コードギアス ナイトメア (やまみち)
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序章前 第01話 悪夢のはじまり

 ___ 皇歴 2009年

 

 

 

「はっ!?」

 

 神聖ブリタニア帝国の首都『ペンドラゴン』の南、皇帝が住まう皇居の東南東にある後宮の1つ、第5皇妃マリアンヌが主のアリエス宮。

 その長子が住まう部屋。豪華なレースに囲まれた天蓋付きのベットの中、つい先ほどまで穏やかな寝顔を見せていたルルーシュの寝息が不意に乱れたかと思ったら、その目をカッと見開かせて、ルルーシュは布団を勢い良くはね除けながら上半身を飛び起こさせた。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……。」

 

 胸の内側から轟々と燃え上がってくる灼熱の痛み。

 ルルーシュは歯を食いしばり、胸を両手で掻きむしり抱くが、胸の熱さは増すばかり。

 仰け反る顎先と激しく上下を繰り返す肩。珠の様な汗が額に次々と噴き出ては零れ落ち、ポタリ、ポタリと零れ落ちてゆき、白いシルクのパジャマに幾つもの染みを作ってゆく。

 明らかに尋常でない様子。とは言え、体力の無さを母や妹に指摘され、呆れられる事は常々あるが、ルルーシュは突発的に体調不良となる様な持病は持っていない。

 しかも、今の季節は春。夜になれば、まだまだ肌寒いくらいである上、真夏の寝苦しい熱帯夜でも、ここまで汗はかかない。その姿はバケツの水を頭からかぶったかの如し。

 

「ぐぅっ!?」

 

 ルルーシュの絶え間ない息遣いだけが聞こえる中、連続したブチブチブチッという音が響く。

 とうとう火照る身体の熱に耐えかねたらしい。ルルーシュが胸を掻き抱いていた左右の手を勢い良く開き、パジャマのボタンを引きちぎった音である。

 一拍の間を置き、ルルーシュは大きく息を吐きながら脱力。ベットへ力無く倒れ戻り、ベットのスプリングがルルーシュの体重を吸収して軋んだ音を二度、三度と鳴らせる。

 素肌が晒されてだろう。まだまだ呼吸は荒いが、今先ほどよりはマシなモノとなってゆき、熱湯風呂に入ったかの様に真っ赤だった全身の肌も色を次第に取り戻してゆく。

 だが、意識は未だ夢うつつ。猛烈な乾きを覚えて、サイドテーブルに置かれた水差しへ震える手を彷徨い伸ばすが、水差しを床へ落としてしまい、更に自身もベットから転げ落ちてしまう。

 

「うぐっ!? はぁ……。はぁ……。はぁ……。はぁ……。はぁ……。」

 

 妹のナナリーよりも食が細いルルーシュは、ブリタニアにおける同年齢の子供の平均体重と比べても体重は軽い。

 しかし、今のルルーシュは半覚醒状態。脱力しきった身体でベットから落ち、受け身すらも全く取らなければ、結構な音となるのは必然。

 本来なら、この異音に気づき、ルルーシュの部屋へ誰かしらが駆け込んできてもおかしくなかった。

 なにしろ、ルルーシュは第17位の皇位継承権を持つ第11皇子であり、この国のVIP。アリエス宮の警備する者達がルルーシュの部屋の前を15分置きに巡回しているのに加えて、こういった事態に備え、ルルーシュ付きの侍女が隣部屋で寝ず番をして控えている。

 ところが、今夜に限って、この異音に誰も気付かず、幾ら待っても、この部屋に駆け込んで来る様子が無かった。

 その直前にルルーシュは水差しを床に落としてしまい、ガラス製の水差しは割れこそしなかったが、こちらも結構な音を立てているにも関わらず。

 

「はぁ……。はぁ……。はぁ……。はぁ……。はぁ……。」

 

 暫く、ベットから転げ落ちたまま俯せとなっていたルルーシュだったが、喉の渇きに耐えきれず、震える両手を突いて立ち上がる。

 立ち眩みにグニャリと歪む視界。右に、左にフラリ、フラリと覚束ない足取り。いつもより重く感じる出入口のドアへ寄りかかり、ルルーシュは自分の体重を利用して、ドアをやっとの思いで開ける。

 

「んぐっ!?」

 

 既に就寝したルルーシュとナナリーを思ってか、まだ大人が寝るにはまだ早い時間ではあるが、夜間灯が灯された薄暗い廊下。

 室内と比べて、廊下は肌寒く、大量の汗をかいたままにしているルルーシュはブルリと身震いを一つ。

 その瞬間、再び胸に一際強い激痛がズキリと走る。ルルーシュは歯を食いしばって耐え、右手を思わずあてがう。

 だから、ルルーシュは気付かなかった。右手の下、肌色を取り戻した胸の中央に就寝前までは全く無かった赤い痣が縦に細長く現れている事実に。

 

「はぁ……。はぁ……。はぁ……。はぁ……。はぁ……。」

 

 ルルーシュはもう片方の左手を壁に突きながら重たい足を引きずって歩き出す。

 最寄りの洗面所がある右手方向ではなく、玄関ホールがある左手方向へ何かに導かれるまま歩き出した。

 

 

 

 ******

 

 

 

「神話の時代から男を惑わすのは女だって話だよ」

 

 今夜、神聖ブリタニア皇帝『シャルル』の兄であり、盟友たる『V.V』から内密な話があると持ち掛けられ、その来訪をマリアンヌは待っていた。

 但し、ブリタニアにおいて、V.Vの存在を知る者は極少数に限られており、国家機密の上をゆく極秘事項。

 何故ならば、V.Vは不老不死の証である『コード』の所有者。コードを得た当時の幼い頃の姿を止めている為、その当時の宮廷闘争にて謀殺されたという事になっているからである。

 それ故、マリアンヌはV.Vの存在を見られてはなるまいと、1週間前からアリエス宮の警備員達や使用人達へ休暇を順々に与えてゆき、今夜はアリエス宮運営に欠かせない必要最低限の人員数にまで絞っていた。

 その上、予想外の来客を拒む為、アリエス宮の灯火全てを早々と夜間灯に切り替え、息子と娘のルルーシュとナナリーを含む自分以外の者達の夕食に睡眠薬を混ぜる徹底ぶり。

 ところが、約束の時間となり、V.Vを迎えた薄暗い玄関ホール。挨拶もそこそこ、V.Vの雰囲気に剣呑さが混じり、マリアンヌは玄関ホール中央の階段を下りながら戸惑いを感じていた。

 

「っ!?」

 

 だが、その身に纏うマントの下、背中に隠されていたサブマシンガンがV.Vの右手に現れた瞬間、マリアンヌはV.Vの意図を即座に悟った。

 同時にマリアンヌの身体が考えるよりも早く反応する。

 嘗て、幾多の戦場を渡り歩き、味方からは『閃光』の二つ名で賞賛され、敵からは『魔女』と恐れ忌み嫌われ、皇帝直属のナイト・オブ・ナイトの地位『ラウンズ』にまで至ったマリアンヌである。

 例え、素手であろうとも、その全身が必殺の武器。間違っても、不老不死とは言え、非力な子供でしかないV.Vに負ける理由は見当たらない。

 事実、ソレがなければ、マリアンヌは階段の下り途中であろうとも、2人の間にある約10メートルの距離を一瞬にして詰め、『閃光』の二つ名に恥じない蹴りをV.Vへ放ち、サブマシンガンをV.Vの手から弾き飛ばしていただろう。

 

「「マリアンヌ様っ!?」」

「貴方達、下がりなさいと!」

 

 しかし、ソレは起こった。マリアンヌの背後、今先ほどマリアンヌが降りてきた玄関ホール中央の階段の上から投げられた驚き声。

 この時、マリアンヌは判断を誤る。もし、ラウンズの座にあった現役時代のマリアンヌだったら、己の生存を最優先にして、背後の2人など思考の片隅にすら置かず、そのままV.Vへ蹴りを放っていたに違いない。

 だが、戦場から遠ざかった十年という年月は、マリアンヌが持っていた戦場の勘を確実に鈍らせていた。

 マリアンヌはV.Vの高い秘匿性を優先。玄関ホールに現れた2人の使用人を叱り飛ばして、背後を身体ごと振り返るという致命的なミスを犯してしまう。

 

「フフッ……。」

 

 その失敗に気付き、すぐさまマリアンヌが振り向き戻るが、時既に遅し。V.Vの口はいやらしくニヤリと弧を描いていた。

 今夜、このアリエス宮を訪れるのに辺り、V.Vは自分に忠実な子飼いの部下を連れていた。

 そして、V.Vの合図を待って、その部下がアリエス宮へ侵入。これをアリエス宮の警備システムが感知。未だ眠気に耐えて起きていた使用人達は、アラートの発生源である玄関前を調べに訪れて、ビックリ仰天。

 それが現在を表す状況であり、つまりはV.Vの策だった。

 

「させるかああああああああああっ!?」

「「「「っ!?」」」」

 

 ところが、本来なら有り得ないイレギュラーによって、今正に掴みかけた勝利がV.Vの手から瞬く間に零れ落ちる。

 突如、玄関ホールに轟き渡る魂の咆吼。その場に居る全員の視線が反射的に発生源へ集うと、心の先走りを表すかの様に極端な前傾姿勢となって駆けるルルーシュの姿がそこにあった。

 眉を吊り上げた憤怒の表情。その意図は問わずとも誰の目にも明らかだった。慌ててV.Vがマリアンヌへ振り向き戻り、サブマシンガンの引き金を引き絞る。

 しかし、ルルーシュは既にV.Vの目前。V.Vとマリアンヌの間に両手を大きく広げて割り込み、瞬きの刹那だけ遅れて、サブマシンガン特有の連続した銃撃音が玄関ホールに鳴り響き、アリエス宮の隅々にまで広がってゆく。

 

「ルルーシュっ!?」

 

 数多の銃弾を至近で浴び、着弾と共に跳ね後退るルルーシュの小さな身体。

 それでも、ルルーシュは決して倒れなかった。俯いた顔の目から力が失われてゆき、その瞼が閉じかけていたが、両手を大きく左右に広げたまま立っていた。白いシルクのパジャマを真っ赤に染めて、その足下に血だまりを広げながら。

 その無惨な姿に倒れ伏したマリアンヌが顔だけをルルーシュへ向けて、悲痛な叫び声をあげる。

 どうやら、ルルーシュの小さな身体では全ての銃弾を防ぎきれなかったらしい。数発の銃弾がルルーシュの身体を貫通、その背後に居るマリアンヌをも襲っていた。

 但し、マリアンヌが着ている薄紫色のドレスに広がる血の染みは下半身のスカート部分に集中しており、その様子から辛うじて致命傷には至っていない。

 

「「マリアンヌ様っ!? ルルーシュ様っ!?」」

「ちっ!? 何なのさ! お前は!」

 

 マリアンヌの叫びに我を取り戻して、慌てて階段を駆け下りてくる使用人達。

 それと共に聞こえてくるアリエス宮のざわめき。先ほどの銃撃音を聞き付けての事に違いない。

 V.Vは忌々し気に舌打ち、残された時間の少なさを感じつつも、冷静に階段を駆け下りてくる使用人達へ狙いを定めると銃撃。

 その2人が崩れ落ちたのを視界の端に捉えながら、空になった弾倉を抜いて、お尻のポケットから取り出した新たな弾倉をサブマシンガンに装填。

 マリアンヌへトドメの一撃を放つ為、目の前に未だ立つ邪魔者を退けようと歩み寄り、ルルーシュの顔へ銃のグリップ尻を叩き付けようとしたその時だった。

 

「な゛っ!? ……そ、その目はっ!?」

 

 またしても、掴んだと確信した勝利がV.Vの手から零れ落ちる。

 俯き伏していた顔を勢い良く上げて、力を失いかけていた目をカッと見開くルルーシュ。その2つの眼は赤く染まり、翼を広げた鳥を模したかの様な紋章が輝いていた。

 その紋章を魅入られ、V.Vは驚愕のあまり動きを止めてしまい、サブマシンガンを持つ右手首をルルーシュに掴まれる。

 なにせ、ルルーシュの両目に輝く紋章こそ、ギアスの到達点『達成人』の証であり、不老不死性を持つ『コード』者からコードを奪い取る事が唯一可能な天敵とも言える存在。

 

「ひっ!? な、何をするっ!?」

 

 その証に加えて、瞳の中に込められた凄まじい憎しみの気迫に気圧され、V.V

は右足を引いて後退ろうとするが、ルルーシュが逃がさない。

 V.Vの右手首を掴む左手とは反対の右手でV.Vの顎を目一杯に掴むと、そのまま歩を進めて、V.Vを巻き込みながら倒れ込み、その上に馬乗った。

 

「V.V! お前だ! お前! お前さえ居なければああああああああああ!」

「むーーーっ!? むーーーっ!? むーーーっ!? むーーーっ!? むーーーっ!?」

 

 互いの鼻先を付け合うほどに顔をV.Vへ寄せて、その口から鮮血と共に呪詛を撒き散らすルルーシュ。

 同時にルルーシュの2つの眼の中にある赤い紋章が輝きをますます増してゆき、それに呼応するかの様にV.Vの額に浮かび形作ってゆくルルーシュと同様の赤い紋章。

 その額の紋章もまた輝き始め、V.Vは顔をルルーシュの鮮血で汚しながら涙を瞳一杯に溜めて、何かを拒んで顔を左右に振りまくり、ルルーシュの拘束から逃れようと身体を必死に藻掻かせる。

 しかし、息も絶え絶えに瀕死でありながら、ルルーシュの憎しみはV.Vの思いを上回って、拘束はちっとも解けず、V.Vは藻掻けば藻掻くほどに体力を失ってゆくばかり。

 せめてもの抵抗に未だ右手の中にあるサブマシンガンの引き金を引くが、手首を床に押さえ付けられていては無駄の一言。銃弾を玄関ホールに虚しく撒き散らすのみ。

 

「……ル、ルルーシュ?」

 

 一方、両手を床へ突き、上半身だけは何とか起こしたマリアンヌだったが、目の前で繰り広げられている現状についての理解が追いつかない。

 どうして、睡眠薬を飲んで寝たはずのルルーシュがここに居るのか。どうして、ルルーシュがV.Vを知っているのか。どうして、ルルーシュがV.Vと争っているのか。

 何もかもが解らず、ただ1つだけ解るのは、V.Vが盟友たる自分の暗殺を企み、それを息子のルルーシュが阻止してくれた事実のみ。

 だが、『しかし』とマリアンヌは考える。果たして、目の前の息子は本当に自分の息子なのだろうかと。

 何事にも聡明であり、学問においても天才の片鱗を既に見せ始め、将来は間違いなく帝国を担う政治家になるだろうと周囲から褒め称えられるルルーシュ。

 しかし、身を剣一本で立て、今の地位となったマリアンヌとしては不服だった。やはり自分の技を継ぎ、武官となって、ゆくゆくは己がそうであった様にラウンズの地位を極めて欲しかった。

 ところが、ルルーシュときたら、自分のお腹に運動神経を置き忘れてきたのか、からっきしダメダメ。剣の鍛錬をするどころか、それを始める前の準備運動の段階でへばっている有り様。

 嘗ての同僚であり、今もラウンズの第1席の担うビスマルクにも、とても微妙な顔をされた。『残念ながら、ルルーシュ殿下に才能はこれっぽっちも御座いませんな』と言う有り難いお墨付きまで貰っている。

 もっとも、その代わりと言う訳ではないが、妹のナナリーは煌めくモノを持っており、このまま長ずれば、もしかしたら自分以上になれるかも知れないと期待していた。

 性格的にも、ルルーシュは負けず嫌いではあるが、それはチェスなど、ゲームでの事。荒事に向いてはいない。

 剣の才能が無いと解った今も、自衛くらいはと鍛錬をナナリーと共に日課として行わせているが、ルルーシュは痛さを知るが故に自分からは基本的に仕掛けず、仕掛けても躊躇いがありありと見える。

 良く言えば、優しい。悪く言えば、臆病。だからこそ、目の前の光景が信じられなかった。

 銃弾の前に立ち塞がった勇気も驚愕に値するが、それ以上に驚くのが、その身に幾多の銃弾を受けて倒れないどころか、前へ進める気概と敵を気圧す気迫。これほど熱いモノをルルーシュが持っているとは知らなかった。

 

「光を失えぇっ!?」

 

 心では既に決別したはずだったが、ルルーシュにとって、やはり懐かしい母の呼び声。

 ルルーシュは抗えない欲求に突き動かされて振り返るが、その振り返る途中、ソレを見つけて、刹那だけ緩んだ表情を憤怒に染める。

 階段の左右に配置されて、玄関出入口まで5本列び、吹き抜けの天井を支えているドーリア式の白い柱。

 ルルーシュが玄関ホールへ駆け入ってきたのとは逆側、階段脇にあるその影。女の子座りでへたり込み、開ききった目と口を恐怖に震わせながら涙をポロポロと零す幼い少女。

 彼女の名前は『アーニャ』、行儀見習いとして、同い年のナナリーの遊び相手として、このアリエス宮に一週間前から住み込みで務めている貴族令嬢。

 ルルーシュは怒りに染まりきった思いのまま叫ぶ。アーニャからマリアンヌへと視線を向けて叫ぶ。

 

「えっ!? ……め、目がっ!? な、何がっ!?」

 

 その力有る言葉と共にルルーシュの両の眼から羽ばたく赤い紋章。

 そして、それはルルーシュの視線の先にあるマリアンヌの瞳の中へと飛び込み、マリアンヌの脳を焼いて、その言葉通り、マリアンヌの視界から光を奪う。

 突如、目の前に果てしない暗闇だけが広がり、マリアンヌは混乱の極み。すぐさま両手を目へあてがうが、感触は有れども、目の前にあるはずの指が見えない。

 マリアンヌが見た最後の光景。それは憎しみに溢れた我が子の表情とその額に浮かび上がり、輝き始めた赤い紋章、力尽きて崩れ落ちるルルーシュの姿だった。

 

「ひ、ひぃっ!? ぼ、僕のコード……。ぼ、僕のコードがっ!?

 うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 V.Vはルルーシュの額に輝く赤い紋章を目の当たりにして、自分自身の中で起こった変化を理解した。

 額を震える右手で押さえながら、目をこれ以上なく見開き、腰を落としたまま後退り。震える脚で立ち上がるが、膝に力が入らず、その場へすぐに尻餅をつく。

 今一度、見開ききった目でルルーシュの額を見ると、V.Vは絶望のあまり半狂乱な叫び声をあげながら這い、立ち上がり、たたら踏んで転倒。すぐさま立ち上がり、アリエス宮から脇目もふらず駆け出て行った。

 

「ルルーシュ! 何処なの! 返事をして! ……ルルーシュ!」

「はわわっ……。」

 

 凶劇が去り、玄関ホールに残ったのは2人。

 床を這い蹲って進みながら、ほんの2、3歩先に倒れているルルーシュを探し求めて、必死に手探るマリアンヌ。

 ほぼ一部始終を目撃しながらも難を唯一逃れ、ようやく得た安心にそれまで耐えていたモノが漏れてしまい、ただただ茫然と大きな水溜まりを作ってゆくアーニャ。

 それは後に『アリエスの悲劇』と呼ばれる事となるルルーシュ8歳、ナナリー5歳の時の出来事だった。

 

 

 



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序章前 第02話 皇帝裁判

「不平等ぅぅは悪ではない……。平等ぅぅこそが悪なのだ!

 闘い! 奪い! 競い! 獲得せよ! 支配せよ! 宮廷闘争、大ぉぉいに結構! 

 その切磋琢磨こそが強き国を造るのだ! つまりはぁ~~……。このブリタニアにおいて、弱肉強食は国是であぁぁる!」

 

 言うまでもないが、神聖ブリタニア帝国の頂点は皇帝。その政治体制は独裁である。

 政治機関として、貴族による上院、市民による下院の二院制を持つ評議会に加えて、皇族と上位貴族による元老院も存在するが、皇帝の一存は全てにおいて優先される。

 裁判も刑事、民事とあるが同様。例え、最高裁判所が白の判決を出そうとも、皇帝が黒と言えば、検事も、弁護も必要とせず、白は黒へと変わる。

 もっとも、それは皇帝が持つ力の度合いによる。神聖ブリタニア帝国史において、評議会、元老院が皇帝より力を持った例が過去に何度もあり、これ等の傀儡とされる皇帝も何人か存在するが、現皇帝のシャルルは歴代五指に入るだろう圧倒的な力を持っていた。

 

「だぁぁが、しかぁぁぁし!

 証拠は当然として、一片の疑いも残すのは、二流、三流がやる事! その様な凡愚は我が帝国に不要!」

 

 所謂、『アリエスの悲劇』と呼ばれる事件より一週間。その捜査は難航に難航を極めた。

 なにしろ、事件における唯一の目撃者がアーニャである。

 凄惨な事件は幼いアーニャの心に多大なショックを与えており、捜査官達が調書を取ろうとする度、アーニャは当時の光景を思い出して怯え、泣き出してしまう有り様。

 また、アーニャの『アールストレイム』家は伯爵位を持つ古くからの名家。手荒に扱えば、訴えられる可能性もあり、満足のゆく調査が難しかった。

 そんな扱いに困る重要参考人を懸命に宥めて、落ち着かせ、あめ玉で機嫌を取り、やっとの思いで出てきた犯人証言が『ルルーシュ殿下と同じくらいの背の男の子』である。当然、捜査員達は混乱した。

 しかし、シャルルのマリアンヌへ対する寵愛ぶりは有名。その寵姫を害した犯人が判らないとあっては、どんな不興を被るか、捜査員達は何が何でも絶対に犯人を見つけ出さねばならなかった。

 その結果、朝一番で呼び出され、シャルルから直々に捜査状況の進展を問われた捜査責任者は、一週間も経っておきながら犯人の目星すら立っていないとは口が裂けても言えず、とある皇妃の名前を苦し紛れに告げてしまう。

 シャルルの決断は早かった。それがでっちあげであると知りながら、皇族と上級貴族へ緊急召集を命じ、皇帝裁判の開廷を宣言。そこへ現れた該当皇妃を近衛兵へ命じて捕縛させた。

 まさか、まさかの早すぎる展開に捜査責任者は焦った。今更、嘘でしたとは言えず、嘘の上に嘘を塗り固めた捜査報告を即興でねつ造して発表。今は玉座の前で片跪き、垂れる頭の下、自分の嘘がばれない事を祈りながら顔を青ざめさせていた。

 

「よって、シャルル・ジ・ブリタニアが告げる!

 第18皇妃、クリスティアナ・デ・ブリタニアは皇籍を剥奪! 

 以後、クリスティアナ・ベーネミュンデは別命が有るまで、ピーリー島へ幽閉刑とする!」

「むーーーっ!? むーーーっ!? むーーーっ!? むーーーっ!? むーーーっ!?」

 

 近衛兵2人によって、両腕を拘束された上に首根っこを掴まれ、強引に跪かされている女性。その口には口枷が噛まされていた。

 そう、この瞬間から皇妃の地位と『デ・ブリタニア』の皇族家名を失い、嫁ぎ前の家名へと戻った彼女『クリスティアナ・ベーネミュンデ』は人身御供だった。

 なにせ、事件が起きた現場は後宮。皇帝居住区の一角であり、何処よりも警備が厳しくなくてはならない場所。

 事件が発生した事実だけとっても、皇帝の威信に傷がついたにも関わらず、その犯人が捕まらないどころか、解らないとあっては示しがつかない。世間が納得する何かしらの材料が絶対に、それも早急に必要だった。

 その点、彼女は申し分ないモノを持っていた。事実、この場に集った者達も『彼女なら』と半ば納得していた。

 それと言うのも、彼女は非常に嫉妬深かった。特にマリアンヌへ対する嫉妬は大きく、同じ心を持つ者達を集めて、決して小さくない派閥を宮中に作っていた。

 そもそも、庶民出身のマリアンヌが第5皇妃、侯爵家出身の自分が第18皇妃、この序列に不満があった。

 マリアンヌを下賎な女と常日頃から呼んで憚らず、侯爵家の出身と言う事もあって、力を後宮内外に持ち、度重なる嫌がらせをマリアンヌへ行っていた。

 それこそ、当初は子供じみた悪戯や意地悪も最近では度を超え、息子のルルーシュや妹のナナリーにまで及び、目に余るモノが現れ始めていた。

 当然、その行いの数々はシャルルの耳にも届き、寵愛を失ってゆく原因となり、そうした悪循環の末、夜渡りどころか、シャルルが彼女の元を訪れるのも絶えて久しく、当然の結果として、一度の妊娠にも恵まれていない。

 ちなみに、ピーリー島とは、帝都ペンドラゴンの遙か北東にあるエリー湖の小島。

 古くから皇族、上級貴族の流刑地で島全体が敷地となっており、島内なら何処へ行くのも自由。費用さえ支払えば、あらゆる物が手に入り、自分の屋敷を建てる事さえも許されている。

 但し、手紙、電話、ネットなどのあらゆる通信手段の持ち込みだけは禁じられており、外部との接触は面会人との人づてのみ。それも指定した場所に限り、立会人を必要とする上に会話は全て記録される。

 皇帝の恩赦がない限り、骨となる以外は島から出る手段は無く、一歩でも出ようものなら即射殺。この島への収監は緩やかな死刑と言えるものだった。

 だが、この島へ収監された者は大抵が3年と保たず、自ら死を選び、島の共同墓地へ埋められる結果となって、二度と島の外へ出れない知られざる事実があった。

 何故ならば、皇族や貴族というものは名誉を重んじるもの。余程の理由がない限り、とばっちりを受けてはなるまいとこの島の収監者を一族から絶縁する。

 そうなったら、援助は受けられず、島での自由は買えない。日々の糧を得る為には労役を行わなければならず、それは優雅な暮らしをしていた皇族、上級貴族にとっては耐え難いもの。最後は毒を購入して自殺するのである。

 余談だが、この結果を自分の嘘から作ってしまった捜査責任者は3ヶ月後に辞令を受けて、エリア10へ赴任。そこで憲兵総監の地位に就くが、官舎への帰宅途中、反ブリタニアのレジスタンス組織の襲撃に遭い、死亡する事となる。

 

「目障りだ! 早く連れて行けぇぇい!」

「むーーーっ!? むーーーっ!? むーーーっ!? むーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」

 

 冤罪を突き付けられ、無罪を必死に叫ぶ元皇妃。

 しかし、口枷が邪魔をして、言葉にならない悲痛な叫び声だけが謁見の間に響くのみ。

 涙ながらにシャルルへ縋り付こうとしても、両脇を近衛兵に拘束されていては近づく事すらかなわず、ただただ身体を藻掻かせて、髪を振り乱すしかなかった。

 最早、それは豪華なドレスこそ纏ってはいるが、顔は涙と鼻水、涎にまみれて汚れ、化粧は完全に崩れ落ち、元皇妃の姿とは思えない。

 だが、その形振りを構わない努力は通じなかった。シャルルは逆に見苦しいと言わんばかりに溜息を深々とつくと、謁見の間出入口をビシッと指さしながら怒号を轟かせた。

 元皇妃は今まで以上に藻掻き、髪を振り乱すが、やはり近衛兵の力には勝てず、両脚を引きずられて、謁見の間を強制的に連れ出されて行く。

 

「さて、ナナリーよ」

 

 玉座から伸びる赤絨毯の先、大の大人が腰を入れて押さなければ、ピクリとも動かない巨大な謁見の間出入口の扉。

 その扉が軋み声をあげながらゆっくりと閉まり、元皇女の泣き叫ぶ声が消え去り、静寂を取り戻した謁見の間。シャルルが皇帝裁判におけるもう1人の主人公を呼ぶ。

 それと共に謁見の間にある全ての視線が一斉に出入口の扉から再び玉座の前へ。即ち、先ほどまで元皇女が居た位置の隣へと向かう。

 

「どうする? 不満があるなら言うが良い。

 マリアンヌとルルーシュがこの場へ出られぬ以上、その権利がお前には有る。

 あ奴の命も、あ奴の家『ベーネミュンデ』も、お前の思うがままよ。……さあ、どうする?」

 

 だが、ナナリーはこの場へ立った時からずっと今も顔を伏せたまま。一切、何も耳へ入っていなかった。

 それどころか、赤い絨毯へ縫い付けられた瞳はぼんやりと虚ろ。ちょっとでも押せば、そのまま倒れかねない危うさ。

 しかし、それも無理はない話。一週間が経ったとは言え、まだまだ幼いナナリーにとって、あの夜の出来事は衝撃的すぎた。

 幸いにして、ナナリーはあの現場を直接は見ていない。銃撃音に目は醒ましたが、使用人達の配慮と睡眠薬の眠気に負けて、すぐにまた寝てしまい、事件を知ったのは翌朝の事だった。

 それでも、病院の集中治療室にあった母と兄の姿は惨劇の酷さを十分すぎるほどに物語り、ナナリーの心へ多大な衝撃を与えた。

 この一週間、ナナリーは終始がこの調子。放っておけば、物を言わず、いつまでも椅子に座ったまま。自分からは食事を摂ろうともしなくなっていた。

 

「どうぅぅした。何故、何も応えない。

 お前の母が、お前の兄が害され、あの様な姿になったと言うのに悔しくは無いのか?」

 

 一呼吸、二呼吸、三呼吸、シャルルは心で数えて待つが、ナナリーからの言葉は何も返ってこない。

 五呼吸目、元が天真爛漫だっただけに今のナナリーの姿に憐憫な心が生まれ始め、シャルルは強き皇帝としての仮面が剥がれかけている自分に気付き、心を落ち着かせる為、瞼をゆっくりと閉じて、深く大きく深呼吸した。

 そう、息を吐き出す際、ナナリーの弱々しさに呆れ果てる様な溜息をこれ見よがしにして。

 事実、謁見の間に集った者達はそう感じた。次の瞬間にでも放たれるであろうシャルルの雷鳴に身構え、謁見の間に漂う緊張感が増す。

 

「父上、お待ち下さい! ナナリーはまだ幼く……。」

 

 その時、玉座の右側、皇族が列ぶ最前列の1人が前へ進み出た。第2皇女のコーネリアである。

 シャルルの気性が気性故に許可を得ず、こういった場での勝手な発言は処罰の対象となる可能性が非常に高いのだが、もう居ても立ってもいられなかった。

 コーネリアにとって、剣1本で身を立てたマリアンヌは憧れ。実母もマリアンヌと親交が深く、常日頃から家族ぐるみの付き合いをしており、ルルーシュとナナリーは実の妹であるユーフェミアと同様に守るべき存在だった。

 しかも、コーネリアはアリエス宮の警備責任者。何故、あの夜の悲劇を防げなかったのかと誰よりも悔いていた。

 この一週間、実母から言われるまでもなく、ナナリーの世話を買って出ると、周囲から少し休んだ方が良いと言われるほどの献身ぶりを発揮して、食事や着替え、入浴、トイレ、朝から晩まで1人を怖がるナナリーの傍らに付き、懸命に励ましていた。

 その甲斐あって、実がゆっくりとではあるが結びかけている今、ここで変な力を加えて、その方向をねじ曲げては貰いたくなかった。

 只でさえ、ナナリーはまだ5歳。本来なら、この様な場へ出席する資格を持たない年齢。その資格を得るのは、ブリタニア宮廷の習わしで15歳以上と決まっている。

 つまり、こうした場が初体験の上に周囲は全て大人。コーネリア以外、日頃から親しい人物は全員が帝都を離れているなどの理由で欠席をしており、この理由だけ以てしても、ナナリーを萎縮させるに十分過ぎた。

 だが、コーネリアへ視線だけを向けたシャルルの言葉は何処までも冷酷だった。

 

「……だから?」

「で、ですから……。あ、あの凶事から日もまだ経っておらず、幼いナナリーにそれを問うのは酷かと!」

「だから、どうしたと言うのだ! コぉぉーネリぃア、お前は何を聞いていた!

 たった今、この国における国是は弱肉強食だと言ったはず! それをなぁぁぁぁぁんたる愚かしさ!」

「ひぃっ!?」

 

 その眼差しに気圧されながらも、コーネリアは更に言い募ろうとするが、それが限界。

 シャルルが玉座の両肘置きを叩いて立ち上がり、怒号を轟かせると、コーネリアは身を竦ませて後退り、言葉を失う。

 完全に役者が違った。コーネリアはまだ士官学校を出たての18歳。血生臭い宮廷闘争の果て、皇帝の座を勝ち取り、世界の1/3を支配するまでとなった今の強大な神聖ブリタニア帝国を造ったシャルルの前へ立つには経験が圧倒的に足りなかった。

 

「ふんっ……。幼さなど理由にならん!

 聞けば、ルルーシュは暗殺者の前へ立ち塞がり、その身でマリアンヌを護ったと言うぅぅではないか!

 これだ! この気概こそが私の求めるモノ! 実に見事! オール・ハイル・ブリタああああああああああニア!」

 

 シャルルは鼻を鳴らして、心が完全に折れてしまったコーネリアからナナリーへと視線を戻す。

 そして、力強く握った右拳を掲げての国家賛美。その合図にシャルルの前に居並ぶ者達は姿勢を正して、右手を掲げ、同様の国家讃美を唱和。二度、三度と木霊する異口同音が謁見の間の空気を震わせる。

 その度、ナナリーは責められているかの様な錯覚を覚え、身体をビクビクッと震わせて、唱和が終わり、謁見の間が静寂を取り戻した頃には完全にブルブルと震え、膝から力が抜けて、その場にペタリと尻餅をついた。

 

「ナナリーよ……。顔を上ぇぇい!」

 

 そんなナナリーを影が覆い、俯いた視線の先にシャルルの足が現れる。

 皇帝直々の言葉である。ナナリーは目の前に立つ父親の顔を見上げようとするが、恐怖のあまり身体は震えるばかりで動かない。

 

「……死んでおる」

「っ!?」

 

 その視界にシャルルの右手が伸び、襟首を掴まれて持ち上げられるナナリー。

 強制的に列ばされた高い目線。そこにあったのは、ナナリーが知る父親の顔ではなかった。あの悲劇が起こる数日前、剣の鍛錬を見学に現れ、『将来が楽しみだ』と褒め称えながら頭を優しく撫でてくれた父親の顔とは大きく違った。

 嘲り、蔑み、見下した目。その冷たい目で間近に覗き込まれ、ナナリーの震えていた身体がビクッと一際大きく震えて止まる。

 しかし、真の恐怖はここからだった。一転して、シャルルの目に熱が籠もり、その炎から生まれた憤怒と共に凄まじい怒号が轟く。

 

「兄と比べて、なぁぁぁぁぁんたる不甲斐なさ!

 目が死んでおる! ……死んでおる! 死んでおる! 死んでおる! 死んでおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉる!」

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」

 

 限界だった。いや、限界を越えた。

 ナナリーは奇声をあげながら暴れ、手を、足をバタバタと藻掻かせての失禁。直下の赤絨毯に染みが広がると共に湯気が上り、アンモニア臭が周囲へ広がる。

 そんなナナリーを忌々し気に舌打ち、シャルルは容赦なく放り投げる。

 

「ちっ……。ますますの度し難しさよ! 愚か者がぁぁ!」

「ナ、ナナリーっ!? ……父上、酷すぎるではありませんか!」

 

 果たして、その方向にコーネリアが居たのは偶然か。

 コーネリアは危ういながらもナナリーを受け止めるのに成功。半狂乱となって暴れるナナリーを落ち着かせようと優しく抱き締めながら叫び、シャルルを睨み付ける。

 

「死んでおるお前に権利など有りはしない。

 ナナリーよ。日本へ行け……。皇女ならば、良い取引材料だ。死人のお前でも少しくらいは役に立つだろう」

 

 だが、シャルルは取り合わず、更なる残酷を一方的に告げると、もう興味を失ったと言わんばかりに謁見の間から去って行った。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ナナリーの事、聞いたわ」

 

 とある病院の最上階。皇族や上級貴族御用達のVIP専用階にマリアンヌの病室はあった。

 広々とした部屋の中央に敢えて置かれたキングサイズのベット。その横に設置されたマリアンヌの鼓動を監視する計器が小さな電子音を鳴り刻んでいる。

 時刻は深夜、マリアンヌの希望か、カーテンは開け放たれたまま。照明が消された室内を階下の光が淡く踊り照らして彩り、窓には見事な夜景が広がっている。

 しかし、ベットに横たわるマリアンヌは包帯を目に巻いており、それを知る術は無い。

 何故、目が見えないのか。一流の肩書きを持つ数人の眼科医が診断したが、原因不明。脳波を調べる限り、見えているはずであり、心意性のものとされた。

 また、銃弾を受けた下半身は手術に成功したが、その回復は杖を補助に歩く程度。以前の様に剣を持っての戦闘は困難と診断された。

 それ故か、あの悲劇の夜を境にして、マリアンヌはそれまで常に纏っていた自信や覇気と言ったモノをすっかりと失い、まるで別人の様に変わった。

 

「済まない。兄さんの行方が掴めない以上、ああするより他はなかった」

「解っているわ。相変わらず、不器用ね。あなたは……。」

 

 シャルルはベット脇に立ち、そんなマリアンヌの姿に戸惑っていた。

 マリアンヌは軍人時代、常に最前線の戦いに身を置く事を好み、いざ戦いとなれば、誰よりも先頭に立って戦った。

 当然、生傷は耐えなかったし、時には重傷を負い、後方へ送られて、病院に入院した経験も一度や二度ではない。

 しかし、マリアンヌは病院のベットにあっても活力に溢れ、溢れすぎるあまり持て余して、鍛錬を病室で行い、医師からは怒られ、同僚からは呆れられる様な女だった。

 今や、それが正反対。シャルルが唱える国是において、それは唾棄すべき弱者の姿だった。

 

「……マリアンヌ」

「ごめんなさい。少し眠いの……。」

 

 ところが、シャルルの心は愛おしさで溢れていた。

 マリアンヌの弱々しい姿以上、シャルルは自身の心に戸惑いながらも、たまらずマリアンヌへ触れたくなり、その頬を撫でようと右手を伸ばす。

 だが、目は見えずとも、剣で培った周囲の気配を感じ取る勘は健在。マリアンヌが身じろぎ、顔を背けて、シャルルを拒む。

 

「っ!?」

 

 その一欠片も予想していなかった拒絶に驚き、目を最大に見開きながら身体をビクッと震わせて硬直するシャルル。

 しばらく、マリアンヌの鼓動を表す電子音だけが鳴り響き、時がゆっくりと過ぎてゆく。

 どれほどの時が過ぎたのか、マリアンヌの拒絶にも驚いたが、シャルルは激しく傷心している自身に気付いて、再び戸惑いをますます深める。

 その一方で落ちた肩を戻して思う。これではまるで女を知らぬ10代の小僧ではないか。この様な弱さは帝位を望んだあの時に捨ててきたはず、と。

 だが、マリアンヌへ視線を向ければ、次から次へと溢れてくる愛おしさ。その小さくなった背中を今すぐ抱き締め、閨を共にしたい強烈な衝動が駆られるが、再び拒絶されるのが怖かった。

 

「ああ……。今はゆっくりと休め」

 

 シャルルは何かを言い募り、口を数度ほど上下させるが、どれも言葉にならず飲み込んでしまい、やっとの思いで出てきたのは、マリアンヌの拒絶を受け入れた言葉だけ。

 そして、口へ出した以上、去るしかなくなり、シャルルは肩を落として病室を出て行く。

 

「どうした? そんなにしょぼくれて?

 とても世界の1/3を支配する皇帝とは思えない姿だぞ? 今のお前の姿を皆が見たら、何と言うだろうな?」

 

 病室出入口の自動ドアが開いて閉まり、シャルルが深々と溜息をつくと、嘲りを含んだ声が聞こえてきた。

 とても皇帝へ対するものとは思えない不遜な物言い。それこそ、即手打ちとなってもおかしくないほどの不敬罪。

 それだけに振り向かずとも、誰なのかが解った。そんな人物は世界を探しても一人しか居なかった。

 その予想通り、シャルルが横目を声の発生源へ向けると、腕を組みながら背を壁に持たれ、愉悦にニヤニヤと笑う長い髪の女性『C.C』の姿があった。

 

「C.Cか……。ルルーシュはどうだ?」

「感謝しろよ? 誤魔化すのが大変だったんだからな?」

「……と言う事は?」

「ああ、マリアンヌの証言通りだ。

 V.Vのコードを奪ったんだろうな。まだ目は醒まさないが、傷の方はとうに完治している」

「そうか……。」

「だが、解らないのは、あの小僧へ誰がギアスを渡したかだ。

 勿論、私は違うし……。V.V、あいつは私と望みが違う。

 もしかしたら、3人目が居るのかも知れないが……。

 もし、そうだとしても、あの小僧がギアスを使ったところを見た事が一度も無い。

 使えば、私が気付くはずだ。コードを奪えるほどに成長しているのだからな。……全く解らない事だらけだよ」

 

 シャルルが歩き出す。その後を追って、C.Cも歩き出す。

 静まり返った病院の廊下に響く2人の足音。多忙なシャルルと存在そのものが秘密のC.C、お互いに長居をする訳にもいかず、歩きながら会話を交わす。

 2人にとって、アリエスの悲劇自体がイレギュラーではあるが、それ以上に『ルルーシュ』はイレギュラーな存在だった。

 あの悲劇の翌日、C.Cはエリア10の降伏調印式へ赴き、数日は帝都へ帰って来れないシャルルに代わって、今夜同様に深夜、マリアンヌの元を秘密裏に訪れるなり、我が目を疑った。

 マリアンヌが眠るベットの隣、数多の生命維持装置に囲まれたもう1つのベットの中、頭以外の全身を包帯に包まれた子供が己の同類だと一目見て気付いたからである。

 そこへ寝ていたはずのマリアンヌから『やっぱり、そうなのね』と声がかかり、すぐさまC.Cはマリアンヌへ事情を求め、それが済むと即座にシャルルへ電話で連絡を入れた。

 なにしろ、今や、ルルーシュは不老不死のコード所有者。手術は無事に済んだが、生きているのが奇跡と言われているにも関わらず、たった数日で全快したとあってはパニックが起こるのは必然だった。

 C.Cは勅命という伝家の宝刀を使い、異変に気付いて駆け付けた医師団を黙らせて、ルルーシュを転院という名目で強制退院。この病院の屋上からヘリコプターを操縦して、ルルーシュをフロリダ地区にある皇族の保養地へと運んだ。

 その後、ルルーシュの覚醒を待っていたが、その気配は見えず、あの悲劇の夜以来ずっと失踪中のV.Vに関する情報を得ようと、つい先ほど行きに使ったヘリコプターで戻ってきたところだった。

 ちなみに、不老不死性を持つコード所有者と言えども、痛覚は有り、死に至るダメージを負えば、その傷みによるショックで気絶する。

 大抵はすぐに意識を取り戻すが、時には1週間、2週間といった長い時を必要とする事もある。

 実際、中世ヨーロッパにて、魔女裁判が流行った時、C.Cは火あぶりの刑を経験したが、その時の蘇生は3週間ほどかかった。意識を取り戻したら、周囲360度が見渡す限りの海。大西洋のど真ん中に浮かんでおり、大変に難儀した経験があった。

 それ故、C.Cも、シャルルも、ルルーシュがすぐに目を醒ますと信じて疑わず、あの夜の悲劇に関する真相解明は時間の問題だと考えていた。

 

「なら、やはり……。全ての答えはルルーシュか」

 

 ところが、ルルーシュは目覚めない。この後、1年経っても、2年経っても、3年経っても目を醒まさない。

 ルルーシュが目を醒ますには長い年月を必要とした。

 

 

 



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序章前 第03話 8月10日

 

 ___ 皇歴 2010年

 

 

 

「うむ、良いぞ! 

 どうやら鍛錬は欠かしていない様だな! 以前より踏み込みが早くなっている!」 

 

 富士山が見える静岡県某所。現内閣総理大臣『枢木ゲンブ』の生家、枢木神社。

 入道雲が背伸びをし始めた夏の早朝。山の深緑に囲まれた境内にて、竹刀が打ち合う音と砂利を蹴る音が響き、その合間に威勢の良いかけ声が上がっていた。

 声の主の名前は『藤堂鏡志朗』、公式の剣道連盟が定める剣道の腕前は三段だが、枢木神社の麓にある生家『藤堂流道場』の皆伝と印可を持つ当代の剣豪と言っても過言ではない人物。

 本来は日本軍に所属しており、少佐の階級を持っているが、ゲンブと生家が近所同士という縁を買われて、現在は警視庁警備部へ出向中。ゲンブの専属護衛任務に就いている。

 

「次はここだ! ここを狙え!

 但し、いつも言っている様に抜きを忘れず、攻撃は常に二段構えで! さあ、打ちなさい!」

 

 藤堂はこの神社へ訪れる度に思う。自分はなんと恵まれているのだろうか、と。

 約1年前、ゲンブと共に帰省した際、たまたま境内で素振りの鍛錬をしていたところ、それを見ていたスザクからせがまれ、最初は自分自身の暇潰しで手解きを始めたのがきっかけだった。

 ところが、枢木ゲンブの息子『枢木スザク』とその婚約者『ナナリー・ヴィ・ブリタニア』の2人は輝かんばかりの煌めく才能を持っていた。

 しかも、2人はまだ子供。指導者として、真っ白な状態から染める事が出来るのはこの上ない喜びだった。やはり才能が幾らあっても、最初の大事な段階で誤ってしまえば、修正は難しくなり、大成もし難い。

 ただ残念なのが、今の任務の都合上、指導が出来るのは多忙を極めるゲンブが帰省した時のみという事。

 もっとも、それはそれで別の喜びがあるのも事実。普通の子供なら辛いか、飽きるかして、投げ出してもおかしくない鍛錬。藤堂が不在の間、それをスザクも、ナナリーも真面目にきちんと行っており、帰省する度に2人の成長が目に見えて取れた。

 生家の道場へ通う同年齢の小学生達と比べてみても、2人の実力は圧倒している。スザクは中学生、ナナリーは小学校高学年と良い勝負が出来るまでになっている。

 どうしても国を護りたいと言う志があって、軍隊へ入り、生家の道場は弟へ譲ったが、この煌めく才能達を育てる為、今の任務が済んだら除隊して、道場を開くのも悪くないと藤堂は今では考えていた。

 

「ほら、甘い!」

「キャっ!? ……い゛っ!?」

「抜きを忘れるなと今言ったばかりだ! だから、打たれる!

 さあ、すぐに構えて! 構えが遅ければ、それだけ相手に時間を与える事になるぞ!」

「はい!」

 

 ナナリーの悲鳴があがり、途絶える竹刀の打ち合い。

 だが、それも束の間。ナナリーは打たれた痛みに思わず落とした竹刀をすぐさま拾うと、中段を構え、竹刀の打ち合いを再開。これがまた藤堂の喜びだった。

 藤堂達が行っているのは、麓の道場で藤堂の弟が近所の子供達相手に行っている『剣道』ではない。藤堂家に古くから伝わる『剣術』である。

 身に着けているのは胴着と袴のみ。剣道の様に防具は着けておらず、竹刀を使っているとは言え、打たれれば、かなりの痛みがある。

 普通の子供なら泣くか、嫌がるものだが、スザクも、ナナリーもへこたれず、打たれても前へ進み出る気概を持っていた。

 このまま指導を誤らず、鍛錬を怠らず、成長すれば、自分を越える剣士になれるはずだと藤堂は考えていた。

 しかし、その前に一つの懸念があった。それは日本と神聖ブリタニア帝国の関係である。

 常にゲンブの傍にある藤堂は知っていた。日本と神聖ブリタニア帝国、その両国の緊張が既に引き返せないほど最悪な段階にまで至っている事実を。

 開戦したら、スザクとナナリーはどうなってしまうのか。それを考えると、藤堂はやるせなくて仕方が無かった。

 

「痛てててて……。 藤堂先生ってば、容赦ないよなぁ~~……。」

 

 一方、藤堂とナナリーが打ち合いをしている今、手持ち無沙汰なスザク。

 賽銭箱前の神社本殿へ上る階段に腰掛けて、胴着の左袖を捲り上げ、竹刀を打ち据えられて、赤く腫れ上がっている腕へ息をフーフーと吹きかけていた。

 そこへ現れる初老の女性。彼女は枢木家に住み込みで働いているお手伝いさんであり、母を既に亡くしたスザクにとって、母親代わりの人物。

 

「スザクさん、ゲンブ様がお呼びですよ」

「父さんが? ……何だろう?」

 

 あと15分もしたら朝食の時間。その時に顔を合わせるにも関わらず、わざわざの呼び出し。

 スザクは変だなと思いながらも、尻の埃を叩き払って立ち上がった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「父さん、何? ……って、えっ!?」

 

 社務所を兼ねる枢木家本邸。父親の呼び出しに軽い気持ちで訪れた奥座敷、スザクは襖を開くなり、思わず歩を止めた。

 紋付き袴姿、いつも朝食後まで浴衣姿でいる父がである。こんな前例は記憶を幾ら探っても見当たらない。

 しかも、部屋の上座、その裾をきちんと揃えて、座布団の上に腕を組みながら正座。表情は険しく、張り詰めた緊張感が漂っていた。

 

「どうした? 早く座れ」

「う、うん……。」

 

 顔どころか、視線すらも向けず、前を真っ直ぐに向いたままのゲンブに促され、スザクは戸惑いながらも部屋へ入る。

 仰々しい雰囲気に飲まれ、ゲンブの前に置かれた座布団へ正座。居心地の悪さに辺りをキョロキョロと見渡す。

 そして、気付く。普段は放置されて、昨日まで埃だらけだったはずの奥座敷が隅々まで清められ、床の間には色鮮やかな生け花と初めて見る掛け軸が飾られていた。

 

「スザク……。」

「は、はいっ!?」

「ナナリー君はお前の許嫁だ」

「う、うん……。」

「なら、正直に応えろ。……好きか?」

「えっ!? ……ええっ!?」

 

 そこへ脈絡もなく突然のこの質問。スザクは大混乱。

 最初は何を言っているんだと呆け、一呼吸を置いてから理解。顔を紅く染めて驚き、大口を開けての間抜け顔。

 その様子が愉快で堪らず、ゲンブは吹き出してしまい、顔を背けて耐えるが耐えきれず、肩をプルプルと震わせる。

 

「ぷっ!? くっくっくっくっくっ……。」

「な゛っ!? ……ち、違うってっ!? 

 ナ、ナナリーはっ!? そ、その……。だ、だから……。そ、そう! い、妹! い、妹みたいなもので!」

「はいはい……。解った、解った……。」

「い、いや、父さんは解ってない! ぼ、僕は!」

 

 ますますスザクは混乱を深めて、暫く間抜けな顔で固まっていたが、答えを言わずとも本心を悟られたと知る。

 慌てて我に帰り、弁解を捲し立てるが、己の秘めた想いを知られた事実は変わらず、言葉を列べれば列べるほど、ゲンブの肩の震えは大きくなってゆくばかり。

 挙げ句の果て、ゲンブは隠すのを止めて、愉悦にニヤニヤと笑い、スザクは羞恥と怒りに顔を真っ赤っかに染めて、片膝を立てる。

 

「だったら、言い方を変えよう。

 お前はナナリー君の事を大事に思っている。それは間違いないな?」

「えっ!? あっ!? う、うん……。」

 

 しかし、スザクが立ち上がりきる直前、ゲンブがスザクをギロリと強く睨み、雰囲気を再び真剣なものへと一変させた。

 スザクは気圧されて勢いを失い、立ち上がりかけた体勢のままで躊躇いながらも頷く。

 

「なら、これを受け取れ」

「な、何さ。……え゛え゛っ!?」

 

 更に間一髪を入れず、驚愕がスザクを襲う。

 ゲンブが袖の袂から取り出して、畳の上へ置いた茶封筒。スザクは正座に座り戻って、それを受け取り、その中身を見るなり言葉を失った。

 茶封筒がパンパンに膨らむほどの札束。何処を捲っても、福沢諭吉しか居らず、千円札より上の札が財布へ入った経験のないスザクにとって、それは未知の領域過ぎた。

 茶封筒からゲンブへ視線を弾かれた様に上げると、ゲンブが正座をしたまま距離を詰めて、スザクの肩に両手を置く。

 

「時間が無いから、一度しか言わないぞ?

 今日、学校へ行ったら、そのままナナリー君を連れて、裏口から逃げるんだ。

 監視が緩むのは、その時しかない。

 バスでも、電車でも良い。とにかく、その金を使って、西を目指せ。

 博多まで行き、その封筒の中に入っている紙に書かれた場所へ行け。そこでお前達を待っている人が居るはずだ」

「……ど、どういう事?」

「日本とブリタニアは戦争になる。それも今日、明日中にだ」

「っ!?」

 

 間一髪を入れず、次から次へと放たれる衝撃。それはスザクの理解を超えていた。あまりにも超え過ぎていた。

 日本とブリタニアの関係が悪化しているのは知っていた。そう言った類のテレビ報道が頻りに放送されており、周囲の大人達の声を聞いていれば、意味が解らずとも把握できた。

 また、食料自給率が悪く、輸入に頼らなければならない日本は、ここ数年の食料物価がブリタニアの締め付けで上昇。スザクが好きな駄菓子『うんまい棒』も値段が上がっており、目で解るモノもあった。

 今、そうした事実から日本国内ではブリタニア差別が蔓延しており、スザクが常に見張ってはいるが、いじめまでいかないにしろ、ナナリーは学校で嫌がらせを度々受けていた。

 階段を下りて、すぐ麓に剣道道場があるのにも関わらず、スザクとナナリーがそこへ通わず、藤堂から指導を受けているのはそう言った理由からだった。

 しかし、そう言った事情を知ってさえいても、スザクは『戦争』と言うモノが信じられず、想像がまるで付かなかった。

 無論、それがどんなモノかは知っているが、『戦争』は映画や漫画、アニメの中での出来事。現実にあっても、それは遠い国々での出来事だと考えていた。

 スザクは父親がそんなキャラではないと知りながらも、今すぐ『なぁ~んちゃって! 嘘だよ~ん!』と戯けて舌を出すのを期待したが、ゲンブの真っ直ぐな目は嘘を言っていなかった。

 そして、ふと思い出す。その目を何処かで見た記憶がある、と。

 

「詳しい事情は省く。子供のお前に言っても、まだ解らないだろうし……。その時間も無い。

 だが、これだけは理解しろ。

 ナナリー君は日本、ブリタニアのどちらに捕まっても、良い結果が待っていない。

 そして、どちらにせよ、お前とナナリー君は二度と会えなくなる。

 だから、お前がナナリー君を護るんだ。とにかく、博多まで逃げろ。

 そこまで行けば、安心だ。お前達の亡命を受け入れる様に中華連邦とは話を付けてある。

 良いな? もう一度だけ言うぞ? ……スザク、お前がナナリー君を護るんだ。絶対に護るんだ」

「……う、うん」

 

 ゲンブはスザクへ言い聞かせながらも解っていた。

 まだ子供のスザクには難しいどころか、ほぼ不可能に近いと解っていたが、スザクに頼るしか手段が他に無かった。

 本来なら、ゲンブはスザクの役目を藤堂へ頼もうと考えていた。藤堂なら腕が立って、スザクとナナリーも懐いており、その役目は藤堂以外に有り得ないと思えるほど適任だった。

 ところが、ところがである。昨日、東京を離れる際、自分不在の代役を任せられる側近中の側近がゲンブの耳元で囁いた。藤堂は『桐原』と繋がりが有り、決して信用してはいけない、と。

 『桐原』とは、一般的に知られていないが、古くから天皇家を支え、今も政財界に多大な影響を持つ枢木家を含めた京都六家の一つであり、桐原家は今代の京都六家の纏め役。その当主とゲンブは以前から対立関係にあった。

 しかし、代役を探している時間も、躊躇っている余裕も無いほどにブリタニアとの状況は切迫していた。

 最初は予定された軍事演習であり、いつもの示威行動だとばかり考えていた日本の思惑は外れる。

 ブリタニア本国のバンクーバー基地から出撃した艦隊が北太平洋のウィスロウ島付近でアラスカのアンカレッジ基地を出撃した艦隊と合流。

 ほぼ同じ頃、ブリタニア本国のロサンゼルス基地を出撃した艦隊がハワイ基地へ向かっているのが解り、まさかという緊張が走った。

 その後、ミクロネシア基地とフィリピンのマニラ基地から艦隊が出撃した時はもう間違いないとされ、ゲンブの元へ連絡が届いたのは約1時間前。

 最早、ブリタニアが時間差で日本包囲網を作ろうとしているのは明白。ブリタニア各艦隊が日本の領海へ入るのも時間の問題とされた。

 そう、ゲンブは内閣総理大臣として多忙を極め、帰省などしている余裕は無いのだが、このスザクとの約束をする為だけに帰省していた。

 余談だが、この様にナナリーをとても想い、その行く末を心配しているが、ゲンブは親ブリタニア派ではない。

 むしろ、その正反対であり、日本に拡がりつつあった反ブリタニアの機運に乗って、裏舞台から表舞台の国会議員となり、超タカ派と知られながら内閣総理大臣にまで至った人物である。

 それこそ、『ブリタニアが何ほどのものだ! 日本は絶対に屈しない! 戦争、大いに結構!』と政治家でありながら過激に息巻き、今ほど世間が反ブリタニアに染まる以前はマスコミから極右と散々叩かれ、政治家の資格無しとまで言われていた。

 当然、ブリタニア皇女の日本留学がブリタニアから申し込まれた時は鼻で笑った。時勢が時勢だけにていのいい人質なのは明らかであり、皇女である点を以てしてもハニートラップであるのが明らかだったからである。

 ゲンブは特に興味も持たず、詳しい詳細も聞かずにブリタニアの申し出を了承した。

 

『自分は妻以外に興味は無い。だが、くれると言うなら貰ってやる。

 最近はスザクも成長して、手がかかる様になってきたから、その相手をさせるのに丁度良いだろう。

 それにスザクが年頃になったら、男になる手ほどきをして貰う相手としては、ブリタニアの皇女なら格として申し分ない』

 

 その程度の軽い気持ちだったが、ゲンブは来日した皇女をいざ前にして驚き、その心を次第に変えてゆく。

 まず驚いたのが、申し込みから来日までの期間がたったの三日。一般人の旅行でさえ、チケットの手配やらで準備にもっと時間がかかる。国のVIPともなれば、尚更というもの。

 次に驚いたのが、皇女が乗ってきた飛行機が一般の旅客機であり、その座席がエコノミークラス。皇族だけに専用機で現れるものだと考えて、VIPエリアで到着を待っていた為、到着した皇女を約1時間も待ちぼうけさせてしまった。

 更に驚いたのが、皇女の随行員がたったの1人っきり。その1人も待ちぼうけさせてしまったが為に時間が無かったらしく、ゲンブからサインを書類に貰うと、折り返しの飛行機に乗り、さっさと帰ってしまう始末。

 極めつけが、皇女の年齢がまだ5歳。それも荷物が手提げ鞄1つしか持っていなかったという事実。

 それは誰がどう見ても『敵地に置き去られた少女』の図。挨拶を蚊の鳴く様な小さな声で交わしたっきり喋らず、こちらを不安そうな揺れる目で見続けている少女は、父親であるブリタニア皇帝に捨てられたのだと、すぐに理解した。

 ゲンブは義憤に駆られ、ゲンブと共に皇女の出迎えに来た側近達も口々にブリタリアを罵った。

 そして、ブリタニアへ抗議の電話を入れていた背後の側近の1人がゲンブを呼び、送り返すかという意味で『どうしますか?』と問い、また捨てられるのかと怯える皇女が身体をビクッと震わせた時、ゲンブは皇女の受け入れを決意。皇女と目線を合わせる為にしゃがみ込み、その名前が『ナナリー』だと初めて知った。

 ただ困ったのは、早すぎる来日だった為、決まっているのはゲンブが世話をする事のみ。ナナリーを受け入れる準備が1つとして整っていないという事だった。

 ここへ来る道中、人質だと解らせる意味合いを込めて、寝泊まりは自宅裏の土蔵で十分だろうと適当に考えていたが、その様な仕打ちを親に捨てられたナナリーへ出来るほど、ゲンブは鬼ではなかった。

 無論、この件は息子のスザクへまだ伝えておらず、ゲンブの影響を受けて、スザクは反ブリタニアだけに心配だった。

 子供だけに事情を説明するのは難しい。例え、事情を理解したとしても、その事情を理由にナナリーを虐めるかも知れない。そんな風に育てたつもりは無いという自信はあるが、それを試す勇気は持てなかった。

 その結果、2人が対面する直前まで悩みに悩んで出てきたのが、スザクに『誰?』と問われ、『お前の許嫁だ』と言う事実無根な咄嗟の嘘。ナナリーが婚約者なら、ブリタニア人でも多少は優しく扱うのではなかろうかという苦し紛れの策であった。

 そんなゲンブの心配と苦労を余所にして、さすがに最初の数日はぎこちなかったが、スザクはナナリーをあっさりと受け入れる。

 一度、そうなったら、子供同士だけに仲の進展は早かった。スザクはナナリーを彼方此方へと連れ回して元気付け、ご近所から仲の良い兄妹だと次第に言われるまでになってゆく。

 政務が忙しいゲンブは数日ぶりの帰省する度、笑顔を少しづつ取り戻してゆくナナリーの変化に驚き、それを成している息子を誇りに思った。

 ナナリーが枢木家に住み始めて、3ヶ月が過ぎた頃。ナナリーから『義父様』と照れくさそうに呼ばれた時など、胸にグッと来るものが有り、涙が嬉しさにホロリと零れた。

 今や、ナナリーは完全に枢木家の家族であり、最近は忙しすぎて、週単位の帰省がやっとだが、ナナリーと一緒にお風呂へ入り、入浴後はナナリーから肩を叩いて貰い、ナナリーと一緒の布団で寝る。それが最近のゲンブにとって、最高の癒しだった。

 ちなみに、ゲンブが帰宅する度、『男女七歳にして席を同じうせず』と叱られて、9歳のスザクはナナリーと一緒にお風呂へ入れず、自分の部屋で独り寝。スザクにとって、ゲンブの帰省は不評だったりする。

 

「良し……。これで思い残す事は何も無い」

「と、父さん?」

 

 それまで厳しかった表情を不意に緩め、微笑みを浮かべるゲンブ。

 その瞬間、スザクは先ほどの父親の目に漠然と感じて、ずっと頭にちらついていたモノの正体が解った。

 それは数年前の事、母が病気で亡くなった時、泣き喚く自分を抱き締めてくれた時の目だった。

 

「……ブリタニアは強大だ。

 恐らく……。いや、日本は確実に負けるだろう。

 その時、誰かが責任を取らなければならない。……だから、スザク。これが今生の別れだ」

「うっ……。ううっ……。」

 

 ようやくではあるが、スザクは悟った。

 今、父親が話してくれた事は全てが事実であるという事を。

 その結果、父親は死を覚悟しており、もう二度と会えないのだという事を。

 たまらずスザクの瞳に涙が溜まり始め、ゲンブはスザクを引き寄せると、その頭を抱き締めて、胸へ力強く押し付けた。

 そろそろ、ナナリーと藤堂が鍛錬を終え、戻ってきてもおかしくない時間。ここでスザクの嗚咽を聞かれるのはまずかった。

 

「泣くな。泣いたら、気取られるぞ。

 ナナリー君だって、変に思う。……最後は家族全員で笑い、朝食を食べよう」

 

 その意図が通じ、スザクは嗚咽を懸命に堪えて、息苦しいながらも温かい父親の胸の中で頷いた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 ゲンブが予想した通り、その日の午後0時を以て、神聖ブリタニア帝国は日本へ宣戦布告。

 北海道釧路港の沖で最初の砲火が上がり、ブリタニア軍はたった1時間で日本軍釧路基地を制圧。数分後、ブリタニアとの開戦を伝えるニュースがここで初めて全国へ流れる。

 その時、スザクとナナリーは京都駅に居たが、緊急特別警報が日本政府より発令され、乗っていた新幹線がストップ。この後、徒歩、自転車を駆使して、西へと向かう。

 しかし、日本人とブリタニア人の子供という組み合わせはあまりにも目立ちすぎた。

 半年後、本州と九州を繋ぐ関門橋を抜け、九州へ上陸した直後、目的地の博多を目前にして、マリアンヌの筆頭後援貴族であるアッシュフォード家のナナリー捜索部隊によって、スザクとナナリーは捕まった。

 

 

 

 



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序章後 第01話 ナナリー・ランペルージ

注意)ここからは生い立ちと育ちが違う為、ナナリーが原作とは別人です。



 

 

 

 ___ 皇歴 2019年

 

 

 

「はぁ~~い! みんな、それまで!

 お腹が空いているとは思うけど、後片づけはきちんとねぇ~~! それじゃあ、解散!」

 

 私立アッシュフォード学園高等部体育館。フェンシング独特の風斬り音が幾つも鳴る中、終業のチャイムが鳴り響く。

 時刻はお昼。誰もが待ちかねた昼休みに自然とざわつき湧くが、そんな生徒達を諫める為、若い女性体育教師が両手をメガホンにして叫ぶ。

 だが、静かになったのはものの数秒。育ち盛り、食べ盛りの年頃である上、この体育館に居るのは『三人寄れば姦しい』とされる乙女達。体育館はすぐに騒然となってゆく。

 

「ぷっはぁ~~っ!?」

 

 その中の1人、フェンシングのマスクを取り外した開放感に浸って、更なる新鮮な空気を求めての深呼吸。顔を左右に振って、目にかかった邪魔な前髪を振り払う少女。

 ちょっと癖毛ではあるが、美しいアッシュブラウンのセミロングヘアー。やや垂れ目ながらも鋭さを感じ、見る者を惹き付ける紫の瞳。同世代が羨む高めの身長と細身の身体。

 乙女が約50人集う中で存在感が際立つ彼女の名前は『ナナリー・ランペルージ』、嘗ては『ヴィ・ブリタニア』の姓を持っていた元皇女。

 そう、あのスザクとの逃避行で捕まった後、ナナリーはブリタニア本国へ帰国せず、その姓名を変えて、そのままエリア11に住み続けていた。

 無論、この学園の名前で解る通り、マリアンヌの筆頭後援貴族であるアッシュフォード家の庇護を受けてである。

 但し、ナナリーの強い希望があって、アッシュフォード家は国を欺き、その存在を秘匿した。

 日本との戦争中に死亡。それが『ナナリー・ヴィ・ブリタニア』を表す公式記録であり、ナナリーが『ランペルージ』という架空の姓を名乗っているのは、そう言った事情があった。

 

「ランペルージさん! ランペルージさん!」

「はい? ……あっ!?」

 

 背後から呼び止められて、ナナリーは思わず振り返り、駆け寄ってくる女性体育教師の興奮しきった表情に表情をしまったと顰める。

 お腹は既にぺこぺこの空腹。授業が終わると同時に更衣室へダッシュ。着替えをさっさと済ませて、学食へ行こうと、ほんの一瞬前まで考えていたにも関わらず、フェンシングのマスクを脱いだ開放感にコロッと忘れていた。

 ましてや、この女性体育教師に捕まっては堪らないと解っていたのにだ。

 

「ねえ! やっぱり、部に入らない!

 貴女なら絶対にエリア優勝は間違いなし! 本国大会へ進めるわ!」

「いや、それは前も言った様に……。」

「ケンドーとか言う奴? ……駄目よ! 駄目、駄目! そんなイレブンの剣なんて! 

 幾ら練習したって、その成果を発揮する場が無いじゃない!

 その点、フェンシングなら、エリア代表になれば、騎士候になれるし……。

 本国大会へ行けば、貴族の目にも留まる。それこそ、御前大会へ出場できれば……。

 そう、そうよ! 御前大会よ! ランペルージさん、貴女なら御前大会だって、夢じゃないのよ!」

「いや、だから……。そのですね?」

 

 その理由がこれだった。

 貴族社会のブリタニアにおいて、フェンシングは国技。特に貴族の男子にとっては必須の嗜みとされ、軍隊においては嗜んでいるか、嗜んでいないかで出世の早さが違うほど。

 一般市民、エリア民にとっても大会で好成績を得れば、女性体育教師が言う通り、身を立てられる可能性が十分に有り、その人気は他のスポーツを圧倒していた。

 その最たる実在例として『マリアンヌ』が在る為、ここ十数年は過去にないほど、その人気が爆発。第二、第三のマリアンヌを志す者達が後を絶たず、市井のフェンシングクラブは次から次へとたけのこの様に乱立していた。

 そうした世相がある中、ナナリーは今代のアッシュフォード高等部で上位1、2位を争う腕前を持っていながら、フェンシングに興味を全く持っていなかった。

 部活は入っておらず、帰宅部。市井のフェンシングクラブへ通っているのかと思えば、嗜みにしているのは廃れたエリア11のスポーツ。その師の言い付けで他流試合を禁じられており、大会経験は皆無なのだから、女性体育教師が必死になるのも無理はなかった。

 しかも、女性体育教師は既に卒業してしまった前代における強者『シュタットフェルト』家令嬢を逃しているだけに今度こそはと意気込み、ナナリーを学園で見かける度、自分が顧問を務めるフェンシング部へ誘っていた。

 たまらずナナリーは友人達へ救いの目を向けるが、友人達は苦笑するだけ。女性体育教師がこうなると長いのを知っており、さっさと更衣室へ着替えに向かってしまう。

 その熱い友情に溢れた友人達の背中に目をギョギョッと見開き、ナナリーが心の中で『薄情者ぉ~~!』と罵り、半ば昼食を諦めたその時だった。

 

『高等部1年B組、ナナリー・ランペルージさん。

 理事長がお呼びです。理事長室までお越し下さい。……繰り返します』

 

 正しく、天の助け。スピーカーから『ピンポンパンポーン』と放送連絡を表すお馴染みの鉄琴音。

 言うまでもなく、生徒と教師では教師の方が立場は上だが、教師と学園理事長では学園理事長の方が立場は圧倒的に上。その邪魔は出来ない。

 

「あっ!? お、お爺様が呼んでる! な、何だろう!」 

「ちょっと! ランペルージさん!

 ……って、んもぅっ! 私は諦めないわよ! 絶対に部へ入って貰いますからねぇぇ~~!」

 

 ナナリーはこれ幸いと話を強引に切り上げると、地団駄を踏む女性体育教師の叫びを背に駆け出した。

 

 

 

 ******

 

 

 

「失礼します。お爺様、お呼びとの事ですが?」

 

 日本がブリタニアの属国となり、その名を『エリア11』と変えてから、9年。

 超伝導のエネルギー源『サクラダイト』の世界最大産出国で一旗をあげようと、エリア11は他の属国以上に移民で溢れ、主要都市はブリタニア色へ瞬く間に染まった。

 今現在も『サクラバブル』に沸き、移民は日々増えて、ブリタニア国民が住むトウキョウ租界の膨張は止まる事を知らず、建設ラッシュで溢れていた。

 マリアンヌの筆頭後援貴族であるアッシュフォード家は、何処よりも早くエリア11へ進出。優秀な技術力を持つ事で有名な元日本の有名自動車会社を次々と併合して、ブリタニア国内の自動車産業シェア1位となり、巨大な財を成していた。

 そんな中、アッシュフォード家は新たな事業を始める。それが学園経営であった。

 莫大な富を背景に戦争で焼け野原となった土地を買い漁り、中学、高校、大学を一貫とした私立アッシュフォード学園を建設。

 エリア11に最も早く作られたブリタニア系私立学校であった為か、エリア11へ進出した貴族や有力者の子弟子女が集まった結果、学校偏差値が年々上昇。創立10年を経たずして、大学はブリタニア国内における五指の学府となり、今やブリタニア本国、エリア各国から留学生を迎えるまでに至っていた。

 また、中学、高校、大学を一貫した学園だけあって、その敷地は当然の事ながら広い。

 それどころか、学生寮、教師寮が建ち並ぶ住宅区も、そこへ住む者達が生活に日々利用する商業区も、全てがアッシュフォード家の土地であり、中央にモノレール線が通って、アッシュフォード学園東、アッシュフォード学園中央、アッシュフォード学園西と冠名の付いた駅が3駅あるほどに広い。

 つまり、事実上、街一つがアッシュフォード家のものであり、これに伴い、アッシュフォード家の力は学園内は勿論の事、学園の外にも、時にはエリア11の行政に影響を与える力を持っていた。

 その支配者たる老人『ルーベン・アッシュフォード』は、学園中央にある植林された広大な森の中、学園と隔絶する様に立てられた屋敷に住んでいた。

 余談だが、ルーベンは既に隠居を済ませた身。当代はブリタニア本国にて、前記の説明通り、自動車産業を母体とする財閥を管理運営しており、このアッシュフォード学園はそれと別枠のルーベン個人のもの。

 

「……って、う゛っ!?」

 

 ナナリーは通い慣れたルーベンの書斎へ一歩踏み入れた瞬間、思わず立ち止まった。

 広々とした部屋の中、立派なマカボニーの執務机の向こう側、窓辺に立ち、両手を腰で組みながら外を眺めているルーベンの背中が怒りを秘めていると気付いて。

 

「ナナリー様、ご足労をわざわざ願い、恐縮に御座います。

 さあ、その様なところにいつまでも立って居らず、お座り下さい」

「……は、はい」

 

 その予想は当たっていた。ルーベン自身は怒りを隠しているのだろうが、振り返った表情の白髪となった右眉がピクピクと隠しきれずに跳ねていた。

 しかし、ここまで来て、逃げる事は出来ない。ナナリーが執務机前にある応接セットのソファーへ座ると、それを見計らっていたのだろう。メイド服姿の使用人が一礼をして書斎へ現れ、ナナリーの前に紅茶を置き、再び一礼をして出て行く。

 

「え、ええっと……。きょ、今日は何の御用でしょう?」

 

 ここまで急いできたのもあり、喉が渇いていたナナリーは心を落ち着ける意味合いも含め、せっかくだからと紅茶を熱さに注意して一口啜る。

 たちまち口内に広がった豊潤な香りと味に感動。さすが、良い茶葉を使っているなと思いながら、もう一口、二口と啜り、ティーカップとソーサーを持ちながら、未だ何も言い出さないルーベンへ顔を向けた。

 

「ふぅぅぅぅぅ~~~~~~……。」

「っ!?」

 

 ルーベンは目を瞑りながら顔を左右に振り、これ見よがしの深い溜息。ナナリーは身体をビクッと震わせると、慌ててティーカップとソーサーをテーブルへ置き、背筋をビシッと伸ばして、姿勢を正す。

 そして、今日は何を怒っているのかと考え、あれだろうか、これだろうかと、ここ最近あった自分の失態を思い浮かべ、それ等に対する言い訳を頭の中で懸命に組み立てて行く。

 

「……あ゛っ!?」

 

 だが、ルーベンの怒りはナナリーが予想したどれでもなかった。

 ナナリーの真向かいに座り、懐から1枚、2枚、3枚と写真を次々と取り出して、テーブルの上に列べてゆくルーベン。

 最終的に6枚が列んだ写真の中には、いずれもナナリーが写っていたが、その姿格好は奇妙の一言だった。

 同じモノは1枚も在らず、それぞれが赤、青、黄と現実に有り得ない髪色のウィッグを着け、日常生活に不便そうな斬新すぎるデザインの衣服。胸の谷間が強調された水着同然の際どいモノすらある。 

 知らない者が見たら、仮装パーティーでの衣装と考えるだろうが、ナナリーにとって、それは約3ヶ月前から通っているアルバイト先『コスプレ喫茶』のユニフォームだった。

 ちなみに、コスプレ喫茶とは、戦後約10年が過ぎ、ようやく復興してきた嘗ての日本にあった漫画やアニメといったサブカルチャー。それ等の中で活躍するキャラクターの姿を真似て、手厚い給仕をしてくれるウェイター、ウェイトレスが居る喫茶店の事である。

 今、トウキョウ租界では静かなブームとなっており、アッシュフォード学園内には1つも存在しないが、その隣の商業区を中心にして、店舗が増えつつあった。

 そのアルバイトを行っている事実をルーベンに黙っていたナナリーはビックリ仰天。

 

「ナナリー様! 一体、これは何なんですか!」

「キャっ!?」

 

 その隙を突き、ルーベンがテーブルを右拳で思いっ切り叩き、ナナリーは思わず身をビクッと竦めて、2度目のビックリ仰天。

 テーブルのティーカップセットが跳ねて転び、紅茶がテーブルを濡らしてゆくが、ルーベンはお構いせずに小言を列べてゆく。

 

「話を聞けば、ホステス紛いの事を行う職業だとか!

 爺は悲しいです! まさか、まさか……。水商売に身を窶すなどとは!」 

「い、いや、これはですね……。」

「何故、言って下さらないのです! お小遣いが足りないなら足りないと!

 爺は恥ずかしいです! その様な苦労をナナリー様に強いていたかと思うと、自分が不甲斐なくて!」

「い、いや、だからね……。」

「8年前のあの時! 貴女様を迎えた時!

 絶対に二度と不自由はさせるものかと誓ったはずが! ……くぅ! この様とは!

 このルーベン・アッシュフォード! こうなったら、死して、お詫びを申し上げるしか!」

「い、いや、満足してる。い、今の生活に満足してるから……。」

「それでしたら、何故ですかっ!?」

「い、いや、それは……。」

 

 しかも、小言を列べながら感情のボルテージも上げてゆき、そうかと思ったら一転。目線を右腕で覆いつつ身を震わせて、オイオイと泣き始める始末。

 怒られるだけならまだしも、泣かれては手が付けられず、ナナリーは言い訳を考えるも妙案が出てこず、言い淀むのが精一杯。

 なにしろ、ナナリー自身もルーベンが言う通り、コスプレ喫茶のアルバイトが半ば水商売だと自覚していた。

 その上、アルバイトを始めた理由が『コスチュームの可愛さに惹かれて、着てみたかった』と言う下らなさすぎるモノだけにとても言い出せなかった。

 ナナリーは困りに困り果てた末、アッシュフォード家には持っていないが、ルーベン個人には持っている義理を優先。これ以上、ルーベンを困らせられないと、アルバイトを辞める決断に心が揺れ動いたその時だった。救いの主が現れたのは。

 

「お爺様ってば、大げさに考え過ぎ。

 ナナリーはただ単にちょっと社会勉強をしてみたかった。……そうよね?」

 

 突如、第三者の声。ここがアッシュフォード学園の支配者たる屋敷の書斎である以上、それは有り得なかった。

 しかし、ナナリーも、ルーベンも、その声を知っていた。思わず驚き顔を見合わせて、声がした書斎出入口へ顔を一斉に向ける。

 

「ミレイさんっ!?」

「ミレイっ!?」

「2人とも、ただいま♪ やっぱり、この国は暑いはねぇ~~♪」

 

 予想通り、そこにはアッシュフォード家の長女『ミレイ・アッシュフォード』が笑顔で今更ながら開けたドアをノックして立っていた。

 

 

 

「へぇ~~……。良く似合ってるし、可愛いじゃない」

「でしょ、でしょ! これなんか、私のお気に入りなんですよ!」

 

 普段、ミレイは学園の大学部に在席する傍ら、ルーベンの学園経営を補佐する副理事長の立場にある。

 しかし、アッシュフォード家の長女にして、一人娘のミレイは将来のアッシュフォードを継ぐ立場にもあり、貴族としての社交を行う為、高等部の頃からブリタニア本国へ度々赴き、ここ数年は1年の1/3をブリタニア本国で過ごしていた。

 そう言った事情があり、今日は実に1ヶ月半ぶりの帰国。ミレイを子供の頃から姉として慕っているナナリーはもう大喜びだった。

 だが、そのおかげで、タイミングが悪かったと言うしかないが、ルーベンはすっかり蚊帳の外にいた。

 

「でもさぁ~~……。これ、ちょぉ~っと盛り過ぎじゃない?」

「……えっ!?」

「どれどれ? このミレイさんが確かめてあげるとしますか」

「な、何ですか? そ、そのやらしい手つきはっ!?」

 

 今や、座っていた席をミレイに奪われてしまい、ルーベンは執務机に座り、両肘を机に突きながら組んだ両手の上に額を乗せて、溜息を深々とつく。

 最早、先ほどまで話し合っていたアルバイトの問題を再び出したところで無駄なのを悟っていた。

 何故ならば、ミレイは叱る時は徹底的に叱るが、基本的にナナリーの味方であり、その自主性を大事にして、よっぽどモラルから外れない限りは叱らない。

 また、ミレイとナナリーは実の姉妹と言えるほどに仲が良く、この手の言い合いで組んだら絶対に勝てないと過去の経験から知っていた。

 それでも、ルーベンはナナリーにアルバイトを辞めさせたかった。強く言い聞かせれば、辞めてくれるだろうと承知していたが、自発的に辞めて欲しかった。

 ちょっとしたボタンの掛け違いで今は市井の中にあるが、本来のナナリーの身分は皇女。その気高さと誇りを持って欲しかった。

 そう真剣に考えて、心配をしていると言うのに、目の前の現実は無情だった。

 

「ほれほれ? ミレイさんが居ない間にどれだけ育ったのかな? ナナリーのちっぱいはぁ~~?」

「ちょっ!? ……やっ!? ダ、ダメですってばっ!?」

「フッフッフッ! 良いではないか、良いではないか!」

「キャァーー! キャァーー! キャァーー!」

 

 まるでルーベンが居ないかの様に2人はキャッキャッ、ウフフと戯れ、目に余るモノがあった。

 ここが何処なのかを解らせる必要があると考え、ルーベンは席を蹴って立ち上がり、机を両掌で目一杯に三連打。怒鳴り声を轟かす。

 

「2人とも、いい加減にせんかああああああああああ!」

「キャっ!?」

「どうしたの? お爺様もそろそろお歳なんだから、血圧が高くなる様な事は……。」

 

 ナナリーは驚きに動きを止め、そんなナナリーをソファーへ押し倒して、背後からナナリーの胸を揉みしだくミレイは、尚もナナリーの成長具合を確かめながら姉妹の語らいを邪魔したルーベンへ白い目を向ける。

 余談だが、容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群と三拍子が揃っているナナリーだが、たった1つだけ欠点があった。

 それがミレイの言葉にあった『ちっぱい』であり、ナナリーはトップとアンダーの差が4cmのAAAカップ。ほぼ真っ平らと言ってもいい非常に残念な胸だった。

 但し、普段のブラジャーはAカップ。その中身が見栄入りなのは極秘中の極秘で親しい者達しか知らず、その秘密故に水泳の授業をナナリーは嫌っていた。

 

「うるさい! ミレイ、お前は黙っていろ!

 ナナリー様、私が怒っているのはアルバイトの件だけではありませんぞ!」

 

 ルーベンはミレイの言い草にますます激昂。

 鼻息をふんすと強く吐いて、懐へ右手を入れると、高々と掲げて、執務机の上に数枚の写真を叩き付けて置いた。

 ミレイはナナリーを解放して、今度は何だと言わんばかりにやれやれと溜息をついて立ち上がり、写真を手に取って、笑顔を浮かべる。

 

「おっ!? 免許、取れたのね? ナナリー、おめでとう!

 だけど、これは無いわ。残念だけど、さすがの私も庇えないなぁ~~」

「えっ!? 何が……。あっ!?」

 

 だが、その笑顔をすぐに苦笑へと変え、ミレイは肩を竦めて、写真をナナリーへと渡す。

 ナナリーは乱れた着衣を直しながら、今度は何が写っているのか、ミレイが苦笑した理由は何故か、と疑問に思うが、写真を見るなり、己の失敗を知って、思わず天を仰いで目線を右手で覆う。

 今回の写真は、ナナリーが中型の黒いフルカウルバイクに跨り、今正に黒いフルフェイスマスクを被って、出発しようとしているところ。

 但し、バイクに跨っているにも関わらず、ナナリーの服装は黒いニーソックスを履いてはいるが、アッシュフォード学園高等部の制服姿。

 つまり、ミニスカート故に太股が露わとなっている上、2枚目、3枚目、4枚目の写真は走行中で前傾姿勢となっているが為に黒のショーツが丸見えという痴女同然の姿だった。

 しかも、アッシュフォード学園が有名なのは前述の通り、それだけに当然の事ながら、その制服も有名である為、どう考えても悪目立っているとミレイは思った。

 フルフェイスマスクのおかげで顔は完全に解らないが、このミニスカライダーが誰なのかという噂が巷では流れているだろうし、PTAの厳しい奥様方が抗議の電話を入れているだろうという想像が難くなかった。

 無論、それはナナリー自身が持つ秘匿性に問題が及んでくる可能性も十分にあった。

 

「ほれ、見なさい! ミレイもこう言っています!」

「い、いや、そのですね……。」

 

 ルーベンはミレイという味方を得て、勝利を確信。鼻息を更にフンフンと荒くして活気付く。

 一方、ナナリーも敗北を確信。これは言い訳が出来ないと諦め、バイクの乗車許可だけは何とか死守する方向で上手い方便は無いかと必死に頭を働かせる。

 だが、次の瞬間。ルーベンが執務机を右拳で力強く叩き、ミレイも、ナナリーも、その言葉に耳を疑った。

 

「よりにもよって、ゼネモー家のバイクとは! 言って下されば、幾らでも用意しましたものを!」

「「……えっ!? 怒るところはそこなの?」」

 

 一拍の間の後、ナナリーとミレイは思わず声を揃えて驚き、目を見開いて、口もポカーンと開け放ち、驚きを通り越しての茫然と目が点。

 ちなみに、2人が予想もしなかったルーベンの怒り。その言葉にある『ゼネモー家』とは、アッシュフォード家と昔から何かと競い合い、今も自動車産業で競い合っているシェア第2位のライバル。

 また、ナナリーがゼネモー製のバイクを購入した理由は単純明快。アッシュフォード製を購入するとなったら、注文の段階で購入計画がばれてしまい、女ながらにとバイクの乗車を禁止されるだろうと考えていたからである。

 行動範囲が何かと広いナナリーにとって、それだけは避けたかった。その便利さ、自由さを知ってしまった今なら尚更の絶対である。

 

「それ以外に何が有ります!

 爺は悲しいですぞ! まだ我がアッシュフォード家を信用できないと言うのですか!

 これほど! これほど、御尽くししてますのに!

 解っております! うちの馬鹿息子が愚かにもナナリー様を一度は見捨てたという事を!

 だから、信用しきれない! 当然です! 当たり前です! 無理もありません!

 ですが、ですが……。これはあんまりですぞ!

 言ってみれば、我ら貴族にとって、バイクは馬の様な存在! 

 それを、それを……。我がアッシュフォードの仇敵、ゼネモー家のモノを使うとはあんまりですぞ!」

 

 ナナリーとミレイが呆れているのも知らず、身振り、手振りを交えて、熱い胸の内を切々と訴えるルーベン。

 挙げ句の果て、とうとう感極まり、涙をハラハラと零し始め、それを見せまいと椅子から離れて窓辺へ立ち、背をナナリーとミレイへ見せながら尚も熱く語る。

 その後ろ姿に溜息を揃って漏らし、ナナリーとミレイが力無くガックリと項垂れる。ルーベンが一旦こうなってしまうと果てしなく長くなるのを幼い頃からの経験で身に凍みるほど知っていた。

 

「ナナリー、もう帰って良いわよ? あとは私が何とかしておくから」

「ええっと……。なら、お言葉に甘えて、お願いしますね」

「あっ!? バイクに乗る時は、下をちゃんと履きなさいよ?」

「はい、気を付けます」

 

 緊張感がすっかりと抜けてしまい、お昼ご飯をまだ食べていないのを思い出した様に『くぅ~』と可愛く鳴るナナリーのお腹。

 ミレイが苦笑しながら耳打ち、ナナリーは紅く染めた顔を頷かせると、ルーベンへ気取られぬ様に抜き足、差し足、忍び足で書斎を出て行く。

 

「爺は……。爺は……。うううっ……。

 よろしい! この際ですから、改めてお教えしましょう。

 そもそも、我が家とあの憎々しいゼネモー家との関係は、我が帝国がまだ王国だった頃まで遡ります。当時……。」

 

 2人が予想した通り、ルーベンはワンマンショーを開催。

 ミレイはソファーへ座り戻ると、使用人を呼び、ティーポットごとの紅茶を持ってくる様に頼んだ。

 

 

 

「んっ!? やっと落ち着いた?」

 

 足を組んでソファーに座り、肘を突いた右肘置きへ身を傾けながら雑誌を読み耽るミレイ。

 3杯目の紅茶を飲もうかと、雑誌から意識を外して、ふとルーベンのワンマンショーがいつの間にか終わっている事に気付く。

 視線を向ければ、ルーベンは執務机に座って、両肘を机に突き、組んだ両手の上に額を乗せながら、とても疲れた様子で項垂れていた。

 

「ミレイ……。お前、本当に解っておるのか?」

「解ってる、解ってる……。

 ナナリーにはちゃんと後で言っておくからさ。バイクだって、うちのを用意しておくわよ」 

「しっかり頼むぞ?」

「はいはい……。」

 

 だが、それも束の間。ルーベンは顔を上げて、雰囲気を一変させる。

 孫に悩む好々爺としたものから、当代より未だ絶大な影響力を各方面に持つアッシュフォード家の真の支配者たる顔へと変貌する。

 それに合わせて、ミレイも態度を改め、雑誌を閉じて、ソファーから立ち上がると、ルーベンの前に立ち、その姿勢を正した。

 

「なら、次だ。……報告を聞こう。

 マリアンヌ様とルルーシュ殿下の御様子はどうであった?」

「はい、まずはマリアンヌ様ですが……。」

 

 それはナナリーが知らない、ナナリーには見せない2人のもう1つの姿だった。

 

 

 



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序章後 第02話 アリエスの乙女たち

 

 

 

「この度、陛下より畏れ多くも辺境伯の爵位を賜り、その報告を申し上げに参りました」

 

 嘗て、ここには輝きが溢れていた。

 嘗て、ここには笑顔が溢れていた。

 嘗て、ここには暖かさが溢れていた。

 それだけに嘗てのここを知る者達は戸惑う。ここは本当にあのアリエス宮なのか、と。

 屋敷や庭の手入れは後宮故に欠かさず行われており、姿形こそは以前と何ら変わらないが、アリエス宮全体が陰気に包まれ、静けさに満ち満ちていた。

 無論、その理由は宮の主であるマリアンヌにある。あのアリエスの悲劇の後、盲目となり、車椅子生活を強いられてか、それまでの活発さは形を潜めて、マリアンヌは屋敷へ引き籠もる様になった。

 最低限だった外出の宮中行事に出席する頻度も年々減ってゆき、今や皇帝の召集があっても病気療養を理由に欠席。遂に今年は新年の挨拶に数分だけ出仕しただけに止まっている。

 また、その逆にアリアス宮を訪れる者達も減っていた。第5皇妃の座に未だ在るが、皇帝の寵愛が完全に薄れた為、取り入ろうとする貴族達が1人、2人と減ってゆき、アッシュフォード家とその一派だけが残った。

 そのアッシュフォード家も当主の考えが前当主と差異が有るらしく、挨拶こそは欠かさないが、最近は積極的に訪れるという事が無くなっている。

 それでも、マリアンヌ個人を尊敬して慕い、アリエス宮を訪れる者達は数人居る。

 

「辺境伯……。何処へ?」

「クロヴィス殿下のお手伝いに、で御座います」

 

 2階の自室と隣接しているベランダの手摺り前、電動の車椅子に座り、閉じた瞼を夕陽へと向けて佇むマリアンヌ。

 その背後で片跪き、頭を垂れる青年の名前は『ジェレミア・ゴットバルト』、マリアンヌ個人を尊敬して慕い、アリエス宮を今も訪れる数少ない1人。

 ジェレミアはマリアンヌの質問に対して、次の赴任先であり、自分の領地となった場所を『エリア11』とは言わず、敢えて遠回りの表現で応える。

 その理由は言うまでもない。エリア11はマリアンヌの娘『ナナリー』が没した地だからである。

 

「そう……。出世ね。おめでとう」

「有り難き、お言葉。恐縮に御座います」

 

 ジェレミアからマリアンヌの表情は見えない。見えるのは、夕陽の逆光を浴びる車椅子の背中だけ。

 だが、その声が刹那だけ沈んだのを感じ取り、ジェレミアは床に突く右拳を力強くギュッと握り締め、その力を持て余して、肩をブルブルと震わせる。

 決して悲しませるつもりは無かったが、結果的に悲しませてしまった自分の愚かさに憤りながら、改めて決意する。

 戦後10年が経ったが、反抗組織による活動が未だ絶えないエリア11。『これ以上、ナナリー様が眠る地を騒がせてはならない。その鎮魂の為、反逆者は悉くを殲滅してやる』と戦意をメラメラと燃やす。

 

「ねえ、ジェレミア」

「はっ!」

「貴方の忠誠はもう十分に解ったわ。だから、これを機会に貴方は貴方の人生を……。」

「何を仰います! マリアンヌ様!

 忠誠に限りなど御座いませぬ!

 例え、領地を賜ろうとも、私が帰ってくるのは、ここに御座います!

 貴方様とルルーシュ殿下を御護りする事こそが、我が生涯の使命ならば!」

 

 そんなジェレミアへ告げられる離別の言葉。

 すぐさまジェレミアは激昂して立ち上がり、やや涙ながらに叫び訴える。

 ちなみに、半ば世捨て人と言えるマリアンヌにやや異常とも言える忠誠をジェレミアが捧げているのには理由があった。

 実を言うと、アリエスの悲劇があったあの夜、ジェレミアもまたアリエス宮に居たのである。

 当日の警備責任者でありながら眠りこけて、賊の侵入にすら気付かず、害をマリアンヌとルルーシュへ及ばせてしまった事実を非常に悔いていた。

 実家が子爵家故に重い処罰は免れたが、責任を感じ続け、その悔いと責任感はマリアンヌとルルーシュ、ナナリーの『ヴィ』家へ対する狂信にも似た忠誠となった。

 それこそ、本人はアリエス宮の警護を望んでいるが、優秀な軍人故に各地の紛争に駆り出され、その任務と任務の間。本来、休暇である期間をアリエス宮で過ごして、警備役を勝手に買って出るほどだった。

 実際、今回あった『辺境伯』という褒美も『ナイト・オブ・ラウンズ』の地位を固辞した為である。ジェレミアの忠誠はブリタニア皇帝ではなく、ヴィ家へ向けられていた。

 

「……勝手にしなさい。

 全く……。本当に馬鹿ね。貴方は……。」

「はっ! 馬鹿に御座います!」

 

 暫くの間が空いて、マリアンヌが諦めた様に溜息をつくと、ジェレミアはそれはもう嬉しそうに目を輝かせて、再び片跪いて頭を垂れた。

 

 

 

「やはり、ここに居たか。アーニャ」

「んっ……。」

 

 マリアンヌとの挨拶を済ませたジェレミアは、もう1人の主『ルルーシュ』の部屋を訪れて、いつ来ても変わらない光景に思わず苦笑する。

 幾つかの窓が開け放たれ、適度な風が舞い込む部屋の中央。天蓋付きのベットの中、点滴を右腕に刺しながらルルーシュは穏やかに眠っていた。

 そして、その傍らに椅子を置き、読書をするメイド服姿のアーニャ。彼女もまた、あのアリエスの悲劇があったあの夜を共にした者として、『ヴィ』家へ忠誠を誓う様になったジェレミアの同志とも言える存在。

 但し、アーニャの場合、その忠誠は『ヴィ』家と言うより、命を救って貰ったと感じているルルーシュ個人へ大きく傾いていた。

 12歳の頃、実家の意向を無視して、アリエス宮へ家出同然に転がり込み、義務教育の中学卒業後は進学せず、ルルーシュの看護と護衛の為に付きっきり。就寝もドアで繋がる隣室にて、ドアを開けたまま行っているほど。

 

「殿下のご様子はどうだ?」

 

 ジェレミアは苦笑を消すと、ベットの隣に立って、一礼。ルルーシュへ期待の籠もった目を向けるが、アーニャは顎先を小さく左右に振るのみ。

 余談だが、ルルーシュはこの部屋に約7年前より居り、目を一度も醒ます事は無く、ずっと眠り続けていた。

 そう、不老不死の証であるコードを所有していながら、年齢を重ねて、栄養が点滴投与とアーニャが口移しするサプリメントのみだけに細身だが、年相応の成長した姿となって。

 無論、ルルーシュが成長していると最初に気付いたのは、その秘匿性故に世話を1人で行うしかなかったC.Cだった。

 あの悲劇から1年が経とうとした頃、C.Cは風呂へ入り、ルルーシュの身体を洗いながら、ふと『おや?』と違和感を感じた。

 有り得ないと考えながらも、ルルーシュの成長記録を開始するが、子供の成長は著しく、誤差で済む範囲を完全に超え、更に1年が経った頃。ルルーシュは間違いなく成長していると確信した。

 当然、C.Cはコードを持ちながらも成長を続けるルルーシュに期待した。ようやく自分の願いがかなえられるのではと。

 ところが、ルルーシュは眠り続けたまま。成長するなら問題は無いと、このアリエス宮へルルーシュを移して、あらゆる方法を試みたが、ルルーシュが目を醒ます事は無かった。

 

「そうか……。

 だが、諦めるな。必ずや、殿下は目をお醒ましになられる。

 私はそう信じている。……だから、アーニャ。お前も信じるのだ」

「当然、私はルルーシュ様の騎士だもの」

「ふっ……。そうであったな。愚問であった。

 どれ、剣の稽古を久々に付けてやるか。

 いずれ、殿下は戦場に立つ。その時、お前が不甲斐なくては殿下が恥をかくからな」

 

 ジェレミアは右拳を作って見せながら、アーニャを励ます一方で自分自身を奮い立たせる。

 それに応えて、アーニャは本を閉じて置き、立ち上がると、メイド服の左腰に差す剣を手で叩き、ジェレミアと顔を見合わせて、お互いに笑い合う。

 ちなみに、アーニャが腰に差している剣は、アリエス宮を訪れる数少ない人物の1人、コーネリアがルルーシュへ対するアーニャの忠誠心に感心して与えたもの。

 

「最近はマリアンヌ様にも教えて貰っている。負けないよ」

「なんとっ!? それは何たる贅沢っ!?」

 

 2人はルルーシュへ一礼。剣の鍛錬をする為、部屋と繋がるバルコニーから庭へと出た。

 

 

 

「アーニャよ! 腕を上げたな!」

「くっ……。当然!」

「はっはっはっ! だが、踏み込みがまだまだ甘い!

 お前は小柄だ! 力も大事だが、スピードをもっと大事にしろ!」 

「きゃんっ!?」

 

 すぐ階下から聞こえてくる剣撃の音。

 それを聞きながら、マリアンヌは自分自身の在りし日を思い出して、頬を緩めていた。

 

「相変わらず、暑苦しい男だな」

「ええ……。私には勿体ないくらいよ」

 

 そんなマリアンヌの元へ歩み寄り、車椅子の隣に立つC.C。

 入室を告げる声も、ノックもなく、その足音すら無かったが、マリアンヌの感覚はC.Cがアリエス宮へ足を踏み入れた時から、その存在を捉えていた。

 盲目でありながら、それが可能なのはマリアンヌが戦場で嘗て育てた類い希な感覚を持っているが故にだが、そもそも人自体がこのアリエス宮には居なかった。

 何故ならば、皇帝の寵愛が薄れた今、来客が皆無な理由もあって、マリアンヌへ許された歳費は皇妃として最低限のもの。

 自分自身とルルーシュ、アーニャの3人を賄うので精一杯。他に老夫婦の使用人が居るが、この2人はアッシュフォード家から派遣された者達であり、このたった5人がアリエス宮の住人だった。

 

「これなら!」

「むっ!? 今のは良いぞ! もう一度、突いてみろ!」

「えっ!? こうかな?」

「そう、それだ! エニアグラム卿を彷彿させる良い突きだ! 今後はそれを伸ばすと良い!」

 

 普段、姿を隠しているC.Cがわざわざ会いに来たのだから、それは重要な話があると言う事に他ならない。

 それにも関わらず、C.Cは何も喋らずに黙ったまま。階下で行われているジェレミアとアーニャの鍛錬を眺めていた。

 

「それで? 貴女も行くのかしら?」

「……すまない」

「ルルーシュの事はもう良いの?」

 

 だからこそ、長年の友であり、盟友のマリアンヌはC.Cが何を言い躊躇っているのかが解ったし、解ったからこそ、これを問わずにいられなかった。

 この部屋の真下で今も眠り続けるルルーシュ。シャルルやマリアンヌ、C.Cにとって、その存在はイレギュラーが過ぎた。

 C.Cが持つ裏技。アカシックレコードとも呼べるCの世界、この世の理を全て記すモノを用いても、ルルーシュの存在は謎に尽きた。

 そこに在るが、そこに在らず、世界から半歩外れた存在となっており、永き時を生きるC.Cでさえ、その様な存在を見た経験が無かった。

 だが、何も解らないからこそ、ルルーシュが目覚めれば、全てが解り、その末に己の願いを叶えられるかも知れないと、C.Cはルルーシュへ多大な期待を寄せていた。

 

「解っているんだ。自分が焦っているのは……。

 だけど、どうしても待てない。待てないんだ。

 お前達より永い時を生きていながら、何を今更と思うかも知れないが……。このチャンスを逃したくは無い」

「確かに、ナナリーの因子は高いけれど……。

 やっぱり、ルルーシュほど確実ではないわ。分の悪い賭になるわよ?」

「……それでもだ。

 恐らく、今の時期を逃してしまったら、お前の娘は完全に諦めてしまう」

「残念だけど、そうね。ミレイちゃんの話を聞く限り、半ば諦めているのでしょうね」

「だから、行くと決めた」

 

 マリアンヌは苦渋に満ち満ちたC.Cの声に重ねて問うが、返ってきた答えに苦笑して納得する。

 この会話で解る通り、アッシュフォード家は当人の希望でナナリーの存在をひた隠しているが、マリアンヌも、シャルルも、C.Cもナナリーが生きて、アッシュフォード家の庇護下に在るのをとっくに知っていた。

 なにしろ、前述で説明した通り、C.CがCの世界を用いれば、隠し事は基本的に出来ないのである。

 つまり、マリアンヌも、シャルルも、C.Cも知りながら放置しており、その理由はそれぞれが持つある計画の為だった。

 

「そう、解ったわ。

 貴女が居なくなると、少し寂しいけど……。さよなら、C.C……。」

「ああ、お前達も達者で暮らせ……。

 ……と言うのは、変か。まあ、上手くゆくのを祈っているよ」

 

 マリアンヌとC.Cは微笑み合い、握手を交わす。長年の盟友の幸せを祝福して。

 

 

 

 そして、歴史は動き出す。嘗て在り、今も有り得たかも知れない歴史から2年の時を遅れて……。

 

 

 



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~ 序章補足 ~

 

 

 

◎ 序章前 第01話 悪夢のはじまり

 

 

* 神聖ブリタニア帝国の首都 ペンドラゴン

 

現実のアメリカ大陸西岸地区、メキシコ、ソノラ州とバハ・カリフォルニア州の境界付近に存在。

ほぼ砂漠のど真ん中に在り、ライフラインなどの問題や『首都としての場所としては、そこはどうなんだ?』と疑問は公式へ。

 

 

* アリエス宮

 

皇居の東南東に位置するマリアンヌだけの後宮。

寵姫が1人だけ住む後宮はアリエス宮、タウラス宮、アクエリアス宮、ピスケス宮の4つのみ。

他は4人、8人、16人と同じ敷地内に住んでおり、これだけでもマリアンヌが優遇されている証拠。

ちなみに、寵姫の人数が上記の許容数を超えた場合のみ、番外の不特定数が住むオフィウクス宮がある。

尚、皇帝が各宮へ渡るのは上記の4つの単独宮のみ。他は寵姫が呼び出しに応じて、皇居へ渡る。

 

 

 

◎ 序章前 第02話 皇帝裁判

 

* クリスティアナ・デ・ブリタニア(クリスティアナ・ベーネミュンデ)

 

日頃の行いが災いして、アリエスの悲劇で人身御供となり、島流しされちゃった可哀相な人。

しかも、この影響から実家のベーネミュンデ侯爵家は取り潰し。

多分、もう登場しません。……と言うか、既に死亡しています。

 

 

* フロリダ地区

 

東海岸地区の人気リゾート地。

皇帝直轄領であり、多くの貴族が別荘を所有しており、ここに別荘を持つ事がある種のステータスシンボルになっている。

 

 

 

◎ 序章前 第03話 8月10日

 

 

* 京都六家

 

桐原、刑部、公方院、宗像、吉野、枢木の天皇家を支える秘密結社。

枢木はゲンブ死亡後、分家が仮頭首となり、スザクが成人するまで後見人となっています。

 

 

 

◎ 序章後 第01話 ナナリー・ランペルージ

 

 

* エリア11

 

サクラダイトの利権が大きい為、基本的に皇帝直轄領。

 

 

* アッシュフォード家

 

本拠地をミシガン地区アッシュフォード(現実のミシガン州ディアボーン)に置く伯爵家。

マリアンヌの最大後援貴族であり、ブリタニア国内の自動車産業シェア1位を持つ世界屈指の財閥。

ナイトメアフレームを兵器運用に初めて成功するが、最近はトライアルに負け続けており、この方面に関しては落ち目。

ちなみに、今代の頭首は人柄は良いが、経営能力はあまり高くない。

 

 

* ゼネモー家

 

本拠地をミシガン地区ゼネモー(現実のミシガン州デトロイド)に置く伯爵家。

アッシュフォード家とは領地が隣り合っているせいか、同じ自動車産業で長じ、長年に渡って仲が悪い。

現在、ブリタニアにおけるナイトメアフレームの普及機『サザーランド』はゼネモー製。

 

 

 

◎ 序章後 第02話 アリエスの乙女たち

 

 

* 辺境伯

 

ジェレミアが得た爵位であり、領地はエリア11の九州。

これに伴い、ブリタニアでの九州の正式な名前は『ゴットバルト』となる。

ちなみに、現在はジェレミアが派遣した代官が領地経営を行っている。

 

 

* 「確かに、ナナリーの因子は高いけれど……。」(マリアンヌの台詞より)

 

謎の因子。この段階ではまだ秘密。

 

 

 



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第一章 第01話 仮面舞踏会への招待状

 

 

 

「ふふふふ~ん♪」

 

 アッシュフォード学園隣のアキバ区、コスプレ喫茶『わんだぁ~らんど』本店のスタッフ休憩室。

 パイプ椅子に足を組んで座り、雑誌を読み耽りながらパイプ机上のスナック菓子を頬張って、ご機嫌なハミングを奏でる金髪セミロングヘアーの美少女。

 彼女の名前は『アリス』、ナナリーの親友であり、クラスメイト。このアルバイトをするに辺り、1人では心細くて、ナナリーを巻き込んだ張本人。

 ちなみに、今は学校帰りの夕方。アッシュフォード学園の制服から既にコスプレ衣装へ着替え済み。

 髪の両サイドに羽根飾りを付けて、肩を出したピンク主体の衣装。下は白の多重フレアースカートと衣装に合わせたピンクのニーソックス。燕尾の様なマントが特徴的なとある魔法少女を模したものであり、魔法のステッキが机の上に置いてある。

 

「ふふふふ~ん♪ ……って、んっ!?」

「マ、マリアちゃんっ!?」 

 

 シフトの時間まで、あと10分。アリスは微妙な時間を持て余していた。

 そこへ聞こえてくる騒ぎの音。まず怒鳴り声が聞こえ、次に女の子達の悲鳴。やや間があってのざわめき。

 ハミングを驚きに止めて、思わず騒ぎが聞こえたドアの方向へ顔を振り向けると、そのドアが勢い良く開き、血相を変えて現れる眼鏡をかけたウェイター姿の男性。

 彼の名前は『南ヨシタカ』、このコスプレ喫茶『わんだぁ~らんど』の店長にして、名誉ブリタニア人に帰化した元日本人。

 この世にコスプレ喫茶と言う文化を最初に生み出して、今や全国の主都市にチェーン化。12店舗を所有するに至ったなかなかのやり手。

 

「マ、マリアちゃんっ!? マ、マリアちゃんっ!? マ、マリアちゃんっ!?」

 

 そのやり手は今非常に焦っていた。

 スタッフ休憩室に居るのはアリスのみ。居るだろうと考えていた人物が居らず、何やら混乱大パニック。

 それこそ、混乱するあまり、人が居るはずもない清掃用具入れのロッカー内を調べ、更にはゴミ箱の中まで調べ、次に隣の部屋へ通じるドアノブに手をかけた。

 

「駄目、駄目。さすがの店長でも、そこだけは駄目だって」

「えっ!? ……はっ!? ち、違うんだっ!? テ、テレスちゃんっ!?」

 

 だが、その右手首を魔法スティックが一撃。アリスが白い目を向けながら首を左右に振って、南を止める。

 何故ならば、南が入ろうとしていた部屋は女子更衣室。いかに南が店長という絶対権力者であろうとも、その性別が男である限りは入室禁止の絶対聖域。

 我に帰った南は己が何をしようとしていたかを知って、目をギョギョッと見開き、アリスへ右手を突き出しながら慌てて後退る。

 余談だが、南の呼んだ名前『テレス』とは、この店におけるアリスの源氏名である。

 

「はいはい、解ってますって……。それより、何が有ったんですか?」

「ええい、愚弄するのか! 私を誰だと思っている!」

「あーーー……。はいはい、なるほどねぇ~~」

 

 アリスは生返事を返しながら、南が開けっ放しにしたままのドアを閉めようと、そのドアへ近づき、店内から聞こえてきた怒鳴り声に全てを理解した。

 それは約2ヶ月前から、この店の常連となっている客の声。常連だけに大事な客ではあるのだが、その思想がブリタニア至上主義と言うところに問題があった。

 なにせ、この店は店長の南を始めとする従業員の半数が名誉ブリタニア人。来客の人種も問いておらず、その割合はややブリタニア人が多い程度。

 つまり、ちょっとでも気に入らない点があると、難癖を付けて、すぐに騒ぎ立てる悪癖があった。

 

「ははは……。いっその事、来店をNGにしたいんだけどね。

 ほら、あの人って貴族っぽいだろ? だから、俺の立場だとさ。……だろ?」

「はぁ……。」

 

 ドアが閉められて、小さくなる怒鳴り声。それで少し安心したのか、南が力無い笑い声を漏らして、やるせない表情で愚痴を零す。

 その同意を求められ、アリスは目を伏せながら『はい』とも、『いいえ』とも言わずに言葉を濁す。

 所詮、ブリタニア人の自分がどう応えようとも、それは嫌味にしか聞こえないと承知していたからである。

 実際、街を歩けば、良く似た場面に出くわす。正義感で仲裁に入った事も多々あるが、大抵はあまり良い結果に終わっていない。

 こうした場面に出会う度、アリスは考えずにいられない。

 『名誉』の冠は付くが、目の前の南はブリタニアへ忠誠を誓った歴としたブリタニア人。何故、自分と変わらないのに差別を受けなくてはならないのだろうか、と。

 そもそも、『名誉』の冠を付けて、わざわざ区別する理由が解らない。我々は彼等を積極的に受け入れて、共存する事こそが、この元日本という国をブリタニアに同化させる早道なのではなかろうか、と。

 しかし、現実は違う。ブリタニア人からは下に見られ、今は『イレブン』と呼ばれる元日本人のナンバーズからは裏切り者と蔑まれ、名誉ブリタニア人は差別に苦しんでいた。

 その証拠がドア越しに再び聞こえてくる。南は先ほどより大きくなっている怒鳴り声に、このスタッフ休憩室へ来た当初の目的を思い出す。

 

「……っと、そんな事より、マリアちゃんだ!

 テレスちゃん、マリアちゃんは今日のシフトに入っていたよね?」

「はい、マリアならもうすぐ……。」

 

 アリスは壁にかかった丸時計をチラリと一瞥。いつの間にか、シフトまであと5分となっているのを知り、南の質問に応えている途中だった。

 二輪車特有の甲高いモーター音が急速に近づき、一際大きく鳴ったと思ったら、タイヤがキュルキュルとスピンする音がスタッフ休憩室の壁の向こう側で止まった。

 その運転手の正体を知る南は目を輝かす。と言うか、この店にバイク通勤をしている者は1人しか居ない。

 

「……ねっ!?」

 

「ああっ!? これでもう安心だ!

 遅い! 遅いよ! マリアちゃん! さあ、さあ! 早く着替えて! 着替えて!」

 

 アリスが右目をパチリとウインク。南は大きく頷き、店の裏口ドアを勢い良く開け放ち、バイクの運転手を迎えに飛び出て行った。

 

 

 

「これだから、イレブンは困るんだ!

 我々がこの軍服をどの様な気持ちで着ているのかが解るか! この軍服はな!」

 

 名誉ブリタニア人の従業員達を列べて、レジカウンターをバシバシと叩きながら猛りまくりの男性。

 おかげで、店内の雰囲気は最悪状態。店の出入口を陣取られては、店内の客は帰れず、逆に新たな来店者は自動ドアを開ける前に帰って行く始末。

 最早、営業妨害の何ものでもない彼の名前は『キューエル・ソレイシィ』、この店に給料の半分を注ぎ込んでいるダメ人間。髪型はきっちり左の三七分け。

 しかし、そんな殺伐とした空間に救世主が遂に現れる。それを従業員、来客者の全員がキューエルの背後に見つけて目を輝かす。

 

「キューエルさん!」

「のわっ!? ……マ、マリアさんっ!?」

 

 キューエルは切れ長の鋭い目をしており、その見た目だけで子供の頃から恐れられてきた。

 しかも、身長は185cmと大きい。それが軍服を着て、街を歩けば、大抵の者は道を譲る。

 だが、その声が轟いた途端、キューエルは目をギュッと瞑り、身体をビクッと震わせて竦めた。

 挙げ句の果て、今さっきまで怒鳴り散らしていた偉そうな態度は何処へやら、一呼吸の間を空けて、背後をビクビクと怯えながらゆっくりと振り返った。

 

「私、この前も言いましたよね!」

「はい! 言いました!」

「今度、お店で問題を起こしたら、承知しないって!」

「はい! 申し訳有りません!」

「だったら、どうしてですか! 懲りずに何度も、何度も!」

「はい! 本当に申し訳有りません!」

 

 キューエルの予想通り、背後に立っていたのは源氏名『マリア』こと、ナナリー。

 足を肩幅に開きながら両手を腰に突き、眉を吊り上げて、見るからにご立腹の様子。

 キューエルは棒を背筋に刺したかの様にビシッと直立不動。怒鳴られる度、腰を90度まで素早く曲げての礼。

 さすがは軍人だけあって、動作がキビキビとしており、その姿は訓練されて、とても様になっていたが、頭を下げている相手が相手。身長が頭1つ分低く、年齢も年下の少女へ平身低頭する様子はとても滑稽だった。

 そう、店長の南がナナリーをあれほど頼っていた理由がこれだった。この店において、ナナリーこそがキューエルを御し得る唯一存在なのである。

 

「本当に反省しているなら……。

 ……って、ちゃんと聞いているんですか! キューエルさん!」

「はい! 勿論です!」

「なら、目を逸らしているのは何故ですか!」

「う゛っ!? そ、それは……。」

 

 ふとナナリーは気付いた。誠心誠意、キューエルは謝罪している様に見えて、その目が泳いでおり、自分を見ようとしていないのを。

 事実、頭を下げようとした瞬間、人差し指を眼前へ勢い良くビシッと突き付けられ、動きを止めたキューエルの目はナナリーから逸れていた。

 いや、逸れていたというのは正確ではない。ナナリーへ一旦は向けられるのだが、すぐ逸れては再びナナリーへと戻り、また逸らすを繰り返していた。

 

「それは?」

「そ、それより、マリアさん! きょ、今日のその衣装は何と言う……。」

「えっ!? 知りません?」

「も、申し訳有りません!

「マ、マリアさんから言われ、プリキュアはやっとフレッシュまで見たのですが……。」

 

 その理由は単純にして明快。ナナリーが本日着用している衣装に原因があった。

 前髪を残しながら髪の両サイドに羽根飾りを付けてのツインテール。肩と脇腹を露出した薄紫色のレオタードとそれに合わせた薄紫のニーソックス。燕尾の様なマントが特徴的なとある魔法少女を模したものであり、付属の魔法のステッキは隣に立つアリスが持っている。

 ここがプールサイドや海ならまだ違っていたが、その日常の中で見る水着同然のナナリーの姿は、キューエルにとっては眩しすぎた。

 しかし、キューエルとて、健全な男。どうしても、視線が自然と露出した肩や脇腹、太股、更には控えめな胸、極めつけはちょっとハイレグなお股へ向かってしまうのが止められず、それをナナリーに悟られるのがキューエルは嫌だった。

 

「違う、違う。これはプリキュアじゃありませんよ。

 これはプリズマ・イリアって言って……。ほら、テレスちゃんとお揃い♪」

「……か、可憐だ」

 

 そんなキューエルの苦労を知らず、更なる追い打ち。

 ナナリーはアリスから自分の魔法ステックを受け取ると、アリスと背中合わせになってのポージング。

 キューエルは臨界点を突破。心がズッキューンと弾み、顔を紅く染めながら呆けて、口をポカーンと開け放ち、店内の男性客、男性従業員達からもざわめきが湧く。

 

「……って、そんな事、今はどうだって良いんです!」

「は、はい!」

「そもそも、キューエルさんこそ、その格好は何ですか!

 軍服で来店するなんて、非常識ですよ! 他の皆さんが驚くじゃないですか!」

 

 だが、それも束の間。ナナリーが怒鳴り、キューエルへ魔法ステックを勢い良くビシッと突き付けての糾弾。

 店内の空気は再び締まり、店内の誰もが同意にウンウンと頷く。

 そして、キューエルへ向けられる抗議の視線の数々。ナナリーという指揮官を得て、一つの戦いがようやく終焉を迎えようとしていた。

 ところが、ここで戦いは新たな局面を迎える。

 

「い、いや……。し、しかし、ですね。

 ぜ、前回に来た時、その……。マ、マリアさんが一度見てみたいと……。は、はい……。」

 

 キューエルは周囲全方向から突き刺さる視線を受けながらも孤軍奮闘。

 周囲をおどおどと見渡しながら後退ると、そのしどろもどろな言い訳に店内の誰もが驚き、視線をキューエルからナナリーへと一斉に移す。

 

「えっ!? ……あ゛っ!?」

 

 戦況は一気に塗り替えられ、集った真実を問う目に今度はナナリーが怯んで一歩後退。

 一拍の間の後、キューエルが前回来店した際に行ったリップサービスを思い出して、ナナリーが驚愕に大口を開けて固まる。

 その態度が全てを物語っていた。ナナリーへ真実を問いていた目が次々と白い目、あるいは嫉妬の目に変わってゆく。

 

「い、いや……。そ、それはですね。そ、その……。」

 

 ナナリーは助けを求めて、キューエルと自分の間に立ち、いつでも割って入れる位置に待機している南へ視線を向ける。

 しかし、南は目を瞑りながら残念そうに首を左右に振るのみ。そのジャッジはとても公平性に満ちながらも、とても残酷なものであった。

 

「ば、馬鹿ですね! そ、その意味をもっと良く考えて下さいよ!

 つ、つまり、それは外で一度会ってみたいなって意味に決まってるじゃないですか!」

「そ、それは……。ま、まさか! て、店外デートのお誘い!

 マリアさん、嬉しいです! このキューエル・ソレイシィ! これほど嬉しい日はありません!」

 

 この瞬間、覆せない敗北が決まり、ナナリーは言葉を詰まらせた末、激しく自爆。

 一方、キューエルは予想外の勝利者特典に驚き、目を輝かせると、感激のあまり身体をブルブルと震わせて涙ぐみ、その涙が零れない様に顎を反らして、天井を仰いだ。

 

「ねぇ、ちょっと……。本当に良いの?」

「ははは……。テレスちゃん、こうなったら仕方ないよ」

 

 たまらずアリスがナナリーへ耳打ちする。

 何故ならば、アリスは知っていた。子供の頃に引き離され、今は行方不明の『枢木スザク』と言う婚約者をナナリーが未だ強く想っているのを。

 それこそ、自分達の年齢なら、せいぜい『好き』止まりの恋愛感情を凌駕して、『愛している』と言っても過言でないほどに。

 正直なところ、アリスは当初『枢木スザク』と言う人物は、ナナリーが作りだした空想の産物『エア婚約者』だとばかり思っていた。

 その理由というのも、ナナリーが語るスザク像は『何、それ? そんな王子様、現実に居ないって』と呆れるほどに格好良すぎたのである。

 だが、アリスは見てしまった。お互いの家で泊まり合う仲となった時、睡眠中のナナリーが酷く苦しそうに魘されている姿を。助けを必死に求めて、『枢木スザク』の名前を何度も呼ぶ姿を。

 それも一度ならず、二度、三度と。ナナリー自身は覚えていないらしいが、ほぼ毎晩の様に魘されている事実を知り、アリスは戦中、戦後の間もなくを子供2人で逃げ回った話をナナリーから聞くまでに至って涙した。

 だからこその不満だったが、ナナリーは胸にチクリと痛みを感じながらも気持ちを切り替え、この約3ヶ月で鍛えた営業スマイルをキューエルへ向けて、ニッコリと微笑んだ。

 

「なら、その段取りを決めないと! もちろん、指名は私ですよね?」

「ナナりぃっ、むごっ!?」

 

 たまらずアリスは制止を叫ぼうとするが、ナナリーがアリスの口を右手で強引に塞ぐ。

 無論、ナナリーは自分を思っての行動と承知していたが、今は事態の収拾を優先した。

 付け加えて言えば、アリスは興奮するあまり我を忘れ、ナナリーの本名を叫びかけており、それをキューエルへ知られるのはナナリー的にもっとまずかった。

 なにしろ、この店はアッシュフォード学園に近い。当然、その学園の学生だと既に勘付かれている可能性、それも見た目を考えたら大学部ではなく、高等部であるとも勘付かれている可能性が十分にあった。

 この上、本名が知られたら、特定は容易となり、キューエルが学園へ押し掛けてくる未来が容易く予想できた。

 最近、クラスメイト達が軍の巡回を学園周囲で良く見かける様になったと噂しているだけに、これ以上は避けたかった。

 

「当然です! マリアさん以外は有り得ません!」

「ありがとうございます。では、ご注文は?」

「無論、スペシャル・デラックス・ラブラブ・ランチです!」

「はぁ~~い! キューエルさんから、スペシャル・デラックス・ラブラブ・ランチ、入りましたぁ~~!」

 

 こうして、事態は沈静化。

 ナナリーがオーダーを読み上げるのに応えて、従業員が一斉に『キューエルさんとマリアちゃんはラブラブぅ~』と唱和。店はいつもの雰囲気を取り戻してゆく。

 余談だが、スペシャル・デラックス・ラブラブ・ランチとは、トースト2枚、オムレツ、サラダ、ドリンクをセットにした喫茶店でいうところの軽食セット。

 しかし、この店において、それはランチ。『ラブラブ』と『デラックス』と『スペシャル』、この前置詞が付く事によって、対応したオプションが付く。

 一段階目の『ラブラブ』では、ウェイター、ウェイトレスがジャムでトーストに、ケチャップでオムレツにハートなどの絵や文字を目の前で描いてくれるサービス。

 二段階目の『デラックス』では、オーダー時に今先ほど従業員達が行った様な唱和を行い、2人の仲を店総出で祝福してくれるサービス。

 三段階目の『スペシャル』では、ウェイター、ウェイトレスと肩を列べての2ショット写真の撮影サービス。尚、ウェイター、ウェイトレス次第で腕を組むまでが可能。

 但し、初来店の一見さんはいきなり三段階目どころか、一段階目も選べない。常連となり、来店を重ねる事によって、上位サービスが加えられたメニューが渡され、一段階づつ解禁となってゆく。

 無論、このサービスとなる前置詞を付ければ付けるほど、料金が上乗せされてゆくのは言うまでもない。一段階目ならともかく、三段階目まで重ねれば、その価格は一流ホテル並となる。

 それでも、常連となった者達は大抵が常に上を目指す。未だ誰も成し得て居らず、存在すると噂される4枚目のメニュー、そこに書かれているという四段階目サービス『ポッキーゲーム』と言う遙かな高みを目指して。

 このシステムの発案者である南曰く、いきなりデレるなんてのは有り得ない。この徐々に仲良くなってゆくのがリアルさと優越感を生んで良いらしい。

 実際、店内の彼方此方から『凄え!』や『出来る!』などの賞賛があがっており、キューエルは鼻高々にフフンと優越感に浸っていた。

 

「では、席でお待ち下さいね」

「マリア!」

「テレスちゃん、こっち! こっちで話そうよ! ほら!」

 

 それどころか、普段のキューエルでは有り得ない余裕すら生まれていた。

 ナナリーが調理場のある奥へ引っ込み、アリスがその後を追って行くのを見送り、キューエルが騒ぎを起こす前まで座っていた席へ戻る途中での出来事。

 店内の空気がすっかりと緩み、活気が戻ったその時だった。

 

「ふふっ、ふんふんふーん♪

 ……って、キャっ!?

 えっ!? ええっ!? あわわわわわわわわわわ……。」

 

 先ほどの騒動の最中、たまたまトイレに居り、難を逃れていた名誉ブリタニア人のウェイトレス。

 用を足し終えた開放感にご機嫌となり、軽いスキップを踏んでいたが、トイレから店内へ通じる狭い小道を抜け出て、視界が開けた瞬間。突如、目の前に出現した存在しないはずの壁へ衝突。その場へ尻餅をつく。

 衝突の際、思わず瞑った目を開けて、ウェイトレスは自分が衝突した壁の正体がキューエルだと知り、驚愕と絶望を合わせてのビックリ仰天。

 尻餅を付いたまま、全身をガクガクと震わせて、衝突の際にぶつけた鼻頭の痛みも合わさっての涙目。

 このウェイトレスがキューエルへ粗相をしたのは、これで通算3回目。それだけに怯え方はかなりのもの。

 もし、これが用を足し終える前だったら、ミニのプリーツスカート故に丸見えとなっている水色のショーツは青のショーツへと変わっていただろう。

 そして、あわや騒動に逆戻りかと店内の誰もが息を飲むが、その予想に反して、ご機嫌なキューエルはジェントルマンだった。

 

「こらこら、店内で走ってはいかんぞ?

 ほら、早く立ちなさい。若い娘がそうやって下着をいつまでも晒け出しているのは良くないぞ」

「は、はい……。あ、ありがとうございます」

 

 キューエルは満面の笑顔と共に右手を差し伸べて、ウェイトレスを立たせると、まるで何事も無かったかの様に立ち去り、自分の席へ着席した。

 その信じられない奇跡の光景に驚き、当事者のウェイトレスは勿論の事、店内の誰もが茫然と目が点。店内から一切の会話が消え去り、BGMだけが『イェイ! イェイ! イェイ!』と元気に流れてゆく。

 

「改めて、従業員が申し訳有りませんでした。

 こちらは当店で使えるコーヒー券となっています。是非、お納め下さい」

「ふむ……。受け取っておこう。

 先ほどは私も大人気なかったと反省している。申し訳なかったな」

「いえいえ、滅相もありません。ですが、そう言って頂けると幸いです」

 

 だが、店長の南はここが勝負所と我に帰り、キューエルのご機嫌取りにすぐさま動く。

 確かにキューエルは厄介な客ではあるが、ナナリーの為なら大盤振る舞いを厭わず、売り上げに多大な貢献をしてくれる最上客。店としては絶対に逃せない。

 先月末など、シャンパンタワーならぬ、ジンジャエールタワーを自ら企画して持ち込み、アルバイト2ヶ月目にして、ナナリーをナンバー1ウェイトレスへ強引に押し上げる偉業を達成している。

 

「ところで、店長。今日、マリアさんは何時までの勤務だ?」

「マリアちゃんですか? 確か、閉店までだったと記憶しております」

「閉店、あと3時間半か……。では、マリアさんの指名を閉店まで買おう」

「えっ!? ……え゛え゛っ!?」

 

 しかし、このキューエルの申し出はさすがに驚いた。

 この店に指名制はあるが、そのサービスに料金はかからない。お目当ての

ウェイター、ウェイトレスの手が空いていれば、好きなだけ指名が出来る。

 但し、その同席が保証されているのは、他の客が指名するまでの間のみ。

 そこからはお財布との相談。指名が重なった客同士、同席権を賭け、満足が行くまで存分に競り合って貰う事となっており、上限リミットは設けられていない。

 無論、これは基本料金であり、この他にウェイター、ウェイトレスが同席する時間によって、チャージ料金が設けられているのは言うまでもない。

 このシステムの発案者である南曰く、これこそがブリタニアのはずだ。俺は何も間違っていないらしい。

 また、このシステムを採用しているが故に最初から勝ち逃げの予約制度は存在しない。当然、それは常連のキューエルも承知していた。

 

「残念だが、私はまだ仕事の途中でな。あと30分程度しか居られない。

 しかし、しかしだ。マリアさんのあの様な姿、他の客へ見られるなど耐えられん。だから、頼む」

 

 

 だから、キューエルは他の客へ聞かれない様に小声ながらも、その目に熱意を込めて必死に頼んだ。

 しかも、人前である上、まだ注目が少なからず有るにも関わらず、名誉ブリタニア人の南へ頭を下げて。

 

「で、ですが……。ほ、他のお客様との公平性を考えるとですね」

 

 目を大きく見開いて驚き、言葉に詰まらせながら戸惑うしかない南。

 なにしろ、目が合った、肩が触れたと難癖を付けて、名誉ブリタニア人をいびってきたキューエルがである。驚き戸惑うのは当然だった。

 その隙を突き、キューエルが更なる追撃をかける。懐から取り出した財布をテーブルの下で開けて、その中に入っていた全ての札を南のズボンのポケットへねじ込む。

 

「もちろん、無茶な注文だと承知している。 

 だから、これだけ払おう。それと可能なら、あの衣装を買い取らせてくれ」

「……こ、こんなにっ!?」

 

 すぐさま南は返金しようと、ズボンのポケットへ手を入れるが、手触りで感じられる枚数の多さに驚き、目をこれ以上なく見開きながら固まる。

 一瞬、見えた札は最高額札。南の心は激しく揺れ動いた。

 

 

 

「はぁ~~……。」

 

 スタッフ休憩室にて、ナナリーはノートパソコンのキーボードをつまらなさそうにカタカタと鳴らしていた。

 その姿は先ほどまで着ていたとある魔法少女の衣装ではなく、アッシュフォード学園高等部のもの。

 壁にかかる丸時計をチラリと一瞥。閉店まで、あと2時間と13分。先ほど確認した時から、5分も経っていない事実に溜息をつく。

 

「あれ? 居ないと思ったら、どうしたの? それにもう着替えちゃってさ?」

「それがね。店長が今日はもう出ないで良いから、駅前で撒くチラシを作ってくれって……。」

「ふーーーん……。変だね。暇ならともかく、どっちかと言えば、今日は忙しい方なのに」

「でしょ? そう思うよね?

 あーーーあ……。今日のコス、楽しみにしていたのに……。」

「ぼやかない、ぼやかない。それも大事な仕事でしょ?

 はい、これ。今週のお便りコーナーの手紙ね。店長が来たら渡しておいて」

 

 そこへアリスが現れ、ナナリーは良い暇潰し相手が出来たと愚痴を零しまくり。

 しかし、アリスは喉の渇きを癒す為、パイプ机の上に置かれた自身が買ってきたオレンジジュースを一口飲むと、持っていた封筒の束をナナリーのノートパソコンの横へ置き、さっさと退場。あっと言う間にナナリーの暇潰しは終わる。

 ちなみに、アリスの言葉の中にある『お便りコーナー』とは、簡単に言えば、飲食店などのサービス業でよく見かけるマーケティングの為のアンケート調査システム。

 但し、アンケート用紙をただ置いても、アンケートはまず集まらないと店長の南が考えたのが、このシステムが『お便りコーナー』と呼ばれる所以。

 客は店内で販売されている専用の封筒を買い、お目当てのウェイター、ウェイトレスの名前を宛名に書き、その中にアンケート用紙を入れて、店内に設置されたポストへ投函。

 その時、店内でやはり販売されている専用の便せんを一緒に入れておけば、宛名先のウェイター、ウェイトレスへ手紙が届くというもの。

 また、その裁量は宛てられたウェイター、ウェイトレス次第だが、もしかしたら返事が返ってくるかも知れない可能性を秘めている。

 このシステムの発案者である南曰く、この返ってくるか、返ってこないかのヤキモキ感が商売を感じさせず、リアルで良いらしい。

 実際、専用の封筒と便せん1枚の合わせた値段がコーヒー1杯より高いにも関わらず、来客の男女を問わず、飛ぶ様に売れていた。

 今、アリスが置いた束は1日分。一目のパッと見でも20通か、30通は確実にある。

 余談だが、この店でのコスチュームは過度な露出が有るもの、下着を露骨に見せているもの、危険物になりえる鋭利なもの、長い棒状のもの以外は認められており、自前の物を持ち込む事も出来れば、店側が用意している物を着用する事も出来る。

 無論、店側が用意している物はレンタル料を取られ、クリーニングの関係からレンタル期間1週間の固定という不便さはあるが。

 さて、ナナリーが本日着用したコスチュームはどちらだったかと言うと、アリスと相談して購入したオーダーメイドの品であり、本日が初披露だった。

 ところが、店長の南の権限により、本日のコスチュームは大人の諸事情でナナリーは以後禁止。店の買い取りとなって、レンタル衣装となる為、既にクリーニング行きの回収箱へ入れられている。

 

「はーーい……。」

「じゃーねー」

 

 つまらなそうに唇を尖らすナナリーへ笑顔で手を振り、店内へ戻ってゆくアリス。

 その店内とスタッフ休憩室を隔てるドアが閉められ、再びキーボードを叩く音だけがカタカタと鳴り響く。

 それが暫く続いていたが、その音を不意に止め、ナナリーが制服ダブルボタンの第1ボタンを外して、その内側に隠れているファスナーを半分まで下ろす。

 そして、制服の内ポケットから取り出した封筒。お便りコーナーで使われているものと同じソレをノートパソコンの横に置かれた封筒の束の間へ入れる。

 

「ふぅ……。」

 

 何やら大仕事をやり遂げたかの様に一息をつきながら、緊張に思わず強張っていた肩の力を抜くナナリー。

 喉の渇きを感じて、アリスのオレンジジュースを勝手に一口飲み、壁にかかる丸時計を再びチラリと一瞥。先ほどの確認から進んだ分針のマス数は7つ。

 

「はぁぁぁぁぁ~~~~~~……。」

 

 ナナリーは力無くガックリと項垂れながら溜息を深々と漏らした後、うんざりとした表情を上げて、作業を再開。キーボードを叩いて、音をカタカタと鳴らし始めた。

 

 

 

「これで良しっと……。さて、俺も帰るか」

 

 閉店から約1時間が経ち、従業員達は既に帰宅。店内はひっそりと静まり返っていた。

 事務所に残った最後の1人。店長の南も本日の売上金集計がようやく済み、席を立ち上がる。

 

「おっと……。これがまだ有ったか」

 

 だが、机の隅に置いてある手紙の束を見つけて、椅子へ逆戻り。

 ついつい漏れてしまう溜息だったが、これも店長の仕事と諦めて、南は手紙の宛名を読み上げながら、その名前毎に机の上へ分類して置いてゆく。

 

「マリアちゃん、テレスちゃん、こなたちゃん、マリアちゃん……。

 パトリシアちゃん、小鳥遊君、テレスちゃん、こなたちゃん……。

 小鳥遊君、テレスちゃん、こなたちゃん、パトリシアちゃん……。

 静雄君、テレスちゃん、こなたちゃん、小鳥ちゃん……。

 やっぱり、今日はマリアちゃんが少ないな。……って、んっ!? これはっ!?」

 

 やがて、ソレが現れる。お便りコーナーの意味を考えたら有り得ない宛先無記名の手紙。

 すぐさま南はまだ仕分け途中でありながら作業を止めて、その手紙の封を躊躇わずに開ける。

 

「相変わらず、凄いな。こんなモノをどうやって……。」

 

 封筒の中に入っていたのは、プリントアウトされただろう数枚のコピー用紙。

 南は目を紙面へ素早く走らせて、紙を次々と辛抱が堪らないと言った様子で捲る。

 何故ならば、そのコピー用紙に書かれている内容は、本来は極秘とされ、最低でも閲覧に佐官レベルを必要とするだろう在エリア11ブリタニア軍における来週の作戦行動予定表であり、それは南にとって、宝の地図とも言える代物だからである。

 そう、南は名誉ブリタリア人の戸籍を拾得してこそいるが、その魂は未だ大和魂。嘗ての日本を取り戻そうと志して、反ブリタニアを掲げるレジスタンス組織の一員だった。

 それどころか、アルバイトの従業員達はレジスタンスではないが、このコスプレ喫茶『わんだぁ~らんど』はレジスタンス資金を稼ぐ為のモノであり、本店と支店は日本各地に点在するレジスタンス同士を繋げるネットワークの役割を持っていた。

 ちなみに、南はコピー用紙に書かれている情報の真偽は疑っていない。と言うのも、南の言葉で解る通り、この情報提供は今回が初めてではない。

 初めて、この店に設けられているお便りコーナーのポストへ情報提供があったのは、約2ヶ月半前の事。その時はさすがに内容を疑ったが、今では完全に信じきっていた。

 なにせ、この謎の情報提供者のおかげで、既に幾つものレジスタンス組織が摘発を逃れて、何十、何百人といった日本人の命が現実に救われていた。

 無論、南は自分の正体を隠している。日々の言動や行動に気を使い、それと悟られない様に暮らしている。

 ところが、それを知る者が居た。どの様な手段で知ったのか、それを考えると不安はあったが、この毎週末に届けられる情報提供の貴重さ、有り難さの前に深く考えるのは意識的に止していた。

 また、当然の事ながら、その正体も気になり、どうしても礼が言いたかった。

 情報提供があるのは決まって週末であり、その手段もお便りコーナーへのポスト投函。その正体を調べようと思えば、幾らでも可能だったが、下手に動いた結果、情報提供が途絶えるのはあまりにも惜し過ぎた。

 

「ナオトか? 俺だ、南だ。

 ああ、そうだ。今週も『X』から情報提供があった。

 しかも、今度のはとびきりデカいヤマだ。明日、みんなを召集できないか?」

 

 南は一通りを読み終えると、机の隅に置かれた電話の受話器を興奮しきった様子で手に取り、仲間へ連絡を取った。

 

 

 



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第一章 第02話 モザイク

「神前に礼! 師に礼!」

 

 サイタマ県飯能市の端の端、人里から少し距離を置いた小山と小山の間にナナリーが通う剣術道場はあった。

 但し、道場と言っても、壁に設置された門下生表は空席だらけ。嘗ての繁栄を残す広さだけがあり、名前が書かれた木札はナナリーのものが1枚だけ掛かっている。

 つまり、ただっ広い道場に2人。胴着姿のナナリーは正座をして座り、同じく胴着姿で正座する師匠である白髪白鼻髭の老人と向かい合っていた。

 

「ちと待て」

「えっ!?」

 

 朝稽古が済んだ後の朝食の準備は弟子の仕事。中等部の頃、ナナリーが自分で包丁を持つ様になってから、ナナリー自身が勝手に作った決まり事である。  

 それに従い、ナナリーが朝食を作るべく立ち上がりかけるが、老人が右掌を突き出して制する。

 朝早くからの稽古を済ませた後だけに空腹感はマックス。今まで朝食を催促する事はあっても、待てと言われた経験がないナナリーは戸惑い、思わず目をパチパチと瞬きさせる。

 しかし、そんなナナリーを余所にして、老人はかけ声を『よっこらしょ』とかけて立ち上がった。

 そして、背後の神棚の下、床の間へ置かれた日本刀棚に飾られている濃紫色の鞘に包まれた古びた日本刀をナナリーへ放り投げる。

 

「ほれ、免許皆伝の証だ。もう来週からは来んで良いぞ」

「えっ!? ……キャっ!?

 とっ、とっ、とっ……。きゃんっ!? ……ど、どういう意味ですか?」

 

 慌ててナナリーは膝立ち、日本刀を危ういながらもキャッチ成功。

 だが、慌てるあまり手の上でお手玉。滑り落ちかけて、日本刀を胸に抱えながら倒れ、床との正面衝突を避ける為に腰を素早く捻り、仰向けとなって倒れた。

 その様子が滑稽で堪らず、老人は再び正座で座り、肩を震わせて笑う。

 

「くっくっくっ……。何だ? 嬉しくないのか?」

「い、いえ、嬉しいです。も、勿論、嬉しいんですけど……。

 そ、その……。な、何て言うか。い、いきなり過ぎて……。え、ええっと……。」

「本音を言えば、まだ少し早いんだがな」

「で、でしたら、何故?」

 

 すぐさま身を起こして、正座へ戻るナナリー。

 師が正座しているにも関わらず、だらしない格好をいつもでも晒している事は出来なかった。

 しかし、形を幾ら整えても、その心は驚愕と戸惑いに溢れまくっていた。

 なにしろ、師が告げてきたのは、弟子としての到達点『免許皆伝』の称号。

 その上、胸に抱く日本刀は、師が師の師から受け継ぎ、師の師は師の師の師から受け継ぎ、そうやって流派の後継者が代々受け継いできたもの。

 だからこそ、問わずにはいられなかった。

 

「実を言うと、四国に住んでいる孫夫婦から一緒に暮らさないかと前々から誘われていてな。

 儂も来年で80だ。なら、暖かいところへ移り住むのも悪くないと考えてな。申し出を受ける事にしたんだ」

「そう……。ですか」

 

 その結果、返ってきた答えはとても寂しいものだった。

 さすがに四国はバイクでも遠すぎる。行けるとしたら、長期休暇の時くらいしかない。

 当然、今までの様な細かい指導は受けられない。ナナリーは手に持つ日本刀を本当に受け取って良いのかが不安になってきた。

 実際、ここ最近、新しく教えて貰った技の数々は、ようやく頭の中にだけは入ったところ。とても身に付いたとは言い難い。

 

「なに、安心しろ。

 この三ヶ月間、お前に教えていたのは口伝。高弟にしか教えない我が流派の秘中の秘だ。

 そして、先ほど教えたのが、その最後の一手。

 つまり、お前に教えられる事は全て教えたという事になる。

 なら、あとは時間の問題だろう。お前と来たら、黙っていても勝手に鍛錬を始める奴だからな。

 今はぎこちなくても、これまでがそうであった様に鍛錬を繰り返して行えば、いずれはお前の血となり、肉となろう」

「はい」

 

 そんなナナリーの不安を感じ取り、老人は顎を右手でさすりながら苦笑する。

 それでも、ナナリーの不安は消えない。胸の前で捧げ持つ日本刀をジッと見つめて、やはり返した方が良いのではなかろうかと思い悩む。

 

「ただ、儂が心配しているのは……。お前の剣に潜んで隠れている憎しみだ」

「っ!?」

 

 だが、次の瞬間。不安など瞬時に消し去るものが告げられる。

 ナナリーが目を驚愕に見開き、伏せていた顔を弾かれた様に上げると、出迎えたのは老人の殺気が籠もった鋭い眼。

 そう教え叩き込まれたナナリーの身体が即座に反応する。腰を捻りながら右膝を立てて、左腰に構えた日本刀を居合い抜く。

 

「ふっ……。気付かないとでも思ったか?

 剣と剣の向かい合いは、心と心の向かい合いと教えたはずだ。

 どれだけ上手く隠そうが、滲み出てくるもの。それが剣に生きるという事だ」

 

 ところが、刀は1ミリも鞘走らない。

 何故ならば、老人が突き出した左人差し指の指先によって、刀の柄尻が押さえられているからである。

 しかも、老人は先ほど同様に顎をさすったまま、余裕綽々にニヤニヤと笑っていた。

 

「お前が篠崎の紹介で我が流派の門を叩いたのは、6年前。10歳の時であったな」

「……はい」

「強くなりたい。超えたい相手が居る。……あの時、そう言ったな?」

「……はい」

「儂は嬉しかったよ……。

 なんせ、こんなご時世だ。

 剣に憧れる子供など、とっくに居なくなっていると思っていたからな。

 しかも、お前ほどの才能を持つ奴が超えたいという相手だ。

 当然、相手も相当なものだろう。そう考えたら、何十年ぶりにワクワクした。

 お前とそいつ、2人が居れば、日本から剣術が消え去る事は無い。そう確信した。

 ところがだ。お前と何度も向かい合っている内、それは違うと気付かされた。

 そう、お前の剣は己を高め、人を導き、未来へ進む剣ではない。

 お前の剣は己を切り捨て、立ち塞がる者も悉く切り捨て、過去にしか戻れない剣だ」

 

 ナナリーは自分と師の間にそびえ立つ壁の高さを知り、打ち拉がれる。

 日本刀を返すか、どうかの問題以前だった。免許皆伝を与えられて思い上がり、浮かれていた自分を恥じる。

 日本刀を自分の前へ置き、肩を震わせながら正座する両膝に爪を立てて握り締め、師の顔を見れずに項垂れる。

 

「ナナリーよ……。いや、ナナリー・ヴィ・ブリタニアよ」

「……はい」

「殺すか? この世に自身を生み出してくれた父母を、血の繋がった兄を……。」

「っ!?」

 

 だが、顔を上げずにはいられない問いかけが老人より放たれ、ナナリーは驚愕のあまり目をこれ以上なく見開く。

 何かを喋ろうとするが、言葉は口まで上っては喉へ引っ込みを繰り返して、ただただ半開きの口を上下させる。

 ちなみに、老人がナナリーの本名を知っているのは、ナナリーが師へ嘘は付けないと、中等部の頃に明かしたからだが、その生い立ちまでは明かしていなかった。

 

「どうして、それを? と言う顔だな。

 馬鹿にするでない。儂とて、頑張れば、インターネットくらい出来るわい。

 幸いにしてと言うか、お前は有名人らしいな。

 図書館のお姉さんの言う通り、ボタンを押したら、すぐに解ったわい。

 だが、問題はそこではない。

 解っているのか? 親殺しが古来からの禁忌だという事を……。

 しかも、お前の父は世界の覇者だ。そもそも、どうやって、それを成すつもりだ?」

「師匠……。それでも、私は……。」

 

 皺を眉間に深く刻み、真っ直ぐな力強い眼をナナリーへ向ける老人。

 たまらずナナリーは視線を逸らした上に顔も背ける。その眼で覗き込まれていると、己の醜いモノが何もかも晒し出される様な気がしてならなかった。

 そして、その言葉は今までナナリー自身が何百、何千、何万と問いかけ、未だ答えに至らないもの。言葉を詰まらせるしかなかった。

 

「まっ……。好きにしたら良い。お前の人生だしな」

「えっ!? ……ええっ!?」

「何だ? 止めて欲しかったのか?」

「い、いや、だって……。は、話の流れとしては……。あ、あれぇ~~?」

「アホか! 免許皆伝だと言ったではないか!

 なら、儂はお役御免。ここに居るのは、四国のミカン農園で働く事となった只の爺だ」

 

 ところが、ところがである。突如、まるで膨らみきった風船から空気が抜ける様にプッシューと緊張感が一気に霧散。

 ナナリーは顔を上げて、茫然と目が点。いつの間にか、老人は胡座をかいており、先ほどまでの真剣さは何処へやら、耳を穿っていた。

 挙げ句の果て、トラウマをえぐるほどに追い込んでおきながら、投げっぱなしで済まされ、ナナリーは大口をアングリと開けて固まった。

 

「えっ!? 待って下さい。

 ミカン農園って……。剣を止めるのですか?」

「仕方あるまい。そう言うご時世だ」

「師匠ほどの方が……。残念です」

 

 だが、その罵倒の中に隠された意味を知り、慌ててナナリーが尋ねると、老人は深々と溜息をついて、寂しそうに苦笑した。

 戦後、約10年が経ち、剣術と剣道、柔術と柔道、空手などの日本固有の格闘技を教える者は極端に少なくなり、それを習うのは今や困難となっていた。

 ナナリー自身、先ほどの会話の中にもあるが、今の師を紹介されるまでは、藤堂の教えの守った鍛錬をするしかなく、その先へ進めない苦労を経験していた。

 何故、その様な状況になっているかと言うと、それ等の習練がテロリスト活動の下地になると考え、ブリタニアが厳しい弾圧と規制を行っているからに他ならない。

 この道場とて、表向きはとっくに閉鎖しており、道場の玄関に看板はかけられていない。無論、鍛錬を行う時間にも気を使っており、早朝から朝食までの朝稽古のみ。

 それ故、この6年の間、アッシュフォード学園から飯能市は遠い為、ナナリーは土曜の夜に師の家を訪れて泊まり、翌朝の鍛錬を行って帰宅という苦労を毎週重ねていた。

 また、飯能市の隣に元日本軍入間基地があった為、この周辺も戦場となって徹底的に破壊されてしまい、今も開発が遅れて、元日本人達が住むゲットー地区となっており、モノレールが通っていない。

 当然、移動手段として、アッシュフォード家を頼り、送り迎えに車を出して貰っていたのだが、ナナリーはこれが非常に心苦しかった。

 なにせ、毎週の土曜夜と日曜朝である。運転手は代わる代わるの交代ではあるが、担当となった運転手の週末は必ず潰れてしまう。

 その心苦しさを解消する為、ナナリーはバイクの免許を取ろうと決意したのだが、まさか、まさか、免許皆伝をこんなにも早く貰い、来週からは通う必要が無くなるとは思ってもみなかった。

 

「お前の兄弟子達は、どいつも、こいつも10年前の戦争で英霊となった。

 だから、お前が儂の最後の弟子だ。

 出来れば、我が流派を後世へ伝えて欲しいと思っている。

 しかし、お前の性格を考えたら、止めろと幾ら言ったところで無駄だろう。だったら、無駄な事はせん」

 

 耳を穿るのを止めて、腕を組み、訓辞を改めて重ねてゆく老人。

 その雰囲気がやるせないものから真剣なものへと変わった事に気付き、ナナリーは正座を座り直して、背筋を伸ばす。

 

「だが、しかと心得よ!

 我が流派は全てが必殺! 本気を出せば、相手は必ず死ぬ!

 但し、剣を抜くという事は、己もまた斬られるやも知れぬと言う事!

 ならば、誇りも、覚悟も要らぬ! 抜くと決めたら躊躇うな! 死人となり、修羅となり、生き残れ!

 例え、武運拙く、路地裏で倒れようとも、前のめりだ! 笑って、死ね!

 そして、お前は女だ! 当然、その敗北は悲惨なものとなろう! だったら、下着は己が纏う最後の鎧! 陵辱に備えて、常に清潔とせよ!」

「はい! 師匠の最後の教え、しかと承りました!」

 

 そして、その一語、一語を心にしっかりと刻みつけてゆく内、ナナリーは今日が師との別れとようやく実感して、涙を瞳に溜めていた。

 この6年間の感謝を籠めて、両手を突き、額を床に押し付けて、頭を下げる。とうとう涙がポタポタと零れ落ち、道場の床を濡らしてゆく。

 

「良し! 朝飯とするか!」

「はい!」

 

 老人は立ち上がり、丸まったナナリーの背中を優しく叩き、立ち上がる様に促すが、ナナリーは頭を下げたまま、暫くは立ち上がれそうになかった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ふふん、ふっふ~ん♪」

 

 道場からの帰り道。ナナリーはバイクを運転しながら浮かれていた。

 その理由は言うまでもない。師から免許皆伝のお墨付きを貰い、その証として流派で受け継いできた日本刀を得たからである。

 今朝、自分の浮かれを一度は反省したナナリーだっが、やはり嬉しいものは嬉しい。その感情は隠しきれず、ハミングを自然と口ずさんでいた。

 今、日本刀は黒い風呂敷に包まれて、背中にしっかりと紐を括り付けて背負われており、その姿は忍者を連想させるが、肝心のナナリーの姿は白いノースリーブシャツとチェックオレンジのミニスカート。どう見ても、ちぐはぐであり、見る者を惑わせていた。

 もっとも、今のナナリーにとって、傍目など全く眼中に無い。今のナナリーにとって、大事なのは背中に背負われた日本刀の実感。

 それこそ、その実感を少しでも長く味わいたいが為、通常なら飯能から川越へ行き、そこから関越自動車道、東京外環、首都高と乗り換えて、アッシュフォード学園へ最短路で帰るところを今日はちょっと遠回り。

 川越とは反対方向の青梅へ行き、そこから多摩川沿いに下道を旅気分で下り、二子玉から首都高へ乗って、今はアッシュフォード学園を目指していた。

 そして、前方に整備された租界の町並みが見え始め、左手にゲットーの廃墟同然の光景が、右手にブリタニア軍基地施設が列ぶ光景が流れてゆき、池尻を通り過ぎた直後だった。

 

「キャっ!?」

 

 大型車の力強いモーター音が聞こえたかと思ったら、スリップ音が続いて聞こえ、ハイウェイ入口から大型トラックが猛スピードで現れる。

 しかも、スピードを持て余して、ハイウェイへ入ったは良いが、スリップを継続。ナナリーが運転するバイクへ極端な幅寄せをしてきた。

 

「いきなり何なのよっ!? 危ないじゃないっ!?」

 

 慌ててナナリーはアクセルを緩めて、ハンドルを切る。

 難は逃れたが、怒りは収まらない。聞こえないと解っていながらも、思わずヘルメットのバイザーを上げて怒鳴り付ける。

 だが、傍迷惑な大型トラックはナナリーなど目もくれず、スピードを全く緩めず、その姿を引き離してゆく。

 

「な゛っ!? ……有り得なくないっ!?」

 

 ナナリーは我が目を疑い、ノーマナーな大型トラックドライバーにカチンと怒髪天。

 すぐさまエンジンを噴かせて、ギアをトップへ上げてゆき、アクセル全開で大型トラックの後を追って走り出す。

 

「えっ!? ……な、何なの?」

 

 ところが、背後で再び聞こえるスリップ音。同種の大型トラックがまたもや幅寄せ。

 ナナリーは仕方なしにアクセルを緩めると、今度はクラクション音がけたたましく何度も鳴り、バイクを車道の端に寄せて走らせながら、背後を何事かと振り返って驚く。

 同種の大型トラックが更に続いて、4台。それぞれが法定速度を遙かに超えた速度で走っており、ナナリーを次々と追い越してゆく。

 

「あれ? まさか、今のって……。」

 

 その中の後ろから2台目。一瞬の出来事だったが、追い越してゆく際、ナナリーはその助手席に知った顔を見た様な気がした。

 好奇心に導かれるまま、アクセルを回して、目的の大型トラックの横へ併走。もう一度、助手席を確認する。

 

「……て、店長っ!?」

 

 やはり、それは見間違いではなかった。助手席に座っているのは、ナナリーがアルバイトをしているコスプレ喫茶『わんだぁ~らんど』の店長『南』だった。

 どうして、南が暴走トラック集団の一員なのか。それを驚きと混乱する頭で考え、ナナリーはすぐに答えへ至る。

 そう、ナナリーがアルバイト先のお便りコーナーを介して、南へ提供している在エリア11ブリタニア軍の作戦行動予定表の中に答えはあった。

 と言うか、ナナリーは免許皆伝の嬉しさにすっかりと忘れていた。特記事項として、ナナリー自身が丸を赤ペンで描き、南が所属するレジスタンス組織へ今行っているであろう行動を暗に促していたのを。

 

『本日、貨物船が東京湾へ到着。

 午前8時、大井埠頭より12機の人型兵器ナイトメアフレームが荷揚げ。

 午後11時30分、R316からR317を通って、在エリア11ブリタニア軍三宿駐屯基地へ搬入予定』

 

 その特記事項の内容はこれである。

 即ち、これほどの大物を逃す手は無い。基地へ搬入する前に奪ってしまえというもの。

 余談だが、どの様にして、ナナリーは南がレジスタンス活動を行っているのかを知ったかと言うと、それは偶然もあったが、とても下らないきっかけからであった

 コスプレ喫茶『わんだぁ~らんど』では、当然の事ながら仕事をする上で幾つかの決まり事があり、その中の1つに事務所の電話は社員である店長の南か、事務の女性『井上ナオミ』しか取ってはいけないと言うのがある。

 ところが、ナナリーがまだ務めて間もない頃の話。これ等の決まり事をまだ憶えきれておらず、つい事務所の電話を取ってしまった。

 

『よう、俺だ。玉城だ。

 明日の集合、向こうさんの都合で11時から10時に変更だ。今度こそ、ブリキ野郎へ派手にぶちかまそうぜ』

 

 この時、ナナリーは特に疑問を感じなかった。

 その誰が受話器を取ったのかを確認もせず、告げるだけ告げて、電話を一方的に切った様子から、ナナリーは連絡役の人が急遽変更になった何かの予定を仲間内に急いで廻しているのだろうと考えた。

 だが、この連絡を南へ告げて、ルール違反を叱られている時、ナナリーは奇妙な違和感を初めて感じる。

 

『マリアちゃん、ダメじゃないか。

 事務所の電話は絶対に出ちゃ駄目だと、アルバイト教育の時に教えただろ?

 取引先専用のものだから、俺か、井上が居なければ、鳴りっぱなしにしといて良いんだよ。

 でも、まあ……。今回はありがとう。

 電話をかけてきた相手は、俺が入っているサバイバルゲームのチームメイトでね。

 明日はその試合だったんだけど、これで遅れずに済むよ。

 ……と言っても、女の子へサバイバルゲームって言っても解らないかな? サバイバルゲームって言うのはね』

 

 南は焦りを隠そうとしていたが、それが言葉の端々に見え隠れして、その言葉自体もまるで暗記したものを読み上げる様で薄っぺらかった。

 しかも、取引先専用と言いながら、私用電話がかかってきている矛盾は明らかにおかしい。

 その上、南は頼んでもいないのに自身のロッカーからモデルガンを取り出して見せてくれたのだが、これが新品同様。愛銃と言う割りには、南が説くサバイバルゲームでの過酷さを経験していない様に見えた。

 ここに至り、新たな疑問が生まれる。それは伝言主が言っていた『ブリキ野郎』という元日本人が使うブリタニア人へ対する差別用語について。

 この時、ナナリーは南とまだ数日の付き合いしか無かったが、南がブリタニア人を差別している様子は全く見られなかった。

 だからこそ、違和感を逆に感じた。何故、南がブリタニア人へ差別意識を持っている人物と交流を持っているかと言う点において。

 それでも、この時点であったのは、妙に引っかかりを覚える程度の違和感に過ぎなかった。

 

『本日、午前10時30分頃。クロヴィス記念美術館の落成式にて、エリア11総督『クロヴィス・ラ・ブリタニア』殿下を狙ったテロリストの襲撃がありました。

 しかし、我がブリタニア軍はこれを素早く鎮圧。50人を超えるテロリストの捕縛に成功したとの事です。

 尚、テロリスト集団は『不当な手段で取り上げられた日本の文化財を取り戻す為の聖戦』と言う声明を発表しており……。

 これに対して、エリア11総督『クロヴィス・ラ・ブリタニア』殿下は落成式の挨拶の中で『甚だ遺憾だ』と言う言葉を漏らして、テロリスト集団を激しく非難。次の様な言葉を残しています』

 

 しかし、次の日の学園にて、緊急速報が入り、そのニュースを授業中でありながらも傾聴する様にと放送され、上記のソレを聞いた時、ナナリーの違和感は疑惑へと変わった。

 そして、その疑惑も確信へすぐに変わる。事件当日、南と井上が店を急遽休んだのである。

 古参のアルバイト曰く、こんな事は初めてらしい。南と井上の2人だけが正社員である為、お互いの休日をカバーし合い、どちらかが必ず出勤するのが、店開店以来の習慣との事。

 おかげで、店は大混乱。一応、その古参の彼へ南から電話があり、店長代理の要請があったが、彼は厨房担当の上、基本的に無愛想で喋りを苦手としていた。

 ナナリーは『実は生理日でキツいんです』と一計を企み、まんまと事務所の電話番へ収まるのに成功。サバイバルゲームにて、必要だったはずの南の愛銃がロッカーの中に置かれたままなのを確認している。

 最後に決定的となったのは、事件日から翌々日、ようやく店へ出てきた南が怪我を右足に負っていると解った時。恐らく、事件で負傷したのだろう。

 南は怪我を隠して、傍目には解らない様に振る舞っていたが、剣術を嗜んでいるナナリーにとって、重心が崩れており、右足を庇って歩いているのが明白だった。

 数日間、ナナリーは随分と悩み、アリスから心配されながらも結論を出す。

 その手始めとして、まずは欲しているであろう在エリア11ブリタニア軍中央即応部隊の作戦行動予定表を店のお便りコーナーのポストを介して、南へ試しに渡してみた。

 するとブリタニア軍のトウキョウ、サイタマにおけるテロリスト検挙率が週を重ねる毎に低下。南とそのレジスタンス組織がナナリーの情報を活用しているのが解った。

 それは考えていたよりも随分と早い信用ぶりであり、ナナリーは何故なのかを考え、美術館襲撃事件によって、レジスタンス組織が大きなダメージを受けており、自分の情報を活用するしかない状況なのだろうと結論付ける。

 実際、南が店のお便りコーナーのポストを気にする素振りを見せ始め、更なる情報提供を求めているのが解ると、ナナリーはここぞと更なる信用を稼ぐ為に情報を送った。

 南が所属するレジスタンス組織はどれくらいの規模があり、何が出来て、何が出来ないのかを調べる為、情報提供の幅を変えながら。

 それまで中央即応部隊の作戦行動予定表だけだったのを各方面軍や各師団のものを混ぜてみたり、政界、財界の情報、マフィアの情報、海外の情報など多種多様にさせた。

 その結果、解ったのが、南の所属するレジスタンス組織は市民が集まって出来たものであり、あまり武力行使を得意とせず、実行部隊の人数も少ない。

 但し、前身が市民組織だけに様々な職種の者が居り、組織を支える後方活動が優秀。意外なところで意外なコネを持っている。

 活動の場としては、トウキョウとサイタマ、ヨコハマを主としており、エリア11主要都市に繋がりを持っている様だが、あくまで持っているだけ。システムはあるのに、それをどうも活用しきれていない様子があった。

 今、ナナリーはこれ等の絞り込みを行っている最中であり、その為に手頃そうな次の活動はと選んだのが、今正に目の前で起こっている出来事だった。

 

「……って事は、げげっ!?」

 

 ナナリーは導き出した答えから、次に予想される当然の答えに気づき、背後を怖ず怖ずと振り返って絶望に叫ぶ。

 聞こえてくるサイレンの音。暴走トラック集団を追い、現れるブリタニア軍特有のネイビーブルーカラーの車両群。その後ろには人型兵器ナイトメアフレーム『グラスゴー』の姿もあった。

 すぐさまナナリーは正面へ振り向き戻り、ヘルメットのバイザーを下ろして、バイクの車体へ張り付く様に極端な前傾姿勢になると、アクセルを全開まで一気に開いた。

 むしろ、ナナリーと暴走トラック集団の繋がりを知る者はナナリー自身のみ。関係の無さをアピールする為、スピードを逆に緩めるべきなのだが、決定的な問題が1つだけあった。

 それはナナリーが浮かれる原因となり、遠回りした結果、この騒動に巻き込まれる事となった背中に背負う『日本刀』である。

 今から1世紀前、20世紀初頭から中期にかけて、列強各国が帝国主義に狂乱。二度にも渡る世界大戦があった。

 そんな中、日本は国土は狭いながらもサクラダイト産出国として名を馳せて、極東の無視は出来ない重要な国として、第一次世界大戦では連合国側、第二次世界大戦では枢軸軍側で参戦。その屈強さを世界へ知らしめた。

 特にブリタニアとは第一次、第二次と連続して覇を争い、太平洋という広大な海を間に挟み、お互いに一進一退の攻防を繰り広げている。

 その長い戦いを通じて、ブリタニアが日本に最も恐れたモノは、世界一の巨大戦艦を建造した工業力でも、世界初の音速を超える戦闘機を開発した技術力でも無く、膨大なエネルギー源を持つが故の各国への影響力でも無い。

 

『生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ』

 

 この戦陣訓を代表とする日本の歴史が生んだ死へ対する独特の価値観。侍の心、武士道と言ったモノだった。

 

 それ故、サクラダイトの最大算出国である日本を常に欲し続けていたブリタニアは、第二次世界大戦終結後も日本を研究し続けた。

 約10年前の戦争とて、その勝利は全く疑っていなかったが、占領後に必ず起こるであろう強い抵抗活動に頭を開戦前から悩ませていた。

 そうした日本人の心を折る為、ブリタニアが施行した特別法案は幾つもあるが、その中でも特に代表的なモノが3つある。

 1つ目は、日本人の精神的主柱である天皇家と天皇宮家の解体。

 例外を問わず、身分を庶民に落とされ、終戦当時15歳以上の者は全員がブリタニア本国へ移送。各地に分散され、終身幽閉刑となっている。

 2つ目は、約400年前の戦国時代より武門の頂点に君臨する日本軍最大軍閥の長である織田家のブリタニア貴族化。

 終戦当時、軍属だった者は等しく死罪。本家のみが伯爵位を得て、分家は全て庶民に落とされ、今現在はEU戦線にて、新頭首と共に祖国日本と天皇家の為に最前線で従軍中。

 3つ目は、ブリタニアが最も恐れた侍の心、武士道の象徴である日本刀の没収。

 別名『刀狩り』と呼ばれ、国宝指定されていた貴重な品ですら例外とされず、徹底的に没収。その全てが溶鉱炉へ投げ入れられて融かされている。

 しかも、その様子は全国放送され、ブリタニアは日本の敗戦と植民地化を日本人へ印象づける事に大きく成功していた。

 無論、以後の日本刀製作は厳禁とされ、これを破った者は死罪。既に有るはずのない日本刀を隠し持っているのも死罪と問答無用で決まっている。

 恐らく、アッシュフォード家の力を使えば、死は免れるだろうが、確実に正体は明るみとなり、日本刀も没収される。そのどちらも選べないナナリーの選択は前進有るのみだった。

 

「でも……。この先、どうするんだろう?」

 

 ナナリーの乗るバイクがモーター音を一際唸らせて、暴走トラック集団と併走。

 ヘルメットの隙間から入る風が轟々と鳴り、ちょっとでも操作を誤れば、転倒して、大惨事を起こすのは必至なスピードの中、ナナリーはぼんやりと考える。

 自分は二輪車故に小回りが利く。ハイウェイを次の分岐で下り、下道から更に枝道へ入れば、幾らでも逃げ切れる。

 だが、暴走トラック集団が逃げ切るのは難しいと言わざるを得ない。

 と言うのも、進めば進むほど、租界の中心へ向かってゆくだけ。当然、ブリタニア軍が非常線を張り、待ち構えているのは目に見えていた。

 逃げ切るには真逆の方向、ゲットーの方向へ向かわなければならない。

 それを考えると、下道へ下りるしかないのだが、大型トラックの小回りの利かなさから道なりに大きく曲がってゆくしかないのだが、どう足掻いても租界の中心を通らなければならない。

 そもそも、どう考えても、悪手。何故、この道を選んでしまったのか。何らかのイレギュラーがあったのだろうか、と悪態をついていると、環状モノレール線『シブヤ駅』が眼下を通過。

 ナナリーは心苦しさに『ごめんなさい』と小さく呟いて、アクセルを緩め、間もなく現れる分岐点に備えて、ギアを落としたその時だった。

 

「えっ!? ……す、凄いっ!?」

 

 先頭の大型トラックが分岐点から下道へ暴走したまま突入。

 下道との合流地点にて、車体を傾けながらスリップ音を強烈に鳴らして、前輪運転手側のタイヤを軸にコンパスが円を描く様にトラック後部を逆時計回りに振り、見事すぎる角度100度の超高速ドリフトを完成。そのまま横道へと進んで行く。

 その芸術的な超絶テクニックの一部始終を目の当たりにして、ナナリーは目を見開きながら息を飲む。刹那ではあったが、赤毛の女性を運転席に確認。同じ女として、尊敬の念を抱く。

 しかし、その様な超絶テクニックが誰にでも出来るはずもなく、続いた2台目の大型トラックはドリフトに失敗。

 その腹を見せながら転がり、そのまま滑ってゆくと思いきや、荷台の屋根を突き破って現れたナイトメアフレームが滑り止めとなって、T字路内に止まる。

 おかげで、この横転した大型トラックが上手い具合にストッパーとなり、後続車達を助ける大きな役割を果たす事となる。

 3台目の大型トラックもドリフトに失敗するが、横転して腹を見せている大型トラックへ車体をぶつけて、強引にドリフトを完成。ふらつきながらも横道へと進んで行く。

 

「よっ!? はっ!? とうっ!?」

 

 当然、ナナリーも前方を塞がれていては同じ進路を取らざるを得ず、ハンドルを切る。

 後輪がスリップ音を鳴り響かせると共に暴れ始めるステアリング。つい先日、叱られたばかりだと言うのに、惜しげもなくミニスカートから披露している右足で横転しているトラックの腹を蹴り、体勢を3ステップで整えて、アクセルを噴かす。

 

「店長は……。大丈夫みたいね」

 

 ナナリーは背後を振り返り、4台目の大型トラックが無事に曲がれたのを確認。今はまだ事件に巻き込まれた意識は無いまま、前方の大型トラックを追いかける。

 ちなみに、『どうして、俺ばっかりぃ~~!』と言う何処かで聞き覚えのある声が聞こえてくるも気にしない。

 後日、ナナリーは時たま考える。この日、家へいつも通りに帰っていたら、自分の人生はどうなっていただろうか、と。

 そう、ナナリーの運命はすぐ目の前に迫っていた。

 

 

 



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第一章 第03話 契約

 

 

「テロリスト共はこの先に居る。間違いないな?」

「「はっ! 間違い有りません!」」

 

 大井埠頭から始まったカーチェイスは新たな局面を迎えていた。

 暴走トラック集団は井の頭通りを北上。遂にシンジュクゲットーへの逃亡を成功させる。

 ここまで来てしまえば、レジスタンス側の作戦成功と言っても過言はでない。

 レジスタンス側にとって、元新宿から西へ広がる広大な廃墟は自分達の庭。幾らでも隠れる場所は有るし、自分達を助けてくれる者達も大勢いる。

 しかし、その庭先の旧都庁跡を過ぎた直後、最後尾を走っていた大型トラックが運転を瓦礫を踏み、前輪の運転手側タイヤがパンク。ハンドルを右へ、右へと取られてしまい、道路が崩壊して、地上へ露出している旧都営大江戸線地下鉄線路跡へと落下。その行方が解らなくなる。

 一方、暴走トラック集団を追いかけていたブリタニア軍は、これ以上の前進は敵地とも呼べる場所だけに危険と判断して応援を要請。

 元新宿中央公園に臨時の前線基地を設けて、旧都営大江戸線地下鉄線路跡へ消えた大型トラックの奪還と運転手の捕縛を最優先として、部隊を展開させていた。

 

「各出入口の封鎖は?」

「間もなく、旧新宿駅に部隊が到着! 近辺は既に済ませてあります!」

「全ての出入口に3名以上を配置! ご命令通り、突入せずに待機しています!」

 

 大型トラックが消えた先にあるのは、都営大江戸線都庁前駅跡。地下と地上を繋ぐ出入口は8つ。

 その上、そこは嘗ての首都の行政を行っていた場所だけに地下通路は東西南北へ延びて、各地下街と繋がっており、その中でも東へ行けば、別名『魔窟』と呼ばれる旧新宿駅があり、構内は迷宮の如く複雑さを持っており、出入口は数え切れないほど存在する。

 当然、こうなってくると、現場は人の手だけが頼り、歩兵の出番となる。

 

「よろしい。では、お前達は待機だ」

「「イエス、マイ……。えっ!?」」

「どうした? 不服か?」

 

 ブリタニア軍において、ブリタニア人の兵卒は極めて少ない。

 何故ならば、ブリタニア人の兵卒期間は入隊後にある半年間の教習期間のみ。その後は修了と同時に余程の成績不良でない限りは下士官となり、兵卒を率いる立場となる。

 では、兵卒は誰が担っているのかと言えば、名誉ブリタニア人が大半を占めている。

 その上、人が嫌がる様な危険だったり、面倒だったり、汚かったりする任務を従事させられる事が多く、忠誠心を試すと言う名目の元、捨て駒的な無茶を要求される事も多い。

 今現在、行っている任務が正にそれである。もし、ここでテロリストを取り逃がしでもしたら、それが自分達の責任範囲に関わらないとしても、『元日本人同士で結託していたに違いない』と理不尽な暴言を浴びせられ、訓練という名の壮絶なしごきを与えられるのは目に見えていた。

 しかし、ブリタニアの国是は弱肉強食。常に強者を求めているブリタニア軍の給与は優れており、出世をすればするほど、世界が変わって見えるほどに待遇が良くなる。

 

「中尉、御一人で行かれるのですか?」

「危険です。我々も同行した方が……。」

「うるさい! イレブンは黙って従え!」

「「イエス、マイ・ロード!」」

 

 だが、現実は厳しく、そう上手くはいかない。

 どんな世界でもそうだが、実績をきちんと評価してくれる上司に恵まれなければ、上には行けない。

 ところが、名誉ブリタニア人を差別する風潮がブリタニア人にはあり、軍人はこれが特に多い。残念ながら、この時点で出世は難しいと言わざるを得ない。

 事実、名誉ブリタニア人は大抵が下士官止まり。下士官と士官の間に大きな壁があり、上司によどほ恵まれない限り、士官へ到達する者は滅多に存在しない。

 この様な事情を考えると、地下鉄跡へ突入する為、暗視ゴーグルを装備しているこの2人の名誉ブリタニア人兵はかなり優秀と言えた。

 その理由は年齢にある。名誉ブリタニア人は大抵が下士官止まりと上記にあるが、そこへ到達するのとて、長い兵歴を必要とするのだが、この2人は若かった。無視できない実力と実績で出世してきた証である。

 『軍曹』の襟章を付けている者は見た目が20代半ばの青年であり、『伍長』の襟章を付けている者に至っては、まだ少年の面影を明らかに残している10代後半だった。

 

「解ったら、それを早く寄こせ!」

「はっ! どうぞ!

 ……って、手柄の独り占めかよ。ちっ……。

 こっちは夜勤あがりに呼び出されて出張ってるってのによ。……んっ!? どうした?」

 

 青年から暗視ゴーグルを引ったくり奪い、アサルトライフルを構えながら地下鉄出入口を小走りで駆け下りてゆくブリタニア人士官。

 それを敬礼で見送るが、その背中が暗闇の中へ消えた途端、青年は侮蔑を吐き捨てて舌打ち、あからさまにやる気を無くしての大欠伸。両腕を上げての伸びをする。

 

「いや、やっぱり1人は危ないんじゃないかな?」

「お前って奴は全く……。

 放っとけ、放っとけ。善意で行ったとしても、向こうは解っちゃくれねーぞ?」

「でもさ~?」

 

 だが、少年はブリタニア士官が消えた先の暗闇を心配そうに見つめたまま。

 その生真面目さに苦笑して、青年は諭すが、少年は意見を変えようとはせず、逆に目で後を追おうと訴えてくる。

 

「ほら、外しておけって……。ずっと着けたままだと疲れるだろ?」

「わっ!? 駄目だってばっ!?」

 

 青年は苦笑を苦笑を深めながら、196cmの高身長を生かした実力行使に訴え、176cmの少年が着けている暗視ゴーグルを取り上げて、頭上へ高々と掲げた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 

「ほら、しっかりして!」

 

 ナナリーは旧都営大江戸線地下鉄線路跡へ消えた大型トラックの行方を追った。

 何故、危険であると承知していながら、その選択を選んだのか、今となっては解らない。

 ただただ、その時は夢中となっており、大型トラックの行方を追うのは、小回りが効くバイクを運転するナナリーのみが可能ではあった。

 

「いや……。無理だ。何となく解る……。」

「諦めたら駄目! 足を前へ出して!」

 

 落下地点より東へ約500メートル。

一本道の地下鉄線路跡だけに、大型トラックはすぐに見つかった。

 しかし、大型トラックの運転手の運は残念ながらそこまでだったらしい。

 地下鉄構内の壁沿いに車体を擦り付けながら進むが、崩落した天井の大きな瓦礫に前を塞がれて、慌ててハンドルを切るも間に合わず正面衝突。その衝撃の強さを物語る様にフロントガラスは粉砕され、運転席はまだしも、助手席は完全に押し潰されていた。

 そして、ナナリーが現場へ到着した時、その身をエアバックに守られてはいたが、運転手である赤毛の青年はハンドルへ寄りかかって自力で動けずにいた。

 しかも、ナナリーが歪んだ運転席のドアを開けると、赤毛の青年が座っている座席と足下は血の海が広がっている状態。

 慌てて赤毛の青年を引きずり出して、明るい場所へ寝かせてみれば、銃で撃たれた痕が右肩と右太股にあり、その傷口から血が溢れ、上着とズボンを赤々と染めて濡らしていた。

 カーチェイスの際、銃撃戦となっていない事実から考えると、大型トラックの乗車前に受けた傷だろう。

 致命傷となる場所は避けていたが、法定速度を遙かに超える速度でのカーチェイスで激しい緊張を強いられて、血流が増してしまい、結果的に致命傷となっていた。

 即座にナナリーは止血を試みた。肩には日本刀を包んでいた風呂敷を使い、太股には自分が着ていたノースリーブのシャツを使って。

 ところが、止血を施したそばから、そのどちらも真っ赤に染まってゆき、赤毛の青年の様態は悪化してゆくばかり。顔色から血の気が加速的に失われてゆく。

 本来なら、赤毛の青年をこの場から動かすのは以ての外だが、ブリタニア軍が今すぐにでも現れるかも知れない状況を考えたら、そうも言っていられなかった。

 幸いにして、バイクがある。それで東へ進み、旧新宿駅跡へ行けば、幾らでも逃げ切れるとナナリーは考えていた。

 なにしろ、半壊した旧新宿駅跡は都会にありながら魔窟の別名で呼ばれるほどの迷宮であり、冒険者達の名所。

 ここを踏破しようとする血気盛んな勇者は後を絶たず、遭難したと言う報道が半年に1回は必ず流れ、アッシュフォード学園でも『旧新宿駅探検部』という人気サークルがあるほど。

 だが、それなりに鍛えていても、やはり女の細腕。自力で立てない脱力しきっている成人の男性を持ち上げるのは厳しかった。

 ナナリーは赤毛の青年の左腕を首へ回しながら左肩を持ち、歩こうとするのだが、まるで前へ進めず、時間を無駄に浪費していた。

 

「それより、どうして? 何の関係もない君が?」

 

 赤毛の青年は戸惑っていた。

 最初は自分の仲間が助けに来たのかと思えば、明らかにブリタニア人の少女。

 日頃、租界内で行っている表の顔『移動ホットドック屋』の常連さんかと思いきや、記憶にさっぱり無い初対面。

 その上、自分の出血を止める為の止血として、少女がシャツを躊躇わず脱ぎ、下着姿となった時に至っては、身体中に走る激痛を暫し忘れるほどに唖然とした。

 見ず知らずの男へ肌を見せるのが、どれほど難しい事か。それを少女と同年代の妹を持つ赤毛の青年は知っていた。

 つい先日、風呂から上がったところ、脱衣所で下着姿の妹と遭遇。激しく罵声を浴びせられて、爪で引っかかれ、殴る蹴るの暴行まで受けた上、3日間の無視まで喰らう出来事があったばかり。

 どう考えても、非は妹側に有るとしか思えないのだが、仲間達はお前が悪いの一点張り。女性陣など、冷たい視線を浴びて、妹を逆に慰める有り様だった。

 だからこそ、問わずにはいられなかった。これほどの献身をしてくれるのは何故なのかと。

 

「関係なくなんか! ……ない」

 

 その問いに思わず激昂しかけるが、ナナリーは言葉尻を落として、視線も落とす。

 そう、赤毛の青年は知るはずもないが、ナナリーは今の事態を引き起こした根元である。関係は大いにあった。

 ナナリーは父や母、兄への憎しみが乗じて、ブリタニアそのものを憎む様になり、ブリタニアを破壊したいという復讐心を持っていたが、剣の師に問われるまでもなく、それを本気で成せるとは考えていなかった。

 その諦めは歳を取ると共に世の中という現実を知ってゆき、中等部へ進学する頃には既に持っていた。

 せいぜい出来た事と言えば、自分に父母は居ないと言う反発心。絶対に会ってやるもんかと言う子供じみた決意であり、アッシュフォードが本国へ帰ろうと何度も勧めるのを断る事だけだった。

 いつしか、そうした諦めと無力感は自分自身へ対する苛立ちへと変わってゆく。

 そんな鬱屈とした日々を重ねている中、ナナリーは偶然にも南の存在を見つけて歓喜した。

 それこそ、その日は家へ帰っても興奮しきって眠れず、深夜の街へ飛び出して駆け回り、笑い声を自然とあげてしまうほどに歓喜した。

 ところが、一夜明けて、冷静となり、ナナリーはそれまで以上の虚無感を味わう事となる。

 相手は世界の1/3を支配する巨大国家。本来なら、入手不可能なブリタニアの情報を知れば知るほど、それを破壊するなど夢のまた夢。このエリア11を1つ取っても、不可能だと考えざるを得なかった。

 しかし、どうしても諦めきれないナナリーの心は黒い感情を生み育ててゆく

 

『そうだ。こんな私でも嫌がらせくらいは出来る』

 

 レジスタンスの活動がどの様なモノかは知っていた。

 その活動が行われる度、ブリタニア側にも、レジスタンス側にも、時には何の関係もない民間側にも様々な被害が出るのを知っていたが、それはデーター上の数字だけでしかなかった。

 週末毎、南へ提供する情報によって、レジスタンス組織が動き、その結果がブリタニア軍のデーターの中で反映されて動く数字を端末の前で一喜一憂。ナナリーはほの暗い喜びに浸り、ゲーム感覚でいた。

 だが、偶然ではあるが、レジスタンス活動に巻き込まれてしまい、今正に人が死にゆこうとする様を直視させられ、今更ながら自分が行っていたモノの責任の重大さを実感していた。それが今のナナリーを突き動かしていた。

 

「……そうか。

 ブリタニアの中にも、俺達の日本を好きでいてくれる奴が居てくれるんだな」

 

 赤毛の青年は急に意気消沈したナナリーを怪訝に思うが、ふとナナリーの左腰に日本刀が差してあるのを気付いて、笑顔を嬉しそうに零す。

 なにせ、ブリタニアの『刀狩り』は元日本人なら誰もが憎み知る悪法。所持しているだけで死罪となる日本刀を持ち歩いているのだから、日本を愛していないはずがないと考えた。

 しかし、ナナリーは何も応えない。返す言葉を持っていなかった。

 ナナリーが日本刀を持っているのは偶然の産物であり、それを得た理由も自分が強くなりたいという利己的なものだった為である。

 無論、日本は自分が育った地。愛着はあったが、赤毛の青年が考えている様な日本へ対する愛国心は持っていなかった。

 

「ははっ……。

 おかげで、安心したよ。俺達がやってきた事は無駄じゃなかったんだって……。うぐっ!?」

「ほら、喋らないで! 今は歩く事だけを考えて!」

「いや、聞いてくれ……。ナイトメアを操縦した経験はあるか?」

 

 だが、赤毛の青年にとって、十分過ぎる理由だった。

 己を献身的に助けようとしてくれ、武士の魂と言われる日本刀を持つ少女は、ブリタニアから奪ってきたとっておきの宝を託す相手として。

 

「ええ、ある! あるわ!」

「それなら、話は早い。俺が運転していたトラックにナイトメアが入っている。

 それなら、君は逃げ切れるはずだ。……そして、出来たらで良い。それを俺の仲間達へ届けてくれないか?」

 

 その言葉に息を飲み、目をハッと見開かせるナナリー。

 どうして、それを知っていながら忘れていたのか。ナイトメアなら、その手に赤毛の青年を持って、この場をバイクより簡単に脱出が出来る。

 そう考えて、焦っていたとは言え、自分の間抜けさを後悔しながら、赤毛の青年を肩から下ろして、瓦礫を背もたれに座らせる。

 

「解ったわ! だから、ここに居て! すぐに戻るから! 良いわね!」

「ああ……。ちゃんとここに居るよ」

 

 少しでも場を離れるのが不安なのか、ナナリーは赤毛の青年へ何度もビシッ、ビシッと人差し指を突き付けての確認。

 その様子がまるで子供へ言い聞かせて躾る様でおかしく、たまらず赤毛の青年は苦笑しながらウンウンと頷く。

 そして、止めどなく広がってゆく血溜まりの中、暗闇の中へ駆け消えてゆくナナリーの背中を見送り、着ているシャツの胸ポケットを動く左手で探る。

 ところが、今朝はあったはずの物が無くなっているのを知り、残念そうに溜息をつこうとするが、喉の奥から逆流してきた鮮血が邪魔をする。

 

「……悪くない。悪くないな。

 最後はきっと絞首刑か、野垂れ死にか、そう思っていたのに……。

 あんな可愛い娘に看取って逝けるなんて……。悪くない。

 贅沢を言えば、煙草を最後に吸いたかったけど……。扇……。カレン……。あとは頼む……。」

 

 更に二度、三度と咽せ込み、赤毛の青年は視界が急速にぼやけてくるのを感じ、光を探して見上げると、崩壊した天井の隙間から射し込む光の中で埃が新雪のパウダースノーの様にキラキラと光り舞っていた。

 

 

 

「う、嘘っ!?」

 

 気ばかりが先行して、焦りに手間取る手を叱咤しながら、ようやく開けたトラック荷台の扉。

 だが、そこにあったのは絶望だった。お目当てのナイトメアフレームの姿は何処にも見当たらず、有ったのは詰まれていた木箱が崩れ、その中身だった銃器や銃弾が散乱している様子。

 これはこれでレジスタンス組織の力を強める有り難い物資ではあるが、その貴重さはやはりナイトメアフレームとは比べものにならない。

 

「えっ!? ……な、何っ!?」

 

 命からがら、奪取してきたはずの物が期待と違った。

 その残酷な事実を赤毛の青年へ告げられるはずもなく、ナナリーが茫然と佇んでいると、荷台の中から甘そうな香りが漂い溢れ、鼻孔を擽った。

 目の前の散乱している品々が軍の運搬品だけに毒ガスの可能性が有ると考え、ナナリーは口と鼻を右手で咄嗟に覆い、すぐさま後ろへ飛び退いた。

 

「う゛っ!?」

 

 しかし、その効果は間もなく現れる。

 鼓動が強くドクンと打ち響き、反転を何度も繰り返して、グニャリと歪む視界。

 たまらずナナリーは日本刀を杖代わりに突き、その場へ片膝を折る。

 

「うううううっ……。」

 

 ところが、視界の歪みは治まるどころか、酷くなるばかり。

 鼓動の早さも加速的に勢いを増してゆき、こめかみがズキズキと痛むくらいに脈打ち、ナナリーが日本刀を手放して、頭を両手で抱えた時、それは起こった。

 

「ぃ゛っ!?」

 

 身体が仰け反るほどの強い痺れが脳天から背筋へ突き抜け、歪んでいた視界が真っ白に染まる。

 そして、始まる記憶のフラッシュバック。ナナリーが幸せを感じた過去の光景が蘇り、次々と切り替わって、過去へ過去へ戻ってゆく。

 脳はエンドルフィンを大量に放出。A10神経を刺激して、ナナリーを激しい性的快感と多幸感で包む。

 

「はひっ……。はひっ、はひっ……。」

 

 女の子座りをして、両手をダラリと脱力しきり、腰を時たまビクビクッと痙攣させるナナリー。

 焦点の合っていない瞳で虚空をぼんやりと眺めながら、だらしなく開ききった口から舌を出して、涎を垂れ放題。

 とても見れたものではない光景が暫く続いたが、その様子が不意に一変する。

 

「……ち、違うっ!?

 わ、私は……。わ、私は……。わ、私は……。わ、私はぁぁ~~~っ!?」

 

 過去へ遡っていた光景が幼児期へと至った途端、ナナリーは自分が感じている幸福感を拒絶した。

 髪を振り乱しながら頭を猛烈に振って、シャルルやマリアンヌ、ルルーシュの姿を振り払おうとするが、そこに幸せを感じる深層心理は嘘をつかない。

 振り払っても、振り払っても、シャルルやマリアンヌ、ルルーシュの姿は追いかけて現れ、それをまた振り払うを繰り返す。

 その感情を無理矢理に押し付ける行為が苦しみとなり、ナナリーは激しい頭痛に襲われて、頭を両手で抱えながら蹲る。

 

「ふぅ~~……。やれやれ、やっとか。

 しかし、軍が麻薬を運ぶとはな。相変わらず、あいつにはろくな部下が居ない」

 

 そんな時だった。トラックの荷台の奥にて、木箱が1つが跳ね除けられ、その下から人影が現れたのは。

 その人物は衣服の埃を叩き払い、ナナリーを謎の症状へ変えたガスの充満する荷台の中を悠々と歩いて、トラックの荷台から下りる。

 世界広しと言えども、この様な芸当を出来る者はたった2人しかいない。その内の1人はアリエス宮で今も眠り続けている為、答えは必然的に『C.C』となる。

 

「まっ……。懐かしい顔ぶれと久々に出会えたから許してやるか。

 んっ!? ……なるほどな。

 日本へ着いた途端、やたら揺れると思ったら、お前のせいか。

 ふっ……。あいつなら、こう言うだろうな。全ては因果の流れの中に、と……。」

 

 トラックの荷台から出たにも関わらず、薄暗い周囲。

 C.Cは夜なのかとまずは上を見上げて、天井があると知り、次は辺りをキョロキョロと見渡す。

 そして、ナナリーの姿を見つけて驚き、目をパチパチと瞬きさせた後、何やら一人納得してウンウンと頷くと、蹲って苦しんでいるナナリーの前髪を左手で掴み、顔を強引に上げさせて、その額へ右人差し指を押し付けた。

 

「ひぎっ!?」

 

 その途端、ナナリーの願い通り、幸せな幼少期の光景が掻き消える。

 但し、その代償として、先ほど感じた痺れとは比べものにならない強い電流の様な痛みが脳天から背筋へ突き抜けて、全身へと広がり、ナナリーが背を限界まで弓なりに反らして、身体を痙攣にビクビクッと震わす。

 そして、再び始まる記憶のフラッシュバック。今度はナナリーが心の奥底にしっかりと刻みつけている記憶を選んで蘇り始める。

 

「ほう……。悪くないぞ。なかなかの憎しみじゃないか。

 正直、お前を侮っていたよ。

 だが、お前にそれを成せるかな?

 所詮、只の小娘にしか過ぎず、アッシュフォードに守られていなければ、生きてさえいられないお前に……。」

「っ!?」

 

 たちまち表情が憎悪へ変わったナナリーの様を眺めて、C.Cは愉悦に口の端をニヤリと歪め、もう一押しと言わんばかりにナナリーを責める。

 効果は覿面だった。ナナリーにとって、その『生かされている』と言うニュアンスの言葉はトラウマを抉るキーワードだった。

 ナナリーの目に映るC.Cの姿があの日のシャルルの姿へと重なってゆく。

 そう、まだ幼かったナナリーを満座の中で貶して怒鳴り付け、今はエリア11と名を変えた元日本へ捨てると告げた時の神聖ブリタニア帝国皇帝シャルルの姿に。

 だが、今のナナリーはあの時のただただ怯えるだけだったナナリーとは違う。奥歯をギリリと噛み締めながらシャルルを睨み付け、その首を絞めようと、未だ痺れて震える両腕を懸命に伸ばす。

 

「そうか、あくまで戦うと言うのだな?

 なら、力が欲しいか? 世界を変えるほどの力が……。」

 

 その鬼気迫る様子を満足そうに頷き、C.Cは表情を素へと戻して、開いた右掌をナナリーへ翳す。

 一呼吸の間を空けて、C.Cの額に浮かび上がり、淡く輝き始める赤い紋章。

 

「これは契約だ。力をお前へ与える代わりに私の願いを1つだけ叶えて貰う。

 そして、お前は人の世で生きながら、人とは違う理で生きる様になる。

 異なる摂理、異なる時間、異なる命……。王の力はお前を孤独にする。お前にその覚悟があるなら……。」

 

 突然だった。直前まであった苦しみも、憎しみも、痛みも、全てが消え去り、ナナリーは一糸纏わぬ姿でそこに居た。

 立っている感覚はあるが、足下に大地はなく、上も、下も、前も、後ろも、右も、左も、見渡す限りが暗闇で何もない空間。

 だが、何かの意思、流れ、方向といったものを確かに感じ、男なのか、女なのか、近いのか、遠いのか、自分自身の中心へダイレクトに語りかけてくる声が心の渇望を甘露で埋めてゆく。

 

「ええ、結ぶわ! その契約を!」

 

 しかし、甘露はあと一滴で全てが満たされると言うところで唐突に途切れ、ナナリーが堪らないもどかしさに叫んだ次の瞬間だった。

 突如、色彩が視界に戻り、ナナリーは我を取り戻して、元の地下鉄構内に居るのを自覚。同時に耳が痛くなるほどの轟音が狭い地下鉄構内に反響して鳴り響く。

 

「……えっ!?」

 

 ナナリーは何が起こったのか、頭の処理が追いつかない。

 いつの間にか、目の前に見知らぬ女性が立っており、それを知ると共に女性は額に穴を空けて倒れてしまい、ただただ茫然とするしかなかった。 

 

 

 



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第一章 第04話 擦れ違いの再会

 

「中将、落ち着いて下さい。大丈夫ですよ」

「解ってはいるのだが……。」

 

 陸戦艇『G3ベース』、それを初めて目の当たりにした者は家が動いているのかと驚くに違いない。

 なにしろ、全長がバス2台分なら、横も2台分、縦も2台分、バスを隙間無く積み列べて、8台分の大きさ。

 威圧感は大きさだけに止まらない。単装式主砲が前方に1門、連装式副砲が前後に各1門、対空機銃が左右に各4門を装備して、その砲門が列んだ姿はまるで陸上戦艦。巨大戦車と呼ばれず、陸上艇と言われる所以である。

 しかし、G3ベースの本領は火力ではない。高性能な偵察力を持つヘリコプターを内部に搭載する前線基地としての移動指揮車両にある。

 余談だが、G3ベースのGはグレードを意味しており、この上にG1ベースとG2ベースという更に巨大な陸上艇が存在する。

 G1ベースともなると、ナイトメアフレームを複数機搭載する陸上空母と呼べる存在になり、その巨大さはもう基地格納庫が動いているのかと見紛うほど。

 但し、その建造コストは膨大なものとなる為、現存するのはたったの5機。その内の1機は皇帝専用であり、残る4機も皇族が所有しており、事実上の皇族専用機と言えるもの。

 また、この指揮所と戦車を兼ね備えるGベースシリーズは複数操縦による運用を必要として、操縦ブロックは正しく戦艦のブリッジを模しており、それ故に運用責任者は車長と呼ばれずに艦長と呼ばれる。

 

「間もなく、イチガヤから部隊も届きます。テロリストなど恐れるに足りませんよ」

 

 耳を澄まさずとも聞こえてくる何かを叩く小さな連続音。

 その正体は、操縦ブロック中央、艦長席隣のゲスト席に座る初老の老人が肘置きをそわそわと人差し指で叩く音。

 正直、耳障りではあったが、操縦士を始めとする操縦ブロックの面々はそれを微笑ましく感じ取り、苦笑を懸命に噛み殺していた。

 何故かと言えば、初老の老人の襟章が『中将』というのも大いにあるが、それ以上に中将の経歴そのものに理由があった。

 テロリストが物資を狙って奪った搬入先『三宿駐屯基地』は、それなりの戦力を有してはいるが、在エリア11ブリタニア軍における物資貯蔵基地としての意味合いが強く、中将は後方勤務のキャリアを積み上げて、その基地司令にまで至った人物だった。

 ところが、今回の事態に対して、ここ最近のテロリスト検挙率低下に苛立っていた三宿駐屯基地の上位存在『市ヶ谷即応軍司令部』はテロリストの殲滅を決意。

 三宿駐屯基地だけが行っていたテロリスト追跡劇は、関東一帯の軍事基地を巻き込んだ大規模な軍事作戦行動へと変わり、各基地の部隊がシンジュクゲットーへ続々と集い始めていた。

 これに伴い、中将は市ヶ谷即応軍が前線へ出てくるまでの現場責任者として臨時司令官へ任命されたのだが、中将の経歴は前記の通り。実は戦場へ出るのが初めてなら、前線指揮をするのも今日が初めて。

 つまり、誰もが新兵時代に味わい経験する作戦開始前の苛立ちにも似た焦り。操縦ブロックの面々は嘗ての自分自身の姿を今の中将の姿に重ねて、初々しさを感じていた。

 艦長もまた同じだった。違うのは『中佐』の階級故に苦笑が許され、慰めもまた許されていたと言う事。

 

「イチガヤから……。誰の部隊か?」

「キューエル少佐のものです」

 

 しかし、それは完全な思い違い。中将の焦りの原因はもっと別のモノにあった。

 その別のモノとは、ナイトメアフレームの運搬を隠れ蓑とした麻薬『リフレイン』の存在発覚。

 言うまでもなく、作戦に投入される人員が多くなれば多くなるほど、その発覚確率は増してゆくばかり。

 つまり、このシンジュクゲットーへ各基地から部隊が集まっている今、中将にとって、1分、1秒の時間経過は破滅へのカウントダウン。

 もし、この事実が露見したら、軍籍は剥奪されて、退役後に支給されるはずの年金は没収。軍事裁判を受けるまでもなく、終身刑となるのは想像に難くない。

 むしろ、その程度で収まったら御の字。末端価格にて、十数億となる損害の責任を取らされて、自分自身の命は勿論の事、累が家族にまで及ぶ可能性が大いにあった。

 マフィアだけならまだしも、軍と警察、政界、財界、とある高位皇族までもが絡み、国境すら越えて、闇に潜む麻薬組織は巨大だった。地の果てへ逃げようが、制裁の手は何処にでも在り、決して逃げられはしない。

 だからこそ、最も信頼のおける部下へ今回の事態を上手い具合に処理しろと命じたのだが、その後の連絡が未だ入らず、中将の焦燥は増すばかり。

 

「キューエル……。ああ、彼か」

「はい、彼なら間違いは無いかと」

 

 だが、艦長との何気ない会話から思わぬ名案が中将の頭に閃く。

 最近、新型ナイトメアフレームの受け渡しにて、キューエルと会った時、その隣に居た新しい副官。内密な相談があるとバーへ誘われて行ってみれば、やたら露出が強い姿で現れ、ハニートラップ紛いを仕掛けてきた銀髪の女。その女がやたらと上昇志向が強かったのを思い出す。

 そして、その女なら出世と引き換えに都合良く動いてくれるのではと企み、中将は席を立つ。

 

「どうやら、その様だな。

 では、私は彼が来るまで後ろで控えていよう。やはり、私には戦場の空気が堪えるよ」

「了解です。何か有りましたら、お呼び致します」

「うむ、頼んだ」

 

 目指すはG3ベース後部にある通信室。中将は焦りを気取られぬ様に歩きながらも、操作ブロックを早足に出て行った。

 

 

 

 ******

 

 

 

「……えっ!?」

 

 気が付けば、目の前にいきなり立っていた見知らぬ女性。

 しかも、銃声が鳴り響いたと思ったら、その女性は倒れてしまい、頭から血の華を咲かせる。

 ナナリーは事態についてゆけず、ただただ茫然とするしかなかった。

 

「手を上げて、立ち上がれ!

 そして、こちらへ顔を見せろ! ゆっくりとだ!」

 

 そんなナナリーの背後から告げられる絶対的な命令。

 ナナリーは従うしかなかった。銃を持っているのは明らかであり、遂にブリタニア軍の追っ手が来てしまったのだと知る。

 しかし、それと共に怪訝も感じていた。ナナリーの感覚が捉えている背後の気配は1人のみ。追っ手と考えるには人数が少なすぎた。

 なにせ、この地下鉄跡は暗く、ゲットーの傍でブリタニア軍から見たら敵地と呼べる場所。不測の事態に備えて、複数での捜索は常識であり、何人もが一斉に、それも万全を期すなら、前後から現れるのが当然である。

 ところが、命令通り、ナナリーは両手を上げながら振り返ってみるが、やはり暗闇の先にある気配は1人だけだった。

 

「んっ!? 何だって、そんな格好……。」

 

 一方、C.Cを撃ち殺したブリタニアの士官もまた怪訝に感じていた。

 先ほどは多数を恐れて、発見と共に即射殺したが、振り返った女の容姿は明らかにブリタニア人。

 その上、下着姿であり、背の高さは割とあるが、その胸の成長具合と幼さを残す容姿から、ジュニアハイスクールへ今年入ったばかりの年齢に見えなくもなかった。

 とてもテロリストとは考えづらく、ブリタニア人士官は思わず狙いを定めていたアサルトライフルの構えを解いて立ち止まる。

 

「くっ……。」

 

 圧倒的に不利な状況を知り、ナナリーは歯がみする。

 何故ならば、どう考えても、ブリタニア人士官の言葉はこちらの様子が明確に見えているという証拠。

 後方へ約20メートル。天井の崩落によって、赤毛の青年が居る場所は光が射し込んでいるが、ここまではさすがに届いていない。

 目が暗闇に慣れたナナリーでさえ、見えるのは目の前のせいぜい数メートル。剣術の鍛錬で感覚を鍛えていなければ、ブリタニア人士官が何処に立っているのかも解らない。

 ましてや、ナナリーが本日着用しているブラジャーの色は黒。見えるはずが無かった。

 その上、ブリタニア人士官が立ち止まってしまったと言う悪条件がここに加わる。

 そう、ナナリーはまだ諦めていなかった。銃は確かに脅威だが、感じる気配から相手が取るに足らない者だと察知していた。

 但し、日本刀を手放している今、もっと近づいて貰う必要があった。

 ナナリーが捉えている感覚によると、ブリタニア人士官との距離は約15メートル。狭くて遮蔽物の無い地下鉄構内では分が悪すぎた。

 

「まあ、良い。恨むなら、自分の不運を……。」

 

 だが、チャンスを待っている時間は無かった。時は誰にでも平等に進み、この時のナナリーとっては残酷だった。

 ブリタニア人士官は感じた疑問をあっさりと放棄。アサルトライフルの銃口を再びナナリーへ向けて、その引き金に指を伸ばす。

 地下鉄構内は通信が取れず、外の状況は解らないが、既に結構な時間が経過しており、この任務を与えた上司が焦っているだろう事は容易く想像が出来た。

 なら、テロリストであろうと、そうでなかろうと、射殺するのが手っ取り早い。例え、民間人だったとしても、その方便は上司が上手く作ってくれ、軍事裁判なんて事態にはならないだろうと結論付けた。

 絶体絶命、万事休す、風前の灯火。ナナリーが向けられた殺気に身体を強張らせて、思わず口の中で『スザクさん』と小さく呟いた次の瞬間。

 

「っ!?」

 

 ナナリーの左目の中、赤い紋章が羽ばたく。

 願いは只一つ、想い人たるスザクと再び出逢う為、私は死ねない。こんな所で死ぬ訳にいかない。どうやったら、この場を切り抜けられるのか。

 その願いに応え、細い一本の蜘蛛の糸を求めて、何十、何百、何千、何万、何億という試行錯誤が脳内で超高速同時並列に展開されてゆく。

 例えるなら、Aが駄目ならB、Bが駄目ならC、Cが成功したらCAへ進み、CAが駄目ならCB、CBが駄目ならCC。この様に巨大なツリーを作り上げて、その枝を更に伸ばしてゆく。

 しかし、辿り着く先は己の死ばかり。頭を、胸を、肩を、腕を、腹を、足を撃たれ、何度も、何度も繰り返しては見せ付けられる無惨な死。

 つい半日前、剣術の師匠によって、心へ刻みつけられた教訓が蘇り、より死ねないという思いが強くなってゆく。

 その手段を持っているのを知りながら、敢えて閉ざしていた選択肢の枷を強い決意と共に引き千切り、可能性の幅を大きく広げて、思考を加速させる。

 やがて、求めていた蜘蛛の糸を発見するが、より頑丈な蜘蛛の糸を求めて、更なる試行錯誤か繰り返され、精度はより高まり、限りない完璧を目指してゆく。

 

「……恨むんだな!」

 

 そして、とある方策へ遂に至り、その内容にナナリーは驚く。

 しかし、それ以上に驚いたのは時間の経過だった。

 ナナリーの体感では結構な時間が経過していた。具体的な表現は難しいが、少なくとも、とっくに撃ち殺されていてもおかしくないだけの時間は経過していた。

 ところが、未だ無傷。ブリタニア人士官の言葉も言い切られておらず、この事実から今先ほどの不思議な現象が一瞬の出来事だったと知る。

 そんな驚きの中、ナナリーは自分自身が出した結論を信じて、心の中で『スザクさん、ごめんなさい』と呟きながらも躊躇わず実行する。

 

「ま、待ってくれ! わ、私は怪しい者じゃない!

 こ、ここにたまたま居ただけで……。ほ、ほら、その証拠に何も持ってないだろ!」

 

 ナナリーはウエストのファスナーを素早く下ろして、履いているチェックオレンジのミニスカートを床へ自由落下。完全な下着姿となり、両手を再び上げて、身の潔白を主張した。

 何かしらの抵抗をすると考えてはいたが、これはさすがに予想外。ブリタニア人士官はアサルトライフルの引き金を引きかけていた人差し指を止めて、唖然と目をパチパチと瞬きさせる。

 ちなみに、いきなり少し男っぽい乱暴な言葉遣いとなっているナナリーだが、これは今先ほど至った結論に従っているだけであり、それを使用する理由はナナリー自身も解らない。

 

「いや、駄目だな」

「そ、そんな!」

「下着も脱ぐんだ。女の隠し場所はそこにも有るだろ?」

 

 だが、ブリタニア人士官にとって、十分な理由があった。

 戦後から約10年が経った今もサクラバブルに沸くエリア11だが、巨万の富を築く者も居れば、その逆に無一文となって破産する者も当然の事ながら居る。

 その様な者達は弱肉強食を国是とするブリタニアからは排除され、租界で暮らしてゆけなくなり、ゲットーへ逃げ込もうにも元日本人から迫害を受けて追い出され、租界とゲットーの境目。正しく、この場所の様な所へ自然と辿り着き、スラム街を次第に形成してゆくのである。

 元日本時代のトウキョウは世界有数の地下鉄都市。その素材としては申し分が無く、今やトウキョウ租界の下は政府が把握しきれていないほどのスラム街が点在。違法、非合法が蔓延する文字通りのアンダーグラウンドとなっていた。

 そして、その中で生まれた資金は回り回り、マフィアやテロリストの資金源となっているのが、ここ最近の社会問題となり始めている。

 実際、警察と軍が協力しての浄化作戦が毎月の様に行われているが、1つのスラム街を潰しても、新たなスラム街が生まれるだけで後を絶たず、ブリタニア人士官も先月にシブヤ周辺の活動に駆り出されていた。

 つまり、ブリタニア人士官はナナリーをそうした者達の1人と勘違いした。もっと言えば、品の無い言葉遣いと下着姿で居た貞操観の無さから違法の売春婦。スカートを脱いだのは、一時の快楽と引き換えに摘発を見逃せという裏取引を持ち掛けてきたと判断したのである。

 また、幸いにして、探していた大型トラックはこの先に有るのが見えており、それをあとは爆発させるだけの簡単なお仕事。

 時間が無いのは承知していたが、ちょっとくらいの役得があっても良いのではないかと考え、ブリタニア人士官は任務を忘れて、下卑た笑みを浮かべる。

 

「そ、そうは言ってもさ! て、手をあげろと言ったのはあんただろ!

 だ、だから、あんたが脱がしてくれよ! お、男はそっちの方が好きだろ!」

 

 ナナリーは勝利を確信。ほくそ笑みたいのを懸命に抑えて、怯える演技をする。

 この時、ナナリーの勝因を更に付け加えるなら、2点が挙げられる。

 1つは、C.Cが居た事。ここは雨露を幾ら凌げるとは言え、人気が無い上に暗すぎて、女が単独で居るには怪しすぎた。

 1つは、ブリタニア人士官が男性だった事。もし、女性だったら、場末の売春婦が身に着ける下着としては高級すぎると一目で解っただろう。

 

「何、言ってんだ? 好きモノなのはそっちだろ?

 大体、俺はお前みたいな子供っぽい奴よりボインちゃんの方が好みなんだよ」

「そう、つれない事を言わないでさ。

 ……って、あら? どんなゴツい軍人さんかと思ったけど、良い男じゃない?」

「そ、そうか?」

 

 最早、完全に警戒心を解き、アサルトライフルの銃口を下ろして、ナナリーへ歩み寄ってくるブリタニア人士官。

 その言い草にカチンと憤るが、ナナリーは我慢、我慢。縮まるブリタニア人士官との距離を8メートル、7メートル、6メートルと心の中でカウント。その姿が暗闇に輪郭を作って浮かび上がり、視認が可能となった次の瞬間。

 

「じゃあ……。さようなら!」

「ぐはっ!?」

 

 銃声に勝るとも劣るとも言えない轟音が炸裂。

 ナナリーが足で床を強く踏み付けての一足飛び。ブリタニア人士官との距離を一瞬にして詰め、その胸に突き出した双掌を放った。

 

 

 

「……何を話して居るんだろう?」

 

 時を少し戻して、ブリタニア人士官から約30メートルの後方。

 どうしても、ブリタニア人士官が心配で心配で堪らず、同僚の反対を押し切って、その後を追ってきた伍長。

 但し、何事も無かった場合、あとあと理不尽な暴言を受ける可能性がある為、同僚の忠告に従い、身を低くして、気配を完全に殺しながらである。

 最初の銃声から間が随分と開き、ブリタニア人士官とテロリストが何らかのやり取りを行っているのは解ったが、その内容が聞き取れず、もう少しだけ距離を詰めようかと腰を上げたその時だった。

 

「これは……。踏鳴っ!?」

 

 銃声とは違う轟音が地下鉄構内に反響して鳴り響き、伍長は気配を隠すのを止めた。

 子供の頃から剣術を嗜み、今も鍛錬を欠かさない伍長には解った。その音が武芸の鍛錬を何年、何十年と重ねた者だけが鳴らすのを許される踏み込みの音であり、必殺の一撃を放つ前触れの音だと。

 

「中尉ぃぃ~~~っ!?」

 

 まるで大砲から撃ち放たれたかの様に吹き飛び、伍長とテロリストの間に転がるブリタニア人士官。

 すぐさま伍長はアサルトライフルをフルオートモードに切り替えて、弾丸をばらまきながらブリタニア人士官の元へ駆ける。

 だが、所詮は威嚇射撃。狙いが定まっていない銃撃をテロリストは後方倒立回転を2連続で素早く行い、退きながら悠々と回避。2連続目を着地の際は屈伸を行わず、伸身のまま床に俯せて、狙撃面積を減らす為の工夫まで凝らす。

 

「な゛っ!?」

 

 伍長は駆けながら舌を巻いた。

 一見すると、テロリストは俯せに倒れ伏している様に見えるが、その実は倒れ伏しきっていない。

 強いて言うなら、腕立て伏せを伏せきった状態。手の指先と足の爪先を使って、床寸前のギリギリで浮いており、テロリストがこちらの出方次第でいか様にも動ける体勢で待ち構えているのに気付く。

 その身体能力に加えて、先ほどの踏み込み音から、伍長はテロリストが相当の手練れだと認識する。身震いがブルリとして、肌が粟立つ。

 

「動くな! 動いたら、即座に撃つ!」

 

 不用意に近づくのは危険だと判断して、駆けるのを緩めてゆき、アサルトライフルの狙いを注意深く定めながらテロリストとの距離を詰めて歩く伍長。

 その途中、ブリタニア人士官を完全に無視。テロリストから一瞬たりとも気を逸らす事は出来なかった。

 それに、と伍長は言い訳の様に考える。あれほどの踏み込み音から放たれた一撃を受けて、とても生きているとは思えなかった。

 事実、ブリタニア人士官は白目を剥き、その目と鼻、口、耳、穴という穴から血を溢れさせて、絶命していた。

 そして、伍長とテロリストの距離がいよいよ約10メートルにまで縮まったその時だった。

 

「動くなと言ったはずだ!」

 

 先ほど行った威嚇射撃での結果か、テロリスト頭上の天井が不意に少し崩れ、小さな瓦礫をパラパラと落とす。

 それを機として、テロリストが起き上がろうとするが、伍長は即座に引き金を引き、テロリストの1メートル前の床へ3点射の威嚇射撃。

 テロリストは顔を伏せながら両手を突き、片膝だけを立てて屈んだ状態。陸上のクラウチングスタートの様な体勢で止まる。

 

「……って、女っ!?」

 

 今さっきの天井崩壊で小さな穴が空き、その細い一条の光がスポットライトの様にテロリストの元へ降り注ぐ。

 この時点となって、伍長は初めて相対していた手練れのテロリストが女だと、それも年若い少女だと知り、驚愕に目をこれ以上なく見開き、ブリタニア人士官が何故に打ち倒されたのかを納得する。

 それ故、テロリストが少女である上に下着姿と解っても、伍長は油断を全く解かなかった。

 

「もう一度、私に力を……。スザクさん」

「……えっ!?」

 

 しかし、顔を伏したままのテロリストが呟き、その呼んだ名前が伍長に一瞬の隙を作る。

 テロリストにとって、その一瞬は勝機を掴むのに十分すぎる時間だった。目の前の床を左手で一叩き、いつからそこに在ったのか、柄尻を叩かれた日本刀が鍔を支点に跳ね上がる。

 次の瞬間、テロリストが顔を上げて微笑む。その勝利を確信した笑みは、伍長が悔しさと共に引き離された己の婚約者。約10年を片時も忘れず、ずっと探し追い求めてきた幼い少女の面影を持つ笑顔だった。

 だが、夢にまで見た約10年ぶりの再会は一瞬にして終わる。

 一旦は直立した日本刀が倒れてゆく途中、その刃紋に先ほど出来た天井からの一条の光が照り当たり、伍長へ向かって反射する。

 

「し、しまったっ!?」

 

 その結果、伍長が着けていた暗視ゴーグルはホワイトアウト。

 慌てて伍長は暗視ゴーグルを外して投げ捨てるが、目は暗闇に慣れておらず、一寸先が闇の状態。何も見えない。

 最早、この後の展開がどうなるのかは明白だったが、何かを叫び、訴える時間はもう残されていなかった。

 すぐさま伍長は足を肩幅に開き、脇を締めて、息を吸いながら丹田に力を込めて、その時を待つ。

 間もなく、轟音が炸裂。今すぐ逃げ出したくなる殺気が一瞬にして、伍長へと迫る。

 

「呼っ!?」

 

 そして、殺気が胸元で爆発する瞬間、溜め込んだ呼吸を一気に吐き出して、衝撃を受け流す為に後方へ跳ぶ。

 伍長は賭けに勝った。恐らく、テロリストが行ったのは飛び込み正拳突き。もし、テロリストが日本刀を使っていたら、無手でも顔面か、金的を狙っていたら、致命傷は免れなかった。

 それでも、その一撃は凄まじいの一言。伍長は吹き飛び、床を何度も跳ね転びまくって、ようやく止まり、その距離は先ほど吹き飛ばされたブリタニア人士官の距離を超えていた。

 暫くして、聞こえてくる二輪車特有の始動キックによるモーター音。

 

「……な、何故だ。

 ど、どうして、君が……。ナ、ナナリぃ……。」

 

 テロリストが逃げようとしているのを知り、俯せに倒れ伏す伍長は震える右手を必死に伸ばすが、意識が急速に薄れてゆき、その右手も力無く床へ落ちた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ここか……。」

 

 時折、遠方より聞こえてくる銃撃音と爆撃音。シンジュクゲットーを舞台にしたテロリスト壊滅作戦は既に始まっていた。

 本来、そちらの作戦に参加するはずだった『ヴィレッタ・ヌゥ』

はナイトメアフレームのコクピット内から地面に出来た崩落跡を眺めて、溜息を深々と漏らす。

 確かに出世はしたい。出世さえすれば、貴族となるチャンスが広がる。いつかは貴族となり、煌びやかなドレスを身に纏って、故郷の街へ凱旋するのが、ヴィレッタの子供の時からの夢だった。

 

『地下鉄跡構内へ単独で入り、輸送車両を見つけ次第、連絡せよ。

 但し、輸送車両の荷物は第一級の軍事機密品故に見てはならない。

 不審者を見つけた場合、捕縛の必要は無い。発泡を許可する。

 尚、輸送車両が動かせないと判断したら、連絡を取るまでもなく、これを速やかに爆破せよ』

 

 しかし、昇進を見返りに受けた今回のこの任務はどうも焦臭い。

 三宿駐屯基地司令から話を持ち掛けられた時は欲に眼が眩み、ほぼ二つ返事でOKを出してしまったが、時が経つほどに嫌な予感がプンプンと臭ってきた。

 第一級の軍事機密品が関係している以上、極秘任務となるのは解るのだが、それにしては作戦が片手間と言うか、ずさんと言うか、中途半端な印象を受ける。

 だが、吐いた唾は二度と飲めない。ここで任務を下りたら、今まで積み重ねてきたキャリアは確実に終わると解っていた。今更、後悔をしても遅かった。

 

「さて……。何が出てくるやら」

 

 崩落跡の傍にナイトメアフレームを待機させて、その左掌を上に崩落跡へと翳す。

 そして、コクピットブロックを外へ露出。ヴィレッタはナイトメアフレームの背中から左肩へ、左肩から左腕へ渡り歩き、左掌の上へ乗ると、コクピットから持ち出した遠隔操作リモコンのスイッチを押す。

 ナイトメアフレームの左手人差し指の第一関節が外れ、ワイヤーロープと繋がった指先が地下鉄構内へと下りてゆき、それを利用して、ヴィレッタ自身も下りて行く。

 

「むっ!?」

 

 床へ下りる途中、血の海の中で満足そうに微笑みながら息絶えている赤毛の青年の姿を見つけるが、それ以上に気になったモノがあった。

 そして、それは床まで下りきると、より明確なモノとなった。

 

「確か、この臭いは……。」

 

 地下鉄構内に淡く残る甘い香り。慌ててヴィレッタはハンカチを取り出して、口と鼻を覆う。

 嗅いだのは一瞬。それも薄まったモノだったが、即座に効果が現れて、ヴィレッタの女の中心部分がキュンと反応。その香りの正体を確信する。

 数年前に現れて、あっと言う間に世界を席巻。既存のモノと取って代わり、天使の薬とも、悪魔の薬とも呼ばれる麻薬『リフレイン』に間違いなかった。

 抱いていた嫌な予感がますます膨らみ、ヴィレッタが上へ戻り、連絡を先にするか、前へ進み、輸送車両の捜索を行うかを迷っている時だった。

 

「にゃにゃりぃ~~……。」

 

 恐らく、リフレインを吸ってしまったのだろう。場違いも甚だしい幸せそうな声が聞こえてきた。

 すぐさまヴィレッタはマグライトを点灯。声がした方向へ光を向けて、左右に動かしながら、口からハンカチを一瞬だけ離して叫ぶ。

 

「おい、誰か居るのか! 居るなら、返事をしろ!

 ……こ、これがリフレインの効果か。ほ、本当に恐ろしいものだな……。」

 

 果たして、その光の先にあった光景はどんなものだったのか。

 ヴィレッタは顰めた顔を背けると、マグライトの照らし先に居る男の名誉の為にも今見た光景は忘れようと決意して、マグライトの照らし先を変えた。

 

 



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第一章 第05話 ギアスと魔女

 

「よっ!? はっ!? ほっ!?」

 

 アッシュフォード学園高等部体育館、その隣の金網を隔てた6面のテニスコートとの間にある通用路にて、ナナリーは奇妙な遊びを行っていた。

 体育館の屋根の上へテニスボールをテニスラケットで打ち上げて、それが転がり落ちてくるのを待って、再び打ち上げると言うもの。

 説明を聞いただけでは簡単そうに感じるが、その実は相当の難易度。

 通用路の幅は約5メートル。体育館の屋根端の高さは約13メートル。完全に真上を見上げる体勢となって、見るのも屋根の端のみ。その屋根もフラットなアーチ型の為、落下予想地点を予想するのはかなり難しかった。

 

「ふっ!? はっ!? ほっ!?」

 

 ところが、これを簡単にクリアし続けて、テニスボールを次第に1つづつ増やして、難易度を上げてゆき、今や5つを同時に行っていた。

 しかも、最初はテニスラケットのガット面で打っていたが、これが容易になると、今度は上下を逆に持ち替えて、グリップ部分で打ち上げているのだから驚くしかない。

 無論、ナナリーが幾ら身体能力に優れていようが、こんな曲芸紛いを早々に出来るはずも無い。

 テニスボールを打ち上げる力加減によって、ある程度の軌道制御は行えるだろうが、見えない部分である屋根の上でテニスボール同士がぶつかる偶然の産物までは計算が出来ない。

 なら、如何にして、この曲芸紛いを成功させているかと言えば、その正体は『ギアス』だった。

 そう、ナナリーは昨日の出来事の最中で得た不思議な力の検証を行っていた。

 

「ぬっ!? はっ!? ほっ!?」

 

 テニスボールを打ち上げて、屋根の上へ消える瞬間にギアスを発動。

 そのギアスで導き出された結論に従い、最も最初に落ちてくるテニスボールの地点へ先回りをして、テニスボールを屋根の上へ再び打ち上げる。

 これを繰り返して、既に約15分弱。ナナリーはテニスボールを一度たりとも落とさず、100%の成功率を維持し続けていた。

 

「へっ!? ……うきゃっ!?」

 

 しかし、その100%が唐突に崩れる。ラケットを振り上げた先、わずかボール1つ分を空けて、テニスボールが落下。

 ナナリーは今までが100%成功率だっただけに驚き、茫然とラケットを振り上げた体勢のまま固まる。

 だが、屋根から次々と落ちてくるボールは待ってくれない。2つ目、3つ目、4つ目、5つ目と落ちて、それぞれがコンクリートの床を跳ね飛び、やや間を空けて、有り得ないはずの6つ目がナナリーの頭上へと落ち、その傷みにナナリーは涙目。その場へ頭を抱えてしゃがみ込む。

 

「ふっふっふっふっふっ!

 さすがのナナリー君も6つ目は駄目だった様だね? うん?」

「アリスちゃん……。」

 

 そんなナナリーへ勝ち誇り、響き渡る高笑い。

 ナナリーは唇を尖らせて、笑い声がする背後を振り向くと、アリスが両手を腰に突きながら胸を張って、テニスコートに立っていた。

 ちなみに、テニスコートの周囲は金網で囲まれており、その内部へ入る出入口は一箇所のみ。校舎側と正反対のクラブハウス側にある。

 つまり、アリスは校舎とクラブハウスを繋ぐ通用路の最短路を通らず、テニスコートを金網沿いに大きくグルリと遠回り、ナナリーの邪魔をする為だけにわざわざ無駄な労力を使っていた事となる。

 当然、邪魔をしてくれた事実も含め、ナナリーのアリスを見る目は自然と呆れたものとなり、白くなってゆく。

 

「……と言うか、1時間目に出たっきり、授業をサボって、何をしているかと思えばだよ。

 ほら、フライングでカツサンドを買ってきたからさ。まだチャイムは鳴っていないけど、お昼にしよ?」

「カツサンドっ!?」

 

 だが、アリスが手に持っていた買い物の白いビニール袋を挙げて見せた途端、ナナリーの目はたちまち輝いた。

 どの学校にも、人気が集中して、なかなか手に入れづらい学食メニューというのは有るもの。

 アッシュフォード学園高等部において、それは冷めても肉が柔らかでジューシーなトンカツだった。

 特に持ち運べて、残しても後で食べられるカツサンドは女子生徒に人気があり、お昼休みのチャイムが鳴って、5分もしない内に売り切れる幻の一品。

 それを食べられるなら、今先ほど程度の嫌がらせなど、どうでも良い些細な事。ナナリーは満面の笑顔で勢い良く立ち上がった。

 

「……えっ!?」

「ナ、ナナリーっ!?」

 

 ところが、立ちあがった途端、視界が一気にブラックアウト。その場へナナリーは力無く崩れ落ちた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ナナリー様、これから買い物へ出かけて参りますが……。

 今夜、何か食べたいものはありますか?

 お倒れになられたのですから、力を付ける為にも、お好きな物をご用意させて頂きますので」

 

 お昼前、ナナリーが意識を失った後、自力で運べないアリスがクラブハウスで授業をサボっていた不良達に手伝って貰い、ナナリーを保健室へ運ぶまでは、学校生活にありふれた風景の1コマだった。

 しかし、ナナリーがこの街を牛耳るアッシュフォード家の親戚と知る保険医から高等部校長、高等部校長から学園運営管理室、学園運営管理室からルーベンの元へ連絡が届けられた途端、学園を騒がす大騒ぎとなった。

 剣術を嗜み、稽古による打撲などの外傷はあっても、日々の鍛錬の賜物か、今まで風邪はおろか、病らしい病を患った経験のないナナリーが倒れた上に意識が戻らないと聞き、ルーベンは慌てた。

 持っている人脈の限りを尽くして、トウキョウ在住の最高権威と呼ばれる外科から肛門医までの医師団をすぐさま結成。

 突如、高級車が続々とアッシュフォード学園高等部へ集結し始め、学生、教師を問わず、何が起こったのだとわざめき、午後の授業はストップ。

 

「では、お刺身を。ほら、この前に食べた白い奴をお願いします」

「ああ……。『えんがわ』ですね。解りました」

「はい、楽しみに待っています。いってらっしゃい」

 

 そして、ルーベンが、ミレイが、アリスが、ナナリーと親しい者達が保健室前へ急遽集められ、まるで大手術を行っているかの様な祈りが捧げられた。

 救急救命士が移動式ストレッチャーと共に待機。ドクターヘリも砂煙を撒き散らしながら高等部校庭へ着陸。次の手がいつでも打てる準備が整った直後、立入禁止札が貼られ、締めきられていた保健室のドアが遂に開く。

 現れる白衣を着た二十数人の男女。老いた者も居れば、若き者も居た。そのいずれもが沈痛な面持ちをしており、それを見た誰かが叫んだ。『まさかっ!?』と。

 ミレイは息を飲み、認めないと言わんばかりに顔を左右に振った。アリスはその場へ崩れ落ち、耐えきれずに声を殺して泣き出した。

 その様を眺めて頷き、ルーベンはこれが自分の役目と神妙な面持ちでナナリーの容体を尋ね、医師団代表の外科医が酷く疲れた様な溜息混じりにこう応えた。

 

『只の疲労です。一応、ビタミン剤は打っておきました』

 

 ルーベンは殴られた。ミレイに殴られた。もうボッコボコのボコボコである。ルーベンが集めた夢の医師団は無駄にならず、ルーベンはドクターヘリに運ばれていった。

 その後、ナナリーはアッシュフォード家の屋敷の離れとなっている自宅へ運ばれ、ナナリー専属のメイドによって、寝間着に着替えさせられてから、ベットへと寝かされた。

 やがて、ミレイやアリスといった見舞客が帰り、ナナリーはつい先ほど目を醒ましたが、ベットから起き上がるのをメイドの強い言い付けで許されていなかった。

 

「はい、いってきます。くれぐれも起きたりなさいません様に」

「解ってますって」

「では……。」

 

 その過保護なメイドの名前は『篠崎サヨコ』、ナナリーが中等部に入学したのを機にして、アッシュフォード家本邸より独立。この離れの屋敷を自宅とした時からナナリーに仕えている女性。

 掃除、洗濯、炊事のあらゆる家事技能をオールマイティーに備え、いざという時はナナリーの護衛も可能なパーフェクトメイドだが、たまに大ボケな天然がある困ったさん。

 余談だが、この離れの屋敷は平屋ながらもバストイレ、駐車場付きの3LDK。サヨコも一緒に住んでおり、空き部屋は物置部屋に使って、駐車場はナナリーのバイクとサヨコの軽自動車が列んでいる。

 

「……さてと」

 

 頭を深々と下げるサヨコがドアの向こう側へ消え、目を瞑るナナリーが耳を澄ます事暫し。

 駐車場に停まっている軽自動車のモーター音が聞こえるや否や、ナナリーは布団をはね除けて、すぐさまベットから下りた。

 家の周囲が森なのを良い事に警戒心を持たず、裏庭と隣接するベランダ窓のカーテンを開けたまま、ピンクのミニネグリジェをベットへ脱ぎ捨て、オレンジのパンツ一丁で部屋を闊歩。

 

「サヨコさんってば、ちょっと心配性すぎるんだよね。

 ……って、もう5時半。まあ、半日も気絶してたんだから、無理ないかな?」

 

 まずは勉強机の脇に置かれたデスクトップパソコンの電源を入れて、部屋の壁に掛かる時計を一瞥。

 その後、壁と一体型になっているクローゼットを開き、収納棚から取り出した白いTシャツを着て、クローゼット扉の内側に貼られた姿見を見つめる。

 

「でも、この不思議な力に関して、色々と解ったし……。結果、オーライかな?」

 

 右の瞳の中、淡く輝く赤い紋章。

 この謎の紋章『ギアス』に気付いたのは、ナナリーが今朝、顔を洗っている時の事だった。

 そして、この瞳の紋章が昨日の不思議な現象を起こした原因だとすぐに気付くと、このギアスの性能、性質を知る為、ナナリーは様々な検証を行い、今現在は以下の事が解っていた。

 1つ、この右眼の紋章は他人には見えず、写真や映像にも映らず、自分だけが鏡に写して見える。

 2つ、この紋章の力を使って可能となるのは、自分が願う未来への模索。発動条件はソレを強く願う事。

 3つ、模索が可能なモノは時に関与するモノ、つまりは動きや変化があるモノに限られ、ただ停止しているモノを見たとしても、最初から答えは1つしか見えない。

 例えて言うと、チェス盤を幾ら見たところで結果は変わらず、通常の思考でしかないが、その差し手を見る事によって、次に何の駒を動かそうとしているのかが解り、事前に対応策を練れる。

 4つ、模索が可能な範囲は視界内と感覚で捉えている範囲のみ。その範囲以外からイレギュラーが加わると、模索結果とズレが生じる。

 5つ、模索によって、可能となる時間幅は決して長くないが、模索を連続して行う事により、時間の延長が結果的に可能となる。

 6つ、どうやら使用毎に感じ取れない疲労度の様なモノがあり、それが蓄積されてゆき、限界を超えると唐突に意識を失ってしまう。

 7つ、6の観点から、複雑な模索、度重なる使用、連続した使用に難があると考えられる。

 その検証結果を纏めて考えていると、パソコンが立ちあがったらしい。スタートアップの音楽が流れているのに気付き、ナナリーは椅子へ座ると、ネットワーク接続を行ってゆく。

 だが、ソフトが要求してきた空欄に埋められてゆく文字列は、ナナリーが持つアカウントIDとは違った。

 

「あとはクロヴィスお兄様のアカウントを使って……。」

 

 幾つかのキーボードを叩いた末、ディスプレイに表示されたものは、本来なら閲覧は勿論の事、そこへ辿り着くのも不可能なエリア11政庁のデータベース。

 何故、クラッキングといった高度な情報処理技術を持たないナナリーがソレを実現させているかと言えば、神聖ブリタニア帝国という国そのものの特性と単なる偶然が生んだ産物が理由だった。

 今更、言うまでもないが、神聖ブリタニア帝国は帝政の独裁国家である。言論や思想の自由は憲法で一応は保証されているが、それも度を超えて、国益を損なうと判断されれば、犯罪となり、摘発の対象となる。

 その判断を内務省の秘密警察機関『社会秩序維持局』が担っているのだが、インターネットが発展、普及してゆく初期段階にて、これがTVやラジオ、新聞といった既存のメディア以上に危険なものだと社会秩序維持局は察知した。

 評議会と元老院を通さず、皇帝へ直談判を行い、勅命を以て、インターネットサービスプロバイダを完全な公共事業化。社会秩序維持局の管理下の元、戸籍と接続アカウントを直結する事によって、情報の規制を計った。

 つまり、ブリタニア人、名誉ブリタニア人は戸籍の拾得と共にインターネットのアカウントIDが与えられ、匿名掲示板に書き込もうとも、利用する者同士は匿名であっても、社会秩序維持局の前では本名、本籍、現住所が丸裸となる仕組みを作った。

 この件に関して、今も評議会は議論を大いに賑わせているが、インターネットサービスプロバイダの公共化に伴い、その使用が税金で賄われて、完全無料となり、ネットを介した犯罪が減少傾向にある為、大半の国民は賛同している。

 これに伴い、当然の事ながら、ブリタニア国内でのインターネットサービス利用は国営の物以外は認められておらず、偽造アカウントIDの使用や独自インターネットサービスプロバイダの開設は重罪となっている。

 この様な事情から皇族の皇子、王女は特別枠のアカウントIDが用意されており、その出生順にナンバーが割り振られ、皇族の皇子、王女であるなら、相手の出生順さえ知っていれば、アカウントIDを簡単に知る事が出来た。

 もっとも、アカウントIDが解っても、肝心なパスワードが解らなければ、接続は不可能。その誤操作を何度も繰り返せば、社会秩序維持局に目をつけられる結果となり得るのだが、ここに運命の悪戯とも言える偶然があった。

 エリア11の現総督にして、神聖ブリタニア帝国の第3皇子『クロヴィス・ラ・ブリタニア』、彼の初恋はマリアンヌだった。

 無論、マリアンヌが皇妃となってからは、その恋心も無くなっていったが、敬愛する想いは今も残り続けていた。

 あのアリエスの悲劇と呼ばれる事件が起こるまでは、実母から何度も止められながらもアリエス宮へ足繁く通い、幼少の頃のルルーシュやナナリーと親交を深めてもいる。

 また、大貴族の出身の実母は名誉やしきたりといったモノに厳しく、そんなピスケス宮での暮らしに窮屈さを感じていたクロヴィスにとって、自由で溢れるアリエス宮は憧れでもあった。

 いつしか、それはいつか自分もこんな家族を作るんだという想いへと変わり、周囲からの猛反対があった為、マリアンヌと当人同士の非公式な口約束ではあったが、クロヴィスとナナリーは婚約を結んでさえもいた。

 実際、クロヴィスは当時の想いを未だに引きずっているらしく、ナナリーの名前こそは出さなかったが、5年前の総督初心表明にて、エリア11へ対する恨みを冒頭で語っている。

 その他にも、エリア11政庁の最上階にアリエス宮を模した屋敷と庭園を造り、クロヴィスがそこに住居を構えているのはあまりにも有名な話である。

 その様な背景があって、3年ほど前の出来事。パソコンを買い換えたナナリーがネットワーク初期設定を行っている際、ふと湧いた悪戯心に『まさかね』と考えながら、クロヴィスのアカウントIDのパスワードに自分の名前を入力したところ、これがどんぴしゃりの大正解。

 しかも、クロヴィスはインターネットを趣味としていないどころか、興味すら持っていないらしく、アカウントの同時使用が今まで一度も無かった為、不正使用がバレず、ナナリーはクロヴィスのアカウントIDでやりたい放題だった。

 なにしろ、クロヴィスは皇族であり、第3皇子の上にエリア11総督。その権限で閲覧が出来ない情報はまず有り得なかった。

 

「フフっ……。フフフっ! やれるじゃない! やれる! やれるわ!

 フフフフフっ……。あぁ~~っはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!?」

 

 キーボードを数回叩くだけで簡単に開示される数多の国家機密。

 ナナリーは笑いが止まらなかった。このインチキな情報力と新しく得た力さえ有れば、どんな事だって出来るという万能感に興奮しまくり。

 

「あまり褒めたものじゃないな」

「……はっ!?」

 

 しかし、そんなナナリーを呆れた様に水を差す者が1人居た。

 突如、現れた背後の気配に驚き、慌ててナナリーは笑ったままの大口を開けた間抜けな顔で振り返り、続けざまにビックリ仰天。

 ソレもその筈。部屋の出入口に腕を組んで立っていたのは、昨日の地下鉄構内で死んだはずの女性『C.C』なのだから無理もない話。

 

「年頃の娘が口を開けて笑うなんて、育ちが知れるぞ?

 さて……。それより、風呂だ。次は飯、シーフードピザだ。そう決めていた」

「えっ!? あっ!? おっ!? うっ!? いっ!?」

「じゃあ、頼んだからな」

 

 ところが、C.Cはナナリーなどお構いなし。

 歩きながら着ている物を次々と投げ脱ぎ散らかして、とうとう真っ裸になると、クローゼットを勝手に開けて、収納棚も更に開け放ち、まだタグの付いた新品の白いショーツを見つけて、それを手に持ちながら要求を一方的に告げて、部屋から出て行く。

 

「……って、待ちなさい!」

「うるさいな……。長旅で疲れているんだ。後にしろ、後に」

「いやいや、そうじゃなくって! 貴女は昨日……。」

 

 慌てて我に帰り、ナナリーはC.Cの肩を掴んで止め、事情の説明を求めるが、C.Cはあくまでマイペース。

 心底、煩わしそうに溜息をつきながら頭を掻くと、ナナリーへ向き直って、存分に見るが良いと言わんばかりに両手を大きく広げた。

 

「死んだはず……。そう言いたいのだろ?

 だったら、良く見ろ。この私の何処が死んでいる様に見える?」

「それは……。」

 

 ナナリーは視線をC.Cの額へと向ける。

 ところが、昨日の記憶を探るまでもなく、記憶に印象強く残っている銃弾の痕は何処にも無かった。

 記憶とあまりにも食い違う現実。そもそも、額に穴を空けられた者が生きていられるはずが無かった。

 だったら、昨日のアレは見間違いだったのか、そんな考えが浮かんでくるが、今のナナリーにとって、それ以上に気になるモノがあった。

 

「それより、私のやった力は……。

 んっ!? どうした? 別に珍しいモノではあるまい? お前とて、風呂で毎晩見ているモノだろ?」

「えっ!? あっ!? い、いや……。そ、その……。」

 

 その気になるモノとは、たわわに実った見事なC.Cの胸。

 ナナリーの嫉妬アイが捉えた目測データーによると、それはCカップ。正しく、2つが列び、C.C。

 しかも、形と言い、張りと言い、かなりの美乳。中心のピンクのぽっちも大きすぎず、小さすぎず、ナナリーの理想を全て具現化したソレが目の前にあった。

 ナナリーは思わず目線を下へ向けて、自分のモノと見比べるが、そこに有るのは申し訳程度に膨らんだ平原と言ってもいい丘。遮るモノが無い為、足の爪先どころか、足の甲、足首まで見える悲しさに下唇をそっと噛む。

 

「ははぁ~ん……。なるほどな」

「な、何ですか? ……えっ!?」

「まあ、羨むのも仕方有るまい。この貧相な胸さではな」

「ひ、貧相っ!? ……し、失礼なっ!? 

 わ、私にはまだまだ希望がっ!? ……って、キャっ!?」

 

 その哀しみに浸るが故、ナナリーは気付かなかった。

 嘲りを含んだ声色に眉を跳ねさせて、視線を上げるが、睨んだ先にC.Cの姿は無かった。

  いつの間にか、背後に立ち、C.Cはナナリーの肩へ顎を乗せて、先ほどナナリーが絶望した光景を覗き込んでいた。

 

「お前……。何だ、これ? この何処に希望が有るんだ?

 確か、16歳だったよな? あの貧弱なルルーシュだって、もうちょっと胸板があるぞ?」

「えっ!? お、お兄様っ!?」

「しかし、マリアンヌの娘だしな。一応、素質は……。うむぅ~~……。」

「お母様までっ!? 貴女、一体っ!?」

 

 ナナリーの両脇から腕を差し入れ、そのちっぱいを遠慮無く揉みまくるC.C。

 無論、ナナリーは抵抗を試み、身を捩らすが、C.Cの口から連続して出てきた思わぬ名前に驚き、目を見開いて固まる。

 おかげで、C.Cは思う存分に揉み放題なのだが、その揉みごたえの無さにあっさりと飽きてしまい、ふとTシャツの上に自己主張を始めたナナリーのソレに気付いて、ソレを興味が赴くまま摘み上げた次の瞬間だった。

 

「ナナリー様、失礼します。

 お伝えし忘れていたのですが、実はC.Cと名乗る御方が……。」

「ぁんっ!?」

 

 サヨコが急遽帰宅。ドアが開けっ放しの出入口に姿を現した。

 同時にナナリーが甘い声をあげながら、堪らずと言った様子で顎を反らして、背も弓なりに反らす。

 夕陽が射し込み、赤く染まった部屋。畳む時間さえも惜しんで投げ捨てられた衣類と下着。全裸の女に背後から抱き締められ、その胸を揉まれて、甘い声を漏らすTシャツ下着姿の少女。

 果たして、それ等の光景をサヨコがどう捉えたのかは解らない。

 

「大変、失礼を致しました」

 

 ただ言えるのは、サヨコは目を丸くさせていた表情をすぐに素へ戻すと、ナナリーへ深々と一礼。何事も無かったかの様に去って行った。

 

 

 

 ******

 

 

 

「貴女の事は良く解りました。

 そのギアスとやらをくれたのも感謝します。

 ですから、行くところが無いなら、この家に置いてあげます。ですが……。」

 

 その後、ナナリーはサヨコの後を追いかけたが、その誤解を解くには至らなかった。

 むしろ、弁解を重ねれば重ねるほど、サヨコは勘違いを逆に深めてしまい、とても辛そうな表情で『打ち明けられず、お辛かったんですね』だの、『私はナナリー様のお味方です』だの言って、ナナリーを慰める始末。

 挙げ句の果て、夕飯を作り終えると、サヨコは『急遽、祖母が倒れまして』と取って付けた様な嘘で休暇を取り、軽自動車に乗って、何処かへと消えた。

 恐らく、サヨコなりに気を効かせたのだろう。ナナリーは取りあえずの説得を諦めた。サヨコの天然ボケは今日に始まった事では無い。時間をかければ、きっと解ってくれると信じていた。

 

「お前、さっきから何をカリカリとしているんだ? せっかくの夕飯が不味くなるだろ?」

「誰のせいですか! 誰の!

 人の電話を勝手に出て! サヨコさんに加えて、アリスちゃんにまで!

 明日、学校へ行ったら、どう説明したら良いんですか! アホですか! 馬鹿ですか!」

 

 ところが、サヨコの相手に疲れ果てたナナリーを待っていたのは更なる悲報だった。

 ナナリーがサヨコへ弁解している間、無視しても、無視しても、鳴り続ける携帯電話に辟易としたC.Cは着信。

 一方、聞き覚えのない女性の声に驚いた発信者のアリスは、間違え電話だと判断して、電話を一旦は切るが、ディスプレイに表示されたナンバーが正しいと知り、すぐさま電話をかけ直して、こう怒鳴った。

 

『あなた、誰ですか! それ、ナナリーの電話ですよね!』

 

 もしかしたら、ナナリーが携帯電話を紛失してしまい、それを拾った誰かが悪用している。そう考えたアリスの熱い友情による憤りだった。

 この問いかけに対して、C.Cは包み隠さず、正直にこう応えた。

 

『ああ、間違いない。あいつの電話だ。

 そして、私はあいつと将来を約束した関係だ』

 

 そう言い放つ場面を目撃したナナリーが、慌ててC.Cから携帯電話を奪うも既に時遅し。

 C.Cの言葉によって、アリスの妄想という名の風船はパンパンに膨らみきってしまい、とても辛そうな口調で『ごめん。気付いてあげられなくて』だの、『私はナナリーの味方だよ』だの言って、ナナリーを慰める始末。

 ナナリーは取りあえずの説得を諦めた。対サヨコ戦で消耗しきっていたナナリーに連戦する体力はとても残っていなかった。時間をかければ、きっと解ってくれると信じていた。

 

「そうは言っても、私は別に嘘は一言も言っていないしな」

「もっと別の言い方があるじゃないですか!

 それをあんな風に言って……。誰だって、誤解しますよ! どうするんですか!」

「まあ、その辺りは追々と考えれば良いさ。……お前がな」

「少しくらい考えて下さい! 自分の不始末じゃないですか!」

 

 しかし、不満と憤りは当然の事ながら残った。

 リクエスト通り、お刺身が夕飯に列んでいるが、以前ほど美味しく感じられないナナリー。

 一口食べては怒鳴り、一口食べてはテーブルを叩き、先ほどから食器がガチャン、ガチャンと跳ねまくり。

 

「あ~~~……。もう五月蠅い奴だな。ほら、TVでも見て、落ち着け」

「誰のせいですか! 誰の!

 大体、うちでは食事中にTVは点けない事にしているんです!」

「固い事を言うな。見ろ、昨日の事をやってるぞ」

 

 C.Cは小言を幾ら列べられても堪えはしなかったが、うんざりとはしていた。

 リクエスト通り、デリバリーのシーフードピザを食べているが、やはり罵詈雑言がBGMでは美味しくない。

 その昔、乗っていた旅客機が太平洋のど真ん中で墜落。とても苦労した経験があるC.Cは、自分が操縦する航空機以外は基本的に信用していない。

 それ故、C.Cがブリタニア本国からエリア11へ渡るのに選んだ手段は船であり、それも遊覧が目的でない為、エリア11直行の軍の貨物船だった。

 当然、軍の貨物船だけに密航である。調理室から食料を盗んでは腹を満たして、ただひたすらにエリア11への到着を貨物の1つに潜み隠れながら待った。

 幸いと言うか、永い時を生きているC.Cはこういった各種サバイバル術を当たり前の様に身に着けており、船の乗組員達は最後までC.Cの存在に気付いていない。

 ただ、C.Cが失敗したのはエリア11到着日に寝坊してしまい、銃声に驚いて起きたら、既にC.Cが寝床にしていた貨物コンテナは大型トラックへ積まれており、レジスタンスとブリタニア軍のカーチェイスが始まっていたという間抜けな事実。

 即ち、このエリア11へ到着するまでの約10日間は自制、自制、自制の連続であり、C.Cは今日という日を指折り数えて待っていた。まず最初に何を食べようか、と言う脳内会議は何度行ったかが解らないほど。

 そんな夢にまで見た感動の食事だと言うのにも関わらず、目の前の小娘は力を与えた自分へ感謝するどころか、出会った時からピーチク、パーチクと喚き立てて、気が滅入る事この上なかった。

 C.Cは手近にあったTVのリモコンを手に取り、ナナリーの気を逸らそうとスイッチオン。

 

『……下さい。これが今日の昼に撮影されたシンジュクゲットーの様子です。

 昨日の軍部による出動の爪痕を残すかの様に、まだ各地で火の手が上がっています』

 

 その作戦は見事に成功。たまたま昨日の出来事に関するニュースが放送中。

 ナナリーが興味を持ち、小言と食事の手を止めて、放送されている映像に魅入り始める。

 ヘリコプターからの空撮だろう。シンジュクゲットーからナカノゲットーまでを一望に収めた光景は凄惨を極め、一昨日まで廃墟の街だったものが、今は瓦礫の街と化していた。

 ナナリーとC.Cが思わず無言になっていると、不意に速報を合図するチャイムが鳴り響いて、映像が切り替わり、放送局スタジオの女性ニュースキャスターの姿が映る。

 

『たった今、新しいニュースが入りました。

 昨今、社会で問題となっている麻薬『リフレイン』が有りますが……。

 これを軍部のネットワークを使って、エリア11へ持ち込み、テロリストへ供与していたとの罪で三宿駐屯基地所属の名誉ブリタニア人が捕まりました』

 

 そして、速報ニュースが読み上げられてゆき、再び映像が切り替わる。

 映し出されたのは、何処かの建物の出入口。速報であるにも関わらず、既に多数の報道陣が画面端に詰めかけているのが見える。

 やや間があって、屈強な軍人に両脇を抱えられた軍服姿の少年が出入口から現れ、報道陣達が一斉にフラッシュを何度も焚く。

 

『名前は枢木スザク伍長。

 そうです。枢木のファミリーネームで憶えている方もおられるのではないでしょうか。

 嘗て、ナイト・オブ・ラウンズのヴァルトシュタイン卿より国士と讃えられた元日本最後の首相『枢木ゲンブ』の息子、枢木スザク伍長です』

「な゛っ!?」

 

 数多の閃光に白く霞む映像。ズームアップされ、一時停止された画像に映ったのは、ナナリーがこの10年間ずっと想い続けてきた少年の成長した顔だった。

 

 

 



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第一章 第06話 開幕のベル

『昨日、大井埠頭にて、テロリストのナイトメアフレーム強奪事件がありました。

 しかし、我がブリタニア軍はテロリストをシンジュクゲットーへ誘導。見事、殲滅に成功しました』

 

 トウキョウ、サイタマ、ヨコハマを中心とした西関東を主な活動の場とするレジスタンス組織『ネリマダイコン』の本拠地。

 但し、本拠地と言っても、これまで幾度もあったブリタニア軍の摘発から学び、一定の場所に留まらず、月毎の移動が可能な大型キャンピングカーが真の本拠地となっており、それを駐車する工場跡地が今月の本拠地となっている。

 

「けっ!? 何が誘導だよ! 俺達を必死に追いかけてきただけの癖によ!」

「まあ、お前は途中で転んだけどな」

 

 今、ネリマダイコンは未だ嘗て無い絶望感に包まれていた。

 昨日、実行したナイトメアフレーム強奪作戦は見事に成功。奪った6台の大型トラックの内、4台が本拠地へ到達。

 その戦果がキャンピングカー隣に堂々と鎮座している。まだブリタニア軍内部でも満足に行き届いていない完全新品最新型のナイトメアフレーム『ヴィンセント』が3機。

 しかも、その内の1機は指揮官用のカスタム機というおまけ付き。誰が搭乗する予定だったのか、パーソナルカラーが施されており、その色はオレンジ。

 過去、ナイトメアフレームを何度か奪った事はあるが、そのいずれもが第4世代ナイトメアフレーム『グラスゴー』であり、稼働を5年以上経過した中古品。

 現在、ブリタニア軍に普及して、一般機となっている第5世代ナイトメアフレーム『グロースター』と比べたら、力負けは無いが、速さで劣り、大抵はすぐに乗り捨てる結果となっていた。

 その点、『ヴィンセント』は第7世代。昨日は数で圧倒的され、撤退を余儀なくされたが、この3機の活躍があってこそ、撤退する時間を大幅に稼げたと言っても過言でない。

 それに加えて、大型トラックのコンテナにはヴィンセント用の各種兵装と整備パーツまで入っており、実に至れり尽くせり。

 ネリマダイコン結成以来、今までにない大戦果であり、大勝利である。ネリマダイコン本拠地にナイトメアフレームが3機以上列ぶのは初めてだった。

 ちなみに、本拠地へ到達した4台中の1台はナイトメアフレームが積まれておらず、別のモノが積まれていたのだが、これに関する説明は後程とする。

 

「うっせぇぞ! 吉田!

 俺があそこで転んだから、お前達は助かったんじゃねぇ~か!」

「玉城、さっきからうるさい! 少しは黙ってられないの!」

「う゛っ……。だ、だってよぉ~~……。」

 

 なら、この漂う絶望感は何が理由なのか。

 それは今朝から各放送局がひっきりなしに伝えているニュースにて、何度も映っている人が住めなくなったシンジュクゲットーとナカノゲットーの瓦礫の山と化した姿に原因があった。

 旧山手線西側とそこから伸びる旧東北本線を境として、東西をブリタニア人居住区と旧日本人居住区に分けて、租界とゲットーが明確に色分けされた理由は、日本が敗戦時にブリタニアと結んだ条約による結果である。

 ところが、ここ数年、移民に継ぐ移民によって、膨張し続ける租界の広がりが社会問題となっており、これに伴う地価高騰が要因となって、この条約を撤廃するべきだという動きがエリア11のみならず、ブリタニア本国でも活発化していた。

 詰まるところ、昨日の空爆すら用いた大規模で徹底的な破壊ともなれば、軍部だけの独断では到底できない。

 これに政庁が関わっているのは明らかであり、テロリスト壊滅作戦に託けたシンジュクゲットーとナカノゲットーに住み着いていた旧日本人達の追い出しに違いなかった。

 そして、ルールというモノは一度でも破られたら、あとは前例を盾にしたルール破りのドミノ倒しが続き、やがてはルールそのものが意味を成さなくなるのは世の常。

 恐らく、ブリタニアはシンジュクとナカノの租界化を始めるだろうし、これを手始めの一歩として、その範囲を西へ伸ばし始めるのは目に見えていた。

 即ち、ネリマダイコンはナイトメアフレーム強奪という戦術では大きな勝利を収めたが、大きな視野と将来で見た戦略では手痛すぎる敗北となったのである。

 

「ねえ、お店の方は大丈夫なの? 私も、貴方も休んじゃってさ?」

「確かに心配だが……。

 こんな時に行く気分じゃないからな。お前もそうだろ? 井上」

「それはそうだけど……。」

 

 その上、昨日の出来事から丸一日が経ったにも関わらず、ネリマダイコンのリーダー『紅月ナオト』が未帰還。連絡すら未だに無いのも、更なる絶望となっていた。

 レジスタンス組織は全国各地に大小様々あるが、紅月ナオトほどの若いリーダーが全国区で知られる者は他にいない。

 最も活動に厳しい首都圏で勢力を伸ばしてきた実績から、全国のレジスタンス側からは一目も、二目も置かれ、ブリタニア軍からは高額賞金首の扱いさえ受けている。

 彼は29歳、ブリタニアと日本の開戦時は三流大学の経済学部へ通う一学生でしかなかったが、この約10年でその才能を大きく開花させた。

 もし、ブリタニアと日本が戦争となっていなかったら、今頃は新進気鋭の若手社長として、経済界を賑わしていたのではと思わせるほどの才能があった。

 元々、10名も居なかった『練馬大根』の保護育成活動を行うだけだった小さな農業団体をレジスタンス組織化。

 『練馬大根』の復活を旗印にして、トウキョウ、サイタマ、ヨコハマに点在していたレジスタンス組織を次々と吸収。たった10年で西関東におけるレジスタンス最大勢力へ至る。

 ただ残念だったのは、彼の才能は組織の運営と拡大に長けていたが、武装勢力としての戦略眼、戦術眼に乏しく、それを補う人材にも欠けていた事だった。

 これは元日本軍が前身のレジスタンス組織『日本解放戦線』の本拠地が東関東の千葉にあり、嘗ての戦争を生き残った上士官以上の軍人達がこちらへと合流してしまったが為と言う理由が大きい。

 もし、ネリマダイコンと日本解放戦線が手を結び、お互いの交流を深めて、技術交換を行っていたら、関東に巨大なレジスタンス組織が出来上がり、日本復活の夢が夢で無くなる可能性もあった。

 しかし、紅月ナオトは若すぎ、日本解放戦線のリーダーである『片瀬少将』は老いすぎ、お互いのプライドが邪魔をして、頭を下げるのを良しとせず、2つの組織が交じり合う事は無かった。

 それでも、紅月ナオトが傑物であるのは変わりない。そのカリスマによる影響力は大きく、ネリマダイコン幹部は彼の未帰還をトップシークレットとして、その事実を一般レジスタンス員達へ伏せていた。

 

「はぁぁ~~~……。」

「杉山、どうだった?」

「難しいな……。紅月が居れば、一発だけど、俺だけだとな」

「……そうか」

 

 昨日の逃走劇にて、彼が最後尾の大型トラックを運転して、操作を誤り、旧都営大江戸線地下鉄線路跡へ消えたのは解っていた。

 その後を追い、逃走劇の途中から参加した女性ライダーが旧都営大江戸線地下鉄線路跡へ通じる地下鉄出入口跡へ消えたのも解っていた。

 だが、解っているのはそこまでだった。ネリマダイコンの一員だとばかり考えていた紅月ナオトのその後の鍵を握る女性ライダーは、その正体を実は誰一人として知らず、何処の誰だかが全く解らない状態。

 今、『紅月ナオト』の妹『紅月カレン』が旧都営大江戸線地下鉄線路跡の様子を単独で探りに行っているが、その結果はあまり期待できない。

 一週間も経てば、話は別だが、ブリタニア軍がまだ警戒して、巡回を行っているだろう事は容易く予想が出来た。恐らく、旧都営大江戸線地下鉄線路跡へ近づく事すら難しいに違いない。

 本来なら、捕まるリスクを考えて、行かせるべきでは無いのだが、ネリマダイコンの幹部に兄を想う妹の気持ちを止められる者は居なかった。

 

「カレン……。遅いわね」

「何、心配すんなって! その内に……。って、どうした? 扇」

 

 正直、ここまで帰還が遅くなると、考えられる可能性は3つしかない。

 まず最初はブリタニア軍に捕まったという可能性だが、その場合だとブリタニア軍が盛大にソレを公表しないのはおかしい。それだけの価値が紅月ナオトには有る。

 次の可能性としては、脱出は成功したが、何らかの理由で怪我を負ってしまい、それが原因で連絡が取れない状態にある。

 そして、最後は最悪の可能性。そこまで考えるが、すぐさま頭に浮かんだソレを慌てて打ち消すかの様に顔を左右に振る垂れ目なパーマの青年

 彼の名前は『扇カナメ』、紅月ナオトとは中学校からの親友であり、その縁によって、ネリマダイコンのNo2に収まっている男。

 日本とブリタニアが開戦する前は教師を目指していたせいか、高い教養を持ち、性格は温和で小さな集団なら高い指揮力を持っているが、紅月ナオトと比べたら、決断力と大胆さに欠けており、やはり凡人と言わざるを得ない。

 それは扇自身も自覚しており、日々成長して大きくなってゆくネリマダイコンの中で不安に揺れ、No2を誰かに譲りたい気持ちがあるのだが、それを言い出せないでいる。

 それでも、その人当たりの良さから、中間管理職としての組織内の和を保つ事は得意として、それなりに人望は持っている。

 しかし、組織のNo2であるからこそ、本来は考えなければならない今先ほど考えた最悪の可能性とその先にある問題。そこまで至れず、思考をストップさせてしまう辺りが彼の器としての限界だった。

 

「みんな、飯にしよう!

 腹が減ってるから、気が立ってくるし、気も滅入ってくる。それに腹が減っては戦が出来ぬとも言うしな」

 

 その結果、今朝から結論を先延ばしする事しか出来ず、扇は自分の不甲斐なさを染み入り感じながら、親友からの連絡を切実に待っていた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「おい、鳴ってるぞ?」

 

 速報ニュースが読み上げ終わり、次のニュースへと移っても、茫然と席を立ちあがったままのナナリー。

 すぐ間もなくして、電話がかかってくるが、ナナリーはピクリとも動かず、C.Cの二度、三度の呼びかけも無視。TVを虚ろな目でぼんやりと眺めているだけ。

 

「ちっ……。」

 

 C.Cはピザの油が付いた指先を舐め、更にウエットテッシュで拭き取り、舌打ちして立ちあがる。

 但し、電話へ勝手に出たのを叱られたばかり。受話器を持ち上げるも応じず、ナナリーへ向けて無言のまま差し出すと、ようやくナナリーがのろのろと動き出して、受話器を手に取った。

 その間、耳へ受話器を当てずとも聞こえてきた叫び声から、電話の主は先ほどの娘『アリス』だろうと推測を立てながら、C.Cは溜息混じりにやれやれと席へ戻る。

 

「うん……。うん……。大丈夫、私は大丈夫だよ。

 だって、スザクさんがあんな事をするはずないから……。うん……。うん……。ありがとう。アリスちゃん」

 

 そして、ピザのサービスで付属してきた500ml缶のコーラを喉を鳴らして呷るC.C.

 喉をピリピリと焼く炭酸の刺激に細めた目でナナリーを盗み見るが、その言葉とは裏腹にちっとも大丈夫そうに見えない。

 一切の感情を削ぎ落としたら、こうなるのだろうかという無表情でありながら、見る角度によって、憤怒と悲哀が見え隠れしており、その声も平坦ではあるが、爆発寸前の静けさの様でもあった。

 C.Cは缶に隠した下でほくそ笑む。只の偶然か、ギアスを得た者の運命か、都合の良い展開となり始めているのは確かだった。

 この先、ナナリーは何度も傷つき、その度にギアスを幾度も使い、更なる先へと突き進んで行くに違いない。今、その二度と立ち止まる事を許されない茨の道の入口へ立ったナナリーをC.Cは祝福する。

 

「げぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~~~~~~っ……。」

「な゛っ!? ……有り得ない! 有り得なさ過ぎる!

 いきなり何なんですか! ゲップするならするで、トイレにでも行ってして下さいよ! 汚い!」

 

 しかし、電話を切ったナナリーは、その祝福が気に入らなかったらしい。

 まずは目を白黒させて驚くと、次に表情を不快そうに顰めまくり、口元を右手で覆いながら上半身を反らして、一歩後退どころか、二歩、三歩と後退。

 

「調子を取り戻したじゃないか? 慰められて、元気が出たか? ……んっ!?」

「くっ……。」

 

 だが、C.Cは全く気にした素振りを見せないどころか、意地悪そうにニヤニヤと笑うだけ。

 その言葉が真実だけに何も言い返せず、ナナリーはC.Cを鋭くキッと睨み付けて、リビングを無言で出て行く。

 

「案外、打たれ弱いと言うか……。

 激情的なところがあるんだな。……んっ!? 美味いな。これ」

 

 リビングに1人残ったC.Cは溜息をやれやれとつくと、先ほどから実は興味津々だった刺身をナナリーが居ないのを良い事に素手で摘み食い、その味に舌鼓を打った。

 

 

 

 ******

 

 

 

「なあ、井上……。お前って、カレーしか作れないのか?」

「うるさい! 嫌なら食べないで良いのよ! 玉城!」

 

 カレーライス、それはインドで生まれ、日本で改良された神秘の魔法である。

 元日本人なら、それを嫌いという者は殆ど居らず、調理は凝りさえしなければ、簡単である上に大人数向き。立派なご馳走ともなって、誰もが笑顔となる。

 事実、ネリマダイコンの本拠地に作り置いたカレーの匂いが漂い始めると、誰もがウキウキ、ソワソワし始め、今は誰もが笑顔を自然と零していた。

 

『只今、ニュース速報が入りました。

 麻薬『リフレイン』の密売容疑で三宿駐屯基地所属の名誉ブリタニア人が逮捕された様です。

 名前は枢木スザク伍長。元日本最後の首相『枢木ゲンブ』の息子、枢木スザク伍長です。……と、ここで現場と中継が繋がった様です』

 

 しかし、このニュース速報が放送された途端、和気藹々としていた場が一瞬にして沈黙。空気が凍った。

 当然である。日本復活を志して、反ブリタニアを掲げるレジスタンスにとって、『枢木』の名はあまりにも特別すぎた。

 嘗て、日本と神聖ブリタニア帝国との間にあった約10年前の戦いは、その舞台となった日本のみならず、全世界の予想を裏切り、一方的すぎるモノだった。

 それほど、装甲車の機動力、戦車の装甲力、戦闘機の地形を選ばない対応力、その3つを兼ね備えて、状況と場所に合わせた兵装を選べるブリタニアの新兵器『ナイトメアフレーム』は驚異的なモノだった。

 正しく、戦争の歴史が塗り替えられた瞬間であり、それは例えるなら、1575年に起こった長篠の戦い。当時最強を誇った武田騎馬軍団が最新兵器『鉄砲』の前に成す術なく敗北した様に近かった。

 開戦より約1ヶ月が過ぎ、日本の領土の半分がブリタニア色に染まった時、内閣総理大臣『枢木ゲンブ』は決断を下す。

 このまま抵抗をし続けても、完全玉砕するのは明らか。そうなったら、国民、国土、天皇家に多大な被害が及び、日本は二度と立ち直れなくなる。

 それならば、降伏という屈辱を今は甘んじて受け、国力と戦力を温存。ブリタニアとの技術格差が埋まって、いつか訪れるであろう捲土重来に備えるべきだ、と。

 無論、軍部から強い反対があったが、枢木ゲンブは自身の一命を以て、これを説得する。古式作法に則り、見事な三文字の切腹を果たして、自身の一念を日本全国民へ訴えたのである。

 この様子は全世界にも発信され、日本の『ハラキリ』という文化を初めて知った世界中の度肝を抜き、その後に世界地図から日本が消えても、全世界の者達へ日本と言う存在を強く印象付けた。

 また、これに伴い、日本占領作戦における総司令官を務めていたナイト・オブ・ラウンズの第一席『ビスマルク・ヴァルトシュタイン』は枢木ゲンブを国士と讃えて、全軍の進軍停止を命じると、日本へ一週間の猶予を与えた。

 尚、この枢木ゲンブの声明へ対して、ブリタニア皇帝たるシャルルは以下の様な発言を残している。

 

『ふっはっはっはっはっ! 敗北は認めても、屈服はせんと言う事か!

 愉快! 痛快! 大ぉぉいに結構! 日本人よ、存分にぃぃ反逆せよ!

 その熱意が! 戦いが! 闘争が! 我が国をぉぉ、よりぃぃぃ強くさせる!

 そう、それこそが我が国の国是よぉぉ! オール・ハイル・ブリタああああああああああニア!

 遠慮はするな! 日本人だけではぁぁないぞ!

 勝てると思うなら、誰でも挑んでくるが良いぃぃ! 皇帝の椅子は最も強き者が座るべきなのだからな!』

 

 一週間後、日本は神聖ブリタニア帝国へ降伏。

 だが、枢木ゲンブの声明がシャルルへ好印象を与えた結果、既存の征服されたエリアでは当たり前となっていた無条件降伏ではなく、ささやかながらも日本側の要求を飲んだ条件付き降伏となった。

 前述にあったゲットーと租界の境界線も、そうした条件の内の1つであり、反ブリタニアを掲げるエリア11のレジスタンス組織の中には枢木ゲンブを神格化しているところも少なくはない。

 ちなみに、ネリマダイコンの大義はあくまで練馬大根の復活。枢木ゲンブの神格化は行っていないが、その影響力はやはり大きい。

 

「嘘だ!」

「ああ、有り得ない!」

 

 だからこそ、そのニュース速報が信じられなかった。誰もが思わず口をポカーンと開け放ち、食事の手を止める。

 一拍の間の後、それだけでは飽きたらず、2人の男が激昂して叫び、席を蹴って立ちあがる。

 1人は着ているフリーサイズのTシャツが胸も、肩も、腕もパンパンな引っ張られて、筋肉がモリモリなプロレスラーの様な坊主頭。

 名前は『マルガリータ・吉田』、荒事に向いていそうな外面とは裏腹に気がとても弱く、ネリマダイコンの庶務と経理、後方担当を務める元新宿二丁目出身のイイ男。

 1人は黒いジャケット、黒いスラックス、意味もなく第2ボタンまで外した白いシャツをどんな時も常に着ている長髪の二枚目。

 名前は『ケーン・杉山』、ネリマダイコン準構成員を増やす渉外役と支部、他組織との交渉役を務める元新宿のとあるホストクラブのNo1実績を2年連続で持つ男。

 余談だが、準構成員とは、実際のレジスタンス活動は行わないが、ネリマダイコンの大義に賛同して、資金提供や情報提供などを密かに行ってくれている協力者達の事である。

 

「じゃあさ、あのコンテナに積まれているのって……。やっぱり?」

 

 夕飯がカレーライスだけに各々の前に用意されたお冷や。

 荒ぶった感情を冷やす為、それを一口飲み、キャンピングカーの窓から見えるコンテナを指さすセミロングの女性。

 彼女の名前は『井上ナオミ』、ヨーロッパへ留学するが、ブリタニアとECが戦争状態となり、無念の帰国。25歳と若いながらもネリマダイコンの実質的No3であり、全ての部署で補佐的な役割を務める才媛。

 

「……だろうよ。

 どうせ、ニュースはお得意のでっちあげだろうが……。

 あれがゲットーに蒔かれていたらと思うと、胸くそが悪くなるぜ!」

 

 井上の問いかけにコンテナを憎々し気に一瞥して吐き捨てると、頬を膨らむほどにカレーライスを掻き込みまくる無精髭の髪を逆立てた男。

 彼の名前は『玉城シンイチロウ』、チンピラな風貌をしているが、実際に元チンピラ。アンダーグラウンドに顔が効き、ネリマダイコンの武器調達を担っている。

 

「しかし……。アレ、どうする?

 捨てるにしても、おいそれと捨てられないし……。持っているのはもっと問題があるしな」

 

 扇もまた食事の手を止めて、件のコンテナへ視線を向ける。

 そのコンテナこそ、ナイトメアフレームが積まれていなかった大型トラックの積み荷である。

 最初、その扉を開けた時、ナイトメアフレームが入っておらず、誰もがガッカリと落胆した。

 それでも、幾つもある木箱から歩兵用の火器弾薬が見つかり、これはこれで悪くないと皆で慰め合っていた時だった。扇が1つの木箱からソレを発見したのは。

 無針注射器用のアンプル。扇が何だろうと首を傾げて、ソレを思わず割ろうとした瞬間、玉城が目をギョッと見開き、怒鳴り止めた。

 玉城は勘と経験から、ソレが麻薬『リフレイン』だと即座に判断。ソレが何千、何万本と入っている木箱の蓋を釘で打ち付けて封印すると、その木箱だけをコンテナの中へ入れて、絶対に誰も触るなと厳命。今は常に誰かの目に届く位置へ置き、ヴィンセント以上の厳重管理が行われていた。

 

「……だな。

 その辺りも、紅月が帰ってきたら早く決めないとな」

 

 本心を明かしてしまえば、扱いに持て余している予想外の強奪物。

 南が扇の意見に頷き、結局のところ、ネリマダイコンのリーダー『紅月ナオト』の帰還に全ての問題が集約する結果となり、誰もが黙り込んでしまう。

 ちなみに、この6人と紅月ナオトの妹『紅月カレン』がネリマダイコンの幹部であり、いずれも1人1人の能力は高いのだが、リーダーである『紅月ナオト』1人に頼り切っている部分が大きくあった。

 そんな中、鳴り響く南の携帯電話。タイミングがタイミングだけに、誰もが思わず期待に南へ視線を集める。

 

「はい、南です!」

 

 南も期待に声を弾ませるが、返事は返ってこない。

 一呼吸、二呼吸、三呼吸、幾ら待っても無反応。南は携帯電話を耳から離して、そのディスプレイを確認するが、発信者のナンバーは非通知。

 その様子から朗報ではないと悟り、南以外の者達が落胆して、食事を再開しようと、それぞれが思い思いにスプーン、皿、コップを手に取ったその時だった。

 

「……って、何だよ。間違い電話かよ。

 いや、待てっ!? あんた、もしかして……。Xっ!? Xじゃないのかっ!? そうなんだろうっ!?」

 

 突如、南の頭に天啓が舞い降りた。

 南は切りかけて下ろした携帯電話を慌てて両手で持ち直すと、オンフック機能のボタンをオン。天啓に従って、電話の相手へ矢継ぎ早に正体を尋ねた。

 その瞬間、南以外の者達は息を飲んで動きを止め、顔を見合わせると、再び視線を南へと集める。

 

『……そうだ。

 週末毎、君の店のポストへ情報を提供していた者を『X』とするなら、私がその『X』だ』

 

 静寂がキャンピングカー内に満ちてゆき、点けっぱなしのテレビの音が何処か遠くの世界から聞こえてくる様な錯覚を覚える中、数拍の間を空けて、電話の向こう側で男が肯定する。

 目を見開ききった驚愕の表情を見合わせる6人。扇が人差し指を顔の前へ立て、井上が無言でテレビを指さす。それに応えて頷き、杉山がテレビのリモコンを手に取って、無音ボタンを押す。

 

「意外と若い声だな……。ぐへっ!?」

 

 そこまでお膳立てをされていながら、玉城はうっかりと私語を漏らす。

 すぐさま吉田がラリアットを放ち、そのままソファーへ袈裟固め。玉城は強制的に沈黙した。

 

「やはり! ずっと、ずっと貴方に礼が言いたかったんだ! ありがとう!」

『礼には及ばない。私は私の信念と私の目的の為にやっていただけに過ぎない』

「それでもだ! 貴方のおかげで随分と助かっている! 本当に感謝している!」

 

 そして、南は興奮しまくっていった。

 なにしろ、今まで感謝したくても、それが出来たかった相手からの電話である。

 例え、その相手が目の前に居らずとも、立ち上がり、頭を下げてしまうのは日本人の性か。南は何度も、何度も、頭を下げる。

 

『しかし、今回はイレギュラーが起きた。

 そこで君達の力を借りたい。今、ニュースは見ているか?』

 

 それに対する電話の男の声は何処までも平坦だった。

 だが、『しかし』と扇は考える。今まで正体を隠していたにも関わらず、声だけの一端とは言え、その正体を明かしてまで何故に連絡を取ってきたのか。それ相応の理由が有るはずだ、と。

 電話の男の言葉に釣られて、テレビへ視線を向けると、枢木スザクらしき少年が護送車へ押し入れられる場面が映っており、それを見た瞬間、まさかと言う考えが扇の頭を過ぎる。

 

「む、無理だ……。出来っこない!」

 

 扇が思わず席を蹴って立ちあがり、茫然とした表情で口をワナワナと震わせる。

 一体、何事かと皆が扇へ視線を集めていると、電話の男がまるでキャンピングカーの様子を何処かで見ているかの様に含み笑いを響かす。

 

『くっくっくっくっくっ……。どうやら、勘の良い奴が居るみたいだな。

 だが、それを行う前から諦めていては成せるものも成せん。そう、君達が願う日本復活と同じだよ』

 

 謎の男からの電話。それは扇がまかさと考え、すぐに不可能だと否定した『枢木スザク奪還作戦』の申し込みだった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ほぉ~~……。今はこんな玩具が売っているのか。面白いな」

 

 赤い蝶ネクタイを口へあてがいながら、その裏にあるダイヤルを興味深そうに回すC.C。

 その途端、C.Cの声が次々と変化。老人っぽい声、子供っぽい声、男性っぽい声、より高くなった女性っぽい声と何でもござれ。

 

「だが、どぉぉうする気だ?

 声を幾ら変えたところでぇぇ、お前の見た目ではぁぁ無理だろぉぉ?」

 

 やがて、とある男性の声を気に入り、C.Cは満足そうにウンウンと頷いて、敢えて巻き舌を用いて喋る。

 しかし、自室のクローゼット奥を四つん這いとなって漁っているナナリーにとって、その声はとても不快なものだった。

 それもその筈。その声はブリタニア国民なら誰もが知っている現ブリタニア皇帝の声であり、ナナリーの不倶戴天と言える声。

 

「その声、止めてくれる?」

「何ぁぁ故だ? もしや、この程度で動揺したとでもぉ~……。言うのか?

 だぁとするなら、お前に復讐など、無理ぃぃ、無駄ぁぁ、無茶ぁぁ、無謀ぉぉぉぉぉ!」

「くっ……。」

 

 心底、嫌そうな顔を振り向かすが、C.Cはニヤニヤと笑って、変声を止めようとしない。

 それどころか、更に興が乗ったらしく、ノリノリに叫んでの物まねを披露。ナナリーは下唇を噛み締めて、C.Cの見えないところで右拳をギュッと握って作り、怒りを懸命に我慢する。

 本音を言えば、今すぐC.Cへ駆け寄り、うっかり与えてしまった赤い蝶ネクタイを強奪してやりたいところだが、それは悪手と考えた。

 その選択肢を選んだが最後、C.Cは今後も何かと事ある毎に同様の事を行い、自分をからかってくるに違いない。まだ数時間の短い付き合いではあるが、その数時間で見たC.Cの性格から、そう結論付けた。

 果たして、それは正解だった。ナナリーが相手をしてくれないと見るや否や、C.Cは赤い蝶ネクタイをつまらなそうに投げ捨てて、その手元を覗こうとナナリーの背後へやって来る。

 

「……で、お前はさっきから何を探しているんだ?」

「フフっ……。コレを今年のハロウィンに使おうかと拾っておいて本当に良かった」

 

 ナナリーがクローゼットの奥から取り出したのは『愛媛のいよかん』と書かれた段ボール2箱。

 その箱の中からまず取り出したのは、スポーツ用のファールカップ。

 本来は男性のアレを守る為の代物だが、それを股間に装着。この上にツータックの黒いスラックスを履けば、股間は自然にもっこり。

 次に箱の中から取り出したのは、やたらバックルの装飾が派手なベルト。

 その派手さにどうしても目がバックルへ行き、ベルト自体が幅広で厚いのも加えて、女性特有の腰の細さをある程度は誤魔化せる優れもの。

 更に箱の中から取り出したのは、手首までを完全に覆う革製のぴっちりとした黒いグローブ。

 これさえ着ければ、女性特有のほっそりとした指先は瞬く間に消えてしまい、男らしさを逆に感じさせるワイルドな逸品。

 続いて、箱の中から取り出したのは、バイク用のプロテクター。

 肩、胸部、膝と装着すれば、気分はすっかり特殊部隊兵。モデルガンを片手に街を歩けば、警察官からきっと職務質問をされるだろうデンジャラスな装備。

 最後に箱の中から取り出したのは、何とも形容し難いデザインの黒いフルフェイスマスク。

 この極めつけのマスクを被り、剣術の師から賜った日本刀を左腰に差して、クローゼットに吊してある襟高の黒いマントを羽織れば、上から下まで黒づくめの怪しい男が堂々完成。

 ナナリーは振り返って、両手を腰に突きながら C.Cへどうだと言うわんばかりに胸を張る。

 

「確かに……。それなら、お前と解らないな」

「でしょ! でしょ!」

 

 さすがのC.Cも、これにはビックリ仰天。茫然と目をパチパチと瞬きさせる。

 半ば呆れながらも、こんな物を用意していた周到さを素直に感心して、小さく拍手。

 その反応に気を良くしたのか、ナナリーはマスクの中で満面の笑顔を浮かべると、ベットへ跳び乗った。

 そして、右手を勢い良く振り上げて、マントをバサリと翻し、続けざまに左手を勢い良く振り上げて、再びマントをバサリと翻して高笑い。

 ちなみに、その声は赤い蝶ネクタイと同じ変声機をマスクの中に仕込んでいるらしく、男性の声であり、何と言う運命の悪戯か、ナナリーも、C.Cもこの時点では知る由も無かったが、その声色は成長したルルーシュの声にそっくりだった。

 

「フッハッハッハッハッ! 我が名はゼロ!

 混沌より生まれし、漆黒の魔王!

 弱き者よ! 我を讃えよ! 強き者よ! 我を恐れよ!

 我が名はゼロ! 悪を断つ剣なり! ……フッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」

 

 挙げ句の果て、日本刀を抜き放ち、上段、中段、下段と連続に振り、最後に血振るいの動作を行って、日本刀を納刀すると、内なる高揚感を爆発させて更なる高笑い。

 しかし、期待の眼差しをC.Cへ向けるが、C.Cは目を大きく見開いたまま、固まって無反応。その反応の薄さを怪訝に思い、ナナリーが高笑いを緩めてゆき、それが完全に途絶えたその時だった。

 

「お前……。馬鹿だろ?」

「な゛っ!?」

 

 C.Cが強烈な一撃を放つ。先ほどは半ば感心する気持ちもあったが、今度は完璧な100%で呆れていた。

 その半眼となった白い眼差しを受けて、ナナリーが胸を右手で押さえながら仰け反る。

 しかも、C.Cはこれ見よがしに深々と溜息をついたかと思ったら、何か微笑ましいモノを見守る様なとても良い笑顔を浮かべて、更なる追い打ちを容赦無く放った。

 

「……と言うか、やっぱりマリアンヌの娘だな。

 あいつも若い頃は鏡の前で似た様な事を良くやっていたよ。自分自身で『閃光』とか言ってな」

「ぐはっ!?」

 

 それはナナリーにとって、致命傷となる一撃だった。

 よりにもよって、憎悪を抱いている母親と似ていると告げられ、ナナリーはもう立っていられなかった。

 

「……で、お前は『漆黒の魔王』か。まあ、あいつの『閃光』よりは強そうだな」

「や、止めてぇぇ~~~っ!? 

 も、もう止めてっ!? わ、私が悪かったからっ!? お、お願いだから、忘れてぇぇ~~~っ!?」

 

 だが、C.Cの容赦無い攻撃はまだまだ続き、ナナリーはベットの上を右へ、左へと転がり、のたうち回り、最後は布団を頭から被って泣いた。

 

 

 



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第一章 第07話 その名は……。

注意)今回、コードギアスとは別の作品が欠かせないネタとして、大きくクロスします。
   但し、今回限りとなりますので検索タグは付けていません。
   その手の展開が嫌いな方はご注意を下さい。



 

『間もなくです。間もなく時間となります。

 ご覧、下さい。まだお昼だと言うのに、沿道を埋め尽くしたこの人だかりを!

 皆、待っているのです! 悪魔の薬『リフレイン』をこの世にばらまいた悪魔を!

 名誉ブリタニア人の枢木スザクが通るのを! 元イレブンを! 今か、今かと待ち構えているのです!』

 

 TV局『HiTV』が独占放映権を得て、『枢木スザク護送』を実況生中継する報道特別番組。それは全て仕組まれた大嘘だった。

 戦後、約10年が経とうとしているにも関わらず、未だ燻る気配すら無いテロリスト達の気運を削ぐ為、軍部の失態から目を逸らす為、エリア11総督のクロヴィスは部下達の助言に従い、この見せしめのショーを許可した。

 

『人でなし!』

『神の呪いを受けよ!』

『人の皮を被った悪魔め!』

『下衆が!』

『ウザクめ!』

 

 護送する装甲車は天井を飾り立てられ、その舞台の中心に打ち立てられた4メートルの白い十字架。

 そのナイトメアフレームほどの高さがある十字架にスザクは張り付けられ、口枷を噛まされていた。自白でも強要されたのか、頬には殴られたと思しき痣がある。

 十字架へ背を向けて、前後に屈強な長身の男が2人。中世の処刑人を模しているのだろう。黒い三角頭巾を被り、上半身裸で身長大の斧槍を立てて構えている。

 その上、ナイトメアフレーム4機が装甲車の四方を囲み、装甲車や戦車を幾台も後続に連ね、三宿駐屯基地から目的地である政庁区警察機構までのハイウェイを敢えて徐行速度で練り歩いていた。

 それはさながら小さな観兵式と言え、このパレードは見せしめであると共に全国のテロリスト組織へ対する挑戦でもあった。

 そう、ブリタニアは予想していた。何処かのテロリスト組織が枢木スザクの奪還を企み、必ずや現れるに違いない。それだけの価値が『枢木』にはある、と。

 しかし、ここは租界の中、ブリタニアの完全勢力圏内である。通常の護送状態ですら、それを成すのは困難の上、この動員兵力を考えたら、不可能と言っても過言ではない。

 ハイウェイを練り歩く部隊の他にも、その沿道を歩兵が列んで立ち、一定間隔毎に装甲車とナイトメアフレームが配置されており、この渦中へ飛び込むなど、やはり無茶、無理、無謀と言う他は無い。

 また、逆の場合。テロリスト組織が何も仕掛けてこず、この見せしめ劇が平穏無事に済んだとしても、ブリタニア側は一向に構わなかった。

 その理由は簡単。何も仕掛けてこないと言う事は、テロリスト自身が『枢木』の価値を捨てると同義であり、それは枢木ゲンブがエリア11に根付かせた反ブリタニアの志を捨てるという事にも繋がっているからである。

 つまり、ブリタニア側から見たら、どちらに転んでも悪くない展開。テロリスト側から見たら、どちらを選んでもキツい展開となっていた。

 そして、現在位置は高樹町を過ぎて、六本木へと向かっている途中。ゴールはもう目前、いよいよショーは佳境へと入り、ハイウェイ沿道を強制動員されたブリタニア人、名誉ブリタニア人が列び、用意されたサクラ達がテロリスト達を煽る為に罵詈雑言の嵐を飛ばしていた。

 

「5番のカメラ、遅いぞ!

 チャールズ、団体の配置は終わったのか!」

 

 このパレードの独占放送権を勝ち取ったTV局『HiTV』の中継車両。

 まだ昼にも関わらず、視聴率は70%を超えていたが、現場指揮を執っている金髪を後ろで束ねた尻尾の男は不満たらたらだった。

 彼の名前は『ディートハルト・リート』、TV局『HiTV』の報道部に所属するプロデューサー。本国入社の31歳ではあるが、その能力を高く買われ、3年前にエリア11支局へ転勤となっている。

 

「そうだ! もっと野次を飛ばせろ!

 ……ふん! こんな出来レース。俺も落ちたものだ」

 

 ディートハルトが追い求める報道とは、偶発が生んだ奇跡の中で輝く人々のカオス。

 だからこそ、こんな茶番劇を報道として扱うのが不満で、不満で堪らなかった。その思いが八つ当たりとなっているのを自覚しながらも収まらず、部下達への指示が自然と荒くなっていた。

 そんなディートハルトを宥めようと、部下の1人がいかにも好みそうな話題『テロリスト襲撃の可能性』についてを振ってみたが、ディートハルトは以下の様に応えると、つまらなそうに鼻で笑った。

 

『どちらかと言えば、これだけショーアップしているんだ。襲撃は有るだろうな。

 我々には理解し難いが、この手の『恥』にイレブンは弱い。

 狙ってやったのか、偶然なのか、どちらにせよ、イレブンを良く研究している見事な策だよ。

 だが、どうやって『枢木スザク』を奪う? ……無理だよ。不可能だ。

 なら、どうするか? それはイレブンが第二次世界大戦で使った『特攻魂』だよ。

 つまり、失敗を大前提とした片道切符の突撃。

 言い換えるなら、枢木ゲンブが行った『ハラキリ』と同じだ。その行為そのもので自分達を慰め、世間を納得させるのさ』

 

 その場に居合わせた者達はなるほどと揃って頷いた。さすが、出世が難しいと言われる報道部のプロデューサーに若くして出世しただけの事はあると感心もした。

 一方、ディートハルトは自分の考えが及ぶからこそ、不満だった。感心されても、これっぽっちも嬉しくはなかった。

 

「あ゛っ!? スタジオ?

 待たせておけ……。圧してなんかいない。全て予定通りだ。

 ……って、待て! 空撮班、今のは何だ? もっと進行方向に振ってみろ!」

 

 だが、今正にディートハルトの考えを遙かに凌駕するカオスがすぐそこまで近づいていた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「あーー……。どうして、藤堂さんなんだよ! 

 藤堂さんこそ、これからの日本に必要な人だろうが! 

 もっと居るだろ! 役に立たない奴が! 草壁とか、草壁とか、草壁とか、草壁とか! 草壁とかさ!」

 

 エリア11における反ブリタニアの最大組織『日本解放戦線』、彼等がブリタニアの挑発に選んだ手段は、ディートハルトが正しく考えた『特攻』だった。

 日本解放戦線が持つ技術はまだブリタニアに遠く及ばず、主軸としているナイトメアフレーム『無頼』は第四世代相当のもの。

 保有数は多いが、やるとなったら基本性能で劣る為、総力戦でしか相手が出来ず、その総力戦にしても分が悪すぎて、それを選択する事が出来なかった。

 それ故、選ばれたのが少数精鋭による『特攻』であり、その作戦実行に選ばれたのが、ワンオフで造られた実験機体のまだ名も無い第七世代相当のナイトメアフレーム5機であった。

 

「そう言うな。藤堂中佐だからこそというのも有る。

 少なくとも、私は草壁中佐では納得がいかないし……。実際、お前だって、そうだろ? 朝比奈」

「ぐっ……。それはそうだけどさ」

 

 そして、その指揮官として選ばれたのが、『奇跡』の二つ名で広く呼ばれている英雄。約10年前の戦いにて、ブリタニアへ唯一の黒星を付けた人物であり、ナナリーとスザクへ剣術を初めて手解きした『藤堂鏡志朗』だった。

 つまり、日本解放戦線は『奇跡』と呼ばれるお前ならばと送り出してはいるが、はっきりと言ってしまえば、『枢木』の名に代わる新たな人柱として『藤堂』を選んだだけというのが本音。

 

「わっはっはっはっはっ! 結構! 結構! 大いに結構! 

 負け戦こそ、戦の華よ! 一気駆けこそ、戦の誉れよ! これこそ、本懐というものよ!」

「いや、仙波のおっさんはそれで満足かも知れないけどよぉ~~……。」

「待て、朝比奈! 本懐と言えば、だ!」

「おおっ!? 卜部さん、気になりますよね! 気を効かせた者同士としては!」

 

 これに関して、藤堂の直属の部下であり、『四聖剣』と呼ばれる4人の反応は様々だったが、藤堂自身の心は穏やかに澄み切っていた。

 実を言うと、スザクとナナリーが逃げ出したあの日。その事実を知ると共にブリタニアとの戦いが始まり、軍へ済し崩し的に復帰した過去を藤堂はずっと悔いていた。

 なにしろ、何もかも結果論ではあるが、枢木ゲンブは敵が賞賛するほどの国士。誰よりも自分に近い考えを持っていたと言わざるを得ない。

 ところが、当時の藤堂は己の政治力の無さが原因となって、周囲の奸計に惑わされ、目をすっかりと曇らせてしまい、嘗ては近所付き合いから『叔父さん』と呼んで慕っていた人物を密かに『売国奴』と蔑み呼んでいた。

 その結果、いつの間にか、枢木ゲンブの信頼を失い、誰よりも近い位置に居て、自分こそが適任だったにも関わらず、スザクとナナリーの2人を子供だけの厳しく苦しい逃避行へ向かわせてしまった。

 挙げ句の果て、死に場所を求めていたら、周囲からは『奇跡』の汚名で呼ばれる様になり、ますます死ねなくなって、生き恥を晒している毎日だった。

 

「な、何よ! そ、その目は! ……ふ、2人して、いやらしいわね!」

「あっちゃぁ~~……。間違いなく、これは駄目だったっぽい」

「……千葉、お前な。最後かも知れなかったんだから、そこは強気で行けよ」

「だ、だってぇ~~……。」

 

 その後、藤堂はスザクが京都六家の一家『皇家』で暮らしているのは知っていた。

 大人達の思惑だろう。庶民となり、天皇家より皇家へ養子入りした『皇カグヤ』と婚約したと聞いた時は驚いた。ナナリーの事はどうするのか、と。

 しかし、14歳の頃に出奔して、その後の行方が全く掴めなくなっていたのだが、名誉ブリタニア人となり、更にはブリタニア軍へ入っているとは考えもしなかった。

 速報ニュースにて、スザクの名前と顔を見た時、まさか、まさかとTVへ齧り付く様に接近して確認したほど。てっきり、スザクはブリタニアを憎んでいるものとばかり考えていた。

 ちなみに、藤堂はスザクの子供の頃の性根を知っている為、スザクが『リフレイン』の密売を行っていたなどと言う報道はこれっぽちも信じていない。

 だからこそ、この作戦を提案された時、藤堂はさして悩まずに了承した。どの道、汚名を着たまま殺されるのであれば、嘗ての師である自分がスザクへ一太刀を入れ、安らかに逝かせてあげたかった。それが枢木ゲンブの期待に応えられなかった自分の最後の役目だと悟った。

 そう、奪還を最初から諦めて、特攻を選んだ日本解放戦線の真の目的は、ブリタニアの手によるものではなく、自分達の手による枢木スザクの抹殺。指揮官の藤堂だけに伝えられている極秘任務だった。

 

「4人とも、そこまでだ。

 もうすぐ、皇居前を通過する。各自、用意しろ」

 

 藤堂の心残りは、たった一つ。それは行方が全く知れず、今も生きているのかさえも解らないナナリーの存在。

 この約10年の間、あくまで私事の為、情報部は使わなかったが、任務の都合上、日本各地を巡る機会に恵まれ、藤堂は暇を見つけては自分の足でナナリーの姿を求めて探し回っていた。

 ところが、スザクと共に3人で一緒に写した写真はあるのだが、写っている当時のナナリーは幼児。子供の成長は早い為、時が経つにつれ、唯一確かな手掛かりは役に立たなくなってゆくばかり。

 最近に至っては、ナナリーの特徴であるアッシュブラウンの髪色と紫の瞳色。この2つだけが頼りとあって、その捜索は困難を極めた。

 それでも、3ヶ月に1人か、2人くらいの確率で似た人物が居るという噂が届き、その噂の元へ足を運び、過去に自分がナナリーだと言い張る者も3人ほど居たが、その辺りに落ちていた手頃な棒を握らせて、すぐに偽物だと解った。剣術を嗜んでいる者の握りと明らかに違っていたからである。

 ナナリーの性格を考えたら、どんな場所にあっても、剣の鍛錬は怠っていないはず。それを考えると、藤堂は幼かった頃のあの才能がどの様に開花しているのかが楽しみで楽しみで仕方がなかった。

 

「頭、右! 敬礼! ……直れ! 

 搭乗! ……諸君、それでは九段で会おう!」

「承知!」

「お先に逝っています!」

「道案内はお任せを!」

「はい! また絶対に逢いしましょう!」

 

 しかし、その心残りを考えている暇も無くなってきた。

 せめて、最後だからと危険は承知でハイウェイから下り、藤堂達を乗せた5台の大型トラックが永代通りから内堀通りへと入るが、予想していた待ち伏せは居ない。

 今は主無き、只の屋敷であり、只の森ではあるが、それぞれのトラックのコンテナの中から元皇居へ敬礼を捧げた後、すぐさまナイトメアフレームへ乗り込む。

 そして、左へと引っ張られる感覚。大型トラックが右へと曲がった証拠であると共に、それはいよいよエリア11政庁前へ突入する事を意味していた。

 

『くそ! ブリキの野郎、舐めやがって!』

「どうした!」

『あいつ等、撃ってきません! それどころか、行けと合図しています! どうしますか!』

 

 だが、エリア11政庁前の光景は信じられないものだった。

 その衝撃の事実が通信機を通して、先頭を駆ける大型トラックの運転手から藤堂達へ告げられる。

 横一列となってエリア11政庁前を封鎖する十数機のナイトメアフレーム。装備されたアサルトライフルの銃口は上へ向けられたまま。

 その前に列んだ歩兵達は誘導灯を左へと何度も振り、トラックへさっさと行けと言わんばかりに興味を示さない。

 

「ぐっ!? ……なら、その言葉に甘えよう!

 朝比奈、卜部、作戦変更だ! お前達もこのまま続け!」

「「了解!」」

 

 皇居前の内堀通りもそうだったが、もしブリタニア軍の妨害に出くわした場合、後続トラックから順々に止まり、先行車を生かすのが藤堂達の作戦だった。

 その為、連なり走る5台の大型トラックのコンテナに収められたナイトメアフレームの搭乗者は、操縦練度の高い順番に列び、先頭から藤堂、仙波、千葉、朝比奈、卜部の順となっていた。

 ところが、ここへ至るまでの妨害は一度も無し。あくまでTVカメラの前でショーを行うつもりだと知り、藤堂を始めとする全員が屈辱に奥歯を噛み締める。

 しかし、迫り来る時は感傷に浸る暇すら与えてくれない。5台の大型トラックは霞ヶ関を通過して、再びハイウェイへと入り、あとは真っ直ぐに突き進むだけとなったその時だった。

 

『な゛っ!?』

『ほぉっ!?』

『え゛っ!?』

『ふぁっ!?』

『ま゛っ!?』

 

 縦に連なる5台の大型トラックをぐんぐんと追い抜いてゆく緑色のバイク。

 突如、隣に現れた謎の存在に大型トラックの運転手達は次々とビックリ仰天。驚きのあまり声を失う。

 

「どうしたっ!? 何があったっ!?」

 

 だが、大型トラックのコンテナの中、ナイトメアフレームのコクピット内で待機する藤堂達は何があったかを知る術は無い。

 おかげで、思わず敵襲かと操縦桿を慌てて握り締めるが、そんな藤堂達にも驚きが襲う。

 

『あーー……。あーー……。良し、繋がったな。

 何処の誰かは知らんが、無策な特攻は止めろ。邪魔だ。

 枢木スザクを確実に救いたいのなら、私に黙って従え。本当の奇跡と言うモノを見せてやる』

 

 狙ってなのか、偶然なのか、『奇跡』の二つ名で呼ばれる藤堂を前にして、挑発とも取れる通信が割り込んできた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「フッフッフッフッフッ……。」

 

 このパレードとも言える作戦の責任者であり、十字架を打ち立てた装甲車の前を行くキューエルは、最新型ナイトメアフレーム『ヴィンセント』のコクピット内で浮かれていた。

 なにしろ、この作戦はエリア11総督のクロヴィスが直々に裁可を下したもの。成功させれば、先日のシンジュクゲットーでの戦果もあり、出世は間違いない。

 現在の少佐から中佐となれば、士官学校同期の出世頭『ジェレミア』と階級が列び、ジェレミアがそうだった様に貴族位を貰える可能性も大いに有る。それを考えたら、誰だって、ついつい頬が自然と緩んでしまうのも仕方がない話。

 

「まあ、貰えると言っても、恐らくは辺境伯。賜る領地も、このエリア11の何処かだろう。

 本国での扱いは低いが、貴族は貴族だ。

 これで正式にマリアさんへプロポーズが……。おっと! 待て、待て! 慌てるな!

 マリアさんは大学へ進学したいと言っていたから、まずは婚約だな!

 うむ! 焦らず、一歩、一歩だ! 婚約にしておこう!

 そうと決まれば、この作戦が終わったら、婚約指輪を買いに行かなくては!

 う~~~ん……。石はそうだな。あまり高級過ぎては、マリアさんも引くだろうから……。

 そうだ! アメジストだ! マリアさんの瞳と同じ色のアメジスト! 我ながら、実に良い考えだ!」

 

 キューエルの夢はどんどんと膨らみ、その未来もどんどんと膨らんでゆく。

 最早、キューエルは婚約を申し込みさえすれば、ナナリーが受けてくれると信じて疑わず、その未来はバラ色に染まっていた。

 

『キューエル少佐!』

「どうした!」

『政庁前より本線へ向かう車両があります。指示通り、ノーチェックとしましたが……。』

「対象はテロリストの物と思うか?」

 

 しかし、そんな幸せの一時を邪魔する者が現れる。

 キューエルは思わず舌打つが、だらしなかった顔を引き締めて、今先ほどとは違う酷薄な笑みを浮かべる。

 例え、テロリストの襲撃が有ったとしても、キューエルもまた己の勝利を万に一つも疑っていなかった。

 キューエルが搭乗するヴィンセントは専用機。ブルーのパーソナルカラーが施されており、量産機と比べて、約1.3倍の出力が有る。

 十字架を打ち立てた装甲車の左右、後ろに着くナイトメアフレームも最新型のヴィンセント。量産型ではあるが、そのパイロットはキューエル自身がこれと見込んだ者達。

 その上、ハイウェイ沿道をナイトメアフレーム『グロースター』が一定間隔で待機しており、いざとなれば、30秒で20機以上が集うのだから、負けるはずが無かった。

 むしろ、テロリストの襲撃が有った方が功績はより大きくなる為、つまらないパレードよりもテロリストの襲撃を歓迎していた。

 

『それが、その……。途中まではそうだったのですが……。』

「何だと言うのだ?」

『ご覧にさえなれば、お解りになるかと……。』

「良いだろう。そのまま、こっちへ通せ。……全軍停止!」

 

 ところが、その気勢を削ぐ様な歯切れの悪さを見せる部下の報告。

 キューエルは怪訝に思いながらも、ヴィンセントの前進を停止。コクピットブロックを開け放つと、その身を晒して、テロリストの到着を待った。

 

「キューエル少佐、危険です!」

「ヴィレッタよ、そう慌てるな。元々、予定していた客人ではないか」

「それは、そうですが……。」

 

 その様子を見て、たちまち沿道の観衆がざわつき始める。

 上空を飛行するTV局のヘリコプターも滞空して留まり、実況するTVレポーターがここぞと張り切り、興奮を煽って騒ぎ立てる。

 十字架を打ち立てた装甲車の後ろを着けていたヴィンセントもまたコクピットブロックを開け、その中から現れたヴィレッタがキューエルの迂闊さを注意するが、キューエルはまるで堪えた様子を見せないどころか、向けられたTVカメラへ愛想を振りまく始末。

 

「なら、それ相応の歓迎をしてやるのが……。礼儀……。だ……。ろ……。」

 

 しかし、ソレがハイウェイの遠方に見え始めると、キューエルの顔から笑顔が消えた。

 やがて、ヘリコプターの音に混じって聞こえてくる二輪車特有の甲高いモーター音。ソレに気づき、沿道のざわつきも消える。

 それどころか、喋るのが仕事のTVレポーターが茫然と口をアングリと開けて固まり、TVカメラマンすらもが我が目を疑い、カメラの覗き口から顔を上げてしまい、放送そっちのけでソレへ裸眼を向けた。

 これ以降、生中継が無駄とならなかったのは、ソレの出現に興奮しまくる一方で報道精神を忘れず、ハンディーカメラでソレを追い撮り続けていたディートハルトの功績であった。

 そして、この生中継を見ていたエリア11の者達もまた現場同様にモニターの前で言葉を失っていた。正しく、それはエリア11の時が止まった瞬間だった。

 

「ふっ……。どうやら、遅刻をせずに済んだ様だな。

 そこの君? パーティ会場はここで間違いないかな?」

 

 それほど、ソレはインパクトがあった。

 大型を好む傾向があるブリタニア人から見たら、自転車かと思ってしまう様な緑の薄型バイク。

 敢えて言い表すなら、ナイトメアフレームの軽い一蹴りで遙か彼方まで跳んでいきそうな貧弱さ。

 この大兵力の渦中、場違い感が甚だしい事この上なく、単騎で現れたのも驚愕に値するが、それ以上の驚きがその乗り手にあった。

 マスクも黒、マントも黒、グローブも黒、プロテクターも黒、ブーツも黒、と言う上から下まで黒ずくめ。

 しかも、キューエルが搭乗するヴィンセントの手前、約20メートルの位置で立ち止まると、バイクのスタンドを立てての駐車。

 挙げ句の果て、数多の向けられた視線にも、数多の向けられた銃口にも怯まず、恐れず、遠慮せずに堂々と歩き、キューエルへとぼけた質問を投げる有り様。

 その場に居る全員の視線がキューエルへと集う。黒ずくめのあまりの場違いさから、もしかしたらキューエルが仕込んだ余興なのかと考えた結果の行動であった。

 

「残念ながら、お客人。

 このパレードに道化は呼んでいません。速やかにお帰りを願いたい」

 

 キューエルにしてみれば、せっかく意気込んだところ、この珍客である。自分を馬鹿にしているとしか思えなかった。

 念の為、コクピットの熱源感知レーダーをチラリと一瞥。左右前後、建ち並ぶビルにナイトメアフレームどころか、狙撃兵の1人も居ない。回線を開いたままの部下達からも、後続する敵に関する報告は一切無い。

 もしや、沿道の観衆に仲間を潜ませているのかと考えるが、見渡した限り、誰もが目の前の出来事に驚いており、それらしい者は1人も居ない。怪しいのは目の前の黒ずくめのみ。

 

「道化? ……ああ、君の事か?」

 

 それが合図となった。最早、疑いようが無かった。

 キューエルは黒ずくめが本気でスザクの奪還を単独で成そうとしているのを確信した。

 なにせ、傍目から見たら、どう考えても、道化は黒ずくめだが、その道化にスザクを奪還されたら、立場は逆転して、正にキューエルは道化と化す。

 すぐさまキューエルは腰のホルダーから銃を抜き、黒ずくめの仮面へ狙いを定めて、引き金を絞る。

 

「この痴れ者が!」

 

 だが、黒ずくめはこれを読んでいた。

 仮面の中、ギアスの紋章を輝かせながら、閉じたマントの中、左腰に下げた日本刀の柄を持ち、その瞬間を待っていた。

 

「ふん!」

「な゛っ!?」

 

 銃声が鳴り響くと同時に黒ずくめのマントが翻り、白刃が煌めく。

 その直後、黒ずくめの左右で飛び散り、削られるハイウェイのコンクリート。

 それが意味するモノを悟り、キューエルは驚愕を通り越して、茫然自失。目を大きく開けて、口もポカーンと開け放っての間抜け顔。

 

「皆さん、どうかな? 楽しんで頂けただろうか?」

 

 その隙を突き、黒ずくめは日本刀を納刀すると、自分自身で拍手。左右を見渡して、観衆にも拍手をくれとアピール。

 一拍の間の後、最初はパラパラとした散発的な拍手だったが、その勢いは次第に増してゆき、最終的に割れんばかりの拍手と歓声になり、指笛を吹く者すら現れる。

 しかも、それは動員されたブリタニア人と名誉ブリタニア人の観衆だけでは無かった。彼等の最前列に列ぶ歩兵達やナイトメアフレームのパイロット達、ヴィレッタまでもが拍手をしていた。

 そう、彼等、彼女等は先ほどの勘違いを深めて、黒ずくめはキューエルが仕込んだ余興だと思い込んでいた。

 なにしろ、銃弾を日本刀で斬るなんて、有り得なさ過ぎる芸当。これが仕込みでなかったら、化け物じみており、パフォーマンスだと結論付けた。

 

「何をしている! テロリストだぞ!」

「……えっ!?」

「撃て! 撃て! 早く撃て!」

「は、はい!」

 

 慌てて我に帰り、キューエルは焦った。

 キューエルが茫然としている間、黒ずくめは観衆の拍手に手を挙げて応えながら、距離を何食わぬ顔でまんまと詰め、約10メートルにまで迫っていた。

 すぐさま発砲の指示を出すが、部下達の反応は鈍い。ヴィレッタですら、銃をホルダーから取り出すのに手間取る始末。

 最も早く反応する事が出来たのは、装甲車の右側に位置するヴィンセントのパイロットだった。

 但し、慌てるあまり、ヴィンセントが装備するアサルトライフルを用いてしまう。こんな物を対人へ向けたら、かすっただけで人は千切れ、確実に致命傷となる。

 その後の事を考えたら、明らかに愚策であり、射角が少しでもずれたら、観衆を巻き込み、大惨事となるのは必至。

 しかし、キューエルが人選したヴィンセントのパイロットだけあって、咄嗟の事ながら、その射撃はフルオートで行われたにも関わらず、黒ずくめだけを狙う正確なものだった。

 

「何……。だとっ!?」

 

 ところが、ところがである。その正確な射撃が当たらない。

 黒ずくめはマントを翻しながら、左へ、右へと駆けて、銃弾を信じ難い事に全て避けきると、その勢いのまま踏み切って跳躍。

 キューエルのヴィンセントが前へ出している右足の膝を足がかりにホップ。次にヴィンセントの胸でステップ。最後にヴィンセントの頭でジャンプ。

 

「フッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」

 

 そして、黒ずくめは高笑いをあげながら、キューエルの頭上をムーンサルト3回転捻りで飛び越え、なんとスザクが張り付けられている十字架の上へと降り立った。

 この素晴らしい妙技を目にして、キューエルの激昂とナイトメアフレームの発砲に一旦は止んだ拍手が観衆から再び湧き起こる。

 最早、観衆は誰一人として、キューエルと黒ずくめが本気の勝負を行っているとは考えていなかった。先ほどはまだ疑っていた者達も今度は完全にパフォーマンスだと勘違いに陥った。

 余談だが、この生中継を見ているクロヴィスも、昼食の食前酒のワインを片手に大絶賛。キューエルへ対する褒美を考えていた。

 

「おのれぇ~~っ!? 貴様、何者だっ!?」

「ふっ……。名を問われては答えねばなるまい。私の名は……。」

 

 そんな観衆達を訂正して沈めるのも忘れ、キューエルは怒髪天。

 もっとも、パイロットの誇りとも言えるナイトメアフレームの頭を足蹴にされたのだから無理もない話。

 一方、黒ずくめはキューエルの問いかけにマスクの中で『来た!』と小さく思わず呟き、心臓をドキンと高鳴らせて、テンションは最高潮に達していた。

 また、観衆も解っていた。ここが見所だと判断して、拍手が自然と鳴りやみ、黒ずくめがディートハルトのハンディーカメラが自分を捉えてると知り、マスクの奥からカメラ目線を送って、己の名前を高らかに宣言しようとしたその時だった。

 

「ブラックだ!」

「……だ。えっ!?」

 

 黒ずくめの言葉を上書きして、我慢の効かなかった観衆の1人がその名を叫んだ。

 

 

 

「ブラック!」

「太陽の子!」

「0号!」

「ブラックサン!」

 

 幾つかの呼び声はあるが、観衆が黒ずくめを呼ぶ名は『ブラック』が大半を占めていた。

 そして、『ブラック』へと次第に統一されてゆき、やがては完全な『ブラック』コールへと染まってゆく。

 何故ならば、ブリタニア人は興奮から釣られて、周囲に合わせて叫んでいるだけだが、名誉ブリタニア人にとって、黒ずくめの姿はあまりにも有名すぎた。

 そう、黒ずくめの姿はマントを羽織っていたり、マスクの触覚が折れているなどの違いはあるが、黒い仮面に大きな赤い複眼。それは20代以上の男性なら、誰もが知っている解りやすい正義の味方『仮面ライダー』の姿であり、もっと詳しく言うなら『仮面ライダーブラック』の姿だった。

 しかも、その正義の味方があの悪法『刀狩り』で禁止された日本刀を持ち、見事な立ち回りを行っているのだから、元日本人としてはこれほど痛快な出来事は無かった。

 即ち、『仮面ライダー』が相対する者は悪という事から、この場合はブリタニアが悪となり、その悪を日本の象徴とも言える日本刀で翻弄している姿は、差別などで日頃の鬱憤が溜まっている名誉ブリタニア人へ受けまくるのは当然だった。

 今現在、この元日本人だけが理解できる勧善懲悪劇に日本各地でフィーバーが起こっていた。

 また、それを咎めなければならないブリタニア人達は、その咎める理由自体が解らず、イレブン達のフィーバーを茫然と眺めるしかなかった。

 

「いや……。ちょ……。違っ……。」

 

 しかし、そのブリタニア人の1人であるが故、話題の中心に居ながら何故に『ブラック』と呼ばれるのかが解らない黒ずくめ。

 最早、自身が考えていた名前『ゼロ』とは言い出せない雰囲気に焦り、それを悟られぬ様にマスクの中だけで視線をキョロキョロと彷徨わす。

 黒ずくめの中の人の失敗は、アニメの知識はそれなりに持っているが、特撮の知識はこれっぽっちも持っていない事だった。

 そもそも、マントと服、グローブ、ブーツは自前だが、マスクとプロテクターを拾った場所をもっと良く考えるべきだったのである。

 拾った場所は自分がアルバイトへ通っている『わんだぁ~らんど』のゴミ捨て場。当然、何らかのコスプレ衣装であると疑うべきであった。

 もっとも、職場仲間で特撮に通じる者は誰も居らず、それが何なのかが解らなかったと言う事実もあるのだが、常にヒントは目の前にあった。

 店長の南の源氏名が『南コウタロウ』であり、それこそが問題の『仮面ライダーブラック』へ憧れるが故のもの。

 つまり、黒ずくめの中の人が拾ったモノは、店長の南が元々使っていたモノであり、店で使用したが、まるでウケを取れずに捨てたモノだった。

 

「ええい! ブラックめ!」

「そう、私はブラック! 悪を断つ剣なり!

 さあ、撃てるものなら、撃ってみるがいい!

 決して、正義の心は悪に打ち砕かれん事をその目に見せてやろう! フッハッハッハッハッ!」

 

 キューエルが黒ずくめへ銃口を改めて向ける。この瞬間、黒ずくめの中の人が懸命に考えた『ゼロ』は死んだ。

 黒ずくめの中の人はちょっぴり涙目となりながらも高らかに『ブラック』宣言。十字架の上で片足立ち、日本刀を抜いて、右手に持ちながら両腕を左右に開き、キューエルを挑発する。

 この場所こそ、誰も考えなかった盲点。パレードの中心地点であるが故、ナイトメアフレームの銃撃を無効化できる唯一絶対の安全地帯。その生と死の境目に立つギリギリ感がブラックのテンションを更に上げてゆく。

 観衆はブラックの口上にやんや、やんやの大騒ぎ。ブラックコールをあげるが、キューエルが空へ向けて、銃を三連射。強引に黙らせる。

 

「お前が大した手練れだというのは認めよう!

 だが、調子に乗るなよ! こちらの有利は変わっていない!

 今だって、同士討ちを厭わなければ、お前をいつでも殺せるんだと解っているはずだ!」

「なるほど……。道理だ」

「なら、お前のショータイムは終わりだ! まずはその忌々しい仮面を外して貰おうか!」

 

 銃口をブラックへと向けて、憤怒のあまり目を血走らせて、青筋をこめかみに立てながら身体をプルプルと震わせるキューエル。

 おかげで、トレードマークと言えるきっちりと整えた左の七三分けは乱れ、その表情と合わさって、せっかくの二枚目が台無し。

 元々、テロリストの襲撃は予想されていたが、地の利は圧倒的。どれほどの戦力が襲ってこようが、その撃退は料理人が卵を割るくらい簡単なものだと誰もがそう疑っていなかった。

 ここに落とし穴があった。ブリタニア側から見たら、テロリストの殲滅が第一目標だが、テロリスト側から見たら、それさえを諦めず、絶対に可能だと信じているなら、スザクの奪還が第一目標。

 つまり、戦闘を無理に行う必要は無い。1で襲撃するのも、100で襲撃するのも変わらず、逆に連携が取りやすくする為、限りなく厳選された少数であるのが望ましい。

 もっとも、それを選択したところ、その成功率は限りなく低いのだが、それを単騎で行う事によって、ブラックは見た目のインパクトも加えて、これ以上のない虚を突いた。

 キューエルは認めざるを得なかった。ブラックの単独侵入を可能とさせた高い身体能力を。ブラックの圧倒的な多対一でありながら怯まず、前へ突き進める胆力を。ブラックの観客を欺き、ショーアップ化させてしまった大胆不敵さを。

 それでも、まだ余裕はあった。その言葉通り、自分の命すらも厭わなければ、ブリタニア側が依然と有利なのは動いていなかった。

 

「では、私も要求しよう。

 今すぐ、枢木スザクを釈放して、我々を全力で見逃せ!」

「はん! 世迷い言を!」

「良いのか? 私が死んだら、お前の聖母がどうなるのか……。それを試してみるか?」

「私の聖母だぁ~~? 訳の解らん事を……。

 い、いや、待てっ!? せ、聖母だと……。ま、まさか、貴様っ!?」

「フッハッハッハッハッ! どうした? 顔色が変わったぞ?」

 

 だが、それをブラックが嘲り笑いながら告げた途端、キューエルは余裕どころか、怒りすらも失い、ただただ驚愕した。

 目を最大にギョギョと見開き、身体を仰け反らせて、見る者が哀れと思うほどに顔色を真っ青に染める。

 何故ならば、聖母と言って、大半の者が思い出す名前は『マリア』である。世界中の誰もが頼りにしているグーグル先生へ聞いても、それがやっぱり1番上に表示される。

 つまり、キューエルにとっての聖母は、通い詰めている喫茶店『わんだぁ~らんど』のウエイトレス『マリア』であり、その正体であるナナリーを意味していた。

 

『イ、イヤっ!? そ、それで何をする気ですかっ!?』

『へっへっへっ……。解っている癖してよ。これだから、お嬢様は……。』

『兄貴ぃ~、オイラにも楽しませてくれよ。もう爆発しちまいそーだ』

『うるせぇ! 俺がやってからだ! お前は見てろ! へっへっへっ……。』

『や、止めてっ!? ち、ちくわは嫌いなのっ!? キュ、キューエルさん、助けてぇ~~っ!?』

 

 キューエルの脳裏にまざまざと浮かんでくる薄暗い地下牢に監禁されたナナリーの図。

 その妄想はドンドンと駄目な方向へ膨らんでゆき、キューエルは歯をカチカチと噛み鳴らして震えまくり。

 

「キューエル少佐っ!?」

 

 それは明らかに人質を取られて苦しんでいる様子だと一目で解った。

 だからこそ、ヴィレッタは躊躇った。ブラックの背後、キューエルの目線の指示を受けて、ブラックを捕縛する為、密かにナイトメアを下りていたが、この先をどうしたら良いのかが解らなかった。

 

「ぐぐぐぐぐっ……。ヴィレッタ、構わん! この卑怯者を捕まえろ!」

「よろしいのですか!」

「構わんと言った! 今の私はブリタニアに忠誠を誓った軍人だ! 私事は捨てる!」

 

 キューエルは耐えた。歯を食いしばり、涙を流しながらも耐えに耐えた。

 今すぐにでも、銃を投げ捨てて、軍服の内ポケットから携帯電話を取り、電話を『わんだぁ~らんど』へかけたいのを必死に耐えて、その銃口をブラックへと改めて向けた。

 余談だが、キューエルが『わんだぁ~らんど』に投資した金額とナナリーへ捧げたプレゼントの数々の金額の合計はとんでもない額であり、最近は貯金を切り崩しし始めているほど。

 もし、この事実を今も本国で健在の父母が知ったら勘当ものであり、某ラウンズの親衛隊に大抜擢された妹が知ったら絶交もの。緊急の家族会議が開催されるのは間違いない。

 ところが、そんな犠牲を払っているにも関わらず、キューエルは未だナナリーの個人携帯電話のナンバーを貰っておらず、メル友止まりだった。

 

「ほう……。その潔さ、心から感心したよ。キューエル少佐。

 君という人物を見誤っていた様だ。次、会う時はサービスをしてあげよう」

「貴様のサービスなど要らん!

 そして、次に会う事も無い! 貴様はここで捕まるのだからな!」

 

 ブラックの中の人は本気で感心。キューエルの恋心を利用した事に罪悪感をちょっぴり感じていると、ブラックの乙女回路がキュンキュンと回転し始め、『ど、どうしてっ!?』と驚き戸惑う。

 視線が外から見えないのを利用して、慌ててキューエルから真下のスザクへと視線を向け、正常な動きを取り戻した乙女回路に一安心。今のは誤動作だったと判断して、キューエルの背後を日本刀で指し示したその時だった。

 

「やれやれ……。せっかちだな。

 この国の諺に『慌てる乞食は貰いが少ない』と言うのが有ってだね。ほら、後ろを見たまえ」

「笑止! そうやって、油断を誘おうだなんて……。な゛っ!?」

 

 キューエルの背後、ハイウェイの先で爆発音が起こり、更に間を置かず、明らかにナイトメアフレーム戦を開始しただろう銃撃戦の音が聞こえてきた。

 たまらずキューエルが背後を振り返ると、彼方に立ちそびえるエリア11政庁の中腹辺りより煙が立ち上っているのが見えた。すぐさま各部隊から判断を仰ぐ通信が矢継ぎ早に入り、コクピット内が騒がしくなる。

 それはブラックの提案を受け入れて、無謀な特攻作戦を止めた藤堂達によるエリア11政庁襲撃だった。

 藤堂達はここへ至る手前の谷町ジャンクションを左折した後、次の一ノ橋ジャンクション、次の次の浜崎橋ジャンクションも左折。続いて、汐留ジャンクションを右折して、銀座を通り過ぎる地下トンネル内でナイトメアフレームを起動。

 トラックだけはそのまま千葉方面へと向かい、藤堂達はブラックの合図を待って、晴海通りを直進。エリア11政庁の奇襲を正面から堂々と成功させた。

 

「くっくっくっ……。どうやら、別働隊が政庁の襲撃に成功した様だな」

「貴様っ!? ……くぅっ!?」

 

 ご満悦に含み笑いを響かせるブラック。

 キューエルが表情に悔しさと憤りを混ぜて、正面へ勢い良く振り向き戻った瞬間。ブラックのベルトがフラッシュを炸裂させる。

 その眩いばかりの閃光を浴び、すぐさまキューエルは腕を顔の前で交差させるが、既に目は眩んだ後だった。

 同時に放置されていた緑色のバイクから何十という数多のロケット花火が発射。笛を鳴らしながら四方八方へと飛び、更にバイクの前後で4つドラゴン花火が火花を天高く散らす。

 そして、ブラックのマントの中からボトボトと落ち、転がり広がってゆく多数の煙幕玉。それぞれが赤、青、黄、白の煙を放ち、周囲一帯を瞬く間に覆い隠してゆく。

 さすがにパニックを起こす観衆達。彼方此方で悲鳴があがり、我先にと逃げ惑う。

 

「リボルケイン!」

「その時、不思議な事が起こった!」

 

 それでも、未だパフォーマンスの内だと勘違いをして、ノリノリで叫ぶ逞しい者達もまだ居た。

 

 

 

 ******

 

 

 

「扇さん! 合図が上がったわ!」

 

 国道319号線、六本木六丁目信号機の手前にある公園にて、停車中の大型ダンプ。

 耳を澄まさずとも連続で聞こえてくるロケット花火独特の笛の音色に目を輝かす赤毛の外跳ねショートヘアーな女性。

 彼女の名前は『紅月カレン』、ネリマダイコンのリーダー『紅月ナオト』の妹。

 アッシュフォード学園大学部教育学科へ通っており、未だ学生という事で準構成員扱いではあるが、抜群の身体能力を持ち、有事の際は率先して先頭を駆ける特攻隊長といった存在。

 

「ああっ!? 聞こえた!

 出るぞ! しっかりと掴まっているよ!」

 

 ラジオ放送は途中から実況が途絶えてしまい、現場の様子がいまいち解らなかったが、そのロケット花火が合図だった。

 すぐさま扇はハンドルを右へ回して、アクセルをベタ踏み、大型ダンプを発進。助手席に座るカレンは窓を開け放ち、そこへ腰掛け、上半身を車から乗り出して箱乗り。

 

「右っ!?」

「おうよっ!?」

「行き過ぎっ!? ちょい戻しっ!?」

「こうかっ!?」

 

 六本木六丁目の信号機は青。その幸運に感謝しながら、頭上で立体交差するハイウェイを通り過ぎ、扇が速度を緩める。

 ハイウェイから多色の煙が零れ落ち、その煙が下道交差点をも包みかけている中、カレンはハイウェイフェンスの上に立つ2人の人影を見つけて叫ぶ。

 その微調整指示に応え、扇が行き交う車の隙間を狙い、大型ダンプを絶妙なタイミングで対向車線へと割り入れた次の瞬間だった。

 

「来い! 跳べ!」

 

 カレンが乗り出している側の左手で合図を送り、ハイウェイフェンスの上に立つ2人の人影が同時に跳ぶ。

 そして、砂を10センチほど敷き詰めて、その上に空の段ボールを5段。それをびっしりと搭載した大型ダンプの荷台へ見事に着地成功。

 その衝撃に大型ダンプが跳ねる様に激しく揺れるが、扇は再びアクセルをベタ踏み、ハンドルを左へ一回転させる事によって、ステアリングを確保。モーターを全力全回で回しまくる。

 

「OKっ!? 扇さん、GOっ!?」

「おっしゃぁ~~っ!?」

 

 こうして、扇は自ら不可能だと言い切った『枢木スザク奪還作戦』を自分の手で最後を完成させた。

 

 

 



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第一章 第08話 ゼロレクイエム’

 

 

「まずは彼の手当を頼む。どうやら、最後に飛び降りる際、足を挫いたらしい」

「解りました。枢木さん、こちらへ」

「はい、お願いします」

 

 扇とカレンがネリマダイコンの本拠地へブラックとスザクを連れて帰ると、待っていたのは大歓声の嵐だった。

 特に『仮面ライダーブラック』の信奉者である南に至っては、『ブラボー! ブラボー!』と叫びまくってのはしゃぎまくり。

 挙げ句の果て、玉城の『こんな時の為に用意しておいたぜ!』というかけ声と共に日本酒の酒樽が現れ、宴会へと突入しかけたが、それをブラックが待ったをかけた。

 何故ならば、ブラックは大型ダンプへ飛び乗って以来、気になっていた事があり、それを解決しないまま、宴会気分になど到底なれなかった。

 

「それと……。君」

「は、はいっ!?」

「突然だが、君に兄弟はいるかね?」

「……えっ!?」

 

 まさか、真っ先に話しかけられるとは思ってもおらず、カレンは焦り戸惑うが、行方不明の兄についてを尋ねられ、戸惑いを増しながら言葉を失う。

 本日は水曜日、あのナイトメアフレーム強奪作戦より3日間が既に経過しているが、ネリマダイコンリーダー『紅月ナオト』の行方は依然と掴めていなかった。

 カレンは兄の手掛かりを捜そうと、昨日、一昨日と兄が最後に確認された地下鉄線路跡へ行き、ブリタニアの警戒網をやっとの思いでかいくぐり、近づく事に成功したが、そこにあったのは残酷な光景だった。

 大爆発があったらしく、地下鉄線路跡は天井を完全に崩落。その線路沿いを東西に約300メートルほどの溝を走らせて作ってしまい、手掛かりを捜そうにも、その現場自体が無くなっていた。

 それでも、カレンは兄がきっと生きていると信じていた。何らかの事情で連絡が出来ないだけだと諦めていなかった。

 その事実を一時でも忘れようと、今日の作戦参加に志願したが、やはり兄の事を忘れるのは無理があり、皆が先ほど騒ぐ中、1人表情を暗くしていた。

 

「居ます! 紅月ナオトと言って、カレンの兄です!

 俺達、ネリマダイコンのリーダーでもあります! あいつの居所を知って居るんですか!」

「そうか。君達のリーダーだったのか」

「あの……。ブラック?」

 

 そんなカレンに代わり、扇が興奮して応える。

 だが、ブラックから返ってきたモノは期待していたモノとは大きく違っていた。

 その沈みきった声に嫌な予感を感じ、扇はまさかと考えながらも首を左右に振り、ブラックへ言葉の続きを恐る恐る求める。

 

「なら、これは君へ渡そう。彼の形見だ」

 

 ブラックはカレンを暫く見つめた後、右腕をシャツの襟首へと入れ、首にかけていたネックレスを引きちぎると、そのネックレスに通してあった指輪をカレンへ差し出した。

 そう、ブラックが気になっていたモノとは、あの地下鉄線路跡で息絶えた赤毛の青年の面影をカレンが強く持っているという事だった。

 

「か、形見っ!? ……だ、だってっ!?」

 

 ソレを引ったくる様に受け取り、カレンは指輪の装飾を確かめて、目を愕然と見開く。

 兄のモノで間違いなかった。ドクロを模しており、右眼にサファイヤ、左眼にルビーの模造宝石を填め込んだ指輪。縁起が悪いから何度も捨てろと言ったにも関わらず、決して捨てようとせず、常に兄が身に着けていたモノだった。

 だが、『しかし』とカレンは考える。あの日、カレン自身もナイトメアフレーム強奪作戦に参加しており、その目で見ていた。

 兄の後を追い、地下鉄線路跡へ向かったバイクの運転手が女性だったのを。その時の衣装から、自分と同じくらいの年齢だとカレンは予想していた。

 ところが、目の前のブラックは正体不明ではあるが、明らかに男性。とても女性には見えない。

 

「ああ……。先日、君達と共に逃走劇を演じたバイクの彼女は私の手の者だ。

 彼女から、その指輪を渡される時、強く言われたよ。

 自分を逃がす為、彼はブリタニア軍へ果敢に立ち向かい、誇り高く散っていった、と……。」

「お、お兄ちゃん……。」 

 

 その視線に察したのか、ブラックが指輪を所有していた経緯を説明する。

 たちまちカレンは涙を溢れさせると、指輪を両手で包み持ちながら胸に抱き、その場へ力無く崩れ落ちて項垂れた。

 

「今更、謝るつもりはない。

 しかし、君達へあの作戦を提案したのは私だ。だから、私にコレを持つ資格はない」

「……ブラック」  

 

 先ほどとは一転して、暗いムードに包まれる廃工場。

 ブラックは先ほど手渡された紅白のテープが貼られた鏡割り用の木槌を扇へ渡すと、スザクが治療の為に向かった大型キャンピングカーへ足を向けた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「相当、手荒い扱いを受けた様だな。

 だが、これで奴等のやり方は解った筈だ?

 枢木スザク……。どうして、そもそも貴様がブリタニア軍に居る?

 父の無念を晴らしたくはないのか? 悔しくはないのか?

 もし、それを望むなら、私の仲間となれ! お前がそれを望むなら、私は力を貸してやろう!」

 

 ブラックはネリマダイコンの移動本拠地である大型キャンピングカーの中へ入って驚いた。

 外装は古く、所々を錆び付かせていたが、それは偽装。内部は豪華絢爛な二階建て。

 普通に立っていてもストレスを感じさせず、天井は頭1つ分の余裕が有り、出入口から見て、右側にバス、トイレ、キッチン。左側の広々としたダイニングは、180度回転した運転席と助手席が内側へ向けられて、両脇に柔らかなソファーがあり、10人以上は軽く座れる。

 当然、そのまま目の前の階段を上って、二階の様子も知りたくなってくるが、他人の家を勝手に歩くはさすがに不作法。

 ブラックは湧いてくる好奇心をグッと我慢して、ダイニングのソファーで井上の治療を受けているスザクの様子を見守りながら説き、スザクへ右手を差し出した。

 

「申し訳有りません……。

 せっかく助けて貰いましたが、やはり軍へ戻ろうかと考えています」

「何故だっ!? 死ぬだけだぞっ!?」

「そうかも知れません。でも、僕に残された手段はこれだけなんです」

「残された手段だとっ!? 何の事だっ!?」

 

 だが、その手を受け取らず、スザクは首を左右に振り、ブラックが思わず激昂して叫ぶ。

 真実、ブラックの中の人はスザクの気持ちを全く理解する事が出来なかった。てっきり、自分と心を同じくして、ブリタニアを憎んでいるとばかり考えていた。

 ところが、現実は逆だった。ブラックの中の人はスザクが逮捕されたと知った時もショックだったが、それ以上にスザクが名誉ブリタニア人となった上にブリタニア軍へ入隊している事実がショックだった。

 

『僕は許さないぞ!

 ナナリーを泣かせたブリタニアを絶対に許さないぞ! 僕がブリタニアをぶっ潰してやるんだ!』

 

 約10年前のあの時、京都駅で日本とブリタニアの開戦を知り、恐怖に震える自分の手を握り締めて、言ってくれたあの言葉は嘘だったのか。

 例え、ブリタリアどころか、世界中が敵になったとしても、スザクだけは絶対に味方で居てくれるとばかり思っていた。差し出した手を受け取って貰えない現実が信じられなかった。信じたくなかった。

 

「ずっと捜している人が居るんです。子供の頃、分かれ離れになった女の子を……。」

「っ!?」

 

 しかし、スザクが自虐的な笑みを漏らしながら、そう弱々しく告げた途端。

 ブラックはマスクの中で目をこれ以上なく見開き、心臓を痛いほどにドキリと高鳴らせると共に憤りも、何もかも、全ての感情が吹き飛び、頭が真っ白になった。

 

「今まで色々と手を尽くしました。

 形振りを構わず、枢木家の力だって使いました。

 だけど、見つからない。彼女がブリタニア人のせいか、見つける事が出来なかった。

 だから、僕は家も、立場も、全てを捨てて、名誉ブリタニア人となり、軍へ入ったんです。

 勿論、名誉ブリタニア人の出世が難しいってのは知っていました。

 でも、僕はそれに頼るしかなかった。

 いつか、部隊を動かせるくらいに出世して、権力を握れば、彼女を捜し出すくらいわけない筈だと……。でも、結果はご覧の通りです。笑って下さい」

 

 スザクは視線を伏して、酷く疲れた様に溜息を深々と吐き出すと、肩も落とした。

 だが、そのやるせない態度とは裏腹に膝の上に置かれた握り拳は強く握られており、スザクの哀しみと悔しさ、苛立ちと怒りを物語っていた。

 

「……枢木さん」

 

 約10年前の戦いを経験している元日本人なら、何処にでもあった有り触れた生き別れ話。

 それでも、治療を終えた井上は耐えられなかった。涙を瞳に溜めながら、言葉を何かかけようとするが、名前を呼ぶのがやっと。口元を右手で覆い、泣き出しそうになるのを懸命に堪える。

 そう、スザクは同情をされたくて、身の上を語った訳ではないと知るからこそ、絶対に泣いてはいけなかった。

 

「済まないが、彼と2人っきりにさせてくれないか?」

「はい」

 

 それ故、このブラックの提案は渡りに船だった。井上は外へそそくさと出て行く。

 そして、ブラックとスザクがキャンピングカーに2人っきりとなり、沈黙だけが漂う。

 一拍の間の後、ブラックがキャンピングカー内のカーテンを全て閉め始め、その音に興味を惹かれるが、スザクは顔を上げられなかった。

 命を助けてくれた恩人とは言えども、泣き顔を見られるのが嫌だった。

 

「笑いません……。笑いませんよ! 笑えるはずがないじゃないですか!」

 

 だが、カーテンを閉めきったブラックがスザクの前へ立って、そのマスクを外した途端。

 ブラックとスザクの2人だけしか居なかったキャンピングカーに第三者の声。それも女性の声が現れ、スザクは好奇心に負けて、泣き顔を上げると、その涙を目一杯に溜めた目をこれ以上なく見開いた。

 

「う、嘘だろっ!? ……ま、また僕はリフレインを吸ったのか? 

 ち、違うよね? こ、今度こそ、本当にナナリーだよね? ま、間違いないよね?」

 

 約10年間、ずっと探し続けて、追い求めてきたナナリーが目の前に居た。

 つい先日、自分の願望がリフレインの影響で見せた幻だとばかり思っていたナナリーが今度は暗視ゴーグルの白黒ではなく、総天然色カラーで目の前に居た。

 たまらずスザクはナナリーへ右手を伸ばすが、触れた途端にまた幻となって消えるのではという恐れが湧き、その直前で触れられない。

 

「はい……。ナナリーです。

 ナナリー・ヴィ・ブリタニア、貴方の婚約者です。間違いありません」

 

 そんなスザクの右手を取り、ナナリーは自分の左頬へあてがう。

 ナナリーはスザク以上に泣いていた。スザクの独白を聞いている時から泣いており、今や鼻水まで垂らして、100年の恋も冷めてしまいそうな酷い泣き顔となっていた。

 

「ああっ……。あの時、僕は君を守れなかったのに……。

 そんな僕をまだ……。ずっと、ずっと逢いたかった! ナナリー!」

「スザクさん! 私もです!」

 

 しかし、スザクは冷めるどころか、燃え上がって立ちあがり、ナナリーをきつくきつく抱き締めた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「何をしてるんだろうな?」

「そりゃ、説得だろ? 何と言ったって、枢木ゲンブ首相の息子さんだからな」

「でも……。彼、応じるかしら? さっきの様子だと無理っぽいけど」

「無理って、何がだよ?」

 

 井上がキャンピングカーから出てきて、既に約30分が経っていた。

 カーテンを閉めきって、男が2人っきりで何をしてるんだと興味津々な南、杉山、井上、玉城のネリマダイコン幹部。

 ちなみに、カレンは居ない。その理由は言うまでもなく、兄の死を哀しむ為であり、そんなカレンを慰めるべくイイ男の吉田もこの場を外している最中。

 

「みんな、集まってくれ!」

 

 キャンピングカーの出入口をずっと見守っていた扇が、ドアの磨りガラスに人影が浮かぶのを見つけて、慌てて号令をかける。

 各々、腰を下ろしていたネリマダイコン幹部達や構成員達はキャンピングカー前にすぐさま集合。指示されずとも、作戦前にリーダーのナオトを迎える様に整列する。

 

「むっ……。

 諸君、今回は世話になった。後日、少ないやも知れないが、礼を届けさせよう。

 そして、私は恩を忘れない。君達が望むなら、これからも情報提供を続ける事を約束しよう」

 

 圧縮空気の抜ける音と共に開くキャンピングカーの出入口ドア。

 ブラックはドアを開けた途端、目の前に整列していたネリマダイコンの面々に驚き、キャンピングカーから地面へ下ろした右足を一旦は戻しかけ、気を取り直して再び下ろす。

 そして、左から右へ、右から左へ、一緒に戦ったネリマダイコンの一人、一人の顔を確認しながら挨拶をする。

 

「あの……。この先、枢木さんはどうするおつもりですか?」

「僕は彼と共に行きます。それが僕の望みだから」

 

 その区切り、井上が堪らず挙手をする。事情を知っているだけに、どうしてもソレが気になっていた。

 スザクは隣に立つブラックと顔を見合わせて頷き合うと、ニッコリと微笑み、その穏やかなスザクの様子に一安心。井上は心をほっこりと暖かくする。

 

「そう言う事だ。

 今後、連絡員として、彼を君達の元へ送る事もあるだろう。その時はよろしく頼む」

「皆さん、これからよろしくお願いします」

 

 ブラックも嬉しそうにウンウンと頷き、スザクが頭を深々と下げて、ネリマダイコンの面々も頭を下げ返したその時だった。

 ネリマダイコンのリーダー『紅月ナオト』が死んだと聞かされ、この約30分の間、仲間の輪に加わらず、ずっと一人静かに考え事をしていた扇が、何度も、何度も迷いながら決断を下した衝撃の胸の内を明かしたのは。

 

「待って下さい! ブラック!」

「んっ!?」

「俺達の……。俺達のリーダーになって頂けませんかっ!?」

 

 それは申し込まれたブラックのみならず、スザクも、ネリマダイコンの面々も仰天させる事となり、廃工場に轟き木霊した驚き声は、廃工場外に居るカレンと吉田をも驚かせた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 『歴史の修正力』と言う概念をご存じだろうか?

 とあるSF小説を発端とした『親殺しのパラドックス』から派生した様々な概念の1つである。

 

 例えば、とある世界にて、Aと言う人物が引き金となって、大規模な世界大戦が起きたとする。

 その悲劇を回避する為、タイムマシンで過去へ遡り、悲劇を生む原因となったAを生む事となる両親を別れさせて、その存在そのものを消したとしても、今度は別のBという人物が似た過程で世界大戦を起こしてしまい、Bを排除すれば、次はCが、Dが、Eがという様に結局は違った形で世界大戦が起こり、人類が紡ぎ出す歴史は決して変えられないというもの。

 つまり、未来を知る者が過去へ遡ると、その時点で世界は大凡の未来を確定してしまうという概念。

 

 さて、これを踏まえて、ある世界とこの世界のここ10年における人類史を比較してみよう。

 10年前から4年前までは大した差異は見られない。

 

 強いて挙げるなら、神聖ブリタニア帝国が各国へ仕掛けている戦争の侵攻路とその進み具合くらいだろうか。

 ある世界では、神聖ブリタニア帝国はEUを攻めるに辺り、大西洋からポルトガル州を足がかりにして、版図を広げている

 この世界では、神聖ブリタニア帝国はEUを攻める前段階として、アラビア海からオマーンを足がかりにして、まずアラビア半島を版図に加えている。

 

 だが、ある世界では1年前に起きた中華連邦での革命。

 これがこの世界では革命軍に中華連邦内でも元々犬猿の仲であったインド軍区が味方した事によって、4年前に起きている。

 その革命の立て役者は『黎星刻』と呼ばれる若者だが、彼曰く、とあるインド人医師が居なければ、今も病床の身であったらしい。

 

 そして、これを皮切りとして、2つの世界の歴史に良く似た差異が次々と生まれ始める。

 

 ある世界では、ある兄妹の兄が神聖ブリタニア帝国に反逆を企てて、黒の騎士団なるレジスタンス組織を作り、エリア11を舞台に活動を始めた。

 この世界では、ある兄弟の兄が神聖ブリタニア帝国に反旗を翻して、聖ミカエル騎士団の団長の座を乗っ取り、EUを舞台に活動を始めた。

 

 ある世界では、黒の騎士団が反ブリタニアを旗印に日本、中華連邦を基礎として、諸国の力を集めて、超合集国を造り上げるが、ブリタニアとの決戦を前にして、指導者を失っている。

 この世界では、聖ミカエル騎士団がローマ法王より『十字軍』の称号を賜り、エルサレムと世界解放を旗印に国境の枠を超えて、超巨大軍を造り上げるが、ブリタニアとの決戦を前にして、指導者を失っている。

 

 ある世界では、予想外の第三勢力が現れ、その者達が使用した戦略兵器『フレイヤ』によって、ブリタニアの帝都『ペンドラゴン』が消滅している。

 この世界では、開発通称『G弾』と呼ばれる戦略兵器を開発していた研究所が実験の失敗によって、グレートブリテンの首都『ロンドン』が消滅している。

 

 そして、今日という日は、ある世界で『ゼロレクイエム』と一部で呼ばれる儀式が行われたその日だった。

 場所はトウキョウ租界、時間は正午近くと条件が合致。十字架、パレード、沿道を埋め尽くす人々、TV中継、黒ずくめ、単騎、剣、符合は次々と重なってゆく。

 では、役者はと言えば、重要人物であるナナリーとスザク。この2人が本人で合致する。

 ところが、最重要人物たるルルーシュの存在が居らず、犠牲となった者も居ない。これでは『ゼロレクイエム』と成らないのだが、その実は居た。

 

 そう、ナナリーの心の中に居たのである。

 ナナリーが元々考えていた黒ずくめの名前『ゼロ』、それこそがある世界で『ゼロ』を演じていた『ルルーシュ』と重なり、ナナリーが自分自身を『ブラック』と呼んだ瞬間、『ゼロ』とイコールで結ばれていた『ルルーシュ』もまた死んだ。

 これ等の条件が合致して、この世界での『ゼロレクイエム』は成り、それは世界を欺く革命となった。

 

 その結果、本来であるなら、世界の理から外れているC.Cを除き、関係者が全て息絶えるまで目覚める筈が無かった魔王が遂に目を醒ます。

 

 

 

 ******

 

 

 

「んっ……。ここは……。」

 

 午後9時半過ぎ、他の後宮がまだ煌々と明かりを灯して賑やかな中、今日もアリエス宮だけは既に暗闇と静寂に包まれていた。

 そんなアリエス宮の約10年間の毎日が今夜を境にして変わる。それはエリア11にて、『ブラック』と呼ばれる存在が高らかに産声をあげたその時だった。

 

「……アーニャ・アールストレイム?」

 

 ルルーシュは自身へのし掛かる重さに気付き、思わず頭を起こすと、その正体はアーニャ。ルルーシュが寝ているベット左脇の椅子に座り、ルルーシュのお腹を枕にしながら俯せとなって寝ていた。

 既に水色のネグリジェを着ており、普段は結っている髪を解いているところから察すると、入浴後にルルーシュの世話をした後、そのまま疲れて眠ってしまったのだろう。

 その微笑ましい光景に思わず頬を緩めて、ルルーシュはアーニャの髪を撫でようと、右手を伸ばそうとするが、右腕自体がピクリとも動かない。

 

「ふみっ……。」

 

 それでも、身体は少し身じろぎ、その僅かな揺れに目を醒ますアーニャ。

 寝ぼけ眼を擦って、大欠伸。現状把握に左右をキョロキョロと見渡して、今一度の大欠伸。

 

「ああ、済まない。起こしてしまったか」

「……えっ!?」

「ところで、ここは何処だ?」

「えっ!? えっ!? えっ!?」

 

 しかし、ルルーシュが声をかけた途端、アーニャは意識を一気に覚醒。

 勢い良く立ちあがるが、慌てるあまりにつんのめり、ルルーシュのお腹の上へ思いっ切りダイブ。

 

「ががーりんっ!?」

 

 おかげで、ルルーシュも愉快な悲鳴をあげて、意識を一気に覚醒。

 すぐさまアーニャを怒鳴ろうとするが、既にアーニャは身を翻して、駆け出していた。

 この事実を伝える為に、この喜びを伝える為に、アリエス宮の主であるマリアンヌの元へ向かって駆けていた。

 

「マ、マリアンヌ様っ!? ル、ルルーシュ様がっ!? ル、ルルーシュ様がっ!?

 ……って、痛っ!? あぅぅ……。きゃんっ!? ル、ルルーシュ様がぁぁ~~~っ!?」

 

 よっぽど慌てているらしい。転んだらしい音と悲鳴に続き、花瓶か、壺でも割ったっぽい音が開け放ったまま放置されているドアの向こう側から聞こえてくる。

 ルルーシュはここで現状をようやく理解。身を起こそうと、身体に力を入れる。

 

「そうだっ!? 俺はっ!?

 ぐっ!? ま、まるで動けん。な、何だ。これは……。」

 

 だが、主の意思に反して、身体は首が持ち上がった程度。ルルーシュは全く動かない体に驚き、戸惑うしかなかった。

 

 

 





注意)

『歴史の修正力』の概念に関して、鋭い突っ込み禁止でお願いします。

また、『あの人は原作だと既に死んでいる筈だけど?』という質問に関して……。
例えば、シャーリーの場合、この世界では原作のルルーシュ周辺の出来事がEUで起きた事件を中心に起こっています。
つまり、そのEUを舞台とした反逆劇の中、シャーリー相当の方がお亡くなりになっています。


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~ 第一章補足 ~

 

 

◎ 第一章 第01話 仮面舞踏会への招待状

 

 

* アリス

 

姓は『エデンバイタル』、ナナリーとは中等部の頃からの親友。

血の繋がらない姉が2人、妹が1人居るらしい。

出典:コードギアス=ナイトメア・オブ・ナナリー

 

 

* プリズマ・イリア

 

エリア11で放送された魔法少女アニメ、声優ネタ。

 

 

 

◎ 第一章 第02話 モザイク

 

 

* 師匠

 

実は『斉藤四郎』と言う名前があり、四郎という名前ではあるが長男。

流派としては、剣術を主として、居合い、柔術、棒術を含める。

 

 

* 第二次世界大戦

 

現実と同じく、日本は枢軸軍側として参戦。

戦争自体は敗北したが、原爆が開発されていない為、無条件降伏はしていない。

日本とブリタニアは最後まで戦っていたが、ロシア王国の仲介で停戦。

 

 

* 織田家

 

現実との相違点として、三方ヶ原の戦いにて、松平元康(徳川家康)が討ち死に。

その結果、明智光秀が本能寺の変を起こさず、織田家は天下布武を完成。

一旦は安土城を本拠地として、幕府を開くが、明智光秀の進言により江戸へ遷都。

 

織田五大老 前田、明智、丹羽、羽柴、滝川

外様五大名 上杉、伊達、毛利、長宗我部、島津

 

 

 

◎ 第一章 第03話 契約

 

 

* 軍曹

 

下士官の階級名。

身長が196cmと高く、実は素手ならスザク以上の身体能力を持つ化け物。

 

 

* 移動ホットドック屋

 

紅月ナオトが経営していた名誉ブリタニア人によるチェーン店。

街の情報収集、ネリマダイコン構成員へ向けた情報発信を裏の目的としていた。

 

 

* リフレイン

 

世界に蔓延している安価な麻薬。エリア11での入手難度は低い。

アンプルに入った薬液の形で販売されており、専用の無針注射器による皮下注射で摂取。

約5分ほどで効果が表れ、アッパー系か、ダウナー系かは個人によって違う。

特徴として、その名の通り、過去にあった幸福な出来事がフラッシュバックされる。

また、媚薬の効果が有り、その意思が本人に無くとも性的反応が激しく表れる。

元々は自白剤の開発している過程で偶然に生まれたらしい。

 

 

 

◎ 第一章 第04話 擦れ違いの再会

 

 

* 市ヶ谷即応軍司令部

 

エリア11は大きく分けると6つの方面軍が有る。

北部方面軍、北陸方面軍、東部方面軍、中部方面軍、中国四国方面軍、西部方面軍。

それ等を統括するのが市ヶ谷即応軍司令部であり、エリア11における最上位機関。

つまり、ここのナイトメアフレーム隊隊長のキューエルは超エリート。

 

 

 

◎ 第一章 第05話 ギアスと魔女

 

 

* クロヴィス・ラ・ブリタニア

 

皇帝へ直談判までして得たエリア11総督の地位だが、施政者としてはぼんくらであり、ほぼ部下任せ。

但し、芸術、文化に関する分野においては才能を持っており、この点においては旧日本人にも評価されている。

クロヴィス個人の本音としては、刀狩りや剣術、空手などの弾圧はあまり積極的ではない。

 

 

 

◎ 第一章 第06話 開幕のベル

 

 

* 日本解放戦線

 

元日本軍を母体とするエリア11最大のレジスタンス組織。

日本各地に支部、秘密基地が有り、武器や戦車、ナイトメアフレームの保有数はダントツ。

但し、開発力、技術力の面で難が有り、ナイトメアフレームはブリタニアにおいて一世代は確実に遅れている。

この点に関して、京都六家へ協力を仰いではいるが、全面支持とまでは至っていない。

 

 

* 赤い蝶ネクタイ

 

ツッコみどころ満載のアニメ『身体は子供、頭脳は大人』のアレ。

 

 

 

◎ 第一章 第07話 その名は……。

 

 

* スザクが張り付けられた十字架の前後に立つ黒い三角頭巾を被った処刑人。

 

実を言うと、その内の1人は第一章第03話で登場した軍曹さん。

ブラックが煙幕を張った後、スザクを助けるのに一役を密かに担っている。

但し、ネリマダイコンの構成員とは違う。

 

 

* 草壁中佐

 

日本解放戦線本部におけるナンバー2の存在。

基本的に日本復活の為なら手段は厭わない過激派思想の持ち主。

エリア11の状況が10年も停滞しているせいか、その過激さが人望を呼んでいる。

 

 

* 緑の薄型バイク

 

ブラックの注文に応じて、ネリマダイコンの面々が作ったギミック満載のバイク。

元々はゼネモー社製の125型バッテリーバイク。型番号はRA125。

どちらかと言えば、オフロード向けのバイクであり、サスペションが強い。

 

 

 

◎ 第一章 第08話 ゼロレクイエム’

 

 

* とあるインド人医師

 

多分、煙管を持った女性のあの人。

 

 

* 十字軍の指導者

 

多分、目つきの悪いマクロスフロンティアのアルト似のあの人。

 

 

* G弾

 

サクラダイトを原料とした都市破壊級爆弾であり、重力波を利用したアレでは有りません。

開発ナンバーが7番目故の『G』であり、単なる通称名に過ぎません。

 

 

 



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第二章 第01話 魔王と皇帝

 

「入れて」

「駄目だ」

「入れて」

「駄目だ」

「入れて」

「駄目だ」

 

 アリエス宮、ルルーシュの部屋の前では激しい攻防戦が繰り広げられていた。

 だが、ドアの守り手はナイト・オブ・ラウンズの第1席を担う男。ビスマルクの防御は鉄壁だった。

 アーニャが左へ行けば、ビスマルクも左へ行き、アーニャが右へ行けば、ビスマルクも右へ行き、アーニャの侵入を一歩たりとも許さない。

 

「うーーー……。」

 

 この攻防を繰り返して、既に約30分。苛立ちを隠しきれず、唇を尖らして唸るアーニャ。

 余談だが、アーニャはルルーシュ覚醒の報をマリアンヌへ伝えた後、シャルルが急遽来訪すると聞き、寝間着から普段着のメイド服に着替えている。

 但し、それはシャルルへ気を使ったからではなく、アーニャ的にルルーシュ以外の者へ下着同然の姿を見られるのが嫌だったからである。

 

「駄目なものは駄目だ。

 ……と言うか、もう寝ろ。どうしてもと言うのなら、陛下達のお話が終わったら起こしてやる」

 

 歴戦の戦士であるビスマルクにとって、アーニャの威嚇など、子猫がじゃれついてきている様なもの。ドアを背にして、両手を腰で結びながら足を肩幅に開き、その愛想の無いむすっとした顔を微動だにさせない。

 ちなみに、シャルルの来訪は言うまでもなく、極秘中の極秘である。その為、アリアス宮は普段と変わらず、夜間灯のみが点けられている状態。アッシュフォードから派遣されている老夫婦の使用人達も、この事実を知らず、既に就寝している。

 

「お願い……。入れて?」

 

 アーニャはこうなったらと作戦を変更。

 ビスマルクへ一歩前進。間近から上目遣いを向けて、胸の前で両手を組むと、首を小さくちょこんと傾げた。

 

「だ、駄目だ!

 ……と言うか、何処で憶えた! そんな媚び方!」

 

 このアーニャの攻撃によって、初めて鉄壁の防御にヒビが入る。

 ビスマルクは動揺に思わず仰け反り、後頭部を間抜けに背後のドアへぶつけるが、やはりラウンズの第1席を担う男は不屈。すぐさま立ち直る。

 

「こうすれば、大抵の男の人はイチコロだって……。マリアンヌ様が」

「マリアンヌ様! 貴女という人は!」

「他にもある。確か、こうやって……。」

「や、止めろ! そ、それはルルーシュ殿下の時の為に取っておけ!」

 

 しかし、アーニャの背後に隠れて、ほくそ笑む軍師は強大だった。

 アーニャがエプロンドレスのスカートの裾をたくし上げて、それを口へくわえようとしているのを見て、ビスマルクはビックリ仰天。目をギョギョギョッと見開き、慌ててアーニャの両手を同時に叩き、そのままスカートも叩いて下ろす。

 それこそ、驚愕のあまり、見開く目が右眼だけでは足らず、左眼の封印が危うく解きかけたほど。

 もっとも、アーニャがルルーシュ以外の者へ下着を見せる筈もなく、たくし上げたのはスカートのみ。その下のペチコートまでは上げていない。

 

「じゃあ、入れて」

「だ、駄目だ!」

 

 そして、再び繰り返される激しい攻防戦。それはアーニャが疲れ果て、廊下に寝てしまうまで続いた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「では、こう言うのか?

 お前はその『ゼロレクイエム』とやらで一度は死んだ。

 しかし、その後……。ナナリーの願いによって、生を再び得たと?」

 

 ルルーシュの覚醒。それはブリタニア皇帝たるシャルルにとって、待ちに待った日だった。

 その報が伝えられると、シャルルは既に就寝中だったが、すぐさま跳び起きて、その報を持ってきたビスマルクと共にアリエス宮を秘密裏に訪れた。

 

「そうだ。あの時、俺は確かにナナリーの声を聞いた。『生きてくれ』と……。

 無論、それだけが原因ではない。

 だが、それこそが俺を大きく突き動かしたモノに違いない。

 そして、そのモノとはお前達も良く知っているR因子、俺とナナリーの中に有るソレこそが原因だ」

「ぬうっ……。」

 

 そして、ルルーシュとの対面。約1時間に渡って語られたルルーシュの話はとても信じられないものだった。

 しかし、それを嘘の一言で片づけるには、ルルーシュが知っている事実は多すぎた。話の主題となったギアスは勿論の事、アーカーシャの剣やラグナレクの接続、それ等全ての根元たるコードに関しても。

 そうした数々の秘密を知る者は極々限られている。この帝国のNo2である宰相の座に就く第2皇子『シュナイゼル』すら知らない事実だけに馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばす事は出来なかった。

 なにしろ、コード保有者が持つ不老不死、コード保有者から与えられるギアス。それ等、人智を超えた神秘の数々を知っているだけに、時を遡ると言う戯言も有るのではと考えざるを得なかった。

 シャルルはリクライニングさせたベットに身体を横たえたルルーシュを茫然と見つめて、言葉を失い、ただただ唸るしか出来なかった。

 

「もっとも、その後は俺の願望かも知れん。

 だが……。おかげで、随分と愉快な事になっている様だ」

 

 一方、ルルーシュは気になっていた。シャルルではなく、その隣に居る母親のマリアンヌを。

 マリアンヌは電動車椅子に座り、ルルーシュとシャルルの会話に口を一切挟む事なく、この約1時間ずっと黙っていた。

 その閉じた目を伏せて、重ねた手を閉じた両脚の上に置き、身を怯える様に縮める姿は弱々しく、ルルーシュが知るナナリーの姿を彷彿させた。

 だが、それは母親へ対する幻想を捨てたルルーシュにとって、有り得なさ過ぎる姿であった。あの強い自己主張の塊がただ黙ってじっとしている姿が信じられなかった。

 それ故、一通りの話が済んだのも有り、ルルーシュは口の端をニヤリと歪めて、様子見に突いてみようと考えた。

 

「くっくっくっ……。母上、仏教にこんな言葉があるのをご存じですか?

 因果応報……。人は良い行いをすれば、良い報いが有り、悪い行いをすれば、悪い報いが有ると言う意味です」

「っ!? うううっ……。」

「マ、マリアンヌっ!? ああああ……。

 ルルーシュ、貴様っ!? 自分の母親へ向かってっ!?」

 

 効果は覿面だった。マリアンヌは向けられたルルーシュの悪意に身体をビクッと震わせると、顔を両手で覆い隠しながら嗚咽し始めた。

 しかも、その様子を見て、すぐさまシャルルはマリアンヌを慰めようと手を伸ばすが、また拒絶されたらという思いから、強い躊躇いが起こり、手を引っ込めたり、伸ばしたりを繰り返して、無様にオロオロと焦りまくり。

 挙げ句の果て、マリアンヌへ触れられない苛立ちをルルーシュへと転嫁して怒鳴り声を轟かせた。

 

「黙れ! お前達が自分で蒔いた種ではないか!

 正しく、因果応報だ! 本当の事を言って、何が悪い!

 そもそも、お前達に親たる資格は無い!

 どうせ、お前達の事だ! この世界でも、ナナリーを捨てたのだろう!」

「ぐっ……。そ、それは……。」

 

 元々、あまり知らない両親ではあるが、もっと知らない両親が目の前に居り、思わず茫然と目が点になるルルーシュ。

 しかし、その手に世界を一度は握った男。頭の切り替えは早く、勝負所も心得ていた。唾を飛ばして怒鳴りまくり、ここぞと糾弾する。

 前回、Cの世界にて、両親と再会した時、全て語るには時間が足りず、言い切れなかった心の内をぶちまける。

 

「それは守る為……。そう言いたいのか?

 なら、滑稽だよ。シャルル・ジ・ブリタニア!

 日頃、お前は弱肉強食を唱えていながら、誰よりも弱い! 貴様など、張りぼての帝位にしがみつく、裸の王様だよ!」

「な゛っ!? この儂までもっ!?」

「お前が真の強者と言うなら、何故にナナリーを手放した!

 真の強者なら、どうして、自分の手で護ってやらない! 他者へ委ねた時点でお前は只の臆病者だよ!

 そもそも、自分の兄一人を御し得ず、妻一人を護れない男の何を以て、強者と言うんだ! 片腹、痛いわ!」

「黙って聞いていれば、戯れ言をペラペラとっ!?

 この小僧がっ!? つけ上がるなよ! お前のコードなど、いつでも奪えるのだ!」

「止めて! あなた!」

 

 ルルーシュが毒を一つ吐く度、シャルルは憤りの度合いを上げてゆき、遂に怒髪天。

 その両眼に赤い紋章を輝かせながら憤怒の表情となり、ルルーシュが持つコードを奪わんと、開いた右手を思いっ切り振りかぶって、ルルーシュの顔面へと勢い良く振り下ろした。

 ところが、その迫り来る右掌へ対して、ルルーシュは避けるどころか、それを平然と待ち構えていた。

 

「……何故、避けない?」

 

 そして、正に寸前。コンマ1秒でも脳内伝達が遅れていたら、確実に当たっていたと言う紙一重の距離でシャルルの右手は止まった。

 シャルルが表情に困惑を浮かべる。己が放った殺気は本気のもの。その証拠にマリアンヌがシャルルの突然の行動に驚愕しながらも、慌ててシャルルのマントを掴んで止めようとしていた。

 確かに戦いの場から退いて久しいとは言え、歴戦のマリアンヌすら騙した殺気。それにも関わらず、ルルーシュは身構えたり、目を瞑ったりといった人間の防衛反射行動さえも行わなかった。

 つまり、それはシャルルが必ず止めると絶対の自信を持っていなければ、不可能な覚悟。その理由が知りたかった。

 

「忘れたのか? 動けないんだよ。

 ……と言うか、それ以前に避ける必要が無いからな」

「どういう意味だ?」

 

 一拍の間の後、シャルルが右手を引くと、そこにあったのは予想通り、ルルーシュの勝ち誇った笑顔だった。

 余談だが、ルルーシュが指先一つすら動かせず、ベットから起きあがれないのは至って単純な理由。

 アーニャの献身的介護があり、コードを保有しているからこそ、身体が健康体へ戻ろうとして、ルルーシュは一見すると健常者に見えるが、約10年間を眠り続けていた事実は変わらない。

 その為、意識は覚醒したが、身体中を走る動作神経はまだ覚醒しておらず、それ等を起こすリハビリを必要としていた。

 

「コードを奪うつもりなら、俺が起きるのを待つまでもなく、とっくにやっていた筈だ。

 しかし、お前には出来ない。

 どうしてかと言えば、今の俺は弱者だからだ。指一本すら満足に動かせないほどのな。

 だから、お前には出来ない。

 何故なら、それがお前の矜持だからだ。

 そう、お前が事ある毎に言っている『弱肉強食』だよ。

 一見、弱肉強食であるからこそ、奪うべきだと考える者が多いだろうが……。それは誤りだ。

 お前の価値観から見たら、何も出来ない弱者から奪う事こそ、弱者がやる事。只のこそ泥だ。

 なら、お前が提言する弱肉強食とは似て非なるもの。常に強者たらんとするお前には絶対に出来ないんだよ!」

 

 ただただ、シャルルは驚くしかなった。

 日頃から、シャルルは国是として『弱肉強食』を唱えてはいるが、その真意を理解している者は少ない。

 シャルルが知る限り、それは片手で足りるほどしか居らず、皇帝を支えるはずの貴族ですら、最も期待していた第2皇子のシュナイゼルですら、思い違いをしている。

 そんな日常に嫌気が差して、ここ数年は政治へ対する興味をすっかりと失い、一日でも早く嘘の無い世界を作ろうと、計画に、ラグナレクの接続に傾倒していた。

 しかし、自分を理解する者がもう1人、目の前に居た。

この約1時間の話を聞く限り、どう考えても、自分を憎んでいるとしか考えられないのにも関わらず、自分という人間を知っている事実。それはシャルルにとって、驚きであり、喜びだった。

 

「一つ、聞きたい」

「何だ?」

「アーカーシャの剣が半年ほど前に成長を止めた。何か、心当たりは有るか?」

「ああ……アレか。だろうな。

 丁度、その頃だ。ソレを壊したのは……。俺がこの世界の住人となった影響だろう」

 

 先ほどの憤りは何処へやら、たちまち表情から険を解いてゆくシャルル。

 そんなシャルルを不審に思いながら、ルルーシュが質問に応えると、シャルルは『やはりな』と呟き頷いて、マリアンヌへ振り返った。

 

「マリアンヌ……。儂等の負けだ」

「……あなた」

 

 もし、ここで目が見えていたら、さぞやマリアンヌは驚いた事だろう。

 何故ならば、シャルルは自身の敗北を宣言しながらも笑っていた。清々しいほどの満面の笑顔だった。

 無論、シャルルとしても、まだ納得がいかない部分は多々あったが、計画の要が破綻しているのでは負けを認めるしかなかった。

 例え、唯一の逆転方法であるコードをルルーシュから奪ったとしても、それは正にルルーシュが言う通り、己を否定する事に繋がり、それもまた敗北であった。

 

「ルルーシュよ……。お前は何を望む?」

「愚問だな。そんなモノ、決まっている。

 この今一度の生はナナリーがくれたもの。

 だったら、俺が望むのは、ナナリーが求めた優しい世界。

 そう、きっと他人が他人へ優しくなれる世界だ。お前達が望んだ自分にだけ優しい世界とは正反対のな」

「そうか。ならば……。」

 

 それ故、シャルルは自分自身が定めた国是に則り、ルルーシュへ帝位を譲り渡す決心をした。

 もう一度、信じてみようかという気持ちになった。嘗ての己が憧れた父と母が目指した世界を。ルルーシュが言う優しい世界を。

 自分に打ち勝ったルルーシュなら、それをやり遂げるだろうという確信もあり、その世界が見たくなった。

 

「待て……。勘違いするなよ?

 だからと言って、俺はお前から何かを譲って貰うつもりは毛頭無い。

 お前とて、自分の半生を賭けて行ってきたモノをいきなり横取りされては面白くあるまい?」

 

 だが、ルルーシュが慌てて待ったをかける。

 ルルーシュは驚くというよりも焦った。振り向き戻ったシャルルの顔が急に老け込み、まるで実年齢以上の老人の様だった為に。

 また、ルルーシュはこの様な弱々しい姿のシャルルを見たくは無かった。ルルーシュにとって、シャルルは不倶戴天の敵ではあるが、敵であるからこそ、常に不遜でなければならなかった。

 

「……どういう意味だ?」

「また奪ってやると言っているんだよ」

「ほうっ!?」

 

 シャルルは眉を怪訝に顰めるが、ルルーシュの『奪ってやる』と言う言葉に反応して、眉を跳ねさせると、その表情を輝かせた。

 心がワクワクと沸き立って、口が自然と笑みを描き、ルルーシュの願い通り、覇気を漲らせて取り戻してゆく。

 

「所詮、俺が話したモノはあくまで俺の世界での話。この世界とは関係のないものだ。

 第一、お前が納得したところで他の者は納得しない。それに値するだけの事をお前はやってきたのだからな。

 必ずや、シュナイゼルが国を割る。俺の世界でも、そうだった様に自分は後ろへ隠れて、オデュッセウス兄上でも擁立してな。

 そうなったら、世界は今以上に大混乱だ。戦火は有りとあらゆる場所へ飛び火してゆき、やがては世界そのものが荒廃するだろう。それは俺の望むところではない」

 

 そのルルーシュが語る未来図は一理も、二理もあり、シャルルは帝位を今渡すのは時期尚早と考え始める。

 事実、シュナイゼルは大きな野心を持ってはいるが、謀略家としての一面が強すぎ、自身もそれを承知しているせいか、帝位へ就く人望と能力を持ちながら、その意思を見せていなかった。

 恐らく、それは自分が没するか、病に倒れるまで続き、その後は誰かしらを帝位に就けて、シュナイゼルは裏で実権を握るだろうと、シャルルは考えていた。

 しかし、ここでルルーシュが帝位へ就いたら話は変わる。ルルーシュの才気をまだ実際に見た訳ではないが、この約1時間の話を聞く限り、ルルーシュの本質もまた謀略家であるのは間違いない。正しく、『ゼロレクイエム』が良い例である。

 ならば、シャナイゼルとルルーシュは明らかに相容れない。二匹の蛇が互いの尾を食らいつき、最後は頭が残るまで戦い続け、それは神聖ブリタニア帝国の破滅を意味する。

 

「だから、賭けをしよう」

「賭け……。だと?」

「そうだ。賭けだ。

 数年の間に……。そうだな。5年……。いや、3年も有れば、十分だ。

 シュナイゼルの対抗馬となるだけの声望を3年で得てやる。

 その時、どんな形でも良い。改めて、勝負といこうじゃないか。

 そして、俺が勝ったら、俺はお前の椅子を貰う。

 その代わり、お前が勝ったら、お前へ俺のコードを譲ろう。それなら、お前も遠慮無く奪えるし、計画も再開できるのではないのか?」

 

 ルルーシュが受けて立つかと挑戦的な眼差しと共に口に弧を描かせる。

 痛快だった。シャルルは強き皇帝を演じる為、良く笑ってはいたが、ここまで心から笑ったのは、何年ぶりとなるのかが解らないほどに愉快だった。

 

「わぁ~~っはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ! 

 実に面白い! その賭け、受けて立とうではないか!

 だが、ルルーシュよ! 本当に良いのか! 儂が勝った時、今日の事を後悔しても知らんからな!」 

「フフフッ……。ルルーシュったら」

「ち、違うぞっ!? ま、間違っているぞっ!? 

 こ、ここはだな。そ、そんな……。ほ、ほんわか気分になるところではなくてだなっ!?」

 

 釣られて、マリアンヌも口元を右拳で隠しながらクスクスと笑い、誰も見ている者は居なかったが、それは正に家族の団欒の姿だった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「……ビスマルクよ」

「何で御座いましょう」

 

 アリエス宮へ訪れた時同様に樹と藪の生い茂った獣道を歩くシャルルとビスマルク。

 ルルーシュとの会談を終えると、既に闇夜は明け始めており、獣道は往路とは違い、足下に不安を覚える事もなく、森が発する清々しさも感じられた。

 

「陳腐な言い草ではあるが、子とは親が無くとも育つものなのだな」

「陛下と瓜二つでしたな。特に意地っ張りなところが……。」

「ふっ……。そうだな。要らぬところばかり似おってからに」

 

 やがて、その森を抜けると、地平線に姿を現した朝日が右手側から照らしつけ、その眩しさに思わず顔の前に手を翳して立ち止まる2人。

 この地を神聖ブリタニア帝国の首都と定めた昔、土をわざわざ盛りつけて、人工の小高い丘を造り上げ、帝都を眺められる様に作られた皇居。

 しかし、シャルルも、ビスマルクも、自分が、主が、皇帝の座に就いてから、今日まで常に走り続けてきた。嘘の無い世界、ただそれだけを目指して。

 こうして、立ち止まり、お互いに自分の国どころか、住んでいる街すら、ゆっくりと眺める事など一度たりとも無かった。

 シャルルとビスマルクの主従2人は、すぐ傍に有りながらも今日まで気付かなかった美しい光景に心を奪われ、今歩いてきた森から聞こえる鳥のさえずりに酔いしれながら佇む。

 

「……ビスマルクよ」

「何で御座いましょう」

 

 どれほどの時が経ったのか、最初に再び歩き出したのはシャルルだった。

 すぐさまビスマルクが後を追おうと歩き出すが、すぐに5歩ほど歩いてシャルルが立ち止まる。

 

「儂に『もしも』があったその時は……。頼む」

 

 そして、背を向けたままの言葉。それは命令ではなく、願いであった。

 ビスマルクは息を飲みながらも、その場へ即座に片跪き、右腕を胸の前に置いて、頭を垂れる。

 

「イエス、マイロード! 

 この一命に代えましても、必ずやルルーシュ様はお護り致します」

 

 神聖ブリタニア帝国の皇帝へ対してではなく、若き日に理想をお互いに語り合い、忠誠を捧げた我が主へ対して。

 

 

 



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第二章 第02話 アリエスの喜劇

 

 

 

「むっ!?」

 

 約10年ぶりに意識を覚醒させてから、約20時間が既に経とうとしていたが、ルルーシュは未だ動けずに居た。

 シャルルが帰宅した後、ルルーシュは疲れから再び就寝。また起きるのかが心配だったのだろう。ルルーシュが昼過ぎに目を醒ますと、覚醒を果たした時同様にアーニャが傍に居た。本を読みながら、ルルーシュの起床をずっと待っていた。

 その後、お世辞にも口達者とは言えないアーニャでは残念ながら上手い話し相手とならず、会話で暇を潰すという手段はお互いに最初の30分で諦めている。

 また、ルルーシュが世界情勢を欲した事もあり、今はTVを部屋に導入。ルルーシュは垂れ流しているニュースを見て、アーニャは読書をして、お互いに会話を時折挟みながら暇を潰すという穏やかでまったりとした時を過ごしていた。

 余談だが、エリア11で起きた『ブラック騒動』は軍の強い箝口令がよって、ネットはソレを書き込んだ途端に削除の嵐。TV、ラジオでのニュース放送は禁じられ、今はまだ一般へ届いていない。

 そして、ふと出入口のドアを叩くノックの音に気付いてみれば、夕陽が部屋へ射し込み、外は夜の帳が落ちかけていた。

 

「ど……。」

「任せて」

 

 ルルーシュがドアへ向かって声をかけるよりも早く、アーニャが本を閉じて立ちあがる。

 ドアが開いて現れたのは、白い絹のクロスが張られたワゴンを押す使用人の老人。同時に豊潤な食欲をそそる香りが部屋に漂い始め、それに反応して、ルルーシュの腹が空腹を訴えて鳴り響く。

 ルルーシュは不老不死でも腹は減るのだと知って軽く驚きながらも、ふとピザばかり食べていたのにまるで太らず、スタイルも全く変わらなかった魔女を思い出して苦笑する。

 ちなみに、昨夜のシャルルとの会談にて、C.Cがエリア11へ、ナナリーの元へ向かった件に関して、ルルーシュはマリアンヌから既に聞き及んでいる。

 

「失礼します。御夕食をお持ち致しました。

 ただ、ルルーシュ様はお目覚めになられたばかり。そこでまずはお身体に優しいものをと……。ご不満がありましたら、存分に言いつけて下さいませ」

 

 全く動けないルルーシュに代わって、食事用ナプキンを整えたり、ベット用のテーブルを用意したり、甲斐甲斐しく動き回るアーニャ。

 最後にベットがリクライニングされて起き、それと共に枕が外されて、クッションが腰へ置かれ、ルルーシュは至れり尽くせりの状況に有り難さ半分、申し訳なさ半分。

 しかし、その感謝する思いを言葉にすると、アーニャが不機嫌になるのをこの半日で知ったルルーシュは、口へ出かけた感謝の言葉を慌てて飲み込む。

 どうやら、アーニャにとって、ルルーシュの世話は当たり前の事。あまり感謝を口にされては、自分が嫌々で行っている様に思われて不快らしい。

 

「いえ、お気遣いをありがとうございます。

 これはコンソメですね。でも、香りが少し違う。どんな……。って、どうしました?」

 

 だが、目の前の老人は違う。2度目の起床後、自己紹介を兼ねた挨拶で会ったっきり、これが2度目の対面。

 ルルーシュは当然の様に感謝を返すが、老人は目を丸くして驚き、思わず配膳の手を止めていた。

 

「失礼、致しました。

 実は申しますと、こちらのスープは我が愚妻の故郷のモノでして、お口に合わなければ、すぐにお下げ致しますので……。」

「何を仰います。土地それぞれで味の違いが有るのは当たり前。

 むしろ、その違いこそが醍醐味です。

 幸い、私に好き嫌いは有りません。ただ、どちらかと言えば、薄味が好みだと、奥方へ伝えて頂けると嬉しいです」

 

 正直なところ、老人は使用人のプロとして、平静を装っていたが、この夕飯の配膳を戦々恐々の思いで行っていた。

 なにせ、この屋敷の主であるマリアンヌは物静かで無茶を言わず、とても仕え甲斐のある主ではあるが、大抵の皇族、大貴族と呼ばれる者達は使用人達へ尊大であり、人物によっては使用人を人扱いせずに奴隷扱いする者すら存在する。

 その様な事情に加えて、ルルーシュは約10年間を眠り続けていた。当然、その身体は成長して大人に見えても、その精神は子供であろうと予想された。

 そして、子供と言えば、食べ物の好き嫌いである。それが原因で癇癪を起こされては堪らなかった。

 この好き嫌いの問題に関して、母親のマリアンヌへ助言を求めたが、『好き嫌い? 何だったかしら?』と首を傾げるだけで役に立たない有り様。

 おかげで、使用人の老夫婦は今夜のメニューを考えるのに随分とああでもない、こうでもないと頭を悩ませる羽目となった。

 そんな経緯があったせいか、ルルーシュはただ当たり前の対応をしただけにも関わらず、老人の中でのルルーシュの評価は鰻登り状態。

 その上、ルルーシュはこのコンソメスープをとても気に入り、食後にレシピを求めたものだから、それに大感激した老人の妻の中の評価も上げてしまう。

 この後、ルルーシュは2週間と経たない内にアリエス宮から旅立つ事となるが、使用人の老夫婦からとても慕われる様になり、ルルーシュの評判は後宮、皇居、宮廷と使用人達のネットワークを通じて、ゆっくりと広がってゆく事となる。

 

「承りました。必ずや、お伝えします。

 では、アーニャ様。あとはよろしくお願いします」

「んっ……。」

 

 この部屋を訪れた時とは打って変わり、ルルーシュへ深々と一礼すると、足取りを軽くさせて去って行く老人。

 それを見送って、ドアが閉まり、ルルーシュは『さあ、食べるか』といざ目の前のスプーンを取ろうとして、今更ながらに気付く。どうやって、動けない身体で食べるのだろうかと。

 

「えっ!? ……えっ!?」

 

 だが、ルルーシュの悩みを余所にして、アーニャは部屋の電気を点けると、指定席であるベット脇の椅子へ座り、当然の様にルルーシュの目の前に置かれたスプーンを手に取った。

 湯気が上るスープ皿から澄み切った琥珀色のスープを一掬い。ソレを自分の口元まで運び、二度、三度と息をゆっくりと吹きかけて冷ます。

 まさかという考えが頭を過ぎり、ルルーシュが茫然とソレを眺めていると、そのまさかが現実となった。

 

「あーーん……。」

「ちょっ!?」

 

 アーニャが左手を下に添えながら、スプーンをルルーシュの口元へ運ぶ。

 それをナナリーの介護で行った経験は有っても、行われる側の経験が一度も無いルルーシュは慌てふためきまくり。照れ臭さに顔を真っ赤に染める。

 

「あーーん……。」

「い、いや……。そ、その……。」

「あーーん……。」

「だ、だから……。」

「あーーん……。」

「……あ、あーーん」

 

 ルルーシュは視線を彼方此方へ飛ばして、精一杯の抵抗を試みるが、アーニャの猛攻の前にあっさりと白旗。その合図に合わせて、アーニャから目を逸らしながら口を開く。

 なにしろ、つい昨夜、ビスマルクと似た様な攻防戦を約3時間に渡って繰り広げたアーニャである。ルルーシュが勝てる筈も無かった。

 そもそも、この部屋にはルルーシュとアーニャの2人しか居らず、ルルーシュは介護を無くしては食事も出来ないのだから、軍配は最初からアーニャに上がっていた。

 

「ほわっちゃっ!?」

 

 ところが、意識を覚醒させたばかりのルルーシュの舌は赤ちゃん舌。アーニャにとっては十分でも、そのスープはまだまだ熱すぎた。

 ルルーシュは大パニック。煮え湯を飲まされた様な激しすぎる刺激に身体を動かせないなりにものたうちまくり、ベットを猛烈にギシギシと揺らす。

 

「んっ……。」

 

 一方、アーニャは慣れたもの。ほんの少しだけ焦る事はあったが、すぐさま冷水の入ったコップを手に取った。

 そして、椅子から立ちあがり、水を口に含むと、ルルーシュへ覆い被さり、ルルーシュの顎を左手で添え持ちながら、その唇へ唇を重ねる。

 

「っ!? っ!? っ!?」

 

 急速に鎮火してゆく舌の上の大火災。ルルーシュは安堵感に思わず全身の強張りを解くが、一瞬後に再び身体を強張らせた。

 ソレもその筈。一安心したと思ったら、文字通りの目の前にアーニャが居り、今も少しづつ送られてくる冷水が今正にキスをしていると実感させられるのだから当然の話。

 しかし、例によって、手足は全く動かず、アーニャを突き離す事も出来ず、鼻息だけがフゴフゴと荒くなる。

 

「はふっ……。ルルーシュ様、くすぐったい」

「す、済まないっ!?」

 

 当然、ソレを間近で受けざるを得ないアーニャは堪らない。

 鼻の周辺がむず痒くなり、ルルーシュの唇から唇を離すと、残った口の中の水を飲み込み、鼻周りを両手で擦りながらルルーシュを睨み付けた。

 すぐさまルルーシュは謝罪。バツの悪さにアーニャから顔を背ける。その姿はまるで初めてのキスに興奮するあまり、がっつき過ぎて、失敗。白けさせてしまった彼女から叱られる情けない彼氏の様だった。

 

「……って、違う! 問題はそこじゃない!

 そうだ! 俺は間違っていない! 間違っているのは……。」

 

 暫くの間、ルルーシュ限定で針の筵状態となるが、ふとルルーシュは問題の食い違いに気付く。

 だが、今先ほどのキスは何だったのかと怒鳴り問い、振り向き戻ったルルーシュを待っていたのは、新たにそびえ立った高い壁。

 

「あーーん……。」

「……えっ!?」

 

 眼前へと差し出された2杯目のスープ。ルルーシュにとって、それは今先ほどキスを交わしたアーニャの唇を必然的に意識させるものだった。

 

 

 

 

 ******

 

 

 

「むっ!?」

 

 ベットの隣に広いビニールシートが敷かれて、キャスター付きの介護用バスが続いて運び込まれた時、ルルーシュはもうどうしたら良いのかが解らずに絶望した。

 しかし、お湯が湯船に半分ほど張られると、アーニャは隣室へと向かい、それっきり帰って来ず、ルルーシュは一安心。今は使用人の老人の手を借りて、病衣を脱がされていた。

 

「失礼します」

「お、お手数をかけます」

 

 男性同士、何も照れる事は無いのだが、ルルーシュは顔を羞恥に紅く染める。

 なにしろ、巻頭衣な病衣にある首から膝までの結び目を上から順々に外されてゆくと、現れたのは紙オムツ。これはさすがに男性同士でも照れる。

 そして、ご開帳。ルルーシュは心の中で『セーフ』と呟き、心底に胸をホッと撫で下ろす。今の今まで欲求が全く無かった為、気にしてもいなかったが、オムツが全く汚れていない事実に。

 

「では、何か有りましたら、ご遠慮なく呼び付けて下さいませ」

「……えっ!?」

 

 だが、ルルーシュの安心は残念ながらここまでだった。

 老人はルルーシュを素っ裸にさせ終えると、深々と一礼して、この部屋からまるで立ち去る様な口振り。

 言うまでもなく、この部屋に居るのはルルーシュと老人の2人だけであり、ルルーシュはベットから起き上がるどころか、まだ身動きも取れない状態。どうやって、風呂へ入れと言うのか。

 まさか、まさかという考えが頭を過ぎり、ルルーシュが茫然と老人の行方を眺めていると、そのまさかが現実となった。

 

「アーニャ様、準備が整いました」

 

 老人は隣室の閉じられているドアの前へ行き、一礼。ルルーシュが着ていた病衣とオムツを入れた籠を持って、部屋を出て行く。

 その後、部屋のドアが閉まると、数拍の間の空けて、隣室のドアが開き、アーニャが現れた。髪をバスキャップに包んだだけの全裸の姿で。

 

「っ!? っ!? っ!?」

 

 ルルーシュは目をギョギョギョッと見開いて、大パニック。驚き叫ぼうとするが声にならず、口をパクパクと解放。

 この場から逃げ出そうとするが、例によって、身体がまるで言う事を効かず、首だけを猛烈に振りまくり。

 

「ルルーシュ様、お待たせ」

 

 一方、アーニャは慣れたもの。ルルーシュの反応を不思議そうに首を傾げて、一旦は立ち止まったが、堂々としたものだった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「なあ、アーニャ。いつから何だ?」

「何が?」

 

 ルルーシュの入浴が済むと、それを待っていたかの様にアリエス宮は今日も早々と夜を迎え、夜間灯を灯して、静けさに包まれていた。

 しかし、アーニャの不安はまだ消えていなかった。またルルーシュが眠り続けてしまうのではと考え、ルルーシュから離れるのを拒み、ルルーシュは苦笑しながらもソレを受け入れた。

 幸いにして、ベットはセミダブル。ルルーシュも、アーニャも身体が細く、2人が列んでも窮屈という事は無かった。

 

「こうやって、俺の世話をしているのは?」

「4年前から……。マリアンヌ様から色々と教わった。あとピザの人」

「ピザの人?」

 

 いつものルルーシュなら、その様な提案はとんでもないと焦り、絶対に断っていただろうが、今日のルルーシュはそれも止むを得ないと判断する事情があった。

 その事情と言うのが、アーニャとの入浴。入浴前、ルルーシュは恥ずかしさと照れから、ソレを拒もうとしたが、今では考えを改めて、その時の行動を恥じていた。

 それほどアーニャの介護による入浴は献身的であり、ルルーシュの為を第一に思ってのものだった。

 そもそも、今のルルーシュは首以外を動かせない寝たきり状態。風呂へ入れたら、そのまま沈んでしまい、誰かが座椅子代わりとなって、ルルーシュを支える必要があった。それをアーニャが担っているのである。

 無論、ルルーシュとて、青春真っ盛りの男の子。どうしても、目がアーニャの色々な部分へ行ってしまい、それがまた更なる後悔の一因となってもいた。

 

「うん。たまに来て、ピザしか食べない女の人」

「ああ……。あいつか。

 あいつが人の世話をするとは、想像が出来んな」

 

 入浴中、アーニャはルルーシュの指の一本、一本を、間接の一つ、一つを何度も丁寧に曲げては伸ばしてを繰り返して、筋肉を優しく揉みほぐした。

 それはルルーシュがいつ覚醒したとしても、すぐに日常生活を送れる様にする為の重労働であり、その手際は明らかに昨日、今日のモノではなかった。

 ルルーシュはナナリーの介護を嫌だと考えた事は一度たりとも無いが、正直なところ、しんどいと感じる事たまにあった。何度、その為に友人の誘いを断ったかなど数知れない。

 しかし、ナナリーは足が不自由ではあったが、手は使えた。目は見えなかったが、口は使えた。寝たきりで意思すら持っていなかった自分と比べたら、その介護の難易度は遙かに違う。

 その上、いつ覚醒するかさえ、医師はとっくに匙を投げて、保証が全く無かったにも関わらず、今日と言う日が来るのを信じて、4年間という年月をアーニャは捧げたと言う。

 ルルーシュはただただ感謝の念を抱く他は無く、今となっては一緒に寝るくらい造作もない事であった。

 但し、これが癖となって、アーニャは明日以降も求める様になり、やがてはソレが当たり前となって、ルルーシュは後悔する事となるのだが、それを今は知る由も無い。

 

「知ってるの?」

「まあな……。腐れ縁だ」

 

 今日の昼、2度目の覚醒を果たした後、ルルーシュはアーニャへ尋ねた。何故、自分の世話をしているのかと。

 その問いに対して、アーニャは『あの時、自分の命を助けてくれたから』と応えた。あの時とは『アリエスの悲劇』と呼ばれる事件に他ならない。

 この時、ルルーシュは『そうか』とただ返事を返しただげだったが、その後の甲斐甲斐しいアーニャの介護を経験して、今は何かを報いてやらねばという使命感に湧いてきていた。

 

「ふーーーん……。ジノみたいなの?」

「ジノ? ジノ・ヴァインベルグか?」

「そう、そのジノ。結構、前に剣で負かしたら、それ以来ずっと突っかかってきてウザい」

 

 それと言うのも、ルルーシュにアーニャを救ったと言う意識は皆無でないにしろ、殆ど無かった。

 あの夜の事は銃を撃たれた熱い痛みと共に今も鮮明に憶えているが、当時のルルーシュは夢を見ている様な感覚だった。

 そして、あの運命を狂わせた場面を目撃してからは、もう怒りと憎しみだけが先行して、身体を突き動かしていた。

 それ故、実のところを打ち明けてしまえば、あの瞬間、幼いアーニャの姿を確かに見てはいたが、その先にいたマリアンヌこそがあくまで本命であった。

 

「ほう、あのジノをか。やるな」

「マリアンヌ様から教わっている。この前、ジェレミアにも褒められた」

「ジェレミアとも知り合いなのか?」

「うん、良く来る。

 他にも、ユフィとか、コーネリア様とか……。あとクロヴィス様が半年に一回くらいで来る」

 

 そう言った事情も有り、ルルーシュはある意味で辛かった。どうやったら、アーニャへ報いられるのかが解らず、頭を悩ますばかり。

 そう、お風呂へ一緒に入り、同じ布団で一緒に寝る段階まで至って、この男はアーニャの真意に未だ辿り着けていなかった。

 確かに慣れも有るだろうが、命を幾ら救ってくれたとは言え、年頃の女の子が異性の前で肌を晒すなど有り得ない。

 命を救ってくれた事実はあくまできっかけに過ぎず、アーニャの中ではとうの昔に恩義は恋心へと変わっていた。

 つまり、ルルーシュが感謝を感じているなら、これからも共に居る事こそがアーニャへ報いる事となるのだが、さすがはC.Cから嘗て童貞と罵られただけあって、その辺りの男女の機知がにぶにぶだった。

 今だって、ルルーシュから褒められたのが、とても嬉しかったらしく、アーニャが鼻息を誇らし気にムッフーッと荒くしたのも気付かず、ルルーシュは自分の興味を優先してしまっている。

 もっとも、アーニャ自身はその事実を未だ知らないが、アーニャの願いは既に半ば遂げられていた。

 何故ならば、アーニャの実家『アールストレイム家』は皇帝の寵姫の宮へ行儀見習いとして娘を送り込めるほどの名家であり、貴族階級は侯爵。

 本人が幾ら希望しているとは言え、娘を何の益も無い皇子の元へ送り込む筈もなく、アールストレイム家はシャルルとマリアンヌの2人と密約を結んでいた。

 その密約とは、アールストレイム家の宮廷における発言力の拡大もあるが、アーニャ自身に関わるもの。

 もし、ルルーシュが20歳となるまでに目覚めなかった場合、候補者はまだ未定ではあるが、アーニャはルルーシュ以上の皇位継承権を持つ皇子との結婚が決まっていた。

 反対にルルーシュが20歳となる前に目覚めた場合、アーニャはルルーシュとの結婚が決まっており、アールストレイム家へルルーシュ覚醒の報が届けば、すぐにでもアーニャはルルーシュの婚約者としての身分を得る。

 しかし、ルルーシュの婚約者としては、アッシュフォード家のミレイが先約に居り、どちらが第一夫人になるかまでは決まっておらず、それはルルーシュの一存となっていた。

 

「ユフィ? ユフィとは仲が良いのか?」

「うん、毎週来る」

「ほーー……。って、どうした?」

 

 ルルーシュはまだ目が冴えていたが、アーニャはもう限界らしい。先ほどから目を頻りに擦り、欠伸を噛み殺していた。

 なにしろ、昨夜はビスマルクとの死闘を演じて、明け方近くまで起きており、寝たのは3、4時間。その後はルルーシュを付きっ切りで見守っていたのだから、無理もない話。

 だが、不安はまだ消えておらず、アーニャはルルーシュの温もりを求めて、その左腕を抱き付き、頬をルルーシュの肩へ擦り付けた。

 

「ルルーシュ様、明日も起きますよね?」

「勿論だ。今まで寝坊した分を取り戻さないとな。

 さあ、付き合わせて悪かったな。俺も寝るから、お前も寝ろ」

「はい……。おやすみなふぁい……。」

 

 そんなアーニャに苦笑するルルーシュ。もし、ここで右手が動くなら、アーニャの頭を撫でたい気分だった。

 やがて、1分と経たず、規則正しい寝息が聞こえ始め、ルルーシュは苦笑を再び浮かべると、天井を見上げながら固く決意する。

 

「何はともあれ、まずはリハビリだな。

 せめて、トイレくらいは自分で行ける様になろう」

 

 アーニャの頭の向こう側、顔を左へ向ければ見えるベットサイドテーブルに置かれた尿瓶。

 ルルーシュはアーニャの介護を有り難いと感謝はしているが、どうしてもソレとオムツだけは嫌だった。

 

 

 



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第二章 第03話 過去との再会

「ほーー……。これがエディンバラのオベリスクか」

「ええっと、何々……。高さは169メートルあって……。」

「見上げているだけで首が痛くなるよ」

 

 目を醒ましてから5日目。ルルーシュはようやく自分の足だけで歩ける様になっていた。

 無論、この常識外れの回復力はコードを保有する故にだが、ルルーシュ自身の努力の賜物でもあった。

 嘗ての屈辱を決して忘れてはならぬと戒めの意味で建てられた『エディンバラのオベリスク』、皇居の南に位置するコロルド川に面して作られた公園の中心に建てられた観光名所。

 そこを目標として、アリエス宮から約5キロある道のりを往復するという無茶をルルーシュは覚醒の3日目から行っていた。

 その無茶の甲斐あってか、3日目は松葉杖で1日ががりを要したのが、4日目は杖が1本となり、5日目の今日はアーニャの補助を時たま必要とするが、杖も必要となくなり、この折り返し地点到着の時間も半分にまで短縮されていた。

 

「そもそも、エディンバラのオベリスクとはですね」

「お父さん、たっかいね!」

「これ、地震とか大丈夫なのかなー?」

 

 今はベンチにて、一休み。ルルーシュはぐったりと背を深く持たれ、ベンチの背もたれ縁に後頭部を乗せて、疲労困憊。

 荒い息を整えながら、夏の青空に流れて形をゆっくりと変えてゆく入道雲をぼんやりと眺めて、雑多溢れる観光客達の声を聞いていた。

 ちなみに、付き添いのアーニャはアイスクリームが食べたいというルルーシュの要望に応えて、今は近くの屋台へ買い出し中。

 

「わわっ!? 見て、見て! 凄いよ!

 この角度から見ると、本当に1ブリタニアポンド札の裏に描かれている奴だよ!」

「っ!?」

 

 それは前触れもなく唐突な出来事だった。

 観光客達が交わす数多の言葉。それ等の中から、その声色がはっきりとルルーシュの耳を打った。

 その瞬間、ルルーシュは目をこれ以上なく見開き、身体を跳ね起こすと、その勢いのままベンチから勢い良く立ちあがった。

 

「もう恥ずかし過ぎ! そんな大声を出したら、田舎者だって、バレバレじゃない!」

「そうだけど……。実際、田舎者だし」

 

 そして、その二度目となる声色の発生源を求めて、ルルーシュの目が捉える。二度と会えないと思っていた栗色の長い髪の後ろ姿を。

 どうして、ここに居るのかなど、どうでも良かった。ルルーシュは即座に駆け出した。気が付いたら、その声色の女の子へ向けって全速力で駆け出していた。

 

「待ってくれ!」

「「キャっ!?」」

 

 しかし、ルルーシュは驚き慌てるあまり、大きな失敗を犯す。

 目標とする女の子の行く手の前へ回り込み、両手を左右に広げての通せんぼ。

 当然、目標の女の子と一緒に歩いていた女の子の2人は驚き、悲鳴をあげながら思わず抱き合う。

 

「あっ!? い、いや……。そ、そのだな。え、ええっと……。」

 

 その悲鳴に何事かと足を止めて、ルルーシュ達へ視線を向ける観光客達。

 ルルーシュは思わぬ注目を浴びて焦り、辺りをキョロキョロと見渡しながらも、目標の女の子の容貌をチラリと盗み見る。

 それは思った通り、ルルーシュが恋心を抱きながらも、自分の復讐劇に巻き込んでしまい、その中で命を散らした『シャーリー・フェネット』、その人だった。

 もう二度と逢えない筈だった相手が目の前に立ち、こちらを見ているという現実に万感の思いが心に湧き、たまらずルルーシュは涙を瞳に溜めながら右手をシャーリーへと伸ばす。

 

「はうっ!?」

「「キャァァ~~~っ!?」」

 

 だが、右手を持ち上げた瞬間。突然の全力疾走に耐えきれなかった両脚が悲鳴をあげ、ルルーシュの両膝がガクガクと震え始める。

 慌ててルルーシュは踏ん張ろうと試みるが、その足自体が役に立たず、膝が折れたかと思ったら、下半身から力が一気に抜け、その場へ尻餅を付いた上に仰向けとなって倒れてしまう。

 シャーリーと女の子はいきなり現れて、いきなり倒れ、いきなり下半身を痙攣させている男にビックリ仰天。先ほど以上の悲鳴をあげる。

 

「ルルーシュ様っ!?」

 

 その悲鳴を聞き付け、ベンチへ戻ってくる途中だったアーニャは両手に持っているアイスクリームを投げ捨てると、即座にルルーシュの元へ駆け出した。

 

 

 

 

「つまり、アランさんはシャーリーを知り合いと間違えて追いかけてきた、と?」

「……そうだ」

 

 大騒ぎとなった場を何とか収めて、シャーリーと連れの女の子を誘い、場所をベンチへ変えての事情説明。

 名前を正直に明かしたら、その姓で皇族とバレてしまう為、ルルーシュは『アラン・スペイサー』と言う偽名を目の前に立つ2人へ名乗ったが、それはお世辞にも上手くいっているとは言い難かった。

 なにしろ、この偽名は外出前に決めたモノだったが、よっぽど先ほどの一件で肝を冷やしたか、アーニャがルルーシュの名前を既に何度も呼んでしまっていた。

 使い慣れた『ルルーシュ・ランペルージ』の偽名を使おうかとも考えたがシャーリーが相手だけにナナリーとの接点が有るやも知れず、今のモノを選択した。

 余談だが、ルルーシュは既にマリアンヌから聞き及び、ナナリーの所在地を知っている。

 

「ふ~~~ん……。そうですか」

「ちょ、ちょっとっ!?」

 

 女の子は不審そうな態度を隠さず、ルルーシュへ視線を上から下へと、下から上へと向けての値踏み。

 その不躾な態度に驚き、慌ててシャーリーが窘めようとするが、女の子はシャーリーの手を引っ張ると、ルルーシュから少し離れて、背を向けながら密談をし始めた。

 

「どうする?」

「どうするって……。何が?」

「ナンパだよ! ナンパ! チャンスだよ! チャンス!」

「えっ!? ナンパは解るけど……。チャンスって?」

 

 但し、興奮しているせいか、密談が密談になっておらず、丸聞こえとまではいかないにしろ、十分すぎるほどにルルーシュへ届いていた。

 ルルーシュは顔を引きつらせる。まさか、ナンパだと思われているとは考えもしなかった。

 今すぐ、この場から逃げ出したい気分になってくるが、足の感覚が未だ戻っていない。

 そのポンコツな足を左隣に座るアーニャが懸命にマッサージ中。ルルーシュは汗を垂らしているその姿にただただ感謝して、切ない心を慰める。

 

「だって、あの娘がさっき呼んでいた名前と違うしさ」

「だよね。さっき『ルルーシュ様』って呼んでたよね」

「そう、それよ! 様よ! 様!

 もしかしたら、貴族……。いや、この場所を考えたら、大貴族か、皇族って可能性も!」

「ええっ!? まっさかぁ~~!」

 

 ところが、更なるショックがルルーシュを襲う。

 こちらをこっそりと盗み見たシャーリーの目はルルーシュが知るものでは無かった。

 そう、それは完全に初対面の者へ向けられたもの。その視線を受けた時、ルルーシュは笑顔を辛うじて保てたが、上手く笑えていたかまでは自信が無かった。

 そして、この世界が自分の育った世界では無いと認識してはいたが、その認識がまだまだ甘かった事を知る。

 自分の知っている者が自分を全く知らないという事実がこれほど辛いものだとは思いもしなかった。ルルーシュは思わず胸を右手で押さえ、締め付けられる様なキリキリとした痛みに耐える。

 

『王の力はお前を孤独にする』

 

 今一度、ルルーシュは諦めきれない思いからシャーリーへ視線を向けるが、やはり向けられた視線は変わらない。

 この世界では自分がたった一人の異邦人である事を思い知らされ、ふと今の自分に相応しいC.Cの言葉を思い出す。

 意識を内側へと向ければ、すぐにでも繋がるCの世界。もう戻れない自分の世界での記憶の数々が瞼の裏に瞬きほどの一瞬で蘇り、目の前のシャーリーと重ねてしまい、切なさが込み上げてくる。

 

「まあ、貴族でないとしても、かなりのイケメンよ?」

「そ、そうかも知れないけどさ。わ、私には……。」

「だよねーー……。シャーリーには熱々の彼氏が居るもんね」

「あ、熱々って! そ、そんなんじゃ!」

「何、言ってるのよ!

 彼と同じ大学へ通う為に猛勉強して、バージニアまで来た癖に!」

「そ、それはそうだけどさぁ~~」

 

 そんなルルーシュへ追い打ちをかける衝撃の事実。

 当然の可能性だった。ルルーシュが今までシャーリーと出会っていない世界なのだから、シャーリーが別の男性へ恋をしていても不思議は無い。

 しかも、2人の話を聞く限り、シャーリーが通っている大学はバージニア大学。世界100大学にランキングされる名門校である。

 正直、ルルーシュが知るシャーリーでは入学受験を申し込むのも無謀と言える事実から、その件の彼氏へ対する熱い想いが伺えた。

 それでも、ルルーシュにとって、シャーリーに彼氏が居るという事実はお互いに想いを一度は交わし遂げただけに大きなショックだった。

 

「……という事で、私はどうですか?

 只今、彼氏を絶賛募集中ですよ! バージニアに通う社会学部の1年です!」

 

 その隠しきれない傷心した様子をチャンスと見たのか、女の子が歩み寄り、両手を両膝に突きながらベンチに座るルルーシュの顔を覗き込む。

 季節は夏、今日は晴天、第一ボタンが外された夏用のピンクのノースリーブブラウス。その体勢は女の子の豊かな胸元が必然的に強調され、ルルーシュが眼前へ晒されたソレに圧倒されて仰け反る。

 

「あはははは……。いぎっ!?」

 

 しかし、心とは裏腹に目は正直にモノを言った為、唇を尖らせたアーニャに太股を抓られ、ルルーシュは身体を更に仰け反らせた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ルルーシュ様、お帰りなさいませ。

 先ほど、お客様が有りました。今、マリアンヌ様と……。」

 

 屋台のホットドックを昼食に食べて、ルルーシュとアーニャがアリエス宮へ帰ると、既に時計は午後3時を回っていた。

 今や、皇帝の寵愛が薄れると共に廃れたアリエス宮は門と詰め所は有っても門番は居らず、入退のチェック機能が働いていないのだが、使用人の老人はルルーシュの帰宅を玄関ホールで待ち構えていた。

 もしかしたら、心配させてしまっただろうか。ルルーシュがそう考えていると、玄関ホール2階の左手側から忘れもしない声が聞こえてきた。

 

「ルルーシュっ!?」

「ユフィっ!?」

 

 ルルーシュが声の発生源へ視線を反射的に向けると、そこに居たのは赤毛のロングへーアーの女性。第3皇女『ユーフェミア・リ・ブリタニア』だった。

 己の罪の証とも言えるシャーリーに続いて、ユーフェミアとの再会。心の準備無しにもたらされた運命の悪戯にルルーシュの鼓動が強い痛みと共にドクンと打ち鳴る。

 

「ああっ!? 本当にルルーシュなのね!

 お母様から目を醒ましたと聞いて、すぐに飛んできたの!

 良かった! 本当に良かった!

 私、もう目を醒まさないんじゃないかって考えたりもして! でも、良かった! 嘘じゃないのよね!」

 

 そのルルーシュの微妙な変化に気付かず、ユーフェミアは表情を歓喜に輝かせるばかり。玄関ホール階段を一段飛ばしで駆け下り、両手を大きく広げながらルルーシュへ飛び抱き付く。

 もし、午前中にシャーリーと出会っていなければ、ルルーシュもここで両手を大きく広げて進み、ユーフェミアを何の気兼ねなく抱き迎えていただろう。

 だが、ルルーシュは立ち止まって躊躇い、その隙を突いて、アーニャがルルーシュの前へ割り込み、ユーフェミアをキャッチ成功。勢いを余らせて、一歩、二歩、三歩と後ろへたたら踏む。

 

「……って、アーニャ? 何をしているの?」

「私はルルーシュ様の騎士。暴漢から、ルルーシュ様を守るのが役目」

「誰が暴漢ですか! 誰が!」

 

 その上、アーニャは向けられたユーフェミアの白い目線に一歩も怯まず、ユーフェミアの背中へ回していた両腕を下げると、ユーフェミアが履いているミニスカートのウエスト口に両親指を射し込みながら腰を掴んで持ち、ルルーシュへ近づけまいと押しまくる。

 ちなみに、ユーフェミアはルルーシュの記憶に良く残っているドレス姿ではなく、カジュアルな服装であり、散歩へ出かけていたルルーシュとアーニャもカジュアルな服装である。

 

「ユフィは解っていない。

 ルルーシュ様は病み上がり。さっきの勢いで抱き付いたら絶対に転ぶ」

「そ、そうかも知れませんが……。

 じゅ、10年ぶりですよ? ここは兄妹愛を確かめたくなるのも仕方ないでしょ?」

 

 ユーフェミアはアーニャのお説教に怯むが、10年ぶりの再会劇を邪魔された怒りはやはり大きかった。

 負けじと同様にアーニャが履いているミニスカートのウエスト口に両親指を射し込みながら腰を掴んで持ち、ルルーシュへ一歩でも近づこうとアーニャを押しまくる。

 

「その歳で兄妹愛とか……。キモい」 

「まあっ!? アーニャったら、酷いわ! 私の気持ち、知っている癖に!」

「知らない。私の頭はルルーシュ様の事で一杯だから」

 

 突如、玄関ホールを土俵にして始まる女相撲。

 そうは言っても、剣の鍛錬を日々重ねているアーニャと学校の体育の授業でしか運動を行わないユーフェミア。

 勝負は最初から決まっている様なもの。ユーフェミアがアーニャに押されて、一歩、また一歩と階段へ戻って行く。

 だが、ユーフェミアは頑張った。目をギュッと瞑りながら歯を食いしばって力み、顔を真っ赤っかに染めて、顎に梅干しの皺まで作って諦めなかった。

 最早、それはメディアなどに公表され、ファンクラブまである深窓のお嬢様といった第3皇女の姿とはかけ離れ、見る者によっては哀れだったり、滑稽だったりする姿だった。

 

「ああ……。ユーフェミア皇女殿下も、アーニャ様も……。」

 

 この女の戦いに困り果てたのは、使用人の老人。

 なにせ、アーニャも、ユーフェミアも興奮しきって、自分達がミニスカートで相撲を行っているを忘れており、エキサイトすればするほどに酷い光景となっていた。

 ミニスカートはとっくにずり上がり、パンツどころか、そのパンツが食い込み、お尻が丸見え状態。もし、ここで来客があったら、とんでもない事態となるのは必至。

 しかし、相手は大貴族のご令嬢と皇女。老人がソレを諫めるのは手に余りすぎ、たまらずルルーシュへ救いの視線を向けると、ルルーシュは見るに耐えないと言わんばかりに目線を右手で覆っていた。

 

「いつも、こうなんですか?」

「いいえ、とんでも有りません。

 普段はとても仲がよろしくて、それはもうユーフェミア皇女殿下の姉上様、コーネリア皇女殿下が自分より本当の姉妹の様だと焼き餅を焼くほどです」

「あのコーネリアが?」

「はい、それにユーフェミア皇女殿下はご訪問の度、ルルーシュ様のお世話を買って出て、アーニャ様へお休みを……。」

「なるほど……。」

 

 ルルーシュは判断に迷っていた。本気なのか、じゃれ合いなのか、それによっては止め方が変わる。

 それ故、老人へ日頃の2人についてを尋ねると、返ってきたのは驚きの答え。ルルーシュはアーニャからユーフェミアとの仲を聞いてはいたが、そこまでとは思っても見なかった。

 コーネリアのユーフェミアへ対する溺愛を超えたシスコンぶりは、彼女を知る者なら誰もが知っている事実。そのコーネリアが妬くとなったら、それはもう親友の関係と言って過言でない。

 その推察から、ルルーシュは目の前の醜い争いが単なるじゃれ合いであると判断。一拍の間隔を空けて、拍手を強く2回叩いた。

 

「ルルーシュ様?」

「ルルーシュ?」

 

 一回目、身体をビクッと震わせて動きを止めるアーニャとユーフェミア。

 二回目、ルルーシュが怒ったのかと勘違い。2人が息を揃えたかの様に恐る恐る顔を揃って振り向け、ルルーシュの様子を窺う。

 

「くっくっ……。さて、お茶をお願いします。喉がカラカラだ」

「あうっ……。待って下さい」

「ルルーシュってば!」

 

 その戦々恐々とした表情2つに思わず吹き出すと、ルルーシュは一人部屋へと向かい、慌ててアーニャとユーフェミアはその後を追った。

 

 

 

「それでは失礼を致します」

「ありがとう御座いました」

 

 落ちぶれたとは言え、アリエス宮はやはりブリタニア皇帝の寵姫だけが持てる専用宮。

 用意された茶葉が贅沢なモノなら、それを煎れる使用人の老人の手並みも見事なモノであった。

 ティーポットからティーカップへ注がれた途端、ダージリンの良い香りが漂い、それに誘われる様に飲んだ一口は程良い熱さ。

 その美味さに思わず頷き、ルルーシュが視線を向けると、老人はニッコリと微笑みながら一礼をして、部屋を出て行く。

 

「さて、何から話すか……。」

「その前に良いかしら?」

「んっ!? 何だ?」

「この部屋、おかしくありません?

 何と言えば良いのか。このソファーも……。上手く言えませんが……。」

 

 そして、ドアが閉まり、ルルーシュが紅茶をもう一口飲み、話を切り出そうとするが、それに先んじて、ユーフェミアが待ったをかける。

 その理由はこの部屋の殺風景さ。つい先日までの事を考えたら、当然なのだが、少ないながらも増えている家具に疑問があった。

 部屋中央に置かれたベットは元のままだが、追加された家具はTVと自分達が今座っている応接用のソファーセットのみ。

 ベット後方に配置されたTVはいかにも間に合わせで作った木の骨組みだけのテーブルに置かれており、そのTVから伸びているケーブルも剥き出しとなって部屋を渡り、コンセントへと繋がれて、それで良しとする様が見え、隠そうとする意思が見えない。

 また、応接セットもベランダ窓の傍に置かれて、外側を向いており、外の景観を見るに適してはいるが、座る為にはわざわざグルリと遠回りしなければならない奇妙な配置。

 普通、人というモノは防衛本能から隅を好み、壁を背にしたがる傾向があり、そう言ったものは家具の配置にも自然と表れる。

 ところが、この部屋はソレが無い。強いて言うなら、寝泊まりをする日常空間と言うよりは、一時の為に機能を追求した場という印象を受けた。

 

「ああ、良いんだ。来週にはここを出て行くからな」

「えっ!? ……出て行くって、何処へ?」

「まずはエリア11だな。その後は……。」

「そんな! 目を醒ましたばかりじゃない!」

 

 それ等の疑問をサラリと軽く流すルルーシュだったが、ユーフェミアはそういかなかった。

 当然である。この約10年間、待ちに待ちかねた再会だったというにも関わらず、再会した途端に別れが待っていたのだから納得が出来る筈が無い。

 ユーフェミアはソファーを勢い良く立ち上がり、ルルーシュを見下ろしながら抗議を叫んだ。

 

「それなら、問題は無い。アーニャが一緒に付いてきてくれる」

「ふっ……。」

 

 だが、ルルーシュはそれすらも軽く受け流すと、アーニャへ微笑みを向けた。

 その微笑みは優しさと信頼に溢れており、アーニャは嬉しそうに微笑み返した後、ティーカップを傾けながら勝ち誇り、ユーフェミアへニヤリと笑う。

 

「な゛っ!? な゛な゛な゛……。

 だ、だったら……。だ、だったら、マリアンヌ様は! マ、マリアンヌ様は何と仰っているの!」

 

 ユーフェミアは絶句して思わず右足を退くが、頭を必死に巡らせて、ルルーシュの旅立ちを引き留める理由を見つけると、右足を勇み進めた。

 ちなみに、3人の座り位置はソファーセットが『コ』の字に列び、それぞれが座れる様に3つのソファーが有るにも関わらず、全員が真ん中の4人掛けにわざわざ座り、ルルーシュを真ん中にして、左にアーニャ、右にユーフェミアが座っている状態。

 

「もちろん、了承済みだ。

 ……で、話というのは他でもない。

 今すぐは無理でも……。ユフィ、お前も一緒に来ないか?」

「「えっ!?」」

 

 ここで唐突に質問の攻守が逆転。ルルーシュが空席となった右隣を叩き、ユーフェミアへ座る様に促す。

 しかし、ユーフェミアはいきなりの提案に驚いて座れず、アーニャも初耳な話に目をパチパチと瞬きさせて驚く。

 

「実を言うと、寄宿舎から今日帰ってくるのをアーニャから聞いていた。

 だから、お前が来なければ、こちらからジェミニ宮へ足を運び、この話をしようと考えていたんだ」

「そうなの? でも、一緒に来ないかって……。」

「ユフィ……。お前、自分の将来をどう考えている?

 来年はどうするつもりなんだ? 大学へ進むのか? 仮に大学へ進んだとして、卒業した後は?」

「それは……。」

 

 ユーフェミアにとって、それは耳が痛い話だった。

 今年、ユーフェミアは18歳。ハイスクールの第12学年生であり、当然の事ながら、その進路は話題となっていた。母親や姉のコーネリアからも進路に関してを問われたのは一度や二度ではない。

 だが、ユーフェミア自身、自分がどんな人間なのかが解っておらず、進路をずっと先伸ばしていた。大学へ進学する学力は十分に持っていたが、これと言って専攻したい分野はなく、皇族として政治の場へ出るにしても、これも得意とする分野が解らなかった。

 只一つだけ解っているのは、姉のコーネリアの様に戦場で活躍する軍人にだけは全く向いていないと言う事のみ。

 

「俺達は皇族。ましてや、お前は女だ。

 コーネリア姉上の様に自身で身を立てなければ、いずれは大貴族との政略結婚になるのは間違いない。

 いや、今まで婚約者が居なかった方がおかしい。

 なにせ、寝ていただけの俺にでさえ居るのだからな。

 だから、恐らくはコーネリア姉上が後ろで手を回していたと考えるべきだろう。可能な限り、お前が自由で居られる様に……。」

 

 ユーフェミアは脱力する様にソファーへ座り、一言も言い返せずに視線を伏せる。

 そんなユーフェミアを心配そうに見つめた後、アーニャが我知らず顔をしながらも手加減しろとルルーシュを肘で軽く叩くが、ルルーシュは手を緩めなかった。

 

「しかし、それも限界に近い筈だ。

 お前は18歳。世間一般ではまだ早いが、貴族社会では適齢期。

 さぞや、大貴族共はお前を手に入れようと、あの手、この手で争っているに違いない」

「解っています! そんな事は!

 でも、私にはまだ……。まだ、その何かが……。」

 

 たまらずユーフェミアが激昂する。今にも泣き出しそうな顔を勢い良く上げて叫ぶと、すぐに顔を再び伏して、膝の上に置いた両手を力強くギュッと握り締めた。

 その様子に息を飲み、慌ててアーニャが今度は強く2回叩いて非難するが、やはりルルーシュは手を緩めない。

 

「だったら、俺と来い! ユフィ、俺がお前の居場所を作ってやる!」

「えっ!? そ、それって……。」

 

 それどころか、ルルーシュは座ったまま上半身をユーフェミアへ振り向けると、その肩を掴んで揺すり、泣き顔を強引に上げさせた。

 ユーフェミアは驚愕のあまり涙を拭うのを忘れ、丸くさせた目から涙をホロリと零した後、投げかけられた言葉の意味を理解して、本気なのかとルルーシュの瞳を覗き込む。

 

「今すぐ、結論を出す必要は無い。学校の事もあるからな。

 だがな、これだけは憶えておけ! チャンスは待つモノじゃない! 自分で作るモノだ!」

「で、でも……。ル、ルルーシュ?

 きょ、兄妹でってのは……。や、やっぱり、まずいんじゃないかしら?」

「何がまずい! 大事なのは本人の意思だ!

 俺が望み、お前が決断するば、それで十分じゃないか!」

 

 ルルーシュの目は真っ直ぐにユーフェミアの瞳を捉えて、何処までも本気だった。

 それは目だけでは無い。ユーフェミアは力強く掴まれた肩が痛かったが、その痛みがルルーシュの本気さを物語っていた。

 嬉しくて、嬉しくて堪らなかった。ソレをずっと望んではいたが、前へ突き進む勇気が持てなかったのを引っ張ってくれるルルーシュの強引さが嬉しかった。

 ユーフェミアは目を輝かせながら胸の前で拍手を打ち、掌を合わせたまま決意して考える。これから、自分が前へ進む為にどうしたら良いのかを。

 

「そうよね! 本人達次第よね!

 過去にだって、例は幾らでも有ったんだし……。いざとなったら、私が何処かの養女になれば良いのよね!」

「養女? ……待て、何の話だ?」

 

 ルルーシュは少しづつ乗り気になってくるユーフェミアの様子に手応えを感じていた。

 ところが、いきなり意味不明な事を言い始めたユーフェミアに戸惑い、眉を怪訝そうに寄せた次の瞬間だった。

 

「……って、ほげきょっ!?」

「キャっ!?」

 

 突如、紅茶を太股の上へかけられて、その熱さにソファーから仰け反り跳び上がるルルーシュ。

 ソファーの背もたれを越えて、背後へ落下。床を陸揚げされたエビの様にのたうち回りながら必死にズボンを脱ぎ捨てて、やっと一安心。

 その紫のビキニパンツ姿に悲鳴をあげ、ユーフェミアが顔をルルーシュから背けて、恥ずかしそうに両手で覆い隠す。

 もっとも、ユーフェミアはルルーシュの介護を何度も行った事があり、ビキニパンツ姿どころか、その中身を実は十分すぎるほどに知っているのだが、これが乙女の作法というもの。

 そうとは知らず、慌ててルルーシュは顔を紅く染めながらベットから剥ぎ取ったシーツを腰へ巻き付けて下半身を隠すと、度を超えた悪戯の実行者を怒鳴り付けた。

 

「な、何をするっ!? ア、アーニャっ!?」

「ルルーシュ様……。ユフィと結婚するの?」

「ユフィと結婚? 何を言ってる?」

 

 だが、返ってきたのは、逆にルルーシュを責め立てるアーニャの涙目。

 ユーフェミアに続き、アーニャまでもが意味不明な事を言い始め、ルルーシュは烈火の如く燃え上がった怒りを一気に鎮火させて戸惑いまくり。

 

「「だって、プロポーズを今……。」」

 

 そんなルルーシュの疑問に声を揃えて応えるユーフェミアとアーニャ。

 1秒、2秒、3秒と過ぎてゆき、10秒ほど経った頃、ようやくルルーシュは理解。自分の発言を思い返して、そう取れなくもないと気付く。

 

「えっ!? ……あっ!?

 い、いやいや、いや! ち、違う! ち、違うぞ! そ、そう言う意味では無くてだな!」

 

 その後、ルルーシュはユーフェミアの事をどう思っているのかを左右から責め立てられて、困り果てた挙げ句、腹が急に痛くなったとうそぶき、個室へと戦略的撤退を決め込んで約30分ほど籠もりきった。

 

 

 

 ******

 

 

 

『ねえ、ルルーシュ……。

 どうして、ルルーシュはそんなに私の事を気にかけてくれるの?』

 

 帰り間際、その言葉をユーフェミアから投げられた時、ルルーシュは言葉に詰まった。応える言葉を持たなかった。

 暫く黙り込んでいると、プロポーズ騒動があったからだろう。ユーフェミアは背伸びをして、一瞬触れるのだけの軽いキスをルルーシュへした後、頬を紅く染めながら上目遣いにこう重ねて問いてきた。

 

『期待しても……。良いんですよね?』

 

 それが何を指すのか、さすがの朴念仁でも解り、ルルーシュは辛さのあまり胸が張り裂けそうになった。

 ルルーシュにとって、ユーフェミアは初恋の相手。そう言われたら嬉しいに決まっているが、その資格が自分に果たして有るのかとどうしても考えてしまう。

 自分が育った世界の親友たるスザクの事を考えたら、自分も人並みの幸せを得てはならない。そう戒めざるを得なかった。

 まず間違いなく、最初の問いに対する答えは『贖罪』と言う言葉が最も適しているだろうが、この世界のユーフェミアにとったら全く関係の無い話。

 だが、昼間に出会ったシャーリーもそうだったが、どうしても自分が知るシャリー、ユーフェミアと重ねてしまい、それがルルーシュは辛かった。

 その点、ルルーシュはアーニャの存在に随分と助けられていた。元々、自分が育った世界のアーニャとは接点が薄く、友達以前の知己程度の関係だった為、この世界のアーニャと親交を深めてゆくのに違和感を覚えなかった。

 もし、この最も身近な立場がアーニャではなく、ナナリーだった場合、どうなっていたか。ルルーシュは気が狂っていたかも知れないと恐怖する。

 何故ならば、この世界のナナリーは障害を持っていない為か、マリアンヌの話を聞く限り、剣術を嗜み、最近は二輪車を乗り始めたとか、明らかにルルーシュが持っているナナリー像とはかけ離れていた。

 その反面、なるほどと納得する部分もあった。元々、ナナリーは活発でお転婆だった。性格が内向的で大人しくなったのは障害を負ってからであり、それを考えたら喜ぶべき事実。そうなって欲しいと常々思っていたのだから。

 しかし、今日の経験が無かったら、確実に暴言を吐き、ナナリーを傷つけていたに違いない。

 いざ本人を目の前にすると、頭で理解しているつもりになっていても、自分が知っている認識との差異感に感情が揺れてしまうのを今日の経験から知った。

 今後もこういった事は多々有るに違いない。この後の予定として、ルルーシュはまずエリア11へ行こうと考えているが、その前に心構えを作っておく必要性が有ると考える。

 

「さよなら……。シャーリー……。」

 

 こちら側から積極的に探して赴かなければ、二度と交差しなかった筈のこの世界のシャーリーとの出会い。

 その運命の引き合わせに感謝しながら、ルルーシュは自室のベランダ前の庭に一人佇み、夜空に浮かぶ満月を見上げて二度目の別れを告げた。

 

 

 



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第二章 第04話 就任式 - 前 -

 

「ふっ……。」

 

 どんな運命の悪戯か、ルルーシュはもしやと考えながらも、その渡された服に袖を通して、姿見に写った自分の姿に思わず口の端をニヤリと吊り上げた。

 何故ならば、多少の違いは装飾の細部に有るが、その服はルルーシュが『悪逆皇帝』を演じる為に着ていた服そのものだった。

 但し、『悪逆皇帝』のモノはホワイトをメインとしていたが、こちらはサテンブラックをメインとしており、こちらの方がよっぽど『悪逆皇帝』らしいと言える代物。

 だが、それは詰まるところ、悪役っぽく見えるという事であり、こんな格好で良いのだろうかと隣へ視線を向けてみれば、どうやら好評らしい。

 

「良くお似合いですよ」

「……格好良い」

 

 使用人の老人はニコニコと笑い、アーニャは目をパチパチと瞬きさせて見惚れていた。

 褒められて悪い気はしない。ルルーシュは『そうか』と呟いて頷き、右肘を左手で持ちながら、広げた右の人差し指と親指を顎へ置いてのポージング。

 元々、黒はルルーシュの好きな色。次第に満更でもなくなり始め、『ミステリアスさを演出する為に眼帯が欲しいな』と悪い病気が鎌首をもたげる。

 ちなみに、この衣装が今後はルルーシュの公式の場における衣装となり、黒はルルーシュを象徴する色として、敵味方を問わず広く認知される様になってゆく。

 

「ところで、この服はどちらが?」

「マリアンヌ様に御座います」

「母上が?」

 

 当然、気になってくるのが、この衣装を選んだ人物。

 ルルーシュが老人とアーニャへ視線を交互に向けて尋ねると、老人から返ってきた答えは第三の人物。思わず背後を振り返る。

 

「き、気に入って貰えたかしら?」

「ええ、まあ……。」

 

 目は見えなくとも、ルルーシュ達の様子を嬉しそうに微笑みながら見守っていたマリアンヌ。

 向けられたルルーシュの意識に気付き、期待しながらも怖ず怖ずと尋ねるが、素っ気ない返事をルルーシュに返され、たちまち表情を曇らせて悲しそうにシュンと項垂れる。

 ルルーシュが覚醒して、既に一週間と1日が経過していたが、ルルーシュとマリアンヌの親子関係は未だとても寒いものだった。

 食事は一緒に摂っているが、その食卓に会話は無い。廊下で擦れ違ってもお互いに無言。せいぜい交わすのは朝の挨拶くらいのみ。

 アーニャと使用人の老夫婦が間に立ち、2人の関係を何とか良い方向へ向かわせようと努力を行ってはいたが、その全てが徒労に終わっていた。

 なにしろ、ルルーシュは自分とナナリーを含める数多の老若男女に行った倫理から1歩どころか、10歩以上も外れたマリアンヌの非道の数々を全て知っている。

 それ故、気を絶対に許してはならない相手として、ルルーシュは警戒しており、その警戒度はシャルルやV.V、シュナイゼルを遙かに凌ぐほど。

 ところが、この世界のマリアンヌは目と足に障害を負って、常に車椅子生活をしており、それはルルーシュが知るナナリーの姿をどうしても彷彿させた。

 その上、ご覧の通り、あのCの世界で再会したマリアンヌとはまるで別人。大人しく控えめであり、これがまたナナリーの姿を彷彿させてしまい、ルルーシュはマリアンヌへ対する態度を微妙にさせていた。

 

「ルルーシュ様、帽子」

「ああ……。済まないな」

 

 気まずい沈黙が漂い、息苦しさを感じる雰囲気が広がりかけるが、すかさずアーニャが両手に持っている帽子をルルーシュへ差し出す。

 ルルーシュが振り向き戻って、空気が一新。老人は胸をホッと撫で下ろして、姿見の鏡越しにマリアンヌの様子を盗み見るが、マリアンヌは悲しそうに項垂れたまま。

 その様子に心を痛め、老人は溜息をこっそりとつく。何故、ルルーシュはマリアンヌだけに冷たいのだろうか、そう考えるも、すぐに過ぎた事だと考えるのを止める。

 

「では、征くか! 最初の我が戦場へと!」

「はい!」

 

 一方、ルルーシュは帽子を被り終えると、既に気持ちを切り替えていた。

 不敵にニヤリと笑い、マントを芝居じみた仕草でバサリと翻して、アーニャを付き従わせながら颯爽と歩き出した。

 

 

 

 ******

 

 

 

「やれやれ……。

 このエリアへ来て、随分と経つと言うのにこの暑さは慣れないな」

 

 神聖ブリタニア帝国の一地方として、エリア22と名を変えたエジプトのカイロ。

 東と西を繋げるスエズ運河を守る要所として、地中海侵攻の要となるアレキサンドリアを守る要所として、ここは中東を制したブリタニアの前線軍事拠点となっていた。

 その中東の全部隊を纏めて、エリア22総督とEU東南戦線司令官を兼任するのが、『魔女』の二つ名で知られるブリタニア第2皇女『コーネリア・リ・ブリタニア』であった。

 今はお昼を過ぎて、午後3時前。ようやく暑さが衰え始めているが、まだまだ十分に暑い。換気を促す巨大なプロペラが天井でゆっくりと回っているが、気休めにもなっていない。

 書類が積み上げられた総督の執務机に座り、コーネリアはボールペンを置いて、裁可を一休み。軍服の襟と第一ボタンを外して、胸元を引っ張り開け、そこへ涼を少しでも取ろうと右手を団扇代わりに風を送り込む。

 

「姫様、はしたのう御座いますぞ。

 皇族たる者、その立ち振る舞いは下々の模範とならねばいけませぬ」

 

 そのだらしない姿を諫めて、顔を左右にやれやれと振る男性。

 執務机前のソファーセットに腕を組んで座る彼の名前は『アンドレアス・ダールトン』、右額から左頬へ走る傷痕が特徴的な今年で50歳を迎える歴戦の猛者。

 コーネリアが軍属となった時から補佐兼教育係を務めているコーネリアの腹心中の腹心であり、コーネリア不在の時は代理権限を持つ将軍である。

 

「ほーーー……。なら、将軍は良いというのか?」

 

 だが、その歴戦の猛者もカイロの暑さの前に白旗を振るしかなかった。

 上着とシャツを脱ぎ、50歳とは思えない鍛え抜かれた上半身を晒して、下はズボンを膝まで巻き上げ、裸足の足を水の張ったタライに付けている有り様。

 当然、その理不尽さに苛立ち、コーネリアが眉をピクピクと跳ねさせながらダールトンへ白い目を向ける。

 

「将軍たる者、兵の気持ちを理解せねばなりません。

 なら、将軍の私が率先して、この様にしていれば、兵達も気兼ねなく涼をこうやって取り、任務に励めるというものです」

「だったら、皇族も下々の為にそうするべきではないのか?」

「然り……。ですが、姫様のソレは中途半端でだらしないだけ。

 しかし、私のコレは堂々としており、いっそ痛快です。

 何でしたら、姫様も我慢なさらず、服をお脱ぎになったらどうです? それこそ、兵の士気は上がりますぞ?」

 

 しかし、ダールトンは歴戦の猛者。屁理屈も達者だった。

 さすがに足を水に付けているのはやり過ぎとしても、ダールトンの言葉は概ね正しく、コーネリアはもう言い返せない。

 この地がブリタニアの版図に加わって、既に約4年が経過。コーネリアがエリア総督として着任してから、約1年が経過しているが、一時は半分を失いながらも巻き返しに成功している中東北部戦線と比べて、アフリカ北部戦線は一進一退を繰り返すばかりで4年前から前線が膠着状態に陥っていた。

 その理由は多々あれども、この暑さこそが最たる原因であり、兵士達の著しい士気低下を招いて、アフリカ北部戦線の深刻な問題となっていた。

 名誉ブリタニア人によって、その殆どを占める下士官以下の兵士達に問題は無い。後方から送られてくる者も居るが、大半はこの暑さで育った現地人の志願兵故に弱音を吐く事は無い。

 問題は上士官以上、ブリタニア本国北部出身地の者にあった。彼等は暑さに対する耐性を持っておらず、この地へ着任した当初は気力が充実しており、それで耐えていたが、1ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、1年が過ぎてゆくと完全にバテ始めた。

 それどころか、この毎日の暑さに嫌気がさして、ホームシックにかかっている者が少なからず居るとの報告が医療班よりコーネリアの元へ届いていた。

 だが、エリア22より西のアフリカ北部と地中海はEUの勢力圏内。本国へ帰国するとなったら、アラビア海、インド洋、太平洋を経由する長旅となる。

 しかも、インド洋は停戦協定を結んでいる中華連邦との取り決めで航空機の使用は禁じられており、移動手段は船舶のみ。ここを通過するだけで日数が随分とかかる。

 それ故、リフレッシュの為、帰国休暇を交代で取るという手段は使えず、頭を悩ませたダールトンが考え出した打開策は、厳しい事で有名なコーネリア麾下の規律を少し緩める事だった。

 即ち、暑かったら脱げという極めて単純なもの。この案を初めて提示された時、コーネリアは効果が有るのかと疑ったが、これが意外なほど効果を発揮する。

 何故ならば、コーネリアは女性。この案が有ろうと、無かろうと、そう簡単に人前で服を脱げる筈もなく、最初から対象外。軍服を必然的に着たまま。

 もっとも、それでは部下達が遠慮して脱げないのだが、コーネリアの腹心中の腹心であるダールトンがソレを率先して実践しているなら話は別となる。

 そして、コーネリアの部下達はこう思うのである。トップのコーネリアが軍服を着たまま頑張っているのだから、裸の俺達が弱音を吐いて良い筈が無い、と。

 

「くっ……。ギルフォードはまだか! 私のアイスはどうなっている!」

 

 只でさえ、暑さに苛立っているところに屁理屈で苛立ちを重ねられ、激昂して机を右拳で叩くコーネリア。

 その言葉の中にある『ギルフォード』とは、コーネリアの専属騎士にして、親衛隊隊長も兼任する『ギルバート・G・P・ギルフォード』の事であり、長い髪を後ろで束ねた眼鏡のイケメン。

 年齢はコーネリアと同い年の29歳。最初はコーネリアの遊び相手から始まった付き合いも既に20年。コーネリアが行く先へ常に付き従い、それだけにコーネリアが向ける信頼は厚く、部下達からも慕われており、コーネリア麾下のNo3と言える存在。

 但し、皇族のコーネリアと年長のダールトンの前では悲しき『パシリ』となる事が多々あり、今もコーネリアとダールトンの為にアイスクリームの買い出し中。

 

「そう言えば、遅いですな。

 ……っと、姫様、そろそろ時間ですぞ?」

「おお、そうだったな」

 

 そんなコーネリアを宥めながら、ダールトンは壁の掛け時計へ視線を向けると、ソファーに掛けてあったシャツと上着を手に取り、それを急いで着始めた。

 その様子にダールトンの言葉先を悟り、コーネリアは席を立ちあがって、乱れた襟元を正し整えた後、机の上に置かれたリモコンのスイッチを押して、テレビの電源を点ける。

 

『神聖にして、不可侵。遍く大地の支配者。

 神聖ブリタニア帝国第98代皇帝、シャルル・ジ・ブリタニア様、御入来!』

 

 まず映ったのは、帝都ペンドラゴンの青空にはためく神聖ブリタニア帝国の国旗。

 その映像がアナウンスと共に切り替わり、一度見たら忘れられない髪型の男が玉座脇の舞台袖から現れ、玉座へと歩いてゆく姿が映される。

 TV越しとは言えども、皇帝を前にして、だらしない姿でいる訳にもいかず、ダールトンは捲っていたズボンを下げて、靴を履き、大慌てで身だしなみを整えてゆく。

 

「しかし、何でしょうな?」

「いきなり本国から通知が来たと思ったら、『全てのブリタニア国民は必ず視聴せよ』との事だからな。

 しかも、この謁見の間を見ろ。本国内の貴族全員に召集がかかっているに違いない。よっぽど重要な発表なんだろうな」

 

 シャルルが玉座へ座り、カメラのアングルが引かれると、コーネリアは目を見開いて驚いた。

 謁見の間に集っている貴族の数が尋常でない。玉座のある舞台と玉座へ伸びる謁見の間の中央に敷かれた赤絨毯以外は人がびっしりと埋め尽くしており、隙間が全く見えない。

 皇族であるコーネリアもこの場へ列席した経験が何度もあるが、これだけの大人数が謁見の間に集っているところを未だ嘗て見た事が無かった。

 

『続きまして……。

 第17皇位継承者、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア様、御入来!』

「えっ!? ……ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~~~~~~っ!?」

 

 しかし、それを遙かに超える驚きがコーネリアを襲う。

 コーネリアは我が耳を疑って、驚きのあまり茫然と目が点。口をポカーンと開ききっての間抜け顔。

 一拍の間の後、扉が重い音を立てて開き、黒ずくめの少年が映し出され、コーネリアが開ききっていた口から驚愕を叫び、TVへ一歩でも近づこうと机を両掌で叩きながら身を乗り出したその時だった。

 

「姫様、お待たせしました!  買ってきました!

 姫様の好きなチョコミントで御座います! さあ、さあ! どうぞ!」

 

 気温36度の炎天下の中でも、我らが姫様の為ならとアイスクリームの買い出しからギルフォードが帰還。

 ダールトンとは違い、コーネリア同様に軍服を着用しているにも関わらず、よほど急いで走ってきたのだろう。この暑さの中、コーネリアへ差し出されたアイスクリームの箱にはまだ霜が付いていた。

 その代償として、トレードマークのオールバックヘアーは乱れて、全身は汗まみれ、見るのも暑苦しいほどに汗を額から滴らせている。

 

「うるさい! 黙っていろ! それと前に立つな!」

「痛っ!? ひ、姫様、何をっ!?」

 

 それは実に麗しき忠誠心であったが、今だけはタイミングが最悪だった。

 コーネリアは忠誠の証を受け取ると、返す刀で思いっ切り投げ付け、ギルフォードは理不尽な仕打ちを受けて涙目となるしかなかった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「おおおおおおおおおおっ!?

 ルルーシュ様! ルルーシュ様! ルルーシュ様ああああああああああ!」

 

 エリア11は夜の10時を過ぎたところ。周囲のビル群が闇に包まれている中、市ヶ谷即応軍司令部基地だけは昼間の如く明るかった。

 その理由は現在放送中の玉音放送を皆で拝聴しようという忠誠心の溢れる有り難い指示が基地司令代理から有った為である。

 おかげで、勤務シフト外の者達は残業、休出を半ば強制されて、自分のアンラッキーさに嘆きながら特設されたグランドの巨大スクリーン前に集い、これを拝聴中だった。

 

「このジェレミア・ゴットバルト! この日を! この日を!

 たたひたすらにお待ち申し上げていましたあああああああああああああああ!」

 

 ところが、この企画の発案者たる基地司令代理のジェレミアはスクリーンに黒ずくめの少年が現れた途端、発狂したかの様に吠えまくり。

 プロジェクターが投影する光の前に立ち、巨大な土下座の影絵をスクリーンに何度も何度も作り、今は号泣していた。

 一週間前の着任以来、規律にとても厳しい基地司令代理のこの狂乱ぶりに集った者達は茫然と目が点。つい直前まで、私語をしようものなら、その場で腕立て伏せを命じていただけに。

 

「一体、どうしたと言うんだ? ジェレミアの奴は?」

 

 キューエルもまたその1人だった。ジェレミアとは士官学校以来の長い付き合いだが、ここまで取り乱すジェレミアを一度も見た事が無かった。

 余談だが、8日前にあった『ブラック騒動』と呼ばれるパレードにて、失態を犯したキューエルが受けた罰は、3階級降格という非常に厳しいものだった。

 その上、左遷先として、EU戦線最前線のナイトメアフレーム小隊隊長の人事も決まっていたが、これに待ったをかけたのが市ヶ谷即応軍司令部基地の新たな基地司令代理に着任したジェレミアであった。

 ジェレミアは総督のクロヴィスへキューエルの有能さを懇々と説き、1階級降格と1年間の50%減棒。その処罰に止めて、キューエルを現職のまま市ヶ谷即応軍司令部ナイトメアフレーム隊隊長に据え置く事に成功した。

 もちろん、キューエルはジェレミアへ泣いて感謝したが、その一方で厳しい減棒処分となった為、今までの様な頻度でナナリーの元へ通えなくなり、とても辛い思いをしていた。

 今日の夕方も『わんだぁ~らんど』の前までは訪ねるが、入店はせずに外の物陰から小一時間ほどナナリーの姿を見守っている最中、巡回中の警察官から職務質問を受けて慌てて逃げていた。

 

「……解りません。

 ですが、ジェレミア卿がここまで取り乱す理由は1つしか無いかと」

 

 ヴィレッタも困惑していたが、さすがは出世欲が強いだけあって、情報収集を欠かしておらず、ジェレミアの豹変ぶりの原因にすぐ気付いた。

 ちなみに、ヴィレッタもキューエル同様に『ブラック騒動』と関連して窮地に陥り、ジェレミアによって救われた1人である。

 あの騒動の直後、市ヶ谷即応軍司令部基地へ帰還したヴィレッタを待っていたのは、麻薬『リフレイン』の取引関与疑惑による逮捕拘禁だった。

 そう、生け贄であるスザクを逃してしまった失態により、パレードの3日前にあったナイトメアフレーム強奪事件。その際に取引を持ち掛けてきた三宿駐屯基地司令『クラーク・バーゼル』中将に切り捨てられたのである。

 無論、ヴィレッタは無実を訴えたが、バーゼル中将の子飼いで固められた拘留所は誰もヴィレッタの話をまともに取り合わず、頼りになる筈の上司のキューエルは失脚中。もう絶望しかなかった。

 そんなヴィレッタの前に現れたのが、軍のデーターベースに登録された住所に居らず、無断欠勤をしているキューエルの居場所に心当たりは無いかと尋ねにきたジェレミアであった。

 ヴィレッタの訴えを聞き、ジェレミアは義憤に駆られると、市ヶ谷即応軍基地司令代理の権限を余すところ無く発揮。総督のクロヴィスを説き伏せて、三宿駐屯基地司令『クラーク・バーゼル』中将を即日で逮捕。

 その後、不正を防ぐ為、ジェレミアは直々に取り調べを立ち会い、バーゼル中将から麻薬『リフレイン』の取引に関する自供を3日というスピードでもぎ取り、ヴィレッタの釈放に成功していた。

 また、この事件はここでジェレミアの手を離れ、司法の手に委ねられる事となるのだが、知る者が少ない後日談が存在する。

 この軍の将官クラスが麻薬『リフレイン』に関わった事件は大きく取り沙汰され、本国の警察が動く事となり、バーゼル中将は約1ヶ月後に本国へと移送される。

 しかし、その移送途中、バーゼル中将は乗った飛行機内で謎の突然死を遂げてしまい、事件の真相は闇へ葬られてしまう。

 

「ヴィ・ブリタニア……。

 そうか! マリアンヌ皇妃の皇子か! あの御方は!」

 

 キューエルもヴィレッタのヒントにようやく解答を得る。

 なにしろ、ジェレミアの皇族へ対する忠誠心、特に『ヴィ』家へ対する忠誠心は軍内外を問わずに有名な話。

 例えば、こんな話がある。欧州におけるブリタニアの版図が今より広かった3年ほど前、EU戦線に派遣されてたジェレミアはナイトメアフレーム大隊を率いて、目覚ましい戦果を挙げていた。

 その恩賞を授ける為、欧州の統治者たるユーロブリタニア大公がジェレミアを招いての祝賀会を開いた際、その人柄に惚れて、是非とも直属の部下になってくれないかと申し込んだが、ジェレミアはこれを即決で断っている。

 

『大公様の御言葉、身に余る光栄に御座います。

 されど、私などは単なる無骨者。何処にでも転がっている只の1本の剣に御座います。

 ただ、どんな無銘の剣とて、生まれた時から対となる鞘が有ります。

 そして、大公様が幾ら金銀を積まれましても、その鞘を私が譲る事は絶対に有りませぬ。それとも、大公様は剣だけをお望みですかな?』

 

 その時の断り文句がこれである。下手したら不敬罪になりかねない言葉だったが、ユーロブリタニア大公はジェレミアの忠誠心にいたく感激して、『お前という名剣には劣るが、これもなかなかの名剣だ。褒美に与えよう』と言って、その時に帯剣していた剣をジェレミアへ下賜している。

 この話に加えて、まだあまり知られていない話だが、皇帝直属のナイト・オブ・ラウンズの加入も断っている事実を考えると、ジェレミアのマリアンヌへ対する忠誠心はマックスを振り切っていると言っても過言では無い。

 それだけに今のジェレミアの前でマリアンヌの名前を出してしまうのは禁句。その狂喜乱舞の炎に油を注ぐ様なものであり、キューエルの大失敗だった。

 

「おお! キューエルよ! 解ってくれるか!

 我らの皇子が遂に目をお醒ましになられたのだ! これほど嬉しい事は無い! そうだろ!」

「……そ、そうだな」

 

 案の定、マリアンヌの名前が挙がった途端、ジェレミアは目を輝かせながらキューエルの元へ駆け寄り、その肩を掴んで揺すりまくり。

 キューエルは首を横へ振れなかった。ジェレミアに恩が有る手前、仕方なしに頷くが、『我らの』と言われて困り果てる。

 なにせ、マリアンヌは表舞台から既に退場して久しく、顔をぼんやりと憶えている程度。今、スクリーンに映っている黒ずくめの少年に至っては完全な初見。

 だが、キューエルが頷いてしまったが為、ジェレミアは新たな同志を得たと言わんばかりに更なるヒートアップ。恐ろしいほどの無茶を言い放つ。

 

「ヴィレッタ、酒だ! 酒を用意しろ!」

「は、はぁっ!? な、何を仰っているのですか!」

「鈍い奴だな! 祝い酒だ! 祝い酒!

 ルルーシュ殿下のお目覚めを祝って、今夜は宴だ! 振舞酒だ! 無礼講だ! 今日は皆で飲み明かすぞ!」

 

 ヴィレッタはビックリ仰天。我が耳を疑って聞き返すが、それは聞き間違いでは無かった。

 キューエル同様に恩がある手前、ヴィレッタが何も言い返せずにいると、ジェレミアは背後を振り返り、グラウンドに居並ぶ兵士達へ向かって、声高らかに宴会の開催宣言。

 

「オール・ハイル・ブリタニア! オール・ハイル・ルルーシュ!

 ……って、どうした? さあ、皆も続け!

 オール・ハイル・ブリタニア! オール・ハイル・ルルーシュ!」 

 

 そして、市ヶ谷の街に木霊するルルーシュを讃える声。

 最初は戸惑っていた兵士達もどうやらタダ酒が飲めるらしいぞと次第に盛り上がり始め、ジェレミアのかけ声に合わせて唱和する。

 残業、休出を強いられて、だだ下がりだった兵士達のテンションは急上昇。ここがビジネス街でなかったら確実に苦情が来るほどに盛り上がってゆく。

 

「駄目だ。もう俺には止められん……。

 ヴィレッタ、クロヴィス殿下へ連絡を頼む。私はバトレー将軍へ連絡する」

「はい……。その方が良さそうですね」

 

 そのお祭り騒ぎに顔を青ざめさせながら立ち眩みを覚えるキューエル。

 ヴィレッタも同様だった。2人はふらつく足取りで基地の司令部へと急ぎ駆ける。このアホなお祭り騒ぎを一刻も早く止める為に。

 当然である。キューエルとヴィレッタはもう後が無い。先日の失態に続き、ここで問題を連続で起こしたら、降格、左遷どころか、懲戒免職による除隊の可能性すらも十分に有り得る。

 神聖ブリタニア帝国において、徴兵は行われていないが、春と秋に募集があり、その際はブリタニア人、名誉ブリタニア人を問わず、志願する者達は後を絶たない。

 何故ならば、ブリタニアは建国以来、富国強兵の政策を継続している為、入隊直後の二等兵でさえ、給与面においても、福利厚生面においても、一般職より遙かに優れていた。

 その上、出世して、階級の枠が変われば、生活は一変するほどの給金が貰え、名誉ブリタニア人は3年間以上の従軍経験を以て、戸籍から『名誉』の冠が消え、家族の本国移住が可能となる。

 また、軍人は世間から一目が置かれており、退役した後も従軍経験年数に応じて、あらゆる信用審査が一般に比べて優遇されている。

 その反面、契約満了による退役や傷病による除隊以外の理由で軍を辞めた、辞めさせられた者へ対する世間の風当たりはとても冷たい。

 それこそ、『非国民』呼ばわりされ、社会的地位は名誉ブリタニア人の下のエリア民扱い。このエリア11で例えるならイレブン扱いとなり、そこから這い上がるのは困難を極める。

 

「オール・ハイル・ブリタニア! オール・ハイル・ルルーシュ!」

 

 そんな2人の切羽詰まった気持ちに気付かず、ジェレミアは夜空に喜びの咆吼を轟かせ続けた。

 

 

 



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第二章 第05話 就任式 - 後 -

 

「第17皇位継承者、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア様、御入来!」

 

 その名前が高らかに告げられた時、ブリタニア本国中から集った貴族達は怪訝な表情を浮かべて、手近な者達と顔を見合わせた。

 ソレもその筈。社交界からマリアンヌが姿を消して、既に約10年。その息子の名前を憶えている人物など極々少数。ヴィ家の最大後援貴族であるアッシュフォード家頭首ですら、『誰?』と言う顔をしているのだから、他が知らないのは当然だった。

 しかし、閉ざされていた扉が開き、ルルーシュが謁見の間に姿を現すと、ざわめいていた謁見の間は瞬く間にシーンと静まり返った。

 それほどルルーシュの歩く姿は堂々としたモノであり、居並ぶ数多の貴族達に臆するどころか、口元に微かな微笑みを携えて、見る者を圧倒させる威風さえも漂わせていた。

 

「お召しによりまして、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。参上仕りまして御座います」

 

 しかも、驚きはそれだけに止まらなかった。

 玉座の前にて、片跪く所作は一つ、一つの動作に気品が溢れ、年輩者達を感心させて、年頃の乙女達を見惚れさせた。

 だが、この程度は序の口。ここから真の驚きは始まる。

 

「うむ、大儀である。

 だが……。跪く必要は無い。さあ、立つが良い」

「御意」

 

 シャルルが言葉を切って、玉座を立ち上がったかと思ったら、ルルーシュの元まで歩み寄り、その肩を持って片跪くルルーシュを立ち上がらせた。

 この前代未聞の出来事に驚きを隠せず、貴族達は一斉に息を飲み、謁見の間は瞬く間にざわめきで溢れてゆく。

 そもそも、シャルルが他者へ好意を表す事自体が珍事。それを明確にここまで表したのだから、与える影響は絶大な効果となった。

 貴族達は驚きながらも頭を働かせて、ルルーシュの名前が記憶の何処かに落ちていないかを懸命に探す。

 なにしろ、これほど格別な待遇を与えると言う事は、ルルーシュがシャルルにとってのお気に入りなのは確実。

 そのルルーシュと繋がりを持ちさえすれば、宮廷における発言力を得られるのも確実。浅ましい考えではあるが、貴族としては当然の行動であった。

 すると今度は逆に静まり返ってゆく謁見の間。それは貴族達がルルーシュへどの様にして取り入ろうかと夢中になって考えている証拠だった。

 

「さて、皆も憶えてぇぇいよう。

 10年前、アリエス宮で起きた事件をぉぉ……。」

 

 その様子を戻った玉座から眺めて、シャルルは狙い通りと満足そうにほくそ笑む。

 そんなシャルルへ視線を送り、ルルーシュが涼しい顔をしながらも『やりすぎだ』と抗議のアイコンタクトを送るが、シャルルは『知らん。お前の希望通りだ』とアイコンタクトを返して、口の端を更にニヤリと吊り上げる。

 実を言うと、この全世界へ生放送されている謁見は、ルルーシュがとある目的の為の企てた茶番劇であり、シャルルはソレへ乗っただけに過ぎない。

 もっとも、ルルーシュがプロデュースしたのは全世界生放送による謁見のみ。その内容はシャルルへ一任されたが、本国中の貴族を集めろとも、ここまで目立たせろとも、ルルーシュは一言も言っていなかった。

 ちなみに、とある目的とはナナリーとC.Cへ向けた覚醒報告。それに加えて、この場に居ないとシュナイゼルとV.Vへ対する宣戦布告である。

 

「オデュッセウスよ!」

「はっ!」

 

 シャルルは視線をルルーシュの左隣へ移す。

 玉座から見て、左側の最前列最内側に立つ顎髭の男性の名前は『オデュッセウス・ウ・ブリタニア』、第1皇子にして、第1皇位継承権の持ち主。

 苛烈な者が多いブリタニア皇族の中にあって、珍しく温厚な性格をしており、人気は有るのだが、その能力は一言で凡庸。

 また、今年で32歳となり、第1皇子だけに縁談が殺到しているが、ある特殊な性癖が災いして未だに独身。次の帝位にと望むオデュッセウス派の者達の溜息を誘っている。

 

「そなた、銃を持つ暴漢を前にして怯まずぅぅ……。立ち向かえるか?」

「無理に御座います。

 残念ながら、その方面に私が才能を持っていないのは父上もご存じの筈です」

 

 オデュッセウスはルルーシュへ視線を向けると、やや間を空けてから、左掌を右拳で一叩き。

 そう、ルルーシュという存在はちゃんと憶えていたが、そのルルーシュがどんな状態であったかをオデュッセウスはすっかりと忘れていた。

 その点も含めて、オデュッセウスは後頭部を照れ臭そうに、申し訳なさそうに右手で掻きながら思ったままを正直に応える。

 

「ギネヴィアよ!」

「はっ!」

 

 シャルルは頷き、視線を更にオデュッセウスの左隣へ移す。

 オデュッセウスの左隣に立つアッシュブロンドのロングヘアーな女性の名前は『ギネヴィア・ド・ブリタニア』、第1皇女にして、第4皇位継承権の持ち主。

 未亡人であり、その夫であったユーロブリタニア大公の息子は2年前に戦死。義父の進言に従い、6歳になる娘と共に情勢が危ういユーロブリタニアから本国へ避難中。

 夫が命を散らした地『ボルドー』を一刻も早く取り戻そうと躍起になっており、今は宮廷闘争に熱を入れて、本国とユーロブリタニアの仲立ちを行っている。

 

「そなた、銃を撃つ暴漢の前に立ち塞がりぃぃ……。余を護ってくれるか?」

「無論……。と言いたいところですが、無理に御座います。

 その気持ちは十分に持っているつもりではありますが、恐らくは足が竦んで動けないでしょう」

 

 ギネヴィアはわずかな時間ながらも考えを巡らせて、シャルルが望んでいるであろう答えを狡猾に導き出す。

 その上、さも無念そうに首を左右に振ると、つい先ほどまで存在すら忘れていたルルーシュへ尊敬の眼差しを向ける。

 

「わっはっはっはっはっ! 正ぉぉ直者よのぉぉぉ!

 だぁぁが、ここに居るルルーシュはそのどちらもぉぉぉ成し遂げたぞ!

 しかも、10年前と言えば、まだ8歳だ! 実に見事であぁぁぁぁぁる!

 それでこそ、我が息子よ! 儂の求めるぅぅ強者よ!

 ルルぅぅーシュよ! 嬉しいぞ! よぉぉぉくぞ、目を醒ました! 余はお前の目覚めをぉぉ待っていたぞ!」

 

 期待通りの答えが2人から返り、シャルルは喉の奥が見えるほどに高笑いをあげて大満足。ルルーシュを更に、更に持ち上げてゆく。

 その言葉尻を狙って、ある貴族がシャルルの感心を買おうと拍手を叩き、それをきっかけにして、謁見の間は盛大な拍手で溢れかえる。

 最早、ルルーシュがシャルルのお気に入りなのは誰の目にも明らか。疑いようの無い事実と捉えられた。

 ヴィ家と繋がりを持つアッシュフォード家頭首、アールストレイム家頭首、ゴットバルト家頭首の3人は超大穴万馬券の的中に思わずガッツポーズ。

 アッシュフォード家頭首は先代頭首へ、アールストレイム家頭首は末娘へ、ゴットバルト家頭首は跡取り息子へ昨日まで悪態をつき、ヴィ家へ対する援助をいかに減らそうかと考えていたのをころりと忘れ、マリアンヌのご機嫌伺いに午後からアリエス宮を訪ねる際、手土産の品は何が良いだろうかと頭をご機嫌に悩ませる。

 

「お褒め頂き、恐悦至極に御座います。

 しかし、あの時の私はただただ夢中だっただけに過ぎません。陛下からお褒めを頂くほどの事では御座いません」

 

 やがて、拍手が鳴り止み、ルルーシュは辛うじて涼しい顔を保ちながら、ゆっくりと一礼。

 その右足を引いて、右手は身体に添え、左手は横へ水平に差し出した礼は芝居じみてはいたが、古式作法に則って優雅さに満ち溢れていた。

 年輩者達は古式作法に則っているが故に再び感心して唸り、年頃の乙女達は芝居じみているが故に再び見惚れて溜息をつく。

 それこそ、ギネヴィアの左隣に立つユーフェミアなど、両手を胸の前で組み、その胸をキュンキュンと高鳴らせて、顔をうっとりと紅く染めながら倒れかけ、それを支える更に左隣の赤毛のツインテールな第5皇女『カリーヌ・ネ・ブリタニア』を困らせていた。

 だが、その実は垂らした頭の下、ルルーシュは頬をピクピクと引きつらせていた。本音を言えば、今すぐシャルルの襟首を掴み上げて、『やりすぎだと言ってるだろ!』と叫びたい心境だった。

 

「ふっ……。小憎らしい奴め。

 謙遜もぉぉ過ぎれば、毒とぉぉなるぞ? なあぁぁぁ、オデュッセウス?」

 

 そんなルルーシュの様子を敏感に感じ取り、シャルルはニヤニヤとした笑みを浮かべて勝ち誇る。

 なにせ、弱肉強食を国是として常日頃から唱えるシャルルである。一方的に負けたままでいるのは性に合わず、敗北を記したルルーシュが覚醒を果たしたあの夜の会談以来、ルルーシュをどうやってヘコましてやろうかとずっと考えていた。

 また、この茶番劇の目的。ナナリーとC.Cへ向けた覚醒報告は別として、シュナイゼルとV.Vへ対する宣戦布告と言うのが実にシャルル好みであり、せいぜい派手にやってやると楽しんでもいた。

 

「いいえ、その様な事は御座いません。

 言う易し、行うは難しと昔から申します。ルルーシュは我らが兄弟の誇りです。

 皇帝陛下、いかがでしょうか?

 幼い頃、ルルーシュは聡明と評判でした。その勇ましさも必ずや我が国の為となります。是非、役目を何か与えてみては?」

 

 その様な真相があるとは露知らず、オデュッセウスは何処までも人が良かった。

 皇位継承権こそは低いが、これほど明確にシャルルから気に入られて、自分の立場を危うくする存在の登場にも関わらず、ソレをどの様にして切り出すかとシャルルが悩んでいた話題を提案。

 この瞬間、オディセウス派の貴族達は揃って息を飲んだ後、ある者は目線を右手で覆い、ある者は頭を抱え、ある者は溜息を漏らした。それぞれ十人十色の様で呆れ果てるが、『それがオデュッセウス様の徳だから』と強がり諦める。

 

「うむ、そこでぇぇだ。

 10年遅れではあるがぁぁぁ、ルルぅぅーシュよ。

 我が皇妃を護った褒美としてぇぇぇ……。お前を『枢機卿』に任命する」

「はっ……。謹んでお受け致します」

 

 これにはさすがのシャルルも驚いた。オデュッセウスへ『お前、本当に儂の子か?』と真剣に問いたかった。

 その表情に出かけた驚きを隠す為、シャルルは大げさに玉座の肘置きを両手で叩きながら勢い良く立ちあがり、声高らかに宣言。ルルーシュが応えて、再び一礼する。

 ところが、この宣言に対して、謁見の間の反応は微妙なものだった。拍手は存在するが、まばらな上に勢いが有らず、誰もが困惑した表情となって、隣同士と顔を見合わせていた。

 ソレもその筈。神聖ブリタニア帝国において、『枢機卿』という役職は存在しない。その名前から宗教関連のモノと推測が出来ても、ブリタニアに国教は存在せず、困惑するのは当然の話。

 

「もっともぉぉ、アレの責任者はお前にしか務まらぬからな。

 儂が預かっていたものをぉぉお前に返すだけの事。そう畏まる事もあぁぁぁるまい」

「ああ……。それで『枢機卿』に御座いますか。

 聞き慣れぬ役職が故、どんなものかと考え込んでしまいました」

 

 そんな謁見の間の者達を余所にして、シャルルとルルーシュの間で交わされる意味深な会話。

 シャルルの言葉にあるアレとは『ギアス饗団』を指しており、その存在は古来からの秘中の秘。ソレはどれだけ探そうが、頭を幾ら悩ませようが、一般の者は絶対に正解へ辿り着けないモノ。

 しかし、この会話が意外な結果を呼び、それを後日となって知ったルルーシュが『どうして、そうなった?』と思わず頭を抱える事となる。

 この謁見が済むと、貴族達はソレをこぞって知ろうと躍起になった。ソレさえ知れば、ルルーシュとの強い繋がりが持てるに違いないと考えたからに他ならない。

 その手掛かりとして、まずは何も知らないルルーシュに関する事柄を調べ始めて、8歳の頃から約10年間に渡って眠り続けていた事実を知り、誰もがそこで驚く事となる。

 当然である。この謁見にて、ルルーシュが列席者達へ強烈に印象付けた気品と礼儀、知性は長い時をかけて磨かれたもの。とても子供の頃から最近まで眠り続けていた者とは考え難かった。

 しかも、ルルーシュは卓越した頭脳をもって、この後に奇跡と呼べる功績を次々と挙げてゆき、その驚きはますます強くなって、考え難いものから信じ難いものとなってゆく。

 その結果、嘗てのシャルルがマリアンヌへ向けていた偏った寵愛ぶりの事実。ここ数年間、シャルルが公の場にあまり姿を現さず、皇居に引き籠もっていたという事実。廃れて久しいアリエス宮の実態を知る者が極めて少ないという事実。他の皇子、皇女と比べものにならないほど、シャルルがルルーシュを気に入っているという事実。

 この4つの事実が合わさり、奇妙な化学変化を起こして、誰が最初に言い始めたのか、まことしやかにある噂が皇族達、貴族達の間で広がり始める。

 その噂とは、約10年前に起きたアリエスの悲劇にて、狙われたのはマリアンヌではなく、実はルルーシュだった。

 何故、ルルーシュが狙われたのか、それはシャルルが皇位継承権の序列を無視して、寵姫であるマリアンヌとの間に生まれたルルーシュを後継者にと考えていたから。

 この10年間、アリエス宮で眠っていたのは偽物。ルルーシュを狙う者を誘い込む為の罠であり、本物は皇居の奥深くにある秘密の場所で育ち、シャルルから直々に帝王学を学んでいた。

 そして、ようやく当時の犯人が捕まり、処刑が済んだ為、ルルーシュのお披露目となった。先日、誅殺されたあの御方こそ、犯人に違いないというもの。

 では、『枢機卿』に関しては、どうなったかと言えば、こちらも噂に尾ヒレを付かせる実に都合の良い事実が存在した。

 約2年前、EU戦線で勃発したユーロブリタニア大公麾下のナイトメアフレーム4大師団の1つ『聖ミカエル騎士団』の裏切り。

 その謀略によって、神聖ブリタニア帝国はローマ法王より神の敵とされ、カトリックとは袂を分かっていたが、相手は世界最大の宗教。ユーロブリタニアのみならず、ブリタニア全土に多大な影響を及ぼした。

 この事態を重くみた宰相のシュナイゼルはローマへ多額の寄付を送り、戦火で荒廃したエルサレムの再建を約束。つい1ヶ月ほど前、カトリックとの和解に成功していた。

 これに伴い、同じ轍を踏むまいと監視とご機嫌取りを行う為、シャルルが最も信頼するルルーシュをローマとの繋がりを持つ名目として『枢機卿』の地位を得たのではないかと貴族達は勘違いした。

 無論、これはローマ側から正式に誤りであると解答が返ってくるのだが、ヒトとは自分が信じたいモノを信じてしまう生き物。勘違いは解けなかった。

 それどころか、多数の貴族達がルルーシュのご機嫌を取ろうと、多額の寄付をせっせと送ったが為、ローマ側も困り果ててしまい、遂に嘘が真実となり、ルルーシュは信仰心も無いにも関わらず、洗礼を受ける事となって、本物の『枢機卿』の地位を得てしまう。

 

「わぁ~~っはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!

 だが、役職は公言しておいた方がぁぁそなたにとってもぉぉぉ何かと都合が良かろう?

 なにしろ、宗教とは昔から俗世とは関わらぬモノぉぉ。 

 それはぁ裏を返せば、俗世のしがらみに囚われずぅぅぅ、何処にでも行けるしぃぃぃ、何処にでも口を出せると言う事だ」

「なるほど……。つまり、実権は無い。

 しかし、響きは与えられる。そう考えて、よろしいのでしょうか?」

 

 そして、それ等の噂を何よりも決定付けたのがこれだった。

 ルルーシュが言う通り、『枢機卿』の地位に実権が無いとしても、ルルーシュから何かを頼まれ、それが相当の無茶で無い限り、それを断れる者はまず居ない。

 何故ならば、この謁見は全世界生放送中であり、今は時差の関係で視聴していなくとも、これを各国の報道番組が必ず繰り返して放送するだろう事は間違いない。

 即ち、それはルルーシュがシャルルのお気に入りだと全世界に周知されるという事であり、この場に居らずとも、各エリアの行政官、軍人達にも影響を及ぼす事に繋がってゆく。

 それは考え様によって、臣における最上位の『宰相』に等しいと言え、将来を『皇帝』となるのを見据えた帝王学であるとも取れた。

 余談だが、コードを保有するルルーシュはギアス饗団に迎えられて、既に『饗主』の座に就いている為、『枢機卿』はシャルルの言葉を借りるなら俗世での呼称となる。

 また、ルルーシュはシャルルとの約束により、アーカーシャの剣は現状維持を保っているが、マリアンヌが主導で行った非道な実験の数々のデーターは一切を破棄済み。

 その際、ルルーシュはそれ等の作業を実験に携わった研究者達自身の手で行わせており、少しでも躊躇ったり、惜しんだりした者を等しく処刑。今は残った研究員達で別の研究を行っている。

 

「響きとは、小癪な言い方をしおって! だが、その通ぉぉぉぉぉり!

 あとはそなた次第よ! 我が国是が示す通りぃぃ、欲しいモノは自らの手で勝ち取れぇぇぇ!」

「御意!」

「オール・ハイル・ブリタああああああああああニア!」

 

 シャルルが右拳を勢い良く掲げて、最後はお決まりのブリタニアを讃える唱和。

 こうして、ルルーシュはナナリーとC.Cへ対しては覚醒報告を、シュナイゼルとV.Vへ対しては宣戦布告を遂げた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「はーー……。凄いハンサムさんでしたね。ちょっと好みかもです」

 

 エリア11、アッシュフォード家の離れ屋敷のダイニング。

 映像が神聖ブリタニア帝国の国旗に変わった後も、サヨコは熱くなった頬へ両手を当てながらTV画面を見惚れていた。

 だが、椅子を蹴って立つ音に何事かと我に帰り、その音の発生源であるナナリーへ顔を振り向けて、サヨコも席を蹴って立ちあがる。

 

「ナナリー様っ!?」

「う゛っ……。」

 

 先ほどまでサヨコが作った明太子茶漬けを美味しい、美味しいと連呼して、2杯目へ突入していたナナリー。

 ところが、今は顔を真っ青に染めて、口元を右手で押さえたと思ったら、即座にトイレへ向かって駆け出した。慌ててサヨコがその後を追う。

 

「どうなさったのですかっ!? まさか、明太子が傷んでいたとかっ!?

 そんな筈は……。ああっ!? でも、でもっ!?

 すぐにお水を持って参りますっ!? ですから、我慢をなさらず、全てお出しになって下さいっ!?」

 

 その放送をナナリーが見ていたのはたまたまの偶然であり、必然であった。

 学校にて、朝、昼、夕方の3回。絶対に視聴する様にと校長から校内放送で通知があったが、ナナリーはすっかりと忘れていた。

 アルバイトを9時半頃に終えて、アリスをバイクの後ろに乗せてのタンデム。真後ろから聞こえる悲鳴と抗議を無視して、アクセルを全開。ナナリーの頭の中にあったのは、毎週欠かさず見ている10時からのドラマ。

 主人公と素直になれないヒロインがとうとう結ばれたかと思ったら、主人公の元カノが妊娠を告白。その鬼引きで先週は終わり、今週はどうなるのだろうとワクワクしていた。

 ところが、待ちに待ちかねた10時。TVのモニターに映ったのは兄の顔だった。約10年ぶりとなるTV越しの再会ではあったが、ルルーシュだと一目で解った。

 そして、ナナリーが10年前に通った謁見の間の赤絨毯を歩き、ルルーシュが玉座へ近づけば近づくほどに動悸は激しくなり、シャルルとルルーシュが同じ画面に収まった瞬間、目の前が文字通りに真っ暗となった。

 まざまざと蘇ってくる10年前に受けた罵声と恐怖。室内の温度はエアコンで快適に保たれているのにも関わらず、前歯が勝手にカチカチと打ち鳴り、身体はブルブルと震え始めた。

 しかし、父の声が耳に届いた瞬間、ナナリーは我が耳を疑った。震えが止まって、目の前に色彩が戻り、続けざまに我が目を疑った。

 父が自分を罵倒した同じ口で兄を自慢の息子だと褒め称えていた。自分を恐怖に縛り付けた眼差しは何処にも有らず、心の底から愉快そうに歯を見せて笑っていた。

 用済みと罵られて捨てられた自分と格別な期待を受ける兄。どうして、同じ兄妹でありながら、ここまで対応が違うのか。

 その解けない疑問に惑い、ナナリーはテーブルの上に両手を力強くギュッと握り締めて、下唇を噛みながら皺を眉間に刻み、兄の姿を射殺ろさんばかりに睨み付ける。

 だが、それが限界だった。心の奥底からドロドロとした黒いモノが込み上がってくると共にナナリーの胃も熱いモノを込み上げてしまい、ナナリーはトイレへ駆け込んだ。

 

「やれやれ、そんな様ではこの先が思いやられるな」

 

 サヨコとは違い、ルルーシュへ見惚れず、その一部始終を盗み見ていたC.Cは溜息を深々と漏らす。

 余談だが、ナナリーはこの後に具合を本格的に悪くさせて、楽しみにしていたドラマを見ずに寝込んでしまう。

 しかし、ここで奮い立ち、レジスタンスへ緊急召集をかけて、その怒りをブリタニアへぶつけていたら、ブリタニア政庁は大した苦労もせずに落ちていたかも知れなかった。

 その理由はジェレミアが発案したルルーシュ復活祭を総督のクロヴィスが全面支持。市ヶ谷即応軍司令部基地は飲めや、歌えやの大騒ぎとなり、完全に混乱していた。

 

「それにしても……。あいつ、起きたのか。

 でも、ここで帰ったら、マリアンヌの奴に笑われるのは目に見えているしな。……まっ、暫くは様子を見るか」

 

 聞こえてくるナナリーの苦しそうな嘔吐の声に見捨ては置けず、C.Cも遅まきながらも席を立ち上がった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「やあ、失礼するよ。

 ……って、ぷっ!? 何だい? それは……。ブリタニアの宰相が食べる食事とはとても思えないね?」

 

 つい5日前、奇襲を見事に成功させて、リスボンとポルトをほぼ同時に攻略。ポルトガル州を再びブリタニアの版図に加えたユーロブリタニア方面軍。

 次はスペインのマドリードを陥落させる為、今はリスボンに臨時の政庁を構えて、悪化している治安を治めながら、本国から続々と届く増援を整えていた。

 それ等の激務の合間を縫い、午後2時を過ぎながらも遅い昼食をユーロブリタニア方面軍総司令官にして、神聖ブリタニア帝国の宰相『シュナイゼル・エル・ブリタニア』は執務机で摂っていた。

 その部屋へノックも無しに入ってきたと思ったら、シュナイゼルが食べている昼食を見るなり失笑して、更にケチまでつける金髪の青年。

 

「何を仰います。この缶詰はナイトメアのパイロット達が食べているモノで栄養価はあり、とても手軽で……。」

「知っているよ。散々食べているから、見るのも嫌なんじゃないか」

 

 だが、その不作法を許され、あまつさえ、シュナイゼルから敬語を使われる青年の正体は、嘗て『V.V』と呼ばれていた少年。

 V.Vはコードをルルーシュに奪われたが為に成長を再開。いつも眠そうな目は相変わらずだが、20代前半の二枚目に育ち、当時の名残を感じさせる長い髪を三つ編みにして腰までぶら下げている。

 あのアリエスの悲劇の後、V.Vは必死の思いで逃げた。逃げても、逃げても、追いかけてくるルルーシュの憎悪から逃げ、とうとう辿り着いたのが、中華連邦領内の敦煌。ブリタニアの帝都であるペンドラゴンに次ぐ規模を持つギアス饗団の拠点だった。

 ところが、饗主たる証のコードを失い、只の子供となったV.Vは冷たくあしらわれて追い出され、何の宛ても無い流浪の旅を強いられる事となる。

 その旅の途中、苦労と苦難の連続によって、いつしかルルーシュへ抱いていた恐怖は憎悪へと変わり、V.Vはルルーシュから再びコードを取り戻すという目的を見出す。

 しかし、マリアンヌを無断で襲撃した負い目からシャルルと会えないV.Vは無力であり、そこで目を付けたのが帝国の宰相たるシュナイゼルとの接触だった。

 それ以来、V.Vは『ヴィクター・ヴォーン』という偽名を名乗り、シュナイゼルの庇護の下、ナイトメアフレームの一パイロットして、その身を隠していた。

 ちなみに、何故にナイトメアフレームのパイロットなのかと言えば、大した理由は無い。V.Vがたまたま適正を持っていて、シュナイゼルがタダ飯喰らいを良しとしなかった為である。

 当時、V.Vも暇を持て余しており、軽くOKしたのだが、功績を妙に重ねてしまい、とんとん拍子に大尉の階級まで出世。今や、シュナイゼルの懐刀として、ナイトメアフレーム中隊を率い、ちょっと有名になり過ぎて困っていた。

 

「悪くは無いと思いますけど……。

 おっと、そうでした。丁度、伯父上へお願いが有ったんです」

「うへっ……。僕達の部隊、働き過ぎじゃない?」

「申し訳有りません。敵もなかなかの働き者で……。バダホスの防衛へ向かってくれませんか?」

 

 V.Vは執務机の上に気安く腰掛けて、シュナイゼルが食べている缶詰を一摘み。

 もしかしたら、シュナイゼル用に味が違うのかと思いきや、相変わらずの大味に顔を顰め、シュナイゼルから差し出された命令書が挟まれた書類ボードに顔を更に顰める。

 

「えーーー……。タケルは何処へ行ったのさ?」

「彼ならグアルダへ向かって貰いました。ですから、伯父上しか頼める人は居ないんですよ」

「ちぇっ……。そう言う事なら仕方ないな。行ってやるよ」

「いつも頼りにしています」

 

 挙げ句の果て、V.Vは唇を尖らせた上に舌打ちまでするが、結局は書類ボードを受け取る。

 その素直じゃない様をクツクツと微笑み、シュナイゼルは缶詰に残った最後の一切れを口へ放り、その味をやはり悪くは無いと頷く。

 余談だが、V.Vの言葉の中にある『タケル』とは、元日本最大軍閥の長であり、今はブリタニアの伯爵位を持つ『織田』家の当主の名前。

 シュナイゼル直属のナイトメアフレーム大隊を率いており、V.Vが懐刀なら、こちらはシュナイゼルの太刀として知られ、V.Vとは歳が近い事もあって仲が良い。

 

「あっ!? ……いけない、いけない。

 ここへ来た目的を忘れてたよ。……見たかい?」

 

 V.Vは執務机から飛び下り、部屋から去ろうと歩き出すが、すぐに立ち止まり、あたかも思い出したかの様に尋ねながら意地悪そうなニヤニヤとした笑みをシュナイゼルへ振り向けた。

 無論、言うまでもないが、この『見たかい?』は先ほどまで放送していたルルーシュの枢機卿就任式に他ならない。

 

「ええ、もちろん。そういう通達でしたから」

「どうするんだい? ルルーシュはシャルルに随分と気に入られている様だけど?」

「どうすると言われましても……。

 私にとって、ルルーシュは可愛い弟の1人ですよ。

 強いて言うなら、そうですね。彼と子供の頃の様にチェスを楽しみたいものです」

 

 シュナイゼルは表情をピクリとも変えず、先ほど同様に微笑みを浮かべたまま。

 恐らく、V.Vが来訪した時から、この問いを予期していたのだろう。食事で中断していた書類の決裁を再開。ペンを走らせる片手間に応えた。

 

「フフフ……。チェスか。世界を盤上にした?」

 

 だが、意地悪そうな笑みをますます深めて、V.Vが更なる問いかけをした瞬間。

 シュナイゼルは何も応えを返さなかったが、ペンを一瞬だけ止め、書類へ落としていた視線をV.Vへ向けた。

 

「まあ、良いさ。これ以上、今は聞かないであげるよ。

 君は君で僕を利用する。僕は僕で君を利用する。そう言う約束だからね」

 

 その瞳は何もかも興味を失ったかの様に何処までも空虚だった。

 しかし、V.Vは目敏く見つける。その中に微かながら灯った熱を。待ち望んでいた好敵手の到来を歓迎する炎を。

 但し、それは瞬きするほどの刹那。次の瞬間、シュナイゼルの表情は胡散臭い微笑みに戻っていたが、V.Vは十分に満足してウンウンと頷く。

 そして、今度こそ、部屋から立ち去る。V.Vと共に入室していながら、まるで彫像の様に出入口の扉脇に立ち、一言も発しなかった栗色の髪の少年を連れて。

 

「さあ、行こうか。ロロ」

「はい、兄さん」

 

 その少年こそ、ルルーシュが饗団内を探しても、探しても見つからなかった嘗ての血の繋がらない弟『ロロ・ランペルージ』であり、今は『ロロ・ヴォーン』と名乗るV.Vの弟だった。

 

 

 



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第二章 第06話 吸血鬼の羽ばたき

 

「あっ!? もしもし、先輩?」

 

 ナイト・オブ・ラウンズ、それは一騎当千の実力を持った皇帝直属の12人の騎士。

 階級は与えられていないが、有事の際や戦場においては将官クラスの権限と皇帝以外の命令を断る権限すら持ち、臣の最高位者である宰相ですら頭ごなしの命令は決して出来ない。

 乗騎となるナイトメアフレームは特別なカスタム機。実験段階のモノや最新鋭のモノが与えられ、彼等によって蓄積されたデーターは量産機のモノへと繋がってゆく。

 その最強の剣達が集う詰め所は皇居と後宮の一角にあり、高い城壁によって、敷地をグルリと囲まれた皇居と後宮へ出入りする為には、2つの門の間にあるラウンズの詰め所前を必ず通らなければならなかった。

 

「聞きましたよ! 酷いじゃないですか!

 せっかく、私がラウンズに推薦したって言うのに!

 どうしてです! 先輩と俺のダブルオレンジなら無敵ですよ!

 どうせ、また先輩が熱をあげている……。。ええっと、何でしたっけ? ほら、アレですよ?」

 

 皇居と後宮の美観を損ねぬ様に外装が中世の石造りの城となっているラウンズ詰め所。

 その4階建ての城から突き出した2階の物見櫓。オープンテラスとなっている小さな休憩所にて、髪を逆立てた赤毛の男はコーヒーをテーブルに置いての電話中。

 彼の名前は『ルキアーノ・ブラッドリー』、その破壊と殺戮を楽しむ戦いぶりから『ブリタニアの吸血鬼』の異名で敵から恐れられているラウンズの第10席の座に就く者。

 

「うおっ!?

 何もそこまで怒らなくても……。って、切っちゃってるよ」

 

 そんな吸血鬼にも頭が上がらない先輩が存在するらしい。

 いきなり怒鳴られて驚き、慌ててルキアーノが左眼をギュッと瞑りながら左腕をピンと伸ばして、携帯電話をあてがっていた左耳から離す。

 一拍の間を置き、携帯電話を恐る恐る左耳へ戻すが、聞こえてきたのは不通音。電話は既に切られていた。

 

「はぁぁ~~~……。先輩も惜しいよな。

 あの……。ほら、何て言ったっけな。あの家……。あれ……。あれだって……。」

 

 ルキアーノは電話の相手へまだまだ言い足りなかったが、今すぐ電話をかけ直しても無駄だと長年の付き合いから知っていた。

 それ故、失敗したと言わんばかりに後頭部を右手で掻き、今日は諦めて、携帯電話を軍服の内ポケットへ入れると、コーヒーカップを手に取った。

 そして、件の先輩を怒らせる原因となった固有名詞がどうしても思い出せず、その手掛かりにアリエス宮の方角へ視線を向けたその時だった。

 

「んっ!?」

 

 ラウンズ詰め所前にある一本道。その両脇に植えられた人の背より高い垣根の切れ目に3人の少女の姿を見つける。

 いずれもニヤニヤとした笑みを漏らして、1人はバケツを両手に持ち、1人は垣根から顔をこっそりと出して、1人は腕を組んで立っていた。

 

「確か、あれは……。」

 

 ルキアーノは見覚えがある腕を組んで立っているだけの少女の名前を思い出しながら、3人組が注視している先へ視線を辿ると、3人組の方角へ歩いてくる少年と少女が居た。

 最早、垣根に隠れている3人組が何を企んでいるかは明白だった。ルキアーノは面倒なモノを見つけたと舌打ちながらも席を立ち上がる。

 何故ならば、3人組の腕を組んで立っているだけの少女は第5皇女のカリーヌ。皇族と貴族以外は人と認めない強い選民思想を持つ皇族や大貴族に良くある典型的な性格の持ち主。

 また、第5皇女という微妙な立場がそうさせているのか、目上以外は全てを見下して、特に自身より皇位継承権の低い皇子、皇女への人当たりは苛烈であり、良く騒ぎを起こして、何かと噂の絶えない人物だった。

 もっとも、普段のルキアーノだったら、文字通りの高みの見物を決め込み、そのドロリとした人間模様を愉悦して楽しむところだが、ここは残念ながらラウンズの詰め所。問題を見つけてしまった以上、それが大事となる前に止める義務があった。

 

「……ったく、あの皇女様も良くやるよ。

 だけど、これもお仕事、お仕事……。宮仕えは辛いよな」

 

 しかし、心の有り様とは行動となって如実に表れるもの。

 まずはコーヒーをゆっくりと味わい飲み干すと、ルキアーノは両手を後頭部で組みながら口笛を吹き、特に急ぐ事もなく普通に歩き出した。

 

 

 

 ******

 

 

 

「アーニャ、本当に無理をしないで良いんだぞ?」

「大丈夫。病気じゃないから」

 

 この日、アーニャは体調を崩していた。

 それを何故かと深く詮索してはならない。月に数日、健康的な女の子なら必ずそうなってしまうのだから仕方がない。

 ただ、よっぽど辛いのか、顔色を青ざめさせて、明らかに動作の一つ、一つが普段より鈍い。

 無論、ルルーシュは強く諭して、こんな時くらいは休めと命じていたが、アーニャは首を決して縦に振ろうとしなかった。

 なにしろ、アーニャは遂に念願だったルルーシュの騎士に正式就任。昨夜、アリエス宮にて、ささやかながらも客を招いての就任式を済ませており、その輝かしい記念すべき第一日目をベットで寝込んでいるなど有り得なかった。

 しかし、ソレが原因となり、アーニャは普段なら容易く気付けたものを気付けず、ルルーシュへ災難が襲った。

 

「のわっ!?」

 

 突如、垣根の合間からの放水。アーニャの一歩先を歩くルルーシュは見事にずぶ濡れ。

 アーニャは目をギョギョッと見開き、その垣根の合間へ視線をすぐさま振り向けると、勝ち誇って笑う3人の少女が居た。

 

「ぷっ!? ……あっはっはっはっはっ!?

 ねぇ、今の聞いた? 『のわっ!?』ですって! あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!?」

 

 特にカリーヌは愉快で、愉快で堪らないらしく、胸を張りながら喉が奥が見えるほどの大口を開いた羽根扇で隠しての高笑い。

 だが、ルルーシュは小さく舌打ちこそしたが、帽子を左手で取り、濡れて目元にかかる邪魔な髪を右手で撫で梳き、表情は涼しいまま。

 

「ごめんなさいね? でも、この娘も悪気は無かったのよ?

 だって、そうじゃない? そんな黒ずくめの格好で居たら、ゴミと間違えても仕方ないじゃない!」

 

 それが癪に触ったのか、カリーヌがやや苛立ち、ルルーシュを怒らせようと罵倒した次の瞬間だった。

 凄まじい殺気がルルーシュの隣で爆発したかと思ったら、雲一つない晴天に反射した閃光がカリーヌの喉元を目がけて走る。

 

「止めろ!」

「止めなさい!」

 

 しかし、ルルーシュともう1人の女性の声が重なって、その凶行を止める。

 正しく、間一髪。双方にあった約5メートルの距離を瞬時にして詰め、アーニャが左腰から抜き放った2本の剣は交差を描き、カリーヌの首をハサミの様に断ちきろうと迫っていた。

 その上、いつの間に現れたのか、黒い頭巾に黒いフェイスマスク、灰色の制服を纏った者達が剣を抜き放ち、その8本の切っ先をカリーヌへ向けて、周囲を取り囲んでいた。

 余談だが、アーニャの騎士服はルルーシュが前の世界で知っているラウンズとしてのアーニャの服装とほぼ変わらない。

 違いはラウンズを象徴するモノが無くなり、胸元に描かれていた紋章が消えて、パーソナルカラーで彩られたマントを着ていない。

 そして、何と言っても違うのは黒いチューブトップ。ルルーシュが『女の子はヘソを出しては駄目だ!』と強く反対した為、黒いチューブトップがロングとなり、ヘソ出しでは無くなっている。

 これはマリアンヌとユーフェミア、ユーフェミアの母から不評だったが、ルルーシュは断固として意見を変えなかった。

 また、アーニャが持つ2本の剣は片方が以前にコーネリアから貰ったもの。もう片方はルルーシュの騎士となった記念にマリアンヌから貰ったものであり、それはマリアンヌが現役時代に使っていたものでもあった。

 

「アーニャ、剣を引け」

「でも!」

 

 まさか、まさか、こんな展開になるとは、カリーヌは考えてもいなかった。

 なにしろ、カリーヌにとって、幼い頃のルルーシュは手頃なストレス解消相手。こうした遊びは日常茶飯事であり、恐れを抱く理由など一片も有りはしなかった。

 ソレもその筈。ルルーシュの母、マリアンヌは庶民の出身であるに対して、カリーヌの母は伯爵家の出身。皇位継承順位こそ、ルルーシュがカリーヌより上だが、家格はカリーヌが断然に勝っていた。

 だから、カリーヌは勘違いをさせない為、また身の程を弁えさせてやろうと画策した。ルルーシュが幾らシャルルの寵愛を得ようが、自分の方が上なのだと解らせようとした。

 その結果、向けられたのは本気の殺気。視線を下げれば、2本の剣が自分の首を完全に捉えており、ちょっとでも前後左右の何処へ動いても、その刃が肌へ触れるのが解った。

 カリーヌは息苦しさを覚えて、顎を上げるのが精一杯。口での呼吸が出来ず、鼻で必死に息をしながら驚愕に目を見開ききって動けずにいた。

 取り巻きの貴族の少女2人に至っては殺気を向けられた瞬間に失神。その場へ崩れ落ちており、ドレスのスカートを濡らして、栄養を垣根へ現在進行形で供給中。

 

「俺は引けと言った」

「……はい」

 

 アーニャは悔しくて、悔しくて堪らなかった。ルルーシュが馬鹿にされた事は勿論だが、それ以上に自分が不覚を取った事に対して。

 即刻、カリーヌの首を落としてやりたい気分だったが、ルルーシュから命じられては剣を下ろす以外は有り得ず、涙をじんわりと瞳に溜める。

 

「お前達もだ。子猫がじゃれついてきたくらいでいちいち騒ぐな。

 今回は平和ボケしていた俺のミスに過ぎない。帝都とはこういう所だったと忘れていたな」

 

 カリーヌを取り囲む8人もまたルルーシュから命じられて悔しさに耐えた。

 彼等、彼女等は正体はギアス饗団に所属するギアスユーザーであり、同時にルルーシュが覚醒するまで行われていた非道な実験の犠牲者達でもある。

 それ故、彼等、彼女等は生き地獄から救ってくれた新たな饗主であるルルーシュへ絶対の忠誠を誓っており、ルルーシュが死ねと言ったら即座に死ねるほど。

 もっとも、ルルーシュの本音を言えば、そんな忠誠を捧げてくれるよりも、可能なら一般と変わらない普通の生活に戻って欲しかった。その方がよっぽど嬉しかった。

 その理由は言うまでもない。彼等、彼女等の存在は前の世界での義理の弟『ロロ』の存在を思い出させるからである。

 だが、幼少期から長年に渡って施された洗脳によって、一般常識と倫理観に欠けており、既に饗団を無くしての生活は不可能となっていた。

 今とて、ルルーシュが殺すなと言うから、カリーヌの殺害を止めたが、ルルーシュが何故に止めたかまでは理解していない。

 彼等、彼女等から見たら饗主のルルーシュは絶対の存在。それを虫の分際で貶したのだから殺して当然と言うのが彼等、彼女等の認識だった。

 そこでルルーシュは彼等、彼女等を年齢、性別、洗脳の深さ、能力、ギアスの強度によって振り分け、外界との繋がりを少しづつ持たせながら社会復帰を促すプログラムの一環として諜報機関を立ち上げた。

 その中でも特に優秀な能力と強力なギアスを持つ者達こそがこの8人。饗主護衛団と呼ばれるルルーシュ直轄の部隊であり、朝昼晩と常に影ながらルルーシュを護っていた。

 

「枢機卿、今の者達は?」

 

 そんな事情を知る由も無く、ルルーシュと同時にアーニャへ静止を叫んだ若い女性は驚くばかり。

 彼女が止めようとしたのはアーニャのみ。それが実際に蓋を開けたら、他に8人も居たのだから当然の疑問だった。

 しかも、その8人は現れた時がそうだった様に去る時も一瞬。今や、その姿は何処に在るのやら、気配すら完全に消えており、ルルーシュへ問う表情は自然と厳しくなった。

 

「……誰だ?」

「はっ! 申し上げ遅れました!

 ナイト・オブ・トゥエルブ、モニカ・クルシェフスキーに御座います!」

 

 だが、ルルーシュが彼女へ視線を振り向けた途端、彼女は電流を受けたかの様に身体をブルッと震わせると、その場へ即座に片跪いて頭を垂れた。

 そう、その両サイドに赤いリボンを巻き付けた金髪のロングヘアーが特徴的な彼女の名前は『モニカ・クルシェフスキー』、ラウンズの第12席の座に就く者。

 本来なら、ラウンズたるモニカとルルーシュを比べたら、モニカの方が圧倒的に上位者。ルルーシュが皇族であるが故、頭を軽く下げる事はあっても、片跪いてまで頭を下げる必要は無い。

 

「お役目、ご苦労です。

 しかし、気にする必要は有りません。今のは私の手の者です」

「ですが、ここで騒ぎを起こされては……。」

 

 しかし、モニカは気付いたら片跪き、頭を垂れていた。

 それどころか、向けられたルルーシュの意識に強烈な威圧を感じ、視線を地面へ縫い付けられたかの様に上げる事が出来なくなり、モニカはラウンズの自分が気圧されている現実に戸惑うしかなかった。

 だが、ラウンズとしての義務があった。先ほどの黒い頭巾の集団が何者なのか、ここがまだ皇居であり、後宮の敷地内である以上、その詳細を知っておく必要があった。

 

「だから、気にするなと言った筈です。

 お互いの為にね。クルシェフスキー卿、貴女は何も見ていない。……そうでしょう?」

「ぎょ、御意!」

 

 ところが、ルルーシュから放たれる威圧感が更に強まり、モニカはただただ頷くしかなかった。

 そのラウンズが屈服するという前代未聞の光景を唖然と見ていた事の発端のカリーヌだったが、ルルーシュの視線が再び向けられて強がる。

 

「な、何よ!」

「さて……。」

「お、お待ち下さい! す、枢機卿!」

 

 一方、モニカは自分へ向けられていた威圧感が解かれて、胸をホッと撫で下ろし、いつの間にか強張っていた全身を弛緩させる。

 しかし、ルルーシュが放つ威圧感はますます強まり、それを浴びているであろうカリーヌの身に何かがあっては大問題となる為、モニカは慌てて顔を上げ、目の前の光景に我が目を疑った。

 

「……えっ!?」

 

 目を力一杯にギュッと瞑り、その顔の前で腕を交差させながら右足を半歩退かせて、迫り来る報復に怯えまくりのカリーヌ。

 そのカリーヌが本日着用しているレモン色のドレススカートを堂々と捲り上げて、ルルーシュは濡れた顔や衣服を拭っていた。

 当然、スカートが顔の高さまで捲り上げられているのだから、カリーヌの乙女の秘密は大暴露中。小生意気な赤い紐パンが丸見え。

 その状態にまるで気付かず、カリーヌはいつまで経っても来ない報復を怪訝に思いながらも十数秒が経ち、ふと垣根の合間を通り過ぎていった一陣の風に下半身の寒さに気付く。

 

「い、嫌ぁぁ~~~っ!?」

「おっと、失礼。だが、悪気は無かったんだ。

 こんな所にボサッと立っているからな。メイドがタオルを持ってきてくれたかと間違えたよ」

 

 慌ててカリーヌは悲鳴をあげながら捲り上がっているスカートを両手で叩き下ろして、そのまま股間を押さえながら腰を落として女の子座り。

 一拍の間の後、ルルーシュを気丈に睨み付けようとするが、その茶化した言葉とは裏腹に冷たい眼差しで見下ろされ、その眼差しから逃げる様にすぐさま顔を俯かせる。

 そして、今日は汗が滴るほどの真夏日にも関わらず、カリーヌは顔から血の気を失わせて、身体をブルブルと震わせると、ドレススカートの中を急速に生暖かく濡らしてゆく。

 

「ふっ……。アーニャ、行くぞ」

「……はい」

「気にするな。この暑さだ。すぐに乾くさ」

「……はい」

 

 ルルーシュはカリーヌへ鼻を鳴らして失笑。しょんぼりと項垂れているアーニャの肩を抱きながら立ち去る。

 3歩も歩けば、もうカリーヌへ対する興味は完全に失い、一度も振り返る事は無かった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「くっくっくっくっくっ……。

 あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!?」

 

 ルキアーノは愉快で愉快で堪らず、後から後から湧き出てくる笑みに腹を抱えながら仰け反る。

 案の定、ルキアーノはラウンズ詰め所前で起きた出来事の現場へ間に合わなかったが、その一部始終をこの一階の窓から見物する事は出来た。

 ルルーシュがカリーヌをヘコませた方法も気に入ったが、特にルキアーノが気に入ったのはルルーシュが放ち、ランウンズのモニカすらも跪かせた威圧感だった。

 今、思い出しても肌がゾクゾクと粟立ってゆくのを感じ、ルキアーノの男性自身はギンギンにエレクト。危険な快感の波が全身を駆け巡り、たまらず身体がプルプルと震える。

 ルキアーノは面倒臭がって歩かず、真面目に走るべきだったと後悔を覚える。

 事実、モニカはルキアーノを追い越していったのだから、走っていたら十分に間に合っていたのは間違いない。

 なにせ、現場との距離はかなり離れており、ルルーシュの威圧が自分へ向けられたモノでは無いにも関わらず、『ブリタニアの吸血鬼』の異名を持つ自分がコレである。

 もし、これが間近で自分へ向けられていたら、どうなっていたのかと思うと、これがまた愉快で堪らなかった。

 当然、この快感を与えてくれたルルーシュの正体が知りたくなり、それを知る術を笑う一方で考えていると、背後の部屋のドアが勢い良く開け放たれ、ルキアーノへ怒鳴り声が飛んできた。

 

「ええい! やかましい! 私の部屋の前で騒いでいるのは何処の馬鹿だ!」

「エニアグラム卿、グットタイミング! あれが誰か解るか! あれだ! あれ!」

 

 だが、ルキアーノは怒鳴り声にめげるどころか、これ幸いとルルーシュを何度も指さして、部屋から出てきた銀髪の女性へルルーシュの正体を知らないかと目を輝かせながら尋ねる。

 ショートヘアーの左サイドを三つ編みにする彼女の名前は『ノネット・エニアグラム』、コーネリアの士官学校時代の先輩であり、ラウンズの第9席の座に就く者。

 

「あれ、あれって……。お前、知らないのか?

 ……と言うか、昨日の謁見。陛下から必ず見るようにと通達が有っただろうが?」

 

 ノネットはルキアーノが指さす先へ視線を向けて、目をパチパチと瞬き。ルキアーノへ茫然とした表情を向ける。

 なにしろ、ルルーシュが全世界生放送で時の人となったのは昨日の事。まさか、それを知らない者が居るとは思ってもみなかった。

 

「有った様な、無かった様な……。」

 

 しかし、ルキアーノにとって、興味が有るのは血の滾りを感じさせてくれる戦いのみ。

 それ以外の事はほぼ無関心。作戦命令書以外、自分の決裁が必要な書類ですら、2人の副官へ任せっきり。皇帝の命令も例外ではなく、ルキアーノは腕を組んで真剣に考え込む。

 

「有ったんだ!」

「ほら、私ってば! 昨日の夜、EUから帰ってきたばかりだから!」

 

 そんなルキアーノに苛立ち、両手を腰に突きながら怒鳴り付けるノネット。

 たまらずルキアーノは腰を引いた上に一歩後退。どんな敵も恐れないルキアーノだが、先輩後輩関係だけは大事にしており、ラウンズの中で規律に厳しいノネットは恐れる先輩だった。

 

「まあ、良い。教えてやる。

 あの御方は枢機卿、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア様だ」

「……枢機卿?」

「私も良くは知らん。だが、陛下のお気に入りなのは確かだ」

「へ、陛下のお気に入りっ!?」

 

 ノネットは目線を右手で覆い隠しながら溜息を深々とついて呆れる。

 だが、シャルルのお気に入りであるルルーシュを皇帝の剣たるラウンズが知らないままでいるのはもっとまずいと考え、ルルーシュに関する情報を教える。

 ルキアーノは聞き慣れない初めて知る役職名に怪訝な表情を浮かべるが、更なる追加情報を聞き、驚きのあまり思わず茫然と目が点。

 

「あとはお前の部下達へ聞け。誰か、1人くらいは昨日の謁見を録画しているかもな?」

 

 その反応に無理もないと苦笑して、ノネットは口元を右拳で隠す。

 それほど自分達が忠誠を捧げているシャルルという皇帝は人へ興味を全く示さない。興味を示すのは実力のみ。

 唯一の例外は、ナイト・オブ・ラウンズの第一席に座するビスマルク。あとは約10年前までなら、寵姫だったマリアンヌもまた例外に入るだろうか。

 

「陛下のお気に入り……。陛下のお気に入り……。陛下のお気に入り!

 陛下のお気に入りぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいい!

 ふっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!?」

「……相変わらず、あいつだけは良く解らんな」

 

 突如、ルキアーノは何やらブツブツと呟き始めたと思ったら叫び、大発狂。

 今度はノネットが身体をビクッと震わせて、驚きのあまり茫然と目が点になり、高笑いをあげながら駆け去って行くルキアーノの背中を成す術無く見送った。

 

 

 



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第二章 第07話 わが臈たし悪の華

 

 

「マリーカ・ソレイシィ大尉、26歳。

 現在はナイト・オブ・ラウンズのテン、グラウサム・ヴァルキリエ隊に所属」

 

 ヒトとは実に浅ましくも欲深いもの。あのシャルルとルルーシュの謁見によって、アリエス宮はたったの一夜で様変わりしていた。

 ルルーシュとアーニャが用事を済ませて帰ってくると、そこにあったのは人数を数えるのが馬鹿らしくなるほどの長蛇の列。マリアンヌ、またはルルーシュとの面会を求めて、貴族達や軍人達が玄関から外門までごった返しており、思わず唖然となった2人がアリエス宮とは別の違う宮へ間違えて帰宅したのかと勘違いしたくらい。

 その数多の中の1人に栗色なショートヘアーの彼女は居た。その珍しい姓名で解る通り、エリア11で起きた『ブラック騒動』にて、大失態を犯してしまったキューエルの妹である。

 

「士官学校を主席で卒業とは……。優秀ですね」

「恐縮です」

「しかも、戦術判定がS。ヴァルキリエ隊では参謀を?」

 

 急遽、アリエス宮の空き部屋に作られた面接会場。広々とした部屋に置かれているのは簡素なパイプ机のみ。

 その中央に座り、ルルーシュは両肘を突きながら組んだ手に顎を乗せて、手元に置いた履歴書から3メートルほど前方に立つマリーカへ視線を向ける。

 

「はい……。ですが、他の部隊との協議が主な役目でした」

「その理由は?」

「戦場は生き物。それがルキアーノ様の持論だからです。

 また、ルキアーノ様の真価が発揮されるのは単騎突出。もしくは乱戦でしたから……。」

「余計な連携はかえって、ブラッドリー卿の足を引っ張る?」

「その通りです」

「では、貴女の仕事はブラッドリー卿の戦場作りという訳ですね。では、部隊の統括経験は?」

 

 マリーカが着用しているのは一般兵が着るネイビーブルーの軍服に非ず、ラウンズの10席を象徴するオレンジカラーの制服。

 しかも、ルキアーノの趣味なのか、ヘソ出し、肩出し、腕出しのミニスカート。とても軍服とは思えないデザインではあるが、目の保養ではあった。

 ルルーシュも多感なお年頃。ついつい目がマリーカのおヘソや太股へ向かってしまうが、左脇に立つアーニャから肘打ちをされて、慌てて視線を履歴書へと戻す。

 

「それは同僚が主に行っていました」

「主に、と言う点をもう少し詳しい説明でお願いします」

「はい、それぞれが自分の得意な分野を主に引き受けていたと言う意味です。

 同僚が内向きの副官として、私が外向きの副官として、ルキアーノ様を2人でお互いに支えていたと自負しております」

「なるほど、解りました。

 あのヴァルキリエ隊で3年も生き延びているのですから、ナイトメアフレームの腕前も相当なモノなんでしょうね」

「自信は有ります」

 

 マリーカは悪くない手応えを感じていた。

 名前を呼ばれて、この部屋へ入室するまでの待ち時間。50人以上の貴族や軍人がルルーシュとの面会を行っているが、その殆どが3分以内、長くても5分以内に部屋から肩を落とすか、腹を立てるかして出てきている。

 ところが、マリーカが入室してから既に約10分が経過。今は緊張が少し解けて、会話も弾んでおり、ルルーシュに興味を持たれたと思ってほぼ間違いない。

 ただ、ここへ至るまでが地獄の様に辛かった。部屋へ入り、今立っているテープが貼られた位置まで進めと言われたっきり、マリーカを凝視して、ルルーシュも、アーニャも無言。

 パイプ机の上に置かれた時計がカチカチと時を刻む音だけが部屋に響き、その静けさに気が狂いそうになるのを懸命に耐えて、マリーカも無言を貫き通した。

 5分後、それが済んだかと思ったら、次は『3分間、差し上げます。自己アピールと貴女の家族を紹介して下さい』と要求され、頭を真っ白にさせながらも必死に喋った。その時、何を喋ったかはもう忘れた。

 

「合格だ。マリーカ・ソレイシィ大尉、君を俺の副官として採用する」

「えっ!? ……ほ、本当に私でよろしいのですか?」

 

 しかし、マリーカは自分がまさか採用されるとは全く考えていなかった。

 それを告げられた瞬間、マリーカは目を丸くさせながら口をポカーンと開け放って、数秒間を茫然自失。

 ルルーシュとアーニャ以外は誰も居ないのを知っていながら、辺りをキョロキョロと見渡して、最後に背後も振り返ってから正面へ向き戻り、我が耳を疑って問い返した。

 

「どうした? 自分から売り込んできて、嫌なのか?」

「い、いえ、そんな事は有りません。で、ですが……。」

「ですが、何だ? はっきりと言え、はっきりと」

 

 その時点で既に無礼なのだが、マリーカは重ねて問い返すと、その言葉を濁した上に視線を伏した。

 当然、ルルーシュは苛立った。一度目はマリーカの反応が愉快だった為に失笑で流したが、さすがに二度目は流さず、眉を寄せながら口調をやや強めた。

 マリーカは己の失敗に気付き、慌てて視線を上げるが、向けられているルルーシュの強い眼差しと視線を合わせる事が出来ず、すぐさま再び視線を伏す。

 

「では……。エリア11で起きた事件に関しては?」

 

 それも、これも、全ての原因がコレだった。

 ルルーシュが覚醒を果たした日。エリア11で起こった『ブラック騒動』と呼ばれる事件は軍の箝口令によって、TVや新聞といったマスコミからの流布は防がれた。

 だが、インターネットは無理だった。幾人もの元日本人によって、配信された動画は削除しても、削除しても再掲載され、『ブラック騒動』は事件当日より3日を置き、世界中へ爆発的な勢いで広まった。

 最早、隠しようが無くなったエリア11政庁は事実を公表。マリーカの兄『キューエル』の大失態は白日の下に晒され、その影響は妹のマリーカにも及んだ。

 つい昨日まで任務で滞在していたEU戦線では、会う者、会う者から小馬鹿にされ、ルキアーノの名代として作戦会議へ出席しても意見をあからさまに無視されたり、茶化されたりする始末。

 それどころか、本国へ帰国後、少佐へ昇進するのが内定していた筈にも関わらず、実際に本国へ帰ってきたら見送りとなっており、それを知った時のマリーカのショックは計り知れなかった。

 挙げ句の果て、人事部から肩を落としながらラウンズの詰め所へ帰ってきたマリーカを待っていたのは、それを遙かに上回る大ショック『ルキアーノからの戦力外通告』だった。

 マリーカは信じられなかった。世間の評判は悪いルキアーノだが、その実は先輩後輩の関係を大事にする人間で敬愛するに値する上司であり、今の仕事にやり甲斐を感じていただけに信じたくはなかった。

 ところが、現実は違った。ご丁寧に自分の履歴書が既に用意されており、ルキアーノからは『これを持って、枢機卿の所へ今すぐ行ってこい』と再就職先まで案内されて、目の前が真っ暗となり、すぐさまルキアーノの執務室から泣きながら逃げ出した。

 もう誰も信じられなくなり、ここへ言われるまま勢いで訪れてみたが、自分の名前が呼ばれるまでの間、もう軍はすっぱりと辞めて、田舎へ帰ろうと決意までしていた。

 

「ああ、あれか。勿論、知っているが?」

「えっ!? ……なら、兄の事もご存じですよね?」

「ご存じも、何も……。さっき、家族紹介で喋っていたじゃないか?

 俺としては、あの事件があった後も兄を尊敬していると言う点を高く評価しているのだが?」

 

 だからこそ、採用するというルルーシュの決断を驚愕するしかなかった。

 マリーカが面接を行う前、ルルーシュのお眼鏡に適わず、この部屋から出てきたと思われる50人以上の貴族や軍人の中には有名人も何人か居た。

 その有名人達すらも軽く袖に振れるほど、目の前のルルーシュは今をときめく超有名人。自分が選ばれるなんて有り得なかった。

 もしや、『ブラック騒動』を知らないのかと思いきや、ルルーシュは知っており、その騒動で大失態を犯した兄『キューエル』の事もちゃんと知っていると言うではないか。

 マリーカは再び口をポカーンと開け放って、瞬きをパチパチ。驚愕のあまり思わずタメ口で問いかけてしまう。

 

「……そ、それだけ?」

「んっ!? 良く解らないな? さっきから何が言いたいんだ?」

「いや、だって……。あんな大失態を犯した兄の妹ですよ?」

 

 ルルーシュはマリーカが何を気にしているのかが本気で解らなかった。

 腕を組みながら首を傾げて、隣へ助言を求める様に視線を向けるが、アーニャも解っていなかった。右人差し指を顎へ当てて暫し考え込むが、結局は首を傾げた。

 マーリカは驚きを遙かに通り越して、茫然とするしか無かった。このブリタニアにおいて、こんな純粋な皇子と騎士が居るとは思ってもみなかった。

 ブリタニアの国是は弱肉強食。詰まるところ、それは足の引っ張り合い。出世をしたければ、隙を決して見せてはならないという事。

 その点から考えると、マリーカの兄『キューエル』が犯した失態は大きすぎる隙であり、マリーカは当然の事、その上司にまで影響を及ぼす隙と言えた。

 即ち、マリーカが所属する部隊は正当な評価を受け辛くなる。それをまるで理解していない2人の為、マリーカは敢えて屈辱を口にした。

 

「何を心配しているのかと思えば……。

 ……下らんな。お前はお前、兄は兄、別の存在だろう。違うのか?」

「す、枢機卿っ!?」

 

 だが、ルルーシュは鼻で失笑して、マリーカの懸念をあっさりと笑い飛ばす。

 そして、その言葉こそ、マリーカがずっと欲していた言葉であり、自分自身で励ましてきた言葉。本音を言えば、ルキアーノから言って貰いたかった言葉。

 この1週間、小馬鹿にされる度、強がってはいたが、そろそろ限界だったマリーカは涙を瞳に溜めて、思わず口と鼻を両手で覆う。

 

「それより、どうするんだ? やるのか、やらないのか?」

 

 その様子に目をギョギョギョッと見開いて焦りまくりのルルーシュ。

 座ったまま椅子をガタリと鳴らして後退り、たまらず『俺のせいじゃないよな?』と問いかける視線をアーニャへ向けながら、この話題を打ち切る為、マリーカへ半ば強引に意思確認を問いた。

 

「やります! ……いえ、やらせて下さい!」

 

 勿論、返事は決まっていた。マリーカは右手の人差し指で涙を拭い、詰まった鼻を一啜り。嬉しそうな笑顔と共にルルーシュへ敬礼を捧げる。

 ところが、嬉しさのあまり涙が止まらない。慌てて制服の内ポケットを探るが、何処かに置き忘れてきたのか、有る筈のハンカチが見つからない。

 

「なら、明後日の朝。旅支度をして、ここへ集合だ。

 恐らく、1、2年は本国へ帰ってこれないから、そのつもりで準備を今日、明日中に済ませておけ」

「イエス・ユア・ハイネス!」

 

 それを見かねて、マリーカへ差し出される黒いハンカチ。

 但し、ルルーシュは照れ臭いらしく、差し出された右手とは逆に紅く染まった顔をマリーカから背けていた。

 先ほどまでの威厳ある姿と今の明らかに女慣れしていない年相応の姿が重ならず、そのギャップがおかしくて、マリーカがハンカチを受け取りながらクスリと笑みを漏らす。

 

「それと女性がお腹を出すのは感心しない。おヘソは隠してくる様に」

「「ぷっ!?」」

「な、何がおかしいっ!? と、当然だろっ!?」

 

 その上、この発言が加わり、今度はアーニャも吹き出して笑い、ルルーシュは怒鳴りながら椅子を蹴って立ち上がるが、もう威厳は取り戻せそうに無かった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「3年間、お世話になりました」

「ああ、向こうに行ってもしっかりとね」

 

 マリーカが挨拶へ真っ先に向かったのは、当然の事ながらルキアーノの執務室だった。

 ところが、マリーカが頭を深々と下げているのにも関わらず、執務机に座るルキアーノはサバイバルナイフを用いた鉛筆削りに夢中。その返事は軽かった。

 マリーカは見捨てられたのはもう仕方ないと承知していたが、やはり哀しくはあった。午後一番に呼び出され、青天の霹靂を告げられるまで、この先もずっと支えていこうと考えていた上司だけに。

 

「ルキアーノ様、納得がいきません! マリーカの何処が不満だって言うんですか!」

 

 その気持ちが痛いほどに解り、マリーカの隣に立つ金髪ロングヘアーの女性が声を荒げる。

 彼女の名前は『リーライナ・ヴェルガモン』、マリーカの士官学校時代の1年先輩であり、ルキアーノの親衛隊であるグラウサム・ヴァルキリエ隊の隊長。

 なにせ、マリーカ自身に落ち度は無いどころか、その能力はヴァルキリエ隊に不可欠なのだから、リーライナが猛るのも無理は無かった。

 

「ん~~~……。

 一つ、聞きたいんだが……。私が世間体を気にする様な人間だと思う?」

「「……えっ!?」」

 

 だが、マリーカも、リーライナも、実は根本的な勘違いをしていた。

 削った鉛筆を伸ばした右腕に握り持ち、左眼を瞑りながら、その削り先の尖りを確かめるルキアーノから問われ、マリーカとリーライナは答えに窮した。

 そう、ルキアーノは『ブリタニアの吸血鬼』と敵から恐れられているが、同時に味方からも忌み嫌われていた。

 戦場でのルキアーノを例えるなら、凶暴な暴れ馬。奇声と高笑いを響かせて、破壊と殺戮を好み、勝つ為なら平然と味方を盾にするどころか、味方もろとも敵を撃つのを一切躊躇わない。

 つまり、ルキアーノが戦場を駆けると、その戦場は勝利の代償に必ず荒れまくり、味方の消耗率は通常の戦場より激しくなる。

 その為、ルキアーノとヴァルキリエ隊は味方から離れた場所に配置される事が多く、他の部隊が交戦を開始している中で戦闘開始命令が出されず、そのまま戦闘が終了する事すらもたまに有る。

 しかし、ルキアーノは自分のスタイルを変えようとはしない。時たま、非難を浴びせる者も居るが、ルキアーノはまるで気にした素振りを見せず、嫌味を逆に返しさえする。

 それ等を考えると、マリーカをヴァルキリエ隊から除隊させたのは、ルキアーノが世間体を気にしたからではなく、もっと別の理由がある様な気がしてきた。

 

「マリーカ、お前さ……。

 この一週間、色々と言われて落ち込んでいるのは知っていたけど、人の話は最後まで聞こうよ。

 まだ人が話している途中だっていうのに……。

 勝手に勘違いして、泣き出したと思ったら、部屋を飛び出してゆくんだから、どうしようかと思ったよ。

 まあ、もっとも……。そのおかげで、枢機卿の目に留まったかも知れないから、結果オーライでは有るけどね」

「どういう事ですか?」

 

 鉛筆の削り具合に満足して頷き、次の一本を削り始めるルキアーノ。

 その意味深な言葉が気になり、マリーカは思わず身を乗り出して、右足を一歩前へ出す。

 マリーカの忠誠は既に新たな主となったルルーシュへ捧げられているが、ルキアーノを敬愛する心はまだ消えていなかった。

 どうせ、除隊するなら気持ち良く。下を向いて行くよりも前を向いて行きたかった。ここに居た3年間を後悔するのは嫌だった。

 

「枢機卿から伝言を預かっていない?」

「えっ!? あっ!? はい、そう言えば……。

 その時が来たら頼む、と……。どういう意味かは解りませんでしたが」

 

 だは、ルキアーノから返ってきたのは脈絡のない問いかけ。

 マリーカが質問に質問を返されて戸惑いながらも応えた途端、鉛筆削りに夢中だったルキアーノの様子が激変した。

 

「くっくっくっくっくっ……。やはり、思った通りだ。

 しかも、あの御方は私のメッセージをちゃんと読み取ってくれた。

 これは来る。……来るぞ! 間違いなく、来るぞ! 私の目に間違いは無かった!」 

 

 それまで職人芸と言える冴えを見せていたナイフ捌きが乱れ、せっかく尖りかけていた鉛筆の先が台無し。

 あまつさえ、ルキアーノは鉛筆の両端を持ってへし折ると、その握った両拳を机に置きながら項垂れて、身体全体で笑い始めた。

 

「あ、あの……。」

「……ル、ルキアーノ様?」

 

 マリーカとリーライナがそれぞれの利き足を思わず下げる。

 ルキアーノを誰よりも間近で見てきた2人は知っていた。それはルキアーノが戦闘前に見せる高ぶりだと。

 その証拠にゆっくりと持ち上げたルキアーノの表情は項垂れる前と一変していた。暇を持て余して眠そうだったものが、今やギラギラと輝くほど生気に満ち溢れていた。

 

「お前達も見ただろ? 昨日のあの謁見を……。

 だったら、解る筈だ。陛下が枢機卿へ向けている寵愛ぶりを」

「それは……。」

「まあ……。」

「んっ!? これでまだ解らないのか? 鈍いな……。

 あれほどの寵愛を示され、あんな権限を与えられたんだぞ?

 もう次期後継者と言って良いほどだ。当然、シュナイゼル殿下は面白くないだろうな」

「「あっ!?」」

「まあ、あの御方の事だ。それをおくびにも出さないだろうが……。

 貴族達は違う。この10年間、変わらなかった宮廷の勢力図が変わる。

 オデュッセウス殿下派とシュナイゼル殿下派、ここにルルーシュ殿下派が絶対に加わる。

 その上、陛下があれほど後押ししているんだ。当然、今までの様にはいかない。

 まずは貴族達の間で派閥争いが起き、やがては本人達へ飛び火するだろう。そうなったら……。くっくっくっくっくっ……。」

 

 そして、マリーカとリーライナはルキアーノの思惑をようやく知る。

 今更、言うまでもないが、神聖ブリタニア帝国とは皇帝を頂点とした貴族制を根幹に持つ国家体制である。

 それ故、ブリタニアの全ての兵は皇帝と国家へ忠誠を基本的に捧げているが、直臣、陪臣、陪々臣と呼ばれる構造が有る為、一兵卒であっても自分の主を持つ自由が存在する。

 但し、ナイト・オブ・ラウンズはブリタニア最強の戦士にして、皇帝のみに捧げられた12本の剣。皇帝以外、誰の味方となるのも禁じられており、有る意味で中立と言える存在。

 しかし、その影響力と権限は大きく、自身が一騎当千の実力者である事実に加えて、中隊規模のナイトメアフレーム親衛隊を編成する自由が許されており、その恩恵を得ようと近づいてくる者は多い。

 そうした者達とラウンズが結びつき、反乱を起こすのを防ぐ為、ラウンズは絶大な権限と共に様々な制限が有り、特に戦場を除く政治的な関与は厳しく制限されており、これはラウンズとほぼ同一視される親衛隊にも及ぶ。

 今回の例で言うなら、ラウンズの親衛隊となった者は新たなラウンズとなるか、戦死するか、傷病退役するか、それ以外の理由は原則的に除隊、退役が認められないというもの。

 だが、ブラック騒動によって、マリーカの評判は兄『キューエル』の影響を受けて著しく下がり、世間一般の観点から見たら、ルキアーノがマリーカを見捨てても当然という状況となっていた。

 リーライナとマリーカは顔を見合わせて頷き合う。ここまで解れば、あとは答え合わせに過ぎない。

 

「では、ルキアーノ様はいずれ起こるであろう内乱に備えて……。」

「枢機卿へお味方する為、私を送り込んだ。……と言う訳ですね?」

「そう言う事だ。くっくっくっくっくっ……。

 これを見ろ。この鳥肌を……。

 午前中、たまたま枢機卿を見る機会に恵まれたんだが、あの目を思い出しただけでゾクゾクしてくる。

 信じられるか? この私が、『吸血鬼』と忌み嫌われる私が怯えているんだぞ?

 いや、私だからこそ解る。アレは殺戮者の目だ。私以上の……。そう、私が『吸血鬼』なら、あの御方は『魔王』に違いない」

 

 ルキアーノは満足そうにニンマリと笑うと、席を静かに立ち上がり、軍服の右袖を捲って見せた。

 その言葉通り、2人へ向けて突き出された右腕は毛穴の一つ、一つが粟立ち、小さくブルブルと震えていた。

 リーライナとマリーカは口も大きく開け放って、驚愕のあまり思わず言葉を失う。

 なにしろ、リーライナはヴァルキリエ隊を結成して以来の4年間、マリーカは3年間、ルキアーノへ仕えてきたが、どんな過酷な戦場に在っても、ルキアーノが怯えた事は一度たりとも無かっただけに驚く他は無かった。

 

「ソレだけじゃない。

 私の見たところ、枢機卿こそ、陛下の気質に最も近い。

 だったら、立ち塞がる者は許さない筈だ。

 くっくっくっくっくっ……。それを考えたらワクワクしてこないか? なあ、2人とも!」

 

 その怯えた気持ちを入れ替える為、ルキアーノは顔を両手で洗顔する様に揉むと、両手を机へ突きながら身を乗り出して、リーライナとマリーカへ視線を交互に向けた。

 リーライナとマリーカは引きつらせた顔を見合わせて、深い溜息を揃って漏らす。

 その同意を求める笑みは『ブリタニアの吸血鬼』の異名に相応しい狂気を感じさせるものだったが、それは他者から見たらの話。ルキアーノとの付き合いが長いリーライナとマリーカから見たら、それは新しい遊びを見つけて目を輝かせる子供の様だった。

 

「どう考えても、シュナイゼル殿下へお味方した方が有利だと思いますが……。」

「……ルキアーノ様は勝ち戦を好みませんものね」

 

 2人は呆れながらも、リーライナはヴァルキリエ隊の隊長として、マリーカはヴァルキリエ隊の元参謀として、一応の確認を取る。

 ちなみに、オデュッセウスの名前は何処へ行ったかなど考えるまでもない。

 

「あっはっはっはっはっ! 良く解っているじゃないか!

 そうだ! 最初から勝っている戦いなど、面白くも何ともない! 負け戦を勝ちにするから面白いんだよ!

 くっくっくっ……。あ~~っはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!?」

 

 たちまちルキアーノは喉の奥が見えるほどに大笑い。

 机を何度もバシバシと思いっ切り叩いて、隣部屋のノネットから苦情が今にも来そうなくらいはしゃぎまくり。

 

「先輩、これから1人で色々と大変でしょうが頑張って下さいね」

「マリーカ、貴女の方こそ。幸運を祈っているわ」

 

 今一度、そんなルキアーノへ深い溜息を揃って漏らすマリーカとリーライナ。

 いつか必ず来るだろう戦場にて、轡を再び列べて戦う事を誓って、2人は固い握手を交わした。

 

 

 



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~ 第二章補足 ~ (14.05.16 追加修正)

◎ 第二章 第01話 魔王と皇帝

 

* ナイト・オブ・ラウンズ

 

皇帝直属の12人の騎士。

政治的関与は禁止されているが、戦時の階級は将官クラスの権限を持つ。

現在、若い年齢層が多いのは戦場の花形がナイトメアフレームとなった為である。

但し、基本の任務が皇帝の身辺警護の為、白兵戦技能に優れていなければならないのは昔と変わらない。

 

 1:ビスマルク・ヴァルトシュタイン

 2:ベアトリス・ファランクス

 3:ジノ・ヴァインベルグ

 4:ドロテア・エルンスト

 5:リチャード・ダキテーヌ

 6:レオンハルト・シュタイナー

 7:チャンディ・マルガ

 8:空位

 9:ノネット・エニアグラム

 10:ルキアーノ・ブラッドリー

 11:トラファルガー・ネルソン

 12:モニカ・クルシェフスキー

 

席次=序列では無いが、第1席のみ、特別扱い。

皇帝直属の親衛隊隊長を担っており、参戦時は大元帥となり、帝国宰相すらも凌ぐ権限を持つ。

また、本人が希望すれば、最前線のエリアを領土とする事も可能。

 

 6:レオンハルト・シュタイナー

 

このキャラは『コードギアス 双貌のオズ』に登場するマリーカの婚約者さんです。

後記にあるマリーカの設定変更に伴い、こちらも年齢を26歳に上げて、マリーカと同い年とします。

 

 5:リチャード・ダキテーヌ :突撃突撃突撃一直線な騎士道キャラ

 7:チャンディ・マルガ   :元インドネシア人の顎髭ダンディーキャラ。

 11:トラファルガー・ネルソン:攻勢より防衛を得意とする髯のおっさんキャラ

 

この4人、オリジナルキャラで作ってはみたけど、登場するかは不明。

亡国のアキトの『ミケーレ・マンフレディ』は8番目でしたが、既に死亡しています。

 

 

* R因子

 

実は作者も良く解っていない原作の謎設定。

 

 

 

◎ 第二章 第02話 アリエスの喜劇

 

* 貴族

 

大公 > 公爵 > 侯爵 > 伯爵 > 子爵 > 男爵

 

世襲による土地を所有しており、言い換えるなら国の中の国を所有している小さな王様。

納税の義務は無いが、皇帝の要請に応じて、爵位に応じた兵力を出兵させる義務がある。

 

 

* 騎士

 

騎士は騎士でも4つの意味があり、それぞれにおいて違う意味を持つ。

土地は所有していないが、貴族位としての世襲騎士。

土地は所有していないが、貴族位としての当代限りの騎士。

特定の皇族、貴族へ忠誠を捧げる者の称号としての騎士。

ナイトメアフレームのパイロットとなった者達の俗称としての騎士。

 

 

* アールストレイム家

 

テキサス地区の約半分を領土に持つ侯爵家。

元々はヨーロッパ貴族の男爵家であったが、北南戦争時にブリタニア側へ付き、建国に多大な功績を挙げた歴史を持つ。

 

 

 

◎ 第二章 第03話 過去との再会

 

* バージニア大学

 

首都とバージニア大学はかなり離れていますが、シャーリー達は夏休みの旅行中という事でお願いします。

当初、首都の位置をワシントンDCに設定していた為の弊害です。

つまり、冒頭の『エディンバラのオベリスク』もそれが理由だったりします。

 

 

 

◎ 第二章 第04話 就任式 - 前 -

 

* エリア22

 

現在、中華連邦と停戦協定を結んでおり、インド洋が往来が船舶のみ可能。

東南アジアはインドネシア、シンガポール、フィリピン、パプアニューギニアがブリタニア領土。

アラビア半島は西はエジプトまで、東はイラクまで、北はトルコまでが領土。

但し、トルコはイスタンブール周辺が最激戦区の最前線となって、今は一進一退の攻防が続いています。

 

 

* 市ヶ谷即応軍司令部基地・基地司令代理

 

基地司令は総督であるクロヴィスが兼任。

つまり、ジェレミアはエリア11における軍の実質的な最高責任者。

 

 

* ユーロブリタニア大公

 

シャルルの伯父さん。欧州における統治権を一任されている。

今現在の明確な領土はグレートブリテン(現実のイギリス)とアイルランドとポルトガルのみ。

 

 

 

◎ 第二章 第05話 就任式 - 後 -

 

* ゴットバルト家

 

ベラクルス地区の一地方を領土に持つ伯爵家であり、代々が軍人の家系。

本国の南端に位置する為、既に辺境では無いのだが、昔からの通称で辺境伯と呼ばれる事が多い。

 

 

* ギアス饗団

 

その歴史はとても古く、有史以前よりとされるが、その存在が明るみとなった事は一度もない。

時の権力者達を利用して、利用され、歴史が大きく動く時は必ず何かしらの関与が有る。

ペンドラゴンに本拠地を構えており、世界各地に9つの支部が存在する。

 

 

 

* ユーロブリタニア方面軍

 

ユーロブリタニア大公とシュナイゼルの混成軍。

ユーロブリタニア大公はブレートブリテンを防衛中。

 

 

* 織田タケル

 

ランスロットのパイロット。

現在の織田家頭首だが、下級武士の出身であり、元は只の高校生。

白兵戦技能は人並み程度に過ぎないが、ナイトメアフレーム関する技術は抜群なモノを持っている。

 

 

 

◎ 第二章 第06話 吸血鬼の羽ばたき

 

* 先輩と俺のダブルオレンジ

 

電話の相手はジェレミアです。

 

 

 

◎ 第二章 第07話 わが臈たし悪の華

 

* マリーカ・ソレイシィ大尉、26歳

 

公式設定によると、R2の時点で15歳。

それは作者的にかなり納得が出来ない年齢という事で26歳に大幅アップ。

何故ならば、リーライナが士官学校の先輩という設定があるから。

つまり、ブリタニアの士官学校は小学校卒業で入学が可能というとんでも設定になってしまうのです。

……という事で士官学校の入学資格を中学卒業として、15歳で入学。

その後、ラウンズの親衛隊となる為にそれなりのキャリアを積ませたら、26歳に!

 

 

* グラウサム・ヴァルキリエ隊

 

若い女性だけで編成されているナイトメアフレーム中隊。

制服、パイロットスーツの露出度が高く、それが理由で揶揄される事が多い。

上記のマリーカの年齢設定変更に伴い、ヴァルキリエ隊は年齢設定も変更となっています。

 

公式設定:15歳~25歳の美女、美少女 このお話の設定:20歳~30歳の美女、美少女。

 

 

* 直臣、陪臣、陪々臣

 

直臣とは、皇帝の部下。

貴族社会では、爵位を持つ貴族達がこれにあたります。

軍隊においては、以下の陪臣を除き、ブリタニア正規軍の兵士がこれにあたります。

陪臣とは、皇帝の部下の部下。

皇族、または爵位を持つ貴族へ忠誠を捧げる騎士がこれにあたります。

陪々臣とは、皇帝の部下の部下の部下。

上記の騎士へ忠誠を捧げる従士がこれに当たります。

一般的に各貴族が領地の治安維持の為に編成する地方軍=警察機構を意味します。

当然、正規軍と比べて、上司である貴族、騎士が有名、有力でない限り、その扱いは下になります。

 

 

* 中隊規模のナイトメアフレーム親衛隊

 

部隊編成における最小単位は2機1組の分隊。

小隊は2分隊、ナイトメアフレームが4機。

中隊は3小隊、ナイトメアフレームが12機。

大隊は3中隊、ナイトメアフレームが36機。

連隊は3大隊、ナイトメアフレームが108機。

 

師団は基本的に有りません。

……というか、連隊以上が投入された戦場が過去に有りません。

 

 



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第三章 第01話 勇侠青春謳

 

 

 

『私の名前は枢木スザク。今はエリア11と呼ばれている嘗ての日本最後の総理大臣『枢木ゲンブ』の息子です』

 

 エリア11にて、放送権を持つHiTV。

 その日、TV局の夕刊とも言える6時のニュース番組が始まると、まず最初に挨拶と共に映る筈の馴染みのキャスターは居らず、画面一杯の完全な黒が映った。

 その上、そのままの状態で無音が十数秒ほど続き、番組の大半の視聴者である夕飯を作っている最中だった主婦達は思わず手を止めて振り返り、こう考えた。TVの故障だろうか、と。

 ところが、故障の確認にチャンネルを試しに変えてみようと、リモコンへ手を伸ばしかけた瞬間、メタルハイドランプ特有の点灯音が3連続で鳴り響き、スポットライトを3方向から浴びて、一人の少年が姿を現した。

 彼の名前は『枢木スザク』、自己紹介をせずとも、今やエリア11に住む者達なら誰もが知っている有名人だった。

 

『皆さん、憶えているでしょうか?

 父が過激派の極右と呼ばれ、ブリタニアとの徹底抗戦を常日頃から訴えていたのを……。

 その父が半分は占領されたとは言え、まだ十分に戦えた筈にも関わらず、降伏という屈辱を選んだのは何故か!

 そうです! 完全な0となるよりは、たったの1でも良い! 日本という国を、心を、証を、次の世代へ残したかったからです!』

 

 エリア11総督府による箝口令発令によって、約2週間前に起きた『ブラック騒動』と呼ばれる事件は公で語る事を固く禁じられた。

 その成果は次第に表れ、ブリタニア外のインターネットでは未だ盛り上がりを見せていたが、当のエリア11に住む一般市民達は『ブラック騒動』の記憶をゆっくりと埋没させてゆき、今週は今週で別の話題に盛り上がりをみせていた。

 しかし、自分達が住むエリアで起こった事件である。当然、興味はあったが、その後に関する話題が一切提供されないのだから、一般人は成す術が無かった。

 

『だから、私は名誉ブリタニア人となり、ブリタニア軍へ入隊しました。

 例え、裏切り者と誹られようが背後を振り返るよりは前へ進んでゆく事こそ、父が残してくれたモノをより多く次の世代へ受け継げると考えたからです。

 皆さんもご存じの通り、ブリタニアの国是は弱肉強食。

 なら、強くなれば良い。強さを証明して、上を目指せば良い。

 そう、今は辛くても、10年後、20年後、30年後……。ブリタニアの中から新しい形の日本を作れば良いと決意しました。幸いにして、志を共に出来る仲間も存在しました』

 

 その様な隠れた世論がある中、このスザクによる告発が何の予告もなく放送され、チャンネルを『HiTV』にたまたま運良く合わせていた者達はTVへ揃って釘付けとなった。

 それこそ、幾人もの主婦達が揚げ物の途中だったのを忘れてしまい、あわや大惨事となる事件がエリア11の各地で起こり、消防車が実際に出動する事例数が通常時の3倍強にまで達したほど。

 また、視聴率も相当なものだった。6時の時点では番組の平均視聴率である12%を記録していたが、時を重ねる毎に急上昇。最終的に38%超えという夕方の報道番組では有り得ない脅威の数字を叩き出す。

 

『しかし、その希望は裏切られた! これをご覧下さい!

 悪魔の薬、リフレイン! これこそ、私達が育てていたささやかな芽すらも摘み取ろうとする明確なブリタニアの悪意です!』

 

 もちろん、エリア11の政府上層部や軍上層部の中にも、これを視ていた者は居た。

 だが、あまりにも突然すぎるスザクの告発放送に驚きを通り越して茫然となってしまい、即座に動けた者は極めて少なかった。

 しかし、その話題がリフレインへと移り、何処かの廃工場と思しき場所。スザクの背後に新たなスポットライトが点けられ、スザクの背丈よりも高く山積みとなったリフレインの現物が映った瞬間、慌てて我を取り戻した。

 

『専門家の話によると、これだけで末端価格は数億ポンドになるとか!

 では、この数億ポンドになる麻薬が何処から見つかったのか! それはブリタニア本国から送られてきた軍の積み荷からです!

 しかも、これだけでは有りません! そう、これは氷山の一角に過ぎないのです!

 私はこの目で見た! つい先日あった新宿ゲットー、中野ゲットーの壊滅作戦の最中、これと同量のリフレインが軍のトラックに積まれていたのを!』

 

 ジェレミアの活躍によって、明るみとなったクラーク・バーゼル中将による大規模なリフレイン密売。

 この事実をエリア11の政府上層部と軍上層部は本国へ未だ伝えておらず、伝えるつもりも無かった為、本国へ知られるのは非常にまずかった。

 なにしろ、『ブラック騒動』という大失態を起こしてしまった直後である。この将官クラスの大スキャンダルが本国へ知られたら、『ブラック騒動』を遙かに超える大問題となるのは必至。その責任を取らされて、多くの者達が左遷させられるだろう事は目に見えていた。

 例え、自分が左遷を上手く逃れたとしても、エリア11総督であるクロヴィスの更迭が十分に考えられる為、それだけは何が何でも避けなければならなかった。

 但し、それは残念ながらクロヴィスへ対する忠誠心からでは無い。政治も、軍事も、二流、三流でしかないクロヴィスはとても都合の良い総督だったからである。

 そう、彼等にとって、クロヴィスの目などザル同然。不正はやり放題であり、サクラバブルが途絶える気配すら見せずに湧き続けるエリア11の利権という名の甘い汁は何処よりも具沢山で美味すぎた。

 

『もっとも、その証拠はもう何処にも有りません。

 一昨日、その目撃地へ確認に行ってみましたが、既に証拠は焼き払われて、何も残ってはいませんでした。

 ですが、この私こそが証拠です! そのリフレインを見てしまったが為、ブリタニアは卑怯にも私へ麻薬密売という濡れ衣を着せた!

 あまつさえ、殴る蹴るの暴行を行い、その後は皆さんもご存じの通り、晒し者にまでした!

 あの時は声を封じられていて言えませんでしたが……。今、ここではっきりと断言します! 私は麻薬密売などやってはいない! 無実だ!』

 

 小悪党共は血相を変えて慌てた。

 すぐさま放送を中止させるべく関係各所へ連絡を取ったが、幾人もが電話を一斉にかけたものだから当然繋がらない。

 リダイアルを何度も、何度も行っている内に焦りは苛立ちへと変わってゆき、そうこうしている間もスザクの告発は続き、とうとうブリタニアの闇が懇切丁寧に大暴露される。

 

『皆さん、一緒に考えてみて下さい。

 私は確かに『枢木ゲンブ』の息子ですが、ただそれだけです。

 言ってみれば、過去の名声に過ぎず、その名声も父のモノ。私はただのおまけに過ぎません。

 今年で歳は18歳。ブリタニア軍へ入隊して、3年目。

 最近、ようやく伍長に出世しましたが、歴としたブリタニア人から見れば、出世コースから大きく外れた補給基地の下士官です。

 その単なる一下士官がこれだけ大量のリフレインを密売する事が出来ると思いますか?

 不可能です。密売するどころか、仕入れる事すらも出来ません。

 なにせ、名誉ブリタニア人の軍人は自分の身を守る銃ですら、厳しく管理されており、戦地へ赴いてから与えられるほどです。

 訓練においても、使用する弾数が決まっており、たった一発の銃弾ですら数が合わなければ、厳しい処分を受けます。

 その管理下の中、リフレインを密売するなんて、論外。以ての外です。

 なら、誰がそれを行っているのか。これだけ大量のリフレインを仕入れ、軍の積み荷に紛れ込ませるとなったら、それ相応の地位が……。それこそ、将官クラスの者が何人も関わっている筈です!』

 

 小悪党共は絶望のあまり、その場へ茫然と膝を折るしかなかった。

 最早、放送中止命令を出したところで無駄の一言。ネット社会の今、『ブラック騒動』がそうだった様に幾ら削除しても、インターネットの拡散は防ぎようが無く、この大スキャンダルが本国へ知られるのは時間の問題だった。

 もっとも、小悪党共が上手く立ち回り、スザクが大暴露するよりも早く放送中止命令を出していたとしても、その願いが叶えられる事は決して無かった。

 その理由は極めて単純なもの。このスザクの告発を放送するに辺り、GOサインを出した番組プロデューサーが小悪党以上の大悪党だったからである。

 

『だから、私は訴える! ブリタニアは国家ぐるみでリフレインの密売をやっていると!

 皆さん、これはブリタニアの第二の侵略です! リフレインに、ブリタニアに屈してはいけません!

 日本人にとって、今は辛く耐え難い時代! なら、リフレインは嘗ての日本を思い出させてくれる便利なモノかも知れません!

 しかし、それこそがブリタニアの思う壺なのです! 貴方がリフレインを買えば、買うほど、その金は憎むべきブリタニアへと流れてゆく!

 そう、貴方は知らず知らずの内、憎んでいるはずのブリタニアを支援していると言う皮肉な結果に繋がっているのです!

 勿論、それだけでは有りません! 麻薬は簡単にヒトを壊します! そして、壊してしまえば、ヒトの支配など容易い!

 皆さんも一度は必ず何処かで聞いた事がある筈! 最初は只の興味本位だったのが、いつの間にか染まってしまい、ソレ欲しさのあまり、犯罪に手を染めてしまう悲しい例を!』

 

 エリア11に放送権を持っているTV局は、国営1社と民営の5社。合わせて、6社がある。

 それ等、TV局へありふれた定型最小の白封筒の郵便物が届けられたのは、日勤者達がそろそろ帰ろうかと帰宅の準備に急ぐ夕方の頃だった。

 ところが、消印が切手に押されているところを見る限り、その白封筒は郵便局をきちんと通過しているが、差出人の表記が書かれておらず、宛先も『報道部プロデューサー様』と明確では無かった為、3社は取るに足らないモノとして、その中身の確認を明日へ先延ばした。

 また、白封筒を開けてみたが、その中に入っていたのはUSBメモリーのみ。それ以外はメモすらも無かった為、コンピューターウィルスを警戒。残った3社の内、1社は安全確認の作業を面倒臭がり、USBメモリー内のデーター確認を結局は明日へと先延ばしてしまう。

 つまり、白封筒が郵便物として届き、その中身をすぐに確認したのは最終的に2社であり、2人だった。

 

『私は悔しい! しかし、それ以上に恥ずかしい!

 これ等の事実に気付かず、父が命を賭してまで残してくれたモノを育てるどころか、逆に日本を壊す片棒を知らず知らずの内に担いでいた自分が!』

 

 その2人はUSBメモリーの中に入っていた動画を見るなり仰天。目を見開いて見入り、ふと気付いたら動画は終わっていた。

 なにせ、世間の誰もが気になっていた『ブラック騒動』のその後に関する特ダネである。報道に関わる者へ驚くなというのが無理な話。

 但し、特ダネは特ダネでもブリタニア軍の大スキャンダルを含んでおり、その取り扱いは慎重に慎重を要した。

 当然、1人はまだ帰宅していなかった報道部員を全て召集した上、既に退社して帰宅途中だった上司すらも呼び戻して、その日の午後10時から始まる報道番組にて、どの様に放送するかの緊急会議を開いた。

 ところが、もう1人は違った。もう一度、動画を再確認して見終わると、すぐさまTV放送の全てを司る放送調整室へ息を切らしながら全速力で走った。

 そして、今正に6時のニュース番組が始まる約3分前だったにも関わらず、その場に居る者達の反対を強引にねじ伏せて、スザクの告発を放送するのに踏み切った。

 

『実を言うと……。恥ずかしさのあまり、いっそ死のうかとも考えました。

 ……でも、死ねませんでした。

 だって、そうじゃないですか! どんな顔をして、父へ会いに行けばいいのか!

 いや、私が逝く先はきっと地獄……。父が九段に居るであろう事を考えたら、会いにすらも行けません』

 

 挙げ句の果て、政府から放送中止命令が届くのを予想して、内線電話のラインを切断。つっかい棒として、モップをドアノブに噛ませて、放送調整室への侵入を防いだ。

 それ等の遅延策に加えて、その者は放送調整室へ駆けてくる道中、廊下に立ち並ぶロッカーを幾つも倒しまくって、放送調整室へ至る道を塞いでいた。

 その結果、出入口のドアが力任せに壊されて開き、放送中止命令が放送調整室へ届いたのは、USBメモリー内の動画を最後まで放送しきった約6分後。放送調整室の面々が全てをやり遂げた達成感に沸いているところだった。

 

『ですが、そんな情けない私へこう言って励ましてくれた人が居ます。

 知らなかったとは言え、罪は罪。その烙印は二度と消せない。

 しかし、罪を知って尚、それを改めようとも、贖おうともしないのは明確な悪だ、と。

 だから、私は恥を承知で皆さんへ訴える事を決意しました。あとは皆さん次第です。

 もし、私の話に少しでも共感して貰えたのなら、彼の言葉にも耳を傾けてみて下さい。

 そう、これ等の隠された真実を教えてくれ、私の命を救ってくれた『ブラック』の言葉を!』

 

 この一件は当然の事ながら大問題となり、エリア11支局から本国にあるHiTV本社へと飛び火。

 小悪党共の思惑を打ち破った大悪党『ディートハルト・リート』は本国の役員会議に呼び出され、吊し上げの説教を喰らう事となる。

 だが、前代未聞の大スクープを独占したのも事実。役員会議の後、ディートハルトは会長と社長から密かに褒め称えられた。

 

 

 

「ほほう……。」

 

 スザクの告発が終わると、画面は暗闇に染まった。

 十数秒後、スポットライトが再び灯されて現れたのは、軍服を連想させる黒いジャケットを身に纏い、サングラスをかけた男女の若者達だった。

 その横一列に列んだ男女の若者達の前に立つ襟高な黒いマントを羽織った黒づくめ。先ほどのスザクの発言と立ち位置から、その黒づくめがブラックだとすぐに解ったが、その装いが先日の『ブラック騒動』とは違っていた。

 そう、ブラックを特徴付けていた例の仮面が中世の騎士兜風に変わっており、それに合わせてだろう。やはり特徴的だったベルトが無くなり、胸部はプロテクターからブレストプレートの甲冑に変わっていた。

 ルルーシュは感嘆の溜息を漏らす。その装いもそうだったが、最も目が惹かれる騎士兜風のフルフェイスマスク。その上げられたバイザー中心にさり気なく飾られた角のワンポントがルルーシュのセンスを特に擽った。

 

「ださっ……。」

「これ、格好良いと思っているんですかね?」

 

 ところが、ルルーシュの左右に座るアーニャとマリーカのブラックへ対する評価はとても厳しいものだった。

 ソレもその筈。マスクとブレストプレート、マントは西洋風でありながら、ブラックは服装は左腰に日本刀を差しての和装。どう考えても、それはちぐはぐな感が否めなかった。

 もっとも、そのちくはぐ感が素晴らしいとルルーシュは気に入ったのだが、残念ながらルルーシュはあの『ゼロ』を生み出した特殊なセンスの持ち主。アーニャとマリーカの反応が世間一般の反応であった。

 

「……えっ!?」

「「えっ!?」」

 

 ルルーシュは驚きに目を見開き、慌てて視線を左右に向ける。

 しかし、アーニャとマリーカから返ってきた反応は『どうしたんですか?』と言わんばかりの不思議顔。

 

「んんっ……。いや、済まない。何でもないんだ。続きを見よう」

 

 ルルーシュは返す言葉が見つからず、咳払いをして誤魔化した。

 

 

 

『神聖ブリタニア帝国、並びに日本の国民達へ告げる!

 我々の名はブラック・ナイツ! 悪に立ち向かう尖兵なり!』

 

 この瞬間、マリアンヌから『もしかしたら』と言われていたブラックの正体。ルルーシュはナナリーであると確信した。

 スザクが重要な部分に関わっている時点で根拠は十分すぎていたが、結成したレジスタンス組織の名前が『ブラック・ナイツ』という事実が加われば、ナナリー以外にブラックの正体は考えられない。

 ルルーシュが前の世界で結成したレジスタンス組織の名前は『黒の騎士団』であり、『ブラック・ナイツ』とは和名か、英名かの違い。もう完全に血の繋がりを感じるしかなかった。

 

『ブリタニア皇帝は言う! 弱肉強食こそ、唯一無二の正義だと!

 確かに間違ってはいない。強者によって、弱者が駆逐されるのは自然の摂理。

 それは国とて、同じ事。いつかは滅びるのが道理……。敗者は潔く勝者へ道を譲るべきであろう』

 

 ブラックの背後に列んでいる数人の男女にしても、サングラスをかけてはいるが、見覚えが有り過ぎた。

 なにしろ、ブラックの右隣に立つパーマの男と画面左端に立つ親友を自称していた男に関して、土壇場の土壇場で裏切られた苦い経験が有る。

 どの様な経緯があって、ナナリーと行動を共にする様になったのか。もしや、これが運命と呼ばれるものなのか。

 まるで自分が歩んできた歴史を外から見ている様な現実。いずれ、自分がそうだった様にあの時の辛さをナナリーもまた味わうのではなかろうか。ルルーシュは不安の疼きを感じずにはいられなかった。

 しかし、その一方でこうも考える。彼等の人となりは十分に良く知っており、それを利用して切り崩してゆくのは簡単だ、と。

 今更、歩み出した道を立ち止まるつもりは毛頭無いが、今度こそはナナリーと共に優しい世界を作ろう決意していたルルーシュである。自分の運命を呪うしかなかった。

 

『なら、この日本から抵抗が未だ消えぬのは何故か。それを私は日々考え続けた。

 日本復活の志を胸に抱きながら、戦いの業火に焼かれていった者達の事を……。

 そして、今もまた敢えて苦難の道を選び、その火中へ飛び入ろうと決意して続く若者達の事を……。』

 

 ふとアーニャがルルーシュの左腕へ腕を絡め、その身をルルーシュへ預け寄せる。

 長年、ルルーシュの看病を付き添った経験から、それと表していなくとも、アーニャはルルーシュの苦渋を何となく感じ取り、その行動を意識せずに自然と取っていた。

 そして、ルルーシュはアーニャから伝わってくる温もりが嬉しくも有り難かった。散り散りに乱れかけた心をニュートラルに戻して、ブラックへ意識を再び集中させる。

 

『決まっている! ブリタニアが悪だからだ! ブリタニア皇帝は弱肉強食の意味を履き違えている!

 自然界の動物達は必要以上の狩りはしない! 勿論、強者が弱者を一方的に嬲る様な事もだ!

 先ほど我が同志『枢木スザク』が告発した麻薬による侵略に至っては、悪魔の所業と言っても過言ではない! この悪を誰が否定できようか!』

 

 ブラックが被っている中世の騎士兜風のフルフェイスマスク。

 そのバイザーは上げられているが、スモークシールドが覗き窓の目線に張られており、ブラックの眼は見えない。

 だが、スモークシールド越しに感じ取れるほどの鋭く強い眼差し。ルルーシュはそこまで駆り立たせているナナリーの復讐心の理由が知りたかった。

 無論、皇帝である父親に捨てられたのだから、ブリタニアを憎む気持ちは解る。

 当時、6歳で単独という事実を考えたら、その苦労は自分が経験したもの以上だったのだろう事も解る。

 しかし、ルルーシュが解るのはそこまでだった。全ては勘違いだったとは言え、自分自身がブリタニアへ対する復讐を決定付けたモノ。アリエスの悲劇は防げた筈であり、母親であるマリアンヌは障害を負ったが生きており、ナナリーに至っては五体満足なのだから。

 その上、マリアンヌの話によると、ナナリーの憎しみはシャルルのみならず、母親のマリアンヌと兄の自分にも向けられているらしく、ルルーシュはもう何が何やら訳が解らなかった。

 

『省みよ! イレブンと蔑まれる家畜としての安寧よりも日本人としての誇りを! 何故、あの枢木ゲンブが割腹までして降伏を受け入れたかを!

 10年、我々は耐えた! もう十分だ! 最早、我らの中に躊躇いや諦めは何処にも無い!

 我らブラック・ナイツは悪の帝国『ブリタニア』へ反旗を掲げると共に……。今、この時を以て、宣戦を布告する! 

 日本人よ! まやかしの平和に惑わされてはならない! 今こそ、他の誰でもない自分自身の為に立ち上がるのだ! ……くだばれ! ブリタニア!」

 

 画面一杯に広げられたブリタニアの国旗を斬り裂き、日本刀を高々と掲げつつ元日本人達へ奮起を促すブラック。

 その様子に溜息を深々と漏らして、ルルーシュは思い悩む。どう考えても、楽しみにしていたナナリーとの再会は難しいと言わざるを得なかった。

 

 

 

「まずいな。これは……。」

 

 今現在、ルルーシュとアーニャ、マリーカの3人は皇族専用の航空機にて、エリア11へ移動中。

 その空の旅は皇族専用機だけあって、快適そのもの。窓の外の景色を除けば、機内は横長の豪華なスイートルームと言って良かった。

 唯一、窮屈だったのは離陸の際にシートベルトを締めて座った時のみだが、それも通常の旅客機で言ったら、ファーストクラスの広々とした一人掛けの椅子であった。

 それ以降は機内での行動が自由となり、ふかふかのソファーが置かれたリビング、キングサイズのベットがある寝室、足を伸ばせる風呂があるバスルームがあり、添乗員というよりは使用人のメイドが要望に応じて、食事やドリンクを用意してくれる至れり尽くせりの状態。

 無論、警備も万全。有事に備えて、航空機の前後左右を4機の戦闘機が常に随行していた。

 

「同感です。後半の宣戦布告だけなら、テロリスト共が何をおこがましいと単なる笑い話で済みましたが……。

 前半のリフレイン疑惑は危険です。真偽はどうあれ、その影響が全エリアへ広がると予想されます。

 また、それと合わさって、後半の宣戦布告にも意味が生まれ、各地でのテロ行為が活発化する可能性も有ります」

「実際のところ、どうなんだ? 軍によるリフレインの密売と言うのは?」

 

 ペンドラゴンの空港を出発したのが、午後4時。一旦、随行する戦闘機が交代する関係でホノルルへ寄り、飛行時間は約12時間。エリア11到着は翌日の午後8時の予定。

 ルルーシュは離陸が済むと、リビングのソファーでくつろぎながら映画2本を鑑賞した後、時差ボケを防ぐ為、既に日常となってしまった麻痺した感覚で当然の様にアーニャを風呂へ誘って、その後もこれまた当然の様にアーニャを寝室へ誘い、2人で一眠りについた。

 おかげで、ルルーシュへ仕えて、今日が第一日目のマリーカはビックリ仰天。もしかして、ルルーシュとアーニャはチョメチョメな関係なのかと想像してしまい、世界各地をラウンズの親衛隊として飛び回り、時差調整は慣れている筈が眠るに眠れなくなった。

 何故ならば、マリーカは26歳という女盛りの年齢でありながら、幼い頃から決められた婚約者も居たが、お互いが多忙な軍人である上に極めて奥手同士だった。

 つまり、その経験を未だ持っておらず、いずれはと言う憧れから一応の知識は仕入れて耳年増だった為、悶々としてしまうのも無理はなかった。

 しかし、眠れないマリーカが暇を持て余して、気を仕事で紛らわそうと、これから赴くエリア11をネットで調べた結果、恐らくは発動されるだろう箝口令によって、ネットから削除されるよりも早く、今先ほどまで視ていたスザクの告発から始まるブラック・ナイツ決起の動画を入手する事が出来たのだから大手柄と言えた。

 

「動画の彼が言っていた様な例は知りませんが……。

 小金稼ぎをする様な小さい例なら、割と良く有ります。

 ……と言うのも、実を言うと、リフレインは軍内部においては珍しい物では有りません。

 前線兵士なら、誰もが所持しているメディックキット。その中にある痛み止めを兼ねた高揚剤の正体がソレですから。

 但し、それはリフレインと呼ばれていませんし、その濃度もリフレインの1/10にも満たない薄められたもの。管理だって、厳しくされています」

「だが、存在する以上、十分に有り得るか」

「はい、残念ながら……。」

 

 ルルーシュはリモコンを手に取り、用が済んだリビングの100インチモニターの電源をオフ。

 マリーカと会話を交わしながら思案する傍らで思い知る。自分の考えを読み、それを助言してくれる参謀の有り難さを。

 前の世界で反逆を行っていた際、藤堂は戦術面において、ディートハルトは諜報面において、頼れる参謀だったが、双方共に戦略面に疎く、2人とも口を出してくる事は滅多に無かった。

 他の幹部の面々は代案を持たずに反対するだけであり、組織運営や外部交渉といった戦略面はルルーシュがほぼ1人で行い、常に余裕が欠けていた。

 あの頃、マリーカの様な戦略面で頼れる参謀が居たら、違った未来もあったのだろうかと考えるが、所詮は『もしも』の詮無き想像だと考えるのを途中で止めて、ルルーシュは今を満足して頷く。

 

「まあ、その辺りはシュナイゼル兄上の仕事だ。今の俺にどうする事も出来ん。

 だが、テロリストが活発化するだろう可能性を知っていながら、ただ黙っているのも心が痛む。

 先ほどの動画を貼付して、各エリアの総督へ警告だけでもしておくか。その返事で俺へ対する心象も解るしな」

「解りました。文面は私に任せて頂いても?」

「ああ、よろしく頼む」

「イエス・ユア・ハイネス」

 

 一方、マリーカもモニターとノートパソコンを繋いでいるラインを片付けながら満足していた。

 ようやく副官らしい仕事が出来て、ルルーシュと会話を重ねる度、その聡明さを改めて知り、前の主であるルキアーノとは違った魅力を持った仕え甲斐のある主だと胸を張って言えた。

 不意打ちを食らい、ルルーシュとアーニャの関係に驚いてしまったが、よくよく考えてみたら、主と騎士が異性同士の場合は良くある話。そうなのだと受け止めてしまえば、何の問題はない。

 

『機長より御連絡を致します。

 もう間もなく、エリア11ヨコハマ空港へ到着の予定に御座います。御座席の方へ戻り、シートベルトをお願い致します』

「やれやれ、ちょっとしたバカンスのつもりだったが、少し忙しくなりそうだな」

 

 そして、いよいよエリア11到着を告げるアナウンス。

 ルルーシュは気合いを入れる様に膝を両手で叩き、ソファーから勢い良く立ち上がった。

 

 

 



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第三章 第02話 もう1つのアリエス宮

 

 

 

「えっ!? これって……。」

 

 エレベーターのドアが開き、ドアの前に立っていたマリーカは反射行動で一歩前進。

 しかし、後続の邪魔になると知りながら、マリーカは驚きに目を見開き、二歩目を止めた。

 何故ならば、高速エレベーターに乗って、地上50階を超えるエリア11政庁の最上階フロアまで昇ってきた筈が目の前に広がったのは地上の景色。

 今、立っているエレベーター前の一角を除き、芝生の地面があって、垣根や木、草花までもが植えられており、エレベーターのドアが開いた際に聞こえた羽ばたき音から察するに鳥も居るらしい。

 そして、それ等以上に驚かされたのが、エレベーターから続く石畳の道の先に建てられた屋敷だった。

 

「噂に聞いてはいたが……。凄いな」

「……そっくり」

 

 マリーカが背後を思わず振り返ると、ルルーシュとアーニャもまた立ち止まり、目を驚愕にこれ以上なく見開いていた。

 ソレもその筈。その屋敷はアリエス宮に建てられている屋敷と瓜二つ。実際に住んでいたルルーシュとアーニャが見紛うほどであり、3人はつい1日前に旅立った筈の場所へまた戻ってきた様な錯覚を覚えて戸惑うしかなかった。

 

「わっはっはっはっ! 驚かれましたでしょう? 屋敷へ入ったら、もっと驚きますぞ?

 マリアンヌ皇妃様や枢機卿のお部屋は勿論の事、全ての内装がアリエス宮そのものと言って良い程です。

 いつか、このエリア11へ御二人が訪れた際、何の気兼ねもなく過ごして頂ける様にと、クロヴィス様がお造りになったのです」

 

 その3人の様子にしてやったりと喉の奥を見せて笑う軍服を着た恰幅の良い禿頭な中年男性。

 右眼に着けたモノクルが特徴的な彼の名前は『バトレー・アスプリウス』、エリア11総督であるクロヴィスに幼少の頃から仕えている守り役。

 エリア11におけるナンバー2『将軍』の地位に在り、クロヴィス不在時は政軍の全権代理人でもある。 

 だが、バトレーは技術畑、研究畑の出身。正直なところ、クロヴィスが施政者として三流なら、バトレーは二流。主従揃って、政治と軍事に関しては疎かった。

 

「そう言われると、何も言えなくなるが……。

 しかし、地上に造るならともかく、ビルのこの高さに造るとなったら、相当の苦労があったんじゃないのか?」

 

 ルルーシュが天井を見上げると、その高さは約3フロア分と言ったところ。感心半分、呆れ半分の溜息を漏らす。

 アリエス宮全域とまではいかないにしろ、屋敷を中心とした一区画を地上200メートルに建てた技術と熱意は敬意に値するが、これほど贅沢な無駄は無い。

 

「はい、実を言うと……。結構な金額が……。」

「駄目だろ。それは……。よく反対されなかったな?」

「無論、されました。

 ですが、クロヴィス様がどうしてもと言い張り、このフロア自体を最終的に買い取って、その建設費用も負担する事で解決しています。

 その為、このフロアは出資し合ったクロヴィス様とコーネリア殿下の御二人の個人資産となっており、維持費はクロヴィス様から賄われています」

 

 その点に関しては同意らしい。バトレーが痛いところを突かれたと言わんばかりに笑みを強張らせる。

 また、同時に新鮮な思いでもあった。このクロヴィスが居を構える空中庭園を褒め称えられる事はあっても、今まで苦言を言われた事は一度も無かった。

 そのルルーシュの清廉さは生来のものなのか。それとも、10年間に渡って眠り続け、外部からの影響を受けなかった世捨て人だった故のものなのか。

 どちらなのだろうと考えて、そんなルルーシュを好ましく思いながらも誤解があってはならないと、主たるクロヴィスのフォローは欠かさない。

 ここでマイナスのイメージをルルーシュに持たれて、クロヴィスが待ちに待ち望んだ10年ぶりの再会が澱むのは避けたかった。

 

「コーネリア姉上もなのか……。」

「はい、このエリア11はサクラダイトの最大産出地。

 その生産国会議出席の為、コーネリア殿下は来訪を度々なされますから、『私の部屋も作れ』と仰いまして」

「そうか。……って、どうした?」

 

 新たに加わった意外な名前に驚きながらも呆れを重ね、溜息を更に漏らすルルーシュ。

 そんなルルーシュへ隣に立つアーニャが軽く肘打ち。偽アリエス宮の屋敷玄関右脇にある窓を指さす。

 

「あそこ……。待っているみたい」

 

 釣られて、その指先へ視線を向けると、こちらの様子をソワソワと窺い、窓から顔半分だけを覗かせているクロヴィスが居た。

 その間抜けな姿に堪らず吹き出して、ルルーシュは屋敷へと歩き出す。

 

「ぷっ!? くっくっくっ……。どうやら、その様だな。

 これ以上、待たせては悪い。間違い探しは明日するとして、行くとするか」

 

 しかし、次に帰る時は全ての決着が着いてから。そう決別してきたアリエス宮の屋敷と前方の屋敷が酷似しているだけに奇妙な感覚は否めず、それはルルーシュに旅立ちの時を思い出させる要因として十分なものだった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「では、母上。行って参ります」

 

 当初、ルルーシュは旅立つに辺り、マリアンヌへ個人的な挨拶を特別に行ってゆくつもりは無かった。

 しかし、アーニャと使用人の老夫婦から何度も、何度も、どうしてもとせっつかれて根負け。マリアンヌの私室へ仕方なしに訪れていた。

 だが、マリアンヌの顔をいざ見たら、覚醒して以来ずっと抱えている様々な感情が胸中に湧き起こり、やっとの思いで出てきたのが、当たり前の別れの言葉だけだった。

 

「ええ……。行ってらっしゃい。

 貴方の事だから何の心配も要らないと思うけど、水と身体にだけは気を付けてね」

「はい、母上も御達者で……。」

 

 ルルーシュがどんな言葉をかけてくれるのか、胸を期待に膨らませていたマリアンヌ。

 その表情が陰り、声のトーンが哀しみと寂しさに満ちているのが解ったが、ルルーシュはやはりマリアンヌをどうしても許せないでいた。嗚咽を聞かれまいと口元を右手で抑えるマリアンヌを振り切って背を向ける。

 

「っ!?」

 

 ところが、ルルーシュは背を向けるなり、身体をビクッと震わせながら仰け反らせて、前進しかけていた右足を後ろへ下げた。

 何故ならば、開け放ったままの出入り口のドアの影。串団子の様に顔を縦に列べる使用人の老夫婦とアーニャが白い目を向けており、ルルーシュへ首を左右に振って、ダメ出しを出していたからである。

 なにしろ、ルルーシュがマリアンヌへかけた別れの言葉は素っ気なさ過ぎる上、2人が向き合っていた時間はたったの十数秒。アーニャと使用人の老夫婦の3人がごねるルルーシュを説得に要した苦労を考えると、その対価としては低すぎた。

 3人はプライベートな親子関係の問題故におこがましいとは考えていたが、ルルーシュが覚醒して以来ずっとマリアンヌへ対して貫いている冷たい態度。それを完全に改めろとまでは言わないにしろ、少しくらい暖かい言葉をマリアンヌへかけて欲しかった。

 ましてや、最低でも1年の旅に出ると言うのだから尚更。10年間、マリアンヌもまたルルーシュが目を醒ますのを待っていたのを知っている3人としては譲れない一線だった。

 

「そうだ……。そう言えば、この話を教えるのを忘れていました」

「な、何かしらっ!?」

 

 ルルーシュは溜息をやれやれと漏らして、一歩進む毎に強まる視線を感じながらもドアへと歩み寄る。

 但し、部屋は出ない。三対の視線を遮る様にドアを閉めると、今までの態度を少し反省して、マリアンヌへ背を向けたまま話しかけた。

 

「俺の知っているナナリーはギアスを自力で破りましたよ。

 俺と敵対した時、どんなあくどい顔を俺がしているのかを見たい一心でね」

「……えっ!?」

 

 もうルルーシュが部屋を出て行くとばかり思っていたマリアンヌは驚き、その言葉に驚きを更に重ねる。

 信じられなかった。とにかく好奇心を満たす為、我が子すら実験台のモルモットとして、どんな非合法も平気で行っていた時代、ギアスの解除はマリアンヌも試みたテーマだったが、それが可能となる術はついに見つからなかった。

 だが、実例が存在するなら、それはギアスの解除が決して不可能ではないと言う何よりもの証拠。マリアンヌの心に諦めていたルルーシュの成長した姿をこの目で見たいと言う願望が湧き上がってくる。

 

「つまり、ギアスは絶対じゃない。

 瞬間的なモノは難しいかも知れない。だが、永続的なモノは強い意思次第で解けるんですよ」

「ル、ルルーシュっ!?」

「ギアスの件、詫びるつもりは有りません。

 だが、貴女も目が見えなくなったおかげで、見えてきたモノがある筈だ。

 そして、ここまで言えば、あとはどうしたら良いのかも解る筈……。それが答えです」

「ううっ……。ありがとう。うっううっ……。」

 

 思わず目を試しに開けてみるが、やはり何も変わらない。目の前に広がっているのは相変わらずの暗闇のみ。

 しかし、確かな希望の光が心の暗闇に差しているのを感じ、感極まったマリアンヌは涙を止めどなく零しながら嗚咽を漏らす。

 

「では、次に会う時は目が開いている事を期待しています」

 

 ルルーシュは振り返りたい衝動に耐えながら、少しの反省のつもりが、甘さまで出てしまった自分自身に小さく舌打ち、ドアノブへ右手を伸ばした。

 

 

 

 ******

 

 

 

「チェックメイト」

「待った! その手、待った!」

「またですか? もう5度目ですよ?」

 

 エリア11での最初の夜が明けて、ルルーシュ一行は移動疲れを癒す為、2日目は完全な休日とした。

 それと言うのも、アーニャとマリーカが完全な時差ボケ。今ひとつ、昨夜は眠れなかったらしく、朝食後暫くして、寝室へ再び戻っている。

 余談だが、ルルーシュ一行は政庁近くのホテルに一週間の滞在予約を行っていたのだが、クロヴィスからの強い希望があって、この偽アリエス宮に滞在先を変更している。

 基本的にお忍びでのエリア11訪問である為、この偽アリエス宮なら警備などに気を使う必要がなく、無駄な出費も抑える事が出来たからである。

 

「ルルーシュ、頼むよ! この通り、これが本当に最後だ!」

「はぁ~~……。これが最後ですよ?

 では、詰む7手前まで戻しますから、何が悪かったかを今度はちゃんと考えて下さいね」

 

 但し、その代償として、ルルーシュが眠っていた10年間分のスキンシップを埋めようと張り切るクロヴィスの相手が必要だった。

 昨夜とて、身内だけで行った歓迎会にて、クロヴィスははしゃぎまくり。その後、兄弟水入らずで風呂へ入ろうと、ルルーシュとアーニャが入浴している最中に乱入。当然、大騒ぎとなった。

 今朝は今朝で無駄に早起きをして、朝食が済むや否や、クロヴィスは子供の頃に負け続けていたチェスの雪辱を果たさんと対戦をルルーシュへ申し込んできた。

 ルルーシュとしては昨夜のスザクとブラックの騒動の結果が気になっており、本音を言ったら、チェスなど行う気分では無かったが、これも宿賃の内と諦めて、クロヴィスの相手をしていた。

 

「うぇっ!? ……7手前? そんな前から?

 おかしいなぁ~~……。これでも随分と強くなったつもりなのに、ルルーシュはもっと強くなっているじゃないか」

「まあ、起きてからは暇でしたからね。うちの執事と打っていたんですよ」

 

 ところが、対戦を意気揚々と申し込んできた割にクロヴィスのチェスの腕前は、ルルーシュから見たらヘボ同然。

 しかも、何度も『待った』をした挙げ句、負けても負けても食い下がり、この対戦が既に5戦目。さすがのルルーシュもうんざりと飽き始めていた。

 今居る応接室の暖炉の上に置かれた時計を見ると、現在の時刻は午前10時50分過ぎ。かれこれ、チェスを始めてから4時間近くが経過している事となる。

 

「へぇ~~……。あの執事、そんなに強かったのか。

 ちっとも知らなかったよ。知っていれば、教えを請いたのに……。ええっと、あそこがああなるから、そうなって……。」

 

 詰まるところ、ルルーシュは暇を持て余していた。

 それ故、クロヴィスが長考に入ったのを幸いとして、ルルーシュはソファーから立ち上がった。

 仕切りの窓を開けて、2階ベランダへ出ると、そこは地上50階と思えないほど清々しさに満ち、草木は湿り気を帯びて青々としていた。

 

「そう言えば、済まないねぇ~~……。」

「何がです?」

「本来なら、エリア11の貴族達を集めて、君の歓迎会を予定していたのに……。

 アッシュフォード老なんて、ルルーシュがエリア11へ来ると知って、それはもう嬉しそうにしていたんだよ」

 

 この偽アリエス宮は空調が地上一階と同期されており、驚くべき事に雨が降る。

 種明かしをすると、朝夕の2回、決められた時間に5分間。庭の草木に水を供給する為、天井のスプリンクラーが解放されているだけなのだが、それを今朝ほど目の当たりにした時、ルルーシュがやや間を空けて驚いたのは言うまでもない。

 

「アッシュフォードに関しては、母上からも色々と聞いています。

 今日はアーニャがあの通りですから、明日にでも挨拶に行こうかと思っています」

 

 ルルーシュは周囲を見渡しながらしみじみと思う。ここは本当にアリエス宮そのもの、それも今のアリエス宮ではなく、10年前のアリエス宮だ、と。

 今のアリエス宮は使用人がアーニャと老夫婦の3人だった為に手が足りないのか、花が植えられているのは、ルルーシュとマリアンヌの部屋に面している庭のみ。

 だが、ここは芸術家のクロヴィスらしい色分けされた配置で10年前の様に色とりどりの花が咲き誇り、どの季節も目が楽しめる様になっていた。

 その事実を一つ取っても、クロヴィスが10年前に自分達と過ごしていた一時を大事に、大切に思っているかが良く解る。

 今、対戦しているチェスとて、そうだった。明らかにクロヴィスは勝敗に拘っていない。負けても悔しさをまるで見せず、ルルーシュとチェスを対戦する事自体に喜びを感じている様に見えた。

 

「うん、そうした方が良い。

 苦しい時こそ、味方となってくれる者は本当の味方だよ。

 ルルーシュも聞いているだろ? 父上の心変わりを……。

 だけど、あの老人は変わらずにヴィ家へ尽くしてくれていた。大事にした方が良いよ」

「ええ、勿論です」

 

 だからこそ、そのクロヴィスの言葉はルルーシュの胸へグサリと突き刺さった。

 背後を振り返ってみると、クロヴィスは腕を組みながら皺を眉間に寄せて、次の一手を必死に未だ考えており、それが掛け値のない本音であったのが見て取れる。

 そんなクロヴィスの姿にルルーシュはやはりと考える。クロヴィスは野心をそれなりに持っている様だが、基本的に善性の人である、と。

 今朝、この屋敷を歩いて回ったが、各所に飾られていたクロヴィス製作の絵画や彫刻は身内の贔屓目を除いたとしても素晴らしいものだった。

 本来なら、芸術家や評論家などが集うサロンを開き、芸術を活発化させて広めたり、後世へ残したりする文化的な役目の方が施政者よりもよっぽど似合っている。

 また、ここ数年のエリア11の状況を覚醒後に調べてみたが、ルルーシュが知っているエリア11に比べて、この世界のクロヴィスの統治は明らかに穏やか。

 クロヴィスがエリア11総督に就任してから約6年になるが、最初の3年こそ、衝動的と言える苛烈な軍事行動をイレブンへ対して何度も行っているが、その後の3年はそれが不思議と止んでおり、イレブンの取り締まりは部下達へ一任している様子だった。

 実際、ヨコハマ空港からエリア11政庁までの道中、ルルーシュが見たゲットーの姿は記憶のソレと比べて、その荒廃度は段違いと言えた。

 それ等を踏まえると、クロヴィスもまた『アリエスの悲劇』によって、その生き方に影響を与えられた一人としか思えず、ルルーシュはそこまで考えが至り、複雑な心境に陥る。

 そう、当時は知る由もない勘違いだったとは言え、ブリタニアへ対する復讐心に駆られるあまり、クロヴィスを殺めてしまったのは他ならぬルルーシュ自身。その歩んできた道に後悔は今更無いが、与えられたチャンスを前に誤りは正す必要があると戒める。

 

「それにしても、忌々しいのは『ブラック』とか言う輩だ!

 一度ならず、二度までも! しかも、よりにもよって、ルルーシュが来ている時に!」

「その件に関してですが……。兄上さえよろしければ、少し手伝いましょうか?」

「……えっ!?」

 

 だからか、ようやく次の一手を指して、憎々し気に吐き捨てたクロヴィスの苦悩に対して、ルルーシュは協力を自然と申し出た。

 無論、とある思惑も含んでいる。ルルーシュとしても、この時点でクロヴィスが脱落してしまうのは都合が悪かった。

 

「何か功績をはっきりと目に見える形で……。

 それも早急に挙げなければ、兄上の立場は悪くなる一方です。

 それこそ、エリア11総督の地位を奪われる可能性も十分に有り得る。……違いますか?」

「そ、それはそうだが……。

 し、しかし、次はシュナイゼル兄上の所へ行く予定なんだろ? だ、第一、病み上がりじゃないか?」

 

 クロヴィスは思わずソファーを蹴って立ち上がり、ビックリ仰天。

 約10年間を眠り続けていたルルーシュである。正直、役に立つとは思えなかったが、そのルルーシュの泰然自若とした姿は期待を不思議と抱かせるモノが十分にあった。

 

「苦しい時こそ、味方となってくれる者は本当の味方……。今、そう言ったのは他ならぬ兄上自身ではありませんか?

 母上やアーニャから聞いていますよ。この10年、兄上も俺達の為に尽くしてくれたとか。……だったら、恩返しをさせて下さい」

「ありがとう! 是非、頼むよ! ルルーシュが手伝ってくれるなら、百人力だ!」

 

 しかし、クロヴィスはそれ以上にただただ嬉しかった。

 例え、どんな結果となっても構わない。ルルーシュに経験を積ませてやろうと決意する。

 どの道、テロリスト共の捜査を行う為、自分が陣頭指揮に立ったところで煙たがれるだけ。大した成果が挙がらないのは目に見えている。クロヴィスは自身が施政者としての才能に乏しい事をとっくに自覚していた。

 総督就任当初、意気込み過ぎて空回りを繰り返した結果、官僚達は次第に自分を蔑ろにし始めて、今では完全なお飾り。サインを書類に書くだけの毎日であり、自由な裁量を持っているのは文化、芸術の利権に乏しい方面のみ。

 唯一の味方は幼少の頃から仕えてくれているバトレーだけであり、そんな状態でもエリア11総督の地位を手放そうとはしないのはある一念からだった。

 だから、クロヴィスはルルーシュの申し出が嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて、涙が零れそうになるが、兄としての矜持がソレを必死に堪えさせる。

 

「フフ、ご期待に添えられれば、良いのですが……。はい、チェックメイト」

「うぇぇっ!? ……待ったっ!? その手、待ったっ!?」

「いいえ、もう駄目です。勝負は勝負、恩は恩、その辺りの線引きはきちんとせねばなりません」

 

 ところが、次の瞬間。ルルーシュが立ったままチェス盤を一瞥。思考時間ゼロのノータイムで痛烈な一撃を放ち、堪えるまでもなくクロヴィスの涙は勝手に引っ込む。

 この日、クロヴィスの戦績は0勝10敗。勝負において、やはりルルーシュは何処までも容赦なく厳しかった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ルルーシュ様ああああああああああああああああああああっ!?」

 

 今のジェレミアを言葉で表すなら、一心不乱。その一言に尽きた。

 当然である。その道の権威である幾人もの医師達が匙を投げたルルーシュが覚醒を遂に果たしたのだから、興奮するなと言うのが無理と言うもの。

 

「ルルーシュ様っ!? ルルーシュ様っ!? ルルーシュ様っ!?

 ルルーシュ様ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~っ!?」

 

 ジェレミアは駆ける。全速力で駆ける。心の奥底から次々と湧き上がってくる喜びが力を与え、持て余した喜びに吠えながら疲れ知らずに駆ける。

 脇目は振らない。見据えるはただ前方のみ。何かが背後で呼びかけていたが、その声はジェレミアの耳へ届かない。とにかく、駆けて、駆けて、駆けまくる。

 

「このジェレミア・ゴッドバルト! 今日という日をどれだけ待ち望んだ事か!

 ルルーシュ様が御快気なされたと聞き、勝手ながら推参を致しました! おめでとう御座いまあああああぁぁぁぁぁぁす!」

 

 いよいよアリエス宮が見えると、その速度は一段と増した。

 突如、ジェレミアの前に何かが幾つも立ち塞がるが、今のジェレミアは例えるなら人間ダンプカー。ジェレミアを止められるモノは何人たりとも居らず、その何か達は次々と吹き飛ばされてしまう。

 そして、遂にアリエス宮の屋敷の玄関扉が目の前に迫り、ジェレミアは緊急停止。その剛腕を以て、吹き抜けの玄関ホールに合わせて作られた巨大な扉をモノともせず、喜びを雄叫びに変えながら左右に勢い良く開け放つ。

 

「えっ!?」

「えっ!?」

 

 ところが、ジェレミアを出迎えたのは見知らぬメイドの一団。

 しかも、玄関ホールに半円を描いて列び、抜き放った剣の切っ先をジェレミアへ揃って向けていた。

 だが、ジェレミアが何よりも驚いたのはメイド達の中心。玄関ホール階段を背に立つ黒髪の三つ編みを腰まで垂らす眼鏡の少女であり、その少女もまたジェレミア同様に驚き、目を見開いて固まった。

 

「ぬおっ!? リリーシャっ!? 何故、お前がここに居るっ!?」

「何故って……。お兄ちゃん、知らないの?」

 

 彼女の名前は『リリーシャ・ゴットバルト』、その姓名から解る通り、ジェレミアの妹。今年、ハイスクルールを卒業したばかりの18歳。

 それはジェレミアがマリアンヌへ傾倒するあまり、ゴットバルト家より勘当された結果、数年ぶりとなる兄妹の再会だったが、今だけはタイミングが悪かった。

 

「ぐえっ!?」

「捕まえたぞ! 取り押さえろ!」

「何をするか! 私を誰だと思っている! 離さぬか!」

「こいつ、手強いぞ! 応援を呼べ!」

「……と言うか、お前等は何者だ! ここを何処だと心得ている!」

 

 いきなり腰にタックルを背後から喰らい、床へ叩き付け伏せられるジェレミア。

 その上、間一髪を入れず、屈強な男達がジェレミアの上にあれよあれよとのし掛かり、ジェレミアが身体を懸命に藻掻かせる。

 だが、所詮は多勢に無勢。数人ががりで取り押さえられてはさすがのジェレミアも勝てず、襟首を抑えられながら床を屈辱に舐めさせられる。

 

「皇妃様、いけません! 今、不審者が侵入したとの報告が!」

「あら、誰かと思ったけど、やっぱりジェレミアじゃない?

 一体、どうしたの? 随分と早い帰国だけど……。何か、忘れ物?」 

 

 そんな玄関ホールの騒ぎを聞き付けて、電動車椅子に乗ったマリアンヌがホール階段の上に現れ、そののほほんとした口調に緊迫していた玄関ホールの空気が一気に弛緩する。

 そう、既にお気づきかも知れないが、ここは本国帝都に在る本物のアリエス宮。今、ルルーシュ一行が滞在しているエリア11政庁の最上階フロアに在る空中庭園の偽アリエス宮とは違った。

 ちなみに、この場に居るメイド達も、ジェレミアを取り押さえている警備員達も、アリエス宮の新たな使用人達である。

 あのルルーシュとシャルルの謁見の後、アッシュフォード家、アールストレイム家、ゴットバルト家の御三家は見事なほどに掌返し。

 その日の内にマリアンヌとの面談を行い、昨日まで半ば放置していたマリアンヌへ絶対の忠誠を誓うと共に資金提供を約束。翌日には競い合う様に使用人達をアリエス宮へ送り込んできた。

 ジェレミアの妹『リリーシャ』もその中の1人であり、来月から士官学校へ通う予定だったが、家命とあっては断れず、その日からマリアンヌ付きの筆頭侍女としてアリエス宮に勤めていた。

 それ等の事情を全く知らないジェレミアは様変わりした賑やかなアリエス宮に戸惑うばかりだったが、更なる衝撃の事実がマリアンヌから告げられる。

 

「マリアンヌ様、何を仰います! 

 ルルーシュ様がお目覚めになられたのですから、その慶事を祝うのは当然の事! このジェレミア・ゴッドバルト、エリア11から飛んで参りました!」

「そう、ありがとう。いつもながら、貴方の忠誠は嬉しいわ。

 でも、聞いていないの? ルルーシュなら、貴方達へ会いにエリア11へ向かったわよ?」

「え゛っ!? ……い、今、何と?」

 

 ジェレミアは驚きを通り越して、茫然と目が点。我が耳を疑い、思わずマリアンヌへ聞き返す。

 余談だが、ジェレミアの現在の役職は市ヶ谷即応軍司令部基地司令代理。その日々の職務は多忙を極める。

 しかし、ジェレミアはマリアンヌへ今訴えた通り、10年ぶりの覚醒を果たしたルルーシュへ祝いの言葉を是非とも伝えたかった。それも直接会ってである。

 それ故、ジェレミアは有給を取る為の努力を行った。ルルーシュが覚醒した喜びから来るナチュラルハイを頼りにして、3日間を不眠不休で働き詰めるという死に物狂いの努力を行った。

 その結果、1週間分の仕事を済ませる事に成功。有給休暇と通常の休日を合わせて、5連休を勝ち取り、ジェレミアは祝杯を挙げる事なく、このペンドラゴンへ間を置かずに旅立っていた。

 つまり、悪気は無いとは言え、マリアンヌの言葉はジェレミアの苦労の数々を全て否定するもの。ジェレミアが茫然となってしまうのも無理はない話。

 一応、補足すると、ルルーシュがエリア11へ訪問するという知らせがジェレミアへ届いていなかったのかと言えば、それは違う。

 キューエルとヴィレッタが二度、三度と伝えていたのだが、ナチュラルハイとなっていたジェレミアの耳へ届いていなかっただけである。

 

「だから、ルルーシュはエリア11へ向かったの。昨日ね」

「な、何ですとぉぉぉぉぉ~~~~~~っ!?」

「「「「「のわっ!?」」」」」

 

 今一度、マリアンヌから告げられる衝撃の事実。

 その瞬間、ジェレミアは火事場の馬鹿力を発揮。のし掛かっていた数人の警備員達を跳ね除けて立ち上がると、即座に回れ右。アリエス宮から駆け出て行く。

 エリア11のヨコハマ空港で購入してきた土産『ぴよこ饅頭』24個入りの紙袋を先ほどまで押さえ付けられていた場所に残して。

 

「マリアンヌ様、それはお土産に御座います! 皆でお召し上がり下さい!

 ルルーシュ様ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 こうして、ペンドラゴンでの滞在時間、約2時間。ジェレミアはペンドラゴン空港とアリエス宮の往復だけをして、エリア11へとんぼ返りした。

 

 

 



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第三章 第03話 10年愛

2014.05.29 追記

第三章第03話にて、ミレイの過去設定に関する一文を修正しました。


 

『本日は全ての授業をキャンセルして、剣術大会を執り行う。

 各クラス、男女4名づつの代表を午後までに選出せよ。尚、選出方法は各クラスに一任。大会開始は午後12時からとする』

 

 2時間目の授業中、学園理事長『ルーベン・アッシュフォード』によって、それは唐突にアッシュフォード学園高等部の生徒達へ告げられた。

 当然の事ながら、生徒達は戸惑い、教師達はもっと戸惑った。その様なイベントがあると今朝の職員会議の段階で伝えられていなかったからである。

 だが、間もなくして、高等部校舎の玄関前にある中庭に小高いステージが作られて、赤いカーペットが貼られた中央にいかにもな貴賓席が置かれると、生徒達と教師達の間に様々な憶測が飛び交った。

 

『本国から相当のVIPが視察に来るのではなかろうか?

 それこそ、皇族、大貴族の可能性がある。あの理事長がここまで強引に事を運ぶのだから……。』

 

 その中でも特に有力視されたのが、これである。

 そして、それは正鵠を得ていた。そのVIPは大会開始の10分前にアッシュフォード学園高等部へ到着。

 ルーベンを先導にして、ミレイがVIPの隣に列んで立ち、帯剣した少女が一歩遅れて付き従う姿を目の当たりにして、誰もが驚愕した。

 なにしろ、ルーベンは隠居したとは言え、このアッシュフォード学園という街を牛耳り、エリア11の政治に関与するほどの力を持つ人物。

 孫のミレイとて、歳こそは20歳と若いが、常日頃からルーベンの業務に携わり、その後継者と既に幅広く知られて、政財界に影響を持ち始めている。

 そのルーベンとミレイがエスコート役を担い、特設されたステージでも椅子に座らず、VIPの左右傍らに立ち控えたのだから、その事実を以てしてもVIPの地位の高さが伺い知れた。

 また、VIPの背後に立つ少女は軍服を着ていないにも関わらず、帯剣を許されているのは選任騎士の証であり、選任騎士を持つ者は皇族か、よっぽど高位の貴族しか居ない。

 それだけに剣の腕に覚えがあり、剣術大会へ出場した者達はある期待を胸に抱いて、大会を盛り上げてゆく。これは新たな選任騎士を選ぶ為の剣術大会に違いない、と。

 

 

 

 ******

 

 

 

「それまで! 赤!」

 

 その瞬間、金髪碧眼の少年『ルキウス・カストゥス』は突きを放った体勢のまま、主審を務める体育教師が掲げた赤旗を眺めて、万感の思いに浸った。

 彼は剣の才能が自身に有ると知っており、その才能を腐らせない為、幼い頃より日々の鍛錬を欠かさず行っていたが、それはほぼ惰性。もうずっと剣に興味を持てずにいた。

 だが、それを初めて後悔した。何故、もっと真面目に日々の鍛錬を行っていなかったのか。試合を重ねる毎、次第に重くなってゆく剣を必死に振って、初めて勝利を貪欲に求めて戦った。

 しかも、今日の大会で採用されたルールはフェンシングのスポーツルールでは無い。その一歩先にあるブリタニアの正式な決闘ルール。   

 盾の所持は自由。ショートソード、ロングソード、ツーハンドソード、レイピアの4種類の模擬剣の中から1本を選び、定められた円の中でたった一回の先取勝利を奪い合うもの。

 刃引きされている模擬剣とは言え、危険は有る。一歩間違えば、大怪我の可能性も十分に有ったが、ルキウスは恐怖をねじ伏せて果敢に戦い抜き、遂に男子の部における優勝を掴み取った。

 

「優勝は3年D組、ルキウス・カストゥス!」

 

 その努力を讃えて、主審がルキウスの優勝宣言をすると共に割れんばかりの歓声と拍手が湧き起こる。

 ルキウスはレイピアを鞘へ戻して、疲労感と達成感からくる溜息をつくと、戦いの最中に乱れた長髪の髪を掻き上げて直した。

 学園ランキングの1位、2位を争う容姿端麗なルキウスである。その仕草は貴公子然として様になっており、たちまち女子生徒達から黄色い悲鳴があがる。

 普段のルキウスなら、女生徒達へ手を軽く上げて応え、愛想笑いの一つもしたが、今のルキウスの耳に彼女等の声は残念ながら届いていなかった。

 何故ならば、今日のルキウスの熱意は全てがこの時の為にあった。大会主催のルーベンより名前が呼ばれ、ルキウスは胸をドキリと高鳴らせる。

 

「ルキウス・カストゥス、前へ!」

「はっ!」

 

 この大会が開催された理由が色々と噂されていたが、ルキウスはどうでも良かった。

 姿勢を正して、ステージへ歩み寄ると共に席を立ち上がったVIPと目が必然的に合い、改めて思う。あまりに美しい、と。

 まるで濡れた様に輝き、癖無く腰まで伸びた黒い髪。冷たさを感じさせながらも妖しく光るエメラルドの瞳。抱き締めたら、すぐに折れてしまいそうな細い腰。何もかも目を奪われた。

 残念ながら胸だけは薄かったが、髪の両サイドに白いリボンを飾り付けて、紫色を基調としたドレスに身を包んだ姿は気高き薔薇。不用意に近づいたら、その刺に刺されそうだった。

 それでも、ルキウスは一歩でも近づきたかった。彼女の目の前に立ち、一時でも良いから、その視線を独占したかった。要するに一目惚れである。

 

「エリア3、カストゥス子爵が三男。ルキウスと申します。

 もし許されるのであれば、その御尊名をお教え願えませんでしょうか?」

 

 ルキウスはステージへ上がり、VIPの二歩手前で片跪くと、頭を垂れた。

 本音を言えば、もう一歩近づきたかったが、彼女から滲み出ている気品の高さに自然と片跪き、それ以上は近づけなかった。

 だが、逸る恋心がルキウスを突き動かす。この出会いを次の出会いに繋げたいという強い願いから、許しが出ていないにも関わらず、その想いが口をついて出た。

 そう、この段階に至って、VIPである彼女の名前は未だ明かされていなかった。

 

「無礼ですよ。……察しなさい。

 この御方はやんごとなき御方。今、このエリア11が騒がしくなっている以上、その存在を知られる訳にいかないのです。

 今日の視察とて、本来なら中止するところ。それを御厚意に甘えて、来て頂いたのですから……。

 皆さんもよろしいですね! 大会開始前にも言った通り、隠し撮りは一切許しません!

 もし、ネットに流失した場合、アッシュフォードの名に賭けて、その不届き者を最後まで追いつめます! その場合、不敬罪の適応も有り得ますから、その覚悟でいて下さい!」

 

 しかし、その願いは届かない。VIPに代わり、ミレイが一歩前進して、ルキウスを戒めると、会場全体をグルリと見渡しながら声を張り、アッシュフォード学園高等部の生徒達もきつく戒めた。

 その言葉によって、ますますVIPが皇族か、高位貴族である噂の信憑性がより増し、生徒達がヒソヒソと囁き合うが、ルキウスにとって、そんな事はどうでも良かった。胸中にあるのは落胆であり、無念。垂れ続けている頭の下で奥歯を悔しさに噛み締める。

 

「ルキウス・カストゥスよ。実に見事な剣だった。

 お前が弛まぬ努力を続けるなら、また相見える事もあるだろう。

 その時の為、お前の名をこの胸に刻んでおこう。……さあ、褒美だ。受け取れ」

 

 そんなルキウスの頭上から天上の調べが舞い降りる。

 それは女性の声としては低く、女性の言葉としては勇ましかったが、ルキウスの空虚となった胸を喜びで満たした。

 この瞬間、ルキウスは決意する。卒業後の進路を迷っていたが、彼女が居るだろう高みへ一歩でも近づく為、剣の才能を最も生かせる軍人になろう、と。

 

「有り難き幸せ! このルキウス・カストゥス、必ずや御身の前に再び参上する事を誓います!」

 

 ルキウスは滂沱の涙を流して、感激のあまり出てこない声を懸命に振り絞り、頭を更に深々と垂れながら両手を恭しく差し出して、彼女が差し出す剣を受け取った。

 

 

 

「おい、どうしたんだ? あいつ、泣いているぞ?

 この大会は学園内限定のもので……。何の権威も無かったんじゃないのか?」

 

 拍手が溢れる中、ルキウスがステージより去り、VIPは貴賓席に座り戻る。

 今一度、ルキウスへ視線を向けると、仲間達に囲まれながら今も泣いており、その心がどうしても解らず、右隣に立つミレイへ助言を求める。

 

「ウフフ……。当然ですよ。

 恐らく、生徒達は殿下を皇族か、高位貴族かと噂しているでしょうからね。

 なら、その殿下の前で優勝を修めたのですから、これほど名誉な事は有りません。

 付け加えるなら、殿下は彼の名前を憶えておくとまで言いました。だったら、尚更というものです」

 

 ルキウスがVIPへ恋心を抱いているのは誰の目にも明らか。

 ところが、VIPはソレが解らないらしい。ミレイは頬がニヤニヤと緩みそうになるのを懸命に堪えながら、真実を半分だけ告げる。

 何故ならば、その方が色々と面白そうだから。VIPを間に挟んだ反対側にて、ルーベンが睨み付けて窘めていたが、ミレイは嘘は言っていないと気にしない。

 

「そういうモノなのか? どうも違う様な?」

「ほら、また足が開いていますよ。はしたないから閉じて下さい」

「おおうっ……。」

 

 納得が今ひとついかないVIPだったが、ミレイの奸計が炸裂。男らしく開き座っていた両脚を慌てて閉じ、気を逸らされてしまう。

 だが、女らしさを強いられた結果、今度は別の疑問が湧き起こり、VIPは自分自身の姿を見下ろして、溜息を深々と漏らした。

 

「なあ、今更だが……。

 本当にここまでする必要があったのか? もっと別の方法が有ったんじゃないのか?」

 

 そう、既にお気づきかも知れないが、このルキウスを虜にしたVIPの正体はカラーコンタクトを着けて女装したルルーシュである。

 カラーコンタクトはともかくとして、ルルーシュが何故に女装をしているかと言えば、次のミレイの言葉が全てを物語っていた。

 

「何度も言いましたが、ナナリー様は殿下とマリアンヌ様を……。その……。

 ですが、どうしてもお会いになりたい。そう仰ったのは殿下御自身に御座います。

 でしたら、多少の我慢をして頂かなくては……。

 しかも、マリアンヌ様の剣をナナリー様へ御自身で手渡したいとなったら、この方法しか無いと断言を致します」

 

 ルルーシュは口を『へ』の字に結び、何も言い返せずに口籠もるしかなかった。

 旅立ちに辺り、ルルーシュはどうしてもとマリアンヌから涙ながらに頼まれたものがあった。

 それはマリアンヌが現役時代に使用していた愛剣。アーニャへ授けたモノと対になっている1本をナナリーへ手渡して欲しいと言う超難題。

 この超難題をルルーシュは今朝に至るまで何度も頭を悩ませたが、解答はまるで見えず、ミレイから剣術大会の開き、その優勝商品とする提案が出された時は『それだ』と飛びついた。

 こちらの目論見通り、ナナリーが無事に優勝する事が出来るかという不安はあったが、その点はルーベンが太鼓判を押した。

 しかし、それに付随して行った女装に関しては未だ納得しきれていなかった。お祭り好きのミレイの悪い癖が出たと半ば呆れながらも一旦は呆れたが、時間が経てば経つほどに後悔ばかりが沸いていた。

 

「殿下は御自身がどれだけ有名人なのかをご存じない。並の変装をしたところで誰かしらが必ず気付きます。

 そうなったら、もうお終いです。たちどころに話題となり、それをナナリー様が知ったら……。

 恐らく、わざと負けるか、何らかの理由を付けての不戦敗。マリアンヌ様の剣を渡せる機会は二度と訪れないかも知れません。

 ですから、女装です。これなら欠片も疑いは持たれません。

 幸いにして、殿下は女の私が羨むほどの美貌の持ち主。ドレスも良くお似合いです。ナナリー様だって、絶対に気付きやしませんよ」

 

 その苦悩がルルーシュの顔に表れ、ミレイは今すぐ腹を抱えて笑いたいのを堪えて、ここぞと叩き込む。

 実際、ナナリーは気付いていなかった。ルルーシュを頻りに何度も見ては首を傾げていたが、その度、あの厳しい父にも認められている優秀な兄が特殊な性癖を持っている筈が無いと、自分の有り得ない勘違いに苦笑していた。

 

「それなら、良いんだが……。」

 

 だが、ルルーシュの気分は曇りっぱなし。閉じていた脚を組み、皺を眉間に寄せて、口元を開いた羽根扇子で隠しながら再び深い溜息をつく。

 ルルーシュは知らない。ルルーシュが物憂いそうにすればするほど、その何気無い仕草の一つ、一つに妙な色気が漂い、もう誰一人として、ルルーシュを女性だと疑っておらず、男子生徒達と一部の女子生徒達を悶えさせているのを知らない。

 

「それまで! 白!」

「優勝は1年B組、ナナリー・ランペルージ!」

 

 そうこうしている内に女子の部の決勝戦があっさりと終わる。

 試合開始早々、いきなり喉元へ突きを放ってきた対戦相手の剣先に剣先を合わせて巻き取り弾き、ナナリーがつんのめって体勢を崩した対戦相手の後頭部へ剣を振り下ろしての決着。

 つまり、ナナリーは試合開始から試合終了まで一歩も動いておらず、対戦相手に合わせて振り向いただけ。圧勝と言える勝負内容であり、それはまるで大人が子供へ剣の手ほどきをしている様だった。

 

「こう言っては何だが……。呆気ないな」

 

 ところが、ルルーシュを代表とする剣の才能に乏しい者達から見ると、ナナリーが強すぎるのか、対戦相手が弱すぎるのかが解らない。

 極論を言ってしまえば、対戦相手がただ単に自滅したのではなかろうか、そう感じてしまうほど。呆気なさ過ぎて、盛り上がれないでいた。

 それこそ、ナナリーがアッシュフォード家に連なる者であり、ルーベンのお気に入りであるのは周知の事実。対戦相手が手心を加えているのではなかろうか、と邪推する者すら居た。

 なにしろ、ナナリーが行った試合は決勝戦の様な秒殺試合が殆ど、その全てが1分以内での勝敗が着いている上、ナナリーから仕掛けた試合は1戦も無かった。

 だが、裏を返すと、剣の才能をある程度以上持っている者達にとって、ナナリーの試合は十分に見応えのあるモノであり、その圧倒的な強さは舌を巻くものであった。

 事実、男子の部で優勝を修めたルキウスはようやく周囲が見える様になり、ナナリーの試合を初めて目の当たりにして言葉を失い、口をポカーンと半開きにした間抜け顔を晒している。

 

「殿下、私めは言った筈です。学園内程度では負け無し、と……。

 だから、ミレイの案に乗ったのです。普通に戦えば、ナナリー様が優勝するのは確実ですからな。

 まあ、万が一と言う事も有りますから、適当な剣を蔵から持って参りましたが、やはり必要は有りませんでしたな」

 

 また、剣の才能を持っていなくとも、ルーベンやミレイの様に観戦経験が豊富な者達もナナリーの圧倒的な強さを理解していた。

 実を言うと、ルーベンは以前から剣術か、フェンシングの大会出場をナナリーへ何度も勧めていたが、ナナリーは頑なに首を縦に振らず、その剣の才能が日の目を見ずに埋もれているのを惜しいと感じていた。

 贅沢を言ったら、こんな非公式の小さな大会ではなく、もっと大きな権威と歴史の有る公式大会を望んでいたが、ルーベンは髯をさすりながら胸を張り、大満足のほくほく顔。

 

「その分、出来レースっぽくて、何と言うか……。女子生徒達へ申し訳ない事をしたかなぁ~~っと」

「それなら、準優勝の彼女を後日に別の形で報いてやるべきだな。さて……。」

 

 ミレイも苦笑いはしていたが、そのナナリーを見つめる目は優しく、心底に嬉しそうだった。

 ルルーシュは嬉しかった。我が事の様に喜んでいるミレイとルーベンの様子にナナリーがとても大事にされていると実感。満足に微笑みながら頷く。

 そして、いよいよ優勝したナナリーを迎える為、ルルーシュがやや緊張した面持ちとなって、席を立ち上がろうとしたその時だった。

 

「ほう、面白い! やる以上、負けは認めないぞ?」

 

 その右肩を押さえて待ったがかかる。

 ルルーシュが何事かと振り返ってみると、アーニャがルルーシュを真っ直ぐにジッと見つめていた。

 

「んっ……。」

 

 ただただ、見つめるだけ。言葉も無ければ、表情も素のまま。

 しかし、それは他者から見た場合のみ。ルルーシュはアーニャが珍しく興奮しているのを知って驚きながらも、なるほどと納得する。

 アリエス宮の中だけで剣の腕前を磨いてきたアーニャにとって、知っている剣はマリアンヌ、ジェレミア、コーネリアの3人とおまけのジノのみ。

 最後の1人を除けば、いずれも格上の剣であり、性別も一緒なら年齢も一緒のナナリーはとても気になる存在なのだろうとルルーシュは推測した。

 

「ならば、行け! 我が騎士よ!」

「イエス・マイ・ロード!」

 

 アーニャは許可を与えられて、左腰に差した2本の剣の内、1本を抜き放つと、その口元にうっすらと微笑みを浮かべながら決闘場へと進み出て行く。

 ルルーシュが推測した通り、アーニャはナナリーの剣の腕前が気になってはいたが、それ以上にナナリーばかりが褒められているのが我慢ならなかった。

 つまり、ただの嫉妬である。この場において、最も強いのは自分であり、自分こそが最もルルーシュの騎士に相応しいとルルーシュの前で証明したかった。

 

「お、お待ち下さいっ!? い、今、言った通り、ナナリー様は……。」

「そ、そうですっ!? も、もし、アールストレイム卿が負けたら……。」

 

 この予定に無い突然の事態に驚いたのが、ルーベンとミレイ。

 大小を問わず、こういった場において、選任騎士が敗北した場合、それは仕える主の恥に直結する。

 ナナリーの剣の技量を知り、アーニャの剣の技量を知らない2人は止めるべきだと慌てて訴えるが、ルルーシュが自信満々にニヤリと笑って制する。

 

「大丈夫だ。安心しろ。

 お前達がナナリーの腕前を保証するなら、アーニャの腕前は母上が保証済みだ」

「「え゛っ!?」」

 

 嘗て、『閃光』の二つ名で呼ばれ、武名を欲しいままにしたマリアンヌ。

 その才能を受け継いだ者とその手ほどきを受けた者。今後、ライバルとなる2人の戦いはこの時から始まった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「今、殿下はどちらへ?」

「客を迎えるから、部屋を貸してくれって……。多分、彼女じゃないかしら?」

「ああ、なるほど……。殿下は本当にナナリー様の事を大切に思っているのだな」

「……上手くいかないものね」

 

 剣術大会が無事に終わり、ルルーシュとアーニャ、ルーベンとミレイの4人はアッシュフォード邸へと場所を変えた。

 ここはルーベンの執務室。ルルーシュとアーニャは別の用事で居らず、ルーベンは執務机に座って、ミレイは応接セットのソファーに座って、紅茶を飲みながら剣術大会の熱狂に疲れた心を休めていた。

 

「さて、ミレイ。お前、殿下をどう思った?」

「一言で言うなら、聡明……。

 いいえ、それ以上ですね。はっきり言ってしまえば、異常です」

 

 ルーベンは寄りかかっていた本革張りの椅子をギシリと鳴らして、リクライニングを戻すと、マガホニーの机に両肘を突きながら両手を組んだ。

 その瞬間、弛緩していた雰囲気が引き締まり、それを合図に休憩時間が終わりを告げて、ルーベンとミレイの関係は祖父と孫から上司と部下へ変わる。

 

「うむ……。人格や才能と言ったものが形成された後でなら解る。

 だが、当時の殿下は8歳だ。とても優秀ではあったが、所詮は子供の域に過ぎなかった。今の殿下はとても8歳の子供には見えぬ」

「なら、偽物でしょうか?」

「今の整形技術なら、それも可能だろう。

 ましてや、殿下の顔はつい先日まで知られていなかったからな。誤魔化そうと思えば、幾らでも出来る。

 だが、それは有り得ない。気品というモノは生まれた時から育てねば、芽は決して出さない。あの殿下の気品は本物だ。

 それ以上に血の繋がりを持つ御子達ですら興味を持たない陛下が、全くの他者をあれほど溺愛するとは思えぬ。

 あの謁見中継を見る限り、陛下が殿下を溺愛しているのは、才は当然として、殿下がマリアンヌ様の血を引いているからに他なんだろう」

「では、本物だと?」

 

 無論、その話題はルルーシュに関するもの。

 あのルルーシュの覚醒を前触れもなく伝えたシャルルとルルーシュの謁見中継はルーベンとミレイを驚かせた。

 だが、その興奮が冷めてみると、2人はルルーシュの異常性を感じずにはおれず、その感覚は実際に会った事でますます増した。

 特にルーベンは幼少の頃のルルーシュと実際に何度も会った事がある為、その感覚はミレイと比べて強い。

 

「その通りだ。殿下は本物、それは間違いない。

 しかし、儂等が知らない何かを隠しておられる。それも間違いない。

 だから、ミレイ。お前へ釘を刺しておく。秘密があって、知らされないと言う事は知らないで良いという事だ。

 ブリタニア皇族に関わる秘密は闇が深い。

 その深淵を覗いてしまったが為、家を途絶えさせてしまった者の何と多い事か。……好奇心は猫を殺す。この戒めをしかと心得よ」

「……はい」

「つまり、今日の様な無茶は慎め。

 幸い、殿下が受け入れてくれたから良い様なもの……。殿下を女装させるとは何事だ! 肝が冷えたわ!」

 

 しかし、その疑問に対する好奇心をルーベンは無理矢理に封じ込めた。

 その理由は今言った通り、メリットよりデメリットが多すぎ、この話題を敢えて出したのも好奇心と行動力に富むミレイを戒める為だった。

 事実、ルルーシュの異常性に関して、ミレイは強い関心を持っており、婚約者という立場を利用して、今日はルルーシュへ軽いジャブを何度も繰り出していた。

 その中の一つが女装というとんでもない提案。ルルーシュがどの様な反応をするのかを試したものだったが、それ等がルーベンに見破られているとは思ってもみなかった。

 しかも、ルーベンは怒号を轟かせながら机を右拳で思いっ切り叩き、ミレイは思わず身体をビクッと竦めて、その拍子にソファーに座ったまま少し跳ねる。

 

「いや、その……。ええっと……。

 あはははは……。申し訳有りませんでした。以後、気を付けます」

 

 一拍の間を空けて、ミレイがルーベンの様子を恐る恐る窺うと、そこに有ったのは鋭く突き刺さる様なルーベンの睨み。

 慌てて視線を反らし戻すが、一度感じてしまったルーベンの睨みは突き刺さったまま。笑って誤魔化そうとするも耐えきえず、ミレイは姿勢を正すと、頭を深々と下げて詫びた。

 

「だが、その代わり、殿下の人となりが解ったのは大収穫だ。

 有益と見れば、部下の提案を素直に受け入れられる度量。目的の為なら、どんな屈辱さえも耐えられる精神。そのどちらも得難い資質だ。

 そして、あの覇気……。今朝、お会いした時に一目で解った。殿下こそ、シャルル陛下の気質を最も受け継いでいる。

 儂は殿下へ賭けると決めたぞ。アッシュフォードは全力を以て、ルルーシュ殿下を支援する。ルルーシュ殿下が沈む時はアッシュフォードもまた沈む時だ」

 

 ルーベンはまだ不安はあったが、今日はこのくらいにしておくかと頷き、表情を一変。口元をニンマリと歪めた獰猛な笑みを浮かべて、肩をくつくつと震わせる。

 その鬼気迫るモノに気圧されて、ミレイは生唾をゴクリと飲み込むと共に思い知る。ルーベンの補佐を行う様になってから、先人達から『ルーベン老も丸くなった』と何度も聞かされていた話が事実だった、と。

 同時に父が祖父を苦手とする理由が良く解った。この10年間、父は未だ祖父の影響が強く残るアッシュフォード家を自分色に染めようと懸命になっていたが、父と今の祖父を比べたら、娘から見ても格が段違いすぎる。

 恐らく、祖父が本気となった今、再びアッシュフォードは祖父の色で染まりきり、実質的な頭首は祖父となって、このエリア11に祖父が居る以上、今後はここがアッシュフォードの中心となってゆくだろう。

 それ故、自分の役割は祖父と父の仲立ちとなる事。ルルーシュが覚醒して、本国との往復が少なくなると思いきや、これまで以上に往復する必要があるのではなかろうか。

 そこまで考えが及び、ふとミレイは気付く。ルーベンが再び表情を一変させて、ナナリーへ向ける様な目で己を見つめているのを。

 

「ただ、これはあくまで儂の勝負だ。

 お前や……。出来れば、ナナリー様も巻き込むつもりは無い。

 今なら、一生を困らないくらいの財産を分けてやれる。オーストラリア連邦へ亡命すれば、難も逃れられるだろう。

 だから、ミレイ。お前はどうする? ヴィ家との誼を繋げておく為、殿下とお前を婚約させておいたが、お前が嫌と言うのなら……。」

 

 ミレイと目が合い、すぐに目を申し訳なさそうに逸らしたのはルーベンだった。

 あの『アリエスの悲劇』によって、ナナリーを筆頭に生き方をねじ曲げられた者は多いが、アッシュフォード家もアリエス宮へ人員を多く派遣していた為に当然の事ながら責任を追求された。

 ルーベンが家督を譲ったのも、そういった一環の中の1つであり、アッシュフォード家とヴィ家の繋がりはこの時、完全に途切れる一歩手前まで至った。

 それが辛うじて切れずに保たれたのは、ルルーシュが誕生した時に結んだミレイとの婚約があったからこそなのだが、この婚約をルーベンはずっと申し訳なく感じていた。

 なにしろ、ルルーシュは永い時を眠り続けた。今でこそ、目を醒まして、その期間が約10年と確定されたが、つい先日まではいつ目を醒ますかの保証など何処にも無かった。

 即ち、それはモノを言わぬ人形に対して、ミレイは人生を捧げていたも同然。誰もが異性を気になり始める思春期と恋を実際に始める青春期、この人生における黄金期を少なくとも無駄に浪費したのは事実だった。

 ところが、ミレイは不満を一切漏らさず、本国とエリア11を何度も往復してはルルーシュを健気に見舞っていた。その土産話を聞く度、ルーベンはずっと迷い続けていた。婚約を解消するべきだと考えながら、それを決断する事が出来ずにいた。

 裏話を明かすと、ルルーシュが目を醒ます数日前。ミレイを不憫に思ったマリアンヌから婚約解消の提案があり、それに後押しされて、ルーベンもまた決意を固めつつあった為、ルルーシュとの婚約に関してを問わずにはいられなかった。

 

「お爺様……。私は殿下が目を醒ますのをずっと待っていました

 どんな声で喋るのだろうか? どんな目で私を見てくれるのだろうか?

 性格は? 相性は? ……そう想像しながら、この時をずっと待っていました。

 例え、実際に目を醒ましてみたら、気にくわなかったり、相性が悪かったとしても、それはそれで別に構わない。

 貴族の義務だけは果たして、本当の恋愛は別でする。有り触れた何処にでも良くある話です。……そう割り切ってもいました」

 

 ミレイは悪事を懺悔する罪人の様に言葉を辛そうに重ねるルーベンの姿に目を丸くさせた。

 まさか、その様な考えをルーベンが持っているとは思ってもみなかった。同時に思い出す。前回、本国を旅立つ当日にアリエス宮を訪れた際、マリアンヌもまた似た様な雰囲気で婚約解消を提案してきたのを。

 しかし、ミレイにとって、それは今更だった。最も身近な友人『シャーリー・フェネット』が恋愛にあれだ、これだと騒いでいるのを見て、何故に自分は同じ様に恋愛をしてはならないのだろうと嘆き悩み、貴族の娘に生まれた自分を呪っていた約5年前頃だったら、その提案を受け入れたかも知れない。

 ところが、長い長い苦悩の末、ミレイはとっくに達観してしまっていた。他者から見たら歪かも知れないが、ミレイはミレイなりにルルーシュへ恋をしていた。眠り続けているルルーシュへ自分の理想像を着せ替え合わせて。

 また、貴族としての意識が強かったのも理由の1つとして挙げられた。両親の間に自分以外の子供が恵まれなかった以上、ミレイは自分がアッシュフォード家を継ぎ、より発展させなければならないと常々考えていた。

 余談だが、これはミレイだけの極秘中の極秘。アリエス宮の留守を預かっていた際、ミレイはルルーシュの介護中、過去にたった一度だけ魔が差してしまい、介護の目的から離れて、青春期特有の抗えない好奇心からルルーシュのアレをおっかなびっくりに二度、三度と触れてしまう過ちを犯していた。

 もっとも、その過ちの結果として、ルルーシュが今も起きずに眠り続けていたとしても、ソレな反応がちゃんと有るのを知っている為、ミレイは反応が有ると言う事はその先も可能なのだろうと、ルルーシュとの間に子供を作る点に関しては心配していなかった。

 

「解った。なら……。」

 

 それはあまりにも悲しい告白であり、ルーベンはミレイが一人抱えていた胸の内を知り、改めて後悔の念に沈むしかなかった。

 最早、躊躇いは無かった。今日の様子を見た限り、婚約を解消したとしても、ルルーシュがアッシュフォードを軽んじる事は無いだろうという自信もあった。

 だが、それを今正に切り出そうとした瞬間、ミレイが待ったをかけた。

 

「慌てないで! お爺様!

 はっきり言うわ。……殿下は私の想像以上よ。

 それに殿下となら、上手くやっていけると思うのよね。何て言うか……。今まで胸に欠けていたモノがストンと填った様な……。」

 

 そう、ミレイにとって、実際に会ったルルーシュは生涯の伴侶として申し分ない相手だった。

 特に大きな決定打となったのが相性。ミレイは容姿とスタイルに自信を持っていたが、性格に難があると自分自身で承知していた。

 それも悪い意味で難なら改善のしようもあったが、強いリーダー気質といった良い意味での難である為、ミレイの隣に立つ者はどうしても高い水準が求められた。

 実際、言い寄ってくる男はたくさん居たが、男という生き物は基本的に女を従えたい生き物。ミレイに勝てないと知ると大抵の者は去ってゆき、残った者も長く続いた試しが無い。

 唯一、高校時代から好意を表し続けている男が1人居るのだが、ミレイは物足りなさを感じ、男友達としてならともかく、恋人としては受け入れられないでいた。

 その点、ルルーシュは破天荒なミレイの性格を受け入れる度量とミレイ以上の強いリーダー気質を持ち、元々が恋していた相手だけにこれ以上ない相手であった。

 

「まあ、殿下が合わせてくれていた様だが……。

 相性は悪くないどころか、長年を連れ添った夫婦の様に合ってはいたな」

 

 ルーベンもルルーシュとミレイの相性に関しては不思議に思っていた。何故、こんなに相性が良いのだろうか、と。

 今日、ルーベンがミレイを怒鳴ろうと思った回数は数多となるが、思っただけで一度も実行する事は無かった。

 それと言うのも、ルルーシュがミレイの無礼をまるで当たり前の様に受け止め、子供の駄々を聞く様に仕方がないなと苦笑しながら、何処か嬉しそうにしていたからである。

 もしや、女に弱いのかと疑ったが、スタイルの良い容姿端麗なメイドを傍に置いてみたが、ルルーシュは特に興味を示さなかった。 

 

「そう、それ! やっぱり、お爺様もそう思ったんだ!」

「だが、本当に良いのか? それと確かめた訳ではないが、殿下が進む道を考えたら、普通の女としての幸せは望めんぞ?」

 

 ミレイは同意を貰い、嬉しそうな満面の笑みを浮かべながら柏手を打つが、ルーベンの表情は未だ晴れなかった。

 何故ならば、ルーベンとミレイはある共通の見解を持っており、ルルーシュと実際に会った事によって、その確信をより強めていた。恐らく、ルルーシュが帝位を目指しているだろう、と。

 無論、その見解に達するきっかけとなったのは、あのシャルルとルルーシュの謁見中継に他ならない。どう考えても、ルーベンやミレイといった聡くて勘の良い者達から見たら、あの謁見中継は帝位に最も近いとされるシュナイゼルへ対する宣戦布告としか見えなかった。

 もし、ルルーシュが皇帝となった場合、アッシュフォード家は当然の事ながら重臣の一つに数えられ、その恩恵は絶大なモノとなるだろうが、アッシュフォード家の幸せとミレイ個人の幸せはイコールで繋がるとは言い難い。

 その理由はブリタニアが帝政であるが故、血統を残す為、友好を結ぶ為、反乱を防ぐ為、ルルーシュは様々な理由から多く者と婚姻を結ばなければならず、ミレイだけの夫では居られない。

 つまり、ルーベンの心配は我が孫の行く末を心配する言葉通りのものに加えて、我の強いミレイが公然の浮気を許せるかと問う2通りの意味があった。

 

「ええ、そうね。でも、正妃の座は私が貰うわよ」

「ふっ……。我が孫ながら、殿下も大変な女に目を付けられたものだ」

 

 だが、ミレイは自信満々に胸を張り、ルーベンの懸念を荒い鼻息で軽く吹き飛ばす。

 それはとてもミレイらしい答えであり、たまらずルーベンは肩を揺らしながら苦笑ではあるが、ようやく表情を晴らした。

 

 

 



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第三章 第04話 閃光の後継者達

 

「白! 1年B組、ナナリー・ランペルージは前へ!」

「はい!」

 

 クラス全員の推薦を受けて、剣術大会に出場はしたが、勝利を重ねる毎、ナナリーはやはり断るべきだったと後悔していた。

 一回戦はまだ良かったが、二回戦以降は学園のフェンシング部の者達や学園外のフェンシングクラブへ通っている者達ばかり。

 学園長のルーベンとその補佐のミレイ、謎のVIPが観戦するとあって、誰も彼もが気合いを入れ、TVの剣術大会で見かける様な正装ユニフォームをビシッと決めていた。

 

「両者、準備は良いか?」

「「はい!」」

 

 目の前の決勝の相手は、二枚目なボーイッシュでナナリーより頭1つほど身長が高く、一部の女子生徒達から熱狂的な人気を持つ3年のフェンシング部副部長。

 右肩を金糸のモールで飾ったスカイブルーの鮮やかな軍服を模したジャケットを身に纏い、下は深いスリットが入った黒いタイトスカートと膝までの黒いブーツ。

 恐らく、背後の応援団が同じ衣装を着ているところを見ると、フェンシング部の剣術大会におけるユニフォームなのだろう。

 一方、ナナリーは剣を差す為のベルトは着けたが、アッシュフォード学園高等部の夏服。靴とて、普段履きの革靴。

 唯一のお洒落は、剣を振るうのに邪魔だろうとアリスやクラスメイト達が約30分をかけて編んでくれた後頭部の三つ編みなお団子とソレを留めている大きな赤いリボン。

 お互いに武器としているレイピアもそうだった。フェンシング部副部長が使用しているモノはお洒落な装飾が柄部分に施されており、見るからに個人使用のマイソード。

 一方、ナナリーが使用しているモノは学園側が貸し出してくれたモノ。装飾なんて洒落たものはなく、錆こそは無いが使い古された機能一辺倒の無骨なモノだった。

 この対照的な姿が二回戦以降ずっと続き、ナナリーは明らかな場違い感に苛まれ、名前が呼ばれて、決闘場へ進み出る度に気恥ずかしくて堪らなかった。

 

「姿勢を正して、礼! ……構え!」

 

 しかし、その恥ずかしさを強引に飲み込み、ナナリーは勝ち続けた。

 それはひとえにどんな強者が勝ち続けた先に待っているのだろうかという期待の方が気恥ずかしさより大きかった為である。

 だが、決勝戦にまで至り、ようやくナナリーは遅まきながらも理解する。何故、剣の師が対外試合や大会出場を頑なに禁じていたかを。

 ナナリーが修めてきた剣が相手を殺す為の術なら、目の前の彼女達が修めてきた剣は試合に勝つ為の術。剣の師と本気で相対した時の様な恐怖は全く感じず、あまりにも温すぎた。

 今とて、主審の合図でお互いに構えたが、目の前の彼女は身体全体で宣言していた。その目が、その腕が、その脚が、一か八かで飛び込み、突きを放ちますよ、と。

 もし、その様な甘い構えを剣の師の前で取ったら、そこが駄目、ここが駄目と容赦のない木刀を浴びせられて、身体中が痣だらけとなって昏倒するのは間違いなし。

 詰まるところ、相手の手の内が解っているのだから、それは後出しのジャンケンと変わらない。対戦相手へ対する礼儀として、ナナリーは手を抜くつもりは毛頭無かったが、熱意を今ひとつ持てないでいた。

 

「始め!」

 

 予想通り、主審が旗を振り下ろした試合開始の合図と同時に踏み込み、一足飛びで突きを放ってくるフェンシング部副部長。

 その電光石火の早業に会場が驚き沸くが、ナナリーは慌てず騒がず落ち着いて、予め読んでいた相手の剣の軌道へレイピアの剣先を差し出した。

 

 

 

 ******

 

 

 

「えっ!? えっ!? えっ!?」

 

 主審を務める女性体育教師は現在の状況を持て余して焦っていた。

 なにしろ、決勝戦が終わり、ステージより下りてきたVIPの選任騎士らしき少女が抜いた剣はどう見ても本物。

 彼女がどの程度の腕前かは知らないが、真剣を使う以上、怪我の可能性はグンと大きく増して、最悪の事態すらも考えられる。

 ましてや、ナナリーはアッシュフォード家に連なる者であり、ルーベンのお気に入り。女性体育教師が焦るのも当然だった。

 たまらず女性体育教師がステージへ視線を向けると、ルーベンは腕を組みながら神妙な面持ちで頷き、GOサインを出した。

 

「ランペルージさん、どうする? 断っても構わないのよ?」

 

 それでも、女性体育教師は迷った。やはり真剣を使用しての勝負は危険が過ぎた。

 だが、騎士というモノは大概が自分の剣に愛着と誇りを持っており、こういった場での決闘の結果は主の尊厳にも関わってくる為、大抵は剣の変更を認めない。

 但し、今回の場合、ナナリーは試合を一方的に申し込まれた側。まだ受けるかの返事すらしておらず、ある程度の融通は効く筈だと、女性体育教師はナナリーへ判断を委ねた。

 

「いえ、やります! やらせて下さい!」

 

 ところが、ナナリーは女性体育教師の気遣いとは裏腹にやる気満々だった。

 ステージの面々や女性体育教師の反応を見る限り、これは明らかに予定外のエキビジョンマッチ。

 決勝戦後、それをわざわざ申し込んできたのだから、相手は剣の腕に相当な自信を持っているに違いない。そう予想して、ナナリーはワクワクとした好奇心で一杯となっていた。

 また、ナナリーにとって、女性体育教師が最も心配している真剣に対する恐怖は今更のもの。嫌というほど、真剣を振るうのも、受けるのも鍛錬で実施済みなら、既に真剣を用いた実戦ですらナナリーは密かに経験済み。

 

「そう、解ったわ。……頑張りなさい。

 騎士の方、失礼ではありますが、御名前をお教え願えないでしょうか?」

 

 そのまるで動じていない様子に驚き、女性体育教師は真剣の危険性を説こうとするが、ナナリーの瞳に燃える熱意を感じ取って開きかけた口を閉じる。

 現役を退いてはいるが、女性体育教師も学生時代は剣術大会、フェンシング大会を共にエリア2代表の一歩手前まで上った猛者。同じ剣士として、強者と戦いたいという気持ちは痛いほど解り、それ以上に以前からその才能に目を付けていたナナリーが何処まで戦えるのかを是非とも見てみたかった。

 

「アーニャ……。アーニャ・アールストレイム」

 

 剣先を地面の芝生に突き刺して、剣を横に立て、アーニャは腕を伸ばして組んだ掌を前方へ突き出しながら腰を左右に捻るストレッチ中。

 女性体育教師から名前を問われて、アーニャが応えた瞬間、ナナリーは思わず目を見開きながら動きを止めた。とても珍しい聞き慣れぬ姓でありながら、その『アールストレイム』という姓を何処かで聞いた記憶があったからである。

 

「では、赤! アーニャ・アールストレイム卿、前へ!」

「んっ……。」

「白! ナナリー・ランペルージ、前へ!」

「はい!」

 

 しかし、主審を務める体育教師が試合開始を宣言。歓声が会場に湧き起こり、その疑問は掻き消されて、意識の届かない奥へ追いやられてしまう。

 アーニャとナナリーは名前を呼ばれて、決闘場の中央に引かれた2本の線まで進み、5メートルの距離を間に挟んで対峙し合う。

 

「両者、準備は良いか?」

「はい!」

「んっ……。」

「姿勢を正して、礼! ……構え!」

 

 その昔、命の奪い合いを実際に行っていた頃の名残である剣術決闘における儀式。

 ここで命を落としても後悔は無いと言う最終確認。この決闘を受けてくれた相手の気高き誇りに対する礼。その2つを経て、ナナリーは構えを取った。

 右半身となり、レイピアを持つ右腕は軽く曲げながら剣先を相手へ向け、左手は横にして、右腕とバランスを取る様に肘から上を掲げる。それはレイピアの様な突剣において、オーソドックスなフェンシングの構え。

 

「それじゃない筈……。舐めてる?」

「……えっ!?」

 

 だが、対戦相手のアーニャは礼こそしたが、構えは取らず、右手の剣をダラリと下げて立ったまま。

 最終確認の合図と共に静まり返った会場の中、アーニャの舌打ちがやけに大きく響き、ナナリーは驚愕に目を見開いた。

 今日の大会にて、ナナリーは一回戦からこのスタイルを貫き、自分本来の構えを一度も取っていないにも関わらず、それを初見で見破られるとは思ってもみなかった。

 ナナリーが思わずレイピアの剣先を下げて、茫然と何かを訴える様に口をパクパクと開閉させていると、アーニャが顎をしゃくり、ナナリーの左手後方を指し示した。

 

「早くして……。待つから」

「な゛っ!?」

 

 釣られて、その左手後方へ視線を向けるなり、ナナリーは驚愕に驚愕を重ねて、言葉を完全に失った。

 アーニャが指し示した先に有ったのは古びた木のワイン樽であり、今日の大会開催にあたって、マイソードを所持していない者達の為に貸し出された模擬剣の山。

 戦いが始まる前から何やら物言いが付き、観客達がどうした、どうしたとざわめき、主審の体育教師も戸惑う中、ナナリーだけは理解した。アーニャが紛れもない強者である事を。

 

「え、えっと……。」

「先生!」

「えっ!? な、何かしら?」

「剣を変えます! 少し待って下さい!」

「は、はい、どうぞ……。」

 

 つまり、アーニャはこう言っていた。使い慣れていない剣など捨てて、お前の最も得意とする剣で挑んでこい、と。

 そのメッセージを明確に受け取り、ナナリーは試合中断を申し出ると、剣を鞘に収めて、その鞘も腰から抜き、使用する剣を変える為に樽の元へ向かった。

 本来、ナナリーが最も得意とする武器は日本刀だが、樽の中の模擬剣がフェンシングの備品である以上、日本刀は有る筈が無い。

 しかし、ナナリーが修めた剣術は実践的なものである為、日本刀が手元に無い場合を想定した代用品による鍛錬を当然の事ながら行っていた。

 ナナリーは樽の中の剣を漁り、日本刀の長さに近いものを探しながら自然と浮かぶ笑みを止められずにいた。アーニャとの戦いに逸る気持ちを抑えて、満足のゆく剣をじっくりと探す。

 

「お待たせしました! いつでもどうぞ!」

 

 やがて、あるロングソードを見つけて頷き、ナナリーは先ほどまで居た決闘場の開始線へと小走りで戻る。

 そして、構えを取ると、その一度も見た事の無い奇妙な構えを目の当たりにして、極少数の者を除き、会場の全員が目をパチパチと瞬きさせて、茫然と目が点。ざわめきを大きくさせてゆく。

 何故ならば、ロングソードとは両手持ちも可能ではあるが、それは利き手と逆に持つ盾を失った場合であり、基本的に片手で使用するもの。

 それをナナリーは最初から盾を持たずに伸ばした両手で持ちながら身体の中心に置き、右足を軽く前へ出して、対戦相手と正対するという西洋剣術の教本の何処を探しても無い構えを取ったのだから、誰もが驚くのは当然だった。

 ブリタニアによって、日本古来の武芸が禁止されて10年。剣術における最もオーソドックスな中段の構えすら、それを知る者はルーベンの様な年寄りだけとなっており、その存在は廃れつつあった。

 だが、その構えを向けられたアーニャは感じていた。先ほどの構えと比べたら、正対している為にこちらへ身体全体を向けているにも関わらず、目を凝らさなければ、狙える隙が見つからないほどになったのを。

 

「ごめん……。私も舐めてた」

 

 アーニャは口元に笑みを描いて、腰に差したままのもう一本の剣を腰から抜く。

 その瞬間、より大きなざわめきがざわめきを打ち消した。二刀流の使い手自体が極めて珍しいなら、アーニャの構えもまた誰もが初めて目の当たりにするものだった。

 アーニャはナナリー同様に正対して、右足を半歩前。両手を左右に大きく広げて、身体全体で十字を描きながら、二本の剣を頭上で交差。

 それは『閃光』の二つ名で呼ばれたマリアンヌが最も得意とした前進征圧を旨とする構えであり、マリアンヌに憧れた者達が真似をしようとしたが、誰も真似が出来ずに一代で廃れてしまった構え。

 

「おおっ!? あれは正しく……。」

 

 約20年という時を経て、もう二度と見る事はあるまいと考えていた独特のその構えを目の前にして、ルーベンは感動に打ち震えた。

 

 

 

「始め!」

 

 ナナリーとアーニャは試合開始の合図と同時に踏み込んでの一足飛び。

 強い反動が生まれるほどに打ち合い、その反動と共に後方へ飛び、開始線まで戻って、再び間を置かずに一足飛び。

 但し、最初の打ち合いで互いの間合いを把握したのか、距離はさほど詰めずに打ち合いを二合目、三合目、四合目、五合目と重ねて行く。

 

「おおっ……。」

 

 2人にとって、それは相手の技量を知る為のものであり、挨拶の様なもの。

 決して、本気の打ち合いではなかったが、まるで予めに打ち合わせをしたかの様に打っては受け、受けては避け、避けては打つを巧みに繰り返す2人の姿は舞っている様であり、会場の熱気を沸かすには十分すぎ、ルルーシュも目を奪われて思わず感嘆を漏らす。

 だが、ルルーシュを代表とする一般の者達が付いていけたのはここまでだった。挨拶を終えて、ナナリーとアーニャがギアを上げて、剣速を打ち合う毎にゆっくりと上げてゆく。

 

「ナナリーって……。こんなに凄かったんだ?」

「……だな。ここまでとは思わなんだ」

 

 ミレイとルーベンは目を丸くする。知っていると思っていたナナリーの実力が想像以上な事実に。

 打ち合いの数が20合を数えた頃。どちらともなく、ナナリーとアーニャが一定の間合いを保ちながら時計回りに円を描きながら移動をし始める。

 数多の風斬る鋭い音が鳴る中、剣撃の音が響き、その剣による打ち合いの演奏会は余人の介入を許さない結界を作り上げてゆく。

 時折、常人の目に止まらない剣先が触れているのか、2人の足下の芝が削り取られて、斬線が幾つも走り描かれる。

 そのまだらとなった芝生に気付き、ミレイは芝生の張り替えという思わぬ出費に頭を悩ます。高等部の顔とも言える玄関前だけに放置は出来ない。

 

「私など……。まだまだだったと言う事か」

 

 ナナリーも、アーニャも衰えるという事を知らないのか、剣撃の音は更に加速する。

 この段階にまで至ると、その剣閃を捉えている者は極々わずか。男子の部で優勝を修めたルキウスですら、目で追うのがやっと。

 また、その張本人達も既に意識しての剣は繰り出していない。今日まで飽きるほどに重ねてきた鍛練の中で培ってきた全てが腕を、脚を、身体を無意識に突き動かしていた。

 ルキウスは固唾を飲み、自分が才能に自惚れていた井の中の蛙だったと自覚して、ルルーシュの前に再び立つ為、鍛錬の量を今日から倍にする決意を固める。

 

「思った以上だね」

「同感です」

 

 最早、今や何合目の打ち合いなのか、当人同士も含めて解る者は居らず、誰もが手に汗を握って、2人の剣舞に魅入られていた。

 そして、動から一転して、静へ。一際、大きな剣撃が鳴り響き、アーニャとナナリーが鍔迫り合い、間近で火花を散らして睨み合う。

 ナナリーが大上段からロングソードを振り落とし、それをアーニャが交差させた2本の剣で受けて、今度は純粋な力比べ。奥歯を食いしばる2人の首に筋肉の筋が浮かび上がる。

 これをきっかけとして、会場の彼方此方で固唾を飲みすぎて苦しくなった者達の『ぷっはー!』と息継ぎする音が続出。

 

「両者、離れて!」

 

 おかげで、緊迫していた会場の空気が弛緩。一観客となってしまっていた主審の女性体育教師が我に帰り、慌てて2人の間へ割って入る。

 しかし、それを待たずして、ナナリーとアーニャはお互いに鍔迫り押し合って、後方へ大きく跳び、仕切直しと言わんばかりに構え直した。

 ナナリーは右足を前にして、腰を軽く落としながら捻っての右半身。左手は左腰の鞘をあてがい持ち、ロングソードを鞘に収める居合いの構え。

 やや遅れて、アーニャは試合開始前同様の構えを取るが、その向きは正対ではなく、左半身。左手に持つ剣を逆手に変えた。

 主審の女性体育教師は迷った。ナナリーも、アーニャも、明らかに自分の域を超えており、いざと言う時に止められない以上、これを機に止めるべきではなかろうか、と。

 だが、それを告げようと2人の間へ踏み込んでみるが、ナナリーとアーニャが睨み合って放つ気迫に弾かれて後退。結局は言えず終い。

 

「次……。決めます」

「させないよ」

 

 その気迫は次第に会場全体へと広がってゆき、辺りはいつの間にか物音一つしないほどに静まり返っていった。

 

 

 

「なあ、ルーベ……。」

「しっ!?」

 

 1分、2分、3分、どれだけの時が過ぎたのか、ナナリーとアーニャはまるで彫像の様に動きを止めたまま。

 どんな者にも等しく流れている筈の時がゆっくりと過ぎてゆき、その時すらも縛る緊迫感に焦れた者がポツリポツリと会場内に現れ始める。

 そんな中、不意に何処か遠くでガラスが割れる様な音が聞こえた。その音に釣られて、会場に居る殆どの者が視線を決闘場から逸らした次の瞬間だった。

 

「ふっ!」

 

 ナナリーが呼吸を爆発させて踏み切った。

 その際、芝生が踏み込みの強烈さに抉れて飛び、ナナリーが思い描いていた以下の勢いとなってしまったが、放たれた矢は止められない。同時に居合い抜きの要領でロングソードを抜き放つ。

 但し、ロングソードは両刃を持った真っ直ぐな剣。日本刀の様な反りは無い為、鞘走りさせる速度は得られず、斬線を前方へ描くのは困難。それはナナリーも承知済み。

 

「……えっ!?」

 

 正しく、一瞬。アーニャが先手を取られたと目が認識すると同時に直線の描き、ロングソードが間合いを蹂躙して深く伸びてくる。

 だが、それは予想していた剣速より幾分か遅かった。アーニャは逆手に持つ左の剣を使い、己を突き刺さんと狙うロングソードを払い上げる。

 金属と金属がぶつかり合う甲高い音が響き、ロングソードが視界の右端へ消えてゆくのを見て、勝利を確信した瞬間。アーニャは驚愕に目をこれ以上なく見開いた。

 ロングソードを打ち払ったにも関わらず、殺気は依然と健在である上、それが間合いにより深く侵入して、払い上げの動作の為に死角となった左腕の下、爆発寸前となっている事実に。

 

「討った!」

 

 ナナリーは空手となった右手に握り拳を作り、後方へ勢い良く振り下げて腰を右に捻りながら、左手に持つ鞘を反対にアーニャ目がけて振り上げる。

 そう、ナナリーの攻撃は二段構え。最初から、この鞘による打撃こそが本命であり、最初のロングソードによる攻撃は囮だった。

 それもロングソードは鞘から抜くと共にすっぽ抜かせての投擲。ナナリーはロングソードが描いた銀閃の下に隠れ潜み、極端な前傾姿勢となって地を這う様に跳んでいた。

 この作戦に至った理由はアーニャの構えにあった。ナナリーは一目見るなり、それが防御に偏ったものと見破り、決してアーニャ側からは仕掛けてこないと考え、相手から見えない位置にあるベルトの鞘留めをアーニャと見合いながら緩めていた。

 事実、その通りだった。アーニャは居合いの構えを知らず、ナナリーがどんな攻撃を繰り出してくるか、全く予想がつかない以上、後の先を取るしかないと考えていた。

 また、アーニャがロングソードをただ体捌きのみで避けていたら、この時点でナナリーの敗北は確定していたが、先ほどの打ち合いによって、体捌きだけでの防御は愚策と印象付けており、ナナリーはアーニャが左手の剣を防御手段として必ず用いるだろうという自信があった。

 その自信に加えて、必勝の要素が今のアーニャの体勢。アーニャが逆手に持った左の剣は防御面では前面を全てカバーしており、防御後はそのまま攻撃にも転じられる攻防一体となった優れたものではあるが、それは一刀に対してのみ。

 今回の様な二連撃、または二刀流の場合、左手の剣を逆手に持っている以上、振り上げるにしても、振り下げるにしても、次の攻撃手段となる手は必ず奥に置かれてしまい、それを攻撃に用いようとしても身体自体が行動を邪魔している状態。

 即ち、既に攻撃を仕掛けているナナリーと比べて、まだ防御態勢のままのアーニャはどう足掻いても、一手、二手どころか、三手は遅れており、今度はナナリーが勝利を確信した瞬間、それは起こった。

 

「それまで!」

 

 閃光が走った。アーニャの右手奥からナナリーの首へ一条の閃光が走り、旋風がナナリーの前髪を靡かす。

 ほぼ同時に主審である体育教師の制止がかかり、2人が動きを止める。その際、ナナリーの後頭部から赤いリボンがフワリと舞い落ち、一拍の間を空けて、三つ編みなお団子も解け、髪が重力に引かれて広がり落ちる。

 ナナリーはやや左半身を向けて、両脚を大きく開き、振り切った左腕と伸ばした左脚を直線にさせて、右足を屈めた体勢。その鞘先はアーニャの襟首を寸留めで捉えていた。

 アーニャは右半身を向けて、右足を半歩前へ出し、両腕を斜めへ下ろした体勢。逆手に持つ左手の剣は背中へ立てての防御。右手の剣は中程でナナリーの首を寸留めで捉えていた。

 しかし、アーニャが防御に用いた左手の剣は間に合わなかったらしく、ナナリーの鞘がアーニャの剣の内側にある状態であり、それは一見すると引き分けと思える決着に見えたが、主審と副審2人の赤旗が一斉に挙がる。

 

「赤! アーニャ・アールストレイム卿!」

 

 その判定は武器投擲によるナナリーの反則負け。

 だが、それはあくまでブリタニア式決闘ルールに従ったもの。対戦した当人同士は真の勝敗を知っていた。

 あの閃光が走った瞬間、アーニャは左踵を軸にして、芝生を抉り踏みながら右脚、腰、右肩、右腕、右肘の全てを一斉に捻り、背面へ半回転。三手の遅れを覆すどころか、ナナリーの一歩先を掴んでいた。

 もし、どちらも寸留めを行っていなかったら、ナナリーの首がまず断たれていた。その結果として、現状は間に合わなかったアーニャの防御も間に合っていたかも知れない事を考えると、明らかにナナリーの負けだった。

 ナナリーは伸ばしていた左脚を屈して、項垂れながら下唇を悔しさに噛み締める。己が最も得意とする速さにおいて、2つの先手を重ねて取りながら、後手を取られての敗北は完敗と言って良かった。

 しかも、鞘打ちが恐らくはルール違反だろうと承知していながら、試合よりも勝負を優先して、ナナリーは何としても勝ちたいと思っただけに悔しくて悔しくて堪らなかった。

 

「あ、あのっ!?」

「……何?」

 

 そんなナナリーの頭上にて、2本の剣が鞘に収まる音が聞こえ、覆い被さっていた影が去ってゆくのに気付き、慌ててナナリーは立ち上がり、アーニャを呼び止めた。

 一方、アーニャは戦いに勝利はしたが、勝ち誇る事はおろか、喜ぶ事すらしていなかった。その振り向けられた無表情に戦っていた時以上のやり難さを感じ、ナナリーは口に出しかけては言葉を何度も引っ込めてしまう。

 

「え、ええっと……。そ、その……。だ、だから……。」

「……早くして」

「と、友達になって下さい!」

 

 だが、学園内の大会では物足りなかったナナリーにとって、この出会いは決して見逃せなかった。

 なにしろ、ナナリーとアーニャは同性、同年代の上に背丈も、体つきも一緒なら、ほぼ実力も拮抗しており、お互いに切磋琢磨をする相手としてはこの上ない存在。

 アーニャの視線は口籠もる度に苛立ちを増して冷えてゆくが、お互いに剣の道を進んでいる以上、仲を深めるのは容易い筈だと、ナナリーは顔を紅く染めて照れながらも思い切って申し込んだ。

 

「むっ!?」

 

 正しく、それは漫画やアニメに良くある激闘を経た主人公とライバルが友情を深める図。

 こんな小さな大会では有り得ないハイレベルな戦いに決着が着いた後も静まり返っていた会場にまばらながらも小さな拍手がようやく起こる。

 やがて、それは加速的に大きくなってゆき、ナナリーとアーニャの健闘を称えて、新たに生まれた2人の友情を祝って、拍手は感動の渦となって会場に溢れた。

 ルルーシュも満足にウンウンと頷きながら拍手喝采。2人が仲を深めてくれれば、アーニャを仲介として、何故だか壊れている自分とナナリーの仲も修復が出来るのではなかろうかと喜ぶ。

 

「……嫌」

「ええっ!? ど、どうしてっ!?」

「貴女の事、嫌いだから」

 

 ところが、アーニャの返事は誰も予想だにしていないものだった。

 ナナリーは驚愕を通り越して、茫然と目が点。溢れていた拍手はピタリと止み、会場は困惑に満ちて静まり返る。

 その理由を問い質してみると、今日が初対面にも関わらず、まるで自分の事を前々から知っている様な口振りと共に憎しみの籠もった視線を向けられ、ナナリーは意味が全く解らず、二の句を継げずに言葉を失った。

 無論、アーニャとて、平然とはしていられなかった。憎しみをぶつけると言う事は相手のみならず、ぶつけた本人も少なからず心を痛めるもの。

 ましてや、その憎しみが自身を発端としたものではなく、自身が慕う人物を想って故の事であり、この事実を知ったら、その人物が確実に傷つくだろうと知っているなら尚更だった。

 

「さあ、来い。アーニャ」

「っ!?」

 

 ナナリーから顔を勢い良く背けて、やや足早にルルーシュの元へ戻ってゆくアーニャ。

 ルルーシュは席を立ち上がって、両手を大きく左右に広げた。その一見しただけでは無表情のアーニャが哀しみを懸命に隠していると気付いて。

 たちまちアーニャは堪えていたモノを解放して駆け出すと、そのままルルーシュの胸へ飛び込んだ。泣くにまでは至らないが、散り散りとなって乱れた心を戻すにはルルーシュの温もりを暫く必要とした。

 

「ランペルージ嬢、我が騎士の不徳を謝罪する。

 しかし、都合の良い話だが、その理由はどうか聞かないでくれ」

「は、はい……。」

 

 その背中に両手を回して優しく叩きながら、ルルーシュは恥じ入るしかなかった。

 もちろん、ナナリーがアーニャへ友好を結ぼうとしているのを止めるのはさすがに無理がある為、この点は仕方がない。

 だが、アーニャがマリアンヌを慕っているのは知っていた筈にも関わらず、己の願望を優先して甘い事を考えていた点は度し難く、猛省するしかない。

 

「ミレイ、ランペルージ嬢へ褒美の剣を」

「よろしいのですか?」

「生憎、手が塞がっている。今日は縁が無かったと言う事だろう」

 

 だから、ルルーシュは甘んじて罰を受け入れた。ナナリーと触れ合う口実の為、女装という屈辱を受け入れたのを無駄にして。

 

 

 

 ******

 

 

 

「やっぱり、出ないなぁ~~?」

 

 剣術大会が終わると、本日は部活動が中止となり、全生徒が一斉の下校。アッシュフォード学園高等部の校舎はすっかりと静まり返っていた。

 そんな中、ナナリーは教室に1人残り、何やら用が有ると言って、決勝戦前に何処かへと姿を消したアリスの帰りを待っていた。

 ところが、鞄は席に置いたままのところを見る限り、まだ帰宅していないと考えられるにも関わらず、その後の姿を見た者は居らず、電話も何度かけても繋がらず、アリスの行方は全く解らなかった。

 

「お爺様の仕事関係で忙しいのかなぁ~~?」

 

 携帯電話のディスプレイ隅に表示されている時計を見ると、今現在の時刻は午後4時を回ったところ。

 今日のアルバイトのシフトは午後6時から。まだまだ余裕は有るが、既に1時間以上を待っている為、さすがに待つのも飽きていた。

 

「先に帰っちゃうぞぉ~~?」

 

 ナナリーは顔の頬を机にベタリと貼り付けてだらけきり、力無く垂らした両腕を焦れにブラブラと振る。

 その拍子に指先が机の横に立て掛けて置いた大会優勝商品の剣へ接触。静まり返った校舎に落下音が派手に響き渡り、遠くで微かに木霊する。

 

「おっと! ……いけない、いけない。

 ……って、あれ? この剣って……。あの娘が使っていたのに似ている様な……。」

 

 慌ててナナリーは身を起こすと、椅子に座ったまま床へ落ちた剣を拾って、今更ながらに気付いた。

 その大会優勝商品の剣がエキビジョンマッチで戦った少女が左手に持っていた剣と装飾が良く似ていると言う事に。

 

「う~~~ん……。

 この使い込まれた感じからして、かなりの腕前の人が使っていたんだろうなぁ~~……。」

 

 それをきっかけに興味が湧き、ナナリーは剣を鞘から抜いた。

 目利きの腕は持っていなかったが、剣の道を歩む者として、それが明らかに数打ちの剣と違うのは一目で解った。

 刀身はロングソード並の長さを持ちながら、その幅は半分程度しかないにも関わらず、刃を何度も丁寧に研いだ跡が有り、持ち手の柄部分は金属摩耗に光って、幾多も重ねた戦場が見て取れ、それは剣自体の強い剛性を表していた。

 恐らく、自分同様に速さを得意とした剣士が愛用した逸品。そこまで考えが至り、ふとナナリーは柄側の刀身に小さな文字が刻まれているのを発見する。

 

「ええっと……。何々? 私……。愛する……。ワルキューレ? 与える……。」

 

 剣を文字の表記された向きに持ち替えて、ナナリーは皺を眉間に寄せながら、読み辛いユニークなフォントで刻まれた単語を読み上げてゆく。

 そして、それ等を自分なりの解釈で文に言い換え、ビックリ仰天。改めて、ナナリーは剣をマジマジと凝視する。

 

「んっ!? ……我が愛しのワルキューレへ捧げるっ!?

 何、これ? 婚約指輪みたいなモノなんじゃっ!?

 だったら、この石も……。もしかして、本物とか? ……本当に貰っちゃって良かったのかな?」

 

 剣に込められた意味を知ると、それまで只の飾り石だとばかり思っていた柄尻を装飾する赤い石が、本物のルビーではなかろうかと感じ始め、ナナリーは先ほどまで割とぞんざいに扱っていた自分へ対して恐れ戦く。

 なにしろ、その赤い石を改めて注意深く見ると、見事なカットが複雑に施されて、どの角度から見ても光を集めて美しく輝いており。もう本物にしか見えなくなっていた。

 どう考えても、学園内の大会の優勝商品としては度が過ぎたもの。この剣を本当に貰って良いのかが不安になり、ナナリーがミレイへ確認を取ろうと机に置いてある携帯電話へ手を伸ばしたその時だった。

 

「あっ!? ……こらっ!? 携帯の電源、切っていたでしょ!

 ……で、今は何処なの? 私、アリスちゃんの鞄を持ってゆくから、何処かで待ち合わせしようよ?」

 

 携帯電話が鳴り響き、すぐさま着信を確認すると、ディスプレイに表示されているのはアリスの名前。

 ナナリーは着信して、1時間以上を待たされた怒りをアリスへぶつけると、ようやく帰れる嬉しさに声を弾ませた。

 

 

 



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第三章 第05話 閃光の影

 

 

 

「ザ・スピード」

 

 アリスが口の中で小さく呟いた次の瞬間だった。

 タイヤがスリップする様な甲高い音が鳴り響き、廊下の窓は全て閉まっているにも関わらず、まるでアリスが立っていた場所に台風が一瞬だけ現れたかの様に強い突風が吹き荒れて、廊下を突き抜けゆき、窓や教室の扉を大きくガタガタと揺らす。

 

「「な゛っ!?」」

 

 アリスの前後を挟み撃ちにして、攻撃を繰り出そうとしていた男子生徒2人は我が目を疑った。

 突如の突風を受けて、両手を反射行動に顔の前へ翳し、それを下ろすまでの1秒にも満たない刹那。その僅かな間に目の前に居た筈のアリスは姿を消していた。

 そして、驚きを乾かす暇もなく次の瞬間。ガラスの割れる音が廊下に鳴り響き、男子生徒Aが音の発生源である背後を何事かと振り返り、男子生徒Bが目をギョッと見開かせて、届かないと解っていながらも思わず右手を伸ばす。

 

「えっ!?」

「ま、待て! む、無茶をするな!」

 

 男子生徒2人が居る場所から50メートルほど離れた廊下の突き当たり。

 アリスは交差させた腕を顔の前へ置きながら、飛び込み前転を行う様に窓へ飛び込み、ガラスをぶち破って、3階の高さから外へ飛び下りた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ほらほら、どうしたの! がっかりさせないでよね!」

「くっ!?」

 

 右正拳突き、左正拳突きと続き、後ろ回し蹴りの三連コンビネーション攻撃。

 3階から飛び下りた後、クラブハウス棟へ向かう道中、体育館裏で待っていた敵を相手にして、アリスは防戦一方の足止めを喰らっていた。

 なにしろ、目に見える敵の姿はナナリーであり、耳に聞こえる敵の声もナナリーの声。それは変装とか、声帯模写などのレベルを遙かに越えており、ナナリーそのもの。

 今もハイキックの際にチラリと覗いたオレンジ色のモノとて、先日の買い物で一緒に買ったお揃いの下着。アリス以外は誰も知らない筈のモノ。

 その為、攻撃に転じたとしても、力加減に躊躇いがどうしても生じてしまい、狙いも知らず知らずの内に甘くなり、アリスにとって、目の前の偽ナナリーはやりにく過ぎる相手だった。

 

「さあ、もう一度! 1、2、3っと!」

「ば、馬鹿にして! ……くぅっ!?」

 

 そして、それに重ねての問題。偽ナナリーの攻撃が妙に当たってしまうという謎があった。

 アリスは決して弱くは無い。刀を所持した時のナナリーほどの打倒力はさすがに持っていないが、無手と軽業に秀でており、突破力ならナナリーをも凌ぐ。

 そんなアリスから見て、偽ナナリーの攻撃は長年の研鑽を感じはさせるが、明らかに格下。特に脅威を感じるものでは無かった。

 ところが、間合い見切り、余裕を持って避けているにも関わらず、偽ナナリーの攻撃は見切った筈の手元でグンと伸びて当たり、これがやりにくさを二重にしていた。

 その上、この現場を一般の生徒達に見られたら、騒ぎとなるのは必至。それがアリスの焦りを誘い、苛立ちを三重に重ねる結果となっていた。

 そもそもの発端は剣術大会が始まり、クラス代表に選ばれたアリスが名前を呼ばれ、一回戦の決闘場へ進み出た時の事だった。

 不意に視線を感じた。それもまとわりつく様な粘着した気持ちの悪い視線であり、ソレは試合中もずっと続き、アリスは集中力を乱して、あっさりと一回戦を敗退する。

 その視線は試合後も続き、試しに剣術大会が行われている野外から校舎内へ入ってみるも消えず、さすがに女子トイレの中までは追ってこなかったが、女子トイレから出た途端、視線が待ってましたと言わんばかりに再びまとわりつく始末。

 当然、アリスは苛立ったが、相手の目的が解らない以上、気付かないフリを続け、平静を装いながらも視線の発生源を探して、探して、探しまくり。ようやく、ソレを見つける。

 美術室や理科実験室などの特殊教室が列ぶ校舎の屋上、ほぼ真上を見上げなければならない死角の位置に見知らぬ男子生徒が居るのを鏡代わりにした黒い壁紙の携帯電話のディスプレイの中に見つけた。

 その瞬間、アリスは大きな勘違いの可能性にふと気付く。もしかしたら、この視線は自分を狙ったものではなく、常に一緒に居たナナリーを狙ったものなのではなかろうか、と。

 しかし、それならそれで気配察知に長けているナナリーが気付いていない筈が無いのだが、今日のナナリーにソレを求めるのは無理だった。

 何故ならば、傍目には普段通りにしか見えないが、実のところ、ナナリーは初めての大会参加に少し緊張しており、その証拠にアリスはトイレへ何度となく誘われていた。

 それ故、アリスは決勝戦を次に控えている今、ナナリーへ余計な邪念を与えてはならないと単独での行動を決意。苦悶の表情を浮かべて、お腹を右手でさすり、腹痛を装いながら女子トイレへ駆け込み、そのまま女子トイレの窓から外へ出た。

 思惑通り、女子トイレを経由した事によって、まとわりついていた視線は消え去り、アリスは誰の目にも触れない様に校舎の窓ガラスの位置より腰を低くして駆けると、美術室や理科実験室などの特殊教室が列ぶ校舎の屋上へと急いだ。

 

「甘いよ!」

「ぐふっ!?」

 

 偽ナナリーの猛ラッシュを浴び、アリスは両腕を身体の前に立ててのガード。

 だが、上段へ対する攻撃が続いた為、ガードは自然と上がり、その隙を突き、偽ナナリーが踏み入れた左膝を落としながら腰を右に捻り、下から突き上げる右拳をアリスの鳩尾へ放つ。

 アリスは目が飛び出すほどの激痛を味わうと共に呼吸を詰まらせての悶絶。脳が急速な酸欠状態となり、後方へたたら踏んで倒れそうになるが、頭を左右に素早く振って持ち直す。

 屋上で出会ったのが、先ほどの男子生徒2人。普段は出入りが固く禁じられており、南京錠とチェーンが施されている筈の屋上へ出ると、アリスを待っていたのは明確な敵意と問答無用の攻撃。

 多勢に無勢。アリスは即座に逃げを選び、彼等の追跡を攪乱しようと、3階の社会科資料室へ一旦は潜伏したが、あの嫌な視線が再びまとわりつくと、あっさりと発見されてしまい、その後は冒頭へと至る。

 

「おっ!? やるじゃん? 今ので倒れないなんてさ?」

 

 星がチカチカと瞬き、歪んで見える視界。アリスは奥歯を噛み締めて、意識を無理矢理に保ち、笑う膝に力を入れて踏ん張る。

 言うまでもないが、アリスは自棄になって、3階の高さから飛んだ訳ではない。飛ぶ先にクラブハウスへ至る道が有り、そこにクッション代わりとなる並木が有ると知っての事だった。

 但し、その並木は2階をやっと超える程度の高さしかなく、飛び下りた3階の窓からは見下ろす位置、アリスが駆けた3階の廊下からは見えない位置にあった。

 また、それ以上に問題だったのが、並木と校舎の間に存在する距離。走り幅跳びの世界記録を軽く超える距離が有り、常識的に考えて、アリスの決断は無茶無謀すぎた。

 だが、その無茶無謀を覆す術をアリスは持っていた。それが『ザ・スピード』、アリスが追っ手である男子生徒2人の目の前から唐突に消えた理由『ギアス』である。

 

「でも、聞いていた話とは随分と違うね?

 これじゃあ、ちっとも面白くないよ。拍子抜けって感じ」

 

 追撃の余裕は十分過ぎるほど有るにも関わらず、余裕を見せ付けて、嫌味にニヤニヤと嘲り笑う偽ナナリー。

 その笑みが決定打となり、アリスは決断する。力ある言葉『ザ・スピード』を小さく紡ぎ、左の瞳の中に赤い紋章を輝かせた。

 『ザ・スピード』とは、誰にでも等しく流れている時の概念を引き延ばして、その感覚の中、アリス自身とアリスが触れている物は通常と変わらぬ動きが出来る能力である。

 例えるなら、アリスが時の流れを5倍速に設定すると、アリスにとっての5秒が通常者の1秒となり、その引き延ばされた5秒の中をアリスは通常と変わらない1秒を過ごす為、周囲から見たら、アリスが通常の5倍の速さで動いている様に見える。

 

「あっ!? ……ぐううううっ!?」

 

 偽ナナリーが何かに気付いて血相を変えるが、時既に遅し。

 アリスの姿が不意に掻き消えたかと思ったら、対峙していた5メートルほどの距離を瞬時に詰めて、アリスは偽ナナリーの目の前に現れ、先ほどのお返しと言わんばかりにすれ違い様の右膝を偽ナナリーの鳩尾へ深々と突き刺していた。

 『ザ・スピード』の優秀なところは、その時を引き延ばす倍率は一旦固定されたら解除するまでは不変だが、発動前は任意の倍率を選べる点に尽きる。

 それこそ、極論を言ってしまえば、拳銃が放った銃弾すらも止まって見える様な倍率さえも設定可能だが、それと引き換えに2つのデメリットが存在する。

 まず1つ目のデメリットは体力の問題。倍率を上げれば、上げるほど、同じ100メートルを走るにしても、その消費体力は大きくなってゆく。

 次の2つ目のデメリットは肉体の耐久力の問題。一説によると、人間とは自身の肉体を壊さない為に枷を知らず知らずの内に課しており、どんなに力を振り絞ったとしても潜在能力の3割しか出せないらしい。

 ところが、その枷を『ザ・スピード』のギアスは容易く外す。5倍速に設定すれば、5倍の動体視力を、5倍の腕力を、5倍の脚力を、5倍の跳躍力を得る事が出来る。それが1秒という時の中を5秒分動ける正体である。

 即ち、この2つの限界を超えた瞬間か、またはギアス発動と共に分泌される脳内麻薬が切れた途端、ギアスを使用した反動が一気に現れる為、過度の連続使用や極端な高倍速はとても危険な一面を持っていた。

 

「真似るなら、しっかりと真似なさいよね。

 ナナリーは弱者を嬲って笑ったりは絶対にしないから……。

 ……って、ああ……。そういう仕掛けだったのね。手品と一緒か」

 

 偽ナナリーは苦悶の表情を浮かべて、口をパクパクと開閉。

 身体を『く』の字に曲げて、一歩、二歩、三歩と蹌踉めいて後退すると、その場に膝をつき、そのままコンクリートの大地へ倒れ伏した。

 その途端、偽ナナリーの姿はアッシュフォード学園高等部女子制服から見慣れぬ灰色の制服へと変わり、その体付きも、容貌も男のモノへと変わる。

 アリスは倒れ伏した男の身長がナナリーよりも10センチくらい高いと知り、欺かれていたのが容姿や声だけではなく、攻撃の間合いもまた欺かれていた事に気付く。

 つまり、身長がナナリーよりも高い分、この謎の男の本来の間合いはナナリーより広くなり、実際と見た目の差異が生まれて、見切りを誤らせる結果となり、攻撃の際にあった手元でグンと伸びる様な感覚もこれが原因だった。

 

「ええっと……。良し、あそこにしよう」

 

 アリスは辺りをキョロキョロと見渡した後、謎の男の両脚を持って引きずり、近くのベンチに乗せて寝かせると、いかにも昼寝をしています風のポーズを取らせる。

 本音を言ったら、手足を拘束させて、その目的を聞き出したかったが、この場へ一般の生徒がいつ現れるか知れず、それを聞いている暇は無かった。

 

 

 

 ******

 

 

 

「……やっぱり、怪しい」

 

 クラブハウス棟の最も端にある男子ラグビー部の部室に潜伏して、アリスはチャンスを窺っていた。

 目指すは高等部の南に隣接するアッシュフォード邸。その敷地を囲む森は目前にあったが、最後の十数メートルの距離が詰められず、アリスは既に約10分以上もこの場に潜伏中。

 その理由は磨りガラスの窓を少しだけ開けた隙間から見える男子生徒。高等部と森の間にある見通しの良い道路にて、先ほどから行ったり、来たりを繰り返す様は明らかに不自然であり、誰かを待ち伏せているとしか見えなかった。

 屋上で出会った男子生徒2人も、ここへ来る道中で戦った者も、特殊能力を持っていたが為、目の前の男子生徒もまた何らかの特殊能力を持っていると十分に考えられ、それがアリスを躊躇わせていた。

 ちなみに、アリス自身が『ザ・スピード』という特殊能力を持っており、数多の特殊能力を過去に見た経験が有る為、敵が特殊能力を持っている事実に関しての驚きは無い。

 しかも、障害は怪しい男子生徒だけでは無かった。高等部の敷地を囲む金網があり、その高さは3メートルほど。それを上るのは容易だが、上る際に音が必ず鳴り、気付かれてしまうのは必然だった。

 

「それにしても……。何なの! この臭い!

 臭すぎるよ! しかも、こんなに散らかして!」

 

 当然、冷静さを必要とする場面なのだが、この部室はアリスの冷静さを崩す上に苛立たせる原因が数多にあった。

 一言で言ってしまえば、ゴミの山。細長い部室は片方の壁にロッカーが列び、そのロッカーの前に獣道の様な隙間が有るだけで足の踏み場が無かった。

 特に部室中央のテーブルに山積みされた汚れ物からは酸っぱい男臭さが漂っており、この部室に潜伏してから約10分が経っているにも関わらず、未だ鼻が曲がりそうなくらい臭かった。

 つい苛立ちから足下のゴミを蹴飛ばしてみれば、いつからそこにあったのか、菌糸類が繁殖したエメラルドグリーン色のコンビニの弁当箱が発掘され、同時に数匹の『G』が姿を現して、音をカサカサと立てながら素早く散ってゆく。

 

「ひぃっ!? ……んぐっ!?」

 

 その瞬間、アリスは思わず全身を強張らせて爪先立ち。既に部屋の隅に立っているが、ゴミとの距離を1ミリでも離れようと、より部屋の隅へ後退してへばり付く。

 また、思わず悲鳴をあげそうになったが、即座に己の胸を右拳で思いっ切り叩き、息を無理矢理に詰まらせるという方法で危うく堪えている。

 

「ほ、保安部は何してるのよぉ~~……。

 い、いつまで経っても連絡は来ないし……。も、もう、どうなってるのっ!?」

 

 今や、その姿は隠れて見えなくなったが、この部室にソレが居ると知ってしまった今、その嫌悪感と恐怖心は消せない。

 アリスは鳥肌を全身に立たせて、そのザラザラとした両腕の肌を手で擦りながら背筋を走る寒気に堪える一方、この部室から今すぐ出ていきたい心境に駆られる。

 ところが、例の怪しい男子生徒はこちらへ向かっているところ。アリスは様々な感情を飲み込んで自重するが、やり場の無い怒りだけは飲み込めず、それがボヤきとなって現れる。

 アッシュフォード学園はルーベンが所有する土地ではあるが、アッシュフォードの領地ではない為、当然の事ながら国の警察機関が配置されている。

 だが、それとは別にして、アッシュフォード私設の保安部という機関も存在しており、アッシュフォード学園という巨大な学園都市の治安維持を同じく担っていた。

 その設立理由は本国、各エリアから留学生を迎えており、その中には貴族の子弟子女が多く居る為、警備面を強化する必要があったから、と表向きはなっているが、真実は違う。

 このアッシュフォード学園はルーベンがナナリーの為に作ったモラトリウムであり、ナナリーを護る為の要塞。孫のミレイすら含めて、その他はナナリーのおまけでしかない。

 だからこそ、アリスにしたら、これほどの騒ぎがナナリーの身近で起こっているにも関わらず、保安部が何のリアクションも返してこないのは異常だと言わざるを得なかった。

 例え、高等部の各所に設置されている隠しカメラの映像を監視担当員が見逃していたとしても、アリスが特別教室棟の3階廊下の窓を割った時点で侵入者警報が保安部の本部で鳴っている筈だった。

 その上、アリス自身も携帯電話の電源を切る事で兼ねているエマージェーシーコールを発していたが、これに対する反応も無し。アリスがナナリーの直接護衛役を担っているが故、全てにおいて優先される筈のエマージェーシーコールがである。

 それ故、考え悩んだ末、アリスは本来なら向かうべき先の高等部地下に存在する保安部本部へ向かわず、アッシュフォード邸を目指していた。保安部本部が敵の手に墜ちたという最悪の事態を考えて。

 

「でさぁ~~……。」

「だよねぇ~~……。」

 

 壁に張り付いているからこそ、ふと壁越しに聞こえてきた微かな声。

 アリスは目をハッと見開かせた後、目を瞑りながら耳を澄ますと、隣の女子サッカー部だけでは無かった。クラブハウス棟周辺の気配がゆっくりと増えつつあるのが解った。

 恐らく、剣術大会が終わったのだろう。この部室の住人達が次の瞬間にも現れるかも知れないという可能性がアリスの焦りを加速させる。

 なにしろ、怪しい男子生徒を見つけて、その様子を探る場所としては絶好の位置だったが、ここは男子ラグビー部の部室。女であるアリスがここに居るのはどう考えても不自然すぎた。

 部室へ侵入する前は、マネージャーとしての入部希望を言い訳に考えていたが、この部室の有り様を見た今となっては絶対にノーサンキュー。嘘でも言いたくは無かった。

 最早、躊躇っている暇は無かった。この『G』が隠れ潜む部室から一刻も去りたいという思いも手伝って、アリスは窓を勢い良く開け放ち、口の中で小さく『ザ・スピード』と呟く。

 その設定速度は禁断の10倍速。嘗て、それを行った時は12秒で両脚の肉離れが起こり、ギアスが勝手に解除された事を考えると、アリスに与えられた時間はたったの10秒。

 

「っ!?」

 

 扉が開く音に反応して振り向き始めた怪しい男子生徒を目の前にして、アリスは窓を乗り越える。

 そして、両腕を振りながら両膝を一気に屈伸させてのその場跳び。金網を上らず、金網そのものを飛び越えてしまう。

 心の中のカウントは既に6つ目。背後を振り返って、怪しい男子生徒の様子を確認する余裕は無く、アリスは着地と共にすぐさま森へ駆ける。

 

「うわっ!?」

 

 カウントは遂に10へ到達。アリスが木の影に隠れて、ギアスを解除させた次の瞬間。

 男子ラグビー部の部室から森までのアリスが通った道のりにて、突風を越える暴風が巻き起こり、窓が、金網が、森の枝が一斉に激しく揺れる。

 その暴風を間近で浴び、怪しい男子生徒は思わず驚き声をあげて、あまりの風圧に堪えきれず尻餅をつく。

 

「何、今の凄い風? ……って、キャっ!?」

「い、いや……。そ、その……。す、済みませんでした!」

 

 同時に女子サッカー部の部室でも幾つかの悲鳴があがり、好奇心に促された1人の女子生徒が窓を開ける。

 その直後、すぐ目の前に居た怪しい男子生徒と必然的に目が合い、女子生徒は思わず悲鳴をあげて驚き、一歩後退。

 現代社会において、こういった場面に直面した場合、男は弱い。女性へ対しての免疫を持たない者なら、それは尚更の事だった。

 謝る必要も無ければ、逃げる必要も無いのだが、女子生徒の視線に耐えきれず、慌てて男子生徒は立ち上がると、その場から一目散に逃げ出す。

 その様子を眺めて、アリスは予想外の大成功に驚きながらも、これなら追って来る心配はあるまいと一安心。森の奥へと向かう。

 

「よしよし……。これでもう大丈夫かな?」

 

 だが、アリスは大事な事を忘れていた。先ほどアリスが起こした暴風の始まりがあの男子ラグビー部の部室内からだったのを。 

 そう、暴風が狭い部室内に吹き荒れた結果、ゴミの山の下で息を潜めていた何百、何千という大量の『G』が一斉に覚醒。

 その侵攻は数分後に隣の女子サッカー部へと及び、クラブハウス棟は阿鼻叫喚の地獄絵図となり、翌日は立ち入りが禁止されての大バルサン大会が開催。

 一週間後、男子ラグビー部は『G』の大量繁殖の責任を追及されて、同好会に格下げされると共に部室を失った。

 

 

 

 ******

 

 

 

「はぁ……。はぁ……。はぁ……。はぁ……。」

 

 アリスは息を絶え絶えに顎を上げて、足下をふらつかせながら森の中を駆けていた。

 その姿はまるで豪雨に打たれたかの様に汗だく。上着のブラウスは肌にべったりと張り付き、オレンジ色のブラジャーが完全に透けている状態。

 時たま、脹ら脛が大きく痙攣を起こし、その度に倒れかけながらも懸命に踏ん張り、アリスは決して足を止めようとはしなかった。一度でも止めたら、もう立ち上がれないと解っていたからである。

 アッシュフォード邸を囲む森は租界の中に作られた人工の森。決して深くはないのだが、木の配置に工夫が施されており、その法則を知らない者が森へ入ると、幾ら進んでも奥へは行けず、逆に外へ、外へと向かう不思議な仕組みとなっている。

 だが、その法則さえ知っていれば、普通の森と変わらない。直線に進めないだけであって、森の何処から入っても、約300メートルほど歩くと、アッシュフォード邸へ到達する事が出来る。

 なら、このフルマラソンを走ったかの様な激しい消耗は何故なのかと言えば、これこそが『ザ・スピード』の代償だった。

 もっとも、真の代償は明日の朝になって現れる筋肉痛。その痛さたるや、壮絶なモノがあり、強いて例えるなら、寝ているアリスの上にお相撲さんがドスンと乗っかり、コサックダンスを踊っている様な痛み。

 

「はぁ……。はぁ……。くっ!?」

 

 ようやく森の先に光が見え、アリスは最後の気力を振り絞って、奥歯を噛み締めながらダッシュ開始。

 そして、とうとうアッシュフォード邸の裏庭に到着。アリスは己の幸運に感謝した。正面の玄関口へ回るまでもなく、使用人達が出入りする為の裏口が開いているのを見つけて。

 

「も、申し上げます! こ、高等部に正体不明の敵が……。」

 

 更なる猛ダッシュ。裏口を目の前にして、遂に体力も、気力も尽き果てるが、その寸前で踏み切って飛び込む。

 その際、前回り受け身を行う事によって、三半規管が揺すられて、只でさえ朦朧としている視界が更に朦朧となる。

 しかし、周囲に確かな人の気配を感じ、アリスは床に俯せて倒れたまま、今正にアッシュフォード学園高等部で起こっている異常を叫び訴えた。

 

「「「おめでとう! アリス!」」」

「侵入……。へっ!?」

 

 ところが、それを遮って舞い降りる盛大な拍手喝采。

 当然、意味が解らないアリスは怪訝を表情に浮かべるしかなかったが、身を起こして、思わず茫然と目が点。混乱大パニック。

 

「アリス、良く頑張ったわね!」

「ええ、誇らしいわ! これで誰も文句を言わない筈よ!」

「うんうん! はい、お水!」

 

 アリスが見上げると、そこには嬉しそうに微笑む3人が居た。

 約5年ぶりの再会。お互いに成長はしていたが、それぞれが幼い頃の面影を残しており、アリスは一目見るなり、3人が誰なのかが解った。

 嘗て、同じ部屋で暮らしていた3歳年上の姉『サンチア』と2歳年上の姉『ルクレティア』と1歳年下の妹『ダルク』、アリスの姉妹である。

 但し、姉妹と言っても、サンチアは東洋系の黒髪黒目、ルクレティアはブリタニア系の金髪碧眼、ダルクは南米系の銀髪蒼目。その見た目で解る通り、4人に血の繋がりは無い。

 

「あ、ありがとう……。

 ……って、違う! 何なのよ! これ!

 どういう事! どうして、姉さん達とダルクがここに居るの! おめでとうって、何! 何なの!」

 

 目の前に差し出されたグラスは氷入りの冷水に満たされて、その表面は結露した水滴が滴り、今のアリスにとったらソレは最大のご馳走だった。

 アリスは引ったくり奪う様に受け取って、一気飲み。喉を美味そうにゴクゴクと鳴らして、気が逸るあまり、口の端から水が零れ、胸元を濡らしてゆくが気にしない。

 そして、飲みきったところで我に帰ると、その口から出てきたのは疑問ばかり。怒りと苛立ちにグラスを床へ思いっ切り叩き付ける。

 なにせ、親友であり、護衛対象のナナリーを置き去りにしてでも、高等部の異常を一刻も早く伝えねばと息も絶え絶えに来てみれば、エリア11に居る筈の無い姉妹達の歓迎である。

 しかも、改めて良く見ると、姉妹達が着ている服装はパンツとスカートの違いはあるが、その上着は偽ナナリーの正体が着ていたものと同じデザイン。アリスが怒るのも無理のない話。

 

「それについては俺が説明しよう」

 

 そこへ見計らったかの様なタイミングで現れるルルーシュ。

 ちなみに、剣術大会が終わった今、女装は既に解いており、その服装は今日のアッシュフォード訪問がお忍びである為にカジュアルなもの。

 

「「「きょ、饗主様っ!?」」」

「え゛っ!? ……きょうしゅさま?」

 

 サンチアとルクレティアとダルクの3人は即座に部屋の隅まで足早に後退り、片跪きながら頭を深々と垂れる。

 だが、アリスにとって、饗主とはV.Vであり、C.Cの2人。意味がさっぱり解らず、視線をルルーシュと3人へ交互に向けて混乱しまくり、再び茫然と目が点。

 

「な、何をしてるの! ぶ、無礼でしょう!」

「ア、アリスちゃん! きょ、饗主様の御前よ!」

「きょ、饗主様だよ! あ、新しい饗主様!」

 

 そんなアリスに目をギョギョッと見開き、顔色を蒼白にさせる3人。

 一拍の間の後、その声を潜めながらも怒鳴る3人の指摘にルルーシュが何者であるかを理解して、アリスは自分の知らない約5年間にビックリ仰天。

 

「も、申し訳有りません!

 ご、ご無礼を! ご、ご無礼をお許し下さい!」

 

 すぐさま跳び起きると、アリスもまたダルクの隣に列び、エリア11での生活で憶えた最大の礼『土下座』をルルーシュへ捧げた。

 

 

 



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第三章 第06話 解き放たれるギアス

 

 

 

「……と言う訳だ」

 

 アッシュフォード邸の使用人休憩室を借り切っての説明会。その要点を纏めたのが以下の通り。

 ルルーシュがギアス饗団饗主の地位に新しく就くと共に行った饗団内の改革の中、新設された饗主直轄の饗主護衛団。

 その団長の座を任せたサンチアよりエリア11へ訪問するに辺り、上申があった。是非、妹のアリスを栄えある饗主様の護衛団の一員に加えて欲しい、と。

 しかし、ルルーシュが護衛団へ意見を求めると、反対意見が表れ、8人居る護衛団は見事に賛成4人、反対4人で二分。お互いに一歩も譲ろうとはしなかった。

 結局、それを見かねたルルーシュが極めて単純な『だったら、アリスとやらの実力を試せば良いじゃないか』という結論を出す。

 つまり、アリスが命を賭して駆けてきたここまでの道のりは全て仕込まれたもの。途中で出会った妨害者は反対派の者達であり、このアッシュフォード邸の使用人休憩室へ定められた制限時間内に現れるか、それが合格条件の1つだった事が告げられた。

 

「さて、結論を告げる前に聞きたい。

 何故、護衛対象である筈のナナリーを放置して、ここを目指したのか。その理由を教えてくれないか?」

 

 アーニャを背後に控えさせて、ルルーシュはパイプ椅子に足を組んで座り、自分の前に片跪くアリスを眺めながら、ギアス饗団が過去に行った罪を感じずにはいられなかった。

 誰がどう考えたって、自分達が仕掛けたテストは悪ふざけも良いところ。何らかの罵声を浴びせられて、唾を吐かれても仕方ないとルルーシュは考えていた。

 なにしろ、ギアスという奥の手が有り、怪我は結果的に無かったとは言え、アリスは3階から飛び下りるというルルーシュも予想していなかった無茶を行ってさえいるのだから。

 ところが、片跪きながら頭を垂れている為、その表情は見えないが、アリスからは不満というモノが微塵も感じられなかった。

 その理由は言うまでもない。饗主の言葉に逆らうな、疑問を持つな、ただ黙って従えという饗団三大原則であり、ギアス饗団が幼少の頃より苦痛と共に叩き込んだ教育の賜物である。

 また、見るからに疲労困憊して、今にも倒れそうなくらい左右にフラフラと身体を揺らしているが、片跪いて頭を垂れた体勢を懸命に維持して崩そうとしないのも、それに当たる。

 アリスの背後に横並びとなって片跪く3人。サンチアとルクレティアとダルクも、その辛そうな姿を目の前にして何も言わない。今朝は苦笑を誘うほどにソワソワと落ち着かず、抜き打ちのテストを受けるアリスを心配していたのが嘘の様だった。

 

「はい、饗主様……。

 私が饗団より授かったギアスを用いれば、ナナリー様をお救いする事自体は容易に御座いました。

 しかし、所詮は個人の力に過ぎません。

 また、今回は最初の接敵にて、相手もまた特殊能力の持ち主だと気付きました。

 そして、バックアップの役目を持ったアッシュフォードが音信不通。

 これではナナリー様をお救いしたとしても、敵の追跡をかわして逃げるという点で不安が大き過ぎます。

 幸いにして、ナナリー様はとても高い武才の持ち主。簡単に敵の手に落ちる様な御方では有りません。

 ですから、この異常事態をアッシュフォードへまずは知らせて、敵へ対する包囲網を作る事こそが重要と考えました」

 

 アリス・エデンバイタル。今でこそ、嘗てのグレートブリテンに領地を有していたブリタニア宮廷貴族の子爵位姓『エデンバイタル』を名乗っているが、その出自は作られたものであり、真実の出自はアリス本人すら知らない。

 所謂、ブリタニア領内なら何処にでも存在する戦災孤児の一人であり、アリスの最初の記憶はスラム街。物心が付いた頃から親は居らず、窃盗やゴミ拾いをして、その日の糧を得ていたが、そのスラム街が何処かすらも今となっては解らず、アリスが持っている生来の所有物は『アリス』という名前のみ。誕生日はおろか、本当の年齢も知らない。

 一回目の転機が訪れたのは4歳の冬。慈善活動の食糧配給を隠れ蓑としたギアス饗団の孤児狩りに遭い、ギアスを与えられて、その日から実験材料としての地獄の日々が始まった。

 もっとも、アリスは運が良かった。顕現したギアス『ザ・スピード』が希少性と有効性に富んでいた為、使い捨ての実験材料とならず、工作員としての訓練が実験と共に施され、ヒトとしては最低の扱いを受けながらも生き延びる事が出来た。

 余談だが、誕生日と年齢が決まったのが、この時である。誕生日はギアスを与えられた日と決まり、年齢はブリタニアの平民女児の身長と体重の平均値から算出されたが、孤児狩りに遭った当時、その日の食べる物すら困り、痩せ細っていた事実を考えると、本来の年齢は今より上の可能性が大いにあった。

 二回目の転機が訪れたのは10歳の秋。突然、今の義父母であるエデンバイタル家の老夫婦と縁組みを結ばれると、ギアス饗団から離れて、この優しい義父母と一緒に暮らす様に命じられ、一般常識と貴族としての立ち振る舞いを習得させられた。

 三回目の転機が訪れたのは12歳の春。この日も前触れのない突然の出来事だった。ギアス饗団から迎えの使者が現れ、その旅立ちを涙する義父母に見送られて、あの地獄へまた戻るのか、そう考えながら連れられて行った先にて、アリスは信じられない光景を目の当たりにする。

 

『エリア11へ赴き、我が娘『ナナリー・ヴィ・ブリタニア』の護衛をせよ。

 そして、別命を待て……。詳細はここに居るアッシュフォードへ聞くが良い。以上だ』

 

 たった数秒の、それも非公式な場ではあったが、皇居にあるバラ園へ招かれて、雲上人たる神聖ブリタニア皇帝との謁見。

 その勅命は極秘とされ、アリスは表向きは本国からの留学生。真実一歩手前の身分はアッシュフォードの保安部に所属する一人として、ナナリーの護衛任務に就く事となった。

 ルルーシュは饗団内のデーターベースにあったアリスの記録を思い出しながら、返ってきたアリスの答えに頷き、どうしたものかなと腕を組んで思い悩む。

 

「うん……。文句の付けようが無い答えだ。

 サンチアが推薦するだけの事はある。実に優秀だ」

「では、アリスを護衛団に!」

 

 その時、ルルーシュは目敏く見つけた。

 高評価を与えたにも関わらず、アリスが身体をビクッと震わせた後、その肩を微かに落として意気消沈したのを。

 それは許可を待たず、喜びのあまり思わず顔を上げたサンチアを始めとするルクレティアとダルクの3人の様子とは実に対照的であった。

 

「まあ、待て……。慌てるな」

 

 ルルーシュは右掌を突き出して、喜び勇む3人を制しながら、今さっきのアリスの様子にもしかしたらと期待を抱く。

 実を言うと、テストの合否に関わらず、その内容が健闘に値するものなら、ルルーシュはアリスを護衛団に加入させるつもりだった。

 無論、その理由は兄妹愛に甘いルルーシュがサンチア達の姉妹愛に感心したからであり、アリスの実力を知りさえすれば、反対派の者達も納得するだろうと考えていた。

 ところが、剣術大会の最中、アリスが1回戦の決闘場へ進み出た時、その思惑を覆す情報がミレイよりルルーシュへ告げられた。

 そう、ナナリーとアリスが主従の関係を越えた親友同士だと知り、ルルーシュは当然の事ながらナナリー愛を炸裂。『その仲を引き裂くなんて、とんでもない』とアリスの護衛団加入を断る口実を必死に探していた。

 

「アーニャ、少しの間を頼む」

「んっ……。」

 

 だが、その口実がアリス側に存在するなら、悩みは解決したも同然。

 それを確かめる為、ルルーシュは背後を振り返り、アーニャへ何やら言付けると、席を立ち上がった。

 

「アリス、顔を上げろ」

「はい」

「恐れるな。拒まず、全てを受け入れろ」

「……はい」

 

 そして、アリスの元へ歩み寄り、顔を上げたアリスの額へ突き出した右掌を翳すと、ルルーシュはギアスの紋章を額に浮かび上がらせると、それをゆっくりと輝かせ始めた。

 暫くすると、淡く輝くギアスの紋章を中心にして微風が起こり、ルルーシュの前髪を揺らして、まるで後光が輝くかの様にルルーシュ自身も淡く輝き始め、その神秘的な姿に魅入られたアリスが目を静かに閉じた次の瞬間だった。

 

「「「アリスっ!?」」」

 

 アリスが脱力する様に崩れ落ち、サンチアとルクレティアとダルクの3人が驚きながらもすぐさま駆け寄って抱き起こす。

 しかし、アリスからの反応は全く返ってこず、その手は力無くダラリと垂れたまま。たまらずサンチアが説明を求めて、顔を上げると、ルルーシュもまた意識を失っていた。

 

「饗主様までっ!? ……アーニャ様、これは一体っ!?」

「大丈夫。心配ないから」

 

 アーニャはルルーシュを正面から抱き留めて、役得と言わんばかりにルルーシュの胸へ顔を埋めながら鼻をスンスンと鳴らしまくり。

 そんなアーニャを羨ましそうに眺め、ルクレティアは人差し指を口にくわえながら『良いなぁ~~』と小さく呟いた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「あれ? ここって……。」

 

 アリスが目を開けると、そこは先ほどまで居たアッシュフォード邸の使用人休憩室とは違う場所だった。

 驚きに見開いた目で思わず辺りをキョロキョロと見渡してみれば、バスケットコートが4面は作れるただっ広い部屋のど真ん中。

 吹き抜けとなった高い天井とそれを支えている壁際に幾本も立つドーリア式の白い柱。自分が立つ赤い絨毯の先にある巨人が通る様な巨大な木の扉。

 部屋にある1つ1つの装飾がどれもこれも豪華であり、こんな場所へ訪れた経験は無い筈が、妙に見覚えの有る場所でもあった。

 

「ペンドラゴンの王宮、謁見の間だ」

「ええっ!? その服ってっ!?」

 

 その疑問に応える声が背後から届き、アリスが後ろを振り返ると、赤い絨毯が作る道の先、三段の階段を登ったところ。シルクの光沢に輝く純白を纏ったルルーシュが豪奢な椅子に座っていた。

 アリスは目をパチパチと瞬きして固まり、数拍の間を開けて、ギアス饗団饗主たるルルーシュの正体を今更ながらに気付くと、ルルーシュを勢い良くビシッと指さして、ビックリ仰天。

 その決め手となったモノは、ルルーシュが着ている白い衣装。それは黒と白の違いはあるが、あの全世界生中継されたシャルルとの謁見の中でルルーシュが着ていた特徴的な衣装に相違無かった。

 

「ああ、これか? 前に着ていたものなんだ。

 全く傑作だとは思わないか? 人を招かねば、自分以外は誰も居ない王宮が俺の心象風景だとはな」

 

 ルルーシュは自分自身の姿を見下ろして懐かしみ、その目を細めながら自虐的に笑う。

 そう、ここに有る全てのモノはルルーシュがこの今在る世界へ訪れるに辺り、置き去りにしてきた前の世界での思い出ばかり。

 例えば、本来の謁見の間に飾られている壁の肖像画は建国以来の歴代皇帝のモノだが、ここに列んでいるソレは前の世界で親しかった者達の顔。

 ルルーシュが持つ想いの強さに比例しているのか、ナナリー、シャーリー、ユーフェミアを描いた絵は大きく、C.Cに至っては謁見の間の天井そのものの巨大さ。ステンドグラスとなって描かれている。

 

「もしかして、ナナリーのお兄さんっ!?」

「もしかしてはこっちの台詞だ。気付いていなかったのか?」

 

 しかし、アリスの問題点はもっと別のモノだった。

 ルルーシュは思わず顎を支えて肘置きに置いていた右肘を滑らせての脱力。ニヒルに決めた自分が急に恥ずかしくなり、紅く染めた顔をアリスから背ける。

 

「はっ!? も、申し訳有りません! わ、私ったら!」

 

 だが、アリスはルルーシュの失敗に気付いている余裕など無かった。

 ふと我に帰り、饗団饗主を指さすという恐ろしいほどの不敬を行っている自分に気付き、慌てて三歩下がっての土下座。

 

「ふっ……。気にする必要は無い。

 ここに居るのは俺とお前の2人だけ。気楽にしても構わないぞ」

「そうは申しましても……。」

「まあ、こんな場所で気楽にしろと言うのが無理か。……だったら、これならどうだ?」

 

 その様子に胸をホッと撫で下ろして、ルルーシュは一安心。

 何事も無かったかの様に取り繕い、組んでいる足を大仰に組み替えると、指をパチンと鳴らした。

 その瞬間、周囲の光景が変わった。アリスが知る由も無いが、そこはルルーシュの出発点と言える約10年前のアリエス宮の庭園。

 色とりどりの花が周囲に咲き誇る小さな東屋の中、ルルーシュとアリスは白い丸テーブルを間に挟み、向かい合って座っていた。

 

「えっ!? ……ええっ!?

 こ、これは一体……。きょ、饗主様の手品ですか?」

 

 アリスは驚く他無かった。目を見開いて暫く固まった後、席を蹴って立ち上がり、辺りをキョロキョロと見渡す。

 なにしろ、それは唐突であり、一瞬だった。目を開けていたにも関わらず、いきなり周囲の光景が丸ごと変わったのだから、驚くなと言うのが無理な話。

 しかも、先ほどは屋内だったのに対して、今度は屋外。小川のせせらぎが聞こえ、微風がそよいで運んでくる微かな花の匂いは現実そのもの。

 東屋から思わず駆け出て、敷き詰められている芝生を触ってみれば、これまた本物の感触。とても幻には見えなかった。

 

「いいや、違う。手品などでは無い。

 ここは……。そうだな。龍脈、世界樹、アカシックレコード……。

 その呼び名は様々だが、お前にはこう言った方が早いか。時と因果の狭間に有る場所、Cの世界と……。」

「こ、ここがっ!? あ、あのっ!? ……し、Cの世界っ!?」

 

 そんなアリスへ明かされる衝撃の事実。

 ギアス饗団における最大のテーマは不老不死。饗主が持つ不老不死性の謎を解明して、その恩恵に預かろうというもの。

 その為に必要だと言われているのが、独力での『Cの世界』到達。それを目指して、修行という名の下、ギアスユーザー達は過酷な実験や鍛錬が施される。

 それは医学と科学の発達と共により非道なモノとなってゆき、マリアンヌという存在が現れる事によって、隆盛を極めた。

 それこそ、実験材料となる戦争孤児を集めすぎ、社会から戦争孤児が消えかかると言う現象を起こしてしまい、新聞の見出しを賑わして、社会問題となったほど。

 しかし、そうした数多の犠牲を重ねながらも『Cの世界』へ至った者は、この100年間でたったの2人しか居ない。

 嘗ての饗主だったV.Vと名前すら伝えられていないもう1人。その者は『Cの世界』へ到達したは良いが、世界の深淵も覗いてしまったが為に精神を病んでしまい、結局は実験材料としての扱いを受けて、その後はホルマリン漬けとなっている。

 だからこそ、アリスは姉妹達の言葉を疑ってはいなかったが、ルルーシュが真の饗主であると認めて、敬意を改めた。アリスもまた過酷な実験や鍛錬が施され、『Cの世界』を目指した1人だけに。

 

「はっ!? 一度ならず、二度までも! 申し訳有りません!」

 

 当然、それは態度となって表れた。

 アリスは再び我に帰ると、すぐさまルルーシュの元へ駆け寄るが、東屋までは立ち入らず、その敷地ギリギリの芝生のラインにて、片跪きながら頭を垂れた。

 それは先ほどアリスがルルーシュへ二度行った土下座と比べたら、垂れている頭の深さは断然に浅いが敬意はより込められていた。

 

「いや、構わない。それより本題へ入ろう」

「何なりとお申し付け下さい! 必ずや、饗主様のご期待に応えてみせます!」

 

 しかも、その受け答えにも芯が入り、饗団と饗主へ対する忠誠心が見え、ルルーシュは口の中で舌打つ。

 ギアス饗団が『Cの世界』を目指していたのは知っていたが、ここまで効果が有るとは思ってもみず、アリスをここへ連れてきたのは軽率だったかも知れないと悔やむ。

 だが、この『Cの世界』はこの世で在りながら、この世から半歩だけ隔絶した世界。今現在、この世界へ独力で立ち入る事が出来るのはコードを持つルルーシュとC.Cの2人のみ。

 

「ほう……。それは頼もしいな。

 では、アリスよ。ギアス饗団饗主として命じる。

 手段は問わない。期限は一週間だ。我が妹、ナナリー・ヴィ・ブリタニアを暗殺せよ」

 

 つまり、それはこういった密談を行う場所としてはもってこいの場所だった。

 

 

 

「……えっ!?」

 

 一瞬、アリスは何を言われたのかが解らなかった。

 まずは耳を疑い、次に命じられた言葉の意味を噛み砕いて、たっぷりと10秒ほどの間を空けて、ようやく理解に至る。

 しかし、何かの聞き間違いだったのではなかろうか。そんな期待を抱き、茫然と見開いた目の先をゆっくりと上げて、ルルーシュの顔を確かめようとするが、椅子に組んで座る膝下までが精一杯。そこから先は縫い付けられた様に上がらない。

 先ほどまであった親しみ易さは何処へ消えたのか、その視線の先にルルーシュが居る。ただ、それだけで息苦しいほどの圧迫感を感じた。

 

「返事はどうした? 俺の期待に応えてくれるのだろう?」

「い、いや……。で、ですが……。」

 

 ルルーシュは鼻を鳴らして一笑い。席をゆらりと立ち上がる。

 その途端、圧迫感が一段と増して、たまらずアリスは視線を手元へ戻すが、歩むルルーシュの足が追いかける。

 真上から突き刺さる視線は恐怖となり、奥歯が勝手にカチカチと鳴り、言い返そうとする言葉は喉まで上がるが、そこで詰まって出てこない。

 

「もう一度だけ言おう。ギアス饗団饗主として命じる。

 手段は問わない。期限は一週間だ。我が妹、ナナリー・ヴィ・ブリタニアを暗殺せよ」

 

 そして、聞き間違いではなかった言葉。

 しかも、ルルーシュは容赦が無かった。アリスの髪を掴み、その顔を無理矢理に上げさせると、わざわざ口を耳元へ寄せて、敢えて口調を一字一句。ゆっくりと、はっきりと告げた。

 

「ぐぐっ……。な、何故ですか?」

 

 最早、自分自身を誤魔化せない状況。

 アリスが髪を引っ張られる痛みに呻き、思わず痛みに瞑った目を恐る恐る開けた次の瞬間だった。

 

「何故? 何故だと?」

「ぐふっ!?」

 

 目の前に有る魂が底冷えするかの様な冷たい視線と目が合い、同時にルルーシュの爪先蹴りがアリスの腹へ放たれた。

 アリスは肺の空気を一気に吐き出して悶絶。そのまま後方へ倒れそうになるが、寸前のところで堪えて、元の片跪きながら頭を垂れる体勢に戻す。

 何故ならば、もし倒れでもしたら信仰心が足りないと怒鳴られて、殴る、蹴るの更なる暴行が与えられるのが、幼少の頃より散々受けた修行と言う名の拷問で解っていたからである。

 それ故、これが外の世界に居るサンチアとルクレティアとダルクの3人だったら、そもそも口答えを行わないか、これ以上の口答えは行わず、己の疑問や不満は捨てて、ルルーシュの命令を粛々と受けていただろう。

 

「それを聞いて、どうする? お前には関係の無い事だ」

「し、しかし……。ナ、ナナリー様は饗主様の妹君に御座いますれば!」

 

 だが、ナナリーの護衛という名目の元、饗団を離れていた約5年という年月はアリスに人間らしさを取り戻させていた。

 アリスは痛みを与えられて、心の片隅に反抗心という小さな火が灯り、それはまだまだ頼りない火ではあったが、その勢いを借りて、先ほどは言えなかった言葉を訴え叫ぶ。

 

「驚いたな。この俺へ意見を言うとは……。

 ブロックワード発動、マイセンの皿を割ったのはお前だ」

 

 ところが、ルルーシュから返ってきた答えは、饗団から離れていた約5年という空白期を補って余る恐怖。

 ルルーシュがこれ見よがしに溜息を深々と漏らし、そのキーワードを告げて、アリスの目の前で指をパチンと鳴り響かせた途端。

 

「っ!? っ!? っ!?」

 

 身体を大きくビクッと痙攣させて、その場に全身を脱力させたかの様に崩れ落ちるアリス。

 すぐに過呼吸が始まり、その速度は加速的に増してゆき、遂には空気を吸う量より吐く量が上回って、顔色は青へと変化。

 息苦しさから少しでも解放されたい行動の表れだろう。のたうち回りながら胸を掻きむしり、ボタンを弾き飛ばして、ブラウスの前を勢い良く開け、その奥にあるオレンジ色のブラジャーさえも強引に引き千切る。

 しかし、息苦しさは治まるどころか、ますます増すばかり。最終的にのたうち回るのを止めて、顎先から腰までを反らして仰向けとなり、その突き出した白い胸元へ爪を立てて、幾本もの赤い線を描き、声なき悲鳴をあげ続ける。

 ギアスユーザーとは、そのギアスの利便性による強弱はあるが、一般人から見たら、新たな力を手に入れた人間という枠を超えた超人。言い換えれば、それは恐怖の対象である。

 当然、一般人でしかない饗団の研究者達はギアスユーザーを従順にさせる為の術を幾つか与えており、その全てがどれも苦痛を与えるモノであり、それ等の中でも最も苦痛を与えるモノがこの『ブロックワード』だった。

 その洗脳、催眠、トラウマの3つを複合させた効果はご覧の通り、人間である以上、呼吸困難に陥ってしまえば、一切の抵抗が出来なくなり、死を疑似体感させる事により、従順を促す事も可能となる。

 

「ぷっはっ!? ……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ!?」

 

 ルルーシュが再び指をパチンと鳴らすと共に呼吸困難が嘘の様に治まり、アリスは強張らせていた身体を弛緩させる。

 暗闇が満ちかけていた視界に色が戻り、全身の毛穴が開いて、脂汗が一気に噴き出るの感じながら、胸を必死に上下させて、空気を肺に満たしてゆく。

 息が詰まっていた時間は1分弱。毎朝のランニングを欠かさないアリスにとって、それは潜水などで息を止めようと思えば、まだまだ余裕の時間。

 だが、それは自分の意志で行った場合。己の死を握られていると言う感覚が実際の時間を何倍にも錯覚させており、その開放感から知らず知らずの内に涙を流す。

 

「もう一度だけ言おう。我が妹、ナナリーを暗殺せよ」

「はぁ……。はぁ……。い、嫌です!」

 

 そんなアリスの胸へ右足を乗せて、ルルーシュは愉悦にクツクツと笑いながら体重をかける。

 たまらずアリスはルルーシュの右足首を両手で掴み、胸の上から退かそうとするが、ブロックワードの責め苦によって、体力も、握力も残っておらず、全くびくともしない。

 しかし、従順にさせる筈のブロックワードはアリスの反抗心を逆に煽り、先ほどは小さな火でしかなかった灯火が今や炎となって燃え盛っていた。

 

「ん~~~? 変だな? 聞き間違いか?

 それとも、お前は苦しむのが好きなのかな? もう一度、苦しんでみるか?」

「ぐぅっ!?」

 

 それは目に力を与え、ルルーシュは己を睨むアリスの瞳の中に熱気を確かに感じて、満足そうにニヤリと笑い、アリスの胸へ乗せている右足の膝に右肘を乗せて、更に体重をかけた。

 アリスは呻きながらも首を左右に振り、ルルーシュの右足を力無い拳で何度も殴るが、ルルーシュがより体重を乗せただけであっさりと力尽きてしまう。

 

「なら、俺の頼みを聞いてくれるな?」

 

 アリスの目の前に差し出されるルルーシュの右手。

 その指鳴りを構えた握りが示唆するモノに怯えて、アリスは歯をカタカタと鳴らすが、今先ほど以上に首を何度も左右に勢い良く振って、ルルーシュへ断固たる拒否を示すと、最後の手段と言わんばかりにギアスの紋章を左の瞳に輝かせた。

 

「くっくっくっ……。残念だったな。この俺が居る限り、ギアスは効かない」

「……う、嘘っ!?」

「さて、もう十分だろ? ブロックワード発動、マイセンの皿を割ったのは……。」

 

 だが、あのアリスだけが知る感覚が起こらない。

 二度、三度と左の瞳を輝かすが、ソレはやはり起こらず、何故と見開く目の先にて、ルルーシュが愉快そうに絶望を告げる。

 成す術を失ったアリスは顔を歪ませると、目を力強くギュッと瞑り、その時に備えて身体を強張らせて身構えた。

 

「……えっ!?」

 

 ところが、1秒、2秒、3秒と過ぎてゆき、10秒を超えるが、その時はやって来ない。

 もしや、焦らしているのか。そんな考えが浮かび、アリスは目を力強くギュッと瞑ったまま、その時を待ち続けた。

 そして、20秒を超えた頃、己を大地へ縫い付けていたルルーシュの右足が胸の上から退かされて驚き戸惑い、思わず目を開けそうになるも気は抜かない。

 だが、5秒は過ぎ、10秒が過ぎると、さすがに警戒心よりも好奇心が勝り、アリスは薄目を怖ず怖ずと開けるが、頭上に居た筈のルルーシュが居らず、その目をまず右へ向け、次に左へ向けるなり、一気にギョギョッと見開いてビックリ仰天。

 

「苦しませて済まない。試させて貰った」

 

 アリスから見たら、神にも等しい存在であり、絶対権力者たるギアス饗団饗主のルルーシュ。

 そのルルーシュが額を大地へ擦り付けての土下座を行っているのだから、驚くなと言うのが無理の話。

 

「きょ、饗主様っ!? ……な、何をっ!? お、お止め下さいっ!?」

「これからもナナリーをよろしく頼む。お前の様な人間が側に居てくれれば、俺も心強い」

「ナ、ナナリーは友達です! そ、そんな……。た、頼まれなくても、大丈夫ですから! は、はい!」

 

 慌ててアリスは起き上がり、ルルーシュの両肩を押して、その頭を上げさせようとするが、ルルーシュは頑なに頭を上げようとしない。

 それならと背後へ回り、アリスは心の中で『申し訳有りません』と詫びてから、ルルーシュの背へ覆い被さりながら羽交い締めて持ち上げる。

 力の差から抵抗らしい抵抗を出来ず、ルルーシュは頭を上げ、アリスが拘束を解いて、胸をホッと撫で下ろすも束の間。

 

「なら、気が済むまで殴り、蹴ってくれ! 

 何、遠慮は要らない! 俺はそれだけの事をしたんだ!」

 

 今度は『さあ、やれ!』と言わんばかりに大の字となって寝転ぶルルーシュ。

 正しく、先ほどの攻守を入れ替えた再現。ルルーシュが目を力強くギュッと瞑り、その時に備えて身体を強張らせて身構える。

 

「い、いや……。え、ええっと……。こ、困ります。そ、その……。」

 

 それを茫然と見下ろしながら、アリスは顔を引きつらせて困り果てる。

 実際、そう言われて、『はい、そうですか』と殴り、蹴るのはなかなか勇気がいるもの。

 無論、地獄の責め苦を与えられた怒りはまだ有るが、ルルーシュの謝罪とこの要求に圧倒されてしまい、その炎は今や鎮火の方向へと向かっている。

 しかし、土下座もそうだったが、この様子を見る限り、何らかの制裁を与えねば、納得をしてくれそうに見えず、アリスがどうしたものかと眉を寄せたその時だった。

 

「……むっ!?」

「きょ、饗主様! あ、あのですね。……って、えっ!?」

 

 先ほどアリスは30秒以上も耐えたにも関わらず、ルルーシュはたったの5秒。この状況の緊張に耐えきれず、目を開ける。

 アリスは説得を試みようとして、ふと気付く。己の足下に頭を置いているルルーシュの視線が自分へ対してではなく、斜め上へ向けられているのを。

 釣られて、その視線を辿ってみると、行く着く先は自分の股間。ルルーシュが何を見ているのかを知り、慌ててアリスは股間を両手で押さえながら脚を閉じ、その場へ女の子座りでしゃがみ込む。

 

「キャァ~~っ!?」

「うわらばっ!?」

 

 その結果、オレンジ色が急速に目の前へ迫り、ルルーシュはまずアリスの両膝を胸へ喰らい、次にアリスのお尻が顔面へ落ち、地獄と天国を同時に味わっての悶絶。アリスはルルーシュの願い通り、制裁を与える事に成功した。

 

 

 

 ******

 

 

 

「さて、本題へ移ろう。護衛団の件、どうする?」

「わ、私は……。そ、その……。」

 

 対等な関係で話がしたい。これまた無茶な注文だったが、ルルーシュの気性を謝罪からの一件で知ったアリスは断り切れなかった。

 東屋へ誘われるまま場所を変え、ここへ訪れた時同様に椅子へ座ったが、やはりアリスは饗主という存在を目の前にして緊張していた。

 そして、その質問に応えるのが怖かった。教主直属の護衛団、それはどう考えてもギアス饗団の饗団員なら最高の栄誉であり、それを断ると言う事は栄誉の否定となり、ギアス饗団の否定にも繋がると考えたからである。

 

「はっきりと言え。今のお前ならソレが出来る筈だ。

 だから、もう一度だけ聞こう。これが最後だ。……俺の護衛団に加わりたいのか、加わりたくないのか?」

「お、お断りします!」

 

 だが、ルルーシュは曖昧な答えを許さなかった。短く溜息を漏らすと、テーブルの上に両手を祈る様に組み、その視線に力を込めた。

 アリスは身を竦ませて怯みそうになるが、膝の上に置いた両手を力強く握り締めて、心の内を正直に打ち明ける事を決意。その決意が萎える前に間一髪を入れず、本心を一気に叫び訴えた。

 

「よし、良いだろう。お前の姉妹には俺から上手く言っておこう。

 なら、次の質問だ。……もし、お前が望むなら、饗団から除名してやろう」

「えっ!? えっ!? えっ!?」

 

 どんな罵声が飛んでくるのか、身を思わず強張らせるアリスだったが、ルルーシュから返ってきたのは満面の笑顔。

 しかも、信じられない問いかけが重ねられ、アリスは驚きを通り越して、茫然と目が点。瞬きをパチパチと繰り返した上に口をポカーンと開け放つ。

 なにせ、それはアリスにとって、叶わないと知りながらも願わずにはいれず、ずっと胸の内に抱え秘めていた希望だった。

 無論、その希望を抱く様になったのは、ここ数年の事。ナナリーとの仲が深まってからであり、それ以前は饗団からの離脱など恐怖が先行して考えた事すら無かった。

 では、何故に饗団からの離脱を願う様になったかと言えば、ナナリーが父親のシャルル、母親のマリアンヌ、兄のルルーシュを心底に憎んでいるからに他ならない。

 ナナリーは知らない。約3年前にあった誘拐事件を経て、アリスが自分の護衛役を担っている事自体は知っているが、その雇用主が父親のシャルルとは知らず、ルーベンだと勘違いしていた。

 それ故、アリスはナナリーとの仲が深まるほど、ナナリーを騙している様に思えて辛くなり、饗団からの離脱を次第に願い始めていた。

 

「もっとも、ナナリーの護衛を今のタイミングで解く事は出来ない。

 だから、籍を饗団からアッシュフォードへ移すだけであって、今と何かが変わる訳ではないのだが……。どうする?」

「は、はい、構いません! ……で、でも、本当によろしいのですか?」

 

 そんなアリスに苦笑しながら、ルルーシュが改めて問うと、すぐさまアリスは席を勢い良く立って返事をした。

 しかし、あまりにも話が美味すぎる為か、一拍の間を空けて、アリスは腰を再び下ろしながら、ルルーシュへ上目遣いを怖ず怖ずと向ける。

 

「饗主の言葉に従わない信者は信者ではない。そう教わらなかったか?」

「う゛っ……。」

 

 ルルーシュは意地悪そうに鼻で一笑い。

 その痛烈な切り返しに身を縮め、アリスは何も言い返せずに口籠もり、視線を落とすしか無かった。

 

「安心しろ。責めている訳では無い。

 この目で見て、お前はもう饗団無しでやっていけると判断したからだ。

 今はまだ危なっかしくて、手放せないが……。サンチアも、ルクレティアも、ダルクも、いずれはお前の跡に続くだろう」

「きょ、饗主様っ!?」

 

 だが、更なるサプライズがルルーシュから告げられ、すぐにアリスは落とした視線を弾かれた様に上げた。

 信じられなかった。『もしかして、私の心が解るんですか?』と問いたかったが、驚きのあまりルルーシュを呼ぶので精一杯。その言葉が出てこない。

 辛苦しかない饗団を離れて、ナナリーとの楽しい学園生活。それは姉妹達の事を思えば、思うほど、アリスの心に重くのし掛かっていた。自分だけがこんなに幸せで良いのか、と。

 アリスの中に有る饗団へ対する忠誠心。無理矢理に与えられて、磨く事を強いられたソレがひび割れ、その中からルルーシュ個人へ捧げる本物の忠誠心が現れて、本当の輝きを持ち始める。

 

「ただ、これは饗主としてではなく……。何だろうな?

 俺個人のでも無いのだが……。まあ、良いだろう。俺個人の願いとしよう。

 2週間に一度だったか? 今、お前がエデンバイタル家を介して行っているナナリーの調査報告。

 ……とは言えないな。あれは日記みたいなモノか。それを是非とも続けて欲しいんだ。

 ……と言うのも、実は父と母が……。特に父が楽しみにしているんだ。お前から届く写真をアルバムにしたりしてな」

「ええっ!? まさか、あのシャルル皇帝がっ!?」

 

 そして、ルルーシュが叶えてくれた願いと比べたら、とてもささやかな願い。

 これがきっかけとなって、ルルーシュとアリスの交流はこの日だけに留まらず、以後も続いてゆく事となる。

 

「信じられないかも知れないが、これが本当なんだ。

 しかも、誰にも打ち明けられない秘密だろ? だから、一度捕まるとしつこくてな。

 スライドショーを見せられながら、ナナリー自慢を延々と聞かされるハメになるんだ。

 このエリア11へ来る前日もな。

 色々と準備で忙しいと言うのに、呼び出されたと思ったら、3時間も……。

 ……ったく! お前に言われなくても、ナナリーの可愛さは俺が誰よりも1番良く知っているんだよ!」

「あはは……。今度、動画も送っておきましょうか?」

 

 この時、アリスはまだ知る由も無かった。

 ルルーシュへ対する忠誠を深めれば、深めるほど、ナナリーとの友情を深めれば、深めるほど、その板挟みに苦しむ未来が待っているのを知らなかった。

 

「よろしく頼む。……それとだな」

「解っています。饗主様にも送ればよろしいんですね?」

「……うむ」

 

 今は饗団の枷から解き放たれた喜びが大き過ぎて、それに気付く余裕すら無く、今のアリスには何もかもが輝いて見えた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ルルーシュ様っ!?」

「アリスっ!?」

 

 余談だが、『Cの世界』はルルーシュ曰く、時と因果の狭間にある精神世界らしいが、精神が傷を負えば、当然の事ながら肉体も傷つく。

 その為、ルルーシュがいきなり鼻血を出したり、アリスがいきなり苦しみ出す度、現実世界に居るアーニャやサンチア達はてんやわんやの大騒ぎとなっていたのだが、それはまた別の話。

 

 

 



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