和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件 (鉄鋼怪人)
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第一章 チュートリアルすら始まってないのに詰みそうな件
第一話 


 満月の夜だった。青白く真ん丸の大きな月が森に覆われた大山をほんのりと照らし出していた。

 

 

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「………」

 

 俺達は身体に密着した森に隠れるための香を染み込ませた黒衣に身を包み、顔を隠す仮面を被って殆ど人の手が加えられる事もないその森を駆ける。言葉は発しない。沈黙のまま、足音も立てず、特殊な呼吸法を使う事で息を荒らげる事もなく、まるでトップアスリートの如き速度で舗装もされていない道を進んでいた。

 

「……っ!!」

 

 先頭に立つ仲間がそれに気付き手信号で合図する。同時に俺達は疾走するのを止めて各々物影に隠れた。そして、見る。その巨大な影を。

 

「………」

 

 大樹の影に隠れた俺はゆっくりと『それ』の影を覗きこむ。同時に息を呑んだ。

 

 漆黒の巨大な影が月明かりに照らし出されてその姿をはっきりとさせていく。全長は……一〇メートルはあるかも知れない。唸り声をあげるは白銀の毛に覆われた巨大な狼だった。

 

 ……明らかにそれが自然界のものでないのは分かった。どうやっても普通に考えれば地上で狼がこれ程巨大になるまで成長出来る筈もない。いや、そんな理屈はどうでも良い。そのような理屈を労さずとも一目で俺には、俺達にはそれがこの世ならざるものである事が分かっていた。

 

 俺達には見えた。奴の身体から溢れるどす黒い光が。あの糞共が言うには『妖気』と言ったか?禍々しく、吐き気を催すそれを身に纏うは目の前の化け物がただの生物ではなくこの世の摂理から外れた存在……『妖』である事を意味していた。そして……。

 

(糞が!!事前情報と違うじゃねぇか……!!こりゃあ、どう見ても中妖じゃねぇ!大妖だろが!!)

 

 隠行衆共の雑な仕事に舌打ちしたい気分になるのを俺は我慢する。舌打ちした瞬間には奴は確実に俺達の居場所を察知して襲いかかってくるからだ。目標との距離は三〇メートルはあるだろうが……その程度の距離からの音なら『大妖』は確実に聞き付ける。奴らの五感は俺達人間、いや野生の獣とも隔絶していた。

 

「……」

 

 思わず俺は首にかけた御守りに触れる。あの地雷しかないパワー系ゴリラ姫から受け取ったそれは受け取った以上着けない訳にはいかないので念のために調べて呪術的な効果はないと事は分かっていたが……癪ではあるがこれなら本当に効能のある御守りでもねだった方が良かったかも知れない。

 

(運が悪い……いや、もしかして嵌められたか……?)

 

 その可能性もなくはない。あの糞っ垂れな一族の事だ。原作で主人公にしてきた所業から見てあっても可笑しくない。家柄が良い主人公様ですらあの扱いだったのだ。ましてや身分卑しき俺相手ならこれくらいの事……。

 

(だとしたら仲間には悪い事をしたな)

 

 別に同行する下人衆の間で殊更友情がある訳ではない。原作を見れば分かるが心を殺し、冷徹に、機械の如く戦うように『調教』されたのが俺達下人衆である。嵌められなくても消耗も激しいので顔見知りも少ない。実際俺の顔見知りで今も生きているのは三人に一人だ。

 

 だとしても、彼らが俺のせいで巻き添えを受けた事実は変わらないが。

 

 最前列の下人組の班長が手信号で新たな指示を出す。それに従い俺達は各々に武器を引き抜く。刀に弓矢に槍……それらは月明かりを反射しないように炭を塗って、更に金属と血の臭いがしないように薬草を塗っていた。そしてその上には毒薬、しかも無味無臭のである。これらも全て目の前の化け物対策である。中妖迄ならばこれで誤魔化し切れるのだが……大妖相手は初めてなのでこれで行けるかは分からない。因みに俺の手にする武器は槍だ。

 

 既に他の班も化け物を包囲している筈である。一班五人前後の下人衆が四個班、中妖相手ならばこれでも十分……とは行かぬまでも余程の事がなければ壊滅する事はない。だが……。

 

『グオオオォォォ……ッッ!!!』

「えっ……?」

 

 次の瞬間、凄まじい衝撃が俺達を襲った。俺は頭を鈍器で殴られたような痛みを頭に受けて視界が回転し、意識が混濁する。

 

「ぐっ……糞、こんな所で気絶出来るかっ……!!」

 

 俺は遠のく意識を無理矢理覚醒させて転がる身体を、その体勢を立て直す。こんな所で意識を失ったらそれこそ死しかない事を俺は分かっていた。

 

「痛っ……畜生、一発でこれかよ……!!?」

 

 俺は立ち上がると共に周囲の惨状に臍を噛む。俺以外の班員は全員死んでいた。それも惨たらしく、人の形を殆ど保っていなかった。恐らくは大狼の尾の一撃によるものだろう。凄まじいその一撃は俺達を隠れる木々や岩ごと吹き飛ばしたのだ。

 

 尾に直接触れた者は上半身が千切れ飛び、直撃を避けても砕けて高速で飛んできた石礫や木片で人体をズタズタに引き裂かれた。俺が生きてたのは奇跡と言って良い。どうやら俺は強風で吹き飛ばされただけのようだったから。まぁ、その突風で地面に叩きつけられて左肩が外れたようだけど。

 

「ぐっ……奇襲は失敗、か……!!」

 

 俺は武器の槍を手放して、必死に残る三個班の下人衆が狼の化け物と戦う中で退避に入る。言っておくがこれは敵前逃亡ではない。肩が外れて班が壊滅した下人が一人あの中に突っ込んでも足手まといになるだけだからな。

 

 少し離れた大樹の影で俺は戦闘を観察する。既に生き残った下人衆は半分近い人員を失っていた。弓矢や刀の一撃は鋼のごとき硬さのある毛で止められ、陰陽術もまた強力な妖力の前に中和されてしまう。文字通り打つ手無しだ。下人衆も十分人間離れした立ち振舞いをしている筈だが、それでも化け物の振るう理不尽な暴力の前には焼石に水であった。一人、また一人と下人達は討ち取られていく。それでも彼らは逃げずに戦う。いや、戦わざるを得ない。彼らに逃げ道はないのだから。

 

「糞……糞糞糞っ!!糞が!!」

 

 俺は木の幹に左肩を叩きつける。ゴキッ、という気味の悪い音と共に無理矢理肩を嵌め込んだ俺は痛みに蹲り、しかし直ぐにその痛みに耐えて立ち上がる。どうせ逃げられないのだ、ここで痛みに甘えて時間が過ぎるのを待つ訳にはいかない。時間を浪費すればそれだけ味方が減って俺の生き残る可能性が減るのだから。

 

「ぐっ……やってやる……あぁ、やってやるさ。このクソッタレの……」

 

 そこまで言って立ち上がった俺は、そこから先の言葉を紡ぐ事が出来なかった。何故ならば俺の目の前に絶望が鎮座していたから。

 

『グウウウゥゥゥ……!!』

 

 唸り声を上げる大狼が赤い瞳で俺を見下ろしていた。その口に咥えるのは全身血塗れで右手があらぬ方向に曲がっていた同じ下人衆の仲間だった。仮面は半分割れて、荒い息をして口からは血を吐き出す。誰だったか。確か御影班の八尋だったか?

 

「あっ……がっ………伴部?頼む助け……たす……」

 

 目のあった八尋は俺にそう懇願する。しかし、それは無駄だった。俺が助ける積もりがなかったからではない。そもそも助ける時間がなかったからだ。

 

『グオオ!!』

「あっ……」

 

 次の瞬間咥えた仲間をそのまま丸呑みする大妖。悲鳴を上げる暇もなく、そのまま仲間は胃袋に飲み込まれた。

 

 そして、その運命はもうすぐ俺にも迫っていた。

 

 唸りながら俺に顔を近づける大狼。俺はその威圧感に恐怖に涙を浮かべ、足が震える。しかし、それでも俺はそれが殆ど無駄と理解しつつも懐から短刀を引き抜き構える。あのパワー系ゴリラ姫から無理矢理下賜された短刀は呪いの力もあって切れ味は悪くないが……槍や大刀でもどうにもならなかった化け物相手にこんな小刀一本でどうなるのかという事位俺でも分かる。それでも……それでも俺は死にたくなかった。こんな場所で、こんな終わりを迎えるのは真っ平ごめんだった。

 

 ……それが、無駄な足掻きなのを分かっていても。

 

「畜生……!!」

 

 俺の最期となるだろう言葉と共に化け物はその大顎を開き俺に食らいつこうとした。そして……上空からの大剣の一撃に脳天を貫通されてそのまま地面に倒れ伏した。

 

「あっ………」

 

 突如の出来事に俺は言葉を失った。化け物の巨体が倒れたことで土埃が宙を舞う。そしてその土埃が止むと同時に俺は奴を視界に収めた。俺が良く知る……いや、一方的に良く知る忌々しい一族のその一員を。

 

 息絶えた化け物の頭部に佇む人影は少女だった。俺と同じくらいの年頃の、黒髪の幼そうだが絶世の美少女……動きやすそうな男物の和服を着込む彼女は手に持つ彼女とほぼ同じ位の大きさの大剣に背後を照らし出す満月も相まって実に幻想的に見えた。

 

 同時に俺は安堵する。こいつは……この姉御様はまだ地雷的な意味で言えばマシな方だ。少なくとも何処ぞの拗らせババアや女狐よりは余程まともだ。

 

「……これは驚いた、生き残りがいたのか?」

 

 少女はふと、足下の虫に気付いたように俺の存在に気付いた。その美貌と幼い顔つきに似合わない男言葉だった。

 

「……雛様、いと貴き貴方様が直々にこの場所に御出向きになり助太刀頂けた事、身に余る光栄。恐縮の至りで御座います」

 

 俺は膝を屈して、深々と頭を下げて礼を述べる。本当なら比較的マシとは言えあの糞一族の一員であるこの小娘にこんな事したくなかったが……その絶対的な実力差と、身分の差は理解していた。ここで反発しても意味はない。今はただ卑屈に、目立たぬように振る舞い、機会を待つ……それだけが取れる道であった。

 

「別に、仕事帰りにそれなりに強い妖力を感じたから来ただけだ。……それにしてもこれは酷いものだな。隠行衆の奴ら、伝える情報を間違えたのか?お前達下人衆だけで挑むにはこの数は少なすぎる」

 

 周囲に散らばる人間だったものを興味も無さそうに一瞥して、彼女は感想を述べる。俺が情報に誤りがあった事を口にすれば彼女は鼻白む。そして何かを察した顔つきになる。

 

「そうか。……面倒だな。幾ら下人とは言え、簡単に揃えられる訳じゃないのにこんなに被害が出るとなると困る」

 

 まるで帳簿の出費を気にするような素振りで彼女は嘯く。そして、思い出したように俺に命じた。

 

「お前、私に同行しろ。此度の失敗は隠行衆によるものだと言う生き証人が必要だから。貴方の口で長老方に御報告しなさい」

 

 それは上位の者による命令であった。本来ならばそれを拒否する事は不可能であり、当然これ以上悪目立ちしたくない俺もこの申し出を恭しくと承ら……。

 

「申し訳御座いません、姫様。今すぐご同行は不可能で御座います」

 

  ……なかった。

 

「……何故?下人の分際で私に逆らう積もりか?」

「仲間と、妖の死骸を処理しなければなりません」

 

 妖の生まれる原因は数あれど、特にメジャーなのは異能持ちの人間や妖の血肉を獣が食らう事だ。故に化け物や同胞の死体は可能な限り回収するか処分しなければならなかった。

 

 特に仲間の死体は出来るだけ丁寧に処理したい。それほど交流があった訳ではないが……それでも同じくこの糞みたいな世界で糞みたいな一族に消耗品として扱われた同類だ。同情もする。

 

「そうか。確かにそれは困るな。……分かった。だが貴様一人でこれだけのものを処理するのは時間がいるだろう?これを使うが良い」

 

 そういって姉御様が懐から取り出すのは式神であった。人形のそれが十前後に鳥形のそれが一つ。それが次の瞬間には彼女の手元からするりと離れて、人形のそれは案山子のような人間大のそれに、鳥形のそれは顔を札で覆った巨大な化け烏へと変貌する。

 

「死体の処理は人形を使いなさい。終わり次第その烏に乗って私を追うと良い」

 

 淡々と、冷徹にそう言い放つと次の瞬間には彼女の傍らには巨大な龍がいた。突如、何の前触れもなく現れた強大な神霊力を纏う神々しい神獣に俺は息を呑む。姉御様はそんな龍に当然のように乗り移る。

 

「では、待っているぞ」

 

 そう言い残した刹那、龍は天に向かって跳躍する。そしてそれは流れ星のように光ると、次の瞬間には最早天を照らす星星との区別は困難になっていた。

 

「……ありゃあ『黄曜』か。ははは、直に見るととんでもない代物な事だな」

 

 原作では終盤に漸く使用可能な最上級の式神なのだが……流石は原作最強キャラトップスリーに名を連ねるだけはある。人間ではあるがある意味化け物だ。

 

「……問題はあれ程でなくてもこの世界は化け物だらけってことだがな」

 

 俺は目の前の頭蓋骨を砕かれた化け物の死体を見て思い出す。原作では中盤以降主人公達に雑魚同然に殺られていく大妖であるが……実際の所主人公達だから出来る事であって何の才能もない俺にはどうしようもない化け物だ。そして、問題はそれより遥かにやべー化け物がゴロゴロいる事、そして……。

 

「目の前の敵だけを見ていられないって事なんだよな……」

 

 いや、寧ろある意味背後の連中の方が質が悪い。特に直線的に敵意を向けられるのはまだ良い。本当にヤバいのは好意である。何せ……。

 

「ヤンデレヒロインしかいない鬱ゲーだからなぁ、この世界……」

 

 俺は小さく溜め息を吐く。しかも既に俺はそのヤンデレちゃんの一人に目をつけられているのだから笑えない。おい、俺名前すらないモブだぞ。お願いだからヤバい好意は原作主人公に向けてくれない?

 

「……嘆いている訳にもいかないか。まずは仕事をって……はは、マジかよ」

 

 そこで漸く俺は気付く。首にかけた御守りがなくなっている事を。

 

「無くした……と正直に言うのは不味いか。となると……」

 

 俺は森を心底嫌な顔で見る。

 

「……見つかるかな?」

 

 俺は最悪の事態を思い天を仰いで嘆息した……。

 

 

 

 

 

「………」

 

 星星が輝く空、そこを突き進む一頭の龍、そしてその頭にしがみつく一人の凛々しい少女……扶桑国が妖退治の名家『鬼月家』の直系の娘は手元にある御守りを一瞥する。

 

 それが何なのかを彼女は知っている。あの無邪気で天真爛漫で、身勝手で気分屋の妹があの下人に下賜したものだ。あの何でも貰えるのを当然と勘違いした、人を見下した女がよりによって……。

 

「よりによってこんな気味が悪くて品のないものをあいつに………」

 

 ぼおっ、と次の瞬間には巧妙に偽装を施した精神操作と千里眼の呪いがかけられた御守りは彼女の手元で生じた青白い炎の前に術式ごと焼き尽くされていた。

 

「…………」

 

 残った灰を汚いものとでも言うように放り捨てた鬼月家の長女は、そのまま夜空を駆ける。そして、考える。彼を嵌め、謀殺しようとした奴が誰かを、そしてそんな身の程知らずの愚か者をどう処分しようかを。

 

「他のものはこれまで通り幾らでもくれてやる。土地も、金も、家も、全部くれてやる。だから……」

 

 一瞬沈黙して、彼女は良く響く声音で呟く。

 

「あいつは私のものだ……!!」

 

 夜のように静かな声音には、しかしドロドロとした劣情と激情が染み出していた……。

 

 



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第二話

 『闇夜の蛍』は俺の前世……つまりは二一世紀の日本で販売された有名なゲームだった。豪華な声優陣に豊富なスチール画、ストーリーの長さと分岐ルートの多さで人気を博した作品である。

 

 世界観としては和風ダークファンタジーとでも言うべきだろうか。舞台となる扶桑国は見た目は日本で言う所の江戸時代であるが呪術や陰陽術という超常の力が存在し、同じく『妖』と呼ばれる異常な存在が古代より跋扈している限りなくマッポーな世界である。そして、古代から朝廷にその役目を与えられた異能を保持する退魔の一族達が国の各地でそれらを退治、あるいは鎮める役目に就いている。

 

 ゲームの主人公は元々は極平凡な村で庄屋の子供として暮らしていた。優しい両親に仲の良い兄弟姉妹……しかしある日その運命は大きく狂わされる事になる。

 

 村を『妖』……それも数いる『妖』達の中で最も危険で数の少ない『凶妖』によって襲われて村人が、家族が皆殺しにあったのだ。そして正に自分が殺される、という時に強力な異能の力に目覚めて『凶妖』を返り討ちにする事に成功する。

 

 だが、遺伝しやすく、交配によってより強力なものとなる異能の力はちょっとしたものであれば兎も角、最上級の『凶妖』を殺すだけのものとなると一介の農民の子供ではまずあり得ない。その力に目をつけられて、村を含んだ地域を管轄する退魔の名家『鬼月家』に見出だされ、引き取られた主人公は、家族の復讐と人々を守るために退魔士を目指す……そこで彼は自身の異能、出生の秘密、そして『鬼月家』を始めとした退魔士の闇を知る事になる……というのが大まかなストーリーである。

 

 いやはや、友人に薦められてプレイしてクオリティの高さに感動すると共にストーリーの鬱さに後悔したものだ。確かにイラストは有名なイラストレーターに注文したらしいのでキャラ絵が良いだけでなくて背景や戦闘描写も滅茶苦茶凝ってる。それだけでオタク界隈では大満足だ。成人版のサービスシーンなんて何度息子が御世話になった事か……。

 

 だが、だがである。このゲームを進めていけばそんな最初の満足感なんてものは簡単に消し飛ぶ。何故かって?エログロイベントの数々にバッドエンドルートの豊富さ、そしてそれに付随するヒロイン達の地雷率の高さがその理由だ。

 

 いや、マジ洒落にならないんだって!!基本的に『妖』なんて普通の人間には手に負えない連中ばかり、しかもネームド付きの奴らに至っては設定だけで分かるが主人公やヒロイン達でなければまず勝てないような初見殺し能力持ちやレベルを上げてどころかカンストさせてから物理で殴って来るような奴多すぎなんだよ!!

 

 そんな訳でバッドエンドルート、そうでなくてもイベントでネームドキャラのエログロシーンが平然と出てくる。妖の襲撃でお喋りしていた女性キャラの頭が次の瞬間粉砕されたり、生きながら丸呑みとか普通に出てくるというね。いや、その程度ならマシだ。下手に異能持ちが多いので化け物に異種姦されるシーンがやけに多い。流石にほんわかした性格が序盤の癒しだった綾香ちゃんが中盤イベントでハラボテチェストバスターされるのは精神的にかなり来たぞ!?

 

 しかも恐ろしいのは敵だけではない。味方陣営も危険だ。愛憎や権力闘争でかなり拗れたドロドロ状態だったりする。暗殺や陰謀なんて日常茶飯事だ。

 

 そんな訳で主人公が下手に動くと好感度や人物相関図次第ではヒロイン達が割と簡単に病む。日常的に理不尽な化け物と相対して身内では陰謀劇しているのだから当然だ。中には婚約者や親友が化け物に殺されたり、自分が嵌められて人間不信になっているキャラもいるのだ。そんな所で主人公が迂闊に好感度カンストしてから不用意な行動してみろよ?下手に異能持ちの彼女達である。何を仕出かすか分かったものじゃない。

 

(まぁ、何よりも最悪なのはそんなヤバい世界でろくに力もない俺がこんな立場な事なんだけどな……)

 

 真っ昼間でありながら黒い装束に能面で顔を隠した俺は同じく広く、しかし窓がなければ障子も閉じられ、明かりもない異様に薄暗い和室で頭を深く下げ、膝をつく。俺の周りには色とりどりの、しかし明らかに高級そうな和装で身を包む男女が左右で列を作って座っていた。正面には上座があるがそこの主はいない。

 

「『大妖』相手に下人共が二〇人で当たり生き残りは一人か、それも殆ど手傷も負わせられんとは情けない」

 

 列の一角から尊大で嗄れた声が響く。そこには明らかに死んだ仲間と生き残った俺を嘲る感情が含まれていたが俺は無言を以て答える。ここで激昂しても何らの意味もない事は分かっていた。……そもそもこの室内に充満する霊力の濃度を思えばそんな気力は起きないがね。

 

 俺は昨夜の『妖』の討伐の失敗、その顛末を鬼月家の長老衆達の前で報告していた。そしてその反応は多かれ少なかれ侮蔑の色が見てとれた。所詮下人衆ではこんなものか、と。そして俺は屈辱を感じつつもそれを否定出来なかった。

 

 ここら一帯を広く管轄する退魔士族の一族「鬼月家」は公式ガイドブックによれば八〇〇年に渡り続く名家であり旧家であるらしい。一族の数は一〇〇人近く、化け物退治や地元の儀式や祭事を司るだけでなく、広大な土地を持つ地主であり、周囲を治める他の退魔士一族や神社仏閣、商人に都の公家、大名とも血縁や利権で結びつきその財力と人脈は強大だ。

 

 そして退魔士達がこれだけ強大な権勢を振るえる最大の理由、それが所謂霊力と呼ばれるものだ。洋風に言えば魔力とでも言うべきだろうか?呪術や陰陽術を唱える際の燃料であり、身体に纏えばその肉体を活性化させ強化する。何よりも常人には毒となる『妖』が放つ妖力を中和して無力化してくれる力である。そしてその霊力を扱える人間は殆どが退魔士一族に限定されている事、それが彼ら彼女らのこの国での強固な支配体制の根幹だ。

 

 退魔士達自身は、それを古代の神話や言い伝えと結びつけ、自分達を神々の子孫として由緒ある家柄である事を誇っているが……当然ながらそんなものは捏造した嘘八百だ。

 

 霊力の根幹についてはこの場では重要ではないから置いておくが、設定によれば霊力や異能は遺伝し、血統を混ぜ合わせ、組合わさる事でより強力になるものである事をこれまでの経験則から退魔士達は理解している。退魔士同士で婚姻を繰り返し、そして民草から時々現れる霊力持ちや異能持ちを一族に組み込む、あるいは間引きする事……それが退魔士一族がこの国で『妖』に対抗出来る力をほぼ独占出来る本当の理由だった。

 

 ……とは言え、である。化け物も大概理不尽な奴らである。そして退魔士達とて最上級の『妖』……『凶妖』相手となれば死傷率は馬鹿にならない。ましてや一族に霊力や異能を受け継がない者が稀に生まれて来るし、逆に政界や経営等に一族の者を割かれる事もある。一族の馬鹿が村の娘を拐って孕ませた子供が力を受け継ぐなんて面倒な事だってあるだろう。

 

 下人衆はそれらの問題を解決するための手段の一つだ。一族の人手不足の解消や私生児の処理、あるいは被支配層から出てきた霊力持ちや異能持ちを有効活用するために何処ぞの退魔士一族が思いつき、あっという間に国中の退魔士達に広がった『道具』である。

 

 精々が『小妖』に対しては単独で、『中妖』相手には集団で相手とする事を主眼として幼少時から一族に忠誠を誓うように教育(洗脳)し、反乱や逃亡を防止するために呪いを掛けて、最低限の霊力と異能、その他の秘技を叩き込んだ消耗品の道具、それが俺達下人衆だ。

 

 俺達は其処らの武器を持った兵士相手ならば同数でも圧倒出来る。それは間違いない。だが……理不尽な化け物相手に限りなく互角の戦いをして見せる退魔士共相手に歯向かったとしても殆ど虐殺になるだろう。其ほどまでの力の差が俺達と糞共の間にはあった。そして、鬼月家の長老衆もまたその力の差を能く能く理解していた。だからこそ彼らは此度の犠牲を嘲る。無謀過ぎる戦いとその当然の帰結を……。

 

「そう嘲っている場合ではないでしょう?長老方は此度の事態の深刻さを御理解頂けないのでしょうか?」

 

 室内を満たす嘲笑を力強く、意志に満ちた声音が掻き消した。跪く俺の傍らで佇む一族本家筋の長女はその禁欲的で生真面目な性格に相応しく深刻な表情を浮かべて言葉を続ける。

 

「幾ら下人衆とは言えそうそう補填出来るものでは無いことは長老方も理解している筈、班を四つも失うなぞここまでの被害は十年ぶりの事、ましてやそれがたかが『大妖』相手によるものであると思えば一族の被った損失は甚大でしょう」

 

 プレイヤーから姉御様の異名を受けた鬼月雛姫は淡々と、しかし鋭くその事実を指摘する。

 

 そうだ、幾ら消耗品とは言え下人衆とてほいほいと作れるものではない。一定の才能のある者を化け物とある程度とは言え対抗出来る程度には鍛え上げなければならない。育てる費用は兎も角時間はかかる。

 

 特に下人衆を大量に消耗するのは『凶妖』を相手にする時……相手の異能等を調べる実験要員や戦闘本番の陽動や囮、後方支援……である。一族の第一線の退魔士の生還率を上げる貴重な生け贄要員をたかが『大妖』相手にこれ程の消費……見方によっては笑っている場合ではなかった。

 

「しかも、この生き残りの言によれば此度の任務の失態は隠行衆の事前調査の不足にあると言わざるを得ません。『大妖』を『中妖』と見間違えるなぞ……宇右衛門様、僭越ながら貴方の家臣は何をしているのですか?」

 

 姉御様は非難するような視線で居並ぶ長老衆の一人を睨み付ける。薄暗くて良く見えないが髪の毛が薄く、でっぷりと太った豚のような男は突然の非難に狼狽える。

 

「ぬっ……雛よ、よりによって儂を非難すると言うのか?一族切っての忠臣にして御主の叔父であるこの宇右衛門をか?」

「だからこそです。宇右衛門様程のお方とは言え事実は事実、かような事態を繰り返さぬためにもここで有耶無耶には出来ないのです」

 

 デブな人影が宥めるように語りかけるのを切って捨てる姉御様である。流石この頭可笑しい女しか出て来ない鬱ゲーの数少ない人格者枠である。不正も不平等も、理不尽も許さないその凛々しい姿はプレイヤー達に安心感を与えたものだ。監禁や逆レされたくなければ取り敢えず彼女をメインヒロインにしておけばどうにかなったものだ。

 

 ……こいつはこいつで好感度上げすぎると拗らせて面倒だけど。

 

(まぁ、俺のようなモブ三下にそこまではしない、か。いやけどゴリラの例があるからな……)

 

 アレは俺自身が生き残らないといけなかったので仕方無いが、お陰様で原作スタート前の時点で少し面倒な事態になってしまった。修正力的な何かが働いてくれる事を願いたいが……糞、何であの時俺が同行者だったんだよ……!!

 

 そんな事を考えてる間に姉御様とデブ衛門(隠行衆頭鬼月 宇右衛門にプレイヤー達の付けた渾名)の口論は静かに、ゆっくりと、しかし明らかに剣呑になりつつあった。

 

「儂の指導に問題があったというのか、お前は!なんと言う恩知らずだ!草葉の陰で兄上が泣いておるわ!」

「っ……!?そのような物言いで煙に巻くのは止めて頂きたい……!!」

 

 二人の言い争いを俺は頭を下げつつ聞き耳をたて続ける。うーん、ゲームで主人公が嵌められた時もそうだったがこの二人本当に非難合戦になるよなぁ。まぁ、姉御様の設定からすれば一族そのものが本当は嫌いなんだろうけど。特に隠行衆を率いる叔父はある意味仇みたいなものか。

 

「そろそろその辺にしなさいな。御二人ともみっともないわよぅ?」

 

 二人の争いを止めたのはそんな鈴の音のような声だった。姉御様は不愉快そうに、他の長老衆達はある者は怯え、ある者は軽蔑し、またある者はうっとりとした表情でその声の主に視線を向ける。俺もまた仮面越しに誰にも気付かれないように視線を向けていた。

 

 豪奢な絹地を桔梗色に染め上げた打掛が真っ先に目に入った。金糸で鮮やかに彩られた花々の紋様は精密で、それだけで職人の労が忍ばれる。

 

 上座の直ぐ左の場所で脇息に肘をつき、漆塗りのパイプを手にした美女がそこにいた。身体の輪郭が分かりにくい服装でありながらその肉感的な体型が良く分かるように見える。長い烏の濡れ羽色の髪は下ろされ、鼈甲の簪を縫っていた。何処か退廃的な雰囲気を醸し出す見た目二十代前半に見える妖艶な美女……。

 

(と、何も知らなければ思うんだろうな……)

 

 その設定を思い出した俺は内心で気取られぬように失笑する。若作りしすぎなんだよ拗らせババアめ……!!

 

「誉れある鬼月の者達がそんな声を荒げては良い恥じ晒しというもの。一応結界を張っているとは言え、何処でどんな家に『視』られているか分かったものではないのよぅ?もう少し鬼月の人間である意識を持ちなさい。ね?」

 

 子供を窘めるように女は……鬼月家前々当主の妻である鬼月胡蝶は二人に語りかける。いや、より正確に言えば子と孫に対して、か。

 

 ……信じられるか?こいつ四人も餓鬼産んだ経産婦どころか孫がいるババアなんだぜ?

 

 有り余る霊力で肉体を活性化させて延命する事は不可能ではないし、異能を使っても同様、何なら呪術的なアプローチで人間辞める事も出来る世界である。この拗らせババアからしてみればガワを若作りする位は難しくないだろう。けど流石に五十は年下の主人公を色香で誘惑するのは自分の年考えてないわぁ。……いやまぁ、ヒロインの中には年齢三桁の年増もいるけどさぁ。

 

「下人、報告御苦労でした。もう結構、下がりなさい」

 

 ふぅ、パイプを一口吹かした後ババアは俺に命じる。言われなくても俺もさっさと去りたかったよ。デブ衛門の俺を見る目が怖いし、何ならさっきから部屋の隅から勝手に生えて覗き見してる巨大な目玉様の視線も辛かったからな。何よりこの部屋一族の長老衆ばかりで霊力密度高過ぎ……うぇ、酔いそう。

 

「あっ、私も……」

「雛、貴女にはまだ昨夜与えた仕事について聞く事があるから此処に残りなさい」

 

 深々と一礼して音も立てずに部屋から退出しようとした俺に対して、姉御様が一緒にこの場を去ろうとするが、何処か刺のあるババア様のその言葉に阻止される。

 

「……承知しました」

 

 生真面目な姉御様は僅かに沈黙するが、直ぐに要請を承諾する。一瞬、部屋が寒くなった気がするが気にしないでおく。

 

「………」

 

 そして俺は沈黙の内に障子を開き一礼し、部屋を後にする。障子をゆっくりと締め、閉じきる直前、若作りババアと目があった気がするが流石にそれは気のせいだと思う。奴に目をつけられる要素はモブな俺には皆無だ。

 

 ……そして、障子を閉じきったと同時にいきなり漂い始めた香の香りに俺は緊張し、それを和らげるために一拍置いて深呼吸をする。ここから先の展開は大体分かっている。だからこれは覚悟を決めるためのある種の気付けである。

 

 そして、俺は意を決して一気に簀子で振り返った。そして俺は奴を視界に収める。

 

「あ、伴部。お帰りなさい。仕事大変だったかしら?」

 

 俺の目の前には当然のように背の低い少女が満面の笑みで立っていた。年は十代の半ばより少し下だろうか?桃色の和服に身を包み、両手を後ろで結んで屈託のないその笑みを見せるその姿は無邪気で汚れを知らぬ無垢な子供を思わせた。ガワだけは。

 

 ……障子を開く際の確認で今彼女の立つ場所に誰もいなかった事を俺は良く知っている。無論、周囲には隠れる場所は皆無の筈だった。俺の五感が認知出来る範囲では、という言葉が文頭に付くが。

 

「………」

 

 原作での彼女の被害妄想ぶり妄執ぶり、気性の激しさを思い返した俺は、取り敢えずこの場で一番安全牌な言葉を選び出して俺は口にする。

 

「御習得中の隠行の術、大変御上達したようで感嘆致しました。姫様」

 

 膝を屈し、恭しく、俺はストレスの元凶にそう伝えた。

 

 鬼月葵、恐らくは初見プレイヤーの監禁エンドのお相手第一位であろう、可愛らしい気狂い娘が俺の目の前にいた……。



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第三話

日間一位とかウッソだろおい!?


 『闇夜の蛍』のメインヒロインの一人、鬼月葵は鬼月家直系の次女であり、原作スタート時点で一六歳と設定されている美少女である。パーソナルカラーは桃色ないし桜色で、髪の色も瞳の色も濃淡こそあれそれに準じた色彩を放つ。何処か寝惚けたような、夢見心地な目をしており、スレンダーな姉の鬼月雛と違い肉付きが良い。……後脱いだら姉御様よりずっと豊満だ。サービスシーンは多くのファンの息子がお世話になりました。

 

 そのキャラクターを一言で表すとすれば唯我独尊、あるいは傍若無人といった所か。外見に似合わず気分屋で我が儘、自信家で毒舌、そして独善的……そして何よりも化け物とタイマン張れる鬼月家一族の中でもトップクラスの才能を有している。それ故に努力もしておらず、努力していない癖に強すぎるパラメーターを叩き出している。というか真面目に陰陽術や呪術を習っていないので物理攻撃ばかりしてくるのに概念系の『凶妖』をワンパン出来るとか意味分かんない。ファンからの愛称はピンクなパワー系ゴリラ姫様である。

 

 まぁ、そんな才能の塊なせいでそこらの努力する俗物な凡人共の事は殆ど興味を抱いておらず、尖った性格や優秀な、あるいは特別な者達でなければ名前すら覚えようとしない性格破綻者でもある。ゲームでは豪農とは言え農家の生まれでありながら特殊で強力な異能に目覚めた主人公に興味を持ち、そこから交流を重ね(我が儘に付き合わされて)、危機を乗り越えて、彼女の過去を知り、そのトラウマを乗り越える事でヒロインフラグを立てる事が出来る。成人版のベッドシーンでは肉食獣になってガンガン搾り取って来るのでドM性癖にとっては歓喜物である。騎乗位で!たわわが!メチャクチャ揺れる!

 

 ……まぁ、裏設定は重いし、直ぐにヤンデレ化しちゃうけど。

 

 身内での権力抗争が糞みたいにひっきりなしに起こる鬼月家において彼女は非常に面倒な存在だった。彼女の父は一族の当主なのだが妻とは政略結婚、その前になんと小作人の娘と駆け落ちしていた。尚、姉御様は駆け落ちした娘との子供なので姉御様との関係は本当は異母姉妹である。姉御様のスレンダーなまな板は幼少時の栄養状態の差が原因の可能性が高い(名推理)。

 

 まぁ、そんな訳で彼女は父親からは疎まれていたようだ。そして退魔士一族の例に漏れず彼女もまた強力な霊力を有しているのだが……うん、ろくに修行もせずに最上位の『妖』を物理で殺せるようなヤベー奴を父親が放置する訳ないんだよなぁ。

 

 名目上は実地訓練、真の目的は間違いなく死なせる腹積もりだったのだろう。敢えて雑魚い『小妖』共しかいないと嘘をつき、彼女は数名のお供だけで父親に『妖』の巣窟に送り込まされた。

 

 この世界がエログロ上等の鬱ゲーなのを合わせればここから何が起きるかは最早誰でも分かる筈だ。

 

 まず護衛と供連れが化け物共に踊り食いされた。護衛である以上戦いの技能はあったが多勢に無勢、いや『大妖』が複数いた時点で質の面でも詰んでいた。

 

 当時弱冠十歳の彼女は、一番長く抵抗した。子供とは言え長年に渡り強者同士で交配を重ねた退魔士のサラブレッドである。『妖』共を千切っては投げ、千切っては投げを繰り返してどうにか巣から逃げた。

 

 ……まぁ、巣から逃げて出た所で父親の送り込んだ刺客達に殺されかけて、しかもそこを襲撃した生き残りの『妖』達によって刺客が食い殺されて助かったと思えばエロシーン突入だ。ロリが醜い化け物達によって処女奪われて全身白濁液と血液まみれとか結構キツいね。

 

 まぁ、そこは腐っても一族でも屈指の才能を持っただけあり、この三日三晩の凌辱地獄を耐え抜き、隙を見て『妖』共から逃げ切る事に成功、一族の中でも彼女に味方する派閥によって保護されて九死に一生を得る事になる。尤も、その経験から一族の次期当主最有力候補から一気に脱落する事になるのだが。というか、父親からすれば最悪でもそれが狙いだったらしい。処女信仰って訳でもなかろうがやはり退魔士の名家の当主が『妖』にヤられた女なんて外聞悪すぎですし。

 

「あら?何私を見つめているのかしら?まさか私の美貌に見惚れたのかしら?まるで発情期の兎みたいね、節操ない事」

 

 膝を屈しながら、そんな原作ゲームでの設定を思い起こしていれば目の前で御簾を上げた御帳台の上で巻物を読み耽っていた件の小娘はにっこりとした微笑みを浮かべながらからかうようにそう俺に言い捨てる。というか俺仮面してるのに何で見つめているって分かるの?いや、化け物とタイマン出来るこいつら退魔士共からすれば人の視線なんて一キロ位先からでも察知出来そうだけどさ。

 

 仕事を終え、長老衆への報告も終わり、飯でも食ってその後は丸一日ぶりに眠りこけようとでも考えていた俺は、しかし今いるのは下人風情では上がる事すら許されない豪華な和室だった。

 

 何畳あるのか、少なくとも二十畳位はありそうだ。ご令嬢が座り込む御帳台が中央にあり、その背後にあるのは金箔が貼られた山水屏風、手元には脇息があり今はその上に広げた絵巻物を置いている。傍らには黄金で作られた水瓶、背後の台座の上にあるのは火取香炉と和琴であろう。香炉は使われているようで灰色の煙がたなびくと共に爽やかな香りが室内に広がっている。それ以外にも部屋一面に置かれた調度品の山々……それらは無造作に置かれているようで、その実この部屋を守る強力な結界と呪い返しを作り出す重要な構成要素であった。

 

「……御無礼ながら、そのような事は御座いません。ただ此処に御呼ばれした理由を考えていた次第で御座います。御不快な思いを与えたのであれば謝罪致します」

 

 俺は淡々と、感情を込めずに機械的な反応で、しかし無礼にもならないように注意してそう答える。原作よりは少しマシかも知れないが普通に地雷女なのでこうするのが正解だ。俺、ただのモブ戦闘員Aだからね?ゴリラ姫様にはもっと興味津々になれる主人公様が待ってるからさっさとこんな俗物の事なんか忘れてどうぞ。

 

(……いや、お願いだから俺なんかに声かけないでくれない?ストレスでお腹痛くなりそうなんだけど。というかルート次第だと俺の腹に物理的に穴空きそうなんだけど?)

 

 プレイヤーのトラウマシーンその四六、葵様のいただきますシーンを思い出して吐き気が込み上げて来た。いやぁ、愛する人のモツを食べちゃうとか安直なネタと思ったけどイラストレーター力入れすぎだろ。どんだけ中身描写するのに力入れてんの?

 

 そも、何で俺がこいつに顔と名前覚えられているのかと言えばどうしようもない状況に陥ったせいだった。

 

 前述の父親の罠、その際に護衛として同行した下人の中に俺が捩じ込まれていた。正直不味いと思ったね。これ絶対同行したら化け物共の御飯にされる筈だもん。どうにかして……それこそ体調不良とかで誤魔化そうとしたが失敗、逃走?元より呪いがあるので不可能、俺はどうしようもなく目の前の地雷娘と同行する事になった。

 

 原作ゲームを知っていた事、そのために小道具類の事前準備が出来た事、全方位を全力で警戒していた事、主な話の流れを覚えていたのは生き残る上で非常に助けられた。仲間が踊り食いされるのすら囮として俺はどうにか化け物共を誤魔化して森の中に隠れる事に成功する。

 

 しかし、そこからが問題だ。結局俺達下人には糞ったれ一族から完全に逃げる事は出来ない。寧ろ逃亡しても捕まって見せしめに罰を受けるか、実験の材料にされるか、あるいはゴリラ姫死亡の責任を押し付けられるだけである。

 

 そんな焦燥感の中で必死に考え込んでいる内に、刺客共が神経毒でゴリラ姫の身体を麻痺させ、いざ止めと化物の襲撃で仲良くそのお腹に直行……という時である。俺は他に選択肢もないのでそれに賭けた。

 

 化物共による輪姦パーティーが始まる直前に準備していた煙幕玉に閃光玉、臭い玉を使用、化物共の五感を麻痺させた所で小娘をおぶって全速力でその場から避難した。戦う?いや無理無理、秒殺されちゃう。というか救出する際に重傷食らった位だ。

 

 ……別に善意から、とか道徳的に、とかあるいは原作キャラを救いたいからなんて理由からこんな危険な事をした訳ではない。ただ、このまま行けば俺にも未来はない。ならば多少の危険は承知で彼女を救出する方がこの場を切り抜けるのも、そして逃げ切った後の処遇から言っても助かるからだ。流石にゴリラ姫を次期当主に押す派閥は俺が口止めで消されるのを阻止してくれる……と思いたい。

 

 神経毒でろくに動けない餓鬼を背負って三日三晩追って来る化物から逃げ続け、最後は毒が抜けたゴリラ姫が物理で追っ手の化物共をワンパンで纏めて葬り去った事で俺達は助かった。いや、俺は割とズタボロだったけど。

 

 それが今から三年前の事である。以来、凡俗で才能のない俺であるがそういう経験から少しは記憶に残っているらしく、時たまに屋敷や野外での護衛として呼ばれ、喋り相手の傍ら気紛れに術具を下賜されたり、下人に教えられる事のない秘技……といっても本当に初歩の初歩……を戯れ気味に教えられたりしている。

 

 ……ミスったな。派閥から保護されたいとは思っていたが、このゴリラ姫にここまで注目されるのは計算違いだった。ほら、俺よりもっと面白そうな人間は他にもいるからそっち当たって?具体的に三年後位にエンカウントしてくるから。

 

「つれないわねぇ、もっと狼狽えて返事してくれても良いものでしょうに。それとも私ってそんなに異性から見て魅力ないのかしら?」

 

 俺の淡々とした返答に心底詰まらなそうに溜め息を漏らすロリゴリラ姫様。その溜め息と同時に厚い和服の上からでも分かる盛り上がりが小さく上下する。うーん、これはCはあるかね?

 

「そのような事は御座いません。人々が言うには姫様の美しさは天女の如く神々しく、その美貌は千里先でも輝くと評判、断じて魅力がないなどという事はないかと」

 

 俺は人づての噂……というよりかゲーム内で語られた評判をほぼそのままの形で口にする。無視したらそれはそれで面倒な不興を買いかねないので仕方ない。どうせこんな物言いでこの拗らせ地雷ヒロインの好感度がアップする筈もない。

 

「あら?誉めてくれてたのね、嬉しいわ。人づての話ではなくて貴方の個人的な意見だったらもっと参考になったのだけれど」

 

 案の定、若干不快そうに……しかしそれもただの悪ふざけの演技である事は原作知識から承知済みである……そう宣うゴリラ姫。俺は下人衆の一員らしく感情のない声を維持しながら言い返してやる。

 

「姫様の質問に対して返答するならば私の一個人の意見ではなくより広範な者達の意見こそ目的にかなうもの、噂や渾名はその点で言えば俗物的ではありますが一定の指標にはなるかと」

 

 実にそれらしく取り繕った一般論である。まぁ、この作品の地雷ヒロイン達に個人的な言葉を言ったら好意的であれ、悪意的であれ、どう解釈されるか分かったものではない。あくまでも一般論として前置きして会話をしたいものである。出来れば会話もしたくない。

 

「そう、詰まらない意見ね。……貴方はいつもそう」

 

 脇息の上で肘をついて頬杖しながら俺を見やる美少女。此方を探るようなその瞳は瞳術の可能性もある。俺は直ぐ様、違和感ないように自然な所作で仮面の下越しに視線を逸らしてその術中に嵌まるのを回避する。

 

 一応、下人衆に与えられる仮面はその手の対策の呪いがかけられているが目の前の化物のそれ相手にどこまで耐えられるか分かったものではなかった。ゲームでもそうだったけどこいつ、初歩の初歩の術式しか使えないのに下手なキャラの必殺技よりも威力あるんだよなぁ。やっぱこいつパワー系ゴリラだ。

 

「……そうそう、ずっと思っていたのだけれど伴部、貴方この前私が与えてあげた御守りはどうしたのかしら?常に身につけるように命じた筈よ?」

 

 逃げた俺に対して暫しの沈黙の後、彼女は思い出したような言い草で……そして何処か嘘臭い口調で……その事を指摘した。

 

(遂に来たな……糞、どうして見つからなかったんだ?)

 

 そこまで遠くにまで飛んでいってはいないと思ったのだが探せど探せど見つからず、時間は空しく過ぎるばかりで俺は焦燥しつつもそのまま帰るしかなかった。

 

 そして、たかが下人の分際で特別御利益がある訳でないにしろ御守りを名門の退魔士本家の娘から受け取るだけでも身の程知らずであるというのにそれを無くすとなると……普通に考えても恐ろしい話であるが、しかも妄想が激しい気狂い女ばかりのこの世界では危険過ぎた。

 

(いや待て、落ち着け落ち着け……大丈夫だ。まだフラグは立っていない。セーフだ、セーフ……)

 

 別に恋仲になりたい訳でもないが、俺はまだゲーム内であったようなバッドエンドルート要素のあるヤンデレ化イベントなんてしちゃいない。少し気に入られているがそれだけだ、それだけ……。

 

「大変恐縮ではありますが……何せ私の実力では此度の任は荷が勝ちすぎまして……戦闘の後に捜索を致しましたが力及ばず見つけられませんでした」

 

 鬼月雛に助けられた話は言わない。原作でもゴリラ姫の好感度上げた後に姉御様と交流するとバッドエンド一直線だったから。四肢切断して監禁とかどう考えても頭可笑しいわ。

 

「ふーん、そうなの。随分と無礼な事よね。この私が授けてあげたものを手放すなんて。そんなに罰を受けたいのかしら?」

 

 加虐的な笑みを浮かべるゴリラ姫。ちっ、言わせておけば……!!いや、逆ギレしても秒殺されるんだけどね?うわっ、身体から凄い霊力滲み出てる。霊力酔いでゲロりそう。

 

「……お怒りはもっともながら、何卒御容赦を。私のような下人では力及ばぬ事で御座います。今後とも精進致しますのでどうか御許しを……」

 

 取り敢えず小者ムーヴすると共に全力で許しを乞う。これは俗物さを以って相手の興味を減らすという、興味のない者相手には執着もしないゴリラ姫様に対して有効な策だ。そのまま失望してゴキブリみたいに部屋から追い出してどうぞ。いや、マジ霊力強すぎて怖いの。

 

「……みっともないわね。びくびくと、まるで臆病な羊のようね。情けないわ」

 

 ですね。だからさっさと失せろって言えよ、ゴリラ。

 

「……はぁ、仕方無いわね。今回だけ許してあげても良いわよ。代わりに、また暫くこの部屋の護衛に回りなさい。暇な時間にもの探しの呪いを教えてあげるわ。光栄に思うことね」

 

 心底仕方なさそうな溜め息と共に上から目線で乞食に施しをしてやるような口調で地雷女は俺にそう言い付けたのだった。

 

 ……はは、ゲロしたくなってきたわ。

 

 

 

 

 何処か憔悴したような動きで彼が障子を開いて退出した後、少女は口元を吊り上げて呟く。

 

「そうよ、貴方のせいじゃないから。『今回だけ』は赦してあげるわ」

 

 そして、何処か不敵な笑みと共に少女は部屋の片隅を見つめる。

 

「覗き見は下品、じゃなかったの?」

 

 次の瞬間人差し指を軽く振る。次の瞬間ぼおっ、と火の手が上がる。

 

『チュチュチュ……!!』

 

 黒鼠が金切り音のような悲鳴を上げて床に転げ回る。恐らく何らかの術を使っているのだろう、火だるまになる鼠が転げ回っても床は焦げ跡一つあるようには見えなかった。

 

 冷たい笑みを浮かべながら少女は焼け焦げた鼠が息絶える姿を観賞する。そして、再度指を振るう。と、いつの間にか膝元に鎮座する黒い猫。眠たげに大きく一つ欠伸するとてくてくと歩き出して鼠の死体を咥える。

 

「お使い、頼むわね?」

 

 そう少女が嘯けば猫の姿は消えていた。

 

「さて、と。警告が分からなかったの?次は貴女を燃やしましょうか?」

 

「それ」とはある意味目的は同じであるが、馴れ合う積もりはない。ましてや折角の「彼」との二人きりの時間を邪魔するなぞ……!!

 

『………』

 

 殺気を向けてやれば、天井裏に留まっていた妖力が静かに去っていくのを少女は把握する。

 

「……まさかこんな簡単に結界を抜かれるなんてね。面倒だけどもっと勉強しなきゃいけないようね」

 

 小さく、今日何度目か分からない溜め息を吐き出す。正直単純に皆殺しするならばこんな小手先の術式なんて学ぶ必要はないのだ。しかし、事はそんな簡単な事ではない。故にこんな回りくどく非効率な術でも身に付けなければならないし、磨かなければならない。

 

「本当、面倒。だけど仕方無いわね。そうしないと見守れないもの」

 

 彼女が「授けてあげた」御守りには下人程度には分からない位に巧妙に偽装した精神操作と監視の術式が仕込んであった。とは言え、彼女は「彼」の周囲に纏わりつく他の「下品な」女共とは違う。洗脳なんて無粋な真似ではない。ただ、苦境に絶望して、諦めてしまわないように精神を奮い立たせるためだけのものだ。監視の術式も同様、あくまで「彼」の奮闘を見守るためのものに過ぎない。四六時中見続けるなんて変態の所業だ、彼女は自分はそんなイカれた女でない事を自認していた。

 

 ……駄犬が尻尾を振るった時、咄嗟に精神操作で直撃を回避するように身体を動かしたのは秘密だ。

 

「本当、危なかったわ。あんな雑魚相手に……まぁ、下人じゃあ仕方ないけれど」

 

 退魔士の家系と消耗品の下人とでは素質も、その後の教育環境も全く違う。寧ろあれでも上出来というべきだ。無論、それでは意味がないのも事実だ。

 

「だから、だから早く強くなりなさい?私がちゃんと育ててあげるから」

 

 彼女は天才だ。才人だ。努力しなくても、術式すら使わずに強化した身体能力だけで『凶妖』すら複数纏めて殺せるだろう。故に彼女にとって周囲の者達は凡俗でつまらないものばかり。

 

 しかし……『彼』だけは別だ。あの日、絶望し、死すら覚悟したあの時、彼女は見たのだ。仮令一流の退魔士であっても怖じ気づくような状況で、たかが下人が自分を助け出した姿。ボロボロになって、身体中血塗れで、お荷物な小娘なぞ見捨てるしかないという状況でも諦めずに進み続けたその姿を。その姿に彼女は安堵し、感動し、すがりついた。

 

 ……まぁ、実力は全くではあるが。

 

「そう、実力はまだまだ不足している。全く足りないわ。特別どころか二流にもまだ程遠い」

 

 ……だから私が育てるの。

 

「私が真に惚れ込み、全てを投げ出して、与えたくなるくらいの特別な存在に………」

 

 クスクス、と小鳥の囀ずるような可愛らしい、しかし何処か妖艶で、何処か不気味な笑い声が漏れる。

 

「だから今回の任も敢えて放置したのよ?無謀ではない。「彼」の実力、そして本当の化物の力も計算して、血反吐を吐いて戦えばギリギリ勝てるだろうと考えて。きっと戦いの後「彼」はより高みに進む事が出来たでしょうに」

 

 ……実際はあの忌々しい女に邪魔されてしまった訳だが。

 

「本当、過保護よね。そんな事よりも心配する事はあるでしょうに」

 

 まぁ、良い。姉の事は、あんな女の事なぞもうどうでも良い。それよりもこれからの事だ。もの探しの術を教える?それだけな筈ないだろう?

 

「さぁ、私が手ずからに教えてあげるのだから頑張りなさい。今度はもっと、もっと高い壁に挑むのだからね?」

 

 そして乗り越えなさい、名を残しなさい。英雄になりなさい。

 

「私が愛する人が、ただの凡俗で低俗な唯人で終わって良い訳がないのだから」

 

 そう宣う彼女の表情は恋する乙女のようで、そしてその瞳は底無しの穴のようにどんよりと暗く曇っていた……



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第四話

お気に入り8000超え、累計入り……?
一体何が起こっているんだってばよ……?(困惑)


 それは時刻で言えば昼過ぎ……この世界ないし時代の呼称で言い表すならば八ツ半時といった所の事であった。

 

 そこは白く深い霧に覆われた森だった。それこそ一寸先すら見えるか怪しい深い、深い霧に覆われた森……。

 

 

【挿絵表示】

 

 

(そして森だというのに獣や虫の鳴き声もしない。極めつけはこの濃い妖気……ビンゴだな)

 

 俺は、正確には俺を先頭に置いた下人衆五人に退魔士一人からなる一行はそんな危険な雰囲気バリバリな森をゆっくりと進んでいた(因みに下人は徒歩で、退魔士は馬に乗っている)。

 

 鬼月家本家の屋敷から山を五、六程越えた先、国境の山間部に俺達は来ていた。勿論ピクニックのためじゃなくて仕事だ。ここ最近森に狩りに出た猟師や樵が次々と行方不明になっていると話題になっており、近場の村から調査と退治の嘆願を受けていた。

 

 先行した隠行衆二名は送ったきり式神一つ送らずに帰ってこなかった。となれば相手は最低でも『大妖』級、考えたくはないが『凶妖』の可能性も否定出来ない。故に主力となる退魔士にその支援兼囮として下人衆の一個班という組み合わせで俺達は送り込まれた。送り込まれたのだが……。

 

「磁石は案の定狂っているか。目印は……やはりな」

 

 俺はまず手元の方位磁石を見やり、その針がぐるぐる回転しているのを確認する。次いで目印として霧の道を進む道中で木の幹にくくりつけた布地を発見。やはり同じ道を回っているな。

 

 化物と相手する上で五感の信用はあってないようなものだ。視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚……どれも全力で集中しなければならないし、同時にそれがいつの間にか欺かれているかも知れない事も警戒しなければならない。

 

 故に道具の類いにも頼るのだが……それもこの方位磁石のように狂わされる事も珍しくなかった。というか此れくらいならまだ可愛い方だ。この分だと相手が『凶妖』の可能性は低いな。あいつらなら下手したら自分達の支配範囲内の物理法則を改竄してきたりするから。ちょっと概念系攻撃とかどうやって対抗すれば良いんですか……?

 

「……やはりもう『妖』の術中に嵌まってしまっているのでしょうか?」

 

 俺が目印等を調べていると背後から響く可愛らしく礼儀正しそうな声。俺は仮面越しにその声の持ち主を見やる。

 

 何処か不安げで、緊張した面持ちの銀髪の少女……退魔士らしく動きやすい(つまり脇とか露出した)和服に身を包み、その手元には弓矢を携えている。因みにその弓は神木を削って作られ、その弦は龍の髭を張った逸品だ。というか動きやすいためとか言い訳してるけど衣装地味にエロくね?横乳が少し見えるぞ?これは情操教育に良くないぜ……。

 

 ……馬に乗ったままで駆け寄ってきた鬼月家分家筋の鬼月綾香ちゃんはゲームスタート時で一七歳、現在は一四歳の健気で大人しい少女だ。

 

 性格は臆病で気負いやすく、しかし身分に関係なく優しくてお姉ちゃん気質、実際に一族のみならず家人の子供等からも年上のお姉さんとして慕われている。ゲームでは原作主人公より一つ上な事もあり気の良いお姉ちゃんキャラとして対応してくるが、実際は小柄でおっちょこちょいな事もあり癒し系キャラとしてファンからの人気を獲得した。そして……悪名高きハラボテチェストバスターの犠牲者である。

 

 おう、仲間人質にして抵抗出来なくした後に輪姦して、しかもハラボテ状態で再登場したと思えば主人公の目の前で苦しんで泣きじゃくりながらお腹から出産とか制作陣の性癖歪み過ぎじゃね?誰得だよ。

 

 しかも、救えないのがそれが主人公を貶める陰謀の一環で、そのために偶然生け贄の白羽の矢がたったという裏設定が余計哀れだったりする。余りに不憫過ぎて二次創作ではかなりの確率で最強系オリ主達によってフラグをへし折られた。尚ウス=異本業界ではその最期からゴリラと並んで異種姦物の相手として引っ張りだこだったりする。

 

「?伴部さん、どうかしましたか?」

「……いえ、少し考え事をしておりました」

 

 俺が内心彼女というキャラクターの(色んな意味で)酷い惨状を思い返していると、それが伝わったのか不思議そうに首を傾げる少女。勘の良い餓鬼は嫌いだよ。

 

 ……いや、退魔士の人間なんてどいつもこいつも五感どころか第六感も化物みたいな奴ばかりなんだけどね。

 

 次いでに言えば今綾香ちゃんが俺の事を名字で呼んだがこれも退魔士全体で言えばかなり珍しい事だ。というか鬼月家の殆どの面子は下人衆の一人一人の顔と名前なんて覚えていないだろう。いや、俺達基本顔隠してるけどさ……そういう面でも彼女は善良だ。本来ならば消耗品な下人相手ですら対等に接するのだから。序盤で主人公と一緒に行動するのもそういう性格から選抜されたのは想像に難しくない。

 

「……」

「?」

 

 俺が再度視線を向けたのを察知したのか首を傾げる少女。うん、可愛い。

 

(……死なせるのは哀れだよなぁ)

 

 ある意味ストーリー序盤のヒロインで地雷フラグもないのだが、無慈悲な事に彼女をヒロインにするルートは皆無である。更に言えば実は隠行衆に慕っている幼馴染みがいたりするので主人公とのカップリングが絶望的だ。

 

 ……というかその幼馴染みも大概ストーリーの都合でエゲツない目にあったりする。ましてや特典とかスピンオフ小説で甘酸っぱいサイドストーリーを追加してファンのSAN値を削っていく所業……やっぱりこのゲームの制作陣は性格腐ってるわ。

 

「……恐らくそうでしょう。ですが、そこまで悲観したものでもありません。賢い『妖』であればもっと狡猾な筈です。相手はそこまで頭が回る訳ではないようです。あるいは能力の活用出来る幅が狭いのでしょう」

 

 本当に相手を迷わせたいならば方位磁石をぐるぐる回転させる必要はない。気づかれぬようにゆっくりと針を動かしていけば良い。木の幹に付けた目印も処理する筈だ。何ならそもそも霧なぞ作らずとも幻術を使って偽りの世界を見せてしまえば良い。何処からが現実で何処からが幻か分からなくしてしまうのだ。それをしない、あるいは出来ないとなれば少なくとも最悪の事態でないことだけは分かる。

 

「では……」

「ですが油断は禁物です。この霧、視界が悪く奴らの接近にも気づきにくい。特に綾香様の戦いは遠距離向きのもの、となればこの状況は楽観は出来ないかと」

 

 直ぐに調子に乗って失敗するのは彼女の悪い癖であった。楽天的で楽観的で、表裏がない性格はある意味では魅力的なものであるかも知れないが、少なくともこの仕事をしている上で油断はあってはならない過失である。

 

「は、はい……」

 

 俺の指摘に恐縮するような表情を浮かべる綾香ちゃん。完全に俺が目下なのにこの態度である。しょんぼりしてる、可愛い。無論、下人という立場にある以上絶対に口には出さないが。

 

 取り敢えずは陣を作るべきだろう。これ以上歩いても体力の無駄だ。休息と休憩が出来る陣を作り結界で守護した上で式神で警戒する、というのが定石だろう。

 

「丙、柏木、天幕を張れ。朝霧は綾香様の側に、平群、お前は俺と一緒に周囲を……」

 

 警戒しろ、と振り向いた時に俺は理解した。既にそんな悠長な事をしている時間はないと。

 

 今回編成された班において俺の次に戦闘能力が高かった平群の姿はもう何処にもなかった。

 

「各員、綾香様の周囲を囲み警戒……!!」

 

 俺の命令に反応するまでに要した時間は二秒もかからなかった。次の瞬間には鬼月綾香を中心に四方を警戒する形で俺達は展開していた。

 

 各々の武器を抜き、塩を撒いて簡易の結界を張り、特にこの前ゴリラ姫から無理矢理簡単な式神の作り方を教えられていた俺は懐から動物の形に切り揃えて自身の血液で呪文を刻んだ紙を数枚ばら撒く。式神はポンッと白い煙を吹かせると肉の実体を持って動き出した。

 

「あ、あのっ、その式神では塗る血が多すぎでは……」

「承知しております。これは斥候用のものではありません」

 

 栗鼠……より正確に言えば栗鼠の形に頭部を札で隠した出で立ちの式神は俺が札に重ねて仕込んでいた千里眼の術式により視界を共有していた。

 

「……綾香様、僭越ながら準備の程をお願い致します」

 

 そこまで言えば漸く彼女も俺の狙いを理解したらしく、手にした弓矢を構え、その弦を引く。

 

 俺は前方にも注意を払いつつも仮面の下では汗を流して式神を誘導していた。糞、式神を複数、それも視界も幾つもありながら誘導するのは中々に集中力がいるな……。前世の事で例えるならばFPSゲームを複数同時にやっているようなものだろうか?

 

(いた……!!)

 

 いや、より正確には見つけさせたというべきか。次の瞬間、式神の一つと共有していた視界の一つが真っ暗に染まる。食いついたな……!!

 

 俺は無言で指差しをした。ほぼ同時にその方向に向かって神々しい閃光が撃ち込まれる。霧を切り裂いて、その霊力を込めた鏃は式神の札に染み込ませた俺の血に反応し、踏み潰していた大猪の化物の頭を貫通し、その頭蓋を文字通り粉砕した。骨と脳漿が石榴のように弾けて周囲に飛び散る。

 

 ぐったりと倒れる恐らくは「中妖」クラスであっただろう化け猪。その死骸に周囲の犬やら虫やらの「小妖」が群がる。そして……細かく雨霰のように降り注ぐ光の矢によって切り裂かれていく。

 

「綾香様、続いて正面から三体、猿が来ます……!!」

 

 俺の報告と同時に霧の中から三体の影がうっすらと現れる。見方によっては人の姿にも見えたそれは事前情報がなければ不用意に近付き犠牲者を出していたかも知れない。しかし、現実には打ち込まれた三本の矢が腹に命中すると同時に硬い毛皮と皮下脂肪、そして妖力で保護された身体を上と下で真っ二つに引き裂かれる形で終わった。

 

「……各員、雑魚が来たぞ。綾香様を御守り申し上げろ」

 

 俺は背後の少女が凄まじい衝撃と轟音と共に打ち放つ矢の嵐を一瞥した後、淡々と同僚達に命じる。何処か機械的な口調で直ぐ様返事が三人分返ってくる。同時に霧の中から散発的に現れる小柄な妖……「小妖」を各々が持つ武器で切り伏せていった。

 

 歴史的には様々な区分方法があるが、少なくとも設定上、原作開始の段階で最もポピュラーな「妖」の「格」の区別法は五段階で表されるのが普通らしい。即ち「幼妖」、「小妖」、「中妖」、「大妖」、「凶妖」である。

 

 最下位の「幼妖」は実際の所半分「妖」ですらない。「妖」になりかけの中途半端な存在の事を指す。そこから「小妖」「中妖」「大妖」へと時間をかけて、そしてその間に他の「妖」や人間……特に霊力が高く「異能」持ちが好まれる……を貪り、あるいは土地の竜脈というべき場所で生きる事で進化していく。そして最終的に幾百幾千の時間と何千何万もの人間や同族の命を食い散らかし、そこから得た力を凝縮し、濃縮する事で『意思を持つ災害』とも称される「凶妖」へと大成する。

 

 無論、実際の所「大妖」や「凶妖」にまで大成出来る化物は全体の極極一部に過ぎない。退魔士達は長年の特権によって腐ってはいるが無能ではない。化物達にとって一番の御馳走は自分達だと理解しているし、唯人を食いつくされて困るのは世俗との強固な利権の繋がりを持つ自分達だ。彼らは少しでもその可能性があれば妖を狩りに行くし、見つけた化物共は成長する前に可能な限り皆殺しにしている。故に「妖」の九割は「幼妖」や「小妖」、そしてその程度ならば下人達でも一対一で十分対抗可能だった。

 

 そう、「小妖」程度であれば。

 

「あっ……がっぶっぁ!!?」

 

 何かがぐちゃりと潰れる音に俺達は振り向いた。下人の丙がそのグロテスクな音の発生源だった。

 

 三メートルはあろう大熊の「中妖」が彼の頭を掴んでいた。より正確には掴んで握り潰して持ち上げていた。ぶらぶらと身体を揺らされて、大熊の握り拳の隙間からは赤い血や肉片や骨片が零れ落ちていた。此方を赤い目で睨み付けて唸り声をあげるおぞましい化物の姿に退魔士の乗る馬は恐怖に鳴き声を上げる。

 

「なっ……よ、よくも……!!」

 

 怒りに満ちた声と共に我らが護衛対象であり、今回の退治の主役が殆ど反射的に弓を引いていた。至近距離からかつ怒りの余り霊力を必要以上に流し込んで放たれた一撃は大熊の左半分を文字通り吹き飛ばした。

 

 顔までも半分消し飛んだ大熊はそのまま地面に倒れてピクピクと痙攣する。消し飛んだ身体の断面図から内臓が零れ落ち、大量の血が地面を汚す。

 

 だが、それはある意味悪手であった。数が数である。ここで必要以上の霊力を込めた一撃を放った所で何の意味もないのだから。逆に退魔士の継戦能力の低下を招き、何よりも事態を悪い方へと急変させた。

 

「ちぃ、陣営が崩れたか……!?」

 

 唯でさえ戦闘技能に優れた下人をいきなり喪失したのにここで更に一人喪失、更に言えば綾香が強力な一撃を打ち込んだがために相当量の霊力を消費した。そして弓矢は近接戦闘ではかなり不利な装備でもある。

 

「ちぃ……!!」

 

 次の瞬間、俺は飛びかかってきた野犬サイズの蜂を霊力を流し込んで刃を鋭く強化した槍で切り伏せ、次いでその影から現れた蝙蝠の化物を霊力で強化した足で踵落としをし、その首の骨を砕いて始末する。

 

 「小妖」ですら通常の武器では一撃で殺すのは案外難しい。故に武器や身体に霊力を流し込み強化する手法は良くある事だ。因みに俺の場合武器全体や身体全身ではなくて武器の柄や刃先、身体の関節や筋肉等必要な部分だけに瞬間的に霊力を流し込んで爆発的に強化するが、これは別に俺独自のアイデアではなく原作主人公様のものだ。そのまま全体を強化するよりも霊力を節約出来るのが利点だ。

 

「綾香様、予想外に敵の数が多すぎます。ここは一度退避するべきかと」

 

 俺は進言しつつ懐から二本苦内を投擲、それは霧に紛れて此方に飛びかかろうとしていた大鼠の化物の頭部に命中し、頭蓋骨を打ち砕く。こいつら雑菌の塊だから噛まれたり引っ掻かれると化膿して後々が面倒だった。

 

「ですが、この霧の中では……!!」

「くっ、そうだった……!」

 

 俺は小さく舌打ちする。恐らく方向感覚を狂わせる妖気で構成されたこの霧……これがある限り幾ら逃げたところで……!!

 

『おや、お困りかい?仕方無いな、ここで死なれたら困るしね。この俺がすこーしだけ難易度を調整してあげよう』

 

 刹那、耳元で囁くような、楽しむような、それでいて粘ついた声が響いた。俺はその声に聞き覚えがあった。

 

 同時に遠くで腹から来る轟音が響く、そして途端に濃厚な霧は薄まっていく。

 

「えっ!?い、今の音は……!?」

「これは……霧が弱まったぞ!!綾香様を御守りしつつこの場から後退する……!!」

 

 突然の轟音に困惑する退魔士に、俺は同僚達に命じて避難をさせる。当然ながら殿を務めるのは生き残りの下人衆の中で一番戦闘力がマシな俺だ。

 

『グオオォォォ!!!』

 

 薄霧の中から飛びかかってきたのは虎……ではないな。虎と見紛うばかりの巨大な化け猫であった。虎は大陸にしかいないからね、仕方無いね。

 

「ちぃ!!」

 

 霧が薄くなっていて助かった。霧が濃いままだったら反応しきれなかった。俺は槍の柄でその牙の一撃を受け止める。「中妖」一歩手前といった所か。そのまま俺の武器を封じて体重で押し潰そうとしてくる。ぐっ……!!

 

「舐めるな!!」

 

 瞬間俺は利き手で以て目の前の化物を目潰しした。こういう時のために態態人差し指と中指の爪だけ伸ばしていたのだ。その先端に霊力を流し込み硬度を上げて化け猫の眼球を潰せば、悲鳴を上げてそのまま逃げ出す。

 

 一瞬の安堵、その隙に俺の背後に回り込んだのはすばしっこい鼬と猿と蛙の「小妖」だった。ほぼ同時に俺に飛びかかる怪異の群れ……。

 

「危ないっ!!」

 

 その掛け声と同時に鼬と猿の化物の頭部がはぜた。既に少し距離が離れた場所から放たれた綾香ちゃんの矢の一撃である。しかし……。

 

「あっ……」

 

 三発目は焦りからか大型犬並みのサイズのある蛙の真横を通り過ぎるだけであった。

 

『シャッ!!』

 

 高速で打ち出される舌の一撃を槍で軌道を逸らして頭が千切り取られるのを阻止する事に成功する。だが、完全には逸らし切れずに左肩を削り取られた。下人衆の着込む黒衣は呪具士衆が霊力を織り込んだ糸で編み簡易的な守護の術をかけたものであるが、所詮は量産品、無いよりマシといったものでしかない。

 

「キモい舌を見せんじゃねぇ……!!」

 

 槍を回転させてそのまま上から伸びる舌を切断してやった。奇声を上げながら蛙の化物は大きな口から紫色の何かを吐き出す。色合いからして見るからにヤバい奴であるのが分かる。

 

「ぐっ……!?」

 

 咄嗟に黒衣を脱いで盾としてその液体から身を守る。案の定紫色の液体を被った黒衣はあっという間に融解していった。

 

「汚ねぇもの吐き出すな……!!」

 

 槍で口元を突き刺して化け蛙をぶち殺す。背後から気配。俺は振り向き様に槍を横に払う。同時に巨大な蟷螂の鎌が俺の胸元を薄く切り裂く。その代わりに槍の一閃が蟷螂の身体を上下に切り落とした。

 

「はぁはぁ、くっ……!?」

 

 味方が後退した方向を見る。薄い霧であるが、最早影は見ることは出来なかった。足跡を探せば分かるかも知れないが……じっくり地面を見る時間は無さそうだ。

 

「独自に逃げるしかないか……!!」

 

 後から後からやってくる化物共をたかが下人一人がどうにか出来る訳もない。懐から火薬を詰めた閃光玉を取り出すと俺はやってくる化物共の群れに投げ捨てる。

 

 パッと大きな閃光と爆発音と共に俺は駆け出した。閃光玉の殺傷力は皆無であるが大きな音と光が化物共を一時的に混乱させた。とは言え雑魚共相手だから出来る事であるが。上位陣の化物になると足止めにもならないのだが……。

 

 俺は傷口を押さえながら必死に霧の中を駆ける。不味い。化物共からすれば血の臭いがして孤立した俺を優先して狙うのは確実だった。故に少しでも俺は距離を取るために駆け出さないといけなかった。脚力と肺に霊力を流し込みつつ足音を立てずに全速力で走り抜ける。

 

 そう必死に、必死に駆け出す。……だからだろう、霧もあり視界が不明瞭な事も一因だったと思われた。いや、この時点ではそこまで頭は回らなかったが一番の理由は「奴」であろうが……。

 

「はぁはぁ……うおっい!?」

 

 次の瞬間、木の根で足を挫いた俺はそのままこの距離まで来て気付いた縦穴洞窟に転げ落ちていた……。

 

 

 

 

 

「幸か不幸か……悪運は良いのか?これは」

 

 暗い暗い洞窟の奥、半裸状態で肩と胸元の傷を止血していきながら俺はぼやいた。

 

 洞窟に落ちた俺はそのまま転落死しても可笑しくなかったが……運良く洞窟の下には湖があった。そこに落ちて一旦血と汗の臭いを落とした俺はそのまま地上に残らず洞窟の奥へと逃げ、岩の間で野宿を決め込んだ。とは言え火も焚かず、光と言えば洞窟の天井から見える星明かりだけであるが。

 

「痛たっ……糞、化膿するなよ?ペニシリンなんてないぞこの時代」

 

 傷口を洗い、消毒して塗り薬を塗って布地を当てる。これが現在可能な治療の全てである。化物が跋扈しているためか医療技術は存外に発展している設定があるが、それも物がなければ意味がない。いや、使い捨ての下人相手にそこまで医療リソースが注がれる訳もないのだが。

 

「まぁ、それでも今日まで生き延びてきた訳だがな」

 

 俺は全身傷痕だらけの身体を見て呟く。前世の生半可な知識とは言え医療知識があるとないのとでは大きく違う。お陰様で何度か死にかける怪我をしてもこのようにとりあえず生存はする事が出来た。無論、これは医療知識だけではなく霊力や術式の理解、化物共の能力や特性等の設定、鬼月家の人間関係も同様だ。下人は情報統制が厳しくて正確な情報が手にはいりにくい。

 

「霧がかなり薄くなっているな……」

 

 恐らくは化物の仕業であったのだろう霧が晴れて来ているのは夜になった事も理由だろうが、それだけではあるまい。戦闘中のあの轟音、そして耳元でのあの気味の悪い囁き声、そして原作知識……後は冷静に考える時間と精神的余裕さえあれば答えは容易に導ける。

 

「……寝るか」

 

 俺は黒衣の下に着こんだ白地の薄着……といってももう赤黒く染まっていたが……を応急処置で縫い直すとそのまま槍を手にしたまま岩を背にし、周囲に塩を撒いて簡易の結界を張り、瞳を閉じた……。

 

 

 

 

 

 丑三つ時、化物達が一日で一番気性が荒くなり、力を増す時間、それは現れた。

 

 黒い霧だった。瘴気とも言うべきかも知れない。明らかに善くない妖気の奔流……それは下人風情が見よう見真似で張った結界を容易に擦り抜け、邪気避けの塩を腐食させ無力化する。

 

 そして黒い瘴気は下人を見つけると、次第に一ヶ所に固まり、それは人のシルエットにも似た影を作り出す。

 

『………』

 

 数秒程、影は寝付く下人を見つめると、ゆっくりと歩み始める。そして下人の目の前に来ると、そのまま影は下人の顔に近づき……。

 

「………何しようとしやがる、化物」

 

 ここでこれまで寝た振りをして三人称に徹していた俺は槍の刃を影の首元に突き出して尋ねる。おう、お前さんの性格的に寝ついた後くらいに来るかなって思ってたよ。

 

『おいおい、酷いじゃないか?折角俺様がお手製の妙薬を飲ませてやろうというのにさ』

 

 男勝りな口調でドス黒い妖力を放つ影は語りかける。友好的な口調であるが化物の言葉は元々信用出来ないものであるし、特にこいつについてはこの世界の人間達もその正体を知ればまずその言葉を聞こうともせず逃げるか殺しに来るかのどちらかであろう。まぁ、余程高名な退魔士でなければ返り討ちにされて食われるだろうが。

 

 そして、この世界の元になるゲームを知る俺からすればその不信感はより一層強くなる。だからお前も何で趣味と違う俺になんて近付いて来るの?左手の薬指くらいならもう食べて良いから。お願い、一生俺に近づかないでくれる?

 

「酷い言い様だな?別に俺の目的はお前を食べる事じゃないぞ?もっとお互い友好的にいこうじゃないか」

 

 影は凝縮するように集まり、明確に人の形を取り出して、そして色がつき始める。

 

 青い美女だった。青い長髪に同じく蒼い瞳、着こむは托鉢坊主を思わせる意匠の僧侶の衣服。但しその染め色は碧い。頭には笠をしているがそれは彼女の出自を隠すためである。大の男程の長身で線は細く、しかし程々に胸元が曲線を描く。ゲーム内でのスチール画から思うに多分巨でも貧でもなく美である。何がとは言わないが。そして何より悪目立ちするのは彼女が背中に背負う巨大な錨……。

 

「どの口で言ってやがる。これまで散々食って来た癖によ」

 

 俺は槍を構えたまま非友好的な態度を向ける。こいつの過去の所業を思えば誰でもそうするだろうし、彼女のイカれた性格からしてもそちらの方を好むだろう。これまで多くの初見プレイヤーがこいつの友好的な態度にほだされてヒロインとして接し、そして主人公死亡でゲームオーバーしたか知れたものではない。

 

「さてさて、腹は減ってないか?握り飯くらいしかないが携帯していてね。一緒に食べないか?君達下人がいつも食べている玄米じゃない、銀舎利だ」

 

 にこにこと、女は当然のように俺の目の前に座り込む。そして笠を脱いだ。……頭から曲線を描いた二本の太い傷だらけの角が見えた。

 

「ほら、食べるが良い。具は梅に昆布に鰹、どれも旨いぞ?遠慮なく食うが良い。あ、喉が渇いたのかな?水筒も用意しているぞ?」

 

 ははは、と余裕のある、人の良さそうな笑みを浮かべて卑怯で卑劣で、傲慢で身勝手で、イカれた化物は宣った。

 

 赤髪碧童子……それが大昔帝直々に討伐の勅命が発せられる程に都で悪名を轟かせた「凶妖」であり、そのやらかしや悪行の酷さからゲームファン達の間で最も好き嫌いが激しい大鬼の名前であった。



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第五話

お気に入り一万超え……感謝!圧倒的感謝!!


 数々の頭のネジが外れた気狂いヒロインが登場する『闇夜の蛍』においても、アンチの数で確実に三本の指に入る存在が赤髪碧童子……ファンの間での通称は碧子ちゃんである。

 

 ゲーム上では当初、家人の出で立ちで屋敷に現れるために主人公に鬼月家の人間と勘違いされる。主人公の住まう事になった部屋に来ては家事をしたり、世間話をしてきたりと何も知らずにプレイしていればただのお世話キャラやサポート系NPCと思われた筈だ。

 

 ……その本性は千年近く前、扶桑国の都に攻めいり巣くった「四凶」が一体、その巣くっていた場所から「右京の青蛮鬼」の異名で呼ばれた大鬼、赤髪碧童子……その「残骸」である。

 

 設定によれば元は大陸で相当暴れていた化物らしく、その後、海を渡ってからは都や近隣の村を従えた有象無象の化物共と共に右京を文字通り「食い荒らした」という。因みにこの時の碧子ちゃんはファンや制作陣の間で「EX碧子様」等と言う呼称で呼ばれている。

 

 尤も、最後は帝の命を受けた高名な陰陽師や武士、僧侶からなる「退魔七士」達により配下は皆殺しにされて本人も何度も手足を引き千切られて、内臓を引き摺りだされ、首を何度も切り落とされと、文字通りズタボロになって必死になって逃げ出したとか。その傷は未だに癒えないらしくお陰様でゲームスタートの時点で彼女の戦闘力は何と最盛期の二割程度だとか。尚、それでも普通に有象無象の「凶妖」では相手にならないが。というか最盛期のこいつ半殺しにした奴らやばくね?

 

 どうやらゲームスタートの時期、何らかの目的があって鬼月家に潜入していたらしく、ゲーム中盤から後半以降ルートによるが主人公ないしその周辺のみに正体を明かしたり、心強い味方キャラとして操作可能となる。その気さくな性格、パラメーターの高さから来る心強さ、比較的(?)バッドエンドルートがマシな事、ビジュアルのストライク具合からそれなりに人気があり、某イラストサイトでは一時全キャラ中投稿されたイラスト数第四位の座を射止めた。

 

 一方で、ゲーム販売から暫くたった後に制作されたスピンオフ小説や外伝漫画によって彼女のイメージはかなり変化する事になる。特に「EX碧子様」時代の所業はかなり残虐かつ凄惨に何より詳細に描写された。

 

 

『やっぱり人と化物は相容れないってはっきり分かんだね』

『読書前「表紙EX碧子様のお美しい横乳と脇ペロペロペロリシャス!」→読書後「化物は皆殺しにしなきゃ(真顔)」』

『公式によるアンチヘイト二次創作かな?』

『良い化物は死んだ化物だけだってばっちゃが言ってた』

『ゲーム内の描写だけだと碧子ちゃん可哀想だったけどこれは残当過ぎる』

『囮は当然麿が行く……パロネタの癖に泣かせやがって』

『やっぱり鬼って大嘘つきじゃないですか!?』

『全自動首切断術式とかいう殺意と合理性の塊、当時の退魔士全員ゴブリンスレイヤーみたいな思考回路していそう』

『↑そりゃあ(化物共があんな悪行重ねていたら)そうよ』

『作中前半イキりまくってたのに後半腸垂れ流しながら馬鹿にしてた人間から全力で逃げる碧子様可愛い、凄い小物っぽい』

 

 

 これ等の意見は都で暴れ回り朝廷から派遣された「退魔七士」達との死闘を描いた小説作品読了後の某ネット掲示板の感想である。いや、マジあれは酷いわ。ファンは赤髪碧童子の名称の意味を再確認させられた。ゲーム内で「昔はやんちゃだった」とか「今はもう大人しい」なんて言ってるがそんな生温いレベルじゃねぇ。

 

「やれやれ、人が折角用意してあげた食事を無視するなんて、君も困った奴だね?人の善意は素直に受け入れたらどうだい?」

「大昔から、化物から食べ物を貰うのは危険だって言い伝えがあるからな。ましてや大嘘つきな『鬼』の用意したものなんざ何が入っているか知れたものじゃない」

「おやおや、毎度の事ながら随分と警戒されている事だね?俺としては常に君に敬意礼節を持って接している積もりなんだが……流石にこういう時ですら敵意しかない視線を向けられるのは悲しいな。人間というのはこういう怖くて辛い時は人肌を求めるって聞くのだが?」

「そうだな、人肌だったら求めていたかもな」

 

 言外に貴様のような化物には気を許さないと指摘する。背中に背負う大重量の錨を無視すれば托鉢僧にも見える出で立ちの鬼は、苦笑して肩を竦めると男座りをしたまま目の前に用意した笹の葉でくるんだ握り飯を自分で頬張りつつ面白げに、そして無警戒で此方を見続ける。

 

「………」

 

 一方、俺は無言で岩を背にして槍を持って座りこみ化物と相対する。当然ながら俺の方は警戒しかしていない。五感を総動員して目の前の災害の一挙一動すら注目する。但しその瞳だけは瞳術にかからないために直視はしていなかった。出来れば言葉も言霊術への警戒のために聞きたくもないのだが……流石にそれは周囲の物音を警戒する必要もあるために出来なかった。

 

(ゴリラはまだ理由はギリギリ分かるが……何でお前さんが俺なんか注目してるんだよ)

 

 桃色なパワー系ゴリラ様はまだどうにかそれなりに好感度があるのは理解出来る。嫌でも三日三晩エクストリームスポーツ逃走中をしながら介護プレイしていれば幾ら主人公のような特別な奴ら以外興味を持たない人格破綻者でも少しは関心も持つかも知れない。だがな?お前さんが俺に注目するのはどう考えても可笑しいだろう?

 

「何が目的だ?どうしてここに貴様がいる?何故俺に付きまとう?」

 

 それは心からの問いであった。

 

「貴様の目的は以前散々聞かされた。だったらこんな所で俺の相手しているよりもやる事があるだろう?こうしている間だって何処かで才能に満ちた英雄様が生まれているかも知れないぞ?」

 

 というかもう生まれているけどさ。会いたいなら後三年くらい我慢して。どうせ化物からすればあっという間だろう?

 

 ……そう、俺はこいつの目的を知っている。ゲームの知識として元々知っていたがこいつ自身からも不本意ながら(半ば一方的に)その話を聞かされていた。

 

 赤髪碧童子は時代に取り残された化物である。かつては莫大な力を持ち妖の軍勢を率いていた彼女の力は間違いなくこの国でも五本の指に入るものだった筈だ。そう、かつては。

 

 時代は移ろい行くものだ。長い時の中でかつてはその名をほしいままにした彼女も、それは過去の栄光へと成り下がった。今でもその力は強大ではあるがかつてのような力はなく、軍勢もなく、悪名も轟く事はない。それどころか妖について記述された記録では自身の力を過信し、「退魔七士」達に追われた間抜けな化物として記されている。完全に笑い者だ。

 

 とは言え、今更都に突っ込んで汚名をそそぐ事も不可能だ。人間は千年前に比べて遥かに強くなった。退魔士達が互いに婚姻してその力を増していっただけではない。人間それ自体が増え、技術は発展し、化物殺しのノウハウも向上した。

 

 何よりも都は五〇〇年前の人妖大乱の経験から術式的に厳重に要塞化されている。大乱後に発展した新市街なら兎も角、目的地である都の中心部、扶桑国の政治の中枢たる内裏に侵入するなぞこの化物の全力を以てしても不可能、仮に侵入出来ても帝を守護するのは扶桑国でも最高位の実力を有する高名な陰陽師や僧侶、武士に巫女、退魔士達である。いくら大鬼でも弱体化している今では一矢報いる事すら出来るか怪しい。

 

 そして、下手に知性があるがために、長きを生き時代の移ろいを見てきたがために、赤髪碧童子という妖は理解してしまったのだ。最早自身が過去の遺物となりつつある事を、そして滅びるべき時を見逃したのだと。

 

 かつて自身と共に都を恐怖の底に落とし、街路に文字通りの死体の山を築き上げた「四凶」も自分以外は「退魔七士」に討たれ、それ以外の地方で悪名を轟かせた有名で長き時間を生きた化物達も一体また一体と討伐され、ましてや国中、いや大陸からすら化物の軍勢をかき集めて人妖大乱と呼ばれる人間達との全面戦争を引き起こした「空亡」すら時の英傑によって封じられた。

 

 最早彼女と同じかそれ以上に古く、強大な化物共は少なくともこの扶桑の国ではそう多くはない。妖という存在は未だに人間達にとっては強大な脅威であるが大昔程ではない。そして百年二百年後ならば兎も角、次の千年後には恐らく化物共は人間の脅威ではなくなっている事だろう。それ故に……。

 

「おいおい、前にも教えてやっただろう?俺があの屋敷に紛れていたのは俺をぶっ殺せる程の英傑を探しての事さ」

 

 頬杖をして飄々と嘯く化物。そう、彼女の目的は実に自分勝手で傍迷惑な代物だ。

 

 過去の同胞達は皆討たれた。英傑達の好敵手として。そして英傑達と共に永遠に歴史に名を残した。

 

 ならば、最早忘れられようとし、過去の物と成り果てようしている自身もまたかつての同胞達のように名を残したい。それが英傑達の輝かしい功績の一部分となろうとも、時代の流れに取り残されて何時の日か有象無象として「処理」される時代が来る前に、まだ妖が妖として人々から恐怖し、恐れられている内に、英傑に討たれる事で自身の存在を残したい……それが化物が鬼月家に潜入していた理由だ。

 

 自身を討ち取るに値する者がいるかを探して扶桑の国の北に根を張る鬼月家を調べていたのだという。そして、その中で偶然原作の主人公と出会った。原作主人公の精神、才能、実力……それらを観察し、自身を討つに相応しい者かを吟味していた訳だ。そして、主人公に協力するのもまた主人公が英雄となるための輝かしい道を、自身を殺すに相応しい者へと成長する事を助けるため……少なくとも当初の目的は。

 

 好感度によるルート次第では主人公と許されざる種族を超えた恋愛関係に発展して、しかし最後はその壁を乗り越えられずに彼女を殺す、あるいは主人公側が躊躇してしまい殺されてしまうバッドエンドを迎える場合がある。まぁ、前者は周囲に迷惑かけないので俺個人としては気にしない……というか積極的に奨励したい……が後者の場合はその後半狂乱になった化物が周囲の無関係な民草に「八つ当たり」しまくり最後は朝廷からの討伐令で派遣された軍勢と死闘を繰り広げる事になったりしてかなり面倒な事になる。

 

「本当に鬼は身勝手だな。殺されたいだけならば都にでも突撃すれば良いだろうに。よりによって死に舞台に我が儘やケチを付けるとは」

「いやいやだからこそさ。俺は鬼だからね。死ぬにしてもそれに相応しい舞台があるというものさ。流石に記録書に二、三行で記述されるだけの最期なんて物寂しくて味気がないだろう?どうせ死ぬのなら出来るだけ劇的な場面で死にたいっていうのが人の情……いや、鬼の情というべきかな?」

 

 楽しげにそう嘯いて瞼を閉じ笑みを浮かべる人の皮を被った化物。俺は知っている。これは相対した稀代の英傑と血を血で洗う死闘を繰り広げ、最期は力及ばずその首を切り落とされる瞬間を想像している事を。

 

「イカれてやがる……」

 

 そのわくわくしたような化物の表情に俺は小さく毒づく。俺にはその在り方は到底理解出来なかった。

 

 死がすぐ側にあるこの世界に生まれ落ちてから二十年近く経つが、今でも、いやだからこそ俺には理解出来ない思考であった。あるいは前世なんて知らなければ共感出来たかも知れないが……。

 

(前世を知るからこそ、死ぬ事に臆病になっているのかね?)

 

 元から命の軽い世界しか知らなければ生よりも名誉を求める思考も分かるのだろうか。少なくとも俺の前世では死が身近になかったのでこんな世界に転生しても尚、死ぬのが怖かった。そしてそれが原動力となり元よりどうしようもない立場にありながらも諦めず、挫けず、生を掴むためにあがき続ける事が出来た側面が確かにあった。あぁ、糞……疲れているのか?思考が逸れるな。

 

「……話を戻すぞ。貴様の目的は分かっている。だからこそ解せないんだよ。貴様の目的は自殺のための英雄英傑を探す事だ。なのに実際にやっている事と言えば俺にちょっかいをかける事と来ている。俺にはその二つの関係が分からん。知っているだろうが俺はたかが下人に過ぎないし、特別な力も出自もない。貴様のお眼鏡にかなう要素なんざ一つもない筈だ」

 

 というかお眼鏡に適いたくもない。自分の理想の英雄英傑に殺される事を夢想している目の前の存在は身勝手で自己中心的な鬼である。期待して期待して、少しでもそこから逸脱すると裏切られたと思ってキレて大暴れするのだ。というか原作ゲームのスタート時点までこいつが婉曲的自殺をしていない一因がその身勝手な失望のせいだ。勝手に気に入ったと思ったら彼女からしたら不快な小さなミスをして訳も分からずに殺された者が主人公と出会う以前に幾人もいたらしいのがファンガイドブック内で制作陣が裏設定として暴露している。

 

 というか好感度を上げるタイミングを間違えると実際に急に彼女がキレ出して唐突にグチャアされてゲームオーバーになったりするくらいだ。流石化物、何考えているのかさっぱり分からない。

 

 俺は痛みに耐えながら深呼吸をして、眠気と疲れを押し殺す。

 

「……それとも何か?俺は貴様の暇潰しの玩具か何かなのか?嘘しかつかない鬼に何を言っても仕方無いが、此方からすればそれならそうと言われた方が楽なんだがな」

 

 自嘲に近い含み笑いを浮かべて俺はぼやく。実際あり得る事だ。化物共はたとえ知性を得ても強欲で傲慢で、利己的で、享楽的な存在、特に人間から妖化した者が多い鬼は一際その感覚が強かった。

 

「全く、とことん君は俺に対して非友好的だねぇ。暇潰しの相手なんかにこの俺が飯を用意すると思っているのかい?やれやれ、余り酷い言い様ばかりだと俺も雌だ、悲しくて泣いてしまうよ?」

 

 そう言って泣きじゃくる仕草をする。当然ながら鬼の泣く姿なんて嘘泣き以外に有り得ない。実際、泣き落としが効かないと見るやはぁ、とげんなりと溜め息を吐き出す。溜め息を吐きたいのはこっちだ…よ……?

 

「っ……!?」

 

 いらっとしていると視界がくらりと揺れ出す。頭痛がして、眠気が強烈になる。

 

「おや?お疲れかい?ははは、今日は大変だったからな。途中で睡眠の邪魔をしてしまったし、何だったら俺が夜の番をしてやろうかい?」

 

 ふらつく俺を見て、楽しげな笑みを浮かべる鬼。こいつ……!?

 

「てめぇ、まさか……!?」

 

 ここに来て、漸く俺の鼻はそのかすかな臭いの違和感に気付く。こいつ、吸引式の睡眠薬か何かを……!!

 

 俺の手から力が抜けて槍が床に落ちる。肩は下がり、瞼が急速に重くなっていく。

 

「いやはや、意外と粘ったよな。この手、意外と手練れはあっさり引っ掛かるんだよ。ここまで粘るのは驚きだ。あ、そういえば個人的に薬師衆の知り合いから毒とか貰って耐性つけているんだっけ?」

「て…めぇ……何を……」

 

 俺は眠気に耐えながら言葉を紡ぐ。それは二つの意味があった。何故その事を知っているのか、そして何故こんな事をするのか……。

 

「さてさて、そんな事はどうでも良い事だろう?それより無理は良くないな。健康重視の鬼からの忠告だ、身体の欲求には素直になるべきだよ?なぁに、寝ている間に取って食いはしないから安心する事さ」

 

 ふざ…けるな……!!てめぇの…鬼の…言葉なんざ……信用……。

 

「御休みなさい。良い夢を見れる事を祈っているよ?」

「うる…さ…い…ばけも……いつ…ぶっ…ころ………」

 

 何処か嘘臭い言葉を吐く鬼に対して、俺は捨て台詞を言い切る暇もなく、意識を暗転させていた……。

 

 

  

 

 

 

「ふふふ、そうだな。『今は』俺を倒すには力不足に過ぎるよ。だけど悔しがる事はないさ。最初のうちは誰だってそうさ」

 

 碧い鬼は妖艶な笑みを浮かべて目の前の眠り込んだ人間に優しく囁いた。

 

「どんな英傑だって生まれて直ぐに鬼を殴り殺せる訳じゃない。……いや、いない事はないけどそれは本当に例外だからね。英傑の多くは当然心・技・体、それらを何年も何十年もかけて研鑽し続けてきた存在さ」

 

 無論、例外はある。しかしながら彼女にとってそういう存在は余り「趣味」ではなかった。彼女が好むのは強い精神を持つ存在だ。才能はあっても良いが才能だけの強者では余りに薄っぺら過ぎる。それでは自分の最期を飾る相手としては余り相応しくない。そんな奴にとっては自分との戦いは楽しくもないだろうし、感慨もないだろう。薄っぺらい戦いになってしまう。

 

「寧ろ……君の在り方は結構俺の好みなんだよ?」

 

 その口元を獣のように吊り上げて、愉悦の笑みと共に鬼は目の前の人間の頬に触れる。その所作は壊れ物を扱うように慎重で、繊細だった。彼女は自分の握力では本気になったら人の頭蓋骨なぞ簡単に潰してしまう事を何千という経験から良く良く理解していた。

 

「だけど、だからこそ素晴らしい。そういう相手との殺しあいは只の才能だけの強者よりも余程味わい深い最期である事だろうね」

 

 そして鬼は思い返す。目の前の弱者との邂逅を。

 

 それは偶然だった。幾人も、自身を殺すに値するだろう英傑を見定め、近付き、しかし裏切られ、少々苛立っていた時期だ。扶桑の国の北に居を構える鬼月の一族の下へと気紛れ気味に足を向けたのは。

 

 大して期待はしていなかった。成る程、確かに古い家なだけあって相応に粒揃い、見れば本家筋の姉妹なぞ熟せばかなりの実力者となろう。しかし、駄目だ。彼女の琴線には中々触れない。

 

 とは言えもう少し見る必要はあるだろう。今は駄目でも十年二十年、半世紀くらい観察すれば気に入った者も現れるかも知れない。長い刻を生きていた彼女にとってそれくらいの時間はあっという間の事だ。特にあの姉妹、彼女達の次の世代なぞはもっと才能が濃縮されているだろうから実力だけならば合格を与える事は出来るだろう。どれ一つ見守ってやろう。

 

 そんな考えから鬼はひっそりと退魔士の家に居候した。そして、見つけたのだ、運命の出会いは思いの外早く彼女の元に訪れた。

 

 最初に気付いたのはその瞳だった。下人衆……その存在は名称こそ時代と共に変わろうとも古くからあった。故に彼女はそれがどのような性質のものかも知っている。自意識が薄く、英傑達の側に控える名もなき有象無象……そう、その筈だった。

 

 彼だけは違った。皆が冷たく、感情も希望も、絶望も等しく失った輝きのない瞳をしている中、彼だけは違った。その瞳は間違いなく生きていた。それがまず彼女の注目を惹いた理由だ。

 

 そして、一度注目すれば鬼は粘着質だ。興味と関心からその一挙一動を観察し、観賞し、監視する。そして鬼はその特異性を認めるのだ。厳しい鍛練の中、困難な任務の中、ひたすら己を鍛え、知恵を絞り、精神を奮い立たせる姿を。それは自我に乏しく心が死んでいる他の下人達にはないものであり、また強者であるが故に退魔士達の殆どが持っていないものでもあった。

 

 見つけた……そう思った。彼女は自分が求めていた存在を見つけた。より正確に言えばその人格の面で彼女が求める存在を。

 

 そして観察する、観賞する、監視する。そして弱者でありながら自身の身の丈に合わない多くの困難を乗り越え、時に大立ち回りをして見せる姿は彼女にとって好ましかった。極めつけはあの三日三晩の逃亡劇だ。素晴らしい、実に素晴らしい。

 

 実際に顔を合わせても見た。その時の反応も気に入った。そして今日までのそれも。唯人であればそろそろ警戒を解いても良いのだがこの男は未だに自分に対して持ちうる力で最大限警戒している。素晴らしい、何と強い精神だろうか!

 

「お前を見て思ったよ。俺を殺す英雄英傑を探すよりも、育てる方がずっと楽しいし、確実だ」

 

 想像する。何の才もなく、血統もなく、天運もなき存在が血反吐を吐きながら高みに登り詰める姿を。名もなき存在から万人に認められる英傑になるその姿を。そして、その英傑へと登り詰める最初の英雄譚の相手が自分である情景を。

 

 空想する。名もなき、虐げられていた弱者が圧倒的強者に食らいつき、食い下がり、絶望の中で力と知恵と勇気を総動員して、細い勝機を掴み取る瞬間を。

 

 妄想する。千年先でも伝えられる壮絶な必死の覚悟で死力を尽くした死闘の末に、弱者であった筈の者の研鑽され、計算された一撃が自身の心の臓を的確に貫く刻を。

 

 そして自分の骸から首が切り落とされる、大衆の面前で晒される。多くの人々がその瞬間英雄の誕生を目にするだろう。そして稀代の怪物を殺す程の実力者であれば、下人程度の立場に収まる事なぞない。最後は多くの物語がそうであるように高貴な立場の女性と結ばれてめでたしめでたしだ。

 

 素晴らしい、実に素晴らしい。最高の舞台ではないか?正に時代を越えて語り継がれるだろう事は間違いない。その素晴らしい物語の礎となれるなぞ、化物冥利に尽きるではないか?鬼は恍惚の表情を浮かべる。

 

「だが………」

 

 素晴らしい最期……しかし思うのだ。鬼は強欲で身勝手で、適当なもので一度死に場所を定めた癖にここに来て別の欲望も脳裏にちらつくのだ。  

 

 本当にここで死んで良いのか?折角こんな愉快な人間を見つけたのにもうおさらばなのか?と。いや、人間の寿命なぞ化物からすればどの道短命だ。きっと目の前の男が血反吐を吐き、苦しみつつ英雄となって天寿を全うしても尚物足りないだろう。ならば……。

 

「はぁ、今回も食べてくれないんだよねぇ」

 

 足下に残る握り飯の残りを見てぼやく鬼。化物の食べ物を食べた者は化物となるというのは有名な言い伝えだ。ましてや鬼の体液が入っていれば尚更。無論一度や二度では駄目だろうが何十何百と食べさせれば……。

 

「相棒と一緒に、今一度世間で派手に遊び回るのも楽しいかなって思うんだけどねぇ。あー、けど勝手に鬼にしてやって復讐されるのも良いかもな」

 

 鬼同士の殺しあいなぞ今や滅多に起こり得ない。それはそれで実にスリルがあるだろうし、人間共も必死に記録に書いてくれるだろう。

 

「ふふ。どの道に進むにしろ、それはそれで楽しみだ。だから………」

 

 深く眠ってしまっているからか、何処か子供のようにも見える寝顔を観賞し、その耳元で鬼は囁いた。

 

「だから……俺を失望させてくれるなよ?」

 

 ぺろり、と鬼は耳をねぶるように一舐めした。それは何処か犬のマーキングにも似ていた……。




鬼は惚れた男に心臓抉られて首を切断されたい系照れ隠しガール


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第六話

投稿速度重視のために感想返しは行わない事を御了承下さい(感想自体は励みになるので遠慮なく書いて頂き構いません)


「小僧、貴様の身は我が家が買い取った。以後は我が家に住み込み働いて貰うことになる」

 

 それはある意味懐かしい夢だった。十年以上昔の事だった。そしてある種最悪の記憶だった。

 

 何を間違ってしまったのだろう?上手く霊力を隠す事が出来なかった事か?それとも転生した事を良い事に賢しげな態度をしていた事か?いや、そもそもこんな世界に転生してしまった事それ自体が間違いだったに違いない。

 

 良く知っていたゲームの世界に転生した……その事に気付いた俺は最初の数日こそ興奮したものの、直ぐに現実を思い知った。この世界は生きるには過酷過ぎる。そして、悪意に満ち過ぎている。

 

 所謂チート能力がない事を思い知るとそれは絶望に変わった。原作に関わらなくても呆気なく死にかねないこの世界で、俺は転生特典だとすれば余りに弱々しく心細い霊力を鍛え、完全に操作出来るようになるため必死になった。霊力は妖に対抗出来る力であると共に奴らにとってはご馳走の匂いだ。戦闘が出来る程強ければ兎も角、中途半端にあっても却って命を狙われるだけ、故に俺は霊力を抑えて隠匿する訓練を必死にした。

 

 大変だった。そもそも『闇夜の蛍』の舞台は東北か北陸をイメージしているためか冬が厳しい。ましてや俺が生まれたのは土地の痩せた寒村だ。下には兄弟姉妹が三人……ともなれば子供も貴重な労働力だ。

 

 物心ついた頃には腹を鳴らしながら鍬を持ち、雪掻きをして、草鞋を編み、残った貴重な時間を全て使って霊力を抑える。そんな目先の事ばかりを考える毎日だった。数少ない娯楽と言えば弟や妹、何なら村の他の年下の子供の世話をしている時くらいか。前世で知っていた物語を童話にして語ってやったり、簡単な読み書きや算術を教えたりもした。子供は純粋なもので、何の疑い無く俺を称賛してくれた。今となっては情けないがそうして優越感に浸るのが俺の数少ない娯楽だった。

 

 そんな時だった。ある日、村に身なりの良い訪問者達が現れたのは。いつもは年貢を厳しく取り立て雑用を命じる村長が頭を必死に下げる彼らを一目見て、俺は息を呑んだ。その身体に溢れんばかりの霊力の奔流に。

 

 直ぐに吐き気を催した。いや、吐いた。その濃厚過ぎる霊力に当てられて倒れこんだ俺はひたすらに、酔ったように嘔吐した。胃の中にろくに物もないのに胃液だけになっても吐き出した。頭が泥酔したように頭痛に苛まれ、視界は揺れて、意識が遠のいていく。周囲の声も遠のいていき、その音が何を意味するのか理解するのは困難だった。陸の上で溺死するような苦しみ……。

 

 村長が怒鳴り付け、鞭を取り出したのは分かった。そのまま鞭を打ち付けられる……そう思った時だった。訪問者の一人が村長を止めたのは。そして、俺が顔を上げてその人影を、その視線を見た瞬間の事だ、俺は確信した。俺の力がバレた事を。いや、覗かれた事を。……今思えばあれは瞳術の一種だったのだろう。

 

 後は村長や両親に対して某かの会話があり、金子を受け渡されると共に俺は前置きの会話もなくその手を引かれていた。今生の弟や妹が泣きじゃくりながら追いかけて来るのは両親に押さえつけられていた。それが俺が家族を見た最後の記憶だった。

 

 その後の事はうろ覚えだ。彼らに連れていかれながら幾つか質問をされた事は覚えている。

 

 馬に乗せられ、何日もかけて彼らと共に山を越えた。途中の宿場町でボロ着を脱がされ真新しい服を着せられたのは記憶している。

 

 そこからはまた記憶が曖昧で、しかし屋敷に、ゲームでも見たことのある鬼月家の屋敷の門を潜ったのは脳裏に焼き付いていた。そして手を引かれて廊下を歩み、その部屋の前に連れて来られたのだ。

 

 そして障子が開かれたと共に俺は二つの意味で息を呑んだ。一つはその美しさから、今一つは流されて気付かない内に自分が逃げられないドツボに嵌まっていた事に。

 

「良いか小僧?お前はそのじゃじゃ馬娘の世話をするのだ。くれぐれも丁重にな。年のわりには頭の回るお主ならば上手く扱えよう?同じ農民の血の流れる者同士、気が合うかも知れんしな」

 

 男はそう言うと俺を置いて踵を返す。その姿を唖然として見つめ、しかしいつまでもそうしている訳にもいかなくて、俺は再度彼女の方を見つめる。

 

「何?何か文句あるの?お前誰?何者なの?」

 

 退魔士の名家たる鬼月家の屋敷に住まう者としてはあり得ない程に口の悪い言葉だった。まるで田舎の農民の子供のようだった。実際、こんな子供を俺は村で何人も見てきた。いや、それよりも………。

 

「?何?ずっとこっち見たままだんまりしないでよ」

 

 黒髪の美しい少女は、しかし着ている着物を重苦しそうに着崩して、髪を纏めたり櫛で整える事もなく、荒々しい言葉と腹立たしげな表情で俺を見つめていた。そこには明確な敵意があった。成る程、これは………。

 

「ごめんね、すごく可愛かったからついね」

 

 互いに外見だけは子供である事もあって、そんな歯に衣着せぬ言葉を平然と吐いて捨ててやる。しかし、ゲームでも耐性が低い少女がそんなたった一言の言葉に驚いて、少し照れて恥ずかしそうにする。俺は子供らしい笑みの裏側でチョロいな、等と冷淡に考えていた。

 

「えっと……さっき大人の人も言ってたけど、僕が君の御世話役みたいなんだ。よろしくね?僕の名前はね……」

 

 その時、きっと俺は性懲りもなく思い上がっていたのだろう。これまでの辛い生活の鬱憤が溜まっていたのだろう。だから甘い汁を啜ろうと、後先考えず俺は彼女に接近したのだ。

 

 大間違いだった。実力もない癖に柄にもない欲なんて出すものではなかった。それはとんでもない、そして取り返しのつかない誤りであったのだから………。

 

 

 

 

「おや?起きたのかい?お早うというべきかな?おっと……?」

 

 嫌な夢から目覚めた俺は、殆んど反射的に此方の顔を覗きこんでいた鬼に槍を打ち込む。無論、当然のようにスレスレで回避されるが。

 

「酷いじゃないか。起きてそうそう槍で突かれる謂われなんかないんだけどな?」

「貴様が鬼なだけで十分だな。そもそも記憶が怪しいがてめぇ、睡眠薬使ったな?」

 

 俺は少し朧気な記憶を振り返りながら尋ねる。

 

「お。覚えていたのかい?いやいや感謝してくれなくても良いんだよ?ご飯も食べないのだからね、せめて睡眠くらいは取らなければ体力が持たないだろう?」

 

 恩着せがましくそう語る化物に俺は眉を顰めざる得ない。貴様の目の前で無防備で寝る方が遥かに精神衛生上良くないだろうが。……大丈夫だよな?俺摘まみ食いされてないよな?

 

 思わず手足の指や鼻、耳等を「摘まみ食い」されてないか確認する俺にまたか、とばかりに鬼は肩を竦める。

 

「相変わらず用心深い事だね。そこまで信用がないのかい?」

「鬼を信用する奴なんているかよ」

 

 忌々しくそう言い捨て、俺は洞窟の穴から見える空を見上げる。霧は……ないな。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「あぁ、あいつなら難易度調整のために昨日一発蹴りを入れてやったからな。多分まだ痛くて蹲ってるんだろうよ」

「やはり昨日の戦闘中のあの音はお前か」

 

 戦闘の最中に響いたあの轟音、その後に急に霧が弱まったと思ったらやはりこいつがちょっかいを出していたか。

 

(というかこいつの蹴り食らって生きてるとか大概だな。やはり相手は大妖か。そして霧の主ともなれば候補は限られてくる、か……)

「そうだな、少なくとも人の形はしてなかった。それに動きも悪かったな。鈍過ぎて手下共に自分を運ばせていたよ」

「………」

「おいおい、疑うなよ?いくら嘘つきな鬼でも四六時中嘘を吐くかよ」

 

 ははは、と笑って誤魔化す化物から視線を逸らし、俺は該当するものを絞り込む。幸いにも気まぐれ気味にゴリラな姫君から妖に関する書物は幾つか読まされていたので直ぐに候補は出てきた。

 

「あの化蛤が一番の候補か」

 

 実体があり、霧の幻惑を使い、人の形をしておらず動きが鈍いとなると一番該当するのがその化物だった。

 

 蜃……蜃気楼の言葉の語源でもある巨大な蛤は前世においては古くから伝承として伝わる怪異であり、ゲーム「闇夜の蛍」においては妖の一種として登場する存在だ。原作ゲームにおいてはでっぷりと成長した個体が主人公に死んだ家族の幻覚を見せて苦しめている。

 

 同一個体かは分からないが……どちらにしろ幸運だ。あれは直接的な戦闘力は其ほど高くはない。昨日のあの霧からして恐らくそこまで成長した個体ではないだろう。ましてや、目の前の鬼から蹴りを一発食らっているとなればかなり弱っている筈だ。

 

(鬼月綾香の性格からして下人であれ、死んでいる確証がないならばそのまま置いていく事は無いだろうな。となるとやり様はある、か)

 

 昨日の戦闘では緊張からか彼女の動きは精細を欠いていた。幾度か彼女の仕事に同行した事はあるがその時は年上の他の退魔士も同行していたからな……ゲーム内でも優柔不断な所があったが挙げ句初めての単独任務となればああもなろう。それを差し引いても今回の退治は然程厳しくはないだろう。

 

「まずは合流を……っ!?」

 

 次の瞬間、俺は邪悪な気配を感じて岩の影に隠れた。ほぼ同時に同じく気配を感じ取った鬼が楽しげな表情を浮かべて黒い妖気となって霧散する。

 

 俺は息を殺し、額に汗を浮かべながら音も立てずにゆっくりとそれを窺う。

 

(成る程、まぁ貝だからな。にしてもタイミングが良いのか悪いのか………)

 

 俺は内心で苦笑する。よくよく考えれば少なくとも転生して以来、運が向いて来た事なんて一度もなかった事を思い出した。

 

 洞窟の中を化物の軍勢が行軍していた。そして、その列の中央は一際特異で目を惹いた。シュコーと呼吸するかのように白い霧を吐き出すのは殻がひび割れて中から青い体液を染み出るように流す大きな牛車程の大きさはあろう蛤、それは無数の化物に背負われながら洞窟湖に向けてゆっくりと進んでいた………。

 

 

 

 不味い……それが真っ先に出た思考だった。

 

 化物の相手は化物……と言うのは常識人枠の彼女に悪いが妖の相手は退魔士が一番である。故に鬼月綾香にメインディッシュを含めて全部掃討して貰いたかったのが本音の所だった。昨日の戦闘では押されたがそれはあくまでも霧による視界や五感の不明瞭が原因だ。まだまだ子供である彼女ですら視界が晴れていればあの数の怪物共相手でも十分に距離を取ったまま壊滅させる事が出来ただろう。

 

 其ほどまでに何百年も競走馬の如く強者同士で婚姻を重ねて来た退魔士の名家鬼月家の人間はヤバい。あの戦闘出来るか不安な程太っている隠行衆頭ですら本気出したら脚力だけで瞬間移動と勘違いしそうになる超スピードを出してくる程だ。というか多くの初見プレイヤーがあのデブ衛門を舐めてかかり反撃でバックを取られて主人公の首が一撃でへし折られた。普段脂肪ブルンブルンの癖に全力出すと全身筋肉ダルマみたいなビジュアルになるとかウッソだろおい!?

 

(一方、こちとら何処までいっても下人は下人だからな……この世界は血統と才能による格差が圧倒的過ぎる)

 

 朝廷や退魔士一族の政策も一因だがこの世界、より正確には扶桑国は唯人と霊力持ち異能持ちとの差がどうにも出来ないくらい酷い。無論、それはそれで理由はあるし、修羅の国と化している南蛮よりある意味マシなのだが。

 

 兎も角も、今目の前で百鬼夜行している化物の大名行列は、俺にとって余りに鬼門過ぎた。

 

(数は百少しか?気付かずに通り過ぎてくれるのがベストだが………)

 

 五感が人間どころか獣より遥かに優れている妖の大軍相手にこの距離で、事前準備もなく何処まで誤魔化せる……?

 

(不味い不味い不味い……!!!)

 

 間違いなくバレる。いや誤魔化せるか?しかし……奇襲すれば、いや無理だ。逃げる?逃げ切れるか?この洞窟は一本道だぞ。時間は?助けは?不味い不味い不味い……!!

 

「っ……!?」

 

 緊張し過ぎて脈が上がったのが悪かった。ズキン、と次の瞬間左肩に痛み。手で触れる。掌が赤く濡れていた。はは、やべぇ。傷口開いてやがる。

 

『グッ!?グオオォ!!!』

『ギャアギャア!!』

 

 化物共が急に騒ぎ出した。その理由を俺は知っていた。時間はなかった。

 

「っ……!!」

 

 俺は式神を走らせた。肩口の手にこびりついた血液をぐっちょりと塗りたくった式神が肉の姿を持った小さな烏……正確には顔面を札で隠した式神烏へと変貌する。実体化した数羽は一気に飛び上がり洞窟の湖のある方向へと飛んでいく。

 

 ほぼ同時に殆んどの化物共が唸り声と共に烏達が飛び去った方向へと駆け出して行く。獣の姿をしたものは岩肌を駆けて、鳥の姿をしたものは飛翔し、虫の姿をしたものは地面を這いずる。それらに該当しないもの、名状しがたき造形のものも各々の移動手段で式神の逃げた方向へと駆け出した。同時に巨大な貝の化物は足代わりの手下共に洞窟の奥に避難するように自身を運ばせる。

 

(今しかない……!!)

 

 次の瞬間、俺は大して多くはない霊力を足の関節と筋肉に流し込み、跳躍した。多分前世ならオリンピックの走り幅跳びで優勝出来たと思う。

 

「尤も、ドーピングで失格だろうけどな……!!」

『っ……!?』

 

 粉塵と共に巨大貝の目の前に姿を現した俺は槍の刃先を強化して、同時に遠心力を最大限に活用してそれを振るった。蛤を運んでいた足代わりの虫共を。

 

『ギッ……!?』

 

 正面にいた数体の小妖の前足の関節部をその甲殻の隙間を狙い切断した。そのまま槍を振るう遠心力で身体を回転させながら動かし、次いで横合いから第二列にいた数体の頭部と胸部を泣き別れさせた。

 

 殺す必要はなかった。いや余裕がなかった。虫型は頭を落としても暫く暴れるし、大柄な個体は甲殻が硬い。故に足を切断し、あるいは頭部を切り落とす事で思考能力だけでも奪う。それによって起こる事と言えば……!!

 

『っ!!っっ!!?』

 

 頭を切り落とされた虫の化物が数体暴れまわり転げ回る。思考が出来ないので主人である蛤の命令を理解も出来まい。そして前足を失った者は前に進む事も後ろに下がる事も出来ない。そして後方にいた虫共は目の前の仲間が暴れ回る事で蹴り飛ばされ、あるいは支えを失った主人の重量によって押し潰された。頭と胸が潰れ、ピクピクと身体の後ろ半分だけが痙攣する虫の化物……。

 

「死ね……!!」

 

 足を無力化した俺はそのまま槍の刃先を本命に向けて突き立てて突進する。反撃の隙は与えたくない。迅速に殺して、あるいは手傷を負わせたら化物共が来た方向に向けて全力で逃亡する手筈だった。

 

 だが……。

 

「痛っ……!!?」

 

 ガキンという金属同士がぶつかり合うような悲鳴と共に俺の刺突は防がれた。……ああ、うん。そりゃあ貝だから殻くらい閉じれるわな。

 

 失敗した。それを悟り、手の痛みを圧し殺して迅速に逃亡しようとした俺だがそうは問屋が卸さなかった。

 

「えっ!?嘘だろ……!?」

 

 次の瞬間槍を引いて逃げようとした俺に、蛤は殻を開いて何本もの触手で刺突してきた。多分薄い鉄板程度なら貫通しそうなそれを寸前で回避する。と、次いで蛤は……跳んだ。

 

「はいっ!?」

 

 咄嗟に身を翻して殻を開いて跳びかかる貝の化物の突撃を避けた。同時に背後にあった岩に正面衝突する大妖。

 

 ……後に知った事であるが、貝って触手があるし、種類によっては跳躍能力凄いらしいね。ましてや化物となれば残当だ。

 

「はぁはぁ、あの野郎、俺を挟み潰す気だったな……!?」

 

 俺が背後を見れば巨大貝が触手と跳躍で此方を振り返っていた。よく見れば貝のヒモに当たる部分にずらりと真っ黒な眼球が並んでいる事が分かった。無機質な、しかし何処か怒りを湛えた黒眼の視線が集中する。

 

「ひっ……!?」

 

 それが瞳術である事に気付いた時には全てが遅かった。足が固まる。より正確に言えば途中で化物と目を逸らしたために瞳術による催眠が中途半端にかかり足だけが動かなくなっていた。触手による攻撃が此方に突き出される。

 

「ぐっ…おっ!?……ちぃ!!」

 

 動けないために槍捌きで触手の攻撃を受け流していくが、それも十秒もたなかった。次の瞬間槍を奪われ放り捨てられる。そして触手の一つが俺の右足を突き刺した。

 

「ああああぁぁぁっ!!?糞がぁ!!」

 

 右足の激痛は逆に足の催眠をほどく事に貢献してくれた。膝を屈したまま俺は怒りに任せて懐から短刀を取り出す。この前の犬っころとの戦いで使い損ねたものだ。次の瞬間振るった短刀は綺麗に足を突き刺した触手を切断していた。

 

「あっ……ぐっ……!?」

 

 切り落とされた触手が暴れまわり俺の足の傷を広げた。それに耐えて俺は同じく触手を切り捨てられてもだえる蛤の報復を短刀で迎撃する。はは、槍で切断出来ないのにこんな短刀で豆腐みたいに切れるとか笑えてくるわ。

 

『……っ!?!』

 

 何本も触手を切られて流石に激痛なのだろう悶える蛤。そのまま殻を閉じた化物は再度俺に向けて跳び跳ねた。

 

「くっ……舐めるな……!!」

 

 身体を捻ってその体当たりから身を守る。岩を砕き、土を掘り起こす衝撃、粉塵が舞う。だが、それこそがチャンスだ。

 

「人間舐めんなよ貝風情が……!!」

 

 貝が殻を開く直前に俺はその殻の上に飛び付いた。そして、暴れる蛤の、その恐らく鬼の軽い蹴りによって陥没した殻の傷口に短刀をねじ込む。

 

『っ………!!!???』

 

 相当痛かったらしい。触手を散々暴れさせて化物は悶えた。触手の一つが俺の顔面に突っ込んだ。俺は激痛から小さい悲鳴を上げる。……仮面が砕けたな。無かったら即死だった。

 

「もう……いいから死んどけ……!!!」

 

 そのまま短刀を更に傷口深くに捩じ込む。それこそ肩まで傷口に入り込む程。

 

 そうしている事恐らくは三十秒程……形容もつかない声で哭き、必死に暴れていた蛤はしかし、ゆっくりと動きが鈍くなり……そしてぐたりと沈黙した。

 

「………」

 

 それでも油断せずに念のため化物の中で短刀を捩るように動かす。動きはない。

 

「……やったか?」

 

 はぁ、と俺は右腕を肩まで化物の中に突っ込んだまま溜め息をついた。どうやら助かっ……。

 

「てないよな、これ」

 

 俺は周囲を見渡して嘆息する。周囲には俺の式神を追っていた化物の群れ。皆が皆鋭い眼光で、獲物を見る目で此方を見ていた。良く見れば何体かはズタボロになった烏を咥えていた。あ、ヤバい。これ詰んだ。

 

 一斉に跳びかかる化物達に、俺は急いで短刀を引き抜いて身構える。そして………。

 

『ふむふむ……まぁ、ギリギリ及第点かな?合格おめでとう』

 

 何処から聞こえたかも分からない尊大な囁き声、それが聞こえたと同時だった。……目の前の化物達は一斉に光の矢の雨に惨殺された。

 

「あっ………」

 

 それは圧倒的な力の暴力だった。逆らう事を許さず、歯向かう事を許さず、逃げる事も許さない。多種多様な化物達は幾百という矢の雨の前に細切れにされる。

 

 それは数秒の事だっただろう。百近い化物達はたった数秒のうちに皆殺しになった。

 

 暫し、静寂が周囲を支配する。そしてその静寂はそれを生み出した者によって破られた。

 

「伴部さん、無事ですか!!?」

 

 背後から声が響いた。暗闇の中、滲み出た霊力で輝く弓矢を手にした少女が慌てて走り寄って来る。

 

「……はは、やっぱり化物の相手は退魔士だな」

 

 先程の殺戮劇と、幼さの残る素直そうな少女の姿を思い起こしながら、俺は小さく、自嘲気味に呟いていた………。

 

 

 

 

 やはり、鬼月綾香達ははぐれた俺を捜索してくれていたらしい。その中で禍々しい妖力を感知して洞窟へと足を踏み入れた所で丁度俺が襲われている状況に出会したらしい。

 

(余りにタイミングが良すぎるな。……あの鬼が手を回したか)

 

 恐らく妖力はあのストーカーな鬼が態と探知させたのだろう。玩具がなくなるのを嫌がったのか。あるいは若い退魔士の力を観察するための舞台を用意しただけか。その真意は分からない。

 

「真意を知りたくても出てこいといって出てくる手合いの相手ではないしな。……それにしても痛いな」

 

 洞窟内の妖の死骸を式神が処理しているのを横目に俺は木にもたれながら自身の治療をしていた。特に右足の貫通した傷口の治療が痛い。動脈が切れていないのは奇跡だ。下手したら失血死していた。

 

「っ……!!」

 

 俺は噛み物で痛みを堪えつつ、同時に薬物(薬師衆が芥子から抽出した成分を秘伝の方法で依存性を抑えつつ濃縮したものらしい)でそれを誤魔化し、傷口を自分で縫い合わせていく。いや、痛い痛い……。

 

 涙目になりつつも縫合が完了すると糸を切り、酒精を吹き掛けて消毒してから包帯を巻いていく。

 

「あ、あの大丈夫ですか伴部さん……?」

 

 俺の手術作業を心底不安そうに見ていた退魔士は尋ねる。この年頃の子供には少し刺激が強……くはないな。化物との戦いの方が遥かに刺激が強い。いや、まぁ化物との殺しあいとはベクトルが違うのだろうが……。

 

「問題はありません。化膿はしないように注意しましたから。それよりも迎えはそろそろでしょうか?」

「え?あ、はい。式神が戻って来たのでそろそろだと思います」

 

 俺の質問に退魔士様は慌てて答える。それは上々、このままだと足が怪我した俺は置いてけぼりだったからな。

 

 鬼月綾香の面倒見の良さは安心感すら覚える。ゲームでもそうだったが今回のような下人が歩けない状況ならば助けを呼んでくれる。

 

「それにしても、何か不思議ですね」

「何がでしょう」

「お面がないので。下人衆の方々って常にお面しているので中々どんな人か分からなくて。伴部さんは結構印象的な事もあって分かるんですが……想像していたよりも若いんですね!」

 

 にっこりと、人の良さそうな笑みを浮かべる綾香ちゃんである。うん、やっぱり君、良い子だね。こんな良い子には下人衆が常に仮面つけさせられている本当の理由が、使う側が絆されにくくするためだと教えて顔を曇らせる訳にはいかないよね。

 

「綾香様、到着しました」

「分かりました。どうやら来たみたいですね!」

 

 今回同行していて生き残った下人の一人が報告すれば安堵した表情で綾香ちゃんはその出迎えを見やる。森の向こうから数人の供連れと共に近付いて来る牛車が見えた。どうやら仕事帰りらしい。

 

(さてさて、何処の誰の牛車なんだって……あ、あれは少し面倒かも)

 

 俺は牛車の出で立ちを見てそれが誰のものなのかを理解して苦い顔を浮かべる。これはまた後々がややこしくなりそうだ。主にあのゴリラ相手に。

 

「此方の申し出、受け入れて下さって幸いです。姫様」

 

 綾香、そして残る下人達は目の前で停車した牛車に向けて頭を下げてそう謝意を示す。

 

「怪我人が出たらしいな。宜しい、此方も仕事帰りだ。屋敷からそう遠くもない、怪我人だけならば運んでいってやろう」

 

 その男勝りで端正な声はついこの前も聞いた事があった。牛車から颯爽と降りた人影は木に横たわる俺の目の前に来ると、そのまま俺を見下ろして口を開く。

 

「この前以来だな。今回は一緒に来てもらう事になりそうだな?」

「……情けない話でありますが、どうやらそのようです」

 

 凛々しい黒髪の少女の言葉に俺は下人らしく淡々と答える。少女はその言葉に目を細めてただ静かに俺を、正確には俺の怪我の具合を見定めていた。

 

 鬼月家本家長女、鬼月雛……つい先日、同行の申し出を拒んだ相手に対して、表情を隠す面もない俺は何とも言えない気まずさをただ視線を逸らして沈黙する事でしか誤魔化す事が出来なかった……。



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第七話

 広い屋敷の片隅で、身を寄せあって二つの小さな影が文字や絵を書いた巻物片手に何やら囁きあっていた。

 

『ねぇねぇ■■、またけいかくについてかんがえようよ!!』

『こら!小さい声で言って下さい!……誰かに聞かれたら面倒なんですから』

 

 先程まで大人達にその奔放さが祟り叱られていた少女が語る。またいつもの病気だな、と少年は思った。とは言えそれに付き合うのも彼の仕事だ。余り聞かれて良い内容ではないので少女の口元に人差し指をかざして声を小さくするように頼みこむ。

 

『へへ、わかった。けいかくはふたりだけのひみつだもんね』

『本当に分かっているんですかね……。はい、これはこの前まで考えた計画書ですよ。今回は何を考えるんです?』

『だっしゅつしたあとどんないえにすむか!あ、あとなんにんかぞくがいい?』

 

 夢見がちな少女の荒唐無稽な計画、それが叶うなぞ有り得ないことを少年は理解しているし、今後の事を思えばあってはならない事だとも理解していた。しかし……彼女の境遇を思えば空想する自由くらいはあっても良いとも思っていた。それが彼自身の立場からして危険な事であるとしても……ある意味で少年は不幸な少女に絆されていた。尤も、後ろの方の質問は無視するが。

 

『はいはい、村で暮らすのは少し難しいですね。人が少なくて閉鎖的だから。となると人の流れが多い街か、後はひっそりとした山の中で畑を作るかです』

 

 少年は少女に現実的な内容の提案をする。少女は夢見がちであるし、単純であるが馬鹿でもなければ間抜けでもない事を彼は知っていたから。だから出来るだけ真剣な提案をした方が彼女も自身の馬鹿な話に正面から付き合ってくれていると思ってくれる。

 

『いっしょにたんぼつくろ!!わたしね、ももがすきだからたくさんももえんつくるの!!』

『そちらが良いんですか?うーん実際暮らすなら街の方が楽なんですけどねぇ?』

『えー、いや。ひとがたくさんなのきらい』

 

 少女は心底不満そうにする。彼女の境遇を思えば知らない人間ばかり沢山いても怖がるだけなのは仕方ない事だ。彼女にとっては沢山の人間なぞいらないのだ。ただほんの少し、頼れる大切な人々さえいれば。……少なくともこの頃の彼女にとっては。

 

 彼女が万人を助けようとする責任感を身につけるようになるのは力に目覚め、多くの民草を救い感謝されてから。それによって自己肯定出来るようになってからの事だ。

 

『はいはい、姫様の仰るようにしましょう。まぁ二人ならば最初の内は山の幸だけでも食べてはいけますが……え?だから家族は何人が良いかですか?姫様、山の幸が豊富とは言え二人以上の腹は満たせないよ?仲間を増やすのは……そうじゃない?話を誤魔化すな?やれやれ、何の事だか。はいはい雛、そう怒らないでよ………』

 

 口元を膨らませて拗ねる少女に少年は宥めるように謝る。しかしそれが子供扱いされているように思えて少女は余計に怒るのだ。尤も、それだって直ぐに忘れて少女は唯一の頼りになる人間にまた甘えるのだが。

 

『ごめんよ、本当に許してよ雛……』

『むー、しかたないな。ゆるしてあげる。だからもっとなでてね?』

 

 余り人の前でしたくない必殺技、頭を撫でるを使う事で少年は眼前の問題を処理する。確かゲームでは昔村に住んでいた頃に父親にしてもらって以来ずっと誰にもしてもらってなかったのだったか。気丈だが実は甘えん坊な所もある彼女がゲーム内で好感度がカンストすると主人公に頭撫でるようにお願いしていた筈だ。まぁ、今は別に子供だし背負うものもないので割と簡単に撫でさせてくれるし本人もお願いするのだが。

 

『……ふっ』

 

 少年は楽しそうな少女の笑顔に小さく、優しい笑みを浮かべた。どうせ子供時代のそれである。大人になれば風化するのだろうし、主人公の魅力には勝てないだろう。

 

 しかしそれでも、それでも今この瞬間の笑顔だけは自分が独占していてもバチは当たらない筈だ。少年はゲームの一ファンとして心からそう思った。それがある種の恋愛感情である事を、意識的に無視して……。

 

 それはおおよそ少年側が少し大人っぽい事を除けば、見る限り子供同士の微笑ましい光景と言えた。親愛と恋愛の区別もつかない子供同士の拙い愛情のお遊び。そして少なくとも双方共に純情ではあった。

 

 そして一匹の蝙蝠の式神が、そんな子供二人の光景をじっと監視していたのだった………。

 

 

 

 

 

 

 

 牛車と言えば多くの者が平安時代に公家が乗っていた物を想像するだろう。

 

 史実においては中国の古事もあって貴人の乗るものとして平安時代から室町時代の中頃まで使われた牛車は、当然ながら和風ファンタジーをテイストした「闇夜の蛍」でも登場しているし、古くからの退魔士の家系であり、自らを神話の時代から続く由緒ある血統であると誇示している(無論嘘っぱちだ)鬼月家もまたそれを日常的に使用している。

 

 とは言え、それは現実の牛車とは似て非なるものである。

 

 まず牛が違う。牛車を引く二頭の牛は肌が青く、その頭部からは角が生えていた。元々は夔牛という霊獣を先祖に持つ個体であるらしいが世代交代を続けていく内に血が薄まり、今となっては前述の他に知能が高く人の言葉をある程度解する程度のものでしかないらしいが。

 

 牛車自体は豪奢で煌びやかであるが俺からすればそれ以上にその高度に組まれた術式の方が目を引く。十枚ばかりの結界に呪い返しに防音、腐食止め、強度の強化……ざっと目にしただけでも一ダース以上の術式があらゆる状況からでも中の人間を保護するように、そして各々が干渉しないように緻密にかつ慎重に組まれている事が分かる。

 

 ましてや中に至っては退魔士達が長年の実験を行い編み出した人工的な器物の「妖化」の技術を使う事で「迷い家」と化している事が一番目を引く事実であった。

 

 元ネタは遠野物語等で伝わる訪れる者に富を授ける山中の謎の家であるがこの世界では微妙に違う。

 

 「闇夜の蛍」の舞台は北陸東北をモデルにしているが此方の世界における「迷い家」は当然のように妖である。しかも大妖ないし凶妖クラスの厄介者だ。

 

 簡単にイメージするなら某ジブリの動く城を思い浮かべれば良い。本体は悪魔……ではないが意識を持つ妖力の塊のようなもので、建物は付属品、建物どころか周囲の土地まで支配するマップボス、いやマップそのものがボスのような奴だ。

 

 人間を噂や幻惑で屋敷に案内し、対象は恍惚状態のままでその身体を霊力そのものとして分解して吸収してしまう食虫植物みたいな質の悪い代物だ。しかも幻惑や催眠が効かない相手には屋敷自体が牙を向く。「迷い家」の中はある種の結界により異界化しているらしく、それこそ明らかに空間が現実の面積よりも広く時間の流れも異常だ。物理法則すら限定的な改変が可能で無数の罠もあって迷いこんだ人間は大迷宮の中で永久にさ迷い発狂する事になる。

 

 ……いや、一流の退魔士なら態態屋敷に入ってそんな遊びに付き合わずマップ攻撃で仕止めるけど。この戦術を考案した退魔七士が一人寛仁上人が言っている、態態相手と同じ舞台で戦う必要はないって。けど、流石に近距離無双な鬼や大入道相手に決闘を申し込んで平地に誘い出してから山に登って目からプロトンビーム撃ち込んで回避不能な嵌め殺しするのはどうなんだろう。

 

 ……話が逸れた。兎も角も退魔士達、特に実例の「迷い家」が多く棲息?している北部の退魔士一族はそれの特性とその有用性を良く理解していた。そして研究に研究を重ねて、更に一部の家々はそれを人工的に「製造」する事に成功していた。

 

 故にその技術を流用した牛車は実際の大きさも然る事ながらその内部空間は更に十倍以上の広さを誇り、更には複数の独立した空間と繋がっていた。もし化物や賊が中の者を襲おうとしても中を無理矢理開いたら現れるのは別の独立空間に閉じ込めていた鬼月家が調伏(洗脳)した妖の群れである。無論、牛車自体が燃やされたら中の者も閉じ込められるがそもそも一撃で強化され「迷い家」化した牛車を破壊するなぞかなり難しい。

 

 因みにこれは鬼月家の屋敷も同様で、更には人工的かつ非人道的な実験で生み出された茶髪ポニーテールのシャイな座敷わらしなんかもいたりする。攻略可能キャラではなくちょいキャラではあるが外伝小説で彼女が生まれてからその境遇と最期の経緯なんかも触れられたりしている。……取り敢えず鬼月家って糞だわ。

 

 さて、前置きが長くなったのは謝ろう。まぁ、そういう訳で仮に牛車に相乗りするとしてもその中は結構広々としている。その上、下手すれば切り替えた別の空間内で待機していても良いのだ。いや、寧ろそちらの方が普通なのだろう。退魔士本家の娘とたかが一下人の関係からすればそちらの方が遥かに当然だ。

 

 故にだ、故に本来ならばこのような状況は有り得なかった。

 

「どうした?折角寝床も用意してやったのだ。遠慮する事はない。横になっておく事だ。傷の具合は承知している。そのような体勢では傷口が開こう?」

「しかしながら、幾ら事情があるとしてもこのような非礼は……」

 

 同乗する同い年の少女の淡々とした言に、俺は膝を屈して頭を下げながら答える。仮面はなく、故に足や肩を襲う激痛は薬師衆の麻酔を使ってもまだ相当の痛みではあったがそれを表情に出す訳にもいかなかった。可能な限り無表情を浮かべる顔は、しかし額に汗が浮かび上がる。

 

(糞、本当に面倒な事になった……!!)

 

 俺はそう思いつつ、痛みを誤魔化すために頭を下げたが視線だけは周囲を観察する。

 

 「迷い家」の現実改変によって精々六畳分である筈の牛車の中は三十畳余りの大部屋となっていた。しかも足下は畳で御丁寧にも牛車の出入口には靴置き場がある仕様である。

 

 彼女は、鬼月雛は座布団の上で正座していた。手元には漆塗りに金箔で紋様を描いた文台、その上にはこれまた高そうな硯箱があり、手元には何か書状が置かれていた。どうやら執務をしていたらしい。この牛車の中は何の震動もなく、暑さとも寒さとも無縁、仕事をするには丁度良い環境である事は間違いなかった。

 

 背後の壁には掛け軸、そこから右に視線をずらせば見事な屏風絵、左に視線を向ければ絹を染め上げた几帳に脇息が置かれていた。その他周囲を見渡せば棚があり、刀剣類を置いた台座があり、その他煌びやかな調度品が置かれていた。牛車での旅である移動の筈が、これはまた豪華な……。

 

「私の趣味ではない。野宿でも構わなかったのだがな。さりとて誉れある鬼月の直系が外で寝るのも外聞が悪くてな。……確かお前は今回綾香に同行中は野宿だったか?」

 

 生真面目そうな仏頂面に少し困ったような、そして硬い微笑みを浮かべて尋ねる少女。それは彼女が笑う事に慣れていない事を示していた。

 

「はい、その通りで御座います」

 

 俺は感情を晒さないように淡々と答える。無論、途上に宿場町や村があればそちらに宿泊したが、そういうものがない場合は当然のように野宿をした。鬼月綾香は下人衆に比べれば遥かに実力は上であるが、それでも一族の末端であり、力も一族全体では余り強い方ではない。「迷い家」化した牛車なぞ使える立場にないので彼女も我々下人同様野宿する事になる。

 

 まぁ、それでも立場が違うので野宿の準備や食事は此方で用意するし、我々はその辺りで交替で警戒しながら雑魚寝するのに対して彼女は天幕があってぐっすり眠れるのだが。うん、途中天幕張るのを手伝おうとして失敗したり見張りもやろうとして眠たくなって頭こくこくしてたの可愛い。

 

「……そうか。牛車に乗るのもか?」

「護衛として控える事はありましたが、入室した事は御座いません。何せ下人でありますので」

 

 これまで鬼月家一族の幾人かに護衛として随行を命じられた経験はある。しかし、同行する女中や側用人であれば兎も角、下人程度が護衛は勿論その他如何なる理由でも牛車に乗せられる事はなかった。それは俺個人に限らず、下人全体での扱いである。まぁ、非公式に乗った者は幾人かいるだろうけども。

 

「そうか。ならば今回は貴様にとっても初めての経験か」

 

 筆を止めて、何処か愉快そうな表情を浮かべて彼女は更に言葉を続ける。

 

「この牛車は防音だ。外の音は聞こえるが中の音はしない代物、外を警戒するならば態態耳を澄まさんでも良い。そもそもお前は重傷の上、疲労困憊だろう?私もそんな者にいちいち礼儀は求めん。早く怪我が治るように努力するのが最善の行いの筈だ。違うか?」

 

 姉御様の主張自体は合理的ではあった。成る程、それは認めよう。しかし……。

 

「……では、せめて敷物はもう少し離れた場所に御願いしたいと思います」

 

 おう、流石に執務中の姉御様の目の前数メートル先で横になるとか罰ゲームだろう!?

 

 最初は「迷い家」が内蔵する幾つかの別空間で休息を取ると俺は考えていた。そうではなく護衛も兼ねてと同じ空間内に滞在するとしても別室、同室としてもせめて横になる場所は部屋の隅だろうと思ったよ。

 

 ……いや、本家の長女が仕事する目の前で寝るとか論外だろうが!!こんなの一目でも見られたら詰みだ。余りに無礼過ぎるし、そうでなくてもひねくれた噂話でもされかねない。

 

 実際問題、余り愉快な事実ではないが……俺はその手のネタの相手として好都合な面があったから。

 

 俺は元々農民の生まれだ。それも冬の厳しく、作物の実りも乏しい貧しい寒村の、だ。

 

 微弱ながらも霊力があった事が発覚して鬼月の家に買い上げられた俺は、しかしその時はまだ多少運があったらしく、いきなり下人衆に入れられる事も、あるいは実験材料とされる事もなかった。それどころか運良く当時引き取られたばかりの鬼月雛の世話役の一人として召し上がられた。

 

 長い髪に凛々しい瞳、スレンダーな体つき、そしてプライドが高く厳めしい性格……原作ゲームにおける鬼月雛は苦労人だ。鬼月家本家筋の父が偶然見初めた農家の娘と駆け落ちして出来た子供で、七歳まで農村の男勝りで元気な子供として過ごしていた。その後母が流行り病で亡くなり、父によって本家に連れ戻された後は共に屋敷に住む事になる。とは言えその扱いはかなりぞんざいであったが。

 

 流れが変わったのは屋敷に住まわされて三年余りが過ぎた頃だ。外で遊んでいた彼女が妖……実は彼女を疎む継母が送り込んだものだったりする……に襲われ目覚めた異能が事態を変えた。

 

「滅却」の異能は普通に反則クラスの力だ。それはただの炎ではない。概念や事象を「焼き尽くす」特殊な炎だった。

 

 それこそ相手の概念攻撃を焼き払い無力化する事も出来るし、形なき精神攻撃すら無効化する。何より凄まじいのが自身の「死」という事象すら焼き尽くす事だ。

 

 妖、特に凶妖クラスとなれば初見殺しな能力を使ってくるものも少なくない。それによって同じく反則な力を持つ一流の退魔士すら事前の備えや調査なしではその力を発揮する前に殺害される事も少なくない。というかゲーム終盤ではそんな反則級の化物が結構出てくる。

 

 鬼月雛の力は妖達にとっては特効といって良い。自分達の能力を無力化され、ましてや運良く殺害出来ても次の瞬間には全身が燃え上がりそこから不死鳥の如く何もなかったかのように復活してくるのだから。

 

 強いて弱点を言えば霊力が凄まじい速度で消耗する事であろうか。それでも数時間は実質無敵なので十分反則だ。もし母親も名家の生まれだったら霊力は更に膨大だっただろうからその点で長老衆の一部から惜しまれている描写がある。術式も五行全て、その他体術や剣術、使役術すら一流という化物で周囲からは才人と呼ばれている。ただ実際は血反吐を吐く努力の果てという事実が中盤以降主人公が交流する中で判明したりもする。

 

 でだ。当時の俺はまだこの世界にある種の幻想のようなものを抱いていた。あるいは糞みたいな底辺から這い上がろうと野心を抱いていた。だからこそ、彼女の世話役の一人に抜擢された時、彼女におもねり、煽て、彼女が異能に目覚めて家中での立場が大きく変わる時のおこぼれに預かろうとしたのだ。そして……俺は一番大事な時に失敗した。

 

 彼女が異能に目覚めるイベント……化物と戦う事になった時、俺は面前の化物から逃げたのだ。彼女の助けを呼ぶ声すら振り切って。

 

 余りに恐ろしかった。恐ろしすぎた。ゲームのイベントだからって何も安心出来なかった。だってよ、周囲の護衛や他の世話役が次々と挽き肉にされて貪られているのに自分だけが無事だって保証が何処にある?

 

 結果としては鬼月雛は力に目覚めて化物を一人で殺した。そして、それが俺が世話役として彼女を見た最後の光景だった。彼女の立場が変わったためか、あるいは俺が逃げ出したせいか、恐らくは複数要因があるのだろうがそのすぐ後俺は下人の訓練兵に落とされて厳しい鍛練の毎日を送る事になる。

 

 ましてや妹のゴリラが失脚せずに姉御様の派閥とゴリラの派閥が鬼月家の中で微妙な均衡を維持している中、どちらかと言えばゴリラの方の派閥に組み込まれているように見られている俺と姉御様の関わりはかなり繊細だった。

 

「………そうか、分かった。但し、護衛なのだから私の視界からは離れるなよ?」

 

 そんな過去の記憶を振り返っていると、暫しの間沈黙していた鬼月雛は淡々と俺の主張を容れた。俺は彼女に一礼して敷物を広い部屋の片隅に移動させて、そこに座り込む。

 

(何だろうな、この何とも言えない微妙な空気は)

 

 子供時代トラブルで喧嘩別れしてそのままの知り合いと大人になってから再会したような気分だ。いや、実際はもっと深刻なんだけど。

 

 多分姉御様は其ほど俺の事を恨んではいない……と思う。何だかんだあってもゲーム内では(比較的)人格者で、右も左も分からず何処の馬の骨とも知れない主人公相手にも公明正大だった。攻略ルートに入ると多少束縛感はあるものの他のヤンデレからすれば拗らせ方はまだ可愛い方だった。

 

「っ……」

 

 右足の痛みに無表情で耐える。糞、やっぱり表情変えずにいるのムズいわ。屋敷に戻ったら真っ先に仮面の支給してもらおう。

 

 刃先を布で覆った槍を手元に置いて、何時でも護衛の任を果たせるように俺は座り込んだまま眠気に身を任せる。

 

(少なくとも摘まみ食いの可能性がないだけ洞窟よりはマシだな)

 

 予想以上に疲労していたのだろう、俺は重い瞼をゆっくりと閉じていき、睡魔に身を任せていた。

 

「お休み、■■。良い夢を」

 

 意識を完全に失う直前、幼馴染みに懐かしい名前で呼び掛けられた気がした。

 

 夢か現か判断つかなかったが、少なくともそれは何処ぞの気狂い鬼のそれと違い不愉快ではなかった……。

 

 

 

 

 ……あぁ、折角の機会だったのにまた碌に話も出来ずに寝させてしまったな。鬼月雛は広い部屋の片隅で何時でも警戒出来る体勢で寝入る幼馴染みを見つめてそう思った。そして思うのだ、自分はまだまだ力不足だと。

 

 彼女は下人を恨んでいなかったし、それどころか責任すら感じていた。それは彼をこのような状況に追いやったのが自身の短慮である事を知っていたからだ。

 

 そうだ、彼は唯一無二の存在だった。母が死に、父とは会えなくなった彼女は広い屋敷の中で頼れる者もおらずに一人だった。

 

 ……いや、正確には世話役の大人や遊び相手の子供はいた。しかしそれは彼女の求める者ではなかった。大人達はよそよそしく頼れる程信用出来なかったし、遊び相手の子供達は農村生まれの彼女とは感性が余りに違い過ぎた。

 

 そんな時に連れて来られたのが彼だった。同じ農村生まれ、それでいて貧しい村だったからか働き者で、世話焼きで、此方に合わせてくれる少年は彼女にとって唯一頼りになり、信頼出来る存在だった。子供ながらに拙くも好いていたといって良い。別に鬼月の家の権力なぞ興味もなかった雛は家出してこの頼りになる少年と一緒に畑でも耕して暮らそうとでも空想していたくらいだ。何なら遊び半分で実際に計画について話し合ったくらいだ。無論、彼方も遊び程度にしか思ってなかっただろうがそれでも彼女にとってはそれが楽しかった。

 

 それが変わってしまったのは一つには陰謀で化物に殺されかけて力に目覚めた事だった。それによって彼女を取り巻く環境は一変した。いや、それ以上に……。

 

「そうだ、それは問題じゃない。本当の問題は私自身の愚かさだ……」

 

 鬼月雛は瞼を閉じて思い出す。自分の取り巻く環境が変わった事、自分が命を狙われている事、自分におもねる大人が大量に寄ってきた事、それが幼く愚かな彼女には余りにも怖くて……だからいつも頼りになる少年に助けを望んだのだ。屋敷から逃げたいと。

 

 それがいけなかったのだろう。余りに不用意な発言だった。少年が即決で自分の助けに応じてくれなかったというだけで彼女は少年に失望して詰って、泣いて、その場から去った。その次の日には少年は彼女の世話役から追放されていた。

 

 あぁ、愚かだ。余りに自分は愚かだった。あの大人のように落ち着いた、自分よりもずっと賢い彼が絶望した表情を浮かべていた理由を少しも考えなかったのだから。

 

「思い返せば当然の事だ。あいつの存在は目障りだったものな」

 

 一気に次の当主の有力候補になった彼女の側に貧農の餓鬼がいるなぞ世間体が良かろう筈もない。ましてやそれが家臣として、あるいは異性として寵愛されてしまうなぞあってはならない。

 

 鬼月雛のやった事は渡りに船過ぎた。悪口を言いながら泣いて走った彼女の行動は、彼女自身が少年を嫌った事の証明であり、ましてや屋敷を逃げる相談なぞ……式神で監視されていたせいで会話は全て筒抜けだった。後で知った事であるが昔悪ふざけで作った屋敷の逃亡とその後の生活計画が見つかり、それが子供にしてはやけに具体的で計画的だったのが止めだったようだ。

 

 流石に外聞が悪過ぎるのか、処罰の表向きの理由は世話役でありながら主人を置いて化物から逃げ出した事にされ、実際彼は術式で記憶を一部改竄された。そしてそのまま「伴部」という名前を与えられると共に下人衆にまで落とされた……そのまま何処かで死んでくれる事を願われて。流石に鬼月葵ごと死なせようとしたらそのまま生き残って彼女に保護されたのは謀殺しようとした方も予想外だったようだが。

 

「情けない限りだよ。ここまで立場を手に入れるまでお前を何も助けられなかったのだからな。ましてやあの忌々しい女に……!」

 

 自嘲気味に笑った後、彼女は葵を……憎々しい妹を思い返して顔をひきつらせる。

 

 妹に保護される……それが彼を救う事になっていればよかった。実際は真逆だ。あのネジのイカれた女が何を考えているのか知らないが、毎回毎回彼を守る事もなく、いつも生きているのか死んでいるのか分からないボロボロの状態に追い込んでいる事実が彼女には理解出来なかった。

 

「助けられた癖に、あいつに何の恨みがあるというのだ……!?」

 

 ギリ、と奥歯を噛みしめ、彼女は嵐のような怒りを抑えつける。怒りに任せて莫大な霊力を垂れ流す事は彼の身体のためにも良くない。

 

「許してくれ……とは言わない。だが、もう少しだけ、もう少しだけ待ってくれ」

 

 この十年余り、彼女はひたすらに学び、鍛え、力をつけた。戦いだけではない。財力も教養も、派閥も、それはただひたすらに彼を助けたいからだ。彼を救い出したいからだ。

 

「お前の呪いも、記憶も、全て私がどうにかしてやる。たとえ、残る全てを捨て去ってもな。だから、もう少しだけ待ってくれ」

 

 彼女は懺悔するように、謝罪するように震えた声で呟く。自分のせいで大切な人が何度も死ぬような苦しみを味わってきた事に彼女は耐えられなかった。

 

「全て終わらせてやる。助け出してやる。だから……だから………」

 

 だからせめて、全てが終わったら昔の約束を、一緒に、静かに私と暮らしてくれ。そのための脅威からは、その存在からは私が全力で守るから。

 

「それがたとえ、誰が相手であっても………」

 

 最愛の男を見つめる彼女の瞳には静かな狂気に満ちた激情の炎がたなびいていた……。



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第八話(挿し絵あり)

「貴方、臭いわね。今すぐに風呂にでも入りなさいな」

 

 牛車に乗せられて屋敷に帰還し、そのまま直ぐにお呼ばれしてゴリラ姫の部屋の前で膝をついて帰還報告して最初に承ったお言葉がそれである。

 

 ………いや、流石に酷くない?というか、一応帰還の道中で何度か川で体洗ったよ?怪我とか化膿しないように清潔にする必要もあったから結構衛生面に気を付けているんだけどその言葉酷くない?

 

「あら?嫌味ではなくてよ?本当に酷い臭いだもの」

 

 ガラッ、と障子が僅かに開く音。俺は頭を下げたまま息を呑んだ。理由?そりゃあ障子の隙間から暖かい空気が漏れて、足下の方にはしなだれた和服に火照った血行の良さそうな白い素足が見えたら当然だろう。

 

 つまり何が言いたいかと言えば……こいつ風呂上がりの着替え中だ。多分羽織るもの一枚かそれくらいしか着ていない。というか朝風呂かよ。贅沢だなおい。

 

「姫様、話の腰を折ってしまいますがそのようなお姿で障子を開いて話されるのは如何かと」

 

 主に俺の立場が悪くなるという意味で。

 

「あら、そのようなお姿ってどんな姿かしら?貴方、頭の上にも目でもあるわけ?」

 

 くすくすくす、と人をいたぶるような意地の悪い笑みを漏らす少女。いや、ゴリラ。

 

「安心しなさいな。人払いの術はしてあるわ。着替えも式の訓練のために女中じゃなくて自作の式神を使っているから誰も見てないわ。……それにしても本当に臭うわね。臭い臭い、雌犬の臭いよ」

 

 最後の部分は肥溜めの臭いでも嗅いだような心底不快そうな口調だった。そして……ふい、と床に見える影の動きから彼女が手の指を動かしたのを俺は確認した。

 

 次の瞬間、俺の直ぐ顔の横で青白い炎が発生する。そしてひらり、と黒焦げになりながら床に落ちる式神が二つ俺の視界に流れてきた。ぴくぴくと生き物のように動くそれはしかし最後は完全に炭化してその効力を失う。

 

「これは……」

「こんな簡単な隠行の術式も見破れないなんて駄目じゃないの。貴方のような一下人にあの女との抗争に参加しろなんて言わないけれど、そんな汚いものを部屋に上げられては困るわ」

 

 誰が俺に貼り付けたのか、一番可能性が高いのは鬼月雛であろうが……彼女はこんな手法を使う手合いではない。となれば彼女を押す派閥の誰かが独断で?いや、今でこそ候補は雛と葵の姉妹の二強であるがそれ以外にもいない事はないのだ。二線の予備候補が貼り付けた可能性は否定出来ないか?ゴリラは姉御様(ないしその派閥)のものと断定しているが……。  

 

「姫様、申し訳ございません。私の落ち度です」

「えぇ、知ってるわ」

 

 俺の謝罪を当然のように認めるゴリラ姫。いや、確かにそうだけどそこは擁護しよ?

 

「だから安心なさい。私も今の貴方にそこまでの事は求めてないわ。隠行術の見抜き方の基本くらいは教えてあげるわ。無論、二度目はないけれど」

 

 くすくすくす、と再度楽しげな、そして加虐的な笑みを浮かべる。つまり、教えて次失敗したら火達磨になるのは俺の方だと。成る程お優しい姫様な事だ。畜生め!

 

「……感謝致します、姫様」

 

 まぁ、心の中なら兎も角、直接口で皮肉を言う程俺も子供ではないので心の籠らない形式的な謝意だけは示しておく。下人衆は他の衆と違って消耗前提だからこの手の技術を学ぶ機会が少なく情報の統制も厳しい。こういう風にお上に取り入ってチャンスを掴まなければどうしようもない。その意味では気紛れやお遊びとは言え才能で遥かに格上のゴリラ姫の指導は俺にとっては金同然なくらいに貴重だった。

 

「構わないわ。それよりも……ねぇ、貴方仮面はどうしたのかしら?」

 

 そこでゴリラ姫は漸く気付いたように俺が仮面をつけていない事実に気付いて尋ねた。

 

「先日の任務の際に喪失しました。新しいものを支給して貰う積もりです」

「あら、そうなの。……そうだ」

 

 その声と共に俺は影の動きからゴリラ姫が座り込んだ事に気付いた。そして次の瞬間視界に何かが現れて……。

 

「えっ……?」

 

 次の瞬間、目の前で開いた扇。桜模様の美しいそれが視界に広がり、くいっとそのまま扇によって下げていた頭を上へと上げさせられる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「そうそう、そういえばそんな顔だったかしら?ある意味懐かしい顔ではあるわね?普段仮面ばかりつけているから素顔を忘れてしまうわ」

 

 扇によって首を動かされた俺の視線の先には商人が物の良し悪しを吟味するような目で此方を見やるゴリラ姫の顔がアップで鎮座していた。

 

 セミロング……よりは若干長く、少しウェーブしたような桜色の髪に長い睫毛、風呂上がりのために火照って温みを残す白い肌は香油を塗った後らしく艶がある。薄く笑みを浮かべる妖しげな口元、そして鮮やかで、しかし何処かほの暗さの漂う桃色の瞳は細く半開きになっていて何処か妖艶で、そして如何にも意地が悪そうだった。風呂で香か何かをしていたのか鼻腔を甘い花の匂いが擽る。

 

 まぁ、このゴリラは頭可笑しいけどイラストレーターのお陰で顔の作りは良かったし、もう何年も見ているから今更その美貌に反応する事はない。……いやけど流石に風呂上がりの肩や鎖骨、ましてや先は扇で見えないにしろたわわの上方が見える状況なのは内心少し動揺したが。というかこの谷間……CどころかDはあるな。しかもまだこれから成長期とかマジかよ。

 

「あら、意外と反応はないのね?」

「下人としては当然の事です。僭越ながらどのような反応を望んでいるのか伺っても?」

 

 俺は淡々とした態度を装い尋ねる。そもそもお前の裸体ならゲームのスチール画で何度も見たし、何なら餓鬼の頃に逃げながら水浴びや下の世話までしてやったので今更である。

 

「そうね。私の柔肌をこんなに見れるなんて一生に一度あるかないかの幸運なのだから、血涙でも流して号泣でもするのかと思っていたわ」

「血涙は難しいでしょうが号泣ならば致せますが、やりましょうか?」

「冗談でしょう?言われたからやるなんて見ていて面白くもないわ。いいわ、結構。下がって風呂に入りなさい」

 

 扇を俺の顎から離してぱしゃりと閉じるゴリラ姫。同時にくるりと体を回して羽織だけ着た背中を向く。俺は膝をつき再度頭を下げてその命に従う……前に質問をする。 

 

「もう一つ、非礼ながらお尋ねしますが宜しいでしょうか?」

「あら、何かしら?」

 

 既に内容を察したように背を向けて愉快そうに顔だけ振り向いて笑みを浮かべるゴリラ様。うわ、腹立つ。

 

「残念ながら下人衆の浴場は夕暮れ頃に開きます。それまで湯浴みをするのは困難かと」

「それくらいの事は知っているわ。私は不可能な命令はしないから安心していいわよ?」

「では……」

「丁度使ったお湯ならあるから、それを利用しなさいな。残り湯なら誰からも文句はないわ」

 

 おい、待て。それどういう意味だ。凄い嫌な予感するんだが……。

 

「姫様、それはどういう……」

「香を焚いていたし、入浴剤も淹れてるから匂いは強いかも知れないけれどまぁ今のその臭いよりはマシでしょうよ」

 

 おい、そうじゃねぇ。待て、マジ?それバレたら洒落にならなくない?

 

「元々人避けの呪いはしてあるから気にせず、ちゃんとその臭いを落としなさい。流石にその臭いで控えられたら堪らないから。次同じ臭いがしていたら……どうなるかしらね?」

 

 そのお言葉に冷や汗を浮かべながら恭しく頭を下げた俺は、そのままの状態で心底意地悪な笑みを浮かべているパワー系ゴリラの表情を実にありありと思い起こす事が出来た……。

 

 

 

 

 前回触れたが鬼月家の屋敷は特に理究衆による長年に渡る実験と研究の結果構築された技術により人工的に「迷い家」と化している。おおよそ外から見れば都の大貴族の邸宅に近い広さがありそれだけでも広大だが、実際その内部は半分異界化しておりその面積は数倍にまで引き伸ばされている。

 

 屋敷は寝殿造りを基本としており、可能な限り左右対照に、内部には幾つもの庭園があり、農園すらある。

 

 中央の寝殿が当主が住まい、次いで北に渡殿をもって北対が設けられている。この北対は年増で若作りな拗らせババアの部屋だ。

 

 中央の寝殿から東西に其々東対、西対が伸びるがこれは前者が姉御様、後者がゴリラの邸宅だ。更に北対から北と東西に伸びる対屋があるがこれら三つの館は親類等一族のその他の者達が住まう場所だ。一族直系が一人で住む館と同様の面積に複数人が住まうとは言え、そもそも館自体がデカイのでその点は余り気にはならないだろう。というか一人で屋敷一つ独占している四人が可笑しいだけだ。

 

 これ等が館の本体、そこに炊事所に馬屋、倉庫、井戸等々が周囲に設けられ、更に使用人たる雑人の住まいたる雑舎がある。これ等が一族の生活の場だ。

 

 築地で仕切られて、その周辺に私人ではなく退魔士としての鬼月家一族の管理する施設が軒を連ねることになる。雑人達はあくまでも生活のための使用人であり退魔の知識なぞ一切ない。築地を挟んで隠行衆、薬師衆、呪具士衆、理究衆、癒術衆、そして下人衆の館があり、彼らのために必要な各種の研究所や生活施設、教練所等がある。

 

 西対に設けられた浴場で温い残り湯で汚れを落とした後、下人にしては不相応な香りを醸し出しながら下人衆の館……正確にはその頭の詰める別邸に顔を出した。此度の任の報告と喪失した物品の再支給を申請するためだ。

 

「話は既に綾香や理究衆の派遣班から聞いている。幸運が重なったとは言え大妖相手と考えれば大金星と言えるだろうね。下人衆の頭目として私も鼻が高いよ」

 

 畳が敷かれた書斎で執務をしていた男は筆を止めて頭を上げる。一見すれば人当たりの良い笑みではあるがその奥底は今一つ見通せない。

 

 鬼月思水は鬼月家下人衆頭、原作ゲームスタートの時点で三十代半ばの短く切り揃えられた薄い金髪に右側の瞳は藍色、左側の瞳は紅色の光を湛える所謂オッドアイの持ち主だ。

 

 虹彩異色症……別にそれは単なるキャラビジュアルの見栄えだけで付与された属性ではない。寧ろそれは彼の持つ異能の証明であった。

 

 霊力を持つ事で術式を扱える人間の中で、特に極稀に発生する特殊かつ固有、そして先天的な能力が「異能」だ。

 

 眼球を出力媒体にして発動させる瞳術を全自動かつ単独目的に特化させた「異能」は特に「魔眼」と呼ばれる。鬼月思水の「魔眼」の場合、更に左右で別の特性を保持している点で特異だった。

 

 「拘束」と「歪曲」、前者は催眠と似ているが相手を金縛りにし、後者の場合は超能力で言うところのテレキネシスに似て対象に力学的な影響を与える。

 

 この組み合わせは凶悪だ。それこそ最悪「視た」だけで対象の動きを封じ、その首を捻じ切ってしまう事すら出来るのだから。無論、相手の妖力や能力次第では無力化される可能性もあるのだが多くの場合は初見殺しになる。

 

 しかも「魔眼」を無力化しても素の霊力、それらを活用した術式、杖を使った杖術の技量も一流と来ている。実際ゲーム終盤では正面での戦闘では人間も妖も歯が立たず、妖側はメタりまくった嵌め殺しで漸く殺害する事が出来た程だ。「今現在」の鬼月家において最強格の一人と言っても良い。そして……かつて次期当主の最有力候補でもあった。

 

 長女雛、次女葵、双方の霊力の開花や「異能」の発現の後、彼は自主的に当主候補の座を降りた。原作スタートの時点でも尚二人よりもその実力は上であるが将来的に再従姉妹に当たる二人が自身を凌ぐと彼は考えたらしい。それが鬼月家全体の繁栄に繋がると。

 

 ……実際姉妹の上の方は首捻切られても直ぐ復活するし、下の方は単純な霊力による身体強化だけで拘束も首捻りも無力化してくるからね、仕方ないね。まぁ「魔眼」無力化してもゲームスタートの時期ではまだ素の技量で圧倒されるんだけど。

 

(何よりも……こいつは隙を見せられない性格だからな)

 

 ゲーム内における鬼月思水は決して残虐ではないし残酷ではないが、一族全体を冷徹に考え、そのためならば犠牲を厭わない人物だった。故にルート次第では主人公と協力するし、逆に徹底的に対立する事もあった。そして対立する際の容赦のなさ、手段の選ばなさは外道と言えた。要注意、ではないにしろ俺の立場を考えれば迂闊な事は口に出来ない相手だった。

 

「『蜃』……それも小ぶりで大妖化したばかりの個体だったらしいね。しかも手負い……他の妖との縄張り争いに負けてあの山林に流れ着いた可能性はあるかな」

 

 思水は死骸を回収して解析した理究衆からの検分書だと思われる巻物を開いて確認するように内容を語っていく。

 

「触手が複数本切断、致命傷は殻に出来ていた陥没部に刃物を捩じ込み内臓への致命的な損傷が与えられた事、か」

 

 ふむ、と思水はそこまで口にした後俺を見る。

 

「こういっては何だが、下人衆に支給される装備では大妖の外皮を傷つけるのは不可能とは言わずとも困難だ。仮令手負いだとしてもね」

「葵姫様から賜りました短刀により、先日の任を達成出来ました次第で御座います」

 

 俺は彼が質問したい内容を予測して先手を打って答える。内容自体は事実であるし、何よりも先に答える事で此方が従順である事を暗に示す事にもなる。鬼月思水は現状明確な敵ではないが敵に回った際の厄介さは馬鹿に出来ない。故に彼からの印象を悪化させる訳にはいかなかった。

 

「……葵姫から下賜される事自体は咎めないよ。但し報告は欲しかったね。君達の教育と監督は私の仕事だ」

 

 監視と管理の間違いだろう?と内心で吐き捨てるが口にはしない。鬼月家が所有する衆のうち、最も構成員が多く、最も消耗が激しく、その待遇の劣悪さから最も反逆の可能性が高いのが下人衆だ。(洗脳)教育や呪い、情報統制で逃亡や反乱抑止に努めているが完全に安心出来る訳ではない。思水程の実力者が他の衆よりも一つ下に見られている下人衆の頭であるのはいざ反乱が起きた時には一人でそれを鎮圧出来る実力があるためだ。

 

「申し訳御座いません。何分姫様の御要望でありましたので」

 

 嘘ではないが事実ではない。下賜の際、俺の辞退をゴリラ様は拒否したし取り上げられるのは許可しないとは言われたが報告するなとまでは言われなかった。とは言え、俺からしたら下手に注目されたくなかったので知られずに済むのなら知られたくはなかったので報告しなかった。まぁ、あの気紛れの癖に頭の回転が速い姫様の事だ。後で思水が裏取りの質問をしても適当に話を合わせてはくれるだろう。というかしてくれないと困る。

 

「成る程。……宜しい、では私から姫には御伝えしておこう。気紛れに贔屓するのは構わないが管理の都合がある以上話は通して欲しいからね」

 

 つまりは今後は下人が勝手に物を隠し持ったりしないように釘を刺しておく、という事である。物は言い様だと言う事が良く分かる。

 

「さて、問題もあったし運もあるがそれでも功績は功績だ。たかが下人の立場でも此度の成果は正当に評価すべき案件だ」

 

 鞭の後は飴を忘れない、それが鬼月思水という人間だという事をこの言葉は証明していた。同時に俺の事を只の一下人として悪い意味で軽視していない事も。

 

(俺は出自が微妙に他の下人とは違うからな……その点でも警戒している訳か)

 

 元々姉御様の世話役からの下人落ちという事で内心何考えているのか怪しいとでも考えているのだろう。故に不満を解消するための飴を見せつけ、同時に俺の反応からその思考を探ろうとしている……といった所か。

 

「前々回の任の失敗で我々下人衆は相応の損失を被った。元々人の入れ替わりが激しい仕事ではあるがあれは痛い損失だった。お陰様で今回君には暫定的に班長を務めて貰っていたが……これを機に正式に班の指揮権を付与したいと考えている。当然ながら待遇の向上も付随する事になる」

 

 下人の班長、それはある種妥当であり、また与えても惜しくない飴だった。可能な限り反乱や共謀阻止のため下人衆は固定した部隊は持たない。必要に応じて班長の権限を持つ者に班員を預ける方式で、普段から積極的な交流は上下ではないし、横の繋がりも入れ替わりが激しいのでそこまで深くはない。ましてや班より上の位階はなく、何より班長は雑魚寝する下っぱとは違い個室が与えられる。そして孤立させられる。部下と何かを計画するのは困難だ。全くこの組織を作った鬼月家の先祖は性格が本当に悪い。

 

「慎んで拝命致します」

 

 ……とは言え、そんな事は元より設定集から知ってるから想定済みだし、そんな甘い手段で下人の立場から逃げ出せるなんて端から思っていない。故に俺は感情を殺し、その任命を素直に受け入れる事が出来た。

 

(そうだ。機会が来るのを待て。今は未知数過ぎる。確実に逃げ出すのは原作イベントが来てからだ……)

 

 正確に言えば下人衆、あるいは鬼月家ごと全滅するか明らかに全滅したであろうバッドエンドルートなんて割とゴロゴロあったのでその手のルートフラグだけはへし折り逃亡出来るルートに主人公を誘導しなければならない。困難ではあるし、そもそも原作ゲームとは既に状況が部分的に変わってしまったりもしているが……まだ大筋の流れを辿る事は可能である筈だ。そしてそのイベントに乗じて……。

 

「っ……!!」

 

 俺はそこまで考えて、正面からずっと俺を見つめていた下人衆頭の視線に気付いて心の中を閉ざし、無心を装う。

 

「……そうだ。支給品だったか。武器や衣服については呪具士衆の所に伝えるといい。私が既に話を通している」

 

 そこまでいって懐からすっと何かを取り出して俺に差し出した。

 

 ……能面だった。下っぱの頃につけていた小面ではなく翁を表す能面。班長を表すものだった。

 

 俺は深々と頭を下げて能面を受け取る。能面を手に取る直前、差し出し手は意味深な笑みを浮かべる。

 

「今後とも励む事だ。君が下人としての分をわきまえ、鬼月の家に忠誠を誓い、誠心誠意職務に精励する限りにおいて私は君の味方だよ」

 

 恐らくは警告であったその言葉に対して俺は首筋に冷たいものを感じ取り冷や汗を流す。下手な事を口にすれば間違いなく俺の首は黒髭危機一髪することになるだろう。

 

「……承知しております」

 

 俺は短くそう答える。暫しの間部屋を満たす霊力の奔流による重圧……それが収まるまでに十秒程の時間を要した。

 

「……早く能面を取りなさい。私も仕事が詰まっているのだからね」

 

 濃厚な霊力の圧力が完全に静まり返ったと共に紡がれる言葉。俺は手の震えを必死に止めながら無言のままに、そして若干急ぎながら能面を顔に嵌める。血の気の引いた死人のような顔を余り見せたくはなかったから。

 

「では、下がりなさい」

「はっ」

 

 下人衆頭の微笑みながらの命令に完全に感情を殺しきった口調で俺は答え、踵を返す。

 

(糞ったれ!!こんな所にいつまでもいられるか!!いつ殺されるか分かったものじゃない……!!)

 

 俺は心臓の心拍数が急上昇しているのを自覚していた。緊張と恐怖から足が笑いそうになるのを押し止めて努めて平静を、そして下人らしく感情を隠して避難しようとする。

 

 しかし、ある意味で俺にとっての最悪の知らせはこれからの報告が始まりであったかも知れない。彼は俺の背中を見つめ、思い出したようにこう言ったのだ。

 

「あぁ、そうだった。正式な通達は後でするけれど今伝えておこう。伴部君、君には次の上洛の際に同行してもらう事になっている。身を引き締め職務に精励して欲しい」

「………はい?」

 

 鬼月思水の無慈悲にしていきなりの爆弾発言に俺は思わず演技を忘れそんな間抜けな返答をしていた。何せ、彼からの命令は余りにタイミングが悪すぎた内容であったからだ。

 

 ……そう。それは最悪の時期の最悪な場所での最悪の任務であった。

 

 何せ時節は狐璃白綺……「闇夜の蛍」の攻略キャラの一人にして、作中でも一、二を争う畜生キャラ……彼女のゲーム前日譚が都で始まる時期であったのだから……。




残り湯は薬用ゴリラ成分(意味深)マシマシ、やったね!発情した雌兎みたいなキツイ臭いもこのお風呂に入れば簡単に落ちるよ!


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第二章 安全地帯がゲームイベントで消失する事って希にあるよねって件
第九話


 狐・狸・猫と言えば前世においても変化の術や妖術を扱う獣として言い伝えが残る存在である。化け狸とか化け猫と言ったものだ。

 

 この世界においてもそれは変わらず、霊力のある人間、あるいは妖力を持つ妖の肉を食べた事で知恵と妖力を得た化け狐の事を特に妖狐と呼ぶ。

 

 特に扶桑国を含む東方では千年かけて力を蓄え続けた狐の凶妖は天狐と呼称されて恐れられているが、これは大陸で一時期天狐の凶妖達が立て続けに現れて権謀術数によって当時最大の人類圏を構成していた大陸王朝を崩壊させる悪行を仕出かして見せた事に由来する。彼らないし彼女らは小妖の頃から知能が他の化物より高く、それ故に生き残り易いので強大な化物への開花が容易である。また人間の世界の事情にも明るいため狡猾な策を弄するのが得意でもあった。その事もあって朝廷は大陸での惨劇から化け狐を積極的に狩る事を奨励していた。

 

 無論、朝廷が積極的に奨励しているという事は、その分彼ら彼女らの朝廷に対する憎悪も激しい訳で……。

 

 故に今正に月下の空で一匹の化け狐が圧倒的な悪意と敵意を持って都を見下ろす事も当然と言えば当然の事であったのかも知れない。

 

 千数百年の歴史を持ち、東方のこの扶桑国において「人間」という種の中枢部として機能してきた都はその土地の豊かさと強力な霊脈により人間だけでなく過去数々の妖達の侵攻の、そして「餌場」の対象にもなってきた場所でもある。

 

 ある時代には死霊の大軍が死の河となって押し寄せ、ある時代には四凶と称される凶悪な妖の支配を受けた。またある時代には地を呑み込む大蛇がその地を目指し途上の村や街を踏み潰しながら東進し、百鬼夜行が攻め寄せた際には帝の号令の下に国軍と民草が協力して籠城に成功して見せた。

 

 ……そしておおよそ本能と欲望に忠実であるが故に我が強く、本来ならば協力しえない筈の化物共を纏め上げ、組織化して見せた最強の力と最凶の知性を有した妖「空亡」が引き起こしたこの国最大の動乱『人妖大乱』の際にはその土地の重要性から再三に渡る大攻防戦の舞台となり、都の内も外も地面を埋め尽くさんばかりの人と妖の死骸に満ち満ちた地獄と化した。

 

 そしてそれらの時代を経ても尚、人間はこの地を押さえ続けた。今や数十万という民衆が暮らし、文字通り扶桑国の中枢となるのが都である。……逆説的に言えばこの都を落としてしまえばこの国はそれだけで滅ぶ。そして強大な霊脈を手に入れる事で妖達は凶妖の更に次の段階に至るだろう。そう、歴史的に数体しか記録されておらず、それも事実かも判然としない神話上の存在に……。

 

「故にこれだけの大軍を拵えたのじゃ。忌々しい人間共の虚飾の街を滅ぼし、より高みを目指すためにの」

 

 尊大な態度で妖狐は……九つの銀色に輝く尾を持ち、特徴的な獣耳を頭に生やした人影はくくく、と嘲笑う。彼女の背後には気づけば幾千という怪物の大軍が控えていた。彼女が数十年の時をかけて国中を放浪して、増やし、鍛えた怪異の大軍勢。実際、既に幾つかの小さな街に、弱小とは言え数家の退魔の家を根絶やしにしたその軍勢の実力は嘘ではない。

 

「さて、いくとしようかの。貴様ら、進め。逃げる者も、逆らう者も、抗う者も、皆平等に食い荒らし、喰らい尽くすが良い」

 

 そう妖狐の自信は嘘ではない。実際に街や退魔の家を滅ぼすのは簡単な事ではないのだから。その軍勢はそこらの大名や退魔士の家が総力を挙げて討伐に打って出ても容易に打倒出来るものではない。

 

 だからこそ、凶妖にまで至って百年もない若造たる妖狐の思い上がりはある意味で仕方ないものであり……同時に彼女は自身の世間知らずの罪に対してその身を以って報いを受ける事となった。

 

「なっ………?」

 

 次の瞬間、彼女の背後で生じる紅蓮の炎の渦に千を越える妖――その多くが中妖であり、大妖すら十体以上含まれていた――が焼き焦げその大半が燃え尽きて消え去り、運良く燃えきらなかった幾体かは火達磨になった身体で地上へと落下していく……。

 

「あれは……龍、か?」

 

 振り返って自分が長い時間をかけて拵えた妖の大軍を半分近く凪ぎ払った存在を唖然と見つめる妖狐。同時に圧倒的な格の違いにも気付かされる。

 

 とぐろを巻いた神龍……その頭に居座る陰陽師は酒の入った瓢箪を呷ってから加虐的な笑みを浮かべて使い魔に命じる。

 

「ほれもう一発だ。やれ、白蓮」

 

 応えるようにけたたましい咆哮が放たれる。同時に撃ち出されるのは灼熱の吐息。化物達の厚い甲殻も、難燃性の毛皮も、妖力の防壁すら無視して妖達は瞬時に焼き払われ、炭化する。あらゆる防御を無効にして焼却するそれは限りなく概念攻撃に近い位階にまで昇華した業火だった。 

 

「ぐっ……馬鹿なっ!?こんな……たった、たった二回の攻撃で妾の下僕共が……!?」

 

 妖術で炎を逃れた妖狐の影は信じられないとばかりに罵倒の言葉を叫ぶ。それは圧倒的な理不尽への怒りであり、彼女は認めないであろうが恐怖からその声は震えていた。

 

「ふ、ふざけるなっ……!!これだけの軍勢を育てるのにどれだけの……!!」

「どれだけの人間を食べさせたか、か?」

「っ……!!?」

 

 直ぐ背後から響き渡るその声に身を捻り妖狐は手刀を放つ。素手とは言え、凶妖の本気の手刀ともなれば人の首を容易に切断……いや、首といわず上半身が消し飛ぶだろう。実際、背後に立っていた黒装束の「人間」はその身体が両足を除いて吹き飛んだ。

 

 ……直ぐに肉片は黒い影となり、霧散した影はたなびきながら集まって当然のように再度人影を作ったが。

 

「幻術か……!?」

「いや、確かにお前さんはその爺を殺したよ。爺の身体が可笑しいだけだから安心しろよ」

 

 わめくように叫ぶ妖狐の耳元で響くのは先程龍に乗っていた男の声。同時に頭に響く衝撃。恐らくは瓢箪で殴り付けられたのだろう、地面に叩きつけられるように妖狐は地面へと突入する。

 

「ガバッっ……!?グ、な、舐めるなヨ、人間風情ガっ……!!」

 

 人間ならば頭蓋骨が砕けて中身が飛び出しているだろう衝撃を受けて、さしもの妖狐とは言え脳震盪を起こす。だが次の瞬間ギリギリ人形だった姿は急速に肥大化し……そして咆哮と共に巨大な銀毛の九尾狐が闇夜に現れた。それこそがこの妖の真の姿であった。

 

『オノレがっ!貴様ラ、一人とシて生かしテ帰さんぞ……!!!』

 

 妖狐が怒り狂いながら叫ぶ。強い人間とはこれまでも幾度も戦ってきた。そしてあらゆる手段を、卑怯で卑劣な手段を使ってでも勝利し、敗北者は命乞いすら無視していたぶり、苦しめ、貪り食ってきたのだ。彼女は自らの知恵と力に絶対の自信を持っていた。こいつらも全力の力をもって襲えば……!!

 

「それは此方の台詞です!!」

 

 妖狐の顔面に空中で回し蹴りを食らわせたのは若い巫女であった。溢れんばかりの霊力で強化された脚部による一撃は当然のように妖狐の頭の肉を裂き、その骨に罅が刻まれ、歯が何本か砕け散る。一瞬意識を失った化物は、次の瞬間には耐えきれない程の激痛に苦しむ事になる。

 

『ガバッ……!!?』

 

 盛大に吐血しながら落下する妖狐。重力に従いながら落下していく「彼女」に、しかし都を守護する退魔の専門家達は容赦する積もりは一切なかった。四方から止めの一撃を喰らわせようと襲いかかる人影……。

 

『グッ……!!?お、おノレぇがあぁぁぁ!!こんな所で、こんな所で!こんナあっけナク!私ガ死ねルかアァァァッ!!!』

「っ……!?不味い、早く仕止めろ……!!」

 

 全身深い傷だらけになった妖狐は最後の手段を使う。そして、退魔士達は化物が何かを仕出かそうとしている事に気付き、それを阻止しようとする。

 

 退魔士によって切り裂かれる狐の影。それは次の瞬間強力な術式によって燃え上がり、次いで突如発生した雷雲からの雷が直撃、そして更に四方八方から生み出された半透明な結界によって構築された針によって突き刺される。それらはどれもが大妖なら一撃で、凶妖でも下位のものであれば備えなければ無事では済まない代物であった。だが…………。

 

「愚か者がっ!!それは幻だ……!!」

 

 幻術や催眠を専門とする退魔士の一人が違和感に気付き叫ぶ。肉片となった筈の化物の残骸はしかし、次の瞬間霧のように消えていた。それは妖狐が残る力を全力で注いで作り上げた最高傑作の幻術であった。

 

「ちぃ……!!」

 

 ある者は文字通り筋力だけで空中を蹴りあげて、ある者は空中に足場となる結界を作り上げ、ある者は式神を使って、あるいは空中で術式を構築する者、弓矢等の飛び道具で狙いをつける者……各々が各々の方法で彼ら彼女らは妖術を使い幻を作り出して離脱した妖狐を再度、そして確実に仕止めようとした。しかし……。

 

「なっ……!?」

 

 次の瞬間巨大な妖狐は発光した。周囲の者達の視界を覆う程の激しい光……数名がおおよその位置を狙い済まして攻撃を行うが手応えはない。そして、巨大な光は小さな光の粒へと分裂し……それは流星群のように都やその周辺へと落下し始めた。

 

「おのれ、そういう事か……!!」

 

 遠距離攻撃が可能な数名の退魔士が幾つかの光の筋を狙い澄まして撃ち落とす事に成功する。しかし……半分以上の光はそのまま地上へと降り注ぎ……闇夜の中に消えていった。その姿を神妙な、あるいは苦々しげな表情で見つめる退魔士達……。

 

「帝と方々の大臣、それに陰陽寮に連絡を。粋がった化物が死ぬ直前に面倒な置き土産を残してくれたとな」

 

 いつの間にか現れる黒装束の男が退魔士達に命じていく。そして化物殺しの専門家達はその命令に対してその姿を消し去る事で肯定した。

 

「………」

 

 黒装束は一人青い暗闇に幻想的に浮かび上がる満月の姿に嘆息する。よもや「あの程度」の化物相手にこのような失態を犯すとは。大乱の頃であればあり得なかった失敗だ。やはり満月の夜は血が滾り馬鹿になってしまう。しかも妖共がでしゃばるのも大概この時期なのだから始末に負えない。

 

「……せめて彼女が戻ってくれればな」

 

 黒装束の影は怪我と年を理由に宮仕えを退いたかつての戦友を思い再度嘆息する。刹那、そして黒い影は己が勤めのためにその姿を霧のように消していた……。

 

 

 

 

 上洛……原作ゲーム「闇夜の蛍」ではゲームの進行のある時期までに規定の水準まで能力値を向上させる事で上洛に同行する事が出来る。

 

 この作品の舞台たる扶桑国は都を中核とした中央を帝と公家を中心とした朝廷が統治し、地方の統治は世俗を中心に治める大名と妖等の超常現象に対処する退魔士一族の二重権力で支配されている。

 

 上洛は朝廷が大名や退魔士一族に対して課す義務の一つである。三年に一度上洛した彼らは半年間内裏への参勤と都の守護を命じられる事になる。

 

 鬼月家もまた定期的に一族からの代表と手勢を率いて入洛しており、ゲーム中盤でこの上洛予定が来る事になっており、この際の主人公のステータスや友好関係、好感度によって上洛に同行するか否か、誰が上洛して留守にするか留まるかが変わり、それによってストーリーが大きく分岐する。おう、姉妹の仲良くなった方が上洛して留守中にもう片方との好感度をカンストさせたら凄え修羅場が見れるぜ……?(白目)

 

(つまり、今回の上洛は原作スタートの丁度二年半前か……)

 

 上洛が三年に一度、主人公が鬼月家に引き取られてから上洛イベント開始まで半年である事を思えばゲームスタートまでの残り時間は明らかだ。

 

 ……とは言え、生きる上での仕方ない行動であったにしろ俺のせいで既に僅かながらとは言え原作から初期設定や状況が乖離している。このままゲームが素直にスタートするかは分からないし、スタートしたとしても殆んどがバッドエンドなルートをどう回避するか、あるいは利用して逃げるかが問題だ。上手く服従と監視の呪いから解放されても場合によってはこの国自体がぐちゃぐちゃになりかねない。本当このゲームの難易度畜生だなおい。

 

「伴部、人の話を聞いているのかしら?」

「え?な、何用で御座いましょうか……?」

 

 突然かけられた声に俺は我に返り、能面越しに声の主に視線を向ける。

 

 部屋の隅で膝をついて控える俺の視界に映りこむのは畳の敷かれた広々とした部屋……その上座で正座する少女の直ぐ手元には和琴が鎮座していた。その弦に触れていた手を離して膝の上に乗せる桃色の少女は嗜虐的な笑みを浮かべた。

 

「あら、人が折角演奏をしているのに他の事を考えているなんて贅沢な事ね?班の長になってから高慢になったように見えるわよ」

「いえ、決してそのような事は。都での懸念事項等について愚考していただけの由で御座います」

 

 少女はくすりとした、それでいて小鳥の囀りのような声で毒づき、俺はそれに対して当然のような内容を含めて謝罪の意を伝える。

 

 牛車(迷い家化済み)三両、その他に荷運び等の馬車が三両、退魔士は代表含み四人、彼らを世話する雑人は一〇名同行する。そして隠行衆が五名、下人一二名、薬師衆等その他衆六名、臨時雇いの人足が三〇名余り……数だけで見れば下位の大名に匹敵する規模の隊列は霊力や異能持ちが多い事もあり、妖達にとってはご馳走だ。整備されているとは言え、特に山道は未だに妖が現れて商人や旅人を襲う。山賊だっているだろう。

 

「あらあら、たかが一下人の班長如きがそのような事を良く心配するものね?やはり貴方傲慢になっているわよ。所詮は下人風情が私や叔父様を差し置いてよりマシな事を出来る訳ないでしょうに」

 

 クスクスクス、と口元を和服の袖で隠しながら上品でいて、明らかに加虐的な嘲笑を浮かべる。

 

 実際問題、俺の実力は所詮は下人である。目の前の年下の少女は当然として今回の代表たるあのデブい叔父相手でも戦う事があれば一ミリも勝機はない。そんな彼らが後手に回る内容を俺如きがどう出来ようか?そうでなくても凶妖でも出てこない限りは同行する退魔士によって道中襲ってくる化物なぞ即殺されている。お陰様で下人の班長たる俺は仕事もせずにゴリラ姫の護衛役兼お喋り相手兼琴の演奏の聴き手でいられる訳だ。

 

 尤も、それも都に入るまでの事ではあるが。この時期の都に訪れるなんて婉曲的な自殺行為だぞ……?

 

(いや、どうにか出来なきゃ死ぬだけなんだけどな?)

 

 原作ゲームや外伝の漫画・小説等の媒体に基づけば、今回の上洛のタイミングは非常に不味い。正確にはゴリラ様やデブは強いので大丈夫だろうが下手すれば俺は巻き添えで死にかねない。そして何より問題なのはそんな魔境であると理解していても、あの書き下ろし小説を読んでしまえば都に入る以上は何かしなければ後味が悪すぎる事だ。

 

(問題は俺に自由な時間があるか、あったとしてどうすれば良いか、か……)

 

 アイテム屋佳世ちゃん両親の脳味噌プリン案件やら新街の孤児院で起こる踊り食いパーティーを知っている以上は無視するには罪悪感が強すぎるし、それ以上にストーリー上困る。ないならない方が良い案件ばかりだ。

 

 そうでなくてもあの女狐のゲーム本編での糞具合は鬼月家と良い勝負である。碧子も大概だがあっちは一応本編の範囲内ならヘイトは少ない……しかし糞女狐の外道さはゲーム販売時から既にヘイトの対象だった。性格が腐りきった悪女だった。一応少しだけ、本当に少しだけ擁護的な設定もあったがそれでは誤魔化しきれないくらいには畜生だ。殺せる時ならば(可能性が低くても)やってしまった方が良いかも知れないと考えてしまう。

 

 実際は、そう軽いノリで渡れる橋ではないのだがね……。

 

「あら、やっぱり何か別の事考えているわね?」

「姫様、その………」

「言い訳は良いわ。幾ら誤魔化そうとしても無駄よ。能面越しでも、仕草だけでも底の浅い貴方の思考くらいは想定出来るわ。随分と上の空のようね。呆れたものね。都行きならもっとそわそわしていても良いでしょうに、寧ろ……これは陰鬱なのかしら?」

 

 何処か奇妙そうな表情を浮かべるゴリラ姫。まぁ、流石に都での生活にわくわくする事はあっても陰鬱になるものは珍しいだろう。人妖大乱の時代なら兎も角、この時代都程安全な場所は他にない。

 

「随分と気が滅入っているようね?私の子守りがそんなに面倒臭いのかしら?」

「いえ、そのような事はありませぬ」

「では何で深刻そうなのかしら?」

「それは……」

 

 俺は特段頭が良い訳ではない。事前に想定と対策はするが、その想定から外れた時に咄嗟に最善の行動を出来る程の機転はなかった。故に俺は数秒程沈黙する。

 

「………」

「そう、そのまま全て話せない類いのものなのね?」

 

 俺の僅かな沈黙に、しかしその意味を的確に突いてゴリラ姫は呟く。ゴリラは森の賢者だからね、仕方ないね。

 

「いえ、断じて姫様に対して秘め事等は……」

「言い訳もお世辞も結構よ。そういうのはいつも散々見てきているから」

 

 はぁ、と詰まらなそうな溜め息を吐き出して指を振るう。室内の端に置かれていた脇息が宙を浮きながら引き寄せられて、丁度彼女の座る場所から見てフィットする位置に着陸する。そのまま肘を脇息に乗せて扇を仰ぐ少女……。

 

「貴方に教養がないのは知っているけれど、馬鹿じゃない事くらいは分かっているわ。口にしたくないという事は理由があるのでしょうね?」

「恐れながら姫様、鬼月家と姫様の御ためにも熟慮している事がある次第です。ですがこの場では断定する事が出来ぬ事なれば何卒御容赦をして頂きたく存じます」

 

 俺は恭しく頭を下げて嘆願する。ここに来ては嘘は言えない。言ったらゴリラは不快になるだろうし、退魔士の六感は馬鹿に出来ない。僅かな違和感から此方の嘘や誤魔化しを見抜きかねない。ましてやゴリラ相手ともなれば……。

 

 だからこそ嘘は言わない。あの女狐を好きにさせて、強化させてやっても鬼月家にもゴリラにも一寸の得もないのだ。特にゴリラ様、あんたのためだ。御執心になる主人公君奪われたくないでしょ?

 

「……そう」

 

 俺の言葉に一瞬だけ不満を滲ませた返事を呟き、次いで言葉を続けるゴリラ姫。

 

「それで?そんな確証もなければ説得性も皆無な要望を私に言って、何がお望みなのかしら?」

「職務についてはお役目なれば精進致します。その上で余暇について多少の自由を頂きたいと存じます」

 

 流石に起きてから寝るまで、それも半年間ずっと働き続けるのは無理だという事くらいは鬼月家も理解はしているので休暇や休憩は多少はある。問題はその時間とて完全に自由ではない事、少ない自由もたかが下人が動き回ったらそれだけで不審と警戒を抱かせる事である。彼女に求めるのはその黙認とフォローだった。

 

「下人風情が随分と思いきった要求だこと。私がそれを認めると思って?」

 

 意地悪するような口調で囁く葵姫。しかしながら、彼女はゴリラと言われてはいても賢い。彼女自身俺の言葉に少なくとも嘘はない事は理解している筈。そしてたかが下人一人何を企もうともいつでも好きに処理出来る。何よりも才能に溢れ過ぎるがために暇をもて余しているゴリラがこの未知の提案に興味を示さない筈もない事を俺は知っていた。

 

 ……そして、賭けは恐らくギリギリで俺が勝った。

 

「終わった後、何か面白いものでも寄越しなさい。分かったかしら?」

 

 その言葉に聞き覚えがあった。ゲーム内で主人公が彼女に協力を仰いだ時、それを承諾する代わりに彼女が出した条件に同じ台詞があった。

 

「御意に」

 

 俺は再度深々と、感謝を込めて頭を下げた。消極的かつ面倒な条件が付加されたとは言え、彼女の受け入れた要望のお陰で少なくない命が救われ、原作主人公の幾つかのバッドエンドが回避され、何よりも俺の生存率が上がったのだから……。

 

「姫様、到着致しました。今から入門の準備に入ります」

 

 俺が謝意を示した時、丁度牛車の簾を上げて雑人が報告する。俺は能面越しに目配せすればゴリラは肩を竦めてから扇子を振ってそれを認可した。

 

 一礼の後、俺は牛車の簾から外へと降りる。そしてそれが視界に映りこんだ。

 

 それは荘厳な城門だった。青々しく、秋になれば黄金色に染まるであろう豊かな田園を区切るように都正面に建てられた木製の大門。多くの牛車や馬車、人足等がその門へと長大な列を為して並び、都の近衛兵がそれを監督していた。羅城門……それ自体が幾重もの防護術式が付加され要塞化された城門である。

 

 人だかりが海を割るように別れていく。鬼月家の牛車と人の列はそれを当然のように享受して門へと向かう。名家たる退魔士一族が商人や出稼ぎ農民と共に門に並ぶなぞ有り得ない。俺もまた牛車の傍らで護衛として控えながらその列に続く。

 

「……さて、来てしまった以上はやるしかないな」

 

 俺は腹を括って覚悟を決める。危険ではあるが……その分のリターンが期待出来る以上はやるしかない。

 

 脳内で時系列を整理していき、まず最優先すべき事を俺は導き出す。

 

 この都で真っ先に行うべき事は分かっている。それは即ち忌々しいド畜生女狐の復活と強化を阻止する事である。即ち……新街の外れに存在する孤児院での踊り食い、そして院長たる元陰陽寮頭吾妻雲雀が人質を取られるという卑怯な手段によって無抵抗のまま食い殺される事を阻止する事だった。



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第一〇話

投稿して半月で累計三〇位とかひょっとしなくてもヤバくね?


『人妖大乱』……それは少なくとも東方の国々にとって大陸王朝が崩壊したのと並ぶ悪夢とも言うべき動乱であった。

 

 数百、数千の群れを率いるのは、ある程度の力を得た大妖や凶妖ならば不思議ではない。

 

 だがそれが十数万、いや数十万となればどうか?ましてやそれが人間の軍勢の如く指揮序列を持ち、統制され、明確な戦略の下に攻め寄せてくればどうか?

 

 ましてや「空亡」は高い知能を有しており、人間の社会について、その生態について深い理解を持っていた。

 

 「空亡」はその力を以て空を隠し、配下の妖達に命じて農村を荒らし、街道を襲撃する事で人間達の食糧生産・物流を妨害して食糧不足とそれによる夥しい量の餓死を引き起こした。

 

 一方で霊力のある者、技能のある者は四肢を切り捨て、幻術で思考能力を奪い悪名高い「人間牧場」の資源とする一方で、力も技能も持たぬ人間は難民として敢えて放置し、その難民の中に人形に変化した妖、あるいは寄生型の妖を埋め込んだ捕虜を紛れさせて厳重に守られ尚且つ物資の逼迫する都市へと送り込んだ。

 

 また鉱山や工業地帯はどんな小さなものであろうと焼き払い、鉱夫や職人を食い殺す事で人間の兵士達が纏う鎧や武器の生産を妨害した。

 

 そうして追い込み抜いた後、こう宣うのだ。『さぁ人間達よ、全てを差し出すが良い。さすれば我が名において君達に子々孫々飢えの苦しみも、労働の苦痛も、死に怯える恐怖もなく、全てが幸福の内に始まり、そして終わる生を、素晴らしい世界を授ける事を約束しよう』と。そして、その言葉はある意味においては事実であった。………人間の尊厳全てを奪い去る事と引き換えではあったが。

 

 そして救えないのはそんな「空亡」の提案すら獰猛な妖達の中ではかなり「穏健」な内容であった事である。

 

 ……おおよそ残虐の限り、そして冷徹かつ合理的な戦略を以て物心両面で人間達を恐怖させ、絶望させ、その一方で悪魔的な甘言をもって「降伏」に追い込もうとした「空亡」の策は幾つかの小国を滅ぼし、あるいは実際に降伏に追い込んだが、逆に大陸王朝が亡き今東方で最大の勢力を築いていた扶桑国に対しては徹底抗戦の意志を固めさせた。多くの妖達はその選択を嘲笑した。直ぐにそんなものは消え失せたが。

 

 ……化物は人間の悪意と敵意を過小評価していた。扶桑国もまた妖同様に冷酷な戦略をもって、また捕虜とした妖の頭を生きたまま切り開いてその研究を重ね、志願した、あるいは犯罪者や身寄りのない難民や孤児を禁術の生け贄や囮爆弾、人体実験の材料にして新兵器や術式の開発を重ねる事で妖の攻勢に対抗した。

 

 最終的には人間は妖達を超える悪意と敵意によって膨大な犠牲と紙一重の差で大乱に勝利した。

 

 大乱における扶桑国の、そして人間側の(薄氷の上での)勝利はこの東方における人間と妖の勢力バランスを逆転させた。「空亡」自身強大な力を持つ怪異であったし、それに服属していた古く、悪名高い多くの「凶妖」や「大妖」も討伐された。

 

 無論、未だに扶桑国にとって生き残った化物達への対処は国家的な課題であり、容易に手を出せない存在ではあるが……同時に甚大な損害を負った化け物達も容易に人間を襲撃する事が出来なくなったのもまた事実だった。今でも街道の人間を襲ったり、森に分け入る樵や猟師を食い殺すのも、あるいは地方の山村を丸々一つ食い潰すのも珍しくはない。人類の勢力圏は地図上では面であるが実際は一部の地域を除けば限りなく点と線でしかない。それでも一定以上の規模の人里を、街を襲う気概があるのは余程の勢いのある妖か、あるいは身の程知らずの愚か者程度である。

 

 多くの人々……特に都市部において妖がその姿を現さなくなってから、あるいは侵入する前に撃退されるようになってから五百年……それは特に都において妖の恐ろしさの希薄化を促した。そして朝廷は妖を敵視し続けた。結果、都を始めとした都市部において妖に対する敵意は別の存在に向けられる事になった。

 

 それが人と妖の戦乱と生存競争の中で生じた異端児、双方の世界から拒絶された存在……半妖と呼ばれる者達であった。

 

 

 

 

 

 電気がない時代においては蝋燭や提灯、篝火があるとしても人は基本的に日の光と共に目覚め、そしてそれが沈むと共に眠りについていた。

 

 長い茶髪に黄土色の瞳をした若い女性……少なくとも外面は……吾妻雲雀が目覚めたのは寅の四つ時……午前の五時過ぎの事であった。木綿の布団から起き上がれば外から響き渡る烏や鶏の鳴き声が次第に寝ぼけから目覚めた耳元に届いて来た。そのまま朝仕度のために起き上がろうとして彼女はそれに気付く。

 

「ん?……やれやれ、寝相が悪い奴らだな。ほら、服を離しなさい」

 

 そう言って彼女は優しく布団に潜り込んで彼女の服を掴んでいる子供達をあやす。年は皆十歳にはなっていないだろう。決して大きくない部屋の空間を有効活用するために横にも上にも下にも布団を敷いていたのだが……こんなに皆で集まっても狭苦しいだろうに。ましてや今は夏だ。

 

「汗をかいてもいいのか?ほら、皆それぞれの布団で寝なさい」

 

 そう言って彼女は「角」が生えていたり、「羽」が生えていたり、あるいは「獣耳」があったりする寝惚けた幼い子供達を窘めて、それぞれの場所へと寝かし直させる。

 

「いや……おかあさんもいっしょ……ねんねしよ?」

 

 特に駄々を捏ねる幼い子が嫌々と眠たそうにしながら彼女の衣服を掴み、すがり付くように抱き着く。吾妻雲雀はそんな子供に慈愛の笑みを浮かべつつも困ったように言い含める。

 

「よしよし、可愛い子だな。けど私はこれからご飯を作らないといけないんだ。だからな?今日の夜寝る時は添い寝してやるから今は一人で寝られるだろう?」

 

 頭を撫でてあやして、どうにか言いくるめると彼女は漸く朝仕度に入る事が出来る。まず最初に行うのは神棚の水を差し替えて祈りを捧げる事だ。この神棚はこの建物を守るちょっとした結界の要であり、邪気や不幸に対しても多少の効果はある。特に子供の病気を祓うのにはうってつけだ。妖気を浄化し、退ける効果もある。

 

 次いで庭先の畑や家畜小屋の確認、水撒きに餌やり、その後自身の身支度をしてから彼女は頭に生えた「狸耳」とふくよかで丸みのある「尻尾」を幻術で消し去り、街内の井戸へ水汲みに向かったのだった……。

 

 

 

 

「聞きました?話によると昨日……」

「えぇ、だから旧街の方は兵士が巡回してるらしいわ。どうせなら此方にも来てくれたら良いのに」

「暫くは怖くて夜道も歩けないわ。何処か御守り売ってる所でもないかしら……」

「うちの店は夜中が書き入れ時なのよ?困ったわ……」

 

 文字通り早朝の井戸の前で井戸端会議に興じる奥方達はふとその影に気付くとそそくさと距離を取る。

 

「………」

 

 大きな桶を手にした吾妻雲雀がそんな女性達に一礼すれば彼女達もまた誤魔化すような愛想笑いを浮かべる。それが心から友好的なものではないと理解していても彼女はそれについて追及はしなかった。黙々と桶に水を注げばそれを背負い場を立ち去る。

 

「あの人って……確かあそこの孤児院の」

「えぇ、確かそうでしたね」

「悪い人ではないのでしょうけど、この時期と思うと、ねぇ?」

「あんな気味の悪い子供ばかり引き取って……何考えてるのでしょうね?」

「けどあのまま路地裏に住まわれても怖いですし……一ヶ所に纏めてもらった方が………」

 

 

 そんな女性達の会話を彼女は無視してそそくさと家に急ぐ。どうせ何を言っても無意味であるし、寧ろ事が荒れて自分達が住みにくくなるだけだと彼女は理解していたから。

 

 ……帰宅と共に家の瓶に汲んできた水を注ぎ込み、その後漸く彼女は朝食の用意に入った。

 

「確か米は……これは今日中に米屋にいかんとならんな」

 

 炊事場で米櫃の中身を見ながら嘆息する吾妻。米櫃の中にあるのは雑穀米である。流石に食べ盛りの子供を十人以上育てているとなると食費も馬鹿にならず白い米を食べさせてやる事も滅多に出来なかった。

 

「はは、職場にいた頃は毎日食べていたのだがな……」

 

 今更ながらあの頃の自分が随分贅沢だったなと思い返す。思えば大乱に動員されていた時ですらも彼女の食事は必ず白い米に一汁三菜が付いていた。貴重な戦力の反逆や消耗を防ぐためだっただろうが……あの頃の補給担当者には頭が上がらない。そして今の自分があの時代よりも遥かに恵まれていながら子供達に白い米も食べさせてやれない事実に情けなくなる。

 

 とは言えいつまでも嘆いてはいられない。雑穀を研いで、釜に入れれば竈に火をつけて蒸していく。同時に葱と細切れにした油揚げの味噌汁を作り、朝収穫した卵を溶いて中に追加する。

 

 夏は茄子と胡瓜の収穫の季節である。前者は少し前に収穫し終えて漬物に、後者は瑞々しく肥えたものが朝収穫出来たので子供でも食べやすく切ってから味噌をつけて食べる事になる。

 

 凡そ二時間余り、食事の用意が出来てから彼女は子供達を布団から引き摺り出す。少し前まで自分と離れたくないといやいや言っていた子供達はしかし今は布団から出るのを拒絶し、彼女を悪の手先のように罵る。その調子の良さに彼女は辟易しつつも彼ら彼女らの朝仕度を手伝い、漸く辰の五つ時(午前八時)を過ぎた頃合いに全員を卓袱台の前に座らせる事に成功する。

 

「では頂くとしようか?さぁ、手を合わせよう」

 

 にこりと微笑み頂きますの合図をすれば子供達も拙い口調でそれに応じて同じく宣言する。そしてその後は堰を切ったようにがつがつと必死に目の前の朝食を食べていく。吾妻もまたそんな彼ら彼女らの姿を一瞥して小さく、慈愛に満ちた笑みを浮かべると茶碗を手にしてゆっくりと味わうように飯を口に運んでいった。

 

 食事を終えて、年長組は後片付けの手伝いをして、年少組は部屋や庭先で遊ぶ中、吾妻は寺子屋へと出勤するための仕度を始める。神社仏閣の多い門の内側の旧街とは違い、新街は人口こそ旧街に引けは取らないが元は大乱で生じた難民が勝手に居着いて出来た街だ。朝廷は最終的にその存在を認めたものの、無秩序かつ場当たり的に作られた街は各種のインフラが不足しており、その生活水準は旧街に比べれば劣り日雇いや肉体労働者が多く、危険地帯とは言わずとも治安は宜しいとは言えない。

 

 そのために新街の寺子屋は限られているし、教育が出来る程の知識人も珍しい。それ故に元々陰陽寮に勤めていた彼女は重宝されたし、彼女の方もこの仕事は気に入っていた。個々の生徒の親から受けとる授業料は多くはないがその分人数は多い。

 

 そこに自分の貯めた財産を切り崩していけば子供達が大人になるまでの養育費用は十分賄える事を彼女は理解していた。

 

「おかーさまいっちゃうの?」

 

 そう舌足らずの口調で尋ねるのは先程まで庭先で仲間と追いかけっこしていた幼女だった。尤も、ただの幼女に蜥蜴の尻尾は生えていないだろうが。

 

「いつも通り夕方には帰ってくるさ。それまで皆と一緒にお留守番をしてくれるな?お腹が空いたら皆で飯櫃の飯でも食べるといい。ただ食べ過ぎるなよ?今日は帰りに団子でも買ってくるから楽しみにしてくれ」

 

 若干泣きそうな幼女をそう慰め、年長組の子供達に任せると共に家の鍵をかける事や知らない人達についていかない事等を念入りに注意しておく。一応留守の守りに式神を何体か体現させておくので問題はない筈だが……。

 

 幻術で耳と尻尾を隠した後、そうして子供達に見送られながら吾妻は孤児院を兼ねる自宅から外出した。そしてそのまま舗装もされていない道新街の雑然とした道を、新街の外れにある寺へと向かう。

 

 途中で屋台での客引き等に捕まりながら、それをあしらいつつ彼女は職場へと辿り着いた。そこで年老いつつも慈善事業等に熱心で徳の高い住職に挨拶してから彼女は自身の仕事に入る。

 

「おはよう皆、元気にしていたか?来られていない子はいないな?」

「「「はーい!」」」

 

 彼女の挨拶に元気に答えるのは孤児院の子供達と同じくらいの年頃の子供達だ。尤も、此方は角や翼等、元来人間にはあり得ない器官なぞない普通の子供達であるが。 

 

 彼女が寺子屋で教えるのはまずは文字の読み書き、次いで算術だった。実際問題、この新街で求められる知識なぞその程度のものである。無論、それ以外にも彼女なりに教養や歴史、道徳等の授業も行う。

 

 特に道徳の授業は好評だった。所謂教訓話を中心に据えたものであるが子供達からすれば知らない物語はそれだけで聞いていて楽しいものだ。

 

 一通りの授業を終えれば新しい話をせがむ者、子供達同士で遊び始める者等に別れて騒ぎが始まる。親御が迎えに来るまでの間、そんな子供達が怪我等をしないように監視するのも彼女の仕事のうちだった。

 

「せんせぇ、またこのまえのおはなしして!!」

「だめだよ、せんせいはぼくらとあそぶの!」

「せんせぇせんせぇ!わたしたちとおままごとして!」

 

 外行きの衣服を彼方此方に破かれるのではないかと思う程に引かれて、吾妻は苦笑いしながら彼ら彼女らの面倒をへとへとになりながらも見やる。そして、彼女は思うのだ。子供というのはどのようなものでも違いはないな、と。

 

「ぼくたいましやくね!おまえはあやかしやくだから、わかった?」

「えー、またぁ」

「ぼくもたいましになりたいもん!!」

「あやかしやくなんていやだよぅ!!」

「そうだそうだ!いつもじぶんだけずるいぞ!!」

 

 あーだこーだ、と元気の良い男の子達が騒いでいた。どうやら妖退治ごっこに興じているらしく、其々の役処を相談し、奪い合っているらしかった。当然人気なのは退魔士役であり、後は兵士達、村人役に、そして………。

 

「………」

 

 それがある種仕方ない事であると分かっていても、それでも尚彼女にとって純粋な子供達のその会話は過去自身が幾つも経験してきた死地での怪我よりも深くその胸を突き刺し、抉るような痛みを感じさせていた……。

 

 

 

 

 

 仕事を終えて子供達の帰りを見送り、次いで住職にお暇の報告をしてから吾妻は寺子屋を後にした。昼過ぎを過ぎて空が夕焼けに赤く染まり始め、地上は暗くなり始める頃……。

 

「……あぁ、そう言えば団子でも買って来てやる約束だったかな?」

 

 ぼんやりと空を見ながら帰宅の途についていると、彼女はその約束を思い出す。それに米も残り少なかったか。これは買い物に行かねばならないなと彼女は目前の課題の解決に意識を向けた。より正確には目の前の課題を口実に現実から逃げた。

 

 米屋で雑穀米を枡で袋に注いでもらい、そのまま売店が並ぶ表通りに足を踏み入れる。

 

 新街の表通りは城壁で囲まれた旧街に比べて遥かに雑然としてはいるがその人の多さと賑やかさでは負けていない。いや、ある意味では中流層以上ばかりが住む旧街に比べて活気に溢れていた。

 

 居酒屋に煮売り屋、うどん屋に鰌汁屋、天麩羅屋台、茶漬け屋台に塩焼き売り、田楽売りに水果売り、氷売り等が大声を上げて通行人に宣伝する。様々な食べ物の食欲をそそる匂いが彼方此方で漂う。都から出稼ぎに来たばかりの田舎者であれば縁日か何かでもあるのかと思うかも知れない。実際は都ではこれくらいの賑わいはいつもの事だ。

 

 その中でも彼女が足を運ぶのは居酒屋と茶漬け屋台に挟まれた団子屋である。中年の禿げ頭の男が団扇で暑さを堪えつつ網で団子に程好い焼き目が出来れば砂糖醤油等に浸して味をつけていく。

 

「売れ行きはどうかな、店主?」

「おお、先生ですか?ぼちぼちです……と言いたい所ですがねぇ」

 

 吾妻が声を掛ければ店主は陽性の笑みを浮かべて恭しく挨拶する。彼の息子も三日に一度程の割合で寺子屋で勉強をしていた。

 

「何かあったのか?」

「いえね?話だと昨日くらいに妖が都に攻めてきたそうなんですよ。それは御上が撃退したらしいんですがね、その生き残りが何体か街に紛れているとかで……明日や明後日には噂も広がるでしょうからそうなると客も減りそうでしてねぇ」

 

 はぁ、と溜め息を吐く店主。新街に暮らす多くの人々と同様に団子屋の店主も然程裕福な方ではない。客が減ればそれだけで生活が困窮しかねない。日銭で暮らすという訳ではないが新街の住民達にとっては何日も収入が減るなり無くなるなりすれば大問題だった。

 

「それは大変なものだな。それではそんな店主に一つ協力してやろうか。団子をくれ。そうだな……二〇本、砂糖醤油に餡を一〇本ずつで頼む」

「へい、先生。今すぐ用意しますよ!」

 

 人好きのする笑みを浮かべながらみたらしと餡の串団子を笹の葉で包んでいく店主。

 

「ん?店主、数え間違いかな。二本多い」

「先生の所の餓鬼は十人でしょう?一人二本なら先生の分がねぇ。おまけですよ」

「しかし……」

「構いやしませんよ。……気分を悪くするかも知れませんがね。あの餓鬼共は余り好きじゃありませんが、先生本人にはこの街の奴らも世話になりっぱなしですからね」

 

 流石に陰陽寮の頭である事は知られていないにしろ、数年前にこの街に来た吾妻という女性が所謂呪いの類に明るい役所勤めの人間である事くらいは知っている者は少なくなかった。教師が不足する寺子屋で教師をして、簡単な御守りや薬の類いを隣人に教え、ましてや忌々しい半妖の化物共を引き取ってくれるのだから彼女に対して悪意のある人間はいない。  

 

 無論、半妖と暮らしているという事実は心配されたり、不安を感じさせるものではあるが……。

 

「そうか。……では有り難く頂こう」

 

 団子二〇本分の代金を払い、彼女は笑みを浮かべて謝意を伝える。そこには明確な感謝の気持ちがあったのは間違いない。……同時に複雑な感情が渦巻いていたのも事実ではあるが。

 

(私もあの子達の同類だと知っても、彼らは同じように接してくれるのだろうかな……?)

 

 その考えが少しひねくれたものであるとは分かっていても、それでも彼女はそれを疑問に思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 空も大分暗くなってきて、吾妻雲雀は自宅でもある孤児院へと足を急がせる。自宅に帰ったら家事をしなければならない。一人で孤児を育てながら切り盛りするのは大変だ。無論、命を賭けた戦いに明け暮れていた時に比べれば苦しくはないが。

 

「……今のは、悲鳴?」

 

 ふと、彼女の隠蔽された獣耳はその声を捉えた。常人では到底聞き取れないそれ、しかし彼女は半分人ならざる存在であり、同時に退魔士としての超感覚を有していた。僅かな、闇の中に消え行く声だって聞き分けられた。

 

『いたい……こわい……たすけて………』

「っ……!!」

 

 その消え入りそうな弱々しい声を認識すると同時に彼女は駆けていた。疾走していた。人目が少ない場所とあって隠行をしつつも凄まじい速度で跳躍し、駆ける。

 

 そしてその裏手に辿り着くと同時に彼女は険しい表情を浮かべた。そこにいたのは人影が二つ。一つは男だろう、外套を着こんで槍を携えた人影が立っていた。そしてその足下に倒れ伏していたのは……。

 

「何をしている!?」

 

 人影はそれに気付いたようにさっと振り向く。認識阻害のための外套を着こんだ姿は顔が見えないし、見えたとしても認識阻害術式によって見た顔を覚える事すら出来まい。

 

 しかしながら……彼女にはその相手の所作からおおよその思考が読み取れるくらいの鑑識眼があった。そして、彼女は同時に気付いたのだ。相手が呆気に取られる程に驚愕している事に。まるで、その影は彼女が何者なのかを知っているかのように。そして何よりも、それは何か取り返しのつかない失敗をしたかのようで……。

 

「なっ!?っ……!!?」

 

 槍を携えた人影は咄嗟にその場から霊力を使った跳躍をして近場の家の屋根に着地。そのまま足音もなく、重さも感じられぬように屋根から屋根を駆けてその場から全速力で逃走する影。

 

「待っ……くっ!?」

 

 吾妻は影を追いかけようとするが、それよりも大切な事がある事に気付く。直ぐに彼女は地面で打ち捨てられたようにボロボロの服に、見える範囲で体中に痣を作って倒れ伏す子供の元に駆け寄る。

 

「これは……」

 

 そして、一瞬彼女はその正体を見てはたとする。そこにいた少女は銀髪だった。白く輝く髪型は目刺し髪、一見すれば柔く、今にも壊れてしまいそうな華奢な子供だった。歳は十はないだろう。こんな子供が虐待されたかのように全身傷だらけなのは痛々しい。呼吸は少し荒く、苦しそうで息をする度にその小さな胸が上下に鼓動していた。

 

 しかし、真に注目するべき事はそんな事ではなかった。そう、本当に注目するべきはその頭部だった。髪と同じ色の毛の揃った大きな狐耳、そして臀部から生えているのは細い一本の狐尾……。

 

 彼女が保護したのは、間違いなく化け狐の血が混ざった半妖の子供であった……。

 

 

 

 

 

 

「……ヤバい。介入するタイミングに失敗した」

 

 闇夜の中、誰にも聞こえない場所で、一人の転生したモブ戦闘員は事態がややこしくなった事に絶望の声を上げていた。




注釈:「人間牧場」……マトリックスを和風ファンタジーで実現した場合

尚、妖側が人間を研究して分析するのはまんまアニマトリックスのセカンド・ルネッサンス(検索グロ要注意)状態、何なら実際の戦争もあんな末期状態の模様

……この世界の人間良く勝てたな(汗)


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第一一話

 それは遥か遠き日の記憶だった。暗い森の中を少女は息を切らしながら必死になって駆け続けていた。その背後から追い立てる複数人の駆け足の音。

 

 少女は息苦しさと恐怖にその幼くも可愛らしい顔立ちを歪ませて目に涙を浮かべる。そこには絶望があり、悲しみがあり、不条理に対する悔しさがあった。

 

 何故このような目に遭わないといけないのか?何故命を狙われなければならないのか?何故こんな怖い目に遭わなくてはならないのか?何故何故何故……?

 

「ひゃっ……!?」

 

 木の根か何かに引っ掛かったのだろう。足を挫いて倒れる少女。その音に気付いたのか足音と怒声が近付いて来る。咄嗟に少女は草むらに隠れて息を殺す。

 

「ちぃ!化物め、何処に逃げやがった!!?」

「あの身体でそんなに遠くには離れていない筈だ!探せ!探してぶち殺してやれ!」

 

 ゆっくりと草むらの中から彼女は追っ手の姿を覗く。鉈や鍬、あるいは猟師であろうか、火縄銃を持つ者までいた。

 

「まさかあの女、あんな化物の餓鬼がいたとはな……」

「可笑しいと思ってたんだよ。山で遭難してよ。一月してから戻ってきたんだからよ。山の村で助けられたとか言ってたが妙に獣臭い臭いがしたと思ってたぜ。まさか化物とまぐわっていたとはな!」

 

 心底軽蔑した口調で追っ手の一人が叫ぶ。そこには嫌悪感が滲み出ていた。大乱から数十年程度しか経っていない時代、朝廷は敗残兵と化した化物の掃討に熱をあげていた。道なき道にまで兵を進め、化物は赤子であろうが容赦なくこれを殺した。懸賞金を懸けて民草に積極的に山狩りをさせて、遂には大乱に参加しなかった化物の勢力域にまで侵攻する。

 

 弱者たる人にとってそこに情けなどない。化物に対して与える慈悲なぞ有るわけがない。少しでも妥協すれば、手心を加えれば、慈悲を与えれば再び過去の大乱が再現されるだろう。余りに多くの犠牲の果てに辛うじて勝利した扶桑国と人間にとって再度の大乱が生じればまず耐える事は出来まい。故に不安の種はこれが芽吹く前に殺し尽くさなければならないのだ。

 

 そして、そんな時代の中で一人の半妖の小娘が訳も分からぬ内に殺されるのは悲劇ではあるがある意味では仕方無い事であったかもしれない。それが歴史の潮流であり、一個人の悲劇なぞ膨大な記憶の海に押し流され忘れ去られるものであるから。

 

 ……そう、仮令彼女が物置の隙間に隠れながら唯一の家族である母親が人間の裏切り者として残虐な殺され方をしたのを見たとしても……。

 

「ひくっ……ひくっ……もうやぁ……おかあさん……たすけてよぅ……」

 

 踞りながら、嗚咽を漏らさぬように泣き崩れる少女。彼女は一刻も早くこの恐ろしい夢から目が覚めるのを願った。しかし、それは叶わぬ願いだ。現実は目の前にあるのだから。

 

「見いつけた」

 

 その声に少女は小さな悲鳴を上げるよりも前にその特徴的な「狐耳」を引っ張られた。耳が千切れそうに思えるような強引な引き、そして地面に叩きつけられる少女。狐を思わせる尻尾が衝撃を殺してなければ頭を打っていたかも知れない。

 

「見つけたぞ!こいつだ!!」

 

 農夫の一人が叫ぶ。それに釣られてぞくぞくと集まる農民の男達。その誰も彼もが殺気だっていた。

 

「ひっ……!?」

 

 恐怖から足が震えて立ち上がる事も出来ない少女。

 

「白い髪に尻尾に耳、やっぱりだ。化け狐の餓鬼だ!」

「人間の姿してくれやがって化物が!!」

「人間に化けておら達を食い殺す積もりだったな!?」

 

 訳も分からぬ怒声を浴びせられた少女は頭に生えた耳をくぐめて、尻尾をしょんぼりと倒す。文字通り小動物のように怯える様は見る者によっては保護欲を目覚めさせるかも知れない。しかし親や祖父母から化物の恐ろしさを散々聞いている者達からすればそれも油断を誘う演技に見えただろう。あるいはそれが演技ではないと見抜いた者も半妖が怯える姿を見て優越感に浸っていた。

 

 ……そして、またある一部の者は少女のその母親譲りの美貌もあってまた別の感情を抱いていた。

 

 最初に彼女を引き摺り出した男が下卑た顔で周囲の仲間に向けて提案する。

 

「おいおいマジかよ」

「こんな化物でか?正気かよおめぇさん」

「てめぇまさか変態かぁ?」

 

 幾人かの男達は仲間のその提案に顔をしかめる。しかし、しかしまた一部の者達は興味深そうな目で少女の方を見た。その舐めるような視線に未だ第二次性徴も来ていない少女はしかし本能的に恐ろしく危険な未来を感じ取った。

 

 そして言い出しっぺの男が少女に近寄るとその手足を押さえつけて、その衣服を掴み取り……。

 

 

 

 

「いやああぁぁぁ!!?」

「きゃっ!?」

「うわっ!!?」

 

 少女は目覚めると同時に悲鳴をあげた。同時に続くように数人の幼い驚きの声が響き渡る。

 

 少女は汗をぐっちょりとかき、息を切らして、先程の夢を思い出す。

 

 ……しかし何の夢だったか?夢というのは一度目覚めれば急速に忘れていってしまうものである。

 

 故に彼女はそれがとても恐ろしいものであった事は自覚して両手を自身を抱き締めるがそれが具体的にどんなものであったのかを既に忘れつつあった。しかし、あるいはそれが何だったのか忘れているからこそ、より一層恐ろしいのかも知れない。

 

「はぁ…はぁ…はぁ……えっ?」

 

 怯える少女は、ふと自身の小さな手に更に小さい手が置かれた事に気付く。そしてその方向に視線を向ける。

 

「おねえちゃん、だいじょーぶ?」

 

 心底心配そうに蜥蜴のような尻尾を生やした幼女は呟いた。その背後には此方を観察するように覗く数人の子供達……。

 

「ここは……?」

「ここは私が運営している孤児院よ。……経営は余り良くないけどね?」

 

 少女の疑問に答えたのは子供達の奥から現れた狸の耳と尻尾を持った妙齢の女性であった。

 

「えっと……」

「河原孤児院の吾妻雲雀よ。そこの子はうちで一番年下の茜」

 

 こくこく、とにっこりと笑みを浮かべる蜥蜴少女。

 

「街で見つけたのだけれど驚いたわ。全身ぼろぼろで、しかも、槍を持った奴が直ぐ側にいたから。……この辺りでは見た事ないけど、都の外の生まれなのかしら?」

 

 吾妻は半妖の少女にその身元について尋ねる。しかし……。

 

「………」

 

 何か口にしようとして、しかし気付いたように唖然とした表情の少女は、所在無さげに顔を俯かせる。

 

「……?どうしたの?」

「……その、すみません。わたし……だれ、なのでしょう?」

 

 少女は心底困惑した表情で、自身が何者なのかすら分からぬ事を告白した……。

 

 

 

 

 

 

 

 

『闇夜の蛍』の攻略キャラ狐璃白綺は設定上元半妖の凶妖として設定されている人物だ。妖らしく残虐で、自己中心的な彼女はゲーム内で特定条件を満たすと四度目の妖討伐任務時に出現する。この際主人公が滞在していて交流を重ねていた善良な村の人々達が彼女のけしかけた妖の大軍によって女子供すら含めて貪り尽くされる事になる。尚、好物は油揚げと紅葉饅頭と生きた人間の脳味噌、スタイルは肉感があるたわわで太股とか臀部がエロい事でファンの間では知られる。

 

 力を渇望し、人間を餌か虫けら以下の存在のどちらかとしか見ていない彼女は、しかしこの時に主人公との戦いに破れ命からがら逃亡を余儀なくされる。それは彼女のプライドを甚く傷つけた。

 

 ルートにもよるが、その後主人公と幾度か戦闘イベントを経るが毎回汚く外道な策略をしても主人公のその成長と力に圧倒され、その憎悪から彼女は主人公に執着するようになる。そして更にこれも分岐ルートであるが鬼月家の長老衆、ないしゴリラ姫かババア、旧空亡派残党『救妖衆』のどれかに接触してこれに利用される事になる。

 

 ここで共に罠にかかった主人公(というか主人公が本命だった)が利用され見殺しにされる彼女を救出する事に成功するとヒロインフラグが発動する訳だ。

 

 ……より正確に言えば生き残ったが弱体化とそれによる妖気の多くと記憶を喪失する事で狐璃白綺は元の姿を維持出来ず、幼い子供のような姿に変化する。そして真っ白な記憶の中で初めて目にして尚且つ優しくされた主人公を実の親のように慕うようになり、初期ステこそ低いが成長率が糞高い主人公の使い魔として活用出来るようになるのである。

 

 だがここで油断してはならないのが「闇夜の蛍」の恐ろしい所だ。多くのプレイヤーがここでロリ化(そして善玉化)した彼女をストーリー進行やサービスシーンなスチール画集めのために成長させたがここで成長させ過ぎると製作陣の悪辣な落とし穴に嵌まる。

 

 実はある水準まで彼女のステータスが上がるとバッドエンドが強制エントリーする事になる。力を取り戻し、そして記憶も取り戻した彼女の裏切りでルートにもよるが大体の場合において鬼月家は奇襲を食らって半壊する事になる。その際主人公に対する好感度の高いヒロイン数名が狙ったように殺害される。

 

 ……嫌な予感すると思った読者、その予感は正解だ。記憶を取り戻すと共に元の人格を取り戻した彼女の目的は当然の如く執着し続けた主人公の独占だ。あるいは助けられた記憶やその後の子供姿での記憶もあるのだろう、それらが絡み合ってかなり面倒臭い病みキャラぶりを見せてくれる。

 

 細かい状況は立てたフラグによって変わるものの、十中八九主人公は逃げないように達磨にされて首輪を嵌められる事になる。更にその上で女狐が激しく騎乗位で逆レしまくり、更には主人公を自身と同じ妖にするために殺された(そして主人公の良く知る)鬼月家の人間を始め、霊力のある人間の肉を口移しで食わせまくる凄惨たるエンドとなる。うん、正直この時のスチール画は衝撃的過ぎて凄い性癖が歪むわ。

 

 しかも、この場合主人公が途中脱落するために『救妖衆』が目的を達成して都が妖達の手に落ちて扶桑国が滅亡するおまけ付きだ。おう、洒落にならないぞおい。

 

 ……さて、そんな狐璃白綺の原作スタートの前日譚の短編小説の一つに『狐児悲運譚』がある。調子に乗って都に攻めて返り討ちにあう程度の力しかなかった彼女がどうやって原作スタート時点で碧子様と殴りあい出来る程の力を得たのかを書いた畜生ストーリーだ。女狐の邪悪さがこれでもかとばかりに描写される鬼畜作品としてファンに知られる。そしてその内容に従うならば……。

 

「さてさて、これは少々どころではないくらいには面倒な事になったな」  

 

 都の新街……城壁でも、結界等でも守られていない雑然とした街、その中でも一際高い建物の屋根の上で隠行と認識阻害の呪いをかけた外套……謎のゴリラ餞別品仕様……で姿と気配を隠した俺は舌打ちする。

 

 小説によるとあの女狐はくたばる直前に自身の魂を幾つもの分身に分け身した事が描写されている。小説通りに物事が進むとするならばその分身達が都の、特に朝廷の警戒が薄い新街を中心に幾つもの事件を引き起こす事になるだろう。そして、化け狐は少しずつ力を取り戻し、集まり、融合し、最後はメインディッシュとなる惨劇と共に以前よりも更に強大な妖として復活する事になる筈だ。

 

 俺の立場からすれば後々の事も考えてこの復活劇は阻止したかった。そして、そのためには復活の核となり、メインディッシュが踊り食いされる切っ掛けとなる件の分け身をどうにかする必要があったのだが……。

 

「ちっ、この際は仕方ない。簡単な課題から取り掛かるしかないな」

 

 一度あの吾妻雲雀に保護された以上下手な接触は避けるべきだ。最終的には関わらない選択肢はないにしろ、今は目前の課題から解決するべきだろう。

 

「即ち、雑魚狩りって訳か……!!」

 

 次の瞬間、俺は式神の蝙蝠と視界を共有した事で捕捉した目標に向けて全力で槍を投擲した。

 

 霊力で強化された膂力で投げ出された槍は下っぱ時代のそれよりも若干質が良く、更に刃先に霊力を纏わせていた。空を切る音と共に突き進むそれは次の瞬間呑んだくれの男を背後から食い殺そうとしていた化け狐の頭を粉砕した。頭の上半分が肉片となり、くらくらと四つ足をさ迷わせて倒れる死骸。尚、呑んだくれは背後で起きた事に何も気付いておらず千鳥足で暗い道を進んでいた。呑気なものである。

 

「死骸の処理は面倒だな……とは言え放置も出来んからなぁ」

 

 隠行術を以て跳躍して屋根づたいに音も立てずに駆ける俺はぼやく。化物の死骸なんて他の化物を引き寄せるだけだし、何なら人間が不用意に食べれば同じ化物に堕ちかねない。放置は出来ない。

 

 無論、小説内の描写を見る限り最低でも数十体はいるだろう分け身全ての死骸を俺が一人で処理する時間も能力もないのもまた事実。となると……。

 

「おや?お困りかな?だったら俺が手助けをしてやってもいいんだよ?」

 

 耳元で響くその粘りつくような言葉に咄嗟に跳躍して俺は距離を取る。まぁ、ストーキングくらい想定してなかった訳ではないけどよ……!!

 

「おいおい、そんな嫌な顔してくれるなよ?傷つくじゃないか?」

「鬼がこの程度で傷つく訳ねぇだろが……!!」

 

 おちゃらけた口調で笑みを浮かべる托鉢僧のコスプレをした化物に友好度皆無の口調でそう言い返す。当の鬼女は肩を竦めてやれやれと小さく呟く。

 

「どうやら死骸処理でお困りの様子。なので人生の先達たる御姉さんからすれば助け船の一つか二つ出してやっても良いと思っていてね?」

 

 そう嘯き地面に倒れる化け狐の死骸の前でしゃがむ鬼。そのまま破壊された頭に白い手を伸ばし、クチャクチャと潰れた脳味噌を弄び……一摘まみすると伸ばした舌の上に乗せて此方を見やる。その仕草はグロテスクであるが同時に艶かしさを感じさせた。

 

「ふむ、まぁ味は悪くないかな?どうだい、この死骸一つ俺が買おうか?」   

「……何?」

 

 俺の怪訝な表情に楽しげに口元を歪める鬼。舌を口の中に戻してごくり、と味見した肉塊を飲み込んでから話を続ける。

 

「なぁに、そんな悪い話じゃないさ。みーんな幸せになれるウィンウィンな話さ」

 

 色気なんて微塵もない服装の癖に、ウインクに舌を小さく出した大鬼のその姿は異様な程扇情的に見えた。

 

「何やらお前さんはこいつらに御執心のようだからな、俺が狐共を集めてやる。お前はそれを処理して俺にくれれば良い。どうだい?悪い条件じゃないだろう?」

 

 成る程、表向きの条件は悪くはない。だが……。

 

「鬼の提案程信用出来ないものなんかねぇよ」

 

 大嘘つきである鬼の提案に乗るのは大馬鹿者だ。論ずるに値しない。

 

「……即答とは傷つくなぁ。毎回の事ながら人の善意を無下にするのは君の悪い癖だと思うんだけどね?」

「善意ね、そもそも人ではないだろうが」

「おや?ははは、成る程確かに。これは一本取られたかな?」

 

 愉快げに笑いながらも鬼が「摘まみ食い」する度にボリ、グチャ、ゴリゴリ、と顔をしかめたくなる擬音が響く。

 

「ふぅ、ご馳走様でした。流石化け狐だね。小妖にしては結構良い味だ」

 

 内臓や骨まで含めて粗方食い荒らした鬼は口元に赤い血を付着させたまま満足そうに手を合わせる。足元の残飯のグロテスクさもあって中々にシュールな光景だった。というか結局食ってるじゃねぇかよ。

 

「ふふふ、そう怒らなくても良いだろうに。次からはお邪魔はしないからさ。けど、肉の処理に困ったらいつでも呼んでくれても構わないよ?君と俺の仲だからね」

「友情の欠片も無さそうな仲だな」

「君は直ぐそう言うね。俺だって女の子だから素っ気なく扱われると悲しいんだけどね……」

 

 全く悲しそうに見えない顔ですぅ、と消えていく鬼。妖気の風に変わる事も、影に潜る事も、霧に変わる事すら出来る鬼は気配を消す事も姿を消す事も簡単だった。正にストーキングに最適な能力だな。原作ゲームでもこれでトイレ中や入浴中も、文字通り四六時中主人公をストーカーしていたに違いない。気持ち悪い能力な事だ。

 

「当てがない訳ではないがな」

 

 自身の一族から抜けたり、庶民から霊力や呪いの力に目覚めてそのまま不良退魔士や在野呪術師として都に隠れ住む輩は多くはないが存在しない訳ではない。原作の描写から見て危険もあるから余り御近づきしたい訳ではないが……この際だ、コネクションのためにも接触してみるしかない、か。

 

「糞ったれ、だからこの時期の都なんて来たくなかったんだよ……!!」

 

 俺はそう毒づきつつも跳躍して再度屋根越しに都の新街を駆ける。上空に展開させていた式神が別の狐の分け身を捕捉したからだ。手間はかかるが動くしかない。奴らを強くさせてやる義理はないし、何の罪もない一般人が食い殺されるのを見殺しに出来る程俺は神経は図太くはなかったから……。

 

 

 

『……ふふふ、良いね良いね。そういう価値観、実に人間らしくて、英雄らしくて、俺の好みだよ?』

 

 暗い暗い都の闇夜の中で、自身の提案を『期待通り』一蹴された化物は『お気に入り』の人間のその在り方に満面の笑みを浮かべて囁いていた。尤も、仮に彼が彼女の提案を受け入れていればその瞬間彼女の熱情は冷めていただろうが。化物の好意を易々と受け入れる人間なぞ彼女の求める「英雄」ではない。

 

『さぁ、どうやら大変そうだけど頑張ってくれたまえよ?か弱く幼気な人間らしく、血反吐を吐いて、苦悩して、恐怖して、血を流して、それでも歯を食いしばって前に進んでくれる事を期待するよ』

 

 ……そうすればこの前みたいに俺も少しは梃入れしてあげるからさ、と最後に悪戯っ子のように楽しげに鬼は呟く。

 

 闇夜の中で人間を観察するその眼差しは恋する乙女のようで、慈愛に満ちた母親のようで、愉悦と快楽の虜になった雌のようで、何よりもご馳走を前にした獣のようで……。

 

 

 

 

 

「本当、下品な鬼ね」

「おや?何か仰りましたかな、姫様?」

 

 彼女が小さく呟いた言葉を聞き取れなかった歓待役の公卿が首を傾げて尋ねる。烏帽子を被り、直衣を着こんだ公家の男に鬼月葵は扇子で口元を隠した後ころころと鈴の音のような笑い声を上げる。それは見る人に好意を感じさせる優しく、そして可愛らしい笑みだった。

 

 ……尤も、それは外面上だけの事であるが。

 

「いえ、流石は都の御料理ですこと。とても美味しくて驚いてしまいましたわ」

 

 一三歳の子供らしい内容、しかしその物腰は柔らかく、上品で、何よりもその声音は何処か艶かしく色香を感じさせる。その独特の雰囲気に歓待役は一瞬呆けて、しかし直ぐに朗らかな笑みを浮かべて謝意を伝える。

 

 歓待の料理は華やかだった。鮮やかな陶磁器や漆塗りの入れ物に供えられた料理は丸々一匹を塩焼きにした鯛であり、塩茹でした車海老であり、ふっくらとした鱧の天麩羅であり、多種多様な海魚を芸術的に盛り合わせた刺身であった。都が内陸部にある事を思えば生きたまま海魚を運び出し、新鮮なままで提供する苦労が偲ばれる。

 

 雉の照り焼きからは香ばしい香りがしてくるし、干し牡蠣から出汁を取った吸い物は旨味が効いていた。炊き込みご飯は山の幸と鴨肉を白米と共に炊いたもので、里芋と椎茸は醤油と昆布の出汁で大変柔らかく煮られておりその食感は楽しい。胡瓜や茄子、蕪の漬物は酢の味が良く染み込んでいた。

 

 甘味として用意されたのは砂糖菓子や饅頭だけではない。瑞々しい西瓜や桃は井戸水で良く冷えていた。砂糖漬けした杏もまろやかだ。何よりも氷の塊を削って水晶の器に盛り付けた氷菓はその上に果汁と砂糖をまぶせばご馳走だった。

 

 そこに清酒や舶来の葡萄酒を供に供えれば扶桑の国の上流階級の宴席の料理は完璧な体裁を整える。しかも上記の内容は全て一人に対して供される内容であり、それが十数人分揃えられるという事はこの宴席を準備した者の財力を表していた。宴席を盛り上げる楽団の演奏もかなりの腕前だ。宮中から呼び寄せたのかも知れない。

 

 凡そ、庶民では想像も出来ないこれだけの豪勢な席を用意したのは治部省大輔兼玄蕃寮頭の逢見家の当主、逢見嘉一だった。

 

 逢見家は元々鬼月家同様退魔士の一族だったのだが世代を経るごとに力衰え異能の大半を失い、今では退魔の役務をほぼ放棄して公家に転職していた。鬼月家とも幾度か婚姻を結んでおりその縁もあり此度の滞在先として選ばれていた。無論、流石に客人とは言え半年間の間鬼月家に住まいを提供するのだ、代わりに特に妖や呪い等から彼らを守る義務が鬼月家には生まれる事になる訳であるが……。

 

「尤も、余程の事がなければお力をお借りする事もありませんでしょうが。この都の守りは堅牢です。有象無象の妖共が襲おうとも都の内に入るのも困難でしょう。仮に侵入出来たとしてもこの屋敷自体も結界や呪いで守られております。まず安全でしょう」

 

 逢見家の出である接待役は優々と都の守りの堅さを誇った。そしてそれは決して張り子の虎ではない。

 

「それは結構な事ですわ。……ですが内裏に参上致しました時、随分と物々しい警備でしたけど、一体何があったのでしょう?」

 

 葵は極自然に探りを入れる。帝が居住して、政務が行われる内裏の警備は平時にしては異様だった。完全武装した近衛に四面に詰める武士団、陰陽寮の異能者まで動員されて警備に当たっていたのは控えめにいって異常だった。まるで今にも襲撃が起こるかのような緊張状態、何かあったとしか思えない。

 

「ははは、大した事ではありませぬよ。話では身の程知らずの化物がこの都に攻め込もうとして返り討ちにあったとか。その生き残りが外でちらほら蠢いているので念のために警戒しているだけの事です」

 

 鬼月家の代表として上洛している鬼月宇右衛門と共に上座に座る逢見卿は本当に大した事ではないとばかりに笑い声をあげる。

 

 それは一面では事実であろう。そう、一面では。

 

 都の中でも城壁に囲まれた旧街と内裏からなる内京は確かにほぼ安全であろう。だがその周辺は?城壁の直ぐ外に広がる新街や周辺の村は都の防衛機構の恩恵には与れない。ましてや朝廷は都に詰める武士や退魔士のそれらの守りに当たるのではなく、内京の防備の増強に回している素振りがあった。

 

(有象無象の民草は切り捨てても構わない、という事かしらね。まぁ朝廷らしい考え方ではあるわね)

 

 冷淡で冷酷ではあるがそれは今に始まった事ではないし、完全に身分による差別意識から生じただけではない。朝廷にとっては内裏……その地下にある霊脈の守りは何よりも優先するべき課題であったのは確かであるし、卑怯な妖達に対抗するためには残酷で卑劣な手段を取らざるを得なかった歴史もある。

 

 ……とは言え、五〇〇年前ならいざ知らず、戦力や国力に余裕がある今の時代に公然と民草の犠牲を放置しようとしている有り様はやはり朝廷は腐敗していると言わざるを得ないだろう。

 

(まぁ、それはそれで構わないのだけれど)

 

 鬼月葵は考える。その事自体はどうでも良い。彼女からしても下賤な民草が幾ら妖達に食われようと大した話ではない。自身やその周囲に「損失」を与えるならば処理しようが積極的に動く気にはなれなかった。それに……朝廷が動かないのはある意味彼女にとっては好都合だ。

 

(彼への邪魔がないのならそれはそれで問題ないわ)

 

 下手に邪魔が入られては彼の成長を阻害するし、彼の名誉に傷をつけかねない。ならば動いて貰わない方が良い。

 

(化け狐だったかしらね?あれには彼のための糧になってもらいましょう)

 

 彼が何処まで事態を知っているのか、あるいはどうして状況を把握して動いているのか……貼り付けた式神越しでは今一つ分からない。だがそんな事はどうだって良いし寧ろ好都合だ。凡百の男なんぞに興味はない。自身を越える『何か』を持っているのならばそれは歓迎すべき事だ。彼が『特別』な存在なのだと知る事が出来るのだから。

 

「ふふふ、良いでしょう。全て上手くいったら御褒美をあげましょう」

 

 陽気な笑い声と音楽が鳴り響く中、彼女は舶来品の葡萄酒を水晶のグラスからゆっくりと呷る。そして飲みきった後、口元から垂れる赤い飲み溢しを白い指で一掬いして赤い舌でぺろりと舐めとり、ただ一人他の参加者達とは明らかに違うベクトルの微笑を浮かべていた。

 

「だから……お土産は忘れちゃ駄目よ?」

 

 にやり、と口元を吊り上げたそれは何処までも加虐的で、獰猛で、扇情的で、そして………何処までも恐ろしかった。



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第一二話

 基本的に人権も民主主義の概念もない江戸時代前後の日本をモデルとしている『闇夜の蛍』内における扶桑国は厳然たる階級社会だ。いや、実際問題人間を超える化物が跋扈しており、それに対抗出来る特殊な力を持つ人間がいる以上その階級意識や上下意識は現実の封建時代以上にシビアかも知れない。

 

 支配階層としては扶桑国の最高統治者たる帝及び皇族を頂点として中央政界、省庁を司る公家、地方行政と軍事を預かる大名家、異能を持ち異形の怪物と対峙する退魔士一族が支配階級の上層部に君臨する。

 

 その下にいるのが問屋等の利権を持つ大商人や庄屋等の地主階級が上流下位から中流上位に、地主程の土地持ちではないにしろ広い耕作地を私有地とする富農や大名からの禄を食む一般武士、熟練職人に中堅商人等、不動産や特権、その他の資産ないし技術を持つ階級が社会の中流階級を押さえている。

 

 無論、階級社会はピラミッド構造であり、上記の階級に所属する者達を全て含めても扶桑国が統治する人口の内一割になるかならないかであろう。大多数の民衆はその下、下層階級に属する。

 

 無論、下層階級だからといって皆が皆食うや食わずという訳でもない。そんな脆弱な国なぞ直ぐに妖達に滅ぼされてしまう。大半の農民町民は娯楽こそ少なく、毎日働かなければならないが一応食う事に困らない程度の稼ぎはあるし最低限の貯蓄はある。まぁ、それでも年貢の取り立ての厳しい小作人やら日雇いで食い繋ぐ都市の貧民、賤民扱いされている不可触民の存在もゲーム内で示唆されているが。俺?寒村の貧農の生まれの時点で察してくれ。小作人でないだけマシだな。

 

 そんな中において橘家はそのルーツを没落して貴族としての立場を捨てた公家に遡る事が出来る商家であり、所謂平民階級内における上流階級に属している。

 

 この家は現実の江戸時代日本でも重要視されていた米問屋を営み、それだけでなく酒や醤油、塩、砂糖、木綿等生活必需品から絹布や香料等の贅沢品、退魔士や武士団相手の武器や薬品等、果ては南蛮や大陸からの舶来品まで取り扱う人妖大乱以前から続く老舗の大手商会を経営している設定だ。ゲーム内ではアイテム屋佳世ちゃんこと橘佳世ちゃん(ゲームスタート時点で一四歳)が看板娘をする商会の一号店に入店可能で高額ながらも各種のレアアイテムが購入出来る。

 

 因みにこの佳世ちゃん、「闇夜の蛍」登場キャラの常として攻略キャラじゃない癖に無駄に立ち絵に力入れられていて差分も豊富なため、その後の二次創作等でNAISEI系オリ主の最初の接触ヒロイン、ハーレムメンバーに捩じ込まれる事が多かったりする。何よりも外伝小説『狐児悲運譚』での事件……通称『アイテム屋佳世ちゃん両親の脳味噌プリン事件』のせいで一気にファンのウ=ス異本関係の妄想に火をつけた。

 

 いやまぁ、両親の頭蓋骨を切り開かれて生きたまま脳味噌をレンゲで掬われながらモグモグ食われるのを馬車の荷物の中に隠れながら見せられたらねぇ?商会トップの両親が殺された後娘一人で大商会の経営となると……『狐児悲運譚』での家族の描写やゲーム作中でちらほら闇のある台詞があるのも相まってやたら店を守るために悪い大人達に身体を売る展開のものばかりファン達によって制作されていた。……あ、うん。文字通り身体張って頑張るロリっ娘とかかなり性癖歪んだわ(暴露)。

 

 ……さて、前置きの説明が長くなったな。佳世ちゃん個人の不幸もかなり目に余るのだが、俺自身としてもこのイベントについては善意以外に介入するべき理由があったりする。何せ孤児院での踊り食いイベントと並びこの事件は女狐のフルパワー復活にかなり協力する内容になるからだ。

 

「あれ、か……」

 

 俺は都から数里程離れた街道を進む荷馬車(正確には馬だけでなく牛もいる)の列を見つめる。数は……馬車だけでも三十はあろう。小荷駄も含めれば三倍になるかも知れない。行者や人夫が数十名、それに護衛が同じく数十名。中には霊力を感じる者もいる。不良退魔士やモグリの呪術師、脱藩した浪人がいるのは間違いなかった。

 

「とは言え、質は其ほどでもないわねぇ」

 

 傍らで扇を振りながら家着な桜色の着物を着こんだゴリラ姫が退屈そうに嘯く。実際、彼女の言う通り、一流の退魔士からすれば彼らの実力はショボいと言わざるを得ない。

 

 多くの場合、不良退魔士やモグリの呪術師は力が弱くて居にくいから実家から家出した者やトラブルを起こした者、農民等が密かに霊力に目覚めた場合が殆んどだ。地力が元々弱く、しかもノウハウも不足するのだから実力は低くても仕方無い。無論、中には風間錆介や道硯翁のように優秀でも才能が切れ過ぎたり、倫理的にヤバい大乱時代の禁術を研究しすぎて陰陽寮や一族から追放されたなんてやべーパターンもあるが……橘商会の護衛も精鋭ならもっと上等な輩もいるだろうがどの道そんなのは安全な都での道中よりも他の場所に回されているだろう。

 

 とは言え、だ。とは言え流石橘商会と言うべきか。確かに不良やモグリばかりとは言え、そもそも霊力や異能持ち自体がそうそういるものではない。その中でも戦闘出来るだけの技量持ちは更に限られる。戦闘技能を有した十数人の退魔士や呪術師、武士を護衛に揃えただけでも都近くでの護衛としてならばこれでも本来十分過ぎる質と数だ。中妖クラスなら四、五体現れた所で逃げるだけならばどうにかなるだろう。そして都の近くでそんな事は本来ならばそうそう有り得ない事だ。普段ならば、な。

 

 流石に地方で買い出ししていたからか、まだ彼らは知らないのだろう。都ではここ一週間程で新街を中心に数十人が行方不明になっている事を。あるいは所詮新街での出来事だから関心がないのかも知れない。都の近くでそんな強大な妖が現れないと考えている可能性もある。そして、小説の記述通り物事が進むのならそれが致命的な失敗であった。

 

「それにあの荷物……あらあら、あんな物を運べばそりゃあ狐も来るわよねぇ。一応封印の結界はしているようだけど、やはり素人ね。少し妖力が漏れてるわ」

 

 同感だった。今の都にあんな荷物を運ぶなぞ、ジョーズのいる海岸で頭の上からバケツ一杯の血液をぶちまけるようなものだ。橘商会の橘景季は商人としては勝ち気で決断力に富む事が小説でも触れられていたがやはり専門外の事については疎いらしい。

 

「あら、始まったわね」

 

 ゴリラ姫がそう呟いた時にはそれが始まっていた。都に続く馬車の隊列を十数体の化け狐が現れて襲撃を開始していた。隠行によってギリギリまで姿は勿論、気配も匂いも隠蔽していた中妖の群れが商会の列を襲い、その動きを止めさせる。馬車の車輪を破壊し、優先的に退魔士や武士を無力化しようとし、包囲網を作るように展開するその行動は明らかに戦略的であり、彼らの知性の高さを証明していた。

 

「貴方の言った通りになったわね。新街でやんちゃしてる狐ってあれの事?」

「はっ、姫様のお許しを得て動いておりました所、此度の襲撃について把握が出来ました。しかも相手はあの橘商会、恩を売るに越した事はないかと」

 

 ここ暫く、夜に紛れて一人で人間を食らう化け狐の分け身を狩って来たが、流石に今回のプリン案件は俺一人の手に余る案件だった。同時にここでイベントをへし折って相当数の狐を刈り取ればその後の孤児院でのイベントもかなり状況がマシになる筈だった。

 

 となれば俺が選べる手段は限られる。そして一度今回の案件に首を突っ込んだ以上は最後までやり遂げるべきであろう。中途半端に処理するのが一番怖い。把握出来ない場所で将来のイベントがどう変化するか分からないからだ。

 

 故に俺は姉御様と次期当主の座を(ゲーム内でもこの世界でも)争うゴリラ様にこの話を持ち込んだ。朝廷向けの点数稼ぎや大商人との伝を作るという面で彼女を動かそうとしたのだが……原作の気分屋な性格的にもう少し苦戦すると思ったが土下座だけで引き摺り出せたのは幸いだった。

 

「ふぅん、まさかと思うけどこれが貴方が自由行動をお願いした理由?」

 

 俺が改めて伝えるメリットに、しかし少し詰まらなそうに以前都に向かう道中で申し出た要望について尋ねるゴリラ様。ゲームでもそうだが彼女は自分の才能や能力に自信がある故に俗物的な思考が余り好きではない。損すると分かっていても面白い事をしたがる性格だ。ここで答える台詞を間違えたら下手すれば救援をドタキャンしかねない。故に返答内容にも気を使う。

 

「関係はありますが、これが本題ではありません。強いて言えば付属のようなものかと認識しております」

 

 本命はお前さんがヤンデレる男を(周囲に被害与えながら)奪い合うライバルの排除ですし。

 

「あらそう。それは良かったわ。お土産がそんな風流がないものだったら失望していた所よ。お土産は理屈っぽくて小難しいものじゃなくてもっと面白いものをお願いね?」

 

 扇子で口元を隠しながら意地悪するような口調で宣うゴリラ。おい止めろ、期待値上げるな。正直一つ当てはあるがガバッたせいで期待薄なんだよ……。

 

「……姫様、そろそろ介入せねば死人が出るかと」

 

 俺は話を逸らすようにそう答えた。俺の話題逸らしを見抜いて目を細める少女。おう、逃げて悪いか?

 

「死人が増えた後の方が恩を着せやすいと思うのだけれど……まぁ、良いわ」

 

 仕方無さそうにそう言うと彼女は「乗っていた」霊獣……人が数名乗れる程の大鷲だ……から一歩歩を進める。そう、今の今まで俺達が会話していたのは上空を飛行する霊獣の上であった。さっきから向かい風強くて落っこちそう……。

 

「伴部、分かっているでしょうけれど貴方は安土が着陸してから降りなさい」

 

 承知してます。うん、だってこの高さから飛び降りたら俺死ぬし。

 

 内心の俺のぼやきなぞ嘲笑うように、さっと当然のように少女は更にもう一歩歩を進め、そして次の瞬間には落下していた。

 

 少女の身体は重力に従い加速度的に落下速度が上がる。それは本来ならば地面と激突すると共に赤い柘榴の如く真っ赤な肉片になる筈であった。

 

 しかしそれが有り得ない事くらい俺は端から知っていた。

 

 刹那、人影が地面に衝突すると共に舞う粉塵。一瞬その光景に何が起きたかも分からず混乱し、周囲の人間も妖も唖然とした表情を浮かべた。

 

「さぁ、暇潰しくらいには楽しませなさいな」

 

 その低い声は、喧騒が一瞬静まり返った中で妙に印象的に響き渡っていた。

 

 粉塵の中から、扇を手にした幻想的な少女が尊大で凄惨な笑みを浮かべながら姿を現した……。

 

 

 

 

 襲撃してきた化け狐の数は優に三〇を越えていた。そのうち半数近くが中妖クラスの化物である。唯人の兵士であれば完全武装しても最低十人いなければ対抗すら出来ない化物だ。それが十を越えた時点で商会の護衛達の処理能力を越えていた。

 

「馬鹿な!?何故都のすぐ近くでこんな……!?」

 

 荷馬車の一つに乗り込んでいた橘商会の会長たる橘景季は驚愕しつつも御者の横で隊列に指示を飛ばしていく。可能な限り車と奉公人を逃がそうと唾を飛ばしながら必死に叫ぶ。

 

「あ、貴方……」

 

 南蛮系の血を引き、元々その美貌から店の看板娘であった妻が馬車の中から不安に震えた声で夫を呼ぶ。

 

「大丈夫だ!もう都は直ぐそこだ。助けも直ぐに来る……!!」

 

 それは普通ならば当然の考えだった。都の目と鼻の先で朝廷から命じられた荷物も運んでいる大商会の隊列が襲われるに任せるなぞ本来ならば有り得ない事だから。そう、本来ならば。

 

 朝廷が内裏と内京の警備を強めたという事は相対的にそれ以外の場所の警備が緩んでいる事を意味する。ましてや橘商会はそこらの商会よりも余程護衛が充実していた。していたが故に自衛可能と思われて逆にそちらへの意識が緩んでいた。

 

 故に本来ならば助けが来るのは全てが手遅れになった後の筈だった。そう、本来ならば。

 

 地震のような衝撃と共に少し遠くから妖の悲鳴が上がる。

 

「な、何だ……!?何が起きた!!?」

「え、援軍です!た、退魔士が化け狐共を次々と屠っています……!!」

 

 景季の質問に人足が答える。その応答の意味を理解すると同時に彼の表情に漸く安堵の笑みが浮かぶ。

 

「お父様……?」

「佳世か!?馬車の中でお母さんと隠れていろ。安心しなさい、助けが来たからな!!」

 

 背後から聞こえる不安そうな声に景季は振り向きつつ安心させるようにそう呼び掛ける。母親に抱かれ、怯えた表情をした金髪の少女は父の言葉に頷いて答える。

 

 しかし楽観するのはまだ早かった。次の瞬間、彼らの乗っていた馬車の馬の首が飛んだ。馬車を引いていたのは二頭いたがそのどちらも首が宙を飛ぶ……。

 

「うわっ……!?」

「きゃっ…!?」

 

 速度を上げた途端に首を失った馬はそのまま別の馬車に勢い良く衝突して、引いていた馬車ごと横転する。景季は咄嗟に妻と子供を抱き寄せて、また妻も娘を守ろうと身を盾にする。そして……。

 

「うっ……あぅ……お、お父様?お母様?」

 

 激しい衝撃から一瞬気を失っていた少女は目を覚ますと最初に見たのは両親の顔だった。どうやら馬車が横転したと同時に外に投げ出されて両親に守られたらしい。

 

「か、佳世……大丈夫?」

 

 苦悶の表情で尚母親は娘の怪我を心配する。その右足は着物の上からでも分かる程痛々しい怪我をしていた。

 

「ぐっ、足が……糞っ!」

 

 悪態をつきながら痛みに耐える景季。彼もまた馬車から飛び出した荷物によって両足が下敷きとなっていた。適切な治療をすれば治らない事は無かろうが……どの道今はそんな余裕はない。

 

「うぐっ……くっ、佳世、お前は無事か!?怪我はないのか!?」

 

 苦し気に尋ねる父親の声に首を縦に振って肯定する佳世。そしてそのまま少女は父親を助けようと重い荷物を小さな手で必死に持ち上げようとする。無論、荷物は寸とも動かぬが。

 

 景季は必死に周囲を見渡す。周囲では未だに妖と護衛、従業員達の戦闘が続いていた。しかし、援軍が来たので最終的には勝てるかも知れないが……この様子では自分達が殺されるまでに間に合うかは怪しかった。

 

「佳世、馬車の中に、荷物の中に隠れなさい!助けが来るまでその中にいるのよ……!」

 

 母が必死な声に、しかし少女はその意味を察して今度は首を横に振る。

 

「い、いや!やぁ……!!お母様お父様といっしょがいぃ……!!」

「我が儘を言うな!親の言葉は聞きなさい……!!」

 

 涙目になりながら母親の命令に逆らう娘を叱責する父。普段娘にぞっこんで甘やかし過ぎだと言われていた父親の初めて見る鋭い剣幕に佳世は肩を震わせる。

 

「お父さん達は大丈夫だから、お前は自分の身を守る事だけを考えるんだ!さぁ、早く……」

「早く、どうするのかな?」

 

 景季の言葉に続くように響き渡る女の冷たい声に彼ら彼女らは息を呑んだ。佳世は視線を声音の方向に向ければそこにいるのは身につけた着物に幾人もの返り血を受けた銀髪に青い瞳の女の姿。その表情は残虐そうに歪み、その頭には狐を思わせる獣耳に背後から姿を覗かせるのは四本の尻尾……明らかに人間ではなかった。

 

「はっ……ひっ……?」

 

 佳世はそれを目にしたと同時に恐怖から腰を抜かして地面に尻餅をついていた。少女程度ではどうにもならない圧倒的な死の気配に顔を青くして、歯をカタカタと鳴らす。余りの恐怖に筋肉が弛緩して情けなく失禁していたがそんな事気にする事も出来なかった。

 

(む、むり……こ、こんなの………)

 

 幼い頭で必死にどうしようかと考えるが直ぐに無意味だと彼女は確信していた。どうやっても助からない事が子供心に分かってしまった。

 

「か、佳世!早く逃げ……ぎゃあ!?」

 

 景季が娘に逃げるように言おうとして左耳を尾の一振りで切り落とされた。娘と妻が悲鳴を上げる。

 

「五月蝿いな。少し黙っていろ猿が。ふむ、やはりこれだけの隊列を率いる商人の家ともなれば血筋は悪くないか。少なくともそこらの町人を食うよりはな」

 

 本人達が異能がなく、霊力も意識的に使えないとしても上流階級同士で血は混ざる。ともなれば潜在的なものを含めた血肉の品質は中々のものだ。ましてや荷台の荷物も魅力的ともなれば此度の襲撃はある意味当然の選択であった。

 

「さて、頂くとしようか。本来ならばもっとゆっくりと食いたかったのだが仕方あるまい。今の私達であれと戦うのは厳しいからな。目的のものだけでも貰おうかな?」

 

 化け狐個人としては、正確に言えば分裂する前の彼女は本当ならば生きたまま頭蓋骨を切り開き、少しずつ脳味噌を掬って食べるのが好みだった。じたばたと体が震え、絶望と恐怖と苦痛に歪む顔を正面から見ながら食べるのはとても楽しく愉悦を感じる食べ方だったのだが……あんな霊力の塊のような女が空から降って来たとなれば話は別だ。三下の分け身に時間稼ぎをさせているうちにご馳走だけ頂いてトンズラするのが一番だ。

 

 故に……。

 

「まずは逃げそうな小娘から頂こうかの?」

 

 残酷に、冷酷に、残虐な笑みを浮かべた女はその姿を巨大な化け狐に変化させる。鼠でも見るような冷たい視線が少女を射抜く。そしてその巨大な口をがばっと開いた。

 

 もう駄目だ、と彼女は涙に潤んだ目を咄嗟に瞑った。そして頭に手をやって、まさに今すぐ来るであろう痛みを耐えようとした。しかし………。

 

「えっ……?」

 

 覚悟したその時はいつまでも来なかった。そして、少女はふと湧いた疑問にゆっくりと、怯えながらも瞼を開いて……その背中を視界に収めた。

 

「糞こら、こいつ、一発で柄が捻じ曲がってるじゃねぇかよ……。これ本当に下っぱの時の物よりも上等な代物なんだよな……?」

 

 彼女の目の前で怪物に立ち塞がるように立つ人影は化け狐の牙の一撃でいびつに捻曲がった槍の柄を仮面越しに一瞥して、心底げんなりとした声を上げていた……。

 




ゲーム内の橘佳世ちゃんの闇深な台詞(一部抜粋)
・「今は只の看板娘だけど……いつかあいつらから商会を奪い返して見せるわ。何を利用しても……」

・「泥水は啜ってきた。屈辱も耐えた。恥辱だって甘んじて受け入れたの。それもお父さんのお店を守るためだったから……」

・「絶対に忘れないわ。あいつらに汚された私の名誉は……いつから絶対に、倍にして復讐してやる……!!」

・「貴方退魔士なの?ふふふ、じゃあサービスしてあげるね。代わりに……一匹でも多くの化物を殺してね?」

・「男も妖も変わらないわよ。どっちも所詮本能だけで生きている獣よ。獣同士で殺しあって良い気味よね?」

・「あらデートの誘い?あは、冗談よ。……どの道今夜は商会の糞爺共に呼ばれているから無理なのだけどね……」

・「いくら運命に翻弄されようと、どれだけ身体が穢されても、それでも矜持だけは失わないわ。……それだけは両親のためにも出来ないわ」

 尚、これ等の台詞の時の立ち絵はハイライト消えてたり、目元が影になってたり、背を向いていたりする模様


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第一三話

投票者数1000人越え、お気に入り1万7000人突破だと……?

これはまさかお祝いに主人公を凌遅1万7000回行って皆に配布しろというメッセージ……?(蛮族的発想)


 正直な話を言えば、俺はこの時楽をしようと考えていた。

 

 考えれば当然だ。ゴリラ様からすれば中妖を中心に三〇やそこらの妖の群れなぞ敵ですらない。戦闘と気負いする必要もなく、適当に戦えばあっという間に皆殺しに出来るだろう。ゴリラ様が橘商会に恩を売るならば本人が目立つ方が良いこともある。俺がでしゃばる必要はない。

 

 だが、だがである。俺はこの時点で油断していた。少しでも考えれば簡単な事なのだ。あの加虐趣味の気紛れ屋な妹ゴリラが素直に此方の申し出に従ってくれる訳が無いことを。つまり……。

 

「遊んでやがる……」

 

 少しずつ滑空しながら高度を下げる霊獣にしがみつきながら俺は小さく呟いた。

 

 扇をふわりと振れば嵐が巻き起こり化け狐達を吹き飛ばす光景は圧倒的ではある。あるが……それだけだ。本当ならばあくびしながらその風の刃だけで化物を細切れに出来るだろうに、やる事は文字通り吹き飛ばすだけであった。明らかに適当に……いや、寧ろ彼女の実力ならば適当にしてももっと凄まじい破壊を生み出せるだろう。彼女にとってはあれほど手加減するとなると適当にやるよりも遥かに力加減が難しい。

 

「とっとと始末してくれたら俺も楽なのにな……。っておい。マジかよ!?」

 

 俺は目を凝らしてそれを視界に収めると顔をしかめた。俺の視線の先には横転した馬車、それに恐らくは怪我をして動けない身なりの良い夫婦、人型の姿をした化け物、そしてその目の前で尻餅をつく少女の姿……おい、馬鹿!何で佳世ちゃん馬車の中隠れてないの!?

 

(ゴリラ様が手抜き介入したお陰で微妙に展開が変わったか!?)

 

 不味い、このままでは原作のゲームだと少なくとも娘は生きてはいたが家族全滅しかねない。幾ら攻略キャラではないにしても彼女が死ぬと主人公に対してアイテム面で助言やサービスをしてくれる存在が一人消える事になる。それは宜しくないし、両親が助かっても下手したら娘を助けられなかったせいで逆恨みされかねない(描写的にあの両親は娘を滅茶苦茶溺愛しているからね)。

 

「ちぃ、姫さんはっ……!!?」 

 

 視界をゴリラ姫に向ける。はは、まだ遊んでやがるわ。というかもうあいつの企み読めて来たわ。

 

「あーはいはい!いいさ、やりますよ!やればいいんだろう……!!?」

 

 俺はゴリラの意地の悪い御要望通り、霊獣の上で立ち上がる。一瞬霊獣が不機嫌そうに唸り声を上げるがそれは無視しておく。お前さんのご主人様の御要望だ、我慢しろや。

 

 俺は足の筋繊維一本一本を意識して霊力を通しこれを強化、そして……次の瞬間霊獣を足場として一気に蹴りあげてその場所に突っ込んだ。

 

 人型の姿から馬車程の大きさの化け狐に変化する妖と少女の間に狙いをつけて俺は地面に激突する直前に式神を展開。大鷲の姿を取った式神二羽が俺の肩を掴み上げて翼を広げた。それによって生じた揚力と浮力で落下速度を緩めて……。

 

(耐えろよ耐えろよ耐えろよ……!痛だぁ!!?)

 

 地面に激突寸前に足の骨と筋肉を強化してそれに備えるが……案の定、高度からの地面への着陸と同時に激しい衝撃が足から内臓、身体全体に走って俺は能面の内側から軽く涙を流す。そのまま衝撃を流すため一回転するように転がると俺は少女の目の前に躍り出て、化け狐の顎の一撃を寸前で槍で受け止めた。

 

「ぐおっ……!?重っ!!?」

 

 同時に来る激しい圧力に俺は歯を食い縛り必死に耐える。が、次の瞬間に化け物の牙の一撃を前に鉄製で出来ている筈の槍がゴキ、という嫌な音と共に捻曲がっていた。

 

「糞こら、こいつ、一発で柄が捻じ曲がってるじゃねぇかよ……。これ本当に下っぱの時の物よりも上等な代物なんだよな……?」

 

 はは、ウケルウケル。班長支給の装備は下っぱよりは質が良い筈なのにな。洒落にならねぇぞ……!!?

 

 噛み付きを防がれた化け狐は一端引き下がったと思えば今度は鋭い爪の生えた前足を振り上げて殴りかかる。それを受け止めた槍は今度こそ衝撃でざっくりとへし折れた。ぐっ……舐めるなよ畜生風情が!!

 

 俺は槍をへし折られた衝撃を利用して身体を回転させて……そのままへし折れた槍の刃のある方を投擲する。狙いは化け狐の頭部。

 

『ギャウ……!!』

 

 強化した腕でプロ野球選手の投球並みの鋭さで飛んで来る刃は、しかし次の瞬間には振るわれた四つの尾によって叩き落とされた。だが、それは陽動だ。相手の油断、そして尾を振った事によって生まれた視界の影から槍の後ろ半分、柄を投げつける。

 

 ……人間相手であれば兎も角、ギリギリ大妖クラスの化け物にとっては俺の投擲、それもただの柄なぞでは傷は負わせられないだろう。そんな事は知っていた。だから狙うのは相手の殺害ではなく一時的な無力化に過ぎない。つまり……。

 

『……っ!!?』

 

 喉に突き刺さるように叩きつけられた槍の柄は厚い毛皮と脂肪を貫通する事はなかったが、化け狐を咳き込ませて怯ませるには十分だった。数歩下がってゴホゴホと苦しそうに咳を吐き、目に涙を浮かべる化け狐。生死には影響なくても痛いだろうよ。

 

「今のうちに商会長方をお助けしろ……!!」

 

 俺は戦闘に気付いて駆けつけて来た数名の商会所属の退魔士や人足に会長達の救助を命じる。本来ならば俺に命令権なぞ皆無で反発されそうではあるが……この非常時、しかも相手が三下とは言え大妖相手ともなれば呆気ないくらいに簡単に俺の申し出に従い彼らは上司を助けに向かう。うん、あんな化け物と戦いたくないよね、凄く分かる。

 

「よし、これで……ぐおっ!?」

 

 次の瞬間に感じた殺気に俺は咄嗟に腰元から短刀を抜いて身体の左側で構えていた。コンマ数秒後に影が見えたと思えば俺の身体は近場に止まっていた馬車の荷台に叩きつけられていた。

 

「ひぐっ……あがっ…!?おうぇ!!?」

 

 強烈な衝撃と激痛に俺は胃液と血を同時に吐いていた。そのまま地面に倒れる俺は、痛みと衝撃によって脳震盪を起こして暫しの間何が起きたのか把握すら出来なかった。

 

『グウウゥゥゥゥ!!雑魚の分際で良くも舐めた真似をしてくれたな!八つ裂きにしてやる……!!』

 

 恐らくは肋骨が折れたのだろう、胸元の痛みに耐えつつ、咳き込みながらも起き上がり前を見れば此方に鋭い視線を向けて身構える四つ足の化け物の姿が視界に映り込んだ。四つの尾が毛を逆立てて持ち上がる。あ、これはマジギレしてるわ。

 

「ぐっ……!糞、備えておいてこれかよ……!」

 

 尾の一撃を受ける直前にゴリラ様から受け取った短刀を構えておいて、腕には服の下から鉄の籠手を嵌めておいた。勿論服だって下っぱ時代のものよりも上等な代物だ。最後には腕の骨と肉に霊力を流し込んで強化していたのだが……短刀こそ無事だったが袖の下の籠手は粉砕していて、尾の一撃を受けた左腕をはじめ身体の左半分を激痛が襲う。

 

(とは言え、身体が半分消し飛んでいないだけマシかね……!?)

 

 この前嵌められて大妖の犬っころの所に突っ込まされたのに比べたらこの惨状でもまだマシだった。少なくとも化け狐の本領は純粋な戦闘能力よりも知能や隠行、幻術、妖術だ。しかも相手は分け身のせいで本来の実力の数割も出せてはいない。でなければ今の一撃を受けていたら幾ら防御してようと俺の身体は半分肉片になっていた筈だ。

 

 そして……。

 

「今だ、行け……!!」

 

 次の瞬間、落下時の減速のために召喚していた式神の鷲が二羽、俺の命に従って高度から一気に、そして垂直に化け狐に向けて爪を立てながら急降下する。

 

 式神が狙うのは化け狐の頭部、正確には眼球部分である。他の場所は妖力と毛皮と脂肪で防がれる。俺の召喚出来る雑魚い式神程度では相手にダメージを与えるにはそこくらいを狙う以外に選択肢はなかった。

 

『ふんっ、小賢しいわ……!!』

 

 尾の一振りは、次の瞬間には直上から襲いかかった二羽の式神を引き裂いた。ぐちゃぐちゃの肉片と化した鷲は次の瞬間にはただの紙切れに戻った。

 

 そして……その直後に俺は無言で、足音もたてずに突貫していた。式神がああなるのは元から計算の内だ。狙いは式神を攻撃する際に出来る一瞬の隙だった。

 

『愚か者が!死にさらせ……!!』

 

 四つの尾が俺に叩きつけられる。それを俺はすんでの所で回避した。それは幸運だった。式神を凪ぎ払うために尾を使ったのだ、化け物の身体も骨格があり、その稼働部分も限られる。先に式神を使って相手の尾を使わせる事でその次の攻撃のパターンはかなり限定されてしまう。だからこそ予想される攻撃方向に全力で意識を向ければギリギリ避ける事は出来なくはない。……本当にギリギリだけど。おう、回避してるのに微妙に身体が削れるの可笑しいだろ!?

 

「正直こいつを使うのは不本意なんだけどな……!!」

 

 俺は襲いかかる尾を、それが生み出す破壊の嵐を潜り抜けつつゴリラ製短刀を擦れ違い様に振るう。恐らくはそこらの鉄製の槍や刀では碌に傷もつけられない筈の化け狐の伸縮自在の白尾は、しかし短刀の心細さすら感じさせる薄い刃を突き立てられれば豆腐のようにすっと肉に食い込んだ。

 

『キャン……!!?』

 

 文字通り刺すような痛みに咄嗟に尻尾を引き離す大妖。傷自体は浅かろうが、やはり痛いものは痛いだろう、それも相手を雑魚い下人程度と思えば妖力と毛皮と脂肪の防御を貫く武器を所有する可能性なぞ考慮している筈もない。故に想定外の痛みに怯んだのだ。 

 

 同時にこれによって尾の次の攻撃も抑止出来たのは救いだった。初撃や第二撃まではギリギリ動きを予測して避けられるが三撃目、四撃目まで繰り出されたら思考しようにもその時間もない。避ける事も、身構える事も出来ずに今度こそ死んでいただろうから。

 

(原作通り、相手が痛がりで助かった……!!)

 

 俺は能面の下から悪どい笑みを浮かべて相手の懐に入り込む事に成功する。本来ならばこのまま心臓でも狙いたいが……どうせ短刀の刃ではそこまで届かないし、多分止めを刺す前に反撃で死ぬ。故に……。

 

「ここは一撃離脱で我慢するべきか……!!」

 

 俺は相手の右足を擦れ違い様に浅く切り裂き、そのまま通り抜けるように離脱した。背後から響き渡る小さな悲鳴。

 

 そこまではよかった。しかし、同時にこの一瞬の油断が命取りとなった。

 

「っ……!?」

 

 刹那、化け狐の周囲から生み出されるのは幾つもの青白い火の玉……狐火だった。やっべ……!?

 

「うおっ……!?くっ……!!?」

 

 自動追尾してくる青白い火の玉は弧を描き、幾何学的かつ読みにくい軌道で俺に襲いかかる。これは……避けるのは難しいな……!!

 

「霊力が心もとないが……行け!!」

 

 懐から式を取り出すとこれを烏の形に変化させた数体の式神を召喚して狐火に突貫させる。式神は狐火に激突するとそのまま燃え盛りじたばたともがきながら地面に落下していった。

 

 式神の特攻で数を減らした狐火は、しかし尚も十近い数が襲いかかって来ていた。そして……次の瞬間にはそれは一斉に俺に突っ込んだ。

 

「ぐおっ……!?熱っ……!!」

 

 咄嗟に俺は黒い装束を脱ぎ捨てる。地面に投げ捨てた装束は一応難燃性にも配慮している筈であるがそんな事が嘘のように狐火を食らって豪快に炎上していた。明らかに普通の火ではなかった。体に燃え移る前に脱ぎ捨てる選択は正しかった。

 

「はぁ……はぁ……そろそろ誤魔化すのも難しくなってきたかな?」

 

 俺は息切れしつつ、上半身を下着代わりの白い装束を纏った状態で右手に短刀を持って身構える。一方、化け狐の方は浅く切られた右足を舌で舐めた後、憎々しげに此方を睨み付けた。

 

『ちぃ、まだ生きているのか?実力もない癖に生き汚い猿がっ!!雑魚は雑魚らしく分を弁えろ……!!』

 

 禍々しい妖気を放ちながら妖狐は叫んだ。大妖としては破格とも言えるそれは良くゴリラの霊力やら碧鬼の妖気を浴びている俺ですら顔をしかめ、吐き気を催す程のものだった。同時に何か術式を唱えようとする化け物。あ、これはヤバいわ。

 

『あぁ、もう面倒だ!ここら一帯の身の程知らず共、纏めて焼き付くしてくれる……!!』

 

 化け狐がそう宣うと、生身の眼球でも視認出来る程の術式が宙に浮き出て来る。無数の狐火が生じてそれは色を青白いものから赤く、更に白く変えて………。

 

「あら駄目じゃないの。目撃者を減らしちゃ」

『ギャ……!?』

 

 次の瞬間、恐らく術式も使わず、ただ単に力学的に運動エネルギーを付与された……つまりは蹴りあげられただけの握り拳大の石が音速を超える速度で妖狐の顔面に激突した。仰け反る妖はそれにより妖術の展開を阻害され、宙に浮かび上がっていた術式も、火の玉も幻のように消え失せる。

 

 余りに突然の事で場の目撃者は唖然としていた。俺だけがその実行犯が誰なのかを察しており、声の方向に視線を向ける。

 

 そこにはニコニコと心底楽しそうな顔で扇を仰ぐゴリラ様がいらっしゃった。それだけならば着込む和服と本人の美貌、それを照らし出す月明かりも相まって幻想的だろう。

 

 尤も、足下には文字通り原型すら留めぬ血塗れの肉塊と化した化け物どもの死骸が散乱しているのを無視する必要があったがね……。

 

 

 

 

 

 鬼月葵は扇子を振り回して、化け狐共を吹き飛ばし、弄びつつその光景に満足していた。

 

「別に狙った訳ではないでしょうけれど、相変わらず絶妙な瞬間に顔を突っ込むなんて愉快な事ねぇ」

 

 遠目に見える彼と狐の相対を鑑賞しながら葵はくすくすくす、と楽し気に声を漏らす。彼からすれば予め恩を着せるためなのだから商会の家族を助けるのを優先すると思っていたのかも知れないが……とんでもない。彼女にとっては商会に対する恩着せなぞオマケでしかない。彼女にとってはそれよりも遥かに優先するべき事があり、そしてそれは正に目の前で起こっていた。

 

「あらあら、罪作りな事。妬けちゃうわ。あんなちっちゃい子までたぶらかすなんて、悪い男」

 

 葵は目を細めて見据えるのは護衛らしい雇われ退魔士や人足に助けられ、避難する少女の姿。少女は文字通り命の危険しかなく、今まさに現在進行形で破壊が生み出されている恐ろしいそれを、しかし熱に浮かされたように凝視していた。その目には見覚えがあった。それと良く似た目をしていた事が彼女にもあるのだから。

 

 ……そう、それは絶望の中で光明を見た瞬間であり、希望を得た瞬間であり、英雄を見つけてしまった瞬間であった。

 

「ふふふ、これはまた成長が楽しみ」

 

 鬼月葵は嘲るようにも、慈しむようにも聞こえる声で誰にも聞こえない程に小さく彼女の「英雄」に向けて囁いた。

 

 そうだ、そうやって成長しなさい。名声を手に入れなさい。英雄へと至りなさい。そうする事で貴方は漸く私が傍らに控えるに値する存在に昇華出来るのだから。ほら、観客の皆様方、とくとご覧なさいな。たかが下人が知恵と工夫を凝らして、紙一重で死を回避しつつ必死に戦い、勝利を掴み取ろうとする姿を!……内心でそう宣う彼女は明らかに上機嫌であっただろう。

 

(それにしても危なっかしく避ける事ね。……まぁ、これもある意味懐かしくはあるかしら?)

 

 狐の尾を避けながら駆ける下人を鑑賞しながら、そして口元を隠すように扇で隠しつつ彼女は口元を吊り上げる。……そうだ、そういえばあの時も随分と酷い有り様だった。一日に何度も襲われて、何度も絶望して死にかけて、それでもやれる事を全てやって、時には恥ずかしい思い出もあって、それらを積み重ね、協力して命からがら森を抜けて追い縋る化物共から逃げ切った思い出、実に懐かしい。

 

 ……まぁあの時は最後の最後で油断して妖の大軍に囲まれてしまったが。直後に彼女が身体の自由を回復してなかったらあの時で御仕舞いだっただろう。

 

「……いつも詰めは甘い人だから、こうやって見守らないとね?」

 

 恋人に向けてのようにも、子供に向けてのようにも思える言い草で鬼月葵は言葉を締めくくった。そしてそこで一旦顔を険しくするのは事態が変わったためだ。身の程知らずの狐は大がかりな術式を展開しようとしていた。その威力は……。

 

「まぁ、それなりって所かしら?」

 

 その術式は彼女自身を害するには不足する程度の威力であろうが、この場の商人達や護衛の殆どを吹き飛ばすという意味では十分過ぎる格はあるだろう。流石に彼ではあの術は対処出来まい。いや、生き残るだけならば可能かも知れないが周囲の目撃者の生存や商会への恩着せという意味ではどうにもなるまい。

 

 つまり……。

 

「仕方無いわね。今回はここまで、ね」

 

 ……少々物足りないが、取り敢えず今回はこれで見納めだろう。欲をかくと元も子もなくなるのだから。他者がどう思っているかは兎も角、彼女は自分が控えめな性格だと信じていた。

 

 彼女は足元に転がっていた手頃な大きさの石っころを見つければそれを蹴りあげた。霊力を調整して、あの狐が死なない程度に手加減して蹴り飛ばす。石は弧を描いて狐の頭に命中、その片目を吹き飛ばした。悲鳴を上げる化け狐。

 

「あら駄目じゃないの。目撃者を減らしちゃ」

 

 彼の知恵と努力と勇気を結集させた戦いの目撃者を纏めて焼き払う積もりか?……声に出さずに彼女は宣う。全く、雑魚の分際で此方を困らせないで欲しい。

 

『ウグ……グウウゥゥゥゥ……!!』

 

 片目が潰れて血を流しながら狐は葵を鋭い形相で睨み付ける。殺意を込めた視線は、しかし彼女にとっては一欠片の恐怖も感じられない。当然だ、あの程度の眼光なぞこれまで幾度も見てきた。いや、もっと恐ろしく、悪意と憎しみに満ちたものすら……ならば何故あんな可愛らしい視線に怯えよう?

 

「ふふふ、そんなに潤んだ瞳で見ないで頂戴。可愛がりたくなるでしょうに」

『死ね、雌が!!』

 

 次の瞬間放たれたのは咆哮だった。いや、咆哮というのには少々物騒かも知れない。それは音の暴風だった。咆哮の衝撃波は真っ直ぐに鬼月の次女に向けて放たれて、途中にあった壊れた馬車は文字通りバラバラに砕け散る。たかが音と思って油断すれば唯人であればその衝撃だけで肉片と化すだろう。

 

「……まぁ、だからどうしたという事なのだけれどね?」

『なっ……!?』

 

 それ、と彼女が扇を軽く振るえばそれだけで凶器と化した空気の振動は霧散して、四散する。何の事はない。あの咆哮は音の衝撃波を妖力で数百倍、数千倍に増幅したに過ぎないのだ。ならば此方も扇を振るって自身の霊力をばら蒔いてやればそれだけで中和出来る。破壊の咆哮はその力の根源を失いただの耳障りな遠吠えに過ぎなくなる訳だ。

 

「……いや、その理屈はおかしい」

 

 葵が唖然とした表情を浮かべる狐に手品の仕掛けを優しく説明していると、彼が小さくそう呟くのが聞こえた。

 

(?何がおかしいのかしら?確かに霊力を使う効率は悪いけれど理論的には問題ない筈なのだけれど……)

 

 霊力消費の効率性が良く考えなくても最悪なその手段は、無尽蔵に近い馬鹿げた霊力を秘めた鬼月葵だからこそ出来たゴリ押しともいうべきものであったので、寧ろ下人の発言こそ当然の感想ではあるのだが……鬼月葵からしてみれば何故彼が顔をひきつらせるのかが本気で分からなかった。

 

 ……いや、ある意味ではその意味を理解してはいたが彼女からしてみれば彼にこの程度で唖然とされては困る。何せ、最終的には自分よりも上に登って貰わないと……そう、彼が自身の『旦那様』になるならばこれくらい、そうでなくても似たような事くらいしてもらわねば困るのだから。

 

『グ、お、おのれぇぇぇぇ……!!』

 

 化け狐は苦渋に満ちた咆哮を上げる。同時に周囲の戦場から数頭の化け狐が音もなく踊り出て鬼月葵の背後から襲いかかる。

 

「目障りよ、畜生が」

 

 扇子を振るえばそれだけで肉体を切断されて解体される化け狐。狐火は突風の前に消え失せて、振るわれる尾も届かない。風の刃を潜り抜けた一頭は、しかし少女のか細い指から放たれた爆炎の嵐によって丸焼きになりのたうち回る。それは正に一方的な蹂躙だった。

 

 しかし………。

 

『グオオォォ……!!』

「……!!?」

 

 恐らく囮だった仲間達によって気を逸らした所で死角から襲いかかる一頭の化け狐。それは戦闘経験の薄さから来た失態だった。僅かに驚いた少女……しかしこの程度の下級の妖程度何の脅威になろうか?やろうと思えば素手でも殺せるだろう。故に彼女は内心微かに動揺しつつも淡々とこれを仕止めようとして……。

 

「姫様……!!」

 

 直後投擲された短刀が彼女の目の前に迫ってきていた化け狐の頭を貫いてこれを一撃で絶命させた。

 

「………余計な御世話よ?あの程度の雑魚相手に、私が手傷を負うと思った?」

 

 僅かに沈黙して、しかし直ぐに不敵で不遜な態度で彼女は横入りの一撃を放った下人に声をかける。能面を被った下人は膝を折って口を開く。

 

「姫様の実力は承知しております。差し出がましい真似を致しました事お許し下さいませ。……しかし、妖相手に油断は禁物ですので」

 

 淡々と、事務的な口調で下人は答える。

 

「そう。……逃げたわね」

 

 扇子で口元を隠しながら葵は指摘する。先程の三下の化け狐の襲撃はあの四尾の大妖が逃げるための目眩ましであったらしく、あの巨体はいつの間にか消え失せていた。狐らしく逃げ隠れはたかが大妖の癖に達者なようであった。

 

「追跡致しましょうか?」

「貴方に隠行を教えてあげたけれど、その実力じゃ無理よ。隠行衆でも難しいでしょうね。捨て置きなさい」

 

 気付けば夜の闇は夜明けの光が昇り始めていた。青紫色に染まり始める空、山の合間から日の光が僅かに頭を出して戦いが終わった街道を照らし始める。

 

 どうやら、他の三下の化け狐共も逃げ出したようでもう周囲で戦闘の音は聞こえない。

 

「……行きましょう。会長も流石に怪我の手当てくらいは終わっている筈よ。荷物の管理について色々と言いたい事もあるし、顔を見せてお話をしなくちゃね?」

 

 意地悪そうに笑みを浮かべた葵は空に待機させていた霊獣にそのまま周辺警戒を命じると踵を返す。

 

「は、お供致します」

 

 投擲した短刀を回収した後、すたすたと歩き始める退魔士の次女の後ろに恭しく控える下人。

 

「……ねぇ伴部」

「は、何でしょうか?」

 

 歩みを止めて、ふと少女は彼の偽りの名前を呼んだ。一瞬それが本物の名前ではない事に、自身が本当の名前を知ることがない事に何とも言えぬ苛立ちと劣等感と、何よりも悲しみの感情を抱くが、彼女はそんな事は露とも見せない。

 

「……いえ、何でもないわ」

 

 彼女は暫し沈黙して、しかし何事もなかったように歩みを再開して、下人もそれに続く。そう、今は良い。今はまだこの関係で、この距離感で良い。距離を縮めるまでまだまだ何年も時間はある。本物の名前を識る機会も、その名前を呼ぶ機会も、だから……。

 

「お礼は纏めていつか……そのうちに、ね?」

 

 扇子で隠した彼女の口元はこれまでとは違い優しく、柔らかそうにつり上がっていた。

 

 



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第一四話●

 妖狐は思う。何故こうなったと。

 

 全ては順調な筈だった。あの人間の皮を被った人外共に殺されかかった彼女は半分苦し紛れに分け身の妖術を行った。

 

 それは上位の妖狐を始めとした知能が高く、術式に明るく、何よりも強大な力を持つ妖のみが行える術であった。有象無象の雑魚では自身の魂を引き裂くなぞの技術も無かろうし、力を分ければ当然個々の妖としての格が衰えるから下手すれば存在そのものが失われてしまいかねない。自らの存在を分けるという行為は強大な力を有する凶妖であるからこそ可能な事だった。

 

 幾十もの分身に分かれた彼女らは人の中に紛れ、闇夜の中でそれを食らい力を取り戻そうと図る。どうやら幾つかの分身は殺されたようだが、所詮は格で劣る雑魚ばかり、全体としての被害は微々たるものだ。分身同士で再度融合もして少しずつ力を取り戻していった。幸運にもここは都、一般人の中にも微弱なれど霊力を持つ者はいた。いや寧ろ今の彼女らにとってはそれくらいが丁度良い。下手に戦える程の霊力のある者を相手どるのはリスクが高過ぎる。

 

 あるいは戦闘の経験も鍛練も不足しているモグリの呪い師共も彼女らにとっては絶好の餌であった。この手の者達は、少なくない数が元小作人や奉公人だ。微弱な力に驕り、同時に退魔士に使役される下人の過酷さを知るが故に、秘密裏に、そして非合法かつ独学で術式を扱う彼らは妖の恐ろしさも、その対処方法も知らない。実験台や術や呪いの材料欲しさを逆手に取り幼妖や小妖程度の分身を囮に使い引き寄せて、罠にかかった所で中妖の分身数体が襲えばまず彼らに対応のしようはない。実際この方法で十数人は食えた。

 

 ……幾人かの呪い師を食う中で命乞いをする一人からその商隊の情報を知れたのは幸運だった。荷物は彼女らにとっては好都合、それを運ぶ人足は無力、護衛は面倒ではあったが数で襲えば殺し尽くせよう。あの都の内裏に控える輩共に比べれば可愛いものだ。彼女は絶好の機会にほくそ笑んだ。当然ながらその呪い師は彼女の一番好きな方法で頂いた。

 

 そうだ、あの商隊を荷物ごと食い尽くせば相当力を回復出来た筈なのだ。そうすれば今頃は……それを!!

 

「おのれぇ、猿共がぁ………!!」

 

 都に程近く、その夜の明かりを一望出来る森から、四つの尻尾を伸ばした大狐は余りの怨念から半ば呪詛になりつつある言葉を呻きながら呟く。その周囲には十数体の大小の妖狐が集まる。どの個体も呻き声を上げるそれよりかは小さく、尻尾も一本、精々二本のものばかりであった。

 

「グウゥゥゥ………」

 

 苦しむように蹲る狐の化物。生来痛がりな彼女ではあったが、今回はとっておきだ。まさかこのような……。

 

「グウウウ……切り傷が治らん。それに……あの女が、良くも私の目を………!!!」

 

 あの能面を被った雑魚が短刀で切り付けた傷は浅いにもかかわらず未だに塞がらずに少しずつではあるものの血を流し続けている。丹念に丹念に霊力を注ぎ込まれ、幾重にも呪いをかけられていた対妖に特化した一品だったのだろう。忌々しい。

 

 そして、それよりも忌々しいのは彼女の頭蓋骨の右半分を砕いたあの一撃だ。筋力こそ強化されていただろうが、石そのものは霊力も込めていなかった。文字通り只の石……そんなものが彼女の右目を完全に潰していたのだ。此方は漸く血が止まったがそんなもの何の慰めにもならない。この瞬間も頭が打ち砕けそうな程の頭痛と吐き気が彼女を襲っていた。

 

「おのれ……おのれ……おのれ………良くも、良くもこのような屈辱を……許さん、許さんぞ……!!!その時がくれば奴らも同じように右の、いや両眼を石で潰してくれる……!!!!」  

 

 おぞましい口調で恨み辛みを吐き出す妖狐であるが、しかし同時に彼女はそれが敗者の負け惜しみに過ぎぬ事だとも理解していた。妖狐は賢いのだ、怒りのみに支配される有象無象の怪異共とは異なり、彼女は目撃した敵と自身の力量差を冷静に把握する事が出来た。だからこそ彼女は分裂した後に直ぐに都の城壁を抜けて内裏を襲おうとせず、こうして新街や周囲の街道でちまちまと人を襲い、力を蓄える選択を選べるのだ。

 

 ……尤も、狐は過去の事を忘れない粘着質な性格の者が多い事で知られているが。

 

「都の権力者共ならば城壁の外で多少暴れようが手を出さぬと読んだのだが……くっ、こうなれば仕方あるまい。もう少し力を取り戻してからやりたかったがこのまま消耗するならば今のうちに収穫するべきか……!!」

 

 そして大狐は、次の瞬間立ち上がる……と共に目の前にいた同胞の一体を頭から食いついた。暴れようとしたそれを牙を突き刺し呷るように数口で飲み込む大狐。踊るように抵抗した狐はしかし完全に食われるまで十秒もなかった。

 

 一瞬唖然とする同胞。一方で当の味方食いをした大狐はその陥没していた顔の右側の傷が蒸発するように少しずつ復元していく。同時に尻尾が一本生え始め、その本数は五本に増えようもしていた。

 

「何を驚愕する必要がある?我らは皆元は一つ、まして本体に最も近いのが私だ。であるならば一刻も早く傷を癒し、力を取り戻すためこのように手っ取り早く吸収するのも惜しくはあるまい?」

 

 当然のように口を開く妖狐。同時に五本に増えた尻尾が振るわれる。彼女の傍にいた三体の同胞の首が飛べば残る同胞はキャイン!と鳴き声を上げて、耳と尻尾を垂れ下げてプルプルと震えながら平伏す。

 

 ボリボリ、ガリガリ、ゴリゴリと肉と骨が砕かれる音が森に響き渡る。三体の同胞の血肉を貪り、その尾を更に一本増やす妖狐。

 

「……さて、腹拵えは済んだな」

 

 幸運にも吸収されずに済んだ同胞達はその鈴の音のような美しくも残酷な声に頭を上げる。そこにいたのは和装に身を包んだ銀髪に長身の少女だった。口元に赤い汚れをつけているのを白い指で掬い、ぺろりと舐める。

 

「じゃあそろそろ迎えに行こうかの?我らが仲間を、核を、一番古い記憶を。……心底忌々しく、不愉快な事ではあるが………」

 

 そこまで口にして雌狐は口元を口が裂けているのでないかと思える程に吊り上げて笑みを浮かべる。

 

「たとえ我らが落ちこぼれの忌み子でも、な?」

 

 自分達のルーツに当たる最弱の分け身について残酷に、冷酷に、残虐に、何よりも侮蔑するように化物はそう嘯いた……。

 

 

 

 

 

 半妖とは文字通り人間と妖の特徴双方を引き継いだ存在である。これまでの研究の結果、その存在の誕生には大きく分けて三系統の経路があると考察されている。

 

 一番分かりやすいのは人間と妖の男女の間に生まれる場合だ。これは男が人間で女が妖の場合、その逆に男が妖で女が人間の場合の双方が有り得る。とは言え一番多い事例は人間の女が妖に犯されて産む場合であろう。

 

 明確に性別が雌の妖は珍しいし、数少ない雌の妖も、当然ながら人間を蔑み見下すものだ。女郎蜘蛛等一部例外を除いて人間の男と関係を持ちたがる雌の妖は珍しい。あるいは人間が妖を無理矢理捕まえて犯される場合もあるだろうが妖の腕力を思えば事例としては多くは無かろう。翻れば人間の女は捕まえやすいし、特に霊力のある女は妖達にとって力を得る上で絶好の餌なので此方の場合の方が圧倒的に発生率は高い。

 

 ……本当に極少数ながら人間と妖の間で両者同意の下の関係もあるが余りに事例が少ないのでこれは例外中の例外だろう。

 

 第二の経路としては特に人間同士の間で生まれた胎児が母胎の腹の中で半妖化する状況だ。

 

 これは特に妖気を浴びた影響とされており、例えば妖気の濃い地域に妊娠中に滞在する、あるいは妖の襲撃によって負傷してその際に人体内部に妖気を取り込む、酷い例では妊娠中に妖に強姦されて妖気を胎児に注がれる場合などの事例もあった。

 

 妖気は妖の力の根源である。それが胎児に影響を与える訳であるが……特に妊娠の初期であるほど影響を受けやすいとされており、また母胎からしても内部から直に妖気を浴びれば身体に負担がかかる。最悪は出産時に半妖の赤子が母胎の腹を突き破って産まれた事例もあり、朝廷では積極的に半妖の赤子は堕胎の対象として、医者に対してその場合の無償での処置を厳命している。

 

 三番目の経路は部分的に第二の経路と似通ったものである。即ち誕生後に後天的理由で半妖となった場合だ。

 

 これも幾つか状況があるが、特に多いのが妖の血肉を食した場合や妖によってつけられた傷口から体液や妖気が流入した場合、あるいは呪い等によって妖力を蓄積して肉体が変質していく事例等が報告されている。尤も、この経路で妖になる者は然程多くはない。

 

 妖の血肉なぞ簡単に手に入るものではないし一度や二度では簡単には妖に変化はしない。怪我も同様、掠り傷程度であれば肉体が変質するような事はほぼほぼなく、大きな怪我であれば十中八九妖になる前に出血で死ぬ。無論、独自の異能を使ったり、あるいは人間の妖化を目的として敢えて出会した人間に死なない程度に深い怪我を与えて逃がす妖も過去にいなかった事はないがそれはそれで珍しい事例ではある。

 

 どの経路を辿って生まれたにしろ、朝廷は一部例外を除き基本的に半妖という存在を認めていない。

 

 元より朝廷にとっては霊力という唯人の大半が持ち得ぬ力すらも潜在的な脅威と認識しており、それ故に退魔士や武士の力を削ぐために妖との対峙する最前線である地方に封じて参勤交代等の諸制度で縛ってもいるし、彼らが霊力持ちや異能持ちが反旗を翻した際のカウンターパワーとして唯人のみで構成された石火矢衆や棒火矢衆等の火薬兵器を中核とした軍勢や薬物等による暗殺を目的とした集団が朝廷の直轄の戦力として編成されていた。

 

 ましてや妖、そして妖の力を半分であれ有する半妖なぞ許容出来る訳もない。今でこそ大乱を始めとした戦乱の記憶が薄まっているので目撃されたとしても即刻その場で殺されるなんて事は『それほどは』ないが、これが百年二百年前ならば民草によって自主的かつ積極的に半妖狩りが行われていた。一部の地域では半妖の公開処刑が娯楽になっていた程だ。

 

 当然ながら半妖の家族からしてみればそんな危険な存在が身内にいる事それ自体が恥であり、下手すれば自分達まで差別される理由になりかねない。多くの半妖が家族や親戚によって秘密裏に殺害されたと思われ、またその存在そのものが特異であるが故に在野の呪術師達によって人身売買の標的になる事、挙げ句には一流の退魔士の一族からすら実験の材料や手駒として「購入」される事例もある。

 

 故にその半妖が五〇〇年に渡り生き残って来たのも、陰陽寮の頭に就任していた事も、共にかなり例外的な事例であったと言える。

 

 大乱時代に妖達によって滅ぼされた小国の難民であった少女はそのまま身寄りがないがために人買いによって誘拐されて国に購入された。そしてそのまま当時朝廷が研究していた禁術の実験台として使用された。妖気によって後天的に妖化する事実を逆用した半妖の兵士を量産する計画はしかし当時多く進められた実験の中ではかなり穏当な部類だっただろう。

 

 半妖の兵士の大半は大乱の中で使い潰され、生き残った者達の中でも妖化が激しく、人としての理性が崩壊しつつあった個体は殺処分された。彼女が理性を残していたのは妖化の比率が低かった事、彼女に注がれた妖気が比較的妖の中でも闘争本能が低く知能が高い化け狸のサンプルが使用されていたためである。故に大乱後も理性と知性を維持していた彼女は朝廷の駒として生存を許された。

 

 そして時代は流れ……幾ら退魔士という存在が唯人に比べて長命とは言え定命の存在であり、彼女は気付けば陰陽寮において最も年長であり、尚且つ深い知識を持ち、何よりも大乱の生き残りとして寮内において一目置かれる存在となっていた。

 

 無論、それでも尚半妖を陰陽寮の頭に任じるなぞ本来ならばあり得ぬ事ではあったが……百年前の玉楼帝の御世において帝より直々に任命されれば誰も異議を唱える事も出来ない。

 

 ましてや玉楼帝は当時弛緩していた朝廷の風紀を締め直し、節制と減税に努め、実力本位で人材を登用した歴代の帝の中では名君に分類出来る人物である。そんな帝から直々の命、それ即ち彼女の才と経験が陰陽寮の頂点に相応しいと認められた事を意味する。固辞するなぞ論外だ。

 

 多少のやっかみこそあれ、最終的に帝の推薦を拝命して陰陽寮の頭目となること八〇年余り、小事件こそ幾度かあったものの全体として見た場合彼女が寮頭を勤めた間は太平が続いていたといって良い。それは本人の能力もあるだろうし、そもそも乱が起きる程に世の中が乱れる原因がなかった事もある。

 

 因みに女である事は殆ど問題ではなかった。代を重ねて血が濃くなる程に霊力が増す特性がある以上、退魔の一族においては性別よりも霊力の多寡や異能の強弱が重視されるがために歴代の陰陽寮頭に就任した先例は幾らでもあったからだ。

 

 ……そんな中で彼女が陰陽寮の頭目の地位を失ったのは先代の陽穣帝が没してまだ幼い清麗帝が即位した直後の事だ。朝廷の内部監査を司る弾正台によって陰陽寮理究院の博士達が禁術の研究と実験を密かに行っていた事が発覚したからだ。

 

 主犯は陰陽寮において第二の地位にある陰陽寮斎宮助兼理究院長、道硯翁。松重家第二八代当主松重道硯……彼とそれ以外にも禁術の究明に関わっていた十数名の退魔士が逃亡した事件は当然ながらその上司である彼女の責でもあった。彼女が投獄されなかったのはこれまでの功績と長年朝廷に仕えた事による温情である。

 

 そこに元々半妖を疎んでいた公家、長命であるが故に長らく陰陽寮頭に就任出来ず不満を燻らせていた一部の部下、出自は兎も角その実力と人脈からして単純に処断も追放も出来ずに対応に困っていた大臣達、各々の事情が渦巻き、最終的には新帝の即位に伴う恩赦を口実に官位の剥奪と内京からの追放、そして定期的な監査という妥協的な沙汰が下される事となった。

 

 そして朝廷においてその立場を失った半妖は自身の嫌疑の潔白を証明するために雲隠れする事もなく監視のしやすい都の新街の一角、そこに打ち捨てられていた住宅を改装して居を構えた。……禁術の実験台として理究院の地下牢で封じられていた数名の半妖の子供と共に。

 

 そして……新街にて乞食をしていた半妖の子も拾い上げて孤児院の院長と寺子屋の教師を営んでいるのが彼女、吾妻雲雀という人物の今日までの人生だった……。

 

 

 

 

「ほら、お前達。西瓜を切ったから手を洗いなさい」

 

 瓶に貯めていた井戸水で冷やしていた西瓜を切った我妻は庭先で追いかけっこして遊んでいた子供達にそう呼び掛ける。

 

「はぁい!」

 

 子供達は彼女の呼び掛けに心底楽しそうにそう答えた。時は八つ時である。つまり昼過ぎだ。子供にとってはそろそろ小腹が空いて来る頃である。

 

 それに殆ど木造建築で構成されていてコンクリートジャングルなぞ存在しない新街ではあるが、それでも夏が暑いことに変わりはない。遊んでいる間に汗をかいて水分が欲しくなるだろう。そこに水分をたっぷりと含んで冷えた西瓜があればはしゃぐのも無理はない。

 

 小ぶりで水気が多く、甘味が少ない西瓜は質が悪く相場の半値程度のものではあったがそれでも庶民にとっては御馳走で子供達は我先に皿の上の西瓜を手にとって頬張っていく。

 

「こら、頂きますの挨拶をしなさい。後、種はちゃんと吐き出すんだぞ?」

 

 元気良く西瓜にかぶりつく子供達に微笑みながらもそう注意する吾妻。と、ふと彼女は西瓜に群がる子供達を少し離れた所から遠慮がちに見つめる狐耳と狐尾を生やした少女を視界に収めた。

 

「白、どうした?お前は食べないのか?」

 

 我妻は西瓜に手を出さない少女に向けて優しく尋ねる。一方、呼ばれた少女……白はそんな吾妻の顔を見てあうぅ……と俯きながらもじもじと体を動かして、恐る恐る口を開く。

 

「えっと……その、みんなたべてるから私取りにくいなって思って………」

 

 吾妻は少女の表情と言葉で全てを察した。彼女は本当に遠慮していたのだ。

 

 ほんのこの前ぼろぼろの所を拾い上げて治療したこの半妖の少女は記憶が殆どなく、帰る場所もない故にこの孤児院の新たな住民となった。なったのだが……白と名乗る彼女は記憶がないためか気が弱く、控えめで、自己主張が少なかった。常に周囲を観察して、他の子達に譲り、自身の要望を口にする事はない。

 

 それはある意味で世話のかからない「良い子」ではあったが、同時に痛ましさも感じさせるものでもあった。吾妻はこれまでの経験から少女がこの孤児院から追い出されるのを恐れている事に気付いていた。

 

「お前も汗をかいて疲れただろう?ちゃんと食べなさい。無理をすると倒れるぞ?」

「おねーちゃんもいっしょにたべよ?」

 

 吾妻が優しく諭せば、それに続くように孤児院全員の妹である茜が口の周りを西瓜の汁で汚しながら狐の少女の下に来る。そして、笑みを浮かべて両手で西瓜を差し出す。

 

「……うん、一緒に食べるね」

 

 一瞬惚けつつも、直ぐに穏やかな笑みを浮かべて狐の少女は蜥蜴の少女から西瓜を受けとる。そしてしゃき、という音と共に西瓜を頬張った。そしてそのまま西瓜を食べつつ茜や他の子供達とお喋りを始める。

 

 吾妻はその光景を和やかに一瞥する。そして……障子の隙間から外の様子を見つめながら、子供達に見られないように不安な表情を浮かべた。

 

「……結界の強度を上げておくべきかな」

 

 吾妻の脳裏に過るのは先日聞いた話題である。都に繋がる街道で商隊が妖の群れに襲撃されたらしい。

 

 これは極めて重大な事件である。都とその周辺で大規模な商隊が襲われるなぞ滅多にある事ではない。少なくとも彼女が陰陽寮頭の時には似たような事例は一、二度しかなかっただろう。

 

「どうにか殆ど犠牲もなく撃退したそうではあるが……。それはそれで街の住民が安心し過ぎて困るな」

 

 あくまで撃退した、に過ぎない。取り逃がした妖も複数いた事だろう。にもかかわらず既に新街の住民の多くは問題が解決したとばかりに緊張が緩んでいた。ここ暫く続いていた行方不明者の増加……恐らくは妖に食われた……が途絶えた事もあり、住民達の間で行われていた外出を控え、戸締まりをして、御守りを常に携えておくという自衛策も止め始めている。彼女の寺子屋での仕事もここ数日は生徒の安全のために休止されていたが明日からは再開する予定となっていた。

 

 寧ろこういう時こそ油断してはならないというのに……妖が狡猾で卑怯で卑劣な存在である事を彼女は良く理解していた。本来ならばもう暫くは子供達と一緒にいたいのだが……。

 

「おかーさんもすいかたべよ!」

 

 我が子同然に可愛がっている子供らの一人がそう彼女に呼び掛けて彼女は我に返った。前を見れば幼い少年が西瓜を差し出して屈託のない笑みを浮かべている。

 

「……あぁ、そうだな。美味しそうだな、頂こう」

 

 その純粋無垢な表情に癒され、彼女は柔らかい笑みを浮かべて西瓜を受け取る。一口、しゃきという小気味の良い音と共に仄かな甘味が口の中に広がり、水気が喉を癒した。

 

 子供達に笑顔を見せて安心させてから、吾妻は誰にも気付かれる事なく横目に先程の白い少女を見つめる。

 

(妖狐、か……)

 

 半妖の妖狐……噂によれば商隊を襲撃した化物共もまた妖狐であったと聞く。この時期に、と考えると穿った考えが脳裏に過るが……しかしそれだけで判断するのは余りに安直過ぎる。

 

 彼女は白い少女が邪悪な妖であるなぞ本当に考えてはいなかった。妖であるならば当然妖力を纏うものである。その逆に霊力なぞ一切持たないものだ。

 

 少女は半妖の常として妖力と霊力をほぼ等分に纏っていた。それは即ち彼女が妖ではない事を意味する。

 

 そも、彼女の目も節穴ではない。相手が嘘をついているか、力を隠しているか程度ならば時間に長短あれ察する程度の事は出来る。半妖狐の少女はその点で警戒するべき点はなかった。口にしている事は全て事実であり、その性格は演技ではなく、その力は潜在力は兎も角現状では限りなく無力だ。半分化け狸の彼女が自信を持って言えるのだ。間違いない。

 

 となれば彼女をここから追い出す理由なぞ無かった。外に追い出せば同じ妖狐の血であるがために真っ先に食われてしまうだろう。あるいは街のヤクザ者に誘拐されたりモグリの呪術師辺りに実験台にされる可能性もある。いや、ここ暫く妖の被害があった事から町人の不満の矛先にされて暴行されて殺されるかも知れない。

 

(それに奴も注意しなければならんしな……)

 

 狐の少女を拾った時に傍らにいた槍を携えた人物。化け狸である自身すら直ぐには判別出来ないような認識阻害の外套を着ていた人物である。 

 

 認識阻害の外套をあの場で着込んでいた時点で一般人ではあるまい。ましてや此方が殺気を放って戦闘態勢に入った途端にその場から撤収した事から見てそこらのモグリではないだろう。少なくとも我流ではなく一定の戦闘訓練、そして実戦経験を経ている人物であると思われた。

 

(白……この子の怪我は酷かったけれど……)

 

 半妖が死ににくいとしても、あの見境ない怪我はあの人物が行ったとしては不自然だ。あの程度の実力がある人物にしては雑過ぎる。殺そうと思えばあんないたぶるやり方はするまい。逆に捕まえる積もりならば、あんな生傷が多く出来るやり方はしまい。

 

「………」

 

 不幸な少女を疑う積もりはない。しかし、同時に不自然が多いのも確かだった。故にか吾妻は漠然とした不安に苛まれる。そして、幾ら悩もうが今手持ちの情報では答えにはありつけず、だからと言って寺子屋の仕事をほっぽり捨てる訳にもいかなかった。

 

「条件付けでもしておくか……」

 

 陰陽寮を追放された彼女には高価で貴重な道具の類いを合法的に手に入れるのは難しく、また金銭も潤沢ではない。手持ちの道具で構築出来る結界も式神も、幾ら彼女とは言え程度は知れている。そも、化け狸の半妖である以上、彼女は直接的な戦闘向きの退魔士ではなかった。ともなれば、限られた資源で警備を強めるには条件付けが一番であろう。結界等の発動条件に条件と制約を設ける事で対象を限定に相手にする際に必要な霊力等を集中させる事が出来た。

 

「そうだな、条件は………あの子達が招き入れる相手のみ、といった所かな?」

 

 知らない人に付いていかず、家にも入れないように子供達には言い聞かせていた。後は言い付けを守るように念押ししておこう、と吾妻は留守中の子供達を守るための対策を考え続ける。

 

 無論、化け狐ならば変化の術も使うだろうし、そもそも妖は嘘吐きだ。しかし、彼女もそれくらいは想定している。孤児院の結界には相手が嘘をつけば直ぐにでも分かるように、更に言えば幻術等を阻害する術式を仕込んでいた。隙はない。

 

 そもそも半妖の子は差別され、同時に金になる存在だ。単なる妖嫌いだけでなく、人身売買を目論むヤクザ者にモグリの呪い師だって子供達を欲しがる。実際にそれで襲撃を受けた事すらあった。子供達もその点については良く自覚している。不用意に誰かを招く事なぞなかろう。それ故に彼女はこの条件を加えた。

 

 彼女は、吾妻は本当に我が子の身を守るためのように真剣で、真摯だった。

 

 しかし……彼女もある意味では長い太平が続く中で平和呆けしていたのかも知れない。

 

 そう、妖という存在は何処までも卑怯で、卑劣で、下劣な存在だという事を彼女は思い出すべきだったのだ。そうであれば、きっとあのような油断なぞする事も、抜け道も許しはしなかった筈だったのに……。

 

 ……悲劇と惨劇に至る舞台はこうして整えられたのだった。




 貫咲賢希先生がpixivにてファンアートを描いて下さった模様です。下記アドレスを検索くださいませ

https://www.pixiv.net/artworks/84132333

 貫咲賢希先生からも御指摘がありましたが、他の方々もファンアートをお描き頂ける場合、細かいキャラ描写・設定等について疑問がありましたらどうぞ気軽に作者にメールを下さって構いません。
 
 今後とも、本作を御愛読頂けましたら幸いです。


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第一五話

累計二〇位、お気に入り登録者数一〇位とか感動の余り心臓発作で死にそう


御愛読者の一人から本作の二次R-18作品を執筆して頂けたようなのでそちらもどうぞ。(多分R-18で鬼月葵で検索したらヒットします)
他の方も興味があればガンガン書いて下さいませ。作者は可哀想なのでもイケるタイプなのでシチュエーションの遠慮はいらないぞ!!(唐突な性癖暴露)


 『闇夜の蛍』の前日譚『狐児悲運譚』における物語の流れはこうだ。

 

 都を守る退魔士達によってズタボロにされた所を、自らの魂を何十と切り刻む事でどうにか生き残った妖狐。分身達は都とその周辺で人食いに精を出す一方で唯一つ、特殊な分身を分けていた。それが自らの存在の根源たる『半妖』としての自分自身である。

 

 狐璃白綺は只の凶妖ではない。より正確には極めて珍しい半妖から凶妖にまで至った存在である。

 

 こればかりは吾妻雲雀も想定していなかっただろう。半妖という存在自体が決して多くはないし、半妖は人間に迫害され、妖にも食われやすい存在だ。凶妖どころか完全な妖に至る者すらまず殆んどいないし、そんな存在が分け身をした結果どうなるかなぞこれまで事例の報告もなかった筈だ。何よりも化け狸の半妖として相手の嘘や演技を見抜けるだけの観察眼があるからこそ足を掬われた。

 

 実際問題、白い狐の少女は何一つ嘘はついていなければ邪な考えなぞ全く抱いてもいない。凶妖としての、妖としての邪悪な部分から削ぎ落とされて、自身のこれまでの残虐な所業の記憶も引き継いでいない彼女は本質的に只の無垢な半妖の子供に過ぎない。

 

 しかし、同時に彼女は間違いなく九尾の凶妖狐璃白綺の分け身であった。故に彼女が何処にいるかを他の分身達は把握していた。尤も、残る分身達は当初、この情けない分身を捨て置く積もりでいたのだが……。

 

 半妖としての、少女としての記憶と意識を保持するこの根源たる分身を、しかし他の妖としての分身達は疎んでいた。文字通り血反吐を吐く程の困難を切り抜けて凶妖にまで至った彼女らにとって脆弱で臆病で、泣き虫で弱気なただただ搾取されて虐げられるだけだったあの頃の自分は捨て去りたい恥部に過ぎない。本来ならばこの機会に自らの存在から切り離し、何処ぞで野垂れ死にしようと問題もなかった筈なのだ。事実、小説内では分裂したばかりで意識も記憶も曖昧な彼女はふらついた足取りで夜の新街を不用意に歩いた結果破落戸共に見付かりそのまま私刑にあってしまう。そして、本来ならば彼女はそこで死んでいた筈なのだ。

 

 半妖の少女が幼少期のように、初めて人を殺した時同様に言われのない悪意に晒されて、私刑に遭い、死にかけた所を吾妻雲雀に助けられ孤児院の新しい住民となる……それが新たな悲劇の幕開けだった。

 

 考えても見ろ。そこらの人間と半妖、どちらが力を取り戻そうとしている妖にとって糧として有用か。ましてやそこに様々な理由があるとは言え一時は陰陽寮の頭にまで至った孤児院の院長がいれば一度捨てたこの分身に再び関心も持とうというものだ。

 

 そして、不運は重なる。吾妻雲雀は平和呆けをしていたが、それだけではない。いや、正確にはそれらの不運と状況を観察して狙われた以上考えが甘かったのも事実であるが全体を知る第三者からしてみれば確かにあの悲劇は不運が重なった結果だったのだ。

 

 吾妻雲雀が指定した結界の条件付けは長らく感想スレや考察サイトでも平和呆けしすぎた事によるガバとして指摘され、叩かれたがその後のファンブックや他の外伝作品によって設定が更に公開された後はそれも減った。『闇夜の蛍』及びそれに付随する作品世界においては彼女の行動は少なくとも界隈の一部で指摘された程にはお気楽な考えによるものではなかった事が判明したからだ。

 

 そもそも『闇夜の蛍』の世界においては妖が本当に存在するし、ましてや御守りや藁人形の呪い、おまじないの言葉にすら本当に加護がある世界観である。そんな世界においては誰かを家に上げるという行為は現実世界以上に重要な出来事であり、子供ですらそれくらいの事は理解している。ましてや、迫害やら人身売買や実験の対象になりかねない半妖の子供なら尚更だ。吾妻自身も良く躾をしている事もあり、子供だからといって適当に口八丁だけで家の中に招かれるなぞ到底不可能だ。

 

 同時に吾妻が結界に加えた条件はある意味妥当ではあった。妖力の有無やその容量で出入りの遮断はリスクがあった。前述のように孤児院を害する可能性があるのは妖だけではない。寧ろ、平時に危険なのは人間の方であるし、実際過去には襲撃もあった。人間であれば警戒しなくて良い訳ではない。

 

 それどころか妖力で区別してしまえば何かの拍子に子供達が孤児院から出てしまっては戻れなくなるし、あるいは他の半妖の子供が助けを求めても中に入れられなくなってしまう。実際に吾妻の保護した半妖の中には破落戸に襲われて逃げこんだ者や、人身売買の場から脱出した者もいるのだ。そんな子が吾妻雲雀が留守中に孤児院を頼って逃げこもうとして中に入れられなかったらどうなるか……。

 

 何よりも、仮に孤児院に大人がいたとしても化け狐の侵入する策の前では無意味であっただろう。あのような外道過ぎる手段を使われたら大人が何人いても、十中八九侵入を許した筈だ。寧ろしっかりしていて真面目で、倫理観がある者程引っ掛かり易いかも知れない。

 

「そして誤って化物を招き入れた所で蹂躙されて踊り食い、しかもその後は………」

 

 正直口にしたくもない程にあの所業は余りに下劣だった。現実ではない、小説の文章としてですら嫌悪感を抱かせる内容、ましてやそれがこれから実際に起こり得る状況である事を思えば愉快ではない。

 

 そして、より問題なのはこの件については介入が思いの外難しい事であろう。橘商会に対するイベントは恩を売るためという口実でゴリラ様を動かす理由にはなり得る。

 

 では孤児院は?残念ながらゴリラ様等をここでけしかけるのは困難だろう。連座とは言え不祥事で陰陽寮頭を引退させられた半妖を助ける理由なぞない。いや、そこまでなら交渉次第では不可能ではないかも知れない。しかしながら鬼月家にとっても、姫様にとっても孤児院の半妖の子供まで助ける義理はなく、当然ながらそれがなければ吾妻雲雀と協力するのは不可能だ。

「俺が一人顔を出しても信用されないだろうしな」

 

 幾ら嘘か真かを見定められる狸の半妖とは言え、外套で正体を隠して現れても疑惑しかないだろう。正体を見せても鬼月家に対して何を思うか知れたものではないし、そも下人の言葉ともなれば頭を弄られている可能性も考えて容易に信用すまい。というか最初に出会したあの時の印象からしてサーチアンドデストロイされる可能性も少なからずある。気軽に接触出来ない。

 

 そして、何よりも俺からすればここで雌狐を完全に仕止めてしまいたかった。既にある程度俺の顔も、ゴリラ様の顔も割れている。原作スタートの時点でこれがどんな影響を与えるか分かったものではない。雌狐が原作の行動からどのように逸脱するか知れないので、恐らくは原作通りに行動するだろう最初のイベントである孤児院での踊り食い祭りで勝負をつけたい。糞、ゴリラ様が遊ばずに一気に勝負をつけてくれればこんな苦労をせずに済んだのにな……!!

 

「まぁ、そういう事で選択肢は限られる訳だが……ははは、ある意味これは一番不味い選択をしたかな?」

 

 外套で認識阻害した俺は肩を竦めて苦笑いを浮かべる。場所は都の新街でも特に治安の悪い悪所、賭場は勿論脱税した塩や酒売り、無認可の屋台にモグリの呪術師の道具屋、舗装もされず、すえた臭いがして時たま死んだ動物や人間の死体が転がるぬかるんだ地面に佇むのは夜鷹の群れに柄の悪い無頼漢共……俺はそんな町並みを一人の老人を尾行するように歩いていたのだが……。

 

『グルルルル………!!』

 

 設定資料でもあった悪所の路地裏にぽつんと構えられた古書店、老人がそこに帰り、続いて俺が入店した時に目の前にいたのは巨大な熊だった。正確に言えば野生の熊が長い時間を経て妖として大成した存在『鬼熊』だ。赤く光る瞳に身の丈は優に二丈はあろう。最低でも大妖程度の格はあろうか。俺の顔を覗こうと顔を近づければ生温かい鼻息と吐息が顔に当たる。当の鬼熊の方は外套のせいで此方の顔を認識出来ないようだが……。

 

「ふぉふぉふぉ、御客かね?にしては随分と物騒なものを携えとるがの」

 

 その愉快そうな声に視線を移す。「迷い家」同様に何らかの細工をしているのだろう、内部が店構えよりも遥かに広い古書店の一角で、安楽椅子に座る白く長い髭を蓄えた皺だらけの老人が残虐な笑みを浮かべて此方を見ていた。その膝にいるのは黒猫で、尻尾が二本ある事から明らかに只の飼い猫ではない。

 

「……お初にお目にかかります。彼の有名な陰陽寮の賢人、松重家の道硯翁にお会い出来た事感激の至りで御座います」

 

 俺は内心の恐怖と動揺を抑えて、両手を組んで挨拶をする。そうだ、大丈夫だ。これくらいの事は元々想定済みの事だ……うぅ、お腹痛い。この前の狐との戦闘で肋骨折れたんだぞ?薬で痛み誤魔化すのも限界があるってのにな。

 

「朝廷の刺客、ではなかろうな。ここらの、素人に毛の生えたモグリ共よりかは心得はありそうだが……儂を殺すには実力が無さすぎる。幾ら朝廷の馬鹿共でもよもや貴様程度の刺客はよこすまいな」

 

 ニヤニヤと自身の考察を口にする老人。それはまるで俺に言い聞かせるような言い様だった。となると……。

 

「………」

「……ふむ、言霊術を警戒したか。その判断は正しいぞよ?今答えておればそのまま主は自然と自身の事について口にするように誘導されていたからの」

 

 愉快そうに老人は企みを認めた。言霊とも言うが言葉に力を込めて音から耳に、そして脳に響かせてある種の催眠状態に陥れる言霊術は一度気がつけば意識をはっきりとさせる事でその術中から逃れる事も出来るが、いざその場で使われているかの判断が難しい。相手が妙に長く、そして説明するように、ないし誘導するように会話を仕掛けて来たら最大限警戒が必要だ。俺の場合は口の周りを噛んでその痛みで意識をはっきりとさせる。痛みは脳の覚醒に丁度良い刺激であるし、口の中ならば血の臭いが外に漏れて妖を引き寄せにくい。

 

 ……後で口の中が口内炎になって困るけどな。傷口に塩塗っとかないとなぁ。

 

「……然る一族に仕える者であります。一族の名と、私の名について口にするのは御容赦下さいませ」

「そうであろうな。素性を知りながら儂相手に素直に名前を口にするのは阿呆よ」

 

 くくく、とくぐもった笑い声を上げる老人。

 

 ……道硯翁こと、元陰陽寮斎宮助兼理究院長である松重道硯は原作のゲーム及び幾つかの外伝作品に登場する悪役であり、助言キャラでもある。その実力は語るまでもない。チートクラスの人外が犇めく陰陽寮で数十年の間そのナンバーツーに君臨していた実力は本人が本質的に戦闘よりも研究者気質である事を考慮しても一級であろう。所謂外道キャラではあるが同時にある意味ではこの世界において最も信念と義務感に満ちた存在でもある。故に今回俺は接触を試みた。

 

「して、何用かな?鬼月の下人よ。態態誰にも話さずに指名手配されておる儂に接触を図るなぞ暇潰しではあるまい?」

「………」

 

 その発言に俺は一瞬言葉を失った。おい、バレとるやんけ。……気付かない間に幻術にでもかかったか?

 

 俺の一瞬の沈黙に老人は楽しげに膝の化け猫の頭を撫でる。そして鬼熊に指で指示をした。ずしんずしんと大きな足音と共に下がる化け熊。

 

「声を上げたり不用意に否定しないだけマシかな?いやなに、先日商隊が襲われた事件を聞いておってな。式で少し探らせていただけの事よ」

「………翁に一つ、御依頼したい案件がある由にて」

 

 俺は動揺を悟らせないように淡々とした、感情を殺した口調で申し出る。

 

「ほぅ、儂に依頼とな?正気とは思えんな。本来ならば儂の存在を知り次第国に申し出るべきであろうに。ましてや依頼とは。発覚すれば主は打ち首の上獄門に処されよう。まさか理解していない訳はあるまいに?」

 

 朝廷の、帝の定めし法を破り禁術やその他の儀式についての研究を秘密裏に行っていた事で朝廷から追われる老人は俺に問う。んな事は百も承知なんだよ。

 

(落ち着け。ここからが勝負だ。相手を失望させる言葉は使うなよ………)

 

 外套に顔を隠した俺はこの場に漂う死の気配に精神をへし折られそうになるのに耐える。そうだ、ここで目の前の爺を失望させたら終わりだ。

 

 表向きの設定だけだと只の邪悪で利己的なマッドサイエンティストであるがそれは擬態だ。目の前の老人は実際は彼なりに正義を信じ、民草を愛する退魔士である事を忘れてはならない。

 

 ゲーム内では特に半妖や極一部の善良な妖、更には犯罪者とは言え人間相手にすらその酷い所業から主人公達から敵視される翁であるが彼自身は人間を極めて愛している……らしい。人間を守り、繁栄させる事を至上の目的として規定し、そのためならば自らの命すら惜しまない。

 

 逆に言えば彼にとって妖は当然として半妖、そして社会の足を引っ張る犯罪者等はどうなろうが構わないというスタンスだった。いや、前者二つに至っては将来的に皆殺しにしようとすら目論んでいる程だ。そしてそのための禁術の研究であり、その研究のために多くの半妖や犯罪者を実験の材料として来た。

 

 故に表面的な行いのみを見て只の利己的な外道として交渉したら痛い目にあう。幾ら金を積もうとも、利益を提示しようとも彼は民草の命や財産が脅かされるような事も、ましてや社会を混乱させるような事もしないし許さない。そこを勘違いすれば怒りに触れて呪い殺される事になろう。ある意味ではこいつも地雷キャラだ。ゲーム内でも終盤のルート選択次第で敵にも味方にもなる。

 

 そして、俺はまさにその設定を利用しようとしていた。

 

「吾妻雲雀、御名前はご存知でありますね?」

「……ふむ、彼女か。確か今はこの街の外れで化物共を育てているそうだの?くくく、奴が追放された原因が距離があるとは言え同じ街にいようとはよもや奴も思っておるまいだろうな」

 

 仙人を思わせる白い髭を擦りながら、思い出すように翁は答える。その表情は明確に愉悦に満ちていた。

 

「はい。しかしながら元陰陽寮頭にてかの大乱を戦い抜いた功労者で御座います。半妖とは言え長年朝廷に、そして民草に尽くしたその功績は否定出来るものではありますまい」

 

 俺は一般論で彼女の事を弁護する。

 

「して、奴の話題が依頼と何の関係がある?」

「彼女に危険が迫っております。それも、命に関わる類いのものであります」

「………」

 

 俺の言葉に何か考え込むように沈黙する翁。一分程経過しただろうか?沈黙が場を支配する中、彼は漸く口を開いた。

 

「鬼月の下人がこの時期に、先日の事件にここ最近街で徘徊する狐共、そして奴が最近拾った化物を思えば大体予想はつくな。しかしながら、あの程度の化物にあの女が不覚を取ると思っているのかな?」

 

 曲がりなりにも、元陰陽寮頭。凶妖だった時ですら都を守る退魔士達と碌に戦えなかった獣如きが彼女に勝てるのか?まともに考えれば論ずるに値しない戯れ言だ。しかし……。

 

「はっきり申し上げましょう。吾妻雲雀は食われます。そして、あの孤児院の住民も全て。そこまで言えば貴方程聡明なお方であればその危険性は御理解頂ける筈です」

 

 あの半妖達の中には相当貴重な妖の血を引く者も交ざっている。ましてや陰陽寮の元頭を食らえばどれだけの力が得られるか……下手すれば分け身をする前よりも強大な妖に生まれ変わるかもしれない。そうなればさしもの都の退魔士でも不用意に手を出せまい。

 

「……あの女が随分と甘かったのは事実であるがな。奴が頭になってから寮の空気は随分と弛緩したものだ」

 

 翁は思い出すように口を開く。設定によれば彼女が、吾妻雲雀が陰陽寮頭に就任していた時代、所属する退魔士達の関係はかなり良かった事が設定されている。

 

 鬼月家がそうであるが退魔の一族は内部が殺伐としている事が少なくない。呪いが本当にある世界であり、あからさまに才能と血筋の差がある世界であるのだからさもありなんである。しかも、特に先手必勝とまではいかないが嵌め技や即死技も多いので余計その傾向が強い。(だからこそ姉御様の権能はかなり反則だったりする)

 

 陰陽寮でもその点は変わらず、互いに功績を巡って足の引っ張りあいがあるし、我が強い者も多く、切磋琢磨していると言えば聞こえは良いがかなり職場の空気は悪かったらしい。吾妻雲雀はその点で半妖としての苦い経験や年の功、顔の広さもあって寮内での仲介役、潤滑油役として活躍して寮内部の風紀の改善と協力と協調関係の構築で功績を立てていた。

 

 ……尤も、彼女が追放されてからは再び空気が悪くなったらしいが。忌々しい狐を逃したのも巡り巡れば退魔士達が実力は災害クラスなのに連携不足な事が原因だと制作スタッフは指摘していたりする。

 

「態態化物を肥やしてやり、貴重な戦力を失うのを放置してやる事もありますまい。多くは望みません。ただ、ほんの僅かながら某に協力をして頂きたいのです」

 

 俺は膝を曲げて恭しく頭を下げる。年長者に対して協力を求める者として。

 

(ここで素直に協力を取り付けられれば最善なのだが………)

 

 しかし………。

 

「安易に応じる、訳にはいかぬなぁ」

 

 ……そう簡単には問屋が卸さないのは想定していたさ。

 

(この男が疑念に思うとすればこれが朝廷が仕掛けた罠である可能性、あるいは報酬か。それとも………)

「傍らに化物を侍らせた男の言葉をどこまで信用すると思う?ましてや相手は大嘘つきの鬼となればの」

「っ………!!?」

 

 俺は外套に隠しつつ視線を横に向けて苦虫を噛む。おいおいおい、よりによってそれかよ……!!

 

(いや、ある意味当然過ぎるな……!!)

 

 一応隠れていないか調べてから出向いたのだが……どうやら、俺の目が節穴だったらしい。これは鍛練をやり直さないといけない、等と目の前に集まるドス黒い妖気を見ながら俺は思う。

 

「これは少し驚いたね。彼が随分と尾行を気にしていたから俺もかなり入念に隠行したんだけどなぁ。こんなあっさりと見つかるなんてね」

 

 托鉢坊主の姿をした鬼はかなり困った笑みを浮かべていた。翁はそれを見て目を細めるも――

 

「――ほうほう、まさか生きていたとはの。彼の悪名高い碧い鬼が未だに生きておったとは。しかもよりによってこんな場所でとは!」

 

 翁は自身が見抜いたにも拘わらずかなり驚きに満ちた表情を浮かべていた。流石に鬼であることまでは把握していたようだがあの碧子様であるとまでは見抜き切れなかったようだ。

 

(これは不味いな……)

 

 妖嫌いの翁の前であの悪名高い鬼が出てきたとなると、俺の信用ガタ落ちだ。最悪ここから生きて出られるかも分からない。鬼は兎も角、俺如きではまず目の前の枯れた老人には勝てない。

 

「……さて、鬼月の下人よ。これは如何なる事かな?朝廷どころか、まさか化物の紐付きであったとは。返答次第では主の依頼を退けるだけでは済まんぞ?」

 

 間違いなく手加減されたであろう霊力の圧力は、しかしそれだけで俺は気絶しそうになった。そうならずに済んだのはこれまでの経験のお陰だ。全く嬉しくないが。

 

「……この場に鬼を導いた無用心は謝罪しましょう。しかし、某が鬼の紐付き等というのは心外というものです」

「そうそう、その通りさ。流石にそれは侮辱というものじゃないかなぁ?」

 

 意識を繋ぎ止めて辛うじて口に出た俺の発言におちゃらけたように鬼が横槍を入れて来た。おい。

 

 俺が外套越しに非難の視線を向けるのを、しかし鬼は気にする素振りも見せない。そして………。

 

「そうだね。ここからは少ーし恥ずかしいお話になるからね。少しだけ眠っていて欲しいな?」

「えっ?」

 

 次の瞬間、首筋に叩きつけられた衝撃に俺はその意識を暗転させた。意識が途絶える直前、最後に見たのはすぐ目の前で楽しげに笑みを浮かべる鬼と、目を見開いて驚いた老人の姿だった………。

 

 

 

 

「……まさか驚いたな。貴様程の化物が、只の下人相手に彼処まで手加減して慎重に意識を刈り取るとは」

 

 老人の驚愕も無理はない。千年前、この碧鬼が都でどれだけの残虐な行いをしたのか、その記録ははっきりと残っている。民草に対して毎日一町単位で一人生け贄を選ばせる、食い殺した人間の骨で自分の屋敷を造る。内裏の結界が強固過ぎるために門の前に命乞いする民草を人質に並べて帝を脅迫する……そんな事はほんの余興に過ぎない。都を恐怖の底に追い落とした四凶の名は伊達ではない。それが……。

 

「後遺症なんて出来たら困るからね。当然の行いさ」

 

 適当に振るうだけで人体が消し飛ぶ程の腕力を持つ鬼にとって相手の肉も骨も削らず、後遺症も作らずに意識を刈り取る衝撃を与えるのはどれだけ難しい事か。ましてやそうやって倒れた人間が頭を床にぶつけないように優しく抱き支えるなぞ、何よりも相手を慈愛に満ちた目で見つめるその表情……到底あの悪名高い鬼と同一の存在とは思えないだろう。

 

「あー、何処か寝かせられる場所はないかなぁ?……おい、そこの熊。何か持ってこい」

 

 指向された妖力の濁流が鬼熊に向けられた。捕獲された後式神として魂まで改造された大妖は生来の狂暴性を完全に失い子犬のようにプルプルと震える。鬼はそんな雑魚の態度に不快感を募らせてその首を切り落とそうかと考えが……。

 

「源武、そこに丁度敷物と布団があった筈だ。持ってきなさい」

 

 主人たる老人の命に慌てて熊の化物は従う。びくびくとしながらその大きな腕でちびちびと敷物に枕、布団を畳の上に用意すれば鬼は途端に機嫌を直して所謂お姫様抱っこした下人をそこまで運び、丁寧に横にする。

 

「いやぁ、助かった助かった。流石にずっとお姫様抱っこだと彼も身体が痛むからね。肋骨が折れているから無理はさせられないよ」

 

 そうやって横にした人間に布団を被せた後、枕は投げ捨てて膝枕する鬼。そのまままるで母親か何かのようにニコニコと笑みを浮かべる。

 

「……その人間に、随分と御執心なようだな。碧鬼よ」

「当然さ。彼は俺の一番の御気に入りだからね。こういう時くらいは大切に扱わなきゃ」

 

 欲望に忠実で、我慢を知らず我が儘で、その癖飽きっぽく他者に対してばかり気難しい鬼が随分と殊勝な態度な事だった。

 

「この者との関係を聞いても?」

 

 故に翁は尋ねる。鬼は何を切っ掛けに怒り狂うか分かったものではない。この二人の関係を知らなければ次の瞬間何が起こるか知れたものではないのだ。

 

「俺の英雄さ」

 

 鬼は短くまずそう言った。そして、続ける。

 

「俺には分かるんだよ。一目で分かった。彼はきっと偉大な存在になれる。いや、なる。それこそ俺を討ち取れる程に、俺が討たれるに足る程にね。だってそうだろう?彼はね、これまで一度だって俺の期待を裏切らなかったんだからさ」

 

 そして、美女の姿をした化物は口元を歪める。人間には出来ない程に大きく、そのたおやかな唇の隙間から禍々しく鋭い牙を見せて。

 

「俺はね、英雄譚の完成を見たいのさ。だからこそ彼に協力しなきゃ、ね?あぁ、けど二人で昔みたいにはしゃぎまわるのも面白いなぁと思ったりしてるんだ。まぁ、その辺りは彼の気分次第だからね。俺が勝手に決めちゃ悪いだろうね」

 

 途中から鬼は質問に答えるというよりも只の自分語りをしていた。それはまさに自己中心的で身勝手な鬼らしい言い様だった。

 

「成る程……」

 

 そして、淡々と翁はその答えに納得する。元より鬼の返答なぞそんなものだと分かっていた。しかし、それだけでも多くの事が分かった。

 

(鬼に魅入られたか。憐れな事だの)

 

 老人は今更のように横たわる男に同情の視線を向ける。鬼に気に入られるなぞ、ある意味では鬼に食われるよりも遥かに不幸な事だった。

 

「あ、そうだった。はいこれ」

 

 ボキッ、というグロテスクな音が部屋に響く。そして鬼がぽいっと老人に何かを投げつけた。式にした化け猫が口でそれを捕らえて主人の下に持ってくる。

 

「これは……」

「依頼の代金兼彼が俺の手先なぞでない証拠、といった所かな?普段血反吐を吐いて頑張っているからねぇ。今回は俺のせいで話がややこしくなったようだから、その代金だよ。腐っても千年生きる鬼の一部だ、それなりに価値があると自負するけど?」

 

 鬼が投げつけたのは……指だった。恐らくは左手の小指、それ自体が千年生きた化物の一部である。実験や儀式の材料としての価値は相当なものであるだろう。いや、それ以上に尊大で傲慢で自尊心の強い鬼がたかが人間のために小指とは言えそれを千切って差し出すなぞ……。

 

「……たかが人間のためにこれ程の事を。あの悪逆な鬼とは思えんの」

「その言い様は困るな。悪逆で残虐で、悪名高くないといざ衆目で討たれても誰も注目してくれないからね。これは口外無用でお願いさせて欲しいな?」

 

 まるで悪戯好きな町娘のように、口元で人差し指を立ててそう宣う。

 

「まぁ、そういう事でお願いだ。流石に俺もこれ以上の妥協は誇りのためには出来ないよ。後の細かい話は彼としてくれたまえ。どの道今回俺は端役だからね」

 

 片目をつむってそう呑気に言い捨て、鬼はそれきり老人から興味をなくした。そのまま傍らで横たわる人間の頭を優しく撫で上げ始める。しかしそれを無礼と咎める事も、不快に思う事もない。老人はそれが鬼という存在にとって人間相手に最大限譲歩した態度である事を理解していたからだ。

 

「………どうやら、そのようじゃな」

 

 鬼の何処までも耽溺とした様子を見ながら老人は小さく呟く。そして、彼は理解した。鬼のその歪んだ価値観を、その愚かな企みを、そして横たわる男がどのような絶望的な状況に陥っているのかを。

 

「……ふぅむ、これは仕方あるまい、かな?」

 

 そして老人は髭を擦りながら仕方無く決心した。この男に協力する事を。せざるを得ない事を。そして、この男を鍛え上げなければならぬ事を。それが、それこそが目の前の狂気に満ちた愛を胸に抱いた化物を殺せる数少ない機会である事を理解したから。

 

 ……そして、逆に彼が誘惑と嘘によって道を踏み外して鬼へと堕ちぬために、その際に生まれ落ちたばかりの鬼を世界に解き放つ前にいつでも殺せるように。

 

 そう、それがたとえ目の前の狡猾な鬼の目論見通りであったとしても。それが両者の目的に沿う限りにおいては……。



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第一六話

 多くの場合退魔の専門家によって呆気なく殺されるが、妖は元来強大な存在である。いや、退魔の専門家達でさえ古の昔は返り討ちにあう事の方が多かった程だ。

 

 今の時代こそ嵌め殺しや概念攻撃をしてくる一部の大妖、凶妖相手でなければ危なげなく虐殺出来る退魔士達であるが、それは力ある者同士で代を重ね続ける事で霊力を濃縮し、より強力な異能を獲得し、莫大な犠牲を下に化物退治のノウハウを得たから出来る事だ。

 

 代を重ねておらず、装備も二級三級品しか持たぬモグリの呪術師や下人では精々小妖相手に一対一で勝ち、中妖相手に確実に勝ちきるのに十人は必要といった程度の力しか持たず、それすら戦い方を知らぬ唯人相手には破格の力を持っているのだ。無論、同じく脆弱な霊力しか持たぬ武士の場合はその少ない霊力を全て身体能力向上のみに注ぎ込み、鉄の塊のような鎧と同じく鈍器の如き武器を扱う事で化物に対抗しているし、少量の霊力すら持たぬ朝廷の兵も数を揃えた上で火薬兵器を始めとした飛び道具を大量・集中運用する事で大抵の化物と辛うじてであるが対等に戦う事は出来る。

 

 逆に言えばそうでもしなければ唯人が単体や数体程度であれば兎も角妖の集団と戦うのは無謀を通り越して自殺行為に等しい。個体差こそあるが小妖の力すら訓練して武装を整えた一般の兵士とほぼ互角なのだから。

 

 故に深夜の都の新街、その悪所の一角に構えられていた酒場に幾人ものやくざ者の死体が散乱していようとも、彼らが碌に抵抗も出来ずに虐殺されていたとしても何も不思議はなかった。

 

「ふむ、少し脂っこくてしつこい味だが……まぁ、こんな場所にいる輩なぞこんなものか」

 

 がつがつと決して広くはない酒場の彼方此方で肉塊と化した人間に食いつき奪い合う狐共。そして唯一人、客席台に座り込む妖艶な五尾の狐人は手元にこびりついた血肉を一舐めして味の感想を述べる。農民とは違い町人は、特にこんな場所に居座るやくざ者ともなれば肉食も随分と嗜むようで栄養価は兎も角味は余り宜しいとは言えない。とは言え、別に食事は二次的な目的に過ぎないのでこの際は仕方なかった。寧ろ本当の目的は……。

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よう、六人か。ちと多いな」

 

 酒場の隅でガタガタと震える生き残りの人間を数えてふむふむと考え込む妖狐。それは到底先程十人を超える人間を数秒もせずに皆殺しにした者とは思えなかった。

 

「ふむ、よし。お前だ」

「えっ……ひがっ!?」

 

 選ばれた男が悲鳴を上げるよりも早くその命令に従った狐が喉に食い付きこれを噛み千切る。男は口から赤い泡を吹き出し、喉から大量の血液を噴き出しながら苦しみつつ息絶えた。

 

 悲鳴を上げる残りの生存者。しかしその声に気付く者はいない。この酒場には既に人払いと防音の妖術がかけられているからだ。

 

「五月蝿いな。少し静かにしたらどうだ、猿共が」

 

 ほんの一瞬、妖気を乗せた殺気を向ける。それだけで彼らは息を呑み、幾人かは気絶した。碌に妖と相対した事のない都の住民であると考えれば当然の結果であった。

 

「さてさて、これで準備は上々かな?……この分だと明日はご馳走だな」

 

 匙で「入れ物」から桃色の「柔肉」を掬いあげ赤い舌に乗せてその濃厚な脂と甘味を味わいながら、おぞましい笑みと共に化物は明日の獲物に思いを馳せた……。

 

 

 

 

 

 青い空に日差しは未だに照りつけていたが、同時にそれは先日に競べればかなり和らいでいた。蝉の鳴き声も少なくなり、吹き上げる風は若干秋の涼しさを醸し出していた。 

 

 夏も終わりに近づき暑さが遠退いて来た文月の終わり頃のある一日、その日は本当ならば彼女にとって普段と同じ日常となる筈だった。

 

「それじゃあ、私は仕事に行くからな?皆、お利口にしているんだぞ?……知らない人は中に入れちゃ駄目だからな?」

「はーい、わかったー!!」

 

 吾妻雲雀が念押しするように言えば子供達は元気にそれに応じてくれる。無論、それは考えなしの口だけのものではない。半妖として彼ら彼女らは自分達が外でどう扱われるのかを知っていたし、そうでなくても見知らぬ者を家に上げる危険性は重々承知していた。故にその声はその口調とは打って変わり心底真剣なものだった。

 

 吾妻が子供達の返答に微笑みながら頷く。と、彼ら彼女らの集まりから少し離れた場所から心配そうに、そして不安そうに自身を見やる白い少女の姿を認めた。その白い肌は普段以上に蒼白に思えた。

 

「白、そこで何をしている?ほら、お前も此方に来なさい。一緒に見送りしてくれないか?」

 

 膝を折って、子供と同じ視線になってから優しく彼女は手招きする。

 

 若干動揺しつつも、少女はてくてくと吾妻の下に駆け寄るとぎゅっと抱き着く。

 

「あのね?今日ね、こわいゆめをみたの」

 

 少女は震えながら呟く。彼女自身も既に殆ど覚えていないがそれが身の毛もよだつおぞましい夢であった事だけは覚えている。故に不安感からか彼女は吾妻が仕事に出掛ける事を怖がっていた。

 

 ……問題はそれが夢ではなかった事であるが。

 

「そうかそうか。それは辛いな。じゃあ今日は白のためにも出来るだけ早く帰る事にしようか」

 

 白を抱きしめ、その頭と背中を擦りながら吾妻はこの新しい家族を安心させるように声をかける。

 

「ほんと……?」

「勿論だとも。けど、お仕事は休めないからね。その間は皆と一緒に我慢してくれるかい?」

 

 白は一瞬俯くが、直ぐに他の子供達の方を見て、彼ら彼女らがにっこりと笑顔を見せてくれれば遠慮がちにではあるが小さく頷いて吾妻の言を受け入れた。

 

「よしよし、良い子だな。お前達、まだ白はここに来て間もない。寂しくならないように良く面倒を見てやってくれ」

 

 吾妻がそう言えば再度子供達が元気に返答してくれる。吾妻はそれに安堵すると漸く立ち上がり、次いで結界等の綻びがないかを確認した後、子供達に見送られながら職場である寺子屋へと足を進めた。

 

 一方で、子供達は母親代わりでもある孤児院長がいなくなるとはしゃぎながら遊び始める。そこはやはり子供なのだろう。尤も、吾妻もそれくらいの事は想定済みで限定的であるものの防音の機能を結界に付与してはいた。より正確に言えば外からの音は届くが中からの音が外に漏れないようにしていた。単純に子供の騒ぐ声が迷惑になりかねないし、何よりも孤児院の中の様子を教えて怪しい者達の注目を引く必要はない。

 

 そして子供達もそれを知っていたので周囲に気兼ねなく大声を叫びながら遊ぶ事が出来たのだ。

 

「白ちゃん、おままごとしよー!」

「えー、それよりもかくれんぼしようよ!」

 

 年長の子供達が白に駆け寄ってそう誘うのは吾妻のお願いもあって新しい仲間に寂しい思いをさせたくなかったためでもあるし、同時に彼ら自身も遊びたかったからだ。両手を各々逆方向に引っ張られて誘われて戸惑う狐の少女。

 

「しろおねーちゃん、おほんよんで!!」

 

 そこに助け舟を出したのは蜥蜴のような尻尾をばたばたと機嫌良さそうに振るいながら本を手にした茜だった。尤も、彼女自身は助け舟を出した積もりはなく自身の欲求のままに行動しただけなのだが。

 

 孤児達の中で一番年下で、一番甘えん坊で、一番泣き虫な茜がそう言えば誰も文句は言えない。皆から妹のように可愛がられる彼女のお願いを無下には出来なかった。何よりも白は本人も何故かは分からないが孤児達の中で一番文字を読む事が出来ていた。となれば狐の少女がどの遊びを選ぶかは明白だ。

 

「うん、わかった。茜ちゃんいこう?」

「うんー!」

 

 周囲の困ったような態度を見て、同時に決して長くはないこの孤児院での生活から彼ら彼女らの力関係を察した狐の少女は若干苦笑いしつつも可愛い仲間の要求を受け入れて孤児院の縁側に座って読書を始める。

 

 紙の大量生産が成されておらず、活字印刷の技術も未熟なために本は若干変色していた。恐らくは古本屋であろう、幾年か前に匿名で孤児院に寄贈された道徳教育のための教訓本であった。

 

「じゃあ今日はどの話がいい?」

「えっとね。おじぞうさんのはなしー!」

 

 白の質問に茜が元気良く答える。彼女の口にした話は笠掛地蔵のお話だ。単純にその話が好き、というよりか茜という少女は毎回食べ物が関係する話が好きなようで、それ故の選択のようだった。

 

 貧しい老夫妻が年の瀬に餅も買えず、雪の降る中で笠を町まで売りにいく。しかしながらおんぼろの田舎笠なぞ誰も気にも止めやしない。仕方無く家に帰ろうとすると雪を被ったお地蔵様を見つけ、これを憐れに思った老人は売れ残りの笠を与え、足りない一人には手拭いを代わりに被せた。夜、老夫妻が寝付いていれば物音が。二人が戸口を覗けばそこには米俵に野菜に魚、小判や布地が納められた箱が山のように積み上がっておりました。それは心優しく、善良な老夫妻に対する地蔵達の贈り物でした。

 

「さっていく地蔵達においのりをしたお爺さんとお婆さんは、こうしてすばらしい新年を迎えることが出来たのです。めでたしめでたし」

「ふーん」

 

 優しく語り聞かせる白が話を終えると本の中の挿し絵を覗くようにじーと見ながら茜は新しい家族に尋ねる。

 

「白おねーちゃん。この家からね。すこしはなれたばしょにおじぞうさまがあるの」

「そうなの?」

 

 茜の突然言い出した言葉に白は少しだけ困惑した表情で尋ね返す。まだ彼女は孤児院周辺の地理を理解仕切れていなかった。

 

「うん。それでね。今度ね。わたしかさつくりたいとおもうの。冬になってね。ゆきがふったらそのかさをおじぞうさまにあげたらこのおはなしみたいにごはんくれるかな?」

「えぇぇ……それは……どうなんだろう?」

 

 付き合いは短いが既に妹のように思える茜の言葉に、流石に白もはっきりとは言い返せなかった。狐の少女は善良ではあったが、その脳裏の奥底では先程自分が語った話が所詮は物語に過ぎない事を理解していた。してしまっていたから。

 

(そうだよ。たすけなんて……やさしくしても、よいこにしていても……)

 

 自分達は誰にも迷惑をかけていなかったのに。母と二人で村外れで畑を耕して静かに暮らしていただけなのに!それなのに……それなのに……!!

 

(たすけをよんでもだれもきてくれなかった。よいことなんかしていても、していても。そうよ……だからわたしは………)

「白おねーちゃん?」

「ふぇ?え、えっとごめんね。茜ちゃん。何かあつくてぼーとしてて……」

 

 狐の少女は茜の声に我に返り、誤魔化すように答える。同時に彼女自身、自らが何を考えていたのかを不思議に思っていた。

 

(もしかして、いまのって……)

 

 記憶が無いので分からないが、それが自身の存在の根底を司る要素であったように彼女には思えた。

 

(そもそも、わたしって誰?いや……何なんだろう?)

 

 記憶はなく、生まれた場所も思い出せない。その癖文字は読めるし、良く怖い夢を見る。それらが何の関係もない独立した要因であるとは思えない。そしてそれら個々の内容の中には明確に不穏なものもある。

 

「………」

 

 白い少女は内心でそれを恐れる。彼女にとってこの孤児院は大切な存在だ。過ごした時間は短くても安心して、穏やかに過ごせた場所だ。自分のせいでそんな場所を、そこにいる人々を危険な目に遭わせたくはなかった。

 

「……あのね、白おねーちゃん。わたしね。おもちだいすきなの」

 

 そんな白の様子をじっと見た後、唐突に茜は口を開く。

 

「おもち、ですか……?」

「うん!おぞうににいれたらとってもおいしいの!あとね!あんことかね、きなことか、あ!さとうしょーゆもおいしいんだよ!!」

 

 若干目を輝かせて、口元に涎を滴ながら幼女は餅の美味しさを語る。飽食の時代であれば兎も角、白米が未だに貴重なこの世界では餅米もまた贅沢品であるし、同時に餅は米の旨みを濃縮した食品だ。庶民にとって白米がご馳走という価値観に基づけば餅の価値は推して知るべしである。

 

「そ、そうなの……?」

 

 茜の喜び具合に僅かに引きつつも白はその先の話を促す。

 

「うん。けどね。この前のお正月はね。みんなでおもちたべたんだけどおかーさんだけたべなかったの」

 

 その言葉を口にしながら茜は悲しそうな表情を浮かべた。

 

「おかーさんね。いつもわたしたちにごはんもわけちゃうの。おかーさんのほうがおおきいしおしごともあるからたべないといけないのに」

 

 そこまで言って茜は再度本を睨み付ける。そして鼻息荒くして宣言するのだ。「だからつぎのおしょうがつのためにおじぞうさまにかけるかさつくるの!」と。

 

「それでね、おもちたくさんもらうの!おねーちゃんもいっしょにつぎのおしょうがつはたべようね!」

 

 屈託のない笑顔で茜が口にした言葉に狐の少女ははっと息を呑み込む。目の前の妹のような少女が自身を気遣っての言葉である事を理解したから。そして、自分と一緒にこれからも暮らしたいと言ってくれた事に感動して、白は胸の奥が熱くなる。

 

「うん。そう……だね。みんないっしょにいれたらいいね」

 

 だから白は答える。そして肯定する。彼女もまたそれを心から望んでいたから。

 

 この時、殆ど全てを失っていた少女は、しかし確かに幸福の中にいた。同時に彼女はこのほんの小さな、しかし温かく大切な幸福を守りたいと子供心に決心していた。

 

 ……しかし、その幸福は長くは続かない。続く事はない。運命の刻は、絶望の時間は、惨劇の瞬間はもう直ぐそこにまで迫っていたのだから。

 

 

 

 それは昼過ぎの事だった。もしも吾妻が孤児院に残っていれば既に事態が異様な事に気付いていただろう。孤児院の周辺は人払いの妖術によって人気が消えていたのだから。

 

 その甲高い、獣の断末魔のような悲鳴が響くと同時に子供達は肩を震わせて、殆ど同時にその声の方向を向いていた。

 

「えっ……?な、何?いまのこえ?」

 

 蹴鞠で遊んでいた子供の一人が不安そうに呟いた。同時に響くは激しく孤児院の戸口を叩く音。

 

「ひっ……!?」

「な、なに?だれ?」

 

 その鬼気迫る激しい音に子供達は怯える。しかしながら、年長の子供の一人が直ぐに戸口に近付き、その隙間から外を様子を覗くように恐る恐ると確認した。

 

「お願いだ!!誰か開けてくれ!助けてくれ!!だ、誰もいないのか……!!?」

 

 戸口を数名の男達が絶望と恐怖に表情を歪ませながら叩いていた。同時に彼らの後方より響き渡るのはおぞましい妖の遠吠え。

 

「えっ……?」

 

 次の瞬間一人の男が虎よりも遥かに大きい化け狐に咥えられてそのまま戸口や地面に叩きつけられた。戸口に叩きつけられて手足がボキリとへし折れ、地面に叩きつけられて肉が引き裂かれる。

 

「ひゃあぁっ!!?」

 

 それを目撃した少女が咄嗟に隙間から離れて悲鳴を上げる。その様子を見て数人の子供が少女を心配するように声をかけて、同時に何があったのかを尋ねる。年長の男子達は好奇心か、それとも義務感からか、怯えつつも代わりに隙間を覗きこんだ。

 

「あ……うぅ………」

 

 同時に彼らは言葉を失う。目の前で起こっている惨劇を幼い頭は直ぐには理解出来なかったからだ。戸口を激しく、必死になって殴り付ける男達。そんな彼らの後方では数人の人間だった赤と白の混じりあった「もの」に食いつき、啄んでいく化け狐の群。血肉の何とも言えない臭いが離れている筈の子供達の下にまで漂ってきて………。

 

「うえっ………!?」

 

 気の弱い男子の一人は咄嗟に吐きそうになって戸口から涙目になって離れる。他の男子達も、いやそれ以外の子供達も顔を青くして事態の恐ろしさを感じ取った。そして一人の少年は咄嗟に未だに事態を把握していない仲間に外に沢山の化物がいる事を叫ぶ。

 

 それは事の重大性を教えるための善意であったのだろうがこの場合においては失敗と言わざるを得なかった。

 

「そ、外にたくさん妖がいるって……!!」

「ひっ!?あ、妖が……!?どうして!?」

「ひ、いや……わたしたちたべられちゃうの!?」

 

 不安が伝染するように子供達に広がり、あっという間に恐慌状態一歩手前にまで陥る。不味い……それが危険である事に気付いた年長の子供の一人がこの混乱を収める理由もあって咄嗟に思い出したように叫び声を上げた。

 

「おちつきなよ!おかーさんがいってたでしょ!この家はけっかいがあるからだいじょうぶだって!」

 

 その言葉に子供達の不安は一瞬弛緩する。未だに恐怖はあるものの、彼ら彼女らは自らの母親代わりの吾妻の力を子供ながらに良く知っていた。

 

「そ、そうだよね!」

「おかーさんはつよいからだいじょーぶだよ!」

 

 半分自分達に言い聞かせるように彼ら彼女らは互いを励まし合う。ひきつりつつも無理矢理にでも笑顔を浮かべる子供達。それは互いに安心するためのものであった。しかしながら、その緩みかけていた空気は、次の瞬間には皆の中で最も新参者である狐の少女によって凍りついた。

 

「ねぇ、ここは安全なのよね?じゃあそとにいるひとたちはどうなるの……?」

 

 その言葉に子供達の表情は強張った。刹那、狙い済ましたかのように叫び声が響いた。

 

「お願いだ!助けてくれ!!助けて!助け……嫌だ!死にたくない……嫌だあぁぁぁぁぁ!!?」

 

 泣きじゃくりながら戸口を殆ど殴るように叩いていた男は足を噛みつかれるとそのまま引き摺られていく。必死に地面に爪を立てて逃れようとするが無意味だった。爪が剥がれて地面に赤い筋が出来る。そして、十分戸口から離された所で餓えた化け狐達が群がる。響き渡る絶叫。覆い被さる狐達の中からもがくように傷だらけの腕がじたばたと伸びるがそれも直ぐにだらりと下がって飲み込まれていった。

 

「ひぃっ……!?」

 

 戸口の隙間からその最後を見た少女の瞳が小さな悲鳴を上げて耳を塞ぎながら打ち震える。目からは涙が流れ出ており、恐らくはその思考は完全に混乱していた。

 

「お願いだぁ!!開けてくれぇ!!早くしろよぉぉぉ……!!」

「誰かいるんだろぅ!!?分かっているんだぞ!?……頼む、お願いだ!開けてくれ!!見捨てないでくれぇ………!!」

 

 さめざめと泣きながら残る二人の男が叫ぶ。その体は所々怪我をしていて衣服が赤く染まっていた。絶望の表情で恐らく戸口の向こう側にいる者達に……子供達に懇願する。

 

「ね、ねぇ……!!?」

 

 少女の一人が顔を青くしながら男子達を見る。子供達は皆互いを見やり、泣きそうな顔を浮かべる。それは葛藤であり、恐怖だった。目の前の惨劇、そしてその要因の一つが自分達の判断にあったのだから。

 

「あの人達もお家にいれてあげよう!?このままだとあの人達も……!!」

「けど、知らない人をいれちゃだめなんだよ!?お母さんにおこられちゃうよ!!」

「だけどかわいそうだよ!!」

「けど……!!」

 

 年長の子供達を中心に激論が交わされるが答えは出ない。そして、こうしている間にも残り少ない貴重な時間は確実に失われていた。

 

「畜生!早く開けやがれ!ぐあぁぁ……!?痛い!痛てぇよぅ……!?」

 

 その悲鳴に戸口の側にまで来ていた白は思わず戸口の中を覗き、次いで息を呑んで目を離した。横腹からだらだらと血を流し続ける絶望に歪んだ表情の男を見ればさもありなんだ。

 

「白ちゃん、とびらあけてあげよう!早くしないとあの人たちしんぢゃうよ!」

 

 年長の女の子が涙目になりながら白に向けて叫ぶ。吾妻の育て方もあったのだろう。感受性が高く、まるで外で起きているおぞましい事を自分の事のように見ていた。

 

「えっ?あ……う、うん!!」

 

 一瞬その判断に従うべきか戸惑う白、しかし……事は既に一秒を争っていた。最早悠長に議論をする暇なぞない。白は外の人々を助ける事を選んだ他の子供達と一緒に戸口の閂を外して急いで扉を開け、招き寄せる。

 

「こ、こら勝手に……もう!」

 

 見知らぬ者を中に招き入れるのに反対していた子供達も今更どうする事も出来ない。慌てて生き残りが孤児院の中に飛び込んだ後に扉を閉めようとする。

 

 それは吾妻が道徳的に教育してきたお陰だった。確かに外の人間は怖いし、酷い目にあった者もいる。しかし、それはそれとして苦しんだり困ったりする者を見捨ててはいけない事を子供達は良く教え込まれていた。

 

 ……それ自体は間違っていない。寧ろ正しい教育であっただろう。結界の存在もあって子供達の判断も決して誤りとは言いきれない。しかし、この場に限ればそれは失敗だった。

 

 背後から飛びかかってくる化狐に噛みつかれる寸前に「招かれた」男達は戸口の内側へと入り込む。その後を追う狐共は、しかし戸口に向かって飛びかかった瞬間、「招かれず」に見えない壁にぶつかり、悲鳴をあげて後退した。結界の機能は正常に働いているように思われた。

 

「だ、だいじょうぶ……?」

「この中にはいったらあんしんだよ?」

「こわかった、ないてもいいよ?」

 

 慌てて孤児院に入ってそのままぜいぜいと息する男二人に子供達は駆け寄ってそう語りかけようとする。

 

 男の一人が涙ながらに息を整えると、子供達の姿を視認し、若干驚きながらも子供達にむけて何かを口にしようとした。そして次の瞬間、傍らにいた今一人の身体が……「破けた」。

 

「えっ?ぎゃっ……」

 

 口を開こうとしていた方の男が異変に気付き、そう呟いてそちらの方向を向いた刹那、巨大な影が彼の身体を頭から飲み込み、そのまま男の身体は腹部辺りから噛み千切られていた。

 

 ……いや、正確には背骨が千切りきれなかったのでそのまま男の上半身が仰ぐように飲み込まれる時に下半身が空中に中途半端に繋がった状態で振り回されて、そこで漸くボキリという音と共に下半身は回転しながら孤児院の庭先の畑に臓物と血液を撒き散らしながら突っ込んだ。

 

「い、いやああぁぁぁぁぁぁ!!!???」

 

 その光景を最も近くで目撃してしまった猫耳を生やした半妖の少女が悲鳴を上げる。一瞬遅れて残る子供達も悲鳴を上げる。そして、その泣き声に身を包まれながら「彼女」は満面の笑みと共にその姿を現した。

 

 成る程、確かに幻術は使えぬし、嘘もつけないか。相当に良く出来た結界であるが、所詮はそれだけの事だ。どのようなものにも構造的な弱点は必ずある。今回の場合は一つに中に住まうのが子供である事はつけ入る隙がある事を意味した。

 

 無論、だからと言って舐めればほぼ確実に事は失敗するだろう。都を舐めて痛い目にあい、商隊を襲うのに失敗してと本来の運命よりも遥かに弱体化し、かつ失敗続きの化け狐は冷徹かつ冷酷にその小細工を仕掛けた。

 

 ……結局、変化をしなければ、嘘を吐かなければ孤児院の警備の術式には引っ掛からないのだ。故に彼女は変化の術なぞ使わなかったし、嘘を子供に言わなかった。ただ、変化する代わりに剥いだばかりの「人間の皮」を被っただけだ。助けを呼んだのも嘘ではない。あのままであれば確かに同行する囮役の人間共は「食われていた」だろうから。

 

 妖は邪悪で、狡猾で、悪辣だ。そして小狡く物事の穴を突く。化け狐は悪所でいなくなっても問題ない人間達を生け捕りした後、そのうち一人の皮を生きたまま剥いで掏り変わった。その上で孤児院の直ぐ近くで彼らを放して追い立てて、わざと孤児院に助けを求めるように誘導した。変化の術も、嘘破りの術も擦り抜けて、善良な子供達が化物達から見ず知らずの人間が食われる所をあからさまに見せて、助けを求める彼らを結界の内側に招かせた。

 

 人皮を破り捨てて、どうやって入っていたのかも分からない巨大な人食い狐が姿を現す。残酷な笑みを浮かべて歪む口元から先程食った男の血が幾つもの赤い筋を流して流れていた。ベロリ、とそれを長い舌で舐めあげながら優越感を含んだ冷たい視線で化け狐は半妖の子供達を……柔らかく旨そうな獲物を見下ろす。

 

「あ……あぁ………」

 

 妖狐が放出する強大な妖力を前に子供達は金縛りに近い状態に陥っていた。何が起きたのかも分からぬままに顔を引きつらせ、あるいは唖然とした表情を浮かべ、幾人かに至っては足を震わせて、あるいは尻餅をついてしまい、その場から逃げ出す事も出来ない。

 

 ……尤も、妖気なぞなくてもどの道恐怖で何も出来なかっただろうが。

 

 巨大な妖狐は悠然とした態度で一歩進む。そして一番近場の少女達……戸口の閂を開いた子供らだった……を見つめると目をスッと細めた。    

 

 幾人かの子供達と共にその視線を受けた白はそれが嘲りである事を殆ど本能的に察した。同時に彼女は気付いた。この巨大な化物が明確に自身を見て嗤った事を。

 

 そして妖狐はガバッとその長い口を全開まで開く。鋸の刃のような牙が並び、唾液と血が混じった粘液が線を引く。そしてそのまま化物は先程男にそうしたように上から覆い被さるように白の側にいた少女に食らいつこうとしていた。

 

「にげ……」

 

 それは殆ど反射的な行動だった。まさに何も出来ずに丸呑みされようとしていた仲間を白は突き倒してその場から離れさせる。しかし、次の瞬間白が視線を化物に向けた時、その視界一杯に化物の口蓋が広がっていた。  

 

 刹那、彼女の脳裏にその記憶が甦る。そして絶望しながら理解したのだ。此度のこの状況を、この先何が起きるのかを。その原因たる者が誰なのかすら。

 

「そんな………」

 

 嘆きと後悔と自己嫌悪から、殆ど反射的に彼女は小さくそう呟いた。ああ、こんな事ならば「あの時」死んでおけば良かった。こんな場所に長居しなければ良かった。さっさと一人になっておけば、一人で野垂れ死んでしまえば良かったのに……!!

 

 しかし、全ては遅かった。遅すぎた。最早手遅れだ。その鋭い牙はコンマ数秒後には白い少女の華奢な身体を突き立て、抉り取り、引き千切るだろう。少女は無力感に打ちひしがれる。そして襲いかかってくる筈の痛みを覚悟した次の瞬間だった。……目の前に突如突き立てられた長槍がその牙を食い止めたのは。

 

「えっ……?」

 

 涙目の少女は何が起きたのか良く分からずに視線を移す。長槍の柄に沿って視線を動かし……その先端に佇む外套を着こんだ人影の姿を彼女は目撃した。

 

「ぐっ……!?重っ……ちぃ……!!」

 

 少女の目の前で、人影は長槍を引き抜く。重い妖狐の牙を受け止めた事によってその刃と柄が共に酷く傷んだ槍を引き抜いた人影はそのままぼろぼろになった長槍を仕方なさげに構える。

 

「……あぁ、うん。まぁそうだよな?そりゃあ二度目だから驚きやしないけどさ?はは……畜生!」

 

 ……認識阻害の効果のある外套のせいで顔なんて全く見えない筈なのに、その人影が今まさに心底苦々しく引きつった表情を浮かべているのだろう事を狐の少女はその疲労と絶望感を含んだ一言からありありと読み取る事が出来た。




尚、式神越しにゴリラと鬼が生放送視聴中の模様


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第一七話●

貫咲賢希さんが鬼月葵の立ち絵を描いて下さいました
下記アドレスから閲覧出来ます

https://www.pixiv.net/artworks/84313302


「あらあら、これはまた随分と古典的で陳腐な手な事」

 

 上洛に際して逢見一族から借り受けた屋敷の一室で幼さと妖艶さを兼ね備えた桃色の少女は……鬼月葵は鏡台を通して見た小賢しい狐が結界を越えるために使った手法をそう評する。

 

 人の道徳心や善意につけ入る方法も、人体の一部を利用して結界を誤魔化す方法も、それをするのには相応の知性が必要なものの、特段変わった手段ではない。

 

 実の所、似たような手法は人妖大乱中には数多く報告されている。特に大乱中の妖側の大将軍の一人であり未だに討伐されていない『妖母』なぞ、大乱の末期には食った人間を『素材』にして人間に擬態させた化物を大量に『産卵』した。お陰様で朝廷側は長年対妖用に特化せしめ研究・発展した結界術式を全て放棄して新体系で結界を構築しなければならなくなった程だ。それに比べればまだ可愛いくらいだ。

 

 恐らく同じくこの光景を式神越しに見ている鬼も似たような感想を抱く事であろう。あの鬼もかつて都で暴れていた際には今回の狐よりも遥かに悪質に人の心に付け入るやり方で内裏の結界を越えようとあの手この手を弄していたとされている。尤も、それを逆用した右大臣の卑劣な策に嵌められて半殺しになって逃げ出したのだが。

 

(問題は彼が結界を越える手段だったけれど……そういう事ね)

 

 あの札付きの手配犯に接触した際には警戒もしたが……成る程、確かにあの妄執的な老人ならば半妖ばかりかき集めた孤児院に何もしないなぞ有り得ない。いざという時の保険くらいは用意しているか。

 

「何処から情報を得たのか知らないけれど……確かに良い目の付け所よ」

 

 式神を通した情景が映りこむ鏡台を見ながら鬼月葵は自身の唯一にして最愛の者の判断にそう評価を下した。確かにあの老人は劇薬ではあるが有用だ。流石に彼女でも彼に教えられる事には限度がある。鬼月葵は意欲さえあれば何でもそつなくこなせる才人ではあるがその本質はその一族の中でも群を抜いて強大な霊力を使った力押しである。いや、鬼月家自体が退魔の一族の中では霊力の高さで知られる家系であり、当然その技能も霊術の体系もそれを前提としたものが多い。霊力の絶対量が不足する彼に適任とは言い難い。

 

 そう考えれば松重一族のあの老人は不本意ながら相性という面で最適であるのは事実だ。あの一族はそれなりに古いが……退魔士一族の中でという前提条件があるが……特段霊力が高い一族という訳ではない。肉弾戦も(比較的)得意ではない。

 

 その代わりに術式に対する理解が広く深い一族だ。基礎的で単純な術式でもそれらを応用して、あるいは組み合わせる事で、凶悪な使い方をする事でも知られている。ましてや陰陽寮の第二位の地位にいて禁術の研究にも手を染めていたあの翁である。鬼月家でも知らぬ技術を持っていても可笑しくない。

 

「最悪、関係が発覚しそうになれば私が動けば良い事ね。折角の機会、ここは好きにさせてあげるべきでしょうね」

 

 そう余裕綽々な態度で嘯いて彼女は鏡に視線を戻そうとして……近付いて来る人の気配を察して一度鏡台と式神との繋がりを断ち切る。

 

「……何用かしら?」

「姫様、赤穂家からの遣いが挨拶を参りたいと訪れておられます。先日の戦働きの功績の祝いだと」

 

 障子の向こう側で正座をして頭を下げる女中がそう客人の来訪を告げる。

 

「赤穂……?ああ、大方あれね」

 

 母の実家からの使者、となると誰が来たのか大体予想がついた。そういえば何日か前に商隊の救出の功績を絶賛する手紙が来ていたが……余り興味がないので忘れていた。

 

「折角来たのだから、適当に持て成しておきなさいな」

「いえ。しかしながら……先方は姫様にお会いしたいとの御要望でして……」

「今忙しいの。会う気はないわ。そんなに会いたいのなら待つようにいいなさい。半日くらい経てば多分時間も出来るでしょう」

 

 若干殺意すら湧きつつ、冷たい口調で葵はそう言い捨てる。よりによって都合が悪い時に訪問してくれるものだ、と内心で彼女は毒づいた。

 

 別に彼女個人としてはあの小娘が……あの従妹が自分をどう思おうがどうでも良かった。あの従妹が自分の事を実の姉のように慕い、子犬のように目を輝かせて自身の後ろについて来る事に興味なぞない。好きにするが良い。

 

 だが……人が折角お楽しみ中なのに狙ったかのように足を運び、あまつさえ時間が欲しいとは身の程知らずにも程があろう。何故あんな小娘のために自分が砂金よりも貴重なこの時間を使ってやらなければならないのか?

 

 いっそ切り捨ててやろうか、なぞと一瞬考えるが流石にそれは不味かろう。故に葵は重ねて女中に命じる。

 

「今は大事な儀式中なの。何日、いえ何週間も前から準備していた程のね。到底途中で止められないわ。だからあれにも言っておきなさい。私の事を思うならそこで余計な事を考えず待ちなさい、とね」

 

 物分かりの良い貴女ならきちんと待ってくれると信じているわ、とあれが勝手な事をしないように文言を付け足しておく。

 

 女中が困り果てつつも命を承諾して恭しく部屋の側から離れたのを確認した葵は簡易な結界を部屋に張る。それは防音の効果も付与されており、外からのどうでも良い雑音を遮断するためのものでもあった。

 

「さて、これで邪魔者はいなくなったわね」

 

 そして再度式神と鏡台の繋がりを開くと、彼女は脇息に肘をついてそれの鑑賞を再開する。そして、彼女はそれに気付いた。

 

「あら」

 

 式神の視点を移動させて、彼女はそれを見つける。そして、心底楽しげな笑みを浮かべる。

 

「良い瞳、使えそうね。それに手元にあれば面白そうだわ」

 

 そう言ってから、手元に置かれた菓子置きを引き寄せて、その上に置かれた羊羹の一つを爪楊枝で一刺し。そのまま当然のように、平然と高価なそれを口の中へと入れて濃厚で舌触りの良い甘さと風味を味わうと彼女は再度口を開く。

 

「ふふふ、貴方。お土産、期待しているわよ?」

 

 傲慢に、そして高慢に、鬼月の姫は最愛の男に無断で期待を上乗せした。それが彼に十分可能だと見抜いた上で……。

 

 

 

 

 正に食事を始めようとしていた所に、突如現れた俺の姿に化け狐は憤慨する。

 

『貴様、何者……いや、この臭いは嗅いだ覚えがあるぞ?……あの時の雑魚か!!』

 

 巨体な狐の化物は鼻息を鳴らすと俺の正体に気付いたらしい。流石化物、鼻が利くな。一応臭いは落とした積もりなのだが。

 

『だが貴様、何故結界の内に……?いや、そもそも何故建物の方向から出てきた?』

 

 襲撃をかける以上当然であるがある程度孤児院の内部や構成員については調査済みなのだろう、故に妖狐は俺がこの場に、しかも前門から現れたのではない事に困惑し、警戒していた。待ち伏せでも食らったのかと恐れているのだろう。より正確に言えばゴリラ様なり他の退魔士なりがまだ控えているのではと考えているのだろう。

 

「さてな。言ってやる義理はない」

 

 俺はブラフを効かせる意味もあって意味深げにそう口にする。

 

 ……実際の所、戦力として換算出来るのは俺くらいのものだった。いや、あの爺が戦力外というのは正確性に欠けるものの、出来るだけ俺一人でどうにかしたかった。余り札付きの人間を派手に動かしたくないし、本人も望んでいない。

 

 正直な話、俺にとってこのイベントにおける最も重要な課題は戦闘以前に『いつそれが生じるか』という事と『どう結界を越えるか』という事だった。

 

 霊力の絶対量が少ない俺では四六時中式神を飛ばして監視出来ないし、いざ事が生じた時に移動するのに時間がかかる。結界の内側に入られる前にどうにかするのが一番であるが……それが可能とは限らない。

 

 故に監視のための目は翁に委託した。その上で狐共に動きが見えた時点で直ぐに仕事……内京の巡回……を抜けて駆けつけたのだが……やはり遅かったな。釣り餌役にされた人間は全員食われた後で結界の内側にも入られていた。

 

 結界の内側に入られたらこれまた翁の出番だ。正確に言えばこれは俺のためではなく、彼が以前から仕込んでいた保険である。

 

 禁術を応用した言霊術を仕込んだ本は流石に吾妻雲雀も把握してなかったようだ。本内に気付かないように言霊の呪文を散りばめ、それを読み、聞き重ねる事で少しずつ時間をかけて催眠を掛けていく。

 

 その隠匿性のために命じる事の出来る命令は事前に拵えた単純なものばかりであり、それ故に必要な霊力は極小、ましてや禁術指定のために吾妻自身存在を知らないともなれば察知しようもない。因みに設定では大乱中はこれの更に強化版の術が活用され、主に朝廷側は軍を撤収させる際のブービートラップとして使用したらしい。下手に知能と知性のある妖が情報収集のために放棄された極秘資料を読めば資料内に仕込んだ術に嵌まって同士討ちや自爆をするという寸法だ。卑劣だな、おい。

 

(とは言え、流石にあれは少し驚いたな……)

 

 捻曲がった槍を構えつつ俺は思い出す。元々は翁がいざ孤児院を焼き払うことになった際に結界抜け等のために仕込んでいた言霊術、それが発動して孤児院の裏口にいる俺を『招いた』のは蜥蜴の尻尾を生やした幼女だった。ぼんやりと、夢心地で俺を『招く』と直ぐに術は効果が切れる。するとそのまま我に返った幼女に泣きながら足に抱きつかれて助けを求められたのだから困惑した。取り敢えず宥め賺して隠れておくように言ったが……。

 

「おい、そこの。餓鬼共を連れて隠れていろ」

 

 俺は背後にいるだろう白い狐の半妖にそう命じる。正直彼方此方に子供がいる状態で気を使いながら戦うとか俺には無理だ。さっさと避難して貰いたい。

 

「えっ……あ、はいっ……!!」

 

 化物の分身たる少女はびくりと震えつつも此方の言葉に応じて近くの他の子供達の手を取ってその場から離れる。狐はそれに何もしない。それよりも此方を警戒している。丁度翁が孤児院周辺に別に対妖用の強固な結界を結んだのも一因だ。何処かに隠れているであろう退魔士を警戒して下手に動けずにいた。

 

 尤も、翁の協力はここまでだ。ここから先は俺が死にでもしない限りはあの爺は何も手を出さないだろう。札付きで潜伏している関係上、彼もこれ以上動きたくはあるまい。

 

「つまり、ここから先は独りょ……くぅ!?」

 

 襲いかかる太く、長く、半ば音を置き去りにした尾の一撃を身体を伏せて寸前で回避した。やべぇ、今の直撃したら上半身と下半身が泣き別れしてた……!!

 

 攻撃は終わらない。俺が身体を伏せた所目掛けて放たれるのは音の形を取った暴力だった。先日ゴリラ様に向けたのと同様の、あるいはそれよりも強力な咆哮。目にも見えない破壊の嵐を、俺は放たれる直前に身体を回転させて距離を取る。同時に先程俺のいた場所の地面が爆音と同時に吹き飛んだ。多量の砂と土が宙を舞う。角度的に孤児院に直撃しなかったのは幸運だった。そして……。

 

『ふん、同じ手なぞ……!!』

 

 粉塵の中から投擲された槍を前足で弾き返す妖狐。同時に視界不良の中、周辺の臭いを探り警戒する。別の武器を投擲してくるか?それとも粉塵に紛れて接近してくるか?式神で陽動でもしてくるか……?

 

『そこか……!?』

 

 粉塵に紛れて漂ってくる臭いから逆算して狐はそちらを攻撃する。鞭のように振るわれる尾がうっすらと現れた影をその直後に貫いた。だが……。

 

『これは……ちぃ!!また式神かっ!!?』

 

 貫かれた人形はしかし外套を着こんだ人間ではなく、不恰好な歩く案山子に過ぎなかった。ポンッ!と白煙と共にただの紙に戻る式神。

 

『何度も何度も小賢しい真似を……ぐおっ……!!?』

 

 狐は罵倒を吐いたと同時にその鼻腔と目元に激痛を感じてのたうち回った。涙を流し、咳き込む。それは式神から発生した白煙が原因だった。

 

 白煙の正体は気化した催涙剤と刺激剤だった。薬草を磨り潰して、あるいは発酵させて、混ぜ合わせたそれは、特殊加工した火薬と共に陶製の鋳物の中に詰め込まれている。そして微量の霊力を注がれると火薬は発熱し始め、薬品を気体に蒸散させる……という仕組みだ。しかも今回のものは鬼月家の抱える薬師衆の新作、試作品だ。幾ら数百年生きる妖狐でも受けた事がないだろう部類の刺激の筈だった。

 

『ぐおおおぉぉぉ……こんな小細工でぇ……!!ふざけるなよ小僧がぁ!!』

 

 相手の接近を許さないように涙を流しながら尾を乱雑に振るい接近を警戒する狐。鼻が利かず、粉塵と涙で視界も不明瞭、しかも結界に閉じ込められて動ける範囲が限定されている以上、それが彼女に出来る最善の策だった。

 

 そして俺は、その策に乗らない。あの尾の嵐に突っ込めば直撃しなくても風圧だけで身体が削れかねない。危険過ぎた。

 

「だからこそ……行け、貴様ら」

 

 荷物を背負った式神の鼠が数頭、地面を這うように駆ける。相手が人間相手に尾を振るっているために地を這う矮小な鼠の存在に気付かなかった。

 

 そして、鼠共が狐の足元まで駆け寄った時、漸くその気配に狐は気付いた。

 

『何?鼠だっ……』

 

 そこまで口にした瞬間、鼠は爆発した。正確には鼠の式神が背負っていた爆薬が、だ。刺激剤のお陰で火薬の臭いに気づけなかったのだろう。薬師衆の知り合いから個人的に受け取っていた低品質の火薬、それだけならば爆発の威力もたかが知れている。故に竹筒に尖らせた小石を詰めて手榴弾のように運用した。狙いは臓器等が密集して警戒の薄い腹部。そして……漸く俺も動く。

 

 隠行で密かに背後に回っていた俺は、霊力で脚力を強化して一気に距離を詰めに行く。途中腹から血を流した化け狐は此方の存在に気付いて振り向きながら鬼火を放つが、それは以前したように式神をぶつけて幾つかは無力化、残りは直撃寸前で正面に盾役の人形の式神を発現させて受け止めさせる。粉塵と白煙の中で燃え盛る人形の姿に一瞬とは言え化け狐は俺を仕止めたと勘違いした。その刹那の油断を突くように俺は攻める。

 

『……いや、まだかっ!!』

 

 その気配に気付いた狐は今度は正面を向いて尾を振るう。振るわれた尾は当然のように粉塵のように正面から突っ込んできた数頭の烏の式神を切り刻んだ。しかし、それが陽動なのは明らかだった。

 

『っ!?やはり此方が……』

「本命だよ……!!」

 

 咄嗟に振るわれた狐尾が真横を通りすぎた。空を切る音と共に身体の左側の外套が削れて生地が風に乗って吹き飛ぶ。いや、身体自体も少し削れたか、鈍い痛みが左腕や左足から感じた。だが、ここまで懐に入り込めば……!!

 

 狙うは爆薬によって既にある程度の傷を負った化け狐の腹である。内臓系ないし動脈部を短刀で損傷させて持久戦に持ち込みながら弱らせる……!!

 

「うおぉぉぉぉぉ!!!」

 

 ゴリラ様から承った無駄に切れ味の良い短刀は咄嗟に張られた妖気の障壁を平然と突き破り、心臓に繋がる動脈が通り、内臓があるだろう一角にあっさりと突き刺さった。鳴り響く悲鳴。

 

(よし、このまま傷口を広げるために捻りながら短刀を抜いて離脱を……!!)

「出来ると思うたか……!!」

 

 その声に俺は振り向いた。そこにいたのは此方を憎悪の表情で睨み付ける血の滲んだ白服を着込む女……銀色の長い髪に宝石のように輝く青い瞳をしたそれは間違いなくゲーム内において主人公を何度も襲ったあの狐璃白綺その者であった。

 

(不味い……!!)

 

 俺が地面を蹴りあげその場を退避しようとしたのと衝撃が襲ったのはほぼ同時だった。

 

「がはっ……!?」

 

 叩きつけられた裏拳を、以前のように直前の跳躍と衣服の下に仕込んだ籠手で威力を削るが、以前よりも遥かに強力な一撃の衝撃を殺しきれる訳もない。そのまま地面に叩きつけられる。あ、今骨から変な音聴こえた。

 

「おえっ……!?げほっ……!!?」

 

 俺は地面に血と胃液と内容物の混合物を吐き出した。

 

(ヤバい。前回の時は多少の打撲で誤魔化せたが……今の一撃を受け止めた左腕、間違いなく折れた……!!)

 

 立ち上がった俺はぶらんぶらんと揺れる左腕を見て苦笑いを浮かべる。糞、油断した。相手は腐っても元凶妖だっていうのにな……!!

 

 俺は痛み止め……と言えば聞こえが良いがある種の麻薬類を丸薬にした物を飲み込む。これで多少痛みは誤魔化せる……といいなぁ。

 

(どの段階で幻術に引っ掛かった?少なくとも爆弾の時までは現実なのは救いだが………)

 

 人の姿に成り済ます妖狐の姿を見て、俺は推測する。腹部の衣服は赤く染まっている。相手の息も荒く、よく見れば汗も流れている。やはり下手に肉弾戦するよりも火薬を使った方が効率的か。

 

「とは言え完全な不意討ちですら戦闘向きでない大妖を仕止め切れないか……!!」

 

 俺は短刀を構えながら苦虫を噛む。一応この時に備えて色々シミュレーションはしてきた。相手に先手先手を打つ事で選択肢を狭めさせて戦いの主導権を握る。下手に化物に自由な動きをさせたくなかった故の行動はしかし最後の最後で破綻した。

 

「フゥー、フゥー……よもや、退魔士どころかたかが下人如きにここまで手玉にとられるとはな……!!」

 

 腹部から流れる血を手で押さえつけながら、獣のような唸り声を上げる化物。その表情には明確な焦りが垣間見えた。たかが路傍の石程度の価値しかない俺相手にここまで追い詰められるのは想定外だったらしい。無論、結界を張った退魔士等、何処かに隙を見せたと同時に自分を襲撃してくる存在がいないか警戒していたのも一因だろう。俺個人に対して意識を集中させ、全力で挑めなかったのは化物が此方が仕掛けた罠の数々に見事に嵌まった要因だ。

 

 しかし、それもどうやらここまでのようだ。恐らくここまで俺が追い込まれても、幾度となく致命的な隙があっても何らの介入もなかった事から彼方もそろそろ此方のブラフに気付いていると考えるべきだ。

 

「地を這う虫は虫らしくしておけば良いものを……!!私に!この強大な力を持つ私に立ちはだかりこのような屈辱を……!!許さんぞ猿がぁ!!」

 

 重傷を負っているとは思えぬ程の禍々しい妖力を身に纏い、此方を睨み付ける化け狐。

 

「猿猿五月蝿いぞ、狐が。来いよ、毛皮を剥いで敷物にしてやる」

「言わせておけば……!!」

 

 俺の挑発に目を見開き怒り狂う化物。そうだ、お前さんは短気で感情の起伏が激しいからな。こんな安い挑発でも乗ってくれると思ってたよ……!!

 

「死ね!!」

 

 刹那、妖狐が口から青白い火炎を吐き出した。辺り一面に広がる炎は孤児院の畑を焼き払い、戸口に土壁も業火に飲み込む。孤児院自体が反対側で助かった。餓鬼共が巻き添えになったらどうしようもなかったからだ。もし挑発しなかったら冷静な頭でその事に気付かれてしまっていたかも知れない。

 

「これは余り自信がないが……!!」

 

 俺は空中に術式をこめ、残る少ない霊力を総動員してそれを結び、跳躍した。

 

 空中に、とは言え民家の天井より多少高い程度の上空に構築したのは物理的な結界である。そのサイズ、精々が硯程度……それは物理的な結界の構築が霊力をかなり使うためにサイズの制約がある事も一因だがそれ以上にそれだけで十分であった事もある。いや。寧ろ小さくて倒れやすい足場の方が好都合だ。奴の狙って来る一撃をやり過ごすには……。

 

「来たか……!」

 

 直ぐ真下は水をかけた程度では容易に消えぬだろう業火……その熱気に肌を焼かれそうになりながら俺はそれを辛うじて確認した。……瞬間目の前に映るのは手刀で俺の頭をかち割ろうとする狐璃白綺……!!

 

「ちいぃぃぃぃ!!!」

 

 事前にその予測を立てていた俺は手刀の一撃を寸前で避け……切れずに左肩を貫かれる。痛いいぃぃぃぃ!!!??

 

「あっ、がっ……!?こな糞があぁぁぁぁ!!!??」

 

 涙目になりながらも俺は覚悟のカウンターを行う。化け狐が!頭に血が上ってる時のてめぇが頭狙って来るのは分かってんだよ!!!

 

 俺はそのまま短刀を突き立てて化け狐の胸元へと押し込む。グサリと肉を刺した感覚が短刀の柄越しに感じ取れた。だが……。

 

(浅い……!?)

 

 恐らく骨か筋繊維か、何かに刺さって短刀は深く刺さる事はなかった。そして、それはこの場においては致命的だった。

 

「がはっ……!?じょ、冗談ではないわ!!」

 

 目の前で吐血した狐は、しかし直後俺が短刀を突き立てた腕を凄まじい力で掴み、そのまま短刀を腕ごと引き抜き、そして……振りかぶって投げ捨てた。

 

「うおおおぉぉぉ……!!?がはっ!?」

 

 凄まじい速度で投げられて悲鳴を上げた俺はしかしコンマ数秒後には孤児院の天井に突っ込み、そのまま天井を突き破って畳を吹き飛ばして床に減り込んでいた。

 

「がはっ……!?お゙ゔぇ……!?」

 

 全身の骨が砕けたのではないかという程の痛み、細かな木片が幾つも肉に刺さり、打撲から筋肉の中は何処もかしこも内出血しているのは確実だった。吐いた血が外套に零れて赤い斑点を作り出す。いや、斑点というには少し汚れすぎてるかね……?

 

「ぐぞっ……たれ゙……!!最後の最後でミスってんじゃね゙ぇぞ……!!」

 

 運命やら神というものがあれば盛大に罵倒していただろう。よりによって生死のかかった一番重要な場面であれはないだろう……!!?

 

「ひっ……あ、あの…だ、だいじょうぶ……?」

 

 その小さな、消え入りそうな声に、俺は咄嗟に掠れた視界を動かした。押し入れを小さく開いて此方を不安そうに、そして心配そうに見やる子供達の姿がそこにあった。

 

 不味い。

 

「け、けがしてるから、その……いまてあてを……」

「その扉をさっさと閉めて隠れてろ」

 

 ドスの利いた声で俺は命令する。この先何が起こるのかを俺は知っていた。最悪俺がくたばっても爺が動くだろうが……奴は半妖の餓鬼なぞ戦闘の上で考慮しないだろう。そうでなくてもここで姿を晒してしまえば俺の直ぐ後に狙われるのは目に見えていた。

 

「ひっ……け、けどぅ……」

 

 涙目になりながら子供達は尚も俺をどうにか治療出来ないかと狼狽する。残念ながらお前さん達にこの怪我はどうにも出来ねぇよ。黙って隠れていろ。

 

 俺が殺気をぶつけると子供達は漸く押し入れの中に隠れる。そうだ、それで良い。運が良ければ助かるだろうさ。望み薄だがな。

 

「きた……か……!」

 

 妙に印象に残る足音に俺は視線をそちらに向ける。障子を蹴り倒し、燃え盛る庭を背景にした手負いの美しい化け狐が忌々しげに此方を凝視する。口元から一筋の血を流し、悔しげに此方を見下ろす。相当弱ってるのだろう、肩で息をして、顔はかなり青くなっていた。

 

「はっ……ずいぶんと……しおらしくなったものだな……えぇ?」

「ほざけ……ニンゲンがぁ!!」

 

 鬼にも負けなさそうなおぞましい形相で狐は叫ぶ。

 

「認めん、認めん、認めんぞ!!私が!私が!私がこんな雑魚にここまで!!?ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな!!!!許さんぞ!許せるか!許せるものかぁ!!!!」

 

 血を吐きながら自身が半死半生の状態になっている事に狐は怒り狂っていた。狂い過ぎて半分言葉になってなかった。

 

(まぁ、それもそうか)

 

 こいつの設定的に人間、それも遥かに格下相手にここまで追い詰められればこうもなろう。

 

(残る霊力をかき集めれば……ギリギリ後一撃くらいは行けるか……?)

 

 骨も筋肉もズタボロではあるが、霊力で無理やり補強すれば何秒かは持つだろう。というか持たないと困る。懐には投擲用の苦内が二本、手元には虎の子の短刀……懐の苦内で目眩ましして怯んだ所に短刀で突貫か……やるしかねぇな。

 

 かなり勝率が悪いがやる以外の道はない。

 

「楽には殺さん。生きながら皮を剥いで、足元から一寸ずつ切り刻んでやる……!!」

 

 化け狐が尾を上げて俺に襲いかかろうとする。俺は覚悟を決めた。そして……直後小さな小さな狐火が化け狐の背後に当たった。

 

「………」

 

 殆ど傷もつけられない情けない狐火、しかしながらそれを受けた化け狐は能面のような表情でぎろりと背後を振り向いた。そして、心底不愉快そうに化物はそれを見た。

 

「そ、そのひとを!ころすな!!」

 

 足を子鹿のように震わせて、耳と尻尾を丸めて怯えながら、涙目に涙声になりつつも小さな半妖の少女は……白と呼ばれる狐璃白綺の根源たる少女はもう一人の自分に対して気丈にもそう叫んだのだった。




 ファンの中において一部の方々よりタイトルが長いので検索や広報の面で難があるのではないか、可能ならば題名を変えて見てはどうかという助言をお受け致しました。作者も題名が長いかもとは思ったりもしましたがネーミングセンスが……。

 なのでちょっとした募集をしたいと思います。これより一週間前後をめどにタイトルの変更をするべきか、気の向いた方々は投票お願い致します。また、その中で更に気が向いた方は新しいタイトルについての候補を活動報告にて(感想欄ではありません)送って頂きたいと思います。

 アンケート締め切りの時点でタイトル変更の賛成票多数の場合、提案して頂けた新タイトルから最大五、六種類程作者の独断で選んで皆様に再度アンケートをとりたいと思います。これも一週間程度をメドに締め切り、投票数最大のタイトルを新題にしたいと考えております。皆様の積極的な参加、期待致します。


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第一八話●

貫咲賢希様からイラストを頂きました。

 脅すゴリラ様。尚、ゲーム内では姉御様に同じような台詞言ってそう
https://www.pixiv.net/artworks/84376023

 同じく姉御様、平原地帯なのは栄養不足のせい、決して農民の血が敗北者の血筋だからではない……筈
https://www.pixiv.net/artworks/84393930

 男連中集合絵、ひょっとしなくてもイカれたヒロイン達よりも遥かに人格者揃いです。後結構強キャラです。本作主人公もどころか原作主人公でも敵対したら殆どのルートで返り討ちで死にます。
https://www.pixiv.net/artworks/84411428


 アンケートは想定以上にタイトル維持優勢かぁ、一応期限まではアンケートしますがこの分だと変更はしません。但し略称や微妙なアレンジはまだ考え中です


 それはいつの記憶か。何百年もの間生きてきた彼女にとって、それは思い出せる最古の記憶の一つであった。母を殺され、家を焼かれ、山に逃げても尚追いかけられて、多くの好奇の視線が集まる中で下卑た男に組み伏せられる。

 

「い、いや……やめて……いやあぁぁぁぁ!!」

 

 それが何を意味するのか、これから何をされるのか、明確な知識が無くても本能的に察して少女は絶望の声を上げる。しかし助けなぞあり得ない。それほどに世界は優しくない。

 

 ……だから、それは気紛れと偶然、そして「彼女」の打算が引き起こした運命だったのだろう。

 

「こんな山に人共が雁首並べて集まって、一体何用なのかしらぁ?」

 

 その甘ったるい声が響いたのと同時の事であった。自分を組伏せ、正に装束を破り捨てようとしていた男の半身が血飛沫と共に引き裂かれ宙を舞っていたのは。

 

「あっ……」

 

 頬に、衣服に生温かい返り血が飛び散ったのを少女は感じた。臓物を垂らしながらゆっくりと崩れ落ちる男の半身をその目に焼き付けた。

 

 半ば放心状態の白い少女が、あるいは武装した農民達は恐る恐るとゆっくりと視線を声の方向へと向ける。

 

 そこにいたのは妙齢の女だった。幻想的な程に、現実離れした程に、恐ろしい程に美しい烏の濡れ羽色の髪をした赤い瞳の女性。傾国の美女とも評せる美貌は見る者に息をする事すら忘れさせる。

 

 だが、それを見た農民達はひたすらに彼女に怯え、狼狽えていた。何故ならば彼女の頭に生えるのは狐耳であり、その背後に生えるのは九本の狐尾であったから。それは明らかに人間にあるべきものではなく、今引き起こされた惨劇だけで彼らと彼女の力の差は明らかであったから。

 

「う、うわああぁぁぁぁ化けぎづっ!!?」

 

 逃げ出そうとした男は直後振るわれた尾の一振るいで全身を丁度縦に等分に切り落とされた。ずるり、と断面を見せながら崩れ落ちる男。

 

「ひぃぃい……!?」

「化物がぁ!!ぶっ殺してやぐっ…!?」

 

 逃げようとする者、あるいは農具を持って殺そうとする者、しかし全ては等しく無力だった。直後に彼らは全員が九本の尾が巻き起こした音の刃によって肉片になるまで切り裂かれたのだから。

 

 目の前の男達が羽虫の如く、呆気ないくらい簡単に皆殺しにされるのを、少女は現実感もなく、ただ唖然と見つめていた。それを引き戻したのは虐殺を引き起こした当の化物だった。

 

「あらあら、これはまた随分と小さくて可愛らしい同胞な事。……あら、珍しい事ね。まさか半妖なんてね」 

 

 直ぐ目の前まで歩み寄り、九尾の化物はけらけらと愉快そうに少女を評した。目を細め、見定めるように鑑賞する凶妖。

 

「あっ……ああ………」

 

 その文字通り物を見るような、あるいは家畜を見るような視線に白い狐の少女は打ち震える。そして……次の瞬間彼女は踏みつけられた。

 

「かっ……!?」

 

 突然の事態に少女は苦しむ。当然だ。人の姿をしているとはいえ、大人の化け狐が片足で胸を踏みつけているのだから。ミシミシと嫌な音が森の中で響き渡る。

 

「あぐ……ぐっ…い゙だ…ぐる゙しい゙!!」

 

 必死に自分をミシミシと踏みつける化け狐の行為にそう助けを乞うように訴える。しかしながら化け狐はそんな少女に対して加虐的な愉悦の笑みで返した。

 

「くっくっくっ、苦しいの?痛いの?それはそうでしょうねぇ。そなたのような中途半端で幼い半妖程度ではこれだけ手加減してやっても耐えられないでしょうよ」

 

 小馬鹿にしたようにそう嘯き、次いで続ける。

 

「にしても哀れなものねぇ。その年で人間共の狩りの獲物なんて。その年ではまだ人っ子一人食ろうていないでしょうに。人間ってものは本当に野蛮な事」

 

 心底哀れそうに、しかし嘲るように化け狐は呟く。

 

「だけどね。小狐、人生……いや違うわね。妖生の先達として教えてあげましょう。この世は弱肉強食、優勝劣敗なのよ。弱きものは強きものの糧になるしかないの。故に、こうして貴様を絞めて食うてしまうのも致し方ない訳。まぁ、諦める事ね」

 

 そういって踏みつける力を強めていく化け狐。少女は泣きながら、悲鳴を高めつつも何も出来ない。このままでは十を数えるまでもなく、少女は踏み殺され、その亡骸は骨の髄までしゃぶられていた事だろう。

 

 そう、このままであれば。

 

「あっ……がっ………うぇ…?」

「あら?」

 

 苦しみながら、絶望に涙を流しながら、しかし踏みつけられる少女が一瞬何かを感じ取ったように視線を動かした。それは弱く臆病な少女だからこそ感じ取れた微細な感覚であった。

 

 そして、少女を踏みつける黒い化け狐もその反応に気付いた。そして、流し目で少女の見やるそちらを方を見つめ、次いでそれに気付いた化け狐は不愉快そうに目を細める。

 

「へぇ、驚いたわねぇ。妾より先に気付いたのかしら?……ふむ、おい猿。覗き見なぞ無粋よぅ?」

 

 指を鳴らした次の瞬間だった。歩幅にして五十歩程の距離の茂みから突如上がる火。人型の松明がのたうち回り、男の悲鳴が響き渡る。それは農民共と同行して少女を追っていた防人としての兵役経験もある猟師だった。

 

「農夫共を囮にして狙っていたのかしら。相変わらず人間というものは卑劣よねぇ」

 

 猟師の目論見についてあの大乱にも参戦していた経験のある化け狐は直ぐに見抜いた。恐らくいち早く彼女の存在に気付いた猟師は農夫共から離れ、茂みの中から火縄銃で化け狐を狙っていたのだろう。相当上手く隠れていたらしい。意識しなければ気づけなかった。

 

 くっくっくっ、と黒焦げになり、焼け死んだ猟師を鑑賞した後、化け狐は足下の少女を一瞥する。そして、口元を歪ませてその足をどかした。呼吸する気道が確保された事で激しく咳き込む少女。そんな少女の小さな顎を化け狐はその長い尾の一つでクイッと持ち上げた。

 

「気が変わったわぁ。たかが無力な半妖かと思っていたけれど、存外使えるじゃないの?ならば同族として色々と教えてやるのも一興ね。貴様が如き半端者が何処までいけるのか、見てあげるわぁ。貴女、名前を言いなさいな?」

「え……あぐっ……!?げほっ……あぅ……!!!?」

 

 その突然の命令に一瞬呆気に取られ、しかし直ぐに踏みつけられる圧力が強まった事で少女は必死に叫ぶ。

 

「ぐっ……!?うぐっ……わ、わたしは…!わたしのなまえは……■■!■ ■■ですっ……!!」

 

 そう必死に、必死に自らの名前を叫ぶ少女に、黒い化け狐は不気味な笑みを浮かべて小さく言霊を唱える。同時に白い少女は自身の魂が締め付けられる不思議な感覚に陥った。

 

「あっ……ぐっ……!?」

 

 息が出来なくなりそうに胸元を押さえて喘ぐ少女。いつしか黒狐は少女の胸元に乗せていた足をどかしていた。しかしながら、少女に掛けられたその拘束はある意味ではその足よりも余程根源的に少女を縛り上げ、押し潰す代物であった。彼女はそして本能的に自覚したのだ。最早自分は髪の毛一本から魂の一欠片まで、全てが目の前の女のものになった事を。

 

「ふふふ、そうねぇ。折角だもの。貴女に与える名前は……そう白綺とでもしましょうか。狐璃白綺、それが貴女の新しい名前よ。妖としてのね。そうそう、これからは妾を……そうよな、御姉様とでも呼ぶが良いわ」

 

 そして「無論」、と心底残虐な笑みを浮かべて化け狐は……かの空亡に率いられた百の凶妖が生き残りが一体、狐璃黒麗は続ける。

 

「使えぬならば、容赦なく食ってあげるから。精々知恵を絞って必死に生きる事ね」

 

 この世は残酷で冷酷で、何物も頼れぬのだから………その言葉が少女の妖としての生を選んだ時に与えられた最初の言葉で、人として生きて与えられた最後の言葉だった。

 

 ……こうして小妖か、それにも劣りかねない少女は妖としての生を歩み始めた。巨大な力を持つ同族によって彼女は化物としての在り方を、知識を、常識を厳しく教え込まれた。

 

 卑怯で下劣な罠の仕掛け方を教えられた時はそのおぞましさと罪悪感に震えた。生傷を増やしながら同じ妖と戦う時は何度も死ぬ事を覚悟した。初めて人間を殺した時は幾度も悪夢に見て、人間の肉を初めて食らう時は気持ち悪さから思わず吐き出した。そしてその度に眷族としての主人である凶妖の化け狐に厳しく折檻された。泣きながら、嗚咽を漏らしながら、それでも死にたくないから必死に学び、身につけ、力を蓄えた。役に立たぬ手下なぞこの主君は平気で切り捨てて、生きながら食い殺すだろう事を少女は理解していたから。

 

 幾年を越しただろうか?人を食い、妖を食い、そうして力を伸ばし、成長し、長い時を過ごして、いつしか彼女は泣くことはなくなった。身も心も正真正銘の怪物へと変質した白い妖狐は何時しか人間に対して何らの感情も抱く事はなくなった。ただただこの扶桑の国の彼方此方で暴虐の限りを尽くして恐れられた黒い狐の右腕として尽くす日々。……流石に酒豪の主君から押し付けられる大杯の酒だけは飲みきれなかったが。白狐は何歳になっても下戸だった。

 

 しかし、何事にも始まりがあれば終わりがあるものだ。そこに例外はない。長い時を妖のように、妖らしき、妖として主君であり「姉」である化け狐に仕えてきた白狐に新たな転機が到来した。

 

 ある日村を部下共と襲ったら、そこにいたのは万全の準備を整えた退魔士達。部下の獣共を殺されて、主君の黒い狐もまた手負いとなって白狐に守られるように命からがら逃げ出した。そして……。

 

「……追手がきています」

「どうやらそのようねぇ」

 

 山奥の森の中を捜索する退魔士達を遠くから茂みに隠れて観察する二頭の狐。白き一方こそ手傷は浅いが、今一頭、黒い狐は腹を裂かれ、血を地面に湖が出来そうな程に垂れ流しながら座り込んでいた。その血の量は一目で最早どうにもならない事を物語っていた。それは退魔士達が奇襲を仕掛けるに当たりより脅威となる方を優先して攻撃を仕掛けた事もあるし、白狐が常に黒狐よりも周囲を警戒する性格であった事も理由だろう。

 

「少しはしゃぎ過ぎたわねぇ。うぐっ……ふふふ、あいつらまだ私の首に金を懸けていたのね。本当、人間ってものはこういう時ばかりマメよねぇ」

 

 黒狐は小馬鹿にするように人間共を嗤う。白狐も話だけは昔聞いていた。数百年前の事であったか、人と妖が激しく争った時代、目の前の主君が下位とは言え妖共の将軍の地位にあったらしい。どうやら人間共はこういう時に限って執念深いようで殊更目立っていた訳でもない筈の黒狐を、他の多くの将が討たれても尚生き残っている事を把握していたらしく随分と長い間討伐の機会を待っていたようだ。まさかあれほど多くの戦力で待ち伏せしていたとは……。

 

「御姉様、流石にそろそろここも危のう御座います。私が足止めをしますからどうぞこの場より避難を」

 

 当然のように白狐は申し出る。それは好意や忠誠心からといった段階のものではなかった。目の前の黒狐に仕えて幾百年、最早そうするのは彼女にとって条件反射のようなものであり、元よりもそれ以外の選択肢なぞ発想として生じる可能性もなかった。しかしながら……。

 

「……いえ、止めておきましょう。どうせ無駄よ」

 

 黒狐は妙に落ち着いた口調で部下の白狐の申し出を否定した。

 

「御姉様……?」

「この傷、貴女も薄々分かっているでしょう?逃げ切ってもこれじゃあ助からないわ。みっともなく逃げて醜態を晒すのは嫌よ」

 

 それは凶妖たる化け狐の誇りと知性が言わしめた言葉だった。そして目を細めて黒狐は白い「妹」を見つめる。

 

「力なきものは力あるものの糧になるのが運命……それはもう仕方無い事よ」

「御姉様……」

 

 白狐は主君であり、「姉」である目の前の狐が言おうとせん事を察する。

 

「薄々気づいてはいたわぁ。何年も前から私の力は強まるどころか維持するのもやっと。対して貴女の成長が止まる気配はないわ」

 

 黒狐は自身が幾ら人間を食らおうと、幾ら妖を食らおうとも自身の力が伸びなくなっている事を自覚していた。その理由は理性と知性の面で他の妖よりも高い妖狐であろうとも分からない。

 

 その一方で、当初は気紛れで拾い、躾けて来た「妹」の力の伸びの速さに内心で舌を巻いていた。化け狐が九尾にまで成長するには千年が必要と言われているが既に目の前の白狐は僅か数百年で八尾にまで成長していた。恐るべき速さだ。それは黒狐のそれよりも遥かに早く、そして成長速度は衰える気配はない。後百年もすれば力関係が逆転してしまうかも知れない程だ。

 

「このまま人間共に討たれて、首を晒され、毛皮を剥がされる最期なんて、それだけは絶対に許せないわ。だから……」

「し、しかし……!!」

 

 狼狽える白狐に、黒狐は小さく嗤う。

 

「あらあら、恨まれていると思っていたのだけれど、存外狼狽してくれるのは驚きねぇ」

 

 絆された、という訳ではなかろう。しかしながら幾ら厳しく接されたとしても白く幼い半妖にとっては確かに手負いの黒い妖狐は生きるための、生き残るための術を教えられた先達であり、「姉」であったらしい。しかし、だからこそ……。

 

「おやりなさい白綺。妾を糧に、より強く、より高みを目指しなさいな」

 

 それがこの残酷で冷酷で、誰にも頼れない世界で生き続ける唯一の方法なのだから。それがこの世界の真実なのだから。

 

「……御姉様」

「……何かしら?」

「……必ずや高みへと」

 

 がばっ、とその大きな顎を開く白狐。目元に一筋の涙を浮かべて、しかし確かな意志を持って手負いの狐に近付き……。

 

「期待してあげるわぁ。可愛い可愛い私の妹」

 

 グチャリ、と肉が引き裂かれる音が山に響いた……。

 

 その地域を管理するある退魔士の一族の記録ではその夜、白い九尾の化け狐の姿が確認され、そして追手の退魔士達が数人食い殺された事が記述されている。凡そ一〇〇年余り前の事だ。

 

 以来、力を渇望するように新たな化け狐は時に人の村を、時に他の妖を、時には退魔士の屋敷を襲い、食い荒らし、力を増した。そして、自身の力に驕り、軍勢を持って都を襲い、惨めにも敗北して破れかぶれとなって魂を引き裂いて化物はどうにか生き長らえた。それは狐璃白綺という妖狐にとってはこれまでの妖として力を求め続けた努力を否定されたに等しいもので、故に彼女は自身の最も恥ずべき、無力で無知で、愚かな自身の根本をこの機会に切り捨てた。

 

 元より野垂れ死にしても良かった幼い頃の記憶と魂からなるか弱い半妖の少女……産まれ直したばかりであるが故に記憶は混濁し、その思考は定まらず、夜道をふらりふらりと無用心に歩く。そうなれば深夜を練り歩く碌でもない者達によって目をつけられるのも必然であり、実際直ぐに彼女は憂さ晴らし同然の暴行を受けた。

 

 ……あるいは妖としての「彼女」らはそれをこそ望んでいたのかも知れない。弱者に助けなぞ来る筈もなく、弱きものは只奪われ、辱しめられ、殺されるだけなのだから。

 

 だから……だからこそ、訳も分からぬままに殴られ蹴られ、痛めつけられていた少女が助けを呼んだ時に、目の前に現れた外套姿の人影は彼女にとっては「あの日」からずっと待ち望んでいた救いであった。そして、残虐で凶悪なもう一人の自分と出会い、混濁していた孤児院に拾われるまでの全ての記憶を思い出した時、少女にとって今一度現れた彼の姿は正に照りつける希望そのもので………。

 

 

 

 

 白い少女は震えつつも、勇気を振り絞り自身の決して大きくはない妖力を使い、小さな狐火を放った。小妖すら殺せない程度の青白い火……しかし、長く生き続けて来た彼女にとって、何の理由もなく自分を救ってくれた存在をみすみす見殺しにするなぞ到底受け入れられなかった。故に少女は殆ど衝動的に、何らの勝算もなく無謀な行動に移ったのだが……。

 

「忌々しい……」

「えっ……?かはっ!?」

 

 化け狐が小さく呟いた言葉に白い少女が反応する……と同時に腹を蹴りあげられて地面に叩きつけられていた。

 

「けほっ!?げほっ……うぇ……お゙うぇ……!?」

 

 腹に受けた衝撃に涙目になり、噎せ返る。地面に這いつくばって胃液を吐き出すか弱い少女を、手負いの化け狐は侮蔑と憎悪に満ち満ちた冷たい表情で見下ろす。

 

「隠れていれば少しは長生き出来たものを。愚かな事だな、私よ。その小さくて馬鹿な頭はもう忘れたのか?弱者はただただそれだけで罪である事を」

 

 何の力もなく、身の程知らずな行いをしたかつての自分に対して大妖は冷淡で冷酷だった。……いや、それは正確ではないかも知れない。彼女は明らかに激情に怒り狂っていた。目の前の幼い自分に対して筆舌に尽くし難い怒りに溢れていた。

 

「あっ……きゃっ……!?」

 

 少女の頭を狐璃白綺は踏みつける。床が畳でなければ恐らくは血を流していただろう。しかしそれでも妖の行いとして考えればかなり手加減していたと言えよう。目の前の化け狐が本気ならば今頃少女の頭は潰れていた。そうしないのは妖の優しさではなく、残虐性故からのものだった。

 

「全く、お前を見ているとイライラするんだよ。そんな震えて、無力で、見ていて情けない姿はな」

 

 吐き捨てるように手負いの化け狐は幼い頃の自分をそう評する。

 

「……こ、黒麗御姉様の事がそんなに忘れられないの?」

 

 震える声で少女は尋ねる。次の瞬間、額に青筋を浮かべた化け狐は少女の横腹を蹴りつける。

 

「がっ……!?」

「貴様のような呑気な餓鬼に何が分かるか!!」

 

 狐璃白綺は叫ぶ。そうだ、弱い事は罪だ。この世は地獄だ。地獄よりも地獄だ。善人がおらず、悪人のみが落とされる地獄よりも余程に!!

 

だから……だからあの時私達は御姉様を……!!

 

 再度脇腹を蹴りあげる化け狐。その余りの勢いに僅かながら吹き飛ばされる少女。苦しげに少女が呻くのを、息を荒げながら悪意と憎悪と僅かな羨望を交えた瞳で狐璃白綺は見つめる。

 

 ああ、憎らしい憎らしい!!何の悪意も触れていないような屈託のない笑みが憎らしい!!人の善意を素直に信じられるそのお気楽な頭が気持ち悪い。何よりも誰かに助けられるのを待っているかのような力を求めぬ姿が妬ましい!!世界は!この世は!この常世は!そんな優しく出来てはいないのに……!!

 

「けほ……けほ………」

 

 咳き込み、蹲りながら、涙目で、何処か憐れむように自身を見つめる幼い自身の姿に化け狐は怒りと屈辱を感じ、遂に理性を失った。今度は全力だ。そのまま全力で挽き肉になるまでに蹴り殺してやる……!!

 

「さっさと死ね、この恥晒しめ……!!」

「死ぬのはてめぇだよ……!!」

 

 その言葉に狐璃白綺は咄嗟に振り返る。同時に彼女は自らの失敗を悟った。そうだ、自身の分身なぞ何らの脅威にもなり得ないというのに、より注意して警戒するべき相手の息の根はまだ止めていないというのに……!!

 

 振り向き際に化け狐は飛んできた苦内を二本弾き返す。しかしそれは完全に陽動であった。次の瞬間彼女が見たのは血を吐きながら、全身から出血しながら懐に入りこむ忌々しい外套の男。そして、自身の心臓を突き刺した怪しく輝く短刀の姿だった………。

 

 

 

 痛みで混濁する意識の中で俺が見たのはなぶられ、罵倒され、傷つく白い少女の姿だった。

 

「く…そが……!!」

 

 俺は息切れして、血を吐きつつ小さく舌打ちする。自身を守ろうとした幼い子供が暴行を受ける姿を見るのは愉快ではない。いや、そもそも餓鬼が傷つく姿は誰だって見ていて気持ちの良いものではないだろう。

 

 あの時もそうだった。狐璃白綺の分け身……幼い頃の善良で世間知らずな記憶と魂から構築されたその分身は孤児院に不幸をもたらし、吾妻雲雀という優秀な元退魔士の命を奪い、何よりも原作ゲームにおける主人公をバッドエンドルートに導く狐璃白綺を強化させる要因である。正直生かしていても百害あって一理もなし。訳も分からず、自我も碌に目覚めていないうちに始末してしまうのが一番の筈ではあった。だが……。

 

(馬鹿だよな。あの時動けばこんな事にはならなかったってのによ……!)

 

 実際に見た瞬間、俺は彼女を殺す事を躊躇った。想像よりもずっと幼い子供を、何の罪もなく殺せるか?いや、それどころかいざならず者共に集団私刑にあった際には見てられずに介入してしまった。馬鹿な事をしたと後悔している。小説通りであれば殺される事もなく、吾妻に助けられる筈なのだから。

 

 もし原作から乖離していたら?ふとそんな事を思っての介入……良く良く考えればこれも愚かしい考えだ。原作から乖離していたとしてもこの場合は寧ろ好都合でしかないだろうに。自身の手を汚さずに面倒な問題を解決出来た筈なのに。結局は最悪のタイミングで吾妻がエンカウントしてくれて、俺は咄嗟に逃げるしかなかった。そしてその結果がこの様だ。

 

「せき…に…んはとらねぇ、とな……!!」

 

 誰に対しての責任か、それも分からずに俺は小さく呟いて残る霊力を文字通り総動員して最後の攻撃に移る。幸い短刀は無事だった。こいつ、細い癖に無駄に頑丈だなおい。

 

(持ってくれよ、俺の身体……!!)

 

 そして俺は出血しながら立ち上がる。同時に行う隠行。コンマ数秒でも気付かれるのを遅れさせるためのそれは、しかし化け狐が相当に怒り狂っていたために俺が短刀を突き刺す寸前まで気付かせなかった。化け狐が少女に止めを刺す直前に俺が挑発する言葉を放ったのは相手を振り向かせて確実に心臓を狙い刺し貫くためだった。

 

 感触はあった。確実に心臓を突き刺した筈だ。目の前には驚愕に顔を歪める化け狐の姿。口から赤黒い血を吐き出して、倒れ……る前に俺に向けて手刀を振り上げた。

 

(あ、これは不味い)

 

 文字通り全身ぼろぼろ霊力残高零の俺にはその一撃を防ぐ手段はなかった。数秒後には確実に俺の首は切り落とされている筈だ。俺は死の予感に息を呑む。そして……。

 

「下人にしては良く頑張ったわ。まぁ。後の始末は私に任せなさいな」

 

 白くか細い腕が化け狐の手刀を受け止めていた。さらりと広がる桃色の髪から甘い香りが鼻腔を擽った。

 

 直後、孤児院の庭先を焼き付くしていた狐火が風に吹き飛ばされるようにして立ち消える。同時に結界の外から漂っていた有象無象の化け狐共の気配も消え失せる。ははは、マジか。全部今の一瞬でかよ……?

 

 俺が外套越しに引きつった笑みを浮かべていれば、彼女からそれに答えるように嘲笑染みた微笑みが返される。

 

「さて、そろそろ年貢の納め時よ。税はその毛皮で代用させて貰おうかしら?」

 

 その声と共に化け狐は吹き飛ばされた。桃色の少女の裏拳……そう、素手の裏拳によって殴り飛ばされた死にかけの妖狐は空気を切る音を奏でながら孤児院の土壁に突っ込んだ。

 

「……み、見事な御手前で御座います。姫様」

 

 痛みと疲労で足腰が立たなくなり、その場に崩れかけつつ俺はそう彼女を褒め称える。本当に凄い力技な事だよ、流石にパワー系ゴリラの異名は伊達ではない。

 

「あらそう。独創性の欠片もない誉め言葉有り難う。さて、貴方には色々と言いたい事はあるのだけれど……まずは面倒な獣の始末からつけようかしらね?」

 

 まるでこの場の主役であるかのように優雅に扇を広げながら、何処からともなく現れた鬼月葵は愉快げに、そして心底加虐的な笑みを浮かべながらそう宣ったのだった。



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第一九話

前回も触れましたがアンケートの結果、現状維持多数でしたので目下の所は変更しません。
但し活動報告での意見を参考に将来的には多少アレンジ・修正の可能性はありますのでその際等は改めて報告させて頂きます。


 ………時は若干遡る事になる。

 

 結界によって外部に今まさに轟く轟音も、ましてや粉塵も、灼熱の業火も漏れ出さない孤児院……その直ぐ外の戸口前にて二人の人物が相対していた。

 

「これはこれは彼の高名な北土が旧家鬼月家の、美貌と才能で名高い葵姫様でありましょうか?お初にお目にかかります」

「あらあら、詰まらない世辞を有り難う。此方こそ栄えある陰陽寮の次席にして深淵の知と名高い松重家の翁とお会い出来た事光栄の至りだわ」

 

 一人は雑然とした外街には似合わない豪奢な衣装に身を包み、扇を扇ぎつつ、今一人は周囲に縛呪の札で動きを封じた有象無象の化け狐共に囲まれながら互いを一瞥し。そして微笑む。

 

 何も知識もなければ悠然と、泰然と、無警戒で佇んでいるようにも見えただろうが、その実互いに霊力を放って相手を最大限に警戒していた。それはいつでも術を行使出来る状況である事を意味しており、退魔士にとっては臨戦態勢と言って良かった。

 

「して、此度は何用でこのような都の外れにお越しになられたのでありましょうや?都見物であれば余程姫君の興味の引く名所がありましょう。幾つかお教え致しましょうや?」

「御厚意感謝するわ。けれどお生憎様、私はそこらの俗物とは訳が違うの。そんないつでも見られるものよりずっと良い楽しみを先程まで見ていたわ」

 

 くすくすくす、と小鳥の囀ずりに似た笑い声……扇を広げてのそれは一見すると悠然としていたが……目の前の老人はその風貌に滲む僅かな焦りに気付いていた。

 

「ほぅ、ではかような風流もない薄汚い外街なぞ出向かずとも、その楽しみを鑑賞なさるが宜しいでしょうに。それとも、姫君にはその装束を土埃で汚してでも此処に急がねばならぬ理由でも御座いましたかな?」

「………ほざきなさい。老い耄れが」

 

 余りに小さな呟き……それと同時に周囲の空気がずしん、と明確に重みを増した。縛呪の術式で全身が動かない有象無象の狐共が鳴き声も上げずに震える。瞬間これまで隠行で隠れていた角の生えた大熊がその姿を現して庇うように翁の前に出た。……かなり萎縮していたが。

 

(これはこれは……その歳でこれ程の殺気を放つとはな)

 

 顔にこそ出さぬが翁は内心で深く瞠目していた。精々十も幾らか越えた程度の小娘、それがここまで膨大な霊力を見えない殺意として同じ人に向けようとは!

 

(確かに退魔士という存在は身内争いが多いとは言え……やはり北土の輩は怖いものだな)

 

 一般的に都から見て西の地と東の地に居を構える退魔士達は比較的弱小な者が多いとされている。

 

 それは既に土地が切り開かれ開発が進み、それによって強き妖がおらず退魔士達も本業以外に手を出して俗化しているのも一因だが、最大の理由は大乱の時代にまで遡る。

 

 当時から既に開発が進み農工業が発展していたが故にこれらの土地を人間側の生産能力に打撃を与えるべく妖共が大軍で以って侵攻し、現地の退魔士達と激戦を繰り広げた結果、古い家々の多くが一族郎党根刮ぎ断絶したり、あるいは生き残ったとしても末端の者達ばかりとなったためだ。退魔の才能は代を重ねる程により太くなる事を思えば多くの有望な退魔士を失った西土や東土の家々が弱体化するのは当然の結果であろう。

 

 一方で大乱時代辺境であるが故に戦火が比較的及ばなかった北土や南土は大乱の時代こそ田舎者やら若輩者共と嘲られた退魔士一族が封じられた場所であったが、今となっては未だに多くの妖と相対する事で実戦経験の豊富な、大乱以前から続く一族が多くある地である。そして鬼月の一族はそんな北土の一族の中でも特に古い家、その直系ともなればさもありなん。尤も、一番の驚きは……。

 

「ほほほ、余り老人を虐めないで欲しいのですがの。どうやら儂と姫君の目的は完全にとは言わぬまでも部分的には重なる様子。そう怖い顔をしなくても宜しいでしょう?」

 

 翁は微笑みながらこの場に鬼月の姫が来た理由、その核心を突く。

 

「私が一言口にすれば貴方は追われる身である事は承知よね?」

「勿論ですとも。しかしながらそれは有り得ぬ事でしょうな。……少なくとも当面の間は」

「そうね、当面の間はね」

 

 双方共に放出する霊力を抑え、虚飾にまみれた……というよりは殆ど形式しかない……友好的な笑みを浮かべる。そうだ、今はまだ敵対するべき時ではない。老人にとってはあの鬼に寵愛されてしまった男が碧鬼を殺し切るまでは、姫君にとっては唯一愛する人がより高みに昇るまでは、そしてこの相対を何処かで見ているだろう鬼からしてもそれは好都合なので何らの文句もなかった。

 

「さてさて。では姫君、御入場為されるが宜しい。あれにとってもこのような枯れた爺よりも絶世の美女が駆け付けた方が嬉しいでしょうからな」

 

 そう嘯いて杖をこんこん、と軽快に鳴らせば次の瞬間孤児院の戸口が開く。それは吾妻の張った結界を無理矢理抉じ開けた事を意味していた。

 

 翁の行いは本来ならば悪手である。ここまで無理矢理に結界を抉じ開ければ流石に張った者にも分かってしまうのだから。実際問題、この老人が態々寄贈した本に言霊の呪文を仕込んだ理由は奇襲的な意味合いもあるが結界を力づくで開く手間と、それにより吾妻本人に気取られた後の対応を惜しんだからだ。

 

 逆に言えば、翁の行動は最早その必要性が薄いからこその行いでもあった。既に結界の中では相当な騒動になっている。あの狸女も孤児院で何事かが生じている事に勘づいているだろう……というより実際に上空に飛ばした式神からそれは確認済みだ。このまま翁が院内での騒ぎに介入して彼女と出会せば余り愉快でない事態となろう。それよりは……。

 

「貴方のご要望は聞き入れたわ。……これからも良い関係でありたいものね」

「全くですな」

 

 老人の返答を待つ前に桃色の少女は土煙と共に消えていた。同時に老人の周囲で捕縛されていた化け狐共が一斉にその首を切り落とされて絶命する。

 

「……ふむ、やはり化物染みているな」

 

 髭を擦りながら瞬時に血の海と化した周囲を見て呆れ気味に老人はぼやく。膨大な霊力をどか食いしての所業は必ずしも効率的とは言えないが故にそれを力ずくで実現して見せる少女の力は老人をして驚嘆に値する代物であったのだ。

 

『………』

 

 ……そしてそんな驚き呆れる翁の背後を睨む影が一つ。隠行によって息を潜めて隠れていた生き残りの化狐であった。どうやら他の個体よりもとりわけ隠行が巧妙なようで、そのまま化け狐は仲間の死骸に紛れて翁に近付き……一撃の下に老人を食い殺そうと音もなく飛び掛かった。

 

 ……同時に正面に針状に展開された透明な結界に自ら口から跳び込み即死したが。

 

「少々詰めは甘そうだがの。……にしても、随分とまぁ御執心な事じゃて」

 

 結界を解除しながら翁は件の下人を思い返す。どちゃりと背後から地面に落ちる肉の塊の音が響くがそんなものは彼にとっては何の関心もない。あるのは自身が相当面倒な人物と関わってしまった事に関する嘆息のみである。

 

 鬼に気に入られるだけでも不幸中の不幸であるのに、その上あんな化物染みた娘にまで……あの幼さであれだけの力と殺気を放てる娘の人生がまともであろう筈もない。そしてそんな娘があれほどに執着するとなると……一体何があったのだか。

 

「鬼だけでも面倒なのだがな。この分だと下手したら他にも厄介事を抱え込んでいても可笑しくないの」

 

 不用意に扱えばどんな藪蛇をつつく事になるか分かったものではない。とは言え放置しても平和に事が進むとは言えない訳で……となれば結局話は最初に戻る事になろう。

 

「やれやれ、一体どのような星の下に生まれればあのような業を背負う事になるのだかな」

 

 老人の呟いた言葉は妙にその場で木霊していた……。

 

 

 

 

 

 颯爽と、まるで物語の主人公のように最高のタイミングで現れた桃色の少女を見た俺が最初に思い浮かんだ言葉は感謝……ではなく罵倒の言葉だった。

 

(こいつ……舞台袖で出待ちしていやがったな!!?)

 

 余りにも介入のタイミングが絶妙過ぎればそう考えるのは寧ろ必然であった。おい、まさかとは思うがずっと観賞でもしていたか?

 

 外套を着ていて表情の認識が難しい筈なのにも拘わらず、姫様は俺の視線に気付くと不敵な微笑を浮かべる。ちっ、食えない上に何考えているのか分からない女な事だ。

 

「ぐおっ……お、オノレ……!!」

「さて……あら、今のじゃあ少し威力が不足したかしら?」

 

 土壁にめり込んだズタボロの化け狐……その姿は獣の姿に戻っていた……は尚も土壁から出ると身体中から大量の血液を垂れ流しながらも、しかし戦意は未だに残っているように思われた。しかし、それも次の瞬間に放たれた風の刃によって無に帰した。華奢な少女が離れた場所から振るう扇、それに連動して化け狐の全身を切り裂く不可視の刃。

 

「これで止め、かしら?」

 

 葵がそう言った次の瞬間、ひょいと扇を手にした腕を捻る。同時に化け狐の首がずるりと切り落とされた。地面にぼとりと落ちる獣の首、首と泣き別れした身体の断面からは思いの外血は吹き出さなかった。既に全身から多くの血が流れていたからだ。

 

「……さて、それにしても随分とまぁ無残で惨めな姿になったわねぇ?」

 

 先程までの一方的な蹂躙なぞなかったかのように鬼月葵は俺の方を見るとそう評した。

 

「このような姿で姫様の下にお目見えする事、お恥ずかしい限りで御座います」

「安心しなさいな。いつもの事だから慣れっこよ。それはそうと……お土産の見繕いは出来たかしら?」

「それは……」

 

 出来てる訳ねぇだろ!という内心の叫びを堪える。正直色々考えたが、そもこいつの要求が無茶ぶりの上に要求水準が高過ぎてどうも出来ないんだよ。糞、こいつ意地の悪い笑み浮かべやがって!

 

(ルート次第ではトラウマ突かれて化物共にプライドへし折りから分からさせプレイ、主人公の目の前でハイライトオフ異種姦プレイ公開させられる癖に……あ、そう言えばトラウマフラグへし折られてたわ)

「ねぇ、伴部。貴方今私について酷い事考えてなかったかしら?」

「滅相もないことです」

 

 俺の感情を込めぬ言葉に僅かに不愉快そうに目を細め、しかし直ぐに彼女は視線を別の方向に向ける。

 

「まぁ、良いわ。ならお土産は私の指定のもので良いわね?」

 

 ゴリラ姫の視線の方向に俺が顔を向ければそこには子供らが集まり介抱されている白狐の少女の姿があった。苦しそうに、しかし気丈に振る舞う少女は次の瞬間に俺達と視線を合わせる。同時にそのアイコンタクトだけで俺は彼女が何を考えているのかほんのりと察していた。

 

「まさかと思いますが……」

「あら?駄目かしら?」

「駄目というか何と言いますか……」

 

 土産……というには斜め上過ぎると思うんだが。いや、この世界だと一応人間も商品ではあるのだが。また面倒なものを注文してくれる事だな。

 

 俺はこれからの事を考え、内心で嘆息する。

 

 ……良く良く考えればここで油断するべきではなかった。妖という存在はどこまで言っても化物であり、その在り方は到底人間の常識で図れるものではなかったのだから。

 

「まだ終わらん……!!」

 

 その小さな独白は、しかし妙にその場に響いた。同時にグリッという気味の悪い音が響く。俺は音のした方向に咄嗟に視線を向けて同時に驚愕した。

 

 当然だろう。死んだと思っていた化け狐が『首だけ』で地面を凄まじい勢いで這いずっていたのだから。何と面妖な。

 

「なぁっ……!?」

 

 まるでゴキブリのようにザザザと地面を首だけとは思えぬ速度で進む狐。刹那、俺は化け狐の進む方向からその狙いが何かに気付いた。

 

「おい!逃げろっ!!早く……!!」

「えっ!?」

 

 狐の狙いは白の側に駆け寄っていた孤児院の子供達だった。ある意味当然と言えば当然の選択だろう。ゴリラ様は襲った所で反撃されるのが目に見えている。俺はゴリラ様の近くである上に霊力が枯渇しているために食った所で危険に対して見返りが少なすぎる。

 

 半妖の子供ならば力を回復させる上で唯人より遥かに効率良く、反撃もされにくい。子供らを食ってそのまま全力でゴリラ様から逃げようという魂胆なのだろう。

 

「やらせるかよ……!!」

 

 霊力は使い果たしたので最早身体強化で駆け付ける事は不可能、故に俺は短刀を投擲していた。素の身体能力のみで投げつけられた短刀は、しかし俺も転生してから死にたくないので暇があれば鍛えていた事もあってボロボロの身体で行ったとは思えぬ程に鋭く宙を裂いた。

 

 短刀は正確に首だけになった化け狐の頭頂部に突き刺さる。しかし……。

 

(止まらないか……!!)

 

 首が半分勢いに乗っている事もあるだろうが、恐らくは投擲の際の力が弱かったのだろう。頭蓋骨で刀身が止まり化け狐の脳にまで刃が届かなかったらしかった。化け狐の瞳には未だに明瞭な意思の存在が垣間見えた。

 

「やばっ……」

 

 俺は自身の打つ手が無くなった事を理解した。目の前に映る子供らは襲いかかってくる化物の牙に対してただ驚愕するしかない。歳に加えて碌に戦闘の教練もしてなければ当然だろう。しかしだからと言って化物が手加減してくれる訳もない。つまり……。

 

「糞っ……!!」

 

 一瞬、傍らにいるゴリラ様を見る、が彼女は事態を認識していても尚何らの行動を起こす素振りもなかった。子供らに対して興味すらないような態度。説得の時間もない。となればやれる事は一つだけだった。

 

 俺は激痛に耐えながら走り出す……がその動きは普段に比べて遥かに緩慢で、到底間に合うとは思えなかった。そしてまさに化け狐の首が飛び上がり子供らの真上に覆い被さろうとした瞬間……。

 

「『護法結界第三等・亀甲紋』」

 

 流暢な口調が場に響いた。同時に化け狐の牙は空中で止まる。

 

 ……否、違う。良く見れば化け狐は子供らを覆うように展開された水晶のように透き通る結界に噛み付いていた。化け狐と子供達が互いに唖然とする。

 

「『縛法結界第四等・重ね箱』、そして……『破法結界第六等・無間炎獄』」

 

 化け狐はこれから起こる事を察して何かをしようとした。しかし次の瞬間には化け狐は三重の結界に閉じ込められ、次いで火遁の属性が付与されたそれは真っ赤に染まる。いや、それは地獄の炎が結界の中で渦巻いていたのだろう。

 

 事は一瞬であった。焼死どころではない。死骸すら残らなかった。結界が解除された時そこにあったのは僅かな灰と化け狐の頭に突き刺さっていた小刀だけであり、灰はすぐに風に飛ばされ、小刀はカラン、と地面に落ちて印象的に鳴り響いた。

 

 足音がした。静かな足音は、しかし圧倒的な存在感を放っていた。濃厚な、そして妖力の混じった霊力が不可視の刃となって俺と傍らのゴリラ姫に向けられる。

 

「騒ぎに急いで来てみれば……済まぬが貴公ら、事の顛末を聞いても良いかな?」

 

 子供らを庇うように現れた人影……鋭い眼光で此方を見据える吾妻雲雀は、市井の民と変わらぬ服装でありながら、陰陽寮頭の地位に相応しい、堂々とした態度でそう俺達を追及したのだった。

 

 

 

 

「成る程、貴女の言い分は理解した。だが……」

 

 戦闘で随分荒れ果てた孤児院、その庭先で相対する吾妻雲雀はゴリラ姫の言い分に対して歯切れの悪い表情を浮かべていた。

 

 都に上洛した退魔士の義務として化け狐の討伐に動き、その上で分身に引き寄せられた孤児院を襲っていた所を救出に来た……端的にゴリラ姫が口にしたのはそういう内容だ。しかしその説明に吾妻雲雀は納得し切れずにいた。

 

 当然だろう。確かに嘘は言っていない。しかしそれだけだ。吾妻は嘘を見抜く力がある。その力が困惑させているのだ。嘘は言っていない。言っていないが……それが完全に事実であるとは言い切れない事を。

 

「あら、此方の言い分を信じないの?彼の元陰陽寮頭も下衆に交じっているせいで何事でも勘繰るようになったのかしら?証人ならばそこの童共に尋ねれば良いでしょうに」

 

 何処か嘲るように姫様は嘯く。明確な挑発だった。うんゴリラ、話をややこしくしようとしないで。

 

「お前達、どうなんだ?」

 

 伊達に歳は食ってないようで、吾妻は自身からすれば赤子同然の姫様の挑発に乗る事はない。此方を警戒しつつも子供達に対して同じ視線にまで身を屈めてから優しく尋ねる。尤も、聞かれた子供らの返答は少々困ったものだったが。

 

「えっとね、助けた人がね。がばって破れて中からおっきなきつねがでてきたの」

「そこのね、お顔みえないおにいちゃんがね。こわいきつねさんとねすっごいはやさでたたかってたの」

「うえぇぇ、はたけやけちゃったぁ……」

「あのきれいなおねえちゃんとってもつよかったよ!!」

 

 わいのわいの、先程化物に殺されかけていて、大泣きしていた筈の童達は吾妻の足下に集まっては次々と脈絡なく言葉を口にしていく。子供らからすれば母親代わりの吾妻に必死に説明している積もりなのだろうが……やはり子供となればその言葉は要領を得ず、あるいは説明不足で、あるいは余りに脚色が加えられ過ぎていた。

 

「あぁ、そうそう。今回の騒ぎ、随分と迷惑をかけたようね?家の修理なりなんなりは任せてくれて宜しくてよ?後で修理費について遣いを送るから。それに、何ならこれからは私個人として孤児院に寄付しても宜しくてよ?」

 

 必死に子供らの話を聞いて要点だけを密かに分析して纏めていた吾妻に対してゴリラ姫は狙ったように申し出る。

 

「それは助かるが……いや待て。何が狙いだ?」

 

 咄嗟にゴリラ姫の言葉に噛みつく吾妻であるが既に遅い。というよりも元より結果は明らかであったのかも知れない。

 

「狙いだなんて失敬な。寧ろ、厄介事を代わりに受け入れて上げようというのに。……ねぇ、そこの狐?」

 

 扇を広げて、勝ち誇ったように少女は語りかける。吾妻は目を見開き、序でに彼女の足下に群がっていた子供らも一斉にその方向を見る。即ち、彼ら彼女らから距離を取るように一人佇んでいた白い狐の少女をである。

 

「白、お前………」

「吾妻先生、わたし……」

 

 その複雑そうで沈痛な表情を一目見て吾妻は全てを察した。

 

「貴様、何をこの子に吹き込んだ……!?」

 

 幾ら自身が嘲笑されようとも意に介さなかった元陰陽寮頭は、この瞬間明確に鬼月家の姫に殺意を向けた。傍らにいる俺は息を呑む。直接向けられた訳でもないのに全身が緊張で硬直していた。もし俺の体調が万全であったらこの瞬間俺は全力でその場から退避していた事だろう。

 

(以前にも向けられたが相変わらずの圧力だな。霊力やら妖力なんてものがあるからこの世界の殺気は洒落にならねぇ)

 

 霊力なり妖力なりというものは場合によるが身体が慣れなかったり濃厚過ぎれば下手したら浴びるだけで体調を崩す代物だ。殺意を乗せた霊力を向けただけで人を殺す事も簡単ではないにしろ不可能ではないのである。

 

「あらあら、そんなに怖い顔しないで欲しいわね。子供達が怖がるじゃないの?それに……別に私は脅した訳ではないわよ?」

「何をぬけぬけと……!!」

 

 側の子供達が一瞬ビクついたのを見て殺気を霧散させる吾妻、しかしながらゴリラ様の言葉については敵意を隠さない。当然であろう。寄付や修繕の話の後にそんな事を口にして信用する筈もない。

 

「ち、違うの先生……!!わたしは……自分できめたの!本当です!わたしは……あの人たちの所にお世話になります……!!」

 

 僅かに緊張しつつも、しかし覚悟を決めたように白狐の少女は自身の選択を口にする。

 

「お話はおききしたでしょう?わたしの出自は……」

「あぁ。しかしお前はあの邪悪で残酷な妖の根源であってもそのものではない、そうだろう……?」

 

 辛い表情を浮かべる少女に吾妻は答える。成る程、確かに凶妖の魂の一部ではあるだろう。根源ではあるだろう。しかしながらだからと言って少女と化物は別物だ。

 

 魂の有り様とその罪の言及について、この世界では幾らでも前例がある。人間であれば生き霊の存在があるし、妖であろうとも調伏して、その魂を洗浄して霊獣の地位にまで格上げする事も、その逆の行いもある。それらの実例に合わせれば元々の魂の内邪悪な部分のみを切り捨て、その後何らの罪も犯していない彼女が罰を受ける事は有り得ない。……通常であれば。

 

「だとしても危険視されるでしょうね。妖としての側面と性質を殆ど切り捨てたと言ってもそもそもあれの根源、いつまた何かの拍子に魑魅魍魎共の側に魂の天秤が傾くか知れたものではない筈よ。まして、朝廷の者らがそれを放置すると思って?」

 

 幾千年も昔から人間を食らう妖共が跋扈するこの世にて、扶桑国が尚も続いて来た理由は朝廷が冷酷で卑劣であるが故だ。

 

 大多数の人間は化物よりも遥かに弱い。故に人は寄り集まり国を作ったし、そしてその維持のためにはどのような手段も使い、危険の芽はこれを摘む。都を襲った四凶に対して右大臣はその身を張って罠を仕掛けたし、大乱の際には全体のために一部の民草を生け贄にし、囮にも使った。

 

 ましてや半妖の子供一人、都を襲った化け狐の復活を完全に封じるためにこれを処す事に何の抵抗があるだろうか?

 

「それは……」

「抗議でもする?陰陽寮頭の頃ならば兎も角、今の貴女は孤児院を開くただの半妖でしょう?朝廷に助けを求めるだけの伝がおあり?却って悪い意味で注目されてしまうだろう事は貴女なら分かるでしょう?」

 

 吾妻は元より半妖という事で公家衆からの受けは良くはなかった。少なくとも殊更親しくはない。しかも宮仕えを辞して歳月が経ってしまえば……その上で半妖ばかり集めた孤児院を経営している事が広まれば下手すれば他の子らにまで危害が加えられかねない。

 

「しろおねーちゃんどこかいっちゃうの?」

 

 舌足らずの口でそう呟いたのは甘えん坊の茜だった。そのまま駆け出して白の所まで来ると不安そうに抱きつく。次いで次々と子供達が同じように近付いて来てわいのわいのと騒ぎ出す。

 

「どうしていっちゃうの?」

「そうだよいっしょにいよーよ!」

「そうだよ。どこかいっちゃうなんてだめだよ!!」

「ぼくたちのこときらいになっちゃった?」

 

 皆が皆、心底心配そうに話し出して、白は困惑し、困り果てる。それを止めたのは彼ら彼女らの母親代わりである吾妻だ。

 

「こら、お前達。白が困っているだろう?……気持ちは変わらないのか?」

「………先生、ここはとてもよい場所でした。みんなといっしょに過ごせたのは短かったけれど……幸せでした。だけど……」

 

 そしてまず地面に倒れたもう一人の自分の首なしの躯を見やり、次いで桃色髪の少女とその従者を一瞥する。

 

「迷惑になると思っているのか?」

「否定はできません。だけど……先生はゆるしてくれるかもしれませんが、わたしは……」

 

 白狐は吾妻の言葉を否定はしない。人は霞を食べて生きてはいけない。衣食住がなければ生きていけないし、生きるだけでも楽ではないこの世界で他者の善意だけを頼れない。

 

 ましてや半妖を引き取る孤児院なぞ助けてくれる変わり者は少ないだろう。勿論それも理由だ。だが、それだけではない。それだけが理由ではないのだ。

 

 たとえ、邪悪で残虐な妖としての側面を切り捨てたと言っても、本人からすればそれだけで割り切れるものではないし、自責の念を捨てる事も出来やしないのだから。

 

「それに……あの人達についていきたい理由もあるんです。ですから……」

「白………」

「そろそろ立ち話は終わりにしてくれないかしら?私もいつまでもこんな殺風景で小汚い場所に長居したくないのよ」

 

 二人の会話を心底興味無さそうに横入りするゴリラ姫様。

 

「姫様……」

「何か文句あるのかしら?それとも今すぐこの場で代わりの土産でもこさえてくれるの?」

 

 俺が宥めるように口を開こうとすれば、不満げにそうぼやく姫。出来もしない事を言ってくれるものだ。

 

「それにこれは貴方の尻拭いでもある事。教養がなくても阿呆ではない貴方なら理解出来ると思うけど?」

「……承知しております」

 

 何よりもその言葉が止めとなる。確かに事が面倒になったのは俺のせいだ。恐らく四六時中とは言わぬまでも此方を観察していた彼女ならその事を理解しているだろう。

 

 俺がさっさと少女を始末していればこの事態は起こり得なかったのかも知れないのだ。ましてや、孤児院やら何やらの修理費に姫様が自分自身でここまで来て手を煩わせた手間費……下人程度がこれだけの迷惑をかけたとなれば最悪物理的に首が落とされたとしても文句は言えない。それをたかが半妖の子供一人で済ましてやるというのはこの世界では温情過ぎるのだろう。とは言え……。

 

「せめて言いようをお考え下さいませ。言い方次第で受け取り手の印象は大きく変わります」

 

 俺の申し出に暫し此方を見ていた姫様はこれまた心底面倒臭そうに溜め息を吐き出して、次いで若干ジト目になりつつ命じた。

 

「じゃあ貴方に任せるわ。その無駄に達者な口でさっさと言いくるめて来なさいな」

「感謝致します」

 

 深々と一礼してから俺はぼろぼろの身体を無理矢理動かして前に出る。此方に気付いて子供らを背後に隠す吾妻に対して礼を表し、まず俺は落ちていた短刀を拾いこれを懐に戻し、次いでゆっくりと近付きながら敵意が無いことを表明し、俺は口を開いた。

 

「以前お会いした際は挨拶もなくその場を去り大変失礼致しました。私は姫様……鬼月家の姫君にお仕えする身の者です。覚えはありませんか?」

「……白を拾った際に側にいた者だな?」

「あの節には御無礼を。余りの殺気でありましたもので。ですが誤解しないで頂きたい。私はあの時、決してそこの者に危害を加えていた訳ではありません」

 

 俺の言葉の真贋を見定め、次いで確かめるように白狐の少女の方を見る吾妻。少女はそれに対して首を縦に振って肯定した。

 

「……らしいな。その言葉は信じよう」

「感謝致します。此度の事に関しては様々な疑念もありましょう。ですが……一つ信じて頂きたいのは決して貴女方に対して害意もなければ悪意もないという事です」

 

 彼女……吾妻からしてみれば一番の不安は子供らの安全だろう。故に俺はそこを攻める。彼女とて世間の厳しさは知っている。ならば此度の申し出も決して心の底から反対している筈もない。

 

「心配と懸念は理解致します。しかしながら此度の弁償、それに姫様自らが足を運んだ事実、それを思えば決してそこの者を無下に扱う事はありません。この都に滞在する間は定期に顔見せもさせましょう。姫様共々領に戻ってからは文も送らせましょう。如何でしょうか?」

「………」

 

 俺の言葉に暫し沈黙していた吾妻は、しかし俺を観察すると一つ質問をした。

 

「あの狐と対峙している際、この子らに隠れるように言ったのはお前だな?妖退治は綺麗事ではない。ましてや貴様のような下人にとってはな。必要ならば囮だって使うだろう。少なくともあの姫の目的である白以外は隠れさせる理由はない筈。危険も理解していて何故だ?」

「年上としては、子供を敢えて見殺しにするのもみっともないものですから。無論、実力差を甘く見ていただけとも言えますがね」

 

 半分程格好つけた俺の即答にそうか、とそれだけ口にして再び吾妻は押し黙る。そして、静かに白に目配せした。周囲の子供らに二、三言言葉を交えてから白い狐は若干緊張気味に前に出て此方を見上げる。

 

「分かった。その言葉信じよう。だが……約束しろ。私はこの子の、この子に限らず世話する子供達皆の幸せを願っている。そして彼女がより良い人生を歩めるようにあの娘に差し出すのだ。だから……説得に来た貴様がこの子が悲しい思いをしないように責任を持て」

 

 それは半ば脅迫であった。しかしながら理不尽とは言えないだろう。俺もまた彼女から見れば大切な子供を奪いに来た立ち場なのだから。

 

「……承知致しました。吾妻様」

 

 当てられる殺気に緊張しつつも俺はその言葉を受け入れる。受け入れなければ納得しまい。

 

「……そうか。白」

「は、はい!」

 

 吾妻の言葉に慌てて少女は答える。そして此方を見据えて言った。

 

「そ、その……えっと……白と申しまひゅ!ふ、ふつつか者ではありますが……どうかよろしくお願いします!!」

 

 モジモジと、子供らしく緊張しながら叫んで頭を下げる子狐。その子供らしい初初しい様子に、俺は外套越しに苦笑すると、出来るだけ優しい口調でこう言ったのだった。

 

 その言葉は私ではなく姫様に申し上げなさい、と。

 

 この日以来、鬼月葵の小間使いに一人の半妖の子供の姿が見えるようになった。それが今後の、そして原作ゲームのストーリーにどう影響を与えるのか、この時点では俺には判断し切れなかった………。



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章末●

貫咲賢希先生より碧鬼のイラスト。うーん、この滲み出る畜生感よ
https://www.pixiv.net/artworks/84520057

同じく貫咲賢希先生からの白のイラスト、やっぱり狐っ娘はイイ……スゴクイイ……
https://www.pixiv.net/artworks/84616381

uzman先生からも白のイラストを頂きました。
https://img.syosetu.org/img/user/182782/70817.jpeg

ミニスカノーパンとは……こやつ、やはり天才か!


 清麗の御世の十年、あるいは皇紀の一四四〇年葉月の七日の事であった。東西に四百丈余り、南北に五百丈余りの広さのある朝廷の中枢区たる大内裏、その長堂院にて一人の退魔士が式典に招かれた。

 

 より正確に言えばそこで朝廷より官位と共に褒賞を賜下された。与えられし官位は従六位、褒賞として与えられたのは銀二十斤に絹布六站、その他数点の金細工に調度品である。報酬の理由は都と民草を襲った化け狐を征討せしめ、その遺骸を朝廷に献上した事……が表向きの理由である。

 

 正確にはそれも理由ではあるが、それ以上に一種の口止め料であった。即ち、橘商会に朝廷が依頼していた荷物についての口止めの見返りである。

 

『さて、その荷物とは一体何だったのですか、宇右衛門殿?』

 

 深夜の都……逢見家から借りた屋敷の一角、明かりを消して月明かりだけが差し込む薄暗い部屋の中で座布団に座り込み脇息にその贅肉を凭れさせる鬼月宇右衛門にそう尋ねたのは燭台に止まる一頭の木菟であった。否、木菟そのものではあるまい。その顔に当たる部分には血で『式』と記された札が貼られている。即ちそれは正確には木菟の姿を模した式神であった。

 

 鬼月宇右衛門の正面には数本の燭台が安置されていた。そして其々に木菟に鷺、鳶に鵲……鳥類を模した式神達が止まる。宇右衛門はその式神の目を通じて此方を見やる者達の視線を明確に感じ取っていた。

 

 それは都に上洛した宇右衛門達と地元に残留した鬼月家の長老衆らによる会合であった。退魔士達は遠方とのリアルタイムでの会話にこのような式神を使う傾向があった。会合の最後の議題となったのは都に上洛した一族の次期当主候補の一人の論功についてであった。

 

「此方が人脈を使い聞いた話によれば荷の中身は生け捕りした妖共だそうだが………嘘ではなかろうが、恐らくはそれだけが此度の褒美の理由では無かろうてな。流石にそれだけでは此度な褒美としては少々過分に過ぎよう」

 

 鬼月宇右衛門は頬と顎に蓄えられた贅肉を震わせながら自信を持って答える。それは何らの根拠もなき言葉ではなかった。

 

 表向きの裏事情としては極秘裏に陰陽寮が大内裏に持ち込む予定であった実験や研究用に持ち込もうとしていた生け捕り状態の妖共が橘商会が運んでいた荷物である……のは事実であろう。そしてそれが余り宜しくない内容である事もまた事実だ。

 

 都は四重の結界によって守られている。より正確に言えば外街以外の都全体を守る城壁の六種一二重結界、内京内でも特に豪商や公家、大名屋敷が軒を連ねる中京と呼ばれる地域を守る八種二四重の結界、そして政治中枢である大内裏を守る一〇種三三重の結界と最後帝の住まう内裏を守護する一二種三六重結界……呪術的に鉄壁に近いその結界網は当然ながら人の力ではどれだけの退魔士を集めても構築する事は不可能だ。よって莫大な霊力消費を賄うのは都の真下から溢れんばかりに放出される霊脈からの天然の霊力である。

 

 霊脈は限りなく無尽蔵に霊力を放出し、それは使い方次第では世界の理にすら干渉可能な代物だ。事実、朝廷はその使いきれないばかりの霊力を活用して都周辺の土地に毎年のように豊穣を与え、災害や疫病等の災厄その事象をそれが引き起こされる前に祓ってきた。逆に妖共にとってはそこに屯すればそれだけで通常の何倍何十倍もの速度でその存在の格を高めより強大な存在へと昇華する事が出来る特別な地でもあり、それ故に幾千年に渡り魑魅魍魎共は都の霊脈を狙ってきた。

 

 公家衆の穢れを忌み嫌う文化もあり、本来ならば都の……ましてや大内裏に生きた妖を搬入するのは御法度である。それを橘商会は朝廷の重役からの公の密命に従い相当弱らせて封印状態にしていたとは言え有象無象の妖共を都の中にまで運び込もうとしていたのだ。

 

 仮にこれが宮中に広く知られていればある種のスキャンダルになっていた事は間違いなく、下手すれば命じた者達は島流し、橘商会もまた追及を受けて相応の責を取らされる事になっただろう。成る程、ならばこの対応も理解出来る……が、それでもやはり過分過ぎる処遇である事は否定出来ない。

 

『確かに怪しい。今時の朝廷があのような大盤振る舞いをするなぞ……』

 

 鳶の式神が嗄れた声で疑念を口にする。元より朝廷は心の底から退魔士を信用なぞしていない。ましてや今の摂政と言えばあの強欲な榊家の当主である。それがたかが妖一体にここまで豪勢な褒賞を与えるともなれば裏を勘繰りたくもなる。

 

『あらあら、皆さん随分と剣呑な事ねぇ。折角我らが一族の葵が過分な栄誉に浴したのですよ?もっと素直に喜んであげても良いじゃないですの。ねぇ、宇右衛門?』

 

 優美な白鷺の式神は他の式神を、次いで正面に座る宇右衛門を一瞥しながら同意を求めるようにほんわかとした、それでいて何処か猫撫で声で首を捻る。当の宇右衛門はそんな式神の、いやその向こう側から自身を見ているであろう人物に渋い表情を浮かべる。

 

「母上、事はそう単純なものではない事くらい御承知の筈。事は将来的な我ら鬼月家の繁栄にも関わる事ですぞ?」

 

 宇右衛門は自身の母……鬼月胡蝶に対してその楽観的な物言いに苦言を吐露する。政略結婚だったからか、この自身の子供らに対して然程愛着がなかったように思える母が厄介の塊のようなあの孫娘の姉妹に対しては奇妙な程甘い事実に宇右衛門は言い様のない疑問しかなかった。

 

『左様です胡蝶様。我々からみて朝廷は距離が遠すぎます。多少の関わりは必要でしょうが余り彼らの謀に首を突っ込み過ぎるべきではないでしょう』

 

 木菟……鬼月思水の式神が宇右衛門の言葉に続く。鬼月家は常に都に駐在出来る訳ではない。寧ろ三年に一度の上洛を除けば都に滞在する者が一人もいない時も多いのだ。確かに貢納なり、贈与なりで朝廷に伝を作る事は必要であるが関わり過ぎて深入りするのは常に最新の宮中情勢を知る事が出来ぬ身では危険過ぎた。いつ宮中の勢力図が一変するか知れたものではない。

 

『そもそも、葵はどうして此度の案件に首を突っ込んだのだ?あれの性格からして此度のような話題に自身から首を捩じ込むなぞ余り想像がつかぬが……』

 

 中年だろうか、鵲の式神が難しそうな表情で呟く。あの面倒臭がりで気紛れで、気分屋の次女がこのような面倒事に自分から関わりたがるのはどうにも釈然としない所があった。

 

『宇右衛門殿、どうなのです?姫の動きに何か異変はありましたか?』

 

 木菟がホーホー、と鳴きながら尋ねる。此度の上洛に際して鬼月家の代表として鬼月宇右衛門が指名されたのは彼自身の広い人脈と才覚によるものだ。特に隠行衆頭として都の情報収集の役目を負っていた彼は同時に上洛に際しての随行人の監視も兼ねていた。

 

「どうもこうもない。一昔前ならば兎も角、今ではあやつの結界や隠行を抜くのは容易な事ではないわ。儂が直接やるならば兎も角隠行衆ではどうにもならん」

 

 不快げに肘を叩きながら宇右衛門は憮然とした表情で答える。

 

 今の鬼月家にとって最も懸念するべき者の一人である鬼月葵は何を仕出かすのか分からぬ狂犬だ。

 

 精神を病み、全ての責任を放棄したかのように屋敷の一室に引きこもってしまい碌に顔も見せぬ当主為時とその正室にして赤穂家本家の次女初音の間に愛もなく産まれ、両親から興味も持たれず、その癖に膨大な霊力と退魔の才覚は十全に受け継いだ桃色の少女……それが鬼月葵だ。あるいはそこまでならばどうにでも事態を軟着陸させる事が出来たかも知れない。

 

 しかし……実父から間接的に殺されかけて、しかもそれが成功するどころか全く彼女の立場を傷つけず、あまつさえ却って御家騒動を激化させてしまったのは致命的であっただろう。

 

 霊力が(比較的)乏しく血筋が卑しく、しかし努力と異能によって退魔の家の当主として十分な力を持ち、何よりも父から寵愛される姉雛……それに対して葵は異能こそ受け継いでいないが姉よりも遥かに強大な霊力を有し、才能で上回り、何よりも血筋に文句のつけようがない娘であった。止めはこの姉妹の仲が険悪の一言に尽きる事、それは鬼月家の長老衆にとって悪夢に等しかった。下手すれば家を二分して殺し合いが始まりかねず、代を重ねる事でより強くなる退魔の家系にとってそれは一番家を衰退させる要因であるのだから。

 

『やれやれ、当主のあのやらかし以前は才能に胡座を掻いて碌に鍛練すらしなかったものを……お陰様で話が面倒になったものだな』

 

 鳶の式神は舌打ちしながら吐き捨てる。この式神を使役している者は長老衆の中においては長女を推している者であった。

 

 この小さな会議に出席する者は何れも鬼月家において長老衆に属する身、それでいて長女か次女か、どちらを支持するかは別れるにしても身内争いは避けるべきと考えている穏健派によって構成されていた。そも、此度の上洛において鬼月葵が同行する事になったのもいつ殺し合いを始めるか分からぬ姉妹を引き離して一時的であれ対立を冷却させる為であったのだが……。

 

『失敗しましたね。よもや葵が此度のような功績を立てる事になろうとは。雛であれば兎も角葵は自主的に務めを果たす性格ではなかった筈なのだが……』

 

 鵲の式神は困り果てる。仕事熱心で向上心の強い長女であれば此度の騒動に積極的に首を突っ込むのも可笑しくない。たが次女は違う。故に油断していた。まさか彼女が自分から自主的に動くとは。そしてその結果褒美と官位まで授かるとなると姉妹間の勢力の均衡が崩れかねない。

 

『本当に面倒な事になりましたね。はてさて、どうするべきか。……そういえば姫は此度の騒ぎで拾い物をしたとか?』

 

 思水の木菟が首を捻りながら尋ねる。

 

「ん?あぁ、その話か。うむ、話は聞いておろうが身の程知らずの化け狐が襲った孤児院の者であるらしい。半妖の小娘のようだ。全く物好きな事だて」

 

 特に関心なさそうに宇右衛門は言い捨てる。鬼月葵が秘密にしていた事もあるが、流石に狐璃白綺という半妖から凶妖に上り詰め、そのまま半妖としての自分を切り分けた存在なぞ相当珍しいのでその真の出自までは想像も出来ないようだった。あるいはそれを知っていればそこを狙い姉妹の力関係を調整するために謀略を巡らしたであろうからその意味では葵の判断は正解ではあった。

 

『あら、それは初耳だわぁ。小娘って事は女の子なのかしら?少し興味が湧くわね。此方に戻ったら一つ顔見せに来させようかしらねぇ?』

 

 甘ったるい声で反応するのは白鷺であった。その緊張感の無さそうな言い様に他の式神、そして宇右衛門は僅かに顔をしかめる。

 

『……さて、おおよその話は理解しました。起きた事は嘆いても仕方無いでしょう。この際事態を有効活用するべきでしょうね。宇右衛門殿、橘商会との伝は頼みましたよ?』

「うむ、そちらは承知済みだ。彼方の会長とは既に何度か顔を合わせておる。何かあれば葵ではなく、儂に面会するように印象付けする事は出来ておるわ」

 

 ふふふ、と機嫌良く鼻息荒くして宇右衛門は答える。確かに直接商会長を助けたのは葵であるが葵はまだ鬼月家の代表ではなく、子供だ。単純なビジネスの話となれば当然宇右衛門の方に話を振るしかない。故にそこで可能な限り葵姫の影響力を削ぎ落とすのだ。

 

『雛にも功績を挙げる機会を与えるべきだろうな。洞越山の鬼蜘蛛の相手でもさせよう。実力からしてそろそろあの程度の化物を相手にしても良かろうよ』

『成功すれば均衡が取れて良し、失敗して死んでもそれはそれで御家騒動の火種が消えて良し、かな?』

 

 鵲の言葉に鳶が嘲るように牽制の言葉を口にする。鵲は目を細め静かな殺気を鳶に、いやその向こう側にいるだろう男に向ける。

 

『……思水、悪いけど雛の面倒を見てくれるかしら?流石に一人くらいお目付け役が必要でしょうから』

 

 剣呑な空気をぶち壊すように白鷺が木菟に尋ねた。一斉に周囲の視線が木菟に向けられる。横目に白鷺を一瞥して、次いで目を閉じて暫しの沈黙をする式神……。 

 

『宜しいでしょう。この思水、若輩の身なれど雛姫様のお供の役目承りましょう』

 

 恭しく首を下げる木菟。姉妹の後継争いが始まる以前の次期当主の最有力候補にして、中立の立場を取る思水の言葉に流石にあからさまに反発する者はいなかった。

 

『……では。今宵の会合はここまで、という事で宜しいかな?』

 

 鳶は周囲の他の出席者の様子を見ながら尋ねる。 

 

「ふむ、構わぬぞ」

『俺もだ』

『私も此度話し合う内容はもうないかと』

『そうねぇ。確かにそろそろ御開きかしらねぇ?』

 

 鳶の申し出に出席者の同意する。最早これ以上語っても大した内容がない事は確認済みであった。

 

『宜しい。では諸君今宵も態態御苦労。各々に解散といくとしよう。……では』

 

 総意が決まった所で鳶は今宵の会合の終わりを宣言した。別れの挨拶とでも言うように鳶は一鳴き、同時に鳶の姿はすっと消えて顔に貼られていた血文字の札だけが残り……それも次の瞬間自壊するように発火して瞬時に焼き消えた。

 

『では、俺も失礼させて貰おうか』

 

 鵲が周囲を見渡した後青白い火球へと変わり、そのまま焼失、次いで木菟も続くように消滅した。そして最後に白鷺が……思い出したかのように口を開く。

 

『あ、そうだったわぁ。ねぇ宇右衛門、尋ね忘れていたけれどあの子はどうしているのかしらぁ?』

「あの子、と申しますと?」

 

 白鷺の姿を借りた実母の言葉に首を捻る宇右衛門。

 

『ほらほら、あの子よ。葵が態態指名して連れて行った……』

「……あぁ、アレですか」

 

 式神の説明に宇右衛門は漸く誰を指すのかを思い出す。  

 

「葵の小間使いとして此度の案件に使われたようで、まぁ相も変わらず随分と大怪我をしたようですな。今は療養中ですよ」

 

 有象無象、仮面を装着して顔を見せず、私的な会話を交える事も滅多に無いが故に多くの鬼月家の者達は一々下人の区別なぞする事はない中で、その者は数少ない例外ではあった。

 

『あらあら、「また」なの?』

「全く悪運ばかり強い小僧な事です。良くもまぁあんな様で命を拾うものですな」

 

 私生活に関わる女中や雑人は、下人と違い顔を隠す事もなく、寧ろ私的な会話を交える場合も多いがために顔や名前を覚えられている場合も少なくはない。

 

 その意味で言えば本家の長女の世話役として迎え入れられて、当主の私的な理由で下人にまで落とされたという出自からあの男の事を覚えている者は一族の若者は兎も角、鬼月の大人の中にはその存在を覚えている者も少なくはなかった。ましてや直ぐ死ぬだろうと思われていたのが何度もぼろ切れのようになりながらも意地汚く生き残り、本家の次女の御気に入り……良くも悪くも……の立場にあれば俗物で目下の者共に関心のない宇右衛門でもその存在を覚えていた。

 

『その物言いだと今回は随分と酷い怪我のようねぇ』

 

 一見すると呑気そうな口調で白鷺は……胡蝶の式神はぼやく。しかしながら雲を掴むような母の性格を知っている宇右衛門からすればその形式的にも見えるがそれでも相手の怪我の具合を心配する態度は十分驚きに値した。

 

「たかが下人相手にまた随分と気にかけますな」

『可愛い孫娘のお気に入りだもの。それに、世話役の頃は母親代わりもしてあげたものだから。ついついねぇ』

 

 ふふふ、と上品に笑う白鷺。彼女はやんちゃだった孫娘を可愛がっていたし、その世話役で、まだまだ家族から引き離されるには少し早い幼い少年に対しても実の子か孫のように接して、可愛がっていた事を宇右衛門も昔見聞きしてはいた。とは言え……。

 

「昔同様世話役であればいざ知らず今はただの下人、賎しい身の者です。余り関わるのは宜しくありますまい。御注意下さりたいものですな」

 

 身分制度が厳然として存在している扶桑国において、それは当然のように注意しなければならない常識であり、教養であった。生きる事も簡単ではなく、富の流動性も低く、ましてや血統が重んじられるこの時代のこの国において目上であれ目下であれ身分の釣り合わぬ相手に対して分不相応に接するのは自身と相手双方にとって不幸にしかならないのだから。

 

『あらぁ、母親が盗られて拗ねているのかしらぁ?』

「御冗談はお止め頂きたいですな、母上。私は当然の事を言ったまでの事です。いくらアレが……」

『宇右衛門』

 

 自身の言葉を遮るように紡がれた自身の名に、鬼月宇右衛門は口を閉じる。閉じざるを得なかった。いつも通りの猫撫で声に、しかし強力な言霊の力が込められている事に即座に彼は気付いた。仮に返答の声を口にすれば次の瞬間には彼はその影響を受ける事になろう。

 

(にしても式神越しにこれ程の言霊術を使うとは……!)

 

 流石に鬼月家の本家に嫁いだ身なだけはあるというべきか。発動条件がシビアで、決して効率が良い訳ではない言霊術を、まして式神を通して使ってくるとは……。

 

『宇右衛門、良いですか可愛い我が子』

 

 白鷺が燭台から降りててくてくと彼の元に近づく。そしてその純白の身体を揺らして彼の下に来ればその長い首を伸ばして息子に頬擦りして親愛の情を示す。それは正に母親が息子に対して向ける無償の愛情であった。

 

『都は此方とは気候も水も違います。確かに美物は多くあるでしょうが食べ過ぎには注意するのよ?お酒もです。仕事柄必要でしょうが飲み過ぎてはなりません。……返事は?』

 

 その子供を叱り付けるような最後の少し厳しげな言い方に僅かに肩を震わせて、しかし無言のままに肯定する。

 

『それに夜更かしも行けませんよ?宴会も程々の時間に切り上げなさい。それに室内に籠りきって汗をかかないのも宜しくないわ。毎日ある程度は日の光を浴びなさい。分かりましたね?』

 

 だんまりしながら宇右衛門は母の申し出に頷く。その姿に満足したのか白鷺は満足げに、慈愛に満ちた瞳で肥満体の息子を見、そして数歩離れる。

 

『また次の会合まで元気でいてくださいね?母は貴方の健康をお祈りしておりますよ?』

 

 そういって最後に残った式神も自ら炎を発して数秒の内に燃え尽きた。式神の燃え滓を暫し見つめた後、はぁと緊張が解れるように息を吐く宇右衛門。

 

「……近頃は一層面倒になったものだな」

 

 元々気紛れでふとした事で態度がコロコロと豹変する繊細で気難しい性格である事は幼い頃から知ってはいた。しかしながら……ここ最近は特に情緒が不安定であるように宇右衛門には思われた。一体何があの人の癇に障るのか判断がつきかねていた。

 

「……あるいは若作りしていても歳という事かも知れんな」

 

 いくら霊力によって肉体を活性化出来るとしても限界がある。特に精神面は顕著だ。半妖ならば兎も角、元来長命ではない人間ではガワをどれだけ取り繕っても思考の硬直化は遅滞させる事は出来ても防ぎきる事は出来ないのだ。

 

「むぅ、だとすれば厄介だの。……おい、誰ぞおらぬか!」

 

 宇右衛門は額に浮かんだ脂汗を袖で拭うと障子を開き、防音効果も付与した結界も解除して使用人を呼ぶ。汗をかいて喉が渇いたと砂糖と氷入りのお茶を持ってくるように叫ぶ。そして襟首を開いて手元に置いてあった団扇を扇ぐ。

 

「全く、何を考えているのやら……」

 

 最後の、燃え尽きる前に見えた泥のように濁った式神の瞳を思い出しながら宇右衛門は首を捻った。この世界において一般的な価値観を有する彼はそれが意味するものをついぞ思い至る事が出来なかった……。

 

 

 

 

 

 

「……そう、あの子はまた大怪我したのね。可哀想な事、せめて介抱くらいしてあげられたら良いのだけれど」

 

 北土にあるが故に夏夜であっても蒸し暑さもない鬼月家の屋敷……その北殿の一室で煙管を吹かすのは長い黒髪を垂らし右目の目元に泣き黒子をした艶やかな女であった。甘ったるい、しかし母親が我が子に対してそうするように心配そうな声で彼女は呟く。

 

「はあ、雛も葵もまだまだ子供ね。どっちも身勝手で自己中心的過ぎるわ。まぁあの年頃の女の子なら仕方無いのかも知れないのだけれど……」

 

 それを加味しても残念ながら淑女としてはどちらも不合格と言わざるを得ない、と女は頬に触れながら自身の孫娘達を評して溜め息を吐く。因みにどうやら貼り付いているらしい鬼は論外である。

 

 あの孫娘らは気付いていないであろうがあの子が下人に落ちてから、何度自身が裏で手を回して来た事か。本来ならば下の孫娘を貶める陰謀に巻き込まれる前に何処ぞで食い殺されていた筈だろうし、それ以降もあの二人が一族で力を持つ迄何度あの子が死にかけていた事か……彼女はそれを思い返して嘆息する。自分勝手で派手に動いてくれるものだ。お陰で此方が煩わされる。

 

「それでも上手くいっているのはあの子の頑張りのお陰なのでしょうねぇ」

 

 幾ら此方が危険を抑えるように手を回しても死ぬ時は死ぬ。しかし……幸運な事に彼女はあの少年の頭が決して悪くない事も、必要ならば努力も出来るし堪え忍ぶ事も出来る事を知っていた。

 

 だからこそ彼女はあの子を信じて裏方に回り続けて有形無形の支援に徹してきたのだ。無理矢理にでも保護する事で悪目立ちしてしまえばそれこそあの子を苦しめ、危険に晒す事になるから。何だかんだ言って心優しいあの子の事だ、疎遠になってしまったとしても家族を人質に取られたらどうしようもあるまい。あの人のように。

 

「そうよ、もうあの時のような事はもうご免だわ」

 

 昔の記憶を思い返し、彼女は目を細め剣呑な口調で呟く。もう大切なものは一つも失いたくない。だからこそ本当ならば大切に仕舞って手元に置きたい衝動を抑えつけて堪え忍ぶのだ。もう安易な行動で取り返しのつかない事になりたくはなかった。

 

 そうだ。全てはこんな家に生まれてしまったせいだ。分家の当主の妾腹に生まれて、その癖に正妻の子供らよりもより濃く力を受け継いだのが全ての不幸の始まりだった。

 

 幼い頃に母は正妻の謀によって自分の代わりに毒殺された。目の前で苦しみのたうち回るその姿は今でも思い出せる。

 

 父親に放置されて、腹違いの兄弟や正妻にも疎まれていた彼女の幼い頃の心の支えは兄のように慕い、そして初恋だった下人の少年だった。子供心にいつか添い遂げようと願っていた彼は、しかし彼女もろとも罠に嵌まった。家族を人質にされた彼は抵抗も許されず、せめてものように自分を庇って目の前で妖に食い殺された。

 

 腹違いの兄が当主となると腫れ物扱いで家に軟禁された。そのまま死ぬまで座敷牢で生きるのだろうと覚悟して、二十歳になるかどうかという歳で既に疲れきっていた彼女はいっそ出家しようかと思った時にその身に宿る力だけを目当てに二回り以上歳の離れた本家の当主の後妻に宛てがわれた。当然愛もない冷たい結婚……彼女は泣く事も出来ずに、義務的に処女を散らした。

 

 止めは初めて生まれた息子だ。一族の力を受け継げなかった最初の子供を、しかし彼女はそれでも精一杯に愛した。それをあの男は……!

 

「あの時はこんな家、いっそ無くなってしまえばとも思ったのだけれどね。けど……」

 

 あの男がくたばって、息子らに家の全てを押し付けた彼女はその身に宿る霊力のせいで無駄に長い余生を安穏と、惰性に生きる筈だった。もう一族の面倒事に関わるのはご免だったのだ。残る人生くらい自分だけのために使いたかった。それが一変したのはあの子を見てからだった。

 

 初めて見た瞬間彼女は自身の目を疑った。そう、初恋のあの人を彷彿とさせたその風貌に。そして、実際に話して見ればその印象は更に補強される。教養はなかったが頭は悪くなかったし、善良で、面倒見が良く、何よりも一族で孤立気味だった上の孫娘に接する態度は正に昔自分に対してそうしてくれたあの人そっくりだった。

 

 一度あの人の面影を重ね合わせて愛着を持ってしまえば、後はこの小汚い貧農の生まれであるその子が愛しくて愛しくて仕方なかった。自身の子や孫と同じように彼女は可愛がった。いや、本当の子や孫があの忌々しい男と憎々しい鬼月の血筋である事を思えば胸の内にある愛情はそれ以上だっただろう。

 

「それがあの一件で……」

 

 最初は自身のトラウマがほじくり返されたように思えて半狂乱になりかけた。それでもあの子を守るために、あの子を信じて、遠くから見守っていたが……その努力は期待通り、いやそれ以上だった。止めは下の孫娘に仕掛けられたあの罠であろう。いざという時は助けてあげようと思っていたが……いざその一幕を式神越しに見た時、彼女の抱いた感情は安堵と感激と羨望と嫉妬であった。

 

 そう、それは彼女の有り得たかも知れない未来であったのだから。そして、だからこそ彼女は苛立ちを覚えるのだ。彼女が羨み、望んだ可能性を掴んだ孫娘達が、それだけに満足せず、それ以上のものを望んでいる事実に。それくらいなら……。

 

「ふふふ、なんてね」

 

 こみ上がってきた感情をそう嘯く事で彼女は誤魔化した。もしその感情に、その本音に気付いてしまったら、認めてしまったら自制出来るか分からなかったから。彼女も流石に孫娘達相手にそこまでの事はしたくはなかった。……少なくとも今はまだ。

 

 彼女の名前こそは鬼月胡蝶……鬼月家の分家に生を受けて以来、その人生の中で大切なものを失い続けてきた女である。

 

「雛でも葵でも、どちらでも良いのだけれど。貴方を迎え入れられた時には……これまで出来なかった分まで沢山可愛がって、甘えさせてあげますね?」

 

 彼女にとって最早、あの子は自身の子や孫と同じなのだから。あるいはそれ以上か……。

 

「ふふ…ふふふふふ…………」

 

 彼女は、その霊力で維持した妖艶な美貌を月明かりで照らしながら、より妖艶な笑みを浮かべた。その瞳は泥のように濁りきっており、狂気と妄執に満ちていた………。

 




ちな原作胡蝶様の場合、長男似のゲーム主人公への愛を拗らせて溺愛、何だかんだあって筆下ろしから母子プレイや赤ちゃんプレイに発展する模様。性癖歪むぅ!!


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第三章 子供の持つ憧れなんて所詮は麻疹みたいな一過性のものだよねって件
第二〇話●


貫咲賢希先生、uzman先生より白のイラストを頂きました。前話の前書きに追加してありますのでどうぞ御一見下さいませ

また貫咲賢希先生よりお気に入り二万人突破の記念イラストを頂きました、有り難う御座います!

【挿絵表示】



 そこの諸君、いきなりの事で済まないが万が一貴方が武器を持って人外の化物と戦わなくてはならなくなったら一体どのような武器を手に取るだろうか?刀?弓?槍?あるいは斧か、鞭か、銃だろうか?何にせよ、武器を選ぶ際はイメージや格好良さだけで決めるのは止した方が良い。そんな軽い気持ちで選んだのなら十中八九後悔しながら死ぬだろう。

 

 下人という人外の化物共と戦う立場に陥った俺がその手持ち武器として槍を選んだのも、当然ながら趣味嗜好のためではない。もっと実用的かつ合理的な要因からであった。

 

 実際問題、槍は極めて有効的な武器であると言えた。刀剣類よりも間合いが遠いために接近戦のリスクは小さく、また鈍器類よりも扱う上で筋力を必要とせず隙もない。更には弓矢よりもずっと修練する上で簡単だ。銃?残念ながら火縄銃が主流なこの世界では連射性に劣るし、何よりもそんな高価な装備下人風情ではまず渡されない。突く・切る・叩く・払う・防ぐ・投げる事が出来る攻守一体の武器であり、安価であり使い捨てしやすく、何よりも扱いが容易……故に現実の世界においても銃火器の台頭以前の軍隊において最も高い装備比率を誇った汎用的な武器、それが槍なのだ。

 

 これらの利点からして俺が下人となった上で槍をメインウェポンとしたのは当然の事であろう。ここにサブウェポンに、其処らの石でも使え、携帯しやすく、また扱いやすく、何よりも投石による音で敵に位置を欺瞞出来る投石器を据え、その他小刀や煙幕玉や発光玉等が俺の通常装備となる。これがチートなんざない俺がこの世界で生き残る上で考えた手に届く範囲内の装備の最善の組み合わせだ。少なくとも俺はそう思っている。

 

 ……尤も、幾ら俺が頭を使おうと、努力して知恵を回そうともどうにもならないものは存在する。今正に俺が相対している少女も恐らくはその部類に入る代物であろう。

 

「どうしましたか!?不遜にもたかが下人の分際で格別に従姉様に目をかけられているというのに、貴方の力はその程度なのですか……!!?」

 

 おかっぱ頭の可愛らしい赤紫色の髪を揺らしながら少女は叫ぶ。叫びながらギラギラと日の光を反射させて光輝く長刀を構えていた。

 

 そう、長刀だ。十代前半の少女が持つには余りに大きいそれを少女は軽々と掴み、構える。その色艶、輝き、迫力、一目で業物に類する類いのものだというのはド素人でも分かった筈だ。というか俺は原作知識でそれが正真正銘の妖刀『赤穂討魔十本刀』の一本であり『根切り首削ぎ丸』という滅茶苦茶物騒な名前である事も、彼女の御先祖様が化物共相手にまんま名前通りな使い方をしていた事も知っていた。

 

「……無茶苦茶だな。こんなの勝負になるかよ」

 

 下人らしく黒い装束に身を包み、仮面で風貌と表情を隠した俺は槍を構えて小さく呟く。無論、それは刀剣と槍の力関係についてではない。

 

 まともに戦えば刀剣類は十中八九槍に勝てない。余りに間合いが違い過ぎるからだ。遠方から攻撃出来る武器の方が有利、それは戦いにおける基本中の基本だ。

 

 しかしながらそれは普通の人間同士での事である。槍を扱うのが唯人で、刀を振りかざすのが人外の化物を虐殺する事を生業とする退魔士であれば話は変わってくる。下手すれば火縄銃の弾丸程度ならば避けたり切り落としたりしてくる奴ら相手にどうしろというのだ。

 

「たく、どうしてこんな事になったんだ……?」

 

 最早端から勝利する事なぞ諦め、どのように向こうが納得する形で負けられるかに思考を割きながらズタボロになって御臨終間際の下人班長用長槍(三代目)を構え、俺はこのような事態に陥った理由を思い返していた……。

 

 

 

 

 鬼月の遠縁である逢見家の屋敷は多くの北土の退魔士達のそれと違い「迷い家」化してはいないがそれでもたかが平民の家の百倍は敷地がある。当然主人一家を世話する雑用や女中等の住まいもあった。

 

 屋敷の端の端、急遽建てられたような数棟の小さい掘っ建て小屋は鬼月家から連れられてきた下人達のための住まいである。

 

 正直言って居住性は糞だ。幸運にもこの世界には霊脈があり、そこから溢れ出る霊力はあらゆる面で人々に恩恵をもたらす。都の霊脈はこの国で最も太く強大であり、それ故に気候は安定し、水も豊富、天然の湯すら噴き出しているので粗末な掘っ建て小屋にいようとも暑さ寒さに過剰に怯える事もなく、何なら桶に湯を注いで簡単な湯浴びも出来る。だが中は狭いし、虫は入ってくるし、窮屈この上ない。

 

 班長になった際、色々と怪しい陰謀を勘繰った俺であるが、この時ばかりは鬼月思水に感謝した。ただの下人ならば一人一畳半のスペースで雑魚寝する事になっていた。先日の化け狐との戦いで全身血塗れの包帯を巻いてゾンビ状態だった俺がそんな環境に置かれれば相当な負担になっていただろう。班長になったお陰で相変わらず狭くても一人で小屋を独占出来るのはかなり助かった。

 

 尤も、それはそれで問題点もあるのだが……。

 

「……朝、か」

 

 何処ぞから聞こえて来る鶏の鳴き声に俺は薄い藁の布団の中で目覚める。羽毛?綿?んな高価な寝具下人なんかが使える訳ねーだろ。

 

 長月……前世でいう所の十月の半ば頃、漸く傷が塞がり、骨が繋がってきた俺は冬が近く肌寒さを感じる中で藁布団の心地好さを名残惜しむように悶える。うん、このふんわりとした毛皮の感触と温かさが中々この時分には……って、うん?

 

「っ……!?」

 

 咄嗟に俺は布団の中の違和感に気付いて瞬時に脳が覚醒、飛び起きると共に掘っ建て小屋の壁際に跳躍し懐に隠していた護身用の短刀を引き抜いて臨戦態勢を取っていた。

 

 布団の中に誰か、あるいは何かがいる……それはこの世界においては笑い話ではない。妖の中には何処ぞのホラー映画の如く布団の中からこんにちはしてきてそのままこの世からお別れさせてくるような輩だって幾種類も存在するのだ。少しでも違和感があれば、怪しければ注意しろ、それがこの世界で長生きする秘訣である。というか注意してても死ぬ事も珍しくない。相変わらず糞みたいな世界だな。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……何者だ?」

 

 朝っぱらから全身に嫌な汗をかきながら緊張に表情を強ばらせて俺は呟く。すると藁布団の中から何かが蠢き始めていた。俺は次に何が起きても良いように脳内であらゆるシミュレーションをしながら眼前の存在に注視する。そして……。

 

「はぁ……はぁ……ふぅあ……、あの……漸く起きて下さいました……か?」

「はぁ?」

 

 小さく白い白張姿の人影が藁布団から身体を起こした。少し舌足らずの幼い口調。そして何よりも印象的な二対の白い狐の耳に同じくクッションのような一本の白い尻尾………その全てを総合して、俺は相手の正体の答えを導き出して唖然とした。 

 

「し……いや待て。貴様は誰だ?」

 

 動揺に一瞬その名前を言いかけて俺は訂正する。そうだ、一目見ただけで相手をその人物と断定してはいけない。化物の中には幻術や認識阻害、変化等で姿を欺瞞する存在も珍しくなかったからだ。いや、それもあるが何よりもこいつが本人だとしても原作知識を思えば一切の油断は出来ないのだ。

 

「えっ……?あ、あのぅ…わたしの事覚えて……」

「いいから名前を言え!!」

「ひゃい!?」

 

 俺が声を荒げて命じると跳び跳ねるように肩を震わせて、頭を押さえてプルプルと震える人影。狐耳と狐尾はしなだれる。その姿に罪悪感に胸を痛めるが警戒を解く事はない。

 

「え、えっと……わ、わたしは白です!!ひ、姫様の御側仕えを……」

「何故ここにいる!どうして布団の中にいたっ!?」

「ひゃい!え、えっと、その……姫様からの御命令で伴部さんをお呼びに参上したのですが……その……」

「何だ?何をしていた?」

 

 言い淀む少女を責め立て、問い詰めるように俺は追及する。少女は少し恥ずかしげに袖で口元を隠すと、此方をちらちら上目遣いで見ながら答える。

 

「お、お疲れだったようでお声をかけてもご起床下さらなかったので……そ、その小屋のなかまで入らせていただき……体を揺すらせていただいたのですが……」

「が?」

「その……寒いと言って布団の中に引きずり込まれて……尻尾を抱き枕代わりにされて動けずそのまま私も寝入ってしまいまして………伴部さん?」

「…………」

 

 恥ずかしげにモジモジと話す少女は、俺の額に皺が寄っていく事に気が付き不安そうに声をかける。一方、当の俺は彼女の話を聞いて今頃になって記憶が甦ってきて頭痛に眉間を押さえていた。

 

 ……あぁ、うん。俺のせいじゃねーかよ。

 

 昨日は長らく療養していて鈍った身体の感覚を取り戻すために随分と鍛練していたが……少し無理し過ぎたらしい。相当疲れて寝ていたようだ。まさか不用意にも傍らで起こされても起きないどころか寝惚けながらそんな事……もし相手が搦め手を仕掛けてくる類の化物ならば死んでいたな。

 

(いや、別にこの一月寝ていたばかりではないけれど………)

 

 化け狐との戦いで身体を動かせなくてもやれる事はある。書籍の類いから勉学に努めていたし、霊術の鍛練もしていた。何なら式神経由でやって来たあの妖殺爺から簡単な指導を受けたり、気紛れ気味に顔を見せてきたゴリラ姫様からも教えを受けていた。少なくとも無為に、遊んで過ごしていた訳ではない。それでもやはり昨日は特に疲れていたという事なのだろうが………。

 

「随分と情けないな……」

「えっ……?」

「此方の話だ。気にするな」

 

 俺の独り言に反応する白い半妖に俺は短刀を仕舞いながらそう言い捨てる。

 

「それよりも八つ当たりになったな。済まん、今度謝罪代わりに何か持ってこよう」

 

 一応最低限とは言え衣食住が揃っている下人でも少しくらい……本当に雀の涙くらいは給与はある。特に班長になれば下っぱ時代よりかは給与も多少は上がる。

 

 俺も生きるために必要な道具を入手する時以外は碌にそれに手を出す事はないので大金ではないが多少蓄えはある。八つ当たりの謝罪に玩具なり菓子類なり買うくらいは出来るだろう。

 

「ふぇ!?そ、そんなものだ、大丈夫です!!そんなご無理をなさらなくても私は……」

「いや、そちらこそ遠慮する事はない。世話をかけたのは此方だからな」

 

 そう言って俺は気取られないように目の前の少女を観察する。そうだ、遠慮する事はない。此方もその方が無駄に不安にならずに済むから。

 

 一月程前にゴリラ姫……鬼月葵の側仕えの雑用として召し出された白という少女の根源は前世のゲームにも登場した化物であり、今は無力な半妖である。しかし、だからといって油断出来る要素は何処にもなかった。

 

(最善はあのまま孤児院でひっそり生きてくれるのが万々歳だったのだがな)

 

 原作宜しくいつ力を取り戻して拗らせながら覚醒してくるか分かったものではない。一応妖としての側面の大部分は失った筈であるし、ゴリラの側仕えとしてならば碌に戦う事も無かろうが……この世界のシビア具合を考えれば楽観視は出来ない。いざという時に拗らせながら原作主人公のイベント介入からのバッドエンド化なんてされたら目も当てられない。

 

 というか覚醒した段階で俺が恨み辛みの対象になっていないなんて断定出来ない。最悪覚醒と同時にミンチにされる可能性もあった。いや、それならまだ即死出来るだけプリン案件よりはマシなのか……?

 

 そうでなくても、狸な元陰陽寮頭から責任を持って預かるように命令されているのだ。あの女……後になって気付いたが言霊術で呪いをかけてやがった。流石に死ぬような物騒な呪いではないが……やっぱり卑劣な妖は半分でも根切りしなきゃ(使命感)

 

 ……まぁ、そういう訳で俺は目の前の狐娘の機嫌も印象も余り損ねたくない。なので死の危険を一厘でも減らせるならばその程度の出費は安いものだった。

 

「えぇ……けどぅ………」

「どうした?何か不満でもあるのか?」

「い、いえ……そういうわけではなくて………ですが………」

「どうした?歯切れが悪いな。はっきりと言ってくれ。お前は側仕え役だ。俺より下というわけでもない。遠慮するな」

 

 俺は先程からずっともじもじと布団を着こんで要領を得ない言葉を口にする少女の側まで進むと座り込んで視線を同じ高さにする。子供が上から見下ろされながら問い詰められると恐怖を感じる事を俺は知っていた。

 

(本当ならばこの会話自体宜しくはないのだがな)

 

 下人の班長なぞ正直そこまで偉い訳でもないのだ。所詮使い捨ての消耗品の班長も同じ消耗品なのだから。それよりも本家のお姫様の御側仕えの方が立場は上かも知れないくらいだ。封建制の色合いが濃いこの世界である。年の差は軽視出来ないがそれ以上に身分や役職が重んじられていた。……いや、実年齢すら本当は負けてるんだけどな?

 

「えっと…その……別に私はそんな……伴部さんにそんな偉そうなこと……そ、それに…別に嫌だった訳じゃないから………」

「ん?何だ?」

 

 最後の方はどんどん声が小さくなって何を言っているのか分からず俺は聞き返す。

 

「済まない、もう少しだけ言ってくれないか?」

「ふえっ…!?そ、それは、えっと……!」

「あら、寝床で二人。一体何油を売っているのかしら?」

 

 その鈴のように響く冷たい声に、場の空気が五度は下がったと俺は断言出来る。

 

 俺は、そして恐らくは半妖の少女も怯えの表情を浮かべながら声の方向に視線を向ける。貧相な掘っ建て小屋の戸口には到底似合わない豪奢な和装に身を包んだ少女が賑やかな笑みを浮かべて佇んでいた。

 

 ……何とも底冷えする笑顔だった。

 

「遣いが帰ってくるのが遅すぎるから態々足を運んであげたのだけれど、随分と楽しそうな事をしているわね?私だけ仲間外れなんて妬けちゃうわ」

 

 加虐的に口元を吊り上げてそう嘯く少女。その言い方は獲物をなぶる肉食獣の印象を俺に抱かせた。

 

「あ、あの……その……」

 

 完全に萎縮して布団に隠れる白い少女。そんな子供を一瞥して、ゴリラ様は私の方向を見やる。

 

「ねぇ伴部。私に何か言うべき事はあるかしら?」

「………聡明かつ賢明な姫様の寛大な御心に期待する次第で御座います」

 

 これから死刑宣告をする裁判長のように宣う姫様に向かって、俺はそう最大限の媚びを売った……。

 

 

 

 

 鬼月家で支給されていた食事と言えば麦飯だった。そこに野菜のみの味噌汁に漬物、獣肉の燻製といった所か。あからさまに質素過ぎる訳ではないが鬼月家の者達が食べるそれと比べれば雲泥の差であるし、前世のそれとは比較するのも烏滸がましい。特に白い飯なぞ下人になってから食えた機会なぞ数える程しかない程だ。

 

 その点で言えば都での随行は確かに利点はあった。逢見家からすれば見栄もあるのだろうが、都という関係上東西南北あらゆる地からの特産物が集まるし、都周辺の土地自体が肥沃なので米の値段は然程高くない。

 

 それ故に都に随行して以来出される飯は毎回白米、しかも味噌汁に豆腐や油揚げが入っていたり、鰯や柳葉魚等の魚が主菜として出される事も多かった。正直感動したね。………おい、人を憐れむような目で見るな。この世界だとそこそこ値が張るんだぞコラ。

 

(まぁ、流石にアレを見ると劣等感をもつがね……)

 

 部屋の隅で仮面をずらして黙々と飯を口に運ぶ俺はそれをジト目で見つめつつ小さく溜め息を吐く。

 

 漆塗りの豪華な器には俺とは比較にならない程豪華な品揃えが並んでいた。柔らかく炊かれた姫飯にこれまた鰹出汁で柔らかく煮込んだ里芋や蓮根、蛤の吸い物に鴨と蕪の羮、玉子焼きに湯豆腐、鮭の塩焼きにほうれん草の煮浸し、七種類の漬物、甘味として冷した瓜に砂糖漬けした果物……この世界においてそれはご馳走そのものだった。食材そのものもそうだが特に電気なぞないこの世界では調理するのに時間と手間暇がかかるので尚更だろう。

 

「そんなに物欲しそうな目で見るのは止めなさい。子供じゃあるまいしあげないわよ?」

 

 そんなご馳走に優雅に舌鼓を打つゴリラ様は俺の視線に気付くとそう宣った。

 

 そう、今この部屋では我らが主たるゴリラ姫様が朝食を摂っている真っ只中であった。因みに給仕はいない。本来ならば複数人控えている筈なのだが、今この部屋にいるのは護衛役として駄々っ広い部屋の隅……歩幅にして二十歩程の距離か……で側に武器を置いて黙々と食事する俺以外にはゴリラ姫の傍らに控える白狐だけである。

 

(……どうしてこうなるんだかなぁ)

 

 ゴリラ姫様が俺の掘っ建て小屋に出向いた後、何やかんやあって身支度を整えた俺が最初にする事になった職務がこの食事中の護衛である。それ自体はまだ何度かあるので良いのだが……周囲に他の者がおらず、しかも自身も食事しながらともなれば話が変わってくる。こういう場面は前例がなかった。

 

「態々私に足を運ばせた罰よ。精々そこで粗末な餌を食べながら私の食事する風景でも見ていなさいな」

 

 漆塗りの雅な箸で玉子焼きを頬張りながら心底人を見下した視線を向けるゴリラ。おう、お前性格悪いな。

 

(とは言え、俺はまだマシか……)

 

 ゴリラの傍らでは物欲しそうな顔で料理を見つめている半妖の少女が正座して控えていた。彼女に至ってはゴリラの独断と偏見で朝食抜きと刑罰を受けていた。育ち盛りの子供、しかも目の前にはご馳走の山があって、しかも嗅覚が人間よりも鋭い半妖ともなれば地味に辛い罰であろう。というか涎垂れてるぞ。

 

「あら、そんなに憐れむような視線向けるのなら貴方のその粗末な朝餉でも分けてあげたらどうかしら?当然補填はしてあげないけれど」

 

 意地の悪い笑みを浮かべて挑発気味にゴリラ姫は俺に釘を刺す。というか意地悪だな。悪役令嬢かよ。

 

「………側仕えの、此方に」

 

 内心僅かに呆れながら、しかしおくびにも出さず淡々と俺はそう口にして手招きする。文字通り指を咥えて物欲しげな表情を浮かべていた少女はその声に獣耳と尻尾をピンっと突っ立てた。

 

「ひゃっ!?えっと……その、私は別に……」

「さっさとお行きなさい。そこで乞食のような顔をしていては私の朝餉が不味くなるのよ」

 

 遠慮がちにそう呟く半妖に対して命じたのはゴリラである。目を細め、肉食獣のように見下ろす視線にびくっと震えながら逃げるように此方へとやって来る少女……。

 

 てくてくとやって来た小娘に対して俺は内心げんなりしつつ豆腐と油揚げ、葱が具材の味噌汁を差し出す。

 

「全部はやれんぞ。汁物だけで我慢しろ」

 

 俺も鍛練なり護衛なりゴリラの無茶ぶりがあるので朝飯全てをやれる程寛容にはなれない。精々汁物をやれるくらいだ。一品だけやれるとすれば消化しやすく、温かい味噌汁が子供には一番マシであろう。

 

「えっと……けど……」

「遠慮するな。吾妻殿との約束もある。俺は殺されたくない」

 

 あの過保護気味な元陰陽寮頭に飯抜き案件なんてバレたらと思うと冗談抜きで怖い。それを汁物をやるだけで回避出来るなら安いものだ。

 

「うぅ……」

 

 ちらり、と狐はゴリラの方に視線をやる。当の桃色ゴリラは此方を一瞥すると興味を失ったかのように蛤の汁物を味わい始めた。

 

「焦る事はないがさっさと飲んで仕事に戻れ」

 

 俺の方を向き直り不安げに上目遣いする狐に俺はそう命じるとコクコクと首を振って味噌汁を啜り出す。大層美味しそうに味噌汁を啜る姿はある意味感心させられる。

 

「ふぅ……おいしい」

 

 意外と早く味噌汁を飲みきると満足そうに小さく溜め息をつく少女。ぺろりと小さい赤い舌が唇を舐めた。

 

 恐らく狙ってないのだろうがその仕草は妙に艶かしく妖艶だった。俺は改めてこいつが原作ゲームの攻略キャラに選ばれるだけの美貌を持つ人外染みた美貌の化け狐なのだと認識させられた。

 

「空腹は収まったかしら?ならさっさと此方に戻りなさい。私も、貴女を遊ばせるために召し上げた訳じゃないのよ?」

 

 何処か不愉快そうにジト目で釘を刺す姫ゴリラ。その指摘にびくり、と肩を震わせてばつが悪そうにする。……流石にこれには助け船は出せない。

 

 実際、彼女……白の今の立場は彼女の経歴とこの世界の厳しさから思えば相当恵まれているのだ。

 

 半妖というだけでいつ襲われるのか分からぬのを、鬼月葵という貴人が召し抱える……それにより半妖の少女はその身の安全を約束され、ましてや側仕えであるためにその待遇も有象無象の雑用人よりも余程良い。その突然の引き抜きは周囲の嫉妬を受けかねないもの。しかも、彼女が元々が人食いの化物のその一部であると思えば………状況の全容を知る数少ない人間である俺からしてみてもゴリラ姫のやった事は唖然とするものだ。いや寧ろ全容を把握するからこそ驚きを禁じ得ない。

 

(原作のゲームでもそうだったが…本当に気分屋だな)

 

 原作主人公への無茶ぶりに、周囲の事を考えない思いつきや暇潰しと称したぶっ飛んだ命令や判断……プレイ中にかなり手を焼かされたものだ。毎回毎回突拍子のない提案で場を引っ掻き回して、主人公周辺の好感度を乱高下させてくれるので一部のファンからは彼女の命令は「好感度サイクロン」や「フラグクラッシュ」なんて怨嗟の声混じりで言われていた。そりゃあ折角組み上げたフラグとか好感度が一気におじゃんにされればそうもなろうよ。

 

「……そういえば、僭越ながらお尋ねしても宜しいでしょうか、姫様?」

 

 ふと、彼女の特性を思い出して、俺は僅かに嫌な予感を覚え口を開く。無論、ゲームとこの世界の法則性が完全に一致するとは限らない。しかしながらこれまでの経験から来る勘ないし第六感とでも称するべきものが俺に警報を発していた。故に、尋ねる。

 

「……貴方から声をかけるなんて中々珍しいわね。明日は槍……いや、妖でも降ってくるのかしら?……冗談よ。何かしら?」

 

 大して面白くもない冗談に俺が不快感を覚えた事に気付いてか、何処か愉快そうに目を細めて傍らに戻ってきた白狐の頭を撫で上げ、その獣耳を弄びながら姫ゴリラは発言を促す。獣耳を遊ばれる半妖はむず痒そうな表情を浮かべていた。

 

「早朝のお呼び出し、御求めに応じる事が出来ず申し訳御座いません。して、態々御自身で足を御運びになられるとは、一体如何なる案件だったのでしょうか?」

 

 遣いの白も、あくまでも受けた伝言は「速やかに身支度をして参上せよ」という内容のみであった。まさかここでこうして飯の供をせよという訳でもあるまい。即ち、朝早くに彼女の下に参上しなければならなかった理由がある筈で……。

 

「あぁ、あれね。本当ならとっとと身支度して裏口から牛車で出ようかと思ってたのよ。この前の持て成し方が余りにぞんざい過ぎるって叔父様が仰るものだから。……あーあ、貴方が厭らしいお遊びをしてなかったら朝一に入り違って誤魔化せたでしょうに」

「? それはどういう………」

 

 そこまで口にした瞬間、俺は遠くから響くその音に気付いた。少しずつ近付いて来るその音は廊下を疾走する駆け足のそれであり、何処か楽しげなその快活な音を響き渡らせる者なぞ、本来この屋敷にはいない。即ち、それは外部からの客人のものであるのはほぼ間違いなかった。

 

「……本当、形振り構わずはしゃいで、騒がしい子な事」

 

 我らが主人の低く、蔑むような冷たい声を俺は聞いた。同時にその台詞から俺はこの足音の主が誰なのか、そしてゴリラ様が俺を朝早くから連れ出そうとしていた理由を察する。要は面倒だったのだろう。

 

 俺達のいる部屋の障子の前に誰かが立ち止まる。余り大きくない人影は緊張したように深呼吸をすると、意を決したように障子を開いた。

 

「御早う御座います従姉様!赤穂家の遣いとして紫、ここに参上致しました!!」

 

 天真爛漫に、期待と憧れと喜びに目を輝かせてながら赤紫色の少女が口上を口にして挨拶をした。古くから続く退魔士の一族にして鬼月葵の母の出身たる赤穂家の娘、葵の従妹に当たる赤穂本家七人兄弟の末妹……そしてそのゲーム内での悲惨な扱いから多くのファンを絶望の底に追い落とした悲運のサブキャラ、赤穂紫の姿がそこにあった………。



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第二一話●

 読者の皆様からファンアートを頂きました。ここで紹介させて頂きます

・doubt90様
https://twitter.com/s_doubt90/status/1311120344317440001

・MASK様
https://www.pixiv.net/artworks/84700798

・貫咲賢希様
https://www.pixiv.net/artworks/84636061

 皆様、本当に有り難う御座います!


 千年余りの歴史を持ち、その初代に『退魔七士』が一人「千切り撫で切り人でなし悪九郎」こと、赤穂弥九郎を持つ西土の名門退魔士一族赤穂家……その直系当主の七人兄弟の唯一にして末の娘が『闇夜の蛍』の登場人物である赤穂紫である。

 

 歳は鬼月葵よりも一つ年下、現状では一三歳、原作ゲームスタートの時点では一五歳となるこの少女はこのゲームが無駄な程イラストレーターに一線級の人材だけを投入した事もあってその造形だけを言えば他のゲームならば十分メインヒロインを張れるようなデザインに仕上がっている。

 

 おかっぱ頭の赤紫色の髪に童顔、同じく身体は華奢で胸は姉御様の次くらいに薄い。性格は尊大でプライドが高く、早合点しやすくムキになりやすいが……擁護させて貰えるならば決して悪人ではない。

 

 努力家であり生真面目で、助けられれば気に食わない相手にでも礼を言うし、一度敵意が薄らげば素直に過去の過ちについて謝る事も出来る。敵意を抱いていない相手には突っかからないし、目上にはちゃんと礼儀を弁える事も出来る。原作主人公相手にも最初は敵意を向け、蔑視していたがイベントをこなせば次第にその態度は軟化していき、遂には甲斐甲斐しく手助けやプレゼントまでしてくれる。所謂時間差デレである。……そして何よりも注目すべき設定は従姉である鬼月葵を尊敬して、羨望している点であろう。

 

 そしてその設定は彼女自身の劣等感の裏返しでもあった。

 

 赤穂一族は刀剣を扱う西土の退魔の名門である。両親や親族は無論、兄達も皆ゲームやノベルでは直接の登場はなく名前や逸話くらいしか出てこないが、触れられている設定だけでも相当ぶっ飛んだレベルの剣豪である事が分かる。うん、キロ単位先の大妖の群れを突きの『風圧』で纏めて爆殺したり、木刀で大入道を細切れになるまで切り刻んだり、挙げ句の果てには刀の先から不可避の上に即死のビーム撃って来るとか意味分かんない。

 

 そんな戦闘力がイカれている一族の内で、赤穂紫という少女は……最弱だった。より正確に言えば一族の本家筋の中での最弱であるのだが……彼女にとっては大した違いなぞ無かろう。

 

 歳が幼い事や、女の子である事は残念ながら退魔の本家筋である事や一族伝来の刀の一振りを授かっている事の前では何の言い訳にもならない。いや、だからこそ余計悪いのかも知れなかった。一族本家筋にあり妖刀を受け継ぎながらその才能も力をも受け継ぐ事が出来なかった残り滓の味噌っ滓の出来損ない……両親や兄達はそうは見ていないし、作中の描写から十分愛されてはいたのだろうが周囲はそうはいかない。陰口ややっかみは相当なものだっただろう。

 

 名門の落ちこぼれ……それが赤穂紫という少女に対する周囲の見立てであり、彼女自身も気丈に振る舞いつつも内心ではその事を自覚していた。いや、あるいは主従が逆でその性格も環境から形成されたのかも知れない。

 

 そんな彼女にとって鬼月葵という少女が憧れの対象となったのは自然な流れであっただろう。血の繋がった従姉妹であり、歳も近く、それでいて自分と違い才能に恵まれた強者……原作ゲームでは流石に公にはされてはなかったが妖による凌辱パーティーの事実があってゴリラ様が周囲から腫れ物扱いされていたのもあり、紫の父は妹の娘を労るために敢えて自身の娘を近付けた。そして紫自身も才能と力に溢れ、大人っぽく優美な従姉に憧れた。……そして、それは悲劇への第一歩でもあった。

 

 発売当初、鬱ゲーである事すら隠されていた『闇夜の蛍』にて彼女の存在はまさに特大の地雷と化した。事前に公式サイトやゲーム雑誌で他の主要ヒロイン達と共に出てきたために多くのプレイヤーは攻略キャラと勘違いして彼女に接近して好感度を稼いだ。一癖二癖あるヒロイン達の中ではある意味ストレートな古き良き時間差ツンデレである事も理由だろう。斯くして製作陣の仕掛けた卑劣な罠に嵌まる。

 

『今回は本日発売された話題のギャルゲー、『闇夜の蛍』の最速クリアを配信しようと思います!』

 

 事前の情報の隠蔽により多くの配信者や走者がそれに気付かずにネット配信しながらゲームをプレイした。彼らの攻略目標はその殆どが事前に一番多く情報開示が為され、ルートに至るイベントが豊富で好感度を上げやすい赤穂紫であった。それが製作陣のあからさまな誘導である事に彼らはその瞬間が来るまで気づけなかった。

 

 ゲーム販売の一時間後にはネット掲示板は阿鼻叫喚の嵐と化した。そりゃあそうだろう。最も簡単に攻略出来そうな赤穂紫を狙ってプレイしたら最期その悉くが彼女の死亡……しかもバラエティーと創造性に富んだ肉体的精神的ダメージを受ける死に方ばかり演じたのだから。

 

 赤穂紫は『闇夜の蛍』作中のほぼ全期間、全ルートで死亡イベントを無数に捩じ込まれていた。妖に殺されるのは基本中の基本、酷いのでは自身の妖刀に斬り殺される。朝廷の陰謀を知ったせいで口止めされた上に反逆者の汚名を着せられる。天狗達になぶり殺される。救妖衆の孕み袋にされる。妖母によって妖にされた挙げ句仲間に退治される……しかし特に多いのが他のヒロインによる殺意と悪意に満ちた殺害であった。

 

 正直、赤穂紫は作中登場の女性陣の中ではかなりまとも……というかサブカルチャーのヒロインとしてはかなりレギュラーなキャラ付けがされた人物だ。あるいはそれが悪いのか、プレイヤーが好感度を上げて良い雰囲気になった途端に狐のプリンにされたり、姉御様に骨一つ残さず焼かれたり、碧鬼には錨でぐちゃぐちゃに潰されて、若作りのババアには罠に嵌められ妖の白濁液まみれにされてハイライトが消え失せた。

 

 ゴリラ様に至っては心臓を貫かれるルートを基本に一三種類も殺害方法が準備されているという豪華仕様である。うん、尊敬して憧れていた従姉の前でのろけ話した瞬間、塵を見るような目付きをしたゴリラによって腹に腕がめり込んでるとかね。発売日当日に流された某有名走者の実況動画の画面全体がゴリラによる心臓貫通シーンに切り替わった途端視聴者の『はっ?』の弾幕で覆われたよ。何なら貫かれた本人すら信じられないとばかりに絶望しながら絶命していたよ。

 

 そしてもたらされる公式発表、この作品がただのエロゲーではなくて特大の鬱ゲーである事、更に言えばこれまで散々公式プッシュしていた赤穂紫が攻略対象キャラどころかプレイヤーを曇らせるためのサブキャラに過ぎなかったという事実は、彼女とプレイヤー達に更なる悲劇を生み出す。

 

『お前らのたった一つの望み……可能性という名の神を信じろ』

『認めたくないものだな。自分自身の……若さ故の過ちというのは』

『お前ら…止まんじゃねぇぞ。止まらなきゃ……その先に俺はいるからよ。だからよぅ、お前ら……止まんじゃねぇぞ………?』

 

 多くの名のある走者、あるいはゲーマー達が諦め切れずに何処かに隠されている(と信じている)赤穂紫ルート開拓のためにこの鬱ゲーにのめり込んだ。そして彼らの多くが上記のような台詞を残して燃え尽きた。挙げ句の果てにゲームソース解析して改造してまでルート開拓しようとした奴までいるのだが……製作陣はそこまで読んでいた。

 

 改造したゲームで赤穂紫ルートのハッピーエンドクリア……した瞬間に画面が突如真っ暗に変わった時、再び動画視聴者達の「ふぁっ?」という弾幕に画面が覆い尽くされたのは最早伝説である。

 

 製作陣は改造される事すら見越し、改造して無理矢理捏造された赤穂紫ハッピーエンドルートがクリアされた瞬間に隠しエンディングが割り込むようにソースコードを仕込んでいたのだ。

 

『実は全て監禁されて絶望していた彼が現実逃避のために見た一時の夢に過ぎなかった。そして残酷な現実が戻ってくる。目の前には狂気に飲み込まれた瞳で貴方への愛を囁く狂人、そしてこれからも貴方の地獄の軟禁生活は続くのだ。貴方は絶望に打ちひしがれる。そしてショックからか、あるいは薬物でも使われたのだろうか?再び意識が遠退いていく。最後、その瞳に光を失った貴方がぼんやりと見つめたのはかつて彼が愛を告げた赤紫色の少女に贈った髪飾りだった。床に無残に打ち捨てられたそれは酷く傷み、その表面は赤黒く汚れていて……』

 

 ………製作陣の悪意の総仕上げともいうべきエンディングが流れた瞬間プレイヤーと視聴者達の心は完全にへし折れた。

 

 その隠しエンディングの衝撃、そして実際問題ストーリー構成的に余りにも死亡フラグ回避が困難過ぎて二次創作の最強系主人公物ですら諦める者が多く、RTA物に至っては敢えて殺してイベント前倒しまでしようとする発想のものまであった程だ。ファンからは最早「抑止力に殺され続ける紫ちゃん」扱いである。余りに死に過ぎるため某動画サイトでは機動戦士な団長が彼女の身代わりに希望の花を咲かせまくるMADが大流行した。

 

 ストーリーと公式、そして二次創作ですら散々に殺され続ける不憫過ぎる哀れな少女、それが赤穂紫であった。あったのだが………。

 

(あー、まぁ流石にこれはゴリラ様もうざがるわな)

 

 さっさと飯を胃に流し込み、部屋の隅に無言で控える俺は仮面の内側からジト目でその光景を見つめていた。

 

「……でして、それで最近の都ではどうやら舶来物の衣装が流行りそうなんです!この前私も東市の呉服町に行って見たのですがこれが中々新鮮な意匠で………」

「ふぅん、そうなの」

 

 長々と、何処か必死に捲し立てる赤穂紫に対して、ゴリラ様の態度はそっけなかった。それは何処か詰まらなそうで、暇そうで、面倒臭そうな表情であった。彼女が目の前の親族に対して何らの愛着も、関心も示していないのは明らかであった。傍らに控える半妖すら退屈そうな素振りを見せている。

 

(必死過ぎるんだよなぁ……)

 

 赤穂家の末の娘の会話を俺はそう評する。色々と事前に調べて来たようだが、必死に話しすぎて早口言葉になっていた。しかも緊張しているのだろう、相手が話に飽きている事に気付いているようには見えない。

 

 お喋りは一方通行ではなく双方向のものでなければ意味がない。その上で相手が関心を持って共感してくれなければただの時間の浪費に過ぎず、苦痛でしかないのだ。その意味で目の前の少女のそれは失敗であると断言出来た。

 

(ゴリラもまぁ、良く付き合っているものだな)

 

 此度の茶話もはっきり言ってやる気はなさそうではあるが……それでも原作でのぞんざいな扱いよりはマシであろう。少なくとも相槌を打って一応聞くふりはしているのだから。少なくとも無言で無視よりは遥かに思いやりはあった。マジで原作ゲームでの態度は酷かったからなぁ……。

 

 ゲームでの対応よりは温情……それが何を意味するのかこの時点は判断し切れなかった。ここからゲームスタートの頃までにそのまま態度が悪くなるのか、それとも凌辱イベント回避がゴリラ様の思考に何らかの変化を与えたのだろうか……?

 

「伴部」

「……はっ、姫様。何用で御座いましょう?」

 

 思考の海に意識を沈めているとふいに俺の名を呼ぶ声が響き、俺は即座に応じて傍らに控える。仮面越しにゴリラと相対して座る赤穂紫が不機嫌そうな表情で此方を見やる。何だ?

 

「そこの従妹のお茶が冷めてしまったわ。新しいものを淹れて来て頂戴」

「女中をお呼びすれば良いのでしょうか?」

「いいえ?貴方が淹れてくるの。あぁ、序でに私のもお願いね?」

 

 そう宣い、盆の上に湯飲みを置いて笑みを浮かべる鬼月葵。このゴリラ………!!

 

「……承知、致しました」

 

 余り調理場の女中達には良い顔されないだろうな、と思いつつも拒否する権利がない以上、俺は渋々と命令を承るしかない。

 

 使い捨て上等、何処の馬の骨とも知れぬ出自の下人は賎しい存在だ。公家の屋敷で働く女中達からすればそんな小汚ない奴が自分達の仕事場に顔を出すなぞ嫌がるだろう。完全に嫌がらせだな。……とは言え、ノーと言えないのが悲しい立場である。

 

 俺は湯飲みを二つ盆に載せると隠行の技術も応用して立ち上がり、歩き、障子を開けて、退出する。その間、殆ど無音だった。

 

『技術の無駄遣いだな』

 

 廊下を歩く俺の耳元で響いたのは人の形を模した小さな紙切れだった。否、紙ではない。式神である。松重の翁の式神だ。俺の右肩に寄り添うように飛ぶ式神……。

 

(毎回の事ながら、良くもまぁ結界を擦り抜けて入って来れるものだな)

 

 最悪の最悪、小さな式神が都の中に入る事は『裏技』があるので不可能ではないが……内京の、しかも公家の屋敷にまで入りこめるともなれば話は違う。流石元陰陽寮の斎宮助兼理究院長といった所か。隠行の出来は当然として、明らかに独自の加工技術で式神を作っていた。

 

「……何用でしょうか、師よ」

 

 周囲を意識して聞き耳立てる者がいないのを確認して歩きながら小さく俺はリモートで師事を受けている札付きの退魔士に尋ねる。式神はくっくっくっ、と嘲るように耳元で空気を響かせる。

 

『何、大した事ではあるまいて。少し家庭訪問をしに来ただけの事じゃよ』

「家庭訪問、ねぇ。それはどちらのです?」

 

 俺は探るように式神に尋ねる。ゴリラと違ってあの翁が単に面白そうというだけで態態労力を割いて式神を送り付けて来る訳もなし。そして家庭訪問という言葉も加味すればその目的は一目瞭然であろう。

 

「私も警戒はしておりますが、今のところは怪しむべき点はないかと」

 

 白狐の小娘の動きを俺はそう評する。

 

 妖絶対ぶっ殺爺な翁からすれば邪悪な妖気の大部分を失っても尚、半妖の餓鬼が警戒対象から外れる事など有り得ない。寧ろ都の内側に居座る以上その警戒は一層厳しいものとなるだろう。少しでも疑惑のある行動を取れば、実力行使さえしてきかねない。

 

『妖は卑怯で卑劣じゃからの。そして物事への認識も遠大じゃ。周囲の警戒を解くのに十年二十年演技をするなぞ簡単な事じゃて。まして化け狐のような頭の回る輩だとな』

 

 途中、屋敷の女中と擦れ違ったのでだんまりとしたまま会釈、若干怪訝な表情を浮かべる女中であるがそのまま去り、気配が消えると俺は会話を続ける。

 

「成る程、それは否定出来ませんね。化物共の時間感覚は人間とは違う。しかしだとしてもあのおどおどした態度を取りますかね?」

 

 化け狐は確かに狡猾で頭が回るが同時に気位が高い。庇護欲を刺激する演技はお手の物であろうが……あの子供らし過ぎる態度は流石に演技ではなかろう。ましてや自身の子供時代を恥部扱いして切り捨てた狐璃白綺があんななよなよした演技をするとは考えにくい。

 

『ほぅ、随分とまた自信のある物言いな事だな。外見が幼いからとほだされたか?あの成りではあるが本質的にはあれの年齢は主の十倍以上だと言う事を忘れるな』

「それは無論承知しておりますよ」

 

 原作ゲームでの所業を思えばな。とは言え、少なくともあの態度は演技ではないのは確かだ。少なくとも今の意識は完全に子供であろう。問題は今後であるが……。

 

『おやおや?浮気とは酷いなぁ。しかもあんな幼い狐なんて……これは驚いたなぁ。御姉さんみたいな大人の女性は好みじゃなかったのかな?』

 

 俺が歩きながら考え込んでいるとそう式神越しに声を上げたのは翁ではなかった。……というかおい。

 

「……翁、それは声帯を変化させる類いの術式でしょうか?」

『そんなに俺が話し相手でない事を祈るように話さないでくれないかい?流石に俺も悲しくなるじゃないか?』

 

 大して悲しくもなさそうな飄々とした口振りで答える女……いや、鬼の声。

 

「……翁。奴は今何処に?」

『文字通り儂の目の前じゃな。鬼らしい傍若無人な態度な事だ。此方側でこの会話を仲介させておる式神がおるのじゃが、先程ふんだくってくれおった。今使っているのは予備の式神じゃて』

 

 その声は左側……俺の左耳に現れた式神に僅に驚きつつもその事はおくびにも出さない。

 

「何故鬼がそこに?」

『仕方ないじゃないか!流石に俺でも、いや俺だからこそ都に入り込むのは厳しくてね。泣く泣くその御老人の御自宅で御世話になっている訳さ』

『こやつのような格の化物となると最初の結界の網すら誤魔化せんよ。一歩都に足を踏み入れれば直後何十と退魔士が参上してくる事じゃて』

 

 千年以上生きる鬼ともなれば大昔に力の大半を失っても尚、そこらの有象無象の凶妖よりも遥かに危険なのは言うまでもない。ましてや朝廷は都に入り込もうとする化物にどこまでも敏感だ。

 

『負ける積もりはないけれどね。別に都を滅ぼそうって訳じゃないんだ。態態騒ぎなんか起こしやしないさ』

 

 余裕綽々といった口調でそう嘯くがその実都に詰める朝廷の戦力にガチで怯えているだろう事を俺は知っていた。そりゃあ千年前にあんな酷い目に遭えば二度と戦いたくないだろうさ。

 

(というかまた監視されるのか。……凄ぇげんなりするな)

 

 鬼月の屋敷にいた頃もいつ見られているか知れたものではなくて生きた心地がしなかったのだ。鬼の逆鱗が何処にあるのか知れたものではない。それを都の公家衆の屋敷の中なら……と思ったのがこの様とは。

 

「……見世物だな、これでは」

 

 そう小さく呟いて俺は早歩きするとそのまま目の前に見えていた炊事場の障子を一気に開く。

 

 すると目の前には恐らくは障子の隙間から珍獣を相手にするように此方を見て何やら噂話していた数名の女中達。俺が目の前で見下ろせば彼女らは息を止めて緊張の面持ちで此方を見上げる。

 

「……失礼、姫様とお客人のお茶を淹れたい。そちらの仕事に介入する事になるが……命令なので御容赦願う」

 

 俺が手を持ち上げた途端恐怖に肩を竦める彼女らは、しかしそれが盆の上に湯飲みを載せただけのものである事を理解すると一度此方を見て、言葉を理解すると同時に小さく小刻みに頭を縦に振るう。

 

 此方の様子を窺いながらわたわたと緑茶を煎じる準備に取り掛かる若い女中達を一瞥しながら俺は今の会話が聞かれてなかったかと一瞬慮る。

 

(腹話術と防諜用の指向性話法でも練習するかね……?)

 

 ふと、自身もまた女中達と共に茶を淹れる準備を始めながらぼんやりとそんな事を考えていた……。

 

 

 

 

 温かい煎茶を湯飲みに淹れてもらい、序でに何処からか白の話でも仕入れてきたのだろう、女中の一人から彼女への餌……ではなくておやつとして金平糖の入った小袋を受け取った。

 

(いや、雑用かよ)

 

 どうやらあの狐、人見知りでゴリラ姫を除けば俺くらいとしか碌に会話もしたがらないらしい。そして、俺と幾度か話している所を見ていた女中達が彼女を餌付けするために俺を利用しようとしているようだった。いや、別に怖がられたり、侮蔑されるよりはマシだけどさ。

 

(いや、まぁそれはそれで好都合か……?)

 

 下人という立場は余り目立つ行動は出来ず、情報を集めるのも難しい立場だ。下手すれば他の雑用と会話する事すら注目されかねず、悪目立ちしかねない。

 

 ならば、あの狐娘はある意味では良い隠れ蓑では……?

 

 そんな事を考えつつ、俺は盆を手にその部屋へと戻った。障子の前でまず片膝を突いて申し出る。

 

「姫様、お客様、御申し付け通り茶を淹れて参りました」

「御苦労様、入りなさいな」

 

 その声に応じて、俺は隠行術を応用して静かに障子を開いていく。

 

「そうそう、追加で命令してあげるわ。………全力で足掻きなさい」

 

 障子を開いた直後、眼前に何かが光ったのを俺は視認した。コンマ一秒後、俺の身体は条件反射的に湯飲みを載せた盆を前に向けて投げ付けていた。霊力で脚力を強化して全力で後方に後退する。

 

 すっ、と仮面に浅い切り傷が入った衝撃を感じ取れた。これはっ……!

 

「……ほぅ、今の居合いに反応しますか。寸止めで終わらせる積もりでしたが杞憂でしたね。これならばもう少し本気で斬りにいっても良かったです」

 

 軽く三丈は飛んで屋敷の庭園に着地した俺は緊張しつつ目の前の声の主を見やる。障子を開いたすぐ目の前、そこにいるのは剣呑な表情を浮かべて長刀を構える赤穂紫の姿。彼女の足元には真っ二つになった盆と湯飲みが二人分落ちていた。部屋の奥には物見見物するような表情で脇息に肘をつく澄まし顔の桃色のゴリラにその傍らでプルプルと怯え震える白狐……。

 

 「……赤穂様、これなるは何事でありましょうか?客人の身でありながら訪問先にてこのような所業、僭越ながら御家の名誉に関わるものと愚考致しますが?」

 

 俺の発言に機嫌を損ねる赤紫色の髪をした少女。剣呑な表情を維持したまま彼女は刀を持つのとは反対側の手に携えていたそれを放り投げる。それが俺が置いていった半月前に支給された班長用長槍(三代目)である事に気付くと咄嗟にキャッチする。この殺気の満ちた空気の中で武器もなしにいられる程俺の神経は太くなかった。

 

「その件ならば心配御無用です。御従姉様より御許可は頂きましたので」

「この屋敷は逢見家のものなのですが……」

「安心しなさいな。私が上手く取り繕って上げるから。あるいは貴方が大人しく斬られるなら庭も荒れずに済むわよ?」

 

 冗談じゃねぇよ、と内心で愉快げに嘯くゴリラ様を罵倒する。

 

「御従姉様、心配なさらずとも流血沙汰なんぞには致しません。たかが下人、手加減くらいは出来ます。どうぞそこで我々の実力差が如何程のものか御鑑賞下さいませ」

 

 仏頂面で従姉大好き少女は鬼月葵に宣う。俺はそれに釣られるように彼女の表情を一瞥する。

 

「あらそう」

 

 彼女もまた仮面越しなのに俺の視線に気付いたようで、従妹の声に興味無さそうに生返事。そして……。

 

「ふふっ」

 

 小さく含み笑いを浮かべて此方を見つめた。

 

 ………はは!こいつ、遊んでやがる………!!

 

(ゴリラらしいと言えばらしいけどよ………!!)

 

 原作の傍若無人ぶりや自堕落、気分屋我が儘ぶりで思えば何も不思議ではないのが笑えない。この野郎、従妹焚き付けやがったな……?

 

「………主君の御命令とあらばこれに逆らう理由はありません。若輩、非才、未熟者の身故に満足頂ける手前ではありませぬが御容赦を」

 

 最早この嫌がらせを回避出来ない事を悟った俺は腹を括る。同時に可能な限り怪我をしないようにするために仕込みをいれておく。

 

「っ………!?それは嫌みかぁ!!?」

 

 次の瞬間、赤穂家の娘は予想通りに口元をわなわなと震わせて、顔を紅潮させ声を荒げた。そして……目の前から消える。

 

「っ………!?」

 

 俺はその一撃が来る方向に向けて『事前に』槍を構えた。同時に鳴り響く金属音……!!

 

「こっ……のっう!?」

 

 余りにも重い衝撃は、安物の槍では素材自体に霊力を注いで耐久性を高めても受け止めきれない事を直ぐに察した。故に瞬時に槍を傾けて衝撃を逸らす……!!

 

 剣撃が逸らされた事で激しい衝撃波が後方の庭園に向けて襲いかかる。次の瞬間轟音と共に粉塵と吹き飛ばされた庭園の木々の枝葉が宙を踊る。おい、今の本当に手加減してたの!?

 

「なっ……!?」

 

 一方、俺が今の一撃を逸らす事が出来た事に衝撃を受けたように目を見開く少女。いや、まぁ今のはカンニングなんだけど……って!?

 

「いや待っ……ちょっ……!?」

 

 肉薄する距離から妖刀の二撃、三撃が襲いかかった。俺はそれを一発目は回避し、二発目を槍の柄で軌道を逸らす。しかしそれを想定していただろう三撃目が襲いかかり……!!

 

「やっていられるかっ!!」

 

 咄嗟に足払いを仕掛けて相手のか細い華奢な足元のバランスを崩す。そして生まれるほんの僅かな隙を狙い俺は……距離を保つように後退した。直後に俺のいた場所の足元で生まれる視認すら出来なかった四撃目の斬撃の爪痕……!!

 

「今のに気付きましたか……!!」

 

 距離が出来たために一時小康状態に陥る状況……目の前の少女、赤穂紫は心底忌々しげに俺を見つめる。あるいは恨めしげにか。いや、今のもただのカンニングだよって……言っても納得しねぇよなぁ。

 

「手加減、して頂けるのでは?」

 

 僅か数十秒の内に荒れ果てた他所様の自宅の庭園を一瞥した後、先程の組み合いで汗をどっさりとかいた俺は尋ねる。

 

「しておりますよ。貴方を殺す積もりならば八撃は放てましたから」

 

 そう悠然と宣う目の前の少女は汗一つかいていない。そしてその言葉は嘘ではない。実際彼女が本気ならば先程の鍔迫り合いで十撃は叩き込めただろうから。

 

「姫様……」

「精々頑張りなさいな。目をかけてやっているのだから、一応応援してあげるわ」

 

 頑張りなさぁい、と扇子を振ってやる気のない応援を送るゴリラ姫。おう、知ってた。  

 

「……はは、やるしかないな。こりゃあ」

 

 さてさて、どう上手く負けようかね……?万一の勝機すらなく、勝っても碌な事がなさそうな理不尽な状況で、俺はどう最良の負け方に持ち込むかだけに思いを馳せて槍を構え直していた………。




 ちな紫ちゃんの兄貴達の実力はラインハルト(リゼロ)、更木剣八(BLEACH)、錆白兵(刀語)辺りを想像してください、父親は柳生宗矩(fateシリーズ)、祖父は山本元柳斎(BLEACH)をイメージ

 ひょっとしなくても紫ちゃんは家族の中では雑魚中の雑魚なのでコンプレックスの塊です。ゲーム内では家族との壁を醸し出すためもあって後ろ姿や名前しか出てきません。

 ……尚、外伝シリーズで一族揃って愛情表現が苦手かつ紫本人が気付かなかっただけで、実は結構家族に愛されていたのが分かってしまうタイプ(絶望の追い討ち)


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第二二話

前話のちょっとした補足説明
Q:こんな騙し討ちな鬱ゲー本当に売れるの?
A:炎上商法からの質勝負、多分最初はメチャクチャ叩かれたけど最終的に鬱ゲーとしては面白いので許された感

 ……後、ぶっちゃけ凄くエロければセーフだってばっちゃが言ってた(直球)


 赤穂紫にとってその少女は理想であり、憧れだった。

 

 代を積み重ねるごとにより力がより濃縮され、より強力なものとなるのが退魔士の一族……ましてやその名門たる赤穂家の直系に生まれた彼女は、しかし余りにも非力だった。

 

 確かに唯人に比べればその力は強大である。しかしながら祖父母や両親、兄達に比べて遥かに劣る霊力。剣術の才能はなく、鍛練の度に酷評された。挙げ句の果てに言われた言葉は「到底実戦に出せぬ未熟者」である。故にこの年一三になろうというのに、彼女は未だ一度として妖退治の経験すらなかった。それこそ小妖一体すらも。

 

 それは父母や祖父母、兄らが十余りで大妖を幾体と撫で切りにしていたのに比べれば余りに遅れていた。異様とすら言えた。何の力も持たぬ平民の子であれば兎も角、生まれながらに膨大な霊力を授かり、人外の化物共を打ち払う術を学んで来た名門退魔士の子女としてはそれは有り得ない事であった。

 

 ましてやそんな実戦経験すらない身で一族に伝わる妖刀を、それも一番扱いやすく大人しい一振を受け継ぐ事になれば彼女の劣等感がどれだけ刺激されるかは明白だ。

 

『甘やかされた本家の御嬢様』

『家柄とお情けで天下の妖刀を受け継いだ七光り』

『一度も妖も斬ったことがない赤穂一族の恥晒し』

 

 名門に生まれ、その癖非力で、そうでありながら最弱とは言え古から伝わる妖刀を授かった彼女に対して嫉妬と羨望を交えたそんな陰口が叩かれるのは必然であったろう。

 

『私はもう戦えます!!』

 

 幾度家族にそう申し出た事だろう?厳しい鍛練を授ける厳格な父に、あるいは常に穏やかな微笑みを崩さぬ落ち着いた祖父、もしくは既に朝廷や地元で退魔士としての義務を果たし華々しい功績を立てる兄達に、時に強情に、時に甘え、時に泣きながら妖退治をさせてくれとせがむ。皆のように自分も戦いたい、と。皆と共に戦いたい、と。

 

 ……そしてその慟哭を聞いて、皆が皆口を揃えて冷たく言うのだ。『お前には早すぎる』、と。寧ろ妖退治よりも市井の町娘や公家の令嬢のようにしていろとばかりに衣装や装飾品、あるいは化粧品等を頼んでもいないのに次々と買い与えられる始末。その殆どは興味もないので自室の箪笥の中で埃を被っていた。

 

 惨めになった。悲しくなった。苛立った。何故私だけ駄目なのか。其ほどまでに私は頼りないというのだろうか……?

 

 そんな彼女の目の前に現れたのが彼女だった。

 

 多くの婚戚が集まった祝賀会の際であったか。一目見て、赤穂紫はその少女の雰囲気にまず見とれた。

 

 美しく、妖艶で、美麗な少女だった。まるで大人のような物腰に何物も見透かすような雰囲気を漂わせる瞳、誇り高そうで何処か傲慢そうな微笑……到底自身と一つしか歳が違わないとは思えなかった。

 

 その人が父の妹の子……つまり自身の従姉に当たる鬼月葵という名前であると知ったのはその少し後の事だ。そしてその才能の素晴らしさと力も伝え聞くと最初は嫉妬心が湧いた。自分は駄目出しばかりされるのに祖父も父も兄達も彼女の才能を称えるのだから。それに幼い少女が怒るのは当然だ。何故あんな女が!!と何度腹が立った事か。家族が彼女を褒め称える度に自室で怒り狂って地団駄を踏んだ。

 

 同時にその内心の奥底に憧れがあった事を誤魔化し続けて。その憧れを自覚したのはある日の事だ。

 

 力が弱いせいで周囲から軽視されていた事を子供達も、あるいは子供達だからこそその些細な機微に気付いていたのかも知れない。元々友達と言える相手が少なかったが……ある日、歳の近い他家の男子達に囲まれて、からかわれて、悪口を言われてしまった。

 

 紫は当初その気の荒さもあって反論していたが次第にその声も小さくなっていた。何せその言葉は全て事実であり、また彼らは皆その相手がどれ程弱くても確かに人食いの妖達を討ち果たしていた。対して紫は霊力が強い訳でなく、背も高くなく、そして何よりも女の子だった。

 

 最終的には涙声になって言い返し、それに怒った男子達に一斉に馬鹿にされて貶されて、殴りかかろうとしたのもいなされて、地面に手で押し倒されて、自身の無力感と押し倒された痛みで心の中がぐちゃぐちゃになって、遂には蹲って泣きじゃくっていた。退魔の名門の生まれにありながら余りに情けない姿だった。

 

『騒がしいわね。静かになさいな。……あらあら。貴方達、随分と情けない事をしているのね』

 

 その声と共に紫を虐めていた少年達は一斉に吹き飛んだ。紫も、少年達も唖然とした表情で声の方向を振り向く。

 

 その悠然と、超越した従姉の誇りに満ちた姿を、紫は今でも思い出せる。少年達の罵声に優雅に応じて懇切丁寧に言い返してより高く喧嘩を吹っ掛ける。少年らが怒り狂って襲いかかるのをいなして、弄び、いたぶると、最後は泥だらけにして追い返す。泣きながら逃げ散る彼らを口元を隠して残酷に嘲る桃色の少女。実に尊大で、傲慢で、加虐的な姿……。

 

 それはあるいは紫を助けたのではなく、単に目障りな弱者共の騒ぎが不愉快なだけだったのかも知れない。いや、少なくとも葵にとって紫の事には大した興味はなかっただろう。下手すれば紫が誰だったのか気づいてもいなかったのかもしれない。しかし……しかしそれでも、確かに赤穂紫はその時に鬼月葵に『憧れ』たのだ。

 

 強く、美しく、教養がある正に才色兼備……自身が持たぬ何もかもを兼ね備え、そして同じ年頃の少女、そしてこの一件……それ以来、赤穂紫は鬼月葵に夢中になり、幼心にも必死にその関心を得ようと尽力したのは可笑しくない。

 

 ……ある意味ではそれは一族に代々伝わる業であったかもしれない。赤穂家の者達は口下手が多い。祖父母に父母、兄達がその深い愛情を紫に分かりやすく注ぐ事が出来なかったように、紫もまたその特徴に限って完璧に受け継いでいた。故に彼女は空回る。

 

 必死にその趣味や嗜好を調べて、勉強して、話題を提供して一個上の従姉との仲を縮めようと……しかし、紫のそれらの目論見はほぼ完全に失敗した。紫のアプローチが悪く、葵もまた何をやらせても不器用で中途半端な従妹に『特別性』を感じ得なかった故に。

 

 それでも諦めきれない紫にとって再三の嫉妬心を芽生えさせたのはあの事件からか。

 

 これまで年のために精々数体の中妖を相手にしかしてこなかった鬼月葵が本格的な妖との戦い……化物共の巣に向けて足を踏み入れる……その話を最初聞いた時、紫も、当然赤穂の家の者達も誰も心配しなかった。

 

 確かに初めての本格的な妖共の大掃討、しかしながら鬼月の次女のその力を知っていれば心配するに値しない。これまで安全のために加減はしていたが、あのいつも詰まらなそうにしている桃色髪の少女が有象無象の妖共相手に後れを取るとは思えなかったし、それは事実であった。……だからこそ、彼女が手傷を負って、命からがら生き残ったその一部始終を又聞きし、そして仕掛けられた罠を知った時、赤穂の一族はどよめいたし、紫の顔からはさっと血の気が引いた。

 

 慌ててお見舞いを父にせがんで、その願いを叶えて貰う。両家の複雑な関係から父や兄らが同行し、屋敷の大部屋で大人同士で対応している間に紫は半ばひっそりと憧れの従姉の元へと向かう。

 

 ……ある意味ではそれが間違いだった。彼女はその時、偶然にも見てしまったのだ。恐らく腕に怪我をして包帯を巻いていた桃色髪のその幽霊のような後ろ姿がひっそりと屋敷の端の一室に忍び込んでいたのを。

 

 そして見てしまったのだ。その存在を。

 

 全身血の滲んだ包帯姿の人形(ひとがた)……粗末な敷物の上で呻くそれが人間だと気付くのに紫は数秒の時間を要した。直後に感じたのは恐怖だ。退魔士の屋敷で手当てされた死にかけの人間となれば例外はあろうが基本的には妖との戦いで負ったものであると相場は決まっている。

 

 おぞましい、そして恐ろしい……幼い少女がそのぼろぼろの存在をそう意識するのに無理はなかった。

 

 鼻孔を擽るのは余りに強過ぎる血と膿と腐った肉の混ざりあった臭い、混濁した意識のままに痛みで言葉にならない悲痛な呻き声を鳴かせながら芋虫のように時たま蠢くその姿は少女にとって鮮烈に過ぎた。

 

 そう、仮令それが化物との戦いで負った傷であろうとも、その姿は余りに気持ち悪過ぎた。部屋中に溢れるのは死の香りで、その人物の命が最早そう長くない事を証明していた。いや、寧ろ死なせるために敢えて世話役も置かずにこんな人気もない外れに捨て置いている……?

 

 そんな死にかけの人形(ひとがた)を、文字通り目の前で見下ろす従姉に、最初紫は助けを呼ぼうとして、しかし直ぐに止めた。彼女の第六感がそれをしてはならないと告げていたからだ。

 

 息も殺して佇む紫に気付いているのかいないのか、桃色髪の少女はその場で座りこんだ。そして一言も発する事もなくその苦しみ蠢く人形の顔に近付く。暫しの間その顔を見ていたのだろうか……?紫の角度からは従姉の表情は窺い知る事は出来なかった。

 

『……死なせはしないわ、絶対に。貴方は私の特別なのだから』

 

 異様な程に静か過ぎる空間で、その冷たい一言は不自然な程に良く響き渡った。そして包帯をした腕の方の袖口から何かの薬瓶を取り出す少女。それが何なのか紫は知らなかった。ただ、退魔士の一族の末席に連なる身として、それがただの薬の類いではない事だけは察していた。

 

 次の瞬間、それを一気に呷る少女。そして………。

 

『あっ………!!?』

 

 その光景を見た瞬間、紫はまず、自身の目を疑い、次いで従姉の正気を疑った。赤穂紫にとって余りにもそれは衝撃的過ぎる光景だったからだ。彼女の知る常識からしても、恋愛もうろ覚えにしか知らぬ未成熟な少女としても。

 

 そう、薬を仰いだ桃色髪の少女が死にかけの肉の塊に乗り掛かるように身体を寄せるとその血の滲む頬にその白い手で触れ、顔を近付けて……そして行ったその行為を見た瞬間、紫は衝撃の余り目を見開いて、顔を赤く染めて、口をあんぐりと開けてしまっていた。

 

『はぁ……はぁ……はぁ……ふふっ、許さないわ。私を置いていくなんて………許せる訳がない。約束を破るなんて許さない……っ!』

 

 何秒か、何十秒か、どれだけ経ったかも分からぬ内に口元から銀糸の線を引いて漸く離れた少女は上気しつつ執念と情念に淀んだ言葉を囁き……そしてまだ行為は終わらない。

 

『はむ……んっ……んん……はぁ……はぁ……そうよ、許せる訳がないわ。……もう、私を守ってくれるのは……私を見てくれるのは貴方しかいないのに、それを……それを………!!』

 

 激しい情動と衝動に突き動かされるように別の薬の瓶の蓋を外して少女は再度仰ぎ、それを躊躇いもなく醜い肉の塊に顔を近付けて口移しする。先程よりも長い時間をかけて、幾度となく艶かしい水音を奏でながら少女は体を捻る。そして、次に口元を離した時には後ろ姿越しに分かる程激しく肩を揺らし呼吸していた。間違いなく興奮していた。それは酸素不足も一因だろうが、それだけが原因ではないのは明らかだった。

 

『はぁ、はぁ……はぁ……あはっ!あははっ!!あははははっ………!!!そうよ、許さない……絶対に許さないわ。この家も、あの男も、あの女も、一切合財何もかも……貴方以外の、私を捨てた何もかも………!!』

 

 その限りなく呪詛に近い狂った声に耳を傾ける余裕はなかった。三度目の濃厚な口移しが始まった際には紫は遂に障子の影に隠れて見るのを中断してしまった。そして恥ずかしさと衝撃と恐怖に顔を、耳を、身体全体を真っ赤にして、息を荒げて震わせる。

 

 何だ?何なのだ今のは?あの人は、従姉様は今何をした?あんなに顔を近付けて、頬に手を添えて、あのような音を奏でながらあの人はアレに何をしていた……!?

 

 純情で、純粋で、幼くて、何よりもこの世界の常識に染まりきっていた少女にとってその光景は余りにも刺激的に過ぎた。

 

『嘘……あ、あれって……け、けど確かに……!?』

『………そこで何をしているのかしら?』

『ひっ……!?』

 

 いつの間にか背後にいた人影に、紫は身体を震わせて振り向く。そこにいたのは憧れのあの人だった。どんよりと濁った、光のない瞳で此方を詰まらなそうに見下ろす。それは紫に何らの価値も見出だしていないように思えた。

 

『あ、あう……あ………』

『………貴方はここに来ていない』

『えっ……?』

 

 その突然言われた言葉に紫は一瞬困惑する。目の前の従姉はそんな紫の反応を無視して続ける。

 

『貴方はこの部屋に来ていない。貴方は何も見ていない……分かった?』

『えっ……その………』

『分かった?』

 

 その有無を言わせぬ言い様に紫ははい、と答えるしかなかった。そして、紫は困惑と恐怖、そして先程の光景から生まれた内心に渦巻くその妬ましい心情を持って部屋の奥で未だに苦しみ呻く人形(ひとがた)に視線を移して……。

 

『勝手な事しちゃ駄目よ?分かるわよね?』

 

 直後全てを見透かすようにかけられた何処までも冷たく無機質な言葉が従姉からのものだと気付くのに一瞬紫は時間を必要とした。そして恐る恐ると顔を上げる。そこにいたのはにこりと微笑む憧れの人の姿。

 

 ……何処までも底冷えする笑みだった。

 

『あっ………』

 

 突如、急速に薄れ行く意識……それが何なのか、紫は意識を暗転させながらも察する。言霊術だ。仕掛けられたのは恐らくは先程の………。

 

『眠りなさい。忘れなさい。忘却しなさい。……今の私は機嫌が良いからそれで許してあげるわ』

 

 そう言い捨てて、自身から視線を逸らして血塗れの肉の塊の元へと視線を戻す少女。愛おしげにその頬を撫でて、これまで見た事のない程に穏やかで慈愛に満ちて、熱に浮かされた瞳を向ける憧れの人………。

 

 ………幼いながらも、紫はその瞬間、この人が自分に愛情を向ける事はもうないのだろうと悟った。悟ってしまった。この人の愛は最後の一欠片すら一人の人間にしか向けられる事はないだろう。そしてそれは間違いなく自分ではないことも。

 

 そしてその時抱いた特大の絶望も、しかし彼女が次目覚める時にはその欠片の記憶すら失われていた。強いて言えば残るのは胸の内にある形容し難いざわめきだけだった。そして時は流れ……………。

 

 

 

 

 

 少女は言い様のない心のざわめきを感じつつ、刀を振るう。

 

「はあぁぁ!!」

 

 全力ではない、しかし殺意も含んだ彼女の一撃をまたもや目の前の人影は紙一重で受け流す。その事が一層彼女の自尊心を傷つける。

 

 どうして………!?

 

 赤穂紫は目の前の幾度目かの光景に、一見平静を装いつつ、しかし内心で動揺し、絶望し、怒り狂う。

 

(たかが下人程度にこれ程……!!?有り得ない……!!)

 

 確かに相手を殺さぬように手加減と寸止めが必要で、男と女の性差に年の差、槍と刀の間合いの差……それがあるとしても今まさに起きている事実は紫にとっては理解の範疇を超えていた。

 

 それはほんの余興に過ぎぬ筈だった。本来ならばほんの二、三振りで相手は手を上げて降参を口にする筈だった。それが……!!

 

(有り得ない……有り得ない……有り得る筈がない、有り得て良い筈がないのに………!!)

 

 そう、本来ならばあり得る筈がない。少なくとも紫にとってはそうだった。それだけ下人と彼女の間には明確な実力差があった。霊力の差である。

 

 どれだけ他の要因で不利な内容があろうともそれが全てを解決する。それだけ彼女の一族、その末席である彼女は確かに一族の中では弱者ではあったがそれでも十分に人外染みていた存在であった。

 

 そんな彼女の斬撃が、受け流される?それも一度や二度ならば偶然と切って捨てる事も出来ようが三度、四度ともなればそれは必然であった。そして、それは彼女の剣撃が読まれている事を意味していた。

 

「ふざっ……けるなぁ!!」

 

 激情と共に少女は叫ぶ。同時にもう一段階力を解放した。一秒を数える間に振るわれる斬撃は五回に増え、その足運びは音速を超えていた。中妖程度であれば十体相手にしても十数えるうちに皆殺しに出来ただろう程の激しい動き、それを……!!

 

「なっ……!?」

 

 目の前の下人はその刃の嵐とまともに付き合う積もりはなかった。次の瞬間、霊力で足を最大限に強化したのだろう、足下の土や砂利を大量に彼女に向けて蹴り飛ばす。土や視界を阻み、砂利は礫となって少女を襲う。だが………。

 

「この程度の小細工で………!!」

 

 刀の横一文字の一振り、その風圧だけで土も砂利も、全てが吹き飛ばされた。明瞭に開ける視界。その先には一瞬の隙を突いて距離を取った肩で息をする仮面に作務衣姿の男の姿。

 

「どうしましたか!?不遜にもたかが下人の分際で格別に従姉様に目をかけられているというのに、貴方の力はその程度なのですか……!!?」

 

 刀を構えて少女は敵意と憎悪を含んだ声で叫ぶ。彼女は、目の前の男の姿に苛立ちを募らせていた。

 

 元より彼女はこの男が嫌いだったのだ。最初に聞いたのは風の便り、雑用係の、所詮は頭数を揃えるだけの存在である下人……その中に尊敬する従姉が御気に入りを見つけたという話だった。

 

 あの移り気で、気紛れな従姉の御気に入り……それだけで紫は嫉妬した。それも気紛れに物を下賜して、呪いの手解きをしてやってるとなれば余程の事だ。普通の退魔士は下人にそこまで目をかけない。

 

 それでも、それでも元より家同士が離れていて碌に顔合わせしない間は耐えられた。だが………。

 

「忌々しい……!!」

 

 下人がボロボロの槍を構え直したのを見て、赤穂家の娘は自尊心を傷つけられたように顔を一層険しくして吐き捨てる。

 

 そうだ、この男のせいだ。全てこんなぽっと出の男のせいだ……紫は歯を軋る。

 

 父達と共に上洛していた紫は数ヶ月遅れて都に従姉が訪れたのを知って幾度となく、面会を申し出た。親族の訪問を、本来ならば謝絶する事なぞない筈だったが………結果は何ヵ月にも渡って面会を拒否された。いや、正確にはもてなされたがそれは形式的で、何よりも目的である従姉には殆ど顔を合わせる事すら出来なかった。

 

 そしてある日の帰り際、また同じようにもてなされて、しかし目的の相手には会えずにとぼとぼと帰り支度をし始めた時、彼女は見てしまったのだ。庭先で愉快げに何かを嘯くあの人の姿を。

 

 喜怒哀楽豊かに浮かべるその姿は彼女は初めて目にするもので、その相手は傍らに控える………。

 

 ちくり、と頭に痛みを覚えた。同時に募るのは苛立ちと嫉妬と羨望で……紫自身、いざ件の男を『初めて』目にしてこれ程の激情を感じるのは意外であった。

 

 止めは今日この日、数年ぶりの面会であっただろう。常に部屋の隅に控えるあの男が心底不愉快だった。会話中も、そちらに意識が取られて仕方なかった。漸くあの男が湯飲みを手にして部屋を出て安堵した時に掛けられた言葉が全てを決定付けた。

 

『彼が気に食わないのかしら?』

 

 見透かすような一言に肩を震わせて、次いで『彼』という物言いに紫は衝撃を受けた。『あれ』ではなくて『彼』……?

 

 咄嗟に否定しようとして、しかしそれを遮るように桃色髪の親族は嘯く。

 

『構わないわ。確かに下人にしては過分に目をかけてあげている自覚があるもの。まぁ、貴女や周囲がどう思おうがそんな事はどうでも良いのだけれど………』

 

 お前達がどう思っていようが気にしない、と宣い……そして従姉は従妹を見て、挑発するように、しかし何処までも甘美に、犯すように、這い寄るようにこう嘯いたのだ。

 

『そうねぇ。折角の可愛い従妹の御願い、聞いてあげない事もないわよ?』

 

 但し、と妖艶に、蠱惑的、扇情的に鬼月葵は口元で指を立てて………。

 

「っ……!!?」

 

 そこまで脳裏に過って、紫は一拍反応が遅れた。刹那、彼女は目の前まで迫る人影を確認し、再び憎悪に支配されて刀を振るう。

 

 彼女の放った斬撃の衝撃波は計三発、限りなくタイムラグなく放たれたそれは五十歩先の鎧を着こんだ相手であろうとも無傷では済まないだろう。相手を殺さないように手加減はしているものの、常人には不可能な所業であった。無論、同じ……いや、この百倍は威力のある斬撃を山一つ越えた先まで放てる兄達や、そもそも『時間』を置いてけぼりにしてくる剣技能を殆ど概念攻撃にまで昇華させている父のそれに比べれば子供のお遊びでしかなかったが。

 

(それでもこいつ相手には十分だ………!!)

 

 そう、仮令家族と比べれば児戯に等しくても目の前の男相手ならば十分だった。手加減した斬撃の衝撃波の速度と軌道は到底回避出来るものではない。故に………目の前の男は避けなかった。

 

「えっ……」

 

 一瞬の困惑、次いで動揺が彼女を襲った。斬撃を受けた下人は、しかしそれでも止まらずに突進を続ける。その事実に紫は衝撃を受けた。

 

 ……正確には回避しきれない事を理解していたがために急所等に直撃しないように避けただけで、今の斬撃で左肩が外れて、脇腹が軽い内出血を引き起こしているのだがこの時点で気付く事はなかった。

 

 どちらにしろ、いつまでも考えている余裕はなかった。慌てて近距離戦に備える紫。次の瞬間に下人が何かを投げつけるのを確認すると殆ど条件反射的にそれを切り刻む。

 

 煙玉か?それとも閃光玉か、臭い玉か?切り刻んだ後にそれが何なのかを思い巡らして身構える紫。

 

「………はっ?」

 

 切り刻まれた袋から目の前にばら蒔かれたのは……金平糖だった。白に赤、黄色に緑、子供が喜びそうな色とりどりの鮮やかな砂糖菓子……下手に動体視力が良いせいで、その事をはっきりと認識してしまい、それ故に余りこの場に似つかわしくないそれを目撃した少女は思わず動きを止めてしまう。  

 

 そして……その一瞬の隙を突くように地面を疾走する影。いや、正確に言えば地面にめりこみそうな程身体をくぐめて肉薄しようとする人影があった。

 

 眼前の金平糖の雨に気をとられた紫はコンマ一秒後にその気配に気付くと視線を動かす以前に刀を振り下ろしていた。視線を動かしてから刀を振り下ろしては間に合わないと分かっていたからだ。しかし………。

 

「違う!?」

 

 真っ二つに切り落とされた人形(ひとがた)の式神はそのまま実体から紙に還る。直後その背後から続くように躍り出る下人。そのままボロボロの槍で突きを食らわせに来る。

 

「ちぃ!?この程度……!!」

 

 振り下ろした刀をひらりと返して下から上へと切り返す。俗に言う燕返しである。下からの攻撃は人間にとっては認知しにくいものであり、また状況から見て最適解であったが、それ以上に彼女にとっては同じく下方からの一撃という事で一種の意趣返しの意味合いもあったかもしれない。

 

 しかし、そこで生まれるのがリーチの差であった。つまり……。

 

「痛っ……!?」

 

 次の瞬間、ボロボロの槍の先端が刀の鍔を突き、その衝撃が少女のか細い指に痛みを走らせた。出血も打撲もない、しかし確かに激しい痛みに思わず紫は刀を取り零す。槍は刀より長い得物であり、突き方次第ではより一層間合いを伸ばす事も出来る。銛の要領で燕返しをされる直前に槍を両手から片手持ちに切り替えた事で間合いを延長させた事が不意討ちに繋がった。そしてそのまま槍の刃は上向きに少女の首に向けて振り上げられる。

 

「舐めるなあぁぁぁっ!!」

 

 しかし、直後に取り零した刀を足で空高くまで蹴りあげて持ち直した紫はそのまま刀を振り下ろす。目標は相手の頭部。それは明確な殺意があってのものであり、最早彼女は手加減なぞしている余裕はなかった。

 

「やべっ……!?」

 

 小さな呟きと共に少女に向かう筈だった槍を構え直してその柄で振り下ろされる一撃を寸前で下人は防いだ。……鉄製の柄の半分まで刃が食い込んでいた。

 

「ぐっ……!?」

「おや、小狡い手はもう使いませんか……!?」

 

 苦悶の声を上げて必死に刀の攻撃を防ぐ下人の姿に紫は思わず口元を吊り上げていた。決して重くはない体重を乗せていく紫。それに応じるように刀の刃はグイグイと悲鳴に似た金切りを上げながら槍の柄に切り込んでいく。下人はそれに対して何らの対策もしない。いや、出来ない。少しでも意識を逸らし力を抜けば次の瞬間に頭を真っ二つにされる事を理解していたからだ。  

 

 つまりは、この時点で目の前の下人は詰んでいた訳だ。そして、紫も、そして下人もそれを理解していた。故に……。

 

「降参……」

 

 槍の柄が完全に切り捨てられる直前のその嘆願が聞こえていなかった訳でも、ましてや反応が遅れた訳でもなかった。しかしながら、この時赤穂紫は敢えてその声を無視して………。

 

「残念だけれど、勝負はお預けね」

 

 刀が下人の頭蓋骨を叩き割る直前、それを止めたのは白魚のような白い手であった。鈴の鳴るような声と共に紫はふと正気に戻る。そして、目の前の事態に目を見開く。

 

「お、御従姉様………」

 

 刀の刃を掴んだ掌から地面にポタポタと流れ落ちる血に紫は顔をさっと青くする。当の従姉はそんな紫の事なぞ気にも留めずに下人の方向を見て、口を開いた。

 

「それなりに面白い見世物だったけど……残念時間切れよ」

「……いえ、姫様がお止めなさらなければ負けておりました。紫様の勝利です」

「貴方が溝鼠みたいにしぶといのは承知済みよ。謙遜はおよしなさいな」

 

 下人の言葉をそう切り捨てて、鬼月葵は騒ぎに集まり出した使用人や警備の兵、そして何よりも驚いて走り寄る逢見家の当主の方を流し目で見る。そして短くも激しい『戦闘』で荒れ果てた庭先を一瞥して小さく溜め息。

 

「後処理は私に任せて頂戴。伴部、貴方はあの狐と部屋に戻るように。……紫、貴女は今日の所は家に戻りなさいな」

「あっ……その………」

「帰りなさい」

 

 有無を言わさぬ言い様に、紫はびくりと身体を震わせる。同時に彼女はその感覚に既視感を感じ取った。まるで、昔似たような会話があったような……。

 

「……何をしているのかしら?さっさとしなさいな」

 

 しかしそれを深く考える時間はなかった。敬愛する従姉の言葉に紫はそそくさと従うしかない。余裕のない表情でその場を立ち去る紫の背中を一瞥する葵はゆっくりと目を細める。

 

「姫様、此度の件に関しては……」

「承知していると言っているでしょう?けしかけたのは私よ、後片付けも私がするわ。無駄な心配をしなくても良いわよ?」

「いえ。私は兎も角、紫様の方は余り良い噂が立たないでしょう。そちらにも御留意頂ければ、と」

 

 面倒げに言い捨てる葵は、しかし下人の思いがけない指摘に一瞬動きを止める。そして下人の方を向いて口元を不気味に歪める。

 

「自分ではなく他人の心配?随分と偉くなったものねぇ?」

 

 自分で言っていて刺のある言い様であると自覚する葵。しかしながらそれでも彼女は思わずそう口にしてしまう。

 

「僭越ながら、流石に暇潰しのために従妹様に言霊術を御使いになられるのはどうかと」

「…………」

 

 剣呑な視線で一瞬自身の御気に入りを睨む葵。しかし……直ぐに手にした扇子を広げ、口元を隠す。

 

「お行きなさい。これは命令よ」

「……了解致しました。ですがその前に……」

 

 葵の掌を掴み、その刀で出来た浅い切り傷に布地を巻いて止血する下人。後程再度治療をして下さいませ、と言い残して恭しく一礼して下人はその場を去った。

 

「………誰に対してもそうやって良い顔して、嫉妬しちゃうじゃないの」

 

 掌の簡易な止血を見つめて、葵は小さく呟く。そしてその発言が心の内に渦巻く嫉妬から来るものであると理解して、一層不機嫌になる。全てが『予想通りの展開』であると自覚しつつも、やはり腹は立つものだ。

 

「けど、惚れた弱みだものね。仕方無いわね」

 

 あれに好意を抱く要素も、慮る要素も彼には一欠片もない筈であるし、そう仕向けた筈なのだが……仕方無い。本来ならば彼のただの成長の糧にする積もりだったが計画は軌道修正だ。但し………。

 

「粉をかけるなり手を出すだけなら兎も角、入れ込んだら駄目よ?」

 

 私は寛大だけれど、無分別ではないわ……そう内心で宣いつつ鬼月葵は恐る恐ると近づく逢見家の当主に対して微笑んだ。

 

 ……それは何処までも空虚な、社交辞令用の空っぽの笑みであった……。




Q:紫ちゃん、ちょっとやんちゃ過ぎない?
A:ひょっとしなくてもゴリラの言霊術で無意識催眠状態で思考誘導されている模様、因みにヤバい記憶も少し消されてる


 尚、主人公自体は気絶していて余り気付いていませんが、ゴリラ担いでの逃亡劇中の怪我の具合は欠損していない事以外は割と洒落にならないレベルだった模様、しかも実は鬼月パパは上の娘に近付く目障りな下人を間接的に殺すために負傷したまま放置させる命令をしていたりします。

 ぶっちゃけこの時死んでないのは拗らせババアが手を回して最低限の治療をさせて即座の死亡回避+治療薬(禁術クラス)の作成方法をゴリラにそれとなく漏らす+赤穂家の見舞を息子達の反対を押し退けて無理矢理承諾する事で鬼月一家を注意を逸らした隙にゴリラが治療薬を強制摂取させたお陰だったりする。


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第二三話●

 貫咲賢希さんによる第二二話のワンシーン
https://www.pixiv.net/artworks/84870375

 尚、原作ルートだとこのロリゴリラが三日三晩に渡ってゴブられる模様。世界的は残酷だからね、仕方無いね


 深く、どんよりとした空気の漂う山中の森の中を二つの人影が進んでいた。一人は男性であろう長身、もう一人はそれより少し低くより細身の少女であろうか?

 

 ただ沈黙の内に歩む二人、その背後に幾つもの気配が忍び寄っていた。小さく、低く、不気味な獣の声を鳴らしながら少しずつ、しかし確実に距離を詰めていく獣共……。次第にその鳴き声は背後からだけではなくて森の左右からも、そして頭上からも聴こえて来ていた。……つまり、囲まれつつあった。

 

 ここは都から遥か遠く北の地、未だに妖共が跋扈する北夷の地、それも飛び切りの危険地帯であった。

 

『グオオオオォォォ!!!』

 

 地震の如き地響きは唸り声であった。深い森の中より巨大な影が複数現れる。全長二十尺はあろう化物共はそれぞれが蛇に、蟹に、猪に、似た大妖……それも後百年もあれば凶妖にまで昇華し得る程の潜在力を秘めた飛び切りの個体であった。

 

 ここは北土が危険地帯、かつて『空亡』に付き従い央土で暴虐を尽くした百の凶妖が一体、牛鬼が朝廷の征討から逃げ延びた低級な霊脈の流れる山森である。

 

 大乱終結直後の残敵掃討にも拘わらず数名の退魔士が返り討ちにあって食い殺され、それ以降は朝廷は国土の復興や他の積極的に活動を続ける危険な妖の討伐を優先する必要があったために、森から出てくる事のない手負いのその化物の退治は後回しにされ、次第に放置されるに至った。

 

 今では封じ込めと平行して餌を与えぬように如何なる者らであろうと立ち入りを強く禁じられているその森に人間が迷いこむは凡そ数十年ぶりの事、実際にはその際には逃げられたために最後に人肉を食らったのは更に昔の事……兎も角も長らく人の味をお預けされていた魑魅魍魎共にとって此度の迷い人二人が格好のご馳走であった事に違いはない。

 

 巨木の如き胴体を持つ大蛇の大妖がいの一番に威嚇の声を上げた。そしてその細い舌を伸ばしながら鋭い牙を以って迷い人達に躍りかかる。そして……そのまま全身を硬直させた。

 

『シ、シャアアアアァァァァ!!?』

 

 迷い人達から文字通り手を伸ばせば届く距離で、明らかに重力に逆らう異様な体勢で……まるで時間が停止したような……動きを止める大蛇はその黄色い瞳を見開いて訳の分からないというように叫ぶ。

 

『ギ、ギギギギ……!?』

 

 次いで城の天守程の大きさのある蟹が口元から泡を大量に噴き出して、それを地面に垂らしながら身体を震わせる。ミシミシと軋むような音を奏でる甲羅からは皹が生じて、黄色い体液が染み出すように漏れ出して土を汚す。

 

『ブオォォォォォ!!?』

 

 大猪は吠える。吠えながらその太い首はゆっくりと、しかし確実に曲がっていた。全身を震わせて、唾液を撒き散らしながらその筋力で見えざる力に抗おうとする猪は、しかし次第にその力の均衡が破綻していき首の曲がる角度は傾斜を増していく。

 

 バキッ!ゴキッ!ギリ…ギリ……ガリッ!グチャッ!バギッッ………!!

 

 森の中にそんな多種多様な「壊れる」音が響き渡った。一寸遅れてどしん、と巨大な何かが崩れ落ちる音が轟く。それは胴体を折り紙のように何十にもへし折られた大蛇であり、手足の全てをその甲殻ごと引き千切られた蟹であり、首をぐるりと捻り切られた大猪であった。

 

 大妖達は決して弱い存在ではなかった。大蛇は視認、いや知識として認識するだけで全身が爛れて苦しみ抜いて死ぬ毒を持っていたし、蟹は自身の周囲の物質の重力を操作する異能を有し、大猪の肉体はあらゆる「金属」でも傷をつける事の出来ない概念的な加護を有していた。

 

 三体が三体共にそれを知らなければ碌に対抗も出来ぬ特殊な能力を持つ手強い大妖であったが……彼らはその真価を発揮する機会すら与えられずに絶命した。彼の視界に入る、それ自体が誤りだったのだ。

 

「……さて、ついでにあれらも処理してしまいましょうか」

 

 二人組の背の高い男の方がそう何の気なしに呟く。同時にその危険に気付いて逃げようとしていた小妖や中妖達は金縛りにあったかのようにその動きを止める。残念ながら鬼月思水は自身の異能の弱点……即ちその魔眼が及ぶのが視界の範囲内に限定されるのを熟知しており、その対策は疾うの昔に完成していた。

 

 上空を飛ぶ、あるいは森の彼方此方に散らした式神達と視界を共有する事で、彼の異能は肉眼では到底及ばぬ広い範囲に及んでいた。無論、無数の式神を同時に動かし、その視界を全て『視て』、そして同時に異能を発動させるのは到底容易な事ではないのだが……どちらにしろ、有象無象の妖達の運命はこれで決した。

 

 それはある種滑稽であるが、雑巾絞りを思わせた。ゴリゴリというグロテスクな音と共に骨が、筋繊維が、内臓が捩れていく。断裂した表皮から、あるいは口蓋から鮮血が噴き出し、化物共は断末魔の叫び声をあげる。

 

『止めて下さいまし!お願いします。あぁ……!!』

『うえぇぇん……!!痛いよ!痛いよぅ!』

『およし下さいませ!あぁ!あああ!!』

 

 化物共の中には女性や子供の姿に扮して、あるいはその声を真似て、もしくはその両方を行い懇願する者もいたが、生粋の退魔士たる思水にそのような欺瞞は通用しない。何も知らぬ者であれば罪悪感を感じ、動揺しかねないであろう声……いや実際に中には人間の精神に干渉する効果のある鳴き声を上げるものもいた……に全く気にする事もなく思水は彼らの首を折り、内臓を潰し、脊髄を砕き、最後は全身を丸めて圧縮する。

 

 そこに慈悲はなかった。ただひたすらに、淡々とした『作業』として行われるそれは人の身でありながら人外の化物と戦う退魔士の特異性の典型であった。そして、妖達に向けられているこの力が必ずしも人間に向けられないと言い切れぬ事を思えば、朝廷がその成立以来退魔士を厚遇しつつも警戒してきた意味も分かろうものだ。

 

「痛み入ります再従兄上。………だがここまでしなくても良かったのですが。私の実力がそこまで信用出来ませんか?」

 

 傍らで妖達が肉と骨を砕かれて小さな肉団子にされていくのを淡々と見つめながら少女……鬼月雛は疑問を口にする。確かに面倒な雑魚共の処理は出来たがここまで徹底的に場を整えたとなると……まるで自身がこれからの戦いに苦戦するとでも思っているように感じてしまい、彼女は光のない瞳で僅かに思水を睨み付ける。

 

「いえ、雛姫。貴女の実力は信頼しておりますし、その『異能』が如何に強力なものかは重々承知しておりますよ。ですが、だからといって貴女の力は万能ではありませんし、何よりも妖共は何処までも油断出来ぬ卑劣な存在です。故に万全を期すのは当然の事ですよ?」

 

 殺気を向けられても尚、優しく生徒を諭す教師のように宣う思水である。彼女のその剣呑な雰囲気を当てられても尚悠然と構えていられるのは流石元鬼月家の当主最有力候補だったというべきか。

 

 ……実際問題、鬼月雛の『滅却』の異能は限り無く万能だ。事象すら焼き払うその力は攻撃であればその殆どの防衛手段をも無力化し、逆に防御に回ればそれこそ自らの死すらも焼き消してしまう。しかしながら、どのような力も完璧ではないし、構造上の弱点はある。

 

 鬼月雛の『滅却』は、本人が思考し、認識していなければ意味がない。そして何よりも霊力の消耗が凄まじい。流石に自身の怪我や死であればほぼ自動で事象の『滅却』は可能ではあるが特に頭部を破壊されている場合はその回復まで思考が出来ず、当然その他の行動も行う事は出来ない。

 

 実の所、奇襲で認識されぬ内に頭部を破壊して思考能力さえ奪ってしまえば、後は回復しきる前に何度も回復途上の脳を潰し続ける事で丸一日程で霊力が枯渇するので殺せるだろう。

 

 あるいは幻術や精神攻撃の類いも同様に『滅却』自体は可能であるがそのためにはそれが幻術や精神攻撃であると認識していなければならない。そして大概の場合繰り出す側はそれが幻術や精神攻撃であると認識出来ないように責め立てるのが基本だ。故にこれを認識するには強靭な精神力と冷静な思考能力が不可欠である。

 

「貴女には今更言うまでもないでしょうが能力に驕ってはいけません。私もこの職務をして長いですがこれまで無敵で万能だと思っていた力を持つ同業者が幾人も足を掬われたのを知っていますから」

 

 ましてや、今目の前にいる本家の長女が焦燥しているのを思水は把握していた。

 

(元々忙しなかったですが……葵姫の論功式以来、悪化していますしね)

 

 何処か落ち着きのない、苛立ちを溜めているように思える雛の姿を見て思水はそう評する。

 

 鬼月雛と鬼月葵、共に一族の本筋であり、片やその異能と戦闘技術、片やその霊力と才能に秀でた二人は共に一族の次の当主に相応しい。それは本来ならば鬼月家にとって喜ぶべきもの……とは言えない。

 

 下手に二人の力が拮抗しているが故に、そして今現在は兎も角将来的にはその力が一族の他の者達の手に負えぬものにまで昇華する事が分かるために、何よりも二人の険悪な関係故に思水は事態を憂慮する。

 

(やれやれ、それもこれも当主の不始末のせいですか。一体何を考えているのやら………)

 

 碌に責務も果たさず、自室に閉じ籠り続ける件の男を思い返す思水。あの当主もまた、無駄に才能と力があり優秀なのが始末に負えない人物であった。挙げ句優秀でありながらその所業は………。

 

(下手に勢力の均衡が崩れれば内輪揉めしかねませんからね。我ら鬼月家としてはてこ入れのためにも雛姫にここで御活躍頂きたいものです)

 

 だからこそその舞台を整えるために自ら雑魚狩りをしたのだ。後は姫自身の実力に期待と言った所か。……いや、逆説的に言えばこれだけお膳立てされていて結果を出せぬならば次期当主の資格なぞないというべきだろう。

 

「……さてさて、漸く本命が来ましたね」

 

 思水がそう嘯いたと同時に地震に山が震える。いや、山ではない。森が震えていた。木々に止まる鳥達は怯えるように空に飛び立ち、地を這う獣はそれから距離を取るように逃げ散る。

 

『ヴオオオオオオオオォォォォ……!!!!』

 

 山頂が動いた。木々が倒れ、土は崩れて、現れるのは全長四十尺はあろうという余りに巨大な化物だった。牛と鬼を合わせたような風貌に昆虫を思わせる顎、頭に生えるは二本の角で、四つの赤い瞳が怒りの形相で二人の退魔士を射抜く。蜘蛛を彷彿させる六つの足を生やした胴体に球状に膨らみ黒い毛が乱雑に生い茂る腹部………それは余りに醜い化物だった。

 

「あれが……しかし伝承よりも随分と小さいですね?」

「苦肉の策でしょう。都を追われた際は随分と手負いだったそうですから。ましてやここのような低級の霊地では凶妖の傷を癒すのには不足だったのでしょう。自らの『格』を落とさざるを得なかったみたいですね」

 

 ただの人間ならばそのおぞましい姿に卒倒するか、その禍々しい妖気に当てられて嘔吐でもしていたであろう。しかしながら雛も思水もそんな素振りは一切見せず、寧ろ辛辣なまでに目の前の巨大な怪物の評価すら下して見せた。

 

 実際問題、致命傷に近い傷を受けてしかも質の低い霊地に封じ込められた今の牛鬼はかつての伝承からすれば無残なまでに弱体化していた。その意味で言えば朝廷の取った施策は正しかった事を化物の末路は証明している。

 

 無論、それでもそこらの百年二百年程度の歴史しかない格の低い退魔士では返り討ちにあう事は確実であろう力はあったが。しかし……残念ながら怪物が相対するのはそんな二流ではなかった。

 

「危なくなったら加勢しましょう。まずは御一人で、どうぞお気をつけて」

「はい。しかし、そこまで心配する事はありません。精々半日程度で終わらせますから」

 

 そういって腰の太刀を引き抜く長女の姫。その物言いを理解してか牛鬼は心底恐ろしい雄叫びを上げて山を駆け下りる。

 

「さて、虫遊びは嫌いという訳ではないが………生憎、子供時代なら兎も角今の私の立場で興じる訳にはいかないからな。手加減なく、全力で行かせて貰おう」

 

 そう言うと共に雛はさっと軽く太刀を振るう。同時に生み出されるのは龍を象った紅蓮の炎。それがただの炎でない事を牛鬼が察して咄嗟に山を駆け下りる速度を落とす。しかし……それは無意味だった。

 

「焼け果てろ。『紅蓮狂葬大祓龍舞』!!」

 

 黒髪の少女が太刀を一閃した瞬間、北土のその森は文字通り彼女の視界一面が無慈悲な業火により作り出された幾頭もの龍達によって飲み込まれたのだった………。

 

 

 

 

 

 

 扶桑国が中枢、都……数十万の人口を内に納めるこの国、そして世界的にも有数のこの大都市は国の他の街に比べてもかなり住み心地の良い街だ。原始的でこそあるが上下水道が整備され、徒歩は無論、馬車や牛車が絶えず行き交う街道は脇道まで全て石や煉瓦で舗装されている。東西南北に設けられた市場では食料は基本として日用品から消耗品、贅沢品まで国内だけでなく舶来の物まで所狭しと溢れていた。治安は良好であり、その生活レベルはすぐ外の外街は無論、地方の都市に比べてもかなり豊かであると言えよう。

 

 そんな都の一角、都を十字に貫く主要通りの一つである朱雀通りに面したその屋敷が橘商会の本店であり、そして橘家の屋敷である。

 

「これはこれは宇右衛門殿、よくぞお越し下さいました。歓迎致しますぞ」

 

 牛車から降りた鬼月宇右衛門を商会会長橘景季が賑やかに出迎え、次いで彼はゴリラ様に向けて頭を下げて礼を述べる。

 

「姫様も、相変わらず麗しゅうございます」

「あらそう。有り難う」

 

 特に興味なさげに、しかし最低限の礼節は守った返答をするゴリラ。そして尊大な態度でゴリラ様は屋敷の中に向かう……直前にくるりと此方を向くと釘を刺すように一言宣う。

 

「伴部、貴方はそこで待っていなさい。分かったわね?」

「承知しております姫様」

 

 念入りに、というように注意したゴリラに対して俺は恭しく承諾する。

 

「ささ、歓迎の準備は出来ております。どうぞお早く」

 

 橘景季は俺を一瞥する事も、声をかける事もなくゴリラ様にそう自然に声をかける。ゴリラ様はちらり、と横目に商会長を見ると何も言わずにその勧めに応じた。ゴリラ様が屋敷に向かった後、漸く一瞬だけ俺を見たが特に何か言うでもなく直ぐに興味を無くして立ち去った。それは極自然な態度であった。

 

 というかそれは口にするまでもなく当然の事であった。たかが一下人がどうして屋敷の中に入る事が出来ようか?

 

 商会長の橘景季はこの前の商会の襲撃と、それの救出以来鬼月家との縁があるものの、その恩義はあくまでもゴリラ様やデブ衛門に向けてであり、俺の事なぞ端から眼中にはない。それは傲慢ではなく、常識に照らし合わせた当然の行いであった。

 

 橘景季からすれば自身と家族を助けたのは鬼月家、何処まで極限してもゴリラ様である。俺は精々添え物、いや添え物として認識されていれば奇跡だろう。身分制度が厳格に存在するこの国において下人は被差別民や奴卑よりかはマシであろうとも、究極的には身分賎しき存在である事に代わりはなく、その行動はあくまでも鬼月家の意志に従属するものに過ぎない。故に襲撃時における俺の立ち回りはあくまでも鬼月家の功績であり、俺個人が何等かの謝意を伝えられる事なぞ到底有り得なかった。

 

(まぁ、今更な事ではあるがね………)

 

 不満がないと言えば嘘になるがこういう扱いにはもう『慣れ』た。それにどうせ下手に悪目立ちしてもこの世界では碌な事にならないのも承知済みである。身分制度が厳格でナチュラル差別が横行するこの世界で底辺の階級の者が引き立てや贔屓にされても苦労ばかり多くて良い事は余りないのだ。

 

 故に、俺は黙々と、淡々と牛車の傍らで下人衆班長用長槍(四代目)片手にひたすら直立不動の姿勢で佇む事が出来た。序でに言えばこの間を瞑想の時間として活用してもいる。術式、特に隠行の研鑽において瞑想は有効な修行方法だった。平常心を無理矢理保ち、思考をクリアにし、物事を客観化して、気配を限りなく希薄にするこの行為はこのような待ち時間では十分に効果のある修行方法であった。

 

 尤も………どうやら今回もこの修行は途中で打ち切りになりそうだったが。

 

「……御嬢様、大変失礼ながら何をしておいででしょうか?」

「はい。伴部さんがいつ反応してくれるのか待ってました!!」

 

 牛車の傍らで佇んでいた俺は遂に反応して仕方無しに声をかける。すれば文字通り目の前で彼女はパッと花が咲くような笑顔を見せてくれた。

 

 その出で立ちは大正時代を思わせるような和洋折衷な袴姿、顔の造形は南蛮の血の影響からか印象的だった。幼げな、金髪碧眼の御人形を思わせる美少女で、何処か太陽や向日葵を連想させる。……その屈託のない笑みは下人の荒んだ心には毒だな。どうぞ何処か別の場所に行ってその愛嬌のある元気な笑顔を皆に振りまいて欲しいものだ。というか行けやこら。

 

「まぁ、連れない人ですね。そんな事仰らないで下さい。私、悲しくて泣いちゃいます!」

「御嬢様は向日葵のようにとても逞しくありますので、私程度の者の言葉でお泣きになられる事はないかと」

 

 俺が淡々と返答すれば子供らしく口を尖らせて、頬を膨らませて心外だとばかりに拗ねる少女。けど君、実際身体使ってでも乗っ取られたお店を取り戻そうとするくらいには肝据わってるよね?

 

「あら、そんなに御見つめになられて何かありましたか?」

 

 俺がジト目なのに気付いているのかいないのか、橘商会会長橘景季の一人娘である佳世……橘佳世は相変わらず何が楽しいのか分からないニコリとした笑みを浮かべながら此方を見上げ、見つめていたのだった……。

 

 

 

 

 

「……仕事がありますので遊び相手にはなれませんよ?」

「構いませんよ?御迷惑にならないようにしておきます」

「貴女がここにいるだけで私も含めて皆が気苦労する事を御理解下さい」

 

 警備中の商会側の用心棒が困り顔を浮かべ、近くを通る商会の職員が怪訝な表情を浮かべて過ぎ去る。それはそうだろう。商会の会長の一人娘が何で牛車置き場でしゃがみこんでいるのか。

 

「伴部さんにとって迷惑ですか?」

「仕事に支障をきたしますね」

「ここでぽつんと待っているのが仕事なんですか?」

「主家の財産にして足である牛車を守護奉る大切なお役目です」

 

 自分でも糞みたいな仕事だとは理解しているがそれを口に出す事はない。壁に耳あり障子に目ありとも言う。何処で聞かれて伝わるか知れたものではないのだから。……いや、こんだけべちゃくちゃ喋っている時点でかなり特異ではあるのだが……。

 

 そもそも、何故俺が本来ならば顔を向き合わせるのも許されない公家の血も引く商会の御嬢様とこんな会話をしているのだろうか?

 

 話は俺が孤児院で化け狐との戦いで死にかける前、ゴリラ様が橘商会の商隊を救助した事に端を発する。あれから数日して商会から鬼月家とゴリラ様に謝意を伝えられて一度屋敷に招かれたのだ。

 

 当時孤児院の監視やら爺との接触やら女狐対策の各種の準備等々に忙しかった俺は、しかし命じられれば到底同行を断るなぞ出来ぬ立場である。渋々疲れた身体で招待に同行し、今回のようにゴリラ様が接待されている間、牛車の傍らで待機していて……この御嬢様と出会した。

 

 此方を見定めるようにじっと見た後、てくてくと駆け寄って来ての挨拶、本来彼女程の立場が下人に挨拶するなぞ滅多にない事で面食らったが、挨拶されたからには挨拶しなければならない。十は年下の小娘に膝を曲げて恭しく頭を下げると……。

 

「そのお面、余り可愛くないと思います。御外しになられたらいかがですか?」

 

 商会のご令嬢がにへら、と首を傾げて提案する。因みに以前はえいっ!と面を奪われかけた。当然ながら俺も伊達に死線を越えてはいないので寸前に手を避けて阻止したが。

 

「この面は下人としての正式な装備です。ただ身を着飾るための装飾の類ではありません」

 

 下人衆の装着する面には簡略ながら幻術の類いへの耐性があり、顔面を防護する役割があるのは否定出来ない。無論、一番の理由は顔を隠させる事で不気味さを演出して使う側の愛着を抱かせないためであるのだが……そこまでいった所で納得してくれるかと言えば望み薄だけど。

 

「むぅ、伴部さんは意地悪ですね。私の御願いなんて一つも聞いてくれません。私の女中達はどんな御願いでも聞いてくれますのに!」

 

 ぷんすか、と年相応な幼い顔立ちを不機嫌そうにしかめさせる少女。その姿は可愛らしくつい表情を緩めそうになるがそうもいかない。

 

「余り無理難題を仰らないで下さいませ。そも、私は確かにしがない一下人ではありますが貴女の雑人ではありません。私がお仕え申し上げるのは鬼月の御家であり、直属の葵姫様であります。大変恐縮ではありますが貴女の申し付けに従う事が出来ない事を御理解下さいませ」

 

 そうだ、所詮下人とは言え誰の命令も聞かないといけない訳ではない。特に主人の命令を受けている間は。俺が従っているのはあくまでも鬼月家であり、橘家ではなく、どちらの家の命令を優先するのかは火を見るよりも明らかだ。

 

「むうぅぅぅ……うぅぅぅぅ………」

 

 俺の言葉に唸るような声を上げて不満げにする橘佳世。原作ゲームでは攻略キャラではなくヤンデレる事がないので比較的気楽に話せるが……故に少々容赦なく言い過ぎたかも知れない。何だかんだで父親から甘やかされていたらしい彼女が家族を失う事も摩れる事もなければ俺の言葉は理屈は兎も角感情的に腹が立つかも知れない。

 

(調子に乗り過ぎたな………)

 

 今更のように自身の発言を後悔していると、何かを思い付いたようにおもむろに橘佳世は俺に呟いた。

 

「………じゃあ、伴部さんが私のものだったら何でも言う事聞いてくれるんですか?」

「……何をなさるお積もりなのですか?」

 

 斜め上のその返答に目を細め、それとなく警戒しながら俺は目の前の少女と相対する。

 

「伴部さんは鬼月の家の資産なんですよね?だったら幾らなら売ってくれるのかと思いまして」

 

 えへへ、と無邪気で可愛らしい笑みを浮かべる金髪碧眼の少女。名案と言わんばかりに堂々とした物言いは俺に嫌悪感を与えると同時にある種の納得を感じさせた。

 

 人身売買……前世の価値観ならば嫌悪感を感じさせる言葉ではあるが、この世界は鬱ゲーであり、同時に中近世を基にした世界観、何よりも人の命が軽いので死生観もまた前世とは全く違う。人身売買ないしそれに類した取引は法の規制があれども完全に否定されてはいない。

 

(そもそも今の状況も似たようなもの、か)

 

 痩せた土地しか持たず、それを必死に耕しても食っていけないので内職や小作をして食いつないでいた貧農の実家に金銭と引き換えに鬼月家に引き取られた立場である事を考えれば橘佳世の言葉に顔をしかめるなぞまさに今更な話であろう。彼女の言葉に不快感を感じるのは筋違いだ。

 

 ……とは言え、流石に本能的に嫌悪してしまうのまではどうしようもないが。

 

「……伴部さん?何か気に障る事でもありましたか?」

 

 僅かな、ほんの僅かな憤りであったと思う。しかし子供だからこそこの手の感情に敏感なのだろうか?困惑しつつ不安そうに商会の御嬢様は俺の面で隠れた表情を窺いながら尋ねる。彼女からすれば急に俺が怒ったように思えたのかも知れない。

 

「………いえ、少し疲れが溜まっただけの事です。お気になさる事はありません」

 

 そう、彼女が気にする事ではない。彼女の言った言葉はこの世界では常識的な話であり、憤る俺の方が異様なのだから。

 

「それは兎も角、売って貰える事が前提なのですか?」

「えっ……あ、はい!だって下人なら替えは利きますよね?確かに伴部さんは他のより腕は良さそうですけれど、それでも相場の倍、いえ三倍くらい提示すれば問題ない筈です!」

 

 俺が深掘りする発言をすれば直ぐに気を取り直して平然と俺に値札をつけるご令嬢だった。

 

「伴部さんも退魔士の下人より此方の用心棒として働いた方が絶対良いですよ?私が御父様に言えば安全な屋敷の警備に回れますし。待遇も多分此方の方が良い筈です。あ、三食とも白米が出ますし、何ならおやつもありますから!……あ!そうそう私ならよその退魔士と手合わせなんて無茶ぶりはしませんよ?ちゃんと実力にあった御仕事だけさせますから!売られても損はないと思いますよ?」

 

 目を輝かせて提案する橘佳世ちゃんである。まるでアイドルのスカウトマンだな。この手の売り文句が実態とは違うのもお約束だ。正直余り信用出来ない……とは眼前では言えんな。

 

(というかこの前の赤穂紫とのいざこざ知っているのかよ。何処から聞いたんだ?)

 

 いや、商会だからその手の情報に聡いのかも知れんが……にしてもたかが下人相手に随分と熱心な勧誘な事だ。

 

「御言葉は嬉しい限りですし、待遇は魅力的ですが、問題は主人が合意してくれるかですね」

「そうね。今彼は売りに出す予定はないの。玩具が欲しいなら別のにしなさいな」

 

 俺の発言に続くように響く良く知る鈴のような少女の声。俺は面の下で苦い表情を浮かべてそちらに視線を向ける。

 

「……姫様、随分早い御戻りで御座いますが、何事か御座いましたか?」

「えぇ、少し面白い申し出があったから一言教えて上げようと思ってね。けど……どうやら、此方は此方で随分と楽しそうなお話をしていたようね?」

 

 次の瞬間、目を細め冷たい笑みと共に詰るようなゴリラ様の声。俺はびくり、と肩を僅かに震わせる。それは恐怖であり、第六感とも称するべきものが危険を伝えていたためでもある。

 

「これは葵姫様、ご機嫌麗しゅう御座いますわ!」

 

 俺の緊張なぞ知ったものではないとばかりに無邪気な商会ご令嬢が天真爛漫な挨拶を口にした。

 

「えぇ、此方もご機嫌よう……だけども、商売熱心なのは良いけれど、手癖が悪いのは頂けないわね?人の玩具を勝手にたぶらかすのはお止めなさい」

 

 優しく、しかし忠告するように宣うゴリラ様。一方で商家のご令嬢はあっけらかんとした笑みを浮かべる。

 

「たぶらかすなんて人聞き悪いですよ!ただ私は伴部さんが此方で働いてくれないか御相談しているだけですよ!」

 

 そういって子供らしく不機嫌そうな表情を浮かべる佳世。ころころと感情豊かな表情を浮かべるその姿は年相応で愛らしい。尤も、ゴリラ様には不評のようであったが。

 

「それこそ下人相手に言う話ではないわね。売買されれば彼の意思の有無は関係ないでしょうに。態態直接言う話ではないわ。………まぁ、その話はここでする事でもないわね」

 

 そういって商会の御嬢様との話を切り上げて俺の方へと視線を向けるゴリラ姫。

 

「申し出、とありましたか?一体どのような案件でありましょう?」

「大した内容ではない雑用よ。ただ……丁度受け入れるだけの理由があったからね」

 

 そう言って加虐的な笑みを浮かべるゴリラ様。その言い様に俺はこの前の赤穂紫との手合わせが中止された時の言葉を思い出す。あ、大体予想がついて来たわ。

 

「流石に手合わせで怪我は宜しくないらしいのよ。だから、ね?今回相手にするのはいつも通りよ。……そういう事で、軽く溝掃除でもしてきなさいな」

 

 彼女が悠然と宣う言葉はその通りの意味であった。それはつまりは妖退治の仕事………原作ゲームの都ルートでも初期クエストとして解放されていた都の地下に広がる下水道に巣くう雑魚妖共の駆除任務である。そして……。

 

「…はは、マジかよ」

 

 そして俺は面の下で顔をひきつらせながら絶望に満ちた声で呟いた。一見すれば確かにそれは都地下の雑魚狩りクエストであった。しかし、その実それが多くのプレイヤーを嵌めた初見殺しの罠クエストであると知っていたのだから………。

 



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第二四話

 上下水道は都市にとってある種の生命線である。生活する上で水は必要なものであるし、大人口が一ヶ所で生活すれば当然廃棄される汚水の量は膨大だ。大量の汚水をただただ無計画に垂れ流せば疫病の元になるために如何にそれを都市部から離れた場所に浄化して捨てるかは現実の世界の都市でも重要視されていた。

 

 扶桑国の都はこの国で最も上下水道が整備されている。霊脈の恩恵もあって地下水と河川から安全な飲料水や生活用水を確保する事に成功している。それらは井戸や治水設備等の上水道によって都の全域によって供給され、都の内側に限定すれば銭湯が幾つも経営されていて庶民でも入浴出来る程に水資源は豊かだ。

 

 一方、廃棄する汚水については、此方の処理も意外にも進んでいる。都の地下には上水道とは別に鉛と石と煉瓦で造られた広大な下水道が整備されており、そこを伝って都からかなり離れた地に汚水は廃棄される。

 

 いや、それ垂れ流しでは?って突っ込みは無しだ。確かに部分的にかつ局所的には現代並みの技術があるにはあるがそれでも平均すればこの世界の、そしてこの国の技術レベルは精々が中近世レベルを越える事はない。高度な濾過・浄化技術は無い訳ではないが発展途上だ。正直ローマ並みの上下水道があるだけかなりマシと思うべきだろう。少なくとも歩いている時に上から汚水がぶちまけられる事はない。

 

 そしてそんな都の水道を管理するのはある種の利権でもある。

 

 井戸水の使用は街単位で税がかかり、銭湯もまた経営者と使用者双方に税がかけられる。というか公営の銭湯まである程だ。当然ながら公共の福祉のためではなく歳入にするためだ。水洗式の厠にかけられる厠税なんてものすらあり、この税収を増やすために朝廷は一時期都の厠全てを水洗式にしよう等という馬鹿げた計画を立てた程だ。水道管理は金の成る木だ。

 

 ……そして同時に広大過ぎる水道の管理は費用もまた膨大でもあった。

 

 現実の多くの中近世の非民主主義国家が夜警国家的な小さな政府であったように、扶桑国もまたどちらかと言えば小さな政府だ。というか国防や食料生産に予算ガン振りしないと化物共のせいで国が滅ぶ。民草の福祉なんて気にしてられないのだ………。

 

 橘商会は幾つかある都の水道利権を朝廷から賃借した団体の一つだ。他の公家や商会と共に人足や傭兵を雇い、水道の管理運営を担っていた。問題はここ数ヶ月の間に何度か清掃や補修のために下水道の奥へと足を踏み入れた人足が戻って来なくなった事だろう。その後二回程傭兵の一団を送り込んだが同じく連絡が途絶えた。

 

「管理を受け持ってる手前、朝廷に泣きつかず自分達で事態を解決したい……という所か」

 

 都の外れの河川、比較的汚染が少ない水を川に垂れ流す下水道の入口で俺は此度の依頼の裏話についてぼやいた。

 

 屋敷で宇右衛門やゴリラをもてなしていた会長は商人らしく機会を逃さなかったようだ。すかさず誼を結んだ鬼月家の力を利用してこの余り表に出したくない課題を片付けようとした。丁度鬼月家が逢見家の屋敷でちょっとした騒ぎを起こした事も白羽の矢が立った一因だったかも知れない。 

 

 ゴリラ様は自分達を利用しようとしている会長の下心に敢えて乗った。それとなく口にした地下水道での問題に敢えての解決に名乗りを上げ、宇右衛門は暫し逡巡した後、利権に食い込むためにこれに続いた。

 

(とは言え、流石に本人が乗り込んで来るとは思わなかっただろうな……)

 

 俺はちらりと少し離れた一角でそれを見やる。数名の雑用に護衛の下人を連れた少女が馬の上から不愉快そうな表情を浮かべていた。

 

「姫様、お止し下さいませ!赤穂家のご息女があのような穢らわしい場所に足を踏み入れるなぞ……!!話が知れれば御家族がお怒りになられます!!」

「くどい!もう決めた事よ、今更横から口を出さないで頂戴!!」

 

 中年の女中の慌てた言葉を身軽な服装に身を包んだ女剣士……赤穂紫はそう叱責して退ける。身分制度が厳格に存在するが故にこう強く叱責されてしまえば女中達もこれ以上は強く反対出来なかった。代わりに憎らしげに睨むのは俺である。

 

(いや、それ八つ当たりじゃね……?)

 

 理不尽な敵意が俺を襲う!悲しいけどこれが身分制度のある封建社会の現実である。仕方ないね。

 

「あらあら、随分と騒がしいわね?紫、貴女自分の飼い犬の躾も出来ないのかしら?きゃんきゃんと吠えて五月蝿いわね」

 

 その鈴のような音色で響き渡る毒舌に、俺は背後をジト目で見やる。牛車の簾を下ろして少しだけ不敵な笑みを浮かべるゴリラ様がそこにいた。……取り敢えず火に油を注ぐ言い方止めような?何事も言い方ってものがあるからな?

 

 内心で頭を抱える俺の心配は兎も角、赤穂家の使用人達は葵の言葉にびくっと怯えて顔を青くする。そりゃあ、その気になれば数秒後には自分達を肉塊に変えてしまうような奴相手に犬扱いの挑発されたら怒る前に怖くなるのも残当である。

 

「……姫様、僭越ながら彼方の言葉にも一理あるのは事実で御座います。今からでも紫様に代理を立てて頂いた方が宜しいかと」

 

 俺は一応この世界の常識に基づいて具申する。元々はゴリラの意地悪から始まったトラブルはどんどんと大事になってきたきらいがある。退魔士と下人とを競わせるだけでも狂気染みた行為であるし、ましてや退魔士の名家のご令嬢が自ら地下水道に入ろう等と……朝廷から勅命で指名されたなら兎も角、こんな場面で赤穂紫本人が潜るなぞかなり異常な事態だった。

 

 俺個人としても、またゴリラ様の評判や紫本人の名誉のためにも此度の案件を取り消すのが一番であった。というか地下水道なんか入りたくないんですけど?ほら、どうせ最後は主人公が打ち倒してくれるのだからここで薮をつつかなくて良くない?

 

「いいからそろそろ潜る準備でもしなさいな。折角あの商人の悪巧みに乗ってあげた私の顔に泥を塗る積もり?」

 

 にこりと慈悲に満ち満ちた微笑を浮かべて無慈悲な宣告をする我らがゴリラ姫である。おう、テメーなんてゴリラだよ。ゴリラ・ゴリラ・ゴリラだよ!!

 

「伴部さん……その、お気をつけてください……!!」

 

 牛車の側でそう答えるのは白丁姿の白であった。尻尾と耳をしなしなとさせて心底心配そうに此方を見やる姿は演技には見えない。……演技だったら流石に少しショックだわ。

 

「……あぁ。分かっている。危険を感じたら情報だけ集めて戻る積もりだ。心配する事はない」

 

 本当は心配よりもゴリラ様を説得して欲しかったが流石にそれを詰る程俺も子供ではない。立場上絶対的な上下関係があるのは彼女も同様なのだ。その心配の言葉だけ素直に受け取り安心させる言葉を口にするのが年上の役目だろう。……いや、正確にはこの半妖の小娘の方が年上なのだろうけど。

 

 小さな溜め息をついて俺は正面に向き直る。馬から降りた赤穂紫もまた此方の視線に気付いて強い目付きで口を開く。

 

「従姉様が仰るには此度の依頼を達成した方が勝ちでしたか。まぁ、所詮地下の水道に隠れる妖共なぞ私の敵ではありませんが……もし危ないと思えば背後に隠れていても良いですよ?下人にとっては小妖相手でも手こずるようですから」

 

 ふん、と鼻で笑い此方を挑発する少女。尤も、言葉の辛辣さにしては然程嫌悪感も不快感も感じなかった。何処か言い様が不慣れなようにも見受けられた。恐らく日常的に人の悪口を言う事が少ないのだろう。何処か初初しさすら感じられた。子供が必死に背伸びをしているような感覚だろうか……?いや、実際こいつ一三歳だから子供ではあるのか。

 

 前世の同じ頃合いの子供よりも年上に見えるのはやはり厳しい家の鍛練やこの世そのものシビアな価値観が影響しているのだろうか……?ふとそんなどうでも良い事を考えていると案内役の人足達が声を荒げる。

 

「準備はできましたかね?そろそろ出発しますが後悔はありませんか?」

 

 細く、しかし肉体労働をしていて相応に引き締まった身体が薄着の上からでも分かった。顔や身体の一部に傷痕もある到底ただの一般人とは思えない地下水道の案内役は計三名、脇差しを腰に備えて手には各々提灯を手にしている。明らかに堅気ではない。

 

「私はいつでも構いません。そちらは?」

 

 堂々と、しかし少しだけ険のある口調で赤穂紫は宣う。俺は背後の主君に視線を向ける。扇子で口を隠しながらにこりと微笑まれた。処刑宣言である。つまりは………。

 

「……あぁ。問題ない。いつでも潜れるさ」

 

 問題しかない状況で、俺はそう半ば諦めながら応じた。

 

 

 

 

 

 

 下水道の中は想定よりも存外に広かった。煉瓦造りの半円状、あるいはアーチ状の通路、その中心部に生活排水が流れ、通路の両端にはそれぞれ人が三人並んでも余裕がある程度の足場が続いていた。流石に灯りはないようで、数名の案内役の雑用が提灯を手にして前方天井、背後……隙や物影の出来ないように周囲を照らす。

 

「存外に臭わないのだな?」

 

 赤穂紫は先行する案内役に尋ねる。どうやら下水道という事でもっと酷い臭いを想定したらしい。

 

「あー、ここの排水は風呂とかのが中心でね。それにここに来る前に消毒薬をぶちまけられてますからね。まだまだこの辺りは言う程汚くはありませんよ」

 

 皮肉げに語る先頭の案内役。続くように他の者らが冷笑する。つまりはここから奥は更に酷い場所だ、と言っているに等しかった。その態度に紫は不快げな表情を浮かべ、小さく呟いた。

 

「たかが賤民の分際で……!」

 

 曲がりなりにも退魔の名家の生まれでありながら、いやだからこそナチュラルに階級制度の枠外にあぶれた者達に対して『常識として』一段見下げている赤穂紫からしてみれば案内役達の自身をからかう態度はかなり神経を逆撫でしたらしかった。無論、だからといってその場で切り捨てご免しないのは理性的ではあるが。

 

(まぁ、彼らからすれば冷笑もするか)

 

 同行する俺は脳裏に設定集から来る原作知識を思い起こす。

 

 自分達を帝家や公家達と共に神話の時代の神々の子孫と称する退魔士一族の多くは、しかしその実は被差別階級がその源流である事は秘密である。

 

 考えてみれば簡単に導き出せる答えだ。俺もそうだが初期の霊力持ちは霊力があるとしても微弱であり、小妖相手ですら油断したら殺される程度の力しかない。いや、この原作の時代ならば妖相手の戦い方や鍛練のノウハウが豊富に残っている事を思えば、そんなものがなく、ましてや技術レベルの低さから武器の質も一層粗悪だった当時はそれ以上に絶望的だった事だろう。

 

 下手に霊力があるせいで化物共を呼び寄せる霊力持ちが、まだ国という概念がなく精々が村や里単位……人口にして数十から数千人……のコミュニティしかない古代においては災いを呼び寄せる、あるいは化物に魅いられた穢れた存在として差別され、排斥される存在として扱われたのもある意味道理であろう。

 

 彼らの扱いは悲惨を極めた。生まれた瞬間に殺されるのは当然として、家族ごとコミュニティを追放されたり、あるいは知性ある凶妖に屈服した村や里では生け贄として育てた霊力持ちの子供を定期的に差し出したりなんて例すらあったらしい。というかゲーム発売から五年もしてから発行された扶桑国建国の裏側を舞台としたスピンオフ小説でその辺りについてはかなり詳細に設定が明かされた。

 

 スピンオフ小説でも触れられたがコミュニティを追放された霊力持ちの者達は仲間同士で集まり、襲いかかる妖相手に自衛し、仲間同士で子孫を残した。それによって急速に力を強め、そして何時しか里や村相手に妖退治の依頼を受ける傭兵紛いの仕事をこなす様になると差別され、同時に畏怖される流浪の一族と化した。これが最初期の退魔士一族であるとされている。

 

 一四〇〇年余り前、何処からともなく現れたある男が、今では央土と呼ばれる凶妖共――それどころかその先の存在である神格的な存在すら複数跋扈して霊地を奪い合う地獄のような地方で、各所に隠れるように点在する里や村の長達をその口で束ね、最も強力な霊脈が流れる地を人外の化物共から奪い取り街を建設して国を立てた。それが半ば神話的な存在である初代帝であり、帝を支える公家衆の始祖であり、都であり、扶桑国である。

 

 当時圧倒的な戦力差があった扶桑国と妖……それでありながら霊脈を扶桑国が奪取出来たのは初代帝の圧倒的なカリスマもあるし、初代右大臣とその傘下にある隠行衆の命懸けの暗躍による情報操作とそれによる有力な妖共の潰し合い、あるいは人間に育てられた善良な天狗の少女の活躍もあるが、一番の決め手は扶桑国が差別されて行き場もなくさ迷っていた各地の妖退治の一族達の引き抜きをした事にある。

 

 彼らを支配者側に組み込み、妖達との戦いにかつてない規模で動員する事で扶桑国は辛うじて都を、その下に流れる霊脈を妖共から奪い取る事に成功し、退魔士達は土地と身分と名誉を手に入れて支配者の側へと組み込まれた。

 

 そして扶桑国の安定期に入るとその権威の維持――被差別階級に譲歩して権力を与えたなぞ口が裂けても言えない――のために情報統制によって極一部を除いて退魔士達が元々迫害された集団であった知識は抹消された。それこそ退魔士自身ですら殆どの一族はその事実を忘れ去っているし、公家衆も正三位以上の、建国以来の名家中の名家以外はその事を忘れてしまい下層の新参の家では退魔士の血統と婚姻を結んでいる家すら珍しくない程だ。

 

 数少ない真実を知る者達が同じ被差別階級に属する者達である。

 

 より正確には彼らも殆どが伝承で聞いているだけであり、殆どは半信半疑で確証を持っている者は極一部である。ただ、差別されている立場としては鼻持ちならない退魔士共が実は自分達同様の排斥される存在であったと言う『真実』は実に都合が良く、愉快で、故に彼らはその伝承を心の奥底で『信じて』いた。そして職業選択の自由がなく偏見と差別が当然の時代において地下下水道の案内役を担う手合いと言えば………。

 

(確か原作だとそこら辺の人間の醜い感情を利用されるんだよなぁ)

 

 人妖大乱の時もそうだが、妖共は卑怯で卑劣で、狡猾だ。人間に対して素の力で上回る癖に人間の心の隙間に潜り込んで罠にかけることを好む。

 

 そして大乱時代に比べてかなり平和呆けした原作の時間軸ではそれが大いに力を発揮して、大乱時代の妖共の残党たる救妖衆は昔に比べて遥かに戦力的に弱体化しているにもかかわらずルート次第では扶桑国を崩壊させる事にすら成功するのだ。

 

 ……というかそれすら全て大乱の中盤に敗北の可能性に気付いた空亡が事前に計画していた策というのがね。いや、自分が封印される事すら想定してその後の指示や対策してるとかあいつマジ頭可笑しいわ。

 

「例の行方不明者が出たのもこの更に奥か?」

「……あぁ。この先は道がかなり入り組むからな。はぐれたら地上に出られる保証はない。俺らからはぐれねぇ事だ」

「成る程」

 

 俺は面の下から目を細めて先導役らの言葉の裏の意味を察する。つまり彼らがくたばった場合も地上に戻れなくなるので全力で守れ、という事だ。保身もばっちりか。まぁ、そうでなければこんな危険な役目を引き受けないか……。

 

 どれ程進んだだろうか?次第に地下水道はその暗さを増していき、提灯で照らしても十歩も見えないくらいにほの暗い闇が広がっていた。粘度の高い水の流れる音が、時たま鼠か虫であろう鳴き声と這いずる音が微かに響く。

 

 次第に強くなる何とも言えない臭い……銭湯の排水が多く含まれている事も原因だろう、次第に空気中の湿度が高くなり場は重苦しくなる。言葉数が少なくなり、遂には誰も話さなくなる。

 

 無言のままに俺達は進む。するとふと先導役が足を止めた。ほぼ同時に俺や紫も足を止めていた。暗闇にその姿が見えなくても気配には全員気付いていたからだ。

 

 ちゅちゅ、と鼠の鳴き声が響く。俺は狭い地下水道での戦闘のために用意した短槍……その穂先は片鎌だ……を構える。恐らくは他の者達も各々の武器を引き抜いている事だろう。

 

 気配の音は次第に大きくなる。そして……提灯の灯りに照らされてその醜い姿が露になる。

 

『ちゅ……ちゅ………!!』

 

 思わず俺ですらその見た目に顔をしかめた。それは大柄な溝鼠だった。大型の猫程の大きさはあろう、全身ヘドロにまみれた赤目の鼠は、しかしその顎は四つに裂けていた。二本の舌が蚯蚓のようにのたうち、身体にはギョロギョロと数個の目玉が生えて蠢いていた。明らかにまともな生物ではなかった。

 

「っ……!!」

 

 次の瞬間発生する鎌鼬の前に幼妖の溝鼠は体を真っ二つにして下水の中に突っ込んだ。ピクピクと蠢く化物はしかし数秒後にはズブズブと汚水の中に沈みこむ……。 

 

「…………」 

 

 俺はふと首を背後に向ける。そこには刀を手にしてはぁはぁと緊張に強張った少女の姿があった。狭い通路に応じて妖刀ではなく予備の短めの刀の方を使い咄嗟に斬撃を放ったらしい。

 

 俺の視線に気付いてか、退魔士の少女は一瞬顔をひきつらせながらも不敵な笑みを浮かべる。

 

「あ、妖を実際に仕留めるのは初めてでしたが……存外簡単なものですね?」

 

 無理して強気の言葉を吐く紫。その姿に俺は無言で応じる。腹が立ったからではない。ただ今の台詞に嫌な思い出があったからだ。

 

 ……おい、死亡フラグを立てるな。

 

 ゲームのほぼ全期間、全イベントで死亡ルートがある彼女の、その台詞は幾つかある地下水道クエストでの死亡ルートでの発言であった。そういえばあのルートでもこの地下水道クエストが初陣だったな。(そして彼女にとって最初で最後の妖退治となる) 

 

「っ……!!おい、案内役!妖は退治したわよ!早く進みなさい!!」

 

 俺がそんな事を考えているのと対照的に、紫は顔をしかめて不満そうな表情を浮かべた。無言を貫く俺の態度が自身を馬鹿にしているとでも思ったのかも知れない。そのまま案内役達に強い口調で命令する。

 

「へ、へい……!!」

 

 一方、先程まで彼女を侮っていた男達は急に弱気になって命令に従う。先程の斬撃で彼女がどれだけの実力者なのかを察したからだろう。急に下手に出て前に進み始める。

 

「さぁ、何をしているのですか!貴方もさっさと進みなさい!!置いてけぼりにでもされたいのですか!?それとも妖相手に足がすくみましたか……!?」

 

 嘲るように、しかし何処か無理に強気な態度を取っているようにも見える言い様で赤穂紫は俺に向けてそう言い放った。

 

「……いえ、姫様。申し訳ありません。私も進ませて頂きましょう」

 

 俺は恭しく礼をして足を進ませる。同時に彼女に向けてこう伝えた。

 

「先程の斬撃、誠に見事でありました。あの大きさの妖に、短い刀で狙い澄まして斬撃を放てるとは……正直、感服致しました。流石紫様で御座います」

 

 恐らくはこの先の地下水道で起こるその事態を思い、俺はその布石として彼女の性格から逆算した称賛の言葉を吐いた。ふと、鳩が豆鉄砲を食ったかのように目を軽く見開いて驚く紫。そのまま少し動揺気味に視線を逸らして「あ、あぁ……」と賛辞を受け入れる少女。彼女らしい根は優しく素直そうな反応だった。

 

 ……そして、何処までも想定通りの反応だった。

 

「…………」

 

 道を進みながら俺は煉瓦造りの地下水道の壁を見つめる。表面に出来た削り取ったような斬撃の跡、それは先程の溝鼠を仕止めた斬撃で出来たもので、その威力の強さを表していた。そして………。

 

(その無意味な威力の過剰具合も、な)

 

 この調子だと予想より早く霊力がガス欠してしまいそうだな………その辛辣な評価は胸の内にだけに仕舞っておく。この任務で彼女と無駄な軋轢を作る必要はない。いや、そんな余裕なぞない。彼女自身のためにも不必要な争いは避けるべきだ。

 

 俺は知っている。この案件の原因を。そしてその危険性を。それこそこの地下水道で行われているのはバッドエンド中のバッドエンドに関わる事案なのだから。

 

 原作のゲーム『闇夜の蛍』の都ルートにて、真っ先に参加可能な初期クエストでありながら、その実受けたら確実にゲームオーバーとなる確殺クエスト……それがこの地下水道の調査任務である。

 

 そして同時に………この任務は人妖大乱において最も悪名を馳せた化物の一体である『妖母』が直接その姿を現す数少ないイベントであり、赤穂紫にとって最も残酷なバッドエンドの一つである「妖化された上で家族に斬り殺される」という末路を迎えるルートでもあった……。

 

 

 

 

 その空間は何処までもほの暗く、漆黒だった。一歩先すら黒に塗り潰されたかのように暗く、それはこの空間に一切の『光』が存在しない事を意味していた。

 

 かといってそれは『虚無』とはまた違った。妙に生暖かい空気で満たされ、ちょろちょろと水の流れる音も響く。カサカサと、あるいはドクドクとナニカが這いずり、ナニカが蠢き、ナニカが鼓動する気配もまた、耳を澄ませば聞こえてこよう。

 

 ……そう、耳を澄ませば。

 

(糞っ……!!)

 

 気配に気取られぬように音も立てずに呼吸をするその男は恐怖に絶望するのを振り払うように内心で毒を吐く。

 

 男は警戒のために静かに周囲を見渡す。やはり何も見えやしない。ただ不気味で気味の悪い音ばかりが増える。

 

 灯りが欲しいと本能が訴える。しかし男はその願望を抑えつける。それこそ奴らに見つけてくれと言っているようなものだからだ。

 

 最早同行した仲間達は何処にいるのか、そもそも生きているのかすらも分からない。隊列が物影から襲撃され、灯りを失い、仲間や化物共の悲鳴と何かがひしゃげる音が鳴り響く中、方角を見失った男は煉瓦の壁をつたい必死にその場から逃げた。そして、どれだけ時間が経ったのか分からない程この闇の中を音を殺して潜み、移動していた。

 

(糞、糞、糞っ垂れ!こんな仕事引き受けるんじゃなかった!!)

 

 男の表情を見る事が出来ればきっとこの世の全てに絶望した悲惨な表情を見る事が出来ただろう。尚武の気風が強く、弱肉強食に下克上の価値観も強い南土出身の男はモグリの退魔士であった。

 

 貧しい小作人の家に生まれ、自身に霊力がある事に気付けば家族を捨て、地主から逃げて自分を鍛えた。山や森で妖共と殺し合いを演じて身体で戦い方を覚え、公家や大名と違って正規の退魔士を雇うのが難しい地主や商人の用心棒を渡り歩いた。そして流れ着いたのが都のとある有力な商人の傭兵である。危険な仕事もあるにはあったが給金は悪くないし、何よりも都住みは大変な魅力である。故に今回の仕事もまた都から日帰りで帰れるからと受けたが……まさかこんな事になるとは。

 

(畜生…畜生……畜生!!こんな所で死ねるか……!!絶対に生き残ってやる!!こんな、こんな糞っ垂れな場所で終われるか……!!)

 

 そうだ、こんな所で終われるか。それなら何のためにあの惨めで貧しい小作人としての立場を捨て、家族を捨て、故郷を捨てたのか。小作人として雑穀ばかり食って重労働に酷使されるのも、下人として鼻持ちならない退魔の名家共に使い捨てにされるのも拒否したのは何故か?それは必ずやこの腕っぷしでのしあがるためだ。

 

 故にこんな所では終われない。まだまだだ。まだ昇るべき階段は高く続いている。漸く都の大商人にも雇われるだけ実力と名を得たのだ。これからだ。これからなのだ。だから………『うふふふ、あらぁ。何処にいく積もりなのかしらぁ?』

 

 その声に男は額を汗を流しながら瞬時に手に携える武器……刀を構える。そして、絶望の余りそれを落とす。

 

 闇夜の中でそれはいた。周囲は真っ黒な癖に青白くすら見えそうな程その肌は白く周囲に浮かび上がっていた。長く、少し粘りけのある長い緑髪を垂らしたそれは美女だった。目元が弛んだ、妖艶で母性に満ちた優しげな笑みを浮かべる美女。上半身は何も着ていないのだろうか?魅惑的で大きな胸を隠すのは湿った豊かな髪だけだった。その一方で下半身は暗闇によってか一切何も見えない。

 

 その姿を目視した男は……全てを諦めた。感じ取ってしまったのだ。それからは逃げられないと。その強大な力を直接目の前で見てしまい、その圧倒的な力量差を理解させられてしまったのだ。そう、全てお仕舞いだ……。

 

『あらあら、まだこんな所に人間の方がおられたのですね?』

 

 優しく、囁くような、それでいて妙に反響した声だった。耳の中に入り込み、脳を麻痺させるような甘ったるく、柔らかな声。フラりフラりと女は男に近付く。そして、がしりとその頭を掴む。

 

『うふふ、怖がらなくて良いのですよ?大丈夫、大丈夫……さぁ、貴方も今日から私の愛しくて大切な家族、可愛い子供よ?さぁ、よしよし………』

 

 元より一目で戦意をへし折られていた所に殆ど暴力に近い強力な言霊の力が叩きつけられたモグリの退魔士は既に一切の抵抗と思考を封じられていた。その頭を豊かで柔らかい胸元に愛情一杯に抱き抱えられて頭を撫でられても、男は最早何も抵抗も、反応も出来なかった。  

 

「か……ぞく………?」

『はい。そうよ?貴方もこれから家族になるのよぅ?そうすれば怖くないわぁ。安心して、皆家族だから怖いものなんてないわよ?何かあればお母さんがどうにかしてあげるわ。だから何も心配しなくて良いのよ?』

「かあ……さ、ん……?」

 

 男の能裏によぎるのは昔の記憶、逞しく、それでいて優しく、面倒見の良かった母の姿。そう言えば最後に母を見たのはいつだったか?あぁ、母さん。会いたい……会いたいよ………!!

 

『大丈夫よ?皆会えるわ。直ぐに会えるようになるわぁ。皆家族になるのだから、何も恐れる事も、怖がる事もないのよ?』

「みんな……?」

『えぇ、そうよ。皆、皆、今度こそは。だから……』

 

 優しく包容する美女は口元を吊り上げる。そして心底優しく囁いた。

 

『だから、貴方も私が産み直して上げるわね?』

 

 むしゃむしゃ、もぐもぐ、ぐちゃぐちゃと。むしゃむしゃ、もぐもぐ、ぐちゃぐちゃと。むしゃむしゃ、もぐもぐ、ぐちゃぐちゃと。むしゃむしゃ、もぐもぐ、ぐちゃぐちゃと。むしゃむしゃ、もぐもぐ、ぐちゃぐちゃと。むしゃむしゃ、もぐもぐ、ぐちゃぐちゃと………。

 

 日の光も届かない地下深くでそんな咀嚼音が、暫しの間静かに鳴り響いていた………。

 




 扶桑国成立前の状況のイメージは完全にノーゲーム・ノーライフのゼロ状態(流石にあれよりはマシですが)

 殆どの妖にとって人間なんて言葉を話す猿兼餌状態、取り敢えず全体が生き残るためにイワンは死に続けなければならない(無慈悲)


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第二五話

 半妖の白狐の少女……白はそわそわと牛車の御簾からちらりと外の景色を見た。

 

 未だに仄暗い地下水道の入口から人の気配は感じ取れず、それは五感が人間より遥かに鋭敏な獣の半妖たる彼女からしても同様だった。心配そうな表情を浮かべて尻尾と耳を萎れさせる少女。

 

「あらあら?折角用意してあげたお菓子も食べないなんて、そんなに心配なのかしら?」

 

 その声に白は顔を振り向かせる。「迷い家」化しているが故に外から見た大きさに比べて異様に広い牛車内部、その中央で座布団に座り込み脇息に腰掛けながら手元に置かれた椀より黒蜜漬けのかりん糖を摘まむ少女を白は視界に収める。

 

 鬼月葵……それが豪奢な衣装に身を包む幼さと妖艶さと気品を兼ね備えた白狐の主君の名前であった。

 

 ……そして、今まさに白が心配する青年の主君でもある。

 

「だ、だって……!!一緒に向かうのがその……はむっ!?」

 

 手招きに応じて駆け寄りながら主君の言葉に返答しようとした白狐の言葉は、しかし口の中に捩じ込まれた黒かりん糖によって塞がれる。口の中に黒蜜の品のある甘さが広がる。若干の不満とそれ以上の甘さから来る感動にかりかりとかりん糖を噛み砕き、飲み込むと白は改めて言葉を紡ぐ。

 

「で、ですけれど!同行されるあの人はこの前伴部さんを……!!」

 

 白は気付いていた。あの時、あの手合わせの時、その終盤においてあの藤色髪の少女は明確に殺意を持って刀を振るっていた事を。そして、もしあの時目の前の主君が寸前であの刃を止めていなければ………。

 

「ふふふ、そうね。あれは流石においたが過ぎたわね?まぁ、あれについては私が少しけしかけ過ぎたのも一因よ。許して頂戴?」

 

 元々の浅さに加え、退魔士としての肉体の頑健さ、高価な秘薬の数々もあって既に傷の塞がった白い手で口を隠しつつ子供っぽく葵は宣う。

 

「う……うぅ………」

 

 そして、そんな風に謝られてしまえば絶対的な立場の差もあり白はそれ以上追及出来ない。

 

 彼女も何となく察していた。伴部が席を外していた後のあの会話……それ自体の内容もあるが、それ以上にその声音に妙な違和感があった事を、そしてあの手合わせの時の異様な敵意がそこから生じたものだという事を半妖の持つ第六感ともいうべきものから感じ取っていたのだ。

 

 尤も、証拠なんてものはないのだが………。

 

「その……姫様は……伴部さんのことはご心配ではないのでしょうか?」

 

 恐る恐ると白は尋ねる。この主君に仕える事となり早数ヶ月、その間見てきたものと言えば目の前の主君による大小様々なあの青年に対する意地悪であった。その一方で妙に甘い所があるし、明確な悪意がある訳ではない事もまた理解してはいる。いや、あるいはそれは………。

 

 故にだからこそ白は困惑する。ならばこそ、どうして彼にそこまで意地悪をするのかと。

 

「……彼って意地悪なのよ」

「へ……?」

 

 鬼月葵の言葉に白は困惑する。その言葉の意味が分からなかったからだ。少なくとも彼女の記憶にある限り、あの兄のようにも思える青年がそんな意地悪だと言われる側面があるようには思えなかったからだ。

 

「性格悪いと思わない?彼、釣った魚には餌をやらない質なのよ。しかも、此方の懐にはするりと入り込んで来る癖に、自分の懐は頑なに閉じて少しも見せようとしないのよ?」

 

 その言葉に白は曖昧な表情を浮かべるしかなかった。元は数百年を生きた化け狐ではあるものの、あくまでも妖として生きて来た彼女には人間の男女の機微についての理解は決して深くはない。

 

 いや、美女に化けて愚かな男をたぶらかす方法なら大昔に義姉であり、主君であった凶妖から教え込まれてはいるがその逆は知る由もない。ましてや記憶は兎も角身体と精神は子供時代まで退化している彼女には葵の言葉を理解するのは簡単ではなかった。

 

「身勝手でしょうけれど、彼が本当の自分を見せないのだもの。だったら仕方無いわ。あの時の言葉を子供らしく鵜呑みにして、彼には頑張ってもらうしかないわよ。無論、ちゃんと安全は確保してあげるのだけどね?」

 

 くすくすくす、と再び口元を袖で隠して笑い声を漏らす葵。その姿は幼い悪戯好きの子供のように見えたが、同時に妖艶で淫靡な大人の女性にも、そして妄執に囚われた狂人にも思われた。その雰囲気に思わず息を呑み身体を震わせる白。

 

「ふふふ、そう怖がる事はないわよ。取って食べやしないのだから。ただ………」

 

 ただ、貴女には彼の箔付けの小道具になって貰うだけ、とまでは口にはしなかった。どうせ、口にしなくてもそうなる事は理解していたから。

 

 そう。あの時、悪辣で残酷な化け狐から彼に守られた時の白狐の少女の表情を見ていた葵は確信していたからだ。まだまだ幼くて余り意識はしていないだろうが、あれは間違いなく………。

 

「……本当、酷い男よね」

 

 そう罵倒する少女の口元は、しかし愉悦と恍惚の笑みに歪んでいた。

 

 ……正しく、それは愛に狂った女のそれであった。

 

 

 

 

 

 

 原作ゲーム『闇夜の蛍』はバラエティー豊かな多種多様のバッドエンドが用意されているが、正直な所主人公とその周囲だけがエグイ目にあうだけならばかなり有情な方であったりする。

 

 三桁に届くのではとも言われる絶望に満ちたバッドエンドルートの半分近くでは、主人公達がくたばるだけに留まらず、扶桑国そのものが崩壊する。

 

 そのパターンの幾つかでは地下水道から一斉に沸き出した大量の妖共が崩壊の一因を担う。何らかの対策も取らなければゲーム終盤にて地下水道から溢れ出てきた万を越える数の妖共が都のあちこちで蜂起する。内裏や内京は近衛兵や上洛している武士団や退魔士達によって防備が整っているため被害を出しつつも最終的に妖共を殲滅するが……都に住まう者の大多数、つまり中流以下の民衆は相当数がこの蜂起によって食い殺される事になる。

 

 ……というか態態逃げる民衆が次々と残虐に食い殺されていくシーンを十分かけたムービーにしなくて良いと思うの。エログロどころかグログロバイオレンスなんだけど?何でそこだけ劇場版クオリティで製作するの?

 

 そしてこの襲撃において大量の妖を揃えたのが都の地下水道に長年潜伏していたかつての空亡率いる人外の軍勢共の最高幹部が一体、作中では一貫して『妖母』とのみ呼称される妖を産み、育み、従わせる能力を持つ存在である。

 

 外伝やその他の媒体でもビジュアルこそあるが名称は『妖母』としか記されていないこの化物の正体はファンの間でも長年議論が為された。少ない記述を読み取るに元々は遥か南蛮の地にあった西方帝国から戦いに敗れ扶桑国に流れ着いたらしい事、元々は上位の神格的な立場から零落した存在であるらしい事、更には妖としては最初期に発生した存在であるらしい事等から、その能力や性格も伏せてモデルはギリシャ神話のガイア辺りではないかと考察されている。

 

 ………その正体は兎も角としても、その力は凶悪であり、その人格は作中でも上位を争うぶっ飛び具合を誇る性格破綻者である。そして、ヒロインフラグのない純粋な敵キャラでもある。

 

 いや、サービスシーンは沢山あるんだよ。そもそも上半身全裸なので常にサービスシーンみたいなものだ。しかし、逆説的に言えばサービスシーンはそれだけだ。

 

 原作主人公がこのおぞましい化物と関わるとなるとほぼ確実に催眠によって妖母に甘えながら頭からむしゃむしゃされるグロシーンとなる。百歩譲ってマシなパターンでも主人公が妖母によって触手プレイされた上で彼女の子供達によって獣姦虫姦輪姦大凌辱パーティーさせられて男なのに牝堕ちさせられる。おう、誰得だよ。

 

 そして何よりぶっ飛んでいるのが性格だ。彼女の母性愛は本物ではあるが……その愛の形は余りにも歪で、異様でおぞましい。話が通じているように見えて全く通じないその価値観は相対的に碧鬼や白狐がまともに思えるレベルである。お陰様で薄い本関係でもマニアック過ぎる趣向な作品ばかり作られている有り様で………止めろ、性癖歪めさせるな。

 

 ……さて、問題はこれからの事である。こうしている間にもより深く地下水道を進む俺と赤穂紫、そして案内役が計三人……総勢五人の集団は当然ながらこの状態のままで妖母をどうにかするのは非現実的過ぎる選択だった。それこそ……。

 

「はぁ……!!」

 

 目の前で赤穂紫が下水の中から現れた巨大な蚯蚓の化物を斬撃で細切れにする。限りなく中妖に近かったそれは本来ならば最低十人の兵士で挑まないとならないのをたった一三歳の少女の前では無力であった。しかし、それでも……。

 

(そう、それこそ仮令赤穂紫のような本物の退魔士がいたとしても、な)

 

 彼女の力を鑑賞しつつも、俺は辛辣に断言する。

 

 確かに赤穂紫は強い。家族には遠く及ばなくても、実戦経験が不足していても、それでも尚彼女の実力はモグリは勿論、そこらの数代の歴史しかない退魔士一族なぞでは到底対抗も出来ないだけのものである事に間違いはない。ない、が………それでもあの気狂い妖の軍勢を相手取るには体力も霊力も圧倒的に足りなすぎた。

 

 実際、主人公が紫と共にこの地下水道探索を行うとほぼ無限湧きしてくる妖共に物量で圧殺される。一時期はこのクエストをクリアしようとレベルカンスト装備最大強化アイテム保有MAXで依頼を受ける検証動画が動画サイトにアップされまくったが、結局は無駄だった。

 

 倒しても倒しても現れる妖の大軍、しかも後続集団程強力になっていき、検証動画の終盤に至ると主人公勢とほぼパラメーターが同格の敵が大量にエンカウントしてきた。あるいは裏技を見つけて一気に『妖母』様の目の前まで行く隠しルートを見つけた猛者もいたがそれも製作陣の悪意の想定内だ。うん、戦闘すら許されずにバッドエンドムービー始まるとか意味分かんねぇ(しかも無駄にクオリティ高いしエロティックだった)。

 

「何をぼさっとしているのですか?早く行きますよ?」

 

 先行する赤穂紫の声によって俺は現実に意識を戻す。目の前には不機嫌そうな表情で此方を見やる退魔士の少女……。

 

「……申し訳ありません。少し考え事を」

「考え事?良い度胸ですね。私と勝負しているというのに、ましてや先程から一体の妖すら打ち倒せていないのに別の事を考える余裕があるとは驚きです。私も随分と舐められたものですね……!!」

 

 俺の言葉にむすっと機嫌を悪くする紫。いや、だって毎回毎回見敵必殺の先制ワンパンキルしてくるじゃん君。此方はワンパンで妖殺せる程強くないんですけど?

 

「意地悪を仰らないで下さい。私が動く暇もない速度であっという間に凪ぎ払われてしまえば動きようもありませんよ。そも、私としては元より勝負はあの時に付いていると認識しているのですが?」

 

 俺が触れるのは先日の逢見家の屋敷での一件だ。あの戦闘は正直彼女に不利過ぎた。

 

 妖刀を始め、装備の面では優れているとは言え、彼女にはあの試合では余りに制約が多すぎた。俺は全力を出せたが彼女は全力を出すと俺を殺しかねないし、周囲にも大きな被害が出る。流れ弾が屋敷の無関係な人間にぶつかったら目も当てられない。彼女が全力を出せば被害は屋敷の庭園だけでは済まなかっただろう。

 

 更に言えば俺は彼女の戦いの型や癖、弱点等についてある程度であり直でこそないが事前の知識があったし、彼女が刀だけを使ったのに対して此方は小細工を連発した。実戦経験の差は言わずもがなだ。

 

 恐ろしい事にそれでも尚、地力では俺はたった一三歳の少女に明確に負けていた。あれだけ有利な要因があっても最後は俺の頭はかち割られる寸前だった。本当、退魔士って奴らは人間じゃねぇな。

 

「いえ、従姉様が勝負が付く前にお取り止めを命じた以上、あの試合の決着はついていません。……それとも、貴方は主君の判断に異議を唱えるのですか?」

 

 此方を非難するようの目で見やる赤穂紫。おい、こちとらそっちを持ち上げてやってんだから素直に応じておけや。

 

「いえ、しかし……主君の名誉を謗る訳ではありませんが、あの御言葉を額面通りに受け取るのはどうかと」

「それは私が決める事です。学も教養もない、たかが下人たる貴方が判断する事ではありません。違いますか?」

「……左様です」

 

 確かに元より退魔士達が下人に雑用兼雑魚狩り、更に言えば未知の能力を使う化物相手のリトマス紙以上の役割を期待してはいないのは事実ではあるが………そんな奴相手に割と躍起になっている奴が言えた言葉ではないだろうに。

 

(原作の主人公相手の時もそうだったな………)

 

 何処の馬の骨かも分からない……という訳ではないがそれでも一地方の庄屋の息子に過ぎない、退魔の家としての歴史のない主人公相手に見下しているように見えてその実必死にライバル視していたのが赤穂紫である。

 

 彼女は結局、余裕がない人間なのだ。実力は有象無象の退魔士達よりも遥かに格上にあるにもかかわらず、周囲が特級の化物だらけなせいでひたすらに劣等感だけが積み重なっている。そして、それ故に必死に努力して、同時に格下相手に高慢になる側面がある。しかしそれは恐怖と焦りが理由だ。下の筈の者達が自身の実力を脅かすのが怖くて怖くて仕方無いのだ。裏を返せばそれは自分に自信がない事も意味する。

 

(そして、それがこのルートでは致命的な訳だが……さて、どうするかな?)

 

 そんな事を考えていると、此方を不満げな表情で見つめる少女に気付く。

 

「……何でしょうか?」

「いえ、いちいち張り合いのない男だと思っただけの事です」

 

 はぁ、と溜め息をつく赤穂紫。

 

「正直な所、もっと自惚れが強く、覇気があるのかと思っていました。ですがこれは……」

「……何か期待に背きましたか?」

「期待という程のものではありませんよ。ただただ想像していたのと違うと思っただけの事です。従姉様の手元に置くような下人です。もっと特別な何かがあると思ったのですがね。確かに以前の手合わせを見る限り小細工は上手いようですが、それだけです。ましてや性格も従姉様の気に入るような所があるようには思えません。凡俗、それに尽きます」

 

 地下水道を歩きながら紫は俺に向けて自身の感想を述べる。それは何処までも俺の自己評価と合致していた。俺もそう思うよ。寧ろそれなのにあのゴリラが態態俺で遊ぶ理由が分からねぇ。いっそお前さんと立場を交換して欲しいくらいだよ。

 

「元より私は下人、自身の立場は理解しております。紫様と張り合うなぞ想像も出来ません。ましてや先日の手合わせの後に尊大な態度なぞ……正直恐ろしくて想像も出来ません」

「……前言を撤回しましょう。媚びる言葉は上手いようですね?」

 

 媚びてねぇよ。事実だよ。

 

「どう思われても私が否定出来るものではありません。ただただ、私は問われた内容に対して自分の意見を許される範囲内で述べるだけの事です。それこそ……」

 

 そこまで口にして俺は一度背後を振り向いて安全の確認を取ろうと思い立つ。一応後ろには案内役が一人いるが念のための行動だった。何故か突っかかって来る赤穂紫との話を誤魔化す意味合いもあった。

 

(まぁ、この手のダンジョンでは後ろの奴から消されるのは定番だしな)

 

 半分冗談気味にそう思いながら俺は振り向きながら背後の案内役に声をかけた。

 

 ……次の瞬間、俺が見たのは地下水道の奥の床に落ちて燃えている提灯だけだった。

 

「っ……!?警戒を!!」

 

 俺が短槍を構えると同時にその異変に気付いた紫と残る案内役達も各々に武器を抜いて死角を作らないように背を合わせるように周囲を警戒する。

 

(何処だ………?何処に潜んでいる……!?)

 

 呼吸する事すら忘れて俺は五感を総動員して暗闇の中を目配せする。今頃になって地下水道全体に小さな蠢く音が反響している事に気付いた。

 

(糞、迂闊だったな。無駄なお喋りばかりして気が抜けていたかっ!?)

 

 視覚は殆ど役に立たない。耳をすまして音源が何処からのものかを探る。何処だ……?何処に………。  

 

『上じゃ』

「っ……!!」

 

 耳元でその助言が響いたのと、俺が音源を察知して上を向いたのはほぼ同時だった。刹那、霊力で強化された短槍を振るい、俺は真上から飛び込んできた赤黒いそれを数体切り捨てる。

 

「っ……!?ちぃ!!」

 

 大の男の腕程の太さがあろう長い紐状のそれは体を半分にされながらも切断された双方がうねうねと粘膜に覆われた身体をくねらせて更に襲いかかる。咄嗟に短槍を叩きつけて下水の中にぶちこむ。糞、こいつは……!!

 

「糸蚯蚓先輩かよ……!!」

 

 俺は天井の壁一面に張り付きグロテスクな肉の塊のようになっているそいつらを見て吐き捨てる。奴らは原作ゲームファンにとって尊敬と嫌悪の両方を集める醜い化物だった。

 

 この地下水道等でエンカウントしてくる、妖母の眷族の一つたるこの糸蚯蚓を模した妖は精々が小妖、相当大柄な個体ですら中妖が限度の格しかないが、真に恐るべきはその数と繁殖能力だ。有性無性、卵生の癖に分裂や寄生、同族だろうが異種族相手だろうがお構い無くあらゆる方法での繁殖行為が可能で一体残ればそこからあっという間に増えまくる。

 

 原作ゲームにおいては救妖衆の使役する雑魚妖としてゲームの全期間を通じて登場、初期ステータスの主人公にすらワンパンされるが兎に角数ばかり多かった。そしてそれ以上に注目するべき点は多くのプレイヤーの性癖を歪めに来た妖だという事だろう。

 

 ……うん、謎の服だけ溶かす白濁色の粘液を吐き出すだけじゃ飽きたらず、そのまま穴という穴に入り込んで快楽神経刺激からの触手プレイからのアヘ顔産卵プレイのコンボとはたまげたなぁ……ははは、『闇夜の蛍』同人誌界隈でのエンカウント率の高さもあって先輩扱いされるのも残当である。

 

「って、笑えねぇんだよ!!」

 

 天井から次々と剥がれ落ちながら襲いかかって来る赤黒い触手を切り捨てながら叫ぶ。女性ならまだこいつは産卵プレイをしたがるので尊厳的な意味では死ぬが生物学的に死亡する確率は低い。だが、相手が男性は冗談抜きでヤバイ。皮膚を突き破って寄生して、その内側に卵を産んで来やがるのだから。全身寄生された奴なんて悲惨だ。どれくらい酷いかと言えば祟り神ごっこが出来る位には酷い。つまり………。

 

「紫様!!ここは一旦退きましょう……!!」

「何を言っているのですか貴方は!!この程度の雑魚相手に……!!」

 

 怒声と共に火炎を帯びた刀剣を振るう赤穂紫。同時に生じる炎の濁流が瞬時に妖のみを狙いすまして焼き払う。数秒と掛からずに数百の蚯蚓の化物は炭化して死に絶えるが、しかし………。 

 

「ひぃ……向こうからも来やがった……!!」

 

 案内役の一人が悲鳴を上げて叫ぶ。その方向に視線を向ければ入り組んだ地下水道の横道の一つから大量の化け蚯蚓が躍り出てきていた。小さいものは縄程度の、大きいものは牛の首程はあろうかという太さの蚯蚓が数百、数千と集まり一つの生物のようになって蠢き、此方へと突撃してくる。

 

「っ……!?」

「ぼさっとするな!早く逃げるぞ!!」

 

 狭く薄暗い地下水道で目撃した事もあるのだろう、そのグロテスクな外見に気圧される紫の手を引き俺は蚯蚓の大軍から逃げる。

 

「畜生!畜生……!!や、止めろ!?来るな!!うわああぁぁっ……!?」

 

 共に逃亡していた案内役二人の内一人が足を溝から飛び出してきた蚯蚓に捕まれて倒れる。必死に短刀を振るい足を掴む蚯蚓を突き刺す案内役だが……そのほんの数秒後には彼を蚯蚓の塊が呑み込んだ。案内役の姿はあっという間に見えなくなり、悲鳴も少し遅れて聞こえなくなった。

 

「くっ……!!」

 

 一瞬振り返りその光景を見て、俺は苦虫を噛みつつ逃亡を再開する。見捨てる積もりはなかったが……しかしあの量の化物相手にはどうしようもないし、何よりも助ける時間すらなかった。あの中に飛び込むなぞ自殺行為である。

 

「はぁ…はぁ……ひっ……!?こ、このままだと追い付かれますよ………!!?」

 

 手を引かれて息切れしながらも走る紫が逼迫した口調で叫ぶ。背後では最早広くない通路の全体を埋め尽くす程の量の大蚯蚓が此方に凄まじい速度で襲いかかってきていた。ひょっとしなくてもトラウマ物のキモさだな。

 

「分かっているさ!!はぁ……はぁ……全員、目と耳を塞げよ!!」

 

 俺は紫と残る案内役に警告すると、懐からそれを出した。

 

「事前に試しはしたが……!!効いてくれよ!?」

 

 その拳大の塊を振り向くと同時に霊力で強化した膂力でそれを投げつけた。

 

 自惚れではなくプロ野球選手の剛球に匹敵する速度で投げ込まれたそれは正面の蚯蚓の頭を潰し、そして……それが蚯蚓の大軍に呑み込まれた瞬間、白煙と閃光が地下水道に広がった。

 

『っ………!!!!!?????』

 

 蚯蚓共が苦しむようにのたうち回り、少なくない数がそのまま身体を痙攣させて床や溝の中に倒れこむ。

 

「っ……い、今のは……爆弾!!?」

 

 紫が叫ぶ。実際は少し違った。爆弾なんてこの原始的な地下水道で使えば最悪崩落からの生き埋めもあり得るからだ。

 

 白燐弾ならぬ白燐玉はこの地下水道での危険に備えて自作の小道具の一つだった。

 

 白燐は熱や衝撃で自然発火しやすく、強い毒性を持つ取扱いの難しい物質である。また燃焼で生じる煙は脱水性が強い。無論、白燐は空気中では急速に無害化するので前世における軍隊や警察の扱う白燐発煙弾は付属の火傷等の事例があるにしろ設計の工夫もあって殺傷能力は限りなく低い。

 

 俺がこれを設計したのは正にこの蚯蚓対策だった。ただの妖怪相手ならば通常の煙玉や閃光玉同様に目眩まし以上の効果はないだろう。だが蚯蚓は乾燥に弱く、殆ど毛もないソフトスキンなので白燐の引き起こす熱や直接付着する毒性に強くはない。全身に光を感じる視細胞があるので燃焼で生じる光で混乱もする。閉所であるために効果は一入(ひとしお)だ。

 

 まぁ、燐なんて地方の市場ではそうそう流通しないので、都に来てから何度も試行錯誤して漸く完成に間に合った代物であるのだが………。

 

「来たな……!」

 

 閉所であるが故に煙は次第に俺達の方へも向かう。流石に起爆地点から離れているので酸化して無害化していて欲しいが……!!

 

「口を塞げ!この煙は吸うな!!」

 

 紫の口元を塞ぐと共に俺達の下にも煙がやってくる。煙に呑み込まれた俺は周囲を見渡しながら叫ぶ。

 

「案内役!何処だ!?此方に来い!離れると危険だぞ!!」

『無駄じゃ。あやつめ、一人で走って逃げよったようじゃ』

 

 耳元でふと囁く老人の声。隠行していた式神を通じて老退魔士が声をかける。

 

『口を閉じるが良い。この煙は余り身体に宜しくなかろう?兎も角はこの場から離れるのに努めよ。儂が誘導してやろう』

「…………」

 

 その言葉に、俺は僅かに考えこみ、しかし視線で持ってその提案を了承する。

 

「紫様、私が誘導します。行きますよ……!!」

 

 そう口にした俺はすぐ目の前が何も見えない中を灯りもなく、ただ式神からの誘導のみを頼りに駆け始めたのだった………。



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第二六話

 現実はいつだって甘くなくて、苦労と苦痛で出来ている。理想は実現しないから理想なのであり、夢は叶わないから夢であり、努力が結果に結び付く事は人生における最大の幸福である。

 

 現代ですらそうなのだ。ましてや因習が蔓延り、身分の壁があり、死が身近に居座り、理不尽が蔓延する世界では一層生きる事は辛く、苦しい。現実の古代や中世で輪廻転生や末法、終末論の概念が生じるのもさもありなんであろう。

 

 しかし、それでも人は生きる。たとえ辛くても、苦しくても、救いがなくても、辛い労働に耐え、生きるために生きる。ひたすら今日の糧を得るためだけに。

 

 ………そう、それが鬱々しいエロゲーの世界であろうとも。

 

「痛い………」

 

 雪がしんしんと降る中で少年は思わず鍬を手放して自身の手を見た。そして冷えきって、かじかんで、皹すら起こした子供とは思えないくらい硬く、赤く腫れた両手にはぁ、と生暖かい息を吐き掛ける。

 

 最早肉体的にも、精神的にも限界だった。代官の命に従い安い給金で朝から必死に冬の、それも他人の畑を耕していた少年は日没に差し掛かろうという時に遂に耐えかねた。

 

 たとえ精神が転生によって人並みの子供より成熟していようとも、肉体はそれについて来るのは難しい。下手に家と世の中の事情を理解するが故に、泣きべそかいて手を抜かず働いていた結果がこの手であり、全身に筋肉痛すら感じる疲労困憊の身体であった。

 

 痛い……腕が痛い。手が痛い。指が痛い。足が痛い。全身が痛くて寒くて気だるい。

 

 朝に粗末な粥を食べただけの子供にとってその朝から夜まで続く労働はこの世界でも余りにも過分なものであったが……だからといって周囲が優しくしてくれる筈もない。理不尽な苦しみにはただただ耐えるしかない。

 

 故に手の痛みに耐えて、身体の悲鳴に耐えて、涙をすら流さずに踞る少年。その姿は実に痛々しくて、惨めで、哀れだった。

 

「仕事……続けなきゃ………」

 

 暫しの間懐に手を抱き温めて、漸く少年は皹の酷い手を地面に落とした鍬に伸ばす。そう、どれだけ苦しもうが助けなんて有りやしない。

 

 元より霊脈が通らないが故に痩せて寒い糞みたいな土地であるし、故に本来の何倍も手間暇かけても僅かな実りしか得られない田畑である。それでも年貢の取り立ては厳しく、それ故に何があろうとも期限中に畑の土を耕し終えなければ御上が派遣した代官が許さない。だから……だから………。

 

「もう暗い。お前は先に切り上げなさい」

 

 落ちていた鍬を拾い、その男は俺にぶっきらぼうに声をかけた。

 

「親父………?」

 

 少年は目の前に立つ男を見て、力なく呟く。過酷な労働で鍛えられた身体に古着の藁の防寒具を着こんだ表情の乏しい農夫がそこにいた。

 

「けど明日までに耕し終えなきゃ……」

「俺がやっておく。暗くなると妖共がこの辺りにも降りてくる。早くしなさい」

 

 その言葉に少年は唖然として視線を移す。自身よりも数倍は広い土地を彼は耕していた筈だ。それをこんなに早く……?

 

「けど………」

「何度も言わせるな。早く帰りなさい。母さんが竈を炊いている筈だ。先に食べてしまうといい」

 

 そう淡々と言って、目の前の男は……今生の父は鍬を土を耕そうとして、ふと思い出したように自身の着込む藁の防寒着を脱ぎ出した。そしてそれを少年の肩に被せる。

 

「……親父?」

「寒いだろう?俺は良いからそれも着て帰れ」

「親父は寒くないの?」

「餓鬼が一丁前に親の心配なんかするな」

 

 普段仏頂面しか浮かべない父が珍しく不敵な笑みを浮かべた。そして、乱暴に俺の頭に手を添えて掻き撫でる。田舎の貧農らしく硬く、荒れていて、その人生の苦労が偲ばれる手であった。しかしながら、大きく、温かく、優しい人を安心させる手であった。少なくとも少年にとってはそうだった。

 

「……済まんな。お前は長男だから、苦労ばかりかける」

 

 そして小さく零れるのは謝罪の言葉であった。父と母、それに少年を含めて四人の子供……貧農の家庭にとってそれを養うのは容易ではなかった。

 

 とは言え、この時代である。いつ病で、事故で、あるいは妖に食い殺されるかも分からぬ世の中である。特に子供はいつ死ぬかも分からず、年を取ってからの出産は命懸け、子供は貴重な労働力であり、老後の世話役でもある。

 

 故に何処の農家だって可能な限り子供を拵えるのが常識だった。同じ村には七人子供を作り全員が幼いうちに病で死んだ家すらあるのだ。四人しか作っていない少年の父は農民達の中では極々一般的な人数であり、その全員が生きているのは幸運であり、少年の両親が勤勉に働き食い扶持を確保した努力の結実でもあった。

 

「俺は構わないよ。兄貴だから、弟や妹のためにも頑張らないと。……それに一番苦労しているのは親父と母さんだろう?」

 

 その事を理解するが故に少年は現状を肯定し、両親を案じる。

 

「…………良い子に育ってくれて、本当に有り難うな。■■」

 

 表情を見せぬ顔で、高低の小さい声で、しかし確かに優しさと愛情を含んだ口調で農夫は少年の「名前」を口にする。口にしながら頭を撫でられる感触が心地好く、温かかった。

 

 確かに辛くて苦しい人生であるがそれでも……そう、それでもこの瞬間、確かに少年は幸福だったのだ。

 

 ……その日の夜中、人里まで降りてきた妖によって畑が荒らされ、数人の村人が食い殺されて、その数倍の人数が怪我を負った。

 

 片足を食い千切られて不具になった村人の中に少年の父がいた事、それによって少年の家庭の生活が一層困窮する事になったのはまた別の話である………。

 

 

 

 

 

 

『この辺りは索敵する限りは周囲に妖共の気配はない。一先ずは安心する事だな』

 

 耳元で囁かれるその言葉に俺は脱力して深く呼吸をした。

 

 どれだけ走ったのだろうか?日の光もなく、時計の類いも手元にない状態ではどれだけの時間が経過したのか判断がしにくい。相応に鍛えている筈の俺ですら汗で衣類がぐっしょりと濡れて、死にそうな程息切れする位には走り続けたのでそれなりの時間は経たのは間違いないが………。

 

「紫様、落ち着いて下さい。今周囲に妖はいません」

 

 取り敢えず灯りすらない暗い闇の中で喘息患者の如く激しく息をする赤穂紫にそう語りかけて落ち着かせる。暗くて顔は分からなかったが響く音だけでもこのままでは過呼吸で死んでしまうのではないかと思えたからだ。

 

「はぁ……はぁ……わ、分かっています。分かってはいます。はぁ……ですが………けほけほっ!」

 

 噎せたように咳き込む赤穂紫。下水道である。空気が宜しい筈もない。激しく呼吸をして、その気持ちの悪さに咳き込むのも、また道理だった。

 

「喉が渇いていませんか?水筒は用意しています。お飲み下さい」

 

 そう言って俺は懐から竹筒で作った水筒を差し出す。こういう案内役が逃げるか食われるかした際に備えて水や食料、その他の道具は用意していた。

 

「いえ、確かに喉の渇きは感じますが……正直この臭いで気分が良くないので………」

 

 暗闇の中、紫が口元を押さえているのが何となしに分かった。恐らく表情も余り良くないだろう。しかし、だからこそ……。

 

「御気持ちは分かりますが少しは飲んだ方が良いです。水分は無理に我慢するよりも小まめに摂った方が効率的ですから。一応、薄荷を混ぜていますので気持ち悪さを軽減させる事も出来る筈です」

 

 元より下水の流れる地下水道なんて長く居れば宜しくないものだ。薄荷の汁を水に混ぜ込んでいたのはそれを想定しての事だった。幸い臭いが臭いである。妖共も嗅覚で周囲を索敵なぞしまい。

 

(どちらかと言えば音の注意をした方が良いな。後は光学的手法以外での視覚も留意、か)

 

 暗闇で生きる生物は触覚や聴覚が発達するだけでなく、赤外線や熱等、光学以外を用いた視認手段を持つものも多く、それは当然ながら妖も例外ではない。しかも聴覚や触覚は兎も角、その手の視覚的な索敵手段に対しては採れる対応策は決して多くはない。

 

(となると、やはり此方が先に見つけて仕止めるか回避するか以外の方法はないか………)

  

 そんな事を考えていると手元の竹筒に誰かが触れる感触が伝わる。どうやら、俺の進言に従う事にしたらしい。ごくごくという水を飲む音が響く。

 

「竹筒はお渡し致しますよ。そのままお持ち下さい」

「ですがそれでは貴方の分は……」

「予備がありますので御心配なく」

 

 この地下水道で遭難する可能性は原作ゲームからの情報の時点で十分有り得る展開だった。というか糸蚯蚓共の濁流を切り抜けたら大体ゲームでも案内役がいなくなったりして迷子になる展開が多かった。

 

 その上でゲームならば飢え死にする事はなくとも実際に広大な地下で迷子になると考えれば……何日も地下水道を飲まず食わずでさ迷い歩く訳にはいかないし、また実力的に考えると最低でも今回の案件から生き残るには赤穂紫の生存と協力が必要なのは言うまでもない。そのために彼女の分の水や食料も事前に用意するのは俺の立場からすれば当然だった。備えあれば憂い無しとは良く言ったものである。

 

「……随分と用意が良いのですね。私は直ぐに終わると考えて碌に準備もしていませんでした」

 

 若干の苛立ちを含んだ口調で紫は呟く。俺はこの地下水道に入る前の彼女の姿を思い浮かべる。確かに随分と軽装だった。本来のこの地下水道に巣くっているだろう化物共の格と彼女の実力を加味すれば必ずしも無用心という訳では無かろうが……ゲームでもそうだったがあの過保護な家族にしては彼女の出で立ちは実に軽率に過ぎないか?

 

「これまでも似たような経験はありましたので。念には念を入れただけの事です」

 

 そう答えつつ、俺は内心で考察する。

 

(流石にゴリラの時のように嵌められた訳ではなかろうが………)

 

 そも、少なくとも今回の発端はゴリラ様であるし、地下水道の奥に鎮座するあの忌々しい妖母の存在も殆どの者は把握していまい。となると考えられる可能性は………。

 

「此度のお役目、御家族はお知りで?」

「っ………!?」

 

 びくり、と紫が肩を震わせたのが暗闇の中でも分かった。成る程………。

 

(恐らくは原作でも、なんだろうな………)

 

 少しだけ……ほんの少しだけ彼女の家族の助けを期待したが諦めるしかなかろう。ゲームでも結構軽装だと思ったがあれは舐めていたというよりも大掛かりな準備が出来なかったのだろう。流石に完全武装すれば家族にもバレるか……。

 

「………これからどうする積もりなんですか?」

 

 赤穂紫は吐き捨てるように俺に尋ねた。刺々しい口調には、しかしそこには明確な不安と、同時に僅かな期待が見え隠れしていた。あからさまに話題逸らしのための言葉ではあるが同時に鋭い質問でもあった。このタイミングでその話が来るか……。

 

「………理由は分かりませんが、この地下水道に巣くう妖共は事前の想定よりも危険で数も多いようです。このまま準備不足のまま進み続けるのは危険でしょう。……少なくとも紫様は兎も角、私では荷が重過ぎます。一旦地上に戻って報告をするべきでしょう」 

「分かりました。ですが……道は分かるのですか?」

 

 俺が話題に乗った事に安堵したような物言い、しかし直ぐにまた不安そうな言い草になって恐る恐ると言ったように紫からの質問が返ってくる。質問自体は元より想定していた内容ではあるが……。

 

「問題ありません。全て想定内です。御安心下さいませ」

 

 俺は朗らかにそう答えた。大嘘だった。

 

 ……いや、一応ある程度の想定はしていたのだ。方位磁石は用意していたし、曲がり角等に密かに目印を貼り付け、脳内で進みながら大まかな見取り図は思い描いていた。しかし………。

 

(命あっての物種とは言うが……逃げた時に座標を見失ったな)

 

 しかも、案内役は三人共行方不明と来ている。内部空間を把握しているだろう彼らも可能な限り助ける積もりだったが……現実は甘くないようだ。

 

『過ぎた事は諦めるしかあるまいて。問題はこれからの事じゃ。主らの場所ならばもの探しの呪術である程度掴んでおる、時間はかかるが出れぬ事は無かろう』

 

 爺の言うもの探しの術は俺も手解き程度ではあるがゴリラからも教わっている。霊力はその残り香を基に探し物や尋ね人のいる方向やおおまかな場所を特定する卜占術……つまりは占いである。無論、御守りの類い同様この世界ではその効果は本物ではあるが。

 

 爺の行っているのはその中でも恐らくは扶箕であろう。恐らくは肩に乗っている式神に込めた自身の霊力を媒体に居場所を割り出し、地図上から振り子で居場所を特定しているのだと思われた。

 

『問題はあの妖共じゃ。元より地下水道は穢れが強く妖共が集まりやすいのは自明。故に霊脈を誘導して地下水道に霊力が流れぬようにしておる筈。小妖ばかりとは言え、あれだけの化物共が群れを作るなぞあり得ん事じゃ』

 

 老退魔士は疑問を吐露する。特大の霊脈の真上であり、穢れが溜まる地下水道……妖共にとっては絶好の立地である。故に人間側も工夫を凝らす。

 

 霊脈から流れる膨大な力を誘導して地下水道に流れぬようにしていた。また主だった水道への出入口には探知用の結界を張り巡らせてあるために強力な、あるいは多数の妖が侵入すれば直ぐに察知可能だ。取り零した多少の霊力こそ地下水道に流れこんでいるだろうがあれだけの妖共が群れを作る事なぞ普通は不可能である。

 

(そう、妖母さえいなければな……!)

 

 俺は知っている。それもこれもあの理不尽な超再生お化けのせいだ。

 

 妖母の能力は大きく分けて二つ、反則なレベルの再生能力、そして『産み直し』だ。

 

 一つ目については言うまでもないだろう。そも、妖母が大乱後も討伐されず、陰陽寮に気付かれずに地下水道で潜伏する事が出来たのはその再生能力のお陰だ。幾人もの退魔士のチート攻撃でも殺しきれず、更には自身を一時的に小妖レベルまで弱体化させる事で探知結界をすり抜けて地下水道に入り込み、一度地下の奥深くまで潜れば少ない地脈の霊力で最盛期には遥かに劣るものの急速に自身の力を回復して見せた。

 

 今一つの能力、単に『産み直し』と称されるそれが地下水道で妖の大群を作り出せた理由だ。

 

『妖母』は人間を含むあらゆる生物を摂食し、そして妖として『誕生』させる事が出来る。

 

 その力は凶悪の一言しかない。短期間の内に妖の軍勢を作り出せるその能力は大乱時代は元より、原作ゲームにおいても虫や鼠しかおらず、霊力も不足する地下水道内で大量の妖を産み出し得た。しかも素材が優秀であれば優秀な程より強力な妖を産み出す事が出来るとあって大乱中空亡の参謀役であり同じく大軍を産み出す能力を有していた「貘」と並んで朝廷の最優先討伐対象とされていた。

 

「師よ、疑念は分かりますがこのまま調査はご免ですよ?流石に何があるか分からない中で準備もなしに調査はご免です」

 

 俺は小さく、紫に聞こえぬように囁く。実際は原因は分かっているが……どの道俺の実力と人脈ではどうにもならない問題だった。どうしてたかが数ヶ月都に滞在しているだけの下人が数百年行方の知らない妖母の居場所知っているんだよ。

 

『その程度の事は承知しておる。だが……儂がいた頃ならばこのような異常があれば直ぐに察知していただろうに、最近の陰陽寮は随分と仕事が雑になったものだのう』

 

 嘆息したように式神の向こう側で溜め息を吐く翁。彼の気持ちは分かるがそこはある意味筋違いであろう。寧ろ陰陽寮の形としては今の情報共有をせず、互いに猜疑心を持ち足の引っ張りあいをしているような状況の方が普通なのだ。

 

 玉楼帝が他にも純粋な実力者は幾人もいた中で態態陰陽寮頭に吾妻雲雀を任命したのはその顔の広さと性格、潤滑剤としての役割からだ。そして翁が陰陽寮に所属したのは吾妻が既に陰陽寮頭に就任した後の事だ。その所属期間の全期を通じて彼女がトップとして組織を運用していた頃を思えば今の陰陽寮が仕事が遅く感じてしまうのはある意味仕方無い事であった。

 

「……これだから退魔士って奴は」

「……?あ、あの……な、何か言いましたか?」

 

 俺が思わず呟いた独り言に少し怯えた赤穂紫は声を上げる。俺の剣呑な口調に、この余り良くない状況も加わって不安を感じているのだろう。糞、ミスったな。

 

 俺は内心の焦燥感と苛立ちを抑えながら、可能な限り穏やかな口調で口を開く。

 

「いえ、何もありません。少し今後の計画を立てていたので……紫様、どうか落ち着いて下さい。ここは安全ですから」

 

 ふと、暗闇の中で袖を引っ張られる感触を感じたので最後にそう付け加えた。しかしながら、そう諭しても尚、手元からは震える感触が感じ取れた。

 

 当然だろう、幾ら実力があろうとも、その精神は根本的には一三歳の少女なのだから。そして、碌に実戦も知らぬ身であんなR-18Gな場面を見てしまえば……原作のゲームでもそうだが、この娘はやはり実力は兎も角性格的に退魔士としては向いていないな。プロならば目の前で女子供が惨たらしく食い殺されようと眉一つ動かすまい。

 

「………」

 

 哀れに思わない事はない。可哀想に思わない事もない。

 

 しかしながら、だからといって事が事であるから、俺は彼女をただただ甘えさせる余裕なぞ無かった。そして同時に彼女が不安と恐怖に押し潰されようとしているこの時がチャンスだと冷静に、冷徹に理解していた。だから……。

 

「……紫様、今少しすればこの地下水道から脱出を開始します。まずは式神を先行させて周辺を警戒します。可能な限り戦闘は避けますが……戦闘が不可避な場合もあり得ます。その時は……失礼ながらお力添えを御願い致します」

 

 周囲に声が響かないように可能な限り小さな声で、彼女に近づいて俺は説明と助力の申し出をする。あの蚯蚓共は数が多いにしろ雑魚は雑魚、白燐玉でもどうにかなったが、妖母の生んだ糞餓鬼共の大半はあんな小細工が通用しない。そして下手に時間をかければ直ぐに家族を呼ばれてしまう。

 

 だからこそ彼女の助けが必要だった。有象無象の妖であれば一撃で仕留められる彼女の力はゲーム内での運命を無視すればこの地下水道から脱出する上で欠かせないものであった。少なくとも俺一人で脱出を試みるよりかは遥かに生き残れる勝算があった。

 

 そして、彼女を利用して生き残るため、俺は少女の弱った心に煽てるように更に甘い言葉を吐きかける。

 

「助力……ですか?私の……?」

「無論です。ここから逃げる上で紫様のお力は欠かす事が出来ません」

 

 俺は仮面と暗闇で見えない事を承知で賑やかな笑みを浮かべていた。賑やかな笑みを浮かべながら悪魔の言葉を口にしていた。………緊張から額より嫌な汗を流しながら。

 

(何処で碧鬼が見ているか分からんが……この程度ならば問題はない筈だ。そうだろう?)

 

 それがまだ子供と言える少女の心の隙間に入り込み、利用しているだけとは理解していた。しかし……俺と彼女、双方が生き残るにはそれしかない事もまた事実であった。幸い、この程度ならば碧鬼の性格ならば逆鱗に触れる事はない。故に人としても、決して道を踏み外している訳ではないのだ。……そう言い繕って俺は自分自身を弁護する。言い訳する。誤魔化す。

 

(俺だってこんな場所で死にたくないからな。それに……)

 

 それに……可能であればこの世界がバッドエンドを迎えるのは避けたかった。

 

 確かに糞みたいな理不尽な世界ではあるが、少しのミスで滅びてしまいそうな世界ではあるが、所詮は二度目の人生ではあるが……それでも守りたいものくらいは俺にもある。最悪の社会で、最悪な国でも、最悪な環境でも、それでも最低限守りたいものを守るために、最悪の終わりを避けるために、俺は彼女を他の多くのものと同様に利用する。

 

 そう。あの時、彼女に対してそうしたように………。

 

(あの時……?)

 

 一瞬俺は、自身の思考に違和感を覚える。何かを忘れているような、妙な喪失感を覚える。しかし、そこから直ぐに俺は意識を現実に引き戻した。今はそんな事を考えている暇は無かったから。

 

「私……私の力が………」

 

 俺の内心の困惑なぞ知る由もなく、ぽつりと小さく、力なく、しかし何処か喜色を含んだいたいけな少女の呟き声が地下水道に響いた。

 

「………」

 

 その声に俺は上手く誘導が効いているのを理解して目を細める。そして、俺は後一押しであろうと察して一気に畳み掛ける事にした。  

 

「はい、紫様。残念ながら私の霊力では長時間妖と戦い続ける事が出来ぬばかりか式神を使うだけで精一杯です。どうか、紫様のお力を頼らせて頂きたいのです。御許し下さいませ」

「頼る……頼られる?私が?私が……頼られる?頼られているのですか、私は?」

 

 もし暗闇でなければどんな表情を浮かべていたのだろうか?ぽつりぽつりと熱にうかされるように呟き続ける赤穂紫の声に何処か覚めた表情で聞きながら俺はふとそんな事を思った。

 

「はい、紫様。どうか御願い致します。……貴女の助けが必要なのです」

 

 きっと、そんな言葉を吐いた俺の仮面の下の表情は人でなしのようだった筈だ………。

 

 

 

 

 

 複数の地下水道から汚水が流れこむその大広間は異様な程蒸し暑かった。それは汚水の熱もあるが、それだけではないのも明らかであった。

 

 灯りがないために人間には分からないだろう。しかし、もしもこの大広間の中がどんな惨状になっているのかを知ってしまえば大概の人間はそれだけで言葉を失うか、発狂の声を上げていただろう。

 

 其ほどまでにこの部屋の中はおぞましく変質していた。暗闇の中で大量の何かが這いずる音に鼓動する音、蠢く音はそれだけで聴く者に言い様のない恐怖を感じさせただろう。

 

 そんな大広間の中央で彼女は唄を唄っていた。豊かな緑色の髪を床にまで伸ばし、惜し気もなく上半身の白い肌を露出させた絶世の美姫……何処か幼くも見え、しかし妖艶な熟女のようにも見える女がこれまた歌姫のごとき美声を以って奏でるのはこの国の言葉ではない。

 

 遥か西方、今は亡き西方帝国で一般的であった赤子をあやすための子守唄……それが彼女が愛情一杯に口ずさむ唄の正体であった。

 

 そしてふと、彼女は唄うのを止める。そして慈愛に満ちた表情で振り返る。

 

「あら、坊や達。そんな姿で一体どうしたのかしら?」

 

 振り向いたその先にいたのはおぞましい化物だった。全身粘液がへばりついた赤黒い糸蚯蚓。おおよそ人間を丸飲み出来そうな巨大なそれは周囲に大小の兄弟達を侍らせて「母」の下へと参上する。……その身体の彼方此方に焼け爛れた痛々しい傷痕を残して。

 

「まぁまぁ。坊や、可哀想に。一体何があったの?」

 

 声と言えるか怪しい謎の音を鳴らしながら巨大な糸蚯蚓はズルズルと「母」のもとへと向かう。おおよそおぞましさしかないその醜い化物に人外の女は寄り添い、よしよしと撫で上げる。そして目を閉じてこくこくと怪物の言語とも言えぬ言葉に頷く。

 

「うんうん、よしよし。……そうなのね。痛かったのね?大丈夫よ。直ぐに良くなりますからね?」

 

 そして次の瞬間には蚯蚓の化物の焼け焦げた皮膚はぼろぼろと崩れ去る。その下から見えるのは瑞々しい張りのある赤黒い皮膚であった。

 

 うねうねと「母」にじゃれつくように巻き付く化け蚯蚓をあやしながら、「妖母」は呟く。

 

「そう……そうなの。またお客様達が訪問したのね?うんうん、そう……それは大変ね。このまま地上に帰したら私達の存在が見つかってしまうわねぇ」

 

 何処か気の抜けた口調で怪物共の母はぼやいた。実際、都の地下に彼女のような存在がいるとなれば朝廷は全力でそれの駆除を試みる事だろう。そして、幾ら化物共の母であろうとも、今のように単独で、子供らの頭数も揃わぬ内に朝廷が本気で潰しにかかられては楽観出来ない事態に陥るだろう。少なくとも「今の」彼女に勝機はほぼない。

 

「困ったわねぇ。このままだと空ちゃんに怒られちゃうわぁ」

 

 一応、今の計画が御破算した際の代わりの計画は幾つか事前に伝えられてはいるものの、それはそれとして妖母は「友人」からの叱責を想像して頬に手をやって陰鬱な溜め息を吐く。その憂いを秘めた表情はそれだけで強力な「魅了」の権能を放っていた。

 

 そして、暫し考える素振りを見せた化物はふと、良い事を思い付いたとにこりと笑みを浮かべる。

 

「ああ、そうよね。このまま地上に戻って知られたら困るのだから、答えは簡単な事よね?地上に戻れないようにすれば良いのよ」

 

 そして、彼女は更に続ける。

 

「そうね、折角だもの。お客人は良く良くもてなしてあげませんとね?……うふふ、そうね。そうしましょう。この際ですもの、お客人には一足先に私達の「家族」になって頂きましょう?」

 

 まさに名案!とばかりに楽しげに宣う妖母。その態度と物言いは皮肉でも狂気でもなく、ただ純粋に彼女がそう思う事を口にしているだけのように思われた。

 

 実際問題、彼女の考えに基づけばその考えは当然であった。彼女があの大乱に加わったのも、ましてや未だにかつての指示に従うのも、決してそれは人間を敵視するが故の事ではない。

 

 寧ろ彼女は人間を、この世の生きとし生けるもの全てを愛していた。ましてや彼女は一度たりとも人間の殺戮を目的に動いた積もりなぞ無かった。寧ろ逆だ。彼女にとっては全ては愛と善意故の行動であった。……それが人間から見てどれだけ異様で、異常で、狂気に満ちたおぞましいものであろうとも。彼女にとってそれは完全な「善意」であり、「愛情」であった。

 

「それじゃあ坊や達、お昼寝はここまで。皆、目を覚まして頂戴?」

 

 鈴の音のように響き渡るその言葉に反応するように暗闇の中を幾百、幾千、あるいはそれ以上の数のナニカが一斉に蠢き出す。広間のありとあらゆる場所から血のように赤い瞳の光が無数にところ狭しと現れる。そしてそのどれもこれもが部屋の中央に鎮座する彼らが「母」の方向を向き、その命令を待ちかねるように沈黙する。

 

「さぁ、可愛い可愛い坊や達。お行きなさい。お客様方に対して丁寧に、そして丁重にお連れするのですよ?彼らもまた、貴方達の「家族」になるのですから、ね?」

 

 善意と慈愛と狂気に満ち満ちた「母」のその命令に、次の瞬間には人外の化物の軍勢が広間の四方から繋がる下水道通路に向けて、黒い大波となって雪崩れ込んでいった……。

 

 



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第二七話

 中近世における家事労働は便利な家電製品が溢れ返る現代に比べて、少なくとも肉体的には比較にならぬ重労働だ。

 

 火を熾す事も、炊事も洗濯も、全てが機械に頼る事が出来ず、あまつさえ家事だけをしていれば良い訳ではない。畑仕事は当然のように女も駆り出され、内職があり、子育てもある。農家の女は三十で老婆となる……というのは些か誇張も含んだ表現であるとしても、特に社会的に下層に位置する貧農の女の生活が現実のそれとは比べ物にならぬ程苦労を重ねたものである事は想像に難しくない。

 

 その意味において、少年の母はとても逞しく、勤勉だった。

 

「あら、お帰りなさい」

「……うん、ただいま」

 

 真夜中に賦役の荷運びを終えた少年を蝋燭の光一本で草鞋編みの内職をしていた母は元気良く出迎えた。同時に囲炉裏の火を焚き始める。

 

「良いよ、別に。薪がもったいないよ。直ぐに布団に入って寝るから良いよ」

「子供がそんな心配しなくて良いわよ。私達も丁度寒かった所だしね。ほら、さっさと火に当たりなさい。もう、随分と身体が冷えちゃってるのだから………」

 

 雪がかかった藁の上着を少年からふんだくり、雪を払って壁にかける母。

 

 こうなっては反発しても仕方ない。渋々と母の言葉に従い灰が然程溜まっていない小さな囲炉裏の側に腰掛けて手を向ける。ほんわかと温かな熱が冷えきった身体を優しく温めてくれた。

 

「粥の残り物、直ぐに温め直すから少し待っていなさい」

「自分でやるから良いよ。母さんもそろそろ寝たらどう?どうせ朝からずっと働きっぱなしでしょ?身体が持たないよ?」

「それこそあんたに言われたくないわね。十やそこらで朝から夜中まで働いている子供よりはマシよ?」

 

 少年の心配するような言葉に北国特有の農民でありながら肌の白く、線の細い母親は心外とばかりに口を尖らせる。囲炉裏に小さな鍋を垂らして夕食の残り物の粥に水と塩を足して煮込んでいく。

 

「皆拗ねていたわよ?あんたが何時まで経っても帰って来ないのだから」

 

 障子一枚隔てた隣の部屋を一瞥して母親はぼやく。その表情を見るに少年の弟妹達は結構ぐずったのだろう。

 

「人数が少ないと寒いからね。特に今日は良く冷えるし……」

 

 貧農の家で人数分の布団と敷布団があるなぞ有り得ない事で、寝ている間に囲炉裏等で部屋を暖める事もまた有り得ぬ事、湯湯婆等も存在しえない。

 

 ともなれば厳しい北土の冬を凌ぐのにはボロい布団の中に家族で身を寄せあって暖を取るのが一番安上がりな訳だ。少年も弟妹達に何度も人間カイロにされた。

 

「すぐそんな言うのねぇ。そのひねくれた考え方は止めなさい。あんたはもう少し素直に人の善意を受け入れた方が良いわよ?……最近は帰りが特に遅いんだから」

 

 木彫りの椀に煮込んだ粥を掬って差し出す母。少年は何とも言えぬ表情を浮かべるとそれを受け取り、「頂きます」と呟いてゆっくりと啜る。

 

「……食べ終わったら草鞋編み、手伝うよ」

「良いから寝なさいな、身体もくたくたでしょうに。というか材料ももう殆どないわよ。あの人が大体編んじゃったから。あんたが帰って来た時に私が編んでたのが最後の分よ」

 

 ははは、と元気良く笑う少年の母親。その快活な笑い声は一見線は細くとも、肝が据わった大人物を思わせた。

 

 既に隣の部屋で寝入っている少年の父であり、女の夫である男は朝から夜中まで黙々と乾燥させた藁を編み続け、既に数十足分の草鞋を仕上げていた。

 

「……余り親父を無茶させないでくれよ。まだ怪我も治ってないのにさ。傷口が悪化したらどうするのさ」

 

 非難するように口を尖らせる少年。妖に食い千切られた右足は幸いにも化膿はせずに済んだが予断は許さなかった。大量に流した血もあり、相当体力を消耗していて、しかもこの厳しい冬の寒さで残る体力もジリジリと削られていた。そんな中で内職をさせるなぞ……。

 

「別に私が尻蹴飛ばして働かせている訳じゃないわよ。あの人が自分でやってるの、一番食べる立場でただ飯食べる訳にはいかないってね」

 

 冗談めかして語る母に、僅かに口元を緩める少年。しかし……その脳裏に過ぎ去るのは皆が寝静まった真夜中に米櫃の中の残りを焦燥に満ちた険しい表情を浮かべて見つめる母の表情だった。

 

 少年は母と父が以前よりも更に自身の食べる量を削っている事に気付いていた。唯でさえ毎日綱渡りのように備蓄した食糧で冬を越せるか悩んでいる所に、一月前の父を襲った不幸……それ以来両親が夜な夜な手元の僅かな蓄えを挟んで頭を抱えている事もまた、少年は覗き見して知っていた。

 

「………」

 

 母が作っていた途中の草鞋を完成させるために部屋の端で作業を再開すると、自身を見つめていない事を確認し少年は粥を見つめながらぼんやりとこれからの事を、この冬の事を考える。

 

 例年よりも強く、早く来た極寒の季節を自分達が乗り越える事は限りなく難しい事に少年は気付いていた。そして、両親もまた本能的にその事に気付いている事だろう。このままでは家族揃って飢えと寒さに死に絶える事になるだろう。

 

(そう、このままだと、な)

 

 そして、それを避ける方法は既に幾つか思い浮かんでいた。そしてそのどれもこれもが碌なものではなかった。しかしながら、だからといってこのままでは全滅であろう。故に決断が必要だった。生き残るための決断が。

 

(生き残るため、か………)

 

 どんよりとした思考に意識が誘導されていくのを少年は感じ取っていた。しかしながら朝から真夜中まで続いた辛い労働、いつまで耐えても変わらない辛い現実、前世を知るが故に分かるこの世界の理不尽への怒りと欲望、それらが少年に一つの非道な選択を示していた。

 

(そうだな。一人なら……一人だけなら…………)

 

 どうせ二度目の人生で、所詮は二度目の家族で、ましてや似たような悲劇なんてこの世界では幾らでも見つかるがために、少年は次第にその選択に引かれていた。そして、少年は自身の心の弱さに負けてその決断を下そうとして………。

 

「にーちゃん?」

 

 酷く拙く、幼く、耳馴染みのある口調で小さくその言葉は紡がれた。

 

 ふと、我に返った少年が恐る恐ると振り向けば障子が小さく開いていて、寝惚け顔の女の子が立っていた。恐らく十もなっていないだろうボロいお古の木綿着を着た典型的な貧農の家の幼女がじっと少年を見つめていた。

 

「雪……音?」

「にーちゃん!」

 

 少年と視線が合うとにひっ、と笑う幼女。その名前は雪音と言った。今日のように深々と雪が積もる日に生まれた、故に雪の積もる音から雪音。

 

「……済まん、五月蝿かったな。起こしちまったな?」

 

 少年が半ば誤魔化すように小さく謝ると障子を開いててくてくと駆け寄って来る幼女。そしてそのまま囲炉裏の前で胡座をかいていた少年の足の上に玉座のようにちょこんと座り込む。

 

「ちゃむい」

 

 少年の太股に座り込んで、子供言葉で文句を垂れる幼女。その仕草は何処か気紛れな猫を思わせた。そして、そのまま少年の足の上で目の前の囲炉裏に手を差し向けてその暖かな空気に触れる。

 

「にひひ、あったきゃい!」

 

 そう朗らかな表情で叫んで、そしてそのまま少年の手元の粥入りの椀に手を伸ばす幼女。

 

「ん?……こら!雪音、何してるの!お兄ちゃんが寒いでしょう!?それにご飯も取らない!!」

「えー!?や、やぁ!!」

 

 草鞋を漸く作り終えた所で末の娘の存在に気付いた少年の母。彼女は自身の末の娘の所まで小走りに駆け寄ると椀に伸びていた手を叩き、少年から引き離そうと引っ張る。幼女がそれに対して愚図りながら少年の冷えた着物を掴んで踏ん張る。  

 

「もう!何やってるのよ!?あぁ、■■の着物が伸びるでしょ!?」

「やぁ!やーぁ!!」

 

 娘の抵抗を叱りつける母とそれに抵抗する娘。幼女がイヤイヤと少年の着物をがっちり掴んで離さない。

 

「いぎっ!?痛い痛い……!?か、母さん。別に良いよ。そんな事しても離れない……というか俺の着物の方が先に千切れそうだし」

「全く、この娘は!!遊んでばっかで世話ばかりかける癖にこういうのに限って目敏いんだから!!折角仕事から帰ったお兄ちゃんが温まってたのにそれを邪魔して、ましてやご飯までせしめようなんて!!」

「ちがうもん……にーちゃんをあったかくしようとしただけだもん」

「言い訳はお止めなさい!」

 

 半泣きで少年に抱き着く幼女の言い様に母は鋭い叱責の言葉を吐き捨てる。すると幼女は一層不機嫌になって涙を少年の着物で拭き出す。そんな幼女……雪音に対して少年は困った笑みを浮かべながらその頭を撫でて、仕方無さげに助け船を寄越した。 

 

「あー、よしよし……母さん、俺は大丈夫だからさ。そうだよな?雪音は俺を温めようとしてくれただけだよな?」

「うー………」

 

 少年が宥めると、漸く半泣きの幼女は愚図りつつもこくこく頷く。そしてグスン、と兄である少年を盾にするようにして母をジト目で窺う。

 

「はぁ、毎回の事ながら弟妹に甘いんだから」

「仕方無いよ、まだ小さいんだから。遊びたい盛りだろ?」

 

 呆れる母親に苦笑しつつ、少年は手元の椀の中の粥を一掬いして妹に差し出す。

 

「ほら、少しだけだぞ?成長期だからな、兄ちゃんのを少し分けてやる。……弟達には内緒だぞ?」

 

 そう注意して少年は妹に自身の夕食を少し分ける。両親が自分達の食事を可能な限り我慢していても尚、育ち盛りの弟妹達の胃袋を満たすにはまだまだ足りない事も、弟妹達がそれを我慢する事が出来る程精神が大人ではない事も少年は理解していた。故に自身の食事を少しだけ一番下の妹に与える事もまた、長兄としては仕方無いと思っていた。

 

 少年の言にぱぁ、と花が咲いたような笑みを浮かべる幼女。そして差し出された匙で粥を一口、二口口にして、心底幸せそうな表情を浮かべる。そう、余りに薄くて粗末な雑穀の粥を口にして。飽食の世界を知る少年にとってそれは余りに哀れな光景にも思えた。

 

「いひひっ、にーちゃん。ありがとー!!」

 

 三口目を食べた後、口元に食べ残りをくっ付けたままに幼女は兄に向けてそう笑みを浮かべた。何処までも純粋で、屈託のない、表裏のない好意と親しみに溢れた笑顔だった。

 

「………あぁ。どういたしまして」

 

 返事をするまでに生じた一瞬の沈黙の間に少年は自身を恥じた。ほんの少し前まで自身が考えていた考えがどれだけ意地が悪く、下劣な事かを自覚したからだった。そうだ、妹を、家族を捨てて自分が助かろう等と………。

 

「えっ……?」

 

 そこまで考えているとふと正面に感じた温かい温もり。それは自身に正面からぎゅっと抱き着く妹だった。彼女は上目遣いで首を傾げて少し前まで寒い外で働いていた少年に向けて尋ねる。

 

「おれい。ぽかぽか、あったかい?」

「………あぁ。とっても温かいよ」

 

 少年が優しく答えると、再びにひひっ、と悪戯っ子のような笑い声を漏らす妹。恐らく自身の事を一寸も疑わず慕う血の繋がった目の前の子供の姿に、このままだと彼女がどのような運命を辿るかを思い、少年は歯を食い縛る。そして、選択する。その道を。

 

「……にーちゃん?」

 

 兄の何処か不穏な気配に僅かに不安そうにそう呼び掛ける幼女。少年はそんな妹に何処までも優しい慈愛の笑みを見せて抱き締める。きゃー!と小さい、しかし楽しげな悲鳴を上げる妹。

 

「そうだな。……このままだと皆が大変だもんな?」

 

 だから、弟妹達を守るために長兄たる自身がどうにかしなければならないのだ。だから……だから…………。

 

 自身を抱擁する兄の手が震えていた事に、雪音はその時気付く事は無かった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 密室状態の地下水道において最も注意するべき点は音である。視覚も嗅覚もかなり有効性が低下する中で聴覚は寧ろ密室であるがために良く響き、自身の存在を露見させてしまうからだ。

 

 故に、目の前に、直ぐ傍で何がいようとも、叫んでも、喚いても、悲鳴を上げてもいけなかった。そう、視界の先にどれ程おぞましい化物共がいようとも。

 

(とは言え、これは流石に虫酸が走るな……)

 

 下水道の十字路の陰に隠れながら俺は内心でぼやく。十字路を横切るのは暗くて良く見えないが恐らくは車より大きな蚰蜒(ゲジゲジ)に電車のように長大な百足、そして牛並みの体躯の蜚蠊(ゴキブリ)……はっ、前世ならば女と言わず大の男でも発狂する事請け合いな面子だな。

 

 因みに中近世をモデルとして、虫の類いが比較的前世よりも身近なこの世界でも流石にこの面子が巨大サイズでエンカウントしてきたら割とキツイ。この暗闇はある意味幸運だった。赤穂紫が傍らで震えながら息を潜める事が出来るのも明瞭にこいつらを見ずにいられるからだ。

 

 これが真っ昼間の明るさなら確実に叫んでいた事だろう。彼女は割と箱入り娘なので虫の類に耐性は余りない。

 

『……もう良いぞ。これだけの距離ならば多少の音は聴こえまい』

 

 耳元で音の反響を指向させる事で俺にだけ声が聴こえるようにした老人の声がする。俺は視線だけでその声に頷くと震える少女の肩に触れる。

 

「紫様、奴らはもう遠くに行きました。進みましょう。こんな所にいてはまた遭遇します」

「わ、分かりました………」

 

 俺がそう催促すると震える声で紫は頷く。そして……俺の装束の袖を掴む。

 

「……離れ離れになったらいけませんから……ね?」

 

 その物言いに俺は沈黙する。嫌悪感と罪悪感故にである。

 

「だ、駄目……でしょうか?」

 

 俺の沈黙に不安感を覚えたのだろう。説得するような、それでいて媚びるようなその声は余りに哀れに思えた。

 

「…………」

 

 俺は一瞬その声に理由の知れない懐かしさを感じた。同時に彼女がどれだけ恐怖しているのかも感じ取れた。きっとこの場が明るければ彼女のその表情を見る事が出来て一層惨めに見えた事だろう。とは言え、袖を掴まれては進みにくいし、彼女の精神衛生を無下にする訳にもいかない。故に………。

 

「あっ………」

 

 小さく驚くような声が漏れたが気にする事なく俺は彼女の手を握る。そして恭しく答える。

 

「非礼を御許し下さいませ。袖では走りにくく、はぐれやすいものですので」

「………はい」

 

 俺の謝罪に僅かな沈黙が流れ……そしてポツリと認可の言葉がおりた。正直内心ほっとした。彼女がプライドが高く、気難しくても本質的には善良な少女である事は知っていたがこの世界の価値観ではたかが下人が名門退魔士一族のお姫様、それも他所の家の少女の手を掴むのは余り宜しくないのだから。

 

「感謝致します。……それでは行きましょう」

 

 俺はそう謝意を口にした後、隠行術を使いながら再び地下水道を進み始めた。

 

 隠行術は霊術というよりかは技術であり、読んで字の如く隠れて動く技術である。より正確に言えば音のならない走り方や呼吸方法、気配を消したり意識を逸らしたり、あるいは印象に残りにくくする視線や所作、立ち振舞いや出で立ち、臭いや光の反射等の対策方法がそのメインとなる。霊力を必要とする内容もあるにはあるが、最悪それがなくても単純な技術のみでも最低限の隠行は可能だ。イメージが湧かないと思うなら何処ぞのバスケ作品のミスディレクションの超高等レベル版と思えば良い。

 

(霊力を殆ど使わずに済むのは嬉しいな。紫は兎も角俺が霊力なんて使えば直ぐにガス欠だ)

 

 いや、あの妖母の繰り出す軍勢の前ではあっという間に一流の退魔士すら霊力が枯渇しかねない。可能な限り戦闘を回避するのはこの場では最善の策だ。無論、全ての戦闘を回避出来る筈もない。つまり……。

 

「っ……!?紫様、出番です!」

「えっ……は、はい!」

 

 次の瞬間横合いの通路から現れた大型犬並みのサイズの蝙蝠は此方の存在を認識する前に放たれた斬撃で頭が消し飛ばされて絶命する。煉瓦造りの床でピクピクと頭のない身体だけ痙攣させる化物を横目に俺達は足音を消しながらその場から走り去る。微量ではあるが妖の血が周囲に飛び散った以上、臭いが強い地下水道でも安心は出来ない。可能な限り距離を取る必要があった。

 

 正直、危なかった。蝙蝠型ならば音波を使いこの暗闇の中でも此方の存在を直ぐに察知出来た筈だ。出会い頭で遭遇するとなればさっきのように仲間を呼ばれる前に一撃で仕止めるしか手はない。やはり彼女の存在はこの場から逃げ切るのに必要不可欠だな。

 

 その後、十回程出会した妖を紫が一撃の下に斬り殺し、その倍の回数を俺達は爺の索敵を頼りに隠れて誤魔化した。

 

「最初は不安でしたが……思いの外順調に進めていますね?」

 

 幾度かの戦闘、そして順調な脱出の進み具合に紫は少し自信と余裕を取り戻したように嘯く。そこには明らかな驕りの感情が見てとれた。

 

 無論、彼女の言もある意味では嘘ではない。実際ここまで遭遇した化物は小妖、あるいは中妖でも下位に属するものばかり。彼女にとっては脅威とはなり得ないものでしかなかった。だが………。

 

(おい、だからフラグ立てるな)

 

 そういう油断した台詞は典型的な死亡フラグなので口にしないで欲しい。というか実際ゲームだと君油断して殺られるかヤられちゃうからね?

 

「油断は禁物です。まだ先は遠い。それに奥に進む程に妖との遭遇する機会が増えています。御注意を」

「えっ……は、はい………」

 

 俺が諌めるように言葉をかければ少しばつが悪そうな、気まずそうな口調で弱々しく答える紫。多分、この場が明るければ目を泳がせて俯きながら答える表情が見えた事だろう。自身が調子に乗りかけていた事に気付いたらしい。

 

「………」

「………」

 

 それから双方共に言葉を交える事もなく黙々と歩き続ける。ただ手だけは離れ離れにならないように強く握り、耳元では式神越しに爺のナビゲートを受け続ける。そして……俺達は進む先にそれを見つけた。

 

「あの光は……」

 

 通路の奥から見えたその光に真っ先に気付いたのは紫であった。それは提灯の光であった。そしてそれを手にするのは人の形をした影であった。

 

「逃げた案内役でしょうか?それとも以前捜索に入った者達かも知れません。どちらにしろ少し見てきますので貴方はその場で待っていて下さい!」

 

 人を見つけて安堵したような、ぱっと明るい表情を浮かべて人影の下に向かう紫。恐らくは漸く見つけた光に、自分達以外の人間という事で思わずの行動だったのだろう。こんな真っ暗で陰鬱な空間にずっとさ迷えば仕方もない行動ではあった。しかし……。

 

「っ!?駄目だ!あれから今直ぐに離れろ!」

「えっ……?あっ………」

 

 俺は直ぐにそれを静止するよう叫ぶ。俺の荒々しい声に肩を震わせて俺の方を見る紫。そして確認するように再度正面を見る。そして、漸く彼女はその人影の姿をはっきりと確認すると足をすくませて、顔をひきつらせた。

 

 それは最早人間とは言えなかった。全身の表皮が剥けて赤い血が滲んで、部分的に白い骨すら見える男は身体中から飛び出した糸蚯蚓を纏いながら寄生虫が蠢く腐った瞳を見開いてぽつりぽつりと此方に向けて歩いていた。

 

「ひっ……!!?」

「しっ!静かに!!」

 

 叫びそうになった紫の口元を手で押さえて、俺は彼女を引き摺り通路の横道に飛び込む。提灯に騙されそうになるがあれが殆ど視力を失っているのは間違いなかった。故に注意するべきは物音だ。

 

「アっ……あ゙っ……ばっ゙……どご……でグヂ…どご……デグづ!!?」

 

 オ゙ヴエ゙エ゙エ゙エ゙ェ゙ェ゙ェ゙、と最早人の放つ声とは思えぬ音を出しながら男は嘔吐する。赤茶色の吐瀉物と共に吐き出されるのは大量の小さな糸蚯蚓であった。煉瓦の床の上にのたうち回りながらびくびくと動く糸蚯蚓の粘液を纏った表面が提灯の光にテラテラと怪しく輝く。

 

「どご……デグち……ぐらい゙……ざムい…い゙だい…ざむい゙………」

 

 吐き出すだけ吐き出した後、男はふらふらとうわ言を呟きながら通路を進んでいく。全身の穴という穴から体液を垂れ流して、全身の皮膚という皮膚から寄生した糸蚯蚓が飛び出して動き回るのを気にせず、あるいはその思考能力すら失ったのか、ふらふらと、ふらふらと歩み、去っていく………。

 

 どれだけ経っただろうか、足音が遠ざかり、提灯の光も小さくなって漸く俺は彼女の口元から手を離す。

 

「あ、あ、あ、あれ……あれは………!!?」

「あの出で立ちを見るに我々より先にこの地下水道に入った霊力持ちの傭兵でしょう。どうやら妖に寄生されているようです」

 

 あれだけの糸蚯蚓に寄生されていれば唯人ならばとっくに死んでいても可笑しくないが……下手に霊力持ちで体力があったせいかまだ死ねずに地下水道をさ迷っていた……と言うところか。

 

(……残念だがあれではどの道助からないな。止めを刺してやるのが慈悲なんだろうが……リスクは冒せない、か。放置するのが最善か)

 

 腐っても、殆ど死んだも同然だとしても、ギリギリ生きているしかも人の形と人格を残した人間を殺すのは今の赤穂紫には荷が重すぎる。かといって外見が祟り神モドキなあれを俺が始末するなぞそれはそれで危険があった。短槍では接近した瞬間俺に向かって寄生虫共が一斉に飛び出してきかねなかった。

 

 一方、余りに衝撃的過ぎる光景に恐怖が蘇ったのか、気付けばガクブルと俺に抱き付いて震えるおかっぱの少女。

 

「わ、わ、私達も……あの糸蚯蚓の大群に呑み込まれていたら……あ、あんな姿になっていたのでしょうか……!?」

 

 俺に向けて確認するように若干呂律の回らない口調で尋ねる紫。

 

「さて、どうでしょうか。私もそこまで詳しくは分かりません。しかしその可能性は十分にありました」

 

 少なくとも俺はな。君は服を白濁液で溶かされて触手プレイからの産卵プレイさせられるだけだから安心して。……いや、一ミリも安心出来ないけど。

 

「いやっ……あんなのっ……!?いや、いやっ!あんなのになりたくないっ!!いやぁ……!」

「御安心下さい。幸い我々は無事です。そして、この地下水道の出口も決して遠くはありません。これまで通りにすれば紫様は助かります。ですのでどうぞ御安心を」

 

 それは赤子を宥めすかしているようにも思えた。ガクブルと子供のように震える年相応の、いや若干退化したような少女を俺は発狂し、泣き叫ばないように落ち着かせる。

 

『やれやれ、全く困った小娘な事だの。霊力や剣技は悪くはないが、精神が弱すぎる。あの程度の妖相手に錯乱するなぞ……目視した瞬間に精神を汚染する類いの化物でもなかろうにな』

 

 耳元を隠行しながら漂う式神から小さくぼやく老人の声が響く。大の男ですら悲鳴を上げそうなものを心の準備もなく見てしまったたった一三歳の少女相手に余りにも辛辣な評価……とは言えなかった。この老人にしても、ゴリラ姫にしても、あの程度の妖なぞもっと小さい頃に何体も作業的に「駆除」した経験があり、しかもそれは何ら特別な事でもなかったのだから。

 

(退魔士としては性格的に不適合、か。………全くもってその通りだな)

 

 必要ならば下人は無論、村一つ平気で生け贄にして見せるのが退魔士という輩共だ。ましてやあんなもの……というには一般人には刺激は強いが……に怯えていては到底大妖や凶妖とは戦えない。ビジュアルがおぞましいだけの雑魚なぞ普通の退魔士にとってはボーナスステージだ。

 

 赤穂紫は、その点で余りにも真っ当な少女過ぎた。彼女は感覚が余りにも普通の人間過ぎ、故に家族から退魔士として生きる事を反対されたのだ。

 

『余り時間を浪費は出来ん。とっととその娘を落ち着かせて進ませよ』

「師よ、無茶を言わないで下さい。人の感情はそう簡単なものではありません」

 

 若干苛立ちを含んだ翁の言葉に俺は小さく答える。

 

 言霊術なり幻術なり使って無理矢理思考を操るなら兎も角、そうでもなければ錯乱一歩手前の人間を落ち着かせるのは容易ではない。卑の意志を継いでそうな一流の退魔士達には分からぬかも知れないが、唯人の精神は基本的に弱く脆いのだ。そして紫の心は限りなく唯人のそれに近かった。

 

 故に俺は同じ場所に滞在し続ける危険を承知でその場で彼女が落ち着くのを待とうとする。無理に怖がっている少女を引き摺って連れていっても役に立つとは思えなかった。途中で急に発狂されても困るしな。

 

 ………結果的にはそれは悪手であったが。

 

「紫様、大丈夫です。貴女の実力であればあのような有象無象の妖なぞ落ち着いて、冷静に対処すれば何も恐れるべきものはありません」

「で、でも……!!」

「御気持ちは分かります。紫様が妖退治の経験が少ないので不安を感じているのも承知しております。足りない部分は私が誠心誠意お助け致します。ですので紫様もどうぞそのお力で私をお助け下さいませ。協力すればこの程度の場所なぞ………っ!!?」

 

 周辺の警戒に放っていた鼠を象った式神が殺られたのを察知して俺は紫を背後に隠して警戒態勢を取った。

 

「えっ……?な、何ですかっ!?な、何が……!!?」

「静かにっ……!後ろに控えろ!!」

 

 俺の突然の行動に不安に駆られて口走る紫。俺はそんな彼女を強く叱責して黙らせる。そして、耳を澄ます。

 

(何だ?何があった……?糞っ!!式神が何を見たのかすら分からねぇ……!!)

 

 それは余りにも一瞬の事であった。夜目が比較的利く溝鼠の式神と視界を共有していたにもかかわらず、何があったのかすら俺は認識出来なかった。何か音がしたかと思えば視界が真っ黒になり、コンマ数秒後には式神は殺られていた。

 

 仮面と暗闇で紫には分からないだろうが、俺もまた急変した事態に動揺して、恐怖を感じていた。俺だけが知る事であるがこの地下水道に潜むものの正体が分かればさもありなんであろう。

 

『少し待て。此方も索敵を……なんて事じゃ………』

 

 ポツリと紡がれる翁の言葉。それが何なのかほんの数秒後に俺は思い知らされた。

 

『ヴオ゙『ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙!!!!』オ゙オ゙『ギィヤ゙ア゙ア゙ア゙ァ゙『グヴヴゥ゙ゥ゙ゥ゙ゥ゙ゥ゙!!!!』ァ゙『シヤ゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙!!!』ァ゙ァ゙!!!』オ゙オ゙オ゙ォ゙ォ゙ォ゙『ガア゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ォ゙ォ゙ォ゙ォ゙ォ゙!!!!』ォ゙ォ゙!!!!!』

 

 それは幾十、あるいは幾百、いや幾千を超える悲鳴とも怒声ともつかぬ叫び声だった。獣の咆哮だった。無数の声の重なりが突如地下水道の奥底から鳴り響くと、それは通路全体に反響した。

 

 そして……地下通路の奥、視界の遥か向こうから凄まじい速度で溢れ出る影が見えた。

 

 無数の闇の中で輝く瞳は、明確に此方を睨み付けていて、そしてそれは通路を埋めつくしながら濁流となって此方に向かってくる。

 

「……はは、マジかよ」

 

 殆ど精神がへし折れそうな光景を見た俺は、一言そう呟くと即座に腹を括り、短槍を構えていた………。

 

 

 

 

「ベイビー大洪水」………ファンの間でそう称されるのが『妖母』の可愛いベイビーズの物量の暴力である。ゲーム内では特に地下水道クエストでの最早前に出るどころか逃げる事すら許されない連続戦闘の事を指し、挿入ムービーや外伝小説、漫画では文字通り濁流となって画面やコマ、あるいはページを覆い尽くす妖達の姿ないし咆哮として表現される。イメージがつかないなら機械に支配される某仮想現実世界な映画三作目の人類最後の都市防衛戦でも想像すれば良い。

 

 何にせよ、この妖共の濁流はファンの間ではほぼほぼ諦めるしかない確殺イベント扱いされている。其ほどまでに理不尽で、終わりの見えない程の物量を叩きつけられる事になるからだ。

 

 しかしながら、これはゲームではない。ならば地下水道に限れば希望が僅かであれない訳ではなかった。つまり………。

 

「紫様ぁ!!」

「ひっ!?は、はいっ!!」

 

 俺の叫び声に反応した紫が次の瞬間顔を歪めながら斬撃を放つ。空を切る音と共に衝撃波が妖の濁流に叩きつけられ先頭にいた数十体の妖共が肉片と化す。しかし………。

 

「だ、駄目です!!勢いが止まりません……!!」

「いいから撃ち続けろ!!!」

 

 そういって俺は懐からそれを取り出す。正直使いたくはなかったが……!!

 

「背に腹はかえられない、か!!」

 

 そして俺は懐から今回のクエストのために用意した次の道具を取り出した。

 

 妖の肉から絞り出した油脂に硝酸と塩酸を混ぜて調合して作ったニトログリセリンモドキ、それを綿に染み込ませて竹筒の中に石礫を混ぜて作ったダイナマイトは、ぶっちゃけると俺のオリジナルアイデアではなく、輸入された西方帝国刊行の書物を基にした爺の研究成果でゲーム内でも少しだけ触れられている代物だ。暴発しやすいので使い物にならない欠陥品の薬品とされたのを俺が引き受けて即席の武器とした。尤もそれすら技術チート系二次創作のアイデアのパクリだったりするが……正直本当に暴発しないか懐に入れている間戦々恐々としていたのは秘密だ。

 

 投擲すると同時に霊力で加熱されたダイナマイト内部のニトログリセリンは此方の想定通りに黒色火薬ではなし得ない程の大爆発を起こす。腹に来る爆発音……。

 

『グオォォォ!!?』

 

 その衝撃の余り地下水道の天井が一部崩落して何体かの妖が押し潰される。更に俺はそこに追加で閃光玉を投げ込み化物の大群を目潰しして一瞬足を止めさせる。

 

「紫様!足だけを狙って下さい!」

「わ、分かりました……!?」

 

 俺の要請に従い、紫が斬撃を放つ。それは先程までのそれとは違い敵を細切れにして確殺するものではなく、四肢を切り落とすものであり、足を止めて切り捨てられた妖の大半は尚も生きていた。そして、生きながら背後の妖達に踏みつけられる。同胞を平然と押し潰して俺達に襲いかかろうとする化物共。

 

「ちぃ!足りないか!?ならもう一発……!!」

 

 ダイナマイトモドキを追加で投擲。妖ではなく地下水道の天井を狙う。身体強化によって全力で投げつけられた竹筒は天井に衝突すると共に内部のニトログリセリンが反応、爆発と共に生じる衝撃と破片が仲間を踏みつけ乗り越えようとしていた化物共を上部から襲い急所たる頭蓋や首、背骨を襲い、更に崩れた煉瓦と土がのし掛かる。その上を更に踏みつけようとした妖達も即座に少女の持つ刀によって切り裂かれてその機動力を喪失した。

 

「こんなものか!?紫様、逃げましょう……!!もう十分です!!」

 

 良い具合に妖共の動きが止まったのを見て俺は叫ぶ。地下水道は其ほど大きい訳ではない。人間ならば兎も角妖が大群を以て進めば隙間なぞない。

 

 故に一度その突進の足を止めて先頭の奴らを切り殺し、爆殺し、何なら自身も巻き添えを食らう覚悟を決めて天井を軽く崩落させてしまう事で通路を詰まらせれば一時的であれ化物の濁流を止める事も不可能ではなかった。無論、所詮は時間稼ぎに過ぎなくはないが。しかし、今の状況では一分一秒すら砂金のように貴重であった。

 

『真っ直ぐ走れ!そして儂が合図をしたら右に抜けるのじゃ!!正面からも来るぞ……!!』

「笑えねぇな……!!」

 

 俺は紫の腕を乱暴に引っ張り駆ける。耳を澄ませば正面から無数の異形の鳴き声が向かってきていた。同時に、背後からも同じくおぞましい音が接近する。くっ、もう突破されたか……!!

 

「は、背後から来ています……!!」

「知っている!俺が合図したら斬撃を……!!」

『今じゃ!右に!!』

 

 目と鼻の先までしか見えぬ闇の中、その合図に従い俺は一気に右に飛び込む。幸運にもタイミングは合っていたらしい。壁に正面衝突して鼻が折れずに済んだ。

 

「今だ!斬撃を、撃てるだけ撃て!!」

 

 紫は口ではなく、行動で俺の声に応えた。次の瞬間に鳴り響く空を切り裂く音は計十度。背後と正面双方から殆ど衝突するように合流した怪異の群れは仲間同士を踏み潰しながら横路に潜り込もうと密集した所で数十体単位で肉片と化した。しかも大柄の個体も幾体か含まれていたらしく、死骸が邪魔して後続の妖共はそれを乗り越えるのに手間取っていた。

 

「よし、上手くいった!これで………」

『余所見をするな!横道から来るぞっ……!!』

 

 耳元で叫ばれるその言葉に反応して正面を向いた時にはもう遅かった。地下水道の横道から現れるのは巨大な女郎蜘蛛だった。それに反応しようと身構えるが次の瞬間には白い糸が俺の視界を埋め尽くす。

 

「下人……!?」

 

 紫の絶望に満ちた悲鳴が上がる。俺は彼女に今すぐこの場から逃げるように叫ぼうとした刹那、首元に刺すような感覚を感じ取り、急速に全身が痺れ、意識が遠退いていくのを感じた。恐らくは神経毒であった。

 

「がっ……!?くっ……ぞ…………」

 

 そのまま煉瓦の床に倒れ伏す俺が、その意識を失う直前に目撃したのは、無数の妖に囲まれる中、恐怖に涙を浮かべた少女が此方にすがるように駆け寄って来る姿であった………。

 

 



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第二八話

 扶桑国が都の内京……内裏を囲むように建つ公家や大名、豪商に退魔士一族の広く豪奢な屋敷は同時に有事の際に内裏を守る出城としての役割も担う。

 

 内京の中でも西京寄りのとある武家屋敷を一人の青年がぐるぐると歩き回っていた。線が細く、色白の端正な美青年……彼は屋敷中を見回り、そして遂に観念したようにある部屋の前に立ち止まると、障子越しに一言声をかける。

 

「紫、ここにいるのか?返事をしろ」

 

 平坦で感情の余り窺えない口調で青年は障子の向こう側にいるかも知れない人物に声をかける。しかし………。

 

「……開けるぞ?構わないな?」

 

 百数えても尚返事一つすらなく、遂に青年はそう申し出る。十数え、これまた返事がないために、仕方無しに青年は障子を開けた。

 

 予想とは違い、呪術の一つも、結界の一つもなく、青年は簡単に部屋に足を踏み入れる事に成功した。年頃の退魔士の家の娘ならば自室に家族とは言え男が無断で入ってくるのを嫌がり大なり小なりの罠を仕掛けているものであるのだが………どうやら部屋の主はそんな事を考えるような性格ではないらしい。

 

 青年はくるくると首を回して室内を確認する。畳の床の部屋は中央の壁掛けを境に左右で全く趣を異にしていた。

 

 壁掛けから東側を見ればそこにあったのは飾られた刀剣に幾重にも呪術をかけた甲冑の類が飾られ、囲碁や将棋の台が置かれ、本棚には兵法書や妖に関する各種の伝承や知識について記された書籍がみっちりと詰まっていた。典型的な武具を主武装とする退魔士の自室らしい様相である。

 

 しかし、青年が反対側に視線を向けると、そこには東側とは全く趣向が異なる世界が広がる。

 

 御簾が中央にあって、その背後にあるのは美麗な屏風だった。壁には鮮やかな十二単が飾られていて、大きな鏡台に高価な衣装を納めた漆塗りに金箔押しの唐櫃に調度品を納めておくための二階厨子の上には火取り香炉に唐櫛笥、泔坏が設けられている。そして、それら全てに埃が被っていた。

 

「…………」

 

 沈黙の内に、青年は屋敷を見回り、部屋を一瞥してこれまで集めた情報から事態を推測する。彼女につけた女中や下人はいない。そして馬も一頭いなくなっていて、何よりも彼女に授けた妖刀も何処を見ても見つからない。となれば考えうる可能性は彼女が外出したという事であるが……故に事態は奇妙であった。

 

 牛車でも馬車でもなく、馬という事が問題だ。つまりは何処ぞの屋敷が訪問先という訳ではないのだろう。ましてや家族に一言も言わずにとは明らかに何時もとは様子が異なる。

 

「……地図と振り子を用意しろ」

「はっ」

 

 青年の命に傍らに控える雑人の一人が礼と共に応じる。直ぐ様青年の手元に都全体を示した地図と振り子が用意される。

 

 広い庭先でそれは行われた。彼女に由来する触媒は幾らでもあった。これが父や長男であれば、あるいは後二、三歳年があれば可能な限り彼女の自由意思を尊重して、いちいち監視するような無用な詮索なぞしなかったであろう。しかしながら未だに彼女は一三歳、そして兄弟の中でも比較的過保護な四男であり、何よりついこの前他所様の屋敷で彼女が問題を起こしたばかりともなれば話が違って来る。故に青年は人探しの術を用いて、そしてある意味ではその判断は「正解」であった。

 

 吊り下げられた振り子は触媒に繋がる「縁」を通じて彼女が何処にいるのかを指し示す。だが………。

 

「何………?」

 

 垂らされた振り子の先が奇妙な場所を指し示した。導き出された答えに青年はその端正な顔を僅かにしかめさせ、その瞳を疑念と不審とに細める。そして、暫し熟考した後、漸く決断した。

 

「動かせる家人と下人を集めろ。仕事着でだ。杞憂かも知れんが……念は入れておいた方が良かろう」

 

 そして踵を返す青年は自身の部屋に足を進める。

 

「私も出る、支度の準備を。本日の予定は全て取り消せ。女中、湯漬けで良い。出立前の腹拵えだ、用意しろ」

 

 そう、周囲の者らに命令する青年。その表情は一見何の変わりも無さそうに見えたが、見る者が見れば焦燥している事が見てとれた。そして………。

 

『………』

 

 庭先でそんな屋敷の様子を一枚の式が観察していた………。

 

 

 

 

 

 

 

 神経毒の効果が薄れ、漸く俺が意識を取り戻した時、最初に目にしたのは瞳であった。文字通り目と鼻の先で此方をじっと見つめる鮮やかで、しかし何処か恐ろしい雰囲気を醸し出す瞳……。

 

「っ………!?」

 

 悲鳴を上げなかった自分を称賛しても良い。其ほどまでの恐怖であった。当然だろう、訳が分からぬままに意識を失い、次いで目覚めていきなり目にするのが此方を至近で凝視する、深淵を見つめるような翡翠色の瞳なのだから。しかも、その瞳は明確に狂気の色が垣間見えていた。

 

「あら、起きましたか?それは良かったわぁ。何時までも目覚めないものだからどうしようかと困り果てていたの。人間の皆さんって脆いのが多いでしょう?坊や達が手加減し間違えたのかと思って心配していたのよ?」

 

 此方が目覚めたのに気付いて、一旦顔を離して女はにこにこと笑みを浮かべて宣う。優しそうで、一目見るだけで本能的に母性を感じさせる魅力的で包容力に富んだ美貌を纏った女。

 

 長い髪を垂らしてその上半身に一糸も纏わぬその姿は一見扇情的で背徳的でありながら、同時に神々しさも感じさせた。しかし、その下半身を見ればそんな印象もまた一変する。

 

 ……それは巨大な肉の塊だった。肉饅頭のような肥大な肉の塊……そこからは出鱈目のように様々な生物を模した手足が生えていた。おぞましさを感じさせるその醜い姿は白く線の細い上半身との対照性も相まって一層グロテスクに思える。

 

(ここ、は……?)

 

 俺は目の前に鎮座する化物に気圧され混乱する思考で、それでも周囲を見渡して、いや視覚だけでなく五感の全てを総動員して必死に状況の把握に努める。

 

 薄暗い部屋は湿気ていて、何よりも異臭が酷かった。生塵と腐った水を混ぜたような生臭く、強烈な臭いは地下水道に廃棄された汚水だけが原因とは思えない。

 

 いや、それ以上に異常なのは地下水道そのものの姿だ。壁中にぬめぬめとした何かが貼り付いていた。そして無数の卵が産み付けられていた。床だけではない、壁や天井にも、何百、あるいは何千か、心臓のように鼓動するそれ自体が生物のようなものから鳥類や爬虫類のような殻の卵に、あるいは虫のそれのようなもの、汚水溜まりの中には蛙の卵のようなものが無数に浮かんでいた。見るだけで鳥肌ものの凄まじいビジュアルだ。

 

「ここは…まさか………」

「ふふふ、ここはですね?子育ての御部屋なのですよ。ここで可愛い坊や達を産んで、大切に育てあげているの」

 

 殆ど独り言のような呟きに対して低く、何処までも優しい口調で女の姿をした人外の化物は答えた。その言葉を聞く前に既に予測はしていたが……やはり女は人間ではないようだった。いや、その外見を俺は見た事がある。恐らくこいつは………。

 

「ひぃぃぃぃ!?た、助けてくれ!!?誰か!!助けてくれぇぇぇ!!」

 

 その悲鳴に俺は視線を動かす。壁の一角、気味の悪い肉が貼り付いたそこで一人の男が叫んでいた。あれは……。

 

(あの野郎、生きていたのか)

 

 糸蚯蚓共の群れに襲われた時に俺達を見捨てて逃げた案内役だった。三人の中で一番痩せていて卑屈そうな男は肉の中に身体を半分埋められていて、拘束されていた。ざまぁ見ろ。

 

(そしてあれは………)

 

 視線を動かしてそれを発見する。喚き散らす案内役から少し離れた場所、そこには赤穂紫が同じように拘束されていた。此方もどうやら五体満足な姿のようだが、意識を失っているようでぐったりとしていた。

 

「ぐっ……糞、俺もか……!?」

 

 そして今更のように俺も肉のような粘性の物質で拘束されている事に気付く。どうにか右手は動くが……それ以外は今すぐ動かすには難しそうだ。

 

(いや、問題はこの拘束から抜け出せた後、か………!)

 

 そうだ。仮にこの拘束を抜け出せた所でどうすれば良い?目の前の『妖母』を殺す事は限りなく困難であり、奴の餓鬼共がどれだけの数なのかは今更言うまでもない。今現在、周囲を見ても精々いるのは卵を世話する蟻のような小妖ばかりが数十体程度だが……目の前の化物が一声呟けば何処からともなく膨大な数の怪異共が雪崩となって押し寄せて来るだろう。

 

(糞が。こんな所で詰むつもりはねぇぞ!?どうする?どうすれば良い……!?)

 

 必死に頭を回して、俺は翁の式神の存在に思い至る。そうだ、あの翁ならば目の前の化物の存在に気付いて指を咥えて放置なんて事はない筈だ。もしかしたら既にある程度情報収集もしているかも知れない。まずは翁と式神を通じて連絡を………。

 

「あら?もしかして貴方が探しているのはそれかしら?」

 

 俺が何か探しているのに気付いたのか、嫌みでも嫌がらせでもなく、本当に尋ねるように『妖母』はそれを指し示す。足下に視線を向ければそこにあったのは………切り裂かれた幾枚かの紙切れだった。

 

「何か隠れていると思って捕まえたら暴れてしまいましてね?つい押さえようとしたらそのまま破れちゃったの。……御免なさいね?もしかして貴方にとって大事なものだったかしら?」

 

 心底心配そうにそう質問する化物に、俺は事態の深刻さの余りに笑ってしまいそうになった。ははっ……糞、最悪だな。こりゃぁ、碧鬼辺りがストーキングに使っていた他の式神もやられているな。他の分は誰が寄越したのかは知らんが、この際はどうでも良い事だ。というよりも気にするような余裕なぞない。

 

(これは……かなり不味い、かな?)

 

 詰んだ……完全には詰んでいないだろうが、限りなく詰んだ。この時点で俺はその事実に気付いてしまった。どうやっても逃れきれない『死』という運命が立ちはだかり、俺は目眩すら覚える。あぁ、糞!待て、落ち着け……そうだ、諦めるな、自棄になるな。落ち着け、そうだ、落ち着け、策はある筈だ………!!

 

「んっ……こ、ここ……はっ……?ひっ!!?」

 

 そんな時だった。先程まで意識を失っていた赤穂紫もまた目を覚まし、同時に事態を把握して悲鳴を上げる。右左と首を動かして、俺の姿を見つけると一瞬安堵したような表情を浮かべ、しかし直ぐに絶望したように顔を青くさせる。

 

「こ、これは……一体……!?い、嫌っ……た、助けて……!!嫌っ……!!?」

「落ちついて下さい紫様、ここで騒いでも意味はありません。まずは深呼吸して精神を平静に保って下さい」

 

 未だに悲鳴を上げて助けを求める案内役を一瞥して、俺は平静を装いながら紫に助言する。ぶっちゃけると俺自身発狂しそうではあるが……皮肉な事に紫や案内役がパニックになっているお陰で逆に冷静になれた。

 

「うふふ、大丈夫ですよ?子供の大声は元気な証ですもの。喜ぶ事はあれ、それを疎む事なんてありません。貴方も、あの子達みたいに元気で大きな声で鳴いてくれても良いのですよ?」

 

 そんな俺を見ながらニコニコと化物は口を開く。あからさまに善意から来たであろう『妖母』の言葉に俺は無理に笑みを浮かべて答える。

 

「それは生きの良い獲物だと分かるからか?あんたは何者だ?まぁ、都の地下をこんな模様替えしている輩な時点で碌な奴では無さそうだが……?」

 

 時間稼ぎに俺は質問した。残念ながらこの絶望的過ぎる状況の打開策が思い付かなかった。取り敢えずは一分一秒でも食い殺されるまでの時間の引き延ばしをする事だけが俺に出来る唯一にして最善の道であった。

 

「ふふふ、そう焦って沢山質問しなくてもちゃーんと答えてあげますからね?慌てない慌てない」

 

 挑発と探りの意味を込めて若干敵対的な物言いでの質問に、しかし案の定化物は一切怒っていなかった。それどころか複数の質問を口にした俺を元気な子供扱いする。

 

「……そうですね、やっぱり母親としては子供の元気な姿が一番ですからね。その意味では彼方の御二人方はとても元気が良くて、私としてはとても嬉しいものです。それに比べて貴方は……少し静か過ぎて困りましたが、ちゃんとお話が出来る程には元気があるようで安心しましたよ?」

 

 心底嬉しそうにそう宣う化物。そりゃあ結構な事で、気狂いめ!!

 

「さて、次の質問でしたか?えーと……あぁ、私が誰かでしたね?見ての通り、私は貴方達の母親ですよ?」

 

 おう、意味分かんねぇ。いや、分かるには分かるが相変わらず思考回路可笑しいわ。

 

「母親?悪いが俺はあんたの股の間から出てきた覚えがなければ養子縁組みした覚えもねぇよ。良い歳して足腰が痛くなってるから老後の世話役が欲しいのは分かるが、流石に母親詐欺は引くぜ……?」

「そうは言いましても、事実ですもの。私は貴方も、そこの御二人に対しても母親として心の底から愛しておりますよ?生きとし生けるものは全て、私が愛情を注ぐべき存在ですもの。……それに、貴方の心配なら問題ありませんわ。ちゃーんと私が御腹を痛めてでも『産み直して』あげますからね?」

「……はっ、そりゃあどうも」

 

 まるで此方を安心させるかのような斜め上の物言いだった。此方の罵倒も挑発も目の前の化物はそもそも認識すらしていないようで、文字通り此方の言葉を額面通りにだけ解釈して答える。俺は冷笑しながらそう吐き捨てるしかなく、それすら「どう致しまして」とにこやかに返される。流石元「地母神」である。何処までも懐が深い。話になりやしねぇ。

 

「さて、最後に何故この地下水道を子供部屋に模様替えしているのか、でしたか?そうですね。空ちゃんから余り話し過ぎないように昔から言われていましたが……まぁ、これから新しい「家族」になりますからね。それくらいは良いでしょう。……あら、調度良い時に孵りそうですね。ほらあれをご覧なさいな?」

 

 そうにっこりと指差す先には一つの肉袋があった。ドクンドクンと鼓動する黄色と赤黒の混ぜたような形容し難い色彩の醜い肉の塊……その中には何かが蠢いていて、その鼓動は次第に激しくなる。そして……。

 

『シャアアァァァァァァ!!!!』

 

 気味の悪い肉袋を膜のように引き裂いて現れたのは醜悪な怪物だった。全身粘液にまみれたそれは爬虫類のようにも、あるいは骨の浮き出た人間のようにも見えた。後方に膨らんだ頭蓋を持ち、窪んだ大きな目玉に出鱈目に生えた鋭い牙、手足は異様に長くその先端からは恐竜のような爪が生え、蛇のような尻尾がうねる。

 

(……これはこれは、実に可愛い赤ちゃんな事で)

 

 生臭い臭いを全身に纏わせたおぞましい化物はその何を考えているかも分からぬ目玉で此方を見つけると猿のような俊敏さで此方へと駆け寄って来る。俺は無論、紫も案内役もそれに対して恐怖から何も言えずただ黙ってその行動を凝視する事しか出来ない。

 

『グルルルルルル………!!』

 

 俺の目の前に立つ化物は珍物でも見るように首を傾げながら此方を覗く。鳴き声を鳴らす口はネバネバとした糸を引いていて、腐った魚のような強烈な臭いに吐き気を催す。赤黒く、太く、長い舌がだらりと出てきて俺の頬を一撫でした。思わず鳥肌が立つ。目を逸らしたくなる。

 

 そして、暫く此方を窺っていた化物は何かを決めたように俺の目の前で顎が外れたのかと思える程口を大きく開いて………。

 

「あらあら、駄目よ坊や。その子は食べちゃ駄目ですからね?」

 

 傍らに現れる『妖母』の優しげな声に生まれたてベイビーは振り向く。そして粘液滴る身体でとぼとぼと声の主の下まで歩み出して、その目の前で犬のように四つん這いとなって尻尾をフリフリと振るう。

 

「よしよし、言う事聞けて偉いですね。坊やの御飯なら彼処にありますからね?」

 

 撫で撫で、と粘液まみれの化物の頭を撫でてから、『妖母』はその方向を指差す。その先にあったのは山のように吊るされた何かの肉だった。精肉工場のようにも思える餌場……骨の形からしてその肉の正体はただの動物だけではないのは明らかだった。

 

 犬のように駆け出して骨付き肉の山に飛び込みボリボリとおぞましい音と共に御飯タイムに入ったベイビー。その音に俺も紫も、思わず顔をしかめる。

 

「御免なさいね?産まれたてだからお腹が減っていたみたい。前も似たような事がありましてね?その時は折角産み直してあげようとした子達を坊や達が食べちゃって大変だったの。殆どが死にかけてて慌てて食べてあげないといけなくてね。……今回は目を離さずにいて良かったわぁ」

 

 ぱぁ、とした笑顔でおぞましさしかない内容を悠々と語る化物。どっち道食われる方からすれば碌でもねぇ話だ。

 

 ……そういや、漫画版だと中途半端にベイビー達のランチタイムを止めたせいで内臓ぶちまけて苦しみながら産み直しの順番待ちをさせられた退魔士の描写とか追加されてたなぁ。あの美麗絵でオリグロシーン追加とかやっぱりこのゲームの関係者頭可笑しいわ。

 

「………一応尋ねるが、ありゃあ元人間か?」

 

 恐る恐ると、そして半ば確信を持って俺は尋ねる。

 

「ええ、その通りですよ?随分と元気な子でしょう?ふふふ、最近人間の皆さんが沢山来てくださりましてね?これからもっと沢山坊や達が生まれてくれますの。きっとこの御部屋ももっと賑やかになるでしょうね」

 

 楽しみだわぁ、とわくわくとした表情を浮かべる『妖母』。それは結構な事で。

 

(素材は先日失踪した調査隊の傭兵、といった所か……見たところ中妖クラスって所か?)

 

『妖母』の産み直し……つまり他の生物を摂食して妖として再誕させる能力は素材によってその出来も変わる。素材が低級であったり、少なければ下等な……つまり昆虫や魚類、爬虫類のような卵として産卵するし、素材が上質であったり、多数を複合した場合はより大きな肉袋状の卵だったり、胎生で直接出産したりする……らしい。少なくとも設定集ではそう説明されていた。場合によっては人間だった頃の記憶すら個人差があるが受け継ぐようで、紫の場合は素材が上質なお陰でバッドエンドの一つでは胎生出産の上、ほぼ完全に記憶を引き継ぎ、最後は鬱々しいシチュエーションで家族にぶっ殺される事になる。

 

(となれば……成る程、流石にまだ人間を素材にした餓鬼共は少ないか)

 

 部屋を見るにまだ肉袋系の卵は少なかった。精々二、三十といった所か。何百あるいは何千という卵の殆どは虫や魚のそれに似ていた。地下水道で得られる素材なぞ程度が知れているのでまぁ、こんな所だろうな。

 

 その点だけで言えば原作のゲームより状況は遥かにマシだ。原作ゲームのクエストが受けられるのは恐らく今から見て三年程後、地下水道や外街、周囲の村で失踪事件が相次いで、水道管理を委託されていた商家や公家達が事態を秘密裏に処理出来なくなり、なりふり構わなくなった時点である。

 

 ……因みに主人公が都に来て直ぐにクエストとして選べるって事はそれだけハードルが低くて他のモグリの退魔士や傭兵も沢山受けているって事であり、何時まで経ってもクエストが残り続けるという事はメタ的視点で考えるとつまりは……そういう事だ。

 

(そういえば一部の考察組では敢えて捨て駒を突っ込ませているなんて説なんかもあったな)

 

 一代二代しか歴史のないモグリの霊力持ちと何百年も続く退魔士一族とでは実力は隔絶しているし、同時に死亡時の損失も比較にならない。流石に朝廷も地下にヤバい何かが潜んでいるのはクエストが解放されている時点で勘づいていただろう。その上で地下がどうなっているか分からない段階で一線級の実力を持つ貴重な正規退魔士の不用意な喪失を避けるためにモグリ共を突っ込ませて情報収集しているなんて分析もあった。まぁそのルートでは、最終的に対策を完成させる前に時間切れでベイビーズの御披露目会が開催される訳だけど。

 

「………ははは。本当、碌でもねぇな」

 

 小さく俺は独り言のように呟いた。それはこの状況についてか、目の前の化物についてか、それともこの世界そのものについてか、俺自身にも分からなかった。

 

 そして、そんな俺に対して堕ちた神族は何を思っているのか、慈愛に満ちた瞳を細めさせる。

 

「……可哀想に。まるで捨てられた子犬のようね」

「はぁ?」

 

 唐突な、そして何処までも憐れむようなその言葉に俺は思わずそう口にした。目の前のイカれた化物の発言に俺は困惑する。

 

「ふふふ、私は皆さんの母親ですからね。子供達の事なら何でも分かりますよ?そうこれは………本当に可哀想な坊やな事」

 

 此方を覗くように見つめる『妖母』。その瞳は拘束された俺の顔を映し出していて、その瞳の中に映る俺の眼は化物の姿を映し出していた………。

 

「私も、色々な子らを見てきましたわ。本当に色んな子らがおりました。命はいつだって一つに対して一つきりのものですが、人間達は特に一人一人違っていて本当に成長を見ていて楽しいものです」

 

 ちらり、と拘束されている紫と案内役を一瞥する『妖母』。ずっと前から半狂乱になって喚いている案内役は兎も角、紫は俺達の方を見て不安と恐怖に怯えていた。

 

「ですがこれは………中々興味深い魂ですね?」

 

 再度此方に視線を戻して、女はまるで魂を見透かすかのように見つめて、嘯く。いや、まるでなんてものではない。これは………。

 

「本当、可哀想に。辛いでしょうね?苦しいでしょうね?当然ですもの。貴方は無知ではないのですから」

 

 その言葉は妙に俺の耳に反響し、溶けいるように響いていた。明らかにそれは普通の言葉ではなかった。耳をふさぐべきだった。だが………意識は殆ど無理矢理に化物の言葉に向けられていた。抗えない。無視出来ない。

 

「確かに貴方のような苦難を辿った者も、貴方よりも悲惨な境遇を歩んだ者だって幾らでもいますでしょう。けれど、本当に絶望するのは幸福も充足も知りながら絶望の淵にある事、そうでしょう?」

 

 死が満ちている世界では人間は生に固執しないだろう。理不尽と差別が横行している世界で人は自らの不当な扱いに怒る事はないだろう。飢えの苦しみがありふれている世界で人は美食を望まないだろう。

 

 当然だ。知らないからだ。安全な世界も、平等な世界も、飽食の世界も知らなければ、現状だけしか知らなければそのような羨望も概念も思い至らず、あるがままに世界を受け入れるしかない。少なくともそのような苦しみにある者達は、同時に学もなく、尚更そのような発想に思い至るのは困難で、少数であろう。

 

「だからこそ、何よりも不幸なのは満ち足りる事を知っている事。幸福が何かを知りつつ、それが永遠に得られない事を知っている事。自身がどれだけ希望も救いもないかという事を知っている事。……そうでしょう?」

 

『母』は真理を語る。知恵があるが故に、人は苦しむ。最底辺の無知蒙昧な貧民はある意味ではまだ幸福だ。今生の苦しみも来世へ、あるいは極楽への期待から耐えられる。それが仮令現実逃避の手段としても、何らの根拠のない空虚な妄言であったとしても、今目の前の無間地獄のような現実から心を守り、支える事が出来るならまだ幸福だ。ではそれすらない者は?

 

「あっ……う……お、お前……何、を言って……いや、何を知って………?」

「本当に可哀想な子。逃げる事も、目を逸らす事も、逃避する事も出来ないなんて、その上誰にも理解される事もなく、孤独に生きるしか出来ないなんて、どうして貴方の生きる道はそこまで残酷で哀れなのでしょうね?」

 

 染み渡るような『母』の言葉には何処までも深い慈愛と憐憫と、同情の感情が含まれていた。それは明確に思いやりと優しさがあり、聞く者に強制的に安堵を感じさせ、同時にその心を激しく揺さぶらせ、俺の長年蓋をしてきた感情の濁流を無理矢理抉じ開け、決壊させようとしていた。

 

「よしよし、良くこれまで頑張りましたね?もう良いのですよ?もう頑張らなくても、苦しまなくても良いのですよ?」 

 

 それをされてから俺は初めて気づいた。いつの間にか目の前にいた『母』が、俺を優しく抱き締めていた事に。装着していた面は床に捨てられ、柔らかな胸元に抱擁されて、その頭は赤子をあやすように撫でられていた事に。全て気付いた時にはそうなっていた。いつからそうなっていたのか、全く分からなかった。理性が溶けて、激しい感情の渦が溢れそうになっていた。

 

「あっ……ぐっ………?」

 

 目元が潤み、嗚咽が漏れそうになるのを必死に押し止める。もしそうなればもう戻れない事を本能的に気付いていたから。

 

「ふふふ、我慢しなくても良いのですよ?甘えても良いのですよ?泣いても良いのですよ?感情に従うのは生き物として当然の、自然そのものの行動なのですから。そして『母親』として、私がどうして子供が甘えてすがり付くのを拒絶しましょうか?」

 

 何処までも優しくて、弱さを肯定してくれる『母』の言葉が頭の中に鳴り響いていた。温かく、優しい微睡みが俺の思考を塗り潰していく。全ての思考を放棄して、全ての現実から目を逸らして、赤子のように、ただただ『母』の胸の内に甘えたくなる。目元から安堵と悲しみから涙が溢れ出てくる。

 

「あ……うぅぅ………ぐっ…………!?」

「はいはい、大丈夫ですよ?もう大丈夫。もう何も心配しなくても良いですよ?『母』はここにおりますから、ね?」

 

 何処までも甘く、甘美な誘惑に俺は次第に赤子のように目蓋を閉じていく。その光景に震えながらも何かに気付いた紫が此方に向けて何か叫ぶが……既に脳はその言葉を聞く事も、理解する事も拒否していた。疲れていたのだ。何もかも。ただ、ただひたすらに楽になりたかった。

 

(あぁ、このまま眠ったら楽なんだろうな…………)

 

 もう何も深く考えなくても良くて、ただただひたすらに動物のように本能に忠実に、欲求に忠実に、感情に忠実に生きていければどれだけ楽なのだろうか?それはまさしく妖の在り方であり、そしてこのまま『母』に全てを委ねればそれは叶う筈だった。それは何処までも魅力的な運命であるように思われた。だから……だから………だから……………。

 

「さぁ、いらっしゃい。■■、貴方も今日から私達の『家族』ですよ?」

「か……ぞ…く…………?」

「そうです。貴方も坊やの一つとして、私達『家族』の一員となるのです。何も孤独ではありませんよ?何も恐れる事はありません」

 

 そうだ。そうすればもう孤独ではない。もう辛くもない。皆で群れて、集まり、食らい、生きれば良い。それだけで良い。そうすれば悩む事もなく、幸福で、気楽で………。

 

(いやまて、なにか……わすれているような………なんだっけ………?)

 

『母』の胸に抱かれ、穏やかな気持ちになりつつも俺は何かが引っ掛かった。そうだ、何か可笑しい。決定的に何かが可笑しかった。家族?俺の家族はこんな奴らだったか?俺の家族は……俺の家族はこんな奴らじゃなくて、こんな奴らなんかじゃなくて…………………。

 

『にーちゃん!』

 

 ………脳裏に、両親や弟達と手を繋ぎ、にひひっ、と屈託のない笑みを浮かべてそう叫ぶ少女の姿が過ぎ去った。それは何処までも懐かしくて、何処までも恋しくて、そしてもう二度と会えなくて、だけれども確かに存在していて………!!

 

(そうだ、俺の家族は……俺の家族は…………!!!!)

 

 

 

 

「ふざけるな…………っ!」

 

 その小さな呟きと共にグサリ、と何かを突き刺した音が地下室に響き渡った。

 

 巣の中にいた妖共は誰もがその動きを止めて、それを見ていた。何かを必死に叫んでいた赤穂紫はそれを止めて唖然とした表情でその光景を凝視していた。案内役だけが何があったのか良く分からず周囲を見渡していた。

 

「あ、あら……?」

 

 人の姿を型どった化物は自身の胸元に走る痛みに困惑しつつ抱き締めていた腕を開く。胸元に突き刺さっていたのは短刀だった。幾重にも呪いを重ねがけされた鮮やかな桜の紋様が刻まれた金箔と漆の柄の短刀………それは懐に抱いていた人間の手の中に握られていた。

 

「ど、どうして……?」

 

 怒りではなく、困惑と悲しみをもって呟くように尋ねた。それに答えるように、先程まで胸に抱き締めていた人間はその顔をゆっくりと上げた。そして、口を開いた。

 

「ふざけるなっ!!俺のっ……俺の家族の記憶を塗り潰そうとするんじゃねぇぞ!!人の家族を奪うなっ………!!」

 

 涙に顔を濡らして、震える声で、しかし明確な殺意と憎悪と怒りを込めて青年は叫んだ。そして……胸元に突き刺した短刀を無理矢理に引き抜く。白い肌から吹き出す赤い血漿が青年の顔を濡らす。そして………。

 

「坊や……?一体何を………」

「母親面するな、化物がっ………!!」

 

 何も聞くつもりはなかった。次の瞬間、青年によって振り下ろされた鋭い短刀の刃は、確かに堕ちた地母神の左目を突き刺していた………。



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第二九話●

貫咲賢希さんから赤穂紫のイラストを頂きました
https://www.pixiv.net/artworks/85540657

うーん、この正統派ツンデレヒロインの風格……きっと原作のゲームでも大人気攻略キャラだったんやろうなぁ(フラグ)


 化物の顔面に短刀を突き刺したと同時に俺の意識は完全に覚醒した。その妖術に当てられた影響か、それとも記憶が混乱しているせいか、強い眩暈と吐き気を感じつつも正気を取り戻した俺は、そのまま短刀を掴む腕に更なる力を込める。

 

「ちぃぃっ………!!」 

 

 俺は手の中に抱いていた短刀の柄をひねり、そして乱暴に引き抜いた。その衝撃で血が飛び散って俺の顔面に降りかかる。

 

(痛っ……糞、今少し目に入ったか……!?)

 

 俺は目尻に先程迄の精神攻撃とは別の意味で涙を浮かべる。流石に少し乱暴に抜き過ぎたか……。とは言え、後悔はしていない。全て必要な事であったから。

 

 元より俺の持つ短槍よりも遥かに上質なゴリラ様お手製の短刀でも、しかし到底このバグキャラ染みた化物を殺すには不足するのは明らかだった。故に、俺が可能な限り深手を負うように短刀を突き刺したのも化物を殺すためのものではなく時間稼ぎのためのものだった。そう、逃げるための時間稼ぎ………。

 

「くっ………!!うっ……ぐっ、早くっ……早く切れろ!!」

 

 胃の嘔吐きを堪えつつ、俺は自由な右手で身体を拘束する肉塊を切り裂いていく。左手が自由になると近場にあった短槍も使い、無理矢理に拘束を解いていく。

 

「う……うぅ…目が……坊や?坊や、どうして………?」

 

 喉元に近い胸を、次いで左の眼球に深く、抉るように短刀を突き刺された事で僅かの時間であれ、目の前の化物は無力化されていた。現在進行形で顔の左側を抑え、仰け反り、呻き声を上げる『妖母』。

 

 一方で周囲の妖共は皆混乱していた。所詮妖は妖であり、その大半が低級な地下水道に住まう生き物を素材として産み出された小妖……知能は低く、『妖母』の統制と命令がなければ組織的に動く事も出来ぬような存在であった。尤も………。

 

(どうせあの程度の傷直ぐに復活する……!!その前に少しでも逃げねぇと………!!)

 

 どうにか肉塊の拘束から抜け出した俺は、そのままよたよたと近付いて来る『妖母』も、混乱して暴れる巣の妖達も無視して駆ける。向かう先はこの当然ながらこの醜悪な大広間の出口……ではなくて同じように拘束されて動けずにいる赤穂紫の下であった。

 

「紫様!!今その拘束をほどきます、御協力を……!!」

 

 そう叫んで彼女の利き手を捕らえる肉塊に短刀を突き刺して、切り裂いていく。それは決して善意からではない。この場で最大の戦闘能力を持つ彼女無しにこの場から逃げ切れると思える程俺は楽天的ではないし、そもそもこの地下水道から一人で脱出出来ても後々の面倒を思えば得策ではなかった。こういう時、現場にいた一番立場の弱い者が生け贄の羊にされるのはお約束だ。俺が生き残る上で彼女の生存は必須条件だった。問題があるとすれば……。

 

「紫様!?何をしているのですか!!?しっかりしてください!!」

「えっ……あっ……?は、はい!?」

 

 必死に彼女の拘束を解きながら俺は呆然とした少女に怒鳴るように尋ねる。舌打ちしなかっただけ我慢した方だろう。……いや、高々十代前半の小娘相手に辛辣なのは分かっているけれどな?とは言え、此方も命がかかっているので甘い態度は取れない。

 

 一方で、俺の大声にはっと我に返った紫は慌てて腰にかけた刀を引き抜くと自身を拘束する肉塊に突き刺し、切り裂いていく。一度作業に加わった彼女は手持ちの刀で惚れ惚れとする程鮮やかに、テキパキと自身を捕らえる肉塊を解体していく。これで家族の中で一番剣術の才能ないとか嘘だろ?

 

「さぁ!行きましょう……!!」

「はいっ……ひっ!?」

 

 どうにか拘束から脱した紫は、次いで俺の声に従い身を乗り出すように立ち上がり……次の瞬間悲鳴を上げる。同時に俺の肩にかかる感触と圧迫感。

 

「っ……!?」

 

 咄嗟に短槍と小刀を構えて振り返るとそこにいたのは赤い血を流した片目を手で抑えて、もう片方の腕で俺の肩を掴む『妖母』の姿があった。その身から滲み出る膨大な妖気に当てられて、今更のように思わず俺は恐怖に息を呑む。いや、これは……寧ろ先程まで妖気を抑えていたのか?

 

「坊…や……?だ、駄目ですよ………?何処かに行っちゃ……私は貴方を………」

 

 胸元を突き刺され、顔面を切り裂かれてもなおも慈愛と憐憫を含んだ言葉を紡ごうとする化物。しかし、それは阻止される。それは俺の衣服の隙間から突如現れた式神によってであった。

 

 小さな鳥を模した式神は刹那、煙と共に実体化する。白鷺を模した優美な式神は威嚇するように鳴き声を上げるとそのまま怒り狂ったかのように『妖母』に突撃した。

 

「何を……きゃっ!?」

 

 式神の動きは正確であり、最善だった。奇襲的に肉薄した白鷺は次の瞬間にはその鋭い嘴で『妖母』のもう片方の瞳を啄み、抉り、潰していたのだから。

 

 幾らそこらの安物の形無しでは碌にその身を傷つける事も敵わぬ化物とは言え、流石に眼球までは鋼鉄のように頑丈には出来ていない。故にその選択は最善だった。一時的であれ、両目の視覚を失った『妖母』から逃げ切る難易度は万全の態勢の時のそれとは違い遥かに容易ではあったのたから。

 

「あの式神は……!?」

「知りませんよっ!!それより早くっ……!!」

 

 そうだ、あの式神が何処のどいつに使役されているのかはこの際後回しだ。そんな事はどうでも良い。時間稼ぎしてくれているのなら有り難く利用させて貰うだけの事だ。俺は『妖母』の腕を振り払うとそのまま紫の手首を掴み走り出す。

 

「お、おい待ってくれ!?頼む……!!俺を置いていかないでくれぇ……!!」

 

 部屋を出ようとした時背後から悲鳴が上がる。振り返れば身体を拘束されて足だけじたばたさせる案内役の生き残りが此方を見て必死に助けを求めていた。

 

「時間がありません!!あんなもの捨て置きましょう……!!」

 

 後ろ髪を引っ張られるように足を止める俺に対して紫が叫ぶ。

 

 実際問題、状況は一刻の猶予もなかった。巧みに式神は一撃離脱を繰り返す事と、無数の卵を背後に置く事で『妖母』の攻撃を回避していたがもうそう持たないだろう事は明らかだった。高位の霊獣でもないただの紙を触媒にした簡易式では『妖母』への嫌がらせは出来てもそれだけだ。その嘴も、爪も、到底堕ちた神格の命を刈り取るには力不足過ぎた。

 

 同時に周囲では統制が緩んだ妖共が狂乱状態で無秩序に暴れていて、中には共食いを始めるもの共まで出る始末。そしてその意識がいつ此方に向くかも分からない。

 

 何よりも妖共の暴走でこの地下水道の大広間がかなり揺れていた。何百年も前に崩壊した西方帝国出身の渡来人技師達が作った年代物であろう地下水道で妖共が暴れまわればどうなるか……正直いつ天井か崩落するのか分からず見るだけでも恐ろしかった。

 

 ましてや助けを求めるのはたかだか案内役である。公家でなければ退魔士縁の者でも、平民ですらない立場の者である。身分制度が根強いこの世界の常識に照らし合わせれば必死に助けを求める男は所詮は「見殺しにしても構わない存在」である。

 

 故に赤穂紫からすればあのような下賤な存在、この緊急時において態態自分達の命を危険に晒してまで助ける程の存在ではないのだろう。それ故の捨て置けという発言………。 

 

「っ……!」

 

 俺は案内役から目を逸らして立ち去ろうとする。紫の言葉をただひたすら傲慢と保身として片付ける事はできなかった。誰だって自身の命は大切だし、場合によってはそのために他者を犠牲にする行動も仕方のない事だ。特にこんな命が軽過ぎる世界では。

 

 故に赤穂紫の言葉は否定出来ない。だから俺もまた同様に自らの命を優先してこの場から………。

 

「……とはいかない、よなぁ」

 

 俺は溜め息を吐くと、不本意ではあったが再度踵を返して助けを求める案内役の下に駆け出す。

 

「えっ……!?貴方、何を考えて……!!?」

「道案内役は必要でしょう!!?紫様は先に安全な場所まで退避下さい!!式神を使えば後から合流は出来ます!!」

 

 後戻りする俺に向けて紫は困惑するが、俺は彼女にこの場から距離を取るように叫んでそのまま天井から煉瓦がちらほら落ち始めている大広間を頭を守りながら突き進んでいた。

 

 当然ながら紫を助けた時同様、その行為は青臭い正義感や義侠心なぞのためではない。もっと合理的で、独善的な理由によるものだった。何せ……。

 

(案内役の式神がもういないからな……!!)

 

 ズタボロになりつつも『妖母』相手に小競り合いを続ける、誰が使役しているかも分からぬ白鷺型のそれを除いて、恐らくは今俺の周囲に潜む式神は一体もいないであろう。少なくとも翁の式神がいれば今頃俺の耳元で助言を口にしている筈だ。即ち、最早俺は翁のナビゲーションを期待出来ない訳である。

 

「となると、代わりの道案内が不可欠だからな……!!」

 

 俺は案内役の目の前に来ると短刀を引き抜く。

 

「ああ!!助けてくれるのですかい!?恩に着る!本当に恩に……って、ひぃぃ!?」

 

 必死に媚を売るように謝意を口にする案内役の腹の辺り、その身体を拘束する肉塊に俺は全力で短刀を突き立てる。呪いをたっぷり重ねがけされているためか柄まで突き刺さる短刀。その突き刺す勢いに案内役は思わず悲鳴を上げたらしい。

 

「旦那!流石にそんな豪快に突き刺されたら怖過ぎますぜ!?も、もっと優しく慎重に………」

「そんな時間ない!!ちゃんと注意するが少しくらい傷が付くのは諦めろ!餓鬼じゃあるまいし……!!」 

 

 そう叫んだ俺は豚の丸焼きか、鮪の解体をするような気分で短刀で男を拘束する肉塊を豪快に解体していく。死なれたら困るので注意はしているが、流石に少し刃先が当たるようで俺が突き刺したり、切り取ったりする度に小さな悲鳴を上げる案内役。

 

「硬いなっ!!なら、これでどうだっ!!?」

 

 流石に肉塊を切り続けていると脂と粘液で刃が斬れにくくなる。仕方なく最後は案内役の首根っこを掴んで無理矢理に引きずり出した。

 

「はぁ……はぁ……はぁ助かった!済まねぇ!マジで恩に着る!!有り難う……有り難う……!!」

「感謝はいい!!さっさと逃げるぞ!!くっ!!?」

 

 いきなり横合いから飛びかかってきた化け鼠の頭を短槍の横刃を振るい下ろしてその頭蓋骨を叩き潰す。しかしそれは前座に過ぎず、次の瞬間には目の前に数体の妖が現れて襲いかかろうとしてきた。慌てて身構える俺。だが、俺の姿勢が整う前に妖共は飛び掛かってきて………。

 

「失せなさい!雑魚が!!」

 

 その言葉と共に俺達の横を突風のように過ぎ去る人影。そして横一文字に振るわれた斬撃が化物共を切り裂いて即死させた。赤穂紫は眼前の脅威を排除した後、気の強そうな目付きで俺達の方を振り向く。その荒々しい霊力に俺は思わず瞠目する。

 

「………な、何をぼさっとしているのですか!?早く逃げますよ……!!」

「えっ?あ……り、了解です!」

 

 一瞬の沈黙の後、何処かばつの悪そうな表情の紫によって紡がれたその言葉に俺達は慌てて我に返り、跳び跳ねるように駆け出していた。

 

「案内役!何処でもいい!この近くで地上に繋がる出口はあるか!?」

「へ、へい!一番近い出口ならあの通路から繋がってます……!!」

 

 案内役の先導に従い俺達は妖共の共食いの合間を抜けて駆け抜ける。案内役、そして紫が大広間の一角にある小さな細道に飛び込むように駆け込む。その後ろを俺が続く。

 

「こいつで打ち止めか……仕方無いっ!」

 

 最後に通路を潜る俺は懐に隠していた最後のダイナマイトモドキに微量の霊力を注いでから通路の入口に置き土産の如く捨て去った。残る一つであったが、出し惜しみ出来るような余裕もない。使える時に使ってしまうべきだろう。

 

「っ……!?」

 

 そして大広間を立ち去る刹那、俺はその視線を感じて振り向いた。その先にいたのはあの忌々しい化物だった。足下にはズタボロに切り裂かれて実体化が解けつつある式神が倒れ伏す。俺の突き刺した左目はもうほぼ完全に再生しているようで、血の混ざった瞳が此方を見つめていた。

 

 怒りも憎悪もなく、ただただ愛情と哀れみと悲しみが含まれた情念の視線………、と相手もまた此方の視線に気付いたようで優しく……そう、ひたすらに優しそうに、そして寂しそうな微笑みを浮かべた。そしてその口を動かして何かを口にする。

 

「ふふふ、残念ですがここまでのようですね。名残惜しいですが今回は諦めましょう。しかし、最後は…………」

 

 咄嗟の読唇術ではそれ以上の言葉は読み取れなかった。次の瞬間にはダイナマイトモドキの爆発と、混乱して暴れる大柄の妖達によって大広間の天井が崩落したからだった。

 

「くっ………!?糞ったれがっ!!」

 

 俺は前を振り向いて、抗いがたい誘惑を振り切り、苛立ちを押し殺し、多くの疑念を無視して、先行する紫達の後に続いて必死に走る。逃亡以外のために思考を削く余裕なんて一寸もなかったから。目先の危険を切り抜けるためだけで精一杯だったから。

 

 そう、その胸の内、言い様のない罪悪感と後悔と不安を感じつつも………。

 

 

 

 

 

「ひぃ……!?ま、前からも来ました!?」

「足を止めないで下さい!!道は開きますから進んで!!」

 

 出口へ向かう地下水道の通路は地獄だった。『妖母』の統制から外れた妖共が彼方此方で好き勝手に暴れ回り、その密度の高さから共食いをして、俺達人間を見つけ次第ご馳走とばかりに飛び掛かる。

 

 俺と紫は案内役を護衛しつつひたすら暗い通路を駆け抜ける。横合いから飛び出す化物を俺が刺し殺し、目の前に現れる群れを紫が瞬時に肉塊に変える。

 

 既にどれだけ走ったのだろうか?凄まじく長く走った気もするし、まだ半刻も経っていないようにも思えた。そしてその間ひたすらに障害となる化物の群れを殺戮し続ける。

 

「終わりが見えないなっ………!?」

 

 それは殆ど無間地獄だった。何十、いや何百体であろうか?殆どは元になった素材が素材故に取るに足らない雑魚であるし、濁流と言える程ふざけた数ではない。それでも数体から十数体単位の化物が波状的に襲い掛かって来る状況が長時間に渡って続くとなれば紫は兎も角、俺の体力と霊力は持たなかった。

 

「埒が明きませんね、ならばっ………!!」

 

 七連撃の斬撃の衝撃波で付近の妖共を一蹴すると、紫は足を止めて、一度刀を鞘に納める。

 

「紫様っ!?」

「二十数える間だけで構いません。暫くその場で私を守りなさい」

 

 俺の言葉に対して、しかし紫はバッサリとそう切り捨てる。そして目を閉じると深く、深く、深呼吸をする。それは文字通りの自然体であり、先程までピリピリと荒ぶっていた彼女の霊力は波が引くように収束し、その気配は若干薄くなる。

 

「旦那!?お嬢さんは何を……!?何故足を止めるんだ!?」

「お前は後方を警戒していろ!正面の輩は俺が足止めする……!!」

 

 早く逃げたがる案内役にそう冷たく命じて、俺は前に出る。暗闇の中で素早く接近してきた猫と狼の小妖を短槍で擦れ違い様にその首の動脈を切り捨てて絶命させ、次いで正面から弾丸のような速度で飛び込んできた大型犬並みのサイズの蚤を顔面から短槍で貫く。この野郎、吸血する気だったな……!?

 

「上からっ……て、げぇ!?」

 

 直後天井方向からの気配に上を向けば舞い降りて来るのは人間を抱き締められそうな蜚蠊(ゴキブリ)であった。因みに多分元の素材はクロゴキブリである。天使のように羽を羽ばたかせて。何を考えているかも分からぬ無機質な赤く光る瞳で此方を見つめ、顎を上下左右に大きく開く。

 

「キモいんだよっ………!!!」

 

 思わず霊力を後先考えず使って脚部強化して、横合いから蹴りあげたが後悔はしていない。短槍を使って飛び散る体液を浴びたくなかった。地下水道の壁に顔面から叩きつけられて頭部が半壊した蜚蠊に、無慈悲にも他の妖共が群がって食らいつく。

 

「後十秒、か?ちぃ……まだ来る!!」

 

 紫の命じた残り時間を数え、同時に振り向いた俺は短槍を勢い良く投擲する。背後から案内役に襲い掛かって来ようとした化け蝙蝠の顔面に突き刺さり、そのまま下水の中に墜落した。これでもう短槍は使えないな。

 

 前を向くと共に俺は狡猾にも仲間の死骸と闇に紛れて足に絡み付こうとしていた幼妖の(マムシ)の頭部を短刀で上から突き刺す。そのままグリッとひねって脳を完全に潰した。蛇の生命力は案外高く、妖化していない普通の蝮でも下手すれば首だけで丸一日程度は生存する。素材の性質からして確実に殺害する必要があった。

 

「後五秒……!っ……!?」

 

 下水から飛び出して来たのは鉄砲魚だった。(イルカ)程の体躯があろう、鰐淵のような四本足の生えた奇形の鉄砲魚……恐らくはずっと狙いを窺っていたのだろう化物は気味の悪いグロテスクな笑みを浮かべ、待ちかねたように紫に向けて口を開く。これは………!!

 

「間に合えよっ………!!」

 

 咄嗟に紫の前に飛び出したのとそれが放たれたのは同時だった。超音速で吐き出された水は恐らく受けた衝撃から見てウォーターカッターのように鋼鉄すら切断出来たと思われた。曲がりなりにも呪術で耐久性が向上している法衣は数秒で無力化された。

 

 無論、この際はそれで十分だった。法衣が完全に切り裂かれて人体が損傷を受けようかという次の瞬間、俺は短刀を構えて吐き出される水飛沫を飛散させた。短刀に弾かれた水は、しかしそれでも超高速で飛び散って体の表面を薄く切り裂いたが……人体が切断されるよりは百倍マシだろう。

 

 そして………。

 

「悪いな、化物共。タイムリミットだ……!!」

 

 刹那、背後から嵐のような霊力の奔流が渦巻くのを俺は感じ取った。同時に場を支配するのは絶対的な死の感覚である。それに対して先程まで襲い掛かって来ていた妖共は身を強張らせて、少し利口なもの共は慌てて回れ右して逃げ出そうとする。……全て手遅れであったが。

 

「破魔・剣技一閃……!!」

 

 その叫びの一瞬後、地下水道は光で満たされた。

 

 

 

 

 

 ………それは、限りなく明鏡止水の極地から、次の瞬間刀を突き出して放たれた突きの『衝撃波』であった。信じがたい事に恐らくは地下水道を一瞬満たした光は衝撃波による空気の摩擦熱による瞬間燃焼であったのだろう。

 

 空気と音の衝撃と共振は眼前の妖共を原型を残さず吹き飛ばした。文字通り血肉は衝撃の前に蒸発するように四散させ、骨は砂のように散華する。何より恐ろしいのは、それが下水の中や横道の陰に逃げこんだものすら逃がさず、しかも標的たる妖以外……地下水道自体には殆ど被害を与えぬままに広範囲に対して為された事だ。

 

 ……人外が邪悪なもの共を一掃した後、眼前の残る脅威は何処にもなかった。完全な虚無であった。相当遠くの妖まで巻き込んだ半ばマップ攻撃のような突き……そう、刀による突き、それだけで大半の妖はそれで塵と消え、運良く生き残った妖も流石に今の一撃を前には恐れをなしたのか一時後退していくのが遠退く妖気によって俺すらからも感じ取れた。

 

 俺も案内役も目の前で生じた事象が信じ切れず唖然とする。案内役に至っては余りの威力を前に腰を抜かして尻餅をついていた。

 

「っ……!?紫様、大丈夫ですか!!?」

 

 カラン、という音が地下水道に鳴り響いた。音の方向に視線を向ければ紫が刀を床に落として膝をついているのを捉える。俺は駆け寄った。

 

「っ……!?」

 

 俺は紫の元に近づくと共に僅かに身を強張らせた。

 

 彼女の刀は刀身が蒸発していた。柄だけになった刀からは白い煙がたなびき、それを持つ掌は僅かながらも火傷したように赤くなっていた。顔を青くして、息を荒くして、額に汗を噴き出す赤穂紫の顔は相当に疲弊していた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ………ど、どうやら……相当数取り逃がしたようです、ね?ふ……ふふ、流石に父や兄達のようには……行きませんね。本当、情けないものです」

 

 息も絶え絶えに、自身の技量を嘲るように冷笑する紫。おう、今のが失敗レベルの威力なのかよ。やっぱ退魔士は人間じゃねーな。

 

 どうやら先程の一撃は赤穂家伝来の閉所ないし市街地での対妖狙い撃ちのマップ攻撃の技だったらしい。当然必要とされる技量も、霊力も馬鹿にはならないようで、今のは父から見れば失敗判定を受けるような出来だったらしい。しかも霊力の半分以上を消費し、刀は蒸発し、全身筋肉痛状態だとか。

 

「兄達とは違い……一発使っただけでこんな様ですので余り使いたくはありませんでしたが……はぁ……はぁ………仕方ありません。さぁ、早く進みましょう………!!」

 

 ふらつきながらも立ち上がろうとする赤穂紫。しかしその足は生まれたての子鹿のように震えていて、次の瞬間には姿勢を崩しそうになり………。

 

「失礼致します、紫様」

 

 俺は崩れそうになる彼女の側に駆け寄り、両肩を掴んで支えた。同時に謝罪するのは下人風情がここまで密着して両手で彼女に触れたからだ。手を掴んでいて前例があるので怒鳴られる事はなかろうが……念を入れて謝罪はしておくべきだろう。

 

「いえ、助かります。っ……!?」

「どうか致しましたか?……これは……恐縮です」

 

 思わず俺は、地の性格が出そうになるのを抑えて、淡々とした態度と無表情を維持して答える。おう、そりゃあ自分の服装を下賤な血で汚されたらなぁ。

 

 最後の最後で鉄砲魚のゲロ水は流石に少し危なかった。噴射され、直撃した時間は一瞬だったので深い大それた傷ではないが、それでも法衣の一部は引き裂かれ表皮が捲れて血がだらだらと染み出していた。何なら手足や顔にも飛散したゲロ水で切り傷が出来ていてそこからも血が流れていた。

 

 そしてこの場でも問題はその出血だ。深くないので戦闘には勿論、生命の危険があるようなものではないがそれでも余り見ていられない位には血が流れていたし、そのまま他人の身体を支えればどうなるかといえば……。

 

(絹布、となれば結構金がかかっている筈だよなぁ?)

 

 所詮は正装でもない衣装とは言え、名門退魔士一族の末娘のそれである。少なくとも庶民のそれよりも百倍は高価な筈だ。それが賎しい下人の血がべったりとついていたら………割とこの世界の価値観的にはアウトな内容だ。……不味くね?案内役とか終わったって青い顔してるし。

 

 場を沈黙が支配する。重苦しい空気………それを打ち破ったのはまたしても彼女だった。

 

「………行きましょう。時間がありません」

 

 何もなかったかのように蒸発して納める刃を失った鞘を杖代わりにしながら紫は歩き始める。俺と案内役は予想していたリアクションがない事に目を丸くして黙りこんだ。そんな俺達を一瞥して、紫は不機嫌そうに顔をしかめる。

 

「何ですか?何か言いたい事でも?」

「い、いえ………」

「……貴方がどう思おうが構いませんが、私も時と場合くらいは理解しています。こんな時に服が汚れた程度で怒り狂うような馬鹿な事はしませんよ」

 

 何かを思い出したかのように苦い表情を浮かべつつ、しかし直ぐに仏頂面になってそう答える少女。額に汗を垂らしながらも、必死に前に進もうとする。

 

「…………」

「………だんまりされると此方が困るのですが?」

「いえ、申し訳御座いません。……案内役、先導を」

 

 何処かバツの悪そうな態度で声を荒げる紫に一礼し、俺は案内役に道案内の再開を要請する。「へ、へいっ!」と跳び跳ねたように立ち上がった案内役はせっせと仄暗い地下水道を進み始め、直ぐに紫を追い抜いた。

 

(さて、と。となれば………)

 

 紫が大人の対応を取れる事に安堵して、ならばこれもいけるだろうかと考えつつ、俺はゆっくりと歩く退魔士の少女の傍らに立つ。