだ異名をもつらしい。

 なんだ男か、と発言したリーゼントのせいで滅んだ。

 

■ティダード王国

 ジュナザードの祖国。インドネシアの小さな島国で、公用語はインドネシア語。

 世界有数の内戦地帯であり争いが途切れることはない。これはジュナザードが裏で糸をひいているせいで、ジュナザード死後はジェイハンの復帰もあり内戦は終結した。

 作中の描写から王を国家元首にした専制国家であると推測される。

 

■ティーラウィット・コーキン

 千八百年くらい前の中国で、コーキン党を率いて漢王朝に叛逆した男。

 しかしRYUBIやSOUSOUやSONKENなどの三國無双オールスターに、プレイアブル武将が一人のコーキン党が勝てるはずなく、あっさり鎮圧された。だが彼の叛逆が後の群雄割拠の時代の幕開けになった。

 壊滅したコーキン党は水銀党に吸収合併され、今は銀様に萌えることに情熱を費やしている。

 現在「水銀ならウゼェけどうちにもいるんだよ」といちゃもんつけてきた総統閣下率いるナチ党との戦争準備を進めており、今後の動向が気になるところ。

 

■デスノート

 ラノベ界では高名のレズビアン・白井黒子が愛用しているノート。

 敬愛する某第三位への劣情が延々と綴られており、常人が中を見れば余りにも毒々しい内容に心臓麻痺を起こすだろう。

 

■闘忠丸

 猫にも負けない鼠。達人級の技をもっているが、腕力が鼠なため余り活躍の機会には恵まれない。

 必殺技はアパチャイのアパンチを自分流にアレンジしたチュパンチ。

 

■特A級

 達人級の中でも特に巨大な力をもつものに、尊敬の念を込めて使う便宜上の呼び名。あくまで便宜上のものなので、B級やC級などのランク付けがあるわけではない。

 並みの達人を容易く蹴散らすほど規格外の強さを誇り、梁山泊の豪傑や一影九拳などは皆このレベルに達している。

 

■読者の皆さん

 スペシャルサンクス。

 

■登山家

 馬謖、ミスター生兵法。こいつのせいで蜀の千載一遇の好機が台無しになった。蜀漢のA級戦犯の一人。

 どうして山に登ったのか? そこに山があるからだ!

 

■トーマス・エジソン

 偉いことが常識な人。だがエジソンだから偉いのか、常識だから偉いのか、それとも偉いからこそ常識なのかは専門家の間で意見が分かれている。

 一説によれば死後に機関車に改造されたとも、デュエリストに転生してファンサービスに勤しんでいるらしい。

 

■トール

 本名はとおる君かと思ったけど、別にそんなことはなかったぜ!

 太めの体型であってデブではない。ここ重要、実戦相撲のテストに出るよ。

 

■内藤翼

 嘗てはサヤップ・クシャトリアという人間の本名だったが、クシャトリアが〝戻れぬ過去という現実〟を自覚したことで、この名前は永久に失われている。

 そのためシルクァッド・サヤップ・クシャトリアの本名はシルクァッド・サヤップ・クシャトリアであり「内藤翼」という人間はもはや存在しない。

 だがサヤップ・クシャトリアという名は内藤=ナイト=クシャトリア、翼=ウィング=サヤップというところからきているので、面影そのものは微かに残っている。

 余談だが静動轟一による後遺症により、クシャトリアから内藤翼であった頃の「記憶」も失われている。

 

■ナチ党

 ミレニアム大隊を始めとした数々のチート集団を擁していることから、満を持して水銀党併合にかかったチョビ髭伍長率いる党。

 しかし銀様の魅力にやられてラスト・バタリオン、王立国教騎士団、イスカリオテ機関の三者の間で歴史的和解が成立。反旗を翻してきたことで、一気に楽勝ムードが消滅。

 水銀党が「僕と契約してゲルマン民族をぶっ殺そうよ!」と言って腹ペコ王率いる円卓と同盟したことで逆に劣勢に。

 この状況を打破すべくヒトラーは「総統特秘999号」を命令。ロリコンで大佐のルーデル閣下の伝手で、同じくロリコンで大佐のシャア率いるネオ・ジオンと同盟。更に同じシスコンでスパロボZで共演した伝手で童帝ルルーシュ率いる神聖ブリタニア帝国とも同盟に成功。

 パスタより遥かに頼りになる味方を得たナチスは、更に必勝を期すべく総統閣下のアクロバティックな外交手腕により、翠星会や真党紅や雪華綺省などの他のドールたちを自軍に引き込むことに成功。これにより水銀党を完全にローゼンメイデン内部で孤立させた――――と、思いきやピチカー党だけは総統閣下の誘いを拒否し水銀党の支持を表明。かしらさんと銀様の熱い絆に全米が涙した。

 予期せぬ伏兵により出鼻を挫かれる形となったナチスは、初心に立ち戻り第二次世界大戦からの同盟国ニッポンポンに援軍を要請。日本のNOUMIN、TUBAME、YAMASODATIを大量輸入。一気に優位にたった。

 これにより勝利を確信した総統閣下は、二次界隈でも極めてチート集団が集う黒円卓とリアルチートのルーデル閣下を先頭に水銀党への総攻撃を命令。しかしそこでペンウッド卿の必死の説得攻勢により水銀党が波旬ことウンコマンの調略に成功。再び拮抗状態へ持ち直されてしまった。

 総統閣下もこの予想外の事態には困惑した。しかしナチスの特命全権大使ヴァルター・ヘーヴェルが銀河帝国皇帝カイザー・ラインハルトに土下座外交。キルヒアイスと双璧率いる大艦隊を援軍として派遣してもらうことに成功する。

 人格・実力・人望・イケメンの四拍子が揃った銀英伝屈指のチートの援軍にナチスは沸き立つが、水銀党も負けじと自由惑星同名のトリューニヒト議長に賄賂攻勢。ヤン艦隊の援軍派遣を同意させることに成功。ここに赤毛VSヤンの正面対決という原作でもなかった夢の対決が起こったりした。

 現在戦いは泥沼状態が続いており、勝敗の行方は神すらも定かではない。

 

■南條キサラ

 社長の嫁であるブルーアイズの前世。社長が愛人に浮気した際は、本妻の余裕か暫く我慢するも、バトルシティ本選でとうとう怒りが爆発。愛人を生け贄にフィールドに降臨し、社長に勝利を齎した。

 本妻より優れた愛人なんて存在しねえ、というのが本人の主張。だけど社長の嫁は三人いる。でも融合すれば一人になる。代償は敗北。

 

■新島春男

 父は悪魔で、母は宇宙人。宇宙人の皮を被った悪魔。新白連合の総督。

 喧嘩の腕はからっきしだが、作中屈指の頭脳ともはや人間ではない異能の数々で、数々の激戦を潜り抜けてきた。実は病弱な弟がいるらしい。

 

■西の槍

 本名は不明。ランス・オブ・ウエストではないかと一部では囁かれるが、憶測の域を出ない。

 噛ま使いのミハイを筆頭にやたらと卑劣漢の多い武器組らしからぬ騎士道精神溢れる武人。しぐれどんから紳士と言われた際には「騎士なのだ」と反論した。

 素顔は天パであるも中々のイケメン。

 

■20号

 ロキの嫁。機械を勝手に改造する悪癖がある。

 あの美羽に一撃を与えたことから、直接戦闘もそこそこ強いと思われる。

 

■NEGI

 くしゃみをするだけで女性の衣服を脱がし、更には女子中学生を次々に攻略していく若干10歳にして縛札衣を極めた超人。

 あの日本一素晴らしい中国人が心の師と崇める唯一の人物であり、人々は畏敬の念から彼をNEGI先生と呼ぶ。

 

■バーサーカー

 真名はヘラクレス。ギリシャ神話の大英雄であり、隔絶したステータスと不死性をもつ最強のサーヴァント。

 銀髪合法ロリの「やっちゃえ、バーサーカー!」の言葉で暴れ出す。タイコロだとはいてないジェントルマンになる。

 

■馬剣星

 日本一素晴らしい中国人。命懸けで読者にお色気シーンを提供してくれる俺達の師父。

 エロは世界を救う。エロには無限の可能性があるのだよ。

 

■馬槍月

 アルコール中毒の中国人。日本一素晴らしい中国人である俺達の馬師父の兄貴。元マフィアのボディーガード、元無職、現一影九拳の一人。

 元無職と書くとなんだか残念な人のように思えるが、人間は誰しも生まれた時は無職なので、決して恥ずべきことではない。梁山泊でもしぐれどんとアパチャイは無職である。

 しかしアパチャイとしぐれどんは、兼一に武術の指導をしているので、ある意味では道場に就職しているとも言えるわけで、自分の弟子をほったらかして放浪していた槍月はやっぱり無職なのだろうか……。

 

■馬連華

 にゃんこ。

 

■八煌断罪刃

 武器組の最高幹部である八人の達人たちのこと。

 しかし長老と互角のガノスケや長老から逃走成功したグラサンは兎も角、個々の実力についてはそれほど高くないような描写が多い。

 特に我等の噛ま使いであるミハイさんに関しては、立場上は同格であるはずの本郷さんに瞬殺されるほどの噛ませっぷりである。正直のっぺりさんより弱そうなのが結構いる。

 ただし一影九拳とは違い結束力は高く、組織的な強さは一影九拳を上回っていると言えるだろう。というかあのミハイを仲間として受け入れる断罪刃の懐の広さは凄いと思う。

 

■ハートマン軍曹

 わたしが訓練教官のハートマン先任軍曹である。

 話しかけられたとき以外は口を開くな。口でクソたれる前と後に“サー”と言え

 

■風林寺砕牙

 長老の息子。金髪はロシア系の母親譲りらしいが、長老も金髪なのでどっちの遺伝子の影響を受けても金髪になっただろう。

 母親の血のせいで日本人なのに金髪というと「僕は友達が少ない」の意図的難聴主人公を思い出したので、主人公を一影にした「はがない」ssとか一瞬思いついたが、150%一発ネタで終わることが確定的に明らかなので三秒で不意になった。

 名前が砕牙であるが、同誌で連載していたラスボスが逃げまくる七人隊がカッコいい漫画の刀とは無関係。

 無手組の長だけあって、あの本郷さんを圧倒するほど強い穿彗と互角にやり合い勝利する怪物。しかも彼の年齢を逆算していくと、だいたい二十歳くらいで一影九拳だったという早熟っぷりである。

 もしも長老が美羽の修行を意図的に遅らせたりしていなかったら、美羽も原作開始時点で達人級だったかもしれない。取り敢えず風林寺の遺伝子パネェ。

 本作だとジュナザードとBBAに並びクシャトリアを酷使する一人だが、二人と違い彼は飴も与えてくれるので穏当な方である。

 

■風林寺隼人

 無敵超人と畏怖される武術界最強の男。数少ない超人の域に到達した一人であり、あのジュナザードが同格と認める唯一の存在。

 本作においては静動轟一の危険性を見抜き、逸早く対静動轟一の技である流水制空圏・第零段階を編み出した。

 実力はケンイチ世界最強なのだが、いつも肝心な時に留守にしていることに定評がある。

 

■風林寺美羽

 牛乳、ムチプリ、俺の片翼、インダー・ブルー、風を切る羽、キジムナー二世、二代目我流Xなど数々の異名をもつ原作ヒロイン。あと兼一の嫁。

 恐らくケンイチで最もお色気描写に貢献しているキャラであり、馬師父の一番の被害者といえる。第二位はしぐれどん。

 どういうわけか兼一や翔からは命懸けで愛され、龍斗の初恋の相手になり、武田からも想われ、蹴りの古なんとかさん他多数から求愛されるなど、作中屈指のフラグ建築士っぷりをほこる。しかし兼一も美羽も一途なので、多くのフラグはペキッと折れることになるのでしたとさ。

 

■武器組

 闇内部において勢力を二分する組織。素手での武術家が集う無手組に対して、武器術の達人が集う。

 一対一の死合いを重んじる無手組とは違い、武術を多数対多数の戦争の手段として捉えている節があり、根本的なところで無手組とは相いれない。

 元々疎遠だった無手組と武器組だが、久遠の落日での一件から完全に決裂。冷戦状態となっている。

 

■フタエノキワミ

 アッーーーーーーーーーーーー!!

 

■フォルトナ

 DオブDの主催者で、闇のスポンサーの一人。

 性格やら嗜好やらがジュナザードと似通っているせいで、クシャトリアからは蛇蝎の如く嫌われている。

 

■フレイヤ

 戦乙女ヴァルキリーに登場するヒロインの一人。BBA。

 凌辱もののエロゲで貞淑とか清楚とかいう要素は、もはや堕ちた時に作中一のド淫乱になるのがお約束のようなものであって、彼女もその例に漏れず十八歳未満お断りな人へ変貌する。

 ギアス世界だと大量破壊兵器と化して数千万人以上を大☆虐☆殺してヒャッハーして大活躍したが、童帝により宇宙へ不法投棄された。良い子の皆、核兵器はちゃんとゴミ箱へ捨てるかコーディネーター虐殺に使わなきゃ駄目だぞ! ブルーコスモスとのお約束だ。

 

■プロシュート兄貴

 兄貴ぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!

 

■米軍の皆さん

 二度に渡って仮面をつけたキジムナーの襲撃に合った被害者の方々。

 これにより米軍では「仮面をつけた巨躯の老人」と「仮面をつけた金髪おっぱい」には手を出すなと囁かれたとかなんとか。

 

■ヘリオガバルス

 変態。

 

■ペングルサンカン

 ジュナザードとクシャトリアのペット。

 あらゆる修行を耐え抜いた代償に、言語能力を喪失。本能赴くままに暴れる怪物と化したが、ジュナザードとクシャトリアは何故か意志疎通が可能でペットとして可愛がっていたらしい。

 ジュナザード死後、なんとリミがコミュニケーションに成功。以後はリミのペットとなる。

 

■ボリス・イワノフ

 イワン。命令には絶対服従で、価値観の違いから学校で目立つなど相良軍曹を彷彿させるキャラ。

 しかし軍曹とは異なり社会常識は持ち合わせているので、学校で爆破騒ぎを起こしたりしない。

 

■本郷晶さん

 作中一の漢。人越拳神・我等の本郷さん。その余りの漢っぷりから、この人物紹介のページでも「さん」をつけなければならない御方。

 あのツンデレな逆鬼師匠のライバルというのは伊達ではなく、一影九拳屈指の実力者であり人格者。逆鬼師匠がツンデレなら、本郷さんはさしずめクーデレだろう。

 原作名バトルの一つであるVSジュナザード戦をクシャトリアと長老にとられてしまったが、かわりに十年後の世界線ではクシャトリアと激戦を繰り広げる。

 クシャトリア復活の鍵となった一人であり、もしもクシャトリアが翔を助けていなければ、クシャトリアも復活することはなかったかもしれない。情けは人の為ならずとはよく言ったもの。

 

■本巻警部

 サスペンスで犯人を追い詰める時に、わざわざ主人公が一人で崖に行って、そこで推理を披露するけど、ぶっちゃけ犯人を問答無用で捕まえてから取調室で推理披露したほうが効率的だと個人的に思います。

 それとカツ丼は頼めるけど自腹らしい。世知辛い世の中だぜ。

 

■松井さん

 旗ふってる男。キラをばっきゅんばっきゅん撃ちまくって、MAD素材を提供した。あ! それは松田だった。

 やっぱ松井といえばゴ○ラだよゴジラ!

 

■ミハイ・シュティルベイ

 噛ませ犬。断罪刃が誇る噛ま使い……もとい鎌使いの特A級の達人(笑)。

 相手が本郷さんだからといって、あっさり同格である特A級に瞬殺されたり、その噛ませ犬としての活躍は枚挙にいとまがない。

 外道キャラで噛ませ犬といえば某人殺しの天才であるテンさんを思い出すが、あの人は遥か格上の機体相手に善戦したりと確かな実力を見せるのに対して、ミハイは本当に特A級なのか怪しくなるくらいに良いところがない。

 その余りの噛ませっぷりから、読者たちの間では「のっぺりさんのほうが強いんじゃね?」とよく言われる。

 クシャトリアが断罪刃嫌いになった原因。ミハイがジュナザードのことを「どうせ無手組の達人なんて大したことねえだろwww」みたいな発言したことが切っ掛けでプッツンした。

 その時はクシャトリアがまだ達人級ではなかったので大惨事にはならなかったが、もしも達人になってからミハイがその発言をしたら、その場で殺し合いが始まっていたことだろう。

 

■ミルドレッド・ローレンス

 武器組の一人だけあって、素晴らしい武器(おっぱい)の持ち主。おっぱいぶるんぷるん! 総統閣下も大喜びである。

 地味に落日の戦いでクシャトリアがフラグをたてたという、どうでもいい裏設定があるのだが、裏設定は所詮は裏。表に出ることはないのであった。

 

■無手組

 武器術の達人が集う武器組に対し、無手の武術の達人が集う。

 良くも悪くも自分勝手な人間が多く、組織としての結束力はお察しレベル。

 

■メナング

 ジュナザードから重宝されている一番の側近。隠密用に鍛えられているらしく、正面での戦闘は普通の達人に劣る。

 あのジュナザードの側近とは思えない人格者で、弟子クラス時代のクシャトリアの数少ない敵ではない存在。だがあくまでもジュナザードの臣下であり続けるというスタンスから、敵にはならなくても味方になることはなかった。

 

■モジャモジャ

 通称は辻新之助。モジャモジャという特徴的名前から幼少期には虐めにあっていたらしく、そのため表社会では辻新之助という偽名を用いている。

 一度は経験の差から兼一に勝利するも、二度目の戦いではあっさりと敗北する。敗北後は強さを求めて部下たちと山に籠り、そこで謎の武人と運命的出会いを果たし骨法を教わった。

 そして山籠もりから帰還したモジャモジャは満を持して兼一へと挑戦。激しい攻防の末、兼一の心の緩みをついて見事勝利を収めた。

 

■安永福次郎

 太陽の頭をもつ男。

 

■闇

 活人拳とは対極に位置する殺人拳を掲げる武術集団。

 潤沢な資金力と豊富な人員と技術力をもっており、作中最大最凶の武術組織であると思われる。

 原作中に所属する達人級の殆どが所属しており、各国の重鎮にも闇の息がかかった者がいるため世界への影響力は非常に強い。

 日本だと大物議員の一人が闇の達人で、ティダード王国に至っては国家元首(しかも専制国家の君主)が闇の一員である。

 名声においては兎も角、組織力としては梁山泊を圧倒しているが、良くも悪くも武術組織であるが故に行動が制限されているのが唯一の救いか。

 もしも闇が形振り構わずに攻めに出れば、世界征服すら夢ではないのかもしれない。

 

■ヤンデレ

 この作品だとクシャトリアのこと。ツンデレならまだしも、男のヤンデレって誰得やねん。

 

■世戯煌臥之助

 長老と同格の超人で武器組の長。

 あの長老と肩を並べる存在ということは、かなりの人物なのは間違いないのだろうが、過去とかその他諸々が原作でも明かされていないので謎の人物。

 読者間での愛称はガノスケ。

 

■ヨシフおじさん

 ソ連の名産物であり、一年中大量に栽培している兵士をテキトーに最前線に出荷する仕事をしているおじさん。

 副業は赤い国の独裁者で、本職はジャムおじさん。生首を人の顔面に投げつけるだけの簡単なお仕事に勤しんでいる。

 かなりの神童で八歳にして成人後と同等の知能を身に着けた。

 

■YOMI

 闇の下部組織。闇人の育成機関で、一影九拳や断罪刃の直弟子が幹部の地位についている。

 リーダーは叶翔だったが、彼が失態を犯したことで鍛冶摩が二代目リーダーとなった。

 名前は恐らく闇=YAMIをもじったものと思われる。

 

■來濠征太郎

 グラサン。なんかヤクザみたいな見た目をしている小太刀使い。

 あの長老に襲われて、仲間を抱えて逃走に成功するという脅威の男。

 

■ラグナレク

 おがちゃんが主催していた弟子育成プログラムの一つ。

 最高幹部である八拳豪は北欧神話に因んだ異名を与えられる。ただしドイツの叙事詩が元ネタのジークフリートや、隠者の英語読みであるハーミットなどの例外もある。

 

■ラデン・ティダード・ジェイハン

 王子→ホームレス→ラーメン屋の住み込み→ラーメンチェーンの経営者→王様と波乱万丈の人生を歩んだティダードのプリンス。なんか格好良く死んだと思ったけど、別にそんなことはなかったぜ!

 基本的に王子らしく尊大であるが、兄弟子であるクシャトリアのことは尊敬しており、敬意をもって接する。ジュナザード死後は遺体を自分だけが知る場所に埋葬した。

 クシャトリアがキョンシーになってからは、リミに協力してクシャトリア捜索を援助していた。クシャトリア帰還後、彼にだけはジュナザードの埋葬場所を教えた模様。

 

■ラデン・ティダード・ロナ

 ジェイハンの妹で、ジェイハン死後(生きてたけど)は第一王位継承者となる。

 誇り高い精神の持ち主だが、カリスマ性や政治能力など多くの点でジェイハンには劣るらしく、纏まりかけたティダードが再び内乱状態に逆戻りする羽目になってしまった。

 だが本郷さんに惚れるあたり男を見る目が確かなのは間違いない。ライバルの逆鬼師匠が年下の金髪の白人美少女に惚れられているのに対して、彼女は黒髪褐色美少女。どこまでいってもライバル関係な二人なのであった。

 

■レイチェル・スタンレイ

 ディエゴ・カーロの一番弟子。目立つこと大好きなエンターテイナー美少女。

 イーサンの回想を見る限り極普通の家庭出身で、荒れてストリートファイトしていた時にディエゴと会った。

 中々に素晴らしいボインの持ち主。彼女の戦いではよく脱げる。剣星と相性が良い。

 

■劉禅

 蜀漢のラストエンペラー、アホの代名詞。星彩は俺の嫁。

 愛車は100万の軍勢からもエスケープする風雲趙雲号。親父に投げ捨てられたりした。

 

■梁山泊

 名前の元ネタはもしかしなくても水滸伝の梁山泊と思われる。

 スポーツ化した武術に馴染めぬ真の達人が集う場所。活人拳の総本山的な場所で、闇をさしおいて史上最強の看板をもっている。

 資金力や人員などで闇に及ぶべくもないが、達人の質は史上最強と呼ぶにふさわしい豪傑揃い。全員が特A級上位以上の実力者であり、長老は世界最強の武人の一人である。

 最大の敵は金欠で、戦いでは無敵の長老もこの敵に関してはほぼ戦力外。せめて秋雨の作品を売れれば……とは梁山泊の全員が思っていることだろう。

 

■ルグ

 盲目の武人。るろ剣で言えば盲剣の宇水。これからは盲拳のルグと呼ぼうそうしよう。

 死因は斎藤さんのガトツ・ゼロスタイル。

 

■ロキ

 元ラグナレク第四拳豪。網眼鏡をかけている、素顔イケメンなCVひろし。

 戦闘力そのものは八拳豪でも低い方だが、彼の真価はなんといっても頭脳と諜報力にある。

 あの新島を純粋な知略で負かした数少ない一人であり、闇への潜入ミッションもこなすなど、その活躍は本職のスパイにも劣らない。というか本職のスパイは翔に発見されて情報の入手に失敗しているので、本職以上である。

 情報の重要性は今更言うまでもないことであり、案外元ラグナレク組で新白連合に最も貢献したのは彼かもしれない。

 実はクシャトリアの弟子候補の一人だったりする。

 

■ロキ探偵事務所

 ラグナレクの抗争後、ロキが立ち上げた探偵事務所。

 所属している社員が標準装備している網眼鏡がいけなかったのか、新島が来るまで碌に仕事がなかった。

 某魔探偵とは特に関係ない。

 

■露西亜寿司

 ウマイヨ、ヤスイヨ。 オニイサン、ニゲナイネー。 露西亜寿司ヨー!

 

■ローマ帝国

 古代のチート国家。テルマエ・ロマエの舞台でもある。

 有名なナチスの敬礼はローマ式敬礼が元ネタ。公用語はドイツ語と並んで厨二病御用達言語であるラテン語。

 このことから「すべての厨二病はローマに通ず」という格言ができた。

 

 

『本作独自の技』

 

逆・殺氣発射(ターメリック・プヌンバカン・クグムビラ)

 自分で自身に強烈な殺気を送ることで、自分自身の生存本能を刺激し、初手からの全力攻撃を可能にする。

 自分を殺す気がない敵が相手だとやる気が起きないという欠点を補う為、クシャトリアが編み出した自己暗示法。

 

七つに踊る化身(ヴィシュヌ・アヴァターラ)

 気当たりによる分身を六人生み出し、その六人と完全同時に必殺の突きを乱射する。クシャトリアのオリジナル技。

 

「櫛灘我流秘技・砲弾返し」

 櫛灘流の術理を用いることで、遠距離攻撃をそのままの勢いで相手に返す。

 最低でも野球ボール程度のサイズがなければ使うのは難しいが、砲弾だろうと徹甲弾だろうと破壊光線だろうと跳ね返せる対遠距離攻撃用防御術。

 

「櫛灘流・阿修羅流し」

 闘気で手だけを具現化させることで、敵の攻撃をいなす防御技。

 

「櫛灘流秘技〝逆さ睨み〟」

 首を180度反対方向へ捻じ曲げることで敵を殺害する。

 武術家の中には首を180度捻じ曲げても平然と活動できる人間もいるため『必殺』ではない。

 

「閉心術」

 心を閉ざす。読心術を始めとした精神干渉を無効化する。

 

「読心術」

 相手の心を読む。とはいえ表層意識を読み取るだけであって、深層意識を読むことはできない。

 高度な閉心術を会得している者には通用しない。

 

「憑逆回帰組手」

 過去の自分を自分で演じることで、自分の実力を弟子・妙手など自在にセーブする。

 主に弟子との組手で使用。

 

「無敵のジュルス、数え抜き手」

 無敵超人の秘技が一つ数え抜き手をシラットの流派で独自発展させたもの。

 通常の抜き手を“四”と見立て、そこから指の数を“三”“二”“一”と減らしていく技。

 数が減るに従って、指一本当たりの貫通力は増していくだけでなく、一度一度の抜き手にはそれぞれ性質の異なる特殊な力の練りが加えられており、四~二までで抜き手の力を変化させることでいかなる防御さえも最後の“一”では必ず突き抜く

 

「双派双手数え抜き手」

 シラット流の数え抜き手と緒方流の数え抜き手を左右両方の手で同時に行う荒業。

 通常の数え抜き手と違い、八、六、四、二と減らしていき最後に両の手を合わせた一の抜き手を放つ。

 破壊力は通常の数え抜き手より上がる分、防御力は低下する。

 

「奥義四連」

 櫛灘流 千年投げ→我流 玄武爆→七つに踊る化身→転げ回る幽鬼と繋げる連続技。

 特A級の達人の奥義を四連続でかけるので、まともに喰らえば死は免れない。

 

「静動轟一」

 気の運用において最大のタブーにして最凶の技。"静"と"動"という相反する二つの気の同時発動を意図的に行う。

 一時的に強力且つ正確無比な攻撃を繰り出す事ができるようになり、特A級の達人が使用した場合、超人クラスの強さを発揮できるようになる。

 「密閉された瓶の中で火薬を爆発させ続ける」と表現されるように心身への負担は凄まじく、弟子クラスならばものの数分で肉体が限界に達し、使いすぎると再起不能や廃人化の恐れもある使用者にとっても危険極まりない技でもある。

 特A級の達人が使用すれば超人級に、超人級が使用すれば神の領域に踏み込むことが可能。

 クシャトリアがノーリスクで発動できるのは10分まで。

 これをジュナザードが使用した場合、超人級の肉体強度のお蔭で完全安定状態となり、半永久的にノーリスクで発動し続けることが可能。

 

「静動轟双」

 静の気と動の気を混ぜ合わせずに同時発動するクシャトリアの奥義。

 これにより静の極みである流水制空圏と動の気の解放を同時に行うことも可能になり、戦闘力を格段に上昇する。

 静動轟一と違いデメリットは皆無だが、爆発力で静動轟一に一段劣る。

 

「流水制空圏、第零段階」

 相手の流れを自身に取り込むことで、静動轟一を発動せずとも静動轟一の爆発力を得ることができる。

 静動轟一を発動しない相手に使用しても効果はなく、対静動轟一用の技といえる。

 

「邪拳・無間界塵」

 邪、神、技、殺、闘、魔、拳の怨念を宿した邪拳。

 無敵超人の奥義を見たジュナザードが作り上げた〝涅槃滅界〟と同規模同威力の奥義である。

 免許皆伝をもらっているクシャトリアも使えるが、怨念でジュナザードに劣るため、撃ち合えば確実に敗北する。

 

王波界天殺(ブラフマラー・トリシューラ)

 相手の武術的癖に至る全ての情報を収集した上で、戦いを通して相手と自分の戦いの流れを知覚し、相手が攻撃に全意識を集中させる瞬間を見計らい、そのタイミングに全身全霊の抜き手を繰り出す。

 全身全霊を込めた一撃のため防御不可、攻撃に全意識を傾けているため回避不可。抜き手が狙うのは人体の急所であるため一撃必殺。意図的に手を緩めれば技が完成せず、狙う場所も人体の急所という正に剥き出しの殺人拳。

 反面戦いの流れを知覚するまで時間がかかるので初撃で繰り出すことはできず、また防御を捨てて必殺の一撃に全てを集中するので、技が失敗した場合は相手の奥義の直撃で死ぬことになる。

 クシャトリアがジュナザードを殺す為だけに作り上げた奥義。その性質上、ジュナザード以外に繰り出すことは出来ない。

 

王波界塵殺(ブラフマラー・アパラージタ)

 戦いを通して相手と自分の戦いの流れを知覚することで、相手の不意のタイミングを掴み、そのタイミングに全身全霊の抜き手を繰り出す。

 王波界天殺を開発する上で副次的に生み出された技であり、ジュナザード以外にも繰り出すことが可能。剣星との戦いで放とうとしたのはこちらである。

 

「静動陰陽極塞」

 静動轟一の気を両腕に集中することで、攻撃を防ぐ防御の構え。

 バーサーカーの蹴りをも停止させるほどの防御性能を誇る。

 

災禍招きし必中の神槍(ベルヴェルク・グングニル)

 静動轟一の気を凝縮させた突きで、孤塁を穿つ必殺必中必滅の一撃。

 実に厨二病チックな技名をしているが、これがラグナレク流である。

 

「人越拳・流水ねじり貫手」

 通常のねじり貫手に流水による〝浄化〟の効果を与えたもの。

 静動轟一の力を無力化する他、邪念のような実体のないものにもダメージを与える。

 

静動轟一(せいどうごういつ)過剰爆放(オーバーロード)

 通常の静動轟一を発動した状態で、更に静の気を動の気に喰らわせることで、意図的な暴走状態を作り出す。

 一時的に静動轟一すら上回る爆発力を得られるが、代償に理性が飛んで、精密な動きが難しくなる。バーサーカーが静動轟一の応用技として独自に編み出した。

 

静動轟一・不還転神(コルカタ・パールヴァティー)

 作中に登場することはなかった設定的には存在する技……というよりは一種の暴走。

 クシャトリアの中にある死への恐怖が極限にまで高まることで、深層心理の深くに封じられたジュナザードの邪念が同調。

 邪神の魂の現出により肉体強度が上昇。我を失い狂乱状態になりながら、静動轟一をノーリスクで発動した状態で、敵を皆殺しにするまで痛みも忘れて戦い続ける。

 発動し続けるごとに邪念に囚われていき、最終的には完全にジュナザードの人格が現出してしまう。

 



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