Muv-Luv Alternative The Phantom Cemeter (オルタネイティヴ第Ⅵ計画)
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第1章:始まりの挙動
Episode1:失われた日々


※※必ずお読みください※※

本作をお読み下さり、誠にありがとうございます。
当作品をお読みになる前に、以下の点についてご留意頂けると幸いです。

《本作品の注意事項》

・本作は、同一作者が投稿していた『Muv-Luv Alternative for Answer』のリメイク作品になります。
・本作は、テンパ様の『Muv-Luv オルタネイティブ Last Loop』及び、つぇ様の『中身がおっさんな武(R15)』に多大な影響を受けております。それ故、作品に一部類似点が発生する可能性があります。また各種マブラヴSSの良いとこどりをしている為、その他にも類似点が発生する可能性があります。
・「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません」
・Muv-Luvシリーズの世界観に対し、作者独自の解釈と設定を追加しております。それ故、原作との相違点が多少なりとも発生する可能性があります。
・一部タグは保険になります。
・タケルちゃん最強設定です。
・一部大きなネタバレを含みますので、原作未プレイの方、アニメから来られた初見の方は注意して下さい。
・本作は非常に誤字脱字が多いです。
・投稿頻度に関しては完全にランダムです。完結まで非常に長い時間を要すると思われますが、気長にまって頂ければ幸いです。
・感想への返信は投稿時のみに限ります。

《本作品の警告事項》
下記に該当する方は、気分を害される可能性がある為、本作品読まれるのはお控えください。

・伊隅大尉は、前島正樹と結ばれるべきと考える方。
・速瀬中尉、涼宮姉妹は、鳴海孝之を想い続けるべきと考える方。
・宗像中尉は、シルヴィオ・オルランディと結ばれるべきと考える方。
・篁中尉、崔中尉は、ユウヤ・ブリッジスを想い続けるべきと考える方。


それでも良いという方は、以上の点に注意し、大らかな心でお読み下さされば幸いです。


Episode1:失われた日々

 

 

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白銀武は今、ユメ(・・)のようなものを見ている。

どうしてそれがユメだと分かるのか、と聞かれれば、正直その理由は本人にもよく分かっていなかった。

直観とはまた違ういびつな何かが、これをユメだと彼に感じさせていた。

そしてそれは武にとって、例えユメだとしても見たくない、思い出したくない苦い体験であり記憶でもある。

だが同時にそれを忘れてしまうことは、BETAのいる世界を戦った1人の衛士として、人間として許されないことであるということも、彼は同時に理解していた。

何故なら衛士たるもの時には語る覚悟も必要であると、大切な先任たちに教えられてきたからである。

 

故に武はこのユメから眼を逸らすことは許されない。

ユメを見続けなければならない。

受け入れなければならないのだ。

 

「――白銀、あとはお願いね……」

 

そう通信が入ってからすぐに、巨大な爆発音と衝撃波が武の機体を襲った。

 

広域データリンクは既に機能しておらず、部隊の仲間がどの辺りいるのかまったく判断が付かない状況。

他の部隊との通信は、中距離は勿論のこと、司令部との長距離通信も完全に使用不可能。

唯一機能しているのは部隊内の短波通信のみであった。

それはここがハイヴの中であるが故か。

または無線の送受信機能に何らかの問題が発生しているのか。

或いはその両方であるのか。

残念ながら、必死の戦闘を繰り広げている武には正直判断がつかなかった。

いや正確には、それについて深く考える時間がまともに取れないからだった。

それだけの激しい戦闘を、彼は今繰り広げ続けていた。

 

「逢沢さんっ!?――まただ……また俺はッ!?」

 

守れなかった、とは口にしなかったし出来なかった。

口にしてしまったら最後……その言葉の重さに、押し潰されてしまいそうだったから。

しかしそれでもなお、武は戦闘の手を緩めることはなかった。

緩めることは状況が許さなかった。

状況が彼に戦闘を強要しているのだ。

 

武は引き金を引き続けた。

BETAを屠り続けた。

ここで死ぬわけにはいかないから。

ここで止まるわけにはいかないから。

仲間の死を、みんなの死を、無駄にはできないから――。

 

部隊の仲間から、悲鳴のような通信が武の耳に入ってくる。

 

「白銀!反応炉はまだか!?」

「あともう少しなはずだ!だけど数が多すぎる!突撃砲も弾切れ寸前なんだ!」

 

その上、武の網膜投影は36mmの残弾が、もう残り僅かだと表示していた。

74式近接戦闘長刀も既に1本は廃棄。残るもう1本もなまくらになる寸前であった。

 

「ぐっ!ここまで来て!?ようやくここまで来たのに――あぁぁッ!?」

「っ!?マインさん!?」

「気にせず行け白銀!人類を……ヨーロッパを取り戻してくれ!」

 

武は何か言葉を返そうとしたが、通信は一方的に切断された。

そしてその直後に、後方で再び爆発音とそれなりの衝撃波が武の機体を襲った。

何を起爆(・・)させたかは、誰の目にも明らかだった。

 

「くそぉッ!俺はッ!俺はァァッ!?」

 

武は叫びながら、目の前のBETAをただ屠り続けていった。

 

それから約1時間後、甲21号目標・通称佐渡島ハイヴ攻略の知らせが、世界中を駆け巡った。

ハイヴ突入部隊の生存者、即ち帰還者は僅か1名。

必死の覚悟で発動された、G弾を用いた甲21号作戦は、結果としては成功した。

しかし人類の勝利と高々と喧伝するには、ほど遠いと言わざるを得ない作戦内容と経過であった、と言われている――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

場面は移り変わる。

 

それはアンドロメダ作戦の時の記憶(・・)だった。

場所は、とある国連軍基地の廊下で、再編成されたT4(テーフィア)部隊の仲間たちとのものだった。

T4部隊とは、接収されたオルタネイティブⅣ直属の特殊部隊・A-01部隊の名前を、ただ変えただけの部隊。

最も、桜花作戦後のA-01部隊に籍を置く者は、武と霞の2人のみであったが……。

 

「白銀大尉。質問の許可を」

 

廊下を歩く3人の人影があった。

その中の1人の女性が、先頭を歩く武に声を掛ける。

 

「許可する。ローゼンベルグ中尉」

「はっ。大尉は今回のアンドロメダ作戦を、どのように思われますか?」

「それは含意が広すぎるな、中尉。つまり何が言いたい?ハッキリ言ってみろ」

 

この頃の武の所属は、国連軍の大尉にして、日本帝国斯衛軍にも同時に籍を置いていた。

形式的には、斯衛軍からの国連軍への出向である。

これがどういう意味を持つか、それは限られた者しか知らない。

無論、本人は一応理解していたが、当人にとってはそんなことはもうどうでもよかった。

この頃の武の心は、想い人である純夏を失ったこと、最大の理解者であった夕呼の失踪により、脆くも崩れ去っていた。

 

武は思い返す。

 

(――我ながら心が弱いことだとは思う。その程度の心の強さしか……いや、覚悟しか持ち合わせていなかったんだろうな。あれほど前の世界の夕呼先生に言われたのにな)

 

故にこの頃の武の姿は、とても刺々しく、同時に虚勢を張ったようにも見える姿だった。

もし彼に近しい者が、この頃の彼の姿を見たならば、そう評したことだろう。

 

「ふっ、アリス。大尉殿は、まず貴様のその阿保な脳を良くすることから始めろ、と遠まわしに仰っているのだ」

 

質問した女性に対し、その隣を歩く別の女性が茶々を入れた。

 

「煩い、黙れオーレリア――んんっ、失礼しました。大尉は、今回も(アメリカ)軍主導のこの作戦……成功する可能性はあると思われますか?」

 

どうやら前者はアリス・ローゼンベルグと言い、後者はオーレリアと言うようだ。

武は歩みを止めることなく答える。

 

「珍しく合理的な作戦ではあるな。だが、実施に際しての部隊の数や、その練度はまるで足りていないな」

 

ハッキリ言ってみろ、と言っておきながら、武はその回答を明確にはしなかった。

この矛盾が、当時の彼の心中を物語っていた。

桜花作戦から既に3年が経っていた。

オルタネイティヴ計画も軒並み終了し、戦況は刻々と人類の敗北へと傾いていた。

あの手この手であがき続ける人類だったが、それは所詮延命策に過ぎず、また場合によっては自らの寿命を削っているものまである始末だった。

 

「……結局はG弾だより、ということですか?」

「そうだろうな。最近は間引き作戦にすら、G弾が使われる始末だ。だが、これだけのG弾を以てしても、未だ人類は大陸を取り戻せていない。加えて、先日のカテドラル作戦での、例のG弾に対する報告……いや噂か。米軍が焦るのも至極当然だろうな」

 

武の言葉に、2人の顔は徐々に険しくなっていった。

 

この頃、国連軍の名を借りた米軍の悪名は、既に人類全体に知れ渡っていた。

しかしそれでもなお、表立ってそれらが問題とならないのは、もう人類は米国無しではBETAに抗うことが出来ないと分かっていたからだった。

既に世界中の戦線は、崩壊の瀬戸際に瀕していた。

アフリカ方面では、スエズ運河を盾にしたスエズ絶対防衛戦は突破され、主戦場はアフリカ大陸北東部へと変化していた。

英国とEUは、未だに英国本土へのBETA再上陸を防いではいるものの、疲弊による戦力の補充が限界寸前に達していた。

日本もそれは同様である。

東南アジアでは、遂に長年BETAの侵攻に耐え続けていた、マレー半島及びシンガポール要塞が陥落。

BETAのジャワ島上陸は目前に迫っていた。

人類は既にチェックメイトを掛けられたのである。

 

「――オペレーション・チェリーブロッサム(桜花作戦)が成功していれば、こんなことには……」

「オルタネイティヴⅤ……何が人類を救う究極の計画よ!」

 

2人の悪態に、武はただ黙るのみだった。

 

アリスやオーレリアは、その詳細を知らないながらも、家族に高位の軍人を持つ者たちであり、オルタネイティヴⅣの支持を公言する人物であった。

武が見た彼女たちに対する報告書は、米軍から提供(・・・・・・)されたものであったが、やはりG弾戦術を基幹とする米軍内では相当受けが悪かったらしい。

故に、米軍を半ば追い出される形で放逐され、止む無く国連軍に身を置いた経緯がある。

そして奇しくも武が指揮官であるT4部隊の指揮下に加わった。

 

「……」

 

桜花作戦という単語に、武の表情はかなり曇るが、それにこの後ろの2人が気づくことはなかった。

2人は、武が桜花作戦の帰還者であることを知らない。

知る由もなかった。

 

「――生きて帰ればどうにでもなる。今は何より生き残ることが優先だ。次の作戦、2人ともちゃんと生きて帰れ。これは命令だ」

「はっ」

「了解です」

 

この後に実施された人類最後の反攻作戦、アンドロメダ作戦は残念ながら失敗する。

そこで彼女たちは戦死し、また幸か不幸か、武のみが生き残った――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

また場面は移り変わる。

 

今度は、横浜基地の地下B19フロアにある、夕呼の執務室での出来事のようだ。

執務室の中央で、武は書類を片手に1人佇んでいた。

どうやら書類を夕呼に提出に来たが、肝心の本人が不在のようだった。

 

「出直すか……」

 

と呟いた丁度その時、ドアが開き夕呼が帰ってきた。

 

「あら~?なんだぁ、白銀じゃなぁい~」

「あ、先生丁度よかっ……」

 

武が振り返ると、そこには普段の彼女の姿からはとても想像も出来ない、いや、見たことのないような満面の笑みの夕呼がいた。

よく見るとその顔は真っ赤、とまではいかないながらも紅い。

ゆっくりと武に近づいてくるその足は、まさに千鳥足で、フラフラしていて何とも危なげだった。

そしてその中で何よりも目を引くのが、その両手に握られているもの。

ガラスのコップと、特級酒と書かれた一升瓶だ。

つまりは酒である。

どうやら相当酔っぱらっているようだった。

 

「……先生、かなり酔ってますね」

「そりゃぁ絶っ好調よぉ~!それもこれも白銀、あんたのおかげよぉ!」

 

心なしか、呂律も上手く回っていない。

 

(こりゃダメだ……)

 

と武は呆れた。

 

事ここに至り、オルタネイティヴⅣが順調だということは、例えその計画の詳細を知らない者たちにでもある程度分かるほどには知れ渡っていた。

オルタネイティヴⅣによって、人類が現実味を失ってから久しい言葉、勝利(・・)を得るのも、そう遠くないだろうとすら言われていた。

その理由は、先日の蒼星作戦の成功にある。

武はこの作戦の成功を心の底から喜んだ。

夕呼も同様である。

 

(こんな夕呼先生を見るのは久しぶりだな。確か、2年前のクリスマスイブのとき以来か……いやちょっと待て)

 

そこで武の思考が待った、と告げる。

 

(おかしい……何で俺はそれが、2年前だと言えるんだ?そもそも……ッ!?)

 

しかし、そこで突然背中から重いものがのしかかってきたことで、武の思考が現実へと引き戻される。

 

「し~ろ~が~ね~」

 

その正体は、背後から首に腕を回してきた夕呼だった。

今まで聞いたこともないような、甘ったるい声を出しながら武の首に腕を回し、その豊満な胸を彼の背中へと押し付けた。

 

(これは……押しつけられてる?)

 

と武は思うが、そんなはずはないと脳内で全力否定する。

だがそれと同時に、少しばかり嬉しい感情が武を襲う。

 

(ま、まぁこれはこれで……ちょっと嬉しかったりするけど)

 

昔の武なら、確実に狼狽していたであろう場面。

胸の押しつけ程度で動揺しなくなった辺り、この頃の武は、精神面で成長が明らかに伺いしれる。

 

ふと武が意識を夕呼に向けると、いつの間にか、手に持っていたガラスコップと一升瓶は消えていた。

横目でチラッと見ると、執務机の上に知らぬ間に置かれていたようだった。

どうやらそれに気づかぬほどには、先ほどの武の思考は、彼の意識を奥深くへといざなっていたようだ。

逆に言えば、それだけ武は夕呼に対し、気を許しているということでもある。

 

「ふ~~~」

「うっ!?」

 

突然耳に息を吹き掛けられ、くすぐったさが武を襲う。

そのせいで身体のバランスが崩れ、ほんの少しよろけてしまうが、何とか踏みとどまった。

理由は、夕呼が武に背後から抱きつき、体重を乗せているからである。

踏みとどまった勢いで、姿勢がやや中腰になってしまう。

武は姿勢を正そうとするが、そこでふとあることに気が付く。

それは中腰になったことで、夕呼が背伸びをせずに抱き着くことが出来ていることに。

仕方ないので、武はこのやや中腰姿勢を維持することにした。

鍛えているので、少しくらい無理をしても腰が痛くなったりはしない。

それに夕呼が見た目以上に、軽かったというのもある。

 

(べ、別にもう少し胸の感触を楽しみたいとか、そんなやましい理由があるわけではないぞ。うん、決してない)

 

と武は必死に否定するが、もうこれは確信犯だろう。

そんな武の思考を知ってか知らずか、夕呼がその魔性の笑みを浮かべながら言う。

 

「……ふふっ、これが特級酒の味よ」

「味じゃなくて匂い、ですね……」

 

夕呼は笑う。

 

(はぁ……完全に酔っぱらってるなぁ、夕呼先生)

 

と武は再度呆れた。

そこで武はふと気が付いた。

酒臭さとは別に何処からともなく甘い香りが、自身の鼻をくすぐるのを。

果たしてそれが、背後から抱き着かれたことによるものなのか。

それとも、自然と横にある夕呼の顔と、その煌びやかな紅紫色の美しい髪から漂ってきているのか。

或いは身体から漂ってくるのか。

いや、そもそもとして女性特有の香りなのか、武には正直分からなかった。

だが、確かに甘いふんわりとした優しい香りが、武の鼻をくすぐったのだ。

まるで聖母の香りとでもいうような甘さだった。

 

(これは……もう少し感じていたいな)

 

と武が思ったその時だった。

 

「うぉっ!?」

 

グイっと後ろから、首と肩を引っ張られた。

武は体勢を崩され、気がつけば執務室にあったソファの上に、彼は倒されていた。

いやこれは……所謂、押し倒しというやつだ。

 

「夕呼先生?なにを……んぐっ!?」

 

武は言葉を途中で遮られてしまった。

いや、唇を塞がれてしまった――唇で。

 

(ッ!?キス!?)

 

武は眼を見開いて驚いた。

 

「……ん……ちゅっ……」

 

武と夕呼、互いに触れ合った唇は、とても柔らかくて、湿っていて、酒の味がして、何よりも甘かった。

突然のことに武は何も反応が出来なかった。

やがて我に返り押し返そうとするが、両肩を完全に押さえつけられており、抵抗の余地はなかった。

武が本気を出せばこの程度、簡単に押しのけることは造作もないことだろうが、それは出来なかった。

理由は、何故だろうか……。

本人にも分からない。

 

唇が触れるだけのキスを、3秒ほど続けた夕呼は、ゆっくりと武の唇から己の唇を離した。

そして視界に入った夕呼の表情は、先ほどまでの酔っ払いのものではなく、いつものような不敵な薄い笑みを浮かべたものだった。

 

(これは……嵌められたな)

 

武はようやく先ほどまでの夕呼の仕草が、全て演技であったことに気が付いた。

 

「一体何のつもりですか?……美人局ですか?」

「あら、あたしからのささやかなお礼よ」

 

と言いながら、夕呼は妖艶な笑みを浮かべた。

お礼という言葉を聞いて、武は己の心に動揺が走るのに気づく。

よく見れば夕呼の制服は、胸元までボタンが空けられていた。

いつもきっちり締めていた国連軍制服の青いネクタイはそこにはなく、見えるのはその豊満で魅力的な夕呼の谷間だった。

追加で武の心に動揺が広がっていくのが分かった。

いつもの人を弄ぶあの性格と、公式には副官という立場も相まって、武が夕呼を女として見る機会は限られている。

だがよくよく考えてみれば、実際のところ夕呼は、男の誰もが振り返るような美貌の持ち主。

意識し始めたら最後、自然と反応してしまうのが男という生き物だ。

武を高ぶらせたのは、お礼という単語で卑猥な想像をしてしまった自身の妄想と、何よりも溢れ出る夕呼の妖艶な魅力そのものだった。

そう、この時の夕呼はあまりにも危険だった。

女の匂いが、魔性の魅力が、抑えきれない性への渇望が、彼女の身体中から溢れ出ていた。

 

「ふふっ……ココ(・・)は素直なみたいね。最近ご無沙汰だったんじゃない?」

 

武の反応を見せた部分に、夕呼が気づいて視線を下げた。

夕呼は今まで見せたことのない、母性とも言えるような笑みを浮かべた。

それほど優しく、いやらしく彼女は笑った。

 

「――確かに、男なら光栄な場面ではありますが……」

「だったらいいじゃない、一夜の夢ってことで」

 

武は動揺隠しで目を閉じる。

夕呼は擦るようにして、武の身体の上を移動していった。

夕呼の柔らかいお尻が、武の股間辺りにやってくる。擦るようなその動きは、まるで誘っているかのようだった。

というか確実に誘っているだろう。

服越しでも分かるその接触部の快感に、武は少しばかり身を震わせた。

 

「ふふっ……あたしは今、酔ってるわ」

 

夕呼のその言葉に、武は瞼を開かなかったが、まるで彼女にすべてを見透かされているような、そんな感じがした。

彼女の細い、暖かいようで冷たいような温もりの右手が、武の右頬に触れた。

やがて左手も同じように反対側の頬に触れた。

その触り方は、まるで我が子を扱う母親のような、優しい触れ方だった。

夕呼は言葉を続ける。

 

「それもかなりね……つまり明日には何も覚えていない(・・・・・・)ってこと――その意味が分からないあんたじゃないでしょう、ガキ臭い英雄さん?」

 

ガキ臭い英雄。

その言葉に反応し武が目を開けると、夕呼は武の目を見つめて再度その妖艶な笑みを浮かべた。

 

「ふふっ……」

 

夕呼はジッと武の目を見つめる。

武は何故かその視線を外すことが出来なかった。

まるで魔女に絡めとられたように、魔性の女の目が、そこにはあったのだ。

この見つめあいを肯定と受け取ったのか、夕呼はゆっくりとピンク色の唇を、武の乾いた唇に近づけた。

そして触れる直前に。

 

「タケル……」

 

と呟き、両者の唇が重なった。

夜はまだ更け始めたばかりであった。

夕呼が武のことファーストネームで呼んだのは、後にも先にも、この時限りであった――。



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Episode2:魔神の目覚め

Episode2:魔人の目覚め

 

 

2001年10月22日(月)08:00

 

 

「――ここ、は?」

 

武は瞼越しの陽ざしで目を覚ました。

天の恵みである陽光を手で遮り、自分の顔に影を作る。

そしてゆっくりと目を開けると、真っ先に視界に飛び込んできたのは、白い天井だった。

 

(――知らない天井だ……ってどこかの主人公じゃあるまいし!)

 

武は自分に突っ込みを入れながら考える。

見慣れない天井だとは確かに感じた。

しかし、同時にどこか懐かしさを感じる天井のシミ。

何故か見覚えのあるシミと天井との距離感。

上半身をベッドから起こし周りを見ると、ポスターや勉強机、そしてハンガーに綺麗にかけられた、これもまた何処かで見たような黒い制服が目に付いた。

 

「――って俺の部屋か!?」

 

そう言って彼はベッドから飛び起き、部屋中を改めてしっかりと見渡す。

そう、ここは確かに白銀武自身の部屋であった。

机に無造作に積まれた教科書やプリントに、汚い走り書きの字で、自らの名前がしっかりと書かれていた。

 

(懐かしいな……何もかも。全部が……)

 

そこで武は疑問に思う。何故自分の部屋に懐かしい……などという感情を抱いたのかと。

 

「懐かしすぎる……皆、って、痛ッ!ぐ、ぐおぉぉ……あ、頭痛ぇ……!」

 

そこに考えが至った瞬間、強烈な頭痛が武を襲う。あまりの痛さに頭を抱え込み床に崩れ落ちる。

 

「ぬおおぉぉぉ……こ、こいつはやべぇ……あ、頭が割れ、そぉぉぉッ!」

 

痛みに耐えていると、そこにまるで走馬灯のように、思い出すかのように様々な出来事や記憶が、脳内にフラッシュバックしてきた。

戦術歩行戦闘機、BETA、国連軍太平洋方面第11軍横浜基地、207B訓練小隊、総戦技演習、XM3、オルタネイティブ計画、12・5事件、00ユニット、甲21号作戦、横浜基地防衛戦、桜花作戦、あ号標的――。

武は忘れていたもの思い出した。

そして失った大切な戦友たちや、愛しい想い人の顔も――。

 

「はぁ、はぁ……なんだってんだよ……ただ思い出しただけぇぇぇッ!」

 

最後に純夏のことを、そしてもう1人を思い出した時に武は再度叫んだ。

頭を抱えながら今度はエビぞりになって頭痛に耐える。

 

「ぐううぅぅぅッ!」

 

痛みに耐えられず、武は頭を抱えながら、今度は床の上をゴロゴロと転がり始めた。

 

「うがぁぁぁっ!」

 

唸り声を上げ、地獄の苦しみに耐えること数分。

何とか頭痛は収まりをみた。

だが次に武を襲ったのは、唐突な悲しみを後悔だった。

 

(……みんな)

 

知らないうちに大粒の涙が彼の頬を伝って、床にポトリと落ちシミを作る。

まりもちゃん、柏木、伊隅大尉、涼宮中尉、速瀬中尉、委員長、彩峰、たま、美琴、冥夜、そして純夏……。

守りたかった人たちの顔が、1人ずつ鮮明に思い浮かんでくる。

 

(――みんなごめん、守れなかった……)

 

押し寄せる後悔の念に、行き場のない悲しみ。

武は暫くの間、子供のようにわんわんと泣き続けた。

手で拭っても拭っても、涙は止まらなかった。

 

しかしそこでハッとする。

何故、自分はこのようなことを覚えているのか。

何故、目が覚めたら自分の部屋にいたのか。

 

(――まさかッ!?)

 

武の脳ですべてのピースが繋がり、1つの答えを導き出した。

武は涙も拭かぬまま、バッと勢いよく立ち上がり、床に転がっていたゲームガイと、壁にかけていた黒い制服をハンガーごと、本能の赴くままに勢い良く手に取って、部屋の外に飛び出した。

階段を転げ落ちるかのような速度で降りながら思う。

 

(頼む!そうであってくれ――俺はまだ……まだ、やり残したことが沢山あるんだ……ッ!?)

 

1足だけあった軍靴の踵を履きつぶし、玄関から屋外に飛び出す。

軍靴の時点である程度察しは付いていたが、どうしてもこの目で確認したかったのだ。

扉を突き破るかのように開け、外のその光景が武の視界に飛び込んでくる。

 

「はっ……はははっ。はーっはっはっはッ!」

 

そこに広がっていたのは、廃墟と化した柊町だった。

全身をよく分からない高揚感が襲い、その煽りを受けて気が狂ったかのように高笑いを始めた。

隣に目を向けると、純夏の家は破壊されており、下半身を失ったロボット……つまりは戦術機・撃震の残骸によって完全に押し潰されていた。

やがて押し寄せてきた高揚感も徐々に薄まり、武は冷静さを取り戻す。

一度、深呼吸をして気持ちを整え、拭っていなかった涙や鼻水を手で拭うと、武はゆっくりと呟いた。

 

「――そうか、3回目(・・・)か」

 

そう、この世界に来るのは、言葉通り3回目であった。

ここにきてようやく、実感のようなものが武の身体を襲った。

そして武は振り返る。

 

(1回目は夢だと思ったなぁ……)

 

そう、1回目は夢だと武は思っていた。

夕呼の話を聞いたときは、質の悪い冗談かとも思った。

覚悟……という言葉は、平和ボケした当時の武の頭では中途半端なものでしかなく、戦術機という巨大ロボットに乗れるということに目が眩んで馬鹿騒ぎした。

夕呼に言われるがまま、武は世界の存在そのものを疑いながら、ただ人形のように生きていた。

だが、武は今思い返せば何より力が無かったと思っていた。

仲間を助けることもできず、足を引っ張った。

そして人類の敗北を目にしながら、仲間が1人ずつ欠けていくのを、ただ眺めるしか出来なかったのだ。

 

(2回目はまた、と思ったなぁ。でも帰れなかったことに対する悲しみより、この世界に残れたことの方が嬉しかったのは覚えてる……)

 

そう、2回目はまた……というのが正直な感想だった。

元の世界に帰れなかったことに落胆こそしたものの、同時にこの世界に残れたことに対する安堵感も、同時に覚えたことを確かに記憶している。

そして世界を救ってみせるという、中途半端な覚悟を決めた――いや、今思い返せばあれは本当の意味での覚悟ではなかった。

だから一度の挫折で簡単に心が折れ、元の世界に逃げ帰ってしまった。

本当の意味で覚悟が無かった。

そして恩師すら死に追いやり、ようやくそれに気が付いた。

 

(3回目、か……なんで3回目があるのか――まぁ、俺の頭で考えても仕方ないか。でも、もう一度やれと言うならやってみせるさ。今度はもっと上手く……そうさ、今回は違うんだ)

 

武は思う。

今度は違うと。

まるで自分に言い聞かせるように。

今回は力も以前よりあるし、知識もある。

何より前回(2回目)とは違う、やり遂げるという強い覚悟と意志を初めから持っている。もう後ろは振り返らないと。

 

(俺の守れる範囲にはなってしまう――所詮、自己満足であることも理解している。でも、いやだからこそ……俺の出来る範囲では、誰1人死なせやしないさ)

 

しかし、どうしてもそこで迷いが生まれてしまう。

 

(でも……俺のやり方で成功するのだろうか……力を手にして、覚悟さえ決めることが出来れば皆を守れるのだろうか……ハイヴをこの地球上から消滅させられるのだろうか……)

 

思わぬ3度目のチャンスに迷いが生じ、迷いは戸惑いとなり、決断力を鈍らせ、武の中に不安感が募っていった。

 

(夕呼先生にはガキ臭い英雄、と言われた。俺は本当に英雄たれるのだろうか。俺がちゃんとした英雄になれれば、皆を守れるのだろうか……もし、英雄足れないのならば……もし、ただの英雄では許されないのならば――俺は……)

 

しかし立ち止まるわけにはいかない。

引くわけにはいかないのだ。

武は、人類がBETAに奪われて久しい青空に向かって、そう想いを胸に秘めたのだった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「さて、これからどうするか……」

 

ハンガーごとひったくってきた黒い制服の正体は、黒の帝国斯衛軍の制服だった。

それに取り敢えず袖を通し、身だしなみを整えながら、武は1人呟いた。

何せ着るものが他にないのだから仕方がないのである。

仮に、この斯衛の制服を持たずに外に出ていたらどうなっていたか、と思うと武は少し身の毛がよだった。

まさか下着姿で横浜基地に姿を出すわけにはいかないからだ。

軍靴も急いで外に飛び出したが故に、踵を履き潰してしまっていたのだがそれをやめ、しっかりと履きなおし、土足のまま一瞬にして廃墟となった我が家に再び入る。

 

そこでふと武は思う。

 

(今思えばこれはどんな手品なんだろうか……家だと思っていたものが、一瞬にして廃墟になるのは……脳が勝手に廃墟でないと思い込んでいたのか?だとしたら相当ヤバい奴だな、俺って……)

 

まぁそれは兎も角として、武は薄れかかっている記憶を頼りに洗面所のあった場所に向かう。

そこで割れてバラバラになった鏡の破片を見つけて手に取り、それを使って再び身だしなみをチェックする。

 

(これは斯衛暮らしが長かったせいだな……)

 

武はここまで身だしなみを気にするタイプの人間ではなかった。

それはこのBETAがいる世界にきてからも変わることはなく、国連軍時代は適当に済ませていた。

だが斯衛という場所は、当然と言わんばかりに服装や身だしなみというものには神経質で、整っていないとよく注意されたのを武は思いだした。

 

(これも真那さんのせいだなー)

 

武は懐かしいな、と少し郷愁の思いに駆られるが、そこでふと疑問が頭をよぎった。

何故、自分は黒い斯衛の制服を身に着け、月詠中佐を真那さん、と親しみを込めて呼んでいるのかと。

 

「うぐッ!?」

 

再び激しい頭痛に襲われる。

手に持っていた鏡の破片を落とし、頭を抱えて再び床にしゃがみ込む。

今回流れ込んできた記憶は、先ほどまでのハッキリしたイメージから、断片的なイメージへと変わっていた

 

「無数の確立時空……その大元……白銀武の統合体、G元素との交換」

 

ハッキリしたものであろうと断片的なものであろうと、記憶は記憶。

それが大量に自らの元へやってくる。

 

「なんだ……一体なんだってんだよ……俺の記憶は、実際に体験したものだけ……って、しまったぁ!」

 

迂闊にも与えられた情報を整理しようと考えてしまった武。

それが余計な頭痛を呼び起こした。

 

「ぐおおぉぉぉッ!き、気持ち悪っ……!の、脳が犯されるぅぅ……ッ!」

 

前回頭に流れ込んできたのは、1回目と思われる記憶や2回目の知識や出来事、そして桜花作戦の記憶だった。

今度流れ込んできたのは、桜花作戦後の数十年にも及ぶ記憶や様々な人々との出会いや別れ、BETAや戦術機の知識だった。

そして自分の最期の瞬間も。

 

頭痛を何とか耐えきり、武は考える。

 

(――本当に3回目なのか?いや、そもそもこれは自分の記憶なのか?)

 

疑問が疑問を呼ぶ。

 

(いや……これは多分、夕呼先生の言う並行世界の自分の記憶なのか?でも、だとしたらどうして……まぁ今はいいか。にしてもこう立て続けに頭痛が来ると疲れるな……)

 

物理は元の世界でも、こちらの世界に来てからも、専門外な武である。

 

(ぶっちゃけ、物理関連で夕呼先生には敵うはずがないしな)

 

と思い至り、武は考えることをやめることにした。

それから武は廃墟になった自らの家を捜索した。

理由は、他に何か持っていけるものはないかと思ったからであったが、結局最初に持ち出したゲームガイと斯衛の制服以外は特に何も見当たらず、自分の部屋を最後に捜索を打ち切った。

 

(うん、まぁ何もないか。取り敢えず夕呼先生の所に行くか……次こそは守ってみせる!)

 

これからの行動予定と決心を胸に秘め、武は自らの部屋を後にした。

部屋から出ていざ階段を降りようと思い、手摺を掴んだ己の手を見た時、武はようやく先ほどからあった全身の違和感の正体に気が付いた。

 

(……っていうか俺、若返ってるじゃん)

 

その場で顔や手にあった皺がまったくないことを手で触って確認する。

 

(うん、やっぱり若返ってる。なんていうかその……複雑な感じ?)

 

何故か疑問形である武だが、これも考えても仕方ないので取り敢えず後回しにして、降りかけた階段を再度降りようとした、その時だった。

突如大きな衝撃が、まるでハイヴ攻略戦の最中にS-11が爆発したかのような、巨大な衝撃が起き、家全体が揺れた。

 

「な、なんだぁッ!?」

 

その衝撃で、いざ降りようとしていた階段から足を踏み外してしまう。

転げ落ちそうになり、咄嗟に階段の手摺を掴もうとするが、生憎家が廃墟となってしまっていたため手摺も一部しか残っておらず、挙句の果てに唯一掴めた手摺もバキッと音を立てて壊れてしまった。

そのため武は盛大に階段から転げ落ちた。

 

「あ、あが~」

 

転げ落ちたことで何故か出てきたそのセリフは、かつて武が霞に教えたこの世界では白銀語と呼ばれた不思議なセリフだった。

最も本人は至って真面目な発言であり、文化が発達していないこの世界では、異質な言葉であったが故にそう名付けられてしまったという、誠に不名誉なことではあったが。

まぁ兎に角、いつまでも転んだままにもいかないので武はゆっくりと起き上がって、服に付いてしまった埃や汚れを払う。

だが何よりも今優先するべきなのは、先ほどの衝撃の正体である。

取り敢えず武は玄関に向かい、ボロボロのドアを開けて外に出る。

 

するとそこには、巨人がそびえ立っていた――。

 

「これは……八咫烏か!?」

 

そこにあったのは、機体全高20メートルほどの八咫烏と呼ばれる、この世界には勿論のこと、前の世界にもたった1機しか存在しない戦術機だった。

 

「お前もこの世界にやって来たのか?」

 

武はオルタネイティブⅣの産物であるこの機体を見て、再び郷愁の思いに耽る。

これが、本当に自身が体験した記憶かどうかは分からない。

でも思い出せる限りでは、最期の瞬間を共にしたのは確かこの八咫烏だったと、武は思う。

 

「ま、これも何かの因果(・・)だな。取り敢えずよろしく頼むよ」

 

そう呟いて八咫烏の脚部を叩いた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「よっこいせっと」

 

今、武は八咫烏でロッククライミングの真似事をしていた。

理由は単純で、そうしないとコックピット、即ち管制ブロックにたどりつけないからだ。

一応戦術機には、こういった状況下で乗り降りるための装置が設置されている。

しかしそれは管制ブロックに乗っていればの話。

残念ながら、都合よくその装置は作動してはいなかった。

 

何度か滑り落ちかけながらも、なんとかたどり着き、管制ブロックを外部からの開閉する為のスイッチを起動する。

すると、ゴォーと音を立てて管制ブロックが開き、武は中に乗り込んだ。

 

「えっと確かこの辺に……おっ、あったあった」

 

中を少しゴソゴソと漁り、予備用に保管されてあった強化装備一式を見つけ、取り敢えずヘッドセットのみを装着して着座する。

それから色々と操作して機体状況をチェックすると、機体は問題なく動作することが分かった。

 

「オールクリア、か。にしてもあの戦闘の記録は残ってるのに、機体はおろか弾薬の損耗は一切なしってのも不思議だな……ん?これは?――まさかッ!?」

 

機体のチェックを終え、適当にコンソールを操作していた武は、この機体に本来存在していないはずの機能(・・・・・・・・・・・・・・)を見つけた。

驚きの感情が武の心を支配するが、何はともあれまずは機能を実施してみることにする。

 

「――そうか、そういうことか……」

 

そこにあったのは、間違いなく驚くべき事実だったであろう。

だが武はそれを問題なく受け入れた。

この辺が、彼の明らかな成長した点であろう。

そしてその点は、八咫烏に本来存在していないはずの機能を取り付けた本人も認める点であり、恐らくこの反応と、これから武が行うであろう行動を予測していることだろう。

それから武は暫くコンソールを操作し続け、大方の事情と情報を理解する。

 

「うーん、これからどうしたもんかな。取り敢えず夕呼先生に会いに行くのは確定だけど、戦術機ごとっていうのもなぁ……やっぱり問題あるよな」

 

八咫烏は、本来この時代には存在しない戦術機であり、まさにオーパーツだ。

かと言ってこのまま放置するわけにもいかない。

 

「そもそも今日が10月22日だって保証はない。いやでもあの人(・・・)のことだから多分そういうことなんだろうけど。お前はどう思う?」

 

再び八咫烏に向かって話しかけるが、これも意味はない。

しかし何故か網膜投影の表示の右上に、2001年10月22日(月)08:41という表記があるのが見えた。

これがいつから表示されていたのかはわからないが、これで自分がループの起点となっている10月22日に戻ってきたのだという確信となった。

 

「おっ、やっぱりそうか。ありがとな」

 

だが武は八咫烏に礼を述べ、コックピットの壁をバシバシと叩いた。これも存在していない機能のおかげであろう。

何はともあれ、憂いが1つなくなったわけだが、根本的な問題は解決していなかった。

 

「やっぱりお前が問題だよなぁ。いきなり戦術機で行ったら襲撃と勘違いされそうだし……何より穏便に済ませたいんだよな」

 

これからどうするかと、武は独り言をブツブツと言い続ける。

 

「それに今の横浜基地じゃ、有事に対処出来ないだろうしな。だから夕呼先生もXM3のトライアルの時に――そうか、その手があったか!?」

 

ハッと武の脳内に、閃きと言う名の女神が降り立った。

そしてある計画を思いつく。

少しばかり考え込んでみるが、それが実行可能だと結論付き、即座にそれを決行することに決めたのだった。

 

「よし、そうと決まればいっちょやりますか!」

 

八咫烏の主機に火を入れ、減速材を分離しジェネレーター出力を高めていく。

それと同時に着替えも行い、強化装備を着用してコックピットに着座固定をする。

出力が一定値に達したことで、戦術機全体に動力がいきわたり、漆黒の機体に紅い色が灯った。

かつて死神と呼ばれたこの機体が再び、別の世界で動き出したのだ。

 

「いざ横浜基地へ!」

 

どういうわけか、やけにハイテンションな武であった――。

 



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Episode3:横浜基地襲撃

Episode3:横浜基地襲撃

 

 

2001年10月22日(月)09:27

 

 

(――あの老人ども!……あと、あと一息なのよ……!)

 

この日、オルタネイティヴ第4計画総責任者である、香月夕呼は荒れていた。

人の責任を追及するしか能がない上層部の連中に、まだ結果はでないのか、といつもの倍以上の嫌味を言われたことが原因だった。

普段は滅多に出さないイライラの感情、つまりは怒りが表に出てきてしまっていた。

特にそれが朝一なら、怒りも倍になるというもの。

それが狙われたものだと分かれば尚更だ。

何故なら、国連本部があるアメリカ合衆国ニューヨークは、深夜一歩手前の時間であり、日本は早朝という時間帯だからだ。

そこに寝不足が重なれば尚更である。

 

(理論は出来てる……それなのに……!)

 

夕呼はこの世界ではトップクラスの、いや紛れもない天才である。

世界最高の頭脳の持ち主だろう。

その彼女が解決出来ない問題ということは、並大抵の人物は勿論のこと、並大抵の天才でもどうにか出来る問題ではない。

というか彼女以外には確実に無理であろう。

 

香月夕呼という女性は、多くのモノを抱え込んでいる。

その中で一番大きいものといえば、それはやはり人類の未来(じんるいのあす)であることは疑いない。

彼女は何とも不幸なことに、それをたった1人で抱え込んでしまっていた。

天才とは常に孤独、孤高の存在であると言われている。

その例外に漏れることなく夕呼も常に1人であった。

数少ない友の中で、神宮司まりもは確かに親友だが、公私の区別は付けなくてはならないことも、彼女は当然理解している。

それ故に夕呼はこれまでも、そしてこれからも孤独の存在であることは間違いない。

だからこそ夕呼は、その抱え込んでいるものを半分一緒に抱えてくれるという、あの男(・・・)に惹かれたのだが……。

はて、あの男とはいったいどの男だろうか?――金、ゴールド?いや違う、ぎんだったか?シルバー?プラチナ?それはどんな外人さんだろうか?

いやそうではない。

夕呼は今まで恋愛などしたことはない。

そんなものに現を抜かす暇はなかったし、これからもそんな暇は存在しないと本人は思っている。

 

思考が知らないうちに、あられもない方向に逸れたことに夕呼は気づき、怒りが更に加速する。

非現実的で訳の分からないことを考えている自分に嫌気がさし、遂には机の上に積み上げられた書類の一部を怒りに身を任せ、ソファーに向かって放り投げるという暴挙に出た。

他人に対する怒りと、自分に対する怒りの両方が頂点に達していた時、彼女のデスクの電話が鳴った。

チッ、と舌打ちをして受話器を取り、極力怒りを面に出さないように気持ちを切り替えてから、夕呼は息を吸った。

 

「はい、香月」

『博士!緊急事態ですッ!』

 

電話の主はイリーナ・ピアティフ中尉だった。

夕呼の副官兼個人秘書でもあり、横浜基地の通信士も兼ねている人物だ。

 

自分の副官が珍しく慌てている様子に、夕呼は少し驚きを覚える。

と同時に先程までの怒りが、そのおかげでほんの少しとれた思いだった。

 

(にしてもこんな時に、それも朝一に緊急の案件……ましてやピアティフを慌てさせる問題を起こした馬鹿がいるっての?)

 

と今度は少し別の怒りを覚えた夕呼だった。

 

「はぁ?こんな時になんだって……『防衛基準態勢1発令!即時出撃態勢にて待機せよ』

『総員第1種戦闘配置!対地対空迎撃戦用意!』――っ!?一体何なのよッ!?」

「正体不明の戦術機が1機、当基地に向かって来ています!至急、中央作戦司令室までお越しください!」

「すぐ行くわッ!」

 

受話器を叩き付けるように戻して、夕呼は自らの執務室を後にした。

 

(一体どこの馬鹿よ、この基地を襲おうなんて。オルタネイティヴⅤ推進派が?いやこんな分かりやすい馬鹿な手は使わないはず……)

 

様々な思考を張り巡らせながら、急ぎ足で夕呼は司令室へと向かった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「司令」

「博士か」

 

慣れない急ぎ足で夕呼は中央作戦司令室に入ったが、不思議と息はあがらなかった。

そこにはこの横浜基地の司令であるパウル・ラダビノッド准将がおり、入室してきた夕呼を出迎えた。

 

「一体どういうことですか?」

「分からん……あれを見たまえ」

 

ラダビノッドに促され、司令室正面のスクリーンに夕呼は目を向けた。

そして驚きから目を見開いた。

 

スクリーンには見たこともない1機の漆黒の戦術機が映っていた。

どことなく武御雷を思い起こさせるようなフォルムをしているが、あのようなデザインの戦術機は世界中のどこにも存在しないのは明らかだった。

しかし、夕呼が一番驚いたのはその戦術機自体にではない。その手に持っている兵装、つまりは武器に驚いたのだった。

 

この戦術機の武装を簡潔に述べるのならば、近接戦闘用の武器が2つに射撃系武器が2つだと言える。

詳しく解説すれば近接戦闘用の武器、74式近接戦闘長刀に似たデザインの日本刀風の長刀が2本あり、うち1本は右手に、もう1本は背部兵装担架に担架されている。

射撃武器はAMWS-21戦闘システム、つまるところ米国製突撃砲とこれまたよく似たデザインの突撃砲1門を背部にマウントしている。

そして極めつけが、99式電磁投射砲をまるで超小型化したようなデザインの銃、あるいは砲があることだ。

これを左手に装備していた。

あれが本当に電磁投射砲を小型化したものであるかどうかは、恐らく普通であれば分からない。

分かるはずがない。

だが夕呼は確信をしていた。

そしてハッキリと断言できる。

あれは間違いなく電磁投射砲の小型版であると。

 

(あれは間違いなく電磁投射砲!何故!?どこから流れたの!?)

 

しかしそこは流石の夕呼と言うべきか、一瞬浮かべた驚きの表情を、直ぐに平静ないつも通りの表情に戻し、ラダビノッドに向き直り問う。

 

「――あれは?」

「やはり博士でもわからんか。つい先ほど、基地の対空レーダーに探知されたのだが、基地手前4kmに接近されるまで、一切探知出来なかったのだ……」

 

戦術機は、第1世代機なら17メートルほど。第2・第3世代機なら19メートルほどの巨大さを誇っている。

また例え戦闘機の技術が数十年前から止まっていたとしても、レーダー技術はそれなりに発展を遂げている。

にも拘らず、基地の直近に近づかれるまで反応がなかったということは、理由は1つしかなかった。

 

「――ステルス、ということでしょうか」

「ステルス性能を持った戦術機など、米国のF-22A(ラプター)ぐらいだと思っていたが……どうやらそうではないようだな」

「外装を見る限り、設計思想は近接戦を重視する帝国やソ連寄り……といったところでしょうが、どうやらそれだけではないようですね。いずれにせよ、性能は相当なものと思うべきでしょう」

 

先ほども述べたように、どことなく武御雷を思わせるような鋭角的なデザインをもつこの機体。

恐らく何も知らない人々に対し、日本人が設計したと言えば納得してしまうであろう、日本人向けの風貌を持つ機体だ。

しかし、このようなデザインの戦術機は世界中のどこを探しても存在しないのは、横浜基地の誰もが知っていた。

 

「しかし目的が分からん……あの所属不明機(アンノウン)は基地に侵入後、第1滑走路上で停止したままだ。破壊工作が目的ではないのは明らかだが――まるで何かを待っているようだな……」

「愉快犯なら、わざわざこの横浜基地を選んだりしないでしょう。ですが司令の言う通り、何かを待っているようですね」

 

そこでラダビノットが何かに気づいたようで、ハッとして夕呼を見る。

 

「博士。まさかとは思うが……」

「いえ、第5計画派の仕業ではないと思います。彼らがこのようなあからさまな手段に出るとは考えられません。無理矢理可能性を考えるならプロミネンス計画派か、キリスト教恭順派ですが……」

「ううむ……」

「――司令。迎撃部隊の配置、完了しました」

 

オペレーターが、迎撃部隊1個中隊の配置完了を告げる。

スクランブルして凡そ15分弱。これを速いと見るか遅いと見るか、人によるだろう。

しかしこの2人は違った。

 

(遅い……)

 

夕呼は思った。

 

「遅い!既15分近く経っているのだぞ!」

 

いくら発見が遅れたとはいえ、出撃に時間がかかりすぎている。やはりたるんでいる。それ感じたのは、夕呼は勿論のこと、ラダビノッドも同様であったようだ。

 

「司令。A-01の出撃準備は出来ているはずです。そちらも出しますわ」

「いいのかね博士?あれは博士の子飼いの部隊だが……」

「このような状況です。出し惜しみはするべきではないかと。それに向こうも律儀に待っているのです。出さないのは失礼というものでしょう」

 

夕呼は既に待機しているA-01部隊に出撃を命じた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

再三の警告を無視し、依然として第1滑走路上に佇み続ける正体不明の戦術機。

スクランブル発進した基地駐留の戦術機部隊1個中隊は、滑走路上に鎮座する不明機を囲う形で展開した。

部隊が包囲する態勢を取っても、依然として不明機に動く気配はなく、ご丁寧に包囲が完成するのをまるで待っているかのようで、まさに王者の佇まいがそこにはあった。

恐らく、第3世代かあるいはそれに準ずるものであろうが、未だかつて見たことも聞いたこともないその機体に対し、遂に司令部から攻撃許可が下りた。

 

迎撃に出た部隊の中隊長が、部隊の仲間に指示を飛ばす。

 

『トレボー01より中隊各機へ。所属不明機を捕獲する。ただし搭乗衛士の殺傷は禁ずる。繰り返す、搭乗衛士の殺傷は禁ずる!』

『優しいねぇ。その100分の1でいいから、俺にも気を遣ってくれよ中隊長』

 

司令部からの指示に、衛士の1人が不平を言う。

 

『トレボー03、無駄口を叩くな。いいな、基地内だからな。誘導弾は極力使用するな』

『『『了解!』』』

『よし、かかれ!』

 

中隊長の男の合図で、日本から国連に供与された12機の77式戦術歩行戦闘機・撃震の中隊が一斉に動き始める。

すると、先程まで包囲されても動かなかった不明機が僅かに動き、前屈みの姿勢になった。明らかに跳躍ユニットを使用する体勢だ。

 

『ッ!?来るぞ!』

 

中隊長が反応し、皆に声をかける。

中隊各機が一斉に散開し、発砲した。

まず手始めに、前衛の4機が1門ないしは2門の突撃砲を放った。

だが次の瞬間、その不明機の機動に中隊12機12人の衛士たちは、度肝を抜かれることとなる。

それは何故か、それは不明機が視界から消えたためだ。

 

『『『なッ!?』』』

 

無線から、まるで中隊全員が示し合せたかのように、同じ驚きの声を発した。

 

(どこにいったッ!?上か?)

 

と後衛の衛士の1人は困惑するが、戦場では考えるのを止めた奴から死んでいくことは本人も理解している。

故に、この衛士は前や上、横を確認するがどこにも不明機の姿はない。

跳躍つまりはブーストジャンプかと思ったが、そうでもないようだった。

しかし一瞬で消えるなど神の所業。

衛士の困惑がさらに加速し始めた時、味方の無線でその衛士は我に返る。

 

『トレボー06!後ろだッ!』

「なんだとッ!?」

 

しかし警告を受けた時は既に時遅く、巨大な衝撃と共に己の機体が地に倒されたことに気付かされる。

 

「ぐはッ!?」

 

衝撃で一瞬息が詰まったものの、自分はまだ生きていることに衛士は気づく。

あの僅かな間に一体何があったのか。

困惑から未だ頭は抜け切れていなかったが、生きているならまだ戦える。

そう思い、衛士は網膜投影に映し出された機体状況を確認するが、そこには驚きの結果が表示されていた。

 

「ッ!?」

 

機体の跳躍ユニットが完璧に破壊されていた。

それと同時に、倒された衝撃で脚部が一部破損していた。

これでは機体を起こすことが出来ない。

衛士の網膜投影は、自分が一瞬で完璧に無力化されたという事実を示していた。

 

『06!糞ッ!貴様ぁッ!?』

『02!待て早まるな!』

 

仲間の1人がいとも簡単に屠られたのを見て、中隊の一部の衛士が、陣形を無視して攻撃を始めた。

仲間の感情任せの行動を、その中隊の仲間が制止しようとするが止めきれず、なし崩し的に戦闘が拡大していった。

だが、それではまともな戦いが出来ようはずもなく、立て続けに中隊は不明機に撃破されていった。

全機見事に跳躍ユニットのみを破壊されて。

 

不明機が中隊を全機撃破するのに要した時間は、僅か4分程だった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

オルタネイティヴ第4計画直属第1戦術戦闘攻撃部隊、通称A-01部隊。

あるいは特殊任務部隊A-01とも。

 

かつては連隊規模を誇り、精鋭と名高かったこの部隊も、現在は損耗につぐ損耗を重ねて1個中隊の定数割れにまで、その規模を縮小していた。

だがその個々の能力は未だに高い。

或いはそれに準ずる、金の卵とも言える者たちが所属する、未だに世界でも有数のエリート部隊といっても過言ではない。

その栄誉ある部隊の部隊長を務める、伊隅みちる大尉は、先ほどの戦闘を他のA-01部隊員と共に、少し離れた位置から一部始終を見ていた。

 

先ほどの戦闘を見る限り、不明機は突撃前衛(ストーム・バンガード)に適しているチューン、あるいは設計が施されているようで、跳躍やそれに付随するスピードも、恐らくは武御雷と同等かそれ以上の性能のように思えた。

衛士の腕はそれ程高くないようで、スピードにのみ頼り切った戦いをしていたため、例え機体性能で劣ろうとも、伊隅は十分戦える相手だと判断した。

 

丁度そこに司令室からの通信回線が開かれた。

 

『伊隅。今の見ていたわね?どうやらあの馬鹿はこちらを殺す意図はないらしいわ。跳躍ユニットを峰打ちで破壊する大層ご丁寧な手法でね』

 

司令室の夕呼からやや怒気の含まれた声が、A-01部隊に配備された94式戦術歩行戦闘機・不知火の各コックピットに響いた。

 

「はい、副司令。随分とナメられたものです」

『いい?何としてでもあの機体を捕まえて、あのふざけた衛士をあたしの目の前に引きずり出しなさい!生かしてね!これは命令よ!』

 

夕呼の声は徐々に大きくなっていった。

 

(あぁ、これは相当怒ってるな……)

 

と伊隅は苦笑した。

 

「了解!」

 

伊隅は通信を中央作戦司令室から、A-01部隊内へと切り替えた。

 

(あのナメた不明機をさっさと捕獲して、副司令の機嫌を直さないと後が怖いな……)

 

とみちるは再度苦笑する。

 

「ヴァルキリー01より各機、A-01部隊の名誉と誇りにかけてあの不明機を捕獲するぞ!」

『『『了解!』』』

 

A-01部隊員たちの威勢のいい返事が、伊隅の耳に心地よく届いた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

武は、自分に向かってくる数機の不知火を目にしていた。

国連軍で不知火を提供されている部隊、それはA-01部隊のみである。

 

(覚悟してはいるけど、12機の精鋭揃いのヴァルキリーズ相手にするのは骨が折れるな……でもやらなきゃいけないんだ。俺とXM3と、この八咫烏があれば……って――アレ?)

 

武は向かってくる機影の数に疑問を覚えた。

 

(――6機?この頃の伊隅ヴァルキリーズは確か12機なはず……なんで機数が少ないんだ?)

 

しかし時は待ってくれなかった。

武がそうこう考えている間に、6機の不知火は第1滑走路に着陸した。

 

『目の前の所属不明機に告げる。ただちに降伏せよ。これが最後の警告だ。降伏せよ』

 

武に伊隅からのオープンチャンネルでの降伏勧告が入る。

 

(さっきも最後って言ってなかったっけ?)

 

と武は思いながら苦笑する。

先ほどの撃震の部隊も戦闘開始前に同じことを言っていた。

何故、何度も意味もない降伏勧告をするのか。

負けるはずがないという自信或いは油断の現れか、又はそれほどにたるんでいるのか。

まぁ武にはどちらでもよかった。

何故ならやることに変わりはないからだ。

武は勧告を無視し続けた。

 

やがてヴァルキリーズがしびれを切らし、戦闘が始まった。

 

「――ヴァルキリー1よりヴァルキリー2。速瀬、初撃は任せる!」

『ヴァルキリー2、了解!あの不明機のケツに一発くれてやりますよ!」

 

伊隅ヴァルキリーズ全6機のうちの先陣を切るのは、お馴染みのそしてこの部隊唯一の突撃前衛(ストーム・バンガード)である、速瀬水月中尉の不知火。

全速力で不明機に向かい突っ込んでいった。

無論、1対1で戦うつもりはない。

あくまで後続の涼宮茜と2対1の態勢を取るためだった。

先に突っ込み、それを不明機がかわす機動を取ったところを、茜と挟み撃ちにする。

その間に更に後ろの宗像美冴、伊隅、柏木晴子、風間祷子の4機の不知火は、それを支援する形から次第に変化し、最終的に取り囲む態勢を取るつもりだった。

速瀬は手にしていた長刀を構え、跳躍ユニットを吹かす。

すると不明機はそれを避ける姿勢を一切見せず、速瀬と同じように右手の長刀を構えた。

 

「――っ!?いいわ!あたしとやろうってのね!」

 

速瀬は跳躍ユニットを更に吹かし、水平噴射跳躍(ホライゾナル・ブースト)の勢いそのままに、長刀を不明機に向かって振り下ろした。

凄まじい衝撃が不明機と速瀬機の両方を支配し、長刀同士がぶつかり合い強烈な火花が散る。

速瀬の振り下ろした長刀は不明機によって受け止められた。

その衝撃で不明機の脚が地面へとめり込むが、それに対し速瀬は少し唾を飲む。

 

「不知火を真っ向から受け止めるなんて!?」

 

そう、不明機は速瀬の勢いの籠った振り下ろしを真っ向から受け止め、今に至るまで鍔迫り合いをしているにも関わらず、その勢いは足が少し地面にめり込む程度ですんでおり、衝撃で後退した様子は一切なかった。

鍔迫り合いは、火花の散る勢い増す程の猛烈なものになっていった。

 

「こいつ、機体性能だけは相当なようね!」

『ヴァルキリー2!』

「ッ!?」

 

速瀬の耳に通信が入った瞬間、彼女は次に何が来るかを察し、後方へと跳躍噴射(ブースト・ジャンプ)する。

すると速瀬機と入れ替わるように、そこに多数の突撃砲が撃ち込まれた。

放ったのは迎撃後衛(ガン・インターセプター)の宗像と伊隅だった。

そこに追加と言わんばかりに、制圧支援(ブラスト・ガード)である祷子が放ったミサイルも多数飛来する。

勿論、この程度で仕留められるとは伊隅も速瀬も思ってはいなかった。

速瀬が不明機と鍔迫り合いをしている間に、既に包囲は完成していた。

狙いは次の一撃だった。

不明機が伊隅と宗像の砲撃を避け、祷子のミサイルを避けるために機動したその瞬間を、速瀬が狙うつもりだったのだ。

 

(左右、後ろ、どこでもいいから避けなさい!それがあんたの最期よ!)

 

と速瀬が不明機の次の機動を見極めようと、目を凝らす。

しかし、その不明機が動いたのはそのいずれでもなかった。

不明機が選択したのはまさかの上だった。

 

「上!?」

 

伊隅と宗像の砲撃を噴射跳躍で避けた。

ここまではよかったのだ。

次はミサイルを避けるためにもう一度地面に降り立ち、左右或いは後ろへの回避行動を取ると思われたのだ。

しかし不明機が選択したのは、まさかのそのままミサイルに突っ込むこと。

つまり噴射跳躍を続けたのだ。

一歩間違えれば、自らミサイルの大群へと飛び込むような機動。

まるで後ろへ噴射跳躍した速瀬を、飛び越えると言わんばかりの高さだった。

しかも、ただの跳躍ではなかった。

不明機は、跳躍しながら空中で倒立反転したのだ。

ちょうど、速瀬の真上に来た時には綺麗に機体が反転していた。

 

『『『なっ!?』』』

 

それを見たA-01部隊の全員が驚きの声を上げた。

 

(何よそのアクロバティックな動きは!?)

 

それを目の前で見た速瀬は特に驚いた。

しかし驚いている暇はなかった。

不明機はミサイルの大群を華麗に避けた後、まるで着地の勢いをキャンセル(・・・・・)したかのように、着地と同時に跳躍ユニットを吹かして、速瀬の正面へと躍り出た。

 

「くッ!?」

 

速瀬は慌てて長刀を構え、不明機に向かって振り下ろすが、次の瞬間、不明機は横にズレて一瞬で速瀬の背後に回り込んだ。

 

「なぁッ!?」

 

一瞬見失った不明機の位置に速瀬が気づいたのと同時に、凄まじい衝撃が速瀬の機体と身体を襲った。

何があったかは周りから見れば明白だった。

不明機は、速瀬機の長刀の振り下ろし攻撃を凄まじい速さで避け、避けた勢いをそのまま利用して彼女の背後に回り込んだ。

そしてそれに速瀬が気づいたのと同時に、不明機は長刀を速瀬機の跳躍ユニットへと振り下ろしたのだ。

速瀬の不知火は、跳躍ユニットを根元から叩き壊され戦闘不能となった。

 

『大尉!速瀬中尉がっ!』

 

A-01部隊の強襲掃討(ガン・スイーパー)の茜から、驚愕と悲痛に満ちた声が聞こえた。

 

さきほどの一瞬の攻防を見て、実戦経験豊富な伊隅もただただ呆然とするしかなかった。

あの一瞬でA-01部隊が誇る、突撃前衛長が敗れたのだ。

彼女の衛士としての腕は、この隊全員が認めるものであり、間違いなくこの国においてもトップクラスのものだった。

しかし速瀬は敗れた。

その事実は伊隅を驚愕させるには十分だった。

 

速瀬を倒した不明機は、次の獲物を見つけたようで、跳躍ユニットを吹かし前進する。

 

「狙いは私かッ!?」

 

不明機は宗像や茜に目もくれず、一目散に伊隅の正面へと躍り出た。

戦場において焦りは禁物だと分かっている伊隅だが、あの不明機の機動やスピードを目の当たりにしては、どうしても焦りは出てしまう。

伊隅は慌てて突撃砲のトリガーを引く。

突撃砲は2000発にも及ぶ、36mmの弾丸をフルオートで連射する。

だが、当たらない。

不明機は跳躍噴射を巧みに使い、左右上下万遍ない動きで銃弾をかわして、伊隅目掛けて突進してくる。

 

「何故当たらない!?」

 

伊隅の焦りは次第に加速していく。

 

彼女は先程の評価を訂正する。

 

(私の間違いだった。この戦術機の衛士は、スピード頼りで衛士としての腕はそうでもないと言ったが、それは違う!奴は機体性能だよりの、二流や三流の衛士ではない。間違いなく一流だ。それも超一流だ。この圧倒的な機体性能を使いこなすだけの、いや、機体性能以上の性能を引っ張り出す超一流の衛士だ!)

 

と伊隅は理解した。

彼女は突撃砲を撃ち続けながら後悔する。自らの誤った判断のせいで部下を危険に晒してしまっていることに。

 

(くッ!?また私はッ!)

 

そう後悔の念に駆られた時が、彼女の最期だった。

先ほどの敗れた撃震の部隊と同様に、速瀬と同じように、またしても機体の後方に一瞬にして回り込まれ跳躍ユニットを破壊され敗れたのだった。

 

後は簡単だった。

指揮官不在のA-01部隊は連携をまともに取れず……いや、取らせてもらえなかったと言った方が正しいだろう。

次々と撃破されていくA-01部隊の面々。

結局A-01、伊隅ヴァルキリーズは10分を待たずしてあっけなく敗れたのだった――。

 



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Episode4:桜並木の下で

Episode4:桜並木の下で

 

 

2001年10月22日(月)10:49

 

 

「この景色、懐かしいな……」

 

武は瓦礫で覆いつくされている柊町を見て、そう呟いた。

 

(こうして廃墟の旧柊町を歩くのは、本当に久しぶりだな……最後に来たのは前回(2回目)のループの時、今と同じように横浜基地に向かうために歩いた時以来になるのか。それ以外だと、最初(1回目)のループで冥夜と結ばれたときに、初デートとして俺の家を案内した時になるのかな?……ううん、もう記憶としてはかなり曖昧になってきてるな……)

 

武は郷愁の思いを胸に、旧柊町を歩く。

 

「――平和だな……」

 

再び武が呟いた。

なんともまぁ不思議な呟きである。

BETAによって廃墟と化した街を平和、と武は言ったのだ。

何故その言葉が出てきたのか、正直なところ彼自身もよく分かっていない。

しかし、これだけはハッキリと言える。

それは桜花作戦後に日本近郊で起きた数々の激戦を、殆ど休む間もなく戦い続けていた武にとって、こうした時間こそが、真の意味での心休まる時になるということなのだろう。

例えどんな状態であろうと、故郷(ふるさと)というものは、そこが故郷である人たちにとっては掛け替えのない故郷であり、また心休まる場となるはずだ。

少なくとも武はそう信じていた。

 

(あの火山のお婆さんも、きっと同じ気持ちだったんだろうなぁ。例え息子たちが帰らなくとも故郷で待ち続ける。故郷とはそこに住む人たちなんだ……)

 

武は複雑な思いで旧柊町を歩く。

目的地は横浜基地。

武はもう止まるわけにはいかないのだから――。

 

ここで少し状況を整理しよう。

時刻は2001年10月22日月曜日、午前10時49分。

場所は日本帝国旧神奈川県横浜市柊町。

武が、国連太平洋方面第11軍横浜基地を襲撃してから、凡そ30分ほど経っており、この世界に来てから凡そ3時間ほど経っている。

武は今、徒歩で横浜基地に再度向かっている最中である。

 

ここで少し、武の横浜基地襲撃の意図について解説する。

一見無策とも取れる基地襲撃だが、これには武なりのちゃんとした理由が存在する。

その理由は、前線でありながら後方という配置故の安心感、つまりは弛んだ基地の雰囲気を一掃するというモノである。

これによって、後に起こるであろうXM3トライアル時のBETA襲撃事件……通称、横浜事件を未然に防ぐという、もう一つの目標も併せて達成されることになる。

横浜事件を防ぐということは、神宮司まりもの死も、未然に防ぐということにも繋がる。

武としてはまずやらないわけにはいかない。

 

因みに、武は横浜事件が意図的に引き起こされたものだということは知っている。

だが、それと神宮司まりもの死はセットではなかったと思っている。

あれは自分の覚悟のなさが招いた結果であり、武を慰めようとしたまりもが独自に取った行動である。

流石の夕呼もそこまでは想像出来ていないはずだ。

逆によく夕呼先生に罵られなかったなと、武は思っている。

普通の人間なら武を罵っているはずだ。

 

兎も角、横浜事件を未然に防ぐという目的は、取り敢えずこれで達成されることになるだろう。

ということで、武の計画は次の段階へと移行する。

次に武が成すこと。

それは夕呼に会うことである。

そのために、今徒歩で再度横浜基地に向かって進軍中なわけだが、そうすると八咫烏をどうするか、という問題が発生する。

その方法として、八咫烏を再度自身の生家の前に置き、そこで自立隠蔽モードを作動させておく。

こうすることで、外部から発見される可能性がまず低くなるのだ。

機体隠蔽後は、強化装備から再び帝国斯衛軍の軍服に着替え、後は歩いて横浜基地へ行くだけだ。

 

武は歩きながら、自らが袖を通している斯衛の制服の袖を見つめる。

そこにはとある刺繍が施してあった。

 

(――この制服、ハッキリとは思い出せないんだけど、なんか重要な意味があったはずなんだよなぁ。特にこの刺繍の意味……なんだっけ?)

 

斯衛の制服に思いをはせていると、更にいろんな事が思い出されてきた。

 

(篁中佐や斑鳩閣下、月詠中佐×2、紅蓮大将、そして煌武院悠陽殿下……。あの後どうなったんだろうか……)

 

武は思い出す。

あの頃はBETA大戦末期も末期で、詳しいことは殆ど覚えていない。

でも、それでも思い出されてしまうあの頃の光景。

武は、あの時世話になった人たちの思いも汲み取って、この世界で過ちを再度繰り返さぬように生きると、そう心に決めたのだった。

 

ちょっとした感傷に浸っている間に、武は柊町を通り過ぎていた。

そして天下の難所、地獄坂へと到達する。

武はそれでも歩みを止めなかった。

その名の通り、地獄のように辛いはずであるこの坂も、ループ前の体力を引き継いだ彼にとっては、大した苦痛ではなかったようだ。

この世界でも当然同じように存在する横浜基地と、その正門前からズラリと並ぶ沢山の桜たち。

この場所は武だけでなく、全てのA-01部隊員たちにとっての聖地とでも呼べるような場所。

不思議とこの場所を通る時の武の足は、自然と遅くなっていた。

そしてその途中、ふと視界に入ったのが、1本の桜の木に寄り添うように土に刺されていた鉄骨だった。

武の生きた世界にもあったそれは、当然この世界にも存在していたようだ。

足を止め、鉄骨の前にしゃがみ込んで手を合わせた。

そして、武はそこに眠る英霊たちに誓う。

貴方たちの死を無駄にはさせない。

必ず意味のある、もっと意味のある死にさせて見せると。

時間にして1分ほど、武は誰のものか分からない墓に手を合わせると、決意を新たにスクッと立ち上がって、基地正門へと向かう。

 

遠目に基地の様子を伺うと、やはり先ほどの襲撃からまだ立ち直ってはいないようで、撃破された撃震の回収作業や、一部損壊した基地施設の復旧作業の最中のようで、慌ただしさが伺い知れた。

 

(……少しやり過ぎたか?)

 

一応、武は死傷者が出ないようにも気を配り、基地の損壊は極力抑えていた。

戦術機の無力化に際し、跳躍ユニットのみを狙ったのにはそういう理由もあった。

だが、何にも増して大事なのはまりもを死なせないことなのだが。

取り敢えず、今回の一件で基地の雰囲気が改善されることを、武は祈るばかりだった。

 

1回目、2回目共に武がお世話になった例の門番2人は、この状況下にあってもなお、門番という役職をこなしているようだ。

2人を門の少し手前で発見すると、声をかける前に一度深呼吸した。

 

(いよいよだ……)

 

と武は熱い決意を胸に秘めつつ、冷静に対応することにした。

 

「騒がしいようだが、何かあったのか?」

 

例え門番であっても、やはり基地内の様子が気になるようで、2人の身体はその向きこそ基地外を向いてはいるものの、その顔と視線は基地の中へと向けられていた。

しかし武の問いかけによって、2人の意識は強制的に正面へと戻る。

 

「何って、さっきの襲撃事件を知らないのか?……って、て、帝国斯衛軍!?」

「こ、これは失礼しました!……た、大佐殿!」

 

知り合いか、或いは身近な人間に話しかけられたと思ったのだろう。

当初、軽い口調で武の問いに返事をした彼らだったが、振り向いたことで話しかけられた相手が一体誰であったかを把握し、慌てて姿勢と態度、そして口調を直して武に敬礼をした。

門番の2人は、状況を理解して驚く。

相手が自分たちと同じ国連軍ではなく帝国斯衛軍で、かつ大佐であったことも当然驚きの一因だろう。

だが彼らにとっての最も大きい衝撃は、武がどうみても20歳前後に見えることであった。

 

「ご苦労様」

 

武も敬礼を返し、雰囲気を和らげるために取り敢えず労いの言葉をかける。

 

「それより一体何があったんだ?」

「はっ!つい先ほど正体不明の戦術機が、当横浜基地を襲撃してきたのであります」

 

彼らの言葉に武は少しばかり驚きを見せた。

勿論演技だが、意外と様になっていた。

 

「被害はあったのか?」

「はっ。戦術機をはじめ、基地に複数の被害が……」

「そうではない。人的被害はあったのかと聞いたんだ」

 

やや威圧的に訂正すると、一度は敬礼を崩していた門兵2人だったが、再び敬礼をして謝罪しながら武に答える。

やはり斯衛はかなり畏怖されているようだ。

 

「失礼いたしました。いいえ、皆無だったと聞いております」

 

それを聞き武は内心かなり安堵するが、所詮は閑話休題。

本題はここからになる。

 

「それは良かった――ところで香月夕呼副司令に連絡を取って貰えないだろうか」

「――は?香月副司令に、でありますか?」

 

唐突な話題の切り替えかつ、意外な人物の名が挙げられたことで、彼らの表情は怪訝そうなものに切り替わった。

 

「そうだ。急なことで面会予約はしていないが、私の名と今から告げる単語を伝えて貰えれば問題はない」

「失礼ですが大佐殿。香月副司令との面会は、正式な紹介状が無ければ出来ない規則となっておりまして……」

「機密故に詳細は話せない。だが、先ほども述べたように急なことなのだ。その辺を理解したう上で連絡を取ってもらいたい。それに香月副司令に関する事柄は、全て報告事項だろう?」

 

門兵の2人は一度顔を見合わせ、どうしよう?というようなアイコンタクトを取った。

お互いどう判断すべきか、迷っているようだ。

規則は守らなければならないが、武の言っていることもまた事実だからだ。

 

実はここまでの流れは、武の読み通りだった。

後はこの2人に、簡単な解決策という名の逃げ道を作ってやればよい。

 

「君たちはただ連絡を取るだけでいい。納得出来ないというなら、機密事項を少しばかり話しても構わないが……その場合の君たちの身の安全は保証出来ないがね」

 

2人は目に見えて狼狽した。

 

「りょ、了解しました!」

 

どうやら峠は越えたようだった。

 

(ここまでは順調……)

 

と武は心の中で笑みを浮かべる。

 

「――それでは連絡を取りますので、失礼ですが大佐殿のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「あぁ、私は白銀武だ。香月副司令には『00』、『4と5』、『脳とカガミ』と伝えてほしい」

 

オルタネイティヴⅣの詳細を知る者なら分かる言葉が3つ。

これだけ言えば、絶対に夕呼なら食いつくだろうという予想。

 

「はっ!では連絡を取りますので、少々お待ちください」

 

東洋人風の門兵が、敬礼してから急ぎ足で詰所へ向かう。それをもう1人の黒人のほうは、気が気ではない様子で見守っていた。

待つ間、武は正門付近の監視カメラをチェックする。

そして、1番自分の顔が見えやすいであろうカメラに目星を付け、そのカメラをジッと見詰める。

恐らく夕呼が、自分の部屋からこのカメラを見ているだろうと予測して。

 

暫く大人しく待っていると、無線機を持って門兵が戻ってくる。

 

「副司令が代わるようにと」

 

ほらね、と武はつい言いそうになった。

差し出された無線機を受け取り、一呼吸置いてから声を発する。

 

「こんにちは、香月博士」

『――あんた、誰?』

 

無線機越しの第一声は、ドスの聞いた不機嫌な声だった。

夕呼が不機嫌になるのも無理はない。

基地襲撃の直後に、自身を突然訪ねてくる謎の人物。

胡散臭さは相当なものだろう。

当然、夕呼は関与を疑ってかかってきているはず。

 

武は再び、夕呼が見ているはずの監視カメラを見つめながら言う。

 

「白銀武です。単刀直入に言います。4はいずれ失敗します。それを食い止めに来ました。あと、シリンダーのカガミの件も」

『……』

 

とくに無線機の向こうから、声が聞こえたわけではないが武には分かった。

夕呼が大層不機嫌であるということと、相手を推し量ろうと、色々と考えを張り巡らせているということを。

夕呼は暫し沈黙し考える。

それを武は察して続けた。

 

「空の上、順調に作られてるようで何よりです。夕呼先生(・・・・)も気が気ではないでしょうね」

『……あたしは「教え子を持った覚えはない?」……っ!?』

 

考えを読まれた夕呼は、電話越しにでも分かる驚きを見せる。

もう少し、核心を突いても面白いだろうと武は思うが、天才の夕呼のことだ。

既に大体のことを把握しただろう。

故にこれ以上は必要ないと判断した。

暫く、両者の間を無言が支配するが、武はこれ以上ここで語る気はなかった。

後は夕呼の判断次第となる。

そして――。

 

『――いいわ、迎えを寄越すから付いてきなさい』

 

ビンゴ!と心の中で武はガッツポーズを決める。

 

「了解です、先生」

『……待ってるわよ』

 

1回目と2回目のどちらでも聞いた事のない、最初以上のドスの利いた言葉を残し、夕呼は通信を終わった。

あぁ、これはちょっと煽り過ぎたかなぁ、と武はほんの少し後悔の念に駆られた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

あれから武は、厳重な検査という検査を4時間ほど受けさせられた。

幾度にも渡る身体検査に、血液検査やX線検査などの代表的な検査から、一体何を検査しているか分からない、不明な検査までをたっぷりと受け、疲れ切った武の姿は横浜基地の地下の一画にあった。

武は夕呼の秘書官を名乗る女性、イリーナ・ピアティフ中尉の案内を受けて基地内を歩いていた。

主観時間で、既に20年近くの時を過ごした横浜基地。

今更案内など必要のない武だが、初めて訪れたことになっている以上、その案内を断るわけにはいかなかった。

 

因みに、検査を担当した国連軍の軍属たちは、相手が現役で斯衛の所属であるが故に、かなりビクビクしながら武の検査をしていた。

無論、向こうが勝手に身分証も確かめず勘違いしただけだが。

なお、その間武は、この面倒な検査をパスする方法を考えておけばよかったと、眉をひそめたのだが、それが尚更、検査を担当した者たちを怖がらせる一因にもなっていたということを、本人は知る由もなかった。

 

武は、ブーツを一歩一歩等間隔で踏み鳴らしながら、前を歩くショートカットブロンド美女、ピアティフの揺れる髪を眺めながら、機密エリアへの直通エレベーターに乗り、B19フロアに到着した。

 

「――こちらです大佐殿」

「あぁ、案内ありがとう」

 

夕呼の執務室の前までの案内を終えたピアティフは、敬礼をして去っていった。

武は一度深呼吸をしてから、夕呼の執務室のドアをノックして入室した。

 

「……あなたが、シロガネタケル?」

 

部屋に入るなり、夕呼は不審な目を武に向けて言った。

主観時間で十数年ぶりの夕呼の姿に、武は郷愁と同時に哀愁を覚えたのだった――。

 

 



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Episode5:夕呼との初交渉

Episode5:夕呼との初交渉

 

 

2001年10月22日(月)17:08

 

 

「……あなたが、シロガネタケル?」

 

夕呼の部屋に入るなり不審な目を向けられた武は、主観時間で十数年ぶりの夕呼の姿に郷愁と同時に哀愁を覚えた。

だがしかし、懐かしさばかりに耽っているわけにはいかない。

 

(ここからが正念場だな……)

 

と心の中で武は気を引き締めた。

 

武は夕呼に絶大な信頼と信用の両方を寄せているが、この世界ではお互い初対面となる。

つまり、武が夕呼を幾ら信じたところで、その思いは一方的なものとなる。

武から夕呼にラブがあっても、夕呼から武にラブとはならないのだ。

ましてや用心深い夕呼のこと。

基地襲撃の後に、突如現れたオルタネイティブ計画を知る不審な男を、何の対策や確証もなく信じるわけがない。

それに彼女の手腕の良さを、武は既に2回ほど(・・・・)この目で見て体験している。

気を抜けば、あっという間に呑み込まれてしまう可能性があった。

横浜の女狐、或いは横浜の魔女という2つ名は、伊達ではない。

 

「はい。俺が白銀武です」

「あんた……何者?」

 

夕呼は、武のかつての記憶と同じように椅子に腰掛け、左手を顎に当て、こちらを値踏みするような眼をしていた。

だが、右手だけは机の下に隠れていた。

恐らく……いや、確実にその手には拳銃が握られているのだろう。

 

「白銀武。見ての通り、それ以上でもそれ以下でもないですよ」

「――斯衛の制服を着ているから?」

「さぁ?どうでしょうね」

 

肩をすくめておどける武に、夕呼の表情は険しくなった。

僅かではあるがヒールの踵の音が、机に隠れた下の方から断続的に鳴っている。

余程イラつきが、怒りが溜まっているようだった。

 

「そう。じゃぁさっきの戦術機との関係、洗い浚い吐いてもらうわよ。所属不明の戦術機による、襲撃事件の数十分後に現れた、オルタネイティヴ計画を知る男。偶然にしては出来過ぎてるわ。流石にこっちはしらばっくれても無駄よ」

 

どうやら夕呼の中で、武はさっきの襲撃とは無関係ではないと、既に結論付けられているようだ。

それとも揺さぶりのつもりなのか。

恐らくはその両方だろうと、武は判断する。

 

(まぁ、当然そうなるわな……)

 

ただ武にとって少し意外だったのは、夕呼の興味を引くために言った『00』、『4と5』、『脳とカガミ』などの単語。

或いはオルタネイティヴⅣの失敗について先に聞かれなかったことだ。

 

「あぁ、それは俺ですよ」

「ッ!?……あんたが!?」

 

大層な驚きようだった。

ここまで驚きをあらわにする夕呼は、武の記憶の中でも少ない。

やり過ぎると後が怖いのはわかってはいるが、少しだけ夕呼を手玉に取れていると思うと、ちょっとだけ楽しい気持ちが、武の中に芽生えてくる。

元の世界でもこの世界でも、武が夕呼にやられっぱなしだったせいだろうか。

しかし、夕呼にとっては、それだけの驚きであったことに変わりはない。

20代前後のこの少年に、意図的とはいえ、数多の激戦に投入してきた精鋭である、A-01部隊が敗北したという事実。

そして、戦術機の操縦経験がない夕呼でもわかる、有り得ないあの戦術機動の数々。

そして使用されることはなかったものの、夕呼が確信を持った電磁投射砲の小型版。

一体、この少年はなんなのだという疑問が、彼女の中で生まれる。

 

夕呼は立ち上がり、机の下に隠していた右手を、その手に予め握られていた拳銃の銃口を、武へと向けた。

 

「……一体、何が目的なの?」

「オルタネイティヴⅤの発動阻止。そして、オルタネイティヴⅣの完全な完遂と、人類の勝利ですよ」

「……あなたが、反オルタネイティヴ派の工作員である――って話の方に、より信憑性を感じるんだけど」

 

こんな馬鹿げた工作員が、一体この世のどこに存在するというのか。

意外と夕呼も平和ボケしていたのかもしれない。

それとも、こんな地下のフロアに引きこもり過ぎて、真っ当な感覚を失ってしまったのだろうか。

 

「工作員がわざわざ正面から、それも斯衛の制服を着てきますかね?」

「……」

「それに、夕呼先生(・・・・)はまともに銃なんて撃てないでしょう?」

 

夕呼の眉がピクリと動く。

以前に同じようなことを指摘しても、平然としていたと思うが、それは武が因果律量子論の体現者だという事実が発覚した後だ。

今回はまだ序盤、やはり夕呼も緊張しているということか。

 

武がそのようなことを考えている中、夕呼の方はというと……。

 

(――またね……一体何者なの?)

 

という感想を抱いていた。

そう思った理由は2つ。

1つは、この怪しい少年が、またも自分の心の中を見透かしたばかりでなく、その事実を的確に指摘してくるということ。

2つ目は、自分を先生と呼び、その眼には言いようない優しさと懐かしさの、その両方を漂わせた目をするということ。

しかし、夕呼はそこで気が付く。

初めてこの少年に会ったにも拘わらず、その向けられた視線に、前述の優しさと懐かしさ(・・・・)を自分も感じているという違和感に。

何故?初対面なはずなのにどうして……という疑問が夕呼を襲うが、まずはこの少年は何者なのかということの方が重要なので、そちらの方を優先する。

こうしてこの違和感は、夕呼の中から暫くの間忘れ去られることとなる。

 

夕呼の中では何故、という言葉が止まらなくなる。

何故、オルタネイティヴⅣのことをここまで知っているのか。

何故、こうも平然としていられるのか。

何故、鑑純夏の想い人と同じ名を語るのか。

本当にこの少年、この男は一体何者なのか。

何が目的なのか。

取り敢えず、夕呼は外堀から埋めることにした。

 

「……さっきもそうだけど、あたしのことを先生と呼ぶのは何故?」

「じゃぁ今から突拍子もない話をしますけど、最後までちゃんと聞いてくださいね?あと、銃は降ろしたほうがいいですよ。長い話になるので疲れますよ」

 

武の言葉に夕呼は少しばかり脱力した。

 

(この男は一体どこまで本気なのか……掴み処が難しいわね。でも不思議と怒りは感じないのね)

 

暫しの沈黙の後、夕呼はため息を吐いて銃を降ろした。

 

武は説明した。

自分は元々BETAがいない世界の住人で、ある日気が付くと、BETAのいる世界にいたこと。

そして、その世界では自分の友人や知人が、全く違う役割を持ちながらもそこに存在していたこと。

基地を訪れて捕まり、それを夕呼に助けてもらい、そのままなし崩し的に訓練生になったこと。

オルタネイティヴ計画を始めて知ったのは、今年の…・…つまり2001年12月24日だということを。

 

オルタネイティヴ計画について話した時、夕呼の眉がピクリと動いたのを、武は見逃さなかったが、気にせず話を続けた。

オルタネイティヴⅣは失敗。

理由は、莫大な予算を貪りながらも、何の成果も出せなかったため。

計画はオルタネイティヴⅤへと移行。

そのオルタネイティヴⅤは、G弾の集中投入によるハイヴ殲滅作戦と、全人類から選抜された10万人を、他星系に移住させる作戦であること。

その後、武は地球に残り戦い続けたが、気が付くと2001年10月22日に戻っていた――つまりループしたということを。

 

「……ふぅん。じゃぁなに?あんたは未来から来たって言うの?」

 

黙って武の説明を聞いていた夕呼が、遂に口を挟んだ。

 

「そういうことになりますね」

「それもオルタネイティヴⅣが失敗して、オルタネイティヴⅤが実行された未来から?」

「そうですね。ですが正確には違います」

 

武の否定に、夕呼が眉をひそめた。

 

「――どういうこと?」

「この話には続きがあるんですよ」

 

武は説明を続けた。

ループしたあと、武はもう一度2001年10月22日から、今度こそ全人類を救うために再スタートしたこと。

そして武に紆余曲折あったが、年内にオルタネイティヴⅣは成功したこと。

そして同時にオルタネイティヴⅣが、対BETA諜報員育成計画――つまり量子頭脳00ユニットの完成であったことを知ったこと。

そして00ユニットには――想い人であった鑑純夏が使われたことを。

 

「……つまりあんたは2度ループしたってわけ?」

「いえ、正確には3度目です」

「まさか、まだ続きがあるってんじゃないでしょうね?」

「正解です。続けます」

 

武は真実を話した。

その真実を聞いているうちに、一度収まっていた夕呼の貧乏ゆすりが再開され、前はそこまで大きくなかった揺すり音も、次第に大きくなっていった。

それでも武は淡々と説明を続けた。

そして遂に我慢が出来なくなったのか、夕呼は執務机を大きくダンッと叩いて、立ち上がって怒鳴った。

 

「ふざけた話じゃない!!」

「ですが、それが真実です。そして、それを食い止められる唯一の存在は……夕呼先生だけです」

 

急に持ち上げられたことに夕呼はほんの少し戸惑いつつ、何故か恥ずかしくもなった。

しかし、そのおかげで一度沸騰した頭を再び冷やすことが出来た。

 

「……その先生っていうのは、あんたが言う『元の世界』の?」

「そうです。先生はまりもちゃんと共にここ、白陵大学付属柊学園に所属する教師でした。そして……」

「……そう。んんっ、BETAがいない世界、ねぇ……」

 

一瞬夕呼が笑みを浮かべるが、咳払いをして直ぐに表情を戻す。

どうやら、まりもが教師をしていたという言葉に反応したようだ。

当然夕呼も、親友のまりもが、教師という職業に恋焦がれていたことを知っていた。

 

「まぁ楽しかったわよ?ずいぶんと壮大な妄想話だったけど」

 

と夕呼は言ってはいるが、それが妄想話かどうか判断する方法を、実は彼女が既に持っていることを武は知っている。

 

「ループした理由なら自分が因果導体だったからですよ」

「ッ!?」

「そして俺を因果導体にしていたのは純夏でした……俺に会いたいという気持ちだけで」

 

BETAに捕まり脳髄の状態にされた鑑純夏は、武ちゃんに会いたい、という強い気持ちだけでシリンダーの中で生き続けていた。

それが明星作戦で使用された、G弾2発の爆発で発生した、高重力潮汐力の複合作用と、反応炉のとの共鳴で、時空に深く鋭い歪みが発生した。

その時、ほんの一瞬だけ、比較的分岐が近い世界との道がつながり、それが反応炉によって変換、増幅された純夏の思念が作用した結果、大量のG元素を引き換えに、武はこの世界に連れてこられた。

 

「これが俺のループした原因の仮説、だそうです。詳しいことは自分より夕呼先生のほうが分かるのでは?」

 

武の言葉で、そっと椅子に座り直した夕呼は、思い出したようにキーボードを叩き始め、何やらディスプレイと睨めっこを開始した。

何のデータが表示されているか、武は何となく想像がついた。

これと同じ出来事の経緯は、今までとは違うが2度目の時にも存在した……はずだ。

どうも記憶が曖昧でいけない。

 

時間にして1分ほどだろうか。

体感時間としてはそれ以上な気もするが、夕呼は視線をディスプレイから武へと戻した。

 

「はぁ……どうやら認めざるを得ないようね。まさか、こんな形であたしの理論を実証することになるなんてね」

「信じてもらえましたか?」

「さっきは妄想話なんて言ったけど、あれは嘘よ。私にとっては十分、信じられる内容だったわ。だって有り得ないことじゃないもの」

 

時空間理論、エヴェレット解釈、因果律量子論。

すべて理論が武の存在を肯定したことを、夕呼は理解しているのだ。

 

「それに、あんなご立派な仮説まで用意してくれればね」

「それは俺じゃなくて、純夏の話を元に夕呼先生が立てた仮説ですよ」

「あら、そうなの?ならどうしてあんたの話が真実だと、あたしが認めたのかしら?」

「社霞、でしょ?霞が俺の証明をしてくれたようで何よりです」

「なるほど。そこまでお見通しなわけね」

 

夕呼はニヤッと笑う。

 

(また何か企んでそうだな……だけど今は)

 

武は口を開く。

 

「先生が知りたいこと、俺に聞きたいことはたくさんあるとは思います。ですが、取り敢えずはこれから先のことについて、まずは話しませんか?オルタネイティヴⅣがオルタネイティヴⅤに接収されるまで、確かにあと2ヶ月ほどしかありませんが、00ユニットの完成だけならそう焦る必要はないと思います」

「……」

「俺と夕呼先生は、オルタネイティヴⅣの為の、ある種の運命共同体みたいなものなんですよ、きっと……」

 

主観時間で既に十数年経っているにも拘らず、武はまだまだ青臭い、ガキ臭い男だろう。

 

(知らないところで、夕呼先生に対して甘えが出てしまっているのだろうか……よく分からないな)

 

と武は思う。

 

夕呼はもう迷うのをやめた。

正直不安要素はまだあるし、分からないことも沢山ある。

しかし、一定の成果は得られた、と夕呼は判断した。

 

「……それはつまり、あんたと私は利害が一致している――――そう考えてもいいわけ?」

「はい。俺は先生なくしてオルタネイティヴⅣは完遂出来ないし、先生もまた俺がいなくてはオルタネイティヴⅤの発動を阻止出来ないんですよ」

 

にしても、この自信は一体どこから出てくるのかと、夕呼は不思議に思う。

しかし中途半端に知りすぎている奴より、中身を完全に理解していた方が夕呼としてはありがたいので、取り敢えず協力関係を結ぶことにする。

 

「ふんっ……随分と言ってくれるじゃない。自惚れでなきゃいいけど」

「――覚悟(・・)、の違いだと思いますよ。以前の俺ではこうはならなかったでしょう」

「口で言うのは簡単よ。この世の終わりより、酷い現実を直視するかもしれないわよ?それでもあんたは――その覚悟、とやらを貫き通せるの?」

「その通りです。ですがもう、この世の終わりも……地獄も既に見てきました」

「っ!?」

 

武のその言葉に、夕呼は息を詰まらせてしまう。

別にその言葉自体に衝撃を受けたのではない。

その言葉の一言一言がとても重く、そして力強く語る武のその声色と、その表情に衝撃を受けたのだった。

恐らく20歳前後であろうこの少年に、瞳の光を失わせ、死人のように冷たく無機質な目をさせたことに。

それ程の地獄を見てきたのか、と。

 

「あんた……」

 

夕呼は武の覚悟を、僅かだがハッキリを垣間見たような、そんな気がした。

 

「それに、強い意思を持って事に当たれと……望むものを勝ち取るために全力を尽くせと教わりましたから」

「……誰に?」

「夕呼先生、つまりあなたにですね」

「……」

 

何とも言えない雰囲気が両者の間に暫し流れた。

その雰囲気を作ったのも武だが、それを破ったのも武であった。

 

「――それで……どうしますか、夕呼先生?」

「……いいわ。ただ完璧に信用したわけではない、でも一応あんたを協力者と認めてあげる。それでいいでしょう?白銀武」

「ありがとうございます」

 

武は、取り敢えず目的を達成できたことに安堵感を覚え、夕呼に礼を言った。

 

(やはり夕呼先生相手にはそう上手くはいかないな。でも思ったより話は進んだ。まぁ及第点かな)

 

と武は素直に思う。

 

一方の夕呼は、武のことを何かを推し量るかのように、ジッと見つめるのだった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「ふぅ……」

 

武は自室として割り当てられた個室に入り、そこでため息を吐いた。

斯衛の制服を脱ぎ捨て、下着姿になりベッドに飛び込んだ。

シーツの感触は真新しい。

どうやら夕呼と話している間に誰かが準備してくれていたようだ。

部屋中に、本当に僅かに香る女性らしい匂い。

準備してくれた人は女性だったのだろう。

 

(――疲れた。かつてないほどに疲れた……)

 

あれからも武と夕呼は話し合っていた。

武は会談の最後に、記憶媒体を1つ手渡した。

これを見れば大体の事は分かる、そう言づけて。

これは武なりに考えての行動に他ならない。

八咫烏の管制ブロックを一通り漁ったとき、武は2つの記憶媒体を見つけた。

そしてその中身を八咫烏内で閲覧したときに、ある程度の状況を察した。

 

「……夕呼先生を騙し通すのは無理だろうし、でもまぁこれも仕方ないのかなぁ」

 

独り言を呟く。

 

「――でも結果としてはあの人(・・・)の手の内か……世界が違うだけで結局意味としては同じってことなのか。ははっ、叶わないなぁ」

 

恐らく自分のこの行動も予測されているのだろうと武は思う。でもこればっかりはどうしようもないことなのだ。

 

(あいつ(・・・)の身の安全の為にはまずはこれしかないんだ……)

 

と自分を納得させた。

 

「はぁ……さっさと寝よう」

 

武はシャワーを浴びて寝ることにした。

白銀武の物語はまだ始まったばかり――。

 



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Episode6:いくつかの再会

Episode6:いくつかの再会

 

 

????年??月??日(?)??:??

 

 

武が目を覚ました時、そこにあったのは真っ暗な世界だった。

ここはどこだろうか?という疑問が真っ先に浮かんでくる。

 

「……白銀」

 

誰かに呼びかけられる。

 

「……白銀」

「武!」

「白銀さん」

「……白銀!」

 

どこかで聞いたことがあるような、はたまたないような、そんな声たちが武を呼ぶ。

 

「なんだ?」

「……白銀さん!」

 

武は謎の呼び声に反応するが、幾ら反応しても誰も気付いてくれない。

まるで見えていないかのような、聞こえていないかのような、そんな感じだった。

 

「……タケル、どうして私を見捨てたんだ?」

「この声は……誰だったかな――そうだあいつだ!見捨てた?何を言ってるんだ。あの時お前は自分から先に行けと……」

「少佐……少佐はいいですね。幼馴染と結ばれて何度もやり直せるんですから。私も所詮は少佐の駒の一つでしたか?」

「違う」

「白銀、貴様は恵まれているな。周りが全部自分の味方なのだから……お前も私の敵だったか」

「違う。違うんだ」

 

武は必死に否定する。しかしその声は届かない――。

 

「……白銀。お前のせいだ」

「なんだって……?」

「……テメェのせいで、世界は救われなかったんだ」

「違う……違うんだ!」

「――殺してやる」

 

え?と武は思う。

 

「お前を殺してやる!」

 

武は頭を抱えながら否定を繰り返す。

やめてくれ、そんなんじゃないんだ!そうじゃないんだ!と脳内で否定し頭を必死に横に振る。

 

「……白銀」

「……武」

「……武さん!」

「……タケル」

「……白銀」

「……白銀君」

 

武は誰かハッキリしない者たちに、名を呼ばれ続けた――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年10月23日(火)05:38

 

 

「――ッ!?」

 

武は勢いよく身体を起こした。

呼吸は著しくあれ、全身は汗まみれ。

まさに悪夢に魘された後、といった様子を体現した姿であった。

 

決して忘れてはならない、かつての仲間たちの姿を見た気がした。

そして皆言いようのない視線をこちらに向けてきた……ような気がした。

正直武は気がした、としか言えなかった。

何故なら、夢の内容はよく覚えていなかったから。

何故か、肝心な部分がぼかされて思い出せない。

でも、気分の良いものではなかったことは確かだ。

 

(……シャワー、浴びるか)

 

起床ラッパまではまだ時間はあるため、武はシャワーで軽く汗を流すことにした。

 

暫くしてシャワーを浴び終え、バスルームから出てタオルで身体を拭いている時、唐突にドアがノックされる。

 

白銀少佐(・・・・)、起きていらっしゃいますか?」

「あ、あぁ……」

 

突然の来訪者に武は動揺してしまい、ろくな返事が出来なかった。

何故なら、ドアの向こうから非常に懐かしい声が聞こえたからだ。

武の主観時間で、凡そ数十年ぶりの懐かしい女性の声……恩師の声だ。

 

(何もかもが懐かしい……こんなに時間が経っても、こっちの方(・・・・・)はハッキリと覚えているものなんだな……)

 

と武は思う。

ふと目頭の奥から色々と溢れ出そうになるのを抑え、平静を装って武は入室の許可を出す。

 

「どーぞ」

「は、失礼します」

 

扉が開かれそこに立っていたのは、国連軍のC型軍服を纏った神宮司まりも軍曹……まりもちゃんだった。

 

(――本当に懐かしい。久しぶり、まりもちゃん……)

 

と武は心の中で、そうまりもに話しかけた。

 

「――っ!?――制服と作業着、IDにパスをお持ちしました」

 

扉を開けるなり、まりもの目に入ったのは、腰にバスタオルを巻きつけた武の姿だった。

一瞬驚いたまりもだったが、直ぐに気を取り直して用件を伝える。

 

(この子は……ッ!?)

 

だが、入室するなり上官がバスタオル一枚であったというのは、未婚の女性には衝撃が大きいだろう。

ましてや、恋愛原子核たる武であれば尚更だ。

しかし、まりもが驚いた理由は、武のバスタオル姿以外に2つあった。

1つは武の年齢だ。

まりもは、てっきり相手が少佐という肩書にあった、身分相応の歳の人物だと思っていた。しかし、いざ蓋を開けてみれば自分と同世代どころか、明らかに歳下の少年とも思える男だったことに驚いたのだった。

そしてもう1つは、バスタオルの上からでも垣間見えた歳相応以上の鍛えられた肉体と、見え隠れする数多の数存在する傷跡だった。

 

(この少佐は、只者ではない……この少年の過去に一体何があったのかしら……)

 

というのが、まりもの武に対する第一印象だった。

そして、まりもはその傷跡という事実に少なからず戦慄した。

 

「……」

「……あの、少佐何か?」

 

そんなまりもとは裏腹に、つい久しぶりのまりもの姿を見て、一瞬固まってしまった武だったが、声をかけられたことですぐに立ち直る。

 

「――あぁ、すまない軍曹。シャワーを浴びててな。この様な格好ですまない」

 

武はまりもから一式を受け取り、そう謝罪した。

 

「いえ、失礼しました!」

「別に謝らなくてもいいんだけど……あぁ、香月博士から話は聞いているとは思うけど、207B分隊の訓練指導には、俺も加えてもらうからそのつもりで」

 

武の発言にやはり、とまりもは思う。

 

(薄々分かってはいたが、やはり彼が……)

 

最初は夕呼の気まぐれか何かかと思ったが、彼を見てどうやらそうではないらしいと、まりもは思い至る。

 

「はっ。承知しております」

「じゃぁ、そういうことでよろしく頼みます」

「はっ。失礼します!」

 

まりもは敬礼をして武の部屋から退出した。

 

(彼が一体何者であるか、夕呼は一切明かさなかった。それにしてもあの若さで少佐……それに無数の身体の傷跡……一体、どのような人生を歩んでこられたのだろうか)

 

知りたい、という気持ちがまりもの心を支配していく。

だが、基本的に軍人は『Need not to know』だということも理解している。

ならば、可能な限り彼の言動を見よう。

まりもはそう思ったのだった。

 

(しかしなんだろう……私と少佐は初対面なはずだ。なんだろう、この言いようのない感覚は……過去にどこかであっている?――まさか、ね……)

 

希望的憶測に過ぎない何かであったが、まりもは不思議とその気持ちを否定出来なかった。用事を済ませたまりもは、朝の点呼のため、武の部屋の前から離れようとした。

その時であった――。

 

「……くっ!」

 

まりもの脳内に光が走るような頭痛が走った。

ほんの一瞬の僅かなものであったが、確かに感じ取ったその頭痛で一瞬よろめき、身体を支えるため壁に手をつく。

不審に思ったまりもだったが、不思議とすぐに回復したため、この後の準備もあり大して気にせずに、その場を後にした。

 

「はぁ……なんというか――なれないなぁ……」

 

一方その頃、武の方は上官としてのまりもへの対応に違和感というか、不慣れさを感じてそう呟きながら制服に着替えていた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

あれから起床ラッパが鳴り、朝食を取った武は、貰ったばかりのIDとパスを利用して、夕呼のいるB19フロアへと向かう。

向かう途中、激動の昨日1日を思い出しながら武は夕呼のもとへと向かうが、その際にふと独り言を呟いた。

 

「まぁ確かに、夕呼先生とは今のところ利害の一致のみだからなぁ……」

 

最初(1度目)こそ言われはしなかったものの、前回(2度目)今回(3度目)で言われた利害の一致、という言葉を武は思い出した。

そう、悲しいようだが現在、武と夕呼が結びつくのはこの一言に限ってしまう。

 

これが自惚れだという自覚はあるが、武は夕呼にとってかけがえのない存在になりたい、と思っている。

無論、恋愛的な意味ではない。

なんだかんだ、夕呼は武にとって恩人であり、また本当の意味での先生であり、聖母でもあった。

覚悟を決めたつもりになっていた武を、叩き直したのも夕呼だ。

確かに彼女のしたことは、元の世界の平和的な観念がまだ残る武とって、納得のいかないこともあるし、当然許されないこともある。

だが、世界がこういう状況下である以上、この一言で済ませていいのかは分からないが、仕方のないことと言えるだろう。

それに何より、武は夕呼が本当は優しい心の持ち主であることを知っている。

だからこそ、武は夕呼を助けたい――と思っている。

勿論、自分が夕呼の足元にも及ばないことは知っているし、自分が助けとなれるのはループしたからこそである。

でも、それでも、武の夕呼を助けたいと言う気持ちに嘘偽りはなかった。

それは、夕呼がこの世界を救える唯一の頭脳の持ち主だからではない――彼女を知る者としての男の決断だ。

仕方なかったとはいえ、自分の下した判断と行いで、大親友であるまりもを死なせてしまったこと。

クーデターを間接的に誘致し、それによって無関係の多数の将兵の命を失わせたこと。

彼女はそれら全てをたった一人で、泣き言すら言わずに背負い込んできた。

だが夕呼とて人間であり、まだ若い一人の麗しき女性である。

そんなことをしていれば、いつか必ず心が壊れてしまう。あの……泥酔し無我夢中で武を求めた最初の世界のように――。

 

そんなことを考えながら、武は夕呼の執務室の前に辿り着いた。

 

「失礼します」

 

ノックはせず一声かけて部屋に入室した。

 

椅子に座り端末を触っていた夕呼だったが、武の入室に気がつくと作業を中断した。

そして――凄まじい勢いで夕呼は移動し、一瞬にして武の目の前にやってきて、突如として武に抱きついたのである。

 

「あーっはっはっはっはっはっは!最高よ白銀!」

 

夕呼は、異常なまでに上機嫌であった。

 

「そうよ、この理論……コレ!コレが言いたかったのよね~!さっすがあたし!」

 

夕呼が上機嫌の理由は大体想像がついた。

 

(あぁ、あの記憶媒体の中身を見たんだろうな。そりゃ嬉しくもなるか。でもなんか複雑だな、利害の一致だの言ってた、昨日の今日でこれだからなぁ……)

 

昨日武が最後に渡した記憶媒体。

あれには恐らく、今夕呼が欲するもの全てが記録されていたはずだ。

これだけでオルタネイティヴⅣは、当分安泰だと言えるだろう。

 

「それより先生。色々と当たってますけど……」

「あら?お互い様でしょ?」

 

夕呼の豊満な胸が武の胸板に、武の股間が夕呼の太ももに、それぞれ重なり合っていた。

 

「はぁ……まぁ別にいいんですけどね」

 

武はため息をついても尚、落ち着いた様子を見せていた。

これが、長い時間を生きた者の格だとでも言うのだろうか。

 

「ちょっと何よ、その余裕っぷりは……」

 

夕呼が不満そうに口を尖らせる。

 

「まぁ、それなりに経験してきたんで」

 

その言葉に今度は夕呼がため息を吐いて、武の目の前から彼女は退散した。

 

「はぁ、しょうがないわね。熱が冷めちゃったわ――ま、取り敢えず礼を言わせてもらうわ、白銀。これで人類はその可能性を、大きく飛躍させることになるわ」

「00ユニットの完成、ですね。ただその前に……」

「ええ八咫烏の件ね。まずは先にそっちから始めましょう。あんたが持ってきた世界の遺産、存分に見させてもらうわよ」

「はい。それで今日のことなんですけど……」

 

武が話題を切り出した。

 

「そうね。あんたから貰った記憶媒体には、私の必要な情報が殆ど書かれていたわ。でも全てじゃないのよ。あんたの知っていることすべて話して貰うわよ」

 

夕呼の言葉に武は頷いた。

 

武は思い出されることを1つずつ丁寧に取り上げ、説明していった。

207B訓練小隊のこと。12・5事件のこと。XM3トライアルと横浜事件、そしてまりもの死についてのこと。甲21号作戦のこと。横浜基地防衛戦のこと。そして桜花作戦、特に最後のあ号標的でのことを。

 

「……」

 

武は一度息をつく。

ここまでで膨大な情報量、それも全て口頭で伝えたのだ。

流石に少し疲れたようだ。

一方の夕呼は、端末をずっと叩き続けており、その手が止む気配はない。

そしてどれくらいが経ったか、武の体感では10分ほどで夕呼の手が止まった。

 

「あんた……それなりの世界を生きていたわけね」

「ええ、まぁ……」

 

場の空気が重くなるが、その空気を取り払おうとしたのは意外にも夕呼だった。

端末を見ながら武に話しかける。

 

「なるほど。あんたが最初に戦術機で、この基地を襲ったのはそういう訳か……」

「はい。まずは先手を、と思いまして」

「随分と大きい手に打って出たわね。あの後の事後処理大変だったんだから。あの嫌味をいうだけの上の連中にも叩かれたし」

 

武は苦笑しながら返す。

 

「それでも得たものは大きいと思いますよ?……あの襲撃の後、基地の空気が少し変わりませんでしたか?」

「……」

 

これは恐らく夕呼も思っていたのだろう。

特に驚いた様子はなかった。

 

「これから数日の間は、より顕著になっていくと思いますよ。そうなればこの基地がいつかBETAに襲撃されても対処できるようになると思いますよ」

 

夕呼が笑う。

どうやら予想された答えだったようだ。

 

(まりもちゃんだって死ななくて済むんだ。このくらいじゃないと……)

 

しかし、思わぬことで夕呼が武にクレームを入れた。

 

「でももう少しうまくやれなかったの?あんたに壊された戦術機、大半は数日使用不可能になるぐらいの損害だったそうよ?」

「それでも一応、跳躍ユニットのみの破壊に留めたんですから。交換すれば済むことじゃないですか。それに前の世界じゃ、この基地が今と同じような状況のために、多数の死者に戦術機の大破があったんですから、これぐらい安いもんですよ」

「ま、考えてみたらそうね」

 

そう言って夕呼は納得したのか、それ以上の追及をしなかった。

 

「それに夕呼先生のことですから、基地襲撃事件を理由に、親米追随派や楽観論者たちの更迭の準備は整ってるんでしょう?」

「当然よ」

「流石、夕呼先生です」

 

そこでふと、武が思い出したように話題を変える。

 

「そういえば八咫烏の件、どうなりましたか?」

「秘密裏に90番格納庫に搬入したわよ。あの機体についての情報、昨日貰ったデータにはなかったわよ?」

「詳細ならこの後お話しますよ。それと八咫烏について、いくつかお願いしたいことがあるんですけど」

「いいわ。話しなさい」 

 

夕呼と武の話し合いはまだまだ続く――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

一通りの話が済むと、武は夕呼に部屋から追い出されてしまった。

仕方なく自分の部屋に戻り、1日の残り時間を、夕呼に提出する書類作成に充てようと考えていた時、そこで武はふと思い出す。

 

(あっ!霞にあってねぇ!)

 

咄嗟に踵を返して夕呼の執務室の前まで戻ると、そこで武は別の部屋へと視線を向ける。

IDとパスを使用してその扉を開ける。

すると扉の向こうには、青白い光が不気味に照らす、暗くて長い廊下がお目見えした。

 

武はゆっくりとその部屋へ足を踏み入れる。

ここを訪れるのは、覚えている限り(・・・・・・・)では随分と久しぶりのことになる。

 

(純夏が死んでからは一度も訪れなかったしなぁ。霞本人も、恐らく純夏がいなくなってからは殆どこの部屋を訪れていなかったはずだ……そもそもオルタネイティヴⅤに移行してから暫くして、この部屋は別の目的に転用されたと聞いていたし)

 

異様なまでに自分の足音が響く廊下を、武は進む。

進んだ先にはまた扉があり、その扉も同じくIDとパスを使用して通過をする。

とてつもなく厳重なセキュリティーも、恐ろしく頑丈なフロアの造りも……全てはあれを守るためのものだ。

 

扉を抜けた先の部屋には、部屋の中央で青白い光を放つシリンダーがあった。

そしてそのシリンダーの隣に佇む、銀髪の幼い見た目の少女……社霞がいた。

シリンダーの中に収められているのは、最初不気味に思っていた脳と脊髄。

そしてその正体は、武の思い人である鑑純夏だ。

 

恐らく、純夏の意識読解(リーディング)をしていたんだろう。

霞はシリンダーの方を向いて目を閉じていた様子だったが、扉の開閉音で誰かが部屋に入ってきたことに気付き、武の方を向いた。

 

「よっ!」

「……」

 

軽く挨拶をしてみるが、反応はやはりなかった。

武は取り敢えず霞に近づこうと歩みを進めると、少しずつ武の視界から霞はフェードアウトしていく。

 

「こら、逃げるな」

 

露骨に逃げていく霞を呼び止める。

 

「はじめまして。俺は白銀武。君の名前は?」

 

無表情ではなく、若干困惑した表情の霞に、武は3度目の自己紹介と挨拶をした。

 

(また振り出しに戻ってしまったけど、ここからまた始めるんだ。そして今度こそ、霞を宇宙に1人で旅立たせたりはしない。1度目はともかく、2度目の霞の意気消沈っぷりというか、落ち込み具合は半端じゃなかったからな)

 

霞は武をジッと見つめて、微動だにしなかった。

 

「……」

「相変わらずだな。でも、日本語がわかるってコトぐらいは知ってるぞー?」

「……霞……社霞です」

「おっ!今回は間が短い!」

 

この時期の霞は相変わらずだなぁと思う反面、前回の最期の状態の霞を知っている武は、この霞を逆に懐かしく思った。

 

「……」

「あっ、ごめんな。でも大体はなんとなく分かるだろう?」

 

その言葉の意味を考えているのか、或いは純粋になんと返答しようかと迷っているのか、多分後者だろうな、と武は思いながら、霞の反応を辛抱強くまった。

そして暫くした後、コクンと霞は頷いた。

 

「よし。取り敢えず握手しような!」

「……握手?」

「そう、握手だ。手をこうやってな……」

 

武は優しく霞の手を取って優しく握った。

その手はとても小さく、とても優しく、そして何より暖かかった。

 

「あ……」

「はい、握手」

「握手……」

 

無表情ではあったが、僅かにその瞳の奥に変化があったのを、武はうっすらとではあるが確かに感じとった。

 

(霞――今度こそお前との約束を果たすからな。生きて、一緒に海に行こうな!)

 

霞は武を見て不思議そうに首をかしげる。

 

「そう!握手!これからよろしくな!」

「……はい」

 

武には霞とせねばならないことが2つあった。

1つは今までのやり取りの如く、挨拶と握手。そしてもう1つが――。

 

「そうだ、霞って呼んでもいいかな?」

「……構いません」

「よっしゃ!じゃぁ俺のことは武って呼んでくれていいぞ」

「……はい――武、さん……」

「うしっ!あっ、そうだ」

 

武は握っていた霞の手を放してシリンダーに近づき、そこにそっと手を添えた。

 

「純夏、ただいま……今度こそお前を守ってやるからな」

「……」

 

霞は目を瞑って、シリンダーの中の純夏の脳をリーディングした。

すると、僅かながら喜びの色が見えたことに反応し、そのうさ耳風の飾りがピクリと動いた。

 

「……嬉しそうです」

「そうか……」

 

こうして武は霞や純夏と再会したのだった――。

 



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Episode7:207B訓練小隊

Episode7:207B訓練小隊

 

 

2001年10月24日(水)05:50

 

 

――ゆさゆさ。

 

「……」

 

――ゆさゆさ。

 

「……」

 

――ゆさゆさゆさゆさ。

 

「……んぅ?」

 

揺さぶられる感覚が長く続いたことで、武はようやく深い眠りから目を覚まし、唸り声をあげた。

仰向けに寝ていた武の胸のあたりが、何か小さいものに圧迫されている。

圧迫と言ってもとても弱い力だが。

武はこんなことをする人物に、心当たりがあった。

薄っすらと目を開けると、うさ耳がまず視界に入り、やがてそのうさ耳をつけたものが誰なのかはっきりする。

 

「……か、霞ぃ、頼むあと5分……」

 

武がそう声を発したことで、揺すっていた動きが一度止まる。

 

「よし……」

 

眼を閉じて再び眠りに付こうとしたとき、再び揺さぶられた。

 

――ゆさゆさゆさゆさゆさゆさ。

 

「……」

 

武はもう5分は意地でも寝たいため、霞の揺さぶり攻撃を敢えて無視する。

暫く揺さぶりを続けた霞だったが、やがて諦めたのか揺さぶりをやめた。

だが結構な揺さぶりを続けられた武の脳は、既にある程度覚醒しており、次に霞が何をするか必死に思い出そうとした。

が、生憎もう十数年も前のことで中々思い出せない。

武が必死に思い出そうとしている中、霞が次の攻撃に移った。

 

「……んっ」

 

武が引っ張って顔を隠していた毛布を、力を込めながらゆっくりと引っ張って剥ぎ取っていった。

一見相反しそうな行為だが、霞はそれをなぜかやってのけた。

中学生程度の少女の腕が捻りだせる精一杯の力を出しつつ、ゆっくりズルズルと武の身体から離れていく毛布。

一体どんな手品なのか……。

 

「……くっ!?高等テクニックの習得が早すぎる!」

 

やがて毛布が完全に剥ぎ取られたことで、武は仕方なくベッドから身を起こし、寝起きのため半開きの目の隙間から、霞を見つめる。

 

「……霞。おはよう」

「……起こしていたんですね」

「ん?」

 

霞が何を言っているか分からなかった武。

だが、時計を確認すれば丁度起床ラッパ10分前。

いつの時代も、どの世界の霞も時間には正確だ。

武を起こすという重大任務を達成した霞は、扉を開けて部屋から出ていこうとした。

 

「……ばいばい」

「あぁ、またな」

 

別れを告げて、霞は武の部屋から去っていった。

そこで武はふと2つ、思い出した。

1つは、霞が毛布を剥がすという行為を、武を起こしに来た初日にやってのけたのは珍しいということだ。

前のこの世界では、ある程度時間が経ってから習得した技だった。

この世界にやって来てから、霞が武を起こしに来たのは今回が初めてであり、このイベントが発生するのは、本来であればもう少し後のはずだった。

自分の知る前のこの世界、即ち武の記憶と、現状の世界での出来事に既に若干のズレを感じている武。

これが後にどのような影響を及ぼすのか、現時点での武には全く想像が付かなかった。

2つ目は、霞にこういう時は、ばいばい、ではなく、またね、という言うことを教えてやらねばならないということ。

次の機会に霞に確実に言おうと、武は心に誓った。

 

洗面台にて顔を洗った武は、いつもの国連軍少佐の軍服に着替えて、起床ラッパを待った。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「小隊集合!」

 

太陽が天高く昇った頃、訓練校のグランドにまりもの声が響いた。

何故集合をかけたのか。

それは、武がこちらに向かってきたことに、まりもが気づいたからに他ならない。

 

「敬礼!」

 

千鶴の声で、全員がまりもに対し敬礼をする。

まりもが敬礼を解くと、それに倣い分隊も敬礼を解く。

武はそれを、まりものすぐ後ろで眺めていた。

 

分隊各員は皆、敬礼をしなかった武の姿に疑問を持ち、身体こそまりもの方を向いていたが視線だけは常に武の方を向いていた。

本当はまりもに対し、失礼極まりない行為なのだが、まりもは咎めることをしなかった。

まりもが武の紹介に入った。

 

「紹介しよう。こちらが今日から、貴様たちの特別教官に就任される、白銀武少佐だ」

「敬礼!」

 

再び千鶴の一声で、分隊が敬礼をする。

BDU姿の武が敬礼を返し、少し間を開けて腕を下すと、皆も敬礼姿を解いた。

 

「白銀だ」

 

武の挨拶は非常に短かった。

そして武はとある人物をジッと見つめた。

この場を暫く無言の状態が支配し、皆が武に対し奇怪な目を向ける。

そして遂に我慢出来なくなったのか、見つめられた人物が声を発した。

 

「あ、あの……僕に何か?」

 

武は思う。

 

(どういうことだ?この時期、美琴はいないはずだ……)

 

そう、見つめられたのは鎧衣美琴だった。

 

「鎧衣!発言を許可した覚えはないぞ!」

 

堪らず声を出した美琴に対し、まりもがすかさず注意の声を飛ばす。

 

「いや、いいんだ。神宮司軍曹」

「はっ」

 

武の脳内が疑問に支配されるが、奇しくもまりもの一声で我に返る。

 

(後で夕呼先生に相談すべきか……いや考えるのはあとにしよう。まずは207Bを立派にしないとな)

 

武はこの状況を誤魔化すべく、また本題に入るために言葉を発した。

 

「さて、今日からは俺も貴様たちの訓練を見ることになる。最も俺の専門は衛士訓練課程だ――つまり総戦技すら突破していない貴様たちは俺の担当外、ということになる」

 

武が何を言い出すか、その一挙手一投足に注目していた分隊は、少なからず衝撃を受け、目を見開いた。

彼女たちにとっては酷な言い方だが、それを最初の掴みとしたかった武にとっては、大成功と言ったところであった。

武は彼女たちの目の前を、ゆっくりと歩き始めた。

 

「――軍隊とは本来、軍人を育成するための場所だ。貴様らのようなお嬢様が、興味本位で来ていい場所ではない。遊び半分で戦場に出られでもしたらそれが最後。周囲に迷惑を掛けるばかりか、同じ隊の……或いはそれ以外の隊の奴らを、そしてその隊の奴にとっての仲間を死なせることにもなる――最も貴様らはそれ以前の問題だがな」

 

通り過ぎる間、武は一人ひとりの目を見つめながら歩いた。

その眼には果たして、何が映っていたのだろうか。

逆に、彼女たち207B分隊は、武の目に何を見たのだろうか。

武は心を鬼にして言葉を続ける。

 

「貴様らは一度、総戦技演習を落ちている。充分な訓練期間があったにも関わらず、だ――全くの問題外だな。おまけに同期の207A分隊は、ほぼ文句無しの成績で通過している。そして彼女たちは、それなりの部隊(・・・・・・・)に配属されている。仮にA分隊も不合格であったならば、教練課程に問題がある――即ち神宮司軍曹に職務不適格(・・・・・)の可能性がある、ということになるが、それはまずもって有り得ない話だ。それは演習を通過したA分隊や、軍曹のそれ以外の卒業生が証明している」

 

まりもに問題があるわけがないと、そう武は思っているし、信じている。

加えて武自身、まりもを師と仰くと同時に尊敬もしている。

これは武だけでなく、目の前にいる207Bは勿論のこと、過去のまりもの卒業生たちも全員が恐らく同じ思いだろう。

そのまりもに対し、僅かながらでも矛先を向けることに、武も躊躇いがなかったわけではない。

だが、分隊全員の心に油を注ぐには、十分な効果があると思ったからこそ、あえて職務不適格と言う部分を強調し、まりもに矛先を向ける事にしたのだ。

最も彼女たち207B分隊の隊員の心に、油を注ぐだけでは意味がない。

この言葉の元は「火に油を注ぐ」だ。

つまり、火がなければ油を注いでも意味はない。

だから次は彼女たちの心に、火をつけてやる必要がある。

逆に火を出すためには、油を注ぐ必要があるとも言える。

この両方を、武は行わなければならない。

 

案の定、まりもをターゲットとする武の作戦は、ある程度成功したと言えるだろう。

まりもを罵倒したときの207Bの反応は、皆一様に同じではなかったが目を細め、怒りの表情を見せていた。

 

「本来ならば、不合格となった時点で問答無用で実家に送り返してやるところだが……本当に残念なことに、貴様らにはもう一度総戦技演習を受ける権利が与えられてしまっている。従って、本当に不本意ながら神宮寺軍曹も、そして俺も貴様らの再教育に付き合わなければならないわけだ」

 

武は一度言葉を切り、全員の様子を伺う。

まりものみならず、自分たちも馬鹿にされているのだから、当然怒りの籠った視線や表情を武に向けていた。

しかし、不思議と彼女たちから反論は出てこない。

我慢しているのか、或いは何かしら思うところがあるからなのか、はたまた見当違いなことを考えているのか。

ただ、1つだけハッキリしていることがあった。

全員が武に対し、既に良い印象は持ってはいないということだ。

皆、様々な意味の籠った視線を武に向け、なおかつその視線を一度も外さなかった――あのたまですらも。

 

(……それでいい)

 

と武は思う。

反骨精神が何よりこの時代において、人を良い方向にも悪い方向にも育てることが出来るからだ。

あとは良い方向に、武が導いてやればよいだけのことなのである。

 

「――だが、今の貴様たちでは総戦技演習の突破など、例えお天道様が西から登るようなことがあったとしても無理だろう」

「ッ!?」

 

ここで一度冷や水を浴びせる。

この言葉は強烈だったようで、分隊全員が動揺した。

心のうちでは薄々感づいていたことだからだ。

このままでは無理だと。

皆が己の出自に拘り、殻に籠っていた。

だから千鶴は己の作戦を人に押し付けようとし、それに従わないから悪いのだと言い訳をしている。

だから彩峰は分隊長に従わず、己のみを信じて動いている。

だからたまは意見を表立って言わず、流れに身を任せている。

だから美琴は表面上、諍いを宥めつつ、いざという時には動かないでいる。

だから冥夜は皆に見切りをつけ、表面上は周りを窘めつつ、独断で動いている。

 

(どうやら大方は成功したようだな……)

 

武は内心、黒い笑みを浮かべた。

 

「ここに除隊申請書を用意した。貴様らには今ここで記入してもらう。ただし、日付は記入しないこと」

 

武は手に持っていたクリップボードを取り出した。

そこには人数分の除隊申請書が用意されていた。

取り出したボードをまりもに渡し、彼女たちに書かせるよう促す。

だが、ここで遂に抗議の声が上がった。

最初に発したのは千鶴だった。

 

「ま、待って下さい!私たちはまだ除隊するとは言っていません!」

「まだ、か?まだ除隊する気がないということは、いずれ除隊する気はあるということだな?」

 

千鶴が一瞬怯む。

 

「そういう訳では!?」

「なら榊訓練生、貴様にとって最も分かり易い言い方をしてやろう。命令(・・)だ、書け」

「ッ!?」

 

最初にボードを渡された千鶴は、ペンを手に取り暫く硬直していたが、武の視線に根負けしたのか、まさに渋々といった様子で記入を始めた。

分隊長である榊が記入したためか、或いはその間が役に立ったのか、次に渡された冥夜は間など作らずさっさと記入を終えた。

それでも手には若干の戸惑いがあったようだが。

彩峰とたま、美琴も同様に記入した。

 

回収したボードをまりもから受け取った武は、全員の記入を自らの目で確認すると言葉を再開した。

 

「わざわざ言う必要もないとは思うが、一応教えておこう。俺が貴様らに衛士になる資格なしと判断した場合、即刻日付を記入し香月博士並びに基地司令に、この俺が直々に提出するつもりだ。それと併せて帝国政府に抗議を出そう。貴様らは衛士どころか、兵士としても無能の底辺だとな」

 

皆の反応はそれぞれだった。

怒りを露わにしながらも現状を理解するもの、不安と混乱に陥るもの、怒りのみに取りつかれるもの、その真意を推し量ろうとするもの。

しかし、そんなことにはお構いなく武は言葉を続ける。

 

「まぁそうならないための訓練だ。嫌なら今すぐギブアップすればいいだけのこと。簡単だな」

 

場の空気は最悪といってよい。

一部は今にでも突っかかりそうな勢いだ。

まりもは武の後ろに立ち無表情でその様子を見つめていたが、その思いは複雑そうだった。

武の向きではまりもの表情は見えないが、そう感じ取れた。

 

「さて前置きはこれぐらいにして訓練に移ろう。まずは完全装備でグラウンド100周だ。150分以内でな」

「ッ!?……失礼ながらそれは無理です!」

 

あまりにも無茶苦茶な命令に、千鶴が反論する。

この中で誰よりも規律を重んじている彼女が、上官命令に抵抗するのはどういうわけだろうか。

その時の感情で動いてしまったといったところか。

 

「無理だと?では貴様は命令不服従で除隊だな」

 

問答無用とはまさにこの事か。

武は反論を即却下した。

別に睨んだわけでも、声量を大きくしたわけでもない。

しかしそこには確かに威圧があった。

その威圧に圧倒され、千鶴は黙ってしまった。

 

(これが20歳前後の少年が発せるものなのか?)

 

まりもは何故この少年が歳不相応な、少佐という階級を得ているのかその理由を、その一片を見たような気がした。

 

(夕呼の副官を務めているというだけで、ある程度の予想は付いていたけど……この子は一体どんな経験をしてきたというの?)

 

まりもは、白銀武という少年が分からなかった。

 

武の発した威圧に分隊の誰もが圧倒され、驚きを覚えた中、彩峰だけは武を未だにジッと細目で見つめ続けていた。

それを察せない武ではなかった。

 

「いい目をしているな、彩峰。安心しろ。貴様ならこなせるさ……俺は榊と違い出来る命令しかしない。無論、初期の作戦に固執することもしない」

「ッ!?」

「まぁだからといって、独断は勿論のことだが、コッソリと分隊員に見切りを付けたり、成り行きに任せたりはしないがな」

 

この言葉に彩峰だけでなく、他の者たちも肩を静かに震わせた。

 

「さぁ、とっとと準備を済ませてこい!」

 

武の合図で207B分隊にとっての、かつてない地獄が始まった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

場所は変わり、夕呼の執務室。

時刻は既に22時を周っていた。

武は結局、訓練時間ギリギリまで、207B訓練小隊をしごき倒した。

その後夕食を取り、少し自室で休憩がてら書類を作成してから、夕呼の執務室を訪れていた。

 

「ピアティフから聞いたわ。随分としごいたみたいねぇ」

 

武は夕呼の雰囲気に疑問を持った。

 

(何だろう……夕呼先生の雰囲気が、少し和らいだ気がするのは気のせいかな……)

 

内心そう思いながら武は返答する。

 

「いい薬にはなったでしょう。まりもちゃんが何も言わなかったのは意外でしたが」

 

207Bへの訓練終了からそれ程時間も経っていないが、やはり既に夕呼にも伝わっていたようで、これが今日の両者の最初の話題となった。

 

「まりもは分かってるわよ。ただ、必要以上に深入りはしないのが、まりものいいところであり、悪いところなんでしょうけど」

「やっぱりどの世界でも、夕呼先生はまりもちゃんのことをよく理解してますね」

 

武は優しい目を夕呼に向けた。

 

「まぁね……にしても、あんたも一緒に訓練に参加する必要ってあったの?少し汗臭いわよ」

「あぁ、すみません……ええ、意味はありますよ」

 

武は理由を説明した。

すると夕呼は何故か関心を示した。

 

「へぇ……そういうこと。じゃぁまりもも一緒に訓練してるのかしら」

「まりもちゃんですからね。するときはすると思いますよ」

 

どうやら、少しむず痒かったらしい。

夕呼は武から視線を外し、髪の毛をかいた。

 

「ていうか昨日から思ってたけどあんた、まりものことをまりもちゃんって呼ぶのはどういうわけ?それに随分とまりものこと分かってるみたいじゃない」

「そんなことないですよ。ただ担任だったってだけで――呼び方はどうも元の世界の癖が抜けないんですよ。それにまりもちゃんもなんだかんだ、この呼び方を俺だけじゃなく、生徒全員に対し黙認していましたから……半分諦めもあったと思いますが」

「そう……まりもはいい先生だったのね」

 

今度は夕呼が滅多に見せない優しい目をした。

 

「いえ、夕呼先生もいい先生でしたよ?」

「フンッ、それよりあんたを呼び出した理由だけど、八咫烏からのXM3(エクセムスリー)の取り出しは無事に終えたから、そのことを伝えようと思ってね」

「あ、意外に速かったですね」

 

武の言葉に夕呼が少し不満そうな顔をした。

 

「せかしたのはどこの誰よ。明日、いえ明後日には戦術機シミュレータへのインプットを終える予定だから、終わり次第確認してちょうだい。明日と明後日、両方訓練見るの?」

「はい。そのつもりです」

「なら出来上がり次第、ピアティフに呼びにいかせるから。訓練の途中でも来なさい」

 

武は頷いた。

 

「了解です。てことは取り出したXM3の確認が済み次第……」

「ええ。あんたの要望通りA-01の教導……やらせてあげるわ。明日の確認具合にもよるけど、2日ぐらいで他のシミュレータへのインプットは済ませておくわ。その間、シミュレータがそれなりに使えなくなるわけだけど……はぁ、速瀬たちに文句言われそうね……」

 

そこで登場した速瀬という意外な単語に、武は頭に疑問符を浮かべた。

 

「速瀬中尉たちにですか?どうしてです?」

「あんたに負けたのが、余程悔しかったんでしょうね。涼宮妹と共にあれからずっとシミュレータルームに籠りっぱなしよ。あの様子じゃ、いつか体調崩すわね」

 

速瀬水月は先日の横浜基地襲撃事件の後、毎日シミュレータの使用申請を行っていた。

A-01部隊は、他の部隊より優先して、シミュレータを使用する権限を与えられている。そのため、差し当たって問題は起きてはいないものの、1日中シミュレータを占有するのは異例なことであった。

 

(速瀬中尉らしいと言えばらしいけど……ちょっと心配だな)

 

武も速瀬を心配し、夕呼にお願いをする。

 

「夕呼先生……シミュレータへのインプット早めにお願いします」

「あ~あ、分かったわよ。ったく、忙しいったらありゃしない……」

 

武は苦笑しながら頭を下げた。

 

「すみません。よろしくお願いします」

「分かってるわよ」

 

武は終ぞ美琴の件を話すことはなかった――。

 



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Episode8:過酷な訓練とXM3

Episode8:過酷な訓練とXM3

 

 

2001年10月26日(金)10:23

 

 

「ほら走れ!走り続けろ!一瞬でも足を止めてみろ、貴様らはBETAの糞ったれ共の餌になるんだ!」

 

武は一昨日、昨日に続き、207B訓練小隊の訓練をしていた。

昨日のメニューは以下の通りだった。

早朝――ランニングを含めた基礎訓練。

午前――座学と図面による作戦演習。

午後――グラウンドに移動し、完全装備で作戦演習。

夕刻から晩――徒手格闘とランニング。

武は今日も彼女たちに、過酷な練習メニューを与えた。

本日のメニューは――早朝からの無限ランニングであった。

 

早朝から既に3時間。

間もなく4時間が経とうとしていた。

武はその間、彼女たちと共にグランドを走り続けていた。

時々ペースが遅くなっている者の横に並び、罵声を浴びせて、ペースを上げることを強要する。

その者のペースが回復すれば、今度は別の者に。

やる相手がいなくなると今度は全員に。

武の罵声は留まるところを知らなかった。

武は彼女たちと共に走っているが、まりもは彼女たちが何周走ったかを計測するため、スタート地点に突っ立ち、数を計測していた。

 

「餌になるってことはどういうことだぁ?それはな、お前らがBETAの下等生物共以下ってことだ!分かったか!?」

「「「はい、教官殿!」」」

「違う!貴様らはまだ俺のことを教官とは呼べん!少佐殿だ!」

「「「はい、少佐殿!」」」

「声が小さいッ!」

「「「はい!少佐殿ッ!」」」

 

まりもは武の訓練の様子を見ていた。

 

(やり方がひと昔前の私のようだ……)

 

それがまりもの素直な感想だった。

まりものストップウォッチは、既に4時間02分を指し示していた。

恐らく武の腕時計も同様だろう。

 

(少佐の体力は化け物か……彼女たちはもう既に限界だというのに、少佐は未だケロッとしておられる……でもそろそろやめないと、脱水症状が危険だ……)

 

まりもは終わる気配のない訓練に、そろそろ介入すべきか迷っていた。

丁度その時だった。

来訪者が訓練校のグラウンドに現れた。

まりもは珍しい来訪者に、驚きの表情を見せる。

 

「ピアティフ中尉……」

「神宮司軍曹、ご苦労様です」

「私に敬語は使わないで下さい。今は一介の教官なんですから」

「はは、そうですね……香月博士の命で、白銀少佐を呼びに来たんですが――これはまた……」

 

ピアティフは、今グラウンドで何が起きているかを理解した。

その顔には同情に近い何かが浮かんでいた。

 

「分かりますか?」

「ええ。随分としごかれてるみたいですね」

「ですが、そろそろ止めないと彼女たちが危険です」

 

まりもの言うことは最もだった。

特にたまが1番危険域に達しており、今にでも倒れそうな勢いだった。

恐らくこの小隊で1番体力があるであろう冥夜や彩峰ですらも、足がガクガクになるほどの域に達しており、全員が限界をとうに超えていることは眼に見えて明らかだった。

 

まりもの言葉にピアティフが苦笑いを浮かべた。

 

「ということは、私の登場タイミングはまさに完璧ってことになりますね」

 

ふとしたピアティフの発言に、まりもが疑問符を浮かべる。

 

「……それはどういう?」

「訓練の途中であっても白銀少佐をお呼びするよう、香月博士から仰せつかっておりますので」

「なるほど……」

 

まりもが納得した表情を示す。

 

「白銀少佐!」

 

ピアティフが滅多に出さない大声で、白銀のことを呼んだ。

名を呼ばれたことに気づいた武は走るのを止め、ピアティフの元へとやってくる。

 

「ピアティフ中尉……ということは香月博士が?」

「はい、至急シミュレータルームにお越しください」

「分かりました」

 

実は武もそろそろ訓練を一度切り上げ、休憩を挟むつもりでいた。

そのタイミングでの夕呼からの呼び出し。

タイミングとしてはまさに僥倖だろう。

武は訓練の終了を告げる意味合いを含めて、小隊メンバーを呼び寄せる。

 

「小隊集合!」

 

武の合図で、小隊メンバーが皆武の前の整列をした。

見るからに皆ヘトヘトであり、たまは真っ直ぐ立つことすらままならなかった。

そんな小隊メンバーに武は労いの言葉をかける。

 

「皆、ご苦労だった」

 

意外な一言に小隊全員の目が見開かれると同時に、皆不思議そうな表情をした。

 

「俺のしごきによくぞ耐えた。俺はこの後用事があるので、後の訓練は神宮司軍曹に一任することになるが……その前に褒美をやろう」

 

小隊メンバーのみならず、ピアティフやまりもの頭にも疑問符が浮かんだ。

そしてそれはろくなものではないのだろうと予測がついた。

何故なら武の顔が笑っていたからだ。

 

「貴様ら全員と俺で、格闘戦といこうじゃないか。時間は無制限。勝敗はそうだな、どちらかが膝を付いたらにしようか。腑抜けた貴様らには丁度いい。ほら、いつでもいい。かかってこい」

 

無限ランニングの後の疲労も相まってか、武の挑発に小隊全員の理性が飛んだ。相手が上官だとか規律がどうとかいうことを、皆綺麗に忘れてしまった。

ただこの気に食わない男を沈める。

意識はそのことだけに集中されていた。

 

真っ先に飛び出したのは彩峰だった。

ヘトヘトの身体から、今振り絞れる精一杯の力が湧き出てくる。

当の本人も、その力が一体どこから出てきたのかは分からなかった。

 

「……潰すッ!」

 

見切れるかギリギリの右ストレートを彩峰は繰り出した。

他の小隊メンバーはおろか、まりもですらこのストレートは決まったと思った。

そこから投げ技へと移る彩峰の姿を誰もが想像した。

しかしその想像は容易く壊されてしまう。

まるで流れるような動作で、ストレート避けるために右へと移動した武は、そのまま彩峰の胴体に拳を叩き込んだ。

 

「グッ!?」

 

彩峰から苦悶の声が漏れ、そのまま彼女は膝をついた。

ただ単純な拳の叩き込み、しかし単純故に洗練されたそれが、彩峰にとっては痛恨の一撃となった。

後は簡単だった。

小隊での徒手格闘ではトップに君臨する彩峰の撃沈。

それに動揺し、なし崩し的に残りの4人は武に一斉に攻撃を仕掛けるも、特に成すすべなく撃沈された。

 

全員に膝をつかせた武はまりもに声をかけた。

 

「神宮司軍曹、あとは頼んだ」

「……はい」

 

武はピアティフを伴ってグラウンドを後にしようとするが、ふと何かを思い出したのか立ち止まり、咄嗟にまりもの元へと引き返す。

 

「彼女たちのケア、しっかりと頼んだぞ」

 

武はまりもの肩に手を当て、彼女の耳元でそう呟いた。

耳に息が吹き掛けられるほどの距離で言われたまりもは、一瞬ビクッと驚くが事情を察して返答した。

 

「ッ!?……了解です」

 

要件を済ませた武はまりもの元を去り、ピアティフの元へと戻る。

すると何故かピアティフは笑って武を出迎えた。

 

「どうした?ピアティフ中尉」

「いえ、少佐は案外お優しいんですね」

 

意外な一言に武は動揺した。

 

「べ、別にそんなことはないぞ?」

「ふふっ……」

 

そんな武をピアティフは優しい目で見つめていた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

武がグラウンドを去ると同時に、物陰に隠れていた4つの影も動きを見せた。

特に動いたのは小さめの3つの陰で、武の後を物凄い勢いで追おうとしていた。それに対し、唯一動かなかった大きめの影が1人の肩を掴んで止めに入る。

 

「よせ。今は耐えるのだ」

 

女性の静止の声に、3人の女性が不平を述べる。

 

「「「ですが真那様!」」」

「私は耐えろと言ったぞ?」

「はっ……」

 

月詠真那の答えに、神代巽、巴雪乃、戎美凪の3人は渋々引き下がった。

 

(あの白銀という男……少なくとも身体的能力は本物に見えた――いくら疲労状態であったとはいえ、冥夜様と同等かそれ以上の能力を持つ彩峰訓練兵を、一瞬で沈めたあの拳と瞬発力。それに4時間にも及ぶランニングに付き合った体力。少なくとも贔屓だけで香月博士の副官になったわけではないようだ……)

 

真那は、突然この横浜基地に現れた武のことを考察した。

 

(認めたくはないが……白銀の訓練方針は理解出来る。教官を憎ませ連帯感を、協力関係を嫌でも作らせるか……今冥夜様たちに足りないものもそれだ。アメとムチ、とも取れるな。アメが神宮司教官で、ムチが白銀か)

 

武の冥夜たち207Bに対する教育方針は、まさに真那の予測した通りであった。

確かにまりもも教官として一定の怖さは持っていた。しかしそれは心理的な面のみのものであった。

一方の武の怖さというのは、心理的な部分のみならず肉体的な部分も含まれていた。加えていくらまりもが怖いと言っても、その怖さは既にこの2日武に比べれば相当軽いということを、207Bの面々に実感させていた。

たった2日で、武は彼女たちの恐怖の対象となったのである。

だがそれこそ武の狙いであった。

武はその都合上、あまり冥夜たちにかまけているわけにもいかなかった。

それ故に短期間で彼女たちを育てる必要があった。

武はまず自分を憎ませ、嫌でも互いが協力関係を築かないと生き残れないという状況を、作り出す気でいたのである。

そこに本来の目的があることに、真那も既に気づいていた。だからこそ彼女は悩んでいた。

 

「行くぞ……」

「「「はっ……」」」

 

真那は3人に声をかけた。

 

(しかし考えれば考えるほど分からぬ……あの白銀という男、一体何者なのだ。もう一度保安情報部に調べさせなければならぬか――鎧衣の力を借りるのは些か不満だが、この際仕方あるまい)

 

真那は連絡を取るべく、訓練校のグラウンドを後にした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

あれから武は直ぐに強化装備に着替えシミュレータルームに向かった。

 

「白銀、来たわね」

「お疲れ様です。思ったより早く終わりましたね」

 

武の労いとその一言に、夕呼は心外だと言わんばかりの表情をした。

 

「だからせかしたのはどこの誰よ……取り敢えず八咫烏から取り出した、つまりはコピーしたXM3をそのまま8号機にインプットしたわ。ただ元の規格が第5世代戦術機用だったから、第3世代用の規格にシステムを合わせるのに少し苦労したけどね」

「分かりました。取り敢えず馴らしてみます」

「ええ、私もモニターさせてもらうから」

「了解です」

 

武は8号機シミュレータに乗り込んだ。

 

武は馴らしとして通常の戦術機動をまず行い、自らの腕が鈍っていないことと久方ぶりの本気の戦術機動の感覚を取り戻した。

そして夕呼にお願いしてハイヴ攻略戦、つまるところヴォールク・データのシミュレーションを行った。

全部で4時間ほどかけて、八咫烏から取り出されたXM3に問題がないことを確認すると、武は取り敢えずシミュレーションを終了した。

 

「あんた……本当に人間?」

 

シミュレータから出てきた武を出迎えた、夕呼の第一声の言葉がそれだった。

驚きと呆れ、それに少しだけの恐れを混ぜた表情といったところか。

隣にいる霞も無表情で一見平然としているように見えるが、実際は夕呼と同様かそれに近いものだろう。

というかあれは驚きを通り越して完全に引いている。

長年の武の勘がそう告げていた。

 

「夕呼先生の性格は知ってますけど、その言い方は本当にやめてください。結構傷つきますよ?」

「あら、褒めてるのよ?――にしてもヴォールク・データを、最高難易度でほぼ完璧に攻略とはね……しかも単機で」

「実際のハイヴ攻略戦は……こんな生温いものではありませんけどね。そもそものBETAの数が桁違いですから」

 

武は目を閉じて、はるか遠くの出来事を思い出すように言った。

生温い――この言葉は夕呼にとっても、霞にとっても驚きの言葉だった。

特に武を無意識のうちにリーディングしてしまっていた霞は、武の中の暗いイメージと併せて衝撃を受けていた。

 

ハイヴ攻略の成功例は、1999年8月5日~9日に日本帝国旧横浜地域で実施された、明星作戦によって攻略された横浜ハイヴ(H22:甲22号目標)のみである。

他に敢えて例を挙げるとすれば、BETAの地球初降下の翌年、1974年7月6日にカナダ領サスカチュワン州アサバスカに落着した、BETAの着陸ユニットだが……これはハイヴと定義される以前の状態であり、故に除外してよいだろう。

ハイヴにはその大きさを表す人類側の指標として、フェイズというものがあり、現在フェイズ1~9までが存在する。人類が今までに攻略できたハイヴは、このフェイズで表記すると横浜がフェイズ2にあたる。

 

屈指の対BETA兵器である戦術機が出来て20数年。

ハイヴ攻略のセオリーが確立されてから10年余り。

これだけの時が経ってもなお、人類は未だハイヴのその全容を掴んでいない。

つまり何が言いたいかと言うと、生きてハイヴ内の惨状を正確に報告出来た事例は数少ないということだ。

ヴォールク・データという、ハイヴ内部の貴重なデータは存在するが、これはあくまで構造データであり、BETAの出現数は記録されてはいなかった。

ということは、ハイヴ内のBETAの出現率は、あくまで人類の憶測の域を出ないものとなる。

武が生温いと評したのはここにある。

人類の希望的憶測という観点から、シミュレータでのBETA出現率は、実際の3分の1程度である。

これは楽観的に見積もってもだ。

実際のハイヴ攻略戦というのは、このシミュレータのような簡単なものではない。

これは武の実体験である。

 

「取り敢えず問題はなさそうです。ただ機体のフィードバックに、コンマ0.3程のズレがあるのと、跳躍噴射のキャンセルが時々おぼつかない感じがしますね」

「直しておくわ。それ以外は特にない感じ?」

「はい。基礎データはありますから、あとは応用データの収集ぐらいですかね」

 

概ね問題なさそうで武は内心安堵していた。

ここで1からまたXM3を作るとなると手間がかかっていけないし、これからの計画にも支障が出てしまう。

 

「そ。じゃぁ白銀、後はこっちで残りのシミュレータへのインプットもやっておくわ」

「お願いします」

 

よく勘違いされがちだが、XM3はXM3というOS単体をインストールすればよいというものではない。

XM3はオルタネイティヴ4の産物である高性能CPUと抱き合わせて、初めて機能するものである。既存の戦術機のCPU性能では、次に述べる並列処理( ・  )がスムーズに出来ず処理落ちしてしまうからだ。

 

XM3の目玉というべきものはキャンセルとコンボの2つだ。

前者は割り込み処理、後者はループ処理或いは連続処理という。

これらの処理は、他の動作と並列的に処理されることになる。

というかされなければならない。

これまでの戦術機は殆ど並行処理( ・  )で動いてきた。

並行処理とは、1つのコアで各プロセスを高速に切り替えて1処理ずつ行うことをいう。

逆に並列処理とは、複数のコアで同時に同じ処理を行うことをいう。

例えるならば、並行処理のコンピュータで処理Aを実行したとしよう。

並行処理では、1つのコアで1つの処理を行うので、処理Aが実行されることとなる。

では処理Aの実行中に、処理Bを入力したとしよう。

並行処理は、基本的に1つのコアで1つの処理を行う。

処理Aが終了しない限り、処理Bは発生しない。

では並列処理ならばどうか。

並列処理は、複数のコアで同時に処理を行う。

処理Aを1つ目のコアで行い、処理Bをもう1つのコアで行う。

別々の処理を、同時に行う。それが並列処理である。

極論で言ってしまえば、1つのコアで1つの処理を行うより、2つのコアで処理を行うほうが効率がよい。それが並行処理と並列処理の違いである。

 

実は戦術機のCPUとは、それ程高性能なものを使用しなくても問題はない。というより最新のCPUは搭載出来ない。

理由は単純で、戦術機は全環境展開制圧能力が必要であり、それこそ極寒から灼熱までの、様々な環境での使用が想定されているため、性能よりも信頼性が重視されるからだ。

不具合が未知数である最新のものより、昔からある信頼性の高いものを使うということだ。

しかしXM3のように、常に入力された命令を、監視・判断するような高度な処理が必要とされる場合、前述のような既存の古い規格のものでは対応できない。

そこで使われたのは最新技術ながらも、オルタネイティヴ4の副産物であるマルチコアの高性能CPUだ。

では前述の信頼性の話はどうなるのか、ということだが、それは夕呼が、あたしが作ったのだから信頼性に問題があるわけがない、の一言で済んでしまっている。

 

「シミュレータ全機のOSの書き換えと、CPUとか電装系の載せ替え。本当に面倒くさいわね」

 

夕呼のボヤキを、武は敢えてスルーする。

 

「それが済み次第、自分はA-01の教導に入ります」

「そうして頂戴。あ、それと提出された計画書呼んだわよ。反対する理由が特に見当たらないから好きにしなさい。ただし、あたしは本業で忙しいから細かいことはあんたに任せるわ」

「分かりました」

 

武と夕呼は何かを企んでいるようだった――。

 



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Episode9:戦う理由

Episode9:戦う理由

 

 

2004年12月24日(金)

 

 

「やられたわ!!」

 

人類の未来(じんるいのあす)を担う計画、オルタネイティヴⅣの総責任者たる香月夕呼は、横浜基地の自身の執務室でそう叫んでいた。

机の上にあった書類を、掴んで投げてしまうくらいには荒れていた。

そんな夕呼を社霞は少し離れたところで黙って見つめていた。

 

人類最大の反攻作戦である桜花作戦により人類は、オリジナルハイヴ(H1:甲1号目標)のあ号標的の破壊に成功した。

この報せは人類全体に即座に行き渡り、世界中が歓喜に包まれた。

人々は思う。

ここから人類の反撃が始まるのだと。

人類はまだ追い詰められてはいなかったのだと。

しかし桜花作戦のために失った人類側の戦力は膨大で、BETAはその中枢を破壊されたとはいえ、全体的な物量に大した変化はなかった。

故に人類は、1年がかりで失った戦力の立て直しを計った。

そして満を持して、オルタネイティヴⅣ総司令部改めオルタネイティヴⅥ総司令部は、ユーラシア大陸反攻作戦である、西号作戦を発動した。その一環として、朝鮮半島に存在する鉄源ハイヴ(H20:甲20号目標)の制圧を実施したのだが、ここで事態が急変する――。

 

夕呼は感情的に叫ぶ。

 

「まさかあ号標的の身代わりに、複数の頭脳(ブレイン)級が自ら死を選択するなんて思わないじゃない!おかげで鉄源ハイヴはもぬけの殻……逆に誘い込まれて包囲される始末!冗談もいいところだわ!」

 

霞は悲痛に駆られる夕呼を、ただを見ていることしか出来なかった。

リーディングはもうしようとは思わない。

したところで夕呼の悲しい思いしか伝わってこないからだ。

 

「――BETAが戦術を覚えた以上、もう凄乃皇も使えない……00ユニットに対する対策すら立てられている可能性すらある。そもそも00ユニットは鑑以外存在しない」

 

今度夕呼は、まるで力尽きたように椅子にドサッと崩れ落ちるように座ったかと思うと、顎に手を当てて、何やらブツブツと独り言を言い始めた。

独り言を呟く光景は以前からよく目にしたが、今回のような光景は初めてだ。

 

ある意味で興味本位というのもあっただろうか。

霞は、一時的にやめていた夕呼へのリーディングをしてしまった。

途端に霞の頭の中に、夕呼の負の感情が大量に流れ込んできた。

思わず霞は膝をついて、口元を手で押さえ込んでしまう。

その正体は吐き気。

10年近く霞は夕呼の元にいるが、彼女がここまでの感情を持ったのは始めてだったし、ここまでの負のスパイラルを増幅させていたことは今までになかった。

 

「――ん?あぁ……社、あたしの感情を読んだのね」

 

霞が気持ち悪そうにしているのに気付き、夕呼は声を掛けた。

 

「辞めておきなさい。気分が悪いだけよ……今のあたしを見たらきっとアイツにも笑われるわね――――アイツって誰だっけ」

「……白銀さんです」

「白銀?そんな奴いたっけ?」

 

思い出せない様子の夕呼に、霞はコクコクと必死に頷いて見せる。

それを見た夕呼はよほど重要な人物だったのかと思うが、不思議と思い出すことが出来ない。

 

「まぁいいわ……社、もう人類は終わりよ」

「……まだです。白銀さんなら何とかしてくれます……!」

「だから白銀って誰よ……まったく、とんだクリスマスね――厳密にはクリスマスイブか。馬鹿がするよくある間違いね……あぁ、あたしもか」

 

夕呼はそう呟くと重い腰を上げるようにのっそりと立ち上がり、フラフラしながら歩いて部屋から出ていった。

 

「……ッ!」

 

霞は自身の胸元のギュッと握りしめる。

そして意を決したように、夕呼の後に続いて部屋から出ていった。

 

「……白銀さん!」

 

夕呼の後に続いて部屋から出た霞は、その足でとある場所へと向かう。

その小さい身体を最大限酷使して、夕呼の執務室と同じB19フロアにある実験室に向かった。

息を切らしながら霞が辿り着いたのは、かつて武が元の世界に数式を取りに行くために使った装置のある部屋だった。

武以外に使用可能な者がいないこともあり、用が済んでからは長いこと放置されていたせいで埃まみれになっている。

だが幸いまだ動くはずだ。

霞はとある目的のために装置を起動し、情報の入力を始めた――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年10月26日(金)21:57

 

 

気分というものは不思議なもので、普段やらないようなことでも、時にして唐突にやりたくなるものである。

自己鍛錬というのは軍人にとっては必要不可欠だし、武もそれなりにはする方ではある。

(2度目)の世界でも時折暇を見つけては鍛錬をしていたし、それは後年になっても続けていた習慣だった。

武は主観時間で数年ぶりとなる自己鍛錬をやりに、訓練校のグラウンドへと来ていた。

 

(……久しぶりだなぁ)

 

武はふと郷愁の念に駆られる。

207Bの訓練の時もこのグラウンドに来ていたが、その時はそんな意識は現れなかったし、特に意識もしなかった。

しかし今は違う。

じっくりと訓練校全体を見回すことが出来る。

だがずっと物思いに耽るわけにもいかない。

気持ちを切り替えて準備運動を始める。

すると背後から人の気配を感じ、武はその方向を向く。気配の正体は冥夜であった。

 

(そう言えば、冥夜は毎日の自己鍛錬が日課だったっけか……昔のこと過ぎて忘れてたなぁ。しかしどうも最近忘れやすい(・・・・・・・)のは気のせいだろうか?)

 

武がそう思っている間に冥夜は距離を詰め、声をかけてきた。

 

「……白銀少佐」

 

やがて月明かりの元で、お互いの表情がハッキリと読み取れる距離まで近づいた冥夜が、武に敬礼をする

その額からは汗が滲み出ており、つい今し方まで鍛錬をしていたことを物語っていた。

だがその表情は芳しくない。

何かに悩んでいるのか、或いは武に出会ってしまったことが原因か、はたまたその両方であるのか。

真相は冥夜にしか分からない。

 

「御剣か――貴様も鍛錬か?」

 

武は意識して訓練と同じ苗字読みをする。

何故、武が冥夜たちを苗字読みするのか。

それは彼の決意の表れであった。

それに一度でも名前呼びをしてしまったら、そこで何かが崩れそうなそんな気がしたというのもあった。

故に武は表立っては名前を呼ばない。

今は呼んではいけないと思い込んでいた。

 

武の問いに、冥夜は少々緊張気味に答える。

 

「はっ。日課としております故」

「そうか」

 

それだけ武は話すと、冥夜から顔を背け黙々と準備運動を続けた。

正直なところ、武はもっと冥夜と話をしたかったし、以前の様に冥夜と呼び捨てにしたい気持ちもあった。

 

(でも今はまだ名を呼べない。呼んではいけない……冥夜たちが真に強くなって、仲間という意識を隊内で共有し始めた時にしよう……)

 

そう、心に誓っていた。

そんな武を他所に、暫く様子を伺っていた冥夜だったが、やがて意を決したように口を開いた。

 

「――あの少佐!……一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

 

先日の訓練の厳しさや、普段の武の態度から正直断られると思っていた冥夜は、思わぬ肯定の返事に若干驚きの表情を見せる。

しかし背を向けたままの武が、自身の次の言葉を待ってくれているのだと把握すると、兼ねてよりの質問をぶつけた。

 

「あの……少佐は先日、戦う理由を見つけろとおっしゃいましたが……」

「ああ、言ったな」

「少佐の戦う理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

武は驚き目を見開く。

 

(まさか冥夜がこの質問をぶつけてくるとは……いや仮に質問してくるなら冥夜しかいない、か――背を向けててよかったな……)

 

武は自身の驚きの表情を、冥夜に見られずに済み心底安堵した。

今日武が鍛錬をしたくなったのも、もしかしたらこれを予期した神のいたずらか何かだったのかもしれない。

 

武は振り向き、敢えて平凡な理由を答える。

 

「――人類の勝利だ」

 

その言葉を聞いた冥夜は少し残念そうな、落胆したようなそんな表情をしていた。当たり前に過ぎる武の解答。

それを察した武は鋭く切り込む。

 

「ふっ、納得いかなそうだな御剣」

「い、いえ!決してそのようなことは……」

 

例えどう思っていようと、武は冥夜からしてみれば上官にあたる。

逆に冥夜からしてみれば、自分たちに明らか年齢が近いこの男が、かなりどころか超有能だということは、既に少佐という地位を得ていることから想像に容易い。

最初は夕呼に取り入ったのかと、僅かながらでも邪推した冥夜だったが、その考えはここ数日の間に、武に課せられた訓練と今日の格闘戦で既に破棄していた。

であるからこそ、武がどのような理由で戦っているのか、冥夜は純粋に興味があった。

 

(昨日、少佐は戦う理由について仰った。その時は意味を理解しかねたが……今なら多少は分かる気がする。私の戦う理由、というより護りたいものは……この星、この国の民、日本という国だ)

 

冥夜はそう思った。

だが、いざ張本人にその理由を問うと、帰ってきた返答は在り来たりのもの。

冥夜は何故か少々落胆したのだった。

しかしその気持ちは、それを見抜かれたという驚きと武の次の言葉で、瞬く間に消え去ってしまった。

 

「本当はな御剣……俺は取り戻すために戦っているんだ」

「取り戻すため……ですか?」

 

武の声は、冥夜の知る彼からは想像できないほどの優しいものだった。

 

(取り戻す――少佐は一体何を取り戻すというのだろうか……)

 

冥夜は疑問と共にその答えに心底興味が湧いた。

思わず取り戻す、という部分を聞き返す。

 

「自分が壊してしまったもの。失われて……或いは失ってしまったもの。そういうものを取り戻すために、俺は戦っている」

 

武は2度のループで沢山の事を学び、手に入れ、そして失ってしまった。

その事実は、武の心からは決して離れることのない重荷となっていた。

単なる後悔ではない。

懺悔でもない。

武はそれが無駄なことであると知っていた。

 

「無論、一度壊れてしまったもの、失われてしまったものが、決してもう二度と戻らないということも分かってはいる。だからこそ、俺は歩みを止める訳にはいかないんだ。歩みを止めたら、俺は……」

「少佐?」

 

武は夜空を見上げて言った。

 

「運が良い、という表現はよくないかもしれないが、だが俺はもう一度……それらを手にする、守るチャンスを与えられた――それらを成せて初めて俺は、沢山の先任方や上官、素晴らしい仲間たちの恩に報いる事が出来る。それが済めば後は……どうなってもいい」

 

冥夜は、遠いところを心の目で見つめる武に心底驚いた。

 

(この白銀武少佐という御仁は……並々ならぬ思いを、覚悟を秘めておられる。私たちとは歳も近いはずなのに……既に死を覚悟している節すらもある)

 

冥夜は心の中でそう思い、武への評価を一瞬にして変化させていた。

武の思いとその覚悟は、彼女の心を刺激どころか感服すらさせていた。

そして冥夜は気づいた。

気づいてしまった。

先日から感じていた武に対する違和感に。

 

(分かった……この御方は私たちを見てはいない。私たちのその後ろ、遠くを見ていらっしゃるのだ。少佐は私たちの目指すべき所を、さり気なく見据えていたのか……)

 

それに気付いた冥夜は、感心と同時に少し悲しくなった。

 

冥夜がそう思考していたのもあるだろう。

暫く冥夜と武の、双方の間に沈黙が流れる。

武は天を見上げるのを止め、冥夜を見る。

彼女が何やら思いつめた表情で下を向いているのを見て、重苦しい雰囲気になったと勘違いし、武は話題を切り替えた。

 

「少し重くなってしまったな――そうだ御剣。貴様、兵士の心理に関する話を知っているか?」

「兵士の心理、ですか?」

 

そう、これはかつて武が甲21号作戦前に伊隅にされた話だった。

 

「70年代に米軍が学術調査した話なんだが……最前線の兵士が何のために戦うのか――という調査項目があってな。そこで面白い結果が出たんだ。最も多かった理由は何だったか分かるか?」

 

武の質問に冥夜は一瞬黙り込んだが、深く考えても仕方ないと思ったのか。

或いは自分の目的がそうであるからなのか。

前のこの世界で武が伊隅に答えたのと同じ答えを、冥夜は提示した。

 

「この星……地球や国のため、でしょうか」

「ふふ、ハズレだ」

「ッ!?」

 

冥夜の答えに武は軽く笑った。

武の優しい笑みに冥夜は一瞬ドキッとした。

 

「それは送り出す側と、戦場に行く前の兵士が多く答える理由らしい。答えはもう少し身近なものだな」

 

そんな冥夜に気付かず、武は話を続けたので冥夜もそれに流され、驚きの表情は一瞬で影を潜めた。

 

「では、残してきた家族や大切な人たちのためでしょうか」

「それもハズレだ。送り出す側は往々にしてそれを本音だと思いたがるらしいぞ」

 

冥夜は分からず眉間に皺を寄せた。

武はもう打ち止めかと思い、答えを教えることにした。

 

「答えはな、仲間のため――だそうだ」

 

武の言葉にまたも冥夜は意外そうな表情をした。

それを見た武は僅かに笑いながら、冥夜へ言葉を発した。

 

「意外だったか?不思議なことにな……相手が人間だろうとBETAであろうとこの結果に変わりはなかったらしい。同じ戦火をくぐり抜け、苦楽を共にした仲間を死なせたくはない――だからこそ必死に戦うことが出来るんだそうだ」

 

これは武からの冥夜たち207Bに向けた、遠回しのメッセージだった。

 

一方で、同じ戦火をくぐり抜け、苦楽を共にした仲間の死なせたくない。

この言葉は冥夜の心に刺さるものがあった。

言い換えれば訓練もある意味で戦いだ。

冥夜はたまや千鶴、美琴に彩峰と言った仲間たちと、訓練という戦いの苦楽を共にしていた。

 

(確かに……207Aは皆仲間らしい仲間のように見えた……)

 

と冥夜は今更ながらに気づく。

そこで彼女は思う。

 

(私たちはどうなのだろうか……)

 

己の出自に拘り、深い入りをしないという暗黙の了解に従う。

このような状態で本当に仲間と呼べるのだろうか。

冥夜は何とも言えない気持ちになり、心が乱れ始める。

 

「少佐も……仲間のために戦っておられるのですか?しかし先ほどは……」

「結局のところはそういうことだ。無論、オル……人類の勝利や取り戻すためという目的や理由に変化はない。だが、ハイヴ突入戦などの極限状態になった時、それらの理由だけで戦い抜くのは厳しい。大義に生きる事が悪いとは言わんし、それも立派な理由にはなる。だが目の前の仲間を助けられないようでは、戦場に出ても意味はないし迷惑なだけなんだよ……何よりそういったものにしか縋った戦いしかできない奴が一番危険なんだ」

 

冥夜は直観的に感じた。それは自分のことかもしれない、と。

 

「俺はそういった意味では、お前たちが一番危険だと思っている。1人1人が明確な理由を持たず、独善的な理由だけで行動しているからな」

 

武は再び天を見上げて淡々と述べた。

 

「――貴様らのような奴が、多くの戦友を殺す」

「……」

「――貴様らのような奴が、罪を恐れて戦友を遠ざける」

「ッ……!」

「――貴様らのような奴が、死に場所を求めて部下を巻き込むことが多い。だからこそ多くの命を奪う前に、貴様たちは除隊すべきなんだ」

 

冥夜は黙った。黙るしかできなかった。

 

「……まぁ今の貴様には分からんかもしれん。だがこれだけはハッキリと言おう。下らん身の上を気にし、互いの心のうちを開けないようでは、幾ら鍛錬しても意味はない。例え現将軍家に由縁(・・・・・・・)があろうとな」

「ッ!?」

 

強調されたその一言に冥夜は狼狽した。

だが少佐という地位にあれば、自分の身の上を知っていてもおかしくはないことに冥夜は気づく。

まりもによって、武が夕呼の元へ頻繁に出入していることぐらいの情報は、冥夜たちにももたらされていた。

先日のピアティフによる呼び出しが、何よりの証拠だ。

更に冥夜は武が夕呼直属の副官である、という情報も他の隊員たちに先駆けて入手していた。

であれば知っていても不思議ではない、という事実に行き着いた冥夜は、何とか爆上がりした鼓動を鎮めることに成功した。

 

「強くなれ御剣冥夜訓練生。人類を想う前に仲間を想わなければ、貴様の言う日本人の魂や志を守るなど、夢のまた夢だ」

 

武は冥夜に対しまるで教師であるかのように、言い聞かせるように優しく語る。

 

「目的があれば人は努力出来る……それは普段の貴様を見ていればよく分かる。だがな、人とは何故人たるのだ?それはな、心があるからなんだよ冥夜」

「ッ!?」

 

最後に名前をサラッと言われたことで、一度落ちついた冥夜の心は再び荒れ始めた。

しかし肝心の本人は、名前で呼んでしまった事に気づいていない。

 

「長くなったが……そうだな、ここら辺で終わりにしよう。既に夜も更けた。俺はこのまま走るが……御剣、貴様はどうする?」

 

武は冥夜の表情から今の気持ちを察し、敢えてこれからどうするかという質問をぶつける。

冥夜の雰囲気はすっかりしおらしくなり、ただ拳を握りしめる。

 

「……私はこれで失礼します」

「そうか……明日も訓練だ。ゆっくり休め」

 

冥夜はグラウンドを後にし、武は独り黙々と鍛錬を始めた――。

 



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Episode10:模擬戦闘演習

Episode10:模擬戦闘演習

 

 

2001年10月27日(土)10:33

 

 

美しい青髪をポニーテールにまとめた美人女性、速瀬水月の身体は今小刻みに震えていた。

網膜投影に映し出された光景が、自然と彼女の頬を吊り上げていった。

投影された光景は、普段の演習場や市街地の類ではなく、横浜基地の第1滑走路。

演習場や市街地なら壊れたビルの残骸や、意図的に配置された障害物が映り、少し狭苦しさを感じさせる。

しかしここは開けた滑走路上。

狭苦しさを感じさせるわけもなく、寧ろ開放的な気分に速瀬をさせていた。

その開放的な気分と高揚感から来る震えが、また速瀬を精神的に高ぶらせていた。

レーダーには速瀬自身を入れた、6つの生体反応を含んだ機体反応が点在していた。

紛れもなく伊隅ヴァルキリーズの機体だった。

 

(状況はあの時と同じ……)

 

そう、この状況は横浜基地襲撃事件と全く同じであった。

戦術機の数も装備も全てが同様。

違うのは相手が所属不明機ではなく、自分たちと同じ不知火であるという点。

しかし速瀬にとってそんな事はどうでもよかった。

2回も負けるわけにはいかないという気持ちが、彼女の心を支配していた。

 

『こちらヴァルキリー01より各機へ。これより特別模擬戦闘演習を開始する』

 

伊隅の声が通信を通して速瀬の耳に届く。

 

『状況は見ての通りだ。基地襲撃事件の再現での演習となる。ただし敵機役は不知火Extraとのことだ』

『Extra……ですか?』

『あぁ。どうやらあの機体は副司令お手製の特別機らしい。あれを捕獲又は撃墜してみせろ、とのことだ』

 

皆が頭に疑問符を浮かべた。

幾ら基地襲撃を再現した模擬戦闘演習とはいえ、勢力図は6対1。まず不知火Extraの方に勝ち目はないように見えた。

だが油断は禁物だった。

そもそもこの演習は夕呼から唐突に通達されたものだった。

つまり速瀬たちからしてみれば、あの副司令が何の意味もなく、このような演習を設定するはずはない、という結論に至るのは至極当然のことだった。

 

『ヴァルキリーマムから各機へ。状況を説明します』

 

先程から管制室の中で待機していた涼宮遥中尉から通信が入る。凛とした表情と声で伊隅ヴァルキリーズ側の管制を務めていた。

 

『演習場所は、横浜基地第1滑走路。勢力図は、A-01部隊対不知火Extraの6対1。勝利条件は敵勢力の沈黙。シミュレータでの演習なため、火器の使用は自由です』

 

速瀬は思う。

 

(ますますもってあの事件と同じ状況じゃない……)

 

しかし、これが訓練である以上敗北条件も存在する。

遥はその条件を告げる。

 

『敗北条件は友軍施設の50%以上の破壊、又は友軍の全機撃破となります』

 

つまり逆を言えば不知火Extra側が勝利するには、施設に50%以上の損害を与えるか、ヴァルキリーズを全機撃破しなければならないということになる。

しかしこの条件に異議を唱える者は誰1人としていなかった。

状況が状況なのだ。

これはつまりもう1度、あの所属不明機と戦って見せろという、夕呼のヴァルキリーズに対する挑戦でもあった。

 

(不知火Extra……副司令のお手製ということは、その性能は相当なもののはず。あの不明機程のスピードは出せないにしても、何かしらの特別なチューンがされていると見るべきね……)

 

確かに速瀬の考える通りだった。

流石に実機は用意できなかったので今回はシミュレータでの演習となったが、夕呼が用意したデータ、つまり不知火Extraは、即応性が通常の不知火より60%向上したものであった。

その理由としてはまず、XM3が搭載されているということ。

そして八咫烏から、武の機体フィードバックデータをそのまま持って来ている点にある。

加えて搭乗衛士は、勿論武その人であり、この状況での演習は武本人が希望したものであった。

 

速瀬は思い出す。

己の過去とこの前の基地襲撃の時のことを。

初めての戦闘は、それは酷いものであった。

原因は慢心。

かつての彼女は自分の力を過信していた。

加えて配属されたA-01部隊の練度の高さを目の前にして、これなら負けるはずがない。

例えどんな戦いであろうとも、絶対に生還出来る。

孝之の分まで戦い抜くとそう思っていた。

しかし結果は語るまでもなく悲惨だった。

速瀬の思いは何かに裏打ちされていない、根拠のないものであった。

それ故にその思いは簡単に打ち砕かれ、同期が死に、上官が死んだ。

自らの代わりとして。

当時尊敬していた上官ですら、簡単に逝ってしまった。

速瀬の心は一度折れた。

そしてそんな彼女を立ち直らせたのも、また仲間と新たな上官であった。

故に彼女は自分が許せなかった。

あの時、横浜基地が襲撃された時、彼女は慢心していた。

初めて見るタイプの戦術機で性能は相当なものだったということは、先にスクランブルした撃震の部隊との交戦で把握できた。しかし速瀬は、伊隅同様に衛士の腕はそれほど高くないと判断した。

理由はスピードに、その圧倒的な機体性能に頼り切っていたように見えたからだ。

こちらは日本帝国が誇る第3世代戦術機不知火。

スピードなら負けるはずがないと思っていた。

しかし結果は無様だった。

速瀬は真っ先に墜とされ、死を一瞬覚悟した。

だが不明機によって突き付けられたのは死ではなく、跳躍ユニットを破壊されての行動不能という結果。

もう一度言おう、無様だった。

結局、ヴァルキリーズは前衛が崩壊したということもあって、僅か10分と持たずに全滅した。

速瀬はあの敗北以来、必死にシミュレータで訓練を続けた。

あの不明機の機動を真似しようと試みた。

しかし何かが根本的に違う。

いや、そもそも再現不可能だったのだ。

それに気付いた速瀬が感じたのは、悲しみだった。

 

(私を救ってくれた仲間や、上官たちの死を無駄にはさせられない。A-01の名を汚してしまったのは私たちだ……あの時私たちは生かされた……屈辱とは思わない。でも、それでも……ッ!?)

 

そして今日、速瀬は今の状況を目にして喜んだ。

 

(確かに相手の機体や衛士は違うかもしれない。でも、こんな状況でも……もう一度戦って見せろと副司令は仰った。ならば、今度は……勝つ!そして何より……)

 

速瀬は昂る感情を抑えながら言う。

 

「もう油断はしないわ」

 

その声を通信機が拾い、ヴァルキリーズ全体に共有された。

皆もまた同じ気持ちであった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

『白銀、向こうはやる気満々よ。無様な戦いだけは見せないで頂戴』

 

管制室にいる夕呼から武に通信が入る。

 

『分かってますよ、夕呼先生。にしても本当にこの機体大丈夫なんですか?』

 

不知火Extra。

前述したように、通常の不知火にXM3と武の機体フィードバックを完全インプットし、関節強度や跳躍ユニット出力が総合して30%アップした特別機である。

最もそれはデータ上の話であり、そんな実機は存在しない。

あくまでもシミュレータ上での話だ。

しかしシミュレータ上だからこそ、作ることが出来た機体だと言える。

完璧には無理でも極力八咫烏に近づける。

それがこの不知火Extraを作った理由であった。

因みに、いずれは八咫烏もシミュレータで再現するつもりではいる。

その為に今、八咫烏は90番格納庫で整備と併せて、夕呼お抱えの整備班によって徹底的に調べられている最中であった。

 

『極力八咫烏に近づけたつもり。でも根本が違うからこれが限界ね』

『でしょうね。でも確かに使用感は八咫烏に近いものがあります。流石夕呼先生ですね』

 

武に褒められて夕呼が少し照れくさそうな表情をする。

霞はそれを横でジッと見つめていた。

因みに武側の管制を務めるのは霞だった。

 

『演習開始まで、後1分30秒です……』

 

武は最終チェックを行い、機体に異常がないことを確認する。

 

(夕呼先生に頼んでこの状況を再現してもらったけど、A-01側が果たしてどこまでこの演習の意味を理解しているのか……いや、伊隅大尉たちのことだ。ちゃんと理解してくれているとは思う。問題は……速瀬中尉と涼宮の方か……)

 

基地襲撃事件の後、速瀬と茜は狂ったようにシミュレータでの訓練を重ねていたという。

完膚なきまでに負けたという事実と、まるで今までの苦労と努力を嘲笑うかのような不明機の機動が、速瀬と茜から心の余裕を剥ぎ取っていた。

そして訓練すればするほど、あの不明機の機動は自分たちでは再現不可能だという事実が、彼女たちからまた冷静さを奪っていた。

 

(基地襲撃が2人の心の引き金を引いてしまったのか――やはりこの世界はどこかおかしい……A-01がこの時点で6機しかいないというのもそうだし、207Bに美琴がいたというのもどこか変だ……この世界は――もしかして俺の知ってる確率時空の世界とはまた違うのかもしれない。だとしたら最悪、俺の知っている未来の歴史は役に立たない可能性もある。それは覚悟の上だけど、そうなるとまた色々と手を打たないと……)

 

武がそうこう考えている間に演習開始時間が迫っていた。

 

『……カウント始めます……10……5、4、3、2、1、演習開始です』

 

霞の合図で武対ヴァルキリーズの模擬戦闘演習が始まった。

 

まず初めに動いたのはA-01側だった。

元より初動は譲るつもりだった武だが、演習開始と同時に全機が接近してきたのは意外だった。

武とヴァルキリーズの距離は凡そ1000メートル。

全力の跳躍噴射なら一瞬で詰められる距離だが、ヴァルキリーズは全速力を出さず、隊形をすぐに組んでから接近してきた。

 

(楔参型(アローヘッド・スリー)か……正面攻撃力と側面防御を両立する、攻守に優れた陣形。ちゃんと前回から学んだんだな)

 

武はヴァルキリーズの取った戦術に感心する。

しかしそれも想定の範囲内であった。

敢えて楔参型の正面に飛び込む形で突貫する。

するとヴァルキリーズの突撃前衛が射撃を開始し、後方から誘導弾が放たれる。

武をそれは自身の持つ巧みな戦術機動と、XM3の利点を最大限に生かして左右への移動で突撃砲の銃弾を回避した。

そして計ったかのような絶妙なタイミングで飛んできた誘導弾を前後左右への移動のみで交わす。

 

(流石はA-01だ。タイミングもバッチリだな)

 

武は素直にA-01の練度に感心する。

 

逆にA-01側では……。

 

『何よ!アイツもアクロバティックな動きしちゃって!』

 

とんでもない回避機動の連続に速瀬が驚きの声を上げる。

続けて第2弾、第3弾とヴァルキリーズは突撃砲と誘導弾を放つが、それらの殆どは回避された。

回避機動の連続でまともにヴァルキリーズに接近出来なかった武だが、ある程度狙える距離まで詰めることに成功すると、対抗するように突撃砲を放った。

 

『そんな回避機動の最中に撃ったところで、まともに狙えるはずが……ッ!?』

 

茜は自身が発した言葉を後悔した。

回避機動の最中だというのに、武の不知火Extraは的確にヴァルキリーズに向かって突撃砲を撃ってきたのだ。

しかも無駄弾など殆どなかった。そのせいでヴァルキリーズの陣形に乱れが生じた。

 

(くッ!?やはりこの前の不明機と同じだ……戦術機動だけじゃない、射撃精度、近接格闘戦の能力も超一流か!)

 

伊隅や速瀬たちは確信した。

いや、ヴァルキリーズの全員が確信した。

この不知火Extraの衛士は、この前の不明機の衛士と同じである、と。

戦術機は思考制御が介在する兵器なので、一挙手一投足、ただ歩行するだけでも、操縦する衛士の癖が現れる。

不明機こと八咫烏と対峙したのはあの一度だけだが、既に脳裏に焼き付けられたあの時の不明機の戦術機動が、相手がこの前と同じ武だと確信させていた。

 

(何故ここに?どうやってこの訓練に参加したというのか……もしかしたら、あの襲撃事件自体が副司令の茶番だったのかもしれない)

 

伊隅は思う。

しかし今はそんな事はどうでもよかった。

汚名を雪ぐチャンスが与えられた。

それだけで十分であった。

 

『陣形を乱すな!作戦通り、奴を正面に突っ込ませればそれでいい!』

 

伊隅は通信を介して部下たちに指示を飛ばす。

彼女たちの作戦は、楔参型で不知火Extraと距離を詰めたあと、敢えて正面突破をさせる形へと誘いこむ。

そこで陣形を鶴翼参型(ウィング・スリー)へと変換し包囲殲滅する……というものだった。

少しセオリーに過ぎるAH戦闘の方法ではあるが、伊隅の予想したように、もし不知火Extraがあの不明機と同じような機動を取った場合、また各個撃破される可能性が高いと判断した。

変な作戦を立ててそうなるぐらいなら、敢えてセオリーに近い方法で戦った方がやりやすいと伊隅は判断した。

これは、ヴァルキリーズ全体で話し合って決定されたものであった。

何故、そんな決定を相手が武だと判明する前に出来たのか。

それはもし、もう一度あのような状況になったら、次はどう対処するか。

ヴァルキリーズは念入りにデブリーフィングを重ねていたからだった。

最初に楔参型を取ったのは機動力で側面に回り込まれても、攻守に優れたこの陣形なら防御が出来る……そう思ったからであった。

 

因みにこれは完全な余談だが、戦いというものは例えどんなものであろうと、セオリーさえ守っていれば8割方勝てると言われている。

別にヴァルキリーズに何か期待していたわけでも、定石破りを望んだわけでもないが、武はやや面白味を感じなかった。

矛盾しているように聞こえるだろうが、これは武の本心であった。

 

(しかしまだあまい)

 

だが武はそれすらも読んでいた。

相手がよく知る伊隅だった、ということもあった。

しかし機動力を封じるには、この作戦が1番であると武は既に予測していたのだ。

それに自分も同じ状況ならそうするからこそ、予測が出来たのだった。

武は2度のループの中で、自身の最大の利点である戦術機動だけでなく、指揮能力や戦術といったものも上達していたのである。

武は跳躍ユニットを使って、一気に距離を詰めた。

 

『来るぞ!』

 

ヴァルキリーズの楔参型の正面に突っ込む。

そう見せかけた。

正面に突入する寸前で武は急ブレーキをかけ、横に跳躍噴射をする。そしてヴァルキリーズの側面に向かって突撃砲を放つ。

 

(そうくるのね!でもその方がやりやすくて助かるわ!)

 

陣形の正面に突入されるよりはマシな側面攻撃へと切り替えた武に対し、速瀬やヴァルキリーズの面々は武が案外ちょろいと判断した。

しかしそれこそが、また生まれてしまった油断だった。

武は突撃砲を放棄し、背部兵装担架に装備されていた長刀へと持ち替え、ヴァルキリーズの側面へと突っ込んだ。

 

(馬鹿なッ!?)

 

伊隅は驚く。

楔参型は前述のように攻守に優れた陣形だ。

正面防御より、側面防御はやりやすくなっている。

だからこそ回り込んでからの突撃はないと伊隅たちは予測していた。

それが見事に覆されたのだ。

実は楔参型の最大の弱点は、側面から中央突破であった。

ある程度距離がある状態なら、楔参型は防御がしやすい。

しかし近接格闘戦になると話は別なのだ。

武は敢えて、その側面の近接格闘戦へと打って出た。

水平噴射跳躍で、武は一気にヴァルキリーズとの距離を詰めた。

そしてその勢いのまま長刀を振り下ろした。

狙いは基地襲撃の時と同様に、跳躍ユニットの付け根だった。

武の振り下ろした長刀は、宗像の跳躍ユニットを両断した。

シミュレータ故、機体の損害や衛士の殺傷については考慮しなくていいはずだが、それを敢えて無視し、再び跳躍ユニットのみを破壊する辺りに武の腕の高さが見て取れた。

それにこれはあくまでのあの基地襲撃事件の再現なのだ。

再現するなら、とことん再現してやろうという武の意志の表れだった。

 

『ヴァルキリー03。跳躍ユニットに致命的損傷。機能停止します』

 

宗像がまず墜とされた。

武は勢いそのまま続けて近くの機体長刀で切りつけた。

 

『ヴァルキリー06。大破と認定。機能停止します』

 

続けて武が切りつけたのは柏木だった。

連続で管制官である遥の機能停止を告げる声が、残ったヴァルキリーズの耳に届く。

これでヴァルキリーズは、いきなり初手に迎撃後衛(ガン・インターセプター)砲撃支援(インパクト・ガード)の後衛2人組を失ったことになった。

 

『宗像、柏木!畜生ッ!』

 

楔参型の中央を突破され、ヴァルキリーズの陣形は既にめちゃくちゃだった。

 

『ッ!?各機距離を取れ!スピードに惑わされるな!』

 

伊隅の大して意味のない指示が、生き残ったヴァルキリーズに告げられる。

 

『大尉!自分が時間を稼ぎます!』

 

速瀬が突撃砲を長刀に持ち替え、武の不知火Extraに向かって突貫していく。

 

『分かった!あまり無茶はするな、10秒稼げればそれでいい!』

『了解!』

 

速瀬が武に対し長刀を振り下ろす。それを武は正面から受け止める。

鍔迫り合いとなり、速瀬の機体の主機出力が上昇していく。噛み合う部分の金属皮膜とカーボン・ナノ構造体の圧壊により、火の粉と共に放電が発生する。

武はそれに対抗すべく自身も主機出力を上げる。

鍔迫り合いは完全に拮抗状態となった。

 

『ヴァルキリー02!避けろ!』

 

そんな速瀬の耳に伊隅の声が響く。

速瀬は咄嗟に後方へと噴射跳躍を行う。するとそこへ入れ替わるように36mmの砲弾と、誘導弾が武の不知火Extraへと打ち込まれた。武の機体の周囲に着弾したことにより発生した土煙が、辺り一帯覆う。

以前の経験から、これで終わったとは誰も思わってはいなかった。

速瀬は長刀を構え直した。

その時だった。

土煙の中から不知火が突如として現れた。

跳躍噴射によって飛び出してきたのだ。

 

『くッ!?』

 

速瀬は慌てて目の前に現れた武に長刀を振り下ろそうとする。

しかし武はそんな速瀬を無視し、彼女の後方へと躍り出た。

 

(糞ッ!狙いはまた私かッ!?)

 

そう、速瀬を無視した武の狙いは伊隅であった。

伊隅は向かってくる武の機体に突撃砲を放つが、また左右へと簡単に回避される。

祷子や茜が伊隅を守ろうと誘導弾や突撃砲を放つが、それもまた回避して武は伊隅へと迫った。

 

『このッ!?調子に乗るな!』

 

茜は伊隅を守るべく突撃砲をかなぐり捨て、65式近接戦闘短刀へと持ち替え、武に向かって突貫した。

 

『涼宮ッ!早まるな!』

 

伊隅の静止の声も虚しく、茜は武に向かって短刀を振り下ろす。

だがそんな茜を武は軽々といなして、長刀で下から切り上げた。

 

『ヴァルキリー05。跳躍ユニットに致命的損傷。大破と認定。機能停止します』

 

茜を堕とした武は、本来の目標である伊隅へと向かう。

本来ならば伊隅は後方へと下がるべきところ。

しかしそうはいかなかった。

既に陣形はボロボロ。

前衛を務める機体は眼前にはなく、伊隅が退いてしまえば本来後衛たる祷子が危険に晒されることとなる。

故に伊隅は引くわけにはいかなかった。

速瀬が武のことを既に追撃状態に入っていたものの、間に合うはずがなかった。

伊隅はこの場で戦うしかなかった。

 

『糞ッ!?』

 

伊隅らしからぬ言葉が再び彼女の口から洩れる。

突撃砲を撃ち続けるもその殆どが掠る程度で、当たる気配は全くなかった。

そして距離を詰められた伊隅は武の長刀の餌食となった。

 

『ヴァルキリー01。大破と認定。機能停止します』

『大尉ッ!このッ!?』

『そこまでよ』

 

そこへ突如通信が入る。

声の主は夕呼だった。

 

『演習は終了。皆、シミュレータから降りて頂戴』

 

唐突に告げられた演習の終了という無残な結果。

速瀬は当然反発した。

 

『待ってください!まだ私たちは敗北条件には達していません!』

『あんたたち2人で何が出来るっていうの?もう結果は見えたわ。それに必要なデータも取れた。もう十分よ』

 

夕呼の言葉に速瀬は何も返せなかった。

 

『2時間後、ブリーフィングルームに集合して頂戴。強化装備は脱いで構わないわ』

 

夕呼はそう淡々と告げると通信を打ち切り、模擬戦闘演習は終わりを告げた――。

 



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Episode11:伝えられた事実

Episode11:伝えられた真実

 

 

2001年10月27日(土)12:53

 

 

横浜基地のとある地下フロアにA-01部隊、つまり伊隅ヴァルキリーズの面々はいた。

特別模擬戦闘演習から、お昼休憩を挟み既に2時間近く。

夕呼に指定された時間が近づきつつあり、彼女たちは指定されたブリーフィングルームへと向かっていた。

普段なら和気藹々としているヴァルキリーズだが、今日に限ってはそんな様子は見受けられなかった。

寧ろ雰囲気は最悪と言ってよい。

例えるならお通夜の状態だ。

理由は単純で、先程の模擬戦が原因だった。

突如として夕呼から告げられた模擬戦の実施。

当初彼女たちは夕呼の気まぐれだと思っていた。

しかし蓋を開けてみれば、その内容は先日の基地襲撃の再現訓練だった。

おまけに敵機役の不知火は、夕呼特製の不知火Extraという特別機だった。

そして彼女たちは基地襲撃事件同様、完膚なきまでに叩きのめされた。

しかも基地襲撃の時とほぼ同じ手順で。

何より彼女たちの心に突き刺さったのは、不知火Extraの衛士が先日の所属不明機の衛士と、恐らく同一人物であるという可能性が高い点だ。

いや特に伊隅や速瀬は確信していた。

あの不知火Extraの衛士は、この前の不明機の衛士と同一人物であると。

戦術機は思考制御が介在する兵器なので、一挙手一投足、ただ歩行するだけでも操縦する衛士の癖が現れる。

特に戦術機動となると搭乗者衛士の癖は更に強まる。

ましてやあの不明機の戦術機動は、彼女たちの心に強烈に焼き付けられていた。

あのような戦術機動は誰にでも出来るものではない。

恐らくあのような機動が出来るのは世界でただ1人、あの不明機の衛士だけであろうと彼女たちは思っていた。

故に伊隅や速瀬は確信できたのだ。

そこで現れる新たな疑問。

何故あの不明機の衛士が、あの模擬戦に参加しているのだろうかという疑問。

伊隅は改めて思う。

 

(あの基地襲撃事件自体、副司令の茶番だった可能性は高い……でも確かにあの時の副司令は本気で怒っていた、はずだ。それすらも茶番だったとしたら――いや、あの副司令のことだ。十分あり得る話だが……そこまでする必要があったというのか?それになんだ?この納得のいかない、心に引っかかる何かは……一体何だと言うのだ……)

 

伊隅が深い思考に入っている間にも、ブリーフィングルームは刻々と迫っていた。

ブリーフィングルーム目前で、伊隅たちはCP将校である遥と合流した。

 

「あ、大尉……」

「涼宮か……」

 

遥が気まずそうに伊隅に声をかけた。

それを察し何か言わなければと思った伊隅だったが、出てきたのは何でもないただ相手の苗字を呼んだだけ。

それがまた場の雰囲気を悪くしていた。

 

(情けない……)

 

伊隅は自分を叱責した。

 

やがてブリーフィングルームに到着した伊隅は、取り敢えず気持ちを切り替え入室した。

 

「あぁ、来たわね」

 

部屋に入ると既に夕呼がおり、声をかけられた。

 

「副司令!?遅くなって申し訳ありませんでした!」

 

伊隅が慌てて謝罪して敬礼をする。

他の面々も同様だ。

 

「はいはい、敬礼はいいって言ってるでしょう?別に遅れてないわよ、あたしが早かっただけ」

 

何とも奇怪なことがあるものだ……というのが入室してた彼女たちの感想だった。

夕呼が時間通り、ましてや時間より早く来ることなど珍しいからだ。

これは何か嫌な予感がする……というのもまた皆の一致した見解だった。

彼女たちが部屋の中央部に移動すると、今まで見たことのない男が視界に入った。

 

「副司令、その方は?」

 

伊隅が代表して夕呼に問いかける。敬語なのは階級章が自分よりも上だったからだ。

 

「紹介するわ。あたし直属の副官で特務兵の白銀武少佐よ」

「白銀だ。よろしく頼む」

「敬礼!」

 

伊隅がヴァルキリーズを代表して敬礼をし、他の乙女たちも後に続く。

武が敬礼を下すと、彼女たちも敬礼を下した。

 

「まずは模擬戦お疲れ様。まぁあたしの望んだとおりの結果になってくれてよかったわ」

 

夕呼から発せられた唐突な言葉に、ヴァルキリーズの面々は顔をしかめ、一部の者は睨み付けにも等しい目を向けていた。

 

「そんな怖い顔をしないで頂戴。あの模擬戦で万に一つ、あんたたちが勝てる可能性なんてなかったんだから」

「……副司令。それはどういうことですか?」

 

伊隅が強面で夕呼に迫る。

 

「あら、伊隅。そのまんまの意味よ?白銀相手に勝とうなんて、あんたたちじゃ10年どころか、100年は早いわね」

 

ヴァルキリーズの面々は驚愕した。

この少年とも言えるような人物が、先ほどの模擬戦で、驚異的な戦術機動を見せた衛士だということに。

そしてこの男が、基地襲撃事件を引き起こした犯人である可能性があるということに。

伊隅も同様だった。

 

(この少年のような少佐が、あの戦術機動の持ち主だというのか……何より若い、私よりも。柏木たちと同じくらいか――この若さで少佐というのもそうだが、副司令の副官を務めているということは、相当優秀な……しかし分からない。どうしてこの少佐が不明機と同じ戦術機動を取っているのか……)

 

その時だった。

 

「どういうことですか副司令!」

「速瀬!?」

 

声を荒げ、怒りが爆発したのは速瀬だった。

元々、ここ最近の速瀬は不機嫌そのものだった。

つい先日、不明機にA-01部隊始まって以来の完璧なまでの惨敗をしたあの日から、彼女はずっと不機嫌だった。

あの目的も不明な所属不明機に、手も足も出なかったことが相当心にきていたのだ。それはヴァルキリーズの皆が同じ気持ちであり、その日から訓練付けの毎日だった。

それでも追いつけない、手が届かない不明のあの戦術機動。

部隊の雰囲気は、次第に暗いものになっていった。

その中でも特に速瀬と茜はムキになって訓練した。

だが、それでも無理だったのだ。

そのことに加えて今日の敗北。

おまけにどういう訳か不知火Extraは、あの不明機と殆ど同じ戦術機動をする。

この2つだけで速瀬の心は限界を迎えていたのだ。

 

「どういうことって?」

 

とぼける夕呼に速瀬が更に苛立つ。

 

「どうして先日の所属不明機の衛士がここにいるんですか!?」

「口を慎め、速瀬中尉!」

「だって大尉!この前の不明機の機動とそっくりだったんですよ!?」

「そうです!なんで少佐があの機動をしてるんですかッ!?」

 

とぼけた夕呼に追加で苛立ったのは茜だった。

 

「それは私も思った。だが、だからと言って階級が上の者に対して、無礼を働いてよい理由にはならん!」

 

苛立っている速瀬と茜を伊隅が諌める。

そう言われて速瀬は顔をしかめるが、彼女はまだ何か言いたそうだった。

それを察してか夕呼が口を開く。

 

「ふーん。やっぱり分かるもんなのね――まず、あんたたちの疑問から答えましょう。皆思ってるわよね?どうして白銀の戦術機動が、先日の基地襲撃事件の戦術機と同じなのかということに」

 

皆が無言で頷く。

 

「本来は『Need not to know』と答えたいんだけど、流石にそれだけじゃあんたたちは納得しないだろうし、今後白銀との関係にも問題が出るから特別に教えてあげるわ――答えは、あの基地襲撃事件はあたしが仕組んだもので、不明機の衛士はこの白銀だったからよ」

「「「ッ!?」」」

 

皆の表情が驚愕に変わる。

予想はしていた伊隅も、いざ言われると驚きの表情を隠せなかった。

 

「……副司令。何故そのようなことを?」

 

伊隅がまるで絶望に包まれたかのような空気の中で、唯一口を開くことが出来た。

彼女は皆を代表して夕呼に問う。

 

「この横浜基地は対BETA戦の最前線よ。それなのに基地の空気は弛んでいた。あんたたちならこれだけでも分かるんじゃない?」

「……」

 

夕呼のその言葉だけで伊隅は納得した。

納得出来てしまった。

ここは国連軍の基地だ。

国連軍はその性質上、対BETA戦の最前線国家と綿密に連携してBETAとの戦いに臨む。

国連軍は常に常在戦場の心持ちを要求されるのだ。

しかしこの横浜基地はどうだろうか。

対BETA戦の最前線である日本帝国、しかも元ハイヴ跡地に建設された最前線の基地。

風の噂程度に流れている話では、超極秘計画の中枢だという。

実際その通りで、オルタネイティヴⅣの中枢基地であるにも関わらず、この基地の空気は緩みきっていた。

それが最も顕著に現れたのは、先日の基地襲撃事件だ。

襲撃事件というだけでことが重大であるにも関わらず、スクランブルに十数分を要する始末。

おまけにあの時の基地内は、どうしたらいいか分からない基地職員が右往左往していた。

それをA-01、伊隅ヴァルキリーズの面々は既に目の辺りにしていた。

彼女たちお抱えの整備兵ですらそうだったのだ。

 

「だからって……」

 

茜の悲しそうな声に、夕呼がすかさず反応した。

 

「人は目の当たりにした事実しか信じようとはしない。今この基地に必要なのは有事があったという事実だけなのよ。あんたたちはいいわ。既に実戦を経験した部隊だもの。でもね、この基地の職員は実戦には出ない。だからこそ事実が必要だったのよ。この基地は後方じゃない、最前線なんだっていう事実がね」

 

夕呼の言葉を、ヴァルキリーズも武もただ黙って聞いていた。

武は思う。

 

(正直、この事実を明かすか明かさないかの判断は夕呼先生に委ねていたけど……言ったのは正解だったかもしれないな。気を引き締めるなんて生易しいものじゃない、覚悟を伊隅大尉たちにも持ってもらわないといけないんだ……そうでないといくら訓練しても無駄だ。そうではないと皆生き残れないんだ)

 

武は当初、基地襲撃事件の詳細はA-01には伏せるつもりでいた。

八咫烏を今後の計画で使用する予定がある以上、いずれ明るみに出る問題であったことには変わりない。

だが、武の中に彼女たちに対する隠し事をする罪悪感が、少なからず存在していた。

皆を生き残らせるということが武の大前提である。

生き残るためには知るべき情報は多い方がよい。

しかし、その知るべき情報も取捨選択はしなければならない。

あまり彼女たちの心に負担をかけるのは良くないからだ。

一瞬でも心に迷いが生じれば、迷いは戸惑いとなり、決断力を鈍らせ、不安感をつのらせていく。

 

武はとうに罪を背負う覚悟は出来ていたし、それは夕呼も同じである。

この2人に共通なのは、背負い込むのは自分たちだけで良いという気持ちを持っていたことだ。

清も濁も、功も罪も全てを引き受けて前に進むことを、この2人は既に決めていた。

その理由は簡単だ。

武も夕呼も、BETAが来る以前の世界の、出鱈目で理不尽な、醜くも美しい人間の営みそのものを愛しているからだ。

 

「……では副司令。あの機体は?」

 

伊隅は皆が疑問に思っているだろう、もう一つの疑問を夕呼に投げつけた。

 

「あれはあたしの設計した先進型戦術機の試作機よ」

 

武と夕呼は相談して、八咫烏をオルタネイティヴⅣの研究成果の産物とすることにしていた。

そしてその設定は、身内にも対外的にも変わりはない。

これが後に重要な意味を持つこととなる。

 

「では、あの戦術機動はあの機体の性能だと?」

「それもあるわ。でも根本はそこじゃない。その説明のために白銀がここにいるのよ。あんたたちとの顔合わせという意味もあるけどね」

「白銀少佐が?」

 

伊隅の問いに夕呼は力強く頷く。

 

「そうよ――あの戦術機動はね、XM3っていう戦術機用新OSの賜物なのよ」

「エクセムスリー?」

 

ここからが今日の本題だった。

 

「白銀。解説してちょうだい」

「はい」

 

武はXM3の概念について説明を始めた。

まずはXM3の概要から。

そしてそれは次第にXM3の最も重要な部分である、コンボとキャンセルについて向かっていく。

 

「つまりXM3の要点は2つ――操作の簡略化と起動制御のパターン化。要は使用頻度の高い操作・機動は完全自動化し、それを任意に解除できるようにすることだ。便宜上、前者をコンボといい、後者キャンセルという」

 

説明する前は重かった場の雰囲気も、画期的な新OS・XM3の解説が本格化していくうちに、皆その素晴らしさに気づき始め、気がつけば先程の重い雰囲気は何処かへ飛び去っていた。

ざっくりではあるが、武はXM3の概要を説明し終えた。

A-01は皆、それにCP将校の遥も含めて皆が顔をしかめていた。

ただし悪い意味ではない。

言わばあまりのXM3の凄さ、斬新さに唸っていた。

武はこの中で一番吞み込みが早そうな点を考慮し、伊隅にまず声をかけた。

 

「どうだ?伊隅大尉」

「はっ。驚きを通り越して感激の一言です」

「ほう、何故だ?」

 

前回の世界では、武は直接伊隅たちにXM3を解説したことはなかった。

つまり、直接感想を聞くのは今回が初めてとなる。

伊隅の感激という言葉に、武は思わず聞き返してしまった。

 

「この新OSによって、衛士の前線での戦術機戦闘は飛躍的に向上するでしょう。それと同時に衛士の損耗率も低下するはずです。このOSを作って頂いたことに、一衛士として感謝致します」

「……」

 

武は元々調子に乗りやすい体質だ。

それとプラスして武の主観時間で数十年ぶりの伊隅たちA-01、尊敬出来る先任方に率直に褒められたことに、彼はかなりむずかゆくなった。

そのため少しばかりポカンとした表情を浮かべ、若干頬を赤くし頬をポリポリと手で掻きながら、顔を僅かに横に逸らした。

その様子を見た彼女たちは、不覚にも少し可愛いなと思ってしまった。

武に対する最初の印象が最悪だった速瀬や茜も、この仕草によって大分印象が緩和されていた。

この武の仕草と表情に、思わず皆が笑いそうになった。

そして遂に遥が耐え切れずに噴き出し、それに釣られて他の者も笑い出し部屋全体が笑いに包まれた。

 

伊隅は軽く笑いながら思った。

 

(もしかしたら少佐は、自身の作られたXM3が受け入れてもらえるか心配だったのかもしれないな……)

 

一方、武は昔に戻った気がして少々恥ずかしかったが、同時に楽しく感じた。

 

(懐かしいなぁ……)

 

それが武の実直な感想だった。

しかし、お堅い雰囲気を今更崩せるはずもなく、大きくわざとらしく咳払いをして場を収めた。

 

「おほんッ!まぁ俺は発案しただけで、作ったのは霞や副指令なんだがな――それでだ。ここからが本題だ。貴様らA-01にはこのXM3の宣伝(・・)をしてもらいたい」

 

気持ちの切り替えがすぐに出来るのが、このA-01メンバーの良いところである。

すぐに真面目な雰囲気に戻り、武の言葉を聞く。

そこで発せられた宣伝、という言葉に伊隅が疑問を呈する。

 

「……宣伝、でありますか?」

 

XM3は八咫烏と同様に、オルタネイティヴⅣの産物として対外的に公表する予定でいる。

前のこの世界で武は、XM3を即座に全ての戦術機に乗せることを望んでいたが、今はそうではない。

いや、今も全ての戦術機に即座に搭載させたいとは思う。

だが、その願いよりも優先すべき願い、もっと大事な願いを叶えるためには、それをしない方がよいと武は結論付けた。

今の武は、全ての願いを同時に叶えようなどという、欲張りなガキ臭い考え方はしていないつもりでいた。

オルタネイティヴⅣの完遂と皆の生存。

これは武にとって何よりも優先させるべき事項であり、その為には多少の犠牲は仕方ないと無意識に考えるようになっていた。

以上の目的を果たすためには何が必要か。

その思考から武が導き出した結論は、A-01にXM3の宣伝と教導部隊としての役目を与える、というものだった。

 

「そうだ。要は貴様らにXM3の教導部隊を務めてもらう、ということだ。これから約2週間の間、貴様らにはXM3を完璧に習得してもらうための訓練を積んでもらう。そしてその教官には俺が付く」

「それは……願ってもないことですが」

「まぁ詳細はいずれ話そう。それまではただ訓練を積んでいればいい」

「はっ!」

 

武の言葉には遠回しにだが『Need not know』が明確的に含まれていた。

それを察した伊隅は、それ以上は何も言わずにただ了承した。

 

武は正直なところ全てを打ち明けたかった。

自分が未来を知る人間だということはともかく、最低限矛盾がないように。

例えば11月11日に、新潟にBETAが上陸するからその為の訓練をするだとかそういったことをだ。

彼女たちにも知る権利はあると武は思っている。

確かに彼女たちはこの世界の人間だ。

決して前のこの世界の人間ではない。

これは武の自己満足に他ならず、夕呼が知ったらガキ臭いと一蹴するだろう。

それは十分理解している。

しかし、言えないことへのもどかしさは残る。

更に付け加えるなら、武は彼女たちに対しまた以前のように気軽に接したいという気持ちも残っている。

だがそれは甘えだと武は思い込み、その気持ちを心の奥に鍵をつけて閉まってしまっていた。

 

「今後の予定についてだが、副司令……よろしいですか?」

「ええ」

 

夕呼の了解を取り付け、武は今後の予定をA-01に通達する。

 

「今日はこれからXM3についての詳細を説明する。要は座学だ。だが座学だからと言って侮るな。XM3の性質そのものを理解しなければ意味はない。俺が貴様らに求めるのは完璧なXM3の習得だ。妥協はしないぞ――そして明日からについてだが……本格的にシミュレータでの訓練を開始する。本来は休日なんだが今は何より時間が惜しい。なのですまんが休日返上で訓練だ――――速瀬中尉、涼宮少尉……嬉しそうだな?」

「願ってもないことです!」

「私たちは一刻も早くあの戦術機動を身につけたいんです!」

 

速瀬も茜もまだ心の整理がついていないだろう。

目の前にいる少佐があの不明機の衛士だと既に分かっている。

その分気持ちは複雑だった。

だがあの意味不明な戦術機動を、その彼がこれから伝授してくれるという。

気持ちの整理がつかないまでも、自然と気持ちは高ぶっていた。

 

「威勢がいいのは大変結構。あぁ、そうだ。貴様らの実機の修理が完了次第、市街地や演習場での実機訓練もするからそのつもりでいろ。シミュレータと実機訓練を隔日で毎日行う。当面はこんなものだ。何か質問は?」

 

質問は出なかった。

 

「よし。ではこれからXM3の座学を行うぞ」

 

皆で生き残るという最大の目的のために、武は熱心に彼女たちに座学を行った――。

 



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Episode12:それぞれの休日

Episode12:それぞれの休日

 

 

2001年10月28日(日)10:37

 

 

伊隅たちA-01部隊の面々は今、第2演習場で不知火6機による実機訓練をしていた。

基地襲撃事件から既に6日。

ようやく破壊された跳躍ユニットの修理と整備が完了し、念願の実機訓練が復活した。

何せ基地襲撃事件以来、あの不明機の機動をものにしようと、訓練に明け暮れていた伊隅ヴァルキリーズ。

機体は修理中であったため、やむを得ずシミュレータ訓練で行っていたわけだが、ようやくの実機訓練に皆、思わぬ興奮を感じ取っていた。

それもXM3搭載型不知火での実機訓練だ。

気分が高揚しない方がおかしいというものだろう。

夕呼から基地襲撃事件の真実を聞かされたときは、彼女たちも戸惑いを持った。

だが、その意味と必要性を理解してしまった以上、納得しないわけにはいかなかった。

しかしそれ以上に、彼女たちを色んな意味で驚かせたのはXM3だった。

そして今回、初めてXM3搭載型の不知火に搭乗してみたわけだが、皆思いのほか苦戦した。

即応性が3割増しになり、操縦系の遊びが極端に減ってしまったことが一番の要因だった。

風間や宗像は当初、立っていられるのもやっとという状態だった。

実機訓練開始から既に2時間。

皆、ようやくXM3に慣れてきたという状態だった。

何より武の的確過ぎるアドバイスが、彼女たちの役に非常に立っていた。

特に速瀬などは、持ち前の操縦技術の高さと熱心な気持ちを巧みに利用して、真っ先にXM3に慣れていった。

 

「皆、ようやく慣れてきたようだな」

 

武の声が通信を通して、ヴァルキリーズ全体に行き渡る。

ヴァルキリーズは不知火だが、武の機体は撃震である。

6日で用意できた実機が、それしかなかったというのが1番の原因だが、いずれヴァルキリーズと再び対戦形式の訓練をするつもりだったので、撃震の方がいいハンデになると武は思って乗っていた。

 

『はい少佐。今まで乗っていた不知火がのろまに思えるほどです』

 

伊隅が実直な感想を返した。

確かにその通りであった。

即応性の3割増しと、ただ聞いただけではあまり信じられないかもしれない。

しかし実際に搭乗してみれば、その機動性の向上は素晴らしいものだった。

皆がこの新OS・XM3の有用性を実感していた。

これを使えば戦術の幅が、今の倍以上に広がると。

後衛の機体でも、今まで以上の機動が可能なのだと。

 

『見てください少佐!私の手足のように不知火が動きます!』

『私も負けてませんよ!』

「あぁ、そうだな。2人は上達が速い」

 

特に速瀬と茜は、目を見張るほどの上達速度だった。

元々、個人が持っているスペックの高さもあるだろう。

だが1番上達の鍵になったのは、その熱心な気持ちであったことは間違いない。

白銀のアドバイスを受けるたびに、2人はそのアドバイスを的確に理解し、実機操作に反映していった。

もう自分たちがかつて、白銀に悪い感情を持っていたことなど、忘れてしまったかのようなはしゃぎようだった。

 

(その程度で満足されては困るんだがな……まぁ、今は大目に見よう)

 

と武はまるで子供を見るような目で、速瀬と茜が演習場を縦横無尽にかけまくる様子を見守っていた。

そんな中、伊隅は武をこう思っていた。

 

(白銀武少佐。底が見えない御方だ……歳が18だと知ったときはかなり驚いたが、まさに衛士になるために生まれてきたようなお人だ。あれ程、当初は少佐を睨んでいたというのに、速瀬と涼宮の感情を理解した上での的確なアドバイス、そしてそれを覆ってしまうだけの器量。どれをとっても私は少佐に叶わないな……噂によればA-01の部隊長にも就任されるとか。少佐なら私以上に的確な命令を下すことが出来るだろう――槇原、私はこれで良いのだろうか……お前はきっと私を恨んでいるだろうな)

 

伊隅の消えない過去。この時、その事実を武はまだ知らなかった。

 

(いや、今訓練中だ。もっと別なことを考えよう……そう言えば今日、整備兵の連中がやけに浮ついた雰囲気だったのはこういう事か……)

 

実は今日、訓練前にハンガーに行くと、ハンガー全体の空気が妙に浮ついていたのを、伊隅は確かに感じ取った。

そして伊隅たちA-01部隊員を見かけると、整備兵たちは一様に男女関係なくニヤニヤした顔を向けてきたのだ。

不審に思った伊隅が自らの不知火の整備班長に声をかけると、あとで感想聞かせてください、と言ってきたのだった。

実はこの時、整備兵たちは既にA-01部隊用の不知火にXM3の搭載作業を、夕呼から指示されていたのだった。

彼らは伊隅たちよりも早く、XM3の素晴らしさを知っていたからこその態度だったのだ。

 

「よし、次はキャンセルとコンボの実践に入るぞ。まずは手本を見せるから、皆その動きを見様見真似でいい。真似して見るんだ」

『『『了解!』』』

 

武によるXM3の実習講座は、まだまだ続いた――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日11:09

 

 

武と伊隅ヴァルキリーズが、休日返上でXM3の実機訓練を行っている頃、207B訓練小隊の珠瀬壬姫の姿は自室にあった。

1週間ぶりの休日は、いつもと変わらない日数でやって来た。

6日間の訓練と1日の休日、つまるところの6勤1休。

それが彼女たちに与えられたルーティンである。

だが今度の休日は、今まで過ごしてきたどんな休日よりも、そして休日に至るまでの過程の全てが、今までと違った。

突如として決定された特別教官の配属。

これが彼女たち、207Bに取っての大きな転換点となった。

特別教官の武による、3日間の地獄の猛訓練。

彼女たちは徹底的に扱かれた。

体力も精神もボロボロになるまで、武は彼女たちを扱いていた。

たった3日間であるが、体感時間ではもっと長く感じられた。

そんな地獄の訓練を耐え抜き、ようやくやってきた休養日。

連日の訓練で疲れ切ったたまにとって、この休日は何よりもありがたかった。

身も心も既にボロボロであり、その身体と心は自室から動きたくないとひっきりなしに叫んでいた。

今日はゆっくり休みたい、それが彼女の偽らざる気持ちであった。

故に彼女は今、1人自室に籠っていた。

 

(あ、お花さんにお水をやらなきゃ)

 

たまはふと思い出す。

彼女は自室に植木鉢を持ち込み、花を育てている。

その花への水やりが、たまにとっての日課でありルーティンの1つであった。

しかし、そこでたまは重大な事実を思い出す。

毎日の夜の日課だった花への水やりを、ここ数日休んでいることを。

彼女は何故、日課を忘れてしまったのだろうか。

その間接的な原因は武にあった。

彼によるハードな訓練は、何よりも207Bで最も体力が少ないたまにはよく響いた。

それ故にここ最近の彼女は、訓練が終わり自室に帰って来ると、直ぐに死んだように眠ることが多かった。

 

「あ……少し萎れちゃってる……」

 

たまはミニじょうろに水を汲み、少し萎れかかった花へと満遍なくかけた。

軍というところは、基本的に私物の持ち込みが禁止されている。

だが、彼女たちは女性であるということ、そして特別な立場にあるということで、僅かながら私物の持ち込みが許可されていた。

この植木鉢に植えられた花とミニじょうろは、たまが持ち込んだ数少ない私物の1つであった。

ハスロから水がシャワーのように流れ出て、植木鉢へと注がれる。

シャワー状になった水がまだ蕾の状態の花にかかり、それが流れ落ちてやがて葉っぱへと至る。

その光景はまるで、先日までのたま自身から流れ出た汗と同じようであった。

たまは昨日までの過酷な訓練を思い出す。

 

(白銀少佐は私を小隊のお荷物だと言った……)

 

たまには数少ない取り柄として射撃がある。

その射撃の腕は、部隊一どころか、極東一と言っても過言ではない。

しかし、体力の方はどうにもつきにくい体質のようで、ランニング関係の訓練があれば常に最後尾に位置していた。

転んだ回数も恐らく訓練小隊の中ではトップであり、その影響で小隊のランニングの周回数を増やされたこともあった。

 

(でも壬姫が転んで捻挫したかもしれない時、少佐は直ぐに見てくれて……結局問題がなかったから走らせられちゃったけど――本当は優しい人なのかな……)

 

武はたまにこう言った。

部隊のお荷物は即ち死体そのものだと。

死体を背負って戦う部隊の仲間がどこにいる……と。

 

(でも少佐は、あの後こう言ってたなぁ……そもそも仲間というモノが何か理解していないお嬢様たちには、言っても無駄かもしれないって。壬姫たちは本当に仲間じゃないのかなぁ……)

 

たまは己のこれまでの行動を、1つ1つ見つめ直し始めていた――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日11:27

 

 

まだお昼と呼ぶには早い時間帯のPXに、鎧衣美琴の姿はあった。

普段は明るい彼女だが、今日は不思議と1人になりたい気分であった。

しかし自室での1人とは何かが違う。

もう少し別なところで1人になりたかった。

美琴はかなり悩んだ。

そして選んだのがこのPXという場所だった。

美琴は1人物思いに耽る。

 

「おや、美琴ちゃん1人かい?」

「あ、京塚のおばちゃん!」

 

そんな悩める美琴に、話しかけてきた人物がいた。

名を京塚志津江といい、この横浜基地のPXの調理師を務める人物だ。

所謂食堂のおばちゃんである。

因みに階級は臨時曹長だ。

かつては柊町駅近くで食堂を経営していたが、BETAの侵攻で町が壊滅してからは紆余曲折を得て、この横浜基地の食堂で働いている。

料理の腕はかなり高く、そこまで美味しいものではない合成食品を、そこそこの味まで引き上げるほどだ。

 

「こんなところで何してんだい?」

「……うん――あのね、今日は僕……1人になりたかったんだ」

「おや、珍しいこともあるもんだね。美琴ちゃんが1人でなんて……何か悩み事かい?」

 

おばちゃんの言葉に、美琴は眉間に皺を寄せた。

悩んでいるのが、同じ訓練小隊の仲間のことだとは言えなかった。

理由は言わずもがな、武の言葉が原因であった。

美琴は思う。

 

(あの時、少佐が言っていたのは僕のマイペース過ぎることだと思う。場の雰囲気を悪くしないように、話を聞かないふりをしていたことを咎めたんだと思う……でもそれがなかったら千鶴さんも慧さんも……僕はどうしたらいいの?)

 

しかし、おばちゃんに迷惑をかけてはいけないというのが、美琴の下した判断だった。

 

「うん……まぁそんなところだね」

「うんうん、いいさ!悩めるのは若さの特権さね!あ、そうだ。美琴ちゃんにいいものをあげよう」

「……いいもの?」

 

おばちゃんは一度調理室に戻り、何かを持って再び戻ってきた。

 

「ほい、これさ」

「これって……本物のオレンジジュース!?」

 

美琴の驚愕も無理はない。

今のご時世、どんなものでも本物は大変貴重だ。

場合によっては、高額な金銭で取引先されることすらある。

そんな中、突如として渡された合成ではない本物のオレンジジュース。

美琴たちからしてみれば聖水のようなものだ。

 

「たまたま1本混ざっててね。これでも飲んで元気出しな!」

「でも……皆に悪いよう」

「気にしない気にしない!キツイ訓練がここんとこ続いてるんだろう?ご褒美くらいあったっていいさね!」

 

おばちゃんの言葉に美琴は少し考え込むが、断っては折角気を遣ってくれたおばちゃんに申し訳がないということで承諾した。

 

「うん……ありがとう、京塚のおばちゃん!」

「どういたしまして。ほら、見つかる前にとっと飲んじまいなよ」

「うん!」

 

少し勿体ない気もしたが、美琴は本物のオレンジジュースを一気に飲み干した。

しかし彼女の胸の痞えが取れることはなく、今しばらくPXで1人物思いに耽った――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日16:48

 

 

夕暮れの時の訓練校の廊下に、榊千鶴は1人佇んでいた。

理由は……特にない。

ただ考え事をしたかったからだった。

考え事の内容は、部隊内の不和について。

いや、不和と呼んでいいのだろうか……というのが彼女の正直な思いだった。

表上は何の問題もない部隊に見えているはずだ、表上(・・)は。

しかし、蓋を開けてみれば部隊はバラバラ。

ふと千鶴は空を見上げた。

 

(流れに身を任せる者に、命令には従わず己のみを信じている者。窘めるふりをしつつ実際は動かない者。皆に見切りをつけて独断しようとしている者――我ながら情けない話ね……小隊1つ纏められないなんて)

 

しかも武の指摘があるまで、千鶴はそれに気付いてはいなかった。

いや、気付いてはいた。

ただそれを認めたくなかっただけだ。

気付かないフリをしていただけだ。

人のせいにして、自分に問題があるとは思いたくなかったのだ。

 

しかしそこで千鶴は思う。

 

(そういう意味では白銀少佐が羨ましい。皆にうんとしか言わせない迫力と説得力。そして何より、人の動かし方を心得ている。少佐のやり方は傲慢に近い……でも、どんな状況でも一応の納得はさせる……いえ、させられた――歳は近いはずなのに、どうしてもう少佐なんて地位に付いているのかしら……香月副司令のせい?いえ、今はそんなことどうでもいいわね……)

 

千鶴はそこで視線をふと下に落とすと、そこで彼女はあるものに気がつく。

訓練校の反対側に見えるのは司令塔。

その廊下に強化装備姿の武が目に入った。

 

(少佐?強化装備姿で何を……)

 

すると今度は夕呼が現れ、武の隣を歩き始める。

2人は何やら話ながら廊下を淡々と歩いて行った。

やがて曲がり角に差し掛かり、そして見えなくなった。

 

(そう言えば……白銀少佐は香月副司令の副官だって教官が言ってたわね……本当に近い歳でどうしてここまで差が出たのかしら――首相の娘が聞いて呆れるわね。本来ならそんなこと気にしないはずなのに……心の片隅にしまい込んでいたはずなのに)

 

千鶴はため息を吐いて窓枠を軽く叩き、再び夕暮れ時の空を見上げた――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日19:48

 

 

夕食時は当の昔に過ぎ去った訓練校の屋上に、彩峰慧の姿はあった。

彼女は夕食も取らず、ここで夕方から淡々と、拳や脚を前に突き出していた。

夕食は焼きそばだった。

しかし彼女はそれを知って尚、ここにいる。

そう、徒手格闘の訓練をもう3時間も行っていた。

全ては武に勝つためだ。

彩峰は思い出す。

先日の武との徒手格闘訓練を。

 

幾度顔が地に付いたのか、彩峰は地に伏しながら考え込んだ。

視界は、意識とは打って変わって、鮮明だったのは覚えている。

次々と同じように地に伏せさせられていく、訓練小隊の仲間たち。

彩峰はあの時こう思っていた。

 

(立ち上がらなくては……立ち上がって、あの憎い上官に一撃を加えてやらなければ……憎い!あの男が……)

 

彩峰の憎しみが増幅した原因、それは己の身体にあった。

朦朧とする意識の中で、身体のどこを見回しても傷はない。

打撲や打ち身が数か所ある程度で、地面に転んだことによるかすり傷はあるものの、骨折や出血の類はなかった。

これが忌まわしいことに、武の実力を何よりも表していた。

訓練兵とはいえ、5対1でも手加減する余裕があるということだ。

その実力は、訓練小隊で一番徒手格闘が強いと評判の彩峰を、軽く凌駕していた。

けれど彩峰は思う。

 

(白銀少佐が有能であるはずがない……)

 

彩峰は常々思っている。

無能な者が上に立てば下の者を殺す。

それが、彩峰慧という少女の一種の行動原理であった。

理由は彩峰中将事件だったろう。

上に立つ者は有能であるべきだ。

彩峰は父親を尊敬していた。

彼女は父親が有能であると思っていた。

だからこそ、中将という地位にまで出世したのだと信じていた。

あの時までは――。

 

(認めない!白銀という男が有能であるはずがない。男であることと、腕っぷしとちょっとした技量だけで、少佐なんて……きっと香月副司令に取り入ったに決まってる!)

 

だからこそ、彩峰は何としても勝たねばならなかった……白銀武に。

勝って武の無能を証明してやると。

勝って自分が登り詰めて、いずれは父親の地位にまで登り詰めて……自分が、父親が、その部下が、その娘が、無能ではないということを証明して見せると。

しかし同時に、彼女は言いようのない気持ちにも襲われる。

何故なら白銀武という男は、今まで見てきたどんなタイプの人間とも違ったからだ。

武という人間を考えれば考えるほど、不思議とその考え方に引きずり込まれてしまう。

 

(何……このもどかしい気持ちは……)

 

彩峰は気づかない。

それが純粋な興味と言う気持ちであることに。

確かに武は有能ではないと思っている。

あの余裕っぷりが憎いと彼女は思う。

だが武に対する純粋な興味が心の何処かにあるが故に、完全に彼を憎み切れていないのだ。

そこに未だ気づけていなかった。

 

もどかしさが募りつつも彩峰は拳を突き出す。

全ては武に勝つために、証明するために。

彼女の訓練は夜遅くまで続いた――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日21:38

 

 

月明かりの照らす夜遅くの訓練校のグラウンドに、御剣冥夜の姿はあった。

手にしているものは刀、名を皆琉神威(ミナルカムイ)と言う。

彼女は今、真剣で居合道の自主訓練をしていた。

理由は精神統一のため。

そうしないと冥夜は、ここ最近ボロボロになった己の精神を、維持できそうになかったからである。

皆琉神威の空気を切り裂いた一線とその音が、誰もいない夜の訓練校のグラウンドに刻まれた。

そうして何度が刀を振り、冥夜はひたすら心を無にしようと試みる。

だがその行為は決して報われることはなかった。

 

「くっ……」

 

精神を保てない自分に苛立ち、冥夜は苦悶の表情と声を上げた。

思い出されるのは先日の訓練。

武主導で行われた無限ランニングのことであった。

 

武の怒号におされ、皆が落ちていくランニングのペースを強制的に維持させられた。

しかしその怒号とは裏腹に、冥夜が感じた武の見据えているモノは違うと思った。

ここ最近の訓練で漸く彼女はそれ気づいた。

 

(少佐殿は私たちを見ておられない。思い出せば、あの時の夜……戦う理由と兵士の心理についての話をされた時もそうだった……目の前にありながら、どこか遠いところを見つめて、そして見据えておられた。あの方は一度も、私たちを見据えたことなどなかった。神宮司教官からは常に感じられていた、温もりとでも言えるようなものがないことからも、それは明白だろう……)

 

先日の無限ランニング後の、徒手格闘でもそうであった。

膝を突かされた冥夜たちに与えられたのは、武からの伝言を預かったまりもの一言。

たった一言であった。

相手にされていないのは眼に見えていた。

 

(少佐殿とは、決意も、覚悟も、矜持も、努力も……すべてに圧倒的に差があった。私たちはそれをこの身に染みて味わった。武道を嗜んできたからこそ分かる。圧倒的上位からこちらを見据える眼。威嚇や力の誇示などせずに立場を示す。そんなものを少佐は持っておられた……そして何より、あの徒手格闘での一戦はそれを浮き彫りさせた。少佐との実力の差がいかに隔絶しているか、それを痛いほど私に示してきた……)

 

無言の評価、圧力。

この武の無言の意表は、冥夜たちのその心に何よりも響いた。

だからこそ今日、休養日だというのに207Bの各員は、冥夜同様物思いに耽り悩んでいた。

特に感受性と理解力の強い冥夜には何よりも、武の行動とその内容が理解できた。

そしてそんな彼女が陥ったのは自己嫌悪。

今までの自らの行動や考え方、それらがいかに無様なものであったのかを冥夜は思い知った。

自らの非力さ、無力さを痛感した。

体力の問題ではない、心の問題だ。

この悲痛な状態から救い上げてくれる者などなく、されど自力で起き上がる間さえもない。

例えるなら見知らぬ土地に1人、放り投げられてしまうようなものだろうか。

それ故に心の平静が保てない。

普段は気にならないものに、心を酷く乱されていた。

 

「何故だッ!?」

 

冥夜は悲しく、グラウンドで1人叫んだ。

彼女の苦悩はもう暫くの間続く。

彼女とその仲間たちに変化が訪れる時が、果たしてくるのだろうか――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日23:04

 

 

僅かな灯りの下で、香月夕呼は唸っていた。

その肩は僅かばかりに揺れていた。

その揺れは手元から来るもので、その揺れの激しさが彼女の必死さを表していた。

 

「……これはどうしたものかしらね」

 

夕呼はそう独り言をつぶやきながら考える。

彼女は、人類の未来(じんるいのあす)という重責を担う第一人者である。

その脳内な常に様々な考え事で埋め尽くされており、心休まる暇は滅多になかった。

だからこそ夕呼は、気晴らしと称してまりもを着せ替え人形にしたり、伊隅たちをからかったりしている。

彼女とて息抜きは必要だからだ。

 

「やっぱり元に戻すべきかしら?」

 

夕呼は再び独り言を呟く。

彼女は悩む。

オルタネイティヴ計画の責任者として、やらなければならないことは膨大だ。

武がこの世界にやってきてから、彼女の忙しさは更に増した。

もっともそれは、人類が救われる可能性を高めるための忙しさであり、ある意味でいい忙しさとも言える。

だが、結局は仕事が増えた事に変わりはない。

夕呼は唸る。

 

「……アルゴリズムから察するに、右はあり得ない。でも左も罠の可能性が高い。ならここは後ろに下がるべきかしら?」

 

彼女の癖として、悩みが深ければ深いほど独り言が増えるというものがある。

その癖が知らず知らずのうちに発揮されている辺り、今の夕呼がどれほど考えているかというのが伝わってくる。

 

夕呼は盤面を操作する。

 

「あ、やっぱりこっちが正解なのね。次は……またこれはこれで面倒そうね」

 

1つの問題を解決したと思えば、また新たな問題が発生する。

夕呼は気晴らしにと夕食後に始めたものに、まさかこれほど時間を取られるとは思ってもみなかったのだ。

 

また夕呼は盤面をポチポチと操作する。

 

「クリアね……え、まだあるの?仕方ないわね……」

 

いつか武から接収した、ゲームガイでの夕呼の気晴らしは、まだ当分の間続きそうであった――。

 



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Episode13:訓練とその先に

Episode13:訓練のその先に

 

 

2001年10月30日(火)06:35

 

 

「すまないな、神宮司軍曹。こんな朝早くに」

「いえ、お気になさらず」

 

朝の点呼直後に、武はまりもを自室に呼び出していた。

点呼直後のためか、まりもはまだBDUに着替えておらず、国連軍のC型軍装の姿であった。

武がこうしてまりもと1対1で話すのは、この世界においての一応の初対面である23日以来のことであった。

わざわざこんな時間に呼び出したのは、とある確認事項のため。

つまりは彼女が監督する、207B訓練小隊のことであった。

 

「恐らく夕呼せ……香月博士から聞いているとは思うが……」

 

まりもの前と言うこともあってつい気が緩み、夕呼のことを先生呼びかけた武。

彼女はそれを見逃さなかった。

そして武と夕呼の関係に、まりもは違和感を覚えた。

 

(今、夕呼って名前で呼びかけたわね……白銀少佐と夕呼はそれほど仲が深い、ということなのかしら?ただの上司と部下という関係ではないのは、何となくだけど雰囲気で察してはいたけど……あれ?でも確か夕呼は、歳下は性別認識圏外って前に言っていたような――あれ?なんで私、そのことに焦ってるの?)

 

武が夕呼のお抱えの特務兵であることを、その立場故にまりもは当然知っていた。

しかも武の能力が相当に高いということは、207Bに対して課している訓練内容からだけでなく、武の言動、一挙手一投足からも既に把握できていた。

加えて衛士であることも軍服に付いた衛士徽章で確認済みである。

また、これは直接確認したわけではないが、噂ではあの部隊(・・・・)の指揮官に就任しているという情報も漏れ伝わっている。

この情報は、恐らく真実であるとまりもは踏んでいた。

その判断材料は、武が常に207Bの訓練を見ていないこと。

時々、強化装備を着た彼を見かけること。

例の特殊部隊の隊員たちと、その整備兵たちが忙しそうにしていることなどからである。

実際これらのまりもの予想は的中しており、無数の事実が武の優秀さを刻々と映し出していた。

そんな少佐が、自分の親友を知らないところで名前を呼んでいたという事実に、まりもは知らず知らずのうちに焦りを覚えていた。

そして今、それを彼女は認識した。

脳内は一瞬にしてそのことで一杯になってしまった。

 

(もしかして……私は白銀少佐に気があるの?……こんな少年に?)

 

確かに武は優良物件であろう。

だが武を好きになるということは、それ相応のライバルたちの出現を意味することにも繋がる。

まりもはそのことをまだ知らない。

 

「……そう。神宮司軍曹」

「え?あ、はい!」

 

まりもが深く考え込んでいる間にも、武の話は進行していた。

だが彼女が上の空であることに、武は途中で気が付き、幾度となくその名を呼んだ。

それにより、幸いにしてまりもの思考は、現実へと引き戻されることとなった。

 

「どうした軍曹。具合でも悪いのか?」

「い、いいえ。そのようなことは……」

 

現実に引き戻されたまりもは別な意味でも焦った。

何故なら上官の目の前で上の空を演じ、尚且つその話を聞いていなかったからだ。

 

「そうか?まぁいい。取り敢えず、207Bの総戦技演習の繰り上げは予定通りだ」

 

普段の武の厳格さから、必ず怒られると思ったまりもだったが、幸いにして話を聞いていなかったことは不問にされたようだった。

それに何故か安堵した。

だが直後に武からもたらされた情報は、彼女を驚かせるには十分だった。

 

(え?総戦技の繰り上げ!?)

 

唐突に武から伝えられた爆弾情報。

それにまりもは再び焦る。

 

「通達通り軍曹が……」

「ま、待ってください!そんな、いきなり繰り上げと言われましても!」

 

まりもは焦りと驚きが半々に混じった表情を見せた。

その様子を見た武は、一瞬ポカンとした表情を浮かべたが、直ぐに何があったかを理解したような表情をした。

逆にまりもの方もその武の表情を見て、その犯人が誰であるかを察した。

 

「あれ?もしかして夕呼先生から聞いてない感じ?」

「……はい。通達は受けておりません」

 

武はため息を吐いた。

因みに素が出ていたことには気づいていない。

 

(夕呼先生……本当に頼みますよ)

 

しかしよくよく武は考えた。

 

(まぁ今忙しいのは分かる……それに忙しくしたのは俺だからまぁ、文句は言えないか)

 

そう結論付け、一から説明することに決めた。

一方のまりもは、先ほどの武の素と思われる発言に驚いていた。

 

(夕呼先生って………先生って一体何なのよ。何かのプレイの一環?でもあれが少佐の素なのかしら?だとすると、歳相応なところも多少は持ち合わせているのかしらね)

 

まりもは意外な武の一面を見れたことに、少なからず満足した。

 

「そうか……まったくあの人らしい。では改めて俺から伝えるが、207Bの総戦技演習を繰り上げることが既に決定されている。予定期間は明後日、つまり11月1日から1週間だ」

 

口調が元に戻った武から、まりもは変更された総戦技演習の予定と内容を告げられた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

場所はブリーフィングルーム。

そこに伊隅ヴァルキリーズの面々が集まっていた。

理由は演習後のデブリーフィング。

ここ数日、訓練付けのヴァルキリーズのごく当たり前のルーティンの一環である。

早朝――その日の訓練内容の通達と、ブリーフィング。

午前――XM3搭載シミュレータによる、シミュレータ訓練。

午後――市街地や演習場での実機訓練、又は午前に続いてのシミュレータ訓練。

夕刻から晩――1日の訓練内容のデブリーフィング。

以上が、武がヴァルキリーズに課した1日の訓練内容である。

因みに武は、午前中の訓練に参加しない事が大半である。

理由は207Bだ。

 

伊隅たちは、録画された今日の自分たちの訓練の様子のハイライトを見ながら、お互いここが違うあそこが違うと意見交換をしている。

基本的に武はそれを黙ってみているだけで、特に何か口を挟むことはない。

それは何故か。

自分たちで考え、修正していって欲しいからである。

因みにこれはデブリーフィングの時のみである。

教導中の武は、容赦なくヴァルキリーズに罵詈雑言を加えている。

伊隅に、訓練兵時代のまりものことを連想させる程度には、それは厳しいものであった。

 

「白銀少佐。跳躍噴射後のキャンセルについてなんですが……」

 

端で黙ってその様子を見ていた武に、こうして質問してくる者があるのは、今ではよくある光景になりつつあった。

中でも、特に質問してくるのは茜と速瀬だった。

最初こそ、基地襲撃事件の影響でギクシャクしたり、訓練中の武の厳しさに動揺し多少のぎこちなさは存在した。

だが、こうしてデブリーフィングになると訓練中の厳しさは鳴りを潜め、気軽に相談にのってくれたり、自らの操作記録を開示してくれたり、共に食事をしたりなどで、僅か2日のうちにその関係性はある程度改善されていた。

そして速瀬と茜は、今ではすっかり武に気を許す1人になっていた。

こうして質問をしてくる辺りにも、その様子は伺いしれていた。

武は茜の質問に丁寧に答える。

 

「着地の瞬間にキャンセルするにしても、するタイミングが重要なんだ。着地してワンテンポ間を開ける、つまり着地して衝撃を吸収する為に膝が曲がる。その曲がった最適なタイミングでキャンセルしないと、ただ着地バランスを崩すキャンセルになってしまうんだ」

「少佐~。それってコンボにすることは出来ないんですか~?あたしとしてはその方が有り難いんですが」

 

茜と同じく速瀬もよく武に質問してくる。

彼女の方が茜以上に割り切りがよく、既に基地襲撃事件のこともあまり気にしていない様子だった。

不機嫌だった速瀬の姿は既になかった。

寧ろ部隊内では茜と並んで、1番にXM3の習熟に向けて努力している1人であった。

これは武からしてみてもいい状態だった。

だが武は気づいていた。

速瀬は確かに着実にその腕を向上させている。

しかし、その中には僅かながらの焦りのようなものが、含まれていることに。

今の所は順調にXM3を習得している。

だがもし、その成長に何かしらの要因で陰りが見えたらどうだろうか。

速瀬は間違いなくまた苛立つだろう。

そうならない為にも、武は速瀬に対し人一倍気を遣っていた。

 

「キャンセルの利点はヤバい(・・・)、と思った時にも使えなければ意味はない。着地キャンセルをコンボ化してしまったら何かあるタイミングに、着地キャンセルのコンボそのものをキャンセルしなければいけなくなってしまう。XM3の最大の利点である即応性を潰してしまっては、それこそ元の木阿弥状態だ」

「ヤバい?」

 

聞きなれない言葉に、宗像が聞き返した。

 

「あぁ、危ないとか問題だとか、そう言った意味だ」

「なるほど……」

「少佐~。少佐って時々、意味不明な言葉使いますよね~」

 

速瀬の言葉に、武は苦虫を噛み潰したような表情をする。

 

「これは俺の育ちが悪いせいだ。気にしないでくれ」

「白銀少佐の育ちですか……少し気になりますね」

「確かに。少佐ってどこの生まれなんですか?」

 

祷子と茜が武を追撃した。

 

「生まれはココだよ」

 

武は自らの足元を指差し、どこか懐かしむような目をしながら答えた。

 

「ってことは、横浜なんですか?私たちと一緒ですね……ッ!?」

 

茜はそこまで言って2つ気が付き、口を閉ざした。

1つは、周りの先任たちが、それ以上は突っ込むなと視線で合図していたこと。

2つ目は、横浜生まれということは、もしかしたら家族が疎開出来なかったのかもしれないということに。

それに上官たちの視線で、ようやく想像がついたのである。

つまりはこういうことである。

武のどこか懐かしむような目をしたことで、恐らくこの横浜で何かあったのだろう、と想像をつけた。

そして茜にそれ以上突っ込むなと視線を向けた。

茜はその視線で己の一体にようやく気付き、口を閉ざした。

こういうことである。

 

「すいません少佐……」

「ん?何がだ?」

 

茜は武に謝罪したが、武は意味が分からなかった。

しかしヴァルキリーズは、武は空気を呼んでとぼけてくれたのだと勘違いした。

 

「キャンセルもするタイミングが重要、そういうことですね?」

「ん?まぁそういうことだ」

 

伊隅が空気を読み、上手くまとめた。

 

因みにヴァルキリーズのXM3習熟は、まだ2日ではあるが順調に進んでいると言えた。

既に大半のメンバーが、最低限のコンボ動作を習得し、キャンセルについてはかなり使いこなせるようになっていた。

武は思う。

 

(A-01のXM3習得状況は、今の所順調に推移している……キャンセルはほぼ使いこなせるようになっているし、コンボについても、それぞれが独自に自動化した方がいい動作を把握し始めている。予定よりかなり早いかな……)

 

武の想定よりも、数日は早いヴァルキリーズのXM3の慣熟状況。

嬉しい誤算だったが、訓練の様子を見ていて武は幾つか気になる点も見つけていた。

 

(基地襲撃の件で、速瀬中尉や涼宮とのコミュニケーションになんだかんだ問題がなかったのはありがたいが……随分と俺の知ってる2人とは精神状態というか、心の根幹を成す何かが違うような気がする。戦う理由が明白なのは、ここ数日の訓練で確認したけど、正直なんだ……この拭えない違和感は。いや、この違和感はA-01全体に存在しうるものだ――特に伊隅大尉も……本当に何なんだ?)

 

武はこの違和感に悩まされていた。

ただし速瀬と茜の違和感の正体は、実は意外と早く発見することが出来た。

理由は武が知る限り、本来この時期にA-01にいたはずの、メンバーたちのことだった。

野澤結城中尉、八柳瑠菜中尉、槙原静枝少尉、築地多恵少尉、麻倉琴葉少尉、高原弥生少尉。この者たちは本来、武の知る世界ではこの時期、生存していたはずの者たちであった。

しかし今、武が存在しているこの世界では、既に故人となっている。

 

第8次BETA新潟上陸防衛戦。

2001年10月8日から9日かけて行われた、BETAの大規模侵攻によって発生した一連の戦闘の総称である。

10月6日に米軍管轄下の低軌道監視衛星(サテライト)が、佐渡島ハイヴ(H21:甲21号目標)周辺でのBETA飽和状態を確認。

新たな個体群が形成され、それらが日本海に入水を開始。

同時に行われた熱源探知によって、日本海中BETAの移動、つまりは押し出しが行われ、翌日10月7日未明から8日の早朝の間に、新潟県下越地区旧関屋分水路から中越地区旧柏崎市一帯に上陸することが予想された。

それに対し、日本帝国軍及び在日国連軍は、以上の一帯にかけて防衛線を構築し迎撃態勢をとった。

戦闘はほぼ2日で収束したものの、一時は第2次防衛線に肉薄されるなどの予想を上回る激戦となった。

この戦いには帝国本土防衛軍は勿論のこと、在日国連軍としてはA-01部隊と幾つかの部隊が投入された。

A-01こと伊隅ヴァルキリーズが投入された理由としては、この時期A-01に配置されたばかりであった旧207A訓練小隊の面々に、実戦を経験させるという目的があったからだった。

結果、この戦いで前述の6名は戦死し、A-01部隊は6名の1個中隊定数割れ状態になったのだった。

重要なのはここからである。

その上記の6名の戦死に伊隅と速瀬、そして茜が深く関わっているのである。

 

野澤結城中尉、八柳瑠菜中尉。

この者たちは、伊隅の後輩で速瀬たちの先輩に当たる。

速瀬自身、A-01に配置されるまで直接の面識はなかったが、部隊配置後に面倒を見てくれた、言わば恩人的な存在の2人であった。

特に鳴海孝之の戦死で、心を痛めた速瀬と遥を立ち直らせたのは、ある意味でこの2人のおかげと言ってよかった。

常に共に行動し、戦闘では2機連携(エレメント)を組んで戦っていたこともあったそうだ。

だが、この2人は先の第8次BETA新潟上陸の際に、野澤は八柳を……八柳は速瀬を庇って戦死した。

これが速瀬にどれだけのショックを与えたかは、言うまでもないだろう。

 

槙原静枝少尉は、伊隅が下した命令と処置によって戦死した。

部下の戦死は、こう言ってはなんだが、伊隅にとってはよくあることだった。

勿論、伊隅は人の死を軽く受け止める様な薄情な人間ではない。

寧ろ、その責を自ら追うタイプの人間だ。

では、何故この者の戦死が伊隅に深いショックを与えたか――それは槙原が自らの妹によく似ていたからだった。

それ故に伊隅は、新任であった槇原をよく可愛がっていたのだ。

彼女は、後述する高原と2機連携を組んでいたのだが、高原が戦死し、伊隅の2機連携であった八柳も戦死したため、ポジションが近いということもあって臨時で槇原と2機連携を組んだ。

だが、この時点で槇原の精神は限界に達しており、やがて耐えきれなくなって発狂した。

それを抑えるために伊隅は処置を施したのだが、これがバッドトリップだったのだ。

結果として槇原は戦死した。

自らの処置によって部下が戦死する。

伊隅にとっては初めてのことだったのだ。

 

築地多恵少尉、麻倉琴葉少尉、高原弥生少尉は、言わずと知れた旧207A訓練小隊の一員だった者たちで、柏木と共に茜の同期だった。

彼女たちは、茜にとっては大切な仲間であり、友達であった者たちだ。

何より築地は、茜を慕っていた。

その感情は何やら一端の友情以上のものがあったようだが、それは一先ず置いておこう。

兎に角、築地は茜を慕っており、それは茜自身も承知していた。

だが、その彼女はその戦闘で戦死してしまった。

戦死する最後まで茜のことを気にかけながら。

元来気の弱い性格であった築地が、死の間際まで自身を心配していてくれたという事実。

これは他の同期の戦死、麻倉と高原の戦死と相俟って、茜に大きなショックを与えたのだ。

 

以前のループの世界でもあったかは知らないが、伊隅たちの辛くて悲しい過去。

特に築地は元の世界で関わりこそ浅かったものの、その人となりはある程度知っているつもりだった。

だからこそ武は、この事実を後に知った時、上記の6名の戦死を悲しみ、そして手を合わせたのだった。

 

因みにこの事実を知った後、武は1対1で茜と話した。

突如聞かれた仲間の事とその最期について、最初こそ彼女は困惑したものの、全てを武に話した。

聞かれていない麻倉や高原のことも話した。

半ば八つ当たりと懺悔に近いものが入った伝え方で、最後の方は泣きながらの茜の語りであったが、武は最後まで聞いた。

これが後に茜の中に、武に対する特別な感情を生み出すきっかけになるのだが……今はまだ先の話。

 

(俺の知らないところで起きていた事実……)

 

既に起きてしまったことは変えられない。

全てを守るのは傲慢だと、武は分かっている。

また、己の力だけではどうしようもないことがあるのだということも。

ただそれでもいたたまれないこの悲しみに、武はひそかに心を沈ませることになる。

 

場面は戻る。

 

「ところで白銀少佐。私の戦術機動で何か思い当たるところはありませんか?」

 

伊隅の問いに、武は思考を現実へと戻す。

 

「ん?……あぁいや特には――いや、そうだな。強いて言えば反動を射撃に利用することぐらいかな」

「反動を射撃に利用……ですか?」

 

伊隅は首を傾げる。

 

「あぁ。当たり前だが、戦術機ではどんな動作を行っても、必ず反動というものは存在する。例えば後方に跳躍噴射をした場合、その衝撃……つまり反動は必ず後ろに向く。折角XM3で跳躍噴射中に射撃が可能になったんだ。跳躍噴射中に射撃をして、後方への勢い僅かながらに増大させれば、ほんの僅かだが燃料の節約になるだろう?XM3によって増大したように見える燃費だが、実は細かい動作と合わせれば、節約にも繋げることが出来る。無論、無駄弾が1番やってはいけないことだがな」

「……なるほど。目から鱗です」

「私もです」

 

伊隅の言葉に制圧支援の祷子も同意した。

 

「風間少尉の場合は、特にそれが重要になってくるな。後、ハイヴ攻略戦にも応用が出来る。特に帝国の戦術機は、空力特性を生かした設計がなされているんだ。生かさない手はないな……よし、明日はそれについての訓練を追加しよう」

「お願いします」

 

明日の訓練予定も決まり、本日のデブリーフィングは終了した。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

デブリーフィングが終わった後、武は一度基地の資料室を経由してから、夕呼の執務室を訪れた。

既に夜も深まり、就寝時間がもう直ぐ訪れるかと言う頃の、突然の武の訪問に、夕呼は驚きながらも、仕事を邪魔されたことで眉間に皺を寄せた。

 

「いきなりなんなのよ……しかもこんな遅くに。あたしは今忙しいんだけど……」

「すみません……ですが、今伝えた方がいいと思ったので」

「……何よ」

 

よほど邪魔されたことが気に食わなかったのか、夕呼は不機嫌さを隠すつもりはないようだった。

武は申し訳なさそうに用件を切り出した。

 

「実は以前から気になっていたことなんですが……」

 

武は夕呼に詳しくことの経緯を説明した。

A-01の部隊員数が、武の知っているこの時期の部隊員数と違うこと。

知らなかっただけの可能性があるが、速瀬や茜に伊隅が背負っているものこと。

自分の知るこの世界と大まかな歴史は同じだが、戦術的には違う結果が複数存在すること。

BETAの動きが、武の知っているそれと違うことなどを告げた。

実は武が夕呼の元を訪れる前に資料室を訪れたのは、歴史について確認するためだったのだ。

 

「――なるほどね。あんた知ってる世界との歴史の差異、か……」

「はい。早めに言うべきだったとは思ったんですが、お互い忙しかったので言うタイミングを逸脱してました」

 

武の説明を聞いた夕呼は、顎に手を当てて眉をひそめた。

 

「一応聞くけど、並行世界の存在は知ってるわよね?」

「はい。なので、必ずしも同じ結果にならないのは理解しています。ここが自分の知る世界とは違う世界である可能性も考えましたし、何より八咫烏が共にループしてきた時点で、何らかの差異が発生するのは分かっていました。でも自分が言いたいのは、もっと根本的な部分です」

 

武の言葉に夕呼は頷く。

 

「分かってるならいいわ。でも確かに気になるわよね」

「はい。今の所表立った問題は出てませんけど、このままだと例の計画もそうですし、11月11日にも影響が出る可能性が高いです」

「ん?それはどういう――なるほど、そういうことね」

「はい。前回のBETA新潟上陸が10月に行われていたことを考えると、周期的に11月にBETA上陸はあり得ないことになります」

 

武の言う通りだった。

BETAの動きというのは、基本点に個体数の飽和によって起こり得る。

奴らは単独で行動することはまずない。

BETAという畜生共は、基本的には群を形成して移動する奴らなのだ。

全てはある一定の数が、特定の場所に集まって群を形成することから始まる。

そして1つの群が形成し終わると、また新たな群を形成し始める。

BETAの移動は、既存の群が、また新たに出来た群に押されることで初めて達成される。

そしてその群の形成と、移動にはある程度周期が存在する。

 

「確かに問題はそこね。でもこの世界の(・・・・・)あたしは、BETAの行動予測はできないけど、これだけは確実に言えるわ。あんたの言う11月のBETA新潟上陸はあるわ」

 

夕呼は何か確信の籠った声でそう言った。

 

「――あぁ、何となくですが理解しました」

「そう。ならこの話は一旦これでおしまいよ」

「分かりました。まだ……なんですね?」

 

武は夕呼の含むところを理解し、それ以上言葉を紡ぐのをやめた。

 

「ええ。まだよ……あんたがあたしに隠してることがあるように、あたしもあんたに隠していることがある。ごく当たり前の話」

「――了解です。でも夕呼先生、これだけは言わせてください。俺は貴方を裏切りません。これだけは覚えておいてください……あの時言った背負うって話は、嘘じゃありませんから」

 

武の言葉に夕呼は黙る。

まるで何かを推し量るかのように。

 

「――覚えておくわ」

「では、失礼します」

 

武はそう言って夕呼の執務室を後にした。

夕呼は武の背中を見送ると、椅子に深く腰掛けてため息を吐く。

 

「――ガキ臭い英雄、ね……」

 

夕呼の独り言は、虚しく本人以外誰もいない執務室に、ただゆっくりと響き渡った。

一方の武はというと……。

 

「あれ?結局、世界の差異の話の結論貰ってなくね?」

 

という事実に気が付くが、戻れるような雰囲気ではないため、また今度にすることにした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

高貴な月明かりに照らされた、夜遅くの横浜基地のはずれに、月詠真那の姿はあった。

 

横浜基地はただ単に軍事基地という性質だけでなく、研究施設としての一面も兼ね備えている。

故にその規模や大きさからして、決して灯りが消えることはない。

哨戒部隊の経路や搬入され続ける物資の関係上、横浜基地がその灯りを消し沈黙するということはあり得ない。

だが、それは中枢管区や警備管区の一部に過ぎない。

管区の中には夜には最低限の灯りを残し、沈黙してしまうところも存在する。

そんな人の気配がしない管区に、真那はやってきていた。

林の中の枯れ草を踏みしめながら歩き、約束の場所に到達する。

この林は訓練のためにわざわざ植樹されたもので、木の配置も人が隠れやすいようにさり気なく調整されている。

真那は目的の場所に到達すると、両眼を閉じ、静かに佇んだ。

 

「いやはや、今の貴方は月下美人とでも呼ぶのでしょうか?とすれば次に私が言うべき言葉は、月が綺麗ですね、ですかな?しかし私は所帯持ちの身。痴情のもつれは勘弁してもらいたいものです」

 

突如林の中から声が聞こえた。

真那はそれに驚くことなく目を開き、口を開いた。

 

「相変わらずの減らず口だな」

「口は一つですから減ってしまっては、お美しい月詠中尉を褒め称えることもできなくなってしまいますな」

 

まるで林に溶け込んでいたかのように、突然男が現れた。

季節感に合わないロングコートに身を包み、表情は一切崩れることのない微笑。

一言で言わせれば胡散臭い男であった。

 

「久しいな、鎧衣。貴公と顔を合わせるのは冥夜様がここに入る時以来か」

 

名を鎧衣左近という。

帝国情報省に務め、帝国の影で働く人物の1人であった。

治外法権が適用される国連軍基地に、正式に居座る真那はさておき、この男が何故横浜基地内にいるのか。

それは、真那が呼び出しをかけたからに他ならなかった。

 

「そうでしたかな?いや中尉のような方としばらく会えないだけで、私は心ここにあらずになりそうになっておりましたよ」

「ふん、気持ち悪い世事はいらん。それよりだ、白銀武の情報は手に入ったのか?」

 

そう、真那は鎧衣に、白銀武の調査を依頼したのだった。

彼女の大切な守り人である冥夜の前に、突如として現れた謎の男。

聞くところによれば、夕呼の副官にしてあの歳で少佐だという。

ある程度実力があるのは、先日までの冥夜たちに対する訓練の施しようをみれば理解出来るが、それでも怪しいことには変わりはない。

因みに武が初めて横浜基地に姿を現した時の情報は、幸いにも真那には伝わっていなかった。

これは夕呼が早い段階から、情報統制をしていた結果である。

 

「私としてはムー大陸の伝説の一族について話したいのですが」

「興味はない。白銀武の情報は手に入ったのかと聞いたんだ」

 

真那が鎧衣を睨んで先に進むよう促す。

すると鎧衣は何処からか封筒を取り出して、それを真那に渡した。

彼女は早速封筒の封を切り、中を見始めた。

そして書類を読み進めるにつれ、その表情は曇っていった。

 

「これはどういうことだ……」

「これでは誘蛾灯ですな」

 

それほどに武の経歴は露骨だったのだ。

国連軍のデータベースは、明らかに改竄された形跡が残っていた。

それによると武は、若い頃にその能力を夕呼に見出されスカウトされたことになっており、ここ数年間の行動はトップシークレット扱い。

ようやく表に出てきたと思ったら、いきなり少佐という地位に付き公にして夕呼の副官。

そしてまだ決定事項ではないが、A-01部隊の部隊長就任も予定されているとのこと。

ところが城内省のデータベースでは、BETA日本本土侵攻で死亡となっていた。

 

「白銀のここ最近の経歴は?」

「ありませんな。それこそ死人が墓場から蘇ったと言われたほうが、まだ納得できるほど真っ白ですな」

 

鎧衣の言葉に真那は無言となる。

 

「さて、どうされますかな?月詠中尉」

 

鎧衣の問いに、真那は何も答えなかった――。

 



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Episode14:総戦技前日

Episode14:総戦技前日

 

 

2001年10月31日(水)07:01

 

 

朝の点呼を終え、PXで早めの食事を取り終わった頃、武は自身がつけられていることに気づいた。

気配は数人で、僅かに聞こえるその軽い足音から、つけてきているのは女性であると判断した。

先頭を行く女性は完璧に足音を消してはいるが、その後ろについてきている女性たちは、残念ながら僅かに足音を響かせていた。

この女性たちが誰であるか、凡その予想はついていた武だが、取り敢えず誘い出すために訓練校の屋上へと向かった。

 

(そういえば、ここに来るのも随分と久しぶりだな……)

 

屋上に到着した武は真っ先にこの感想を持った。

主観時間で数十年ぶりになる訓練校の屋上。

武は郷愁の想いに浸る。

だが現実は非情で、武に昔を懐かしむ時間を与えてはくれなかった。

 

(やっぱりな……)

 

武が屋上から、廃墟となった柊町の風景を眺めていると、白い服を着た3人の女性を引き連れた赤い服の女性が扉を開けて現れた。

 

「シロガネ少佐、ですな」

 

現れるなり赤い服を着た女性は、武のことを威圧しながら呼んだ。

 

「えぇ。そういう貴方は……月詠真那中尉、ですね」

 

現れたの帝国斯衛軍・第19独立警備小隊所属の月詠真那中尉であった。

後ろに控えているのは、神代巽少尉、巴雪乃少尉、戎美凪少尉。

武は勿論、真那のことは知っている。

前の世界ではよく世話になったと記憶している。

武が斯衛軍所属となってから上司になり、一時期は2機連携を組んだことすらあった。

そして真那の最期の瞬間も、武は看取っていた……はずだ。

鮮明な記憶ではないが、確かにその映像は存在する。

無論、日が経つにつれて薄くなりつつあるが。

そんな過去が存在する真那と武だが、残念ながらこの世界では初対面となる。

あの頃のような信頼関係は、今はまだない。

 

「名を呼ぶことを許した覚えはないが……まぁよい――死人がなぜここにいる?」

 

真那は鋭い視線を武にぶつけた。

睨んでいると言い換えても良い。

そうだ、この世界の白銀武は既に死亡している。

 

「国連軍のデータベースを改竄して、ここに潜り込んだ目的は何だ!?そもそもどうやって少佐などという地位についたのだ!?」

 

怒気が混じった声でそう問い詰めてくる神代。

 

「……」

 

武は答えなかった。

 

「――もう一度だけ問う。なぜ、死人がここにいる?」

「城内省の管理情報までは手が回らなかったのか?それとも、追及されないとでも思ったのか?」

「冥夜様に近づいた目的は何ですか?」

「……」

 

武は再度答えなかった。

一応自分の身の上を話すことは、夕呼から禁じられていたというのもあるが、何よりも武自身に話すつもりは毛頭なかったからである。

 

「……貴様ッ!」

 

真那は殺気を放った。

武はため息を吐いて彼女に言い放った。

 

「話す必要性はありません。既に調べているとは思いますが、俺に関することは国連軍の機密中の機密ですから。帝国軍の、それも斯衛とはいえ一介の中尉に話せるようなことはありませんよ。それに御剣訓練生を狙うなら、護衛のいない今を自分は狙いますがね」

「何ッ!?」

 

真那の殺気が更に強くなった。

 

「月詠中尉。俺はこれでも多忙なんですよ。居候のそちらと違い、将軍の縁者とはいえ、たかが一介の訓練生1人にかまけてはいられませんよ。それこそ時間の無駄というものです。それにあいつらは強い者たちです。放っておいても問題はないでしょう」

 

これは本当のことだった。

武は今、冥夜たちだけにかまっている暇はなかった。

A-01に対するXM3習熟訓練、それが終わるとA-01との連携訓練、様々な未来への対策。

武にはやるべきことが多過ぎるのだ。

それに武は、冥夜たちが総戦技演習を突破出来ないとは考えていなかった。

少し総戦技の内容に手を加えたとはいえ、彼女たちなら問題なく突破出来るだろうと信じていた。

 

「貴様ッ!?」

「冥夜様をあいつなどと!」

「無礼ですわ!」

 

神代、巴、戎の3人は激昂した。

武としては207B全体をそう呼んだのであって、冥夜のみをあいつと呼んだつもりはなかったが、まぁ冥夜を慕っている彼女たちがそれに気づくのは難しいだろう。

 

武は再度ため息を吐く。

そして自らを纏っている雰囲気を、武は一瞬にして変化させた。

それを真那たちも当然の如く感じ取った。

 

「あいつらの特殊性は理解している。だが、彼女たちを特別扱いしろという命令は受けていない。よって、俺は問題なく他の訓練生と同じに扱えるというわけだ。それに無礼だと言うがな、貴様らこそ無礼ではないのか?貴様らのその発言が、曲がりなりにも国連軍少佐に対するものとして相応しいものだと思っているのか?」

「「「くっ……!?」」」

 

武は真那を目の前にするとつい癖で、昔の様に敬語を使いたくなってしまうが、武はここで敢えて口調を高圧的なものへと変えた。

しかも内容が内容だけに、真那たちに与えたダメージは大きかった。

先ほどまで下手に出ていた少佐が、急に身分相応の態度を示し始めたからだ。

何よりその口調には威厳があった。

 

(歳は18と聞いてはいたが、これ程か……シロガネタケル)

 

真那はまだ武を認めてはいない。

だが少なくとも、この男が少佐という身分に相応しい威厳などは兼ね備えている人物だと彼女は一応理解した。

 

「斯衛軍には他人に対する礼節を教えることはしてないと見える。もう一度、斯衛のお嬢様訓練校からやり直してみてはどうだ?なぁ?月詠中尉」

 

「くっ!貴様……」

 

武はいい感じに全員がキてることに満足していた。

そう、彼はわざと月詠たちを怒らせたのだった。

あまりやり過ぎると下手な暴挙に出る可能性もなくはないが、斯衛が夕呼直属の武に危害を加えた場合に、どのような問題が起きるかを想像できないほど、真那は馬鹿ではなかった。

威嚇する獣でも、檻に入っていれば怖くないのと同じ原理である。

 

「取り敢えず貴様らに構っている余裕はないし、これ以上話すことはない」

 

武はそう言って真那たちとの会話を終わらせた。

その言葉に、彼女たちは武を心底睨んだ。

 

「……いくぞ」

 

付き添いの3人を連れて真那は立ち去ろうとする。

そこで武はわざと聞こえるように独り言を呟いた。

 

「心配するな……あいつらは、強くなるさ」

「……」

 

真那は一瞬だけ足を止め、振り向かずにそれを聞き、去っていった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「撃ち方止め!」

 

射撃場にまりもの声が響いた。

その声を合図に207小隊は小銃を撃つのをやめ、急いでまりもの前に集合した。

 

「小隊集合しました!」

 

千鶴の言葉にまりもが頷く。

 

「今までよく頑張ったな。代わりと言ってはなんだが、褒美をやろう」

 

まりもの口から出た労いの言葉。

ということは次に何が発せられるか、207Bは一度経験済みのため予想ができた。

 

「明日から1週間、南の島でバカンスだ。そこではこれまでの訓練は行わない。基礎訓練の成果、試させてもらうぞ」

 

遂に来た……。

というが207Bの感想だったが、同時にある違和感を皆が覚えた。

本来なら総戦技演習はもう少し後だったはずだと。

 

「白銀少佐。何かありますか?」

 

まりもが横に立つ武に視線を向けた。

 

「おめでとう諸君。いよいよ総戦技演習だ。皆、心待ちにしていたことだろうと思う。因みに皆察してはいるだろうが、総戦技演習の繰り上げは、俺が香月博士に依頼して実現したものだ」

「「「ッ!?」」」

「だが残念なことに、俺が散々鍛えたとはいえ、今のお前たちでは総戦技演習の突破はやはり難しいと言わざるを得ないな」

 

何を言い出すかと思えば、というのがまりもを含めた皆の感想だった。

 

「そこで、以前書いてもらった除隊申請書を持ってきた。無理だと思う者は、今ここで日付を記入するように」

 

武はクリップボードを取り出して、皆に見せびらかす。

だが、誰1人として動いたものはいなかった。

それを見た武は深く頷いた。

 

「よし、ならばもう俺は何も言わん。後は貴様たちの力だけで突破してみせろ。以上だ」

「敬礼!」

 

千鶴の合図で207Bがまりもと武に向かって敬礼をし、それに2人は返礼をする。

明日が総戦技演習になったということもあって、今日の訓練は午前中のみで終了した。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

千鶴は今悩んでいた。

場所は訓練校の廊下。

理由は言わずもがな、突如としてまりもから告げられた総戦技演習の繰り上げについてだった。

 

(白銀少佐の仰ったように、このままでは私たちは総戦技を突破出来ない……)

 

思い出されるのは武の言った言葉である……同じ問題を抱えたまま、同じような状況に遭遇した場合、同じ失敗をする可能性が高い……だった。

 

既に夕食を終えた時間帯。

恐らく207Bの皆は、BDUを浸すための煙草を求めて基地内を彷徨っている頃。

幸いにして千鶴は既に煙草を入手していたため、その必要はなかった。

逆に言えばその必要がないからこそ、千鶴は今こうして悩む時間を確保できていてしまっていたということだった。

 

「ん?榊か……」

 

突如として後ろから声をかけられた千鶴は、咄嗟にその声のした方向を向いた。

するとそこには、彼女を悩ませる発言をした元凶が立っていた。

 

「白銀少佐……」

 

千鶴が敬礼をし、武もそれに返礼をした。

 

「何か悩み事か?」

 

訓練の時とは違う優しい声だった。

 

「……いえ、別にその……」

 

普段とは違う武の姿に、千鶴は戸惑った。

 

「……悩み事があるなら言ってスッキリした方がいい。幸い、今の俺は時間がある。何なら話してみろ。それともムカつく上官にはその手の話は無用かな?」

 

武は嫌な笑みを浮かべながら言った。

だが千鶴は下を向いていたため、その笑みを見ることは幸いにしてなかった。

千鶴は素直に言うべきか迷った。

この人に言ったところで、という気持ちは確かにあった。

 

「ふっ。彩峰のことだな?」

「えっ!?」

 

千鶴は神速で俯いていた顔を上げた。

まさか悩みを言い当てられるとは思ってもみなかった千鶴は、心底驚いた表情をした。

 

(ま、だろうな……)

 

実は武は千鶴を探していたのだ。

理由は、皆が総戦技を突破出来るように、密かに取り計らうためであった。

 

「違うのか?」

「……はい」

 

千鶴が俯き、再び顔が俯き始める。

 

「ま、貴様が悩むのも無理はないな。俺もかつて、そういった仲間に苦労させられた経験がある」

 

武の言葉にまた驚いた千鶴は、バッと顔を上げた。

するとそこにあったのは、まるで自分の子供を見るかのような優しい目をした武だった。

千鶴と向かい合っていた武は、向きを千鶴の正面から窓の方へと変え、窓から眼下のグラウンドに目を落としながら言った。

 

「……榊訓練生。貴様、彩峰のことが嫌いか?」

 

突如として投げつけられた質問に、千鶴は戸惑った。

だが、相手は色んな意味で上の立場にいる武。

結局、素直に答えることにした。

 

「……はい。個人としては嫌いです」

 

しかし、そのあと急にしおらしい声になって続けた。

 

「……でも、大切な仲間です――矛盾していると仰るかもしれませんが、それが私の正直な気持ちです」

 

武は千鶴のその言葉を聞いて、心底安堵した。

 

(やっぱりな……なんだかんだ苦楽を共にしてきた仲間なんだ。そう思っていて当然か。それに彩峰の能力は、訓練小隊にとっても大切な力。だから委員長から彩峰に対し、期待もあれば当然信頼もある。そうしたいと思っているんだな)

 

千鶴は作戦を重視するが、彩峰は現場の臨機応変さを重視する。

千鶴も臨機応変が大事なのは理解している。

だが、彼女の言う臨機応変とは、あらかじめ決められた作戦に一刻でもはやく復帰するために発揮されるべきだと考えていた。

だから彩峰の行動は、結果さえ作戦通りになればいいというだけの身勝手なものだと思い込んでいた。

 

武は千鶴と彩峰、その両方の心情を理解している。

だからこそ、両者にはなるべく早く理解しあってほしいと思っていた。

 

「……榊訓練生」

「何でしょうか……?」

「貴様は、何故軍人になった?」

 

武からのまたもや意外な質問に、千鶴は一瞬戸惑ったが力強く返答した。

 

「……この国を守りたいからです。この手で……」

「それは父親の元でも達成できたのではないか?」

「ッ!?……それは……」

 

確かにその通りだった。

現首相の娘ともなれば、色々な手段を使って、別な方向から国を守ると言う仕事は達成できたはずだった。

だが、今日の武はそのようなつまらないことを、言いに来たのではなかった。

 

「ふっ……すまん、意地悪を言ったな。貴様が徴兵免除を蹴ってここに来たことは知っている。貴様たちがどんなしがらみを抱えているかも、理解しているつもりだ。」

「……」

「……榊。俺の好きな言葉にこういうモノがある。人は、国のためにできることを成すべきである。そして国は、人のためにできることを成すべきである」

 

武の言葉に千鶴は何かを理解したようで、一度頷いてから声を発した。

 

「……いい言葉ですね」

「これはな、彩峰が心に秘めている言葉だ。彼女の親父さんの言葉さ」

 

それを聞いた千鶴はまた驚いた表情を見せた。

そして顔を伏せ、ゆっくりとこう呟いた。

 

「……そう、ですか。彼女の……」

「彩峰もな、色んなものを心に秘め、背負い、そして迷って闘っているわけだな。そこのところも、少しは理解してはやれないか?千鶴……」

「ッ!?」

 

突如として名前で呼ばれたことに千鶴は心底狼狽した。

 

「貴様から彩峰が仲間だと聞けて嬉しかったぞ、榊訓練生」

「い、いいえ……」

「邪魔したな。明日は総戦技だ、ゆっくり休め」

 

未だ混乱した千鶴を他所に、武は振り返らず彼女の元を後にした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

次に武が向かったのは、訓練校の屋上だった。

理由は言わずもがな、彩峰を探すためだ。

こういう時の彼女は大抵この場所にいることを、武はよく理解していた。

屋上の扉を開くと、冷たい風が武の頬を襲った。

11月間近にもなり、かつ夜ともなればさすがに寒い。

もう冬の風が吹きつけてくる。

武にとっては朝に続いて、今日2回目訓練校の屋上だった。

 

「彩峰訓練生」

 

武はフェンスの上で夜空を仰いでいる彼女を呼んだ。

 

「少佐……」

 

武を呼んだ彩峰の表情は、思わしくなかった。

無論、それは武も理解している。

恐らく207Bで、1番武のことを嫌っているのは、彼女であることを知っているからだ。

訓練中に、隠そうともせずに向けてくる彩峰の殺気。

慣れっこなので別に気にしてはいないが、少し気分が悪いのも事実だった。

特に29日の徒手格闘戦からは、それが更に増していた。

 

「一応言っておくが、上官が来たらすぐにフェンスから降りるものだぞ?」

 

そう言われた彩峰は、渋々といった様子でフェンスから飛び降り、武の目の前にたった。

彼女は武を半分睨み付けながら問うた。

 

「何か用ですか?」

「……彩峰。そこは何か御用ですか?だ。上官にその物言い、殴り倒されても文句は言えんぞ?」

「……申し訳ありません」

 

彩峰は武をジッと見つめた。

 

「ん?何か言いたそうだな彩峰。何かあるならいいぞ、言ってみろ」

 

少しの間の後、彩峰が口を開いた。

 

「……先ほどの、お話のことです」

「先ほど、といっても色々ありすぎるぞ。質問の内容は明確にしろ」

「今日、訓練終わりの時の、私たちが演習に不合格になる可能性が高い……と仰った理由についてです」

「ふむ。何か分かりにくいところでもあったか?」

 

武は顎に手を当てて興味深そうに聞いた。

 

「いえ……」

 

彩峰は自分の考えを述べた。

それを聞いた武はため息を吐いた。

 

「貴様の話を要約すると、自分は悪くない、悪いのは榊だ、ということか?」

「……」

 

彩峰は何も答えられなかった。

それが図星だとは、どうしても認めたくなかったからだ。

武は少し考える素振りを見せた後、何かに閃いたかのように彩峰に質問した。

 

「ふむ……貴様、神宮司軍曹は嫌いか?」

「?……いいえ」

 

武は質問を続けた。

 

「では、貴様と神宮司軍曹、軍においての知識、経験、技術、どちらが優れていると思う?」

「――教官です」

 

これは比較するまでもなく当然のことだった。

一介である訓練生である彩峰と、何年も軍にいるベテランのまりもでは、比較の呈を成さなかった。

 

「ならば貴様は、神宮司軍曹を侮辱していることになるな」

 

彩峰は訳が分からないと言った表情をしたので、武は説明した。

 

「理由は2つある。1つは、軍曹が貴様らの中で、最も指揮官適正があると認めた榊を、貴様が認めていないということ。すなわち、軍曹の判断を認めていないということになる」

「ッ!?」

「2つ。貴様が上官の命令は絶対という軍の原則を、真っ向から否定していることだ。貴様が駄々っ子のように振る舞えば、その教官である軍曹はこう判断されることになる。軍の規則を、教え子にろくに浸透させることのできない無能だとな」

 

彩峰は一瞬言葉を失った。

 

「違う!私はそんなつもりは――」

 

尊敬しているまりもが、そんな風に周りに捉えられてしまう。

彩峰は動揺した。

 

「彩峰訓練生!貴様2度目だ!フェンスの件も入れれば3度目だぞ!……はい、そうではありません、だ。殴り倒されても文句は言えないと、さっき教えてやったばかりだろうが!」

 

そしてつい敬語を忘れてしまった彩峰に、武が2度目の叱責を飛ばす。

 

「申し訳ありません……」

 

彩峰は急にしおらしくなった。

あれ程最初に武に向けていた殺気も、今では鳴りを潜めていた。

 

「まぁいい――そうだ、彩峰訓練生。さっきは神宮司軍曹を嫌いか、と問うたが貴様、榊訓練生のことは嫌いか?」

「……どういう意味でしょうか?」

 

唐突な話題の切り替え。

そして彩峰にとっては、武の真意を測りかねる質問に、彼女は迷い、思わず聞き返した。

 

「まずは質問に答えろ」

 

上官からの命令という形での質問に、取り敢えず答えねばという彩峰の行動原理が見て取れた。

 

「……わざとらしいぐらいの、軍人然とした態度が気に入りません。それに……撤退か全滅するか、といった指示ばかり出します」

「最初の作戦に固執する。まぁ、それは確かに榊の悪いところだな」

「ッ!?」

 

まさか武に肯定されるとは思ってもみなかった彩峰は、目を見開いた。

なお、彩峰が千鶴のことを嫌う理由はもう1つある。

それは自らの父親の一件、彩峰中将事件も起因していた。

 

(父親のこともあって、撤退とか敵前逃亡が異常に嫌いだからなぁ。けど彩峰、委員長は無能ではないし、お前から何かを奪ったことは一度もないはずだぞ)

 

武は彩峰の本質が見えていた。

それ故に、教え子に諭すように言った。

 

「だがな彩峰。人は失敗を繰り返して成長していく生き物なんだ。それに今は訓練生。いくら失敗したって問題はないんだ」

「……」

 

まるで父親から我が子に投げかけるような優しい声色の武。

彩峰はそれに違和感を覚えることなく、知らず知らずのうちに武の言葉を聞いていた。

 

「そうだ彩峰訓練生、知っていたか?榊はな、徴兵免除を蹴って軍人になったんだ」

「ッ!?」

 

この情報は今日のどんな話よりも、彩峰を心底驚かせる内容だった。彩峰はかつてないほど目を見開き、演技なしの今日1番の驚きの表情を見せた。

 

「現首相の娘ともなれば、政界に出ることもできただろうに……奴はわざわざ軍人になったんだ。まったく頑固な奴だな……」

 

武の言う通りであることを、彩峰は心底理解出来てしまった。

 

彩峰は千鶴のことを親の七光りだと捉えていた。

財界、政界、いろんな所のごく一部のものにしか与えられない徴兵免除。

それを千鶴は受けなかった。

千鶴は自分で考えて軍人になろうとしたが、父親からの妨害にあい、結局は後方の国連軍横浜基地へと配属になった。

しかしそこで諦めることなく、彼女は上を目指そうとしていた。

 

2人の不仲はこの辺の事情の理解の相違が原因だと、武は見ていた。

最も2人が初めから素直になってその辺の事情をお互いに明かしていれば、今更こんなことにはならなかったのだろうが。

 

「人は、国のためにできることを成すべきである。そして国は、人のためにできることを成すべきである」

「ッ!」

「さっき俺が榊に教えた言葉だ。これを聞いたアイツはな、いい言葉だって言ったんだ」

 

これは彩峰の父、彩峰萩閣の言葉である。

父親のやったことは許せなくても、この言葉だけは、彼女は疑うことなく未だに信じていた。

千鶴が、この言葉を聞いたときに見せたあの表情。

千鶴も彩峰も、1人の人類としてこの国に、ひいてはこの星に必死になって貢献しようとしていたのだ。

 

「さっきからずっと榊は悩んでいたよ。明日からの総戦技演習を、大切な仲間と皆で突破するためにな。お前も榊にとっては大切な仲間なんだよ。少なくとも俺にはそう見えた」

 

直接聞いたとは敢えて言わなかった。そうしたら彩峰が意地を張ってしまうと思ったからだ。

 

可能性のある限り、作戦というものに完成も完璧も存在しない。

だからこそ、あらゆる事態を想定して作戦をたてる必要があった。

千鶴は今、それを1人で必死になって行っていたのだ。

 

「別に意地を張るなとは言わん。お前の様なタイプは言っても無駄だろうからな。だがこれだけは言っておく。そんな榊を……分隊長を信じてやれ」

 

彩峰の返事は、なかった。

彩峰は顔にこそ出にくいが、だがそれでもきっと彼女の中で今、何かしら考えている最中だろう。

今はこれでいいと武は思う。

やれる限りのことはやったのだから。

 

「邪魔したな、彩峰」

 

武はそう言って訓練校の屋上を後にした。

残された彩峰の頬には、涙がすぅと痕を引いていた――。

 



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Episode15:本当の仲間

Episode15:本当の仲間

 

 

2001年10月31日(水)21:38

 

 

夜遅くの、消灯時間間近の横浜基地のPXに、5人の人影があった。

PXには食堂もあるが、その食堂を預かる京塚曹長すらいないこの時間帯に、総戦技演習を翌朝に控えた彼女たち207B訓練小隊のメンバーはいた。

 

「この様な夜分遅くに、そなたらに集まってもらったこと、まずは礼を言わせて欲しい」

 

そうこの集まりは、就寝時間直前に冥夜が各々の部屋を訪れ、催したものであった。

理由は、総戦技演習が始まる前だからこそ、話しておきたいことがあったから。

その間接的な原因を作ったのは、間違いなく武だったのだろう。

武は夕食後に、207Bの面々を探し1人ずつ話をしていったのだ。

そしてその武の行動が、迷っていた冥夜の心に火をつけたのだった。

 

「礼はいいわ、御剣。それで、話っていうのは何なのかしら?」

 

開口一番にまずは謝辞を述べた冥夜に対し、千鶴はそれを制して、直ぐに要件を言うように促した。

少し展開が早い様な気がするが、それも致しかたのないことなのかもしれない。

皆、ここ最近の猛訓練と、武から投げかけられた問題、そして何より繰り上げられた明日の総戦技演習について、頭がいっぱいだったからだ。

彩峰と対立する時ほどではないが、千鶴も明らかに余裕を無くしていた。

それは誰の目に見ても明らかだったが、当の本人はそれに気づいていなかった。

 

「うむ。話というのは、我ら分隊の問題点についてだ。総戦技演習を目前に迫っておる。その前に、解決しておかねばならぬと思った故な……」

 

冥夜が言いにくそうに話を切り出した。

 

「……問題点?でもそれは以前から話し合っているじゃない」

 

そう、これまでも幾度となく行われた、訓練小隊の問題点の洗い出し。

しかし、そこに明確な結論はなかった。

 

「……分隊長が、もう少しまともな作戦を立てればいいだけの話。白銀少佐も言っていた……」

「彩峰!」

 

理由は見ての通り。

彩峰と千鶴の対立だった。

 

「やめぬか2人共!――私が言いたいのは、最も根本的な問題だ」

 

早速、彩峰が千鶴に噛み付き、一触即発の状態を迎える彼女たち。

それを冥夜が制して、何とか本題へと向かおうとする。

普段は軽く窘める程度で済ませている彼女だったが、今日は違った。

それ程までに冥夜の決意は大きかった。

 

それらのやり取りを遠くから見つめる、或いは見守る者影が複数あった。

1つは斯衛軍の制服を見に纏った、麗しき女性たちの4つの影。

月詠真那、神代巽、巴雪乃、戎美凪の4人であった。

そしてもう1つは、彼女たちを指導する立場にある心優しき国連軍の軍曹、神宮司まりも。

まりもは、先日の武とのやり取りを思い出していた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「神宮司軍曹。この戦局は、いや人類はあと何年生きられると思う?」

「は?」

 

唐突に武から投げかけられた武の問いに、まりもはただ疑問符を頭に浮かべ、ただただ間抜けた声を発した。

まりもは、教え子である207B訓練分隊の訓練方法について打ち合わせがある、と武に呼び出されたのだが、開口一番彼が口にしたのが先ほどの言葉だった。

 

「BETAの物量はとどまることを知らず、我々人類は刻一刻と追い詰められている。数十億人という人命、果てしない量の金と物資をつぎ込み、ようやく人類が得たのは何だ?――守るべきはずの女子供たちを前線に送り出して……今の、ようやくの状態だ」

「……」

「死んでいった英霊たちを馬鹿にするわけではないが……数十億人という尊い人命と天文学的な金、莫大な量の物資を浪費して得たのが、今の人類というわけだな」

「――少佐。それと、彼女達に一体何の関係があるのですか?」

 

椅子に座る武の顔は真剣そのものであったが、何故この話が彼女たち207Bと関係性があるのかまりもには分からなかった。

 

(この少佐が来てから、207Bがする訓練の量と質は、とんでもないものになっていた。私が、かつて鬼軍曹と呼ばれていた時よりも厳しいもので、そこに妥協などは一切なかった――しかも彼は、彼女たちが抱えていた特殊な問題についても、容赦なく切り込んでいった。これは彼女たちの問題であり、他人がどうこうすべき問題でもないと思っていたからこそ私は……私は分かっていても、敢えて踏み込まなかったというのに)

 

そう、まりもは彼女たちが抱える問題を全て分かっていた。

己の出自への不介入、部隊内の不和、戦う意志の弱さ。

いや、国を守るというのも、これも立派な理由だろう。

今が平時ならば。

だが、BETAという糞共の前では、それはいとも簡単に破られてしまう程度のものに成り下がってしまう。

一番大事なのは、仲間を守りたいというその気持ちだということを、まりもは自らの体験で実証している。

 

(いや……正直に言おう。例え踏み込んだとしても、私にはすべてを解決しきれる自信がなかった、だから敢えて無視していたのだ。変に意識させてしまっては、今後の訓練にも判断にも支障が出てしまう……それを言い訳にして、私は手を出さなかった――教師を目指していた癖に何たるていたらくだろうか――だがこの少佐は、彼女たちの心の奥底にある問題にまで堂々と踏み込んでいった。傍目から見れば、ただかき乱しているだけにしか見えないだろう。訓練も含めて、やられた側からしてみれば、ただの迷惑にしかならないかもしれない。しかし私には分かる……これは荒療治なのだと……)

 

まりもは武のこれまでの所業を、そう理解していた。

 

「分からないか?軍曹。香月副司令の直属の副官である少佐が、この白陵訓練校という特殊な訓練校で、直接面倒を見るという意味が」

 

武の一言でまりもの予想は、予想から確信に切り替わった。

 

(……そうだ。何となくは理解していた。でも私はそれを認めたくなかったのだ……それは何故だろうか。今までの教え子たちは皆、ここを卒業した後、例の特殊部隊配属されているではないか――きっと私の中に不安があったのだ……仮に彼女たちが総戦技演習に合格したとしても、あのまま前線に出ていけば遠からず、死が待ち受けている事を理解していたから……)

 

 

まりもは心の奥底で、いっそのこと彼女たち207Bが総戦技演習を突破しないことを望んでいた。

しかし現実はそうはいかなかった。

上は、夕呼は、彼女たちの早期の実戦部隊への配置を望んでいた。

そして、それを実現するために送り込まれてきた男がいた。

白銀武だった。

 

(夕呼が何を考えているのか、詳細は分からなくとも何となく察する事が出来る。でも彼女たちにはまだ無理なのよ……夕呼、貴方は一体何を考えているの?)

 

まりもは、夕呼の成そうとしていることの詳細を知らない。

ただ、人類の未来(じんるいのあす)を担う仕事とだけ聞かされている。

その為にまりもの力が必要だと、彼女は夕呼から言われていた。

まりもは親友のその言葉を信じた。

信じたからこそ、自らの教え子たちを死地へと追いやってきたのだ。

その決断に後悔はない。

だけど、それは教え子たちが1人前になった上での話だ。

まだ心配するべき点が残りまくっている207Bを、まだ夕呼に差し出すわけにはいかなかった。

 

まりもは震えるような声で武に問い返した。

 

「……何故、彼女たちなのですか?」

「軍曹も理解しているだろう。彼女たちの持つ特殊性を……」

 

武の一言にすべてが集約されていた。

 

(特殊性、か……我ながら言い得て妙だな)

 

武は心の内で自分を嘲笑った。

 

「人質……ですか?」

「ふむ、確かにそれもある。だがもう一つ、特殊な意味合いがあるのだよ」

 

武の言葉にまりもは考える。

 

(特殊な意味合い?一体何だろうか……ただそれが私の想像の及ばぬ範囲であるということは、何となくこの少佐の口振りからは理解出来る……)

 

まりもには答えが出せず、素直に武に聞いてみることにした。

 

「――それは一体?」

「残念ながら、まだ軍曹には教えることは出来ない。今のところはな(・・・・・・・)

 

武の強調された部分に、まりもは顔をしかめた。

 

(今のところは、と少佐は強調して仰った。それはいずれ知る機会があるということなのだろう。しかしそれは一体いつになるのだろうか……少なくとも彼女たちが戦死した後には知りたくはない……)

 

それがまりもの素直な感想だった。

そんな彼女の思いを知ってか知らずか、武は言葉を続けた。

 

「だがもう一つ、敢えて意味合いを作るなら、もう他に選択肢がないから……と言うべきだろうな」

「……」

「そうだな。後1年、いや半年の時間の猶予があれば、アイツらを安全な後方に下げてやることも出来ただろう。だが、我々人類は失い過ぎた。貴重な時間も、金も、物資も……全てを失い過ぎた」

 

武は自室の壁を見つめながらそう言った。

まりもはその武の目に見覚えがあった。

そこにあるようで、実は武が何処か遠いところを見ていることに、彼女は気づいていた。

それ程までに、失い過ぎたという武の目は、とても遠い、悲しい目をしていた。

 

まりもは確信した、してしまった。

 

(あぁ……彼もまた沢山の仲間、或いは大切な人を失ってきたのだろう。しかも私と同じく己の間違いによって……)

 

そしてまりもは気づいてしまった。理解してしまった。

 

(きっとこの人も、本質的には私の親友と同じなんだろう。自分の目指すもの為には、どんな犠牲も厭わない、決して後ろを振り向かず、言い訳などしないのだろう。だから……夕呼は彼を自らの側に引き入れたのだろう)

 

まりもは、夕呼が武を自らの隣においている理由を、ほんの僅かだが分かったような気がした。

 

夕呼とまりもは、唯一無二の親友だった。

夕呼は常日頃、まりもの目の前に現れては飄々とした笑顔を見せていた。

かつての学生時代のようにからかいもしていた。

まりもは、そんな夕呼のその笑顔の裏に、重圧に耐えている様子がほんの僅かながらだが、垣間見えていた。

しかし、香月夕呼という女性は、弱みを決して人には見せない。

それはまりもの前でも同じことだった。

まりもはそんな親友、香月夕呼を想った。

 

(夕呼の力になってあげたい……これは私の偽らざる気持ちだ――私はかつて沢山の仲間たちに生き残らせて貰った。それがより多くを生かすという事に繋がるのだと信じている。だからこそ、私は若くしてオルタネイティヴ計画という秘密計画の最高責任者となった親友、香月夕呼が進めるこの計画に一端ながら協力している。

協力を惜しむつもりはなかった。だからこそ、ここの訓練校の教官を引き受けた。所詮は下っ端であるが故に、計画の詳細は全くと言っていいほど知らないが……それでも私の育てた教え子たちが、親友の計画に深く関わる部隊に配置されていることは何となく分かっていた。これも夕呼の為になると信じているから……)

 

そんな固い決意を持つまりもだが、207Bに対してだけはどうしても、その決意が適用されなかった。

いや、まりもは207Bをしっかり鍛えて夕呼に差し出すつもりだった。

だが今となっては、それはどうしても躊躇われたのだ。

 

(だけど……今彼女たち、207B訓練分隊を差し出すことは……今まで散々訓練生を夕呼に差し出しておいて、何を今更と思われるかもしれない。だが、彼女たちはまだ(・・)ダメなのだ。今の彼女達の心には何も無い。まさに無の状態だ。命を懸けてでも守りたい仲間や、大切なものや人が無かったから。代わりにあるのは、人一倍立派な理念や理想だけ。それすらも無い子すらいた。祖国や人類を守りたいという、その気持ちを笑うつもりなどは毛頭無い。それは尊い考えだが、同時にそれだけしかない彼女たちはあまりにも鋭く、そして脆すぎるのだ……彼女たちは人一倍優秀だ。それは紛れもない事実だ。しかしこのままでは彼女たちは生き急いで、死に急いでしまう……今、彼女たちを夕呼に渡すわけにはいかない)

 

まりもは武の本質に夕呼と同じものを見た。

しかし、そこに人知れぬ強い覚悟があることを理解した。

そして、まりもは思った。

こんな彼を横で支えたいと。

こんな男になら自分を捧げてもよいと。

 

「ですが……彼女たちは……」

「軍曹の言わんとしている事は分かる。だからこそ、今日足を運んで貰ったのだ」

 

武はまりもに開示可能な範囲で、自らの計画の一部を伝えた――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

場は再びPXに戻る。

 

「先日の白銀教官、いや白銀少佐との近接格闘訓練……覚えておるか?」

 

冥夜の言葉に、誰もが口を噤んだ。

 

そう、あれは10月29日の訓練の出来事。

いきなり告げられた、武対207B全員という条件の近接戦闘訓練。

普通に考えれば、冥夜たちが勝つであろう訓練に、彼女たちは完膚なきまでに叩きのめされた。

そして、武から浴びせられた一つの言葉……。

 

「醜態極まるな。まさに女学生だ」

 

冥夜は一瞬、何を言われたのかよく分からなかった。

そしてその言葉に真っ先に反応し、激怒したのが彩峰だった。

この分隊では随一の近接戦闘能力を持つ彩峰が、怒り任せとはいえ、本気中の本気を出して武に掴みかかった。

確かに怒りに身を任せていたせいで、些か冷静さをかき、相手の術中にハマっていたということもあっただろう。

だが、それでも彩峰はまた武には叶わなかった。

 

そして後から告げられたもう一つの条件。

それは、どちらかが降参するまでこの訓練は終わらないという。

結局、時間いっぱいまで207B全員が、最後まで降参だと言うことはなかった。

しかし武の時間がきてしまった為、そのまま訓練は終了となった。

まだ降参していない……そう言っての言い逃れは簡単だろう。

だが、誰もそのような言い逃れはする気にはなれなかった。

ここ数日の猛訓練でボロボロだった身体に付けられた、数々の傷跡や痣。

傍目から見れば、彼女たちが限界であるということは明らかだが、何より限界だったのは精神。

彼女たちの儚いプライドはズタボロだった。

 

冥夜は目を瞑って、思い出すように告げる。

 

「私如きでは到底、白銀少佐には勝てぬ。彩峰でも、榊でも、珠瀬でも、鎧衣でも、誰もあの方には勝てぬ……私たちの今までの努力に意味はなかったと、そう告げられた気分だった」

 

その言葉に彩峰が強く反応した。

低音の、まるで抑揚を感じさせないような声で言った。

 

「何……で、意味がないなんて言えるの。何で、私じゃアイツに勝てないと決めつける――何でお前が私を勝手に否定するの。お前にその権利はない!」

「それを言うなら、何故彩峰がそこまで怒りを感じているのかが分からぬ――そなたの怒りは御父上と関係あるのか?」

「ッ!?」

 

彩峰は目を見開いて勢いよく立ち上がり、右手を高く振り上げ冥夜に振り下ろそうとした。

その瞬間冥夜が叫んだ。

 

「私たちは仲間などではなかったのだッ!」

 

冥夜の言葉に、彩峰の腕がピタッと止まった。

そして彩峰だけでなく、千鶴もたまも美琴もまた目を見開き、驚愕といった表情をしていた。冥夜はそれを顧みることなく続ける。

 

「自らの策に固執する榊。独断専行を続ける彩峰。右往左往するだけの珠瀬。ここぞという時に何もしない鎧衣――そして仲裁する振りをしながら、実際は皆に見切りをつけていた私。部隊という枠組みが無ければ、共に行動出来ぬ始末……白銀少佐の言うように己の出自に固執し、己の殻に閉じこもるだけで最低限の会話しかしない」

 

冷や水を浴びせる、などという軽いものではなかった。

それほどに冥夜の言葉は、重く、キツく、厳しく、そして鋭いものだった。

彼女たちしかいないPXが、あり得ないほど静かになる。

皆が俯き、たまは目元に涙を貯めていた。

どれだけこの静寂が続いただろうか。

実際には10秒程度であったかもしれない。

しかし、彼女たちにとってこの静寂は、1分にも10分にも1時間にも長いように感じた。

そして、喉から絞り出すように声を出したものがいた。

 

「――なんで、そんな事、言うのよ……」

 

千鶴だった。

 

「……なんでそんな事言うの!なんで今言うのよ!なんでよッ!?」

 

そう、何故今なのか。

総戦技演習を翌日に控えた、何故今なのか。

それが彼女にとっての何よりの疑問であり、心の底からの叫びだった。

千鶴もいつの間にかその眼元に涙を貯め、肩を震わせていた。

 

そう……どうにかできていたなら、とうの昔にどうにかしていた問題だ。

皆心の底では分かっていたが、認めたくなかった。

その現実を直視したくなかったのだ。

このままではダメだと分かっていた。

でもどうすることも出来なかったのだ。

勇気がなかったのだ。

キッカケがなかったのだ。

 

千鶴の心の叫びから少し間をおいて、冥夜が震えるような声で言った。

彼女もまた涙を浮かべいた。

 

「――そなたらと、心の底から仲間になりたいのだ……」

 

冥夜の言葉に全員が、顔をバッと上げた。

 

「……皆、私の出自を気にしていると思う、いや気にしているだろう――その通りだ。私はあの御方と同じ血が、同じ腹から生まれたのだ。その事自体に恨みなどない。寧ろ誇りに思う。たが……その事を一番気にしていたのは、他でもない私自身だ」

 

冥夜の独白に誰も口を開けなかった。

皆がやっぱり……とは思った。

しかし、本人も言っていたようにその出自について、一番こだわっていたのは確かに冥夜自身であっただろう。

では何故、彼女はそのことを今言うのだろうか。

彼女は言った、心の底から仲間になりたいと。

そのため故だろうか。

 

「しかし……それでも私は――私はそれらをかなぐり捨てたとしても……いや、かなぐり捨ててでも!」

 

一体、冥夜は何を言っているのか。

己の高貴な出自を捨てる、と。

確かに彼女はそう言った。

再度俯きかけていた皆の顔が、再び上を、冥夜の方を向いた。

彼女の瞳には溢れ出んばかりの涙が、その美しい頬を伝っていた。

 

「すべてを捨ててでも――私は、そなたらと仲間に……友になりたいのだッ!」

 

冥夜の心の叫びは、PX中にこだました。

 

「……冥夜様」

 

その様子を、終始陰から見守っていた月詠真那も何故か泣きそうになり、声を震わせながら護衛対象を、いや敬愛する守るべき大切なもう一人の主の名を呟いた。

 

見守っていたまりもも同様に肩を震わせていた。

 

たまが遂にこらえきれずワッと泣いた。

それに釣られ千鶴も、彩峰も、美琴も泣いた。

その涙は不思議と悲しみから出た涙ではなく、また感動といった類でもない。

本当に不思議な涙だった。

ただ、これだけは言えるだろう。

彼女たちは皆、心から仲間という存在を、友を欲していたのだろう――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それから少したった頃。場所は夕呼の執務室。

 

「そう、ありがとうピアティフ」

 

夕呼は電話の相手であるピアティフ中尉に礼を述べ、受話器をそっと置いた。

そして、ソファーに腰を下ろしている武に顔を向けた。

 

「これも貴方の計画通り、ってことかしら?」

 

実はピアティフも夕呼の命令で、先ほどのPXでの一件を一部始終ではないものの見ていた。

それは何故か。

理由は、総戦技演習前日の夜遅くにPXに207Bが集まったという武の報告を受け、夕呼が興味を持ち、急遽ピアティフを向かわせたからだった。

因みに武は別の用事で夕呼の元を訪れており、207Bに対する報告は事のついでだった。

だが、それでも彼がそれを知っているということは、少なからず武なりには彼女たちを気にかけていたということでもあったのだろう。

 

ピアティフの報告によると、彼女たちはあの後互いに自らの正式な出自を改めて明かし、懺悔の言葉と、これから本当の意味での仲間になるための言葉を幾つか交わし、互いに手を取り合ったという。

 

それを聞いた武は何も言わず、ただ天井を見上げただけだった。そしてその眼は、何処か遠いところを見ているような感じだった。

少なくとも夕呼にはそう見えた。

 

「でもこれで207Bの戦力化の目途はたった。A-01の方も順調。全く酷い女ったらしがいたもんよねぇ――これからも頼りにしているわよ?英雄さん」

「よして下さいよ、夕呼先生。自分にはその資格はありません……」

 

資格はない、と断言した武に夕呼は何も言わなかった。

暫しの沈黙の後、武は一言呟いた。

 

「……冥夜たちの、彼女たちの力と心からの願いですよ……」

「……そう」

 

武の言葉に夕呼はそれ以上追及しなかった。

夕呼はそれが武なりの優しさの表れであると、既に理解していたようだった――。

 




唯依姫お誕生日おめでとうございます(*´ω`*)





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Episode16:武の寿命

Episode16:武の寿命

 

 

2001年11月1日(木)05:48

 

 

時は霞が武を起こしにくる少し前の頃。

 

「くっ……!?」

 

自室のベッドの上で、武は悪夢にうなされていた。

 

「……すまん」

 

まだ寝ている武は無意識のうちに、そう呟いていた。

誰かに対する懺悔の言葉。

普段は決して口にすることのない、口にしないと決めた、過去に対する謝罪の言葉。

何故、彼は無意識とはいえ、今それを口にしたのだろうか。

 

まだまだ悪夢は続く。

 

「……俺は、守りたいんだ……!?」

 

また寝言を呟いた。

無意識に手が天を仰ぎ、そこにあるはずのないものを掴もうと、必死に手を握ったり開いたりした。

彼の悪夢は無意識とはいえ、その身体をベッドの上で動かしていた。

やがて寝返りをうち、天を見上げていた腕が寝返りをうったことで、横に倒れベッドの外に放り出された。

 

「……んっ!」

 

するとベッドの外に放り出された手に、武は突然何かにぶつかったような感触を受けた。

それが悪夢によって浅い眠りとなっていた武の意識を、現実へと引き戻した。

目は半開きになり、自室がぼやけて見える。

まだ完全に意識は覚醒していなかった。

だが、それでも手のほうの感触は鮮明で、何か布越しだというのにとても温かく、そして柔らかかった。

 

「……ん、んんっ」

 

武は知らず知らずのうちに、その温かくて柔らかいものを握ったり離したりした。

いや、この場合は揉んだと言い換えた方が正しいだろう。

半覚醒の意識に、その手の感触はいつも以上に鮮明に感じられた。

その鮮明な感触により、まだ覚醒しきっていなかった意識が、徐々に覚醒を始めた。

武はベッドの外に放り出されながらも、何かにぶつかって微妙に浮いている手の方を見た。

まず初めに黒いものが見えた。

それが黒い国連軍の軍服だということに気が付いた。

そして次に気が付いたのは、白い頭からぴょこんと生えているように感じさせる、うさ耳だった。

これを見て、武の寝ぼけていた意識が完全に覚醒した。

なんとそこにいたのは霞だった。

武は霞の何かに耐えているような表情を見た後、視線を下し自らの手があるところを見た。武の手は、霞の微妙な大きさの胸を確かに触って、いや揉んでいた。

 

「……か、霞!?」

 

事実を知った武は驚愕した。

武は慌てて霞の胸から手を離した。

手を離された霞は、一度自分の胸に手を当て何か考え込むような表情をした。

 

「か、霞……これはその……別に変なことをしようとしたわけじゃ……その……」

 

その間にも武は無意識とはいえ、胸を揉んでしまった霞に対して、必死に取り繕うとする。

だが――。

――ススッ。

霞が素早い動きで、武の目の前から離れた。

 

「霞!?違うんだ!これはその……」

 

――スススッ。

武の言葉も意に介さず、徐々に武の視界からフェードアウトしていく霞。

 

「は、話を聞いてくれー!」

 

――ススススッ。

やがて霞の身体がドアへと達すると、彼女は武の部屋から一目散に逃亡した――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

場所は移り変わり、地下B19フロアの夕呼の執務室。

 

「――ほうほう……それで、社に欲情して襲っちゃったわけ?」

「断じて違います!たまたま夢を見ていただけですって!」

 

あれから武は朝の点呼を終え、早めの朝食を取って夕呼の元へとやってきていた。

そして入室するなり、いきなり夕呼からロ○コンの疑惑をぶつけられることとなった。

 

「……ふーん。夢にまで出てきたのね。溜まってるのは分かるけど、社相手じゃ殆ど犯罪よ?」

 

いつも通りの夕呼のからかい。

これが出てくるようになったということは、夕呼も武にある程度気を許すようになったということだろう。

夕呼と武の溝も、大分埋まり始めていた。

 

「だから違いますって!」

 

夕呼の言葉に、武は全力で否定した。

あくまで武は必死だった。

自らにロリ○ンの疑惑を、いつまでも付与されたままではたまったものではないからだ。

その武の全力否定を見た夕呼は、彼に気づかれない程度のほんの僅かな安堵の表情をした。そして小さな声でこう呟いた。

 

「まぁ……社が性癖だと、それもそれで困るのよね……」

「……なんですか?」

「いえ、何でもないわ」

 

幸いにして武には聞こえていなかったようだった。

夕呼は武の問いに即答した後、急に真面目な顔になり質問した。

 

「……ねぇ、その夢ってどんな内容の夢?」

 

夕呼の質問に武の表情が暗くなる。

 

「前の世界の夢ですね……」

 

武は、今までに何度か見た夢の内容を説明した。

それを聞いた夕呼は眉をひそめ、顎に手を当てて何やら考えながら武に問うた。

 

「その夢が前の世界の夢だって……どうして分かるわけ?」

 

夕呼の質問に、武は少し考え込んだ後に答えた。

 

「確かに、証明は出来ないですね……」

 

そうなのだ。

武の夢、悪夢が必ずしも自らの記憶に基づいたものだと証明することは出来ない。

理由は単純だ。

もしそれが一般の人であるならば、過去に経験したものであったり、自らが想像した夢ということになる。

しかし武の場合は違う。

彼は未だに、理由は不明だが世界を渡れる因果導体なのだ。

その因果導体たる武が見る夢。

これは必ずしも彼の過去や想像からくるものではなく、他の並行世界の自身の記憶を受け取っているだけ、という可能性も存在するのである。

 

「――これ、あんたに言うべきかどうか迷ったんだけど……」

 

夕呼が珍しく遠慮がちかつ躊躇い気味に、武に話を切り出した。

 

「あんた……この世界じゃ長くないかもしれないわ」

 

突然告げられた宣告にも、武は動じることはなかった。

あくまで落ち着いた状態でソファーに座り、夕呼の言葉を聞いていた。

ここら辺も、武の成長を顕著に表していると言えよう。

 

「……それはまた、どういう?」

 

それでも武は訳が分からないと、夕呼に聞き返した。

 

「あんたから最初に貰った記憶媒体……何となく気づいていると思うけど、あれは別の世界(・・・・)のあたしからのものだったのよ」

 

武がここに来て最初に夕呼に渡した記憶媒体。

実はあれも八咫烏同様に前の世界(・・・・)からのループ品である。

武が八咫烏に乗り込み、最初に見つけたものがその記憶媒体だった。

記憶媒体は2つあった。

1つは夕呼が武に宛てた内容が簡潔のもの。

もう1つは前述の夕呼に渡した、ロックの掛かった記憶媒体だった。

 

「はい、それは分かってました。実は一度中身を見ようと試みたんですが、ロックが固くて見れなかったんです」

「そりゃそうよ、だってあれはあたしにしか分からない解除方法になってたからね。つまりあれはあんたがもう一度ループすることを、別の世界のあたしは分かっていたことになるのよ」

「……そうですか、ふふっ」

 

夕呼の言葉を聞いた武は突然軽く笑い、優しい笑みを浮かべた。

それを見た夕呼は再び眉をひそめて、武に問いただした。

 

「……何よ」

「いえ、あの夕呼先生らしいなぁと思いまして」

 

それを聞いた夕呼は、眉をひそめたうえで更に細目になった。

 

「あっそ。前の世界じゃ随分とあたしと仲が良かったのね」

「――まぁ、あんなこともありましたしね……」

 

武の意味深な発言と、何かを思い出すかのように遠いところを見た武に、夕呼は頬を膨らませた。

 

「だから何なのよ……」

 

これは夕呼の嫉妬だった。

そしてそれに本人は少なからず気づいていなかった。

 

「何でもないですよ――それで、どうして前の世界(・・・・)の夕呼先生が、俺がもう一度ループすることを分かっていたんですか?」

「それは分からないわ。記憶媒体に書かれていたのは、あたしの提唱した因果律量子論を改訂した、特殊因果律量子論だったのよ」

 

聞きなれない言葉に今度は武が眉をひそめた。

 

「……特殊因果律量子論、ですか?」

 

特殊因果律量子論。

それは別の世界(・・・・)の夕呼が長い年月を掛けて創案した、もう1つの因果律量子論だった。

通常の因果律量子論とは異なり、その名の通りまさに特殊な因果を現した理論である。

 

「まぁ詳細はこの際だから省くけど、その理論に基づけばあんたがもう一度ループするのは、必然的に理解出来てしまうのよ」

 

特殊因果律量子論に基づき、武は3度目のループを達成した。

しかしそれはとても不安定なものだと、夕呼は推察していた。ここから先は記憶媒体には書かれていない、この世界の夕呼の推察となる。

 

「じゃぁ俺が長くないというのは?」

「あんたも知っての通り、この世界の白銀武は既に死亡している。つまり白銀武の意識を受け止めるための器が、この世界には存在しないということになる。だから並行世界からあんたの意識が渡って来ても、それを受け止める器がないわけだから、あんたがこの世界に定着する理由はない。なのにあんたがこの世界にいるのは、白銀武を構成する因子、因果が何らかの要因で完璧な状態で世界を渡りきり、無数ある並行世界であるこの世界へと降着したから。ここまではいいわね?」

「はい」

 

前の世界で武が、元の世界に理論を取りにいったとき、そこには元の世界の武が存在した。前の世界の武の存在を、夕呼が開発した装置で認識の境界を曖昧にすることで、武は前の世界から存在を忘れられ、元の世界へと意識を、つまりは因果を渡らせることに成功させた。

元の世界に白銀武が生きていることが前提で初めて、前の世界のときの武は、元の世界に渡ることが出来たのである。

では、この世界ではどうか。

今の世界の元々の白銀武は死亡している。

つまり今の世界に武が意識を、因果を定着させる武が存在しないのである。

器がない所に水は注げない。

器がないところに水を注げば、ただこぼれてしまうだけになるのと、同じ原理である。

これは前の世界でも同じことが言える。

前の世界の白銀武も、武がループした時点で既に死亡していた。

では、前の世界で何故武が意識を、因果を世界に定着させることが出来たのか。

それは鑑純夏が原因である。

武を因果導体にしていた鑑純夏の、もう1度武ちゃんに会いたい、という強い気持ちが、明星作戦で使われたG弾の余波と融合し、武の意識を前の世界に定着させたのである。

 

「理由は分からないけど、あんたの意識、因果はこの世界に降着し定着した。だけどその定着するための要素はどこかしら?前の世界では鑑純夏だった。だけど今回、その要因が鑑純夏であるとは限らないのは、あんたも知ってるわよね?」

 

そう、前の世界の純夏は、武と結ばれるという目的を達成したことで、武を因果導体にする力を失っていた。

例え世界がどんな結末を迎えようとも、純夏が満足した時点で、武の因果導体としての役割は終了したのである。

つまり、今のこの世界に武を引っ張ってきたのは、純夏ではない可能性が高いということになる。

無論、この世界でも明星作戦は発動されており、その作戦の最中にはG弾も使われている。

原因が純夏ではないと完全に否定はできない。

しかし別の世界の夕呼が、この世界の夕呼に託した記憶媒体の中身を見る限り、明言こそされていないものの、ループした要因が鑑純夏ではないことを完全に示唆していた。

それ故に今回のループの原因は鑑純夏ではないと、この世界の夕呼は判断した。

では何故、白銀武は再度ループすることが出来たのだろうか。

それを理論として証明するために、別の世界の夕呼によって作り出されたのが、特殊因果律量子論なのである。

少なくともこの理論によって、もう二度としないはずのループを、武が経験したのは確実であると、この世界の夕呼は一応納得していた。

別の世界の自分が提唱した、というのもある。

あたしが天才だから、という気持ちも勿論あった。

しかし夕呼には表しようのない、言い知れない謎の疑問が頭の中をよぎっていた。

これは別の世界の夕呼が、夕呼自身に課した課題なのではないか。

夕呼は次第にそう捉えるようになっていた。

 

「そしてもう1つ不可解なのが、共にループしてきた八咫烏よ。本来ループ、つまり世界を渡れるのは人の意識である因果だけなはず。なのに今回物体、物質である八咫烏という戦術機までもがループしてきた。これだけのモノに世界を渡らせるには、相当な量の因果が必要になる。因果はG元素でも代替は可能だけど、G元素は人の意志ではないわ。世界を渡らせる力はあっても、白銀武と八咫烏などの物質を世界に定着させるだけの力はないのよ」

 

因果とは即ち人の意志である。

白銀武という人間の意識と因果をループさせるには、巨大な人の意志が必要になる。

それだけでもかなり大変なことなのだ。

にも関わらず、今回は八咫烏という第5世代相当戦術機までもがループしてきた。

夕呼の言う通り、戦術機という物質までもループさせるには、相当な意志が介在したということになる。

無論それはG元素でも代替は可能であるし、人の意識とG元素、その両方使うという手だって存在する。

しかし、それは誰の手によって行われたのだろうか。

少なくとも前の世界にこのような芸当が出来る人物はいなかったと、武は認識していた。

誰の手によるものか分からない、謎の今回のループ。

それ故に武の存在は前述したものと相まって、不安定、というしかない状態なのであった。

 

「つまり俺は、いつこの世界から消えてなくなってしまうか分からない、ということですか?」

「そういうことになるわ」

「でも変じゃないですか?前の世界で俺は、桜花作戦後に因果導体としての役割を終えて、元の世界に帰るはずでした。なのに今回は消えてなくなる可能性がある。これって矛盾してませんか?」

 

確かに武の言う通りだ。

本来、武は桜花作戦の後に00ユニットである純夏が機能停止したということもあって、因果導体としての役目を終えている。

だからこそ、前の世界で武は因果導体から解放されて、元の世界へと帰還するはずだったのである。

しかし、武は元の世界へと帰還することは出来なかった。

これは前の世界の夕呼も疑問視していた。

元々はその問題を理論的に証明するために、因果律量子論の改訂作業を始めたわけだが、取り敢えず今それは置いておこう。

前の世界で消えることがなかった武が、この世界では消えてしまう可能性があるという。

これは確かに矛盾していた。

 

「それについても理由は不明よ。記憶媒体にあったのは、00ユニットの完成に必要だった数式と特殊因果律量子論、そしてバッフワイト素子の応用についてだけだった。随分と意地悪なのね、別の世界のあたし(・・・・・・・・)は」

 

夕呼は自傷気味にそう呟いた。

例え別の世界であろうとも自分は自分。

それを理解しているからこその笑いだった。

 

「まぁそれが前の世界の先生(・・・・・・・)ですからね……」

 

「あぁ、ただ例え悪夢であっても、夢を見ている間は大丈夫よ」

 

夕呼が、まるで今思い出したかのようにそう武に言った。

 

「どういうことですか?」

「さっきも言った通り、あんたが見ている夢は、必ずしもあんたの記憶だとは限らない。並行世界のモノの可能性もある。だから夢を見ている間は、他の世界からの因果を受け取っている状態であるということ。他の世界の因果を受け取るということは、少なくともこの世界の白銀武の因果が弱まって、他の世界に流出してしまうということにはならないからよ」

 

武が悪夢を見るということは、少なくとも今この世界において、意識がしっかりと定着していることを意味する。

例え見ている夢の内容が、今の武自身が体験したものでない、別の世界の武が体験したものであったとしても、それが武の自身の因果であることに変わりはない。

つまり夕呼の言うように、夢を見ている間は、他の世界から武の因果を受け取っているということに繋がる。

他の世界の因果を受け取るということは、少なくともこの世界の白銀武の因果、意識が弱まってそれが薄れてしまうということには繋がらないのである。

 

「なるほど。そういうことですか」

 

武は自身の置かれた状況を理解した。

こういった話が理解出来るようになり、また受け止められるようになっただけ、武は成長したということだろう。

武は前の世界で長い年月を戦いぬいた。

その記憶と感情は決して忘れさられることのない、武のれっきとした財産になっているのである。

 

しかしここで武は大事なことを見落としていた。

それに残念ながら本人は気づいていないのである。

これがまたどのような事件を呼ぶのか、今はまだ誰も知らない。

 

武と夕呼の間に暫しの沈黙が流れた。

武は顎に手を当てて、何か考え込むような素振りを見せていた。

そして何かに気づいたかのようにハッとして、口を開いた。

 

「となると、色々と計画を変更しなければならないですね」

「あぁ、あんたが前に提出した計画書ね。ちゃんと読ませてもらったわ。あたしは概ねあの通りでいいと思うけど、どうして?」

 

武はとあることを計画している。

皆が生き残るために、そしてあの悲劇、惨劇を繰り返さないために、武は行動する。

それが彼のこの世界における、立派な行動理由になっていた。

 

「一応聞いておきたいんですけど、俺は後どのくらいこの世界に定着し続けられると、夕呼先生は予想してますか?」

「……最低限で2ヶ月といったところだと思うわ。少なくとも12月25日までは確定しているから安心なさい」

 

夕呼は自信満々にそう言い切った。

 

「どうしてですか?」

「少なくとも別の世界のあたしはそう確信しているからよ」

「分かりました。最も心強い答えでした」

 

夕呼の解答に武は力強く頷いた。

 

「――こんなこというのもなんだけど、そんなに別の世界のあたしの方が、今のあたしより信用出来るってわけ?」

「いえ、信頼とか信用とかそういう問題の話じゃないです。例えどの世界の夕呼先生でも、夕呼先生は夕呼先生ですから。夕呼先生が断言するんです。信じないわけがないじゃないですか」

 

武と夕呼の関係。

それは前の世界では勿論のことだったが、今のこの世界においてもその関係はしっかりと構築され始めているようだった。

 

「……なるほど。だから向こうの世界のあたしは……」

 

夕呼は再び何かに納得したような素振りを見せた。

時々見せる夕呼のこの素振りに、武はいつも疑問を持っていた。

故に彼は問う。

 

「ん?夕呼先生?」

「何でもないわ。それで計画の変更の話ってどういうことよ」

 

先ほどの様子から一変。

仕事モードに完璧に切り替わった夕呼に、武自身も仕事モードに意識を切り替える。

それ故に先ほどの武の疑問は、当分の間忘れ去られてしまうこととなった。

 

「取り敢えずは鎧衣課長をさっさと招集しましょう」

 

鎧衣という単語に夕呼が若干眉を細めるが、話の腰を折ってはダメだと思ったのかそこについては言及しなかった。

 

「……11月11日の件は?」

「そこは概ね変更なしです。俺用の不知火の手配の方はどうですか?」

「何とかするわ」

「ありがとうございます。それと例の……」

 

武と夕呼の悪巧みはまだまだ続く――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

今日もまた、武の怒号が伊隅ヴァルキリーズに響き渡っていた。

夕呼との話し合いが長引き、午後からA-01の訓練に参加した武だったが、その気合の入りっぷりは、まるで焦りと午前中参加出来なかった鬱憤を晴らすかの如く、厳しいものだった。

 

「速瀬、先行入力が遅い!何のためのキャンセルだと思ってる!これで2度目だぞ!」

「申し訳ありません!」

 

武の怒号が速瀬の耳に響き渡る。

皆、ここまで怒鳴られるのは訓練兵時代以来になるかもしれない。

武と伊隅ヴァルキリーズが訓練を始めてまだ5日だが、既に彼の怒号には皆慣れ始めていた。

だがそれでも怒鳴られるというのは、決して気持ちの良いものではない。

速瀬はそれなりに武から怒鳴られる方である。

ポジションが同じ突撃前衛というのもあり、彼からしてみても思い入れが強いのかもしれない。

 

「宗像ッ!貴様、キャンセルのタイミングが早すぎると言っただろうが!だから態勢を崩しかけるんだ!」

「はい!」

 

武が今度怒鳴ったのは宗像だった。

ヴァルキリーズの中で比較的怒鳴られる頻度が少ないのは、宗像と風間、そして柏木である。それでも武は、怒鳴るときは怒鳴る。

理由は簡単で、後衛の不手際が前衛の死に繋がるということを、武自身が身をもって知っているからだった。

 

「涼宮、その場面での後方への跳躍噴射は極力避けろと言ったはずだぞ!」

「申し訳ありません!」

 

伊隅ヴァルキリーズの中で、最も怒鳴られる頻度が高いのは茜だった。

強襲掃討という中盤に位置するポジションは、後衛の役割を持ちながら時には前衛に近い役割をしなければならないという、大変なポジションである。

それ故にこの強襲掃討は、前衛にも後衛にも適性がある者が就く場合が多い。

茜はその適性がヴァルキリーズ内ではおろか、世界的に見ても稀に見る適正の高さを誇っている。

だからこそ武も茜への指導は、熱がこもってしまうのである。

最もそれ以前に、荒削りの部分も多いというのが実情ではあるのだが。

因みに当の本人は、前衛にも後衛にも適性がないが故の配置だと勘違いをしていたのだが、それはまた別のお話である。

 

「貴様ら、ちょっとXM3を扱えるようになったからといって調子に乗るなよ!お前たちはまだ新兵も同然だ!ちょっとした操作ミスや油断、驕りが貴様ら自身の死に、ましてや仲間の死に繋がる!それを心に刻んでおけ!」

「「「はい!」」」

 

武は自らも訓練に参加しながら、全員の操作を同時に見るという、かなり器用で難しい行為をしている。

にも関わらず、1つの操作ミスすらも見逃さない。

また、怒鳴りながらでも、その間に起こった他のメンバーのミスも見逃さなかった。

それに武はよく怒鳴るが、直ぐに怒鳴るわけでもない。

1回目は、淡々とミスを指摘するに留まるのだ。

2回目は、少し強めに指摘する。

3回目に怒鳴るのだ。特にそれが、繰り返しであったり、ミスを恐れての臆病な操作になると余計に怒鳴るのだ。

武は厳しくA-01部隊、伊隅ヴァルキリーズを訓練している。

そこには、もう二度と仲間を失いたくないという強い決意と共に、彼女たちを成長させたいという心持ちも同時に現れていた。

207Bがまりもと共に総戦技演習に旅立ったことで、武は1日中、ヴァルキリーズの面倒を見れることになった。

これからもヴァルキリーズに対する、武の厳しい訓練は続くであろう。

 

「――よし、20分間の休憩をとる。全員機体から降りて、身体を休めておけ」

「「「了解!」」」

 

全員に休憩の指示を出した後、武は伊隅にのみ回線を開いた。

 

「伊隅大尉、涼宮のフォローを頼む。随分と焦っているようだ」

「分かりました」

 

ただし、武が伊隅にのみ回線を開いたからと言って、それが必ずしも2人にのみ聞こえているとは限らない。

CP将校たる遥には、その通信はバッチリと聞こえていた。

 

(白銀少佐は、決して厳しいだけの御方ではない。それは訓練初日から分かってはいた。厳しさの中にも優しさを持つ……こういう方が、立派な上官ということになるのだろう。特に私はCPという立場から、全員に余裕をもってみることが出来るから分かる。白銀少佐は、ヴァルキリーズが成長していることを心の底から喜んでいる)

 

しかし、と遥は続けて思う。

 

(少佐は時折、何処か遠いところを見ているような目をすることがある。無論、訓練中にそのような腑抜けた目をされることはない。そう、今だ……今のような休憩時間中に、彼はこういう目をするのだ――少佐は一体何を見ているのだろう?一体何を想っているのだろう?……知りたいという気持ちが傲慢だということは分かっている。でも、だからこそ私は……そんな少佐のお力になりたい、と思っている)

 

遥のこの想いが武に届く日が来るのか、今はまだ誰も知らない――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「霞~いるか~?」

 

ヴァルキリーズとの訓練を終え、夕食を済ませて、武は霞のいる例の部屋に来ていた。

そこにはやはりいつものように、脳髄の入ったシリンダーを眺めた霞が居た。

 

「……こんばんは」

「あぁ、こんばんは……」

 

取り敢えずは夜の挨拶。

初めてあってからというもの、霞は毎日のように武を起こしに来てくれる。

それ以来、武もちょくちょくこの部屋を訪れていた。

しかし、今朝は少し事情が異なった。

例え悪夢を見ていて寝ぼけていたとはいえ、女の子の胸を揉んでしまったのだ。

あの後、霞は直ぐに逃げられてしまったため、武はこうして謝りにきたというわけだった。

 

「……あ、あのな霞。今朝は……」

 

武が言いにくそうに話を切り出した直後だった。

 

「……気にしていません」

「……いや、だからそのあれは不可抗力で……って、え?」

 

霞の意外な言葉に武は戸惑った。

 

「……気にしていません」

「いや、でもほら……曲がりなりにも女の子の胸を揉んじゃったんだぞ?もっとこう……」

「……気にしていません」

「……」

「……気にしていません」

「あ、あぁ。分かった。霞がそういうなら……」

 

取り敢えずこの一件は解決した。

 

「そうだ霞。今日はプレゼントを持って来たんだ」

「……なんですか?」

 

普段の興味なさげな無機質な声とは違い、そのうさ耳がピクンと動いたのを、武は見逃さなかった。

 

「霞が大好きな……人参だ!」

 

――スススッ。

武がそう告げた直後、思いっきり逃げられてしまった。

 

「いや、冗談だ冗談」

「……」

 

ジーっとした目で武は霞に睨まれた。

 

「ほ、本当はな……ほれ、これだ」

 

武は背中に隠していたものを取り出した。

そこにあったのは、4つのお手玉と紐だった。

そう、今日武が霞の元を訪れたのは、これを使って霞と仲直り大作戦を実行するためだったのである。

武は1回目の世界で、207Bの皆と結構練習したのでお手玉もあやとりもそこそこ出来る。

2回目の世界では、霞に自らお手玉とあやとりを教えたこともある。

今回もそれをやろうというわけだった。

 

まずは武が手本を見せた。

4つの球が代わる代わる宙を舞う姿を、霞はジッと見ていた。

1分ほどやってみせたのち、2つの球を霞の小さな手武は持たせた。

 

「ほら、やってみな」

 

ジーっと自分の手にあるお手玉を見つめていた霞だったが、やがて投げ出した。

――ボト。

 

「……」

 

――ボト。

 

「……」

 

――ボト。

 

「…………難しいです」

 

投げては落とす。

投げては落とす。

その繰り返しだった。

そんな霞の姿を見た武は苦笑した。

自分も初めはそんな感じだったのをついつい思い出したからだ。

そして自分の手に残った2つのお手玉を使って、武は霞にお手玉を再度見せた。

 

「ほら、こうやるんだ」

 

武の手本を見て再び挑戦してみる霞。

 

(焦らなくていいんだ。ゆっくりと学んでいってくれ霞……)

 

それが武の偽らざる気持ちであった。

結局、夕呼に指摘されるまで、武と霞は夜遅くまでこうして遊んでいた――。

 



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Episode17:八咫烏の正体

Episode17:八咫烏の正体

 

 

2001年11月04日(日)05:50

 

 

早朝。

――ゆさゆさ。

 

「んぅ?ありが……とう、霞ぃ」

 

武は眠気眼をこすりながら身体を起こした。

目の前にはやはり霞がいた。

 

「……おはよう」

「あぁ、おはよう霞」

 

時計を確認すれば、ちょうど起床ラッパ10分前。

いつの時代のどの世界の霞も、時間には正確だった。

 

「……博士が呼んでいました」

「――え?またこんな朝っぱらから?」

 

まだ眠気眼をこすっていた武は、今の霞の一言でハッとして目が覚めた。

 

「……はい。90番格納庫で待ってるそうです」

「あぁ、分かった。ありがとな」

 

武を起こして夕呼の伝言を伝えるという任務を達成した霞は、扉を開けて部屋から出ていこうとした。

 

「……またね」

「あぁ、またな」

 

別れを告げて霞は武の部屋から去っていった。

 

洗面台にて顔を洗った武は、いつもの国連軍少佐の軍服に着替え、夕呼の待つ90番格納庫へと向かった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

90番格納庫についた武は、まだ早朝にも関わらず、忙しく働く沢山の整備兵たちを目にした。

整備兵というのは、昼夜問わず作業をするとことも多い。

 

(もしかしたら、この人たちは寝ていないのかもしれないな……ご苦労様です)

と武は心の中で労いの言葉をかけた。

 

「白銀」

 

格納庫の様子を入り口から眺めていた武を、夕呼が発見し声をかけて手招きをする。

 

「おはようございます、夕呼先生」

「おはよう。といってもあたしは寝てないんだけどね」

 

それは目元のクマを見れば簡単に想像がついた。

 

「見てわかります。徹夜もいいですけど、折角の美人が台無しですから少しは健康にも気を使ってくださいね?」

「あら、そんなあたしをこき使うのは、どこの誰だったかしら?」

 

確かにそうだ。

武のもたらした記憶媒体の内容は、夕呼にとってはまさに神からの啓示に等しいものであった。

それを見たことで生み出される数多くのアイディアは、夕呼に今発明の閃きラッシュを与えていた。

それ故に、ここ最近の夕呼の忙しさは異常な程であった。

だからこそ夕呼は、207Bの総戦技演習の南国行きにもついていかなかったのである。

最も本人は、そのラッシュを楽しそうにやっているので問題はないだろうが。

 

「あはは、それは何とも耳が痛い話です」

 

武は耳の裏をポリポリと掻いて苦笑いした。

だがそこで武は、90番格納庫にたった1機佇んでいる八咫烏を見て、夕呼が何故自分を呼び出したかを理解した。

 

「それで……八咫烏の前に足場が組まれているということは、遂に?」

「ええ、浄化装置の対策もあんたから貰った資料で完全にクリア。バッフワイト素子を利用すれば簡単だったわ」

「そうですか……」

 

武はまさに感極まった風にそう言った。

 

八咫烏は今、膝をついた状態で待機姿勢に入っており、そして武の言葉通り機体を囲むようにして、急で狭い足場が至る所に組まれていた。

特に管制ブロックの下の胸部装甲周辺には、追加で更に無数の足場が組まれていた。

そんな中、八咫烏の胸部装甲が大きく開放されており、開放された先に見えるのはまた新たな胸部装甲。

こちらの2つ目の胸部装甲は、整備兵たちにも開けられなかったのだ。

そしてそれを開放するには、武の手が必要になる。

今日武が呼び出されたのは、そんな厳重に守られた八咫烏の胸部装甲を開放するためだった。

 

武と夕呼は、その急で狭い足場を登ることになったのだが――。

 

「なんで階段ないのよ!」

 

夕呼は足場を登れず文句を垂れた。

やはり文官出身の夕呼に、まるで工事現場に組まれるようなこの足場は、かなりキツかったのである。

それを聞いた整備兵たちは、申し訳なさそうな表情をした。

 

「先生、手貸してください」

 

武は夕呼を足場に引っ張り上げた。

すると整備兵一同から歓声があがった。

因みに、夕呼は恐ろしいほど軽かった。

 

「……ったくなんなのよ」

「あはは……」

「しっかし本当に厳重ねぇ。まぁ中身からすれば、当然の処置なんでしょうけど」

 

八咫烏の胸部装甲前に辿り着いた2人は、整備兵たちの手で解放されなかった、もう1つの胸部装甲を見つめた。

 

「一応言っておきますけど、これは……」

「分かってるわ。あたしのせい、なんでしょ?」

 

夕呼の自虐に武は戸惑う。

 

「別にそこまでは言ってませんけど……」

「はいはい、そうね。それより白銀、早くなさい」

「……そうですね」

 

夕呼が武を急かした。

武がこの世界にやってきてから既に2週間。

極力使用せずに、自立保護プログラムにより長期睡眠状態に入っているとはいえ、内部のODL(観測遮断液)も限界に達していることだろう。

油断は出来ないが何とか間に合った、というのが夕呼と武の気持ちであった。

まぁ実際に確認してみないと何とも言えないが。

 

武は先ほど整備兵から手渡されたコンソールを、八咫烏に繋ぎ操作をする。

そうすると頑なに閉ざされていた、もう一つの八咫烏の胸部装甲が、音を立てて次第にゆっくりと開放されていった。

格納庫内の光が、徐々に開放されていく胸部装甲の内部を照らし出していく。

完全に開き切った胸部装甲。

その先にあったのは、無数のコードに繋がれ囲まれたケースがあった。

そしてその中身は、武や夕呼が良く知る脳髄であった。

 

「……そうこれが?」

「はい。純夏とは別の――もう1人の00ユニット、エレナです」

 

名前を呼ばれた瞬間、ODLがゴポッと音を立てた。

まるで名前を呼ばれて喜んでいるかのようだった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

第5世代相当・試作戦域支配戦術歩行戦闘機『VIF-TYPE-08八咫烏-弐型』

制作者の別世界の夕呼をして『もう一つのXG-70d』と言わしめた、紛れもなく世界最強の戦術機である。

八咫烏は元々、ハイヴ攻略戦専用に開発された戦術機であり、その用途から近接格闘戦を主体に、中・遠距離戦闘の両方もこなせるように開発された、まさに欲張りな設計思想をもつ機体であった。

その大元となったのは、日本帝国斯衛軍の00式戦術歩行戦闘機・武御雷である。

元となった武御雷R型と純粋に比べた場合、跳躍ユニット・関節強度が80%もアップしており、主機出力に至っては計り知れるほど強化されている。

また武御雷を踏襲して、全身の装甲のエッジ部とマニピュレータ先端部に、スーパーカーボン製ブレードが仕込まれている。

その数は38カ所にも及び、武御雷の27カ所を凌駕していた。

また、上腕部には08式近接戦闘用短刀という、固定式補助兵装も仕込まれていた。

これだけを聞けば、ただの武御雷の強力なアップグレード版と誤解されてしまいそうだが、八咫烏が八咫烏たる由縁は別にある。

それは主機にムアコック・レヒテ型抗重力機関を搭載し、メインコンピュータには00ユニットを搭載していることにある。

 

『00ユニット:No2』エレナ。

2006年に誕生した『00ユニット:No1』鑑純夏に次ぐ、2番目の00ユニットである。

八咫烏のメインコンピュータとしての役割と務め、それによってムアコック・レヒテ抗重力機関による搭乗者、即ち衛士へのダメージを回避する。

ムアコック・レヒテ機関を主動力源とする八咫烏には、なくてはならないものであった。

八咫烏を、未来世界において最強たらしめたその最大要因であり、ムアコック・レヒテ型抗重力機関搭載型・戦術歩行戦闘機。

それが八咫烏である。

因みにこの機体が制作された2008年の時点でも、ムアコック・レヒテ機関による人体へのダメージを、00ユニットの以外の方法で回避するのは、未だに不可能であった。

しかしムアコック・レヒテ機関の操作のためだけに、八咫烏に00ユニットが搭載されているわけではない。

 

八咫烏本体に、直接ODL浄化装置を繋ぐという作業を終えた夕呼と武は、2人とも執務室に戻ってきていた。

残念ながら今の夕呼には八咫烏に搭載された脳髄を、八咫烏から分離して横浜基地の例の部屋に据え置くという技術は持ち合わせていなかった。

一応、ある程度その技術の目途はたたないわけではなかった。

だがそれより優先すべきはまず、八咫烏内のエレナの脳髄が浸されたODLを浄化するということであり、そのために移動式の浄化装置を、他の仕事も沢山ある中わざわざ開発して八咫烏に接続したのである。

エレナは今、八咫烏に繋がれたODL浄化装置において、緊急の浄化処理を受けている。物々しいほど巨大な機械と沢山のチューブが今、八咫烏には繋がれていた。

この世界に武がやってきて2週間近く、奇跡的にもエレナは稼働状態(武はこの言い方が嫌いなので、生きていたという言葉を使う)であった。

しかしこれで八咫烏は、本来の姿を取り戻すことが可能となるのである。

 

執務室に戻った武は夕呼に礼を言い、頭を下げた。

 

「本当にありがとうございます、夕呼先生。これでエレナは……この世界でも生きることが出来ます」

「礼なら別の世界のあたしに言ってちょうだい。悔しいけど……今のあたしにはあれだけの装置を作る技術はなかったもの」

 

珍しく夕呼が謙虚なことを言った。

だがそれでも武は、別の世界の夕呼には勿論のこと、この世界の夕呼にも礼を尽くしたかった。

 

「いえ、それでもお礼を言わせて下さい。例えどんな世界であろうとも、俺は夕呼先生がいなかったら何もできてませんから……」

「ちょっと、世界を救う英雄様がそんな調子じゃ困るわよ。あんたがもたらしたモノは、間違いなく世界を救う。あんたは十分英雄なのよ」

「……」

 

英雄という言葉に武は喜ぶどころか、自分がそう呼ばれることに嫌悪感すら覚えていた。

 

(自分はそんなたまじゃないんですよ、夕呼先生。貴方と違って俺は……沢山の間違いを犯してきたんです)

 

武はそう思った。

 

「しっかし、まぁ……ホント化け物よね」

 

武の重苦しい雰囲気を察したのかどうかは分からないが、夕呼が突如としてそのようなことを言った。

 

「何がですか?」

「あんたらだけで、ハイヴ……攻略できんじゃないの?」

 

夕呼からのその問いかけに、武ははっきりと出来ないと答えられないので、少々困り果てた。

 

「さ、さすがにフェイズ3以上は……」

「フェイズ2以下なら可能だっての?」

「……」

 

ここで下手に答えようものなら、八咫烏単独でフェイズ2ハイヴに突入させられそうな、そんな気が武にはした。

無論、その成功率は100%ではないし、生還も望めるか怪しいものである。

 

「……冗談よ。それよりそろそろ、八咫烏について教えてくれてもいいんじゃないの?あの子については教えてくれたんだし」

 

夕呼が執務机に座り、手元の書類をノックするように叩いた。

その書類は、武がここ数日のうちにまとめて提出したもので、エレナについての詳細が記されていた。

そこに書いてあることを纏めると以下のようになる。

 

『00ユニット:No2』エレナ。

2005年、鉄源ハイヴ(H20:甲20号目標)攻略作戦時に発見された、史上2人目のハイヴ生存者。

第1発見者は、同作戦に参加していた白銀武少佐。

生存者と言っても、発見時はやはり例の脳髄の姿であり、それを同年オルタネイティヴ計画の成果により、中将に昇進していた香月夕呼博士が接収。

翌年、純夏に代わる新たな『00ユニット:No2』として誕生することとなる。

完成当時はやはり錯乱状態であった。

調律にあたったのは勿論武だった。

その調律には1年近い長い時間を要した。

だが、調律してからは意外と簡単だった。

エレナは元々国連軍衛士であり、ある程度の教養を覚えていたのである。

しかしBETAに心身共に蹂躙されたという過去があったせいか、幼児退行とも言える現象を引き起こしていた。

それでも武は熱心にエレナに接した。

霞の協力もあり、八咫烏が完成した2008年頃には立派な人格を取り戻したのだった。

因みにエレナという名は、武が名付けたものである。

由来は、ギリシア語で明るいという意味を持つ言葉と、ギリシア神話の光の女神からである。

髪の色が、明るい純粋で無垢な金髪だったというのもあるが、何より明るい女の子になりますようにという武の願いが籠った名前だった。

 

「分かりました。別に隠すようなことではなかったんですが……念のため」

「まぁ、利害の一致と言ったのはこのあたしだったし、あんたが警戒するのは仕方のないことかもしれないわね」

 

武は手に持っていた、自らが纏めた八咫烏の資料を夕呼に手渡した。

夕呼が八咫烏のことに関して教えるよう促したのも、武が手に資料を持っていたことに起因していた。

 

「まぁ、うちの整備班からある程度の調査報告は出てたんだけどね。幾つか不明な部分もあったし、何よりあの機体ブラックボックスが多すぎるのよ」

 

そう、八咫烏が90番格納庫に秘密裏に搬入された時点から、八咫烏の調査は夕呼お抱えの整備チームによって行われていた。

そして数日後には、夕呼の元に報告書が届けられていた。

そしてその報告書の末尾に書かれていた一言が、全てを物語っていた。

整備兵たち曰く、異常である、と。

 

夕呼は武に手渡された資料を、ペラペラと捲りながら言った。

 

「初めて報告書を呼んだときはそらビックリしたわ。でも確かに00ユニットが搭載さているなら納得出来ることも多いわ」

「……ダイレクト・リンク・システムとドルイド・システム、ですか?」

 

武の言葉に夕呼が頷く。

 

「ええ、特にダイレクト・リンク・システム。これを作ったのがあたしだと思うと、正直ゾッとしないでもないわ」

「まぁあの頃、人類はそれなりに追い詰められてましたからね……」

 

武の呟きに夕呼がすかさず反応した。

 

「白銀――あんた……まだあたしに隠し事してるわね?」

 

十中八九、夕呼が反応したのはあの頃、人類はそれなりに追い詰められてましたから、という部分に他ならないだろう。

一体武は、前の世界でどのような体験をしたのだろうか。

 

「それについてはいずれまた報告書を作って提出しますよ」

「……ふん。まぁいいわ」

 

少し拗ねたのだろうか。

夕呼は少し刺々しく返すと、手元の資料に視線を戻した。

そして以降は沈黙が続いた。

時間にして10分程だろうか。

夕呼が資料を読んでいる間、武は黙々と彼女がそれを読み終わるのを待った。

 

「――なるほどね。そういうこと……」

 

資料を一通り読み終えて、夕呼は何かを理解したようだった。

 

「白銀。まさかあんた、このシステム使ってはないわよね?」

 

夕呼の言葉に武が顎に手を当てて考えた。

 

「……いえ、記憶にある限りではないと思いますが……」

「そう、記憶にある限り、ね……」

 

武の記憶にある限りでは、彼はダイレクト・リンク・システムを使ったことはないはずだった。

ドルイド・システムは幾度か使用したことはあるが、その記憶も武の中では正直曖昧ではあった。

 

「そこに書いてある通り、ダイレクト・リンク・システムは、00ユニットや人工ESP発現体による、リーディングを介さない方法での相互理解を主眼に置いた、機体制御を円滑に行うために開発された操縦システムです。八咫烏に搭載されているのはその試作1号機ですね」

 

ダイレクト・リンク・システムは本来、凄乃皇用に開発された操縦システムであり、武の説明にもあったように00ユニットや人工ESP発現体による、リーディングを介さずに思考操縦を単独で行うために開発されたものだった。

桜花作戦で凄乃皇・四型には、00ユニットである純夏のほかに武と霞も搭乗していた。

これは純夏が機関士、武が砲手兼操縦士、霞が航空士として搭乗していたからだ。

何故、3人がかりで凄乃皇・四型を操縦したか。

それは凄乃皇が不完全な状態であったから、という理由もあるが、00ユニットである純夏が機関士としてムアコック・レヒテ抗重力機関、ひいてはラザフォード(フィールド)の調整に専念せねばならないからである。

そして武が砲手兼操縦士となり、霞が敢えて役職をつけるなら航空士となって、武と純夏の両方のリーディングを行い双方の調整役となることで、円滑な凄乃皇・四型の操縦を目指していた。

つまり図で表すと以下のようになる。

武(砲手兼操縦士)←――(リーディング)霞(航空士)――→(リーディング)純夏(機関士)

だがこれでは霞の負担が大き過ぎ、かつ今や貴重となった人工ESP発現体を毎回凄乃皇に搭乗させねばならなくなる。

この問題を解決する為に開発されたのが、ダイレクト・リンク・システムである。

00ユニットと操縦する人間の脳を相互に接続し、00ユニットはリーディングを使用せず操縦する人間の思考や状態を把握する。

逆に操縦する人間側は、00ユニットの状態をデータといったモノではなく、感覚的にそれを把握することができるようになる。

これがダイレクト・リンク・システムの正体である。

 

「理屈も実用性も、あたしには理解出来るわ。勿論、人類が勝つためならなんでもするわ。それは今も昔も変わってはいない。でも、それでも今のあたしにはこれを開発するだけの気概はないわね……」

 

夕呼が珍しく自分語りをし、かつ弱音ともとれるようなこと言った。

 

「実はこれの基礎理論は俺が提唱したようなもんなんですよ」

「……そうなの?」

「ええ、俺と夕呼先生とのふとした会話から、夕呼先生が思いついたんです」

「やっぱりBETAがいない世界の人間の発想は、あたしたちBETAのいる世界の人間にとっては奇抜で面白いのかしらね」

 

夕呼の言う通りかもしれないと、武は思う。

 

(俺のようなBETAのいない世界で生まれ育った人間の発想は、このBETAのいる世界で生まれ育った人たちとの発想と根本的に異なるってことを、俺はこの世界に来て嫌というほど実感した……やっぱり俺たちは、あんな平和な世界で生きていて平和ボケしていたんだな)

 

根本的に異なる世界での、根本的に異なる人間たちの発想や考え方。

たった1つの環境が変わるだけで、時に人は大きくその考え方を変えることがある。

世界そのものが変わってしまった武のその衝撃は、常人には理解できないものであるのは確実だろう。

 

「じゃぁ、ドルイド・システムもあんたが大元?」

「いえ、こっちは完全に夕呼先生が考えましたよ。なんか色々とブツブツ言いながら思いついたみたいです。ダイレクト・リンク・システム単体だと、どうしても人間側の処理能力不足が問題になる。それを補うために、人間の脳に直接コンピュータを接続し、その脳を管理する必要があるって言ってましたね。いわば究極の演算管理コンピュータだとも」

 

ドルイド・システムは、ダイレクト・リンク・システムによって発生する弱点。

つまり、操縦する人間側の処理能力不足を解決するために作れたシステム、コンピュータである。

英語を母語とするAという人物がいて、50の処理能力があるA+というパソコンがあったとしよう。

そして日本語を母語とするBという人物がいて、80の処理能力があるB+というパソコンがあり、かつ両者は互いの言語を読めない状況を想像してみてほしい。

AがBに、英語で30の処理能力を必要とするメールを送るとする。

Bは英語が分からないが、B+は80能力があるため、30のメールを処理することが可能だが内容は分からない。

今度は、BがAに60のメールを送るとする。

A+は50の能力しかないため、60のメールを処理することができない。

仮にメールを受信し処理したとしても、Aは日本語が分からないためメールを読むことができない。

これを00ユニットと、操縦する人間に当てはめてみよう。

00ユニットは無限の可能性を持つ存在であり、半導体150億個を手の平サイズに収めた存在である。

ダイレクト・リンク・システムによって相互接続された人間が、どんな人物であったとしてもその処理は可能である。

だが、操縦する人間側はどうだろうか。

相手が幾ら処理できる存在であったとしても、人間側が00ユニットから送られてくる情報を処理できなければ、ダイレクト・リンクの意味がなくなってしまう。

この人間側の処理能力不足を補うのが、ドルイド・システムである。

このシステムを使用するには、人間側がコンピュータに直接脳を接続し、00ユニット側から送られてくる情報を整理・統合して、人間の脳に直接データを送信する。

また脳を直接コンピュータに接続する利点として、戦術機の間接思考制御を上回る速度での思考制御を行うことが可能となる。

言うなれば直接思考制御だろうか。

操縦する人間側は、ペダルや操縦桿といったような物理的な操縦システムを使用はするが、その殆どは脳内で考えるだけで済むようになるのだ。

また、ドルイド・システムによって00ユニットには到底及ばないながらも、通常の人間を上回る処理能力を手にすることとなる。

これがドルイド・システムの正体である。

 

「これ、人間の元々の処理限界と、00ユニットの精神負担を考えてないでしょ。普通にやったら人間は勿論だけど、最悪00ユニットは機能停止(人なら死)に追い込まれるわよ?」

「それは理解していますよ。だから基地襲撃の時に使わなかったんじゃないですか。まぁ、エレナの負担を減らすためというのもありましたけど……あくまで最終手段ですよ」

「当然よ。そうでなきゃおかしいもの」

 

ダイレクト・リンク・システムとドルイド・システム。

これらを使えば確実に、世界最強の名を手にすることが出来る。

しかしこれらのシステムを使うことは叶わない。

何故ならこのシステムを使った時、それは操縦者の、衛士の死を意味するからである。

しかしドルイド・システムには意外な使い道も存在した。

 

「ただドルイド・システムは有用だと思いますよ。これは00ユニットに対する補助コンピュータとしての役割も果たせますから」

「なるほど、だからあんたのあの作戦というわけね」

「そういうことです」

 

どうやら武にはドルイド・システムを使った、何やら思惑がある様子だった。

 

「あと、もう1つ聞いておきたいのは、八咫烏の兵装のことよ。あれはココにも書いてあるように、八咫烏用に作られたオリジナルなのよね?特にあの電磁投射砲」

 

夕呼は武から渡された資料を再びノックしながら言った。

 

「はい。99型電磁投射砲を改良・進化させ、八咫烏用に調整したのが07型電磁投射砲です。八咫烏にはムアコック・レヒテ機関が搭載されてますから、理論上、砲身がイカれない限り、無限に撃ち続けることが出来ます。取り回しもよくなってますから、ハイヴ攻略にはもってこいの兵器ですね。ただその分反動も増大してますし、結局は弾の問題がありますけどね」

 

日本帝国軍兵器廠が、戦術機用携行火器として独自開発した、初の実戦用戦術レールガン・99型電磁投射砲。

実際はその開発には夕呼が大きく関わっているが、それはさておき、その99型電磁投射砲を八咫烏用に改良・小型化したのがこの07型電磁投射砲である。

武の言う通り、理論上はムアコック・レヒテ機関を使えば無限に放ち続けることが可能である。

ただしその分反動も増大しており、取り回しが良くなったとはいえ扱い辛さに関して言えば、本家と対して変わってはいなかった。

それに弾も結局無限ではないのだから。

そもそも前述したように八咫烏は、ハイヴ攻略戦を主眼に置いて開発された戦術機である。

ハイヴ突入前の前哨戦から作戦参加が可能なよう、電磁投射砲だけでなく近接戦闘用の長刀や突撃砲も装備していた。

これらの長刀や突撃砲も、八咫烏に作られたオリジナルの兵装である。

 

「他に06式近接戦闘長刀2本と06式突撃砲1門がありますね」

 

06式近接戦闘長刀は、(イギリス)軍の要塞級殺しの異名を取ったBWS-3を参考に、帝国軍の74式近接戦闘長刀と組み合わせて考案された、新たな近接戦闘用の長刀であった。

帝国軍の74式近接戦闘長刀の斬るという要素と、英軍のBWS-3の打撃という要素の、それぞれ異なったスタイルの両立を目指して作られた近接戦闘長刀である。

モチーフはやはり日本刀だが、刀というよりは太刀と言った方が分かりやすいかもしれない。

06式突撃砲は、米軍のAMWS-21戦闘システムを模倣したデザインとなっている、日本の突撃砲である。

120ミリの装弾数を減らした代償として、36ミリの装弾数がアップしており、また36ミリの炸薬量を増やして1発の威力をアップさせていた。

これ1門で通常の突撃砲2門分の働きを期待出来るようにと、八咫烏用に開発された。

いずれの兵装も欲張りな設計思想の元開発されている。

 

「何でわざわざ新規開発したわけ?既存のじゃダメなの?」

「確かにコストの面からは悪手かもしれませんけど、そもそも機体が第5世相当ですよ?既存のじゃ規格が合わせにくかったんですよ。それに俺の好みに合わせた開発を先生がしてくれたんです」

「ふーん、そうなの」

 

この辺に関しては、夕呼は特に興味がなさそうだった。

 

「あ、そう言えば夕呼先生。八咫烏の予備パーツの件ですけど……」

 

八咫烏の話をしていて、武が思い出したように話を切り出した。

 

「あぁ、それに関しては問題ないわ。大元が武御雷ってだけあって、何とか既存パーツの改修で対応出来るみたい。あたしのお抱えの富嶽に発注をかけておいたわ。遠田のほうにも秘密裏に手は回したから、近日中にパーツは届くはずよ。細かい調整はうちの整備班にやらせるわ。ただどうしても大元が第3世代用だから、関節強度とかは落ちてしまうから……そこだけは割り切りなさい」

 

機動性が少し落ちてしまうかもしれないという夕呼の言葉に、武は少し八咫烏のポテンシャルを最大限に引き出せないという意味で少し残念な表情をした。

だが、予備パーツが手に入るだけマシということで、夕呼の言う通り割り切ることにした。

 

「了解です。予備パーツが手に入るだけマシってことで納得しますよ――あ、なんならオリジナルパーツは取り外して温存して、初めから予備パーツを使う方がいいかもしれませんね」

「どうして?」

「八咫烏の最大ポテンシャルは、やっぱりハイヴ攻略戦の時に発揮させたいですからね……そうですね、兵装に関してもパーツ同様にこの基地で保管してもらって、既存の長刀と突撃砲を使いたいと思います。流石に兵装は代替が利かないでしょうし、新規生産となるとコストの面でどうしても悪手でしょうから」

「それもそうね。ならそっちのほうも手配しておくわ」

「お願いします」

 

夕呼と武の長い話にようやく一区切りがついた。

それ故なのか、武が夕呼にとって驚きの発言をかました。

 

「これでやっと八咫烏で、全力で戦うことが出来るようになります」

 

武の発言に夕呼が目を見開く。

 

「……あんた、基地襲撃の時のアレ、全力じゃなかったって言うの?」

「各部に負担をかけないように戦うの大変でしたよ、ホント」

 

本当に大変だったと武は言うが、夕呼は心底驚いていた。

 

「――あんたやっぱりそこが知れないわね……やっぱり、ハイヴに単独突入してもらおうかしら?」

「あはは……」

 

夕呼のマジで引いたと言わんばかりの声に、武はただ苦笑いをするしかなかった――。

 



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Episode18:総戦技演習

Episode18:総戦技演習

 

 

2001年11月1日(木)

 

 

総合戦闘技術評価演習1日目。

 

ここは日本から遠く離れた南国の島。

いまでは大変貴重な立派な砂浜や、南国特有の木と、そして広大な鬱蒼としたジャングルが島全体を覆っていた。

平和な世界なら、きっとリゾート地として栄えているだろう。

そんな島に今、207B訓練小隊はやってきていた。

理由は勿論、バカンスなどではない。

訓練課程の前半の締め括りに当たる、総合戦闘技術評価演習、通称:総戦技演習を受けるためだった。

これに合格せねば、戦術機に乗るなど夢のまた夢である。

総戦技演習は、そんな衛士になるための体力、知力、判断力、精神力などさまざまなものが試される場である。

非常に過酷な試練である。

 

皆、この日のために準備し訓練を重ねてきた。

それ故に、皆の表情は険しく緊張している。

彼女たちにとっては2回目となる総戦技演習だ。

またこれに落ちてしまえば、もう衛士となる夢は完全に断たれると言ってよい。

しかし不思議と彼女たちの心には、自信があった。

皆を代表して冥夜は思う。

 

(僅かな期間ではあったが、白銀少佐の厳しい訓練に耐えたのは何のためだったのか。そして昨日、私たちは真の意味で仲間となった。その私たちに、超えられないものなどないはずだ。私たちは合格せねばなるまい。白銀少佐の想いに……期待に応えるためにも)

 

昨日、彼女たちは互いの思いを全て打ち明けて、真の意味での仲間となった。

それ故に超えられない壁などない、と皆がそう思っていた。

特に冥夜の場合、武の真意に気づき始めていた。

総戦技演習目前にも拘わらず、物思いに耽っていた冥夜の意識は、まりもの一言で現実へと引き戻された。

 

「――ではこれより、総合戦闘技術評価演習を開始する。だがその前に……」

 

まりもの言葉に皆がなんだろう、と思った。

 

「白銀少佐より、貴様ら宛てに伝言を預かっている」

 

皆が少し驚きの表情に駆られる。

あの白銀少佐からの伝言とはなんだろうか、と皆が不思議に思った。

 

「伝言……ですか?」

 

まりもは、ポケットから1枚の用紙を取り出した。

それを広げ読み始めた。

 

「今までの俺の厳しい訓練ご苦労だった。今日の総戦技術演習は、それらの集大成を示す場だ。俺からこの様な言葉を聞かされるのは不本意かもしれないが、敢えて言わせて貰う。必ず合格してこい。俺は貴様らを信じ、次の戦術機課程で貴様らを待っている」

「「「ッ!?」」」

 

皆が再び驚く。

あの白銀少佐が、自分たちにエールを送ってくれたということに。

しかし、一部の者は不思議と納得もしていた。

武の真意に、武の心根が優しさであることに気づき始めていたからだ。

 

まりもは全員向けの伝言を言うと、そこで一端言葉を区切り、次に個々に向けたメッセージを読み上げ始めた。

 

「榊!」

「はい!」

 

呼ばれた千鶴が一歩前に出た。

 

「榊訓練生へ――貴様がこの部隊の分隊長だ。以前の俺の話を覚えていてもらえれば幸いだ。いいか榊。道は常に二者択一(オルタネイティヴ)ではないぞ。指揮官とは、時に全てを背負う覚悟がいる。だが、それを理解したうえで、お前が目指すものを勝ち取って見せろ。指揮官とはそういうモノだ――以上だ」

「はい!」

 

不思議と千鶴の目頭には涙が溜まっていた。

 

「次。御剣!」

「はっ!」

 

千鶴が一歩下がり、冥夜が一歩前に出る。

 

「御剣訓練生へ――貴様がこの部隊では、副隊長的立ち位置にいる。榊を存分にフォローしてやれ。貴様にも色々なしがらみがあるだろう。だが、お前の人生はお前のものだ。何物にも縛られる必要はない。貴様が信じたいと思う道を進めばいい――以上だ」

「はっ!」

 

冥夜は己の拳を強く握りしめ、武への想いを新たにした。

 

「次。珠瀬!」

「はい!」

 

冥夜が一歩下がり、たまが一歩前に出る。

 

「珠瀬訓練生へ――貴様の射撃能力は極東一だ。それは俺が保証しよう。今まで色んなスナイパーを見てきたが、貴様以上の奴はそうみたことはない。そのことに自信を持て。貴様がまず、一番大事にするべきことは、自分自身を信じることだ。自分を信じ、標的のど真ん中をいつも射抜いている自分を想像していろ。そうすればきっと道は開ける――以上だ」

「はい!」

 

たまも拳を握りしめ、一歩下がった。

 

「次。彩峰!」

「……はい」

 

彩峰が一歩前に出た。

 

「彩峰訓練生へ――今回の演習は、起伏の激しいジャングルだ。貴様の身体能力が大いに役立つだろう。そのことにチームは期待し、貴様の力を信頼している。その信頼に応えて見せろ。いいか、貴様は1人なんかじゃない。大切な仲間と共にそこにいるんだ。後は屋上での俺の言葉を忘れていなければ幸いだ――以上だ」

「……」

 

彩峰は特にアクションを起こさなかった。

しかし、まりもと隣にいた鎧衣だけは気づいていた。

その背筋が少しばかりこわばったことに。

 

「次。鎧衣!」

「はい!」

 

彩峰が下がり、美琴が前に出た。

 

「鎧衣訓練生へ――今回の演習では、貴様のサバイバル技術が存分に発揮されることだろう。その力は部隊全員を救うだけの力がある。自分を信じ、やれるだけやってみせろ。だが、貴様の欠点として時々周りが見えていないことがある。そのことに注意して、常に自分のまわり、仲間たち、自分自身に気を配っていろ――以上だ」

「はい!」

 

美琴は武の時々見せる優しさに気づいていた。その武からの言葉を、美琴は心に刻んで一歩下がった。

 

「以上が白銀少佐からの伝言だ……まぁ、色々と思うところはあるだろう。だがまずは目先の問題だ」

 

皆色々と考えていたようで、何も語らず顔を伏せていたが、まりもの一言で皆の顔が上がる。

 

「よし、では時間だな。これが今回の任務の内容だ」

「命令書、受領致しました」

 

皆気持ちを切り替え、総戦技演習に臨む。

 

なお、今回夕呼はこの総戦技演習についてきてはいない。

それ故に、命令書を渡すのはまりもの役目となっていた。

 

(私にビーチパラソルとか用意させたくせに……夕呼は一体何を考えているの?それに白銀少佐も同行されていない。少佐は彼女たち207Bが総戦技演習を突破すると信じて疑わないかのようだった……無論、私も信じているけど……)

 

まりもは武と夕呼の真意を測りかねていた。

 

本作戦は、戦闘中、戦術機を破棄せざるを得なくなり、強化外骨格も使用不能という状況下で、いかにして戦闘区域から脱出するかを想定したものであった。

従って、脱出が第1優先目的となる。

また行動中、地図中に記載された目標の破壊と、後方攪乱を第2目的としていた。

破壊対象となる場所は、全部で3カ所。

作戦時間内、つまり144時間以内であれば、その方法は問われない。

だが、破壊対象は全部島の端。

当然、全員で全部を回るわけにはいかなかった。

そして今回の総戦技演習最大の目玉は、開始から96時間後に、追撃部隊が随時迫りくるとのことだった。

そしてその追撃部隊を躱して、本作戦は144時間後に、所定ポイントの回収機の離陸をもって完了するものとする、という内容だった。

 

「ではこれより、総合戦闘技術評価演習を開始する!」

 

まりもとの時計合わせのあと、この一言により総合戦闘技術評価演習が開始された。

 

まりもの一言で総戦技演習が開始された後、207Bの面々はまず一堂に会した。

そして、大した情報が書かれていない白地図を見ながら、作戦を練った。

 

「地図を見る限りだと、全員で1カ所ずつ回る余裕はないね」

 

前述のように、破壊対象は全て島の端にそれぞれ分かれていた。

美琴の言うように、全員で1カ所ずつ回る余裕はなかった。

それ故に、幾つかの組に分かれるのが得策だという結論に至る。

 

「3組に分かれましょう」

「編成はどうするのだ?」

 

千鶴の提案に冥夜すぐさま反応した。

今の207Bの数は5人。

3組に分けるにしても、2、2、1という少々変わった組み合わせになってしまう。

なるべくなら全員2組としたいが、それは不可能な話だった。

 

「私と御剣、珠瀬と彩峰……そして鎧衣の3組にしようと思うんだけど……鎧衣はどうかしら?」

「今更聞く必要もないと思うが、一応理由を聞いてもよいか?」

「鎧衣のサバイバル技術は、この小隊の中でも最も長けている。それ以外に理由はないわ。それに……鎧衣を信頼しているからよ」

 

冥夜の問いに、千鶴が少し恥ずかしそうに答えた。

確かに千鶴の言う通り、この小隊の中で1番サバイバル技術に長けているのは、紛れもなく美琴だった。

総戦技演習がこのようなジャングルであるからこそ、この人選は妥当なものだと皆が納得した。

 

「ふっ、今更だったな」

 

御剣の言葉に皆が笑顔になった。

それだけ、この小隊では美琴のサバイバル技術が信頼されているという証でもあったし、何よりも皆が皆を信頼し始めたという証でもあった。

 

「あはは、ボクは大丈夫だよ。任せて!」

 

これで人員分けは問題なく決まった。

後は、誰がどこへ向かうかということだけだった。

話し合いの結果、たまと彩峰がA地点、美琴が単独でB地点、千鶴と冥夜がC地点を目標にすることとなった。

期限は3日目の夜までということになった。

本当は4日目の夜ということにしたかったが、回収ポイントまでの時間は多めに確保しておきたいということと、何より追撃部隊が出るとういことで、少しでも余裕をもって行動したいということでそう決まった。

 

「――じゃ、皆いい?絶対合格するのよ!」

「「「了解!」」」

 

皆が威勢のいい返事をして、一斉に動き出した。

 

皆がそれぞれの目標地点に向かって動き出した後、美琴も単独行動でジャングルへと足を踏み入れた。

慎重かつ大胆に、美琴はジャングルの中を歩いていった。

歩くといっても普通に歩くのではなく、早歩き気味で森の中を進む。

勿論、警戒は怠らない。

土が盛り上がったところ、葉っぱの陰、木の裏などを、トラップがないか慎重に確かめながら進んでいく。

そしてトラップを見つけたら、手際よく解体していった。

トラップを解体しながら進み、またトラップを解体して進む。

この作業を繰り返しながら、美琴は目標地点を目指していく。

そして、何個目か分からないトラップを解体し終えた後、立ち上がって額の汗を拭いながらこう呟いた。

 

「ふー、やっぱり1人は寂しいなぁ……」

 

と美琴は口にしたが、慌てて口を塞ぐ。

理由は音感地雷だ。

あまり声を出すと反応してしまうかもしれない。

この試験では、それらの存在も加味せねばならないのだ。

だが、寂しいというのは紛れもない本音だった。

 

(こんな時に誰か隣にいれば……あれ?なんでボク、今白銀少佐のことを思い浮かべたんだろう?)

 

美琴が、もし自分の隣にいればと思い浮かべた人物は、武だった。

あのキツイ訓練を課した武のことを、何故か美琴は思い浮かべてしまったのだ。

そこで美琴はバチンと両手で自分の顔を叩く。

 

(ダメダメ、変なこと考えない!絶対合格しないと少佐に笑われちゃう!)

 

知らず知らずのうちに、武に対する印象が変わっていることに、美琴は気づいていなかった。

そんな美琴は気合を入れ変えて、ジャングルの奥へと足を進めるのだった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月2日(金)

 

 

総合戦闘技術評価演習2日目。

 

美琴は目的の破壊対象のところへとたどり着いていた。洞窟の中にはさまざまな機材が置いてあった。

しかし、どれも使えそうになかった。

高機動車に至っては、エンジンが丸々なくなっていた。

まあ、もしあったとしてもこの辺り一帯はジャングルで、この先には道すらない。

要は使えないのだ。

燃料もあるにはあったが、中身は恐らく軽油で、ガソリンではなかった。

しかしこれで爆破するための大元は見つかった。

この洞窟を調べて分かったことと言えば、これぐらいだった。

残念ながら、脱出地点のヒントらしきものは見つからなかった。

因みに、トラップらしき類のものも見つからなかった。

 

「うーん、残念だけど使えそうなものはこのシートと、軽油くらいかなぁ。皆は目標地点にたどり着いたかなぁ?」

 

美琴はボロボロで汚いシートを持ちながら、そう呟いた。

そしてこのシートを持っていくか否か、暫し迷った。

 

「まぁ何かに使えるかな。嵩張らないし大丈夫だよね。うーん、軽油は……」

 

美琴は決断を下した。

 

「さて、爆破しようか」

 

美琴は軽油の入ったドラム缶の下で、遅延式の発火装置を作り始めた。

 

――ドカンッ!

 

ジャングルに一際大きな音が鳴り響いた。

音の衝撃で鳥たちが一斉に飛び立つ。

先ほど洞窟から、黒煙がもうもうと立ち上っていった。

その光景を美琴は、爆破地点から大分離れた崖の上から見ていた。

 

「うん。急ごしらえの遅延発火装置でも、なんとかなるもんだねー」

 

美琴は自身の結果に満足した。

これで自らがなすべきことは、半分以上終えたことになる。

また、この爆発は他の組への陽動にも役立つだろう。

美琴自身も爆破地点からかなり距離を稼いでいる。

自身の位置が特定される可能性は少ないはずだ。

特に今回は、実際の追撃部隊が用意されているという。

まだその追撃部隊が放たれる時間ではないが、注意しておいて損はない。

それに減点対象となる動きもしていないはずだと、美琴は考えた。

 

(この調子なら今日の夕方にでも、皆との集合地点にたどり着けるかなぁ。4日目から追撃部隊を気にしなきゃいけないとはいえ、案外今回は楽にクリアできるかもしれないね)

 

と美琴は油断をし始めていた。

 

「ふんふんふ~ん」

 

調子にのって鼻歌を歌い始めた。

しかしそこでハッと頭の中にある男の言葉が蘇った。

 

(あ、そうだ!お前は時々に周りが見えてないことがあるって、白銀少佐が言ってたじゃないか。ダメダメ慢心しちゃ!)

 

ふいに武の言葉を思い出し、慌てて鼻歌をやめて、今の自分の状況を確認する。

周りにおかしな雰囲気はないし、トラップの類もない。

しかし、自分がこれから歩く先に目を凝らすと、そこには何やら怪しい陰が映っていた。

美琴は細心の注意を払いながらその陰に近づく。

その正体は蛇だった。

しかも毒ではないながらも、身体を痺れさせるといった効果を持つ牙を持った蛇だった。

 

「ふー。危なかった」

 

美琴はその蛇を避けて通った。

 

(白銀少佐が仰っていたのは、こういう調子に乗ったときのことを言っていたのかなぁ。てことは全部少佐に見透かされていたってことか……ははは、少佐には叶わないなぁ)

 

美琴は武の視野の広さに感服した。

 

(そうだよね。前もこうやって試験に落ちてるんだよね……気を引き締めなきゃ!)

 

しかし、そこで再び美琴の脳内に武の言葉が蘇った。

そう、先ほどの言葉には続きがあったのだ。

曰く、そのことに注意して、常に自分のまわり、仲間たち、自分自身に気を配っていろ、ということだった。

また武の言葉を思い出した。

周りを見る、気を配る、そしてトラップなどの外的要因ではないことに美琴は気づいた。

そう武は言った、自分自身にも気を配れ、と。

 

「自分?自分……あっ!?」

 

そう言って自分の姿を見まわすと、ベルトキットが切れかかっていることに美琴は気が付いた。

最初に渡された時はそのボロさにウンザリしたが、まさかそれがこのようなときに影響するとは考えもしなかった。

 

「気づいてよかったー」

美琴は急いでベルトキットに応急処置を施した。

 

「あはは……少佐のお陰だなぁ……」

 

美琴は、遥か彼方の日本があると思われる方角を見ながら、そう呟いた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月3日(土)

 

 

総合戦闘技術評価演習3日目。

 

千鶴と冥夜の組は、夜遅くのジャングルを細心の注意を払いつつ、急ぎ足で歩いていた。

急ぎ足と言っても、音感地雷に気を付けるため、足音にも注意を払っていた。

時間は既に夜。

辺り一帯は、ジャングルの茂みによって月明りすらまともに入らず、夜という言葉以上に暗かった。

それでも、彼女たちが夜のジャングルを進む決心をしたのは、集合地点にかなり近づいていたという理由からだった。

そんな暗いジャングルの中を、千鶴と冥夜が歩いていると、奥に明かりが見えた。

 

「ん?……榊、アレを……」

 

そう言って冥夜は隣を歩いていた千鶴に声をかけた。

トラップを警戒し、足元を見ながら歩いていた千鶴は、冥夜のその声で顔を上げた。

 

「アレは……どうやら私たちより先に誰かついているのね」

 

千鶴もその明かりを確認した。

千鶴たちも、それなりに急いで集合地点に向かっていたつもりだった。

それを上回る者がいるとは流石、としか言いようがなかった。

やがて2人はその明かりに向かって歩いていくと、灯りのほうから声をかけられた。

 

「あっ!千鶴さん、冥夜さん!」

 

灯り、もとい焚火のもとにいたのは美琴だった。

 

「……鎧衣、少し明かりが漏れているぞ……30メートルほど先からでも丸見えだったぞ」

「え?あ、ごめんごめん」

 

美琴は慌てて焚火の勢いを弱めた。そんな美琴に冥夜は続けた。

 

「しかし……鎧衣、流石だな」

 

冥夜が美琴を褒めた。

それもそうだろう。

3組の中で、唯一の1人であるにもかかわらず、既に集合地点に1番乗りを果たしている。

千鶴と冥夜は、美琴のサバイバル技術の高さを改めて認識し感服した。

 

「ホントね。いつ着いたの?」

「えっと、昨日の夕方かな」

 

美琴は時計を確認せず、月の位置を確認してからそう答えた。

彼女のその答えに冥夜は自らの時計を確認すると、確かに0時を回っていた。

 

「全く、其方は……」

 

冥夜は感心を通り越して呆れかえった。

そんな冥夜をよそに、千鶴は焚火の傍に腰を下ろそうとした、その時だった。

 

「あれ~、もしかして皆揃ってる?」

 

ジャングルの草木をかき分けて、たまと彩峰が姿を現した。

 

「うん。壬姫さんたちが最後だよ」

「やるね、鎧衣」

「全員揃ったところで、早速だけど現状の把握をしましょう」

 

千鶴の声で、それぞれが自分たちの成果を報告した。

当たり前ではあるが、全員が破壊目標の破壊に成功した。

そして各自の成果として、美琴はシート、千鶴と冥夜はラペリングロープ、たまと彩峰は弾丸が1発の対物ライフル1丁と、脱出ポイントの記された地図だった。

その地図を見ると、脱出地点は島の端っこだった。

 

「うーむ。これだと地形すらまともに掴めぬな……それに明日の夜からは追撃部隊も加わる。これは相当難易度が高いぞ……」

「それでも私たちは合格するしか道はないのよ。あの白銀少佐を見返してやるためにもね……」

「……そうだな」

 

千鶴の言葉に皆が頷いた。

武を見返す。

これは各自、どんな思いを胸に秘めていたとしても、ここだけは皆の譲れない点だった。

因みに今のところ、武の真の思惑に感づいていたのは冥夜のみだった。

故に冥夜のみ、その反応は鈍かった。

 

千鶴は改めて、手に入れた脱出ポイントの記された地図を見返して言う。

 

「ここまでかなり早いペースで来ているけど、この先もペースを落とすつもりはないから、みんなそのつもりで」

 

明日の夜からは追撃部隊も出るという。

追撃部隊の足の速さ程度にもよるが、時間的余裕はあまりないと考えた方がよかった。

 

「ここからは小隊での行動になるわ。チームワークの悪さが作戦の失敗に直結する……気を付けてね」

 

チームワークの悪さ、と言ったときに、かすかに千鶴の視線が彩峰に向いたのを冥夜は見逃さなかった。

 

「了解」

「わかったよ」

「オーケーだよ」

「……」

 

彩峰のみ、何も答えなかった。

 

「……じゃぁ、さっきの班ごとにローテーションを組んで、交代で休憩と食事を取りましょう」

 

彩峰の返事がなかったことで、ほんの僅かに表情に影を落とした千鶴だったが、特に何も言うことなく、次の指示を出した。

 

「じゃぁ僕が番をするから、皆先に食事とりなよ」

「承知した。頼んだぞ、鎧衣」

 

美琴の提案を皆が受け入れ、焚火を離れて周囲の食用キノコや木の実、生き物を探しに散っていった。

そんな中、焚火の前から彩峰は直ぐには動かなかった。

 

「慧さん?」

 

美琴が不審そうに声を掛けた。

すると……。

 

「……了解」

 

物凄く小さな声でこう呟いた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「……ねぇ、どうするの?」

「「「……」」」

 

美琴の問いに、207Bの面々はただ沈黙するしかなかった。

あれから僅かな睡眠を取り、早朝に動き出した彼女たちは、順調に移動を開始した。

勿論、目指す先は地図に記された脱出ポイントだった。

そう移動は順調だったのだ。

つい今し方までは。

彼女たちの行く手を阻んだのは川だった。

そこで先ほどの美琴の問いに戻る。

 

当初、207Bの面々は彩峰の身体能力を以てして川にロープを渡し、全員が川を渡り切った。そしてその後、直ぐにロープを回収する手はずだったのだが、ここで問題が発生した。

突然スコール、つまりは大雨が降り始めたのだった。

あっという間に水かさは増し、ロープの回収は不可能な状況になる。

ここでロープの是非を巡り、部隊内で意見が割れたのだ。

千鶴と美琴は、ライフルを使ってロープの結び目を狙撃して、ロープを回収しようという。

207Bには東洋随一のスナイパーのたまがいる。

ロープの結び目の狙撃など容易いことだろう。

逆に冥夜とたまは、ここでライフルを使うべきではないと主張した。

冥夜は、ロープはツルなどで代用できるが、ライフルの弾は替えがきかないと主張した。

確かにこの意見も一理あった。

しかしそこで美琴が反論する。

ツルなどではロープに比べて耐久力に不安が残る。また十分な長さが得られるかも分からない。

ロープの方が安心出来ると言うのである。

これも一理あった。

彩峰のみ、自身の意見を口にしなかった。

結局意見は一向に纏まらなかった。

 

そんな中、彩峰は横目でチラリと千鶴の顔を覗き見た。

そこにあったのは、真剣な表情でなにかを必死に考えている千鶴の顔。

空の様子と川の様子、そして貼られたロープをなんども見比べながら何かをブツブツと呟いていた。

そこでふと彩峰はつい先日、武から言われた言葉を思い出した。

 

(榊はな、徴兵免除を蹴って軍人になったんだ)

 

彩峰は今まで千鶴のことをお嬢様、としか見ていなかった。

そして彩峰は思う。

 

(私の……父さんの……言葉を聞いたときの、返事……)

 

そう……人は、国のためにできることを成すべきである。そして国は、人のためにできることを成すべきである……という言葉を聞いた千鶴は、これをいい言葉と言ったという。

彩峰は悩んだ。

こんなことならもっと早く悩んで、悩みを断ち切れば良かったと思った。

 

(父さん……私は……)

 

皆の意見交換を横目に、彩峰は1人物思いに耽った。

そして遂にその時はやってきた。

 

「彩峰、其方は何かないか?」

「え?」

 

彩峰が考えに没頭している間に、冥夜が意見を求めてきた。

今まで彩峰は、自分の立場を明確にしていなかった。

皆の顔が彩峰の方を向いていた。

千鶴もそうだった。

目が互いにあった時、彼女は何かを言おうとしてためらい、結局口を閉ざした。

彩峰は迷った。

誰の意見に賛同すべきだろうか。

それとも何か新しい意見を言うべきなんだろうかと。

しかし考えは一向に纏まらない。

そこで再び思い出されたのが武の言葉だった。

 

(そんな榊を……分隊長を信じやれ)

 

武の言葉を自らの心の中で承服した。

彩峰はもう一度千鶴を見た。

彼女は彩峰の発言を待っているようで、彩峰から視線を外さなかった。

 

(私は……私は……)

 

やがて、ゆっくりと彩峰は口を開いた。

 

「――分隊長の指示に従う」

「「「ッ!?」」」

「……え?」

 

冥夜たちが驚きの表情を作る中、千鶴は呆けた声を出した。

彩峰から聞こえた声が、よく理解出来なかったからだ。

今、彼女はなんと言ったのだ。

 

(……うそ、でしょ?)

 

今まで何度も千鶴の命令を無視してきた彩峰なのだ。

この部隊内においては犬猿の仲である。

それは周知の事実だし、互いにそれも自覚している。

その彩峰が今、なんと言ったのだ。

千鶴はとても信じられない、と言うような目で彼女を見た。

すると彩峰は、そんな千鶴のことをまっすぐに見ていた。

目をそらさなかった。

これで千鶴は確信することとなる。

彩峰のこの言葉は本物だと。

ここで千鶴は武からの言葉を思い出した。

 

(彩峰もな、色んなものを心に秘め、背負い、そして迷って闘っているわけだな。そこのところも少しは理解してはやれないか?)

 

そこで千鶴は予測した。

 

(恐らく白銀少佐が何か話したのね……)

 

千鶴は心底武に感服した。

彩峰に、何らかの心境の変化を与えるだけの言葉の力を、彼は持っているのだと。

やはり自分は白銀少佐には叶わない。

あの人は嫌な上官ではない、立派な上官なのだと、千鶴の心境に変化をもたらしていた。

再び武の言葉が千鶴の心中に蘇る。

 

(いいか榊。道は常に二者択一(オルタネイティヴ)ではないぞ。指揮官とは時に全てを背負う覚悟がいる。だがそれを理解した上で、お前が目指すものを勝ち取って見せろ。指揮官とはそういうモノだ)

 

暫く無言の状態が207Bの面々を支配した。

皆一様に千鶴を見ていた。

分隊長の判断を待っていたのだ。

それに気付いているからこそ、千鶴は熟考した。

そして、結論を出した。

 

「雨がやむのを待ちましょう」

「「「えっ!?」」」

 

千鶴の決断に、彩峰以外の3人が驚きの声を上げた。

 

「これはスコールよ。あと、数時間で上がるはずよ。ここはロープとライフルの両方を温存する方向で行きたいと思うの」

 

千鶴のその決断に、即座に冥夜が反論した。

 

「……しかし、それはいささか運任せではないか?それに明日には追撃部隊も出る。ここで時間を無駄に浪費するのは得策ではないと考えるが……」

「任務を遂行する上で運を味方につけることは重要だと思うわ。それに御剣の言う通りではあるとは思うけど、そこから生まれる焦りこそが、何よりあってはならないものだと思うの」

 

千鶴の言葉に冥夜が押し黙ってしまった。そんな中で言葉を発したのは、以外にも彩峰だった。

 

「私は……分隊長の指示に従う」

 

真っ先に賛同の意を表した彩峰を皆が見た。

そして皆が千鶴と彩峰を交互に見た。

そして暫くの後、意を決した冥夜が口を開いた。

 

「……そうだな。私も榊の指示に従おう」

「ボクも!」

「わ、私もです!」

 

冥夜を皮切りに、皆が千鶴の判断に賛同した。

そんな彼女たちに千鶴は礼を言った。

 

「皆、ありがとう――じゃぁ、彩峰は雨が止んで川の増水が引き次第、ロープを回収。歩哨は20分交代で周囲の警戒に与りましょう」

「「「了解!」」」

 

3人が威勢よく千鶴に返答した。そして一呼吸おいて彩峰も。

 

「……了解」

 

と声を出した。

 

そして2時間後、事は動いた。

 

「あ……!」

「雨、止んだね」

 

千鶴が決断してから2時間で雨は止んだ。川の様子から察するに、1時間ほどあれば川の増水も収まるだろう。

 

(回収作業を入れて、約4時間ほどか……決断を下したのは私とはいえ、こんなに事態が好転するなんてね……)

 

決断を下して張本人も正直驚いていた。

 

「私の出番?」

 

彩峰が千鶴に向かって聞く。

 

「え、ええ。流れが弱くなったら頼むわ」

 

そんなところへ冥夜が口を開いた。

 

「どうやら、天がそなたに味方したようだな」

 

後ろから冥夜が声をかけてくる。

そんな中、千鶴はこう思っていた。

 

(天なんてそんな大袈裟なモノじゃない……白銀少佐の言葉があったからこそ、私はこの決断を下せた――いえ、そしてその意見を支持してくれた皆のお陰よ……)

 

そんな千鶴とは裏腹に皆、移動に備えて固まった身体をほぐそうと屈伸運動や背中を伸ばしたりしていた。

皆その眼は川に向いており、誰一人千鶴の方を向いてはいなかった。

そんな皆の背中に向かって言った。

 

「皆、ありがとう……」

 

しかしその小さすぎる言葉は誰にも聞こえることはなかった。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月4日(日)

 

 

総合戦闘技術評価演習4日目。

 

「……あれが脱出ポイントかしら?」

 

ジャングルの木の隙間から、千鶴は殆ど情報が記載されていない白地図と位置情報を照らし合わせながらそう呟いた。

千鶴はヘリポートらしき場所を指す。

冥夜も千鶴が指した方向を見た。

 

「地図にある印の位置が間違っていなければな」

 

だが、恐らくあそこが正解だということは、周囲の岩が沢山ある中で整然と整理されたヘリポートからも想像がついた。

あそこに回収ヘリがやってくるのだろう。

彼女たちは行動を開始した。

 

やがて1時間ほどで207Bの面々はジャングルを抜け、目標のヘリポートまでやってきた。

 

「なんとか追撃部隊に補足される前にたどり着けたな」

 

冥夜のその言葉に皆が安堵と喜びの表情を浮かべた。

 

「4日目でクリアとは快挙だね!」

「ホント。こんなに早くつけるなんて思わなかったわ」

「これで私たちも戦術機だね!」

 

皆の心底嬉しそうな表情をしていた。

あの彩峰ですら、口に薄く笑みを浮かべていた。

たまの一言が彼女たちの全てを物語っていた。

これでようやく次の衛士課程へ進めると、念願の戦術機に搭乗することが叶うのだということだった。

 

ヘリポート一帯を見渡すと、端に箱があった。それを開けて中身を確認すると、そこには2本の発煙筒が用意されていた。

 

(ヘリが未だに来ないところを見ると、これを使ってヘリを呼ぶのだろうが……追撃部隊に位置を悟られたりはしないだろうか……いや、流石に考え過ぎか?)

 

冥夜は少し迷ったが、炊かないことには合格にはならない。

 

「発煙筒を見つけたぞ。私が炊こう」

「ええ、頼むわ」

 

冥夜は発煙筒を手にし、それを炊いた。

そして両手を広げて大きく振る。

暫くして遠くからヘリが飛んできた。

皆が再び、安堵と喜びの表情を浮かべていた。

これで合格出来ると、誰しもがそう思った。

その時だった――。

 

(なんだ!?)

 

冥夜はその背筋が凍りつくような悪寒を感じた。

彼女の第6感が危険を告げていた。

発煙筒を振る手を止め、咄嗟に周囲を確認する。

 

「どうしたの御剣?」

 

冥夜のただならぬ様子に、千鶴が声をかけた。

だがその声は冥夜の耳に届いていなかった。

必死に辺りを見回して状況を確認する。

 

(この感覚!師匠との訓練の時に感じたものと同じだ!)

 

そうして周囲を確認する冥夜だったが、すると突然彼女の目の前の地面が爆ぜた。

 

「なっ!?」

 

続いて聞こえてくるのは連続した銃声。

明らかに機銃の掃射音だった。

 

「皆下がれ!」

 

無我夢中で叫んだ。

そして自身も凄まじい勢いで後退する。

周囲のコンクリートが機銃の弾丸によってどんどん破壊されていく。

これだけの威力は、1発食らえば致命傷になり兼ねないのは明白だった。

冥夜たちは必死に弾幕の中を走り抜けて、無事岩陰に隠れることに成功した。その後も暫く機銃の射撃は続いていたが、やがて音は小さくなっていった。

 

「間一髪だったね……それにしてもよく冥夜さん気づいたね」

 

岩陰に隠れながら、美琴が感心したような声を上げた。

 

「ただの勘働きだ。それよりも、もう追撃部隊が追いついたということだろうか?」

 

冥夜の疑問の声に、千鶴は計りかねたような表情をしていた。

すると岩陰から半身を晒していたたまが口を開いた。

 

「あそこの半島に砲台があるみたい!あそこから砲撃してたよ!」

 

そういってある方向を指すたま。

 

「まさか、生きていた砲台がまだあったとはな……」

 

そしてそこで通信機に着信があった。

相手はまりもだった。

曰く、予定外の出来事で、北東の位置にある砲台が稼働していたとのこと。

自立制御のため、まりも側からの制御は不可能。

そのため別の脱出ポイントを設定するとのことだった。

場所は砲台の裏側だった。

元の回収地点からだと中々の距離だった。

 

(これを考えたのは白銀少佐か……或いは香月博士か……)

 

どちらにせよ、再び新たな回収地点を目指して進まなければならなかった。

 

「あっ!……彩峰さん、ライフル貸して!スコープで覗いてみる!」

「……はい」

 

その時たまが何かに気づいたようで、彩峰が背負っていたライフルを借りていた。

 

「岬の先にレドームっぽい建物が見えるよ」

「ホント?だとしたらそれが砲台のレーダーである可能性が高いわね。珠瀬さん、あのレドーム……この位置から破壊できそう?」

 

千鶴の問いにたまは答える

 

「うん!十分射程範囲内だよ。この距離からなら、確実に狙えるしね」

 

しかしその表情には微妙な変化が読み取れた。

自信満々というわけではなさそうだった。

 

「なら珠瀬さん、狙撃してもらっていいかしら?」

「確かに珠瀬の腕ならそれも可能だろう。それにこれ以上ライフルを持っての移動に、益があるようには思えないしな」

 

冥夜の言う通りだった。

そしてこの判断が、207Bの総戦技演習に思わぬ光明をもたらすこととなる。

 

「分かった。やってみる」

「レドームの上を狙って。あのタイプは、そこに索敵レーダーが入ってるはずだから」

「私たちは周囲を警戒しましょう。今ので、追撃部隊がせまってきている可能性も十分あり得るわ」

 

この一言があがり症のたまにとって、何よりの救いであったことを千鶴は知る由もなかった。

たまがプローンで構えて狙撃体制に入った。

 

「…………っ」

 

たまはタイミングを計った。

 

「――っ」

 

――ズドンッ!

対物ライフルの大きな狙撃音と共に、レドームの上部が吹き飛んだ。

 

「――目標破壊!」

「さすが珠瀬ね!」

 

皆がたまを褒め称えた。

 

「砲台が沈黙したかどうか試してみようよ……慧さん、冥夜さん、手伝って!」

「「了解」」

 

美琴と冥夜、そして彩峰がヘリポート上に移動し、砲台が沈黙したかどうか慎重に確認した。

そして砲台が完全に沈黙していることを確認した。

 

「どうやら砲台のレーダーはあれ1つだけ見たい」

「そう、ならこれで次の脱出ポイントまでは楽に進めるわね。追撃部隊の心配もあるから最短コースで行きましょう」

「……賛成」

 

千鶴の言葉に彩峰が賛同の意を表した。

 

「このライフルどうしようか……」

「捨てるしかないだろうが……このままここに置いておくのも痕跡を残すだけとなるだろうな」

「確かにそうね……でもだからといって持っていくのは愚の骨頂よ」

 

確かにその通りだった。

しかしそこで思わぬ人物が、思わぬ方法を口にした。

 

「……だったら、海に捨てれば?」

 

彩峰の言葉に皆がハッとした。

その手があったかと。

 

「そうだな……それがよかろう」

「なら、ボクが捨ててくるよ。壬姫さん、ライフル貸して」

「お願いね、鎧衣」

 

美琴はたまからライフル受け取り、海に投棄するためヘリポート脇の崖を下っていった。

 

暫くして美琴が戻ってきた。

 

「ねぇねぇ、皆聞いて。崖の下にボートが置いてあったよ」

 

美琴の報告に千鶴の目が見開いた。

 

「それは……本当なの?」

「うん。ただ燃料はなかったんだけど……えへへ」

「ん?どうした、鎧衣?」

 

突然恥ずかしそうに笑いだした美琴に、冥夜が問う。

 

「実はボクの破壊地点に軽油がいっぱいあって……空っぽの水筒が落ちてたからそこに軽油をいれてもってきたんんだ……」

「なんと……!?」

「荷物が増えるだけなのによくそんな判断が出来たわね」

 

冥夜と千鶴が驚きの声を上げる。

たまも無論驚いており、彩峰も珍しく本気で驚いたようで目を見開いていた。

 

「白銀少佐がね……使えるモノは何でも使えって言ってたのを思い出してね。賭けだったんだけど、いい方向に向いてくれてよかったよぉ」

 

武のお陰だという美琴の声に、皆が美琴の取った行動は勿論のこと、武の1つ1つの言葉の重さに感服した。

 

「いずれにしても、これで一気に脱出ポイントまで迎えるというわけだな?」

「そうね……ここは鎧衣さんの機転に感謝しましょう」

 

皆がボートに乗り、脱出ポイントまで一気に向かった。

 

途中、20メートル近くある断崖絶壁を登るという事態はあったものの、皆が無事絶壁を登り切ることに成功した。

彩峰がここでも活躍した。

ロープを背負ってフリークライムをし、皆が無事に登るための足掛かりを作ったのだった。

 

そして遂に彼女たちは再指定された脱出ポイント、回収地点に到着することが出来た。

 

「状況終了!207B分隊集合!」

 

そこにいたのはまりもだった。

 

「只今を以て、総合戦闘技術評価演習を終了する。ご苦労だった」

 

遂に終わった、というのが207B皆の素直な気持ちだった。

皆が安堵の笑みを浮かべたときだった。

 

「評価訓練の結果を伝える」

 

え?と皆が思った。

この場所に来れば合格ではないのか、と。

 

「敵施設の破壊とその方法、鹵獲物資の有効活用……何れも及第点と言える。また、最大の障害と言える岬の砲台を、短時間で無力化した手際は、賞賛に値する。しかも最後にボートを発見・活用し、我々が事前に想定した最短ルートを取ったことも、特筆すべき点だろう」

 

淡々と評価を述べるまりも。

 

「しかし……」

 

そこで表情が変わった。

 

「鎧衣は基地襲撃を日中に行ったな……なぜセオリーである夜明け前を選ばなかった?」

「え?それは……」

 

指摘された美琴がたじろぐ。

まさか、そのような点で減点されるとは夢にも思わなかった一同であった。

 

「周囲の地形を日中に確認してから、夜間に襲撃することもできたのではないか?敵施設を迂回することもできたな?」

 

まりもの言葉に誰もが反論出来なかった。

 

「そして最も致命的なのは……白昼の海上横断と崖の登攀。回収機の飛行ルートから、砲台のセンサーがひとつしかないことを判断したまではよかったが……もし別の追撃部隊がいたら、いい標的になっていただろう。時間的余裕がある状況で取るべき選択ではなかったな……この減点は決して小さくはないぞ」

 

まりもの指摘に段々と表情に影を落としていく面々。

だがそんな彼女たちを見て、まりもは笑った。

 

「ふっ……そのような沈んだ顔をするな。今日はめでたい日なのだからな」

「「「えっ!?」」」

 

まりもは穏やかな表情で笑っていた。

 

「おめでとう……貴様らはこの評価演習をパスした!」

 

だが、その言葉に歓声は上がらなかった。

 

「……えっ……でも……それだけの重大なミスを……」

「榊、この演習の第1優先目的はなんだ?」

「脱出……です」

 

千鶴の返答にまりもは淡々と答える。

 

「実戦に於いて、計画通り事態が推移することなど希だ。それゆえ、タイミングや運と言った要素も重要になる。それらすべてを味方につけ、結果として目的を達成すれば、それが正しい判断だった、ということになる」

 

皆が思う。

あの時、川で千鶴の言っていたことは正しかったのか、と。

 

「セオリーはセオリーでしかない。結果として、貴様らを狙える位置に追撃部隊は存在しなかったし、砲台のセンサーもひとつしかなかった。そして貴様らは、全員脱出に成功した……違うか?」

「……いえ……」

 

答えた榊の声はかすかに霞んでいた。

眼尻には涙をためている。

他の者たちも同じような表情をしていた。

 

「……や、や、や……」

 

その次こそ、本当の歓声が上がった。

 

「やったー!」

「これで戦術機だね!」

「……1歩前進」

 

皆が思い思いの言葉を発する。

これで彼女たちは戦術機課程に1歩、その歩みを進めたこととなった。

 

「ここまでよく頑張ったな」

「……はい!」

 

まりものその言葉で千鶴が涙を流し始めた。

たまもつられて泣いた。

その涙が地面に落ちて、いくつもの跡をつくるのだった。

そうだ、彼女たちは遂に、念願の総合戦闘技術評価演習を突破したのだった。

皆がそれを身に染みて実感していた――。

 



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Episode19:武の思惑

Episode19:武の思惑

 

 

2001年11月4日(日)11:37

 

 

横浜基地の16番格納庫に武の姿はあった。

 

「白銀少佐、吹雪5機、搬入作業完了しました!」

「あぁ、ご苦労さん。では、機体のチェック作業に移ってくれ。あと、部品数の確認も怠るなよ」

「了解!」

 

武は今、冥夜たち訓練兵が使う5機の吹雪の搬入作業を監督していた。

何故武がそのようなことをしているのかと言うと……あんたの無茶に答えて、1機の吹雪の搬入を急かせたんだから、残りの5機もあんたが面倒見なさい……と夕呼に言われたせいである。

実は、夕呼が発注した吹雪は6機あった。

しかし、そのうちの1機を武の都合に合わせて色々と改造してもらっているにも関わらず、搬入を他の5機と同じく急いでもらった経緯があり、嫌とは言えなかったのである。

因みにこの1機の吹雪の用途は、この後に判明することになる。

 

まぁその様な経緯があり、武は5機の吹雪の監督作業をする羽目になったのである。

武はピアティフの助けを借りながら、ここ数日、搬入作業の陣頭指揮を取っていた。

作業がひと段落したことで、武は横にいるピアティフに声を掛けた。

 

「ピアティフ中尉、ここ数日、手伝ってもらって悪かったな」

「いえ、少佐。お気になさらず」

 

武の礼に、ピアティフは笑って答えた。

 

「いや、レディにこんな作業を手伝わせてしまったんだ。何か礼をさせてほしい」

 

武の引かない姿勢を感じ取ったのか、或いは冗談のつもりだったのか、ピアティフは顎に手を当てて考え込む。

 

「うーん、そうですね……では、今度高級なディナーでも」

「あぁ、喜んでご馳走しよう」

「ええ、期待して待ってます」

 

ピアティフは敬礼しながらそう言うと、格納庫を後にした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

場所は変わり、夕呼の執務室。

そこで武は夕呼から、207B訓練小隊の総合戦闘技術評価演習の結果を聞いた。

 

「そうですか……合格しましたか」

 

武は安堵したようにそう呟いた。

 

「ええ。さっきまりもから連絡を受けたわ。4日目での合格は史上最短記録ね。各評価項目もまずまず。特に連携の分野は格段の改善が見られる。あんたが裏で色々と動いたお陰かしらね」

「俺は大したことはしていませんよ。アイツらが本来の実力を見せてくれただけです――取り敢えず、無事これで計画を第2段階に進められますね」

「――まぁ、今はそういうことにしておきましょう。そうね、これであんたの計画も一歩前進ね」

「オルタネイティヴⅣも、ですね」

 

武の計画は、207Bの総戦技演習合格を以て、次のステップへと足を進めることになる。

厳密に言えば、11月11日のBETA新潟上陸が済んだ後、ということになるがそれはまた別のお話。

 

「あぁ、そうそう。00ユニットの件だけど、今素体を作ってる最中よ。近日中には完成する見込みよ」

「エレナの方はどうですか?」

「社のリーディングとあんたの記憶から、容姿の方は問題なし。ただ、あんたの言ってた強化素体の方は再現不可能ね」

「まぁ、それは仕方ないですよ。なんでそのデータを、あの夕呼先生が残してくれなかったのかは、疑問が残りますが……」

 

強化素体というのは、武の前の世界の00ユニット改のことである。

エレナは、00ユニット:No2だが、ただ単に2番目の00ユニットという訳ではない。

エレナの、というよりエレナの00ユニットの素体は、00ユニット:No1である鑑純夏の素体より強化されたものである。

その違いは、内部に簡易ODL浄化装置を装備し、3日が限界であった00ユニットの稼働時間を、1週間にアップさせている。

また感情の保存という機能も有しており、純夏の00ユニット素体とは一線を画した、新たな00ユニットの素体となっていた。

それとは他に女としての機能(・・・・・・・)も格段に良くなっていた。

しかし、その00ユニット改の素体データは、残念ながら武が持ち込んだ記憶媒体の中には存在しなかった。

 

「……まぁ、理由は何となく分かるわ。向こうのあたしが今のあたしに課した、一種の試練みたいなものなんでしょうね」

「試練、ですか?」

 

夕呼の言葉に武が首を傾げる。

 

「ええ。少しは自分の力でどうにかしてみろ、ってことなんじゃないの?」

「あはは。確かにあっちの夕呼先生らしいですね……」

 

武は視線を上げ、遥か遠いところを見つめ始めた。

それを見た夕呼は思う。

またこれだ、と。

 

(白銀のこの目……今を生きているこの世界を見ていない。そう、これは単に思い出しているだけの目じゃない。今を生きていながら、今を見ていないこの感じ――そんなに向こうの世界が気になるのかしら?それとも……)

 

既に夕呼は武のことを信頼している。

いや信頼できるパートナーとして見ている。

僅か2週間ばかりではあるが、夕呼は武の心とその行動、信念を見て信頼できる人物だと判断した。

それ以前に、彼がもたらしたモノの効果が絶大過ぎた。

それだけ夕呼にとって、いやこの世界にとって、この白銀武という男の存在は大きくなっていたのだった。

無論、夕呼個人にとっても、この武の存在は日に日に大きくなりつつあった。

歳下は性別認識圏外だが、実際はループを重ねているせいで実年齢は40歳相当である。

 

兎も角、夕呼は武の時々見せるその目が気に食わなかったが、敢えて今は何も言わない。

言ってはいけないような、そんな気がしたからだった。

 

「何れせよ、今のこの状況は、あんたと並行世界のあたしの手の内ってことなのかしらね」

「よして下さいよ。俺が夕呼先生に叶う訳ないじゃないですか――ところで鎧衣課長の訪問は、確か明後日でしたよね?」

「ええ。そこにあたしは参加しないから任せるわよ」

「了解です」

 

それから幾ばくかの言葉を交わし、武は夕呼の元を離れた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月5日(月)

 

 

場所は戦術機ハンガー。

そこに帝国斯衛軍所属・月詠真那中尉の姿があった。

 

「月詠中尉」

 

ハンガーに佇む真那に対し、武が声をかける。

 

「私を呼び出すということは、それなりの理由があっての事だろうな?シロガネタケル」

 

真那は不機嫌そうに目を細め、睨むような目つきで武の呼び掛けに応じた。

神代、巴、戎の3人も後ろに控えている。

3人もひっきりなしに、武のことを睨んでいた。

 

「ええ。人類の今後を左右する重要な案件ですよ」

「なんだと……?」

 

武から発せられた言葉に、真那は目を細めた。

後ろの3人もまた同様だった。

 

「それで肝心の用事なんですが、月詠中尉に模擬戦をしてもらいたいんです」

「模擬戦……だと?」

「ええ」

 

真那は、まるで意味が分からないというような表情をした。

またしても後ろの3人も、同様の反応をする。

武は思う。

 

(まるで訓練されたかのような連携だな……まぁ上官である月詠さんに、絶対の忠誠を誓っているのは分けるけど、見事に表情が被るもんだな)

 

武は少し感心した。

 

「ふん。それが何故、人類の今後を左右するというのだ?」

「それはまだ明かせません。ネタを知らない……いえ、事情を知らない純粋な感想も聞きたいですしね」

 

武は伝わらないであろうネタという単語を、即座に修正した。

事情という単語に、真那は少々考え込む。

 

(事情……ということは、何か仕掛けがあるということか?……ふん、姑息なことだ)

 

そこまで思って、真那は武の目を見た。

その目が、少なからず真剣であったことに彼女は驚く。

真那は目を再び細めて武を見る。

今度は睨みなどではなく、その真意を図ろうとしてのことであった。

武は続ける。

 

「どうです?やってみませんか?月詠中尉にとっても良い経験になると思いますよ」

 

武の言葉に真那はどう思ったのか、仕方なしという風に返答した。

 

「我らは国連軍に宿借りしている身だ。そちらからの要望を無下にすることは出来ん。それに貴様は一応上官でもあるのだ」

 

それが真那の出した結論であった。

 

「それに……」

「?……それに、なんです?」

 

真那は何かを言いかけたが、それを寸前で止めた。

 

「……何でもない。対戦相手とその想定条件は?」

「吹雪1機に対して、武御雷4機の市街戦です」

 

武の出した条件に、真那は驚きの表情を見せた。

最早後ろの3人については言うまでもない。

 

「なんだと?……貴様、我らを愚弄するのか?」

「いいえ、真っ当な条件だと思いますよ――事情を知れば、ですがね」

 

真那は武の目を睨みつけるが、武は全く動じずに、その眼を視線も逸らさず見つめ返してきた。

 

「……良かろう」

 

そう低い声で真那は了承すると、強化装備に着替えるため踵を返した。

後ろの3人もそれに続く。

 

(少なくとも奴の目は真剣だった――気に食わないのは事実だが……まぁ仕方あるまい。斯衛の実力を見せてやろう)

 

真那は気を引き締めて、吹雪との対戦にあたることにした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

そしていざ始まった模擬戦。

 

「くっ!?アレは一体なんなんだ!?」

 

武御雷の管制ブロックで真那はそう呟いた。

 

『まったくですわ!』

『くっ!?一体どうなってる!』

 

真那の呟きに戎、神代が反応する。

真那の網膜投影に映る2人の表情は、まさに苦悶といった様子で、対戦前の余裕など何処にもなかった。

 

「無駄口を叩くな、戎、神代!巴が落とされ、こちらは既に3機だ!アレ相手に無駄口を叩く余裕など、どこにもないぞ!」

 

はて……最初に無駄口を叩いたのは誰だったか。

そんなことも忘れながらも、1秒たりとも真那の武御雷を操作する手は止まらない。

右へ左へと目まぐるしく移動する、蒼穹色のそれを必死に追っていた。

 

突撃砲の発砲音が聞こえた。

撃たれた方向は分からないが、咄嗟にその突撃砲の弾を回避する。

着弾した方向から、真那はそれの位置を特定と言う名の予想をする。

音と振動からも、それがその方角にいるのはまず間違いない。

 

「敵はこの位置だ!平面機動挟撃!」

『『了解!』』

 

戎、神代に指示を飛ばし、真那自身もその場所に向かっていく。

そして予想通りの位置に、蒼穹色の国連軍仕様の吹雪がいた。

 

(これ以上、奴に翻弄されてたまるか!)

 

ようやく追いついた吹雪を目の前にして、真那はそう思った。

吹雪と帝国斯衛軍が誇る主力戦術機・武御雷が、模擬戦をしているなど、両者の性能を知っている者が見たなら、一体なんの冗談だと思っただろう。

それだけ両者の機体性能には差がある。

しかもこの模擬戦は当初1対4であったのだ。

結果など、火を見るより明らかなはずだったのだが、残念ながら武御雷側が押されているのは事実だった。

 

『きゃあっ!』

「戎!」

『うああ!』

「神代!」

 

挟撃に持ち込んだはずなのに、逆にこちらが2機喰われた。

その圧倒的かつ、神速の域にも達する機動と長刀裁きに、真那は目を見張るが、今はそんなことに感心している場合ではなかった。

空中で戎と神代を一刀のもとに切り捨てた吹雪が、真那の目の前に降り立った。

ついに1対4が、吹雪と武御雷の1対1という、普通なら有り得ない状況になってしまった。

 

「くっ!?」

 

練習機とは思えない威圧感を放つ吹雪。

斯衛の誇る武御雷が霞んで見えそうだった。

 

「だが、斯衛の誇りにかけて負けるわけにはいかないのだ!」

 

真那はペイント弾の付着した突撃砲を投棄し、担架されていた長刀を構える。

相手は既に突撃砲から長刀へと持ち替えていた。

残念ながら相手の吹雪には、真那たちが放ったペイント弾は1発も付着していなかった。つまり、この吹雪は未だ完全体のままだった。

今まで真那たちに見せてきた、この吹雪の衛士の腕ならば、突撃砲のみで彼女たちを葬り去ることは十分に出来ただろう。

しかし、相手は敢えてそれをせずに、後半戦はわざわざ長刀に持ち替えて近接格闘戦闘に持ち込んでいた。

近接格闘戦において、世界一の性能を持つとされる武御雷相手にだ。

 

真那が、吹雪の目の前で突撃砲をかなぐり捨て、背中から長刀を引き抜く間、吹雪の衛士はそれをわざわざ待っていた。

時間にして僅か数秒。

たったそれだけだったが、随分と長い間対峙していたように真那は感じた。

そして、その長かった時間が経つと同時に2機が動いた。

真那は最大速の水平噴射の勢いのまま、長刀を突き放った。

模擬刀とはいえ、その物理エネルギーは相当なものだ。

狙いは右肩。

長刀を持つ方を狙ったのだ。

風を切り裂き、吹雪に吸い込まれるように向かう切っ先。

そのとき、吹雪が足を踏ん張った。

同じく水平噴射の最大速によって武御雷に向かっていた吹雪だが、逆噴射制動(スラストリバース)による急制動による、急停止と共に吹雪は長刀を斜めに構えた。

武御雷の長刀が、吹雪の斜めに構えた長刀に突き刺さる。

長刀の腹で、相手の切っ先を受け止めた。

いや、受け流したのだ。

 

「何ッ!?」

 

真那は驚愕の表情を見せる。

そもそも、戦術機の最大速からの急停止など有り得ない動きだ。

おまけに流れるような動作で、吹雪はその長刀を斜めに構え、真那の付き放った長刀を受け流した。

それも真正面から。

真那は相手が何をしたのか理解した。

奴は自身の重心を、ピッタリ長刀の切っ先の延長線上に持ってきたのだ。

重心の位置が少しでも逸れれば、吹雪は武御雷の長刀を受け流すことは出来ず、自らに武御雷の長刀が突き刺さってしまう。

何という操縦センスなのだろうか。

一体どのような衛士が、この吹雪に搭乗しているというのだろうか。

吹雪に、最大速の長刀の付き放ちを受け流された武御雷は、勢いそのままに吹雪の横を交差してしまう。

交差した武御雷は、見事にその無防備な背中を吹雪に見せてしまった。

吹雪は無慈悲にも、その背中を見せた武御雷に、自らの長刀を振り下ろした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「――完敗、か……」

 

模擬戦終了後、自らの機体をハンガーに戻し、地に降り立った強化装備姿の真那はそう呟いた。

その後ろには神代、巴、戎の3名もいた。

3人も悔しそうな表情をしていた。

 

「ご苦労様です。月詠中尉」

 

ふと後ろから真那は声をかけられた。

声で相手が誰か既に分かってはいたが、振り向くとそこにはやはり武がいた。

だが真那はそれに驚いた。

いや、武がいたことに驚いたのではない。

武の恰好に真那は驚いたのだった。

後ろの3人も同様に驚いていた。

確かにその可能性を考えなかったわけではない。

しかしこうして目の当たりにして見ると、やはり驚きの表情を隠せなかった。

 

「シロガネタケル!まさか……さっきの吹雪は!?」

 

真那の驚愕の表情と声に、国連軍使用の黒の強化装備姿の武はあっけなく返した。

 

「ええ、そうですよ。どうでしたか?」

「――まさか……」

 

先ほどの対戦した吹雪の衛士が、まさかの武であったという事実を、真那は受け止めるのに少し時間を要した。

決して考えなかったわけではない。

しかしいざそれを目の当たりしてみると、それを理解するのには意外と時間を要するものだった。

当然神代、巴、戎の3人も同様である。

呆然とする真那たち4人に武は口を開く。

 

「まぁ、そういう反応になるのは分かりますよ。吹雪が武御雷に勝つなんて、普通はあり得ませんからね」

 

真那たちの心情を全く理解出来ない武は、そう口にした。

 

「では、ここで種明かしです。こちらの吹雪にはXM3が搭載されているんですよ」

「――エクセムスリー?なんだそれは?どういうことだ……?」

 

聞きなれない単語に、真那は頭に疑問符を浮かべた。

武はXM3の概要を簡単に説明した。

キャンセルやコンボという概念の取り入れ。

先行入力や30%増しの即応性。

それらの説明を聞いた真那は、このOSがまさに夢の発明であることに、否応なしに気づかされた。

戦闘中に吹雪が見せた空中での奇妙な姿勢制御も、この説明を聞けば合点がいった。

そしてこのOSを用いれば、誰もがあの動きが可能になるとも聞かされた。

これがただ、新OSを開発しましたという風に言われても、現役の衛士である真那は受け入れられなかっただろう。

しかし、吹雪1機で武御雷4機に勝つという事実を突き付けられたならば、その性能を認めざるを得ない。

 

「――なんと、その様なものがここ、横浜基地で開発されていたとは……流石は横浜の魔女、というわけか……」

「曲がりなりにも、副官の前でそれを言いますか……まぁ、いいですけどね」

 

武は、夕呼の横浜の魔女や、横浜の女狐という言い方をあまり好いてはいない。

色々なものを背負う人物に対して、言っていい言葉ではないと思っているからだ。

しかし、それも立場が違えばそう呼ばれてしまうのは仕方がないということも、理解はしていた。

 

XM3の概要を聞いた真那たちは、心底感服した様子だった。

武は自身の操作記録を真那たちに開示した。

4人ともその操作記録にかじりつくように見入っていた。

そこでふと真那が、何かに気が付いたように武に問うた。

 

「……私にこのOSを見せた目的はなんだ?」

「帝国軍や斯衛軍に、このOSを渡す橋渡し役となってください。勿論、月詠中尉だけに任せず、後々帝国には俺自身が赴きますが」

「……」

 

真那は返答に窮していた。

そんな彼女たちに武はとある提案をする。

 

「月詠中尉。これはちょっとした提案なんですが、XM3を武御雷に搭載させては貰えませんかね」

「……なんだと!?」

 

武の提案に真那は驚愕した。

神代、巴、戎も同様に驚いている。

 

「勿論今すぐ、という訳にはいきませんが」

「それは願ってもないことだが……貴様、何を企んでいる?」

「無論、人類の勝利、ですよ」

 

武はニヤリとした笑みを、真那たちに浮かべた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

場所は移り変わりブリーフィングルーム。

そこに武とまりもの姿はあった。

 

「総戦技演習ご苦労だったな、神宮司軍曹」

「はっ」

 

会話はまず、武がまりもに労いの言葉をかけたところから始まった。

 

「報告書は軽くだが読ませて貰った。随分とアイツらを高く評価しているではないか」

「はっ。私は妥当な評価だと思っております。それに高く評価しているという点では少佐も同じではないでしょうか?」

 

まりもの言葉に武は眉をひそめた。

 

「ほう?何故そう思った、軍曹」

「少佐の常日頃からの言動を見ていれば、それぐらいのことは分かります」

 

武はまりもを暫く睨んだ。

しかし、まりもはそれに動じることなく、見つめ返してくる。

そのやり取りが数秒間続くが、先に根負けしたのは武の方だった。

武はため息をつき、降参だと言わんばかりに首を振り、手を上げながら言った。

 

「そうか、ま……んんっ、軍曹には見透かされていたか」

「はい。少佐が本当は優しい心の持ち主であられることも、僭越ながら存じております」

 

思わずまりもちゃんと呼びかけた武だが、何とかすんでのところで止めることに成功する。

 

(まりもちゃんには見透かされていたか……やっぱり、どの世界でもまりもちゃんはまりもちゃんだな……この程度で見透かされているようじゃ、俺もまだまだ精進が足りないか)

 

まりもの言葉に武は少しむず痒くなった。

そしてポリポリと頬をかく。

逆にそれを見たまりもは、不覚にも武のことを可愛いと思ってしまっていた。

そしてまりもは確信する。

 

(やはりそうだ……私はこの歳の離れた少佐に好意を抱いている。ダメだと分かっているのに、このような気持ちを持ってしまっている……)

 

2人の間に何とも言えない雰囲気が生まれ、無言がブリーフィングルームを支配する。

幸いなことに、この2人以外はこの場にはいないため、この恥ずかしい雰囲気を誰かに見られずに済んだことに、2人は後々安堵することとなる。

 

そして、この雰囲気を打ち破ったのは武の方だった。

 

「話がそれてしまったな、神宮司軍曹。総戦技演習から戻ってきて早々で悪いが、貴様に1つやって貰いたいことがある」

「はい。何でしょうか?」

 

しかし、流石は両者年の功というやつか。

先ほどの変な雰囲気はなかったことにして話を続けていた。

武の場合はループによる年齢換算になるが。

 

「まずはこれを見てほしい」

 

武は手元の端末を自ら操作し、つい先ほど行われたばかりの吹雪対武御雷の記録された映像を流した。

まりもはそれを食い入るように見ていた。

やがて映像が終了すると、まりもは我慢しきれずに質問した。

 

「少佐。これは一体……!?まさか吹雪で武御雷に勝つなど……それにあの吹雪の動きは!?」

「流石、かつて狂犬と謳われたことはある軍曹だな。目の付け所がいい。あの吹雪には特殊なOSが搭載されているのだよ。名をXM3という」

「エクセムスリー、ですか?」

「そうだ」

 

武はXM3の詳細をまりもに説明した。

 

「即応性が30%アップですが……これはまさに奇跡のOSになりますね。しかし、誰がこの様なモノを?ゆう……香月博士ですか?」

「基礎概念は俺が考えたモノだ。開発は香月博士になるがな」

「少佐がこのXM3を!?」

「あぁ。因みにさっきの吹雪も俺だ」

 

まりもはもう何度目か分からない驚きを覚えた。

 

(この少佐は私には見えない、夕呼と同じ1つ上の世界が見えているんだわ……この歳でなんて恐ろしい子なの……)

 

まりもは底知れぬ武の実力に感服した。

 

「それでだ、神宮司軍曹。貴官にはこのOSを使用して、207Bの教導をしてもらいたい」

「私がこのXM3で、ですか?ですが……」

 

まりもの反論を武は手で制しながら言う。

 

「分かっている軍曹。だが軍曹の腕ならば数日でこのOSの特徴を掴むことが出来るだろう。それまでの間の207Bの教導は俺がやる」

「……分かりました。ですが少佐、もう1つよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

 

まりもは一番疑問に感じていたことを言った。

 

「何故、あの子たちにこの新OSを?機密度は高いとお見受けいたしますが」

「理由は2つある。1つは207Bが新OSのテストケースとして選ばれたということだ」

「テストケース、ですか?」

「あぁ、あいつらは既存OSに触れたことがない。つまり、戦術機の操作に先入観のない衛士のサンプルとしては、時期的、場所的、人材的な観点からうってつけということだ」

 

それに207Bはその特殊性から、訓練部隊としては異例の機密性の高い部隊として、扱われているというのもある。

 

「なるほど……」

「2つ目は、あいつらは訓練期間が終了次第、特殊部隊であるA-01部隊に全員配属される予定だ。そしてこのA-01部隊は、既にXM3による訓練をあらかた終えている」

「少佐。その情報を私に開示なさる理由は何ですか?一介の教官に過ぎぬ私には、過ぎた情報であると判断致しますが」

 

まりもは何度目か分からない疑問を武に投げかける。

無論、全て答えて貰えることなど初めから期待はしていなかった。

しかし武はまりもの疑問に全て答えていった。

 

「流石に鋭いな。軍曹、貴官には207Bの訓練が終了次第、A-01部隊に大尉として任官してもらう」

「ッ!?……私が大尉、ですか?」

「そうだ。不満か?」

「いえ、決してそういう訳では……」

 

困惑した表情のまりもに武は言う。

 

「心の整理が追いつかないのは分かる。だがこれは既に決定事項だ。この後直ぐに、軍曹にはXM3の習熟訓練に入ってもらいたい。疲れているとは思うがな……頼む」

「……分かりました」

 

今のところは全て武の思惑通りに進んでいた。

そう、今のところは――。

 



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Episode20:鎧衣課長の決断

Episode20:鎧衣課長の決断

 

 

2001年11月5日(月)22:50

 

 

シミュレータの稼働終了と同時に、ふらふらになったまりもが中から姿を現した。

そのふらつき具合は相当なもので、今にも倒れそうなほどだった。

そして案の定、転倒しかけた彼女を武は支えてやった。

 

「時間がないのは承知の上だが、飛ばし過ぎだ軍曹。あのA-01ですら、最初は乗りこなすことすら大変だったんだ。いくら狂犬と謳われた軍曹でも限界はあるぞ……」

「も、申し訳ありません」

 

思わぬ形で武と密着してしまったことで、まりもは赤面しながら謝罪の言葉を述べた。

 

「だが、それでも流石……という言葉を送らせてもらおう。僅か3時間程度の搭乗で、あそこまで使いこなせるとはな」

 

確かに武の言う通り、まりものXM3の慣熟具合は群を抜いていた。

A-01は、2時間ほどの搭乗でようやく慣れたという具合だった。

しかし、彼女は3時間程度で、キャンセルをほぼ文句なしで使いこなせるほどに、XM3を使いこなしていた。

後はコンボだが、これは戦術機側の学習もあるので、一両日中では難しい話となる。

つまりはと言うと、まりもは武がつきっきりであったとはいえ、僅か3時間程度の時間でXM3をほぼマスターしたということになる。

 

(本当に凄いよ、まりもちゃんは……俺と一時的とはいえ、2機連携を組んだことがあるだけはある――――あれ?それっていつの話だ?)

 

武の脳内に、摩訶不思議な記憶が蘇る。

まりもと2機連携を組み、作戦に参加していた記憶が薄っすらと脳内をよぎった。

少なくともその蘇った記憶では、武と2機連携を組めるのは、まりもだけだということを鮮明に表していた。

 

(……本当にこれいつの話だ?これは本当に自分の記憶か?――並行世界の記憶?いや因果が流入してきているのか?)

 

ここ最近、武は色々なことをよく思い出す。

しかしその大半は、本人の記憶にはない不思議な記憶であった。

自分が自分でないようなそんな感覚に、武は最近囚われていた。

 

「……少佐?」

 

自分を抱きかかえながら、何やら険しい顔をしている武に、まりもは問う。

 

「……ん?あぁ、すまない。少し考え事をしていた。軍曹の習熟具合があまりにも早いからな」

 

そう言って武は誤魔化し、彼女に優しい笑みを浮かべた。

その笑みに、まりもは少し違和感を覚えながらも、少し恥ずかしくなって再び赤面した。

それを見た武は、彼女が疲労しているのだと見当違いな判断を下してこう述べた。

 

「取り敢えず、今日はこの辺にしておこう。あまり力を入れ過ぎては、今後にも差し障りが出る。ロッカールームまで肩を貸そう」

 

一瞬断ろうかと思ったまりもだったが、今しばらく武に抱きかかえられていたいという欲が勝ち、その言葉に甘えることにした。

 

「はい……申し訳ありません」

「気にするな」

 

武は彼女を抱きかかえながら、シミュレータルームを後にした。

こうしてまりもと武の、深夜のXM3講習1日目は終了した。

因みに、それを偶々見てしまったとある人物のせいで、武は後に苦労を味わうこととなる。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月6日(火)8:00

 

 

「敬礼!」

 

武の入室と共に、伊隅の号令でA-01の面々が敬礼をする、いつものやり取りが行われる。

武が敬礼を解くと、それに続いて皆も敬礼を解いた。

ただいつもと違うことがあるとすれば、普段は武と行動を共にしていない遥が、彼と共に入室してきたことだろう。

 

「今日1日の訓練予定を伝える前に、皆に話しておくことがある」

 

武の言葉に、皆が頭に疑問符を浮かべる。

 

「涼宮中尉」

「はい」

 

名を呼ばれた遥が、手元の端末を操作してブリーフィングルームの明かりを消し、映写機の電源を入れる。

映写機が映し出したのは、新潟一帯が詳細に映し出された地図だった。

 

「4日後の11月10日。貴様らには、極秘裏に新潟に赴いてもらう」

「それはまたどうしてですか?」

「理由は簡単だ。翌11日に佐渡島ハイヴのBETAが、新潟に上陸するからだ」

「「「ッ!?」」」

 

武から発せられた言葉に、皆が驚きの表情を見せた。

 

「これだけ言えば、後は大体察せるだろう。A-01の作戦目的は、BETAの新潟上陸阻止だ」

 

武の言葉に合わせて、遥が映し出す内容を幾つか追加した。

それは、BETAの上陸予想地点などの詳細な情報だ。

と言っても、上陸予想地点は下越地方南部から、中越地方北部までの広大な地域であった。他には、A-01の展開予定地点などの細かな情報が追加された。

 

「展開予定地点は、旧長岡市北東部になる。現地到着後、速やかに戦術機に搭乗し、BETAの出現報告があり次第発進となる」

 

武が図上の、A-01展開予定地点を指しながら説明する。

それが終わると、武は遥に目配せをした。

理由を察した遥は図を変更し、横浜基地と新潟の両方が映し出された、広域な地図を表示した。

そこには予定進出線が予め記されていた。

 

「出発は10日の18:00(ヒトハチマルマル)だ。移動は87式自走整備支援担架にて行うが、一般的な新潟への通行路は使用せず、少々時間を要するがそれらを迂回して現地へと向かう。少々窮屈な移動となるだろうが、これも特殊部隊の常だと思ってくれ。今回の一連の行動は、極秘裏に行わなければならないからな」

 

一度言葉を区切り、武は一同を見回す。

どうやら全員がしっかりと事を飲み込めているようだった。

それを見た武は言葉を続ける。

 

「そして、BETA上陸の報告があり次第発進し、BETAの糞共を水際で迎撃してもらう。なお、中越と下越新潟地域の帝国軍には、10日付で防衛基準体制2が発令される。よって帝国軍も、それなりの即応体制で動いてくれるだろうが、あくまでBETA第一陣の接敵は貴様らになる。相当キツイだろうが、XM3とお前たちの腕をもってすれば必ず対応できると信じているぞ――あぁ、それと貴様らは偶然(・・)新潟にいたことになっている。それを忘れるなよ?」

 

国連軍は、基本的に現地政府の要請がなければ、出撃は叶わないことになっている。

しかしそれは余裕のある場合の話。

偶然近くにいた国連軍部隊が、偶然戦闘に遭遇する場合、政治的な問題はクリアされるのである。

 

「当日は日頃の訓練の成果を生かし、存分に暴れてもらいたい。言わずもがな、XM3の初めてのお披露目だ。無様な戦い方だけはしてくれるなよ?」

「「「はっ!」」」

 

皆がやる気に満ち溢れた返事をする中、伊隅1人は不思議そうな顔をしていた。

それに気付かぬ武ではない。

 

「どうした?伊隅大尉」

「はっ……その、どうしてBETAの新潟上陸がこんな事前に分かったのでありますか?」

 

伊隅の言葉に皆がハッとする。

確かにその通りであった。

BETAというものは、人知を超え、その行動は気まぐれとすら言えるので、人間様がBETAの動きを予想するのは甚だ困難である。

無論、ある程度の予想は出来る。

だがそれは結局のところ予想でしかなく、周期的な予想しか出来ない。

BETAの上陸行動は、大抵の場合は3ヵ月周期である。

前回はいついつだったから、次はいつ頃になるだろう。

所詮はその程度の予想しか出来ないのである。

基本的にBETAの動きが事前に分かる時は、それは低軌道監視衛星による経過観察によるものである。

しかし幾ら分かったとはいえ、それは大抵の場合、行動の1日前という有り様である。

前回のBETA新潟上陸……第8次BETA新潟上陸防衛戦の時もそうであった。

以上のことから、伊隅の疑問は最もなものなのである。

本来予測のつかないBETAの動きを、5日も前に把握できたのは、一体どのような手品なのかと。

 

「ふむ、その疑問は至極当然だな。答えはな、伊隅大尉――たまたま(・・・・)だ」

「たまたま……でありますか?」

「香月博士の偶然の産物だ。よってこれからも、BETAの動きを予測出来るなどとは、決して思わないことだな、大尉。本当に今回はたまたまなのだよ」

「はっ」

 

武の物言いに、何か含むところがありそうだなと思った伊隅だったが、夕呼の産物だと言われれば、納得出来てしまうのも事実。

それ以上の追及はしなかった。

 

「よって今日の訓練は、統合仮想情報演習システム(ジャイブス)を用いての水際防衛を想定したものへと変更する。後の3日間の訓練は、これのみに重点を置き進めるからそのつもりで」

「「「了解」」」

 

ヴァルキリーズ全員が事の重大性を既に理解し、目つきは厳しいものへと既に変わっていた。

 

「なお、俺は別の任務があるため同行はしない。指揮はこれまで通り伊隅大尉が取れ」

「えっ?あ、はい」

 

武のこの言葉に、皆が少し驚く。

当然武もついてくるものだとばかり思っていたのである。

 

「まだ俺との連携訓練を済ませていない……というのもあるがな。どうしても外せない任務があるからな」

「……了解しました」

 

こうして今日のヴァルキリーズの訓練はスタートした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

A-01との訓練を終え、BDUから国連軍C型軍装に着替えた武の姿は、横浜基地内のとあるフロアの一室にあった。

時は夜もかなり更けた頃合い。

恐らく夜勤の者を除き、大半の者が寝静まった時間帯に、武はとある人物を出迎えていた。

 

「夜分遅くにすみません、鎧衣課長」

「いやいや、別に構わないよ……私も君に興味があったからねぇ、シロガネタケル君。斯衛軍の制服を着て基地の門前に現れるとは、随分と大胆なことじゃないか」

 

武の言葉に、何とも言えない表情で返したのは、鎧衣美琴の父である鎧衣左近であった。

 

「情報が早いですね。流石は帝国情報省外務二課ですね。いえ、流石は城内省保安情報部というべきでしょうか?」

「……そこまで知っているとは。一体どこから情報を仕入れてきているのかね?香月博士経由かな?」

 

仕事柄故だろう。

彼は驚きの様子を武に全く感じさせなかった。

 

「夕呼先生の情報ではありませんよ。自分が独自ルート(・・・・・)で仕入れた情報です」

 

ここで武は、敢えて夕呼のことを名前で呼んだ。

夕呼との親密性をアピールするためである。

そしてもう1つ。

この情報が夕呼からのものではないことも強調した。

あくまで自分には独自のルートが存在することを。

無論、そんなルートなど存在しないが、前の世界では存在した。

だから別に嘘ではないのである。

 

「ほう?」

 

ここで鎧衣が、少しばかり感心したような声を出した。

最も、これすら演技なのかもしれないが。

 

「では、感心ついでにもう一つ。最近、帝国軍内で不穏な動きがありますよね?戦略研究会とかいう。もし彼らが事を起こせば、日本に政治的・軍事的空白が発生することになる。それはBETAとの戦いにおいて、致命的とも言える事態になります。自分はそれを防ぎたい。その為に鎧衣課長と協力したいんですよ」

 

正直、武は鎧衣左近という人間がよく分からない。

前のこの世界でも、結局大した関わりを持ってこなかった。

それ故に夕呼の時のように利害の一致などではなく、彼を説得する唯一の方法は、未来情報と、武の揺るがない信念のみである。

やはり武は武。

人類史上稀に見るガキ臭い英雄なのだ。

 

「そうか。では、その為にはまず、イースター島の歴史から……」

「リーディング対策というのは分かりますが、そんな下らない話に付き合っている暇はありません。それに霞は、別の場所にいますからリーディングの心配はありません――それで、協力するんですか?しないんですか?それをまずはハッキリして下さい」

「……せっかちだな。だからこそ、モアイ像が何のために……」

「時間がないんですよ、鎧衣課長。オルタネイティヴⅣを成功させるためには、貴方の力が必要なんです」

 

鎧衣にとって、このシロガネタケルという男は、警戒すべき人物である事には変わりはない。

彼自身、日本帝国という国に愛国心を持っているし、その頂点に存在する皇帝陛下や政威大将軍である、煌武院悠陽を敬愛している。

前のこの世界で、鎧衣が12・5事件で暗躍したのは、その愛国心からか、或いは将軍殿下への敬愛からなのか、またはオルタネイティヴⅣの為なのか、理由は誰にも分からない。

しかし、それらの行動の結果は全て、日本のためという短い言葉で言い表す事ができる。

だから武は鎧衣を信頼できる人物として、自分の計画に協力してほしいと願っている。

それにこう見えても、実は娘思いであるということを武は知っている。

前のこの世界で彼が、娘の命日である1月2日に、必ず墓参りに訪れていたからだ。

また悠陽の意も受けてのことであろう真那も、例の横浜基地前の桜並木の元に、花束を置いていっている。

 

「それに彼らクーデター部隊の陰には、CIAがいます。本人たちの意志とは関係なく。これが何を意味するか、それは今更語るまでもないでしょう。だから沙霧大尉を協力者にした。クーデターを上手くコントロールする為に。違いますか?」

「……」

 

武の言葉に、鎧衣は初めて無言を貫いた。

しかし、目線は決して武から外されることはなかった。

いつものように、何を考えているかよく分からない眼ではあったが、武はそこから確かに感じ取った。

鎧衣の警戒の色を。

 

「俺は貴方を、一日本人として見込んで話をしているつもりです――これから俺のとある計画をお話します。鎧衣課長、それに協力するかしないかは、それは貴方次第です。ですが、協力して頂けるならオルタネイティヴⅣの完遂を、夕呼先生に代わって自分がここでお約束致します」

「ふむ。香月博士は悪魔と契約でもなさったのかな?ここに来てオルタネイティヴⅣは順調ということかな」

「オルタネイティヴⅣは必ず成功します」

 

あくまでも要領の得ない会話をしたい鎧衣に対し、武は明確な解答のみを突きつけていく。

 

「今からとある計画をお話します。それを以て、協力するか否か決めて下さい」

 

武は己の計画の一部を、鎧衣に話した。

意外にも武の説明中、彼は一切口を挟まなかった。

そして全ての説明が終わり、ここでようやく鎧衣が口を開いた。

 

「ほぉ……そのような大それたことが出来るとでも?」

「オルタネイティヴⅣの成果を以てすれば……可能です」

 

鎧衣の言葉に武は断言を以て答えた。

 

「ふむ……」

 

ここで鎧衣が珍しく考え込む素振りを見せた。

 

「この計画は、鎧衣課長の協力がなくては成り立ちません。俺の第1の目的は、人類の勝利です。その為には、オルタネイティヴⅣの完遂は必須条件です。これが俺の生きる理由です。BETAの糞共をこの地球圏から一掃する。夕呼先生なら、必ず成し遂げてくれる信じています。俺はその為なら、自分の命すら差し出す覚悟です。ですが、それ以前に俺は日本人です。日本の平和は、俺が願って止まないことなんです。その為には、鎧衣課長と協力してこの計画を遂行したいと思っています」

 

鎧衣がジッと武の目を見つめた。

それに対し武は動じることなく、鎧衣の目を見つめ返した。

暫くすると鎧衣は両肩を動かし、ヤレヤレといった感じの動きをした。

 

「ふっ……近頃、そういう目をする若者を、私は久しく見ていなかった。一体何が、君にそこまでの目をさせるのだろうな」

仲間(戦友)たちのおかげです」

「なるほど……よかろう。その計画、私も協力しよう」

 

鎧衣は決断した。

 

「ありがとうございます」

 

鎧衣に対し武は深々と頭を下げた。

 

「だが、始めるからには後戻りは出来ないよ?シロガネタケル」

「覚悟の上です」

 

この日以来、鎧衣左近は決して人類史には残らないながらも重大な決断を下し、武の密かな協力者となったのである。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月7日(水)9:00

 

 

A-01に訓練の予定を告げた後、武はその足で207Bの元へと来ていた。

最も肝心のA-01の訓練は、第2シミュレータルームで行われている。

一方の207Bの訓練場所は、第1シミュレータルーム。

殆ど隣に移動するだけのようなものだが。

 

「まずは総戦技演習合格、おめでとう」

「「「ありがとうございます」」」

 

武はA-01と別れたその足で、強化装備姿の207Bと対面していた。

若干恥ずかしそうに立っている207Bの面々。

やはり訓練用の強化装備姿を、曲がりなりにも男である武に見られるのは、彼女たちとて少々恥ずかしいようだった。

しかし武はそんなことは気にしていない。

彼女たちの気持ちなど無視するかのように、武は淡々と述べた。

 

「これで晴れて、戦術機教範課程へと足を進められる訳だが……ここで1つ、俺から貴様らに言っておくことがある」

 

そこまで言って武はその後、数十秒、彼女たちを真剣な目でじっくりと眺めた後、武はニヤリと獰猛な笑みを浮かべて、やっと口を開いた。

 

「――訓練兵諸君。地獄へ、ようこそ」

 

このときの武の言葉と表情を、彼女たちは生涯忘れることが出来なかったという。

 

 







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Episode21:新兵教育

Episode21:新兵教育

 

 

2001年11月7日(水)9:00

 

 

「――訓練兵諸君。地獄へ、ようこそ」

 

このときの武の言葉と表情を、彼女たちは生涯忘れることが出来なかったという。

 

「では諸君、早速シミュレータに搭乗したまえ。1号機から順に、榊、御剣、彩峰、珠瀬、鎧衣だ」

 

武の言葉を合図に、皆がシミュレータに搭乗を始めた。

その間に、武とまりもは管制室に移動した。

そこで全員の搭乗状況を確認し、問題がないことが分かると、武は通信回線を開きやけに溌剌とした様子で告げた。

 

「諸君。既に知っての通り、俺の訓練のやり方は、神宮司軍曹と比べれば独特だ。それはこの戦術機課程になっても変わらん。妥協はない。そこだけは覚悟しろ」

 

それだけ告げて武は通信を切った。

武は管制室でまりもに目配せをする。

彼女は頷くと、動作教習課程のプログラムをスタートさせた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日夜、御剣冥夜を始めとした207B訓練小隊の面々は、PXで遅めの夕食を取っていた。しかしどういう訳か、皆の箸は進んでいなかった。

理由は単純だ。

疲労困憊なのである。

体力に自信のある冥夜も、疲労から殆ど箸を進めることが出来ていなかった。

 

(正直な話、まだ(・・)私は侮っていたのだ。白銀少佐の訓練を……)

 

冥夜は、今日1日の訓練を頭の中で回想する。

 

最低限の昼休憩以外は、殆ど戦術機の動作教習課程を行っていた。

昼休憩の時も充分足元はフラついたが、今は正直ガクついている。

PXに足を運ぶのでさえ苦労したほどだ。

 

(精神疲労もさることながら、肉体的疲労も相当だな……戦術機課程になれば、以前のような肉体的疲労は、少なくなるだろうと思っていたが――どうやらそれは、私の勘違いだったようだ)

 

武は1日中、彼女たち207Bをシミュレータに乗せ続けることで、基礎訓練課程の時のような肉体的疲労を与えていた。

本来なら、1週間程度かけて行う動作教習基礎課程を、たった1日で終わらせたのだ。

そのため精神的疲労もさることながら、肉体的疲労はかなりのものになっていた。

それ故の、先ほど彼女たちの現状なのである。

 

「まさか戦術機が、こんなにキツイものだなんて思わなかったよ……」

 

ふと美琴がそんなことを呟いた。

彼女も冥夜同様、今日1日の訓練を思い返していたのだろう。

 

「そうね……」

 

美琴の呟きに、千鶴が同意した。

 

「……これからも、こんな感じで続くんでしょうか?」

 

たまが不安気にそう呟いた。

 

「今日は、動作教習課程の基礎と応用だ。恐らく次回から、何かしらの実践に入るのだと思うが……」

「……そうなの?」

「恐らく、だ。しかし白銀少佐のことだから、次がどのような訓練になるか予測はつかない」

 

冥夜はそう言いながら、ご飯を口の中へ放り込むが、危うく咽かけた。

 

「……冥夜さん、戦術機の訓練について何か知ってるの?」

「身の上柄少々な……確か今日の動作教習課程も、本来1週間ほどかけて行われる訓練だったはずだ」

 

冥夜の言葉に、皆が驚き目を見開いた。

本来ならば、もう少し大きなリアクションになるのだろうが、生憎そこまでの元気は、もう彼女たちには残っていなかった。

だが逆にそれが良かったのかもしれない。

疲れていることが逆に彼女たちを冷静にさせ、現実を受け止める余裕を与えた。

 

「……それはムチャだね」

「流石にスパルタが過ぎないかしら?」

「白銀少佐なりの思惑があってのことだろう……いずれにせよ、私たちは従うほかはあるまい」

「気合いれないとだね……」

 

美琴の言葉に皆が無言で頷いた。

しかしそこで冥夜が、嫌な現実を突きつける。

 

「そのためにも、まずはこの夕食を食べきることだろう」

「「「はぁ……」」」

 

全員のため息が重なった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

夜勤の者を除き、横浜基地の大半の者が寝静まった時間帯に、第1シミュレータルームには2つの影があった。

 

「今日はこの辺りで終了とする。ご苦労だった神宮司軍曹」

「はっ」

 

その正体は、言わずもがな武とまりもであり、まりもは武によるXM3教習を毎晩こなしていた。

まりもは207Bの教官と言う立場上、自由に使える空き時間と言えば、このような夜に限られる。

その限られた時間を利用して、XM3の教習をしているのである。

今後の予定を鑑みるに、武はいつまでも207BやA-01ばかりに構ってはいられない。

故に、207BのXM3教育はまりもにいずれ一任する予定でいた。

そのためにも、出来るだけ早く彼女には、XM3に慣れてもらう必要があった。

少々詰め込み教育な感が否めないが、武に残された時間は少ない。

それ故の処置であった。

 

「軍曹向けのXM3教習を始めてまだ3日だが、流石だな。もうここまでXM3を使いこなすとは……これが俗に言う、天性の技が成せるものものということか」

 

事実、まりもの衛士としての腕は相当に優れている。

それは狂犬という渾名からも、想像に難くない。

無論、この狂犬という意味には別の意味も含まれるが、それは言わずが花。

 

「いえ、白銀少佐の的確なアドバイスが有ればこそです」

「そう謙遜するな。実はな、俺の2機連携を誰にするか決めあぐねていてな……俺の機動に付いてこれる奴は、早々いないからな。だが、軍曹なら俺の2機連携に相応しいかもしれんな」

「それは……光栄です」

 

武の言葉にまりもの頬が僅かに紅くなる。

 

「最も、俺が2機連携を組む機会など限られているだろうがな……」

「それはどういう事ですか?」

 

武の発言にまりもは首を傾げる。

2機連携は戦術機運用の上での基本。

ましてや戦術面での基礎。

2機連携を組まないという選択肢は有り得ない。

それは衛士なら誰でも分かることだ。

なのに、この少佐はそれを組む機会は少ないという。

まりもの疑問は当然の結論なのだ。

 

「ん?あぁ……折角だ。軍曹にも話しておこう……」

 

武は基地襲撃事件の真相を、まりもに話した。

と言っても、内容はA-01に話したのと同様、表向きの真相だが。

 

「……という訳だ」

 

一連の説明に彼女の表情は険しくなる。

まさか親友が、その様な企みをしていたとは……というのが彼女の正直な感想だろう。

 

「ゆう……香月博士がそのようなことを……」

「だが、理解は出来るだろ?この基地は弛んでいた。だからこその荒療治なのだと」

 

まりももその辺は確かに感じ取っていた。

事実、彼女が見た光景が、その事実を物語っている。

基地襲撃事件当日、迅速に行動出来ない基地職員を多数見てきた。

挙句の果てに、自分にどうすればいいのか対応を聞いてくる始末。

あまりにもこの基地は弛み過ぎていた。

 

武の言葉にまりもは頷いた。

 

「はい……でも待って下さい。それがどうして少佐が、2機連携を組まないことに繋がるんですか?」

 

確かに、一見繋がりがないように思えるこれらの話だが……。

 

「あの時、基地を襲撃した戦術機はな……八咫烏と言って、第5世代相当試作戦術機なんだ」

「第5世代……」

「その性能故に、第3世代機とは2機連携が組みにくいのだよ。それにあの機体は、俺専用のカスタム機だ。1機で1個中隊規模の戦力になる。だから、2機連携は組まなくても問題ないんだ」

「なるほど……」

 

まりもは武の説明に納得した。

それに、先日見た吹雪対武御雷の模擬戦も、彼女を納得させるには十分な要素だった。

あれほどの腕を持っていて、尚且つ搭乗する戦術機が、第5世代相当戦術機ともなれば、なるほど2機連携を組まずとも、確かに問題はないかもしれないとまりもは理解した。

だが、それでも2機連携は、戦術機運用の原則である。

2機連携を組まないことに、危険性を感じないわけでもないが、武の説明に納得したのもまた事実。

取り敢えず、それ以上突っ込むのは止めたまりもだった。

 

「少し話が逸れたな。まぁこれで軍曹も、XM3の新兵は卒業したと言っていいだろう。明日からは、少々訓練ペースを拡大させてもらう」

「はっ、了解しました」

 

武の言葉にまりもは気合を入れるが、その後に発せられた武の思わぬ言葉に、彼女は入れ直した気合を脱力させてしまう。

 

「すまんな、軍曹」

「は?」

 

まりもが素っ頓狂な声を上げた。

 

「いや、極力あいつらの訓練は見るつもりだし、厳しく訓練してやるつもりだが、どうしても付きっきりというわけにはいかない。そのためにも、軍曹にもXM3を習得してもらう必要がある。だからこうして、毎晩睡眠時間を犠牲にしてもらっているわけだからな」

 

武の心底申し訳なさそうな言葉に、まりもは笑顔を浮かべて返した。

 

「少佐、どうぞお気になさらず。私としても、大切な教え子たちが死ぬところなど、見たくありませんから。そのためなら、多少の睡眠時間など安いものです」

「……そうか」

 

やっぱりまりもちゃんは優しいな……と武は改めて実感した。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月9日(金)14:43

 

 

「貴様らもう少し頭を使え!何のための先行入力、キャンセル・コンボだと思っている!」

 

シミュレータに搭乗する207Bの面々に、武の怒号が飛ぶ。

 

「御剣!貴様、キャンセルを使い過ぎだ!だからバランスを崩して、転倒ばかりするんだ!整備兵に申し訳がないとは思わんのか!」

「はっ!申し訳ありません!」

 

まず標的となったのは冥夜だった。

 

「榊!恐れてばかりでは、キャンセルは一向に使いこなせんぞ!」

「はい!申し訳ありません!」

 

その次は千鶴。

 

「彩峰!貴様まともにキャンセルが使いこなせないくせに、コンボを使おうとし過ぎだ!コンボは、キャンセルを使いこなせて初めて、真価を発揮するんだ馬鹿者!」

「申し訳ありません」

 

そして彩峰。

 

「珠瀬!もっと余裕をもって行動しろ!キャンセルも余裕を持たないから、ビルに突っ込んでばかりなんだ!」

「は、はい!も、申し訳ありません!」

「そして鎧衣!お前もだ!どうしてそうギリギリを攻めたがるんだ!せめて、もう少し先行入力を多様しろ!」

「はい!申し訳ありません!」

 

たまに美琴。

武は全員を満遍なく叱っている。

 

「いいか!そもそも、キャンセルがまともに使いこなせないと、コンボもまともに機能しないぞ!まずは徹底的にキャンセルのタイミングを身体に染み込ませろ!それが出来ないのなら、また除隊申請書を書かせるぞ!」

「「「はい!」」」

 

管制室にいる武の横には、常にまりもが控えている。

管制室から、それぞれのシミュレータに向かって怒号を飛ばす武を、まりもは黙って観察していた。

 

(少佐の訓練は的を射ている。彼女たちが、戦術機に乗り始めてまだ3日目。荒療治的な方法だが、それ故に無駄が少ない。まぁ、一昨日は動作教習課程に、昨日のシミュレータ訓練。そして今日の実機訓練。彼女たちは戦術機に触れてまだ3日。搭乗者時間で言えば、まだ半日程度だ。それで、いきなり実機なのだから無理もない……傍から見れば、無茶苦茶な訓練に見えるだろう。しかし、元々彼女たちの持っているポテンシャルは高い。それ見ぬかれたが故の訓練方法か……)

 

矢継ぎ早に怒号を飛ばす武の背中を見ながら、まりもはそう思った。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日夜。

 

冥夜は疲れた身体に鞭を打ち、自室の机の前にいた。

 

(少佐の訓練は、やはり身体に堪えるな……いや、それでも集中しなければ!)

 

彼女の机の上に置かれ開かれているのは、先日より支給された戦術機のマニュアルだった。そう、冥夜は自学に励んでいたのである。

元々、1日1回は目を通しておけ……と言われたマニュアルではあるが、正直なところ、1日1回では足りないというのが、彼女の正直な感想だった。

 

(一刻でも早く1人前にならなければ……そのためには、多少の睡眠時間など惜しんでなるものか)

 

冥夜はその様な気概で、毎晩マニュアルに目を通していた。

最もその深淵に、武に認められたいという気持ちが紛れ込んでいることに、残念ながら本人は気づいていなかったが。

 

既に軽く一読はしたつもりのマニュアルだが、今度は1行1行しっかりと熟読していく冥夜。

だが、その熟読が思わぬ違和感を呼ぶ。

 

(――ん?なんだ……)

 

気になり該当箇所を再度読み直す。

すると僅かに生じた違和感が、やがて本物へと昇華された。

 

(――これは……少し違う?)

 

昨日と一昨日、そして今日と、実際に操作した戦術機の挙動と、このマニュアルに記載されている内容に、差異があることに冥夜は気が付いた。

あれほど武が言っていた、先行入力やキャンセル、コンボの事などがマニュアルには一言も書かれていないのだ。

 

(――これは……どういうことであろうか……明日、皆に相談してみよう……)

 

冥夜はその後も暫くマニュアルを読み、やがて眠りについた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月10日(土)07:32

 

 

「皆、少しいいだろうか?」

 

朝のPXで朝食を取っている最中に、ふと冥夜が皆にこう言った。

 

「畏まって急にどうしたの?御剣」

 

冥夜の言葉に、千鶴が真っ先に反応した。

他に皆は声こそ出さなかったものの、食事の手を止め、視線を冥夜の方に向けていた。

 

「実は少々気になることがあってな……」

 

冥夜は、昨晩マニュアルを読んでいて気になったことを話し出した。

 

「やっぱり貴方も気になったのね?」

 

すると、千鶴からそのような言葉が返ってきた。

 

「そなたもか……」

「ええ……私も毎晩マニュアルを読んでるのだけど、なんであんなに散々言われてるような事が、載っていないのか不思議に思ったのよ」

 

千鶴のその言葉にたまや美琴、彩峰も同意した。

どうやら皆、同じ気持ちを持っていたようだった。

 

「ううむ……支給されたマニュアルが古いとか――いや、そのようなはずはあるまい。となると、一体どういう訳だろうか」

「分からないわ……でも、全員が同じ違和感を持ったということは、ただの思い過ごしではないはずよ」

 

千鶴の言葉に皆が頷いた。

 

「そうだな……榊、すまぬがこの後の座学の時間に、代表してそなたが教官に質問してみてはくれぬか?」

「ええ、分かったわ」

 

こうして1つの疑問が、まりもにぶつけられることになったのである。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「ほう?気付いたか」

 

午前中の座学の時間は、武が姿を見せることはない。

何をしているか、それは言わずと知れている。

A-01の教導に力を入れているのである。

故に、この時間はまりもの受け持ちとなっていた。

最も今日は11月10日。

つまり、A-01が新潟に向けて旅立つ日である。

故に今日の武の動きは教導ではなく、出撃前の事前ブリーフィングが行われている最中である。

話を元に戻し、そんな座学で一区切りついた後の質疑応答の時間に、朝のPXで話題に上った疑問を千鶴が尋ねると、ニヤリと楽し気な笑みを浮かべて、まりもはそう返したのだった。

 

「白銀少佐からは、貴様らが自分で気づいたら話してもいい……と言われているから説明しよう」

 

まりもは、XM3という新OSが、自分たちの機体やシミュレータに搭載されている事実を、彼女たちに明かした。

そしてそのテストケースとして、207B訓練小隊が選ばれたということを。

彼女たちは既存OSに触れたことがない。

つまり、既存の戦術機操作に先入観が無い衛士のサンプルとしては、うってつけということだからだ。

 

「……という訳だ。貴様らがさっき言ったマニュアルとの差異が、XM3の特徴そのものという訳だな。先行入力、コンボ、キャンセル。この3つを白銀少佐が重要視するのはそういうことだ」

 

207Bの面々はこの時、まるで面食らったような表情をしていたに違いない。

まさか自分たちが、そのような重要なテストケースに選ばれていたなどと。

 

「にしても、少佐の予想した通り早かったな。最初に気づいたのは、榊か御剣辺りか?」

「はい。最初に指摘したのは御剣です」

 

まりもの指摘に千鶴が答える。

そこで自分の手柄にしないのは、彼女の性格故だろうか。

 

「……そうか。全て少佐の予想の範疇ということか」

「少佐の予想、ですか?」

「あぁ。最初に気付くとしたら、榊か御剣辺りだろうと少佐は仰っていた。全く……あの方は何でもお見通しという訳だな」

 

まりもが感心したように武を褒め称えた。

自分たちの教官が、手放しで褒める白銀武という人物に、207Bの面々は様々な思いを抱く。

そんな中、冥夜はふと気になった疑問をぶつけた。

 

「教官。質問してもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

 

まりもが視線を千鶴から冥夜の方へと移す。

 

「XM3の開発者はもしかして、香月博士でありましょうか?」

「ほう?何故そう思った?」

「いえ、何となくですが……」

 

漠然とした何かが、冥夜にそのような直観を与えていた。

 

「ふむ、半分正解だ御剣。XM3の開発者は確かに香月博士だが、発案者は白銀少佐だ。新概念を一から考案なさったのだ」

 

207Bの一同が驚きの表情を見せた。

冥夜に至っては心臓が大きく脈を打った。

 

「付け加えると、少佐は発案されただけではない。動作パターンの初期設定は、全て白銀少佐ご自身でなされた。つまり、今貴様らが行っている機動は、全て少佐が発想し、登録した機動を再現させてもらった結果に過ぎない。お前たちが今、教えを乞うている御方はそれだけの御仁と言う訳だ。そこを忘れるなよ」

 

まりもはそうニヤリと告げると、次の時間の準備のために教室を後にした。

残された207Bの面々は、ただ立ち尽くすしかなかった――。

 



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Episode22:新潟出張

Episode22:新潟出張

 

 

2001年11月11日(日)06:00

 

 

新潟県の沿岸部に、6機の不知火は人知れず鎮座していた。

言わずもがな、伊隅ヴァルキリーズの機体である。

レーダーを見るに既に帝国軍は迎撃に備え、旧国道沿いに展開し終えているのだろうと伊隅は判断した。

 

「XM3搭載機での初の実戦……緊張するわね」

 

部隊間通信で、ふと速瀬がその様なことを言った。

 

「全くです……新兵かってぐらい、緊張しているのが分かります」

 

宗像が珍しく、速瀬の言うことに同意した。

皆、XM3での初の実戦に、案外緊張しているようだと伊隅は思う。

それは網膜投影に映し出される、部下たちの顔を見れば一目瞭然だったが、こうして口にしているのを聞くと、やはり緊張は思いのほか高いらしい。

部隊長の伊隅ですら、操縦桿を握る手が僅かに震えているのが分かった。

いや、これは緊張ではないのかもしれないと伊隅は思う。

武者震いか、或いは間もなく始まる戦闘への興奮からか。

 

(いずれにせよ、固くなっていけないな……)

 

そんなことを伊隅が思っていると、網膜投影に映る部下の表情に異変が起きたのに気付く。

 

「ほう、これから戦闘だというのに笑えるとは、えらく余裕があるじゃないか、柏木?」

 

柏木がなんと笑っていたのである。

 

「いやー、よく考えればこれぐらいの緊張。白銀少佐に怒鳴れるよりはマシかなと思いまして」

「ふ、確かにそうだな」

 

伊隅はそう返答しながら思う。

 

(確かに、白銀少佐の怒鳴りに比べれば、これくらいどうってことはないだろうな……少佐はそこまで考えられて?もしそうだとしたら本当に底が知れない御方だ……)

 

伊隅は目を瞑って、武との訓練の時のことを思い出す。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「伊隅!何のためのコンボだ!キャンセルばかり多用するな!」

「はっ、申し訳ありません!」

 

手始めに部隊長の伊隅が怒られる。

 

「速瀬!先行入力が遅い!何のためのキャンセルだと思ってる!これで3度目だ!」

「申し訳ありません!」

 

次に副隊長の速瀬。

 

「宗像!貴様、先行入力を理解しているのか!」

「はい、申し訳ありません」

 

次に宗像。

 

「涼宮、風間!ビビるな!キャンセルが使えなければ、先行入力は役に立たんぞ!」

「すみません!」

「申し訳ありません」

 

そして茜と風間。

 

「柏木!度胸が良いのは認めるが、コンボをもっと使え!」

「申し訳ありません!」

 

最後に柏木。

武は上官としてXM3の教導官として、A-01全員を満遍なく叱っている。

全員、ここまで怒鳴られるのは、訓練兵時代以来のことであろう。

そんな武を、CP将校の遥は後ろから眺めていた。

当たり前の話だがCPという立場上、遥が怒鳴られることはない。

しかし、武が怒声を上げるたびに、遥は少々ビクリと反応していた。

遥は怒鳴られるヴァルキリーズの面々に、幾ばくか同情しながら武のことを分析していた。

 

(白銀少佐は的確に皆のミスを突いている……しかも全員の操作を同時に見ながらであるにもかかわらず、1つの操作ミスも見逃すことはない。例え怒鳴りながらでも、その間に起こったミスを見逃すことはない)

 

そう。武は遥の見抜いた通り、どんな些細なミスも見逃すことはなかった。それが例え同時に起こったとしても、しっかりとその2つのミスを指摘する。

 

(少佐はよく怒鳴るけど、1回目は淡々と指摘するに留まる。それが2度、3度繰り返されると怒鳴る。私も訓練兵時代はよく怒鳴られたけど……ここまで怒鳴られたことはなかったなぁ――)

 

付け加えると、武はミスを恐れての臆病な操作をしたときが最も強く怒鳴る。

 

(でも、CP将校としてこの管制室から見ていると、尚更よく分かる。皆、確かに動きがどんどんよくなっている……午前中は、ピアティフ中尉に協力してもらって訓練してるけど、自分たちであれこれ考えるのと、発案者に直接見てもらうのとでは、やはり大きな差がある。何よりも訓練後の質疑応答で、皆の質問の深みが日を追うごとに違ってくる……まぁ最初は訓練中の怒鳴る少佐と、訓練後の少佐のギャップの差には正直ビックリしたけど……皆も流石に慣れてきたみたいだし。ま、それが少佐の可愛いところでもあるんだけどね)

 

訓練最中の武はよく怒鳴るし、厳しいことばかり言う。

まるで訓練兵を見るかのように。

まぁ確かにヴァルキリーズはある意味で、XM3の訓練兵ではあろうが。

しかし訓練後の武は、訓練中のあの厳しさを引っ込めてヴァルキリーズと優しく接する。

最初は遥の言うように、そのギャップに皆驚いた。

当初、気軽に質問してくれと言った武に、皆及び腰にもなった。

だが、隊長としての矜持なのか伊隅が質問すると、武は訓練中に怒鳴った内容であったとしても、易しく丁寧に返答した。

そこからは簡単で、皆積極的に質問するようになった。

その代表格が以前にもあったように茜と速瀬であった。

 

「いいか!XM3は先行入力とキャンセル、コンボ全て綿密に連携して初めて真価を発揮する!どれ1つ欠けてもダメだ!分かったな!」

「「「はい!」」」

「――よし、30分の休憩とする。全員シミュレータから降りて身体を休めておけ」

「「「了解!」」」

 

武はそう告げると通信回線を閉じた。

伊隅はシミュレータから降りながら武をこう評していた。

 

(少佐の訓練は的を射ている。そこは神宮司教官と何ら変わりはない。訓練兵時代の厳しさには意味がある。厳しさを耐え抜いたことは、全て自信に繋がる。実戦では凄まじいほどのプレッシャーが衛士に襲い掛かる。無数のBETAを目の前に、誰もが及び腰になる。しかし、そこで皆思い出すのは訓練兵時代の厳しさなのだ。私はあの厳しい訓練を耐え抜いた。だからBETAなどには負けない――そう思って多くの衛士は奮起するのだ。そういった意味では、白銀少佐のこの訓練も同類であろう。しかし、訓練兵の頃は神宮司教官を鬼かと思うほど恐ろしく感じたが、少佐はそれと同類、或いはそれ以上に感じてしまう。迫力だけでいえば教官以上かもしれない)

 

伊隅は、シミュレータから降りたばかりの茜を見つけ、フォローする。

フォローしながらも武のことを評する。

 

(淡々と指摘するのは1回目のみ。2度目の指摘は雷鳴の如くの一喝に変わる。この訓練を耐え抜けば、私たちは恐らくXM3を1人前に使いこなせるようになるのであろう。少なくとも、少佐が思われる基準には達するはずだ――――もし、白銀少佐が今少し早く着任なさっていれば……野澤中尉、八柳中尉、槙原少尉、築地少尉、麻倉少尉、高原少尉を失わずに済んだかもしれない……いや、今は思うまい。私たちは一刻も早く、XM3を習得しなければならないのだ)

 

こうして伊隅はXM3の訓練に励んだ。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

伊隅は瞑っていた目を開く。

そして網膜投影に映し出された部下たちの顔を、1人ずつ見る。

皆、戦場故に固い表情だったが、それでも笑みを浮かべていた。

それを見た伊隅は部下たちの成長を嬉しく思う。

それと同時に武の厳しい訓練を有難く想った。

 

(誰1人欠けることなく、横浜基地に帰る。それが私たちのやるべき事だ)

 

伊隅は誰よりも固い決意を胸に秘めた。

網膜投影の端っこの方には時刻が表示されている。

その時刻は6時15分。出発前のブリーフィングで予告された時刻だった。

 

「時間だ。作戦に変更はない。貴様ら、準備はいいな?」

「「「はい!」」」

「よし、A-01部隊。前進!」

「「「了解!」」」

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

戦闘が始まった。

6時20分、佐渡島ハイヴから出現した旅団規模のBETA群が海底を南下。

6時27分、帝国海軍の海防ラインを突破し新潟に上陸。

6時48分、新潟県旧国道沿いに展開していた帝国軍第12師団が接敵し交戦を開始。

7時10分頃には中越、下越、新潟方面に交戦地域が拡大。

初動を敢えて帝国軍に譲ったA-01部隊だったが、戦闘に参加すると凄まじい勢いでBETAを殲滅した。

その勢いはまさに軍神の如くであったと、後の帝国軍の報告書に記載されるほどであった。

 

陽動役の突撃前衛長(ストーム・バンガード・ワン)である速瀬に近づこうとするBETAを、後衛である柏木や風間が援護する。

 

『ヴァルキリー06、要撃級が2体抜けたぞ!』

『06、了解』

 

柏木は87式支援突撃砲で要撃級を撃破する。

戦闘開始から既に2時間近くが経った。

そろそろヴァルキリーズは、予備弾倉の残りを気にしなければならない頃合いであった。

 

『ヴァルキリーズ各機。そろそろ補給の時間だ。後衛から順に補給を開始しろ』

『04、了解』

『06、了解』

 

伊隅の命令を柏木と風間が了承した。

今のところ戦闘は順調に推移している。

ヴァルキリーズの誰もがそう思っていた。

その時だった。

 

『柏木ぃ!』

『――えっ?』

 

宗像の叫び声がヴァルキリーズ全員の通信に響いた。

その声で柏木はハッとした。

そして気づいてしまった。

自分がほんの一瞬、気を抜いていたことに。

戦場ではその一瞬の気の緩みが死に繋がる。

柏木がそれに気付いた時、既に視界の横には速瀬の陽動に引っ掛からなかった要撃級が、その凶悪な前腕を振り上げていた。

柏木が思った。

 

(――あ、死んだな私。ちゃんとレーダーを見ていれば。こんなことなら……少佐にあのこと、聞いておけばよかったな……)

 

刹那のうちに柏木がそう思ったとき、ふと彼女は無意識に武のことを思い浮かべていた。

そして無残にも要撃級の腕が振り下ろされ、なかった――。

 

『えっ……?』

 

直後、要撃級の頭部に血の花が複数咲いた。

そして柏木に前腕を振り下ろそうとしていた要撃級が倒されると、残りの2体の要撃級にも血の花が咲き誇った。

それは36mmの弾丸によって起こされたものだった。

 

『柏木!ぼうっとするな!』

 

宗像の叱責で柏木は我に返った。

 

『は、はい!』

 

柏木は自分が死ぬところだったことを瞬時に理解し、冷や汗が滝のように身体中に吹き出るのを感じた。

 

『さっさと補給してこい!』

『りょ、了解』

 

柏木は補給地点に向けて行動を開始した。

そして補給作業中に伊隅が柏木に通信してきた。

 

『柏木、帰ったらしっかりお礼を述べるんだぞ』

『え、あっ、はい』

 

柏木は伊隅の言葉にハッとして、レーダーを凝視した。

凝視されたことで、レーダーが広域状態から縮小され、縮小マップに切り替えらえた。

するとそこには、柏木たち補給地点からかなり離れたところに、味方の識別マークが表示されていた。

その表示は帝国軍のものではなく、よく見慣れた国連軍の、同じA-01部隊の識別コードがあった。

本来存在しないはずの、A-07の文字がそこにはあった。

それが誰か、柏木は瞬時に理解した。

 

(――少佐。まったく、格好つけすぎですよ……)

 

直後に伊隅の声がヴァルキリーズ全体に響き渡る。

 

『貴様ら、いいか、これ以上少佐にみっともない所を見せるんじゃないぞ!』

『『『了解!』』』

 

伊隅の言葉でヴァルキリーズは気を引き締め直した。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「全く、帰ったら鍛え直しだな……」

 

そう言って武はトリガーから指を外した。

しかし、それでも決して気を緩めることはしない。

目の前の光景を凝視し、しっかりレーダーとヴァルキリーズの通信を傍受し続ける。

 

(久しぶりの支援突撃砲での長距離狙撃だったけど、案外腕は鈍っていないみたいだな。咄嗟の狙撃だったけど、案外どうにかなるもんだ)

 

実際、武の長距離狙撃の腕は悪くない。

寧ろ良い方であると言える。

無論、たまに比べれば数段劣るのは事実であり、彼女ならば1発で決めるであろうものに対し、武は数発を要する。

その為、咄嗟の連続狙撃であったが、無事柏木を救うことは出来た。

 

武がA-01に密かに同行したのには理由がある。

1番の理由は、やはり彼女たちが心配だったからだ。

幾らXM3を持たせているとはいえ、ある意味での初陣である彼女たちを放っておくことが出来なかったのである。

その他の理由としては、武が自分抜きでこの世界のA-01が、どれだけ戦えるかというのを見たかったというのもあった。

更にもう1つ付け加えると、連携訓練を一切していなかったというのもあった。

 

(連携訓練していない俺がウロチョロしているのも邪魔だろうしな。それに鬼教官である俺がいると、逆に背筋が固くなるかもしれないしな)

 

武は自分が鬼教官であることを認識していた。

そして武は自分が彼女たちに好かれていないだろうと思っていた。

実際は皆、武を素晴らしい上官として慕っているのだが、ここら辺の鈍い辺りが実に武らしいとも言える。

 

(俺は人類を救うという明確な意志の元に動いているが、全ての人間を救えると思うほど、今は餓鬼じゃない。それに俺は作戦上、必要とあれば部下に死ねと命じなければならない立場だ。だからこそ、そう命令する部下たちの命を時には救わなければならないとも思う。恨まれてもいい。憎まれてもいい。疎まれてもいい。どう思われたっていい。でも俺は前に進まなければならない。その為にも出来る限りのことはする。はぁ……嫌われるだろうなぁ。でもやらなければならないんだ)

 

武は帰ったらA-01を鍛え直すことを決意した。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日夜。

A-01と武は横浜基地に帰還した。

武は事後処理を伊隅やピアティフに任せると、直ぐにその足で夕呼の元へと向かった。

 

「只今帰還しました」

「ご苦労様」

 

武はビシッと夕呼に敬礼をした。

 

「はいはい、そういうのはいいから。それで、どうだったの?」

 

面倒くさいと言わんばかり、手をひらひらさせながら武の敬礼を交わすと、直ぐに本題に入るように夕呼は促した。

 

「まぁ何とか無事に終えました。今回はBETAの捕獲がなかったので、A-01としても楽だったでしょう」

「そう言えばあんたから説明を受けたわね。その捕獲したBETAをトライアルで使ったんでしょ?」

 

そう、本来であれば今回の新潟である程度の数のBETAを捕獲し、その捕獲したBETAをXM3トライアルの時に放出するはずであった。

 

「はい。そのお陰で基地の雰囲気が良くなったわけですが……まぁ、その分色々とおきましたから……」

 

武は言いにくいそうにそう言った。

何故ならそのトライアルでわざとBETAを放出したことで、夕呼の親友であるまりもを失うことになったからである。

 

「そうね……まぁこの世界では、あんたが基地襲撃事件なんてもんをやらかしてくれたお陰で、その必要ないわけだけど」

「はい。あ、これが簡易的ですが今回の報告書です。詳細な報告書は後で伊隅大尉が出してくれると思います」

「あ、そう」

 

武は夕呼に報告書を手渡した。

それを夕呼はパラパラとめくって流し読みをする。

 

「ふーん。随分と暴れたのね」

 

そしてある程度読み終えると、そう武に向かって言い放った。

 

「ええ。予め伊隅大尉に命じていたとはいえ、自分の想像以上にA-01は暴れてくれましたよ。その甲斐あってか作戦行動中、帝国軍がやけに興味深そうに見てましたよ」

 

報告書に記載された戦果は、普通であれば誇張されたものに感じてしまうほどのものだった。

1個中隊にすら満たない6機の戦術機が上げるにしては、異常な戦果だからだ。

しかし、これが誇張でないことを夕呼は知っている。

何故なら、武が戦果を誇張するような人間ではないことを知っているというのもあるし、何よりXM3ならば可能だと、夕呼は信じていたからである。

恐らく帝国軍はさぞかし驚いたであろう。

今頃、現地部隊が慌てて上層部に連絡したはずだ。

そしてその上層部も、そう簡単には信じないであろう。

しかしいずれは信じざるを得なくなる。

そのように武と夕呼が仕組んでいるからだ。

 

「そう。なら、布石としては充分かしら?今後はあの予定通りにやるの?」

「はい。鎧衣課長にお願いしようと思います。例の謁見の方は?」

「そっちも鎧衣が手を回してくれたみたいよ」

「そうですか。なら今後も予定通りに」

 

今のところ武と夕呼の思惑通りに事が進んでいた。

 

「しかしあんたもやるわね。鎧衣を手駒にするなんて」

 

武と鎧衣の密談を夕呼は見てはいない。

何故なら夕呼は、極力鎧衣と関わらずに済むなら、関わらずにいようと思っているからである。

夕呼と鎧衣は利害の一致により協力しているに過ぎない。

しかし武は、鎧衣と利害の一致という範疇を越えての協力者としてしまった。

そこに夕呼は感服しているのであった。

 

「別に夕呼先生ほどじゃありませんよ」

「そ、褒め言葉として受け取っておくわ」

 

夕呼はこれを皮肉と受け取ったらしい。

 

「別に皮肉ってわけじゃ……あ、そう言えばエレナの方はどうなりました?」

「そっちも順調。明日には動かせるわよ」

「分かりました――夕呼先生、改めてですが……ありがとうございます」

 

武の礼に夕呼は何も答えず、ただそっぽを向いた。

しかしその頬が僅かに紅かったことに、武はついぞ気づかなかった――。

 



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Episode23:悠陽とエレナ

Episode23:悠陽とエレナ

 

 

????年??月??日(?)??:??

 

 

「――それで結果は?まぁ、分かってはいるけど」

「……白です。隈なく調査を行いましたが、基地の内外共に不審な痕跡はありませんでした――手掛かりは全くありません」

 

とある世界、とある時間軸のとある横浜基地。

ご存知の通り、オルタネイティヴ第4計画総責任者・香月夕呼の執務室。

部屋主である夕呼の問いに、副官のピアティフが幾分か申し訳なさそうに答えた。

 

「ここまで完璧となると米国が関わっているのか、或いは……」

 

執務室には珍しく、この横浜基地の司令であるバウル・ラダビノッドもいた。

夕呼の良き理解者兼協力者として、オルタネイティヴⅣに関わる彼だが、夕呼のする事に首を突っ込むことはまずなかった。

しかし、今回ばかりは事が事だけに、彼もこの場に同席していた。

 

「分かりませんが、いずれにせよG元素……グレイ・シックスの消失は、何としてでも伏せなければなりません。仮に手を出したのが米国……第5計画派だとしても、この事が公になれば、第4計画の接収を大々的に歌い出す可能性があります。最もそうなった場合、背後関係を洗えば、この事態が誰の手によるものかを推し量ることが出来ますが……」

「あまりにもリスクが大き過ぎるな。しかし何故グレイ・シックスなんだ……ナインやイレブンなら兎も角、シックスは博士も第5計画側も、持て余しているのだろう?」

 

ラダビノッドの問いに、夕呼は少々答えづらそうにしながら答える。

そう、グレイ・シックスは天才の夕呼といえども、未だに使い道が見つかっていない元素なのである。

 

「はい。グレイ・ナインは、00ユニット、量子電動脳や電磁投射砲に欠かせません。グレイ・イレブンは、重力制御を行うムアコック・レヒテ機関に必須なわけですが……グレイ・シックスは、負の質量を持つというだけで、今の所大した使い道が見つかっておりません」

 

一度場は沈黙に包まれた。

そして、その沈黙を破ったのはラダビノッドだった。

 

「うーむ。結局、実行犯からその目的まで全てが不明……という訳だな」

 

結局の所、彼の言う通りだった。

厳重に保管していたG元素の突然の消失。

オルタネイティブ第4計画、第5計画共に、その根幹を成すBETA由来の人類未発見元素だが、その量は極僅かしか存在しない。

BETA由来という事は、その元素がある場所は必然的にハイヴ内部となる。

現在、人類が攻略出来たハイヴは、横浜のみであるが故にとても貴重である。

だからこそ、厳重に横浜基地の最深部に保管されていたはずだった。

その保管庫へのアクセス権限を持つのは、この基地では夕呼のみである。

にもかかわらず、グレイ・シックスは消失した。

これは、大事で済まされる程度の問題ではなかった。

 

「――ピアティフ、引き続き調査の方は宜しく頼むわ……無駄だとは思うけど」

「分かりました。ですが、ここまで痕跡がないとは……まるで神隠しか何かですね」

「……神隠し?」

 

冗談交じりに呟いたピアティフの言葉に、夕呼の眉がピクリと反応した。

 

「博士?どうかしたのかね?」

「いえ、他愛もないことですわ……」

 

そう返した夕呼だが、その瞳には何かしらの確信がある様子だった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月13日(火)13:00

 

 

その空間は、荘厳と表現するに相応しい空間であった。

敷き詰められている1枚1枚の畳や、部屋の大半を覆う美しい墨絵の描かれた襖達が、この空間を形作っていた。

いや、それだけではない。

この建物内にいる全ての人間たちが、この空間をより一層特別なものとしていた。

事実、ここは比喩抜きで帝国においての聖域である。

帝都城。

それがこの場所の名だ。

その聖域である帝都城の一室、つまりは将軍が謁見する際に使用する部屋で、青い国連軍C型軍装に身を包んだ少年と少女の2人が、この城の主を待っていた。

待つこと既に十数分。

それなりに待った方である。

しかし、国連軍の軍装に身を包んだ少年こと白銀武は、不思議と待った感じがしない。

それは、この場が発する独特の雰囲気が故か。

武がそろそろかな……と思った頃。

部屋の外から、襖の間に指が差し込まれた。

スッとそのまま襖が開け放たれる。

開け放たれた襖の向こうには、翡翠色の髪をした眼鏡をかけた無表情の女性の姿があった。

彼女は襖を開け放つとすぐさま襖の端により、座礼をした。

すると1人の女性が、いや少女が入室した。

武は部屋の外の女性と同じように、深々と座礼をした。

入室した少女は、そのままこの部屋の最高位者の席、最も上座に当たる場所に座った。

遅れて翡翠色の髪の女性が部屋に入り、傍に控えた。

上座に座ったのは、長い紫色の髪が似合い、凛々しいながらもどこか柔和さも兼ね備えた少女だ。

けれども、少女の特徴はそれではない。

着ている和服やなにより佇まい表情、少女を構成する1つ1つが、この場の者よりも高位であると誰の目にも明らかにさせる気を発している。

 

「面をあげなさい。国連の使者殿」

 

少女がそう告げたことで、ようやく武は頭を上げた。

 

「拝謁に賜り、これ以上ない喜びでございます。煌武院悠陽殿下。白銀武と申します。小官は末席なれども佐官を賜っておりますが、未熟者ゆえ御不快にさせることがあるやもしれぬことを、先にお詫びさせて頂きます。また、このような時に謁見させて頂いたことを心から御礼申し上げます」

 

武は残念ながらこの手の儀礼には乏しい。

もし前世で、真那に儀礼を教わっていなければどうなっていたか……そう想像すると少し身震いがした。

 

「構いません。其方は武官の身。本領を発揮するのは戦場でありましょう。畏まらず、臆さず話しなさい。本日は其方の……いえ、横浜の本心を知りたいのです」

「はっ」

 

武は悠陽の性格を知っている。

その悠陽の性格が、この世界でも前世のそれと変わらないのであれば、余計な気遣いや儀礼は無用。

恐らく、すぐに本題を切り出してくるだろうなと思った。

それ故に武は向こうが話を切り出すのを待った。

そしてその予測は見事的中した。

 

「単刀直入に申します。先日、国連より提出された資料は私も拝見しました。アレは本当なのですか?」

 

アレ、とは謁見する口実として夕呼が用意した計画書のことだった。

武は心の中で一度気合いを入れて、口を開いた。

 

「はっ。極東国連軍は12月下旬を目途に、甲21号目標、佐渡島ハイヴ攻略作戦を計画しております。その作戦に帝国軍、ひいては斯衛軍にも参加して頂きたく、お願いに参った次第でございます」

 

そう、今日の謁見の表向きの理由は、横浜基地が提出した、甲21号作戦計画のことであった。

 

その資料は、先日武が協力関係を構築した鎧衣課長経由で悠陽の元に届いている。

つまり、公式ルートを通じてのものではないということである。

通常、悠陽への謁見は、日本帝国政府及び城代省を通して行われる。

そしてこの手の段取りは、通常1ヶ月ほどの時間を有する。

しかし、そんなに待っていてはいられない。

そこで鎧衣課長が必要となるわけである。

要は鎧衣課長に裏工作をしてもらい、謁見の段取りを早めたのである。

その様な理由から、この謁見は公式にして、非公式なものというわけである。

因みに、悠陽はこの裏事情を全て知っている。

横浜が正規ルートを得ず、裏ルートで悠陽に接触してきたからこそ、直ぐに本題に入るよう促したのである。

 

「香月博士は誠に、佐渡島ハイヴを陥落させてみせると?」

「はい。G弾を用いずに、国連と帝国のみで佐渡島を攻略致します。その為の準備は横浜で、刻々と整いつつあります」

 

鎧衣課長経由で届いた表向きの資料、甲21号作戦計画書。

まずはそれについて話しが進む。

しかし真の目的は別にあった。

そしてその真の目的をどう切り出そうかと迷っていた武だったが、それは思わぬ形で成熟することとなった。

 

「それが真であれば、帝国にとってこの上ない僥倖ですが――其方は、白銀……と言いましたね」

「はっ」

「聞けば其方は、かの香月博士の助手と聞いておりますが、それは真ですか?」

 

思わぬところでの、思わぬ質問。

武は疑問に思った。

しかし相手が相手だけに、答えねば失礼にあたる。

 

「はい。若輩の身ながら、香月博士の助手を務めさせて頂いております」

「その若さで……」

 

武の返答に、悠陽が少しばかり驚いたような声を出した。

しかし表情には出ていなかった。

そこら辺は流石将軍様といったところだろう。

 

「殿下。畏れながら歳は関係ないかと。殿下もお若い身ながら、立派に将軍職を務められているではありませんか」

「いえ、私程度の身では……」

「再度畏れながら殿下。その程度の心持では、今後が危ぶまれてなりません」

 

武は少々危険な手を打つことにした。

 

「無礼者!」

 

ここで思わぬ横やりが入った。

部屋の隅に控えていた翡翠色の髪の女性、月詠真那とよく似た容姿の女性、月詠真耶の声だった。

 

「良いのです、月詠」

 

真耶の横やりを悠陽が制する。

 

「ですが!?」

「私は良いと申しましたよ」

「はっ……」

 

主人に制されたことで、真耶は渋々と引き下がった。

武はこの隙を見逃さなかった。

話題を切り替えるには今しかないと思い、口を開いた。

 

「殿下。本日、私が参りました真の理由は、こちらを殿下にお見せする為です」

 

武は予め用意していた書類を鞄から取り出した。

失礼のないよう作法に則って出されたその書類は、鎧衣課長経由で渡った甲21号作戦計画書よりも分厚い資料であった。

 

「私に?」

「はい」

 

武はその書類を前に差し出し、真耶に目配せをした。

すると武の意図を察した真耶は、スッと静かに立ち上がり、その資料を武から受け取ってそれを悠陽に差し出した。

無論、書類を受け取るときに武を睨むことを忘れなかった。

しかし、そこで真耶はハッとする。

 

(この白銀という男、自分で無礼を許せと言った割には作法がしっかりしている。というより、そこら辺の斯衛よりもらしい立ち振る舞いだ……)

 

武の前世での斯衛暮らしが、この場で役に立っていたのである。

 

真耶から書類を受けとった悠陽は、早速書類に目を通す。

そして読み進めるにつれて、ほんの僅かではあるが、悠陽の目に変化がある。

彼女がいずれ疑問を口にするのを予測した上で、武は彼女が口を開くのを待った。

 

「これは一体どういう事ですか、白銀」

「そこに書かれた通りでございます」

「まさかクーデターを企む者たちがいるなど……」

 

悠陽のその言葉に、部屋の隅に控えてきた真耶が驚き、目を見開く。

そして武の方を見た。

その真耶からの視線を他所に、武は淡々と告げた。

 

「殿下。クーデターもそうですが、真の問題は、そのクーデターの背後にいる者たちです」

「米国……」

 

悠陽の言葉に、真耶の表情が曇る。

それを武は横目で確認した。

やはりこの世界の斯衛でも、米国への心証は相当に悪いらしい。

 

「はい。背後にいるのは米国のCIAです。かの者たちが何を企んでいるか、それは今更説明せずともよいでしょう」

 

武の言葉に悠陽が、初めて表情らしい表情を見せた。

 

「香月博士は……いえ、其方は何が目的なのですか?」

 

悠陽の目には警戒の色があった。

 

「人類の未来(あす)のためです。殿下、その後をお読み下さい」

 

武に促され、悠陽は書類の続きを読み始めた。

そして彼女が書類をあらかた読み終わるまで待ち、タイミングを見計らって告げた。

 

「殿下。こちらにいる彼女が、その00ユニットです」

 

武の少し後ろに控えていた少女の正体が、ここでようやく明かされた。

そう、彼女は00ユニット:No2のエレナであった。

彼女もまた、武と同様に国連軍C型軍装を身に纏っていた。

 

「っ!?まさか……人ではありませんか……」

 

悠陽が初めて武に驚きの表情を見せた。

 

日本帝国の事実上のトップである悠陽は、立場上、オルタネイティヴⅣの真相をある程度知っている。

知らないことはないだろうが、一応武が提出した書類にもオルタネイティヴⅣの事は書いてあった。

そして00ユニットは、夕呼の公言通りなら……半導体150億個を、手の平サイズに……である。

悠陽は恐らく00ユニットとは、超高性能なコンピュータと認識していたのだろう。

まさか00ユニットが人の姿をしているとは、夢にも思わなかったのである。

 

「はい。このエレナは人でありながら同時に、00ユニットでもあるのです」

 

武は00ユニットについての説明と、エレナがどうして00ユニットになったのか。

その理由を細かく説明した。

 

「そうですか……彼女にはそのような過去が……」

 

武からエレナの過去を聞いて、悠陽は言葉に詰まってしまった。

 

「はい。香月博士は、決して悪魔などではありません。BETAに、身も心も蹂躙されたエレナに、人としてのアイデンティティである肉体を再度与え、そして心をも取り戻させたのです」

「……」

 

武は真剣な目をして悠陽に訴えかけた。

 

「殿下。どうかご裁可下さい。人類の未来を共に切り開くために」

 

悠陽は珍しく人前でやや考える素振りを見せた後、こう述べた。

 

「……分かりました。この作戦、承認しましょう」

「ありがとうございます」

 

武は悠陽に向かって深々と礼をした。エレナもそれに続いた。

 

「ところで白銀。私から1つ尋ねたいことがあります」

「何でしょうか?」

「先日の新潟でのBETA上陸の際、国連の部隊が出動していました。その部隊は香月博士の例の部隊でしょうか?」

 

例の部隊とは、言わずもがなA-01の事を指していた。

 

(きたか……)

 

武はもしこの話題が今回出てこなければ、どう対応したものかと悩んでいたが、それは杞憂だったようだ。

 

「はい。A-01部隊です」

「やはりそうですか……」

 

しかしここで悠陽は口を噤んだ。

恐らくどう切り出したものか迷っているのだろう。

下手に切り出すと、こちらの手の内を明かしてしまう……と考えているのだろうか。

だがこれらがもし、武の手の内であったとしたらどうだろうか。

 

「殿下、もしや殿下は吹雪と武御雷の映像のことを仰りたいのではないですか?」

「……何故それを?」

 

悠陽の目に、再度警戒の色が浮かんだ。

 

「恐れながら殿下。あの吹雪の衛士は私だからです」

「それは真ですか?」

 

約1週間前に行われた、月詠真那率いる第19独立警備小隊の、武御雷対吹雪の模擬戦の映像。

あの映像を武と夕呼は、鎧衣課長経由で意図的に城代省、即ち斯衛軍に流していた。

普通に考えて、高等訓練機である吹雪が、実戦使用の武御雷に勝つなど有り得ない。

故にこの映像は、城代省に少なからずの衝撃を与えた。

通常であればこのような映像、誰も信じることはないであろう。

しかし城代省……斯衛は、この映像を一蹴することが出来なかった。

何故なら、一昨日のBETA新潟上陸の際、国連軍の不知火6機があげた、尋常ではない戦果があったからだ。

この吹雪対武御雷の映像が、斯衛に届いたのがつい2日前。

BETAの新潟上陸の報と、ほぼ同時期にやってきた。

当初、斯衛内では、この映像は偽装工作の類ではないかと疑われた。

だが、この映像を届けたのが鎧衣左近であったという点で、斯衛は大きく混乱した。

そこへまるで図ったかのように届いた、国連軍所属の不知火による、尋常でない戦果の報告。

結局、城代省は混乱しながらも、この情報を悠陽に報告した。

正確には、報告せざるを得なくなってしまったのである。

何故なら城代省のこの慌てっぷりは、自然と悠陽の耳に入ってしまったからだ。

上にどうしたと問われれば、それは真実を報告しなければならない。

悠陽も当初は耳を疑った。

しかし、映像を見れば、この報告が真実であると認めなければならない。

そこへまたも鎧衣からの奇妙な報告。

なんでも、香月博士の助手が謁見を求めていると言う

悠陽は、これが謀略の類であると疑いつつ……その謁見を承諾した。

そして先ほどの質問に至る。

悠陽は武が新潟にいた部隊が、夕呼子飼いのA-01であると分かった時点で、あの映像が横浜からの謀であると思った。

そしてそれを肯定するかの如くの武の発言。

悠陽の中で疑念は確信に変わった。

 

「横浜は……一体何を考えているのですか?」

「人類の勝利でございます、殿下」

 

悠陽は僅かながら眉間に皺を寄せかけた。

しかし、そこで武の目が一寸の迷いもなくこちらを見ていることに気づき、寄せかけた皺を元に戻した。

 

「――此度の謀が……一体どう、人類の勝利に繋るというのですか?」

「あの映像にあった吹雪、そして先日のA-01部隊の戦果は全て、XM3によるものにございます」

「エクセムスリーですか?」

「はい。詳細はこちらの資料に纏めてあります」

 

武はXM3について、事細かに説明した。

 

「このようなモノを横浜が開発していたのですか……」

「はい。このOSをいずれ、斯衛及び帝国軍に配備させて頂ければと思っております」

 

悠陽は遂に言葉を失った。

もしこのOSが配備されれば、死傷者が減ることが目に見えたからである。

 

「しかし、今すぐという訳に参りません」

「それはまたどうして――――なるほど……クーデター、ですか」

 

察しがいい悠陽に武は感服した。

 

「はい。クーデター側に、このOSを流すわけには参りません故」

 

武は今後の展望を、悠陽に嘘偽りなく話した。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「はぁ~。つっかれたぁ……」

 

武は帝都城からの帰りの車内でそう呟いた。

僅か2時間程度の謁見だったにもかかわらず、身体は疲労困憊。

後述の出来事と相俟って、自然と欠伸も出てしまっていた。

 

「お疲れ様」

 

車を運転しながら、武は首を右左へと動かしてコキコキと鳴らした。

やはり相当緊張していたらしい。

そんな運転手である武の横、助手席に座るのは00ユニットであるエレナだった。

 

「やっぱりこの手の交渉は、夕呼先生に任せるべきだったかな?」

「自分で志願したくせに何言ってるの?」

「う……」

 

エレナの容赦ない突っ込みに、武は言葉がつまった。

 

「そ、そう言えば、エレナは悠陽と会うのは初めてだったか?」

「そうね。武から聞いた通り威厳があったわね。あの歳で将軍なんて……私には到底務まらないわ」

 

エレナが心底感心したかのように言った。

声に抑揚が少ないのがエレナの特徴だが、前世からの長年の付き合いである武には分かった。

 

「ほんとだよなぁ……変われって言われても、無理だもんなぁ」

「……私、あの人となら仲良くなれそうだわ。私の過去を知って浮かべた感情が、同情や憐れみじゃなかったもの」

 

エレナが何故、悠陽の感情を理解しているのか。

それは今更説明するまでもないだろう。

因みに、エレナのリーディング能力は、武と夕呼に対しては制限が加えられている。

逆に、プロジェクションは制限が課されていない。

 

「そうか……まぁ何であれ、A-01とは仲良くしてくれよ」

「……努力はするわ」

「そう心配するな。A-01の皆は、前に話したようにいい人たちばかりだから」

「……」

 

武の言葉にエレナは何も答えなかった。

そんなエレナの横顔を、チラ見しながら車を運転する武は、つい数時間前の出来事を秘かに思い出した。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日。02:38

 

 

「――ケル。起きて、タケル」

「んあ?」

 

その日、武はそんな呼びかけで意識を覚醒させた。

しかしいつもの霞の声ではない。

どこかで聞いたような、懐かしい声だった。

それに、霞がこんな時間に起こしにくるわけがない。

武の体内時計が正常なら、時間はまだ深夜なはず。

そんな感じの寝ぼけている頭で記憶を隅々まで辿り、やがてその声の答えにたどり着いた。

 

「………………エレナかッ!?」

 

武はガバッと飛び起きた。

 

「きゃぁっ!」

 

飛び起きて辺りをキョロキョロと見回すが、エレナの姿はない。

そして視線を落とし、床の方へとやると、そこには尻もちを付いた一糸纏わぬ姿のエレナがいた。

いや、正確にはバスタオルを身体に巻いていたようだが、武が飛び起きた衝撃ではだけてしまったようだった。

 

「おまっ!?なんつーカッコしてんだ!」

「しょうがないでしょ。着るものがなかったんだから」

 

武は床に落ちたバスタオルを拾い、エレナの前を隠した。

エレナは起き上がり、バスタオルを身体に巻きなおした。

それを待って武は声を発した。

 

「――エレナ……久しぶりだな」

「ええ、タケルこそ……元気そうね」

 

2人の間に暫しの沈黙が流れる。

そして武は俯きこう言った。

 

「エレナ……その、すまなかった」

「どうして謝るのよ……」

 

突然の武の謝罪に、エレナは困惑した表情を浮かべた。

しかし、内心ではその理由が分かったようで、直ぐに困惑した表情は無くなり、逆に顔をしかめた。

 

「いや、あれは完全に俺の判断ミスで……」

「そんなことないわ」

 

武の言葉をエレナはすぐに遮った。

 

「あの状況では仕方なかったのよ。あれは私の運命(ディスティニー)なのよ」

 

エレナは目を瞑って、何かを思い出しながらそう言った。

再び2人の間に沈黙が流れる。

 

「エレナ……」

 

武が彼女の名を呼んだ。

 

「タケル……」

 

エレナも彼の名を呼んだ。

2人が互いの名を呼び、2人が互いに互いの距離を詰める。

そして両者の顔が、いや唇が互いに触れそうな距離まで近づいた。

 

「白銀!エレナって娘、ココに来なかった?」

 

その瞬間だった。

武の個室のドアが開き、夕呼が入ってきた。

声はだいぶ慌てた様子で、ノックなどはなかった。

それがいけなかった。

どういう経緯があれ、今の武とエレナを見れば色々と誤解されそうな状況だった。

最も普段の落ち着いた夕呼でも、ノックなどしないだろうが。

 

「これは、これは……失礼しました……」

 

夕呼はそう言いながら、武の部屋を後にした。

 

「ちょ!夕呼先生待った!何か誤解してます!」

 

そんな夕呼を武は慌てて呼び止めた。

 

「全く……ユウコも少しは空気を読んでほしいわね」

「エレナ!?何を言って……」

 

そんなやり取りが部屋の中で行われると、部屋の外から明らかに楽しそうな夕呼の声が聞こえてきた。

 

「どうぞどうぞ。私に構わず始めて構わないわよ」

「どう考えても聞き耳立ててますよね、先生!」

 

こうしてエレナと夕呼のコンビネーションによる、武イジりは暫く続いたのだった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「そう。そういうこと……」

 

場所は移り変わり、地下19階の夕呼の執務室。

エレナは、バスタオル1枚の姿からしっかり着替え、国連軍使用のBDU姿になっていた。

時間は深夜3時だったが、武とエレナ、そして夕呼と霞がこの場に集っていた。

しかし、エレナと夕呼にイジり倒された武は、既に眠気など途方の彼方へと去ってしまっていた。

 

エレナは夕呼と武から、現状についての説明を受けていたところだった。

 

「道理でタケルが若返っていたわけね」

 

全てを聞いたエレナは状況を理解し、初めから違和感があった武の容姿についても納得した。

 

「前の俺ってそんなに老けてた?」

「まぁ、それなりにね」

「うそーん」

 

エレナの容赦のない発言に、武は少なからずのショックを受けていた。

そんな武を他所に、彼女は夕呼と話す。

 

「じゃぁ、ユウコって呼び捨てにしない方がいいかしら」

「あんたとあたしって、前の世界じゃそんなに仲良かったの?」

「ん」

 

夕呼の問いにエレナは一言で返した。

そして夕呼の頭に流れ込んできたのは、前の世界での夕呼とエレナのやり取りだった。

所謂プロジェクションで、前の世界の夕呼とエレナの姿を見せたわけである。

 

「なるほど。これは仲良くできそうね」

「この世界でもよろしくね、ユウコ」

「こちらこそ」

 

エレナと夕呼はガッチリと握手を交わした。

一瞬にして両者は分かりあえたのである。

 

「なんか、すんげー嫌な予感がするんですけど」

「あら?そんなことないわよ」

「そうよタケル。これは女の約束なのよ」

「?」

 

武の言葉にエレナと夕呼は謎の一体感を出してきた。

それを見て青ざめる武と、可愛く首を傾げる霞であった。

 

「にしても、ユウコも若いわね」

「あんたたちの世界のあたしって……そんなに老けてるの?」

「老けてるって言うより……ねぇ?」

「何よ……」

 

エレナの言葉に夕呼が顔をしかめた。

 

「いい歳した女が、タケルに夢中になってるのはね」

「あたしが……白銀と?」

「そうよ」

 

エレナの発言に夕呼が固まった。

果たして彼女は何を思っているのか。

ただ一つ言えることは、こんな夕呼を見るのは始めてだと、武が思ったことぐらいか。

 

「――何かの冗談でしょ」

 

ようやく夕呼から絞り出された声は、そのようなものだった。

 

「冗談じゃないわよ。以前だって私の番だったのにユウコが……」

「ちょっと待ちなさい!あんたこっち来なさい!」

「何よ」

 

ユウコがエレナを引っ張って壁の隅に寄っていき、ヒソヒソ話を始めた。

 

「何話してるんだろ……」

「……」

 

ヒソヒソ話を始めた2人を見ながら、武に霞に向かって問いかけた。

それに対し霞は無言だった。

そんな霞を見た武は、更に不安に駆られるのだった。

そして暫くして2人はヒソヒソ話を止めた。

 

「いいわ。その話乗ったわ、ユウコ」

「よろしく頼むわ」

 

2人の間で何か密約が成立したらしい。

2人は再度ガッチリと握手を交わした。

 

「うん。すんげー嫌な予感がする」

 

前の世界でも見たこの2人の共闘には、武も散々苦しめられてきた。

武はこの世界でもなのかと、半ば諦めの衝動に駆られた。

 

「あ、それより夕呼先生。今日の謁見に、エレナも連れて行こうと思うんですが、大丈夫ですか?」

「連れて行くの?別に大丈夫よ。ちゃんとODLの浄化措置は済んでるし……まぁ、急にいなくなったときはビックリしたけどね」

「私も混乱してたのよ。だって死んだと思ったら、またODLの浄化を受けてたんだし」

 

夕呼としてはエレナの死んだ……と思ったというところに疑問を持ったが、今はとりわけて突っ込むことはやめた。

 

「まぁ、取り敢えず現時点では、問題はないわよ」

「分かりました。エレナ、じゃぁ後でC型軍装に着替えておいてくれ」

「ピアティフに用意させておくわ」

 

こうしてエレナの今日の予定は急遽決まったのである。

 



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Episode24:武の優しさ

Episode24:武の優しさ

 

 

2001年11月14日(水)07:30

 

 

A-01こと、伊隅ヴァルキリーズの朝は早い。

横浜基地に駐留するどの部隊よりも、そして207B訓練小隊よりも早い。

故にヴァルキリーズは、他の部隊がまだ朝食を取っているだろう時間帯には、既に集合していた。

ヴァルキリーズは勿論のこと、CP将校の遥も含め皆、ブリーフィングルームに集まっていた。

 

「敬礼!」

 

武の入室に伴い、A-01の面々が伊隅の号令で、一斉に武に向かって敬礼をする。

武がそれに応え、敬礼を解くと、A-01の面々も同様に敬礼を解いた。

武は部屋の中央に移動し、全員を見渡せる位置に達すると、口を開いた。

なお、彼女たちとは3日ぶりの対面である。

これまで2日以上、彼女たちと会わないことがなかったことから、武は久しぶりな感覚を得ていた。

 

「皆、ご苦労だった。誰1人欠けることなく、帰還出来たことは幸いだ。また同時にXM3の宣伝としては、この上ない戦果を挙げてくれた。礼を言う」

 

武はまず労いの言葉をかけ、またXM3の宣伝のために、彼女たちが挙げてくれた戦果について礼を言った。

だが、その後の武の表情は一変し、訓練の時のような厳しいものとなる。

 

「しかし、だ……危うい状況があったのも事実だ。今後そういう場面がないように、更に厳しく訓練を重ねていく。いいな?」

「「「はい!」」」

 

言わずもがな、柏木の件である。

敢えて誰とは言わなかった武だったが、全員誰のことかハッキリと分かっていた。

武はチラッと柏木を見た後、全員を見回した。

だが、みんな凛々しい表情をしていた。

それを見た武は、これなら大丈夫だろうと内心安堵するが、指揮官としてそのような気の緩みを見せるわけにはいかないと、自身も気を引き締める。

 

「よし。では、早速訓練に入る……と言いたいところだが、1つ貴様らに伝えねばならないことがある」

 

A-01部隊の面々は皆、頭に疑問符を浮かべる。

 

「知っての通りA-01部隊は、オルタネイティヴ第Ⅳ計画の直属の極秘の特殊部隊である。部隊の性質上、帰還が望めない任務や、激戦区に投入されることも多いだろう。それは今後も変わらん。これからの任務は、それら全てを兼ね備えたものとなる」

 

武のこの言葉で、皆の背筋が伸び、雰囲気が一変する。

 

「まだ詳細を明かすことは出来ないが、次の任務は、文字通り激戦区……いや、若しくは帰還が望めないかもしれない任務となるだろう。そしてその任務の成功が、オルタネイティヴⅣの成功を左右するものとなる。貴様らにはそれを心に秘めた上で、これからの任務や訓練にあたってもらいたい」

 

全員が神妙な面持ちで頷く。

武はそれを確認すると、話を進める。

 

「また、それを並行してA-01部隊の増員が行われることになる。予定では貴様らと俺を含めて、24名程度にまで増員する予定だ。この数字には、若干前後があるとは思われるが……まぁ兎に角、増員されるということだけは覚えていてくれ」

「「「了解」」」

「そこでだ……今日は、最初の増員メンバーを紹介したいと思う――――入れ」

 

武の合図でブリーフィングルームの扉が開き、1人の少女が入室する。

まず、最初に目に入るのは、無垢で純粋な長い金髪だった。

まるで天使に与えられたかのような、煌びやかな金髪。

それが彼女の第1の特徴と言えるだろう。

次に目に入るのが美しいプロポーション。

胸は少々控えめだが、それでも国連軍C型軍装の上からでも分かる程度には主張している。更にキュッと締まったウエストに、主張しすぎないヒップ。

そして小さな唇に透き通るような碧眼。

そう……00ユニットのエレナであった。

 

「エレナ・ブレアムです。よろしく……お願いします」

 

エレナ・ブレアム。

これが00ユニットとなった、現在の彼女の名である。

だが、実は彼女にはもう1つ名があり、本名はアリシア・ブレアムである。

何故、彼女の名前が変わったか……これを説明するには、彼女の過去を少し紐とかなければならない。

 

エレナ・ブレアムことアリシア・ブレアムは、実は孤児院の出身である。

ある雨の降る寒い夜……アリシアは孤児院の前に、まだ幼子の状態で捨てられており、その胸元には「アリシア」と名の書かれたメモ用紙が、ただ載せられていただけだったという。

それから彼女は16歳になるまで、この孤児院でその人生を過ごすことになる。

孤児院ではお姉さん的存在であり、皆に頼られる明るい少女であったそうだ。

この時にアリシアは、自身には無かった苗字を得ることとなる。

それを授けたのは、この孤児院の院長であったマリー・ブレアムである。

マリーは、孤児院にいる子供たちは、皆家族である……という認識を持っており、子供たちにもよくそれを説いていた。

そして名を持たない子供たちには名前を与え、名はあるが、苗字を持たない子供たちには、自身と同じブレアムという苗字を与えていた。

マリーは全員を、自らの子供として扱った。

孤児院の子供たちは、皆マリーを親のように慕っていたという。

そういった理由から、アリシアはブレアムという苗字を得たのである。

 

やがて成長したアリシアは、16歳の時に国連軍に志願する。

志願した理由は、志願兵は徴兵された兵士と比べて給料が良いこと。

そして、家計が苦しくなった孤児院の口減らし……という点からである。

そして彼女は以降、自らの給料の大半を、その生まれ育った孤児院に寄付することとなる。

訓練課程を終えたアリシアは、やがて国連軍衛士となって前線に立つことになる。

そして死の8分を乗り越えた彼女は、優秀な衛士として数々の前線を転戦することとなる。

アリシアが中尉に昇進し、部隊の指揮に慣れた頃、彼女の運命を変える出来事が起こる。

1998年1月、朝鮮半島南部における、国連軍及び大東亜連合軍の撤退を支援する、光州作戦が実施される。

光州作戦は、かの有名な彩峰中将事件、或いは光州作戦の悲劇で後の世に有名になる作戦であり、アリシアもこの作戦に参加していた。

そして彼女の部隊は、孤立した国連軍司令部の救出を命じられる。

しかし、前線が崩壊したことにより発生した防衛戦の穴から漏れた多数のBETAが、彼女のたちの救出ルート上に押し寄せ、奮戦空しく彼女の部隊は全滅する。

その後はお察しの通りとなる。

 

アリシアは、身も心もBETAに蹂躙された。

実験材料となり、武に見つかるその時まで、長い年月にかけて凌辱された。

純夏が半年程度であったのに対し、アリシアは実に7年にも及ぶ長きに渡り犯された。

それだけの月日の間、自我を維持し続けるのは、並大抵どころかほぼ不可能に近いことであった。

それ故に、鉄源ハイヴを攻略した当初、夕呼も生存者に関しては全く期待していなかった。

しかし、アリシアは生きていた。

生きて、途切れる寸前の自我を維持していた。

結果、アリシアは選ばれた。

2人目の00ユニットの被験者として。

 

調律は困難を極めた。

そもそも自我が途切れる寸前だったのだ。

作業は、その自我を繋ぎ止めることから始まった。

自我を繋ぎ止めた次は、アイデンティティの復活。

なんせ肉体を失って長かったのだ。

肉体の感覚を戻すだけでも一苦労だった。

それが済んでやっと、自我を取り戻す作業に入れたのだった。

ここでまできてようやく、エレナという名前が付いた由来を話す事ができる。

 

以前にも述べたように、エレナという名前の由来は、ギリシア語で明るいという意味を持つ言葉と、ギリシア神話の光の女神からである。

髪の色が、明るく純粋で無垢な金髪だったというのもあり、武はそう名付けた。

何より明るい女の子になりますように……という武の願いが籠った名前だった。

武は脳髄姿の彼女に名前をつけた。

それがエレナだったのである。

では何故、アリシア・ブレアムという名前があるのに、エレナと新しく名付けたかという話になる。

それは彼女が自我をギリギリ保っていた……というところに話が戻る。

アリシアの自我は、本当にギリギリのところで保たれていた。

故に当初、脳髄姿のアリシアをリーディングした時に、名前を読み取ることが出来る状態ではなかったのだ。

そういった理由から、アリシア・ブレアムは、エレナという新たな名前を得て生きることとなったのである。

因みに、エレナが調律を終え、自我を取り戻して自らの名前を思い出したとき……武はエレナに、本名に戻すべきではないか……という提案をした。

しかしエレナはそれを断った。

以降、彼女は自身の過去と決別する意味合いと、武に名付けて貰ったという理由から、エレナと名乗るようになったのである。

 

武は、エレナが挨拶を終えたのを確認してから口を開く。

 

「ブレアム少尉は、香月副司令直属の特務兵だ。よって、貴様らと訓練を共にするのはまだ先になるだろうが、先に紹介だけはしておこうと思ってな。皆、仲良くしてやってくれ」

「「「はい」」」

 

まだエレナが、八咫烏或いは凄乃皇の搭乗員であることは告げない。

 

「今日の訓練は午後からとする。よって、それまでは皆、ブレアム少尉と親睦を深めることを命ずる」

「っ!?」

 

武の言葉に、エレナは目を見開いた。

そして武の方を振り向き、軽く武を睨んだ。

しかし、武はそれに対して知らん顔を決め込む。

 

「俺は所用があるので……後は伊隅大尉、任せたぞ」

「はっ」

 

そう言って武は、後のことを伊隅に任せ、ブリーフィングルームを後にしようと歩き出す。

そして部屋を出る直前少し立ち止まり、後ろを振り返った。

すると既にエレナを取り囲む輪ができ、談笑を始めたエレナとヴァルキリーズを見て、武は軽く微笑み、扉を閉めた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

ヴァルキリーズの和の中にエレナを放り込んだ武は、その足で格納庫へと向かった。

理由は、とある戦術機が今日搬入されてくるからだ。

格納庫に入りデッキを歩いていくと、武は見慣れた後姿を発見した。

誰かが歩いて来るのを、気配で察したのだろうか……その見慣れた後姿は、武の方へ振り返った。

 

「あっ」

 

振り返ったことでその人物は、後ろの気配の人物が誰か把握したのだろう。

見慣れた後姿の主は、そんな素っ頓狂な声を上げたが、直ぐに持ち直して敬礼をした。

 

「御剣訓練生」

「白銀少佐……」

 

そう、見慣れた後姿の主は、冥夜であった。

 

「やはり来ていたか」

 

武はそう言って冥夜の横に並び、搬入されてきた戦術機を見上げた。

207Bの訓練用の戦術機である吹雪は、既に搬入されている。

よって207B全員の姿はない。

あるのは冥夜のみである。

 

総戦技が早まったことで、必然的に吹雪の搬入も早まった。

しかし、総戦技の繰り上げの情報は、必要部署に最低限通達したのみであり、斯衛や横浜基地の外には漏れていない。

よって斯衛である真那は、当初驚いた。

自らの守るべき対象である冥夜が、煙草を求め始めたことに。

真那は冥夜のその行動で、始めて総戦技演習が繰り上がることを知ったのである。

そしてそこから城内省を通じて、悠陽に冥夜が総戦技演習を受けたことが伝わり、数日後に彼女が演習に合格したことを知った。

そこでようやく、悠陽の紫の武御雷が準備されることとなる。

そして城内省を通じて、横浜基地に紫の武御雷の搬入要請が届く。

当初、この要請を夕呼から聞いた武は無視した。

理由は、城内省内部の情報ルートを知る為だった。

どこの部署がどこまで冥夜に関わっているのか、それを知りたかったのである。

そしてある程度情報が集まった頃、武はその要請をようやく許可した。

そういった理由から、武御雷の搬入が今日までズレにズレたのである。

 

「紫の武御雷は、やはり美しいな……」

「少佐――――その……」

 

冥夜は一瞬口を開くが、その開いた唇を結局閉ざした。

そんな冥夜に武は言う。

 

「1つ言っておこう、御剣訓練生。貴様がどこの生まれで、どんな身分だろうとここでは関係ない。いや、俺は関係ないと思ってる」

「それはっ!?」

 

冥夜が一瞬口を挟もうとするが、武は気にせず続ける。

 

「ここには色んな奴がいる。現首相の娘、有名な軍人の娘、国連のお偉いさんの娘、裏世界に暗躍する者の娘――そして一度死に、親友を自らの手で殺した男……本当にいろんな奴がいる。だからな、御剣――――自らの、信じる道を進め。そして二度と振り返るな。後悔するな。自らが一度決めた道を、とことん歩いていけ。そこには生まれも身分もなど、何1つ関係ない。皆平等だ。そしてそれらは、この世にたった1つしかない……尊い命だ」

 

冥夜は武の言葉を黙って聞く。

彼女は己の握っていた拳を、更に強く握りしめた。

 

「自らの道を進め、御剣訓練生。たった一度の……お前だけの人生だ」

「……」

 

武の言葉に、冥夜はただ立ち尽くすしかできなかった。

 

武は冥夜を横目に見ながら思う。

 

(うん。この前の……総戦技前の時のアレ(Episode15)で、ある程度払拭したと思ったんだけどな。まだ気にしていたのか……まぁ、仕方のないこととはいえ、ちょっと問題だな。これである程度吹っ切れてくれればいんだけど……いや、そうでないと困るな。後で少し検討しないと……ん?)

 

武の視界の隅に、4人の麗しき女性が現れる。

いや、既に気配で何者かが近づいてきているのは、ある程度感じ取ってはいたが、視界に入ったことでその正体が分かった。

 

武は冥夜の横から立ち去った。

そして入れ替わりで冥夜の横に、その女性たちが経った。

 

「――冥夜様」

 

冥夜は声のした方を振り向く。

しかし振り向かずとも彼女は、この声の主が何者かを知っている。

何せ長い付き合いだったのだ。

 

「月詠……中尉。なんでしょう……」

 

武は横目で、真那が冥夜に話しかけたのを確認したあと、静かにその場を後にした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「タケル」

 

廊下を一人歩いている武に、後ろから声がかかった。

武は声のした方を振り向く。

そこには美しい金髪があった。

 

「あぁ、エレナか」

 

後ろから歩いてくるエレナを、武はその場に立ち止まって待つ。

やがて彼女が横に達すると、2人並んで廊下を歩き始めた。

 

「どうだった?A-01は」

 

そう、エレナにとっては初のA-01部隊である。

武から聞いた話の上でしか、エレナはA-01を知らない。

いつか会ってみたいと、呟いていたこともあったので、念願かなっての初対面ということだ。

 

「親しみやすい人たちだったわ。皆、こんな私にでも優しくしてくれるし……でも……」

「大丈夫だ、安心しろ。例えお前の真実を知ったとしても、皆変わらず接してくれるさ」

「……」

 

エレナが懸念しているのは、自らの過去とその正体である。

このことについては、前の世界の時からエレナが心配していたことだった。

武は大丈夫だとずっと諭しているが、やはり本人の中では相当な比重を占める問題のようだ。

 

「なんだぁ~?俺の言うことが信じられないのか?」

「別にそんなんじゃないわよ……」

 

さっきまで砕けた雰囲気で話していた武だったが、スッとその眉を細めてエレナに問う。

 

「なぁ、ハッキリと答えてくれ。俺が信じられないのか?」

 

武は立ち止まって、ジッとエレナの目を見つめる。

エレナは臆することなく、武の目を見返す。

しかし、ここでエレナは内心ハッとする。

エレナは武に対して、リーディングの制限に関する処置を施されていた。

相手が本当に心からそう思って言えるか、いつも人を推し量る指標にしていたわけだが、それが制限されているのである。

だが、エレナはそこで再びハッとする。

自らの恩人に、愛しい人にリーディングをしようとしてたことに。

エレナは、自らの浅はかさを心底後悔した。

押し寄せる後悔を振り払って、エレナは心の奥から声を絞り出す。

 

「――信じるわよ」

「なら大丈夫だ。皆いい人たちだから……」

 

武は満面の笑みで頷くと、エレナの頭に手を乗せ髪の毛をくしゃくしゃっとした。

 

「うん……」

 

エレナは武の手を取り、その手をギュッと握り、武もそれに応えて握り返した。

2人は暫くの間、互いの手を握りあいながら廊下を歩いていった――。

 



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Episode25:真の実力

Episode25:真の実力

 

 

2001年11月14日(水)14:08

 

 

物凄い勢いで、視界が二転三転する。

上に下に、左に右に、まさに縦横無尽といった感じに、ヴァルキリーズ各員の視界が動き続ける。

そしてその動きに、迷いや余計な動きは一切ない。

一直線に目的地に向かって突き進んでいた。

彼女たちは今、何を見ているのだろうか。

それは武の操作する不知火が、フェイズ3相当のハイヴ内を駆け巡るところを見ているのであった。

網膜投影上に、画面共有ならぬ視界共有で、彼女たちは武の迷いなき動きをその眼で見ていた。

ハイヴ内を埋め尽くすBETAには目もくれず、必要最低限の射撃だけで、進路上のBETAを片づけていく。

余計な戦闘は一切ない。

ただ反応炉へ、一直線に突き進んでいた。

 

「少佐は化けものか……」

 

伊隅は、シミュレータ内でそう独り言を呟いた。

 

『……ですね』

『……人間離れしているという点では、私も同意見です。大尉』

『……いや、あれは変態の域よ』

『……流石にそれは失礼かと。一応少佐ですよ?』

 

それら発言は全て、無線を通じて部隊内で共有されており、伊隅の呟きを聞いたヴァルキリーズの面々が、それに反応して様々な感想を口にした。

 

『言っておくが、全部聞こえているぞ』

 

皆の失礼な発言に、武は苦笑いを浮かべながら応答した。

ハイヴを単機攻略している最中にもかかわらず、なんと余裕があることだろうか。

 

『……それでも操縦がブレないところが、変態っていうことなんですよ。少佐』

 

武は無駄口を叩きながらも、操縦桿やフットペダルを無駄なく操作する。

その様子をヴァルキリーズの面々は、シミュレータ内で着座固定した状態で共有して見ている。

伊隅は心底感心した。

 

(我々の無駄口にも応じないながらも、一切ミスをしない。私はさっき少佐をバケモノと称したが……これは最早、神の領域だ。人を捨てたのか(・・・・・・・)と疑ってしまうレベルだ)

 

因みに、武は人を捨てたわけではないが、その人を捨てざるを得なくなった者とついさっき関わり合いになったことを、伊隅はまだ知らない。

 

『……気持ち悪くなってきました』

『気持ちは分かるが我慢しろ、涼宮』

 

XM3の特性を最大限使用して、ハイヴ内を縦横無尽に駆け回り、障害となる最低限のBETAのみを倒しながら、反応炉に一直線に向かい続ける武の視界は、前述のようにまさにグルグルと回転していた。

それを共有しているせいで、茜は気持ちが悪くなってしまったのだ。

伊隅はそれを表面上は宥めるが、正直自分も少し気持ち悪くなり始めていた。

彼女たちは、基地襲撃事件とそれを模した模擬戦、そして日頃の訓練で、武がいかに優秀な衛士であるか、また、いかに優れた戦術機動技術を持っているかを、充分すぎるほどに実感していた。

だが、こうしてハイヴ突入戦という、極限状態の形で改めて見ると、その凄さを再確認させられていた。

最初は冗談を言いながら眺めていたA-01の面々も、スピードを全く落とさず下層へと進み続ける武を目にして、次第に無言となっていった。

そして武が反応炉に達したことで、視界共有は終わりを迎えた。

 

『――反応炉への到達時間、1489秒です』

 

CP将校を務めた遥が、声を震わせながら驚きの到達時間を告げた。

その声には、若干の畏怖と純粋な恐怖も含まれていた。

1489秒、即ち25分相当で反応炉に到達したことになる。

しかも単機で。

 

遥は、訓練生時代の総戦技演習中の事故で、両足を切断するほどの重症を負った。

足は疑似生体移植により事なきを得たが、戦術機に搭乗することが出来なくなってしまったため、CP将校を目指したという過去がある。

それから絶え間ない努力をし、異例の若さでCP将校に着任した。

以後、A-01部隊のCPをそれなりの期間勤めてきた。

それ故に、この1489秒という数字が如何におかしい数字であるかを、よく理解していた。

そもそもA-01部隊ですら、反応炉に到達したことがないのだ。

にもかかわらず、フェイズ3相当ハイヴの反応炉に、僅か25分足らずで到達した。

この自分たちより若い少佐は何者なのか……と遥は1人の人間としても、CP将校としても、衛士に憧れる一軍人としても、女としても、畏怖や恐怖と共に興味を抱いた。

 

『――あり得ない……」

 

誰が呟いたのだろうか、その言葉がすべてを物語っていた。

 

『流石ね、タケ……少佐』

 

遥と共に、管制室で今の様子を見ていたエレナがそう呟いた。

どうやらエレナは、武の凄さを既に知っていたようだと、この発言を聞いたヴァルキリーズは思った。

そして一部の者はこう思う。

一体、少佐とブレアム少尉はどんな関係なのだろう、と。

そんなところへ武が通信を入れる。

 

『この程度はまだ生温い方だ。ではこれより本日のシミュレータ訓練を始める』

 

武の合図でA-01部隊の午後の訓練が始まった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

A-01部隊のシミュレータ訓練が終わった後、武は1人管制室に残っていた。

必要最低限の電気だけを残し暗くなった管制室は、薄暗く気味の悪いくらい静かな空間となっていた。

そんな管制室の扉が開く。

 

「タケル」

 

武は目を通していたA-01の操作記録から目を上げた。

そこには国連軍の制服を身につけたエレナがいた。

 

「なんだ、エレナか。どうした?」

 

そんな言葉を発した武に、エレナはムッとする。

 

「なんだって何よ。来ちゃ悪い?」

「いや、全然」

 

そう言うと武は操作記録に目を戻す。

そんな武をエレナはただジッと見ているだけだったか、遂に我慢しきれなくなったのか、口を開いた。

 

「ねぇタケル。今日の訓練、本気出してなかったでしょ」

「ん?」

 

エレナの言葉に、武の目が再び操作記録から離れる。

 

「だって、あの程度のヴォールク・データで、かつフェイズ3相当なら15分切れるでしょ」

「んー、まぁなぁ……」

 

エレナの言葉に、武は歯切れの悪い返事をした。

それを見たエレナは、再びジッと武を見た。

 

「な、なんだ?」

 

武の額に冷や汗が浮かぶ。

 

「もしかしてタケル――腕、鈍った?」

「グハッ!?」

 

致命傷だった。

エレナの一言は、確実に武の心をえぐった。

武はよろけて管制室の操作盤の上に手をつき、しなだれかかる。

 

「やっぱり……」

「仕方ないだろ……A-01だってXM3に触れてまだ1ヶ月経ってない訳だし……本気出したら、俺が圧勝するのは当たり前だろ」

「ふーん。それで鈍ったんだ?」

 

エレナが言い訳をする武を睨む。

 

「うっ、でもまぁ本気で訓練する相手がいなかったからなぁ……」

 

まだ言い訳をする武に、エレナがとある提案をする。

 

「――なら、私が相手しようか?」

「え、いいのか?」

 

そんな提案を聞いた武の顔がパァッと明るくなる。

それを見たエレナは少し頬を紅くする。

 

「んっ……別に構わないわよ。ユウコ曰く、私の出番はまだないって話だし、どうせ私も暇だからね」

 

やった、と武はガッツポーズする。

 

「あ、でも無理はするなよ?またお前がいなくなるなんて、本当に御免だからな」

 

武の言っているのは、ODLの劣化のことである。

00ユニットは、ODLが完全に劣化してしまうと再起動出来なくなる。

つまりは死ぬのである。

それを武は心配していたのだ。

 

「分かってるわよ。でも流石に今日はまだ強化装備はないし、私の記憶にあるデータで我慢して頂戴」

 

そう言ってエレナは、管制室のコンソールを操作し始める。

管制室全体が明るくなり、カリカリという音をたて始めた。

エレナがシミュレータに介入したことで、データが書き換わり始めたのだ。

 

「あー、鉄源ハイヴか」

「そういうこと」

 

武と話しながらも、エレナはコンソールを操作する手を止めない。

 

「よし、久しぶりに腕試しといくか!」

 

武は肩をグルグルと回しながら元気に言った。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

横浜基地のとある廊下を、1人の麗しき女性が歩いていた。

手には今後の訓練予定表を持っていた。

そう、その女性とは神宮司まりもであった。

 

(この時間なら、少佐はA-01の訓練は終えられているはず。でも、PXや自室にはおられなかったということは……まだシミュレータルームにおられるのかしら?)

 

まりもが武を探す理由はただ1つ。

今後の訓練予定の摺り合わせのためであった。

一応、既に大まかな指示は受けているので、無理に武を探し出して摺り合わせを行う必要はないのだが、それでもまりもは武を探していた。

そう、武と話したい。

そんな乙女心の発露が、まりもを突き動かしていた。

 

まりもが武を探し、廊下を歩いていると視界の先に1人の女性が映り込んだ。

そしてその女性はまりもに気づき、こちらに向かって歩いてきた。

 

「おや、神宮司軍曹」

「伊隅大尉」

 

まりもがその場に止まり敬礼をしようとすると、それを伊隅が制した。

 

「教官、今は周りに誰もいないので、そういう堅苦しいのはなしにして下さい」

「大尉。私は既にあなたの教官では――」

「いいんです教官。気にしないでください」

「しかし――」

 

だがそこまで言いかけて、まりもはふと思う。

久しぶりの教え子との対面。

しかも自身の教え子は皆、夕呼直属の特殊部隊に配属されている。

特殊部隊故、その任務内容は過酷なものであろうと。

故にたまには息抜きも必要なのだろう、と思い至った。

 

「分かったわ、大尉。今だけよ」

「ありがとうございます!」

 

ビシッと伊隅が敬礼をした。

 

「もう、自分から言いだしたくせに」

「冗談ですよ、教官」

 

2人の間に笑いが生まれる。

そこでまりもはふと気付く。

伊隅がまだ強化装備姿であることに。

 

「ねぇ、まだ強化装備姿ということは、訓練終わり?」

「ええ。先程までみっちりしごかれてましたよ。教官の厳しい訓練を思い出すほどには」

 

伊隅の言葉にまりもが苦笑する。

 

「聞いてるわ。白銀少佐が見てくださってるんですってね」

「はい。白銀少佐の訓練は確かに厳しいですが、とてもためになります」

 

武が立派に伊隅たちの教官を務めていると知ったまりもは、なんだが嬉しいものがあった。

 

「そう。ところで、白銀少佐の居場所を知らない?」

「多分シミュレータルームかと。もしかして教官も少佐に用事が?」

 

伊隅のも、という発言をまりもは見過ごさなかった。

 

「ええ。ということは大尉も?」

「はい。ちょっとした所要ですが。よろしかったら一緒に向かいませんか?」

「ええ」

 

こうして2人は共に、武の元へと向かうこととなる。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

場面は再びシミュレータルームに戻る。

 

『機体はどうする?』

 

管制室にいるエレナから、シミュレータに乗り込んだ武にそんな通信が届く。

 

『不知火弐型で頼む』

 

欲を言えば八咫烏を使いたかった武だが、あれを操作するにはこの一般的なシミュレータでは、必要な操縦桿やフットペダルなどの必要な装置が圧倒的に足りない。

そもそも通常の戦術機にはない、ダイレクト・リンク・システムやドルイド・システムを持っているのだ。

通常のシミュレータでやろうというのが、土台無理な話なのである。

 

『小隊メンバーは?』

「あー、俺だけでいいよ」

『いきなりで大丈夫?』

「まぁ、それぐらいが丁度いいんじゃないか?」

『分かったわ』

 

その言葉の後、シミュレータが起動して、真っ暗だった空間に灯りがともる。

完全に起動し終わったそこには、BETAが地球を侵す象徴であるモニュメントが映し出され、それがこちらに威圧感を与えるようにそびえ立っていた。

 

「さてと……」

 

武は操縦桿を握り直す。

 

「本気出してやりますか……」

 

操縦桿を前に倒し、不知火弐型が轟音を上げてBETAの中に突っ込んでいった。

 

さて、もし今のこの光景を、他の衛士たちが見たらなんと言うだろうか。

驚き、賞賛、感嘆、これらだけでは到底足りないだろう。

それほどまでに武の動きは凄まじかった。

まるで暴風のようにハイヴ内を縦横無尽に駆け回る。

A-01への模範として、試しに今のヴォールク・データでハイヴ内を駆け回ったが、それとは比べものにならないレベルで武は暴れまわっている。

ただひたすらハイヴ内を突き進む。

止まることも後ろを振り返ることもせず、一目散に進み続ける。

まるで鬼神の如く。

既にハイヴに突入して2時間が経とうとしていた。

進捗状況としては凡そハイヴの33%、つまり3分の1を過ぎた程度。

にも拘らず、武単機で殺したBETAの数は、凡そ数千に達していた。

これだけで、どれほどハイヴ内戦闘が激しいかおわかりいただけただろう。

この数千という数には、小型種が多数含まれるため、実際にはそれほど殺すのに苦労はしてはいないが、それでもこの数だ。

弾薬は既に半分近く消費していた。

弾薬のペース配分としては少々マズイといったところ。

 

『振動を感知。前方、C-12ホールに母艦(キャリアー)級が出現』

 

武のオペレーターを務めるのはエレナ。

その知らせに舌打ちをする。

 

「チッ……タイミングが悪い」

 

母艦級がBETAを吐き出しているとすると、ホールはBETAで埋め尽くされているということ。

これ以上無駄に弾薬を消費したくない武としては、痛い話であった。

武は反応炉へのルートを再検索する。

そして新しい増援出現率の低いルートが算出されるが、そこへ向かうためには、1つ後ろに下がる必要があった。

 

「糞ッ!」

 

悪態をついて一度後ろに下がる。

推進剤も弾薬もタダではない。

武は網膜投影の端っこに映る、残弾数と推進剤の残りを見て大雑把に再計算するが、このままでは反応炉に辿り着けそうにないことが分かる。

 

『このままだとジリ貧ね』

「分かってる!」

 

 

武はそう返しながらも手を緩めることなく、BETAを屠っていく。

そして新たに算出されたルートに入り、今までよりも更にペースをあげながら突き進む。

このルートは増援出現率が低いというだけで、ルート上には無数のBETAがいる。

武はその一部に、残り数発しかない120mmを打ち込む。

そうするBETAの塊がBETAの残骸の塊へと姿を変える。

 

『もうそろそろギブアップ?』

 

余裕がなくなってきている武に、エレナが嘲笑うかのよううにそんな言葉を投げかけた。

 

「あー、畜生!認めるよ!腕が訛ってる!」

 

武はそんな言葉を吐きながら、BETAを駆逐し続けていた。

 

それから更に1時間が経った。

あれから進めたのは1ホールのみ。これまでの進軍速度から見れば、明らかにそのペースは落ちていた。

しかしよくよく考えてほしい。

これまで武はたった1機でここまで進んできたのだ。

ハッキリ言って異常だった。

もしこの男が、八咫烏で、そしてその機体性能を最大限発揮した場合、どれほどまでの実力を発揮するのだろうか。

しかし、現状の武ではこれが精一杯であった。

既に突撃砲は弾切れで廃棄。

残った装備は、なまくらと化した長刀と短刀のみ。

普通の衛士なら諦めてしまうシチュエーション。

だが、彼は違った。

その残り少ない命で、可能な限りのBETAを道連れにしようと、奮闘していた。

 

「糞ったれ!」

 

暴言を吐きながらもBETAの攻撃を交わし、必要最低限の行動の邪魔になるBETAを処理する。

 

「っ!?」

 

群がる戦車(タンク)級を処理するために振るった長刀が、数体の戦車級を切ったところで止まってしまった。

そこから長刀の上を這い上がり、群がってくる戦車級。

咄嗟の判断で長刀の放棄を決定し、跳躍ユニットですぐさま跳び上がった。

するとすぐに長刀の辺り一帯は、戦車級で埋め尽くされてしまった。

短刀を逆手から持ち替え握り直す。

その間に着地出来る場所を探すが、辺り一帯全てBETAで埋め尽くされていた。

しかし、このまま跳躍ユニットで跳び続けるわけにもいかない。

既に推進剤は底をついていた。

いつまでこのまま飛べるか、皆目見当もつかない。

武が一瞬の間に思考を張り巡らせていると、突如不知火弐型を衝撃が襲う。

 

「グッ!?」

 

一瞬の思考の隙を、BETAが見逃してくれることはなかった。

視界が揺れ、網膜投影にノイズが走る。

その次の瞬間、武は何が起きたか全てを理解した。

雨が降っていたのだ。

それもただの雨ではない……BETAの雨だった。

ホール中を埋め尽くすのBETAは、当然天井にも無数が張り付いている。

その天井に張り付いている戦車級が、一斉に武の弐型目掛けて降り出したのだった。

避けようと努力するが、時は既に遅し。

複数の戦車級が弐型にぶつかり、姿勢を乱す。

後は簡単だった。

重力に負け弐型は、BETAと共に地面に叩き付けられた。

 

「グハッ!?」

 

あまりの衝撃に、武の肺から息が強制的に吐き出される。

地面に叩き付けられた不知火弐型。

そしてその周りには既に、戦車級が纏わりつき始めていた。

武は機体を動かそうと、網膜投影に映し出された機体状況を確認するが、元々全身エラーまみれだったのだ。

今ので完全に機体は逝ってしまった。

 

「はぁ……ここまでか」

 

大きく息を吐いた。

辛うじて生きているメインカメラには、弐型に群がる無数の戦車級が映し出さていた。

その強靭で醜い顎が、武を喰ってやろうと装甲をバリバリと削っていた。

 

「あばよ……糞野郎共ッ!」

 

武はそう言って、S-11の起爆スイッチを押した。

 

シミュレータが停止した。

 

「はぁ……」

 

武は再度大きく息を吐いた。

そしてシミュレータから降り、エレナのいる管制室へと向かう。

階段を上り、扉を開けて管制室に入室する。

 

「ん?」

 

するとそこにはエレナ以外に、見慣れた背中が2つあった。

 

「お疲れ様」

 

エレナがコンソールから手を放して振り向き、そう労いの言葉をかけた。

しかし、武はそれに対して返事をしなかった。

彼の思考は、今そこに向けられていなかったからだ。

この2つの見慣れた背中に、意識が向いていたからだ。

1つは、国連軍C型軍装に身を包んだ長髪の女性。

もう1つは、強化装備に身を包んだ短髪の女性。

どちらも1度、今日既に合っている2人だった。

 

「伊隅大尉と……神宮司軍曹?」

 

武はそう言葉を発しながら、未だ微動だにしない2人の前へと躍り出た。

2人の前へと躍り出た武だが、当の2人は硬直したまま動かなかった。

 

「エレ……んんっ。ブレアム少尉……一体どうしたんだ?」

 

武は仕事モードに既に切り替わっていた。

 

「タケルの訓練を見たからでしょうね」

 

武は頭に疑問符を浮かべる。

だが今はそんなことより、2人の意識を呼び戻すことが先決だった。

 

「伊隅大尉!神宮司軍曹!……大尉!軍曹!」

 

武が大きく声を張り上げたことで、ようやく2人の硬直が解除された。

 

「……えっ、あ、はい!」

「……一体どうしたんだ、伊隅大尉。それに神宮司軍曹も」

「いや……それは……」

 

ようやく硬直が解除された2人だったが、武の問いに伊隅もまりもも俯いてしまった。

武はそれを見て、再度頭に疑問符を浮かべ、首を傾げる。

そんな中、まりもが恐る恐るといった感じで口を開いた。

 

「白銀少佐――あれが……少佐の本気なのですか?」

「あー……そうか、見られていたのか」

 

武はようやく、2人が硬直していた理由を理解した。

気まずそうに頭の裏をボリボリと掻きながら言った。

 

「あれが少佐の実力……」

 

伊隅は驚きを通り越して、なんと表現したらいいか分からない状態だった。

 

「これでも、かなり鈍ってるんだけどね……」

 

エレンが追い打ちの一言を告げた。

 

「あれでですか!?」

「まさか……」

 

2人は驚愕の表情を見せた。

 

「まぁ……確かにな」

 

武がそれに渋々同意した。

そして暫くの間、無言の状態が管制室を支配する。

伊隅とまりもは、未だ驚きという名のショックから立ち直れていなかった。

一方のエレナは、少し馬鹿にしたような笑みをしながら武を見ていた。

それに対し、武は何か言い返したいが、鈍っているのは事実なので何も言い返せないという状況だった。

そんなエレナと武のやり取りがある中、何とか思考を取り戻したまりもが疑問を口にした。

 

「少佐。1つ質問してもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

 

武はまりもの質問を笑顔で迎えた。

本人としては、この状況を何とかしたかったからこその笑みだった。

まりもはそんな武の笑みに驚き、また無垢な笑みを見せられたことで、少し顔を紅くしたが、取り敢えず質問は口にする。

 

「ん……先程の戦術機ですが、私の知る限り知りえない機体でした。不知火の改造機か何かなのでしょうか?」

「アレか。アレはな……」

 

武はXFJ計画のことを告げるべきか、少し悩んだ。

 

「不知火弐型だ。簡単に言えば、不知火のアップグレード版だ。詳細は後日、日を改めて説明しよう」

「分かりました」

 

いずれは知ることにはなるので、今これぐらいでいいと判断した。

 

「少佐、あの……先ほどのハイヴは、本日見せて頂いたハイヴ攻略のものとは、大分違うように見えたのですが……」

 

今度は伊隅が疑問を口にした。

 

「あー、それなぁ……」

 

武は、ヴォールク・データの欠点というべきものについて、伊隅とまりもに説明した。

それを要約すると以下の通りとなる。

 

ヴォールク・データは知っての通り、ソ連軍第43戦術機甲師団のヴォールク連隊によってもたらされた、史上初のハイヴ内構造のデータである。

このヴォールク・データには、出現したBETAの数も当然ながら記録されている。

それによって人類は、より効率的な対BETA訓練を行うことが出来るようになった。

これはヴォールク・データ最大の利点であろう。

しかし、このヴォールク・データには欠点が存在すると、武は思っている。

それは、このヴォールク・データに記されたBETAの出現率は、(ゲート)の入口近辺のものであり、ハイヴ本来のBETA出現率ではないことである。

実際のハイヴは、奥に進めば進むほど、BETAの数はとんでもない数に膨れ上がる。

そして、無尽蔵に増援が送られてくる。

それをこのヴォールク・データは再現しきれていないのだ。

特にヴォールク・データでは、奥に幾ら進んでもBETAの出現率に対して変化はない。

それがこのヴォールク・データの欠点だと、ハイヴ攻略を実際にしたことのある武の考えである。

因みに、この偉大なデータを人類にもたらしたヴォールク連隊に、武は最大限の敬意を表しているので、そこは勘違いしないように願いたい。

 

「……という訳だ」

 

武の説明に、伊隅とまりもが神妙な面持ちで頷いた。

 

「なるほど……つまりBETAの実際の出現率は、人類の想定よりはるかに上回ると……」

「そういうことだ」

 

伊隅は納得したようだった。

そこでふと、まりもがこんな疑問を口にした。

 

「少佐。少佐はまるで……ハイヴ内を見てきたかのように仰いましたが……」

 

武はしまった、と思った。

だが、そこは成長した武というべきか、そこは表情には一切出さず、また直ぐに思考を持ち直して言い訳をする。

 

「俺の過去の経歴についての詮索は認められない。そう言えば分かるかな?神宮司軍曹」

「はっ!」

 

咄嗟の言い訳だったが、何とか誤魔化すことに成功する。

そしてそれが、まりもに別な意味での勘違いを生む。

 

(もしかして、少佐は過去に軌道降下の経験が?そうであれば、先ほどのアレは説明がつくわ……いえ、これ以上詮索するのはやめましょう。いずれにせよ、少佐は私如きが計り知れる御方ではないということね……)

 

まりもはそんな見当違いをしていた。

そこで武は、ふとこんな疑問を抱く。

どうしてこんな時間にこの2人が自分のもとへやってきたのかと。

 

「ところで……大尉も軍曹も、俺に何か用事があったのか?」

 

ここでようやく、伊隅とまりもが武のもとへとやってきた理由が判明したのだった――。

 



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Episode26:変わりゆくモノ

Episode26:変わりゆくモノ

 

 

2001年11月15日(木)12:03

 

 

「はぁ……」

 

武はため息をつき、PXに向かって歩いていく。

別に何か嫌なことがあったわけではない。

ただの疲れからくる、普通のため息。

武がこの世界に来てから、まだ1ヶ月と経っていない。

しかし、その1ヶ月経っていない間、武は働きづめであった。

それ故のため息。

これは自然と出たものであった。

周りには誰もおらず、武1人である。

だからこそため息をつけるというもの。

身体も少しばかりだるさを感じている。

正直なところ、纏まった休みが欲しいくらいであった。

しかしそうもいかない。

武は立ち止まるわけにはいかないからだ。

それは本人も自覚している。

 

(正直に言えば、休みが欲しい。でも夕呼先生やA-01、207だってまともに休んでないんだ。俺だけ休むわけにはいかないな。それにあの計画もある……)

 

そんなことを想っていると、いつの間にかPXに到着していた。

武は食事を取りに行こうとするが、そこで思わぬ光景が目に入る。

 

「答えろ」

 

冥夜が、何やら見覚えのある正規兵の男女2人に絡まれていた。

男の正規兵が強い口調で、冥夜に聞く。

 

「……は」

「どうした。答えろ」

 

言いよどむ冥夜に、今度は女の正規兵が聞いた。

 

「はぁ……」

 

武はため息をつき、頭に手を当ててやれやれ……という風に頭を振る。

 

(そう言えば、こんなこともあったっけか……)

 

武は少しばかり頭痛がした。

 

「少尉殿」

 

答えれない冥夜に、千鶴が救援に入った。

 

「なんだ?」

「あの機体の存在が、ご迷惑をおかけしたのであればご質問は道理ですが、少尉個人のご興味であれば、ご容赦下さい」

 

それを聞いた正規兵の2人の顔が歪む。

 

「おいおい分隊長さんよ、どういうことだ?ハンガーをあいつがひとつ占有しているのは事実だろ?整備兵もあいつの点検を行っている。ましてや特別仕様機とくりゃ、そこらの戦術機とはワケが違う」

「はい」

「その事情を聞く権利が、オレ達にはないといいたいのか?」

 

正規兵の言い分にも、一理ないわけでないが、結局のところは個人的興味である。

故に千鶴は一歩も引かなかった。

 

「恐れながら、少尉個人のご興味ならば、ご容赦願いたいと申し出ただけです。何かそれ以外の理由がおありなら、お教え下さい」

「個人の興味だろうが何だろうが、教えろと言ったことには答えればいい」

 

ここで正規兵の1人が、理屈の通らないことを言い出した。

 

「はぁ……」

 

再度、武の口からため息がこぼれた。

どうなるか、少し雲行きを見ていようと思った武だったが、結局この正規兵2人の馬鹿さに変わりはないと分かり、止めに入ることを決意する。

 

「逆に答えられない事情があるほうが、問題じゃないのか?」

「それは……」

「聞けば、おまえ等は何か知らねえが、随分とワケありの集まりらしいじゃねぇか。そこんトコ説明しろよ」

 

言いよどむ207Bの面々の後ろから、武が声を出した。

 

「貴様ら、何をしているか」

 

突然の後ろからの声に、207Bの面々は驚き後ろを振り返る。

するとそこには、BDU姿の武がいた。

 

「あん?なんだお前」

「お前たち、下がっていろ」

 

突然割り込まれたことで、不機嫌な表情を浮かべる正規兵をよそに、武は207Bの面々に下がるように指示する。

すると全員大人しく、どこか不安そうな表情を浮かべつつ、全員武の後ろに下がった。

 

「チッ」

 

それが余計に気に食わなかったのか、正規兵の男は舌打ちをして武に詰め寄った。

武はそれに動じることはなかった。

そして口を開く。

 

「うちの訓練小隊に何かようか?」

「お前、あいつらの教官か?」

 

どうやら相手は、武が彼女たちの教官だと勘違いしたらしい。

事実その通りだが、彼女たちは武の事を教官と呼んではいないので、違うと言えば違うのだが……それは一先ず置いておこう。

兎に角、武がBDU姿なのもあり、正規兵たちは武を教官、即ち軍曹だと勘違いしたということだ。

国連軍での教官は、軍曹待遇である。

 

「だとしたらなんだ?」

「お前……俺たちにそんな口を聞いていいのかよ」

「無礼な奴には無礼で応対する。ごく普通のことだな」

「なんだとッ!?」

 

男の正規兵が武の胸倉を掴んだ。

その瞬間、武は自身の胸倉を掴む手を捻った。

それに驚いた正規兵は一瞬だけ怯んだ。

その一瞬の怯みを利用し、武は相手の脚を払って地面に叩き付けた。

 

「テメェッ!?」

 

女の正規兵が驚き、武に掴みかかろうとするが、武は女を睨みつけた。

 

「ッ!?」

 

その目を見た女の正規兵は怯んだ。

彼女が武のその目から感じ取ったのは、単なる威圧だけではなく、殺気そのものだったからだ。

 

「――1ついいことを教えてやろう。榊訓練生、俺の名を言ってみろ」

「はっ……白銀武少佐です」

 

千鶴は多少戸惑いながらも、武の名と階級を口にした。

 

「なっ!?」

「白銀、だと……ッ!?」

 

正規兵の2人は驚く。

まさに驚愕であったのだろう。

2人の反応を、武は内心楽しみながら言う。

 

「ほぉ?俺の名を知って尚、そのような態度を取るか……」

「あ!いえ、その……」

「それと貴様、いつまで寝ているつもりだ?」

 

武が未だに倒れたままの男の正規兵に、そう言いながら睨むと、男は慌てて起き上がった。

 

「貴様らがしたことは何なのか、今更言う必要はないだろうな?」

「「……」」

 

正規兵2人は黙るしかなかった。

騙された、とは流石に言わなかった。

流石にそれくらいは考える頭はあるようだ。

要は勝手に勘違いしただけであり、先に手を出したのも正規兵のほう。

よって武の行動は、ただの自衛行動の範疇である。

 

「貴様らへの処分は追って下す。何か言いたいことがなければ、さっさ俺の前から失せろ」

「「はっ……」」

 

正規兵2人は明らかに肩を落とし、PXを後にした。

武は一件落着と思い、本来の目的であった食事を取りに行こうとする。

すると後ろから声を掛けられる。

 

「あの、白銀少佐!」

「ん?」

 

武が振り向くと207Bの面々が、何とも言えない面持ちで武を見ていた。

 

「なんだ?」

「あの……ありがとうございました」

 

事の発端である冥夜が礼を述べた。

武は何も言わず、手をヒラヒラと振って食事を取りに行った。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

武は午後、207Bの訓練を見ていた。

PXでの事件があったせいなのか、207Bの面々から感じる空気に多少の違和感を覚えた武だったが、訓練に影響が出るようなことはなかったので、特段気にしなかった。

実際は、武が彼女たちを助けたことで、彼女たちの中での武に対する思いに、また色々と変化があったからなのだが、本人はそれを知る由もない。

 

今日の207Bの訓練内容は、市街地での実機演習だった。

内容は、彼女たちが吹雪5機であるのに対し、武側は撃震1機。

当たり前のことだが、彼女たちの吹雪は全機XM3搭載機であった。

それに対し、武の撃震は旧OS搭載機である。

普通に考えれば、吹雪側が圧勝するであろう。

無論、それは207Bの面々も多少なりとも思っていた。

幾らXM3の開発者である武であろうとも、流石に旧OS搭載機で、XM3搭載済みの吹雪5機を相手にするのは厳しいはずだと。

つい先ほどまでは、そう思っていた。

しかし、結果は彼女たちの惨敗。

それどころか、武の機体に1発も当てることが出来なかった。

まさに格の違いを見せつけた……と言っても過言ではないだろう。

特に酷いのが、彼女たち全員がそれぞれの得意分野で撃破されている点だ。

最後まで生き残っていたたまに至っては、散々武に追い回された挙句に、ようやく距離を取れたと彼女が落ち着いたところを、彼女の持ち味である狙撃で撃破される始末だった。

そして今、彼女たちは1人ずつ行動評価を武より下されていた。

 

「御剣訓練生。長刀でカタをつけようとしたのは構わん。自らの得意分野を生かすことは別に悪いことではない」

 

冥夜の前で武は資料を見ながら淡々と評価を下す。

 

「だが、突撃砲が陽動であることが分かりやす過ぎる。剣に頼り過ぎるな!」

「はっ。申し訳ありません!」

 

武は美琴の前に移動し、資料に1枚捲って評価を下し始める。

 

「鎧衣訓練生。貴様の場合は御剣と違い、突撃砲を上手く使っている。その点は評価出来るが……」

 

視線を資料から美琴へと動かす。

 

「御剣が撃墜される直前、奴はわざと俺の射線に割り込んだ。それに気付かず、挙句の果てに撃墜されるとは何事だ!」

「はい!申し訳ありません!」

 

最初に褒めるべき点を褒め、後で問題点を指摘する。

それが武のやり方だった。

武はたまの前へと移動する。

 

「珠瀬訓練生。貴様の長距離狙撃の腕は極東一だ。それは大いに認めよう。だが、長距離狙撃に拘り過ぎた挙句、最後に距離が取れたと油断して、自らの長所で撃墜されるとはなんだ!」

「はい!も、申し訳ありません!」

 

そして彩峰と千鶴。

 

「彩峰訓練生、そして榊訓練生。お前らはそれ以前の問題だ!いちいち行動前に言い合いをしていて勝てるかッ!?」

「「申し訳ありません」」

 

千鶴と彩峰の言い争い癖は、まだ完璧には治ってはいなかった。

幾ら総戦技演習前に、互いに心を打ち解けあったとはいえ、やはりこの癖はそうそう治るものではなかった。

しかし、その言い争いの具合が、回を追うごとに小さくなっていることも、武は知っていた。互いが互いを認め合っている証拠だと、武は認識していた。

本当はこの手の物事を、強制的に正すやり方があることを武は知っている。

だがその方法は敢えて取らない。

これは武の唯一の情けから来るものであった。

 

「各自、自身の操作記録をしっかりと確認し、次回に活かすように。今日は以上だ。解散」

「「「ありがとうございました!」」」

 

武はそう告げると、彼女たちの前から去っていった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

場面は移り変わり、場所はロッカールーム。

彼女たち207Bはシャワーを浴び終え、それぞれのBDUに着替えている最中であった。

そんな中、彼女たちはこのような会話をしていた。

 

「少佐の訓練にも、大分慣れてきたな」

「そうだねー」

「やっぱり慣れって大事なのね」

 

口にしたのは順番に、冥夜、美琴、千鶴であった。

会話の内容は、当然のように今日の訓練について。

特に武のことについてであった。

 

「それにしても少佐の実力って、多分相当なものだよね?」

 

ふと美琴がそのような事を口にした。

 

「そうだな……旧OS搭載機、しかも第1世代機で、我らを相手しているわけだからな」

「そうね……無論、私たちが訓練兵だということもあるんでしょうけど」

 

冥夜の発言に、千鶴が同調する。

因みに、千鶴の言う訓練兵には、自分自身の指揮能力のことも含まれていた。

これを認めるようになった辺り、彼女たちの成長が見て取れる。

無論、千鶴はそれを認めた上で、悔しそうな表情をしているが。

 

「それでも1発も掠らないなんて、悔しいどころか、逆に清々しいよねー」

「私なんて、狙撃でやられちゃいましたし……」

 

たまが悔しそうにそう言った。

 

「そう落ち込むな、珠瀬。今回の失敗を、次に繋げればいいだけのことだ。それこそが、少佐が望んでおられることであろう」

「そうだよ珠瀬さん!次は得意の狙撃で、少佐を見返してやればいいだけだよ」

「私も今回の失敗を次に繋げないとね。次は皆で勝ちましょう」

 

千鶴の言葉に、冥夜や美琴、たまが力強く頷く。

 

「XM3も使いこなせるようにならないとね!」

「そうね……最初は扱い辛いと思ったけど、少佐の旧OSを見てると、本当に機動性が向上しているのが一目で分かるわ」

「こんなものを開発するなんて……白銀少佐って凄い人なんですね……」

「……」

 

美琴の言葉に、それぞれが感心したような声を出す。

しかし、その胸の内は少し複雑そうではあったが。

 

「神宮司教官も仰っていたではないか。私たちは、稀なる実力を持った、いや世界最高峰の実力を持った衛士に、指導をして頂いているということだな」

「そうね……」

「だねー」

「うん……」

 

冥夜の言葉に、千鶴、美琴、たまが同意した。

 

彼女たちの会話を聞いている限り、武に対する彼女たちの印象は、相当に変化していることが伺えた。

無論、そこには武への印象をなるべく良くしたいという、まりもの意志も介在していた。

正直なところ、まりもがXM3を開発したのが武だという事実を、もし彼女が伝えていなければ、また今日の会話も少し違ったものになっていたかもしれない。

事実、冥夜と美琴は、武に対しての悪印象は完全に取り払われていた。

たまと千鶴は、まだ胸につっかえるモノがあるが、それでも武に対する印象は着実に変わりつつあった。

 

しかし、ここで1つ疑問が浮かばないだろうか。

1人だけ、この会話に参加していないことに。

 

丁度その時だった。

ガンッという大きな音が、彼女たちのいるロッカールームに響いた。

全員がその音のした方向を向く。

そこには、ロッカーの扉を叩きつけるようにして閉めた、彩峰の姿があった。

彼女は、自らが勢い良く閉めた扉を睨み付けていた。

 

「慧さん……」

 

美琴がそう呟いた。

その呟きを聞いてか聞かずか、彩峰は苦虫を噛み潰したような表情をして、ロッカールームから立ち去っていった。

そう、彼女だけは唯一、武に対する心証を改善していないのであった。

しかし当人は気づいていなかった。

その感情が、己の意地から来ていることに。

それがまた、彼女を密かに苦しめていることに。

 

彩峰の苦悩は、まだ暫く続く――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

そんな彼女たちの心の大半を占める武の姿は、司令塔の廊下にあった。

彼は忙しそうに資料を眺めながら、人が行きかう廊下を歩いている。

 

既に語るまでもないが、武はA-01と207B訓練小隊の両方の訓練を見る忙しい立場にいる。

付け加えれば、今後の武の思い描く未来の為に、この他にも沢山の準備に追われている。

故に武は忙しい。

今はある程度慣れてきてはいるが、それでも慌ただしさは拭えない。

そんな武に声を掛けるものが現れた。

 

「白銀少佐」

 

廊下のT字路で、突然横から声を掛けられた。

気配で誰かいるのは分かってはいたが、声を聴いてその声の主が誰かハッキリした。

 

「月詠中尉」

 

そう、声の主は月詠真那であった。

 

「少佐……そのすまないが、少しいいだろうか?」

 

武は腕時計を見る。

そして時間を確認して答えた。

 

「15分程度なら構いませんよ」

「そうか……では、こちらへ」

 

真那はそう言って歩き出す。

武もそれに続いた。

2人の後を神代、巴、戎の3人が取り囲むように続く。

彼女が向かったのは、訓練校の屋上だった。

 

「それで……何か用ですか?」

 

屋上に着いた真那は、フェンスの奥の風景を眺めたまま、口を開かなった。

そこで武から話を切り出した。

15分は長いようで短い。

故に武から問いただしたのだ。

 

「白銀少佐……私は、貴官を誤解していた」

 

唐突な真那の切り出したに、武は頭に疑問符を浮かべる。

 

「ここの整備兵から聞いた。XM3を考案したのは貴官だそうだな」

「まぁ……そうですが」

 

XM3は既にこの基地の一部の整備兵には、噂となって広がっている。

勿論、機密保持の観点から他言はしないように、関係者全員に言い含められているが、それでも人の口には戸が立てられない。

事実を知っている一部の整備兵、即ちA-01担当の整備兵や、夕呼お抱えの整備班の者たちは、最早当たり前のようにXM3について談義している。

その夕呼お抱えの整備班は、ある日、武御雷へのXM3搭載について下調べするように命令を受けた。

武御雷は城内省管轄のため、基本的に派遣された斯衛専属の整備班が行う。

その為、国連の整備班が武御雷に触れることはまずない。

しかし今回は、XM3取り付けの下準備ということで、真那が特別に許可してくれたのである。

その際、真那は武御雷を触る国連の整備班から、武が実はXM3の考案者であるという事実を知ったのである。

 

「あのOSは素晴らしい。衛士一個人の戦闘力だけではない、一個人の戦闘力の向上が、全軍の戦闘力の向上に繋がる。それにより、前線での衛士の損耗率は劇的に低下するだろう。あのような素晴らしいモノを開発出来るとは……」

 

武が言わなかったのもあるが、真那はXM3の考案者は夕呼こと、横浜の魔女だと思っていた。

それだけに、この事実を知った真那はたいそう驚いたそうだ。

これが真那の中での、武に対する印象が変わる発端であった。

 

更に付け加えると、先ほどの正規兵に冥夜たちが絡まれた現場を目撃し、それを助ける武を見たのも大きな要因だった。

無論、まだ過去の疑いは晴れていない。

しかし、何故か真那は、この男を認める気になったのである。

その理由は本人もよく分かっていない。

武が恋愛原子核故か、或いはそれとは別にある彼の魅力故か。

答えは誰も知らない。

 

「更に聞けば、あのOSは冥夜様たちの訓練小隊にも配備されていると聞く。それも貴官の発案だと聞いているが、どうなのだ?」

 

武は真那の言葉に少し不安を覚える。

 

(一体どこからそんな情報を……これは夕呼先生に頼んで、改めて情報ルートを調べてもらわないと)

 

そう思いながら、武は返答する。

実際は部下ではないものの、実質部下のような状態である整備兵たちから漏れ伝わっているとは、彼は思いもしなかった。

 

「詳細は軍機につき、お答えできません」

「……」

 

武の返答に真那は目を細めた。

そして睨み付けるかのように武を見た。

だが、彼女の中には何かしらの確信があるようで、フッと笑った。

 

「まぁよかろう……いずれにせよ、私は貴官に謝罪せねばなるまい」

 

真那の言葉に、武がすかさず答える。

 

「謝罪なら不要です。月詠中尉の懸念は最もなこと。自分が同じ立場なら疑って当然です」

 

武の言葉に、少しばかり真那の肩の力が弱まったような……そんな感じがした。

 

「では、せめて礼を言わせてくれ。武御雷の搬入要請を許可したのは……」

「それより月詠中尉。一つお伺いしたいことがあります」

 

真那が引き続き言葉を紡ごうとしたが、それを武は途中で遮る。

因みに、真那が礼を言おうとしたのは、武御雷の搬入を武が許可した点である。

しかし、その搬入要請を無視したのも武であるので、別に自分が礼を言われる筋合いはないと、本人は思っている。

故に真那の言葉を、武は遮ったのである。

その他に、どうしても尋ねておきたいこともあったから、というのもあったが。

 

「……なんだろうか?」

「もし……御剣訓練生の政治的価値が消滅し、彼女に護衛が必要なくなったとしても、貴方は彼女を守りたいですか?」

 

武の発言に、真那は一瞬思考停止する。

 

(政治的価値、だと……)

 

真那は質問の意図が分からず、武に聞き返した。

 

「それは……どういう意味だ?」

「言葉の通りですよ――いえ、言い方を変えましょう。貴方は、御剣訓練生の傍にずっといたいですか?」

 

武の発言に少し警戒の色を見せた真那だったが、質問を言い換えた武の言葉にはすぐ返答した。

 

「無論だ」

 

真那の返答を聞いた武は、何やら感慨深そうに頷いた。

 

「分かりました。では、時間ですのでこれで」

 

正直今の武の発言に色々と聞きたいことがある真那だったが、今は聞かないことにした。

 

「あぁ……手間を取らせた」

 

武はそう告げると、屋上を後にした――。

 



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Episode27:廻りゆく策謀

Episode27:廻りゆく策謀

 

 

2001年11月17日(土)

 

 

武の姿は横浜基地23番格納庫内にあった。

強化装備姿で整備兵たちに次々と指示を出す後ろ姿は、まさに少佐の肩書に見合うだけの風格があった。

そんな彼の後ろに現れたのは、同じく強化装備姿の月詠真那と神代、巴、戎の3人であった。

 

「……というわけだから、間違いのないようにな」

「はっ!了解しました!」

 

武の指示を受けて、彼を取り囲んでいた整備班長たちは、それぞれの持ち場へと散っていった。

整備班長たちへの指示を終え、次は横にいたピアティフの方を向く。

 

「ピアティフ中尉。ではこちらの方も……」

「はい、進めておきます。報告書はいつもの通りに?」

「はい。よろしくお願いします」

「分かりました」

 

ピアティフは敬礼をして去っていった。

事務手続きの指示をピアティフにお願いした武は、ここでようやく真那の方を向いた。

 

「すいません、月詠中尉。何分やる事が多くて」

「いや、別に構わない。こちらは宿借りしている身だ。それにXM3を乗せてもらうのだ。贅沢は言えん」

 

武と真那、そして例の3人組が強化装備姿で何をするのか。

それは武自らXM3の教導を彼女たちに行うためだった。

いずれ斯衛軍には、XM3をある程度の数を引き渡す予定だ。

しかし武の身は1つしかない。

わざわざ武自身が斯衛軍に出向いて教導する機会は、ほんの僅かしか取れない。

故に斯衛軍でのXM3の教導作業を、彼女たち第19独立警備小隊に行ってもらうつもりなのだ。

 

「ハッキリ言いますが、俺の教導は厳しいですよ?」

 

武の言葉に、真那が少し笑う。

 

「覚悟の上だ。それにこちらも生半可な覚悟で、XM3を提供してもらおうなどとは思っていない。余計な気遣いは無用に願おう」

 

真那たちは、武の教導の姿を、戦術機課程に入る前に見ていた。

それ故に武がかなり厳しい教官であることは、ある程度把握していた。

しかし戦術機課程に入ってからは、冥夜たちの教導の姿を見る機会はなかった。

幾ら警護とはいえ、流石にシミュレータルームに一緒に入るわけにはいかないからだ。

だからこそ真那は、武がどのような教導を行うか少し楽しみにしているのである。

 

「分かりました。では、いつも207Bにやっているスタイルで行きますよ?」

「望むところだ」

 

武は容赦なく彼女たちを教導することに決めた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

武が丁度、月詠たち第19独立警備小隊を教導している頃、1人の眼鏡をかけた老練な男性が、自らの執務室で書類仕事をしていた。

この男の名を榊是親といい、日本帝国の首相を務める男である。

是親は黙々と書類仕事を続けていた。

全てはこの日本という国の為であり、己の信念に従った故の行いであった。

故にこの男の評価は、その立ち位置によっては極端に分かれている。

無論、それは本人も自覚してのことだった。

 

そんな是親の元に、1人の尋ね人がやってきた。

扉をノックする音が聞こえた。

 

「どうぞ」

 

大方秘書だろうと思い、是親は書類仕事の手を止めずに許可を出した。

 

「失礼する」

「ん?」

 

しかし、聞こえてきたのはいつもの秘書の声ではなかった。

是親は疑問に思い、視線を書類から扉の方へと移した。

 

「おお!貴殿は……」

 

執務室の扉を開けて入ってきた人物に、是親は驚きの表情を浮かべつつ立ち上がって、突然の来訪者を出迎えた。

 

「ご無沙汰しております、紅蓮殿。ご元気そうで何よりです」

 

尋ね人の正体は、紅蓮醍三郎大将であった。

帝国軍に籍を置き、事実上の帝国軍のトップに位置する人物である。

是親とは古くからの知り合いであり、彩峰の父である彩峰萩閣と共に、かつては同じ学び舎の下で青春時代を過ごしていた。

 

「いや、儂の方こそ顔も出せずに申し訳ない」

 

部屋の中央で、固く互いの手を握り合う紅蓮と是親。

2人共穏やかな笑みを浮かべており、懐かしの友との再会を心の底から喜んでいた。

 

「どうぞお掛け下さい。今、茶を用意させましょう」

「いや、お構いなく。急に押しかけておいてなんだが、あまりゆっくりしてもいられないのでな」

 

是親は茶を用意させる為に内線電話を手に取ろうとしたが、それを紅蓮は制した。

 

「ほう?……何か急ぎの用事ですかな?」

 

是親は久しぶりの旧友の訪問に、何か裏があることに気が付いた。

彼のその問いに対し、紅蓮は頷く。

 

「実は殿下から書状をお預かりしておりましてな」

 

そう紅蓮は告げると、胸元から一通の書状を取り出して、それを是親へと差し出した。

是親は少し怪訝な表情を浮かべながら、それを受け取った。

 

「これはここで開封しても?」

「構いません」

 

是親は難しい表情を浮かべながら、執務机の上のペーパーナイフを手に取り、便箋の封を切った。

便箋には政威大将軍の証印がされており、それが本物であることを表していた。

 

「これは……!?」

 

恐らく是親にとっては意外なものだったらしく、彼の表情は驚きに包まれていた。

 

「登城命令書……紅蓮殿は、この事を?」

「今初めて知りましたな。ですが、ある程度予測はついておりました」

「ふむ……この時期に、このタイミングで……つまりはそういうことなのですかな?」

「……」

 

何やら探るような視線を向ける是親に、紅蓮は何も答えなかった。

それを見て是親は苦笑した。

 

「お答えは頂けませぬか……」

「全ては殿下の御心のままに。では、儂はこれで」

 

紅蓮は踵を返して扉へと向かった。

そしてドアノブに手をかけたところで、立ち止まった。

 

「そう言えば……」

「ん?」

 

紅蓮は振り返らず言った。

 

「殿下はこの様な事を仰っておられましたな……人は、国のためにできることを成すべきある。そして国は、人のためにできることを成すべきである、と」

「ッ!?」

 

紅蓮はそう告げて、是親の執務室を後にした。

後に残された是親は、何やら感慨深そうに再度登城命令書を見つめ、そして部屋の外へと視線を移した。

 

「彩峰の……いや、萩閣の行いに報いる時がきたということか……」

 

窓の外を見つめる是親の頬を、一粒の水滴が流れ落ちた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

紅蓮と是親が、執務室で登城命令書の受け渡しをしている頃、帝都東京の裏路地に2人の男の姿があった。

1人は帝国軍の軍服を着ており、大尉の階級章を身に着けていた。

もう1人はトレンチコートを身に纏い、何やら怪しげな風貌を持った男だった。

軍服の男が先に口を開いた。

 

「それで……この大事な時期に何の用だ?……鎧衣左近」

「いやはや、生粋の軍人にその様な目つきで訊ねられては、流石の私でも萎縮してしまうというものですよ、沙霧大尉」

 

帝都の裏路地で密会する2人の人物の正体は、鎧衣左近と沙霧尚哉であった。

裏路地の電柱に、互いに背を向けてもたれ合う両者は、会話をするときも向き合うことなく話を進める。

はて、互いに背を向けているということは、沙霧の目は分からないはずだが。

 

「相変わらずの減らず口だな。それで、私をわざわざ呼び出した理由はなんだ?」

「では、不躾ながら申し上げるとしましょう。実は、大尉の主宰する戦略研究会に興味(・・)を持たれている方がおりましてな」

「興味、だと?」

 

鎧衣の強調した言葉に、沙霧は難しい表情をして聞き返す。

 

「ええ。それも殿下に近しい者たちでございましてな……大尉の活動にも非常に興味を持ち理解している、と……」

「――それは……本当の話なのか?」

「まず間違いないでしょう。そして内側からの、密かな協力も申し出ております」

 

鎧衣の言葉に、沙霧は言葉を失った。

彼の言うことを翻訳すると、こういうことである。

悠陽に近しい者たち、即ち斯衛が、沙霧大尉の主宰する戦略研究会に参加したがっていると。

つまり、クーデターに組したいと斯衛の一部が申し出ていると。

 

沙霧は思う。

 

(まさか斯衛が……いや、そこまで現政権の殿下を蔑ろにする姿勢を憂いている者が多い、ということか?――だが、殿下に絶対の忠誠を誓う斯衛が、我々の義挙(・・)に参画したがっている?俄かに信じられん話だ……)

 

因みに彼ら戦略研究会の者たちは、自分たちのクーデターをクーデターとは呼ばず、義挙(ぎきょ)という呼び方をしている。

つまり、大義により挙兵する( ・   ・   )という言葉を縮めたものということである。

 

沙霧は暫くの間何も口にしなかった。

鎧衣も同様であり、沙霧が次の言葉を口にするのを待っているのだった。

 

「――やはり、俄かに信じられない話だ……」

「最もですな。私も最初聞いたときは耳を疑いましたよ」

 

鎧衣は全く声のトーンを変えずに話す。

だから余計に沙霧は信じられなかった。

 

「それで……この私に、どうしろと言うのだ?」

「いえね。以前にも申しました通り、あなたがクーデターを動かすなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「かの者たちも取り込めと?」

 

沙霧の表情は一段と厳しくなる。

 

「膿は出し切る時に出しきらねば、自らを壊死させてしまう。至極当然の話ではありませんか?」

「……」

 

沙霧は考えた。

そして出した結論は、次の通りだった。

 

「――まずは代表者と会ってみたい。場を設けてくれるか?」

「ええ、既にそのように」

「ふん……手際のよいことだ」

「お褒めに預かり恐縮ですな」

 

2人はその後、幾つかの言葉を交わしこの場を後にした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月18日(日)

 

 

帝国国防省、戦術機技術開発研究所。

その施設の一角にある会議室で、2人の人物がとある映像を見ていた。

 

「ほう……これが先日の新潟での映像かね?」

「はい、巌谷中佐。国連軍から唯一参加した部隊の戦闘映像になります」

 

1人は顔に大きな傷を持った将校で、名を巌谷榮二中佐という。

もう1人はまだ年若い少尉である。

この巌谷という男について少し解説すると、元は斯衛即ち武家の出身であり、今は帝国軍戦術機技術開発研究所に所属する有名な元テストパイロットである。

彼が有名になったのが1986年、日米合同軍事演習の際に、帝国斯衛軍の瑞鶴と米軍のF-15Cでの異機種戦闘訓練が行われた時であった。

その目的は、日本の次期主力戦術機の選定のためであり、この訓練でいい結果が出れば純国産機開発を、悪い結果なら断念するということである。

勿論、当時としての旧式機と新型機との戦闘になるため、瑞鶴が勝てる見込みはほぼなかった。

それは日本側も承知しており、要は善戦出来たかどうかが重要であった。

しかし結果は1勝2敗という戦績であった。

これは瑞鶴のテストパイロットであった巌谷が、奇策を用いて勝利したためであった。

無論、この勝利は日本に純国産機の開発という道を開けさせたことになるのだが……斯衛内部では色々と問題となった。

それがまた巌谷の人生を左右させることになるのだが、それは取り敢えず今は置いておこう。

兎に角、巌谷はこの過去があったからこそ、帝国軍の戦術機技術開発研究所に籍を置き、今も日本の戦術機開発に尽力しているのである。

 

「これ程とは……素晴らしいな」

 

巌谷は思わずそう呟いた。

映像では、たった6機の蒼穹色の極東国連軍カラーの不知火が、数千のBETAを蹂躙していた。

この6機の戦術機は1機の僚機も失うことなく、また数千のBETAに臆することなく、そして退くこともなく戦い、奴らの死骸を積み重ねていた。

何より巌谷が驚いたのは、この6機の戦術機の機動であった。

今まで見たことも聞いたこともない機動で、BETAを翻弄し駆逐していたのだ。

 

「情報によりますと、この戦術機動は横浜基地が開発した、新OSによるものだそうです」

「ほう。新OS、か……」

 

巌谷は思う。

 

(新しく戦術機を作るわけでもなく、OSの換装だけでこれほどの戦果をな――それに戦術機動がまるで違う。いや、根本的に違う。これほどのものを開発するとは、流石横浜の魔女……と言ったところか。だがあの女のことだ。これを素直にこちらに渡すとは思えんな)

 

忌々しいと巌谷は眉間に皺を寄せる。

 

「未確認情報ですが、横浜基地駐留の国連軍部隊に先行搭載されているという情報もあります」

 

少尉の言葉に巌谷は思考を張り巡らす。

 

(横浜基地駐留の部隊となると……そうか、あの特殊部隊か。そうだな……国連軍に配備されている不知火と言えば、あの女狐のお抱えの部隊しか有り得ない。となれば、同じ国連軍内ですら、値段を吊り上げるぐらいは平気でやるだろうな)

 

巌谷は再び眉間に皺を寄せる。

 

「あの女狐のことだ。また供物を要求してくるだろうな」

「近々こちらへと引き渡しもあると、匂わせる発言も既に幾つかあります」

「匂わせる、か。あの女らしいな」

 

そこで映像が止まった。

どうやら見終わったようだった。

 

「中佐。実は映像はもう1つあります」

「……何?」

 

少尉は自らの目の前にあるパネルを操作し、もう1つの映像を映し出した。

そこには、1機の吹雪対4機の武御雷の戦闘映像があった。

 

「意図的に横浜基地から流されたと思われる映像です」

「意図的、か……」

 

巌谷は少し呆れながら映像を見ることにした。

しかし、そこで巌谷は気づく。

あの横浜の魔女が、なんの意図もなくこの様な映像を流すはずがないということに。

そしてその巌谷の予感は、見事的中することになる。

 

「――なっ!?」

 

巌谷は驚きの表情と声を上げた。

然もあろう。

日本の戦術機の性能を知る者であれば、たった1機のしかも練習機である吹雪が、4機のしかも実戦用の武御雷に勝つなど、誰も想像しないからだ。

驚きの感情に支配される巌谷に、少尉はこう述べた。

 

「恐らくこれが、あの新OSを完璧に使いこなした動きなのでしょう」

 

少尉の言葉でようやく我に返った巌谷は、感嘆とした声で言った。

 

「これ程とはな……」

「私も最初は信じられませんでした」

 

巌谷はこの映像が謀略である可能性も考えたが、その考えは直ぐに捨てた。

何故なら、横浜がそこまでする理由が見つからなかったからだ。

そして彼の興味は、この吹雪の衛士について移った。

 

「この吹雪の衛士についての情報は?」

「それについては、少しばかり公表されております」

 

少尉は端末を操作し、横浜から公表された情報を映し出した。

と言っても、あったのは名前と僅か数行の経歴のみ。

それ以外は殆どすべて黒線で塗りつぶされており、顔写真すらなかった。

 

「白銀武少佐、か――だが、これでは人物像すら計り兼ねるな……」

「一応国連軍と横浜、それぞれに問い合わせをしたのですが……」

 

少尉の発言に、巌谷は興味深そうな視線を見せる。

 

「それで、何と帰ってきたのだ?」

「国連軍の方は機密とだけ……」

 

気になるのは横浜の方であった。

 

「横浜の方は?」

「必要に応じて、白銀少佐を新OSの教導のために出向させると……」

 

少尉の返答に、巌谷の目が見開かれる。

 

「何?それは本当か」

「2度問い合わせましたが、何れも同じように」

「ふむ……」

 

巌谷は顎に手を当て、考え込む仕草を見せた。

 

「――これは、あの娘(・・・)を呼び戻すのもいいかもしれんな……」

 

巌谷はそう呟いた。

 

「は?中佐、何か?」

「いや、只の独り言だよ」

 

巌谷は白銀武という人物について考えるのであった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月20日(月)

 

 

アラスカで有名な国連軍基地と言えば、それは紛れもなくユーコン基地である。

そのユーコン基地の一室で、1組の男女が議論を交わしていた。

 

「では大佐は、あの映像を信じられるおつもりですか!?」

 

少尉の階級章を身につけた女性が、大佐の階級章を身につけた男性に声を粗上げていた。

女性の名はリント少尉といい、後述のハルトウィック大佐の秘書官を務めている。

男性の名をクラウス・ハルトウィックといい、西ドイツ軍大佐にして、ここユーコン基地で進められている、先進戦術機開発計画、通称プロミネンス計画の最高責任者である。

 

「事実として受け止める必要があるというだけだ。第4計画側の謀略という線も捨てきれない訳ではない」

 

ハルトウィックがリントを宥めるが、彼女は一向に収まらない。

 

「あれは紛れもない謀略です!練習機であるType-97が、実戦機であるType-00に勝つなど、あり得ません!」

 

彼女たちが今話題にしているのが、先日横浜から意図的に流された、BETA新潟上陸の際のA-01による戦闘映像と、吹雪対武御雷の模擬戦の映像についてである。

A-01の戦闘映像と吹雪対武御雷の映像は、関係各所を通じて既に世界中に流されており、その映像を目にしている衛士は少なからず存在している。

それはこのユーコン基地でも同様である。

特に吹雪対武御雷の映像は、震撼を持って、ここユーコン基地でも受け止められていた。

 

「だが、あのType-97の機動が既存の戦術機と段違いであったのは事実だ。あれも謀略だというのかね?だとしたら、一体どうやってあの機動を実現しているというのだね?」

「う、それは……!?」

 

ハルトウィックの指摘にリントが言いよどむ。

 

「何れにせよ、その新OSについては調査を進めなければならない。そしてもしそれが事実だとするならば、何としてでもこちらに引き込まなければならない。それは理解しているね?リント少尉」

 

まるで親が子に言いなだめるような声で、ハルトウィックはリントに告げる。

流石にリントも事実を突き付けられ、尚且つ、言いなだめるように言われては、流石に大人しくせざるを得なかった。

 

「――分かりました。保安局に、何としてでもその新OSの実態を掴むよう、指示を出します」

 

リントは、眼鏡をクイッと人差し指で上げながら言った。

 

「頼んだよ。オルタネイティヴ第4計画……あの人類最大の詐欺犯罪集団から、何としてでもその新OSを奪い取らなければならない(・・・・・・・・・・・・)

 

普段は争いごとを避ける性格をしているハルトウィックだが、少々危険な物言いをする。

そう、これが彼の本音なのである。

それにリントは同調した。

 

「そうですね。お伽噺レベルの子供騙しに天文学的な予算を垂れ流し続けるなど、正気の沙汰ではありません。いえ、あのような与太話を採択するくらいですから、国連上層部は既にまともではないのでしょう」

「切迫のあまり錯乱寸前なのだろうさ」

 

ハルトウィックは自らの上層部を、痛烈に批判した。

 

「口惜しいです。せめてその5分の1でもこちらに回してくれたら……大佐のプロミネンス計画こそ、唯一現実的で実現性の高い人類救済策だというのに!」

 

ハルトウィックもリントも、プロミネンス計画こそが世界を……人類を救うと信じてやまない。

だからこそオルタネイティヴ計画そのものに、常に批判的な立場を取っている。

 

「いずれにせよ、第4、第5計画は徒に人類の滅亡を早めるものだ……我々は急がねばならん。人類のユーラシア奪還を最も恐れているのはBETAではない、米国だ。特に通常戦力でそれを実現される事は何としても避けたいはずだ。そして、そのような米国の専横を良しとしない勢力は多い。それをうまく使うことが肝要だ」

 

ハルトウィックの言う通りである。

米国の対BETA戦略は、G弾運用を基幹としている。

それ故に、通常戦力による対BETA戦略が拡充されることを恐れている。

しかし同時に、自らの生み出した戦術機が世界中に普及することも願ってやまない。

理由は明白である。

世界の工場とも言われている米国は、自らが戦術機を生産し他国に輸出することで、政治的にも経済的にも潤うのである。

ライセンス料もまた叱り。

だからこそ米国は、プロミネンス計画に付かず離れずの姿勢を取っている。

プロミネンス計画も捉えようによっては、世界に米国の類似商品を安価に伝搬させるものと解釈出来るからだ。

それをハルトウィックは、理解した上で利用しているのである。

つまりお互いに利用し合っているのである。

そして米国の行いは、ある種の専横と捉えている勢力も多い。

それを利用することが肝要だと、ハルトウィックは述べているのだ。

 

「はい。新OSが提供される可能性が高いのは、やはり日本帝国か我々国連の部隊となるでしょう。日本は第4計画を推進していますから、新OSの横流し(・・・)には賛同しないでしょう。となると同じ国連の部隊から情報提供をしてもらえるように謀ります」

「流石我が秘書官殿は、立ち直りが早くて助かるよ」

 

先ほどまではかなり感情的だったリントも、既に立ち直ってハルトウィックの意を組んでいる。

ここが彼女の良い点であった。

無論ハルトウィックもそれは認めている。

 

「でなければ、大佐の秘書官は務まりませんから」

「ははっ、期待しているよ」

 

日本から程遠いここユーコン基地でも、また別な思惑が動き始めていた。

 



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Episode28:事前掌握

Episode28:事前掌握

 

 

2001年11月21日(水)8:12

 

 

独特の機械音がなる戦術機の管制ブロック、即ちコックピット。

そこに伊隅大尉をはじめとする、伊隅ヴァルキリーズの姿はあった。

今日は市街地での実機訓練であり、6機の不知火はそれぞれ散らばって、市街地の各ポイントに移動していた。

それぞれがポイントに到着したことで、移動指揮車との通信が開かれ、いつものようにCP将校の遥の顔が映し出された。

それを見て速瀬がこのような事を口にした。

 

「あれ?今日も白銀少佐はいないんですか?」

 

普段なら遥と一緒に武の顔も映し出される。

それが移動指揮車からであろうと、戦術機のコックピットからであろうと、それに変わりはない。

しかし、今日も彼女たちの前に現れたのは遥のみであった。

 

「あぁ。少佐は24日まで、我々の訓練には参加されないとのことだ。だからと言って手を抜くんじゃないぞ、速瀬?」

 

事情を聞いている伊隅が、武の不在を伝えた。

 

「分かってますよ。それにしても、白銀少佐はここ最近何をしてるんですかねぇ」

「香月副司令の副官ですから、色々とあるんじゃないでしょうか?」

 

速瀬の発言に祷子が反応する。

 

「ブレアム少尉もここ最近、全然顔を見せないですからね」

「ブレアム少尉って、なんか……白銀少佐と同じく、独特な雰囲気がありますよね」

「そうですね。もしかして……」

 

武の話から膨らんで、エレナの話にも飛び火した。

宗像や茜などが次々と会話に参戦してくる。

 

「お前たち、そこら辺にしておけ。少佐やブレアム少尉にも事情があるんだ――これより本日の訓練を始めるぞ」

 

そんな会話を伊隅が制して、今日のヴァルキリーズの一日がスタートした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

ヴァルキリーズが話題にしていた肝心の武とエレナだが、この2人の姿は帝都にあった。

帝都の中心である帝都城。

その謁見をするための、荘厳と呼ぶに相応しい場所にその2人は、先日と同じように座礼をして、この部屋の主を出迎えた。

 

「先日以来ですね、白銀少佐」

「殿下におかれましては、御日柄もよく……「世事は良いですよ」……はっ、恐れ入ります」

 

頭を上げて世事を述べ始めた武を、悠陽は制した。

そして彼女は視線を武、エレナ、武と移してから口を開いた。

 

「彼女がいるということは、準備が整ったということですか?」

「はい。殿下にはこれより、クーデターの首謀者である沙霧大尉を説得して頂きとうございます」

 

そう、今日武が悠陽の元を訪れた理由。

それはクーデターの首謀者である沙霧大尉の説得を、悠陽に行ってもらうためだった。

その為の下準備は鎧衣課長にお願いしてあり、その準備出来たとの報告を既に受けていた。

 

「分かりました。私の言葉が、かの者に届けば良いのですが……」

 

因みに武も悠陽も、クーデターの首謀者である沙霧大尉が、実は鎧衣課長によって仕立てられた存在である事を知らない。

沙霧大尉が鎧衣課長の思惑を汲んで、自らクーデターの首謀者になったという事実を彼らは知らないのである。

 

「必ず届くものと存じ上げます」

「それは何故ですか?」

 

武の確信めいた言葉に、悠陽は興味深そうに聞く。

 

「国を憂う気持ちこそあれば、その目的は殿下を虐げることに非ず。殿下のお言葉は必ずや、沙霧大尉の心を動かしましょう」

「――白銀、其方は面白いですね」

 

悠陽は面白そうに微笑みながら、そう言った。

 

「はっ……?」

「国連に身を投じながら、日本の心を理解している。そして沙霧大尉の気持ちも。香月博士も其方の様な者が傍に控えていて、さぞ心強いことでしょう」

 

悠陽の言葉に、武は目を瞑って答えた。

 

「恐れながら殿下、私は決して最初から理解していた訳ではございません」

「最初から理解している者などおりませんよ?」

「私の身の上は、沢山の戦友たちの犠牲の上に成り立っているものでございます。私にはそれらを語る資格など毛頭ございません……」

「白銀……其方は…………」

 

悠陽は、白銀の強さの片鱗を垣間見た様な気がした。

そしてそこに暗き思いがあることも、同時に感じたのであった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

沙霧尚哉大尉の姿は今、武たちと同じ帝都城にあった。

彼は普段の帝国軍の軍服姿ではなく、帝都城に出入りする清掃員の姿となって帝都城に入っていた。

何故身分を偽らなければならないのか。

それはあまり目立つ訳にはいかないからである。

帝都守備連隊に所属する沙霧は、確かにその表立った身分を使えば、難なく帝都城に入ることが出来るだろう。

しかしそれでは、怪しい行動を取ることが難しくなってしまう。

鎧衣課長から斯衛内部にクーデターに賛同する者がいると知らされ、その真実を確かめる為にわざわざ帝都城にやってきたのだ。

幾ら密室で話し合う手筈になっているとはいえ、仮に帝国軍の軍服を着た人間と、斯衛軍の制服を着た人間が一緒にいては間違いなく目立ってしまう。

清掃員であれば、仮に見つかっても言い訳が出来る。

その為の偽装であった。

 

沙霧は、鎧衣から渡された清掃員の制服と清掃用具一式、そして警備を突破するためのIDとパスを首からぶら下げて、帝都城の中を歩いていた。

時々出会う斯衛軍の士官には軽い会釈をしながら、あらかじめ指定された部屋に向かっていく。

正直なところ、沙霧はまだ半信半疑であった。

あの斯衛が、クーデターに参画するだろうかと。

様々な思考を巡らせながら、彼は目的の場所へと向かう。

帝都城の造りは複雑で、そう簡単には目的の場所へは辿り着けない。

だからこそ、色々と考える時間はたっぷりとあった。

しかしどのように考えても、兎に角あってみないと分からないという結論に至ってしまう。

然もあろう。

あの鎧衣が言うのだ。

この話に裏があっても、そこに嘘があるとは思えなかった。

なんせ自らをクーデターへの首謀者へと導いた人物である。

故に鵜呑みには出来ないが、一考の余地はあるのである。

そのような事を思いながら沙霧は、1年半程前の鎧衣との密会を思い出していた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「――いやはや酷いものだ。米軍の新型爆弾……私も映像で見ましたが―――正直、ぞっとしましたね」

 

場所は沙霧の宿舎。

そこに何の前触れもなく、鎧衣左近はやってきた。

 

「私は職業柄、1つ所に留まることが少ないのですが、ああいうものを見せられると、つい想像してしまいます」

 

部屋に招き入れはしたが、沙霧は何も言わず自室の畳の上に座り、ただ鎧衣の話を聞いていた。

鎧衣も玄関から靴を脱いで部屋に上がることはなく、玄関の壁に寄り添い、ただ黙々と話し続けていた。

 

「自分の故郷が一瞬で消えてしまう瞬間――自分の家が、毎日通った道が、思い出の場所が永遠に失われてしまうところをね……」

「……何が言いたい」

 

ただ黙って鎧衣の話を聞いていた沙霧だったが、話の先が見えず遂に口を開いた。

 

「今……国内で政府を打倒しようとする動きがあります」

「――クーデター……だと?この非常時に?」

「昨今の政府の強硬姿勢を見れば、わからなくもない話ですが――彼らのスポンサーにはどうも別の思惑があるようでしてね。首謀者は傀儡に過ぎません。極東から手を引いたはずの米国が、国内の混乱に乗じて復権を目論んでいるようで……」

「……ッ!?」

 

沙霧の目が見開かれた。

 

「今の政府は、事が起これば容易く彼らの介入を許すでしょうな」

 

まるで他人後のように鎧衣は言い放った。

 

「榊首相は目的意識の高い方ですが……手段と相手を選ばぬ故に、風当たりも強くなってきています。後ろ盾という意味では強力ですが、他国の内部浸透を許すということが、どのようなリスクを孕んでいるか。軍人である貴方ならよくご存じのはずだ」

 

軍隊というものは、どうしても政治と色濃く繋がりが出来てしまう。

政治がなければ、軍隊はただの暴力装置に過ぎない。

それ故に軍人というものは、本人の政治思想とは関係なく、政治に左右されてしまう。

だから軍人は政治に敏感でなければならないのだ。

特に戦時下であれば尚更である。

 

「クーデターは成功するでしょう。そしてこの国は傀儡国家として米国の盾となる――」

「……何故、私にその話をする」

 

鎧衣の言うことは理解出来た沙霧だが、何故暗部であるこの男が自分の元を訪れ、何故そのような話をするのか、それが沙霧は理解出来なかった。

 

「なに……これは私見ですがね。仮にあなたがクーデターを動かすなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

沙霧は勢い良く立ち上がり、鎧衣の着ているトレンチコートの首元を掴み上げた。

 

「……私に、国を裏切れと言うのか……?」

 

殺気の籠ったそれに、鎧衣は両手を上げながら言った。

 

「国とはなんです?政府や軍はあくまで、国民の生活を守るためにあるものでしょう?あなたが何を守ろうとしているのかまでは、流石に存じ上げませんが」

 

沙霧の力が強くなる。

 

「いや失礼――これはあくまで独り言です。普通なら誰も進んで、こんな損な役は引き受けちゃくれません。これでは貴方に死んでくれ、と言っているようなものだ」

 

沙霧は鎧衣の言葉の意味を考える。

そんな沙霧に、鎧衣は追い打ちをかけるように言う。

 

「彩峰萩閣中将は……その意味では、実に高潔の士と言えました」

「……ッ!?」

 

沙霧の手が、鎧衣の首元から離れた。

 

「……知っているのか?」

 

沙霧の言葉に、鎧衣は何も答えなかった。

 

「覚悟を――決めろということか。この手で断ずる覚悟を……」

 

己の手を見つめながら、沙霧は言った。

 

「……あの事件(・・・・)が、取り除くべきものを際立たせた。あとは――誰がその意志を継ぎ、鬼になるかです」

「――人は、国のためにできることを成すべきである。そして国は、人のためにできることを成すべきである……」

 

こうして沙霧は覚悟を決めたのだった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「彩峰……中将――私に、私にそれができるのでしょうか?」

 

沙霧はそう独り言を漏らした。

暫くして指定の場所に着いた沙霧は、辺りを見回して誰もいないことを確認すると、部屋の扉をノックした。

 

「どうぞ」

 

中から許可する声が聞こえたことで、沙霧は中へを入っていった。

 

「ようこそ、沙霧大尉」

「貴方は……ッ!?」

 

沙霧の目が見開かれた。

 

「斯衛軍大将、神野志虞摩だ」

 

そこにいたのは、斯衛軍事実上のトップである神野志虞摩だった。

沙霧はまさかの人物に驚きを隠せなかった。

しかし直ぐに平静に戻り、考えを張り巡らせる。

そして1つの結論に至った。

 

「謀ったな?」

 

身構える沙霧に、神野は肩をすくめて言う。

 

「はて、一体何のことやら……今日はお主と話がしてみたくて呼んだのだ」

「私と……話?」

「そうだ。一体どのような魂胆で、クーデターなど企むのかと思ってな」

 

クーデターという単語に、沙霧に更に警戒の色が浮かぶ。

本当なら、今すぐにでも口封じの為に掴みかかりたいところだが、生憎相手が帝国有数の有段者とあっては、そう容易くいかないことは明らかだった。

いや、自分では容易くいなされることが、沙霧には分っていた。

 

「……」

「ふむ。黙する、か……」

 

沙霧は様々なことを考えていた。

鎧衣が裏切ったのか。

それとも最初から仕組まれていたのか。

クーデターが明るみに出てしまった以上、どうやって今後の活動をするのか。

まずはどうやってこの場から抜け出すのか。

沙霧の思考は止まらなかった。

 

「では、お主がどうしても口を割れねばならない状況にしてしまおう」

 

沙霧は更に身構えた。

 

(拷問にかける気か?)

 

神野は、この部屋にある出入り口とは別の扉の方を向いて言った。

 

「殿下。お願い致します」

 

神野がその言葉を放つと、その視線の先の扉が開いた。

 

「でん……か……?」

 

扉が開き入ってきたのは、政威大将軍の軍服を着た煌武院悠陽であった。

そしてその後ろに控えていたのは、国連軍の軍服を着た武と、斯衛の軍服を着た月詠真耶であった。

 

「其方が沙霧大尉ですね?」

 

沙霧のあれだけあった思考は、一瞬にして停止した。

暫く固まった状態であった沙霧だったが、数秒程してようやく我に返ったのか、勢いよく跪いた。

そして今まで頑なに肯定していなかった自らの身分を、ここに来てあっさりと明かした。

いや、既に向こうには知られているのだ。

今更隠しても更々無駄であった。

 

「こ、これは煌武院悠陽殿下!!大変失礼致しました!――はっ!帝国本土防衛軍、帝都防衛第1師団・第1戦術機甲連隊所属、沙霧尚哉大尉であります!」

 

跪き首を垂れる沙霧に対し、悠陽は穏やかな声を表情で言う。

 

「別に無礼ではありませんよ?沙霧大尉。寧ろ、唐突に表れたわたくしこそ無礼というもの。故に其方が気にする必要はありません」

「い、いえ!殿下が無礼などとは……」

 

ここでようやく停止していた沙霧の思考が再会される。

 

(一体どういうことだ!?何故この場に殿下がおられるのだ……ということは、我々の義挙のことも?)

 

跪いたまま思考する沙霧に、悠陽は声を掛ける。

 

「まずは面を上げなさい、沙霧大尉」

「……は」

 

悠陽の言葉に、沙霧は下げきっていた顔を気持ちばかり上げるが、決して彼女を仰ぎ見ようとはしなかった。

それは、政威大将軍である悠陽への最低限の礼であり、また沙霧自身の動揺を隠すためであった。

そんな沙霧の心の内を知ってか知らずか、悠陽は無言のまま、部屋の中央に設置されていたソファーの上座への席へと移動した。

 

「お掛けなさい、沙霧大尉」

「そ、その様な畏れ多い事!殿下と同じ席に着くなどと!?」

「良い。呼び立てたのは此方ですから。それに、このままでは話も出来ません」

 

跪いたまま狼狽える沙霧に、悠陽は穏やかな、だが有無を言わせぬ圧力を言葉に乗せて命じた。

 

「……は、は!」

 

沙霧は自らの脚が震えているのを自覚しながら、悠陽の対面にあるソファーに腰かけた。

悠陽の後ろには、武と真耶、神野が立ったまま控えていた。

 

「さて、どこから話したものでしょうか。そうですね。まずは沙霧大尉たちが計画しているということについて、話して頂きましょうか」

「……は、はっ……」

 

沙霧の全身から吹き出るように汗が流れ始めた。

両手の拳を強く握り、肩が静かに揺れ始める。

そして首を垂れ、その頬を汗が伝っていった。

 

丁度その時だった。

部屋の扉がノックされ、扉の向こうから声が聞こえた。

 

「お話中失礼致します。榊首相が到着されました」

「そうですか……丁度良い、お通ししなさい。月詠?」

「は……」

 

悠陽の指示に、真耶が扉を開いた。

 

「失礼致します」

「お忙しい中お越し頂き、大儀であります。榊是親殿」

 

入室と同時に深々と一礼をする是親に、悠陽が笑顔で言った。

 

「畏れ多いお言葉です、殿下。手前こそ、この度はご拝謁の名誉を賜り、光栄の極みであります」

 

是親は非常に落ち着いてた声で応対した。

 

「さて……これから話すことは少々長引くと思われます。まずは榊殿、お掛けなさい」

「はっ……失礼致します」

 

悠陽の勧めで是親もソファーに腰を降ろした。

それを待って悠陽は口を開く。

 

「この度、榊殿にお越しいただいたのは他でもありません。現在、この日本国内において、水面下で不穏な動きがあるとの情報が、わたくしの耳に届いております」

「ッ!?」

「……どういう事でしょうか?」

 

悠陽の言葉に、沙霧が息をのみ、是親は眉を潜めた。

 

「……現政権の在り方に不満を持つ一部の者たちが、クーデターを画策しているとの事です」

「なんと……」

 

是親は驚いているが、流石は年の功というやつか、表情には出ていなかった。

一方の沙霧は、肩を震わせ汗が滝のように全身から流れ出ていた。

もうこの時点でチェックメイトのようなものだが、沙霧は押し黙っていた。

 

「とはいえ、現段階ではそういった動きがあるという事のみで、具体的な計画までは分ってはいません。ですが、この話が真であれば、榊殿にも気を付けて頂きたいと思い、この度はご足労願った次第です」

「おお……殿下のご配慮に心より感謝申し上げます。しかし、そうですか。そのような動きが……」

 

何やら考える仕草を見せる是親。

 

「しかしそうなると、その一派がどのような手を打っているのかが、気になりますな」

「わたくしもそのように思います――白銀、其方はどう考えますか?」

 

実はここまでの流れはある程度、武の計画に沿った内容であった。

是親が部屋に入ってくるタイミングは、想定より少し早いものであったが、結局のところ、全ては武の手の内といっても過言ではなかった。

因みに当初、この計画の内容をエレナが聞いたとき、武も相当夕呼みたく黒くなったものだと、内心かなり感心したという。

尚、エレナは先ほどまで悠陽がいた隣の部屋に待機している。

理由はリーディングの為であるが、その目的は後に明かされることとなる。

 

「そうですね。自分なら……」

 

武は前の世界で起こったクーデターの全容を思い出しながら、話し始めた。

 

「まずはクーデターに与していない帝都各所の守備部隊を抑えます。それと並行して各省庁、警察、報道機関も抑えます」

「うむ。まずは妥当な手段だ」

 

武の言葉に是親が同意する。

 

「無論、内閣府も抑えます。そして筆頭である榊首相を始めとした大臣及び、政府要人を拘束。若しくは……」

「……殺害、かね?」

 

口籠った武の言葉を引き継ぐように、是親が述べた。

 

「はい。それが済んだ後は、国民に向けてのアジテーションを行うでしょう。それによって国民を味方につけ、臨時政府が立ち回る隙を抑えます」

「白銀……と言ったかな?君は、仮に臨時政府を置くとすれば、何処に置くかね」

 

是親が武に問う。

 

「帝都から離れ過ぎず近過ぎず、仙台辺りが妥当でしょう」

「なるほどな……すまん、続けてくれ給え」

 

是親が続きを促す。

 

「クーデターが順調に推移した後、クーデター側が望むことは只一つ」

 

武は視線を悠陽に移しながら言った。

 

「政威大将軍であらせられる、煌武院悠陽殿下を擁することでしょう」

「そうだな。そして勅命を賜ることが、彼らにとって最も重要なことだろう」

「はい」

 

悠陽が武に振り返りながら聞く。

 

「白銀。そうなるとクーデター一派と斯衛、そしてそれを良しとしない者たちとの間で戦闘になることが考えられます。それはわたくしにとって、許せる状況ではありませんが……」

「畏れながら殿下。クーデター一派の目的は、殿下や日本の民に弓を引くものではないと愚行致します。よって、帝都城や斯衛に銃口を向ける真似はしないでしょう……」

 

悠陽の懸念に武が答える。

武が担々と答える間に、沙霧は少しばかり冷静さを取り戻していた。

だがそれでも自らの前で、計画を明らかにされていくのはやはり良い気がしない。

そして沙霧はこの様な結論に至った。

 

(やはり我々の計画は全て知られていたのだろう……我々の目的は、この国の本来の担い手であらせられる殿下に実権を戻すことだ。にしてもこの男、動揺していて気が付かなかったが、国連の軍服を纏っている。我々の計画は、国連に察知されていた?いや、それとも鎧衣の奴か……いや、十中八九鎧衣だろう。しかし分らん。何故この様な真似を?さっさと私の首を取れば良いだけの話だろうに)

 

と沙霧が思い至っている中、武は断言した。

 

「通常であれば、ですが……」

「な……ッ!?」

 

沙霧が思わず声を上げた。

 

「どういう事だ?」

 

是親が問う。

 

「ここから先は私の完全な妄想ですが……クーデター一派が一枚岩だとは到底考えられません。このクーデターの動きは、必ず耳聡い者のところには届くと考えます。そしてその様な好機を、かの国が見過ごすはずがないと思われます」

「なるほど……米国か」

 

伊達に首相を務めていないというところだろうか。

是親は直ぐに察した。

 

「はい。必ず墜ちると思って手を引いた国が、寸前のところで持ちこたえた。そして自国の領土内にハイヴを抱え、海の向こうにはBETAの絶対的な支配権であるユーラシア大陸がある。そんな中でも水際にてBETAの侵攻を防ぎ、未だある程度国力を温存している国。そんな国を傀儡に出来るチャンスを、かの国が見過ごすでしょうか?」

「確かにな。クーデターが成功した暁には、国連の名の下、堂々と国内に進駐。或いは98年に破棄された、日米安全保障条約の再締結……かね?」

「あくまで可能性に過ぎません。ですが、もし自分の懸念が当たっているとすれば、かの国の手の者が入り込んでいても可笑しくはありません」

 

武の発言に沙霧は焦る。

 

(まさか……念入りに調査して、米国が立ち入る隙は潰しているはずだが!?)

 

そう、兼ねてより米国の手が伸びることは想像に容易かったため、沙霧たちは念入りに配下の者たちの調査はしていた。

しかし個々の範囲内でやる調査と、国のバックアップがあるものとでは、やはり流石に限界があった。

故に沙霧たちの活動には、既に米国の手の者が入り込んでいたのである。

沙霧は自らの戦略研究会に名を連ねる者たちのリストを、脳内で思い浮かべた。

そしてそれは全て、エレナによってリーディングされていた。

 

隣の部屋に待機するエレナは、目の前にある情報端末に沙霧が脳内で思い浮かべたリストを延々と表示し続けていた。

エレナは様々な機関の情報に、事実上の不正アクセスをして、そこから沙霧が思い浮かべた人物のプロフィールやそれに付随する情報を纏めて表示していた。

 

「……これは、壮観だな」

 

それを横から眺めていた鎧衣は、珍しく感心したような声を出した。

因みにエレナと鎧衣はこれが初対面である。

 

「これでは私は近いうちに廃業だな……」

「別にやりたくてやっている訳じゃないわ。私だって好き勝手に人の心の中を覗きたいわけじゃない」

「見えると見えてしまうは別……ということか。すまない事を言ってしまったね」

「でも私自身、人の心が見えないと……もう何が本当で何が本当じゃないか、区別がつかないでいる。そして私はこの能力(リーディング)に頼り切ってしまっている……そんな自分に吐き気がするわ……」

 

鎧衣は自らの発言を後悔した。

そして00ユニットである彼女が背負っているものの大きさを知った。

彼女が内心葛藤していることを知った。

オルタネイティヴⅣが人類を救う。

だが、その中心である00ユニットは、決して機械などではない。

れっきとした1人の人間であるということを、鎧衣は思い知ったのであった。

 

暫くして端末に表示される情報が区切りを迎える。

 

「これで全部よ」

「ありがとう、エレナ君。では私は私の仕事に向かうとしよう」

 

端末に表示された全ての情報を記憶媒体に移し替えたエレナは、そう鎧衣に告げた。

その記憶媒体をエレナから受け取った鎧衣は、帽子を脱いで一礼した。

そして自らの仕事を成すために、武たちのいる部屋に繋がっている扉とは別の扉から退室していった。

 

場面は再び、武や悠陽たちのいる部屋へと戻る。

 

「因みに白銀……少佐。君はクーデター一派の規模は、どの程度だと考えているのかね?」

 

是親は白銀の名を呼ぼうとしたが、階級がわからず一度視線を肩の階級章へと向けてから呼んだ。

 

「帝都の主な守備部隊は当然ですが……私の見た限り、富士教導団や第1空挺部隊にもその一派はいると考えます」

「教導団は兎も角、空挺部隊にもかね?」

「はい。状況に応じては、空挺部隊による広範囲の作戦展開も考えられます。流石に全ての部隊が呼応しているとは考えづらいですが、帝都近郊の空挺部隊は確実に参加しているものと考えます」

 

是親は興味深そうに頷いた。

 

「なるほどな……それにしても白銀少佐、君は本当に国連軍の衛士かね?君がクーデターに与していると言われた方がまだ納得出来るのだが……」

 

確かに武は知り過ぎていた。

特に後半からは予想ではなく、断言したものへと口調が変わっていたというのもあった。

それに是親は当然ながら気づいていた。

 

「自分はれっきとした国連軍の少佐です。香月博士の副官をしていると言えば、お分かり頂けると思いますが?」

「なるほど。香月博士のな……」

 

夕呼の名を出したことで、是親は納得したような表情をした。

やはりここでも夕呼の名はかなりの効果があるようだった。

 

「それに、これ以降の話は、直接クーデターを画策している本人からお聞き頂いた方がよろしいかと思いますが……そろそろ話す気になりましたか?沙霧大尉」

 

武が視線を未だ俯いたままの沙霧に向ける。

 

「……何?」

 

是親は目を見開いて、武は視線を向けた沙霧の方を向いた。

 

「沙霧大尉。其方の国を憂う気持ちに、嘘偽りはないと見受けました。素直に話しては頂けませぬか?」

 

悠陽がまるで諭すように優しい声色でそう言った。

 

「……分かりました――もとより白銀少佐に手の内を全て晒されたも同じ。全てをお話致します……」

 

こうして沙霧は全てを語った。

全てを語り終えた時、沙霧は言いようのない解放感を得たことに気づいた。

それほどまでに彼はとてつもない重圧と戦っていたことの証だった。

 

「沙霧大尉。この煌武院悠陽を、そしてこの日本を思って行動……全国民を代表し、お礼を申し上げます」

 

悠陽はそう言って深々と頭を下げた。

 

「そんなッ!?殿下!殿下が頭を下げられるようなことは……」

「今回の一件は全てわたくしの不徳の致すところ。此度の責めを負うのはわたくしだけで十分です」

「そんな、殿下……」

 

沙霧は絶句してしまった。

是親もまた同様であった。

責められるべきは自分だと、両者立場は違えどそう思ったからである。

 

「ですが……もし此度の責めを共に分かち合う方法があるとしたら、どうですか?沙霧大尉」

「はっ……何なりとお申し付けください」

 

沙霧は深々と頭を下げた。

是親も同様だった。

 

「沙霧大尉。其方はこれまで通り、クーデターの機会を伺いなさい」

「……は?」

 

沙霧は素っ頓狂な声を上げた。

 

「全てを知られた上で、全てを知られていない振りをして、今まで通りクーデターの機会を伺うのです」

「……どういう事でしょうか?」

 

沙霧は理解が追いついていない様子だった。

そこで武は口を挟んだ。

 

「殿下。後は私の方から説明致します」

「頼みましたよ」

「はっ」

 

武は自らの計画を沙霧と是親に明かした――。

 

 



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Episode29:珠瀬事務次官来訪

Episode29:珠瀬事務次官来訪

 

 

2001年11月21日(水)

 

 

「お疲れ様でした、沙霧大尉」

 

帝都守備連隊の詰所に戻った沙霧を、中尉の階級章を身につけた女性が敬礼をして出迎えた。

 

「あぁ……留守中に何か変わったことは?」

「いえ、特にありません。大尉の方は如何でしたか?」

「いや、大丈夫だ。駒木中尉」

 

一体何が大丈夫なのか、自分で言っていて違和感を持った沙霧だった。

そしてそれを駒木と呼ばれた、眼鏡をかけた彼女は見過ごさなかった。

 

「大尉?」

「……」

 

少し心配そうに声を掛けてきた駒木に、沙霧は何も答えなかった。

それがまた駒木の不安を掻き立てる。

 

「あの……本当に大丈夫ですか?」

「すまないが、茶を貰えるか?」

「はい……」

 

駒木は眉を潜めながら茶を取りに、部屋から出て行った。

それを確認してから沙霧は大きな溜息を吐いた。

 

(全て知られていたとはな――我々が2年近い歳月を掛けてきたものは、あの場で全て破綻したわけだ……)

 

沙霧は自らの執務机の前に置かれている椅子に、勢いよく腰かけた。

まるで身体中の力が抜けるかのように、崩れ落ちるかのように腰掛けた。

 

(正直、あの場で切腹を申し付けられた方が、どれだけ救われたことか…………しかも、あの殿下の勅命は――まさか、国連があのようなことを考えているとはな。いや、国連ではない。あの白銀少佐という歳若い少佐か……)

 

沙霧は持ち帰った大きな封筒の封を切り、中身を確認する。

そこには自らの同志の名が連ねたリストがあった。

そしてその幾つかの名前に赤い線が引かれていた。

 

(まさかこれだけいるとはな……)

 

沙霧は大きな溜息を吐いた。

彼が封を切ったその中身は、米国に通じている者やその手の者、その他に第5計画派と呼ばれる者の間者のリストだった。

優に全体の1割近くはいた。

流石にクーデターの中枢にまでは潜り込んではいないが、それでも1割はいるのだ。

沙霧は米国の力を痛感する思いだった。

同時にそれらを全て読んだ武の力も。

 

(まさか鎧衣が寝返えるとは……いや、この言い方は正しくないか。あの男にとっては裏も表もない。これが最初から鎧衣の狙いだった?――いやだとしたら、私にクーデターに関与するようには促さないだろう。途中から、あの白銀少佐とやらと手を組んだということか……確かにな。私より白銀少佐の方が上手だろうからな)

 

全て読まれていたというのは、沙霧にとっては驚きだった。

 

(最初は鎧衣が話したのだと思っていたが……まさか全てを、富士教導団や空挺部隊のことまで読むとは――この世は広いものだ……)

 

悠陽との会談が終わり、帝都城を出て自らの隠し拠点に戻ったところ、そこに鎧衣が待ち構えており、渡されたのが先ほどの書類だった。

そして鎧衣はこう告げた。

あれは全て白銀少佐が予測したことであり、自分は関わっていないと。

彼は第4計画に全てを捧げていると。

そして彼こそが人類救済の鍵となると。

沙霧は武から、第4計画と第5計画について聞かされていた。

曰く、国連が主導する世界規模の対BETA戦略であると。

その第4計画というモノを日本が誘致しており、第5計画を米国が誘致していると。

彼が聞かされたのはその程度であるが、第4計画の本格始動は、それこそ悠陽の威光を世界に知らしめるためになると聞かされていた。

 

(オルタネイティヴⅣ、人類を救う究極の計画か。その計画に、そして何より煌武院悠陽殿下の御為になるのであれば、この沙霧尚哉。身命を賭して、この計画、何としてでも遂行せねば……)

 

沙霧は新たな決意を胸に秘めたのだった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月22日(木)12:57

 

 

武は今、国連軍C型軍装を身に纏い、応接室へと向かっていた。

先ほど夕呼から連絡をもらい、基地司令と彼女の面会が終わったことを告げられたからだ。

この後、武と途中合流のまりもが基地を案内し、そして訓練兵たちの元へと連れて行くことになっている。

 

「失礼します」

 

武は一声掛けてから、応接室へと入室した。

入室してすぐラダビノッド司令と目が合った。

ラダビノッドとはこれが2回目の顔合わせとなる。

武は思い出しながら考える。

 

(あの時は随分と怪訝な顔をされたっけか。まぁそりゃそうか。いきなり、外で活動させていた腹心を呼び寄せたって言って、歳若過ぎる少佐を紹介されたんだからな……だけど、この人も只者ではないよなぁ。いきなり湧いて出た俺に、何も聞かずに敬礼をするだけで済ますなんて。幾ら夕呼先生に、事実上の基地司令と呼ばれるほどの裁量権を与えているとはいえだ――そう言えば、オルタネイティヴⅣが接収(・・)された後、基地司令はどうなったんだっけ?)

 

色々なことを思った武だが、ここで彼は自分の考えの矛盾に気がつかなかった。

 

基地司令と視線を交換した後、その彼と夕呼に向き合う形で座っている紳士こと、珠瀬玄丞斎国連事務次官に敬礼をした。

 

「白銀武少佐であります」

「事務次官を務めております。珠瀬玄丞斎です」

 

そう言って立ち上がった事務次官は、武と握手を交わした。

 

「ではこれより、当基地をご案内致します。では、司令、副司令、失礼致します」

 

ラダビノッドと夕呼に、武は敬礼をする。

するとラダビノッドだけは答礼し、夕呼は何も返さなかった。

 

(まぁ、夕呼先生は今更だわな)

 

武は内心苦笑した。

 

応接室を出てから、武は横浜基地を案内していった。

最初に案内したのが、オルタネイティヴⅣの完遂に必要な大深度地下施設などだった。

地下原子炉や研究棟、地下格納庫など案内した。

無論、90番格納庫や純夏の脳髄がある部屋などは案内しない。

所謂表向きの施設ばかりを案内した。

それが済むと地上施設の案内となる。

地上に出てからは、まりもと合流し案内していった。

そして今日のプログラムの最後に位置する、訓練校の案内に向かった。

訓練兵との合流場所であるPXへの道すがら、事務次官と会話を続けた。

 

「そう言えば、白銀少佐は、あるプロジェクトで、うちの娘達を鍛えていると聞いたが?」

「はい。臨時の教導官として、神宮寺軍曹と共に、ご息女の指導にあたっております」

 

本来ならば施設の案内は、まりもの役目となる。

しかし大深度地下施設の案内は、一定のセキュリティパスを持っている人間でしか出来ない。

しかもこの施設でそれなりのセキュリティパスを持ち、かつ夕呼にも信頼されている人物は殆どいない。

故に武にお鉢が回ってきたのだった。

夕呼曰く、あんたならあたしの副官だし丁度いいでしょ。

ということで、任されてしまったのである。

 

「そうか。娘が迷惑をかけていないかね?」

「それは、お答えしにくい質問ですね」

 

かけていない、と答えれば嘘をつくことになる。

訓練兵に手が掛からない訳はないからである。

しかし、かけている、と答えれば礼を失することにも繋がってしまう。

 

「すまない。これは意地悪な質問だったね」

「いえ、お気になさらず。ですが、ご息女は他に類を見ない優れた素質を持っています。きっと歴史に名を残す衛士になることでしょう」

「――そうかね」

 

多少のリップサービスも混ざっていたが、これは武の本心だった。

それを聞いた事務次官は、少し間をおいてから笑みを浮かべた。

これがきっかけになったのだろう。

以降、事務次官は訓練について触れてはこなかった。

 

他愛もない会話を続けながら、やがて一行はPXに着いた。

207Bの本来の教官はまりもであるから、訓練校の敷地に入ってからの事務次官のお相手は、彼女の役目になっていた。

 

「敬礼!」

 

PXに入ると207B訓練小隊一同が既におり、合図で一斉に敬礼をした。

 

「事務次官、ここが横浜基地衛士訓練校の食堂になります」

「ほう」

 

続いてまりもが207Bの紹介に入った。

 

「ご紹介します。彼女らが第207兵士訓練小隊の訓練兵です」

 

事務次官は一度、彼女たち全員を見回してから声をかけた。

 

「諸君の双肩に人類の未来が懸かっている。宜しく頼むよ?」

「「「──はッ!!」」」

 

ここから先は彼女たちの領分になるので、武とまりもは一旦別れを告げる。

 

「では、小官らはここで失礼させていただきます。ここから先は、珠瀬訓練兵がご案内差し上げます。珠瀬訓練兵!」

「ああ、ありがとう。白銀少佐、神宮司軍曹」

 

武とまりもは敬礼をし、たまに案内を促した。

 

「あ!は、はいっ!どうぞこちらへ!」

 

暫く両者の間に沈黙が走る。

そして――。

 

「うんうん、頼もしいなあ……でもパパは甘えてもらえないの、ちょぉっと寂しいぞぉ」

 

事務次官がただの親馬鹿に変貌した。

 

「パ、パパァ……うう……で、でも私は訓練兵なのでっ!!」

「そうか……うむ、頼もしいな……パパは嬉しいぞお!!」

「ででででは、こ、こちらへ!」

 

武とまりもが顔を見合わせる。

そして互いに苦笑した。

 

「うむ……パパ、今日はたまの小隊長っぷり、いっぱい見させてもらうぞお」

 

たまが案内を始めた。

武は以前同様突っ込んだ。

 

(いや、だから分隊長だってば……)

 

そう内心突っ込みをいれながら、武は昨日の夜の出来事を思い出した。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

武が帝都で沙霧大尉の説得を終え、丁度帰還したところ、まりもと偶然鉢合わせた。

 

「少佐。お戻りになられたんですね」

 

まりもは笑顔でそう言いながら敬礼をした。

武も答礼し幾つかの言葉を交わす。

特にお互い用事はなかったので、他愛もない会話をしながら歩いていた。

まりもは、自室に帰ろうとしていた途中で武と遭遇した。

肝心の武は、今日の成果を夕呼に報告しようと地下施設へと向かおうとした。

互いの向かう方向としては全く逆の方向だった。

しかし彼女は武の横を歩いていた。

それは何故か。

理由は、少しでも武と話をしたいという、まりもの僅かながらの乙女心の発露が原因なのだが、本人は残念ながら気づいていなかった。

だが、それは功を奏することとなる。

2人が司令塔と訓練校を繋いでいる渡り廊下に差し掛かった時だった。

 

「教官!」

 

まりもを呼ぶ声が2人の耳に届いた。

 

「御剣?」

 

声のした方を向くと、訓練の側から冥夜が速足でやってきた。

2人の足は止まり、冥夜がこの場に着くのを待つ。

 

「神宮寺教官。それに白銀少佐も」

 

やがて2人の元にやってきた冥夜は、敬礼をして2人の上官に挨拶をした。

 

「どうした、御剣」

「は……」

 

しかし、肝心の用事があって呼び止めたであろうまりもの前にやってきた冥夜は、非常に言いづらそうにしていた。

表情も非常に暗く、何やら思いつめた様子だった。

その様子に、まりもも武も頭に疑問符を浮かべた。

だが、そこで武はハッと気づいた。

 

(そう言えば明日は、珠瀬事務次官の来訪日か……なるほど、それで冥夜は……)

 

武は夕呼の副官と言う性質上、事務次官の来訪日を事前に知らされていた。

その時は何とも思わなかったが、よく思い返してみると、大きなイベントがあることを思い出した。

 

(一日分隊長、か……)

 

前の世界同様、父親に対して分隊長として手紙を書いてしまったたまが、慌てて皆に相談した結果なのだろう。

武は内心驚く。

 

(俺抜きでこの結論に達するとはな……発案者は多分、美琴や彩峰か?――待てよ、冥夜がこんなに言いよどむってことは……あぁ、俺のせいか)

 

武は驚きと共に、もう1つの結論に達する。

恐らく冥夜は、武がいるから言いよどんでいるのだろうと。

確かにそうだ。

訓練中相当厳しい武が、当然軍規に厳しくない訳がない、と普通は考えるだろう。

冥夜たちのお願いは、軍規違反に相当する。

当然だ。

身分詐称をさせてくれと言っているのだから。

今の彼女の気分は玉砕覚悟のような状態であろう。

因みに、何故本来の分隊長である千鶴が来なかったのか。

それは前の世界でも、彼女が一日分隊長に乗り気ではなかったことが原因だろう。

だから代わりに冥夜がやってきたのだ。

 

「御剣訓練生」

「……はっ」

 

武は少し優しめの声で言った。

 

「今は訓練時間外だ。だからお前がどのような事を言おうと、俺は別に気にしないぞ?だから遠慮なく言ってみろ」

 

冥夜は一度俯き、決心したような表情をしてから言った。

内容は案の定であり、事務次官の案内を珠瀬にやらせてほしい、ということだった。

まりもは少し驚いたような表情をしてから、武の方を見た。

自分では決められない、ということの意思表示なのだろう。

 

「別に構わんぞ。大方、珠瀬が手紙に何やら変なことを書いたのだろう?」

 

その言葉を聞いた冥夜は、心底驚いたような表情をして武を見た。

 

「少佐は……ご存知だったのですか?」

「いや?今貴様の表情で知った」

 

冥夜の見開かれていた目が、更に見開かれた。

 

「まぁ好きにしろ。俺は何も言わんぞ?」

「はっ!ありがとうございます!」

 

冥夜は嬉しそうな声と共に敬礼をすると、速足で2人の前から去っていった。

 

「少佐、よろしかったのですか?」

「別に構わんさ。事務次官も、娘の晴れ姿を見たいだろうよ」

 

訓練校の方を見ながらそう言う武に、まりもは笑顔を浮かべた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

時間はその日の夜。

たまによる訓練校の案内を終えた事務次官は、少しの休憩を取った。

それから横浜基地の来賓向けの部屋で、ラダビノッド、夕呼、武、事務次官の4人で夕食を取っていた。

食材は合成食品ではなく、自然界で採れたものを中心とした豪勢な食卓。

流石に肉類は僅かであったが、それでも全て本物の食材。

豪華であることには変わりはない。

そんな食事をしながら4人は、他愛もない会話を楽しんでいた。

しかしふとした話題から、内容は第4計画のことへと移り変わっていた。

 

「次期オルタネイティヴ予備計画が動き始めて早3年……次期計画推進派の圧力も日々高まっています」

 

事務次官は食事の手を止め、持っていたナイフとフォークを机に置き、手を組んでそう言った。

事務次官のこの発言に、ラダビノッドも夕呼も手を止めた。

 

「対BETA戦略の見直しを提唱する米国は、最早しびれを切らし、オルタネイティヴ計画自体に見切りをつけ、独自行動に踏み出す機会を窺っています」

 

事務次官のこの発言で、武はあることを確信した。

やはりこの世界の国連及び米国も一枚岩ではないということを。

国連内部には、米国を始めとするオルタネイティヴ計画に反対する勢力と、支持する勢力があり、更に支持する勢力の中に、オルタネイティヴⅣ継続支持派と次期計画……つまりオルタネイティヴⅤ推進派があるということを。

正直なところ、武は世界を左右する計画を立案してはいるが、彼自身が関わっているのは、日本国内及び横浜基地での自らが関われる範囲のみ。

国連内での手回しや駆け引きは、全て夕呼に任せきっている。

そして彼女は目的を達成できたかどうかしか言わない。

なので国連内での状態は、武の知るところではないのだ。

だが、武は夕呼を信頼も信用もしているので、今どうなっているかなどの催促などはしないのだ。

 

「ご安心ください、事務次官。我々オルタネイティヴⅣは、オルタネイティヴⅤの発動も、米国の独断専行も許しませんから」

 

夕呼の発言に、事務次官の目が細まる。

 

「……大した自信ですな。未だ具体的な成果が出ていないというのに、何があなたにそうまで言わせるのですかな?」

 

夕呼は視線だけで武の方を見た。

事務次官だけでなく、ラダビノッドも武の方を見た。

肝心の武は、この中でただ1人、黙々と食事を続けていた。

この緊張感の中で、黙々と食事を続ける武を見た事務次官は、今までのどんな話より興味深そうに言った。

 

「……ほう。彼ですか」

 

普通であれば、周りが手を止めている中、食事を続けるのは失礼な行為である。

それも武は承知している。

しかし敢えて彼はその行動をとった。

その真意に夕呼は気づいており、当然事務次官もその行為に何らかの意味があることに気がついていた。

だからこそ、興味深そうに言ったのである。

 

「聞けば、この横浜基地で開発されているという新OS。その発案者も白銀という名だそうですな。最初は聞き間違いかと思ったが、どうやら白銀という名の少佐は、彼1人しか見当たらない様子。その辺どうなのですかな?白銀少佐」

 

武はここでようやく食事の手を止めて答えた。

 

「機密につき、お答え致しかねます」

「私は国連の事務次官だが?」

 

事務次官が目を細めて武を見る。

 

「オルタネイティヴⅣはその高い機密性故に、秘匿せねばならない情報が多数あります。それが国連の事務次官であろうと変わりはないことです。ご安心を。オルタネイティヴⅣは必ず成功致します」

「そのセリフを聞いて既に久しいが?」

「小官とA-01、そして香月副司令がいる限り、オルタネイティヴⅤの発動は決してありません」

 

武は抑揚した声でありながら、自信満々にそう告げた。

 

「……ふむ」

 

事務次官は顎に手をあて、少し俯いた。

 

「白銀少佐のいう通りですわ。事務次官」

 

夕呼が武の言葉に少し遅めに追従した。

再度、事務次官とラダビノッドが武の方を見た。

武はそれらの視線に一切動じることなく、2人の目をそれぞれ見つめ返した。

それに事務次官は少しだけ笑った。

 

「ならば期待しておりますよ。私もひとりの日本人として、オルタネイティヴⅣの完遂を見届けたいですからな」

 

こうして夕食会は終わりを迎えた――。

 



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Episode30:それぞれの想いⅠ

Episode30:それぞれの想いⅠ

 

 

2001年11月23日(金)10:28

 

 

横浜基地の18番格納庫に、女性の喜色ばんだ叫び声が響いていた。

 

「ひゃっほー!」

 

それは先ほど搬入されてきた特別仕様(・・・・)の吹雪に被された、新品独特のビニールをこの上なく上機嫌でビリビリと破る香月夕呼の姿であった。

 

(この人もう(にじゅうちょめ)歳だろ?まぁ、元の世界の頃から変わった人ではあったけど――間違いなく世界有数の科学者なのに、ダメな大人の見本だな、こりゃ……)

 

武はそう思い苦笑した。

横にはピアティフ中尉が控えており、先ほどまでこの吹雪の搬入作業を彼と共に手伝っていた。

彼女も苦笑しながらその様子を見ていた。

 

「そう言えばピアティフ中尉」

「なんでしょうか少佐」

 

ピアティフに声を掛けると、彼女は武の方を向いた。

 

「以前お約束したディナーの件ですが、今夜空いてますか?」

「ええ、一応空いてはいますが?」

「なら今日にしませんか?新鮮なディナーをご馳走しますよ」

 

ピアティフは少し考える素振りを見せた後、笑顔で答えた。

 

「では、お言葉に甘えまして。でも新鮮?」

 

武はピアティフの耳に口を寄せる。

 

「……少佐?」

 

そんな武にピアティフは戸惑いを見せる。

 

「本物の食材を使用したディナーです」

 

周りに聞こえないよう小さな優しい声で言った。

 

「えっ!?本当ですか!?」

「はい。珠瀬事務次官歓迎用の余り物ですが」

 

彼女の目が見開かれるが、それと同時に少し頬が紅くなった。

 

「少佐ぁ!くすぐったいです!」

「あ、すみません」

 

そう言って武は彼女の耳元から離れた。

しかし、どことなく残念そうな表情をするピアティフだった。

 

「それは楽しみです!でも、よろしいのですか?」

「ええ。夕呼せ……副司令の副官同士、その立場に甘えさせてもらいましょう」

 

そう言いながら武は悪い笑みを浮かべた。

 

「そうですね。夜が待ち遠しいです……でしたら、もう1つの搬入作業も頑張らないといけませんね」

「はい。頑張りましょう」

 

武とピアティフは、未だ奇声を上げながらビニールを破る夕呼を尻目に、もう1つの搬入作業を終えるべくこの場を後にした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

時は少し進み、夕方。

伊隅ヴァルキリーズの一員であり優秀な制圧支援でもある風間祷子は、昼の訓練の後、シャワーを浴びて自室でくつろいでいた。

今日はいつもと違って夜間訓練がある日である。

夜間訓練は必然的に実機訓練と相場が決まっている。

そんな日は、昼の訓練が割と早めに終了する。

そして食事休憩を含んだ数時間が空き時間となるのだ。

 

「さて、これから夕食までどうしましょう……」

 

休養日である日曜日を除いて、こんな訓練のある日にゆったりとすることは少ない。

武に教導されている時は、夜間訓練はほぼなかった。

故にこの様な時間の過ごし方は、随分と久しぶりのことだった。

だから祷子は悩んでいたのだ。

 

因みに夜間訓練がここ最近少なく、また今日何故久しぶりにそれが実施されるのかというと、それは武がいないことに関わりがある。

武は夜間訓練をあまり重要視していない。

確かに夜間訓練をやる意味合いはある。

だがその夜間訓練をやる為に必要なリソースや時間、コストなどが割に合わないと彼は考えている。

無論、今後のこと考えれば当然夜間訓練は必要になる。

しかし今は夜間訓練をやるより、時間を詰めてXM3や武の考える対BETA戦術訓練をやる方が重要だと、彼は判断していた。

では何故、今日夜間訓練が実施されるのだろうか。

それは武がここ数日、A-01の教導から離れていることに原因がある。

その数日間離れる間の訓練内容については、武は伊隅大尉に一任していた。

ある程度の指示は出してはいるが、基本的には彼女に任せてある。

そういった経緯から伊隅は、武がいない間の訓練内容を考えることになったのだ。

そして伊隅は考えた。

考えた結果、最近行っていなかった夜間訓練をやろうと決断するに至ったのである。

 

話を戻して、祷子は取り敢えず部屋の片隅に積まれているパックジュースに手を伸ばす。

ストローを突き刺し、両手を添えて一口含んだ。

相変わらず美味しかった。

栄養ドリンクも兼ねているこれは、飲むだけで疲労を取り除き、自然と体調も整えてくれるなんともありがい飲料である。

祷子と伊隅がお気に入りにしているものであった

 

「美冴さんも速瀬中尉も……こんなにおいしいのに」

 

少し不満顔になりながら、更に一口含む。

何故か宗像や速瀬、茜もこのジュースを祷子や伊隅が持ち出すと距離を取るのである。

祷子はジュースを飲みながら部屋の中を見回した。

すると、何故か久しぶりにそれに目が付いた。

 

「あら?」

 

そう、ヴァイオリンケースだった。

ここ暫く触っていないせいで、かすかに埃が積もっていた。

自然とそれに手がいった。

埃を払って中を確認する。

流石に中は誇りを被っておらず、使い込まれたヴァイオリンが現れた。

 

「そうですね……今日は久しぶりに弾きましょうか。あの曲を完成させましょう」

 

祷子は決意し、ヴァイオリンをケースから取り出して、簡単にチューニングを施す。

そして残りのジュースを飲み干し、それをゴミ箱に捨て、ケースを抱えて部屋を後にした。

久しぶりの演奏に自然と心が高まる。

それにここ最近の隊内のおかしな雰囲気(・・・・・・・)を忘れたいという気持ちもあった。

少し早歩きで例の基地門前にある桜並木のところへと向かった。

 

祷子が戦う理由。

それは音楽という偉大な人類の財産を後世に残すことである。

彼女はこのようなご時世でなければ、そちらの道に進みたいと考えるほど、音楽というものを愛していた。

もし共に彼と音楽を愛せたならば……凄惨な戦場で、彼女は儚い夢を抱く。

 

「お勤めご苦労様です」

 

基地の門を抜けるとき、その場に立っていた門兵に軽く声を掛けるが、2人の門兵がそれに気づいた様子はない。

目を瞑って微笑み、何かに身を任せるかのようにしていた。

祷子は疑問に思う。

すると遠くから微かにメロディが聞こえてきた。

彼女も目を瞑ってそのメロディに意識を傾ける。

しかし瞑った目はすぐに見開かれた。

 

「えっ!?……この曲は?」

 

祷子はその曲がする方向へと駆け出した。

そしてその音源はすぐに見つかった。

桜並木の例の鉄骨があるところに佇む2人の後ろ姿。

僅かに吹く風にその美しい金髪が靡く女性と、体躯の良い見慣れた後ろ姿。

 

「ブレアム少尉と……白銀、少佐?」

 

武は誰かが近づいてきたことを気配で察したのだろう。

口笛を吹きながら祷子の方へと振り向く。

 

「――そんな……ッ!?」

 

彼女の手からヴァイオリンケースがゆっくりと滑り落ちる。

 

「完成……している?」

 

そう、この曲は祷子が考えていた曲。

この場所に眠る英霊たちを鎮めるために作曲している鎮魂歌。

題名はまだない。

何故なら未完成だから。

硬直する彼女を尻目に、武は口笛を止めない。

そして優しく微笑み、顎と肩で何かを挟むような仕草をして片腕を前後に動かした。

 

「ッ!?」

 

ヴァイオリンを弾け、と彼は言っているのだ。

祷子は察し、急いでヴァイオリンケースからヴァイオリンを取り出して、彼の傍へと近寄る。

タイミングを併せて彼女は弾き始めた。

武の口笛と併せて、祷子がヴァイオリンを軽快に弾く。

暫く弾いていなかったというのに、身体が、腕が、指が、全てが軽快にリズムを奏でた。

武と祷子の二重奏が風に乗って、桜並木辺り一帯を包み込む。

彼女は目を瞑って演奏を続ける。

今演奏している部分は、自身が本来作曲していなかったパート。

しかし初めて奏でているにも関わらず、不思議と一度演奏したことがあるように感じてしまう。

何故か頭の中に直接(・・・・・・)譜面が流れてくるのだ。

不思議に思い目を開けると、そこには優しく微笑んだ武の顔があった。

 

「ッ!?」

 

彼の笑顔に頬が紅くなる。

身体中が熱くなるのを祷子は感じた。

これが一体何なのか、本人にも分からない。

この込み合上げて来る熱い気持ちの正体が分からない。

祷子はこの気持ちを誤魔化し、紛らわそうとしてより演奏に集中した。

いつしか武の口笛は止んでいた。

それでも彼女は演奏を止めなかった。

不思議と身体が次々とメロディを作りだしていた。

祷子は軽い興奮状態へと誘われていた。

 

「――とても素晴らしい演奏でしたよ」

「……えっ?」

 

誰かにそう言われた気がして、ピタリと演奏が止まった。

辺り一帯を見回す祷子。

しかしそこには誰もいなかった。

 

(あれ?彼は……)

 

その様な疑問が頭をよぎった祷子だったが、不思議と思い出せない。

そもそもこの場には彼女一人しかいないはずだ。

後にも先にも誰かが訪れたという記憶が、何故か彼女にはなかった。

 

(私、一体何を……そう、ヴァイオリンを弾いていたはず――一人で(・・・)……曲は、完成したのよね……)

 

何も分からない彼女は、不思議と空を仰ぎ見たのだった――。

 

丁度その頃、基地の廊下を歩く2人の人影があった。

そのうちの1人が口を開いた。

 

「やばかったな……」

「全くよ……まぁ、あの曲を聴きたいって言った私も悪いんだけどね」

 

その正体は武とエレナだった。

どちらもC型軍装に身を包んでおり、休憩時間を終えて基地内へと戻ってきていた。

 

「それで……何とか誤魔化せたんだよな?」

「ええ。トウコにプロジェクションで譜面を流して、興奮状態を増幅して、それを繰り返して想いを更に増幅。それで記憶の混乱も起こしてね」

 

エレナがやったのを端的に言えば、それは彼女の言にもある通り記憶の混乱である。

プロジェクションを用いて、相手の思考に介入することで引き起こせる現象だ。

 

「まぁ、思わぬ副産物もできちゃったというか、見えちゃったんだけどね……」

 

エレナはボソッと呟いた。

 

「ん?なんだ?」

「何でもないわ……」

 

2人は歩きながら会話を続けた。

 

「それにしても悪かったな。あんな事をさせて」

「別に仕方ないわよ」

「でもお前、他人に干渉するのをかなり嫌がってただろ?」

「それを言ったら、タケルの計画自体がご破算するじゃない」

 

そうなのだ。

エレナ無くして武の計画は成り立たないのである。

 

「いやそうだけど……」

「タケルの為になるなら、私は構わないわ」

 

その言葉を聞いた武は立ち止まった。

エレナは彼が立ち止まったことに気づいて、彼女も足を止めた。

そして少し後ろに位置する武の方を向く。

すると――。

 

「――ありがとう、エレナ」

 

武が微笑んで礼を述べた。

 

「ちょっとヤメてよ……もう」

 

それを見たエレナは頬を紅くし、咄嗟に武から視線を逸らしたのだった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月24日(土)

 

 

武は久々にA-01の訓練に参加していた。

207Bの特別教官としての役割に、クーデターへの対処、戦術機やその他機器の搬入作業、珠瀬事務次官の来訪などなど。

様々な作業で忙しい彼は、ヴァルキリーズの教導に最近はあまり関わっていなかった。

無論、XM3について基礎中の基礎から応用までをある程度は、みっちり仕込み終わっているというのもあった。

後は個々の頑張り次第である。

そしていざ彼女たちの訓練風景を、シミュレーターデッキにある管制室から眺めていたのだが――ヴァルキリーズの訓練を見た武の感想は、以下の様なものだった。

 

「随分とまぁ、酷い有様だな……」

 

武の呟きに、CP将校の遥は表情に影を落とす。

確かに個々の練度はある程度向上はしていた。

しかし武が教導していたころの彼女たちの成長の伸び幅を比べれば、それは僅かでしかなかった。

おまけに連携がめちゃくちゃになっていた。

 

『茜!何やってんのよ、出過ぎよ!』

『す、すみません!』

 

強襲掃討でありながら突撃前衛のエリアまで出ている茜を、速瀬が注意した。

 

『そういう速瀬!貴様も突出し過ぎだ!』

 

しかし肝心の注意を飛ばした速瀬自身が、後衛が支援できるカバーエリアから大きくはみ出していた。

それを伊隅が注意する。

 

『柏木、足を止めすぎだ』

 

今度は柏木が宗像から注意を受ける。

 

彼女たちが行っているのはハイヴ攻略戦の訓練であり、ここ最近の主流な訓練であった。

 

(あの伊隅大尉が制御しきれていないとは……)

 

武の中での伊隅のイメージは、隊長として部下を従える者の見本に見えていた。

だから武が指揮官として振る舞う時は、伊隅ならまずどうするだろうか、というところから始まった。

そこから様々な経験を得て、白銀武という士官の形が出来上がっていったのである。

要は武にとって伊隅は目標であったのだ。

その彼女が今、部隊を1つに纏められていないというのは、些か予想しえなかった展開であった。

 

(参ったな……12・5事件を目前にしてこれとは――早急に対策を練らないとな。だが、まずはこの場を納めるところからか……)

 

そう思い武は管制室から通信回線を開いた。

 

「そこまでだ。本日の訓練はこれまでとする」

 

武の言葉に、ヴァルキリーズ各員は様々な反応を見せた。

しかしそれらを無視して淡々と告げる。

 

「残りの訓練予定は全て破棄だ。この後は各自、明日の訓練の為に英気を養うように。それとすまんが伊隅大尉は、この後俺のところに報告に来てくれ。強化装備は脱いでよろしい」

 

武は横にいる遥にプログラムを終了するよう告げる。

彼女も暗い表情しながらそれに従った。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

あれから暫くの時間が過ぎ、場所はブリーフィングルーム。

そこに武の姿はあった。

椅子に腰掛け、今日の訓練の操作記録などを見ながら、呼び出した伊隅を待っていた。

 

「失礼します……」

 

伊隅の声が扉の向こうから聞こえ、それから扉が開き入室してきた。

彼女は強化装備を脱いでおり、いつものBDU姿になっていた。

表情はやはり暗い。

そんな伊隅を横目に、武は資料に視線を戻しながら言った。

 

「まぁ座れ」

「はい……」

 

武の命令に伊隅は大人しく従った。

対面になる形で椅子に座る。

それを待って武は口を開いた。

 

「さて、伊隅大尉。俺がいない間の訓練について報告してもらおうか」

「はい……」

 

伊隅は報告を始めた。

その内容は、彼女にしては珍しく要領を得ない報告であった。

流石に言い訳の類はなかったものの、回りくどい説明ばかり。

しかしそれでも武は黙って彼女の報告を聞いた。

やがて報告が終わると、武は立ち上がって言った。

 

「この大馬鹿者!」

 

武の怒鳴り声にビクッと伊隅の身体が震えた。

聞きなれた武の怒号であるはずなのに、彼女の身体はそれに驚いた。

 

「いいか伊隅大尉。俺は貴様を信頼していた。貴様ならばヴァルキリーズを任せられると、そう思っていた。だが今の貴様はただのゴミだ!自らの過去の過ちを穿り返す、ただの虫けら以下だ!どうして今まで自分のその考えが過ちであると気がつかなかった!――いや、違うな。お前は気づいていた。気づいていながらそれを誤魔化していたな」

 

武の言葉に伊隅は何も言い返せなかった。

何故ならそれが正解であったからだ。

 

「まさか貴様がそこまで軟弱だとは思わなかったぞ、伊隅」

 

武の言葉に、伊隅は唇を噛みしめ俯いた。

全てを見透かされているようなそんな気がしたから、彼女は武のことを見ていられなかったのだ。

 

伊隅を悩ませていたのは、いつかの槙原静枝少尉の一件であった。

いや、この件は伊隅の中では解決していた。

自分の中で心の整理をつけていた。

では、何故これが再び彼女の中で問題となっていたのか。

それは涼宮茜が原因であった。

これは後述するが、かなり茜は焦っていた。

周りがXM3で上達する中、自分の成長が頭打ちになっている気がしたのだ。

これが焦りを生み、その焦りが不安となり、不安が正常な判断力を奪っていた。

それが先ほどの訓練でまざまざと現れていた。

この茜の焦りにヴァルキリーズの全員が気づいていた。

しかし何を言っても彼女は受け入れなかった。

伊隅は考えた。

この茜の焦りを何とかしなければ、部隊の連携訓練はうまくいかない。

だがアドバイスは全て茜に届かない。

このままいけば、いざ実戦となった時にまた部下を失うことになってしまう。

最悪の場合は処置を施さなければならない。

この考えに至った時、伊隅は動揺したのだ。

また部下に処置を施してバッドトリップだったら。

これが伊隅の深層意識で蓋をしていたものに火をつけてしまったのだ。

後は簡単だった。

訓練中にも余計なことに考えが及ぶ。

それが正常な思考を惑わし、やがて狂わせ、間違いを呼ぶ。

今の伊隅は、武の尊敬していた伊隅ではなかった。

 

2人の間に暫しの沈黙が流れる。

その沈黙は伊隅にとって、僅か数十秒の出来事であったにもかかわらず、5分にも10分にも感じられるほど長いものだった。

その間、彼女はずっと俯いていた。

そんな伊隅を見て、武は身体中から発していた怒気を収め、優しい声色で話しかけた。

武は伊隅の不安を、1つ1つゆっくりと丁寧に取り除いていった。

武にはこれが限界だった。

夕呼のように上手くは出来ない。

しかしそれでもやらなければならない。

誰一人失いたくないから。

皆に生きていて欲しいから。

武は伊隅に言い聞かせるように話を続けた。

その中で武はこのような話もした。

 

「それでな、ある人は俺にこう言った。貴様に背中を預ける仲間のために、自らの憂いは取り除いておけ。そして、それを後回しにするな。でなければ、万が一の時に後悔する。自分を責め続けることになるぞ……とな」

 

これはかつて武が伊隅から言われた言葉であった。

彼女を恩師の1人と認識している武は、ある種の恩返しのつもりでこの言葉を返したのだった。

 

「それとな、色々と焦る部下を庇ってやるのも確かに上官の務めではある。しかしそれは時に甘えにもなるし、場合によっては悪手となる。今回はまさに悪手だ。伊隅、お前らしくないぞ」

 

そして武は最後にこう言って自らの言葉を締めくくった。

 

「最後に伊隅大尉。貴様は大馬鹿者だ。年単位で軍隊に所属している癖に、貴様は未だに軍隊の基本を分かっておらん。軍の行動によって生じた問題、或いはそれに付属する命令の責任は、それを命じた者だけが負う。命じられた者では決してない。いいな?」

「――はい」

 

武の言わんとしていることは、つまりこういうことである。

もう部隊のトップは自分であるから、貴様が責任を負う必要はないと。

処置を下すのはもうお前ではなく、武にあるのだと。

武は伊隅ならきっと理解してくれるはずだと思い、そう告げてから部屋を出て行った――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

伊隅と別れたその足で、武はシミュレータルームへと戻っていた。

理由は気になった過去の訓練ログをシミュレータから取り出すためである。

やがて目的地に辿り着いた武は、シミュレータルームのドアを開け、デッキの前を通りかかる。

そこで武はまだ1機のシミュレータがまだ稼働状態であることに気づいた。

 

「ん?誰だ?休めと言ったのに……」

 

ひっきりなしに動いていることから、かなりの高速機動を行っていることがわかる。

このシミュレータルームは半ばA-01の専用部屋となっていることから、まずA-01以外の者が使っていることはない。

今日は早々に訓練を切り上げ、休めと命令したはず。

なのに堂々と命令違反を行っているのは誰だと、武は少し不機嫌になった。

取り敢えず命令違反の主を確かめようと、元々の目的地であった管制室に入る。

管制室ではシミュレータ内部の映像や衛士のバイタル、その機体が行っている機動など様々な情報を知ることができる。

その管制室のモニターの前まで来ると、早速稼働中のモニターの情報を映し出した。

 

「……涼宮か」

 

そこに映ったのは、何やら鬼気迫る表情で戦術機を操る茜の姿があった。

シミュレータ内の音声がオフの設定になっていたので、それをオンにして武は茜の訓練の様子を鑑賞する。

 

『ぐぅッ!?』

 

茜の苦悶の声が武の耳に届く。

武は設定されている内容を見て少し驚く。

彼女が行っているのは単機でのハイヴ内突入、要はハイヴ攻略である。

先ほどの声からも分かる通り、かなりどころか大いに苦戦している。

それもそのはず。

本来、ハイヴ内突入はチーム単位で行うものであり、通常の衛士の単機突入は2km前進出来ればいい程度のものである。

しかも茜はまだ任官して間もない新任だ。

このようなことは自殺行為以外の何ものでもないし、ハイヴの単機突入の成功例は武のような例外は存在すれど、彼女にはまだ荷が重いレベルの話ではないのだ。

 

「俺の例が悪い方向に作用したか……」

 

武は以前自分が見せたハイヴ単機突入が、茜には悪い方向で作用してしまったと少し後悔した。

 

『あっ……』

 

茜の声で武は現実へと引き戻された。

シミュレータの無機質な声が、茜に無情な現実を、大破という事実を伝えた。

 

『――ッ!なんで!?』

 

コックピットの壁を叩き、悲痛な声を上げる茜。

 

『もう一回!』

 

彼女は休む間もなく、再度ハイヴ突入演習のプログラムを選んだ。

 

それから暫くの時間が経った。

 

「6回目か……」

 

管制室のモニターの前で武はそう呟いた。

茜は既に6回の大破を経験した。

大破する度に彼女は苦悶の表情を見せ、そしてハイヴ突入演習のプログラムを繰り返し選んでいた。

 

「そろそろ限界か……」

 

茜はかなりの疲労を蓄積していた。

それは目に見えて明らかだった。

大粒の汗を垂らし、目の下の黒くしていた。

そのような状況になっても尚、茜は何か思い詰めた表情で再度プログラムを起動していた。

7回目のハイヴ突入。

疲労のせいで戦術機の機動も明らかに鈍っていた。

そして判断力と認識力の低下が招いたのは、すぐ横から迫ってきていたBETAに対する驚きと一瞬の身体の硬直。

それがハイヴ内では致命的なミスとなる。

既に要撃級のその太い腕が、茜の機体目掛けて振り下ろそうと迫っていた。

もう逃げ場がなかった。

跳躍するにも距離が近すぎる。

このまま跳べば脚部破壊されるだろう。

左右にも逃げ場はない。

現状の茜に出来るのは、このまま要撃級の醜い腕が自身に振り下ろされることをただ待つことのみである。

だが、そこで彼女の頭に閃きという名の無謀な光明が見えた。

武がかつて見せたあの技とも言うべき機動。

機体を縦に半回転させながら、正面のBETAを切り付け尚且つ回避するあの機動。

 

(少佐に出来るなら私にだって――!)

 

茜は迫りくるBETAに一瞬怯みながらも、咄嗟にフットペダルと操縦桿を操作した。

 

「貴様にはまだその動きは出来んよ……」

 

武はモニターに映る茜の姿を見ながら言った。

あの機動は左右の跳躍ユニットの出力調整を、精密に出来てから初めてとれる機動である。

おまけに長刀の遠心力を生かさなければならず、かつ空中での姿勢制御も通常のモノとは桁違いに難しい。

そして何よりBETAに突っ込むという勇気が必要である。

今の茜には、勇気はおろか操縦技術もまったく追いついていない。

案の定失敗し、戦術機の姿勢を崩す形で要撃級に突っ込んで管制ブロックにその醜い腕部の直撃を受け大破。

即死判定だった。

 

『ぐっ!?』

 

何度目か分からない茜の苦悶の声。

それを聞きながら武は彼女の現状を分析する。

茜の衛士としてのタイプは明らかに突撃前衛タイプだ。

そして腕もそれなりに見合ったものがある。

ただし、たまにある無茶な機動を除けば、という条件が付く。

だが同時に彼女は冷静になって周囲を見渡せば、十分小隊長を務められる視野も持っている。

だからこそ今の強襲掃討というポジションなのだ。

 

(やはり伊隅大尉の考えは理に適っている。だが、当の本人が気づいていないようではダメだな。恐らく、自分は前衛にも後衛にも適性がないから……とか思っていそうだ。はぁ……これも早めに何とかしないとな……)

 

そこで武はとある作戦を思いついた。

そして茜の操作ログを紙に印刷し、何やら赤ペンで書き込みを始めた。

 

それから暫くして茜がシミュレータから降りてきた。

一瞬彼女の足元がふらつく。

頭も何やらボーっとしているようで、目の焦点も何やら怪しかった。

明らかに訓練のやり過ぎだった。

 

(いけない……衛士は身体が資本なのに……)

 

そんな自分に活を入れ、なんとかしっかりとした足取りでまた歩きだす茜。

うつむき加減でシミュレータルーム内を歩き、何とかロッカールームへと向かっていく。

 

「おい」

 

誰かに声をかけられた気がしたが、きっと気のせいだろうと茜は思う。

何せこの部屋には今自分しかいないはずなのだから。

 

「おい、涼宮」

 

再度声をかけられた気がしたが、今は何とかロッカールームへと辿り着くことが先決。

きっと疲れているのだろうと彼女は判断した。

 

「はぁ……おい、涼宮少尉!」

「えっ……あっ、はい!」

 

聞きなれた怒号混じりの呼びかけで、ようやく茜は俯いていた顔を上げた。

もはや条件反射なのだろう。

武は鬼教官モードで茜を呼んだ。

すると全く呼びかけに応じなかった茜が、いきなり背筋を伸ばしてその場にキチッと立ち、返事を返したのだ。

それだけ武の怒号は彼女たちの深層意識にめり込んでいるということなのだろう。

 

「え、あっ……白銀少佐?」

 

条件反射でキチッと立った後、あたりを見回した茜は、その正体が武であったことをようやく理解した様子だった。

 

「涼宮少尉。貴様、命令違反を犯した自覚はあるのか?」

「えっ……?」

 

武の言葉に茜は素っ頓狂な声を上げた。

 

「今日は休めと俺は命令したはずだな?違うか?」

「いえ、違いません……」

 

事実を指摘され彼女は顔を俯かせた。

自覚がないと少々困ったことになるところだったが、幸い命令違反をしたという自覚はある様子だったので、武は内心少し安堵した。

 

「よし、なら罰として訓練校のグラウンド10周と腕立て伏せ50回……と行きたいところだが、今のお前には無理だろうな」

「い、いえ!そんなことは……」

「ほう、ならやってみるか?」

「あっ……いえ、その……」

 

武の言葉に勢いよく顔を上げて否定しようとした茜だったが、再度彼の言葉に顔を俯かせた。

そんな彼女を見て武はあきれ気味にため息を吐いた。

 

「まぁ、命令違反は俺の胸にしまっておいてやるとしてだ――貴様、何故そこまで焦っている?」

「ッ!?」

 

ここで武は茜に声をかけた本題に入ることにした。

また彼女の首が激しく縦に動く。

 

「焦るな、とは言わないが……貴様のその感情が、部隊に多大な迷惑をかけているという自覚はないのか?」

「……」

 

また挙げられていた首が下へと俯く。

 

(首、疲れないかな……)

 

とまぁ少し険しい表情とは裏腹に、そんなことを考えていた武だが、それを茜が知るわけがない。

 

「お前の悩みの根本原因は恐らく、部隊の仲間たちと差があり過ぎることだろう?」

「ッ!?」

 

半分は正解だった。

茜のその時の表情が物語っていた。

 

「やっぱりな――だがな、涼宮。言うほどの差を俺は感じていないぞ」

 

だが先ほどの武の言葉は半分間違っていた。

確かに部隊の仲間たちとの差があり過ぎることには悩んでいた。

しかし一番の彼女の悩みは、武との間に実力差があり過ぎることであった。

聞けば同じくらいの歳だという少年が、少佐という地位を得て、あの夕呼の副官を務めているという。

いや、茜が一番気にしているのはそこではない。

彼女が一番気にしていること、それは戦術機の操縦技術だ。

これは格段以上の差があった。

地位についてはもう気にしてはいない。

その言動や行動を見ていれば自ずと納得できた。

けれど実力はどうか。

高みにあり過ぎて追いつける気がしない。

その事実が茜を狂わせてしまったのだ。

 

「今は確かに差を感じるかもしれない。だが、お前は努力家だ。その差を十分埋めることは出来る」

 

武の言葉に茜は内心否定する。

 

(違う……)

 

僅かに表情が引き攣る。

 

「努力次第では、前衛にも後衛にもなれるだけの実力はある」

 

また内心で否定する。

 

(違う……違う……)

 

手に拳を作り、握る力が知らずと強くなる。

 

「なんでもかんでも1人で背負うことはない。涼宮中尉や速瀬中尉だって――」

「ッ!?」

 

その2人の名前を聞いた瞬間、茜の頭に血が上った。

そして咄嗟に武の頬を平手打ちした。

パァンという音が、静まり返ったシミュレータルーム全体に響き渡る。

彼女の思わぬ行動に、武は一瞬唖然とした。

 

「お姉ちゃんと速瀬中尉を出さないで!」

 

叩かれた勢いで斜め横を向いた武が顔を正面に戻すと、茜は目尻に涙を貯めながら彼を睨んでいた。

 

「白銀みたいな強い人にはわかるわけない!」

 

茜はそう言い放ち、武の前から走り去った。

決して振り返ることはなく。

そんな彼女の後ろ姿を見ながら武は我に返り、頭をポリポリとかきながら呟いた。

 

「あらら……」

 

そして先ほど印刷し、茜に手渡そうと思っていた操作記録を見る。

そこには赤ペンでびっしりと彼女へのアドバイスが記されていた。

 

(失敗したかな……)

 

今度はそう心の中で呟き、今後の対策を考える。

その時だった。

後ろの方で気配を感じ、振り返る。

視線の先には2つの黒い影があった。

シミュレータルーム自体が暗いため、その時は誰か判別はつかなかったが、やがてその2つの影の方からこちらにやってきたため、直ぐに正体が判明する。

 

「涼宮と速瀬か……」

 

正体は遥と速瀬だった。

2人は軽く会釈しながら武に近づいてきた。

 

「2人共やるな、俺に気配を感じ取らせないとは――いや、俺の不注意か……」

 

武のその言葉に2人は少し困ったような表情をした。

実はこの呟きは、ただマズイところを見られた彼の咄嗟の誤魔化しから出たものであったが、それに遥と速瀬は気付かなかった。

 

「すみません、白銀少佐。私たちも盗み見するつもりはなかったのですが……」

「あの娘……いえ、涼宮少尉が中々姿を見せなかったので……」

 

2人とも気まずそうに口を開いた。

速瀬に至っては余りにも気まずいのか、普段とはだいぶ口調が改まっていた。

 

「別に責めるつもりはない。だから速瀬、あまり畏まってくれるな。お前らしくない」

 

流石に何度もループを繰り返している功か、速瀬の挙動不審な態度を武は見抜いたようでそれを指摘した。

 

「え、普段のあたしってそんなに敬語使ってない?」

「別に使ってないわけではないが、違和感があるというだけだ。現に今は、普段の感じに戻っているぞ?」

「あ、あんたねぇ……」

「そうそうそれだ」

 

武の言葉に速瀬が更にムッとした。

 

「あはは。それで少佐、その……妹があんな無茶しているのは――」

「貴様の分もあるのだろう?」

「ッ!?」

「……え?」

 

遥の言葉を遮ってまで出たその言葉に、2人は二者二様の反応をした。

 

「……どうして知ってるんですか?」

「似たような奴を知っているからな。大方の予想はつく」

 

実際は似たようなどころの話ではないが、それについては触れないが花。

 

「伊達に少佐はやってないわけね……」

 

速瀬がしれっと不敬なことを言ったが、武はそれに聞き流す。

 

「まぁ、他にも理由はありそうだがな……」

 

そう言って速瀬と遥の両方を見る。

武のその視線に2人は首を傾げた。

 

「まぁ、いずれにせよ何とかしないといけない話だな」

 

武は2人に背を向けて歩き出そうとする。

 

「その少佐……」

 

そんな武の背中に遥は声をかけた。

 

「なんだ?」

 

立ち止まり軽く振り向く。

 

「妹を頼みます」

 

腰を折って遥はお願いした。

 

「あたしからもお願いします」

 

それにつられるように速瀬も腰を折った。

武は黙って2人に手を挙げ、その場を去った。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それから時間が経ち、その日の夜。

夕食後に突如A-01部隊全員に招集がかかった。

招集場所はいつものブリーフィングルーム。

 

「伊隅大尉。突然どうしたんですか?」

 

時間になっても何も始まらないことに疑問を持ち、速瀬が伊隅に声をかけた。

 

「いや、私も何も知らされていなくてな……」

「遥は何も聞いてないの?」

「うん、私も知らないの」

「ということはまた副司令の気まぐれ?」

 

速瀬の言葉に、全員が確かにその可能性もあると思った。

既に予定の時刻を過ぎていることからして、時間にルーズな夕呼が何かしらまた気まぐれで企んでいる可能性もあることを、全員が理解したのだ。

このようなことは随分と久しぶりだが、有り得ない話でない。

しかしこの速瀬の予想はすぐに裏切られることとなる。

 

「すまん、遅れた」

 

そう言って部屋に入室してきたのはなんと武だった。

続いてピアティフも何やら書類の束を抱えて入室してきた。

 

「白銀少佐?……とピアティフ中尉?」

 

速瀬が意外そうに呟く。

すると場の変な雰囲気を察したのか武が口を開いた。

 

「なんだ。俺で何か問題か、速瀬」

「いえ、てっきり香月副司令かと思ったので」

 

その一言で武はすべてを察した。

 

「なるほど。確かにそう思っても不思議ではないな。だが残念ながら、今回招集をかけたのは俺だ」

 

そう言って武はピアティフの方を見る。

するとピアティフその意味を察したのか頷き、先ほど抱えて持ってきた書類の束を皆に配り始めた。

渡された書類はそれなりの厚みがあった。

しかし表紙には各々の名が書いてあるだけで、題名などはなかった。

宗像が全員を代表して声を上げた。

 

「少佐、これは?」

 

全員に書類がいき渡ったのを確認してから武は口を開いた。

 

「まぁ、まずは見てみろ」

 

許可が下りたので全員が表紙をめくって中を確認した。

 

「えっ……これって」

 

全員は目を見張った。

それは自分たちがここ数日、何回も目にしてきたものであったからだ。

しかし唯一違うのは、その内容について赤文字で事細かに注意点が記されていること。

 

「そうだ。ここ最近のお前たちの訓練ログだ」

「――少佐が……書かれたのですか?」

「あぁ。参考になればと思ってな」

 

その正体は武の言葉にもあるように、ここ最近の彼女たちの訓練ログ。

つまりは戦術機の操作記録であった。

そしてそのログに対し、彼が気になった点や注意点、直してほしい点などについて赤文字で大量にアドバイスが記されていた。

無論、悪いところだけを指摘するのではなく、良い点に関しては青文字でチェックされていた。

 

「これだけの量を……」

 

誰かが驚きまじりにそう呟いた。

そう、明らかにおかしい量だった。

武がいない期間だけでなく、武が教導していた時のログも含まれていたからだ。

仮にこれが1人に対し行ったというなら納得出来るかもしれない。

それを全員分、しかも今日、僅か数時間で成したというのだから驚きだ。

それだけ武が彼女たちのことを想っている証拠だった。

 

「さて、それを見てもらっている間、1人ずつ話したいことがあるから、隣に部屋に呼んだら来てくれ。まずは伊隅大尉からだ」

「え、あっ、はい」

 

伊隅が珍しく慌てた様子で武の呼びかけに応じ、一緒に部屋から出て行った。

 

2人が部屋から退出したのを確認した後、ピアティフが最後まで配らずに持っていた書類を遥に手渡した。

しかし他のメンバーに渡した書類と比べて、かなりしわくちゃになっていた。

まるで一度ゴミ箱に棄てた後のような感じで。

 

「あの……これは?」

 

遥がそれを受け取り、少し困惑気味にピアティフに尋ねる。

 

「少佐が涼宮中尉にって」

「……少佐が?」

「ええ。全員分ないとダメだろうって、少佐が貴方の分も用意していたのよ」

 

遥は驚き、中を確認した。

するとそこには、操作ログの詳しい見方やCP将校という立場からどうA-01を見守ったり、その成長に貢献出来るかなどなど。

様々な観点から遥にして欲しいこと、出来ることなどが記されていた。

 

「でも、流石におこがましいかな……って仰って一度捨ててたんだけどね……私が勝手に拾ってきたの。少佐には内緒よ?」

 

そう言ってピアティフはウィンクをした。

それを聞いた遥は、何を思ったのか大事そうに書類を軽く抱きしめて、心の中で武に礼を言った。

そんな彼女をピアティフは何やら羨ましそうに見ていたが、そんな表情を浮かべたのも束の間だった。

 

「じゃ、頑張ってね」

 

そう言って彼女はミーティングルームを後にした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

武とA-01部隊員の半ば面談のようなモノは順調に進んだ。

話した内容は様々だが、主に訓練の内容についての振り返りだった。

だが、1番念入りに話したのは、それぞれが抱えている心の問題などについてだった。

一人一人寄り添うことを忘れず、慎重かつ丁寧に話をした。

やがて順番は進み、茜の番となった。

武が1番話をしたかったのは彼女であった。

 

「……失礼します」

 

そう言って茜が部屋に入ってきた。

 

「まぁ、座れ」

 

そんな茜に武は座るように促す。

何やら彼女は気まずそうにしながら椅子に座った。

それもそうだろう。

冷静になって考えれば、自分は今から数時間前に自らの上官を叩いたのだ。

気まずくないはずがない。

 

「さて、他の奴らには色々言ったが、お前に言うことは1つだけだ」

 

そう言って武は話を切り出した。

勿論1つしかないというのは嘘であるし、他の奴らに色々言ったというのも嘘である。

色々言いたいことはある。

しかし彼女の精神状態を鑑みて、敢えて1つしか言わないことにしたのである。

 

「渡した記録をしっかり読み、強くなれ。以上だ」

「……えっ?」

 

武は少し笑い気味に言った。

 

「なんだ、その呆けた顔は?あぁ、叩いたことなら不問にする。安心しろ」

 

少し混乱気味の茜。

視線があちこちにいったりきたりしていた。

 

「別に強さを求めること自体は悪いことじゃない。寧ろ立派なことだ。それが自信の裏付けにもなるしな――まぁ、強さだけに裏打ちされた自信も問題と言えば問題だが、それはここでは言わん。お前は賢いから分かるだろう?」

 

強さだけに裏打ちされた自身の問題点を、武は嫌というほど過去に痛感している。

茜の反応を見ながら話を続ける。

 

「今日シミュレーターデッキで俺が言いたかったのはな、ただ無理はするなと言いたかっただけだ。速瀬やお前の姉だって心配しているんだ」

「えっ?」

 

どういうわけか、今回はその言葉が自然と心の中に入ってきた。

 

「お前1人だけ取り残されるなんて真似を俺はしないし、絶対にさせない。焦らなくていいんだ。確実に強くなれ。その為に仲間がいて、教官の俺がいるわけだからな。それを忘れるなよ?」

 

武の言葉を聞いているうちに茜は冷静になり、自分の過去の行動を思い返した。

そして自分がやってきたことは、なんて自分勝手だったのだろうと思い至る。

強くなることだけを考え、周りが見えていなかった。

心配してくれる仲間たちの存在を蔑ろにしていた。

特にあの2人のことを。

そう思い至ったとき、茜の頬を1粒の涙が伝う。

それから自然とこの言葉が口に出た。

 

「少佐は……少佐は、何故そんなに強いのですか?」

 

口に出してから茜は思う。

 

(はじめからこうしていればよかった……)

 

自分の詰まらない意地からか、ずっと聞くことを躊躇っていたその言葉を、彼女はようやく口にすることができた。

武は少しだけ複雑そうな表情をしてから言った。

 

「――俺は強くなんてないさ。いや、お前からしてみれば十分強く見える、か……嫌味だな。すまん、忘れてくれ」

 

一度咳払いをして言い直した。

 

「俺だって最初から強かったわけじゃない。最初から強ければ、仲間たちを失わずに済んだはずだ」

 

茜は驚いた。

その言葉には僅かだが、確かに怒気が含まれていたからだ。

そして恐らくそれは、自分自身への。

 

「敬愛する恩師も、覚悟を教えてくれた仲間も、共に成長してきた同期さえも、俺は死に追いやった」

「でもそれは……」

 

自責の念に駆られている武を、茜は何故か庇おうとした。

仲間を失う辛さを知っているから。

自らを想ってくれていた仲間を彼女も失っているから。

 

「俺が殺した!」

「ッ!?」

 

茜は再度驚く。

武が声を荒げたから。

それも普段の鬼教官の口調の荒げ方ではなかったから。

こんなに私情を爆発させた武を見たことがなかった。

 

「俺が殺したんだ――恩師も、戦友も、最愛の人ですら……」

 

茜は気づいた。

気づいてしまった。

武の握られた拳が震えるほど握られていることを。

しかしそこで彼はハッとした様子を見せると、露わにしていた感情を抑え込んだ。

少なくとも彼女にはそう見えた。

 

「――涼宮少尉。貴様は、何のために戦っている?」

 

ここで武は優しい声色で茜に話しかけた。

 

「……速瀬中尉やお姉ちゃ……涼宮中尉の力になりたいからです」

「やはりお前は立派だよ。立派な逞しい女性だ」

 

突然武に褒められて、急に頬が熱くなったのを茜は自覚した。

そんな彼女をよそに彼は続ける。

 

「その気持ち、決して忘れるなよ。そして目標に向かって強くなっていけ。わかったな、涼宮茜少尉」

「はい……」

 

こうして茜と武の話は終わった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

全員個別に話を終え、武は再度ブリーフィングルームに戻った。

そこで最後の締めくくりにこの様なことを全員に言った。

 

「貴様らは何の為に戦っている?」

 

先ほど茜にした話の1つだった。

茜には個別で話してしまったが、元々最後に全員に向けて聞くつもりだったもの。

 

「全員心の中でそれを言ってみろ」

 

皆が胸の内で戦う理由を思い浮かべた。

 

「それを大事にしろ。それさえあれば、貴様らは全員強くなる。それは俺が保証する」

 

武は一人一人にゆっくりと視線を向けた。

すると全員が真っ直ぐな瞳でそれを見つめ返してきた。

満足そうに武は頷いた。

 

「よし、今日は以上だ。明日からまた忙しくなる。ゆっくりと休め」

 

武は壇上から降りて部屋を後にしようとした。

そこへ茜が声をかけた。

 

「あの、少佐!最後に1つお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

 

武は止まって振り返る。

少し間を持って、茜は意を決したように聞いた。

 

「――少佐の戦う理由は……なんでしょうか?」

 

質問の内容を聞いた武は、一瞬だがその表情を曇らせた。

それをA-01の全員が見逃さなかった。

少佐がこのような表情をするのは珍しい。

 

「そうだな……」

 

そう彼は呟き、再び歩き出した。

全員がその一挙手一投足に注目した。

しかし肝心の本人は、それから何も答えず扉に向かって歩いていき、やがて扉を開けた。

答えてくれないのだろうか、そう全員が思った。

皆、武の戦う理由を聞けないことに少しばかり落胆した。

だが、彼は扉を潜ろうとしたその途中で止まった。

そしてこう言った。

 

「お前たちを護るため……だな」

「「「ッ!?」」」

 

武はそう呟き、部屋から出て行った――。

 



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Episode31:それぞれの想いⅡ

Episode31:それぞれの想いⅡ

 

 

????年??月??日(?)

 

 

一瞬でも気を許せない状況下で、武に1人の女性が話しかけた。

 

『ね、白銀』

「なんだ……?」

 

とてつもなく忙しい中での会話なのに、その返事はとても落ちついていて、かつ優しいものだった。

何故なら彼女の命運は既に決しているからだ。

 

『私は……戦えたかな?』

 

女性がどこか自信なさげに聞いた。

 

『私は皆の分まで……ちゃんと戦えたかな?』

 

片手間で見る彼女の表情は、とても不安そうだった。

それはそうだろう。

怖くないはずがない。

納得しているはずがない。

しかしそれでも彼女は強がって、無理して笑っていた。

 

「あぁ、戦えたよ。だからさ、胸を張って……逝けよ」

『うん……』

 

自らの愛する人に言われたその言葉に、女性はとても嬉しそうだった。

その笑みは先ほどまでの強がった笑みではなく、心の底の嬉しさからくる微笑みだった。

 

『皆に、よろしくね……』

 

別の女性がその女性に別れを告げた。

彼女と一番親しかった女性だ。

 

『うん……』

 

終わりの時は刻一刻と迫っていた。

 

『じゃぁ……逝くね。バイバイ』

 

それが彼女の最期の言葉だった。

しかしそれでも彼女は精一杯笑っていた――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月28日(水)5:48

 

 

「ッ!?」

 

いつもの夢が終わって武は跳び起きた。

全身汗まみれだった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

呼吸も必然的に荒れていた。

荒れている呼吸を整えながら、武は同じく汗まみれの額に手を当て項垂れる。

悪夢とは敢えて呼ばない。

これは自信が背負うべき十字架だと理解しているからだ。

 

(今回は……どの記憶だ?)

 

もう記憶が混乱していて、いったいこれがどの時の記憶なのか整理が追い付かない。

このような夢は毎日見るのに、日が経つに連れて記憶が曖昧になっていく。

そのような感覚に武は毎日囚われていた。

 

(絶対に忘れてはいけないはずのなのに……)

 

戦友たちのことを忘れてしまう。

これは衛士として何者にも勝る冒涜だ。

そう武は認識していた。

寝起きのせいで少し気が小さくなっていた。

ドンッという音が武の部屋に響き渡る。

自信への怒り。

それが頂点に達し、自室の壁を自らの拳で殴りつけたから起こった衝撃音だった。

 

丁度その時、部屋の扉が開いた。

扉が開くのと、武が拳を壁に叩きつけたのがまったく同じタイミングだったためか、その扉を開いた主はビクッと肩を震わせて驚いていた。

心なしかトレードマークのうさ耳も驚きに揺れていたように見える。

 

「霞か……ごめんな、驚かせて」

 

一瞬驚いたことで固まった霞だったが、武の謝罪を聞き持ち直したのか、扉を閉めて彼のすぐ横に立った。

そして武の頭を撫でた。

 

「……霞?」

「……エレナさんが、こうすればいいと教えてくれました」

 

そう言って霞は慣れない手つきで武の頭を撫で続けた。

そんな霞に一瞬キョトンとした武だったが、すぐに微笑んで言った。

 

「ありがとう、霞。俺は大丈夫だよ」

「辛かったら、言って下さい……またナデナデします……」

 

今度は武が霞の頭を撫でた。

霞は目を瞑ってただ満足そうに微笑んでいた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

あれから武はかなり早い朝食を霞と共に済ませ、夕呼の元を訪れていた。

 

「先生、おはようございます」

 

入室と共に挨拶をする。

 

「ふぁぁ……あら、白銀じゃない」

 

夕呼はしていた欠伸を止め、朝の意外な訪問者を迎え入れた。

今日は特に夕呼と会う約束をしていなかった。

故にこのような時間にやってきた武に、彼女は意外そうな顔をした。

 

「どうしたの?こんな朝っぱらに」

「いえ、例の計画の進捗状況を伺いにきたのですが……間が悪かったのなら出直しましょうか?」

 

そう、12・5事件までもうすぐ。

武の方は大方仕込みが完了したが、夕呼からは計画の進捗について一切報告はなかった。

 

「あぁ、そういうこと。いいわ、丁度あんたと詰めなきゃいけないこともあったし、丁度いいわね」

「そうですか。こちらも一応報告しなきゃいけないこともあったので、まぁお互い丁度良いタイミングでしたかね」

 

夕呼は頷き、席を立ちながら言う。

 

「まぁ、座りなさい。コーヒーでも出すわよ」

 

武は軽く眼を見開き、やや意外そうな表情を浮かべた。

 

「何よ、その変な顔は……」

 

それに気づいた夕呼が不平そうな表情をした。

 

「いえ、先生がコーヒーを出すって言うなんてと思いまして……これじゃ明日は雨ですかね」

 

武の声を聴きながら、夕呼はコーヒーを淹れ始めた。

 

「失礼ね。私は綺麗な月が拝みたい気分よ」

 

何故このようなこと言ったのか、夕呼はこの後に後悔することになる。

武は雨が降ると言った。

或いはそれに対する、ふと浮かんだ自然な返しだったのかもしれない。

そこに僅かながら本人の隠れた想いも、もしかしたらあったのかもしれない。

たとえそれが自覚のない想いだったとしても。

だがいずれにせよ、夕呼は月が拝みたいと言ったことに変わりはなかった。

 

「そうですね。傾く前に夕呼先生と見たいですね」

「ッ!?」

 

武の返答に夕呼が驚き、同時に固まった。

硬直したのは僅か1秒足らず。

だが、それがコーヒーを淹れている時でよかったと、夕呼は後々になって思うのである。

 

「あちッ!?」

 

そしてその硬直がいけなかった。

カップの容量以上に熱いコーヒーを注いでしまい、それが溢れて夕呼の手を直撃した。

 

「ちょ、大丈夫ですか!?」

 

夕呼の悲鳴を聞いた武が慌てて駆け寄る。

それに対し彼女は何も返さなかった。

 

「どうしたんですか?夕呼先生らしくないですよ?」

 

そう言いながら武は夕呼の手を取った。

 

「全く気をつけてくださいよ。取り敢えず冷やしましょう」

「え、ええ……」

 

武が夕呼の手を取ったまま歩き出した。

途中まで夕呼はずっと無言のままだった。

だがその頬は心なしか紅く染まっているようにも見えなくはなかった。

 

夕呼の手を冷やしたり、こぼしたコーヒーの後始末だったりなどを終えた2人は、執務室のソファーに対面で座り、ようやく本来の話を始めた。

 

「へぇ、そんなことがあったの」

 

武の報告を聞きながらコーヒーを飲む夕呼。

 

「あの伊隅がねぇ……」

「まぁでも、昨日までの訓練を見る限り、皆何とか克服してくれたみたいですが」

 

武もコーヒーに口を付けながら話す。

 

「そう。まぁあんたがそういうなら大丈夫でしょ。ところでA-01の増員の件、いつ頃始めるつもり?」

「12・5事件の直後で予定は組んでいたはずですが……何か?」

「そう。分かったわ」

 

そう答え、足を組み直す夕呼に、武はやや怪訝そうな表情を浮かべた。

 

「何かあったんですか?」

「プロミネンス計画派の連中がね、最近随分と煩いのよ。だから早めに黙らせたいと思ってたんだけど」

 

夕呼からプロミネンス計画の名が聞かれることは珍しい。

彼女にとってプロミネンス計画は大した障害ではない。

だからこれまで特に気にすることはなかったのだが、武の計画を遂行する都合上、どうしてもプロミネンス計画派と関わらざるを得なかった。

 

「やはり妨害工作を?」

「妨害と言うよりは、あんたの作ったXM3ね。余程欲しいのか色々裏でコソコソやってるのよ」

「ということは、工作は順調に進んでいるようですね」

「逆に言えばそういうことなんだけどね。まぁいいわ、話を戻しましょう」

 

逸れた話をもとに戻し、色々言葉を交わしあう2人。

 

「こちらからの報告は以上です。ま、A-01の方は色々ありましたが、これで問題なく計画に使えますということです。夕呼先生の方は?」

「こちら概ね予定通りよ。あとは最高筋の判断次第だけど……まぁ時間の問題ね」

 

どうやら計画は予定通り進んでいるようだった。

自然と武の口角が上がる。

それを見た夕呼も口角を釣り上げた。

この時の両者の笑みは、とても腹黒いものだったに違いないだろう。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

武の準備は大詰めを迎えていた。

幾らか予想外な展開はあったものの、A-01の方は大方準備できたと言ってよいだろう。

まだ若干の懸念材料はあるものの、これなら無事12・5事件改め、12・5計画に投入できると武は判断した。

後は207Bの問題を片づけるだけだ。

とは言っても、特に何か大きなことをするわけでない。

ただ、彼女たちの覚悟を聞いておきたいということであった。

それ故に武は今、彼女たちがいるであろうPXに向かっていた。

 

(もしこれで生温い回答が返ってきた時は……まぁ出撃を禁ずる他ないか――そんなことはないとは思うけど……いや、これはただの期待か)

 

そう考えてるうちにPXに到着した。

まずは遠目で彼女たちの状況を確認する。

どうやら昼食を食べ始めたばかりのようだった。

時期的には食べ終わり頃の方が都合は良いので、少しばかり待つことにする。

5分程待ち、タイミングを見計らってPXに足を踏み入れる。

そして合成サバ味噌定職を受け取り、彼女たちに近づいた。

 

「あ……敬礼!」

 

どうやら武が近づいてきたことに千鶴が気付き、立ち上がって敬礼の合図を出した。

いきなりのことに皆何事かと思ったようだったが、直ぐ状況を理解し、千鶴に倣って全員が武に敬礼をした。

起立して敬礼をする5人に、彼は盆を片手に持ち答礼を返した。

 

「着席して楽にしろ。今は昼休みだからな」

 

そう言って武は、昔自身の指定席となっていた席に座った。

 

(そうか。この席も随分と久しぶりだな……)

 

そして一度全員の顔を見回した。

懐かしい光景だと思った。

しかし彼がそう思っている間、彼女たちは全員の武に視線を釘付けにしていた。

それに気づいた武は、若干の照れ隠しの意味合いも含めて食事を開始した。

その間も皆、若干硬直し反応に困りながら彼を見ていた。

武は飯を頬張りながら話を始めた。

 

「全員、何故ここに座ったのか、という顔をしているな」

 

どうやら図星のようで、皆更に反応に困っていた。

 

「いい機会だから貴様らに聞いておきたいことがあってな」

 

全員が頭に疑問符を浮かべた。

 

「貴様たちは何の為に戦っている?……別に口に出さなくていい。各自心の中で思い浮かべてみろ」

 

唐突な質問に皆少し困惑していたが、流石にそこら辺の切り替えは出来るようで、各自心の中で思い浮かべ始めたようだ。

中には目を瞑って思い浮かべる者もいた。

 

「その理由の為に、お前たちは人を殺すことが出来るか?」

「「「ッ!?」」」

 

敢えて直球に表現したが、やはり皆衝撃を受けていた。

そこで武は言い方を変えることにした。

 

「では、言い換えよう。貴様らは己の信念の為に犠牲を払う事が出来るか?」

「失礼ながら少佐……それは同じ意味ではないでしょうか?」

「そう思うなら貴様にとってはそうなのだろうさ。で、どうだ?出来るか?」

「「「……」」」

 

だが武にとってはその沈黙が答えだった。

少なくとも彼にはそう思えた。

取り敢えずこの話は終わりにしようと思った時だった。

PXのテレビに見覚えのある報道がなされようとしていた。

 

「まぁ、いいさ――全員、テレビを見ろ」

 

そう言って武は手に持った箸で、テレビの方を指した。

全員の視線がそちらへと向く。

 

『――火山活動の活発化に伴い、昨夜未明、帝国陸軍災害救助部隊による不法帰還者の救助作戦が行われました。現場では大きな混乱もなく、14名が無事に保護されたと……』

 

テレビの内容は天元山の不法帰還者のニュースだった。

 

『――を含む中部地方は、第一種危険地域に指定されており、民間人の居住が許可されていません。しかし、確認されているだけでも、帰還を強行した元住民が……』

 

残り僅かな飯を口に書き込みながら思う。

 

(やっぱりここでもか……俺の知ってる時期より少し早いな……)

 

因みに、今回の出動要請を拒否するように夕呼に進言したのは武だった。

 

『……再三の避難勧告に応じない不法帰還者の扱いに関し、内務省の一部からは、放置やむなしとする意見も上がりましたが、帝国議会は国民の生命財産の保護を第一とする立場を、あくまで貫くべしと、これに応じず……』

 

何故武が救助活動を拒否したのか、その理由はコストに見合わないと判断したからだ。

災害救助に関わることでそれ相応のコストが生じる。

しかも貴重な時間も失われるのだ。

いくら人一倍大事に扱われている訓練部隊だからといって、それに参加することに重要性は一切感じない。

だから拒否したのである。

ついでに武はこれまで207Bに教え込んできたつもりである、コスト意識について確かめることにした。

 

「……榊、この報道をどう思う?」

「はい……」

 

すると当てられた千鶴は、何やら言いづらそうに俯いてしまった。

 

「今は休憩中だ。自由に意見を述べてよろしい。無論、反論も許可する」

「はい……今の帝国軍には、人道的な救助活動をする余裕はないかと思われます。無事に保護とは言いますが、噴火警報も出ていない状況での救助作戦ですから……寝しなを急襲し、拉致したものと推測します」

「妥当な考えだ。ま、この程度のこと、気づいてくれないようじゃ困るんだがな……」

 

そこで武は冥夜の方を見る。

彼女はやはり不満そうな顔をしていた。

そして我慢できずに口を開いた。

 

「少佐はこの強制退去に同意しておられるのですか?」

「ふむ、いい機会だから教えておこう。この不法帰還者の強制退去を提案したのは俺だ」

「「「ッ!?」」」

 

全員が驚いた表情を見せた。

 

「我々極東国連軍にも協力要請があったのでな。俺が丁重にお断りしておいた。もし受諾していたら、貴様らが災害救助に派遣されていただろうな」

「少佐はッ!?民に犠牲を強いることを良しとされるのですか!?」

「犠牲?何を持って犠牲と言うのだ?」

 

武のあっけらかんとした答えに、冥夜は頭に血が上った。

 

「少佐ッ!?」

「いいか御剣。犠牲というのはな、それに引き換えて何かを得るものがあるときに使う言葉だ。それを犠牲にして何を得たのか、得るつもりなのか、得たことにしたいのか。そういう場合に使う言葉だ。だからこの場合、犠牲という言葉は使うべきではない。もし救助に向かった兵士の命を引き換えに、不法帰還者を助けたというのなら、犠牲と呼べるだろうがな」

 

武は犠牲という言葉をそのように理解していた。

これは数々の戦友たちを失ってきたからこその考えだった。

 

「そもそもお前の言い分は、軍の行いが非道な行いではないのかということだろう?」

 

ここで少し話の軌道を戻すため、冥夜が本来言いたかったことを代弁した。

 

「なッ!?少佐はそれをわかっておられながら!」

「では聞くが、不法帰還者たちは命を失ってもいいというのか?貴様は」

「いえ、助けること自体には賛成です。ですが、強制退去はあくまで政府や軍の都合を優先した結果に過ぎませぬ」

 

冥夜は反論をやめなかった。

 

「ほう、では貴様はどうすれば良かったと言うのだ?」

「リスクを承知で戻ったのです。避難するかしないかの選択は、彼らに委ねるべきでありましょう」

 

この時点で冥夜の考えがもはや揺るぎないものだと、武は確信した。

 

「はぁ……では救助に向かった兵士はどうなる?危険に身をさらしているのだぞ」

「帝国軍人は国民の生命財産を守るために存在します。そのために危険を冒すのは当然かと」

「貴様……では、不法帰還者の命と兵士の命は別物だといいたいのだな?」

 

指摘に冥夜が少し詰まる。

 

「……いえ、私が言いたいのは、誰もが国のためと言いながら、力なき者に負担を強い、力ある者が力の使いどころを弁えていないということです!」

 

しかし彼女は怯むことなく反論する。

 

「本音を言えばな、俺も貴様の方針には賛成出来る。帝国軍が無理をしてまで助ける必要はない。だが、国民の生命財産の保護は条文に謳われていることだから、議会が退去すべしと結論付けたのも理解出来る」

 

少々熱くなっている冥夜を落ち着かせるため、敢えて少し冥夜の意見に賛同する。

 

「……ならば、何故の強制退去でしょうか」

「いいか御剣。議会が強制退去の方針を取った。ならば、最もリスクとコストの低い方法で事に当たるべきだろう。それが軍人というものだ」

 

そう武も彼女たちも軍人であるのだ。

だからそこに私情は簡単に持ち込んではいけない。

命令は軍人が何よりも順守すべきものなのだ。

 

「ではッ!?帰還者たちの意思は考慮に値しないということですか!」

「そうだ」

「ッ!?」

 

武の肯定に冥夜は驚く。

そしてその表情には、少しばかり残念そうな様子も垣間見えた。

自分の上官がそのような考えを持っているとは、と。

 

「御剣。貴様は今暫く軍人というものが如何なるものか、よく考えることだな。それにな、不法帰還者の境遇に同情し、軍人としての本来の務めを忘れるなど言語道断だ。それに……今更、こんな話をすることになるとはな――座学でコスト意識については当然習ったはずだ。災害救助活動とて、軍を動かせば当然金はかかる。その金はどこから出てくるのだ?まさか天から湧いて出るものだと思ってはいないだろうな?そうやって浪費したツケは一体どこへ回っていくのか。そこまでしっかりと考えを巡らせたのか?」

 

武は冥夜を諭すように話しかける。

その上で少しばかり間を空けて再度質問する。

 

「――では、再度聞こう御剣。もし貴様が災害救助に駆り出され、住民を強制退去させよと命令を受けた場合、どうする?」

「説得はします。ですが、無理強いは出来かねます」

 

武の眉間に皺が寄る。

 

「強制退去を命令されてもか?」

「……左様です」

「その結果、さらなるリスクとコスト――例えば、そうだな……吹雪を失うことになってもか?」

「……左様です」

 

分かってはいたがやはりため息が出てしまった。

直前に軍人としての教示をもう一度教えたにも関わらずだ。

武は内心冥夜に失望を禁じえなかった。

 

「反論を許可したのだから、これ以上は何も言わん」

 

そう言って武は盆を持って立ち上がった。

 

「最後に貴様ら全員に言っておく。いかなる状況であっても、軍人としての務めを果たす覚悟だけはしておけ」

 

それだけ告げると武は盆を戻しPXを後にした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それから時が過ぎ、夕食少し前の夕方。

あの昼食後の午後の訓練には武も参加していた。

ここ最近彼が参加する訓練はめっきり減っていた中での、久々の武混じりでの訓練は中々に厳しかった。

少なくとも冥夜はそう感じていた。

 

因みに武は207Bの訓練より、A-01に対する訓練の方を重要視している。

それにはしっかりと理由があり、207Bは元々個々のステータスが高いのに加え、最初から新OS……即ちXM3に触れているからである。

一方のA-01は、既存OSにかなり触れた後でXM3に触れているので、既存概念に囚われてしまいがちである。

そこを武は最も懸念しているのだ。

それに207Bは遠からず出撃することになる。

これは短期育成法としては中々荒療治であるが、そこである程度才能が開花することも彼は見越しているのである。

また彼女たちはいずれはA-01に配属されるのだ。

だったらその時にまとめて厳しくしてしまえばよいと考えているのもあった。

勿論、まりもを信頼しているというもある。

そのような理由から武がここ最近207Bの訓練に参加する機会は減っているのだ。

無論ここ数日は彼が計画実現のために奔走し、忙しいというのもあるが。

 

いずれにせよ、武が丁度今日訓練に参加するというのは、昼休みの時のやり取りがあったが故に、冥夜は少しやり辛さを感じた。

武はそんなことはとう気にせず、いつものように全員に厳しく接していた。

つまりいつもと何も変わらぬ訓練だった。

それが寧ろ冥夜には痛かった。

いつも以上に厳しくされた方が、彼女にとっては気にする暇を与えず逆に嬉しいのだが、残念ながらそうはならなかった。

冥夜は今、訓練校の屋上にただ一人突っ立って物思いに耽っていた。

 

(――私は……白銀少佐に失望されたかもしれない)

 

彼女の悪い点は考え過ぎることである。

曲がりなりにも高貴な身の上、崇高な理念、曲げて考えることが出来ないその真っ直ぐ心が余計に彼女を苦しめていた。

この冥夜の性格は武もよく理解しており、彼女の負担を和らげようと色々と声をかけてはいるのだが、今のところ大した効果は出ていない。

他の207Bの面々とは異なり、最初から武を嫌な上官と思っていなかったからこそ、余計にその言葉を正しく受け止めることができないのだ。

 

千鶴や美琴、たまは当初こそ武に悪印象を持っていたが、その印象は少しずつ和らぎ、今現在は緩和されている。

彩峰は……まだ少し時間がかかるだろう。

冥夜は最初から悪印象があまりなかったが故に、他の面々のように素直に受け止めれないのであった。

 

「冥夜様……」

「ッ!?」

 

冥夜が深く考え込んでいた時、突如後ろから声を掛けられた。

それに驚き、当人は神速で振り向く。

そこには見慣れた女性の姿があった。

赤の斯衛の制服を着た、幼少の頃から世話になった人物である。

 

「月詠……中尉」

 

月詠真那である。

いつも彼女の後ろをついて回る神代、巴、戎の3人の姿はなかった。

 

「冥夜様、そのようなお言葉遣いはお止め下さいと、何度も申し上げたはずです」

「……そう、だな――今だけはそうさせて貰おう」

 

何故かこの時はそのような気分だったのである。

或いは慣れ親しんだかつての侍従の真那に、少し甘えたかったのかもしれない。

 

「今だけと仰らず、常にそうして頂ければ……」

「月詠……」

「はっ。何でございましょう、冥夜様」

 

冥夜は間を開け、少し言い辛そうに言った。

 

「少し……相談に乗っては貰えぬか?」

「何なりと」

 

冥夜は今日の昼食での出来事を真那に話した。

 

「私は……白銀少佐に失望されたであろうな…」

 

寂しげなその様子は、まるで捨てられた子犬のように真那は見えた。

 

「冥夜様、失礼ながら冥夜様の御心は、そこにないように感じられます」

「……どういうことだ?」

「冥夜様が気にしておられるのは……人としての正しさではないでしょうか」

 

これは真那の嘘であった。

彼女は今日冥夜の話を聞いて確信するに至った。

自分の主人が武に惚れているであろうことを。

それは話し方を聞いていれば容易に察しが付いた。

だからこそ真那は冥夜の心を傷つけぬ為に、敢えて嘘をつき、その心を護ろうとしたのである。

 

「人としての正しさ、軍人としての正しさ。その相違が……冥夜様の御心を悩ませているのではないでしょうか……」

 

だが、これは嘘でもあり真実でもある。

何故なら冥夜の第一悩みは、武を失望させたのではないかということ。

第二の悩みは、軍人として斯くあるべしという自らの志と相反することに関してであった。

故に真那は一には触れず、二の方を解決することにした。

そう、実は当人も分かっているのである。

人として何が正しいか、軍人として何が正しいか、それが相反するものだということを。

だからこそ真那は、それについて冥夜に改めて認識させようとしたのである。

かつて侍従として冥夜に仕えていた時のように、優しくかつ過ぎないように、くどすぎないように。

 

「なるほど……人としては正しくとも、それが必ずしも軍人として正しいとは限らぬ、か」

「白銀少佐も仰っていたと、冥夜様ご自身が仰ったではないですか。今暫く軍人というものが如何なるものか、よく考えることだ……と」

 

もう真那の中に武に対する不信感は殆どなかった。

無論、まだ死人の疑いは晴れていない。

城内省に提出する報告書にも、まだ疑いは晴れないと報告している。

だが何故か真那は武を認める気になった。

その理由は本人もよく分かっていない。

しかし認めていなければ、このような真那の発言はなかったであろう。

 

冥夜は武の言葉をよく思い出しながら言う。

 

「そうだな。それに少佐は、私の方針に賛同出来る――そう言っていた……」

 

決して非情などではないと冥夜は思い至る。

あの時武の発言を聞いて、非情だと冥夜は少し失望していた。

けれど、あの方はただ軍人として務めを全うしているのに過ぎないのだと気づく。

 

「私が少佐を失望させてしまったのは、軍人としての回答を出さなかった故、か……」

「……」

 

そう、結局はそこに行き着くのであるが、真那は敢えて何も言わなかった。

 

「では月詠。私は結局どうすればよいのだ?もし災害救助に派遣されていたら……」

 

この辺りがまだ回答を手にしても、割り切れなかった冥夜の甘さの現れだった。

それに真那も気づいた上で、こう述べた。

 

「それは……もしその時が来たら、冥夜様の護りたいものと、目の前の護りたいものを比べて、結論を出されるがよいかと」

 

冥夜は思った。

月詠はいつまでも自分の尊敬すべき師の一人であると。

 

「そうだな……感謝する月詠。其方のおかげで少し楽になった」

「勿体無きお言葉、身に余る光栄にございます」

 

冥夜は真那から視線を外し、フェンス越しに外の瓦礫となった世界を見ながら言った。

 

「其方は、変わらぬな……」

「は?」

 

思わず素っ頓狂な声を出してしまう真那。

それに対し冥夜は少しはにかみながら言った。

少なくとも背中越しだが真那にはそう見えた。

 

「いや、それでよい。それでよいのだ」

 

主人の言った意味が少し分からなかっが、自身の言葉で主人が少し成長してくれたのならと、少し嬉しくなった真那だった。

そして軽く微笑んで答えた。

 

「はい、冥夜様」

 

どうやらこの2人の関係は、いつまで経っても不変のものであるようだ――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それからほんの少し時が経ち、宵の口。

武はこの夕方とも夜とも、どちらとも言えないこの時間帯の海が見たくなった。

そういった気分だったのだ。

そう思い至れば後は行動あるのみ。

宵の口の時間帯はほんの僅かである。

基地を出て、海が見える裏手の丘に向かって歩いていった。

 

「ん?」

 

ところがいざついてみると、そこには先客がいた。

2つの人影があったのだ。

武の足音に気づいたらしく、2つの影は彼の方を向いた。

 

「あ、少佐」

 

恐らく近くに警備用の明りがあったおかげで、向こうは武だと見分けることができたようだ。

2つの影はその場で敬礼の影となった。

武は答礼しながらその2つの影に近づいていく。

近づいたことで2つの影の正体が判明した。

 

「柏木と……宗像か。何している?こんなところで」

「私たちはここで少し話をしたいのですが、どうも長話をしてしまったようで……」

「何?それでは邪魔してしまったかな?」

 

柏木が手で違うとアピールしながら答える。

 

「いえ、丁度終わろうかと思っていたところです。ところで……少佐は何故こちらに?」

「あぁ、海が見たくなってな」

 

武の言葉に2人は怪訝そうな表情を浮かべた。

 

「こんな時間に……ですか?」

「こんな時間だからこそいいのさ。宵の口の頃の海は、また違った形を見せる。ほら、見てみろ」

 

武に促されて2人の視線が海へと向く。

 

「何とも素敵な風景じゃないか。殺伐としているようで、そうでなく、また穏やかなようで穏やかではない。こう、なにか上手い例えがないのが残念だが……」

「……いえ、少佐の仰りたいことは分かります」

「意識はしたことは今までなかったですが……これはこれで美しいものですね」

「分かって頂けて何よりだよ」

 

それから3人は暫く無言となり、宵の口の海を見て楽しんだ。

 

「ほんの一瞬でしたね……」

 

暫くして柏木がそう呟いた。

先ほどでも十分暗かった辺り一帯だが、もう完全に暗くなり宵の口と呼べる時間帯も終わった。

 

「そうだな――ところで、珍しい組み合わせだと思うのだが、何かあったのか?」

「え?」

「もし何か気になることがあるなら、俺でよければ相談に乗るが?」

 

そう、宗像は何かと祷子といるイメージが武にはあり、柏木と宗像という組み合わせは中々想像できなかったが故のこの質問。

組み合わせについて突っ込まれると思っていなかったのか、柏木は素っ頓狂な声を上げた。

きっと何かあったに違いないと武は予想し、相談に乗る有無を伝える。

すると2人は無言になってしまった。

 

「「……」」

 

そんな2人を武は暫く見つめていたが、まぁ話したくないならいいと思いまた口を開く。

 

「まぁいいさ……取り敢えず戻ろうか。流石に暗い」

 

そう言って武が歩き出した時だった。

 

「あの!少佐……」

「ん?なんだ?」

 

柏木が武を呼び止め、彼は立ち止まって振り返る。

流石に辺りは暗く、明りは少し離れたところの警備灯のみなので表情は読めなかったが、それでも少し聞きづらそうにしているのを、武は肌で理解した。

 

「どうした。遠慮なく言って見ろ」

 

それでも言いよどむ2人。

そして口を開いたのは呼び止めた柏木ではなく、宗像の方だった。

 

「少佐は先日、戦う理由は私たちを護るためだと仰いました」

「……あぁ、言ったな」

 

恥ずかしかったので少しおどけようか迷った武だが、宗像が真剣な様子なのでそれはやめたのだった。

 

「何故、ですか?」

「ん?」

「何故私たちを護ろうとされるのですか?私はてっきり、少佐はもっと大きな……そうですね、大義……とは言い過ぎかもしれませんが、そのようなものの為に戦っておられるのだと思っていましたが……」

 

そう、武がA-01を護ることが戦う理由だと言った。

これは彼女たちにとってはあまり理解できないことだった。

それこそ宗像の言葉にもあるように、何かしら大きな目的があってその為に戦っていると思っていた。

何せこの若さで少佐という階級を得て、尚且つ夕呼の副官を務めるほどなのだ。

勘違いされても仕方はない。

 

武は少し間を開け、何かしらを思い出すそぶりを見せながら言った。

 

「――大義、か……そんなものを掲げていた時期もあったかなぁ」

 

武は降りかけていた丘を再度上り、宗像と柏木の横を通り過ぎて、今はもう見えなくなった海の方を見ながら言う。

 

「ま、別にそう言ったものを掲げる人たちを馬鹿にする訳ではないが、正直くだらないな」

「くだらない……ですか?」

「あぁ、くだらないさ」

 

武は振り向き2人の方を見て言った。

流石にそろそろ目が暗闇に慣れてきて、ある程度相手の表情を読めるぐらいにはなってきた。

彼から見て宗像も柏木も、心底不思議そうな顔をしていた。

まぁそうなるわな、と内心思いながら続ける。

 

「――なぁ宗像。お前は香月副司令が何の為に戦っているかを知っているか?」

「いえ、存じません」

「あの人はな……オルタネイティヴⅣの総責任者なんて立場にいるから、それこそ大義があって計画を割と強引に推し進めているように思われがちだが、実はそうじゃない――いや、俺も別に副司令の戦う理由は知らないぞ?でも俺と副司令はある一つの共通点で結ばれている」

 

宗像が興味深そうに聞く。

柏木も声は出さないながらもそういった表情をしていた。

 

「それは一体?」

「戦う理由はお互い違うが、俺と副司令の共通している点……それはな、オルタネイティヴⅣっていう目的が達成されれば、BETAが地球から駆逐されるっていうオマケがつくだけなのさ」

 

2人は声には出さないながらも、心底驚いた表情をしていた。

それはそうだろう。

あのBETAの糞共の駆逐は人類史始まって以来の大きな悲願だ。

それをオマケと言ったのだ。

 

「BETAの駆逐が、オマケ……ですか?」

「あぁそうだ。俺の何よりも大切なことは、皆が生きてこの大戦を乗り切ってくれることなのさ」

「ッ!?」

 

二度驚くとはまさにこのことだろう。

2人は再度目を見開き驚いていた。

 

「お前たちは俺の大切な仲間であり、部下であり、教え子であり、俺が護りたい、助けたい……大切な存在なのさ」

 

武の今度のループの目的の全てはそこにある。

自分の大切な人たち、仲間たちを生かしてこのBETA大戦を乗り切ること。

無論救える限りの命は救いたい。

しかしこの大切な仲間たちを生かすためならば、多少の犠牲はやむを得ない。

そう思うほどに武の覚悟、信念、行動力はすべてそこに注がれていた。

愛する人を。

大切な戦友を。

敬愛する上官を。

皆を生かすため。

それが達成出来れば自らの命すらかけて申し分ない。

それが武の全てであった。

 

武は空気が少し重くなったことを理解し、おどけながら言った。

 

「ははっ、らしくなかったかな?普段は厳しい少佐が、このような姿を見せると」

 

まぁ若干の照れ隠しも混じっていたが。

 

「いえ、そんなことは……」

「この話は他の皆には内緒だぞ?」

 

そう言って武はウィンクする。

 

「は、はい……」

 

それを見た宗像と柏木は上官の意外な行動に驚きつつ、何故か恥ずかしくなり頬を染めていた。

 

「すっかり暗くなってしまったな……戻ろうか」

 

そう言って武は歩き出し、丘を下っていった。

一方の宗像と柏木は暫く固まってしまい、再度武に促されるまでその場を動くことがどうしてか出来なかった――。

 







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Episode32:事件前夜

Episode32:事件前夜

 

 

2001年11月28日(水)22:34

 

 

「――ええ。ですから、信じるか信じないかの判断は、貴方にお任せします」

 

横浜基地の通信室に夕呼の姿はあった。

ヘッドセットを身に着け、誰かと通信をしているようだった。

普段はそれなりの数の基地要員が待機しているこの部屋だが、今は夕呼とエレナしかおらず人払いをしていることは明白だった。

 

「仰る通りです。ですが、現在のこの状況がれっきとした答えではありませんか?」

 

夕呼の言葉に相手側がやや必至に言葉を返していることが、雰囲気でエレナには察することが出来た。

 

「そちらの周りは何も気づいてはいないでしょう。私が貴方にこうして堂々と連絡出来たことこそ、結果と言う真実ではないですか?勿論、これだけではありません。他にも証拠をお見せしますわ」

 

夕呼がエレナに目配せをする。

彼女は頷き、何やら端末を操作し始めた。

すると夕呼の耳に驚きの声が流れ込んでくる。

 

「これでお分かり頂けたでしょう。我々(オルタネイティヴⅣ)が如何なる成果を手にしたのか」

 

夕呼は優雅に足を組み替え、言葉を続ける。

 

「それはほんの一部です。もし私の提案に乗って頂ければ、それ相応の対価はお支払いさせて頂きますわ」

 

夕呼の声に相手側は怒りを隠さず、早口の英語を捲し立ててくる。

そう、今までのやり取りは全て英語で行われていた。

夕呼は涼しい表情をしながら流暢な英語で返す。

 

「命令ではありません。あくまで取引の提案です。こちらは完全なデータをお渡しするわけですから、そちらにもそれ相応の対価は払って頂きます。至極当然のことではありませんか?」

 

暫くして夕呼の口角が吊り上がる。

どうやら向こうは取引に応じた様子だった。

 

「ご承諾下さり感謝致しますわ。Mr.President(ミスタープレジデント)

 

そう言って夕呼はヘッドセットを華麗に取り外した――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年11月30日(金)07:43

 

 

「揃ったようね」

 

横浜基地の第2滑走路の駐機場に夕呼と武、そしてエレナの姿はあった。

この3人の中で武が最も遅く来たのだが、既にいる夕呼の姿を見てつい口にしてしまう。

 

「夕呼先生が早いなんて……」

 

その言葉に夕呼は不服そうな表情をする。

 

「何よ」

「タケル、ユウコは私より先にいたわよ」

「マジかよ……」

 

驚きのあまり白銀語を口にする武。

夕呼が時間にルーズなことは武もエレナも知っている。

もしこの場にまりもがいたら、きっと彼女も驚きの言葉を口にしたはずだ。

加えて今日の3人は全員クリーニング済みのC型軍装の他に、制帽を頭に乗せていた。

武とエレナは何度か制帽を身につける機会があったが、夕呼が制帽をつけるなど、青天の霹靂に等しい出来事だった。

 

「うるさいわね。状況を考えなさい」

「まぁ、そりゃそうですね……」

 

夕呼の言う状況とは、これからこの3人はで悠陽に会いに行くことを指している。

その為3人は正装をしているのだ。

曲がりなりにもこの国のトップに会うのだ。

場にあった服装は当然ながら、遅刻などあってはならないのだ。

 

「そうそう2人共、着くまでの間にこれに目を通しておいて頂戴」

 

夕呼は手元の鞄からとある資料を取り出し、武とエレナに渡した。

 

「これは?」

「読めばわかるわよ。終わったら返しなさい。じゃ、行きましょう」

 

そう言って待機しているヘリコプターに乗り込む夕呼。

2人は怪訝そうな表情をしながら、後に続くのだった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日09:00

 

 

「皆、多忙な中での来訪、誠に大義であります」

「畏れ多いお言葉です、煌武院殿下」

 

場所は移り変わり帝都城の悠陽の執務室。

そこには悠陽に向かって敬礼をする夕呼と武、エレナの姿があった。

武たちの立場は国連側の代表である。

その3人の敬礼に、帝国側の代表である悠陽は言葉で応え、その他の紅蓮と神野は敬礼で返す。

 

「まずはそう畏まらずに皆、腰を下ろして楽になさい」

「では、お言葉に甘えまして」

 

夕呼の言葉を合図に、全員がソファーに移動して腰を下ろす。

そのタイミングを見計らったかのように部屋の扉がノックされ、真耶が盆に乗せた茶を運んできた。

 

「月詠。私がいいと言うまで部屋には誰も入れないように」

「はっ」

 

真耶が部屋を退出すると、悠陽は執務机の椅子からソファーに移動し自らも腰を下ろした。

 

「さて、こうして皆に集まって戴いたのは他でもありません」

 

悠陽は茶を一口含んでから話を切り出した。

 

「来る冬の目覚め作戦について、詳細を詰めるためです」

 

冬の目覚め作戦とは、所謂12・5事件についてのことである。

作戦名は武が考えた。

悠陽の真剣な表情に、皆が頷く。

 

「では、香月博士。よろしくお願いします」

「畏まりました」

 

悠陽に促された夕呼が、手元の鞄から資料を取り出して皆に配った。

 

「では、確認も含めまして事の概要から説明を始めたいと思います」

 

真剣な表情を浮かべる一同を前にして、夕呼の説明が始まった。

そして当日の作戦の流れについて30分ほどかけて説明が行われた。

 

「――以上で説明を終わります。何かご質問はありますか?」

「香月博士。作戦の流れは理解したが、本当にそんなことは可能なのか?」

 

説明終了と同時にすかさず紅蓮が疑問を述べた。

 

「と言いますと?」

「全体を統率するには、既存のシステムでは対応出来ないと儂は見た。オルタネイティヴⅣの成果を持って行うと其方は言っておるが、オルタネイティヴⅣは未だ具体的な成果は出せていないと聞き及んでいるが……」

「ご指摘は最もですが、我々は既に具体的な成果を掴んでいます。ただそれが表立って公表されていないだけ。問題はありません」

 

夕呼の言葉に紅蓮と神野は眉をひそめる。

流石に彼らの地位になると嫌でも政治というものは関わってくるし、それなりの国家機密にも触れることにある。

その関係上、彼らも帝国政府が進めるオルタネイティヴⅣについて、それなりに知識はあった。

そしてその肝心のオルタネイティヴⅣが、ここ数年の間行き詰まりを見せているということも知っていた。

だからこその紅蓮の心配。

しかし肝心の夕呼は問題ないと言い切っている。

だが同じ帝国内であっても、余裕で人を天秤にかける横浜の魔女の蔑称で知られている彼女の言葉だ。

中々信用に置けないのも事実である。

それを察したのか、悠陽は夕呼に言った。

 

「香月博士。2人にオルタネイティヴⅣの真相を教えてはどうでしょうか?」

「しかし殿下……」

 

夕呼は反論しようとするが、悠陽が手でそれを制する。

 

「彼らは古くから私と交流があり信用におけます。それにこれからは何かと彼らの協力が必要でしょう。博士にとっても悪い話ではないと思いますよ?」

 

悠陽にそこまで言われては夕呼も大人しく従う他なかった。

 

「……承知いたしました、殿下――では御二方。これは例え一国家元首であったも早々に知り得ない、超重要機密であることを認識した上でお聞き下さい。決して他言は無用。宜しいですか?」

「神野志虞摩。斯衛と煌武院殿下の御名に懸けて誓おう」

「紅蓮醍三郎。同じく煌武院殿下の御名に懸けて誓う」

 

この国で悠陽の名に誓うということは、命を懸けて誓うことと同義である。

夕呼は頷き、オルタネイティヴⅣの真相を話した。

真相を聞いた2人は少なからずのショックと大きな驚きに満ちていた。

 

「博士。それだけでは少々言葉足らずかと思います」

「白銀に同意します。香月博士、大事な部分が抜け落ちていますよ?」

 

武の言葉に悠陽が同意したが、夕呼は背筋を伸ばして言った。

 

「恐れながら殿下、私はこれで充分かと」

「――では白銀。其方が言いなさい」

「承知致しました、殿下」

 

夕呼の説明不足を武が話した。

悠陽に言われた手前、夕呼は反論出来なかった。

最もそれを武は見越して話を切り出したわけだが。

武の補足説明を聞いて紅蓮と神野は表情を変え、夕呼に向かって首を垂れた。

 

「香月博士。儂はどうやら貴方を誤解していたようだ」

「私も詫びさせて頂こう」

 

真相の更に真相を知った紅蓮と神野は、先ほどまで夕呼に持っていた嫌悪感を改めた。

夕呼は一瞬武を睨んだが、直ぐに視線を元に戻して言う。

 

「御二人共、顔を御上げください。所詮、私は横浜の魔女……謝罪など不要です」

 

魔女の本分は呪いや毒をかけ、人心を惑わすこと。

それは本人も理解の上だった。

全ては自らの理想のため。

その為ならば自らの評判など気にしてはいない。

寧ろその評判ですら利用する。

それが香月夕呼という女だった。

そして白銀武は夕呼のその本分を知った上で、敢えて彼女への誤解を取り除くべく補足した。

自らの恩師が人々に嫌われ続けていることを、彼はどうしても我慢がならなかったのだった。

エレナは思う。

 

(タケル。だから貴方は……)

 

エレナは武の真意を理解した。

 

彼女は武と夕呼へのリーディングをバッフワイト素子で制限が課されている。

これは当人の希望と夕呼の思惑が重なった結果である。

純夏はリボンによってこれのオンオフが出来るようになっているが、彼女の場合は違う。

エレナ自身が過去にも語った(Episode28)ように常にリーディングをしなければ、何が本当で本当でないか、その区別がつかなくなってしまっている。

今でも彼女は紅蓮と神野へのリーディングを止めていない。

相手が自身にどのような感情を持ったか、知りたくて仕方がないからだ。

そしてまたリーディングという能力に頼り切ってしまっている。

そんな自分に吐き気を覚えているエレナ。

しかし……いや、だからこそというべきか、夕呼と武にはこの能力を使いたくないのだ。

極力使わないようにしている。

夕呼は自らに再び人間としてのアイデンティティ、即ち肉体と取り戻してくれた恩人。

そして良き恋敵(ライバル)

武は感情を取り戻してくれた恩人であり、愛する人である。

そんな2人にまで能力を使用する。

それはエレナにとって絶対に許せない一線であった。

しかしあくまで制限であるため、多少のリーディングなら許されている。

それがまた彼女の矛盾であり、戸惑いであり、悩みでもある。

それはまた別の機会にしよう。

 

エレナは武の夕呼への思いを肌で感じて理解した。

 

「香月博士への誤解が解けたところで、話を次に進めましょう」

 

悠陽の言葉で話題は次に移行した。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

会談を無事終えた武と夕呼とエレナは、帝都城の廊下を歩いていた。

その途中、エレナが何かに気付いた様子で武に小声で話しかけた。

 

「タケル……」

「どうした?」

 

エレナは視線だけを後ろに動かし、目で武に合図した。

 

「あぁ、分かってるよ――夕呼先生、ちょっと待ってください」

「どうかしたの?」

 

全員が歩みを止める。

そして武は後ろに向かって声を掛ける。

 

「いるんでしょう?鎧衣課長」

 

すると物陰から、いつものトレンチコートを身に纏った鎧衣が姿を現した。

 

「いやはや、まさか気付かれるとは」

「噓ですね。途中からわざと気配を出したり消したりしてたじゃないですか」

「そこまで気付いていたか。流石だね、白銀少佐」

「今更俺を試してどうするつもりです?」

 

武が少し語気を強めて言うと、鎧衣は少しおどけながら答える。

 

「いやなに……タダの気まぐれだよ」

「……まぁそう言うことにしておきましょう。ところで用事は何ですか?」

 

わざわざこうやって武たちの前に現れたのには、当然用事があるはず。

大方あの件だろうと予測しつつ鎧衣に問うた。

 

「頼まれていた例の件だが、やはり君の予想した通りだったよ」

「では予定通りに?」

「いや、まだそこまでは至っていないよ。近日中には済ませる予定だがね」

「では頼みます。それが成立しないと、この計画自体がご破算になりますから」

 

武は少し睨みをきかせながら言う。

 

「分かっている。仕事はきっちりこなすよ」

「そうでないと困ります」

「では、私はこれで。あまり人目に付きたくないのでね」

 

そう言って鎧衣は去っていった。

しかし当の武は鎧衣が去っていった方向を見ながら、何か考え込んでいる様子だった。

 

「白銀?どうしたの?」

「いえ、何でもありません。行きましょう」

 

武はそう言って歩みを再開したのだった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年12月4日(火)10:17

 

 

夕呼お抱えの特殊部隊A-01部隊は、今日もシミュレータルームで訓練に明け暮れていた。

いつも通りの日常、変わらぬ毎日、終わることのない訓練。

それが彼女たちの責務であり、軍人としての務めである。

今日の訓練は、武の指示でシミュレータによるAH(対人類)戦闘であった。

そんなシミュレータでの訓練の合間に、彼女たちヴァルキリーズの面々はこんなことを話していた。

 

「今日も少佐は来られないんですか?」

 

茜が訓練の合間の待ち時間にそのようなことを呟いた。

 

「あぁ、そう聞いている。時間があったら顔を出すみたいなことは仰ってたが……」

「そうですか……」

 

伊隅の返答に茜が明らかに残念そうな表情をする。

 

「なに茜~。寂しいのぉ~?」

 

それに真っ先に気づいた速瀬がニヤニヤしながら言う。

 

「べ、別にそんなわけじゃ!」

「この前から少佐にご執心だもんねぇ。口を開けば少佐少佐って……」

「速瀬中尉!」

 

茜が顔を真っ赤にしながら叫んだ。

それに皆は笑い、場の空気が更に和む。

もう全員、何かしら心に抱えていたつっかえ棒のようなものは取れている様子だった。

そのおかげか、ここ最近の訓練は順調に次ぐ順調だった。

伊隅は思う。

 

(私も皆も、白銀少佐のおかげで心の靄を取り除くことができた……部隊の空気も良いし、訓練も順調。このまますべてが上手くいけばいいな……)

 

無論、すべてが上手くいくことはないと伊隅も理解している。

しかしそう思ってしまうほど、いやそう思えてしまうほどにA-01の状態は最高だった。

全ては武のおかげである。

ある意味で皆の心の支えとなりつつあった武。

その姿がここ最近全く見えないことは、自然とヴァルキリーズの噂を呼ぶ。

 

「それにしても本当にどうされたんでしょうね……」

「案外副司令にこき使われてるとか?」

「副司令も全然見ないですよね」

 

元々夕呼は自信の執務室に籠っていることが多いが、気まぐれに彼女たちをからかいに姿を見せることはそれなりにある。

しかしその夕呼もここ最近全く姿を見せない。

これが更に憶測を呼んだ。

 

「そうだな。私たちをよくからかう副司令も姿を見せないとなると、何かあるのは間違いないだろうな」

「まさかまたろくでもないことをやらされるんじゃ……」

 

速瀬がかつての出来事を思い出して身震いをするが、それを宗像は否定した。

 

「それはないだろう。副司令の気まぐれは突然なことが多い。そんな何日もからかう為に時間をかけたりはしないだろう」

「ブレアム少尉も顔を出さないですし、やっぱり副司令案件が正解かもしれませんね」

 

武は夕呼の副官、エレナは特務兵という扱いで知らされている。

実際その地位に間違いはなく、武もエレナもその地位以上に夕呼の計画に足を踏み入れている。

残念ながらそれを彼女たちが知る由はないが、公式にそうなっている以上、そう予測されてもおかしくはない。

実際の発案は武だが、ことを動かすとなると夕呼の立場が必要になる。

だから副司令案件というのはあながち間違いではないのだ。

 

2人が顔を出さないのは、夕呼が原因だとA-01の中で共通認識が確立された後、話は先日突然命令されたあの話題へと移り変わる。

 

「そう言えば副司令のアレ、どういうことなんでしょうか?」

「ただの気まぐれ……ではないですよね」

「ハンガーへの立ち入り禁止。どういう意味があるのか……」

 

そう先日の実機訓練の後、彼女たちは突然ハンガーへの立ち入り禁止を命令された。

正確には、ハンガーとそれに付随する戦術機関連施設への3日間に渡る立ち入り禁止。

一応彼女たちには機体のオーバーホールをするという名目でその命令が出された。

しかしオーバーホールするに辺り、このような命令が出されたことは今までになかった。

それが余計に憶測を呼んだ。

 

「いざ入るなと言われると、普段あまり立ち入らなくても入りたくなるのは自明の理なんでしょうかね……」

「そうだな……にしてもこの時期に再度オーバーホールするということは、何か作戦でもあるのか……」

「ここ最近のAH戦闘重視の訓練にオーバーホール……まさか?」

 

しかし世間話もここまでとなり、次の訓練の準備が整ってしまった。

伊隅がそれを皆に告げる。

 

「皆、アレコレ考えるよりまずは訓練だ。次にステップに移るぞ」

「「「了解」」」

 

実はこの時の憶測はある程度正解であることを、皆はすぐこの後に知ることになるのだった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日の午後。

A-01の噂の種となっていた武の姿は、その彼女たちがいる隣のシミュレータルームにあった。

すぐ隣のシミュレータルームは207B訓練小隊が使用していた。

そこに姿を見せた武は、まりもと彼女たちの敬礼を受けながら近づいて要件を言った。

 

「彩峰訓練兵」

「――はい」

 

意外にも自分の名を呼ばれたことに驚いた彩峰は、武に対する反感もあって返事を少し遅らせながら答えた。

それにまりもが口を開こうとするが、武はそれを手で制しながら言った。

 

「着替え終わったら、訓練校の屋上まで来い。話がある」

「……はい」

 

それだけ告げると武はその場を後にした。

皆、何故彩峰だけが呼ばれたのか不思議に思いつつ、少し彼女を心配する表情を見せていたが、雰囲気からか誰も何も言わなかった。

 

そしてそれから暫く後、彩峰はいつものBDU姿になって訓練の屋上へと赴いた。

武は一足先に屋上におり、夕暮れというよりは薄暮と言った方が正しい空を見上げて待っていた。

扉が開かれた音がしたことで武は空を見上げるのをやめ、彩峰の方を向く。

 

「来たか……」

 

彩峰は扉の前に立ち尽くし、それ以上近くに寄ってこようとはしなかった。

それを見た武は軽く笑ってから話を切り出した。

 

「貴様が俺にどのような感情を持っているかは、だいたい把握している」

 

武は彩峰の目を見据えて話始めた。

 

「だから俺の言葉を信じようが信じまいが、それは貴様の自由だ」

 

一方の彩峰も、いつもの何を考えているか分からない表情よりも、どちらかというと少し厳しめのような表情で武を見据えた。

少なくとも武はそう感じた。

 

「その上で1つ聞きたい。手紙はまだ来ているか?」

 

当初、彼女は彼が何を言いたいのか推し量るような雰囲気と目をしていたが、それが出来なかったのか間をおいてから素直に答えた。

 

「――私には身寄りがいませんので」

 

そう、彼女には身寄りがいない。

父親がどうなったのかは言うまでもないが、親戚も父親が起こした事件の影響を嫌って彼女との縁は切れている。

 

「そうではない。津島……いや沙霧からの手紙だ」

 

まさかの言葉に彩峰は大きく目を見開いて驚いた。

そして開いていた手のひらを強く握った。

 

「その様子だとまだ来ているらしいな」

 

沙霧は彩峰中将を尊敬、もとい崇拝しているに等しい人物である。

そして彩峰の許嫁とも言えるほどの親しい間柄の人物であった。

沙霧は月に1度、月初めに手紙を彩峰に直接ではないものの渡している。

しかし先日の12月1日に本来来るはずの手紙が来なかった。

そして、何故かその2日後の3日に手紙はやってきた。

 

「だがお前のことだ。読んではいないだろう――いや、昨日の手紙は読んだのだろうな」

「ッ!?」

 

彩峰は明らかに動揺の色を見せた。

そして握られていた拳を更に強く握った。

何故武が彩峰の手紙事情を知っているのか、それは鎧衣課長の意を受けた手の者が知らせてくれたからだ。

 

彩峰が今まで読んでいなかった手紙を開封した理由。

それは本来くるはずの1日にこず、3日になってきて、しかもこれが最後だと言われたからだった。

 

「まぁ気になるのは仕方ないだろう。そして読んでしまった以上、貴様の中に気になることが出来たのも事実だろうな――だがな、彩峰。貴様はこのことを気にするな。気にしたってしょうがないし、今の貴様には何も出来ない。お前が俺のような地位と権力を持っていれば別だが……ま、それは言ったって仕方ない」

 

彩峰は武の言葉をどう捉えたのか。

それは当人にしか分からないが、少なくとも彼の言葉通りには受け取っていないようだった。

それは自信に対する彩峰の視線が強まったことからそう感じた。

だから武は言い変えた。

 

「結局何が言いたいかと言うとな――彩峰、お前はお前だ。お前は彩峰慧という名の1人の少女だ。彩峰の名を背負ってはいるが、ただそれだけだ。お前は親父さんとは違う。また沙霧とも違う。この世にたった1人しかいない彩峰慧という個人だ」

 

武は優しく諭すように続ける。

 

「無論、親父さんはたった1人しかしない貴様の父親だ。血の繋がりはあるし、お前がそれで悩んでいるのは知っている。だが1番はお前がどうしたいのかだ。何を信じたいのかだ。それを大事にしていれば、自身の道を間違えることはない」

 

彩峰の拳が少し開かれる。

 

「これから色々な出来事があるだろう。それはお前を新たに悩ませるかもしれない。だがそれも人生だ。どのような道を歩くとも、命いっぱいに生きればいい。お前の道を進め。だから、俺のことを許さなくてもいい、憎んでもいい。でも大事なのはな、お前が自分で決めて自分の道を進むことだ」

「……」

「俺が憎かったらそれを力に変えていけ。そして俺を超えていけ。お前にはそれだけの力と頭脳とそして地位がある。だってそうだろう?副司令直属の訓練部隊。特殊な連中だけが集められた部隊。それを活かすも殺すもお前次第だ」

 

彩峰はやや首を垂れた。

これ以上はくどくならないよう、この辺りで話を切り上げることにする。

後は本人次第だ。

願わくば、彩峰が自らの道に気付き、自らの決断をすることを望んで最後に言う。

 

「もう一度言うぞ……お前はお前だ。そして彩峰慧としての悔いのない道を進むんだ。いいな?」

「――はい……」

 

まさかここで返事が返ってくると思っていなかった武は、少し目を見開く。

だがそれからすぐ微笑んで頷き、この場を後にしようと歩き出した。

そして彩峰の横を通り過ぎる際、肩をポンと叩いてから屋上を後にしたのだった。

 

残された彩峰は拳を再度作って、暗くなってしまった天を見上げた。

その彼女の頬を、一粒の涙が伝うのだった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年12月5日(水)05:46

 

 

まだ基地中の大半の職員が寝静まっている頃。

そんな時間帯の中央作戦司令室に、武にエレナ、夕呼にピアティフ、そしてラダビノットの姿があった。

ピアティフ以外の4人は司令室の最上段に立ち尽くしており、中でも武と夕呼の堂々たる立ち姿は、本来この基地の最上位であるラダビノットがやや霞んでしまうほどであった。

基地のトップ2人に、最近夕呼の副官としてかなりの権力を持っていると噂される武の3人がいることで、司令室はややピリピリとして空気と雰囲気が漂っていた。

既に各地から寄せられている情報からすれば、当然この面々が揃うであろうことは予測に容易いが、それでもこの場にいる職員からすれば、やや居づらさを感じてしまっていた。

それほどの空気だったのだ。

 

そんな中、ふと夕呼が呟いた。

 

「いよいよね……」

 

まさか夕呼がそんなことを言うとは思わず、武は驚き彼女の方を見る。

ラダビノットやピアティフも彼女を見た。

すると……夕呼は口角を吊り上げ笑っていた。

ラダビノットやピアティフは夕呼のその表情に怪訝そうな顔をするが、武だけは納得して正面へと向き直り、同じく口角を吊り上げて言った。

 

「ええ、いよいよです……」

 

そして遂に――。

 

防衛基準態勢(デフコン)2発令。全戦闘部隊は完全武装にて待機せよ。繰り返す、防衛基準態勢2発令。全戦闘部隊は……』

 

基地中にアラームが鳴り、防衛基準態勢2を告げるアナウンスが鳴った。

いよいよ12・5事件改め、冬の目覚め作戦が幕を上げたのだった――。

 



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Episode33:冬の目覚めⅠ

Episode33:冬の目覚めⅠ

 

 

2001年12月5日(水)

 

 

「――ラダビノット司令……それは、どういうことですかな?」

「これは日本帝国の国内問題です。我々国連が帝国政府の要請も無しに干渉することでは……」

 

武はラダビノットと夕呼、そして珠瀬事務次官の口論をただ眺めていた。

記憶通りの口論であり、これは予定されたことのほんの一部に過ぎない。

特に自分が関わることでもないと判断し、この辺りのやり取りは夕呼たちに丸投げすることにした武だった。

 

状況は既にかなり動き始めていた。

帝都で現政権に対するクーデターが発生し、クーデター部隊は既に帝都の要所を占拠。

国の中枢である首相官邸は勿論だが、悠陽のいる帝都城も取り囲んでいた。

この状況に現政権はかなり混乱した様子だったが、クーデターを逃れた一部閣僚は臨時政府を仙台に設置する動きを見せていた。

その他に、この動きを予め察知していた米軍艦隊が相模湾沖に既に展開しており、反クーデター部隊を日本国内の国連軍基地に進駐させたいとのことだった。

そのことに関して今、夕呼たちは事務次官と口論をしているところだった。

なお当然のことながら横浜基地としては、日本政府の要請、あるいは国連安保理の決議無しではそれは不可能という回答だった。

 

「安全保障理事会の正式な決定があれば、我が横浜基地はいつでも米軍を受け入れます」

「では、後ほど……すぐに戻ってきます」

 

やがて夕呼たちの討論は一区切りがつき、事務次官は退室していった。

 

「私は発令室に戻る……博士、後はよろしく」

「はい」

 

そしてラダビノットは夕呼と少し会話を交わした後、彼も退室していった。

それを見届けた武は夕呼の隣に立つ。

 

「ここまでは予定通り、ですね」

「そうね。じゃぁ伊隅たちのところへ行きましょう」

 

そして2人も司令室を後にしたのだった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それから武と夕呼の姿は、A-01の待機するブリーフィングルームにあった。

 

「クーデター、ですか……」

 

2人の説明を聞いた彼女たちは驚きを隠せない様子だった。

何せこのご時世に起こしたのだから、何とも暢気というか、愚かというか、皆がそのような面持ちをしていた。

 

「まぁそういうことだから、伊隅たちには当然出てもらうわ」

「それで、我々はどう対応を取るべきですか?まだ米軍の受け入れは始まっていないとのことですが……」

「米軍はいずれにせよ受け入れることとなる。でもそんなことはどうでもいいわ。あんたたちは真っ先にクーデター部隊と戦闘してもらうことになる。それだけは覚悟しておいて頂戴」

「分かりました」

 

それから夕呼は視線を、伊隅から武へと切り替えて言った。

 

「それで今後の予定だけど……白銀」

「はい」

 

武は一歩前に出て説明を始める。

そして大方の説明が終わり、武は彼女たちがやるべきことを簡潔に纏める。

 

「よって我々がとるべき行動は主に2つ。1つは煌武院殿下の保護。もう1つはクーデター部隊の足止めだ」

「ですが殿下は今帝都では?帝都まで進出すると?」

 

帝都には決起軍が居座っているはずだ。

そこまで進出するとなると時間は当然かかるし、戦闘も必要以上に激しいものになることは誰でも予想がついた。

 

「万が一に備えた脱出ルートが地下にあるとのことだ。それらは帝都臨海部の離城と塔ヶ島に通じているそうだ」

 

武は用意された地図を指し示しながら言う。

 

「離城と塔ヶ島……その両方を見ることは我々だけでは不可能だと思われますが」

 

伊隅の言う通りそれぞれ両方で待ち構えるには、互いに距離が離れすぎていた。

よって部隊を分けるか、別動隊を派遣するしか選択肢はなかった。

武は決定事項を彼女たちに通達する。

 

「貴様らには離城に向かってもらう。塔ヶ島の方は神宮司軍曹指揮下の訓練部隊にやらせる。なのでそちらは気にせず、存分に離城で日頃の腕を振るってもらいたい」

「……訓練部隊を、ですか?」

 

伊隅が眉を顰めながら言う。

当然の反応だろう。

あくまでもこの国の最重要人物を迎えに行くのに、その名の通り訓練中の訓練部隊を派遣するのだから。

練度もそうだが、幾らまりもが指揮しているとはいえ不安になるのも当然と言える。

しかし武は断言した。

 

「安心しろ。あの部隊は俺が直接見ている。どうせこの後に知ることになるから言っておくが、彼女たちは本作戦終了後、全員A-01部隊に配置される予定だ。つまりそれだけ腕はいいってことだ。気にするな」

「――分かりました」

 

少し間があったが、伊隅は納得し引き下がる。

そこで夕呼が割り込んだ。

 

「言っとくけど、白銀はあんたたちとは同伴しないからね?」

「……え?そうなんですか?」

 

真っ先に反応したのは茜だった。

その声は凄く残念そうだったと、後に周りは回想している。

 

「あぁ、訓練部隊に随伴する。なので、こちらのことはお前に任せる。頼んだぞ、伊隅……信頼している」

「……はっ!」

 

色々あったのは事実だが、曲がりなりにも武から信頼していると言われた伊隅は、内心非常に嬉しかった。

彼女は元気よく返事をした。

それに頷いた武は、今度は全員に向かって告げる。

 

「では出撃準備に取り掛かれ」

「「「了解!」」」

 

A-01も伊隅に続き元気よく返事をした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

今度武と夕呼は、まりもたち207Bがいるブリーフィングルームへと向かった。

そして作戦の主な概要を説明する。

まりもが何故訓練部隊にこのような詳細なブリーフィングをするのか、という突っかかりもあったが、夕呼がそれを軽くいなして話を続けた。

 

「――以上が貴様らの作戦内容だ」

 

先ほどまりもから訓練部隊は出撃する可能性は少ない……と聞かされていた彼女たちは少々面食らったような表情をしていたが、直ぐにことの重大性を理解し真剣な面持ちに変わった。

 

「なお、本作戦行動には俺も随伴する」

「「「ッ!?」」」

 

武がついて来るということに207Bの面々は驚く。

そして全員が理解した。

それだけ自分たちの部隊の重要性が増すということを。

 

「少佐が、ですか?しかし……」

 

まりもが一応の懸念を伝えようとするが、武はそれを手で制しながら言う。

 

「心配するな。あちらのことはあちらに任せてある。軍曹、貴様は自分の教え子たちのことだけを心配していればいい」

「はっ」

 

そして武は全員の方へと向き直って告げる。

 

「聞いての通り、貴様らは実戦に赴くこととなる。一瞬の気の緩みや判断ミスが、作戦の失敗に直結することとなる――なので予め言っておく……考えるな。お前たちは黙って俺と軍曹の命令に従っていればいい。そうすれば作戦は恙なく終了する。分かったか?」

「「「はい!」」」

 

どうやら彼女たちは既に覚悟を決めたようだった。

それが声からも表情からも感じ取れた。

 

「よろしい。同じ人間相手だ。迷うこともあるし、相手の主義主張に思うところもあるかもしれん。だがその前に貴様らは軍人だ。軍人は端的に言えばトリガーを引くのが仕事だ。もう一度言うが、軍人としての義務を貴様ら忘れないことを祈る」

 

軍人としての義務。

それは先日も含めて武が最近よく彼女たちに言い含めていることだった。

 

「では各員、出撃時間までに着座調整等を済ませ、ハンガー前に集合せよ。以上、解散!」

「敬礼!」

 

千鶴の合図で全員が武と夕呼に敬礼をした。

武はそれに答え、夕呼は……今更だった。

こうして彼女たちのブリーフィングは終了した。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それから時間は少し進み、場所は戦術機ハンガーになる。

武は強化装備に着替えて、着座調整と直接整備兵たちに指示を出すべく陣頭指揮を執っていた。

そんな中、事実上武の直属となっているに等しい整備兵が不安そうに声を掛けてきた。

 

「少佐……本当にアレで出撃されるんですか?」

 

武は手元のタッチパネルから視線を外して言う。

 

「何故だ?――おい、まさか整備してないとか言わんよな?」

「いいえ!ちゃんと整備しましたとも!ですが、あれは複座型(・・・)の機体ですし、何より吹雪ですよ?本当にあれで実戦に赴くつもりですか?少佐の不知火も既に準備を完了してますし……」

 

整備兵はその複座型の機体に視線を向けながら言った。

 

「おい、それを言ったら訓練部隊の連中はどうなる。あいつらだって吹雪だぞ?それに神宮司軍曹なんて撃震だ。問題をあげたらキリがないぞ」

「まぁ……確かにそうですが……」

 

207Bの面々は訓練部隊らしく吹雪で出撃することになっている。

武は複座型の吹雪で、まりもは撃震だった。

まさしく混成部隊と呼ぶに相応しい様相を呈していた。

そこに更にもう一機種追加されることになるはずなのだが、まだその申し出は来ていない。

 

「安心しろ。全員無事に帰ってくるよ。もうお前たち整備兵に、衛士を失う辛さなんぞ感じさせないさ」

「少佐……」

 

武の言葉に何やら感動した様子の整備兵。

 

「それより着座調整だ。さっさと済ませるぞ」

「了解です!おい、少佐の着座調整を済ませるぞ!」

「「「了解!」」」

 

武の隣にいた整備兵がその他の整備兵たちに声をかけ、武の着座調整を済ませるべく行動を開始した。

丁度その時だった。

 

「白銀少佐」

「ん?」

 

後ろから声を掛けられたのでそちらを向くと、強化装備姿の真那たちがいた。

 

「香月博士よりこちらだと伺いしました」

 

4人は武に向かって敬礼をする。

それに答礼しながら武は内心思った。

 

(敬礼をしてくるなんてな……随分と俺に対する態度が和らいだものだな)

 

真那と同じ斯衛の所属になるまで、敬礼なんてされたことはないと武は記憶している。

もう随分とあやふやになりかけているが、何とか記憶している……はずだ。

まぁそういう経緯から少し驚いていたが、取り敢えず次に出てくる言葉を想像しながら聞く。

 

「何か?」

「207訓練部隊が出撃するとか……ですので我らも随伴させて頂きたく、お願いに参ったしだいです」

 

ほらね、と内心思いつつ既に考えてあった条件を告げる。

 

「こちらの条件を呑んで頂けるなら随伴を許可します」

「その条件とは?」

「出撃中は自分の……つまり国連の指揮下に入って頂きます」

「承知しました」

 

どうやら真那の方もある程度予測はしていたようで、即答だった。

それだけ想いが強いということなのだろうが、彼女の立場ではこのような案件は即答出来ないはずだ。

それを見越して武は告げる。

 

「まぁそんな気はしてましたが、即答ですか。後々軍法会議送りになっても助けられませんよ?」

「それは……少佐が関知することではありません」

「まぁいいでしょう。その辺は後でどうとでもなりますし」

 

武の言葉に真那や後ろの3人組も首を傾げた。

その意味を図りかねている様子だったが、彼は気にせず続ける。

 

「では以降、自分の指揮下にあることを条件に随伴を認めます」

「ご承諾ありがとうございます」

 

真那が腰を曲げて武に礼を言う。

後ろの3人もそれに続いた。

その直後に武は手に持っていた2つのバインダーのうち、1つを真那に手渡した。

 

「これが臨時の部隊編成です。詳細は後で強化装備に送りますが、取り敢えず確認して下さい」

 

既に用意されていたのであろう編成を見せられた真那は少しだけ目を見開いた。

 

「少佐、貴方は……」

 

丁度そこにタイミング良く武を呼ぶ声が飛んできた。

 

「少佐―!」

「分かった今行く!……出撃は15:00です。それまでに準備を整えて下さい」

 

そう言うと、武は彼女たちの元を去っていった。

その後ろ姿を真那はとても頼もしく思う反面、自らの主人が彼に思いを寄せる意味を改めて理解した。

そしてまたこの時の表情を部下たちに見られていなくてよかったと、真那は後々になって思うのだった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

また場面は変わり、武がハンガーで出撃準備を行う少し前のこと。

相模湾沖米国太平洋艦隊の旗艦、ニミッツ級戦術機母艦ジョージ・ワシントン艦内。

 

「失礼します」

 

ノックをして司令官室に入る大柄な米国人の姿があった。

階級は少佐で、この艦に同乗する米国陸軍第66戦術機甲大隊指揮官、アルフレッド・ウォーケンである。

 

「来たな、アル」

 

そう言って提督は自らの執務椅子から立ち上がり、ウォーケンを出迎えた。

 

「提督。仮にも作戦行動中です。そのように呼ぶのはおやめください」

 

アルフレッドの名前を縮めたアルという愛称で出迎える提督に対し、肝心の当人は少し眉を顰めながらやめるよう頼む。

 

「そう固いことを言うな。仮にも我々の中じゃないか。こんな時ぐらい叔父としての顔を……解った解った。そんな目で見ないでくれ」

 

提督の言葉にある通り、彼とウォーケンは親戚の間柄であった。

陸軍と海軍という違いにより中々会えないという理由から、提督は敢えてそのように振舞ったのだが、ウォーケンは軍務に実直な男である。

陸と海のユーモアの違いもそこにはあるのだが、ウォーケンにはどうやら理解出来なかったようだ。

 

眉間を更に寄せて睨む彼に、提督は苦笑を浮かべて降参というジェスチャーを送る。

しかしそれからすぐ提督はその階級に見合った威厳を放ち始め、彼の上官として振る舞い始めた。

 

「ではウォーケン少佐。今後の艦隊の方針を説明する」

「はっ」

 

提督は上から通達された事項を、彼の権限と機密開示証明(セキュリティ・クリアランス)の範囲内で説明した。

それを聞いたウォーケンは困惑の表情を浮かべていた。

 

「それは……どういう事でしょうか?」

 

そういう反応になるも仕方がないと理解しつつも、提督は淡々と告げる。

 

「言葉の意味通りだよ。我々は日本帝国政府の要請に応じ、その大規模演習とやらに参加するだけだ」

「失礼ですが提督。先ほどの帝国から受けた要請は、クーデター部隊の鎮圧だったはずでは?それがたった数時間の間に撤回されたと?」

「その通りだ。帝国政府の要請はその大規模演習への参加。ホワイトハウスはその要請を応じ、我々太平洋艦隊をその演習に参加させることを決めた」

 

日本への困惑か、それともそのような決定を下した自国への困惑か。

恐らくその両方だろうが、どちらかと言えば前者の方が強いだろう。

何せウォーケンの素性は、提督自身もよく知っているからだ。

 

「愚かな……国内にハイヴを抱え、対BETA戦の最前線だというのに国内で争い、挙句の果てに救援に出向こうという我らに虚栄心から嘘を並べるとは……」

 

ウォーケンの呆れに提督も心底同意した。

 

「まったくだ。我々の出撃費用も馬鹿にならないというのにな――そうだな、お前には少し応えるだろうな」

「それで……我々はどうすれば?」

 

ショックも人一倍なウォーケンを提督は慰める。

しかし感傷にばかり浸ってもいられないことを理解している彼は、直ぐに持ち直して指示を仰ぐ。

 

「基本的にはHQからの指示に従って演習に参加してもらうことになるが、現場での細かい指揮は少佐に一任する。それと……これを覚えておけ」

 

そう言って提督は一枚の紙切れを渡した。

そこにはアルファベットと数字が10桁に渡って羅列されていた。

 

「これは?」

 

ウォーケンは何故これを渡すのかと聞き返しながらも、しっかりとその内容を暗記する。

 

「覚えたな?なら返したまえ」

 

ウォーケンから紙切れを回収した提督は、それを灰皿の上で燃やしてしまった。

それだけの機密ということだろう。

そしてこれは1回きりのものということでもある。

 

「いざという時の保険だそうだ。現場の判断で必要に応じて使用したまえ」

「了解致しました」

「以上だ。下がってよい」

「はっ!」

 

ウォーケンは敬礼をして退室してった。

それを提督は何やら思うところがあるのか、少し眉間に皺を寄せながらも見送った。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

今度の場所はワシントン艦内のブリーフィングルーム。

ウォーケンが壇上に立ち、状況を説明していた。

場の空気がおかしいことは彼も承知の上だった。

中には貧乏揺すりをしている者もいた。

 

「以上でブリーフィングを終了する。何か質問はあるか?」

 

ウォーケンの説明が終了すると同時に早速口を開いたのは、彼の直属にあたる部下だった。

 

「少佐。これは何かの冗談ですか?」

「冗談とは?」

 

いっその事、何かの冗談だと言ってくれた方がどれだけ気楽か……というのが皆の意見だった。

勿論、真面目なウォーケンにそれは通じない。

聞き返してくる彼に、大尉は少し怒り気味という名のやや興奮状態で言った。

 

「だってこれは明らかにおかしいじゃないですか!?ジャップが体裁を整える為に用意した茶番に、我々が何故介入しなきゃならないんですか!?」

「帝国政府の要請に基づく、ホワイトハウスの決定だ」

 

ウォーケンは淡々と述べる。

それに大尉は絶句したようで、それ以上何も言わなかった。

代わりに近くにいた少尉が言った。

 

「上は何を考えてるんだ……」

 

この場にいる全員が同じ気持ちだった。

軍人は上の命令には従うが、その上が何を考えてこの命令を下したのか、それを考えてはいけないというルールはないからだ。

 

「少佐。質問してもよろしいでしょうか?」

「許可する。マクマナス中尉」

 

今度は同じくこの艦に同乗している海兵隊第318海兵戦術機隊(ブラック・ナイヴス)のダリル・A・マクマナスが質問する。

 

「装備の指定は?まさか向こうが実弾なのに、あたしらだけペイント弾を使用するなんてことはないですよね?」

 

ダリルの質問に、ウォーケンは一度全員を見回してから回答した。

 

「本演習にはC型コンテナを利用して挑む」

「いよいよもって阿保らしいぜ……」

 

先ほど同じ少尉が更に呆れ気味に言った。

C型コンテナということは、つまり実弾装備である。

演習に実弾を持って参加する。

これがどういう事か皆分かっているので、もう誰も聞き返さなかった。

ウォーケンは皆の考えが纏まったことを見越した上で最後に告げた。

 

「諸君の思うところは分かる。しかしこれは既に決定事項だ。以降は第2種警戒待機。帝国の要請があり次第、演習に参加することになる。準備は万全に整えておけ。以上、解散」

 

ウォーケンに向かって全員が椅子から立ち上がって敬礼をする。

彼はそれに答礼すると、ブリーフィングルームをさっさと後にした。

 

ウォーケンがいなくなった後、皆がそれぞれの胸の内を話始めた。

口々に馬鹿馬鹿しいだとか、意味が分からないだとか言っていた。

その中でウォーケンの直属の部下たちが、このような話をしていた。

 

「こりゃ大変だな」

「まったくだ。少佐もショックだろうさ」

「あの人の日本好きは有名だからな」

 

このブリーフィンにはウォーケン指揮下の第66戦術機甲大隊の他に、海兵隊の戦術機部隊も参加していた。

その海兵隊にすら彼の日本好きは伝わっていた。

それほど日本を愛している彼にとっては、相当ショックなことは想像に容易かった。

 

「クーデターね。うちじゃ考えられないことだな。君主制の弱点ってわけか?」

 

別にクーデターはどんな体制の国家にもあり得る話だが、確かに米国ではCIAやFBIが目を光らせているため、確かに難しい話だった。

しかし彼らの言う君主制の弱点というのも、かなりの偏見と間違いではあるのだが。

日本という国に対する他国の誤解はよくある話だ。

 

「だがそのトップも傀儡だって話だぜ?」

 

ただしこの情報に関しては、あながち間違いではなかった。

 

Jesus(ジーザス)。米国バンザイってやつだな」

「相変わらずの皮肉屋だねぇ」

 

そしてウォーケンの部下たちはブリーフィングルームを後にした。

一方、海兵隊側でも似たような話になっていた。

 

「しかし日本帝国(インペリアル)も中々に呑気ですね」

「まったくだよ。こんな時に内乱とはね……でもまさか、分遣隊のあたしたちにも出撃命令が降りるとはねぇ」

 

話をしていたのは、先ほどウォーケンに向かって質問をしていたダリルとその部下であるウィルバート・コリンズ少尉だった。

 

「それだけ切羽詰まってるって事ですかね?」

「ウィル坊。あたしたちの本来の目的を忘れたかい?あたしらはそこにいる第174の連中とは違う。なのに出撃命令が下る……容易なことじゃないだろうさ」

 

ダリルの言葉にもあるように第318戦術機隊の任務の内容は、同じくこの母艦に同乗している第108戦術機部隊とは違った。

第318戦術機隊の本来の任務は後に判明することになるが、ウィル以上に情報をあたえられているはずのダリルでさえ、今回の出撃の意味が分からないというのは、彼にとって意外だった。

 

「ま、どんな任務であろうと全力を尽くすのが、あたしたちの海兵隊(マリーンズ)の本領だよ。しっかりしとくれよ、指揮官候補様?」

Yes,Ma’am(イエス・マム)

 

こうして彼らも出撃準備に取り掛かるのだった――。

 



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Episode34:冬の目覚めⅡ

Episode34:冬の目覚めⅡ

 

 

2001年12月5日(水)22:27

 

 

横浜基地を15時に出撃した207戦術機甲中隊は、神奈川県の塔ヶ島の離城に到着していた。

既に離城周辺に各部隊の展開及びHQとCPも設置を終了していた。

その展開する部隊の基幹となっているのが、先ほどの207戦術機甲中隊である。

臨時編成された207戦術機甲中隊は、その基幹となった207B訓練小隊に第19独立警備小隊、そしてまりもと武を組み込んだ部隊である。

中隊には定員が1名不足しているが、まぁそこは気にしない。

以下が207戦術機甲中隊のコールサインと編成である。

 

●207戦術機甲中隊●

20700白銀武:複座型吹雪

20701神宮司まりも:撃震

20702榊千鶴:吹雪

20703御剣冥夜:吹雪

20704鎧衣美琴:吹雪

20705彩峰慧:吹雪

20706珠瀬壬姫:吹雪

20708月詠真那:武御雷(赤)

20709神代巽:武御雷(白)

20710巴雪乃:武御雷(白)

20711戎美凪:武御雷(白)

 

部隊の指揮官には武が就任していた。

因みに戦術機というのは2機連携を基本にしているが、それに則って編成した場合、これでは1機余ってしまう。

それは戦術機の戦術的な運用面で言えば、完全な下策となってしまうが、この編成における余った1機とは武のことである。

彼は敢えて誰とも2機連携を取らなかった。

連携訓練をそもそもしていないというのが主な理由だが、この場合の武はソロで独自行動を取った方がやりやすいというのが本当の理由だ。

なおコールサインで07が抜けているのは、207との混同を避ける為だ。

いらぬ心配かもしれないが、207Bは初めての実践だ。

心配し過ぎには越したことはないだろう。

 

207戦術機甲中隊は今、離城を取り囲む形で展開しており、交代で休息を取りながら哨戒の任についていた。

そんな中、武はただ1人戦術機を降りて、離城の裏門前に立っていた。

理由は、とある人物を待っているからだ。

でなければ誰が好んでこんな雪景色の中、強化装備姿で待っているものか。

無論、強化装備のおかげで特に寒いわけではないが、流石に唯一露出している頬が凍ってしまう。

今日の雪は予報通りで、しかも初雪である。

初雪のくせにやけに寒いのは、BETAの糞共のせいで天候が少し狂っているせいかもしれない。

そう言えば12・5事件の時は必ずどの世界でも雪だった。

何か関わりでもあるのかと少し疑いかけた武だが、所詮は天の摂理である。

気にする必要はないと思い至った。

はて、この12・5事件は彼にとって何度目になるのか……それは本人しか知らない。

 

暫く雪の中で待っていると、近くで枯れ枝を踏み折った音が耳に入った。

 

「時間通りかな?」

 

武がそう呟き、一応遠隔制御で吹雪の暗視モニターにリンクして確認する。

そこには2つのシルエットが映っていた。

時間と来た方角から誰が来たのか察しは付くが、念の為ホルスターから拳銃を抜いて準備をする。

後ろに回り込んで2つのシルエットに銃を向けた。

 

「止まれ。両手を頭の後ろにつけて、ゆっくりとこちらを向け」

「なッ!――銃を向けるとは何事です!」

 

この声には聞き覚えがあった。

この時点で相手が誰か察しはついているのだが、軍人として銃を簡単に下げるわけにはいかないので続ける。

 

「ここは民間人立ち入り禁止区域だ。姓名を名乗れ」

「控えなさい無礼者!」

 

侍従が一歩前に出て罵る。

銃を前にして相変わらず気の強い人だな……と内心武は感心していた。

 

「おやめなさい。良いのです」

 

しかしそこでようやく悠陽が仲裁に入ってくれた。

 

「なッ!?しかし殿下!」

「私はこの者を存じています。白銀少佐……出迎え、大儀であります」

 

悠陽が前に出てきたことで、武は即座に銃をホルスターに戻して敬礼をした。

 

「はっ。光栄であります、殿下」

 

しかしもう1人影に隠れていることに武は気づいていた。

後ろを向いて告げる。

 

「鎧衣課長……姿を見せて下さい」

 

すると木の影、色々な意味で死角となる位置から鎧衣が姿を見せた。

 

「相変わらず鋭いな。白銀少佐」

「何故貴方もこちらに?」

 

計画とは違う……とは口にしなかった。

何故なら横にいる侍従は何も知らないからだ。

それを鎧衣は察して遠回しに言った。

 

「帝都で戦闘が発生してね。殿下の護衛も兼ねてこちらにやってきたのさ」

 

武は少しばかり目を見開くが、直ぐに鎧衣同様事態を察して告げる。

 

「なるほど。それで脱出してきたわけですか……こちらに来る際、脱出情報はリークを?」

「あぁ。それで帝都での戦闘は概ね集結したようだ――殿下、以降は白銀少佐の戦術機のコックピットにお乗り下さい。そちらのが一番安全でしょう」

「なッ!鎧衣課長、何を考えているのです!」

 

驚く侍従に鎧衣が訳を説明した。

その説明に侍従は渋々と納得し、武を見てやや睨み気味に言う。

 

「白銀とやら。しっかりと殿下をお守りするのですよ?」

「お任せ下さい」

 

言われずともそうするのが武の任務である。

 

「では殿下、私と侍従長はこれで」

「はい。其方たちも気を付けて」

「ありがとうございます」

 

こうして鎧衣と侍従は去っていった。

その背中を見送りつつ、武は悠陽に言った。

 

「――殿下、コックピットに強化装備一式を準備しております。先にそちらでお着替え下さい。終わりましたら連絡をお願い致します」

「分かりました」

 

悠陽は着替えをする為に、戦術機に備え付けられた昇降装置を使って吹雪のコックピットに登っていった。

それを武は横目で確認しつつ、通信をCPにいるまりもに繋いだ。

 

「00よりCPへ……最優先処理だ」

 

そして悠陽を保護したこと、侍従と鎧衣がそちらに向かったことを告げ、これからの対応の指示を出す。

 

『白銀、待たせました』

 

暫くして悠陽から武のヘッドセットに通信が入った。

それに返事をして武も吹雪のコックピットに戻る。

 

2人共着座して発進準備を整える。

実は武がわざわざ複座型の吹雪を、夕呼に頼んで発注したのはこの為でもあった。

コストの観点から、この為だけに複座型の吹雪を発注するのは中々にリスキーであり、実は他の目的もあって複座型を用意したのだが、それはまた別のお話。

武の耳に引き続き通信が入ってくる。

 

「00了解。HQにはその旨、しっかりと伝えておいてくれ」

 

武は通信相手をCPから部隊間のものに変え、自分以外の出撃準備が整うのを待った。

暫くして準備完了の報が届く。

 

『了解。では――207戦術機甲中隊、発進!』

 

武の合図で一斉に全機が飛び立っていった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

今、207戦術機機甲中隊は熱海新道跡より伊豆スカイラインに入り、冷川料金所跡へと向かうために南下を開始していた。

決起軍は帝国軍厚木基地を墜として南下を開始。

明神ヶ岳山でも帝国軍と交戦中。

決起軍主力は東名高速道路跡と小田厚木道路跡の2方向から武たちに迫っていた。

既に横浜基地とこの離城を結ぶ線は決起軍に制圧、或いはその勢力下にある為、直接陸路で横浜基地に向かうことは叶わない。

よって半島を南下し、白浜海岸で横浜基地所属の第11艦隊と合流、海路で横浜基地へ向かうという選択肢を取ることになった。

全ては状況を鑑みた武の判断だ。

 

『各機、現在の速度を維持。稜線を超えないよう注意しろ』

 

武が207戦術機中隊に指示を飛ばすのを、悠陽はずっと黙って聞いている。

理由は幾つかあるが、何より彼女の心を支配しているのは武の操縦技術に対する驚きであった。

山々の間を縫うようにして跳び、どんな挙動を取ろうと機体がブレることは一切なく、また戦術機の脚部が常に足元に生えている木々を撫でている。

悠陽もそれなりに戦術機に乗っているから分かる。

武の操縦技術は超一流だと。

悠陽もヘッドセットをしているから、武が受信している通信も彼女には聞こえる。

その通信が一度落ち着いたところで、悠陽は武に問う。

 

「白銀……其方はどこでこのような操縦を?私が見てきた中でも、其方の操縦技術は群を抜いて……いえ、間違いなく世界トップクラスのものでしょう」

「以前お話した新OSの賜物です」

 

既に悠陽はXM3の存在をかなり前に武から直接聞いているし、その詳細についても講義を受けている。

前述のように悠陽も一介の衛士である。

XM3に非常に大きな期待と興味が湧いていた。

今日こうして初めてXM3に間接的に触れたわけだが、彼女の中の期待と興味は更に高まった。

だが、それ以上に気になるのが武の操縦技術についてである。

この歳であの鬼才、香月夕呼の副官を務め、少佐と言う地位についているというだけで、その才能の片鱗は見えていたし、これまで接してきてそれに相応しい、いやそれ以上の才能を持っていることは分かっていた。

しかしこうして戦術機の操縦にまで触れて、今日完全に確信したことがあった。

この男は、間違いなく天才だし英雄というに相応しい才覚を持っていると。

 

「それだけではない気がします。確かに今日初めてXM3搭載の戦術機に乗り、この新OSへの期待は確信に変わるものがありましたが……これ程までに大胆にして繊細な操縦は、才能というに他ならないでしょう。いえ、それ以上のモノがあります。残念ながら私にはこの感動を他の言葉にして言い表すものを持ち合わせていません」

 

悠陽は心の底からそう思い、賛辞を送った。

 

「お褒め言葉、大変恐縮です殿下。しかし私はこれの為に大変長い時間を費やし、そして失ってきました。この成果は、すべて今は亡き戦友たちの賜物でしょう」

 

だが当の武はその賛辞を辞するのみならず、戦友たちのおかげだと即座に言い切った。

 

「白銀……やはり其方は……」

 

以前から分かってはいたが、悠陽は改めて確信する。

この者は、武は十字架を背負って生きているのだと。

 

『4時方向より機影多数接近!稜線の向こうからいきなり!』

 

丁度その時、20704、つまりは美琴から通信が入った。

どうやら決起軍の先行部隊が追い付いてきた様子だった。

 

(何事も予定通りにはいかないか……予想よりもかなり早い。流石に練度はあるということか……)

 

或いは自分たちの把握していない部隊の存在があったか。

いずれにせよ、これらの部隊を掌握して支持を得ている沙霧の実力を思い知った武だった。

沙霧にはただ予定通りクーデターを起こすようにしか言っていない。

自分の思った通りにクーデターを主導するに伝えてある。

そうすれば後はこっちで勝手に処理するから、細かいことは気にしないようにと。

 

しかもかつてとは違い、今回の悠陽は強化装備を着て尚且つ戦術機に着座している。

つまり行軍速度は段違いで早くなっている。

にも拘らず追いつかれたということは、相手の練度が高いばかりでなく、こちらの行動を予測したということだ。

 

「それだけの才能をクーデターで無駄にしやがって……力の入れどころが違うだろうに。沙霧!」

「ッ!?」

 

武は思わずそう呟いた。

それに悠陽が驚くが、当人はそれに気づかない。

 

『国連軍及び斯衛部隊の指揮官に告ぐ。我に攻撃の意図は非ず。繰り返す。攻撃の意図は非ず。直ちに停止されたし――貴官らの行為は、我が日本国主権の重大な侵害である』

 

その時オープンチャンネルで追撃部隊から通信が入った。

当然無視する。

 

『00より207各機、陣形を維持し最大戦闘速度!』

『『『了解!』』』

 

暫くの間、引き続き追撃部隊からの勧告が入るが、こちらが速度を上げて停止する意思がないことが伝わるとやがて何も言ってこなくなった。

そして勧告が止むと同時に前方に機影が多数表示された。

 

『回り込まれた!』

 

通信で回り込まれたことに対する動揺が部隊内に広まる。

正確には207Bの連中だが、武はすかさず通信に割り込む。

 

「落ち着け!ブリップマークが小さい。あれは味方だ。各機、陣形を崩さずそのまますれ違うぞ」

『『『了解!』』』

 

やがて前方の機影がハッキリすると同時に通信が入る。

 

『こちらは米国陸軍第66戦術機機甲大隊――速度を落とすんじゃない!早く行け!』

『ここは任せろッ』

 

すれ違いざまに米軍機とやり取りをする。

 

「207リーダー了解。よろしく頼む」

『作戦に変更はない。安心して行け』

 

ラプターとF-15E(ストライク・イーグル)の混成部隊が武たちとすれ違う。

流石にラプターもいれば容易くは抜かれないだろうと思う。

その直後、再び通信が入る。

 

『──207戦術機甲中隊に告ぐ。私は米国陸軍第66戦術機甲大隊指揮官、ウォーケン少佐だ』

 

武にとっては何度目になるか分からない、お馴染みの人物が網膜投影に映し出される。

 

『現在、我がA中隊が時間を稼いでいるが、彼我の戦力差を考えれば楽観できる状況ではない。我々は亀石峠で諸君らの到着を待つ。到着次第、補給作業を開始する。可及的速やかに合流せよ──以上だ』

 

実直さはどの世界でも変わらずのようにで、必要最小限の通達が行われた。

 

『207リーダー了解――00より各機、亀石峠まで最大戦闘速度を維持だ。後ろは気にするな、いいな?』

『『『了解!』』』

 

どうやら207Bの面々もある程度冷静さを取り戻したらしく、全員が元気よく返事をした。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

武たちが米軍とすれ違っている丁度その頃、明神ヶ岳山を突破し伊豆スカイライン跡を南下し続けていた決起軍は、米軍との激しい戦闘の真っ只中であった。

 

『糞っ!機体のあちこちが悲鳴をあげてらぁ!』

『流石に米軍もタダじゃやられてはくれねーか!』

 

口々に文句を言う決起軍の不知火所属の衛士たち。

しかし口も達者ながら、衛士としての腕も中々に達者なようで、僅か1個小隊の戦術機で2個中隊規模の米軍の戦術機部隊を相手にしていた。

 

「おいお前ら!相手が第2世代だからって油断するんじゃねぇぞ!」

 

米軍の戦術機は傑作機と評判な、世界に名だたるストライク・イーグルであった。

対して決起軍は世界初の第3世代機である不知火であった。

普通に考えればストライク・イーグルで不知火に構うはずがない。。

しかし数的不利というのは、練度の差をある程度補うことが出来る。

何より相手は世界的に見ても最高峰の練度を誇る米軍の衛士たちだ。

僅か1個小隊の不知火で2個中隊規模のストライク・イーグル、全てを相手にするのは中々に難しい話だった。

そこで彼らが選んだ手は中央突破というセオリー通りの戦術だった。

目的は米軍にかつての恨みを晴らすことではない。

彼ら日本人の象徴、煌武院悠陽殿下を迎えに行くことだった。

 

『ちぃ!如何せん、数が多い!』

 

元々中隊規模だったこの部隊が4機にまで減ったのは、無論撃破されたのもあるが、度重なる突破や追撃に部隊を割いていったことが原因だった。

もう何度目か分からない突破を、彼らは再び演じようとしていた。

 

「村松ゥ!右だッ!」

 

そのうちの1機が背後に回り込まれ突撃砲を向けられた。

それに仲間の1人が叫ぶが時は既に遅かった。

 

『くッ!?』

 

村松と呼ばれた女性衛士は咄嗟に右に向き直り、せめて相打ちに持ち込もうと突撃砲を向けようとするが間に合わない。

彼女は死を覚悟した。

思い残すことと言えば、敬愛する隊長にまだ自分の気持ちを打ち明けていないことだけだった。

しかし何故か敵の突撃砲は放たれなかった。

敵の戦術機が吹っ飛んだのだ。

 

『今ので貸し1つだ。帰ったらそのでけぇ乳揉ませろや!』

 

どうやら仲間の1人が助けてくれたらしい。

状況をすぐに理解し彼女は戦闘に復帰する。

思考停止に陥らないあたり、流石は歴戦の衛士といったところだろう。

だが今度は仲間が別な方向から突撃砲を向けられていることに彼女は気づく。

 

『生憎、もう予約でいっぱいでね!……そこっ!』

 

今度は彼女が自身を助けてくれた衛士のピンチを救った。

 

『これで借りは返したよ』

『糞ッたれ。まーた揉み損ねたぜ』

 

お互いに軽口を叩きながらも戦闘を続ける。

 

「お前ら上出来だ。もう一押しだぞ」

 

中央突破という戦術上、囲まれやすいのは自明の理。

しかしそれを全員理解しているからこそ、互いに背中を預けて彼らは戦っているのだ。

隊長の一言からすぐあと、何とか突破に成功したようだ。

 

「よし、突破は成功だ!お前ら先に行け!ここは任せろ!」

 

敵中を突破し目的である南下をしながら、隊長が足止めも兼ねた殿をすると言い出した。

確かに状況から言って殿は必要だろうが、たった1機でどうするというのだろうかと全員がそう思った。

 

『えっ?』

『しかし隊長!』

 

だが即座に全員が理解した。

隊長の機体は跳躍ユニットに被弾している。

長距離飛行は困難なのは明らかだった。

 

「馬鹿!俺たちの目的を忘れたか!お前たちで殿下をお迎えに行け!なーに心配はいらんよ。すぐに追いつく」

『……』

 

全員が彼の意図を理解した。

 

「分かったらさっさといかんか!」

『隊長!』

 

村松が諦められないと彼のことを呼ぶ。

2人の衛士は少し暗い顔をした。

何故なら村松が隊長を想っているのは誰もが知っていたからだ。

 

「いかんか馬鹿者!」

『……はい!全機、俺に続けぇ!』

 

隊長の次に位の高い衛士が先導して、村松ともう1人の衛士を連れて飛び去っていった。

彼は跳躍ユニットの出力を落とし、それからすぐに反転する。

直ぐに体制を立て直し、追撃に移っていた米軍部隊の前に彼は立ちはだかった。

 

「ここから先は一歩も進ませんよ」

 

隊長は突撃砲を放ちながら追撃してくる米軍部隊に突っ込んだ。

跳躍ユニットに被弾しているので機動に制限がかかる中、彼は精一杯戦った。

 

「糞ッ!ヤンキー共、やるじゃねぇか!」

 

時間にして僅か数十秒稼いだ程度だが、それでも数十秒だ。

多少の時間稼ぎにはなっただろう。

もとより当人は捨て石のつもり。

ここまでやれれば充分だった。

 

「ぐはッ!?」

 

更に被弾し、機体の制御ももうかなり覚束なくなっていた。

 

「ここまでか……」

 

彼がそう呟いた直後、目の前にいる米軍の戦術機の突撃砲が火を噴いた。

完全に直撃コースだった。

隊長の身体をとてつもない衝撃が襲う。

機体は吹っ飛び地面に倒れ込んだようだ。

 

「うぅ……まだ生きている、か……」

 

ところが確実に致命傷だと思われたその米軍の攻撃は、どういう訳かコックピット、即ち管制ブロックを貫くことはなかった。

死を覚悟していたものだから、てっきり次の意識の覚醒先は地獄か冥途だと思っていたが、どうやらまだ意識は今生の世界にあるらしい。

網膜投影に映し出される機体情報は完全に大破判定だった。

状況を確認して彼は呟く。

 

「まさか生き残っちまうとはな……」

 

元々、彼は妻や子供をBETAに殺害され、天涯孤独となった身の上だ。

この国を変えるクーデターに全てを捧げていた。

そして願わくばクーデターの戦闘中に死んで、冥途にいる妻や子供に会いにいくつもりだったのだ。

 

「はっ……俺も存外、悪運が強いらしい」

 

彼は拳銃を取り出し、その拳銃を優しく撫でた。

これからこれを使って旅立つつもりなのだ。

 

「故郷には少し遠いが……最後に故郷の雪景色でも拝んでおくか……」

 

クーデターに参加したからには死を覚悟していた。

それが例え処刑であろうと。

クーデター側、つまり自分たちの旗色も少し悪いように感じていた。

成功することに越したことはないが、どうせこれが死に場所と決めていたのだ。

言葉にように最後に愛する国の、そして故郷の景色を見て死のうと決めた。

そして管制ブロックを開放し外に出た。

ところが彼は目の前に広がっているまさかの光景に驚愕し、啞然とした。

 

「……何だ、こりゃぁ……?」

 

今度は振り返り天を見上げるが、そこには何の変化もなかった。

 

「……一体、どうなっていやがる……」

 

彼はこの目の前に広がる到底信じられない光景にただ立ち尽くすだけだった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

亀石峠に到着後、米軍の指示に従って補給を開始した207戦術機機甲中隊。

その途中、先ほどの米軍機から通信が入った。

 

『こちらは第66戦術機機甲大隊、アルフレッド・ウォーケン少佐だ』

「こちらは207戦術機機甲中隊、白銀武少佐です。まずは助力に感謝します、ウォーケン少佐」

 

あちらの網膜投影に武の顔が映ったのだろう。

随分と怪訝な顔をされた。

普通に考えればそうだろう。

少佐という地位にこのような若造がついているのだから。

 

『……これが我々の任務だ。故に感謝は不要だ――ところで白銀少佐。以降はこちらの指揮下に入ってもらいたいのだが……』

 

米軍はすぐに自分の指揮下に置こうとする悪い癖さえなければ、よい軍隊だと言えるだろう。

だがそれも当然だろう。

彼らには自身が最上の軍隊だと信じて疑わないし、それは名実ともに事実である。

部隊の展開力に補給能力、攻撃力において国連軍と同等か或いはそれ以上の軍隊なのだから。

 

(まぁあちらさんは大隊で、こっちは混成の中隊。当然っちゃ当然だけど、それをしたらこの作戦そのものが破綻してしまうしな)

 

武はそう思ってウォーケンに返す。

 

「申し訳ないですがそれは出来ない相談です。こちらは国連軍、ましてや横浜基地所属の部隊です。米軍の指揮下に入ることは禁じられています」

『そうか……』

「なので随伴部隊として行動を共にするというのはどうでしょうか?」

 

武の提案にウォーケンもある程度予想はしていたのだろう。

直ぐに返事が返ってきた。

 

『……了解した。では協力部隊として随伴させてもらおう』

「結構です。では以降についての段取りですが……」

 

武はウォーケンとこれからの段取りについて協議を始めた、その時だった。

この場にいる全ての戦術機のレーダーに反応があったのだ。

しかしアラート音は一切しない。

簡易的なよくある、そしてよく聞く通知音が全員の耳に響く。

 

『……なんだ?』

 

全員の意識がそれによって網膜投影のレーダーへと移る。

網膜投影システムは凝視することで、その凝視された内容をアップで表示する。

アップになって表示されたのは、世界最大の航空機であるアントノフ225ムリヤの情報とそれらがこの辺り付近一帯を通り過ぎたということだけだった。

つまりは友軍機が上空を通り過ぎたということだった。

 

『帝国軍671航空機輸送隊?作戦参加は聞いていないが……』

『帝国軍……671……ッ!?』

 

ウォーケンの言葉にまりもが驚いた声を発した。

 

『――?軍曹どうした、報告せよ』

『ウォーケン少佐……671輸送隊は厚木基地所属の部隊です』

 

驚きで次の言葉を発することができないまりもに変わり、真那が彼女の言葉を引き継いだ。

 

『少佐……あれは……恐らく……』

 

まりもが事の真実を告げようとしたその時だった。

上空を通過した無数のムリヤから戦術機が投下されたのだった。

そしてそれらはすぐに体制を整え、跳躍ユニットを噴射して地上に降り立とうとする。

 

『――空挺作戦(エアボーン)だと!?ばかな……あり得んッ!』

 

この場にいる全員が事の真相を今ハッキリと理解した。

 

『……完全にしてやられた。戦術機の空挺……ましてや危険空域での航空機使用などあり得ないという、硬直化した思考の隙をつかれたのだ』

 

そう、真那の言う通りだった。

ここは甲21号目標、即ち佐渡島ハイヴの光線級の射程範囲内である。

つまり空を飛ぶものがあれば、何であれ撃ち落されてしまうのだ。

しかし例外は存在する。

それは地球の地平線の向こうであれば撃墜されないということである。

この場合、山の稜線の影になる部分を飛行してここにやってきたということである。

だがそれは非常に危険な行動である。

一歩間違えれば墜落しかねない高度で飛んできたのだから。

誰もこのようなことを予想しえなかった。

流石の米軍もこれは想定外だったようだ。

この場にいるただ1人を除いて。

 

「流石は沙霧……やってくれたな」

『白銀少佐……?』

 

武の呟きにウォーケンは様々な意味で疑問を覚えた。

まずは武が先ほどまでの丁寧な言葉遣いからやや口調を変更していたこと。

そして沙霧を知っているかのような言い方であったこと。

だが彼が何より気になったのは、まるでこの状況を読んでいたかのような物言いであったことだ。

 

「こうなる前に亀石峠を抜けるつもりだったんだが……いやはや、してやられたとはまさにこのことだな」

『白銀少佐!何を呑気なことを……ッ!?』

 

ウォーケンは驚いた。

いやウォーケンだけでない。

この場にいてこの通信を聞いていた誰もが驚いた。

この状況を、まさか危険空域での空挺作戦を予想していたというのか。

そしてこの危機的とも言える状況に、ウォーケンの言葉を借りるなら呑気な、マシな物言いをすれば落ち着いているということに皆は驚いた。

 

丁度その時、受信可能な全ての通信に音声が流れてきた。

 

『――国連軍指揮官に告ぐ』

 

その声はどこかで聞いたことがあるようなそんな声だった。

 

『私は、本土防衛軍、帝都守備第1戦術機連隊所属の、沙霧尚哉である』 

 

しかしその正体はすぐに判明した。

相手が自ら名乗ったからだ。

まさかの首魁の登場にウォーケンは驚きの声を出す。

 

『なんだとッ!?』

 

いよいよ、冬の目覚め作戦も大詰めを迎えていた。

それがハッキリと分かった武は、皆が驚くこの状況の中で唯一口角を吊り上げていた――。

 



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Episode35:冬の目覚めⅢ

Episode35:冬の目覚めⅢ

 

 

2001年12月6日(木)02:04

 

 

『白銀少佐……今、何と言った?』

 

ウォーケンは心底信じられないという驚きの声を発した。

 

「ですから、沙霧大尉の申し出を受けると言ったのです」

 

武たちは今、決起軍の空挺降下によってできた包囲網の中にいた。

そして彼らは武たちに向かって1時間の休戦を申し入れてきたのだった。

 

『ッ!?貴官は正気なのか!?今ならばまだ、敵の包囲を突破することが可能なのだぞ!』

 

付け加えるならば包囲網だけでなく、降下してきたばかりで敵の戦闘準備も万端ではないという利点がある。

にもかかわらず、武は沙霧の休戦の申し出を受けるという。

正直なところ、ウォーケンは先ほど空挺降下を予測していた男と同一人物なのか疑いたくなった。

やはり若造ということなのかと。

 

「準備が整っていないのはこちらも同じことです。我々の部隊の補給は済んでいません。特に俺の機体なんてエンプティランプが点灯しっぱなしです」

『何と愚かな……』

 

思わずウォーケンそう口にした。

すると武は平然と言い切った。

 

「もとよりこれは既定事項です。この演習(・・)は元来そういうものですよ」

『貴様ッ!』

 

表情1つ変えずに話す武に、ウォーケンは怒りが頂点に達する。

まさに一触即発と言った状況に、周りの心底ひやひやしていた。

しかしそんな2人の間に割って入った人物がいた。

 

『――双方とも、そこまでです』

 

全員の網膜投影に1人の女性が映し出された。

 

『ッ!?』

 

煌びやかな紫髪を結い上げ、見る人を誰でも魅了してしまう透き通った瞳を持つその女性は、こう名乗った。

 

『貴女は……』

『私は、日本帝国政威大将軍、煌武院悠陽と申します』

 

まさかの人物の登場に皆が驚きを隠せなかった。

一瞬フリーズしかけたウォーケンだったが、流石は軍人というべきか直ぐに持ち直し、まるで早口言葉を言うかのように挨拶をした。

 

『で、殿下!この度は拝謁の栄誉を賜れましたこと、望外の喜びであります!小官は米国陸軍第66戦術機甲大隊指揮官、アルフレッド・ウォーケン少佐であります。モニター越しの会話という非礼、どうか平にご容赦ください!』

 

悠陽はいつも通りの笑みを持って答えた。

 

『ふふ、ウォーケン少佐。此度は貴隊及び貴国の助勢、心より感謝を申し上げます』

 

まさか悠陽から労いの言葉をかけてもらえるとは思っていなかったのだろう。

それを聞いたウォーケンは感極まった様子だった。

 

『な、なんと勿体無きお言葉……恐悦至極に存じます!』

 

そんなウォーケンに悠陽は先ほどとは打って変わり、厳格な雰囲気を持って話し始めた。

 

『ところでウォーケン少佐、先ほどの白銀少佐の言、あれは私の意でもあるのです』

『はっ?……殿下、それはどういうことでしょうか?』

 

ウォーケンは怪訝そうな表情をする。

 

『此度の一件は、全ては私の不徳が成した事柄。一国の政を預かる人間として、私は彼ら決起軍の想いに応えなくてはなりません。彼らとて我が国の民。彼らの言葉を聞くこと、それが私の今成すことが出来る唯一の行いでしょう』

 

悠陽は胸に手を当て、自らの想いを口にした。

しかしウォーケンは反論する。

 

『……殿下、無礼を承知で申し上げます。無法の徒の言葉に耳を貸す必要などありません。彼らは自らの行いを正当化する為に、殿下を擁しようとしているに過ぎないのです。国は法の下に置かれるべきであり、法の下に秩序があります。そして法によって人は裁かれるものです。これが現代国家の常であります』

 

ウォーケンの言っていることは最もだった。

最も過ぎる言葉だった。

もしかつての悠陽だったら、ウォーケンの言い分に賛同しただろう。

だが今は違う。

それは武に聞かされたとある老婆の話からそう思うようになった。

武が悠陽にひょんなことから話したのが、あの天元山の老婆の話だったのだ。

噴火の危険があるからその麓にいる人々を退避させねばならないが、それを拒否する者たちがいる。

理由は祖先から受け継いだ土地を、そして家族の帰る場所を護りたいということだった。

武は悠陽に問うた。

貴方ならどうするのかと。

悠陽は答えた。

その答えを聞いた武は笑った。

悠陽は何故笑うのか武に聞いた。

すると武はこう言った。

殿下も彼女と同じ答えで安心しました、と。

呆然とする悠陽に武はこう続けた。

軍人である以上、私の立場は決まっておりそれは殿下も同じこと……ただ、それが本当に正しいことなのでしょうか?と。

それから悠陽は昼夜を問わず考えた。

そして導き出した結論をこの場で述べることにした。

武にも己の考えを聞かせたかったから。

 

『そうですね……ウォーケン少佐、貴官は正しい。正しいが故に見えておりません。民はそれぞれが想いを持って生きるもの。想いとは、人々の根底を成す言わば生きる指針。その想いは例えどのような立場にあろうとも、決して否定してはならぬのです。私は民の想い受け止め、その者たちと共に進むべき道を模索すること。それが政威大将軍である私の務めであるのです』

 

皆が政威大将軍としての悠陽の覚悟を聞き、戦慄が走った。

ただ、その中で唯一……武のみが優しく微笑んでいたが、誰もそれに気付いていなかった。

ウォーケンは戦慄と同時に武者震いを覚え、操縦桿を強く握った。

これが、日本の為政者なのかと――。

しかし彼も合衆国に従う軍人であることを思い出し、意を決して告げる。

 

『……殿下の御考え、しかと理解致しました。ですが私も合衆国に忠誠を誓った軍人です。上の命令には従う義務が――』

 

そこで武が突如として割り込む。

 

「失礼、ウォーケン少佐。アクセスコード、AN4CS086PH」

『ッ!?貴官が何故それを!?』

 

当初割り込まれた事に眉を顰めたウォーケンだったが、彼の言葉を聞いて驚きを隠せなかった。

 

「今すぐ確認を。演習前に太平洋艦隊司令から通達があったはずです」

『あ、あぁ……』

 

動揺が収まらない様子だったが、何とかコードを打ち込み内容を確認する。

すると一瞬だけダウンロードのようなローディングが起こり、映像が乱れながらも命令書が開かれた。

 

『これは……ッ!?どういうことだ?』

 

その中身を見て更に驚くウォーケンだったが、武は淡々と事務作業をこなす様に告げる。

 

「確認しましたか?」

『あ、あぁ……以降は貴隊の指揮下に入り、演習を遂行するようにと……』

「では、そういうことです。以降の演習内容を通達します」

 

演習内容という名の、今後の予定計画が皆に告げられた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

時は少し戻り、武たちが沙霧の空挺作戦により包囲される少し前。

場所はオルタネイティヴⅣの心臓部である国連軍横浜基地。

 

「急げ!万が一のことも考えて、補給体制を万全にしておくんだ!」

 

武の207戦術機甲中隊やA-01部隊などの主力が不在であっても、横浜基地の人員は非常に忙しかった。

安保理の決議で米軍を受け入れているため、彼らへの支援体制も整えておかなければならないからだ。

知っての通り米軍はその規模のみならず、練度や補給能力、展開力などすべての面において世界随一の能力を持っている。

つまり国連から米軍への支援など殆ど必要ない。

彼らは自前で何でも用意出来るからだ。

しかし協力関係にある都合上、彼らへの支援体制を整えない訳にはいかない。

なので基地に残っている整備兵やそれ以外の兵員は今、必死に米軍という巨大な軍の為に無駄になるかもしれないと承知しつつ、支援体制の準備を行っているという訳だ。

 

「違う!そのK8コンテナは滑走路の方だ!後、E17番も忘れるなよ!」

 

この辺一帯の補給や整備の状況を預かっている熟練の班長の怒号が飛ぶ。

彼の指示に従って多数の人が右往左往していた。

そんな中、1人の班員が後ろから声をかけた。

 

「班長!この黒いコンテナ邪魔なんでずらしたいんですが、どこか空いている場所ないですか?」

 

後ろを振り向き、その班員の言うコンテナが何かを確認してから班長は言う。

 

「馬鹿野郎!よく見ろ!それは米軍のコンテナだ。俺たちが触れていい代物じゃねぇ」

「でも……ここに置かれると凄く邪魔なんですけど……」

 

確かに彼の言う通り、その米軍の黒いコンテナはまるで図ったかのように他のコンテナの輸送の邪魔になる位置にあった。

 

「それは百も承知だ。だが、後で面倒なことになりたくなきゃ触れない方がいい――いや、待て。その隣のN9コンテナは動かしていいぞ」

 

班長は資料を捲りながら黒いコンテナの横にある、緑のコンテナを指さした。

 

「これですか?」

 

班員が指されたコンテナを叩きながら言った。

 

「あぁ。それは米軍との共用コンテナらしい。そうだな、取り敢えずBゲート付近の、邪魔にならない位置にずらしておけ」

「了解です――おい、そこのリフト空いたらこっちだ!」

 

班長は向き直り指示の続きを出そうと資料を捲る。

そこでふと疑問が頭をよぎった。

 

「米軍との共用か……なんでまた……まぁ考えても仕方ねぇ。次だな」

 

滅多に見ない米軍との共用コンテナに、多少なりとも疑問が浮かんだ班長だったが、まずは目の前の仕事を処理することを優先し、終ぞそのことを思い出すことはなかった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

そしてまた時が進み、武たちの元へと戻る。

 

「……其方が沙霧大尉ですね?」

 

降着姿勢を取った4機の戦術機があり、そのうち2機が不知火、そしてもう2機は吹雪と武御雷であった。

そして不知火と吹雪の3機は管制ブロックを開放し、それぞれ1名ずつが雪の降り立つ大地にその身を晒していた。

不知火の2名の衛士は首を垂れ、吹雪から身を乗り出している人物に最大限の敬意を払っていた。

 

「――は。殿下、拝謁の栄誉を賜り恐悦至極にございます。私は帝国本土防衛軍帝都防衛第1師団・第1戦術機甲連隊所属、沙霧尚哉大尉であります」

 

彼女の問いに沙霧が答えた。

そう、これは謁見であった。

 

「……面を上げるが良い。此度、この様な形で其方と初めて(・・・)顔を合わせなければならぬこと――誠に遺憾です」

「私の様な者に、勿体無きお言葉。そして、殿下に多大なる御心労をおかけしましたこと、塗炭の苦しみでございます。されど帝国に巣くった逆賊どもを討ち、すべての膿を出し切るまで今しばらくの間ご容赦を賜りたくございます」

 

彼女と沙霧のやり取りを包囲した決起軍及び207戦術機甲中隊、そして米軍が固唾を飲んで見守っていた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

沙霧との謁見を始まった丁度その頃。

横浜基地のBゲート付近に放置されたとある緑のコンテナ。

そのコンテナに意図的に開けられた隙間から、小さなカメラが外に向けられた。

まるで胃カメラのような小さなカメラが上下左右に動き、周りの状況を確認していた。

 

「隊長、そろそろです。周辺に人影はありません」

「念の為、戦術機の暗視モニターにも接続して確認しろ。死角にいる可能性もある」

「了解」

 

近くにたまたま(・・・・)展開している米国の戦術機に、確認を指示された隊員が裏コードを利用してアクセスし、こっそり確認を取る。

裏コードを利用しているから、当然アクセスされた戦術機の衛士はそれに気づかない。

 

「問題ありません」

「了解。では作戦を開始する」

 

コンテナの中から数人の人影が姿を現す。

皆、国連軍の制服を着ており階級は尉官から下士官まで様々だった。

彼らは足音を極力隠した歩き方で、何やら異様ならぬ雰囲気漂わせた彼らはBゲート脇の入り口に向かって歩いていった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

沙霧との謁見は佳境に向かっていた。

沙霧は自分たちの決起に至った経緯から彼らの想いも全てを彼女に打ち明けた。

例えこれが創られた、いや彼らとっては謀られた劇場だと分かっていても尚、沙霧は自分たちの想いをしっかりと伝えきった。

 

「――この国を憂う、其方たちの想い……しかとこの煌武院悠陽、受け取りました」

「殿下……誠に恐れ多いことでございます」

 

この2人の会話を聞いているすべての者たちは、固唾を飲んで事の行く末を見守っていた。

 

「なればこそ沙霧……其方は一刻も早くこの争いを終わらせ、民を不安から解放せねばなりません。そして其方の志に賛同する者たちを、ひとりでも多く救えるのは……其方だけなのです。これより先は此度の件を戒めとし、民の為、日本の為に尽瘁する所存です。煌武院悠陽の名に懸けて……其方に誓います」

 

彼女が真っ直ぐな瞳で沙霧の目を捉えて告げた。

所詮は偽りの劇場だと沙霧は払い捨てることも出来ただろう。

しかし目の前にいるのが政威大将軍だということだから……いや、同じく日本の行く末を案じている志を同じくする少女だと思っているから、彼は偽りなく本心を以て接することができたのだ。

 

沙霧は彼女の言葉を聞き、ゆっくりと瞼を閉じて再度俯きながら言った。

 

「殿下……我が同志の処遇、くれぐれも宜しくお願い致します」

 

別にこの少女を侮っていたわけではない。

政威大将軍という肩書を盲目に信じているわけではない。

1人の人間としてこの少女に任せようと思ったのである。

成すべきことは成したと思い、後は……と沙霧が思ったその時だった。

 

「安心なさい、此度の件で誰も死なせはしません。其方はくれぐれも、自分の命を以てなどと……思わぬことです。其方とて例外ではありませんよ?沙霧……」

 

沙霧は驚き思わず顔を上げた。

すると彼女は優しく微笑んでいた。

 

「ッ!?――はっ……しかと承知致しました」

 

沙霧は再度俯き、自らの浅慮を恥じた。

 

『これは……終わった、のか?』

 

ウォーケンが思わずそう呟いた。

誰しもが今回の騒動が収束したと安堵した。

丁度その時だった。

待機していた武の網膜投影に、夕呼からの合図が届いた。

それを確認した上で武は告げた。

 

「はい。こちらの状況は……終了しました――殿下、では号令をお願い致します」

『ええ。では……』

 

悠陽の声が無線に響き渡り始めた時、吹雪の上に立っていた、複座型の吹雪の武の目の前で悠陽役を演じていた冥夜が、片膝をついて畏まった。

 

『今件に携わった、全ての将校に心よりの感謝と共に伝えます』

 

悠陽の号令がこの作戦に関わる全ての者たちの元へと発せられたのだった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

時を同じくして、決起軍のとある部隊。

隊長が1人殿を務め、仲間を送り出した場面に移り変わる。

 

「……一体、どうなっていやがる……」

 

不知火の開放された管制ブロックの上に立ち、眼下の交戦後の戦域を見渡す隊長の目に映ったのは、到底信じられない驚くべき光景だった。

このクーデターを死に場所と定め、自決する前に愛する祖国の大地を見てから旅立とうとしていた隊長だが、目の前の思わぬ光景に困惑を隠せなかった。

先ず目についたのが、撃破された戦術機の残骸が一切なかったことだ。

敵味方問わず沢山の戦術機が撃破、或いは損壊したはずなのにその残骸や破片が一切散らばっていなかったのだ。

それどころか、砲弾による地面や山などの爆発跡が一切ない。

確かに無数の戦術機がこの辺り一帯を踏み荒らした跡こそあれど、それ以外の跡が何一つなかったのだ。

 

「……こりゃぁ、一体……?」

 

そこで隊長はハッとして振り返り、自身の戦術機を見渡した。

 

「おいおい、本当にどうなっていやがる……」

 

網膜投影に映る自身の戦術機は、目にも当てられぬ状況であった。

あちこちが破損し、何より最後の一撃を食らった衝撃で右腕が丸ごと無くなっていた……はずだった。

隊長は目を擦り再度確認する。

そこには無くなったはずの右腕が……存在していた。

それどころか、機体にはそれらしい損傷すらなく五体満足だった。

ただ自身の戦術機はまるで体育座りをしているような形で山に背中から突っ込み、首を垂れているのみ。

 

『ザザッ……全……隊に告げ……ただち……に、ザザッ……停止せ……ザッ、繰り……』

 

丁度その時、オープンチャンネルで何やら無線が入ってきた。

ただし感度が悪く、雑音が多数入っていた。

隊長はコックピットの中に戻り、パネルを操作して受信感度を徐々に上げていった。

すると、先ほどまで殆ど何を言っているか分からなかった無線の内容が、徐々にではあるが聞こえるようになってきた。

 

『本演習に参加している全帝国軍及び国連軍、並びに米軍部隊に告げる。ただち全ての作戦行動を停止せよ。繰り返す。全ての作戦行動を停止せよ』

「演習?」

 

ここで隊長は思い出す。

今回の一連の行為は、仙台臨時政府が国際演習として諸外国に対面を取り繕っていたということを。

ここまで来ても、未だに演習という名目に縋ることに彼はやや呆れを隠せなかった。

だがこの放送で分かったことが1つあった。

演習という名目で、全ての作戦行動を停止するように呼びかけているということは、それは自分たちの目論見が失敗したということだ。

 

「結局は……奴らのほうが一枚上手だったということかねぇ‥‥…」

 

彼の言う奴らとは、無論仙台臨時政府のことを指していた。

そして手に持っていた拳銃を再度強く握る。

自分たちの目論見は失敗し、もう大勢は決まった。

自分が生きている理由はこれ以上存在しない。

色々と困惑することはあるが、それでも彼はそう思ったからこそ、改めて死を決意したのだった。

その時だった。

 

『これより政威大将軍、煌武院悠陽殿下より、改めてお言葉が発せられる。各員、心して拝聴するように』

「ッ!?」

 

驚くのも束の間、自身の網膜投影に悠陽の姿が映し出された。

 

『日本帝国政威大将軍、煌武院悠陽の名に於いて告げます。現時刻を以て本演習の終了を、冬の目覚め作戦の終了を告げます。皆、ご苦労でありました。今件に関わった、全ての者たち、並びに各国将校に心よりの感謝を伝えます』

 

そう告げた悠陽はぺこりと画面越しにお辞儀をした。

これにはこれを見ていた隊長だけでなく、全ての者たちが驚いた。

そしてまたもや驚くのも束の間、最後に悠陽はこう言って締めくくった。

 

『此度の演習で決起軍役を演じた(・・・)者たちに申し伝えます。くれぐれも早まった真似はせぬよう、其方たちも私の愛する民の1人であることに変わりはありません。生きてこそ、愛する国の為になるのですから』

「ッ!?」

 

その言葉を聞いた途端、彼に手に握られていた拳銃はするりとコックピットの床に零れ落ちた。

そして自らの早とちり悟り、後悔した。

どういう訳か彼の眼には涙が溢れ出ていた。

 

それから暫くの間、彼は泣いていた。

その涙がある程度収まった頃、再び自身の耳に無線が届いた。

 

『……たい……ザザッ……、事ですか?――隊長……』

 

目頭に溜まっている残りの涙を手の甲でふき取り、彼は無線に意識を集中させた。

 

『――隊長!……ザザッ、隊長!ご無事ですか!?』

 

時が経つにつれて少しずつ、その声はハッキリとした内容に変わってくる。

そして彼はその無線が自身の部隊間で使われていたものだと、今更ながら気づき応答した。

 

「――あぁ、生きてるよ。村松」

 

そう返すと、向こうからは安堵の声が聴かれた。

 

『あぁ!良かった!……良かったです、隊長……私、ぐすっ……もう、会えないかと……』

 

その声は自信の大切な部下の1人であり、自身に想いを寄せてくれているのも理解していた村松のものだった。

 

「心配かけたな……」

『もう……ホントですよ!』

 

それから幾度か言葉を交わし、待つこと数十分。

あれだけの激戦があったとは思えないほど、五体満足の状態の村松の戦術機が現れた。

村松の戦術機が、隊長の首を垂れた戦術機の前に寸分の狂いなく着地すると、すぐさまコックピットを開放し、村松が飛び出さんかの勢いで姿を見せた。

 

「隊長!」

 

彼女は乗り降りの為のリフトを使って地面に降立ち、先に地面で待っていた彼の元へと一直線に走っていった。

そしてその走った勢いそのままに、隊長に抱き着いた。

隊長は何も言わず彼女を受け止めた。

 

「ホントに……もう、会えないかと!」

 

そう涙声に村松は泣き出した。

 

「すまなかったな……村松」

 

泣く村松を、彼はただ優しく抱きしめてやるのだった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それと同時刻の横浜基地。

 

「うっ……ここは……?」

 

コンクリートの壁に囲まれた薄暗い部屋で、男は目を覚ました。

まるで取り調べ室を思わせるような雰囲気を感じ取らせる部屋であったが、実際そうであるからこの男の感覚は間違いではない。

男は動こうとするが、不思議と身体はいうことを効かない。

頭も身体も酷くけだるさを感じており、まるで過去に米軍で受けた対催涙ガス訓練後のような感じだと思い至り、男はハッとする。

自分は横浜基地に潜入したところを、強力な催涙ガス等で奇襲を受け、抵抗する間もなく拘束されたということを。

 

そこに声がかけられた。

 

「あら?意外と早いのね……流石は諜報員、と言ったところかしら?」

「――なッ!?貴様は!?」

 

男は声を掛けられた方を向き、その人物を目にしたことで、朦朧としていた意識を覚醒させた。

 

「香月……夕呼!?」

「ご名答」

 

薄い笑みを浮かべる夕呼に、男は少々焦った。

 

まず自身の現状を確認する。

今、自分は椅子に拘束されており取り調べ室か、或いは拷問部屋のような場所にいるということだ。

拷問部屋にしては些か簡素過ぎる気がするので、恐らくは取り調べ室と言った方が正解なのかもしれない。

そして目の前には、彼らの天敵であるオルタネイティヴⅣ総責任者の香月夕呼がいるということ。

自分がここにいるということは、確実に作戦が失敗したことを意味する。

それを理解したからこそ、彼はこの状況をどうやって打破するかを考える。

そんな彼の状況を知ってか知らずか、夕呼は嘲笑うかのように淡々と述べる。

 

「全く……話がついていたはずなのに、こんな諜報員をおくりこんでくるなんて……私も甘く見られたものねぇ。まぁ、それがあんたら米国のやり方なのは、世界中が承知していることだけどね。そこのところどう?諜報員さん?」

「――挑発には乗らないし、俺は何も話さん」

 

彼は夕呼を睨み付けながら言う。

 

「そう……流石CIA屈指のエージェントね。ルーカス・ローズ中尉さん?」

「……」

 

何故自身の名を知っているのか、ローズは内心驚いたが流石は一流の諜報員というべきか、表情には出さなかった。

ローズは夕呼にバレないように舌を口内で動かして、奥歯に隠し持っていた毒薬を飲もうとしたが……。

 

「言っておくけど、あんたの身体中に仕込まれていたものは、毒薬も含めて全部取り除いたからね?」

 

またもや自身の思考を読まれたことに驚くローズ。

そして何とか捻り出した言葉は次のようなものだった。

 

「……殺すならさっさと殺せ。いっておくが俺はただの下っ端だ。詳しいことは何も知らないし、そもそも話す気はない」

 

そんな捨て台詞のような言葉を口にしたことで、夕呼はやや表情をしかめる。

その表情を見たローズは、内心一矢報いた気持ちになった。

そして実際、自身にはかなりの権限と情報が与えられていたことを心の中で思い出す。

だがそれは決してどんな拷問を受けようとも、口にしない決心を新たにした。

ローズがそう思った直後、今度は夕呼が当然笑い出した。

それを彼は怪訝そうな表情で見るが、夕呼は笑いを止めてからこう言った。

 

「そう……意外と知っているのね。オペレーションイーグルクロー……幸運を掴むとは、モノは言いようねぇ……まぁ流石に脳髄の件は、上手いこと言い含めているようだけど」

「ッ!?」

 

ここで初めてローズの表情が崩れた。

顔には何故それを知っているのか、とでも言いたげであった。

 

「あんたの、あんたたちの考えなんて全てお見通しよ。香月夕呼を舐めないでよね」

「何が目的だ……」

 

覚悟を決めたのか、或いは観念したのか、いずれにせよ何かを悟ったローズは低い籠った声でそう言った。

一方、腕組みしつつ酷薄な笑みを口元に張り付けた夕呼はこう宣言した。

 

「あんたには全てを忘れてもらうわ。ここで見聞きしたことを全部ね。そして間違った報告をして貰う。それだけのことよ。知りたい情報は全部知れたからね」

 

自身に精神操作を施すと宣言した夕呼に対し、男はやや勝ち誇ったような顔をした。

 

「ふん。試してみるがいいさ。俺は薬物には耐性があってな。どうせ無駄なことだ」

「ご説明どうも。そんな古典的なやり方はしないわよ。あたしを誰だと思ってんの?」

「……何?」

 

ローズが再び怪訝そうな表情をする。

 

「まぁ、これ以上はあんたが知る必要はないわ。ただ1つ言えることはね、あんたは以降、私の手足となるのよ。第5計画派が潰れていく様を私に報告するためのね」

「何を……言っている?」

「もう少ししたら分かるわよ。ま、全てわかった頃には手遅れだろうけどね」

 

今度は夕呼がやや勝ち誇ったかのような表情をしてから、颯爽と部屋を後にした――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それから時はまたまた進み、朝日が昇る直前の時間帯。

場所は伊豆半島、白浜海岸。

 

冬の目覚め作戦が終了した一行は、この海岸へとやってきていた。

理由は様々だが、取り敢えず作戦は終了したので、皆事後処理に入っていた。

周りは武を含めて忙しそうに色々と作業をする中、海岸の砂浜の上に立つ強化装備姿の2人の少女の姿があった。

 

「……」

「……」

 

2人は面と向かって向き合っているにも関わらず、お互いに一言も声を発しない。

ただお互いの顔を見つめあっているだけだった。

 

「……冥夜」

 

ようやく悠陽が目の前に佇む少女の名を呼んだ。

それはもう恐る恐ると言った様子で、なんと言葉をつぐんだものか迷っている様子だった。

 

実はこの2人、武のちょっとした策略で、顔を合わせることになったのだ。

勿論、それは最初から武の計画に含まれていたが、まぁ当人は計画と言うほどのものではないと考えているので、敢えて悪戯と言っていたそうだが。

武は冥夜に海岸にて待つよう言い、呼ばれるまで決して後ろを振り返らぬように、とも言付けて待機させた。

そこへ今度は悠陽を案内する武。

武にちょっと来てほしいと言われ、素直についていったところ、目の前には冥夜が立っていたのだ

当初、彼女は躊躇ったものの、武は優しい顔で頷いて、手で早く行くように仕草をして促した。

悠陽はゆっくりと冥夜の元へと歩いて行き、そして名前を呼んだ。

呼ばれたことで振り向いた冥夜は驚いた。

そして先ほどの向かい合う状況が生まれたのである。

 

また再度名前を呼ばれ、冥夜は何かハッとした様子となり、慌てて跪こうとするが、それを悠陽は彼女の肩を掴んで止めた。

 

「――良いのです……良いのですよ、冥夜……今は1人の姉として、其方に触れさせて下さい」

「……あ……あ、あ……」

 

悠陽は優しく微笑みながら、両手で冥夜の頬を包み込むように触れた。

 

「ようやく其方と……面を向かって話せますね」

「……あ、あね……うえ……」

 

冥夜の瞳に溢れ出んばかりの涙がたまり始めた。

 

「……よく、今まで耐えてくれましたね……そして、よく私の想いを代弁してくれました――特に最後のあれは私でも思いつきませんでしたよ?其方に心よりの感謝を」

 

悠陽の言うあれとは、死ぬ覚悟を既に決めていた沙霧に対し、死なぬよう諭したことについてだった。

悠陽はそう言って優しく冥夜を抱きしめた。

 

「姉上……私は……私は!」

 

冥夜も遅れて悠陽を恐る恐る抱きしめた。

悠陽の言葉に堰を切った様に溢れ出す涙を拭う事もせず、冥夜は悠陽の背に回した自らの腕に力を込める。

 

「冥夜……ありがとう――其方がいてくれたおかげで、私は此処まで来ることが出来ました……本当にありがとう……」

「姉上……あねうえぇぇ!」

 

固く抱き合う2人を、ちょうど地平線の奥から姿を現した太陽が、まるで彼女たちを祝福するかのように、美しく、そして尊く姉妹を照らし出した。

幼い頃から離れ離れにされることを余儀なくされていた姉妹が、此処に真の再開を果たした瞬間だった――。

 



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Episode36:作戦後の後始末

Episode36:作戦後の後始末

 

 

2001年12月7日(水)9:00

 

 

「あんたたち、昨日はお疲れ様」

 

ブリーフィングルーム内に夕呼の声が響く。

12・5事件から一夜明けた今朝。

ヴァルキリーズと臨時編成207戦術機甲中隊の面々が、ブリーフィングルームに集められていた。

 

当初、ブリーフィングルームに集まるよう指示を受けたヴァルキリーズだが、到着してから若干驚きの表情を見せた。

その理由は、見慣れない顔が先にブリーフィングルームに集まっていたからだ。

ヴァルキリーズの中で最初に到着したのが、速瀬と遥の仲良しコンビだった。

扉を開けてみるとその殆どが見慣れない顔、しかも肩書をよく見れば訓練生がこの場にいたからだ。

207訓練小隊はまりもの引率の元、このブリーフィングルームに一番先に到着していた。

まりもの合図で、207の面々が速瀬たちに敬礼をした。

慌てて敬礼を返す速瀬と遥。

そして恐る恐るまりもに聞く。

何故この場にいるのかと。

それに対するまりもの返答は、少佐よりこの場に集まるよう指示を出されたということだった。

どうやら場所を間違ったわけではないと判断した速瀬と遥は、取り敢えず席に座る。

後は似たようなことの繰り返しだった。

状況が状況だけに、久しぶりの再会になる茜や柏木たち旧207Aと、207Bの面々の会話は殆どなかった。

そういう雰囲気ではなかったというのもあったが、何よりの理由は、その直後に斯衛の真那たちが表れたからだった。

全員が驚きと困惑の表情を浮かべていた。

真那たちも顔には出さなかったものの、内心は困惑していたことだろう。

そんなところへ、武と夕呼にエレナ、そしてピアティフが姿を現した。

そして冒頭の夕呼のセリフへと繋がるのだった。

 

「案の定、全員が何か言いたげな表情をしているわね」

「……」

 

事情がよく飲み込めない207Bの面々を除き、それ以外の全員が何か言いたげな表情をしていた。

しかし場が場なだけに口にはしづらかった。

然もあろう。

ヴァルキリーズだけなら兎も角、階級の低い訓練生や管轄がまるで違う斯衛の面々もいるのだから。

 

数秒ほど場を沈黙が支配するが、このままでは埒がないと判断した伊隅が、全員を代表して口を開いた。

 

「……副司令。今回も全て、副司令の手の内という訳ですか?」

 

伊隅がやや不満そうな表情をしながら、夕呼に質問した。

隣にいる武もそう感じていた。

ヴァルキリーズの全員が、一様にむすっとした表情を浮かべていた。

一方の207B訓練小隊の面々は、状況も内容もよくわかっていない雰囲気だった。

 

「そう……と言いたいところだけど、今回はあたしじゃないわ」

 

夕呼の言葉に皆、納得がいっていない様子だった。

 

「そうよね?白銀」

 

夕呼は武の方を向いてそういった。

全員の視線が武に移った。

それを確認してから、武は一言だけ述べた。

 

「はい」

 

全員が驚きというより意外そうな表情をして、場はやや困惑気味な雰囲気を醸し出した。

 

「じゃぁ、後の詳しいことは白銀……あんたが説明なさい」

「はい」

 

夕呼はそう言って部屋の隅へと移動した。

代わりに武がブリーフィングルームの中央へと移動し、全員を一度見渡してから説明を始めた。

 

「まずは皆、昨日はご苦労だった。よくやってくれた――そして何より、無事作戦を完遂出来たのはここにいる全員のおかげだ。なので、一言礼を言わせてほしい……ありがとう」

 

全員が武の一挙手一投足に注目していた。

 

「では初めに、何故この場にオルタネイティヴⅣ直轄部隊であるA-01部隊と、先日俺と作戦行動を共にした、臨時編成の207戦術機甲中隊がいるのかを、本作戦の概要と共に説明したい」

 

武は全員に、これからの説明の大前提となる共通認識を植え付ける為、今回の一連の経過について説明を始めた。

ピアティフが武の発言に沿って、予め用意されたスライドを表示していった。

それを元に、武は一から全てを説明した。

まずは今まで起きた事実のみを列挙した。

 

「これで取り敢えず、全体で何があったか……凡その理解は得られた事だと思う」

 

ヴァルキリーズが頷き、207戦術機甲中隊の面々も遅れて頷いた。

 

「では、その上で……今回の、冬の目覚め作戦について説明しよう」

 

冬の目覚め作戦とは、国連軍に帝国軍、斯衛軍、米軍の4軍統合で行うJIVESを使用した、大規模な模擬演習作戦であることが彼女たちに伝えられた。

本演習に参加する全ての戦術機にJIVESを接続、それらを全て統合し、大規模で仮想的な戦闘環境を構築して行う演習であると。

演習内容は、帝都で軍事クーデターが発生。

それを国連軍、帝国軍、斯衛軍、米軍が鎮圧するという内容であり、それらは実際にクーデターを画策していた者たちの協力を得て遂行されたということも伝えた。

 

「つまり……疑似クーデター、という訳ですか?」

 

真っ先に真相を理解したらしい伊隅がそう言った。

 

「その通りだ」

 

そこで1つ手が上がった。

 

「何ですか?月詠中尉」

「失礼ながら白銀少佐。何故このようなことを?お話を聞く限り、どうやら今回のことは少佐が計画されたご様子……その真意をお聞かせくださいませんか?」

 

言葉はかなり丁寧であるが、その声に少なからずの怒気が含まれていることを、この場にいる全員が理解した。

 

武は暫くの沈黙の後、答えた。

その沈黙は実際には2秒程であったが、周りの者たちには数十秒にも感じられるほど、それは短くて長いものだった。

 

「目的はただ一つ。オルタネイティヴⅣ完遂のためです」

 

ただの一言。

武から得られた答えは……その一言だけだった。

真那はどうやらその答えに不満だったらしく、目を細めた。

睨みと言われればそうかもしれない。

だが、そこには武の意思を図ろうとする気持ちと、自らの主人たちを利用したという不満など、様々な意味が含まれていたに違いない。

 

場の空気がやや悪くなった。

そして再び暫くの沈黙の後、武は肩をすくめて言った。

 

「ま、それだけじゃ納得できないですよね……自分もそれだけで納得しろと言われたって、そう簡単に割り切れるものじゃないですし」

 

急におどけた口調になった武に、全員が緊張の糸を切られた。

 

「それに以降は、ここにいる全員が命を懸けて同じ作戦を遂行することになるわけですから……共通認識は今まで以上に必要でしょう」

 

実はこれはどう真実を切り出したものか、悩んでいた武が咄嗟にとった誤魔化しだった。

この辺りの融通というか、臨機応変さがない辺り、例え主幹時間で何年経とうと、元の世界の昔の性格が残っているのかもしれない。

 

武は口調を元に戻して話し始めた。

 

「……全員、今から言うことは、一部国家機密以上の機密事項が含まれている。他言は勿論、公の場でこれらのことについて詮索、或いは議論することを禁ずる。いいな?」

 

今まで真面目だったのが急におどけだし、そして再び真面目に戻った武に、皆やや困惑の気持ちを抱えていたのは事実だった。

しかし、今度はかなり真剣な様子……いや、いつもと表情は対して変わらないのに、急に迫力や威圧感が増した武に、全員が内心驚きつつ頷いた。

 

「ではまず前提条件となる、オルタネイティヴⅣとは何かから説明しよう。A-01の面々は既に知っていることもあるだろうが、改めて聞いてもらいたい」

 

武はオルタネイティヴⅣが何か。

そしてそのオルタネイティヴの達成の為に行った、今回の冬の目覚め作戦の真意を皆に教えた。

 

オルタネイティヴⅣとは、全人類規模で計画されている対BETA作戦のことであり、その目的は00ユニットという、半導体150億個分に相当するものを作り出すことが目的であること。

その計画が成功すれば、ハイヴを攻略することが容易になること。

オルタネイティヴⅣの主導国は日本であり、対抗馬として米国の主導するオルタネイティヴⅤが存在し、それはG弾集中投入によるハイヴ殲滅作戦と選抜された10万人の他星系移住計画であることなどが告げられた。

また今回の冬の目覚め作戦は、そのオルタネイティヴⅣを有利に進める為に行った米国へのある種の示威行為であり、日本国内からオルタネイティヴⅤ派、即ち米国の手の者を一掃するために行ったこと。

その為に国内にあったクーデター計画を利用し、同時に日本の主導するオルタネイティヴⅣと、その国を率いる悠陽の威光を世界に知らしめるために行ったことなどが告げられた。

 

「……以上が冬の目覚め作戦の真意だ」

 

この説明、実際には真実と虚構が織り交ぜられた内容である。

だが完全な嘘と言う訳ではなく、ある程度情報を持っている人物であれば、受け取り方次第では真実に辿り着けるだろう。

しかし、彼女たちはある意味で隔離された、特別な部隊の者たちだ。

他に判断出来る情報など持っていないし、武の説明は、これはこれで話が完結している。

なので、この武の説明を聞き、だいたいが納得したような表情を見せた。

 

要は先ほどの伊隅の言葉にもあったように、武は疑似クーデターを起こしたのだ。

12・5事件を模した軍事演習。

それが今回の冬の目覚め作戦の内容だったのだ。

その真の目的は、12・5事件を模して行うことで、国内に潜伏する第5計画派を炙り出し、それと同時に悠陽の復権と、日本政府のオルタネイティヴⅣへの全面協力を確約させるということである。

そして事実、それは達成された。

これから日本はオルタネイティヴⅣと共倒れになる覚悟で、その国力と政治力をオルタネイティヴⅣに集約させることとなる。

共倒れと言ったが、勿論武も夕呼も失敗するつもりはサラサラない。

 

因みに、元々オルタネイティヴⅣを日本に誘致したのは現政権、即ち榊首相をはじめとする日本政府だが、現在はその誘致したオルタネイティヴⅣに国はつかず離れずの態度をとっていた。

政府はオルタネイティヴⅣにべったりだが、全てがべったりというわけではなかった。

夕呼に対する対抗心や、同胞であっても値を吊り上げることすら厭わない夕呼に対し、全てが協力的ではないのだ。

だからこそ夕呼は、今回の一件を通してオルタネイティヴⅣと日本を完全な一体関係に仕上げようとしたのだ。

これは武の計画に乗った上での判断であり、武と言うパーツが手に入ったからこそ、成しえることが出来る計画であった。

これは武も承知していた。

本当の意味で、国を挙げてオルタネイティヴⅣを成功に導くための方策でもあったのだ。

 

「月詠中尉、敢えて許しは請わない。貴方の信じる主人たちを、俺は目的の為に利用させてもらった」

「……」

 

真那は何も答えなかった。

しかしその眼はしっかりと武を捉えており、武もその眼を真っ直ぐ見返した。

彼女が何を思ったのか、そして彼が何を思ったのか、それは当人たちにしか分からない。

 

何とも言えない空気が、この場を支配した。

だが、そこでまた1つ手が上がった。

手をあげたのは……まりもだった。

どういう意図があって、彼女は手を挙げたのだろうか。

これもまた当人にしか分からない。

だが、まりもの武への想いを鑑みれば、おのずと答えは導き出せるだろう。

 

「どうした?神宮司軍曹」

「少佐。何故このような機密情報を、私たちに開示なさるのですか?そちらにいるA-01部隊は兎も角……私も含めた訓練部隊の彼女たちには、少々過ぎた情報だと思うのですが……」

 

そう、元々このような場に訓練兵がいること自体、おかしな話なのだ。

それを含めてまりもは指摘した。

 

「その通りだ、軍曹。貴様たちには過ぎた情報だ。しかし、いずれ知ることになるのだ。後で別々に説明するより、今併せてやった方が効率的だろう?事の次いで……というのもあるがな――そうだ。次いでの次いでだ、辞令も発する。ピアティフ中尉」

「はい」

 

武はまるで今思い出したかのようにそれを告げ、ピアティフにスクリーンの表示内容を変えるように指示を出す。

 

「ッ!?」

「神宮司まりも軍曹。貴官を12月8日付で大尉に任ずる」

 

そこには辞令が書かれており、武が口にした内容と同じ内容が記されていた。

以前に軽く説明を受けていたまりもだが、まさかこのタイミングとは思わず、驚きの表情を見せる。

そんなまりもを無視して、武はもう1つ辞令を発した。

 

「次に207B訓練小隊。貴様らは12月8日付を以て、白陵訓練校を卒業、少尉に任官とする。任官後は、207小隊として横浜基地配属とする。以上だ」

「「「ッ!?」」」

 

207Bの面々も驚きの表情を見せた。

 

「ま、待って下さい!訓練校は今後どうするのですか!?後任は?それに彼女たちは……」

 

あっけらかんと告げる武に、まりもはかなり慌てている様子だった。

そんなまりもを見てか、今まで黙っていた夕呼が介入した。

 

「察しが悪いわねぇ、まりも。あんたがいないんじゃ、訓練校は一旦閉校よ」

「いや、それで察しろと言うのは無理あるんじゃ……」

 

あまりの無茶ぶりな発言に、武が思わず素で突っ込むが、夕呼がすぐさま睨みを利かせる。

 

「何よ、白銀」

「いえ、何でも」

 

あっさりと引き下がった武に、夕呼はやや面白くなさそうな顔をしながら言った。

 

「……ま、兎に角そういうことよ。まりもは復帰。榊たちは卒業して任官。まぁ、任官後も白銀の元で訓練することに変わりはないけど」

 

あまりに突然な流れに、榊たちは固まったままだった。

武はそれを察してか、やや優しめな声で彼女たちに声を掛けた。

 

「言っておくが、任官後は一人前扱いだ。更に厳しく指導するからそのつもりでな」

「「「は、はい!」」」

 

やや不揃いな返事ではあったが、それを聞いた武は軽く微笑んで頷いた――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それから暫く時が流れ、夕暮れ時。

場所はいつものように夕呼の執務室。

 

「案外、混乱はなかったわね」

 

エレナがコーヒーを片手に口を開く。

 

「うん。まぁ皆が受け止めてくれたようで良かったよ」

 

武もコーヒーに口をつけながらそう言った。

 

「しっかし、白銀。もう少し上手く出来なかったの?」

 

夕呼も足を組み、コーヒーを飲みながら言った。

 

「いやぁ……面目ないです」

「可能な限り説明しておきたいって言いだしたのは白銀、あんたなのに、あの体たらくはないでしょ」

 

あはは、と武は苦笑いを浮かべる。

 

「あいつらにも知る権利はある……って私に高説を垂れたのはどこの誰だったかしら。ねぇ?」

 

と夕呼はエレナを見た。

 

「結局、幾ら歳を重ねても不器用なのは治らないのね」

 

2人の追撃に武は既に大破しており、何も言い返せなかった。

それから暫くの間、彼女たちの武イジリは続いた。

途中、何度か話を逸らそうと、新たな話題を投下することを試みた武だったが、それらも全て交わされ轟沈寸前にまで至った。

というか、そのあからさまな話題投下が、逆に彼の傷口を広げていたのだが……それは当人も分かっている。

しかしそれ以外手がないのも事実だった。

 

「そ、そう言えば……すっかり忘れてましたが、先生の方はどうでしたか?無事完了との連絡は受けましたが、実際のところ上手くいったんですか?」

 

そして何度目か分からない武による話題投下は遂に成功した。

 

「勿論よ。あたしを誰だと思ってんの?」

 

夕呼は当然と言わんばかりの態度で返した。

ここでようやく3人の話は本題に入ることとなる。

 

ここでもう一度、冬の目覚め作戦の大まかな流れを確認する。

まず帝都で、沙霧率いる戦略研究会の面々によって軍事クーデターが発生。

決起軍は帝都の要所を抑え、帝都城を完全に包囲した。

榊首相を初めとする大多数の閣僚は、沙霧によって殺害されたことになっていた。

実際のところ、彼らは殺害されずに鎧衣課長の手引きの元、帝都を密かに脱出。

その後、悠陽も密かに帝都を脱出し、その情報を決起軍にリーク。

決起軍は慌てて悠陽の身柄を確保すべく、帝都臨海部の離城と塔ヶ島に部隊を派遣。

決起軍と足止めを担当する国連軍や米軍の間で、伊豆半島を主とする戦域で戦闘が勃発。

後は知っての通り(Episode34と35)の流れとなり、クーデターは収束した。

ここで特筆しなければならないことが2つある。

 

1つ目は、帝都を脱出した悠陽の情報を決起軍にリークする場面の話だ。

武の計画では、この情報を受けた決起軍は帝都城包囲を段階的に緩め、史実通りのような発砲事件はなしに事が推移するはずだった。

しかし直前になり、新たに加わった米国の手の者が、決起軍を装って発砲するという事件が発生したことだ。

 

そして2つ目。

武たちが伊豆半島で、決起軍から逃れている最中に、CIAの手の者が横浜基地に潜入工作をしていたことである。

 

この上記の2つは、武が予期していない出来事であった。

では、この予期しない出来事をいかにして対処したか、それを次に説明しなければならないだろう。

 

まず1つ目の、実際に帝都城で戦闘が勃発してしまったことについて。

これは史実のように理性ある決起軍の者が、実際に発砲した者を殺害したり、捕縛したため無事収束した。

鎧衣課長がこの報を受けて手早く対処してくれたことも、無事収束した大きな要因であったと言えるだろう。

だがこれは、皮肉な話と言えばそうなのだが、史実通りに事が運んでしまっただけで、作戦全体に影響するような大きな問題でなかった。

 

重要なのはこちらの2つ目。

CIAによる横浜への潜入工作の問題である。

これは武の予定には全くなく、場合によっては冬の目覚め作戦そのものが、破綻してしまう危険性があった。

だがこれは、作戦前夜より世界中の通信や、情報などに目を光らせていたエレナのおかげもあって、直前になって発覚した。

この報告を受けた夕呼は、咄嗟に策を練り、これを逆手に取って利用することにしたのだった。

それが夕呼と工作員のあのやり取り(Episode35)である。

米国の作戦は以下の通りだった。

まず横浜基地に進駐する米国部隊の中に、特殊部隊を密かに送る。

この特殊部隊は、護衛の戦術機部隊と歩兵部隊から構成されており、護衛の戦術機部隊というのが、あの海兵隊第318海兵戦術機隊(ブラック・ナイヴス)である。

無論、318戦術機隊は自らが護衛する歩兵部隊が、実はCIAの特殊部隊であることを知らない。

そしてその特殊部隊は、横浜に進駐する戦術機隊と一緒に送られる支援物資という名目のコンテナの中に潜んでいた。

彼らは折を見て横浜基地に潜入し、00ユニットに関する情報を得るか、そのものを抹殺することを作戦目的としていた。

夕呼はこの作戦を逆手に取り、彼らをわざと横浜基地に潜入させて罠を張り、彼らを全員捕縛した。

そして一網打尽にした工作員の面々に精神操作をかけ、逆に手駒にする。

これが夕呼の作戦であった。

 

「いえ、心配はしてませんけど……実際にどういう工作だったんですか?」

 

武は夕呼から、CIAの工作が見つかったので、こちらで上手いこと対処しておく程度にしか話を聞いていなかった。

なので詳しい説明を夕呼に求めた。

彼女は上述した一連の流れを説明した。

 

「そうですか、米国らしいやり方ですね……にしてもよく精神操作なんてかけられましたね。向こうも対策とかは、ある程度してきてるはずですよね?工作員なんですから」

「そこはね、リーディングとプロジェクションのマルチタスクを掛ければ、まぁお茶の子さいさいよ――と言っても、思いついたのはあたしじゃないんだけど」

 

そう言って夕呼はエレナを見た。

当の本人は誇らしげに腕を組んで頷いていた。

 

「エレナが?」

 

意外そうに武は言った。

 

「ええ、私も言われるまで気付かなかったわ……このあたしがね。でも、確かに出来ないことじゃないのよ」

 

武がすぐ夕呼との会話に戻ったことで、エレナは頬を膨らませていたが、当人はそれに気づかない。

 

「はぁ……?」

 

頭に疑問符を浮かべる武に、夕呼は説明を始めた。

しかし、肝心の説明を受けても、彼の頭の疑問符は取り除かれなかった。

それどころか余計に悪化している始末だった。

 

「えっと……つまり?」

「察し悪いわねぇ……」

 

夕呼は頭の悪い武向けに、嚙み砕いた説明を始めた。

その内容は以下の通りである。

 

武のパソコンに、まりもやエレナのあられもない画像が収まったフォルダがあったとする。

それをまりもやエレナが偶然発見してしまう。

まぁ普通はその画像を当人たちが消してお終いなのだが、消してしまうと武が怒るので、別のなんでもない風景の画像にフォルダの内容を書き換えるとする

そしてそのあられもない画像は、何処か武が分からない所に移して保管したとしよう。

これと同じことを人の記憶でもやろうというのである。

 

自分たちが潜入工作員だというフォルダをそのままに、作戦内容や実際の作戦記録という名の画像という記憶を、そっくり差し替えるのである。

実際は夕呼に捕縛されたというあられもない画像を、作戦成功という風景の画像にフォルダの中身を、即ち記憶を書き換えたのだ。

失敗したというあられもない画像は、別なところ、つまり彼らの深層意識という名の忘れられた領域に放り込んでしまうのだ。

 

「つまりリーディングで該当する記憶を引き上げた後、プロジェクションでそのデータ差し替えてもらうわけ。元の記憶は、そうねぇ……深層意識下にでも、適当に放り込んでおけばいいわ」

 

夕呼の嚙み砕いて説明の仕方、というか内容に違和感というか、気になるところがないわけではないが、まぁそこは指摘しないことにした武だった。

実際この嚙み砕いて説明で理解できたのは事実だし、変に突っ込んでまたイジられるのはごめんだったからだ。

 

「なるほど……」

 

武は顎に手を当てて頷く。

そしてとある事に気づき、それを夕呼に指摘する。

 

「待って下さい……でもそれだと、何かの拍子に思い出す可能性がありませんか?」

 

夕呼は足を組み替えて頷く。

 

「人の記憶を完全に操作するなんて、流石の00ユニットでも無理だから仕方ないわ。それに思い出した頃には、第5計画が頓挫した後だろうから大丈夫よ」

「そういうことですか……相変わらずえげつないですね」

 

思わずえげつないという正直な感想を吐いた武だが、その内では、それらを実行してしまう夕呼に心底驚きを覚え、そして敬服していた。

 

「何よ……分かりやすく説明してあげたのにその態度は」

「すいません、言葉を間違えました。凄いなと、内心感動していました――取り敢えずは上手くいったということですね」

 

話を強引に元に戻した武だが、夕呼もそれに気づいていながら、敢えて踏み込まなかった。

先ほど充分すぎるほどに武をイジリ倒したので、それで満足していた、というのもあるにはあったが。

 

「ええ。今頃、あちらもしてやったりの顔をしているはずよ。まぁそのおかげで、XG-70が簡単に手に入りそうで良かったけど」

「なるほど。米国はオルタネイティヴⅣに一手先んじたと思い、これで貸しを作れると思うわけですね」

「そういうことよ」

 

夕呼は得意満面な顔でコーヒーを飲み干した。

それにつられ武やエレナも、残ったコーヒーを飲み干す。

 

「これで今後の凡その目処はついたわ。これからはあんたの出番よ」

「はい」

 

武は神妙な面持ちで頷いた。

 

「もう後戻りは出来ないわよ?これからは一切の迷いなく、突き進むしかない。分かってるわね?」

「無論です。まずは甲21号目標、そして……」

 

その先の言葉を武は敢えて紡がなかった。

しかしエレナと夕呼は既に分かっており、2人は頷く。

 

「やり遂げるわよ、白銀。何としてもでも」

 

夕呼が珍しく語気を強めて決意を新たにする。

 

「はい」

「ええ」

 

それに2人も強く頷いた。

暫くの間の後、エレナが口を開いた。

 

「タケル……本当にやるのね?」

「あぁ、勿論さ」

 

武はすぐに返事をした。

 

「それで……ユイに嫌われても?」

「――あぁ……」

 

次の返事には、少しだけ間があった。

 

「そう……なら、私は全力でサポートするわ。それが彼女との約束だもの」

「そう、だったな……」

 

エレナの言葉に、武が何かを思い出すかの様に天を仰いだ。

それを見ていた夕呼は少し心配そうに言った。

 

「ちょっと……大丈夫なの?」

「大丈夫です」

 

先ほどのような間は、今回はなかった。

夕呼の心配を打ち消す様に、武が口を続けて開いた。

 

「まずはA-01の戦力強化からです。その為に……」

「アラスカ……いってらっしゃい」

 

武はゆっくりと頷き、拳を強く握りしめた――。

 



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第2章:爻乱の波動
Episode37:XM3トライアル


Episode37:XM3トライアル

 

 

2001年12月8日(木)10:27

 

 

207B訓練小隊は、いや……横浜基地所属第207戦術機小隊は、本日の午前10時に、ブリーフィングルームに集まるよう命じられた。

彼女たちは新品の国連軍C型軍装を身に纏い、その襟章は訓練兵から少尉の階級章に、そして胸には輝く衛士徽章がつけられていた。

 

実はつい先ほど講堂にて、第207衛士訓練小隊解隊式と衛士徽章授与式を簡単に執り行い、彼女たち正式に任官した。

前日に武より、事のついでとしていきなり訓練校卒業を言い渡され、少々混乱した様子だったが、一夜明けてその事実を改めて認識し、彼女たちは喜びを嚙みしめた。

だがその喜びも束の間、すぐに支給された軍服に着替えてブリーフィングルームに来るように促され、今に至る。

因みにこの解隊式には、彼女たちの期待と裏腹に、武は姿を現さなかった。

 

そしてブリーフィングルームにて、彼女たち207小隊に、任官後の初の任務が言い渡された。

任務を言い渡したのは、解隊式後に大幅な飛び級昇進もとい、正式に衛士として復帰して大尉となったまりもだった。

つい先ほどまで軍曹だったまりもが、大尉となって目の前に現れたことは、分かっていたものの、少し戸惑い気味の207小隊の面々だった。

そんな彼女たちをよそにまりもはこう放った。

 

「貴様たちには上下関係を困惑させてすまないが、これも軍の一面だ。納得しろ」

 

と、鶴の一声。

上官に、特に先日までの教官にそう言われれば仕方がなかった。

寧ろ、引き続きまりもに対し敬語で接することが出来るので、この方がある意味彼女たちにはありがたかったと言える。

そしてまりもがブリーフィングを始めたのだった。

 

全員が初めての任務に、少し頬や肩をこわばらせつつ説明を受けた。

 

「次世代OSのトライアル……ですか?」

「あぁ。と言っても特に何か特別なことをするわけではない。貴様らはいつも通り、戦術機を操ればよい」

 

まりもからトライアルについての詳細が告げられる。

評価の方法は、すべてXM3を搭載した機体で行い、概念実証型と量産試作型であるXM3との比較試験ということだ。

旧OS搭載機との単純比較という話ではないのだ。

また演習は、午前と午後に分けて同じ内容のものを2回行うのだが、その最後の連携実測では、旧OS搭載の仮想敵部隊(アグレッサー)との対戦が予定されていた。

しかも仮想敵部隊の衛士は、出撃20回以上の熟練衛士たち。

さらにXM3搭載機側には機数制限があり、向こうは1小隊4機編成であるのに対し、こちらは1小隊3機編成。

彼女たちに緊張が走るが、まりもがそこにさらなる爆弾を投下した。

 

「207小隊の編成は2分することとなるが、貴様らは5名だ。よって、3名と2名に分割する。内訳は貴様らに一任する」

 

なんと3機でもハンディがあるのに、2機にするという。

しかも207小隊の対戦は、各連携実測の最後。

これでは相手がXM3に慣れてしまうばかりか、ある程度対策を講じられてしまう。

それが午前と午後に分けて行われるから、午後は更に厳しいものとなることが予想された。

 

「以前にも話したように、これも白銀少佐主導のプロジェクトの一環である。貴様らは既存OSを知らない衛士のサンプルだ。任官したての新人が、このXM3をどれだけ扱えるかを見せつけることが重要だ」

 

まりもはそう言うが、武と夕呼は207小隊が勝つと予想しているということも伝えられた。

尚更プレッシャーをかけられた気がして、彼女たちは武者震いを覚えた。

 

「なお、XM3熟練者のサンプルは私と白銀少佐であり、恐らく今回のトライアルの主役は少佐となるだろう。何故なら、私と少佐の2機で、仮想敵部隊2個小隊を相手するのだからな」

 

彼女たちは驚き、目をいっぱいに見開いた。

武の腕が一流であることは知っているが、まさか熟練のエース8人を2人で相手にするとは思わなかったからだ。

自分たち5人を一度に相手にしたことはあるが、それは自分たちが訓練兵であるからだとばかり思っていた。

加えて自分たちの後、即ち総締めとして午後の連携実測の最後に行なわれるのだという。

一番XM3に慣れた2個小隊を、たった2機で相手にするという。

そして同時に、自分たちが見たのは武の実力のほんの片鱗でしかないという事実に、彼女たちは戦慄した。

 

「私ですら少佐の引き立て役に過ぎない。貴様らも言わずもがな……だが、それに甘んじてはいかん。貴様らもこのトライアルでは重要な役割を占めているのだ。それを忘れるなよ。副司令と少佐の期待に見事応えて見せろ」

「「「はい!」」」

 

元々XM3のトライアルは、実戦証明(コンバットプルーフ)主義偏重の現場の考えを打ち砕く為に夕呼が企画したものだった。

今回はそこに武がひと工夫を加え、よりXM3の実用性を世界中に突きつけようという思惑が存在した。

また、この後予定されている計画にも、この結果は存分に関わってくるのだ。

 

「だが、私も少佐も大トリ(・・・)は貴様らだと思っている。XM3の群体(・・)が、どれほどの効果を発揮するか、ノロマな機体に乗ったエース共に見せつけてやれ!」

「「「はい!」」」

 

だがそれでも、武に期待されていると知った彼女たちのやる気は、どうやら充分の様子だった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年12月9日(金)08:17

 

 

XM3トライアル当日の横浜基地14番格納庫に、武とまりもの姿があった。

 

「おはようございます、白銀少佐」

「おはよう、神宮司大尉」

 

2人とも既に強化装備姿で、武を見かけたまりもが先に声をかけた。

まりもは直立不動で敬礼をして挨拶をする。

一方の武は、実にリラックスした様子で、何やら書類が挟まれたバインダーを片手に、軽い会釈程度の答礼をする。

 

「そう朝から固くなるな、大尉。緊張は妙薬にもなるが、時には毒薬ともなるぞ?」

 

武の言葉にまりもはハッとした様子で、肩の力を抜いた。

どうやら知らないうちに緊張していたらしい。

 

「……し、失礼しました――ですが、少佐は……その、緊張なさらないので?」

「緊張したって始まらんよ……と言いたいが、俺も存外緊張しているよ」

 

しかしどう聞いても緊張している人の姿や声ではなかった。

 

「失礼ですが、とてもそうは見受けられませんが……」

「ま、慣れってやつだな。それに……」

「それに?」

「いや、何でもない……」

 

ハイヴ攻略戦ほどではないと喉まで出かかったが、寸前のところで飲み込んだ。

自分で作った間が、やけに気まずいので話題を変える武。

 

「ところで大尉。連中、どうだった?」

「先ほども顔を合わせましたが、どうやら落ち着かない様子でした」

 

大方予想通りで納得したように頷く。

 

「そうか。大尉が上官に戻ったことは?」

「戸惑っている様子でしたが、存外、それでよかったかもしれません」

「というと?」

 

まりもは少し懐かしそうな表情をしながら言った。

きっと、過去の卒業生たちのことを思い浮かべたのだろう。

 

「――教え子たち皆がそうでしたが……私に上官として接することに、皆が戸惑いを持っていましたから」

「そうだな。特に大尉の場合、昔は鬼軍曹だったと聞いている。戸惑うのも当然だろう」

「昔の話です……」

 

鬼軍曹だった頃の話を持ち出され、まりもは少しは苦い顔と恥ずかしさからくる顔を混ぜたような表情をして、やや肩を動かした。

 

「そう言えば、俺もそうだったな……」

 

今度は武が懐かしそうな表情をしながら、天を仰いだ。

しかしその目は単に、懐かしいだけのものからくる目ではないことに、まりもは気づいていた。

時折武が見せるこの目に、まりもは疑問を持つと同時に、自身がとある感情を持っていることにも気がつく

気が付いてしまったのだ。

 

(まただ……時折少佐はこのような目をなされる――そして私は……嫉妬している?少佐の教官に?)

 

そう、武の基礎を作った教官に、まりもは内心嫉妬していたのだ。

自分が今惚れている男の軍人としての基礎を、或いは先ほどのような緊張を表に出さない強靭な精神の基礎を、作ったかもしれない武の教官に、まりもは小さな対抗心とそれ以上の嫉妬を覚えていた。

彼の所々の言を聞くに、その教官は女性であることはまず間違いなかった。

武はその教官を今も尊敬し、彼女ならこうするに違いないと思って教導をしていると、前にも言っていた。

そして……その女性が既にこの世にいないことも、彼はチラッと言っていた。

その原因が自分にあるような言い方もしていた。

何があったかは知らない。

知りたいような気もするが、やはり知らないほうがいいだろうとまりもは思う。

そう思って尚、矛盾しているのは承知で彼女は嫉妬を覚えていた。

まりもはそんな自分が恥ずかしかった。

 

(私ってば……なんて酷くて醜い女なのかしら――)

 

しかし彼女は知らない。

それの嫉妬の対象が自分であることを知らない。

知るわけがないのだ。

 

まりもは先ほどの武同様、勝手に気まずくなったので話題を変えた。

 

「……少佐、あの子たちに声をかけなくてよかったのですか?」

 

その言葉に現実に引き戻された武は、まりもの方を向いて言った。

 

「任官仕立ての気分の良いところに、俺が表れても仕方あるまい。それにそのうち嫌でも顔を合わせることになる。不要だよ」

 

だが彼は言葉を紡ぎ終わると同時に、顔をそらした。

どうやら武にも何か思うところがあるようだと、まりもは察した。

だからこそ、前から伝えようと思っていたことを、今伝えることにした。

 

「……少佐。以前からお伝えしようと思っていたのですが……」

「ん?」

「あの子たちは……「少佐―!確認お願いします!」」

 

上の方から武を呼ぶ、整備兵の声が聞こえた。

恐らく着座調整の最終確認だろうと、武は予測する。

 

「すまん大尉、また後で」

「……はい」

 

武は速足でその場を去った。

どうやらまりもが207小隊の真実を告げるのは……また当分先になりそうだった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それから時は少し進み、トライアルが始まった。

武とまりもは中央作戦司令室で再び合流し、207小隊のトライアルの様子を見ていた。

そこには伊隅ヴァルキリーズの姿もあった。

 

今日はトライアルの影響で、殆どの演習場が使えない。

このような場合はシミュレーターでの訓練になるのだが、今日は特別にトライアルの様子を皆で見ることにしていた。

この世界では、武の企画した基地襲撃事件が存在しているため、以前のようにBETAが突如現われることはない。

夕呼の施策もあって、既に基地の様子は十二分に改善されている。

なので、今回横浜事件が起きることはない。

 

速瀬が少しばかり抑揚をつけた声で呟いた。

 

「中々……やるわね」

 

何故、彼女たちヴァルキリーズが、トライアルの様子を見ているのかというと、このトライアル終了後、207小隊はA-01部隊への転属が決まっている。

なので、今のうちに彼女たちの実力を知ってもらい、尚且つ癖を見極めてもらって、今後の訓練に活かしてもらうおうと考えたのだ。

トライアルで実施する測定のうち、機体の反応測定と、機動制御による負荷の変化測定は、正直に言えば見ていて楽しいものではない。

だがそれでもヴァルキリーズの面々は、207小隊の練度の高さ、そしてある程度顕現し始めている実力にもある程度理解した様子だった。

 

伊隅は内心感動していた。

A-01はその特性上、損耗率が異様に高い。

戦力補充は基本的に白陵訓練校に依存しており、補充されることは稀である。

そして当初は連隊規模を誇った部隊も、今や伊隅率いる第9中隊、ヴァルキリーズを残すのみであった。

しかも中隊は定数割れで、人員は現在在籍している6名のみである。

そこに、まりもと207小隊5名が、かなりの練度を持って追加されることに彼女は感動していた。

だが、彼女はその感動という興奮を抑えながら、武に聞いた。

 

「少佐。本当に彼女たちをA-01に?」

「なんだ伊隅大尉。不満か?」

 

しかしその興奮を抑えた声が逆効果を生み、武は聞き返す。

 

「いえ、不満なんてとんでもない!しかし……これが白銀少佐が一から教育された新兵とは……新兵だとはとても思えません」

 

伊隅は慌てて両手を振って否定する。

 

「ま、冬の目覚めを経験して、一皮むけたようだがな」

 

それから暫くして午前の連携実測の時間となり、207小隊の戦いぶりを皆で観戦した。

 

「新任にしては判断が柔軟ですね」

 

宗像が千鶴たちの指揮、戦術をそう評した。

 

戦術や戦略、作戦というものは、特に奇抜さを求めているわけではない。

我々の知る史実の世界では、ナチスドイツのアルデンヌなどのフランス電撃戦から、戦術というものは奇策妙策を使うものだと勘違いされやすい。

電撃戦は確かにインパクトそのものは強いが、その根底にあるのは、戦術の常識の1つである包囲殲滅なのだ。

歩兵で包囲するのと、戦車で包囲するのでは、明らかに後者のほうが速く強いというだけなのである。

要は何が言いたいかというと、戦術に奇策妙策はいらず、8割は定石だけで勝てるのである。

 

その点でいえば、千鶴の指揮はその殆どが定石に則ったものであり、奇抜さは存在しない。

しかし初期の作戦に固執することなく、作戦を変更し、別の定石に変更する柔軟性が多少なりともあると、宗像はそう評したのだった。

あくまで新任にしては、という前提条件が存在するが、それでも千鶴の指揮が昔とは変わっていることが、これだけで見て取れる。

特に作戦指揮で難しいのが、数で相手に劣っている時である。

前述のように彼女たちは、仮想敵部隊に対して数で劣っている。

にもかかわらず、十分な指揮をとれているという事実が、千鶴たちの成長を表していた。

 

「使えそうか?」

 

武が宗像の声に反応して聞いた。

 

「はい。将来が楽しみです」

「そうか……」

 

武はそう返答すると、以降何も言わなくなってしまった。

しかし彼の隣に立つまりもはわかっていた。

彼のこの表情は一見普通だが、恐らく内心喜んでいるのだろうと。

自分の教え子たちの成長を、ヴァルキリーズに認められて内心嬉しいのだろうということに。

まりもは一瞬軽く微笑んでから、自身も表情をすぐに普通に戻した。

そんな彼女に武は言った。

 

「そろそろ時間だな。行くぞ、神宮司大尉」

「はい」

 

そろそろトライアルの調整やらなんやらがあるので、本来2人がいるべき管制室に向かうため、武はまりもを伴って歩き出す。

だが、ふと思い出したかのように振り向いて皆に告げる。

 

「……各自、午後は好きにしてよろしい。訓練するもよし。このままここで見ていてもよし――判断は任せる」

「「「はっ」」」

 

ヴァルキリーズの威勢の良い返事を聞いて、武は部屋を後にした――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それから管制室に移動し、午前のトライアルの評価を確認し、概ね予想通りの結果に武は内心安心した。

既に午後のトライアルは始まっており、それを見つつ、207小隊の操作記録を手に、まりもと話す。

 

「――小隊評価はどちらもA、個人評価も全員、90後半……か」

「当然の結果、ですか?」

 

まりもも隣で何やら書類を片手に話す。

 

「いや、これはあいつらの努力の賜物だよ」

 

そう言いながら武は記録をペラペラとめくる。

そしてそうして目を通しながら、色々と作業をしている間に、やがて午後の連携実測の時間となった。

 

「やるな……この状況で強行突破とは」

 

207小隊の戦闘を、千鶴の指揮を見ながら武はそう呟いた。

 

「以前の少佐の動きを、参考にしたのではないでしょうか?」

 

まりもの言う参考にした動きとは、武が1人で207小隊、当時の207B訓練小隊を相手にした時のことだろうと思い返す。

あの時、武を包囲しようと動いた彼女たちが陣形を整える一瞬の隙をつき、強硬突破で陣形を突き破り、千鶴を撃墜したことがあった。

その苦い経験を、千鶴は自ら応用したのだ。

相手が突出した前衛を半包囲しようと動いたところを、逆に強硬突破して陣形を崩しにかかったのである。

 

「恐らく榊の発案だろうが……あいつも宗像の言うように柔軟性ができてきたな。まぁ元々のポテンシャルは高いから、当然と言えば当然だろうが……」

 

当然と言いつつ、少し声に嬉しさが混じっているようにまりもは感じた。

 

「これも少佐の教練の賜物でしょう」

「俺を褒めても何も出ないぞ?大尉」

「事実を述べただけです」

 

こういう感じで言葉を交わしながら、武とまりもは207小隊を見守っていた。

 

そして戦いが207側の勝ちであることを見守り、2人は管制室を後にした。

次の自分たちの番、つまりはトライアルの総締めである、最後の連携実測の準備の為に格納庫内を歩いていた。

 

「しかし、2戦目はよくやりましたね。機体とOSに差があるとはいえ、この結果は……元教官としては嬉しい限りです」

 

管制室でも確認可能だが、格納庫内の大型ディスプレイに表示されているトライアルの評価を目の前に、まりもが言った。

 

「ああ。さすがに今度は誰か1人は墜ちるとは思っていたんだがな。いずれにせよ、こうも良い成績を出してくれると、中々に嬉しいものだ」 

「ええ、まったくです」

 

そして自分たちの不知火に搭乗するため、まりもたちが再び歩き出すと、遠くに帰還した207小隊の姿が見えた。

自分たちが見ていたディスプレイとは別のディスプレイを前に、見知らぬ衛士たちと何やら話をしているようだった。

一瞬、絡まれているのかとまりもは心配したが、その衛士たちは彼女たちの肩をバシバシと叩いていた。

笑い声がここまで聞こえる事から、おそらく彼女たちの健闘を称えているのだろうと判断した。

 

実は先ほど、このトライアルは207小隊の概念実証型のXM3と量産型のXM3によるトライアルだと説明したが、本当は概念実証型など存在しなかった。

この世界では、XM3は既に完成体の八咫烏から抜き取ったということもあり、最初からXM3は完成していた。

なので207B訓練小隊には、最初から量産型が導入されていた。

彼女たちがやったのは、自分たちの機体フィードバックを貯める作業でしかなかった。

つまり、今回のトライアルは量産型と量産型のトライアルで、正直に言えばトライアルの意味はない。

しかし対外的(・・・)には、前述のように概念実証型と量産型の比較試験と偽って伝えられている。

また、概念実証型だとされる207側のXM3の公開データは、意図的に性能を下げて(・・・・・・・・・・)公表している有様だ。

 

では、なぜそこまでしてこのトライアルを実施するのか。

それは2つの意味がある。

1つは、前述のように実戦証明主義偏重の現場の考えを打ち砕く目的があること。

そしてもう1つは、武と夕呼が企画したとある計画の実現の1つとして、このトライアルを実施する必要があったのである。

その計画はいずれ明らかになるであろう。

そう遠くないうちに。

 

彼女たちが、エースたちに讃えられていることに気付いていない武に、まりもは言葉をかけた。

 

「少佐、あそこを見て下さい……仮想敵部隊の衛士たちのようです」

「――ふむ、あれが歴戦のエース達か。さすがにいい面構えだな。やや厳つすぎる気もするが……」

 

武も彼女たちが褒められていることに気づいたのだろう。

軽く笑みを浮かべてその方を向いて、少しばかり立ち止まる。

まりもはそんな武を一度見てから、自身も笑みを浮かべる。

 

「――さて、そろそろ我々も準備しよう」

「はい。教え子たちに負けてはいられませんね」

 

2人は気合を入れて、それぞれの不知火に向かった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それから暫くして、XM3トライアルの締めとなる、武とまりもによる連携実測が終わった。

武はコクピットから降り、まりもと共に管制室へ向かう為に歩いているところで、北欧系の白人の大男に呼び止められた。

 

「アンタがシロガネ少佐ですかい?」

「そうだが?」

 

振り向いたことで相手が誰であるかを把握する。

さっき207の面々と話していた、仮想敵部隊の衛士の1人だ。

 

「大尉、先に行っててくれ」

 

一体何が目的か、大方の察しがついている武は、まりもを先に管制室へと向かわせる。

そんなまりもは、武を心配する目配せをするが、彼は大丈夫だと大男に見えないようにウィンクした。

それに少し頬を紅く染めたまりもだったが、すぐに意図を理解して立ち去る。

 

「ちょっと付き合ってもらいたいんで」

 

そう言って大男は後ろを指す。

指先が指す方には、武にとっては見慣れた3名の中尉たちがいた。

その内訳は、トレッドヘアの男、頭にバンダナを巻いた女、そして……忘れもしない、インドラ・サーダン・ミュン中尉だった。

武が無言で頷くと、大男はその中尉たちが集まっている方に向かって歩き出す。

そして着くなり、武は振り向いた大男を含む4人に囲まれた。

 

「へぇ……貴方が……シロガネ少佐?」

「この人が?とてもあの不知火の衛士には見えないけどねぇ」

 

2人の疑いの声に、大男が確信した様子で話す。

 

「あの隊の男はこの人だけだ。間違いない」

「オイオイ、見た目だけで判断すりゃ、おまえなんてメスゴリラだろ。とても戦術機を動かせるようには見えねぇけどな?」

「「「はっはっはっはっはー」」」

 

何やら勝手に盛り上がる面々に、武はややあきれ気味に声を発する。

 

「……それで何の用だ?俺はここで油を売れるほど、暇ではないぞ」

 

この後起きるであろう出来事を予想し、やや不機嫌な声になる武に、周りは本題に入った方がよいと思って、本題に入った。

 

「あのOS、シロガネ少佐が考えたと聞きましてね」

「そうだが?」

 

そう答えると、全員が無言となり、グイっといきなり武に詰めかけた。

そして、ドレッドヘアの男の手が武の頬へと勢いよく向かってきた。

武は一切動じることはなかったが、その手が頬に当たるであろうことを予感したが――。

 

「やってくれましたねぇ!」

「……は?」

 

武の予想とは裏腹に、その手は彼の肩を捉えて、勢いよくバシバシと叩いた。

まるで相手が上官であることを忘れたかのような、そんな勢いだった。

 

「少佐の脳ミソは最高ですよ!」

「全く……どこからあんなOSの発想が出てくるんですかねぇ」

「あれが採用されたら、とんでもねぇ騒ぎになりますぜ?特に最前線では」

 

矢継ぎ早に声を掛けられ、想像とは違いやや唖然とする。

てっきり殴られるものだと思っていたから尚更だ。

しかしそこは歳の功か、顔には一切出ず、相手からしてみればやけに冷静な上官に移ったことだろう。

 

そしてここまできて、ようやく色々と思い出した武だった。

そう言えば、こうやってXM3がしっかりと手順を踏んで配備されるのは随分と久しぶりのことだったと思い出す。

場合によっては、前線が……世界が崩壊しかかった状態で、大したデータもなく無理矢理実戦投入したこともあり、なんてものを使わせるんだと、前線の衛士や整備兵から殴られた記憶もあった。

どうやら色んな世界の記憶が混濁していたようだ。

 

何はともあれこの世界ではすごく喜ばれていることを、実際に体感した武。

先ほどまでの思いとは裏腹に、急に喜ばしい感情が脳全体を支配した。

その感情を抑えつつ、冷静な声で彼らに聞き返す。

 

「気に入ってくれたか?」

「そりゃぁもう!あんなとんでもねぇ動きを見せられたねぇ。少佐の操縦技術にも圧倒されましたが、あのOSの凄さは、新任共にやられた時から実感してましたよ!」

「一体どういう手品ですかい?あのアクロバットは?」

 

色々矢継ぎ早に質問が飛んでくるが、実は武にはそんな時間の余裕がなかった。

なので喜んでくれる彼らに、本当は一から丁寧に教えてやりたいのを泣く泣く我慢し、彼らに告げる。

 

「操縦記録は公開している。それを参考にしてくれ。なぁに、お前らほどの腕ならすぐに出来るようになる」

「それは褒めてくれてるんですかい?」

「勿論だ。お前らは中々にいい腕をしている」

 

OSの発案者兼とんでもない動きをする、凄腕衛士の上官に褒められたことで、彼らは満面の笑みを浮かべる。

 

「すまんが、この後予定が詰まっててな。行かなくてはならない……いいかな?」

「いえいえ!呼び止めてすいやせんでしたね!」

 

そう言って武は歩き出し、彼らの脇を通り過ぎたが、すぐに立ち止まって数秒ほど動かなかった。

立ち去ると思われた武が、途中で立ち止まったことに彼らも気づき、不思議そうに彼の後ろ姿を見た。

そして武は半分ほど振り向いてこう告げた。

 

「――貴様ら、死ぬなよ……」

 

実は、ミュンには少し軽い思い入れというか、ちょっとした世話になった経験があったが故の、ちょっとした武の配慮だった。

無論、この世界の話ではないので、向こうは知るはずもないが。

 

兎に角、初対面の凄腕の衛士が、まさか自分たちを気にかけるような言葉をかけてくれるとは思わず、一瞬理解できず固まってしまったミュンたち。

しかしそこは長年戦場を駆け回ってきただけはあるようで、すぐにその言葉の意味するところを理解し、彼女たちは直立不動の敬礼をして威勢よくこたえた。

 

「「「はっ!」」」

 

武は軽く頷き、片手をヒラヒラさせてその場を立ち去った――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年12月10日(土)

 

 

XM3トライアルの翌日、場所は帝国国防省の一室。

 

そこに本来この場にいるはずのない女性が、呼び出しの時を待ち続けていた。

しかし、この部屋には彼女しかいないと言うのに、部屋の空気はかなり悪い。

とても重苦しく、給仕に来た妙齢の女性があまりの雰囲気の悪さに怯え、お茶を出すとすぐに逃げ出した。

その後に資料を届けにやってきた少尉も、あまりの場の威圧感に耐え切れず、資料に軽く補足説明を入れた後、こちらもすぐに退散してしまった。

どうやったらこの年若い峰麗しき女性が、これほどの迫力を持つのか、その少尉は逆な意味で感心したほどだった。

 

本来、この待ち時間の間に渡された資料に軽く目を通さなければならないのだが、彼女はその苛立ちからか、それをすることを忘れていた。

ただソファーに座り、拳を強く握りしめ、何やら俯き、呼び出しの時間を待ち続けていた。

 

「――あれは……私やブリッジス少尉、アルゴス試験小隊が全力を注いで練り上げた機体なのに……っ!?」

 

女性はそうボソッと呟いた。

丁度その時だった。

部屋の内線電話が、まるで忘れられていた存在感を示すかのように、高らかとその音を鳴り響かせた。

しかし女性は、突如として鳴り響いた電話に驚くことはなく、ゆっくりと握りしめていた拳を緩め、右手を伸ばして受話器を緩慢とした動作で取った。

 

「はい」

 

本来なら、電話に出ると同時に名乗らなければならないのだが、普段は真面目な彼女に反して、それを忘れてしまっていた。

要件はやはり呼び出しであった。

彼女はチラッと横目で時計を確認する。

予定よりかなり早いようだが、恐らく向こうは順調以上に事が進んだのであろうと予測する。

彼女は悔しさからか、唇を嚙み締める。

しかも電話口の男性は、かなり上機嫌であったこともその要因の1つであった。

 

受話器を置き、彼女はゆっくりと立ち上がる。

そして呼び出された会議室に向かうため、部屋を出た。

途中、幾人かの軍人や軍属とすれ違ったが、その人々は彼女を避けるように、いや極力気配を消して彼女の隣を通り過ぎていた。

その間、上官とすれ違うことがなかったのが、不幸中の幸いだろう。

 

やがて目的の会議室に到着し、彼女はドアをノックした。

流石に今回は名乗らなければならないので、彼女はその美しい声をややいつもより低めにして名乗った。

 

「篁唯依中尉、お呼びにより参上致しました」

 

しかし彼女は知らなかった。

その扉の先にいるとある男が、己の人生を大きく変え、運命の出会いとなることを――。

 



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Episode38:出張準備

Episode38:出張準備

 

 

2001年12月10日(土)

 

 

「素晴らしい……」

 

帝国国防省の一角の会議室で、巌谷榮二中佐は感嘆の念からそう唸った。

同席する他の面々も、きっと巌谷の言葉に同意するであろう。

いや、同意しなければおかしいとすら彼は思っていた。

最もこの部屋にいる者たちは、巌谷の認めた優れた軍人兼技術官僚たちだ。

その他の者たちも、ただのお歴々ではなく、この国が誇る英傑たちだ。

その心配はないだろうと彼は思う。

 

数日前、この巌谷の元に夕呼からとある要望もとい、命令が伝達された。

内容を要約すると、XM3をやるから取り敢えず不知火弐型を2個中隊分よこせ、というものだった。

この命令がくる半月程前から、彼はXM3の存在を知っていた。

即ち、帝国軍が撮影した伊隅ヴァルキリーズの新潟での戦闘映像。

それと意図的に流された、吹雪と武御雷4機の模擬戦の映像である。

これを見たとき、是が非でもXM3が欲しいと思っていた。

夕呼が帝国へのXM3の引き渡しを匂わせる発言をしていたこともあり、やや期待感が高まった。

だが同時に、あの横浜の魔女のことだから、必ず何か対価を要求されるであろうことも、容易に想像ができていた。

そしてその要求はついにやってきた。

それがXM3と不知火弐型の交換だったのである。

付け加えて、こちらが要望する都度に必ず不知火弐型を供出すること、という条件まで付いていた。

 

巌谷は後に回想する。

殺意を持たなかったと言えば噓になる、と。

不知火弐型をアラスカに引き取りに行く名代として、またその挨拶として武を派遣すると言われた際には、どのような人物か見極めてやろうと思っていた。

最初、巌谷は武の名を、新OSの教導者の名という程度の認識だった。

だが先日公表されたXM3トライアルの結果と、件の新OSの発案者が以前認識した名前と同一人物だと気付き、かなりの期待感を覚えた。

トライアルの連携実測を見たときは、歴戦の衛士である神宮司大尉と共に、超一流の衛士であると理解した。

武の公開されたプロフィールを見るまでは、巌谷はそのような高い評価を抱いていた。

ところがつい先日公開された武のプロフィールも見て、驚きと共に怒りを覚えたのも事実。

この経歴が、自身と同程度の年齢の者なら納得もしよう。

しかし幾らあの魔女の副官であるしても、流石に若すぎたのだ。

あの時、巌谷はこう思った。

 

(作られた経歴だと言われた方が、まだ納得はする……それ程までに、この白銀武少佐の経歴は出来過ぎている。到底、信じられる話ではないし、何より若すぎるのだ……この様な出来過ぎた経歴の男を作って、一体横浜の魔女は何を考えている?ただのサボタージュにしてはやり過ぎだ。他に何の目的があって――いや、いずれにせよこのような男を名代として送るとは、あまりにも我々を馬鹿にしている……)

 

というように、惨憺たる印象になっていた。

 

そして今日表れた武を見て、巌谷は更に怒りを覚えていた。

エレナ・ブレアム少尉と名乗る武の副官は、自身の可愛い娘のような存在である唯依に近いしい年齢だと思われるが、武の方は完全な若造に見えたのだ。

この世界の武は、元の世界の彼と比べて、かなりがたいのいい好青年に見える。

しかし見方によっては、ただの体格の良いだけの少年兵である。

加えて普段横浜で見せているような上官としての威厳や、威圧感がまるでと言っていいほど感じられなくなっていた。

これは武が考えた演出だった。

若い威厳漂う少年より、謙虚な青年を意識した彼なりの結果だったのだ。

だがそれは彼の思惑に反し、逆効果となってしまったのである。

 

巌谷にしてみれば、試製99型電磁投射砲のコア技術について、横浜に大きな借りがあったと認識している。

帝国軍の上層部たちは、99型の借りを作る、作らないは、こちらにイニシアティブがあると思っていたようだが、夕呼はそんな甘い女ではないと彼は思っていた。

またそれを抜きにしても、オルタネイティヴ計画に必要と言われれば、協力を謳い、誘致している帝国としては、協力せざるを得ない。

加えて先日、悠陽より直々に横浜には協力を惜しまないようにと厳命されたこともあり、巌谷は渋々不知火弐型の供出に同意した。

それは彼の自尊心を大きく損なうものでもあった。

前線で命を懸けて戦う衛士のためを思い、この不知火弐型の開発計画を彼は立てた。

その為には色々な手段や根回しを講じて、やっとの思いで開発にこぎ着けたのだ。

それを思えば、前線で戦うために作ったこれを強く要望されるのは、ある意味本望と言えば本望だが、まさか最初の配備が帝国軍ではなく、国連軍だというのは、正直彼にはショックだったのだ。

 

故に巌谷は当初、武に対し厳しい目線を以て出迎えた。

それは武も感じ取れるほどには、表情や雰囲気ににじみ出ていた。

だが当の武はそんなことは気にせず、彼らとの会談を始めた。

 

武は淡々と彼らにXM3の実用性の説明や、先日のトライアルの解説を行った。

自分がどういう印象を持たれようがそんなことは構わず、このXM3を受け入れてもらうことだけに注力した。

それが良かったのだろう。

武に対する巌谷の感情は次第に緩んでいった。

説明を受けるうちに彼が優秀で一流な衛士かつ、とても聡明で実直で真面目な男だと理解したからだった。

何より、この場に同席している帝国軍の紅蓮大将や、斯衛軍の神野大将などが、彼に敬意を払いながらその言葉に耳を傾けているというのも大きかった。

巌谷は己の器量の狭さ、見た目や印象、なにより自身の先入観に引きずられたことに対し、心底後悔をした。

 

「……以上が先日のトライアルの結果、及びXM3の説明となります」

 

武は一礼して説明を終え、壇上から自らの与えられた席に戻った。

 

場が沈黙に支配される。

それは悪い意味での沈黙ではなく、皆XM3の素晴らしさ、そして武の文句の付けようのない説明に言葉を失っていたからだった。

 

「素晴らしい説明をありがとう。白銀少佐」

「光栄です。神野大将」

 

斯衛のトップに位置する神野が、幾ら夕呼の部下とはいえ、一介の国連軍少佐に礼を言うのは異例のことであった。

それだけ彼らは武の作ったこのXM3に感動していたのだ。

 

「この横浜でのトライアルの結果。そして今回の説明で十分、XM3の有用性は確かめられた――斯衛軍としては是非とも、このOSを導入したい」

 

神野の発言に、紅蓮が同調した。

 

「それは我ら帝国軍とて同じこと。異論はないな?巌谷中佐」

「勿論です、紅蓮大将」

 

話を振られた巌谷は即刻同意した。

何故ここで紅蓮が彼に話を振ったのか。

それは前述したように、不知火弐型2個中隊分との引き換えでXM3を提供するという条件があるからだった。

上位者である紅蓮がそうだと言えば、基本的に巌谷に拒否する権限はないが、現在不知火弐型を扱う総責任者は彼である。

故に確認を取ったのだ。

その巌谷は紅蓮の方を向いて頷いた後、武の方を向いて口を開いた。

 

「――白銀少佐、一つ聞きたい。本当に不知火弐型と交換でこのXM3を提供して頂けるのか?」

 

巌谷のこの疑問は最もであったが、武は即座に頷いた。

 

「無論です」

 

巌谷は驚く。

このXM3はまさに天変地異とも呼べるべき存在である。

その実用性は、既に新潟での実戦や吹雪と武御雷の模擬戦、そして何より先日のトライアルで証明されている。

これは言わば伝説の宝剣レベルのものなのだ。

それほどのモノを、心血注いで作ったとはいえ不知火弐型2個中隊分程度と、等価交換するというのはあまりにも出来過ぎた話なのだ。

 

武が素晴らしい将官であるということは理解した。

だが、巌谷はまだあの横浜の魔女が、この程度でXM3をこちらに提供するとは考えていないのだ。

それにあくまで目の前の男は、あの魔女の副官。

完全に信用しきった訳ではなかった。

そんな巌谷の心のうちを知ってか知らずか、紅蓮が口を開いた。

 

「横浜は……かの香月博士は我らが帝国に、これ以上何も要求しないと?」

 

先ほどまでの融和的な態度はどこに消えたのか。

そこにいたのは厳格な軍人。

見る者を委縮するような視線で武を捉えていた。

だが、武はその瞳を正面から捉え、こう答えた。

 

「――はい。これ以上は何も申しません。強いて言えば、甲21号作戦に帝国軍と斯衛軍……双方の今まで以上の協力をして頂けるのであれば、こちらから他に求めるものはありません」

 

紅蓮は目を細めて武を見た。

受け取り方次第では、疑いの目にもとれるそれは、恐らく大半の者はそう受け取ったことだろう。

そして場に沈黙が流れた。

それは疑い、驚き、戦慄などの様々な感情が入り乱れた沈黙だった。

当の巌谷も同様だった。

 

その沈黙を破ったのは、紅蓮と親しい神野だった。

 

「紅蓮……それぐらいにしておけ。白銀少佐、横浜の願い……我らはしかと受け取ったぞ」

「国連を代表して感謝を申し上げます。神野大将」

 

これは……上手く謀ったと、エレナは理解していた。

 

つまりはこういうことである。

夕呼の過去の行動からして、XM3と不知火弐型の等価交換などといううまい話がある訳がない、と普通なら思う。

要はこの話には裏がある、とこの場にいる大半の者はそう思う。

しかし事実として、この話にこれ以上の裏はない。

だが周りの者は当然正直にこの話を受け入れない。

紅蓮もその1人であるという芝居をうったのだ。

帝国軍の最高位である紅蓮も疑っている、この事実が周りの者には重要なのだ。

そして神野もそれに加担した。

今のやり取りで、周りの者はきっとこう思っただろう。

やはりこの話には裏があり、密かに上層部で密約か何かがなされている、と。

そう誤解をさせたのだ。

言わずもがな、そのような密約は存在しないし、今では紅蓮も神野も夕呼の協力者の1人となっている。

何故なら、冬の目覚めの事件前夜(Episode32)に、夕呼に対する誤解がある程度解けたからである。

 

この謀に気づいた者がこの部屋に何人いるだろうか。

少なくとも、この謀を演じている当人たち以外に気づいた者はいなさそうだと、エレナはリーディングで見て知っていた。

いや、どうやら1人だけ気づいた者がいるようだった。

巌谷である。

何があったから知らぬが、紅蓮と神野が魔女に信頼を寄せていることを、彼はこの僅かな間に察し、この芝居を咄嗟に見抜いたのである。

巌谷は何があったか知らぬが、己の上層部が横浜の魔女を信頼していること、そしてその魔女の悪名を利用したこの謀に心底敬服した。

 

なお、神野の言う願いというのは、完全な噓八百ではない。

武はとある願いを帝国軍とは別に、独自に斯衛軍に出していた。

その願いと言うのは、後に判明することになるので、ここでは触れないこととする。

 

「では各々方、不知火弐型を横浜に提供するということで、異論はないな?」

 

紅蓮のその言葉に全員が頷いた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それから少しだけ時は進み、先ほどと同じ会議室に紅蓮と神野、巌谷の帝国側の代表3人と、国連軍の代表である武とエレナの5人のみが残った。

他の軍人たちが部屋から出て、その気配が遠くの彼方に消えたことを確認してから、武は口を開いた。

 

「改めてお礼申し上げます、巌谷中佐。と同時にお詫びも申し上げねばなりません。心血注いで作られたであろう不知火弐型を、国連が横取りするよう形になったのですから」

「いや、元々前線の衛士のために作り上げた機体です。所属は違えど、最前線で戦う衛士のために提供することに、何のためらいがありましょうか」

 

巌谷は自分たちに最大限配慮をする武の人柄に、好意を抱いていた。

前述したように、彼が優秀な衛士で尚且つ、とても聡明で実直で真面目な男だと既に理解したからである。

 

「そう言って頂けると、私としても良心の呵責が和らぎます。その為にも甲21号目標、佐渡島ハイヴを全力で落としてご覧に入れます」

 

巌谷は内心驚いた。

帝国の悲願である佐渡島の奪還を、国連がやろうというのだから。

 

「佐渡島の奪還、それは我ら帝国の悲願である。それを帝国と国連で……」

 

紅蓮がそう口にしている時、会議室のドアがノックされた。

全員の視線がそちらの方を向いた。

巌谷が紅蓮の言葉を遮ってしまったこと詫びた上で入室の許可をだし、礼儀正しい作法で入室してきたのは、斯衛の黄を纏った1人の美少女だった。

彼女は敬礼をしながら自らの姓名を名乗った。

 

「篁唯依中尉、お呼びにより参上致しました」

 

篁唯依。

譜代武家である篁家の当主であり、斯衛軍中央評価試験部隊白き牙(ホワイトファングス)の指揮官である。

現在は国連軍に出向の身であり、日米共同戦術機開発計画のType-94不知火改修計画、XFJ計画の日本側開発主任として先日までアラスカに赴いていた。

 

「ご苦労である、篁中尉」

「はっ、ありがとうございます」

 

神野が労いの言葉をかけ、唯依は再度敬礼をしてその言葉に対する礼を述べた。

 

「白銀少佐、こちらはXFJ計画の日本側開発主任である篁唯依中尉です」

 

巌谷がわざわざ席を立ち、唯依の隣に立って改めて彼女の紹介をした。

武も席を立ち彼女の前まで行ってから敬礼をして名を名乗る。

 

「国連軍白銀武少佐です。お噂はかねがね伺っております。不知火弐型の開発、大変ご苦労様でした」

 

そう言って武は握手の為手を差し出した。

唯依は一瞬戸惑いながらも、その手を軽く握り返した。

 

「いえ……」

 

武からの労いの言葉に、唯依はそう言ったっきり黙ってしまった。

巌谷が少し目を細めて彼女を見たが、当の本人はまるで仏像のように表情を変えず、ただただ武を見ているだけだった。

 

「取り敢えず皆席に着きましょう。立っていては話もできませんから」

 

神野が折を見て席に着くように促したことで皆が席に着き、話が本題に入ることとなった。

 

この時点で唯依が不知火弐型の国連軍への提供について、かなりの抵抗感を持っていることを、この部屋にいる誰もが理解していた。

その点を考慮してか、巌谷はやけに慎重に国連軍への不知火弐型の提供意義について説明しているように感じた。

だが、それはどうやら無駄ではなかったようで、入室時はかなり険しい顔をしていた唯依だったが、説明が進むにつれてその険も失せ、穏やかとはいかないものの、かなり柔らかい表情になっていた。

武は知ってはいたが、よほど父親代わりである巌谷を、唯依が信頼していることを改めて理解した。

 

「……なるほど。そういう事であれば喜んでご協力致します」

「ありがとう、中尉」

 

どうやら唯依の中での心は決まったらしく、不知火弐型の提供に彼女も同意した。

 

「篁中尉。良い機会だ。貴様も白銀少佐と一緒にアラスカへ戻ってはどうだ?急な話だが、帝都でやり残したこともあるまい」

「……はい。案内役、喜んでお引き受け致します」

 

言葉とは裏腹に、まだ何かしら思うところがあるようで、唯依の表情は少し芳しくない。

そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、巌谷は次の話題に向かった。

 

アラスカまでのスケジュールは事前に国連軍、いや正確には横浜から帝国側に伝えられており、それはアラスカ側、つまりプロミネンス計画側にも恐らく今頃通達が行っているはずだ。

なのでスケジュール調整は恙なく取り纏められた。

1つ予定外だったのは、先ほどの唯依の武への案内役の件であり、案内役ということもあって、武は唯依と共にアラスカに赴くこととなった。

 

その後、開発主任である唯依もこの場に参加したことで、XFJ計画の詳細データが武に提供され、不知火弐型の開発推移の説明を受けた。

なかなか波乱万丈な開発だったのは、どうやらこの世界でも変わりはなかったようだ。

武は資料をパラパラとめくりながら流し読みしていると、とある名を見て、その手の動きを止めた。

 

「ユウヤ・ブリッジス少尉……日本と米国のハーフ、ですか」

「……」

 

武は敢えて興味深そうに言う。

 

「政治的理由のせいで、弐型の開発をハーフとはいえ米国人に担当させねばならなかったことは、さぞご苦労様なさったことでしょう」

 

まずは外堀から攻めてみることにした武。

 

「ほう、お気付きでしたか」

 

巌谷と唯依が驚きの表情を浮かべる。

 

「それくらいは分かります。日本と米国では、戦術機の全ての面で思想が異なります。寧ろ、米国人は接近戦を好む傾向のある日本人を馬鹿にする傾向がありますからね。トップガンのエリートとはいえ、米国の衛士に開発を担当させる理由は、政治的理由以外に考えられませんから」

 

巌谷は武の頭脳明晰さに改めて感服し、唯依もまさか開発初期にあったユウヤの接近戦を馬鹿にする風潮を言い当てられたことで心底驚いた。

 

「仰る通りです、少佐。我々としても歯がゆい決定でしたが、彼もやはり米国側で開発を担当していただけのことはあり、良い結果を残してくれました」

「そのようですね」

 

武はこの時点で不審に思う。

何故、ユウヤの話題を出したにも関わらず、あの話(・・・)が浮上してこないのかを。

武はエレナに目配せをする。

すると、彼女から脳内にプロジェクションでその答えが返ってきた。

その内容に武は心底驚く。

それは若干彼の仕草に現れてしまったようで、巌谷が彼に問いかける。

 

「どうかされましたか?少佐」

「いえ、それで彼はまだアラスカに?」

 

武は視線を巌谷から唯依に移し、問いかける。

 

「はい。アルゴス試験小隊はXFJ計画という任務を終えたので、次の任務に向けて待機している状態となっています」

「そうですか。でしたら会って直接礼を言うことができますね」

 

巌谷は本日何度目か分からない武の性分に感服した。

不知火弐型を開発してくれた衛士たちに、直接礼を述べたいなどと、余程のことがなければ出てこないセリフだろうと。

 

「是非そうしてやってください。彼らも喜ぶことでしょう」

 

巌谷は満面の笑みでそう言った。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年12月12日(月)

 

 

場所は日本と数千キロ離れたアメリカ合衆国アラスカ州。

その中央部を流れるユーコン川に建設されたユーコン基地。

その基地の一角の小さいブリーフィングルームに、武が何やら気にかけていたユウヤ・ブリッジス少尉の姿があった。

彼は何やら思い詰めた様子で、部屋の椅子に腰かけ腕を組んでいた。

 

「おーす、ユウヤ、早いな」

「……」

 

真っ先に部屋に来ていたユウヤに声をかけたのは、イタリア共和国陸軍出身の、ヴァレリオ・ジアコーザ少尉。

通称VG(ヴィージー)だ。

ラテン系特有の軽いノリの持ち主で、彼の方はいつもと変わらぬ様子であった。

彼は自らの席に着き、ユウヤの方を向いて話しかける。

 

「おいおい、朝っぱらから何しけた面してんだぁ?」

「……」

「まぁお前のことだから眠れなかったとか、そんなところか?」

「……」

 

何を言っても反応しないユウヤに、VGはやれやれと言った手つきを顔で、扉の方を見た。

するとそこには、まるで彫刻を連想させるような美貌とナイスバディの持ち主である、スウェーデン王国陸軍出身の少尉、ステラ・ブレーメルの姿があった。

 

「おいユウヤ、ステラが来たぜ」

「……」

 

それにも反応がないユウヤに、VGがついに呆れた顔をする。

その間にステラも着席し、ユウヤの方を見た。

 

ユウヤの脳内を占領していたのは、昨日の同じ国連軍横浜基地から公開された、新OSのスペックと特徴、そしてそのトライアルの記録と映像の内容だった。

いや、それもあるだろうが、それ以上に気になっているのが吹雪と武御雷の模擬戦闘の映像であった。

トライアルの映像だけでも十分衝撃であり、言葉を失うには十分だったが、それ以上にあの模擬戦のインパクトは凄かった。

あれを見たアルゴス試験小隊は言葉を失った。

合成かと疑いたくなったが、その疑いを帳消しにできるほど、あの映像はヤバかったのだ。

 

公開情報には、XM3の発案者のプロフィールも含まれていた。

当初、自分と同じ年齢ぐらいの少年があれを思いついたのかと驚いたが、まぁ自分だって少尉として開発衛士をやっていたのだから、多少レベルが違うが、特に不思議な話ではないとユウヤは思った。

ユウヤはこれがつまらない意地だと気づくのに多少の時間を有したが、自分だって衛士の端くれだ。

腕1つでここまできた訳だから、誰にも負けたくないという思いは当然ある。

あの年齢で少佐というのは特異だろうが、ソ連のジャール大隊には、年端もいかない少年少女が自分以上に一人前に戦っていたのだ。

そういう事もあるだろう程度の認識だった。

 

だがそれはあのトライアルの映像と、模擬戦の映像を見るまでの話。

よくよく冷静に考えれば、その奇抜な発想力に感服していたはずだ。

それに気づけなかったのは、ユウヤがまだまだである証拠であろう。

 

兎に角、ユウヤは巨大な衝撃と圧倒的な敗北感を味わった。

純粋な戦術機の操縦技術。

張り合う気すら起きなかった。

それほどまでに格が違い過ぎたのだ。

アルゴス試験小隊の一員で、戦闘に秀でた勇猛な山岳民グルカ族出身、格闘戦と操縦技術なら誰にも負けないと豪語するタリサ・マナンダルですら、言葉を失い自室に引っ込んでしまったくらいだ。

 

VGが溜息を吐いて、つい先ほどアルゴス試験小隊の指揮官である、イブラヒム・ドーゥルから得たばかりの情報を彼の耳に入れる。

 

「はぁ……おいユウヤ、実は今日日本から94セカンドを取りに来る担当者が来るらしいんだが、その担当者な……どうやらあのシロガネ少佐らしいぜ」

 

つい先ほどまで殆どVGの言葉が耳に入っていなかった流石のユウヤも、94セカンド、即ち不知火弐型とシロガネという単語を聞いて聞く耳を取り戻したようだった。

 

「……何ッ!?それ本当か!?」

「お?やっと返事をしたな」

 

VGが笑みを浮かべながら、彫刻からもとに戻ったユウヤを歓迎した。

 

「おい、それでどうなんだ!?」

 

鬼気迫る様子で問い詰めてくるユウヤに、VGはまるで犬でも宥めるかのようにしながら続ける。

 

「まぁまぁ落ち着けって――本当の話みたいだぜ。さっきイブラヒムの旦那が教えてくれたんだ」

「……そうか」

 

だがその話が真実だと分かったユウヤの反応は、VGが思ったよりかは大人しいもので、また腕を組んで黙ってしまった。

そんな彼にVGが次に言葉を発しようとしたその時、扉の方から勢いの良い声が飛んできた。

 

「VG!さっきの話、本当か!?」

「おう、タリサ。本当だぜ。イブラヒムの旦那が直接、ハルトウィック大佐から聞かされたそうだからな」

「そうか……へへへ~」

 

さっきは勢いの良い面構えだったのに、急にニヤけながら席に着くタリサに、VGもニヤニヤしながら問いかける。

 

「なーに考えてやがる?」

「別にぃ~」

 

そこにようやく精神が表層に戻ってきたユウヤが憶測という名の事実を突きつける。

 

「どうせ、腕試しだろ?お前の考えることは単純だからな」

「ぐっ……」

 

見抜かれたタリサが言葉を詰まらせる。

丁度その時、扉が開きイブラヒムが入室してきた。

全員起立して敬礼をする。

イブラヒムが敬礼をやめると、アルゴス試験小隊も敬礼をやめ着席する。

 

「ジアコーザ少尉から既に聞き及んだかもしれないが、本日横浜の基地から例のXM3発案者であるシロガネ少佐が、不知火弐型の受領に来られる。全員、失礼のないように」

「「「はっ」」」

 

流石にイブラヒムの話には彫刻になるわけにはいかず、しっかりと話を聞くユウヤだったが、その彼にイブラヒムの視線が向いた。

 

「特にブリッジス少尉、貴様は気を付けるように」

「はっ……」

 

恐らく彼の日本嫌い、と言っても今は殆どなくなったが、一応念のために注意したのであろう。

ところがそれで終わらなかった。

今度はタリサの方に視線が向く。

 

「それとマナンダル少尉、貴様もだ。間違っても腕試しをするような真似はするんじゃないぞ……」

「ぐっ……」

 

ここでも見抜かれたタリサは苦虫を嚙み潰したような表情をするが、次にイブラヒムから発せられた言葉はなんと意外なものだった。

 

「――と言いたいところだが、マナンダル少尉。貴様にはシロガネ少佐と手合わせする機会がある」

「……えっ?」

タリサが腑抜けた声を発するが、それは皆が同じ気持ちだった。

 

「いや、貴様たち全員に……ひいてはプロミネンス計画に参画する試験小隊すべてに、そのチャンスが与えられた」

「どういうことですかい?イブラヒムの旦那」

 

訳が分からないという全員の気持ちを代表して、VGが質問をする。

 

「詳細は追って知らせるが……シロガネ少佐の新OS搭載機と、我々試験小隊の演習がここユーコン基地で企画されることになった」

「「「ッ!?」」」

 

全員が驚愕の表情を浮かべた。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日、ユーコン基地のソ連軍基地施設付近にて。

同施設の最重要区画の警備室に、中尉の階級章を身に着けた男がいた。

警備室であるというにもかかわらず、何故か警備員の姿はなく、この男1人しか部屋にいなかった。

 

「これは思わぬことになったな……」

 

男はそう呟き、とあるモニターを凝視する。

そこには画質が荒くて判別は付きにくいが、白髪のようや銀髪のような長髪の女性が映っていた。

その姿はあまりにもみすぼらしく、とても生きている女性のようには見えなかった。

 

「しかし、駒が1つ減った以上、使わざるを得ないか……」

 

その女性の様子を見ながら男は思慮を巡らせ、1人不気味に呟く。

 

「――いや待て……だとしたらこれは……いや、その場合は……」

 

そして男は1つの結論に到達する。

 

「ならば、アレを試す絶好の機会という訳か……」

 

男は不気味な笑みを浮かべ、女性が映るモニターに触れる。

 

「貴様にはまだ利用価値があったようだよ……クリスカ・ビャーチェノワ」

 

不気味な笑みを浮かべながら男は、その女性の名を呼んだ――。

 

 



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Episode39:アラスカ出張Ⅰ

2001年12月12日(月)03:48

 

 

「どういうことだ……」

 

国連軍少佐、白銀武はアラスカに向かう輸送機内で、外を見ながらそう呟いた。

2日前に帝国国防省で巌谷たちとの会談を済ませた武は、それからほんの僅かな準備期間を過ごし後に日本を発った。

準備期間と言ったが、予め決まっていた話だったので、特にドタバタすることもなく、横浜から戦術機(・・・)を乗せたアントノフ225ムーリヤで、アラスカへと向かった。

なお、共にアラスカに向かう、もとい戻ることになった斯衛軍所属で、今は国連軍に出向中の身である篁唯依中尉も、特に慌てる様子もなく一緒に旅立った。

彼女は武よりやや後方の座席で眠りについていた。

武は唯依の方を向く。

機内は暗いが、輸送機の小さな丸い窓から僅かに差す月明りが彼女にあっていた。

その明りが照らし出したのは、彼女の美しい寝顔とずり落ちかけている毛布だった。

 

実は唯依はクーデターが起きたことを知ると、即決でアラスカから日本に戻ってきてそうだ。

先ほど本人から聞いたが、どうやら居ても立っても居られなかったらしい。

だが、戻ってきたころにはクーデターは無事収束し、クーデターで傷を負った同僚の見舞いに行っていたところ、急遽巌谷に国防省に呼び出されたそうだ。

因みに、冬の目覚め作戦の死者はゼロだったが、負傷者は多少なりとも出てしまっていた。

その負傷者が偶然、唯依の同僚であったのだ。

武はその話を聞いたとき、心の中で唯依に詫びた。

今彼が窓の外見つめ、もの思いに耽っているのもその唯依のことであった。

 

現在は雲の上を飛行しているため、月明りを遮るものは何一つとしてない。

佐渡島ハイヴの光線級の照射を避けるため、日本を出発した直後こそ低空飛行をしていたものの、今や日本は地平線の遥か彼方の向こうにある。

現在は太平洋上を飛行しており、間もなくベーリング海に入るかというところであった。

唯依やエレナは長い飛行時間を利用して眠りについているが、武はどうも寝付くことが出来なかった。

理由は先ほども述べたように唯依のことである。

いや、正確には唯依の異母兄のことであった。

 

「ユウヤ・ブリッジス……」

 

記憶にある限り、武は一度だけユウヤと会ったことがある。

忘れもしないアラスカ戦線(・・・・・・)での、第2ベーリング海峡での防衛戦の時である。

確かそうであったと記憶している。

忘れもしないと言った割には、どうにも思い出すのに時間がかかる。

 

武は片手で顔を覆うようにして俯く。

 

(やっぱりそうだ……思い出せる時と、思い出せない時……日によって差があるな――やはり俺という存在が安定していないからか?)

 

前にも述べたように、この世界の白銀武は既に死亡している。

つまり別世界の白銀武という人物の意識を受け止めるための武自身の器が、この世界には存在しないということになる。

だから並行世界の武がこの世界に渡ってきても、それを受け止める器がなければ、武がこの世界に定着する理由はない。

器がないところには水は灌げない理屈と同じである。

だが、夕呼曰く何故か武はこの世界に今は安定して降着することが出来ている状態である。

別世界の夕呼が起草した特殊因果律量子論は、あくまで武が世界をどうして渡ることが出来たのかを証明しただけであって、彼が安定してこの世界に降着している理由を解説しているわけではないのだ。

 

「タケル」

 

そんな彼に声を掛けた者がいた。

その人物は、唯依のずり落ちそうな毛布を掛けなおした後、武の隣に現れた。

 

「どうしたエレナ。眠れないのか?」

 

武の問いに、エレナは彼の頬を右手で触れながら言った。

 

「それは貴方も同じでしょう?」

「……」

 

返す言葉がない武は、視線をやや下に逸らした跡、再び視線をエレナから窓に戻した。

 

「ユイの……お兄さんのことを考えてるのね」

 

武やエレナはユウヤ・ブリッジスが唯依の異母兄であることを知っていた。

武が斯衛軍に所属であった頃、彼は黒の斯衛中尉であり、唯依は中佐でその副官をしていた時期があった。

そしてとある日の夜、酔っぱらった唯依が武の元を訪れた。

彼は普段飲まない唯依が酒を飲んでいることに驚きつつ、千鳥足の彼女の介抱を行った。

その時、唯依がこぼしたのが、ユウヤのことであった。

彼女は泣きながらに言った。

兄様が、兄様が死んでしまった、と。

それがキッカケで武は唯依とユウヤの関係を知ったのだった。

 

俺の知っている(・・・・・・・)ユウヤ・ブリッジスは2人いる――1人は女のために全てを捧げた男、そしてもう1人はラプターを始めて撃墜したと噂されるほどの凄腕の衛士……果たしてこの先に待っているユウヤ・ブリッジスはどちらの男なのか……」

「タケル……」

 

武は既に何度も世界をループしている為、どの記憶が正しいとかそういう次元の状態ではない。

これは本人も自覚している。

今ここに立っている白銀武という男は、それらを凝縮した男なのだと。

そんな自分が何を成すべきか、それはもう既にハッキリしている。

だがその後は?

それは武にもエレナにも分からない。

ただこの2人は己の信ずるべき道を歩く、ただそれだけなのだ。

 

「まぁいずれにせよ、俺たちのやることは変わらない。そうだな?エレナ」

「ええ……私たちの進む道はこの先にある」

 

2人の視線は窓の外を見つめているが、そこには一体何が映っているのか、それは彼らにしか分からない。

互いの手を握り合い、2人は決意を新たにしていた――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日、10:22

 

「おっせーなぁ。何してんだぁ?」

 

ユーコン基地の戦術機格納庫で談笑中のアルゴス試験小隊のメンバーの1人、タリサはそうボヤいた。

 

「どうせお偉方のお相手で忙しいんじゃねぇか?ハルトウィック大佐が直々に出迎えてるって話だ。だからイブラヒムの旦那もいないわけだしな」

 

タリサのボヤキに反応したのはVGだった。

彼も彼女同様暇そうではあるが、タリサのようにはボヤキはしなかった。

彼はどこからともなく情報を仕入れてくるのがうまい。

故に、本来この場にくるはずの武の到着が遅れている理由も粗方察してはいるのだろう。

その横に立つユウヤは、自身の相方、女房役ともいえる人物の男の名を出した。

 

「そういやヴィンセントはどうしたんだ?午後からこいつ(不知火弐型)の性能テストをやるって話じゃなかったか?」

 

そう言ってユウヤが指差したのは、アルゴス試験小隊の結晶ともいえる不知火弐型だった。

元々この機体を受け取りにくるという話で、武はこの基地を訪れている。

なのでアルゴスの面々も、一応武を出迎えなければならない。

故にここにいるのだ。

 

「あぁ、なんでもその肝心のシロガネ少佐が、どうやら新型機を持ち込んだらしくてな。そっちの方に行っちまったみたいだぜ?」

「「「新型機?」」」

 

VGの思わぬ発言に興味をそそられるアルゴスの面々。

しかし、その話をいざしようというタイミングで、ちょうど目的の人物が格納庫に現れた。

 

「おい、あれじゃねーか?」

 

VGが顎で格納庫の入り口を指す。

 

「あれが?まだガキじゃねーか」

「お前、人の事言えるのか?だが東洋人は若く見えるって話だが、あれは……」

 

タリサとVGはどうやら現れた人物に、やや驚きを隠せない様子だった。

 

「シッ。聞こえるわよ」

 

2人の軽口をステラが諫め、全員背筋を伸ばした。

そこにイブラヒムやエレナを連れた武が姿を現す。

アルゴスの面々が誰に言われるでもなく、先んじて敬礼をした。

それに武も返しつつ、自己紹介をした。

 

「白銀武少佐だ。よろしく頼む」

 

アルゴスの面々は改めて驚く。

いや正確には武のその言葉の威厳ある重厚さに驚いたのだ。

見た目はタリサの言葉を借りれば、まだガキの毛の生えた程度の士官にしか見えないが、その実は身分相応の士官らしいことが、今の短い紹介で読み取れてしまったのだ。

そんなアルゴスの面々をよそに、イブラヒムが彼らの紹介を始める。

 

「ご紹介します。彼らがXFJ計画を担当した、アルゴス試験小隊の衛士たちです」

 

ユウヤ、タリサ、VG、ステラの順で、皆が名前と出身だけの、簡単な自己紹介をした。

だがその自己紹介の中で1人、ユウヤのあまり武に好意的でない態度に誰しもが気づいていた。

イブラヒムは眉間に皺を寄せて、武に気づかれないようにユウヤを軽く睨むが、本人は気づいているのかいないのか、武をの方をまっすぐ見て彼のその視線には一切気を向けなかった。

アルゴスの面々や唯依は、内心マズイと思った。

そんな雰囲気を知ってか知らずか、武が口を開いた。

 

「アルゴス試験小隊の諸君、私から一言君たちに礼を言いたい――諸君らが心血注いで開発してくれたこの不知火弐型が、日本を……いや、世界を救う希望となる。この弐型は……不知火が持っていた欠点を克服し、尚且つ日本と米国という国の架け橋として、ブリッジス少尉が開発衛士を担当してくれたこと私は心から嬉しく思う。我々はハイヴを攻略する。弐型はその衛士たちに供与されることが既に決定されている。マナンダル少尉、ジアコーザ少尉、ブレーメル少尉、君たちの祖国を奪還する第一歩として、我らは甲21号目標を必ず攻略する。そのためのこの弐型の開発、ご苦労だった。改めて礼を言わせてもらいたい……ありがとう」

 

武は言葉を紡ぎ終わると同時に腰を折った。

最大限の賛辞と共に、彼らに最大限の礼を尽くしたのだ。

皆が呆然とした。

何故なら先ほどの威厳から彼らが想像する日本人の将校像、人物像とはかけ離れていたからだ。

特に衝撃を受けたのはユウヤであろう。

ユウヤも唯依同様、不知火弐型を搔っさわれることに良い想いを抱いていなかったからだ。

 

皆が呆然とする中、空気を読んだのかイブラヒムが武に身に余る賛辞だと声を掛けた。

それでも武は彼らへの賛辞を辞めなかった。

これだけで武が余程、アルゴス試験小隊の面々に感謝していることが伝わってきた。

皆それを理解したからこそ、どういう反応をすればよいか分からなかった。

自分たちは当然のことをしただけである、また本土をBETAの糞共に奪われる怒りをユウヤを除く全員が知っている。

だからこそ、今でも何とか対BETA戦線の最前線で奮闘する日本を助けたいからこそ、彼らは任務だからという理由以上に、真摯にこの任務に向き合ってきたのだ。

それを武に刺激されては、彼らはもうどうしようもなかった。

先ほどはガキだとやや馬鹿にするような言葉も発したが、今はこの白銀武という人物にすっかり魅せられていた。

 

それから武は1人1人アルゴス試験小隊の面々と握手を交わし、繰り返すように労いの言葉と賛辞、それからそれぞれに異なる一言をかけてこの場を締めくくった。

 

「では諸君、また後で」

 

武は敬礼をし、そう言いながら去っていった。

暫くアルゴス試験小隊の面々は去る武の後ろ姿を見つめていたが、やがてその影が視界から消えると、溜息を吐いてからそれぞれが感想を口にした。

 

「なんか思ってた感じゃぁなかったな……」

「そうね、私も先入観に囚われていたのかもしれないわね」

 

まずVGとステラが感心したような呆れたような、色々な感情が混ざった感想を口にする。

 

「あたしのことを立派な衛士だってよ!聞いたかVG!?」

「どうだユウヤ?日本人にはああいう人もいるみたいだな」

「――あぁ、そうだな……」

 

タリサの興奮気味の感想を無視しつつ、VGがユウヤに振った。

当人は己の未熟さを只々恥じるだけだった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

時間はそれから進み、午後となった。

アルゴス試験小隊の全員が強化装備姿で、ユーコン基地の広大な演習場の一角にいた。

正確に言えば戦術機に搭乗中であり、演習場を縦横無尽に駆け回る武の不知火弐型を見ていた。

 

「こりゃぁバケモンだな……」

 

何度目か分からない感嘆の言葉を、VGが発した。

先ほどの模擬戦でコテンパンにやられたアルゴス試験小隊の面々は、その時も似たような発言をしていたが、何度見ても理解出来ない武の戦術機動の数々に、感心を通り越して何やら呆れのようなものも生まれてしまっていた。

 

「どう?次もやれそう?」

 

そんな状態のアルゴスの面々に、エレナが通信で声をかける。

 

「手も足も出せそうにねぇ……まるでバッタだ。全然動きが読めねぇよ……」

 

タリサは両手を開きと負けを認めるポーズをする。

負けず嫌いで知られるタリサがこのような状態なのはかなり珍しい。

そんな彼女の様子にアルゴスの面々は、当初こそ驚いたが、事実自分たちも手も足も出ずに完敗している。

タリサ同様の感想を持っている身としては、いつものような軽口でそれを突っ込むのも憚られた。

 

「公開映像の動きも凄かったが、ありゃ弐型に乗せたら手が付けられねぇな。これでXM3なしだってのに驚きだよ」

 

そう、今武はXM3なしの弐型を操っている。

その状態で彼らは完敗したのだから、武の実力の深さに彼らは只々感服するしかなかった。

 

「で、その肝心のXM3を乗せた機体がその機体、ということですか?ブレアム少尉?」

 

ステラが珍しく探りを入れた口調でエレナとの通信に参加する。

アルゴスの面々も、当初見たときは驚いた。

武が新型機を持ち込んだという話はVGからチラッと聞いてはいたが、いざこうして目にすると当初驚きを隠せない様子だった。

 

「それは質問?それとも探り?」

 

エレナは無表情でステラにそう返した。

 

現在の状況を軽く説明しておこう。

今アルゴス試験小隊の面々は、各自戦術機に乗り、ユーコン基地の演習場に展開していた。

そこにはエレナ搭乗の八咫烏もいた。

そう、武がユーコンに持ち込んだ新型機と言うのは、八咫烏のことであったのだ。

武は2機の機体をアントノフ225ムリヤに乗せて、ここユーコンを訪れた。

1機は前述の八咫烏、もう1機はXM3搭載型の撃震であった。

何故彼がこのようなことをしたのか、その目的と理由は後に判明することとなるので、その解説はここではしないが、その2機を彼はユーコンにとある目的をもって持ち込んだ。

 

そして当の武は弐型に乗り、現在性能テストの名目で演習場を駆け巡っている。

その記録、分析役としてエレナは1人八咫烏に搭乗し、武の行動を逐一記録していた。

それを見ているのは、演習場の遥か後方に位置する管制室のモニター越しに確認するイブラヒム・ドーゥルや唯依、フランク・ハイネマンを始めとするXFJ計画の面々である。

後は前述のようにアルゴスの面々が、不知火弐型に搭乗しその様子を見守っていた。

そう、つまりは不知火弐型がこの場に5機存在するのである。

 

では、武の弐型は誰のモノか、という疑問が生まれてこないだろうか。

武の搭乗している弐型は、『XFJ-01e不知火弐型』である。

XFJ計画の5機目として作られていた機体であり、概念実証機であるユウヤやタリサの弐型と異なり、正規実用型を目指して新造された機体である。

要は不知火弐型の完成形であり、実戦型、量産試作機だと思ってもらえればよい。

これを武は今操りその性能を確かめ、それをエレナが00ユニットとして記録しているのだ。

 

八咫烏の高度な性能を用い00ユニットとして記録することで、通常の人間が記録分析するより、遥に高精度な記録と分析が行える。

こうすることで正規の実用試験を省き、手間をかけないことを意図している。

 

しかし、先ほどまでは武の素晴らしすぎる操縦技術に皆、目が行き関心を取られていたが、その驚きと関心もある程度薄れたことで、皆の視線は必然的に八咫烏の方へと向く。

 

「答えは明日、分かるわよ」

 

エレナはそう一言、モニター越しに彼女たち目線を合わせて述べると、後は視線を武の方へと戻し、記録に専念しだした。

この時ユウヤ思った。

いや、ユウヤだけではない、今までエレナを見ていた全員がこのように思った。

どこかソ連のイーダル試験小隊のクリスカ・ビャーチェノワ、イーニャ・シェスチナに似ている、と。

 

(雰囲気、ではないな……何かこうもっと根本的というか……性格ではないが、こう言葉で言い表せない元の部分が似ているような――そんな気がする……)

 

ユウヤはそう分析する。

彼だけでなく、その他に面々も同様の感想を抱いていた。

この分析はある意味で正解なのだが、当然本人たちはその事実を知らない。

 

エレナとその八咫烏に対する彼らの疑問は、ますます深まるばかりであった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それから時は更に進み、武たちにとっての初めてのユーコン基地での夜を迎えた。

アルゴスの面々は新たな武の一面を見た気がした。

 

「そうかそうか、マナンダル少尉のあだ名はチョビか。面白いな!」

「チョビはやめてくれよ……」

 

目の前で騒ぎ、タリサを揶揄かっているのは、日中、毅然とした態度で彼女たちの前に君臨していた少佐だったはずだ。

堅苦しいとまではいかないまでも、それなりにしっかりとした飲み会になるかと思いきや、武は昼間とは打って変わって明るく、まるでヴィンセントやVG並みの調子のよさだった。

 

「少佐殿、話せますねぇ!」

 

隣にいるヴィンセントが武のグラスに酒を注ぐ。

 

この飲み会はヴィンセントが武を招待して企画されたものだった。

午後の演習の後、弐型の調整に付き合った武は、ヴィンセントと対等以上の知識と操縦技術、メカニック目線での的確な意見に感銘を受け、勢いで武を飲み会に招待したそうだ。

 

武の様変わりした姿に誰もが驚きを隠せなかったが、同時にこの少年、いや青年にも歳相応な部分があるのだと少し安堵がした気持ちを持っていた者もいた。

何故なら、いや特にステラは、武のその胸の奥にあるであろうモノに気づいていたからだ。

元はどこにでもいる普通の少年で、人の死を経験し、それを乗り越え衛士としての一分を身に着けた元の性根が軍人ではない、普通の少年だと、何となくそう思ったから。

かつて自分がそうであったように。

 

「しかしマナンダル少尉にチョビというあだ名をつけるとは、中々見る目があるじゃないかブリッジス少尉」

「……それは、どうも……」

 

あまり褒められた気がしないユウヤは微妙な反応をするが、武は上機嫌で続ける。

 

「だが同時に見える目がないとも言える。こんな立派で美しいグルカ族の衛士に、そんなあだ名をつけるとはな」

「え?」

 

だが結局、落とされたユウヤに対し、逆に急に上げられたタリサは困惑する。

 

「今日の戦闘は見事だったぞ、マナンダル少尉。特にあの逆噴射と急減速、縦軸反転の連続機動のアレ(ククリナイフ)は、素晴らしいものだ。俺も度肝を抜かれたよ」

 

アルゴスと武の今日の模擬戦では、武が207訓練小隊やA-01相手によく使った、相手の得意機動にわざわざ付き合ってから、その得意機動を使って撃墜するという質の悪いものではなく、しっかりと正面からぶつかり合って撃墜するという正々堂々とした戦いを演じた。

と言っても武に翻弄されたことに変わりはなく、最後に残ったタリサはククリナイフまで出して戦ったが、結局完膚なきまでに負けていた。

 

「だがアレは見る目がある者なら簡単に機動を見破られるぞ。今度その対処法を教えてやろう」

 

完膚なきまで打ちのめした相手をわざわざ褒める武の態度に、皆やや困惑したが、彼が嫌味で言っていないことはその笑みが証明していた。

なのでタリサは困惑しつつも、礼を言うことにした。

 

「あ、ありがとうございま……す――わわっ」

 

素直に礼を言ったタリサに武は手を伸ばし、わしゃわしゃとタリサのケセつ毛頭を乱暴に撫でる。

彼女は今までそのような扱いをされたことがない様子で、更に戸惑いつつ、純粋に褒められることに嬉しさもあったようで、やや頬を赤く染めた。

 

武がこんなことをするのは、タリサを霞と同じような目で見ているせいか、久しぶりの酒が入っているせいか。

恐らく両方だろうが、どちらかと言えば後者の可能性が高いだろう。

 

こんなペースで飲み会は進行していった。

ユウヤがやや入りきれていない感はあったが、武がよくユウヤに絡んだため、幸い置いてけぼりになることは避けられていた様子だった。

そして飲み会も終盤に差し掛かり、武はふと思い出したかのようにこのような話題を切り出した。

 

「明日からの演習、お前たちの活躍を楽しみにしてぞ」

 

彼のその言葉に、ヴィンセントは遂にその話題かという感じでニヤついていたが、全員がキョトンとした顔をしていた。

その彼らの表情に気づいた武もキョトンとした顔をする。

 

「――ん?まだ聞いていないのか?」

 

武は器に残った酒を勢いよく飲み干して口を開く。

 

「明日から俺のXM3搭載機とここユーコン基地所属の部隊での演習が行われる」

 

全員が未だに啞然とした表情で武の言葉を聞いていた。

彼が演習の概要を説明しているうちに、皆ようやく思考が追いついた様子で、その表情は真剣なものへと変わっていった。

特にタリサの目付きは、まさにグルカ族のそれだった。

 

「まぁ詳しい説明は明日あるだろうから、俺からはこの辺にしておこう」

 

それから賑やかだった飲み会も武の離席と共に終わりを迎え、各自解散、という流れになったはずなのだが、ヴィンセントやVGはまだ飲み足りないらしく、嫌がるユウヤを引っ張ってユーコン基地の繫華街の夜に消えた。

タリサは明日が待ちきれないのか颯爽とどかに消えてしまっていた。

ステラはと言うと、武の後を追っていた。

別れ際の武の足取りが隠してはいるがややふらついているように見えたからだった。

 

「あ゛あ゛ぁぁ……気持ち悪っ……」

 

暫くすると店の脇でしゃがみ込んでいる武をステラは見つける。

彼女は早速駆け寄り、声をかけた。

 

「少佐殿……大丈夫ですか?」

「ん?……あぁ、ブレーメル少尉か……」

 

武は重い腰を上げて立ち上がろうとするが、ステラは素早く近寄り肩を抑えてそれを制する。

 

「無理なさらないで下さい……これをどうぞ」

 

ステラはミネラルウォーターのボトルを差し出す。

 

「あぁ、すまない……ブレーメル少尉は優しいな。ただ美しいだけではない。こうして気配りも出来るわけだしな」

 

彼女は内心安堵する。

気持ち悪そうにしている割には滑舌がハッキリとしているからだ。

顔は赤くないのでどうやら顔に出るタイプではなさそうだが、そんなに多く飲めるというわけではなさそうだと彼女は分析する。

それと同時に自身を褒められたことに、やや驚きと嬉しさを覚える。

何せ初対面に優しいと思われていたことが今までなかったからだ。

 

「あら、冷たい女とよく言われるのですけど」

「少し人を見える目があれば分かることだよ……では、ブレーメル少尉の厚意に」

 

ステラ自身がその美貌故にそう振舞っているだけに、大抵の男は近寄りがたいと感じることが多い。

まさか初対面で優しいと言われるとは思っていなかったのだ。

それが本心かお世辞かは置いておくとしてもだ。

 

武はボトルを軽く掲げ乾杯のような仕草をしてから、口に運んで勢いよく傾け、喉を鳴らした。

 

「はぁ……生き返る。助かったよ、ブレーメル少尉」

「ステラ……で構いません」

「んん?……そうかステラ、ありがとう」

「どういたしまして」

 

武は再度ボトルに口をつけ、半分ほどになっていた中身を更に減らす。

 

「気を使って頂いて、ありがとうございます」

「ん?」

 

武がしゃがんだまま、ステラの方を向く。

 

「特にユウヤのこと……彼の気持ちを察してあのようなことを言ってくださったのでしょう?」

「別に気を使ってなどいないさ。あれは俺の本心だよ」

「だとしてもです」

「まぁ、これから数日君たちとは行動を共にするわけだ。少しは多めにサービスしておいてもいいだろうよ」

 

そう言いながら武は、まるでおじいちゃんおばあちゃんが重い腰を上げるかのような緩慢な動作でゆっくりと立ち上がった。

だが立ち上がった瞬間彼はよろめき、倒れそうになる。

ステラが慌てて武の手を掴み、引き寄せた。

その結果何が起きたか。

ステラが武を抱きしめるような形になってしまったのだ。

一瞬当事者たちは、一体何が起こったのか理解するのにやや時間を要した。

だが事を理解したのと同時に2人を襲ったのは、何とも言えぬ安心感だった。

まるで母親が子を抱きしめるかのような、又は姉が弟を抱きとめるかのような、又は離れ離れになっていた恋人同士が久々に再会して抱き合うかのような。

これ以外にも情景は沢山あるだろうが、果たして2人が感じたのはどれだったのだろうか。

暫く何とも言えぬ間が2人を襲う。

だが、先にその沈黙を破ったのは武の方だった。

 

「ステラ……気持ちは嬉しいがそろそろ離してもらえるかな?」

「……失礼しました――少佐殿……」

 

2人はぎこちなく離れた。

 

「さて、そろそろいい時間だ。俺はもう少ししてから宿舎に戻るが、君はどうする?」

 

ステラはやや赤面した。

取り方によってはまるで夜のお誘いのようにも感じられるからだ。

だが幸いなことに、その赤面は暗い路地では相手に見えることはなかった。

 

「私も失礼致します」

「そうか……ではまた明日、ステラ」

 

ステラはやや速足で武の前から去っていった。

彼女の気配が遠くに消えたことを確認してから、武は暗くて先も見えない路地の奥の方を見た。

そして一言。

 

「さて、もういるんだろ?」

「いい雰囲気のところ、邪魔して悪かったわね」

 

武のいた路地の奥から姿を現したのはBDU姿のエレナだった。

 

「お前のことだから近づく前から気づいていただろう?」

「はぁ……」

 

武の言葉に呆れた顔をして彼女は盛大な溜息を吐く。

 

「なんだよ……その呆溜息」

「……別に何でもないわよ」

 

やはり慣れたものとはいえ、やはりエレナとしてはよい気分ではないのだろうか。

そんな中、武は本題を切り出す。

 

「それで……どうだった?」

 

武の言葉にエレナはあっさりとした態度で答える。

 

「やっぱり思った通りよ。タケルのおかげでこっちのガードはまぁまぁ薄かったし」

「やはりそうか……じゃぁこちらも遠慮なく事が行えるな」

「やるのね?本当に」

「あぁ……容赦はしないさ」

 

エレナが珍しく口角を吊り上げ不敵な笑みをした。

それに対し武も、夕呼顔負けの不敵な笑みで笑い返した――。

 



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Episode40:アラスカ出張Ⅱ

2001年12月13日(火)8:43

 

 

「……以上がジェネレーション演習の概要だ」

 

ユーコン基地の多数あるブリーフィングルームの一角において、イブラヒムが本日から開催される演習の概要の説明を終わる。

この部屋にはアルゴスの面々は勿論のこと、アラスカに戻った唯依も参加していた。

彼らは真剣な表情をしてその話を聞いていた。

 

部屋の隅に立っていた唯依が前に出て、追加で説明を入れる。

 

「聞いての通り本演習は、XM3搭載型の撃震と第5世代相当戦術機・八咫烏との世代間相互総合評価を目的としている。我々アルゴス試験小隊は、不知火弐型の完全編成、つまり第3世代戦術機の実質的な代表となる。ましてや演習の最終組ともなれば、それが何を意味するか……既に言わずとも分かるだろ」

 

全員がゆっくりと頷いた。

 

「――頼んだぞ」

「「「了解」」」

 

全員が更に力強く頷いた。

 

「では、第1試合開始まで解散!」

 

イブラヒムがこの場を締めくくった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

場所は変わり同時間帯のユーコン基地、統一中華戦線の格納庫。

 

「小隊、傾注!」

 

暴風(ボオフェン)試験小隊の小隊長、勝気な性格で知られる崔亦菲(ツィ・イーフィ)中尉が、部下たちの前で敬礼をしていた。

何やら不敵な笑みを持ったまま。

 

「楽にしていいわ。で、国連がまた始めた例の悪ふざけなんだけど……残念ながら日本のアルゴスの対戦はないわ」

「の割には上機嫌ですね……」

 

黒髪のポニーテールが目印である王壽鳳(ワン・ショウフォン)少尉が意外そうな声を上げる。

 

「まぁきっと中尉を喜ばせる何かがあったということでしょ」

(アネ)さんの機嫌がよくなること……?ブリッジスのことアルか?」

 

茶髪の李玲美(リー・リンメイ)少尉や語尾のアルが特徴な慮雅華(ルゥ・ヤァファ)少尉が詮索する。

 

「まぁ、聞きなさい――統一総軍司令部の威光を伝えるわ。来るべき有事に備え、日本帝国の陰謀と新型機の性能を丸裸にせよ……だそうよ」

「陰謀?」

 

王少尉の疑問に李少尉が答える。

 

「だってそうでしょ。ここユーコンで次期主力機として日米共同で開発していた機体があるのに、わざわざ第5世代相当なんて御大層な名前を付けて送り込むなんて、陰謀以外ある?」

 

李少尉の言う通りで、現在ユーコン基地では様々な情報が錯そうしていた。

 

まず、先に公開された例の武御雷4機と吹雪1機の模擬戦の映像。

第3世代機として破格の近接格闘戦能力を持つ武御雷を、同じ近接格闘戦で翻弄し勝ってしまった同じく第3世代高等練習機である吹雪。

次に公開されたのがXM3という戦術機用新OSとそのトライアルの映像。

そしてその開発者であるとされる白銀武少佐が、このユーコン基地に不知火弐型の受領に何故か第5世代相当とされる新型戦術機を持ってきたこと。

 

これら3つの情報、更に公に表の履歴を持つ武の情報を追加すれば、4つの情報がもたらされたここユーコン基地では、様々情報が錯そうしていた。

 

まず幾ら同じ第3世代機とはいえ、高等練習機である吹雪が、武御雷が最も得意とする近接格闘戦という土俵で勝利してしまったこと。

これは最初合成映像だと騒がれ、信じる者信じない者は半々といった様子であった。

いや、どちらかと言えば後者の方が特に整備兵の中では多かった。

そもそも意図的とはいえ、所詮は流出情報であるが故に信憑性は薄いとこの基地でも言われていた。

吹雪がかなり独創的な機動をしていることを除けば。

 

次に公にされた新OSたるXM3のトライアル映像。

これは公的に流れたものであるが故に、初めから疑う者など殆どおらず、ユーコン基地はこの話題で持ち切りとなった。

ついでにその開発者である白銀武少佐の名前も一躍広まった。

ここで再評価されたのが、先の武御雷の模擬戦の映像である。

これは真実ではないか、そしてこれをやってのけたのはその白銀武という人物ではないか。

そういう噂が広まった。

 

そして最後、その名の広まった白銀武という人物がここユーコンに、不知火弐型の受領に訪れるという事実。

これにより白銀武という存在をプロパガンダだと疑う人物は殆どいなくなった。

しかし、そこで更に新たな事実と憶測が追加された

不知火弐型を受け取りにやってきたのに、何故か第五世代相当という御大層な名前を付けた新型機を持ち込んだらしいという話、そして何故そのようなものを持ち込んだのかという憶測が流れ始めたのだ。

始めは第5世代相当の新型機など存在しないと言われていたが、それは事実姿を現し、この眼で見たという者もいた。

そこから同日公表された、世代間総合評価演習、通称ジェネレーション演習の実施。

最早事実と憶測が混在し、このユーコンの噂は活況の様相を呈していた。

 

だが、事実としてジェネレーション演習は開始される。

最早第5世代相当かどうかはおいておくとして、新型機があるのは事実だということ。

そして先ほど李少尉のいったように、これは何かの陰謀だという声もまことしやかに囁かれていた。

 

「まぁ、そこに関しては私はどうでもいんだけどね――それより、あの映像の衛士、誰だか気にならない?」

 

全員が頷く。

 

「今回の相手は、あの映像の……シロガネ少佐って奴らしいわ」

「それ、ホントアルか!?」

「だとしたら……中々面白そうですね」

 

全員のやる気が上がったのを見て、亦菲は口角を上げる。

 

「ええ……シロガネ少佐と同じ日本帝国の新型機の力、キッチリ見極めさせてもらうわよ!」

「「「了解」」」

 

(白銀武とやら……見極めさせてもらうわよ、あんたの実力)

 

亦菲は天を見上げ、そう高らかに心の内で宣言した。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

同日、14:39

 

「嘘、だろ……」

「おいおい――何かの冗談だろ、こりゃ……」

 

誰かが静まり返った会場でそう呟いた。

虫の羽音すら聞こえないような静まり返った会場で、ボソッと呟かれたその一言は、自然とこの会場にいる全員の耳に入り込んだ。

それがキッカケとなったのか、会場にいる皆が一斉に口を開きだした。

その声の殆どは今起きた現実を受け入れられない驚きの声が殆どであった。

流石に衛士や整備兵といった、戦場という現場を知っている者たちが大半であるが故に、尚のこと現実を受け入れにくいのだろう。

然もあろう、今目の前で起きた出来事があまりに非現実的すぎるのだから。

しかし、事実は事実。

だからこそアルゴスの面々は、周りが騒がしい中、互いに一言も声を発することがなかった。

故に聞こえてくる、周りの驚きの声が、鮮明に。

 

「いくらブルーフラッグ3弱とはいえ、こんな……」

 

誰かがそう言った。

普段は口にすることを憚られるブルーフラッグ3弱という単語。

その単語は事実を刻々と照らし出しつつも、相手への敬意、当事者衛士たちの誇りを傷つけないために、デリカシーのない一部の者たちだけがそう呼んでいた蔑称を、この場にいる誰かが口にした。

当然アルゴス以外の面々にも聞こえていたのだろうその単語、耳に入った者たちがまるで伝言ゲームのように、あの3弱とはいえ……と口にしだした。

 

そして遂にアルゴスの面々の沈黙を破ったのは……タリサだった。

 

「――あの3小隊を……たった3分で?まさか」

 

3弱とは呼ばず、あの……と口にしたのはタリサの最低限の敬意だったのだろうか。

そこにステラが割り込む。

 

「違うわタリサ。あの3小隊を、3戦合計で3分、いえ正確には1分足らずで撃破したのよ」

「ッ!?」

 

タリサは目を見開き驚く。

それ以外のアルゴスの面々は、横目でステラの方を見る。

 

ジェネレーション演習は既に3戦が終わった。

武搭乗の八咫烏と対戦を終えたのは、前述の通りブルーフラッグ演習3弱と名高い、アフリカ連合所属のドゥーマ小隊、欧州連合所属、所謂欧州第2のガルム実験小隊、そして豪州軍所属のイピリア小隊の3小隊だった。

だが結果は言わずもがな3小隊側の敗北で終わった。

それもステラの言葉通り、3戦合計で3分かからずに。

圧倒的というには足りなすぎる、圧倒的以上、いやそれ以上のものだった。

 

まず1対4という数的劣勢を気にしない大胆な立ち回り。

桁外れのスピードと、それを支える機体設計と主機出力に跳躍性能。

そして即断即決速攻という衛士の練度の差。

何をとっても叶うモノなど何一つなかった。

要したのは、互いの開いていた距離を詰めるだけの時間。

後は八咫烏と武による一方的な殺戮、いや蹂躙の始まりだった。

 

初戦のイピリア小隊はF-18ホーネットを装備する部隊だったが、当然の手も足も出ずに完敗。

2戦目のガルム実験小隊も対策を全く取れずに近づかれて完敗。

3戦目のドゥーマ小隊は、前述の2戦を考慮してか装備する戦術機の機体性能、、即ちミラージュ2000の機動砲撃戦能力を最大に生かそうと後退しつつ近づく武と八咫烏を砲撃するも、命中弾は当然ながら、全て遠弾となるなり、接近され敗北するといった末路を辿った。

尚、武は突撃砲の射程中から遠の距離、即ち弾ブレが起こる寸前の距離で計12発で相手を仕留めている。

つまり各機に対し1発のみで仕留めているのである。

コックピットを狙撃し一撃で大破されるという離れ業を使って。

 

それに気づいている人間は果たして何人いるのだろうか。

いや、少なくともここにいた。

ステラが続きを口にした。

 

「――それもたった1発で胸部コックピットを打ち抜いて大破されているわ」

 

冷静に淡々と分析するいつものステラ、には見えなかった。

少なくともその声が震えているのを、アルゴスの面々だけが気づいていた。

 

やがて時間の経過と共に、当初はその撃破時間だけで騒がれていた会場も、ステラが言った1発でコックピットを大破させているという事実に気づき始めていた。

会場のざわめきという名の驚きはやがて頂点に達したのだった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年12月14日(水)06:34

 

 

「あ、白銀少佐。おはようございます!」

「あぁ、おはよう」

 

ジェネレーション演習2日目。

武は厳重な警備体制が敷かれたユーコン基地の戦術機格納庫に入ろうとする。

顔見知りの警備兵に挨拶と敬礼をされ、武も上官として敬礼と挨拶を返す。

 

「夜の警備、ご苦労だったな。何も変わりはなかったか?」

「はい、想定通り(・・・・)でした」

 

想定通りという単語に、武は表情を変えることなく頷く。

 

「そうか……聞いているとは思うが、俺の滞在中はよろしく頼む」

「はい!お任せ下さい!」

 

警備兵は元気よく返事と敬礼を再度返すので、武は苦笑しながら軽く再度敬礼を返すと、戦術機格納庫の中に入っていく。

 

少し状況を説明しよう。

実はこのユーコン基地には、既にオルタネイティヴⅣ直轄、即ち横浜基地所属の警備歩兵中隊並びに90番格納庫に勤務する整備小隊の面々が武より一足早く現地入りをしていたのだ。

理由は言わずもがな、情報漏洩を防ぐためである。

その情報漏洩の対象は当然、XM3と第5世代相当・試作戦域支配戦術機である八咫烏のことである。

いずれは世界中に行き渡らせるつもりであるXM3も、現時点では計画に必要な大切なコマの1つである。

なので先に漏洩するのは無論計画遂行の観点からも困る。

八咫烏については何が何でも守らなければならない最重要機密事項だ。

故に武は、今回の計画を思いついた時点で夕呼を通して国連軍上層部に圧力をかけ、予め信頼できる横浜の警備兵と整備兵をこのアラスカに送りこんでいたのだ。

無論、オルタネイティヴ計画を嫌うプロミネンス計画派の者たちは、オルタネイティヴ派の者が自身の計画の中心地に来ることに必死に抵抗したが、同じ国連軍の上層部の命令には流石に逆らえなかった。

故にこうしてユーコン基地の一角を強引に間借りすることに成功したのだ。

既にユーコン基地の全員に、このオルタネイティヴ派に貸与された格納庫には絶対に近づかないように厳命が下されていた。

無論、それは表向きの話ではあるが。

既に幾人かの工作員によって、何かしらのサボタージュが仕掛けられたことが、武と歩哨に立っていた警備兵とのやり取りからも分かる。

プロミネンス計画派なのかそれともオルタネイティヴⅤ推進派なのかは分からないが、やはり想定した通りちょっかいを出す者たちはいた様子だった。

 

武は格納庫のドアを開けて中に入る。

するとそこにはビニールシートで括られた空間があり、一度ドアを閉じて中に入ってから、そのビニールシートで括られた空間を通った。

これは遠くから監視されていた場合に備えた対策だった。

仮にドアの隙間から、整備兵の持つ書類でも見えようものならそれこそ情報漏洩に繋がるからだ。

一応警備兵いるため、近くをうろついて覗くことはできないが、仮に望遠レンズで遠くから見られようものなら一大事だからだ。

つまり、それほどの対策と警戒をしているということである。

 

ビニールシートをくぐり、中に入るとそこにはエレナがいた。

 

「おはよう、タケル」

「おはよう。寝させずにすまないな」

 

武の言葉にエレナは手をひらひらさせて答える。

どことなく仕草が夕呼先生に似てきたなと、こっそり思う武。

 

「いいわよ別に。それに私が寝なくていい身体なのは知っているでしょう?」

 

睡眠は人間の大切な行為であり機能の1つである。

その行為をとある理由の為に奪ってしまっていることに、武は謝罪をしているのだ。

しかし、エレナはあっけらかんとした様子である。

 

「それでもだ。人であることには変わりはない」

 

言わずもがな武はエレナを立派な人間として扱っている。

人間として見ているかはさておき、重要なコマの1つとして見ている夕呼や、今までエレナに軽蔑や嫌悪感を持って接してきた他の者たちとは違うのだ。

 

「タケルだけよ。私を人間扱いしてくれるのなんて」

 

エレナは腕を組み明後日の方向を向いて言う。

そんな諦めた様子の彼女に、武は真っ直ぐな視線を向けてこう言った。

 

「誰が何と言おうと、お前は立派な愛しい人間だよ」

 

エレナはハッとして武の方を向き、腕組みを解いて彼を見つめ返した。

 

「……タケル」

 

2人は見つめ合い互いに自分の世界に入りかけた、丁度その時だった――。

 

「――あのー、白銀少佐。ちょっとよろしいですか?」

 

周りからどよめきが起きる。

ある者が小さな声でボソッと隣の整備兵に言った。

 

「あの状況で割り込むなんて流石あの人だよ……」

 

と。

横浜から来た人間からしてみれば、武とエレナの間にそれぞれ想い合う心があるのは分かっていること。

そんな空気になっているところに割り込めるのは、あの整備長だけだと、誰もが思っていた。

この男、名を石沢と言いかつて武が元の世界にいた頃は、元3年F組で弓道部の主将を務めていた男なのだが……残念ながら武は長い時を生きる男。

その時間の間に彼の名前ももうすっかり忘れてしまっていた。

 

エレナはややムッとした表情をした後、また後でといって颯爽と去ってしまった。

そんな彼女の後姿をやや悲しそうに見つめた後、武は割って声を掛けてきた石沢整備長の方を向く。

 

「どうした?」

「八咫烏のことなのですが……」

 

それから武はあれこれと石沢に指示を出す。

 

「了解致しました!」

 

色々と指示を受けた石沢は、武の言葉を全て聞き終えると元気よく返事をしたが。

 

「――ですが少佐、本当によろしいのですか?」

 

少し悩んだ様子を見せた後、武に思い切った様子で問いかける。

 

「何がだ?」

 

意味が分からないと言った様子の彼に、石沢が目だけで八咫烏の方を見たことで、その理由を察した武。

 

「大丈夫だ。気にするな」

「少佐がよろしいならいいのですが……」

「こいつはそんなヤワじゃない。関節の話なら気にするな。それに貴様の発案した新型電磁伸縮炭素帯はまだ完成しとらん。それまでは仕方のないことだ」

 

ヤワじゃないと言いながら、石沢が渡してきた現在の八咫烏の整備状況を示した書類が挟まれたバインダーを叩く武。

 

「申し訳ありません……」

「別に貴様が謝ることではない。寧ろ俺としては感謝してもしきれないぐらいだ」

「そんな!少佐に感謝されるようなことは!」

 

彼らが一体何の話をしているのか、それは後になって分かることだが、いずれにせよ武は本心から石沢に感謝をしていた。

 

「もっと自信を持て。貴様の発明は今後に繋がっていくのだ。今はいち衛士として礼を言わせてくれ」

「少佐……」

 

彼これそれなりの付き合いをしてきた武と石沢。

八咫烏やXM3のことで何かと世話になっていると武は常日頃から思っている。

逆に石沢はこれまでの関わりを通して、武を素晴らしい軍人だと思っていた。

そんな彼に礼を言われては、石沢は感動の波に攫われていた。

石沢は憧れの目で武を見ていた。

 

「まったく……本当に人たらしなんだから」

 

そばを離れながらも、ちゃっかりリーディングして石沢の思考を読み取っていたエレナは、遠くからそうボヤいたのだった――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

それから数時間後、ブリーフィングルームに集まったアルゴス試験小隊の面々があった。

今彼らはデブリーフィングの真っ最中であったが、正直なところ何をデブリーフィングしろという話であった。

ジェネレーション演習が始まって早2日。

 

今までの出来事を纏めてみよう。

演習初日は、八咫烏対プロミネンス計画所属の5試験小隊による各演習だった。

1戦目、豪州軍所属イピリア小隊。

2戦目、欧州連合所属、別名欧州第2と呼ばれるガルム実験小隊

3戦目、アフリカ連合軍所属、ドゥーマ小隊。

4戦目、東欧州社会主義同盟所属のグラーフ実験小隊。

5戦目、大東亜連合所属のガルーダ実験小隊の順番である。

当然全部隊完膚なきまでの完敗。

それも1分持たずの敗北であった。

 

そして演習2日目。

6戦目は、中東連合所属のイラン陸軍のアズライール実験小隊。

7戦目は、欧州連合所属のスウェーデン王国軍所属のスレイヴニル小隊

8戦目は、統一中華戦線所属の暴風試験小隊。

9戦目は、ソ連所属のイーダル試験小隊。

10戦目は、日米共同のアルゴス試験小隊といった並びだった。

こちらも結果は完膚なきまでの敗北。

暴風試験小隊、イーダル試験小隊、アルゴス試験小隊は、1分という山場は越えたものの、結局は3分かからずに全滅していた。

今更説明の必要もないと思うほどに完敗していた。

流石に2日目ともなればどの小隊も対策を一応立ててはいたようだが、その作戦を嘲笑うかのように、2日目もプロミネンス計画側の敗北だった。

アルゴス試験小隊は、ジェネレーション演習が始まる前に一度不知火弐型同士で手合わせしているので、ある程度分かってはいたつもりだったが、それでも甘かったと今では痛感している。

もう機体性能、衛士としての練度が違い過ぎたのだ。

 

かつてここユーコン基地では、ブルーフラッグ演習というものがあった。

その時インフィニティーズと他の小隊との戦いを見たときから、機体性能の差や練度の差と言うものを実感してはいたが、それでもあの時は不知火弐型が完成すればある程度対抗出来るとアルゴスの面々は思った。

残念ながらテロが起き、ブルーフラッグ演習は中止となってしまったが、その後も不知火弐型を完成形に持っていくというアルゴスの面々の、いやユウヤの夢が潰えた訳ではない。

今はテロから基地も各国小隊も立ち直り、順調に弐型を成長させることが出来たと、いつかあのラプターを出し抜いてやると、ユウヤは思っていた。

だが今回ばかりはそうはならなかった。

最早衛士としての格も、機体性能も違い過ぎた。

それを実感しているからこそ、全員何も言うことが出来なかったのだ。

 

だが、いつまでも無言でいるわけにはいかない。

イブラヒムの機転の利いた言葉で、何とかお通夜状態を脱したアルゴスの面々。

目下大事なのは、明日より開催されるXM3搭載型の撃震との対戦についてのブリーフィングである。

これも2日間に分けて行われる。

対戦カードは八咫烏の時と同じだ。

つまり、1日の余裕がアルゴスの面々には与えられる。

他の1日目の小隊の戦い具合にもよるが、こちらなら何とか土をつけることが出来るかもしれない。

全員の希望はその1点にのみ集中していた。

全員が各々XM3対策兼武対策を打ち出す。

 

「結局のところは、明日の連中の戦いぶり次第か……」

 

タリサがそうボヤくが結局のところはそうである。

ある程度対策や案は出たものの、結局のところはそうなってしまう。

逆に言えばどんな対策を取ろうと、武なら対処してしまう可能性があると、全員がそう判断したからだった。

 

「正直、シロガネ少佐ならどんな手を使っても対処されちまう予感しかしねーな」

 

VGが何度目かわらかぬお手上げというポーズをする。

それに対してユウヤが一言。

 

「どんな衛士にだって弱点はある……それを探れば何とかならないか?」

「だけど、どうやってその弱点を探る?探る時間すら作れる気がしないがね」

 

そんな会話をしていた時だった。

突如、ブリーフィングルームの扉が開く。

 

「お困りの様ね」

 

颯爽と輝く金髪を靡かせて入ってきたのは、とある少女だった。

 

「……ブレアム少尉?」

 

唯依が突如入室してきた意外な人物の名を呼ぶ。

 

「お邪魔するわよ」

 

エレナは一応上官であるイブラヒムに向けて軽く敬礼をして、すぐにアルゴスの面々の方を向く。

普通なら失礼にあたる行動だが、当の本人はそんなことはどうてもいいらしく、すぐに彼らに向かって口を開く。

 

「今、タケルの弱点について話していたでしょう」

 

全員が驚いた顔をする。

 

「知りたい?」

 

エレナが不敵な笑みを浮かべ、アルゴスの面々に問うた――。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

2001年12月16日(金)

 

 

それから時間が経ち、ジェネレーション演習4日目。

いよいよアルゴス試験小隊とXM3搭載型撃震との対戦カードが始まろうとしていた。

この時の為に念入りに準備をしてきたアルゴスの面々。

 

負ける気はしない、とは残念ながら言えなかった。

やはり昨日の5戦、今日の4戦共に武の衛士としての格は圧倒的であり、寸分の隙も見せなかった。

しかし、アルゴスの面々はその前哨戦である9戦中、とある1点のみに注目して武の戦いを見ていた。

その結果、1つの光明を見出していた。

どうやらエレナの言葉は嘘ではなかったようだと、全員が確信した。

これなら多少は土をつけることが出来るかもしれないと、アルゴスの面々は思った。

今回立てた作戦はその1点のみを突くことを条件に立てた、言わば捨て身とまでは言わないながらも演習だからこそ可能な戦法である。

人によっては卑怯と言われるかもしれないだろう。

だが、あの武に煮え湯を飲ませたい、アルゴスの面々はその一心で今回の作戦に掛けることにした。

 

今、その作戦が幕を開けようとしていた。

アルゴス試験小隊の一世一代の大博打の始まりであった――。

 




崔亦菲中尉お誕生日おめでとうございます(*´ω`*)

これに間に合わせたくてかなり無理して書きましたので、ちょっと誤字脱字多いと思いますが、そこは後で直しますのでお許しください。
今仕事が繫忙期なので死ぬほど忙しい……

後1点皆様にお断りしておきますが、アラスカ編は後3話は続く予定です。
もう終わりかねないような書き方ですが、ちょっと今まで避けていた時系列を戻すやり方で次話を作ると思います。
また武ちゃんの活躍であったり、裏で進行中の作戦に関しても描写したいと思っております。
ですので、次回はちょっと仕事と合わさって時間かかりそうです。
それに併せて40話も書き直すかもしれません、予めご了承ください。
(書き直したら、最新話の冒頭に注意書きします)

あとちょっと閑話を思いついたので、そっちを先に投稿するかも?
分かりません、書いてみて没にする可能性もあります。

とりあえず気長に次話は待って頂けると幸いです。
では、また次回。

yelm様、荒魂マサカド様、誤字報告いつもありがとうございます。


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