師匠は藍染惣右介~A bouquet for your smile~ (如月姫乃)
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第一章_百年の過去
第一話 村の忌み子


瞼を閉じれば
夢に飲まれるようで恐ろしい

瞼を開ければ
現実が見えるようで恐ろしい


 

 西流魂街第一地区 潤林安。

 いつも通り、母が外出から戻るのを家で待っていた時だった。

 

「痛いっ……!」

 

 突然、頭が割れるかのような痛みに襲われる。

 経験したことのない痛みに、悲鳴すらあげられず、ただ涙を零して耐えるしかなかった。

 次に、頭の中に何かの映像のようなものが流れ込んできた。紙媒体の映像がコマ送りのように。

 

 これは……誰かが戦っている? オレンジ色の髪の毛なんて見たことない。

 漢字が読めないから、書いてある言葉の意味は理解ができない。ただいつだって、誰かが切羽詰まった表情をしているように見える。

 どれほどの時間そうしていたかは覚えていないが、気が付けば映像は小さな子供たちが自己紹介をし合っているところで終わった。

 

「どういう……こと?」

 

 思わず声に出すが答えがかえってくるわけでもない。

 頬に伝う涙をぬぐっていれば、家の戸が開いて外に出ていた母が戻ってきた。

 

「あら、起きたの。姫乃……ってどうして泣いているの!」

「お母さん……」

 

 私の異常に気が付いた母が、慌てて私を抱き上げる。

 自分に起こった事をどう説明していいのかもわからず、精一杯の言葉を紡いだ。

 

「あのねっ、頭がギュってして、それでね!」

「あらあら。風邪かしら? 昨日の夜は少し寒かったから……」

 

 そうやって背中をさすってもらい続けていれば、自分に起きたことの理解や頭の中にこびりついている映像の言語化が出来なくても安堵した。

 辛いことも悲しいことも、母の腕の中に居れば洗い流されていく。

 涙が止まったと同時に、私のお腹がグゥっと大きく鳴った。

 

「ふふ、お腹すいたのね。トマトを切りましょうか」

 

 母の笑顔と提案に頷いて肯定の意を示せば、母は立ち上がって台所へと向かう。その背中をついて行って、台所で作業をしている母の隣でジッと手つきを見つめた。包丁の音と大好きなトマトの香り。私が待っていることに気が付いた母は、切ったばかりのトマトを私の口の中に入れてくれた。

 一切れ、二切れ……食べ終わればまた次。一心不乱にモグモグと食べ続けていれば、いつの間にか一人で丸々一つ食べてしまったようだ。

 

「ごめんなさい……。一人で食べちゃった……」

 

 夢中になりすぎて、母の分を残してあげるのを忘れてしまっていた。途端に罪悪感に襲われる。

 私が俯いたことに気が付いた母は、私と目線を合わせて優しく頭を撫でてくれた。

 

「お母さんは食べなくても大丈夫なのよ」

「どうして?」

「お母さんは食べないんじゃなくて、食事がいらないのよ。霊力がないから、お腹が空かないの」

 

 ……霊力? 初めて聞くはずの単語なのにもかかわらず、知らないというわけではなかった。

 つい今しがた、私の頭の中に流れ込んできた映像の中にその単語は多く登場したからだ。

 

「知ってる! あのね、死神の力だよ!」

「あら。どこで覚えてきたのかしら? そうよ。この世界では、霊力を持たない霊子体は、見た目の変容もなければ空腹も感じないの。姫乃は霊力を持って生まれてきたから、お腹も空くし体も成長するのよ」

 

 この世界。それが何を意味しているのかも分かる。頭の中にある情報が答えを導き出してくれた。

 

「それも私わかるよ! 尸魂界(ソウル・ソサエティ)でしょ!」

 

 私の答えに、母は驚いた顔をした。

 齢五歳の子供が知る知識量を超えていたのだろう。しかし、すぐにいつもの優しい微笑みに戻って、私の髪に手櫛を通してくれた。

 

「……そう。姫乃はもう分かるのね。賢いのね」

 

 そういって私を見つめる母の瞳は、確かに私を映している。けれど、どこか遠くの……違うものを見ているかのようにも見えた。

 私を見ているのに見ていない。まるで母を知らない人に取られた気持ちになって、嫉妬心から頬を大きく膨らませる。

 

「私を見て!!」

 

 そう言って母の頬を両手で包むと、彼女はハッとした表情をして申し訳なさそうな顔をした。

 

「ごめんね、姫乃」

「いいよー」

 

 私は母の膝から降りる。外に遊びに出かけようと家の扉に向かえば、慌てて母が私の背中を追いかけてきた。

 

「森にいってはダメよ! それと、もうすぐ日が落ちるからすぐに帰ってくるのよ!」

「はーい!」

 

 いつも言われている言葉だ。村落から離れた森の方へは行ってはダメ。怖いお化けがでるんだって。

 

 

 

 

 私は家から少し離れた所で、お気に入りの一人遊びを始めた。

 

「けーんけん、ぱっ! けーんけん、ぱっ!」

 

 飽きたら一人で走り回って、次に飽きたら見つけた小枝で地面に落書きをする。その繰り返しだ。

 一緒に遊ぶ子はいない。声をかけてくる大人もいない。

 ……みんな、私を見たら嫌な顔して逃げるんだ。

 

「寂しくないもん……」

 

 強がりを吐いて、私は一人遊びを続ける。どれほどそうしていただろうか。

 突然、私の頭に何かが飛んできた。

 

「やい! 化け物!! さっさと村から出て行けよ!!」

「父なし子! お前、虚の子供だろ!!」

 

 投げられたのは石だ。投げてきた子は、同じ村に住む私よりも年齢の高い子供達だった。

 

「み、みんなは本当の親じゃないじゃん!」

 

 母が教えてくれた。ここに住む人たちで本当に血の繋がりがあるのは私たちだけなんだって。

 意地悪に対しての私なりの精一杯の言い返しだったが、私よりずっと年齢の高い集団に響くわけもなかった。

 

「村の大人が言ってたぜ! お前の母ちゃん、一人で勝手に腹膨れてきたんだって! 虚との子供に違いねぇって!」

 

 虚。今までだったら、何を言われているのかわからなかった。けれど、自分の中にある映像が「虚」という単語に意味と形態の情報をくれた。

 だからこの人たちが、どれだけ酷いことをいってきているのか理解が出来る。

 

「違うもん……。絶対違うもん……」

 

 私のお父さんは虚なんかじゃない。そう言い返したくても、語彙力が足りないと自分で気が付く。

 状況を打開するための策を、自分は何一つ持っていない。

 

 悔しくてたまらなかった。

 

 また小石が飛んできて、私の額に直撃する。

 

「ほらな! 石当ててもこいつ怪我しないんだぜ! 化け物の子だからだろ!」

「きもちわりー!!」

 

 血が出なくても痛いことに変わりはないのに。どうして……。

 お父さんがいないことも、なんでいないのかなんて私にはわからないのに……。

 

「う、うわあああん!! お母さあああん!!」

 

 ついに堪えきれなくなって、大声で母に助けを求めた。

 けれど、この場所から家に声が届くわけもなし。

 彼らは私のそばに駆け寄ってくると、私の身体を蹴飛ばした。

 

「死ねよ!!」

「殺しちゃってもいいだろ!」

「ええ、でも……潤林安で殺人起こしたら、俺らが今後生き辛いじゃん……」

 

 なんの相談をし合っているのか。殺されなければならないほど、私は何か悪いことをしたのだろうか。

 怖くなって、私はその場から逃げるように駆け出した。

 

 家の方向に向かって走るが、彼らは私よりも走るのが早い。

 

「お! 狩りだ、狩りだ!」

 

 すぐに正面に立たれてしまった。私は避けるように方向を変えて走り続ける。

 

「いいぞ! 森に追い込め!」

「こいつが本当に虚との子供だったら、きっと森に入れても生きて帰ってくるぜ!」

 

 そんな会話が聞こえているのはわかってたが、走ることをやめるという方が恐ろしかった。

 

 

 ………

 ……

 …

 

 どれだけ走り続けていただろう。いつの間にか意地悪な少年達の声が聞こえなくなって、私はようやく足を止めた。

 

 辺りは、見たこともない森の中だ。母に絶対入ってはいけないと言われていた場所だと思う。

 どうやって走ってきたかも覚えておらず、帰り方も分からない。彼らの思惑通りに、私は森に迷い込んでしまったんだ。

 

「帰りたいよぅ……」

 

 大きい木の下で、膝を抱えて丸くなる。

 母の言いつけを守れなかった。意地悪をされた悲しさより、そっちの方が苦しい。

 

 次第に太陽が落ちて暗くなっていく景色と、強い孤独感。

 もう帰ることは出来ないんだろうかという絶望に打ちひしがれていると、ガサッと何かが揺れ動く音と共に背筋に悪寒を感じた。

 

「ひっ……」

 

 暗くなってきた森の木々の間から姿を現したのは、巨大な蜘蛛のような、見たこともない生き物だった。

 けれど、その生き物が何なのか。答えを知っていた。

 

「虚……」

 

 映像で見た。まったく同じ姿ではないけれど、映像の中にいた人たちは、よく似ているモノと戦いをしていた。

 そして、これは……私達を喰う存在だ。

 

『グルルルル……』

 

 完全に私に狙いを定めている。逃げなきゃ。そうわかっているのに、恐怖で体がすくんで動かない。

 

「っ……。来ないでっ……」

 

 腰が抜けてしまっても、必死で後ずさりをするが、虚はどんどん私の方に向かって近づいてきた。

 死んじゃう。もうお母さんに会えないんだ。そう思ってギュッと目を閉じたとき、耳に聞こえてきたのは断末魔だった。

 

『ギャオオオオッ!!!』

 

 空気が振動しているのがわかるほどの虚の悲鳴に、思わず耳をふさいだ。何が起きたのか目を開く勇気はなく、抑えた耳から手を離すこともできない。

 ただなんとなく、目の前の虚の気配が消えた感覚がした。

 

 ジッとその場に固まっていれば、私の身体が急に持ち上がる。

 急な出来事に、パニックになるには充分だ。

 

「やだああああ!!!!」

 

 喰われる。死んでしまう。一心不乱にもがく私の耳に聞こえてきたのは、少し低めの男性の声だった。

 

「大丈夫。落ち着いて」

 

 その言葉と共に、男性は私の背中を宥めるようにゆっくりと撫でる。

 

「あの虚は僕が倒したから。さあ、ゆっくり呼吸をしてごらん」

 

 その声は、聴き心地の良い不思議な声だった。あれだけ乱れていた自分の心が徐々に落ち着きを取り戻していく。

 

「怖かったね。もう大丈夫だ」

「お母さんに、この森はダメって言われてて……! でもね、私は虚の子だから大丈夫って追いかけられて……!」

 

 この人は虚じゃない。助けてもらったんだと理解した瞬間、私はあふれる涙とともに一生懸命に状況を説明しようと試みる。

 ちゃんとした文章でもなんでもないのに、男性は優しい相槌とともに私の言い分を聞いてくれた。

 

「そうか。そんな酷いことをする子がいたんだね」

「虚が私の事食べちゃうの、だからっ……」

「虚とは高い霊力を持つ魂魄に引き寄せられる習性があるんだ。救助が間に合ってよかったよ」

 

 暗闇に慣れたからだろうか。それとも、月明かりのおかげだろうか。私は自分を抱きかかえる男性の顔をようやく確認することが出来た。

 茶色い柔らかな髪と優し気な表情によく似合う黒い眼鏡。服装は、私や村の人が着ているものとは全く違う黒い装束。

 

 知らない人のはずだった。いや、私は知らない。けれど、映像の中に……この人とよく似た人がいたことは覚えていた。

 だって、何度も何度も出てきたんだから。

 

「……死神?」

「驚いたな。よくわかったね」

 

 私は漢字が読めないから、名前はわからない。なんでわかったのかということの説明も難しい。

 

「あのね、頭の中で答えがでるの! だから知ってるの!」

 

 こう説明するしかなかったが、その説明をきいて死神の人はにこりと笑った。

 

「とても賢い子だ」

 

 賢いね。この人も同じだった。その言葉を口にした時、私を見ているのに見ていない。私の中の誰かを見ているような……そんな目をする。

 

「今日はお家に帰ろうか。僕は明日も潤林安付近で仕事をしているから、また明日話そう」

 

 死神の人が歩き始めると同時に、私の身体が軽く揺れる。母とは違う大きな腕と少し硬い体。普段使っているお香なのか、甘くていい香り。そして、その高い体温につられるかのように、泣きつかれた私に眠気が襲い掛かった。

 私が寝そうなことに気が付いたのだろう、死神の人はクスリと笑う。

 

「少し疲れたね。極度の緊張状態から霊力を使いすぎたんだろう。寝てていいよ」

「……うん」

 

 

 

 

 頭を撫でられているうちに、私はそのまま眠りについてしまった。

 夢の中で見たのは、また同じようなコマ送りの映像だった。

 

 ……これは、なんだろう。私の身に、何が起きているんだろう。

 

 





BLEACHの漫画が少女の頭の中に流れ込んできたという設定です。
五歳でまだ漫画の意味も漢字も読めない子に知識だけを流し込んでも、全てがすぐに理解できるわけではなさそうですね。


親の七光りでは、所謂転生憑依を行いましたが、リメイク版では原作知識を持ちつつ、より姫乃自身の成長に注力していきたいと思います。

よろしくお願いいたします。


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第二話 僕が君の師匠だ

 私が目覚めた時、母が初めて泣いた。

 

「私がもっとちゃんと見てあげていたら……。怖い思いをさせてごめんね、姫乃」

「ごめんなさい……ごめんなさい、お母さん」

 

 お互い怖い思いをしたのだということは同じで、私が今こうして生きていられるのはあの死神の人のおかげだ。

 あの人はどこに行ってしまったのだろう? そういえば、仕事……って言っていた気がする。

 私の視線が誰かを探していることに気が付いた母は、その答えをくれた。

 

「死神のお方は、お昼過ぎにもう一度顔を見に来ると言ってたわ」

 

 そっか。と返事をして、私はいままで聞けなかったことを母に聞いた。

 

「お母さん……私のお父さんはどこに行っちゃったの? 虚なの?」

 

 虚なんかじゃないと否定しつつも、不安だった。母の口から父について語られたことはない。私も、なんとなく聞いてはいけない気がしていた。

 母は家事をしていた手を止めると、囲炉裏の近くにいた私の方にやってきて腰を下ろした。

 

「貴女のお父さんは、虚なんかじゃないわ。とても優しくて、頭がよくて、強くてかっこいい人よ」

「じゃあなんでいないの!」

「それは……」

 

 母はそれ以上話すのをやめてしまった。その姿を見て、余計にいままで抱えていた想いが口からあふれ出た。

 

「みんなに父無しっていじめられる! お父さんがいてくれたら、虚じゃないよって言えるのに! お父さんなんか嫌い!! 大嫌い!!」

「姫乃!!」

 

 会ったことも見たこともない父の姿。だけど、私がこんな目に合うのは父のせいだ。父がいないからだ。

 だから嫌いなんだといった言葉に対して、母は怒ったように私の名前を強く呼んだ。

 

「そんな言葉を使ってはダメ」

「だって、だって……お父さんがいないのは本当だもん!」

「姫乃は、お父さんがいないから嫌いなの? 本当に大嫌いでいいのね?」

 

 母の叱りの言葉に、私は目を伏せた。そして、母の膝の上に顔を伏せて黙り込む。

 分かっている。嫌いなんてのは……私の八つ当たりでしかなくて。自分の親の存在に否定的な言葉を吐くのは心が痛んだ。

 

「……お父さんに会いたいよぅ」

 

 これが本当の気持ち。母がいるから寂しくはない。けれど、村の子供たちが大人の男性と一緒に遊びまわっている姿は羨ましかった。

 私だって、肩車をしてほしいし……一緒に遊びまわってみたい。

 それを叶えることが出来ない現実と、だから父が嫌いだということはイコールにはならないんだということは分かる。

 

「姫乃は賢いから、もうなんで嫌いだっていったらダメかなんてわかるでしょう?」

「……うん。わかる」

「いい子ね。いつかお父さんに会ったら、大好きよって伝えてあげてね」

 

 その言葉に、私は顔を上げた。

 

「生きてるの!?」

「……わからないわ」

 

 母の雰囲気で、これ以上聞いてほしくないことは察した。だから私もこれ以上は話を振らない。

 

 少しだけ微妙な空気になってしまったが、ちょうどそのタイミングで家の戸が叩かれた。

 

「やあ。気分はどうだい?」

 

 顔を覗かせたのは、昨日会った死神の人だった。お昼まではまだ時間があるというのに、ずいぶん早い訪問だ。

 

「気になってしまってね。迷惑だったかな?」

「いえいえ。私たちの時間は自由ですから。昨日は姫乃をありがとうございました」

 

 母はそういって頭を下げる。その背中に身を隠しながらも改めて死神の人を見上げれば、私の背丈では首が痛くなってしまうほど背が高い人だった。

 

「流魂街の人たちを守ることが僕たちの仕事ですから。気にしないでください」

「ほら、姫乃。ちゃんとご挨拶しなさい」

 

 背中に隠れていたというのに、母から押し出されるようにして死神の人の前に出された。

 死神の人は、すぐに私と視線を合わせようと腰を下ろしてくれる。

 

「改めて。僕は藍染惣右介。死神として瀞霊廷で働いているんだ」

「き、きさらぎ……ひめの……です。昨日は、ありがとうございました……」

 

 初めてまともに会話する大人の男性だ。緊張で私が逃げ腰になっていることに気が付いたのか、死神の人……藍染さんは懐から何かを取り出した。

 

「ほら、金平糖だよ。知っているかな?」

 

 私が小さく頷くと、また笑って私の掌の上に二粒ほど乗せてくれた。

 

「食べてごらん。気に入るといいのだけれども」

「……知らない人から貰ったものは食べちゃだめなんだよ」

「あはは。僕と君はもう知らない者同士じゃないだろう?」

 

 ……確かに。名前をお互いに知っていたら、知らない人ではないのかもしれない。

 私は自分の手の上に乗った金平糖をジッと見つめてパクリと口に入れた。甘い味が一気に口の中に広がり、思わず頬が緩む。

 

「よかった、気に入ったみたいだね」

「ほら、姫乃。お礼は?」

「あ、ありがとうございます!」

 

 藍染さんは微笑んで立ち上がると、母と会話を始めた。

 

「お母さん。昨日話した通りなんですが……」

「……わかっています。いずれはと覚悟はしておりました」

 

 いったい何の話をしているのだろうか。私が二人を見上げていると、また藍染さんと目が合った。

 

「僕と少し散歩に行こうか」

 

 おいで。と手を伸ばされたが、私は母の方を見上げる。

 

「お母さんも一緒がいい!」

「行ってきなさい。姫乃。大丈夫よ」

 

 昨日は切羽詰まっていたこともあったが、出会ったばかりの人と一緒に二人きりで行動するのは緊張するし、母の目が届かない所にいくのも怖い。

 いやだと駄々をこねる私を母は抱き上げて、藍染さんに手渡した。

 

「やだああ!」

「おっと、元気な子だね」

「大丈夫よ、姫乃。今度はちゃんと帰ってこれるし、怖いこともないわ。お母さんが信用できない?」

 

 藍染さんの腕の中でバタつく私の鼻をチョンっと母が触って笑う。その笑顔だけで、この人とのお散歩を頑張れる気がした。

 おとなしくなった私を確認したかのように、藍染さんは家を出る。

 

 いってらっしゃいと手を振る母の顔が見えなくなった時、私はようやく藍染さんの顔を見上げた。

 

「……どこに行くの?」

「景色の良い所に連れて行ってあげるよ」

 

 藍染さんがそう言った時……浮遊感に包まれた。藍染さんが飛んだんだ。

 急に起きた出来事に驚いて目を閉じる。藍染さんの服をぎゅっと握って吹き付ける風に耐えていれば、また優しい声が聞こえた。

 

「さあ、目をあけてごらん」

 

 そういわれて、そっと目を開けると……

 

「うわああ……」

 

 壮大な景色が目の前に広がる。この辺りで一番高い木の上に藍染さんは飛び乗ったんだ。

 私が景色に見とれていると、藍染さんはある方向を指さした。

 

「ほら。あそこにみえるのが瀞霊廷だよ。僕たちが普段住んでいるところだ」

「瀞霊廷……。死神の人が働く場所?」

「そう。この尸魂界(ソウル・ソサエティ)だけでなく、現世に住む人間達を虚から守っている。そうして、三界の魂魄バランスを保っているんだ」

「……わかんない」

「少し難しかったね。大丈夫、すぐにわかるようになるよ」

 

 どうしてこう難しい話をするのだろうかと不思議に思っていれば、藍染さんは少し間をおいてから言葉を続けた。

 

「死神にはどんな子がなれるか知っているかい?」

「霊力がある子! 私もあるよ!」

 

 知っていることは得意げに返す。藍染さんの表情を見れば、やはり間違いではないらしい。

 

「そうだね。そして、その力が強い子は力の使い方を覚えなければならない」

「強い子……?」

「そうだ。君は五歳という年齢にして強い霊力を持っている。早く力の使い方を学ばなければ、やがては家にまで虚がたどり着いてしまうだろうね」

 

 あの虚がお母さんと住む家まで襲ってくる? それを聞いて一気に怖くなった私は目を伏せた。

 

「大丈夫。僕が力の使い方を教えよう」

「藍染さんが?」

「実は、死神になる子供たちが行く学校はあるんだけれど、君は……まだ少し幼すぎる。だから、流石に毎日とはいかなくても可能な限り僕が個別で教えるよ」

「私の師匠ってこと?」

「難しい言葉をよく知っているね。まあ、そういうことだ」

 

 虚から身を守るためには、力をつけなければいけない。そのためには学校に行く必要があるけれど、私の年齢では早すぎる。だから藍染さんが代わりに……。

 状況の理解は出来たが、わかったというには少し足りない気がした。

 

「……私は死神にならなきゃいけないの?」

「無理にとは言わないさ。僕から力の制御方法だけ習って、ずっと村で暮らす選択肢だってとれる」

「……お母さんと一緒がいい」

 

 死神になってあの街で暮らすということは、お母さんと離れてしまう。それは嫌だった。

 私の迷いを、藍染さんは否定しなかった。

 

「時間はたくさんあるから、ゆっくり考えるといいさ」

「藍染さん……あのね……」

「どうしたんだい?」

「……お父さんに会いたい」

 

 死神になれば……この村を出ていけば、父を探すことは可能だろうか。

 私の疑問に、藍染さんは少し考えるような素振りを見せた。

 

「姫乃はお父さんのことを何もしらないのかい?」

「知らない……。なんでいなくなっちゃったのか……聞きたい」

「そうだな……。少し現実は酷かもしれないけれど、死神になればその答えにはいずれたどり着くだろうね」

 

 死神になれば父の痕跡を辿ることが出来る。その言葉は、私の頭の中にずっと残り続けるんじゃないかと、直感的に思う。

 いまは死神になるかならないかなんて決められない。ただ、虚の危険から母を私が守れるのなら……そうしたい。

 

「藍染さん……私、強くなりたい」

「任せてくれていいよ。こうみえて、真央霊術院で教鞭をとっている身なんだ」

「お願いします」

「こちらこそ。そうだね、まずは……読み書きから教えようか」

 

 □

 

 家に帰った時、母はまた藍染さんに頭を下げた。姫乃をよろしくお願いしますと。

 母にはわかっていたのかもしれない。私が霊力を持って生まれたということは、いずれ死神と関わり合う道を歩いていくことになるのだと。

 

 母の表情は、嬉しそうにも悲しそうにも寂しそうにも見えた。虚と戦うための力を得るということは、つまりは戦いに背を向けるのではなく立ち向かっていくということ。それはきっと……逃げるより危険なことなのだろう。

 

 私が森から帰ってきたことを知った村の人たちは、もう嫌がらせをしてくることはなくなった。その代わり、恐れるかのような目を向けられて逃げられる。

 母は気にしなくていいと言ったが、結果的に私たちは前よりもまたさらに人里から離れた場所に住まうことになったのだ。

 

 約束通り、藍染さんは頻繁に私のところにきて勉強と霊力の使い方を教えてくれた。潤林安は瀞霊廷に最も近い所だから、時間さえあれば来ることは難しくないようで。私も藍染さんに人見知りをしていたのは、ほんの数回だけだった。

 

 

 ——月日は緩やかに流れる。

 

 

「よし、これでほとんど読み書きは大丈夫そうだね」

「ねえ藍染さん! また本が読みたい!」

「本当に賢いね、君は。その年でこんなに難しい本を読む子なんていないよ」

 

 藍染さんはいつも本を持ってきてくれる。文字を読めるようになってからは、本を読むのが毎日の楽しみだった。

 意味が分からない単語は、全部書き出せばちゃんと教えてくれる。特に、学術論文や科学・数学にまつわる本は私の興味をことさら引き立てた。

 

 藍染さんは、いつだって私の話を根気強く聞いてくれる。嬉しくて堪らなかった。

 

「君の頭の良さには本当に驚かされるよ」

「藍染さんが教えてくれたからだよ。ね、肩車して!!」

「はいはい」

 

 それと、勉強や訓練とは別に沢山遊んでくれた。ずっと憧れだった肩車も、鬼ごっこも……川遊びも虫取りも。

 なんにだって嫌な顔一つせずに付き合ってくれた。お父さん……ってこんな感じかな? 私の本当のお父さんも、こう優しい人がいいな。

 

 読み書きが出来るようになったら、藍染さんは鬼道というものを教えてくれた。

 少しずつ、少しずつ何かが毎日出来るようになっていくのは楽しかった。

 



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第三話 瀞霊廷見学

 

 ——西流魂街第一地区 潤林安 郊外

 

 藍染さんと出会ってから五年が経った。

 綺麗な湖の近く。ここが私と藍染さんの修行場所。時間の進みは、ゆっくりなようであっという間だ。

 小さく蹴られれば死にそうな体だった私は、多少身長が伸びたと思う。

 だけど藍染さんは相変わらず、見上げた時は逆光で顔が上手く見えないほど背が高い。

 

 そんなことを考えていると、目の前を木刀が横切った。

 

「試合の最中に考え事はよくないな」

「……ごめんなさい」

 

 間一髪避けることには成功したが、ちっとも反撃には移れない。打ち込み練習の時と違って、試合形式の時は避けることで手一杯だった。

 

 主な授業内容は三つ。鬼道と剣術、そして学問。

 鬼道はもともとセンスがいいのか、藍染さんの教え方がいいのか分からないが天井知らずに上達した。

 私自身、鬼道が一番得意だ。

 

「また腰が引けているよ」

「こ、怖い……」

「怖くない」

 

 普段は優しい藍染さんは、訓練では別人のように厳しかった。一度始めたら、もう嫌だと投げ出すことは許されないし、なかなか合格点をくれない。

 私が剣術を苦手としているのは、振り下ろされる木刀が怖いからという理由もあるけれど……剣術を習う時に課せられる条件が厳しすぎる。

 藍染さんとしか戦ったり教えてもらったことはないけれど、変だってのはなんとなくわかる。

 

「見えたらもっと怖くなくなるのに……」

「戦闘で姫乃が目だと思っているものはなんの役にも立たないよ。心の目……所謂、霊圧知覚能力で相手の動きを読むんだ」

 

 まず一つ目に、剣の試合で目を開けてはいけない。いつも目隠しをした状態で試合は始まる。

 はじめは歩くことも出来なくて、藍染さんがどこにいるのかもわからなかった。振り下ろされる木刀に何度も飛ばされては泣いての繰り返し。

 

 そして二つ目に、藍染さんが放つ殺気と霊圧が恐ろしくてたまらない。

 

「戦いは常に殺気と多くの霊圧の衝突が起こる場所だ。殺気や霊圧に気圧されていてはどうしようもないだろう」

 

 この霊圧に何度吐いただろう。この殺気に何度大泣きしただろうか。今だって怖いし、手が震える。

 それでも、打ち込まなければこの試合は終わらない。

 

「っ……やああああ!!!」

 

 必死に藍染さんがどこにいるのかを探り当てて、思いっきり木刀を振った。私の背丈で振り下ろしたとことで、藍染さんの腰くらいにしか届かないけれど、攻撃の姿勢を取ることが大切だといつも言われている。

 

 バシィ……と鈍い音がして、私の手から木刀が消えた。その直後、額に鈍痛が走る。

 藍染さんが私の木刀を吹き飛ばして、返しに頭に一撃食らわせたんだ。

 

「……痛い」

 

 ジワッと目に涙が浮かんだところで、私の目隠しが取られた。今日の剣術はここまでらしい。

 

「怪我は……なさそうだね」

「……どうして私は傷が出来ないの?」

 

 村の子供達から石を投げられても、痛みは感じるが血が出たことはなかった。コケても大怪我をしたことは今まで一度もない。

 

「霊圧だよ。死神が持つ霊圧は、そのまま本人の防御能力に比例する。つまりは……霊圧が低い存在から攻撃を加えられようとも、姫乃自身が持つ霊圧が段違いに高ければ傷にはならない」

「……? あんまりよくわからない」

「つまり、姫乃が今本物の刀を持ってきて僕を刺そうとしても、刃は皮膚一枚裂くことは出来ないってことだよ」

 

 ということは、藍染さんは私が怪我をしないように霊圧を調節してくれているのだろう。本当はもっともっと強いってことだ。

 村の子供達と私では、私の霊圧が高すぎて傷を負わせることが出来ない。

 

「え、じゃあ、どれだけ訓練しても、うんとうんと霊圧の高い敵だったら負けちゃうの?」

「そうだ。死神の世界の戦いは、霊圧の戦いだよ」

「……じゃあ今やってる訓練は……」

 

 意味がないんじゃないか。そう言おうとしたが、基礎が無ければ戦闘のスタートラインにすら立つことが出来ないのだと気が付いて途中で言葉を止めた。

 

「心配しなくても、姫乃の霊圧は充分に高い。今後も年を重ねるごとに強くなる」

「どれくらい!?」

「そうだな……。百年もしないうちに護廷十三隊の顔を張るくらいにはなるだろうね」

「霊圧だけは?」

「そう、霊圧だけは。豚に真珠と呼ばれたくないだろう。だから訓練を辞めてはダメだ」

 

 自分の実力は分からない。けれど、出来るようになっていることが一つ一つ増えているのは純粋に楽しいし、藍染さんと過ごす時間は大好きだ。

 どれだけ泣かされても、最後は絶対笑わせてくれるから。

 

「そういえば……そろそろ一年経ったかな? おいで」

 

 訓練が終わって水分補給をしていると藍染さんに呼ばれた。なんで呼ばれたのかがわかって、私もニコリと笑った。

 

「はやく!」

「はいはい」

 

 私たちがたどり着いたのは、この辺りで一番大きい木だった。藍染さんは毎年この木の幹に私の身長を刻んでくれるんだ。

 元々は、私が早く大きくなりたいと愚図っていた時に、こうやってちゃんと大きくなっているとわかるようにしておこう。と始めたものだった。

 今では毎年の恒例行事である。

 

「ねえ、これ消えちゃう?」

「鬼道の熱を使って刻んでいるから、消えることも埋もれることもないよ。ただ、雑草は取らないと」

 

 私が木を背にして精一杯背筋を伸ばせば、藍染さんは頭に手を置いて、しばらくすると温かい熱を感じた。

 もういいよと言われたので木から離れて、二人で幹を見る。

 

「伸びた!!」

「そうだね。三センチくらいだろうか」

「大きい?」

「さあ、どうだろうね。僕は子供の成長速度に関しては分からないけれど……姫乃は少なくとも、平均的な女性よりは背が高くなりそうだね」

「藍染さんを追い抜ける?」

「未来はどうなるかわからないから、不可能だとは言わないけれど……もっと別なところで勝負した方がいいかもね」

 

 つまりは現実的でないということ。がっくりと肩を落とした私をみて、藍染さんは気晴らしにとまた金平糖をくれた。

 

 ……たまに夢を見る。読み書きができなかったときは、なんの夢なのかわからなかったけれど今ならわかる。私の中に断片的に流れてくる映像は、死神の戦いを舞台にしたものだ。

 物語の時系列はバラバラで、夢を見るたびに違う映像だからまだ詳しくは分からないけれど……夢の中では藍染さんは悪い人だった。

 仲間だった人たちを裏切って、敵になってしまう。その夢は悲しくて、現実的ではない。だからこそ夢だと思っている。

 

「姫乃?」

「……藍染さんは悪い人なの?」

 

 私がそう聞くと、藍染さんは少し驚いた顔をした。

 

「どうしてそう思うんだい?」

「夢の中で……悪いことをしていたから」

「いい人かいい人じゃないか。それは所詮、他人が勝手に決めた物差しで決められた虚像だ」

「きょぞう?」

「この世界の善悪なんて、誰かが勝手に作ったまがいものってことだよ。姫乃には、いい人か悪い人か。好きか嫌いかだけで物事を見ることしか出来ないような子になってほしくはないかな」

「……うーん。はあい」

「難しく考えることはない。自分が正義だと思った道ならば、他人が口を挟んだり、評価するようなことではないということだよ」

 

 少し話をずらされてしまったようには感じたが、きっと私の理解力がまだ足りていないだけだろう。

 私が難しい顔をして考え込んでいると、藍染さんはふと私の髪を触った。

 

「随分伸びてきたな」

「もじゃもじゃー!」

「猫っ毛だからね」

 

 私の髪は、放っておけば横広がりに爆発しそうな猫っ毛だ。外はねの髪は、確かに随分と伸びてきた。

 藍染さんはその伸びた髪をみて、一つの提案をしてくれた。

 

「髪留めを買った方がいいね」

「そんなお金ないもん」

「それくらい買ってあげるよ」

 

 その提案は嬉しくて、便乗するかのように私は追加のお願いをした。

 

「瀞霊廷に行きたい!!」

 

 目と鼻の先にある街。ずっと興味がなかったけれど、死神としての力をつけていくうちに気になってきた。

 いつかお願いをしようとしていて、いつも忘れてばかりだったから、この際にお願いしてみる。

 

「いいよ」

「やったあ!」

 

 嬉しさ反面、今日は行けないんじゃないかと考える。瀞霊廷に死神じゃない人が入るには、とても多くの手続きが必要だと藍染さんが昔言っていたことを覚えていたからだ。

 私が藍染さんを見上げると、目が合ってニコリと笑われた。

 

「今から行けるよ」

「本当!?」

「本当だ。実は、そろそろ行きたがるんじゃないかと思って、もう通行証は発行してあるんだ」

「さすが!」

 

 私の考えることなんて掌の上と言わんばかしに、藍染さんは懐から取り出した通行証を私にヒラヒラと見せてくる。

 流した汗を拭いてから、私は初めての瀞霊廷に向かうことにした。

 

 

 □

 

 

 ——瀞霊廷内

 

 藍染さんの言うとおりに、門はなんなく通過出来た。それでも、初めて来た瀞霊廷の中と人の多さに怖気づく。

 

「……怖い」

「そういうと思った。おいで」

 

 私はよじ登るようにして藍染さんの腕の中に納まる。虎の威を借りる狐とはこのことだろう。藍染さんの腕の中に居れば、さっきまでは恐ろしく見えていた人たちが怖くない。

 ……みんな私達の方を見ている気がする。

 

「みんな見てるよ」

「そりゃあ、僕はこう見えてそれなりに顔は広いからね。物珍しいんだろう」

「話しかけてはこないね」

「君を抱えているから、どう声をかけていいのかわかってないだけさ。気にすることはない」

 

 初めて見た藍染さん以外の死神。私は、藍染さんと他の人達の違いにすぐに気が付く。

 

「ね、ね! なんでみんなこれ着てないの?」

 

 私が引っ張ったのは、藍染さんがいつも着ている白い羽織。背中には五と書かれているものだ。

 

「これは僕だけが着るものなんだ」

「どうして?」

「護廷十三隊には、十三人の隊長がいると教えただろう? 僕は五番隊の隊長だ」

「じゃあ、五は藍染さんのもの?」

「そうだよ」

「ずーっと?」

「いずれは他の誰かのものになるさ。でもずっと先の話だ」

 

 ふうん。と返事をして、物珍しい街並みを食い入るように見つめた。どのお店も見たことない店ばかりで、どこからかご飯のいい匂いが漂ってくる。

 もうすぐ夕暮れ時なのだろう。仕事帰りの人込みを進んでいれば、藍染さんの足が止まった。

 

「着いたよ」

 

 着いた場所は、様々な飾り物が売られているお店だった。キラキラと輝くものから、奥の方には着物が沢山だ。

 思わず声を失っていると、藍染さんは店の中に足を進める。

 

「すみません。この子に似合いそうな髪紐をください」

「おや、随分と縛り甲斐のありそうな髪ですね。少しお待ちください」

 

 店の人が奥に消えていくと同時に、私は藍染さんの腕の中からもがいて脱出した。

 どれもこれも初めて見るものばかりで、人見知りより興味の方が勝つ。

 

「これ何?」

「簪。姫乃には二百年早いよ」

「これは?」

「下駄の鼻緒。それだけ持っていてもどうしようもないだろう」

「これは?」

「それは手鏡」

 

 綺麗に輝く手鏡に写る自分の顔。顔を近づければ大きく写って、遠ざかれば小さく写る。その変化が面白い。

 水面に写ったりで知ってはいたけれど、こんな綺麗に見たのは初めてかもしれない。

 もう少し色が落ちれば白になってしまうんじゃないかと思う金髪。黒い瞳。すこしタレ目で、頬と唇は桃色。

 

「……お母さんに似てない」

 

 母は、黒髪だ。目の色だけは一緒な気がするけれど、他の何処からも母の要素を感じない。これでは確かに、村の子たちからバケモノの子と呼ばれてしまうのも分からなくはない。母のお腹から出てきたのは、似ても似つかない子なのだから。

 

「……お父さんに似てるの?」

「かもね」

「藍染さんにも似てない」

「当たり前だろう」

 

 じーっと鏡を見つめていれば、背後に藍染さんの顔が写った。手には赤いリボンのようなものを持っている。

 

「そのまま真っ直ぐ向いていなさい」

「はあい」

 

 私の髪が束ねられていき、しばらくすると綺麗な一つ結びが出来た。頭頂部にちらりと見える蝶結びが可愛い。

 

「上手!」

「初めてだったけれど、上手く出来て良かったよ。気に入ったかい? 他にもあるよ」

「これがいい!」

「いずれは髪紐に変わるだろうが、幼いうちはリボンの方が似合うだろう」

 

 そのまま藍染さんがお店の人に何かを伝えている。多分お会計をしているんだと思う。

 また戻ってきたとき、帰るのだと分かって私は手鏡を元の位置に戻した。

 

「それも買ったから、持って行っていいよ」

 

 戻した手鏡を藍染さんが手に取って私の袖の中に入れてくれた。二つも買ってもらって嬉しくて口元が緩む。

 

「ありがとう!」

「どういたしまして。じゃあ帰ろう」

 

 外に出たらきっとまた沢山死神がいる。私が藍染さんに抱っこをせがむと、嫌がることなく抱いてくれた。

 外に出ると、すっかり日が落ちていて辺りは暗い。流魂街と違って街灯はあるが、暗いということに変わりはない。

 

「暗いね」

「そうだね。こういう時に灯りをどうすればいいか教えただろう」

 

 夜道を照らすための鬼道がある。応用のものだけど、松明や行灯代わりに最も適しているから沢山練習して使えるようになった。

 両方の掌で水をすくう時のような形を作る。そしてイメージを強く持ちながら集中をした。

 

「 破道の三十一 赤火砲! 」

 

 ……の応用。と心の中で付け足して唱えると温かさが伝わってきた。そっと目を開ければ、想像していたよりは小さいけれどちゃんと灯りはついている。

 

「……何点?」

「うーん、40点」

 

 厳しい採点にムッと頬を膨らませて、藍染さんから目を反らす。そうして自分が付けた灯りを見つめていれば、ふと正面から誰かが歩いてくる雰囲気を感じた。

 

「……誰か来るよ」

「大丈夫」

 

 さっきまですれ違っていた人たちと違う。明確に私達に向かって歩いてきている。

 

「たまげたね、その歳で立派な詠唱破棄技術だ」

 

 怖くなって、思わず灯りを消してしまったことと話しかけられたのは同時だった。私に話しかけられていると分かってはいたが、返事はしなかった。

 

「あらま。怖がらせちゃったみたいだねぇ」

「すみません。京楽隊長。人見知りがまだ少し取れてなくて」

「あはは、いいのいいの。この子がそうかい?」

「ええ。今日は買い物に」

 

 私の見た中で最も背が高い人物は藍染さんだった。この人はそれよりも大きくて、嫌な匂いがする。

 私は逃げるように藍染さんの白い羽織を使って身を隠す。

 

「こら、姫乃。挨拶しなさい」

「姫乃ちゃんかぁ、可愛い名前だねぇ。こういうのは浮竹の方が得意なんだろうけど、生憎寝込んじゃっててね」

「……臭い!」

「こら! 姫乃!」

 

 ぴしゃりと藍染さんに怒られて、悲しくなる。臭いもん。本当のことを言っただけだもん。

 私が固まっていると、その人から笑い声が聞こえた。

 

「ごめんよ。ボクが一服してしまったせいだね」

 

 所謂煙草の匂いなんだろうけれど、私の好みじゃない。藍染さんがいつも使っている甘いお香の方が好きだ。

 ……好きか嫌いかだけで決めちゃダメだと言われたばかりだった。だから藍染さんは怒ったんだ。

 

「……ごめんなさい」

 

 口だけで相変わらず顔一つ見せない私だが、二人は気にしていないようで会話を続ける。

 

「霊術院にはいつ来るのかな? 赤火砲詠唱破棄の一年生は話題になるだろうねぇ」

「そうですね……。あと五年後くらいを考えています」

「おんやぁ? 年齢的には来年でも大丈夫だろう?」

「僕から見ればまだまだですよ。どうせ人前に出すならもう少し格好がつかないと……とは思っています」

「親馬鹿ならず師匠馬鹿ってところかい。楽しみにしているよ、姫乃ちゃん」

 

 ……私は死神になるなんて言ってないのに。いつの間にか藍染さんもその気になってるし。

 いつの間にか煙草の人の気配が消えて、藍染さんは再び歩き出していた。

 

 しばらく無言の時間が続いて、藍染さんが先に口を開く。

 

「勝手に死神の話を進めたこと、怒っているのかい?」

「……別に」

「面白いくらいに強くなる君を見ていたら、ついね。気にしなくていいよ。姫乃は姫乃が進みたい道を進みなさい」

 

 初めての瀞霊廷は、楽しかったことと怖かったことの半分半分。藍染さんと二人で散歩に行くことすら怯えていた五年前に比べたら随分と進歩だと思う。

 ただ、死神を実際に目にして……憧れるわけでもなかった。

 

 本を読んで、鬼道の練習と苦手な剣術の練習。藍染さんが来てくれる日はいつも突然で不定期だけれど、一杯訓練して一杯遊んで。

 

 

 そうして過ごしていくうちに、さらに月日は流れていく。

 

 

 気が付けば、藍染さんと出会って十年の月日が経っていた。

 そして、私の死神になるかならないかを決める決定的な出来事もこの年に起きた。

 



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第四話 死神になる

 藍染さんから戦い方を教わり続けて十年。

 一人で川に水を汲みに行った帰り道の事だった。

 

「あ……」

 

 出会ってしまったのは、昔から私を邪険にしていた子供達。十年前は私の方が明らかに幼かったが、いつの間にか変わらないくらいの見た目年齢になっていた。

 

「なんでここに……」

「水汲みに来ただけだよ」

 

 私と出会ったと分かった彼らは、サッと目を逸らす。私もまた構うことなくすれ違う。私からこれ以上距離を詰めることはなく、彼らも何も言わない。

 

 しかしすれ違って直ぐに、私は僅かな空気の振動を感じ取った。……虚だ。

 藍染さんとの訓練は一対一だけで行われるだけでなく、たまに遠征して虚討伐の見取り稽古をやってきた。

 だから、彼らが向かう先には虚が待っていると探知することが出来た。このままなにも警告を出さなければ、彼らは襲われるだろう。

 

「……虚がいるよ。今は行かない方がいいよ」

 

 聞こえるか聞こえないかくらいの声でそう伝えたが、彼らは足を止めなかった。

 私の方を振り返ったから、聞こえてはいるのだろう。ただ、私の声に耳を傾ける必要がないんだと思う。

 

「なんか言ってるぜ。あいつ」

「無視していいって」

 

 私もそれ以上言うことはしなかった。元々理不尽なまでの暴力と尊厳を奪う発言を繰り返された。

 彼らの命を守ってやる必要など……。

 

「……どこにもない。自業自得だ……」

 

 刃を持たない状態で私が行ったところで、私も巻き込まれるだけだ。

 だから……行かなくていい。

 

 魂魄の存在に気が付いた虚が接近している。

 後数百メートルもしないうちに虚と衝突するだろう。

 

 ……本当に? 本当に見殺していいのだろうか。

 

 私は戦う術を教えてもらった。それは何のための力? 自分の命を守る為? 守りたい人だけを守る為? 

 

 私が今ここで命を見殺すことを……母は決して褒めてはくれないだろう。藍染さんからも怒られるかもしれない。

 

 

 大気が揺れる。気持ちの悪い虚の霊圧を感じる。

 

 

 ……彼らはここで死ぬ。報いを……。

 

 

「っ……!!」

 

 帰りかけていた道から目をそらして、踵を返して駆け出した。

 この身一つで戦う術は知っている。

 

 

 だから……間に合え!! 

 

 

「うああああ!!!」

「助けて!!!」

 

 必死に逃げ惑う子たちの姿を捉えた。人生で二度目となる虚との相対だ。初めて見た虚よりも大きく、蛇のような異形をしていた。

 

「逃げて!! 振り返らずに!!」

 

 私は彼らと虚の間に入る。そして自分の霊圧を餌に虚の注意を引いた。

 

「……如月」

「早く逃げて!!」

 

 去ったはずの私が来たことに驚いたのか、虚に腰が抜けたのかはわからない。ただ、彼らは怯えて硬直してしまっているよう見える。手を引いてあげる時間がない。

 私は虚に向かって手を構え、詠唱を唱える。

 

 

「──縛道の九 崩輪!! 」

 

『ガアアアアアア!!!』

 

 私が放った縛道は一直線に虚へと伸びてその動きを封じた。

 効いている。戦えている。

 

 次の攻撃態勢に。そう思った瞬間、視界の端で逃げ遅れている一人を見つけた。

 

「何してっ……」

 

 縛道で縛り切れていない長い尾。その尾が反撃の体勢に入っている。

 気にしなければ鬼道で倒せる……けれど、虚の気が私から逸れていた。

 

 私は鬼道を放とうとしていた動作を止めて、彼のもとに駆け寄る。

 

『ギャオ!!!』

 

 背後で聞こえる虚の甲高い声。まもなく振りかざしてくるであろう尾から彼を守る為に、私は彼に覆いかぶさった。

 

 ──ザシュッ……

 

 

 鈍い音と共に背中に感じる焼けるような痛みが走る。

 勢いのままに、私たちは吹き飛ばされて地面を何度も転がった。

 

「……大丈夫?」

 

 私がそう聞くと、彼は小さく頷いた。

 よかった。怪我はしていない。

 無事を確認して、私は直ぐに虚に視線を向け直した。縛道の影響で尻尾以外は動かせないし、尾もここまでは届かない。

 

 初めて感じる怪我の痛みだった。

 

 落ち着け……痛くない。痛くない。痛くない。

 涙で視界が霞む中、必死に意識を整える。

 一撃で仕留めるためには、怪我を負う前であればやれただろうが、今の状態で詠唱破棄では不安があった。詠唱に乗せて私の霊力が右手に集中していく。

 

「君臨者よ 血肉の仮面 万象 羽搏き ヒトの名を冠す者よ

 真理と節制 罪知らぬ夢の壁に僅かに爪を立てよ

 ──破道の三十三 蒼火墜!! 」

 

 ──ドォオオオン……

 

『グオオォォォ……』

 

 私の放った破道は、無事直撃した。光と共に消えていく虚を見ながら、私は木を背もたれにドサッと地面に腰を下ろす。

 

 助けた子供たちと視線が合う。彼らは私と目が合った後、我先にと集落のほうに向かって駆け出して逃げていった。

 誰にも怪我はなかったようだ。

 

「……痛い」

 

 傷口を見ていないからどれ程の怪我を負ったのかわからない。けれど、血を流しているからだろうか、全身を悪寒が襲い始める。

 

「……死んじゃうのかな」

 

 視界が霞んでいく。涙か、意識が朦朧とし始めているのか。

 私は痛みをこらえながら、震える手を天に向かって翳した。

 

「……破道の三十一 赤火砲……破道の三十一 赤火砲……破道の三十一 赤火砲」

 

 立て続けに放つ赤火砲は、攻撃ではない。空に向かって火炎玉を上げ続けることで、救難信号の役割を果たしてくれる。

 出現した虚の霊圧と私の霊圧を……管轄の死神が誰か拾ってくれるならば。

 自分が生き残る為にはこうして助けを呼ぶしか手段はない。

 

「……破道の……」

 

 ぐらりと視界が大きく揺れた。意図せず、私の体は地面に寝そべるかのようにして横倒しに倒れた。

 

 誰も気が付かないかな。そう思っていた時、全力で駆けつける一つの存在を拾った。

 

 

「姫乃!!!」

 

 

 ……焦った顔……初めて見たかも。

 霞む視界の中で、私に駆け寄ってきたのは藍染さんだった。

 

「姫乃! しっかりしなさい!」

「……今日は……来ないと思っていた……」

「少し用事が立て込んでいたんだ。今は話さなくていい」

 

 藍染さんは私を抱き上げると、すぐに傷の手当を開始してくれた。回道だ。

 回道は私はまだ使えないけれど、暖かさが全身に染み渡っていく。

 

「……傷が深すぎる」

 

 藍染さんはそう一言呟くと、回道を切った。そして私を抱えて駆け出す。

 鬼ごっこを何度もしたことはあったけれど、その時の比なんかじゃない速度だった。

 なんだ、やっぱりいつも手加減してたんだな。なんて考えは蛇足で。

 私の意識が飛ばないのは、保有霊力の高さ故なのだろう。

 

「姫乃。寝てはいけないよ」

「……起きてる」

 

 時々かけられる声に返事を返す以上の会話はない。

 

 そうしているうちに景色は変わり、五年前に訪れたきりだった瀞霊廷の内部だとわかった。

 

 何事かと視線を向けてくる死神達の中に、藍染さんに声をかけた人物が一人いた。

 

「藍染隊長。隊舎内報告会、急に抜け出してどないしはったん?」

「すまない。ギン。後にしてくれないか」

「その子……流魂街の子ですやん」

「後にしてくれと言っているだろう!」

「そ……そない怒らんでも……。すんません」

 

 声をかけてきた人の姿は見えなかったが、藍染さんが足を止めることはなかった。

 そのまま駆けていき、どこかの建物の中に入る。

 

 そして、藍染さんは迷うことなく奥の部屋を目指しているようだった。

 

「卯ノ花隊長はおられますか!!」

「藍染隊長。……治療ですね。こちらへ」

 

 一体何がおきているのかさっぱりわからない。私の体は何かの上に寝かされたようだ。

 卯ノ花隊長。この人を知っている。四番隊の人で、初代剣八 卯ノ花八千流。夢の中で何度も見たことのある人だ。

 夢の中の人と外見は一緒だけど、同一人物なのかはわからない。

 情報だけだが確か、治療においては右に出る者がいないほどの人だったはず。

 

「卯ノ花隊長。お任せしてしまって申し訳ないのですが、流魂街の住人を無断で通行させた処理を僕は……」

「構いませんよ」

「ありがとうございます」

 

 私の腕に点滴が刺される。本格的な治療が開始されたのを確認したかのように、藍染さんは部屋を出て行ってしまった。

 知識として知ってはいるが話したこともない人と二人きりは……緊張する。

 

「苦しくはないですか?」

「はい……」

 

 ただ、会話らしい会話はそれ以上なく、無言の時間だけが過ぎていく。

 

 どれ程そうしていただろうか。上空真上にあったはずの太陽が沈みかけたころ、ようやく私は体の痛みが引いた。

 

「傷はほとんどふさがりましたが、失血量が多いです。今日はこのまま救護詰所にお泊りください」

「……帰らないと……お母さんが心配してしまいます」

「藍染隊長が説明に行っているはずですから、心配しなくてもいいですよ」

 

 藍染さんなら、母に私が怪我したことは言わないだろう。また二人で遠征に行くとでもうまくいってくれているはず。

 嘘をつくことは心痛むが、怪我したことを知られるよりはいい。

 私の容体が安定したからか、卯ノ花隊長も部屋を出て行った。

 

「……勝てた」

 

 一人残された私は、自分の手を見つめながら呟く。

 守った彼らを子供たちだなんて呼んでいたが、私もそう変わらない。ただ、一人で戦って……勝てた。

 

 ──コンコン

 

 扉を叩く音が聞こえて、視線を向ければ数時間ぶりに藍染さんが帰ってきた。

 

「気分はどうだい?」

「……ふわふわ」

「そうか。悪そうでなくてよかったよ」

 

 藍染さんは椅子を持って私の近くに置くと腰を下ろした。

 

「……なんで気が付いたの?」

「救難信号だよ。瀞霊廷の中からでも見えるほど、空高くに打ちあがっていた。そして方角は西流魂街。そんな子は君しかいないだろう」

「……そっか」

「どうして怪我を? 出現した虚のランクを技術開発局で確認してきたが、苦戦する相手ではなかったはずだ」

 

 私は藍染さんに事の顛末を話した。一人見捨てる覚悟で戦えば怪我はしなかったことも。それでも助けるほうを優先したことも。

 藍染さんは途中で口をはさむことなく最後まで聞いてくれた。

 

 そして、話が終わった後に一つだけ聞かれた。

 

「どうしてそうしたんだい?」

 

 その質問に少し間を開けて答える。

 

「……初めは、見捨てたらお母さんが悲しむかなって思ったの。藍染さんにも。自己中に使うために戦う力を教えたんじゃないって」

 

 振り返って戻ろうとした時、私は確かにそう考えた。

 けれど、最終的に一歩を踏み出したのは違う理由だった。

 

「……死んでほしくないって思った。好きか嫌いかでいえば嫌い。けれど……死んでほしくはなかった」

 

 好きか嫌いかでいえば嫌い。藍染さんの教えの中で、嫌いだから見殺していいなんて教えはない。

 けれど教えに従ったとか、そんな綺麗に言語化できることじゃなくて……ただ単純に目の前で消える命に目を閉じられなかった。

 

「それで自分が怪我をするとわかっていても?」

「うん。助けた子達は逃げたんだけどね……無事でよかったって思っちゃった」

「彼らに憎しみがあったんだろう?」

「……悪いのはきっと、あの子達じゃなくて……きっと私のほうだから」

 

 藍染さんはそれ以上何も聞いてくることはなかった。

 だから私からも質問をした。

 

「怒ってる?」

「いいや。ただ、僕は今君に対して初めて迷っているよ」

「私が次にいう言葉がわかってるから?」

「そうだね」

 

 その返事を聞いて、私は視線をまた天井に戻した。

 

 二人でいて、ここまで長い無言の時間は初めてかもしれない。藍染さんも私が切り出すのを待っているのだろう。

 自分が一番押してたくせに、いざ私の心が決まると迷うだなんて。変な人。

 

 

「……私、死神になるよ」

 

 

 怪我をしてしまったが掴んだ勝利。そして、守りたい人を守れたんだという安心感。

 これからも……こうやって誰かを守って助ける力があるのであれば、私はこの力を「護廷」のために使っていきたい。

 

「わかった。入学の手続きを進めておくよ」

「真央霊術院で習うこと、もう全部藍染さんに習ったよ?」

「こればかりはどうしようもないさ。最短一年で卒業できるから、一年の辛抱だよ」

 

 死神になるもう一つ大きな理由がある。

 それは、時折見る夢のせいだ。死神の世界を舞台にした物語と、現実の世界が本当に一緒なのか知りたい。

 

 ようやく襲ってきた眠気にウトウトしていると、藍染さんが布団をかけてくれた。

 

「助けてくれてありがとう」

「どういたしまして」

 

 そういって部屋を出て行こうとする藍染さんを呼び止める。

 

「一人は……嫌」

「分かっているよ。水を取りに行くだけだ」

「あのね」

「ん?」

「……大好きだよ」

「ジュースには変えないよ」

「……ばれた。嫌い」

「もう寝なさい」

「はあい」

 

 そのまま眠気に抵抗することなく私は意識を手放した。

 

 次の日、家に帰って母に死神になることを伝えた。やっぱり母は、悲しそうな嬉しそうな寂しそうな。そんな表情をしていた。

 その表情の意味は……きっと父も死神だったのだろうと理解出来る年齢になった。

 父はどんな考えを持って死神になったんだろう。父の痕跡を探したい。どんな人なのかこの目で見て感じたい。

 そして知りたい。

 なぜ父が私と母を置いて消えたのか。

 

「いってらっしゃい」

 

 その言葉を背に、私は死神としての道を歩み始めることとなった。

 



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第五話 孤独な力

 ——真央霊術院

 

 春が来て、私は無事真央霊術院へと入学を果たした。

 

「ほら……あの子が……」

「愛想なくね?」

 

 一人教室の角で座る私に向けられるのは、好奇の目ばかりだ。

 真央霊術院主席入学、如月姫乃。

 流魂街出身でありながら、特進学級に籍を置く私に興味を示す者は多かった。

 けれど、友達と呼ばれる存在には恵まれない。

 

「……ここでも一緒か」

 

 私と目が合った瞬間、避けるように逃げるように人は離れていく。

 ただ、真央霊術院に入ったことは総合していいことの方が多かった。

 

 まず、一般開放されている図書館だ。

 図書館の歴史書を読めたことで、現在の各隊隊長格の名前だけでなく、過去の隊長達の名前を知ることができた。

 

 私は机に座りつつ、借りてきた本に目を通す。

 

「……五番隊の前の隊長は、平子真子……。知っている人だ」

 

 流石に過去の偉人の全てを知っているわけではない。ただ、記憶の中にいる人と一致する名前は多く見つけることができた。

 

「……離隊理由まではわからないか」

 

 霊術院生が知れる範囲などたかが知れていて、この本に載っているのはただの名前だけ。

 

 幼い時にある日突然流れ込んできた映像は、夢として時折見ることがあった。

 変化はあった。死神になりたい。そう決めたその日を境に、私は夢を見ることはなくなった(・・・・・・・・・・・・)

 元々事象として説明のつかないものだったので、見なくなったことに関して特段思うことはない。けれど、今後長い人生の中で幼い時に見ていた夢をどこまで覚えていられるだろうか。すでにぼやけていることも多い。

 

 そして、あの夢は……本当に正しいのだろうか。

 

「信じるには、余りにも根拠がなさすぎる」

 

 私は本をパタリと閉じて窓の外を見つめた。

 

 入学して二つ目によかったことは、得意な鬼道を好きなだけ訓練出来ることだった。

 鬼道の才を認めてくれた教員が、特別に演習室の鍵を私に貸してくれたんだ。座学にはほとんど出ずに、一日中鬼道演習室に籠っていることが多い。

 

 周りからの視線さえ気にしなければ、学生生活は存外過ごしやすい毎日だ。

 

 そして、私だけが浮いている存在というわけではなかった。

 チラリと視線を向けたのは隣の席。誰と会話することもなく、また誰も近寄ろうとはしない存在がいる。

 明らかに高貴な貴族と一目でわかる身嗜み。

 

 ——朽木家二十八代目次期当主。朽木白哉。

 

 彼と私が、今年の新入生の中で明らかに異質の存在だった。

 

「おい! 如月!! 授業を聞いとるのか!」

 

 朽木から視線を外して外を眺めていれば、教鞭をとっていた教師から怒声が飛んできた。

 聞いているのに聞いていないという扱いを受けるのは、私の受講姿勢がよくないのだろう。

 

「よいか! ここの一文は必ず覚え……」

干戈(かんか)を交うるに美学を求むべからず。不帰に美徳を求むべからず。

 己一人の命と思ふことなかれ。壱王伍公(いちおうごこう)を護りまほしくば、敵悉く葉陰より屠るべし……ですよね?」

「……覚えているならいい」

 

 過ごしにくいわけではないが、心躍るほど楽しいこともない。嫌われることにも虐げられることにも慣れている。ただ、そうする人物が悪だとは思わない。私自身が他人と壁を作ってしまっているのだから。

 じっと片隅に身を寄せて、ただ時が流れるのを待つしか術はなかった。

 

 ——キーンコーンカーンコーン……

 

 授業の終わりを知らせる鐘が鳴って、今日の座学が終了した。

 

「次は剣術と鬼道実技だ! 五分で移動を済ましておけ!」

 

 担任の指示に従い、生徒たちが移動を始めていく。

 私は教室の鍵をかけるために最後に出る必要があるのだが……。

 

 朽木白哉が動かない。

 困った。四大貴族様に早く動けなどと言ったら不敬罪で首が飛ぶかもしれない。

 

「……あの。教室に残られるのなら施錠はしませんが」

 

 そう声をかけると、彼は私の方をゆっくりと見た。

 

「……兄こそ、何故一度も振るわぬ剣を持つために演習場に向かうのだ」

「指示ですから」

「ここにいる間は、決して振るうことはないと?」

「……そういうわけじゃ」

 

 彼の言う通り、私は入学してから一度も模擬戦で竹刀も真剣も振り下ろしたことはない。

 刃を受け止めることもなく躱すだけ。だから、いつも不戦勝と戦闘意志無しの最低ランク評価しかもらえていない。

 どうして試合をやらないのか。

 答えは一つで、刃をぶつけ合う理由がないんだ。

 

 楽しそうに剣術を習う彼らをいつも見学している。

 そこに敵意も殺気もない。ぶつけ合う霊圧は綿のように軽い。

 

 その錆びついた刃で……何を斬るつもりなのだろう。

 

 入学するまで、藍染さんとしか戦ったことがなかったから、少し期待していた。もしかしたら、私にも好敵手のような存在が現れるんじゃないかって。

 

 いないんだ。

 傲慢だと思われるかもしれないが、皆……皆弱すぎる。

 

 私の返事が止まったからか、彼の方が先に口を開く。

 

「私は本来であれば、形式だけ入学の手続きを取り、一月後には卒業をするはずだった」

「そう……ですか」

「主席の座を奪われ、そしていつも力を隠している貴様が気に食わぬ」

「……ごめんなさい」

 

 そうしようと思ってしたわけではないが、私の成績のアンバランスさは四大貴族のプライドを大いに傷つけたようだった。

 

「故に!!」

 

 朽木が私に向かってビシッと指を指してきた。

 

「貴様に試合を申し込む!!」

「……え?」

「女子に手を抜かれた上での卒業など、朽木家次期当主としてふさわしくない! だから貴様に今日真剣試合の申し込みを命ずる!」

 

 ……波風の立たない学生生活に、津波が突然押し寄せた。

 

 

 ——真央霊術院 実技演習場

 

 実技は、鬼道と剣術の二組に分かれて行われる。

 私は前半鬼道実技だ。

 

「次! 如月! 演目は赤火砲」

 

 順番が来て腰を上げれば、私が通る道を開けるかのように人が避けていく。

 皆私より背が高いのに……変な感じだ。一年生の中で最も幼い見た目だというのに。

 

 立ち位置に付くと、私は片手を構えた。

 

「 破道の三十一 赤火砲 」

 

 ドンっという爆発音と共に、私の掌から出された火炎玉。それは五十メートルほど離れた場所に設置してあるいくつもの的をすべて巻き込んで爆発した。

 

 やらかした。一つは的を残していないと、後続の人たちが困ってしまう。

 

「……詠唱破棄だと?」

 

 採点をしている教員が驚いたようなそんな声をあげた。いつものことだから今更? と思って教員の顔を見れば……なるほど、担当が変わったらしい。普段見ていた人じゃない。

 私のことを見るのが初めてなのだろう。

 

「採点……お願いします」

「あ、ああ。特A評価だ」

「ありがとうございます」

 

 自分の番が終わったら、あとは残りの人が終わるまで自由時間だ。

 私は最初にいた場所に戻って、膝を抱えて座り込む。

 

 ……朽木白哉と勝負? やりたくないな……。

 適当に負けてしまおう。

 

 そう考えていると、誰かが私の前に立ったことに気が付いた。

 顔を上げると、二人の女の子がいる。少し気まずそうに……何かを言いたげに。

 

「……何?」

「あの、えっと……」

 

 二人は、モジモジしていたが意を決したように言葉を紡いだ。

 

「鬼道、教えてほしいの!!」

「如月さんすごく上手でしょ? だから……」

 

 その言葉に、私は目を丸くした。

 特進組なんて、貴族の集まりだ。仮にも流魂街出身の私に教えを乞うなんて……プライドが許さないはずなのに。

 

「私達、流魂街出身なの! だから如月さんにずっと憧れてて……」

「今日絶対話しかけようって、二人で決めてたんだ!」

 

 ね? と顔を見合わせながら笑いあう女の子達。

 私に憧れて? 憧れの対象になるようなことをした覚えはないが、話しかけてもらえたことは……純粋に嬉しかった。

 

「いいよ。うまく教えてあげれるかわからないけど」

 

 私がそう返すと、二人は少し驚いたような顔をした。

 

「わあ……如月さんが笑った顔、初めて見た!」

「ね、姫乃ちゃんって呼んでもいい?」

「うん、いいよ」

 

 五大貴族の跡取りとの試合という憂鬱な未来を前に、この学校にきて初めて嬉しいことがあった。

 良いこともあれば悪いこともある。って、こういうことなのかな? 

 

 演習場の隅で三人で練習をしていると、いつの間にか人だかりが出来ていた。

 

「如月! 俺上手く直線に飛ばなくて……」

「えっと……霊力が足りてないかな。大きさにこだわる前に、小さくても中身が詰まっている方を意識した方がいいかも……」

「姫乃ちゃん、霊力知覚も出来るの!?」

「うん……変かな?」

「そんなことないよ! 凄いよ! 護廷でも出来るの副隊長さんたち以上だよ!」

 

 一人切り出せば、後は波のように声をかけてくる人が絶えない。私の班は、指導員そっちのけで私を中心とした鬼道実技訓練に変わってしまった。

 

「私は途中で火が消えちゃうの!」

「詠唱しているときに、霊球がぶれてるよ。海隔て逆巻き南へと歩を進めよってところで集中力が切れちゃってるのかな……。うーん……最初に込める霊力を少なく意識してみて」

 

 どうして上手くいかないのか一人一人に教えて、結果を見守る。

 出来た! との声と共に笑顔で振り返る人たちにつられて、私もいつの間にか笑顔になっていた。

 

 そうして時間を過ごしていたが、突然集団が全員黙り込んだ。

 

 何事だろうと振り返れば、人だかりが一気に裂けて一本の道が出来る。

 数メートル先に立っていたのは、朽木白哉だった。

 

「如月姫乃! 教員と話を付けてきた!」

 

 話を付けきたんじゃなくて、首を縦に振らせたの間違いでは? 

 皆と一緒に練習することが嬉しくてすっかり忘れてしまっていたが、彼に真剣勝負を一方的に叩きつけられていたんだった。

 

「私と勝負しろ!」

 

 朽木の言葉に、周囲が一気にざわつく。

 

「四大貴族のご子息様と勝負?」

「朽木様が持っているの、真剣じゃない?」

「嘘! 木刀じゃないの?」

 

 周りのそんな言葉なんて一切気にしていないかのように、朽木は私を真っすぐ見て距離を詰めてくる。彼の手から差し出された剣を受け取ることをためらっていると、さらに詰めてこられる。

 周りにいたはずの人たちは自然と遠ざかり、私と彼だけがその場に残った。

 

「受け取れ! それとも、差し出された剣を受け取らないほど恥知らずか!」

 

 五大貴族とは、もう少し淡々とした人たちの集まりだと思っていたのに、彼はどうやら血の気が多いらしい。確か夢で……そんなこともあったようななかったような。

 私はためらいつつも、拒否という選択肢を与えられていない以上受け取るしかなかった。

 

 剣術演習場の中心部で二人で向かい合う。周りには、どこで話を聞きつけたのかほかのクラスの人たちや上級生までもが見学に押し寄せていた。

 

「手抜きは許さぬ!」

「そんなこと言われても……」

 

 他の生徒と朽木が決定的に違うのは、明らかに殺気をまとっていること。曲がりなりにも英才教育を受けてきた五大貴族は、戦うということがどういうことは流石に分かっているようだ。

 

「如月って……剣術出来ないんじゃなかったのか?」

「いつも負けてるよね……」

「朽木様はなんであんな奴を指名して……」

 

 コソコソと話をしている観戦者たち。

 先に踏み込んできたのは彼の方だった。

 

「対峙しても剣を抜かないというか!」

「っ……」

 

 周囲とは一つも二つも飛びぬけた太刀筋だ。後方に飛んだが、逃げ遅れた前髪が僅かに斬られた。

 速い……。この人、剣術より歩法が圧倒的に上手だ。

 

「私の瞬歩を躱すとは……やはり力を隠しているようだな」

「……直感です」

 

 瞬歩が使えるのか。それは厄介極まりない。

 何を隠そう、私は瞬歩を使えない。藍染さんにもとっくの昔に匙を投げられたほど、私は壊滅的に瞬歩の才能がないんだ。

 

 足に霊圧を込めて弾く感覚。と習ってやってみたら、山まで砲弾のように飛んで行ったことが懐かしい。

 

 朽木からの追撃が来る。

 

 ——キィィィイン……

 

 私は、剣を抜いて後方から迫っていた彼の剣を止めた。

 

「すっげぇ……誰か見えたか?」

「追えるわけねぇだろ。なんで如月は止めれたんだよ……」

「偶然だろ?」

 

 私たちの戦いで何が起こっているのかわからない観戦者たちの声がする。周囲の声が聞こえるということは、私はまだ集中しきれていないらしい。

 

「剣、抜かせたぞ」

「流石です……。強いです」

「世辞はいらぬ!」

 

 その言葉を最後に、朽木は口を閉じて猛攻を仕掛けてきた。

 次から次に飛んでくる攻撃を受け止め続ける。

 霊圧……殺意……技術。適当に負ければいいかと思っていたが、いよいよ集中しなければ私の方が怪我を負うほどの見事な剣術だ。

 

 ……楽しいかもしれない。

 

 これが戦いだ。彼は、私の隙を的確に突いてくる。

 強い。間違いなく強い。

 

 私の中の闘争本能がジワリと引きずり出される。

 

 もしかしたら、朽木白哉こそ好敵手となり得るかもしれない。

 

 私も防御に徹するだけでなく仕掛けてみたい。

 いつの間にか周囲の声は聞こえなくなり、私は少し笑った。

 

「……どうして瞬歩を使えない私が貴方の攻撃を全て止めれていると思いますか?」

 

 キンッ! と刃がぶつかり合った反動を利用して後方へと飛ぶ。

 彼は、距離を取らせまいと踏み込んできたが、私は初めて……自分も踏み込んだ。

 

 ずっと防御に徹していた私が攻撃の姿勢を見せたことに、彼は僅かに驚いた表情をする。

 

「……遅いんです。貴方が」

 

 どの面を取っても、間違いなく朽木は強い。けれど、その全ては藍染さんに届かない。

 

 だけど、楽しい。楽しい。楽しい。私もずっと攻撃を受け止めてきた。彼の攻撃は遅いとはいえ、余裕で受けれるほど半端なものではない。油断したら刃が届くだろう。

 だからこそ楽しい。全神経を戦いに集中されられたのは、この学校に来てから初めてのことだった。

 

 

 だから、期待してしまったんだ。

 

 

 私も彼の攻撃を止めた。

 私も全力で返そう。きっと彼なら、私の太刀筋を読んで受け止めるだろう。

 

 そして楽しい戦いは続いて、これからも好敵手になるんじゃないかと。

 

 

 そう、期待してしまった。

 

 

 朽木が剣を振り下ろすより早くに、シュッ……と私は真正面から剣を振った。

 

「……え?」

 

 初めて全力を出していいんだと信じた試合。私は閉じていた霊圧も開放して全てを真っ向からぶつけた。

 

 

 結果は……彼は反応出来ていなかった。

 

 反応が遅れているとか、そういうわけじゃない。

 

 私の霊圧に息を詰まらせた。それに気を取られて、迫っている剣に気が付いていない。

 

 ……なんで。

 

「っ……」

 

 私はギリギリで刃の軌道を変えた。軌道が変わった刃は地面に刺さる。そのままだったら、朽木白哉を袈裟斬りにしてしまっていただろう。

 

「この私が……追いきれなかっただと?」

 

 そこまでしてようやく、朽木白哉は自分が負けていたことに気が付いた。

 

「な、何故手を緩めた!!」

 

 私は何も答えることなく、刀を鞘に納める。

 そして彼に背を向けて歩き出す。

 

「待て! 如月! 答えぬか!」

 

 ガッと肩が掴まれる。私は顔だけ彼の方に向けて、朽木の顔を見上げた。

 

「……五大貴族様を斬るなど……貴方の自己満足で私の命を飛ばそうとしないでください」

 

 それだけ言ってまた私は歩き出す。

 今度こそ、彼が追ってくることはなかった。

 

 藍染さんに以外に死神の才を持った人たちと過ごしていく時間の中で、初めて本気で戦いたいと思った。

 

 

 その結果は、私が……強すぎた。

 誰も……誰も私の隣に立てる人がいない。

 

 付けすぎた力は強大で……孤独な力だと知った。

 

 

 その日から私は、全てに手を抜き始めた。

 

 

 周囲と同じ技量で、平均的な存在でいようと決めた。

 

 初めからバレてしまっていた鬼道はどうしようもなかったが、実技で既に見せた以外の技は詠唱込みで使うように徹底した。

 威力も周りに合わせた。

 誰かに教えることをやめた。

 

 座学も、あえて間違いを適度に起こして主席の座から外れた。朽木白哉は願った通り主席の座を得ることができたようだ。

 

 慣れていたはずの孤独とはまた違った意味で、『孤独』という名の海に深く深く沈められたかのような気持ちで毎日をそうやって過ごしていった。

 





【挿絵表示】

姫乃幼少期。作者の下手な絵ですみません。イメージくらいになればと思います。


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第六話 独りだが一人ではない

 朽木白哉との試合の噂話は色々と尾ひれをついてまわったが、結果は朽木白哉の勝ちだったんじゃないかと周囲は結論付けた。

 

 何が起きていたのか一つも追えなかった彼らは、私が防御に回ってばかりだったことと、たった一度振り下ろした刃が地面に落ちたこと。

 それだけを評価して私の負けだったんじゃないかと言った。

 

 それで構わない。

 

 ただ、唯一……観戦にいた教師達だけは事の真相を知っているだろう。しかしそれも、五大貴族を相手に真実を言いふらすようなことはしない。

 

 そうして、周囲の都合のいいように噂話は回っていき、やがてはその月日が流れると共にその話題もなくなった。

 

 彼とは、あれから話すことはなかった。どうしてまだ卒業しないのか理解に苦しむが、彼は未だに在籍を続けている。

 

 私の居場所は、入学当初から通いこんでいる鬼道演習場だけだった。

 そこで一人で籠っている時間が好きだ。

 

 そんなある日、受講のために教室の移動をしていた時、やけに前方が騒ぎたっている日があった。

 人だかりは随分と長い距離続いていて、進むに進めない。

 

 私がこんな人混みに入ったら、足元をみていない人達のせいで踏み潰されてしまう。

 

 どうしたものかと悩んでいれば、この人だかりの原因が聞こえてきた。

 

 

「やばい! 藍染隊長と目が合ったかも!」

「嘘!? いいなぁ!」

「今日の特別講義も凄かったなぁ……」

「次こそ教室の中で受けたいね!」

 

 

 生徒達の会話に、私は顔を上げる。そして、先程までは踏みとどまっていた人だかりの中に夢中で足を進めた。

 

「あのっ……前に行かせてくださいっ……」

 

 足の間を無理やり通ろうとする私に舌打ちをする声も聞こえるが、そんなこと関係ない。

 ようやく人混みの最前列に出た時、私はこの学校に来てから一番大きな声をあげた気がする。

 

「藍染さん!!!」

 

 私の声に気がついた藍染さんが振り返った。

 持っていた教本が腕からこぼれ落ちるのも構わずに、私は駆け寄って腕の中目掛けて飛び込んだ。

 

「久しぶり。姫乃」

 

 藍染さんも飛びついてきた私をいつもの笑顔で優しく受け止めてくれる。

 いつものお香の匂いと慣れ親しんだ腕の中。私は安堵でジワッと目に涙が浮かんだ。

 何事かと悲鳴に近い声をあげだした周囲なんて関係ない。

 

「わざと来なかったくせに……久しぶりだなんて酷い……」

「そういうつもりじゃなかったんだけれど……流石に再会してすぐ泣かれるとは思わなかったな。お昼ご飯は食べたかい?」

 

 その言葉にブンブンと首を横に振る。藍染さんは私が落とした教本を拾いながら周りからの質問に答えていく。

 

「藍染先生! その子は?」

「君達と同じ学生だよ」

「でも、変です!! その子だけ抱きつくなんて!」

「おや。君達がそうしなかっただけで、僕は一度も駄目だなんて言ったつもりはないよ?」

 

 また上手いこと言いくるめてるなぁ。なんて思いながらも、私も口喧嘩で藍染さんに勝てた試しがない。

 私の姿を隠すように抱き抱えて、藍染さんは人混みの中から抜け出した。

 

「あっ! 待ってください!!」

 

 集団が私たちを追う。藍染さんが何かしてくれるわけでもないので、私は廊下の角を曲がった瞬間に縛道を使った。

 

「 縛道の二十六 曲光 」

 

 攻撃ではなく、私達自身にかけた。この学校に私の曲光を見破れるものは存在しない。

 

「あれ……どこいったんだろう……」

 

 考えた通り、追ってきていた生徒たちは私達を見失った。

 

「上手だ」

「藍染さんだったら見破れる?」

「今だったらね。五十年後はお手上げかもしれない」

 

 そのまま、建物の中から中庭へと出た。

 わざと霊術院に来なかったわけではないと言ったことは本当のようで、少し痩せた気がした。隊長業務が多忙なのだろう。

 

「ご飯食べてないの?」

「そういうわけじゃないさ。少し不規則が続いていただけだ」

「ふうん」

 

 ずっと顔を上げない私に、藍染さんは少し間を開けて話しかける。

 

「お昼でも食べに行こうか」

「戦いたい……いますぐ……」

「……わかったよ」

 

 私の我儘を否定することなく、藍染さんは進行方向を変える。私がこう言うなんて、もしかしたら分かっていたのだろう。

 当然のように、上級生しか使えない特別演習場の鍵を藍染さんは持っていた。

 

 広い演習場は、お昼時で誰もいなかった。

 それでも、私と藍染さんが戦うとなったら何もしないわけにはいかない。藍染さんが結界を張ってくれている間に、私は集中力を限界まで高める。

 

 静寂の時間が数分経った。すでに藍染さんは結界を張り終えていて私のことを待っている状態だ。

 

「……いい?」

「いつでも」

 

 その言葉と共に、私は一気に距離を詰める。私の走りなど藍染さんにとっては亀のように遅いはずなのに、振るった刃を避けることはしなかった。

 

 ——キンッ……

 

 互いの刃が交わった。私たちの身長差がありすぎて、藍染さんの刀は下向きで私の刃を受け止めたことになる。

 いつも初動だけはこうして受け止めてくれるんだ。

 

 私は剣を持っていない左手を即座に構えた。

 

「 縛道の四 這縄 」

 

 這縄は藍染さんの右足首に絡みつく。それをそのまま手前に引いた。

 

「手法は悪くないけれど、流石に体重差と筋肉差がありすぎるよ」

 

 藍染さんの言う通り、拘束はできても移動は出来ない。

 身長が130㎝程しかない私が、185㎝の大男を動かすのは一苦労だし、体重差も50㎏近くあるんだ。

 

 ただまあ、無理だと分かっていてやったんだけれど。

 

「 ……破道の十一 綴雷電 」

 

 ピンと張った這縄に沿うようにして電流が流れる。綴雷電が身体に届く前に、這縄を断ち切ろうと判断した藍染さんが剣を振るった。

 その瞬間を狙って、私は再度藍染さんに斬りかかる。

 

 綴雷電を回避するためには、私の剣を避けられない。私の剣を止めようとすれば、綴雷電を受けることになる。

 

「間に合わないとでも?」

「……間に合わせてくると信じていました」

 

 這縄を断ち切ったうえで、私の剣を止めてくるだろう。その思考を捨てているわけではない。

 ただ、順番を確定させることが出来た。行動に関しての誘導権を私が持っているということ自体が、必要なことだった。

 

 ——キィィインッ……

 

 再び互いの刃が交じり合う。

 

 弾き返される力を利用して、私は体を回転させた。そのまま水平に薙ぎ払うかのようにして藍染さんの腰を狙う。

 

「っ……」

 

 後わずかで届く。その前に、私は動くことを止めた。いや……動くことが出来なかったんだ。

 私が身体を回転させたその僅かな時間の間に、藍染さんの刀の向きが変わっていた。

 

 私の首元に沿わされている刃。このまま踏み込みを続けていたら、私の首は落ちていただろう。

 

「よく踏みとどまったね」

「……参りました」

 

 綺麗な私の負けだ。結局……また藍染さんを一歩も動かすことが出来なかった。

 

「相手がこうするだろうという想定をした上で攻撃を仕掛けるということは、強い誘導力が必要だ」

「はい」

「強い誘導力は、すなわち自分の力への自信だよ」

「……ん?」

「姫乃の綴雷電は、流石に無視は出来ない。それを君自身が確信しているからこその戦法だ」

「……褒めてるの?」

「そういうことだ」

「素直にいいねって言えばいいのに」

 

 良い評価を与えられたところで、勝てなかったら意味がない。

 でも……届かない相手がいるということは、嬉しい。何か月も続いた孤独が満たされていくような感覚だった。

 

「負けて嬉しいと言いたげな顔をする子を素直に褒めるのはいかがなものかと思ってね」

「そうじゃないよ……」

「じゃあ、どうして前期の試験を流したんだい」

 

 その質問にはすぐに返事が出来なかった。学年の飛び級試験は前期後期と二回用意されているが、私は前期の試験を受けなかった。

 藍染さんの予定の中では、前期には卒業試験に合格して後期からは、学生でありながらも護廷の見習いとして仕事の同行をしているはずだったのだろう。

 

「……もう、特別な目で見られたくない」

「特別?」

「力を付けるって、孤独なの。友達は一人も出来ない。そして……私は強くなればなるほど、大人から変な目で見られる」

 

 藍染さんと二人で修行している時から時折そうだったが、この学校に来てからはなおさら強く感じた。

 私が死神としての力を使っているとき……私の中にいる他の人を見ているかのような感覚。

 

「……ねえ、藍染さん。誰を見ているの?」

「そういう気持ちにさせていたのなら謝るよ」

「皆、私の中に誰を探しているの? どうして私を見てくれないの?」

「……悪気はないんだ。ただ、君は……父親によく似ている」

 

 私の容姿が死神の父と似ているから? 藍染さんだけでなく、真央霊術院の教師までもが知っている名前だということなの? 

 

 そんなの……。

 

「……私のお父さんは、どこかの隊の隊長なの?」

「だった人だ」

「死んだの?」

「分からない」

 

 藍染さんですら生死を知らない? 

 頭の中に混乱が押し寄せた。私の父は、隊長だった人。そして、今隊長である藍染さんがその生死を知らない。失踪ということなのだろうか。

 

 私が黙り込んでいると、藍染さんが腰を下ろして私と目を合わせた。

 

「姫乃。確かに君の容姿はよく似ている。けれど、ただそれだけだ。君の中に懐かしさを感じていたことは否定しないが、それは君を見ていないということと同義じゃない」

「……私、これ以上強くなりたくない」

「自分でどれだけ否定しても、姫乃は強くなる。生まれ持った才能がそうさせている」

 

 私が持てている力は特別で、父親も特別。育った環境も特別。

 それが今……私を苦しめている。

 

 見つからない。

 見つからない。

 見つからない。

 

 私と同じ視線に立てる人がいない。

 

「姫乃は仲間が欲しくて死神になったのかい?」

「違う。誰かを守ったり……私の力を必要としてくれるならそうしたいと思ったから。そして、お父さんに会いたいから……」

「じゃあ、試験を受けなさい」

「……はい」

 

 私が藍染さんの首に手を回すと、そのまま抱き上げてくれた。

 

「少し見ない間にまた重くなったね」

「……そうかな」

「僕は君の力の成長だけじゃなくて、ちゃんと君自身の成長もみているよ。こんなに小さかったんだ」

 

 藍染さんが笑いながら親指と人差し指で小さな空洞を作って見せた。

 そこまで小さくないよと心の中で突っ込みながらも、そのおどけた表情につられて笑う。

 

「やっと笑ったね」

「いつか藍染さんより強くなっちゃったら……嫌だなあ」

「君が孤独じゃないと感じるその日までは、僕は君より強くあり続けると誓おう」

「わかった」

「早く卒業しておいで。五番隊三席の席は空けておくから」

 

 私はその提案に少し考えた。

 今まで客観的評価を貰えなかったからわからなかったけど、私は上級席官に匹敵するほどの力を持っているのだろう。

 藍染さんの師匠バカなのかもしれないけど……。

 

「んー……やだ」

 

 私が否定するとは思わなかったのだろう。藍染さんは少し驚いた顔をした。

 

「だって、五番隊じゃ副隊長にしかなれないよ。いつか藍染さんと同じ目線で仕事がしたいから、ほかの隊がいい」

 

 私の提案に、藍染さんはふふっと声を上げて笑った。

 そんなにおかしいことを言ったかなと思っていれば、優しく頭を撫でられる。

 

「ほら。どんなに力を拒んでも、姫乃は負けず嫌いだ」

「他の隊の隊長には負けないって、宣戦布告みたいになっちゃった?」

「そうかもね。だから面白い」

「藍染さんのツボがたまにわからない」

 

 護廷に入れば、私より強い人はきっといっぱいいる。私より弱い人もいっぱいいる。

 強者か弱者か。そんな世界の中で、この腕の中だけが私の平穏なんじゃないかと錯覚しそうになる。

 

「藍染さんがもっと若かったら、好きになってたかも」

「会って早々戦えと言ってくるじゃじゃ馬は、僕の好みじゃないな」

「うんちくじじい。十年探しても見つからない白髪を今日こそ見つけてやる!」

「こら」

 

 久々に本気で戦って、清々しく負けて、胸の中の不安を暴露して……こうやって笑いあえば、心が軽くなった気がした。

 過ごしている籠が小さすぎるから、あんな気持ちになったんだ。ずっと苦しむより、さっさと抜け出そう。

 

 私が藍染さんの腕から抜け出して隣を歩いていると、誰かが駆け寄ってきた。

 

「姫乃ちゃん!」

 

 前に鬼道を教えてくれと言ってくれた子のうちの一人だ。

 

「あの……また鬼道を……」

「ごめん……やらない」

 

 私が藍染さんの後ろに隠れるようにしてそう答えると、その子は残念そうな顔をして立ち去っていく。

 その背中を眺めていると、上からクスクスと笑い声が降ってきた。

 

「何?」

「いや、人見知りはいつになったら取れるのかなと思って」

「人見知りじゃない」

「一人の子供として姫乃に友達が出来ないことが心配だ」

「……いらない」

 

 そう返すと、藍染さんはまたクスクスと笑った。

 

「藍染さんだってお友達いないじゃん」

「痛いところを突かれたな」

「部下がーとか、同僚がー、って話は沢山聞いたけど、お友達の話は一度も聞いたことない」

「そういう歳じゃなくなっただけだよ」

「負け惜しみだ」

「こら」

 

 藍染さんが帰ってすぐに、私は担任に試験の申込をしたが、藍染さんが何かを言っていたのだろう。特段驚かれることもなかった。

 

 

 一年生の終わり頃、私は卒業試験を受けたが……こればかりは手の抜き方がわからず、まじめに受けた結果……

 私は『歴代受講者最高得点』の名を背負って真央霊術院を一年で卒業することとなった。

 

 

 ちなみに、朽木白哉も私より少し早くに学院を去った。だから入学時に騒がせた二人が、ほぼ同時期に学院を去り、護廷十三隊へ入隊するという結果だ。

 

 五大貴族朽木家御子息の入隊か、私のことか……どっちを噂話の話題にすればいいのか、迷っている人達を見るのは少しだけ面白いと思う。

 

 あとは入る隊を決めるだけだと思っていた頃に、担任に呼び出される。

 

「如月! お前を入隊させたいと隊長殿が面接を申し込まれているぞ」

「あ……わかりました」

 

 五番隊以外ならどこでもいいやと思っていたので断る理由がない。

 

「じゃあ、ここに行ってこい」

「え? 学校の中でしないんですか?」

「少しお身体が悪い方だからな。お前が元気ならお前の方から行け」

 

 その情報だけで、誰が私を取ろうとしているのか分かった。

 ……十三番隊か。藍染さんもここの隊長とは一番仲がいいって言ってたし、行ってみるか。

 

 かくして私は、雨乾堂に足を運ぶこととなるのだが……。

 

 

「……一人は嫌だ」

 

 一人で知らない場所に行って、知っているけれど知らない人に会う。

 夢の中で見る事とはわけが違うんだ。

 私は散々に悩んで、結局藍染さんに『着いてきてくれなきゃ蛆虫の巣に入隊してやる』と脅迫文を送った。

 

 



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第七話 護廷十三隊入隊

 ——瀞霊廷 十三番隊付近

 

 もう時間が押しているからと急かす藍染さんの隊長羽織を掴んだまま、私は岩のように固まっていた。

 

「……髪が」

「充分綺麗に纏まっているよ」

「……死覇装が」

「馬子にも衣装だね」

 

 何かと理由をつけて行かない理由を探そうとする私の言葉を、藍染さんは悉く切ってくる。

 初めて着た死覇装は、少し大きい。私の姿を見て、藍染さんが目を細める。

 

「ふふ」

「なんで笑ってるの!」

「いや。姫乃のお母さんにもお披露目しした方が良かったな、と思ってね」

「きっと泣いちゃうからヤダ」

「かもね」

 

 行くしかないか、と覚悟を決めている途中で、門の内側から誰かが出てきた。

 

「迷子になってんじゃねーかと思ったけど、違ったみたいっすね」

 

 私たちに声をかけてきたのは、黒髪垂れ目の人だ。さっと藍染さんの背中に隠れた私をのぞき込んでくる。

 

「すまない、海燕君。手間をかけてしまったね」

「大丈夫です。かー、親離れも出来てねぇのか! 行くぞ、おら!」

 

 のぞき込んできたその人は、そのまま私の首根っこを掴んだ。

 

「や、やだ!!」

「元気なこった! ほれほれ!」

 

 鷲掴みにされて、お手玉のように宙に飛ばされてはその人にまた掴まれる。藍染さんは助けてくれるわけでもなく、ニコニコしていた。

 すでに心折れかけている私の心情などどうだっていいらしい。

 腕章がちらりと見えた。十三番隊副隊長、志波海燕という人物で間違いはないらしい。

 

 夢ではみたけど……どんな人だっけ? たくさんあった物語の中で、この人が出てきたのは一瞬だった気がしていて、あまり覚えてはいない。

 

「放してください!」

「やなこった。逃げるだろ」

 

 パーソナルスペースに平気で踏み込んできて、何一つ言い分を聞かないこの人の横暴に泣きそうになる。

 私がいよいよ限界が来たと気が付いた藍染さんは、海燕さんに声をかけてくれた。

 

「海燕君、僕が抱えるよ。この子は一度泣き出したら大変なんだ」

「甘やかしちゃダメです。どうせうちの隊長が死ぬほど甘やかすんですから」

「ほら。姫乃がさっさといかないからこうなったんだ」

「……嫌い。嫌い。嫌い」

「霊圧を閉じなさい」

 

 藍染さんの腕の中に戻ることすら拒絶されて、絶望である。

 グスッと鼻を啜りながら諦めて脱力していると、暫くして二人の足が止まった。

 顔を上げてみると、丸い格子窓が付いている小さな家のような建物が見える。

 

「浮竹隊長ー! 連れてきましたよー」

 

 海燕さんがそう大きな声を上げると、建物の入口に張ってある御簾が開いた。

 

「やあ! こんなところにまでわざわざ来てもらって悪いね!」

 

 中から出てきたのは、細身の大男だった。腰までありそうな長い白髪。その人は、少し顔色が悪そうにも見える。

 この人が浮竹隊長? 

 私が声を失って目を丸くしていれば、浮竹隊長は私と視線を合わせるかのようにして腰をかがめた。

 

「初めまして、俺の名前は浮竹十四郎。十三番隊で隊長を務めている者だ。見ての通り体が強くはなくてね、こうやって海燕が……」

「待ってください、まず中に入りましょう」

 

 いきなり色々と言葉を捲し立ててくる浮竹隊長の顔の前に、海燕さんは手を翳す。

 私が海燕さんに抱えられたまま雨乾堂の中に連れ込まれようとしたとき、後方で藍染さんが口を開く。

 

「では、僕はこれで」

「え! なんで、嫌だ、嫌だ!!」

 

 どうして帰るのかとジタバタともがけば、べシッっと海燕さんからデコピンを食らわされた。そんなことはどうでもよくて、何故藍染さんは帰ろうとしているのか。

 確かに着いてきてくれるとは言ったけど、最後までいてくれるとは言ってない。

 

「っ……う……ぐすっ……」

「んあ!? 泣くんじゃねぇ!」

「こら海燕! ほら、お菓子食べるかい? 沢山あるぞ!」

 

 限界が来た私の両目から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 焦り始めた二人に構うことなく、涙を拭っていれば、私の身体がまたフワッと動いた。

 

「姫乃。君がこうすることを選んだんだろう」

 

 藍染さんが、やっとこさ私を抱っこしてくれた。

 その腕の中にしがみついて精一杯気持ちを伝える。

 

「だって、だって……今日は一緒にいてくれるんでしょ」

「ここまできたらもう一人で大丈夫だろう」

「嫌だ、嫌だ、嫌だ!!」

 

 私がそう言うと、ふぅっと藍染さんは諦めたようなため息をついた。

 

「すみません……浮竹隊長。この子は人見知りが激しくて……」

「いや、いいんだ! 藍染も中に入ってくれ!」

 

 浮竹隊長の提案が丸く収まる結果だということに一同は納得したようだ。

 私を抱えたまま藍染さんも雨乾堂の中に足を踏み入れた。

 浮竹隊長、海燕副隊長、藍染さんがそれぞれ円を描くように座り、私は藍染さんの膝の上で彼らに背を向けている状態だ。

 その背中を、宥めるかのように藍染さんはポンポンと優しく叩いてくれる。

 

「僕が来ると逆に泣くと分かっていて……一緒に来るか迷ったんですが」

「いいじゃないか、それだけ安心するんだろう。まだ子供なんだ」

「なんだかんだ、藍染隊長も甘々ですよね」

 

 三人のそんな会話を聞きながら鼻を啜る。なんだったら、いつものお香の甘い香りと体温の温かさで、瞼がだんだん重くなってきた。

 そんな私の様子に気がついた藍染さんが、やっぱりと言いたげに声をあげる。

 

「姫乃……昨日は緊張で寝れていなかったんだろう」

「……うん」

「変だと思ったんだ。いつもの倍はぐずっていたからね」

 

 そう言って藍染さんは、私の体をクルリと半回転させた。

 私の視界に改めて写った浮竹隊長と海燕副隊長。こうやって絶対的安心感の中に包まれていれば、怖いことも何も無い。

 そして二人は私の顔をまじまじと見つめてる。

 

 ……この目を知っている。

 また、私の中に父親の面影を探している目だ。

 

「はー……眠そうな顔が一番似てんなぁ」

「いやあ、本当に可愛いなぁ、お菓子食べるかい?」

 

 浮竹隊長から差し出されたのは、お饅頭だった。それを見た瞬間に、ぐぅっとお腹が鳴った。

 

「ははは! 沢山あるから好きなだけ食べなさい!」

 

 食べていいのかと迷って藍染さんを見上げると、いいよという顔をしていたのでそっと手を差し出した。

 

「ありがとう……ございます」

 

 手に取って一口齧れば、口いっぱいに甘い味が広がる。

 

「……美味しい」

「二個までだよ。食べすぎると太るよ」

「なに、女の子は少しぷくぷくしてたくらいが可愛いさ、遠慮することはない」

 

 流石に初対面で遠慮なく食べるわけが無いので、私は差し出された二つ目に首を横に振った。

 落ち着いたことで、私はまだ自分の自己紹介をしていないことに気がつく。

 

「あ、あのっ……如月姫乃です……」

「よろしく。こっちはうちの副隊長、志波海燕だ。普段の仕切りはほとんど海燕がしているよ」

 

 浮竹隊長の手の誘導に従って目線を動かせば、海燕さんと目が合った。

 

「よろしくな!」

 

 先程私をデコピンしたことなど記憶にないかのような満面の笑み。

 その笑顔につられて少し頭を下げると、海燕さんは眉間にシワを寄せた。

 

「あ……ご、ごめんなさい……よろしくお願いします……」

 

 礼儀に厳しい人なのだろうか。そう思って謝ると、さらに眉間のシワが深くなる。

 そして、海燕さんの手が私に伸びてきた。また叩かれるのかと目をギュッと閉じたが、摘まれたのは私の頬だった。

 

「ちったー笑え!」

 

 頬が左右に伸ばされる。脅迫に近い笑えという指示に、私は無理やり作り笑顔を作った。

 

「ひゃ、ひゃい……」

 

 口元が伸ばされていて上手く話せない。私が返事をすると、海燕さんは頬から手を離して頭をグシャグシャと豪快に撫でてきた。

 

「ほらな、笑った方が楽しいだろ!」

「……は、はい……」

 

 なんとも強引で遠慮のない人だ。

 一通りの挨拶が済んだところで、ようやく話題が本命へと突入する。

 

「さて、単刀直入に言おう。十三番隊で働いてみないかい?」

「わ、わかりました……」

 

 私がそう返すと、二人は目を丸くした。

 多分、想定していたよりすんなりと了承の返事がきたことに驚いたのだろう。

 

「いや、嬉しいよ。けれど、あまりにも第一印象が良くなかったんじゃないかと思ってね」

 

 確かに第一印象……特に海燕さんはあまりいいものではなかったが、元々五番隊以外なら何処だって良かったんだ。悩む必要もない。

 

「藍染隊長もそれでいいんすか?」

「構わないよ。この子が自分で決めた事だからね」

「てっきり五番隊じゃないと嫌だって、駄々こねる所まで想定していたんですけどね」

「姫乃もそれでいいんだろう?」

「うん」

 

 これで話自体は終わりかなと思っていると、浮竹隊長が何か書類を取り出した。

 

「入隊届けを書いてくれないかい? そうだなぁ……藍染の所では三席の予定だったんだろう?」

「ええ」

「まだ入隊まで一週間はあるし、そこは海燕と話し合ってみるか」

「てっきりもう決められているのかと」

「ははは! 実は断られると思っていたからなあ」

 

 恐らくは私の席次について考えているのだろう。

 私が特に何も言うことなくその光景を見ていた時、外に気配を感じた。

 

「……誰かいる」

 

 一人じゃない。何人もいる。

 不思議に思って、藍染さんの膝から降りて雨乾堂の御簾を開けた。

 

「……」

 

 そこに居たのは、恐らく十三番隊の隊士達だ。私が来ると知って見物に来たのだろう。

 

「思ったより子供だな」

「そりゃあ……十五年しか経ってないからそうだろ」

「浮竹隊長マジで引き取るつもりかよ……」

「あんな子供に席次渡して俺たちの上司って……納得いかねぇな」

「本当に大丈夫なのかよ。血は争えないとかって言うだろ」

 

 彼らは私の顔を見るなり、会話を始める。悪意を隠すつもりもないのだろう。

 私にもハッキリと聞こえる声だった。彼らの話に気がついた海燕さんが外に出る。

 

「見せもんじゃねぇぞ! 仕事に戻れ!」

 

 海燕さんが追い払ってくれたおかげで人だかりは消えたが、投げつけられた言葉は、私の心を更に閉ざすには充分だった。

 目線を下に向けた私の頭を、海燕さんはまた撫でる。

 

「お前は何も悪くねぇよ。あいつらには俺がちゃんと説明しとく」

「……私は、彼らを悪だとは思いません」

「そっか。優しいな、おめぇは」

 

 また部屋の中に戻ると、浮竹隊長がニコリと笑った。

 

「皆同じ仲間だ! 初めは難しくとも、必ず心を通わせられる日が来る!」

 

 私に入隊に必要な書類をまとめながら、浮竹隊長はそう言う。その言葉に、私は少し考えてから返事をした。

 

「私は死神としての使命を全うする為に護廷十三隊に入りました。その……仲間が欲しくて死神になったわけではないので気にしなくて大丈夫です」

 

 死神は、力を仲間を守る為に使えとは教わらない。友と人間を守る為に戦えと学ぶ。

 藍染さんからも、仲間のために戦って仲間のために傷つけなどと教えられたことはない。

 私は友がいないから、人間のために戦うんだ。

 

 私がそう返事をしたことは、少し無礼だったかもしれない。それでも、浮竹隊長は優しく笑った。

 

「……だからこそ、君に十三番隊にいて欲しいと思ったんだ」

「え?」

「確かに、死神の心得の中に"仲間の為"という一節は一度も出てこない。だがそれは、仲間を作らなくていいということには直結しないさ。如月は充分死神の心得は理解している。次は、刃を持つ心得を学んで欲しいと思っているよ」

「刃……ですか」

「斬魄刀のことじゃない。君自身の決して揺るがない強い誇りを見つけてほしいんだ」

「……誇り」

「きっといつかわかる日が来ると信じているよ」

 

 単語としては意味を知っているが、きっともっと深い意味なのだろう。私は解釈に困り、説明を求めようと藍染さんの顔を見上げたが、答えはくれなかった。

 

「出てこない答えを探しながら過ごす日々も悪くないだろう?」

「意地悪」

 

 ムッと頬を膨らませて、私は顔を正面に戻した。

 

「さて、何か質問はあるかい?」

 

 護廷十三隊での過ごし方は、やがてわかってくるだろうから質問する意味がない。

 いまするべきは、他人から享受されなければ答えにたどり着けないことがいいと思う。

 

 

 そんなこと、一つしかない。

 

 

「……父親の名前を教えてください」

 

 誰しもが私のことを知っている。誰しもが私の中の誰かを見ている。

 その答えを聞きたい。

 

「姫乃……」

「藍染さんが教えてくれないなら、今ここで浮竹隊長にお聞きしたいです」

 

 私の質問に一同は黙ってしまった。

 最初に口を開いたのは藍染さんだった。

 

「姫乃。君がそれを知る時、僕は君の傍にいられない。だから、浮竹隊長が答えるというのであれば僕は席を外すよ」

「どうして?」

「逃げているわけじゃない。父親の名を聞いて、受け止めきれなかったとき、姫乃は僕の腕に逃げてくるだろう。そうなってしまえば、君自身が向かい合う機会を生涯奪ってしまうことになる。そうはさせたくない」

「……わかった」

「そして、僕の口から伝えられなかった理由でもある。最初僕が帰ろうとしたのは、そういう訳だよ。きっと姫乃は聞くと思ったからね」

「なるほどね」

 

 浮竹隊長と藍染さんが目を合わせた。そして、数秒の間があった後、藍染さんが腰を上げた。

 会話はなくとも、互いに意志の疎通が出来たのだろう。

 私に父親の存在を教えるという結論で。

 

 藍染さんが雨乾堂から去っていくのを見つめて、部屋には私と海燕さん、浮竹隊長の三人だけが残された。

 

「……さて、どこから話そうかな」

 

 



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第八話 父親の名前

 カコン……と 鹿威し(ししおどし)が鳴った後に、浮竹隊長と再び目が合った。

 

「……これは、君が産まれるより前の話。十六年前の『魂魄消失事件』を知っているかい?」

 

 その言葉に、私はどっちを答えていいのか迷った。

 私自身、今まで勉学を深めた中でその事件を知らない。しかし夢の記憶の中では、その事件について知識がある。

 夢が現実と同一性を持つとは限らない。

 

「……聞いたことくらいはあります」

 

 あまりに長い間を空けるのは変だと思ったので、私は一番無難であろう答えを返す。

 浮竹隊長は特段変な様子は見せなかったので、知っているか知らないかは大きく関係がないのかもしれない。

 

「その事件の詳細は……今は一度置いておいておこう。結論からいえば、その事件の結果、八人の隊長格が犠牲となり、三人の人物が罪人として罪を背負うことになったんだ」

「罪人……。その人達は今も隊牢に?」

「……その、そうだな……いや……」

 

 話し始めた時から、浮竹隊長は話の歯切れが悪い。

 まるで、私に話す為の建前や言い回しを考えながら手探りで話しているような感覚だ。

 元来、こういう手の話は得意な方では無いのだろう。

 

 私からなにか切り出した方がいいのか迷っていると、突然背中側にあった雨乾堂の御簾が開いた。

 あまりに突然の出来事で、私の心臓が跳ねる。

 ……私が……接近に気がつけなかった? 

 気配も霊圧も何もかもを消して、この背後の人物は突然現れたのだ。

 

「よしときなよ、浮竹ぇ。君はそんな重い話得意じゃあないでしょ」

 

 その声に、聞き覚えがあるような……ないような。振り返って一番最初に目に入ったのは、花柄をあしらった桃色の女物の羽織。

 続いて顔を上げれば、私の角度からは逆光だった。

 

「すまんな、京楽。来ないんじゃなかったのか?」

「……本来ならね。ただ、浮竹だけ美少女を拝むなんてズルいじゃないか」

「お前は……相変わらずだな」

 

 彼は私を追い越す様にして、部屋の中に入ってくる。

 海燕さんも特に驚いた様子は見せずに、黙ったまま浮竹隊長の隣に座布団を追加で置いた。

 腰を下ろしたことで、ようやく長身故に把握出来なかった素顔が見える。大きな笠を被った顎髭が特徴的な人。……八番隊隊長、京楽春水だ。

 本来なら来なかった? では、行くという意思に変わったきっかけが何かがあったのだろうか? 

 京楽隊長側の事情は気にかける必要などないが……とにかく一番重要なのは、またこの場に人が増えたという事実である。

 京楽隊長は私を見ると、ニコリと笑った。

 

「キチンと顔合わせるのは初めてかな。ボクのこと、覚えてるかい?」

「えっと……京楽隊長……。ご、五年前に一度……」

「あんなに小さかったのによく覚えてるねぇ。君は物覚えがいい子だ」

「あの時は……大変な失礼申し訳ありませんでした……」

 

 緊張のせいで消えそうな声だが、そう伝えると京楽隊長はクスっと笑う。

 

「女の子の為ならいくらだって禁煙するさ。ほら、今日はどう?」

 

 そう言って羽織をパタパタと振る京楽隊長。その風に乗って、柑橘系の匂いが鼻腔をついた。

 

「み、蜜柑!」

「大当たり」

 

 そのやり取りで、少しだけ緊張が溶ける。

 

「それじゃあ……ほら!」

 

 次に、京楽隊長がパンって手を叩いた。それと同時に、匂いが変わる。

 

「えっ…… 檸檬(れもん)になった……」

「おや、珍しい果物の名前をよく知ってるね」

「な、なんで? どうやったんですか?」

 

 匂いが変化した理由を聞こうと体を前倒しにして、食い気味に質問すると、京楽隊長は嬉しそうにまた微笑む。

 その顔を見て、はしゃぎ過ぎたと恥ずかしくなって顔を伏せた。

 

「君が何でも知りたがりって言うのは、本当の話だったみたいだね」

「あ、藍染さんに聞いたんですか?」

「そ。彼、君のなんでなんで攻撃に疲労困憊だって隊首会の帰り道でよく言っていたよ」

「ご、ごめんなさい……好きなことや気になる事は……つい……」

「うん、君のお父さんもそうだったよ」

 

 本来は父の話だったはずが、いつの間にか京楽隊長の会話に引き込まれていて一瞬忘れてしまっていた。

 

 そうだ、父の話だったんだ。

 ……こう切り出すために誘導された? 

 私が瞬きすると、京楽隊長は自分の笠を少し触った。

 

「……いやはや、参ったね。バレちゃったみたいだ」

 

 京楽隊長は、私の僅かな表情の変化で、私が内心で思ったことを汲み取る。

 

「君のお父さんはね、いつもニコニコしていて、部下を大事にしていて、自分の好きな事に一生懸命で、そんでいっつも山じぃに怒られてたよ」

「はは、懐かしいなぁ。元柳斎先生の『馬鹿者!!』という怒鳴り声、もう随分聞いてないなぁ」

「いや……俺はあの人が悪いと思いますけどね……やることなすこと突拍子もないんですよ」

 

 京楽隊長の思い出話に、思わず浮竹隊長も介入して笑う。二人とは反対の意見を出す海燕さんも、嫌悪というより呆れているような話し方だ。

 

「ほら、覚えてるかい? 山じぃから逃げるために開発した煙玉」

「ああ、あれか。結局、元柳斎先生はすぐ見つけ出したんだったな」

「なんでなんスかぁー。って喚いてたのが懐かしいですね。総隊長から逃げられるわけないってのに」

 

 三人は、私の知らない思い出話に浸る。

 黙って聞いていると、京楽隊長は私に視線を向けた。

 

「瀞霊廷の異端児。一息じゃ出来ないような難しいことも、とりあえずやっちゃいましょ。って当たり前のような顔で言ってくる人だよ」

「……はい」

「……十六年前、隊長格八名への禁忌事象研究及び行使・ 儕輩欺瞞重致傷(せいはいぎまんじゅうちしょう)の罪で現世に追放となったんだ」

「せ、せい……?」

 

 話の切り出した方から、何となくは察していた。

 しかし、その罪名は私が理解するには余りにも難しい単語だった。

 

「仲間を欺いて、禁止されている実験を行使。その結果、復隊不可能な大怪我を負わせたんだ」

「名前は……」

「……元十二番隊隊長及び技術開発局初代局長──浦原喜助」

 

 私は、その名前を聞いた瞬間背中に鳥肌が立った。

 重罪人が私の父だというショックじゃない。

 私の記憶と……現実で起きている事象が、無視できない程に酷似していることに悪寒を覚えたのだ。

 ただの予知夢だとか……そういう段階を超えてしまっている。

 

 表面で受け止めなければならないことと、裏面で思考しなければならないこと。

 二つの事象に頭が追いつかず、息が詰まって喉がヒュッと鳴った。

 

「おい、息しろ、大丈夫だ!」

 

 慌てて海燕さんが駆け寄ってきて、私の背中を撫でてくれる。

 

「……ボクたちが君の報告を受けたのは、君に会う前年のことだよ」

「おい、京楽。もう今日は……」

「ここで止める方が可哀想だよ」

「しかし……」

「……続けてください」

 

 ずっと知りたかったことだ。私の裏の事情は置いておいて、現実で起きている事を理解するべきだ。

 バクバクと鳴る心臓を抑えて、私は京楽隊長の声に耳を傾けた。

 情けないことに、伏せている頭を上げて京楽隊長の顔を見る勇気がない。

 

「姫乃ちゃんも知っての通り、君を見つけたのは藍染君だ。偶然だった」

「……はい」

「君の霊圧、容姿。この二つにおいて、初めは似ているなとしか思わなかったそうだが、君の成長を見て……もしかして娘なんじゃないかという考えに切り替わったらしい。そう思った詳しい時期までは聞いてないよ」

「……そう結論が付けられたのはいつですか?」

「前置きをつけるならば、藍染君に悪気や悪意があったわけじゃない。これは、山じぃ……総隊長からの命令だよ。君の頭髪から遺伝子分析をかけて、親子鑑定をしたんだ。そこで99.9%親子であると結論がつけられた」

 

 私の知らない間にそんなことが起きていたなんて。あの人は、そんなことをしたという片鱗すら見せなかった。

 私を思ってそうしてくれたのか……いや、きっと、部屋から出ていく時に言った言葉が全てなのだろう。

 

 私が何故瀞霊廷内で好奇の目と嫌悪を示されているのかようやく全てが繋がった。

 京楽隊長の説明にも違和感はない。真実だろう。

 私が黙っていると、京楽隊長は言葉を続けた。

 

「本来は一級機密事項にしておくはずだったんだ。情報の管理をしていた技術開発局のデータベースにハッキングが入って、多くの情報と共に君の情報も外部に出てしまった。申し訳ないと思っているよ」

「……遅かれ早かれ出ていた話だと思うので……大丈夫です」

 

 ある日突然流れてきた映像。紙に書かれているものだとはわかるが、風刺画や絵画とも違う……この世界にはないものだった。それは夢として時折何度も見た。

 一つの物語として並べるにはあまりにもバラバラで、情報が多すぎている。私自身も、あまりの多さに全てを覚え切れてはいない。

 もし夢が現実と相関性があるのであれば……藍染さんは。

 

「姫乃ちゃん?」

 

 京楽隊長に声をかけられて、私はハッと顔を上げた。

 

「これが、君の出生に関して僕らが知っていることの全てだよ。浦原喜助は、刑の執行直前に現世へ逃亡した。ボク達も足取りが掴めていない。その代わり、彼の技術力を考慮して現世から尸魂界に侵入するあらゆる手段を封じている状態だ」

「父が尸魂界に来ることは決してないと?」

 

 私の質問に、京楽隊長はコクリと頷く。

 

「生きているかは……」

「分からない。けれど、彼が早々に死ぬような人じゃないってことは皆内心思っているさ」

 

 浦原喜助。現実では知らない者はいないほどの大罪人。けれど……夢の中では黒幕が藍染さんだった。

 過去には帰れない。夢と現実が相関していると決定打を掴む術はどこにあるだろう。

 藍染さんに聞く? いや、そんなことをしてもし違ったとき、私はこの事象として説明がつかないことを説明しなくてはならなくなる。

 説明のできないことは口にしない方がいい。当たり前の判断だ。

 

 父が罪人だということは、薄々感じてはいた。だから、それ自体に大きな苦しさはない。

 ただ……藍染さんがそうであってほしくない。願わくば、夢であってほしい。

 

 真か偽か。それを探す術がない。

 

「如月」

 

 浮竹隊長に声をかけられて、顔を上げる。

 

「如月が生まれてきたということは、何も罪じゃない。何も悪くない。過去の事実と、これからどう在るべきかは何一つ関係がない。どう在ってもいいんだよ」

「お前はお前だろ? そりゃあ似てるけどよ、比べるもんでも押し付けるもんでもなんでもねぇよ。俺たちは何一つ気にしない。父親は父親。如月は如月。だから安心して十三番隊で過ごせ!」

 

 言われていることの意味は分かっている。偽善的だとは思わない。

 なぜなら、この二人は偽善で終わらせようなんてしていないと空気で伝わってくるから。

 

 ……だから、私が悪いんだ。この人たちの言葉を信じられない、私が。

 

「一つ……お願いがあります」

「なんだい?」

「その……席次の話なのですが……断ることは可能でしょうか」

「受ける側にも、着任拒否の権利はあるが……どうしてだい?」

「気にしなくていいというお言葉は有難いです。これは……私の我儘です」

 

 他人から自分がどう見られているかということが心に刺さらないほど、私は感情のない人物ではない。

 死神としてこの力を振るうためには、より高みに早くいた方がいい。わかっている。

 ただ、個人としては誰にも触れられず、日陰の中でそっと生きていたい。

 

 余りにも矛盾した感情だって、分かってる。

 早く大人になりたい。大人であれば、もっとこの現実にうまく立ち回る術が思いつくだろうか。

 

 ──普通の人でありたい。そして死神として役に立ちたい。

 

 こう願うことは、私にとってはあまりにも苦しい願いだった。

 叶えようとする時に言動に大きな矛盾が生じる。理由は明確で、現実と理想に、自分の心の弱さが追い付かない。

 

 藍染さんだったらどう振る舞えというだろうか。

 ……答えは分かっている。私の好きにしなさいというだろう。

 藍染さんが私の行動に関して誘導したのは、今までで一度だけ。真央霊術院の卒業試験から逃げた時だけだった。

 

 好きにしなさいという言葉は、一見自由に見えて……どの道を辿ろうと、私が降り立つ結末は同じだと言われているようだ。

 どれだけもがいても、私は『特別』なのだと。

 

「わかったよ。俺も賛成だ。なにせ、如月はまだ十五だろう? 責任を押し付けるには少しばかり早いと思っていたんだ」

 

 浮竹隊長は、案外粘ることなくすんなりと受け入れてくれた。

 

「しばらくは海燕が面倒を見てくれるかい?」

「大丈夫ですよ。つーわけで、俺がお前の教育係だ! よろしくな!」

 

 差し出された海燕さんの手をおずおずと握った。ごつごつとしていて大きな手だ。

 

「よろしく……お願いします」

「おら、にこーっと笑って言えって!」

「よ、よろしくお願いします!」

 

 またぎこちない作り笑顔だけど、それでも今はいいみたいだ。

 

「可愛いねぇ。浮竹に虐められたらボクんところに何時でもおいで」

「そういえば、伊勢と変わらないくらいじゃないか?」

「うーん、七緒ちゃんの方が少し年上だね。今度紹介するよ」

「伊勢……七緒さん?」

「そ。君と一緒で鬼道が好きな子だよ。きっと仲良くなれるさ」

 

 こうして、私の護廷十三隊としての生活が決まった。海燕さんの補助として、まずは仕事に慣れていく事からの始まりだ。

 こうなったことを藍染さんに報告したが、悪くない判断だと思うよ。とやっぱり私の決断に否定的な意見は出してこなかった。

 



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第九話 慣れない日常

 護廷十三隊に入隊してからは、与えられた仕事をひたすらこなす日々だった。

 

「……終わった」

 

 書類仕事が終わって、筆を置く。時間はお昼過ぎ。不意打ちで訪れた欠伸を噛み殺した。

 

「ねみぃのか」

 

 ふと後ろから声が聞こえて、ビクリと肩をあげる。

 

「あっ……ごめんなさい」

 

 振り返れば、海燕さんがいた。

 

「昼寝の時間取るか?」

 

 私はその提案に首を横に振る。確かに真央霊術院時代やそれより前は、私はまだ昼寝を取ってしまう年齢だった。

 ただ、同じく働く身となった以上は一人だけ甘えは許されない。

 

「そんな気張る必要ねぇよ。へぇー、字綺麗だな」

「えっと、字は……」

「藍染隊長に教えてもらったのか?」

 

 首を縦に振って肯定の意を示すと、海燕さんはニコリと笑った。

 これ以上何を会話として続ければいいのかわからず、黙り込む。すると、海燕さんはおや? と言いたげな顔をした。

 

「おっかしーな。事前情報じゃ、お前はお喋り娘だって聞いてたんだけどな。まだ人見知りしてんのか?」

「……ごめんなさい」

「別に怒ってねぇだろ」

「あ……えっと……」

「なあ、これどうしたらいいと思う?」

 

 いきなり話が方向展開する。

 どこから取り出したのか、海燕さんの手には鉄のような物で出来た玩具が握られていた。

 

「知恵の輪っつーの。知ってるか?」

「初めて見ました」

「都が、これバラバラに解けたら逢い引きしてくれるって言ってんのよ」

 

 都さんとは、十三番隊三席の方だ。話の入り方は急すぎるが、どうやら海燕さんは女性を誘うにあたって条件を出されてしまったらしい。

 私は差し出されるままにそれを受け取った。

 

「あの、でも……私が解いてしまったら……」

「俺一人じゃ一生出来ねぇよ」

 

 女性と逢い引く為には、そこまでしたいものなのだろうか。私には上手く理解が出来ない。

 ただ、断れる雰囲気でもない為、私はその知恵の輪とやらをジッと見つめた。

 

「……ここを外せばいいんじゃないですか?」

 

 私から見たら不自然に見える絡みを引くと、繋がっていた輪がバラバラに解けた。

 

「……マジか」

「え?」

「お前マジで賢いな」

 

 そう言われて、海燕さんは私の頭を豪快に撫でるとどこかに消えてしまった。

 これで良かったのか悪かったのか。

 

 ふうっ……と小さくため息を付くと、私は次の書類に手を伸ばした。

 

 私に今与えられている仕事は、書類整理。それと、海燕さんが持ってくる報告書の清書。

 現場仕事が一切回ってこないのは、年齢が原因なのだろうか。それとも実力が足りないのか。真意は分からない。

 

 そんな事を頭の片隅で考えながら黙々と筆を動かし続けていれば、遠くからバタバタと足音が聞こえてきた。

 何事だろうと目を向ける。

 

「なっ、コイツが一手で解いたんだぜ!」

「こ、この子があの……」

「如月っつーんだ。如月、コイツが都な」

「初めまして……如月姫乃です……」

 

 満足気に笑う海燕さん。そして無理やり走らされたのだろうか、少し息を切らせた都三席。

 突然現れた初対面の人に、私は固まってしまった。

 

「海燕君が出来るわけないから手伝ってくれてありがとうね」

「あのっ……えっと……海燕さん。言わなければバレなかったのに……」

 

 自分で解く事が条件だったのだろう。そう思ってそう言うと、海燕さんはまた笑った。

 

「なんで隠すんだよ。出来ねぇ事があるなら、出来るやつに素直に頼っていいだろ?」

「ごめんね、この人こういう人なの」

 

 都三席は海燕さんの笑顔につられるようにクスクスと笑う。

 ……なんだ。条件なんか関係なくても、二人は充分仲が良さそうだ。二人の仲睦まじい光景を眺めていると、都三席が私の耳元でそっと囁いてきた。

 

「本当はね、多分貴女の気を緩ませようとしているだけよ」

「あ! 都! 余計なこと言うなよ!!」

 

 慌てて弁明をしようとした海燕さん。今の小声が聞こえたのかと思わず私は呟いてしまった。

 

「……地獄耳」

「なんだとぉ!」

 

 私の頭を笑いながらまた撫でる海燕さん。

 グラグラと揺れる頭。私は思わず笑ってしまった。

 

「ふっ……」

「やっと笑ったな!!」

「可愛いわねぇ」

 

 違う。海燕さんの行動に笑ったんじゃない。二人の空気があまりにも暖かくて笑ってしまったんだ。

 

「そうだ、海燕君。隊士から建築物破損の報告が……」

「ああ? あいつらまたぶっ壊したのか」

「老朽化よ」

「しゃーねぇなぁ。見に行くか。如月も着いてこい」

 

 資材関連の在庫管理も私の担当なので、呼ぶ手に応じて腰をあげる。

 

 二人の背中をついて行けば、やがては目的地に到着した。

 

「あ! 海燕副隊長!」

「どこが壊れたって?」

 

 目的地には、数人の隊士がたむろっていた。

 彼らは、海燕さんに説明をしたが、背中にいた私の存在にも同時に気がつく。

 

「えっと……自分達は仕事に戻ります」

 

 そそくさとその場を立ち去る彼らの背中を見つめる。

 毎朝出勤してきて、挨拶をしても返事が返ってくるのは海燕さんだけ。私も返ってくるものだと思って挨拶はしていない。

 

「どーすっかなぁ……」

 

 海燕さんの方に視線を戻せば、破損した部分をどう修繕するか悩んでいる様子だった。

 

「如月、お前ならここどうする? 前と同じに修繕した方がいいと思うか?」

 

 その質問に、私は一度周囲をグルっと見渡して返事をした。

 

「私なら……いっその事この扉と壁を無くします。奥の道と一本化すれば……その……」

「ああ! 確かに! そうすれば、雨乾堂へもっと楽に行けるんじゃない?」

「はい」

 

 都三席も私が何を言いたいのか気がついたようで、首を縦に振る。

 建物が古いからか、増築を繰り返したためか。どちらにせよ、十三番隊は回りくどい道が多いのだ。

 

「もしかしてお前、もう道全部覚えたのか?」

「全部というわけでは……ただ、どれがどこに繋がるか予想くらいは……」

「真央霊術院一年卒業神童の名前は伊達じゃねぇな! その案乗った!」

 

 私の提案が快諾された事で、自分の知恵も役に立つ事の一つなのだと知った。

 

「今後如月を、建物改築隊長に任命だな!」

「た、建物改築隊長……」

「そうだ! こうしたらもっと皆が快適に過ごせそうだとか、思いついたことはなんだって提案してくれ!」

「わかりました……」

 

 変な命名だとは思いつつも、勢いに押されて拒否はしなかった。誰かの為を思って造り変えると言うよりは、単純に知恵遊びの様な感覚で楽しそうだと思う。

 得意なことや好きな事に没頭出来る時間は私の中では大切な時間だ。

 

「他に如月が好きなことはなんだ? 嫌いなことでもいい」

「えっと……好きな事は、お昼寝と読書と食べることと……鬼道。後はこういった考える事も嫌いじゃないです。嫌いな事は……夢を見る事……ですかね」

「夢?」

「現実と非現実の境界線が分からなくなります。未来か虚像か。幻覚か有幻覚か。そこに囚われて現実の世界でどう在るべきか見失うから……ですかね」

「ちっちぇ頭で難しい事考えてんだな」

 

 海燕さんが受け取った内容と私が指している内容にズレが生じているかもしれないが、私自身それ以上説明しようとは思わなかった。

 ただでさえ特異的存在なのだから、それ以上特異になる必要を感じていない。

 

「夢……かあ。なあ、都。お前はたった一つだけ叶わないことが叶うとするなら何がいい?」

「そうねぇ……例えば、尸魂界に海があればいいのに。とか?」

「あー、アリだなぁ。俺はそうだな……空を飛ぶとかか?」

「もう飛べるじゃない」

「違ぇって。鳥みてぇにこう、ビューっと!」

 

 身振り手振りでおどける海燕さん。私の一言で謎の広がりを見せていく会話を聞いていると、海燕さんが私の方を見た。

 

「お前は?」

 

 そう聞かれて、返事が出来ない。

 

「んだよ、なんでもいいんだよ」

「えっと……」

 

 尸魂界に海を作る。……私にまだ知識が足りないだけで、人工物であれば、理論上不可能ではなさそうだ。

 空を鳥のように飛ぶことも、霊圧を充填した補助道具があれば不可能ではなさそう。

 

 二人の夢は、決して叶うことの無い夢ではない。

 

「……ごめんなさい。可能性を模索するのは不可能じゃないんですけれど……。手段のない叶わない事を考える事はあまり得意じゃないです……」

「かー! お前は本当、生き辛い性格してんな!」

「すみません……」

「こういうのは、理論で考えるんじゃなくてノリと勢いで出すもんだ!」

 

 食べ物が全部お菓子だったらいいなとは思ったけれど、お菓子の栄養を調節すれば理論上不可能じゃない。ノリと勢いと言われても、やっぱり頭の中には……。思い浮かばない。

 

 そう考えた時に、一つだけ辿り着いた答えがあった。

 ただ、それはこの場の空気をしんみりさせるだけだと思って口には出さない。

 叶わない事が叶うのであれば。父と母そして私。三人で食卓を囲んでみたいと思った。

 

「……精進します」

「精進することでもねぇよ」

 

 結局は、少しだけ愛想笑いをしてこの場を流すことを決めた。

 都三席は仕事に戻ると去っていく。そして、私と海燕さんも仕事場に戻ろうと足を進める。

 

「ずっと小難しい事ばっか考えてると老けるぞ」

「早く大人になりたいのでそれでいいです」

 

 私と海燕さんの職場は、雨乾堂に最も近い。

 

 歩みを進めているうちに、私は雨乾堂の近くで人の気配を拾った。

 人の気配なんてものはそこら中に満ちているが、これは間違えるはずのない気配だ。

 

 私の足が自然と駆け出していた。

 

「藍染さん!!」

 

 私の声に気がついた藍染さんが振り返る。

 丁度雨乾堂を出たところの様だった。走る勢いそのままで飛びつく。

 

「おっと」

 

 私の急な飛びつき攻撃にも動じることなく、藍染さんは私を抱き上げてくれた。

 

「仕事は順調かい?」

「うん」

「それは良かった」

 

 私に遅れて海燕さんも藍染さんの傍に来た。

 

「海燕君、お疲れ様。姫乃は迷惑かけてないかい?」

「迷惑だなんてとんでもないっすよ。今日も二回ほど助けられたばかりです」

「なら良かった」

 

 藍染さんに床に下ろされる。私は先程海燕さんと話していた事を藍染さんに振った。

 

「ねぇ、藍染さん。絶対に叶わない事が叶うならどんな事がいい?」

 

 私が普段しない質問だと分かっているからか、藍染さんは少し驚いた顔をした。

 

「これまた難しい事を聞くんだね」

「ほらね、やっぱり難しいでしょう」

「手段の易い難いはあれど、模索する事を諦めなければ大抵の願いは叶うからね」

「だよね」

 

 ほらね。と言いたげに海燕さんを見れば、何故か海燕さんは爆笑していた。そんなに変な事だったのだろうか? 

 

「はははっ!! いや……お前……俺達の前とキャラ違いすぎっ……」

 

 その言葉に、私は思わず藍染さんの背中に隠れた。

 思わず気が緩んで素が出てしまったんだ。

 

「わりーわりー、別に馬鹿にしてるわけじゃねぇって」

 

 また私を覗き込んで顔色を伺おうとしてくる海燕さん。こんな構図、入隊の時もあったな……なんて心の隅で思う。

 流魂街にいた時は、藍染さんが来るのを待つだけだったから気が付かなかった。

 けれど入隊したことで知る。思った以上に藍染さんに会う機会が少ないということ。だから、入隊する為に着いてきてもらった時以来だったから、思わず駆け出してしまったんだ。

 

「後悔してるかい?」

「してない」

 

 私の気持ちを読み取ったのか、藍染さんはそう聞いてくる。後悔は別にしていない。いつまでも藍染さんの背中に隠れている訳にはいかないと自分でも分かっているからだ。

 ただ、笑われて気恥ずかしくなっただけ。

 私が藍染さんから離れると、また藍染さんは意外そうな顔をした。

 

「変?」

「いや。ただもう、促さなくても自分で進めるんだなと思ってね」

「大袈裟だよ」

「だといいね。理解が早い分、無理をしないか心配だ」

「お節介」

「こら」

「過保護っすねー」

 

 三人で少しだけ談笑して、藍染さんは自分の隊に戻って行った。

 久々に会えてよかった。前は忙しさで少し疲れている感じだったけれど、今日はいつも通りだった。

 私も自分の仕事場に戻ろうとした時、海燕さんから呼び止められる。

 

「そうだ、如月。明日、八番隊と十一番隊に遣いに行ってくれねぇか?」

「わかりました」

「ほら、京楽隊長が紹介する子がいるって言ってたろ?」

「えっと……伊勢さん」

「そうそう。んで、その帰りに十一番隊に書類届けてくれ」

「はい」

 

 

 瀞霊廷は広大だ。二つの隊を回るだけで、恐らく私の歩みでは日が落ちるだろう。八番隊に赴くことは、仕事なのかどうなのか怪しいところだが……。

 兎にも角にも、私は初めて十三番隊の外に出る事になった。

 



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第十話 お友達・・・?

 遣いに行けと言われた今日。初夏を存分に感じる暑い日だ。

 

「おや? 出かけるのか、如月」

 

 書類を持ってくると言ったきり、なかなか戻ってこない海燕さんを門の前で待っていると、浮竹隊長から声をかけられた。

 

「はい。配達に」

「そうかそうか、偉いなぁ。お菓子をやろう」

「えっと……」

「はは! 遠慮しなくていいんだぞ!」

 

 半ば無理やり押し付けられたお菓子。

 浮竹隊長の掌の上にあったときは小さく見えたお菓子も、私が抱えればそれだけで両手が塞がってしまった。

 

「あの……これでは書類が……」

「ああ、すまんすまん。そうだなぁ……」

 

 浮竹隊長は何かを考える事素振りを見せる。そして、思いついたと言わんばかりにポンっと手を叩いた。

 

「ちょっと待っててくれるかい」

「はい」

 

 どこかへ駆ける浮竹隊長。ちょっとという言葉通り、直ぐに私の元へと戻って来た。

 

「さ、この中に入れるといい」

 

 渡されたのは、竹でできた小さな籠。

 言われた通りにその中にお菓子を入れた。

 

「そして……これをこうして……」

 

 なにか細工を加える様子を見守る。

 

「よし、出来た!」

 

 満足そうな顔をして、浮竹隊長は籠を私の背中に付ける。そしてされるがまま、籠についた輪に腕を通す。

 

「……背負い籠」

「重くないかい?」

「大丈夫です」

「日差しも強いからな。帽子も被って行きなさい」

 

 これもまた、返事を待つ前に私の頭に麦わら帽子が被せられた。

 大きすぎる麦わら帽子は、私の顔を半分ほど隠してしまう。

 

「……あの」

 

 そこまでお気遣いなさらなくても。

 そう言おうとした時、海燕さんが走って戻ってきた。

 

「おー、待たせたな……って、何やってるんすか、浮竹隊長」

「いやあ、ついな。そうだ、海燕。如月が迷子にならないよう俺達で後ろを着いていくのはどうだろうか?」

「それじゃあ遣いの意味ないでしょ。ほら、書類と地図」

 

 背中の籠に書類。そして手には地図を渡された。

 

「見方分かるか?」

「大丈夫です」

 

 正規の地図ではなく、海燕さんが描いたざっくりとした地図だった。

 これを描いていて遅くなったのだろう。

 

「いやあ……しかし……心配だなぁ」

「心配しすぎですって。八番隊はここから真っ直ぐ。十一番隊は、八番隊正門を背にして丑の刻方向に真っ直ぐ歩けば着く」

「十一番隊から行った方が近いだろう」

「午前はあそこまともに取り合ってくれないっすからね。仕方ないです」

 

 話を聞いている限りでは迷うことはなさそうだ。

 私はもう一度地図を見て道順を覚える。そして浮竹隊長と海燕さんの顔を見上げた。

 

「えっと……では、失礼します」

 

 そう言って頭を下げて歩き出そうとした私。

 そんな私の肩を二人のうちどちらかが掴んだ。驚いて振り返る。掴んだのは、浮竹隊長だったようだ。

 

「気をつけてな、行ってらっしゃい。如月」

「迷子になったらデケー声で泣けよ!」

「えっと……わかりました」

 

 どう返事をしていいか分からずに、とりあえずそう返す。

 すると、海燕さんが私を高く持ち上げた。

 

「わあっ! 離してください!」

「行ってらっしゃい!!」

 

 見上げていたはずの顔が、眼下に映る。

 浮竹隊長の方を見れば、彼もまた笑っていた。

 

「……えっと……行ってきます」

「そうだ!」

 

 返す言葉の正解はこれだったのか。

 昨日と同じだ。向けられる笑顔とかけられる言葉。それに温かさを感じる気がした。

 

 二人に見送られて隊舎を出る。

 

 □

 

「……広い」

 

 初めて一人で歩く瀞霊廷の道。

 行き交う人々と慣れない道に緊張を覚えて、ギュッと手を握りしめた。

 足元を縫うように歩く私に、時折人の視線を感じる。浮竹隊長がくれた帽子のおかげで、上から見る彼らに私の素顔は伝わらない。

 なるべく道の端を、息を殺して歩く。

 誰も私の事など気に止めていないはずなのに、指を刺されているような気がした。──大罪人の娘だと。

 

 どれだけ急いでも私の歩みは大人には敵わない。

 八番隊隊舎がようやく見え始めた時には時刻は昼になっていた。

 

「疲れた……。根本の体力が足りてないなぁ……」

 

 どれだけ霊圧が高くとも、どれだけ戦闘技術が長けていようとも、年齢と内臓機能未成熟故の体力不足は否めない。

 

「……早く大人になりたい」

 

 そう一言呟いて残りの道を歩く。

 

 大きな朱色の門が見え始めた時、そこに立って待っている人物を見つけた。

 

「京楽隊長!」

「迷わずに来れたみたいだね」

「わざわざお待ち頂かなくても……」

「浮竹からもう四回地獄蝶が飛んで来たんだ。それにボクも、女の子の出迎えは大好きだからね」

「すみません……」

「なあに、気にしなくていいよ」

 

 京楽隊長の周りには地獄蝶が四匹ヒラヒラと羽ばたいている。

 言葉通り、浮竹隊長からの伝令なのだろう。

 

「さ、君達は無事お姫様のご到着だって浮竹に伝えてきてくれるかい」

 

 京楽隊長がそう地獄蝶に一言言うと、地獄蝶は空に向かって一斉に羽ばたいていく。

 

「浮竹の性分さ。君の事が心配で堪らないんだよ」

 

 隊舎の中に向かって歩き出した京楽隊長の背中を追いかける。

 

「……これ以上ご負担をかけないよう精進します」

 

 私がそう返すと、京楽隊長は歩みをとめないまま私の方をちらりと見た。

 

「優しさを受け取ることは苦手かい?」

「あ……いえ。その、良く分からないです……」

 

 私の返事に、京楽隊長は何も返さない。ただ、目を細めて微笑むだけ。

 そうして隊舎の中を歩いていれば、一つの建物の前に着いた。

 

「あの……ここは?」

「八番隊の鍛錬場の一つだよ」

 

 京楽隊長が片手で大きな扉を開ける。私一人では到底動きそうにもないほど立派な扉だった。

 中に入ると、綺麗に整備された鍛錬場が視界いっぱいに広がる。真央霊術院で過ごした場所よりも大きい。

 

「凄い……」

「さて、七緒ちゃーん。居るかい?」

 

 京楽隊長が少し大きめの声を上げた。すると、物陰から小さな足音がした。走ってきたのは、私よりは少し背の高い眼鏡をかけた女の子だった。

 

「お待たせ、七緒ちゃん」

「いえ。大丈夫です。あの……そちらの方は?」

 

 目が合って、私は慌てて帽子を取る。そして頭を下げて挨拶をした。

 

「あのっ……十三番隊隊士、如月姫乃です!」

「如月さんですね。伊勢七緒です」

 

 私は顔を上げて目をパチパチと瞬きする。私の名前を聞いても、至って普通の反応だ。

 京楽隊長の方を見ると、目が合った。その視線で理解する。伊勢さんは、私の背景を知らないのだ。

 その事実に、少しだけ肩が軽くなった気がした。

 

「小さい子が並ぶと可愛いねぇ」

 

 京楽隊長は、私と伊勢さんをくっつけるように立たせて満足そうに微笑む。

 

「七緒ちゃん。姫乃ちゃんも鬼道が好きなんだって」

 

 初対面でまだ会話の術がない私達を補助するかのように、京楽隊長が話題を出してくれた。

 

「本当ですか!」

 

 その一言に、伊勢さんは目を輝かせると、私の手を握る。

 

「破道と縛道、それぞれ何番台まで今出来ますか!? それと、結界術の習得はされているのでしょうか!」

「あの……えっと……」

「あはは! いきなりそんな沢山聞いても困っちゃうでしょ。ボクがなんの為に鍛錬場開けたと思う?」

 

 返事に困っていると、京楽隊長の助け舟が来た。

 

「ありがとうございます! たまには役に立ちますね!!」

 

 仮にも隊長である京楽隊長に、伊勢さんの発言はやや無礼に思える。

 だが、京楽隊長は対して気にしていない様子だった。

 

「一緒に練習しませんか!?」

「あ……」

 

 私の返事を待たずに、伊勢さんは私の手を引く。鍛錬場の中心に着いて、私達は横並びで並ぶ。

 伊勢さんは本当に鬼道が好きなのだろう。期待を込めた目で私を見つめている。

 

「破道からやりましょう!」

 

 やろうと言っても、伊勢さんから動く気配はない。

 多分、私の鬼道を先に見たいんだと思う。私は少し迷って片手を正面にかざした。

 

「……破道の三十三 蒼火墜」

 

 掌の中心に熱が集まり、そのまま真っ直ぐに青い炎の塊が飛んでいく。

 元々鍛錬場に用意されていたいくつかの的を吹き飛ばして、私の蒼火墜が消えた。

 

「……凄い。三十番台詠唱破棄……」

「え……伊勢さんも出来るんじゃ……」

「どうして分かったんですか!?」

「あ……えっと……勘です。鬼道が好きな方なら……と思いまして……」

「正解です! でも威力は如月さんの方が少し高いんですね……私も負けないですよ!」

 

 そうやって二人で自分の出来る鬼道をやり続けた。

 伊勢さんは結界術も好きみたいで、本当に楽しそうだ。

 そんな私達を、京楽隊長は黙って見つめている。

 

「はあっ……はぁっ……疲れた……」

「私も少し」

 

 半刻ほど経っただろうか。額の汗を拭きながら、伊勢さんは息を整える。

 それに合わせて、私も鬼道を打つ手を止めた。

 

「如月さん! これからも二人で一緒に鬼道をやりましょ!」

「……こちらこそよろしくお願いします。伊勢さん」

「七緒でいいですよ!」

「あ……えっと……七緒さん」

「さんと呼ぶくらいなら、ちゃんで!」

「七緒、ちゃん」

「友達になりましょう!」

「……はい」

 

 困ったような戸惑っているような。そんな私の笑顔にも屈託のない笑顔で返してくる伊勢さん……いや、七緒ちゃん。

 ……友達。それは何を基準にそう言っているのだろうか。きっと、力の技量が同じだからだろうか。

 七緒ちゃんはふと時計をみて、慌てたような表情をした。

 

「もう戻らなきゃ」

 

 そういって、七緒ちゃんは鍛錬場を出ていった。

 背中を見送って、私はため息とは違う小さな息を付く。

 

「うちの七緒ちゃん。可愛いでしょ」

「本当に鬼道が好きなんですね。あれほどの熱量の方は、初めてお会いしました」

 

 私もとことん鬼道が好きな方だ。だが、近い熱量で好きな人と会うのは初めてだった。

 

「……彼女より出来る事が怖いかい?」

 

 京楽隊長から投げかけられた言葉に、私は目線を下に向けた。

 

「七緒ちゃんの技量に合わせたんだろう?」

 

 沈黙は肯定だと分かっていて返せない。七緒ちゃんが私の手を引いた時、彼女は興奮からか、すでに力を閉じることを辞めていた。

 

 だから、そこから辿って彼女がおおよそ達しているであろう熟練度を計算したのだ。

 

 私の見立ては間違っていなかった。

 彼女の技量を超えすぎず、時にはそれよりも下げて。傍から見れば、ほぼ同じ技量の子供が勝ったり負けたりしているように見えただろう。

 

「……破道の五十四 廃炎」

 

 私がそう唱えると、完成度はほぼ最上級の廃炎が地面を燃やした。

 先程は一度も見せなかった破道だ。

 

 二人の間に少しの沈黙が流れる。

 

「七緒ちゃんはそんな事で君を色眼鏡でみるような子じゃないよ」

「……すみません」

 

 そう言われても、私は怖いのだ。出来るということが怖くて堪らない。

 彼女は確かに鬼道が好きだ。だけれど、技量は私に敵わない。

 

 同じ子を見つけたと嬉しそうな彼女の期待に答える選択を私はした。

 私はまた、同じ子は見つけられなかった。

 

「ボクは今の君よりは鬼道が上手だよ……なんて言っても、君は嬉しくないんだろうね」

「私が一番だなんて一度も思ったことはありません。隊長方の方がずっと高等鬼道を遣えます」

「ボクが君くらいの年齢の時は、一桁台の鬼道で悪戦苦闘してたよ。……同じ速度で同じ技量で。なかなか難しい条件だね。だからといって、隠す必要なんて無いさ」

 

 その言葉にも私は返事が出来ない。

 

「演じる事に慣れすぎて、本当の自分を見失っちゃダメだよ」

「本当の自分……ですか?」

 

 私が京楽隊長の顔を見上げる。

 京楽隊長は、先程までの目尻の下がったような笑顔ではなく、意地悪げな笑みを浮かべていた。

 

「だって姫乃ちゃん、負けず嫌いだろう?」

 

 そういって、京楽隊長は右手を水平に構えた。

 

「縛道の七十九 九曜縛」

 

 私達が立つ位置から二十メートルほど離れた所にあったカカシ。

 そのカカシを中心に縦方向に八つ、胸に一つの黒い鬼道の玉が現れた。

 

 目線を京楽隊長に戻すと、してやったり顔をしている。

 

「七十番台……詠唱破棄」

「ほら、悔しそうな顔してる。そして楽しそうだよ」

 

 私にまだ出来ない事だ。今の私は、六十番台を詠唱込みで……成功率が三割。六十番以降の難易度は圧倒的に高く、中々思うようには行かない。

 藍染さんは、必要霊力は充分に足りているのだから後は鍛錬あるのみだと私に言っていた。

 

 自分がどんな表情をしているのか分からないが、私も早く出来るようになりたいと思ったことは間違いなかった。

 

「……力を付けていくことは楽しくて……私の力が誰かの役に立つ喜びを知っています」

「それが君の本音だね」

「力が生涯誰かと均一であると言うことは有り得ない……。もし私が京楽隊長に追いつけたその先で……」

 

 誰も追いかける人がいなくなってしまったらどうしよう。そう考えた私は、自分の考えを否定した。

 藍染さんは、私よりも強く在り続けると誓ってくれた。

 だから、そんな未来は来ない。

 

「姫乃ちゃんの世界は、力で出来ちゃったんだね」

「死神の世界はそうです」

「だからこそ、ボクも姫乃ちゃんが十三番隊に居ることは奇跡で、必然だと思うよ」

「……どういうことでしょうか?」

「いずれ見つかるさ。だから今は、甘えていいんだよ」

 

 どれだけ否定しても私は強くなる。現に、真央霊術院で過ごした一年で私はまた強くなった。

 今だって出来ないことはあるが、それはただの時間の問題なんだ。

 

 嬉しさと苦しさの矛盾。どうして私はこんなに矛盾だらけなのだろうか。

 

 

 分からない。

 

 その矛盾を埋めるナニかを私は知らない。

 

 私が黙り込んでいると、京楽隊長がポンっと手を叩いた。

 

「さ、しんみりした話はこれで終わり。お昼でも食べに行くかい?」

「はい!」

「あはは! いい笑顔だね。ボクのお気に入りの定食屋に行こうか。嫌いな食べ物あるかい?」

「豆腐です」

「あれま。豆腐が嫌いだと、育つところ育たないよ」

「……?」

「……浮竹がいたら、ボクいま殴られてたかも」

 

 クスクスと笑いながら歩き出した京楽隊長の背中を駆け足で追う。

 初めての他隊訪問は、少しの後ろめたさと謎かけのような難題が見つかった結果だった。

 

 昼食を終えて、京楽隊長と別れる。

 浮竹隊長から貰った飴を舐めながら、私は十一番隊に向かうことにした。向かう途中で、海燕さんから貰った地図を再度開く。

 

「……えっと……十一番隊では……どれだけ挑発されても乗るな? ……どういうこと?」

 

 地図の端に書かれた一文。その意味を、私はすぐに知ることとなる。

 



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第十一話 力こそ正義

 昼の猛暑が収まりかけた頃。私はようやく十一番隊にたどり着いた。

 

「……どうしてこんなことに」

 

 見上げる門は、八番隊とは大違い。一体どうしたらそんなところに……と聞きたいくらいに全体的に荒々しく傷ついていた。

 門の両端に立つ門番は、片手に酒を持っていて腰を下ろしている。人を見た目で判断してはいけないと分かっていながらも、どうやっても治安が良さそうには見えない風体の人ばかりだ。

 

 意を決して門を潜ったその瞬間だった。

 

「っ……!」

 

 理解をするよりも早くに、私は反射で身体を前倒しにする。

 私の動きについてこれず、宙にわずかに浮かんだ麦わら帽子が、風を切る音と共に消えた。

 

 バキッ……!! 

 

 遅れて聞こえたのは、鈍い音。

 その音がした後方を振り返って、ようやく事態の全貌を掴むことが出来た。

 

「やんのかてめぇ!!」

「んだとゴラァアア!!」

 

 前方からはドスの効いた声がする。私の後方には、半分に折れた木刀が隊壁に突き刺さっていた。

 つまるところ、前方の二人が喧嘩をした結果、折れた木刀が丁度私に目掛けて飛んできたのだ。

 

 ついでに、壁と木刀の間には私が浮竹隊長から授かった麦わら帽子が見るも無惨な姿で磔にされている。

 

「嘘……」

 

 初めて見る大人の喧嘩である。二人は私の姿など見えていないかのように殴り合いの喧嘩を続けている。

 その二人を刺激しないよう、私はそっと気配を殺して通過した。

 

「はあ……。っ……!!」

 

 無事通り過ぎた。そう思った時にまた嫌な予感がした。

 飛び跳ねるかのように真横に飛べば、今度は足元に人が転がってきた。

 

「なんなの……ここは……」

 

 思わず本音が出る。

 あちらこちらで研鑽し合っているのか喧嘩なのか分からないほどの取っ組み合いと、怒鳴り声。

 早く帰りたいと思わず心の中で思った時、背後から声が聞こえた。

 

「ほう。今のも避けるか。一回目は偶然かと思ったが、どうやら偶然ではないようだな」

 

 振り返ると、私の後ろに立っていたのは黒髪短髪の男性だった。

 

「何故此処に? 此処は子供の来るべき所ではない」

「あっ……じゅ、十三番隊隊士如月姫乃と申します。海燕副隊長の遣いで書類を……」

 

 私の言葉を聞いて、男性は眉をぴくりと動かした。

 

「……ああ。貴様が浦原の娘か」

 

 その言葉に顔を伏せる。何も返せずにいると、男性は私を追い越して歩き始めた。

 

「あ……あのっ……書類を!」

「海燕副隊長からの書類を私が受け取れるわけがないだろう。隊首室はこっちだ」

 

 着いてこいという意味だ。私はその背中を慌てて追いかけ始めた。

 周囲の喧騒とは違って、落ち着いた雰囲気のある人だと思う。

 書類には渡す順番があるのだと予め教えて欲しかったものだ。

 

「お名前を……」

「一ノ瀬真樹。覚えなくていい」

 

 元々口数が多い人ではないのか、私達はそれ以上会話が続くことなく黙々と隊舎の中を歩き続けた。

 十一番隊は護廷十三隊の中でも最凶の名を誇る部隊だと学んでいた。ただ、内部がここまで荒んでいるとは思わなかった。

 浮竹隊長が心配に心配を重ねる理由が、少しだけわかった気がする。

 そう思考を回していると、目的の場所に到着したのか一ノ瀬さんの歩みが止まった。

 

 コンコン。

 

「鬼厳城隊長。一ノ瀬です。入室してもよろしいでしょうか」

 

 一ノ瀬さんがそう扉に向かって声を上げると、一拍遅れて返事が返ってくる。

 

「おう」

 

 そう一言だけ返ってきて、一ノ瀬さんは扉を開けた。

 開けると同時に深々とお辞儀をする一ノ瀬さんに習って私も頭を下げる。

 

「どうした」

「十三番隊から遣いです」

「浮竹からか?」

「いえ、海燕副隊長からです」

「……どうせまた討伐依頼だろ。あそこの隊はあいつ以外、まともな戦士はいねぇのか」

 

 多分、私が出会った中で一番低い声だ。重苦しい圧力と気だるそうな声色に、緊張が高まる。

 一ノ瀬さんが顔を上げる雰囲気を感じて、私も同時に上げる。目の前の椅子に座っていたのは、その声色に似合った縦横に体の幅のある人だった。

 

 射抜くかのようなその鋭い目線と私の視線が交わる。

 

「……ガキがどうした」

「コイツが海燕副隊長の遣いだと申しています」

「はっ。人手不足にヤケが来て遂にガキにまで手出し始めたのか」

「浦原喜助の娘です」

 

 わざわざ言わなくていいのに、一ノ瀬さんは私の人物像をありのままに報告する。

 知らないなら知らないままでいいのに。そんな希望は通らないのだろう。

 

「……ああ。最後に隊首会に出たのは何年前だ? そん時に藍染の奴が報告に上げてた奴か」

「間違いはないかと」

「親の名前で副隊長の補佐か。立派なこった」

 

 明らかに皮肉だ。父の名前が良い方に転がったことはないし、そんな事実はない。

 それでも、私は何も言うことは出来なかった。

 

「出入口の乱闘を無傷で通り抜けて来ましたので、拾った次第であります」

 

 一ノ瀬さんのその言葉に、鬼厳城隊長は目を細めた。

 そして、私を頭の先からつま先まで何度か往復して見る。

 

 そして、鬼厳城隊長の目線が一ノ瀬さんに向いた瞬間、私は殺気を感じた。

 

「……っ!?」

 

 私の前に立っていた一ノ瀬さんから、回し蹴りが飛んできた。

 当然近距離。瞬歩が使えれば避けられただろうが、生憎私にその手段はない。

 咄嗟に手をクロスさせて防御の体勢を取り、自身の霊力で蹴りの威力を殺した。

 

「……ケホッ」

 

 数センチは後方に下げられる結果となってしまったが、巻き起こった埃にむせた事以外は問題がない。

 

「今のを……止めたのか。その霊圧……貴様……」

 

 やったのは一ノ瀬さんだというのに、驚いたような声をだす。

 鬼厳城隊長はその光景を見て、薄ら笑いを浮かべた。

 

「面白ぇ。親の七光り……ってわけじゃなさそうだな」

 

 どうしてこんな目に。私はただ書類を届けに来ただけなのに。

 本題から大きくズレが生じてしまっているが、一度持たれた興味を引き剥がす事も出来ない。

 

「ガキ。剣は持てるか」

「……はい」

「一ノ瀬。テメェが相手しろ」

「かしこまりました」

 

 まさか試合をしろと? 海燕さんの忠告を思い出して、私は慌てて会話の間に入った。

 

「せ、せっかくのお話ですが……あのっ……今日は……」

 

 間髪入れずに、一ノ瀬さんからの鋭い目線が飛んでくる。

 

「鬼厳城隊長からの指示を断ると?」

「っ……こちらは十三番隊からの指示を承っておりますので……」

 

 負けじと言い返す。

 もし事が大きくなってしまっても、責任の所在と論点がズレないようにしなければ。

 私はあくまで書類を配達に来るだけの命令を承っており、戦闘許可は貰っていないのだという趣旨を通した。

 

「……っち。鼠みてぇな小癪な手段。見事に親子だな」

 

 鬼厳城隊長の目線が私から外れた。興醒めしたのだろう。

 私は心の中で安堵の息を付いた。

 

「書類は」

「あ……これです」

 

 籠から書類を取り出して鬼厳城隊長に渡す。私の頭を捻り潰せるんじゃないかと思うほどの大きな手に受け渡すと、鬼厳城隊長はそれをジッと眺めた。

 

「……めんどくせぇ。一ノ瀬。適当に処理しとけ」

「はい」

 

 鬼厳城隊長は、そのまま書類を投げ捨てる。

 一ノ瀬さんは、床に落ちた書類を嫌な顔一つすることなく拾い上げた。

 

「おい、浦原のガキ」

 

 そう呼ばれて顔をあげれば、鬼厳城隊長はまた薄ら笑いを浮かべている。

 

「テメェに十三番隊は似合わねぇ。ウチに来るか?」

 

 想像もしていなかった一言に、私は固まる。

 

「さっきの一撃で分かった。テメェ、相当なチカラ隠しこんでやがんな。そうして何が楽しい」

「楽しくてしているわけでは……」

「大方、浦原の名前を背負った過去で目立ちたくねぇとかしょうもねぇ事だろ」

 

 若干違う。私がそういう手段を選んだのは、父の存在を知るよりも前だ。

 しかし、現状でその要素がないというわけでもない。

 完全なる否定が出来ない状態で、返す言葉を見失う。

 

「はっ。アイツはもっと軽口野郎だったが、テメェはまだガキだな」

「……申し訳ありません」

「隊には隊色っつーのがある。思想も意気も違ぇ俺ら護廷十三隊が、何でまとまってるか知ってるか?」

 

 明確な答えは、私の知識の中にあった。

 普段は出さない理論のない知識だったが、度重なる混乱が思わず正解を導き出す。

 

「総隊長が……強いからです」

「そうだ。十一番は力が信念。力こそが正義だ。どこの隊よりも総隊長の意志を反映している隊だと思わねぇか?」

「……はい」

「人殺し、盗人、詐欺師、知恵遅れ。十一番隊は、世に放てばマトモに生きてられねぇ奴の集まりだ。けどここじゃ、自分の背景も過去も何も関係ねぇ。力がありゃそれが正義。どうだ、テメェが生きやすい世界だぜ」

 

 鬼厳城隊長は言いたいことは全て言い終わったのだろう。空間に無言が流れる。

 

 もし十一番隊で私の背景を叩く者がいるとすれば、力でねじ伏せる。

 そうして勝てば、私が正義になる。

 

 言葉の意味を何度も頭の中で解釈して、私は小さな声で返事をした。

 

「……有難いお言葉ではありますが……お断りさせて頂きます。私は既に……十三番隊で難題を頂いておりますので」

「はっ!! ここで学ぶことはねぇってか」

「そ、そういうわけでは……」

「まあいい。ただまあ、一ノ瀬を止めたとなりゃ、今後十一番隊に顔出す度に四方八方から木刀が飛んでくる事は覚悟しとけよ」

 

 そう言って鬼厳城隊長は立ち上がると、隊首室を出ていった。

 残された私と一ノ瀬さん。ただ、会話がある訳でもない。

 やるべき事は終わった。帰ろうと思って、私は頭を下げて隊首室を出る。

 

 庭先の喧騒をまた縫うようにして十一番隊から無事に抜け出せた。

 

「……どう報告しよう……」

 

 海燕さんの補佐だというのに、十一番隊に今後顔が出せないに近い状態に一瞬で陥ってしまった。

 ただ、どうすれば回避出来たのか……。過去を悔やんでも仕方がない。

 

 

 十一番隊を出た時には既に太陽が夕日へと移ろい始めており、私は十三番隊への帰宅を急ぐ。

 小走りで走っていると、正面から羽ばたいてきたのは地獄蝶だった。

 

『迷子になっていないか? 如月』

 

 浮竹隊長からの伝令だ。

 

「大丈夫です。あと半刻で戻ります」

 

 そう返すと、地獄蝶は空高くにまた羽ばたいていく。

 

 そうして走り続けること半刻。

 日が落ちかける寸前で、ようやく十三番隊の門が見えてきた。

 

「如月ー!」

 

 門の近くに、浮竹隊長と海燕さんの姿が見えた。大きく私に向かって手を振ってくれている。

 

「遅くなってすみません」

「いやあ、よかったよかった。無事帰って来れたな!」

 

 ニコッと笑う浮竹隊長。しかし、すぐに私の帽子が無いことに気がついたようだ。

 

「あ……すみません。その……十一番隊で木っ端微塵に……」

「ははっ! 身体が無事なら何も心配することはないさ!」

「まさかお前……喧嘩してきたんじゃねぇだろな?」

「してません!」

 

 私がそう海燕さんに返すと、海燕さんはヤレヤレと言いたげにため息をつく。

 そして、腰を下げたかと思うと大きな手が私の両脇を掴んだ。

 

「うわぁっ!」

 

 出かける時と同じく、私の身体が高く持ち上がる。

 

「おかえり!」

「おかえり。如月」

 

 同じ言葉を私向かって投げかける二人。その屈託のない笑顔に、私は少し気恥ずかしく思いながら返事をした。

 

「……ただいま帰りました」

「かてぇ!」

「た、ただいま!」

「そうだ!」

 

 私を抱えたまま海燕さんは、十三番隊隊舎の中に足を進める。

 昼間の太陽とはまた違った温かさに包まれて、私は思わず瞼が重くなった。

 

「あ! 寝るのか!」

「いいじゃないか。相当疲れただろう」

 

 そんな言葉が意識の遠くで聞こえる。

 ……初めてだった。母と藍染さん以外の腕の中で眠りに落ちてしまうのは。

 それほど今日は疲れた一日だった。

 

 □

 

 次の日起きて、十一番隊での出来事をありのままに海燕さんに伝えた。

 

「はー、なるほどなぁ……」

 

 海燕さんは頭を抱えつつも、思ったほど深刻そうな顔はしない。

 

「まあ、あそこは剣術しか使わねぇし……。剣術磨くっつー心持ちで行きゃいいだろ。一ノ瀬防げたなら、死にゃしねぇよ」

「わ、分かりました……」

「それよりも、ウチを選んでくれてありがとうな」

 

 嬉しそうに笑う海燕さんにつられて、私も笑う。

 ……作り笑顔ばかりだった毎日の中で、海燕さんの笑顔につられて笑う時だけは、自然に笑えている気がした。

 





キャラクター解説。
一ノ瀬真樹→アニブリバウンド篇にて鬼厳城剣八の部下として登場。鬼厳城の事を心底慕っており、更木剣八に代替わりしたと同時に更木の事を認められず瀞霊廷を去った。一人称は「私」


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第十二話 大喧嘩

 慣れなかった日常が、慣れた日常へと移ろい始めた頃。

 私は時計を見て慌てて荷物をまとめた。

 

「もうこんな時間……行ってきます!」

「おー、行ってらっしゃい」

 

 海燕さんに見送られて副隊首室を駆け出す。

 私が雑務を担当し始めた事で、海燕さんはより外に出る機会が多くなった。だから、瀞霊廷の内部でも十三番隊からの遣いは私だという認識が徐々に浸透し始めている。

 

「間に合うかな……」

 

 運ぶ書類の優先順位と距離を頭の中で考えながら走る。

 こうやって毎日広大な瀞霊廷を駆けていれば、自然と体力は付いてくるものだ。

 

「こんにちは! 十三番隊からの遣いです!」

「ガキ来たな、コラァァァァ!!」

 

 十一番隊の門を潜り、私も見つけるなり飛びかかってくる隊士を掻き分けながら進む。

 

「一ノ瀬さん!」

「……また逃げてきたのか」

「……戦う理由はありません」

 

 一度も戦闘の意を見せない私に呆れたような顔をしながらも、一ノ瀬さんは書類を受け取ってくれた。

 本来は隊長か副隊長に渡すべき書類だが、鬼厳城隊長が面倒臭いと言ったことで十三番隊からの書類は、一ノ瀬さんが受け取るという流れが自然と出来てしまった。

 

「では、失礼します」

「強者のみと戦いたいというならば、鬼厳城隊長が直々に剣を持つと言っておられた」

「違います」

 

 そう返して頭を下げて十一番隊を出る。

 瀞霊廷を小走りで駆ける私を、見る人はいれど話しかけてくる人はいない。意味はややズレているとはいえ、十一番隊の人には構ってもらっているのかもしれない。

 

「次は六番隊……」

 

 うんざりするほどの長い道を進んでいると、前方から喧騒と多くの人が駆けて来るのが見えた。

 それを確認して、慌てて道の端に体を寄せる。

 

「重傷者から救護詰所に運べ! モタモタすんなよ!」

「はい!!」

「一人も死なせねぇぞ!」

 

 どうやら、四番隊の一軍らしい。彼らが進んでいる先の気配を辿れば、霊圧の揺らぎをいくつも感じる。

 どこかの隊の虚討伐が帰ってきたのだ。

 場所は、私がいる位置から数分も離れていない。初めて見るその光景に、私は自然と足を彼らと同じ方に進めてしまっていた。

 

「軽傷者はこっちに来てください!」

「術式をこの場で開始します! 離れてください!!」

 

 そんな指示が飛び交う広場。何人もの人が地面に横倒れになり、治療を受けていた。

 私は壁に体を隠すようにして、その光景をじっと見つめる。

 

「……どこの隊だろう」

 

 そんな疑問を浮かべつつ、救護詰所までの移送が間に合わない人達にかけられる回道を見つめた。

 まだ自分に使えない種類の鬼道で興味深い。

 

「……あ、そこでその霊質に切り替えるんだ。術式の組成術はどうやって繋いでるんだろう……」

 

 ひたすら観察して、疑問と発見を小さな紙に書いていく。

 そうして人集りを観察していれば、その人集りの中に似つかわしくない幼い存在を見つけた。

 

 幼いといっても、私よりはずっと大きい。

 

「……朽木白哉」

 

 偶然か否か、彼もまた離れた場所にいた私の存在に気がついて目が合った。

 そうか、六番隊の部隊だったのか。見る限りでは彼は怪我をしている様子もない。

 無表情な彼が、私に近づいてきた。

 

「……何をしている」

「ごめんなさい。去ります」

「そうではない」

 

 怪我をしている人が見世物になる事を嫌ったのだと判断して謝りの意を伝えたが、そういうことではないらしい。

 朽木は、私に更に詰め寄ってきた。

 

「何故雑務で留まっているのかと聞いている」

「……そう指示を頂いているからです」

「自ら席次を断ったと聞いている」

 

 席次が付けば、それだけ高い任務がまとわりつく。

 虚の出現した地域に出撃を求められる事もあれば、単独で地域保全の任務を負うこともある。

 

 私は未だに、瀞霊廷より外には出たことは無いのだ。

 

「その力を、何故責務の為に振るわぬ。臆病者か」

 

 それは確かに、言い返せないほどの正論だった。

 

 この力で誰かを助けることが出来るならばと願って死神になった。

 なのに私は、鍛錬はすれどその力を死神として一度も振りかざしたことは無い。

 

「……私の所為だとでも言いたいのか」

 

 私が何も返せずにいると、朽木白哉はそう一言言った。

 

「……違いま……っ!」

 

 否定をしようとした時、風を切る音が聞こえた。

 慌てて体勢を崩して原因である物を避ける。私の首目掛けて、アイツが剣を振るったんだ。

 私がどれだけ避けても、彼は攻撃の手を止めない。

 その太刀筋は、真央霊術院でぶつかりあった時よりも鋭く速くなっていた。

 

「剣を収めて下さいっ……」

 

 どんどん追い込まれて、私はついに広場の中心部まで出されてしまった。

 軽傷で腰を下ろしていただけの隊士達が何事かと私達を見る。周囲の者は、止めなければと分かっていても、朽木白哉という人物に向かって行動を起こす事を躊躇っている様だった。

 

 キンッ……。

 

 避けるだけでは間に合わなかった。

 私は朽木の攻撃を、近くに落ちていた誰のものかも分からない脇差で受け止めた。

 

「……脇差で充分だと?」

「……どうか剣を収めてください。気に触れたのであれば謝罪致します」

 

 それでも相手は本気で斬りかかってくる。

 私の感情に、僅かに苛立ちが起きた。

 

 ……どうせ私の速度についてこれない癖に、食ってかかってくるな。

 

「いい加減に……してよっ……」

 

 キィイイイン!! 

 

 朽木の太刀筋を見切った私は、初めて攻撃に転じた。

 私の一振に、彼の手から刀が離れる。私が彼の刀を吹き飛ばしたんだ。

 彼も私が油断すれば殺す覚悟で斬りかかってきた。ならば私もそう返す。そう決めて、ほぼ無防備状態の彼に私は刀を振り下ろした。

 

「届かぬ!!」

 

 朽木はギリギリで躱す。私が持っていたのは脇差だ。

 本来の刀とは違う刀身の長さに、私が距離感を見誤ったんだ。

 

「逃がすか! 縛道の……」

「そこまでじゃ」

「やりすぎだ」

 

 私の攻撃は、届かなかった。

 私たちに向かって、同時に声が聞こえた。一つは聞き覚えのある声で、もう一つは初めて聞く声だった。

 

「……藍染さん」

 

 顔を上げて見上げる。私の腕を掴んでいたのは藍染さんだった。練り上げていた霊力は、気がつくのが遅れるほど綺麗な反鬼相殺で打ち砕かれていた。

 そして、朽木白哉側に立つのは、白い羽織をきた歳のいった男性。頭髪をまとめる牽星箝。……六番隊隊長、朽木銀嶺さんだ。

 

 私達の霊圧の衝突に気がついて駆けつけたのだろう。

 

「ふむ。大方、白哉が喧嘩を売ったんじゃろて」

「お爺様! まだ決着は着いていません!」

「お主の負けじゃ。止めなければ今頃四番隊の世話になっておった」

「縛道が来ることは分かっていました! 返しの白雷で私の方が有効性のある攻撃を加えられた筈です!」

「間に合わぬ。認めよ」

 

 二人のそんなやり取りをみて、私は思わず口を挟む。

 

「朽木が鬼道を使おうとしていた事には気がついていました。……お前の鬼道で私が負けるわけない!」

「貴様っ……誰に向かってその様な言葉遣いを!」

「うるさい! 流魂街出身者に貴族の上下関係を押し付けてくるな! そんなことも分からないのか、バカ白哉!!」

「莫迦だと!? この臆病者が!!」

「このぼんく……」

「やめなさい、姫乃」

 

 今度は口喧嘩を始めようとした私達を、藍染さんが止めた。

 私の口に藍染さんの大きな手が押し当てられる。これでは何も話すことが出来ない。

 アイツの方が会話の終わりの主導権を握っていることが悔しくて、藍染さんの掌をガジガジ噛んで抵抗するが、ビクともしない。

 

「ふぉっ、ふぉっ。青い青い」

「噛まないで、姫乃。すみません……朽木隊長。後でよく言い聞かせておきますので」

「なに、ちょっとばかし激しいが、所詮は子供の喧嘩じゃ。白哉も素直じゃないからの。悔しいなら悔しいと。謝る事があるのであれば謝る。それを学んでくれれば、一皮剥けるのにのぅ」

「お爺様!! 彼奴、この私の事をボンクラだとっ……」

「白哉。頭に血が上る前に、被害状況の取りまとめをせよ」

 

 ピシャリと朽木隊長にその場をまとめられ、朽木は納得のいかない表情をしながらもその場を去った。

 

「浮竹から聞いておる。六番隊に用があったのじゃろう」

「あ……書類です」

「御苦労」

 

 私からの書類を受け取った朽木隊長は、六番隊の被害状況の確認に行ってしまった。

 残されたのは、私と藍染さんだけ。鍛錬場以外での隊士同士の真剣のぶつかり合い。絶対に怒られると分かっていて、私は顔を上げることが出来なかった。

 

「……ふっ」

 

 しかし、予想に反して聞こえてきたのは小さな笑い声。

 

「え?」

「はははっ……いや、すまない。おかしくて」

 

 

 相変わらず、この人の笑いのツボがよくわからない。

 ただ、死覇装の袖で口元を抑えながらクスクスと笑う藍染さん。

 

「姫乃も、子供らしい喧嘩をするんだなと思ってね」

 

 ようやく笑いのツボが落ち着いたのか、笑った原因を説明してくれた。

 

「だって……アイツが!」

「そんな言葉遣いを教えたつもりはないよ」

「……ごめんなさい」

 

 笑みを零しながらそういう藍染さんに謝れば、優しく頭を撫でられた。

 

「姫乃が一方的に悪いだなんて、欠片も思っていないさ。あれほど怒って相手を挑発するなんて初めてじゃないか。何が嫌だったんだい?」

「……わからない。負けたくせに偉そうなバカにムカついた……」

「こら。言葉遣いだけはダメだよ。いい加減に落ち着きなさい」

「なんで嫌だったのか……分からないの。だって……向こうが言うことは正論だったから。でもっ……でも、でも嫌だった。なんで嫌かわからないっ……!」

 

 苛立ちと言い表しようのない悲しみが胸いっぱいに溢れる。悪い言葉を沢山使ってしまったという罪悪感と、私は悪くないんだという自己防衛が入り混じる。

 どう言葉にしていいのかも分からない。

 

 感情がゴチャゴチャになって、私は声を上げて泣いた。

 

「な、泣くほど悔しかったのかい? いや……悲しいのかい? 姫乃は悪くないよ、大丈夫だ」

 

 慌てて私を抱き上げる藍染さん。悪くないんだという庇いが欲しい訳でもない。

 じゃあ何をして欲しいのかも分からない。

 悲鳴に近い癇癪を起こす私に、ひたすら背中をポンポン叩いてあやしてくれた。

 いつもは大好きな抱っこ。それすらも嫌で、抜け出そうともがく。藍染さんは暴れる私を落とさないよう必死だ。

 

「今までこんな泣き方することなかっただろう」

「わかんないよぅ……! 全部が嫌! イヤイヤイヤ!!」

「参ったな……」

 

 私にだって分からない事が、藍染さんに分かるはずもない。

 

「ほら、お菓子でも……」

「いらないっ!!」

 

 差し出された飴も振り払う。

 

「お、お菓子でダメとは……」

 

 藍染さんはいよいよどうしようかと悩み始めた。私が泣き喚いていると、一度は去った筈の朽木隊長が戻ってきた。

 

「その状態の子に何をしても無駄じゃ。子供は難しかろう」

「この子の事であればある程度は……と思っていたのですが」

「……大人としか接して来ず、今しがた初めて心を剥き出しで喧嘩をしたんじゃ。これも成長の一つじゃよ。疲れるまで泣かせて良い。ある程度感情を好きに発散させてやるんじゃよ。無理に大人にさせようとしてはならぬ」

「そういうものなのでしょうか。まるで赤子返りに見えますが……」

「なに、案ずともひねくれたりはせんよ。可哀想に。沢山我慢してきたんじゃろうて」

「我慢……確かにこの子は我慢の方が多かったかもしれません」

「そうやって自分を守ってきたんじゃ。自分の空間に足を踏み入れられる事に慣れておらぬだけじゃよ」

 

 そんな会話を交わす二人に見守られて、時間だけが過ぎていく。

 

 私はようやく、鼻を啜る程度まで落ち着くことが出来た。

 

「……ああ、僕は一度着替えなきゃ。姫乃は目が真っ赤だね」

 

 藍染さんの死覇装は、私の涙と鼻水でグチャグチャだ。

 

「……ごめんなさい」

「構わないよ。僕がこういった事で怒ったことなんて一度もないだろう?」

「……うん」

 

 心の底から泣いたからか、原因の一つもわからないが何故かスッキリしていた。

 そんな私の目の前に差し出されたのは、小さな羊羹だった。朽木隊長からだ。

 それを受け取って口に入れれば、甘さと共にさらに心が落ち着いた。

 

「案外、子供を大人にしていくのは、全てが大人の役目ではなかったりするものじゃ」

「……ありがとうございます」

「構わぬ。たまには白哉と喧嘩でもしてやってくれぬか」

「……会いたくないです」

「ふぉっ、ふぉっ。喧嘩するほど仲が良いという言葉もある」

 

 そう言って、朽木隊長は今度こそ帰って行った。私もようやく地面に足をつけて立つ。

 

「……疲れた」

「僕の台詞だよ。でも確かに、朽木隊長の言う通りいい経験だったかもしれないね」

「……外に出たいって、浮竹隊長に進言してもいいのかな?」

「同期の姿に触発されたのかい? 君がそうしたいなら」

「……わからない。けど、任務に出れば、自己矛盾が収まるのかも」

「なんだってやってみるといいさ」

 

 そう背中を押されて、私は十三番隊に戻った。

 

 

 目が真っ赤に腫れて戻ってきた私をみて、海燕さんはギョッとした表情をする。

 

「……ただいま」

「おかえりっ……って、何があったんだ!」

「……朽木白哉と喧嘩しました」

「……あははははっ!!! 面白すぎるだろ!!」

 

 ヒーヒーお腹を抱えて笑う海燕さん。私は事の顛末をざっくりと報告した。

 

「白哉の奴、まーたしょうもねぇ張り合いしてんのか。あー、今年一番で笑ったわ!」

「わ、笑わないでください!」

「いやあ、見たかったなぁ。浮竹隊長も絶対笑うって」

「言わないでください!!」

 

 海燕さんの笑いが落ち着くのをじっと待って、私はようやく本題に入る。

 

「あの……私も虚討伐任務に行きたいです」

「あ、それは駄目だ」

 

 私の進言は、想像していた様々な状況を無に返す程あっさりと断られてしまった。

 



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第十三話 互いに御免なさい

 今日は非番だ。虚討伐任務をあっさりと断られたあの日、理由を何度聞いても海燕さんは明確な理由を教えてはくれなかった。

 外に出すにはお前には決定的に足りないものがある。

 ただそれだけを伝えられた。考えても答えは見つからず、分からないと素直に進言した。

 それでも……

 

「考えるものじゃなくて感じるものだ……か。なんだろう」

 

 お前がどれだけ考えてもどれだけ文献を読み漁っても答えはそこには乗っていないと言われた。

 非番を与えられても、やることは自主練だけ。それも他の隊士が鍛錬場を使うとのことで追い出された。

 

「けーん……けん……ぱっ……」

 

 仕方なく、西門付近で一人で遊ぶ。

 

「よし、あの的に小石を当てれたら私の勝ち。当てれなかったら……私の負け」

 

 そんな独り言を呟きながら、遊んでいても普段よりずっと時間の経ちが遅い気がして……つまりは暇だ。

 そんなことを考えていると、門から午前出撃した隊士達が次々に帰ってきた。

 

「臆病者! そのような処で小石いじりなど、見るに耐えぬな!」

 

 会いたくもないのに、どうしてこうも都合よく人と出会うのか。

 任務帰りで勝ち誇ったような顔で私の後ろに立つのは、朽木白哉だった。

 

「……五代貴族ともあろう御方が、頭に砂埃をつけておられるとは……滑稽極まりないですね」

「……なんだと?」

 

 明らかに苛立った顔をする朽木から逃げるようにして私はその場を離れた。

 彼はそれでも私の後を追いかけようと一歩を踏み出した。

 

「……あ、そこ落とし穴ありますよ」

 

 私の忠告は時すでに遅し。先程私が一人遊びの中で作っていた落とし穴に、朽木は落ちていった。

 

「如月……貴様っ……」

 

 朽木はなんとか這い上がってきて私を睨む。

 

「……ふっ。猪突猛進の貴方にお似合いです」

「なん……だと?」

「失礼します」

 

 言い逃げをしようとした私の背後に迫った気配が迫る。

 

「あっ……」

「はっ! 私の瞬歩に無様に敗北するが良い!!」

 

 朽木白哉は、私の頭からリボンを奪い取った。

 ……それは、藍染さんから貰った大切なものだ。気安く触るな。

 

 また、私の中に苛立ちが起きる。

 

「……返せ。猪白哉……」

「ふっ、そうやって負け惜しみを吐くしか手段がないことに同情するぞ」

 

 私はぐっと唇を噛んで、逃げようとした朽木の背中に向かって小石を投げつけた。

 

「当たらぬ! どうやら私は如月の実力を見誤っていたようだな!」

「返してよ!!!」

「欲しくば、追いつく。そのような単純なこともわからぬか! 莫迦め!」

 

 彼は笑いながら瀞霊廷の道を走って前を行く。

 私の苛立ちが限界を迎えた。

 

「散在する獣の骨 尖塔・紅晶・鋼鉄の車輪

 動けば風 止まれば空

 槍打つ音色が虚城に満ちる

 ──破道の六十三 雷吼炮!!! 」

 

 私は三割の成功率の中で、文句のない成功を引き当てる。

 両手から放たれた雷を帯びた閃光が朽木に向かって真っ直ぐに飛んだ。

 

「なっ……」

 

 一方彼は、思ってもない鬼道が飛んできたことに目を見開く。

 そして朽木を飲み込まんとしていたその瞬間、雷吼炮は空中で飛散して跡形もなく消えた。

 驚いた表情だった朽木が、また勝ち誇ったような表情に変わる。

 

「ふっ! 失敗のようだな!」

 

 彼はまた前へと進もうとしている。もう決着は着いたと確信して、私は目を細めた。

 

「なあ!!」

 

 前に進もうとした彼が、一瞬で身動きが取れなくなった。縛道の三十七 吊星。

 さしずめ、トリモチに引っかかった鼠だ。

 

「……雷吼炮に意識が向きすぎて、私が次に放った縛道が耳に届かなかったようでなにより」

 

 別に雷吼炮が失敗したわけじゃない。

 元々込めている霊力を調節すれば、任意の場所で飛散させることも可能だ。

 視界を奪い、意識を奪い、聴覚を奪い。そして、小声で本命を用意する。

 

「いつか、鬼道の中に鬼道を隠せるようになりたいな……」

 

 理論上は可能。いつか必ずやり遂げる。

 そんな事を呟きながら、鼠になった朽木に近づいた。

 

「……返して」

 

 悔しそうに私を睨む朽木だったが、私は気に止めず彼の手元を見た。

 

 そして、衝撃を受けた。

 

「……私の……リボンが……」

 

 雷吼炮は確かに朽木に当たらなかった。というより、意図的に当てなかった。

 それでも、風になびかれていたリボンは、僅かに当たってしまったのだろう。端が焦げ落ちてしまった。

 

「私の寸前を狙いすぎたな! 自業自得だ!!」

「……っ……私の……大事な……」

 

 途端に悲しくなって、目にいっぱいの涙が溜まる。

 大切なもの。本当に本当に大事なものだった。

 

「な、な、な、泣くな!! ええい!! この縛道を解け!!」

「うあああああん!!!」

「このような安物、いくらでも買ってやろう!!」

「ああああああ!!!」

 

 安物なんかじゃない。値段なんかじゃない。

 私の集中力が飛んだことで、朽木を捉えていた吊星が解除される。

 

「なんでっ……私につっかかるの!! もう放っておいてよう!!!」

 

 私はワンワン声を上げて泣く。

 視界がぼやけて、彼がどんな表情をしているのかは分からない。

 

「お前の大事なものはなんだ……家族か!? 全部、全部……私が壊してやる!!!」

「なっ!! なんという卑劣な言葉を……!!」

「嫌い嫌い嫌い!!! うあああああん!!」

 

 本心なんかじゃないのに、混乱ゆえに酷い言葉を吐いてしまった。

 罪悪感と私は悪くないのにという気持ち。この前もそうだった。

 コイツと接すると、嫌な気持ちになる。

 自分が醜い言葉を使ってしまう事への罪悪感に押しつぶされそうになる。

 じゃあどうすればいいのか。知らない。分からない。

 

 癇癪のままに石を投げる。

 それは、彼に当てようと思って投げたわけでもなかったので適当に空に飛んだ。

 

 ……それがまた良くなかった。

 

 ガシャン……。

 

 何か……というより、硝子の割れる音が聞こえた。

 その音に驚いて、私の涙もヒクッと止まった。

 

「……如月……貴様……」

 

 朽木は何をしてくれたんだという表情で私を見つめる。

 私もまた、彼の目を見つめて止まった。

 泣き喚いていたのが嘘かのような、数秒の沈黙が流れる。

 

「……姫乃と白哉だなぁ!? クソガキ共がコラァァァァ!!! 衝撃波で瓦礫を飛ばしてきた次は硝子割りだァ!? ぶっ殺されてぇか!!!」

 

 耳に響く怒鳴り声。私と朽木は同時に肩をビクっと上げた。

 怒鳴り声が聞こえてくるのは、十一番隊の方向だ。そしてこの本能的に怖いと思ってしまう低い獣のような声を出せるのは、ただ一人。

 

「……鬼厳城隊長だ」

 

 怒り狂った霊圧が私達に近づいている。

 これはまずい。本気で殺される。

 逃げようと足を踏み出した時、私の手が掴まれた。

 

「逃げるぞ!!」

 

 朽木は珍しく焦った顔をしている。その手に引かれて、景色がポンポンと移り変わった。瞬歩だ。

 私が使えない代わりに、彼が主導で移動している。

 

「まだ追ってきているか!」

「えっとまだ追いつかれる……縛道の二十六 曲光!!」

 

 私が鬼道で二人分の姿と霊圧を消す。

 

 何度繰り返したのかはわからないが、そうやっているうちに鬼厳城隊長の気配がずっと遠くまで離れた。

 

「あ……もういない」

「な! それを早く言わぬか!」

 

 朽木は汗びっしょりで息を切らしている。

 一人ならまだしも、私を抱えて走ったのだから当たり前か。逃げる足は彼の方が得意で、索敵は私の方が得意だ。楽なのは私の方かもしれない。

 どこの路地裏かも分からない場所で私達は同時にその場に腰を下ろした。

 

「……逃げれた」

「隊長を撒けるほど、私の瞬歩が優秀だったのだ!」

「曲光と私の霊圧知覚がなきゃ無理だった!」

「人の背中に背負われていただけの奴が何を言う!! 大体二つともお前のせいだろう!!」

「お前が私のリボンを盗まなきゃこうはならなかった!!」

 

 私と朽木が睨み合う。

 ……先に表情を崩したのは、彼の方だった。

 

「……その、なんだ……すまぬ」

 

 初めて聞く謝罪の言葉に驚いて目を見開けば、彼は目線を上に下に移動させながら小さく口を動かし続けた。

 

「……泣かせるつもりではなかったのだ。己の鍛錬を嘲笑うように強いお前が……その、羨ましくなどは……ただ……その……すまぬ」

 

 言いたいこととプライドがあるのだろう。その両方で苦悩しながらも謝罪する姿に、私も静かに言葉を返す。

 

「……大切な人から貰ったもので、同じものはあっても同じじゃないものなの」

「……すまぬ」

「……私も酷い言葉を言ってごめんなさい。壊そうなんて……思ってないよ……」

「分かっておる! 如月に壊される程、私の大切なものは脆くなどない!」

 

 私のリボンも、きっかけは彼だったけど壊したのは自分の責任だった。

 無駄に驚かしてやろう、優位だと見せつけてやろう。などという気持ちで中級破道を遣わなければ、いまこの手にあったはずだった。

 

 ……大切なものを壊してしまったのは、誰かのせいじゃなくて自分のせいだ。

 

「っ……」

「な、泣くな!! 良いか、涙は敗北だ!! 己に対する敗北なのだ! 失ったものは返っては来ぬ!」

「でもっ……やっぱりお前のせいだっ……!!」

「だ、だから謝っておるだろう!」

「返してっ……返してよう!!」

 

 自分のせいなのに、どうやっても消化が出来ない。

 頭で理解しても、気持ちが全く付いてこない。

 

 なんで。なんで。なんで。

 

 自分のせいだって分かっているのに……どうして。

 朽木は、ボカボカと自分の胸を殴るように叩く私と、手の中にあるリボンをじっと見つめた。

 

「……わかった。必ず元通りにして返す」

「……なるの?」

「一度立てた誓いに嘘は言わぬ! だから泣きやめ!」

「……うん」

 

 そして、朽木は私の顔に布を押し当てた

 

「ええい、なんと汚い面だ! 拭け!」

「……うん」 

 

 なんとも現金な自分だ。直るかもと聞いて、涙が止まった。

 

「こりゃ!! 白哉!! お主は真っ直ぐ隊に帰ってくることが出来ぬのか!!」

「お爺様っ……如月! 修復後十三番隊に送る! それまで待っておれ!」

 

 私は非番だったが、彼は勤務中だ。

 慌てて自分の隊に戻る背中を見送った後、私はトボトボと十三番隊に帰った。

 

 

「…………ただいま」

「おかえ……今度は何したんだよ」

「……朽木白哉と喧嘩しました」

「……ふっ……あははははっ!! ひー、腹痛てぇ!!」

 

 海燕さんは、ダンダン床を叩きながらお腹を抱えて笑う。

 構わず、事の顛末をまた報告することにした。

 

「ほーほー、なるほどなぁ。んで、お前は謝れたのか?」

「……はい。感情に流されて……言ってはいけない言葉を言ってしまいました……」

「よし、半分だな」

 

 半分。その言葉の意味が一度では理解できず、顔を上げて海燕さんを見た。

 

「お前が外に出るための足りないものだ。思ってもねぇ形式だけの謝罪と、自分の心に向き合った上で出した謝罪は重みが違う。相手と真剣に向かい合った証で、自分の心と向かい合った証だ」

 

 そう言って、海燕さんは私の頭をまた豪快に撫でる。

 

「あと俺たちは、お前を褒めるだけだ! よく謝れたな。偉いな、如月!」

「こ、子供扱いしないでください……」

「気にすんな。白哉も今頃蒼純さんに撫でくり回されてるぞ。悲しかったな、辛かったな。でもきっと、一人じゃ出来ない体験をお前は今日したんだ。喜べ、笑え!」

「なっ……笑えないです!」

 

 今日起きたことは決して楽しい事じゃなかったのに、また海燕さんの豪快な笑顔につられて笑う。

 

「いい笑顔だ!」

「あの……あのですね。私が白哉と自分を隠したんです! それが隊長相手に通じたんです!」

「そうかそうか! 楽しいなぁ!」

「あんだけ澄ました顔してるのに……白哉が息切らせてて……それで……」

「ああ、なんだって聞いてやる! ただの報告じゃなくて、そんときのお前の気持ちも全部聞かせろ!」

「はい!」

 

 

 それから数日後。朽木家から遣いがきて、私の手元にリボンが戻ってきた。

 

「……なんで……緑……」

 

 修復された所は、何故か緑の糸で作られていた。

 あいつは阿呆か? それとも、自分なりのアレンジなのか? 赤に緑という組み合わせの理解に苦しむ。

 手紙もついていた。

 

「えっと……『みすぼらしい髪留めであったが、特別に私の美術を取り入れてやった。感謝するがいい』……阿呆だ……」

 

 戻ってきたリボンを眺めていると、浮竹隊長が物珍しそうな顔をしながらそばに来た。

 

「おー、それが白哉の初めての裁縫か」

「え? あいつが自分で?」

「朽木隊長が空から太陽が落ちると言っていたな。どれ、結んでやろう」

 

 普段自分の髪も結っているからか、浮竹隊長は手際よく私の髪をまとめる。

 

「藍染さんは、いつも難しい顔してリボン持つんです」

「ははっ! アイツにも苦手なことがあったか」

「お団子にしたいのに……リボンじゃ出来ないって言うんです」

「なんだ、お団子がいいのか。俺がしてやろう」

 

 一体どんな結び方をしているのか分からないが、私の髪は希望通りの髪型に結ばれた。

 鏡を見ると、右からは赤い布端。左からは緑の布端。一体いくらする生地を使ったのか……緑の布はキラキラと輝いていた。

 

「似合うじゃないか」

「……はい。これでいい……これがいいです」

 

 あれだけ悲しかった気持ちも、今は悲しくも辛くもない。

 

「思い出は、一つより二つの方がいいだろう?」

「……はい」

 

 私に足りないものが何なのかはまだハッキリとはわからないが、こうして手探りでもがいていくしかないのだ。

 

「白哉は難しい子だが、決して悪い子じゃない。仲良くしてくれて有難う」

「大嫌いです」

「ははは!」

 

 浮竹隊長は楽しそうに笑う。

 棘の多いこの世界の中で、海燕さんや都さん。そして浮竹隊長の周りは暖かくて……いつの間にか大好きな場所に変わり始めていた。

 




夜一さんとやっていた事をしてしまった白哉ですが、やっていい事と悪いこと。そして謝るということを互いに学びましたね。
後書き書く予定は無かったんですが……白哉が酷い子みたいに思われても嫌だったので|ω`)


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第十四話 反抗期・・・とは?

 

 

 季節は間もなく冬。

 

「ちーがーう! もっと綺麗だったもん!」

「せめて、どう結んだのかくらいは聞いておいてくれないと困るよ」

「えっとね……グルグルー」

「……いつも以上に難解だね」

 

 ここは五番隊舎隊首室。書類を届けるついでに少しの休憩を挟んでいる。

 椅子に座る藍染さんと、その膝の上に座る私。

 数ヶ月前に浮竹隊長に結ってもらった髪型にしてもらおうと頼み、藍染さんは悪戦苦闘している真っ只中だ。

 

「……そうだ。先に髪紐で纏めた方が早い。その上からリボンは飾りだ」

「嫌だ!」

「見た目は変わらないだろう」

「同じのがいい!!」

「……んん……参ったな」

「諦めないで!」

「はいはい」

 

 髪を結ってもらいつつ、机の上に乗っている羊羹を食べていると、視線を感じた。

 同じく五番隊隊首室にいるのは、私と藍染さん以外にもう一人。

 

「……なにやってますのん」

「見ての通り、我儘に答えているだけだよ」

 

 綺麗な銀髪に細い目。歳は、白哉と変わらないくらいに見える。

 五番隊副隊長市丸ギン。

 本来であれば、私はこの人の一つ下の席次で働く予定だったのだろう。

 

「髪型一つ、何だってええやないですか」

「嫌だと言っているなら仕方ないだろう。女の子にとって髪型は大切だからね」

「……ボク、夢でも見とるんやろか」

 

 市丸さんから藍染さんがどう見えているのか知らないが、信じられないような顔で私の事を見てくる。

 ……あれ。確かこの人……死んじゃう人だ。夢の中では藍染さんに斬られて……。

 今見ている現実と夢がどうやっても繋がらない。

 

「……藍染さんは、誰かの大切なものを奪ったりしたことある?」

「まだ朽木副隊長のご子息の事、怒ってるのかい?」

「……少し」

 

 

 なにか手がかりがないかと聞き出すために、私は丁度よく話の筋を通した。

 私の意図した通り、藍染さんはリボンの件からそう聞いてきたのだと思ったみたいだ。

 

「白哉君がそうしてしまったのと同じだよ。人から大切なものを奪おうとした事が第一目的ではなく、結果的にそうなってしまった。その事に気づくにせよ気づかないにせよ、そうなってしまった事はあるかもしれないな」

「ごめんなさいって言った?」

「言った事はあるだろうが、ずっと子供の時だ。覚えていないよ。ただ、人はそうして優しさを身につけていくんだ」

「……今はぐらかした?」

「そうだね」

 

 そのまま返事を返さずに、市丸さんにまた視線を向ける。

 何も言わない市丸さんだが、私と目が合い続けた。……何を思っているのか全然わからないや。

 努力をやめた訳では無いけれど、元々人の顔色を伺う事は得意じゃない。

 

 少し間を置いて、頭の上から藍染さんの言葉が降ってきた。

 

「……何もかもを自分を下げて謝る必要はない。謝罪だけで成り立つなら、きっとこんな世界ではなかっただろう。誰しもが結果的に奪うことになったとしても譲れない信念があるんだ。世界はそうやってバランスを取っている」

「簡単に言うと?」

「信念を元に得るという事は何かを失うということ。信念を元に進むということは、奪うということ」

「……全然簡単になってない」

「姫乃が希望の髪型にしたいという信念を通して、僕は時間を奪われている」

「……なるほど、分かりやすい」

 

 藍染さんのギブアップの声を受けて、私は膝から降りた。

 やっぱりいつも通りの一つ結びだ。

 

「私はまた一つ思考の幅を得たけど、希望の髪型は失った」

「そう。そういうこと」

 

 ニコリと笑って頷く藍染さん。名残惜しいが、バイバイと手を振って隊首室をそのまま出る。

 

 

 

 すると、数秒遅れて市丸さんが私を追いかけてきた。

 

「姫乃ちゃん。この後雪降るから、藍染さんが着ていけゆーてはるで」

 

 市丸さんの手には、頭巾の付いた防寒具。それを頭の上から被せられる。

 

「ありがとうございます」

「かまへんよ。結んだろ」

 

 首元の紐を市丸さんが結んでくれる間、私はされるがまま。

 

「……なあ、なんであんなこと聞いたん」

 

 小さい声で、市丸さんはそう私に問いかける。その質問に少しドキッとした。

 まるで私の意図を敏感に察されたかのようだ。

 

「……私がいつか誰かの大切なものを奪った時、ちゃんと謝って身を引けるかなって……思ったからです」

「ふうん。偽善的な子やね」

「市丸さんはどうするんですか?」

「奪われたら奪い返す」

 

 キュッと紐が締められて、私は無事防寒具を着ることが出来た。足首まである大きな黒い防寒具。

 それを着た私の姿を市丸さんはジッと見つめた。

 

「……?」

「……そっくりやわ。懐かしい姿やなぁ、思うて」

「……父ですか?」

「藍染さんの嫌味やろか。防寒用の外套にしては、ちょっと暗すぎる色やと思わへん?」

「……さあ。あまり衣類に好みはないので……」

「似合うてるで。ほな」

 

 踵を返して歩き出した市丸さん。その背中に、少し大きめの声で私は話しかけた。

 

「あの……失ったものは戻らないんですが……壊れたものを直すことは出来ます! 壊れないように包み込む事も出来ますが、直した物は決して悪いものではありません!」

 

 私のその言葉に、市丸さんは歩みを止めた。そして、振り返ることなく一言だけ返ってくる。

 

「……なに言うてんの? 気味悪い子やね」

 

 そうして、市丸さんは立ち去って行った。気味が悪いと言われてしまった。

 やっぱり、私の頭の中にある記憶は現実とは似ても似つかないものなのだろうか。

 じゃあ、これはなんだ。

 

 その説明が付かない。見つからない答え探しの旅のよう。

 

 隊舎の外に出れば、空からは雪が降ってきていた。

 藍染さんの予想は大当たりで大助かり。

 

 

 白い息を吐きながら人混みを縫うように歩く。

 霊圧知覚とは非常に便利で、こうして足元だけを見続けて歩いても気配さえ分かれば人とぶつかることは無い。顔を上げて歩くことが苦手な私に適した事。

 なんだったら、最近は曲光を使って姿も消していることが多い。

 普通の人なら私がいることなんてまず気が付かないだろう。そうやって、次の目的地まで足を進めた。

 

「……いつになったら外に出られるだろう」

 

 未だに討伐任務には加えて貰えず、現世の魂葬すらやらせて貰えない。

 一度湧いた興味は抑えきれず、季節が真逆になる今日まで進展が無いことから、私は段々焦りを感じてきた。

 

 

 自然と私の足が、目的とは違う場所に動く。

 心の赴くままに辿り着いたのは、瀞霊廷北部、黒陵門。

 

 

 見上げるほど大きく開いた門の門番は 斷蔵丸(だんぞうまる)だ。

 私の姿は見えていない為、彼が私に気がつくことは無い。出入口のギリギリに立って、私はそっと目を閉じた。

 

「……二霊里先に……虚が一体。最低ランク」

 

 ずっと続けていた自分の持つ力の中で最も信頼を置いている力。それが霊圧知覚。

 こうして拾うことは出来ても、その先には進めない。

 

「……勝てるのに……」

 

 負けるわけのない虚に対して、私は戦いをしていない。

 こうして目の前に戦うべき敵を確認すると、何故自分が行かなかったのか改めて疑問に思った。

 

 

 ゴクッと息を飲んで、一歩を踏み出そうとする。

 

 

「はーい、冒険は終わりだよ」

 

 突然背後から聞こえた声にビクリと肩を上げる。振り返れば、京楽隊長が立っていた。

 ……また、この人の気配に気がつけなかった。

 

「い、いつから……」

「姫乃ちゃんが八番隊に向かうはずの進路を変えた時から」

 

 私の曲光を一切気に止めていない京楽隊長。全てがお見通しなのだろう。

 私は潔く諦めて姿を表した。私の姿を見て、京楽隊長はクスッと笑う。

 

「おや、随分と暗い格好しちゃって」

「……ごめんなさい」

「そんな悲しそうに謝るってことは、悪いことしたって自覚はあるんだね。別にボクは怒っちゃいないよ」

 

 京楽隊長に手を引かれて、私達は黒陵門から離れた。

 雪が積もり始めた道を二人で踏みしめながら歩き続けていると、京楽隊長が先に言葉を紡いだ。

 

「焦って求めた結果ってのは、あまりいいものじゃないよ」

「……時間だけが過ぎていきます。どうすればいいのか、もう分からないです」

「だから無断外出でもって事かい?」

「そうしようと思ってしたわけでは……いえ……言い訳です」

 

 鬼道まで使って隠れて、門の前に立って入ればどこからどう見ても許可なく通行しようとしているようにしか見えないだろう。

 勝てる相手がいて、それが敵だったから足を踏み出した。簡単に言えばそういうことだった。

 

「言ったでしょ。ボクは怒ってなんかないの。心配なだけさ」

「……心配……ですか?」

「姫乃ちゃんが、独りの道を選ぼうとしている姿がね」

 

 先程の情景とその言葉が、京楽隊長の中で何故繋がっているのか。

 答えはひとつで、この人もまた私には答えの出ない答えを持っているからだろう。

 

「浮竹と海燕君はね、君の心を育てようとしているんだ」

「……心ですか」

「そう。死神としての役割を理解している君に、その誇りを探して欲しいのさ」

「……私自身がチカラを持てていること……という回答では駄目なのでしょうか」

「出してもらえてないってことは、そうかもしれないねぇ。十三番の隊花は、待雪草。決して見失わない希望……ってなんだろうね」

 

 

 難題への手助けを貰ったようで、また深い沼にハマったような。

 そんな気持ちだ。

 

 

 

 それ以上私たちの間に会話はない。ただあるのは、繋がれている手から感じる温もりだけ。

 

 

 冬は日が落ちるのが早い。

 一体どれくらいの時間を歩き続けたのか分からないが、いつの間にか正面に見え始めたのは十三番隊の明かり。

 そこまできて、ようやく沈黙が破られた。

 

 

 

「さ、到着」

 

 降りしきる雪と暗がりに揺らめく松明。

 

「あの……ありがとうございました」

「いいのいいの。ボクから一つだけ助言するなら……いい子になろうとしなさんな。たまには、思いっきり悪いことをしてみるのも悪じゃないさ」

 

 いたずらっ子の様にニヤッと笑う京楽隊長。

 

「でも……さっきのは……」

 

 瀞霊廷の外に出ようとしたことを止められた。そう言うより早くに、京楽隊長が言葉を遮る。

 

「手段を早まっただけで、方向性は悪くない。それに、今回はとびきりボクのせいに出来る」

 

 そう言って京楽隊長は元来た道を帰って行った。

 

「……悪いこと……ってなんだろう」

 

 門の中に足を進めるが、相変わらず私の事を見ようともしない門番の人達。

 そのうちの一人をジッと見上げた。私が見ていることに気が付きながらも、彼が見返してくることは無い。

 

 

「…………えい!!」

「いったあああ!!!」

 

 私はその人のスネを思いっきり蹴りつけた。そして逃げる。

 

「なっ!!」

 

 驚いた様に私を見る周囲の人だが、追いかけては来ない。怒られる声も聞こえない。

 

「……悪いこと……とは……」

 

 そのまま走って、雨乾堂に向かう。

 

 バタバタと足音を立てながら入口に駆け寄ると、私は思いっきり御簾を掴んで引っ張った。

 

「なっ……」

 

 バリッという音ともに、中で仕事をしていた浮竹隊長と海燕さんの姿が見えた。

 完全に外との繋がりを作ってしまったことで室内に流れる冷気。

 

「ど……どうしたんだい……如月……くしゅん!!」

「な……何してんだお前……」

 

 クシャミをする浮竹隊長を見て、私はズキっと心が傷んだ。

 お体が強い方ではない。風邪をひいてしまうかもしれない。これは……やりすぎだ。

 

 でももう、何にでも縋ってやってみるしかないんだ。

 

 

「ごめ…………っ……バーーカ!!」

 

 

 それだけ残して、私は雨乾堂を走り去った。それでもやっぱり、怒られる事がなかった。

 ……京楽隊長。本当に方向性合っているのでしょうか。

 そんな事を思いながら、海燕さんの部屋に行って墨汁をひっくり返す。

 

 

「……今度は何してんすかね。あいつは」

「ああいう事を仕込むのは、大抵京楽のはずだ。微笑ましいじゃないか。少しの間、見てみよう」

 

 その日から、如月姫乃が反抗期だという噂話が十三番隊にジワッと流れ出ることになった。



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第十五話 勇気の一歩

 

 

 私が悪戯を初めてはや一ヶ月。

 今日もまた、十三番隊に悲鳴が響き渡る。

 

「か、海燕副隊長!! 今度は如月が屋根を壊しました!」

「今日はまた派手な事で。雨漏りしてたから丁度いいな。みんなで修理すっか!」

「は、はあ……」

 

 私が粉々に壊した屋根の近くに海燕さんを初めとして多くの人が集まってきた。

 今日こそ怒られる。

 そう思って身構えたが、海燕さんはいつものように影ひとつない笑顔だ。

 

「お前なあ、どうせなら雨漏りしてる所全部壊してこい!」

「え……」

「ほら、行ってこい!」

 

 むしろさらにやってこいと送り出されてしまった。

 そうして、午前中は十三番隊総出で屋根の修理。

 

「……なんで」

 

 書類を隠したら、皆で探し物大会だと言われる。廊下を水浸しにしたら皆で拭けばいいと言われる。

 

「如月。この釘、あっちの集団に渡してきてくれ」

「い、嫌です!」

 

 物で攻めて駄目なら、反抗的な態度を。

 そう思って言ってみるが……

 

「おー、そうかそうか。んなら、一緒に行くか!」

 

 何一つダメージを与えられてる気配がない。

 

 

 海燕さんに背中を押されながら、私は屋根修繕作業をしている軍団に近づいた。

 

「み、都さん……」

 

 小さな声でそう声をかけると、都三席が笑顔で振り返る。

 

「あの……釘……」

「ありがとう! 丁度無くなったところだったの」

「あっ……えっと……」

「どういたしまして。それでいいんだ!」

「どういたしまして……」

「ふふっ。沢山甘えていいんだよ」

 

 そういう都三席。悪いことをしたのは私なのに、誰も私を責めない。

 みんな自分の作業に没頭している様子だ。

 

「さ、次はこれをアイツらに」

「……」

「またついて行くか?」

 

 私は首を横に振って、一人でまた別の集団に近づく。

 

「……あの……釘……です……」

 

 都三席に話しかけた時よりも小さくか細く消えそうな声。

 周りの修理音の方が大きく、かき消されてしまったのではないかと思った。

 けれど、ちゃんと私の方を振り返ってくれる。

 

「ありがとう」

「……どういたしまして」

 

 釘を受け取って、また作業に戻る隊士。

 小走りで海燕さんのそばに戻れば、頭を撫でてもらった。

 

「偉いな!」

 

 こうしてしまったのは私の所為なのに、どうしてそんなに笑っていられるのだろうか。

 モヤモヤとした心のまま、私は屋根の上から飛び降りた。

 

 __ガシャン!! 

 

 悪い事をしたバチが当たったんだ。

 飛び降りた先にあったのは、バケツ。そしてその中にはペンキが入っていた。

 

「……京楽隊長の……馬鹿……」

 

 私はとんでもない当てつけを小さく言葉にする。

 目線を前に向ければ、突然上から落ちてきた挙句、ペンキ入りのバケツに飛び込んだ私に目を丸くする女性隊士達がいた。

 恥ずかしくて、その場を立ち去ろうとする。

 

「ま、待って。すぐに洗った方が……」

 

 私のあまりの悲惨さに思わず声をかけたのかそうでないのか。

 そんなことより、話しかけられた。その事実に全身が緊張で固まってしまった。

 

「と、とりあえず着替える?」

 

 その問いに、答える声も出なければ頷くことも否定することも出来ない。

 石のように固まった私をみて、女性隊士達は少し困惑していたがそのまま私に近づいてきた。

 

「丁度お風呂の湯を流す前だったの。行きましょう」

「歩けるかしら?」

 

 そんな言葉をかけられて、背中を押される。

 すると、屋根上から海燕さんも降りてきた。

 

「うお! これまた派手なこった……」

 

 困り果ててどうすればよいか分からず、海燕さんの方を見る。

 目が合って、海燕さんは少し考えるうな顔をした。

 

「……そうだ。屋根板に、皆で転がろうぜ! ペンキまみれでよ!」

「ええー! 海燕副隊長、本気ですか!?」

「自由参加、自由見学だ! ほら、行くぞ!!」

 

 ペンキで汚れている私の手をそのまま海燕さんは引く。

 

 

 そのまま、新しい板を貼り合わせていた集団と合流した。

 

「おーい、今から皆で全身ペンキまみれのお絵描き大会やるぞ!!」

 

 そんな海燕さんの一言で、ワラワラと人が集まってきた。

 人生で最も人に囲まれた瞬間。私はもう、緊張で吐く寸前。

 

「よーし、一番最初は如月だ! 行け!」

「うわあああっ!」

 

 私は海燕さんによって、板の上をゴロゴロと転がされた。グルグル回る視界。

 それが止まったかと思うと、今度は抱っこされた。

 

「ほら! いい具合だ!」

 

 そうして指を刺された先を見れば、私の服や体についていたペンキの跡が屋根に描かれている。

 

「よっしゃ、次の奴来い!」

「俺達が行きまーす!!」

 

 そう聞こえて、何人かが頭からバケツを被って全身を汚すと、ゴロゴロと転がったり大の字で張り付いたり。

 

「…………なんで……怒らないんですか……」

 

 そう聞くと、海燕さんは逆になんでだ? と言いたげな顔をした。

 

「皆で楽しめそうな事を考えた方が楽しいだろ?」

「でも……他にも……」

「水で濡れた廊下は、拭けば拭く前より綺麗になる。無くした書類を書き直せば、もしかしたら前の書類のミスが無くなるかもしれない。な? なんだっていい事に変えられる」

 

 私が何も答えられずにいると、海燕さんは私を屋根の上にまた下ろした。

 

「よし、次また如月が行くぞ!」

「えっ……わああっ!」

 

 転がされて、転がってる人を見て。

 そうしているうちに太陽が高く高く登っていく。気がつけば、屋根の一部の色塗りが終わっていた。

 

 様々な色が混ざりあって、計画性の一つもないはずなのに……まるで一つの絵画のようだ。

 

「おー、結構いい感じじゃねぇか」

「……凄い」

「皆で作り上げたんだぜ。もちろん、その中にお前もいる」

 

 ペンキで汚れた顔で笑う海燕さん。そうして、私が壊した屋根の修繕作業が終わった。

 

「お風呂、沸かしてますよー」

 

 作業に参加していなかった人達は、風呂を沸かしたり、着替えを用意したり、軽食を作ってくれたり。

 皆、手を余すことなく自分たちが出来る作業をしている。

 

 

 

 着替えて頭の先からつま先まで綺麗になった私は、また庭先へと戻る。

 

「お、来たな。んじゃあ、みんなありがとな!」

 

 海燕さんが解散の合図を出そうとしていた。

 

 

 ……先程風呂の中で何度も何度も考えた。勇気を出そうと決めてきた。

 私は一歩足を踏み出して、海燕さんの袖を掴む。

 

「どうした?」

「……皆に……言わなきゃ……」

 

 俯きながらそう言う私の言葉に、腰を落として目線を合わせてくれる海燕さん。

 

「……一人で言うか?」

「……はい」

 

 緊張で震える手。まともに正面なんか見れやしない。

 それでも、私の返事に海燕さんはそっと背中を押してくれた。

 

 

 ……みんな私のことを見ている。怖い。怖い。怖い。

 

「……今日……屋根を……壊して……ごめんなさい。修繕を……手伝ってくださり……ありがとう……ございましたっ……」

 

 絞り出した一声。届いたかどうかは分からない。

 しばらく間があいて、誰の声かも分からない返事が返ってきた。

 

「久々に皆で作業出来て楽しかったな!」

「あの屋根は十三番隊名物にするか!」

 

 思ってもいなかった声に、私は顔を上げる。

 すると、一番近い場所で向かい合っていた一人が私の目線に合わせて腰を落とした。

 

 

 

「……悪かった。辛い思いをさせた俺達が悪かった」

「……え?」

「如月がこうして毎日問題を起こすことで、初めて如月の名前を口に出した奴も沢山いる。お前はここにいたはずなのに、見ないようにしていた俺達がいた」

「……悪いことを……していたのは……私です……」

「やり方はどうあれ、私を見てくれ……って、精一杯の声が聞こえた。独りにさせて……ごめんな」

 

 

 その言葉に、私は海燕さんの方を振り返った。

 いつの間に来ていたのか、その後ろには浮竹隊長もいる。

 

「一年弱。俺らが何もしてないわけねぇだろ。最初に会った時に言ったろ? ちゃんと如月姫乃っつー人物がどんな奴か説明するって。けど最後は、自分から向かなきゃ何も進まねぇ」

 

 海燕さんに続くように、浮竹隊長も言葉を紡いだ。

 

「どれだけ難しく、遠いことも必ず向かい合える日が来る。よく頑張ったな、如月も。皆も」

 

 冬だというのに……暖かさに包まれた気がした。

 日陰が好きで、誰からも見られないようにして生きてきた。

 

 この一ヶ月の所業を通して、いつの間にか私は……自分が見られる存在になっていた事に気が付かなかった。

 やり方は間違っていたかもしれない。

 けど、それでもこうして踏み出した一歩の先にあったのは……拒絶ではなかった。

 

「……皆を……拒絶してたのは……私の方でしたっ……」

「ったく、やーっと俺達の前で泣いたな」

「えっ……」

「嬉しくて楽しくて。そうやって流した涙は、かけがえの無い宝物だ! 一人じゃ絶対に見つけられない心だ! 忘れんじゃねぇぞ!」

 

 私の体が高く持ち上げられて、そのまま空高くに投げ飛ばされる。

 驚いて固まっていると、また海燕さんの腕の中に戻ってきた。

 

「そんで、その後は思いっきり笑え!!」

 

 私が返事をするよりも前に、また高く飛ばされる。それを繰り返しているうちに、私はいつの間にか声を上げて笑っていた。

 いつものつられて笑う小さな笑い声じゃなくて、心の底から精一杯。

 

 

 

「海燕さんっ……浮竹隊長っ……私、十三番隊が大好きです!!」

「俺らも、お前のことが大好きだ!! 大切な仲間だ!!」

 

 

 この暖かさを……なんという言葉にしよう。

 どの文献を漁れば、適した回答があるだろうか。そんなものは……きっとない。

 

 逃げて逃げて逃げて。拒絶して拒絶して拒絶して。

 

 そうして見ないようにしてきたものは、決して全てが悪いものではなかったと。

 ……それを感じられた時の気持ちを表す言葉など、きっと学問の中では見つけられない。

 

「如月。お前は迷子にならねぇ。いつだってどこに居たって、此処に帰って来れる! だから、帰ってきた時はなんていうんだ!」

「ただいまっ……」

「そうだ! だから、帰ってきたい。そう思える場所を守る為に心を持て!」

「はいっ……!」

 

 海燕さんは、私を片手で高く持ち上げて皆の方に向けた。

 

 

「よっしゃあ!! 戦闘隊員確保ぉお!!」

 

 

 海燕さんがそう叫ぶと、その場に一斉に歓喜の声が舞い上がった。

 

「よっしゃあああ!! 脱・護廷十三隊最弱の名!!」

「四番隊の次にな!!」

「十一番隊から嫌味言われることなくなるんじゃねぇか!?」

 

 嬉しいのに、楽しいのに涙が出るなんて知らなかった。

 暗くて怖いと見ないようにしていた道が、たった一つの勇気と言葉で明るく光るだなんて知らなかった。

 形式的に言っていた言葉が、温もりによって重みが違ってくるなんて知らなかった。

 

「如月」

 

 浮竹隊長が近づいてきて、優しく微笑む。

 

「……人との距離は、力で比べるんじゃない。相手を信じること。歩み寄る勇気を持つこと。そうやって心と心でぶつかって、認めあって。そうして俺達は生きていく。……忘れちゃダメだよ」

「私はっ……此処にいてもいいですかっ……」

「居て欲しいと。そう願っているよ」

 

 一年前の私は今の私を嘲笑うだろうか。何処だっていいと思っていた。

 それなのに今は……此処がいいと願う私を。

 

「腹減ったな! 飯にするか!」

 

 そう言った海燕さんの背中を、皆がワイワイと話しながらついて行く。

 私は、グッと拳を握りしめて精一杯の大声を上げた。

 

「あのっ……あのっ……私も……皆さんと一緒に食事を取っても良いでしょうか!」

 

 私の声に振り返る一同。

 

「こちらこそ。これから互いの話をし合いませんか? ……食事を一緒に取りながら」

 

 決して自分からは歩み寄らなかった距離。

 今度は……私からみんなに向かって駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 *******

 

 

 

 

 次の日、私は朝一番に八番隊に駆け込む。

 

「京楽隊長! お久しぶりです! あのっ……悪い事をする事がなんでか上手くいって……」

 

 扉を開けながらそう言う私。目が合った京楽隊長は、何故か苦笑いをしていた。

 

「……やあ。姫乃ちゃん。それは何より……」

 

 何故か歯切れの悪い京楽隊長。その原因が、私の目にも映る。

 

「……おはよう、姫乃。今の話、詳しく聞かせてくれるかい?」

「……京楽隊長がそうしていいって言ったもん」

「そうか。京楽隊長。まだ少しお時間よろしいですか? なにせ僕は、彼女に悪い事だと自分で自覚している事を、意気揚々とやれなどと教えていないものでして。どのような教育方針で、どのような利点があるのかを是非お聞かせ願いたい」

 

 とんでもなく運が悪い事に、八番隊には藍染さんがいた。

 隊長同士で何か用事があったのだろう。

 

 一拍の間があった後、京楽隊長の姿が消える。それと同時に私の体がフワリと浮かんだ。

 

「さあて、逃げようか。姫乃ちゃん」

「わあっ!」

「バレちゃ駄目な人にバレた時は、さっさと逃げる。逃げたもん勝ちさ」

 

 朝から騒々しいと思われそうだが、そんな今日すらも嬉しくて。私は京楽隊長に抱えられながらクスクスと笑った。



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第十六話 水と油の邂逅

 

 

 あれから時は幾ばくか流れる。何度も季節が回り続けたある年の春。

 桜吹雪が舞い散る瀞霊廷の一角。

 自然と溜まり場になっている所に私……いや、私達は座り込んでいた。

 

「お饅頭だよ」

「甘いものは好かぬ。見よ、朽木家特製辛子煎餅だ!」

「……辛いってのは味覚じゃなくて痛覚。脳細胞が死んで莫迦に……あ、もう莫迦だからいいか」

「な……なんだと!? 貴様誰に向かって!」

「まあまあ、ええやないの。姫乃ちゃんもそんな挑発せんでええやん」

「ホント、あんた達って仲良いんだか悪いんだかって感じよねぇ」

 

 今日は昼休憩も兼ねて、皆でお花見だ。

 それぞれが持ち寄った菓子を集めて、交換して食べる約束をしていた。

 

「乱菊さん、はいどーぞ」

「ありがとう」

 

 私の隣に座っているのは、十番隊隊士、松本乱菊。

 

「ギンも。はいどーぞ」

「おおきに」

 

 乱菊さんは、市丸さん……ギンの同期。

 前は市丸さんと呼んでいたが、藍染さんがギンと呼び続けているのに影響されて、いつの日からかそう私も呼んでいる。

 

 私以外の三人はほぼ年齢が変わらないらしく、私だけが三人を見上げるような形。

 しかし、一つにくくれば子供という部類には間違いがなく、大人ばかりのこの世界で四人が身を寄せ合うのは自然な流れだった。

 

「姫乃が花見がしたいって駄々こねなきゃ、アタシ達が集まることもなかったわね」

「いつもそうやん。ボクらは振り回されとんの」

「騒々しくて適わぬな」

「でも、姫乃がいなきゃアタシ達が話す機会なんてなかったわ」

 

 ギンの言う通り、もしかしたら私の我儘に付き合わせているだけかもしれない。

 それでも、一人で遊んでいた遊びが、いつのまにかこうして人が増えたこと。素直に嬉しかった。

 

「ねぇ、午後から何するの?」

「アタシは流魂街遠征で虚探索」

「ボクも」

「私もだ」

 

 幼さに見合わず、みんなこうして虚と戦う日々。並大抵の大人になんか負けやしない。

 

「ねぇ、桜の木の上に行きましょうよ」

 

 乱菊さんのそんな一言。すると、正面にいたはずの白哉の姿が一瞬で消えた。

 

「ふはは! 鈍いな、貴様らは!」

 

 瞬歩で移動したんだ。

 

「ええ、今のは不意打ちちゃいます?」

 

 次に上に行ったのはギン。

 

「ちょっと! 菓子くず片付けてから行きなさいよ!」

 

 そして、乱菊さんも大きな木の枝の上に移動してしまった。地上に残される私。

 ……瞬歩が使えないから、上には行けない。

 

「……私、片付けするね」

 

 目線を地面に落として、ゴミを拾い上げる。

 すると、地面に二人分の足が見えた。それに気がついて顔を上げた。

 

「なに寂しいこと言ってんのよ。行くわよ!」

「なんでボクまで……」

 

 正面にいたのは、上に行ったはずのギンと乱菊さんだった。二人から差し出されている手。

 ……その手をそっと掴んだ。

 

「落ちたらアカンよ」

 

 そして、一瞬で景色が変わった。

 

「……わぁ……綺麗……」

「ふん。未だに瞬歩の一つも出来ぬとは情けない」

 

 白哉の嫌味が後ろから聞こえるが、今はどうだって良かった。

 高いところから見下ろす桜並木が美しくて……。

 

「……楽しいね!!」

 

 思ったことをそのまま、三人に伝える。特段返事はなかったが、それは否定と同義ではない。

 言葉にしてもしなくても、今ここにいる事。それが答えだから。

 

「ねぇ、この桜を年中見れるように出来ない?」

「そら無理やろ、乱菊」

「ええー。姫乃、アンタ頭いいんだから考えなさいよ」

「うーん。人工物で良ければ。けど、残念ながら材料が手元に一つも」

「技術開発局に行けば出来るのかしら?」

「多分。ずっと桜が見れたらずっと楽しいね」

「アンタ、技術開発局に異動したら?」

「嫌だ」

 

 自然物が良ければ、数本の桜を並べてそれぞれの環境設定を変えてやれば、いつの時期もどれかの桜の木が咲いているようにしてやる事は可能だ。

 そんな事を考えていると、瀞霊廷の人の動きが流れ出した。

 

 昼休みももう終わりの合図。

 

「そろそろ帰らなきゃね」

 

 乱菊さんのそんな一言。

 また乱菊さんとギンの手に引かれて木から降りようとした時、後ろの枝の上に居たはずの白哉が動いていないことに気がついた。

 

「……どうしたの?」

 

 そう聞いても返事がない。白哉は何故か目を閉じたまま。

 意識があるようなないような。そんな状態だ。

 

「お腹痛い?」

「何か機嫌損ねることあったかしら?」

「そら……四代貴族様がここに呼ばれた事が不機嫌足り得るやろ」

 

 三人でそんな会話をしても、やっぱり反応がない。

 しばらく見つめていると、白哉が突然腰の刀を抜いた。

 

「ちょ……なんでいつもそうやって戦おうとするの」

 

 また私にか。

 そう思って身構えたが、返ってきた言葉は違った。

 

 

 

「……散れ 千本桜」

 

 

 小さく呟いたその声。その言葉と共に、白哉が持つ刀の形状が大きく変化した。

 フワリと崩れた刀身。

 それは細かい桃色の刃に変わって……まるでいまこの周囲に舞っている桜と同じに見えた。

 

 

「……始解……」

 

 

 私の一声だけが響いて、静寂が訪れる。

 その刃の美しさに、誰もが紡ぐ言葉を見失ったんだ。やっと白哉が私達を見た。

 

「呆けているようだな。どうだ如月! この千本桜と共に次こそは負けぬ!」

 

 ビシッと私の方を指さす白哉。

 それは……違う意味で私達に焦りを与えた。

 

「ちょっ!!」

「あ……」

 

 白哉の手の動きに合わせて……私達の方に刃の束が降り掛かってきたのだ。

 彼も手に入れたばかりの始解が如何なるものかわかっていなかったのだろう。流石に不味いという表情の白哉。

 

「逃げるで!」

 

 ギンの声が聞こえて、また景色が変わった。

 地上に降りたと同時に、私達三人の背後に響く地響き音。千本桜で斬られた桜の木が落ちてきたんだ。

 

「……さ、最低」

 

 美しかった木が、白哉の不注意で木っ端微塵。

 なんという威力だ。

 

「始解に浮かれていきなり刃を振り回す奴がいるか!」

「こうやってどういうものであるか確かめたに過ぎぬ!」

「それ、開き直りだからね! 莫迦!!」

 

 ギャーギャー口喧嘩を始めた私達を、呆れたような顔で見る乱菊さんとギン。

 

「さて、アタシ帰ろうかな」

「ボクも。強大な始解やないの。ええもん見せてもろたわ」

 

 二人はそれぞれ自分達が帰るべき場所に帰っていく。

 人の始解の瞬間に立ち会ったのは初めてで、貴重な体験をしたと思う。

 

 それに、ギンの言う通り……ひと目でわかるほど恐ろしく強い始解だ。

 

 刀を元に戻した白哉と向かい合い、視線が交わった。

 勝ち誇ったようなそんな表情。

 

「ふん。瞬歩に始解。貴様が出来ぬ事を怠けている間に、私は更に強くなるぞ!」

「え? 私も始解……出来るけど? ちなみに、ギンも乱菊さんもだよ。お前が一番ビリね」

 

 

 そう返すと、白哉は目を大きく見開いた。

 

「な……」

「じゃあ、私も帰るね。バイバイ」

「待て!! 今ここで見せよ!」

「嫌だ!」

「私の瞬歩から逃げられると思うな!」

「私の隠密を見つけられると思うな」

 

 

 そう返して、私は自分の姿を消した。

 瞬歩が遣えなくても、隠密は死ぬほど得意だ。案の定、白哉は明後日の方を見て吠えている。

 

 

 

 

 十三番隊への道を歩きつつ、私は物思いに耽った。

 

 

 

「……瞬歩……一生出来ないのかな」

 

 元々物心ついた頃から恐ろしいほどの霊力を持っていた私。

 少ない霊力を使用する瞬歩は、その加減が分からず……云わば、暴発に近い状態に陥るのだ。

 

「……藍染さんが諦めたんだから……無理だろうなぁ……」

 

 そこでふと思った。私は、藍染さんから無理だと言われたらそこで諦めてしまうのか? 

 

「……絶対見返してやる」

 

 白哉の勝ち誇ったような顔。私の負けず嫌いに火がついた瞬間だった。

 

 

 そうと決まれば、即行動。私は足に霊力を込めた。

 

 __ズドンッ。

 

 鈍い音と、舞い上がる砂埃。そして衝撃波で砕ける道。

 私が瞬歩を使おうとすると、こうして道に大きなクレーターが出来てしまうのだ。

 

 

「姫乃ゴラァアアア!! てめぇは十一番隊になんか文句でもあんのかぁあああ!! 正々堂々来やがれ!!!」

「ご、ご、ごめんなさい!!」

 

 たまたまやったのが、十一番隊の管轄区域内。

 鬼厳城隊長の怒鳴り声を聞きながら、空高くに舞い上がる自分の体。

 途中の方向転換は効かない為、予め飛ぶ方向を予測しておく必要があるが……有難い事に予測は得意だ。

 

 

 

 

 私の目論見通り、地面に迫ってくるのは雨乾堂の敷地内。

 

 

 

 __ダアアアアアン!! 

 

 

 

 まるで隕石が落下したかのような地鳴りをあげて、私は目的地に到着した。

 

「な、何事だ!?」

 

 音に驚いたのか、中から浮竹隊長が出てくる。

 

「いててて……」

「おー、今日も騒がしいなぁ。本来はじゃじゃ馬っつー藍染隊長の言葉は嘘じゃなかったみたいだ」

 

 続けて中から出てきたのは海燕さん。浮竹隊長の手を借りて起き上がると、私は早速本題に入った。

 

「あの……瞬歩がやりたいです!!」

「しゅ、瞬歩かあ?」

 

 驚いた顔で瞬きを繰り返す浮竹隊長。

 私が空から降ってきた事、庭に大穴があいている事、瞬歩をやりたいという進言。いったい何から処理すればいいのか浮竹隊長も混乱しているようだった。

 

「えっと……そうだな。まずは片付けをしてからだな!」

 

 その言葉で、三人で庭先の整備。

 

 

 それがひと段落した後、改めて雨乾堂の中でことの事情を説明する。

 

「はー、なるほどなるほど。いやしかし……藍染で駄目だったとなるとなぁ……」

 

 全ての事情を聞き終えた浮竹隊長は、顎に手を置いてうーんっと考え出した。

 

「……まあ、いつまでもこんな大砲みたいな飛び方されちゃ困るっちゃ困るけどなぁ……」

 

 海燕さんも同じように考え込んでしまった。

 

「俺は生憎、若い子の瞬歩の鍛錬を出来るほど体力がなぁ……」

「瞬歩なんて、トンっとしてビュッとするだけっすよ」

「ご覧の通り、海燕は感覚型だからな」

「……存じ上げております」

 

 一旦行き詰まってしまったので、私達の会話はいつの間にか雑談に切り替わっていく。

 

 

「そう言えば、さっき白哉が始解したんです」

「うお、マジか!!」

「本当です」

「はー。お前ら四人、末恐ろしい世代だぜ」

「そうかそうか! 今度白哉にお祝いしなきゃなあ!」

 

 先程見た光景や事の顛末を私が話すと、二人は嬉しそうに聞いてくれた。

 

「最後はまた如月の逃げ勝ちだろ?」

「逃げなくても勝てます! でも隠密は得意なんです!」

 

 私がそう返すと、浮竹隊長の動きが止まった。

 あれ、何か不味い事でも言ってしまっただろうか。

 そして、数秒の間が会ったあと、浮竹隊長はとびきりの笑顔で手を叩いた。

 

 

 

「そうか! その手があったか!!」

「……へ?」

「如月! 瞬歩出来るようになるぞ!!」

 

 浮竹隊長は一度腰を上げて自分の机の方に移動すると、何か手紙を書き始めた。

 

「いやあ、灯台もと暗しとはこの事だなぁ」

 

 自分の中で自己完結しているのか、浮竹隊長は説明もないままに一人でニコニコしている。

 海燕さんの方を見れば、浮竹隊長が何をしようとしているのか分かったのか困惑……というよりもドン引き……という表情だ。

 

 

「……本気っすか?」

「何も心配することないだろう? アイツは優しくて良い奴だぞ!」

「……そう思ってるの、浮竹隊長だけっすよ」

 

 二人の会話が終わると同時に、浮竹隊長の筆を動かす手が止まった。そして、手紙を丁寧に包むと私の正面へと戻ってくる。

 

「紹介状を書いたからこれを渡すといい」

 

 そう言って渡された手紙。

 

「さあ、明日にでも行ってきなさい」

「え、あの、どこに」

「ああ、すまんすまん。伝え忘れていたな!」

 

 私はどこへいけと言われているのか。

 

 

 浮竹隊長の口から出てきた目的地に、私は固まった。

 

「二番隊の砕蜂の所だ! 瞬歩の達人だぞ!」

 

 それはある意味で死刑宣告に近かった。

 海燕さんの補佐として動いている以上、私は隊長格に顔を合わせることが多い。そんな中でも、一度も会話を交わしたことのない人がいる。

 それが、砕蜂隊長だ。一度だけ顔を合わせた時、今すぐに死ねと言わんばかしの殺気を纏って睨まれた。

 

 それともう一人。十二番隊隊長兼技術開発局二代目局長_涅マユリ。

 彼に至っては会ったことも無ければ、私は技術開発局と十二番隊に踏み入った事すらない。

 配送物は門番に渡しており、『如月姫乃の立ち入りを禁ずる』と貼り紙までされている始末だ。

 

 

 私が偶然発した言葉と浮竹隊長の思いつき。それによって猛獣のいる檻の扉が開けられたような感覚を覚える。

 

 押し流されるようにして私の二番隊訪問が決まり、午後からの任務はほとんど記憶にないほど私の頭は不安と恐怖で埋め尽くされた。



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第十七話 瞬歩獲得!

 

 

 _二番隊隊舎隊首室

 

 息の詰まるかのような重い空気と沈黙の中、私は部屋の隅で正座をしていた。

 対面には砕蜂隊長。眉間に皺を寄せ、浮竹隊長からの手紙を睨むようにして見つめている。

 

「あの……」

「口を開くな」

 

 はい。と心の中で返事をして床に視線を落とす。

 指一本でも動かせば、即座に首を落とすとでも言わんばかりの殺気。いたたまれない気持ち。

 しばらくそうしていると、突然砕蜂隊長は手紙をビリビリと引き裂いた。

 

「え……」

「くだらん」

 

 そして、コツコツと足を進めて、砕蜂隊長は部屋を出ていこうとした。

 慌てて私も立ち上がり、その背中の後ろに立つ。

 

「その顔を見ているだけで虫唾が走る。消えろ」

「あのっ……どうかよろしくお願いします!!」

 

 精一杯の大声で頭を下げるが、砕蜂隊長が振り返ることは無い。

 そのまま部屋を出ていってしまった。このまま引き下がるわけにもいかないと、私も急いで背中を追いかけて駆け寄る。

 

「待ってください!!」

「私は貴様の鍛錬に付き合っている暇もなければ、付き合うつもりもない。首を落とされるか、去るかのどちらかを即座に選べ」

 

 その言葉を聞いてどうしたらいいのか、私は必死に考えた。

 砕蜂隊長が私の事を嫌悪するのは、間違いなく父のせいだ。元々不仲であるのか、それとも事件がきっかけなのか。どちらが正解かは分からないが、結論は一つ。

 殺したいほど憎いということ。

 

 

 砕蜂隊長に教えを乞う為、様々な手段を頭の中で思い浮かべた結果……イチかバチかの交渉に出ることにした。

 

「瞬歩を習得した際は……生涯鍛錬絶やさず……より精進に努めます……」

「……それがどうした。余程死にたいようだな」

「っ……。つまるところ……砕蜂隊長から教わった足で、父を捕え……砕蜂隊長の目の前に差し出します……」

 

 父の名前を全面に押し出して、いい事など一つも無い。

 

「煮るなり焼くなり……好きにして頂ければっ……」

 

 砕蜂隊長に見限られている事が原因か。それとも、会ったこともない父を餌にしてしまっている罪悪感なのか。

 とにかく胃がキリキリと傷んで、冷や汗が出てきた。

 

 

 

 立ち去ろうとしていた砕蜂隊長の足が止まる。

 

 

「……その言葉に嘘はないだろうな」

「はいっ……」

 

 そう返事をしたら、砕蜂隊長は暫く黙ってしまった。顔は怖すぎて見れない為、どんな表情をしているかは分からない。

 これで駄目だったら……もうどうやっても無理な気がした。

 

「……着いてこい」

 

 交渉が成立した。

 バッと頭をあげた時には、いつの間にか砕蜂隊長の背中は遠くまで進んでいて、慌てて私は追いかける。

 

 

 たどり着いた先は、隊舎から随分と離れた古びた鍛錬場だった。

 中に入っていく砕蜂隊長を追いかけて中に入ると、そこは何一つ物がない荒地。

 普通鍛錬場は、床板の鍛錬場と地面を整備した鍛錬場の二つがある。

 しかし、ここはそのどちらでもない。荒野の上に壁と屋根を付けただけの場所。

 

「ここは……」

「走れ」

 

 私の質問を無視して言われた言葉はその一言。

 

「え?」

「聞こえない耳なら削ぎ落としてやろう」

 

 カチッと砕蜂隊長が刃を抜こうとした音が聞こえて、私は慌てて走り出した。

 どう走ればいいのか分からなかったが、とりあえず右回りに外周を駆ける。

 

「休めと言われるまで走れ」

 

 そう言い残して、砕蜂隊長は姿を消してしまった。一人取り残された私は、わけもわからずただ走る。

 

 

 

 走る。走る。走る。

 

 

 一体どれくらいの時間、走り続けていなのかなんて考えたくはない。

 息も絶え絶えで、焦点すら合わなくなってきた頃、ようやく砕蜂隊長が帰ってきてくれた。

 

「休め」

 

 その言葉で、地面に転がる。

 

「はあっ……はあっ……」

「水場はそこにある。半刻後、走れ。それを繰り返せ。以上だ」

 

 

 この指示を聞いて、私はやらかしたと思った。

 自分が今一体、どれくらいの間走っていたのか覚えていないからだ。だから、出入口から差し込む光の加減から推測しておおよその時間を割り出すしかない。

 

 

 そしてその指示があった以降、砕蜂隊長が戻ってくることは無かった。

 

 

 

 走る、休む。走る、休む。

 

 

 人生でこれ程走った経験は、後にも先にもこれ以上ないだろうって程、私はただ走り続けた。

 

「痛い……」

 

 走る限界に体が悲鳴をあげだすと、骨が痛むのだと知った。

 目的も終わりも教えられていない。

 

 それでも、瞬歩が出来るようになりたい。

 

 その一心で心が折れるのを防ぎ続けた。

 太陽もとっくに落ちた頃、ついに……急に世界がグルリと回った。

 

「あっ……」

 

 極度の疲労と、睡魔。それによって私の意識が強制的に刈り取られたのだ。

 

 

 

 

 **********

 

 

「……誰が寝ていいと言った」

 

 目覚めは、蹴られた衝撃と共に来た。

 目を開けると、殺気を纏った砕蜂隊長の姿が逆さまに映る。

 

「立て。走れ」

「……はい」

 

 痛む体を起こして、また走る。

 

 

 

 

 

 気を失うまで走ると休むを繰り返し続けて、ついに三日が経った。

 

 

 

「立て」

 

 

 砕蜂隊長のその声。それにもう……答えられない。

 指の一本も動かなければ、息をするだけで骨が軋む。痛みで気を失わないようにすることで精一杯。

 返事すらも出来ない。

 

「二度は言わん」

 

 私は必死に体を動かそうとした。

 震える両手で体を起こそうとするが、立ちたいという意識に反して体が言うことを聞いてくれない。

 そんな私を見て、砕蜂隊長は目を細める。そして……

 

 

 __ダンッ!!! 

 

 

「ガハッ……」

 

 

 私を思いっきり蹴りあげた。腹部に砕蜂隊長の蹴りが入り、そのまま壁際まで吹き飛ばされる私の体。

 

「縛道の三十 嘴突三閃」

 

 私が壁に叩きつけられると同時に放たれた縛道。

 その縛道は、私をそのまま壁に磔にした。

 

「己の全ての霊力を解放しろ」

「……霊力……ですか?」

 

 死神になってから、私は自分の霊力を全て解放したことがない。

 感情の昂りで発してしまう事はあるが、血管でいう所の大動脈は堰き止めているような状態だ。というより、誰だってそうだろう。今後もし、常に霊圧垂れ流しで、閉じてもいないような状態で常に生活している人が居るとするならば……それは死神の常識から外れた存在だ。

 

 なんの意味があるのかとか、そういう思考すら奪われており、私は言われるがままに従う方を選ぶ。

 

 

 目を閉じて、深く吐く息。

 

 

「貴様がどれほどもがこうと、その縛道から逃れる事など……」

 

 砕蜂隊長の言葉は、最後まで紡がれることは無かった。

 

 

 私の体を中心に巻き起こったのは、霊力の渦。

 その衝撃は鍛錬場全体に伝わり、衝撃波によって建物全体が大きく振動を始めた。

 

 パリィィン……と縛道が砕け落ちる音がして、私の体が地面に落ちる。

 

 

 

 

「なっ、何事っすか、砕蜂隊長ぉおお!!」

 

 突然の事態に、私と砕蜂隊長だけしかいなかった鍛錬場に大前田副隊長が駆け込んできた。

 

「グッ……な、なんだっ……この霊圧の重さは……」

「……煩い。黙れ、大前田」

 

 霊力を解放したことで、肉体の損傷を補完出来ている。

 全身が痛いことに変わりはないが、立つことは可能。

 

「霊力を押しとどめるな!! 全て吐き出せ!!」

「ゲェっ、建物壊れますよ!!」

 

 大前田副隊長と砕蜂隊長の会話が、やけに遠く……遅く感じる。

 まるで、別の何かを通して世界を見ているような感覚。

 

 

 ……この感覚を知っている。藍染さんとの修行の中で、何度も陥った状態。

 限界まで肉体と意識が追い込まれ、十年間何度も何度も叩き込まれた本能。戦うという状態。けれど、今までの修行の中で最も深い状態だ。

 

 

「ば……バケモンじゃねぇか……」

 

 大前田副隊長の声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 化け物。   化け物。   ……バケモノ。

 

 

 

「……酷いっスね。私は……死神ですよ」

 

 

 

 

 

 私が一歩を踏み出した瞬間、砕蜂隊長が目を見開くのが見えた。

 

「下がれ!! 大前田!!!」

「え?」

 

 それは一瞬の出来事。

 

 大前田副隊長が、砕蜂隊長の言葉を理解して行動するよりも早くに、私は彼との距離を一気に詰めた。

 そして自分の体よりも圧倒的に大きい彼の鳩尾に拳を叩き込む。

 

「ガッハ……」

 

 その勢いは、数十メートルも離れた反対方向の壁に大前田副隊長を叩きつける程の威力。

 衝撃で叩きつけられた体を中心に、壁に大きな亀裂と凹みが出来た。

 

 そして私はすでに感知している。砕蜂隊長の攻撃が背後に迫っていることを。

 

 

「……見えてますよ」

 

 そうして交わる私と砕蜂隊長の拳。二人の霊圧が衝突し合い、互いに吹き飛ぶ。

 

「……」

 

 こめかみに痛みを感じて、指で触れば血で濡れている。

 ただ、砕蜂隊長も左手で右肩を抑えていた。互いに一撃ずつというところだろう。

 

 

 もう一度。

 

 足を一歩踏み出した時、大きくぼやける視界。

 

 

「っ……」

 

 

 途端に、忘れていた全身の痛みが襲いかかる。元々壊れる寸前まで肉体の疲労が溜まっていた。先程動けたのは……本能による最後の一撃だったのだろう。

 私はそのまま地面に両膝を付いた。

 そして痛みによって集中力が途切れて、半強制的に私の臨戦態勢の思考が解かれる。

 

「誰が戦えと言った!! 全て霊力を出せと言っているだろう!!」

 

 砕蜂隊長の怒鳴り声。私は残りの霊力を振り絞るかのように出し尽くす。

 暫くそうしていれば、私の霊圧の影響で揺れていた建物が、徐々に収まりだした。所謂、霊力の枯渇が起き出したのだ。

 

 こんなに意図的に霊力を消耗したことなどない。というより、普段の戦闘で霊圧とは、無意識的に発される死神の呼吸に等しい。

 相手を威圧する時のみを除いて、意図的に誇張して出したり、枯渇するまで消耗することなどない。当たり前だ。バケツをひっくり返したような状態で戦えば、枯渇はすぐにやってくることは明白で、そんな戦い方は誰もしない。

 

「そのまま足に霊力の塊を集めろ。その状態で立て」

 

 その言葉に従う。足の裏に集めた霊力は、自分が生きてきて一度も感じたことの無いほど、か細い蝋燭のような小さなものだった。

 枯渇が起きている今、これが精一杯。

 

 

 立ち上がって砕蜂隊長の方を見れば、最後の指示が飛んだ。

 

「ここに来い。地面を蹴ろ」

 

 その言葉に従うと……私の体が一瞬にして移動した。

 人の力を借りてなら体験したことがある。この景色の移り変わりの速さ……瞬歩だ。

 

 

「えっ……うわっ……!!」

 

 無理だ、止まれない。そう思った時に、砕蜂隊長の掌が顔面にぶつかった。

 私がぶつかりそうになったのを、受け止めたんだ。

 

「いっ……」

「白伏」

 

 

 その言葉と共に、私の意識が闇へと落ちた。

 

 

 

 *

 

 

 そして、姫乃の意識が消えた後の二人の会話。

 

 

「イテテテ……死んだかと思ったぜ……」

「そのまま死ねば良かったものを」

「ひ、酷いじゃないですか!!」

 

 姫乃が寝た後、大前田が砕蜂に駆け寄る。そして、自分の手をじっと見つめる砕蜂を不思議そうな顔で見た。

 

「どうしたんすか。隊長」

「……なんでもない。そのガキを四番隊に運んでおけ」

「えええ! 俺がですか!」

 

 姫乃との攻防。打撃を受けた右肩は、ヒビが入っていた。

 そして、先程見つめた掌。その掌を見て砕蜂は内心で思った。

 

 __この私が……震えているだと? 

 

 本人は恐らく意識が半分飛んでおり、起きた時には覚えてすらないだろう。

 自分が背後から迫り、振り返った時の姫乃の目。それは、隊長すらも威圧するほどの殺気だった。

 

 姫乃を抱えて鍛錬場を出ていく大前田を見送りながら、砕蜂は小さく呟く。

 

「……バケモノ……か。貴様に相応しい名だ」

 

 未だ開花途中の才能。

 そう時を待たずして、自分達隊長と肩を並べてくるであろう存在に、砕蜂は舌打ちした。

 

「忌々しい。貴様にそっくりだ……浦原喜助。お前の子は、紛れもなく戦いの本能を知る化け物だ」

 

 

 砕蜂は一つ勘違いをしている。

 

 

 

 姫乃に本能に近いまでに戦いの術を叩き込んだのは、父親の血ではない。

 父はあくまで才能を与えただけに過ぎず、それを戦闘本能として叩き上げてきたのは藍染惣右介という男だということを。

 

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

「あら、おはようございます」

 

 目が覚めた時、私は四番隊救護詰所にいた。

 

「……あれ?」

「随分と無理をされたようですね」

 

 隣にいたのは卯ノ花隊長。

 確か……砕蜂隊長に縛道で固定されて……そこからどうしたんだっけ。

 半分意識が飛んでいた状態だったから、ほとんど覚えていない。

 

「あ……そうだ、瞬歩出来たんだ……。でもどうやって……」

「ほぼ無意識下の中にいたのですから、覚えていなくても仕方ないかもしれませんね」

「そうですよね……」

 

 体を起こすと、痛みはない。

 

「如月さんが四番隊に来たのは二度目ですね。どちらも、瀕死の状態でした」

「あ……あの時は本当にお世話になりました」

「助けるのが私達の仕事ですから。気にする必要はありません。砕蜂隊長から手紙を預かっています」

 

 

 そういって渡された手紙。私はそれをそっと開いた。

 そこには、三日間の修行の意味が書かれていた。

 

 要約すると、私は霊力保有量が人より多い。

 普段、限界まで落としたと思い込んでいる霊圧は実は底ではなく、瞬歩を使うのにはまだまだ保有が多すぎる。

 しかし、ただ霊力を解放させるだけでは本能的に守っている底を出し切れない。だから、気力も体力も霊力もすべて根こそぎ奪い取って、自分の本当の底を知るのだと。

 

 そうして、根こそぎ奪い取った時に残るのが、瞬歩に必要な霊力。必要霊力量を知れば、あとは調節するだけ。その調節に限っては、私は実は不得意なのではない。

 元々鬼道という霊力調節の繊細さが必要な術が得意ならば、一度知ってしまえば後は簡単にものにできる……らしい。

 

「……なるほど?」

 

 わかったようなわかってないような。

 しかし、確かに初めて瞬歩に必要な霊力調節の加減が分かった。後どう使っていくかは自分の鍛錬次第なのだろう。そして、手紙はこう締めくくられていた。

 

「……約束を破った際には、消し炭にする…………。ごめんなさい……お父さん……」

 

 なんの罪もない父を餌に教えて貰った瞬歩。

 何はともあれ、これで私はやっと死神としての斬拳走鬼の全てを手に入れたのだ。



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第十八話 不審な物体

 

 

 死神として働き出して、随分と年月が経った。

 その年月は、流魂街で過ごした年月よりも超え、幼少と呼ばれる時期を抜け出した頃。その事件は、ある日突然起きた。

 

「いってきまーす」

「ん? 今日は午前で仕事終わりだろ?」

 

 野営任務帰りだった私は、午後から非番のはずだった。だから、隊舎を出ようとした私に海燕さんが不思議そうに声をかけてくる。

 

「鬼道衆から援護依頼です」

「はー、忙しいなぁ」

 

 護廷十三隊にはそれぞれ特色があるが、鬼道衆は書いて字のごとく鬼道に特化した隊だ。

 数年前から時折こうして仕事を手伝う時がある。

 

「兼任の話、結局揉めたんだろ?」

「鬼道衆の中で……ですね。現職の席官と元老院が揉めているだけですよ」

「元老院……ああ、鬼道衆を勇退した奴らの集まりか」

「五大貴族に対抗した、名ばかりの集まりですけどね」

「私情と任務は別物ってことだな」

「みたいです」

 

 二番隊や十二番隊同様、鬼道衆からも私はあまりいい目で見られてはいない。

 しかし、鬼道衆の中でも並大抵の隊士を軽く超えていく私の鬼道の才。形式にそって有効的に遣うのであれば私情は抑えろという名目の元、手を貸すことは多い。

 当たり前だ。優秀な船乗りを嫌いだからという理由で乗船させず、結果的に船が沈没しては元も子もないという理論と同じ。

 

「結界を張るだけなので、すぐに帰ってきます」

「おー、いってらっしゃい」

 

 そうして、私は十三番隊隊舎を飛び出した。南門である 朱洼門(しゅわいもん)を出て、依頼のあった場所へと向かう。

 

「よりによって最南端かぁ……」

 

 今回の依頼は、南流魂街79地区 水貫(みずぬき)にて正体不明の物体を確認。

 霊圧を一切感じない物体だが、技術開発局の調査員が入るまで住民保護の為に結界で封鎖するというものだ。

 

「……霊圧がない物体?」

 

 なんとも曖昧な報告書にやや首を傾げながら足を進めていると、ようやく目的地が見えてきた。

 座軸は渡されてはいたが、その詳細を再度確認する必要はなかった。

 何故なら、その物体は遠目からでも明らかにアレだと分かるほど巨大なものだったからだ。

 

「何アレ……」

 

 外観は球体。真っ白な球体が、微動だにすることなく荒野に存在していた。

 確かに霊圧を全く感じない。魂動すら感じないため、生物なのかどうかも分からない。

 

「こんな大きい物体の保護結界を一人でかぁ……人遣い荒いなぁ……」

 

 そんな文句をボヤきつつも、私は意識を集中させて結界を展開した。……したはずだった。

 

 

「……え?」

 

 パリンっ……とガラスが割れたような音が周囲に響いて、私が組み立てていた結界がバラバラに割れて落ちる。

 

「……失敗? いや……吸われた」

 

 一瞬、あまり経験したことの無い大きさの結界術を展開しようとしたせいで失敗したのかと思ったが、結論は違う。

 明らかに、弾かれて結界が飛散した。本来残るはずの霊圧残滓も感じない。

 

 そして、私の結界を弾いたことの反動か……物体が僅かに動いた。

 

「……虚」

 

 僅かに動いたことで視認できたのは、地面の下から出てきた白い仮面。

 それは、虚であるということを裏付ける以外の何物でもない。

 

 私はすぐに支給品である伝霊神機を手に取り、海燕さんに通信を繋げた。

 

『どうした』

「依頼内容に追加報告です。保護指示のあった物体に虚と思われる仮面を確認しました」

『それ以外の情報は?』

「……外見のみの判断です。霊圧捕捉、魂動捕捉不可能。またこちらへの攻撃の意志も感じません。しかし、結界が展開出来ません」

『……お前の霊圧知覚と結界術が? 結界術は反転されたのか?』

「……いえ。感覚的には……吸収されたような感覚を覚えます」

『……妙だな。技術開発局に至急向かうよう連絡を入れる。まだ手を出すなよ』

「はい」

 

 虚であればさっさと斬るほうがいいと考える者も少なくはないが、少なくとも何かがわからないものに下手に手を出すことは無鉄砲だと言える。

 私は物体から少し離れた位置の木の上に腰を下ろして、観察を続けた。

 

「……まあ、ある程度は予想ついてるから、尚更手を出したくはないなぁ」

 

 

 

 

 それから約一刻後。

 

 

 ようやく技術開発局の部隊が到着した。

 物体を囲むようにして、地面に杭を打ち付けている。私は作業をしている人達のうちの一人に近づいて声をかけた。

 

「装置で結界を展開させても同じかと。というより、推奨しません」

「いえ、これは補助装置の一つです。結界術に必要な霊力不足を加味して、霊力増幅装置を使います」

 

 その返事に私は目を細める。つまるところ、私の霊力と技術不足が原因だと言いたいのだ。そして、ついでに観測装置を取り付けて正体の解明に徹するということ。

 ……推奨しないと言ってるんだけどな。

 技術開発局にしては短絡的な行動に、私は確認のために彼らに再度声をかける。

 

「……涅隊長からの指示ですか?」

「隊長は外出中ですので、我々は規定に基づいて動きます」

 

 その言葉でようやく理解した。彼らにとっては、最高司令官が不在である以上、下手な行動を起こしたり自分たちの意思で行動する方が危険なのだろう。

 

「……お節介だとは分かっていますが、増幅装置より吸収装置を使ってください」

「技術開発局の行動指示権利は貴女にはありません」

「……わかりました。涅隊長が不在であれば、現在の技術開発局の最高責任者は誰ですか?」

「自分達は鵯州さんの指示で動いていますが、それ以外であれば阿近副局長です」

 

 マニュアル通りに動くという意志をズラすことは出来なかった。

 ならば別の手段を取ろうと決めて、私は再度海燕さんに通信を繋いだ。

 

『どうだ?』

「海燕さんから、阿近副局長に繋ぐことは出来ますか?」

『……お前がそこまでいうなんて珍しいじゃねぇか』

「……嫌な予感がします」

『おう。ちょっと待ってろ』

 

 そう返事が返ってきて、しばらく待っていると、私の伝霊神機に阿近副局長の名前が追加された。

 

 これで、三人で通話している状態になる。

 

「初めまして。如月姫乃と申します」

『……如月……ああ、お前か』

 

 私は簡単に、現在までの経緯を阿近副局長に説明をする。

 

『……お前の中で結論が出てんなら、それを先に言いやがれ』

 

 他隊の上官に向かって自分の意見を押し通すのは無礼に近い。

 私が迷っていると、海燕さんが背中を押してくれた。

 

『大丈夫だ。俺がお前に今、報告命令を与える』

「……過信ではありません。しかし、アレは……私の結界を壊したのではなく吸収しました。そしてここ一帯の霊子濃度が極端に低いです。……もしかしたら、虚でありつつ本体ではないのかと」

『自分の力不足を疑ってねぇってか。たいした自信だな』

「……はい。アレは……母体です」

『だろうな』

 

 

 返ってきた返事は、想像していた言葉の反対。肯定の意。

 

『だから、霊圧を発する機械の展開は逆効果か』

「はい」

『……局長がいねぇ日に限って面倒事が起きるってか……はあ、ダリィな』

 

 そして、通信越しに聞こえる何かを叩く音。恐らくは、コンピューターの操作をしているのだろう。

 私は自分の中でまとめ終わった情報を追加で進言した。

 

 

「……恐らく、物体の性質自体は拘突と似たような存在かと」

『……観察だけで、こっちと同じ答え出して来んじゃねぇよ』

「……すみません」

『まあいい。あとどれくらい持つかってとこだなぁ』

「……十二時間です。成体になる前……最低六時間以内に部隊を編成して叩くことが懸命かと」

『……それも、コンピューターと同じ結果だしてくんじゃねぇ』

「……すみません」

 

 阿近さんから技術開発局員達に指示が通り、監視蟲だけを設置して私達は一度撤退することとなった。

 

 

 

 

 

*********

 

 

__十三番隊雨乾堂。

 

「事情は分かった。海燕も出てくれ」

「了解っす」

 

 物体の観測は、三時間経った今も分析詳細は出ていない。推測は立てられたが、ナカで成長し続けていると思われる虚に関してもその詳細はわからない。

 

「……行き当たりばったりって苦手だなぁ」

 

 そんな愚痴を吐きつつ、出撃の準備を整えていると海燕さんが近くに来た。

 

「元々、南流魂街は俺らの管轄区域じゃねぇ。あそこらへんの担当は……六番隊か。伝令は飛ばしたか?」

「はい。白哉に」

「充分だな。つーか、技術開発局から音沙汰無しって……どうなってんだ」

 

 監視蟲を通して何か判明したことがあれば伝令を貰う予定だったが、今のところなにもない。

 何も分かっていないわけがないだろう。

 

「……私に渡したくないのでしょう。あくまで戦闘の駒でいろということだと思います」

「よっし、じゃあ技術開発局行くか」

「ええ!? 良いですよ、行かなくて!」

「俺達の大事な娘を駒扱いされて、黙ってる訳にはいかねぇだろ!」

「十三番隊の娘になった覚えもありません!」

「言葉の綾だ! ちったー冗談通じるようになれってんだ」

 

 海燕さんは、一度決めたら迷いなく突き進むような人だ。

 仕方ないと諦めて、私は腰に刀を差して立ち上がった。すると、海燕さんの何気ない一言。

 

「また布巻いていくのか」

 

 指さす先は、私の刀。

 ……私は死神になって以降、自分の刀を人に見せたことは無い。

 単独任務以外で刀を抜くことも無い。

 

「べ、別にいいじゃないですか……」

「ほー、隠されると気になっちゃうなぁー」

 

 背中に刀を隠すようにして逃げる私を追う海燕さん。ジリジリと逃げていたが、遂に壁際まで追い込まれてしまった。

 

「よっしゃ。まだお前に瞬歩だけは負けねぇぞ」

「……変態!」

「なぁ!? お、おまっ……そんな言葉どこで覚え……」

 

 ショックを受けている海燕さんを置いて、私は壁際に体重を預ける。

 すると、私の体重移動に合わせて壁がクルリと半回転した。所謂、隠し扉だ。

 

「あ!!」

 

 壁越しに海燕さんのやられた。と言いたげな声が聞こえて、ドンドンと叩く音が聞こえるが開かない。

 

「一度回転すると半日は回りません。昔、十三番隊の改築隊長の名前を頂きありがとうございます」

「お前の好みに改造していいなんて言ってねーぞ!」

「あははっ! では先に技術開発局の門前で待ってます」

「そっからどうやって……」

 

 海燕さんの質問には答えず、私は暗がりの中手探りで仕掛けを探り当てる。そして、カチッとボタンを押す。

 すると、正面に地下通路へと続く階段が出現した。

 

「……我ながら便利すぎるものを造ってしまった……」

 

 なんてボヤきながら、地下通路を歩き続けた。

 私が浦原喜助という父の名を背負っていることで、一番の弊害は情報不足だ。もちろん、五番隊や八番隊、十三番隊ではそんなことはない。

 ただ、鬼道衆からの依頼も今回の技術開発局の件も……あくまで、私には『成すべきこと』しか情報は与えられない。

 

 何故そのような経緯に至ったのかや、事の詳細が伝えられることは無い。

 

 一隊士としては、それでいいんだ。

 護廷十三隊は指示系統が決まっている。情報をとりまとめるのも、その情報を吐き出す加減を決めるのも全て上官の采配であり、私達一般隊士は言われた通りに任務をこなす。

 過剰な情報は与えなくていいんだ。それでも、その中でも私に与えられる情報はとりわけ少ないような気がしている。

 

「……まあ、知りたいっていうだけなんだけど」

 

 いままでそれで任務に支障が出たことは無い。

 ただ、私の性分として探究心が止められないだけだ。そして、この止められない探究心を解決する術を知っている。

 

「……鬼道衆に……兼任……」

 

 ずっと避けてきた十三番隊の席次と、勝手に論争が起っている鬼道衆へと兼任。

 それが丸く収まれば、私は発言権と情報を得る権利のどちらも得ることが出来る。

 何故鬼道衆かというと、護廷十三隊の中央図書館にある鬼道の書は読み尽くしてしまった。

 

 それ以上を求めるとなると、鬼道衆のみが立ち入ることの出来る隊舎内書庫に行く必要があるからだ。

 

「……帰ってからまた考えよ」

 

 ずっと平穏だったツケが来たかのように、今は解決することがいくつもある。

 頭の中に思い浮かんでいるその問題を一度かき消して、私は目の前の任務に意識を戻した。

 

 

 

 地下通路を上がれば、丁度技術開発局前。

 海燕さんの気配を探る限りでは、あと十分以内には来るだろう。

 

 

 初めて訪問する技術開発局に、私は変な緊張感を覚えた。

 

 

「おーい! どの道から行ったんだよ!」

 

 遠くから駆け寄る海燕さんの声。

 

「秘密です」

「隠し事はナシだ」

「……地下通路です。十三番隊隊舎には地下通路へと続く隠し階段がいくつかあります」

「……お前ってやつは……」

 

 呆れたような声だが、まあいいかと海燕さんは切り替えて技術開発局の門を潜った。

 

 この任務が、少しばかり大きな事件と新たな出会い。そして私を取り巻く環境の変化をもたらす事となる。




 

参考年表
1901年 浦原喜助一行現世追放
1902年 如月姫乃誕生
1917年 姫乃真央霊術院入学
1918年 姫乃十三番隊入隊
|
|
|←今ここら辺
|
1956年 朽木白哉結婚
1962年 緋真死亡
1963年 ルキア朽木家へ
1965年 市丸ギン 朽木白哉隊長へ
1982年 志波一心現世へ


2002年 黒崎一護死神へ


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第十九話 数VS力

 

 

__技術開発局局内

 

 阿近副局長が周囲を総括する中、私と海燕さんは監視蟲に映し出された映像をジッと見つめた。

 

「……デケェな」

「一番厄介なのは、一体どれくらいの霊力を溜め込んでいるかです」

「最初の観測報告は?」

「二日前です」

「初動が遅ぇな」

「初動で動いていたのは鬼道衆です。恐らく彼らも結界術の展開に失敗して私に話が回ってきたのだと思います」

 

 私がそう答えて映像を切り替えようと装置に手を伸ばした時……。

 

 __バチッ!

 

「いっ……たぁ……」

 

 まるで私を拒絶するかのように、機械から電流が流れてきた。

 

「それはお前には遣えねぇ。俺が切り替える」

 

 背後から阿近副局長の声が聞こえて、手が伸びてきた。そして映像が次々と切り替わる。

 

「……私にだけですか?」

 

 私がそう聞くと、舌打ちをして眉間にシワをよせる阿近副局長。

 私に対してではなく、自分の失言に気がついたのだろう。

 

「悪く思うな。昔からの局長命令だ」

 

 技術開発局にある機器の全てが、私の手に触れないよう霊圧を弾いているんだ。

 そういえば、父も同じような処置で尸魂界の侵入を拒まれている。

 

 そこまで考えた時、私は一つの疑問が思い浮かんだ。

 

「……あれ?」

「どうした?」

「あ、いや……なんでもないです」

 

 思わず声に出してしまったので、海燕さんに不思議に思われてしまった。

 

 私の疑問。それは……夢の記憶に通ずるものだ。

 

 記憶そのものを現実世界と連動させたわけではない。ただ、大罪人として現世に追放された三人の中で、父だけが霊圧を弾かれているなんてことは有り得ない。

 つまるところ、何が言いたいかというと……四楓院夜一は何故、尸魂界に入れた?

 

 記憶を必死に振り返り、何か手がかりが無いかと探る。

 

「……霊圧を弾く……いや、霊質を……そうか」

 

 頭の中で結論に至って、私は再度機械に手を伸ばした。

 

「おい」

 

 阿近副局長の静止の声が聞こえたが、構わずに手を置く。

 すると、今度こそ電流が襲ってくることは無かった。

 

「……何しやがった」

 

 睨むかのような視線。それに臆することなく、私は答えを出す。

 

「……霊質を変化させました」

「あ?」

「全く別人であると、機械は認識しているはずです」

 

 信じられないと言いたげな目で私を見てくる阿近副局長。

 霊質とは、人間でいう血液型のようなものだ。瞬時に別のものに切り替える事が出来る者など早々いない。

 それでも、出来ると知っていた海燕さんは特段驚くことも無く……何故か得意げな顔をしている。

 

「な? うちの如月すげぇだろ?」

「……こっちは面倒事が一つ増えましたよ」

 

 はあ。と深いため息をつかれてしまったが、こんな事でいちいち詰まっていたら先に進めない。

 私が操作を続けるのを、阿近副局長と海燕さんが一歩下がって見守ってくれた。

 

「……背丈が全く違えど、この光景をもう一度みるなんて思わなかったです」

「……ま、言いたいことは分かるぜ。けど、陰口はやめとけ」

「すみません。つい」

 

 私の背中は二人からどう見えているのだろうか。

 恐らくは、技術開発局で働いていた時の父の背中と重なって見えているのだろう。

 私には分からない事だし、海燕さんがすぐに止めてくれたことが嬉しかった。

 

「んで、そう思った時はコソコソせずに堂々と言え。こいつはもうそんなに弱くねぇ。なー? 如月。お前の背中、父ちゃんそっくりだぜ!」

「知ってます」

 

 それに海燕さんの言う通り、もうそんなに父の話題を出されることは辛くない。

 似ているという事の全てが悪いことではないと知ったからだ。

 

「おい、鵯州。この部屋の監視蟲の映像消しとけよ」

「なんでだよ、阿近」

「……技術開発局の機器の拒絶反応を数秒で突破された挙句に、当たり前かのように操作されてるなんて局長に知られたら、俺達明日生きてねぇぞ」

「……お、おう。その案に乗った」

 

 慌てて監視蟲の取り外しを行う一同を横目に、私は黙々と作業を続ける。

 ここ数時間での大気中の霊子濃度の変化を確認。そこから、二日間の自然吸収量と鬼道衆が使ったと思われる結界術から、総合霊子量を割り出して式を作り上げていく。

 

「おい」

「……やめとけ、阿近。ああなったらあいつ、何も聞こえちゃいねぇよ」

「……さっさと教えた方が早かったですね」

「今後を改めてくれっか?」

「俺は元から気にしちゃいないですよ」

 

 それから数分の無言の時間。

 最後に全ての式を一から見返して、間違いがないことを確認すると私はやっと二人の方を振り返った。

 

「大虚二体分です」

「なっ……」

 

 驚きの声を上げる海燕さん。それに反して阿近副局長は動じていない。

 

「俺達が半刻かかった分析を六分の一か。勘弁して欲しいものだ」

 

 先程とは逆の光景だが、技術開発局ではすでにそう答えが出ていたのだのう。

 

「意地の悪い虚ですね。大虚程の霊力を溜め込んでいながら、大虚ではない。王族特務の案件に出来ない」

「俺達だけで行くのは危険だ。隊長格に編成し直す」

 

 海燕さんの言葉に、私は首を横に振る。

 普段瀞霊廷中に散らばって激務をこなす隊長達が集まるのに半日かかる。その時点で手遅れだ。

 

「海燕さん。これは大虚ではありません」

「……どういうことだ?」

「総合霊力量がそうというだけであって、恐らく個々の力はそうでもない。大虚二体というより、大虚二体分の総合霊力を持った虚の軍勢。と考えた方が気が楽です」

 

 力は一つに集まれば強大だが、分散していればそう難しいことでもない。

 それに加えて、隊長達の集合を待って成体になるより、不完全体を叩いた方がもっと楽だ。

 

「楽だって……お前なぁ……」

「援軍を頼まないわけじゃないです。ただ、先発隊は必要です。やるしかないなら早いところやっちゃいましょう」

 

 そういって私は映像を消す。

 そうして再度海燕さんの顔を見た時、海燕さんはもう堪えきらないと言いたげに笑いを吹き出した。

 

「あははは!!!」

 

 事態の深刻さに見合わない笑い声に、私は目を丸くする。阿近さんはゲンナリとした表情。

 

「……嫌ってほど聞いた台詞を同じ顔でまた聞くとは……今日は厄日だな」

 

 阿近さんの言葉で、私は何故笑われたのか理解した。

 ……そういえば、京楽隊長が父の事を『一息じゃ出来ないような難しいことも、とりあえずやっちゃいましょ。って当たり前のような顔で言ってくる人だ』と揶揄していた。

 

 途端に恥ずかしくなって、私は海燕さんに八つ当たりをする。

 

「で、出来ないんですか!」

「わりぃわりぃ。やるに決まってんだろ」

 

 暗かった私の過去がこうして笑い話のように流されているのは、きっと海燕さんのお陰だ。

 昔だったら、私はまた自分を塞ぎ込んでしまっていたかもしれない。

 

「もう、笑いすぎです。行きましょう」

 

 部屋を出ようとした時、私は後ろから死覇装の袖を引っ張られたことに気がつく。

 それは変な事だ。みんな私より背が高い。だから、死覇装の袖を下に引かれることなんてないのに……。

 振り返ると、私は初めて人を見るために視線を下げたかもしれない。

 

「……赤ちゃん」

 

 私の眼下にいるのは、まだ齢五つにもなっていないであろう赤子。

 

「……う」

 

 不思議そうな顔で私を見上げるその子。黒髪で綺麗に切り揃えられた髪。こぼれ落ちそうなほど大きなタレ目の黒い瞳。

 

「か……可愛い……」

 

 総評して、この子を表現するにこれ以上の言葉が見当たらなかった。

 そもそも自分よりも小さい存在を見ることが初めてだ。

 

「阿近副局長……この子……」

「……ああ、触んなよ」

 

 その子の頭に手を伸ばしかけた私だったが、その忠告で手を止めた。

 

「指一本でも触れてみろ。流石にもう庇いきれねぇ」

 

 人と話すために腰を落とすなんて初めてだ。私は少女と視線を合わせる。

 

「……お名前は?」

「……ねむりななごうでしゅ」

「ね、眠七號?」

「局長の最高傑作だ」

 

 だから私は触れるなと言ったのだろう。嫌悪している存在の血筋が、自分の作品に触れるなど決して許さないということ。

 

「おー、初めて見た。コイツが噂のやつか」

「やっとここまできましたよ」

 

 そういって眠七號に向かって微笑む阿近さんは、先程の険しい顔から一変して優しい顔をしていた。

 その顔を見て、私も微笑む。

 

「そっかあ……眠七號ちゃんもちゃんと愛されてるんだね。嬉しいね」

「……うれしい?」

「そ、嬉しい。幸せだね。みんな君の事が大好きみたいだよ」

「……まゆりしゃまはいわないことばでしゅ」

「私も言われたことない。けど、幸せ。一緒だね」

 

 私がそう言って笑っても、眠七號ちゃんは首を傾げるだけ。

 

「なーに年上ぶってんだ。俺らから見りゃお前もまだまだ子供だ」

「ちょっとくらいお姉さんぶってもいいじゃないですか!」

「松本と市丸に言ったらからかうだろうな」

「い、言わないでください!!」

 

 二人がケラケラ笑いながら私をいじってくる光景が容易く想像出来る。

 からかう海燕さんの背中を追いかけながら、阿近さんに各隊隊長への伝達を依頼。

 

 

 そうして、私たちは技術開発局を後にした。

 

 

 

 

 

 

*********

 

 

__南流魂街79地区 水貫(みずぬき)

 

 

 再度現場に到着して、私達は技術開発局が持ち寄った霊力吸収装置の設置を待つ。

 

「油断するなよ」

「はい」

 

 全ての準備が整って、私達が呼ばれた。

 

「非戦闘隊員の避難は既に完了しました」

「さんきゅー。お前らも下がってていいぞ」

「え……でも装置を……」

「如月に任せときゃなんとでもなる」

「ええ……私ですか……」

 

 確かに初動がどうなるか分からない以上、技術開発局の隊員は安全圏まで下げておいた方がいい。

 私は時計を確認して、最初に割り出した予定時刻よりも早くに事を進められていることに安堵した。

 

「海燕さんも少し後ろへ」

「馬鹿野郎。俺が部下より下がるわけねぇだろ」

 

 私の一歩前に立ち、海燕さんはニコリと笑う。それに笑い返して、技術開発局隊員の避難を待った。

 そして、装置に手をかける。

 

「……うわ。初見でこれは難易度高いですよ」

「どうにもなんねぇか?」

「……なりますけど」

 

 複雑すぎる機械を操作しつつ、問題がないことを確認して私は電源を入れた。

 

 

 

 __ガガガガガッ!!

 

 

 なんとも微妙な機械音が周囲に響き渡り、目標に対しての霊力吸収が始まる。

 

「……先に言っておきます。私の予想だと、ほぼ意味無いです」

「はあ!? じゃあなんで……」

「ほぼ、です。ただ、母体を自ら開かせる必要があります。斬りかかって斬魄刀ごと吸収されたら……どうしようもないです」

 

 

 そこまで話した時、辺り一体に耳を塞ぎたくなるような爆音が鳴り響いた。

 

 

 

『ギャオオオオオオオオオ!!!!』

 

 

 

「っ……」

 

 そして目標物を中心に巻き起こる暴風。

 内部に溜め込んだ霊力と吸収装置の力が拮抗しあって、環境影響を与えているんだ。

 

 頼む、開いてくれ。そう願った次の瞬間、今まで微動だにしなかった球体が大きく膨れた。

 

 

 

『ギャウギャウギャウギャウ!!!』

 

 

 

 獣の呼応のような声とともに、徐々に暴風がおさまり出す。

 すると、真っ白な球体に徐々に裂け目が出来始めた。

 

「……来るぞ」

「……はい」

 

 目を細めて、その様子を見守る。……最初に出てきたのは、一体。ほんの小さな小さな虚だった。

 

「……ふざけんなよ」

 

 海燕さんが舌打ちをする。それはそうだろう。小さな虚に続くようにして、ナカから大量に蛆虫のように湧き出る無数の虚。

 母体の虚は既に死んでいて、全体は徐々に消滅しかけている。

 

「何千体抱え込んでやがんだ」

 

 母体の影響が完全に消えるのを確認して、私は最初に動いた。

 

「_君臨者よ 血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ

  _蒼火の壁に双蓮を刻む

 _大火の淵を遠天にて待つ

    __破道の七十三 双蓮蒼火墜!!!」

 

 虚の動きがバラバラになる前に潰す。そう決めて、ありったけの霊力を込めた最大打点で攻撃を放った。

 私の手から放たれた青い炎が正面の虚の大群を飲み込む。

 

「いつみてもすげぇ威力だな」

「……ダメですね」

「……だな」

 

 放たれた炎の渦が収まった時、止まったかと思われた虚の動きが再開した。正確には、更にナカから湧き出てくる。

 私が焼き尽くしたのは表面にすぎず、虚の軍勢の一部を焼き落としたに過ぎなかった。

 

 周囲の気配を探れば、技術開発局が次の行動に出ている。この大量の虚達が流魂街全域に飛散しないよう、現場を中心に結界を展開しているんだ。

 その光景を見て、こういう時に鬼道衆と護廷十三隊の連携がもっと必要だと感じた。

 

 反省点をいま振り返っても仕方ない。今は目の前の事をやるだけだ。

 想定通り、虚の個々の力は強くない。

 

「見事に体力勝負です」

「へばんなよ」

「はい!」

 

 全貌が分かれば、後は力の暴力で薙ぎ払っていくだけ。

 負け筋があるとすれば、体力の枯渇と不確定要素だろう。

 

 私の隣に並んだ海燕さんの霊圧が一気に上昇した。

 

「 水天逆巻け 捩花! 」

 

 三叉槍へと変化した海燕さんの斬魄刀。それと共に、水流が一気に巻き起こる。

 独特な癖のある手首の動きでその三叉槍を振り回せば、一気に何十もの虚が塵となり消えていく。

 

「さて、久々に暴れっか」

 

 空間を埋め尽くさんばかりの虚の軍勢。

 そして私達はその軍勢に向かって、同時に大地を蹴って向かっていった。



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第二十話 共闘と不穏

 

 

 こちらから与えるのは、ただひたすら力の暴力。

 それに対して、終わりの見えないほど大量の虚が数で圧倒してくる。

 

 白打と鬼道で応戦していた私のそばに、海燕さんが降り立った。

 

「如月。斬魄刀と違って、鬼道は確実に霊力を食う技だ。すり減る前に刀に切り替えろ」

「まだ四分の一も遣ってません」

「それでもだ。こりゃ一晩は戦い通しだ。援軍が来るなら話は別だが……来ないもんを待っても仕方ねぇ」

 

 随分と長い時間戦っていたのか、辺りはすっかり夜。

 この殺伐とした戦場に似合わない満月が明かりとなって現場を照らしている。

 海燕さんも私も、消耗はしているが倒れるほどでもない。ただ、援軍が来るなら来て欲しい。そんなところだろう。

 やはり、護廷十三隊の隊長格に伝令を回して招集をかけるのは時間がかかる。それに、全員が来るわけもない。

 

「……それにしても遅すぎる」

 

 背後に迫った虚を裏拳で吹き飛ばしつつ、私は視線を結界の外に向けた。

 結界のせいで、上手く外の気配が探れない。それでも、目視できる限りでは技術開発局に加えて鬼道衆も空間固定の為に援軍が来ているようだ。

 つまりは、中で戦う人選さえ補充出来れば勝ち戦。

 

「如月! 考える前に指示に従え!」

 

 斬魄刀で戦えという指示。私はその指示に、唇を噛んだ。

 

「……ないです」

「ん?」

「斬魄刀での戦い方が……分からないです」

「はあああ!?」

 

 私が言っているのは、剣術が分からないということじゃない。それは海燕さんも分かっている。

 正確に言うのであれば、自分の斬魄刀の力が分からないのだ。

 

「始解出来てるって……」

「はい。始解は真央霊術院時代に獲得しておりました。……それでも……わからないんです」

「……どういうことだ?」

 

 戦う手を止めないまま、私達は動きながら会話を続ける。自分の中で散々に葛藤した結果、私は斬魄刀を隠している布をそっと取った。

 

 暗がりで上手く見えていなかったのか、海燕さんは目を細める。そして、私の斬魄刀を見た瞬間大きく目を見開いた。

 

「浅……打……?」

 

 斬魄刀は、斬魄刀として形状をなす前は、等しく浅打と呼ばれる統一された刀の形状である。

 死神に一律で支給されるものであり、死神はその浅打と向かい合い続けて自分の力の根源を引き出していく。それが具現化したものが、斬魄刀だ。

 斬魄刀と呼ばれる形状になった刀は、一人一人違った刀の形状になる。基本の形は日本刀のような形だが……例えば鍔や鞘の色や形状は一人一人違う。

 

「……私の斬魄刀は……形が変わりません。技に値するものもありません。名前のついた浅打……という評価が妥当です」

「んな馬鹿な……」

 

 嘘じゃない。対話を望んでも答えてくれることは無く、私がこの子に会ったのは始解を手にした時のただ一度のみ。

 だから、あまり知られたくなかった。私は始解が出来るという証明に何一つならないからだ。

 けれど、見せてしまったのならと思考を切り替えて、私は鞘から刀を引き抜いた。

 

 

「斬魄刀の言葉に意味の無い言葉はない。戦い方は刀を通して伝わる。ちゃんと教えて貰ってるはずだぜ」

「そう言われても……」

「ま、帰ったらとことん修行に付き合ってやるよ」

 

 再び戦闘に戻ろうとした時……私は違和感に気がついた。

 

「海燕さん! 後ろ!!」

 

 私の声と同時に、海燕さんが後方に向かって刀を振る。すると、寸前まで迫っていた虚が絶叫を上げて消滅した。

 

「……やべぇな」

 

 それは、今まで無かった出来事だった。

 私たちの体力が落ちてきているのもあるが、反応が遅れるほどでもなかったはず。

 

 

 その違和感の正体に私は最初に辿り着く。いや、元々から予想はしていたことだった。

 

 

「……共喰いが始まっています……」

 

 虚は魂魄を主食とするが、時に共喰いが起きる。多くの虚を喰い、それが寄り集まって大虚となる。

 

「……今ここで大虚を作ろうとしているんだ……」

 

 それは不確定要素の中で一番起こって欲しくなかった出来事だった。

 大虚に匹敵する大軍と大虚とでは意味が大きく違ってくる。実際、いま襲ってきた虚は何匹か捕食の終わった虚だっただろう。

 それを皮切りに、私達が相手をするべき虚の個々のレベルが急激に上がり始めた。

 

「個々では滅ぶだけだと……本能で学習しているんです」

「……面倒なこった」

 

 今ならまだ間に合う。遣えない刀よりもやはり鬼道で……。

 そう考えた私の思考を読むかのように、海燕さんが制止の声を上げる。

 

「それだ、如月。お前は鬼道に頼りすぎてる。そりゃあ斬魄刀もひねくれるぜ。自分の刀を信じて遣え」

 

 その言葉に、私は僅かに迷ってしまった。

 戦いの場に負け筋となる要素は持ち込みたくない。最善の手段で最大の打点を。そう習った。

 ……それと同時に、戦いのさなかでの一瞬の迷いは、一瞬の遅れに繋がる。

 その遅れは、時として有利を不利に変えるほどの出来事となりうる。そう師匠から教わった。

 

 

 だから、戦いの場に迷いを持ってきてはいけないと。

 

 

「如月!!!」

 

 先程とは逆。私は背後に迫った虚に気がつくのが僅かに遅れてしまった。

 海燕さんからの距離じゃ、援護が間に合わない。

 

「っ……__縛道の八 斥!」

 

 打撃を防いで、体勢を整えよう。そう考えた時、感じ取ったのはまた別の存在。

 

 

 

 

「 散れ 千本桜 」

 

 

 

 その声は、敵じゃない。辺り一面に桜の花びらのような刃が巻き起こり、周辺の虚を掃討していく。

 

「……白哉」

 

 正面から平然とした顔で歩いてきたのは、白哉。援軍依頼を出していた六番隊からの救援。

 

「長期戦で集中力が欠如とは……目も当てられぬな、如月」

 

 白哉の千本桜の威力は凄まじく、強化されたはずの虚も私たちに近づくことを許さずに消滅していく。

 私の正面に立った白哉は、私が握る斬魄刀に一度目を向けたが何も言うことはない。

 

 喧嘩をしては泣いていた頃から私も少し成長したのと同じく、白哉は昔よりは口数が減った。

 

「ありがとう、白哉」

 

 それでも、口数が少なくてもわかる。千本桜の展開は私達を守るためのもの。

 助けてやったんだから有難く思え……とか内心で毒づいているのが丸わかりだ。

 

「……海燕さん。恐らく母体があった中心部で共喰いによって産まれた虚がいるはずです。中心部に向かう必要があります」

「俺が行く。お前らは外任せたぞ」

「お一人でなんて!!」

「馬鹿野郎。十三番隊副隊長、志波海燕様だ! こんなところでへばったりしねぇよ!」

 

 そういって、海燕さんは虚の軍勢に飲み込まれるかのように中心部にむかって消えていった。

 残された私と白哉。互いに目を合わせてふうっと小さく息を吐く。

 

「……背中、任せたよ」

「誰に向かってものを言っている」

「多く倒せた方が勝ち! 負けた方は丸一日、鬼厳城隊長に稽古付けてもらう!」

 

 その言葉に、白哉は目を細めた。そして……二人同時に戦いを再開した。

 

 

 

 一刻も早く周辺の敵を掃討し、中心部へ向かっていった海燕さんの援護をしなければ。

 

「__縛道の六十二 百歩欄干!!」

 

 私が広範囲捕縛縛道を使用して虚の動きを止める。

 そこを津波のように飲み込むごとくして、千本桜が通過して掃討。

 

 千本桜は手動で刃の細かい動きを操る刀だ。だから、下手に破道を撒いて砂埃などで視界を奪うことはしない方がいい。

 互いに何か言葉を言わずとも、やりたいことが手に取るように分かる。

 

「力量は違っても……やりたいことが分かり合える心の距離……」

 

 そう呟いて、少し嬉しい気持ちになった。

 

 

 

 

 

******

 

 

 

 中心部に向かうにつれ、徐々に強くなる虚。

 私の息が僅かに上がってきた頃、背中側にいた白哉の僅かな霊圧のブレを感じ取った。

 

「……白哉?」

「……問題ない」

 

 危うい場面はあったものの、私はまだ問題なく戦える。

 それでも、強くなり始めた虚の力量に白哉が徐々に遅れを取り始めているんだ。

 

 実際問題、今しがた千本桜の防御が間に合わず二の腕を裂かれてしまっている。

 地面に滴り落ちる血。終わりの見えない戦い。

 

 

 

 

 それでも……悪いことばかりが起きるわけじゃない。

 

 

「……遅いよ、ギン」

 

 そう私が呟いたと同時に、周囲にいた虚が一瞬にして半分に割れた。

 

 

「 射殺せ 神鎗 」

 

 

 崩れ落ちる虚の大軍出できた道をニコニコと笑いながら悠々と歩いてくるギン。

 

「えらい疲れてはりますやないの」

「流石にね」

 

 経験したことも無いほどの長時間の戦い。疲労が溜まるのは当たり前。

 それでも、徐々にこの場に仲間が集まりつつある。

 

「藍染さんは?」

「他の隊長らの統率をやってはるよ。姫乃ちゃんが来てくれとしか伝令出してへんせいで、こっちは情報がバラバラや」

「……ごめん」

「ええよ。ボクら三人おって負けるとかナシやで」

 

 白哉の方を見れば、心配は無用との目をしている。既に止血は終わっているようだ。

 互いの顔を確認して、私たちは再び戦いに集中を戻した。

 

 

 

 

 

 ……どれだけ。一体どれだけ戦っていただろうか。

 夜明けが見え始めた頃、ようやく辺り一面の虚が『減った』と認識できるまでになった。

 

 

「はあっ……はあっ……」

「ひゃあ……しんどいわ……」

 

 ギンと私は、互いに背中を預けあって大きいため息をつく。

 二人とも流石に息が上がっていて、時々虚の攻撃を許してしまう。その度に、どちらかが手を貸してなんとか無傷で立っている状態だった。

 

「姫乃ちゃん、寝てへんのによーそんな戦えるわ」

「三日三晩、睡眠不足で走り続けた過去があるからだね」

「そらええこっちゃ」

 

 私達から少し離れた場所では、千本桜が舞い上がっている光景が見える。

 白哉自身の姿は見えないが、あの千本桜が動き続けている限りは問題がないという証だ。

 隊長格が集まるまで半日。

 

 

 その半日を……ようやく乗り越えた。

 

「遅くなってすまない」

「儂らが来ずとも終わったように見えるがの」

 

 喉から手が出るほど待ち望んでいた援軍。

 私たちの周りに降り立ったのは…藍染隊長、朽木隊長。

 

「藍染さん!! 中心部にまだ海燕さんが!!」

「わかった。すぐに助けに行くよ」

「このような軍勢は、藍染隊長の方が得意であろう」

「任せてください」

 

 戦い始めた時よりも圧倒的に威力を増している虚の軍勢。数は減ったが個々の力が強い状態。

 藍染さんは特段焦った様子も見せず、刀を抜く。それを確認した朽木隊長は、すでにこちらの勝ちだと言わんばかしに一歩下がった。

 

「……ああ、ほんまにそうするんやなぁ」

「……ギン?」

「なんでもあらへん。……ボクが間に合わへんかっただけや」

「なんのこと?」

 

 言葉の意図がわからず首をかしげたが、ギンはそれ以上なにも言わなかった。

 

 

 

 

「 砕けろ 鏡花水月 」

 

 

 私達の目の前で、藍染さんが始解をした。ずっと戦いを教えてもらっていた私も今まで一度も見たことはなかった。

 出会ったばかりの頃に何度か見せてくれと頼んだ事はあったが、いつも適当に受け流されていたんだ。

 

 

 それは、不思議な光景だった。私達に向かってきていたはずの大量の虚が、いきなり互いを攻撃し始めたのだ。

 振り返った藍染さんは私に向かってほほ笑む。

 

「姫乃は初めて見るんだったね。鏡花水月は流水系の斬魄刀で、霧と水流の乱反射により敵を撹乱させ同士討ちにさせる能力を持つ」

「つまりは、もう儂らが何もせずとも奴らは自滅するということじゃ」

「効果範囲から漏れた虚も少なからずいます。朽木隊長はそちらを処理していただけるとありがたいです」

「相分かった」

 

 朽木隊長がその場を離れる。

 ……藍染さんの鏡花水月は、本当に言葉通りだろうか。いや、鏡花水月の能力は、完全催眠。その力を利用して、藍染さんは裏切りを……。

 

「姫乃?」

 

 声をかけられて、私はハッと意識を戻した。

 

「あ……ううん。昔から見せるのためらってた癖に……あっさりだなと思って……」

「状況が状況だからね」

「……来るの遅かったくせに、こうもあっさり敵を倒されると悔しい」

「隊長の出撃には何かと総隊長の指示が必要なんだ。本当に申し訳ないと思っているよ」

「……ばーか」

「愚痴は後でいくらでも聞こう」

 

 藍染さん達がここまで到着が遅れたのは、どの隊が援護するかの話し合いと総隊長の最終決定を待った為。

 矛盾はない。その行動順番を計算すれば、確かにこの時間になる。

 藍染さんは嘘を言っていない。……なのに、モヤモヤする。

 

 もう何十年もみていない夢のせいだ。

 私が死神になってからの出来事を振り返ってみても、確かに事前に名前を知っていた人は多くいた。ただそれだけ。

 起こり得る出来事のその全てが、夢とは何一つ関連性のない出来事ばかり。

 

 ……夢と現実、どちらを信じるかなんて明白。

 それに、もし鏡花水月の完全催眠を私にかける必要があるのであれば、もっと多くの機会があった。

 右も左もわからない赤子の頃、見せてくれと請うたことはいくらだってあったからだ。

 

 

 ……藍染さんは嘘ついていない。あれは私が勝手に作り出している悪夢だ。

 

 

「姫乃。海燕君が見えてきたよ」

 

 

 そういわれて前方を見ると、中心部で戦っていたはずの海燕さんがようやく肉眼で確認できた。

 海燕さんが戦っていたのは、巨大な一体の虚。

 何百もの共喰いを繰り広げたその集合体は、私が戦ってきた虚の中で間違いなく一番強い存在。

 

 状況的に、海燕さんが押されているように見える。

 

 

「僕はこの場の制圧をギンとやるから、援護に行ってきなさい」

 

 

 その言葉で、私は地面を蹴った。今は戦いに集中しなければ。

 隊長達の増援が来た。もう負ける要素はない。

 なのに……なのに、嫌な予感が止まない。

 

 駆け出した足。

 ……私の不安を体現したかのように、ただ助けに行くはずだった道のりに大きな選択肢を落とされる。



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第二十一話 僕に名前をつけて

 

 

 藍染さんに促されて駆け出した。海燕さんと虚の戦いは、ついに均衡が崩れる。

 海燕さんに向かって虚が大口を開けたんだ。このままでは……食われる。

 

「海燕さん!!」

「如月!?」

 

 私の接近に気がついた海燕さんが驚きの声を上げた。戦いに集中するあまり、周囲の状況がまだ掴めていなかったのだろう。

 私はまず虚の動きを止めようと走りながら手を構える。異変は、その直後に起きた。

 

 

「きゃああああ!!!」

 

 

 

 

 海燕さんの元に駆け出していた私の足を緩めるには、充分なほどの悲鳴。

 こんな悲鳴を上げるものはこの場にいない。視線をずらしてその悲鳴の方に目を向ける。

 

「……は? 魂魄……?」

 

 それは、不確定要素の中で想像すらしていなかったこと。

 この場は結界が展開されており、結界術師が任意で出さない限りは空間より外に出ることは叶わない。

 それはつまり……出ることは出来ないだけで、入ることは可能。こうして援軍が何事もなく入ってこれているのがその証だ。

 

 その中で、予期していなかった。流魂街の住民である魂魄が、こんな辺境の地で戦闘が繰り広げられている結果内に侵入してくるなど。

 

「外の鬼道衆は何をっ……!!」

 

 文句を言おうとして辞めた。

 こんな虚と死神の霊圧が充満している中で、霊力を持たない魂魄の存在を的確に見つけることなど不可能に近い。

 

 予定外に現れたその女性。そしてその真横まで迫る虚。

 二つが衝突しようとした時、間に入ったのは白哉だった。

 

「っ……」

 

 ほぼ捨て身。自分の身を代わりに、女性への攻撃を阻止した白哉は、半身を大きく切り裂かれてしまった。

 苦痛に歪む顔をして、その場に膝をつく。

 

「だ、だ、大丈夫で……」

「下がっていろ!」

 

 心配の声をあげた女性に対して、久々に聞いた白哉の大声。

 運の悪いことに、千本桜を持つ右腕を大きく損傷している。あれでは……刀が振るえない。

 

「ぐっ……」

 

 そして、海燕さんの戦闘状況も悪かった。苦しそうな声を上げて、虚の攻撃を避ける海燕さん。

 

 

 正面の上司を助けるべきか、右に逸れて白哉達の援護に走るべきか。

 この場に隊長達がいるのであれば、きっと白哉達の援護は間に合うだろう。それに、白哉は全く動けないわけじゃない。

 それよりも、長時間の戦いで気迫だけで立っている海燕さんの援護が優先だ。

 

 

 ……それでいいの? 頭の中で最短の答えが出ている。

 

 

 それが正しい。

 

 

 ……それでも、白哉は私が助けを必要としている時に助けてくれた。

 

 私は今ここで……計算で答えが出たからといって見捨てていいの?

 

 どちらも助けたい。

 私が、助けたい。

 

 

 まだやったことは無いが、二重詠唱で双方に鬼道を。

 

「っ……」

 

 

 その考えを否定したのは、紛れもなく自分の思考だった。

 そして、こんな時に……こんな時だからこそ届く海燕さんの言葉。

 

 __自分の刀を信じろ。

 

 

 理論のない奇跡と呼ばざる得ない可能性に身を委ねるのは苦手。

 自分の力の中で最も信頼を置いているのは鬼道。

 

 それでも、正しさという理論を乗り越えて、私の心を引っ張るのは言葉の力。

 

 

 奇跡に身を委ねるのは嫌い。

 

 

 だけど、仲間の言葉に身を委ねるのは……私の大切な十三番隊隊士としての矜恃。

 

 

 

「……啼き叫べ 名無之権兵衛(ななしのごんべい)

 

 

 

 海燕さんが始解した時のような霊圧の上昇はみられない。形状が変わることも無い。

 傍から見れば、妄言を吐いているようにしかみえないだろう。

 

「浅打……?」

 

 案の定、朽木隊長の疑問の声が聞こえる。

 私だって、これ以上何をしたらいいのかわからない。

 

 

 でも、助けたい。助けたい。助けたい。

 私が、私の力で!!

 

 

 そう強く願った。そして実に直感的だが、背後にいた藍染さんが……微笑んだような気がした。

 それを最後の光景として、世界の動きが止まった。

 

 

「……名無之権兵衛(ななしのごんべい)

 

 周囲から、色が消える。止まった世界は、色鮮やかさを失い全てが真っ白な景色へと変貌。

 この景色を知っている。

 私が始解を手に入れた時も、同じような光景だった。

 

 そして、止まった世界の端から歩いてくるのは、小さな子供。私とそう背丈が変わらないようにも見える。

 

 

「やっと……また僕の名前を呼んだね」

「……ずっと呼んでも答えなかったくせに」

「答えていたさ。君が聞こうとしていなかっただけ」

 

 声色的には男の子だろう。祭司のような服装を纏ってはいるが、顔は見えない。

 真っ黒な布で隠しており素顔が分からない。その布と白い四角形の帽子の隙間から覗く白い短髪。

 

「こう言い換えた方がいい? やっと……僕を頼ってくれたんだねって」

「……ごめん」

「まあ、君とまたこうして精神世界で会えて嬉しいよ」

 

 今私が名無之権兵衛と話している時間は、現実と並行はしていない。

 私と名無之権兵衛だけが歩む、独特な時間。ただ、今彼は一つ気になる言葉を言った。

 

「……これが私の精神世界? だって……」

 

 景色は色が変わってはいるが先程みている情景となんらかわりない。

 他の人の話から聞いた世界観とは全く違うものだ。

 

「当たり前だろう。だって、君はこの世界を観ているんだから(・・・・・・・・)

「どういう……」

「君のお父さんの傲慢だよ。それが不協和音を起こした。……ま、彼は気がついてすらないけどね」

「何を知っているの! 教えて!!」

「嫌だね。僕は君が大切なんだ。宝物だ。だから教えないよ」

 

 そう言って名無之権兵衛は私から顔を背ける。

 そして、今しがた起こっている惨状へと目線を向けた。

 

「助けたいんでしょ」

「……出来るの?」

「戦い方は最初に教えた」

 

 その言葉に、私は記憶を巡らせる。

 名無之権兵衛は、最初に一言だけ言ったんだ。

 

「僕に……名前を……」

「そう。名前をつけてよ」

 

 その言葉の意味がずっとわからなかった。

 技名を自分で付けるのかと色々と試行錯誤したが、名無之権兵衛が答えることはなかった。

 

「分からないなんて嘘つかないで。僕の名前は名無之権兵衛。さあ、もう君は答えに辿り着いている」

「……違う。正解が分からない」

「君が一番深く知っている名前を呼んで。その方がのちのちずっと遣いやすい」

 

 ずっと否定してきた答えの一つ。

 可能性として思い浮かべながらも、行使しなかったのは正解が分からなかったからだ。

 

「三つまで。解約は出来ない」

 

 名無之権兵衛の言葉は、もう充分過ぎるほど伝わっている。

 彼に……斬魄刀の名前を付けろということだ。

 

 だからこそ正解が分からない。どの刀を三つの契約に当てはめた方がいいのか分からないんだ。

 ただ、今は信じるしかない。

 私が最も深く知っている斬魄刀……。

 

 

「さ、やろうか。君が負ける未来なんてないよ。僕が一緒だからね」

 

 その言葉を最後に、名無之権兵衛の姿が消えた。

 そして、真っ白だった世界に徐々に色が戻り始める。ゆっくりと動き出す景色。

 

 私は、グッと唇を噛み締めて刀を握りしめた。

 

 

 

「……散れ 千本桜!!!!」

 

 

 その言葉と共に、初めて……私の斬魄刀の形状が変わった。

 刀身が崩れ落ちるようにして桃色の細かい刃へと変わる。手元に残ったのは、刀の(はばき)より下だけ。

 

 私は駆け出していた足を止めて、そのまま両手を左右に広げた。

 

 

__ザアアアアッ!!!

 

 

 細かい刃が、私の両手の動きに合わせて左右均等に分かれて広がる。

 片方は白哉達に迫っていた虚に向けて。

 もう片方は、海燕さんを今にも食おうとしていた虚へ向けて。

 

「私の仲間にっ……手を出すなあああ!!」

 

 

 始解をした時は変動のなかった霊圧が、爆発的に上昇する。

 そして、私を中心として霊圧の暴風が辺り一体に反響した。

 

 

 

 

 

 

 

************

 

 

 時は過ぎて、既に太陽が完全に昇った頃。私はパチリと目を覚ます。

 

「おはよう」

 

 一番最初に目に入ったのは、藍染さんの顔だった。

 やけに近いなと思って、ようやく自分が腕の中で寝ていたことに気がつく。

 私達がいる場所は、まだ先程居た流魂街だ。

 周囲の人々が慌ただしく駆け巡っている所を見る限り、戦闘後の処理に追われているのだろう。

 

「……! 海燕さんは!」

「無事だよ。先程救護詰所への搬送が終わったところだ」

「……よかった」

 

 自分が千本桜を遣ったという所までしか記憶がなく、無事助けられたのだという事に安堵。

 

「気力体力が限界を迎えていたんだ。戦いが終わったあと、気絶するように寝ていたよ」

「……戦場で寝てごめんなさい」

「言っただろう。終わった後だよ」

 

 私は藍染さんの腕の中から出ると、地面に降り立つ。

 未だにぼーっとしている頭のまま、改めて周囲を見渡した。

 

 その光景の中に、ある人物を見つけて駆け寄る。

 

「白哉!」

 

 木の影で治療を受けていたのは白哉だ。

 私が駆け寄ってきたことには気がついた様だが、特段驚いた様子などの感情は顕にしない。

 

「怪我の状態は……」

「あ……一日あれば回復されますよ」

 

 私の疑問に答えてくれたのは、四番隊の人だった。

 

「あ……山田花太郎と申します! あのっ、えっと……」

「あ……ありがとうございます。白哉はこういうこと言わないから……代わりに言います」

「よ、五大貴族様を呼び捨て……ああ、いや僕は別に! し、仕事ですから!」

 

 オドオドしながら冷や汗を流す彼は、私達に頭を下げてその場から離れていった。

 

「……人のものを勝手に」

 

 顔色は変わらないが、声は明らかに不機嫌。

 私が千本桜を遣ったことを流石に白哉も分かっている。

 

「……ごめん。あれが……私の斬魄刀の能力なの」

 

 暫く無言の時間が続いて、白哉が口を開く。

 

「……中途半端な遣い方をしたら許さぬ」

「え?」

 

 嫌味が来ると思っていたのに、まさかの受け流された。

 

「な、なんか機嫌良くない?」

 

 そう聞いても返事はない。不思議に思っていると、私達に近づいてくる一つの存在。

 

「あのっ……」

 

 か細い声を上げたのは、白哉が守った女性だった。

 綺麗な黒髪で、流魂街の住人にしては不思議な気品がある女性。私は慌てて腰を上げてその女性を見上げた。

 

「怪我がなくてよかったです……というよりなんでこんな所に……」

「さ、探し人をしておりました。そのうちに迷い込んでしまって……本当にごめんなさい」

 

 その女性の顔をみて、私は誰かに似ていると思った。

 記憶にあるよりは若いためか、若干人相違って上手く答えが出ない。

 

「あ……えっと……お名前は」

「緋真と申します」

 

 そういって笑う緋真さん。その名前に、私は思わず白哉の方を見た。

 

「生まれは戌吊ですが、訳あって……その、隣地区に……」

 

 そんな緋真さんの言葉を流し聞きしつつ、白哉をじっと見つめる。

 見つめても見つめても、白哉は私を見ない。いつもなら、そろそろ我慢の限界が来てなんだと言いたげに睨まれるはずなのに。

 

「……白哉? ねぇ、白哉。機嫌いいでしょ?」

「あっ……白哉様と言うお名前なんですね! 私の所為で怪我を……」

 

 悲しげに申し訳なさげに頭を下げる緋真さん。

 その緋真さんを白哉はチラリと見てまた目線を逸らした。

 

「……構わぬ」

 

 私はそこまで白哉の反応を見て、零れる笑みを抑えきれなかった。

 

「あはははっ……」

「へ?」

「緋真さんっ……白哉、照れてるっ……あははっ!」

「如月、貴様!!」

 

 ようやくいつもの口調で毒を吐く白哉だったが、私は見逃さない。

 ほんの僅かに白哉の耳が赤いことを。

 

「朽木隊長! 白哉が照れてます!! 一目惚れらしいです!」

 

 私の大声に、朽木隊長が笑みを零した。

 

「ほほ。てっきり我が家には金白色の毛色が混ざると思っておったが……好みは親子で似るもんじゃの」

「お爺様!! 私はこのようなじゃじゃ馬は好きませぬ!!」

「あはは! 私もお前みたいなトンカチ頭は好きじゃない!」

「なんだと!!」

 

 白哉の蹴りを躱して、私は荒野を駆ける。

 戦いの後だというのに、面白いことも起きるものだ。

 

「姫乃、帰るよー」

 

 藍染さんが私を呼ぶ声が聞こえて、その場から離れる。

 追いかけてこようとした白哉を私は言葉で制した。

 

「あ! ちゃんとその緋真さんを送って行きなさいよ! 守ったなら最後まで!!」

「貴様に言われずともそうする予定だ!!」

「そっか! 良かった!!」

 

 夢の中でも白哉と緋真さんは結婚していた。だけど、この光景に私は安堵する。

 夢の中で彼らがどうやって出会ったかは知らない。だけど今この現実は、紛れもなく私が存在して私の見ている世界と繋がりの中で起こった出来事だ。

 あの夢に私は出てこない。……だから、やはり夢なのだろう。

 

 非常に似た世界を歩みつつも、やはり違う。知識として完全否定するべきものでもない。ただ、その全てに飲み込まれて現実を見られなくなるのはもっと恐ろしい。

 その現実こそが悪夢だと、この時の私はまだ知らなかった。



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第二十二話 探し物は何処

 

 

 あの事件から数ヶ月。私は瀞霊廷中央図書館を訪れていた。

 

「……ここにもないか」

 

 別にこれが初めてじゃない。もう何度も何度も探した。

 私が探しているのは、父に関連する記録簿。

 まるで初めからいない存在かのように、この瀞霊廷図書のどこを探しても見つからなかった。

 

「姫乃さん!」

 

 どこからか私を呼ぶ声がして振り返る。

 

「七緒ちゃん!」

 

 私の姿を見つけて駆け寄ってきたのは、七緒ちゃん。

 彼女とは図書館で会うことが多い。

 

「本探してるんですか?」

「んー……見つからなかった」

 

 そう困ったように笑うと、七緒ちゃんは手に持った本のうち一冊を私に渡してきた。

 

「これ、面白かったですよ」

 

 少し古いその本。

 

「探し物は……何処?」

 

 本の名前は、探し物は何処?という題名。

 一見すると御伽噺関連の本にも見えるが、中を開くと書いてある単語の難易度から大人向けの本だと分かった。

 

「謎解き小説です。主人公も本が好きなんですが、自分が手に取った本を元に一つの事件を解決する……という小説です」

「へぇ……」

 

 私はその本をペラペラとめくり、数ページ読み進めていく。

 そんな私を七緒ちゃんはニコニコしながらジッと見つめた。

 

 一度読み始めると集中してしまうもので……暫く読んで私はようやくまた顔を上げる。

 

「なるほど。主人公の過去に手に取った本の題名が一つに繋がるんだ。犯人は一番最初に出てきた老人だね」

「ええ! もうわかっちゃったんですか!」

「ご、ごめん……」

「姫乃さんに推理小説渡したら、最後までいつも読んでくれないですね」

「だって……」

「本当に凄い!」

 

 七緒ちゃんは私から本を受け取ると、満足そうに笑って棚にしまった。

 

「でも、今まで読んだ中で一番面白かった」

「当たり前です! 私も先日、藍染隊長に教えてもらった本ですから。京楽隊長はいつも御伽噺の本しか進めてこないですからね」

 

 そう文句を言いながら本を返していく七緒ちゃん。

 

「そうだ。藍染隊長にお礼を言ったら、姫乃さんに今日渡してくれって言われてたんですよ」

 

 その言葉を聞いて、少し考える。……この本は、初めから私の手に渡るということだったのだろう。今日でなくてはならない理由を考えて、ひとつの答えに行き着く。そして私はこの広大な図書館を歩き始めた。

 

「あ! 姫乃さん!」

 

 突然移動を始めた私に、慌てて七緒ちゃんが付いてくる。中央図書館の在庫本は膨大だ。

 私の背丈では届かない物も多い。それでも、今日この本が私の手に渡ってきたことには必ず意味がある。

 私は自分の目線の高さだけに集中して、この一年で藍染さんから渡された記憶のある本をひたすら探した。

 

「だ、台を持ってきます!」

「ありがとう」

 

 両手に抱えきれないほどの本を持つ私。それに気がついた七緒ちゃんが本を乗せるための荷台を持ってきてくれた。

 それに次々と本を重ねていく。全てを積み終えた時、積み上げた本の高さは丁度私と同じ背丈だった。

 

「七緒ちゃん、謎解きしよ」

 

 次は机に移動して、その本を全て並べる。

 発行年毎に並べて終えて、私たちは机いっぱいに広がった本をじっと眺めた。

 

「……発行年だけじゃまだ分からないですね」

「ね。こじつけでどんな言葉にも出来そうだね」

 

 次のヒントが無いかと記憶を巡らせ、私はふと思いつく。

 

「背丈が同じ本だけを残そう」

 

 積み上げた本は、私と同じ高さだった。

 その高さがヒントだと思って、一つ目の本と高さが同じ本だけを残した。

 

「あ! 凄い!」

 

 そこまでくると七緒ちゃんも気がついたのだろう。並べた本とそこから浮かび上がった言葉に、歓喜の声を上げる。

 

「お、た、ん、じょ、う、び……お、め、で、と、う……。お誕生日おめでとう。君はまだ泣き虫だろうか……」

 

 二十文字の文を読み上げて、私は近くにあったカレンダーに目を向けた。

 すっかり忘れていたが、今日は八月七日。確かに私の誕生日だ。

 

「凄い凄い! これ、去年から用意してたって事ですよね!」

「ね。子供の背の高さの成長速度なんて分からないって言ってたのに」

 

 何とも回りくどいお祝い。だけど、こういう仕掛けは私が一番喜ぶし楽しむって知っててこうしたんだと思う。

 そして、最後に並んでいた本の一番最後のページを開いた。するとそこに、一枚の封筒。

 

「なんだろ?」

 

 手に取って中身を確認する。すると、中から手紙ではなく髪紐が出てきた。

 

「わあ……綺麗……」

 

 キラキラと光る赤い髪紐。……もうリボンを付ける年じゃないよってことかな?

 そう考えて笑っていると、七緒ちゃんが私の肩をポンっと叩いた。

 

「結ってあげます!」

「ありがとう」

 

 椅子に座って、私はされるがままに頭を預ける。

 そうして目の前の本に残されたお祝いの文に目を通していると、私はもう一つの事に気がついた。

 

 

 それは、七緒ちゃんには言わなかった。

 

 私達は上から頭文字を取って読んだ。

 でも、下から尻の文字を取って読むと……もう一つ文があったんだ。

 

「姫乃さん?」

「……なんでもない」

 

 ……お父さんは生きている。現世で君を待っている。

 

 

 そう書かれた同じ二十文字の文書。

 

 

 ………父は私が存在していることを知らない。

 だから、待っているなんて事は有り得ないのに……。昔から、藍染さんは父が生きているかどうかは分からないと言った。

 それは京楽隊長や浮竹隊長も同じことを言っている。けれど、みんな死んだなんて思っていないと。

 ……この言葉は希望的観測なのか、それとも藍染さんの確信から紡がれた言葉なのか。直感的に、後者だと分かった。

 

「……会えないし見たことも無い子供を親が待つなんて事……あるのかな」

 

 私は七緒ちゃんに気が付かれる前に、手元近くの本を重ねて読めないようにした。

 

「当たり前です。どれだけ離れていても、互いに存在を知らなくても……親子ですから。姫乃さんは、きっとお父さんに会えますよ」

 

 私は七緒ちゃんの方を振り返って見上げる。そして、ジッと目を見つめた。

 

「……大罪人の子供でも?」

 

 どうして今更こんな言葉を言ったのかは分からない。七緒ちゃんが私の過去を知らないことをいい事に、私は今まで踏み入ったことは無かった。

 彼女は、少し驚いたような顔をしたが直ぐに小さく微笑んだ。

 

「姫乃さんが、浦原喜助の子供だってことですか?」

「……知ってたの?」

「むしろ、今まで知らないと思い込んでいた方が不思議です」

「……そっか」

 

 事件から随分と時が経ったからか、今更この事件に関して話題にあげる人は少ない。

 人の入れ替わりが多いこの瀞霊廷で、私が生まれた時より前に生きていた人が徐々に減っているのも原因の一つだ。

 あと百年もしないうちに、父達の事件を知る者は限りなく少なくなるだろう。

 

「……全部知ってますよ。姫乃さんの過去も、未だに私と鬼道の熟練度を合わせてくれていることも」

「……ごめん」

 

 既に多くの事に気が付かれている。その後ろめたさから、私は胸が苦しくなって謝りの言葉しか言うことが出来なかった。

 頭を伏せる私の横に、髪を結び終わった七緒ちゃんが座る。

 そして、七緒ちゃんは小さく言葉を紡ぎ出した。

 

「……叫んでるって思ったんです」

「え?」

「自分を隠して隠して、そうやってでも……私を独りにしないで……って」

 

 私が顔をあげて七緒ちゃんを見ると、彼女は変わらない笑顔を浮かべていた。

 

「今日を、私達の本当のお友達記念日にしましょ!」

 

 ずっと隠していた私に、きっと思うことは多くあるはず。それなのに、それでもいいと包み込むのは……

 これは優しさなのだろうか?

 そうしないと私が出てこないと知った上での優しさ?

 

 

 ……多分違う。きっとこれも、私が知らない温かさ。

 

「……うん。七緒ちゃんは……たった一人の私の友達」

 

 友達。その言葉に、私は嬉しいような恥ずかしいようなむず痒いような……なんとも言えない気持ちになった。

 

「姫乃さんは、私の逆なんです」

「逆?」

「私は斬魄刀を持ちません。鬼道も人より得意なだけで、戦いに出たことはありません。だからこうして、見えない世界を本を通して読むしかない。それでもこんな自分に誇りを持てているのは……守ってもらってるからなんです」

「京楽隊長に?」

 

 私がそう聞くと、七緒ちゃんは照れくさそうに笑って頬を指でかいた。

 

「私が私の世界を羽ばたけるように……。きっと私に見えないところで、フラフラと小石を退かしてくれてるんですよ」

「そんなこと京楽隊長に言ったら、えー、告白かい? 嬉しいなぁ。ってニヤニヤしそう」

「だから一生言わないです」

「それはそれで可哀想」

 

 二人でクスクスと笑い合って話し終えた時、図書館にお昼を告げる鐘の音が鳴り響いた。

 

「え、あ、もう昼か!」

 

 藍染さんからの謎解きをやっていて、想定以上に時間を押してしまっていた。

 

「これからどちらに?」

「鬼道衆の席次試験!」

「い、異動されるんですか!?」

 

 驚きの声を上げる七緒ちゃんに、私は首を横に振る。

 

「兼任……というか道場破り」

「えええ!?」

 

 更に驚く七緒ちゃんの姿が面白くて、私はクスクスと笑った。

 

「言葉の綾だよ。冗談を練習してるんだけど、どう?」

「……心臓に悪いですよ」

 

 数ヶ月前の戦いで、私はより強く思ったことがある。護廷十三隊とはまた別なる部隊である鬼道衆。

 この二つの関係性をより深める必要があると。縦に並んでいる二つの組織を横に繋ぎ止める糸に私がなりたいと思った。

 それに、普段から謎に包まれている鬼道衆という存在。

 今まで依頼は受けてきたが、内部でも指示系統がごたついているのは、どうやっても気になってしまう。

 数年前から話は出ていた兼任の話への受け身姿勢を辞めて、私は直接向かうことにした。

 

「またね!」

「はい、また鬼道の練習一緒にやりましょう!」

「うん!」

 

 七緒ちゃんに手を振って、私は中央図書館を出る。

 

 

 

 私が小走りで道を走っていると、空から地獄蝶が飛んできた。

 

 

『如月。四十六室の審査が終わったぞ』

 

 地獄蝶から聞こえてくる声は、浮竹隊長だ。

 人の斬魄刀を模倣出来る斬魄刀。その力の脅威性を重く見た四十六室から私は暫く刀を取り上げられており、審査にかけられていたのだ。

 

『一つ、王族特務の斬魄刀模倣を禁ずる。一つ、流刃若火の模倣を禁ずる。一つ、罪人の斬魄刀模倣を禁ずる。一つ、上記三項目に違反した際は、斬魄刀の即時返納と破棄処分とす』

 

 伝えられた審査結果を頭の中で反復しながら、私は地獄蝶に向かって返事を返した。

 

「問題ないです。名無之権兵衛からも、自分よりも強い斬魄刀の模倣は出来ないと伝えられています」

 

 契約とは翻せば呪い。もし自分の力よりも強い斬魄刀を遣おうとすれば、その過ぎた力は身を滅ぼす。

 それに、本体は名無之権兵衛だ。知らない力を得ることは出来ないし伝えられることも無い。

 

 ……分かりやすくいえば、名前だけ知っていて技名や扱い方を知らなければ、それはただ「その形をした斬魄刀」に過ぎないということ。

 

 例えばの話だが、黒崎一護の斬月を模倣しても、月牙天衝という技を知らなければ、私がどれほど斬月で鍛錬しても刀から月牙天衝という技名を伝えられることは無い。

 それ以上はない。結論、ただ身の丈に合わない大剣を振り回しているに過ぎないということ。

 

 だから名無之権兵衛は、自分がより深く理解している斬魄刀を選べと言ったんだ。

 

「……いずれは卍解も遣えるという前提の話にしか聞こえないんだけどなぁ……」

 

 名無之権兵衛にそう伝えたが、バーカとしか返ってこなかった。

 変なところが私に似ている気がする。

 何はともあれ、無事刀が返却されてよかった。同じ斬魄刀が二振り存在してはいけないという掟の見事な穴を抜け道としたような、いやらしい斬魄刀だ。

 ……そんなところも私に似ている気がする。

 

 

 

 ようやく私は鬼道衆の隊舎にたどり着いて、門番に声をかけた。

 

 

「……連絡していた十三番隊隊士、如月姫乃です」

 

 そう声をかけると、私に目線を落とす門番。そして、ギョッとした顔をした。

 

「だ、誰の委任状を……」

「浮竹隊長と京楽隊長の連名文書です。通行には不十分ですか?」

 

 認めないとは言わせない名前の圧力。私が書類を渡すと、それを食い入るように見つめる門番。

 流石に鬼道衆。浮竹隊長と京楽隊長の霊圧を込めた印を見抜けないわけはなく、それは同時に本物であるということ。

 

「……通行を認めます」

「ありがとうございます」

 

 お礼をいって隊舎内に入る。少し緊張するが、これが私の選ぶ道。

 七緒ちゃんに言った言葉は大方嘘では無いかもしれない。

 

 ……傍から見れば、確かにこれは道場破りだなぁ。冗談の練習をもう少ししなきゃな。

 なんて考えながら、私はさらなる目的の場所へ向けて足を進めた。



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第二十三話 鬼道衆

 

 

 私が歩く度に刺すような視線を感じる。

 会話をしていた人物は、私が進む姿をみて会話を止める。そうやって徐々に静まり返る鬼道衆隊舎。

 長らく感じていなかったこの空気感に、懐かしいとさえ思った。

 

 そうして、一本の幅広く長い廊下を歩いていると正面から目的の人物が現れた。

 

「……お初お目にかかります。鬼道衆三席有昭田勒玄(うしょうだろくげん)さん」

 

 白髪と長い白い髭。一目で歳のいった人物だと分かる少し小柄な男性。

 現在の鬼道衆における最高責任者、有昭田勒玄(うしょうだろくげん)だ。

 

「……何用か。如月姫乃……いや、浦原姫乃」

「その名で呼ばれる事は好みません」

「祖の名を嫌うか。親子揃って実に憎たらしい」

 

 彼が父の何を知っているのかは分からない。ただ、ここには私の知らない父の痕跡があるのだと、言葉から読み取れる。

 

「……何故総帥を置かれないのですか。護廷十三隊とより深い連携が必要です」

「貴様に関係などない」

 

 そう言って踵を返して有昭田三席は歩き出してしまった。

 その背中を追うように私は足を進める。

 

 護廷十三隊でもそうだが、隊長がいるのといないのでは大きく違う。隊長のみに認められている権限は多くあり、その隊自体の稼動性に直結してくる。

 それを分かっていて、鬼道衆は副鬼道長すら置いていない。

 

 

 ついて行ったその先は、広大な更地だった。恐らく普段鍛錬で使用している土地なのだろう。

 

「浮竹隊長から聞きました! 貴方が私の鬼道衆入門への反対派閥意見を抑えてくれているとっ……」

 

 そこまで話した時、私の口が強制的に閉じられる。

 こちらを振り返らないまま、有昭田三席の指から放たれた縛道によって拘束されたのだ。

 

 低級の縛道ではあるが、砕蜂隊長に受けた嘴突三閃よりずっと高度な熟練度。

 ……ここまで実力のある人が、何故総帥どころか副鬼道長としても立とうとしていないのか。

 

「勘違いするでない。子鼠一匹に騒ぎ立て、内部の争いを招くのは実に醜い事。ただそれだけのことだ」

 

 有昭田三席はそのまま空を見上げると、どこか遠くを見つめているような目をした。

 

「……貴様の父親の所為で、我が鬼道衆は二大巨頭を失った。その業を背負って歩く童よ。その姿を儂らの前に表すこと、それ自体が罪だと……何故理解出来ない」

 

 現世に罪人として追放されたのは、父だけではない。五大貴族の一人、四楓院夜一。

 そして……鬼道衆総帥大鬼道長、握菱鉄裁。

 その事件の被害者として、当時副鬼道長であった有昭田鉢玄もその名を失う事となった。

 深い悲しみと怒り、憎しみ。護廷十三隊から向けられていたものが、嫌悪だとすならば……鬼道衆が私に向けているのは、憎悪。

 行き場のない憎悪を、私に向けているのだ。

 

「その悪しき名に刻まれた才を死神として振るうのであれば、遣い用はいくらでもあろう。危険度の高い任務に隊士を割かずとも、動かせる駒があるに越したことはない。ただそれは、鬼道衆に踏み入っていい理由にはならん」

「……数ヶ月前の事件……分かっていて私に行かせたんですね」

 

 私が返事を返したことに、有昭田三席は初めて驚きの表情で振り返った。

 口が聞けないよう拘束していたはずの私が話し出したからだ。

 

「……少し時間を与えすぎたのでは?」

 

 確かに解除にかなり手間取ってしまった。ただ、それに値する時間は与えられていた。

 

「霊子結合部分に僅かに歪みがありました。……私を試されていたのですね」

 

 その言葉に、彼は目を細める。

 

「……屍となればそれで良し。生きて戻るというのであれば、門を閉じる。……浮竹と京楽の肩入れは気に食わんな」

 

 指示系統がごたついていたのではなかった。私があのまま力を失って死ねば良いとして、単独で向かわせたのだ。

 

「……一歩間違えば、私の上官を失うところでした」

「そこで死ぬのであれば、それまでのこと。また護廷の歴史に、浦原の名が刻まれるだけだ。……仲間殺しとして」

 

 私は唇を噛んで必死に怒りを抑えた。

 それでも抑えきれない霊圧が、周囲の建造物にビリビリと反響する。

 

 今ここで私から手を出してはいけない。怒りのままに動いたその先、私は鬼道衆への立ち入りを生涯認められないだろう。

 それを分かっていて挑発されている。

 

「……どうやら、莫迦ではないらしいの」

「貴方のっ……目的はっ……」

「復讐。我が孫を殺し、命を捧げる程敬愛した総帥様に罪人の名を背負わせた挙句、何処かでのうのうと生きている畜生に、同じ苦しみを与えること」

 

 十三番隊で学んだことは、どれだけ遠くてもどれだけ難しくとも、心通わせられる日が必ず来るということ。

 それは……憎しみに対してでもそうなのだろうか。ここまでの憎しみの中で、私が鬼道衆に踏み入る必要は……ある。

 私の知らない事が此処には多く隠されている。理論や知識ではなく、私の本能が此処にいるべきだと訴えかけている。

 

「……背負います。父の業を背負って立ちます」

「……それが貴様の答えか」

「どうせ刺されるなら、正面から。憎しみの全てを受け止めます。それが……条件ですよね?」

 

 数分前に湧き上がっていた怒りはもうない。この人から紡がれる言葉は、どれもこれも試されている。

 自分達の前に立つということは、それなりの覚悟があってのことかと。

 そう問われているんだ。

 

 

 私は有昭田三席に向かって指を向けると、パチンと音を鳴らした。

 

「っ……」

「勒玄さん!!」

 

 殺伐とした光景を息を飲んで見守っていた鬼道衆の面々が、地面に膝を着いた彼に向かって切迫した声を上げる。

 先程とは真逆。今度は私が彼を拘束した。

 

「勒玄さんが……縛道の相殺を出来なかった……?」

 

 誰かがそう呟いた。その言葉通り、これは鬼道衆三席が、一隊士の縛道に掛かったという……敗北。

 それを分からない程、彼らは愚かじゃない。

 膝を着いた事で、小さな私の背丈よりも低い位置に彼の頭はある。

 ……こんなやり方……苦しい。

 それでも、試された答えの正解はこれしかない。何倍もの歳の差がある存在に見下されるのは、さぞ屈辱的だろう。

 それでも、逃げ腰の姿勢をみせてはいけない。戸惑いをみせてはいけない。

 

 

 そんな弱い存在を、この人は求めていない。

 

「この鬼道衆に置かれている膨大な知識を貰います。その代わり……憎しみが晴れるその日まで、私は逃げも隠れもしません」

 

 また指を鳴らして、彼の拘束を解く。

 

「貴方の言葉は……憎しみで溢れている。でも……その目は……憎しみの目じゃないです。見つからない物を探しているような……私を見ていない目です」

 

 そう言うと、有昭田三席は地面に目を伏せた。暫くの沈黙の後、小さな声で言葉が返ってくる。

 

 

 周囲の者たちには聞こえない声。

 

 

 

「……何故……我々を見捨てたのですか……。何故……我々ではなく浦原についていこうと決めたのですか……。握菱殿……」

 

 

 それが、彼の心の底。握菱鉄裁は、護るべき存在を抱えていながら、父の悪行に加担した。

 崇高である総帥の選んだ道は、何を見ての道だったのか。

 何に魅入られたのか。探しても探しても見つからない、深い海の底に埋もれて息が出来ていない。

 

「……私を見て下さい」

 

 そう言うと、有昭田三席は顔を上げた。交わる瞳。

 ……初めて、彼と「目」が合った気がした。

 

「……何となく感じている夢と現実の狭間。……真実を共に探しに行きませんか」

「……貴様には何が見えている」

「……分からないです。分からない答えが、私の首を締めています。向かい合う事が恐ろしい。否定したい。否定する為ならどんな小さな事にでも縋る。それでも、不安は消えない。言葉に出すことが恐ろしい。だから……首輪でもかけてて貰えませんかね」

「自分を見失わぬ為に儂らを利用すると?」

「はい。あとそれと一つ……鬼道衆って、面白そうだなって思っただけです」

 

 そう言って少し笑って見せたが、冗談が通じなかったのか笑い返されることはなかった。

 ……やっぱり冗談をいう才能に私は恵まれていないのだろう。

 

 有昭田三席は黙って立ち上がる。

 すると、心配が限界に来たのか観覧者達が波のように押し寄せてきた。

 

「お怪我はありませんか!」

「手を抜かれたのですか!?」

「今しがたはなんの会話を……」

 

 次々と押し寄せる質問に、有昭田三席は眉間に皺を寄せて少し大きめの声を上げる。

 

「えい! 騒ぐな、みっともない!!」

「し、しかし……」

「儂が手を抜いた事が今まで一度でもあったか。……元老院と総隊長に伝令を飛ばせ。……我が鬼道衆の副鬼道長に……如月姫乃を任命すると」

「副……鬼道長……」

 

 ザワつく周囲の声色は様々だ。戸惑ったような声もあれば、ようやく空白の座が埋まったことに対しての安堵の声もある。

 その差は、過去の事件を知るか知らないかの差だろう。

 

「この者は、儂らの頭領を名乗ると言っておきながら、護廷十三隊の籍を抜く気がないとのこと。……全く、それをこなす技量があると信じて疑わないか」

「やれるなら、やっちゃったほうがいいじゃないですか。私は、護廷十三隊と鬼道衆のより深い繋がりを創りたいので」

「……ふん。気に食わない。ならばさっさと十三番隊で見合う名を貰ってこい」

「わかりました。浮竹隊長にそう伝えます」

 

 手厳しい人だ。副鬼道長という責務を背負うなら、十三番隊でも席次を貰ってこいと。

 ……戦いで殺せないなら、過労で殺すとでも言いたいのか。

 私が表情を緩めて笑っていると、また睨まれてしまった。

 

「そのようなヘラヘラとした笑いは好かん。貴様の父親が、予定通りに事が進んでいる時にする笑いだ」

「……ばれましたか」

「……尚のこと気に食わんな」

 

 不機嫌だと全身で訴えかける空気感。有昭田三席は小さく舌打ちをして何処かへ行ってしまった。

 その背中が消えるのを確認して、私はふぅ……っと深い息をついた。

 

「……こわっ」

 

 身の丈に合わない振る舞いをした事で、疲労とはまた違った意味の疲れがドッと押し寄せる。

 いま副鬼道長の名を貰ったのは、半分ズルだ。その名に見合うためのより深い鍛錬が必要だろう。

 また名無之権兵衛の機嫌を損ねそうだな、なんて頭の端で考えながら、私は鬼道衆の隊舎を後にした。

 

 

 

 

*******

 

 

 

「はああああ!? 副鬼道長だと!?」

 

 十三番隊に戻った私は、早速海燕さんの絶叫を聞く羽目になる。

 

「お、おま……ウチはどうすんだよ!」

「いや、その……えっと……席次……下さいな」

 

 私の言葉に、あんぐりと口を開けるしかない海燕さん。

 

「いやまあ……ほら……隊長達の中にも兼任されてる方はいますし……そんな……」

「お前なぁ……その歳でやる話じゃねぇだろ……」

「問題が年齢だというのであれば、問題なさそうですね」

「……お前なぁ……」

 

 

 海燕さんはガックリと肩を落として、浮竹隊長を呼ぶために地獄蝶を飛ばしてくれた。

 

「はあ……どんだけ抑えても、お前はどうやっても先に進むように出来てんだな」

「どう足掻いても、そうなる運命のようです」

「……ずっとガキのままでも良かったんだぜ」

「心配ありがとうございます」

 

 蝶が飛んで時間が経たないうちに、浮竹隊長がバタバタと慌てた様子で私達の元に駆け寄ってきた。

 

「な、何をしたんだ……如月は……」

「えっと……私を飼ってみませんかと……言っただけです」

 

 その答えに、浮竹隊長は大声をあげて笑う。

 

「はははは! 有昭田、一杯食わされたな!!」

「めちゃくちゃ怒ってました……怖かったです」

「仲良くなれそうかい?」

「どうでしょう……。飛んでくる鬼道を叩き壊す毎日になりそうです」

「仲良くなれそうだな! よかったよかった!!」

 

 何をどう見たら仲良くなれると踏んでいるのかは分からないが、浮竹隊長が笑っているのであればそれはそれでいいや。

 

「まだまだ時間はかかりそうですけどね……」

 

 私がそう言うと、浮竹隊長が笑いながら頭を撫でてくれた。

 

「俺たち先輩から助言を送るとするなら……上に立つ者は、下の者の気持ちは汲んでも顔色は伺うな。真っ直ぐに立ち続ければ、人は必ず付いてくる」

「……ま、お前は元々人の顔色伺って歩く性分じゃねぇだろ。伺えてるなら、鬼道衆に殴り込みなんか行かねぇって。如月はそうだな……例えるなら、顔色じゃなくて目を見て、言葉で自分の領域に相手を引き寄せるタイプだな」

「……性格悪そうですね。誰に似たんでしょ」

「魅力的って言葉にも変えられるぜ。そらもう……お前のお師匠様だろ」

 

 相変わらず呆れたような表情の海燕さんだったが、まあいいかといつもの様に流してくれる。

 その日のうちに私に与えられた役職はもう一つ。十三番隊四席。

 

 元々、海燕さんや都さんを押しのけるつもりもなく、十三番隊は実力だけで席官を置いているわけじゃない。

 その人が作り出す空気が、この十三番隊を支えている。私はこの空気が大好きだ。

 

「そうだ、如月。今から誕生日会だ! 皆もう待ってるぞ!」

「ったく、帰ってくるのおせぇんだよ」

「ありがとうございます!!」

 

 そうして、私はまた新たな一歩を踏み出し始めた。





オリキャラ
鬼道衆三席有昭田勒玄(うしょうだろくげん)……有昭田鉢玄の祖父。


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第二十四話 変革時期

 

 

 私が十三番隊と鬼道衆の兼任を始めてから数年。

 何事にも変わり目というものはあるもので。護廷十三隊にも最近多くの変化があった。

 

「はい、私の勝ちー」

「……小癪な」

 

 今私がいる所は、流魂街の一角にある洞窟。そして、不機嫌顔で水を飲んでいるのは白哉。

 千本桜を扱うようになってからというもの、こうして白哉とよく一緒に戦っている。

 

 基本の実力は私の方が上ではあるが、千本桜の扱いに限ってはそうはいかない。常に刀との対話で、扱いの洗練度を上げていく白哉のいい試合相手だろう。

 

「私の扱い方について千本桜なにか言ってる?」

「……目も当てられぬと」

「……ねぇそれ何年目? 絶対嘘だ」

 

 出来ても出来なくても、千本桜は決まった台詞しか答えない。白哉に似て可愛げのない奴だ。

 帰り支度を黙々とする白哉を横目で見て、内心思う。

 歳を重ねるごとに、表情の変化が分かり辛くなっていってる。他の人が見たら、冷徹仮面の無表情人にしか見えないだろう。

 

「あれ? 白哉背縮んだ?」

「……貴様が近年莫迦の様に伸びているだけだ」

 

 人間では、女性の方が早くに成長期を迎えて早くに終わるらしい。それは死神も同じ。

 

「何センチ?」

「……168」

「……おお。169」

「黙れ」

 

 白哉は更に不機嫌になってしまった。大丈夫。男の子の成長はこれからだ。

 

「伸びるといいね、背」

 

 見事に無視されてしまった。

 まあいいかと私も荷物を纏めていると、彼は思い出したかのように自分から話し出す。

 

「来月は付き合えぬ」

「……そっか。もう一年経つんだね」

 

 白哉がより自分の感情を抑えるようになったのは、お父さんである朽木蒼純さんが亡くなってからだ。

 来月は命日だ。銀嶺さんも高齢であり、あと何年隊長の任務を続けられるか分からない。

 朽木家次期当主としての役回りが眼前に迫っている中で、彼なりに追い込まれているのだと思う。

 

「緋真さんとの進捗は?」

「……如月には関係ない話だ」

「……そっか」

 

 自分の事を話してくれる事も随分と少なくなった。

 私がしょんぼりと肩を落としていると、そんな私をチラリとみて白哉は溜息をつく。

 

「……二月後に瀞霊廷内を案内する手筈を整えている」

 

 相変わらず表情は変わらないが、ほんのりと赤い耳。本当にベタ惚れだな。

 逢引きに誘う事に二か月も準備が必要なのかは聊か疑問だ。

 

「そっか! 早く結婚出来るといいね!」

「志波家との関係性に加えて、流魂街の民を受け入れるには厄介事が多い。後五年から十年は先の話だ」

「大変だねぇ……」

 

 海燕さんは、つい最近都さんと結婚した。

 自分の事のように嬉しかったし、二人とも本当に幸せそうだ。

 五大貴族の関係性はよく分からないが、結婚時期が被ってはいけないのだろう。

 

「お祝い事は続いた方がいいのにね」

「……その浅薄さ、憐れだな。志波家当主の結納の儀と朽木家の結納が重なってみろ。志波家の祝い事を潰しかねぬ」

「へぇ。気遣えたんだね」

「減らず口を閉じろ」

 

 話は終わりだと言いたげに立ち去る白哉。しかし、洞窟の入り口で何故か足を止めてしまった。

 不思議に思って隣に立てば、私の方を見ることなく真っ直ぐ前を見つめている。

 

「……うわ」

 

 同じ方向を見て、私は眉間に皺を寄せた。

 私たちの方角向かって、猪のように迫る霊圧。

 

「……誰だっけ。十一番隊の新しい隊長でしょ」

「知らぬな。獣の名は覚えぬ」

 

 私達に何だかんだと良くしてくれた鬼厳城隊長はもういない。

 その代わり、十一番隊には新しい隊長が座についた。十一番隊の伝統である、現行の隊長との一騎打ち勝負に勝った人だ。

 一言で表すなら、戦いの獣。

 恐らく、ここら一帯で一番高い霊圧をぶつけ合っていた私達におびき寄せられたのだろう。

 

「……次はもう少しまともな場所を探しておけ」

「あっ!」

 

 白哉はそういうと、瞬歩で消え去った。

 私も見つかる前に慌ててその場を立ち去る。

 

 他にもこの数年で、様々な隊が入れ替わりをみせていた。

 七番隊の新しい隊長になったのは、鉄笠を被った大男。九番隊隊長には盲目で褐色肌の男性。十番隊隊長には、海燕さんの親戚。

 勇退での入れ替わりが多い中、鬼厳城隊長が亡くなったのは寂しく思う。

 私を怒鳴って追い回す声はもう二度と聞けない。

 それでも、戦いの中で生きることを喜びとしたあの人に取っては、悲しむことなどしたらまた怒られてしまう。

 

 

 今月は鬼道衆の隊舎を主な拠点としている為、十三番隊ではなく鬼道衆に帰っている途中、私の伝霊神機が鳴った。

 

「はい」

『如月か。海燕副隊長が出ない』

「えっと……なんでしたっけ……"はねむーん"中です」

 

 私に電話をかけてきたのは、阿近副局長。

 

『浮竹隊長は?』

「隊長達の会議で午前はいません」

『会議? ああ……局長はまた行かなかったのか』

 

 十一番隊の隊長だけでなく、涅隊長も会議欠席か。自由だな、皆。

 

「特級会議ではないので、呼び戻すことは可能ですよ」

『いや、いい。現世駐在の奴に、魂葬頻度を下げるよう伝えておけ。送りすぎだ』

 

 その指示に、私は首を傾げた。今現世駐在に行っている隊士は、基本に忠実な人だ。

 毎月の魂葬規定量が決まっている中、それを超えて送ってきた事など一度もない。

 たまに超えてしまう人もいるが、多少の誤差なら問題にならない。

 

『……何が疑問だ』

「いえ……今まで一度もそんな注意受けたこと無かったので。働きすぎだよって言っておきます」

『ああ、ついでに虚討伐の腕をあげたみたいだなとも言っておけ。巨大虚討伐に五分以内たあ、上出来だな』

「……え?」

『なんだよ』

「……その子、巨大虚を一人で倒せるほどの技量持ってません」

 

 本来現世駐在には、巨大虚を一人で倒せる席官レベルの隊士を置くのが普通だ。

 しかし、十三番隊では私が勝手に開発した緊急避難擬似結界装置のお陰で、実力の底上げついでに向かわせていることも多い。

 その装置さえあれば、外部から巨大虚如きに攻撃を受けることも無く、命の安全を確実に確保した上で救援要請が呼べる。

 

「……浮竹隊長に連絡します」

『ああ。っと、やべ……局長が戻ってきた。じゃあな』

「はい」

 

 一度通信を切って、私は鬼道衆に向かっていた足から方向を変える。

 そして、もう一人目的の人物に通信を繋げた。

 

『何用ですかの』

「勒玄。十三番隊で異常が起きた。今日は戻れない」

『左様でございますか。元々長らくいなかった存在。一日二日おらずとも結構』

 

 そう言って一方的に切れる通信。私が立場上、上官に当たるため何とも嫌味に溢れた敬語を遣われいるが気にしてない。

 私も初めは敬語で話していたが、みっともないと逆に怒られてしまった。

 互いの距離感は詰まることも無く……ただ淡々と仕事相手として接している状態。それと、たまに飛んでくる闇討ちの鬼道に冷や汗を流すこともしばしば。

 鬼道衆として深い知識を得たことで、急速的に力の底上げが可能となった事は有難いが、対人関係はギクシャクしたままだ。

 

 

 

 

 そうして、昼過ぎにようやく到着した一番隊舎。

 

 

 

 丁度会議が終わったのか、中から隊長達が次々と出てきた。

 

「おや、姫乃? 二年以上ぶりじゃないか」

「わあ……老けた?」

「……年を重ねたと言ってくれないか」

 

 いち早くに私の存在に気がついたのは藍染さん。副鬼道長の座についてから、ものの見事に忙しさに飲まれて会えていなかった。

 久々すぎる再会に話したいことは多くあるが、今はそんな場合でもない。

 

「浮竹隊長はまだ中に?」

「ああ、いるよ」

 

 流石に部屋の中まで足を踏み入れるのは失礼にあたるため、私は入り口から顔を覗かせた。

 

「浮竹隊長ー!」

「おお、どうした如月。今月は鬼道衆に行くんじゃなかったのか?」

「阿近副局長から緊急伝令です」

 

 そう伝えると、浮竹隊長の顔が一気に真面目な表情へと変わった。

 

「入室許可を出そう。こっちへおいで」

 

 一番隊舎の入室許可を浮竹隊長が当たり前の顔で出すのも変な光景だが……ちらりとみた総隊長の表情は変化なし。

 問題ないのだろう。私は浮竹隊長の傍に駆け寄った。

 

「久々だねぇ、姫乃ちゃん。いつの間にそんな大きくなったんだい」

「お久しぶりです、京楽隊長。いやあ……いつの間にか」

 

 そんな世間話を一瞬交わして、私は本題に入る。

 緊急伝令と聞いて、一度は出ていきかけた隊長の何名かは戻ってきた。

 

「緊張せず、報告してくれ」

「はい。鳴木市に駐在していた隊士が、魂葬をしすぎだと報告があって……それを機に少し気になる点が」

 

 先程阿近副局長から聞いて疑問に思った点を素直に報告。

 報告が終わって、浮竹隊長はふむ……と考え込んでしまった。

 

「妙だな」

「鳴木ったら、俺の隊の管轄区域からすぐ隣じゃねぇか」

 

 私達の会話に割って入ってきたのは、十番隊隊長の志波一心さん。

 初めて会ったが、記憶とは似ても似つかない随分と若い人だ。

 

「えっと……十番隊の管轄は……」

「空座町だ」

 

 その情報が必要なのかは分からないし、多分ただ単純に話に入ってきただけだろう。

 

「如月の見聞は?」

 

 浮竹隊長にそう聞かれて、私は思い当たる節を述べた。

 

「一番可能性が高いのは、本人が実力をつけた……という事ですかね。ただ、私達に一報もないのは寂しいです」

「そうだな」

「次の案から、大幅に可能性は下がります。二つ目が、滅却師の介入。三つ目は……本人以外の死神の出現」

「本人以外の死神?」

「大変稀ですが、魂葬されるより前から死神としての力を持った魂魄はいます。確率としては0.0001%。もう一つは……霊力の譲渡により死神を生み出した可能性。こちらの方が確率上は高いですね」

 

 私が紡いだ可能性に、周囲が一瞬ざわめいた。

 人間への死神の力の譲渡は重罪であるからだ。京楽隊長も不思議そうな顔で首を傾げる。

 

「そんな事あるかねぇ……。前例がないよ。藍染隊長、どう思うかい?」

「前例は確かにありませんが、否定するには情報が不足していますね」

「だよねぇ……」

「……ここで話し合っても仕方ないな。涅隊長の所へ一度行こう」

 

 浮竹隊長の提案に、私は困って眉尻を下げる。それに気がついた浮竹隊長が首を傾げた。

 

「どうしたんだい?」

「いやあ……あの……私、技術開発局入れないんです」

「そうなのか?」

「前は行けたんですけど……最近、霊紋で弾かれちゃって」

 

 一体いつバレたのか、以前霊質を変えて機械を弄ったことがバレた。

 それからというもの、霊紋……人間でいうところの声紋を弾かれている。

 中に入って一声でも話そうものなら、瞬く間に電流の餌食だ。

 

「あはは、イタチごっこだね」

「笑わないでくださいよ、京楽隊長。流石に霊紋まで弾かれたら為す術なしです」

「ボクにはその顔、霊紋なら消せばいいや……とか考えてるように見えるけどね」

「……研究中です」

 

 一体何から始めようかと暫く浮竹隊長が悩んで、結論を渡してきた。

 

「わかった。俺と京楽が技術開発局に向かおう。如月は、現世にこれから向かってくれ」

「ええ、ボク巻き込み事故でしょ」

「こういう見聞を出すのはお前の方が得意だろう」

 

 話がまとまりかけた時に、追加で一言かけてきたのは藍染さんだった。

 

「僕も同行していいですか?」

「ああ、頼む」

「あら。藍染隊長の興味もそそっちゃった?」

「いえ、確かに興味深い報告ではありますが……ついでに霊紋拒絶の解除をこっそり出来ないかなと」

「見かけによらず悪い男だねぇ。良かったね、姫乃ちゃん」

 

 クスクスと笑う京楽隊長に、私は笑顔で答える。

 

「藍染さんは割と悪いことしますよ。魚釣りが面倒だからって、池に電流流しますし」

「こら! それは君が飽きたと言ったからだろう!」

「だからって全部殺さなくても良かったじゃん」

「まあまあ、喧嘩は寄せ。元柳斎先生、この方針で動きます」

 

 浮竹隊長がそう総隊長に声をかけたが、返事もなければ動くこともない。まるで銅像のようだ。

 

「いいらしい。行こうか」

「……今ので意思疎通とれたんですね」

 

 

 方向性の決定と、なんとも懐かしい昔話に一花咲いた所で、私達は謎の報告の原因究明の為に動き始めた。



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第二十五話 初代死神代行

 

 

__現世 鳴木市

 

 出撃の手筈を整えて現世に着いた頃には、既に夕暮れ時だった。

 沈みゆく赤い太陽を背に、私はそっと目を閉じる。

 

「……反応がない」

 

 今しがた行ったのは、広範囲に及ぶ霊圧知覚。向かった隊士の霊圧は覚えている。

 だから、現世に降り立てば直ぐに見つかると思っていたが……見当たらない。

 

「原因は三つ。一つ目は、死亡。二つ目が義骸に入っている事。三つ目は……擬似結界装置の常時使用」

 

 自分で可能性を唱えつつも、厄介なことに頭を抱えた。

 三つ目の場合が最も厄介だ。あの装置に組み込まれているのは、私の霊力と私が編み出した結界術。

 自分の力がここに来て壁になろうとは考えてもみなかった。

 

「……気合い入れて造り過ぎた」

 

 はあっと小さな溜息をついて、一通り町を飛び回る。しかし、中々目的の人物を目視では確認できない。

 適当な建物の上に降り立った時、浮竹隊長から通信が入った。

 

『聞こえるか? 如月』

「問題ありません」

『こっちの調査報告だ。目標の主な行動は、魂葬と虚討伐』

「普通ですね」

『ああ、だがしかし……ここ数日の記録を洗ってみると、任務遂行後に必ず霊圧を消しているようなんだ』

「……消している?」

『義骸にすぐ入っているということだな』

 

 人間に紛れて生活を行っているということだろう。

 現世駐在の死神には支給品として義骸が与えられるが、それの多用は望ましくない。

 人間に違和感を持たれた時に面倒だからだ。

 

「支給品に伝霊神機を持たせてるはずです」

『ああ、応答がない』

 

 そこまで来ると、いよいよおかしい。私達に後ろめたい事をしているという一つの証拠になり得る。

 

「……あまりやりたくは無いですが、おびき寄せますか?」

『……他の方法はないだろうか』

 

 浮竹隊長は嫌そうな声色。仲間を疑って罠にかけるような事をこの人は好まない。

 私も好んではしたくない。二人で黙り込んでいると、藍染さんの声が聞こえた。

 

『姫乃の霊圧知覚で見つけられないのかい?』

「試したよ。……装置を使われているかも。そうでなくても、厄介なものを造ってしまったことに気がついたから、以後破棄する」

『その方が良さそうだね。君の実力を疑ってはいない。せめて痕跡がないか探して』

「はーい」

 

 そのまま空を駆け回り、ひたすら気配を捜した。探しても探しても霊圧残滓すら見つからない。

 ……私の探索から逃げられるほどの実力はなかったはず。いや、隠していた?

 

 疑いたくないと思いつつも、私の頭の中には悪いことばかりが浮かんでいく。

 

「映像庁の記録は出せませんか?」

『……あそこと関わるのはオススメしないねぇ。ボク個人の意見だけど』

 

 何気なく私が言った提案は、京楽隊長の意図が分からない一言で却下されてしまった。

 それに対して、藍染さんも浮竹隊長も何も言わない。言わないということは、その方がいいと二人とも肯定しているのと同じだ。

 

 

 そして、ついに決意を固めたのか浮竹隊長が作戦を伝えてきた。

 

『……誤報を流そう』

 

 記録を見る限りだと、目標の人物は任務指示を的確にこなしている。

 座軸を予め決めた場所に誤報を流せば、やってくる可能性が高いのだ。

 

『姫乃ちゃんは隠れて待機。出来るかい?』

「はい、問題ありません」

『……如月。なにがあっても、まずは対話だ』

「それも分かってます」

 

 暫くして、私が今いる位置に誤報が流れる。それと同時に、私は姿も霊圧も消した。

 そして、目的の人物が来るのをじっと待つ。

 報告では、五分以内に仕事が終わっていると聞いていた。ただ、人生の中でこんなにも数分が長いと感じたのは初めてだろう。

 

「……きた」

 

 闇夜に紛れて私の待つ場所に一直線に向かってくる存在。

 

「……誰?」

『目視できたか?』

「まだです。だけど……知らない霊圧です」

 

 戦闘が始まってもないというのに、霊圧は垂れ流し。そんな雑な人、十三番隊にいない。

 

『……一度通信を切ろう。こうやって盗み聞きするのは良くない』

 

 私を通して盗聴に近いことをするというのは、端から相手を疑っているのと同義。

 浮竹隊長は、苦しそうにそう言って通信を無理やり切った。

 

 駐在の者に向けたはずの伝令に、違う者が答えた。

 それは、明らかにその隊士との繋がりがある事を意味する。……拘束はしない。

 

「……なんだ? 何もいねぇじゃねーか。ついに壊れたか? これ?」

 

 ついに正面まで来た時、その人物の声が私の耳まで届いた。

 見上げるほどの大男。人相自体は物腰柔らかげに見える。

 手に持っているのは、間違いなく十三番隊から支給された通信機だ。それを訝しげな顔をして上下に振っている。

 

「はー、帰るか」

 

 その言葉を聞いて、私は意を決して正面に姿を表した。

 

「うおおおお!?!?」

 

 突然現れた私に、腰を抜かすほど驚く男性。

 

「な、な、な、どこから……」

「……すみません。ずっと正面にいました」

「お、おう……そうか……。ってことは、虚は嬢ちゃんが倒してくれたのか?」

「……誤報です」

 

 そう伝えると、男性は少し固まったが直ぐに笑顔になる。

 

「いやあ、そっかそっか! やっと……やっと来てくれたか!」

 

 こちらの重い空気を吹き飛ばすかのような軽い口調。

 この事態を分かっていないのか、重く受け止めていないのか。そもそもこの人物は誰なのか。

 年齢的には、二十代前半の人間と変わらないようにも見える。

 

「そうだ、嬢ちゃん回復系の薬ねぇか? 死神って、なんかそういうもんねぇのか?」

「貴方は……死神ではないのですか?」

「ん? 俺は人間だぜ」

 

 その言葉に、目を見開く。最悪の事態だった。

 人間が死神の力を得ているということ。それは、死神による人間への力の譲渡が行われたという紛れもない事実。

 そして、その事の重要性に彼は一つも気がついていない。

 

「……嬢ちゃん?」

「……初めにいた死神は何処に……」

 

 そう聞くと、彼は少し困ったように笑った。

 

「着いてきてくれや」

 

 その言葉と共に、彼は移動を始める。黙って着いていくと、やがて閑散とした工場跡地に着いた。

 跡地の一角にある小屋の中へと彼は入っていく。

 

「……此処は?」

「俺の秘密基地だ。まあ、ちっと汚ぇが我慢してくれ」

 

 段ボールの積み重なった埃の多い場所。その一番奥へと彼は足を進める。

 そして、私も一番奥の光景を目の当たりにした。その光景に目を見開いた。

 

「……!!」

「……ここまでが俺じゃ限界だった。楽にしてやるって何度も言ったんだけどな……」

 

 視線の先の床。そこに寝ていたのは、紛れもなく駐在任務を受けていた隊士だった。

 周囲に溢れかえるのは、血だらけの布。生きているのが不思議なほどの大怪我だ。

 

「何故っ……何故!!」

 

 手を伸ばそうとして、気がつく。私の擬似結界装置が発動している。

 

「この結界で……霊力の飛散を防いでいたんですか?」

「結界っつーのか。霊力の飛散? 知らねぇけど、そいつがそうしてくれって言ったからよ」

 

 触れられずとも、会話は出来る。

 私にだってわかる。この結界を解いた直後、彼は死ぬのだろうと。

 

「……き、さ、ら……ぎ……四席……。もう、しわけ……ありません……」

「なにが!! 一体何が!! 何で装置を使わなかったの!!」

 

 私が原因を聞こうとした時、彼が私の肩を叩いた。

 

「そいつはなんも悪くねぇ。俺のせいだ」

 

 持ってこられた椅子に腰掛けて、彼が事情を話してくれた。

 

「……元々偶然だった。俺は昔から霊がよく見える。そいつを見つけたのも偶然だ。興味本位であとを追いかけた。……したら、いきなりワケわかんねぇバケモンに襲われたんだ」

「虚……ですね」

「そうらしいな。コイツが戦ってたんだけどよ。虚に俺の存在が気が付かれた。……そいつは、俺を庇って怪我した」

「力は……死神の力は何故!」

「それも偶然だ。こいつが庇ったと同時に、その刀が俺に刺さった。したら、その瞬間この有様だ」

 

 彼が指さした先には、隊士の斬魄刀が落ちていた。既に半分折れ、無惨な姿になっている。

 

「初めは訳分からなかったさ。けど、まだこいつが話せた時、色々教えて貰った」

 

 彼の口から語られたのは、魂葬のやり方や虚の倒し方。

 少ない情報の中で、才能とも言える直感力で今までを凌いできたのだ。

 

 死神としての掟が分からない以上、魂魄を探し回って片っ端から魂葬していたのだろう。

 魂葬過多の原因はそれだった。

 私は再度隊士の前に膝を着いて、顔を見る。

 

「……浮竹隊長に報告をあげます」

 

 そういうと、小さく頷く彼。そして、私は通信を繋げた。

 

『……聞くよ』

「……私は……この件を悪だと思いません……」

 

 

 

 

 そう前置きをして、男性から語られた全ての事情を説明した。

 

 

 

『……そうか。有難う、如月。後は此方で話をしてくる』

「……彼を……もう解放してもいいですか……」

『ああ、俺が責任を持とう。彼らの話は嘘ではないと』

 

 重要参考人である死神。本来であれば瀕死だろうとなんだろうと連れて帰って、言葉の出せる限り査問にかけるべきだ。

 それでも、そんな事……私達には出来ない。

 

 どれだけ長い時間苦しんだだろうか。救援も呼べず、体も動かず。痛みと苦しみに耐え抜く日々をどれほど過ごさせてしまったのだろうか。

 

 通信を切って、私は顔を伏せた。

 

「……こいつ、待ってたんだ。仲間が来るのをずっと。呼び方がわからねぇ俺じゃ、どうにも出来なかった。力不足ですまねぇ!!」

 

 悔しげに頭を下げる男性。

 ……悪い人じゃない。真剣に自分に出来ることの全てと向かい合ってきた結果だ。

 私は、浅く呼吸をする隊士と目を合わせる。

 

「……待たせてごめんなさい。死神須らく、友と人間を護るべし。……貴方は……誇り高い死神です。十三番隊隊長浮竹十四郎の名を代弁して、私が見送りをします」

 

 私がそういうと、彼は一筋の涙を流した。

 そして、そっと目を閉じる。それと同時に、私は装置を止めた。

 

 

 崩れる結界。彼の霊力が大気中に飛散する。

 

「あり、がとう……ございま……」

 

 

 そのまま、彼は息を引き取った。

 

 

 

「……涙一つくらい流してやってもいいんじゃねぇのか」

「……彼は戦士です。誇りを胸に死にゆきました。涙を流して見送る事は、侮辱です」

「……息苦しい生き方してんのな。死神って奴は。そんなんじゃいつか潰れるぜ」

 

 亡骸の顔に、近くにあった布をかけてそっとその場を離れる。

 そして、部屋の隅に私は腰を下ろした。

 

「貴方の名前は?」

「ああ、名乗るのが遅れて悪かったな。銀城空吾だ。嬢ちゃんは?」

「如月姫乃です」

「いい名前じゃねぇか」

 

 彼の表情は、辛そうにも見えたしスッキリしているようにも見えた。

 ずっとどうしていいのか分からない中で一つの終わりが訪れたことが、彼の肩から重りを一つ外したのだろう。

 

「……あいつのこと、送ってくれて有難うな」

「はい。貴方の処分は隊長達が決めると思います。明日の朝、迎えが来るまで私がここに居てもいいですか?」

「ダメつってもいるんだろ? 監視しなくても逃げも隠れもしねぇよ」

 

 生活用品の溢れた部屋の中。先程起きたことをグルグルと考えて、何も出来なかった事を悔やむ。

 

 そうして夜がふけていく中で、銀城さんが私の前に何かを差し出した。

 

「最近外国から入ってきた飲み物だ。ココアっつーんだ。飲めるか? あ、霊体じゃ無理か」

「大丈夫ですよ。有難うございます」

 

 受け取って口に運べば、暖かくて甘い味が口いっぱいに広がった。

 不思議な味だ。ホッと肩の力が抜けるような……そんな味。

 

「気に入ったようで何より」

 

 改めて部屋を見渡していると、私は近くに落ちていた本のようなものを見つけた。

 本は好き。だから、自然と手が伸びる。

 

「ん? ああ、好きに読めよ」

 

 現世の本は初めて手に取る。

 

「漫画っつーんだ。俺も好きでさ」

 

 パラりと本を開いた時、私は目を見開いた。

 内容に驚いたんじゃない。この描き方を……私は知っている。

 

「これ……なんですか?」

「だから、漫画だって。そっちにはねぇのか?」

「……絵と文字の……組み合わせ……」

「日本一有名な作者だぜ。覚えといて損はねぇな」

 

 夢中でめくっていく。内容なんて一つも頭に入ってきちゃいない。

 でも……これだ。夢で見たものは、これだ!

 

 私は震える声で、銀城さんに質問を投げかける。

 

「ぶ、ぶりーちって漫画はありますか?」

「ん?なんだそりゃ」

「B、L、E、A、C、H……です」

「漫画には相当目を通してきたタチだが、知らねぇな。外国のもんかもな」

 

 私の夢は、漫画に描かれた世界。理解の出来ない事象に、嫌な汗が止まらない。

 

「こ、この漫画というともは……現実で起きることを描いてあるんですか?」

「んなわきゃねぇだろ。まあ、中には過去に起きた事件を描いたガチなやつもあるけどよ。大抵は御伽噺。だから面白いんだろ」

「御伽噺……未来の現実を描いたものは?」

「そんなものねぇよ。こうだったらいいな、ああだったらいいなって世界を描いてんだ。一種の夢だな。ほら、嬢ちゃんが手に取ってるやつは例えば、火の鳥が実在したらって世界観でよ……」

 

 銀城さんの言葉は、私の耳にはそれ以上届かない。

 

 夢の世界を描いているもの?

 現実ではないもの。では、私の記憶にある漫画の夢は、尚のこと夢か現実か。

 

 そこで私は、ようやく思い出した。銀城空吾。

 ……初代死神代行。

 

 もう随分とあやふやになってしまった記憶だが、名前は一致する。

 

「……い、おい!」

 

 私があまりに呆然としていたのだろう。

 肩を揺すられて、ようやく意識が現実に戻ってきた。

 

「疲れてんだろ。ちなみに、漫画っつーのは、あんなことあったときに読むもんでもねぇよ」

 

 そういって銀城さんは、私の手から漫画を取って適当に棚に並べた。

 

「ま、漫画の世界が現実で起きていたら……銀城さんはどうしますか……」

 

 私の質問に、銀城さんは少し考え込んだ。そして、ニコリと笑って答える。

 

「そりゃ最強だろ! 英雄になれるし、楽しそうだ!」

「ど、どうやってその世界が、本当に現世で起こりえてると判断しますか?」

「小難しい質問してくるなぁ……そうだなぁ……確信が持てる事件が起きるまで、ひたすら待つしかねぇだろ。その前に変に騒いで、漫画の世界が変わっても嫌だしな」

「待つ……」

「そ、待つ。どれだけ走り出したくても、自分の知らない未来が来て迷子にならねぇように待つ」

 

 銀城さんは、立ち上がって死神の亡骸の前に腰を下ろした。

 

 

「……でもまあ、どんな未来が来ても絶対に変えたいことがありゃ、俺は動くぜ。たとえその世界の主人公を蹴飛ばしてもな」

 

 そう言って銀城さんは、亡骸に手を合わせる。手を合わせ終わった後、近くに置いてあった灯りを消した。

 

 

 

 深い沈黙。

 それ以降私達は何も話さないまま、長い長い夜を過ごした。



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第二十六話 未来の約束

 

 

 深い深い海の中を漂っているような感覚だった。

 

 

『この世界に存在する全てのものは自らに都合の良い“事実”だけを“真実”と誤認して生きる。そうするより他に 生きる術を持たないからだ。だが、世界の大半を占める力無きものにとって自らを肯定するに不都合な“事実”こそが悉く真実なのだ』

 

 

『……君の知る藍染惣右介など最初から何処にも居はしない』

 

 

 違う。違う。違う。私が知っているのは……。

 

 

 

 

 

 

「……ぃ! おい!! 嬢ちゃん!!」

 

 耳元で聞こえた大きな声に慌てて目を開けた。

 

「はぁ……はぁ……」

「大丈夫か? うなされてたぜ」

 

 一瞬、此処が何処か理解に遅れた。埃の多い段ボールが積み重なった小さな小屋の中。

 目の前で私を心配そうな顔で見つめるのは、昨日会ったばかりの銀城さん。

 隙間から零れる光で、朝だということに気がついた。

 

「ほら。汗だくじゃねぇか」

 

 まだ思考が回りきらないうちに渡された大きな布。

 

「タオルっつーんだ。汗ふいたほうがいいぜ」

「ありがとう……ございます」

 

 私はタオルで顔の汗を拭くと、改めて銀城さんを見上げた。

 任務中にここまで深く寝てしまうなんて初めてだ。それは、彼から敵意や悪意を一つも感じなかったからだろう。

 自分でも気が付かない間に、此処は危険性のない場所だと思い込んで、眠りに落ちてしまったのだ。

 

「嫌な夢でも見たか?」

「……夢を見ることは嫌いです。自分と世界との境界線が何処に在るのか分からなくなります」

「はー、生き辛い考えだな」

 

 私は立ち上がって、小屋の外へと出る。

 思わず目を細めてしまう程の快晴。朝一ということもあり、流れる風は少し肌寒い。

 

「迎え来たか?」

 

 私に続くようにして銀城さんが外に出てきた。

 二人して空を見上げる。

 

「……いますね。ここの場所の詳細が分かってないみたいです」

 

 私は迎えに来た死神に分かるように、空に向かって鬼道を放つ。

 

「__破道の四 白雷」

 

 真っ直ぐと打ち上がる一閃。

 

「うお……なんだそのおっかねぇ技は……」

「鬼道です。詳細は……省略します」

 

 私の電報に気がついたのだろう。空を駆けていた人物が真っ直ぐと此方へやってきて、私達の元に降り立った。

 

「任せて悪かったな、如月」

「大丈夫です。搬送は?」

「ああ、四番隊も来ている。任せよう」

 

 浮竹隊長に続くように、背後に二名の四番隊隊士が現れた。

 私が黙って小屋の中を指さすと、二人はそのまま遺体の確認へと向かう。

 浮竹隊長も一度小屋の中へと入り、しばらくすると四番隊隊士を残してまた外へと出てきた。

 

「……少し歩こうか」

「はい」

「俺は?」

「君も着いてきてくれ」

 

 歩幅は違うが、三人で並んで歩き出す。

 

「如月から報告を聞いているよ。銀城君だね。彼を一人にしないでくれて有難う」

「……何が正解だったかわからねぇよ。あんだけ苦しめて良かったのかわからねぇ」

「君の優しさに彼だけでなく、俺達も救われたよ」

「俺は何もしてねぇよ……側にいてやるくらいしか出来なかった」

 

 嫌疑者死亡のまま進んでいくこの前例のない事件。浮竹隊長が現状の報告を教えてくれた。

 

「彼は人間だ。尸魂界の掟で裁くことは出来ない。今回のような場合だと、より複雑になるだろう」

「霊力吸収が妥当ですかね」

「……ああ、その案が有力ではあるが……」

「……揉めてるんですね」

 

 銀城さんが死神の力を利用して、何か悪行をしたかと問われればそれは皆無。

 本人の死神としての実力は上々。もし人間へと戻し、記憶置換装置を使ったとしても……生涯絶対死神だった頃の記憶が戻らないという保証がない。

 そうなった時、尸魂界の存在を彼が話さないという保証がない。

 人間に死神の存在が広がった時の方が、より深刻な案件となるだろう。

 

 様々な可能性の観点から意見が割れている理由も分かる。

 

「私の出番はなさそうですね」

「ああ、この件は俺が代表して議会にかけるよ」

 

 現場の調査の為に次々と到着する隠密機動の指揮を取るべく、浮竹隊長は一度私達から離れていった。

 

「銀城さん。恐らくこれから一度、貴方は尸魂界に向かうことになります。いつ現世に戻れるかは不明です。私が同行しますので、人間への挨拶があれば……」

 

 人間の世界にも仕事や対人関係があるだろう。

 しばらく姿を消すことへの挨拶をする必要があるんじゃないかと思ってした提案に、銀城さんは首を横に振った。

 

「俺は元々浮浪者だ。行き場のねぇ子供達を助けるために活動なんかはしてるけど……まあ、挨拶するような人は特にいねぇよ」

「そうですか。わかりました」

 

 特段それ以上会話もないなと思って黙っていると、銀城さんが別の話題を振ってきた。

 

「あの人……浮竹隊長だっけか? 一人にしないでくれて有難う……って、どういう意味で言ったんだ?」

「……私達十三番隊の信念……というより、副隊長の口癖なんです。私達が決してしてはならないこと。それが……一人で死ぬ事です。死は誰にでも訪れる。だけど、姿が消えても心は残る。その心を、必ず誰かに預けて逝くようにと」

 

 互いに目と目を合わせて、真っ直ぐに向かい合った時。

 そこに心は生まれる。ここに在りたいと願う場所に、心は在る。

 

 だから最期は、心を仲間に預けて逝く。遠く離れても、二度と会えなくても……一人じゃないと信じて進めるように。

 

「良い教えじゃねぇか。十三番隊ってのはいい隊なんだな」

「はい! 心の底から信頼出来る人達の優しさに包まれた隊です!」

 

 銀城さんと私が笑い合った時、私の伝霊神機が鳴った。

 

「……げぇ」

 

 映し出された名前に少し嫌な顔をして、私は電話に出る。

 

「……はい」

『朝もお戻りになられないとは、大変結構な振る舞いですの』

「……すみません。すぐ戻ります」

『頭領たる者、直ぐ下手に謝るのは関心しませんの』

「わ、私が居なければ隊が回らないとでも言いたいのか! 自ら考えて動け!!」

『……ほう。死に急がれておるのですか』

「……ごめんなさい。嘘です。怒らないでください」

 

 またバツンと一方的に切れた通信。勒玄さんは怒り心頭のご様子だ。

 一日二日居なくても構わないと言ったのに……。はあ、とため息をついて私は浮竹隊長に声をかけた。

 

「すみません、もう私は戻らなくては……」

「ああ、こっちは任せてくれていい。彼を悪いようにはしないよ」

「お願いします」

 

 先に帰る為に穿界門を開く。すると、私が帰る直前に銀城さんが駆け寄ってきた。

 

「昨日の話、言い忘れたことがあんだ!」

「昨日の話?」

「世界が現実だって掴むために、確信出来るまで待てって言ったろ?」

 

 昨晩の話を全て思い返して、私は頷く。

 

「それ、裏返せば一つのことを見捨てろって事にもなる。それでもいいと覚悟して、真実を掴むために動かなきゃなんねぇ! ……きっとそうした先に背負うのは、死んでも死にきれねぇ後悔だ!」

 

 彼のその言葉を聞いて、私は一度目を閉じた。

 そして、再度開いて真っ直ぐと彼の目を見つめる。

 

「……また今度漫画を読ませてください。中々に面白い文化です」

 

 私は彼の言葉に返事をしなかった。

 まったく成り立っていない会話だったが、私の目を見た彼は、バツが悪そうに目線を下に伏せる。

 

「……ま、またいつでも来いや。あいつを見送ってくれたお礼もしたいしな」

 

 お礼を言うのは私達の方だというのに……彼は本当に優しい人だ。

 私は笑って、銀城さんに声をかける。

 

「お礼してほしいこと、もう決まってます」

「ん?」

「もし未来で、また貴方と同じように死神になって困っている子をもし見つけたら……助けてあげてください」

「……おう、わかった。約束だ」

 

 グッと握りこぶしを作って、私に向ける銀城さん。その笑顔に微笑み返して、私は現世を去った。

 

「……自分を助けてくれって……言えない子か。人間の世界にもいる、息を殺して生きるしかない子。……俺が全部助けられっかなぁ。嬢ちゃんに笑顔を授けた十三番隊の先輩らみたいに、俺も誰かの光になりてぇなあ」

 

 銀城さんが紡いだ言葉は、私に届くことは無かった。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 人間であり死神である存在。突然にして現れた銀城空吾という存在は、私達の耳に届かないくらい限られた人達の中で長い話し合いが持たれた。

 風の噂で、五大貴族までもが話し合いの場に姿を見せた……なんて聞いたが、真実はどうかわからない。

 

「如月副鬼道長。電報です」

 

 瀞霊廷に雪が降り始めた頃、私の元に一通の手紙が届いた。

 勒玄から渡された手紙を開いて目を通す。

 

「……死神代行……か」

 

 浮竹隊長の印が押された書簡。銀城空吾の処分は、その実力と人格を評価して現世の鳴木市及び空座町の死神代行として働かせるというもの。

 

「私と一緒だよ。飼って駒として遣うって結論でしょ」

「左様」

「……本人には知らせてないのかな」

「左様」

 

 

 銀城さんには伝えられない、瀞霊廷の重い判断。

 書簡の最後には、結局監視機能を付ける為の代行証を持たせることになったと書かれていた。そして、力不足ですまない……と。

 

「浮竹隊長のせいではないですよ……」

 

 私は筆をとって、浮竹隊長へのお礼の文を書く。

 死神としての力を得たからには、人間と若干老いの速度が異なる。いずれは、周囲と違って若いままの彼に疑問を抱く人も出てくるだろう。

 だから、彼は長い間同じところには住めないと思う。

 

「……働かせるだけじゃなくて、人間としての居場所も奪うんだね」

「左様」

「……それでも、彼はまあいいやって笑いそうだけどね」

「居場所に囚われぬ正義、もしくは憎しみがあれば人は歩み続けます」

「……それ私への皮肉?」

「左様」

 

 私は苦笑いをして、勒玄に浮竹隊長宛の手紙を渡した。

 

「浮竹隊長に。よろしく」

 

 勒玄が部屋を出ていくのを確認して、私は机の引き戸を開ける。

 そして、誰も部屋に入ってこないように入口に結界を張った。取り出したものは、手書きの書物。

 

 私の覚えている限りの漫画の記憶を書き綴ったものだ。

 

 もっと早くにこうしていれば、より多くのことを書けたかもしれないが、人に見つかる危険性の方を今まで重視していた。

 ここであれば、誰にも見つかることは無い。自分で書いた書物に目を通して、深いため息を吐く。

 

「……まあ、もし信じるとしたら……この黒崎一護ってのが本当に現れた時かな」

 

 確かに私の漫画に出てくる存在は、名前も特徴も一致する。

 ただ、この時間軸では確かめる術もなければ、囚われて考え込めるほど暇でもない。そもそも、バラバラの記憶を時系列に沿って並べることに大きく時間を取られてしまう。

 

「……この物語に、何で海燕さんがいないんだろう」

 

 忘れてしまっているだけなのか、元々いないのか。

 私の記憶では、海燕さんと名乗る存在は、虚の姿。まだ見ぬ朽木ルキアという存在が戦いをしていた。

 

「やめたやめた! 仕事しよ」

 

 私は書物をまた戻して、仕事に戻る。

 

 

 しばらく筆を動かして、私は手を止めた。

 

 

 

「……こわい」

 

 ポツリと小さな声で言った言葉。

 

「明日なんて……来なければいいのに……」

 

 毎日がという訳ではないが、この何十年を見通した結果、世界の進み方としては限りなく相関性がある。

 それは表面。表面が同じ分には大して困らない。

 もし、裏面までが同じだと気がついてしまった時、私は私でいられるだろうか。

 

 ずっと蓋をしていた記憶が脳を支配して、それを振り切るように仕事に没頭した。夢には出てこなかった如月姫乃という存在が、何かを変えると縋って。私が見ている世界は限りなく0に近い別世界だと縋って。

 

 そうして日常を過ごしているうちに、一度は私を飲み込みかけた夢がまた、日々の忙しさと比例するかのように静まり返っていく。





次回からの参考年表

1950年 姫乃、銀城空吾との出会い
1956年 朽木白哉結婚
|←次回からここら辺から緋真死亡までを書きたい(願望)
1962年 緋真死亡
1963年 ルキア朽木家へ
1965年 市丸ギン 朽木白哉隊長へ
|
19××年 銀城空吾死神の力を無くす
|
1982年 志波一心現世へ
|
2002年 黒崎一護死神へ

原作合流まで長いね。ごめんなさい。頑張って書きます。百年という時の長さを進めるためにポンポン年月が飛んでいる事、ご了承頂ければ幸いです。


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第二十七話 忙しい日々の中で

 

 

 暑い日差しに焼き尽くされそうな今日この頃。

 

「おーい!! 如月! この任務まで持って行けるか?」

 

 昼休憩を取ろうとしていた私に書類片手に駆け寄ってくる海燕さん。

 

「大丈夫ですよ。鬼道衆の任務と同時進行でやります」

「器用なこった」

「浮竹隊長の具合は?」

「うーん、微妙だな」

 

 夏の暑さにやられたのか、浮竹隊長は随分と長い間顔を見せずに伏せてしまっている。

 だから、いま十三番隊は目が回るほど忙しい。

 

「海燕君! 救援要請が来てる!」

 

 隊舎の二階から顔を覗かせて、声をかけてきたのは都さん。

 

「どこからだ?」

「現世! 銀城君から!」

「だー! 遠いわ!」

「空座町と鳴木市、同時警報はやめろって、また苦情来てるよ! そんな移動間に合うか! だって!」

「技術開発局に言えっての……」

 

 すっかり死神代行として馴染んだ銀城さんと、何年経っても変わらないこの十三番隊の和やかな雰囲気。

 私は慌てて準備をする海燕を見てクスクスと笑った。

 

「穿界門まで送りましょうか?」

「ん? どうやって」

「最近習得したんです。瞬間移動」

「あ?」

 

 なんの事だと言いたげに眉間にシワを寄せる海燕さん。

 私は笑いながら、言葉を続けた。

 

「じゃあ、この場で高く飛び跳ねて見てください」

「そんなんで出来るのか?」

「ジャスティス!! って言いながらですよ」

 

 私の急な横文字に、海燕さんは更に訝しげ顔をする。

 

「じゃ…じゃすてぃす? なんだそれ」

「現世の漫画に出てくる魔法の言葉です」

「わけわかんねぇのに影響されんなよ……」

 

 嫌な顔をする海燕さんの背中を押して、庭先へと誘導する。

 

「ほら、早く。銀城さんが待ってますから。ついでに、漫画借りてきてください」

「わーった、わーった! やればいいんだろ!」

 

 少し恥ずかしそうに髪をかいた後、海燕さんは咳払いをする。

 そして、片腕を空に向かって高く掲げた。

 

 ……腕の動作は特にいらないんだけど、黙っておこう。面白いし。

 屈伸をして、そのまま勢いよく飛び上がる海燕さん。

 

「じゃ、ジャスティス!!!」

 

 飛び上がった海燕さんとは逆に、私は腰をかがめる。

 そして彼の足の裏に、素早く掌を回した。

 

「は?」

「いっ……けぇえええ!!!」

 

 そして、自分の霊力で造った塊……まあ、空気砲みたいなもの。

 それをぶつけて渾身の力で空へと弾き飛ばした。

 攻撃性はないため、着地さえ失敗しなければ問題は無い。

 

 

「ど、どこが瞬間移動移動だ!! ジャスティス関係ねぇじゃねぇか、こらあああああ!!!」

 

 空高くに舞い上がって、穿界門の方に向けて消えていく海燕さん。

 その悲鳴を聞きながら、私はヒラヒラと手を振る。

 

「ほら、昔空を飛びたいって言ってたじゃないですか。飛べましたね!」

 

 私の言葉はもう聞こえちゃいないだろう。

 

「あはははは!!」

 

 二階から聞こえてくるのは都さんの声。

 

「名付けて、如月専用手動霊圧砲です。性能は今初めて試しました」

 

 ニコッと笑ってピースサインを作れば、都さんは更に笑う。

 

「つまり、霊力を風のように使える特訓中ってことでしょ?」

「そういうことです。白打の応用ですね」

「この前は、現世の海の中で穿界門開いて怒られたんでしょ?」

 

 その指摘に、私はバレたかと頬をかいた。

 尸魂界の穿界門から結界を使って道筋を流魂街まで伸ばし、現世から海の水を流せば……流魂街に海出来るかな? と思ってやってみた。

 その結果、水圧に耐えきれず結界が崩壊。瀞霊廷の一角を水害で悲惨な有様に変えてしまい、総隊長に怒鳴られたばかりだ。

 

「いやあ……霊子変換までは上手くいったんですけど……」

「懲りてないねぇ。いつか完成するの、楽しみにしてるね」

「はい、待っててくださいね!」

 

 年々激しさを増す私の実験。

 ……鬼道衆の地下の一室が、実は研究所化してるなんて……バレてませんように。

 最近私のお目付け役にもなってきている特定の爺に向けて念じながら、私は十三番隊舎を出た。

 

「ひめりーん!!」

 

 隊舎を出た私を見つけたのか、駆け寄ってきた小さな女の子。

 桃色の髪が良く似合う。十一番隊副隊長の草鹿やちるちゃん。

 

「やっほ!!」

「久しぶり。やちるちゃん。はい、飴」

「やったあ!!」

 

 いつの間にか、私も浮竹隊長みたいにお菓子を持ち歩く癖が出来てしまった。

 

「剣ちゃんが探してたよ!」

「もう死んだって言っといて」

「わかったー!」

 

 十一番隊の更木隊長は、私とどうやら戦いたいらしいが、全力で逃げ続けている。

 あんな人とぶつかり合ったら、命がいくつあっても足りない。

 

「早く諦めて欲しいなぁ……」

「剣ちゃんがね、何度死んでも戻ってくるなんて面白い奴じゃねぇか! って言ってたよ!」

「……え。もう死んだって……なんて風に伝えてるの?」

「ひめりんが、もう死んだって伝えといてって言っといてって!」

 

 その言葉に、私はガックリと肩を落とす。その伝え方では全く意味が違ってきてしまう。

 

「またねー!」

「はーい、気をつけて」

 

 また颯爽と道を駆けていくやちるちゃんを見つめながら、思いに馳せた。

 私が一番年下だったはずが、こうしていつの間にか大人の枠組みに並んだ。

 ……一つ疑問なのは、胸部の膨らみは一体いつやってくるのか。

 成長期が終わったと……認めたくない……。

 会う度にこぼれ落ちそうな胸を振り回してる乱菊さんを脳内で思い浮かべて、私は深いため息をついた。

 

「午後からは……十三番隊管轄区域流魂街の魂魄数調査と空間固定の補強作業。それに鬼道衆現世派遣部隊の再構成。あとは訓練指導……ああ、やることが山のよう」

 

 尸魂界のあちらこちらを毎日忙しく飛び回る日々。

 三年以内に半休でいいから取ろうと決めた時、背後から肩を叩かれた。

 

 

「なにため息ついてんのよ」

 

 後ろにいたのは、先程脳内で思い浮かべた乱菊さん。今日は知っている人によく会う日だ。

 

「……その乳、なにがつまってんのかなって……」

「何言ってんの?」

「……なんでもない」

 

 乱菊さんは、現在十番隊の副隊長。

 私の副鬼道長も並べていいのであれば、同期に近しい四人は全員副隊長の座についていることになる。

 いつぞやに海燕さんに言われた、末恐ろしい世代という表現は間違っていなかったらしい。

 

「ねぇ、それより潤林安行かない? あそこ、甘納豆屋さんあったでしょ!」

「ええ、私これから北流魂街行くんだけど……」

「少しくらいいいじゃない。ついでにアンタのお母さんにも会いに行きましょ」

「うちのお母さん……いつ輪廻廻ると思う?」

「さあ? 平安時代の魂魄がまだチラホラ居るんだし、気にしなくていいわよ。この世界に未練あるんでしょ」

「……心配かけてるなぁ」

「尚のこと行きましょ」

 

 やることは山ほどあるというのに、結局は押し流されるようにして乱菊さんに連れ去られていく。

 

 

 

 

 

********

 

 

 

__西流魂街第一地区 潤林安

 

 

「やっと顔を見れたのに、もう行くの?」

「うん。仕事に戻らなきゃ」

「そう。気をつけて、また顔を見せに来てね」

「寂しい思いさせてごめんね」

「大丈夫よ。それに、最近仲良しの子がいるの」

「そっか、良かった」

 

 流されて来てしまったが、結果的には良かったかもしれない。

 久々にみた母の顔に元気をもらって、私は家を出る。

 

 すると、誰かの視線を感じた。そこには、私をジッと見つめる一人の少年。

 私と目が合った事に気がついたのか、木の影に隠れてしまった。商店街の方を見ると、乱菊さんは店主と話が盛り上がっているような様子。

 私は乱菊さんの方に戻るか、少年を追いかけるか少し迷って、少年の方に足を進めた。

 

 

 

 

「はじめまして」

 

 

 後方にいたはずの私が突然正面に現れた事に驚いたのか、彼は大きく目を見開いた。

 綺麗な銀髪に薄緑色の大きな瞳。

 

「な、なんだてめぇ!!」

 

 ……威勢良し。

 

「あ、あの家になんか用でもあったのかよ!! あそこん母ちゃんに何かしたら許さねぇぞ!」

「あはは、私のお母さんだよ」

 

 先程の母との会話と、少年の言動を照らし合わせる限りだと、母の言う仲良しな子とはこの子のことだろう。

 

「わ、わりぃ……」

 

 バツが悪そうに謝るその子に、私は懐から先程買った甘納豆を取り出した。

 

「あげる。誰にも取られないようにね」

「あ、ありが……とう……」

 

 戸惑いながらも受け取る彼。

 

「ば、ばあちゃんとあそこの母ちゃんだけだ……俺を怖がらねぇの……」

「私も怖くないよ」

 

 ヨシヨシと頭を撫でると、彼は子供扱いされた事が不服なのか難しい表情になる。

 

「お名前は?」

「……日番谷冬獅郎」

 

 ……そっか。この子が日番谷冬獅郎か。もはや知っている人物と会うこと自体に驚きを感じない。

 

「シロちゃーん!」

 

 なにか会話をしようと思った矢先、遠くから手を振りながら近づいてくる一人の少女がいた。

 

「んだよ、寝ションベン桃」

 

 面倒な奴が来たと言いたげにため息をつく冬獅郎。

 少女は、冬獅郎に近づくと同時に私の存在にも気がついたようだった。

 

「え、え、えっ!! 死神さんだ!!」

「はじめまして」

 

 死神に会えた事が嬉しいのか、頬を赤らめて喜ぶ少女。

 

「あの、あの! 雛森桃と言います!!」

「如月姫乃と言います」

 

 同じように自己紹介を返すと、雛森ちゃんはさらに顔を真っ赤に赤らめた。死神になる前の彼らと会うというのは、なんとも不思議な感覚だ。

 

「ええ! シロちゃん何貰ったの!」

「うるせぇ。やらねぇぞ」

「いいなあ!!」

「喧嘩しないの。仲良く二人で分けて食べてね」

 

 そろそろ帰らないと乱菊さんが私のことを探しているだろう。

 

「じゃあね。帰るね」

「あの!」

 

 立ち去ろうとした私の袖を掴んだのは、雛森ちゃん。

 

「私、来年真央霊術院の試験受けるんです! いつか一緒に働けますか!」

 

 来年雛森桃が真央霊術院の試験を受ける。私はその言葉を聞いて目を見開いた。

 ……いつの間にかそんなに時が経ってたのか。

 

「如月さん?」

「どうしたんだよ」

「いや……ううん。頑張ってね。待ってるね」

「あの、もし役職があれば!」

「十三番隊四席及び鬼道衆副鬼道長だよ」

「す……凄い……」

 

 感動で胸いっぱいというような表情をする雛森ちゃんと、興味がなさそうな冬獅郎。その二人に別れを告げて、私は瞬歩を使って乱菊さんの正面へと戻った。

 案の定、私がいなくなったことに気が付いた乱菊さんが辺りを走り回っていたようだ。

 

「どこ行ってたのよ!」

「今日、大急ぎで仕事終わらせなきゃならなくなった! もう行くね!」

「ちょ、ちょっと……」

「あと、死神の才がある子を見つけた。力が強いから、今後少し気にかけてあげて欲しい」

「どの子よ!」

「会ったらわかる! あと、白哉に今日家に行くから、私の分の晩御飯も用意しててって伝えといて!」

「あの人、アンタからの伝令じゃないと受け取らないわよ!!」

「よろしくー!」

「ちょっと!!」

 

 私の肩を掴もうとした乱菊さんから今度こそ綺麗に逃げて、私は本来の仕事場である北流魂街へと全速力で向かった。

 

 いつも以上に疾風の如く仕事に打ち込む私の姿に、勒玄は珍しい事もあるものだと言う。

 そんな小言は全て受け流して、半分息切れに近いような状態まだ陥った時。

 

 ようやく今日の仕事が片付いた。

 

 今日流魂街であった雛森ちゃんが、来年真央霊術院に来る。

 それはつまり、ルキアも来る可能性が高い。

 

 ……それはつまり……緋真さんが寿命を迎えてしまうということ。

 私の記憶が当たってるかどうかはわからない。確かめる必要性も感じている。

 

 白哉と毎月のようにやっていた訓練も、今はしていない。

 緋真さんと結婚してからはまるで、お前より緋真と過ごす時間の方が大切だと言わんばかしに、一切構ってくれなくなった。

 それはそれで構わないんだけど……。

 

 大切な人の死を目前として、白哉がまた塞ぎ込んでしまうのではないかと心配だ。

 他人の家にお邪魔するには随分と遅い時間になってしまったが、兎にも角にも私は朽木家へと向かうことにした。



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第二十八話 悲しみの涙ではない

 

 

 貴族街は随分と遠いもので、片道半刻もかかってしまう。

 よくもまあ、こんなに遠いところから毎日出勤してるなと感心しつつ、私は朽木家の正門まで到着した。

 明かりの灯った門の前にいる門番。私に気がついたのか、軽く頭を下げてくれた。

 

「ちよさーん!」

 

 珍しくこんな夜中だというのに、門の前に門番以外の人影。

 

「白哉坊っちゃまから聞いております。どうぞ中へ」

「お出迎えまでしてくれるなんて……白哉今日機嫌いいんですか?」

「いえ、たまたまでございます。丁度先生がお帰りになられる所でしたので」

 

 先生? 誰だろうと思っていると、玄関から久々に見る人がいた。

 

「容態は安定しましたので。これで僕は失礼します」

「いつも有難うございます。山田様」

 

 ちよさんが深々と頭を下げるのは、山田清之介さんだ。

 

「や、山田副隊長!」

「やあ。君は確か……ああ、十三番隊の所の子だ。卯ノ花隊長専門の患者だね」

 

 私が四番隊にお世話になる時は、大抵瀕死の状態。

 最近では自分で回道を習得してしまったため、世話になるのは年に一度の健康診断の時くらいだ。

 私の顔を見て思い出したのか、山田さんはクスリと笑った。

 

「それに、もう僕は副隊長じゃない。気軽に山田とでも呼んでくれ」

 

 そんな失礼なことは出来ないと、フルフルと頭を横に振った。

 つい最近、長らく勤めていた四番隊副隊長を引退除籍された方で、その後も働くという特例中の特例に当てはまる方だ。

 

「や、山田総代様……」

「その名もむず痒いな。貴族でもない君が呼ぶには値しない名だよ」

 

 現在の職は、瀞霊廷真央施薬院総代。すなわち、五大貴族を中心とした上流貴族専門の救護詰所の最高責任者だ。

 山田さんは私の耳元まで口を近づけると、小さく呟いた。

 

「……ああ、そうだ。こんな夜更けに遊びに来るのは結構だけどね。この先にいるのは大切な患者様なんだ。……大声で騒いで折角安定した容態を崩したら……いつか君を治療する時、君の体内に僕は うっかり(・・・・)針を置き忘れてしまうかもしれない」

「……ぜ、全身全霊で細心の注意を払うことを誓います……」

 

 すっかり忘れていたが……この人はめちゃくちゃ怖い人。

 笑顔と紡ぐ言葉が何一つ伴ってない。ヒラヒラと手を振って闇夜に消える山田さんを見送って、私はほっと息をつく。

 

「ご夕飯を用意しております」

「ありがとうございます。白哉は?」

「湯浴みされております」

「はーい」

 

 まだ私の身に自由が多かった頃に通い続けた屋敷は、今更迷うことも無い。

 黙々と目的の部屋に到着して、襖をあける。

 そこには、胃袋をうずかせる美味しそうな食事が並んでいた。

 

「い、いただきます!」

 

 瀞霊廷中の定食屋を巡っても、朽木家の食事以上に美味しいご飯はない。

 白哉には、図々しいだの貴様にやる飯はないだの文句を言われているが、行くといえばなんだかんだ準備してある。

 

「あまりに飢えた乞食がみすぼらしく感じた……とか理由つけてるけど、何だかんだ優しいなあ……」

 

 嫌味のように、いつも私の嫌いな豆腐があるのは悲しいけど。

 一心不乱に食事を続けていると、風呂上がりの白哉が部屋を覗きに来た。

 

「……乞食が」

 

 言動ともに、全身で不快感を示している。いつもの事だ。

 

「お湯抜かないで、私も後で入る」

「ちよ。今すぐに湯を抜きにいけ」

「ちょっと!!」

「此処はお前の家ではない」

 

 互いにバチッと睨み合って、それに挟まれたちよさんが一番可哀想かもしれない。

 

「し、使用人専用の……は、離れの湯だけ残しておきますね……」

 

 そう言って、そそくさと部屋を出ていってしまった。

 

「食事を取ったら直ぐに帰れ」

「もう子の刻過ぎたんですけど?」

「だからどうした」

「ちよさーん! お布団も!」

 

 そう廊下に向かって叫ぶと、遠くからかしこまりましたぁ! と返事が返ってきた。

 

「……貴様が来ると毎度毎度騒がしい」

 

 ……そうだ、山田さんから静かにしなきゃ殺すと言われてたんだった。

 私は口元を手で押える。ため息をついてその場を去ろうとした白哉。

 慌てて残りのご飯をかき込んで、ご馳走様と手を合わせると白哉の背中を追いかけた。

 縁側を歩く白哉の後ろを歩き続けていれば、ついに少し振り返って睨まれる。

 

「……貴様はこのまま夫婦の寝床に立ち入るつもりか」

「……違うよ。元気かな? って……思っただけ」

「……また適当な事を」

 

 このままでは埒が明かないと判断したのか、白哉は進行方向を変えた。

 着いた先は、屋敷の中心にある美しい庭園。

 

「……何が言いたい」

「だから、元気かな…」

「今更そのような建前に乗ると思うな」

 

 そういわれて、二人の間に沈黙が流れる。

 外で鳴く鈴蝉の音と、月明かりに照らされる幻想的な空間。

 

「……いつまで持つの」

 

 実に抽象的な質問だが、この質問の意図がわからないわけがない。

 返事はかえってこなかった。

 

「その……結婚式の時以来、白哉とも緋真さんとも会えてなかったし……」

 

 白哉との沈黙なんて慣れているはずなのに、何故か気まずくて私は更に言葉を探した。

 

「あ、でも山田さんが来てるなら大丈夫か。余計なお世話だったね……」

「……あともって一月だ」

 

 私が煩かったからなのかどうなのかは分からない。ただそう一言、白哉からは返ってきた。

 月を真っ直ぐと見上げる白哉。

 ……彼の目を見ても、何を考えているのかわからないと思ったことは初めてかもしれない。

 それほどまでに、遠い目を白哉はしていた。

 

「……延命に過ぎぬ。……せめて来年の桜までと……」

「……そっか」

 

 緋真さんは桜を見るのが好きな人だと聞いた事がある。

 だから、来年の桜も見せてあげたかったのだろう。出来るなら、ずっとずっと永遠に。

 こういう時、どんな言葉を言っていいのかわからない。上手い言い回しは全然見つからない。

 目線が泳ぐ私を見て、白哉は小さく息をついた。

 

「案ずるな。元より貴様に、気の利いた言葉など期待すらしておらぬ」

「……ごめん」

 

 悲しい表情一つ見せない白哉。それを強さだと人は言うのだろうか?

 何処かで読んだ本に書いてあった。人は悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだと。

 では、涙を流さぬからと言って悲しみの感情が欠如している事と直結するのか?

 いや、そんなはずは無い。

 私は悲しみの涙以外も知っている。嬉しい時も幸せな時だって人は涙を流す。

 

 だから、緋真さんへ送る涙は、悲しみの涙ではなく、出会えた奇跡への感謝と未来への祈りの涙であって欲しい。

 

「……距離が離れるだけだよ。心は繋がってる。緋真さんは霊力持たないし、ほら……何百年後かにまたここに戻ってくるかも……」

「……散々に考えた結果の言葉がそれか」

「……ごめん」

 

 私の言葉は見事に一蹴され、もう話すことは無いと言いたげに白哉は帰り道を歩く。

 その背中に向かって声を投げた。

 

「私が泣くよ! 白哉の分まで泣くからね! 心配しないで! 白哉の心、私が預かっておくからね!」

「……黙れ。気が済んだらさっさと湯に入って寝ろ」

 

 

 

 

 

 

**********

 

 

 

 

 

 

 あの日から、一ヶ月と少し。

 緋真さんが亡くなったとの連絡を京楽隊長づてに聞いた。

 

 それは朽木家の大きな動きがあった月でもあった。

 長らく六番隊隊長を勤めていた朽木銀嶺さんの勇退。そして、白哉には六番隊副隊長でありながら隊長権限代理の名が与えられた。

 

 

 線香をあげにいこうにも、中々時間が取れずにいたある日。

 普段絶対に自分から会いにこないはずの白哉が、鬼道衆の門を叩いた。

 

 五大貴族の訪問とあって慌ただしく動く隊舎。

 

「き、如月副鬼道長……貴女は何を……」

 

 いよいよ五大貴族の怒りに触れる何かをやらかしたのかと言いたげに私を見つめる勒玄に、軽く笑みを返す。

 

「大丈夫。白哉でしょ? 通していいよ」

「じ、次期御当主様を呼び捨てとは……気が触れられましたかの……」

「昔からだよ」

 

 気を失いかけている勒玄を置いて、私は副鬼道長室を出る。

 

「びゃく……」

 

 白哉と目が合った瞬間、私は口を閉じた。そして、自然と自分の顔から笑みが消えるのを感じた。

 

「……勒玄。演習場を開けて。死にたくなかったら、誰も立ち入らせないで」

「……承知」

 

 白哉は殺気立っているわけじゃない。怒りはない。

 ただ、深い深い覚悟を背負って私の前に現れた。

 

 

 

 演習場に入った私は、最高強度の結界を展開する。

 

 

 

 そして、その結界が張り終わると同時に……互いの刃がぶつかり合った。

 

 

 

 表情一つ変えない白哉から伝わるって来るのは、気迫。

 火花をあげて交じり合う刃と、結界を張っておかねば、力量のない隊士が気絶する程の霊圧のぶつかり合い。

 何度目かの鍔迫り合いを続けた時、白哉が小さく呟いた。

 

「 散れ 千本桜 」

「 啼き叫べ 名無之権兵衛_千本桜 」

 

 交わっていたはずの互いの刃が崩れ落ち、細かい刀身へと変わる。

 立ち入りを禁止して正解だ。いまこの場に立ち入ろうものなら、容赦なく命を刈り取られる。

 

 常人では目に追えない程の猛攻の中、私は一瞬の隙を付いて白哉の腹部に千本桜を割り込ませた。

 そのまま体を貫く刃。

 一瞬苦痛を帯びた顔をした白哉だったが、私はそれに構うことなく左手を背中側へと向ける。

 

「__縛道の六十一 六杖光牢」

 

 紡ぎ出した縛道。それと共に、目の前にいたはずの白哉がゆらりと揺れて消える。

 今しがた見た光景は、幻影。名を与えるとするならば、隠密歩法__空蝉。

 

 拘束された白哉だったが、私は表情を緩めることはない。

 

「……この程度でわざわざ殴り込みなんか来てるわけないよね」

 

 そういって、あえて六杖光牢を解く。

 頬に付いた傷から流れる血を拭いながら、白哉は私をじっと見つめた。

 

 互いに動かない時間がしばし流れ、白哉は一度目を伏せる。

 

 そして、柄を逆さに持った状態で真っ直ぐと私に向け、その手からそっと刀を離した。

 

 

 

 

 

「   卍解   千本桜景厳   」

 

 

 

 

 

 その言葉と共に、地面から千本もの巨大な刀身が現れる。

 光景を言語化するとすれば、それはまるで左右に巨大な日本刀の刀身が桜並木のように立ち並び、それが一斉に桜の花びらのように姿を変えたような光景だった。

 

 その全ての刃が、私に襲いかかる。

 

「……こりゃやばい」

 

 単純な話、私の持つ千本桜では太刀打ち出来る数じゃない。

 

 

 

 __ダダダダダダっ!!

 

 

 地鳴りにも近い音が鳴り響き、演習場が大きく揺れた。

 

 

「な、何事ですかあああ!!」

 

 

 流石に我慢が出来なかったのか、勒玄が扉を開けて叫んだ。

 そして、物の見事に瓦礫の山と化した大地と膨大な量の刃。それを操る白哉を見て、小さな声で呟く。

 

「……副鬼道長が……死んだ……」

「……あの、勝手に殺さないで」

 

 瓦礫の山を押しのけて、私はどうにか脱出しようともがく。

 いつの間にか千本桜の刃は消えていて、カチンというと音が聞こえた。白哉が刃を収めたんだ。

 

「ひゃあ……右足が抜けない……」

 

 もがいている私の傍に黙って近寄った白哉は、私に向かって手を伸ばす。

 その手を掴むと、一気に宙へと引きずり出された。

 

「……下ろしてくれる?」

 

 いつの間にかまた白哉に背を抜かれたせいか、ぶらっと宙に浮かぶ私。

 白哉は目を細めると、そのまま希望通り手を離した。

 

「いったあ!」

 

 重力に従って、私は瓦礫の山に尻もちをつく。おしりの具合を確認しながら立ち上がると、白哉は用が済んだと言わんばかしに帰ろうとしている。

 

「まだまだ負けないよ、白哉!」

「……気に食わぬ。尻餅の方が痛いと言いたいのか」

「そうかも」

 

 ニコッと笑うと、白哉はまた目線を外して私に背中を向ける。

 

「い、一体何が……」

 

 状況を一人だけ理解出来ていない勒玄に、私は説明をしてあげた。

 

「いやあ、鏡門がなきゃ死んでたかもね」

「ば、卍解を鏡門一つで防いだというのですか!!」

「みたいだね。初めてやったし、出来たてホヤホヤの卍解だったからなんとも言えないけど」

 

 どのスケールで私達が戦っていたのかを知った勒玄は、最早声を失っている。

 

「あ、白哉! 結界あるから出られませーん、残念でしたー!」

 

 演習場をめちゃくちゃにされたんだ。文句のひとつくらい言わせてもらおうとそう投げかけると、今まで一度も感じなかった殺気が飛んできた。

 ……早く開けろとのことらしい。それでも、たとえ私からの一方的であっても会話はしたいものだ。

 

「美しい卍解。景厳かぁ……」

 

 景厳の言葉の意味は、光景。そして……慕う心。

 彼女が大好きだった桜並木の景色。それを生涯でただ一人と決めた慕う女性に捧げる卍解。

 

「白哉の中に、ずっとずっと緋真さんはいるんだね!」

「……無論。貴様に預ける心などない」

「緋真さんの心を取ったわけじゃないよ」

「……さっさとその惨めな涙を止めろ」

 

 

 そう言われて気がついた。私の目から流れる一筋の涙。

 

 

「……貴様は相も変わらず、無様な顔で泣くのだな」

 

 そういって、白哉は手ぬぐいを私に向かって投げた。

 そして私が結界を解くと同時に、白哉は鬼道衆隊舎から立ち去った。

 

 

 

 顔を拭く私に歩み寄る勒玄。

 

「ああ……演習場がこんなにも滅茶苦茶に……」

「大丈夫。直ぐに朽木家から遣いが来て復旧作業してくれるよ」

「……老いぼれの命が縮みますぞ」

 

 はあっと深いため息をつく勒玄をみて、私はクスッと笑った。

 

「……泣きながら笑うとは、なんとも不気味極まりない」

「私が泣いてるんじゃないよ。白哉が泣いてるの」

「失礼な事を!!」

「じゃなきゃ、来ないでしょ。あーあ、入ってくるなって言ったのに……今しがた大泣きして帰ったあの人のこと、他言無用ね」

「また副鬼道長の戯言でございますか……」

「そうかも。もしかしたら、線香ひとつあげにこない私に対して、恩を仇で返すか……って怒りに来ただけかもね」

 

 私は僅かな音の振動に気がついて、勒玄の背中を押して演習場を出る。

 

 

 出たと同時に、千本桜の影響で限界を迎えていた演習場が屋根から一気に崩れ落ちた。

 

「……朽木家に請求倍で」

「……承知」

 

 この一件で、密かに鬼道衆の中で「朽木家の怒りを買った」と根も葉もない噂がしばらく流れることになるのは……また別のお話。



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第二十九話 想いは繋がる

 

 

 今までだってそうだったから、今更って話でもないが……来るべき日は突然来るものだ。

 

「く、朽木……ルキアと……申します……。よろしく……お願いします……」

 

 消えそうなほど小さな声で、深く顔を下げる少女。朽木ルキア。

 緊張故か、表情は硬く目線が合うこともない。

 突然白哉から、"預かれ"とだけ書簡が届いたかと思うと、次の日にはこの子は十三番隊の門を叩いた。

 

「初めまして! 俺は十三番隊で隊長を務めている浮竹十四郎だ。んで、こっちが……」

「志波海燕。十三番隊副隊長。よろしくな!」

「俺は身体が弱くてな……寝込むことが多いから、普段の取り仕切りは海燕に任せていることが多い。そして、こっちが……」

「如月姫乃です。十三番隊の役職は四席。兼任として鬼道衆副鬼道長も務めています」

 

 そう言って笑ったが、ルキアが顔を上げることは無い。

 

「本当は都も紹介したかったが……生憎あと三日は帰ってこないしなぁ……」

 

 そんな浮竹隊長の言葉にも反応することない。大方、頭の中は真っ白ってところだろう。

 彼女との二言目をどう導こうかと考えた末、私は海燕さんの方をチラリとみた。

 私と目が合った海燕さんは任せてろと言わんばかりの笑顔を見せる。そして、ズンズンとルキアに近寄ると、そのまま首根っこを掴んだ。

 

「おいこら、なにか言うことは!」

 

 いきなり担ぎあげられたことに驚いたのか、ルキアは目を丸くしている。

 

「は、はぁ……」

「はあ。だあ!? よ・ろ・し・く・お・願・い・し・ま・す。だ!!」

「よ、よろしくお願いします……」

 

 促されるままに言葉を反復したルキアをみて、海燕さんはニカッと笑った。

 

「上出来だ!! よろしくな!」

 

 ……その光景が……なんだか懐かしく感じた私は小さくクスクスと笑う。

 

「んだ、如月?」

「いえ……少し昔のことを思い出しただけです」

 

 そういうと海燕さんは、んー? っと首を傾げて、思い出したかのような表情をする。

 

「あははは! そういやあ、お前もこんなクソガキだったなあ!」

「もう五十年近くになるのか。いやあ、時の流れは早いな」

 

 浮竹隊長もうんうんと深く頷く。海燕さんは思い立ったかのように、突然私にルキアを投げた。

 

「ひぃ!!」

「うわっ!」

 

 慌てて受け止めて、二人同時に海燕さんを睨む。

 

「「な、何するんですか!!」」

「お前がいる時は、朽木の世話役はお前だ! 二人でビシバシしごくぞ!」

「ええ……早速私、明日から一月は戻ってきませんよ……」

「んなもん、二・三日くらいズラせるだろ」

「……勒玄の雷を食らってきます」

 

 まあいいかとルキアを畳の上に下ろして立ち上がる。

 そして、地獄蝶を呼んで勒玄へと伝令を飛ばした。通話で言えばいいのだが、小言が長そうなのでやめておこう。

 

「あの……私の所為でご予定の変更など……そんな……」

「いいの! 私もルキアと一緒にいたい。それだけで充分だよ!」

「は、はぁ……」

 

 まだ戸惑いを見せるルキアに、私達三人は目を合わせあって再びルキアに笑いかけた。

 

 

「「「ようこそ、十三番隊へ!!!」」」

 

 

 ぱちぱちと瞬きを繰り返す彼女の手を引いて、私は隊士達が集まる場所へと連れていった。

 隊士達の中でも、五大貴族の養女が来るとあって様々な噂話が飛び交う事が多い。

 決して失礼だけはないようにと、彼らもまた距離感を測りかねてる。

 

「しゅーごー!!」

 

 私がそう叫ぶと、中庭に人が徐々に集まりだした。

 

「清音、仙太郎! 奥の人たちも呼んできて!」

「はい! お任せ下さい!」

「コイツより多くの人を呼んできますぜ!」

「なによ! 負けないったらね!」

 

 

 そうしてしばらく待つこと三十分程度だろうか。

 既に仕事で外に出ている人達や手を離せない人たちを除いて、多くの隊士が集合してくれた。

 いきなり大勢の目の前に晒されたからか、ルキアは完全に固まってしまっている。

 

 ……怖いかな。怖くないよって……私が教えてあげられるかな。

 そんなことを内心に思いながら、私は皆の方を向く。

 

「自己紹介出来る? 私が代わりにする?」

 

 そう聞くと、ルキアは戸惑いながらも自分の言葉で挨拶をした。

 

「く、朽木ルキアと申します……。何卒よろしくお願いします……」

「白哉の義妹! 私がいるから、朽木家なんて名前に今更圧倒される事ないよね?」

「そ、それは如月四席だからですよ! 我々にとっては天上人です!」

「でも、ルキアはルキアだよ」

 

 私がそういうと、皆は戸惑いながら互いの顔を見合わせる。

 コソコソと話が続く中、人だかりの奥から一人の人が前に出てきた。

 

 五十年前と比べると人は随分入れ替わりを見せたが、それでも私が十三番隊に来た時にいた人は少なからずまだいる。

 彼はその内の一人だった。……忘れもしない。

 私が初めて人との境界線を崩す時に、目線を合わせてくれた人。

 彼は、あの時と同じように腰を落としてルキアと目線を合わせる。

 

「……よろしく。分からないことがあれば、何でも聞いてくれ」

 

 それをキッカケに、一人……また一人とルキアと握手を交わしていく。

 徐々にルキアを中心として人だかりが出来て、私はそっと数歩後ろへと下がった。

 

「……やっぱお前に任せてて正解だな」

 

 私の後ろから海燕さんがそう小さい声で言った。

 

「皆なら……きっとこうしてくれると信じてましたから」

「如月がそうさせたんだ。胸張っていいんだぜ」

「どんな背景も肩書きも関係ない。……その子はその子。……海燕さんから私が与えてもらったことですよ」

 

 人だかりが徐々に解けていき、埋もれていたルキアが再び見えた。

 そんなルキアと目が合って、笑いかけると……少し硬い、けれど精一杯の僅かな微笑みが帰ってきた。

 

 

「……え」

 

 

 その笑顔を見た時……ドクンと心臓が大きく跳ねる。

 

 

 

「……如月?」

「っ……」

 

 私は数歩また後ろに下がって、自分の頭を抑えた。

 明らかに先程の私とは違う雰囲気を察した海燕さんが体を支えてくれる。

 

「おい! しっかりしろ!!」

 

 ルキアの笑顔。その笑顔の横に海燕さんの笑顔が並んで見えた気がした。

 

 

 それだけなら、ただ微笑ましい光景のはずだった。

 

 

 いつの日にか与えてもらった海燕さんの笑顔と、今しがた私がルキアに与えた笑顔が重なって見えただけ。

 

 

 

「はっ……はあっ……」

 

 

 なのに全身に襲いかかるのは恐怖。

 

 その笑顔がドロドロに溶けて消えていく幻影。

 頭の中にフラッシュバックの様に浮かんでは消えていくのは、忘れ去っていた漫画の欠片。

 幼い時に見ていたという曖昧な記憶に加えて、五十年という歳月が忘れさせてしまっていた欠片。

 

 

 

 

 ……ルキアが……海燕さんを……殺す?

 

 

 

 その一枚の光景がドンッと脳の中に張り付き、私はその場に尻餅をついてしまった。

 

 

「如月四席!?」

「大丈夫だ! お前らは仕事に戻れ!」

 

 異常に気がついた何名かの隊士が、私に駆け寄ろうとしてきたが海燕さんが制す。

 

「き、如月殿……」

「大丈夫……少し……疲れてるだけ」

 

 戸惑うルキアにそう言葉を返す。

 グラグラと揺れる視界の中、私は抵抗も虚しく意識を失ってしまった。

 

 

 

 

 

***********

 

 

 

 

「起きたか」

 

 ハッと目が覚めると、十三番隊の仮眠室に私は寝ていた。隣には海燕さん。

 

「心配おかけしてすみません。もう大丈夫ですから」

「いい、寝とけ」

 

 起き上がろうとしたことを止められて、私は再び布団に背中を倒す。

 倒れる前に感じていた動悸や息切れはもうない。

 ただ、どんな敵の前ですら起きたことの無い、僅かな指の震え。……恐怖している。

 

 今まで、見えていたことに怯えていた私が……今度は見えないものに怯えている。グッと拳を握りしめて、深い深い息を吐いた。

 

「お前、いつから休み取ってない」

「んー……最後の非番は確か……四年くらい前ですね」

「働きすぎだ。疲れてんだろ」

「そうかもしれません」

 

 私は部屋の出入口の方に目を向けると、口角を少しあげる。

 

「入ってきていいよ、ルキア」

 

 そう言葉を投げると、そっと襖が開く。

 

「初日からかっこ悪い所見せてごめんね」

「あ……いえ……」

「お前の記憶じゃ初日だろうが、もう丸一日経ってるぜ」

 

 その言葉に驚いて、流石に体を起こした。今までだって瀕死の重症を負ってきたことはある。それでも、丸一日眠り続けたことなどなかったからだ。

 

「肉体の負傷とは違ぇ。精神的なもんだ。……どうした、如月」

「大丈夫です。疲れていただけだと思います」

「今更俺を誤魔化せると思ったか」

 

 そういって私の目をじっと見つめる海燕さん。……この目からは逃げられないと感じた。

 

「……わからないんです。本当に……わからない。分からないことが、恐ろしいです」

 

 私の記憶は、限りなく現実的。それはもう流石に理解出来る。

 しかし、理解することと受け入れることはまるで違う。

 

「ルキアは海燕さんのお陰で十三番隊に馴染めて……それで……」

 

 実に断片的であるが、ルキアの視点からみた景色は、悲劇へと繋がっている。

 それを……受け入れることが恐ろしくてたまらない。

 

 それ以上言葉に詰まった私。すると、右手に温かさを感じた。

 目線を向けると、ルキアが私の手を握っている。

 

「……如月殿のお陰です。私がああして、皆さんと挨拶を交わす事が出来たのは、紛れもなく如月殿のご尽力のお陰です」

「私の……?」

「温かさを与えていただきました。押しつぶされるかのような不安を塗り替えていく温もりを」

 

 繋がれた手から感じるルキアの温もり。

 

 

 ……ルキアの記憶を……私が塗り替えた?

 

 

 ほんの僅かではある。それが何に繋がっていくのかはわからない。

 だけど、ほんの僅かに世界線を変えたのだとしたら……。

 

 

 私はそっとルキアの腕を引いて、抱きしめる。

 

「……守るから。私が絶対、守るからね」

「……はい。ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 結局、ルキアといる為にズラした筈の仕事の予定は、私が倒れていたせいでプラスマイナスゼロ。

 海燕さんと交代になる前に、私は沢山の話をルキアとした。

 

 

「に、兄様と同期だったんですか!」

「うん。白哉から何も聞いてないの?」

「……兄様とは、殆ど会話をしたことはありませぬ。目もあったことすらありません」

 

 初めて持つ妹という存在に戸惑っているのか、それとも接し方が分からないのか。

 きっと両方。

 白哉からは、ルキアに絶対何も話すなと言われている。だから、私に二人の関係性に関してしてあげられることは少ないし、私が介入すると白哉は更にルキアを突き放してしまうだろう。

 

「じゃあ、機嫌のいい時と悪い時だけの見分け方だけ教えて上げる」

「是非!!」

「機嫌いいときはね、瞬きが多いよ。悪い時は、鬼みたいな顔してる」

「……違いがわかりませぬ」

「そのうち分かるよ」

 

 一生懸命にメモをとるルキアが可愛くて、本当はもっと沢山の事を教えてあげたい。

 けど、ズルして埋めた関係性が必ずしも上手くいくとは限らないから難しいところだ。

 

「おー、女子会してねぇでこっち手伝え!」

「この女子会は最重要案件です!」

「んだとこらぁ……」

「よし、この鬼から逃げるよ!ルキア!!」

「ひぃいい!!」

 

 まだ瞬歩が使えないルキアを抱えて私は屋根の上に飛び乗った。

 眉間に血管を浮かべて追いかけてくる海燕さんから逃げ惑っているうちに、腕の中のルキアがクスクスと笑い声を上げた。

 その笑顔を見て、私は暖かさに胸が包み込まれた。

 

「……嬉しいかも」

「へ?」

「ううん。海燕さんもこんな気持ちだったのかなって」

 

 足を止めた先の屋根は、いつの日にかみんなで作った屋根。

 所々色が落ちてしまっており、流れた年月に相応しい状態といえるだろう。

 

「はー、はー……如月ぃ……まだまだ俺から逃げられると……」

 

 汗を垂らして息を切らせながら私の後ろに立った海燕さんだったが、目線の先にあった屋根を見つけて言葉を止める。

 

「おー、なかなか屋根の上って来ないから久々に見たな」

「これは?」

「昔、皆で造ったんだ。なかなかいいセンスだろ?」

 

 他の隊にはない珍しい色合いに、ルキアは物珍しげにジッ見つめる。

 その横顔を見て、私はふと思い立った。

 

「色が禿げてしまっているところも多いですし、そろそろ造り直しましょうか」

「お前が次、隊舎寄る時にするか」

「……いえ、今度はルキアとしてあげてください。任せましたよ」

 

 私が皆との一歩を踏み出すきっかけになったこの屋根。

 この思い出を、今度はルキアを中心にしてあげてほしい。そんな私の思いを察した海燕さんが、任せろと言いたげにピースサインを作った。

 

「よ、よろしいのですか? 現状維持の処置でも……」

 

 せっかくの屋根をまた変化させてしまうことに戸惑った様子のルキア。

 そんな彼女の頭を私はそっと撫でる。

 

「違うよ。壊れたらまた何度でも造り直せばいいの。そうして出来たものは、決して悪いものじゃない。壊れないように必死に取り繕うことも出来るけど、思い出は一つより二つの方がいいでしょ?」

 

 私の思い出が消えるとか、そんな悲しい話じゃない。

 皆で造り上げた思い出と、それと共に流れた月日。そして、今度はその思い出を味わって欲しいと思える子が現れたこと。その子と過ごす未来。

 ほら、思い出がどんどんこうして増えていく。

 

 ルキアは言葉の全ての意味は分からなかったようだったが、コクリと頷いた。

 

「ちなみに、人の受け売りね」

「どなたのですか?」

「言葉をくれたのは浮竹隊長だけど、きっかけをくれたのは白哉だよ」

「ええ! 兄様が!?」

「そ。その思い出をルキアにも分けてあげる」

「ありがとうございます!!」

 

 

 そうして、一時の穏やかな時間を過ごして、私はまた激務の続く毎日へと戻って行った。





原作参考年表
1962年 朽木緋真死亡
1963年 ルキア朽木家に拾われる
1965年 朽木白哉・市丸ギン隊長就任
1967年 ルキア十三番隊入隊


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第三十話 承認式

 

 

 鬼道衆副鬼道長としての責務や十三番隊四席として隊を支える責務。そして海燕さんと共同でルキアの教育係として多忙な毎日を送る私。

 

「副鬼道長。入室してもよろしいでしょうか」

「はいはい、どーぞ」

 

 書類の山と格闘していた私の元に勒玄がやってきた。

 

「本日の報告にございます」

「どーぞ」

「現世各所空間異常なし。固定区域損傷なし。部隊訓練達成度七割弱。任務遂行成功率八割五分にございます」

「七割? 何時になったら九割超えるの」

「……副鬼道長の訓練難易度が高すぎる故にございます」

 

 その返事に、ふうっとため息をついて勒玄から渡された資料を眺める。

 訓練も任務遂行成功率も……あと一歩が届かないってところ。

 

「基準を下げて越えさせるのは簡単だけど、それはのちのちツケが回るよ。基準は下げない。来月までに達成できなかったら、編隊の解体・再構成」

「承知」

 

 次々に書類に目を通して、無心で判子を押していく。

 今の報告とは別件だと言いたげに、勒玄は一拍置いて再度話を続けた。

 

「北流魂街にて不審虚の存在は本日も確認されませんでした」

「……了解」

 

 この任務は目的を正しくは伝えていない。

 十三番隊の案件だと押し通して、流魂街の虚探索を頼んでいる。

 あの記憶の欠片を取り戻して以降、私が秘密裏に進めている案件だ。何も無ければそれでいい。ただの夢だったとして終わる。

 もし筋書き通り物事が進むとしても、私が先に叩く。

 

 ……間違っていないはずの思考に不安が拭えない。

 明確な日付が分からないからか、何かが間違っているからなのか。

 

「……来月から調査範囲を北流魂街から西まで伸ばして」

「無茶でございます。人手が……」

 

 人手がそんなにあるものかと言いたげだった勒玄は、なにかに気がついたのか発言を止めた。

 

「うん。嫌だったら、来月までに訓練達成率九割、死ぬ気で目指してね」

「……女狐のようにございますね」

「褒め言葉として取っておく」

 

 今日の仕事も、もうそろそろ終わりかな。割と早く終わったななんて考えていると、地獄蝶が窓の外でヒラヒラと飛んでいることに気がついた。

 勒玄が窓を開けると、地獄蝶は私に真っ直ぐと飛んでくる。

 

「……私に早く仕事が終わる日なんて来ないのかも」

 

 なんてボヤきながら、伝令を受け取る。

 

『如月姫乃副鬼道長。速やかに一番隊舎にて開催されております隊首会へとご参列ください』

 

 伝令の主は、一番隊副隊長雀部長次郎さんから。

 

「開催されております……だってさ。私だけ扱い酷くない?」

「左様にございますね」

「……思ってないでしょ」

「左様」

 

 参列が必要なら予め隊長達と同じタイミングで知らせてくれよと思いつつ、私は一番隊舎へと向かう準備を整えて大急ぎで向かった。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 __一番隊舎

 

 

「如月です」

「入れ」

 

 その言葉と共に物々しい扉が開き、私は一歩中へと入室する。

 

「遅くなってしまい申し訳ありません」

「なに、今しがた話がまとまったところじゃ」

 

 その総隊長の言葉に、私は首を傾げる。

 どうやら、私は結論だけを伝えるために連れてこられたらしい。

 

「如月副鬼道長。お主、鬼道衆総帥大鬼道長の名を背負ってはみぬか」

 

 その言葉に、私は大きく目を見開く。私は大鬼道長になれないのではない。

 なる術がなかったのだ。

 護廷十三隊の隊長襲名の条件としては、隊首試験・複数の隊長からの推薦 ・隊員二百人以上の立会いのもと現隊長を倒すこと。そのどれかを求められる。

 そしてそれらを受ける際の絶対条件として、"卍解"を獲得していること。

 

 ただ、それは鬼道衆においては適応されない。

 鬼道に特化した隊であるという性質上、己の斬魄刀を持っている者の方が珍しいからだ。

 

「護廷十三隊とは勝手が違うのでは……それに……」

「うむ。総帥の名は総帥からしか受け継がれぬ。前任がおらず、継承の儀が途絶えた今、護廷十三隊の羅列に総帥の名を持つものは今後現れぬ」

「そう……ですよね……」

 

 勒玄と初めて会った時、何故総帥をこの人は目指さないのだろうかと疑問に思った。

 それは鬼道衆に入ったことで直ぐに解決された。

 

 鬼道衆の頂点を名乗るためには、前任が認めた者でなくては継承してはいけないという掟があったからだ。

 

「長らくの話し合いが持たれた。名乗るに値するための力の条件……そしてもう一つが、隊長格の過半数以上の承認じゃ。長次郎」

 

 総隊長がそう声をかけると、雀部副隊長が何かの書簡を持って私の前に立つ。

 

「こちらが、護廷十三隊でいう処の隊首試験の内容です」

 

 受け取った書簡を開くと、そこには一行目から肩を落とすほどの高難易度鬼道の羅列。

 出来ないとは言わないが、一発勝負の隊首試験の場で披露するにはまだあと数年の調節が欲しいところ。

 

「その顔を見る限り、不可能だとは言わぬようじゃな」

「……あと五年はかかります」

「あはは! ほら、山じぃ。言っただろ? 姫乃ちゃんはすぐに乗り越えるって」

 

 物々しい雰囲気の中で笑い声を上げたのは京楽隊長。

 

「僕は予想外でしたよ。姫乃ならいまからやりますか? と言うかと思いましたから」

 

 続けて発言したのは藍染さん。

 いつもの調子で返事をしようとしたが、一応は厳格な場だと思い直して馴れない敬語で返事を返す。

 

「べ、別に今からでもいいですけど……ギリギリで乗り越えるよりはぐうの音もでないくらい完璧にしたいですから……」

「実に君らしい」

 

 試験の内容は把握した。次の問題は……と考えた私の思考は既に伝わっていたのだろう。

 

 誰かが何かを言うわけでもなく、それぞれが片手を上げ出す。

 

 総隊長から最も近い所から順に言うならば、最初はギン。

 

「はよボクらと並んでもらわな困るわ」

 

 そして四番隊卯ノ花隊長。

 

「否定する要素は一つもありません」

 

 次に五番隊隊長藍染さん。

 

「ボクは勿論、賛成だ」

 

 そして六番隊隊長の白哉。

 

「……」

 

 一言も言わないが、その手だけで充分だ。次に七番隊隊長狛村左陣。

 

「既に元柳斎殿がお認めになられている以上、否定など有り得ぬ」

 

 次いで八番隊京楽隊長。

 

「ボクと浮竹が第一発案者さ」

 

 次に十番隊志波隊長。

 

「海燕の認めた奴に悪い奴は一人もいねぇさ。それに、姫乃ちゃん可愛いしなぁ! 早く横並びで働きてぇや!」

 

 やや動機が不純な気がしたが、元々こんな調子の人だ。

 そして最後が……十三番隊浮竹隊長。

 

「俺も勿論賛成だ。ちなみに、更木からも承認の任意状が届いている」

 

 多分更木隊長は深くは考えていないと思うけど……なんて思って苦笑いを返した。

 

「胸を張れ、如月。護廷十三隊隊長十三名中、九名の推薦。俺が代表して言おう。如月姫乃の鬼道衆総帥大鬼道長の名の継承を認める案を本日、可決とする」

 

 否認者は、砕蜂隊長と涅隊長。そして、九番隊の東仙隊長。一番隊隊長は総隊長であるため、こういった議決には参加しない。

 恐らく反対の意見は私がいない間に交わされたのだろうが、承認が通った今、三人が何か言葉を発することは無い。

 

「……ありがとうございます。謹んでお受け致します。期待に恥じぬよう、より深く精進して参ります」

 

 そういって深く頭を下げると、何名かの隊長達からパチパチと数回拍手が届いた。

 

「うむ。お主は試験を受ける権利を得た。実行時期は自らで良しとした日に受けるといい。何か質問はあるかの」

 

 試験を今すぐは受けない。先程言った通り、基準以上の合格値を叩き出したいという思いとは別に、もう一つ。半分殴り込みで副鬼道長になった経緯がある以上、次は慎重にやりたいという思いもある。

 総隊長に質問はあるかと聞かれて、私は少し考えてから言葉を発した。

 

「私が大鬼道長になった際に……新しい機関の発足は可能でしょうか?」

「詳しく申してみよ」

「はい。現在の護廷十三隊と鬼道衆には壁があります。その壁が今後、瀞霊廷の綻びとならぬよう、より深い結束を求めます」

「貴様!! その言葉は、護廷十三隊を侮辱している言葉だぞ!!」

 

 私の口から出た提案に食ってきたのは砕蜂隊長だった。彼女が言いたいこともわかる。

 いつとも分からない未来で、護廷十三隊が負けるという未来を示唆している言葉にも繋がるからだ。鬼道衆に頼らなければ負ける日が来るぞ……と。

 

 そんな事を言いたい訳では無いが、そう捉える人がいてもおかしくはないだろう。

 特に、護廷十三隊に絶対的な自信を持つ人であればあるほど尚更だ。

 

「護廷の力を侮っているわけではありません。ただ、可能性として示唆出来ることが未然に防げるのであればそれに越したことはないです」

「うむ。続きを申してみよ」

 

 喧嘩腰だった砕蜂隊長の意見は、総隊長が続きを促したことで閉ざされることになる。

 私は長々と理由を話すよりも先に、結論を投じた。

 

「現行の鬼道衆を改め、護廷鬼道衆と名を改めます」

 

 その発言に、周囲がザワついた。鬼道衆とは、護廷十三隊の派生ではない。

 組織図を書くとするならば、総隊長の名のもとに十三の枝分かれした部隊が護廷十三隊だとする。

 鬼道衆はその並びには入らない。全く別の組織だ。

 総統括が総隊長であることに変わりはないが、護廷にして護廷ならずの存在。隠密機動なんかもそうだろう。

 二番隊が管轄していることで護廷十三隊の枠組みに見られがちだが、あれもまた護廷にして護廷ならずの存在だ。

 

「求める内容は、隊首会への参加権利及び隊長同等の発言権。……並びに、各隊との合同訓練合同任務の常用化です」

「つまりあれかい。死神全体の力の底上げってことだろう?」

 

 京楽隊長の言葉に私は頷いた。護廷十三隊には鬼道を苦手とする者が多い。逆に鬼道衆には剣術や体術に乏しい者が多い。互いの不足を補完する形を取る事が出来る。

 

「名案じゃねぇか。いいんじゃねぇの?」

「志波! 貴様は何も考えておらぬのか!! 裏方を表に出せとコイツは言っているのだぞ!!」

「いいんじゃねぇの? ついでに隠密機動も出てくりゃいいのによ」

「与えられた矜持に反する事をやろうとする愚弄と並べるな!!」

「だから私は反対だった。調和を乱す事をやるのではないかと。先の不安がこうも早くに露呈するとは……否認の意を押した事を誇らしく思う」

「そういうな、東仙。忠義に基づく発言ならば受け入れるべきだろう」

 

 一気に騒がしくなってきた周囲の喧騒の中、今まで沈黙を保っていた一人の人物が私の前に歩み寄ってきた。

 ……五十年近く死神として働きながら、一度も顔を見たことがなかった人。

 十二番隊隊長及び技術開発局二代目所長……涅マユリ。

 

「……何を考えての発言かネ」

 

 白塗りの顔に異様な帽子。死覇装から覗く腕は不気味なほど細い。

 

「先程全てを申し上げました通りです。全ては護廷の為に」

「そうかネ。私には到底そうは聞こえんヨ」

 

 お前の目的は知っていると言わんばかしの不気味な笑みを浮かべる涅隊長に、私は少し戸惑う。

 本当に気がついているのか、誘導されているのか。

 

「よく知っているヨ。如月姫乃。護廷の為、護廷の為、護廷の為。……貴様の愚かな父親が(うそぶ)く時の常套手段だ」

「父がどのような人物であるかは知りません。私は私の意見を述べた迄です」

「技術開発局もそうだネ。表向きは大層な言い分を並べて創設し、その真意の底をめくれば奴の欲望の塊だヨ」

「……では、その欲望の塊を恩恵とし、二代目を名乗られている貴方はさぞ無欲だと?」

 

 私の返しに、涅隊長は嬉しそうに口元を歪ませた。

 

「……ほう、貴様の父親であればより深く思考の元、返事を返しただろうが……愚かだネ。貴様の今の言葉は、隊長に対する無礼に当たるヨ」

 

 その言葉を聞いて、私は内心で舌打ちをした。嵌められた。

 私はまだ副鬼道長。護廷十三隊で言えば副隊長の座。隊長に対して無礼を働いたという紛れもない証拠である。

 

「さて、掟に基づこうじゃないか。浮竹隊長殿。他隊の部下が他隊の上官に無礼を働いた場合の規則はなんだネ」

 

 涅隊長の言葉に、浮竹隊長は悔しげに唇を噛んだ。

 

「……生死決定を除き、贖罪の内容決定は……被隊の最高位統括官の名の元に……」

「左様。さあ、如月姫乃に命ずるヨ。その意見を通して、貴様の最も得たい権利はなんだネ」

 

 その命令に私は黙り込む。

 沈黙が続く中、様々な思考の結論に辿り着いて私は返事を返した。

 

「……四十六室……大霊書廻廊への立ち入り権利を求めます」

 

 私の返事に満足したのか、涅隊長は元の場所へと戻る。

 

「さて、以上だヨ。私はとてもとても慈愛深い人格者だ。先程の無礼は水に流そうじゃないか。そして、真意が聞けたところで、判断は総隊長殿にお任せするとしようじゃないかネ」

 

 護廷十三隊の隊長にあって、鬼道衆総帥にはないもの。かつてはあったのかもしれないが、失われたもの。

 それが、尸魂界で起こった事象の全ての取りまとめをした記録室……大霊書廻廊への入室権利。

 何年探しても見つからない父の事件の痕跡。結論は、それはそこに封じてあるのだ。

 

「何故この小娘が入室権利を求めるか……それを言わなければならないほど、愚かな隊長達殿ではないことを祈るヨ」

 

 最後にそう言って、涅隊長は口を閉じた。

 

 

 __ドンッ!!

 

 その場に鳴り響いたのは、総隊長の杖の音。

 

「如月姫乃の進言。今すぐに是とは行かぬ。これは四十六室総会議及び貴族会議の案件とし、のちの電報を待たれよ」

「承知しました」

「では、これにて解散!!」

 

 解散の声と共に、次々に隊長達が部屋を出ていく。私の肩を叩いたのは、京楽隊長だった。

 

「わざわざ言わせなくても、ボクらにはお見通しなのに……意地悪だねぇ、涅隊長は」

「えへへ。言い訳は色々考えたんですが、言わなくてもバレてるだろうなって思ったので」

「ごめんよ。最後の意見に話を集中させようとしたボクの悪戯は失敗しちゃったね」

「私のせいです。お気になさらず」

 

 浮竹隊長は京楽隊長に、お前も初めからわかっていたのかと言いたげな顔をしているが、多分藍染さんだって分かってるし、ギンや白哉だって気がついただろう。

 もうバレている事を変に隠して疑惑を深められるよりはいいやと思った。

 

「ま、通ればいいなと思って言っただけなので通らなくても問題ないです」

「貴族会議の案件になってしまったことは充分大事(おおごと)さ。まったく君って子は……」

「白哉になんとかしてってお願いしときます。ね、白哉!」

 

 白哉に目を向けると、死ねと言わんばかりの目で睨まれる。

 

「……公式な場での呼び名すらまともに使えぬ奴に貸す手などない」

 

 

 一波乱あったが、何はともあれ私は大鬼道長を目指せる道筋を得ることが出来た。




組織図


    総隊長
     |―――――――――
――――――――――――  | |
||||||||||||  鬼隠
(   護廷十三隊    )  道密
              衆機
               動


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第三十一話 本当に怖いのは現実であると

 

 

 進む進む時計の針。戻らぬ時の混沌。

 前を向けば飲み込む濁流。

 背を向ければ閉ざされる光。

 時は等しく無情なりてお前の喉元に。

 

 

 

 

 

「如月殿ー!!!」

 

 久々に帰ってきた十三番隊に顔を出して早々、ルキアが満面の笑みで駆け寄ってきた。

 

「久しぶりー!!」

「半年もお勤めご苦労様でございました!!」

「ほんと、やっと家に帰ってきたって感じ!!」

 

 ルキアと初めて会った時から既に十年。あの日倒れて以降、実に十年ぶりの非番だ。

 

「おーい、俺に挨拶は?」

「ただいま! 海燕さん!」

「おかえり。まあゆっくりしていけや」

 

 十三番隊の任務は基本的に同時進行でこなし、報告書も鬼道衆の隊舎で作成することが多い。

 その為、十三番隊の中では最も不在率が多いのが私だ。

 この十年は、実に穏やかな日々だったと思う。

 

「ルキア、今日仕事は?」

「非番を頂きました!」

「おお、海燕さんたまには気が利きますね!」

「……るっせぇ、取り消すぞ」

「嘘です!! ありがとうございます! ルキア、遊び行こう!」

「はい!!」

 

 ルキアの手を引いて、私は帰ってきたばかりの隊舎を飛び出す。

 二人でこうして瀞霊廷中の美味しい甘味処を探して回るのは密かな楽しみの一つだ。

 

「さあさあ、何でも遠慮なく頼んでいいよ」

「本当ですか!」

「勿論!」

 

 目を輝かせて店先に並ぶ甘味を見つめるルキアをみて微笑む。本当に、本当によく笑うようになった。

 この十年間、影で目を見張っていた案件に関しては一切の進捗がないことも、私の肩の荷を少し軽くしている事かもしれない。

 二人で甘味を選んでいると、後ろに誰か立ったのか、私達の正面に人影が出来た。

 

「やあ、何年ぶりだい? 姫乃」

「ボクなんか、あの承認式以来ちゃう?」

 

 偶然にも同じ甘味処で出会ったのは、藍染さんとギンだった。

 

「ん、ルキア。先に中入ってていいよ」

「はい」

 

 私は平気だけど、流石にルキアは隊長二人が目の前に立たれたら緊張で胃が焼き切れてしまう。

 素直に店の中に入っていくルキアを見守って、私は二人に目線を戻した。

 

「藍染さんとは三年ぶりで……ギンとは五年ぶり?」

「ひゃあ、あっという間やねぇ」

「ほんとね。私達にとっては一瞬だよ」

 

 通行の邪魔にならないように一度道の端に避けて、私達は会話を続ける。

 

「まだ副鬼道長のままなのかい?」

「んー……十三番隊を抜けたくなくて」

「護廷鬼道衆の案、結局流れてもうたもんなぁ」

「そうなの。だから、大鬼道長になったら十三番隊を抜けなくちゃいけなくて」

 

 あの日に提案した件は、結局否決となってしまった。

 なんでそうなったのか分からないし、白哉に聞いても守秘義務案件らしくて教えてくれない。

 まあ元々通るなんて期待していなかったから未練は特にない。

 

「姫乃が決めていることなら、僕達がとやかく言う必要は無いさ」

「ありがとう。ルキア待たせてるからそろそろ行くね」

 

 二人に別れを告げようとした時、藍染さんが話を続けた。

 

「随分と仲がいいね」

「うん。なんだか昔の私と重なっちゃって。大切にしてるんだ」

「十三番隊が君にとってこんなにも大切な物になるなんて思わなかったよ」

 

 どこでもいいやと思っていた頃の私はもう居ない。

 私の心境の変化や成長を見てきた藍染さんは、懐かしそうに嬉しそうに微笑んだ。

 

「うん! 絶対誰にも奪わせない!」

 

 私のその言葉に、藍染さんは少し目を大きく開いて、数回瞬きをした。

 そして直ぐにいつもの笑顔へと戻る。

 

「そうか、奪われるばかりの頃だった君が……守る側になったのか」

「合格?」

 

 昔のように、期待値を越えられたのかと採点を聞くと、藍染さんはクスリと笑った。

 

「ああ、満点だ」

「嘘だあ」

「本当だよ。君に嘘を言ったことは一度もない」

 

 私達の会話を、やっぱりギンは不思議そうに眺める。目線を彼に向けても、何も言うことは無い。

 

「二人一緒なの、珍しいね」

「僕ら、今から現世に行くんや」

 

 隊長が二人も? そんな何か大きな事件が起きているのかと首を傾げれば、答えを藍染さんがくれた。

 

「ここ数日、現世駐在の死神が失踪している。僕の五番隊もそうだが、ギンの所もだ」

「他にも被害はあんねんけど、代表してボクらが行くことになってん」

「……失踪?」

「分かり次第、君にも伝令を出そう。今度は涅隊長にバレないようにね」

 

 本当は護廷十三隊の隊長だけが知る案件だが、こっそり情報の横流しをしてくれるということだ。

 気になる案件ではあるので、有難い。

 

「じゃあ、これで伝令飛ばして」

 

 私が渡したのは、二匹の地獄蝶。それを藍染さんは不思議そうな顔で眺めた。

 

「これは? 見る限り、従来の蝶とは少し違うようだが……」

 

 言葉の通り、生き物の蝶というより、蝶の形をした機械だ。

 

「指定した人物以外の声は入れられない。音声変換機能が付いてるから、正しく聞き取れるのは私だけ。今それぞれ、ギンと藍染さんの霊紋で登録しといた」

「こらまた厄介な物造りはったなぁ……」

 

 感心の声を上げるギンとは対照的に、何故これを作ったのか分かった藍染さんは口元を緩ませる。

 

「仕返しのつもりかい? それにしても、いつの間に涅隊長の霊紋データなんて取ったんだい?」

 

 その言葉通り、これは汎用性のある道具ではない。

 そもそも、指定した人物の声しか入れられないということが重要なのではない。霊紋を元に造られたということが重要なのだ。

 つまるところ、例え涅隊長が手に入れたとしても、自分の霊紋を弾かれている限り、解析には相当な時間を取られる代物。

 

「私がやられっぱなしなわけないでしょ。自爆機能が付いてるから、涅隊長がこの蝶の前で一言でも話したらドカン……だよ。お喋りなあの人にはうってつけでしょ」

「全く……とんだじゃじゃ馬娘だね」

「褒め言葉だよ。行ってらっしゃい」

「いってきます」

「ほなねー」

 

 二人を見送って、私は甘味処の中へと戻った。

 一人で待っていたルキアが、少し不安げな顔から一気に安堵の表情へと戻る。

 

「待たせてごめん」

「いえ! それより……その……」

「ああ、藍染さんとギン? 昔からあんな感じなの。無礼じゃないよ」

「き、如月殿の交友関係はどうなっておるのですか……」

 

 白哉の件といい、ルキアの頭な中は混乱で満たされているようだ。

 その表情が面白くて、クスクスと笑う。

 

「ギンの方が先輩なんだけどね。皆で遊んでいるうちになんとなく。藍染さんは……そうだなぁ……私の師匠。そして、育ての親……って感じかな」

「藍染隊長が?」

「育ての親なんて言葉、本人にも言ったことないの。秘密ね」

「勿論です!!」

 

 そして二人の話題は、会えなかったうちの半年間の出来事へとうつり変わっていく。

 

「海燕さんとの修行はどう?」

「それが、つい最近始解を獲得したのです!」

「ほんと!?」

「はい! 袖白雪と言います。刀の全ての部位が真っ白で美しく……私には勿体ない程の斬魄刀です」

 

 謙遜しながらも、抑えきれない喜びを隠しきれていないルキア。

 少し見ない間にルキアはどんどん力をつけていく。剣術と走法を海燕さんから学び、鬼道を私から学び……末席であれば、もう既に席官として働くことも可能だろう。

 ただ、それは叶わない。白哉のルキアを危険な任務へと付けさせたくないとの意向の元、彼女の席次試験には不合格を出し続けている。

 不器用な彼なりの義妹の守り方。真意がルキアに伝わっていない以上、可哀想にも思えるが、ルキアは屈することなく不合格の度にさらに修行に打ち込む日々。

 

「鬼道の目標はなんだっけ?」

「高等縛道と高等破道の二重詠唱発動です!」

「だめー。どっちも詠唱破棄を目指してね」

 

 その言葉に、ルキアはガクッと肩を落とす。

 

「如月殿はいつも手厳しい……」

「出来るよ、ルキアなら。自分で限界をここだと決めつけないで」

「はい! より精進いたします!!」

「じゃあ先ずは、蒼火墜くらいさっさと詠唱破棄でやろうか」

 

 私がニコーっと微笑むと、ルキアはあたふたしながら目線を逃がす。

 教えられる立場からいつの間にか教える立場に。追いかける立場から追われる立場に。自分でも気が付かない間に変わりゆく物事は、こうしてルキアを見ていると強く実感した。

 

 幼い頃、なかなか合格を藍染さんが出してくれなかったのは、まだ出来ると信じてくれていたからだ。

 

「……合格?」

「へ?」

「ううん。なんでもない」

 

 裏を返せば、それが限界だということではなかろうか。

 私が十三番隊を守れる限界はそこだと。……嫌な予感がした。

 

「……そろそろ戻ろうか」

「今日は非番なのでは?」

「長年働いてるとね、休みの日に何していいか忘れちゃうもんなの。ルキアは好きに過ごしてていいよ」

「いえ! 如月殿のお供を致します!!」

 

 キラキラと目を輝かせるルキアに微笑んで、私達は甘味処を出た。

 そして歩きながら勒玄に通話をかける。

 

「勒玄。例の件の進捗は?」

『本日も北、西共に異変はございません』

「異変じゃなく、違和感は?」

『ございません。非番であれば、ご自身で確かめに行かれては?』

 

 それもそうかと思って、私は通信を切る。そしてルキアの方を見た。

 

「今から流魂街の散歩に行くんだけど来る?」

「是非ともお供させて頂きたいです!!」

「よし、じゃあ刀持ってきて」

「はい!!」

 

 一度隊舎に戻り刀をそれぞれ手に取る。そして、私はルキアの腰に紐を巻き付けた。

 

「如月殿? これは?」

「ん? 私の瞬歩についてこれるなら外してあげる」

「無理です……」

「でしょ。迷子にならないでね。しっかり背中掴んでて」

 

 ルキアが私の背中を掴むと同時に、目的地へ向けて移動する。

 後ろから悲鳴が聞こえるが、特段気にしなくても大丈夫だ。

 

 

 

*********

 

 

 

 

__北流魂街第65地区付近

 

 十三番隊の管轄地域となっているうちの一つに辿り着くと、私は足を止めた。

 背中のルキアは目を回してしまっている。私は懐からやちるちゃん専用飴を取り出した。

 

「はい、酔い止め」

「ありがとうございます……情けないです」

「大丈夫だよ」

 

 そう返事を返して、私はそっと目を閉じた。

 広範域に及ぶ霊圧知覚。霊圧を消せる虚であっても構わない。

 

 いくら霊圧を消そうとも、生きているという証である魂動を消すことなど出来ない。

 私の探索から逃げられると思うな。

 探知に引っかかるのは、どれもこれも下級の虚ばかり。

 私が手を出さずとも、のちのち討伐させるだろう。少なくとも、席官が負けるようなランクじゃない。

 

「……本当にいないな」

「なにをされているのですか?」

「霊圧知覚。ここから十霊里先まで探ったんだけど、めぼしいやつはいなかった」

「じゅ、十霊里……。そんな距離……」

「数少ない私の特技。さて、次に行こうか」

「え? ひぃいいい!!!」

 

 再び移動を行い、思いたある場所の全てを周り尽くした頃にはすっかり日が落ちていた。

 ついでに何体かすれ違いざまに虚を倒してはいたが、どれもこれも弱い。

 

 グッタリと疲れきった様子のルキアに申し訳なく思いつつも、ようやく私達は帰路を目指す。

 

「低級鬼道で虚討伐とは……如月殿は本当に私の尊敬する人物です!!」

「ありがとう。明日からの十三番隊の仕事激減だね」

 

 やはり私の思い過ごしか。今までだって何も無かった。

 何も無いということに甘んじて、気を緩めた時はなかった。

 

 

 本当に恐ろしいのは……考えられうる限りの策を講じたその先。

 

 

 全く予想もつかない、全く想像すらしていなかった角度からの激動。

 

 

 

 

 飲み込まれまいと否定していた夢に、いかに私が囚われすぎていたのかという事を叩き示すかのような……残酷な未来。

 

 

 

「如月殿、伝令神機が鳴っております」

「ん。ありがと」

 

 帰ろうと歩いていた時、ルキアが私の伝霊神機を手渡しでくれた。

 それを受け取ると同時に、空から無数の何かが飛んでくる。

 

「あれは……地獄蝶?」

 

 本来一匹のはずが、数十羽の大群。

 そんなこと、今まで一度もなかった。

 これは、様々な人が私に向けて同時に伝令を出しているということ。私は先に通信を繋げる。

 

「はい、如月です」

 

 地獄蝶に目を取られて、通信相手が誰だかは見なかった。

 

『…………』

 

 通話先の相手は何も言わない。そして、地獄蝶が私の近くに到着する。

 

 告げられた知らせは、絶望だった。

 

 

 

『如月四席!! すぐにお戻りください!! 昼に救援へと向かった都三席の部隊、壊滅です!!』

 

 

『副鬼道長!! 現世より藍染隊長、市丸隊長の戦闘開始に基づき、空間固定の緊急依頼が来ています!』

 

 

『六番隊からの救援要請です!! 先発の六番隊部隊及び十三番隊部隊の二部隊が壊滅状態です!』

 

 

『昨晩から南流魂街に討伐任務の為向かっていた六番隊部隊の一つが壊滅! 応援に向かった都三席の部隊が……』

 

 

『如月四席!』

 

 

『如月副鬼道長!! 現世の隊長格戦闘時の空間固定は席官での対応が間に合いません!』

 

 

『如月さん!!』

 

 

『……助けて……くださいっ……』

 

 

 

 次々に地獄蝶から発せられる伝令。その全ての事柄に、理解が遅れた。

 

 

 ……六番隊部隊? 南流魂街? 救援? 都三席の部隊壊滅?

 ……何の話だ。私の知る世界は……私の知る未来は……

 

 

 

 十三番隊の任務で出撃した都三席の敗北をキッカケに巡る悲劇だった。

 いや、あれは本当に十三番隊の任務だったのか? そうだという証拠は描かれていない。

 ならば、私はいつから十三番隊が最初の虚との接触者だと勘違いしていた? 

 

 それを今更確かめる術はない。もしかしたら漫画の世界では十三番隊が背負った任務だったかもしれない。その詳細は描かれていない。私がこうだと勝手に夢に飲まれて取りつかれた結果だ。

 

 

 ……未来が……僅かに変わっている。

 

 

 いや、違う。

 私がいるという事で、既にこの世界はこの世界である。

 

 

 ……ずっと前から頭でわかっていたはずだ。

 

 

 自分で否定をし続けたはずだ。

 

 

 いつから飲まれた?

 

 

 いつから私は……夢に囚われた?

 

 

 いつから、いつから……一体いつから、現実の方が悲劇的でないと思い込んでいた?

 

 

 

 

 ずっと何も聞こえなかった筈の耳に当てた通信機。

 

 私の思考が完結しないうちに、通話口から小さな声が聞こえた。

 

 

『…………すまぬ』

 

 

 白哉だった。頭に大きな石を叩きつけられたような感覚。

 ゆっくりとルキアの方を振り返ると、先程までの笑顔は消え……絶望に満ちた顔をしていた。

 

 震えるな。怯えるな。動け、動け、動け。……現実を、見ろ。

 

 

「ああああああ!!!!」

 

 私は自分の意識を元に引き戻すために一度大声で叫び、ルキアの手を取った。

 

「戻るよ!! 十三番隊に!!!」

 

 

 返事が出来てないルキアに構わず、私は自身の最高速度で十三番隊への帰還を開始した。



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第三十二話 絶望と誇りの選択肢

 

 

 状況の理解が追いつかないまま、辿り着いた先の十三番隊隊舎は絶望に満ち溢れていた。

 啜り泣く声が場を満たす中、私は足を進める。

 

 私が到着した事に気がついた人達が、中庭への道をそっと開けた。

 目線の先にあるのは、白い布をかけられたナニか。

 

「……なんで」

 

 その布をそっと取ると、目をつぶったまま冷たくなった都三席の顔が見えた。

 

 

 

『海、出来るの楽しみに待ってるね!!』

 

 

 

「っ、ぅ、あ……ぁあ──ッ!」

 

 

 この十年、手は抜いたつもりはなかった。

 この悲劇の記憶を取り戻したことには意味がある。そう信じて、障害となるものがないか探し回った。

 十年にも及ぶ同じ命令を、鬼道衆の皆も何か変だと気が付きつつも、何も言わずに手伝ってくれていた。

 

 

 あと何が。一体何が足りなかったのか。

 

 六番隊からの救援要請……白哉が私に送ってこなかったのは、恐らく私が隊にいないだろうと踏んでのことだったのか。

 それとも、久々の非番だということを知っていてあえて連絡しなかったのか。

 その真実は今は分からなくていい。

 

 

 

 今ここにある事実は一つだけ。

   "護れなかった"

 

 

 

 ただそれだけ。耳元で羽ばたく地獄蝶。聞こえてくるのはただひたすら同じ伝令内容。

 

 

『現世の空間固定をお願いします。現世の空間固定をお願いします。現世の――……』

 

 

 グシャリ。私は地獄蝶を握りつぶした。

 そして、勒玄へと通話を繋げる。

 

 

『……何用ですかの。伝令は既に届いておるはず』

「私は十三番隊の救援に回る。現世には勒玄が行って」

『なりませぬ。隊長格二名の戦闘。人間への影響を皆無に留めるには副鬼道長の空間固定能力と結界術が必要にござります』

「お前がやれ!!」

 

 私の怒鳴り声に、勒玄は沈黙した。

 

「なんの為の三席だ!! なんの為に有昭田の名を背負っている!! 結界術に秀でたお前が行け!!」

『……なりませぬ。貴女もご自身でお分かりになられているはずです。私では役者不足だと』

 

 その言葉に、私は伝令神機を強く握りしめた。

 勒玄が抑えられるのはせいぜい一人。限定解除をしているのかどうかも分からない戦闘で、二人分の霊圧を一人で抑えるのは無理だ。

 恐らくは、現世への影響を考慮して彼らは力を抑えて戦っているであろう。

 

「……藍染さんが出ていて……何故そこまで……。誰と戦って……」

 

 何故そんなに戦闘が長引いているのか。

 ただの虚ならばそうはならないはずだ。

 

 

 混乱する私の脳に叩き込まれるのは、受け入れ難い真実だった。

 

 

『……敵は銀城空吾。奴が離反を起こしました』

「銀城……さんが?」

『既に彼は隊長に匹敵するほど力を持っています。限定印の有無の差が戦闘を長引かせております』

「そんなわけない!! 限定印の有無だけで、藍染さんが押されるわけないでしょう!!」

『そう思うのであれば、尚のこと向かうべきです。私情と公務は分けられよ』

 

 二つの物事が同時に起きている。これは……本当に偶然と呼ぶべきか。

 いや、そんな短絡的考えで済ませていいわけがない。

 

 

 ……仕組まれた。私を現世に行かせることが目的だ。

 

 

 この一連の出来事はずっと昔から用意されていた。

 呆然と言葉を失う私の肩を、誰かが叩く。

 

「行け、如月」

 

 振り返った先にいたのは、海燕さんだった。

 

「……嫌です」

「お前はお前にしか出来ないことをやるんだ」

「……嫌です。嫌です。嫌です……。私も……出撃させてください」

「如月!!! ……もうガキじゃねぇだろ。それにこれは、俺の戦いだ。死んでもお前には譲らねぇ」

 

 海燕さんの目は、何にも揺るがない覚悟を背負う目をしていた。

 既にやるべき事を決意して、成し遂げるための覚悟を決めている。

 

 私だけだ……二つ並べられた選択肢に覚悟を持って選べていないのは。

 海燕さんは私を抱き寄せ、小さい声で呟く。

 

「如月……お前の誇りはなんだ。お前の正義はなんだ」

 

 その言葉に、私は震える声で返事をした。

 何十年と揺るがない誇り。私の剣の在り処。

 

「……仲間です。護廷十三隊で共に戦う仲間を誇りとし、護る為に……。仲間の誇りを誰にも汚されぬように……」

「お前の希望はなんだ。崩れても壊れても絶対に消えない希望はなんだ」

「十三番隊の……灯りが輝き続けていることです……」

 

 いつの日にかの雪が降る帰り道。京楽隊長に手を引かれて歩いた幼い頃。

 暗くて寒い道のりの先に、"おかえり"の声が響く灯りが見えた。

 

 死のない世界などない。その時は誰にでもやってくる。

 例え誰かが消えたとしても……繋がれ続ける灯りが希望になる。

 

「じゃあ、行ってこい。んで、お互い帰ってくるぞ。おかえりって言い合うんだ」

 

 体から海燕さんの温もりが離れる。

 笑えない私に向けられるいつもの笑顔。

 

「それともなんだァ? 俺が死ぬとでもお前思ってんのか?」

「……いいえ。互いの誇りの為に……。生きてまた此処へ……」

「そうだ!! 笑え、如月!! 俺の誇りを護ってくれて有難うな!」

 

 ……この時私は精一杯の笑顔を作れていただろうか。

 戻らないと分かっている人を見送る笑顔を……。

 そして海燕さんは、真剣な顔へと戻る。奥で待機していた浮竹隊長は、私と目が合って一言だけ呟いた。

 

「……銀城の事、頼んだ。きっとなにか大きな誤解があるはずだ」

「……はい」

 

 託された想いとやるべき事。そして私の思考が導き出した結論。

 この事態を作り上げたのは……誰だ。

 

 可能性として浮かぶ人物の元へ向かうかもしれない。

 私の正義は……正しさを選んでくれているのか。

 

 繋がったままの伝霊神機に私は再び耳を当てた。

 

「……行くよ。現世空間固定及び魂魄保護を第一優先事項。それが整い次第、隊長二名の限定印解除。現地での戦況判断に基づき、場合によっては戦闘への参加を行う」

『……承知。こちらでの操作がなくとも、現世印解除はご自身で可能ですね?』

「うん。穿界門の座軸調節も私がやる」

『ご武運を』

 

 ただの建前の通話。途切れる通信。私はそのまま現世に向かって駆け出した。

 

 

 表で起きている物事。その裏の真実を掴めるのは私だけだ。

 

 

 それを確かめなければならない。それを……受け入れなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

__拝啓、いつかの君へ

__そんなに愛想笑いが巧くなってどうするんだい?

 

__忘れた訳じゃないだろ いつまでそこで寝てんだよ

__「あんたの正義は一体なんだ?」

 

__目に映るすべての景色が変わって 変わって 変わって

__淡々と進んでいく毎日にいつしか 流れて 流れて 流れて

__AとBの選択肢 突如現れた狭間に

 

 

   __あんたの正義は助けてくれるのかい?

 

 

 

 

 

*********

 

 

 

 

 

__現世

 

 到着して早々に、私は広範囲に及ぶ空間固定を行った。そして魂魄保護のための結界術を展開する。

 こんなにも単純なことが、何故私しか出来ないのか。

 

 私にしか出来ないことが、私の道を閉ざしていくような錯覚を覚える。

 

 戦闘場所の探索を行わずとも、戦いの目視は出来て……私は藍染さんとギンの傍に降り立った。

 

「すまない、姫乃。手間をかけてしまったね」

「調査結果送る前に戦闘になってもうたんや」

 

 二人は居るというのに、銀城さんの姿が見えない。

 

「……彼は何処に」

「結界術を使って雲隠れ。先程から、攻撃と潜伏を交互に繰り返されて中々しっぽを掴めない」

 

 銀城さんは結界術や鬼道を遣えなかったはず。

 その報告を聞いて迷うことなく私は答えを出した。

 

「……私の疑似結界装置ですね」

「ああ。まさかこんなにも時が経って遣えるとは思っていなかったよ」

 

 銀城さんと初めて会った時に死した死神が持っていた機械。

 長時間の使用で既に使用限界を迎えていると判断して、回収は行わなかった。

 せいぜい遣えて、後数回だろうと。銀城さんはそれをずっと持っていたんだ。

 

 初めは本当に危機が及んだ時か、誰かを守るために持っていたのかもしれない。

 けれど今、護廷に反する為に遣っている。

 

「姫乃ちゃんの結界は、ボクらじゃどうにもならへんわ」

「総隊長からの最終指示もまだ届いていないからね」

「……戯言を」

 

 思わず口をついて出た言葉。そう言おうと思って言ったわけじゃない。

 なのに、言葉が先に口をから出てきてしまったんだ。

 私はそっと手を前に出すと、鬼道を発動させる。

 

 

「……破道の三十一 赤火砲」

 

 

 真っ直ぐに飛んだ炎の塊は、空間を進む中で不自然に弾け飛ぶ。それと同時に、何かが割れる音が辺りに響き渡った。

 

「……銀城さん……どうして……」

 

 目線の先に現れたのは銀城さん。

 結界で防いだとはいえ、既に限界を迎えていた機械では防ぎきれなかったのだろう。死覇装には焼け焦げが目立つ。

 

「なんで……」

 

 どうして居場所が分かったのかと言いたげに、こちらを睨む彼に答えを出した。

 

「私の結界術ですよ。私が分からなくてどうするんですか」

「嬢ちゃん……前は見つからなかったって……」

「いつの話ですか。……当時作った機械に、今の私が同じなわけないでしょう」

 

 彼を拘束しようとして前に出たギン。その体を私は腕で止めた。

 

「……彼の行動監督総責任者は浮竹隊長です。私は浮竹隊長から"彼を頼む"と代理を受けています」

 

 そう言うと、ギンは何も言うことなく微笑みすら崩さないまま、後ろへと下がった。

 そして、殺気を放つ銀城さんの元へと歩み寄る。

 

「……どうして」

「そりゃこっちの台詞だぜ。お前らがやった事、忘れたとは言わせねぇよ」

「……代行証の監視機能の事ですか」

 

 私がそう言うと、銀城さんは歪んだ笑顔で私に向けて何かを投げつけてきた。

 地面に転がるのは、割れた代行証。

 木材で出来ているはずの代行証の中から覗くのは、細かな機械。全て彼の行動を監視する為の物だ。

 

「それだけじゃねぇ。お前らは俺の仲間を殺した!」

「……なんの事ですか?」

 

 そんな報告は一度も上がっていない。ましてや、彼の仲間とは人間の事だろう。

 人間に手をかける人など存在しない。

 

「勘違いを……」

「勘違いなんかじゃねぇ!! 今更見間違うはずがねぇだろ! 死神の霊圧をよ!! 死んだ仲間からは全部死神の霊圧がまとわりついてた!!」

「その死体に案内してください。霊圧残滓から人物の特定を行います」

 

 私がそういうと、銀城さんは声を上げて笑う。

 楽しそうなのではない。まるで壊れたかのように……私の知るあの底抜けに明るい笑い方じゃない。

 

「……やっぱ死神か。人の心を持っちゃいねぇ……。死んだなら案内しろ? 調べる? ふざけんじゃねぇ!! そんな淡々と仲間の死体にお前らを近づけてたまるか!!」

「しかし!! そうしなければ真実がっ…」

「真実なんて一つだ!! 誰がやっててもいい!! 死神が仲間を殺した! その事実に変わりはねぇ!!」

 

 銀城さんの姿が一瞬消えたかと思うと、背後に現れる。

 振るわれた大剣を私は躱した。地面に刺さった刃を中心として、周囲に大きな亀裂。

 ……なんという攻撃力の高さだ。

 

「だから俺もお前らの仲間を殺す。復讐だ。なにが悪ぃ。奪われたもんを奪って……何が悪ぃ!」

 

 再び迫ってくる銀城さんの攻撃を私はただ避け続けた。

 藍染さん達を見る限り、この戦いに手出しをするつもりはないらしい。

 

 

 

 ただ、無情な尸魂界の決定が伝えられた。

 

 

「……姫乃。総隊長からの伝令だ。……彼を離反者として正式に扱い、殺害許可が下った」

 

 その言葉に、私は唇を噛む。

 誰がこんなことを……。

 銀城さんは人間だ。例え捕らえても、尸魂界の掟に人間を裁いていい法律はない。

 だから離反時に下される決定は、殺害。彼が居なくなっても困らぬよう、人間社会から隔離させた。

 

 全ては、こうなってもいいようにと用意された布石。ただの布石を……転がしたのは誰だ。

 

 最後の確信が何もかも足りない。

 

「はははっ、こっちの言い分はまるで無視か。自分達は悪くねぇってか……」

「話し合いましょう。きっと大きな誤解があります」

「今更話すことなんか……ねぇ!!!」

 

 

 __ブンッ!!

 

 恐らくは彼の最高速度で放たれた斬撃。

 全ての憎しみと怒りを込めて振るう刃。

 

 

 

 私だって……私だって何が何だか一つも分かってない。

 過ごしたはずの日々が、何故ここまで崩れたのか。

 穏やかな日常が、経った数刻で崩れ落ちる程の闇の根源に私はまだ届かない。

 

__ズンっ………。

 

 

「なん……だと……」

 

 首元まで迫った彼の刃は、私に届くことは無かった。

 

「……縛道の八 斥」

 

 銀城さんは強い。それでも……私には届かない。

 彼の想いを、決断を……私は力でねじ伏せた。

 

 その道しか私達には残されていないのか?

 ……彼を殺さなければいけないのか?

 

 戦いに手を出すなと言った以上、ここで逃げ出して藍染さん達に任せるのはお門違いだ。

 見たくないものから逃げているに過ぎず、その助けを求める人物にさえ不安を抱いてしまっている。

 

「何迷ってんだ、嬢ちゃん。俺はお前を殺す。お前は俺を殺しに来た。それ以上でもそれ以下でもねぇぜ。例え力の差が明白であっても、俺は刃を止めねぇ」

 

 きっと、色んなことを考えすぎているんだと思う。

 全力でぶつかっているはずの彼に対し、私は他の物事を多く考えている。

 

 

 

 

 _心と心を真っ直ぐに向かい合わせるんだ。その間に生まれたもんを大事にするんだ。

 

 

 海燕さんの教えは、私の正義。

 

 

「 ……啼き叫べ 名無之権兵衛 」

「やっとやる気になったか」

 

 刀を抜いた私に薄ら笑いを返す銀城さん。

 ……結論、勝敗は一瞬にして決した。

 

 

 

 

 

「 射殺せ 神鎗 」

 

 

 

 

 銀城さんへと伸びる音速を超える刃。回避は不可能。

 

「ガッ……」

 

 血飛沫を上げて、銀城さんは地面へと崩れ落ちた。私は彼のそばへと足を進める。

 

「…… 銀城さん。どうか信じて欲しい。……私達は……貴方が大好きだった。嘘じゃない。浮竹隊長は……ずっと貴方の事を信じていました」

 

 崩れ落ちた銀城さんにそう声をかけても、返事はない。

 

 

 降り出した雨。

 それはまるで、この結末を嘲笑うかのよう。

 

「見えているはずだった世界が、見えない世界に塗り替えられていくのが怖い……。見ようと進む事が怖い……」

 

 彼からそっと離れて、戦いを見守っていた藍染さん達の所に戻った。

 普段だったらもっと慎重に発言していただろう。ただ、もう……逃げたくなかった。

 

「……君はどうして、自ら茨の道を進もうとするんだい」

「……何故私を呼んだんですか」

「一つは伝令通りだ。緊急性のある戦いに、限定印があるとはいえ、隊長格の戦いを援護できる存在が必要だった。現状君しかいない。人手を用意する時間がなかった。二つ目は、この件の最高責任者は十三番隊だからだ。君達が判断するべき内容だと思った」

「……真意は……何処ですか……。苦戦するふりをしてまで、何故……」

「……少し混乱しているようだね」

 

 

 

 続きの言葉を言おうとした時、私の伝令神機が鳴った。取りたくない。

 取りたくないのに手は勝手に伸びていく。

 

 

 

 

 

『……如月四席……こちらの戦いは終わりました……。死亡者は……海燕副隊長ですっ……。隊葬ご参列のっ……ご用意、をっ、お願いっ……しますっ……』

 

 

 

 

 降りしきる雨の中、私は手からそのまま伝霊神機を手放した。

 それはそのまま、ガシャっと音を立てて地面に落ちる。

 

 

 

 何も、何一つ頭は回らない。

 

 

「……彼、死んでへんね。止めはボクが刺しといたろ」

「動くな、ギン。……総隊長からの命令は"殺害許可"。"殺害命令"じゃない」

「……せやから千本桜やのうて、ボクの神鎗で鎖結と魄睡だけ射抜いたん?」

「……殺し損ねただけ。もう死神の力はない。それ以上の手出しをするなら、私がお前と戦う」

 

 

 睨みつけた私の目を見て、ギンは両手を上げてニコッと笑うと後ろへと下がった。

 

「そら怖いわ。今の君にならホンマに殺されてまいそうやわ」

 

 もし彼らが、私が自ら戦うと決めると分かっていたら?

 銀城さんを殺せないと分かっていて、あえて戦わせた?

 ……名無之権兵衛に二本目の契約をさせる為?

 

 

 ……いや、それにしては出来すぎている。

 鬼道でも同じことは出来た。

 ただ、刀でぶつかる彼に対して、刀で答えるのが向き合うという事だと思ったからそうした。

 藍染さんがいくら私の思考や心境を理解していたとしても、あまりに……あまりにも出来すぎている。

 

 

「そうや、これ返しとくわ」

 

 ギンから渡されたのは、今朝方私が貸した改造型地獄蝶。

 黙って受け取って懐へと仕舞おうとした時、私にしか聞こえない音が流れてきた。

 

 

『……姫乃ちゃん。ボクらちゃう。……藍染さんは、海燕君の件から手を引いたはずや。……ボクは嘘つきやから、信じるかどうかは君次第やで。けど、あの虚は……誰かに盗まれたんや』

 

 

 そういって、音は途切れた。私はギンの方は見なかった。

 何を意図してこれを私に伝えてきたのか分からない。新たに与えられた混乱。

 まだ私に考えろとこの世界は言いたいのか?

 

 

 しかし、心を支配した絶望がそれ以上考えることを赦してはくれなかった。



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第三十三話 託された希望

 

 

 まるで、自分の目を通して他人の光景を見ているかのようだった。

 悲しむ仲間の姿も、移りゆく景色も。

 

 まるで他人の喉を通して言葉を発しているかのようだった。

 淡々と告げる銀城空吾との戦いの結末。発作を起こした浮竹隊長の代わりに、隊の指揮を執る。

 

 

 まるで他人の耳を通して聞いているようだった。

 海燕さんの戦いの行方を。

 

 体は、その全てを受け入れることを拒絶しているような感覚だった。

 立ち上がる事を拒絶し、息をする事さえ拒むように。檻の中に閉じ込められたかのように。

 

 

 

「……ちょっといいかい。姫乃ちゃん」

 

 事後報告と遺体のない形だけの隊葬の全てが終わり、自室で呆然としていた私の処にやってきたのは京楽隊長。

 動かなければいけないのに、指のひとつさえ動きやしない。

 ……銀城さんに人の心を持っていないと言われた。正解かもしれない。私は涙一つ出ないのだから。

 

「……君にこれを告げることは、酷かもしれないと分かっているよ。それでも、君が消えていなくなる方がボクは嫌だ」

「……なんの……話ですか……」

「出来すぎている。君もそう思ったんじゃないかい」

「……その答えは見つかりません」

「……聞く覚悟はあるかい」

 

 京楽隊長と目が合って、私は小さく頷いた。

 今更これ以上何を言うというのか。本当に藍染さんが全てを仕組んだのか。信じた二つのものが同時に砕け落ちようと、もうどうだって良かった。

 

「……世の中にはね、心底理解出来ない思考を持つ人がいるんだ。人の幸せを是とせず、絶望に歪み苦しむ姿を楽しむ人がいる」

「……そんな人もいるかもしれませんね」

「……例えば、朽木白哉と仲が良いという理由。たったそれ一つだけで、双方を苦しめる物語を全身全霊をかけて用意する。なんて事もある」

 

 伝えられた言葉は少ない。それでも、私の頭は勝手に正解を導き出す。

 拒絶しても、拒絶しても……褒められた知能はただ淡々と答えを出していく。

 

 私が記憶の欠片で見ていた虚が見つからなかった。それは、六番隊の管轄区域にいた。

 一部隊が壊滅したと聞いたら、救援出撃をどの隊も慎重に判断する。

 困っているのならば直ぐに駆けつけると判断するのは十三番隊だ。

 自然と救援要請が出たら、浮竹隊長はそれを受け取るだろう。

 実質的な指揮官が海燕さんである以上、自然と出撃する隊はその真下である都さんの部隊になる。

 

「……銀城さんの件は……」

「彼の証言を元に、映像庁の確認を徹底的にしたよ。……殺害の記録もなければ、彼が仲間だと呼んでいた人間すら見当たらなかった。結論、妄言だと片付けられたよ」

 

 ……白哉がもしルキアから、あの日私が非番だと言うことを聞いていたとする。

 ああ見えて優しい奴なんだ。ルキアと私が会う事を楽しみにしていると知っていて、邪魔をしない判断をしたのだと思う。

 ……だから私に通達が来なかった。

 名無之権兵衛の契約をさせるだとか、戦闘に手こずっていたということが……もしも結果論だとしたら?

 初めに考えたように、私が現世に行くしかないという道筋だけを選ぶように仕組まれていたとしたら。

 

 その企みは全て、私の絶望を見たい。

 ただそれだけの理由で……

 

 原因が白哉と仲がいいから。

 

 たったそれだけの事だけだったとしたら……。

 

 

「何一つ証拠は残されてない。この話も、ボクがこうかもしれないという勝手な推測で話してるだけさ」

 

 見つからない答えの一つが出た。

 何故あんな出来事が起きたのか。何が不十分だったのか。その答えを、言葉に乗せた。

 

「……私が……二人を殺したんだ。私がいなければ……起きなかったんだ……」

 

 藍染さんから並べられた現世に呼ばれた理由。ギンから伝えられた言葉。

 どれもこれも、信じるには値しない。ただ、その全ての結論は……彼らではない誰かが、私の絶望を見たかった。白哉の苦しむ姿を見たかった。

 狂気が空白の"不十分"を埋めていく。

 

「……それは違う。自分の存在を否定しちゃだめだ」

 

 夢より……ずっと残酷だ。

 例え私がいなかった世界線でも物事が変わらなかったとしても……必要以上に苦しめた。

 与えられた言葉が真実かどうか。誰を信じればいいのか。どの言葉に縋って行けばいいのか。わからない。

 

 誰かの喜びを満たすためだけに、私は利用されたのだろうか。

 

 私を苦しめたくてこの推測を伝えに来たわけじゃないと分かっている。京楽隊長はもう一つ、何かの可能性を伝えたがっている。その答えは……もう持っている。

 私達に沈黙が流れた時、部屋に向かってバタバタと足音が近づいてきた。

 

「如月さん!! 京楽隊長!! 浮竹隊長が目を覚ましました!!」

 

 なだれ込むかの様に部屋に入ってきたのは清音。

 戦闘の際に発作が起き、そのまま要治療となっていた浮竹隊長の目覚めを知らせる伝令。

 私達はその言葉を聞いて立ち上がり、雨乾堂へと向かった。

 

 

 

 

*********

 

 

 

__雨乾堂

 

 

「……情けないな。部下に戦後処理を任せてしまった」

「気に病むこたぁないさ。君がこうして意識を取り戻したことの方が大事だ」

 

 まだ熱が続いているのだろう。顔色の悪い浮竹隊長は、数回咳き込みながらも体を起こした。

 

「……海燕さんは……誇りを護って……逝かれましたか」

 

 私がそう訪ねると、浮竹隊長は深く頷く。

 

「ああ、立派に。……手を出さずにいてくれて有難う、如月」

「……私の選択は……」

「如月は何も悪くない」

 

 私の言葉を遮るように、浮竹隊長は言葉を挟んだ。

 その言葉が頭の中を満たしていく。

 

 

 ……後悔。この世界が現実であると掴むために、一つのことを見捨てる。

 それでもいいと覚悟して動く……そうした先に背負うのは、死んでも死にきれない後悔。

 

 

 銀城さんから言われた言葉が心に強く残っていて、そうならない為の自分の中での最善を選んできたつもりで。

 

 見捨てるわけが無い。例え未来が変わっても、守り抜くつもりだった。

 

 

 ……ああ、そうか。

 

 

 私は姿勢を正して、浮竹隊長に深く土下座をした。

 

 

 ……そうだ。

 ……私は最善を尽くした"つもり"だった。

 それを誰にも"伝えなかった"。

 

 夢の一遍、理論のない事象。どうせ誰にも信じてなど貰えないと……そう決めつけて、私の中だけで戦っている"つもり"になっていた。

 困った時、辛い時、悲しい時、嬉しい時。何だって仲間に伝えていいと。

 何時だって頼っていいと教えられてきた。

 

 私はその教えを……受け取らなかったんだ。

 

 受け取れている"つもり"になっていた。

 変われた"つもり"になっていた。

 

 

 

 私が見捨てたのは……与えられた優しさだった。

 

 

「……私の所為です。私は皆様を信じているようで……信じきれていなかった所為です。海燕さんを……都さんを殺したのは……私です……。申し訳……ありません……」

 

 銀城さん。この後悔……死んでも死にきれません。

 

「私の心が弱く在った所為です……」

「顔を上げなさい……」

 

 そう促されても、体を動かすことは出来なかった。

 浮竹隊長の手が、私の肩にそっと触れる。

 

「何かを選ぶということは、何かを選ばないということだ。振り返れば、より良い道はあったのかもしれない。だが進んだ時は戻らない。弱さに打ちひしがれる事は簡単だ。後悔に沈む事は簡単だ。……それで死者は……喜ぶだろうか」

「っ……」

「……きっと海燕なら……難しい事考えず、お前の心の叫びを聞かせろ……。全部受け止めてやる。……そう言うだろうな」

 

 

 私の心の叫び。

 それを今更出すことは弱さだ。惨めだ。愚かだ。

 

 浮竹隊長が言った言葉だというのに、耳元で同じ言葉が海燕さんの声で聞こえた気がした。

 

 

 

『ドーンッと来い! 如月!! 難しいことばっか考えてっと老けんぞ!! お前の心の声、この志波海燕様がぜーんぶ聞いてやる!!』

 

 耳元で聞こえる空耳が、私の唇を勝手に動かした。

 

 

 

 

 

 

「ずっと貴方と一緒に生き"た"か"った!!!! 護りた"か"っ"た"!!! もっとずっとっ……笑いあっていた"か"っ"た"!!!」

 

 

 

 

 握りしめた拳は血が滲み、叫び声を上げた喉は酷く痛む。

 なんと強欲でおぞましい存在なのだろう、私は。

 自らの過ちと後悔を差し置いて、欲望を唱えている。

 なんと……なんと弱いのだろう。

 

「俺もだ、如月」

 

 浮竹隊長の言葉が部屋に響く。

 

「自分の体が弱い所為で、朽木に刃を持たせてしまった。俺の弱さが、朽木の心に消えない傷をつけてしまった。……弱さを認める事が恐ろしいか?」

「恐ろしいですっ……自分が如何に惨めで、矮小で……愚かな生物であるかと言うことを叩きつけられますっ……」

「そうで在るということは、罪だろうか」

 

 浮竹隊長の手が私の頬に触れ、その手の動くままに顔を上げた。

 私を真っ直ぐと見つめる隊長の目は、深い悲しみを感じた。しかし……後悔をしているようには見えなかった。

 自分の体の弱さを呪っているようには見えなかった。

 

「俺達は機械人形じゃない。自分の無力と渇望と現実に悔い、悩み、正しさと愚かさの間で苦しみ続ける。それでも前を見て進む。……何故だか、如月はもう答えを海燕に貰っている筈だよ。海燕が如月に預けた心はなんだい?」

 

 私の顔が歪んでいくのが自分で分かった。

 どうして離れる時に、海燕さんが私に言葉を声に出させたのか。ジワッとボヤける視界。

 

 悲しいからじゃない。辛いからじゃない。……今の私に、あまりにも暖かすぎたから。

 

「希望が潰えぬ限りっ……。誰かの想いがっ……紡がれ続けている限りっ……私達は……立ち上がって進むっ……」

「……そうだ。その一歩が誇りに変わる。託されたものを抱えて前を見る。弱さを受け止め、認めて……それでも心を堕とさないように、希望がある。だから、俺が責任をもってこの言葉を如月に伝えるよ。海燕からの……遺言だ」

 

 一拍置いて、浮竹隊長は海燕さんが死に際に託した遺言を伝えてくれた。

 

 

「 おかえり、如月 」

「ただいまっ……戻ってっ……まいりましたっ――!!」

 

 

 

 

…………………

…………

………

……

 

 

 

 浮竹隊長が再度眠りについたのを確認して、私と京楽隊長は雨乾堂の外に出た。

 

「浮竹が完全復帰できるまでの間、隊の隊長権限代理は姫乃ちゃんだよ」

「はい、お受けいたします」

「ボクも補助するから、安心しなさい」

「ありがとうございます」

 

 会話と裏腹に隊舎の外へと向かう私に、京楽隊長は不思議そうな顔をする。

 

「……少し出かけてきます」

「……わかったよ」

 

 私の頭は、先ほどのように重くはない。進むことを拒絶していた思考を受け入れたことで、隠された真意の底が見えてくる。

 

 次に向かい合うべき人物。藍染さん。

 何故ギンが、藍染さんが暗躍している事に私が気がついていると知っていたのかは知らない。

 ただ、それが重要なわけじゃない。……藍染さんが護廷十三隊の掟に反する事をしている人物だと言うことを伝えてきている。

 それを確かめる必要がある。

 

 ……もう逃げない。もう怖くない。

 希望の灯りが消えない限り、私はどんな事実からも逃げない。

 

 夢を信じるのはずっと先のことかな。なんて言っていた時があった。

 ……違う。それは拒絶していただけ。

 夢を信じるんじゃない。現実を見る。

 

 物語が進む出来事を証拠とするのではなく、私が私の言葉で。

 この物語の事実を掴む。

 

 向かう先は……五番隊。






白哉と同期にしていた伏線の回収が一つ終わりました。
海燕編は次で終わって時を進めたい(願望)


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第三十四話 曇天の行く末

 

 

 五番隊隊首室前。開け慣れた扉が、いつもより大きく感じた気がした。

 

__コンコン

 

「藍染さん。いる?」

「ああ、入っていいよ」

 

 そう言われて扉を開けて見えたのは、いつもの様に椅子に座って書類仕事をしている姿。

 

「いつもは遠慮なく入ってくるのに、珍しいじゃないか」

「話したいことがあるの」

 

 そう言って私は、扉に強い結界を張った。誰も入ってこられないようにと。

 それに気がついた藍染さんがようやく顔を上げた。

 

「……藍染さんは、悪い人?」

 

 一番最初にぶつける質問としては、実に抽象的で幼稚な言葉だろう。

 それでいいと踏んで、あえてこうしている。

 

「そういえば、君は昔からよくその事を気にしていたね。前も答えた通りだ。悪いという物事の基準は人によって違う」

「……死神として聞いているの。護廷十三隊の掟に反する事をしているか……と」

 

 もっと遠回しに聞くことだって出来た。だけど、結局は誤魔化されるような気がした。

 いつだって、この人に口喧嘩で勝てた覚えがないから。

 藍染さんは少し間を開けて、表情一つ変えずに答える。

 

「ああ。その基準を当てはめるのであれば、そうだ」

 

 その返事に、私はグッと唇を噛む。現実だった。

 私が見ないようにしていた夢の欠片は、全て現実。多少の誤差はあれど、藍染さんが黒幕であるということの否定にはならない。

 

「どこまで……関わっていたの。海燕さんの件も、銀城さんの件も……」

「それは違う。伝えた通りだ。諸悪を全て僕に擦り付ける事は簡単だが、現実の事実は違う」

 

 その返しに叩きつけられるのは、やはりこの二つ件は私が存在してしまったことで起きてしまったという事実。

 藍染さんの言葉を二度頭の中で反復して、私はハッと顔を上げた。

 

「……伝えた?」

 

 呟いたその言葉に、藍染さんはクスリと笑う。

 

「ああ、ギンから伝令が届いていただろう?」

「なんで……あれは……」

「そうさせた。僕の指示だ。そうすれば、君は必ず僕の前に来るだろうと。まだ君が、僕の思う通りに動いてくれる存在で安心したよ」

 

 ギンが藍染さんを裏切る為に、腹心として控えていることは知っている。

 だから、あれはギンの独断の行動だと思っていた。……全部藍染さんの指示だった。

 

「……そんなの……私が貴方を……怪しんでいるという……確信がなければ出来ない行動だよ……」

「おかしなことを聞くんだね。昔から先に疑いをかけたのは君だというのに」

 

 書き終えた書類をまとめながら、藍染さんは話し続ける。

 こんなにも緊張感のある会話をしているというのに、行動は普段の雑談と何一つ変わらない。

 それほど、この人にとっては大したことではないということなのだろうか。

 

「元々……都さんや海燕さんを……殺す予定だったの……?」

「それは誤解だ。確かに興味深い虚だったが、その行く末までを見守るほど暇じゃない。……いや、興味が無いと言った方が正しいだろう」

「じゃあどうして!!」

「どうして定住型であった虚を十三番隊管轄から外したのか。手を引いたという意味はなんなのか」

 

 先に疑問を言われて、私は素直に首を縦に振った。

 

「それも変な質問だ。一帯の警戒をしていたのは君だ」

「……私が見張っていたことに……気がついていたの?」

「ああ、だから引いた。適当に反対方面の南流魂街に放ったが、その後誰がどう利用しようが構わない」

 

 私が黙っていると、藍染さんはふうっと小さく息を吐いた。

 

「つまらないな、姫乃。君が聞きたいことはそんなことじゃないだろう」

 

 自分達が関与していない事件である以上、大した結論は得られない。

 私が何のためにここに来たのか、既に分かっていると藍染さんは言いたいのだろうか。

 きっとそうだと思う。最初の質問の意図に、とっくに気が付かれている。

 

「僕が意図してやったことは、ギンからの伝令を出させた事だけだ。そうすれば君は、僕が君を想ってそうしたと錯覚する。想定外の事態ではあったが、物事が想定より上手く進むキッカケになったよ」

「なんの為に!! 今更っ……今更なんの為に!!」

 

 私がそう大声を出すと、藍染さんは実にゆっくりとした動作で椅子から立ち上がった。

 そして、一歩ずつ私へと近づいてくる。

 

「……今更なんの為に……自分が黒幕であると伝えに来たの……」

 

 正面に立った藍染さんにそう言うと、そっと顎の下に手を添えられる。

 

「そろそろ僕の元に帰ってきて貰わないと困るな。長い時の遊びは楽しかったかい?」

「……え?」

「自分の部下は優秀であるに越したことはない。のちのち作る予定の軍勢統括にも役立って欲しいからね」

「なんの……話……」

「随分と今日は理解が遅いじゃないか。君は初めから、此方側の存在だということだ」

 

 その言葉に、私は一歩後ろへと下がった。そして目線を床へとずらす。

 バクバクと高鳴る心臓の音がやけに煩い。

 

「実感してきたはずだ。仲間と呼んでいた存在を信用していなかったこと。信用に値しない存在であったこと。自分の知恵も力も、護る為の力ではなかったことを」

「っ……」

「いい余興だったんじゃないか。君を独りにさせまいと、四苦八苦する彼らの光景は実に面白かった。おかしいだろう。君は初めから、"独り"だというのに」

 

 どの言葉にも反論が出来なかった。

 つい先程、雨乾堂で叩きつけられた現実をいまこの場で言われているのだから。

 付けた力は、護りたいものを護れず。知恵は現実を叩き出す。仲間に真意を伝えず、仲間だった人を刺し……(霊力)を奪った。

 

 私は、震える唇で本当に聞きたいことを声に出す。

 

「何故っ……私をっ……選んだのっ……」

「浦原喜助が残した最高傑作だからだ。涅マユリが似たようなものを再現しようとしているが、何一つ及ばない。そして君は、私自身の最高傑作でもある」

 

 私は所詮物としてしか見られていなかったのだろうか。

 初めから……初めから"独り"。

 それは……藍染さんと共に過ごした日々すらも否定する言葉。想定していたより遥かに重い現実に、足元から全てが崩れ落ちていくかのような感覚を覚えた。

 

 あの日降り出した雨が一向に止まない気がした。

 

「行くよ、姫乃。僕の前に来たということは、何かしらの希望を見つけて来たのだとは思うが、同時に分かっているはずだ。帰る場所など無いということも」

「あるよ! 十三番隊の灯りが私の希望で……帰る場所で……」

「仲間を信用出来ていないと実感した今、その希望に縋るのは惨めだよ」

 

 何を言ってもそれ以上の言葉で返されて、何を返されても、それ以上の言葉で返せない。

 私とすれ違って、その場を去ろうとしている藍染さんの袖を掴んだ。

 

「行かないっ……藍染さんとは……行かない!」

 

 交わる瞳。見慣れたはずの顔が、随分と遠く感じた。私の返事に、藍染さんはただ微笑む。

 

「そうしたいなら、そうするといい」

 

 私が決めた道を、やっぱりこの人は否定しない。

 幼い時から何となく感じていた。道を選ばせてもらってるんじゃない。どの道を選んでも、たどり着く先は一つだと言われているような感覚。

 

「僕を制したいなら、足掻いてみなさい。君に僕は殺せない。そういう風に育てた。そしてその時に気がつく。君の歩む道の先は、僕の傍でしか息が出来ないということに」

「……殺せるよ。私の心は関係ない。護廷十三隊の死神として貴方を止める。その為の力を持っている」

「勘違いしないでくれ。実力の話をしているんじゃない。憎しみのない刃では何にも届かない。君は自分で道を選んできた。僕は何もしていない。自分で選んだ道の結末を見た。その結末に、僕は関与していない。あえて関与しないことを選んだ。もう分かるだろう。君が僕を憎む道理が一つもない」

 

 そう言い残して、藍染さんは出入口の扉の方に足を進めた。その扉には私の結界が……。

 

 __パリン……。

 

 結界があるから通れない。そう思ったのに、藍染さんの指先が触れた瞬間に砕け落ちる。

 嘘だ。少なくとも大鬼道長に匹敵する私の結界を指先ひとつで……息をするかのように壊した。

 

 

 藍染さんの気配が消え、ただ呆然と隊首室に立ち尽くす。

 

 この時自分にどんな感情が渦巻いていたのか、よく覚えていない。

 ただ、今のままでは駄目だということ。

 私はあの人の思い通りにはならないと決意したこと。

 自分自身が何処に在るのかを見失いたくないということ。

 

 それを強く願った気がする。

 

 変わらなければ……幼く弱い自分を捨てなければ。

 そうする必要が最優先事項だったのかは分からない。ただ、もう飲み込まれて奪われるだけの人生は……嫌だと強く感じた。

 

 

 

 

 

 

********

 

 

 

 

 その日を境に暫くの時を過ごして、浮竹隊長が隊へと完全復活した頃。

 私は鬼道衆隊舎へと足を運んだ。やっと帰ってきた私に真っ先に駆け寄ってきたのは勒玄。

 

「副鬼道長!! 十三番隊の事情は分かっておりますが、一報くらいは出すべきですぞ!」

 

 そんな声を無視して、私は目的の場所へと歩く。

 たどり着いた先は、何も無い荒野。記録を撮るための映像装置を起動させ、中心に立つ。

 

「副鬼……」

「勒玄。お前は今でも私を殺したいか」

 

 真っ直ぐと目を見てそう聞くと、勒玄は一拍置いて返事を返す。

 

「左様。憎しみの心は決して消えませぬ」

「そうか。ならば真後ろからついてこい。いつでも刺せるよう決して見失うな」

「……承知」

 

 深く頭を下げた勒玄から目を離して、私は何も無い荒野に向かって両手を伸ばした。

 

 

「 破道の九十九 五龍転滅 」

 

 

 大地が割れ、巨大な五体の龍が出現する。

 そのままその龍に向かって、次の鬼道を唱えた。

 

「 縛道の九十九 禁 」

 

 五体の龍に巻き付く拘束具。互いの力が相殺し合って、弾け飛ぶ。

 その影響を受けて、周囲の木々が折れ、離れた場所にあるはずの隊舎の屋根が飛んでいく。

 

「……なんと……」

「映像の記録を総隊長へ。明日から私が、鬼道衆総帥大鬼道長だ。お前は副鬼道長として私の傍に」

 

 真っ直ぐと彼の目を見つめると、勒玄は何か言いたいことを抑えるように目を細めた。

 

「……どうぞお好きに利用下さい。私は貴女が自分を見失わぬ盾となりましょう。何時でも貴女を刺し殺す矛となりましょう」

 

 藍染さんが何故ギンを傍に置き続けているのか何となく分かった。

 勿論、ギンがどうやって自分を殺すのか興味があるということもあるだろう。

 ただ、自分の業を傍に置き続ける。それは……自分の歩いてきた道を照らす行灯代わりになる。

 

 映像の記録を持ってその場を立ち去る勒玄の背中を見ながら、私は伝霊神機を操作した。

 

『どうした? 如月』

 

 通話先は浮竹隊長。

 

「……すみません。浮竹隊長。私は前に進まなくてはいけません」

 

 その言葉だけで、何を意味しているのか伝わったようだ。

 踏み出す一歩が誇りになると言われた。……私のこの一歩は、なんの為の一歩なのか。

 その答えは未だに見えない。振り返ればどんな道だったのかいずれ分かるだろう。

 

『わかった。こっちの事は心配せずに行ってきなさい』

「……いってきます」

『如月。お前がどれだけ遠くに行っても、俺達は変わらず此処にいる。いつだって心は繋がっているからな』

「……ありがとうございます」

 

 

 途切れた伝霊神機を見つめながら、心の中で想う。

 

 帰る場所を知っている。消えない希望を知っている。

 ……海燕さん。そこへ帰る方法を見失った時はどうすればいいんですか。

 ごちゃごちゃ言わずに帰ってこいと言いますか。

 またしょうもない事で変な道を行こうとするなと、真っ直ぐに私の手を引いてくださいますか。

 

 

「……それでも、私は……どう足掻いても……素直な道を歩く事が赦されない存在のようです……」

 

 私が十三番隊に居続ければ、いつかもっと悲惨な出来事が起きるかもしれない。

 藍染さんとは違う姿の見えない悪意に、私の大切な人達が傷つけられる日がまた来るかもしれない。

 だから傍にはいられない。

 藍染さんと道をたがえる選択が、大切な人達を護る選択だと信じて。

 

 皆がくれた優しさと想いを踏みにじっていますか。

 きっと誰しもが、お前は一人じゃないと声をかけてくれますか。

 

 でもこれは……私の物語。

 腰につけた斬魄刀……名無之権兵衛にそっと手を触れた。

 憎しみは確かにない。けれど、私は私の正義だと思う道を行く。

 その正義で貴方と戦う。希望に縋れないのなら、私は私の正義に縋る。

 

 

「夢を捨てよう、名無之権兵衛。私とお前で、未来を変えに行こう」

 

 

 そう言って見上げた空は、晴れ模様。

 だけど私には、土砂降りの曇天に見えた。





夢ならばどれほどよかったでしょう
未だにあなたのことを夢にみる
忘れた物を取りに帰るように
古びた思い出の埃を払う

戻らない幸せがあることを
最後にあなたが教えてくれた
言えずに隠してた昏い過去も
あなたがいなきゃ永遠に昏いまま

きっともうこれ以上 傷つくことなど
ありはしないとわかっている

あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ
そのすべてを愛してた あなたとともに
胸に残り離れない 苦いレモンの匂い
雨が降り止むまでは帰れない
今でもあなたはわたしの光


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第三十五話 秘密の会議

 

 

 鬼道衆は裏方。その名の通り、鬼道衆に身を置くようになってから、護廷十三隊との関わりはめっきり減った。

 恐らくは尸魂界の中で最高峰の鬼道の実力を持つ私。歴代最強だと揶揄する者もいたが、その肩書きに喜んだことは無い。

 

「大鬼道長! こちらの部隊、間もなく出撃です!」

 

 そんな声が聞こえて、足を運ぶ。私が場に現れた事で、自然と一人また一人と地に片膝をつく。

 そうしろと指示したわけではないが、いつの間にか私に対しての敬礼がそうなってしまっている。

 

「普通にして。立って」

「しかし……」

「くだらない事で死覇装を汚さないで」

 

 その言葉に、皆は戸惑いながらも腰を上げた。

 そして私は、任務のために出ようとしていた隊士達を一望する。

 

「……君は駄目。抜けて」

「な、何故っ!」

「自分でわかるでしょう。現世に行けるほど実力が足りてない」

 

 私が隊士達の中の一人を下げようとした時、別の誰かが声を上げた。

 

「お待ちください、大鬼道長! この者はほんの僅かでして……俺達で問題なく不足を補えます!」

 

 実力が超えているとは言わないが、不足はたった小さじ一杯程度。

 個人任務でもなく、虚と戦うわけでもない。そこまで厳しく今回の任務で外さなくてもいいんじゃないか。

 そんな異議を唱えてくる彼の上官に、私は鋭い目線を飛ばした。

 

「……たった一つの不足が、想定外の事態を招く事もある。目の前の予防線が張れる事に対して、自分の実力で補填出来ると過信する者はいらない。それに頼ろうとする者もいらない」

 

 私の言葉に、その場の全員が黙り込んでしまった。

 構わずに言葉を続ける。

 

「出撃部隊変更。準備は出来ているか」

「はっ」

「行け」

「はい!」

 

 結局私は、本来出撃する予定の部隊を全て取り下げ、全く別の部隊に出撃させることにした。

 こんなことは日常茶飯事である為、控えは当たり前のように準備を整えている。

 恐らく彼らにとって、任務遂行に向かうと私に連絡を入れるこの瞬間が、吐き気がするほど緊張する一瞬であることに間違いはないらしい。

 

 奥で悔し涙を飲む隊士達を横目に、私はその場から遠ざかる。

 

「……冷静沈着冷徹。ここ二十年以内に入隊した者は、そんな貴女しか知らぬでしょうな」

 

 いつの間に真横に来ていたのか、勒玄がそう言って私の顔を覗き見る。

 

「巷では、うちの者と六番隊の者が酒屋で慰めあっているそうですぞ」

「事実を伝えているだけ。報告は?」

「先月の任務遂行成功率10割。訓練達成度9.5割にございます。0.5割は新人隊士故にご容赦下さい」

「個人個人の力量に合った目標を設定しているはずだ。言い訳にならない」

「……左様。それも踏まえてご容赦下さいと申しております。代わりに、遂行成功率10割は二十年連続でございます」

「駄目。来月出来なかったら降格。隊位の下げようのない隊士は、霊術院に半年くらい返してこい。次の報告は?」

 

 書類をペラペラとめくりながら、次々と入ってくる報告を聞き続ける。

 そして、最後の報告。

 

「……過去二十年、隊士死亡率0にございます」

「今のやり方に文句は?」

「ございません。厳しくとも胸を張って誇れる数字でございます」

「……さっきの子に明日から三日間個人訓練を。次からは問題なく出られる。彼を庇った上官にも、君の部隊はいい連携だと伝えておいて」

「そう素直に本人に伝えれば、喜ぶものを。不器用ですの」

「さあ。下手に褒めて浮き足立たれるよりいい」

 

 そこまで話して、隊首室に来客がいることに気がついた私は勒玄に手で合図する。

 それに気がついて、勒玄は私との足並みをズラして別の方向へと向かった。

 

「……大鬼道長。これほど壊れ物のように扱わずとも、我々は簡単には死にはしませんぞ」

「黙れ。さっさと行け」

「承知」

 

 

 最後の最後で一言多いやつだと内心ため息をついて、私は隊首室の扉を開けた。

 

 

「やあ、鬼神ちゃん。元気かい」

「……今度は何のあだ名ですか。京楽隊長」

 

 扉を開けた先に居たのは京楽隊長。そして七緒ちゃん。

 当たり前かのように茶と菓子を食べてソファーに寛ぐ姿に、ふぅっと息をつく。

 

「じゃあ、"最恐の美女"の方が良かったかい?」

「……一番煽られてる気持ちになるので辞めてください」

「失礼ですよ! 京楽隊長!!」

「久しぶり。七緒……いや、伊勢副隊長」

 

 私が七緒ちゃんに向かってそう言うと、彼女は大きく両手をぶんぶんと振った。

 

「今日は公務ではないので! お気楽にしててください!」

 

 その様子に、クスッと笑って私は机から印鑑を取り出した。

 そして京楽隊長の方に向かって手を差し出す。

 

「あら。要件もうバレちゃってる?」

「むしろそれ以外に見当たらないですけど」

 

 京楽隊長が口元を緩ませながら渡してきた書類は、承認状。

 内容に関しては、十番隊隊長に関する承認状だ。

 

 海燕さんの死後、そう時を置かずして……志波一心隊長が現世にて姿を消した。

 もう戻らない事を見通した護廷十三隊は、十番隊に新たな隊長を設置しようと議論している。

 

「いくら天才とはいえ子供……。また身のない喧嘩をしている老獪に、承認印で黙らせようっていう魂胆ですか」

「せーかい。姫乃ちゃんの時と同じさ」

「ご苦労様です」

 

 護廷十三隊での出来事に、私の印が必要なのかどうなのか。

 そんな事はどうだっていいのだろう。京楽隊長がここに来た理由。

 それは別に承認状の懇願に来たわけではないのだから。

 

 私は印を押した承認状を七緒ちゃんに渡すと、京楽隊長と向かい合わせで座った。

 

「本題に入りますか?」

「やだねぇ……いつの間にこんなにやりづらくなっちゃったのかねぇ……」

 

 髭を指でかきながら、京楽隊長は体を起こした。

 そして笠を深く被り直して私に問う。

 

「見つかったかい? 志波隊長は」

 

 その質問に、私は首を横に振った。

 

「いえ。進展はありません」

 

 私が秘密裏に京楽隊長から頼まれていること。それが志波隊長の捜索。

 私の霊圧知覚能力は尸魂界で随一。例え霊力が弱まったとしても、街一つ如きに隠れた死神一人、見つけられないわけが無い。

 

「見解は?」

「それも前から変わりません。恐らく義骸の使用です。言い方はアレですが、志波隊長の結界で私の捜索を逃れられるはずありませんから」

 

 流石に義骸に入られてたら手の付けようがない。……本当は何処にいるのか知っている。

 だけど、この件に関して首を突っ込むつもりは一つもなかった。

 

「嫌いかい? 志波隊長のこと」

「いえ。少なくとも、びゃく……朽木隊長が丸め込んだ事を、無に返すような所業をした事に怒ってはいますが、恨むほどではありません」

「志波家没落の決定打だったからねぇ」

「少なくとも、見つけたら一番に蹴りに行きます」

 

 海燕さんの死去は、志波家存続を揺るがす大事件だった。貴族の方面に関しては手出しのしようが無いから、どう揉めたのか詳細は知らない。

 朽木家の者が志波家を刺した。

 志波家が脆弱故に当然の結末。

 様々な派閥の意見を押し潰して、志波家の存続が決まった矢先に失踪。尽力した白哉は、苛立ちを通り越して呆れているだろう。

 

「自分の意志で死神を捨てて現世に行くことを望んだ事は既に立証済です。大方、惚れた女の尻でも追いかけたんじゃないですか」

「あらま。ボクまで怒られてる気分だよ」

「そう言ってます」

 

 これ以上は話の収穫がないと判断したのか、京楽隊長は話を急に方向転換してきた。

 

「そういや、君に頼まれてたこと。調べ終わったよ」

「どうでした?」

 

 私がそう聞くと、七緒ちゃんが手に持った資料を京楽隊長へと渡す。

 茶菓子片手にそれを目で追っていると、京楽隊長は一拍置いて話し出した。

 

「二つあるうちの一つ目。禁書の間だけどね……やっぱりこっちじゃどうにも出来ない。記録も無ければ、口外されたことも無いよ」

「やはり口頭継承のみですか」

「そうだね」

 

 私が頼んでいたのは、鬼道衆にある図書館の最深部。

 禁書の間の立ち入り方法。中には、禁術と呼ばれる鬼道が著された書があり、大鬼道長以外の立ち入りを禁じてある。

 鍵はある。しかし、扉の結界を解く術が一切ないのだ。

 ここ二十年、破壊を試みてはいるがうんともすんとも言わない。

 前任がいない今、これ以上足の踏み入れようがないのだ。

 

「……何とかするので大丈夫です」

「姫乃ちゃんの叡智を持ってして、開かないなんてことあるんだね」

「私も別に万能ではありませんから」

 

 多分決定的に欠けているものがあって、それを前任が持っていると考えた方がいい。

 ……それはのちのちどうにでもなる。

 

 私が目線で次の報告を促すと、京楽隊長はまた紙をめくった。

 

「そんで、二つ目。浦原喜助が消息を絶ったあと、最後に現世で確認された不審穿界門の出現地域は……空座町で間違いないよ。大霊書廻廊の記録だ。霊圧の捕捉はされちゃいないけど、穿界門の出現記録だけはある」

「充分です」

 

 これで最後の裏付けが取れた。父は空座町に間違いなくいる。

 何十年か前、大霊書廻廊への立ち入りを認められなかった私。その代わりに京楽隊長が調べてくれたんだ。

 

「……事件の詳細には興味が無いって顔だね」

「……別に。詳細を知っていようが知らまいが、現実に代わりはありませんから」

 

 私の言葉に、京楽隊長はニヤッと口元を緩める。

 

「現実……かい。真実とは言わないんだね」

「……やりづらい人ですね。だから浮竹隊長に頼んだのに……」

「浮竹は生憎寝込んでいるからね。それに、こういうのはボクの方が得意さ」

「間違いなさそうです」

 

 そう返しても、京楽隊長はそれ以上踏み込んでくることは無かった。

 踏み込んでこないと分かっていて私もそう返したのだけれど。

 

「何があるんだろうね、空座町には」

「父の研究所ですかね」

「あはは! 間違ってなさそうだ。ボクにも報酬をおくれよ」

 

 京楽隊長と目が合って、私はニコッと笑みを返す。

 ここまでしてもらっていて、はい帰ってください。というのは確かに失礼極まりない。

 私はあくまで、自力で確認済の内容を提示した。

 

「空座町は、重霊地です」

「確定事項かい?」

「地場調査済みです。私自らが研究して出した結論です」

「なるほどね。いい情報だよ」

 

 何かと護廷十三隊に関わる事件で、空座町の名前が上がること。そこが重霊地であること。

 思慮深い京楽隊長にとっては、これだけで五十年は先のことを見通せるだけの情報だろう。

 

「さあて、帰ろうかね」

 

 京楽隊長の姿勢が崩れた事で、ようやく堅苦しい会話の終わりが訪れる。

 見送ろうと私も立ち上がった時、七緒ちゃんが何かを片手に傍に来た。

 

「姫乃さん。今月の瀞霊廷通信です」

「あれ? 発売、明後日じゃなかった?」

「今回はどうしても一番に見て欲しかったので」

 

 そう言われて付箋が張ってある部分を開くと、鬼道衆の特集が組んであった。

 

「……氷の女王如月姫乃……。その素顔とは如何に……。何これ、七緒ちゃんが考えたの?」

「勿論。写真撮影は特殊部隊に頼みました」

「……いつの間に……」

 

 女性死神協会の隠し撮り能力は侮れない。いつの間に撮ったのか、私の写真が何枚か掲示されている。

 それを見て、犯人が分かった。

 

「どう見ても勒玄でしょ……後でシバキ倒す」

 

 私に気が付かれないように写真を撮るとは。

 あいつも腕をあげたな……なんて思いつつ、記事に目を通していく。

 

 よくもまあこんなに調べたものだと言いたいくらいの詳細。

 

「……隊長支持率……不動の五番隊隊長藍染惣右介を抑えて、堂々たる一位……。脅威の99.9%」

「革命ですね。尸魂界の歴史を覆しましたよ!」

「こんな所で勝ってもなんも嬉しくないんだけど……有難う」

 

 普段あれだけ厳しく接しているのに、何故好まれるのかはわからない。

 多分被虐趣味者が多いんだと思う。

 

 七緒ちゃんの個人的曲解思考が混ざっている気もしたが、重たかった空気が少し和らいだと思う。

 

 

 隊首室を出て、門に向かって歩く二人を見送り、送り出す直前。

 京楽隊長が私の耳元で囁いた。

 

「最近厄介な虚が多い。席官じゃ対処の効かないくらい強い虚だよ。気をつけてね」

「……ご忠告有難うございます」

 

 京楽隊長は、無闇矢鱈と不確定情報や人の不安を煽る人じゃない。

 海燕さんの件があった時も、あれは私の不安を煽りたくてそうしたわけじゃない。……離れろと警告してくれていたんだ。

 

 その予想が的中するのは、この日からそう月日を跨がないうちだった。



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第三十六話 迫る時間

 

 

 それが起きたのは、早朝。見え始めた朝日を正面に、大きく深呼吸をした時だった。

 

__ビーッビーッ!!

 

 静かな早朝に似つかわしくない、けたたましい警報音。

 私は柱に付けてある据え置き型の固定電話を取った。これは他の隊にはない。

 私が勝手に鬼道衆隊舎に取り付けた、技術開発局との通信を繋ぐ為の物だ。

 勿論、涅隊長には聞き取れない音で会話は自動変換される。

 

「はい。如月です」

『技術開発局第一通信課です。現世座軸北6951・東321。空間固定、魂魄保護をお願いします。九番隊、檜佐木副隊長交戦中』

「はいはい。駐在にそのまま伝令飛ばします」

『次いで、現世座軸南2074・西9427。七番隊から尸魂界からの救援が入りますので、断界の固定をお願いします』

「了解」

 

 次々と流れる指示に、私は同時進行で伝霊神機で通信を送る。

 二度手間だと思われるかもしれないが、采配が正しいのかどうか私が一度確認したい。

 だから感知した虚の霊圧周波数のデータと共に一度経由してもらっている。

 

 私はそのまま柱に取り付けてある電子板を操作して、檜佐木副隊長と衝突している虚の解析を始めた。

 

『西流魂街第三地区_鯉伏にて巨大虚三体の反応感知しています』

「データは?」

『解析に時間がかかっています』

「こっちで調べるからいい」

 

 そう言って私は、また操作を進める。

 流魂街各所に点在させてある監視機器のデータから目標地点の霊圧変動データを取り出した。

 

「これくらいなら鬼道衆の出撃はいらない」

『了解しました。十三番隊にはそう伝えます』

「三席の清音と仙太郎に出させて。それより下では対処不可」

『はい』

 

 朝一から久々に騒がしいものだと思いつつ、私は最初に行っていた檜佐木副隊長の戦闘データ解析が終了。

 それを電話越しに伝えた。

 

「檜佐木副隊長の限定解除の連絡を」

『はい。発動はいつになさいますか?』

「もうした」

 

 そう伝えると、バタバタと慌ただしく動く音が聞こえる。

 意外と知られていないが、限定印を打つのも解除も鬼道衆の仕事だ。

 各隊の隊長格が出撃する際には、穿界門まで赴いて限定印を押す。

 それなりに高度な技術が必要だが、慣れれば難しくはない。

 

『他に異常はありますか?』

 

 その言葉を聞いて、呆れてため息をつく。

 

「それはお前達の仕事だろう」

『あっ……すみません……』

 

 私の監視機器は有能らしく、点在させている箇所に限っては虚の霊圧をいち早く感知出来る。

 涅隊長に壊されては設置してのイタチごっこだが、密かに頼りにされている情報網の一つだ。

 

「……涅隊長は今日居ないの?」

『いますけど……自室に籠りきりでして……』

「滅却師の研究は随分前に終わったんじゃなかった?」

『さあ……我々にも局長のことは詳しくは……』

「そう。各流魂街地域にて、急務性のある討伐指示は、二番隊・七番隊・八番隊。五席以上の隊士及び部隊で対応可能。通達いれといて」

『ありがとうございます!!』

 

 一体どっちが技術開発局の指示担当なのやら、分からなくなってしまう。

 この子達は、私がやらないと言い出した時大丈夫だろうか。

 それでも、私だけでは手出しができない現世データの横流しをしてもらっているから文句は言えない。

 涅隊長が何も言わないのは、何かあった時に全て私の責任にするつもりなのだろう。

 

『では失礼します』

「お疲れ様」

 

 通信が切れて、朝一の仕事が終わったことを確認。

 

 私はそのまま地下に足を進めた。

 少しカビ臭い冷えた地下室。そこで私は大量に置いてある電子板の操作に没頭する。

 

「……点在位置がやっと定まってきた」

 

 そう呟いて目を細める。今朝受けた報告は、最近では珍しいものでもない。

 虚の同時多発報告は数ヶ月前より続いている。

 

 最終確認を終えて、私は地下から出た。

 

「勒玄、いる?」

 

 少しその場から離れて勒玄を呼べば、どこからとも無く背後に現れる彼。

 

「出る。刀は?」

「こちらに」

 

 勒玄が差し出してきた刀を受け取って、私は隊舎の外に向かって歩く。

 

空紋(くうもん) 収斂(しゅうれん)が始まっている。補修に回る」

「なんと! そのような予兆は……」

「あったよ。今日やっと全部の座軸が重なった」

 

 今朝もあった各地の虚出現は、不規則な場所に出現しているように見えて、実は不規則ではない。

 虚が出ることが第一目的でもない。最大の懸念は、隊長格……もしくはそれに近しい死神の霊圧が各地で衝突することによる、空間変動。

 それによる影響が、今ようやく重なった。

 

「鬼が出るか蛇が出るか……。京楽隊長の警告は大当たりだ」

「して、その場所は……」

「真上」

 

 鬼道衆の隊舎から僅かに離れた雑木林。私が指の動きと共に空を指すと、勒玄は目を見開いた。

 

「まさかっ……内部に!?」

「遮魂膜なんて欠陥品、作ったの誰だろうな」

 

 

 真上の空間は、不自然に歪んでいる。

  空紋(くうもん) 収斂(しゅうれん)と呼ばれてはいるが、正しくは 黒腔(ガルガンダ)

 未解明の空間。虚の住処とされていて、死神が立ち入った事の無い世界……虚圏と呼ばれる世界が、こちら側に繋がる際の門のようなものだ。

 

__カンカンカンカンカン!!!

 

 瀞霊廷全体に異常を知らせる警報が鳴り響く。

 流石にここまでくれば、護廷十三隊側も異常に気がついただろう。

 

「勒玄は隊舎を護るための結界を席官と展開。戦闘中心地帯への立ち入りを禁ずる」

「承知」

「戦後の修繕で今日の仕事が丸々潰れるぞ」

「承知」

 

 勒玄がその場を立ち去ったのを確認して、私は再度上を見上げた。

 縦の楕円形に空間が切り裂き、真っ黒な虚無が目視出来る。

 その中から感じる、気持ち悪いほどの虚の霊圧。

 

 

「……こっち側まで来るとは……虚圏の餌だけじゃ食い足りないのか」

 

 その楕円形の空間から顔を覗かせたのは、所謂大虚。

 全身が黒い布のようなものに覆われ、鼻の尖った仮面をつけたような風体。

 人型の死神の体格を嘲笑うかのように巨大なその体型。

 

最下級大虚(ギリアン)……初めて見た」

 

 過去にこの存在に匹敵する軍勢と戦ったことはあったが、対面するのは初めてだ。

 その 最下級大虚(ギリアン)が数体出現。奴らが現れた空間が閉じようとしている直前、私は虚無の最奥で光る目を見た。

 すぐさま知覚した霊圧は、今目の前に現れている 最下級大虚(ギリアン)よりも数倍上。

 

「……中級大虚(アジューカス)……中級大虚(アジューカス) 最下級大虚(ギリアン)の群れを従えているのか……」

 

 中級大虚(アジューカス)はその性質上、群れる事はほとんど無い。

 そのはずが、こうして群れを従え、戦闘方法を思考している。

 ……藍染さんが虚圏に手を出している影響がもう目の前まで来ている。

 これもきっと、何かの研究……もしくは、現在の護廷十三隊の戦闘力を計測する実験の一端に過ぎないのだろう。

 

「わざわざ戦い辛い場所に来なくてもいいでしょ……」

 

 鬼道衆隊舎は真後ろ。そしてこの雑木林の先は護廷十三隊。

 戦いが終わった後の修繕費を鬼道衆が全て被るのは御免だ。

 

 自らが思うがままに動き始めた 最下級大虚(ギリアン)を見据えて、私は刀を抜いた。

 

「行くよ、名無之権兵衛」

 

 相変わらず、変化のひとつもない浅打状態の斬魄刀片手に、私は駆け出す。

 目標は三体。最も近い場所にいた一体の体を駆け上がり、仮面に向けて斬撃を振るう。

 

 

__ガシャンッ!!

 

 

「……なんて強度」

 

 一撃目は当たった。しかし、想定を超えた仮面の硬さに刀が弾かれてしまった。

 攻撃を加えられたことで、 最下級大虚(ギリアン)の顔がゆっくりと私の方へと振り返る。

 鈍いのか、死神の攻撃など彼らにとって羽虫のような存在でしかないのか。

 

 残りの二体をチラリと横目で見て、私は内心舌打ちをした。

 

「縛道が使えないのが面倒だ……」

 

  最下級大虚(ギリアン)は鈍い。高い防御力とたった一歩で命を無造作に蹴飛ばす攻撃力を有しているから、自らが最初に最大級の攻撃を発することはない。

 ただ、縛道での拘束を行って長時間放置するとするならば話は別。

 自らの身が危険だと判断した時の最大の攻撃……虚閃に注意しなければならない。

 この技一つで、瀞霊廷の数区画は消し飛ばす威力。

  最下級大虚(ギリアン)の倒し方は単純明快。

 

 "攻撃を与えられたと気が付かれる前に仮面を割る"こと。

 

 私は再び刀を握った。

 

「 啼き叫べ 名無之権兵衛_神鎗 」

 

 始解をし、契約した刀の名を呼んだ瞬間、私の霊圧が爆発的に上昇した。

 先程は弾かれてしまった 最下級大虚(ギリアン)と一度少し距離を開けて向かい合う。

 そして間合いに入っていないにも関わらず、私は空を切るようにして上から下へと斬魄刀を振り下ろした。

 

 

『ォオォオオオオオオ!!!!!』

 

 

 シュッと空気が切れたような音と共に、その場に響き渡る 最下級大虚(ギリアン)の絶叫。

 目視では一切の確認が取れていないだろう。

 脇差適度の長さしか無かった刀が、間合いを超えて伸長し、巨体の中心を頭の先からつま先まで一刀両断したのだから。

 崩れ落ちる 最下級大虚(ギリアン)から視線を外して、すぐさま次の 最下級大虚(ギリアン)に向けて片手を伸ばす。

 

「_滲み出す混濁の紋章 不遜なる狂気の器

  _湧きあがり・否定し 痺れ・瞬き 眠りを妨げる

_爬行する鉄の王女 絶えず自壊する泥の人形

  _結合せよ 反発せよ 地に満ち己の無力を知れ

  __破道の九十 黒棺  」

 

 別に詠唱破棄でも良かったのだろうが、決して慢心はしない。

 確実に確殺出来る威力を発揮し、被害を最小限に押しとどめる。

 今しがた攻撃を加えられた最下級大虚は、自分が何をされたかわからない間に浄化されただろう。

 

 

 次の目標へ。そう考えた時、私は異常を察した。

 

 

「っ……散れ 千本桜!!!」

 

 地面を蹴って、体を後方に飛ばしながら刀を入れ替えた。

 攻撃ではなく、全ての刃を球体上にして自分の全身を包み込む。——次に襲いかかったのは衝撃。

 

 目の前が一面真っ白に変わるほどの閃光。

 

 ……残りの一体が放った虚閃だ。千本桜の防御網が砕け落ちる前に、瞬歩を使ってその場から離れる。

 

 

「……馬鹿な。仲間がやられた事を認知した……?」

 

  最下級大虚(ギリアン)は知能が低く、自我がない。真隣で仲間が死のうが、それを認知することもない。

 それなのに、こいつは仲間が隣でやられている事を認知して、事前に身の危険を読み取ったのだ。

 そしてその 最下級大虚(ギリアン)は、その大きな一歩を踏み出すと、今まさに私に倒されて消滅せんとしていた 最下級大虚(ギリアン)を……喰った。

 

「……死んでも無駄にはしないということか……」

 

 その共食いに嫌悪感を示していると、突然 最下級大虚(ギリアン)の形状が大きく変わり始めた。

 

「ここで進化すると……!?」

 

 先程本来の 最下級大虚(ギリアン)にはない知能を感じた辺りで予想はしていた。

 この 最下級大虚(ギリアン)は、中級大虚(アジューカス)になる直前の個体なのでは無いかと。

 そうなる前にと再び攻撃を試みたが、辺り一面の木々をなぎ倒していくほどの霊圧の暴風に飲まれて体が吹き飛ばされる。

 

「っ……」

 

 なんとか体勢を立て直し、再び正面を見据えた時……先程まで天を突かんばかしの巨体は既に消えていた。

 代わりに居たのは、大蛇を連想させる個体。

 並の隊士であれば、震えが起きて体が弛緩してしまう程の霊圧の重さ。

 

『はぁ……ようやくここまで来たか……』

 

 中級大虚(アジューカス)は、 最下級大虚(ギリアン)とは違い知能が高い。

 奴は私の方を見ると、口元を歪ませた。

 

『階級が上がって直ぐに目の前に餌があるとは……幸運だなぁ』

「生憎、不幸です。同情します」

 

 刀を握りしめ、私は中級大虚(アジューカス)に向かって駆け出した。

 そして、自分の歩みよりも前に千本桜を展開する。

 

『細かい刃など、薙ぎ払えば良い事だ』

 

 その言葉通り、自らの尾を鞭のように使って刃を薙ぎ払う中級大虚(アジューカス)

 

「……陽動」

 

 私は小さくそう呟き、千本桜の刃の切れ目越しに鬼道を放つ。

 

「 縛道の六十一 六杖光牢 」

 

 無事拘束に成功。追撃を加える前に、私は宙に向かって高く飛び上がった。

 先程まで私がいた所を通過したのは、奴の尾。

 拘束されても尚、自由が効く尾で反撃を狙ってきたのだ。

 

『ほう! よく避けたな!』

「子供の頃、似たような虚と相打ちしたことがあって。蛇型は得意なんですよね」

 

 そのまま私は中級大虚(アジューカス)の顔に向けて刃を向けた。

 

「射殺せ神……」

 

 刺して終わり。そう思った私の体は、後方から来た衝撃によって地面へと叩きつけられた。

 

「……っ」

 

 ゲホッと咳き込み、砂で汚れた頬を拭う。

 先程まで何も無かったはずの地面から、何本もの尾が出現していたのだ。

 

『尾が一本だなんて言った覚えねぇぜ?』

 

 好機と言わんばかしに、奴の口元に集まる光の塊。

  最下級大虚(ギリアン)であれほどの威力を誇った虚閃だ。次は無傷では済まないどころか、建造物を巻き込み、死傷者が出る。

 

『ああ、そうだ。ついでに部下達の餌にもなってくれや』

 

 そう言って中級大虚(アジューカス)は、光を集めつつ宙を指で引っ掻いた。

 その動きに呼応するように再度空間が割れ、 黒腔(ガルガンダ)が再度出現。 最下級大虚(ギリアン)の群れが裂け目から足を出して瀞霊廷に踏み入る。

 

 その光景を見て、私はふうっ……と大きく息を吐いた。

 そしてゆっくりと立ち上がる。

 

『んだあ? 諦めたか?』

 

 表情はよく見えないが、恐らくニヤついているであろう中級大虚(アジューカス)

 

『終わりだ』

 

 そう言って、虚閃が私に向かって放たれた。

 

 

 

 

 

 

「…………破道の八十八 飛竜撃賊震天雷砲」

 

 

 

 

__ズドォオオオオオン!!!

 

 

 

 

 思わず耳を塞いでしまうかのような爆発音。

 そして数秒の間を開けて周囲に渦巻く暴風。

 衝撃は大地を抉り、辺り一面を何一つ残されていない更地へと変えた。

 

『馬鹿……なっ……俺の虚閃を……』

「少し危険でしたので、似たようなものをぶつけて相殺させて頂きました」

 

 中級大虚(アジューカス)を中心に後方で蠢く 最下級大虚(ギリアン)

 次から次にうじゃうじゃと……。遠くから感じるのは、護廷十三隊の救援。

 

「……遅いな。やっぱ、ここと護廷十三隊は物理的に遠すぎるんだ」

 

 なんて愚痴を言いつつ、再び中級大虚(アジューカス)へと目線を向けた。

 虚閃を打ち砕かれた怒りからか、奴は怒声を上げる。

 

『一度攻撃を防いだからなんだ!! 俺の尾の速度には対応出来なかっただろう!!』

 

 そう言った矢先、地中から現れる無数の尾。

 それを確認した私は、パチンと指を鳴らした。

 

『なっ……』

 

 その合図とともに、グズグズに溶けて崩れ落ちる全ての尾。

 

『何をっ……』

「敵には不用意に触らない方がいい。特に私に策も無く触れるなんて……新薬の実験に参加しますと言ってるようなものですよ」

『クソがああああ!!!』

「流石にこの数の虚から放たれる虚閃は、被害甚大すぎます。一度で終わらせましょう」

 

 そう言って私は、刀を逆手で持ち替えて奴の目の前に突き出した。

 

「実は、ある程度の戦いは鬼道で済んじゃうので今まで使い所無かったんです。これも、実験だと思って参加してください」

『逆さに持った刃で何が出来るってんだよ……』

 

 私がなにかする前に攻撃を仕掛けようと奴は動く。正しい判断だ。

 ……それでも、私の方が速かった。ただそれだけ。

 私は刀の柄から手を離した。

 

 

 

「 名無之権兵衛

   〆之菩胎(しめのぼたい)

 卍解  千本桜景厳  」

 

 

 

 まるで左右に巨大な日本刀の刀身が桜並木のように立ち並び、それが一斉に桜の花びらのように姿を変える。

 

『これはっ……知っているぞ! 死神の卍解という奴だろう!!』

「産まれたてにしては博識ですね。けど……これは始解の力の一部です。反動が絶望的なので滅多に遣いませんが」

 

 私はそのまま億程に分散した刃を中級大虚(アジューカス) 最下級大虚(ギリアン)に向ける。

 既に相手は逃げ腰。私の勝ちだ。

 

「 吭景・千本桜景厳 」

『ガッ……』

 

 その言葉を最後に、更地から虚の霊圧が消滅した。

 奴が産まれたての中級大虚(アジューカス)で助かった。

 中級大虚(アジューカス)とはいえ、進化して何も口にしていなければ 最下級大虚(ギリアン)に毛が生えたようなもの。

 より強い虚だった場合は、これだけの被害に押しとどめるのは不可能だったかもしれない。

 

「あら、救援要らへんかったみたいやね」

 

 戦いが終わった直後にその場に降り立ったのはギン。

 私は刀を収めて、彼に背中を向けた。

 

「わざと遅れたくせに白々しい」

「そんなことあらへんよ。ここが遠すぎるのがあかんねん」

「見れて満足した?」

「そらもう、えらい技隠してたんやね」

 

 ギンの言葉を受け流しつつ、私は黙々と歩く。それでも、ギンは離れるつもりがないらしい。

 後ろからついてくるギンに痺れを切らして、私は振り返る。

 

「……何」

「しんどいくせに、そんな顔一つもせぇへんのやな」

「何の話」

「隠そうとしてるみたいやけど、ボクには流石に分かるで。君、霊力切れ起こしてるやろ」

 

 その言葉にため息をつく。

 バレてるならわざとらしく隠す必要も感じず、私は堂々と近くの岩に腰を下ろした。

 そしてギンと視線を交える。

 

「三分」

「弱み言うてええの?」

「言わなければ、分かるまでこの騒動が続くんだろう。遅かれ早かれ調べられるなら、先にさっさと言った方が早い」

「賢いねんな」

「満足したら帰れ」

 

 ギンはニコリと笑うと、その場を立ち去った。〆之菩胎は万能じゃない。

 卍解を使えるが使用時間は三分。

 そして、それが終わった後は霊力の枯渇を起こす。鬼道すら紡げず、戦う術も逃げる術も失う。

 

「お疲れ様でございます。如月大鬼道長」

 

 入れ替わりでやってきたのは勒玄。

 

「私は一日動けない。後は任せた」

「承知」

「隊舎への損害は?」

「なんとか堪えました」

「充分」

 

 次々と復旧作業の為に現れる鬼道衆隊士と指示を出す勒玄を眺めながら、思考する。

 そして懐に入れていた手帳を取り出した。

 

「……そろそろか」

 

 死神が住まう戸魂界。そこで使われている暦と、現世で用いられている暦には違いがある。だから、こうして現世の手帳を手に入れなければ、見落としてしまう。

 我々死神にとって人間の一年など、朝露が葉先から零れ落ちるよりも疾き事だ。

 つまるところ、幼き頃より見ていた夢の時間軸と現世の時間軸が……もう間もなく重なるという事。



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第三十七話 大切な贈り物を貴女へ

 

 

 鬼道衆隊舎内演習場最南端。

 その中心部にて、私は刃禅を組んでいた。

 周囲の景色は真っ白。所謂、精神世界に入っている状態だ。

 

『久しぶり』

 

 私と同じ体制で目の前で胡座をかいて座っている少年は、名無之権兵衛。

 昔から見ていた姿と何ら変わりはない。

 

『〆之菩胎は遣わないでっていったじゃん』

「遣わないと腕が鈍る」

『そうだけどさ……』

 

 むっと頬を膨らませる彼だが、不機嫌だと言うわけじゃない。

 霊力の枯渇を起こした後に、私が不確定要素で怪我を負う事を嫌っているのだ。

 

「鏡花水月は?」

『使用主の実力を越えられていない斬魄刀は遣えないよ』

「別に遣いたくて聞いたわけじゃない」

『分かってる。藍染の実力を越えられたか確認したいだけだよね』

「うん」

 

 暫く名無之権兵衛と見つめあって、私は本題に入った。

 

「……名無之権兵衛本来の卍解を教えて欲しい」

『嫌だ』

「何故。私の実力がまだ不十分だから?」

『とっくの昔から実力だけなら足りてるさ。屈服だとかそういう基準で話しているなら、僕はとっくの昔から君を認めている』

「じゃあどうして……」

『絶対に教えない。教えるくらいなら、僕は消滅を選ぶ』

 

 昔から卍解への修練は試行錯誤してきた。それでも、返ってくる返事はいつも変わらない。

 名無之権兵衛は私に卍解を教える気が一切ないのだ。

 やるべき事が近づいている現状、ここで一緒行き詰まっている訳にも行かない。私はもう一歩踏み込むことにした。

 

「決戦がもう目の前まで近づいてきている。今後の戦いに挑むためには、卍解が必要だよ」

『嫌だ』

「その結果、私が死ぬことになっても?」

『……それも嫌だ』

 

 藍染さんと戦うという事は、中途半端な技量では死ぬだけ。早々に死ぬつもりなど毛ほども無い。しかし、初めて私から出した自分が死ぬかもという言葉に、名無之権兵衛は顔を下に向けた。

 

『……君はずっと子供のままで良かったんだ。泣いて笑って無邪気に遊んで……戦いの中になんか行かなくていい』

「現実はそうはいかない。子供のままじゃいられないんだよ」

『君に変わって欲しくなかった』

「変わらなきゃいけなかった。ねぇ、話を逸らさないで。それは卍解とは関係がないでしょう」

『違う! 君は進むために変わったんじゃない!! 逃げるために変わったんだ!!』

 

 名無之権兵衛はそう声を荒らげると、少し沈黙して立ち上がる。

 そして、私に背を向けて歩き出した。

 

『……ごめん。八つ当たりだ。君が言う通り、僕が卍解を遣わせない理由とは関係がない』

 

 遠ざかる背中。周囲の白色と同化して、彼の姿が消える直前……名無之権兵衛は、私の方を少しだけ振り返った。

 

『僕は罪だ。僕の罪を君には背負わせない。だから、卍解は教えない』

「待って!! せめて理由だけでも教えて!」

『……どうしても知りたいなら、紅姫に会いに行きなよ』

 

 そう言って名無之権兵衛は消え去った。

 それと同時に景色の色が戻り、時間が動き出す。名無之権兵衛が背負う罪とはなんなのか。

 紅姫……それは父の斬魄刀の名前だ。

 頭の中に可能性は浮かんでいても、その可能性が意味する結論が全く見えてこない。

 

 父の居場所は分かっている。現世に行く機会は幾らだってある。

 それでも私が会いに行かなかったのは、あまりに長い時の中で……私が大人になってしまったからだ。

 幼い頃のように無邪気に会いたいと願うだけでは足りなくなった。

 不安と言いしれない恐怖が、私の足を竦ませていた。

 

「……まだ恐怖を感じるなんて……私は何時まで弱く在れば気が済むんだろう」

 

 父は私の存在を知らない。相対した時、そこに生まれる物は……拒絶か遠慮か。

 わからないからこそ怖い。

 私が刀を収めた時、就業を知らせる鐘が鳴る。

 その鐘の音を聞いて、私は気持ちを切り替えて隊舎を出た。

 

 

 

 

 *******

 

 

 急ぎ足で隊舎を出てから四半刻。日が落ち始めた頃、ようやく目的地に辿り着いた。

 

「ルキア!」

 

 辿り着いた先は、十三番隊の門の近く。私の接近に気が付いたルキアが表情を一気に綻ばせた。

 

「お久しぶりです。如月殿」

「最後に会ったのは……七年前か。大人になったね」

「如月殿は更にお綺麗になられましたね」

 

 雪避けの為の番傘にルキアを入れて、頭の上の雪を払ってあげる。

 どちらかが合わせずとも自然と合った歩調で、私達は歩き出した。

 

「如月殿! 最近は七十番台の鬼道の修練に励んでいます! 詠唱が難しくなかなか成功とはいかないのですが……如月殿の教えは大変役に立っています!」

「そう。すぐに出来るようになるよ」

「それでもまだ席次試験には及ばず……やはり剣術に乏しいことが原因でしょうか……」

 

 会えなかった分の近況を次々としてくるルキアを見て微笑む。それに気が付いたルキアが照れ臭そうに口元を手で隠した。

 

「すみません……私ばかり話を」

「ううん。沢山聞かせて」

 

 特段何処に行くわけでもない。ただ朽木家への帰り道を一緒に歩いているだけだ。

 そんな些細な時間でさえ、忙しさに飲まれて作ることが出来なかった。

 ただ、今日はどうしてもと意地で時間を作ってきた。

 

「その……如月殿……実は私……」

「春から現世駐在でしょ。聞いてる」

 

 私がそう言うと、ルキアは嬉しそうに笑う。

 ずっと届かなくて、努力してきた一歩を踏み出せた事が本当に嬉しいのだろう。

 

「満期終了して戻ってくる先輩と入れ替わりです。私もようやく一人での出撃を認められました……」

「頑張ったね。ルキアは本当に努力家だよ」

「如月殿には及びませぬ。本当に果てしなく遠いお方です」

 

 私が何も答えずにいると、不思議そうな顔でルキアが顔を覗き込んでくる。

 

「ううん。ルキアの教育係だったのに、離れることになってしまってごめん」

「とんでもないです! 私が足枷となってしまう事が一番心苦しいですから……」

「足枷だなんて思ったことは一度もない。本当に……本当に……」

「如月……殿……?」

 

 私は言葉に詰まってしまった。

 ルキアに決して消えない過去を背負わせてしまった。

 私が護ると豪語しておきながら、何一つ及ばなかった。

 私は長い時の中で、何一つ辛いことがないようにと多くの人に支えてもらったのに。ルキアにも同じように送りたいと願った未来の一つを潰えさせてしまった。

 

「お休みはとられておりますか? 顔色が……」

「私は一つの隊の頭だよ。休みなんてないよ」

「しかし……」

「大丈夫、大丈夫」

 

 ルキアの背中を押して、また歩き出す。

 すっかり日が落ちた帰り道を、二人で並んで歩いている間に、私はふと思い立った。

 

「ルキア、手貸して」

「はい」

 

 素直に差し出してきたルキアの左手を取って繋ぐ。

 

「て、手を引かれて歩くほど幼くはありませぬ!」

「昔ね、こうやって手を引いてくれた人がいたの。同じ日だった。雪が降って、暗くて。自分が選ぶ道が正しいのかどうかわからなくなった時に、こうして手を引いてもらったの」

「どなたに?」

「いつも影で、私の歩く道の小石を退けてくれてる人。そうやって歩いていたら、灯りが見えたの」

 

 私の顔を見上げるルキアに微笑んで、私は正面を指さした。

 それにつられてルキアも前を見る。

 

「帰る場所の灯り。どれだけ辛くても、苦しくても……心の距離が離れていても。待ってくれてる人がいる帰る場所」

 

 指さした先に見えるのは、朽木家の灯り。

 その門の前には、白哉が立っていた。

 帰りの遅いルキアを見に来たのか、偶然かは分からない。

 たぶん前者だとは思うけれど、ルキアにはそう捉えられないと思う。

 

「兄様! 帰りが遅くなってしまって申し訳ありません!!」

 

 ルキアがそう頭を下げても、白哉は何も言わないどころか見ることすらない。

 白哉の近くに近寄らせる前に、私は歩みを止めてルキアと視線を合わせた。

 

「如月殿。今日は共に帰り道を歩けて本当に幸せでございました。有難うございます」

「私も楽しかった」

「その……先程のお言葉ですが……。兄様が待っていたとは……思えませぬ。門限を超えた事へ呆れておられるのでしょう……」

「それもあるかもね。私にルキアを預けるとろくな事がないと心配しているのかも」

「そ、そんな事は!!」

 

 どっちの味方をしていいのか分からなくなって困惑しているルキア。

 そんな彼女に、私は懐から一つの木箱を取り出した。

 

「ルキア。誕生日おめでとう」

 

 そういうと、ルキアは目を大きく開く。

 自分ですら、自分の誕生日を忘れてしまっていたのだろう。

 

「え……あ……」

「大したものじゃないんだけど……プレゼント」

 

 あまりの驚きで固まってしまっているルキアに、私はそっと木箱を持たせる。

 

「み、見てもよろしいですか?」

「どうぞ」

 

 ルキアが木箱を開けるのを見つめる。

 カコンと木がぶつかり合う小さな音がして、中身が見えた。

 

「これは……首飾り……?」

 

 中に入っていたのは、小さな青い球体のついた首飾り。

 現世の資料を見て"地球儀"と記述してあった模型をモチーフにしている。

 

「お守り。三十年かかったんだけど、ようやく出来たの」

「そ、そんなに長い時間……!」

「……傍にいれなくてごめんね。今度は絶対助けるから」

 

 私がそういうと、ルキアは表情を歪ませた。

 その大きな目に浮かぶ涙は、喜びだろうか。それとも悲しみだろうか。

 腕の中に抱きついてきたルキアを思いっきり抱きしめた。

 

「如月殿! 私は恐ろしいのです! こんなにも暖かい温もりを持つお方から……私が"笑顔"を奪い取ってしまったのではないかとっ……。私の存在が枷になってしまっているのではないかとっ……。それなのに……そのように浅ましい心を持つ私に……このような贈り物をっ……こんなにも与えてもらってばかりで……」

「そんなことない。前を向いて歩こう。どんなに恐ろしい事も、辛い過去も……絶対に隣で支えてくれる人とルキアはこれからもっと沢山出会えるよ。ルキアにね、"お友達"が出来たらいいなっていつも思ってる」

「私は幸せ者です……。そのように私の未来を想ってくださる方に出会えて……これ以上ない幸せです!」

 

 腕の中からルキアを少し離して、私は首飾りを付けてあげた。

 普段は死覇装の中に隠れてしまうけれど、それでいい。

 

 離れた場所で待つ白哉と目が合って、私はルキアを半回転させた。

 

「さ、寒いからもう家の中へ。きっと今日の晩ご飯は豪華だよ」

「い、いつも豪華です」

「今日はより特別。私がそうしてって手紙書いてたから」

 

 ルキアの背中を押すと、名残惜しそうな顔をして離れていく。

 背中を見送っていると、ルキアがグッと拳を握りしめて私の方を振り返った。

 先程までの泣き顔ではない。

 真っ直ぐと私を見つめる黒い大きな瞳。

 

「如月殿が護られる程弱くないのは知っております! ですが、いつか私がお護りしたいとっ……そう願うことをお許しください!」

「うん。楽しみに待ってる」

「それと、夏の如月殿の誕生日は、私が主催をさせてください!」

「わかった。夜を空けれるように調節しておくよ」

 

 ルキアは深く頭を下げて、家の中に小走りで走っていった。

 相変わらず、門の前から微動だにしない白哉。

 私も特段声をかけることなく、その場を立ち去ろうとした。

 

「……如月」

 

 数歩歩いた時、そう後ろから声が聞こえる。振り返ることは無い。

 

「……何をしようとしている」

「ルキアの誕生日を祝いに来た。昔みたいに卑しく食事を貰いに来たわけじゃないよ」

 

 点で的外れな答えしか返さない私に対して、きっと白哉は眉間のシワを深くしているだろう。

 見なくたってどんな表情しているかくらい分かる。

 

「兄からまともな答えを得ようとした事が間違いか」

「あらま。謝るなんて珍しいね」

 

 そう返した後の無言。

 いつの間にか二人とも大人になって、言いたいことも聞きたいことも上手く言葉に出来なくなった。

 あれほど早くなりたかった大人の姿に、私達はなれたのだろうか。

 それは分からない。

 ただ、大切なものを失った悲しみと傷を抱き抱えて。それでも飲まれずに前に進むことが大人の姿だというのであれば、きっとそうはなれたんじゃないかな。

 

 これ以上自分から話す気のない白哉に気を遣って、私は少しだけ話を付け足した。

 

「……昔さ。よく二人で一緒に逃げたね。私は瞬歩が遣えないから、白哉が私を抱えて。私が鬼道で目くらましして」

「今度は何の話だ」

「もしかしたらさ、一人だって成し得たかもしれない。けど、二人だから出来たことも沢山あった。私と白哉は、何一つ似ているところなんてなかったから」

「……さっさと結論を言え」

 

 そう言われて、私はまた一歩を踏み出す。

 そして、一拍置いて答えた。

 

「私に出来ない事は白哉がやる。でも、白哉が出来ない事は……私がやるよ」

「出来ぬ事を兄に預けるほど浅薄ではない」

「でも勝手に預かっちゃう」

 

 ルキアが今後、罪人の名を背負うその時。

 白哉は動かない……動けない。

 だから、その出来ないことを私が勝手に預かる。

 

「悔しかったら、また取りにおいで」

「きさっ……」

 

 白哉が言葉を紡ぐよりも前に、私はその場から瞬歩で立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 それから、雪が解けて春が来て。

 桜が散って青葉が大地を色付け始めた頃。

 

 ……現世駐在となっていたルキアの消息が途絶えたと、十三番隊から電報が入った。






ようやく原作合流です……。大変お待たせしました……。


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第二章_現世編
第三十八話 動き出した物語


 

 

__現世空座町

 

 ルキアの消息が途絶え、捜索補助依頼が私に回ってきた。

 捜索する事は、護廷に対する表向きの目的。

 個人の目的としては、現世に赴くことへの理由付けが欲しかったから依頼を受けた。

 

 空座町の中心部の上空にて、広範囲への霊圧知覚を開始。

 

「……ああ、これが黒崎一護の霊圧……」

 

 ルキアの霊圧は捕捉出来ない。しかし東側から感じるのは、人間にしては異常なほど大きな霊圧。

 沸騰した湯のように、盛り上がっては弾ける不安定で荒々しい。

 本来現世に降り立った目的は別にあるが、私の足は自然と黒崎一護の方向へと向かっていく。

 

__ガラッ。

 

「おはようございます」

 

 時刻的には、太陽が東にまだある時間帯なのでこの挨拶で間違いないはず。

 

「……んだ……てめぇは……」

 

 初めて会った黒崎一護という少年は、そう言って固まった。

 窓から来客が来たことに驚くべきなのか、ルキア以外の死神の姿をした存在に驚くべきなのか。それとも警戒が先か、質問が先か。

 今しがた起きた状況に、何から手をつけていいのか分かっていない表情だ。

 まだまだ判断が遅すぎるな。と思いながら、窓から入室する。

 

「おいコラ。誰だテメェは。俺の部屋の窓は玄関じゃねぇぞ」

「敵か味方か。どっちだと思う?」

「俺に用がある奴は、大抵味方じゃねぇ」

「そう」

 

 一護の返事を聞いた瞬間、私は彼の背後に回った。

 

「なっ……」

 

 ダンっ!!! と鈍い音が部屋に響く。

 私が一護の腕を取って床に叩きつけたからだ。

 

「味方ではないと判断した相手への対応が遅すぎる」

「……ナニモンだ……」

 

 床に這いつくばりながらも、私を睨んでくる一護。

 一応殺気は感じるが、この程度じゃ虚は斬れても、死神相手には誰にも通用しない。

 

「くそっ……。女の癖になんて力してやがるっ……」

 

 一護はどうにか私を振り払おうともがいてはいるが、ビクともしない。

 確かに平均よりは強い子だが、ただそれだけの子だ。

 私が一護から離れると、彼はすぐさま起き上がる。

 

「何が目的で此処に……」

「朝から何事だ! 一護!! 騒がしいぞ!!」

 

 突然、一護の部屋の押し入れが開いた。

 それも共に、彼の言葉を遮るようにして、割り入った怒声。

 私にとっては、聞きなれた声。

 

「貴様はもう少し静かに……って……え?」

「おはよう、ルキア」

 

 私が目線をルキアに向けてそういうと、一瞬の静寂が訪れた。

 そして、今しがた騒がしいと言った彼女から飛び出る今日一大きな声。

 

「き、き、如月殿ぉおおおお!!!???」

 

 一護の部屋に、絶叫が響き渡った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 慌てふためくルキアと、状況が一つも分かっていない一護。

 二人がようやく落ち着き、私たちはようやく机を中心に輪になって腰を下ろした。

 

「ご、御機嫌麗しゅう……如月殿……」

 

 極度の緊張からか、それとも現世で変な言葉を覚えたからか。

 今までで一度も聞いたことの無いルキアの挨拶に、フッと笑う。

 

「テメェは誰だ。何が目的だ。つーか、そのわけわかんねぇマスク取りやがれ」

 

 真っ先に食ってかかってきたのは一護。

 

「なっ!! 一護、貴様!! なんて口をきいておるのだ! 態度を改めろ!」

 

 慌てて割って入ったルキアを手で制した。

 今しがた一護が私に対して言った、"わけわかんねぇマスク"とは、名無之権兵衛が付けているような黒い面布。

 この先の事を考えて、顔が分からないように付けてきた。

 だから、二人には私の口元と髪くらいしか見えていない。

 それでも、流石にルキアは霊圧で私だと分かったみたいだ。

 

「名前は、如月姫乃と言います。目的は、ルキアに会いに来ただけ。敵じゃない」

「簡単に信じられっかよ。いきなりねじ伏せて来やがって……」

「からかうと面白そうな子だなと思っただけ」

「んだと?」

「一護! 貴様は茶くらい持ってこぬか!!」

「なっ! 俺が悪ぃのかよ!? ったく……待ってろ」

 

 不満は大いにあるようだが、ルキアが一切の警戒を見せていない姿をみて、一護は自分の中でどうにか消化したらしい。

 渋々部屋を出ていく一護の背中を見送って、私は改めてルキアの方に顔を向けた。

 

「ルキア」

「はい」

 

 緊張して背筋を伸ばすルキア。

 

「貴女が何をしたか、分かっているね? 護廷十三隊が探している」

「……全て覚悟の上です。後悔はありませぬ」

 

 人間への死神の力の譲渡は重罪。

 前例は銀城さん。あの時は、被疑者死亡の為罪は付かなかったが、今回は違う。

 ルキアも、銀城さんと会った事は無かったが存在は知っている。

 だから咄嗟に、力の譲渡という思考が出てきたのだろう。

 

 漫画の世界で、黒崎一護とルキアの出会いは藍染さんが計画したものとあった。

 その裏で、こんなにも細い糸が綺麗に紡がれている。

 あの人の行動掌握術は天晴れだ。

 

「まだ見つかっていないよ。安心して」

「しかし如月殿が……」

「言ったでしょう。探しているのは護廷十三隊。私は鬼道衆。捜索の依頼は来たけど、命令じゃない。過去に鬼道衆を護廷十三隊管轄に入れることを蹴った老害は歯ぎしりしてそうだね」

 

 私がそういうと、ルキアの表情が少しだけ和らいだ。

 志波一心の捜索が誰にも出来なかった前例を踏まえれば、私が見つけられなかったと報告を上げてもなんら不思議はない。

 自分達が出来なかった事を棚に上げて、私に不平不満をぶつけるのは惨めだからだ。

 こうやって言葉の穴を突くのは昔から得意。

 

「ルキアが選んだ道を咎める事はしない。小石は全部私が払うから安心して。言ったでしょう。必ず護ると」

「なんと……お礼申し上げていいか……」

「代わりに、一護の世話はちゃんとお願いね」

「はい! 勿論でございます!」

 

 私が話を切り替えようとした時、丁度一護が帰ってきた。

 オレンジ色の髪に少しタレ目。目つきは悪いし、眉間のシワは常時らしい。

 不満そうな顔でお茶請けを持つ其の姿。

 

「……」

「……んだよ。その菓子は食えねぇとか言っても知らねぇぞ」

 

 私がジッと一護を見ていると、そう言われてしまった。

 違う、今しがた扉を開けて入ってきたその何気ない動作と表情。

 それが……海燕さんにふと重なったんだ。

 

「……今お父さんは?」

「外来に出てる。昼には帰ってくるぜ」

「……そっか」

「こやつの父親がどうかしたのですか?」

「ううん。その目つきの悪さは父親譲りそうだなって思っただけ」

 

 ルキアは志波隊長と会ったことがない。だから、気がついていない。

 一護が、海燕さんと血の繋がりがある子だと。

 

「そっか……そうか……」

「んだ? 一人で自己完結しやがって」

 

 昔から、何で皆が私の顔を見ているようで見ていないのか。

 今やっと分かった。重なるんだ。表情や仕草が、既にいないその人と。

 懐かしさ……思い出が過ぎる。

 幼い頃に、その目で見られることを嫌悪した過去の自分に伝えたい。

 この抱く感情は、思ったより悪いものでもないと。

 

 懐かしさに飲まれる前に、私は立ち上がった。

 

「もう行くよ。ルキアの顔を見れて安心した」

「ああん!? 茶くらい飲んでいきゃいいだろ!」

「……あはは。優しい子だね」

 

 先程までの殺気を向けていた相手に、茶の心配か。

 口元を緩ませた私の方を見て、一護は一瞬動きを止めた。

 

「如月殿が要らぬと申されたら要らぬのだ! 強要するでない!」

「ん、ああ……」

「頂くよ、ありがとう」

 

 私は湯のみに入った冷たいお茶を一気に飲み干すと、また窓際に立った。

 

「またね。一護、ルキア」

「お気を付けて!!」

「俺の部屋の窓は玄関じゃねぇ!!」

 

 二人の言葉を背に、私は黒崎家を後にした。

 

 

 *****

 

 

 姫乃が去った後の部屋。

 嵐のように突然やって来て突然去った彼女に、一護はため息をついた。

 

「ったく……。おい、ルキア。なんだ、あいつ」

「如月殿は私の敬愛するお方だ。かけがえのない恩師だ」

 

 ルキアの返事に、一護はまたため息をついて窓の外を眺める。

 去ったのは今しがただというのに、既に姫乃の姿はどこにも無い。

 

「信頼していいのか?」

「ああ。私の命に変えてでもあのお方のお役に立ちたいと願うほどに」

「……そうかよ」

「まあ、如月殿はそのような事は決して望まれない立派な方であるがな」

 

 一護はちらりとルキアの方を見る。

 そして、先程自分が思った疑問を口に出した。

 

「アイツ、笑ってなかったぜ。なんつーか、表面だけっつーか……」

 

 ルキアに向かって微笑んだ時も、先程自分に笑いかけたその姿も。

 口元だけの判断ではあったが、何処か取り繕ったような作り笑顔だと一護は感じ取っていた。

 笑っていないのではない……笑えていないのではないかと。

 

 一護のその言葉に、ルキアは目を伏せた。

 

「そうか……。一護は一度会っただけで分かったのか……」

「そういうんは昔から得意なんだよ」

「私ですら、気がつくのに長い時間がかかった。元々如月殿は、太陽のように明るく笑うお方だったのだ。如月殿が笑わなくなったのは……」

 

 そう言ってルキアは言葉を止める。

 それを見た一護は、それ以上何も言わなかった。

 

 

 

 

 *******

 

 

 黒崎家を出た後、私は空を駆けていた。

 目的の場所に向かうために。

 

 現世に来た目的は三つある。そのうちの二つは、同じ場所にある。

 地上を眺めながら探索していると、商店街が立ち並ぶ大通りから少し外れた所。そこにそれはあった。

 

「……見つけた」

 

 緊張故か、少しだけ鼓動が早くなる。こうやって時の流れが後押しをしてくれなければ動けない程。それほど、ここに降り立つという事は私にとって人生の原点であり一番の山であった。

 私が訪れたのは、"浦原商店"。

 

 降り立つと同時に、店先にいた二人の子供が私の方を見た。

 

「……誰だ、お前」

「じ、ジン太君……知らない人に向かってお前って言っちゃだめだよ……」

「うるせぇ、ウルル! 明らかに不審者だろ!!」

 

 いきなり目の前で喧嘩を始めた二人に、私は声をかける。

 

「あっちに虚がいたの。私じゃ倒せなくて……」

「マジか! しゃーねぇなあ……行くぞ、ウルル!」

「ジン太君……知らない人の言葉に乗っちゃダメってテッサイさんに怒られるよう……」

 

 本当は嘘だけど。

 素直に私が指さした方に駆けていく子供逹を見送って、改めて店の前に立った。

 特段出迎えはない。いないのではなく、警戒されているのだろう。

 大きく深呼吸して、私は店の扉に手をかけた。

 

「ごめんください!」

 

 そう大きな声をあげても、返事は返ってこない。

 店の中に足を進めると、部屋の奥に変な結界を見つけた。

 比較的上手く隠してはあるが、畳一枚の上に張られた平面型の結界。

 

 不法侵入だとは言われそうだが、そこに足を進めて腰をかがめる。

 

「……ここに結界引いたら、ここに何かありますよって明言してるのと同じだと思いません?」

「…………そうじゃの」

 

 畳の下からそう声が返ってきた。この下に目的の人物がいることは確定のようだ。

 

「触れた者の霊圧を返す攻撃型の結界ですか……。面倒ですね」

「見ただけで分かるというのか?」

「私も好きな結界の一つなので」

 

 こうして会話をしてくれるのは、結界術に余程の自信があるのだろう。確かにこの結界は、藍染さんを除いた護廷十三隊の隊長格ですら破れる者はいない。

 そう、護廷十三隊なら。

 

「壊していいですか?」

「壊せると思うておるのか」

「簡単です。結界強度を超える力をぶつければいい。並大抵の技量で放った鬼道じゃ、返されて自傷するだけですが……」

 

 私は下ろしていた腰を持ち上げて、一歩下がった。

 そして、畳に向けて片腕を伸ばす。

 

「代償は、この店の消失。失礼します。破道の九十……」

「待て待て待て!! 待つのじゃ!!!」

 

 私の行動を止める慌てた声が聞こえた。私もそれに合わせて、練り上げていた鬼道を握りつぶす。

 本気で打つつもりはなかったが、彼らとの交渉にはこうした方が早い。

 

 そこからは割と一瞬の出来事だった。

 少しの無言があったかと思うと、畳の上の結界が消えた。——と同時に、畳が開いた。

 目の前に結界が張られていた畳じゃない。私が立っている畳の方だ。

 重力に合わせて、私の体が下に沈んだ。

 

「こ、こっちですか」

「ふははは! 侮ったようじゃな! それはタダの囮じゃ!」

「……楽しそうで何よりです」

 

 突然の訪問者に警戒しているのか、それとも楽しんでいるのか。

 口調的に、今私と会話していたのは四楓院夜一に間違いは無さそうだ。

 そんなことを頭の端で考えながら竪穴を、私は重力に身を任せて落下する。

 この先で待つであろう父との初対面。

 第一声が何一つ決まっていない中、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 



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第三十九話 初対面

 

 

 随分と長い落下中に、私は体勢を整えて無事着地した。

 広い空間。霊圧を外へ一切逃がさないほど強固な結界術。更地に所々ある岩肌。

 しかし、辺りを見渡しても霊圧を探っても先ほどの声の主はいない。

 恐らく結界で隠れているのだろう。

 

 結界の次は隠れんぼか。これは、警戒でもなければ遊んでいるわけでもない。

 私の実力を試しているものだと確信した。

 

 適当に足元の小石を拾った。そして、数回掌の上で跳ねさせてから、グッと握る。そのまま腕を振って、右斜め方向に思いっきり投げた。

 

 これは……ただの勘で投げただけ。

 

「痛い!!」

 

 何も見えないはずの場所から、男性の悲鳴が上がる。

 それと同時に結界が解け三人が姿を現した。

 浦原喜助。四楓院夜一。握菱鉄裁。

 漫画を通して、容姿は知っていた。しかし、実際に対面するとなると、今しがた聞こえた一言でさえ私の心臓を掴む程に重い。

 見えていなかったときはあんなに強気に石を投げたというのに、急に怖気付いた私は、あえて視線をずらして夜一さんとテッサイさんのほうを見る。

 

「テッサイの結界が見破られるとは……ちとお主弱くなったのではないのか」

「そんなはずはないのですが‥‥」

 

 二人のヒソヒソ話はしっかり聞こえている。

 勘だと言いたいのを黙っておこう。

 

「貴様は誰じゃ。いきなり人の家に不法侵入しよって」

 

 そう言って夜一さんは腕を組んで私を睨む。

 しかし、私の羽織を見て少しだけ目を大きく開いた。テッサイさんも、表情自体は変わらないが、少し顎を引く。

 

「……む。その羽織は……」

 

 テッサイさんの言葉に、私は少し頭を下げた。初対面とはいえ、前任者である彼には敬意を払わなければならない。

 

「申し遅れました。私は鬼道衆総帥大鬼道長 如月姫乃と申します」

 

 自己紹介をしたと同時に感じたのは、殺気。

 先程一護から感じたものの比じゃない。戦闘術を心得ている者が発する、明確な敵対心。

 

 私は直ぐに地面を蹴り、後方に下がった。

 

「っ……」

 

 私が今しがたいた場所の地面が大きく陥没。目では追えない程の速さで迫った夜一さんの打撃による衝撃だ。

 

「よう避けたの」

「直感と経験です」

「経験を語るにはちと若すぎると思うがの」

 

 再び姿を消す夜一さん。と同時に、私の右半身に強い衝撃が来た。

 

 __ダアアアンッ! 

 

 吹き飛ばされた私の体は、無造作に突出している岩へと叩きつけられた。

 瞬歩の技量、この白打の熟練度……間違いなく、護廷十三隊には存在しない最高峰の力。

 砕蜂隊長なんか……足元に及んでいないのではないかと錯覚……いや、事実だ。

 

「どうじゃ。経験とやらは何か教えてくれたかの」

「……そうですね。逆に、不用意に相手に触れてはいけないという経験はございませんか?」

 

 私が何事も無かったかの様に返事をした事に、夜一さんは目を細めた。

 

「……咄嗟に低級縛道で衝撃を収めよったか。無詠唱の使い手は、儂の知る限り今の護廷十三隊にはおらんかったと記憶しておるが」

「私の記憶にも、鬼道衆にそのような力を持つ者はただ一人ですぞ」

「そうじゃったの。今出来るのはテッサイとあとは……」

 

 テッサイさんとの会話を続けようとしていた夜一さんの言葉が止まった。

 正確には、それ以上話すことが叶わなかったということ。

 

「人の言葉を聞き漏らしちゃダメですよ」

 

 私の言葉と同時に、夜一さんの体が崩れ落ちて膝を地面に付ける。

 

「痺れているでしょう。まあ特段それ以上の害はない薬なので安心してください」

 

 三人は名目上罪人だ。尸魂界から来た死神である私に敵意を見せるのは当たり前。

 捉えられる前に潰すという判断は間違いじゃないが、私は戦いたくて来た訳では無い。

 

 岩に叩きつけられた衝撃で肩に乗った屑を払いながら、私は夜一さんに一歩近づいた。

 

 悔しそうな諦めたかのような表情。

 そして、もう一歩近づいた時……刺すような雷のような霊圧が私に襲いかかった。

 

「……なんじゃ、この戦い方は。鬼道衆におる前は十二番隊にでもおったのか?」

「……いえ。十三番隊です。生憎、あそこの隊長からは酷く嫌われていまして」

 

 痺れて話せなかったはずの夜一さんが、立ち上がる。その様子を見て、私は警戒を再び高めた。

 

「鎖結と魄睡に直接叩き込む薬……。生憎じゃが、儂に霊質を御する薬は効かぬ」

「……そのようですね。それ以外の薬は特段持ち合わせていません」

「信用するとおもうたか。薬程度で儂が臆するとでも思うたかの。生憎、此方には解毒の専門家がおる。後でどうにでもなるじゃろ」

 

 夜一さんと目が合う……その瞬間、再び戦闘が再開した。

 目に追えない速さで私に攻撃を加える夜一さん。縛道で捕縛しようにも、早すぎて間に合わない。

 せいぜい、打撃の衝撃を和らげる程度にしか使えない。

 こういう戦いは鬼道が圧倒的に不利だ。対象を捉えられなければ、どれだけ強い鬼道も意味をなさない。

 当たらなければ意味が無い理論と同じだ。

 

 私は鬼道での攻めを一度諦めて、斬魄刀を抜いた。

 

「始解も出来ておらぬ鈍刀ではどうにもならんぞ」

 

 私の刀が浅打であることを確認した夜一さんは、口角を上げる。

 鬼道衆は剣に乏しい者が多く、斬魄刀を持つことを諦めて帯刀しない者も多い。

 前例と凡例に従って、夜一さんも私が始解未習得者だという判断をしたようだ。

 

 ……始解は此処に来る前に、 既に済ませてある(・・・・・・・・)

 

 

「 散れ 千本桜 」

 

 私のその言葉に、夜一さんの霊圧が初めて揺らいだ。

 刀身が崩れ落ちるように細かい刃へと変わり、千の刃が展開される。

 

「それは……白哉坊のっ……」

 

 驚きで動きがわずかに鈍ったのを見逃さず、千本桜を夜一さんの後方に展開し退路を断った。

 白哉が始解したのは、この人達が尸魂界を去った後だ。だから、何故千本桜の事を知っているのかは知らない。

 今はそこまで重要な事でもない。

 

「経験と凡例に当て嵌めていいのは、凡人に対してだけですよ」

「……自分が天才だとでも言うておるのか」

「そうみたいです」

 

 後ろに下がるという選択肢は奪った。

 次なる誘導は、正面に再度突っ込んでくることを止めさせる事。

 

「__破道の七十三 双蓮蒼火墜」

「っち……」

 

 私の手から放たれた青白い閃光を避ける為に、夜一さんは動く。

 彼女の瞬歩が最高峰の速さであることは間違いがない。私では追いつけない。

 

 

 ただ、こちらも……尸魂界最高峰の速さを持つ刀がある。

 

 

「 射殺せ 神鎗 」

 

 

 双蓮蒼火墜は、夜一さんを中心として僅かに左に寄せて打った。だから自然と避ける先は右。

 

「っ……刀が……変わったじゃと……」

 

 瞬歩で逃げようとした夜一さんの、眼球ギリギリに迫る刃。

 千本桜が後方にあるという潜在意識は刷り込ませた。正面にも攻め入れないと判断させた。

 右への退路を選択させた。

 

 こうなると、後は上に飛ぶしかない。

 誘導通り、夜一さんは瞬時の判断で上に飛んだ。

 空中は地上と違って、若干体の動きが制限される。だから、空に逃げるという判断は……戦闘において劣勢を意味する。

 

「__縛道の七十三 倒山晶」

 

 そのまま私は、夜一さんごと倒山晶の中へ閉じ込めた。殴る音が聞こえてくるが、壊される程脆弱な熟練度ではない。

 

 私は刀を鞘に収めた。戦闘は終わりだ。

 

 それと同時に、後方からパチパチと手を叩く音が聞こえてきた。

 

「いやあ、お見事っスね! 夜一サンがここまで綺麗に負けたの久々に見たっスよ!」

「鬼道の熟練度もその名に相応しいものでした。これ程のお方が総帥を名乗られて居るのであれば、安心致しました」

 

 私は振り返る事無く、パチンと指を鳴らす。

 すると、倒山晶に閉じ込められていた夜一さんが出てきた。

 

「何故戦いを止めた!」

「敵ではありません」

「その言葉の何処に信用があると?」

 

 確かに言葉には何処にも信用がない。どう答えようか迷っていると、後方からまた父の声が聞こえた。

 

「夜一サーン、その子、戦う気ないみたいっスよー」

「戦い方は実に緻密に計算された誘導でありましたの。破道も、夜一殿が避けると確信してのものでありました」

「初めっから、捕縛にしか意識を向けてなかったみたいですね」

 

 テッサイさんと父の言葉に、夜一さんは舌打ちをした。

 

「気づいとったならさっさと言わんか」

「面白かったんで、観戦したくなっちゃったんスよ。ねぇ、テッサイ」

「これ程の鬼道の使い手を目にするのは久々でありましたので」

 

 改めて夜一さんが私の前に立つ。私よりは小柄な人だが、組んだ腕の上に乗る溢れんばかりの……いや、やめておこう。

 

「如月といったな。貴様の目的はなんじゃ」

「どこからお話すれば……」

 

 話の切り出しを迷っていた私に、夜一は言葉を続ける。

 

「大体、さっきのいやらしい戦い方はなんじゃ。まるで喜助そっくりじゃ、顔くらいみせい!」

「あっ……」

 

 瞬歩も早ければ、不意打ちも早いのか。兎にも角にも、至近距離の不意打ちに反応できず、私は面布をあっさりとはぎとられてしまった。

 

「……」

 

 私の顔をみた夜一さんが固まった。

 まだ私より後方にいる二人にはバレていない。

 年々歳をとるたびに実感するのは、私は父に非常に似ているという事。

 幼少期でさえ、その面影を尸魂界の皆が共有していたのだから、夜一さんが気が付かないわけがない。

 このまま口を閉ざしてもらうことを懇願するか、開き直るか。

 

「お、お主……そ、そ、その顔……」

 

 少し迷った結果、バレたことは仕方がないと腹を括った。

 本当は、自分の決意が固まった時に正体は明かすつもりだった。

 ここに用事があるうちの一つは、素顔が分からなくても達成出来ることだったからだ。

 

 夜一さんが固まった事を不思議に思ったのか、後方の二つの霊圧が歩いて近づいてきているのは分かっている。

 私は大きく息を吸った。……その息を吸う唇も息すらも、極度の緊張で震えているの自分でも分かった。

 

「此処に……来た目的は……二つです。一つは、鬼道衆の前任者に会うこと。もう一つは……」

 

 ゴクリと唾を飲んで、震える唇で言葉を紡ぐ。

 

「父に……会いに来ました」

 

 その言葉を聞いた夜一さんが、突然煙を上げた。……結果的に、黒猫の姿に変わった。

 目は見開き、瞳孔は大きく開いている。

 私の緊張に比例するかのように、彼女も動揺しているのだ。

 

 そのまま私は後ろを振り返る。

 のんびりと歩いてきていたはずの二人の足は止まったまま。

 顔を隠していたものは夜一さんが取ってしまったので、素顔での対面だ。

 

 父は帽子を被っていて、口より上は影で見えない。ただ、笑顔のまま固まってしまっている。

 テッサイさんも岩になった。

 

「っ……あの……。は、初めまして……お父さん……」

 

 お父さんと呼んでいいのか分からない。ただ、これ以外の呼び名を知らない。

 私の言葉を最後に、場に流れる静寂。

 

 __バタンっ……。

 

「て、店長ぉおおお!!!!」

 

 父はその固まった状態のまま、真後ろへとひっくり返った。

 

 

 

………………

…………

……

 

 

 静寂が流れる浦原商店地下。

 ちゃぶ台一つに輪になるようにして座る私達。

 先程の黒崎家と同じ光景でありながら、場に流れる空気は硬い。

 

 テッサイさんに起こされて、どうにか座っただけの父。

 猫の姿になったり人の姿になったりと忙しそうな夜一さん。

 驚きが一周回って逆に無なのか、黙々とお茶を人数分入れるテッサイさん。

 

 誰もが話の切り出しを見失っている中、一番最初に無言を破ったのは夜一さんだった。

 

「喜助ぇ……お主、ウルルとジン太以前にこんなもの造っておったのか……? 儂は聞いとらんぞ……」

「あ、あ、アタシには覚えが……く、涅さんの悪戯でしょうか……」

 

 父のその言葉を聞いて、改めて実感した。

 やはり、父は私の存在を認知していない。

 認知していないと知っているという事と、その現実を目の前で見るという事は……やはり苦しい。

 心臓がギュッと掴まれて、息が出来ないような気分だ。

 

「涅隊長からは何も。検査にて、貴方と血縁関係がある事は証明されています」

「へ、あっ、そ、そうっスか! えっと、あの……な、なんと申したら良いか……。お、大きくなられて……」

「莫迦者! 小さい時も見たことがなかろう!」

「あああっ、そ、そうでしたね!」

 

 夜一さんに頭を叩かれて、慌てふためく父の姿。そのあまりの動揺の激しさに……私はフッと口元を緩ませる。

 今更認知してもらおうなんて期待していない。受け入れてもらおうとも思っていない。

 ただ、母を覚えているのかくらいは聞きたかった。

 

「私の母は、西流魂街第一地区 潤林安に住む"如月柚乃"です。覚えておられませんか?」

「如月柚乃……西流魂街……」

 

 記憶を辿るように斜め上をみる父。すると心当たりがあったのだろう、顔面蒼白になった。

 

「……なんじゃ喜助、身に覚えがあるのか」

「か、彼女とはその、偶然、あの!!」

「かー! お主もだらしない男じゃ! 花街の女ならともかく、保護対象の流魂街魂魄に手を出した挙句、子供まで作って逃げたんか!!」

「ち、違いますって!! アタシもまさか、子供ができてるなんて思ってなかったんっスよ!!」

「ほーほ、お主が西流魂街の調査にだけは一人で行きたがっとった訳がよーわかったわ!」

「あ、あ、あれは!! 西流魂街だけ虚の出現率が低いのを確かめる正当な調査っス!! 一度きりの関係ですよおお!!」

 

 夜一さんに言い訳するためか、勢い出てきた言葉。

 一度きり。その言葉の意味を理解出来ないほど、幼くない。

 ズキっと……心臓が痛む音が聞こえた気がした。

 

 ただ改めて確認が取れた事実は、私は間違いなく二人の子供だということ。

 ……望まれない子だったとしても。

 

 事実の確認が取れた。記憶の中にしか居なかった父と対面出来た。

 声を知ることが出来た。想像していたより声色は低くなくて、想像していた通りに少し軽い口調の人。

 母のことを思い出してくれた。

 ……それで充分だ。

 

 言い訳を探すほど母との関係性を拒絶されても。

 私が存在することに酷く動揺されても。

 

 それでもいいと決意して此処に来た。

 

 

 

 

 

「店長!! 夜一殿!! いい加減になされよ!!」

 

 

 

 

 

 ずっと黙っていたテッサイさんが大声をあげた。

 その言葉で、言葉の応酬をしていたはずの父と夜一さんが固まる。

 

「……それ以上、この子を傷つけてはなりません。この子の顔を見られよ」

 

 自分がどんな顔をしているのか分からない。

 二人は私の顔を見ると、少しバツが悪そうな顔をして目線を下に向けた。

 

「……少しばかし時間が必要ですな。如月殿。私と共に上に参りましょう」

「お気遣いありがとうございます」

 

 私が立ち上がると、テッサイさんはそっと背中を押して誘導してくれた。

 立ち上がる時も、立ち去る時も……私は父の方を見れなかった。

 

 



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第四十話 百年の空白

 

 

 改めてテッサイさんから差し出されたお茶を啜って、ふうっと息を吐き出した。

 

「厚かましく勝手な事を申すことをお許し頂きたい。店長は、決して不誠実なお方ではありません。私達ですら、あそこまで動揺する店長を見たのは初めてです」

「気になさらないでください。私が逆の立場だったとしても動揺しますから」

「きっと何か事情があっての事。それより、先に私はお礼を申さなくては……」

 

 テッサイさんは私の方を見ると、深く頭を下げた。

 慌てて私も彼と向かい合う。

 

「……鬼道衆の責務を背負っていただき、誠にありがとうございます」

「い、いえ……私はたまたま……」

「少なくとも同じく鬼道衆の頂点を任されていた身です。護廷十三隊以上に元老院の煩わしさやその重圧も知っております。そんな中で、部下を護って頂き……なんと御礼申し上げて良いか……」

「……どうか顔をあげてください」

 

 私がそう言うと、テッサイさんはゆっくりと顔を上げた。

 聞きたいことは沢山あるだろうに、それを優先しないことを選択している。

 私は決して、褒められるような事をしているわけじゃない。その意志をそのまま伝えた。

 

「私は比較的自由にさせてもらっているんです。そこらへんの重責は、全て勒玄が肩代わりしてくれていました」

「なんと……。勒玄殿……生きて……おられるのですか……」

「はい。副鬼道長として、私の傍で」

 

 そう伝えると、テッサイさんの眉が僅かに上に上がった。眼鏡が反射して目は見えないが、恐らく驚いたのだろう。

 

「勒玄殿が副鬼道長になることを選んだと……?」

「はい。半ば無理矢理ではありましたが」

「なんと……。そうですか……。勒玄殿も主を決められたのですね……」

 

 その言葉に、僅かな違和感を感じて私は首を傾げる。勒玄は形式上私の副官であるが、崇拝しているのはテッサイさんのはずだ。

 

「有昭田家の矜持は、生涯ただ一人と決めた大鬼道長に仕える事です」

「え、ええ。それは知っていますが……それはテッサイさんでは?」

「いいえ。鉢玄殿からの忠義は頂いておりますが、勒玄殿はあくまで鬼道衆の上官と部下」

「何が違うんですか?」

「……それは、私よりも勒玄殿の口から聞いた方が良いでしょう。あのお方は死ぬまで主を決めないと思っていましたが……貴女と巡り会えて幸せでしょう」

 

 その言葉に私は苦笑いした。テッサイさんは何か勘違いをしているようだ。

 勒玄は私を死ぬほど憎んでいるし、それを知った上で傍に置いている。

 天地がひっくりかえっても、幸せだということは有り得ない。

 これ以上訂正をする必要も特段感じず、私は別の話題を振った。

 

「そういえば、テッサイさんに聞きたいことが……」

「口頭継承の事ですな」

 

 流石に全てを言わずとも正しく伝わったようだ。私はコクリと頷く。

 

「……しばし時間を下され。拒否しているわけではありません。物理的な準備に時間がかかるのです」

「構いません」

「明日には」

 

 全くもって想像のつかない継承。これに関してはテッサイさんに一任した方が良さそうだ。

 私が総帥の名を受け継いだ経緯も話した方がいいかと思った時、地下へと繋がる畳が開いた。

 

 中からまず出てきたのは、猫の姿の夜一さん。

 その次に父。夜一さんに殴られたのか、右の頬が大きく腫れている。

 

「待たせてすまんかったの」

「いえ。お構いなく」

 

 夜一さんはちゃぶ台の上に乗って私の正面に座ると、まじまじと顔を見てきた。

 目を細めたり開いたり……こんなにも遠慮なく堂々と顔を見られるのは割と初めてかもしれない。

 ……素直に照れ臭い。

 

「ほー……。ちと喜助の遺伝子が濃すぎやせんかの?」

「よ、よく言われます……」

「母の要素は何処じゃ」

「め、目かと……」

「目も睫毛の長さが違うだけでほぼ喜助じゃ。ちとタレ目なのは母親譲りかの?」

「あとは瞳の色かと……」

「それはそうじゃな。それと……母は胸がない女性か?」

「い、いえ……。羨ましい限りの胸をしております」

「じゃあ、ここも喜助の血か。好きなだけ恨むと良い」

 

 接吻でもするつもりかというほどに、夜一さんの顔が近くにある。

 頬に当たる髭にくすぐったさを感じていると、夜一さんの首根っこが掴まれた。

 テッサイさんが引き剥がしてくれたんだ。

 

「夜一殿は此方に。ミルクのお時間ですぞ」

 

 視界のほぼ全てに猫の姿が写っていたせいで気が付かなかった。すでに父はちゃぶ台を挟んで正面に座っている。

 先程と違うのは、帽子を取っていること。

 まだ何処を見ていいのか分かっていないのだろう。目線は少し彷徨いがち。

 

 ふと互いに目が合って、互いに固まる。

 自分で言うのも不思議な気持ちだが、これは親子と認めざるを得ないくらいそっくりだ。

 

「そ、そっくりっスね……」

「私も同じ事を考えました」

「……でも、瞳は柚だ」

 

 確か父は、個人を呼ぶ時に"サン"と敬称をつけるはず。似つかわしくないと言ったら変だが、母への呼び名は、彼の中でこう固定されているらしい。

 

 父は帽子を胸に当てながら、私に向かって頭を下げた。

 

「さっきは誤解を招くような事を言ってしまってスミマセン」

「……いえ」

「貴女のお母さんとの話を少しさせてください」

「はい」

 

 父は一度咳払いすると、母との出会いを語ってくれた。

 

 ゴホっと咳をすると、母との出会いを話してくれた。

 父が隊長として働き出してすぐの時。

 西流魂街で任務中、たまたま怪我をして休んでいた事があったそうだ。その時に、たまたま父を見つけた母が面倒を見てくれたらしい。

 任務を忘れさせてくれるような穏やかな笑顔と太陽のような暖かさ。

 その母の雰囲気が好きで、時折家に顔を出していた関係だったとの事。

 

「その……さっきは嫌な言い方をしてしまいましたが……。柚とは約八年程の付き合いになりまして……。あ、貴女の前で言うのもおかしな話ですが、そういった関係は一度だけという意味でして……」

 

 先程までは少し誤解していた母と父の関係性。

 もっと色々と気になる事や聞きたいことはあるはずなのに、言葉が喉につっかえて出てこない。

 

「許されないと分かっています。今更アタシが父親面なんて許されないですし、望まれていないかもしれません。ただ、どうしても一つだけお伝えしたい事があります」

 

 顔を上げた父は、さっきまでのヘラッとした笑顔とは違った。真剣な表情。

 そこから、口角を上げた笑みへと変わる。

 

 ……さっきまでの掴みどこのない笑顔とは違う。なんて表現したら正しいだろうか。

 優しい……いや……母が私に向ける時の微笑み方と重なって見えた。

 

 

「産まれてきてくれてありがとうございます。アタシ……いや、僕に会いに来てくれて、ありがとうございます」

 

 

 その言葉に、私は目を大きく開いた。

 そんな言葉、予想していなかったからだ。

 

 どうして母を捨てたのかとか。

 どうして覚えていてくれていなかったのかとか。

 母の事を愛してくれていたのかとか。

 父がいないことで寂しい思いをどれだけ幼少期した事とか。

 言いたいことは沢山あって、次から次に溢れ出るはずなのに……。

 

「わ、た……しは……産まれてっ……良かったんですかっ……」

 

 沢山いろんな言葉があるはずなのに、喉から真っ先に出てきた言葉はこれだった。

 考えるよりも先に。

 心がこう言えと言っているかのように。

 

「僕は、貴女が産まれた日の事も……初めて話した言葉も、立った日も駆けた日も知らないっス。初めて笑った日も、泣いた日も怒った日も……何もかも知らない。何一つ知らないことが……心底悔しい程に……」

「っ……」

「娘がいるという事を……誇らしく思うほどに。産まれてきてくれて……生きていてくれてありがとう。目の前で会えるなんて……僕には勿体ないくらいの幸せっスよ……」

 

 この言葉一つで、不安も不満も何もかもが押し流されてしまう私は、単純なのだろうか。

 でも……私が心から求めている言葉で。

 ずっと欠けていて足りなかった空白をすんなりと埋めてくれる言葉で。

 だから、この言葉が素直に出てくる。

 

「お父さんっ……会いたかった……。ずっとずっと……会いたかった!!」

「寂しい思いをさせてスミマセン」

 

 幼い頃から、父がいない事で石を投げられた。

 バケモノの子供だと指をさされた。

 でも違う。

 こうして目の前にいるこの人は……思ったより優しい声をしていて、思ったより背が高くて。思ったより真剣に私に向かい合ってくれて。

 代わりなんて何処にもいない……たった一人のお父さん。

 

 何から吐き出していいのか分からない感情に飲まれていると、ふと私の手に水のようなものが触れた。

 なんだろうと思って目線をズラすと……。

 

「て、テッサイさん……?」

 

 涙で溺れ死ぬんじゃないかと思うほどに、隣に座っていたテッサイさんが声を出さないまま号泣している。

 

「ど、どうしてテッサイさんが泣くんですか!」

「姫乃殿っ……喜助殿っ……。御再会……おめでとうございますっ……!!」

 

 私が泣くよりも早くに、洪水のように泣くテッサイさんを見て、思わず口を緩ませる。

 それをみた父が慌てたようにテッサイさんに扇子を向けた。

 

「ちょ……テッサイ! せっかくの愛娘の涙を止めないでくださいよ! アタシの初記念日っスよ!!」

「今日はご馳走ですぞおおお!!」

「ささ、姫乃サン。テッサイに構わず、どーんっと感動の涙を……」

「もう引っ込んじゃいましたよ」

 

 テッサイさんはそのまま立ち上がると、買い物に行かねばと言って部屋を飛びだした。

 丁度外から戻ってきた子供達二人を両脇に抱えて……。

 嵐のように去っていったテッサイさんを瞬きして見つめていると、また眼前に夜一さんがうつる。

 相変わらず距離感がおかしいが、二回目ともなれば少しは慣れるもんだ。

 

「して、喜助や。こやつの母親の名はなんと言ったか?」

「へ? 如月柚乃サンっスよ。漢字がわからないんですか?」

「違うわい。なんと呼んでおったと?」

 

 夜一さんの言葉を聞いて、父の返しが止まった。

 不思議に思って黒い毛の端から父の顔を見ると、帽子で顔を綺麗に隠してしまっている。

 

「さて、喜助や。今一度聞こうかの。なんて呼んでおったんじゃ? んん?」

「べ、べ、別になんだっていいじゃないっスかあ!!」

 

 ニヤニヤとした顔をしている夜一さん。そして隠した帽子の端から見える父の真っ赤な耳。

 

「ほうほう。この件だけで生涯コヤツの事を脅すネタが出来たわい。姫乃や、感謝するぞ」

「え、ええ……。お好きに……どうぞ……」

「酷いっ!! 早速アタシの扱いわかった感じっスか!?」

 

 調子が狂うと言いたげに頬をかく父。

 夜一さんは色々と聞きたいことが止まらないようで、また接吻でもするのかという距離感に近づいてくる。

 

「いくつで真央霊術院に入ったのじゃ?」

「えっと……確か十五の時です。卒業は十六で……」

「ほー、優秀じゃの! 今いくつかの?」

「今年で丁度百になります」

「百? それは縁起の良い年じゃ。誕生日は?」

「あ、えっと……八月」

「八月七日っスか?」

 

 私が答えるよりも早くに、父が正解を出した。

 産まれた日の事なんて知らないと言っておきながら、なんでわかったんだろうと首を傾げると、答えをくれた。

 

「いやあ、そりゃもう……計算して正確な日に産まれていれば……痛い!!」

「子供の前で何を言うておる!! この助平が!」

 

 私の正面に居たはずの夜一さんが、一瞬で父の眼前に移動する。そしてその鋭利な爪で父の顔を遠慮なしに引っ掻いた。

 少し大袈裟すぎるほど騒がしいのはきっと……私の緊張を精一杯取ろうとしてくれているのだろうか。

 そんな優しさにも、心が暖かくなった。

 

「姫乃や。儂らのせいで随分と苦労したじゃろ。すまんかったの」

「あ、いえ……。それはほんの一時の苦労に過ぎなくて……」

「……これからも巻き込むことになるじゃろうなぁ」

 

 申し訳なさげに眉を下げる夜一さんに、私は声をかけた。

 

「……藍染の事でですか?」

 

 私のその言葉に、二人とも目を細める。

 

「……知っておったのか」

「ええ」

 

 何処から話そうか。そう考えた時、父が扇子をパタンと閉じた。

 

「今日くらい、殺気立つ話はナシにしましょ。ね?」

「……それもそうじゃな」

 

 夜一さんは、空気を変える為かそれとも丁度良かったのか。

 とにかく、私の頭の上に飛び乗ってきた。

 そして、頭の上から手を伸ばして私の頬を叩く。

 

「ほれ、姫乃。喜助に何でもお願いせい。叶えぬというなら、儂がいくらでも引っ掻いてやろう」

「え……いや、望むことなど……。もう充分に与えていただきましたから……」

「遠慮するでない」

「そうっスよ、姫乃サン。ぶりたいわけじゃないスけど、娘のお願いを聞くのも父親の幸せの一つですから」

 

 そう言われて、私は少し考えた。

 此処に来たということは、少なくとも浦原商店の人達にお願い事があって来た。

 それに協力してもらう約束をするのが一番だろうが……。

 私の心は、合理性よりもっと単純で……だけど何より望んでいるお願いがふと浮かんだ。

 

「……これからも、お父さんと呼んでいいですか?」

「勿論」

「……私の事を……姫乃と呼んで頂いても……いいですか?」

「……勿論っス」

 

 嬉しくて照れ臭くて。そうして目線を右往左往させていると、また夜一さんから頬を叩かれた。

 

「今すぐにと言わんかい!」

「へ、あっ、今すぐに!」

「は、はい! ひ、姫乃……」

 

 父もまだ言い慣れていない名前に硬さが残っている。

 私だって願った立場ながら恥ずかしい。

 

「もう一度じゃ、喜助!」

「ハイ! 姫乃!」

「はい、お父さん」

「……姫乃」

「……はい。お父さん」

 

 百年。

 たったこれだけの事を叶えるのに、百年かかった。

 もっと早くに動いていたら、もっと早くにこう呼んで貰えていたかもしれない。

 けど、それはタラレバ。

 沢山の葛藤と不安を押し殺した今だからこそ、心に染み渡る温かさがある。

 

 

………………

…………

……

 

 

 それからテッサイさん達が帰ってきて、その日は浦原商店の人達全員で鍋を囲んだ。

 明日からはまた進めていかなくてはならない事や伝えなければならないことが沢山ある。

 それでも……今は……今日だけは。

 百年の空白を埋める、何にも縛られない大切な思い出の日にしたい。

 そう願うことは、悠長すぎると怒られるだろうか? 

 今日だけは……少しだけ……。

 

「姫乃、この子どうっスか?」

「あ、えっと……ウルルちゃんでしたっけ?」

「はいはい、そうっス。そういえば、柚に似てません?」

「……そ、そう言われれば……。年齢が違いすぎて雰囲気だけしか分からないですけど……。母に似た黒い瞳のタレ目ですね」

「無意識ながら勝手に理想の女性像は似るもんなんスねぇ」

「またセクハラしとるんか、喜助。それより姫乃。豆腐は食わんのか」

「苦手で……」

「好き嫌いはいけませんぞおおお!!」

「うわっ! ウルルが俺の肉取った!!」

「ジン太君が遅いのが……い、痛いよう……」

「ジン太君。私のお肉あげるよ」

「マジか! お前良い奴だな!!」

 

 久々すぎる賑やかな食卓に囲まれながら、現世での一日目の夜がふけていった。






これが所謂鬼執筆。はちみつ梅の本業。


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第四十一話 総帥継承の儀

 

 

 そして、二日目の現世。

 朝から実に賑やかだった。

 子供達二人を学校に見送る際。ジン太君が投げたボールがウルルちゃんの頭に直撃。その反動で手に持っていたゲーム機が壊れたと大騒動だった。

 私が直しておくからと送り出したはいいものの……。

 

「……現世の……ゲーム機……とは」

 

 初めて聞く単語に、初めて見る機械。

 

「とりあえず分解するか」

 

 何事も、直すならばまずは分解。意気揚々と分解を続けて、気がつけば作業に没頭していた。

 

「……の、姫乃!」

「は、はい!!」

 

 背後に立つ父の気配にも気が付かず、ハッと振り返る。

 

「何してんスか?」

「ウルルちゃんのゲーム機が壊れたらしくて……。直そうとしてる間に仕組みの方が気になってしまいまして……」

「……それ、組み立てたんスか?」

 

 ピッと父が扇子で指した先は、今しがた私が修理していたゲーム機。

 渡された時は折りたたみ式の正方形状だったもの。……今や何故か長方形の一面型になっている。

 

「画面大きくしたほうがいいかなと……」

「おかしいっスねぇ……」

 

 父は不思議そうな顔で首を傾げる。

 それは多分、私が原型とは違う形に修正してしまったからではない。

 その言葉の意味を理解して、回答を返した。

 

「ああ、変な接続は切断しましたよ。制作主以外が基盤の開閉をしたら、データが消える設定なんて酷い話ですね。現世は割と自己主張が強い制作者で溢れているんですね」

「……スミマセン」

「え? なんでお父さんが謝るんですか?」

「いや、なんでもないっス。ちょっと自信がへし折られた気がしただけです……」

「そうですか」

 

 また目線をゲーム機に戻して、黙々と作業を行う。そうして十分後には、納得のいく形に仕上がった。

 父が隣で作業を見つめて、足りなさそうな部品を言わずとも出してくれるので、非常にやりやすかったのもある。

 

「とりあえず倒されたら可哀想なので、コマンド一つで敵は殲滅出来る設定に変えました」

「姫乃……。それじゃゲームの意味無いっスよ……」

「じゃあ、一度でも攻撃受けたら死ぬ設定に変更します」

「あの……。ウルル泣いちゃいます」

 

 その言葉を聞いて、ふむ。と顎を抱える。

 現世のゲームとやらは随分と奥が深いらしい。これはまた持ち帰って要研究だ。

 作業性のバランスだけでなく、子供心との調律も必要なのか。

 私は父に向かって、思いついた内容を交渉する。

 

「後で子供の脳波データ下さい」

「あ……ハイ、お好きに……。今しがた尚更、アタシの娘だって実感しました」

 

 若干引け腰の父に首を傾げていると、猫姿の夜一さんが飛んできた。

 飛んできたというか、私の顔に張り付いてきた。

 

「遊んでおる場合ではないぞ」

「分かりましたから……あの……どいて頂けると有難いです」

「テッサイは、朝から地下に籠りきりじゃ。呼ぶまでは立ち入るなと」

 

 テッサイさんは、私の総帥としての継承を用意してくれている。

 まだ時間がかかりそうなのならば、先に藍染さんの件を話し合うべきなのだろう。

 ただ、今まで誰にも公開したことのない私の記憶について……。

 まだ言葉が上手くまとまっていないのは本音だ。

 

 三人で輪になり、二人は私が言葉の話し出しが決まるまでジッと待ってくれた。

 

「……事象に対して理論的な説明は付かないんです」

「ハイ」

「わ、私は……幼い頃から繰り返し夢を見ました。尸魂界が辿る未来の物語を」

 

 今まで誰にも話せなかった事を、こうして素直に口に出せている。

 それは、父だからだろうか。信頼を置いているのだろうか。

 分からない。ただ……この人には受け入れてもらえるんじゃないかと直感的に感じた。

 

「夢を見ていたのは死神になる前までです。もう八十年以上前なので、殆ど覚えてはいません。これは、夢を記録したものです」

 

 そう言って私は、昔書き上げた書物を取り出した。それをそっと父に渡す。

 ……渡す時、手が震えていることに気が付かれてしまっただろうか。

 

「読んでもいいっスか?」

「お願いします」

 

 そうして、父が一ページ目から黙々と目を通していく。

 夜一さんも父の肩に乗り、その場には暫く無言が続いた。

 

「その……全部で四冊あるのですが、今は手元に一冊しかなくて……」

「充分っス」

 

 そうして、どれくらい時間が立っただろうか。

 父がパタンと本を閉じた。

 そして私の目を見る。

 

「……だから……私は藍染の事を知っていました。全ての黒幕であると。黒崎一護という少年が辿る運命も」

 

 父が私を見ていることは分かっているが、何を考えているのかよく分からない。

 その目は、考えているようにも見えるし、既に答えに行き着いているようにも見えたからだ。

 

「この事は他に誰かに?」

「いえ。今初めて」

「……色々と予定が変わりそうっスね」

「そうじゃの。この書物が本物であると裏付けるのは、一護の存在一つで片付く。あとは……何処まで裏をかけるかじゃが……」

「そうっスね。全てを変える必要はありません。あくまで向こうの思惑を適度に進める必要はあります」

 

 私の書物を元に話を進めようとしている二人を、慌てて止めた。

 

「ま、待ってください! 信憑性が……」

「あります。世の中には、前世の記憶を持つ人もいますし、予知夢なんか見る人は珍しくないっスよ。実際現世なんかじゃ、"占い"なんて名前をつけて稼いでる人も沢山いますから」

「え?」

「細かい事は後々説明はします。ただ、今この場における問題の中では最重要じゃないっス」

 

 私でさえ受け入れるのに何十年とかかった出来事。その出来事の裏付けを父は持っている。

 ただ、今は話せないと。

 私は、少し間を開けて返事を返した。

 

「……待ちます。お父さんが伝えてもいいと思える日まで」

 

 そして、私が一番に伝えたいこと。

 此処に来た理由。

 それを伝えるべく、私は畳に手をついて深く頭を下げた。

 

 

「……黒崎一護を下げては貰えませんか。代わりに私がやります」

「なんじゃと?」

「この戦い。私に譲ってください。お願いします。これは……私が戦わなければいけない戦いなんです」

 

 いつの日にか銀城さんに言われた言葉。

 どうしても変えたい未来が訪れた時。その世界の主人公を蹴飛ばしてでも、自分が前に出る。

 

 私は、何も言わない二人に構わず言葉を続ける。

 

「私は全面的に黒崎一護の補助に回ります。しかし、前線は譲りません」

「……それは、例え一時的であっても護廷に離反する……という意味っスよ」

「はい。問題ありません。内通者が増えたと捉えていただければ」

 

 私の言葉に、父と夜一さんは顔を合わせた。

 言っていることが滅茶苦茶だろう。藍染さんとの過去を私は一つも伝えていない。

 だから、大雑把すぎる話の全貌を伝えきれていないのも当たり前。

 

「頭を上げい、姫乃」

 

 夜一さんにそう言われて、ゆっくりと頭を上げた。

 

「喜助がやろうとしておることと、お主がやろうとしておる事を噛み合せるのが先じゃ」

「そうっスね。これは長い話し合いになりそうだ」

 

 二人は、私が何故この戦いに固執しているのかの理由は聞いてこなかった。

 先程父が言ったことと同じ。

 話せるその時が来るまで待つ。

 

「お父さん達がやろうとしている事の裏側の意図は全て分かっていますので、私から先に話してもいいですか?」

「うむ」

「お願いします」

 

 そして私は、長らく考えていた藍染惣右介という男に対して、より有効的に立ち回る術を伝えた。

 時折二人からの質問を挟みながら。

 長い長い話し合い。

 

 …………

 ……

 ……

 

 

 結果的に、話し合いはそこまで拗れる事も揉める事もなかった。

 藍染の計画のほぼ全てを知る私と、予測的に動いている父達。

 この二つからしても、私の計画を有効的に利用するという判断が正しいと二人とも納得してくれた。

 つまりは、私のやりたい事にほぼ全て賛同してくれた形となったという事だ。

 私では見落としていた部分も、父の指摘で充分に補完できた。

 

「やる事が山のようじゃな」

「山のようにある事が有難いじゃないっスか。姫乃のお陰ですよ」

 

 とにかく、やる事と予定表を書き出そう。そうしようとした時、テッサイさんが一階へと上がってきた。

 

「お待たせ致しました。姫乃殿は地下へ。夜一殿と店長は此処でお待ちください」

 

 今後の方針もまだ未完ではあるが、一度小休止。私はまずテッサイさんの教えを受けることにした。

 テッサイさんの誘導に従って、地下へと降りる。

 

「姫乃殿にはまず、歴史の学びから継承させて頂きます」

「よろしくお願いします」

 

 そうして、まずはテッサイさんの授業が開始された。

 

「そもそも、鬼道とはなんだと学ばれてこられましたか?」

「自身の霊力を使用して発動させる呪術の類です。詠唱に合わせて、霊力を万物の構成に変化させる事で、様々な形状の威力を発揮します。霊体の構造では成し得ない事象を可能とする代わりに、非常に高度な熟練度を必要とします」

「非の無い正しい回答。では、何故鬼道という力が産み出されたかご存知でしょうか?」

 

 その質問には、あまりいい回答が見当たらなかった。死神の歴史の原点に立ち返る質問であり、尸魂界の何処にも文献は残っていないからだ。

 私は首を横に振る。すると、テッサイさんは木の棒を使い地面に絵を書きながら説明してくれた。

 

「これより先は口外禁止。よろしいですか?」

「はい」

「元々鬼道という力は、劣勢的因子。"斬魄刀を持てぬ死神"の力でございました。それが、我々の祖。たった一人の"斬魄刀を持たない代わりに鬼道という力を持つ死神"が産まれた事が始まりです」

「鬼道衆は刀での戦いに乏しいと今では言われる所以ですね」

「その通り。その祖の力を初めとして、数人の鬼道の才を持つ死神が現れました。斬魄刀側の英霊……四楓院家を初めとした四大貴族と対となる存在、元老院三傑」

 

 刀で戦えない代わりに生まれ持った特別な才能。それが鬼道の力。

 三傑と呼ばれる祖は、それぞれ破道・縛道・結界術に秀でており、その祖を中心として何千年の時をかけて今広く普及している呪術。

 そこまで話を聞いた時、私はひとつの矛盾に行き着いた。

 

「……流魂街産まれの死神も貴族産まれの死神も、今では等しく鬼道を使えます」

「そうです。変えたのです。選ばれた数少ない血筋の物しか使っていなかった鬼道を、霊力媒体として広く普及させました。それが、先程姫乃殿が仰った鬼道とは何たるかの回答に行き着きます」

「変えた……。それは……鬼道の力の根源にはまだ底があるということですか?」

「まさしく。姫乃殿には、今から鬼道衆としての原初の力をこじ開けて頂きます」

 

 そう言うとテッサイさんは、一度岩陰に姿を隠した。

 そして、帰ってきた時には手に持っていたもの。彼の背丈ほどある細長い針のような物。

 

「これは、私の力で練り上げた封」

 

 そう言ってテッサイさんは、その二本の針を……私の体に刺した。

 

「っ……」

 

 全身を襲う激痛。油断すれば意識を刈り取られる程。

 

「鎖結と魄睡を封じ込めさせて頂きました。これ以上の霊力の供給は不可。現在体内に残っている霊力のみでこの針を破壊して下さい」

 

 破壊しろと言われても、指一本動かすことが出来ない。目線を動かすくらいが精一杯であり、全身から冷や汗が出てきている。

 大体先程の話では、原初の力というものは、元老院三傑と遠くても血筋が繋がっていなければ成り立たない理論だ。

 

「私にっ……祖の力は……」

「引き継がれております。喜助殿の子であれば、間違いなく」

「……どういう……?」

「どの死神にも使えるよう、鬼道を霊力構成に造り変えて普及させた。……浦原家の祖が成し遂げた事であります。脈々と受け継がれた"鬼道衆三傑"の一角……浦原家の子孫、姫乃殿。どうか乗り越えて下さい」

「父は斬魄刀が使えるのでは!」

「昔、ご自身が開発された道具にて無理矢理手に入れた力ですぞ。喜助殿も無茶をなさる……」

 

 その言葉を聞いて、記憶の中のある一つの道具が頭をよぎった。

 "転神体"という特殊霊具。何かと不思議だった父の道具の原点が一つ解決された瞬間である。

 

 テッサイさんは私から少し距離を取ると、指を三本立てて見せた。

 

「三日。三日で成し遂げられなければ、貴女は死神としての力の全てを失います。ご武運を。"駄菓子屋"の娘殿よ」

 

 駄菓子屋の言葉の意味。それは、貴族にしか手に出来なかった菓子を、平民にも行き渡るよう"造り変えて"普及させた者の屋号。

 父の祖先が紛れもなく、鬼道の力を一介の死神にも普及させたという叡智の称号。

 

 かくして私は、鬼道衆総帥の継承の儀に挑むこととなった。






更新遅れてすみません。
具合悪いけどまあいいか、APEXしよう。と思って夜更かししてたら、急性胃腸炎でした。

浦原さんは間違いなく零番隊候補でしかない。


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第四十二話 新たな力と戦う少年

 

 

 微睡む景色と消えかけそうになっては戻る意識。

 時折誰かの気配を感じるけれど、声はほとんど聞こえない。

 代わりに聞こえるのは、自分の浅い呼吸音と心臓の音。

 

「——ッサイ。このままでは……——」

「あともうすこ……——」

 

 自分の腹に刺さっている二本の針をただずっと眺め続けた。

 いくらの時間が過ぎたかなんてものは分からない。

 散々に様々な方法は試したが、何一つ効果的だと思える結果は得られなかった。

 

 私はもう一度目を閉じて、深く深く思考する。

 テッサイさんは、何一つ手がかりがないままに私をこうしたわけではない。

 

 私が学んできた鬼道術は全て正しい。

 全て正しいが故に原点が間違っていると。

 

 恐らくは、この針の破壊を霊力で行おうとしている事が間違いだと。そこまではわかっている。

 鬼道衆としての原初の力。それは、霊力に依存したものではなく……血。

 

 どうやって手繰り寄せたらいい。

 

「……諦める訳には……いかないから……」

 

 そう小さく呟いて、再び目を開けた。

 

 

 

 ……それは、偶然か否か。

 隊首羽織の内側に縫い付けてある、布生地が目に止まった。

 それは、リボン。もう身につける年齢ではないからと外して、それ以来羽織の内側に縫い付けていた。

 赤と緑の不格好なその布を見て……こんな時なのに懐かしいなと思った。

 この件以来、確か白哉は創作物を創るという事にハマって、感性に難のある物を作り続けている。

 最近のあの人のお気に入りは……ワカメ大使とかなんとかだっけ。自分が緑色が好きだということに彼は気がついていないだろうな。

 

 なんて思った時、思考に一つの光明が見えた。

 

 このリボンの赤い布が霊力だとしたら、原初の血は別の物。色までは不明だが、全く違うものを……縫い合わせる。

 純血ではない私が力を遣う為には、二つのものを一つに合わせなければならない。

 

「……縛道の——……」

 

 僅かに残っている自分の霊力を遣って、私は自身の霊力を可視化させた。

 私の周りに漂う赤い糸。これは、死神の力を表す霊絡と呼ばれるもの。

 

 そして……見つけなければ。

 私の血に刻まれた尸魂界の歴史の糸を……。

 

 探して、探して、探して……。

 

 

 それは、深い深い暗い海の中に落ちたような感覚。

 

 私の心臓の付近からほんの僅かに見えた色の違う霊絡。

 ……あ、本当に緑だった。なんて一瞬思ったが、それをそっと掴む。

 

 テッサイさんにやれと言われたのは、破壊。

 けれどそれは、文面だけを読み取るのではなかった。

 学問を正しく学んで、正しく鍛錬すれば鬼道を間違えることは無い事と同じ。

 言葉を正しく聞き取れば、正しい正解にたどり着く。

 

 だけど、原点が違うのであれば。

 それが正しいと造り変えなければならなかったのであれば。

 

 

 私は赤い霊絡と緑の霊絡の二つを掴んで、結び合わせた。

 

 

「……もう一度……繋ぐ……」

 

 これが正当方向じゃなかったとしても、造り変えた物が決して悪いものでは無い。

 それは、父の……私の祖先がそうしたと立証されている事実。

 そして、私自身の信じている考えの一つ。

 

 偶然か否か。

 自分が持っている考えと歴史は形を変えて重なっていた。

 やる事なす事考える事、家族は……そばにいなくても似るものらしい。

 

 

 

 二つの糸が絡まりあう。

 

 

 

 …………パリン……

 

 

 硝子が砕けたような音が聞こえて、私の体から一気に力が抜けた。

 自分の力で支える事が出来ずに、迫る地面を見つめている。すると誰かに体を抱きとめられた。

 

「お疲れ様っス。姫乃」

「……え?」

「お見事でございました。姫乃殿」

 

 目線を上げると、私の体を支えたのは父。

 そして、隣に立つテッサイさんは満足気に首を縦に上下させている。

 

 自分の腹を見れば、刺さっていた針は消えていた。

 元々攻撃するものではなかったのだろう。死覇装の破けはあれど、傷はない。痛みも既に消えていた。

 

「あと三分で三日を超える所でしたぞ」

 

 その言葉を聞いて、本当にギリギリだったんだと知った。

 体感として、そこまでの時間が経っていたなんて気が付かなかった。

 

「……とりあえず……風呂に入りたいです」

「はい、ちゃんと沸かしてあるっスよ」

 

 回りきらない思考の中、一番最初に出た欲求。

 それは、この全身にまとわりつく自分の汗を洗い流したいという事だった。

 

 

 

 ………………

 …………

 ……

 ……

 

 

 清潔さを取り戻し、腹を満たし、気を失うように睡眠を取った。

 そうして不足していた全てが満たされ、ようやくいつもの調子を取り戻した。

 

「あんまり何かが変わったようには思いません」

「そうですとも。自らの血脈を日々感じながら生きている者はおりませんから」

 

 定番だが、手を開いたり握ったりしてみても、何も変化はない。

 

「霊圧知覚をやってみてください」

 

 テッサイさんにそう言われて、私はいつもより少し押えて周囲の状況を探る。

 

 

「……え?」

「それが、鬼道衆としての原点にして最高点の力ですぞ」

 

 普段より抑えたはずだった。

 しかし、普段と同じ……いや、それを超える範囲の知覚が可能。

 数日前、現世に降り立った時には探れなかった人物達の気配すら捉えられる。

 

 死神の力を殆ど無くした筈の志波隊長とルキア。その二人の僅かな霊力と、魂動。

 

「大気中の僅かな空間変動まで……。凄い……」

「儂からすれば、これを普段から平然としておる喜助が底知れぬがの」

 

 そういえば父は、誰も気が付かない大気中の変化や人探しがやけに得意だった記憶。

 これは……紛れもなく、死神としての最高峰の力であることに間違いがない。

 

 周囲の状況を探り続けていると、ひとつの事に気がついた。そして顔を上げる。

 

「気がついたっスか?」

「グランドフィッシャーが……」

「どうやら黒崎サンと交戦中みたいっスね。数日前からこの辺をウロウロしてることには気がついてたんですけど……。ぶつかり合うなんて、これも運命っスかねぇ」

 

 グランドフィッシャー。長い間、私達の警戒の包囲網から逃れ続けた高ランクの虚。

 恐らくは中級大虚に分類されるのではないかと推測されてきたが、その姿を捉えたものはほとんど居ない。

 父は気がついていて、私はこの力を手にするまで気がつけなかった。

 現世に住まう死神達と、私達尸魂界組の力の差は明確的であるという事実。

 

 現世に来たことは間違いではなかったと再確認させられると共に、私は腰を上げる。

 

「行くんスか?」

「志波隊長に用があるので」

「ついでに打ち漏らしの後片付けもお願いします♡」

 

 ニコニコとした笑顔の父に見送られて、私は浦原商店を出た。

 

 

 

 

*****

 

 

 空座町の外れにある山。

 私は一護の戦闘の様子を探った後、まずは小さな小屋の前に降り立つ。

 

「誰だ? お前?」

 

 私に話しかけてきたのは、一護の姿をした別の者。……確か……改造魂魄。名前までは残念ながら覚えていない。

 今は名前は重要ではないので、特に気にすることなく私は小屋の中を見つめる。

 

「おい、無視すんなよ! ねぇさんの友達か?」

 

 そんな声を聞き流していると、中から一人の人物が出てきた。

 

「おーい。交代してくれや。父ちゃんは便所を所望する!!」

「ん、え、ああ……。わ、わかった!」

 

 私の存在を伝えようとした改造魂魄は、その意志を思いとどまって一護になりきる。

 そして、戸惑いながらも小屋の中へと姿を消した。

 

 外で二人きりになった私と志波隊長。

 私の存在には気がついただろうが、声や姿は通じるのだろうか。

 そう思案していると、先に志波隊長の方が口を開いた。

 

「場所、変えるぜ」

 

 そう言って歩き出した志波隊長。

 その背中をついて行き、小屋からほんの数十メートル離れた所で志波隊長の足が止まった。

 

「おめぇの姿を見るのは……何十年ぶりだろうなぁ。随分とまあ、デカくなったもんだ」

「お久しぶりです。志波隊長」

「やめてくれや。俺はもう志波でもなければ隊長でもねぇよ」

「……では、一心さん。今は昔話をしている暇は……」

「わーってる。行ってこいよ、あの虚の所に」

 

 その返事に、私は数回瞬きをした。

 確かグランドフィッシャーは、一心さんの妻を殺した原因の一端だったはず。

 もし彼が望めば、戦えずとも現場の目の前までは連れていこうと思っていた。

 

「どうせ、変な気遣いしてんだろ。海燕から聞いてるぜ。お前は気遣いなんて向かねぇタチだってよ」

「結構失礼ですね。これでも色々考えて動いてるんですよ」

「だからだろ。自分の信念や、やりたい事の為に真っ直ぐ走れ。お前らの家系はそんな奴ばっかだ。その道端で拾った程度の気遣いなんてもんでよそ見すんじゃねぇよ」

「……お心遣い感謝します」

「おう、これが気遣いだ。覚えとけ!」

 

 そう言って笑う一心さん。

 本来もっと若い人だったはず。霊力を失い人間として生活する間に、死神では有り得ない速度で老けてしまった。

 何故今霊力が戻ってきているのか。

 それはきっと……奥さんとの契約が切れたからだろう。

 悲運の結果が彼に残したのは、戦う力。

 

「つーか、元々アイツなんか仇でも何でもねぇ。誰が倒そうが変わらねぇよ。まあ、欲を言うなら……倒すのがお前で良かったってくらいだな」

 

 その言葉に、一度頭を下げて感謝の意を示す。そして、志波隊長に伝えるべき本題へと入った。

 

「あの……一護の事ですが」

「ほらな。本題はそっちだろ?」

「……すみません」

「謝ることでもねぇよ。それも好きにしろ。お前さんが修行してる三日の間に、浦原から大体は聞いた。むしろ、頼んだぜ? 俺の馬鹿息子の事をよ」

 

 ……お人好し。という言葉はこの一家の為にあるのかもしれない。

 私が伝えたい事や、未来を変えてしまう事で起こりうる不確定要素を謝らねばいけないのに、この人は何一つ気にも止めていない。

 

 話は終わりだと言いたげに、一心さんは話題を変えた。

 

「父ちゃんに会えてよかったなぁ、姫乃」

「はい」

「背中、デカかったろ? 親父の背中はデケェんだぜ?」

「はい、とても」

「……一つ、俺からエールを送ってやるよ。親と子は背中を合わせて護り合うもんだ。けど、弟子は師匠の背中を超えていくもんだぜ」

「……勝ちます。藍染に」

「浦原には、お前の過去を一つも言ってねぇ」

「……お心遣い、感謝します」

「おう、これが気遣いだ。覚えとけ! んで、そろそろ行かねぇとウチの馬鹿息子がヤバそうだぜ」

 

 一心さんが、親指を立てながら手を後ろに向ける。長々と話してしまったので、もう向こうの戦闘は終盤だ。

 ただ、私としてもまだ一護の前に素顔で立つつもりもなかった。

 一心さんに再度頭を下げて、私は空へと駆け上がる。

 

「暇がありゃ、藍染に礼の一つでも言っといてくれ!」

「え?」

「護るもん、三つもくれてありがとな! ってな!!」

 

 一心さんの言葉に少し口角を上げて、私は彼に向かって片手を向けた。

 

「ん?」

「でも、これは貴方に会ったらやるって決めてた事なので」

 

 私がパチンと指を鳴らすと、一心さんの首が後方に傾く。現世で言う、デコピンというやつだ。

 

「いってええええ!!!」

「差し引いても、志波家の事は許し難いですよ」

「悪かった!!! おら、とっとと行きやがれ!!」

 

 額を抑えながら涙目で大声を上げる一心さん。その言葉を背に、私は山頂へと向かった。

 

 

 

 

 山頂付近の木の影で、私は一護とグランドフィッシャーの最後の結末を見届ける。

 

 

「終わりだ、フィッシャー! そして敬意を表しよう! 

 テメーは俺が出会った中で一番年食ってて、一番汚くて、そして一番カンに障る虚だったぜ」

 

 一護の一閃がグランドフィッシャーの体を切り裂いた。

 だが、甘い。浅すぎる。

 

「!! 後ろだ!! 一護!」

 

 

 グランドフィッシャーの反撃が一護に襲いかかるが、間には入らなかった。

 いま手を出せば、一護の誇りに傷が付く。

 ルキアの堪えた思いが無駄になる。

 

 戦況に不利を察したグランドフィッシャーが逃避の態勢へと変わった。

 

『たとえ斬れたとしても、その体ではわしを追う事などできん!』

「もう良い! よせ! おまえも……奴も、もう戦えぬ! ……戦いは……終わったのだっ……!」

「あいつはまだ死んでねぇ……! 俺はまだ、戦えるっ……!!」

 

 その言葉を最後に、一護の体が揺らいだのを確認し、私はグランドフィッシャーを追った。

 

 

 

『ひー……なんと面倒な小僧じゃ。力を一つも使わずに遊ぼうとしたが……慢心じゃのお』

「そして、目の前の死神にも気がつけない程愚かということも付け加えた方がいい」

『な……なんじゃ……貴様は……』

 

 本来、グランドフィッシャーに対して、一護は触れることすら出来ない力の差がある。万全の状態であるルキアでも、傷一つ付けられないだろう。

 こいつの油断と慢心が、危機的状況を突破したに過ぎない。

 

「長らく仲間を喰らい続けてきたお前に、挨拶をしにきた」

『喰らわれに来たの間違いかのう』

 

 ニタニタと笑い続けるグランドフィッシャーに向けて、私は片手を翳す。

 人差し指を向けて、狙いを定めた。

 

 私が過度に攻撃を繰り出して、尸魂界側に戦闘をしていると感知されるのは嫌。

 だから、刀は使わずに低級鬼道で処理したい。

 

 ……どうしてだろうか。全く負ける気がしない。

 私はきっと未来永劫、虚相手に苦戦などしないのだろう。

 

 

『その指一つで何が出来るというのじゃ! 刀すら抜かぬ死神とは笑止!』

「……その慢心。先の戦いで何も学習していないな、お前は」

『なんじゃと……』

「指一つで充分だってこと。さようなら、グランドフィッシャー。

__破道の四 白雷」

『ガアアアアッ!!』

 

 今まで遣っていた白雷より明らかに早く、強い閃光。

 それが、グランドフィッシャーの頭を一撃で撃ち抜いた。自分ですら、今しがた出た鬼道の威力に驚きを覚える。

 

 塵となって消えていくグランドフィッシャーを確認した後、私は一護とルキアの元へと戻った。

 

 現場では既に、ルキアが一護の治療を開始している。

 

「一護……大丈夫だ、必ず治してやるっ……」

 

 気を失った一護に必死で治療を施しているルキアの側に立つ。

 ルキアは私が現れたことに安堵の表情を浮かべた。

 

「如月殿っ……」

「代わって。私が治療する」

 

 私の回道のほうが優れている。

 そう判断できない訳じゃないルキアは、迷いなく私に一護を託してきた。

 

「……よく、耐えたね。ルキア」

「私は……一護の誇りを護れたのでしょうか……」

 

 戦いに手を出さなかったこと。それがどれほど身を焼くのか、この子が一番知っている。

 手の届く距離で仲間が傷つくのを、待つしかない痛みを。

 

「護れているよ。この子はもっと、強くなれる。その傍に、ルキアがいてあげてほしい」

「はいっ……」

「グランドフィッシャーはもう死んだ。だけど、一護にそのことは言わなくていい」

 

 何故なのか、聞かずともルキアは理解して頷いてくれた。

 私は、一護の傷がすべて治ったのを確認すると、彼が目覚めぬうちにその場を離れた。

 

 結局一心さんに伝えたい事の殆どは、彼のお人好しさで伝える前に片付いてしまった。

 ……私が一護の物語を計画の為に傍観した事。

 謝らなくてはいけなかったのに、謝らせて貰えなかった。

 そんな必要は何処にもないと。

 

 現世でやらなくてはいけないことはまだまだ多い。

 私は一度尸魂界に帰還した後、更なる計画を進めることにした。

 現世に住まう現行の護廷十三隊よりも強い存在との力比べ……。仮面の軍勢との接触を図る準備を進めるのだ。



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第四十三話 禁書の間

 

 

 グランドフィッシャー戦から一週間後。

 私は業務をこなす為に一度尸魂界へと帰還していた。

 

「大鬼道長。空座町は如何ですかの」

「問題ない」

「問題があるから行かれていたのでしょう」

「問題ない」

「……承知」

 

 はあ、っとため息をつく勒玄をよそ目に私は一度仕事を切り上げる。

 そして、様々な鍵を保管してある戸を開いた。

 

「書物庫に行ってくる」

 

 戸棚の一番奥の鍵を手に取る様子をみていた勒玄が目を細める。

 

「……それは、禁書の鍵ですぞ」

「知ってる」

「何用ですか」

「書物を読む以外の用はないでしょう」

 

 私がそう返すと、眉間のシワが更に深くなる勒玄。

 当たり前だ。この場所はもう二度と誰も立ち入ることのない場所だとされていたから。

 

「……如何様にして権限を手に入れられましたか」

「開けるなと言われれば言われるほど開けたくなる。私の研究を舐めないで欲しいね」

 

 自力で見つけたと言わんばかしの大嘘をついたが、勒玄はそれ以上詰めてくることもなかった。

 直ぐに向かおうとしたが、一度その足を止めた。彼がお茶を入れている姿を見たからだ。

 割と勒玄の入れるお茶がお気に入りだったりする。

 

「大鬼道長。来月の上旬、私は議会参加の為……」

「うん。非番取っていいよ」

「しかし、同時に五席も同じ日を希望しておりまして」

「子が産まれるんだろう? 別にいいよ。私がいるから。ああ、それと四席の部隊の子が今月末誕生日だったでしょう。非番って伝えておいて」

「月末は人手が毎回不足しております」

「その分私がやるからいい。気重に感じるだろうから伝えなくていいけど」

「……そろそろ誤魔化すのも難しくなってきましたぞ」

 

 その言葉に、今度は私の方がため息をつく番だ。

 勒玄は、この手の話は私が最も面倒くさがる話と知っていて振ってきている。

 毎回同じ答えしか返さないのに、何故何度も聞いてくるのか理解に苦しむ。

 

「だから、私は休みなんていらないから」

「私は欠片も心配などしておりません。しかし、下の者が騒いでおるのです」

 

 何の話かと言うと、私の非番問題。

 別に休みたいと思ったことはないのに、皆私が過労で死ぬのではないかと心配している。

 

 たまに、非番と偽って自室や研究室で隠れて業務をこなす。

 最近ではそれもバレてきているらしい。

 

 勒玄が出してくれた茶菓子をつまみながら、私は書類に適当に斜線をいれる。

 

「はい。来月の私の非……」

 

 そこまでいいかけて、私は書類を訂正した。

 

「三十年分の非番、何日溜まってるっけ?」

「丸々二年分でございます」

「じゃあ……来月7月22日から8月10日まで休む」

 

 その言葉に、勒玄はギョッとした顔をした。

 当たり前だ。休むと言わなかった私が休みが欲しいと願い出たのだから。

 しかもいきなりの長期間。

 

「……承知」

 

 勒玄は何か言いたげな顔をしていたが、結局何も言わずに書類を受け取る。

 どうせまた居るのだろうと思っているのかもしれない。

 

「あと用は?」

「そろそろ研究室の片付けをなさってください。埃臭くて敵いません。最後に片付けられたのはもう五年前でしょう」

「……え?」

「二度も同じことを言わねばならぬほど、耳が遠くなられましたかの?」

「何で研究室の事知ってるの?」

「何故知らぬと思っておりましたか?」

 

 互いに見合って、数秒の沈黙。

 この爺は、いつも何故私の身辺事情をいつの間に把握しているのか……末も無いのに末恐ろしい爺だ。

 

 少し考えてから、私は開き直ることにした。

 

「じゃあ、掃除よろしく」

「……はい?」

「え? 業務命令。片付け。よろしく」

「……何処ぞの暴君でございますか」

「鬼道衆原初三傑の姫君でーす」

「また余計な知恵をっ!」

 

 べぇっと勒玄に向け舌を出して挑発してから、私は部屋を出た。

 

 彼の怒りの霊圧をヒシヒシと背中に感じつつ、私は目的の場所へと向かう。

 

 

 *

 

 

 書物庫へと着いた時、突然現れた私に隊士達が慌てふためきだした。

 

「お、おはようございます!!」

「もう昼だけど?」

「ご機嫌麗しゅう! 大鬼道長!」

「……その言葉、流行ってるの?」

 

 ルキアも同じような言葉を使っていたなと頭の片隅で考えつつ、ふと隊士の持っている本に目が止まった。

 

「ああ、その本役に立たないよ。そっちの五段目、右から六十三番目の本に変えた方がいい」

「へ、あ、えっと……」

「四十番台の鬼道についてじゃないの? 貴方、そこでつまづいていたでしょ」

「そ、そうです……」

「分かったらさっさと動いて」

「は、はい!!」

 

 駆け足で私の指示した場所に向かう隊士。

 

「図書館で走るな」

「はい!! 申し訳ございません!!」

 

 声が泣きそうな声になってしまっているが、構ってる暇もない。

 私は席官以下の立ち入りを禁じられた通路へと歩き、扉を潜り続ける。

 

 副鬼道長以下の立ち入り禁止の間を超えて、書物庫最深部。

 明かり一つないこの通路の先が、禁書の間だ。

 

「赤火砲」

 

 私は通路の壁に付いている行灯に火を灯してから、目の前で沈黙するように閉じた扉を見つめた。

 そして、そっと手を伸ばす。

 

 _バチンっ!! 

 

「っ……」

 

 案の定、取っ手に手をかけるかかけないかの直前で私の手は弾かれた。

 扉自体は、大したことの無い木の扉だ。

 しかし、ここにかけてある結界術が長らく問題だった。

 相当な技術で練り上げられたこの結界は、どんな霊質も弾く。

 下手に未熟な者が触れば、その命すらを奪いかねない危険な結界だ。

 

 私は、テッサイさんに教わったとおりに……懐から小刀を取り出した。

 そして小刀を掌に当てる。

 

「やっと開けられる……」

 

 ピリッとした痛みを感じた後、掌に滲む自分の血。

 その上に鍵を置いて握りしめる。そして、その鍵に霊力を込めた。

 

 テッサイさんとの修行で手に入れた力。

 この自分の血と、鬼道衆としての本来の霊脈こそが結界を解く鍵だったんだ。

 そりゃあ、何百年研究してもたどり着けない答えだろう。

 その霊脈を手に入れる方法は、握菱テッサイ本人が現世へと隠していたのだから。

 

 鍵は僅かに赤く輝き、その後に黒ずんだ色へと変わった。

 

 そして、その鍵を持ったまま私は再度扉に手を近づける。

 

 今度は、弾かれなかった。

 

 鍵を回すと、カチャリと小さな音が聞こえて、ついに開いた扉。

 

「埃臭っ…」

 

 入った瞬間から思わずせき込んでしまうほどの古びた空間。私の研究室なんかより、ずっと埃臭いしカビ臭い。

 その空間の中心に一冊の書が保管されていた。

 それ以外は何もない。

 

 ただ、この空間に居るだけで息が上がる。

 それほど、侵入者の精神を削り取る重い空間だ。

 

 台座の上に置かれた本。

 ……鬼道衆がここまでして隠し続けた禁術。

 "時間停止"と"空間転移"。

 その二つの概要を読むために、私は本をめくった。

 

「……嘘だ」

 

 そこに書かれていたのは、私があの夢だけでは到底手に入れられなかったであろう真実。

 刻む時の流れも忘れて、私は書物を読み続けた。

 

 

 ………………

 …………

 ……

 …

 

 

 そうして読み終えて、無事書物庫を出た。

 

「はー、疲れ……何してるの? 勒玄」

「片付け、にございます」

 

 廊下を歩いていて、たまたま通った道は私の研究室へと繋がる地下への入口。

 割烹着姿で口に布あてを付けて、はたきを持つ勒玄。

 通路の入口は、機材で山積み状態。

 

 そういえば、片付けを頼んだなと。自分で言いつけたことを思い出した。

 

「え、この配線抜いちゃったの?」

「文句があられるのであれば、ご自身でやられてください」

「……ナイデス」

 

 まあ後でどうにでもなるかと思い、疲れで催した欠伸を噛み殺す。

 勒玄は、特段アレは何だとかコレは何だとかと問い詰めて来ないから任せやすい。

 立ちっぱなしで本を読んでいたため、固まった背筋を解していると、鬼道衆の門に訪問者が来たことを感知した。

 

「迎えに行ってくる」

「はい? どなたを?」

「浮竹隊長が来た」

「……よくもまあ、平素時の霊圧を感知されますの」

「数少ない特技。じゃあ、よろしく」

「承知。捨てて良いものは?」

「書物以外で、十年触ってなさそうな雰囲気が出ているもの」

「……なんとまあ、暴君極まりない」

 

 勒玄の小言を受け流しながら、私は門の方へと踵を返した。

 

 

 

 

 

「如月! 久しぶりだな」

「浮竹隊長。こんな遠くまで御足労ありがとうございます」

「なに、たまには運動しないと。元気にやってるか?」

「ええ。問題ありません。隊首室に案内します」

「いや、立ち寄っただけだからな。此処で大丈夫だ」

 

 

 長居は出来ないのだろう。それならばと、私は近くにあった腰掛けへと浮竹隊長を案内した。

 浮竹隊長が訪れた要件はたった一つ。ルキアの事だろう。

 

 私が鬼道衆総帥の名を継いでから、護廷十三隊の隊長に会う事なんて片手で数える程度。

 浮竹隊長は伏せている事も多く、滅多に任務に出ない。

 だから……ルキアに会うより数少ない面会だ。

 

 座ると同時に、私は自分から話を切り出す。

 

「すみません。ルキアの霊圧捕捉はまだ……」

「焦らなくていいさ。きっと何か事情があるんだろう」

 

 浮竹隊長の心配げな表情を見て、申し訳ない気持ちになった。

 ……また、私は自分の目的のために真実を隠している。

 伝えないという選択肢を自分で取っている。

 

「朽木に何かあった時の責任の全面を背負うと進言しているのだがな。なかなか通らなくて」

「私が担当させてもらっていますので。私が全てを負います」

「如月が負う必要は何処にもない」

「……いえ、全ての責任は私が」

 

 自分でこうすると決めたのだから、すべての責任は私が負う。

 それが、道を選ぶということの責任。

 その為に今日までを歩んできた。

 

 久々に会った浮竹隊長は、少し痩せたように見えて……具合は百年前より少しまた悪くなったように感じた。

 

「そうか。ならば、如月が背負おうとしているものを半分分けてはくれないか?」

「困りましたね。それは難しい相談です」

「じゃあ、たまには振り返って欲しい。横や後ろを。如月が如月らしく歩んできた道には、必ず仲間がいてくれると言うことを」

「……それも難しい相談ですね。私の歩く道は茨ですので。誰にも傷ついて欲しくありません」

 

 私がそう言うと、浮竹隊長はクスリと笑った。

 

「では、俺達がその茨の花になろうか」

「相変わらず……優しいですね」

「如月の優しさには敵わんさ。みんな知っているよ」

「どうでしょうか。皆様が思う如月姫乃という……」

 

 そこまで言いかけて、私は言葉を止めた。

 今しがた言いかけた言葉に悪寒を感じたからだ。

 

 ……今私は、何を言おうとした? 

 

 皆が思う如月姫乃という人物など……何処にも存在しない。と……

 

 夢で見た、師と同じ言葉を刻もうとしていた自分に恐ろしさを覚えた。

 

『僕の傍でしか息が出来ないことに、いずれ気がつく』

 

 道を分かつと決めたその日に言われた言葉が、脳内に張り付いたような気分。

 

「如月」

 

 浮竹隊長に呼ばれて、ハッと顔を上げる。

 

「知っているさ。如月は、臆病なのに実は気が強い。負けず嫌いで、好奇心旺盛。完璧主義に見えるが、それは誰かの為に動く事を常に選ぶ為に……そんな子だ。そして、思った以上に我儘だな」

「……自分ではあまり分かりません」

「俺達が知っていればそれでいい。なんたって、こんな小さい時から見てきたんだからな」

 

 浮竹隊長は、そう言って笑う。おどけたように腰掛けより少し高いくらいの位置に手をかざして、私が小さかったということを主張した。

 

 その笑顔に返すように、私も微笑んだ。

 

「……大切なものがいくつもあって。どれかを選ぶのであればどれかを絶対に捨てなければならない時……浮竹隊長ならどうしますか?」

「絶対に後悔しない道を選ぶ。後悔しないとは……そうだなぁ……。一人でも多くの人が笑える道だな」

「私もそう思います」

 

 浮竹隊長は時計を確認して、慌てたように立ち上がった。もう時間を押しているのだろう。

 見送るために私も立ち上がる。

 

 半歩下がって門の前まで見送りのために歩いていた時、浮竹隊長が突然振り返った。

 

「俺を頼ってくれて、ありがとう。如月」

「え?」

「その期待に俺も答えねばな! じゃあ、朽木の件は頼んだぞ」

 

 そう言って浮竹隊長は鬼道衆隊舎を立ち去った。

 離れていく背中は、私が見送るには……少し眩しすぎる。

 

「大鬼道長」

「うわっ、いつから……」

「臆病なのに気が強い。という所からでございます」

 

 呆然と立っていると、いつの間にか背後に来ていた勒玄。

 私に気が付かれずに背中を取るとは……この爺はまた腕をあげたな、なんて思う。

 そして、報告に正しければ……私の弱音を聞かれたことに悔しさを覚えつつ、隊舎内への道を歩む。

 

「浮竹の見聞はお見事」

「浮竹隊長と呼べ」

「なにぶん、彼奴が童の時から見ております故」

「口うるさい爺ほど息が長いという説は本当らしいな」

 

 実に刺々しい会話を二人でしながら廊下を歩めば、庭先に山のように出されている古い機材が目に止まった。

 

「ええ、これ捨てちゃ駄目!」

 

 その山から見えたまだ使う部品に駆け寄って、回収する。

 

「……貴女のお言葉通りにしたまででございます」

「明日から全部の機材を覚えてもらう! お前を今日から、鬼道衆裏技術開発局の副局長に任命する」

「なんとまあ……暴君極まりない……」

 

 せっかく勒玄が片付けてくれたはいいものの、まだ使えるものや研究途中の研究体まで捨てられそうになっていた。だから結局二人でまた、地下室へと物を運び直す作業に時間を食われるのであった。

 

 目的の日が動き出すまで……あと一月と少し。

 ルキア捜索という大名目を背負って、私はまた現世へと向かった。



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第四十四話 大激突。仮面の軍勢

 

 

 それは現世にて、父に実践の訓練相手になってもらっていたある日の事。

 

「散れ千本……え!」

「危ないっ! 避けて!」

「っ……破道の五十八 闐嵐!」

 

 紅姫から飛んできた斬撃を迎え撃とうとした私。しかし、唱えた解号に名無之権兵衛が応じなかった。

 慌てて鬼道で竜巻を起こして、紅姫の技の一つである剃刀紅姫の進路を変えのだ。

 

 紙一重で頬ギリギリを通り過ぎた斬撃を横目で見て、ほっと一息つく。

 

「大丈夫っスか? 怪我は?」

「かすり傷です」

「テッサイを呼んで手当しましょう!」

「大丈夫ですって」

 

 戦ってる間、父は本気で殺すつもりで向かってきてたというのに……この見事な慌てよう。

 戦いの場においては、一切の手加減も迷いもないからこそ、修行相手としては適任だ。

 

「ごめんなさい。鬼道を一切使わないという条件での戦いだったのに……」

「大丈夫っス。けど、ああなった時に、常に退避できる場所は確保しないと駄目ですよ。それと姫乃は、最後の最後でやっぱり鬼道に頼るのが悪い癖っスねぇ……」

「……昔からそう言われ続けてきました」

 

 ド正論の指摘にガクッと肩を落として、頬の傷を手当する。

 父は私と比べて、鬼道を除く斬拳走の全てが異次元の強さだ。

 鬼道は……こんな狭い地下で力比べなど出来ないが、"五龍転滅の詠唱破棄ってかっこいいっスよね。使いどころがないのが残念"とボヤいていた。

 ……自信がへし折られるとはこのことかもしれない。

 

 

「そう落ち込まないで下さい。多分護廷十三隊の隊長達じゃ姫乃に敵わないっスよ」

「そこを目指している訳では無いので……」

「けど不思議っスねぇ。別に剣術が下手なわけじゃないのに……」

「どの基準で話してます?」

「最上級大虚の破面をお菓子食べながら倒すくらいの基準っスかね」

 

 その言葉に、またガクッと肩を落とした。

 この程度では、藍染さんに勝つどころか時間稼ぎにもならなさそうだ。

 機嫌が悪い名無之権兵衛を撫でながら、私達は一度休憩を挟むことにした。

 

「心当たりはあるんです。なんと言い表したらいいか……神経や細胞の全てが戦いに飲まれるような感覚があります」

「極限の集中状態っスね。現世の言葉では、"ゾーン"なんて言ったりしますけど」

「もう随分と長い期間そんな状態になったことは無いです。名無之権兵衛も不機嫌ですし……」

 

 やらなければならない事と同時進行で溢れかえる問題事にため息をつく。

 父は少し考えたような表情をして、ポンッと手を叩いた。

 

「まず、名無之権兵衛と対話ですね」

「それが……全く応じなくなってしまっていて」

「原因の心当たりは?」

「……紅姫と戦っているからだと思います」

 

 以前名無之権兵衛に言われた、紅姫に会いにいけとの言葉。

 その言葉通りにしているというのに、実際今は沈黙してしまっている。

 

「んー……そうなったらまずは……。紅姫ー、出てきて下さい」

 

 父がそう刀に問うた。

 こっちが沈黙しているのであれば、紅姫側から出てきてもらうのが一番手っ取り早い。

 卍解が出来ない私と違って具象化が可能な父は、早速その手段を試した。

 

 ……が。

 

「あれ? おかしいっスねぇ……」

 

 なんということか、父の紅姫までもが沈黙を主張してきたのだ。

 刀と向き合ったり、振ってみたり。色々な動きを父は見せたが、結局紅姫が具象化することは無かった。

 

「アタシ、精神世界に入るのはかなり手間なんですよね。ほら、変な方法でこの子を手に入れましたし」

「んー……厄介ですね……。私も、時間をかければ精神世界には入れますが素直に話をしてくれるかどうか……」

「ま、出てこないならこちら側から解析かけるので大丈夫っスよ。それと、名無之権兵衛の方は……」

「この状態だとお手上げです」

「となると、残る道は転神体ですね」

「失敗したら二度とその道が閉ざされるとなれば……使うのを躊躇います。目的が対話である以上、リスクが大きすぎます」

 

 現状の問題は、紅姫と相対している時のみの現象。

 どうしようかと悩んでいれば、父がまた先に提案を出してくれた。

 

「じゃあ、どっちも一度で解決しちゃいましょうか」

「はい?」

「姫乃が戦いの狂気に身を置けていないのは、その必要が今までなかったからっス。つまり、強すぎたが故に、今まで本気で死にかけるような状況が存在しなかった」

「確かに、死と極限状態は紙一重ですからね」

「後は、あまりにも冷静過ぎるのが欠点っスね。なら、別の方法で一旦殺されかけましょ」

「……はい?」

 

 パッと扇子を開いてニコニコと笑う父。

 

「姫乃に明確に足りない物がなんなのか分かりました。この案を採用して一石二鳥どころか、一石三鳥っス♡」

 

 

 そうして、父に住所が書かれた紙を手渡された私は、浦原商店を出た。

 

 ……なんとなく分かるが、これも父の計算上の道筋なのではないだろうか。

 やる手この手が、手に取るように分かる。

 それに便乗するのが最も効率がいいと分かっていて、こうして目的地にむかっているのだけれど。

 

 

 

 ******

 

 

 

 空座町の街を歩きながら、目的地に到着。

 廃墟ビルや倉庫が立ち並ぶ一角にそれはあった。

 

 多分、人間……いや、どの死神の目から見てもこの場所には何も無いと思うだろう。

 ただのコンクリート敷地が広がるその場所。

 

 顔を隠している布当てがズレていないか一度確認してから、私はその場にある"結界"に手を伸ばした。

 

「な……何この結界……」

 

 今までほぼ全ての結界術は習得してきた。それでも、どの知識を漁っても出てこない複雑な結界術。

 ……これが、有昭田鉢玄の力。

 

 私は初めて出会う知識に好奇心がくすぐられて、自分の口角が少し上がっていることに気がついた。

 

「お邪魔します」

 

 そう言って、指先に霊力を込める。

 細かく複雑に編まれた結界の隙間を縫うように霊力を通していく。

 

 

 __パリン……

 

 硝子が割れたような音がして、目の前に大きな倉庫が現れた。

 

 途端に中から感じるのは殺気。

 

「……ああ、緊張する」

 

 どうして私は昔から初対面の人に対して極度に緊張してしまうのか。

 人見知りが治りそうな気配が百年たってもこない。

 

 倉庫の一階部分には案の定誰もおらず、気配は地下から感じる。

 現世に住まう死神組は、地下を拠点としている事が多いのだろう。

 

 迎えも特段ないため、私はそのまま足を進めた。

 

 そして、倉庫の地下に足を踏み入れた瞬間……

 私は腰から刀を鞘ごと抜いた。

 

 

 空間に響き渡ったのは、真剣と鞘がぶつかり合う歪な音。

 私の喉元に当てられている刃を、鞘で受け止めている状況だ。

 

「……誰や、お前」

「……死神です」

「そんなこと聞いとんちゃうねん」

 

 ここに来る前に父に言われたことは二つ。

 素性を直ぐに明かさない事。

 そして、なるべく本気の殺し合いが出来るように挑発してみる事。

 

 具体的な方法は言われなかった為、ここから先は私が考える必要がある。

 

「他人の家に勝手に入ったらあかんって、真央霊術院で教わってこーへんかったんか」

 

 私に刃を向けているのは、元五番隊隊長の平子真子。

 元々、仮面の軍勢への要件は二つ。

 一つは、虚化による戦闘を行ってもらうこと。

 もう一つは、有昭田鉢玄が持ち去った結界術……"転送"の習得の為。

 

 今しがた地下でパッと目に入るのは、四人ほど。

 記憶が正しければ、平子真子・有昭田鉢玄・矢胴丸リサ・愛川羅武。

 平子さん以外の三人は、手を出すつもりがないらしく遠巻きに私の事を見ている状態だ。

 

 出来ればこの場にいる全員を相手取って戦いたい。

 

 私はふぅっと軽く息を吐いて平子さんを見上げた。

 

「仲間に見えますか?」

「見えへんからこうなってるんやろ」

「そうですね」

 

 私はそういうと、軽く後ろに跳ねて平子さんに横蹴りを入れた。

 

 ダンっと鈍い音がして、彼は数メートル左後ろへと飛ぶ。

 確実に当てられたわけではない。私の蹴りが当たると同時に身を引いて、衝撃を和らげられた。

 

 そしてそれと同時に刀を抜く。

 

「 啼き叫べ 名無之権兵衛 」

「なんや? 浅打に名前でもつけとんけ」

「おいおい、真子。やけにハデに飛ばされたじゃねぇか」

「やかまし、ラブ」

 

 だるそうに会話をしている平子さんを見つめて、私は切っ先を向ける。

 

「なんや。そんな距離から……」

「 射殺せ 神鎗 」

 

 そう解号を唱えた瞬間……平子さん達の表情が一変した。

 彼の心臓目掛けて真っ直ぐに伸びる刃。それを平子さんは刀の側部で受け止めた。

 しかし、加減無く伸びる神鎗の勢いに押され、壁際へと叩きつけられる。

 

「……なんでその刀持ってやがる」

 

 次に私に向けられたのは、明確な殺意。

 平子さんだけじゃない。残りの三人からも。

 

「質問の前に、一人じゃ役者不足なのでは?」

 

 そう挑発すると、平子さんと入れ違いで私に襲いかかってきたのは……元八番隊副隊長、矢胴丸リサさん。

 

 隠す気も出し惜しみもないらしく、顔には十字模様が入った菱形の仮面を付けている。

 

「 潰せ  鉄漿蜻蛉(はぐろとんぼ) 」

 

 巨大な槍と矛の中間のような武器に変化した刀が、私の頭上から振り下ろされた。

 右側へと避ける為に、地面を蹴る。

 

「 縛道の七十九 九曜縛 」

 

 しかし、私の動きを封じたのは矢胴丸さんより後方にいた、有昭田鉢玄の縛道。一切の隙のない見事な連携。

 そのまま振り下ろされた矢胴丸さんの刃が……私の体を斬り裂く。

 

 

 

「……!! リサさん!! 後ろデスっ!!」

 

 真っ先に異変に気がついたのは、後方支援の為に戦いの全体を見ていた有昭田さんだった。

 拘束し、斬り裂いたはずの私が無傷で彼女の後方へと回り込んでいたのだから。

 

「っち……」

「隠密歩法_空蝉。習っておいて良かったです」

 

 白哉との鍛錬の中で身につけた技の一つ。それにより、完全に背後を取られた矢胴丸さん。

 そのまま私の回し蹴りを躱すことが出来ず、平子さんが飛ばされた方とは反対へと吹き飛ばされた。

 

「 散れ 千本桜 」

 

 私は動きを止めることなく、そのまま刀の形状を変える。

 千本桜は、矢胴丸さんに向けて動かした訳では無い。

 彼女が吹き飛ばされたことによる衝撃で舞い上がった土煙の中から出てこようとしていた人物……愛川羅武さんの動きを止めるため。

 

「な……刀の形状が二つだと!?」

 

 流石に彼も、千の刃の中を突っ込んで来るような事はしない。

 一旦態勢を立て直すために引いた愛川さんの代わりに、次なる攻撃を放ったのは有昭田さん。

 

「__破道の八十八 飛竜撃賊震天雷砲!!」

「__縛道の八十一 断空」

 

 私に向けられた破道は、残念ながら届かない。

 その様子を見て、有昭田さんは目を丸くした。

 

「馬鹿な……私の破道を止められるなど……有り得ないデス」

「有り得ないという事は無いでしょう。同じ光景を百年前のあの夜に見ていたはずですから」

「……殺すで、コイツ。真子はいつまで寝とんや」

「ハッチは結界五枚張ってくれ」

 

 愛川さんのその言葉を聞いて、私はパチンと指を鳴らした。

 

「結界、張っときました」

「……あんま調子乗んなよ、ぼけぇ」

 

 笑みを浮かべながらも、最大限の戦闘態勢を向けてくる平子さん。

 ……ここからは、互いに精根尽きるまで戦い合う。やがては人数も増えてくるだろう。

 

 有昭田さんを除く三人が、私に向かって同時に攻め込んできた。

 

 

 _キィイイイン!!! 

 

 

 上から斬りかかってきた平子さんの刃を、一度浅打の形に戻した名無之権兵衛で受け止める。

 半身ほど振り返る程度の右側から来た矢胴丸さんの刃を、左手で持った刀の鞘で受け止めた。

 あまりの衝撃で、鞘の方にはヒビ割れが入るが……構っている余裕はない。

 

「……愛川さん、その方向からは危険ですよ」

「っ! ラブ!! 右に避けや!」

「遅い。名無之権兵衛_神鎗」

 

 平子さんの刃を浅打の姿で受け止めたのは意味がある。

 千本桜か神鎗か。はたまた別の刀か。何が来るのか思考の中に選択肢を与える為だ。

 そして、その切っ先と愛川さんが向かってきた照準が合った瞬間……私の刀が音速を超える速度で伸びる。

 完全に不意。避ける事はほぼ不可能。

 

「くっそ……」

 

 愛川さんの右肩に、神鎗の刃が刺さった。

 私の目線は彼には向いていない。後方支援へと回っている有昭田さんに向いている。

 

「……咄嗟に低級縛道で飛ばしたんですね。心臓に当たりませんでした」

「そりゃ誤解だぜ。元々俺が突っ込んだ時から、ハッチが俺の軌道を変化させる予定だったんだ」

「ネタばらしありがとうございます」

 

 つまりは、彼もまた私の不意をつく作戦だったのだろう。

 それが不完全に噛み合わさってしまい、結果的に私の一撃を受けることになってしまった。

 

 左右で抑えていた平子さんと矢胴丸さんを一度離すべく、私は体を回転させる。

 その刃が動く勢いで、二人は一度私から距離を取った。

 

 そして、その衝撃で遂に刀の鞘が崩れ落ちる。まあ、換えはいくらでもあるから構わないのだけれど。

 

 ……もっとだ。もっと戦いに引き込んで貰わなければならない。

 

「……思ったより弱いですね」

「……なんやて?」

「二度も言わせないでください。四人かがりで小娘一匹程度に振り回されて……思ったより弱いですね。と言ったんです。この程度で……いつから藍染に勝てると錯覚していましたか?」

「ムカつくわ、コイツ」

 

 動こうとした矢胴丸さんの前に手を出して止めたのは平子さん。

 

「挑発や。乗るな」

「……わかっとるわ」

「お前、ええ度胸やんけ。その挑発の仕方……俺らが大嫌いな奴にクソほどそっくりやわ」

 

 既に遠くから感じている、この倉庫へと全力で向かっている残り四人の気配。

 そして、正面に立つ四人全員が……顔に仮面を付ける。

 

 やっと本気でやって貰えるようだ。

 

 私の限界が来て、死にかけるまで……どうか死なないでください。

 そう心に念じて、私は再び地面を蹴った。

 

 特段この後の収拾をどうするかなんて決めていない。珍しくいきあたりばったりで進む物事に、今はただ身を任せる。



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第四十五話 バラバラの体と心

 

 

 結論から言えば、それはそれは……苦しい戦いだった。

 元々百年前に隊長の座についていた人物に、虚の力が加わる。そしてそれを使いこなす彼らの力は、私が経験してきた戦いの中で最も苦しい戦いを強いられた。

 

 私に休憩がないのとは違い、彼らは八人で呼吸を整える時間がある。

 

「はあっ……はあっ……」

「なんや、威勢が良かったんは最初だけかいな」

「話してる暇ちゃうやろ!! ハゲ真子!! 畳み掛けるで!!」

 

 ひよ里さん、矢胴丸さん、拳西さん、ましろさんらが前衛を常に張り攻めるいる手を止めない。

 中衛から愛川さん、鳳橋さんの二人。

 後衛から警戒しなければならないのは、有昭田さんの縛道。

 そして、全体を常に見渡す司令塔の平子さん。

 

 どれだけの時間戦い続けているのかもわからない。

 

「そうですね。お互いに時間が経ちすぎています。そろそろ人を削る具合ですかね」

「息切らして吠えても何の説得力もないで」

 

 私がそういうと、右横方向から飛んできたのは矢胴丸さんの刀。

 薙ぎ払うかのように振るわれた刃を躱す為に、反対方向へと下がる。

 

「んんんっ……スーパーましろ……キーック!!」

 

 途端に私が下がる場所に合わせたかのように打ち込まれる、ましろさんの蹴り。

 それを脇で挟むようにして受け止めた。

 

 

 __ズダアアアアアンッ!!! 

 

 ぶつかりあった私達は、勢いそのままに閃光のような速度で壁に叩きつけられる。

 その衝撃波は凄まじく、コンクリートで造られた真っ平らだったはずの壁の一面が歪に凹むほど。

 

「ゲホッ……」

 

 胃から逆流し、口の中を満たした血を地面に吐き出す。

 僅かに届いた矢胴丸さんの刃の切っ先が、隠していた私の顔布の一部を斬り裂いていた。

 右目だけが彼らからも見える状態。これだけならまだ素顔は分からないだろう。

 

「んんん?」

 

 思ったような威力が出なかった事が不思議なのか、ましろさんは首を傾げる。

 

「ましろ!! 下がれ!!」

 

 拳西さんのその指示は……少し遅い。

 私は僅かに口角を上げて、ましろさんの胸元に手を翳した。

 

「っ……」

 

 そのまま崩れ落ちるかのように地面に倒れ込むましろさん。

 意識が刈り取られた反動か、付けていた仮面が割れて消えた。

 

「何しやがった!」

「煩いなぁ……白伏ですよ」

 

 怒鳴り声を上げる拳西さんに向かって、口元の血を拭いながら答える。

 その返事に、にわかには信じられないという表情をする彼。

 

「そんなわきゃねぇ……俺らに白伏をかけられるほど隙なんてねぇぞ」

 

 白伏は、鎖結と魄睡に鬼道をねじ込んで一時的な仮死状態にする技。

 戦闘中において、最大の神経を張り巡らせているような人相手に使える技じゃない。

 あくまで、相手の完全な隙をついて叩き込む不意打ちに近い術だ。

 

「だから、久南ましろさんを選びました。彼女が戦闘において、一番集中力に欠けていて隙が多いことは、貴方達が一番知っているでしょう」

「っち……。それを差し引いてもってことだ」

「理解が遅いですね。それほどの技術が私にあると認めた方がいいです」

 

 戦闘員が一人欠けた。その事は、彼らが今まで攻め込んでいた態勢を変える必要を求められる。

 一度止まった彼らの足。

 その中心から私の正面に立ったのは、平子さんだった。

 

「その気持ち悪い敬語やめぇや」

 

 相変わらず歯を見せる程に笑い顔の平子さん。

 戦闘による疲れからか、汗は見えるがまだ追い込まれているようには見えない。

 

「やっと……感じたで」

「何の話ですか?」

「さっき、"煩いなぁ"ゆーたやろ」

「すみません。無意識でした」

「そん時や。お前からようやく"殺気"を感じたで」

 

 会話をするくらいなら、もっと追い込んで欲しいのに……。

 会話による小休憩を求めているのか、それとも別の目的があるのか。

 どちらにせよ、様々な場合を考慮しても……私に特段メリットも感じなかったがデメリットもないと判断した。

 

「お前と戦っとるとな、まるで機械を相手しとるみたいや。こっちの手に対して確定有効打のみをひたすらに返す。感情がないねん、お前の戦いに」

「……戦いに感情なんていらないですよ」

「そや。けど、それに合わせて殺気すらない。……俺らで遊んどるんなら、ますます"アイツ"にそっくりや」

 

 彼が言う、アイツとは……藍染さんの事だろう。

 似ているか似ていないか。それだけを判断基準としている彼らは……少し愚かだと思う。

 昔から、誰に似ているだの誰には似ていないだの。

 ……私は私なんだけどなぁ。

 

 そんな事を思いながら、死覇装についた砂埃を払う。

 しかし、次に平子さんが紡いだ言葉に、私は 口角を上げた(・・・・・・)

 

「はよ、お前の本性見せぇや。こっちも手加減無しや。バケモンはバケモンらしく戦わんかいな」

 

 何がきっかけかは自分でも良く分からない。

 本気で自分達全員を倒されるわけが無いと思い込んでいる彼らの浅薄さか。

 それとも、久々に言われた"化け物"という言葉か。

 それとも、好きに戦えという提案か。

 

 なんにせよ、私は……楽しさを覚えた。

 これだけの長時間戦って、未だに不意をついて一人沈めただけ。

 その事実が、私の細胞をうずかせる。

 

 勝ちたいのではない。

 どうやって彼らに敗北を叩きつけようか。

 

 その事を考えると……楽しい。

 

 私の中の、"ナニカ"が私を飲んでいくような感覚。

 私じゃない私が、全身を蝕んでいく。

 

 

「……ええ目するやんけ」

 

 その会話を皮切りとして、戦闘が再開した。

 真っ先に突っ込んできたのは、ひよ里さんと矢胴丸さん。

 

 刀身に突起物が無数についた大剣を振りかざすひよ里さんの刃を受け止める。

 

「死ねや」

 

 そのまま彼女が被る仮面の一本角に集まる光。

 虚閃だ。

 私はその角を……掴んだ。

 

「は?」

 

 まさかの行動に、仮面越しですら彼女が大きく目を見開いた事が手に取るように分かる。

 

 そしてそのままひよ里さんを、矢胴丸さんが向かってきていた方向へと投げ飛ばした。

 

 二人がぶつかり合い、地面に叩きつけられて転がる。

 信じられないような物をみた彼らの目を見て、私は彼らに微笑む。

 

「本当に面白い人達。逆ですよ。私が貴方達を見下しているんじゃない。貴方達が私を見下しているんです」

「だったらなんだってんだ」

 

 拳を握りながら距離を詰めてきた拳西さん。

 私はその彼の手を蹴り飛ばす。

 

「 散れ 千本桜 」

 

 そして、体勢を崩した所を間髪入れずに、無数の刃で彼の全身を飲み込んだ。

 

「だから、貴方達は……私の言葉を聞き逃す」

 

 たった一瞬で三人が地面に落ちた事を、流石に警戒したのか残りは踏み込みを止めている。

 今更だ。もう遅い。

 

 私は自分の鎖骨付近をトントンと指で叩いて見せた。

 

「私は護廷十三隊の中でも、結構特別のようでして。知っているでしょう、限定印。それをもれなく私も刻まれています」

「仮にそうだとしても、公式戦闘ではない今、解除の方法などない筈デス!」

 

 有昭田さんの言葉に、私は少し死覇装の襟元を引いて見せた。

 

 その鎖骨付近に打たれた限定印。

 各隊の隊紋が刻まれている。

 それを打つも解除するも……私達の専売特許。

 

 薄れて消えていく隊紋。

 しかし、彼らの目にはしっかりと見えただろう。私が何処に所属している者か。

 有昭田さんは……言葉を失った。

 

 その動揺は……戦闘時において敗北を意味する。

 

 瞬歩で近づいた有昭田さんの真横。

 そこで、私は囁くように言葉を紡ぐ。

 

「どうも。お初にお目にかかります。自己紹介がまだでしたね。鬼道衆総帥大鬼道長、如月姫乃……と申します。お爺様は、実に有能な私の 副官(・・)ですよ」

 

 その言葉が意味するもの。

 それが分からない彼ではない。

 全身の力を無くし、その場に膝をつく有昭田さん。

 

「ほら、貴方達は……こんな言葉一つで戦意を失う。脆い、脆すぎる」

「流石にもういいよね、真子。

 卍解 金沙羅舞踏団 」

 

 鳳橋さんの卍解。

 それにより、周囲に無数の人形のようなものが召喚された。

 周囲に響き渡るのは不協和音に近い音楽。

 

 その音が私の耳に届くと共に、視界が大きく歪んだ。

 

「  海流(シー・ドリフト) 」

 

 卍解の術の一つだろう。

 現れた人形達が回転を初め、それ共に津波のように現れる水流。

 それが私を閉じ込めるかのようにして全方位を包囲した。

 

「何を聞き逃したか、教えてあげる。私を倒すのに、時間がかかりすぎていると。此方がどの順番で戦力を削るのか、計算させるには充分すぎる時間を与えてしまった」

 

 私は……なんの躊躇いもなく、自分の耳に指を突っ込んだ。

 高揚しているからか、それとも他に付けられた傷の方が痛いからか。

 どちらにせよ、痛みは感じない。

 

 音を拾わなくなった耳。

 それと同時に、目の前に展開されていたはずの水流が消えた。

 

「聞こえなければ役に立たない卍解など、見せない方がマシだったという事を覚えていた方がいい」

 

 彼らが何が口を動かしているが聞こえない。

 体内に反射する自分の声だけが聞こえる。

 

 私が構えた刃が、真っ直ぐに鳳橋さんへと伸びた。

 

 寸前で躱す鳳橋さん。

 

「ほら、もう忘れている。私の攻撃手段が刀だという意識に飲まれている。自己紹介はしたはずだ。

 _破道の九十 黒棺」

 

 私の放った黒棺。それに飲まれる鳳橋さん。

 だが……その黒棺が開いた時、その中に彼は居なかった。

 

 

 _ドンッ! 

 

 私の背中に感じたのは、誰かが私の背中を殴りつけた音。

 視界の端で、クルクルと片手で刀を回しているのは、平子さん。

 

 この二つの事象が、現状の答えを導き出す。

 

「……逆か」

 

 平子さんの口の動きを見る限り、『よー気がついたやんけ。騙し討ちは俺の専売特許でもあんねんで』

 と伝えたいようだ。

 

 そして、背後にいた拳西さんの懐剣状に変化した刀。これは……彼の卍解か。

 無限に叩き込まれる殴打。

 骨が砕ける音と、久々に感じる激痛。

 それにより私の体は地面を何度か転がった。

 

「見くびりすぎだぜ。ハッチ以外の俺らが鬼道を一切使えないと勘違いしてねぇか? 気配を消すくらい出来なくてどうすんだって話だ」

 

 ……ああ。楽しい。

 こんなにも体が痛いのは、いつぶりだろう。

 

 間髪を入れずに距離を詰めてきた愛川さんを視界に捉える。

 

 ……いや。もう、耳も……目も要らない。

 

 そう思って、目を閉じる。

 

『戦闘で姫乃が目だと思っているものはなんの役にも立たないよ。心の目……所謂、霊圧知覚能力で相手の動きを読むんだ』

 

 幼き頃より、泣いても喚いても叩き込まれてきた戦闘術。

 今はっきりとわかる事。

 

 それは、あの人が教えてくれた戦闘術は、虚と戦う戦闘術なんかでは無かったという事。

 元来より、私に刻まれてきたのは……対人戦。

 

 私が学んできた事は、護る力なんかじゃない。

 向かい来る人を……薙ぎ払う力。

 戦意を奪い去る為の圧倒的な対人用戦闘術。

 

 その力を今、遺憾無く発揮して……楽しいのに。

 どの角度から攻め込んでも、未だに戦いを辞めない彼らが楽しいのに。

 久々に戦っていると実感出来て……嬉しいはずなのに。

 

 

 愛川さんを斬り捨てる。

 逆撫の効力は、もちろん効かなかった。

 

 そのまま私は、起き上がりかけた人を全て感知して、刃で……鬼道で……持てる術を余すことなく遣い、地下を駆け回った。

 

 そして、十分ほど経った頃。再び目を開ける。

 そこには、あちらこちらに転がる戦闘不能な人物達。

 

「……もう終わりですか?」

 

 どうしてそれを見ている視界が滲んでいるのだろうか。

 ここまで本気で戦えることが嬉しくて、楽しくて。

 それなのに、目に滲むこの暖かいものは……一体なんなんだろう。

 

 私は一体……何を本能に刻まれたのだろうか。

 ……私は、誰なんだろう。

 

 

「……立って下さいよ。一度二度斬られたくらいで、沈まないで下さいよ」

 

 流石に両耳聞こえないのは不便だ。鳳橋さんはもう動けそうにない。

 そう思って、回道で片耳だけ修復した。

 

 音を再び拾えるようになって、聞こえてきたのは平子さんの声。

 

「……此処にお前ん探し物はあらへんで」

「ああ、話せるんですね。まだ壊れてないですね。起きてください」

「……聞こえてへんのか」

「聞こえています。でも今は関係ないでしょう。戦いを続けましょう。こう見えて、踏み潰せば直ぐに壊れてしまう物を壊さないよう加減するのは難しいんですよ」

 

 私のこの口を操っているのは……誰だ? 

 私が私ではなくなる。

 そんな感覚。

 

 この視界が滲んでいるのはきっと、それに対する精一杯の心の拒絶。

 

 私は、持った刀を逆さに返した。

 

 

「名無之権兵衛

 〆之菩胎……」

 

 これを遣えば、これ以上戦えなくなると分かっていて。

 それでもこうすると決めたのは……。

 実は自分の体の方も限界を感じていたからか。優勢に見えるが、実の所八人相手にキツいのは本当だ。

 ここまで戦いに心頭していなければ、負けていた可能性だってある。

 

 いや、それは理由のただの一部。

 

 ……あれ。此処に来た目的はなんだっけ。

 ああ、そうだ。ちゃんと目的はあった。

 けど今……私は彼らに何をしようとしているんだろう。

 

 壊しに来たわけじゃないのに。有昭田さんに何を言ってしまった?

 戦意を失わせるためだけの為に……私の口はどんな言葉を紡いだ?

 あれ……私は……。

 

 

 

 

『もうやめて!!! お願いだよっ……お願い姫乃っ……これ以上……変わらないでよっ……』

 

 

 解号を唱える寸前。

 見ていた景色が止まった。それと同時に、世界の色の全てが白へと変化した。

 

『姫乃っ……僕がいるよっ……。僕が絶対に傍にいるからっ……。だから、そっちに行かないでっ……』

 

 大泣きしながら、名無之権兵衛が手に何かを持っている。

 彼の体格には全く見合わない為、半ば引きずるようにして両手で持ってきた刀。

 

『実物じゃないけどっ……刀を模倣出来るから……幻影くらいは造れるよ……』

 

 必死で名無之権兵衛が私に見せる刀。

 それは……捩花。

 海燕さんの刀。

 

『彼の言う通りだよ。此処に姫乃の探し物はないよっ……。帰ろう、僕と一緒に……帰ろうよっ……』

「……帰る場所なんて何処にもないの」

『あるよっ……皆待ってるよっ……』

「私は藍染と戦わなきゃいけないの。此処で止まれないの」

『戦わなくていいよぅ……。姫乃の心が壊れちゃうよっ……』

 

 ワアワアと声を上げて泣く名無之権兵衛。

 その姿が……幼い時の自分と重なった。

 怖くて、悲しくて。何処にも光が見えなくて。

 そんな中……安堵出来た場所は……何処だっけ。

 

 いつも涙を止めてくれたのは……誰だっけ。

 

 私は名無之権兵衛をそっと抱き上げた。

 この子の涙を止めてあげられるのは……私しかいないんだ。

 抱き上げたと同時に、私の意識が闇へと落ちた。



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第四十六話 丁寧に縫い付けた心の在処

 

 

 仮面の軍勢と呼ばれる彼らの拠点。

 その一階にて数名の人物が寄り集まっていた。

 

「ねー、絶対真子が変な地雷押したんだって」

「なんで俺の所為やねん!」

 

 頬に空気を入れて風船のように膨らませるのは、久南ましろ。

 彼女の隣にあるソファーに寝ている少女こそ、先程まで戦闘を行っていた如月姫乃だ。

 

「ねー、やっぱ義骸じゃないよー。この顔の布取っていい?」

「やめとけ。見たっていいことなんか一つもねぇぞ」

 

 寝ている姫乃の腕や頬をつついては難しそうな顔をする久南。

 それを横目で見ていた拳西は、はあっとため息をついた。

 

「コイツが意識ぶっ飛ばなきゃ、今頃俺達は五体不満足者で済めば良好ってとこか」

「ウチには、刀が無理やり止めたように見えたけどな」

「そりゃ、優秀な刀だ」

 

 本に目を通しながら見聞を話す矢胴丸。

 その答えは正解であるが、正解だと教えてくれるものはいない。

 

 それぞれが自分のやりたい事をやりつつ、ポツポツと交わされる会話。

 それに限界が来たのか、バンッと机を叩いて立ち上がったのはひよ里。

 

「はよコイツ叩き起こせや!! 家を滅茶苦茶にされた挙句、ウチらん事侮辱したんやで!? 首絞めて、何者か聞き出すんが普通先やろ!?」

「侮辱じゃねぇよ。挑発だっつーの」

「何がちゃうねん、ラブ! どっちも一緒や!!」

 

 当然のように見つかった自分達の所在地。

 そして藍染との確執を知っている事。

 ただの死神……では済まされない事は彼らも理解出来ている。

 

「じゃあ、ひよ里はコイツをなんだと思ってんだよ」

「敵に決まってるやろ、このアホナス!! 藍染の事を知ってようが知らまいが、死神っちゅー時点でウチらの味方ちゃうわ!!」

 

 一を百で返す勢いで、愛川の質問に答えるひよ里。

 

「んー、まあ、勝つ為とはいえ平気で自分の鼓膜突き破る子は、確かに普通の子じゃないねぇ」

「ローズは論点がちゃう!! 黙っとれ!!」

「はいBaby、そんなに怒ったら腹の傷がまた開くよ」

 

 会話自体は普通に行われているように見えるが、全員満身創痍。

 正直、姫乃が倒れた事にほっと息をついたものも多い。

 

「どうみても喜助の所為やろ。ひよ里、アイツ連れてこんかい」

「なんでウチやねん!! ハゲ真子が行けや!!」

「お前が此処におると、煩くてしゃーないわ」

 

 シッシと手をひよ里に向かって振る平子。

 それに苛立った表情をみせるひよ里だったが、結局愛川同行の元、浦原商店へと向かうため出ていった。

 

 ひよ里達が出ていった扉から目線を逸らして、再び彼らは姫乃の方を見る。

 

「……ましろは何で寝とんや」

「さっきまで寝て、また寝る。そういう奴だろ、ほっとけ」

「んん……拳西のえっち……」

「……こいつ……後で殺す……」

 

 姫乃にもたれ掛かるようにして寝ているましろの頭を拳西が叩いた。

 それでも彼女が起きる様子がない。

 兎にも角にも、ようやく場に落ち着きが戻った。

 

「笑いながら戦って泣くて……気持ち悪い奴やわ」

「闇深い系女子。クズ男に捕まる典型的なメンヘラやな」

「……リサ……。その見立ては合ってても間違っててもどっちでもええわ」

「割とエロ本に出てくるタイプの女やで」

「知らんがな……。男知ってそうな顔には見えへん」

「見てへんやろ、顔。それがまた萌えの想像を掻き立てるんや」

「……黙っとれ」

 

 相変わらず本から目を離さず、好き放題言う矢胴丸に平子がため息をついた。

 先程からこの場にはため息が尽きない。

 

「まあ、こいつの主張から推測する限り、俺らとぶつかったんは度胸試しみたいなもんやろ」

「まんまと乗せられた俺らもヤバいけどな」

「んで、ほんまの目的は……ハッチ。お前ちゃうか」

 

 平子がそう言って視線だけを横にズラす。

 この場にいて、未だに一言も話さない一人の大男。

 それが、有昭田鉢玄。

 

「……だんまりかいな」

 

 突然嵐のように巻き起こった事象は、結局浦原喜助の到着……もしくは姫乃が起きるまで解決しないのだろう。

 

 これ以上会話する事はないと判断した平子は、その場を立ち上がって自室に帰ろうとした。

 

 その時、小さな……聞こえるか聞こえないかの声で口を開いたのは、沈黙を決め込んでいた有昭田。

 

「……マス」

「なんや、大きい声で言わんかい!」

「私は……この子が何者であっても……手助けをしマス」

 

 紡がれたその言葉。

 流石に全員が有昭田の方を見た。

 

「……俺らを裏切るんけ」

「……例えそうなったとしても。これは……祖父から私に託された願いデス」

「何がや」

「祖父がこの子の動向を把握していない筈がない。それでも……黙認しているということは……。この子についていくと決めているのデス。私は……家族の想いを裏切る事は出来ないデス……」

 

 有昭田の説明に、平子は頭をかく。

 

「……ひよ里外に出しとって正解やわ。今の言葉、この場限りやで」

「ハイ」

 

 再び場に静寂が流れようとした時、バタバタと大きな物音が遠くから聞こえてきた。

 

「……早ないか?」

 

 平子が言った通り、この物音の原因は……今しがた出ていったばかりのひよ里達だ。

 

 

 ダアアアンッと凄まじい物音と共に、リビングの扉が開く。

 現れたのは、ひよ里と愛川。そして首根っこを掴まれた状態でヘラヘラと笑っている浦原。

 

「……随分早いな」

「倉庫前におったんや!!」

「いやあ……見つかっちゃいまして」

 

 ようやく進む物事に、平子は再び椅子へと腰を下ろした。

 浦原は部屋に入るなり、寝ている姫乃を見て目を丸くする。

 

「あれ? 負けちゃったんスか?」

「実質、俺らの負けだ。コイツが勝手に意識を失ったんだ」

「そしたら、希望の対話が無事叶ったんスね」

 

 満足そうに扇子を閉じる浦原。

 その様子に拳西がこめかみに青筋を浮かべた。

 

「やっぱてめぇの仕業か……。一から十まで洗いざらい話しやがれ」

「最悪の事態になった時、止めれる準備は万端やったっちゅーことやな」

 

 拳を鳴らしながら近づいてくる拳西を見て、浦原は慌てて惨状の説明を始めた。

 

 

 ……………

 ………

 ……

 …

 

 

 

「ウチは認めへんでぇええええ!!!」

 

 全ての説明が終わった時、真っ先に怒鳴り声を上げたのはひよ里。

 

「この際、此処に来た理由はどうでもええわ! けどなぁ、何でコイツが藍染を討つ作戦の主軸やねん!!」

「そ、それは……先程も言いましたけど、この子の記憶に基づいて動いた方がより有効的だからっスよ」

「その信用は何処にあんねん! あらへんやろ!? 大体、数日前にあったばかりの女の話を何で喜助が丸々鵜呑みにしとんや!!」

 

 捲し立てるように詰めるひよ里を、平子が一度手で下げた。

 浦原は、何処か視点が定まっていない様子だ。

 

「……煩いけどな、ひよ里がゆーとる事は正論や。お前には世話になっとる、感謝もしとる。そんで、女にたぶらかされた言葉に乗るほどアホやとは思ってへん。……何が目的や」

 

 平子と浦原が互いに見つめ合う。

 

「一つゆーとくで。あのガキ、戦いには向いてへん。何処かで落としたままの心を見失っとる」

「……アタシも分かってますよ」

「なんでや」

「……聞けないっスよ。だから平子さん達を頼ったんです」

「なんでや、聞いとんねん」

「……どれだけ取り繕っても、離れすぎた時間は……踏み込む事を躊躇わせるからっス」

 

 

 要領を得ない浦原の回答に、平子が目を細める。

 だが浦原もそれ以上答える気はなさそうだ。

 

 互いに膠着状態になった時……。

 

 

「んん? あれ、この子……なんか誰か似てない?」

 

 全員の背後から聞こえたのは、寝ていたはずのましろの声。

 振り返ると、拳西に開けるなと言われていた顔布を……当たり前かのように取っていた。

 

「ん……」

 

 それと共に、差し込んだ照明の光が眩しかったのか姫乃が身じろぐ。

 

「……誰に似てるも……何も……」

 

 拳西の言葉と共に、全員の顔が浦原の方へと戻った。

 

「アハハ……」

 

 乾いた笑いを出す浦原。

 先程の説明では一切されていなかった事実。

 

 目を開けた姫乃の声が、部屋に響いた。

 

 

「……お父さん? 何で此処に……」

 

 寝ぼけたような声。

 

「おはよう、姫乃。気分どうっスか?」

「……良くはないです」

「……誰や、コイツ……なあ、喜助……」

「アタシの娘っス」

 

 

 一拍の間があった後、倉庫の外まで聞こえる絶叫が響き渡ったのは当然の事だった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 意識が途切れた後、いつぶりか覚えていないほど久々に……深く寝た気がした。

 ずっと恐ろしかった。

 立ち止まれば……寝てしまえば。また夢に喰われるのではないかと。

 

 何処まで逃げても、藍染さんの影が私の背中に張り付いて取れない。

 戦いの最中、自分の言動は嫌ってほど師匠と重なる。

 それで……そうして行った戦いが楽しいと思えた。

 

 そんな自分が嫌だった。

 

 あの時、名無之権兵衛が止めていなければ、彼らから……戦う力を奪うところだった。

 

 ねぇ、権兵衛。

 私は何処に行けばいいのかな。

 

 何かを掴もうとするこの道は、孤独だ。

 誰一人に打ち明けられない心。

 同じ立場など誰もいなくて。

 独りの道だと分かっていて。

 

 それでも独りに怯える私は……弱くて臆病だ。

 

 だから精一杯大人になろうとした。

 責務で自分を塗り固めた。

 誰かの為に動くこの道で……私の為に動くことが出来ないまま。

 誰かの為と毎日毎日心を縫い付ける間に、自分の心を見失ってしまった。

 

 あれほど与えられた心が、指の隙間からこぼれ落ちていく。

 どう防げばいいのかわからない。こぼれ落ちそうになる心の留め方を、誰からも教わっていない。

 

 この土砂降りは……何時になったら晴れるのかな。

 

『……それが分からない間は、僕は君に卍解を教えられない』

 

 頭の中で聞こえた名無之権兵衛の声。

 

 お願い。もう一度……蓋をして欲しい。

 あと少しだから。あと少しで……終わるから。

 

『……君がそう望むなら。でも、向き合わなきゃ何も……』

 

 わかってる。あと少しだけだから……。

 また心の鍵を縫い付ける。

 それと共に、意識が現実へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 起きて直ぐにした会話はよく覚えていないが、怒涛に迫る仮面の軍勢からの質問にひたすら答える時間。

 全ての説明が終わった時、とっくに夜になっていた。

 

「ウチが必死こいて仕事しとる間に、白玉はわけわからんもの作って、ハゲは子作りしとったんか!! それでええと思っとるんか!? なんか言えや、ハゲ!」

「落ち着け、ひよ里。そりゃあ、初恋が玉砕した気持ちも分かるけどよ」

「ちゃうわああああ!!!」

 

 ひよ里の叫び声に、一同が耳を閉ざす。

 私ももれなく、その内の一人だ。

 

 

「いくらワンナイトラブで出来た子ゆーても、可愛いもんは可愛いんか」

「リサは言い方をどうにかしろっての」

「わん……ないと、らぶ?」

「ひ、ひ、姫乃は知らなくていいんスよ!! 要らない知識ですから!!」

「浦原も落ち着けよ……」

 

 ツッコミ役に回っている愛川さんに疲れが見えてきた頃、どうにか場が落ち着き出した。

 

 私達に興味を失った人達から、一人また一人と部屋を出ていく。

 そんな様子を眺めていると、ひよ里さんが私の前に立った。

 

「ウチは認めへんからな!! 勝手にやって、勝手に死んだらええねん!!!」

「おーい、ひよ里。それじゃ、死ぬなって言ってんのと同じだぜ」

「じゃあ死ねや!!!」

「……ありがとうございます。もがいてみます」

 

 ニコッと笑ってひよ里さんにそう返すと、彼女は少し目を開いた。

 そして、思いっきり私の足を蹴る。

 

「いっ……」

「その笑い方!! 気に食わへん!! あのハゲと同じ笑い方や!!」

「ご、ごめんなさい……」

 

 ふんっと鼻を鳴らして、ひよ里さんは部屋を出ていってしまった。

 その方向を眺めていると、目の前に飲み物が入った湯のみが置かれる。

 拳西さんが何か飲み物をいれてくれたみたいだ。

 

「やり方がとことん気に食わねぇな」

「……ごめんなさい」

「浦原も浦原だ。親ってのは、子供の願いを叶えるために駆け回るのが仕事じゃねぇよ」

 

 拳西さんがそういうと、父は困ったように笑った。

 

「確かに要件の殆どは叶っただろ。けど、その分……」

「拳西。構いすぎや。ほっとけ」

 

 拳西さんの言葉は、平子さんによって止められた。

 

「昔から、子供相手に甘すぎや」

「じゃあ、真子も席を外せよ」

「俺は喜助に用あんねん」

 

 

 

 なんとなく場に居づらくなって、私は一度倉庫の外に出た。

 

 現世で見る星も、尸魂界で見る星も変わらないな。なんて思いながら夜風に当たっていると、シャッターが開く音が聞こえた。

 

 仮面の軍勢は普段、義骸に入っている為、気配がわかり辛い。

 

 私の背後から近寄ってきたのは、有昭田さんだった。

 

「……転送術デスね」

「お願いできますか? 有昭田家のみに伝わる術ですから」

「ハイ。わかりました」

「……勒玄は元気ですよ。嫌ってくらい」

「それを聞けただけで、私は貴女に感謝しなければなりまセン」

 

 私は有昭田さんと向かい合い、頭を下げた。

 

「先程は酷い伝え方をしてしまって申し訳ありません。勒玄は好んで私の傍にいるわけではないんです。貴方を失った復讐心を利用させてもらっています」

「……祖父は、もう赦しています。きっと、貴女と共に時を過ごせて幸せデス」

 

 それは有り得ない。

 勒玄が私といて楽しそうだった事もなければ、互いに探り合いの関係性。

 現世にいるテッサイさんも、有昭田さんも知らないのだろう。

 鬼道衆がどれだけ深い絶望の中にいたのかを。

 

「会いますか? 連れてこれます」

 

 私の提案に、有昭田さんは首を横に振った。

 

「……私は、握菱さんと共に。祖父が忠誠を誓った貴女に、私も敬意をはらいマス」

「……感謝します」

 

 その日から、実に歪で刺々しくはあるが、私は現世に赴く時間の許す限りを彼らと共に過ごすことにした。

 鬼道を封印した戦闘術の底上げ。有昭田さんから伝えられる私の知らない結界術の数々。

 そして、現世にてやらなくてはいけない事をやり尽くすため。

 

 焦っても焦らずとも、時は等しく刻まれていく。

 現世に住まう、忘れられない人……忘れたことの無い人に再会したのは、この日よりまた時が進んだある日の事だった。






現世に姫乃絡みの奴はあと一人いるだろう……。
ほんの僅かな再会の時を……。


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第四十七話 繰り返す後悔と願い

 

 

 仮面の軍勢に相手をしてもらっている代わりとして、買い出しをこなしていたある日。

 

 尸魂界では見たことも聞いたこともない食材を食料品売り場で探し回っていた時の事だった。

 

「はー……これなに……。きゃらめるぽっぷこーん?? 素材が何くらい書いててよ……」

 

 そんな愚痴を零しながら、とにかく端から端まで見て回る。

 どうにかこうにか、目的のものを見つけたが随分と高いところに置いてあった。

 

「義骸ってのは……本当に不便だ」

 

 また愚痴を言いながら手を伸ばすと、私の手を追い越して背後から誰かが"きゃらめるぽっぷこーん"を掴んだ。

 

「え?」

「ほら、これが欲しかったんだろ? っつーのは建前で、ナンパがメイン……」

 

 振り返った私と、声をかけてきた男性。

 二人の目が合う。

 

 ポトン……と男性の手にあった"きゃらめるぽっぷこーん"は床へと無情にも落ちた。

 

「……銀城さん……」

 

 動揺するとは、まさしくこの事。

 彼の名前を呼ぶことで、精一杯だった。

 

「……現世で人間ごっこか? 嬢ちゃん」

 

 一気に鋭くなった彼の目。

 明らかな憎しみと嫌悪を示している。

 

「中途半端に生かしてくれて感謝してるぜ。お陰で、お前らに復讐出来そうだ。どうだ? この場で俺をもう一回殺してみるか?」

 

 囁かれる言葉。

 私は……一度目を閉じてから、真っ直ぐに彼を見上げた。

 

「……沢山の光を……ありがとうございました。貴方が教えてくれた道のお陰で、私は……まだ歩けています」

「人の道を奪った結果に言う言葉かよ」

「その通りですね。……銀城さん。私……貴方が言った通り、生き辛いです」

 

 そう言って、微笑んだ。

 また挑発だと怒られてしまうだろうか。そんなつもりはない。

 彼の物語の真実は……きっといつか誰かが証明してくれると信じている。

 狂った歯車を正しく戻してくれるのは……私じゃ役者不足だと分かっている。

 

「憎しみに溺れたい。狂うほどの憎しみを抱えたい。……叶わない。だから、生き辛いです」

 

 銀城さんは、私から目を逸らした。

 

「……人を勝手に飲み込むんじゃねぇよ。てめぇは昔から、何でそう……」

「……ごめんなさい」

 

 銀城さんは、私から一歩離れて進行方向を変える。

 二人が別々の方向へすれ違う直前、彼の手が私の頭に伸びる。

 触れた手は……相変わらず大きくて暖かい。

 

「……何があった。元々生き辛そうな奴だとは思ってたけど、そんな笑い方をする子じゃなかったはずだ」

「……海燕さんと都さんが亡くなりました。銀城さんと刃を交えたあの日です」

「……嘘だろ? あの二人が?」

 

 どうして昔から、この人の言葉に素直に答えられるのかはわからない。

 多分……私を見る銀城さんの目が、あまりにも辛そうだからだ。

 この人から私は……どう見えているんだろう。

 

「他にも、大切なものを全て失いました。護りたかったものを護れませんでした。自分が過ごした時間の全てが……砕けました。それを憎むことすら出来ない」

「だから、そんな笑い方になったのか。それで自分を罰してるつもりかよ」

「……貴方には関係ありませんから」

「じゃあ初めから言うな。お前は……昔から助けたくなるような奴なんだよ。俺を先に喰ったのは、嬢ちゃんの方だぜ。さっさと素直に叫べよ。助けてくれって」

「昔したお願い。覚えてますか?」

「おい、話を……」

「一護の事……お願いします」

 

 そう言って、私は一歩を踏み出した。

 憎まれているからこそ、ほんの僅かな私の本音を伝えられるのか。

 彼の飲み込むような暖かい笑顔に安堵するのか。

 それとも、初めて私がずっと分からなかった道の選択肢を増やしてくれた人だからか。

 

 わからない。

 こんなにも憎まれているというのに、昔彼に貰ったココアのように……。

 貴方の顔を見るとホッと息をつける。

 身勝手で我儘な事だとわかっている。

 

 背中合わせで紡ぐ会話。

 

「貴方に会いたかったと……そう言ったら怒りますか」

「ああ、どの面下げて出てきたんだってな」

「貴方の手の温もりが好きだと言ったら、怒りますか」

「触るんじゃなかったって、今俺も後悔してる所だ」

 

 

 この心情に明確な答えはないのだろう。

 私の知っている言葉の範囲内で、この心情の原因を言語化するならば……。

 

 

 私は少しだけ振り返って、また銀城さんに向かって微笑んだ。

 

「さようなら、銀城さん。……多分、初めて会った日から……貴方の事が大好きでした」

「おい!! 嬢ちゃん!!」

 

 人混みに紛れ込み、遠く遠くへと離れゆく。

 私の後を付けてこれる人などいない。

 

「ああ、クソ!!! 俺が死神を憎みきれねぇのは、お前の所為だぞ!! いいか! 迷ったら、原点に帰れ!!! ちくしょう、今頃そんな顔で現れやがって!! 俺はいつになったら、お前を助けてやれんだよ!!!」

 

 スーパーに響く銀城さんの声。

 原点に……帰れか。また一つ彼に助けてもらった気がする。

 

 私のことを完全に見失った銀城さんの気配を背中に感じながら、私はまた平子さん達の待つ倉庫へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 ****銀城空吾視点*****

 

 

 初めてアイツに会った時の事。

 よく覚えている。

 

 まるで背伸びした子供と同じだ。

 死にゆく仲間に向ける言葉はそりゃ大層立派な言葉だった。

 同時に、泣き叫んでくれりゃあいいのにと思った。

 心を剥き出しにして、年相応に叫べばいいんだ。

 

 俺が渡した大したことない飲み物。それを心底大事そうに飲む姿を見て、なんだそんな顔も出来んじゃねぇかと思った。

 

 俺の片手に収まるくらいちいせぇその頭で、一体どれだけの事を考えんだろな。

 

 そう思わず見つめてしまうほど、嬢ちゃんの目は遠くを見ていた。

 まるで見えない怪物から必死に逃げてるような。

 そうやって自分を支えなきゃ、崩れ落ちそうなくらいに不安定な子だと感じた。

 

 初めて会った時に、何を聞かれたのか正直よく覚えてねぇ。

 けど、一つだけ……覚えてる。

 

『裏返せば一つのことを見捨てろって事にもなる。それでもいいと覚悟して、真実を掴むために動かなきゃなんねぇ! ……きっとそうした先に背負うのは、死んでも死にきれねぇ後悔だ!』

 

 俺が何を思ってこの言葉を伝えたのかも、今では忘れた。

 けど、あの時の嬢ちゃんの目だけは……今でも張り付いて取れやしない。

 

 "怖い"

 必死でそう訴えかけてる目だった。

 

 その目から……俺は逸らしてしまったんだ。

 俺なんかが踏み込むには、あまりにも深すぎる絶望の目に。

 もはや見捨てられない程、大切なもんを抱え込んでしまってんだ。

 

 けど、反面良く笑う子だった。

 心の底からケラケラと。

 俺の貸す漫画に一喜一憂して、続きが気になると尸魂界に帰らずに泊まり込んで読んでることも良くあった。

 それが面白くて、楽しかった。

 

 きっと、生まれた瞬間から絶望の半歩手前を歩いていたこの子に、心の鮮やかさを授けた人がいんだ。

 

 それが誰かなんてのは、俺が死神として働いてるうちによく分かった。

 

 十三番隊。

 馬鹿みてぇに底抜けに明るい奴らの集まり。

 その輪の中心で、おどけて笑う嬢ちゃんの姿が一番輝いてた。

 

『ねぇ、銀城さん! 見てみて!』

 

 そう言って毎回楽しそうに現世に来るアイツを見るのが、物騒な世界で小さな楽しみの一つだった。

 次来た時は、どうやって笑わせてやろうか。そんな事をいつも考えていた。

 

 俺は死神が憎い。

 俺の仲間を殺して、心を心と思っちゃいねぇ大義名分だけを叩きつけて刃を向けてきた。

 

 あの日、嬢ちゃんと刃を混じえた時に吐いた言葉には、何一つ後悔してない。

 俺が間違っていたなんても、一度も思ったことは無い。

 

 

 けど、一つだけ……後悔していることがある。

 

 あの日、嬢ちゃんから逃げた事だ。

 何で俺なんかに頼ってくれたのかもわからねぇし、そんなもん嬢ちゃんにもわかってないだろう。

 

 ただ……あの日あの時。

 目を逸らさず、俺からちゃんと手を伸ばして掴んでいれば。

 何か未来は変わったか? 

 

『見えているはずだった世界が、見えない世界に塗り替えられていくのが怖い……。見ようと進む事が怖い……』

 

 やっと吐き捨てたかと思った、怖いっつー言葉が嬢ちゃんの口から出た時には、何もかもが終わってしまっていた。

 

 やっぱりこいつは……涙一つ見せねぇんだわ。

 ああ……この世界には……

 

 助けてなんて頼まれてもないのに、馬鹿みてぇな正義感の塊で助けに行く奴なんか……いるんだろうか。

 ああ、まあ……いそうだな。

 そんな奴が……きっと未来を変えていくんだろうな。

 

 俺も結局、弱かったんだ。

 

 

 久々に会った嬢ちゃんは、一瞬別人かと思った。

 相変わらず暗い目をしてる癖に……その上に、笑顔まで失ったのか。

 そんな取り繕った笑顔は、俺が見てきた顔じゃない。

 

 その背中が、あまりにも痛々しくて……。

 憎いと決め込んで、次に触れる時は刃を持つ時だと決めていて……手を伸ばした。

 

 考えより先に身体が動いていた。

 

 酷く後悔した。

 聞いてもねぇのに勝手に話し出すし。

 俺の話なんかひとつも聞かねぇ。

 

 少しでも揺らしたら、落ちて消える線香花火みたいな状態。

 

 ……一体、誰がお前をそんな状態にした。

 一体誰が、お前から笑顔を奪い取った。

 一体誰が……お前から泣く事を奪い取った。

 

 そんな言葉を飲み込んだ。

 

 また俺は……逃げたんだ。

 助けてくれと言えばいいのに。

 そしたら……俺は行っちまうのに。

 それくらい、とっくの昔からお前に飲み込まれてんだ。

 

 支えなきゃ死んじまいそうな奴。

 けど、俺は……結局その手を離した。

 

 死神を憎む。その為に。

 

「貴方に会いたかったと……そう言ったら怒りますか」

「ああ、どの面下げて出てきたんだってな」

「貴方の手の温もりが好きだと言ったら、怒りますか」

「触るんじゃなかったって、今俺も後悔してる所だ」

 

 口から出るのは、憎しみの籠った言葉ばかり。

 

 最後に振り返った嬢ちゃんの顔を見て……俺は馬鹿みてぇにまた後悔すんだ。

 

「さようなら、銀城さん。……多分、初めて会った日から……貴方の事が大好きでした」

 

 一体何度自分の道を誤れば、俺は気が済むんだろうか。

 

 今にも泣きそうに笑うその顔が……。

 何十年も前に見た、最後の素の笑顔と重なって見えた。

 さっきまでの取り繕った笑みじゃない。

 

 

 ……そんな顔を……最後にして行くな。

 

 

「ああ、クソ!!! 俺が死神を憎みきれねぇのは、お前の所為だぞ!! いいか! 迷ったら、原点に帰れ!!! ちくしょう、今頃そんな顔で現れやがって!! 俺はいつになったら、お前を助けてやれんだよ!!!」

 

 馬鹿だな、俺は。

 助けてやれんのか、じゃなくて。

 助けに行きゃいいのに。

 

 俺も俺で、精一杯だったんだ。

 自分を見失わないために、死神を憎み続ける。

 そう決めて今まで生きてきた。

 

 誰だって怖いさ。

 自分が信じたものが崩れ落ちる瞬間が。

 

 

 鏡で見た自分の顔。

 信じたものが崩れ落ちて、何もかもを失ったあの日の夜の顔。

 その顔を見て……ああ、アイツと同じ目をしてら。って思った。

 

 一体お前は……何時からその苦しみの中に居たんだろうか。

 

 

 次は、次こそは。

 後悔しないと決めた道を、何度も何度も間違う。

 

 ……後悔してもしきれねぇ、俺の無様な後悔。

 

 なぁ……だから、こんな言葉しか残す事の出来ない俺を、笑ってくれ。

 

 

「誰かっ……あの子を助けてやってくれよっ……。あの子が心底笑える世界に……作り替えてくれよっ……」

 

 最近見かける、人間で死神のアイツ。オレンジ色の派手髪のガキ。

 お前は……俺の臆病を超えて行けるか? 

 

 これが、無様に人に願うしか術がない、俺のたった一つの後悔だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

*******

 

 

 __空座町倉庫内

 

「ポップコーン何でないねん!!!」

「ご、ごめんなさい……」

 

 ひよ里さんの怒鳴り声を聞きながら、買ってきたものを収納。

 すると、父が私の顔を覗き込んできた。

 

「あれ? 姫乃、機嫌良さそうっスね」

「そうですかね?」

「やけに……柔らかい笑顔だなぁ……と」

 

 父の掴みどころない会話に、クスクスと笑う。

 

「あ、ほら!! 絶対そんな表情、アタシにはしたことないですよ!!」

 

 騒ぐ父の元へと、平子さんが近寄ってニヤりと表情を変えた。

 

「そらあ、喜助。男やろ」

「お、男っスかぁ……?」

「なんや、尸魂界に彼氏でもおるんか? さっさ言えや」

 

 物を収納し終わった戸棚を閉めて、揶揄う平子さんの横を通り過ぎる。

 私からなんの反応もない事がつまらないのか、腹いせで父の背を蹴る平子さん。

 

「違いますよ。失恋……ですかね」

 

 私のその言葉に、父が持っていた扇子を落とした。

 

「ど、ど、ど、どこの……どなたで……、いや、あのっ……き、気になるわけではっ……」

「おー、これが娘を持つ親の動揺かいな」

「そんな綺麗なものでもないですよ。ある意味の、って事です」

「ほな、今日の試合ワシが勝ったら聞き出すで」

「負ける気はしてませんけど、やりますか?」

「口だけはデカい女やのう。胸がないから振られたんとちゃうか?」

 

 平子さんの挑発に、ピキっと笑顔を張りつけたまま私は振り返る。

 

「……両腕が無くなった方が負けってことにしましょう」

「やってみぃや、クソガキ」

「お父さん、縫合手術の準備をお願いします」

「……ハイ」

 

 一見穏やかに見える毎日。

 ふと見たカレンダーの日付を見て、私は目を細めた。

 ……もう間もなく、運命の歯車が廻り出す。




涙 こぼしても 汗にまみれた笑顔の中じゃ
誰も気付いてはくれない
だから あなたの涙を僕は知らない

絶やす事無く 僕の心に 灯されていた
優しい明かりは あなたがくれた 理由なき愛のあかし

柔らかな日だまりが包む 背中に ポツリ 話しかけながら
いつかこんな日が来る事も
きっと きっと きっと わかってたはずなのに

消えそうに 咲きそうな 蕾が 今年も僕を待ってる
掌じゃ 掴めない 風に踊る花びら
立ち止まる肩にヒラリ
上手に乗せて 笑って見せた あなたを思い出す 一人


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第四十八話 始まりの鐘が鳴る

 

 

 日中の気温が高くなり始めた頃、私は倉庫のシャッターを上げて外に出た。

 

「お世話になりました」

「なんも世話してへん」

 

 シャッター越しに立つのは、平子さんと有昭田さん。

 他の人達は、まだ寝ているか自分の時間を過ごしている頃だ。

 

「如月さん。祖父が貴女を誇りと思っているのであれば、私もまた貴女を誇りと思いたいデス」

「……ありがとうございます。私は誰かに誇られるような……そんな立派ではありませんよ」

 

 有昭田さんと握手を交わして、私は平子さんの方に顔を向ける。

 

「皆さんと共に、戦いの狂気に身を委ねている間に……これも私だと受け入れてみようと、少しだけ思えるようになりました」

「そんなこと誰も聞いてへん」

「……着いてきませんか?」

 

 私の提案に、平子さんは眉間のシワを深くした。

 

「俺らの考えは変わらへん。お前が喜助ん娘やってのは、俺らには関係ないこっちゃ。仲間になる理由にはならへん。俺らは、瀞霊廷には行かへん」

「……そうですね。余計なお世話でした」

 

 私はまた頭を下げてから、倉庫に背を向ける。

 一歩を踏み出した時、平子さんが私の背中に向かって言葉を投げた。

 

「お前がどんだけもがこうが、苦しもうが、俺らには関係あらへん。せやけど、ただ俺らは……ハッチの味方で、喜助ん味方。ただそれだけや」

「ありがとうございます。いってきます」

「誰も見送ってへんやろ。勘違いすんな」

 

 刺々しい言葉の節々に感じる温かさに、私の口角が上がった。

 

「一つ聞かせぇや。なんで、藍染のこと知っててアイツの作戦に乗っかるんや」

 

 私が物語の始まりを傍観しようとしていること。言わば、手っ取り早くルキアを隠してしまえばいいんじゃないかという指摘。

 ごもとっともで、大正解で……一番早い道筋だ。

 

 私は進めていた足を止めて、その質問に答えた。

 

「……大切な子に、大切な友達ができて欲しいからです。絶対に見失わない光を見つけて欲しいからです」

「はっ。傲慢な女やな」

「褒め言葉です」

 

 その会話を最後に、私は彼らの元を離れた。

 朝から気がついている。

 元々虚の出現率が非常に高いこの土地で、今日は異常なほど虚が現れていることに。

 

 大気中に漂う、撒き餌独特の甘ったるい匂い。

 

 それと同時に、人間には分からないであろう大気中の空間の歪みがどんどん大きくなっている。

 

 浦原商店の扉に手をかけた時、中からルキアの声が聞こえた。

 

「そ、それで滅んだとはどういうことだ!」

 

 ガラッと戸を開けると、ルキアが驚いた顔で振り返る。

 

「如月殿! 来ておられたのですか!?」

「うん」

 

 話の続きを父に求めようか、私と会話をしようか。そんなどっちつかずの状態で迷うルキアの頭をポンっと触る。

 私から合わせた方がやりやすいだろう。

 

「滅却師でしょ。今朝から随分と活動的だね」

「如月殿もご存じだったのですか?」

「うん。最近の真央霊術院でその辺の教養が消えているってのは本当だったんだ」

 

 私が視線を父に向けると、父は話の続きを始めた。

 ルキアもまた、食い入るように話を聞く。

 

「今でいう黒崎サンのような力を持つ人間が、虚の存在に気づき、それに立ち向かうべく修行を始めたのがその始まりといわれています。死神と同じように虚を倒すためにね」

 

 彼らとの関係性は、難しい問題だ。

 人間側の気持ちも理解出来るし、私達にも譲れない理由がある。

 両者は、こうなるしか道はなかったのかと……何度考えても答えの出ない問題だ。

 

「彼らは頑なに虚を殺そうとした。仲間の仇を討つという信念を持って。しかし、その信念故に彼らは滅ぶことになったんス……」

 

 暑さで乾いた喉を潤しながら、父の話を片耳で聞き続ける。

 ……何かを得るという事は、何かを奪うということ。

 世界の秩序を得た三界の代わりに、滅却師という存在を世界から奪った。

 奪われた彼らは……何を得ただろうか。

 

 それは、きっと……地の底で煮えたぎるように時を待つ憎しみ。

 

「今はそれよりも、もう限界が来てますよ」

 

 私の言葉と同時に、父も店先から見える空を見上げた。

 

「…どうした、浦原?」

 

 私達の視線の先に何があるのかと、ルキアは困惑の表情を浮かべる。

 ……死神の時であれば、これほどまでの変化には流石に気がつける筈なのに。

 と、少し寂しい思いに浸った時、ルキアの伝令神機が鳴った。

 

「くそ! 虚か! こんな時に……如月殿、浦原。また今度……」

「ルキア」

 

 私は出ていこうとするルキアを呼び止める。

 

「それ、壊れてないよ」

「どういう……ことですか?」

 

 次々と着信を知らせるルキアの伝令神機。

 それを呆然と眺めて、受け入れ難い事実を彼女は飲み込もうとしていた。

 

「ついておいで、ルキア」

「はい!」

 

 店の外へと向かう私の背中を、ルキアが素直に追いかけてくる。

 二人で外に出て、空を見上げれば……ここまで来ればルキアも何が起きているのか理解したようだ。

 

「なんだ……この空は……? なんだ……この重く乱れた魄動は……一体……」

 

 空には亀裂が走り、まるで体にまとわりつくような虚の匂いで溢れかえっている。

 数年前に一度経験した、あの時と同じ現象だ。

 

「ルキアは一護の元へ」

「如月殿は!」

「私はこの空の修繕に回る。ついでに虚の処理もするから、安心して」

「はい! わかりました!!」

 

 駆けていくルキアの背中を眺める。

 嘘を混じえてしまったのは申し訳ないが、私は前線へは行けない。

 あまりにも長い間、私がルキアを捕捉出来ないことに痺れを切らした隠密機動と技術開発局が、すでに動き回っている。

 

 なるべく気配を殺しながら目的を果たさなくてはと考えていると、頭の上から何かを被せられた。

 

「コレ、着て行ってください。姫乃の霊圧は少し目立ちすぎるので」

 

 父から渡されたのは、黒い外套。

 性能的には、霊圧を完全に遮断する物だ。

 

「それと曲光を組み合わせれば、捉えることは完全に不可能っス」

「ありがとうございます」

 

 そうして、私と父は同時に浦原商店を飛び出した。

 

 移動中、遠くで一護の姿を捉える。

 正面の敵にばかり注意を払いすぎていて、後方がおろそか。

 

 

「_破道の一 衝」

 

 危うく背後からの攻撃を受けようとしていた彼に向かって、最低限の威力の鬼道を飛ばした。

 突然体が吹き飛んだことに目を丸くし、救援なのか攻撃なのか分からないままの一護。

 そんな事で混乱するより、さっさと目の前の戦いに戻った方がいい。

 もどかしいほどの戦闘術の拙さにヤキモキしていると、ルキアが一護の頭を殴った。

 

 そうして無事、彼らは再び戦闘の中へと戻っていく。

 流石のルキアは、私からの支援だと気がついて頭を下げる。

 

「いや……その方角には私はいないけど」

 

 明後日の方に頭を下げているルキア。

 まあ、霊圧がないから仕方ないか

 

 少しズレているルキアの天然に笑いそうになりながら、私は一護の通う高校を目指した。

 

 

 

………………

…………

……

 

 

 到着した時には既に戦いは決していたようだが、気絶した者を喰おうと虚が集まってきていた。

 

「ごめんね、この子は貰っていくよ」

 

 鬼道は目立ちすぎるため、私は斬魄刀で周囲の虚を切り刻む。

 ものの十秒もしないうちに、周囲の虚は殲滅。

 

 学校全体にこれ以上被害が出ないよう、すばやく結界を展開。

 そして、昏睡状態にある一人の少女を見つけて担ぎあげた。

 

 父の様子を探れば、無事もう一人の少年を保護したようだ。

 そして私は、再び来た道を戻る。

 

 途中で出会う虚をすれ違い様に撃ち落としながら浦原商店へと帰宅。

 帰るタイミングも距離感もほぼ変わらなかったというのに、父はすでに帰宅していた。

 この人の足の速さには……敵わないな。

 

 そんな事を思いながら、意識を失ったままの少女を下ろす。

 来る途中で回道をかけつづけていたため、もう間もなく目を覚ますだろう。

 

「説明は姫乃からしますか?」

「私よりお父さんの方が口が上手そうなので任せます」

「嫌な役回りは得意っスよ」

 

 いつもの様にヘラヘラと笑う父に微笑み返して、私はまた店先へと出た。

 

 そこにはすでに、空間の補修準備を進めているテッサイさんがいた。

 

「先に修復を始めますね」

「かたじけない」

 

 人間界へと実害が出る前に、私は空へと向かって術を操る。

 ただの応急処置にすぎない。

 徐々に暗くなり始める空。

 それと共に、空間に僅かにヒビが出来始めているのを確認した。

 

 …… 黒腔(ガルガンダ)が開く。

 

「テッサイさん! 始まりました!」

 

 私がそういうと、テッサイさんが大きく頷いて店の扉を開ける。

 

「店長! ”空紋“が……収斂を始めました」

「準備は?」

「万端!」

 

 前線へと向かう為に歩き始めた二人。

 その様子を眺めていると、店の中から別の人物達が慌てるようにして出てきた。

 

「待ってください!! 私達は……」

 

 少し大きめの声をあげたのは、先程私が運んできた少女。

 

「後は任せていいっスか?」

「はい、お父さん達は先に行ってください」

 

 二人を見送って、私は再び彼らの方へと体を向ける。

 

「貴方は……黒崎くんと同じ格好……」

 

 私の姿に驚いたのだろう、少女は一歩下がる。

 その少女を守る様に、背の高い黒い肌の少年が前へと踏み出した。

 ただ、目線が定まっていない様子を見る限り……まだこの少年は私が上手く見えていないのだろう。

 

 今はそれに構う暇もなければ、必要も無い。

 

「ついて来ますか?」

 

 私の問いに二人は答えない。

 まだ混乱しているのだろう。

 

「自分たちの眼で確かめた方が早そうですね。これから貴方たちの踏み入る世界がどんなところなのか」

 

 私がそう言って歩き出すと、二人は戸惑いながらもついてくる。

 ただそれは、進む道を決めた訳では無かった。

 私のことを、正体不明の人物だと分かっていて、自分達の心境を吐露する為。

 

「あのっ、まだ学校に友達が……」

「俺も……公園に子供を残してきたままだ」

 

 つまるところ、二人は自分達だけが助かったのではないかと不安なのだ。

 

「問題ありません。あらかた片付けて来たので」

 

 私がそう返すと、二人はホッと安堵の表情へと変わる。

 二人のその様子に、私は目を細めた。

 

 そのまま歩き続けること、ほんの数分。

 人の気配を感じない廃墟ビルの中へと、私は足を進める。

 

 ここからなら、一護の戦いがよく見えるだろう。

 二人は私に警戒をしているようだが、黙って結局はついてきた。

 

 コンクリートの階段を昇る足音だけが響く空間。

 その沈黙を破ったのは、少年の方だった。

 

「……此処に、奴らは来ないのか?」

「結界を張っています。外からこのビルが見えることも気配を捉えられることも無い」

「安全……ということか?」

「その認識で間違いありません」

 

 私がそう答えると、少女の方が甲高い声を上げる。

 

「そんな!! 私達だけ安全な場所になんかいられません!! 助けないと!」

 

 その言葉を無視して、私は階段を昇る。

 少女は、私との距離を詰めてきた。

 

「あの!!」

 

 私の肩に伸ばされる彼女の手。

 それが触れる前に、手首を握って動きを封じた。

 

「いっ……」

 

 反撃が来ると思っていなかったのか、それとも避けられなかったのか。

 どちらでも良くて、結論少女は苦痛で表情を歪める。

 

「井上!」

「動くな」

 

 私が射るような視線を二人に向けると、ビクリと両者の肩が上がった。

 

「"他の人が"。"自分達だけが"。"助けないと"。そういう言葉は、力あるものだけが遣える言葉です。弱者があまり強い言葉を遣わない方がいい。滑稽に見える」

「どうしてそんな酷いことをっ……」

「恨みたければ恨んでもらって構わない。ただ私は、事実を伝えているだけ。逃げるも逸らすも立ち向かうも、自分次第ですよ」

 

 黙り込んでしまった二人。

 私は少女の手首から手を離すと、壁際へと移動した。

 私の動きに従うようにして、二人も壁際へと近寄り外の様子を眺める。

 

「一応、名前を聞いておいていいですか」

「井上……織姫です」

「……茶渡泰虎だ」

 

 二人に一護の戦いはどう見ているだろうか。

 現実と自分の非力に相対した時……。その時こそが、道を選ぶ時。

 

 偉そうな事を思っているが、自分が選んできた道が正解だったか不正解だったかもわからない。

 その答えは、全てが終わった後にわかるように世界はできてしまっている。

 

 二人を残して、私はビルを立ち去った。

 

 

 

 

 

 そして、それから一時間もしないうちの事。

 私の伝令神機が鳴る。

 

『大鬼道長』

 

 通話先は勒玄。

 

『現世空座町にて……』

「もう補修は終わった。……人間が、死神の力を得たと護廷に連絡を」

『承知。それと、六番隊から朽木隊長、阿散井副隊長の出撃要請が出ております。時刻は、これより二刻後』

「私が戻るより、お前が限定印を打ちに行った方が早いだろう」

『承知』

「ああ、それから……明日からの休みは予定通りに」

『……承知』

 

 何か言いたい癖に、何も言わない勒玄。

 それが都合がいいから、こうやって傍に置き続けている。

 

 さあ、これから……一護を本来より強くしようか。



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第四十九話 闇夜に交差する思惑

 

 

 穿界門が開く気配と、それに合わせて現世に降り立った二人の死神の気配。

 それをいち早く察知した私は顔を上げた。

 

「出ます」

「姫乃」

 

 店を出ようとした私の足に擦り寄る夜一さん。

 

「本気で行かねば、白哉坊は動かんぞ」

「知ってますよ」

「半端な気持ちは此処に置いていけ」

「はい」

 

 金色の瞳に見つめられ、私は強く頷く。そして、顔を隠すための布をきつく結んだ。

 

 雨が降りきしる夜。

 相変わらず澄ました霊圧をしている、昔からの喧嘩相手の元へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 __キィイイイン!!! 

 

 それは、住宅街に響く剣と剣が交わる高い音。

 ……私と白哉の剣が交わった音だ。

 

「お前はっ……マスク女……」

 

 この場にいる者の中で、私の正体を知らないのは一護だけ。

 

「アンタはっ……」

「如月殿!!!」

 

 恋次の声に被せるかのように、ルキアの悲鳴が辺りに木霊する。

 私に剣を止められたと言うのに、白哉は相変わらず表情一つ変えやしない。

 

「……なんのつもりだと、聞いておこう。如月大鬼道長」

 

 凍てつくような冷たい白哉の視線と言葉。

 それに臆することなく、私は返事を返す。

 

「朽木隊長。空座町を現在任されていたのは私です。この人間の処分も私が」

「こうなるまで、何一つ手がかりを得れぬ状態であった者が吐く言葉とは思えんな」

「せめてもの贖罪です」

 

 ジリジリと鍔迫り合いのまま硬直した互いの刃。

 流石に現世のこんな住宅街の中で、私の鬼道を打ち放てば損害が大きすぎる。

 

 少しの沈黙の後、白哉が再び口を開いた。

 

「護る、との戯言だと受け取って構わぬか」

「なりません! 如月殿!! それでは如月殿も罪に問われます!」

 

 状況を理解したルキアが慌てて叫んだ。

 一護を護りたい。しかし、私の立場が傾くのも懸念しているその言葉。

 ……自分なんかどうだっていいのか、この子は……。

 昔から……優しすぎるよ、ルキア。

 

「朽木隊長。貴方の任務は、朽木ルキアを連れて帰ることでしょう」

「その者の殺害許可を受けている。邪魔をするのであれば、兄の腕ごと斬り落とすしかあるまい」

「許可は命令ではない」

「……戯言を」

 

 次の瞬間、強く刀を押して、容赦なく私へ斬りかかる白哉。

 私が一度目の斬撃を受け止めたかと思えば、彼は瞬歩で素早く私の後方へと回った。

 

 しかし、丸見えだ。

 

「……遅い」

 

 私は、白哉の刀をもった右腕ごと後方へと吹き飛ばした。

 たった二度交わされた攻防。

 恐らくこの場にいる者は、誰もが目で追えてないだろう。

 

「勘違いしないでください。私は護廷の人間です。反旗の意思はありません」

「ならば幇助の罪に問われたくなければ、今すぐこの場から立ち去るが良い」

「……嫌だといったら?」

 

 その言葉に返事はなく、白哉は再度踏み込んできた。

 流石にまだ始解はしてこないようだが、刺すような霊圧が襲い掛かる。

 私も押されることなく応戦し、互いの刃が何度も何度もぶつかり合う。

 

 一瞬の隙を突いて、私は白哉の間合いに踏み込む。

 すぐに瞬歩で回避を狙う白哉を逃さず、咄嗟に前後持ち替えた斬魄刀の柄の部分で、腹部に打撃を入れた。

 一瞬の苦痛で眉をひそめた白哉は、再び私から距離を取る。

 

「朽木隊長が……押されてるのか……?」

 

 あり得ないものを見るかのような目で、戦況を見つめる恋次。

 隊長同士の最高峰の戦いに、任務を忘れるほど魅入っている。

 

 そんな周囲の様子から、私は再び白哉に視線を戻した。

 突かれた腹を一瞬白哉は触ったが、私を見る表情に変化はない。

 だが手に取るようにわかる。

 なぜ手加減を入れたのかと、腸が煮えくり返っていることだろう。

 

「朽木隊長。貴方が一度でも私に勝てた事がありましたか。私の記憶にはないです」

「……ならばなんだという」

「……大人しく下がって見てろと、そう言っています」

 

 その言葉に、ようやく白哉が僅かに眉を動かす。

 刀を胸の前に構えるような動作を彼が始めた時……私はそれよりも早くに刃を振るった。

 

 

「がっ………」

 

 場に響く苦痛の声。

 今しがた、目の前にいた白哉の声じゃない。

 私の後方にいた、一護の声だ。

 私が後ろ向きに降った刃が、一護の身体を袈裟斬りにする。

 

「……先程の一護へ向けた剣の軌道。鎖結と魄睡だけを射抜こうとするなんて、随分甘くなりましたね」

「一護っ!! 如月殿っ……何故っ……」

 

 大粒の涙を零しながら叫ぶルキアの声を無視して、私はジッと白哉を見つめた。

 

「クソ……マスク女……てめぇ……ルキアの味方じゃなかったのかよ!!」

 

 成すすべなく、崩れ落ちる一護。

 すでに指一つ動かすことが出来ないだろう。

 

 

「……まだ息があるか」

 

 私は後ろを振り返って、一護に一歩近寄る。

 私が確殺をいれようとしている事に気がついたルキアが叫んだ。

 

「おやめ下さいっ……どうかっ……どうかおやめ下さいっ!!」

「あっ……!」

 

 恋次の腕を振り払って、こちらへと駆け寄るルキア。

 

「_縛道の一 塞」

 

 私は、すぐさまルキアを拘束した。

 

「やめろ!! ルキア!! いいか、あのガキはこの場で死ぬ!! 死人の為に、てめーが罪を重くする必要が何処にあるよ!?」

 

 動けないルキアの肩を掴み、恋次が吠える。

 

「わかってんのか!? いまてめーが駆け寄って触れるだけで、てめーの罪が二十年は重くなんだぞ!!」

「それがなんだっ……一護は私が巻き込んだっ……。私の所為で死ぬのだっ……。私の所為で死んだ者の傍に、私が駆け寄って何が悪い!!」

 

 私の行動。そしてルキアの言葉を聞いていた白哉が口を開く。

 

「……如月」

 

 その言葉に促されるように、私は一護に一歩近づいた。

 そして……一護の心臓付近を目掛けて刃を突き立てる。

 

「っ……」

「一護ぉおおおお!!!!」

 

 口から大量の血を吐き出すと共に、ゆっくりと沈みゆく一護の身体。

 この場にいる誰しもが気がついた。

 

 一護から、霊圧も魄動も消えた事に。

 

「……言ったはずです。この者は、私が殺すと」

 

 白哉は何も言わず、ただ剣をしまった。

 

「……よかろう」

「う、あぁっ……一護っ……すまぬっ……すまぬ!」

 

 私が縛道での拘束を解いた。

 ルキアは泣きながら、地面を這うようにして一護の傍に行こうとする。

 

 その様子を横目で見ていた白哉が、私にしか聞こえないほどの小声で囁いた。

 

「……成程。余程この小僧が大切か。小僧の証言からすれば、兄はこの惨事を知っていて、黙認したと取れる」

「初対面ですよ。人間風情の言葉を信じるなど、らしくない」

「この小僧に誰を重ねたか、よく分かる。……らしくないのは兄の方だ」

「……なんの話ですか」

 

 

 白哉と横目同士で暫く目が合って、どちらともなく視線を外した。

 

 ルキアを必死で抑える恋次と、もがくルキア。

 私は彼女に向かって、少し大きな声をあげた。

 

「ルキア!! 帰りなさい、尸魂界へ」

「如月……殿っ……」

「帰りなさい!! ……私を信じて」

 

 ルキアは一度、大きく顔を歪めて下に伏せた。

 そして、ゆっくりと立ち上がる。

 

 伏せた顔が再び上がった時、ルキアの表情は先程の泣き顔ではなかった。

 口を真一文字に結び、全ての感情を押し殺したかのような表情。

 

「……参りましょう。兄様。この朽木ルキア、如何に愚かな事をしていたのか、今ハッキリと目を覚ましました。慎んで我が身の罪を償いましょう」

 

 その様子を見て、白哉は目を伏せて歩き出す。

 

「帰るぞ、恋次。尸魂界へ」

「へ、あ……はい!」

「朽木ルキアは確保した。力の譲渡が見られた人間は、如月姫乃によって確殺を確認。……その報告をあげにいく」

 

 その言葉に、私はホッと息をついた。

 離れゆく三人の背中。その背中に、小さく言葉を投げる。

 

「……ありがとう。白哉……」

「……このような醜態、二度はないと恥を知れ」

 

 そう言い残して、白哉達は尸魂界へと帰って行った。

 彼らが帰ったのを確認して、私はすぐさま一護に駆け寄る。

 

「一護!!」

 

 完全に意識がない状態。しかし、まだ呼吸が続いている。

 私は一護を担ぎあげた。

 

「……黒崎を……殺したんですか……」

 

 暗がりから聞こえた声。

 いることには気がついていた。

 滅却師の少年だ。

 

「……こうしなければ、彼らは諦めてはくれません。まだ助かります」

「……お願いします」

「貴方も手当をしますので、着いてきてください」

「お気遣いありがとうございます。けど、大丈夫。……黒崎の事をお願いします。奴等を倒せる可能性があるとすれば……それは僕じゃない。朽木さんを救えるのは……彼だけです」

 

 そう言って闇の中を歩く彼と別れ、私は浦原商店までの道を全力で駆け抜けた。

 

 そして、ようやく見えてきた店の明かり。

 蹴破る勢いで、店の扉を開ける。

 

「むむ! 何事ですか!!」

「救護用意!! 術式二番!!」

 

 背中に一護を担ぎ、怪我なのか返り血なのかわからないほど血だらけで帰ってきた私に、テッサイさんが驚きの声を上げた。

 それに構わず、私は店の中へと入る。

 

 そして、すぐさま回道をかける用意を始めた。

 テッサイさんも素早く私に合わせてくれる。

 

「一護……大丈夫、大丈夫だからね……」

「間に合わんかったのか!」

「夜一さん! 霊力固定霊具を!」

「待っておれ!」

 

 慌ただしく始まった一護の救命。

 

 一護が私の太刀筋に反応できないことは承知の上で深く切ったのだ。

 ここで殺してしまえば私のせいだ。

 

 それ以降、誰の声も聞こえなくなるほど、私は一心不乱に一護の治療に集中した。

 

……………

………

……

 

 

 どれ程時間が経っただろう。

 朝日が空を照らし始めた頃。

 

 一護の呼吸が安定してきた。

 

 血で溢れかえった布生地を一旦外に出す為に、私は結界の中から出る。

 

「白伏っスね」

 

 父もまた、寝ずに待っていてくれた。

 部屋の片隅で座る父の方を向き、軽く首を縦に振る。

 

「傷の深さから見て、二撃目は神鎗を遣ったんですか?」

「はい。最小限の傷に押え、二撃目と同時に白伏をねじ込みました。興奮状態にある一護に白伏を遣う為には、大きな動揺が必要だったんです」

「怪我人に遣う白伏は危険すぎます」

「……分かっています」

 

 こうしなければ、白哉は下がってはくれなかっただろう。

 彼もまた、一護が死んでいないと分かっていて……身を引いたんだ。

 私の白伏には耐えきれないだろうと。

 

 それ以外の理由があったとしても、私が知る由もない。

 

「黒崎さんの中に眠る死神の力と、朽木さんの力を合わせるためとは言え無茶しすぎっスよ」

 

 そう言って父は私の頭をポンポンと叩いた。

 

「あとはアタシがやっときます。少し寝なさい」

 

 その言葉に安心し、私は少しだけ瞼を閉じた。

 

 

 

********

 

 

 

 それから数時間が経過し、一護の絶叫で目覚めた。

 

 良かった、大声を出せる元気はあるみたい。

 私は昨日そのまま寝てしまったことを後悔しながらシャワーで体を流す。

 布団が一護の返り血でべったりだ。申し訳ない。

 

 心の中で謝りながらシャワー室をでて、新しい死覇装に着替え、一護の元へ向かった。

 

「てめぇっ!!」

 

 私の姿を見た一護は、一気に眉間にシワを寄せ怒鳴り声をあげる。

 

「なんでルキアを助けなかった!! てめぇはどっちの味方だ!!!」

「ルキアの味方ですよ」

「じゃあなんで助けなかった!! お前はアイツより強いんじゃねぇのかよ!!」

「ルキアは、尸魂界に帰るべきだったからです」

 

 一護は私の言葉に一つも納得していないのだろう。

 自分が斬られたことより、ルキアを私が護らなかったことが許せないようだ。

 

「ルキアは、てめぇのこと信用してたんだぞ!!! てめぇの為なら死ねると、ルキアは言ったんだぞ!!!」

 

 ルキアがそんなことを……。

 昨晩、ルキアの全てを押し殺した表情を思い浮かべ、信じてくれたことに感謝した。

 

 私は一護の近くへと歩み寄り、腰を下ろす。

 体の痛みさえなければ、自殺覚悟で私に斬りかかってきそうな程、殺気に満ち溢れる彼。

 

 その感情を受けながらも、私は淡々と事情を述べる。

 

「ルキアは一度尸魂界に帰らねば、死神の力を失ったまま。そして、貴方を助ける為です。ルキアを助ける時間はまだあります。……助けに行きたいですか」

「俺にどうしろっていうんだ……。ルキアはもう……尸魂界に帰っちまったんだぞ……行く方法なんて……」

 

 

 俯いた一護に、父が声をかけた。

 

「本当にないと思いますか? 尸魂界に行く方法」

 

 父のその言葉に、一護は顔を上げる。

 

「尸魂界への道は通常、穿界門と呼ばれる死神にしか使えない門を通ります」

 

 父のその言葉に、はっと気が付いたかのように私をみる一護。

 私はそれに答えるように頷く。

 

「ちゃんといますよー、死神が」

 

 父も一護の目に光が戻ったのを確認したようだ。

 私達の行動に関して、もっと冷静に考えれば不可解な点はあるというのに……。

 一護は、助けに行きたい。その気持ちだけを真っ直ぐとみて疑わない。

 

 そして、思い出したかのように顔を上げた一護。

 

「そうだ!! 石田はっ……」

 

 私は、一護に石田と話したことの全てを伝える。少し信じられないかのような表情の一護だったが、グッと拳を握りしめた。

 

「連れて行ってくれ、如月さん! 俺を尸魂界に!!」

「はい。けど、少し戦いの勉強をしましょう。そうしなければ、尸魂界には連れていけません」

「なんだよそれ!! そんなヒマねぇだろ!! ルキアは尸魂界で、いつ殺されるかわかんねぇんだぞ! そんなことしている間に、少しでも早く……!!」

 

 

 __ダンっ!!! 

 

 私が動くよりも早くに、一護を叩きつけたのは父だった。

 出会ってから初めて聞く、父の相手を威圧する低い声。

 

「……せっかく優しく伝えてあげているのに、わかんない人だなぁ。言ってるんですよ。今のままじゃ、キミは死ぬ・と」

 

 その声色と圧に、一護は固まる。

 昨晩の戦いを、何故私達が見捨てたのか。

 淡々と父の口から伝えられる事実。

 

「……姫乃。昨日、あの童達に何を言うた。まさか、今の喜助と変わらぬ重さを出したわけではあるまいな?」

 

 しれっと私の肩に乗っていた夜一さんが、耳元でコソコソと囁く。

 そういえば夜一さんは、井上と茶渡に会いに行ってたんだった。

 

「……怖がらせたかもしれません。事実を伝えただけなんですが……。客観的に見ると、めちゃくちゃ怖いですね……」

「はぁ……。お前ら親子は……似んで良いところばかし似おって……」

 

 私達のヒソヒソ話など、二人の耳には届いちゃいない。

 

「キミは弱い。弱者が敵地に乗り込むこと。それは自殺って言うんスよ。「朽木サンを救うため」? 甘ったれちゃいけない」

 

 むしろこっちが本性なんじゃないかと思ってしまうほど、一段と低い父の声が部屋に響く。

 

 

「死ににいく理由に、他人を使うなよ」

 

 

 シンっ……と静まり返った部屋。

 夜一さんに尻尾で頬をつつかれ、促される。

 そのまま私は、空気を変えるためにパンっ! と手を叩いた。

 

「通常刑の執行まで一月猶予があります。私がいれば、一護は二週間の訓練が可能。尸魂界に入って二週間。十分間に合います」

 

 身体を起こした一護が、私に問う。

 

「二週間で……俺は強くなれんのか?」

「勿論。初めに言ったはずです。私は、ルキアの味方だと」

「想う力は鉄より強い。半端な覚悟はドブに捨てましょ。二週間、アタシ達と殺し合い、できますか?」

 

 私たちの言葉に一護は少し黙った後、口を開く。

 

「どーせ俺が出来ねぇっていったら誰もやるやついねぇんだろ。しょうがねぇ、やってやろうじゃないか!!」

 

 

 影でこっそり、父と私でグッと親指を立て合う。

 その様子に気がついたのは夜一さんだけ。

 

「お主らは全く……人を誑かす才能まで似てしまったか」

 

 ため息をついて店を出ていく夜一さん。

 そうして、本来予定していた修行よりも、遥かに過酷な一護の修行が始まった。



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第五十話 その名は……斬月

 

 

__7月22日

 

「よろしくお願いします!!!!!」

「こちらこそ」

 

 

 次の日、父からもらった謎の薬を飲んで復活した一護が、私たちに向かって頭を下げる。

 一護は予定とは違い、ルキアの霊力を保有したままだ。

 肉体から魂魄を抜けばいつも通りの死神の姿となるのは明白。

 ここから一護の魂にある本来の力を引き出す。

 

「よし、じゃあ……走ってきてください」

「……は?」

 

 私は、地下の練習場に降りた一護にそう告げた。案の定理解の出来ないという顔をする一護

 

「いや……なんかもっとこう、刀とかで……」

「つべこべ言わず、早く」

 

 私が一護の首筋に刀を当ててニッコリと微笑むと、一護は一目散に地面を蹴る。

 一護が今走っているのは私の結界の中。私お手製の低酸素濃度の空間だ。

 世界で一番高い山より高い所を走らせている状態。

 

 一護の体力が限界を超えるのを待つ間に、私は父に話しかけた。

 

「お父さん。出来ました?」

「いやあ……まあ一応形にはなったスけど……成功するかわかりませんよ」

 

 父が弄っている機械は、霊力保管器。

 本来罪人から霊圧を完全に奪うための機械を改良し、一時的にすべての霊圧をこの機械の中に集約させる。

 そうすることで、一護の中にあるルキアの霊圧を一時的に預かるのだ。

 本人と機械の管を繋ぎ、栓を戻せば元の体内に戻せる。

 元々私が造りかけていたものだ。

 

「ええ! こっちの具合変えたんですか! あの配線は絶対こうですよ」

「いや、こっちっスね」

「絶対こう!!」

「絶対こっちっス!!」

 

 最終点検にて、最も成功率が高い方法を二人で言い合っていると、夜一さんの爪が飛んできた。

 

「……遊びと勘違いしておるのかの」

「「……ごめんなさい」」

 

 吹雪のように凍てつく夜一さんの眼力。

 猫の影が虎に見える。

 

 シオシオと背を丸める私達をみて、夜一さんはため息をついた。

 

「科学者としては似ておらんのか。方向性は重ならんようじゃの」

「「え? 方向性の似ている科学者って、二人もいらないですよね?」」

 

 綺麗に重なった私達の言葉に、夜一さんはもう好きにしろと言いたげに一階へと消えていく。

 

 結局、半ば諦める形で父の作品へと仕上がっていった。

 私がしたことといえば、機械の周りにお絵描きをしていたくらい。

 

 一護の本能的な防御反応を消すために、体力を限界まで削っている最中なのだが……失敗すればルキアの力ごと消えてしまう。

 先日から、一護には賭けばかりさせていて申し訳ない。

 

「おい! 姫乃!! アイツぶっ倒れだぞ!!」

 

 ジン太くんの言葉を聞いて振り返れば、一護が屍のようになって倒れている。

 

「うん、起こしてもう一回走らせてー」

「あいよー」

 

 なんとも非情な言葉をかけてから、私達は黙々と準備を進めた。

 すると、テッサイさんが近寄ってくる。

 

「姫乃殿。拘束は私が行いましょうか」

「いえ、大丈夫ですよ。最高難易度の縛道を三日も出来るなんて、ワクワクします」

「承知」

 

 そうこうしている間に、ジン太から一護が死にそうとの報告を受ける。

 それを聞いて、私はようやく結界を解いた。

 

「一護ー、こっちに来てくださいー」

「む……りっ……」

 

 必死に酸素を取り込む一護。

 想像以上に体力がない。これは後で基礎体力向上もやらなきゃ……

 

 動けない一護を、ジン太が首根っこ掴んで運んできてくれた。

 そのまま私は、父と一緒に一護の体に装置をくっつけていく

 

 

「なんだっ……」

「行きますよ」

 

 

 父のやや緊張した声と共に、装置にスイッチが入った。

 

「おああああ!?!?!?」

 

 一護の体から大量の霊力が吸収され、みるみる死覇装が透けていく。

 

「なん……だっ……。いてえええ!!」

 

 一護は急激な体の変化に息が止まりそうな程苦しんでいるように見える

 痛みが伴うとは予想外だった。私は父の顔を見上げた。

 バチバチと音と閃光を発する機械を、父も目を細めながら見守っているようだ

 

「……大丈夫ですかね」

「……さあ」

 

 なんとも曖昧な返事は一旦受け流し、一護の方をみる。

 死覇装がどんどん透けていき、やがてただの魂魄の形になった。

 

「一応、成功……っスね」

 

 とりあえず第一段階は。というところだろう。あとは戻せるかどうか。というところか。

 

「二人とも何がしてぇんだよ……」

 

 全く説明のないまま魂魄の姿にされた一護は、不安そうな表情を浮かべる。

 確かにこちらも説明不足かもしれない。

 しかし、一から十まで説明したところできっと理解に苦しむだけだし、一護には体で叩きこんだ方が早そうだ。

 

「その姿は普通の人間の魂魄の姿っス。ちょっとこっちでいじって、黒崎さんの中にあった朽木さんの力を抜きました。まずはその状態で黒崎さんの中にある霊力の回復を行います」

「……なんかよくわかんねーな。ラジオ体操でもすりゃいいのか?」

「まあ、やってみたほうが早いかと」

 

 私の言葉に父はうなずき、ウルルを呼んだ。

 

「じゃ、最初のお勉強♡彼女と戦ってください」

「はい!?」

 

 そうして一護とウルルの勝負が始まった。

 父はジャスティスハチマキなどという、しょうもない冗談で一護をからかっているようだ。

 

 ……ジャスティス? 

 なんか何処かで……。

 

 記憶の中を辿り、血は抗えないとはこの事かと背筋に鳥肌が立った気がした……。

 

「……ウルルの初撃躱せたし、もういいんじゃないですか?」

「いやあ、面白そうですしこのまま見守っちゃいましょう」

「まったく……」

 

 そう父と話していると、初めは逃げてばかりだった一護が、やっとウルルの方を向き始めた。

 ようやく気がついたかと、私は目をパチパチと瞬きさせる。

 

「一護が死ぬ前にとめてくださいね」

「もちろん」

 

 一護はというと……。

 先程死ぬ直前まで走らせたのに、案外まだ動けている。

 やはり、彼は追い込んで追い込んで……とことん追い込んで真価を発揮するタイプなのだろう。

 

 

 一護がウルルに一撃をいれたところで、父の姿が隣から消え、暴走しかけたウルルを止めていた。

 

「レッスン1、クリアっス!」

「はぁ!?」

「誰もウルルを倒したらクリアなんて言ってないっスよ。魂魄は消滅の危機に瀕したときに最大の力を発揮する。レッスン1は、この子の初撃を躱せるかどうか。です」

 

 あーだこーだやり取りをしている二人だが、無事一護の霊圧回復は出来たようだ。

 私も次のレッスンからは参加するので、一護たちの元へ合流する。

 

「さっき限界まで走らせたつもりだったんですけど……よくそんな体力ありましたね」

「お前ら揃いも揃って、サディストの集まりかよ……」

「出来れば、泣き喚いて許しを懇願するくらい追い込まれて欲しいんですけどね。それでもやめないですけど」

「……如月さんの強さの秘訣が何となくわかった気がする……。そんな育て方したら、性格歪むっつーの……」

 

 ドン引きの表情の一護だったが、それを父が遮る。

 

「まあま、いいじゃないスか! 結果霊圧は回復したんだし! どうです、合格祝いにこのまま……」

「お、なんだ。このままメシとかか?」

 

 ダンンっと音がして、一護の因果の鎖をテッサイさんが断ち切った。

 そのまま彼が一護を押さえつける。

 

「このままレッスン2ってのは?」

 

 は? と理解の追いついていない一護。

 私は一護と目線を合わせるようにしゃがんで、話しかけた。

 

「この鎖がなにかはもうご存知ですよね? 鎖の侵食が胸に達すれば虚になります」

「なっ! そうなのか!?」

「肉体から離れたあなたはもう後戻りは不可能。安心してください。虚になるのを防ぐ方法はたった一つ。……死神になることです」

 

 ごくりと唾を呑む一護の上からテッサイさんが退いたのを確認し、私は父に合図を出した。

 父より100倍雑な説明だけどまあいいだろう。

 案ずるより産むが易しって言葉もある。

 

「じゃ、始めましょうか。レッスン2『シャタードシャフト』GO!!」

「あとの説明は私がしておきまーす」

 

 ヒュっと音がして私と一護は深い穴の中に消えた。

 父たちがニコニコしながら手を振っている光景は一護には見えていないだろう。

 

「おおおおおお!!!???」

「縛道の三十七 吊星」

 

 私は一護の落下の衝撃を和らげて無事底に降りる。

 一護も予想外の着地で混乱していたようだが縛道を解くとすぐに起き上がった。

 

「なあ! どういうことだよ!! 如月さん」

「_縛道の九十九 禁」

 

 説明の前に私は一護の両手を封じた。

 

「このレッスンでは両手を縛らせてもらいますね。その状態で出口まで上がっていってください」

「バカ言え!! あんな高ぇところまで行けるわけねぇだろ!!」

「出来る出来ないの話はしてないです。侵食、もう始まっていますよ」

 

 一護の体の鎖は蠢き、侵食を開始している。

 

「うわああああああ!!!!」

 

 始めてみる侵食に驚いたのか一護は慌てて壁に走ってその鎖を押し付けてる。

 そんなことして、余計に苦しいのは自分自身なのに。

 焦ると直ぐに単調な行動に走る一護に、ため息をついた。

 

「食べるの邪魔すると、自分が喰われますよ」

 

 忠告が遅かったようで、一護は脇腹を噛みつかれていた。

 

「っ!!!」

「言わんこっちゃない。本来虚になるには数か月から数年かかりますが、ここの環境は特殊に作られています。……三日で出来なければ、貴方を虚として殺します」

 

 それでやっと事の重大さに気が付いた一護は必死に壁を登り始めた。

 そんな様子の一護を黙って見守る。

 

 大丈夫だと分かってはいるが、予定通り力を取り戻して……。

 私が関わっていることで上手くいかないなんて……。そんな未来は来ないで欲しい。

 

 そう願いながら、私は自分も縛道を継続するために集中を高めた。

 

 

 

********

 

 

__7月25日

 

 

 一護が穴に入ってから、既に70時間が経とうとしていた。私の隣には、食事を持ってきてくれたジン太くんの姿。

 

「なんだよ……浦原さんたちは俺を殺す気かよ……」

「貴方が諦めればそうなるでしょうね」

「クソっ……」

 

 最後の侵食までもう時間がない。

 私は一護に話しかける。

 

「……ルキアを助けたいなら、最後まで諦めないで。一護の中に死神の力はちゃんとあります」

 

 私のその言葉を最後に、一護の侵食が一気に始まった。

 

「オオオオアアアアアア!!!!」

「おいおいおい!! やっぱアイツ虚になっちまったぞ!」

「ジン太くん! 上に逃げて!!」

 

 一護の顔に現れた虚の仮面。

 間に合え。父たちを見上げれば、父も一護の様子をみてなにか話しているようだ。

 まだ父も諦めていない。

 

 一護の霊圧が高まり、禁で固定していたはずの杭が吹き飛んでいく。

 だめだ……この霊圧は……虚の霊圧!! 

 

 

「っ!!! 拘束を切り替えます!! 

 _縛道の九十九 二番 卍禁!! 

 _ 初曲『止繃』!!」

 

 このままでは上にいる皆も危険にさらされる。

 

「弐曲 「百連閂」!!」

「おい!! 姫乃! そんなん食らわせたらソイツ死んじまうぞ!!」

「姫乃殿の霊圧で、それ以上の拘束は危険ですぞ!!」

 

 テッサイさんとジン太の声が私の元へ届く。

 分かっていて、私は一護に向かって大声を出した。

 

「護りたいものがあるのなら、自分を見失うな!!!」

 

 次の瞬間、一護の体から爆風が巻き起こり、辺り一面砂煙に満ちる。

 それと同時に起きた爆発。

 私はその衝撃で、岩肌に体を叩きつけられた。

 

 なんて霊圧っ……。

 

 けど、これは……死神の霊圧だ。

 私は思わず口元が緩んだ。

 

 ふぅっと仮面を叩き割りながら、少し疲れたような表情の一護が確認出来る。

 

「オメデトさーん! きっちり死神の霊圧に戻れたじゃないスか! お見事、レッスン2クリアっス!!」

「やかましい」

「目が痛い!!」

 

 上のやり取りを聞いて、ホッと胸を撫で下ろし、私も上に駆けあがる。

 

「お疲れっス。姫乃」

「わかっていても、怖かったです……」

 

 私の言葉に父はフッと笑った。

 一護はなんのことかわからないという表情をしているが、こっちの話だ。

 

「さて、朽木さんの霊圧も戻しましょうかね」

 

 父の言葉に従い、再び一護の体に装置を取り付けた。

 

「……これ、浦原さんが作ったのか?」

 

 先ほどは見る余裕のなかった機械を、一護は不思議そうに眺める。

 

「ハイ! まあ、アタシは調節しただけスけどね」

「元の原理はどうなってるんだ?」

「姫乃に聞いてください」

「どうなってんだ? 如月さん」

「さあ? 適当ですよ」

「オイ」

 

 一護の怒りのスイッチが入る前に、私はスイッチを押した。

 途端に機械が白く光り、ガタガタと揺れ出す。

 

「なんかあったけーな」

 

 取り除く時とは逆で、今度は痛みより心地よさを感じるようだ。

 一護の感想を無視してジッと眺めていると、その揺れは段々大きくなっていき、徐々に煙が出てきた。

 ……大丈夫ではなさそうな予感。

 

「ほら……言ったじゃん……お父さん……」

「こりゃー嫌な予感……っスね」

 

 いつも使っている敬語が崩れた事にも気が付かず、モクモクと立ち上がる白煙に冷や汗を流す。

 …………次の瞬間、機械から発せられる閃光で視界が奪われた。

 

「伏せて!!!」

 

 父の大きな声と同時に私は父の手により頭を押さえられ、地に伏せた。

 強い閃光を感じた一拍後、鼓膜が破けるかと思うほどの爆発音が鳴り響く。

 

 

 __ドオオオオオオオン……

 

 

 聴覚が徐々に戻り、辺りの砂煙が晴れてきたころ、私はやっと顔を上げた。

 

「ゲホ……みんな無事……?」

「「「なんとか」」」

 

 父と一護、興味本位で近くにいたジン太くんの声が重なる。

 機械があったところを見れば、地面すら炭化するほど見るも無残な姿になっていた。

 なんとか体を起こし、砂まみれの服を手で払う。

 

「ど、どうなったんだよ……」

「……アタシじゃわからないっス。姫乃、見てあげてください」

 

 私は言われるがまま一護の胸に手を当て、霊圧知覚を最大まで引き上げた。

 溢れんばかりの一護の力。霊圧だけなら既に隊長格に匹敵。

 その中に……。

 

「……あります。成功です」

 

 私がそう微笑むと、父はほっと胸を撫で下ろした。ちゃんとルキアの霊圧も戻っている。良かった。これで一つ目標がクリアだ。

 

「じゃ、このままレッスン3にいっちゃいましょう!」

「次はなにすればいーんだ」

 

 屈伸しながら一護は私達の方を見る。

 

「次は……この子と戦ってください! この帽子落とせたら勝ちっス。時間は無制限!」

 

 そう言って父は自分の帽子を私の頭の上に乗せた。

 

「え……。私鬼道以外、人に稽古を付けたことないですよ」

「稽古じゃない。戦いっスよ」

 

 三日間縛道を続けた直後に戦闘か。

 まあいいか。と思っていると、迫ってきた霊圧に気が付き、身を後ろへと下げる。

 危うく帽子が風圧で飛びかけたが、なんとか無事のようだ。

 

「……少しは速くなりましたね」

「あったりめーだ! 本気だしゃ、まだまだこんなもんじゃねーぞ! 時間無制限だなんて言ってねぇでよ、五分でカタつけようぜ!」

 

 一護には、この直ぐに調子に乗る癖をどうにかして欲しいものだ。

 私は彼にニコリと微笑み返して、抜刀した。

 

「じゃあ、遠慮なく。制限時間五分で」

 

 開始直後、私は素早く一護の懐に潜り込み、腹部を蹴り飛ばす。

 岩に激突しそうだったのを何とかテッサイさんが受け止めてくれた。

 

「言っときますが、姫乃は強いっスよー」

 

 呑気にくつろぎ始めた父の言葉が聞こえる。

 

「いってぇ……なんだその蹴り……」

 

 おおよそ女の体から出る蹴りではない威力に、一護は口から多少の血を流した。

 私は構わずに、一護の喉元に刃を突き付ける。

 

「ほら。もう君は死んだ」

「……っ」

「立たないんですか?」

 

 私の言葉を聞いた一護はすぐに立ち上がって斬りかかってくる。

 私にとっては遅すぎる攻撃。

 あえて回避速度を落とし、一護の折れた刀を受けようとした。

 

「あぶねぇ!!」

 

 私に当たると思ったのか、一護は慌てて攻撃を逸らす。

 ……斬れないのか。

 

 私はため息をついて一護を睨んだ。

 放たれる殺気に一護はビクリと肩を震わせ、硬直する。

 構わず瞬歩で彼の前に行き、切っ先を心臓につきつける。

 

「ここから先は殺し合いの世界だって言ったでしょ。まだ甘えてるんですか? ……私がいつでも貴方を斬れるの、忘れてません?」

 

 その言葉で、あの夜のことを思い出したのだろう。

 恐怖の色が浮かんだ瞳で、一護は私の刀を力の限り振り払った。

 

 私は一度距離を取ったが、再び彼の背後に回る。

 一護は何とか振り返ろうとしたようだが……

 

「遅い」

 

 再び目の前に突き付けられた切っ先に固まってしまった。

 グッと悔しそうな顔をする一護。

 

「いま、反撃出来ましたよ」

「そんなん……攻撃が止まってんのに狙うなんて卑怯だろ」

 

 私の切っ先が止まった瞬間を狙って、斬り返してこない理由。

 それを聞いて、私の中で何かがカチッと鳴った音がした。

 これは……私が甘すぎる所為だ。

 

「嗜好を変えましょう」

 

 私は一度斬魄刀を下ろす。

 その様子を見た一護はほっと胸を撫で下ろした。

 

「っあ……!!」

 

 その隙を見逃さず、私は一護の肩を斬った。

 驚いた一護は何とか後ろに飛び退いたようだが、血が噴き出している。

 数日前の時と違い、回避反応は上々だ。

 

「相手の行動だけで判断する。甘すぎる。言ったでしょう。私は貴方をいつでも殺せます」

 

 私の斬撃を必死で受け止める一護。

 しかし、無情にも一護の折れた斬魄刀は、始解すらしていない私の名無之権兵衛によって柄だけへと変貌していく。

 

「まだ遅い。逃げても追いつかれるのなら、この足はもう要らない」

「くっそっ……」

 

 一護の太ももに、縦に斬れ目が入ると同時に吹き出す血。

 

「次は、その追いついていない目をくり抜きましょうか」

「やめっ……」

「やめない。死にたくなければ、戦え」

 

 恐怖で逃げ惑う一護。それでも私は止まらずに、彼を再び蹴り飛ばした。

 その体が今度こそ、岩肌へと叩きつけられる。

 

「姫乃殿! それ以上はっ!」

「黙っててください。テッサイさん」

 

 中断しようとしたテッサイさんを止め、私は横たわった一護の前に立った。

 

「怖い、ですか。斬られるのが」

「っ……」

「貴方の剣には恐怖しか映ってない。相手を斬る覚悟もない。殺気に臆し、痛みに怯え、相手に刃を向ける迷いが生じている。覚悟がないならもう家に帰っていいです。……見えませんか。私の剣に映る、貴方を斬る。という覚悟が」

 

 私の言葉に、一護は唇を噛み、出血している肩を手で押さえながら立ち上がった。

 

「ほーら、姫乃が優しいうちに掴まないからっスよ、黒崎サン」

 

 そんな父の野次が聞こえる。

 私を見据える目は、先ほどまでの怯えた目ではない。

 そうだ、一護。

 それが殺意だ。

 それが『死神』と戦うための戦闘術だ。

 

「何のために、その刃を振るいますか」

 

 一護の霊圧の高まりを感じる。

 

「何を誇りに、戦うんですか」

「……わりぃ、如月さん。うまく避けてくれよ……多分手加減出来ねぇ」

 

 私はその言葉に、持っていた脇差を抜刀した。

 名無之権兵衛と脇差の切っ先を、素早く目の前ですり合わせる。

 

 

「   斬月!!!!!!  」

「破道の七十八 斬華輪!!!」

 

 

 __ドォオオオオン‥‥

 

 

 一護から飛んできた斬撃に合わせて、私も霊圧で作った刃をぶつけ、相殺した。

 力のぶつかり合った場所の大地は、底が見えないほどの亀裂が発生し奈落となる。

 風圧で父から預かった帽子が、空を舞って飛んでいく。

 全ての霊圧を使い切ったのだろう、一護は座り込んでしまった。

 

「……出来た……のか?」

「何を終わった気でいるんですか?」

「姫乃!!!」

 

 父の声は、少し遅かった。

 

 

 

「……え?」

 

 今しがた、斬月と呼んだ刀。

 その刀が……私の斬撃によって……真っ二つに折れた。

 

「な……」

「戦場で座り込む。それは負けを意味する。今しがた手に入れた力すらも、なんの役にも立たない鈍刀だということを。戦いは負けたら死ぬ。何度も頭の中に叩き込んで覚えろ」

「なん……だよっ……」

 

 絶望に染まる瞳。乗り越えたはずの恐怖すらも、更に飲み込んでいく私の殺気。

 ただ、本人ももう気力の限界。

 気絶するように、現実から逃げるように……一護は眠り着いた。

 

「……レッスン3、クリアです」

 

 父の声は、もう彼には届いていない。

 

「……やりすぎっスよ」

「訓練じゃなくて、戦闘ですから」

「でも、アタシもいずれやろうとしてたことです。早いか遅いかの違いっス。……嫌な役回りをさせてしまってスミマセン」

「いえ。刀を井上織姫の元へ。一護にはまあ……幻術だったとでも言っておいてください」

 

 少し過激な部分もあったが、とりあえずは予定通りに進んでいる物事。

 私は、自分の手をジッと見つめる。

 そして、その状態のまま父に話しかけた。

 

「……尸魂界に一度戻ります。一護を頼んでいていいですか?」

「はい。それと、帰ったら……少しアタシとお話しましょう」

「……はい」

 

 自分で気がついている。

 ……手が震えている。

 もう逃げてはいけないのは……私も同じだ。

 グッと掌を握りしめ、少し微妙な空気感の中……私は一度現世を離れた。




一護修行回は、リメイク前とほぼ同じでごめんなさい。
……ん?リメイクだからいいのか。


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第五十一話 雨が止む音


知りたくないほど
知りすぎてくこと
ただ過ぎる日々に呑み込まれたの
それでもただもう一度だけ会いたくて

あなたの言葉に頷き信じた私を
一人置き去りに時間は過ぎる
見えていたはずの
未来も指の隙間をすり抜けた
戻れない日々の欠片と
あなたの気配を
今でも探してしまうよ
まだあの日の二人に手を伸ばしてる


 

 

 __西流魂街第一地区 潤林安北部

 

 昔と何も変わらない、物静かで穏やかな村の外れ。

 尸魂界に戻って、やらなきゃ行けないことは沢山ある。

 けど、足は自然と此処に向かっていた。

 導かれるように、背を押されるように。

 

「なんにも変わらないなぁ……」

 

 見渡す景色。

 小さな湖と、生い茂る森林。

 ここが私の死神としての原点。

 

 ……藍染さんと初めて会った場所。

 共に過した場所。

 

 私は近くの木を背に木陰に座り込んだ。

 目を閉じても、耳を閉じても……

 聞こえてくる、二人の笑い声。

 今でも鮮明に見える、思い出の数々。

 

 膝の上に置いた、名無之権兵衛の柄をそっと撫でながら呟く。

 

「……長い間、預かっててくれてありがとうね」

 

 向かい合わなければならないのは、現実でも未来でもなくて……過去。

 迫る戦いの時間に比例するように、私の中で叩き起されていく恐怖。

 

 藍染さんに教えてもらったこと。与えられたもの。それら全てが、私の一部を構成するものだということ。

 

「ううん。それは……実は大したことないの。おかげで、私こんなに強い死神になれたから」

 

 そして、閉じていた目を開いて僅かに斜め後ろを振り返る。

 

「……ね、私強くなれた? ……藍染さん」

 

 そう言うと、日陰の中から出てきたのは、今しがた名前を呼んだ人物。

 

「バレるとは思わなかったな」

「適当だよ。居ると信じて声をかけてみただけ」

 

 私はまた前を見て、穏やかに風が吹く景色を眺める。

 夏の匂いが満ちるこの土地の空気を、ゆっくりと吸い込んでは吐いた。

 

「二人で木に登って、虫取りしたね」

「懐かしいな。ほら、あの湖で溺れかけたこと、覚えているかい?」

「うん。あそこで追いかけっこした事は?」

「ああ、覚えている。最後に君は、必ずコケて泣くんだ」

 

 言葉を交わす度に、時が一つ一つ巻き戻るかのよう。

 これから迎える戦いの日々が、夢なのではないかと思うほどにゆっくりと流れる時間。

 

 見えないように、気が付かないように。

 否定して蓋をして。

 そうして過ごせば過ごすほど、不安定になっていくことは分かっていてそうした。

 もう、限界が来ていることにも気がついていた。

 

「……私の負け。藍染さん。私……この景色を見て、こんなにも深く息が出来てる」

「知っていたさ」

 

 昔っから、この人の言うことに反論出来た試しがない。

 それは……全部正解だから。

 どれだけ沢山の物を得ても、この人の言葉は……私の根幹を突いてくる。

 

 私という存在が、一つの大木だとしたら。

 死神として過ごした時の中で、出会って得たものは沢山の果実。

 けど……認めなければならないのは、この人は根だということ。

 私という存在が存在し続ける限り、朽ちて落ちることの無い深い根。

 

 そしてこの人は……また私を揺さぶる言葉を嘯いてくるんだ。

 

「もう頑張らなくていい。君は充分、頑張った。誰かが傷つくのを見たくないと言うならば、僕の腕の中で寝てていい。起きた頃には、全てが終わっている」

「……もう抱えられるほど小さくない」

「誰かが君を強くなったと評する。誰かが君を変わったと評する。残念だよ。君は何一つ変わってなどいないというのに。こんなにも怯えて手を伸ばしている。その手を本当に掴んでいる者は、誰もいない」

 

 そういって、私に真っ直ぐと向けられる藍染さんの右手。

 変わらない笑みと、変わらない声。

 私の欲しい言葉を、簡単に吐いて与えてくる。

 

「おいで、姫乃。帰り方を忘れてしまったんだろう。だから、迎えに来た。一緒に帰ろう。君を置いていったりなどしない」

 

 帰りたい場所はあるのに、どうやって帰ればいいのか分からなくなった。

 待っていてくれると分かっていた場所にいる人達に……。

 ああ、私は迎えに来て欲しかったのかな。

 

 欲しかった言葉は、"いってらっしゃい"でも"おかえり"でもなくて。

 

 一緒に帰ろう。

 

 その言葉だったのかな。

 

 何もかもが分からなくなって。

 この言葉さえも嘘だと、頭の片隅では分かってる。

 でも、本当かもしれないとまた信じそうになる。

 藍染さんの言葉に……飲み込まれる。

 

 立ち上がろうと、少し体を動かした時。

 カチャっ……と聞こえたのは、私の傍にあった名無之権兵衛が鳴らした音。

 刀を動かせば鳴る、鍔鳴りの音。

 

 偶然かもしれない。

 鍔鳴りの音は剣士の恥。刀を手入れできていない証拠だと、誰しもがそう言う。

 今まで鳴らした記憶なんて……。

 

 そう考えて、あっと気がついた。

 そういえば、平子さん達の戦いで前の鞘を壊してしまったんだった。

 新しい鞘と、刀本体の調節がまだだった。

 

 私は、名無之権兵衛を見つめる。

 

「姫乃」

 

 呼ばれた声に、ゆっくりと藍染さんの方を見た。

 

 

「……何度でも言うよ。行かないよ。私が選ぶ道は、貴方の隣じゃない。帰りたい場所に、一緒に帰ってくれる子……もう先約があるの。私の手を取って、泣き叫ぶ子がもうここに居るから。生憎、私の両手はそれでいっぱいなの」

 

 私がそう言って微笑むと、藍染さんも微笑む。

 

「そうか。ならば、次会う時は敵同士だ」

「貴方が描く未来を壊すために、私は強くなった」

 

 穏やかな夏の風が二人の間を通り過ぎた後。

 藍染さんは私に背を向けて歩き出す。

 

「質問に答えていなかったな。君は強くなった。僕の想像以上に。今の僕と肩を並べられる可能性があるとするならば、それは君だ。だが、追い越せはしない。ああ、それと……」

 

 藍染さんが指さした先。

 それは、ここらで一番大きい大木。

 

「少し早いけれど、誕生日おめでとう。昔予想した通り、君は比較的背が高い女性になった。大きくなったね、姫乃」

 

 そう言って、藍染さんの姿が消えた。

 

 消える、消える、消える。

 失いたくなかったものが、音もなく崩れ落ちていく。

 

 フラフラと進んでいく先は、今しがた指し示された大木の前。

 

 何もかもが泡のように消えていく中で。

 思い出の中だけの映像にすると決めて、閉じようとした蓋。

 

 

「なんでっ……まだ……残っているの……」

 

 

 その大木に刻まれているのは、いくつもの横線。

 そして、その線の隣に刻まれた年月。

 昔から一年の中で一番二人で楽しみにしていた、私の成長の記録。

 

 いつの間にか忘れていた。

 此処に来ても思い出すことすらなかった。

 

 だって……線は消えないけど……手入れをしなければ、草や木の蔓に紛れて見えなくなるから。

 なのにどうして。

 私の指先にあるその幹。

 

 

「なんでっ……なんでこんなに綺麗なままなのっ……!!」

 

 

 上手に決別出来たはずだった。

 思い出は思い出のままでいいから。

 自分が自分であると、認めてあげて。

 そして互いに違う道を進むと決めた。

 

 貴方は……私の決意を、こんな簡単なことで簡単に崩す。

 

 

 口から吐きでたのは、ずっと隠してきた私の心の叫び。

 

 

 

「私は……強くなったんじゃない!!」

 

 

 

 足りない。そうじゃない。

 死神になりたかった。

 なりたい理由があった。

 それでも、一つだけ絶対に違ったこと。

 

 

 

「私はっ……貴方と争うために強くなりたかったんじゃない!!!!」

 

 

 いつか隣に並べるように。

 幼さを棚に上げて、得意げに願った未来の形。

 そう願った形は、歪に歪んだ形となって叶えられてしまった。

 

 

 築き上げては崩れ落ちる、私のこの醜い弱すぎる心。

 その全てを受け止めてくれる人が欲しい。

 迷っても、回り道をしても。

 必ずそこにいると私が信じている人。

 

 それは……誰だっけ。

 無様に子供のように泣き叫んでも、変わらず抱きしめてくれる人……。

 

 この雨を、止めてくれる人。

 

 何もかもがわからなくなって、私は駆け出した。

 

 

……………

………

……

 

 

 気が付いたら、その扉の前に立っていた。

 

「……ただいま」

 

 そう言って開けた扉。

 懐かしい匂いと変わらない部屋。

 その中にいる、変わらない笑顔。

 

「おかえり、姫乃」

 

 久々に会った母は、また少し痩せた気がした。

 

「おおきくなったわねぇ」

「いつの間にか、お母さんよりおおきくなっちゃった」

 

 幼い頃に見上げていた母の顔は、今では私より低い場所にあって……。

 こんなにも時が流れたのかと強く実感した。

 

「……怒らないの?」

「どうして怒られると思ったの?」

「……ずっと帰ってこなかったから」

 

 最後に会ったのは……もういつだったか覚えていない。

 此処に帰ると、もう動けなくなる気がしたから。

 全ての現実から逃げて、昔みたいに母の背に隠れて縮こまってしまう気がしたから。

 

 話したいことは沢山あるのに、どれもこれもが言葉にする前に弾けて消える。

 

「お父さんに……会ったよ」

「あら。どうだった? 思ったより、変な人だったでしょう」

「うん。思った以上に。まだちゃんと話せてはいないんだけど」

「あの人は不器用だから。……不器用で、臆病で……大切な事は何も言わないの」

「でも、優しかった」

「そう。……優しすぎるのよ、あの人は。いつもいつも、回り道ばっかり」

 

 そこで話が止まってしまった。

 何をしに此処に来たのかも、自分でも分からない。

 伏せた目を上げることも出来ず、ただ玄関に立ち尽くす私。

 そんな私を見て、母は大きく両手を広げた。

 

「おいで、姫乃」

「……行ったら動けなくなる」

「そんなことないわ。だって、昔からお母さんが捕まえても捕まえても、貴女は遠くに走っちゃうんだから」

 

 動こうなんて思ってないのに、私の足は一歩、また一歩と勝手に前に出る。

 その度に、固く結んだ心の糸が解れて溶けていくような感覚を覚える。

 

 母の目の前まで立った時、そっと優しい温もりに包まれた。

 

「歩くのは楽しいねぇ、姫乃」

「……?」

「貴女が初めて歩いた時に、お母さんが貴女に言った言葉。得意げに笑う姫乃を、今でも覚えているわ」

 

 小さい時にあれだけ大きいと感じていた母の手は、ずっとずっと小さくて。

 軽々と私を抱き上げていた腕は、ずっとずっと細かった。

 それでも変わらない、真っ直ぐと私を見る瞳。

 

 その目に飲み込まれるかのように、身体から力が抜け落ちる。

 

「お母さんっ……あのね……大切な人が沢山出来たのっ……。でも、全部消えてなくなっちゃうっ……。護りたいのにっ……私が壊してしまう!」

 

 何度も何度も修正を加えた心は、もうなにがなんだか分からないほどバラバラだった。

 

 取り戻せない過去。

 真実を置き去りに刻んだ時間。

 正しいと信じたい未来。

 叶わない願い。

 

 夢を描くことを捨てたあの日から、見ないように見えないように隠してきた。

 

 そうしていつの間にか、鍵が何処にあるのか見失った。

 

「探しているものがずっと見つからない……! 二つとも失わない未来が……いつまでも見つからないのっ……!!」

 

 藍染さんが起こす戦いで、多くの人が傷つく。

 体にも心にも傷を負う。

 それを、何か一つでも変えたい。そう願って今まで走り続けてきた。

 だから藍染さんの所にはいかない。

 私が皆を傷つける世界なんて、絶対に来て欲しくない。

 

 今度こそ、私が護るんだ。

 

 でも……藍染さんを失うことが、怖い。

 

 怖い。

 ああ、本当は……ずっとずっと怖かった。

 

 過ごした時の全てが嘘だったとしても。

 追いかけた背中は、嘘じゃない。

 繋がれた手の温もりは、今でも覚えている。

 

 嘘じゃなかったんだと、信じたい自分を今でも捨てられない。

 

「御願いっ……間違ってないよって、言って……。怖くないよって言って……。いらない心を……捨てる方法を教えてよっ……!!」

 

 叫び続ける私の背中を、母はずっと撫でてくれた。

 強くなる方法が知りたい。

 壊れたものを捨てる方法が知りたい。

 

「預かるわ」

 

 私の叫びを聞いた母が、そう一言呟いた。

 

「捨てなくていい。逃げなくていい。姫乃の悲しみも、苦しみも、恐怖も、迷いも。全部、お母さんが預かっててあげる」

 

 二人の体がそっと離れて、また優しい瞳が私を映し出す。

 

「頑張ったわねぇ。苦しいね、辛いね。でも進みたい道は決まってるんでしょう?」

「うん……」

「じゃあ後は全部、お母さんが預かる。大丈夫よ。こうみえて、預かり物をするのは得意なの」

「お母さんっ……」

「だから、お母さんからのお願いは、たった一つ。貴女が描く未来に、貴女がいて欲しい」

 

 母を見ているはずの視界が、ジワリと滲んでいく。

 もうずっと……ずっと忘れていたはずの……これは、涙だ。

 また私は泣くのか。

 まだ泣くほど弱いのか。

 

 泣いても何も変わらないのに。

 進む未来が変わる訳でもないのに。

 

「私っ……大人になれなかった……! 皆みたいに、強い大人になれない!!」

「あら。親にとって、子供はいつまでも子供。泣いていたら、抱きしめてあげる。それを悪だという人は、何処にもいないわ。だから、沢山泣いていいの」

「っ……ぅ…うぁぁあああ———!!!」

 

 何が悲しくて泣いているのかも分からない。

 何が辛くて泣いているのかも分からない。

 

「雨がやまないっ……!! ずっとずっと……雨がやまないの!!」

「じゃあ、傘をさしてあげるわ。お母さんのだけで足りなかったら、お父さんもきっとさしてくれる。傘を頂戴って、言ってごらん」

「真っ暗で何も見えないのが怖い!! 見えない未来が来るのが怖いよっ!!」

「じゃあ、皆で探検しましょう。暗闇の中でしか見つけられないお宝があるかも」

「なんにも無かったらどうしようっ……私が私じゃなくなったら、どうしよう!!」

「変わっても変わらなくても、私は姫乃のお母さん。それだけはずっとずっと変わらない」

 

 溢れる私の涙を、母が丁寧に拭き取ってくれる。

 ずっと誰かに吐き出したかった、私の弱い心。

 その全てを綺麗に拭き取ってくれる。

 

「雨が降る事って、そんなに悪いことかしら? ずっと暗いことは、そんなに悪いことかしら?」

「逆の方が……絶対にいいよ……」

「だって、虹は雨の後にしか見れない。星は夜にしか見えない。ああ、凄いね、姫乃。姫乃は、綺麗なものを沢山見れるね」

 

 母の言葉は、私が渇望していた言葉ではない。

 違う。私が想い描けなかった言葉の数々。

 

 こんなにも……壊れた心の隙間を綺麗に埋めていく。

 

「まだ怖い?」

「……怖くない」

「まだ悲しい?」

「……悲しくない」

「まだ苦しい?」

「……苦しくない」

 

 私の答えに、母はクスクスと笑った。

 

「ほら、言った通り。お母さんがぜーんぶ、預かっちゃった」

「……ずるいよぅ……」

「ふふ。言ったでしょう、得意だって。ほら、また歩ける。姫乃はもう、迷子にならない」

 

 

 

 ……降り続いていた雨の音が、止んだ気がした。

 




境界線は自分で引いた
「現実は」って見ないフリをしていた
そんな私じゃ
見えない見えない
境界線の向こうに咲いた
鮮烈な花達も
本当は見えてたのに

知らず知らずの内に
擦り減らした心の扉に鍵をかけたの
そこにはただ美しさの無い
私だけが残されていた

誰にも見せずに
この手で隠した想いが
今も私の中で生きている
目を閉じてみれば
今も鮮やかに蘇る景色と
戻れない日々の欠片が
映し出したのは
蕾のまま閉じ込めた未来
もう一度描き出す

あの日のあなたの言葉と
美しい時間と
二人で過ごしたあの景色が
忘れてた想いと
失くしたはずの未来を繋いでいく
戻れない日々の続きを歩いていくんだ
これからも、あなたがいなくても
あの日の二人に手を振れば
確かに動き出した
未来へ


*******
ハルジオン
姫乃のテーマソングです。


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第五十二話 突然の呼び出し

 

 

 __8月6日

 

 尸魂界でやらなければいけない事の殆どを終えた私は、三日ほど前から現世に戻ってきている。

 

 今は絶賛、一護の修行相手中。

 

「ず、ずりーだろおお!!」

 

 地下には、一護の絶叫が木霊する。

 

「なんだよその斬魄刀!! こんな数の刃どうしろってんだ!!」

「また井上さんの所に緊急搬送されたくなかったら、死ぬ気で避けてください」

「うおおおおお!?!?!?」

 

 紅茶を飲みながら、本を読む。

 その片手間で操作している千本桜の刃。

 一護は、顔面蒼白になりながらも必死で攻撃を避け続ける。

 

「全部の刃を叩き切ればいいんですよ」

「いや、無理だろ!!」

「じゃあ、その腕要らないですね。

 射殺せ 神鎗」

「っ———!!!!」

 

 千の刃が一瞬にして消えたかと思うと、一本の薄く長い刃へと変化。

 そしてそれは、音速を超える速度で一護の肩を貫いた。

 

「いっ……てぇ!!!」

「刀傷の痛みは慣れです。何度も斬られて慣れてください」

「鬼かよ……」

 

 いずれは衝突を免れられない、神鎗と千本桜。

 どちらともに、慌てず驕らず対処するには、現段階から慣らして置いた方がいい。

 

 ボタボタと地面に血を流す一護に、テッサイさんが慌てて駆け寄って治療を始めた。

 

 

 二週間の猶予を取った修行の日。

 時間が経つのは早いもので、尸魂界突入まで残り三日に迫っている。

 私が穿界門の開錠を行うので、時間のズレはない。しかし、流石に本番当日、双極の丘の真上に出すわけにはいかない。

 瀞霊廷で戦うべき人物と戦い、一護の実力を高める必要もある。

 修行したとはいえ、対人戦の経験が少ない一護をいきなり隊長格の前に放り投げるのは、自殺と一緒だ。

 

 何度も戦い、負けを知り、そして強くする。

 

 私たちがやっている修行は、あくまで基礎。

 基礎体力向上のために、修行は全て結界の中での特殊環境で行った。

 

「包帯巻いたら、再開しましょうか」

「また千本桜か?」

「いえ、一護が一番嫌いな修行です」

 

 そういうと、彼の表情が少し青ざめる。

 

 鬼道をせっかくなら教えようかと思ったが、一護の霊圧知覚と霊力の扱いは壊滅的。

 下位の鬼道で、ゆうに五十年は掛かりそうだったので早々に諦めた。

 

 一方で剣術の腕は悪くなかった。

 体術も、昔空手をやっていたおかげかそこそこ。

 本来の死神の力と、ルキアの霊力が混ざり合わさった一護の霊圧。

 そのレベルは、当初予定していた物よりも遥かに高くはなっているだろう。

 

 あと必要なのは、経験と臆さない精神。

 

「姫乃殿。手当完了しましたぞ」

「ありがとうございます。おいで、一護」

 

 そう言って手を招くと、一護は緊張した面持ちで私の正面に立つ。

 

 テッサイさんが結界の外に出たことを確認して、私は軽く息を吐く。

 そして、一護を真っ直ぐと見た。

 

 

「っう———!!!」

 

 一気に表情が強ばる一護。

 ビリビリと振動する結界。

 

 今やっているのは、一護の正面で私の霊圧の全てを解放している。

 そして、呼吸するだけで死ぬのでないかと錯覚させる殺気。

 

 既に一護は、自分が何度も切り刻まれて死ぬ幻覚でもみているだろう。

 

「かっ……はっ……」

 

 呼吸が荒くなり、恐怖の色が滲む瞳。

 斬月を持つ手が震え、額には大量の汗。

 

 

 それでも一護は、私に向かって一本足を出した。

 そして、グッと刀を握りしめて口を動かす。

 

 

「月牙……天衝ぉおお!!」

 

 刀を振るうと同時に、私に向かって白い斬撃が飛んできた。

 私は拳に霊力を込める。そして、向かってきた斬撃に対して拳をぶつける。

 

 ズドンッ……と地鳴りの様な音が周囲に響き渡り、月牙天衝が消える。

 

 それと同時に、私は霊圧も殺気も閉じた。

 

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 ようやく開放された一護が、酸素を求めるように必死に息継ぎをしている。

 

「手……大丈夫か……」

「傷一つないですよ」

 

 手を握ったり開いたりしながら、一護に無事だということを見せる。すると彼は、ほっと息をついた。

 

「人の心配より、自分の心配をしましょう。どうでした?」

「怖いっつーことに変わりはねーよ。けど、逃げたいって気持ちは少しはマシになった」

「上等。でも、本番だったら貴方は百回死んでます」

「わかってるっつーの……。俺の刃が全く効いてないってこともな」

「そう。自分の今いる位置を決して過信しないで。休憩にしましょう」

 

 そう言って私は結界を解く。

 一気に地面に大の字に倒れる一護を見ながら、初期との変化を比べた。

 

 どう足掻いても敵わない霊圧差と殺気にも、逃げるという意思が減ってきた。

 自身の攻撃手段を少しずつ理解してきている。

 ただの雑談の中でも、私の一挙一動に変化がないか、常に警戒の目は解いていない。

 そしてなにより、安全だとわかるまで座りこまなくなった。

 

 ほんの僅かな前進だが、大きな一歩だ。

 

「姫乃さん、どうぞ……」

「ありがとう、ウルルちゃん」

 

 一護から離れて歩いていると、ウルルちゃんがタオルを片手に駆け寄ってきた。

 それを受け取って、彼女の頭をクシャクシャと撫でる。

 

「えへへ……」

「ん?」

「……お姉ちゃんが……欲しかったから……」

 

 照れくさそうに、嬉しそうに笑うウルルちゃん。

 可愛いなぁ。と微笑んでいると、父が傍に寄ってきた。

 

「黒崎さん、どうっスか」

「どうでしょう。どれだけ鍛えても……更木隊長は越えられませんよ」

「アタシは会ったことない人ですねぇ」

「あの人は、獣ですから。相手が強くあればあるほど、強くなります。良くて相打ちじゃないですかね」

 

 一護が今後ぶつかる相手。

 更木剣八。

 彼に関しては、強いから勝てるとか。弱いから負けるとか。

 そういった理論の対象物としてみてはいけない。

 一護が強くなればなるほど、彼もまた力の底を際限なく解放していく。

 

 藍染さんが戦うことを避ける相手。

 それは正しい判断で、私も戦いたくなどないからこの何十年と雲隠れしているのだから。

 

「んー……なんと言ったらいいか。私は少なくとも、絶対に戦いたくない相手です。まだ自分の命が惜しいですから」

「なるほど。隊長さん達の中でも特別浮いてそうっスね」

「どうでしょう。白哉は案外戦いたくてウズウズしてそうですけど。あいつもまあまあ戦闘馬鹿ですから」

「朽木隊長の事を馬鹿呼ばわりするのは、夜一さんと姫乃くらいっスよ……。そう言えば、同期でしたね」

「通算、私の934勝0敗です。白帝剣を出してきた時は流石に死んだかと……お客さん来ましたよ」

 

 本題から逸れて、雑談に変わりそうになっていた時。浦原商店の一階に数人の人物が集まっていることに気がついた。

 

 その人達は、そのまま地下への階段を降りてくる。

 一人は、今しがた話題に出たばかりの夜一さんだ。

 そして、残りは人間の二人。

 

「えへへ……お邪魔します」

「む……」

 

 井上と茶渡。

 久々に大人数が地下を訪れたことを確認した父が、パンっと扇子を叩いた。

 

「皆さんお揃いですし、時間も時間。夜ご飯にしましょう!」

 

 そうして始まったご飯会。

 私の肩に乗って寛ぐ夜一さん。彼女を落とさないように、机や座布団の準備をしていると井上が私に話しかけてきた。

 

「あれ? 如月さん、今日はお顔隠しているんですか?」

 

 その言葉に、いち早く反応したのは一護だった。

 

「なんだ? 井上。この人の顔見たことあんのかよ」

「あるよ?」

「チャドは?」

「俺も……ある」

「なんで俺だけ知らねぇんだよ!!」

 

 自分だけが私の顔を知らないことが不満なのだろう。眉間にシワを寄せて、私を睨む一護。

 別に、ここまで来たら別に隠さなくてもいいんだけど……

 隠していた方が面白そうだという理由だけ。

 

女子(おなご)の顔を見るには、一護はまだ若すぎる。諦めてください」

「アイツらと同い年だ!!!」

「別に、私の顔を見なくても見てるからいいじゃないですか」

「あん? どーいう意味だよ」

 

 さっきまで伸びていたというのに、ご飯となれば元気を取り戻す一護。その喚きを聴きながら、私達はいただきますの挨拶をして食事を開始した。

 

「あ!! 夜一さん!! それ俺の魚だぞ!」

「ふん。鈍いのう」

「この……やろ……」

「まあまあ、追加持ってきたっスよー!」

「山盛りのゆで卵を食べる奴がどこにいんだよ!」

「それ、私のです」

「……如月さんは減量中のレスラーかよ……」

「大好物ですから」

 

 普段より一層騒がしい食事風景。

 それを眺めながら今後の事を考えていると、井上が私の隣に座った。

 

「如月さん。……ごめんなさい」

「ん? 何がですか?」

「如月さんに言われたこと、ずっと考えていたんです」

 

 騒がしい中で、彼女の声は私にしか聞こえていないだろう。

 少し遠慮気味に話す井上の言葉に耳を傾ける。

 

「誰かを助けたい。自分だけが助かるのは嫌だ。それは、護る力を持っている人しか遣えない言葉だっていう如月さんの言葉。その言葉をずっと頭の中で繰り返してました。そして、夜一さんとの修行で、なんの為に力を遣いたいのか学びました」

 

 そういって、私の方を見る彼女。

 

「私……黒崎君を護りたいです! その為に強くなりたいです。私達は、黒崎君が進む道について行きます!」

 

 その目を見て、強くなったなと感じた。

 彼女は、自分がこの場にいる誰よりも弱い事を理解している。

 その中で、自分が出来る最善を模索する事を選んでいる。

 案外この中で、折れそうで折れない強い気持ちを持っているのは、この子かもしれないな。

 

 私が何も答えないままでいると、井上はまた少し焦ったようにバタバタと手を動かした。

 

「あの、そのっ……だから……如月さんの気持ちも考えずに、酷い事を言ってしまってごめんなさい! 全部私達の為だったのに……」

「お気になさらず。一護の事、大好きなんですね」

「ひええええ!! ちがっ、ちがいまっ、違わないけど違いますぅぅぅぅ!!」

 

 一気に顔が赤くなってバタつく井上をみて、クスクスと笑う。

 

 

 そうして、ほんの一時の穏やかで騒がしいご飯会が幕を閉じた。

 家に帰る井上と茶渡を見送って、食後の訓練だ。

 

 今日の最後の修行は、一護と父の戦闘。

 

「なあ、如月さんと浦原さんってどっちが強いんだよ」

「夏が好きか冬が好きか。と同じくらい意味の無い議題を振るのはやめてください」

「……俺が悪かったよ。いや、なんつーか……如月さんのあの訓練受けたあとだと、落ち着いて戦えるからよ……」

「ですって。舐められてますよ、お……"浦原さん"」

「さあさあ、それじゃあやりましょうか、黒崎サン♡」

「お、俺が悪かったあああ!! そんな怒んなくてもいいだろーがよ!!!」

 

 父に首根っこを掴まれて引きずられていく一護を見送り、私は自分の作業に没頭する。

 

 どれくらい時間が経っただろうか。

 ふと、私の懐の伝令神機が鳴って居ることに気が付いた。

 

「勒玄か……」

 

 画面に表示されている名前を見て、ふうっとため息を着く。

 

「何の用?」

『いまどちらへ?』

「現世に買い物中」

『左様ですか。お休み中だとは存じ上げておりますが、一度隊舎へお戻りください』

 

 そんな時間はないのにな。なんて考えながら、筆をクルクルと回して時計を見つめる。

 

「いまからか……日をまたぐかもしれない」

『それで構いませぬ。少し、緊急事態が起きました』

「少し? 今話して」

『回線上は危険です。速やかに隊舎へとお戻りください』

 

 そう言って一方的に切れる電話。

 その後何度かけても繋がらない。

 

「"浦原さん"!! パソコンを借ります!」

「どうぞー」

 

 一護の相手をしながら返ってきた返事と同時に、私は画面を操作する。

 鬼道衆に点在させてある、監視蟲に異常はない。

 ……緊急事態。

 藍染さんの件が迫っていることもあり、嫌な予感がした私は、慌てて羽織を着て立ち上がる。

 

 そしてその場で穿界門を開いた。

 

「隊舎に戻ります」

「はい、いってらっしゃい」

「お話。明日でもいいですか?」

「ええ、お構いなく」

 

 現世に戻ったら話そうと約束していた父とは、まだ落ち着いて話せていない。

 四六時中一護の相手をしている事もあるし、二人きりの時間が取れていないのも理由の一つだ。

 

 突然舞い込んできた想定外の呼び出しに、私は急ぎ足で現世を後にした。



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第五十三話 夢は何度でも

 

 

 一体何が起きたのか。

 考えられる事を様々と検討しても、どれもしっくりいく答えは出ない。

 

 断界を駆け抜け、夜道を急いだお陰か、勒玄に提示した時間よりも少し早めに到着することが出来た。

 

「明かりが……」

 

 いつも灯っている筈の隊舎の松明が消えている。

 明らかに普段と違う様子に、私はゴクリと息を飲んだ。

 

 門の前には、勒玄。

 

「何があった!」

「……此方へ」

 

 もう気がついている。隊舎の一角に、大勢の人が集まっていることを。

 夜中で、見張りの者以外が居ないはずの時間帯。

 そんな時間に、こんなに人が一箇所に……。

 

 嫌な記憶と、重なった。

 

 あの日もそうだった。

 雨が降りしきる夜中に、ただ一箇所へと集まる人々。

 咽び泣く声と、絶望の香り。

 

「誰がっ……死んだ……」

 

 乾いたような声を出す私に、勒玄は何も答えない。

 ああ、私の所為だ。

 ほんの数日隊舎を離れた時に起きた。

 

 あの日もそうだった。

 ほんの僅かな休日が……。私が辿り着く前に失わせた。

 

 隊士達の前で動揺は見せてはいけない。

 そう心に刻んで、震える気持ちを抑えて毅然と歩く。

 

 皆が集まっているであろう部屋の前に立つと、勒玄がちらりと懐中時計を見た。

 

「……やはり、少し早く帰ってくるのではないかという私の助言は当たっておりましたの」

「何の話だ?」

 

 私の質問と共に開けられる扉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 __パンっ!! 

 

 

「「「お誕生日おめでとうございます!! 如月大鬼道長!!」」」

 

 

 突然鳴り響いた小さな破裂音と、耳を塞ぐくらい大きな声。

 それと同時に、真っ暗だった隊舎に一気に明かりが灯る。

 

 それと同時に、ボーン……と低い音。

 日付を超えたことを知らせる鐘の音。

 

 何が起きたのか理解の遅れるのを他所に、次々に話し出す隊士達。

 

「やっぱ、土壇場で一番遠い演習場に変えてよかった!!」

「勒玄さんの言う通りでしたね!」

「灯りを消したのはやりすぎたかなぁ……」

「だって、初めてだよ! 大鬼道長が休んでるの! 大袈裟なくらいがいいよ!」

「いっつも、鬼みたいな顔して仕事してるから、やり辛かったんですよぉー」

 

 次々と聞こえる声に、私はゆっくりと勒玄の方を見た。

 相変わらず、機嫌がいいのか悪いのか分からない真顔の勒玄。

 

「……このような派手事は、私は好みませぬ」

 

 そう言って目を閉じてしまった。

 

 ああ……そっか。今日は私の……誕生日だった。

 ほんの数日前に、自分がもうすぐ誕生日を迎える事を知ったはず。

 けど流れる時間の中で、そんな小さな事など忘れてしまっていた。

 

「お前達はっ……何をっ……」

 

 私がどれだけ心配したと。

 失ったんじゃないかと。

 またこの隊に、悲しみを与えてしまうのではないかと。

 どれだけ……どれだけの想いで此処まで走ってきたかも知らずに……。

 

「大鬼道長。昔から進言している通り、私達は簡単にはくたばりませんぞ。その良い証明になったではありませんか」

「お前もお前だ! あんな電話……」

「普段の仕返しでございます」

 

 そう言ってふんっと鼻を鳴らす勒玄。

 見渡す人々は、皆幸せそうに笑っている。

 

 ……馬鹿だ。

 こんな仰々しくせずとも……。

 私の為なんかに、そんなに幸せそうな顔をしなくても……。

 

「ああああ!!! 如月さんが泣いた!!」

「や、やばい!! お前ら、もっと盛り上げろ!」

「うおおお!! 大好きです、如月大鬼道長ぉおおお!!!」

「馬鹿者っ……。泣いてなどいない!」

 

 一体いつぶりだろうか。

 悲しくもないのに涙が出るのは。

 辛くもないのに涙が溢れるのは。

 

 知っている。

 この喜びを……私は知っている。

 この……"幸せ"という気持ちを、私はもうずっと前から与えてもらっている。

 

「私はこの前から……泣いてばかりだ……」

「何を今更。貴女は元々から泣き虫ですぞ」

「煩いっ……黙れ……」

 

 次々にかけられる言葉の数々。

 山のように積み重なる贈り物。

 

 してやられたままでは悔しくて、私の中に悪戯心が芽生える。

 この小癪な爺に、何を返そう。

 

「……何を企んでおりますか。この荷物くらい、ご自身で運ばれてください」

 

 どうせ自室に運べと申し付けるのだろう。と私に小言をいう勒玄。

 そんな彼に、私は思いついた事を伝える。

 

「そうだな。企んでくれたお前に、私もお礼をするよ」

「……何の話ですか?」

 

 眉を顰める彼に構わず、贈り物の山の前に立つ私。

 

 そして、それに両手をかざした。

 

「さあ、皆。見逃すなよ。これが尸魂界最高峰の……転送術だ」

 

 

 バシュッ……と音がして、贈り物の山が消える。

 あれほどの質量を、一気に目的の場所に向けての転送。

 一瞬静まり返った空間に、どよめきと歓声が上がるのはすぐのことだった。

 

 今見たものの凄さを、近くの者達と騒ぎ合う隊士達。

 ……ただ一人、勒玄を除いて。

 

「その……術は……」

「ああ、有昭田家の者しか知らない術だ」

「なぜっ……それを……。私は教えてなど……」

 

 先程の澄ました表情から一遍。

 動揺が隠しきれていない彼に、私は微笑む。

 

「……生きてるよ。有昭田鉢玄は、生きている」

「っ———!!!」

 

 その場に力なく座り込む勒玄。

 そして、顔を両手で抑えた。

 

「勒玄が信じようと願った未来は、嘘じゃない。家族が生きていると、信じた未来は嘘じゃない」

「貴女はっ……この老いぼれをどこまで揺さぶれば気が済むのですかっ……」

「どうだ? 礼には充分か?」

「先のない老いぼれには身に余る程にございますっ……! この女狐……!!」

「褒め言葉だ」

 

 有昭田鉢玄の言葉を借りるなら、私が現世に居ることを勒玄は知っていた。

 それを黙認していたのは、彼もまた……自分の孫が生きているのではないかと、信じたかったからだ。

 その信じた道は、嘘じゃない。

 そう伝えることは出来ただろうか。

 

 

 夜中には見合わない騒がしさが落ち着いたのは、それから半刻後だった。

 一人、また一人と家へと帰る彼らを見送り、ようやく普段と同じ光景が戻ってきた鬼道衆隊舎。

 

 静けさと夜風が吹く中、私は勒玄に話しかける。

 

「……私が大鬼道長の座を降りると言ったら、お前はどうする」

「さすれば、私も副鬼道長の座を降りましょう」

「自分が上に立つという考えは無いのか」

「ありませぬ。貴女が指し示す道に、着いてこいと仰られたのは紛れもなく貴女自身」

「その道の先が、地獄だったら?」

「元より地獄から這い出たこの身。一度向かうも二度向かうも大差はありません」

 

 その返事に、そうか。と返して私は空を見上げた。

 輝く星達は、眩しいほどに美しい。

 

「……夜は悪くないな、爺」

「左様ですな」

 

 暫くの無言の中、私はふと思い出したことがあった。

 

「六番隊舎に今からいったら見つかると思うか?」

「見つからぬ自信があるから、そう申されているのでしょう」

 

 私は口角を上げて、鬼道衆隊舎を離れた。

 

 

 

 

 ………………

 …………

 ……

 …

 

 

 

 

 

「……ルキア。……ルキア」

 

 訪問したのは六番隊特別管理牢。

 すっかり夜も更けてしまったので呼んだ相手はなかなか起きてくれない。

 周囲に気を遣いながら呼びかけ続けると、やっと目を開けて私を見てくれた

 

「きさらっ……!」

 

 驚いて声を上げそうになったルキアを、し──っと咎める。

 彼女は慌てて、自分の口に手を当てて声を飲み込んだ。

 

「ど、どうされたのですか……こんなところへ来ているのがバレたら……」

 

 ルキアは、掠れそうな程小さな声を出して私に尋ねる。

 近くに来いと手招きすれば、音が鳴らぬようそっと足を進めながら近くに来てくれた。

 

「痩せたね……」

 

 そう言って頬を撫でると、目に見えてわかるくらいやせ細ってしまっている。

 きっとほとんど食べ物を口にしていないのだろう。見てて痛々しい。

 

「構いませぬ。如月殿……そんなことよりばれたら……」

「私を誰だと思ってんの。真昼間だってバレずに来れる自信あるよ」

 

 私の答えに、ルキアはほっと息をついた。

 こんな状況に置かれていて、人の心配してる場合なんかじゃないのに……。

 

 私はルキアの頭を撫でつつ、やっと伝えられる事実を伝えた。

 

 

「ルキア……一護は生きてる」

 

 そう言った私の目を見て、ルキアは驚いた表情をした後、目に涙を浮かべる。

 

「一護を……護ってくださりありがとう……ございます……」

「私を信じてくれてありがとう」

「疑った事など、一度もありません……!」

 

 そう言ってポタポタと涙を流すルキア。

 一護が来ることは伝えない方がいいだろう。

 彼女の心労が溜まるだけだ。

 

「必ず助ける」

「良いのです……私は……」

 

 俯くルキアの顔を両手で覆って、私は顔を自分の方に向けさせた。

 今の彼女に期待を持たせてしまうのは、酷かもしれない。

 でも、ルキアは助かる。助ける。

 

 親指で頬に流れた涙を掬う。

 私の雨を止めてくれた人がいたように。

 彼女の心の雨を止めてくれるのは……きっと一護だ。

 

「貴女に誓った言葉を、私は嘘にはしない」

「はい……如月殿」

 

 ルキアの少し笑った顔をみてホッと息をつく。

 しばらくそうしていると、彼女はハッと顔を上げた。

 

「こ、このような状態で失礼だとは分かってはおりますが……お誕生日おめでとうございます!」

「ルキアも覚えていたんだ」

「忘れたことなどございません! その……誓いを破ったのは私の方でございます……」

 

 そういえば、ルキアは今年の夏、私の誕生日の主催をしたいと言っていたな。

 そんな些細なことを気に負う必要などないけれど……きっと彼女は負ってしまう。

 だから、こうして此処にきた。

 

「夜はルキアの為に空けると言ったでしょう。だから、会いに来た」

「勿体ない程の……喜びでございますっ……」

「……ちょっと嘘。さっきまで忘れてたんだ。ごめんね」

「思い出していただけたという事だけでなく、叶えて頂いたと言うことがっ……それが嬉しいのです!」

 

 遠くから近寄る看守の気配に気がついて、私は腰を上げた。

 もうそろそろ、時間だ。

 

「叶わなかった約束は、また次の未来に上書きしよう。来年こそは、一緒に過ごせるよ。現世にケーキってのがあるんだって。一緒に食べようか」

「私に夢など……」

「叶う。叶う筈の未来を諦めないで。……私を信じて」

「自らの事は、信じられませぬ……。しかし、如月殿のお言葉は、私の夢をいつも叶えてくださると……知っておりますっ……。信じて疑えぬ暖かいお言葉だと……!」

「うん、いい子。じゃあね、また必ず会いに来る」

「如月殿!」

 

 立ち去ろうとした私を、ルキアが呼び止める。

 

「笑って……くださいませぬか……」

 

 何故そう言われたかは分からないが、言われた通りに笑う。

 それを見たルキアが、また目に涙を浮かべた。

 

「有難うっ……ございます……。思い残すことは……ありませんっ……」

 

 不思議に思いつつも、もう話している時間はない。

 そのまま尸魂界を立ち去った。

 

 

 現世に帰ると、浦原商店では同じように私の誕生日会が用意されていた。

 

「先越されちゃったっスね」

 

 そう言って笑う父は、私が呼び出された時にもう予想がついていたのだろう。だからあんなにのんびりと送り出してくれたんだ。

 

 私達は一度、一護に休暇を与えることにした。

 限界まで追い込んだ肉体には、休養を与えなければ壊れてしまう。

 本来の予定通り、一護たちは8月10日に尸魂界に送る。

 修行で傷んだ全身の疲れを癒して、心落ち着けることも大切な時間だ。

 

 私の素顔は見えていない筈の一護が帰り際、こう言った。

 

「そっちの笑い方の方が似合ってんじゃねーの?」

 

 



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第五十四話 伝えたかった事。伝えられなかった事。

 

 

 __8月9日深夜

 

 尸魂界への突入最終確認を行っていた夜中。

 

「……記憶が抜け落ちてる所があるけど……後は流れに身を任せるしかないか」

 

 ルキア奪還までの全ての工程を知っている訳では無い。

 ただそれは、あくまで物差しの一つに過ぎず本来の計画とは大幅にずれている。

 だから大した問題でもない。

 

 そうして時を過ごしていると、私が借りている自室の扉が叩かれた。

 

「起きてますよ、お父さん」

 

 そう言うと、音もなく開いた扉。

 寝ている夜一さん達に気が付かれないよう、最大限気配を押し殺して来たのだろう。

 

 私は書物をパタリと閉じ、後ろを振り返った。

 

「待たせてごめんなさい。悪気はなかったんです」

「いえ。忙しかったのはお互い様っスから」

 

 父は部屋の隅へと腰を下ろし、私の方を見る。

 

「今更だって分かっています。作り話だと否定してくれてもいい。ただ……柚との話を、貴女にだけはしておこうかと思いまして」

「どんな話でもいいですよ。お母さん、言ってましたから。お父さんは、本当に大切な事は言わない人だって」

 

 私がそう言うと、父は参ったような顔をして髪をかいた。

 

「ほんと……敵わないなぁ、あの人には」

 

 そう呟いて父は、腕組みをして天井を見つめた。

 まるで、どこか遠くを見ているかのように。

 

「……本当は、連れていこうとおもったんスよ。現世に。どんな手を遣ってでも。……叶わなかった」

「叶わなかった?」

「……振られたんです。……こっちの都合なんかお構いなく……こっぴどく振られました」

 

 そうして父の口から語られたのは、母との出会いから別れまで。

 私に初めてあった日には言わなかった内容。

 他の人がどれだけ聞き出そうとしても、笑って受け流していた……母とのたった八年間の物語。

 

 

 ………………

 …………

 ……

 …

 

 

 

 ____109年前____

 

 

 僕が十二番隊隊長に就任して翌年。

 

「いやあ……油断したなぁ……」

 

 生物とは命の燃え尽きる瞬間に最大の反撃が来る。

 そんな常識言われなくてもわかっていたはずなのに、"あの研究はどう終わらせよう"か。

 そんな雑念のせいで、隊長を名乗るには恥ずかしい理由の怪我をしてしまった。

 

「これじゃあ、帰れそうにないスね……」

 

 脇腹から流れる自分の血。

 痛くもなければ死にはしないが、むやみに動きたくもない。

 ここで一晩過ごして、体力を回復させた方が賢いだろう。

 そう思って横になろうとしたとき、こちらに近づく一つの気配を感じた。

 

 

「あのう、大丈夫……ですか?」

 

 

 暗がりから現れたのは一人の女性。

 ……魂魄か。

 ここが西流魂街第一地区に近いおかげか、女性の身なりも流魂街の者にしては十分な身なりをしている。

 

「お気になさらずー。貴女こそ、日がもう落ちたんだから、家に帰った方がいいスよ」

 

 ひらひらと手を振ったはずなのに、女性は下がるどころか傍に来た。

 

 "面倒だなぁ"。

 初めて彼女に対して思った感情は確かそうだったと思う。

 

「家で休んでいってください」

 

 そう言って笑う女性。

 その笑顔と瞳をみて……

 

 なぜだか僕は、断れなかった。

 

 言われるがままに家に行き、食事を貰った。

 彼女の作ったご飯は何故か美味しく感じたし、妙な懐かしさを覚えた。

 

「お世話になりました」

「良かったら、またいらしてくださいね」

 

 別れ際の彼女の言葉と、笑顔と……あの食事が何故か忘れられなくて。

 

 半年に一回だった訪問は、いつの間にか二月に一度。

 一月に一度。

 週に一度と……年月が経つごとに自然と増えていった。

 

 

 会う回数が増えるにつれ呼び方は、"如月さん"から"柚之さん"……"柚之さん"から"柚"。

 

 意識したわけでもなく、自然とそう呼ぶようになっていた。

 まるで、磁石で吸い寄せられるかのように……いつの間にか当たり前のように。

 

「おかしいなぁ……。ボクの他に、柚って呼んでいる人いましたっけ?」

「いいえ? どうかしました?」

「……なんでもないっス」

「あ、照れてる」

「照れてないっスよ!」

 

 名前の呼び方一つで、ちょっとした独占欲を感じる。

 そんな少年の心のようなものが、自分にまだ残っていたのかと驚いた。

 

「柚ー! 魚、貰ってきたっス!」

「あら。じゃあ、今日は煮付けにしましょ」

「やった。ボクの一番好きなやつですね」

「それが食べたくて、買ってこられたんでしょう?」

「……なんでバレるかなぁ」

「喜助さんが考えてることなんて、全部お見通しです」

 

 ただ食事をもらい、ただたわいもない会話をするだけの関係。

 だけどその時間は、自分が護廷の隊長であり、戦いの日々にいることを……ほんの一瞬だけ忘れさせてくれた。

 

「なんで柚が作るご飯、こんな美味しいんスかね」

「大したものじゃないんですけど……お口に合ってよかったです」

 

 彼女の味を求めて、瀞霊廷中の定食屋を巡り歩いた。

 だけど結局、彼女に勝てる定食屋は見つからなかった。

 

「その……もうすぐ春じゃないっスか」

「はい、お弁当を作ってお花見しましょうか」

「……なんだか締まらないなぁ……」

「言わなかったら言えました?」

「……ハイ、言えませんでした」

「でしょう?」

「敵わないなぁ……」

 

 別に彼女とは、恋仲などではない。

 僕は誰かを心の底から愛した経験もない。

 そういう感情が欠如しているのだと幼いころから気が付いていた。

 その欠落した感情の代替として、研究者としての功績を積み重ね続ける人生だった。

 

 だから、彼女を"心から愛しているか"と問われればそれは分からない。

 知らない感情だ。

 

 ただ、手放したいとも離れたいとも思えない。

 この料理を他の人が食べてほしいとも思わない。ずっと自分だけに作り続ければいい。

 

 そんな子供染みた独占欲が、"好き"だという感情である。

 そう誰かに指摘されるのであれば、否定はしない。

 

 ただ特段それを、彼女に向けて口にする必要性も感じていなかった。

 これ以上、関係を詰める必要も感じていなかった。

 

 

 

 

 そうして出会いから八年が経過したころ。

 

 

 

 

 

「最近、いやーな事件多いんスよね」

「あら。喜助さんがお仕事の話をされるのは珍しいですね」

「ボクが外に出ることが増えて、ひよ里さんがまた不機嫌っスよ……」

「ふふ、涅さんとの二重ストレスですね」

「研究が終わらなくて、涅さんには嫌味しか言われないですし……。はー、疲れた」

「お疲れ様です」

 

 彼女は物覚えが良く、一度言った人物の名前を憶えてくれる。

 だから、十二番隊での日々の珍騒動を面白おかしく話すことが多かった。

 おかげで彼女は、会ったこともない彼らの特徴をよく覚えてくれている。

 自分の話に無邪気に笑う彼女。

 その笑顔を見る度に満足感が心を満たした。

 

 だから、なるべく嫌な話はしないように気をつけてたつもりだった。

 ……この人は、不思議なくらいに勘がいいから。

 

「護廷中がピリピリしちゃって。困ったもんス」

 

 そんな愚痴をこぼしながらだらだらしていると、そろそろ隊舎へ帰る時間。

 

「さ、喜助さん。お時間ですよ」

「別にボクがいなくても、みんな上手くやってくれるっスよー」

「ほら、子供みたいなこと言わないで」

「柚は厳しいなぁ……。あ、それと、外になるべく出ないで。最近嫌な事件が多いですから。必要なものは、ボクが全部買いますし……あとは……」

「はいはい。ほんと、心配性ね。でもそんな会話で時間稼ぎしてもダメよ。仕事に遅れていい理由にはならないわ」

「……敵わないなぁ。じゃあ、いってきます」

「いってらっしゃい」

 

 "お邪魔します"の挨拶は、いつの間にか"ただいま"の挨拶に変わった。

 "お世話になりました"の挨拶が、いつの間にか"いってきます"に変わった。

 

 これもまた、まるで彼女という磁石に引き寄せられるように、自然な事だった。

 

 指一つ彼女に触れたことなどないけれど、この距離感がたまらなく心地よい。

 これがずっと続くのではないかと……僕は勘違いしていたかもしれない。

 

 

 そう。勘違いしていたのは……僕だけだった。

 

 

 そんな中、あの事件が起きた。

 

 ひよ里さんを見送った後、妙な不安と違和感を感じていた。

 もしかしたら、もう彼女は戻ってこないかもしれない。

 

「ボクに……行かせて下さい……!」

「ならん!」

「ボクの副官が現地に向かってるんス! ボクが……」

「喜助!! 情けないぞ! 取り乱すな!!」

 

 

 その考えが、無情にも現実味を帯びた。

 駆け付けた隊首会では、出撃すらさせて貰えなかった。

 

 ……失うかもしれない。

 何となく予想はしていて。

 それでも、呑気に時を過ごしたボクの所為で。

 失わなくていいものを、失ってしまうかもしれない。

 

「信じて待つのも、隊長の仕事だよ」

 

 周りからどれだけそう言われても、どうしようもなく全身を襲った恐怖。

 

 

 ……その現実からまるで逃げるかのように。

 気が付けば、柚の家の前に立っていた。

 

 

 此処までどうやって歩いてきたのか覚えてすらない。

 降り出した雨と、いつもと変わらない家の明かり。

 

 

「……おかえりなさい」

 

 そして変わらない笑顔で微笑む彼女。

 僕は、彼女の目を見れずにうつむいた。

 

 

 自分の部下が現場に発ったというのに、こんなところへ来て良いはずがない。

 隊長としてあるまじき行為だ。

 

 理性はそう言っているのに、体は勝手に此処へ来てしまっていた。

 

「雨に濡れるわ。中へ入りましょう」

 

 そういって中にいれようとした彼女の言葉に、僕はまた逆らえなかった。

 

 

 

 失うかもしれない仲間の事を考えすぎて、心は限界だった。

 自分たちの仲間が傷ついているのに自分が前線へと出られない苦しさが、妙に引っかかる不安感が。

 どうしようもないくらいの感情の渦を抑えるのに精一杯だった。

 

 

 行きたい。進みたい。

 何を投げ出しても……目的の場所に。

 

 ……なのに、足が動かない。

 

「どうしたの……———っ!!」

 

 

 そういって頭に手を伸ばしてきた彼女の手を、僕は振り払った。

 自分でも今一体何をしてしまったのか、わからなかった。

 

「……え?」

 

 はっと気が付いて彼女を見る。

 

 僕があまりに強く払いすぎた所為で、爪が割れて血が出ている。

 初めて僕に触れようとした彼女の手を、傷つけた。

 

「す、すみませんっ。今手当を……」

 

 慌てて立ち上がった僕の頬を……彼女が撫でた。

 

 初めて触れた彼女の掌。

 その温かさに、心臓が強く脈打った。

 

「大丈夫。大丈夫よ、喜助さん」

 

 その言葉に、その瞳に、その微笑みに。

 ……僕は酷い言葉を返してしまった。

 

 

 

「……こんな状態の男、そんな目で煽っちゃ駄目っスよ」

 

 

 その言葉で、彼女が離れてくれたらいい。

 そうとさえ思った。

 だけど彼女は、何一つ変わらないまま微笑んで、僕の頭を撫でた。

 

「大丈夫よ。消えないわ、何処にも行かないわ。ほら、ちゃんと暖かいでしょう」

 

 初めて会った時から分かっていた。

 この人はどんなに突き放しても、離れてなどくれない人だ。

 そう分かっていたから……此処に来たんだ。

 

「喜助さんが抱えている辛いお気持ち。全て受け止めます」

 

 ……その言葉を聞いて、僕は彼女を抱きしめた。

 初めて感じる彼女の体温は本当に暖かかった。

 強く抱きしめてしまったら、折れてしまいそうな細い体。

 

「っ……柚……!」

 

 自分の腕の中で啼く彼女。

 その表情は初めてみた泣き顔だった。

 

「大丈夫よ……喜助さん……」

 

 そう言って伸びた彼女の手。

 細くて、綺麗なはずの手から、自分が傷つけてしまった血の匂いがした。

 

 壊したくないと思っていた人の泣いている姿を見ても、自分ではもう止められなかった。

 

 

 

 来た時にはまだ昇り始だった月。

 それが空の真上に来た頃。

 ……ようやく僕は理性を取り返した。

 

「すみ……っ……」

 

 謝りの言葉は、唇を噛んで飲み込んだ。

 いま無様に謝れば、彼女をもっと傷つけてしまう。

 

 冷静になった頭は、やるべき事の正解を叩き出していく。

 僕は、ゆっくりと布団から立ち上がった。

 

 

「……もう、行かなきゃ。……また来ます」

 

 

 やるべきことをなさねば。

 夜が更けている今が最も動きやすい。

 潤林安から技術開発局まで、僕の足なら十分もかからない。

 

「また……ちゃんと話をさせてください」

 

 今度来た時に。

 必ず気持ちを彼女に伝えよう。

 ……僕と共に歩みを共にしてもらおう。

 

 そう決意して出した言葉の返事は、思わぬ答えだった。

 

 

「もう、此処へは来ないでください」

 

 投げられたのは、想定もしていなかった言葉だった。

 

「……そんなにボク、下手でした?」

 

 確かに、随分と泣かせてしまった。

 事後に言われると、思わずそう口に出てしまう。

 

 ……いや、ちがう。

 僕はまた、"こんな言葉"で彼女から逃げようとした。

 

「違いますよ。痛くも辛くもないわ」

 

 彼女は言って、クスクスと笑う。

 そして、目に浮かべた涙を指で掬いながら僕の目をまっすぐ見つめた。

 

 ……その瞳に飲み込まれる事は、ずっと前からそうだと分かっている。

 

「喜助さん。あなたの苦しみ、迷い、悲しみはこうして、私の胸の中に置いて行かれました。

 ……だから、もう取りに来てはいけませんよ」

「っ……違う! ボクはそんなつもりで……」

「進みたい道があるんでしょう。だから、取りに来てはいけない。ね? 分かった?」

 

 違う、違う、違う。

 そんなつもりで彼女を抱いたわけではない。

 必ず迎えに来ると決めた。

 ……僕の弱さが、彼女にこう言わせてしまっている。

 分かっているのに、何一つ言葉にならない。

 

「あなたは優しい人。優しすぎる人。だから、こうしてあなたの苦しみを私が預かります。……大丈夫よ。私、こうみえてもあなたの気持ちを預かるの、得意なの」

 

 その言葉に……僕の目から暖かい何かが、一粒流れた。

 生理的現象を除いた、感情としてのソレ。

 そんなもの、記憶のある限り自分の目から流れた試しがない。

 

 だから自分の目から落ちてきたソレが、"涙"だとは気が付けなかった。

 

 

「いってらっしゃい。そしてさようなら。ここに捨て置く気持ちの全ては、私と共に忘れてください」

 

 

 外に押し出され、僕は何も言えないまま彼女に背を向ける。

 そんな僕の背中に、彼女の手が触れた。

 

 

 

「…… 今度(・・)は、死なないで。……喜助さん」

 

 

 

 頭の中では、ずっと前から"結論"に至っていた。

 

 彼女の言葉に、笑顔に安堵を覚えていた。

 出される食事は全て僕好みの味付け。

 彼女から与えられるそのすべてに、なぜ懐かしさを感じていたのか。

 

 自分は生まれたころから"浦原喜助"で。

 前世がなんだとか、そういう類のモノは一つもわからない。

 

 死神の力を持って生まれた者に、前世の記憶が宿ることはない。

 

 ……彼女とはどこかで繋がっていたことがあるのではないか。

 時間軸の違和感などという、根拠の薄い理由だけで今まで否定してきた。

 

 輪廻を廻る魂魄に、時間という概念など存在しないというのに。

 概念に押し付けて、否定しようとしていた僕がいた。

 

 恋人だったのか。

 妻だったのか。

 

 どちらにせよ……ただの魂魄である彼女は、前世の記憶を持ったまま、尸魂界にきたのではないか。

 

 

 僕のことを知っていたのではないか。

 

 

 結論は出ていて。頭の中ではわかっていて。

 

 理論を押し付けて、否定しようとした。

 気がついていて、聞かなかった。

 

 それは、怖かったからだ。

 聞いてしまったらもう二度、彼女を手放せなくなるのではないかと怖かった。

 

 僕よりずっと、尸魂界に留まる時間の短い彼女との別れに、耐えられないのではないか。

 

 

 逃げて逃げて、遠回りした僕の弱さ。

 それを彼女は分かっていて、受け止めてくれていた。

 

 僕は愛を知らないから。

 繋ぎ止めたいものを、こんな形でしか繋いでおくことが出来ない。

 失いたくないものを失わずに済む方法は、こんな邪道な事しか見つけられない。

 

「…… コレ(・・)。貴女へのプレゼントっス」

 

 彼女の目を見ることなく、僕は手に握りしめた ソレ(・・)を彼女の心臓の部分に押し込んだ。

 

 そして……逃げるようにその場を立ち去った。

 

「すみませんっ……すみませんっ……」

 

 伝えなきゃ行けない言葉一つ言えない。

 これの感情の名前なんて、知りたくなかった。

 こんなに自分の弱さに気がつくものだなんて。

 そんなもの、知りたくなかった。

 

 あれほど僕に沢山のものを与えてくれた彼女。

 そんな彼女に対して僕は……何一つ、残せやしなかった。

 

 護りたいと願ったくせに。

 何一つ護ってあげられなかった。

 ……愛していると、伝えられなかった。

 

 

 

 その後、瀞霊廷から逃げる時。

 現世と尸魂界を繋ぐ抜け道は、西流魂街にあった。

 彼女に会うついでに、西流魂街で秘密の作業をしていたからだ。

 潤林安に近い場所。

 だけど僕は彼女の元へは行かなかった。

 行けなかった。

 

 迎えに行こうとしたけれど、彼女がどんな気持ちで僕を送り出したのか考えると、行けなかったんだ。

 

 ただ、彼女の家の方に向かって深く頭を下げる。

 

 そうして、全てを捨てて仮面の軍勢を連れ、尸魂界から現世へと逃れた。

 

 

 

 

 **********

 

 

 父が全てを話し終えた。

 

「……これが、柚との全てっス。貴女にはキツい話もあったかもしれませんが……。ボクももう逃げないと決めましたから」

「ありがとうございます。……お父さんは……お母さんを……」

「……愛してました。忘れていたのは、忘れたかったからかもしれません。でも……」

 

 私の事をまっすぐと見る父。

 その目が……あまりにも辛そうな目をしていた。

 まるで、自分の行いの全てを悔いているかのように。

 

「姫乃……貴女がいてくれた。ボクは……あの人に……残してあげられたんスね……」

「沢山の……愛を注いでもらいました。母はっ……わかっていて……私をああやって送り出したんですっ……!」

 

 私達の弱さなど、もうとっくに見透かされていた。

 

「だから……言ったんス。産まれてきてくれて、ありがとうと」

「……帰ったら、母の所へ一緒に行きましょう」

「百年ぶりに帰ってきた男なんて……愛想尽かされてやしませんかね」

「前世から続いていた思いが、百年そこらで切れるわけないでしょう」

「そう……っスね」

 

 幼い頃、母に言われた言葉がある。

 それは……自分の分もそう伝えて欲しくて、頼んだのではなかろうか。

 

 子供の時のように、無邪気に伝えるには気恥しいけれど。

 母の手が……背中を押してくれた気がした。

 

「……大好きよ、お父さんっ……。母からの……私からの言葉です」

「……ボクには勿体ない言葉です」

 

 そして、父の口から語られたのはもう一つの真実。

 

「……あの時、柚にあげたもの。丁度、魂魄消失に関しての研究をしてました。その途中で、余ったものをあげたんス」

「余ったもの?」

「……ボクの勝手な自己満足ですよ。流魂街の魂魄の消失を防ぐために……柚に"霊王の欠片"を埋め込みました」

 

 ずっと不思議だった。

 母がただの魂魄であるにも関わらず、いつまでも転生をしないこと。

 いくつか事例はあるとしても、こんなにも偶然母が適応されるのかと。

 

「姫乃が、もし未来図をみたとしたら、それに影響されたのかもしれません」

「影響……ですか」

「霊王は、"全知全能"を司る。なんて言われています。未来を見通す力があると。欠片も欠片でいいとこだったんで、どの部位のものかなんてわからないっス。ただ、それに影響をされたのではないかと……」

 

 申し訳なさそうにそういう父。

 長年の疑問が、やっと解決された。

 

 思ったより驚くことも無く、その事実がストンと腑に落ちる。

 

「そっか。……まあ、いいじゃないですか」

「ボクの傲慢が姫乃を苦しめたんス。許されることじゃない」

「許す許さないなんて、大したことじゃないですよ。お陰で……私は喰われる側の存在じゃなくなりましたから」

 

 感謝こそすれど、憎むことは一つもない。

 母がいてくれたから、前に進めた。

 だから、そんな些細なことで迷子になんかならない。

 

「柚に託されたんス。姫乃は、ボクが護りますよ」

「ありがとうございます。……じゃあ、もしかしたら今後また降るかもしれない雨の為に……傘を下さい」

「……ええ、何時だって、何処にだって持っていきます。貴女一人では戦わせない」

 

 二人の愛が、私をこの世界に産み落とした。

 その幸せを……伝えられているだろうか。

 

 長い夜が明けて……尸魂界突入作戦の幕が開ける。




柚の花言葉……「穢れなき人」

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次回から、尸魂界突入編です。
どうか、作者の背中に着いてきてください。


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第三章_もう一つの尸魂界突入編
第五十五話 瀞霊廷突入


 

 

 8月10日。正午過ぎ。

 浦原商店へと集まった面々の状態を確認する。

 

「体の痛みは?」

「ねぇ」

「心残りは?」

「ねぇ。全員ぶっ倒して、全員で帰ってくる。そんだけだ」

 

 屈伸をしながら返事をする一護。

 そして、父から尸魂界へ向かう時の注意点が告げられていく。

 

「これは霊子変換機っス。君たち人間の肉体を霊子に変換し尸魂界にそのままの状態で突入できます。特に痛みや苦痛はないのでご心配なく」

 

 その説明を聞きつつ、私は彼らにあるものを配る。

 

「これは、地獄蝶です。断界を通る時に必要なものです。一人一匹、腕に巻き付けてください」

 

 渡した地獄蝶は、タコ糸で体に繋げられる。

 初めて見るものに皆戸惑っているようだが、長々と説明する必要も無い。

 

「しかし姫乃……地獄蝶は」

 

 地獄蝶は死神にしか遣えない。

 その指摘が夜一さんから入る。

 

「問題ないです。私が造った改造型地獄蝶です。時間軸のズレを最小限に抑えてくれます。断界の拘流の流れは私が全て抑えます」

 

 全員に配り終わった時、地下にもう一人追加の人物が現れた。

 

 滅却師、石田雨竜。これで全員集合だ。

 

「石田……お前も行くのか……」

「言ったろう。僕はあの死神達に負けた自分が許せないから修行をする。って。言ったからには勝つまでやるよ。そのためだったらどこへでも行くさ」

 

 石田のその言葉に、井上が嬉しそうに笑う。

 

「石田君……ありがとう!」

「だ、だから……違っ……朽木さんとか関係なくて……」

 

 そうだのこうだののやり取りには興味が無い。私はパンパンと手を叩いて全員の注目を集めた。

 

「仲間が増えた。形はどうあれ、それで結構」

 

 石田は、この中で恐らく一護と同等に強い。

 心強い味方だ。

 釈然としない表情をしていた石田だが、無視して説明を続ける。

 

「いいですか。霊圧残滓を辿られたり、逆傍聴されるのを防ぐ為に、地獄蝶は着いたら切り離して。切り離した五秒後に自爆する機能が付いています」

「そんな……蝶が可哀想……」

「井上さんがそう言うと思って、生体にはしてません。実物の機能を模倣した機械ですよ」

「あ……本当だ。からくり人形みたい」

 

 生体を使えば、時間軸すらも修正可能だが……現状ではこれが限界。

 もっとちゃんと研究すれば、いずれは尸魂界で"地獄蝶を飼育する"という概念が無くなるかもしれないな。

 そんなまた計画を頭の隅で立てていく。

 

 そんな頭の中と、口から出てくる説明。

 我ながら、器用なものだ。

 

「時間のズレは、前後六時間。だから昼に集まってもらいました」

「おう」

「座軸のズレは、上下左右半径五霊町」

「……おう?」

「穿界門の出口座軸は、南区域351……」

「待て待て待て!! もうわけわかんねぇよ!!」

 

 一護に説明を止められて、私はゴホンと咳払いをする。

 話に置いていかれてなさそうなのは、夜一さんと石田だけのようだ。

 

「鬼道衆の穿界門をあけるんじゃろ?」

 

 夜一さんからの質問に、私は頷いた。

 そして改めて、一護に分かるように説明する。

 

「一護達には、尸魂界の中で死神が住まう地域。瀞霊廷という処に降りて貰います。場所は、瀞霊廷最南部。ただし、誤差範囲は五百メートル。ルキアが収容されているのは、最北端の位置です。全力で駆け抜ければ、半日で着く距離」

「む……しかし、そう簡単にはいかないのだろう?」

「いい着眼点です。茶渡君。出口を出たら、まず森を駆け抜けて頂きます。鬼道衆と護廷十三隊の間にある密林。警備管轄は、鬼道衆と護廷十三隊で交代しながら行っている区域です」

 

 私が彼らに伝えたのは、現状の瀞霊廷の見取り図。

 今密林の警備を担当しているのは、三番隊。ギンの所だ。

 ……早速、お出迎え準備は整っています。とでも言いたいのだろう。

 

「いいですか。着いた時間が、昼でも夜でもまずは隠れること。夜一さんから離れないこと。約束出来ますか?」

「おう。如月さんは?」

「貴方達が一旦腰を落ち着けるまでの時間を、別の方法で稼ぎます」

 

 そして、地図を見せながら次なる行動を示していく。

 

「密林を抜けた先は、十番隊と十一番隊の管轄区域の狭間です。……そうですねぇ。右に抜けても左に抜けても地獄なので、好きな方を選んでください」

「おい」

「左に抜ければ、次の大通りを右へ。右に抜けた人は、次の大通りを左へ。そうすれば、必ず同じ通りに出られます」

 

 一護は既にギブアップの表情をしている。ただまあ、これに関しては、石田と井上が覚えていてくれたらそれでいい。

 夜一さんに関しては、もはや説明は不要だろう。

 

「その通りを、真っ直ぐ東へ。その通り沿いでは、やがて七番隊の文字が見えてきますので、見えたら右へ」

 

 淡々とルートを伝えていく。これが最も安全で分かりやすい道のり。

 そうして、工程の全てが説明し終わった。

 

「いいですか。一番大切な事は、戦わない選択肢を取ること。特に、井上さんと茶渡君は自覚を持ってください」

「はい!」

「うむ」

「夜一さんの指示には必ず従うこと。時には、逃げる事を正しい勇気だと判断すること。仲間とはぐれても、決して振り返らないこと」

 

 私がそう次々と伝えていくと、一護が突然立ち上がった。

 

「まどろっこしいことは、似合わねぇタチなんだよ! よーするに、互いを信じて進めっつー事だろ! 如月さんはいちいち分かりにくいんだよ!」

「……まあ、いいでしょう」

 

 伝えることは尽きないが、これ以上言ったところで時間の無駄か。

 夜一さんが私の肩に飛び乗って、コソッと囁く。

 

「内部に入れるだけでも上等じゃ。あとは儂に任せい。……空鶴の事も、儂がやっておく」

「……ありがとうございます」

 

 避けられる戦いがあるかもしれないし、どうなるのかはこれから先、未知数。

 私は説明を切り上げて、刀を抜く。

 

 そうして、いざ穿界門を開こうとした時、一護が後ろから話しかけてきた。

 

「なあ……如月さん。今の俺は、アイツより強くなったか?」

 

 アイツ……とは、白哉の事だろう。

 ああ、それに関しては謝らなければならない。

 この世界に、私が関わっていなければ……もしかしたら、強くなったよと言ってあげたかもしれない。

 

「……一護に言い忘れていました。白哉を八十年間相手してたのは、私です」

「……え?」

「張り切って、頑張ってください」

「まじ……か……。いや、それでも俺は超えていくぜ」

 

 対する一護も、この程度で絶望してくるほど、中途半端な鍛え方はしていない。

 ふうっと呼吸を軽く整えて、私は刀を回した。

 

 

「解錠」

 

 目の前に現れる扉。穿界門。

 

「さあ、行きましょう。拘流を一人で抑えるのもしんどいので、走ってくださいね」

 

 一人、また一人と中へはいるのを見守る。

 一護と私を残して、彼を先に入れようとした時。

 

「姫乃!」

 

 父が声をかけてきた。

 

「いってらっしゃい!」

「姫乃殿、ご武運を」

 

 岩場の少し高い所で、手を振る父とテッサイさん。

 二人に笑みを返して、私は顔を隠していた布を取った。

 ここから先を進むのに、これは邪魔だ。

 

「いってきます、お父さん! テッサイさん!」

「後のことは、こっちに任せてください」

「頼みました!」

 

 そうして穿界門を潜って、閉じようとした時。

 一護がその場から動いていないことに気がつく。

 

「早く行きましょう?」

「なっ……その……顔……お父さんって……」

 

 顔面蒼白になって、私を指さして震える一護。

 

「アタシの愛娘に手出したら、原型なく斬り刻みますよー。黒崎サン」

「扉、閉じますよ?」

「うおおお!! 待ってくれよ!!」

 

 そこまでいい反応をくれるとは思わなかった。

 面白くてニヤける口を抑えつつ、慌てて飛びいる一護を迎える。

 

 そうして閉じた穿界門。

 目的地は、一直線。

 

「走って!」

 

 その言葉と同時に、全員が駆け出した。

 断界の中を走りながら一護が話しかけてくる。

 

「浦原さんと如月さんって親子だったのかよ!!」

「なんじゃ。いままで知らんかったのか」

 

 夜一さんの言葉に、一護は後方の同級生をバッと振り返って見た。

 見られたと気がついた彼らは、ヘラッと笑う。

 

「ちゃんと聞いてはなかったけど、顔そっくりだしそうかなーって」

「む、同じく」

「僕も顔を見るのは初めてだが、非常に霊圧の質が似ていたから予想くらいはしていたよ」

 

 なんで名字が違うだの、なんだの質問する一護だが、大人の事情だと言うと黙った。

 人間の子供の成長速度は分からないが、不謹慎という言葉は知っているようだ。

 

「……ん? って事は、浦原さんも死神なのか?」

「今更ですか? 元十二番隊隊長兼技術開発局初代局長ですよ」

「お主は、本当何も知らぬのじゃな」

「なんで俺が責められんだよ! 何も聞いてねぇよ!!」

 

 ギャーギャー騒ぐ一護を置いて、石田が私に話しかけてきた。

 

「ご協力ありがとうございます。しかし……僕らを手助けした如月さんの立場は……」

 

 その心配に、ニコリと笑みを返す。

 

「人の心配より、自分の心配。立場を案じてくれているのであれば……昔よりずっとマシですよ」

 

 石田はそれ以上、言及してくることはなかった。

 そうして雑談を交えつつ走っている間に、ようやく出口が見えてきた。

 

「さあ、お喋りは終わり。何度でも言います。降りたら真っ直ぐに走ること。絶対に振り返らず、立ち止まらないこと。いいですね」

 

 全員が強く頷くのを確認して、私は集団の先頭に抜け出した。

 

 瀞霊廷到着まで……3.2.1。

 

 

「出ますよ!!!」

 

 真っ先に飛び出したのは、私。

 出た場所は、予定地点より西側二百メートル。誤差範囲内だ。

 そして……時刻は夕暮れ時。

 都合のいい方の時間帯に出ることが出来た。

 

「き、如月大鬼道長!!??」

 

 突然現れた私に、驚きの声を上げる警備担当の隊士。

 

「破道の七十三 双蓮蒼火墜!!!」

 

 彼らを一瞥して、私は護廷十三隊の方角へと続く壁に大穴を開けた。

 そして、飛び出してくる一護達の方へ手を翳す。

 

「縛道の二十六 曲光!!」

 

 全員の姿を隠してから、私は大声を上げた。

 

「走れ!! 立ち止まるな!!」

「サンキュー、如月さん!!」

 

 土煙が舞い上がる中、闇夜に紛れるようにして駆けだした一護達。

 

 彼らの今後は天命を待つのみ。

 

 彼らを見送った後。異常に気がついて真っ先に私の傍に来たのは勒玄。

 

「……何事ですかの」

「隊首室へ行く。着いてきて」

「……承知」

 

 勒玄と共に歩き出して……ほんの数歩。

 今しがた送り出したばかりの、一護達が消えた方角。

 そこから……凄まじい霊圧の衝突を感じた。

 

 これは……ギン!! 

 

 それと同時に、瀞霊廷全体に鳴り響く警報。

 

『瀞霊廷内に侵入者確認。瀞霊廷内に侵入者確認。至急、各隊隊長は一番隊隊舎へとお集まり下さい』

 

 あまりに早い衝突に、言葉に詰まる私。

 ……私の曲光をかけていた。ギンが気がつけるわけがない。

 となれば、答えは一つ。

 ……一護から喧嘩を売ったんだ。

 

「あの子はっ……言われたことを鳥の頭で忘れるのか!」

 

 此処まで単能だと、怒りを通り越して呆れる。

 そして、鬼道衆へと最高速で向かってくる隠密機動を探知した。

 

「如月大鬼道長……まさかとは思いますが」

「……時間稼ぎ変更か。急ぐよ、勒玄」

「貴女は一体何を!!」

 

 いきなり予定を崩されて、夜一さんも今頃全身の毛を逆立てているだろう。

 それに、隠密機動のお早いことで。流石は砕蜂隊長。

 

 事の自体の何かを察して、目を開く勒玄。

 兎にも角にも、勒玄を従えて私は隊首室へと向かった。

 



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第五十六話 想定外の乱入者

 

 

 周囲の喧騒を他所に、この鬼道衆隊首室だけが、妙な静けさを保っていた。

 

 自分の机に座り、黙々と書類を書き込む私。

 何も言わずに部屋の隅に立つ勒玄に、チラリと視線を向けた。

 

「……何も聞かないのか」

「聞いたところで変わらぬ事実。ならば聞く必要はないでしょう」

「そうか」

 

 そう返して、私は再び筆を走らせる。

 時計の針だけが進む音が聞こえる空間。

 

 しばらくして、私は筆を置いた。

 

「こっちへ」

 

 そう呼ぶと、勒玄は私の前に立つ。

 

「これをあげる」

 

 存外素直に書類を受け取った勒玄。

 そして、上から順に目を通していく。

 その書類を持つ手に、徐々に力が籠っていくのがよくわかる。

 

「これはっ……!!」

「お前のものだ」

 

【 鬼道衆副鬼道長 有昭田勒玄

 右の者を鬼道衆総帥 大鬼道長に任ずる

 鬼道衆総帥 大鬼道長 如月姫乃 】

 

 勒玄に渡した書類の一番最後の紙。

 そこに書き込んであるのは、彼の異動届け。

 私が罪人の名を背負う前。この瞬間であれば、印の効力は有効。

 

 他にも、私の財産の権利譲渡の委任状の数々。

 

「今から此処に隠密機動が来る。一番隊舎に隊長達が揃うのは、どれだけ急いでも精々六時間後。真夜中だ。そこから、私の身柄を一番隊舎に護送する時には、朝になっているだろう。明朝、夜明けと共に、それを高次霊位管理局へ持っていけ。事態の把握が間に合っていない明朝なら、問題なく通る。というより、通るように調節をした」

「受け取れませぬ!!!」

 

 部屋の荷物を次々と片付けて、窓から放り捨てる私。

 その私の背中に、食ってかかるように勒玄は大きな声で否定をする。

 

「私はこのようなものは……!!」

「受け取る受け取らない。そんな話はしていない。それを持って、明朝に高次霊位管理局へ行けという……最後の命令だ」

 

 窓から投げ捨てた自分の私物。

 それに火を放つ。

 証拠隠滅などと難癖を付けられぬよう、灰の一遍も残さず。

 元々この部屋に、私などいなかった。そう知らしめるほどに跡形もなく。

 

 硬直している勒玄に、まあ私は目線を向けた。

 

「何を躊躇う。お前がその命令を滞りなく遂行すれば、叶う。……二度と、鬼道衆から罪人など出さないという、お前の願いは叶う」

 

 勒玄が私の罪状が決まるより前に、それを承認される。そうすれば、私はもう……何者でもない。

 

「お前の上官は誰だ」

「如月……姫乃様にございますっ……」

「副官のやるべき仕事はなんだ」

「命令を……滞りなく遂行する事にございますっ……」

「ならば従え。今まで御苦労」

 

 そう言うと同時に、隊首室の扉が強く叩かれる。

 

 

 

 __ダンダンダンダンッ!!! 

 

 

 

「隠密機動だ!!」

「ここの結界をすぐに解かれよ、如月大鬼道長!!」

「もう解いてある」

 

 壊れる勢いで激しく開いた扉。

 それと同時に、なだれ込んでくる隠密機動。

 

「隠密機動が何用だ!! 下がれ!! ここが誰の部屋だとわきまえての行為か!!」

 

 隊首室に乗り込んでくる隠密機動を抑えようと、複数名の隊士達が怒りの声を上げていた。

 相変わらず犬猿の仲だな。

 まるで人ごとのようにその様子を眺めた。

 

 取っ組み合いを逃れた隠密機動の一人が、私の前に立つ。

 

「鬼道衆総帥 如月大鬼道長。ただいまより重要参考人として拘束致します。ご容赦ください」

「隠密機動風情が、大鬼道長になんという命令を下すか! 身の程をわきまえろ!!」

「此処は、護廷十三隊の管轄ではない!!」

「砕蜂隊長の命令が、この場で通ると驕るな! 叶えたくば、総隊長の言葉で出直せ!!」

 

 

 噛みつく勢いで隠密機動に怒鳴る隊士達。

 自分の上司をなんの罪状も持たず、捕縛しようというのだ。怒るのも当たり前だろう。

 

「喚くな!! みっともないぞ!!」

 

 私がそう大声をあげると、一気に鬼道衆隊士達が口を閉ざした。

 

 そして、私は両手を前に出す。

 そこにかけられる縄。

 ……縄で私を拘束か。笑止。

 名目はあくまで、重要参考人。もし過剰な拘束をして、事実が違った場合、立場が悪くなるのは護廷十三隊の方だ。

 元老院が黙っちゃいないだろう。

 そういう保身も兼ねての、中途半端な拘束か。

 

 フッと鼻で笑って、私は泣きそうなほど顔を歪めた彼らの方を見た。

 

「今までこんな私を慕ってくれてありがとう。これからは、勒玄の言うことをよく聞いて」

 

 悔しそうに拳を握りしめ、俯く一同。

 彼らも頭では、何故私が拘束を受けるのか分かっている。

 認めたくない事実に、もがいて抵抗しようと試みているだけ。

 

「斬魄刀は、隊首室へ置いていかれてください。事実確認後、我々が回収致します」

「好きに抜け」

 

 私の腰から刀を取った一人が、それを机の上に置く。

 そうして私の身柄は、十番隊特別管理牢へと移された。

 十三番隊を希望したが、元々在籍していた経緯から認められはしなかった。

 

 

 

 

 ********

 

 

 

 ―十番隊特別管理牢—

 

 逃亡を防ぐために結界が展開されているが、私を拘束するにあたって結界など無意味。

 殺気石を使用して拘束するほど、情報はまだ集まっていない。

 故に縄から変わって、一般的な拘束霊具を使用されてるわけだが……

 

「……こんなもの、霊圧で吹き飛ばせそうですね」

「やめておけ。罪が重くなるだけだ」

 

 私の見張りは、隊長格である日番谷冬獅郎。

 彼と一緒に、一番隊舎へと向かうという事。

 眠っていたところを叩き起こされたのだろう。相当な不機嫌具合だ。

 

「なんかすみません」

「謝るくらいなら最初からするんじゃねぇよ。……言い逃れは出来ねーぞ」

「……心配してくれてありがとうございます」

「心配じゃねぇ。呆れてんだ」

 

 でもここに冬獅郎が居たのはいい機会かもしれない。

 今なら誰にも聞かれることなく伝えられる。

 私は、冬獅郎の方を見ることなく、月を見上げながら話かけた。

 

 

「……私の、独り言だと思って聞いてください」

 

 冬獅郎は何も答えない。

 私は構わず話を続ける。

 

「……これから数日間。雛森副隊長から目を離さないで」

「……どういうことだ」

 

 私の意味の分からない言葉に、冬獅郎は顔をしかめる。

 

「この話は、日番谷隊長だけが覚えていてください。他言をできればしてほしくないです」

 

 私の言葉に、冬獅郎はまた黙った。

 責任感の強い人だ。もし、私の発言と今回の旅禍侵入に関して繋がると考えれば、明日の隊首会でこの内容を証言するだろう。

 それでもかまわない。

 今四十六室を見られたくないのは、藍染だって一緒だ。

 

 どっちに転んでも構わない。

 そう考えて伝えた。

 

 しばらくの沈黙が続いた後、冬獅郎が口を開いた。

 

「今の手前の言葉に説得力なんかねぇよ」

「そうですよね…」

「嫌疑の掛けられてる奴に傾ける耳はねぇ。ったく……こんな形で再会するとは思っちゃいなかったぜ」

 

 彼とは、流魂街で一度会ったきり。

 書類上で十番隊の隊長になったことは知っていたが、私が見る機会はなかった。

 

「……こんな形でいう礼なんてねぇぞ」

「隊長承認の件ですか? 私は何もしてませんよ」

「志波一心捜索の件もだ」

 

 二人でそう話していると、牢の出入口が突如として開く。

 

「姫乃!! アンタ、何したの!!」

 

 怒っているのか、焦っているのか。どちらとも取れる表情をして入ってきたのは、乱菊さんだ。

 

「乱菊さん……久しぶり」

「旅禍が来たって……アンタ何かしたんじゃないわよね!?」

「黙秘権を行使します」

「ふざけてんじゃないわよ!! なんとか言いなさいよ!!」

「そんな怒らないでよ。美人が台無し」

「怒るわよ!! アンタ達はっ……一体何がしたいのよ……」

 

 アンタ"達"。

 それは、ギンも含まれているのだろう。

 二人の間に何があったかは知らないが、きっと乱菊さんも得体の知れない何かに気が付き始めている。

 

「どうして何も言わずにそうやって……!」

「松本。うるせぇぞ。査問は明日だ。出ていけ」

「しかしっ……隊長!!」

「私情をぶつけにきただけなら、出ていけっつってんだ」

 

 冬獅郎の言葉に、乱菊さんはグッと唇を噛んだ。

 

「……戻って……来るわよね。アンタは……戻ってくるのよね?」

「戻ってくるも何も、ほら、今ちゃんと捕らえられてる」

「そういう意味じゃないわよ!」

「……ごめんね、乱菊さん」

 

 そう言って微笑むと、乱菊さんは部屋を飛び出していってしまった。

 

「うちの馬鹿が悪ぃな」

「いえ。久々に顔を見れたので良かったです」

 

 結界のせいで外の霊圧がうまく探れない。

 一護たちは大丈夫だろうか。死神は夜目が効く。夜一さんは上手くやってくれているだろうか。

 

 ただ、こうして待っていても隊長である冬獅郎の元へ何も伝達がない。

 つまりは、まだ誰も捕まっていないのだろう。

 

 太陽が昇るまで、ずっとわずかな隙間から外を眺め続けた。

 

 

 

 

 …………………

 ……………

 ………

 …

 

 

 

 

「……なぜ、呼ばれたのか。もはや説明は不要じゃろう」

 

 総隊長及び護廷の隊長が一様に揃った、隊首室の真ん中。

 私は両腕を後ろに固定され、膝をついていた。

 

「旅禍の侵入場所は、鬼道衆隊舎の一角。瀞霊廷内部からの侵入は、死神の手助けなしにはあり得ぬこと。何か、言いたいことはあるか。如月大鬼道長」

「何も……存じ上げません」

 

 私の言葉に、総隊長の殺気が飛んでくる。

 きっと口を挟みたい者は多くいるだろうが、総隊長のここまでの圧を感じて声を発せるものなどいない。

 私もまた、冷や汗がぽたりと流れた。

 

「鬼道衆隊舎の警備配置は、お主の仕事の一つじゃ」

「間違いございません。総隊長殿」

「では、何故昨晩に限り、第四区画の警備が手薄であったか。何故鬼道を用いて護廷へと続く道を開いた」

「上空で旅禍の姿を捉え、撃ち落とそうとしたところ、手元がぶれてしまったようです」

 

 私の返事に、総隊長は沈黙する。

 このような子供じみた言い訳など通じるわけがない。

 ただの時間稼ぎに過ぎない。

 

 他の隊長たちすら指一つ動かせないほどの総隊長の霊圧の渦に飲まれる。

 これはかなり怒らせてしまったようだ。

 

「もうじき、涅隊長からの見聞報告が届く。その時も、同じ事を口にするつもりかの」

「ええ。何度でも」

 

 私がこう答えると、ドンと杖の音が鳴り響いた。

 ただの杖の音だというのに、首を掴まれているかのような感覚。

 

 

「今一度聞くぞ。鬼道衆総帥 如月大鬼道長。何故昨夜に限り、第四区画の警備が手薄であったか」

 

 

 私が口を開こうとした瞬間、バンっと扉が開いた。

 

 

「今が隊首会と知っての行為か!! 下がれ!!」

 

 

 砕蜂隊長の怒鳴り声を無視して、その者は中へと歩いてくる。

 私も想定していなかった人物の乱入に動揺するが、その者は私の動揺など気にもしていないようだった。

 

「何を……している? 勒玄」

 

 隊長達が立ち並ぶ部屋に乱入してきた人物。

 それは紛れもなく、昨日別れを告げて送り出したはずの勒玄だった。






カラブリ+

如月姫乃
誕生日*8月7日
身長*169cm
体重*51kg
血液型*AB型
趣味*読書・研究
好きな食べ物*ゆで卵
嫌いな食べ物*豆腐
日課*隊舎の庭に飛んでくる小鳥達に餌をあげること。

制作小話→ネムの方が身長が2cm低いのに、姫乃の方が軽いのは胸の……(殴ッ)
藍染とは、食べ物の好みが真逆。
誕生日が花の日(8月7日)にちなんで、花や花を模した贈り物が贈られることが多いが、本人は花を愛でる趣味は特にない。
七緒ちゃんと、推理小説の犯人を先に当てるゲームをたまにやる。無敗。


有昭田勒玄
誕生日*2月16日
身長*172cm
体重*57kg
血液型*O型
趣味*茶道・書道
好きな食べ物*七草粥
嫌いな食べ物*洋菓子
日課*姫乃の部屋の片付け・研究室の掃除・姫乃がやる鳥の餌の準備。その後の庭の清掃。その他理不尽な命令の遂行()

制作小話→厳しそうに見えて、訓練や任務で姫乃に雷を落とされた隊士のフォローに回ることが多い。
片付けても片付けても、次の日には散らかる研究室の謎に立ち向かうこと約20年。その謎の解明はされていない。
姫乃の甘味食べ比べに付き合わされている間に、最近では高血圧・血糖値が気になり気味。


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第五十七話 我らの歩みは共に在る

 

 

「何用じゃ。鬼道衆副鬼道長、有昭田勒玄」

 

 総隊長の刺し殺さんばかしの、凍てつく視線が勒玄を捉えた。

 しかし、彼もまた何一つ臆する様子もなく足を前に進める。

 

「何分、長年私めが鬼道衆の総帥代理を務めてまいりました。今しがた、如月大鬼道長にお尋ねになられた事は、私の仕事にございます」

 

 勒玄が紡いだ言葉。それに私は、大きく目を見開いた。

 違う。警備配置は私の仕事だ。突入の日に合わせて、調節していた。

 彼に非はない! 

 

「罪を被ると。そう言っておるのか」

「被るも何も、事実」

「捕えよ」

 

 総隊長の指示で、素早く勒玄に拘束をかける隠密機動。

 そしてそのまま、私の隣へと同じように跪いた。

 

「……お前は……何を……何故」

「何も何故も、これが私が進む道」

 

 私の動揺が伝わったのか、勒玄は意地悪そうに口角をあげた。

 

「有昭田家の矜恃。生涯ただ一人と決めた総帥に死しても傍に仕える事。我が家系は、何千年という歴史の中で、総帥の座に座ったことなどありませぬ」

「それは知っている! しかしお前は……」

 

 私を恨んでいたのではないか。私達の関係は、偽りの上に成り立っていたのではないか。

 そう紡ごうとした言葉は、彼によって遮られた。

 

「貴女が、言われたのですぞ。背中を追えと。決して見失うなと。私は、そうして副鬼道長の名を頂きました。あの日から、私の忠義は貴女の御心のままに」

「何を言っているのか……わからない……」

「とっくの昔から、私は貴女に飲み込まれた。そう言っておるのです」

 

 そう言って勒玄は、私から視線を外して正面に顔を戻す。

 そして、何処か遠くを見るように……微笑んだまま口を開いた。

 

「……私だけで良いと言ったのに。鬼道衆の奴らはきかん坊が多い」

 

 霊圧知覚とは、平素から延々とやっているものではない。

 探ろうと意識した時にしか使わない。そんなことより、自分が逃げ出す機会を伺っていた。

 だから、気が付かなかった。

 ……この場に、まだ人が駆け寄ってきていることに。

 

「……まさか」

 

 振り返ったと同時に、一番隊隊舎になだれ込んできたのは、よく知った顔ぶれ。

 その数は、十人を超えるだろうか。

 どれもこれも、私が鍛え上げた精鋭。

 ……鬼道衆の席官達だ。

 

 

 

「「「「縛道の六十三 鎖条鎖縛!!」」」」

 

 

 入るやいなや、綺麗に揃った声で詠唱破棄された縛道。

 その鎖はまるで、事前に打ち合わせをしていたかのように綺麗に各隊長の体へと伸びる。

 そして漏れることなく一人一人を拘束した。

 

 一寸の狂いもない、見事な縛道。

 

 流石に総隊長に飛ばした者はいないようだが、その場にいた全ての隊長達の身動きが封じられた。

 

「一体どういうつもりだ!!! 貴様ら!!!」

 

 私が唖然としていると、砕蜂隊長が鬼のような声で怒声を上げる。

 それにも屈さず、彼らは負けじと声をはりあげた。

 

「お行きください!!!! 如月大鬼道長!!! 俺たちには構わないで!!」

「お前たち……」

 

 事態の全貌を掴む前に、勒玄が私にしか聞こえない声で事実を伝える。

 

「仲間を護りたい。その気持ちを持っておるのは貴方だけではありませぬぞ。貴女の背に着いていくと、決めているものは私だけではありませぬぞ」

 

 ……馬鹿だ。この者たちは。

 いつもいつも、私の気など知らずに。

 

 昨日からずっとだ。

 立てた計画を壊していくのは、この目に捉えている悪では無い。

 全部全部、身内の所業。

 

 ……計画を壊されて、呆れて……どうしようもなくて……。

 それに喜びを感じている自分がいた。

 

「全くお前達みんな……私の言うことなんか一つも聞きやしない……」

 

 顔を下に向け、グッと唇を噛み締める。

 そして自身の霊圧を一気に解放した。

 

「……散在する獣の骨 尖塔・紅晶

 鋼鉄の車輪 動けば風 止まれば空……」

 

 私の呟く言葉に、隊長達の目が一斉に見開いた。

 拘束縄が私の霊圧の上昇を受けて次々はじけ飛ぶ。

 

「駄目だ! 姫乃ちゃん!!」

「よせ、如月!」

 

 ごめんなさい。京楽隊長。

 ごめんなさい。浮竹隊長。

 

 

 私、この人を置いていけない。

 

 

 隣にいる勒玄の顔を見る。

 私と目が合った彼は、まるで分っていたかのように力強く頷いた。

 そして、いつの間に自分の拘束を解いたのだろう。そっと私の手首を拘束していた最も強力な霊具を解除してくれた。

 

「このような物で、本当に貴女を捕らえたと錯覚しておったんでしょうかね」

 

 ああ、全くだ。

 それはお前も同じだろう。

 鬼道衆の頂点二人を、このような弱い拘束で捕らえるなど……。

  並の隊長を捕える程度(・・・・・・・・・・)の拘束など、笑止千万。

 私は、既に暴発しそうなほど膨れ上がった霊圧を握る左手を……天に掲げた。

 

 

「 槍打つ音色が虚城に満ちる! 

 __破道の六十三 雷吼炮!!!」

 

 

 滅多に遣わない、私の完全詠唱の破道だ。

 別になんだって良かったんだけど。

 せっかくなら、縛道と同じ番号の物を遣おうじゃないか。

 

 斬魄刀を封じたからなんだ。

 手足を拘束したからなんだ。

 

 そんなもので、私の歩みは止まらない。

 

 天井に大穴が空き、空が見える。

 素早く副鬼道長を抱え、飛び立った。

 

 煙と瓦礫が落ちてくる中、こちらを睨みつける総隊長と目が合う。

 

 

「……謀反とみなしてよいか。如月大鬼道長」

「ええ、それで結構!!! 私は私の信じた道を歩みます!!!」

 

 私は父に貰った霊圧遮断の外套を被って、一番隊舎から離れた。

 

 

 

「ほんと、莫迦じぃ!! なんでついて来ちゃったの!!」

「血筋……ですかのう。結局私も、孫と同じ選択肢を取ったようです。……総帥様に着いていくと」

 

 そう言って、勒玄は私に何かを渡してきた。

 

「隠密機動には全く別の浅打を渡しました。

 貴方の斬魄刀の形が、意外なところで役に立ったようで何より」

 

 それは、隊首室へと置いてきた私の斬魄刀。

 

『僕を置いていくとかありえないんですけど!?』

 

 名無之権兵衛が刀越しに怒鳴っている。

 いや、違うんだ。本当は回収を、夜一さんが……。

 まあ、結果良しだからいいや。

 

 私の気も知らずに、勒玄はしてやったりの顔をして満足そうだ。

 

「気を知らぬのは、お互い様」

「狸め」

「女狐に言われとうございません」

 

 二人でふっと笑いあって、私は彼と共に一度身を隠せるところへ向かうことにした。

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 __一番隊舎__

 

 

 姫乃の旅立ちを見送ったかのように、鬼道衆達は隊長達の拘束を解いた。

 

「……いやはや。山じぃの部屋に大穴開けて逃げる子なんて、初めてみたよ」

 

 大穴が開いた天井を見上げ、既に去った二人の姿をしばらく呆けて見つめていた隊長達。

 しかし、京楽のその言葉にはっと意識を戻す。

 

「今すぐ追う……「不可能だヨ」

 

 砕蜂の声を遮ったのは、涅だった。

 いつの間にこの場に来ていたのか、旅禍侵入の調査結果を片手に、退屈げに耳をかいている。

 

「なんだとっ……」

 

 やる前に無理だと抜かすその男に、砕蜂はいら立ちを隠さず鋭い眼光を飛ばす。

 そんな砕蜂を全く気にする様子もなく、涅はやれやれといった表情をして肩をすくめた。

 

「小娘が去り際に被った外套。あれは、霊圧遮断膜だヨ。霊圧の痕跡が一切追えず、また結界術は護廷に右に出る者無し。さて、このなかでまだ奴の霊圧を感じ取れる者はいるかネ」

 

 涅のその言葉に、誰も言葉を返せなかった。

 

 沈黙は肯定。

 

 涅は自分の言葉に否定が返ってこないことに気分を良くしたのか、そのまま言葉を続ける。

 

「霊圧遮断膜は110年前に考案時点で開発自体が禁止され、出回るはずのない製品だヨ。もちろん技術開発局に侵入者などいない。さて、さぞかし聡明な君たちならば、これ以上の説明は不要だと思っていいかネ」

 

 涅のその言葉に、ニヤリと口角をあげ市丸が口を開く。

 

「そんなん……浦原喜助しかおらへんやろなあ」

「蛙の子は蛙。先人は言葉を良く考えたものだな。だから反対したのだ。あの者は、必ず平和を乱す存在だと」

「貴様らは知らんだろうが、あの副鬼道長も所詮、穢れた一族。鬼道衆は穢れた集団ということを、改めて認知させられる」

 

 東仙の言葉と砕蜂の吐き捨てるかのような言葉。

 そして怒りの矛先は、残された鬼道衆の面々へ向いた。

 

 

「貴様ら、一体何をしたかわかっているのか! 捕らえよ!」

「逃亡幇助。減給で済む話じゃないと分かっているのかな」

「後悔してももう遅ぇぞ」

 

 砕蜂、藍染、日番谷の言葉にも彼らは一切表情を変えない。

 

「後悔などしておりません!」

 

 そう言って、ただ真っすぐ隊長達を見つめ返していた。

 砕蜂の指示で現れた隠密機動が、彼らを次々拘束していくも、抵抗は見せない。

 

「一体、姫乃ちゃんは何しようってのさ」

「知りません! 俺たちの自己判断です!!」

「知らないって……じゃあ、なんで助けたの、君たちは」

 

 京楽のその言葉に、一人の男性が返事をした。

 

「敬愛を捧げているからです!!」

「そんなことで手を貸していい理由になるか!!」

「なります!!」

 

 砕蜂の声を遮るように、一人。また一人と示し合わせたかのように、綺麗に言葉が繋がっていく。

 

「如月さんは、これほど人数のいる我々の名前も、得意不得意も全て知っておられます!!」

 

「個人個人が、護る力を得られるよう。一人も欠けぬよう。常に目をかけて頂きました!!」

 

「氷の女王!? 馬鹿にしないでください!!」

 

「あの人は、あんなにも暖かい!! あの人が何故、休まれないかご存知ですか!!」

 

「帰りを待っていただいているのです!! 雨の日も雪の日も、我々が一人残らず任務から帰るのを、門の前で必ず待っておられます!!」

 

「鬼道衆の灯りが消えたことは、あの人が鬼道衆に来られたその日から、一度たりともありません!!」

 

 

 そうして、全員の声が重なる。

 

「「「お前達が帰る灯りを、希望を。私は決して消さない!!! 帰り道を、決して見失わせない!! 新人の頃より、全員が如月大鬼道長に伝えられる言葉です!!!」」」

 

 

 その言葉に反応したのは浮竹だった。

 乱暴に外へと出されていく彼らに一歩近づいて声をかける。

 

「君たちは……」

 

 それ以上言葉を出せない浮竹に、最後に部屋を出されようとしていた鬼道衆が振り返って答えた。

 

「ずっと誰かの帰りを待つために足を止めていたあの人が、ようやく進むと決めたのです。あの人が灯してくれていた灯りを、今度は我々が灯し続けます。送り出したのなら、帰るその日まで。信じて待ち続けます」

 

 そういって、彼らは真っすぐ顔を上げたまま部屋を出ていった。

 

 

「……ま、姫乃ちゃん美人だからねぇ……惚れちゃうのもわかるよ」

「理解に苦しむヨ」

 

 京楽と涅のそんな会話。

 誰一人声を上げられない中、入れ替わりのように地獄蝶が入ってきた。

 

 

【伝令です。十一番隊斑目三席、綾瀬川五席が旅禍による攻撃を受け戦線復帰不可の重症。卯ノ花隊長は至急救護詰所にお戻りください】

 

 

「斑目と綾瀬川がっ……重症!?」

 

 その伝令に驚く日番谷。

 十一番隊は戦闘集団。その三席と五席が負けたというのか……

 にわかには信じられない伝令だった。

 卯ノ花は総隊長に一礼すると、すぐに目的の場所へと向かって移動を開始する。

 

「おもしれぇ。一角と弓親を倒す奴かぁ……戦いてぇなあ」

 

 自分の部下がやられたというのに、更木は嬉しそうにニヤついている。

 彼にとっては怒りより、喜びの方が大きいのだろう。

 

【旅禍と最初に接触した十一番隊は半壊滅状態。現状確認できた旅禍の数は一人。一方、旅禍に損傷無し。更木隊長の救援要請が十一番隊から出ております】

 

 戦闘において最も長けた集団。十一番隊。

 その隊が、旅禍に一太刀も入れられてない。

 しかも相手は、一人。

 信じられない報告に一同絶句する。

 

 

 __ドンっ!!! 

 

 

 総隊長の杖が鳴り、隊長達は一斉に前を見た。

 

 

「今は旅禍を捕らえることに専念せよ。これ以上瀞霊廷内を歩き回ること、決して許すでないぞ。逃げた童は後でゆっくり探せばよい」

 

 鋭い眼光で隊長達を睨む総隊長。

 思わず隊長達の背筋も伸びる。

 

 そして、総隊長はゆっくりと口を開いた。

 

 

「……現時刻を持って、鬼道衆総帥大鬼道長 如月姫乃及び、副鬼道長有昭田勒玄。両二名からその役職の永久抹消 並びに 旅禍侵入の首謀者として発見次第、粛清を命ずる」

 

 その言葉に大きく目を見開き、体を前に進めたのは浮竹だった。

 総隊長の眼前まで詰め寄ろうかという気迫だったが、狛村によって両肩を押さえられそれ以上前へ進むことは叶わなかった。

 

「堪えろ。浮竹。気持ちはよう分かる」

 

 しかし、浮竹は構わず叫んだ。

 

 

「お待ちください! 元柳斎先生!! せめて拘束の許可を! 査問の時間を!!」

「ならぬ! 十四郎! 言葉を慎めぃ!! 旅禍の企てに手を貸す正当な理由を、お主はこの場にて提示できると言うか!!」

 

 総隊長のその言葉に、浮竹は唇を噛み締めた。

 

「敵の頭は、護廷最高峰の死神。臆するでない。引くでない。これは、我々の尊厳をかけた戦いじゃ。

 行け、諸君。全面戦争と行こうじゃないかね」

 

 その言葉とともに、各隊長は一番隊舎を飛び出した。



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第五十八話 上級救護班

 

 

 派手な脱出劇から、しばらく。

 私達は、七番隊の鍛錬上の一つである裏山にいた。

 

「これからどうするおつもりじゃ。如月大鬼道長」

「今頃、大鬼道長の名も副鬼道長の名も剥奪されているよ。如月と呼んでくれていい」

「……では、姫乃様と」

「嫌だ」

「では、姫様と」

「もっと嫌だね」

 

 私は懐から機械を取り出して、操作を進める。

 現世のパソコンとやらに模した物だが、中々に使い勝手がいい。

 本来であれば此処で、皆と一度合流を果たす予定だったのだが……。

 

「なんでこうもバラバラに……」

 

 画面に映し出されている彼らの点在位置は、見事にバラバラだ。それをみて頭を抱えた。

 

「それは?」

「発信機。皆の首元に取り付けてある。服でも着替えない限り、居場所がわかる。肉体の損傷具合も」

「……また妙なものをお造りになられて」

 

 データ上からみる限り、一護と茶渡が単独行動。

 一護の現在地は、十一番隊の道から懺罪宮までの道のりを最短距離で向かっている。

 

「へぇ。なんだかんだ地図が頭に入ってたんだ」

「この道は、地下通路では?」

 

 私に倣うかのように、画面を覗き込む勒玄がそう言う。

 

「うん。一応、地下通路も記してある地図を見せたんだけど。案外頭いいのかな?」

「存じませぬ」

 

 茶渡は、八番隊付近で立ち止まっているようだ。

 何処かに身を潜めているのだろう。

 懺罪宮を目指すにしては……少し斜めに寄りすぎている。ただまあ、極端に悪いという訳では無い。

 

 一番の問題は、石田と井上。

 二人で行動しているのはいいが、北へ向かえと言ったはずが西に進んでいる。

 そのままでは、流魂街に出てしまうルートだ。

 

「……二人は、十三番隊の付近をずっとウロウロしているなぁ……」

 

 何があったのかと考えているうちに、二人の居場所を示す点滅が動かなくなった。

 肉体損傷は見られない。茶渡と同じく隠れる手段を選んだのか。

 それとも、動けない理由があるのか。

 

「発信機を取り付けられたのであれば、通信機能も付けられれば良かったのに」

「涅隊長に盗聴されておしまいだ」

「逆探知の可能性は?」

「あるさ。これもあと10分もすれば自動で無力化する。まあ……回路に触った瞬間、技術開発局がウイルスで死ぬけどね」

 

 とにかく、全員が無傷で密林を抜けられたという事は大きな前進。

 

「一護は放っておいていいか……。石田と井上の回収が先……。その後に茶渡を……」

 

 データを破壊する前に、全員の行動予測地点を割り出していく。

 

「表の最大の敵は……涅隊長だな、っと」

 

 タンっとキーボードを叩いて、装置が計算を終えるのを待つ時間。

 頭脳戦に負ける気はしていない。

 少しの空白の時間が出来て、私は改めて勒玄の方を見た。

 

「……恨んでたんじゃなかったの」

 

 彼に初めて会ってから、実に六十年は経っただろうか。

 上官と副官。その関係性でだけで言えば、比較的釣り合い良く歩んできたと思う。

 鬼道衆を巡る様々な出来事を、彼と共に見てきた。

 私も、この人に置いている信頼は厚い。

 ……ただ、彼の心の深淵は、会った当時から止まったままだ。

 そう思っていた。

 

「……貴女が、大鬼道長を名乗られた日でございます」

「別に何かをしたわけじゃ……」

「全てをまるで失ったかのような絶望。それでも止まらぬと言いたげな瞳。全てを見通している様で、全てに回り道を。そんな曖昧で複雑で、あまりに強くも脆い瞳でございました」

「それに惚れたとでも?」

「ええ。ああ、この目だと。このお方が見通している未来の先を……共に歩くことこそが、真実を見る道なのだと。……握菱殿が、何故浦原喜助を選ばれたのか、理解致しました」

 

 勒玄の話に、私はフッと鼻で笑う。

 

「生憎、瞳は母にそっくりだと言われる」

「あの浦原喜助を飲み込んだ瞳なのであれば、私如きが敵う筈もなかろうに」

「両親に感謝だね」

「……して、敵は?」

 

 その質問に、私は少し目を細めて答えた。

 

「藍染惣右介」

 

 そういうと、思った以上に勒玄は驚いた様子を見せなかった。

 想定していた……というより、直ぐにその事実を受け入れた。そんな表情。

 

「……百年前。現場調査に私も向かいました。そこで、握菱殿が鬼道を遣われた霊圧残滓を捕捉しています。……それが防がれていたという事も」

「進言しなかったのか?」

「当時、それを確認できたのは私一人。握菱殿が誰かに向けて攻撃を放った形跡がある。その進言は、妄言と四十六室によって片付けられました」

「相変わらず、胸糞の悪い組織だ」

「左様」

 

 勒玄が探し続けていたほんの僅かな疑問。

 それは、例え名前が藍染惣右介であろうとなかろうと、百年の疑問を晴らすには充分だったのだろう。

 何者かが、何かの事実を隠しているのではないか。

 彼が私を憎みながらも、傍に仕えた理由の一つかもしれない。

 

 そう思考を回していると、解析が終わった事を知らせるアラートが鳴った。

 

「……ん?」

 

 それを見て、違和感に気がつく。

 

「……石田達が動かない? 今後、移動する可能性がやけに低いな……」

 

 操作を続けていれば、発信機の維持位置がやけに低い。

 ……これは、発信機が地面に落ちている。

 

「服を……着替えたのか」

 

 恐らく、死覇装に着替えたのだろう。

 賢いと言えば賢いが……。死神としての振る舞う知識がない以上、諸刃の剣。

 ただまあ、時間稼ぎにはなるだろう。

 

「茶渡は……このまま八番隊との交戦は免れられないな。まあ、席官に負けるほど弱くもないからいいや」

「人間がそれ程の力を?」

「無ければ連れてきていないさ。まあ、予定通り石田達を迎えに……」

 

 そう言いかけた時、画面上に異常を知らせる警告が浮かび上がる。

 そして、私自身も感知できる異常。

 すぐに顔を北の方へと向けた。

 

「……一護!?」

 

 それは、順調に向かっていたはずの一護。

 ああ、すっかり忘れていた。

 綺麗に立てた計画を、悉く壊していくのは身内なのだ。

 

 この位置からでも感じ取れる、一護の霊圧の衝突。

 本来であれば、一護は恋次との交戦に入る。

 だが、漫画の世界よりもずらし過ぎた現実は、彼により強い試練を与えてしまった。

 

「……相手は、恋次と吉良か」

 

 私が鍛えたんだ。副隊長相手に遅れなど取るはずが無い。

 確かに白哉相手は、相当な壁であると認めよう。

 ただ、恋次に太刀傷を受けるほど、一護は弱くない。

 

 だが、実際はどうだ。

 画面にも、私の霊圧知覚にも。

 どちらにも正解が映し出されている。

 

 ……一護が押されている。

 恋次も恋次で重症だが、一護も状態が良くない。

 

「……吉良の奴……。面倒な斬魄刀を解放したな。行こう、勒玄」

「お待ちください! 姫様! 貴女は見つからずとも、私は存在を完全に消すことなど……」

「……勒玄、お前もしかしてずっとその名で呼びたかったのか? それとも嫌味か?」

「……なんの事やら」

 

 しらを切る勒玄に呆れつつも、私は立ち上がる。

 そして、勒玄にもう一枚外套を投げて渡した。

 

「ほら、着て」

「も、もう一枚あったのですか……」

「……現世を発つ前に、父から二枚渡されていた。勒玄がついてくる事、あの人にはお見通しだったみたい」

「憎たらしい男ですの」

「多分、褒め言葉にしかならないよ」

 

 そうして、立てた瞬間に狂う予定に振り回されつつ、私達は戦闘地域へと足を急いだ。

 

 

 

 ………………

 …………

 ……

 …

 

 

 

「手ぇ出せなんて頼んでねぇぞ……吉良」

「副隊長が負けるなんて、そんな恥を晒すよりマシだろう」

 

 壁に寄りかかりながら、荒い息を吐く恋次。

 その傍には、数字の"7"を模したように、内側に刃のついた歪な斬魄刀を持つ吉良が立っていた。

 

 そして、数メートルの間を挟んで、一護もまた右半身に大きな傷を負っている。

 

「まだ……負けてねぇぞ……」

「……諦めろ。てめぇにルキアは助けらんねぇ」

 

 侘助の能力は、斬った物の重さを倍にしていく。

 皮肉にも、斬月という刀の大きさがその影響を強く受ける事に繋がっていた。

 

「刀が重くなったからなんだ……。足が重くなったからなんだ。……そんなんでなぁ、俺はぜってぇ止まらねぇんだよ!!!」

「……首を落とすよ、阿散井君」

「……好きにしやがれ」

 

 一護に大傷を負わされた恋次は動けない。

 既に足も重く、刀も持てない一護に吉良が詰め寄った。

 

 

「よく言った、一護」

 

 吉良の刃が一護に届く寸前。

 私は二人の間に入る。

 

「貴女はっ……!! 如月大鬼道長っ……!!」

「謀反の噂っ……マジだったのか……」

 

 刀を止められた吉良と、後方の恋次は驚きの表情。しかし、すぐに険しい顔へと変わった。

 

「如月……さん……」

「倒れるな、気を失うな。まだ戦いの途中。そう教えたはず」

「わか……ってるっつーの……」

 

 出血でグラついている一護にそう言うと、彼は歯を食いしばって体を支える。

 それを横目で見て、少しだけ口角を上げた。

 

「上出来」

 

 吉良の刃を受け止めた私の斬魄刀は、確かに少し重くなった気がした。

 ただまあ、一度倍になったくらいじゃ大した問題じゃない。

 そもそも、この戦いを仲裁するのに刀はいらないから。

 

「今すぐ三歩後ろへ。吉良副隊長」

「……責務を前に、下がることはしませんよ」

「私は下がれと言ったんだ。それ以外の選択肢は存在しない」

 

 

 __ダアアアアアンッ!!! 

 

 吉良との距離を瞬歩で詰め寄り、私は彼の腹に回し蹴りを入れた。

 

「がっ……」

 

 その反動を受け止めきれず、壁に寄りかかっていた恋次の隣に叩きつけられる吉良。

 

 この一撃で、気を失ったようだ。

 

「嘘……だろ……。刀も遣わず……」

 

 吹き飛ばされ、口から血を吐く吉良。それを夢でも見るかのような目で恋次はそう呟いた。

 

「副隊長如きに私の刃を見せるなんて勿体ない。この子は貰っていくよ。

 __縛道の二十一 赤煙遁」

 

 勒玄が一護の体を支えたのを確認して、私は目くらましの煙を周囲に撒いた。

 都合よく地下に続く道が足元にある。

 

 吉良は気を失わせた。恋次では、この地下通路を追ってくることなど出来ないだろう。

 そう判断し、私達は一度地下へと身を隠すことにした。

 

 

「速く走れ! 老いぼれ爺!!」

「老いぼれと分かっていて、無茶を言われるでない!!」

 

 地下通路を走り続けた私達は、ある程度の深い所まで潜り込むと一護をその場に下ろす。

 

「回道の結界を!!」

「承知! 術式は!」

「五番!」

「五番ですと!?」

 

 回道術式五番。

 大きい傷を通常の二倍の速度で回復させる術。

 四番隊上級救護班の専門だ。

 術者の霊力も通常倍で消費されるため、ある程度の霊力保有がなければ、回復の前にこちらが力尽きる。それに、非常に複雑な回復術式だ。

 

「早く!!」

 

 勒玄はとまどいながらも私の指示に従い、回復のための結界を貼ってくれる。

 急いで一護の傷を確認し、回道をかけ始めた。

 

「……都合のいいものだ。よりによって、一護と相性最悪の吉良と衝突するなんて」

「これも、謀られていると?」

「そうだろうね。大丈夫。想定以上だけど、想像を超えてはない。変えようとした道筋が、強制的に戻されてるだけだよ」

「何の為に?」

「足止めだよ。私の」

 

 本来負けるはずのない戦いで、傷を負う。

 負うように調節されている。

 一筋縄で行かないことは、入る前より分かりきってたことだ。

 

 藍染さんの目的は、別に一護達を潰すことじゃない。

 私の行動を制限することにある。

 

「まあ、このまま回復を続けて……」

 

 次から次に。とはまさにこの事。

 次に私が感じ取ったのは、茶渡の異常。

 

「……それは、ちょっと不味いかな……」

「姫様?」

 

 京楽隊長と茶渡がぶつかり始めた。

 それは不味い。京楽隊長相手には流石に敵わない。

 

 今じゃなかったはずの戦いが、次々に起きる。

 私が逃走した事で、隊長達が一気に動き出したんだ。

 

「よし、勒玄。後は任せる」

「なんとっ!」

「もう一人、拾い物をしてくる」

「お待ちください!!」

「待たない。交代するよ、3……」

「お待ちくだされぇえええ!!!」

 

 回道の術者を勒玄へと移動させようとした時、勒玄が悲鳴に近い制止の声を上げた。

 そこまで叫ばれると、流石に止まる。

 

「な、なに?」

「なにもこうもどうも!! 貴女の五番回道の霊質に合わせられるわけがないでしょう!! せめて、二番に切り替えを!」

「はあ!? そんなのんびり回復してる暇なんてないの! 二番でやってたら、二日はかかる!」

「みながみな、貴女と同じく技量だと思われるでない!!」

「なんの為の副鬼道長だ! それくらいやり遂げろ!」

「無茶が過ぎますぞぉおお!!」

 

 勒玄の怒声に耳を塞いでいると、視界の端で何かが動いた。

 

「あ、あ、あ、あのっ……ぼ、僕っ……ご、五番出来ますっ……!!」

 

 恐怖を乗り越えるためか、ギュッと目を閉じたまま片手を上げる彼。

 あ、あまりにも霊圧が小さすぎていたことすら気が付かなかった。

 これほど神経を張り巡らせている私の警戒を……すり抜けてくるとは。

 敵意が全くなかったからか、あまりにも弱すぎたからか。それとも、そもそも存在感が皆無なのか。

 

 とにもかくにも、三人しか居ないと思っていた地下に居たのは、四人だった。

 その四人目が……

 

「や、山田花太郎?」

「お、覚えていただけて……光栄です……」

 

 確か……大昔に一度だけ会ったことのあるようなないような。

 当時の時から、余り印象に残っていない。

 よく私も覚えていたものだ。

 

 一護と何時どこで、どうやって……。

 そう考えて、答えに何となくたどり着いた。

 一護が地下通路を迷いなく進んでいたのは、彼のおかげだったのか。

 

「じゃあ、来て。交代するよ。3.2.1……」

「はい!!」

 

 待っての声を待たない私の声に、彼は正しく対応してくれた。

 勒玄に彼のサポートを頼み、私は地下通路を出る準備を整える。

 

「……次は、京楽隊長相手か。さっきみたいに上手くは流石に行かないなぁ」

「ご武運を」

「この程度の邪魔で計画が狂うほど、中途半端な計画じゃないさ。手は千も二千も用意してある」

 

 現状の惨状など、余興も余興。

 藍染さんの死が伝達されるより先に衝突を始めてしまった茶渡。

 彼らの立場が、"ただの旅禍"である以上、私が行かなければ命の保証が無い。

 

 まるで私が来るのを待っていると言いたげに、フラフラと茶渡と遊ぶ京楽隊長の霊圧を感じ取って、私は目的地へ向けて走り出した。



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第五十九話 思慮の目が見通したもの

 

 

 想定通りに一護達を動かそうなんて考えは、捨てた方がいいかもな。

 そんな事を頭の片隅で考えながら、八番隊隊舎へと私は到着した。

 

 まるで私が来ることは分かっていた。

 そう言わんばかりに、綺麗に人払いがしてある八番隊隊舎前。

 

「明朝ぶりです。京楽隊長」

「そうだねぇ。君と日に二回も会えるなんて、中々ないんじゃないかい?」

 

 体力の消耗が著しい茶渡と、京楽隊長の間に降り立つ。

 私の背後には、茶渡。京楽隊長の背後には七緒ちゃん。

 緩い会話とは対照的に、緊張感が場を満たしていた。

 

「彼を殺さないでいてくれてありがとうございます」

「なあに、海老で鯛を釣る……なんて言葉もあるでしょ」

「お見事です」

 

 そんな会話をしながら、互いに剣を抜く。

 私の戦いの邪魔にならないよう、茶渡が一歩下がったのを横目で確認して、私はもう一歩前に出た。

 

「如月……さん……」

 

 しかし、前に出た私とは対照的に、京楽隊長より前に出てきたのは七緒ちゃん。

 

「七緒ちゃん……」

「総隊長の命令の元、貴女を……粛清します」

 

 そう言って彼女は両手を構えた。

 きっと言いたいことは沢山あって。

 きっと聞きたいことは沢山あるのだろう。

 

 それでも、この場においては敵同士。

 負けては……あげられない。

 

「破道の七十……」

「甘いよ。効かない」

 

 七緒ちゃんが鬼道を放つ直前。

 私は彼女との距離を一気に詰めた。

 そして、霊力を練り上げていたであろう右手を掴む。

 

「なっ!!!」

 

 私が手を掴んだと同時に、練り上げていたはずの彼女の鬼道が飛散した。

 今しがた起きた事への驚きで、大きく目を開く七緒ちゃん。

 

「反鬼……相殺!? 七十番台の鬼道をそんな……」

「出来るから、ここに立ってる」

 

 悔しそうに眉を顰める彼女を、そのまま京楽隊長の方へと投げ飛ばす。

 

「っ……」

「それに、教えたでしょ。鬼道は、隙の多い術。対面で自分より速い敵を相手する時に限っては、非有効的だと」

「詠唱破棄でも……間に合わないということですか」

「そう。その一秒で、殺されるの。これが、実践だよ」

 

 私の放つ圧に、七緒ちゃんはグッと息を飲んだ。

 私が今、手刀で甘さを出さなければ、自分は死んでいた。

 その事実を飲み込もうとしている。

 

「ほら、ボク言ったでしょ。実践初戦で姫乃ちゃんは無理だよって」

「……黙っててください」

「ありゃ、怒られちゃった」

 

 再び私に向かって駆け出してきた七緒ちゃん。

 気迫は充分。迷いのない動き。

 それでも……

 

「……隙だらけだ」

「っ———!!!」

 

 走りとの緩急を付けるために、瞬歩に切り替えたのはいい判断だとおもう。

 刀を持たない以上、剣の間合いを見極めようとした事も。

 でもそれは、私が教えた彼女への戦い方。

 手の内は、手に取るようにわかる。

 

 七緒ちゃんが私の背後に回るより早く、彼女の肩をほんの僅かに斬った。

 深くはない。

 言わば、薄皮一枚。

 

 入隊一年目の隊士ですら、コケるより浅いこの傷に騒ぐものなどいない。

 それは、経験があるから。刀で斬られるという。

 

「刀で斬られるのは初めてでしょう。……ごめんね、痛いね。でもこれが、七緒ちゃんが知りたがってた……死神の戦いだよ」

「はい、すとーっぷ」

 

 初めての経験と、初めての痛み。

 それに動揺した彼女を助けるように、京楽隊長が間に入ってきた。

 

「女の子同士で傷つけあうのは、ボクは好きじゃないなあ」

「私がこうするまで、ずっと見守ってたくせに」

「七緒ちゃんが素直になるまでさ」

 

 自身の戦力外通告に等しい行為を受けた七緒ちゃんは、ふらつきながら肩を抑えて下がる。

 

「……してですか……。どうして……私達を裏切るような事を……」

「秘密。裏切ったつもりもないよ」

「裏切りです!! 貴女に憧れて、大好きで……ずっと心を通わせていたと信じていた、私への裏切りです!!」

 

 

 __キンッ!!! 

 

 七緒ちゃんの言葉が私に届き、私が返事を返すより早いタイミング。

 京楽隊長の刃と、私の刃が交わりあった。

 

 そうしてもらわなければ、間に合わなかっただろう。

 

 七緒ちゃんはきっと、崩れ落ちてしまっていた。

 私は、彼女の信じた世界を崩したのだという気持ちに飲み込まれていた。

 

 すぐに意識は戦いの方へと引き戻され、場に刃がぶつかり合う高い音が響く。

 

「さ、本題に入ろうか」

「……相も変わらず、やり辛い人ですね」

「やだねぇ、褒められると嬉しくなっちゃうよ」

 

 互いに本気じゃない癖に、気を一瞬も抜けない攻防の中で、私達は互いに探り合う。

 どちらから。どのようにして。どう切り出そうか。

 

 幾度となく鍔迫り合いが続いた時、京楽隊長が口を開いた。

 

「……穏やかってのは、時に違和感に繋がると思わないかい?」

「なんの話でしょうか」

「弟子が想定もしてない方向に飛び立った時、ボクなら少なくとも驚くね。……随分と穏やかだなぁと思っただけさ」

「……想定できていたのなら、特段変ではありませんよ」

「そう。こうなることなんて、想定済みだったみたいだ。今回の事件、また暇つぶしの所業か……それとも、思惑か。どっちだと思う?」

 

 海燕さん達の事件の時のように。私に興味のある人物が起こした暇つぶしの騒動か。

 それとも、諸悪の思惑か。

 私が護廷十三隊の情報を横流しする代わりに渡していた、僅かな情報の中で……京楽隊長も核心へと近づき始めている。

 

 夜一さんに言われていた通り、私は京楽隊長に情報を渡した。

 

「……歩む道は違えど、心は護廷に。私は私の過去に精算を付けに来ました」

 

 それを聞いた京楽隊長は、口角を上げた。

 

「ボクはお節介だからね。女の子のお尻は、着いてくるなと言われても追いかけちゃう性分さ」

「……知ってます」

 

 恐らくはこの戦いにおいての最高速度。

 私を捕らえようと距離を詰めてきた京楽隊長に対して、私は回避する為に後方に宙返りする。

 

「おっと!」

 

 私のつま先が京楽隊長の顎に当たる直前、彼もまた回避の為に後ろに下がった。

 

「 啼き叫べ 名無之権兵衛 」

 

 そして、唱えた解号を聞いて京楽隊長はさらに下がる。

 千本桜か、神鎗か。どちらにも対応可能な距離感へと。

 

「……どちらも来ないということ、忘れちゃってますよ」

 

 私の刀の威力は絶大だ。

 他人のとはいえ、二種類の斬魄刀を操るその驚異性。それは、私の刀を知っている者であれば最大限に警戒を行う。

 叩きつけられる選択肢と、強い警戒。

 それは、眼前にある初歩を盲目とさせる。

 

 つまるところ、私が解号を唱えて何もしないという選択肢を見失わさせる。

 

「……おやまあ。捕まっちゃった。ボクが見誤るなんて、まだまだだね」

「見誤りますよ。誰と戦ってると思ってるんですか」

 

 京楽隊長はもう動けない。

 下がったその先に隠していた、吊星にひっかかってしまったからだ。

 あらかじめ、曲光で隠した吊星を定位置に置いていた。そこまで誘導をかけたにすぎない。

 

「三十番台とは言えど、君の縛道の解除なんてボクは出来ないよ」

「じゃあ、私の勝ちで」

「参ったよ」

 

 縛道の回避方法は三つ。避けるか、反鬼相殺か、術者以上の霊圧を瞬時に手に練り上げ吹き飛ばすか。

 どれも簡単じゃない。

 

 そして、捕まってしまった場合は二つ。

 霊圧と筋肉で力づくで壊すか、縛道を練り上げた質と回路を解析し分解するか

 

 壊す。という点に関しては霊圧が高くパワー系の人なら出来る。総隊長や一護とか、剣八とか、狛村隊長あたりが得意だろう。なんとまあ野蛮極まりない。

 

 

 分解は、術者の技術力によって組み方の変わる縛道の急所を探して、そこに同質の力を練り入れることだ。

 反鬼相殺の応用。

 

 よりわかり易く説明するとするならば、知恵の輪だ。

 例えば塞は、可視化すれば二つの輪で腕を拘束している。

 

 知恵の輪のように外れる部分を探し出してそこに術者が使用した霊質と同様のものをぶつければ楔が壊れて簡単に解ける。

 番号が上がればより難解になるし、術者の技術力でたった一つの知恵の輪でさえ難解になる。

 

 高い霊圧知覚と的確な分析能力、霊力調節が必要だ。

 敵戦力で一番得意なのは藍染さん。準じて東仙隊長。護廷隊長なら涅隊長、砕蜂隊長も得意だろう。

 

 まあ何が言いたいかというと、京楽隊長が私の吊星からすぐ抜けられる可能性は限りなく低い。

 

 私は刀を収めて、茶渡の所へ歩み寄った。

 

「……すま……ない……」

「おっと!」

 

 気力も体力も限界を迎えていた茶渡が、謝りの言葉と同時に体勢を崩す。

 それを支えると同時に、私の体に強い負荷がかかった。

 

「……重すぎる」

 

 これを山まで運ぶのかと、ゲンナリしていれば七緒ちゃんの視線を感じた。

 

「逃げられると?」

「ああ、随分と丁寧に結界を編み込んだみたいだね。これ、自分で作ったの?」

「私だって、甘く見てもらっちゃ困ります」

 

 八番隊隊舎内に私達を閉じ込めるためか、周囲には高度な結界が張り巡らされている。

 私はそれをそっと触って、粉々に破壊した。

 

「七緒ちゃんと初めて会った時の私なら壊せなかった。凄い結界だよ」

「全く褒められた気持ちになりません」

 

 これ以上打つ手が無くなった七緒ちゃんと、動けない京楽隊長。

 ……いや、動けなかったという状況になりたかったのだと思う。

 私を見逃す判断を、京楽隊長が取っている。

 

「……姫乃ちゃん。目的は?」

「ルキアの処刑を止めます」

 

 そういえば、言ってなかったな。

 そんな事を頭の片隅に思っていると、京楽隊長は少し黙った。

 

「……まいったねぇ。ボク達も大忙しになりそうだ」

「え?」

「明日の午前は暇かい? 浮竹にくらい、顔見せてから行きなよ。彼、ショックで寝込んじゃってる」

「……考えておきます」

 

 もう何十年も足を踏み入れてない雨乾堂。

 そこへ来いと、誘われている。

 

 その場ではすぐに返事を返さず、私は八番隊隊舎を立ち去った。

 

 

 …………………

 …………

 ……

 …

 

 

 戻った時には、すっかり日が落ちてしまっていた。

 茶渡を抱えての移動は、本当にしんどい。

 珍しく少し息を上げて戻った私に、勒玄が水をくれた。

 

「ご無事で何より」

「遊んでもらっただけ。あの人と戦うと、体力より精神が疲れる」

 

 眠ったままの茶渡を下ろし、私も壁を背に腰を下ろした。

 

「彼の治療は?」

「やるだけ無駄。怪我じゃなくて、命の消耗をしているから」

「承知」

 

 茶渡が起きないのは、疲れたとかそういう話じゃない。

 命を削って出した技で、生命体として本能的な防御反応故の眠り。死なない為に強制的な休眠状態に入っている。

 治療すれば起きるとか、そういうことじゃないんだ。

 

「これ以上、この人間を前線に立たせるのは危険かと」

「わかってる。一護と一緒に行動させる」

 

 そういえば一護は……と思った時、暗がりの中からふらつきながらも一護が私達に歩み寄ってきた。

 

「お、歩けるようになったんですね。山田花太郎は?」

「寝かせた。石田と井上は?」

「さあ。ここまで距離が離れると、分からないです」

「分からないって……!!」

「分からないということは、悪いことじゃない。何も情報がないという事は、裏を返せば何も起きていないということ」

 

 私がそう返すと、一護は少し安心したような表情を見せた。

 そして、今後の予定を今いるメンバーで確認する。

 

「明日の朝、勒玄が茶渡君を安全な場所に運びます」

「何処へ?」

「双極の丘の真下に、お父さん達が作った秘密基地がある。そこに運んで」

「承知」

「一護は、予定通り前に進んでください。私はちょっと別行動」

「一人で大丈夫なのかよ」

「大丈夫。勒玄は、仕事が終わったら雨乾堂に。私もそこにいるから」

「承知」

 

 夜である今運んだ方が、より安全は安全。

 しかし、一護達の騒動のどさくさに紛れた方がさらに安全。

 大体の説明が終わって、私は再び腰を上げた。

 

「どちらへ?」

「五番隊。ちょっと回収したいものがある」

 

 明日の朝、藍染さんの訃報が瀞霊廷全土に流れる。

 そうすれば、石田と井上の命の保証だけは確保される。そして……あの手紙は雛森副隊長には渡させない。

 彼女の心を、必要以上に弄ぶ必要など何処にもない。

 

 深夜二時を回れば、もう五番隊に藍染さんの姿なんてないだろう。

 再び地下から出ていこうとした私を、一護が呼び止めた。

 

「俺も行く」

「馬鹿言わないで。貴方の今の最善は、よく寝てよく休んで、明日の戦いに備えること」

「……わーったよ」

「それじゃ」

「あ!」

「何?」

 

 何かを思い出した。そんな表情をした一護。

 

「コッチ来る前から色々ありすぎて、すっかり忘れてたぜ。そういや、如月さんに渡すもんがあったんだ」

「何を?」

「それを覚えてたら今になってねぇつーの。えーっと……」

 

 死覇装をカザゴソと探る一護を見ていれば、段々と顔面蒼白になっていく。

 聞かずともわかる。無くしたのだろう。

 私はため息をついて、彼に背を向けた。

 

「無くしたり忘れたりする程度のものなんて、大したことじゃないから大丈夫」

「わりぃ……。おっかしいなぁ……」

「どうせ、森に落としたんでしょ。じゃあ、行ってくる」

 

 ようやく、長い長い一日が終わりを告げた。

 五番隊で手紙を回収し、無事地下へと戻った時には既に太陽が登り始めていた。

 僅かな仮眠を取り、瀞霊廷突入二日目へと物語は進んでいく。



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第六十話 共に並ぶは、護廷の古株

 

 

 明朝。まだ寝ている一護達を置いて、私は地下道を出た。

 その途中で聞こえてきた護廷内部の騒乱。

 

 五番隊隊長、藍染惣右介が死んだ。

 その訃報は、隠れて行動している私の耳にも風に乗って届く。

 

 動揺がひしめく護廷の中で、まるで此処だけが世界から隔離されているような静けさだった。

 

 十三番隊隊舎_雨乾堂。

 

 久々に目にした風景は、最後に目にした時と何一つ変わらない。

 カコン……と静かに鳴り響く鹿威しの音と、柔らかな夏の風。

 外套のフード部分を下ろし、私はただそこに立ち尽くしていた。

 

 西流魂街で体験したことと同じく、此処でも記憶の欠片が溢れかえる。

 

 目を閉じて、耳を澄ませば聞こえてくる。

 無邪気に笑う、自分の笑い声。それを追いかける海燕さんと、優しく見守る都さんの姿。

 海燕さんが私を捕まえたタイミングで、狙ったようにいつも浮竹隊長が顔を覗かせる。

 皆でおやつでも食べないかい? 必ずそう言うんだ。

 そうやって、激務の中でほんのひと時のたわいも無い幸せな時間を過ごした。

 

 信じて疑わなかった、崩れ落ちた私のもう一つの過去。

 

「おいで、如月」

 

 突然聞こえたその声に、ビクリと肩を上げた。

 雨乾堂の中に浮竹隊長がいることはわかっていたが、私の気配を察知されたことが予想外だったからだ。

 

 ゴクッと息を飲んで、私は雨乾堂の御簾を開けた。

 

「……どうして分かったんですか」

「勘だよ。如月は必ず此処に来る。そう信じていた」

 

 入口で立ち尽くす私に、浮竹隊長は優しい笑みを向ける。

 

「そういえば、また仙太郎が第六会議室の隠し扉に挟まれてな。立て付けが悪くなったかな?」

「あっ……あそこは、第四の鍵を引けば開かないようになるので……」

 

 突然振られた脈絡のない会話に、思わず反射的に答えてしまった。

 

「……覚えてくれていたんだな」

「……忘れたことなど、ただの一度も」

 

 どうすれば皆が仕事をし易いか、考えて考えて改築を繰り返したこの隊舎。

 どの道が何処に繋がっているのかなんて、考えずとも体が全て覚えている。

 

「如月が作り上げた思い出は、今もこうして繋がっているよ」

 

 その言葉に、私はグッと掌を握りしめた。

 

「……その思い出から……私は逃げたんです。前に進む理由を作って……逃げたんです」

「そんなことはない。如月は、選んだんだ。選ぶ事と逃げる事は決して、同義じゃない」

「その証拠に! ……こうして時が迫らねば、私は此処へただの一度も足を運びませんでした……!」

「じゃあ、如月を此処へ運んでくれた時の流れに感謝しなければな」

 

 どれだけ非を嘆いても、その全てを赦す慈悲の言葉に、私は半歩後ろに下がった。

 やはり、此処に来るべきじゃなかった。

 記憶の美しさと、残酷さ。その二つがせめぎ合うようにして、私の心に流れ込んでくるから。

 

「俺はよく、他者を信じろと。そういうだろう? どれだけ難しくとも、信じ続ければ分かり合える時が来ると」

「……はい」

「それが叶わない時。争いはその時に起こる。どうやっても交わることの出来ない信念がそこにある時、俺達は刃を持つ」

 

 浮竹隊長は一度お茶をズッ……っと飲んで、再び私の方に目を向ける。

 

「さあ、俺からの質問は一つだけ。如月。俺達はお前と刃を交えるべきなのだろうか?」

「それは私を……信用してくださると……」

「疑ったことなんて、ただの一度もないさ。如月が十三番隊を忘れたことのないように。俺もまた、如月を信じ続けるという想いを忘れたことはない」

 

 私がその言葉を頭の中で反復していると、背後にまた人の気配を感じた。

 振り返れば、最初に見えたのは女物の羽織。

 

「ボク達は、ずっと前から君の味方ってことさ」

 

 そこにいたのは、昨日会ったばかりの京楽隊長。

 浮竹隊長も、やっと来たかと言わんばかりに片手を上げた。

 

「素直になれない姫乃ちゃんに、ボクから等価交換の提案。ボク達は君を見逃す。その代わりと言っちゃなんだが、また情報をおくれよ」

 

 浮竹隊長と京楽隊長の決定的な違いは、藍染さんの件を気が付き始めているか、そうでないかの違い。

 私の過去を知っていて、私が藍染さん側でないという確証もない中で……それでも私が起こす波に乗ろうとしてくれているのだ。

 

「……どうしてそんなに私の事を」

「そりゃあ、女の子だからね。ボクは、女の子の言うことならなんだって信じるさ」

「お前は全く……そういう事じゃないだろう。如月の背を押す人達に、迷いがないからだ」

「迷い……ですか?」

「鬼道衆の子達も、有昭田も。きっと現世で会っただろう浦原達も。お前が進もうとしている道の後押しを、誰一人迷っていない。それは、如月が進む道が正義だと信じているからだ。そう信じさせる程、如月が誇り高く生きてきた証だよ」

「そ。じゃあ、ボク達も迷い悩む必要は何処にもないってことさ」

 

 京楽隊長に背中を押され、私の足は雨乾堂の中に進んでいく。

 そして、そのまま三人で輪になるようにして腰を下ろした。

 

「朽木を助ける。俺が元柳斎先生の言いつけに背くには、十分過ぎる理由だな」

「割と浮竹、一度決めたら頑固だからね。姫乃ちゃんが何言っても下がってはくれないよ」

「どうせお前も隣にいるんだろう」

「あったりまえでしょ。山じぃに怒られる時は、二人揃って一緒さ」

 

 そんな会話をしている二人を眺めながら、私は腹を括った。

 

「先に、他者が盗み聞きしないよう結界を展開してもいいですか?」

「ああ、頼む」

 

 私は雨乾堂を覆うようにして最高強度の結界を編み込んでいく。そして、準備が整って、輪の中へ再び戻った。

 

 作戦は知っている人が多い方がいい。

 内部との連携がより取れた方が確実。

 

 ああ、そんな事は建前。

 雨が上がって、空が見えて。

 振り返る事が出来た。

 隣を見ることが出来た。

 

 私の歩く道に、沢山の人が着いてきてくれていることに。

 

 先が見えている私と違って、先の見えない道だというのに。

 そこに光があると手を差し出す彼らの姿が……私の背にあると。

 

 ああ、私は……私の歩く道は……。

 一人じゃない。独りじゃない。

 

「……ルキアを助ける。それは物事の一遍に過ぎません。真の目的は……藍染惣右介を討つことです」

 

 私の紡いだ言葉。

 京楽隊長の表情は変わらずだったが、浮竹隊長は驚いた表情をしていた。

 

「き、如月は知らないかもしれないが……藍染は……」

「死去。それは……まやかしです」

「今回はやっぱりそっちかい。時灘じゃなくて少し安心したよ」

「京楽! お前はまだアイツの事を……」

「今は関係ない話さ」

 

 京楽隊長は、浮竹隊長の方に手をかざして話が逸れようとしたのを止めた。

 思考の中にあった答え合わせをしている京楽隊長より、まだ話の全貌が掴めていない浮竹隊長の方に合わせて、私は話を続ける。

 

「……全てを知っておりました。全てを知っていて、今までをあえて見過ごした私も、罪人同然です」

 

 そう前置いて、私は今までの全てを話した。

 昔から不思議な夢を見ていたこと。

 それに伴って、海燕さん達が死す事を知っていた事。防ぎきれなかった事。

 藍染さんがどんな人物で、何を計画しているのか。

 鏡花水月の真の能力。

 化けの皮が剥がれる今日この日を待つ為に、志波隊長をあえて見つけ出さなかった事。

 黒崎一護という存在が、藍染さんの計画を動かす為に必要だった事。

 

 私の抱えていた百年の歩みを全て説明するには、相当な時間がかかった。

 それでも、二人はジッと私が話終えるまでただ耳を傾けてくれる。

 

 涼しかった朝の気温が、肌に汗を感じるくらいに上がった頃。

 ようやく私は全てを話し終えた。

 

「すぐに四十六室の確認を!」

「無駄さ。行ったところで鏡花水月の力で、ボク達には普通に機能しているように見えるだろうね」

 

 立ち上がりかけた浮竹隊長だったが、グッと眉をひそめて再び腰を下ろす。

 そして私の肩にそっと手を乗せた。

 

「……すまなかった。如月がどれ程の時を苦しんでいたのか、俺は全く気がつくことが出来なかった……」

「そんなことありません! 浮竹隊長や、海燕さん達から頂いた沢山のお心のお陰で、私は今日この日までを歩んでこれました! それなのに……私は護りきれなかった……」

「なに、どっちがどうって話はいいじゃないの。そこに悪なんか何処にもないさ」

 

 再び話を止めようとした京楽隊長だが、今度は浮竹隊長は止まらない。

 

「……如月。それは違う。過去に戻り、あの日あの時の全てを知っていたとしても。何度戻って、繰り返しても。きっと海燕や都は、同じ道を選ぶだろう。仲間を助ける道を。自分の誇りを護る道を」

「何度……戻っても……」

「そうだ。どれだけ未来が見えても。どれだけ過去に戻れたとしても。心が変わらなければ、道を違うことはない。如月は、未来を知らなければ藍染の方を選んだのか?」

 

 その質問に、私は少し考えて首を横に振った。

 

「いいえ。頂いた心を……誇りを穢す道を、私は決して選びません」

「そうだ。変わらないものが心だと。そう言えるのならば、それが強さだ」

 

 優しく笑う二人に、私は深く頭を下げた。

 私の罪も、建前の上に成り立つ選ぶ道も。その全てを赦して、二人は共に歩くと選んでくださっている。

 

 苦しくて、建前を作って逃げて。

 そうして見ないようにしていた此処 (十三番隊)は、きっと何度人生を繰り返しても決して変わらない私の心の在り処だ。

 

 もっと多くの事を話したいし、此処に日が暮れるまで居たい気持ちはある。

 それでも、まだやるべき事が残っている以上動かなければ。

 

「私の話を信用していただき、ありがとうございます。……もう行きます」

「ああ、任せてくれ。如月の横に並ぶのは、護廷きっての古株二人。ちょっとやそっとじゃ折れやしないさ」

 

 私は立ち上がって、雨乾堂の御簾を上げる。

 外には既に、勒玄が木陰で待っていてくれた。

 

「茶渡は?」

「無事、搬送致しました」

「ありがとう」

 

 京楽隊長と浮竹隊長の姿に気がついた勒玄が、二人に向かって少し頭を下げながら私の質問に答える。

 

「二人も仲間だよ」

「存じ上げております。昔から、この二人の悪餓鬼の姫様への肩入れは気に食わぬのです」

「はは、相変わらず有昭田は手厳しいな」

「昔っからでしょ」

 

 私達が移動しようとした時、浮竹隊長が思い出したかのように私を引き止める。

 

「そうだ! 旅禍の子達を保護していたんだ!」

「へ?」

「現世の服のままだと何かと不便だと思ってな。死覇装を渡したんだが……えっと……何処に配置させてたかな……」

 

 その言葉で、ようやく疑問の一つが解決された。

 石田と井上が服を着替えたのも、十三番隊付近から動かなかったのも。

 全て、浮竹隊長の配慮だったのか。

 

 見つかったら自分の立場すら危ういというのに。

 ……いや、自分の身など後回しで誰かの為に動くのが、浮竹隊長だ。

 

「正確には、見つけたのは仙太郎と清音なんだが……。おーい! 二人とも! いるんだろう?」

 

 そう呼びかけると、屋根上から二人が瞬時に姿を現した。

 

「すいやせん! 隊長ぉ!! 今朝見失いました!」

「な、なんだって!?」

「仙太郎が見てないからでしょ!!」

「うるせぇ! お前が隠し扉があると自慢したからだろ!!」

「どの扉から出たか、覚えてない方が悪いんじゃないの!?」

 

 喧嘩を始めそうになった二人を慌てて止めて、私は事情を聞いた。

 二人の言い分は、他の隊士に怪しまれないよう、新人とかこつけて仙太郎の傍に置いていた二人だったが、今朝いなくなったと。

 恐らく、このまま立ち止まってる訳にも行かないと決めての行動だろう。

 

「ど、何処から出たの?」

「えっと……えっとですね……。うーん……ここら辺で見失いまして……。扉があるとは思うんですが、叩いても引いても開かなくて……」

 

 仙太郎が指さした先は、雨乾堂からも見える通路の一角。

 確かにそこには隠し扉が……

 

 そこまで考えて、私は頭を抱えた。

 

「……最悪だ」

 

 目の前での二人の証言。

 そして、同時期に感じ取った霊圧の衝突。

 

 その二つは、一つの答えを導く。

 

「……そこの通路、技術開発局までの道だ。一度開けたら、半日は開かない設定にしてある」

「ええええ!!!」

 

 はるか昔、白哉やギンとも共闘したあの虚軍勢戦。

 確か、刀を見せろと追いかけてくる海燕さんから逃げるために私も使った。

 というか、その後も何度か使用した隠し扉の一つ。

 技術開発局までの道のりを最短で行く、地下通路へ続いている道だ。

 

 入口は一つ、出口も一つ。

 何一つ迷うことなく、目的地へ運ばれる道。

 

「これは……涅が戦っているのか」

「そうみたいだね」

 

 京楽隊長と浮竹隊長も、涅隊長の霊圧の上昇に気がついたようだ。

 

 石田と涅隊長の交戦は出来れば避けたかった。

 それでも、これは思惑でもなんでもない美しいほどの偶然。

 

「姫様。救援に向かいますか?」

「……いや、行かない」

 

 石田は勝てる。

 それに、涅隊長の前に姿を現すのは、限りなく悪手。

 

「石田と戦う未来が変えられなかったのが最悪ってだけで、計画上は最高の展開。今のうちに技術開発局に行こう」

「しかし、あそこのセキュリティーは強固ですぞ」

「涅隊長の頭脳と、お父さんの頭脳。どっちが勝つと思う?」

「……好きになされよ」

 

 技術開発局に行くのは、この瀞霊廷突入作戦において最重要項目。

 私の侵入を拒むように作り上げられた城と、突破するための鍵。

 

 私が懐から出した、黒いカードキーを見た勒玄が、呆れたようにため息をついた。

 

 そうして、浮竹隊長達に別れを告げて私達は技術開発局へと足を運ぶ事にした。



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第六十一話 潜入・技術開発局

 

 

__技術開発局深部

 

『涅サンが考えそうな暗証コード一万個入ってるカード』という無闇矢鱈に名の長いカードキーを利用して、私達は技術開発局内部への侵入を果たした。

 たどり着いた先は、普段涅隊長が利用している局長室兼研究部屋。

 システムの一部にカードキーを差し込めば、全てのセキュリティがアンロックされた。

 

「よし。勒玄は誰も来ないよう見張ってて。監視蟲の映像はダミーに切り替えとく」

「承知」

 

 まずは瀞霊廷中にばらまかれているであろう、涅隊長特権の監視蟲の操作から始める。

 石田と井上の存在を見つけた彼ならば、必ず戦闘風景の記録を取っているはず。

 

 その予想は間違いではなく、彼らの戦いの様子の映像はすぐに見つけることが出来た。

 

「……予定よりずっと戦闘の進みが早いな」

 

 石田と涅隊長が衝突したことで、本来予定していなかった作業も増えた。

 それは、滅却師の力の消失を限りなく引き伸ばす為の作業。

 滅却師の研究に熱を燃やしていた彼ならば、限界を超えて力の消失を防ぐ道具を開発していてもおかしくない。

 

 ただ、やることの優先順位もある。

 戦いが決するまでの時間も少ない。

 

 私は一瞬悩み、一度別の操作を始めた。

 

 触ったのは、回線機器。

 伝令神機の根本である機能。

 

「……繋がるかな」

 

 若干の不安を覚えつつも、現世との通信を試みる。

 

『どうもっス♡』

「少し問題が重なりました」

 

 その不安は杞憂に終わり、無事現世で待つ父との通信を繋げることに成功。

 現状の様子を簡単に説明した後、私は父にお願い事をした。

 

「お父さんの方から、技術開発局の操作は可能ですか?」

『勿論。もうハッキング済みっスよ』

「じゃあ、私は本来予定していた作業を行うので、滅却師の方をお願いしてもいいですか?」

『任せてください』

 

 そうして始まった、共同作業。

 これは、時間との戦い。

 鍵盤に似たキーボードをひたすら叩きながら、私は作業にのめり込んでいく。

 

『姫乃、ありましたよ。今出します』

 

 ボシュっと音がして、床から一つの球体が出てきた。それを手に取って、一周見渡してみたが、ただの黒い球体以外の視覚的情報は得られなかった。

 

『うーん……最後に改良されたのは十年前っスね。滅却師の霊圧に反応して自動で作動します。副作用はなさそうですが……劣化も考慮して持続時間は不明っス。あの状態の石田さんに効くのかも資料がないのでわかりません』

「あるだけマシです」

『滅却師なんてアタシは興味なかったスけど、やっぱあの人変人ですね』

「お父さんも十分変人かと」

『やだなあ。アタシは天才っスよ』

「……」

 

 父親との親子的会話とは、どのようなリアクションが適切かは分からない。

 知らないし、今このタイミングで知らなくていい事に悩む優先度を下げた結果、無視をした。

 

 そうしている間に、私の方も一つ二つと順調に作業が進んでいく。

 

「次で最後です」

『……あ、ハイ』

 

 私が最後のキーを叩くと、右手側から椅子のようなものが床からせりあがってくる。

 その傍にあるのは、脳のようなもの。

 

 これからするのは、記憶のバックアップ。

 私が持っている未来の知識。今まで紙で記していた記憶を、映像として残すこと。

 忘れてしまっていたことも、記録用の書物を読み返すことで思い出せた。

 これは、今回のルキア救出に役立てるものじゃない。

 今後まだ起こる、藍染さんの絡まない戦いの記録を映像として残す。

 文字で書かれたものより、圧倒的に情報が多いこの作戦は、父から提案されたものだ。

 

 これが残るだけで、この先待ち受ける滅却師との戦いに圧倒的優位に立ち回れる。

 

『大体三十分くらいっスね。脳波を直接読み込むので、逆らえる逆らえないの次元じゃない眠気が来ます』

「勒玄に後は任せます。目覚めは?」

『終わったら直ぐに起きれますよ』

「じゃあ、尚更問題ありません」

 

 取ったデータの転送に関して、時間はかかるが父のもとに送る手配をしている。

 恐らく涅隊長が戻ればすぐに気が付くだろう。

 しかし、あの人は石田との戦いで動けない体になる。

 プライドの高い人だ。局長室まで侵入を許した失態。

 自分の不自由を理由に、修復の為に誰かに助けを乞うとは到底思えない。

 

「……涅隊長の戻りまでに間に合いますかね」

『あの状態になった涅サンなら、通常の歩行速度の三倍は歩みが遅いっス。この距離感なら一時間は戻って来れませんよ』

「わかりました」

『じゃあ、後は勒玄サンだけでシステム落とせるようにしておきますね』

 

 そう言って他の機能を落とそうとした父の操作を、反射的に止めた。

 

『え?』

「あ……いや。作品って、造ったら銘柄いれたくなりません? どうせすぐにバレますし、タダでバレるのは癪ですよね?」

『……めちゃくちゃわかるっス。完全同意』

 

 真顔ながら、画面越しで二人でグッと親指を立て合い、私達はほんの些細な悪戯を残した。

 別に悪質なウイルスでもなんでもない。

 今後この装置が起動する際、全ての画面に向日葵の可愛いロゴが出てくるだけ。

 

「……貴女方親子は揃いも揃って……」

「遊び甲斐の深い相手と遊んだ方が楽しいだろう。これに何を返してくるのか、楽しみ」

『どうせなら、解除の抜け穴作っときましょ。不備があったと嬉しそうな顔もみたいじゃないっスか』

「同感です」

「……もうお二人の好きになされよ。これに限っては、知らぬ存ぜぬで押し通しますぞ」

「止める気も無いくせに」

「左様」

「お前も楽しんでるじゃないか」

「……黙秘致します」

 

 この先、このロゴを見て阿鼻叫喚する涅隊長を思い浮かべて、思わずクスリと笑ってしまった。

 

『それじゃ、切りますよ』

「はい。ありがとうございます」

 

 父との通信が切れて、私は記憶のバックアップ準備に取り掛かる。

 装置の作動を開始した直後、父が言った通り眠いとか眠くないとかの話じゃなく、強制的に意識が刈り取られた。

 

 

 

 

 

 *******

 

 

 

 

 

 

 グラグラとした体の揺れで目が覚める。

 

「……勒玄?」

 

 どうやら、勒玄の背中で揺られている。どれだけ眠ってしまっていたのだろう。作業が終われば目覚めるという話だったが、昨晩ほとんど寝ていなかったせいか普通に寝てしまった。

 

「無事終わったの?」

「姫様が寝ておられたのは丁度半刻です。作業の方は全て終わりました」

「起こしてくれたらよかったのに……」

「我が一族は、眠った上官を叩き起こすなどという事を教わりはしません」

 

 石頭の言い分を聞きつつ、遠くで鬼のような霊圧を発している涅隊長を感じる。

 おお……無事ご立腹のようだ。

 あの様子じゃ、助けを乞うどころか報告すら上げなさそう。

 

 石田と織姫……生きてる……

 織姫は十一隊舎の隊舎牢の中。

 

 勒玄には何も言っていなかったが、石田の所へ向かってくれているらしい。

 

「なんで勒玄が石田の霊圧辿れるの」

「姫様が父君と滅却師の話をされていたので、次なる目的地はそちらかとおもいまして。勝手ながら、滅却師の霊圧を辿っておりました」

 

 ……有能か? 

 そう思っていると、背筋が凍るほどの霊圧を背後に感じた。

 更木隊長だ。

 

 もう十分もしないうちに一護と更木隊長が対峙する。

 更木隊長はすでに一護の存在を捉えているだろう。霊圧で一護をおびき寄せている。

 どうする。石田に会ってからじゃ間に合わない。

 一護じゃない。更木隊長の方だ。

 

 彼は一護と相討つ。そして、その後の生命維持が困難になる。

 いま更木隊長を死なせるわけにもいかない。

 それに、山田花太郎も心配だ……。岩鷲を今回連れてきていない。彼は戦闘に不向き。

 

「……私の足で間に合うかギリギリだな」

 

 私は必死に思考を巡らせていると、勒玄が先に口を開いた。

 

「私が行きましょう」

「ありがとう。戦況をみて、花太郎の保護に徹すること。一護と更木隊長の戦いには絶対手を出すな」

「承知」

「一護は夜一さんが助けに来る。夜一さんに隠れ家の場所を聞いた後は、更木隊長の回復に専念。誰かに見つかりそうなら、治療を放棄。撤退」

「承知」

 

 花太郎の護衛と、その後の剣八への回復作業。

 そう指示を出すと、勒玄は頷いて私を下ろした。

 

 

………………

…………

……

 

 

 勒玄と別れてからしばらくして、無事九番隊付近で休んでいた石田を無事見つけた。

 

「石田」

 

 私の問いかけに、石田は驚いた表情で振り返る。

 

「如月さん! 無事だったんですね!」

「君も怪我はないようで何より。着ている死覇装は、聞いた通り十三番隊の隊服ですね」

「はい。白髪の男性……如月さんの言っていた浮竹隊長から頂きました。井上さんも同じものを」

「事情は聞いてます」

「……如月さん。貴女が、僕と涅隊長の戦闘を避けさせようとしたのは、祖父の事を知っていたからですか?」

「……半分。一番は、貴方に滅却師の力を無くして欲しくなかったからです」

「お気にならさず。結果的に、僕はアイツと戦えて良かった」

 

 涅隊長相手に圧勝とは……流石としか言いようがないな。

 事前情報もしっかり頭に入れた上で、対策が出来ていた。この子の戦いは、一行の中で一番安心が出来るかもしれない。

 しかし……やはり、懸念していた事は乗り越えられなかった。

 

「乱装天傀を使ったんですね」

「……ええ。矢は作れて後残り一本。そして使わずとも、霊力の消失とともに滅却師の力は消えます」

 

 私は懐から技術開発局で盗んできたものを取り出し、石田の腕に取り付けた。

 事前の説明通り、石田の滅却師としての霊力に反応した球体は形を変えていく。

 

「なっ!!」

 

 光を伴いながら石田の腕にまるで植物の蔓のように巻きつき、鎖骨付近まで伸びようかというところで変形が止まった。

 

「これは……」

「技術開発局で盗んできた物です。滅却師の力の消滅までの時間を最大限引き延ばしてくれます」

「引き伸ばす?」

「霊力の消失が滅却師としての終わりなのであれば、これはいわば擬似的に鎖結と魄睡を模したもの。元々は、ネムを造る時の技術を滅却師に応用したものです。ただ、あくまで延命」

 

 いつまで継続できるのか、涅隊長の分析にない乱装天傀に効くのかも分からない。

 

「最後の矢は、大事に取っておいてください。使うべき時が来ない方がいいのですが……固定装置の継続時間は不明です」

「……構いません。ありがとうございます」

 

 ほっと息をつく石田。

 とにかく、石田たちが今後想定外の戦いに巻き込まれたときの対策はこれで出来た。

 

「それと、その状態で出歩くのは危険です。織姫と合流してください」

「井上さんはいまどこに……」

 

 霊圧知覚すらできなくなっているのか。それとも、道具がやはり機能していないのか。

 そう思って眉を顰めると、石田は慌てて言葉を続けた。

 

「力の抜け落ちる感覚はもう消えています! 道具は上手く働いてくれています。単純に貴女との力量差……」

 

 そこまで話した石田が目を見開く。

 私も事態をすぐに理解した。

 

「……こんにちは、東仙隊長」

「声はするが存在を感じない。そこにいるのは旅禍だろう。私が斬るから下がっていなさい」

 

 私達の前に現れたのは東仙要。

 この人は霊圧知覚を頼りに生活している。私がこの外套を着ている限り、この人に私の場所は探れない。声を出したり、殺気や気配でバレるけど。

 どうやらまだ、私が誰なのかわかっていないようだ。

 私は自分の霊圧遮断外套を脱いで、石田にかぶせた。

 

「如月さん……」

「声を出さないで。物音一つ立てないで」

 

 わずかな物音でいくら霊圧を消そうと、東仙隊長には気が付かれてしまう。

 

「その霊圧……如月か」

「流石です」

 

 戦闘になるか……そう思って斬魄刀に手をかけたが、予想に反して東仙隊長は身を翻して歩き出してしまった。

 

「実力差、ちゃんとわかっているじゃないですか」

「まだ、手を出すなと指示を受けている。ただそれだけだ」

 

 なるほど。今ここで戦わせて東仙隊長が死んだら計画が崩れるという事も理由の一つだろう。

 藍染さんが崩玉摘出の準備にかかっている以上、四十六室の運営をギンと交代でやっている。その現状化で、人員が減るのは芳しくないことは想像出来る。

 

「逃がすとでも?」

 

 私がそう言うと、東仙隊長も少し顔をこちらに向けて返事を返した。

 

「今この場で戦闘を行い、都合が悪くなるのは貴様のほうだろう」

 

 そういって東仙隊長はその場を去った。

 

 まあ、間違いじゃない。藍染さんが尻尾を見せていない以上、東仙隊長が死ねば私はただの隊長殺しになってしまう。

 彼が謀反を起こすときもあくまで市丸と二人の計画だと言うだろう。

 東仙隊長が仲間であったという証拠は無くなる。彼の言う通りだ。

 

 私はただの無罪ではなくなり、隊長殺しの名を背負うのはこちらとしても勘弁。

 

 東仙隊長が去ったのを完全に確認し、私はほっと胸を撫でおろした。

 

「さて、余った時間は無駄には出来ないな」

「さっきの人は……」

「気にしなくていいですよ。昔から仲悪いんです、私達」

 

 私はそう言いながら、一護たちの様子を探る。

 結果的に、戦いが長引いておりまだ交戦中のようだ。

 

「計画を少し追加します。井上さんを先に十一番隊舎から出しましょう」



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第六十二話 vs砕蜂・狛村

 

 

 十一番隊舎に向かった私と石田は、特段大きな問題もなく井上救出作戦を決行する事が出来た。

 

「お、おやめくださ……!!」

「ひっ……」

 

 勿論、私の進行を止めようと隊士達は動く。

 ただその誰一人として、私に触れることすら叶わないまま、膝をついているという事実だけがそこにある。

 

「そう怯えなくていい。何もしてないだろう」

「け、剣をどうやって折ってるんですか……」

「別に何も。死神の戦いは霊圧の戦い。彼らが持つ刃が、私の霊圧に負けて勝手に折れているだけ」

「僕の方には何も感じませんが……」

「そりゃあ、君の方に煽りがいかないよう調節くらいは出来るよ」

 

 そんな雑談を交えながら、勝手に開いていく隊牢までの道のり。

 薄暗い地下への階段を降りていけば、井上の姿を無事発見出来た。

 

「如月さん! 石田くん!」

「お怪我は?」

「私は大丈夫です。だけど……」

 

 彼女の少し悲しげな表情と、握りしめられた両手。

 その手がそっと開かれて、普段は井上の髪に付いている筈の髪留めがあった。

 

「……初日の森での交戦で壊れてしまったんです。これもあって、僕達はなかなか動く決断が出来ずにいました」

「椿鬼くんがっ……」

 

 椿鬼……井上が持つ、唯一の攻撃手段「孤天斬盾」を担当する六花。

 自衛の手段が削られてしまった以上、元々戦闘にむいていない彼女を連れ回すのは危険だと判断したのだろう。

 

「正しい選択ですね。初日の森では何が?」

「黒崎が……どうせ逃げる時も倒すんだから、今戦っておいた方が楽だろ……と」

「……大方、予想通りで何より」

 

 ため息を付きつつ、私は粉々に砕け落ちた椿鬼に手をかざす。

 そして、意識を集中すること数秒。

 

『うお!?』

 

 すこし驚いたような声を上げて、椿鬼が元の形状へと戻った。

 

「つ、椿鬼君!! よかった!! よかったよぉおお……」

『女っ! 中途半端な遣い方しやがって!!』

「ごめんねぇええ! 如月さん! ありがとうございます!!」

「いえいえ」

 

 半泣きになりながら椿鬼に頬擦りする井上。

 彼女の能力はともかく、その形状は斬魄刀と大きな変わりはない。

 髪留めが刀としての通常形態ならば、名を呼んで能力を発揮させる始解。

 六花の擬人化については、具象化の性質を比較することにも大きな差はない。

 

 始解に限って、折れた刀を元に戻すことなんて、死神の世界じゃそう珍しい光景でもない。

 

「ちょっと特殊な構成でしたけど。編み直す事は簡単でした。さあ、再会の時に浸る時間もないので行きましょう」

「はい!」

 

 二人を連れて、再び隊舎の庭に出る。

 十一番隊士はもう、私達に向かってこようなどという意思は削がれているようだ。

 

 一護と更木隊長の戦いも丁度決した。

 

「……石田君。飛廉脚は?」

「……すみません。使えません」

「いえ、そっちの方が楽かなとおもっただけなので」

「楽?」

 

 私は二人の背を押して、丁度いい距離感を保つ。

 何をしようとしているのかわかってない二人をよそに、少し早口で説明を始めた。

 

「いまから、貴方達二人をある場所に飛ばします。そこに、怪我をしている人がいるので治療をお願いしたいです」

「黒崎君ですか!?」

「いいえ。やたらめったら人相の悪い男がいるんですが、いなくなられても困る存在なので」

「は、運ぶってどうやって……」

 

 私は二人の間に立ち、三人は丁度横並びの状態になる。

 私は少し微笑みながら、二人にこう告げた。

 

「3.2.1。の合図で、思いっきり上にジャンプしてください」

「へ?」

「いきますよ。3.2.1……」

「えええ!!!」

 

 何一つ詳しい説明もないままに始まった私の合図。それに二人は、慌てながらも指示に対応する。

 石田と井上がそれぞれ地面を蹴って飛び上がった、その足裏に私は手を回した。

 

「え?」

「如月式、瞬間移動。花鶴大砲手動!!」

「ひゃあああああああ!!!!」

「うわああああああ!!!!」

 

 左右それぞれの手に込めた霊圧を、空気砲の要領で発射。

 丁度更木隊長の倒れている方角へ向けて、空高く打ち上がった二人の悲鳴が耳に届く。

 二人を打ち上げるのは初めてだったが、なんだかんだ上手くいくものだ。

 

 二人の姿が見えなくなったところで、私は微笑んでいた表情を元に戻した。

 

「……お早いお着きで」

「隠密機動の情報網を舐めるな」

 

 井上と石田を送り出した途端に、私の周囲に数え切れないほどの黒い隊服を着た死神が集まる。

 その中心部から出てきたのは、砕蜂隊長。

 

 恐らく、十一番隊士の誰かが通報したのだろう。

 

「貴様は人間を先に逃がしたつもりかもしれんが、既に認識済だ」

「どうでしょう。何も考えずに彼らを飛ばしたとでも?」

「……なんだと?」

「野放しにしていた獣に送った餌。逆を言えば、獣から餌を奪い取るのは至難の業ですよ」

 

 更木隊長ないし、やちるちゃんならば……怪我を治し、命を繋いだ井上達を無下に扱う事はしないだろう。

 そもそも、護廷十三隊の責務など後回しで、強い者と戦う。それのみを意識して生きている彼に、戦いにならない旅禍の存在など眼中に無い。

 総評して、石田と井上の二人に危害はなく、逆を言えば更木の懐から二人を奪い取ろうと戦いを申し込む事が危険。

 

「ほら。感じませんか。井上さんによる更木隊長の治療を邪魔しようとした隠密機動が、尽く草鹿副隊長に倒されてますよ」

「……あの下衆共が……。子供相手に……」

 

 副隊長といえど、子供。副隊長とは、実力がなくとも、隊長に指名権がある。

 つまりは、戦いに参加した姿を見たことの無い草鹿やちるという存在は、更木剣八の私情で副隊長という名前があるだけの子供。

 そんな見下しを嘲笑うかのような戦闘結果に、砕蜂隊長は舌打ちをした。

 

 私はその言葉に、フッと鼻で笑う。

 

「貴女も、幼い私相手に負けた経験がおありでしょう。いえ、少し訂正します。昔も今も、貴女は私より弱い」

「……貴様」

「敵前に堂々と姿を現すなんて、隠密機動総司令官としての名も知れている。……四楓院夜一の方がよっぽど強い」

 

 私がそう挑発した瞬間、砕蜂隊長の姿が一瞬で消えた。

 そして、次に現れた時には私の目の前。

 

「死ね。如月。

 尽敵螫殺 雀蜂 」

 

 砕蜂隊長が持つ小刀のような斬魄刀の形状が変わり、右手中指に鋭い蜂の針を模した独特な形となった。

 

 私はその迫る右腕を蹴りあげると同時に、周囲から迫ってきていた隠密機動も瞬歩を使って打撃を入れていく。

 鬼道や斬術が得意だと思われがちだが、別に白打も不得手というわけじゃない。

 

「んー。流石ですね。挑発に怒ったわりに、動きは冷静そのものです」

「その程度の安い挑発に乱される心などない」

「いいえ、心は怒りでいっぱいだ。私が指摘したのは、動きがいいということだけ」

「……その減らず口を閉じろ」

「閉じさせてみる努力をまずした方がいい」

 

 それの会話を皮切りに、十一番隊舎内の木々が一気に吹き飛んだ。

 屋根も、その周りの土さえも。

 それらの原因は、砕蜂隊長が発する高濃度の霊力の塊。

 暴風に近いその霊質は、その名の通り辺り一体に吹き荒れる。

 

 これでいい。漫画本来とは全く違う行動をとっているのは私達だけでなく、護廷十三隊側も同じこと。

 今砕蜂隊長と現世組が衝突してしまえば、厄介極まりない。

 夜一さんも、一護を庇った状態では上手く戦えない。

 今やるべきは、砕蜂隊長を私との戦いに完全に引き込む事。

 

「考え事か」

「っ……」

 

 迫り来る雀蜂の切っ先を、ギリギリで躱した。

 ……はずだったが、ほんの僅かに頬を掠める針。

 

 私の左頬に、蝶の紋様が浮かび上がる。

 

「弐撃決殺。次同じところに刃を突き立てれば、貴様は死ぬ。蜂紋華が消える事もない」

「ご丁寧に解説ありがとうございます」

 

 周囲に崩れ落ちている瓦礫を利用して、私は後方に下がる。

 ここでは、時間稼ぎだけをするつもりだった。

 

 しかし、明るかった風景が一気に暗くなる。

 いや違う。なにか大きい影が私の背後にいるんだ。

 

「 卍解!! 黒縄天譴明王!!! 」

 

 父から貰った外套のおかげで、私の存在は探知されない。

 ただそれは、隠密をしている時のみの話。

 こうして戦闘を始めてしまえば、旅禍相手には過ぎる殺気と霊圧につられて、隊長達が私相手だと気がつくのは当然。

 

 背後から迫る、鎧兜を身にまとった明王の持つ巨大すぎる刀。

 辺り三百メートルは破壊せんばかしの威力を持つ刀を受け止めるのは、無謀。

 

 私は刀が到達するよりも早くに上空に回避した。

 

「想定済みだ」

 

 回避した先の上空で、来るのを待っていたと言わんばかしに迫る砕蜂隊長。

 

「 啼き叫べ 名無之権兵衛_千本桜 」

「っち!」

 

 私は砕蜂隊長と自分の間に壁を作るように、千本桜の刃を展開した。

 流石に、無数の刃の中を突っ切ってこようなどという無茶はしないようだ。

 

「逃がさんぞ!! 如月ぃ!!」

 

 間髪入れずに、黒縄天譴明王の刃は動き続ける。

 巨体故に動きが遅い……わけではない。狛村隊長の動きに完全に合わせて動く明王は、巨体さに似合わないほどの動きの速さを併せ持つ。

 

 

「……それが、仇となる。

_縛道の七十五 五柱鉄貫」

 

 私が放った縛道は、狛村隊長に向けてでは無い。

 目の前にある、大きくて外しようのない的。黒縄天譴明王へと向けた縛道。

 

 互いの体が一心同体であり、それぞれが受けた傷が反映されるのであれば、縛道もまた同じ。

 

 五つの柱が黒縄天譴明王を押し倒し、拘束する。それに合わせて、狛村隊長も体を地面に伏せた。

 

「この程度の縛道で……!!」

「思っちゃいませんよ」

 

 縛道の解除方法として、力技も有効。

 黒縄天譴明王の巨体から発する、通常では考えられないほどの力技は、五柱鉄貫の柱をぐらつかせていた。

 

「_縛道の七十九 九曜縛」

「狛村に集中しすぎだ」

 

 狛村隊長への追加の縛道をかけている間に、千本桜の合間を縫って砕蜂隊長が再び距離を詰めてきていた。

 狙っているのは、私の左頬。

 

 夜一さんに対して、鬼道が有効戦術手段でないのと同じく、砕蜂隊長にもそんなことをしている暇はない。

 

 

 

 私は、迫る砕蜂隊長を見ながら

 ……自身の霊圧を抑える外套を脱ぎ捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

「……さっき、石田君に教えたばかりなんです。死神の戦いは霊圧の戦いだと」

 

 

 

「ばか……な……。そんな……」

 

 

 砕蜂隊長の雀蜂は、一切迷いなく私の頬を目掛けて飛んできていた。

 それは間違いない。私も、回避はもしかしたら間に合わなかったかもしれない。

 夜一さんとほとんど遜色ないほどの、彼女の最高速度だった。

 

 それでも、雀蜂は……私の頬に触れることなく止まっていた。

 まるで、その間に見えない壁があるかのように。

 

 次に見えたのは、観戦していた隠密機動や、十一番隊士が次々と地面に倒れていく姿。

 私の霊圧を受けて、体が弛緩し失神状態になっている。

 その次に、周囲の建物の崩壊が起きる。

 

 砕蜂隊長の霊質が風なのだとすれば、私は重力。

 

「自分の霊圧保有量なんて、今まで考えた事ありませんでした。それこそ、ここまで解放するのは貴女との修行以来ですよ」

「あの時から……これほどまでに……」

「ええ。雀蜂を抑え込むには、これで充分でしたね。弛緩しないのは、流石隊長です」

 

 動きが止まった砕蜂隊長を、そのまま地面に向かって蹴り飛ばす。

 叩きつけられ、陥没する地面と共に砕蜂隊長の口から血が流れた。

 

「ぐっ……」

 

 問題はここから。

 生憎、砕蜂隊長から逃げ切れるほど速い足は持っていないし、雀蜂を抑え込むために外套を脱ぎ捨ててしまった。

 それを拾っている余裕なんて、持たせて貰えないだろう。

 

 攻撃の手段を封じただけであり、この霊圧の中でも動じず動ける彼女は、死すまで私を追い続ける。

 

 ちらりと目線を向けた狛村隊長は、このまま拘束していれば問題ないだろう。

 

 戦いは決した。あとは逃げるだけ。

 

「……まあ、こうするしかないか」

「逃が……!!」

「 〆之菩胎_神殺鎗 」

 

 地面に向けた刃の切っ先と共に、神鎗の卍解を唱える。

 卍解と同時に、刃が地面へと突き刺さり伸びる。その反動で、目にも止まらぬ速度で十一番隊舎を離れた。

 

 神殺鎗を瞬歩より速い逃走用として遣うなんて、ギンが勿体ないと怒りそうな気もしたが……最有効手段。

 

 一直線上ではあるが、刃が伸びる事を利用して切っ先を固定すれば、結果的に持ち主の方が飛ばされる。

 飛ばされたと同時に一瞬で刃を短刀に戻せるため、結局見ている側からは行き先などわからないに等しい。

 

 本当は何キロ伸びるのかなんて知らないが、少なくとももう私の目には十一番隊舎など見えもしないところまで逃げることが出来た。

 

「っと……。誰もいなさそうで何より」

 

 父から貰った外套は必要ない。もうまもなく、私の全霊力は枯渇するため、どの道いくら探しても見つからない。

 たとえ降りた先で戦闘になっても、三分戦えればお釣りが来る。

 

「まあ、砕蜂隊長と狛村隊長を抑えた時点で、私の相手を今出来る人などいないか」

 

 離反組が手を出すことも無い。京楽隊長や浮竹隊長は此方側。

 白哉は一護と対峙しているし、涅隊長と更木隊長は戦闘不能。冬獅郎は、内乱で起きた副隊長の監視役。

 

 逃走着地点は双極の丘付近を目指していて、それも問題なく近くまで来れた。歩いて数分の距離感だ。

 

「一護達は…… 懺罪宮の周りが殺気石のせいで全く状況がわからないな」

 

 そんな事をボヤきながら、双極の丘を目指す。

 

「……三分がそろそろかな」

 

 全身から霊力が抜け落ちる気だるさを感じつつも、あと一つ角を曲がれば双極の丘は目と鼻の先。

 戦闘後の疲れと、修正は必要だったが物事が上手く回っているお陰で……私はほんの少し気を弛めてしまっていたかもしれない。

 もう隊長達の中に、今私と戦闘可能な人員が居ないと。

 

「……」

 

 角を曲がった先で、私は足を止める。

 

「……普段の貴女であれば、私の存在に気がつけたでしょうね」

「いつから……」

「更木隊長の救護が不必要のようでしたので、此方にも時間が出来ました。旅禍の目的は分からずとも、皆様揃いも揃って懺罪宮を目指されていますね。ですから、ほんの先回りを」

 

 目の前に立っていたのは、卯ノ花隊長。

 前線に立つ人じゃない。常に半歩後ろで、戦いゆく人々の命を護る人。

 自ら戦いのために刀を握る人でもない。

 それは……ただの表向きの話。

 

 本当の名は、初代剣八……卯ノ花八千流。

 何故この人が、救護詰所を離れて此処に? 

 四番隊の名前を背負うようになってから、戦いの為に刃を持つことをやめたこの人が、私と戦う為だけに刃を持つなんてことは有り得ない。

 

「……真意は? 戦う為に出てきたわけじゃないですよね」

「あら、それは此方の台詞ですわ。戦えない貴女と、戦わない私。選択を間違えるほど、貴女は愚かだと思っていません」

「……要件は?」

「私の要件は、いつもただ一つ。

 肉雫唼 」

 

 解号すら伴わず、抜いた刃の速度すら目に追えない。

 仮に私の体調が万全だったとして……はたしてこの人と刃を交えて勝てたか。頭の中で弾き出した戦闘結果は、どれも絶望的な数字。

 卯ノ花隊長は、初代剣八としての片鱗を僅かに見せた後、私の体を緑色をした生き物で呑み込んだ。



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第六十三話 見通した真実と牙城の綻び

 

 

 意識を取り戻した時、最初に目に入ったのは見知らぬ天井。

 牢でもない。外でもない。誰かの部屋だ。

 そう理解する。

 

 グッと体に力を込めると、起き上がれることが分かり、そのまま体を起こした。

 血に濡れていたはずの死覇装は取り換えられており、体の痛みが消えていることも順じて確認が取れる。

 

 寝起き独特の思考の遅さ。最後に覚えているのは、肉雫唼に……

 そこまで思考が回って、ハッと周囲を見渡した。

 

「気が付かれましたか」

 

 部屋の隅には、気配を完全に消していた卯ノ花隊長がいた。

 

「元々の霊力保有量が多かった為、回復には思ったより時間がかかりましたが、もう大丈夫です」

「何故……」

「私の要件はいつもただ一つ。傷ついた方の治療です」

「違います!! 何故、私を助けたのですか!」

「何故、助けられない存在だと思ったのですか?」

 

 卯ノ花隊長の話の意図が掴めない。

 確かに、四番隊は怪我人の治療を使命としている。

 ただ、今の私の立場は離反者。

 

「……査問に万全の状態でかけるわけではないですよね。恐らく、総隊長から粛清命令が出ているはずです」

「ええ、そうです。ただ、そこに大きな矛盾が生じます。四番隊は救命が責務。いかなる事があろうと、他人の命を奪う行動を取ってはならない。霊術院でも教わる内容でしょう」

「釣り合いが取れていないと、そう言っています」

「取れるかどうかは、これからです」

「査問を行うという解釈で間違っていませんか?」

「それで結構」

 

 卯ノ花隊長の答えは、どれもこれも的を得ていない。

 査問が必要なのであれば、拘束する必要がある。私の体には、それらを表す何物もついてはいない。

 つまり、逃げようと思えば逃げられる環境下だ。

 

 ただ、卯ノ花隊長が最後に言った言葉。

 選択を間違えるほど、愚かではないだろう。そう私に告げた。

 

 卯ノ花隊長は、私と会話をするという選択肢を突きつけている。

 この状況下、可も不可も私次第。

 場の決定権は、私にある。

 

 私は一度返事を返すのやめて、彼女の言葉を一から思い返した。

 何もかも、的を得ていないような言葉。

 その裏に隠された事実は……

 

 ハッと気がついて、私は質問を投げかける。

 

「……何日、経ちましたか?」

「丸一日と半日」

 

 その返事に、目を見開く。

 有り得ない。いくら霊力が枯渇していようと、目だった傷のない私の霊力だけの回復に、そこまで時間はかからない。

 せいぜい、半日から一日。

 

「思ったより時間がかかったのではなく……あえて時間をかけたと?」

「ええ。夜明けまで、あと一刻もありません」

「何故!」

「あら。どうしてそんなに焦る必要が?」

「……焦ってなどいませんよ」

「いいえ。回道は、手当てだけが目的ではありません。その道を極めることで、相手の心境を読み取ることが出来ます。貴女は、焦っている」

 

 私はグッと唇を噛んだ。

 護廷十三隊の創設時期と横に並ぶこの人の思考と、相手を視る技量。

 藍染さんが鏡花水月を遣ったにも関わらず、たった一度触れただけの死体にすら違和感を持った卯ノ花隊長。

 ……私の心情など、手に取るように分かると言いたいのだろう。そして、それを隠すことを貫く事は……間違った選択だと。

 

「……焦りを……覚えています」

「やはり、正しい選択を選ばれるのですね」

「もう、卯ノ花隊長は答えは持っていらっしゃる」

「ええ。貴女は……朽木ルキアさんの処刑の日を初めから知っていたのでしょう。本来の処刑日から逆算すると、旅禍侵入は……些か早すぎる」

 

 たったそれだけの事で……違和感を持ち、ここまでの答えに辿り着いた。

 藍染さんが卯ノ花隊長を警戒し、決して下に見なかった意味が今はっきりと分かった。

 

 そこまで辿り着いたのなら、後は簡単だ。

 藍染さんの死に疑問を持った。

 この惨状を予め理解した上で動いている私がいる。

 その二つが組み合わされば……いま起きている不穏の答えに辿りつくのではないか。そう考えている卯ノ花隊長の思考は、何一つ間違っていない。

 

「……藍染隊長が亡くなられました」

「はい、知っています」

「……やはり、それも知っていたのですね」

 

 何を隠しても、無駄だ。

 今私が、知っていると言った答え。

 その言葉の中から、私の心に動揺が無いのを感じ取られている。

 

「如月さんと会った回数は非常に少ないですが、最も古い時期から貴女達を知っています」

 

 真実を伝えるべきか否か。

 たとえ伝えたとしても、この人が最前を走ることは無い。

 無心で信じられるほど、互いに信頼もない。

 

「彼本来の動揺、それを感じ取ったのはあの時が初めてでした」

 

 返す言葉の正解が分からないままに、卯ノ花隊長は言葉を続けていく。

 

「彼の存在を初めて認識したのは彼が席官へと昇進した時です。名前も顔も見たことがない。その僅かな違和感に、私は四番隊の治療記録を全て見返しました。……四番隊に、彼の治療記録は一つもありませんでした」

「え……」

 

 あり得ない。それは、通常ありえないことだ。

 ……治療記録がないということ。

 それは、真央霊術院に入学してから席官の座に就くまで『一度も戦闘で傷を負っていないということ』。

 

「優秀。ただそれで片づけるには、出来すぎている。私が彼の観察を始めたのはそのころからです」

 

 平子さん達よりもずっと前から、この人は藍染さんの違和感に気が付いていたというのか。

 

 私と目が合う卯ノ花隊長の瞳は、最後の一欠片を掴めないだけでほぼ全ての予測が終わっている目だ。

 

「先ほど申した通り、回道の道を極めし者は相手の感情の揺らぎを察することができます。藍染隊長の霊圧を幾度となく観察し、ある二つのパターンに気が付きました。一つは、無感情。穏やかに笑みを持って人と接している時も、隊葬で周囲が泣いている時も。周囲の状況と表情は一致しても、彼の感情に起伏と言うものが何一つ感じられない。心を失くしているのではありません。《その場で起きている事象に興味がない》そんな感情です」

 

 藍染さんにとって、この世界で対人関係で起こりうる全ての事象は、観察対象。

 そこに過剰な私的感情が入ることも無く、常に一歩引いた目線から物事の全てを眺める。

 

「二つ目は、不安。恐怖。怯え。自分の隊長である平子真子と接している時や他の隊長と接している時に時折、彼がわずかに見せる感情でした。二つのパターンにはあまりにも不可解で同じ人物と認識するにはかけ離れている……《二人は別人なのではないか》? ……その答えに行き着いたときには、既に時が経ちすぎていました」

 

 藍染さんが平子さんを騙す為に自分の身代わりとしたのは、自分が取り込んだ別の隊士。

 鏡花水月でバレないとわかっていても、隊長格相手の霊圧の真横に立ち続ける行為に、わずかな恐怖を覚えるのは当たり前の感情だ。

 

 どれだけ言動を似せようと、心までは同じに出来ない。

 ……それを卯ノ花隊長は見逃していなかった。

 

「恐らくは、斬魄刀の能力なのではないかという推測をたてています」

「たった……それだけの事で?」

「欠片を掴むということの重要性は、この世界の事実を掴むのに必要なことです」

 

 漠然とした違和感? いや、違う。

 この人は、京楽隊長達が持つ違和感なんかとっくに超えて既に答えを持っている。

 平子さんは藍染さんを監視(・・)した。卯ノ花隊長は、観察(・・)していたのだ。

 ただ唯一分からないのが、 何故死したのか(・・・・・・・)

 ただそれだけだったのだろう。

 

 それを見極める直前に藍染さんの死。死者の心は読むことができない。

 しかし長い時の観察が、死体が藍染さんではないのかもしれない。という可能性を導き出した。

 

「……私が藍染さん側だとお考えですか」

「いいえ。貴女がこの事態をどうやって知ったか、いつから知っていたか。それが今重要なわけではありません」

「……本当に聞きたいことは、なんですか」

 

 私がそう聞いても、卯ノ花隊長はまた少し違う話をし始めた。

 正確には、最初からの話の続きに戻る。

 

「さて。先程も言ったことを覚えていますか?」

「ええ。 彼本来(・・・)と」

「貴女が死ぬか生きるかの瀬戸際を彷徨うあの日。彼は初めて、動揺していました。ああ、ようやく人らしい感情が見えたと、貴女の傷よりそちらに驚いたのをよく覚えています」

「……それも演技ですよ」

「そうかもしれません。二度目に彼に人らしい感情が見えたのは、つい先日。貴女が離反を叩きつけた日です。僅かに見えたのは、喜びや期待。……まるで、手の内から逃げる貴女に楽しみを覚えているかのような」

 

 藍染さんは夢の欠片で知る限り、完璧な人だ。

 全ての計画が、彼の手の中にある。

 予測していた事態も、予測出来なかった事態も。

 それらが全て、卓上に並んだ手駒でしかない。

 

 また自分が持つ答えを遠ざけるかのように、卯ノ花隊長はようやく私の質問に答えてくれた。

 

「如月さん。貴女は何を成し遂げようとしていますか?」

「……誇りと、未来の為に戦います。私の過去に清算を」

「いいえ。もう一度聞きます。貴女は、何を成し遂げたいのですか」

 

 ああ、卯ノ花隊長は、私の誇りを聞いているのでは無いのだ。その質問に正しく答える今……。

 私の声は、震えていなかっただろうか。

 それは自分ではわからない。

 

 たった一つの質問と、卯ノ花隊長が辿り着いた真実。

 それらの全てが、私がいくら取り繕っても無駄だと叩きつけてくる。

 

 

「……この世界にっ……私が居る意味を……。私が存在して……間違いではなかったのだという答えを……見つけたいです! ……そうすることで……私は、私の過去を……赦したいだけなんです……」

 

 ずっと前から知っていた未来の姿を。

 見ないように、見えないように蓋をしてきた。

 

 藍染さんが噛んでいても噛んでいなくても、私が存在した事で失った未来がある。

 藍染さんが、私を横並びになれる存在だと認めた。

 これから先起こる戦いで、誰かの流す涙を一つでも減らしたい。

 そうすることで、私はこの世界にいて良かったんだと……。

 

 

 

「藍染惣右介という存在をっ……利用して、私は私の存在を赦しますっ!! あの人に育てられ、あの人の背中だけを追い続けた過去を……私の正義で赦したい!!」

 

 今日この日までの物語を、知っていてあえて見過ごした。

 それは、私情を全て差し置く司法の元では、共犯。

 その罪も、何もかもを。

 あの人の所為だと押し付けて。

 すり替えて。

 それで正しかったんだと、私は私を認める。

 その為だけに、あの人を利用する。

 

 

 憎しみを持たない、弱い私の刃は……そうすることで、誰かが少しでも多く笑える世界に繋がる事だと信じたい。

 

「……既に、貴女の在る意味はあります」

「……え?」

「如月姫乃。貴女という存在が無ければ、決して尻尾を出さなかった牙城の綻び。その綻びは、完璧を崩すには充分の足がかりとなります」

「……進んでもいいですか。譲れない正義と誇り。成し遂げたい心を胸に」

「……あなたに使用した薬の中に、涅隊長が以前開発した霊圧を捕捉する監視用薬剤を混ぜ込みました。生涯、霊圧遮断膜を片時も脱がない限り、追跡が可能です。浦原喜助の義骸も、強固な結界も意味を成しません。

 ……貴方を捕らえるか否か判断するのは、明日以降熟考します」

 

 そういって微笑む卯ノ花隊長に深く頭を下げて、私は部屋を飛びだした。

 すでに朝日が見え始めている空。

 決戦の日の朝。



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第六十四話 最後の稽古

 

 

__双極の丘下

 

「今まで何処に行っておったんじゃ!!」

 

 到着するなり、夜一さんの怒声が耳に響く。

 捕らえられたという情報もなく、死した情報もないままに私の姿が消えた。

 それがどれほど心労に繋がったのか、考えるだけで申し訳ない。

 

「……折れない刃を頂いてました」

「なんじゃと?」

「いえ、こちらの話です」

 

 私が姿を見せたというのに、夜一さんよりも早くに駆け寄る筈の存在がない。

 それを不思議に思って、周囲を見渡した。

 

「……勒玄は?」

「ん……いや、ちょっと遣いを頼んどるだけじゃ」

 

 絶妙に歯切れの悪い夜一さんと、寝起きの一護の目が泳いでいる。

 私は眉をひそめて、黙々と足を進めた。

 

「き、如月さん! そっちは良いって!」

「煩い、一護」

 

 ピシャリと突きつけた言葉に、一護はグッと言葉を詰まらせる。

 そして、私は辿り着いた先の結界を引き裂いた。

 

「……私から隠れられると?」

「……思っておりませぬ」

 

 そこに横になっていたのは、勒玄。

 手当をされたのか、腕には包帯が見える。

 

「……何処で。何故。誰に。お前の行動は、山田花太郎の護衛と剣八の救護だったはず。戦闘を行えという指示は出ていない」

「だー!! だから、如月さんは一遍に言い過ぎだし、怖ぇよ!! 俺がそうしてくれって頼んだんだ! じぃさんの所為でもなんでもねぇ!!」

 

 勒玄を庇うように間に入ってきた一護。

 そこで話を聞いて、私の欠けていた記憶の隙間が埋まった。

 

 そういえば、山田花太郎は更木戦の時先に進んだのだ。

 あの時、本来岩鷲が千本桜の餌食となるところを、勒玄が身代わりになったのか。

 

 聞いてもなお、記憶が欠けていてそんな話だったかな。としっくりはいかない。

 

「……白哉に負けるほど、お前は弱くない筈だ」

「あの場で私が交戦の意を見せれば、浮竹も朽木隊長を止める役には回れませぬ。浮竹と交戦するほどの技量は持ち合わせておりません」

「逃げ帰るだけの体力だけ残したと?」

「左様。御不満であれば、幾らでも査問を受け付けましょうぞ」

 

 勒玄がそういった事で、慌てたように一護が私の肩を掴んだ。

 

「花太郎も、その爺さんのお陰で無傷だったんだ! それに、爺さんの結界術だかのお陰で俺らは安全にここまで来れた! 部下かなんか知んねぇけど、もう責めんなよ! 仲間なんだろ!」

「別に、いつも通りだよね?」

「左様。私が傷ついたことにお怒りになられると思ったので、姿を隠しておりました」

「……怖ぇよ。怪我した事に怒ってるなら素直にそう言えよ……」

「黒崎殿。これでも姫様は、ご機嫌な方ですぞ。不機嫌の時は、私は問答無用で黒棺の中でしょう」

「くろ……なんだそれ?」

 

 首を傾げる一護に見せるように、私は真横に腕を伸ばす。

 そして、近くにあった大岩に向けて今しがた名の上がった鬼道を唱える。

 

「 _破道の九十 黒棺 」

 

 凄まじい地鳴り音と共に、空間の天井に届かんばかしの巨大な黒い箱が出現。

 それが消える頃には、先程まであった大岩は跡形もなく消え去っていた。

 ついでに、地面も一メートル程は虚無に還っただろう。

 

「……とんでもねぇ……」

「耐えられるように鍛えてある」

「左様。しばし腰が痛くて敵わんですがの」

「なんなんだよ……」

 

 ドン引きの顔をする一護を差し置いて、改めて辺りを一周見渡す。

 

「如月さん……助けてくれて、ありがとうございます」

「茶渡君。良かった、目が覚めたんですね」

 

 ずっと意識が途絶えていた彼も、無事回復したようだ。

 石田の霊圧は分からないが、井上が無事なことも確認が取れている。

 こちら側の状態が上々である事を確認し終わると、一護が刀を持って私の傍に来た。

 

「……卍解、無事獲得したんですね」

「ああ。……最後に、もっかい稽古つけてくんねぇか」

「私は稽古をしませんよ」

「戦ってくれ、俺と。……千本桜で」

 

 一護の強い瞳に、私は笑みを返す。

 観覧者に被害のいかないように、保護用の結界を張り終わった後、私達は地下空間の中で向かい合った。

 

「姫乃や。卍解を遣こうても良いぞ。此処には喜助の作った温泉がある。傷のない霊力の回復なんぞ、半刻もあれば充分じゃ。一護の方も、昼には間に合うじゃろ」

「ありがとうございます。夜一さん。お言葉に甘えます」

 

 少しの静寂の後、一護の周囲に強い霊力の渦が巻き起こる。

 研ぎ澄まされた感覚と、最後に見た時より圧倒的に飛躍した力。

 死神という概念が足元から崩れ落ちる程の力の成長に、思わず息を飲む。

 

 

「 卍解!! 天鎖斬月!!! 」

 

 黒い霊圧の渦が収まった時、身体にぴったりと合った黒い死覇装と黒い刀を持って一護が立っていた。

 

 才能と、長い年月。そして弛まぬ努力の結晶である卍解を……二日で。

 

 唯一無二の異端児という言葉は、間違いなく一護の為にある言葉だ。

 

「……多分、手加減出来ねぇぞ」

「誰に向かって言ってんの」

 

 私が敬語を崩し、嬉しそうに笑った事に少し驚いた表情をした一護だったが、直ぐに真剣な表情へと戻る。

 

「 啼き叫べ 名無之権兵衛 」

 

 私も刀を抜くと同時に解号を唱えた。

 それを見ていた一護に、早速注意を投げる。

 

「よーいドンでスタートだなんて、教えたつもりもない。ほら、私の唯一の隙。二段階始解だよ」

 

 今回こそ、一護はマナーだのルールだのは言ってこなかった。

 それだけで生き延びれるほど、戦いの世界は甘くないのだと知ったのだ。

 

 迫り来る一護の刃を受け止める。

 

「 _破道の四 白雷 」

「見えてるぜ」

 

 今まで避けきれなかった、この低級破道。

 それを軽い身のこなしで一護は完全に見切った。

 そしてそのまま、返すと言わんばかりしに上から鋭く刃を振り下ろす。

 

 迷いもない、相手を斬るという覚悟の乗った刃。

 その刃が……私の死覇装を掠めた。

 

 ……届いた。

 ずっと永遠に届かないと思っていた彼の刃が、私の死覇装を斬った。

 ああ、護廷十三隊の中でもこれをやり遂げられる人など……ほんのほんの一握り。

 

 自分の口角が上がっていることにも気が付かぬまま、私は半歩下がって刀を胸前に構える。

 

「 散れ 千本桜 」

 

 コピーした斬魄刀は、別に解号があってもなくても使える。

 ただ、何度も何度も対峙した白哉の雰囲気や動きをそのままに再現する。

 

 まるで自分の中に白哉がいるかのように、指先からつま先までの全神経を集中し、刃を振るう。

 

 

 

 やはり、一護は期待した喜びを超えてきた。

 

 

 千本桜を彼に向かって振りかざした刹那、全ての刃が地面へと落ちる。

 

 

「……全部、叩き落とせばいいんだったよな」

 

 卍解で圧倒的に身体能力が上がっているとはいえ、不可能だと嘆いていたことをひっくり返してきた。

 

 ……ああ、楽しい。

 五大貴族の血を引き、世界を統べる種族の祝福を受けて産まれてきた黒崎一護という存在。

 

 その力の片鱗を開けていく姿を、こんなにも間近で実感出来ている。

 

 得意げに笑うその表情は……懐かしい人の姿と重なった。

 

「これで終わりってわけじゃねぇだろ?」

 

 そういう一護に、微笑みだけを返す。

 私は一度、名無之権兵衛の柄を撫でた。

 

 楽しもう。二人で。

 

 そう心の中で呟いて、そっと刀を離す。

 

「……?」

 

 不思議そうな表情を見せた一護に構わず、そのまま唱える技。

 

「名無之権兵衛  

 〆之菩胎   千本桜景厳 」

 

 

 その名を呼ぶと共に、千の刃が両端に現れる。

 

「なんだ……これ……」

 

 始めてみる千本桜の卍解に一護は目を取られているようだった。

 目を離すなよ、気を抜くな。

 

 千の刃がすべて桜の花びらのように姿を変え、億の刃の全てが一護に向かって襲い掛かかる。

 

「くっ……」

 

 初撃は逃れた一護。

 初見ということもあり苦戦しているようだが、順応に手こずって貰っても困る。

 

「回避が間に合ってないよ!! 目で追うから見失う!! 心で感じ取り、考えるより先に体を動かせ!」

 

 私はあえて、一護の死角から攻撃を続ける。

 反射と本能で避けなければ、目で追う限り千本桜景厳からは逃げられない。

 次々と襲い来る刃で一護の体が傷つき、たまらず彼は空中へと飛んだ。

 

「くそ!! 月牙天衝!!!」

「無意味!!」

 

 やみくもに放った月牙天衝では、千本桜の一部を落とせるだけ。

 意味のない攻撃だ。

 

「一護!!! 考えろ!! 強大な攻撃には必ず穴がある!! 感じ取れ!!」

 

 一護に私の声が届いているかわからない。ただ必死に回避している。

 回避できているだけでも上出来だろう。しかし、ただの延命にしかそれは過ぎない。

 勝ち筋を見出せなければその先にあるのは負け。

 

「朽木白哉は千本桜の持ち主だ。そのままでは負ける!」

「わかってるよ!! いま考えてんだよ!!」

 

 

 卍解をまだ完全に使いこなせていない所為か、集中力の問題か。一護の速度が落ちてきている。

 ……駄目か。白帝剣まで見せようと思ったが、これを突破できないことには見せても意味がない。

 

「……そのままじゃ、飲み込まれて死ぬぞ」

 

 私がそう告げた途端、逃げていたばかりだった一護が振り返った。

 燃えるような瞳が私の目を捉えた刹那……一護の姿が消えた。

 

 

 

「月牙天衝おおおおお!!!!」

「っ!!!!」

 

 

 一護は、私の懐に入り込み、渾身の斬撃を繰り出す。

 ……千本桜の無傷圏。知ってか知らずか、一護はたどり着いた。

 

「これが……戦いの本能の元に産まれた才能か」

 

 私は喜びで口角が上がる。

 完全な回避は間に合わなかった。

 直撃は避けたが、逃げ遅れた右腕上腕部から血が噴き出る。

 

 ……誰かに傷を付けられた記憶なんて、一体何処まで遡ればいいのだろう。

 

 勿論、このまま戦闘を続けていれば勝ったのは私。

 だが、勝ち負けじゃない。

 生まれて初めて、一から十まで指導した子が確実に自分を越えようとするその姿が……喜ばしい。

 

「はぁっ……はぁっ……。俺のっ……勝ちだっ!!」

「まだ、倒れるな」

 

 息切れをしている一護。

 その姿を見つつも、私は再度手を動かす。

 

「 殲景・千本桜景厳 」

「……は?」

 

 空間の色が暗闇へと変わった。

 それとともに、地上から天井までを逆さに飾られた桃色の刃が綺麗に並びゆく。

 まるで、罪人を断罪する十字架がひしめき合うような光景。

 

「……白哉に、私が遣った技だろ? なんて言わないでよね。不機嫌になっちゃう。見るのはきっと、一護で二人目だから」

「なんだよ……これ……」

 

 

 動揺で立ちすくむ一護。

 ああ、まだまだ想定外の光景に動揺してしまうのは……これから経験で補って欲しい。

 

 そんな願いを胸に、私は一護に真っ直ぐに向けた手のひらを握り締める。

 

「 奥義 一咬千刃花 」

 

 その動きと声と共に、億千の刃のその全てが一護に向かって振り下ろされた。

 死んだ。そう覚悟する目。

 

 その刃が一護の身体に届く直前……全ての刃が消え去った。

 

「えっ……」

「残念、時間切れ」

 

 私の卍解使用時間の限界。

 助かったのだと一護が理解した瞬間、ドサッという音と共にその場に座り込んでしまった。

 

「……俺、勘違いしてた。如月さんより強くなったんじゃねぇかって……。足元にも及ばねぇよ」

「大丈夫。そうだなぁ……。白哉に倣うわけじゃないけど、私の腕を斬ったのは一護で二人目かも。数日前なら、きっと君は背中を向けて逃げ出していた。勝てないと覚悟する中でも、目は死んでいなかった。それで充分」

 

 刀を鞘にしまいながら、そう話す私の言葉を噛み締めるように聞く一護。

 立て続けに霊力の枯渇を起こすなんて日も、初めてだ。

 

 ふらつく私の肩を勒玄が支えてくれた。

 

 

「姫様。先に湯へ」

「一護が先でいいよ」

「なりませぬ!! 男の入った湯の後に入るなど、断じて許しませぬ!!」

「……わかったよう。煩いなぁ……。私が入った湯の後に一護が入るのはいいの?」

「……夜一殿ぉおお!! 湯の全ての差し替えを!!」

「無理じゃ」

 

 勒玄の怒声に耳を塞ぎつつ、私達は最終的な休養となる一時を過ごした。

 

 

 

 

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 

 

 処刑当日_正午

 

 一護は斬月を手に取り、二,三度屈伸をしている。

 

「気を付けて。一護」

「おう。如月さんも色々ありがとよ」

 

 体力、霊力共に万全の状態となった私達は、これから戦いが始まろうというのに互いに微笑みあっていた。

 私の傍に、勒玄が寄ってくる。

 

「仰せの通り、雛森副隊長、吉良副隊長が収容されている牢の結界を最高強度に引き上げました」

「ありがとう。危険な任務を任せてごめん」

「大したことではありません」

「上に懐かしい霊圧がうじゃうじゃ集まって来とるのう」

 

 四十六室虐殺の証人。それを日番谷隊長と卯ノ花隊長の両名が連名で出すことで、藍染さんが黒幕だと炙り出せる。

 罪人の名を押されている私では声は届かない。だから二人に託すしかない。

 ただ、その間に雛森副隊長と吉良副隊長が利用されるのはやめてあげて欲しい。

 二人の心はすぐに癒えるわけではないが……いつかきっと時間が解決してくれる。

 

「儂も久々に可愛い後輩の顔でもみるとしようかの」

「私は計画通り、井上氏、石田氏の回収に行ってまいります」

 

 私が頷くと、一護が握りこぶしを目の前に差し出してきた。

 不思議に思って首を傾げる。

 

「現世じゃ、気合いれるときにお互いの拳ぶつけんだよ」

 

 少し照れくさそうにそういう一護。

 私もつられて笑った。

 

「……では、護廷隊士流で。もうほとんどやっている隊なんてないし、私は参加したこともないけれど」

 

 全員が円陣を組む。

 私が右手を前に出すと、その上に夜一さんが重ねる。

 

「噛むでないぞ、姫乃」

 

 次に勒玄が。

 

「姫様が誰かと共闘されるとは……成長しましたの」

 

 もう、この二人はほんと煩いなぁ。そう言われると逆に緊張してしまうじゃないか。

 そして、一護が最後に手を重ねた。

 

「さっさと助けて、全員で帰ろうぜ」

 

 互いの目をまっすぐみる。

 

 やっとここまで来た。

 それぞれの誇りを胸に。

 

 私は大きく声を張り上げる。

 

「我等! 今こそ 決戦の地へ! 信じろ 我等の刃は砕けぬ 信じろ 我等の心は折れぬ! たとえ歩みは離れても 鉄の志は共に在る!! 誓え! 我等 地が裂けようとも……

 再び 生きて この場所へ!!!  」

 

 タンっとお互いの手が触れあう音がしたのち、私達はそれぞれの道を目指して秘密基地を飛び出した。

 

 

 

 秘密基地を出た直後、後方で一護が燬鷇王の攻撃を受け止めたのを感じた。

 あれを受け止めるか。

 この世界にきて実際にこの世界で過ごしたからこそ、その凄さに思わず身震いが起きる。

 

 そして前方から猛スピードで近寄ってくる霊圧が三つ。

 

「浮竹隊長! 清音! 仙太郎!」

「構うな、行け! 如月!!」

 

 私達は立ち止まらない。互いの速度を保ったまま、すれ違う。

 すれ違う瞬間、浮竹隊長と掌を叩き合った。互いに気合を入れるように。

 いつもの優しい笑みではなく、まるで悪戯っ子のようなニヤリとした浮竹隊長の表情をすれ違いざまに捉える。

 この人たちの心配は無用。任せたのならば信じて託せ。

 

 足を駆けて急ぐ先は、四十六室。



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第六十五話 真の反逆者

 

 

 尸魂界最高峰司法機関_四十六室

 

 私がそこへ到着する事と、十番隊の二人が到着したのは、ほぼ同時だった。

 

「……てめぇ、なんで此処に」

「アンタ何を知っているの!」

 

 私の姿を捕らえた二人は、切羽詰まった様子でそれぞれが質問を口にする。

 それに答えることも無く、私は背中をひるがえした。

 

「待て!!」

 

 後を追って来る二人との距離感を、追いつかれず見失わさせずを保ちつつ、内部へと侵入。

 三人が足を運んだ先には、既に事切れた四十六室の面々の姿。

 

「……血が乾いている。最近の話じゃねぇな。如月、てめぇの仕業か」

「……こっちです」

「ちょ! 何処に行くのよ!!」

 

 眉間に大きくシワを寄せ、斬魄刀に手をかける冬獅郎。

 判断しようとしているのだろう。

 この惨劇の犯人は、私か否か。

 私はそんな二人の正面から瞬歩で真後ろへ回った。

 

「ついてきてください」

「な! 待ちやがれ!!」

 

 清浄塔居林。四十六室のための居住区に到着した私は、歩を止めた。

 すぐに後ろに冬獅郎が追い付き、私の首元に当てられた彼の刃。

 

 しかしそれは、直ぐに動揺へと変わる。

 私たち三人と対峙するかのように、居住区の一角から姿を現したのは……藍染さんとギン。

 

「や。日番谷君、松本君」

「市丸と……藍……染……!?」

「し、死んだはずじゃ……」

 

 目の前で捕らえている私と、目の先で起こっている事象。

 そのどちらを優先すればいいのか、普段冷静な彼ですら動揺を隠せていない。

 

「どういう……事だ……。てめぇ本当に……藍染なのか……?」

「勿論。見ての通り本物だよ。それにしても、待ち人は来なければ、想定よりも彼らの到着が早い」

「すんません。手紙も盗まれて、牢屋にもえらい強い結界張られてもーたんですわ」

「成程。日番谷君と姫乃は交戦する筈の予定も、彼女が上手く立ち回ったお陰かな」

 

 ギンと藍染さんの会話を聞いた冬獅郎は、既に私の首から刀を下ろしていた。

 

「何の……何の話をしてんだ、てめぇら……」

「何の話? ただの戦術の話さ。敵戦力の分散は、戦術の初歩だろう?」

「"敵"だと……!?」

 

 冬獅郎の拘束が緩んだ事で、私はようやく足を一歩前に進めることが出来た。

 

 そして、少し高い位置にいる藍染さんとギンを見上げる。

 

「やあ、姫乃。吉良君はともかく、雛森君は殺してあげた方が良かったと。そう思わないか?」

「いいえ。全く」

「雛森に何をしやがった!! てめぇら三人、何時からグルだった!!!」

「勘違いをしないで欲しいな。姫乃は初めから、護廷十三隊を裏切ってなどいない。君達が気がつくよりずっと早くから、僕が敵だと知っていて動いていただけだ」

 

 その言葉を体現するかのように、ギンが動いた。

 タンッと地面を蹴り、刀を抜く。

 その刃が行く先は……乱菊さん。

 

「あーあ、ほんま。此処に来たらあかんやろ」

「っ……ギン、アンタっ……!!」

 

 乱菊さんも応戦しようと刀に手をかけるが、それでは間に合わない。

 私は二人が衝突する直前に、間に入る。

 

 キィィン……とギンと私の刃が交わる音。

 

「……その角度でええの、姫乃ちゃん。

 射殺せ 神鎗 」

 

 ニヤッと笑ったギン。乱菊さんは守りきれたが、交わった刃の切っ先は、冬獅郎の方を向いている。

 それには気がついていて、彼が始解をするよりほんの僅かに早いタイミングで、私は冬獅郎の方に向かって低級縛道を放っていた。

 

「ぐっ……」

 

 縛道の反動で立ち位置がズレる冬獅郎。その頬スレスレを神鎗の刃が通り抜ける。

 

「ひゃー、ボクん刀によう追いつくなぁ」

「私もその刀、持ってること忘れたわけじゃないでしょ」

「そういや、卍解もえらい勿体無い遣い方してたんやっけ。ボクん卍解、そんな遣い方じゃないねんけど」

「黙って下がれ、ギン」

「嫌や」

「……私が下がれと言ったら、下がれ! 

 _破道の八十八 飛竜撃賊震天雷砲!」

 

 至近距離から放たれる私の高等破道に、険しい表情に変わるギン。

 たとえ断空を遣おうと、間に合わない距離感だ。

 躱しきれなかった彼は、雷撃の霊術に呑まれて最奥の壁に叩きつけられた。

 

「……こらあかん。ボクかてしんどいですわ、藍染さん」

 

 煙が晴れた時、ギンは瓦礫の中から這い出でる。

 隊長羽織がボロボロになってしまっているが、思ったよりも威力を殺したらしく、戦闘不能という状態ではない。

 

 それを横目で眺めていた藍染さんは、変わらない澄ました表情で口を開いた。

 

「質問に答えきれていなかったね。僕達は、最初から君達の敵だ」

「……てめぇが死を装うより前ってことか……藍染」

「理解が遅いな。 最初から(・・・・)だよ。私が隊長になってから、ただの一度も……彼以外を副隊長だと思ったことは無い」

「雛森はてめぇに憧れてっ……!!」

 

 

 __ドンッ……!! 

 

 藍染さんが何の話をしようとしているのか気がついた私は、彼の方に向かって簡易的な火球を飛ばす。

 もちろん、それは藍染さんに有効的な攻撃とはならなかった。

 それでいい。今の話が続くより、別の事象が起きる事の方が重要。

 

「……咄嗟に話を遮るか。やはり、君はとても有能だ。失った事が惜しいな」

「何の話を……してやがる……」

「冬獅郎! 静かに!!」

「ほら、君の意図は彼には伝わらない」

「……知ってる。計画をことごとく壊していくのは、いつだって身内。ってここ数日で嫌ってほどね」

「やはり、僕は一つだけ間違いを冒した。こうなるよりも早くに、雛森君を切り刻んで置くべきだったな」

 

 その言葉に反応した冬獅郎の霊圧が爆発的に上がった。

 

「一つ、覚えておくといい。日番谷隊長。憧れは、理解から最も遠い感情だよ」

「藍っ……染……!!!!」

「挑発に乗らないで!!! 日番谷隊長!!!」

 

 藍染さんの現状の意図は、私と戦う事じゃない。

 冬獅郎を殺気立たせる事で、私が思うように動けない状況そのものを作り出そうとしている。

 

 室内の気温が一気に低下していき、冬獅郎を中心として氷が張り巡らされていく。

 

「 卍解!! 大紅蓮氷輪丸!!! 」

「日番谷隊長!!」

「隊長!!」

 

 氷雪系最強の斬魄刀。その名に相応しく、持ち主の背中には巨大な氷の翼。背後に三つの巨大な花のような氷の結晶が浮かんでいる。

 

 形状だけで相手を圧倒するかのような卍解。

 

 冬獅郎が刃を振り下ろす事と、藍染さんが動いたこと。そして私が踏み込む三つの事象は、ほぼ同時に起きた。

 

 

「あまり強い言葉を遣うなよ。弱く見えるぞ」

 

 きっと冬獅郎の目には追えていない。

 その鋭い太刀筋と藍染さんが動いたことすらも。

 

 二人の間に割り込み、藍染さんが下から振り上げた刀を止める。……が、勢いを完全に殺すことは出来なかった。

 私が刀を止める方に集中するあまり、空いた左腕が冬獅郎の腹部を突く。

 

「がっ……」

 

 そのままその手は、私の首元へと迫る。

 刀で抑えていた鏡花水月を、足で抑えることに瞬時に切りかえて、私はその左手に向かって刃を振るう。

 

 ッチ……と摩擦音のような僅かな衝動があった後、藍染さんも私も互いに距離を取った。

 

「隊長!! 日番谷隊長!!」

「乱菊さん! 日番谷隊長を抱えて私より後ろに下がって!」

 

 駆け寄ってきた乱菊さんに冬獅郎を渡し、二人が下がったのを確認。そして外部からの攻撃を防ぐ結界術_鏡門を展開した。

 

「くそっ……」

 

 悔しそうな声をあげる冬獅郎に、藍染さんは微笑みを向ける。

 

「ああ。心臓を狙ったつもりだったが……。姫乃に感謝をした方がいい。君のように弱い存在を守りながら戦うのは、想像以上に手を焼くんだよ」

「なんっ……だと……」

「驚いたな。話せる状態も保ったのか。必要な事を全てやり遂げる遂行力も見事だ」

 

 これ以上二人の会話をさせない為に、私は鏡門の上から更に外界を断絶させる結界を重複させた。

 藍染さんは、死覇装の袖の破れ。私の方は、手首より少し上の位置に傷。

 庇うべき相手がいた状況下とはいえ、傷があるかないかの差は、そのまま戦況の差となる。

 

「弱者を庇って怪我をしろと。そう教えた事は一度もないはずだ。君が真に力を発揮するにあたって、庇うべき存在は足でまといにしかならない」

「……貴方からの教えが全てじゃない」

「さっきも言ったが、彼らは君の意図を何一つ理解していない」

「しなくていい!!」

「何をそんなに怒る必要がある。君が日番谷君を守る必要があるのも、ここで私と対峙していることを見せるのも。全て、君の立場を優位的に回復する為の手段でしかない。それを理解した上での行動を伴えないのならば、ただの足枷だ」

 

 その言葉に、私は唇を噛んだ。

 さっき藍染さんの話を止めたこと。それは、雛森副隊長の話を止めることが重要なのではない。

 その後に続くであろう、この会話を止めたかった。

 

「旅禍の彼らも。護廷十三隊の動きも。君が信念を元に選んでいる選択じゃあない。私達は、チェス盤の駒を互いに選択して動かしあっている。ただそれだけに過ぎない」

「駒だなんて思ってない!!」

「では、良い戦術だと言っておこう。……卯ノ花隊長を早期的に味方に付けたということを」

 

 藍染さんの視線は、私達よりも後ろに向く。

 この氷が張り巡らされた清浄塔居林に立ち入ってきたのは、卯ノ花隊長と虎徹副隊長。

 

「……やはり此処でしたか。藍染隊長……いえ、最早"隊長"と呼ぶべきではないのでしょうね。大逆の罪人……藍染惣右介」

「どうも。卯ノ花隊長」

「元々此処にいるのではないかと予想はしていましたが、如月さんに埋め込んだ霊圧探知機でより確実性を増しました。あれ程までに精巧な『死体の人形』を作り上げ、身を隠したことは見事です」

 

 怪我をした手首を抑えつつ、私は二人の会話の間に入った。

 

「二つ。間違いがあります、卯ノ花隊長。藍染さんが此処に来たのは、崩玉を取り出す手段を得る為。そして……死体の人形じゃない。昨晩卯ノ花隊長とお話した通り……鏡花水月の能力です」

「嘘っ……。だって、鏡花水月の能力は流水系の斬魄刀で……霧と水流の乱反射で敵を撹乱させて、同士討ちをさせるって……」

「それは表向きの能力です。虎徹副隊長。真の能力は、『完全催眠』。相手に始解を見せることで、五感の全てを操ります。目の見えない東仙要は、藍染さんの手下です」

「そうだ。姫乃、君がそれを知っていて、あえて術にかかる選択を取ったのかどうか。非常に興味深いな」

 

 私がさらに返事を続けようとしたが、藍染さんは話は終わりだと言いたげに手を叩いた。

 

「長くなっても困る。では、失礼するよ」

「待て!! まだ話は終わって……」

「いいや、終わりだ。話を長引かせる。もしくはここで戦闘を続ける選択肢を取ることこそが、君の目的だからだ」

 

 その言葉と同時に、ギンが動いた。

 止めようとしたが、思わず目を閉じてしまうほどの暴風が周囲に吹き荒れる。

 破道の五十八_闐嵐を併用したんだ。

 

 ……目を開けた時には、既に二人の姿は消えていた。

 

 私はグッと刀の柄を握りしめ、清浄塔林を出ようと足を動かす。

 冬獅郎と乱菊さんにかけていた結界を解いたと同時に、乱菊さんが私に向かって声を張り上げた。

 

「姫乃!! こんなやり方を選ばなくても良かったはずよ!! わざわざ一度離反を叩きつけなくても、上手く出来たはずよ!!」

 

 その言葉に、一度立ち止まって……振り返ることなく返事を返した。

 

「……私は、 死神(・・)として選んだ道じゃない。 死神(・・)として持つ正しい刃を、持ったままでは戦えないから」

 

 そう言い残して、私はその場を立ち去った。

 

 

 

 外に出た時、既に勒玄が待機して待っていてくれていた。

 

「仰せの通り。石田殿と井上殿の回収は終わりましたぞ」

「如月さん!! 怪我してるんですか!!」

「大した怪我じゃないから、大丈夫。自分で治せますよ」

 

 駆け寄ってきた井上にそう返事を返して、私は勒玄の方を見る。

 

「……第一作戦は駄目だった。双極の丘でケリをつけるよ」

「承知。黒崎殿が使われておりました霊具も、先程双殛の丘から回収してまいりました」

「ありがとう」

 

 より素早く双殛の丘を目指すために、私は四楓院家の霊具を身に纏う。

 出立の用意を整え終わった時、空気の振動が辺りに木霊した。

 ……これは、天挺空羅。

 

 虎徹副隊長が発信元となった天挺空羅は、瀞霊廷の主要隊士全てに向けられた伝令。

 

『————…………。繰り返します。四十六室全滅。日番谷隊長、卯ノ花隊長、松本副隊長、虎徹勇音の連名による第一級伝令です。首謀者は、藍染惣右介、市丸ギン、東仙要の三名と判明しました!! 日番谷隊長は重症。戦線復帰不可です!! 藍染は……双殛の丘に間もなく現れます!! 目的は朽木ルキアさん殺害です!!!』

 

 同じ内容が三度繰り返し伝えられる。

 脳内に響き渡る声を聞きながら、私は空に向かって駆け上がった。

 

「私らも、直ぐに後を追いますぞ!!」

 

 勒玄の言葉が遠くで聞こえる。

 そして、天挺空羅の通信が終わろうかというとき……。

 咳き込みながらも、話せる状態であった冬獅郎の声が追加で聞こえた。

 

 否定をしながらも、藍染さんの言葉により有効的な答えを返せなかった。

 そんなこと、自分でもわかっている。

 そんな私には、勿体なすぎる言葉。

 

『……卯ノ花隊長と俺の連名による特級伝令だ。……如月姫乃の処罰の取り消しを……求める。……アイツは……俺達の仲間だ』






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第六十六話 対峙し合う二人

 

 

 ……キイインッッ!!!! 

 

 

 藍染さんの刃が恋次と一護を切り裂く直前。

 私はその刃を受け止めた。

 

「……よく、間に合ったね。姫乃」

「_破道の一 衝」

 

 私は素早く、一護とルキアを抱えた恋次を後方へ吹き飛ばした。

 こんなに近くにいられては戦いづらい

 ルキアはまだ恋次の腕の中にいる。

 大丈夫。私は間に合った。焦る必要はどこにもない。

 

「旅禍の動かし方は非常に良かった。西流魂街ではなく、鬼道衆の門を選ぶのではないかと予測していたが、それも当たっていたね」

「どういう事だよ……。なんで俺達がそこから来る事をわかってたんだ……」

「意外だな、姫乃。彼らには何も話していなかったのかい」

 

 藍染さんの言葉を遮るように、私は斬りかかった。

 しかし、躱されてしまう。

 

「そう急がなくてもいい。彼らにも真実を知る権利があるはずだよ」

「黙れ!! 貴方の口から説明することじゃない!!!」

 

 微笑んだままの藍染さんの指が私の方に向いた。

 はっとして上に飛んだが、わずかに間に合わない。

 

「_縛道の六十一 六杖光牢」

 

 私の体が、藍染さんの縛道によって封じられた。

 ……彼の縛道を解くには時間がかかる。

 

「さて。旅禍の少年。君はおかしなことを聞く。西流魂街は浦原喜助の拠点だ。それに、姫乃の拠点は鬼道衆。侵入に際してどちらかしか選択肢がないことは、当たり前のことだろう。ギンと要をそれぞれの場所に配置していたが、当たりは鬼道衆の方だった。それだけだ」

「なっ……」

「黒崎一護。君は、如月姫乃と浦原喜助の命令で、朽木ルキアの奪還に来たんじゃないのか?」

 

 その言葉に、一護の霊圧が大きく動揺した。

 

「ど……どういう……」

 

 私の首元には、ギンの刀が押しあてられ、声を発することが許されない。

 無情にも彼の口から真実が伝えられていく。

 

「本当に何一つ聞かされていないんだな。まあ大きな問題じゃない。不思議だと思わないかい? 死神の力はどれだけ高めようとも斬拳走鬼、その全てに必ず限界上限が存在する。では、それを取り払うことは不可能なのか? 死神という枠組みを超越し、更なる高みへと誘う方法は無いのか? あるんだよ、一つだけ。それが、死神の虚化だ」

「……虚化……だと?」

「ああ、死神の虚化、虚の死神化。以前より理論上は可能だとされていたことだ。だがどれも成功には程遠い失敗作の屑ばかりだった。だが、浦原喜助はそれの境界線を瞬時に取り除く物質を造り出した。その物質の名を『崩玉』」

 

 私が動けない代わりに、恋次の手の中にあるルキアを奪取したのは、東仙だった。

 

「ルキアっ!!」

 

 恋次の抵抗する間もなく、一瞬の出来事。

 それに、ルキアはこの場を支配する霊圧の重さに体を動かすことが出来ない。

 

「もう分かるだろう。その時彼が隠し場所として選んだのが、君だ。朽木ルキア」

「嘘だろ……」

「嘘も何も、事実は此処に存在する。浦原喜助は、君を人間にすることで、崩玉の所在を完全にくらませようとしていた。もちろん。そのことは姫乃も知っていたさ。知っていて、君を処刑台へと送ることを選んだ。保護する選択を取らなかった。何故だか分かるかい?」

 

 三人の目が揺らぐ。

 私は藍染さんから目線を逸らさず、気を一切抜かない状態のまま、密かに縛道の解除を進めていた。

 もうすでに、取り繕っただけの縛道。いつだって壊せる。ただ、壊さない選択を取っているだけ。

 

 義骸本来の性能。そして、浦原喜助が作り上げた義骸の本質。

 ルキアを人間にしようとしていたことを、私も父も知っていたという真実。

 

「如月姫乃の目的は崩玉の隠蔽ではない。私を殺すことだ。だから、私の正体を炙りだすために朽木ルキアを現世で発見した時、逃がすことではなく戻すことを選んだ。幸運にも、私の計画と彼女の計画。目的は違えど、辿る道は同じだったんだよ」

 

 

 その時、遅れて来た狛村隊長の姿が現れた。

 既に卍解を済ませた、巨大な刀が振り下ろされる。

 

「藍染!!!!!!」

 

 狛村隊長の怒声が響く。

 私は、その勢いでギンの刀がぶれた隙を見逃さず、縛道を解除。そのままギンに斬りかかるが、紙一重の所で躱されてしまう。

 

 狛村隊長の刀は、藍染さんのたった指一本で受け止められた。その衝撃が周囲に爆風として襲い掛いかかる。

 

「_破道の九十 黒棺」

「がっ……!!!」

 

 返しの攻撃で、狛村隊長の体が崩れ落ちた。

 ただ、藍染さんは眉をひそめる。

 当たり前だ。確殺に近い威力を伴った黒棺が、せいぜい十番台破道程度の威力しか出ていないのだから。

 ただ、庇われた狛村隊長も今の攻防で圧倒的な実力差を感じただろう。

 

「……その位置から反鬼相殺を入れたのか。完全相殺は不可能でも、これじゃあどうしようもないな」

「らしくないね。言葉を遣い間違えるなんて。不可能だとは誰も言っていないでしょ。誰の前で鬼道を見せようとしてるの」

「それはすまなかった。話を続けよう」

 

 藍染さんの口から語られていく計画の全て。

 ただ、先程とは違うことは一つ。

 私はその話を、止めなかった。

 

「魂魄への異物質埋没は彼の編み出した技術だ。ならばそれを取り出す技術も、彼の過去の研究の中に必ず隠れていると読んだ」

 

 東仙が持つルキアの元へ、藍染さんが一歩ずつ近づいていく。

 ……それを私は、あえて見守った。

 

「如月さん!! ルキアがっ……」

 

 一護の悲鳴が場に響く。

 白哉と相当な激闘を繰り広げたのか、彼もまた思うように足が動いていないようだ。

 前には進めど、その速度じゃ間に合わない。

 

 

「これがその……(こたえ)だ」

 

 藍染さんの手が、ルキアへと伸びる。

 

 

 _バンッ!!!!!! 

 

 

 刹那、その場に響いたのは鼓膜を突き破るほどの爆発音。

 その音の正体を知っていた私ですら、思わず顔をしかめてしまった。

 

 ずっと微笑んだままの藍染さんの顔が、初めて苦痛に歪む。

 今度は私が口角を上げる番。

 

「……迂闊ですねぇ。人の作品に迂闊に手を出してはいけない。研究者なら基本でしょ」

「姫乃っ……!!!」

 

 音の出処は、ルキアの首元。

 強い光を発した後の爆発音。それは、藍染さんの伸ばした左手を完全に吹き飛ばした。

 

「き、如月殿っ……何が……」

「今度は、こっちが説明する番。私は、人を駒だと見ていない。誰一人、失ってはいけない大切な仲間。……三十年かけて作り上げた、大切なお守り。父の異物質埋没法に対抗する、反結界装置」

 

 今年の冬にルキアに渡した首飾り。

 信じていた。ルキアならきっと、死の間際にでも付けていてくれると。

 例え一護の救済が間に合わずとも…… 燬鷇王(きこうおう)すら粉砕する威力を持つ。

 

「お父さんの最高傑作が崩玉ならば、さしずめこの玉は…… 皇玉(こうぎょく)とでも名をつけるかな」

 

 ルキアを守るために、ルキアの為に作り上げた代物。

 父の技術に……負けてたまるか。

 

「それ以降は、さっきと同じだよ。盾があるなら矛もある。その結界が一度限りの不良品だなんて思っちゃいないでしょ。……矛は何処にあるんだろうね」

「……君の心臓か!!」

「ご名答」

 

 直後、藍染さんの体が動いた。

 私も併せて踏み込み、迫る刀を受け止め、返しの蹴りを叩きこむ。

 そのたった攻防だけで地面が割れ、浮いたがれきが周囲に飛び散った。

 一護たちは、奥の雑木林に衝撃で飛ばされる。

 

 私は倒れた狛村隊長を、離れた場所にいた織姫の元へ転送した。

 後を追うと言った勒玄も、状況を正しく判断して、近くへ寄らない選択肢を取ってくれている。

 

「狛村隊長ほどの大きさを転送できるとはね。もはや君の転送術は、禁術に近いだろう。しかし、霊力の消耗も大きいはずだ」

「この程度で私の霊力が枯渇すると本気で思ってるの?」

「まさか」

 

 私の転送が終わるのををまるで待っていたかのように、藍染さんは再び私に斬りかかってきた。

 

「 啼き叫べ 名無之権兵衛!! 」

 

 刃同士がぶつかる音が周囲に響く。

 隊長格ですら目で追えないほどの速度で、私達の刀は幾度となくぶつかる。

 幾度の鍔競り合い。

 私は吊星を出し、藍染さんの背中をからめとった。

 

「無詠唱か。この作戦の意図は……「_破道の九十一 千手皎天汰炮!!」

 

 私は、話している途中の藍染さんを構わず吹っ飛ばす。

 別に吊星で捕らえようと思ったわけではない。

 貴方のそのお喋りな口を開けることで、こちらの詠唱に余裕が出る。

 

 

 煙が晴れ、千手皎天汰炮で吹き飛んだ藍染さんが出てきた。

 唇の端が切れ、血を流している。

 腕の死覇装は焼け落ち、隊長羽織は消し飛んだ。そうして見えた腕には、焦げ付きがある。

 

「……思ったより効果的で何より」

 

 戦えている。ダメージを与えられている。

 藍染さんは自分の唇を指で撫で、流れた血を見つめた。

 

「……驚いたな。ここまでとは」

「一体いつからの成長で止まっちゃってるの」

 

 そう返しつつ、私は名無之権兵衛を胸の前で構えた。

 

「  散れ  千本桜  」

 

 無数の刃が藍染さんへ向かって襲い掛かる。

 案の定当たりはしないが、それでも幾分戦いやすくなった。

 

「_縛道の六十三 鎖条鎖縛」

 

 私の縛道が彼を捕らえる。

 

「捕らえられるとでも」

「捕らえることが本当の目的なんかじゃない」

 

 私は目の前の藍染さんを無視して、後方で一護たちに迫っていたギンの正面に千本桜を叩きつけた。

 私達が衝突する隙を狙って、ルキアを奪おうとしていたのだ。

 そっちを止める方が優先だ。

 

「……ほんまに。目、何個あるんやか」

「目なんて遣った記憶ないけどね」

 

 片手を千本桜の刃で傷つけられたのだろう。ギンは左腕を庇いながら後退する。

 

 恋次は私が到着するよりも前に、藍染さんの攻撃を躱した反動で思うように動けない。

 これほどの戦いに一護も割って入れない。

 実力が足りないんじゃない。入り方が分かっていないのだ。

 どうか、恋次とルキアだけでも下げてくれる人が欲しい。

 そう考えていた時、とてつもない速度で駆け付ける一人の人物を捕捉した。

 

「二度も三度も止められるほど、ボクの刀は甘ないで」

 

 ギンの刃が、ルキアに向かって伸びる。

 玉の影響が、斬魄刀にも有効的なのかを確かめようとしているのだろう。

 始解であれば、弾き返されて折れたとしても修復が可能だから。

 

 

 

「……甘すぎるんじゃない?」

 

 

 

 ギンの刃は届かなかった。

 

 

「兄様っ……」

「朽木隊長ぉ!」

 

 この場に駆けつけた、もう一人の人物。

 白哉がルキアを庇うように抱きとめて守ったから。

 

 腹部に刺さったギンの刃を力だけで押し戻した白哉は、恋次とルキアを抱えてその場を離れる。

 白哉は去る直前、私と目線が交わる。

 思わず、パチッと片目を閉じてお礼をしたつもりだったが、返しは深い深い眉間のシワを寄せられただけだった。

 その目は「正面の敵に集中しろ」と言わんばかりの瞳。

 

「すんません。藍染さん。逃げられました」

「追います」

 

 頭を下げてそう言った東仙を、藍染さんは制する。そして私の縛道を容易く壊した。

 

「いいんだ。要。しばらく下がっていなさい」

「しかし!」

「要。僕はいいと、そう言ったよ」

「……申し訳ありません」

 

 周囲に怪我人はいなくなった。

 藍染さんの霊圧がさらに上がる。

 私もまた、自身の霊圧を解放する。

 気圧されるなよ、一護。そう思いを馳せながら。

 

 後ろに下がったギンと東仙を確認するかのように一拍置いたのち、藍染さんは再び私に詰め寄ってきた。

 

 

 先ほどまではただの遊びだとでもいいたいほど、藍染さんの動きは急加速していく。

 

 片腕を失ったことは大した問題でもない。そう言いたげだ。

 本来であれば、指一本残らず粉砕される所を、片腕だけに収めた。

 それは流石と言えるだろう。

 

「踏み込みが甘いね。ほんと、らしくないよ」

「私は君みたいに無鉄砲じゃあない。少なくとも、無視をできるほどの怪我じゃないからね」

「そりゃ何より。そうでなくても……弱すぎるんじゃない? 初めて私から言おうか。期待外れだよ」

 

 私が笑う事に答えるように、藍染さんの表情も微笑みに変わる。

 互いの刃が交わった瞬間、私の片手に練り上げられていく鬼道に気がついた藍染さんが後退した。

 

「それも、減点だね。

 射殺せ 神鎗」

 

 先程、千手皎天汰炮でダメージを受けた。その記憶が、咄嗟に回避の選択を選ばせる。

 細長く、捉えづらい神鎗の軌道を藍染さんは的確に当てて、刃の側面で受け止めた。

 その反動で、空いた距離が更に空いていく。

 

 それは、一面を見れば私が優勢。裏面を見れば、この人へ刀での攻撃は有効的な手段ではないという証明。

 ただそれは、怪我の具合を見ても時間の問題でしかない。

 

「君の斬魄刀は対策方法が明確。事前に知っておけば脅威にはならない。卍解も、霊力の消失とリスクが大きすぎる。リスクに見合わない情報を君はもう出してしまっている」

 

 藍染さんのその言葉に、私は眉をひそめた。

 ……私の卍解が、他者の卍解とイコールだと? 

 名無之権兵衛の術を明確に見せたのは、ギンの前でだけだ。

 この瀞霊廷に突入してからの一回は、藍染さんは地下にいて見れていない。

 

 ……ギンが、嘘を報告している? ……いや、元々知らない? 

 僅かな引っ掛かりを覚えつつも、私は再び刀を握りしめて踏み込んだ。



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第六十七話 選ばされた選択肢

 

 戦況の均衡が崩れたのは、突然だった。

 それは、本当に一瞬の隙。

 

 藍染さんが千本桜を避けた直後に、名無之権兵衛本来の刀の姿に戻して斬撃を入れた。

 それを真っ向から受け止めたことで、振動が最大に伝わる。

 刃から手首。手首から腕へと。

 小さな電流にも似たその痺れは、次の動きを鈍らせる原因として充分成り立つ。

 

「っ……」

 

 私が下から振り上げた刃。

 それが、彼の脇腹付近から鎖骨までを斜めに斬り裂く。

 

「……浅いか」

 

 それでも私は、追い詰めることを止めない。

 まるで獲物を罠に誘導するかのように。淡々と、淡々と。

 相手に選択肢を叩きつけ、意図した方を選ばせる。

 本人は、自分で選んでいると錯覚する。

 それがただ、私の用意した道筋だと気がつく頃には……命が刈り取られている。

 

「 射殺せ 神鎗 」

「ぐっ……!!」

 

 まるで自分の五感の全てが消え去ったかのように、研ぎ澄まされた感覚。

 自分が出す呼吸音だけが、頭の中で鳴り響くような……そんな世界の感覚。

 

 左手があれば、神鎗を手で受け止めただろうがそれは叶わない。

 藍染さんは、肩を一線に突かれて近くの瓦礫の山へと磔となった。

 

 肩を貫いたままの神鎗。それを持つ手を僅かに回転させれば、その表情は更に苦痛で歪んだ。

 

「……選択肢は二つ。降参。もしくは、その右手の刀を捨てて力で押し返す事。難しいことじゃない。一護だって出来るし、さっき白哉もやってた」

 

 何一つ抑揚のない声。

 私のその全てに、気圧される事も無く藍染さんは言葉を紡いだ。

 

「……そろそろ終わりにしようか」

「……そうだね」

 

 そう返事を返すと、また少し彼の口角があがった。

 

「……!」

 

 藍染さんが取った行動は、降伏でも刀を捨てることでもない。

 まるで、肩が貫かれていることなど気に求めていないかのように、私との距離を詰めてきた。

 

 拘束したということは、その拘束の原因を辿れば目的の人物へとたどり着く。

 神鎗は、私へ辿り着くための一直線の案内図。

 

 藍染さんは、私にたどり着くと同時に刀を手放し、私の首を掴んだ。

 

「っ……」

 

 首が一気に締めあげられ、呼吸が苦しくなる。

 

「……せっかくの幕引きだ。名無之権兵衛の三つ目の刀の情報を得ようとしたが、出さない。もしくは未契約なのならばこれ以上長引かせても仕方がない」

「よく……三つだと気がついたね……」

「君の斬魄刀は、他人の斬魄刀を模倣出来るが、制限がある。この日までに見た斬魄刀は二種類。切り札は最後に取っておくという定石に当てはめれば、君が使える斬魄刀の種類は三つだ」

「正解」

 

 私が捕らえられた事に危機感を覚えたのだろう。

 一護が藍染さんの背後に迫っている。もう継続時間もギリギリであるだろう卍解を握りしめて。

 ……それを拒むように、私は一護の方へ向けて手を伸ばした。

 

「……縛道の……七十九……九曜縛」

「ほう。この状況でも選択を誤らないか。例え腕がなくとも、黒崎一護程度では、私の霊圧で逆に負傷するという判断は至極正しい」

「ええ。確かに貴方を拘束するためじゃなく、一護の方に向けて打ちましたよ。私は仲間を傷つける選択肢は取らない」

 

 戦況は突然にして傾いた。

 ……それは、私が圧倒的に優位だという方へと。

 

 

「……人の体、勝手に触って無事で済むと?」

「いいや。君は私に有効的な手段を持ち得ていない」

「……望みを叶えて欲しい? ほら、私から目を逸らさないで」

 

 右手に持つ刃を、自分の顔の真横まで持ってくる。

 それに気がついた藍染さんが眉をひそめた。

 

「……三つ目だよ。砕けろ……」

 

 その解号を聞いた瞬間に、藍染さんの目が大きく見開かれる。

 咄嗟に彼が行った行動は、私を手放すという選択。

 

 彼ならば……目を閉じても何一つ問題は無い。

 そもそも、視界を利用して戦闘など行っていないのだから。

 一連のその行動に、私は勝ちを確信して微笑んだ。

 

「ああ、見ないようにする事はともかく……離しちゃダメでしょ」

 

 そして今しがた起きた事への、簡易的な説明。

 

「ごめん、嘘」

 

 

 "だーるまさんが、こーろんだ"

 この場に似つかわしくない、間の抜けた遊び唄。

 そんな声と共に、藍染の背後に一人の男性が現れ、振り返る藍染と同時にその二本の刀を振りかぶった。

 

「あら。咄嗟に前に出直すなんて流石だねぇ。体の上下を切り離すつもりだったんだけどね」

「京楽……春水!!!」

 

 肩から腰までにかけてクロスするかのような大きな二つの傷が出来た藍染は、ふらつきながらも京楽隊長から距離を取る。

 受けすぎた傷に明らかに動きが鈍っている。倒れないのは彼の保有霊圧の高さ故。

 

「遅刻ですよ、京楽隊長」

「ごめんよぉ、この子の気分がなかなか乗らなくてさ」

 

 もはやまともに歩くことすら出来ていない藍染さんを、崩れた襟元を正しながら横目で見る。

 

「私が突きつけた二つの選択肢を、どちらも選ばないという誘導はかけてあった。必ず私を手に捕えるという確信があった。何故なら、鍵は私の心臓にしかないから。その意識を先程体に叩き込んで覚えさせた」

 

 彼らの勝利は、私から 皇玉(こうぎょく)を無効化する鍵を取り出すこと。

 

「……鏡花水月を遣うという意識。私の体に触れ続けて本当に問題が無いのかという、一瞬の迷い。その二つは……私を一度遠ざけるという選択肢を選ばせる。……まあ、そう演技しなければならない状況だったとしてもね。それを分かってて、そうさせた」

「姫乃っ……!!」

「煩いなぁ。貴方に名前を呼ばれる筋合いは何処にもない」

 

 最後の力を振り絞って、私の方を向いた彼に……私はチェックメイトの言葉を投げる。

 

「ほら、余裕が何一つない。だから……貴方は私の言葉を二つも聞き漏らす」

「なん……だと……?」

 

 私は縛道を、一護に向かって打ったわけじゃない。

  一護の方へ向けて(・・・・・・・・)打った。そう言った。

 

「言ったでしょ。 遅刻(・・)だと」

「なっ……!!」

 

 藍染の後方。完全に死角の所の景色が裂け、もう一人姿を現した。

 自慢の長い白髪は、全身を覆う真っ黒の外套……霊圧遮断膜によりわずかに見える程度。

 

 その人物が持つ二つの刃は……目的の人物を既に捕らえていた。

 

「一護を止めた。だなんて一言も言ってないけど? さっきの縛道、何処に消えたんだろうね」

「浮竹か!!!」

 

 この戦い。初めから、貴方に選択肢など何処にも存在しない。

 全てをそう選ぶように、選択させた。

 

 あるようでないその選択肢は……敗北への片道切符。

 

 藍染さんが逃げるより早く、浮竹隊長はその刃を振るった。

 ……カランと、この戦場に似合わない竹の音が響く。

 

 

「  双魚の理!!!  」

 

 

 私が先刻放った縛道を、浮竹隊長の双魚の理で反す。

 それは藍染の全身が拘束し、体が地に這うことへと繋がった。

 

「先ほどと同じだ、こんなもの……」

「誰の縛道だと思ってるんですか」

 

 無理に決まってるでしょ。貴方には解けない。

 二人が作ってくれた最大の隙。仕留める。

 私は両手をかざして詠唱を開始した。

 

「_千手の涯届かざる闇の御手 映らざる天の射手 光を落とす道 火種を煽る風 集いて惑うな我が指を見よ

 

 _滲み出す混濁の紋章 不遜なる狂気の器 湧きあがり・否定し 痺れ・瞬き 眠りを妨げる

 

 _光弾・八身・九条・天経・疾宝・大輪・灰色の砲塔 弓引く彼方 皎皎として消ゆ

 

 _爬行する鉄の王女 絶えず自壊する泥の人形 結合せよ 反発せよ 地に満ち己の無力を知れ」

 

「九十番台……二重詠唱だと!?」

 

 藍染さんの瞳孔が激しく揺れ動き、悔し気に唇を噛み締める。負けを確信したんだ。

 もう、何しようが遅い。

 

 

「…… 貴方(・・)より私の方が強かった。ただそれだけ。

 _破道の九十一  千手皎天汰炮!! 

 _破道の九十   黒棺!!  」

 

 

 私が放った完全詠唱の破道。あなたの今の鬼道の実力よりはるかに上です。

 黒棺は、千手皎天汰炮と藍染を巻き込みながら密閉するかのように蓋を閉ざした。

 

「黒棺の重力の反発で、延々と跳ね返る千手皎天汰炮。結構効くでしょ」

 

 私は斬魄刀を鞘にしまい、額の汗を拭いた。

 一護、浮竹隊長、京楽隊長もすぐそばに寄ってきてくれ、浮竹隊長は私の傷口にすぐ回道をかけ始めてくれた。

 

「……よく合わせてくれたな」

「お礼を言うのは私の方です。お二方が間に合う事には、最初に気が付きました。咄嗟に変更した戦闘ルートでしたが、上手くいって良かったです」

 

 浮竹隊長には、霊圧遮断膜を渡していた。相手は強敵。

 霊圧と姿を消さねば、完全に背後を取るのは不可能。

 二人は私に合わせて、攻撃のタイミングを見計らってくれていたのだ。さすがとしか言いようがない連携。

 

「如月さん……やっぱすげえな……」

「あえて身を差し出す必要はなかったろうに。見ていて危ない戦い方だったさ」

「本当だよ。ま、藍染の肉片の一つくらい残っておいてくれよ」

 

 浮竹隊長達はそんな会話をしながら、肩をすくめた。

 未だに黒棺は、爆音が絶え間なく鳴り響いている。

 

「……二つの鬼道があの人の体に届く直前、千手皎天汰炮の中に隠した白雷で、魄睡と鎖結を打ち抜きました。仮に生きていても、もう戦える体ではありません」

「三重鬼道かい。怖いねぇ、全く。ボク達が手を出す必要なかったかな?」

「ありましたよ。お陰で、最終的な確認も出来ましたから」

「……確認?」

 

 不思議そうな顔をする浮竹隊長とは反対に、京楽隊長はやれやれとした顔で、後方に控えていた東仙とギンを見た。

 主人の負けを知った二人は、何も言わずに私達を見返す。

 二人を拘束することはそこまで難しくないと悟った京楽隊長は、ふぅと息を吐いて一護に目線を逸らした。

 

「おーい、一護君。無事かいー」

 

 京楽隊長は呑気に一護に声をかけている。

 

「あぁ……如月さんのおかげで怪我してねぇよ」

 

 一護は強くなった。

 藍染との力量差を判断し、自分が中途半端に入るより隙を突ける瞬間をギリギリまで狙ったのだ。

 中途半端に間に入れば、私の足を引っ張ると判断出来ていた。

 戦況の最善判断。そういった意味でも、彼は本当に強くなった。

 

 しかし、私は想いと逆の言葉を口にする。

 

「一護、ルキアたちの所へ行きなさい」

「なんでだよ。確かにしんどいけどさ。あいつら捕まえる手伝いくらいは出来るぜ」

「はやく行きなさい。私の指示に歯向っていい事があった記憶は?」

「……一つもねぇ」

 

 ギンと東仙を指さして訴えかける一護に、私は冷たく返す。

 京楽隊長は、不思議そうに首を傾げた。

 ここへ来る途中、一護の実力は既に隊長格と肩を並べて遜色がないからだ。

 藍染ほど強くない二人を捕らえるのにそこまで拒絶する必要がない。

 

「じゃあ、早く」

「……わーったよ」

 

 京楽隊長の考えていることも理解しつつ、一護をまっすぐ見つめ返す。

 一護は観念したかのように、天鎖斬月を構えていた手を下ろした。

 

「まあ如月さんに任せてていいか。ただ、さっきの奴より『目が見えてる二人』相手だと、人数多い方がいいと思っただけだよ」

 

 一護がその場を離れたのを確認して、私は再度彼らに目を向けた。

 私は役目を終えて消滅する黒棺を見つめながら、再度口を開く。

 

「……さて。人形遊びの次は、入れ替わりの遊び? さっさと出てきたらどうなの。…… 藍染さん(・・・・)

 



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第六十八話 後手の代償

 

 

 私の言葉に最初に動揺を見せたのは、浮竹隊長だった。

 京楽隊長は、何かを考えているような表情をしている。

 

「出てきてくださいって……さっき君がズタズタに引き裂いたやないの」

 

 口角を上げ、作り笑顔を貼り付けたギンが私にそう話しかけてきた。

 私は答え合わせをする様に、ただ簡潔にそう発言した意図を述べる。

 

「此処に来てから、『あれ』を私は一度も藍染と呼んでいない」

「如月……まさか……」

「なるほどね。さっきの一護君の言葉の意味はそういうことかい」

 

 浮竹隊長がはっと倒れている"藍染"を見ようと振り返った。

 私の目線の先にいる人物がまるで蜃気楼のように揺れる。

 

「 砕けろ 鏡花水月 」

 

 そう言って、東仙の姿をしていた人物は、藍染さんへと変化した。

 

「……あっちが東仙君かい」

 

 京楽隊長は呆れたような声でため息をついた。藍染さんを倒したと思っていた人物は、東仙要。

 ここまでの霊圧密度の濃い地で、消えかけの魄動を探して生死を確かめてやる必要はない。

 

 一護だけが、ちゃんと見えていたのだろう。

 彼は藍染の顔を知らない。

 だから、周囲が東仙を藍染だと呼んで戦えば疑わない。

 

『目の見える二人』とはまさしく、東仙の戦闘を観察していたギンと藍染さんのこと。

 

 だから言った。

 ルキア達への説明を、貴方の口からする必要は無いと。

 だから言った。

 姫乃と、貴方から呼ばれる筋合いはないと。

 だから言った。

 私と戦うには、貴方は減点が多すぎると。

 

「私がこの手段を選ぶという確信かい? それとも、疑問を持ったからかい?」

「どっちも。始まりは、私がルキアに手を出す瞬間を傍観している事に、疑問を持たない浅はかさ。そして、私がルキアに対して、何もしないわけが無いと、藍染さんが気がついていない訳が無いという確信があった」

「それだけでは足りないな」

「二つ目は、言葉のやり取りや戦い方への違和感。真似をしようと相当練習をしようとしたんだろうね。けど、刀を振る僅かな角度や打撃の強さ。ほんの些細な癖。何一つ、貴方らしくない。だから、らしくないよと言い続けたじゃない」

 

 私の答えは、無事彼を納得させるに値したようだ。

 何年、貴方の刃を受け続けたと思ってる。

 何年、貴方の戦い方を理解しようと必死で追いかけたと思ってる。

 

 細かい癖も何もかも……催眠如きで騙されやしない。

 鏡花水月は、確かに恐ろしい能力だが万能というわけではない。

 他者へすり変わる時は、その人物をよく理解している人が見れば違和感を必ず抱く。

 

 ましてや、戦いの中で私にダミーを渡して通用するわけが無い。

 

「単純に、実力差がありすぎた。思ったより時間はかかったけれどね」

「そうか。予定より育てたかいがあったよ」

「決定打は、私のブラフにハマったこと。言葉遣いの抑揚の違いが大きすぎるギンは、貴方にはなれない。となれば、すり替わる相手は東仙。彼は、鏡花水月を見ても問題が無い。だけど、貴方になりきろうと努力するあまり……あまりにも雑な手段を選んでしまった。それで確信したよ」

 

 藍染さん本人だったら、きっと散りばめられた私の発言の意図に正しく気がついていた。

 バレると分かっていて、彼らが入れ替わりを選んだ理由はきっと二つ。

 

 一つ目は、ルキアに手を出す際の最大限の頭領の保身。

 彼女に私が封をかけている事が重要なのではない。大事なのは、それを解く鍵がどこにあるかということ。

 それを明確化させる為の入れ替わり。

 

 二つ目は、時間稼ぎ。私と戦闘を最初から行う事で、来る瞬間への時間を大幅に稼ぐこと。

 ただ、その予定は私が壊した。時間は充分に残した。

 

「偶然か否か。君が関わった事で、本来よりも大幅に実力の底上げをされた死神達は、今この瞬間までの各自の戦闘バランスを拮抗させた」

「……そりゃどうも」

 

 恋次も、吉良が居なければ一護に大敗していた。

 更木隊長は、生死の境をさ迷うほどに相討った。

 白哉は、私が一護だけを手がけていれば大敗していた実力だったが、私が昔から戦闘相手をしていたお陰で一護との勝負を拮抗させた。

 

 物語は、私が死神として足を踏み入れたその瞬間から、偶発性による均衡を保ち続けた。

 

 ……ただ、今話す話題としてこの内容は適切なのか。

 藍染さんと話し始めたその瞬間からの話を反復し、私はハッと顔を上げる。

 

「……予定より育てておいて良かった?」

 

 私が正解を導いた事を、まるで褒めるかのように藍染さんは笑う。

 

 

 

 ……一瞬だった。

 

 

 不味い。

 そう思った時には、両端にいたはずの京楽隊長と浮竹隊長の体が、地面に向かってゆっくりと倒れ落ちた。

 時間差で二人の体から大量の血が噴き出す。

 

「……日番谷君の時より真剣にやったつもりだったが。この速度も対応してくるか。流石だよ、姫乃」

「……誉めても何もでませんよ」

 

 背筋が凍るほどの殺気。息の詰まるほどの霊圧。

 下級の鬼道を使って、二人を咄嗟に下げたが……完全には間に合わなかった。

 間に入れる程甘い攻撃じゃなかった。私の足を動かす余裕なんてなかった。

 浮竹隊長は腹部に。京楽隊長は右の肺を手刀で突かれてしまった。

 

「これほど……とは……」

「せっかく彼女が繋いだ命だ。喋れば命が短くなるぞ。浮竹」

 

 私は顔から流れる冷や汗を感じながら、二人をまとめて井上の元へ転送した。近くには卯ノ花隊長や虎徹副隊長もいる。きっと間に合う。

 

 駒村隊長と合わせても、合計三人の転送。

 私の体から大量の霊力が失われたのを感じ、急激な心拍数増加と息切れが起きる。

 

「っ……」

「言っただろう。足枷は捨ておくべきだった。君が京楽達の接近に気がついていて、戦闘に参加させない術を選ばなかった代償だ」

「どうして……さっきから、私じゃなくて周囲の者から狙うの! 目的は私でしょう!!」

「元気な君と戦うには少し時間が足りなさそうだったからね。要とまず衝突させ、その後先に彼らを傷つけて、転送による霊力の消耗を狙った方が確実だ」

「卑怯だ……」

「山本元柳斎の次に、君を敵の中でも最も高く評価しているからこそだよ。正しい戦術と言ってほしいね」

 

 体の力が抜けそうになるのを堪え、藍染さんを睨みつけるが、相変わらず何一つ揺らいでいない表情。

 何故だ? 藍染さんは崩玉を手にしていない。

 なのに、なぜここまで力の差がある。

 

 私とではない。

 京楽隊長と浮竹隊長だ。

 

 藍染さんは本来、ルキアを手に入れるために敵戦力の分散を行っていたはず。

 京楽隊長、浮竹隊長、総隊長を遠ざけたのは、彼らが危険、もしくは時間のかかる交戦相手だと判断していたからだ。

 たった一突きの手刀が、目で追えないわけがない。

 

 私の中で、最悪の状態が脳裏を過ぎる。

 それを否定するかのように、刀を握りしめた。

 

「 散れ 千本桜!!! 」

 

 細かく分散した千の刃が藍染さんに向けて襲いかかる。だが、それは……無情にも届かずして霊圧のみで弾き返されてしまった。

 

「……嘘だ」

 

 もはや、刀としての機能を失わせる程に一つ一つの刃が折れ曲がってしまっている。

 

 咄嗟に名無之権兵衛本来の姿に戻した時、藍染さんはそれを興味深そうな顔で見つめた。

 

「ほう。興味深いな。契約した斬魄刀を再起不能までに破壊しても、名無之権兵衛本体は無傷か」

「何故っ!! 貴方はここまで……」

「強くないはずだと?」

 

 一つ一つ。私の計算が崩されていくかのような感覚。

 それは、動揺へと繋がる。

 

 私が思い浮かべた、最悪の事態を肯定するに等しいその言葉。

 

 私の動揺を他所に、藍染さんは言葉を続けた。

 

「いま、君の言葉で確信したよ。君は、未来に干渉。もしくは、先を見る力がある。恐らく斬魄刀の能力ではない。信じがたいことだが君自身が持っていた能力だろう」

「その仮説は何処から生まれた……」

「わざわざ朽木ルキアの中に反結界作用を埋め込んだことも、その鍵があることを知らせたのも、四十六室で私を足止めしようとしたことも。……ここに『反膜』が来ると知っていての時間稼ぎ。そうだろう、姫乃」

「その事を聞いているんじゃない!!」

「君が、幼い時に私に聞いた何気ない質問からだ。そこからの仮説だよ」

 

 ルキアを藍染の手から遠ざけ、私と相対しなければ崩玉を手に入れられないルートを作っていた。その間に反膜の時間を待ち、藍染を虚圏に帰す。もしくは、ここで決着を付ける。

 

 そうすれば、こちらの態勢を立て直すことができる。

 

 反膜はおそらく指定の時間と場所で設置されている。藍染はまだ崩玉を持たぬ身。

 死神の領域を抜け出せていない彼は、いくら虚を従えたとしても、反膜まで自在に操れる可能性は低い。

 知識を元に持っていた予測を父に問えば、父もまた同じ考えだった。

 

「……嘘だ。そこから辿り着けるはずがない。未来の予知には繋がらない」

「君に嘘をついた覚えはないと、昔から言っているだろう。もう答えは出ているはずだ」

 

『予定より育てた』その言葉の意味は、私が揃えようとしている盤面への抵抗。

 本当に気がつくべき、隠された言葉の意図はそこにはない。

 

『本来よりも大幅に実力の底上げをされた死神達は、今この瞬間までの各自の戦闘バランスを拮抗させた』……此処だ。

 

 その拮抗した天秤は……ここで終わりだということ。

 死神達などという回りくどい言い方の本質は、藍染惣右介という人物本人も含まれているということ。

 

「君が知っている未来より、『強くなっておけばいい』。ただそれだけの話だ。君が私の計画を読んで行動しているとは分かってはいたが、さきほどの君の言葉で確信した。仮に君の知識を平行世界と呼ぶのであれば、君には、【違う道を辿る世界】は予測できない。違うかい?」

 

 

 私が関わった事で……私が生まれてきたことで……本来届くはずの山頂が……届かぬ山頂へと変わった。

 ドクン、ドクンと心臓の音が高鳴る。

 嫌な汗が、額から顎へと伝わっていく。

 

「君の狙いは知っていたが、君は全て後手だ。結論に至った要素は多くあるが……例えば、雛森君をそもそも私の副官にさせない。そういう手段を君は取らず、この数日だけ彼女を護った。四十六室には、日番谷隊長以外を選べばよかった。だから遠回しに言った。『意図を読み取れぬ弱者……すなわち足枷は不要だ』と。チェスの駒は選ぶべきだった。……君は、雛森君が私の副官にならない未来の結末を。日番谷隊長以外が四十六室を訪れた先の未来を。

 君は知らないんだ」

 

 ……何時だって、この人の言葉に言い返せないなんてこと……分かってる。

 当たっている。藍染さんの推測は全て当たっていて……。

 藍染さんならば当てて来るだろうと、予想出来なかったのは私の方だ。

 

「有難う。姫乃。君の存在は、私が崩玉を手に入れるのに『この程度でいい』と思っていた力の上限を大いに引き延ばしてくれた。この程度では確実に失敗するだろうという危機感をもたせてくれたよ」

 

 なにも答えない私に、藍染さんはため息混じりに言葉を続ける。

 

「君と朽木ルキアを虚圏に持ち帰り、ゆっくり処置を施した方が早そうだね」

 

 ギン。彼がそう呼ぶ。

 ギンは藍染さんの意図が分かったのか、動き出した。……ルキアを捕らえに行くつもりだ。

 

 それを止めようと、私は再び戦闘へ意識を切り替える。

 

「射殺……」

「君の唯一の動揺。それに呑まれた君が弱かった。……ご覧、隙だらけだ」

 

 神鎗の刃を、指一本で藍染さんは止めた。

 それからお返しと言わんばかしに、返しの太刀筋が迫る。

 ……避けられない。

 右腕の手首から肩にかけて大きく斬り裂かれた。

 自分の視界の端に映るのは、自分の鮮血。

 

 これほど右腕をやられては刀が握れない。

 ……届かない! 

 

 策に乗せられ、本来よりも大幅に力を削られた私の刃は届かない。

 いや……仮に万全だったとして……。藍染さんは、負けるなんて一言も言っていない。

 時間がかかり手間だと。ただそういっただけ。

 

 

「仲間を護る為に戦う力を失う事は、結果的に仲間を殺すことになる。そう最期に師らしく教えておこう」

 

 私から鍵を取り出すのに、私の生死は関係がない。

 それをまるで知っているかのように、藍染さんは私の確殺を狙う刃を振りかざした。

 

 

「さようなら、姫乃」

 

 

 ……避けられるはずだった。

 力が届かない事と、攻撃を躱すことは同一性を持たない。

 負った傷が問題なのではない。

 策に乗せられ、力をすり減らした事が問題なのではない。

 連戦の疲労が問題なのではない。

 

 ……たった一つの……私の動揺が。

 知恵の回らぬままに藍染さんと酌み交わした会話が……。

 私が存在し……矢面に立った事のその代償が……。

 

 藍染惣右介には誰一人届かないという、絶望を巡り合わさせた事実。

 

 その絶望が、反応を遅らせた。

 

 仮に私が負けて……黒崎一護に未来を託したとして……果たして、この世界の藍染さんに届くのだろうか。

 

 ……導いた答えは、限りなくゼロに近かった。

 

 

 

 拒絶するかのように、思わず閉じた瞳。

 動かない体。

 

 

 ……その体を後ろへと動かした人物がいた。

 

 

 

 

 

「姫様ぁ!!!!!」

 

 

 私を庇うように、勒玄が私を包み込むと同時に身を翻す。

 ……勒玄では、回避速度が間に合わない。

 背中から大きく斬られながらも、勒玄は意地だけで藍染さんと私を引きはがした。

 

「勒玄!!!」

「立ち止まってはなりませぬ!! 絶望してはなりませぬ!!! これは、絶望の戦いではない!!!!」

 

 その後に起こった光景は、総隊長の到着と同時に次々と場に死神が現れる様子。

 

「そこをわずかにでも動いてみろ。貴様の首を跳ねる」

「儂らから逃れられると思うなよ」

 

 ギンと藍染さん。それぞれの首に、夜一さんと砕蜂隊長が刀を当てた。

 

「あかんなあ。今日は捕まってばっかしやわ」

 

 ギンの声色からは言葉と違って残念そうな思いは伝わってこない。

 むしろ、状況を楽しんでいるように見える。

 

「……ギンはさっきから何をしているんだい」

「怒らんといてくださいよ。ボクかて一生懸命ですわ」

「……面倒だな」

 

 そう藍染さんが呟いた。

 

「逃れられると思うたか」

 

 総隊長が斬魄刀を構えようとした時。

 私は、大気のわずかな違和感に気が付いた。

 

「まもなく反膜が来る!!!」

「反膜じゃと!? 虚と手を組んだというのか!!」

 

 総隊長の驚きの声。

 駄目だ。今の藍染さんが本気で動けば反膜がくる僅かな時間で、ルキアと私を捕らえることなど容易に成し遂げるだろう。

 周囲にいる人は全て殺されてしまう。

 ルキアの近くには、手負いの者が多くいる。

 彼らの命を取るのに容易い状況だ。

 

 ……いま此処で藍染を逃がす事は、本来の予定。しかし、優位的に立ち回る本来の予定を藍染さんはたった数分でひっくり返してきた。

 

 私が届かなかったという事実と、崩玉を手に入れる更なる策を持ってこられることは……護廷十三隊の負け筋でしかない。

 

「止めなければっ……藍染をここにとどまらせては……ダメだっ!! 藍染!! お前の都合のいいようにはさせない!!」

「今の君に何ができる」

 

 傷口が大きく開き、思わず体が硬直した。

 それでも、無理矢理に体を動かす。

 

 このままでは負ける!! 

 絶対に行かせない!!! 

 

「どうするんじゃ、姫乃!!」

「っ——!! 夜一さん、 最終手段(・・・・)に移ります!!」

「ならぬ!! 姫乃!!」

「ここでやらなくて、いつやるんですか!!」

 

 

 私は『最終手段』を講じるために、痛みをこらえて両手を合わせ、指を動かそうとした。

 

 

 ……ずっと分かっていた。

 予定を崩していくのは……何時だって身内。

 

「姫様」

 

 勒玄の声が私の耳に届く。

 勒玄の手が、術式を編み込んでいた私の手を止めた。

 

「その御命令。承知いたしました」

 

 莫迦者!! 

 そう言う前に勒玄は動いた。

 

「夜一殿!! 砕蜂殿!! 下がられよ!!! 」

「下がれ!! 砕蜂!!!」

 

 

 止めるまもなく紡がれた術。

 鬼道衆に伝わる、最高の力であり呪いの禁術。

 

 

「 _禁術  時間停止 !!!!!」

 

 

 藍染さんとギンを覆うように結界が出来、二人の動きがそのまま止まった。

 

「好機!!」

「ならぬ!! 近づくな、砕蜂!!!」

 

 すぐさま首を狙おうとした砕蜂隊長は、夜一さんの蹴りによって吹き飛ばされた。

 

 そう、もう結界の中には近づけない。

 この禁術。指定された空間内に踏み入ればすべてのものが時を止める。

 

 つまり、今の藍染さん達には何も出来ない代わりにこちらからも何も出来ないのだ。

 

「勒玄!! なぜその術を知っている!!」

 

 私は怒鳴る様に勒玄に叫んだ。

 禁術。それは禁書の間に保管され、代々大鬼道長のみが知る術。

 

 その 代償(・・)も、私は知っている。

 

 振り返った勒玄は、いつもの真顔ではなく、微笑んでいた。

 

「すべて、承知の上。反膜が下りるこの場所から遠ざけるため、このままこの者たちを『指定の場所』へ運びます」

「駄目だ!! もうお前はやるな!! 私がやる!!!」

 

 私が動かそうとした指と口を、勒玄は力の限り押さえつけた。

 

「藍染と離れる直前、心臓に一突き貰いました。私はどのみち長くは持ちません。元々先のない命。命欲しさに貴女と離れる選択は、私の中にはない」

 

 そう言われて勒玄の胸部に目を向ければ、黒い装束が、おびただしいほどの血と混ざりあい濡れていた。

 

 

 私の所為だ。

 私が自力で回避できなかったせいだ。

 私が絶望に呑まれたせいだ。

 

 ……私は、私の所為でまた失う。

 

 涙が溢れ、その涙は私の口を押えている勒玄の掌を濡らした。

 

 

「ご自身を責めてはなりませんぞ。伝えたはずです。私は貴方を護る盾となり、貴女を刺し殺す矛となると。貴女を絶望から護り、負けの未来を思い浮かべた貴女の偶像を刺し殺しましょう」

 

 嫌だ嫌だと顔を横に振る。

 まだ間に合う。受けた傷を考慮しても、禁術の代償には耐えられる。

 井上の元へ送ればまだ助かる。

 そっと私の頭を撫でた勒玄は、私の口から手を離した。

 

「その術を……使うな……。やめろ……命令だ……」

「では、再度命令違反を致しましょう

 _禁術 空間転移  」

「やめろぉぉおお!!!!!」

 

 

 勒玄の微笑み。

 そして私の絶叫と共に、一瞬で場所が入れ替わった。

 



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第六十九話 鬼道衆の過去

あなたのそばで生きると決めたその日から
少しずつ変わり始めた世界
強く在るように弱さを隠すように
演じてきた日々に
ある日突然現れたその眼差しが
知らなかったこと教えてくれた
守るべきものがあればそれだけで
こんなにも強くなれるんだ


 

 

 私と勒玄。そして藍染さんとギン。

 四人だけが双極の丘からある場所へと飛ばされた。

 転移終了と同時に、勒玄が口から血を噴き出し、その場に崩れ落ちた。

 

「勒玄!!」

 

 聞きたいことが沢山ある。

 

「どうしてこの場所を知っていたの!」

「むしろ、何故知らぬと思っておったのか不思議ですぞ」

 

 確かに私は、勒玄にこの場所を伝えてはいなかったが隠そうとも思っていなかった。

 しかしそれは……お前が移動方法を知らないと思ったからだ。

 倒れ込んだ勒玄を抱え、慌てて回道をかけようとしたが制され、逆に勒玄は私に回復を施し始めた。

 

「私の命が尽きる、その直前まで姫様の霊力を回復させます」

「禁術がなにかわかって遣ったのか!!」

 

 私は溢れる涙で視界が歪む。

 

「時間停止は……私の命尽きるまで持続します」

「……禁術は……魂魄を削って出す術だ……。嫌だっ……お前を失いたくないっ……」

「存じ上げておりますとも」

 

 

 魂魄切削を代償とする術。故に禁術。

 

 

 禁書の間でそれを知るまで、なぜこの二つの術が禁術とされているのか分からなかった。

 空間転移なら、近い術に転送がある。

 すべての術は霊力を消費するため、時間停止も無限ではない。

 

 真実を知るまで、有昭田鉢玄はテッサイさんを罪人にしたその罪悪感で動いているのだと思っていた

 有昭田家は代々、副鬼道長の座に就く。

 それを誇りとしていることも知っていた。

 

 

 そうではなかった。

 

 鉢玄は、自分達のせいで生涯付き従え護ると決めた主君の命を削った事を悔いていたのだ。

 

 

 禁術一つにつき、消費される魂魄は約四分の一。

 

 魂魄とは命そのもの。

 

 本人の魂魄の強さに依存するが、半分から四分の三の魂魄切削が行われた死神は死ぬ。

 残り四分の一は、数か月から数年の時をかけて霊子へと変わる。いわゆる霊体の消失。

 

 仮に四分の一すら残さないほど過剰な魂魄切削が起きた場合、霊体は急速分解を起こし、虚のように消えてしまう。

 通常の戦死では起こりえない現象だ。

 

「姫様が隊葬を酷く嫌っていた事も、存じ上げております」

 

 ……"隊葬"とは死者を弔う儀式であると同時に、霊体の崩壊を助長し、よりはやく霊子として尸魂界へ返すための儀式に過ぎない。

 

 

 100年前、禁術の影響で霊体維持限界を超えかけたテッサイさんを、父が崩玉で生命を引き延ばし、改造義骸に霊体を入れたのだ。

 テッサイさんは鬼道のみに特化した別の霊力発生源を持つ。

 わたしもその継承を行った。

 禁術の重い代償……。彼は、生涯義骸から抜け出すことができない。

 

 

 書き起こしたこの世界の物語の中で、ずっと疑問だった。

 あれほどの鬼道の遣い手であるテッサイさんが、全てを通して戦いの前線に出てくることがなかった。

 

 出てこなかったんじゃない。

 "出られなかった"のだ。

 

 あの人にもう、前線で戦う力は残っていない。

 尸魂界へ帰ることも出来ない。

 

 勒玄は藍染から心臓を突かれた後で禁術を使用した。

 元々命を削られた状態で行った代償は、後戻りを不可能とする。

 

 ……つまり、既に霊体の崩壊が始まっている。

 父の義骸は、霊子化が始まった体は助けられない。

 本来用意していた、救済措置が間に合わない……。

 

 

 動揺する私に、勒玄は口を開いた。

 

 

「私は禁術を知っておりました。何故なら、有昭田家は、罪人の家系。……禁術を生み出したのは、我が一族です」

 

 

 

 

 少しお話をしましょう。そう言って、勒玄は話を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***数千年前***

 

 

 

 

 

 死神の中に、"鬼道"という力を持つ一族が生まれ始めた。

 有昭田家もまた、鬼道術三大一族に名を連ねるほどの力を持っていた。

 

 強く、長寿、特に結界術に優れた一族。

 鬼道三大一族の名を思うがままに操り、徐々に力に溺れだした。

 

 

 有昭田家 初代 有昭田弌玄。

 彼には妻が居たが、病を患った。

 生があれば死も当然。死神として超えてはならない領域を初代は破り捨て、妻の命を永劫にせんと術を編み出した。

 それが時間の停止。

 

 命の輪廻を止める。神の領域を侵す力。

 

 初代は逃げた。家を捨て、子孫を捨て、時を止めた妻と共に。

 尸魂界にいてはいずれ捕まる。違う世界へ逃げなければ。

 その時編み出したのが、世界の境界線を無視して任意の場所に転移できる空間転移。

 

 代償が術者の命を削る術だと気が付いたときには、もう遅かった。

 誰もいない土地で初代の命は消え去り、それと同時に、止めた時が戻った妻は一人、死んでいった。

 

 死神としての道を外れた愚かな行為は多くの者の逆鱗に触れ、有昭田の一族は皆殺しの刑になる筈だった。

 

 しかし腐っても鬼道三大一族。

 戦いは長きに及び、多くの命が犠牲となった。

 

 やがて鬼道衆は、有昭田一族を殺そうと殺人に特化した一族に分裂した。

 

 

 それが、今の隠密機動。

 旧名……隠密鬼道。

 その管理は、四楓院家の名の元に。

 

 隠密機動が鬼道を得意とし、その体に鬼道を練り込める術に特化しているのも、枝葉を辿れば鬼道衆の一族にたどり着く。

 今の時代の隠密機動でその事実を知るものは隠密機動総司令官くらいだろう。

 

 

 その争いを止めたのが、鬼道三大一族の一人であり、当時の鬼道衆総帥 大鬼道長であった握菱の一族。

 

 有昭田弌玄が堕落する前まで、仲間であり、友であった初代握菱家当主は、自分の命を持って禁術を封印するとした。

 

 後世に残る有昭田の子孫たちが、不当な扱いをされぬよう。いずれ皆が忘れるように。

 100人の鬼道衆が封じたと嘘の書を残し、箝口令を引いた。

 ……未来に、願いを託した。

 

 有昭田一族は、魂に刻んだ。

 救われた命。守られた血筋と尊厳。

 今後有昭田家は、命に代えても大鬼道長の名を受け継ぐ者に仕え続けると。

 それを誇りとし、行く先が地獄であろうと大鬼道長の意志に付き従うようにと。

 そして今度は、我々が盾と為り護ろうと。

 

 

 

 ………………

 …………

 …………

 ……

 

 

 

「それが、我が一族の全て。まあ……私の主君がじゃじゃ馬娘だとは思いもしませんでしたがな」

「勒玄……死んではダメだ……もう迷惑かけないから……」

「貴女と過ごした六十年余りの日々。非常に短い時間でしたが、私は幸せでしたぞ」

「嘘だ、いつも無茶を言いつけてばかりだった……」

「これは貴女の戦いです。逃げてはなりません。刃を持つ力を最後まで貴方に託しましょう。貴女に、未来を託しましょう」

「馬鹿者っ……私はっ……私は……大切な者一人すら護り抜けないというのに……」

「いいえ。誇りを護って頂きました。それ以上の喜びが、この世界の何処にあるというのでしょうか」

「共に……これからを過ごす未来が失われた!!」

「誇りを失って歩む未来など、なんの希望もない」

 

 もう体の半分以上が霊子へと戻っている。

 私がどれだけ抱きしめようと、その体はつかめない。

 

「泣いてはなりません。わかっておられるはず。ここに集まってきている貴方の仲間がいることを……姫様。あなたは"独り"ではありません。旅立ちを、泣き顔で見送られるのは止して頂きたい」

「その姫様……っての……やめてよっ……」

 

 

 私は涙を零しながら、精一杯勒玄に笑いかけた。

 彼の最後の願いを。

 私に笑って欲しいと。

 その願いを叶えるために。

 

 

「……ああ、幸せでしたぞ。貴女と出会えたこの奇跡。私の弱さが、貴女を憎んだ。……あの時の私に伝えたい。……未来は、こんなにも美しかったと……」

 

 

 勒玄も微笑みを返し、そっと目を閉じた。

 

 ……勒玄の体は指先一つ残すことなく、光となり消えた。

 

 

 

 

 

「あ"ぁ"ぁ"ぁああああ!!!!」

 

 

 振り切るかのように。自分を立ち上がらせるように。

 喉が痛むほどに張り上げた声。……届くだろうか。

 

 私は……お前が大好きだった。傍にいることが、いつの間にか当たり前だった。私も幸せだったと。そう伝える時間すらも与えず、お前はいい逃げをするかのように旅立った。

 

 

 勒玄の消滅と同時に、時間停止の効果が切れ、 藍染(・・)とギンが動き出す。

 

「あれ、場所変わってますやん。随分と高い山の上まで来てもうたみたいや」

「おそらく禁術だろう」

 

 二人の会話が終わり、私に目線が向けられた。

 

「……おや、君の副官はどうした」

 

 その言葉に、私は何も答えない。

 

 

 

「……ああ、そうか。

 君は、また 失った(・・・)のか」

 

 

 

 私はふらりと立ち上がる。

 ずっと、ずっと藍染の言葉に自信を持って言い返せた試しはなかった。

 

 ……それを、今変える。

 私は、もう負けない。

 

 

 

 

 

「違う……。失ったんじゃない。……れた。

 願いを、未来を、託された!!!!」

 

 

 

 

 私が叫ぶと同時に、上空から何かが飛んできた。

 藍染達はそちらに目を向ける。

 

 

 上空から飛んできた。いや、正しくは"下から打ち上げられて落ちて来た"

 

 私が事前に張っていた結界と衝突し、結界を破り抜いた後空中でその円形上のモノは分散。

 それを合図に、中から多くの人物が現れる

 

 

「なんや、様子見に来てみたら……よーさん泣きよるクソガキしかおらんやんけ」

「ぶっ飛ばす相手を目の前に連れて来ただけ上出来だ」

「もっとマシな移動方法なかったんけ、ハゲ真子!!」

「仕方ねぇだろ。普通に登ってたら三日はかかるぜ、この山」

「少し……酔いました」

「はっちんだっさー! アトラクションみたいで楽しかったよー!」

「明らかに定員オーバーやろ」

 

 私の前に立つのは、死覇装ではなく己の好き好きな衣装を纏い、顔にそれぞれ虚の仮面をつけた人達。

 仮面の軍勢だ。

 

「……懐かしい顔ぶれだ」

 

 時と空間が止められていたというのに、藍染は周囲の環境の変化を驚きもせずそう言葉を発した。

 

「すんませーん。身元確認ですけどー。藍染惣右介君で間違いないですかー」

 

 首を傾げながらとぼけたような声を出す平子さん。

 そんな平子さんに藍染は微笑みを返す。

 

「間違いなく、藍染惣右介だよ。平子"隊長"」

「そーですかー。鏡花水月とかいう陰キャの斬魄刀使こうとるんちゃいますのー」

「鏡花水月がよほど怖い。そうも取れる言葉だよ」

 

 平子さんは私をチラリとみると、後ろ蹴りを入れてきた。

 想定外の蹴りに、私は呆気なく後ろへ飛ばされる。

 

「おっと。大丈夫っスか。姫乃」

「お父さん……」

 

 転がった私を受け止めてくれたのは、父だった。

 

「……義骸、いらなかったスね」

「勒玄が……私に戦う力を残してくれました」

「応えましょう、その想いに」

 

 仮面の軍勢のみんなは、私なんか見えていないかのように藍染を睨みつけていた。

 膠着状態の中、平子さんだけが口を開く。

 それは藍染ではなく、私に向けられた言葉だった。

 

 

「……なんちゅう顔しとんねん」

「……来ると……思わなかったです」

「はっ。言うたはずや。俺らは、瀞霊廷には行かへんて」

「……それだけですか?」

「ほんで、喜助に恩を売っとく為や。あんましとーちゃんに頭なんて下げさすな、ボケェ」

「……ごめんなさい」

 

 父が平子さん達に共闘を頼み込んでいたなんて、知らなかった。

 私達のやり取りを藍染はただ黙って眺めている。

 観察しているといった方が正しいだろう。

 藍染の興味は平子さん達より父にあるようだった。

 

「浦原喜助か。君が今動くとは想定外だったよ」

「愛娘を独りで戦場に立たせるわけないじゃないっスか」

「それも、そういう振る舞いを装っている意図を探るに値する」

「……貴方になんか、一生分かりっこないっスよ。理論を超えて、走らなきゃいけない時は必ず来ると」

 

 去り際に平子さんが言った言葉。

 

『俺らは瀞霊廷にはいかへん』

 

 その言葉は、皮肉った形で体現された。

 

【最終手段】

 

 流魂街の辺境部に藍染の隔離と、私の撤退。

 これを準備するにあたって、技術開発局への潜入が必要だった。

 霊質を弾かれ、尸魂界へ来ることが叶わない父の制御を解除する為に。

 私の魂魄と引き換えに禁術を使用し、ルキアから遠い場所に移動させ、父達に託す。

 

 たとえただの時間稼ぎでもいい。

 その間にルキアを藍染の手の届かないところへ。そのために夜一さんには残ってもらう。

 

 藍染に崩玉だけは渡してはいけない。

 私は父が持ってきた魂魄救済用の義骸に入り、現世へ撤退する。

 藍染は、鍵を永遠に見失う。

 私も死神としての力は失うが、残る人に全てを託すための手段だ。

 

 そしてこの山まで一気に父を運ぶために、空鶴さんの大砲が必要だった。

 その手筈は、夜一さんが用意してくれた。

 

『尸魂界の正義を成す為には、己の命を賭すもまた死神の心得』

 尸魂界に伝わる古い言葉だ。

 その捨て身とも呼べる最終手段に、父の思惑が重なってこの状況を作り上げた。

 

「成程。君たちを殺す程度、私がわざわざ手を下さなくてもいい」

 

 藍染がそう言った瞬間、空が裂け五十を超える大虚と中級虚が現れた。

 複数体の破面もどきもいる。

 

「俺らと戦うんが怖いだけやろ」

「俺ら相手に何体虚を出そうが一緒だぜ」

「いつまでだらだら喋っとんねん、ハゲ真子!! さっさと藍染ぶっ殺すで!!!」

 

 そう言ってひよ里さんは仮面を被ると、虚閃を打ち放ち正面にいた二体の大虚をかき消した。

 

「……俺らがあいつ倒す。おめーは下がってハッチに回復でも貰っとけ」

 

 愛川さんが私にそう言って前線に飛び出す。

 

「あーずるーい!! ましろの分も残しててー!!」

「やれやれ、騒がしいね。全く」

「お前の顔の方が騒がしいねん。うちは先行くで。はよ帰ってエロ本の続き読むんや」

 

 久南さん、鳳橋さん、矢胴丸さんも次々に前線へ向かう。

 

「彼らに任せましょう」

「私が逃亡を許すとでも?」

「逃げるのは得意なんスよ」

 

 父は私を抱きあげると、戦場と化した一帯から離れようと森へ向かって駆け出した。

 藍染は私を追おうとしたようだったが、平子さんがその動きを止める。

 

「行かせるわけないやろ。いつの間に女のケツ追いかける男になったんや」

 

 藍染が口を開こうとしたその時……

 

「 _破道の六十三 雷吼炮!!!!」

 

 藍染達の後方にいたはずの大虚が飛んできた雷吼炮によって消し飛んだ。

 平子さん達は何もしていない。

 想定外の援護射撃に、流石に驚いたような表情の彼ら。

 

「家の近くで臭い虚の匂い漂わせるんじゃねーぞ!!」

 

 そういって宙に飛びあがった女性。

 両手に持った弾薬を大虚へ投げ飛ばし、さらに大虚を消した。

 

「なんや。着いてきたんかい」

「ヒーローは遅れて登場、ってか」

「メスやけどな」

 

 山頂に現れたもう一人。父達をここまで送ってくれた張本人。

 

「元凶はおめェだろ。その件でちょっくら藍染に用があんだよ、文句あるかコラ!」

「レディがなんて言葉遣いを……ひよ里と大差ないじゃないか……」

「なんやて!! ハゲコラ!!!」

 

 空鶴さん……!! 

 遠ざかる彼らと空鶴さんを見ると、彼女と目が合った。

 声は殆ど届かない距離に離れてしまったが、空鶴さんは指を目の下に置き、ベーっと舌を出して、からかうかのような表情をした。

 

「とっとと行きやがれ、チビ助!!」

 

 ……相変わらず、海燕副隊長そっくりの表情だ。

 

「さ、少し速度あげますよ」

 

 父は元隠密機動。

 その父が本気で霊圧を消して逃げれば、さすがの藍染も追っては来られないようだった。

 

 

 

 川の近くに父は降り立ち、私を下ろす。

 

「浦原さん……ちょっと早いデス……」

 

 遅れて有昭田さんも到着する。息が上がっており汗も見えたが、すぐに私の回復を始めた。

 

「……酷い怪我だ。すぐに治療します」

「如月さんの霊力を完全回復するには……五番では間に合いまセン。術式八番デス。浦原さん、ついてこれますか」

「無論!」

 

 回道術式八番。最高等回復術式。

 二人同時で傷と霊力の手当てを行う。

 

 互いの霊質調節が少しでも狂えば、回復どころか力の反発作用が起き、対象者の体を大きく傷つける。回道の中で最も早い回復が可能だが、危険と隣り合わせの術だ。

 

「……ごめんなさい……貴方の祖父君を護れなかった……。形見一つ残してやれなかった……」

「祖父は後悔をしていましたか? そんな筈はないはずデス。……形見はありマス。貴方が祖父の誇りであり、形見デス」

 





深い深い暗闇の中で
出会い、共に過ごしてきた
類の無い日々

心地よかった
いや、幸せだった

確かにほら、救われたんだよ……あなたに

強く大きな体に秘めた優しさも
どこか苦しげなその顔も
愛しく思うんだ
姿形じゃないんだ
やっと気付いたんだ


無情に響く銃声が夜を引き裂く
別れの息吹が襲いかかる

この、手の中で燃え尽きた
金色の優しい彗星を
美しいたてがみを
暗闇の中握り締めた

*****
優しい彗星/YOASOBI

金色の優しい彗星、美しいたてがみ。
姫乃の髪色。
勒玄のテーマソングです。フルバージョンは、YouTubeで是非。


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第七十話 本当に見るべき所

 

 

 時は少し遡り、情景は瀞霊廷内部へと戻る。

 

 __瀞霊廷―双殛の丘下

 

 四楓院夜一と浦原喜助が幼い頃から秘密基地といって遊んでいた場所は、今は多くの人で溢れかえっていた。

 

「わー、このお湯凄いですね……」

 

 そういってお湯に手を入れているのは山田花太郎。

 決して広くはない温泉だったが、その湯に怪我人を入れれば傷が驚く速度で治癒する。

 

「このような立派な鍛錬場をお持ちとは……流石です! 夜一様!!」

「ぺい!! 双殛の丘になんてものを作っとるのじゃ!! 気が付かんかった者も何をしておった!」

 

 普段、人を氷のような目でみる砕蜂も夜一の前とあってか、敬愛の目で自分の元上官を讃える。

 総隊長も不満こそは、口に出してはいるものの、現状での処罰等は控えたようだ。

 

「……儂も此処を解放する気などなかったわい。状況が状況じゃ。仕方あるまい」

 

 夜一本人は、ここに人を連れてくるのは不本意だったよう。

 少し不貞腐れたような表情をしているが、地下の温泉を解放し、早急に重傷患者を治療にあたっていた。

 

 特に怪我が酷いのが二人。

 

 浮竹十四郎、京楽春水。

 

 特に浮竹に関しては、何故か井上織姫の回復術を弾いてしまうため、卯ノ花が手当を担当していた。

 

「……まいったね……姫乃ちゃん一人で行かせてしまったよ」

 

 温泉に入りながら天井を見上げて、京楽はそう呟いた。

 

 藍染と市丸は無傷。姫乃は手負い。どう考えても優勢とは思えない。

 

 あの時、藍染の動きに反応できたのは姫乃一人だった。

 自分達は何が起きたか理解する間もなく地に伏せていた。

 

「じっとしておれ、京楽。傷口が開くぞ」

「ボクたちは姫乃ちゃんに命救われちゃったね」

「そう思うなら、さっさと湯を飲み続けろ」

 

 猫の姿で一緒に湯に入っている夜一をよそ目に、京楽は自分の胸部を撫でる。

 姫乃が鬼道を使って、自分たちを後退させていなければ、すでに生きてはいなかっただろう。

 

 立ち位置も違った二人と藍染の動きを読んで、生命が繋がる最大の処置を瞬時に判断したのだ。

 

 護廷十三隊の隊長達の状況を加味して、総隊長が下した決断は"待機処置"。

 

 

 手負いの状態で向かって瀞霊廷の守備を薄くするより、再度向かってくるであろう藍染を万全の状態で迎え撃つ。

 

 正しい判断だ。

 

 そこに姫乃の生死は関わってこない。

 一太刀入れて死ねば上等。

 

 正しい判断だ。

 

 "死神"としての使命を全うする事に、私情は絡まない。

 

 それでも、消化しきれない想いを胸に京楽は天井を見上げ続けた。

 

「して、四楓院。状況をもう一度説明せよ」

 

 総隊長の言葉に、夜一が頷く。

 

「時間停止と空間転移。この二つは、護廷隊長の負傷が多く……藍染を逃がすことの方が危険だと判断した時、最後に行う手段じゃった。目的は"朽木ルキアの避難"。その後に、ルキアから崩玉を安全に取り出す事が最優先目的。そして、護廷総力を持って藍染を殺すための手段じゃ。まあ、少し違った道じゃったが、おおむね作戦通り」

「して、転移場所は?」

 

 卯ノ花からの質問に、夜一は続けて答える。

 

「転移場所は、西流魂街北部山頂。山に住む流魂街の民を避難させ、巨大な結界を展開しておった」

「西流魂街北部の山とは……もしかしてあの山ですか!? 夜一様!」

「そうじゃ」

 

 いつの間にそんなことを。驚いた表情をしたのは、砕蜂だけでは無い。

 通称―仙人岳

 山頂は雲に覆われ見える日などない、尸魂界最高峰の山だ。

 さらにその土地から人を動かし、結界術を貼って誰も踏み入らぬ土地にするなど……まさしく戦いのための場所を作っていたといっても過言ではない。

 

「そこに如月さんがいるんだな」

 

 一護の言葉に、夜一は頷いて肯定した。

 

「そこに喜助が助っ人を連れて待機しておった。百年前の隊長格。そう言えば主らには伝わるの」

「バカな……生きていたのですか!!」

「うむ。これに関しては、姫乃は知らぬがの」

 

 砕蜂が驚くのもわかる。これは闇に屠られた事実だからだ。

 一護だけが付いてこれていないようだが、そこに構っている暇がない。

 

「本来であれば姫乃の生命維持を喜助が行い、残りの面子で藍染を叩く。じゃが、状況が変わって恐らくはどこかに身を潜めて有昭田と共に回復に努めとるじゃろ」

 

 話が終わると同時に、場が静寂に包まれた。

 藍染は確かに強い。彼の側近である市丸も、並みの隊長格では敵わないだろう。

 

 しかし、あの七人がいるのであれば……勝ち目がある……? 

 

「なんかよくわかんねーけど、如月さん達は勝てるのかよ」

 

 数名の心に宿った気持を口に出したのは、一護。

 そしてその思いを叩き切ったのは、京楽だった。

 

「無理、だね。そうだろう、四楓院夜一」

 

 その言葉に、夜一は下を向いた。

 彼らは間違いなく強い。

 しかし、百年前の藍染にすら傷一つ負わせることができなかった。

 その事実は重い。

 

 崩玉がこちらにある以上、恐らく戦闘においては純粋に斬拳走鬼の実力差。

 そして霊圧格の違い。

 それが勝敗を決する。

 

 藍染の最もな強みは霊圧。霊圧の強さは死神の強さ。

 百年、どれだけ互いに研摩し合おうと、あの夜感じた霊圧の重さを再現できた者が居なかった。

 ここまでの間仮面の軍勢が動かなかった……いや、動けなかった確固たる証拠。

 

「藍染と対等に最も近い距離にいるのが、姫乃ちゃんだ。彼らは姫乃ちゃんが回復……。いや、本来ルキアちゃんを隠すことの時間稼ぎ、もしくは浦原喜助を逃がすための盾だ。浦原喜助は、姫乃ちゃんの代理者が禁術を遣うことまで予測は立てていた。違うかい?」

「……奴らを侮辱する事は許さぬ」

「そう聞こえたんならごめんよ。でも、否定にはならない」

「……表はそうじゃ」

 

 夜一の少し曖昧な返事に、京楽は首を傾げた。

 

「儂にも分からぬ。喜助の詭弁は、今に始まった事でもないじゃろ。ただ伊達に長い時間、彼奴の隣におった分の直感じゃ。喜助は、何かを止めようとしておる」

「……議論しても仕方ないね」

 

 予測ばかりで話が進んでも仕方がないと言いたげに、京楽は肩をすくめた。

 

「それと……嘘は良くないねぇ」

 

 京楽のその言葉に、夜一は前足で顔をかき、バツの悪そうな顔を浮かべる。

 

「山じぃは護廷の頂点だ。そうホイホイ前線には出せない。そして、姫乃ちゃんが最終手段を講じた。それはつまり、今の段階で山じぃを除いて、藍染と戦える力を持った死神が護廷隊にいない。……そうだろう?」

「なんじゃ、弱気じゃの。京楽」

「現実の話をしているだけさ。護廷の死神に託す。それは君たち大人の嘘。"黒崎一護に託す"の間違いじゃあないかい」

 

 京楽の言葉に、一護の瞳が大きく揺れた。

 

「俺に……だと?」

「一護君の成長速度。それは藍染にとって不確定要素であり、ボクらにとっては一つの希望。もし姫乃ちゃんが、一護君に鏡花水月の始解を見せないために送り返したんだとしたら、姫乃ちゃんがこの戦いを託したかったのは、ボクらじゃない。……君だよ」

 

 一護から直ぐに返事が返ってこない事は、大きな問題ではないのだろう。

 まだ子供だ。自分達の会話に追いつく事へ、時間がかかるのも当たり前。

 京楽は構わずに話を続ける。

 

「そして、一護君の成長には浦原喜助が必要だ。結果的に姫乃ちゃんは生きているけど、この作戦はそもそも、姫乃ちゃんの生死を問わない作戦。浦原喜助の頭脳と黒崎一護の力を残すための手段の一つだろう?」

 

 京楽の刺すような目線に、夜一は顔を俯けた。

 間違っていない。

 禁術を使用した姫乃は、もう戦えない。

 魂魄維持ギリギリまで時間停止を粘り、浦原が抱えて走る。

 それに追い付かせないための平子達。

 最悪、姫乃の心臓に埋め込まれた鍵の所在は問わないということ。

 ……たとえ心臓を突かれ、禁術併用による魂魄維持が不可能になったとしても行う作戦だ。

 

 全ては、形勢の建て直しとルキアを護る為に。

 崩玉と融合した、藍染惣右介という怪物を作り上げない為に。

 

「それと……離反を叩きつけなくても良かったと思うけどね」

「……そうじゃ。どちらも、儂と喜助は反対じゃった。瀞霊廷に入るだけなら、喜助の力で可能。姫乃がそこまでして最前線を走る必要はないと。じゃが、譲らなかったのは姫乃の方じゃ」

 

 京楽は返事を返すことなく、考え続ける。

 ……何かが足りない。

 全てを繋げることに、あと一つピースが足りていない気がしてならなかった。

 それは、姫乃の行動も然りだったが……夜一と話が若干噛み合っていない気がしたからだ。

 

 本来触れるべき所に、彼女は触れていない。……いや、知らない? 

 

 静寂を破ったのは、卯ノ花だった。

 

「……四十六室で、彼女が残した言葉です。死神として正しい刃を持ったままでは戦えない……と」

「……なるほどね。……まいったねぇ。あの子に何てものを背負わせてしまったんだか」

 

 足りない欠片は、卯ノ花が持っていた。

 責務を背に刃を握るのが隊長としての務め。

 

「……この戦いは、自分との戦い。そりゃあ、護廷十三隊の名前を背負ってられないってかい。……全く、あの子らしいよ。真面目すぎるったらありゃしない。……姫乃ちゃんは、最初から死神であることを捨てる覚悟だったってわけさ」

「……何故じゃ」

「そうかい……やっぱり君達は知らずに来たんだね。……言えるわけないだろう、君達には」

 

 夜一の反応を見て、確信した。

 平子真子らも……浦原喜助も、四楓院夜一も。

 姫乃の実質的養父であり、師は藍染惣右介だということを伝えられていない。いやむしろ、護廷十三隊内でも知っている者は当時の半分以下だろう。

 

「……背負う物が似合ってないくらいに重すぎるよ」

「海燕の件も、元を辿れば藍染があのような虚を生み出した所為じゃ。十三番隊におったのであれば、藍染を憎む気持ちは理解……」

 

 ビリッと空気が軋む。

 それは、紛れもなく……京楽が放つ冷たく重い霊圧。

 笠の下に隠れた鋭い眼光が、夜一を捉えたからだ。

 

「憎む? 姫乃ちゃんは憎しみで刃を持ってるわけじゃない。言っただろう。彼女自身の決着だと」

「……何が言いたい」

「……姫乃ちゃんの死神としての育て親は、藍染惣右介だからだよ」

 

 死神としての刃を持ったままでは戦えない。

 ああ、本当の意味は……死神としての刃を持ったままでは、藍染惣右介を越えられない。

 

 これ以上ないくらいに目を見開き、夜一は固まった。

 

「親殺しさ。彼女がやろうとしてるのは。……だから言ったんだ。なんてものを姫乃ちゃんに背負わせてしまったんだか。って……ボク達も、君達も」

 

 欠片が足りなかった事も。

 四楓院夜一と話が若干噛み合っていなかったのも。

 その全てが、ようやく繋がった。

 それぞれが足りない欠片を寄せ集め、綺麗に並べた今、ようやく姫乃の意図がその場にいた全員に伝わった。……いや、こういう状況にならねば伝わらないことを、彼女は知っていた。

 

「……過去に別れを。未来に希望を。……姫乃ちゃん……確かに、分けてくれと言ったって、こりゃ分けられないね」

「……喜助は、本当に知らんかったのか……」

「さあ。少なくとも、姫乃ちゃんの予定と違う事を彼がしているなら、何か手がかりはあったんじゃないかい」

 

 再び場に流れた沈黙。

 

 沈黙。

 沈黙。

 沈黙。

 

 

 

 

 

「ごちゃごちゃ何やってんだよ! 此処で喧嘩して、如月さんが喜ぶ事が何かあんのかよ!!」

 

 

 

 闇を振り払うかのように、その場に大きな声が鳴り響いた。

 発信元は……黒崎一護。

 

 一護は、自分の刀を背中に背負うと立ち上がった。

 

「行くぜ、俺は」

「馬鹿者!! お主では力が足りぬ!! 今の話を聞いておったか! 今お主に必要なのは、時間と成長じゃ!!」

「うるせぇって言ってんだろ!!」

 

 一護の言葉は、決して耳を塞いで周囲を黙らせるために発した言葉ではない。

 そうやって、正解の道筋だけを辿ろうと模索している彼らの思考を否定したもの。

 

「助けに行くんだよ!! 仲間を助けんのが、仲間だろ!! 今までどんだけ如月さんに護ってもらったんだ、俺達は!! 何一つ返さねぇなんて話、あってたまるかよ!!」

 

 護廷たる者、命令は絶対。

 護廷たる者、己の命や仲間の命より護るべきものを優先し、尸魂界の守護に徹せよ。

 感情で動いてはならない。掟に従い、責任だけを背負ってその刃を握れ。

 

 伝え方はそれぞれにしろ、その全てが魂に刻まれた者たちには、一護の考えは軽薄だと捉える者の方が多いだろう。

 

「一護君。君の気持はよくわかるさ。しかし、勝ち目のない戦いに飛びいることは、自殺と一緒だよ」

「勝てる勝てないじゃねーんだよ。勝たなきゃなんねーから戦うんだよ!!」

「それが、姫乃ちゃんの想いを無に返す結果になってもかい?」

 

 京楽はジッと一護の目を見た。

 迷いのない瞳。自分の信念に従って進もうとする若者。

 卯ノ花の治療を受けて、眠り続ける浮竹を少し見て、京楽は考えた。

 

 ……ああ、浮竹。君ならこんな時、なんと言うんだろうか。とそんな事を。

 

 一拍置いて、一護は京楽の目をまっすぐみて答えた。

 

「関係ねぇ!!! 分けるだの分けないだの、そんな御託はどーだっていい!! 勝手に貰いに行きゃーいいだけの話だ! 俺らが空いた分を埋めてやりゃいいだけの話だ!」

「……一護」

「未来だの、過去だの……如月さんは難しいことを考えすぎてんだよ! そんなことより、今だろ!! 俺らが生きてる、"今"を見ることの方が大事だ!! それが見えてねぇ人に、それがあると伝えに行く方が、未来を見るよりずっと大事に決まってんだろ!!!」

 

 そう言って一護は出口に向かって歩き出した。

 彼は護廷の人間ではない。……止める権利は誰にもない。

 

「今ここで立ち止まったら、明日の俺を俺は許せなくなる。如月さんが笑えてんのも、"今"があるおかげだ!! それは、藍染のおかげでもなんでもねぇ。仲間がいたからだろ!!!」

 

 声をかけるべきか、手足を動かすべきか。

 人間の少年から放たれる言葉に、誰しもが動けずにいた時……一護の肩を叩いたのは、恋次だった。

 

「……俺も行く」

「恋次……」

「俺は正直戦える体じゃねぇ。けど、てめぇを送ることくらい出来る。……ルキアを死ぬ気で護ってくれた人に、礼を伝えに言ってくんねぇか」

「あったりめーだ。全員分の想いを、俺が背負って行ってやるよ」

 

 総隊長の意向を無視して動こうとする恋次は、自身の隊長である朽木白哉の方を振り返る。

 

 その隣に座るルキアは、既に大粒の涙を零していた。

 

「頼むっ……後生だ、恋次……一護……!! 如月殿を……如月殿を助けてくれっ!!! あの人を失う事は、身を引き裂かれるより辛い!!」

「おう、当たり前じゃねぇか。そう伝えに行ってやる」

 

 一護がそうルキアに微笑む。

 白哉は、表情こそは変わらないままだが、ジッと恋次と目を合わせた。

 

「……行かせてください、隊長」

「……よもや、彼奴の戯言を遣う羽目になるとはな。……行け、恋次。総隊長殿のお言葉は、"待機処置"であって"命令"ではない」

 

 その言葉を聞いた恋次が、深く頭を下げる。

 

「白哉はなんか如月さんに言いたいことねぇのかよ。伝えに行ってやるぜ」

「……人から勝手に預かり物をしたまま消える無様など許さぬと」

「……何の話だ?」

「兄には生涯関係の無い話だ」

 

 掟を抱えたことで、自分がルキアを助けるという選択肢を取れないことを……姫乃は気がついていた。

 だから、勝手にその役目を預かっちゃう。と、冬に自分に言った言葉を、白哉は頭の中で思い浮かべる。

 

 まるで嫌な事でも思い出したと言いたげに、白哉は深い溜息を着く。

 

「……返しに来る場所は、朽木家の大広間だ、この乞食が。と」

「……何の話だって聞いてんだよ。つーか、元々悪い口が更に悪くなってんぞ」

「兄には生涯関係の無い話だ」

 

 一護は、まあいいかと言いたげに頭をかく。

 そして恋次と二人で駆け出そうとした。

 

 ……その背中に大声を上げた人物がもう一人。

 

「帰ってこいと!!! ……如月……お前の帰る場所は、幾らでも此処にでもあると」

 

 寝ていた筈の浮竹の声。

 大きく左右に広げたその手。

 此処……それは、十三番隊を指してか。それとも、護廷十三隊を指してか。それとも、自分が持つ鬼道衆を指してか。

 

 ……いや、どれでもない。

 それは、此処に居たいと願う場所。

 それは、心の在処。

 

 

「おう!!」

 

 一護は、ニッと笑って地下から駆け出した。

 

 一護が立ち去った地下で、京楽は浮竹の方を振り返る。

 

「やい、良いとこ取りかい? この色男」

「……ああ叫ばねば、この心臓が止まろうとも……如月の元へ駆け出していた」

 

 例え命が止まろうとも、姫乃を抱きとめる為に走っただろう。

 ……それは、姫乃が最も望まないこと。

 危険を承知で、自分達の命を繋いだ姫乃への侮辱。

 

「……だから、待つよ。俺は、仲間を信じて待つ」

 

 浮竹の言葉に、京楽はほんの少しの笑みを返した。



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第七十一話 想いを乗せて、少年は飛ぶ

 

 

「つーか、なんで"待機処置"だったんだ?」

 

 一護の何気ない質問に、恋次は眉間に皺を寄せた。

 

「……おめーが聞いても、いい気持ちにはなんねぇぞ」

「そうじゃなかった。っていう今があるから、嫌な気持ちになんてなんねぇよ」

「……最後の見極めだ。藍染の元に元々居た如月さんが、本当に護廷十三隊の味方なのか見極める為だ。最悪動けるようにはしてある。まあ、物理的に動ける人がいなかったってだけだ」

「俺らの警戒を最大限に解いて、内部から崩玉を奪うブラフじゃねぇかって事か?」

「そういうこった。そんなんじゃねぇってことくらい、皆わかってら。けど、私情だけで動けねぇのが死神って仕事だ。てめーも大人になったら分かる」

「……理解は出来るけど、お前ら生き辛そうだな」

「私情で世界を失うよりマシだろ。けどまあ……てめーのその愚直さが、その不変を変えたんじゃねぇか?」

「……バカにしてんだろ、お前」

「おー、脳みそはついてんだな」

「このやろっ……」

 

 そんな話をしながら走る一護達。

 その後を、誰かが必死に追いかけてきていることに気がついた。

 

「チャド!!」

「一護!! これを!!」

 

 二人に追いつけないと判断した茶渡は、自分の右手を変化させ……何かを思いっきり投げた。

 

「おっと!」

 

 豪速で飛んできたそれを、何とか受け止める一護。

 

「森で落としただろう! 俺が拾っていたことを忘れていた!」

「サンキュー!!」

 

 一護は片手を大きくあげ、茶渡に向かって手を振る。

 それに答えるように、茶渡も手を振り返して足を止めた。

 受け取ったものを懐に入れる一護の様子を、不思議そうな顔で見る恋次。

 

「……なんだ、それ?」

「録音機。俺んじゃねーぞ」

「現世のモンか。誰のだよ。浦原さんか?」

「知らねぇ」

「は?」

「知らねぇオッサンに、如月さんに渡してくれ。って、コッチ来る前に道端で声かけられたんだよ」

「あの人、現世に知り合い居たのか?」

「知らねぇよ。あと、帰ってきたら俺を迎えに行くとかなんとか言ってたな……」

「……怖っ。何録音してあるか聞いてみようぜ」

「聞くわけねぇだろ! おめーらは、プライバシーって言葉を知らねぇのか!」

 

 一護の叫びに、恋次は耳を塞ぐ。

 重要な物なのか、それを渡す時間があるのかも分からないが……持っていて損は無い。

 これ以上この話をしても仕方なく、一護は話を切り替えた。

 

「恋次、西流魂街ってどこだ」

「西に行きゃーある」

「西はどっちだ」

「……あっちだ」

 

 なんとも不安げな会話を繰り広げながら、一護と恋次は本能が赴くままに走っていた。

 

「阿散井!!!」

 

 一護と恋次が西流魂街へ向かうため、瀞霊廷内を走っていた時、上空から二人に声がかかった。

 二人の走る速度を邪魔せぬよう、声をかけた少年も二人と並走する。

 

「日番谷隊長!!」

「隊長って……」

「……おめーが黒崎一護か。俺は日番谷冬獅郎だ。十番隊隊長を務めている」

 

 見る限り、日番谷の怪我の状態は万全ではない。

 無理やり体を動かしたのだろう。包帯がみるみる鮮血に染まっていく。

 しかし、痛みを伴うはずが日番谷は声色一つ変えずに話を続けた。

 

「さっきの話は全部天挺空羅で聞いていた。ここから西流魂街の出入口がある門まで、お前らを一気に飛ばす」

 

 確かに双殛の丘から西門までの距離は相当離れている。

 時間はどうしてもかかってしまう。

 

「ありがてぇ。けどどうやって……」

 

 一護の質問には答えず、日番谷は前に進めていた足に力をいれ、進行方向とは逆の後方に大きく飛び跳ねる。そして宙に舞いながら自分の斬魄刀に手をかけた。

 

 

「   卍解  大紅蓮氷輪丸!!  」

 

 周囲の気温が一気にさがり、うっすらと雪が降り始めた。

 日番谷は氷でできた大きな翼と尻尾を纏った姿となり、吐く息は白い。

 そして、一護と恋次に向けて高く刃を掲げた。

 

 

「うそ……だろ……」

 

 恋次は何かを察したが、日番谷は止まらない。

 

 

「飛べ!! 黒崎!!! 阿散井!!!」

 

 

 そう言って振り下ろした刃の先から出たのは一体の氷の龍。

 

 

「「うおおおおおお!!!!!!!」」

 

 

 二人は絶叫を上げながら上に飛び、なんとか氷の龍の頭部に飛び乗った。

 周囲の塀や下の地面をことごとく壊し、墜落しそうだった氷の龍だが、何とか空中へと浮く。

 

「炎熱系鬼道出しとかねーと、門につく前に凍るぜ」

「もうやってますよ! 日番谷隊長ぉ!!!」

 

 焦ったように掌に霊圧を込め、体表との接着面に熱をだす恋次。

 鬼道が苦手なのだろう。やや煙を巻き上げてこそいるが……なんとか凍結を防ぐだけの熱量は出せているようだった。

 

「ありがとうな!! 冬獅郎!!」

「日番谷、隊長だ!!!」

 

 日番谷は怒ったような声を上げるが、とりあえずは無事に送り出した二人をみてホッと息をついた。

 

「恋次!! やっぱ方角違うじゃねーか!! 何が「俺が送り届けてやる」だ!!」

「うるせぇ! ちょっと道ズレてただけだろ!!」

 

 氷輪丸は、二人が進もうとしていた方角よりやや右に向かって進んでいる。

 日番谷の手助けがなければこの瀞霊廷を抜ける事に時間を費やしていただろう。

 

 二人が離れていくのを見守ったあと、日番谷は氷輪丸を解除したと同時にぐらりと体を傾け、そのまま地面に落ちていく。

 それを女性が受け止める。

 

「無理しちゃ駄目ですよ、隊長」

「わりぃ、松本」

「珍しいじゃないですか。たった一回二回会っただけの姫乃の助けをするなんて。もしかして、惚れちゃいました?」

「ちげぇよ、馬鹿野郎」

 

 乱菊に悪態を返しつつも、日番谷は少し間を開けて答えを返す。

 

「……別に。潤林安のあの人。……俺と雛森のかーちゃんを泣かせる事はしたくなかっただけた」

「姫乃のお母さんですよ。勝手に取っちゃ駄目ですよう」

「言葉の綾だ!!」

 

 大声を出したことで、余計に咳き込んだ日番谷は、自分を落ち着かせるために大きく息を吐く。

 

「……それに。雛森を護ってもらった礼を伝えねぇままだと、後味悪ぃだろ」

「全部終わったら、皆で潤林安の甘納豆食べに行きましょ」

「一人で行きやがれ」

 

 その言葉を最後に、日番谷は力尽きたように意識を手放した。

 

 

 

 

 一方、一護と恋次。

 目的の門が見え、氷輪丸ライドが終わりを告げ始めている。

 

 門は既に他の隊員の手により開門していたが……一護と恋次の姿を捉えた隊員は、我先にと逃げだした。

 その様子を見て、何かに気が付いた恋次は慌てて声を上げる

 

「一護!! 氷輪丸より先に門を抜けるぞ!!」

「なんでだよ。このままつっこみゃいいだろ」

「バカ野郎!! 氷人形になりてーのか!!」

 

 恋次は一護の首根っこを掴んで氷輪丸を足場に門へ向かって瞬歩を繰り出した。

 なんとか氷輪丸より先に門を潜り抜けた二人は、後方の光景に唖然とする。

 西門は凍り付き、龍は縦寸二十メートルはあろうかというほどの氷柱に変貌していた。

 

「あいつ無茶苦茶だろ……馬鹿かよ……」

「俺は二度と乗らねぇ……」

 

 せっかく送ってくれたというのに、本人がいないことをいいことに本音が漏れる二人。

 しかし、その気持ちもすぐに消えることとなる。

 

「恋次……」

「ああ、見えてるぜ」

 

 二人の視線の先にあるのは巨大な山。

 本来であれば天を突かんばかりの山だが、山頂付近は不自然に切り取られたかのように平面。

 おそらく姫乃の結界によって、目視不可となっているのだろう。

 しかし、わずかに感じる虚の気配と霊圧の衝突。

 

「……急ぐぞ」

「おお」

 一護たちは目を細めるとすぐに、目的の場所へ向かって駆け出した。

 

 

 ………………

 …………

 ……

 ……

 

 

 

 山の麓が見えた頃。

 

「で……でけぇ……」

 

 遠くから見た時に大きいとは思ったが、もはや結界の張られている場所すら見えない。

 一護が唖然としていると、後ろから多くの人影が駆け寄ってきた。

 

「阿散井副隊長!!」

「鬼道衆! そうか、拘束解除になったのか」

 

 恋次の少し驚いた声が上がる。それは、拘束解除になった事が原因ではない。

 鬼道衆はこのような前線に出てくる部隊ではない。

 こんなにも多くの人数を見かけたのすら、初めての事だった。

 

「この山の山頂付近は、如月大鬼道長が張った結界があります!」

「おう、知ってるぜ」

 一護の返事は、何も理解を示した返事ではなく、恋次が一護の頭を殴った。

 

「いって! 何すんだ! 恋次!」

「馬鹿か、おめーは。結界の先にどうやって入るんだって話だ!」

「そこまで考えてたんじゃねーのかよ!」

 

 二人が喧嘩腰になったのを、アワアワと複数の鬼道衆が止めに入る。

 そして一人が口を開いた。

 

「俺達が結界を破壊します。大鬼道長の結界など、普段は破壊不可能。しかし、いま結界上部に穴が開いてくれているおかげで不可能ではなくなりました。お二人が進まれている間に破壊を試みます」

 

 大鬼道長の最高等結界術破壊。

 簡単じゃない。そう分かってこれだけの人数が集まったのだ。

 

「間に合うのかよ」

「必ず間に合わせます。如月大鬼道長の教えを今ここで全て出します。なんたって、俺達……如月大鬼道長の部下ですから! 出来ないなんて言葉、俺達の隊では通用しません!」

 

 ニコッと笑ったその人物。

 その言葉をきっかけに、皆結界への霊圧知覚を開始し、解析作業に移った。

 誰か一人でいい。誰か一人が結界の急所を見つけて破壊する。

 

 次々と作業へ移る鬼道衆を一護が唖然と見つめていると、死覇装の裾が引っ張られた。

 下を見れば、見た目はまだ六歳にもなっていないような子供。

 鬼道衆の誰かの子供なのだろう。こんな小さな子ですらこの場に来ていることに一護は驚いた。

 

「きさらぎさん……かえってくる?」

 

 今にも泣きそうな顔でそういう子供の頭を、一護は満面の笑みで撫でる

 

「あったりめーだ! すぐ連れて帰っから、いい子で待ってろ!」

「……ろくげんさんは?」

「……ああ、如月さんがきっと持ってる」

 

 結界は鬼道衆に任せる。

 後はこの山をのぼるだけ。

 一護の後ろで、恋次が急激に霊圧を高めた。

 

 

「 卍解!!! 

 狒々王蛇尾丸!!」

 

 巨大な蛇の骨のような姿に変わった恋次の斬魄刀。

 一護が何事かと唖然としてると、恋次がニヤリと笑った。

 

「乗ってけ! 一護!! 日番谷隊長より安全だぜ!!」

「おめーらは卍解をなんだと思ってんだよ!!!」

「うるせぇ! 元々こうやって送るつもりだったんだよ!」

 

 珍しくまともな突っ込みをする一護だったが、恋次は構わず笑みを浮かべる。

 そして狒々王蛇尾丸を渾身の力で振り上げた。

 

「いいか、一護!! 最後に狒々王蛇尾丸が吠えたら衝撃波の上に乗れ!!」

「結局危険じゃねーか!!!」

「文句言うんじゃねーよ!! 行け!!」

 

 一護は、自分を巻き込む勢いで向かってきた狒々王蛇尾丸に飛び乗り、山頂へと向かって目を見据えた。

 

 下では鬼道衆が全力を尽くしてくれている。

 上で死にもの狂いで戦っている仲間がいる。

 

 

 俺が戦う。俺が勝つ。俺が護る。

 

 

 

 

 その一護の想いは、一つの奇跡を呼んだ。

 

 

 

 

『王よ。勝ちてーんだろ。俺に任せてろ』

 

 一護の真横に現れたのは、彼に似た容姿の白い男。

 一護の持つ力の一部。それは呪いか運命か。いずれにせよ一護はいい顔はしなかった。

 

「てめーか。さっき邪魔しやがったのはよ」

 

 一護が卍解を使用した際に現れた虚としての力。

 そのことに一護は気が付いていた。

 

「お前は引っ込むか黙って俺に力を貸せ」

『言うじゃねぇか』

 

 それは、一護の自身の奇跡か。

 あるいは……姫乃が一護に与えた訓練が、偶然にも"仮面の軍勢が行う虚屈服のための修行"と同じ環境化であったことか。

 

 どちらにせよ、一護は『虚を屈服させる力の開花は既に済んでいた』。

 

『王よ。お前が弱くなれば俺はすぐにお前を乗っ取るぜ』

「させねぇ」

『お前は弱い! 俺の力を使えて精々一発だ』

「十分だ」

 

 そして一護は立ち上がり、斬月を構えて叫んだ。

 

 

「  卍解!! 

 天鎖斬月!!!!」

 

 刀の変化と共に、一護の顔に仮面が付く。

 そして、姫乃の元へと向かうのを防いでいた結界が……パリンと音を立てて割れた。






飛ぶ(物理)


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第七十二話 虹がかかる空

 

 

 時と情景は西流魂街山頂へと戻る。

 

 それぞれが抱く正義も。憎しみも。覚悟も。

 流れた時の流れさえをも嘲笑う。

 

 この場における戦闘は、まさしくそれを忠実なまでに再現していた。

 

「何体出てきても、一緒だっていってんだろが!! 吹っ飛ばせ 断風 !!」

「 奏でろ 金沙羅 」

「 打ち砕け 天狗丸 」

 

 仮面の軍勢達は、藍染と自分達の間にひしめく大虚の群れを倒し続ける。

 誰一人欠けることなく。

 

 詰めようにも詰まらない距離感に、誰かが些細な焦りを覚えだした時……それを分かっていたかのように、幕引きは突然始まった。

 

「もう、見飽きたな」

 

 藍染のたったその一言。

 その言葉を聞いたギンが口角を上げた。そして、斬魄刀を抜刀し左脇側に構える。

 

「!! 刀ん軌道上に乗んな!!」

 

 いち早くそれに気がついた平子が、注意を促したが……完全には間に合わない。

 

「 卍解 神殺鎗 」

 

 ギンは、卍解の名を呼ぶと共に体を捻り、斬魄刀を体ごと回転させる。

 異常なほど伸びた刀身は、その場にいた虚ごと真っ二つに切り裂いた。

 それは、その場にいた者達も巻き込んでいく。

 

「クソ……」

「志波ぁあ!!」

 

 回避が間に合わず、左足を付け根から斬り落とされた空鶴は、地面へと墜落していく。

 なんとか途中で拳西が手を取り、落下の衝撃を殺したが、もう前線には戻れない。

 

「腕だけじゃなく足もなくなっちまったな……」

「喋んじゃねー、そこで大人しくしとけ」

 

 怪我の状態を確認する暇もなく、すぐに追撃が襲い掛かる。

 計三回の刃をやり過ごした時、やっと攻撃が止まった。

 

「誰が他にやられた!!」

 

 その場に響く拳西の怒鳴り声。

 あれだけいた虚の姿は跡形もなく消えていた。

 

「……桜十郎と白が戻れねぇ」

 

 愛川の言葉は生死を伝える伝達ではなかったが、拳西もそれ以上は聞かない。

 ただ、自分の元副官である久南が地に伏せている姿を一目みて、骨がきしむほど拳を握りしめた。

 元凶であるギンを二人は睨みつける。

 

「なんや。思うた以上に残っとるやないの。堪忍な。姫乃ちゃんに逃げられて藍染さんちょっと怒ってますねん」

 

 再び斬魄刀を構えようとしたギンの懐に、愛川と矢胴丸が斬りかかる。

 しかし、その細い刀身と細い腕にどこにそんな力があるのかと疑いたくなるほど、彼は余裕の表情で受け止めた。

 

「イライラしてんのはこっちかて一緒や」

「ちょっとはしゃぎすぎだぜ、市丸」

 

 二人は同時に虚閃を打つ構えを取った。

 市丸もまた、胸の正面に斬魄刀を構え両手で握る。

 

「 神殺鎗 無踏 」

 

 市丸の刃は、無数の連撃となり反応すら許さない速度で愛川と矢胴丸の体を貫いた。

 二人の虚閃は市丸に掠めることすら出来ず、空に向かって一閃を描き消滅する。

 

「はい、二人様おーしまい」

「後ろが見えてねぇみてえだな」

 

 直後にギンの背後を取った拳西は、その顔を思いきり殴りつけた。

 流石に衝撃で飛ばされる市丸。

 

 地面へと体を打ち付けられたギンだったが、わずかに頬が切れている程度で笑みを崩してはいなかった。

 恐らくは霊圧でダメージを最小限に抑えたのだろう。

 

「……君ら、そないに弱かったでしたっけ?」

「余裕ぶっこいとんちゃうぞ!! このハゲ!」

 

 ギンの質問に答えることもなく、ひよ里の虚閃が彼に向かって飛ぶ。

 しかし……

 

「うそ……やろ……」

 

 ギンはそれを、片手のみで弾き飛ばしたのである。

 全てを見終わった藍染が、溜息混じりの声を上げた。

 

「虚化の力を遣っても、この程度か」

「……なんやて?」

「ただの観察だ。実験の結果を観察するのは当たり前のことだろう」

「いつまでも……調子に乗っとんちゃうぞ……」

「ああ、勘違いしないでくれ。私の実験結果じゃない。……君達をその状態にしたのは、浦原喜助だろう?」

 

 その言葉に、ひよ里はギリっと歯軋りを立てて一歩前に踏み出した。

 そんな彼女の肩を叩いて止めたのは、平子と拳西。

 

「……ただの挑発や。乗んな」

「流石、思い遣りの深い言葉だね。平子隊長 (・・)

「……何時までそう呼び続とんや、きしょくてしゃーないわ」

「ひよ里は少し肩の力抜け。あんま迂闊に近づくんじゃねぇぞ」

 

 二人の言葉を聞いた藍染が、薄らと笑う。

 それはまるで、そのやりとりの何もかもが可笑しいと言いたげに。

 

「……なんや」

「迂闊に近づこうが慎重に近づこうがあるいはまったく近づかずとも、全ての結末は同じこと。未来の話じゃない。君たちの終焉など既に、逃れようのない過去の事実なのだから」

「藍染!!!!!」

「ひよ里、我慢せぇ!!!!」

「何を恐れることがある? 百年前のあの夜に……君たちは既に死んでいるというのに。死んだ時のままの呼び名で呼ぶ事は、そう不思議な事でもなんでもないだろう?」

 

 藍染の霊圧が一気にその場を支配する。

 彼らがあの日の夜に感じた、細胞の一片までもを拘束するかのような重い霊圧。

 しかし、彼らも気圧されない。

 

「ぶっ殺す!!!」

「ひよ里!!!!」

 

 ひよ里が飛び出そうとしたとき……藍染の背後に一人の少年が現れた。

 

「 月牙天衝ぉおお!!!! 」

 

 真っ黒な斬撃が藍染を背後から襲う。

 突然現れたオレンジ色の髪の少年。

 想定外の登場人物に、仮面の軍勢たちの怒りが一瞬分散した。

 

 今まさしく、一人の命が刈り取られる瞬間を結果的に防いだのだ。

 

「……あのガキはこーへん予定やったんちゃうんけ」

「俺もそう聞いてたが、知らねーな」

 

 平子と拳西はそう会話を酌み交わしながらも、目を細めて斬撃を受けた藍染が再び姿を見せるのを窺った。

 煙が晴れ、藍染の姿が見えたが……先ほどの攻撃など届いていないかのように体勢も表情も変わらない。

 

「君の刃は届かないよ。旅禍の少年」

「如月さんはどこだよ」

「私が聞きたいくらいだ。全く。浦原喜助が綺麗に隠してしまっている」

 

 向かい合うようにして対峙する藍染と一護。

 意外にも、藍染はすぐに自分の斬魄刀に手をかけた。

 その理由は直ぐに明かされる。

 

「君は、姫乃の教え子だ。私が直接斬ろう」

「こっちのセリフだ!!」

 

 藍染に向かって斬りかかる一護。

 ……二人の距離が徐々に縮まる。

 

 "……ああ、勝たれへん。しまいや"

 

 平子は瞬時に判断した。

 自分達ではない。あの黒崎一護という少年だ。

 

 霊圧は弱くない。藍染の霊圧を受けても怯まない度胸もある。速度も上々。

 だがそれは……護廷の隊長と並べた時の話。

 

 藍染との差は大人と赤子。戦闘経験も実力も違いすぎる。

 

 最悪の事態が脳裏に浮かび、平子はグッと唇を噛んで両者がぶつかる瞬間を見た。

 

 ……しかし、平子だけでなくひよ里と拳西も、次に映った光景に目を見開く。

 

「……よく、受け止めたな。旅禍の少年」

「誉めても何もでねーぞ」

 

 黒崎一護という少年は、藍染の太刀筋を受け止め、斬撃の衝撃を流したのだ。

 藍染に当たりこそはしなかったが、防御から攻撃へと転じた時も隙は無かった。

 

「平子さん!!!」

 

 その光景に一瞬呆けにとられた平子達だったが、後方から聞こえた声の主が誰か理解し振り返る。

 現れたのは、回復が終わった姫乃。

 

「お待たせしました!!」

「遅いわ、ボケ」

「すみません」

「お前にゆーてへんわ。ハッチにゆーとんねん」

 

 姫乃の後ろから続けて、有昭田と浦原も合流。

 相当な勢いで姫乃の回復を終わらせたのだろう、有昭田は息が上がってしまっている。

 

「……疲れとるとこ悪いけど、下も頼むわ」

「……ハイ」

 

 ギンによって戦闘不能となった人物達を平子は指先だけで教える。

 有昭田も、返事だけを残して負傷した人物達の元へと向かった。

 

 平子は有昭田を見送るついでに、ギンの様子を確認する。彼はすでに斬魄刀を収めており腕組みをしながら一護たちの様子を眺めていた。

 

 動く予定はない。

 そう言う事かと判断した平子は、再び目線を戻す。

 

「……無事みてーだな、如月さん」

「馬鹿……なぜ来た……」

 

 姫乃はここへ向かう途中から一護の存在を察知していた。

 来るなと言っても一護はついてくる。こういう予定で動くと決めていても、それをひっくり返してくる。……そういう子だ。

 強い縛道をかけるよう指示を出しておかなかった事を、姫乃は後悔した。

 

「そんな心配すんなって。もう一回来いよ、藍染」

 

 一護の挑発に藍染が笑い、もう一度二人は刃を交えた。

 

 

 

 **************

 

 

 _姫乃視点_

 

 

 結界が壊れた。一護が来たんだ。

 彼が来た理由など明白だ。

 一護は強くなったが、それは今の藍染には到底かなわない。

 そう思いながら戦場へと戻った時、私は目の前で起こった光景がにわかに信じられなかった。

 

 ……一護が、藍染と戦えている? 

 

 藍染の速度を分析するが、藍染は確かに本気ではない。

 おそらく冬獅郎を攻撃した時の速度よりやや速い程度。

 しかし、今の一護が受け止められるような速度ではない。

 反撃を出せるような速度でもない。

 

 なのに一度ならず何度も藍染の刃を受け止めているではないか。

 藍染の底力を知らない者が見れば……『対等』そう錯覚してしまうだろう。

 

 あり得ない。

 何故。

 

 そう考えたのは父も同じようだった。

 わずかに霊圧に動揺が見られる。

 

「……あれは……ほんとに黒崎さんスか……」

 

 二人の戦いに参戦するという事も忘れ、私達はその様子を見守った。

 大きな衝突音がした後、藍染と一護の距離が再び離れる。

 恐らく、刃をぶつけた瞬間に月牙天衝を放ったのだろう。

 

「思ったより成長したみたいだね。双殛の丘で見た時より動きがいい」

「俺には、アンタよりそこの狐目の奴の方が勝てねぇ気がしてる」

 

 狐目。自分の事を言われたのだと分かったギンが、ニコッと笑って片手を上げた。

 

「どうしてそう思うんだい?」

「……分かるからだよ。どっから攻撃したいのか、何処で誘導かけられてんのか。……全部な。アンタの剣と、如月さんの剣が似てんだよ」

 

 一護が紡いだその言葉に、私は目を伏せる。

 ……いつかはバレることは分かっていた。

 

 父達が最も憎み自分達の世界を奪った敵と、私は繋がりがあると。

 私がこうして戦える力を得られたのは……全て彼のおかげだと。

 

 藍染の視線が、私の方へと向いた。

 

「おや、彼らに伝えていなかったのかい。姫乃」

「アンタが、如月さんの師匠って事か? それなら、さっき聞いたぜ」

 

 一護の言葉に続くように、平子さんらも声を繋ぐ。

 

「だからなんやねん。お前ん手で育った隊士は腐るほどおるやろ」

「俺らもこのガキ含めて全員を憎めってか? お門違いも甚だしいな」

「ウチは好きにはならへんけどな」

 

 藍染が次に何を言うつもりなのか。

 分かっている。ただの挑発だ。

 だけど、事実。

 

 彼らの話を聞いても、伏せた目と噛んだ唇を変えることは出来なかった。

 やめてくれと、叫びたい気持ちを抑えるので精一杯だった。

 

「君達の言葉には、多少の語弊がある。私は、如月姫乃という"隊士"を育てた覚えはない」

「……それよりも、前ってことっスね」

 

 父にはもう正しく伝わっているのだろう。

 言われるくらいなら、自分から言った方がマシ。

 分かってる。……口がまるで石になったかのように動かないんだ。

 

 藍染の口から伝えられるのは、正しい事実。

 見えないように、考えないように屠り去った過去。

 

「生物という概念の元に産まれてきた存在であれば、両親と呼ぶに値する存在がいることは確かだ。彼女はその片方が欠けていた。私がその穴を埋めてやったに過ぎない」

「……めて」

「懐かしいな。初めて会った頃のこの子は、石を投げられる日々を過ごしていた。幼いながらに、母親にそれを悟られまいと我慢していたよ。開花させるべき力を開花させた。そのついでに、彼女の心の空白を埋めてあげた。存外、子育ての真似事は上手く出来たと思っているよ」

「やめて!!!!!」

「既に有る物より、不足した部分に依存するのは子供の特性だ。それと、初めこそは不安を抱かせていたが、この子の母親は理解の早い人物で……」

 

 私が動くより、一護が動くより、平子さん達が動くより。

 この場にいる誰よりも早くに、藍染の言葉を止めたのは……父だった。

 

 互いの刃の交わる音が響く。

 その勢いは凄まじく、何メートルもの距離も藍染を後方へと押し込んだ。

 

「……柚になにしたんスか」

「ほう。君もそんな顔が出来たのか。心配しなくていい。君が懸念していることは何も。ただ、この子を連れ回してもいいと信頼を得た程度だ」

「……」

「何を怒る事がある。彼女も、この子も。君が捨て置いたんだろう。それを拾った。どう扱おうが、私の自由だろう? 君が、平子真子らを拾った事となんら変わりはない」

「……啼け 紅姫」

 

 ゼロ距離から放たれる赤い閃光。

 藍染はそれを薙ぎ払うかのように刃を振るい、二人の距離は数歩の間を保って離れる。

 

 その父の後を追うかのように、平子さんとひよ里さんも前に飛び出して言った。

 

 ポンっと、私の肩を叩いたのは拳西さん。

 

「……少し俺らに任せとけ」

「……拳西……さん……」

「助けてるわけじゃねぇ。心底、胸糞悪ぃってだけだ」

 

 藍染との戦いの中に入っていく彼ら。刀を握りしめたまま、動けなかった私の横に立ったのは一護だった。

 

「俺は全てを訊く術を持たねぇ。如月さんの心に泥をつけず、その深きにまで踏み込んで、それを訊く上手い術を持ってねぇ。……だから待つさ。話していいって時が来るまで。だけど、見失って欲しくない」

「……一護」

「過去は誰にだってある。それを四方八方に、素直にさらけ出すことを強さとは呼ばねぇ。抱えて、受け入れて……明日を歩く為の今日を生きることが、強さだ」

 

 今日を……生きる。

 過去を振り払うかのように。未来を見失わないように。

 そうやって生きてきた私は、"今日"という事を考えて歩いた事が……あっただろうか。

 死神にとって、一日など水の流れのようにあっという間に過ぎていく。

 来るべき未来を見据え続けて駆け続けた。

 "今日"がどんな一日であったのか、考えて寝た事などなかった。

 

「俺一人じゃ、此処まで絶対来れなかった。昨日があるから、今日がある。……如月さんが繋いできた、一つ一つの"昨日"が、"今日"を繋ぎ合わせたんじゃねぇか。それは、過去をさらけ出したって、未来を叫んだって見えねぇよ。"今日"じゃなきゃ見えなかった世界だろ?」

 

 そう言って笑みを浮かべる一護。

 

『虹は、雨の後にしかかからないのよ』

 

 私達は点だ。

 個という点が、寄り添い交わり、群れとなる。

 だが、個が歩く世界はそれぞれ違う景色を映し出す。

 

 個の世界に、雨が降っていても……それが真隣にいる個の世界にそのまま映し出されることなどない。

 

 ただ唯一……点と点を繋ぎ合わせるものがあるとするならば……。

 

「……虹は、一護だったんだ……」

「ん?」

「……なんでもない。行こう」

 

 私達は、再び激戦の中へと足を走らせた。



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第七十三話 圧倒的強者

 

 

 一人が相手だというのに、この場で起きている戦いは、私がこれまで経験したどの戦いよりも苛烈を極めた。

 

 

「 剃刀紅姫 」

「 啼き叫べ 名無之権兵衛_神鎗 」

 

 父と私の斬撃は、藍染の行動範囲を制限させる。

 

「 卍解 鐵拳断風!!! 」

 

 その間を縫うようにして距離を詰めた拳西さんの打撃は、藍染の脇腹めがけて打ち込まれた。

 しかし……それは藍染の体に届かない。

 

「死神の戦いは霊圧が全てだ。君程度の力は私の肌に触れることすら叶わない」

「ちっ!!」

 

 藍染の刃をギリギリ躱した拳西さんだったが、わずかに胸部に裂傷が入ってしまった。

 

「躱すのは上手じゃないか」

 

 その会話には誰一人反応することなく後方に仮面を被ったひよ里さんが現れる。

 間髪入れることなく虚閃を叩き込んだひよ里だったが……それも藍染の手で消滅させられてしまった。

 

「先ほどギンにすら届かなかったことを忘れたのかい」

「ちゃうわボケナス!!」

 

 ひよ里の攻撃はダメージを与えるためではない。

 虚閃という広範囲攻撃と閃光を利用して、二人の人物が近づくのを助けるためのもの。

 

 藍染の完全な死角から姿を現したのは父だった。

 

「 縛り紅姫 」

 

 藍染の避ける間もなく、父の技が藍染の体を拘束した。

 それから、間髪入れることなく父は地面に紅姫を刺す。

 

「 火遊び紅姫数珠繋 」

 

 縛り紅姫の拘束に沿うかのように爆発が起き、それは藍染の体に確かに届いた。

 

「まだや」

 

 平子さんの虚閃が藍染に飛び、辺りは閃光に包まれる。

 一寸の狂いない見事な連携。立ち上がる煙が晴れるのを待つかのように、平子さん達は一度後退した。

 

 ……それとは対照的に、私は前へと詰める。

 

 そして、恐らくはリサさんのものであろう始解状態が解かれた刃を掴む。

 掴んだと同時に、地を強く蹴って藍染の真上へと飛び上がった。

 

 追加で拾った剣と、神鎗の状態を保つ名無之権兵衛の切っ先を素早く擦り合わせ、唱えたのは鬼道。

 

「_破道の七十八 斬華輪」

 

 唱えると同時に、擦り合わせた切っ先を左右に広く広げた。

 霊圧を元に構成される白い斬撃が地面へと向かって伸びる。

 

 ……それは別に、藍染に追撃を入れるためじゃない。

 

「っ……」

「前に出すぎ。下がれ、一護」

 

 藍染に一太刀入れようと、無謀にも煙の中を走り始めていた一護を止めるためのもの。

 

 地面に向かって放たれた斬華輪は、一護が持つ月牙天衝と同じように、大地に三日月型の陥没を作り出した。

 

「はー、よう見えとるなぁ」

 

 一護の接近が危険だと、よく気がついたと感心する声を上げる平子さん。

 

 その言葉に、僅かに違和感を覚えた。

 その違和感が、彼らの会話を聞く事で更に強くなる。

 

「……まるで手応えがねぇ。無機物相手にしてるみたいだぜ」

「俺ら、木を藍染やと思うとんちゃうんか」

 

 ……二人は何を言っている? 

 目視だけに頼って戦うほど、仮面の軍勢は弱くない。

 藍染を確かに紅姫で拘束した。

 しかし、一護が寄るまでのその一秒にも満たない時間の間に、拘束は解かれ反撃を食らう。

 

 いくら煙が多かろうと、これほどまでの霊圧の発生場所を見失うわけが……。

 

 ……違う。私は、勘違いをしている。

 

「お父さん!!!」

「紅姫!!!」

 

 答えが出ると同時に、父に警告を鳴らす。

 なんの呼び掛けなのか直ぐに理解してくれた父は、血霞の盾を直ぐに展開してくれた。

 

 それはギリギリで、煙の中から飛んできた藍染の斬撃から全員の命を守ることに繋がった。

 

 ……そうだ、あの時に気がつくべきだった。

 京楽隊長と浮竹隊長が攻撃を受けた時から。

 

 藍染が速すぎて反応出来なかったんじゃない。

 そもそも、攻撃が来ることさえ"理解が出来ていなかった"と。

 

「あん時のお前と一緒やな。機械人形相手の戦いやわ」

 

 ……気がついていない。この場を支配する力の重さに。

 感じていた霊圧が感じられなくなる。

 それが"変だ"という認識を……私が彼らと接触してしまったことで、奪ってしまった。

 

 ……では、一護は。

 何故藍染の元へ迷わずに駆ける事が出来た。

 

 理解しているからだ。

 何故。

 最後に一護と会った時、そこまでの強さは彼は持っていなかった。

 

 ……一護の中で、此処に至るまでになにか変化が起きた? 

 

「……同情するよ、姫乃。理解の及ばない者を抱える手間は大変だろう。もはや、私達と彼らとでは立つべき次元が違う」

 

 私の思考を遮るかのように、晴れた煙の中から藍染は悠々と歩いて出てくる。

 先程までに仕掛けた攻撃など、埃だと言いたげに何事もなく。

 

 ……本来此処までの領域には、崩玉の力を持ってしてたどり着いていたはずだ。

 それを……私が引き上げてしまった。

 

 藍染を隔離し、此処で決着を付けるという私の判断は、結果的に間違いではなかった。

 

「言ったはずだ。君は仲間を抱えて戦う事にそもそも向いていない。君が持つ力は、護る為の力ではないからだと」

「少なくとも、この場にあと二人は理解している人がいるからそう気にしないで。それに、私は誰かを抱えて走ることを、苦だなんて思ったことないから」

 

 藍染からの攻撃を防いだ父もまた、状況を正しく理解しているはずだ。

 彼は、一度私から目を離すと父の方へと顔を向ける。

 

「どうだい。賢いだろう。君の最高傑作は、此処で充分なまでに機能している」

「そりゃあ、自慢の娘っスからね」

 

 藍染の皮肉に、父は気に止める様子もなく答えた。

 それどころか、父は戦いの最中だというのに普段と同じ軽々しい口調へと戻って、藍染に質問を投げる。

 

「どんな子だったんスか? なんせ、アタシは父親面出来るほどの身分じゃないんで。ちょっとくらい、昔話聞かせてくれてもいいじゃないっスか」

「よく泣く子だったさ。怖がりな癖に負けず嫌い。寂しがり屋の癖に、人見知りは一向に治らない。人の顔色を伺うより先に、好奇心の方が優先的。その幼い心に見合わない頭脳と同じくらい、バランスの悪い子だったよ」

「あら、可愛いっスねぇ。嫌ってほどアタシそっくりだ。そりゃあ、大変だったでしょう。お手間お掛けしてスミマセン」

「……それで、時間稼ぎは済んだのかい?」

「充分に」

 

 父がニッと笑みを浮かべると同時に、藍染の方へ異変が現れた。

 

「……なんだこれは」

 

 怪訝な表情を浮かべながら、自身の体に目線を落とす藍染。

 下駄の音を響かせ、紅姫をクルリと回しながら父は藍染に再び数歩近づいた。

 

「アタシの間合いに入って、無事だと思ったスか? ちょっと貴方の霊圧は過激なので、縛らせて貰います」

 

 先程父が藍染と刃を交えた時、既に賽は投げてあった。

 その効果が今現れる。

 

 藍染は、全身が上手く動かせない状態に陥った。

 

「姫乃」

「はい!」

 

 私と父は、同時に地面を蹴った。

 示し合わせたわけでもなく、互いにそれぞれやりたいことをやる。

 

 それが偶然、まるでシンクロしたかのように同じ動きを作り上げた。

 私の手の動きと、父の手の動きは……同じ一つの鬼道を紡ぐ。

 

「「縛道の六十三 鎖条鎖縛!!!」」

 

 太い鎖が蛇のように巻きつき、藍染の体の自由を完全に奪う。

 

 たった二週間、されど二週間。

 一つの目的に向かって、互いに研鑽し合った日々がある。

 それは、共闘する際の大切な連携へと繋がる。

 

 ……それは、私達"二人"じゃない。

 

「一護!!!!!!」

 

 "三人"。

 

「月牙……天衝ぉおおおお!!!」

 

 ただの月牙天衝じゃない。

 一護は、"虚の仮面を纏った状態"で藍染の首元めがけて斬撃を叩き込んだんだ。

 

 細胞のその全てを叩き潰すかのように、本能へと噛み付く霊圧の恐怖。

 それに気圧されない訓練はしてきた。

 一護は、怯えてはいない。恐怖を理解した上で、最大の攻撃を叩き込めている。

 

 父の術により、藍染の霊圧が弱まったこの瞬間が最大の好機。

 一護の刃が……届いた。

 

 

 はずだった。

 

 

「……嘘やろ」

 

 平子さんの乾いた声が宙を舞う。

 

「……いい斬撃だが場所が良くない。首の後ろは生物の最大の死角だよ。そんな場所に何の防御も施さず戦いに臨むと思うかい?」

 

 一護が何故、虚化を使いこなせているのかは知らない。

 ただ、此処に至るまでに彼に何か実力の変化があったとすれば……虚化を従えたということ以外に考えられない。

 

 だから、本来は最大に作り上げた盤面と一護の虚化込みの刃は届くはずだった。

 打ち合わせも何も無くても、それがこの場での最善手だった。

 

 ……そうなるだろうと、向こうも予測していただけの話。

 

「浦原喜助。君の刀を、受け止めるしか無かったわけではない。受けても良かったのだ。私に刃を通す為に必要な事は、明確に開示されている。それに対して何の策もしていないと思い込んでいる方が不思議だ」

 

 解毒が進み始めたのか、藍染はまるで確認していくように首を左右に鳴らす。

 ……危険だ。

 

 そう判断出来たのは、一護も同じ。

 直ぐに藍染の間合いから離れた。

 

 一護は藍染から間合いを取った。

 その一護に対して、藍染は不思議そうに声をかける。

 

「……なぜそう間合いを取る。見ての通り私は拘束を受けている。傷を与えたいならば再度斬撃を打ち込むべきだ。間合いが意味を持つのは、対等な力を持つもの同士の戦いだけだよ。私と君の間には間合いなどなんの意味もなさない」

 

 ゆっくりと動く藍染の瞳。

 呼吸。僅かな筋肉の動き。空気の振動。

 

 その全てが、私の全身に警報を鳴らした。

 

「逃げて!!!!!!!」

 

 頭の中に張り付けられるかのように浮かんだのは、今後の光景。

 この場にいる全員が、斬られ崩れ落ちる光景。

 

 その光景が叩きつけられたのは、紛れもなく……藍染さんが本気で動くと分かったから。

 

 私が護廷十三隊に入ったきり、一度も見せなかった……殺気を持って戦う意志を見せている姿。

 

 "相手を斬る"。何度も何度も見せられて、恐怖し泣いたあの姿。

 

 実力差がある事と、攻撃を避けられない事は同義ではない。

 その差を埋める術はある。

 それを人は、経験と呼ぶ。

 

 危険だと判断。もしくは、そう伝えられた時。

 どう動けば最小の被害で済むのか。

 どこを守れば、命は保証されるのか。

 

 戦いの本能と、長い長い時間の間に培われた経験がそれを可能とする。

 

「飛べ! ひよ里!!」

「わかっとるわ!!」

 

 拳西さんとひよ里さんは、地面に向かって虚閃を放ち、反動を使って上空へ急上昇を試みる。

 

「ちっ……!」

 

 平子さんは後方へと瞬歩で下がり、自身の刀を抜いた。

 その判断を更に効果的にする為に、父は自分の防御と彼らの援護に徹する。

 

「ほら、こうすれば今にも……心臓に手が届きそうだ」

 

 この場に、たった一人。

 それが圧倒的に足りていない存在がいる。

 

 藍染の力を理解出来るほどの力を有している彼。

 その理解を、恐怖で呑まれない強さは身に付けさせた。

 

 私がいた事で、可能にしてきた事。

 ……私がいた事で、不可能にしてしまった事。

 

 それは、彼に……経験を与えるという時間。

 

「一護ぉぉおお!!!!!」

 

 藍染が放つ横一線の斬撃。その切っ先は、一護の腹を斬り裂いた。

 

 平子さん達の援護にも回った父は、自分を守る事は疎かになってしまった。

 それは、視界の端で父の左腕から血が噴き出した事で状況の理解が出来る。

 

 平子さんらも肉体のそれぞれに傷を負ったが、なんとか急所は避け立っていられる状態ではあった。

 しかし決して軽傷ではない。立つのが精一杯というところ。

 

 互いに補完し合う事で、地に伏す事を防げた。

 

 私に迫った藍染の刃は、見えなかった。ただ、頬が切れた事で斬られたのだという認識が遅れてくる。

 それで済んで居るということは、私もまた避ける事が出来たのだという事実。

 

 考えて動いちゃいない。

 体が命を守るために本能的にそう動いただけ。

 

 ただ、私のこの背中に走る痛みは違う。

 腹を斬られた一護を庇うために、藍染と彼の間に入った。

 結果的に、一護へ二撃目を放とうとしていた藍染の刃を、身で受け止めた形となったのだ。

 ……私が間に入ると分かっていて、既に戦闘不可能な状態の一護に二度刃を振るったんだ。

 

「一護っ……一護、大丈夫だっ……しっかりしろっ……」

「き……さら……ぎさ……」

「ほら、ちゃんと繋がってるから……だからっ……大丈夫、大丈夫っ……大丈夫だから……」

 

 ドクドクと地面に広がる一護の血。回道をどれだけ当てても、焼け石に水の状態。

 

「可哀そうに。まだ意識があるのか。実力にそぐわぬ生命力が仇になっているね」

 

 藍染はそれ以上詰め寄っては来ない。まるで仲間を心配する隙を狙わずとも私たちを殺せる。そう言われているかのような気持ちだった。

 

「ハッチ!!!」

 

 平子さんが離れた場所にいた有昭田さんを呼ぶ。

 しかし、一護のあまりの状態に彼は目を見開いたまま動けないでいた。

 

「ごめんっ……ごめんね、一護っ……私の所為だっ……」

 

 間違いだった。一護が現れた時、転送でもなんでもして山の麓まで送り返すべきだった。

 自分への防御より、一護の間に入ることを優先するべきだった。

 

「ギン」

 

 藍染がそう呼んだ瞬間、後方から殺気を感じた。

 

「がっ!!」

「クソがっ……」

 

 ギンの最も近くにいたひよ里さんと拳西さんの二人。

 彼の刃が二人を同時に体に串刺しにした。

 

「三色団子にするつもりやってんけど、お二人様やないの。ええわ。行こうか」

 

 そのままの状態でギンは二人を連れ去った。恐らくこの土地の最も遠い場所まで離れたのだろう。

 この先の藍染の戦いに巻き込まれないように。

 

「姫乃。君一人、あるいは彼らの存在をただの足場として遣えば、私は無傷ではなかっただろう。君が"共闘"を選んだ結果だ」

 

 藍染の声が背後から聞こえてくる。

 

「一人でいいと、君が霊術院でそう決めた頃の方がらしい姿だったと思うよ。あの時の君は、そう理解していたはずだ。……無力な仲間の存在は、脚をへし折る為の重りにしかならないと。いつから、そんなに君は弱くなった」

 

 



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第七十四話 心の刃は戦いの刃ではないと知る

 

 

 藍染の言葉を耳に受け止めつつも、私が視線を一護から離すことは無い。

 

「苦しいねっ……今少しは楽にするからっ……」

 

 意識が在り続ける限り、痛みと苦しみで悶えさせてしまう。

 山の麓に転送して、鬼道衆に託す。きっと、卯ノ花隊長や井上の元へ辿り着くまでの生命維持はしてくれるはずだ。

 白伏を掛けようと伸ばした私の手を……一護が掴んだ。

 

「同じ手は……二度も……喰らわねぇよっ……」

「大丈夫だよ……大丈夫、絶対に殺さない……。一心さんからの大切な預かり物だから……」

「……コッチの台詞だっ……。俺は、大丈夫だ……如月さん……」

 

 大丈夫。それは、一護に投げかけると同時に自分自身に言い聞かせている言葉。

 震える私の手を見た一護が、私達の後ろに立つ藍染へと視線を移した。

 

「どうした、旅禍の少年。喋れば命が縮むぞ」

「……何で二撃目を緩めた」

「君の体を半分に切り落とせなかったのと同じだ。思ったより浅くはいってしまったようだね」

「……違ぇ。そうじゃねぇ……。ずっと違和感だった。やっと分かったぜ。……藍染……アンタ、如月さんを……斬れねぇんだろ」

「勘違いをして欲しくないな。姫乃に傷は与えている。彼女がそれを上手く躱しているだけだ」

 

 藍染の返事にも、何一つ納得のいかない表情で一護は話を続けた。

 

「じぃさんが如月さんを庇ったって話を聞いてから、ずっとなんか違和感だった。……アンタ、あの人が間に入ると分かってて、如月さんを殺そうとしたんじゃねぇのか? そうならないって、知ってての行動だろ。……弱いのは、藍染……てめぇのほうだ」

「……なんだと?」

「二撃目。全く感じなかったぜ。"相手を斬る覚悟"ってのがよ。てめぇには……如月さんを斬る覚悟がねぇって言ってんだよ」

 

 藍染が薄く微笑えみ、私達へ向かって一気に距離を詰めてきた。

 一護を抱えたままでは回避が……。

 

 そう思った私と藍染の間に立つ、背中。

 私と同じ髪色の、大きな……大きな背中。

 

 

 

 

「 卍解 観音開紅姫改メ 」

 

 

 

 その名を呼ぶと共に、まるで私たちを包み込むように現れた巨大な観音女性。

 その手に乗せられ、戦闘中心部から大きく離れた所へと運ばれる。

 

「お父さん!! その卍解はっ……」

「黒崎サンの傷の縫合は終わりました。大丈夫っスよ、姫乃。何事も、遣い時ってのがあるんス」

 

 観音開紅姫改メの能力により、既に一護の傷は取れている。

 私も、背中の痛みが消えている。

 傷と痛覚を感じる機能を、造り変えて貰ったんだ。

 ……今後の戦いに備えて、父の卍解を知られないという選択を捨ててまで。

 

「一護……」

「……どう在れだとか、どうするべきだとか……うっせぇよなあ、親ってのは」

「……え」

「けどなっ……親ってのは……理想を押し付けて子供を縛るためにいんじゃねぇ……。子供が進みたがってる時に、背中を押してやんだ。黙って背中見せて、護ってやんだ。……如月さんのオヤジは、浦原さんだろ?」

 

 一護の言葉に、私はただ深く頷いた。

 ずっと探していて、見つからなくて。

 勝手な自分の理想を叶えてくれる藍染を、幼い時に重ね合わせた時もあった。

 けど、違った。

 思ったより変で、思ったより理想とはかけ離れている人だったけど。

 

 私を護ってくれる人だった。

 

「アイツに無くて、如月さんにあるもんがちゃんとある」

 

 一護はそう言って、懐から何かを取り出した。

 

「ルキアは、如月さんを失いたくないって。白哉は……何言ってっか分かんなかったけど、つまりは人から預かり物したまま勝手に消えてんじゃないって怒ってた。恋次は、ルキア護ってくれてありがとうってよ」

 

 私の手の中に握らされたのは、一つの録音機。

 

「浮竹さんは、何時になってもいいから、帰ってこいって言ってたぜ。……なあ、如月さん。如月さんが失いたくないと思うことと、同じくらい如月さんを想う人達がいんだ。……それが、仲間だ。如月さんが……護り続けた証だ」

 

 手渡された録音機を、耳元へと近づける。

 カチッと鳴らして再生を始めれば、少しの雑音の後に音が聞こえてきた。

 

 

 

『……何度考えても、俺は死神が憎い。復讐の為に動くこと、それは変わらねぇ。……死神であるお前も、俺は大嫌いだぜ。…………返事、返してなかったな。今更遅いな。……皮肉なもんだ。

 どれだけ死神を憎んで嫌っても……俺は……如月姫乃っつー女が———…………』

 

 

 私の耳に届いた言葉。

 どの感情から処理していいのか分からず、困ったような顔で私は笑った。

 

 なぜこの人に惹かれたのか分からない。

 なにか強いキッカケがあった訳でもない。

 

 それはまるで、磁石に引き寄せられるかのように自然な事だった。

 

 雑音混じりのその音声は、その後こう締めくくられる。

 

『……嬢ちゃんが何処に行こうが、何処へ進もうが構わねぇよ。戻ってこいとも言わねぇさ。……俺が追っかけるからよ。精々覚悟して待ってろ』

 

 私は録音機を耳からそっと離す。

 そして、一護にこう伝えた。

 

「……もし、この人にもう一度会うことがあるなら……」

「おう」

「……私の代わりに、この人の願いを叶えてあげて欲しい。待ってるって、伝えて欲しい」

「……おう、任せろ」

 

 一護の体を木に預けて、私は再び戦闘へと戻る。

 

 

 

 …………

 …………

 ……

 ……

 

 

 

 父は既に、先ほどの攻撃で負った目の負傷と腕の出血も造り直したようだった。

 

「間合い、取って貰えたみたいで光栄っス」

「君の力を侮ったりはしないさ」

 

 その場には私と父、そして平子さんだけが残る。

 

「まだ戦うか。諦めた方が早い」

「すまんのう、俺ら諦めだけは悪いんや」

「一護に言われたことに、貴方が相当苛立ってる事くらい丸わかりだよ」

 

 最初に動いたのは平子さんだった。

 

 

「 倒れろ 逆撫 」

 

 

 平子さんの始解。

 藍染は興味深そうに、その斬魄刀を見つめた。

 

「面白い形の刀だ」

「ええやろ、貸さへんで。精神を支配する斬魄刀が鏡花水月だけやと思ったら大間違いや」

「特段変化は見られないようだが」

 

 平子さんが逆撫を振り回すと同時に、周囲に甘い香りが漂い出す。

 

「もう変わっとるで。なんや、ええ香りがせーへんか?」

 

 その言葉に、藍染が目を僅かに大きく開いた。

 

「これから先、上下左右が逆や」

「……前後もか」

 

 藍染は表情を崩すことなく、平子さんの斬魄刀を分析し、受け止める。

 平子さんの刃を受け止めたはずの藍染は……左腕が大きく斬れ、血が噴き出した。

 

「ついでに、見えとるほうと、斬られとる方も逆や」

「さっきの言葉、なんでしたっけ。この程度の霊圧じゃ、私に傷をつけることなど出来ない。って? ……今の貴方、隙だらけだよ」

 

 再度藍染へと距離を詰める平子さん。

 私は、その動きの後を追う。

 

 

 __キィィイン……

 

 刃の交わる音。

 私と藍染の刃だ。

 もし私が受け止めていなければ、平子さんは斬られてしまっていただろう。

 

「ただの目の錯覚か。子供の遊びだよ、平子真子」

「クソ……」

 

 逆撫を一瞬で攻略された事に嫌な顔を浮かべる平子さんだったが、 それで止まる足ではない。

 

 私は刀を持つ手元を、死覇装で隠すようにして構える。

 

「 射殺せ 神鎗 」

 

 真っ直ぐと藍染へ向けて伸びる刃。

 手元の向きさえ見えていなければ、多少は効果が出るはず。

 

 その予測通り、藍染は刃を避けるために右へと体を捻った。

 その体勢からは完全に死角で、物理的問題の上で体の反射が遅れる位置から父が斬り掛かる。

 

「浦原喜助。君の能力は先ほど黒崎一護に使用したことで見せてしまった。情報は何よりの力だよ」

「試してみます?」

 

 父の刃と藍染の刃がぶつかる。

 事前に掛けていた誘導が効果を深め、圧倒的に押し勝ったのは父だった。

 

 

 藍染は大きく後方に弾き飛ばされた。

 

「「 破道の九十一 千手皎天汰炮 !!」」

 

 先程と同じように、父と私が唱えた同じ破道が藍染に向かって飛んで行く。

 ここまで息が合うと、まるで私が二人いるのではないかという錯覚さえ覚える程だ。

 

 しかし、藍染もここで終わるほど弱くない。

 

「縛道の七十九 九曜縛」

「な!」

 

 千手皎天汰炮の間をすり抜けるように藍染の縛道が飛んできて、それは父の体を捉えた。

 

 私達の破道は確かに届いた。

 流石の藍染も無傷ではない。

 縛道を練り上げる余裕がまだあるというのか……。

 

 動くのが早かったのは藍染の方だった。

 

 

「破道の九十 黒棺」

「お父さん!!」

 

 父が藍染の黒棺に閉じ込められる。

 目線で「構うな」と言われ、私は詰め寄ってきた藍染と刃をぶつけ合った。

 

 恐らくこの戦いが始まって以来、初めて感じる藍染の最大の速度に、急所を突かれないことだけに集中するのが精一杯だった。

 

「神鎗を遣う暇さえないようだね」

「……どんな刀を遣ってもそう言うでしょ」

「ああ、そうだ」

 

 強い。強すぎる。

 圧倒的な力にただ押し込まれ、私はついに藍染の速度に完全に後れを取ってしまった。

 

「っ!!」

 

 脇腹に燃えるような痛みが走り思わず距離を取る。

 藍染との距離感は、十メートル程。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 藍染は相変わらず表情を崩すことなく片手を私の方へ向かって伸ばした。

 掌を上に向けまるで手を差し伸べるかのような……

 

「!? やめろ!! 藍染!!」

 

 藍染の手の上に練り込まれるソレがなんなのか、理解できたのは私だけだろう。

 使ったことがある私だからこそ、理解できた。

 

「破道の九十九 五龍……」

 

 私は死に物狂いで藍染との距離を一気に詰め、その術を使わせまいと藍染の掌をつかんだ。

 

 私なら出来る!! 私にしか出来ない!! 

 

 必死にその破道を解析し、同じものをぶつけた。

 爆風が巻き上げ、藍染の練り上げた鬼道は分散し消えた。

 しかし、私の腕を掴んだままの藍染の刃が心臓に届きそうになる。

 

「っ……神鎗っ……」

 

 この太刀筋に対抗するには、護廷最速の斬魄刀でなければ間に合わなかっただろう。

 つまるところ、私は自分の左腕を斬り落とした。

 そうする事で、ようやく藍染との距離を離すことが出来た。

 

「五龍転滅を反鬼相殺か……」

「今ここでそんなものを使えば、手負いの者は全員死んでしまう!!」

「最高等破道だ。流石の私でも失敗する可能性の方が大きい」

「どっちでもよかったんでしょ」

「そうだね。何事も挑戦だ」

 

 藍染は、五龍転滅が成功しようとしまいとどっちでも良かったのだ。

 私が必ず反鬼相殺に来るだろうとわかっていて、やったんだ。

 私の鬼道を封じる為に……腕を一本そぎ落とすために。

 あわよくばそのまま鍵をとろうとするために。

 

 私が必ず仲間を護りに来るだろうとわかっていてやったのだ。

 それを理解していたが、私はそれでも見捨てなど出来ない。

 

「軽率だね。一つの腕では剣か鬼道かどちらかしか選択が出来ない。仲間を護りたいがために力を失ってはいけないと教えただろう」

 

 藍染が詰め寄ってきたことに反応が遅れた。

 

 

 

「させないっスよ」

 

 

 藍染の黒棺に閉じ込められていたはずの父がいつの間にか戻ってきていた。

 父の剣圧により、地面へと叩きつけられた藍染。

 そのまま父が突っ込み、藍染に斬りかかった。

 

 藍染の左腕は、私と同じように斬られて宙を舞う。彼はすぐさまお返しだと言わんばかりに、父の腹を斬った。

 

「……止血と縫合が早いな」

「何度切っても同じっス。すぐに造り変えますよ。それより、ご自身の体を心配した方がいい」

 

 父のその言葉と同時に、残った方の藍染の手や足に、大きな切り口が開いた。

 まるで、手術で切開されたかのように、比較と同時に端から縫い合わされていく。

 

 それでも、藍染はそれ以上何かをしようとはしなかった。

 

「……流石っスね。大抵の人は驚いて自分で切り落しちゃうんスけど」

「その方が君にとっての勝ちなんだろう」

「……お見事」

 

 私は名無之権兵衛の柄を口にくわえ、刀を手から離す。

 そして自由になった右手に集中した。

 

 父が私の意図を理解し、藍染を誘導するかのような立ち回りを始めてくれた。

 

 もう少し……

 もう少し……

 

「行けます!!」

 

 私の完全詠唱が終わったのと同時に、父が渾身の力で藍染を地面へと叩きつけてくれた。

 父と目が合う。私はそれを合図に縛道を放った。

 

「_縛道の九十九二番 卍禁!!! 

 _初曲 止繃 」

 

 

 私の縛道は藍染を捕らえ、拘束を成功へと導く。

 立て続けに放つ、二つ目の縛道。

 

「_弐曲 百連閂 」

「逆か!」

 

 藍染がハッとした顔をした。

 遠くで平子さんが逆撫を振っている。

 

 藍染にはきっと、私の縛道が逆から飛んできているように見えていたのだろう。

 藍染は初めて悔し気に顔を歪めた。

 私は藍染に近づき、口にくわえていた斬魄刀を右手に持ち直し、藍染を見下す。

 それをみた父が、私の後ろへと下がった。

 

 とどめを譲ってくれているのだ。

 

『次に会う時は敵同士だよ』

 

 藍染は、私にそう言った。

 藍染自身が自分と対等に戦う相手だと私の事を判断したのだ。

 それくらいの力を持てたのだ。私は。

 

 私の、私たちの勝ちだ。

 

「……私が死神になる事を渋っていたのは、私に護る力が無いと気がついていたから?」

「……そうだ。君に"護廷"の文字は必要ない」

「……そう」

 

 私は藍染の正面に立ち、斬魄刀を構える。

 

「……遣い方、間違えてるってギンに怒られちゃった。これ、最速の斬魄刀じゃなくて最高毒の斬魄刀らしいよ」

 

 負けを悟った藍染が私を睨む。

 

「……さようなら」

 

 私はそっと藍染の心臓に手を翳す。

 

「名無之権兵衛 〆之菩胎 

 死せ 神殺鎗 」

 

 藍染の心臓を、私の刃が突き刺した。

 

 ギンはいつもいつも、昔から回りくどいんだ。

 ずっと彼の卍解の能力を忘れていた。

 

 私達を殺すつもりなら、ギンはもっと早くに攻撃する機会があった。

 藍染に嘘を伝える必要はなかった。

 藍染の戦いに巻き込まれたくないなら、自分一人逃げればよかった。

 なのにあいつは、わざわざ急所を外してひよ里さんと拳西さんを連れて行った。

 

 藍染に"殺されない"見込みのある三人だけを残して去ったのだ。

 

 

 

 ……終わった。

 

 

 そう思って藍染の体から刃を抜き、ホッと息をついたとき。

 

 耳に聞こえてきたのは絶望だった。

 

 

「なにしてんだよ!! 如月さん!!」

 

 遠くから叫ぶ一護の言葉の理解ができなかった。

 

 

「 砕けろ 鏡花水月 」

 

 

 後方から、そう 藍染(・・)の声が聞こえた。

 



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第七十五話 名無之権兵衛

 

 

 それはまるで、五感の全てが停止したかのような感覚。

 

「どうだ、浦原喜助。実の娘に刺される気分は」

 

 藍染を捕らえていた筈の縛道。

 藍染を刺した筈の刃。

 

 そうだったはずだ。

 

 目の前で、鮮血を吐き出し崩れ落ちるのは。

 その後ろで崩れ落ちる観音女性は。

 

 コレハ、ダレダ。

 

 私は……一体誰に刃を向けた。

 私は……一体何でこの人を刺した。

 

「いつからや……」

「何がだ」

「一体いつから、鏡花水月を遣ってたんやって聞いとんねん!!!!」

「一体いつから、鏡花水月を遣っていないと錯覚していた?」

 

 平子さんが藍染に斬りかかって、斬り返されて、地面に崩れ落ちる。

 そんな景色がやけにゆっくりで。

 どこかこの世界から切り離されたようで。

 

 まるで、今起きた事象の全てを否定したいかのように。

 

 私の思考の回りは異常なまでに遅い。

 

 何処で間違えた。

 ……そうだ、あの時疑問に思うべきだった。

 平子さんの刃が藍染に通った時。

 あの時から、既に違うのではないかと感じるべきだった。

 藍染は、動揺で隙を見せたのではなく……そもそも藍染では無かったと。

 一護の言葉を……綺麗に利用された。

 

『如月さんの師匠だってことは、もう聞いてるぜ』

 

 そうだ。私に戦いの全てを教えたのは藍染だ。

 ……私の動きの癖を全て知っていると、どうしてそこまでの思考に至らなかった。

 

 鬼道を放つ動きが、父と二度シンクロした。

 一度あることは二度ある。そんな誰が作ったかも分からない言葉に受け流されてはいけなかった。

 

 何故、私の動きと全くもって息が合っていたのか考えるべきだった。

 

 過ごした時は短くとも、父と繋がりを感じて……そんな戦いの中のほんの些細な感情に喜ぶべきでは無かった。

 

 疑って、疑って、疑って。

 そうせねば、勝てるはずのない相手に。

 

 ……私は、自分の知恵も才能も……与えられていく心の温かさに甘んじて揉み消したんだ。

 

「ごめん……なさ……」

 

 ようやく私の口から出た言葉は、あまりにも無様な謝罪の言葉だった。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさいっ……」

 

 私は、何のためにここまで力をつけた。

 

 私が護りたいと思っていたはずが、みんなから護られてたどり着いたこの戦い。

 

 託され、受け入れられ、温かさに背中を押してもらったこの戦いで。

 ……私は負けたのだ。

 

 全部、自分の所為じゃないか。

 

 与えられたその輝きの全てを、自分の所為で壊した。

 

『君に、護る力などない』

 

 ……分かってるよ! 

 分かってるよ。

 分かってるよ……

 

 私が本気で戦いに身を沈める時。

 それは、護る為の力を発揮しているんじゃない。

 

 私の……チカラは……壊すための力だ。

 

 この世界を壊したのは……私だ。

 

 私さえいなければ、夢の世界の通りに藍染は封印され、黒崎一護という主人公の名のもとに今後も世界は護られる。

 沢山の人が傷つく、沢山の人が亡くなる。

 

 けど、世界は護られる。

 

 傷ついた過去も。

 失った過去も。

 "昨日"を抱きしめ、"今日"を生きて……"明日"を歩く。

 

 そうやって未来は刻まれるのだと……気がついた時には遅すぎたんだ。

 

 誰かが傷つくのを見たくない。

 誰かの大切な人を失わせたくない。

 

 

 そんな私の傲慢が、世界を壊した。

 

 私は、何処から間違えていた。

 一護より前に出ようとした事? 

 違う。

 死神になった事? 

 違う。

 藍染と出会った事? 

 違う。

 未来の知識を得てしまった事? 

 ……違う。

 

 

「産まれてきて……ごめんなさいっ……」

 

 このチカラを持って産まれてしまったこと。

 それが私の……罪だ。

 

 私さえいなければ、

 私さえいなければ、

 何もかもがきっと上手くいっていた。

 

 沢山の涙と絶望を乗り越えて、世界は明日へと向かって回り続けた。

 

「—————————!!!!」

 

 空に向かって叫んだはずの喉からは、声にならない声しか出てこなかった。

 

 私の体から力が抜け、地面に膝をつく。

 霊力の枯渇だ。

 戦う力は、まるで私を嘲笑うかのように消えた。

 

 先に崩れ落ちた父が、私の肩に頭を預けるかのようにもたれかかる。

 力の抜けたズッシリとした重み。

 父の血で、私の死覇装が嫌な温かさに包まれていく。

 

 その様子すら、涙で視界がボヤけて何も見えやしない。

 

『泣くな! 涙は敗北だ!! 己に対する敗北なのだ!! 失ったものは返っては来ない!』

 

 勒玄を失って涙した時から。

 違う、母の腕の中で泣きわめいたあの日から。

 

 私は、私自身に敗北していたんだ。

 

 あの時失ったものは……一人で戦うという考え。

 

 正面から見れば暖かく。

 真後ろから見れば可能性を消した。

 

 

 耳元で父が何か言っている。聞こえない。

 

 なのに、この人の声は私の耳に正しく届いてくる。

 

「姫乃。君の負けだ」

 

 私の心を抉り取るかのように、藍染の言葉が刺さる。

 

 

 

 

 藍染さんの声以外何も感じない世界の中で……誰かが私の頬をそっと触った。

 

 それは、紛れもなく私に身体を預けていた父の大きな優しい手だった。

 その手をまるで介しているかのように、ようやく父の言葉が私に届く。

 

「大丈夫……っス……ボクは、"毒"では死なない……。貴方が最後に、毒だと教えてくれたお陰っス。例え致死量を超えても、問題ない。心臓の出血も……止まってます。……生命維持可能な状態に……造り変えています……」

 

 造り変えた? 

 ……紅姫が、消滅直前に父の命をつないだ? 

 

「大丈夫……大丈夫、大丈夫だよ……姫乃」

 

 大丈夫。大丈夫。

 まるで子供をあやすかのように優しいその声は、こんなにも惨めな私の姿を許してくれているかのようだった。

 

「姫乃は……失ってない……失わせないっ……。だからもう……泣かなくていいんスよ」

 

 抱きしめられるかのように、撫でられる頭。

 その時やっと、息が吸えた気がした。

 

「う……あっ……おと……さんっ……」

「大丈夫、大丈夫。何度でも……何度でも貴女に伝えます。……産まれてきて、有難う」

 

 父の荒々しい息とともに、紡がれていく言葉。

 話す事も辛いはずなのに。

 私を抱きしめる力は、こんなにも強い。

 

 父が、私の背中から心臓付近を触ろうとしていることに気がついた。

 

 ……私の魂魄から、鍵だけを抜き取るつもりなんだ。

 そして藍染に渡すつもりだ。

 藍染がこの場から立ち去る事を選ばせるんだ。

 今の護廷十三隊では歯が立たないと分かっていて、ルキアの所へ行かせるつもりだ。

 

 ……全ての悪を背負うつもりだ。

 ……私の命を護る為だけに。

 

 例え藍染が世界を支配しても。

 私を護る。その為だけに……。

 

「君はっ……ボクと……柚の宝ですからっ……。ずっとあの人が護ってくれてたんス。だから……」

 

 ……父の消えかけた最後の言葉が、耳にはしっかり届いた。

 

 

「柚……今度は、ボクが護るから……」

 

 

 その言葉を聞いた直後、世界が止まり、景色の全てが白色に変化した。

 

 

 ……………

 …………

 ………

 ……

 

 

 真っ白に止まった世界の中から現れたのは、名無之権兵衛。

 

『泣かないで、姫乃……僕は君を泣かせたいわけじゃないんだ……』

 

 私は、必死で流れる涙を両腕で拭った。

 左腕は肘から先はもうないけれど、痛みは感じない。

 

「お願いっ……お願い!! 権兵衛!! 私にチカラを貸してよっ……お願いっ……」

『……嫌だ、嫌だよっ……』

 

 必死で首を横に振る名無之権兵衛。

 それでも、私は叫んだ。

 

「全部背負うよ!!! 権兵衛が罪だと思ってる事、罪じゃなくなるまで背負うから!!」

『嫌だ!! 僕はっ……僕は、君の帰る場所を無くさせない!!! 一緒に帰ろうって、約束したから!!!!』

 

 彼の叫びに、私は少し間を置いて答える。

 

「……じゃあ、帰らない」

『……え?』

 

 私に言葉をくれる人は沢山いた。

 そのどれもは暖かくて、優しくて、私の見る世界を変えてくれた。

 大好きで、大切で、誰一人欠けて欲しくない。

 

 そんな中で……私の進む世界の選択肢を、もう一本広げてくれた人がいる。

 

「……何処までも、何処までも進む。……私達の所へ向かってきてくれる人を、二人で待とうよ」

 

 この見えない道の先を、何処までも駆けていく。

 その背中を追いかけて、私達の所へ帰ってくる人を待つ。

 一人か、二人か。はたまた数え切れないくらいの人か。

 

 今後、また別の世界に来る人達を、待つ。

 

「……有難うね、権兵衛。護ってくれて、有難う。……私の帰る場所を、護ってくれて……有難う」

『……っ…………』

「怖くないよ。権兵衛が怖いと思ってる事も、悪いと思ってることも。全部私が預かるよ。それが悪くないなと思える日まで、ずっと一緒に居てあげる」

『ズルい……ズルいんだ、そんなのっ……。もう気がついてるじゃないか……』

 

 涙声の名無之権兵衛を抱きしめ、小さく頷いた。

 

「……消えるんでしょう。私の命が。命が消えたら……何処にも帰れないんだもんね」

『……わかんないっ……確率は五分五分なんだっ……』

「いいの。……それで、この世界が歩く未来を壊せるなら、それでいい」

『君の帰りを待ってる人がいるんだよっ……! 生きてて欲しいって、そう願ってる人が沢山いる!!』

「……だからね、心を帰す。心が在りたいと願う場所に誇りがある。……私の誇りを、護って欲しい」

 

 沢山の人が私の帰りを願ってくれた。

 ……帰らなくていいと言ってくれた人がいた。

 だったら、追いかけると。

 

 どれが正解なんてわからない。

 ただ、願うことはただ一つ。

 

 私は、望まれて産まれてきた。

 望まれて生きた。

 たくさんの人に囲まれる"今日"という日までを。

 

 だから、未来を繋ぐ。

 確かに受け取った、大切な想いの欠片を……明日に託す。

 

 その為に、壊すよ。

 この……間違った道を辿ろうとしている世界を。

 その原因を。

 壊す、壊す、壊す。

 

 

 それが、私のたった一つの願い。

 

 震えた声と手足を動かし、名無之権兵衛が私の傍にやってきた。

 

「……怖い?」

『……一緒なら、怖くない』

「……うん。私も、怖くないよ」

 

 そして、告げられる名無之権兵衛の"本当の名前"

 

『僕の……名前は………………』

 

 そう言って私の中に伝わってきたのは、彼の存在の真実。

 

『僕は本来、存在してはいけないんだ』

 

 彼は自分自身の力を持たない。

 始解は誰かの斬魄刀を模倣する事。それは能力であり能力ではない。

 全て、彼の"産みの親"の力の副産物に過ぎない。

 本来生まれるはずのなかった力。

 

「そう……紅姫の子なんだね」

『……うん』

 

 父は、母に心を預けた。

 自分の心の崩壊を防ぐために。

 

 紅姫はそんな主人の決断に答えようと。

 自分の能力の一部を捨てた。

 

 母も紅姫も気持ちは同じ。

 父の命を護りたい。

 

 母は心を預かることで。紅姫は力を捨てることで。

 父の命を護ろうとした。

 

 捨てた力の一部が、彼だ。

 

『酷いよな。紅姫だけ主人の命を護れて。おかげで僕は君を殺す力しか持ってないのに。あいつは僕に全てを押し付けて逃げたんだ』

「でも、そのお陰で私達は出会えたね」

『……ごめんよ。僕は名前を捨てることしか出来なかったんだ。君を殺さない方法が、これしかなかったんだ。この呪いのチカラを、僕は卍解の中に隠した』

「……刀を模倣するんじゃなくて、名無之権兵衛の刀身自体を造り替えてたんだね。そりゃ、無理させてごめん」

『いいんだ。霊圧を遣って造り変えられるから』

 

 私に伝えられた卍解の名前。

 そして、その使用方法が名無之権兵衛の口から伝えられていく。

 

『いいかい。まずは藍染に触れなければ成功しない。まず僕は、君の姿を造りかえる。藍染が最も油断する姿に。ちょっと痛いけど我慢してね』

「父が私の痛覚がないように造り変えてくれたから大丈夫だとは思う」

 

 藍染が油断する姿とかあるのかなあ。そんな事を頭の中で考えていると、何を考えいるのか読みよったかのように名無之権兵衛が笑う。

 

『藍染は虚じゃない。心をもつ生き物である限り、必ず油断はある。……出来ないなんて言ったら、紅姫に怒られちゃうよ。その隙に、君は藍染に触れるんだ。体のどこでもいい。わずかでいい』

「……瞬歩はもう使えないよ」

『……君の魂を遣っていいなら、瞬歩分の霊力に造り変えるよ』

「お願い」

『……でもきっと、いらないと思う』

 

 その言葉を不思議に思って首を傾げれば、彼は何でもないと言いたげに首を横に振った。

 

『まずは上に飛ぶんだ、いいね』

「うん」

『そのまま藍染につっこめ。大丈夫。僕が背中を押してあげる』

「……失敗したらどうしようか」

『失敗はしないさ。僕がついてる』

 

 名無之権兵衛が私の体を抱きしめた。

 私も、彼を精一杯抱きしめ返す。

 

「……最後に、もう一つお願いがある」

 

 彼の耳元でその内容を耳打ちすると、彼は……ゆっくり頷いた。

 互いの心臓の音が交わり、ドクンと一つに重なった時。

 

 名無之権兵衛はニコリと笑う。

 

『さあ、行こう。僕と君の勝ちだ』

 

 そこにはもう、さっきまで泣き叫んでいた私達の姿はどこにも無かった。

 

 

 

 …………

 ………

 ……

 …

 

 

 世界が動き出した。

 

 私は地に落ちていた名無之権兵衛を拾い上げる。

 そして、私の背に手を伸ばしていた父を遠ざけるかのように、父の胸板を押して離れる。

 

「……姫乃……」

「驚いたな。その体でまだ立ち上がれるのか」

 

 藍染が驚いたように笑って傍へ寄ってきた。

 油断している、これ以上ない最後の隙だ。

 

『まだだ、堪えて』

 

 名無之権兵衛の声が頭に綺麗に入ってくる。

 

「今の君に、何が出来る。さあ、鍵をもらうよ」

 

 私は、名無之権兵衛をグッと握りしめた。

 

『今だ!!!』

 

 その言葉と同時に、私は高く飛び上がる。

 思ったより高く飛べたのは……きっと皆の想いが私を押し上げてくれたんだと思う。

 

「  卍解 !!!!!!」

 

 その声を聞いた藍染の瞳が、驚愕で揺れた。

 当たり前だ。私の霊力はもはやない。

 そのような状態で出せる卍解など存在しないからだ。

 

「卍解……だと?」

「っ……!!!! やめなさい、姫乃!!!!!」

 

 父の悲鳴のような叫び声が聞こえた。

 

『あの人は、本当に大事な事は何も言わない人なの』

 

 母のその言葉通り。

 父は、私の卍解がなんなのか気がついていた。

 紅姫の解析結果を、私に伝えなかった。

 

 ……少し違和感のある父の行動の全ては、この力を私に遣わせない為だったんだ。

 絶対に失わないと……その想いを有難う。

 

 でも、皆が私を想うのと同じくらい……私は皆を想ってる。

 私の代わりに、誰かが犠牲になるなんて……耐えられないよ。

 

 

 私は、名無之権兵衛の本当の名前を呼ぶ。

 

 壊せ、壊せ、壊せ。

 そして……望むがままの世界に、造り変えろ。

 

 

 

 

 

「   観音開紅姫革メ(かんのんびらきべにひめあらため) 」

 





黒い鉄格子の中で
私は生まれてきたんだ

悪意の代償を願え
望むがままにお前に

さあ与えよう正義を
壊して 壊される前に
因果 (出会い)の代償を払い
報いよ  名もなき怪物(名無之権兵衛)

黒い雨 降らせこの空
私は望まれないもの

ひび割れたノイローゼ
愛す同罪の傍観者達に

さあ今ふるえ正義を
消せない傷を抱きしめて
この身体を受け入れ
共に行こう  名前のない怪物(名無之権兵衛)

名前のない怪物/EGOIST
姫乃と名無之権兵衛のテーマソング


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第七十六話 この世界に灯火を

 

 

 私の背後に現れたのは、巨大な 白い(・・)観音女性。

 

「……魂魄切削の卍解をっ……!!」

 

 私が卍解を遣えたとしても、そうでなかったとしても。

 霊力の枯渇が起きた状態から振り絞る戦いの力の根源がナニであるのか。

 その答え合わせをするように、藍染は瞳孔を揺らしながら小さくそう呟いた。

 

 そして、私の全身が造り変わる。

 

 引くべきだと判断した藍染は、半歩後ろへ右足を下げる。

 しかし、私のその造り変わった姿を見た瞬間……動きが止まった。

 

 重力に従い、藍染の元へ向けて落ちていく私の小さな小さな身体。

 

 目が合う藍染は、私を見ているようで……見ていないようで……何処か遠くを見ているような瞳をしている気がした。

 

 藍染の瞳の反射を見るまで、自分が小さくなったとは分かっていたが、どんな容姿をしているのか分からなかった。

 

 ようやく映った私の姿は……まだ言葉も拙く、駆けることにようやく慣れてきた位の年齢。

 ……藍染と初めて会った時とさほど変わらない幼い自分の姿。

 

 なんで……この姿なの。

 それに、私は泣いているつもりは全くないのに、表情は泣き顔だ。

 些細な疑問を、内心で名無之権兵衛に投げかける。

 

『僕がミスするわけない。この表情の選択で間違ってないよ』

 

 そんな言葉が頭の中に流れてきて、まあいいかと受け流す。

 私は予定通り、藍染の体に触れるために手を伸ばした。

 

 例え斬られても……どこか一部だけでも。

 

 そんな想いで伸ばした手。

 

「……え」

 

 ……藍染は、刀を持たなかった。

 避けることも無かった。

 

 それはまるで、当たり前かのように……私を自身の懐へと抱きとめた。

 包み込まれる温もり。

 

 ……ああ、嫌だな。こんな姿を見たら、思い出してしまう。

 ずっと母の柔らかさしか知らなかった日々の中で、初めて男性に抱えられた日。

 強くて、暖かくて、優しい温もりがした事を。

 

 怖くて、怯えて、泣いて嫌がった私の口に運ばれる、甘い甘い金平糖の味を思い出してしまう。

 

 抱きとめられたまま、私は藍染の耳元で小さく囁いた。

 

「……聞かせて。なんで、鏡花水月をずっと私に見せなかったの」

 

 幼い頃に、無邪気に頼んだ鏡花水月の始解。

 それを、なんで死神になった後に見せたのか。

 望まない時まで待ったのか。

 

「……また君が自分を責めるからだ。自分の過去を責めるだろう」

「……他には?」

「君に嘘をつくことになる」

 

 鏡花水月の能力に関して、嘘の説明をしなければならなくなる。

 それは、彼からの唯一の約束。

 

『君に嘘はつかない』

 

 それを、守るために? 

 

「……じゃあ、なんであの時になって見せたの」

「君は、もう一人で歩けるようになったからだ。……君についた、最初で最後の嘘だ」

 

 藍染の手の中から抜け出した私は、地面に立つ。

 それと同時に、藍染が崩れ落ちて膝を地につけた。

 

「……もう、貴方は死神ではない。死神であるということを、造り変えた。ただの、人間……いや、人間もどきだよ」

 

 藍染の体が、僅かに振動し手足の先がポロポロと崩れ落ちる。

 ……当たり前だ。霊体でなくなった貴方が、尸魂界に存在する事に耐えられる訳が無い。

 

「この……力は……」

「……父が、私に預けてくれた力だよ」

「そうか……君の卍解は……崩玉の力か」

 

 崩玉は、初めから浦原喜助のものでしか無かったという事実に対して、心底悔しそうな顔で私をみる藍染。

 その目から、私は目を逸らして少し下へと視線を落とした。

 

 彼が膝から崩れ落ちたというのに、目線は立っている私より藍染の方が高い。

 そっか……そうだ。

 そういえば私はずっと、彼が座ってても立ってても見上げていた。

 

「……権兵衛、契約の為の霊力を造って」

『……生存最終ラインを超えちゃうよ。もう、戻れないよ。藍染はほっといても死ぬよ?』

「うん、いい。お願い」

 

 子供の姿では、重たくて仕方がない刀。

 それをなんとか担ぎあげて、切っ先を藍染の方へと向ける。

 

 ……ごめんなさい。お母さん。

 私あの時、貴女に返事をしなかった。

 

『姫乃が描く未来に、姫乃がいて欲しい』

 

 ……なんとなく、こうなる気がしてたんだ。

 だから、返事出来なかった。

 きっとお母さんは、それも分かってた気がする。

 

 護りたかった人。護れなかった過去。

 あの時絶望に身を伏せて、弔うことすら出来ずに立ち止まった時計の針を……進ませてください。

 私にずっと、導きと希望を……ありがとうございました。

 

『馬鹿野郎。そう感じてんなら、笑え! ……きっと彼は、そういうんじゃない?』

 

 そういう名無之権兵衛の声につられて、少しだけ口角を上げる。

 

 そして、三つ目の刀の名前を呼んだ。

 

 

「 水天逆巻け 捩花 」

 

 

 三叉槍へと変化した斬魄刀が、藍染の体を貫いた。

 藍染の体が大きく崩れ、光に包まれていく。

 

 ……本当に別れの時が来た。

 最後に何を伝えようか。それとも、何か聞こうか。

 

 言葉に迷う私よりも先に、藍染が私に言葉を投げる。

 

「……君はまだ、泣き虫かい」

 

 その言葉に、私は頭の中で考えるより先に喉から答えを発した。

 

「うん。だけど、もう悲しくないよ。……私、もう"独り"じゃないよ」

「……そうか」

 

 藍染を見上げると、同じタイミングで互いの目が合った。

 

 ……なんで、最後にそんな目をするの。

 

『どれだけ蓋をしても、向かい合わなきゃ行けない日は、必ず来る』

 

 前に名無之権兵衛がそういった言葉は、今更になって蓋を開く。

 

 ……現世で父に会った時に気がついてしまった。

 父が私を見る目と。藍染が私を見る目が、時折同じだったということに。

 

 それは、限定的で多くはない。

 ただ……私が彼の腕の中で眠りに落ちる時、いつもいつも、意識が落ちる瞬間に向けられていた眼差し。

 

「約束しただろう。私は、君が"独り"じゃないと感じるその日まで、君より強く在り続けると」

 

 気がついていた。

 知らないフリをした。

 

 作り上げられた思い出が、思惑に紛れたものだったとしても。

 私の望むことを義務的に行っていただけだったとしても。

 

 何もかもが、たとえ嘘にまみれていたとしても。

 

 貴方から伝わる"温もり"。

 私の事を呼ぶ"声"。

 二人で過ごした"時間"。

 

 それだけは、嘘にはならない。

 貴方が貴方で在る限り、変わらないもの。

 私が私である限り、変わらないもの。

 

 私は、その変わらなかったものが……

 

 

 

 

 

 

「……大好きだったよ」

 

 

 光に全身が包まれ、彼の体が消えていく。

 最後に彼が動かした口は……声にはならなかった。

 

 ただ、私はその口の動きに答えるかのように……ニコッと頬を上げた。

 

 それを最後に、この世界から藍染惣右介という存在が消えた。

 

 

 全てが決したこの大地に、まるで終わることを待っていたかのように柔らかな風が吹く。

 

 その風に流されるように、私の髪を纏めていた髪紐が解けて空高くに舞い上がる。

 

 ……長い間遣ってたから、糸……切れちゃったかな。

 

 その風が全てを洗い流すように。

 私は、この髪紐を"直そう"とは不思議と思わなかった。

 

 ここで、終わり。

 さようなら……藍染さん。

 

 

 

 

 

 ***********

 

 

 

 

 私は、藍染が消えるのを見送り、その場に倒れた。

 

「姫乃っ!!」

 

 回復が終わっていないというのに、父は平子さんに肩を担がれながら私の傍に近寄る。

 そして震える手で、小さくなってしまった私の体を抱き上げてくれた。

 

 初めて全身を包まれた父の体は大きく、強く、暖かい……。

 

「どうして……卍解を使ったんスか……その力はっ……」

 

 父はわかっているはずなのに、そう私に問う。

 

「……なんとなく、分かってましたよ」

 

 名無之権兵衛の卍解。

 紅姫が捨てた力。

 

 それは、"虚" "死神" "人間"。

 その境界線をかき消し、生命体ごと造り変える能力。

 

 代償は術者の命、魂魄の半分。

 つまりこの技は、生涯で最大二度しか使えない。

 使いどころが悪ければ、一度で死を迎える。

 だから、名無之権兵衛は確率が五分五分だと言った。

 

 魂魄の半分を燃やすという事は、最悪霊体の崩壊を招く。

 仮にそれを防げたとして、最大二回。

 

 父は自分の命を燃やさずとも、この術を再現できないのかと研究を繰り返した。

 

 そして作り出されたのが、崩玉だった。

 

 造りたい。創りたい。

 その父の強い願いが、想定外の事態を招く。

 

 転身体を利用して、無理やり紅姫という力を持った父は、その制御が出来なかった。

 

 創作者の意志を強く反映し、崩玉はいつの間にか"人の願いを叶える玉"に変わってしまった。

 

 共に研究を手伝った紅姫は後悔した。

 自分が持った力のせいで、このようなものを作り出してしまったと。

 

 いずれ主人が後悔し、罪を償わんと自分を遣って自身の命を懸けるその前に、自分の力を無理やり捨てた。

 

「……現世に逃げてしばらくした時、ある日紅姫が急に名前を変えたっていってきたんスよ。……その時は意味が分からなかったっス。まあ、いらない力だったんで別によかったんですけど。……けど、貴女が現れて……一つの仮説が生まれました。もしかしたら、名無之権兵衛の中に捨てたかもしれない。……だから、一生遣わせないつもりでしたっ……」

 

 

 紅姫が捨てた力の一部。それが、今の名無之権兵衛。

 紅姫だった力の一部は必死に考えた。

 紅姫と同じ名を持つ。それだけで主人は殺される。

 考えて、考えて、考えて。

 

 紅姫という名前を捨て、名前のない斬魄刀。名無之権兵衛と名前を付けた。

 

 始解で三つの他人の斬魄刀を使えるよう自分を造り変えた。

 魂魄の消費を条件とする力を、霊力で代用できるよう必死になって造った。

 そして、紅姫の力を卍解の中に隠した。

 

 すべては私を護るため。

 母がそうしたかったように、紅姫がそうしたかったように。

 名無之権兵衛もまた、主人の命を護りたかった。

 

 父の斬魄刀の卍解名が変わった事は、本来であれば四十六室に通す案件。

 しかし、現世永久追放となった父はそれを隠し通せた。

 

 名無之権兵衛は、私と藍染を戦わせたくはなかった。

 きっと私が命を懸けて、戦うとわかっていたからだ。

 

 ……ごめんね。ありがとう。

 

 

 私を抱いた父が声を荒げる。

 

「魂魄救済措置に入ります。少し苦しいですが我慢してください。このまま現世に運びます」

「駄目です、お父さん」

「大丈夫っス! 姫乃の魂魄はまだ間に合う!」

 

 駄目なんです。

 私、我儘だから……。

 

 父の意志とは反対に、私は首を横に振った。

 

「もう……私の魂魄は……ほとんど残っていません

 卍解に半分。三つ目の契約の為に、四分の一近い魂魄を消費しました」

 

 元々、名無之権兵衛が三つ目までだと"嘘"をついた理由は、魂魄維持限界が全体切削の四分の三までだからだ。

 無理やり霊力に造り変えたその力は、それを超えると元の魂魄切削の条件に侵してしまう。

 

「十分っス!! 間に合います!!」

 

 そう叫ぶ父。

 

『大事な事は、何も言わない人なの』

 

 ……お母さん。私も同じなの。

 私の口から告げる事実。

 

「名無之権兵衛に……最後に……お願いをしたんです」

 

 その言葉と同時に、私の指先がわずかに崩れ始めた。

 霊子化だ。

 

「最後の……魂魄を使って……名無之権兵衛をルキアのもとに"空間転移"させました……。名無之権兵衛は斬魄刀。結界をすり抜けることができる。彼に……崩玉の力を吸収することを……願いました」

 

 その言葉を聞いて、父は口を閉ざした。

 崩玉の力は元々、紅姫の能力を元に作ったものだ。

 

 藍染は崩玉を浦原喜助でも破壊出来なかったと言っていた記憶がある。

 自分の作った崩玉は、一向に力を発揮しないと。

 

 当たり前だ。だって崩玉は紅姫だ。

 崩玉を壊せば、紅姫も死ぬ。

 破壊したくても出来ないんだ。

 

 藍染の作ったものは紅姫が関わっていないから使えなくて当たり前だ。

 

 しかし、その力の根源は紅姫から名無之権兵衛に譲渡された。

 

 

 名無之権兵衛に最後に願ったこと。

 崩玉と共に消えること。

 

 本来斬魄刀は、主人から離れて力を使う事は出来ない。

 ルキアの明確な居場所が分からないため、"転送"は出来ない。

 だから、具現化したまま空間ごとルキアの側を指定して送った。

 

「名無之権兵衛との約束なの。……罪が罪じゃないとそう思えるまで、抱えて一緒に走るよって」

 

 元々戦闘により損傷を受けていた魂魄。

 回復する間もなく、立て続けに魂魄切削を必要とする術を使った私の魂魄は、もう欠片ほどしか残っていない。

 

 霊子化が始まった霊体を救う術はない。

 ただ欠片のように残った魂魄が消耗されるのをただ見ておくことしかできない。

 

 

「如月!!!」

 

 私の耳に、私を呼ぶ声が届いた。

 もう霊圧知覚は出来ないし、目も霞んでよく見えない。

 けど、声で誰が来たのかは判断出来る。

 

 どうやってここまで? 

 なんて疑問は、考える時間の方が勿体ないと感じた。

 

「如月……よく頑張ったな……」

「……浮竹隊長、私は、海燕さんに胸を張れる程戦えたでしょうか」

「ああ、如月。……お前は俺達の誇りだ」

 

 十三番隊にいられたから、私はこうやって"今日"を迎えることが出来た。

 それは、私にとって誇り高く……美しい希望の日になった。

 

 浮竹隊長に続いて、京楽隊長の声も聞こえる。

 

「君は……どうやっても、遠くに遠くに駆けて行っちゃう子なんだねぇ……」

「すみません、京楽隊長……」

「……謝るのはこっちのほうさ。……心ゆく迄、走れたかい?」

「……はい」

 

 いつも優しく見守ってくれてた。

 迷いそうになった時、手を引いてくれた。

 道の途中で転ばないよう、余計な小石を知らない間に退けていてくれた。

 

「如月大鬼道長。本当に、ありがとうございました!!!」

「恋次……どうか、もうルキアを離さないで……。あの子ね……直ぐに抱え込んじゃうから……」

「決して離さないと、誓いますっ……!!」

 

 ……ルキアに一つ嘘をついてしまった。

 ごめん、ルキア。……来年の誕生日、一緒に過ごせないや。

 

 次に私に声をかけてきたのは、一護。

 

「如月さん……」

「一護、まだ戦いは残っている……どうか、もっと強くなって。……私を信じてついてきてくれて、ありがとう」

「あったりめーだ……仲間を信じるのが、仲間だろ……。くそっ……くそおおおおおお!!!」

 

 自分の無力に嘆く一護。

 ……大丈夫。これからもっと君は強くなる。沢山の挫折もある。でも、仲間が君を導いてくれる。

 

「平子さん……一護の力を……」

「じゃかしい。わかっとるわ。いらん心配せんと黙っとけ!」

 

 平子さんの返事を聞いてから直ぐに、私の傍の最も近くに来た人がいた。

 

「大儀であった、如月姫乃」

 

 大儀。

 その言葉を……直接頂けるなんて、思ってもみなかったな。

 

「総隊長……どうか……父達を……」

「うむ、護廷全員が証言となろう」

「最後に……もう一人だけ……」

 

 総隊長に伝え終わる。返事はなかった。

 

 私の名前を多くの人が呼び続ける。

 ごめん……もう、ほとんど聞こえないの。

 ……時間が来たみたいなの。

 

 私の体が大きく崩れ始めた。

 

 父が私をさらに強く抱きしめた。

 感覚はないが、温かさが芯まで伝わるようだ。

 ……勒玄も同じだったのだろうか。

 

「……最期に、お父さんの手の中で逝けること……心から幸せに思います。私に生を与えてくださり、本当にありがとう……ございました」

「……護れなくて……ごめんなさいっ……」

「何も責めないで……責めるくらいなら、私のお願いを……」

「なんでも!!」

「……お母さんに……大好きだよって、愛してるよって……」

「ハイっ……ハイっ……必ずっ……」

 

 私の頬に、温かい水が落ちて来た気がした。

 

 死を迎えることは、恐ろしくはない。

 過ごした時は短かったですが、十分な愛を貰った。

 多くの人に護られた思い出が、私の心を包んでくれている。

 

『いいか、俺達が絶対しちゃいけねぇのは、一人で死ぬ事だ!! 仲間に心を預けないまま、一人で消えることだ!!』

 

 海燕さんからの教えを、最後まで護る事ができた。

 私は、沢山の人に囲まれてる。

 沢山の人が、私の心を受け取ってくれた。

 

 ……その想いは声にならなかった。

 

 意識が消える。音が完全に聞こえなくなる。光が無くなっていく。

 でも、心はずっと温かいままだ。

 

 

 ああでも……最期に一つだけ思い残すことがあるなら……。

 

 もう一度、会いたかった。

 貴方のお陰で、私は迷うことなく進めたよって……伝えたかった。

 

 

 

 

 …………………………

 ………………

 …………

 ……

 ……

 

 

 

『……持ってきたよ、崩玉の力』

 

 権兵衛が迎えに来てくれた。

 いや、私がみてる夢かな。

 どっちでもいいや。もう会えないと思っていたから嬉しい。

 

『略して呼ぶの、やめてよね』

 

 ごめんごめん。じゃあ、一緒に行こうか。

 

『僕以外にも、あと三人来てる』

「ん?」

 

 権兵衛が指さした方を振り返った。

 

『ばっかやろう!! なんでこっちに来た!! お前はもっとっ……』

『姫乃ちゃんっ……早すぎるよっ……』

 

 海燕さん!! 都さん!! 

 

 私は思いっきり二人に抱きついた。

 二人もまた、強く抱きしめてくれる。

 

「やっぱり、こっちの世界でも待てるんですね!」

『バカヤロっ……お前が見てる夢だ……』

「それでもいい……私は、此処でいつかみんなが来るのを待ちます」

『俺らも一緒だ』

『独りになんかしないわよ』

 

 俺ら。その言葉通り、もう一人が私に声をかけた。

 

『姫様。立派でしたぞ』

 

 その隣に立つのは勒玄。

 ……お前も待っていてくれたんだ。

 

『いつまでも、お待ちしましょう。貴女が先を歩かねば、この老いぼれ足が動きませぬ』

 

『『『 さあ、そろそろ行くか 』』』

 

 全員に手を引かれるようにして前に進む私の体。

 

 その歩く道の先で、暗がりがあるのが見えた。

 ふと気になって目を向ける。

 

 その暗闇の下にいたのは、名無之権兵衛とそう変わらない位の見た目の少年だった。

 フワフワとした茶髪が良く似合う男の子。

 

「どうしたの?」

 

 そう声をかけても、何も答えない。

 

「……独りなの?」

 

 私の質問に、その子は小さく頷いた。

 

「じゃあ、一緒に行こ。独りじゃないよって思える日まで、一緒に私達がいてあげる!」

 

 伸ばしたその手を、恐る恐るその子は掴む。

 

『かー! またガキが増えたのか!』

『いいじゃない。人は沢山いた方が楽しいわよ』

『わ、私の労働が増えますぞ……』

『新入り!!お前に僕の姫乃は渡さないからね!』

 

 一気に賑やかになった集団を、少年は不思議そうな顔で瞬きを繰り返す。

 

「どう? 貴方の心を、私に預けてみない?」

「……うん」

 

 そうして、私達は前へと走り出す。

 それに比例するように、私の意識は完全に途絶えた。

 

 

 

『——!!!!』

 

 歩き出した私の背中に向けて、誰かが名前を呼んだ気がした。

 

 

 

 

 

 




使った原作考察
・鬼道衆と隠密機動の関係性(百年前の過去編で、唯一絡みの描写がない有昭田に対して、砕蜂が戦闘放棄するまでに嫌悪感を出ていたこと)
・禁術
・涅ネムの魂魄切削術
・総隊長の遺体が指一本残っていなかった理由
・崩玉に関する考察
・転神体が造られた意味
・観音開紅姫改メの名前の意味
・浦原喜助の拠点が西流魂街であった必要性
・浦原商店が駄菓子屋である意味
・魂魄保護技術に関して


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第七十七話 託された希望

 

 

 誰しもが沈黙する空間。

 徐々に、徐々に体が霊子へと戻る姫乃を、成すすべなく見守るしかなかった。

 

 浦原の体は震え、小さな嗚咽が聞こえる。

 

 彼が泣くことなどあるのか。

 誰かは、ふとそう思った。

 

 いや、自分が泣いていることにきっと気づいてはいないだろう。

 また誰かはそう思った。

 

 ただの静寂が流れる中……突然浦原の手元に何かが飛んできた。

 

 _ポシュ

 

 ぶつかった途端に、場の雰囲気に全く似合わない音を立てる物体。

 球体だったソレは、すぐに形を楕円の卵型へと変える。

 そして、消えかけていた姫乃の体を全て包み込んだ。

 

「……は?」

 

 流石の突然の出来事に、場に響いたのは一護の間抜けな声。

 

「気持ちの悪い空気だヨ、全く」

 

 そう言って皆が浦原と姫乃を囲んでいる中、円の外から現れた一人の男と女。

 彼らが、そんな二人を誰だと思う事はない。

 自分たちをこの空間まで運んでくれた張本人だからだ。

 しかし湿っぽい空気に似合わない声は、全員の思考を止めるには十分すぎた。

 

「ネム、捕まえたかネ」

「はい。一片も残さず」

「上出来だヨ!」

 

 つかつかと歩いてくる男性に、皆が圧倒され道を譲る。

 そして彼は、地面に座り込み自分の副官が投げた容器を抱えて呆ける浦原を、さぞ嬉しそうに見下した。

 

「いい表情だヨ! 浦原喜助! 貴様のその顔が見れただけでここへ来た甲斐があったというものだ!」

「く、涅さん……?」

 

 浦原もまた、状況の整理が追い付かないまま、涅とネムを交互に見た。

 そんな浦原に構うことなく、ネムは彼が抱える黒い容器をいじっている。

 

「解析は済んだかネ」

「はい、マユリ様。残留魂魄は8%です」

「ほう、思ったより残っていたようだ! 状況はどうだネ?」

「はい、機能は問題なく動いています」

「素晴らしいヨ!!!」

 

 理解の出来ない二人の会話に、一護が割り込む。

 

「誰だよ、お前ら! 如月さんの体に何しやがった!!」

 

 その一護の発言が気に入らなかった涅は、ギロリと一護を睨んだ。

 異常ともいえる、涅の格好と圧にたじろぐ一護。

 

「……君がこの私の事をお前呼ばわりしたこと。私の行いに理解の及んでいないその低知能。本来であれば原型のないほどまで解剖の刑だが……貴様は運がいいネ。今私は非常に気分がいい。見逃してやらんこともないヨ!!」

 

 涅の会話に補足するように言葉を発したのは、浦原だった。

 

「……魂魄保護器……っスか」

「左様。この小娘は私の研究室に入り込み、散々な事をしてくれたようだネ。万死に値するほど不愉快な小娘だ。このまま勝手に死んで貰っちゃあ困るんだヨ!! 私の研究材料として、たとえ魂魄の欠片であろうと生涯尽くしてもらわなければ気が済むわけがないだろう!?」

 

 ただの容器を睨みつけ、目を見開き奥歯を噛み締めて涅は怒りの声を上げる。

 そんな彼に、浦原は抑揚のない声で返事を返した。

 

「……もう彼女の体は霊子化が進んでるっス。魂魄保護器では止められない。無駄っスよ」

「私が貴様の魂魄保護技術を超えてないとでも思ったかネ」

 

 その言葉に、浦原は顔を上げた。

 

「その小娘の体内に監視用の菌を植え付けている。卯ノ花隊長が小娘の治療の際使った薬に混ぜ込まれているものだヨ。なんにせよ、あの禁術を間近に見られたことで、素晴らしいデータを得ることが出来た事に間違いはない!」

 

 涅は意気揚々と両手を天に翳し、興奮を抑えられないようだ。

 その熱量についていけている者は、現状誰一人としていない。

 ただ、それは彼にとって大した問題でもないのだろう。

 

「従来の魂魄保護技術に禁術である時間停止を組み合わせた。未来永劫、その小娘の魂魄が消え去ることはないヨ!!」

「組み合わせたって……姫乃がこの山に来てから二時間も経ってへんやろ。それにこの山にどうやって来たんや」

 

 平子のその言葉に、涅はハッと不愉快だとでも言いたげな表情で彼に対して首を傾げる。

 

「出来るからここにいるわけだが?」

 

 涅はつかつかと歩き、持ってきた荷車から何かを取り出した。

 

「……この小娘が残した功績は褒めてやらんこともない。おかげで任意の場所への空間移動技術も進んだ。君たちが今被検体として実感しただろう。肉体の欠損なく転送可能とは……禁術とは実に素晴らしいネ。実験体として特別待遇で迎えてやらんこともないヨ!」

 

 涅の言う通り、隊長達はここまでとある機械で転送されてきた。

 しかし、そんな実験内容だったとは初耳でみんながドン引きの目で涅を見つめる。

 

 そんな目線には構わず、涅は取り出したものを地面に投げ捨てた。

 投げ捨てられた者は、必死に蠢いて自分の存在を主張する。

 ……両手両足を縛られ、口をふさがれているー石田雨竜だ。

 

「んー!! んー!!!!」

「煩いヨ。黙り給え」

 

 涅は石田をズルズルと引きずり、魂魄保護器と浦原の前に彼を持ってくる。

 

「石田!」

 

 すぐに一護が駆け寄り、石田の拘束を解いた。

 

「黒崎……無事だったか……いや、そんなことより!! おい、涅マユリ!! どういうつもりだ!!!」

 

 石田の問いには全くの完全無視の涅。

 クルクルと自分の目玉を回して遊んでいるその姿に、石田はグッと自分の拳を握りしめた。

 

「おい!! 無視するな!!!」

 

 石田を無視する涅に、代わりに返事を返したのはネム。

 

「初期動作は現状良好。しかし、一つの問題は、今後の活動維持の為の燃料です。この魂魄保護器の燃料は霊子。霊圧および尸魂界構造物より搾取した霊子の塊を打ち込む必要があります」

「霊子の塊だって!? そりゃちょっと難しいんじゃないか……」

 

 そこまでいった京楽は、気が付いた。

 霊子の収束。滅却師なら出来る。

 

 涅がなぜ石田をここへ連れて来たのか、全員が理解した。

 

「ぼ、僕は死神の手助けなんかしないぞ!!」

「滅却師風情に拒否権などあるとおもったかネ? これは命令だヨ。小娘は、この実験の被検体第一号だ」

「断る!!」

 

 自分に求められていることが分かったのだろう。石田は拒絶する。

 その石田の肩を叩いたのは一護だった

 

「頼む……石田……死神の助けじゃねぇ。俺らの……仲間を助けるためだ……頼む……。如月さんを……俺は死なせたくはねぇ……!!」

「……」

 

 その言葉に、石田はしばし考えた後、自身の腕を拘束していた蔓をはぎとった。

 

 ……滅却師としての最期の力。

 霊子の収束を超えた、霊子の隷属。

 姫乃が護った、彼自身が持つ最高能力の力。

 

「さっさと霊子の隷属をやり給え。この山の三分の一の霊子を打ち込めれば五百年は、動き続ける」

「無茶言うな。僕にそんな力は残っていない」

「小娘が盗んだその道具だがネ。解放後、一時的に出力を限界突破させる作用がある。分かったらさっさとやれと言ってるんだヨ」

 

 その言葉に石田は何も返さず、魂魄保護器に向かって矢を作る。

 山が石田の元へ霊子として集結し、左肩にまるで大鷲の羽のように形を形成していく。

 

「君たちも何を呆けてるんだネ。寝てため込んだ霊圧の解放くらいやり給え」

 

 その言葉に慌てて隊長達も自身の霊圧を解放した。

 それらはどんどん石田の矢へと収束し続け、天を覆わんばかしの巨大な翼となる。

 

 

「……如月さん……貴方が護ってくれた力。貴方のために使います」

 

 そういって、石田は矢を放った。

 

 

 ………………

 …………

 ……

 …

 

 

 無事燃料補給が終わったことを悟った全員は、涅が機械の点検をして結果を言う時間をじっと待った。

 石田は息が上がり、その場に座り込む。

 山の標高はやや下がったように思えた。

 

「サンキューな、石田」

「黒崎のためじゃない。……死神の歴史に滅却師に救われたという事実を叩きこんでもいいと思っただけだ」

「相変わらず素直じゃねーな」

 

 涅はふむ。と声を上げて魂魄保護器を抱きかかえると、すぐに踵を返してつかつかと来た道を戻り始めた。

 

「一発では精々二百年といったところか。まあ十分だろう。帰るヨ、ネム」

「はい、マユリ様」

 

 帰ろうとする涅の肩を、一護が慌てて掴んだ。

 

「帰るって、どこにだよ!」

「……その汚らわしい手を今すぐどけ給え」

 

 ブンと斬魄刀を振った涅が一護の腕を斬り落とす前に、慌てて京楽が一護の身を引いた。

 

「……説明をお願いしてもいいかな、涅隊長

 僕たちは残念ながら涅隊長程頭が良くなくてね」

 

 困惑した表情でそう申し出る京楽を見つめ、涅は大きくため息を吐いた

 

「自分たちの低能さを理解できているのは立派なことだヨ。京楽隊長殿」

 

 自分が持ってきた荷車に姫乃が保管された容器を詰め込みながら、涅は淡々と説明していく。

 そして荷車の中から脳が保管されている容器を取り出した。

 

「この小娘は、記憶のバックアップを取っている。ここに魂魄の欠片もある。大脳がある。ならば、生命体として再度構成すればいい。……ただそれだけの話だヨ」

「そんなことができるのかい……」

「あくまで、出来るだけであって私はやるとは言っていないヨ」

 

 にわかには信じられない涅の説明に、京楽は瞬きした。

 

「ネムをどうやって作ったか、それすら分からない猿じゃあないだろう。ただし、この娘に使うのは、ネムを作った技術の応用だヨ。……新たな補充用魂魄と、この消しカス程度に残った娘の魂魄を一つに融合させる作業。そして大脳の縮小移動。全く、百年はかかる研究だヨ。それに記憶のデータを少々閲覧したが……厄介ごともため込んでいるようだ。実に不愉快な小娘だヨ」

 

 面倒事に巻き込まれたとやれやれと手を掲げる涅。

 百年という途方もない年月に、一同は唾を呑んだ。

 しかし、百年待てば姫乃が帰ってくる。

 淡い期待が全員によぎった。

 

「やって……くれるのか?」

「やらないと言っているだろう。私はこの魂魄保護器の性能調査に来ただけだヨ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

 周囲に一気に落胆の色が広がる。

 そんな彼らの様子をみた涅は、諦めたかのような悔しそうな、ため息混じりの小さな声で言葉を吐き出し。

 

「……この優秀極まりない私が、百年かかると言っているんだヨ。私はこの小娘が残した記録の方に興味がある。いいかネ、ネムを創る技術とは別だ。新しい魂魄の作成ではなく、既存魂魄の融合化が必要。やる意味もやる必要性も何処にもない」

「涅……」

「……ただまあ、例え手足が欠損していようと言葉が話せなかろうと、耳が聞こえなかろうと目が見えなかろうと。どんな実験結果に終わっても、その小娘を百年かけて再生出来る、暇そうな技術者は……ソコにいるんじゃあないかネ」

 

 その言葉をきっかけに、全員の視線が浦原に注がれた。

 とうの浦原は、困り顔で頭を指で掻く。

 

「……買いかぶりすぎっスよ。涅さん。それにアタシは……」

「そうかネ。それは申し訳なかった。自分のガキを捨てて貴様はまた現世に逃げるとでもいうのかネ。いいだろう。ネム。実験は終わりだヨ。この容器を今すぐ開放し給え」

「はい、マユリ様」

 

 容器に手を伸ばそうとしたネムに、全員が反射的に止めに入った。

 何人もの人物に押さえつけられ、流石に動くことの出来ないネムは、困ったように涅を見つめる

 

 浦原の迷いにいち早く気が付いたのは、有昭田だった。

 

「浦原さん。こちらへ来る前に握菱さんから伝言を預かりマシた。店長。そちらでやるべきことをなされよ。私は鉢玄殿、ジン太殿、ウルル殿と共に自由気ままに世界を旅でもしてみたい。……と」

 

 もう現世でしか生きられないテッサイ。

 どちらも捨てることができないだろうという浦原の心を、先回りしたかのような言葉だった。

 

「握菱さんの元で生きる道。どうか私に譲って欲しいデス」

「ハッチが我儘いうなんて珍しーねんで、喜助。気変わらんうちにさっさと決めんかい」

 

 平子と有昭田の言葉に、浦原は深く頭を下げた。

 

「ありがとう……ございます……」

 

 小さくつぶやく浦原。

 涅はそんなやり取りなど一切興味がないようにため息をまたついた。

 

「浦原喜助」

「ハイハイそう何度も名前呼ばないでくださいよ。照れるじゃないっスか。……すみません、涅さん。アタシはまた嘘つきました」

 

 嘘。という言葉に涅は首を傾げる。

 何を嘘ついたというのだ? 

 

「二十年で終わらせますよ」

 

 そう言って浦原は立ち上がり、魂魄保護器に近づき自分の腕の中に抱えなおした。

 その目は先ほどまでの絶望の目ではない。

 笑ってもいない。

 

 ただ自分の心に何かを誓ったようなそんな強い目だった。

 

「それに貴様のその目、相も変わらず不愉快な目だヨ」

 

 そう言って帰る涅を慌てて追いかけるように一人、また一人と背中を追う。

 

「涅隊長ぉ!!!」

 

 誰かが、そう大声を上げた。

 

「ありがとうございます!!!!」

 

 そうして、数名が彼に向かって深く頭を下げる。

 

「……やれやれ、今日はなんの日だネ? 先程からやけに礼を言われるが……私には君達の心情など、興味の欠片もないヨ」

 

 たとえ、どんな状態であっても……姫乃が帰ってくるならば。

 誰かはそれを、傲慢と呼ぶ。

 誰かはそれを、命に対する冒涜だと呼ぶ。

 

 ただ、科学者は……それに後ろ指を指されたからといって立ち止まるほど矮小な存在ではない。

 

 姫乃の未来は、確かに父の手に託された。




お時間ある方は、作者のほんの些細な興味にお答え頂ければと思います。


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第四章 新たな日々の物語
藍染視点 君の笑顔に花束を


 

 如月姫乃。

 

 彼女に初めて会った日の事は、よく覚えている。

 浦原喜助が拠点としていた西流魂街。

 何かしらの研究の名残がないか探すついでに、管轄を請け負っていた。

 

「……やはり、穿界門は此処か」

 

 予測通りの調査結果。

 彼ならば何か想定外の物を残してやしないかと期待したが、特段気にする程度のものは無い。

 

 隊へと帰ろうとした時、私は一つの奇妙な存在を感じ取った。

 

「やけに霊力が高い魂魄だな」

 

 経験上分かる。これはやがて、死神の中で"隊長"となり得る事を可能とする存在。"才"に恵まれた存在だと。

 

 私が近くに行った時、魂魄は今にも虚に喰われる寸前。

 助けたのは、ただの気分だった。

 それが間違いではなかったと、私はすぐに確信することとなる。

 

 白に近い金色の髪色。瞳の色こそ違うが、目の雰囲気はとてもよく似ていた。

 

 驚いたのは、少女が次に紡いだ言葉。

 

「……死神?」

「驚いたな。よくわかったね」

「あのね、頭の中で答えが出るの! だから分かるの!」

 

 その言葉さえなければ、恐らくその場で気がつく事はなかっただろう。

 容姿。霊質。思考能力。

 ……浦原喜助。実に面白いものを残していった。

 

 あれほどの頭脳を持つ男の遺伝子を受け継いだ子は、どう成長するのか。

 何を学ぼうとするのか。

 

 この子は、この世界の在り方をどう考えるのか。

 

 何かしらに遣えると思って、その存在を拾った。

 

 母親の愛を一身に受けながらも、父親の存在を探し続けるバランスの悪い子だったとは思う。

 

 だから、教育を施すついでに彼女が理想とする父親像を演じ続けた。

 

 私の中に、一つの予定が芽生え始めた瞬間だった。

 この子が何を選択しようが、何を捨て置こうが興味はない。

 私の傍でしか、息ができないようにしてみてはどうか。

 

 その時彼女は……世界とはどう在るべきだと考えるのか。

 

「早く藍染さんみたいに大きくなりたいなぁ……」

「じゃあ、なっていると実感できるよう記録でも付けてみよう」

「うん!!」

 

 今在る世界の姿は、所詮はその程度の世界でしかない。

 犠牲で在れと踏み付け、土台にしただけの存在を、神だと錯覚する愚かな死神。

 

 そんな世界で……この子はよく笑う。

 

 何もかもが予測出来る程度の世界の中で、異物があるのであればこの子。

 

 良かれと思ってやった事に泣き喚き。

 どうだっていい事に心底喜ぶ。

 

「……子育てとは、全くもって思いどおりにはいかないものだな」

「……なに言うてますの? 藍染さん」

「いや。一つ結びの位置程度で、機嫌が変わられると面倒なだけだ」

「……ほんまに、なに言うてますの?」

 

 意外にも、自分にも出来ない事があるのだと知った。

 予測的に動き、自分に出来ない事などなかった世界。

 その中で、この子はその可能性を私にみせた。

 

「お団子にしてよう!!」

「……難しいな」

 

 暇を見つけてはやってはみたが、結局この子の納得のいくようには出来なかった。

 出来なくてもどうだっていい事に、悩まされていると気がついた。

 

「嘘つくと、閻魔様に舌切られるの!」

「そうか。じゃあ、嘘はつかないでおこうか」

「約束ー!」

「約束だ」

 

 君はそんな会話をした事など、覚えてすらないだろう。

 

「うわああああん!」

「そろそろ泣き止みなさい」

「抱っこしてよぉおお!!!」

「……仕方ないな。おいで」

「うん!!」

「……嘘泣きか」

 

 散々に泣きわめいていたというのに、腕の中に潜れば、まるで全てを忘れたかのように笑いながら寝る。

 

 泣き喚いて面倒なのであれば、笑わせていればいい。

 

 何を教えて、何を教えずにいるべきか。

 

「花街ってなーに?」

「……君が知らなくてもいい事だ」

「教えて! 教えて!!」

「……渡す本は次から考えるべきだな」

 

 失敗という経験は、非常に面白い経験ではあったと思う。

 

 

 

 その中で、さらなる経験をしたのは紛れもなくあの日だった。

 

 

 自分を踏みにじってきた相手を助けようとしたばかりに、怪我を負った。

 

「傷が……深すぎる」

 

 回道が間に合わない。

 そもそも死神の能力の中でも特異的である回道は、今の私の実力のままでは届かない。

 

 

 ……このままでは、この子は死ぬ。

 

 

 焦りを覚えた。

 初めての経験だ。

 

 数日前から、あの周辺に虚が居ることには気がついていた。

 ただ、問題はなかったのだ。

 たとえ手を抜いても、この子が負ける程度の虚ではなかった。

 

 ……護ろうとしたから、怪我をしたのだ。

 

「……悪いのはきっと、あの子達じゃなくて……きっと私のほうだから」

 

 自分を責めた上に、護れる力があったと安堵しているその姿に、怒りを覚えた。

 

「……私、死神になるよ」

 

 違う。君のその力は、"護る"為にあるのではない。

 護るべき時、君は自身を責める。

 護るべき時、君は実力以下の力でしか戦えなくなる。

 

 "護廷"にそぐわぬ、孤独な力だ。

 

 それでもその道を行くというのであれば……私が届かないという姿を見せるべきではない。

 

「君が孤独じゃないと感じるその日までは、僕は君より強くあり続けると誓おう」

 

 自分の技量不足を理解し、四番隊に駆け込んだあの日のように。

 "藍染さん"でも届かないことがある。と……この子が知った時、この子は死ぬ。

 

 自身の力が死神としての矜恃を全うする為にあるのではないと気がついた時、この子は世界ではなく自身を恨む。

 自分を責め、チカラを否定し、自分自身の存在意義を失うだろう。

 

 護る為に創られたこの世界の所為で。

 この世界の在り方故に、この世界に殺されるのだ。

 

 あの焦りを、二度も再現する必要は無い。

 同じ失敗を、二度も繰り返してはならない。

 

 この世界など、この程度で充分だ。

 そう思っていた私に、またこの子は可能性をつきつけてきた。

 

「てっきり五番隊に来るもんだと思っていたが……」

 

 私が可能性を見つけると同じく。

 この子も、新たな可能性を見つける。

 

 自分の力を孤独だと理解しながら、それを補完する可能性を探し求める。

 

「……浮竹が取るのか。あの子にとっては皮肉でしかないな」

「着いてきてくれへんと、蛆虫の巣に行くて書いてはりますよ」

「……其方の方がよほどマシだろうに」

 

 ……その可能性は、ただのまやかしにすぎないというのに。

 君の本質と虚像は繋がりえない。そういう運命の元に産まれてきたのだから。

 

「大鬼道長になったら十三番隊を抜けなくちゃいけなくて……」

 

 その虚像的安寧に身を埋め始めた時、私は想定より早くに彼女に真実を明かすべく、誘導をかけた。

 偶発的に起きた事象は、誘導のために利用するに容易かった。

 

 ……その堕ちるべきでは無い世界へ堕ちて、戻って来られなくなる前に。

 

「実感してきたはずだ。仲間と呼んでいた存在を信用していなかったこと。信用に値しない存在であったこと。自分の知恵も力も、護る為の力ではなかったことを」

 

 私の最高傑作だ。

 この世界にまやかされた死神達に、彼女を壊されるなど許されない。

 

 ……この子をこの世界で在るが故に殺されるなど。そんなことは許されない。

 この子を、この世界に殺させない。

 

「行かないっ……藍染さんとは……行かない!」

 

 君が何を選択するかは自由だ。そこに興味はない。

 私が高くに在り続ける限り、君は私の傍でしか息が出来ないのだから。

 

 ……私が高く在り続ける限り、君は生きていけるのだから。

 

「ボク、蛇やから人を呑み込むんは得意ですけど……他の人の腹に既に呑まれたもんは、流石に奪われへんなあ」

「そうなったらどうするんだい?」

「せやなぁ……。ほんまにそのちっこい体で消化できるんか観察しとくだけですわ。吐き出すんやったら、頂くだけやし」

 

 ギンが私に言った何気ない一言。いや、彼が理解していて言った一言は、私を気が付かせる。

 

 

 呑まれているのは、私の方だと。

 

 

 

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 ……

 

 

「  観音開紅姫革メ(かんのんびらきべにひめあらため) 」

 

 私が高く在り続ける限り、この子はどれだけ絶望を重ねても生き続ける。それが君にとっての希望となりえるからだ。

 

 そうではないという可能性を……この子はまた叩きつけてきた。

 

「……魂魄切削の卍解を……!!」

 

 この子は……護る事を捨てた。

 自分の命すらをも。

 

 同じ焦りは覚える必要が無い。

 同じ失敗を繰り返す必要は無い。

 

 ……自分が死んでもなおそれでもいいと。そうしてまでも、手放したくないのか。

 

 時が一気に引き戻されるような感覚を覚えた。

 

 わたしの目に映るこの幼い子は……私が見ている虚像か否か。

 

 考えるより先に、手を伸ばした。

 

 よく知った泣き顔。

 ……また泣いているのか。今度は何が不満なんだい。何が辛いんだい。

 

『抱っこしてようう!!』

 

 ……仕方ないな。おいで。今度は嘘泣きか、本当に悲しいのか。どっちだって構わない。そこに興味はない。

 ただ腕に収めれば、君は笑うのだろう。

 

 現実に引き戻された時には、既に私は地に膝をついていた。

 

「……もう、貴方は死神ではない。死神であるということを、造り変えた。ただの、人間……いや、人間もどきだよ」

 

 ……そうか。

 崩玉の力は、紅姫の力か。

 なるほど、私の造ったものでは一向に進化しないわけだ。

 

 彼女は、その身の丈に合わない刀を握りしめ、いつの日にか死んだ上官の斬魄刀の名を口にする。

 

 君には鏡花水月を見せた。

 それは、君が"一人"ではないからだ。

 私の真の力を知るものは、少なからず存在する。私の斬魄刀の能力を疑い、やがては父親やその周辺の死神と接触するだろう。

 遅かれ早かれ、この鏡花水月の力に関して嘘をついていると。君自身が確信し、キミが求める仲間という存在と群れをなす。

 

 ただ、そこに"個"としての相関性はない。

 多くの存在と共に、鏡花水月に抗おうが抗わなかろうが。

 それがまやかしであり、"独り"だという事に気がつける糧となるならそれでいい。

 

 私はその程度で敗北などしない。

 繋がりを求め続け、弱く在る事を望む君に敗北する未来などない。

 

『アンタ、如月さんを斬る覚悟がねぇんだろ』

 

 ……黒崎一護。それは違う。

 その時ではないからだ。この世界の在り方のまま彼女が死ぬのは、私に対する侮辱だ。

 私の力は、彼女を殺す為にあるのではないからだ。

 君が死すべき時は、君のような存在が正義だと認められた世界でのみだ。

 

 

 ……だが、それを覆してこの子は私を超えてきた。

 

 私が居なくなったら、誰が君の涙を止める。

 誰が君を笑わせる。

 

 ……君は、独りだというのに。

 

「……君はまだ泣き虫かい」

 

 せめて、泣かなければ煩わしくはない。

 

「うん。だけど、もう悲しくないよ。……私、もう"独り"じゃないよ」

「……そうか」

 

 

 いや、違う。

 煩わしくない。そうじゃない。

 

 君はもう、私の気が付かぬ間に"独り"ではなくなったのだ。

 私がほんの些細に目を離していた隙に、君は"孤独"を埋めるのではなく、繋げる手段を得たのだ。

 

 

 では、私の役目はここまでだ。

 私が在るべきだと考える世界と、君が在りたいと願った世界の戦いは、これで終焉。

 

 君は、君が望んだままに在りたい世界を歩く。

 そうしてその世界の中で……

 

 

 "笑いなさい、姫乃"

 

 

 その言葉は、声にはならなかった。

 

 呑まていたのだ、私は既に。

 笑わせれば良いという思考が、笑っていて欲しいと願うほどに。

 

 崩玉の力を持つ者らしく、彼女は笑う。

 私の願いを叶える。

 

 在り方そのものが間違えてるこの世界の中で……たった一つこの世界で良かったと思えることがあるとするならば。

 

『誕生日おめでとう、姫乃。また背が高くなったね』

『えへへ! 直ぐに大人になるもん!』

『ゆっくりでいいさ。どうせ僕らは悠久の時を歩むのだから』

『ゆっくりしてたら、藍染さんおじいちゃんになっちゃう』

『そうかもしれないね。ただでさえ、そろそろ抱っこがしんどいんだ』

『ええー!! やだやだ!!』

 

 ……それは、君の誕生日を知っていた事だろうか。

 きっとそれは、幸せだったのではなかろうか。

 

 いまとなってはわからない。

 

 私がこの世界に良いことがあったと思える。

 そう繋いでくれたのは……君のおかげだと。

 

 ただ、それだけはそう思う。

 

 

 

 既に消えた意識の中で、誰かの声が聞こえた気がした。

 

『独りなの?』

 

 ああ。だが、それを辛いと思ったことは無い。

 所詮はまやかしでしかないのだから。

 

『じゃあ、一緒に行こう! 独りじゃないよって思える日まで、私達が一緒にいてあげる!』

 

 君はそれを理解していて、まだそこに繋がりを求めるか。

 いや、誰かが繋げたのだろう。

 その繋がりに私は敗北した。

 その繋がった世界は、どんな世界だったかのか。

 興味深いとは思う。

 

『貴方の心、私に預けてみない?』

 

 好きにするといい。では私は、そのようやく繋げた繋がりが、砕けぬように今度はしてやればいい。

 

 そうすれば……君はこの世界で笑い続けるのだろう。




これにて本編完結。
もしかしたら、藍染に関して納得のいかない部分もあるかと思います。
もちろん、皆様それぞれの解釈を大切にしていただければと思います。


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其ノ壱 腕の中にある輝き

 

 

 時は流れる。

 前を見れば木の葉の落ちるかのようにゆっくりに。

 後ろを振り返れば、水流のようにあっという間に。

 

 それぞれが、それぞれの未来へ向かって"今日"という日を歩いて行く。

 

「何故、如月姫乃に手を貸した」

「やから、ボクはそんなことしてませんゆーてますやないの」

「……語らぬと?」

「話すことがあらへんことを、話せ言われても無理ですわ」

「……判決を言い渡す。市丸ギン。貴様の行いは未来永劫許すことは出来ぬ。……しかし、情状酌量の余地あり。よって、隊長羽織の永久剥奪及び地下監獄最下層第八監獄―無間にて百年の投獄刑に処す!!」

「ひゃあ、殺さへんの。そこに入れたら、殺されへんって意味やで」

「口を慎め!! ……如月姫乃の残した記録と、山本元柳斎重國の温情に感謝せよ」

 

 四十六室の面々は、ダンっと拳を机へと叩きつける。そして、ある一人が手元の資料へと目を落とした。

 

『総隊長。どうか、市丸ギンに温情を。彼が背後から手助けしてくれなければ、もっと多くの犠牲がありました。どうか……彼の心を救ってはくださりませんか……。全ての記録は、鬼道衆地下に……』

 

 夢などという立証の立たない内容を温情として扱う訳にはいかない。そういう姿勢を崩さなかった四十六室へと提出されたのは、記録。

 如月姫乃の頭の中にしかない彼の記憶ではない。

 出会った当時から、市丸ギンと折り重ねてきた大量の過去。

 その一つ一つに、藍染とは同盟的ではないという裏付けに繋がる記録簿。

 

「……浦原喜助の娘めっ……小癪な事を……!」

 

 まるで唾を吐くかのように、誰かがそう言葉を吐き捨てた。

 

 覆せない。

 

 市丸の減刑を求める記録ではない。

 彼を"殺せない"理論を突き立てて来たのだ。

 

 この尸魂界中の賢者の叡智を持ってしても、齢百もいかない子供の理論を覆すに、誰も至らなかった。

 

 まるで、「誰が書いた記録簿だと思ってんの。子供の落書きとでも思った?」と言いたげな声がこの場に響くかのよう。

 

「連れて行けぃ!!」

 

 市丸が拘束され、四十六室から監獄へ移送される。

 外に出た時、それを見送るのを待っていたかのように一人の女性が少し離れた所に立っていた。

 

「……乱菊」

 

 松本は、壁に体をよりかけながら市丸をジッと見つめる。

 

「……無間に居れば、もう勝手に何処かへ行ったりしないわね」

「御免な」

「……ずっと、ずっとアンタを待ってたのよ。……あと百年くらい、どうってことないわよ」

「えらいええ女になったやないの」

 

 市丸の冷やかしのような言葉には松本は返さず、少し間を開けて別の質問を投げる。

 

「……アンタが藍染に直接手を下したかったんじゃないの」

 

 市丸は、何も答えずに誘導に従って歩き続ける。

 松本との距離が遠く離れ始めた時、市丸はふと足を止めた。

 

「……別になんもボクはしてへんよ。ただ……」

 

 どこか遠くを見るように、市丸は空を見上げる。

 

「皆で花見は、案外悪くあらへんなって思っただけや。……あの子とおると、乱菊が泣かんで済むやろ」

「……偽善的ね」

「はて。ボクもいつの間にか、あの子ん"毒"が回ってたんやないの」

 

 冗談めかして市丸はクスクスと笑う。

 そして、市丸と松本は反対に歩くようにして別れて行った。

 

 また隣を歩ける未来を思い描きながら、"今日"を歩いていく。

 

 

 

 そうしてまた、時が刻まれ続ける。

 

 

 疲労という言葉を感じさせぬままに、次から次へと巻き起こる戦いに、死神達は身を沈めていく。

 

 

 ………………

 …………

 ……

 …

 

 

 __雨乾堂

 

 パチン……パチンと静かに音を鳴らすのは、それぞれが打つ囲碁の駒の音。

 

 向かい合い、次の一手を頭の端に考えながらも二人は会話を酌み交わす。

 

「……あれから、十五年かい。早いもんだねぇ」

「はは。歳をとるってのは敵わないものだな。若い子達が羨ましいよ」

「……結局、姫乃ちゃんは……初めからこの日にはいない予定だったんじゃないかと、今でも思ってしまうよ」

「……そうだな」

 

 藍染の死後。

 虚圏に残された破面の統率、滅却師の襲撃。

 その全ては、緻密に計算された姫乃の対策方法によって"事なきを得た"といっても過言ではないほどの結末だった。

 

「ちゃっかり、記録だけじゃなくて対策も残してたんだから」

「アイツの地下研究所を見た時の涅は、思ったより真剣に論文を読んでたじゃないか」

「そりゃあ、好き嫌いの感情と科学者としての研鑽は別物なんじゃないかい? まあ、ボクには分かんないけどね」

 

 藍染の死後から二年も経たぬうちに始まった、今では"霊王護神大戦"と呼ばれる戦い。

 

 その戦いに最も有効的だったのは、昔姫乃自身が作り上げた『擬似結界装置』。

 霊子の隷属を可能とする滅却師に対して、遮魂膜は意味を成さない。

 その代わりに、瀞霊廷中を余すことなく包み込んで彼らの進行を食い止めたのは、姫乃が作り上げた装置。

 

 仲間には手を出させない。

 その強い意志は、その願い通りの形となった。

 

 死神側は、滅却師を迎え撃つ選択ではなく、討ちに行く選択を取った。

 それを可能にしたのは、姫乃の未来の記憶。そこから練り上げられた二人の科学者による戦術が大きく貢献した訳だが……。

 

「装置に組み込む結界術の構成は、伊勢が考えたんだろう?」

「そ、七緒ちゃんが絶対自分がやるって譲らなかったんだ。まあ、出来るって姫乃ちゃんも信じてたんじゃないのかい。だから、結界術の術式部分だけ空白だったのさ」

 

 それは、まるで、「私はいないけど、あとは任せましたよ」と言っているかのような内容。

 はじめから……仕上げは誰かに託す予定だと言わんばかしの、未完成。

 

「そういや、体調はどうだい?」

「ああ、すこぶるいいさ。ただまあ……慣れないなぁ、布団に伏せなくていい毎日ってのは」

「そりゃあ良かった。あと三百年はしっかりしておくれよ」

「まさか。そう遠くないうちに朽木に譲るつもりだ。余生を楽しむさ」

 

 姫乃が残した研究結果は、戦いに関するものだけではない。

 浮竹の病を治す為の術。ミミハギ様の摘出方法と、井上織姫の能力による完治。

 その研究は、浦原喜助へと引き継がれ、彼女の願いを叶える結果となった。

 

「任意場所への転送技術。穿界門を使ってた時が懐かしいなんて思う日が来るなんてね」

「普及は慎重にやらねばな」

 

 彼女が残した記録を元に新しく造られた技術は多い。

 完成半ばで終わった研究も、その殆どは時の流れと共に実行を可能とした。

 

「さ、話はそろそろ終わりだ。仕事に戻れ、京楽」

「そうするとするかねぇ」

 

 立ち上がりかけた京楽は、浮竹の書斎の上に置いてある書類に目を止める。

 

「あれ? 君んとこが最後だろう?」

 

 隊長間で回していた書類に、まだ一つだけ印が押されていない。

 

「ああ、狛村は今週休みだからな」

「……ああ、東仙君の所かい」

「場所は何処だったかな……。東流魂街だったんじゃないか?」

「そういや、今日はルキアちゃんもいないね」

「朽木は確か……皆で海に行くと言ってたな」

「流魂街に海ねぇ……。ピチピチの女の子でも見に行くとするかい」

「京楽」

「んじゃあ、また来るよ」

 

 ヒラリと会話を躱すようにして、京楽は場を立ち去った。

 残された浮竹。その彼の元に、一通の内線が鳴り響く。

 

「どうした?」

 

 通話口から聞こえる話に、浮竹は笑みを零しながら答える。

 

「……そうか。そうか……」

 

 まるで、何かを噛み締めるかのように。

 

『それで……日時は何時でも大丈夫なんスけど……』

「八月七日だ」

『……ハイ、そうしたいとアタシ達も思ってました』

 

 

 その電話が終わると共に、また時は加速的に進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 __技術開発局 局長室

 

 

「……入室を許可した覚えはないヨ」

 

 不貞腐れた顔で涅は入ってきた者にそう言った。

 

「いや、アタシは許可なんていらないっスよ……アタシの部屋でもありますもん」

 

 その言葉に顔をしかめた涅。

 

「ついに狂ったのかネ!? 君の部屋は、隣だヨ! 浦原喜助顧問殿!」

 

 そう言われた浦原は、ヘラヘラと笑う。

 

「すみません、言い間違えました。アタシは入室の権利があるっス」

 

 技術開発局顧問―浦原喜助。

 一か月に及ぶ涅と浦原による隊長羽織をめぐっての大喧嘩。

 その大喧嘩に、ついに堪忍袋の緒が切れた総隊長が出した解決案だった。

 

 希望の羽織は死守したものの、結局自分の上官となってしまったこの男に涅は心底嫌気がさしていた。

 しかし彼の言い分は残念ながら正しいため、涅はまた不機嫌そうにパソコンを弄り続ける。

 

 

「……何の用だネ、顧問殿」

「いやあ、どこ行っちゃったのかさっぱりで」

「それがどうしたというのだネ。しかしいい報告だヨ。君の探し物がここにはないことが明確にわかっただろう。御目出度う。解決したじゃあないか」

 

 浦原の軽い口調をものともせず、涅は淡々と返していく。

 しかし、浦原も引き下がろうとはしなかった。

 

「涅さんが知らない訳ないと思いまして」

「涅隊長と呼び給え」

 

 返事は返すものの、一向に手を止めようとも見向きをしようともしない涅に、浦原はため息をついた。

 

「そうっスか……涅隊長は技術開発局内の生命体位置情報も把握できない人だったとは……。ちょっと買いかぶりました。すみません」

 

 その言葉に、涅の手が止まる。

 顔は今にもはち切れそうな程血管が浮き出て、誰がどう見ても怒りが爆発する寸前だ。

 

「いやあ、そっかそっか……局長の評価見直しと予算案の変更が必要っスね……」

 

 ダン!! と音が鳴り響き、衝撃で複数の試験管が倒れ、自慢のキーボードは一部が破損。

 それにも構わず、涅は拳を握り締め、うつむきながら全身を怒りで震わせる。

 

「……経費じゃ落としませんよ、ソレ」

「……ていき給え」

 

 ん? っと浦原は首を傾げた。

 そんな浦原に、目を限界まで見開き歪んだ表情のまま怒鳴りつける涅。

 周囲に飛散する彼の唾に、浦原は一歩後ろへと下がる。

 

「今すぐここから出ていき給え!! そして、地下八階のエデンにいる君のペットを早く回収し給え! 私の研究体が死ぬ前に、すぐにだヨ!!」

「さっすがぁ。ありがとうございます♡」

「君が呼べば来るように躾けていないのが悪いんじゃあないのかネ!?」

「涅さんとこのネムちゃん"達"と違って、自由奔放、天真爛漫がうちの教育方針なんスよ」

「……君みたいなのがもう一匹いると思うと、虫唾が走るヨ」

 

 浦原は満足げに局長室の扉に手をかける。

 涅もやっと自分のイライラの原因が去ると思ってホッと息を吐いて椅子に深く腰掛けた。

 

「あ」

 

 何とも間抜けな声を出した浦原に、思わず涅は目線を送ってしまった。

 後悔してももう遅い。

 

「涅さん……研究体が死ぬ心配はしても、うちの子が死ぬ心配はしないんスね!」

「貴様っ!!」

 

 ブン!! と涅が怒りのまま投げた試験管を華麗に躱すと、浦原は扇子を口元にあて、してやったり顔で局長室を後にする。

 

 

 __技術開発局地下八階 特別管理室―通称 エデン

 

 虚圏から持ち帰った極小サイズの虚の幼体を自由に飼育しているところだ。

 檻はなく、砂漠の上で文字通り自由気ままに虚が動き回っている。

 

 どのような食物連鎖で幼体から成体へ変貌するのか。そのパターンを調べるための部屋。

 しかしどれだけ小さかろうと虚は虚。

 油断すれば命を刈り取られる。

 

「まってぇええ!!」

『キュイイイイ!!!』

 

 そこで無邪気に遊ぶ少女。

 毎日のように現れるこの怪獣に虚は殺されぬよう必死だった。

 虚は少女に捕まるまいと必死に逃げるが、少女はそれが面白いようで追いかけて遊ぶ。

 

「とったあ!!」

『ギュウウウウ!!!』

 

 少女が一匹の虚を捕まえて満足気に眺めていると、怒った虚が少女の指先をひっかいた。

 

 突然の出来事に、少女の目に涙が浮かぶ。

 

(……ああ、不味い)

 

 そう虚が理解した時には遅い。

 

「う……うあああああん!!!!」

『ピッ……』

 

 少女の泣き声に乗せた霊圧だけで、小さな虚は藻屑となった。

 

「あーあ、また涅さんに怒られるっスよー」

 

 その惨状の一部を目撃した浦原は、困り顔でため息をついた。

 そして、メソメソ泣く少女によってこれ以上虚が死ぬ前に近づく。

 

「そろそろ夜ご飯っス。柚が呼んでます」

 

 ポンと頭に手をのせれば、少女は驚いた顔で振り返る。

 

「おとーしゃん!」

 

 浦原の顔をみた少女の涙はすぐに止まり、笑顔が溢れた。

 

「さ、行きましょう」

「だっこ!!!」

 

 立ち上がった少女は、浦原の足にしがみついて抱っこをせがむ。

 

「ハイ、いくらでも」

 

 浦原も顔を綻ばせて、少女を抱き上げた。

 少女は自慢げに何匹の虚を捕まえたのか拙い口調で一生懸命説明する。

 その話を、浦原もただ黙って笑顔で聞き続ける。

 

「虚遊びが一番好きっスか」

 

 その言葉に、少女はすこし考える素振りを見せた。

 この子にもっと好きな遊びがあったのかと浦原も思考を巡らせたが、残念ながら後は自分の霊圧を操って楽しんでいるかくらいしか思い浮かばない。

 

 少女は思い出したかのように、また満面の笑みを浮かべた。

 

「しんじ!」

 

 その答えに、浦原の笑顔が固まる。

 

「し、しんじとはどこの……もしかしてあの口悪男っスかァ!?」

「せやでぇー」

 

 どこで覚えて来たのか、少女は普段絶対に使わない関西弁で言葉を紡ぐ。

 

「れ、恋愛は自由っス……けど、年齢が……いや、それより……どうして平子さん……。いや、その前にこの子の好きという認識力のパターン解析が先か……」

 

 ブツブツと一人つぶやく浦原。

 そんな父親の様子がおかしくてたまらないと言いたげに、少女はケラケラと笑い声をあげた

 

「うそ、っしゅ!!」

 

 今度は自分の口調なのだろう。ああ、覚えさせる言葉はもっと慎重にならねばと、浦原は頭を掻いて困った顔で少女の顔を覗き込む。

 

 腕の中で丸まってクスクス笑っていた少女は、浦原と目が合って、またニコリと笑った。

 

「おとーしゃんと、おかーしゃんが、いちばんだいしゅき!!」

 

 その答えに、思わず浦原は目を見開き、少女を強く抱きしめた。

 

「くるしい!」

 

 バタバタともがく少女。

 自分とそっくりな顔と髪色。

 しかし、瞳の色だけは違う。

 強かろうと弱かろうと自分が必ず護ると決め、保有霊力の設定などしていなかった。

 

 しかし、三歳にして十分すぎるほどの死神としての才を得てしまったこの少女。

 

 

 堪らなく自慢の"娘"だ。

 

「僕もっスよ、姫乃」



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其ノ弐 君に誓うたった一つの事


何度失ったって 取り返してみせるよ
雨上がり 虹がかかった空みたいな君の笑みを
例えばその代償に 誰かの表情を曇らせてしまったっていい
悪者は僕だけでいい





 

 

 瀞霊廷に桜が舞い散る季節。

 各隊、新隊員の入隊や新規配属等でバタバタと忙しい日々が続いていたある日のこと。

 

「浦原顧問! お客さん来てますよー!」

 

 技術開発局内を小走りで駆けるのは、同局隊士の久南ニコ。

 しかし、いつも居るはずの研究部屋を覗いても彼の姿はなかった。

 

「あっれー? どこ行っちゃったのかなぁ……」

 

 不思議そうに首を傾げるニコ。

 立ち尽くすその背後から、突然声がかかる。

 

「どうしたんスか?」

「ひやああああ!!」

 

 探していた人物が突然後ろから現れたことに悲鳴をあげたが、当の本人はニコニコと笑ったまま。

 そして、浦原の片腕には姫乃の姿。ついでにいえば、二人とも桜の花びらまみれだ。

 

「どうしても桜見るって騒いじゃって。探させてすみません」

「いえいえ! あの、お客様が……」

「アタシに客? 物珍しいこともあるもんだ」

 

 心当たりの無いことに首を傾げつつも、ニコの案内に沿って応接室へと移動する浦原。

 

「姫乃はネムちゃんの所で待っててください」

「いーやあああ!!」

「ハイハイ……。じゃあ、一緒に。でも、静かにっスよ?」

「いーやー!」

 

 絶賛イヤイヤ期真っ只中の姫乃。

 そんな愛娘に、怒るわけでもなく浦原はニコリと微笑む。

 結局人前に出せば、緊張で固まる事を知っているからだ。

 それに、先程沢山遊んだ。放って置いてもそのうち寝ているだろう。

 

 そう考えて、応接室の扉を開く。

 

 

「……直接会うのは……初めて、ですね」

「貴方は……」

 

 扉の先にいた人物に、浦原は目を丸くした。

 敬語に慣れていないのか、少したどたどしい語尾。

 彼が自分に用があるなんて事、あったかな。そんな事を考えながら、浦原は向かいあわせでソファーに腰を下ろした。

 

「銀城空吾さん……っスね」

 

 藍染との戦い以降、拠点を尸魂界へと移した浦原は、黒崎一護と彼らが巻き起こした事件の全てを知る訳では無い。

 彼らの憎しみや苦しみを受けてたった一護は、結果的に死神としての実力を伸ばすことには繋がったのは確か。

 

『……銀城が俺らにしようとした事は許せねぇよ。……けど、アイツは、あえて憎まれ役を買ってでたんじゃねぇかって。今になってそう思う』

 

 全ての物事が終わった時、一護は浦原にそう言った。

 

『……銀城の願いがなんなのか、ずっと考えてたんだ。……アイツの剣には、後悔ばっか映ってた。俺と戦う時も、どっか違うとこを見てる気がしたんだ』

 

 そして、一護は銀城の口から決して語られる事のなかった自身の憶測を述べたのを、浦原は思い出す。

 

『……アイツ、死にたかったんじゃねぇのかなって。……如月さんとこ、行きたかったんじゃねぇか。人間の寿命なんか待つよりもっともっと早くに駆け出したかったんじゃねぇかな』

『なんでそう思ったんスか?』

『……最期に言ったんだよ。"ありがとう"って。"てめぇは迷子になんじゃねぇぞ"ってよ……。俺はアイツを恨んじゃいねぇ』

 

 つい昨日の事のように思い出されるその会話を思い出しつつ、浦原は視線を銀城へと戻す。

 

「お茶も出さずスミマセン」

「あ……いや、大丈夫……。春から死神として、十三番隊で四席を任されてる……ます」

「ああ、お気遣いなく。敬意を払われるほど、アタシは大した人物じゃないっスよ」

 

 浦原の言葉に、銀城は少し笑みを浮かべた。

 しかし、直ぐに視線が逸れる。

 その目線の先が捉えているのは、姫乃の姿。

 

 それを暫く見つめた彼は、呟くように言葉を発する。

 

「……随分とまた小さくなっちまって」

「最近人見知りが激しくて。ほら、姫乃。挨拶出来ます?」

 

 浦原がそう促す。すると、彼のお腹に張り付くようにして銀城に背を向けていた姫乃が、ゆっくりと顔を向けた。

 

「……こんにちわ」

 

 消えそうなほど小さな声。

 それでも、その声を聞いた銀城は自分の目頭を抑えた。

 

「ほんとっ……こんなに……小さくなっちまってよっ……」

 

 紡いだ言葉は、先程と同じ。

 それでも、何を噛み締めるようにただそう呟く彼を、浦原はジッと見つめる。

 

「アタシ……に用があったわけではないんスよね?」

 

 その言葉は正しい。

 彼は……姫乃に会いに来たのだ。

 銀城は、暫く顔をうつ向けていたが、やがて決意したかのように顔を上げる。

 そのまま立ち上がって、一歩体を横にずらした。

 

「……馬鹿な願いだって……わかってる」

 

 そのまま銀城の体は、床に膝を着く形を取った。そして、両手すらも床につけると浦原に向かって深く頭を下げる。

 

「どうか……嬢ちゃんを……俺に……護らせてはくれませんか!」

「か、顔をあげて下さい!!」

「何度も何度も後悔した。結局俺が見ていた世界に真実はなくて、嬢ちゃんが死ぬ気で信じようとした物の方が正しかった!! 俺はっ……もう後悔する道を選びたくねぇ!!」

 

 土下座の体勢を変えようとしない銀城。

 その様子とその言葉を聞いて、浦原は少し沈黙した。

 彼と姫乃の間に何があったのか、浦原はほとんど知らない。

 ただ、最近京楽から聞いた話では、浮竹と彼が会話をする機会がやっと出来たと。そんな雑談を耳にはしていた。

 

 その場に暫くの沈黙が流れた後、先に口を開いたのは浦原の方だった。

 

「……それは、アタシが決めることじゃない。ね、姫乃?」

 

 浦原は気がついていた。

 姫乃がジッと銀城の方を見ていることに。

 

「降りる?」

「うん」

 

 人見知りが激しい時期だというのに、これ程他人に興味を示しているのは珍しい。

 浦原もまた、姫乃を床へとおろす。

 

「初めてかもしれないっス。自分から初対面の人に近づくの」

 

 姫乃はなんとも言えない表情で銀城の前まで行くと、見様見真似で彼と同じ体勢を取ろうとした。

 

 それに気がついた銀城が慌てて顔を上げる。

 

「ちょ、これは遊びじゃねぇぞ!」

「あそぶー。あははは!」

 

 同じ体勢を取ろうとして、自分の体を上手く操作できずに転がる姫乃。

 しかし、ぶつけたはずの頭を気にする様子もなく笑った。

 

 その様子を見た銀城は、微笑みながらも目に涙を浮かべる。

 

「いい笑顔だなぁ……。そうか……お前は……また笑えるようになったんだな……。良かったなあ……ほんとっ……」

 

 彼の言葉の語尾は、どんどんと小さくなり、震える。

 最終的に顔を手で押えた銀城の様子を、姫乃は不思議そうな顔で覗き込んだ。

 

「ないちゃったの?」

「馬鹿野郎っ……泣いてねぇ……」

「いたいの?」

「ああっ……痛いさ……。何も出来なかった俺を……俺は一生許せねぇんだ……」

 

 銀城の言葉の意味は、きっと姫乃には正しく理解は出来ていないかもしれない。

 姫乃は少し考えた表情をしたあと、彼の頭に背伸びをして手を伸ばした。

 

「いたいいたいの、とんでけ」

「……え?」

「あのね、お父さんとお母さんがいつもしてくれるの。かなしいことも、いたいことも、これでぜんぶなおるの」

 

 自分の掌よりもずっとずっと小さいその手。

 しかし、その手から伝わる小さな温もり。

 

「まほうだよ!」

 

 そう言って笑う姫乃。

 銀城は、その笑顔を見て……つられるようにして笑った。

 

「ああ、そうだな……。俺はとっくの昔から……お前に魔法でもかけられてんだ」

「もういたくない?」

「……さあ?」

 

 意地悪そうに笑う銀城の顔を見て、姫乃はむっと頬を膨らませた。

 銀城は、コロコロとよく変わる表情を優しい目で見つめる。

 

 そして銀城は、座り込んでいた体勢を変えた。

 姫乃に向けて、両膝をついていた形から、片膝をつく形へと。

 

「……俺は馬鹿だからよ。きっと何度もこれからも間違う。けど、絶対に見失わない希望を見つけて、ここにきた。それを誓いに、ここにきた」

「……ちかい?」

「そうだ。手放した過去はもう変えられない。無くした未来も帰ってこない。だから、新しい未来を描く。俺はお前の事を、今度こそ護り続ける。今度は絶対に離さないと、命をかけて誓う。俺の希望は、お前だ」

 

 んーっと首を傾げる姫乃の頭を、銀城は優しく撫でた。

 

「……俺の身勝手な誓いだ。お前は忘れてくれていい」

 

 そういって、銀城は立ち上がる。そして浦原に向かって軽く頭を下げた。

 

「急に来て悪かったな。……また、この子の顔を見に来てもいいか?」

「ええ、是非」

 

 二人に背を向けて帰ろうとした銀城。

 その手を掴んだのは、姫乃だった。

 

「また、あそぼっ! ぎんじょーさんのて、だいすき!」

「馬鹿野郎。おこちゃまには百年も二百年も早い言葉だ」

「ほんとうだもん!!」

 

 からかわれた事にまた姫乃はムッと頬を膨らませたが、銀城は気にすることなくヒラヒラの手を振った。

 

「追いかけたつもりが、逆になっちまったか。俺達らしいじゃねぇか。……待つさ。百年でも二百年でも……千年でも待つ。だからそれまで、精一杯泣いて笑って走って転んで……俺が迎えに行くまでに美人になってろよ」

「ぎんじょーさんも、わたしのことすきなの?」

「秘密だ。……お前がデカくなるまで言わねぇよ。そんときゃ、もっと大人の言葉で伝えに行くさ。言っとくが、俺はロリコンじゃねぇかんな」

「ええ! おしえて、おしえて!!」

「やなこった。……俺は何処にも行かねぇよ。お前から逃げることも二度とない。またな……姫乃」

 

 そう言って部屋を出ていった銀城。

 残された姫乃は、浦原の方を振り返って首を傾げる。

 

「……ろりこんってなに?」

「秘密っス。……アタシはどうすればいいっスかね?」

「……さあ?」

「お父さんの事、好きっスか?」

「だいすき!」

「お母さんは?」

「だいすき!」

「銀城さんは?」

「だいすき!」

「お菓子は?」

「だいすき!」

「愛してるは? わかる?」

「……?」

「……こりゃ果てしない道のりみたいっスよ、銀城さん」

 

 ふあっと大きな欠伸をした姫乃を見て、浦原はクスクスと笑う。

 抱きあげればすぐに、瞼を閉じていく姫乃を見ながら、浦原は呟いた。

 

「やっぱ、最初の言葉は、お前に娘はやらん! っスかねぇ……。ちゃぶ台も新調しておきましょう」

 

 何度考えても、全く自分に似合わない台詞。

 そんな台詞を言う未来を想像しながら、浦原は口角をあげた。

 

「アタシなんかより、もっとずっと怖い門番がいますよ」

 

 なんだかんだと理由をつけて、毎月毎月姫乃に届く一般庶民では未来永劫手に出来ないような豪華絢爛な贈り物。

 その送り主を頭の片隅に浮かべながら、浦原は仕事へと戻る。

 

 叶わなかった未来がある。

 変えられなかった過去がある。

 

 けど、想う力は鉄より強し。

 形を変えて何度でも想いは繋がる。

 

 きっと二人なら、今度こそ何もかもを乗り越えて手を繋ぐのだろう。そんな事を思いながら。

 

「……やっぱ、ちょっと嫌っスね……。姫乃……お父さんの所にずっといましょう……」

「……喜助さん? 姫乃、寝てるわよ」

「柚っ……。ボクはこういう時どうしたら!」

「呆れた。そんなんじゃ、いずれ抱っこもさせて貰えなくなりますよ」

「もっと嫌っス!!!」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 挿絵提供*こけしすと様




勇気や希望や 絆とかの魔法
使い道もなく オトナは眼を背ける

それでもあの日の 君が今もまだ
僕の全正義の ど真ん中にいる

世界が背中を 向けてもまだなお
立ち向かう君が 今もここにいる

果たさぬ願いと 叶わぬ再会と
ほどけぬ誤解と 降り積もる憎悪と

許し合う声と 握りしめ合う手を
この星は今日も 抱えて生きてる

愛にできることはまだあるかい?
僕にできることはまだあるかい

君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ
君と育てた愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ

愛にできることはまだあるかい
僕にできることは まだあるかい

何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
終わりある人生に なぜ希望を持たせたか

なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか
それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい
それとも、きれいかい

答えてよ


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其ノ弎 千の夜をこえて

 

 

 ー四楓院家ー

 

 何人もの使用人が朝からバタバタと走り回り、これから始まろうという儀式に向けて最終準備を整えていた。

 そんな使用人たちは、突然自分たちの前に現れた人物に慌てて頭をさげる。

 

「儂に構わずはよ行け」

 

 褐色肌の女性はシッシと手を振って使用人たちを仕事へと戻す。

 そして、目的の部屋の扉に手をかけて豪快に開けた。

 

 

「準備は出来たか! 喜助!!」

「よ、夜一さん!? ここ女人禁制っスよ!」

「儂の屋敷で儂の行動を制限するやつなどどこにおるか」

 

 まあそう言われてしまえば仕方ない。

ポリポリと頬をかきながら、自分の周りを行ったり来たりしながら準備を進める男性たちを目線で右から左へと追う。

 

「浦原様。腕が下がっております」

「もう一時間も上げっぱなしっスよぉ……」

 

 両腕を水平に持ち上げ、自分はまるで着せ替え人形のようにありとあらゆる装飾品や布地が身につけられていく。

 体がどんどん重くなっていくが、文句をいえる立場でもないので諦めて受け入れるしかない。

 

「夜一様。完成致しました」

「ご苦労」

 

 そう言って頭を深く下げ、男性は奥へと下がった。

 

「ほう、馬子にも衣装。じゃな」

「まあ、元の素材がイケメンっスからね」

 

 黒を基調とした五つ紋付き羽織袴。アクセント色はオレンジ。四楓院の家紋が縫い込まれた尸魂界に二つとない最高級品。

 普段のボサボサの前髪は全て後ろへオールバックに整えられている。

 

「ボクが……結婚っスか……」

 

 本日執り行われるのは、『結納の儀』

 浦原喜助と如月柚乃の祝言。

 本来行う予定はなかったが、夜一が自分が全て用意するからとあれよあれよと言う間に本日を迎えた。

 

「嫌がっとった割には日取りを譲らんかったのはお主じゃろ」

「この日じゃないとダメなんスよ……」

 

 彼女を手放してしまったこの日に。

 もう一度手を取りたい。今度は二度と離れぬように。

 願掛けのような物にしか縋れない自分はまだやっぱり弱いのだろう。

 

「……なんとだらしない顔をしとるんじゃ、喜助」

 

 周りはお祝いムード一色だというのに、浦原の表情はどこか作り笑顔。

 気を抜けば目線が伏せてしまっている。

 

「……怖いんス」

 

 一度手放してしまったもの

 もう二度と取り戻せないと思っていたもの

 一度失ったものが返ってきて、次また離れなければ行けない時が来た時。自分はどうなってしまうのか。

 そう考えただけで逃げ出したくなるほどの恐怖が頭にこびりついて離れない。

 

「柚には、魂魄保護技術の応用を遣ってはいますが……姫乃へ遣った後のもので……。ボク達より絶対的に早くに寿命が……」

 

 そんな浦原の顔をみて、夜一はふぅと溜息を着いた。

 こやつはやっぱり臆病な奴じゃ。そんなことを考えなくてもいいと言うのに。

 そんな夜一の言葉の声を代弁したのは別の人物だった。

 

「今を見ろよ」

「黒崎さん。いつの間に」

 

 死覇装姿のオレンジ色の頭をした男性。

 初めてあった時より背は伸び、大人の顔立ちになった黒崎一護。

 

「永遠はねーんだからよ。見えない未来より今を精一杯大事にしろっての。護れなかったって泣かなくていいように、ありがとうって胸張って言えるくらいしっかり抱きしめとけばいいんだよ」

 

 大人になったとはいえ生きている年数は自分よりずっと若い一護の言葉に、浦原はニコリと笑った。

 

「一護の言う通りじゃ。少し肩の力でも抜いて今を楽しむんじゃよ、喜助。せっかく生きとるのに勿体なかろう」

 

 二人の言葉に、どこか暗い顔をしていた浦原の表情が柔らかくなった。

 三人が笑いあった時、部屋にバタバタと誰かが駆け込んでくる。

 

「おとーしゃあああん!!」

「姫乃!」

 

 桃色の綺麗な和装に身を包んだ姫乃だったが、可愛らしい格好に似合わず顔は悲しげに涙を限界まで溜め込んでいた。

 女人禁制などというルールなどもはやあってないようなもの。

 ベソベソと泣きながら駆け寄ってきた我が子を抱き上げる。

 

「ごめんなさい、浦原さん! どうしても行くって泣いちゃって……」

「いえいえ、一勇さん、お久しぶりっス」

 

 一護と同様の髪色をした少年。

 父親の目つきの悪さに反してこぼれ落ちそうなほど丸く優しいタレ目。

 

「おいくつになられたんスか?」

「15です!」

「もうそんなに……」

 

 時の流れとは早いもので。

 いつのまにか一護と出会った時と同じ年齢になった少年。

 浦原は腕の中でグズる娘をヨシヨシとあやして声をかける。

 

「どうしたんスか、姫乃。柚の所にいたんじゃ……」

「おかーしゃんが、てんにょになっちゃった!!」

「天女……スかぁ?」

 

 なるほど、最近読み聞かせている現世の本の中に、竹から生まれた天女が月に帰るという物語があった。

 おそらく母がいなくなると思って助けを求めにきたのだろう。

 泣いているところ申し訳ないが、その言葉は期待をふくらませる言葉になってしまう事をこの子は知らないのだろう。

 

「じゃあ、ボクと一緒にお母さんを迎えに行きましょう」

「うん!!」

 

 そういった時、部屋の扉が再び開いた。

 

「御新婦様、参列者様のご支度が整いました」

 

 その言葉を受けて、浦原は大きく息を吸い込み深呼吸をした。

 

「なんじゃ、お主も緊張するんじゃの」

 

 そんな様子の浦原をニヤニヤとした表情で見つめる夜一。

 一護達は、先に行くぜと言って会場へと向かった。

 仲介人である夜一と愛娘と共に会場にゆっくりと歩を進める。

 四楓院家の一角。大きく立派な庭へと続く門の前に立った。

 

「……夜一さん」

「なんじゃ。ここまで来て逃げるはなしじゃぞ」

「……いえ、ボクは……幸せかもしれないっス」

 

 腕の中で不安げな目で自分を見上げる姫乃をヨシヨシと撫でる。

 

「逃げられんようしっかり掴んどくことじゃな」

「はい」

 

 真っ直ぐと前を見て、背筋を伸ばすと、ゆっくりと門が開いた。

 距離にして約50メートルという所だろうか。真っ白な白無垢姿の柚乃が視界に入る。

 彼女と目が合った瞬間、浦原は周囲の目から自分の表情を隠すように顔を下に向けた。

 

 

 

「っ……」

「か──! だらしないの!!」

「おとーしゃん! なかないで!」

 

 これだけ距離があるというのに、自分を見つめて微笑む彼女の目が。

 ずっとずっと離したくなかった目が。

 

 自分を待っていてくれている。

 どこにも行かないと。

 

 その想いを受け取り、溢れる涙を必死にとめる。

 そして、震えそうになった体を抑えて、一歩一歩前に歩を進めた。

 

「かなしいの? いたいいたいする?」

「……嬉しいんスよ。嬉しくて、たまらないんス」

 

 自分の少しだけ情けない姿と二度と見れないだろう正装に、参列者が冷やかしの声を上げた。

 

「美人2人に囲まれて、色男は羨ましいねぇ」

「いい光景じゃないか。京楽」

 

 フリフリと手を振る護廷隊きっての古株2人に、姫乃も笑顔で手を振り返す。

 

「浦原! 貴様が邪魔で姫乃殿の写真が撮れぬではないか!」

「ルキアは今日くらい浦原さんも撮ってやれよ」

「恋次……貴様ルキアの成すことにケチをつけると……?」

「だああ! もう好きにしやがれ!」

「お父さん! 煩い!!」

 

 恋次は家庭内の自分の肩身の狭さにぐったりしつつも、今歩いている浦原の感情がいつしかの自分に重なる。

 その気持ちは痛いほどよくわかった。

 

「柚乃さんは……俺の初恋の人や……」

「うるせぇ、少しは黙ってろ」

「なー、拳西。なんであいつが結婚出来て俺には出来ひんねん」

「平子隊長がちゃんと仕事をすれば、そのうちいい人来ますよ」

「桃……熱い告白ありがとさん」

「なんでそうなるんですか!!!」

 

 神聖な儀式だと言うのに騒がしい集団を遠巻きに見ていた銀髪の少年は大きく溜息をついた。

 

「こんな時くらい静かにしろってんだ」

「隊長、これ美味しいですよぉ」

「松本ぉおおお!」

 

 四大貴族から振る舞われる料理を口いっぱいに食べる副官を怒鳴り散らかした彼。

 今しがた静かにしろと言った自分の言葉は何処へやら。

 その後、ふとみた花嫁と目が合い、小さく頭を下げる。

 

「……おめでとうございます」

 

 そして、そう小さく言葉を呟いた。

 

「浦原あいつ、夜一様の隣を歩くとはっ! 一度殺すだけでは足りん!」

「奇遇じゃあないかネ。砕蜂隊長。私もこのどうでもいい式典のせいで時間を浪費させられていることに、心底嫌気がさしているんだヨ。簡単には殺さず、この幸せが夢だと思わせるくらいの恐怖を味わわせてやりたいネ!!」

「……手段を考えておきます。マユリ様」

 

 恐怖を与えるというのであれば……この式典に参加するにあたって、事前の注意事項に記載されていた"霊圧の解放厳禁"を破ればいいのでは。

 だから更木剣八を、今日は虚圏に送り出しているんじゃないか。

 そんな事を頭の隅にネムは思い浮かべるが、伝えることは無かった。

 

 そんな周囲の喧騒はどこか遠くへ。

 ついに柚乃の前に浦原が立った。

 

 

「その……あの……」

 

 似合ってるだの、可愛いだの。そんな褒め言葉は今まで使い慣れてきたはずなのに。

 目の前にいる女性には、どんな褒めの言葉すら軽々しく聞こえてしまうほど、なんと表現すれば彼女の美しさを伝えられるだろうか。

 そう考えてしまったがために、言葉にすっかり詰まった浦原を見て、柚乃はクスクスと笑った。

 

「おかーしゃん、てんにょでしょ?」

「あら、姫乃。そんな風に見えていたの?」

「うん! とってもきれい!」

 

 浦原の腕の中にいたはずの姫乃は、体を捻ってその腕から抜け出し柚乃に飛びついた。

 あ。っと浦原は思ったが、直ぐに姫乃が浦原に声をかける

 

「おとーさんも、そうおもう?」

 

 ニコッと笑う姫乃につられて、浦原も顔をほころばせた。

 

「ハイ……綺麗っス……」

 

 結局出てきたのはありきたりな言葉で。

 それでも嬉しそうに笑った柚乃の笑顔は、自分を骨抜きにするには十分過ぎた。

 

「……おかえりなさい。喜助さん」

「……ただいま。柚」

 

 そっと差し出した掌の上に柚乃の手が重なり、二人は並んで歩き出す。

 

「……ボクは情けない男っスよ。百年も君から逃げたんス。言われるまで思い出すこともなかった」

「あら。じゃあ、私の作戦勝ちですね」

「作戦?」

「貴方が私を忘れたおかげで、またこうして生きて会えたんですから」

 

 

 捨ておいた気持ちと共に私を忘れて。どうか今度は死なないで。

 

 その言葉の意味を理解した浦原は、まいったかのような表情をして頭をかいた

 

「……敵わないなぁ……ほんとに……」

 

 目的の定位置に着いた二人は、お互いに向かい合う。

 姫乃に目を向ければ、金平糖を食べるのに夢中のようだ。

 そんな愛娘の姿に二人同時にニコリと笑った。

 

「ボク達の宝物っスね」

「大きくなって出ていったと思ったら、またこんなに小さくなってかえってきましたね」

「あのその……今のところ、障害はなくて……ただあの……」

 

 どういう結果に終わるかわからなかった姫乃の魂魄再生研究は、"退行"という結果に辿り着いた。

 成長していた筈の姿から大きく後退してしまったことを、副作用と呼ぶべきかどうか。

 

 浦原は、そこまで考えて頭を小さく横に振る。

 

(ああ、違う。ボクが言いたいのは、研究結果じゃなくて。もっと大切な事を……)

 

 もう、言葉で逃げたりしない。そう決めて、本当に伝えたい事を伝える。

 

「……二人で、育てませんか……」

「言うのが三年遅いですよ」

「……スミマセン。ボクはいっつも、大切なことが後回しで……」

「知ってますよ」

 

 だから。

 こんなにも長い時間君を待たせてしまった。

 あの日言わなきゃいけなかった言葉をいう覚悟が整うのに、また何年も待たせてしまった。

 

「柚……」

 

 そう名前を呼んで、目を見つめる。

 漆黒の瞳。自分の全てを許してくれるこの目が

 貴女の笑顔が。その全てを失いたくない。

 

 

 未来永劫という世界はない。

 しかし、今確かに踏みしめているこの時を。

 

 大切に、大切に。

 

 

 君に何度でも言葉で伝えよう。

 

 

「愛してます」

 

「はい、私も愛しています。喜助さん」

 

 

 





来た道と行き先 振り返ればいつでも 臆病な目をしていた僕
向き合いたい でも 素直になれない
まっすぐに相手を愛せない日々を
繰り返しては ひとりぼっちを嫌がったあの日の僕は
無傷のままで人を愛そうとしていた

千の夜をこえて 今あなたに会いに行こう
伝えなきゃならないことがある
愛されたい でも 愛そうとしない
その繰り返しのなかを彷徨って
僕が見つけた答えは一つ 怖くたって
傷付いたって 好きな人には好きって伝えるんだ


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本編完結 其ノ肆 君だけの為の奇跡の日

 

 

 親子三人での暮らしは、その大切な一日一日を噛み締めるようにして刻まれていく。

 

 そして、今日はかけがえのない大切な一日。

 

「おかあさんは?」

「家で待ってるらしいっス。あっちとこっちで二回でいいよって言ってましたから」

「どこいくの?」

「秘密っス」

 

 二人で手を繋ぎながら、日が沈み始めた瀞霊廷内を歩く。

 あれだけ酷かった人見知りは何処へやら。

 今では、すれ違う人々に笑顔で自分から手を振っている。

 外を歩けば、いつだって姫乃の周りには人だかりが出来る。

 

 まるで彼女の笑顔を中心に回っているかのような風景が、ちょっとした瀞霊廷内の名物だ。

 

 もう間もなく日が落ちるという時に、ようやく二人は目的地へと到着した。

 ここまで来れば、姫乃もどこへやって来たのか直ぐに分かる。

 

「お、やっと来たか」

「ぎんじょーさん!」

 

 着いた場所は、十三番隊。

 その門の前で待っていた銀城に、姫乃は一目散に駆け寄って飛びついた。

 

「もう皆待ってるぞ」

「なんで?」

「秘密だ」

「もうすぐ分かるっスよー」

 

 意地悪げにそう笑って、姫乃を抱えたまま十三番隊の敷地内へと入る銀城と浦原。

 広大な庭には、数え切れないほどの人々が大勢集まっていた。

 

「待たせてスミマセン」

「いや、いいんだ。こっちも今やっと準備が終わった所だからな!」

「姫乃殿……今日もなんと可愛らしい……」

 

 浮竹やルキアに声をかけられ、会えて嬉しいと言わんばかしに頬をほころばせる姫乃。

 

 そんな姫乃の姿をみて、京楽が一番に普段との違いを声に乗せる。

 

「おやあ、姫乃ちゃん。今日は可愛い髪型にしてるんだねぇ」

 

 姫乃の両耳より少し高いところで二つのお団子結び。それを飾るように、綺麗な蝶の髪飾りがついている。

 

「おとうさんがしてくれたの!」

「はー、器用なもんだね」

「おかあさんもできるよ!」

「いいねぇ、ボクも練習しておくよ」

「うん!」

 

 得意げな顔をする姫乃の頭を撫でつつ、人だかりの中心部へと移動。すると、遠くからルキアと恋次の子である苺花の大きな声が届いた。

 

「お母さんー! 叔父様からの、届いたんだけど大きすぎて運べない!」

「なに! 恋次、浦原。手伝ってやってはくれぬか」

「……隊長はどんだけデカいの用意したんだよ」

「……我が家、この後夜ご飯なんスけどねぇ」

 

 見らずとも想像に容易い質量を頭の中に浮かべつつ、二人は広場を離れる。

 少し前までなら、父や母の姿が消えると不安そうにしていた姫乃も、特段気にする様子は見られないようだ。

 

 庭に飾り付けられた色とりどりの風船と、山のように置いてある綺麗に包装された箱。

 

 それら全ての光景を、姫乃は不思議そうな顔で見渡した。

 

「姫乃ー、ほらアンタ、赤色好きでしょ」

「すき! みどりもすき!」

「じゃあ、二つ右手に付けてあげるわ」

「ありがとう!」

「どういたしまして」

 

 松本が、タコ糸で繋がれた赤色と緑色の風船を二つ、姫乃の手首に巻き付ける。

 

 そうして、集まった人々達とのある程度の挨拶が終わった頃。

 ようやく本格的に辺りが暗くなった。

 

「……くらい」

「もうちょい待ってろ」

 

 いつもこうなれば直ぐに灯る筈の松明にまだ火はつかない。

 姫乃が銀城の死覇装をギュッと握りしめた時。

 

「準備オッケーっス!!」

 

 浦原の声が闇から聞こえてきた。

 

 それから一瞬全員が黙り込み、数秒の間。

 せーの。そんな誰かの声とともに、暗かった辺り一面に一斉に火が灯った。

 

 

 

 

 

「「「お誕生日おめでとう! 姫乃!!」」」

 

 

 

 

 一気に明るくなった周囲と、クラッカーが弾ける破裂音。

 突然の出来事に、姫乃は目を丸くした。

 

 そんな目を更に丸くしたのは、人だかりの奥から運ばれてきたモノ。

 代車に乗せて男二人で押しても、中々に重いそれは、見上げるほど大きなケーキ。

 

「こ……腰がっ……」

「明日動けないっスよぉ……」

 

 息を切らせつつ、恋次と浦原はなんとかその巨大なケーキを広場の中心部へと運びきる。

 

 見上げても、一体どこが頂上なのか分からないそのケーキを彩るのは、美しく飾り付け。

 

「姫乃、何歳っスか?」

「よんさい!」

「今日から五歳」

「ごさい!」

 

 浦原は銀城に抱えられたままの姫乃に近寄ると、同じ場所まで目線を落とす。

 

「一年で、一番大切な日。君が産まれてきた、奇跡の日。皆が幸せな気持ちになれる日」

「うん!」

「大好きっスよ。姫乃。産まれてきてくれて、ありがとう」

「どういたしました!!」

 

 "どういたしました"。少し間違ってる言葉と、ドヤ顔の姫乃の表情を見て、周囲に一気に笑いが起きる。

 

「よーし、姫乃。沢山ケーキ食べていいからな!」

「うん!!」

「よし、恋次! 一緒に切り分けるぞ! 姫乃殿には一番大きいものを!」

「わーってるよ! ほら、苺花。皿回してくれ」

「はーい!」

 

 切っても切っても減ってるのか分からないケーキを切り分けて、その場にいる全員へと配る。

 

 ようやくその場の全員へと行き渡り、頂きますの大合唱。

 

「……姫乃?」

 

 しかし、誰しもがその甘い甘味に頬を緩ませている中、姫乃は自分の持つケーキをジッ見つめて固まっていたままだった。

 

 流石に抱っこのままでは食べづらいだろうと、縁側に腰を下ろした銀城の膝の上にはいるのだが……何か不満なのだろうか。

 

「苺、もっと乗せる?」

「ううん」

「歯が痛い?」

「ううん」

「お腹いっぱい?」

「ううん」

 

 浦原が心当たりを聞いても、全てに首を横に振る。

 そんな姫乃の頭に、銀城が優しくポンっと手を乗せた。

 

「考える前に、動いてみろって」

「うん」

 

 いつもは降りるのを嫌がる銀城の膝の上から、素直に降りる姫乃。

 そして、両手で皿を抱えてケーキが落ちないように慎重に運ぶ。

 

「……姫乃殿?」

 

 そうして姫乃が辿り着いたのは、ルキアの傍だった。

 

「どうぞ」

「そ、それは姫乃殿のですよ!」

「ちーがーう」

 

 ブンブンと頭を横に振る姫乃に、慌ててルキアは腰を下ろして目線を合わせる。

 

 

 

「一緒に。たんじょうびだから。ケーキ、一緒にたべるの」

 

 

 その言葉を聞いたルキアは、大きく目を開いた。

 

『来年の誕生日は、一緒に過ごせるよ。現世にケーキってのがあるんだって。一緒に食べよう』

 

 自分の命の終わりが近づく、暗い暗い闇の中で、まるで今の現状を忘れてしまうほどに優しい約束だった。

 

 その約束は、叶わなかった。

 

 でも、あの人はその前にこう言ったんだ。

 

『叶わなかった約束は、また次の未来に上書きしよう。叶うよ。叶う筈の未来を諦めないで』

 

 動揺で言葉が出せないルキアは、精一杯浦原の方を見る。

 

「……何もしてないっスよ」

 

 姫乃に以前までの記憶を入れることは、物理的には可能。

 しかし、それは将来的に彼女自身に選ばせると浦原夫妻は決めていた。

 魂魄を一から造り出したわけではない。だから、僅かに残っていた魂魄に残された記憶に影響は少なからず受ける。

 

 自分の経験とは違う記憶の欠片を見つけては、きっと彼女はいずれ不思議に思うだろう。

 

 それを隠したりはしない。

 

 ただ、いつかそう遠くない将来。

 自分が元々過ごしていた百年分の記憶を見るのか見ないのかは、本人の判断に委ねると。

 

 ルキアの大きな瞳から、ホロホロと涙が溢れるように零れ落ちる。

 

「姫乃っ……殿っ……」

「なかないで……ルキア……」

「悲しくて……悲しくて泣いている訳では無いのです!!」

 

 姫乃がどういう気持ちで、今の言葉を自分に言ったのかは分からない。

 

 

 もし……彼女に残っていた残留魂魄の中から引き出してきた、わずかな記憶だったのだとすれば。

 

 その僅かな記憶の中に残されていたのが、自分との約束だったのなら。

 

 

「この幸せな気持ちを……どうお伝えすればっ……伝わるだろうか……! なんと言葉にすればっ……貴女に感謝を伝えられるだろうか!」

 

 涙の止まらないルキアを、恋次が優しく抱きしめる。

 

「恋次っ……私はこのお方に……どれほど贈り物を頂けば気が済むのだろうか……! どれほど、叶えて頂ければ……」

「……ああ、そうだな。痛いくらいに……幸せだな」

「ああっ……幸せだ……私は……幸せ者だ!」

 

 ルキアは恋次から離れると、再び姫乃の方を見る。

 そして、ケーキの乗った皿を受け取って一度近くの机の上に置いた。

 

「……姫乃殿。腕に収めても、よろしいですか?」

「うん!」

 

 左右いっぱいに広げたルキアの腕の中に、姫乃が飛び込む。

 そんな彼女を、ルキアはギュッと強く抱きしめた。

 

 いつしか、自分の誕生日の時に願ったこと。

 

『如月殿が護られる程弱くないのは知っております! ですが、いつか私がお護りしたいとっ……そう願うことをお許しください!』

 

 あの日の自分の願いを、誓いに変える。

 一体幾つ……叶えていただいただろうか。

 だから、今度は自分が叶えていくと。

 

 ルキアはそう誓う。

 

「……私が、必ずお護り致しますっ……」

「ありがとう!!」

「どう……いたしまして……」

 

 

 ………………

 …………

 ……

 ……

 

 

 元々姫乃の生活リズムに合わせて設定された誕生日会は、大人の飲み会のように長くは続かない。

 

 そろそろお開きかと、そんな時間を誰かが気にしだした頃。

 

 ……少し困ったような顔で、浦原が全員の前に一歩出る。

 

 

「……いずれは伝わると思うので。先にお話だけさせてください」

 

 その声色は、決して暗い話を持ち出しているようには聞こえない。

 ただ、本当に戸惑っているかのような。迷っているかのような声色だった。

 

「どうした?」

 

 浮竹がそう聞けば、間を開けて浦原が答える。

 

「……先日、姫乃が始解しまして」

「おお!! それはめでたいじゃないか!」

「二重のお祝いだねぇ」

 

 五歳にして始解。そういえば、苺花も早かったなと懐かしさに浸る面々。

 

 しかし、浦原の目は少し伏せたまま。

 

「……何度も何度も解析して、同じではないと結論は出てるっス。ただ……その……」

「信じるよ」

 

 浮竹が先に発した言葉に、浦原は顔を上げる。

 

「姫乃は姫乃。そうだろう?」

「……ハイ」

「……ずっと不思議だった。嘘をつくなら、なんだっていい。だが、沢山の嘘の中から、何故それを選んだのか」

 

 浮竹の視線は京楽へと向く。

 それに答えるように、京楽は微笑んだ。

 

「……もしかしたら彼は、そう在りたかったんじゃないかってね」

 

 この場にいる誰しもが、不安の色など一欠片も見せていない。

 

 それを証明するように、自然と声が重なった。

 

 

「見せてくれるかい?」

 

 優しい眼差し。

 浦原は、少しだけ口角をあげると、自分の腰に差していた小さな斬魄刀を手に取る。

 

 それを姫乃に渡した。

 

「……姫乃」

 

 自分の刀を見た姫乃は、嬉しそうに駆け寄ってそれを抱きしめる。

 

「このこね、さみしいの! だから、わたしがずーっと一緒にいるよ。ってやくそくしたの!」

「ええ、お友達になれそうっスか?」

「うん!!」

「……ボク達にも、紹介してくれます?」

「うん!!」

 

 大きく頷いた彼女は、そっと抜刀し、切っ先が上になるように垂直に持つ。

 刀と背丈が一緒じゃないか。なんて、そんな姿すら微笑ましい。

 

 

 

 

 

 姫乃はジッと刀身を見た後、幸せそうに微笑み……言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

 

「 繋げろ 鏡花水月 」

 

 

 

 

 

師匠は藍染惣右介~A bouquet for your smile~

君の笑顔に花束を

 

_完結_




ここまでこの作品へのお付き合い、誠にありがとうございました。
もしよろしければ、高評価や感想お待ちしております。


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後書きと小話

 

 読者の皆様おはようございます。初めましての方も、そうでない方も。作者のはちみつ梅です。

 

 最終話まで読んで頂き誠にありがとうございました。

 心より感謝申し上げます。たくさんの応援に支えられて、完結まで無事たどり着くことが出来ました。

 

 簡単ではありますが、この作品を書こうと思ったきっかけとなる原作への考察や、主人公設定に関して解説をさせていたただければと思います。

 

 いらねぇよって人には、その後にちょっとした小話を用意しています。

 

 それと、銀城×姫乃のR18込みストーリーを見なければ魂葬されない方々へ向けて、一話完結型の短編小説を開示します。パスワード付きなので、本当に見たい人だけどうぞ。パスワードは、『1122』。投稿予定日は、6月5日(今日)中にアップします。

 

 

 

 では、解説へ行ってらっしゃいませ。

 

 Q、なぜ主人公の名前を姫乃にしたのか。

 A、紅姫の持ち主である浦原喜助の宝物。そういった意味で姫乃という名前にしました。

 同じ条件下で候補はいくつかあったのですが、ルビなくても読み方がハッキリ分かる名前を選びました。

 

 Q、名無之権兵衛という斬魄刀にした由来。

 A、紅姫が落とした能力。というのは作中で解説しましたが、BLEACHを読み返していく中で、なぜ浦原の卍解が『観音開紅姫改メ』なのか自分なりに解釈を入れました。

 

 もちろん、造り変える。という能力から構想された名前であるというのはファンの中で一番有力説なのは知っています。

 そこで私は、また別の解釈。

 紅姫は自分を一度造り変えたのではないか。

 崩玉誕生秘話にも繋がるのですが、私はそう考察をしてみることにしました。

 

 それが名無之権兵衛という名前である理由。

 皆さまは名無之権兵衛とは何かご存知でしょうか? 

 名無之権兵衛は諸説ありますが、終戦後外国人相手に娼婦として働いていた女性の事を意味します。

 日本で風営法の規制が入り、女性が男性の宿舎に入ることを厳しく禁じられた娼婦たちは、自分に男性名を付けて働きました。

 男性名を付ける前の娼婦の事を名無之権兵衛と呼んでいたのです。

 一説には摘発から逃れるため十の男性名を持っていた女性もいたとのことです。

 

 元は女性。

 自分に自由な名前を付けて働く。

 戦後の厳しい世で病気と隣り合わせの世界で命を削って働く。

 ただ、自分の心だけは壊さないで守り抜く。

 

 紅姫の子である名無之権兵衛の具現化が男の子であること。

 斬魄刀に名前を付けて戦うスタイルはここからインスピレーションを受けています。

 命を削った女性達からイメージを取って、霊圧の消費と魂魄の消費を思いつきました。

 

 始解の技である『〆之菩胎』は、姫乃に卍解を使わせたくない権兵衛の最期の抵抗。

 紅姫の母胎。観音菩薩像。などからイメージをとって、

 そう名付けました。

 

 

 Q、崩玉と紅姫。

 A、浦原喜助はそもそもなぜ崩玉を作ろうなどという構想に至ったのか。

 崩玉の基本性能は、死神と虚の境界線を越える能力です。

 それは、藍染によって"周囲にいる者の精神に反応し、その願いを叶える玉"だと解説されています。

 BLEACHの原作を見返していきましょう。

 願いを叶える。……少し違う気がしました。

 "望むように造り変えている"という表現の方が正しいのでは。ハンペンさん。貴方、めちゃくちゃ造り変えられてますけど。

 とおもい、考察の余地を入れることが出来ました。

 

 紅姫の卍解を見ると、崩玉へ入れた考察と紅姫の造り変える能力はやけに似ています。

 

「崩玉は貴方を主とは認めないと言ってるんスよ」

 

 原作で一番引っかかった台詞でした。

 第四十七巻までにおいて"主"という概念が存在するのは、"斬魄刀"だけです。

 もしかしたらそれ以降もその設定は継続されているのかもしれませんが、

 

「当時は御することが出来なかった」

 御すだの、扱うだの、従えるだの。

 そういう言葉は、いつも斬魄刀に向けてのワードでした。

 

 となれば、崩玉=紅姫。はわりと成り立つ気がしました。

 藍染篇は、浦原と紅姫の物語だったのではないかな。と。

 

 となれば、あとは二次創作として話を成り立たせるためにさらに考察するだけ。

 

 転神体ちゃんのお出ましです。

 そもそも、なぜ浦原喜助は崩玉の制御ができなかったのか。なぜ破壊出来なかったのか。

 無理やり引き出した紅姫というチカラ。そんな簡単に従ってくれそうにありませんね。

 元々、浦原喜助は斬魄刀を持たない死神なのではなかったのでしょうか。

 だから、転神体という道具を作り出して引き出したのでは。

 無理やり自分の心を具象化させたのでは。

 

 元は紅姫の能力。崩玉を壊すのは、紅姫を壊すことと同義。

 

 ここで、二次創作を始めました。

 紅姫はその力を捨てた。

 捨てるきっかけに至ったのが、浦原と柚の物語に繋がります。

 それが、姫乃へと繋がる物語にしました。

 だから、姫乃は浦原喜助の子供であるという設定が必要でした。

 ぶっちゃけ、姫乃という主人公は最後に出来た主人公です。

 

 Q、テッサイさんや鬼道衆の話も原作考察。

 A、きっかけは、なぜテッサイが戦いの表舞台に出てこなかったのか。

 そして原作でハッチと砕蜂隊長が出会った時、砕蜂隊長は心底嫌そうな顔をしていました。

 110年前の話で、砕蜂隊長とハッチの絡みは出てきません。

 

 なぜそこまで嫌うのか。

 

 それは、隠密機動と鬼道衆。そこに何かがあるのではないかと考察しました。

 

 そうして、勒玄が話した通り、一つの幹から枝分かれした存在の部隊であり、邪道を嫌う砕蜂隊長は、祖先が罪人の過去をもつハッチをさらに嫌悪していたのではないかと考察しました。

 

 原作での禁術の内容の薄さをさらに掘り下げ、使用者であるテッサイが戦えないことを考えて、命にかかわる術なのではないかとたどり着いて作中で活用しました。

 命に関わるという設定らしい設定が原作の中で出てきたのは、涅ネムの魂魄切削術。

 まさしく命を削って出す技です。

 恐らく、削っても霊体維持に必要な下限があるのでしょう。

 その霊体維持限界を超えて損傷した魂魄は、チリになって消えるのでは。

 だから、総隊長は肉片一つ遺体がみつからなかったのではないか。

 

 あ、勒玄の名前は単純に鉢玄からなぞらえたものです。

 ただ思った以上にしっくりした名前になりました(笑)

 

 

 浦原喜助の店が駄菓子屋という設定にした原作への考察は作中でお話した通りになります。

 

 ……以上ですかね。

 

 旧作では、設定上ありましたが特段必要としなかった白哉と同期である設定。

 原作中で、幼い白哉が自宅で自主鍛錬をしている様子から、まだこの時点では護廷十三隊入隊前だったのだと考察しました。

 

 ただ、リメイク版で明かして、姫乃と絡みをキチンと持たせたことでより最終話に向けて彼らの絡みの意味が深くなったかなと。

 

 旧作ですっかり存在を忘れていた、一ノ瀬さんと銀城さんは、リメイク版で初登場となります。

 姫乃が十三番隊に所属している以上、銀城さんと絡みがないのは時系列的に変すぎますから。

 一ノ瀬さんは、オマケです。いい人です。

 

 

 姫乃が最後、藍染の精神(?)に向かって『心を預けてみないか』と言った理由は、海燕さんの教えである『仲間に心を預けて逝く』という教えから。

 

 藍染さんは死にましたが、心を誰にも預けないまま死んでしまいました。

 姫乃は、その少年が藍染さんだと気がついていたのか気が付かなかったのかは……皆様の考察に任せます。

 

 

 

 余談ではありますが、浦原夫妻の所にはもう一人子供が産まれます。男の子です。

 裏設定上、権兵衛きゅんの生まれ変わりです。ちなみになんですが、将来的にこの姉弟は、姫乃→鬼道衆大鬼道長。弟(幸介)→十二番隊隊長兼技術開発局三代目局長になってます。

 

 

 

 

 

 その子が生まれるきっかけの小話でも投げ込んで、後書きは終わりとさせていただきます。

 

 ***************

 

 

 慣習は時代と共に少しずつ変わっていく。

 それは、尸魂界も同じこと。

 

 死神が住まう瀞霊廷と、魂魄が住まう流魂街。

 その境界線は、時代と共に少しずつ解れていっている。

 

 それを体現するかのように、死神の才を持たない魂魄が開いた食事処が瀞霊廷内に増えたり。

 通行が緩やかとなり、賑わいが出来たり。

 

 力無き者ではあるが、力とはまた違うそれぞれの得意を仕事としている。

 

 まだまだ法の整備を整えなくてはならない事も多々あるが、時代の流れは決して悪い方へとは向かってはいない。

 

 それはまた、技術開発局内も同じ事だった。

 

「三十五番の試験管はまだかネ!?」

 

 そこに響く、いつも通りの怒声。

 その声に慌てたように一人の隊士が駆け寄る。

 

「は、はい! これですこれです!」

「……リン。これは、五十三番だヨ。目が見えていないなら、その目を今すぐ実験材料として提供し給え」

「ひいいい!!」

「……全く、あの魂魄は何処に行ったのかネ!?」

 

 自分の思うように動かない隊士に苛立ちを見せつつ、涅は目的の人物を呼ぶ。

 その呼び掛けに答えたのは、阿近。

 

「柚乃さんは今日は休みです。つーかこの時間帯はいつも来ませんよ」

「私は休みを与えた覚えはないヨ!」

「浦原顧問の直接指示です。ついでにうちの女房を使い過ぎるなって、クレーム来てます」

「知ったことじゃあないネ」

「……俺らに言われても」

 

 そう嘆く阿近らにとっても、彼女が不在であることの影響は大きい。

 研究に直接手を出すことはなくとも、雑務の全てを終わらせてくれている柚乃の物覚えの良さ。

 気がつけば、非戦闘要員でありつつも作業を円滑に回すことへの一役を買う存在になっていた。

 

「あ、そっか。今日は……」

 

 カレンダーに目を向けたリンが、何故今日に限って柚乃が不在なのか答えを導き出した。

 それに合わせて、いつも居るはずの浦原もいない。

 

「ほら、今日はお二人の結婚記念日ですよ!」

「知ったこっちゃあないネ」

 

 涅がはぁっとため息をついた時、廊下からここまで聞こえて来る甲高い声が響いてきた。

 

 それは、着実にこの部屋へと向かっている。

 

「くろつちしゃああああん!!!」

 

 悲鳴に近い声を上げながら入ってきたのは、姫乃。

 

「出ていき給え」

「助けて、助けてええ!!」

「煩いヨ」

「お父さんが!」

「知らんヨ」

「お母さんを!!」

「興味がないネ」

「殺しちゃう!!!」

 

 最後の言葉で、場の空気が固まった。

 真顔のまま固まった人が多い中で、涅は爛々と輝く目を姫乃に見せる。

 

「ほう! 遂に奴の気が狂ったか!!」

「助けて!!!」

「して、どのようにだネ。解剖か? 新薬の実験か? それとも、魂魄関連の研究か!!」

 

 涅の余りの圧に、周囲はドン引きの表情を見せるが、姫乃はそれどころではないらしい。

 

「お父さんが!」

「ほう!」

「お母さんの上にのってる!!」

「霊体への研究か! なんとも品のない殺し方じゃないかネ!!」

「お母さん、ずっと苦しそうで! そんなところばかりやだっていってるのに!!」

「被検体に拒絶の権利などあるわけないだろう!」

「お父さんがお母さんのおっぱい食べちゃってるううう!!!」

 

 その言葉を聞いた涅が、眉間にシワを寄せた。

 そしてそのまま、一気に熱量が下がっていくかのようにため息を着く。

 

 ふと見た時計。今日を迎えたばかりの時間帯。つまりは真夜中。

 

 そもそも時間感覚が狂っている研究員にとって、朝だの昼だの夜だのという概念は遠く遠くへ消し飛んでしまっている。

 

「ずっとお母さん泣いてるのに! やめてくれないの!! 笑ってるの! お母さんが死んじゃう!」

「……ネム」

「はい、マユリ様」

「このガキを寝かしつけてこい。眠八號の所にだヨ」

「はい、マユリ様」

 

 泣きわめく姫乃を、ネムが抱える。

 

「涅しゃん、涅しゃん!!」

「煩いヨ!!! 貴様の母親は死なない!! その程度で壊れるほど、人体は脆くは出来ていない!! 涙は生理現象だヨ!!」

「なんでええええ!!!」

「阿近。明日からあの魂魄の飲み物に薬を入れておくんだヨ!! これ以上、子ネズミを増やしてたまるものか!!!」

 

 指示を出された阿近は、生返事を返しつつも隣にいた鵯州にコソコソと話しかける。

 

「……へー。……おい、鵯州。明日から柚乃さんの飲み物、外で買ってきたやつに差し替えとけ」

「おう」

「……あと姫乃に、今晩の記憶消す飴舐めさせとけ」

「はいよ」

 

 ネムに連れられて部屋を出て行かされる姫乃は、その腕の中で泣き喚く。

 

「どうしよう、どうしよう、どうしよううう!!」

「問題ありません。マユリ様が問題ないと仰ってるのですから」

「私が助けなきゃ……」

 

 それは余計に面倒になるだけでは。ふとそう思ったネムは別の提案をする。

 

「……では、こうしてみては?」

「……ん?」

「まだ見ぬ名無しの権兵衛に、名前でも考えてみては如何でしょうか」

「……?」

 

 ネムに言われたことの意味が分からず、思考をグルグルと回して考える姫乃。

 それでも分からない答えを考えているうちに、だんだんと寝ぼけ眼へと変わっていく。

 

 難しい事を考えすぎて眠くなるのは、珍しい事でもない。

 

 意識が飛かける姫乃の口に、追撃と言わんばかしに鵯州が飴玉を放り混んだ。

 

「……そろそろ、浦原顧問に自分の家建てろって言うべきだと思うぜ、俺は」

「はい、同感します」



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特別番外編_未来編

 

 __緊急救援要請__緊急救援要請__緊急救援要請__……

 

「ああ、もう。何事?」

 

 ガンガンと早朝から鳴り響く警報を止めて、私は隊首室を出た。

 警報が鳴ったというのに一向に姿の見えない副官を、ため息混じりの声で呼ぶ。

 

穹玄(きゅうげん)!!」

「は、は、はいいい!! ワタクシめは此処におりますとも!!」

 

 近くの階段から滑り落ちるようにやってきた青年。焦っているのか、それとも丸々とした身体から自然と出る汗か。どっちでもいいんだけど、とにかく汗だく。

 

「場所は」

「えっと……えっと、えっとですね!」

「虚圏。全く……少しは落ち着いて行動してよね。兄さんを見習いなさいよ」

「す、す、すみませぇえええん!!」

 

 救援要請の場所なんか、とっくの前から分かってはいたが……未だに慌ただしい彼の成長の為と思って聞いたにすぎない。

 半泣きでバタバタと慌てふためく穹玄に、やれやれと首を横に振って私は転移装置の前に立った。

 

「わ、ワタクシめも!!」

「どーぞ」

 

 落ち着きはないし、季節に関わらず汗だくだし、一向に私の溜息を減らしてくれる気配のない彼だが、実力はお墨付き。

 

 転移装置に入る前に、私は護廷十三隊の方へと通信を繋げた。

 

「此方、"護廷鬼道衆"総帥 浦原姫乃です。今から虚圏に救援入りまーす」

『はいはい、行ってらっしゃい。状況の伝達必要っスか?』

 

 私からの通信を真っ先に受け取ったのは父。

 というか、警報元が技術開発局なんだけども。

 

「いらない。どうせ、ザエルアポロがまた最上級大虚の破面を造って、それが暴れてるんでしょ」

『正解っス♡』

「そろそろ浄化の準備取らないと、アイツ最近調子に乗ってない?」

『涅さんのペットっスからねぇ……。既存破面の浄化は、零番隊との交渉が必要ですし……』

「……お父さんも面白がってるじゃん。零番隊との交渉する気ないだけじゃん」

『……黙秘っス♡だから鬼道衆に警報飛ばしたんスけど……』

「……五分。それ以上は誤魔化せないよ」

『流石、頼りにしてますよー』

 

 藍染惣右介という死神によって造り出された破面は、三界の均衡を壊さぬ程度に調節の上、浄化された。

 魂魄保有量の多い破面を全て討伐してしまえば、それだけで世界が傾くからだ。

 

 だからまあ……残りは飼ってる状態。

 

 ただ、それ以降に現れる新規破面に関しては完全討伐対象。

 

 私はまた小さく息を吐いて、父との通信を切った。

 

「涅さんのペットだってさ。元々ボクのですけど? って言い返してやれば? ……鏡花水月」

 

 目の前に刀を持ってきて、鞘から僅かに刀身を抜く。

 薄らと赤く染まる珍しい色の刃。

 ……こちらも黙秘と言いたいようだ。

 

 私は諦めて、刀を腰へと戻す。

 

「まーた、面白そうな事が起きた時は黙りなんだから。まあいいや、行こ」

「お、お待ちを! 姫乃様!! わ、ワタクシめはまだ準備が……」

「待たない」

 

 転送装置を発動させると同時に、慌てて穹玄が装置の上に飛び乗った。

 ……それと同時に景色が灰色の世界へと移り変わる。

 

 

 __虚圏。虚の住まう土地。

 

 

「……いつきても殺風景だね」

「は、ハイ……。こ……怖いデス!!」

「お前のビビってる顔の方がよっぽど恐ろしいよ」

 

 二人でそんな会話を交わしつつ、瞬歩で移動を繰り返していけば戦闘中心部へとは直ぐに辿り着くことが出来た。

 

 そこで苦戦を広げているのは、二人の死神。

 

「鏡門」

 

 私は体力を消耗している二人に一度息を吐かせる為に、外部からの攻撃を弾く結界を展開した。

 

「……悪ぃな、姫乃」

「んー、僕達が弱いってわけじゃないんだけど……如何せん数が多すぎてさ」

「まあ、任せてても終わるとはわかってるんだけどね。生憎時間制限付きらしいのよ」

 

 確かにこの二人が報告にあげる通り、戦闘場所の破面の数は五体。

 最上級大虚由来の破面が五体か……虚圏に最上級大虚は五体もいなかった。

 ザエルアポロの奴、『最上級大虚に匹敵する虚』を作り上げたんだな。

 その性能調査って事だろう。

 

 冒頭話した通り、大虚は無数の魂魄が寄り集まったもの。

 だから討伐数は慎重にしなければならない。

 

 生み出す方の労力も計り知れない。

 

 だから、一個の魂魄を改造してソレに匹敵する存在を造って仮面を割った方が早いと。

 

 倒すほうとしても、細かいことを考えずに倒せるからそこだけは有難い。

 

「……まあ確かに"一体ですよ"とは言わなかったけど」

 

 元々もっと居たのだろうが、それはこの二人が削ってくれていたのだろう。

 私は、同じオレンジの髪色をした彼らに声をかける。

 

「黒崎隊長、黒崎副隊長。後は私がやるので交代しましょ」

「えー、いつも通り呼んでよー」

「ややこしいだろ、ただでさえ朽木だの阿散井だの浦原だの多すぎんだよ、隊長格には」

「任務中でしょ。一護さん。一勇お兄ちゃん」

 

 三番隊黒崎一護隊長と、黒崎一勇副隊長。

 物心着いた時から知っている人達で、人間としての生を終えて尸魂界へとやってきた。

 一護さんは、昔からやってる事は何一つ変わんねぇし今更なんだ。とかで、史上最短かもしれない霊術院卒業と共に隊長の座についたという経歴。

 

 彼らも隊長格の中でも最上級の戦闘能力を誇るが……こういう軍勢は、私の方がずっとずっと得意だ。

 

「穹玄。さっさとやるよ。ザエルアポロはまだ飼いたいらしいからね」

「は、ハイ!! 何分ですか!!」

「四分」

「ひいいい!!! お待ちをおおお!!」

「待たない」

 

 鏡門を解くと同時に、私は前線へと駆け出す。

 そして、真後ろから着いてきている穹玄と一瞬目を合わせて、二人同時に両手を前に構えた。

 

 

 

 

「「 破道の九十九 五龍転滅 」」

 

 

 

 黒と灰色の入り交じる空が裂け、上空から九体の龍が破面に向かって襲いかかる。

 食い荒らさんばかりの九体の……九体? 

 

「……穹玄?」

「ご、ご、ごめんなさあああい!! ワタクシめにはまだ無理ですうう!!」

「……シバく」

「ひええあああ!!!」

 

 一護さんの後ろに一瞬にして身を隠した穹玄が、ガタガタと震える様子を横目で見る。

 ……体、隠れきれてないけど。なんて内心で突っ込みつつも、私は前方へと視線を戻した。

 

「……へえ。今回は活きのいい奴出してきてるね」

 

 五龍転滅によって、先程までいた大多数の破面は消滅したが、私の目線の先にはまだ生き残りがいた。

 外見だけを判断する限りでは、無傷のようだ。

 

『ひゃは! 俺らに鬼道は効かねぇよ!』

『その羽織、知ってるぜぇ。鬼道衆だろう? 俺達と相性は最悪ってか!』

『兄貴、コイツ浦原姫乃だぜ!』

 

 人型とそう体格差のない二人の破面。

 容姿自体がよく似ていることから、双子に相当する個体だろう。

 最高等破道への耐性持ちか。と考えていると、一護さんが私の真横に立つ。

 

「姫乃。アイツらが一番厄介だ。俺の月牙天衝も消えた」

「消えた?」

「打ち消されたっつーより……なんつーか、届く前に消滅すんだよ」

「……へえ。完全体、出してきたんだね」

「あ? なんの事だ?」

「こっちの話。刀をぶつけなかったのは賢いと思うよ。ぶつけてたら、斬月ごと消えてたかもね」

「刀で斬ってこいって散々誘導かけられてりゃ、誰にだってわかる」

 

 過去、私はこういう虚と戦ったことがある。

 私が一度幼児として退行するより前の記憶だから、あまり実感がないのだけど。

 霊力構成物質を打ち消す虚。あの時は確か……母体だったはず。

 それが、成体の破面として実りを上げたのだろう。

 

 拘突そのものに匹敵するような能力だと言って過言じゃない。

 

 鬼道もダメ。斬術もダメ。白打なんてもってのほか。

 昔いたメタスタシアという虚は、斬魄刀の能力を打ち消す能力を持っていた。

 さすればこの二体は、斬魄刀ごと消滅させる能力だろう。

 

「穹玄。残り時間は?」

「二分半でございますう!!」

「双子の破面なんて珍しいから、同士討ちさせてどっちが強いか観察したかったんだけど」

「姫乃様! 始解しているお時間は……」

「そう言ってるでしょ。私に研究させる気一切ないんだから。最近論文発表連敗してる嫌味でしょ」

 

 私達の会話を途切れされるように、破面が同時に地面を蹴って攻め込んでくる。

 どうやら、狙いは私らしい。私以外の三人を後方へ下げつつ、攻撃を躱していく。

 

「……!」

 

 恐らくは弟側の個体である破面の爪が、逃げ遅れた死覇装の袖を爪で裂く。

 すると、爪が触れたと同時に右腕部分の羽織と死覇装が消滅した。

 

「……やっぱり、霊子構成物質を完全に取り込めるんだ。羽織壊したら怒られるからやめてよね」

『余裕ぶってんのも今のうちだぜ。何たって、俺たちはお前を殺すことに特化して作られた破面だ!』

『次は霊体ごと消滅させる。戦闘で放つ霊力も、全てが俺達の餌だ!』

 

 ……霊力も喰う。

 その言葉にピクっと反応して、私は動きを止めた。

 

『てめぇの霊力根こそぎ吸い取った後に、ゆっくり喰ってやるさ!』

 

 後方で一護さんが何か言っているが、特段急務性のある伝達ではない。時間もない。

 私は閉じていた霊圧の放出量を徐々にあげていく。

 

 

 

『無駄だと言って……』

 

 二体の破面は、初めこそは余裕な笑みを浮かべていたが、その顔は徐々に曇りをみせてきた。

 

「……どうしたの?」

『なんだっ……』

「ほら。折角出してあげてるんだから。食べなよ、好きなだけ」

 

 襲いかかる私の霊圧。二体は危機感を感じたのか、後方へと下がる。

 流石に危険だと本能で理解したみたい。

 

「もういらないの?」

『……この化け物が』

「吸収ってのはね、限界が存在する。霊子を分解する能力は無限みたいだけど、霊力はそうじゃない。……手の内を明かすのが早いんじゃない?」

『……これ以上喰えねぇぞ、兄貴』

『どんだけの保有量を持ってやがる……。隊長格のデータは……』

 

 少なからず戸惑いを見せる彼らに、ニコリと笑って答えた。

 

「並の隊長? 知らない。だって……私の霊力測定不可能だから。平均がどうとか言われてもよく分からないんだよね」

 

 私を睨む二体の破面。作戦の一つが潰されて、予定変更を余儀なくされてるのだろう。

 私は、斬魄刀に手をかける。

 

『てめぇの鏡花水月が流水系の斬魄刀だって事は記録から知ってるぜ』

『霧と水流の乱反射で敵同士を撹乱させて同士討ちをさせる刀だ! 生憎、俺らにはそれに対抗するレーダーが打ち込まれてんだよ!』

『そうでなくても、てめぇが俺達に触れねぇ事に違いはねぇ!』

 

 そのまま、刀を抜いた腕をゆっくりと垂直になるように掲げる。そして、小さな声で呟いた。

 

 

 

 

「 卍解 夢幻泡影鏡花水月(むげんほうようきょうかすいげつ) 」

 

 

 

 卍解と同時に、灰色の無機質な虚圏に、蓮の花が咲き誇る。その花の半径1メートルにはそれぞれ、水溜まりのような水面。

 状況の変化にも大きく動揺した様子のない二体は、揃って虚閃を放つ。

 白い閃光は、私ならず背後にいた一護さんたちをも巻き込んで地鳴りを上げた…………が。

 

『兄貴。やっぱり幻覚で間違いねぇ』

 

 虚閃が直撃した私達の姿は、霧のようにゆらりと揺れて消える。

 そして、彼らの真横に再び霧が集まり再構成された。

 

「ほら、実体を斬らないとなんの意味もないでしょ」

『……なんだ、世界が……』

 

 彼らの立つ地面が沈む。反射的に空中へと飛んだ彼らだが、飛んだ先が地面へと変貌する。

 

『っち……幻術遣いってのはやる事が陰険なんだよ』

 

 空か大地か。上か下か。右か左か。前か後ろか。

 三半規管の全てを狂わせる光景をきっと彼らは見ていることだろう。

 

「実体はどれでしょ」

 

 私達の姿が大量に周辺に増幅され、一見すれば奇妙とも言える光景が広がっていく。

 

『仕組みはわかってるぜ。さっきの花だ』

『俺らの能力で分解出来ねぇ。霊力構成だ』

「その霊力を吸うためのお腹はいっぱいなんだっけ?」

『じゃあ幻術空間事消し飛ばす。それだけだ』

 

 そこから、彼らはひたすらに全方位に向かって攻撃を放ち続ける。

 だが、それが無駄だということに一分後には気がつくこととなるのだけど。

 

 

 ………………

 …………

 ……

 ……

 

 

『おい、兄貴!! 周囲にあんのは全部幻覚だ!!』

『わかってるぜぇ。この場に実体なんかありゃしねぇ』

「へぇ。やっぱ曲がりなりにも最上級大虚由来の破面なんだ。戦闘莫迦ってわけじゃなさそう」

 

 私のその言葉を聞いて、彼らは勝ったと言わんばかしに口元を緩める。

 

『ああ。言ったろ。幻術遣いは専売特許だってなあ』

『分析済だぜ。テメェの幻覚には有幻覚が含まれてねぇ』

「うん、いい回答」

『つまり、俺達から何も出来ねぇ代わりにテメェからも何も出来ねぇ出来損ないの卍解だ』

 

 破面二体は一度攻撃を止めると、二人で寄り添うようにして背中合わせで足を止めた。

 

「諦めるの?」

『諦めるも何も、ここで体力を莫迦みてぇに削らせる事が目的だろ。相手の混乱と動揺を招く事こそが、幻術遣いの目的だからなぁ』

 

 どれだけ周囲の状況が具合の悪いものに変わろうとも、二人は至って冷静沈着。

 ……惜しいなぁ、ほんと。持ち帰りたいくらい優秀な破面。

 

 私は懐中時計の時間を確認し、パタンと閉じると同時にため息をついた。

 

「時間切れ。さようなら」

『……あ?』

 

 ドサッ……。二体のうちの一体が、まるで全身の力が抜け落ちたかのように崩れ落ちる。

 その様子には流石のもう一体も目を見開いた。

 

『……莫迦な。テメェの幻術からは何も感じねぇ。実体でも有幻覚でもねぇはずだ……』

「おかしな事を言わないで。この場に実体も有幻覚もないって判断したのは君達でしょう」

『だから!! 攻撃はどっからっ…………』

 

 その言葉を最後に、もう一体も同じように崩れ落ちる。

 それでも尚、眼球だけは私を見据えるために動いているのは、彼らの流石と言える強さだろう。

 

「ほら、交わるはずのない二つが交わる」

 

 そう言いながら私は、彼らの真横に現れた湖を指さした。

 その水面は、虚圏の月を映し出す。状況さえなければ、幻想的で美しい光景だ。

 月と水面の写像が溶け合うようにして交わり出した。

 

「実体。幻覚。交わりえない二つの世界。自分達がいる場所が現世 (うつしよ) 常世(かくりよ)か。君達は、繋がる事を諦めた。繋がりを求めて藻掻くことを諦めた者に命が無くなるのは当たり前でしょ」

 

 月と水面が溶け合い、混ざり合い、泡のように膨れては消えていく。

 その泡が弾ける事に連動するかのように、彼らの四肢も弾け飛ぶ。

 顔色に恐怖が写った破面に対して、私は鏡花水月をまた横一線の水平に構える。

 

「あんまり舐めてもらっちゃ困るかな。……喧嘩売る相手間違ってるよ」

 

 真っ赤な刀身を持ちながら一歩、また一歩と近づく私の姿を見て、もはや彼らは戦闘の意思すらも泡となって消えたようだ。

 

「さあ、斬るよ。……君達の命の繋がりを」

 

 最初とは逆。

 私は刀を足元に向けて振り下げる。

 

 

「  繋之歿(つなぎのぼつ)  泡沫夢幻 〆誘(ほうまつむげんしめいざな)い 」

 

 私から紡がれた終わりの言葉と同時に、彼らの体は泡のように弾けて消え去った。

 そして、創り出していた光景の全ても泡となって消える。

 

 全てが終わり、私は鏡花水月を鞘へと戻した。

 戻す直前に僅かに振動した刀身を見てクスッと笑う。

 

「楽しそうで何より」

 

 戦闘が終わったことを認識した穹玄達が私の傍に駆け寄ってきた。

 

「お疲れ様です! 姫乃様!! お時間ピッタリでございます!!」

「はー、お前の卍解初めて見たぜ」

「ねぇ! 結局実体は何処にあったの?」

 

 素朴な疑問をしてくる一勇副隊長に、私はニコリと笑って答える。

 

「え? ないよ?」

「……え?」

「いやあ、優秀な破面だったねー。ちゃんと実体なんて何処にも無い事分かってたし」

「いや……何処にもって……」

「そもそも、幻覚の中に実体を探す行為こそが無駄でナンセンスだと。そう思わない? 一勇お兄ちゃん」

 

 そう、彼らの分析は間違ってない。

 私に勝つためには、実体を探さなければならない。実体など何処にもない。

 抱える矛盾の中で、攻撃は出来ない。でも攻撃もされない。

 限られた時間と狭まった選択肢の中で、自分の命は保証されているという虚像的安寧に身を沈めた時が、終の時。

 

「姫乃様を幻術師呼ばわりするなど、何と恐れの多い奴ら……」

「な、何しても駄目じゃねぇか……」

「そういう事」

「……お前が味方で心底良かったって今日ほど思ったことはねぇぜ……」

 

 軽く引いた顔をしている一護さんはさておき、私は帰るための準備を始めた。

 遠くから感じる視線。……ザエルアポロ。

 その方向を見て、べーッと舌を出す。癪だと言わんばかしに、彼は姿を消した。

 

(……ま。幻覚だと判断した世界の中で、自分の体だけが実体だなんて錯覚してる時点で負けだけどね)

 

「穹玄。ここ一帯の戦闘残滓の隠蔽工作をお願い」

「は、はい!!」

「三十秒でやって」

「ひいいいい!!!」

 

 周囲を慌てて駆け回る穹玄を見ながら、私は尸魂界に通信を繋げた。

 

『……お疲れ様。姉さん』

「散々見てた癖に、白々しい」

『最愛の弟に対しての第一声がそれ? ねぇ、それよりそろそろ鏡花水月貸してよ』

「いーやーでーすぅー」

『姉さんの刀だけなんだって。解析終わってないの』

「刀研究が趣味の根暗の科学者になんか貸しません」

『物静かだって言ってくれるかな。それにそのお陰で100年前よりも隊士の始解獲得率は10倍。"護廷の為"になってるでしょ。ボクの予想だと、自害すりゃあ良かったんじゃないかなって思ってんだけど。どう?』

「自分の体で試してみる?」

 

 暫くの沈黙が挟まれた後、返って来たのは諦めたようなため息混じりの声。

 

『……ヤダよ。それでも勝てる気が微塵もしてない。"反転"が来る事も予想出来てる』

「そう思うなら、そろそろ破面を差し向けて(・・・・・)来るのやめてね。霊力測定器を壊された嫌味のつもり?」

『……やっぱり姉さんは怖いや。空吾義兄さんはよくやってるよ。鬼嫁だ。というか、ボク造ってないけどね』

「それは結果論でしょ。家族の命より自分の興味への比重が重いアンタの方がよっぽど怖い。今頃お母さんが天国という名の現世で泣いてるよ。姉弟喧嘩で世界が滅ぶわ……って」

 

 私のこの言葉に、通話先からクスクスと笑い声が漏れる。

 結局早朝から叩き起されて始まった一連の出来事は、我が弟の『鏡花水月を解析したい』『姉の底力を解析したい』という興味に巻き込まれただけに過ぎない。

 自分の欲求に実に忠実極まりない子だ。隠す気も更々ないらしい。私達の父親が物事を進める時に一応取り付ける『大義名分』という言葉を剥ぎ取ったような子。

 

『母の涙は浦原家の火急である! 我が家唯一の家訓。母さん泣かせたら流石に父さんに殺されちゃう。ドウシヨウ、オネエチャン』

「世界が滅ぶ方に見事に興味ナシね」

『……そんな事ないよ。一応死神ですから。"護廷の為"に仕事はしますよ。まあ、死ぬわけないかって完全に信じちゃってるボクの完敗。それだけが興味を越えられない最大の欠点』

「……ほんと、何が物静かで勤勉な子よ。お父さんに僅かにあった良心と常識を捨てた性格しやがって……逆に清々しいわ」

『褒め言葉♡じゃあね、また来月の命日で会おう、大好き』

 

 そうして途切れる通信。通信機を眺めながら、私はまた大きなため息を吐く。

 

「……今年こそあの家の居間を占領してる馬鹿でかい遺影をなんとかせねば……。お父さんの遺影の概念狂ってんのよ……。なんで遺影がイルミネーション並に光り輝いてんの……。ああ、ウチの男共はどうしてこう頭のネジが一本も二本も……」

「……まあ、姫乃が言いてぇ事はよく分かる。俺から言えることは一つだけだ。諦めろ」

「一護さんっ……」

 

 慰めにもなっていない一護さんの言葉に、私は両手で顔を覆い隠してオイオイと泣く真似をしてみせる。

 

「てか、やけに通話長かったな? アイツがそんな喋るとこ見たことねぇけど。歴代の技術開発局局長の中で一番マトモだって皆大喜びだぜ」

「……ああ、此処にも騙されてる人が……。一番狂ってるよ……。涅さんが顧問降りたら終わりだ……。お願い、あと千年は生きて……涅さん……」

「姉弟仲良くしろって。じゃーな、一勇、帰るぞー」

「はーい!」

 

 通話内容は聞かれていないが、今の一言で大体を察してきた一護さんが、私の肩をポンッと叩いて帰宅していく。

 

 夢幻泡影鏡花水月に対抗する術はたった一つ。

 命を繋ぐ糸を斬られる前に自分で掴む事。ただそれだけ。

 

「穹玄ー! 終わったー?」

「はい!」

「涅さんのペットを保護する為の隠蔽工作……ねぇ。一番の被害者はザエルアポロだよ。同情する」

「はて?」

「こっちの話。帰るよ」

「はい!」

 

 見えないよ。

 生と死の世界を巡る存在で在りながら、死の恐怖と立ち向かい、時には逃げる者達には決して見えない。

 産まれ落ちた瞬間から死に向かって歩く我々には見えない。

 

 死の恐怖を捨てれば見えるのか? 

 いいや、見えない。

 

 諦めなければ見えるのか? 

 いいや、見えない。

 

 その場にある全ての事象を受け入れれば見えるのか? 

 いいや、見えない。

 

 

 見ようとする者には決して見えない。

 見ようとしない者には決して見えない。

 

 

「どう在るかしか考えられない者にはどう足掻いても見えやしない」

 

 私は既に消えた破面がいた方向に目線を向け、薄く微笑む。

 

「君達が在る世界は、現実? それとも幻覚? 自分が実体だとナニで証明してるの? 何を根拠に幻術だって言ってんの?」

 

 自分の見ている世界と命がナニで繋がってるかなんて、他人に聞くこと自体がナンセンスだと。

 そう思わない? 

 

 

 

 

****************

挿絵公開

浦原幸介

 

【挿絵表示】

 

 

☆インタビュー

十二番隊隊長兼技術開発局三代目局長

身長:184cm

体重:(聞かないでよ、エッチ♡)

血液型:AB型

好きな事:ボクが好きだと思った事が好き

嫌いな事:集団で話す事

好きな食べ物:口の中が潤う食べ物全般

嫌いな食べ物:口の中がパサパサする食べ物全般

 

 物静かで大人しく勤勉な勤務態度()

 技術開発局局長にしては珍しく生体研究に全く興味を示していない事から、隊士からは高い人気を誇る。

 女性関係は、来る者拒まず去るもの追わずスタイル。自分がモテる事は自覚してる。

 興味を示した研究遂行に対しては、基本的に道徳観念が欠如している。清々しいくらいに潔い。

 マユリさんのご機嫌取りは誰よりも上手いので、とても仲良し。

 マユリさんからの命令はただ一つ。『四十六室と蛆虫の巣には捕まるんじゃないヨ……』

 座右の銘: 明日の百より今日の五十

 

 姫乃姉さんから一言:

 自由奔放天真爛漫の教育方針の末路。死神の味方で心底良かった。身内である事が我が家の業。この子にある唯一の道徳心は『……知ってる人が死んじゃうような研究は興味ないや。死んだらボクが悲しいから』。エゴイストの塊のような道徳心ですが、このたった一つの道徳心が、母が残した最後の偉業です。お陰で今日も尸魂界は平和です()

 

お姉ちゃんと並べてみました。

 

【挿絵表示】

 

姉弟、互いに「あー、味方で良かった」って心底思ってますが、他の隊長達は「……あー、コイツらが死神側で良かった」って心底思ってます。




一体いつから……完結したと錯覚していた?()
更新に関しての詳細は活動報告に載せてますので割愛。
絵師さんと相談の元、今後の特別番外編を進めていきます。

も、もしよければ……本編も踏まえてこの作品がいいなぁと思った人いたら……高評価お待ちしてますっ……。


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特別番外編_未来編Ⅱ

 

 

 命日。

 一年に一度やってくる日が今年もまた浦原家に訪れる。

 

「おとーさーん! 線香の追加買ってきたよー」

「……仏壇飾りってこれでいいんだっけ。まあなんだっていいか」

 

 姉弟二人で弔いの最終準備を整えていると、ガラッとふすまが開いた。

 そこにいたのは、大量の花束を抱えた父の姿。

 花のせいで姿は見えないけど。

 

「ええ!! まだ花追加するの!? 私達が座る場所なくなるんだけど!」

「いやあ、買いすぎたっスかねぇー」

「毎年でしょ!? なんでこの日だけ学習能力ゼロになるの!」

「……言っても無駄な事を毎年言い続ける姉さんの学習能力もぜーろー」

「煩い、幸介!!」

 

 足の踏み場に迷うほどの空間一面に飾られた花束の数々と、天井まで届かんばかしの巨大な遺影。

 ……遺影の縁は眩しいほどの電飾。

 

 ……これを現世の人は、仏壇だと誰一人認めないだろう。でもこれが我が家の形式なのだから仕方ない。

 

「ささ、三人並んで並んで」

 

 父に促され、私達は父を中心に横一列で腰を下ろした。

 そして、三人同時に手を合わせる。

 

「柚。そちらの暮らしは快適っスか? ボク達は相変わらず元気でやってますよ」

「お母さん……見ての通りでございます。お父さんは命日をクリスマスか何かと勘違いしている模様でございます……」

「相変わらず父さんは母さんの前だと知能指数が著しく下がる模様です。ボクは楽しいです」

 

 それぞれが思い思いの言葉を吐き出し、胸の中で一年間の安泰の報告を行う。

 再び目を開けた瞬間は、これまた三人同時だった。

 

 しんみりという空気は、浦原家に存在しない。

 この光り輝く遺影と騒々しさが寂しさを包み込んでくれている……のかもしれない。

 

「さ、ご飯にしましょうか」

「はーい」

 

 食事をこの居間に運ぶのさえ一苦労だが、何とか準備をして家族全員で食卓を囲む。

 それぞれが一人立ちをしている今、家族三人で食事をとる日なんて滅多にない。

 その滅多にない日のうちの一日が、今日この日。

 

「てか、幸介。その顔どうしたの」

 

 弟の顔には、掌の痕が綺麗についている。集合した時から気にはなってたが、聞く暇がなかったんだ。

 大体予想はついてるってのもあるけど。

 

「フラれたー」

「またっスか?」

「別に何もボク悪いことしてないよ」

「何かしないとそうはならないでしょ」

 

 幸介は心当たりというより、そうなった状況の説明を始めた。

 

「……ホントに何もしてない。『なんで構ってくれないの』って聞かれたから『君に構う事に興味無いから』って答えたら、『アタシ病んじゃう』って言われたの。だから『精神剤いる? 新作あるよ』って言っただけ。そしたら『もう知らない。別れる!』って叩かれた」

「……お父さん。男同士のアドバイスでも」

「……何も言わないっスよ。あ、アタシは流石にもう少しオブラートに包んでた記憶があります……」

「"アタシ"に戻るほど動揺すること? 病むって言ったワリに結構元気そうだったなぁ。叩かれ損だよ」

「正当な平手打ちだと理解するべき」

「……おっかしいなぁ……胃が痛くなってきたっスねぇ……。これが所謂デジャブ……」

 

 別に我が弟は、人を愛する感情が欠落しているわけじゃない。ただ、好きだからどうするという方向性が一般常識から大きく外れているだけ。

 まあどうせ、母と出会う前の父もこんな感じだったんじゃないかと思う。

 

「女の子がどうしたら喜ぶかなんて知ってるよ。ただ、そうした後の反応も全部知ってる。ボクに得られる新規情報が何一つない。だから、遂行する時間と労力に興味が無いだけ」

「潔くて宜しい」

「でも、大切だよ。ちゃんと好きだったし。あー、傷つくわ。ボクが心無い人物か何かと勘違いしてるのかなぁ。カナシー」

 

 言葉と表情が何一つ一致していない事が問題のひとつだと思うが、追求しても意味が無い。

 彼なりに傷ついてはいるのだろうが、彼の中でその感情が優先的でない以上どうしようもない問題だ。

 ……我が弟ながら苦労して……

 

「こんな類まれなイケメンが彼氏ってだけで充分与えてるでしょ」

 

 いや、もっと苦労したがいい。こいつは。誰かに刺されろ。

 

 私の念なんか欠片も届いていないのか、幸介は続けて口を開く。

 

「何かを与えたり共有してないと大切にしていない理論に甚だ疑問。女の子が悪いんじゃなくて、この理論が悪いんだと思うよ。所謂、感情論ってやつね。定義解釈に多様性がある時点で思想論に発展するから、言及するだけ無駄なの。ボク達は思想を研究してるわけじゃないの。なんでわかんないかなぁ」

「その潔さのまま去勢しろ。女の敵め」

「ヤダ。快楽は作業効率性が上がるって、生物学理論的に証明されてる。カモネギでしょ」

「おお……最低な発言、頂きました」

「それ以外でも大切にしてるってば。シワたるみ老化、体バランス。気になるなら何処だって綺麗に治してあげるし。なんと無料で。ボクのタダ働きは高いよ」

「刺されろ。いや、私が責任もって斬る。表に出ろ」

「ヤダ。終着点に具体性が無い」

 

 最低最悪の狂人極まりないが、相当鬱憤が溜まっていたのか、いつも以上に饒舌な幸介。そんな彼に向かって父がグッと親指を立てた。

 

「わかるっス! 理論の中で唯一定義を表せないのが、感情論ですから! それに、無料は最大の愛っスよ!!」

「お父さん!!!!」

「父さんは何で母さんの事愛したの。感情論ってことでいいの?」

 

 幸介の疑問に、父は天井を眺めながら少し考える素振りをみせる。

 

「……そうっスねぇ。やっぱ、いいおっぱ……」

「お父さん!!!!」

「嘘、嘘っスよ!! ……ただいま。って言いたくなったからですかね。おかえりっていつも言ってくれるんス。此処がボクの居場所だって、思えたから……っスかね。絶対誰にも取られたくなかった。失いたくもなかった」

「ふうん。なんでそう思ったの?」

「そりゃあ、やっぱいいおっぱ……」

 

 バチン!! っと、私の平手打ちが父の頬に入る。真っ赤に腫れ上がった頬を抑えながら、父は壁際でシクシクと泣き真似。

 私達二人は、そんな父なんて完全スルーだ。

 

「あ、でもいるかも。いつも研究所帰ると真っ先におかえりなさいって言ってくれる子。いい胸してるし」

「へぇ、誰?」

「……眠八號」

「ええええええ!!!!!」

「……煩い、姉さん。多少当てはまるだけで過剰反応しすぎ」

 

 騒々しい命日の刻が過ぎてゆき、弟は研究があるからと先に帰宅してしまった。

 帰宅を見送った私と父は深いため息をつく。

 

「……幸介さ、絶対さっきの会話そのまま眠八號に話すと思うんだよね」

「……ハイ、同感っス」

「でもボク、君に興味ないんだけど。どうおもう? とか普通に言うよね……」

「ええ……。一体誰に似たことやら……」

「とりあえず抱かれてみる? 愛し合えるかもよ。って言って、また平手打ち食らうんだろうなぁ……。道徳……何処に置き忘れたんだろうなぁ……」

「……姫乃っ……これ以上ボクの胃を削らないでくださいっ……。何故かボクにもダメージがっ……」

「……紛れもなくお父さんの子だよ。常識・良識・道徳を遺伝させなかったお父さんの所為だよ。清々しい奴だわ」

 

 

 

 これ以上実のない話をしても仕方がないと思い、私も風呂に入りゆっくりと湯船の中で母との思い出に浸る。

 

 

「……長湯しすぎた」

 

 喉が乾いたから水を……と思って廊下を歩いていた時。

 居間にまだ父が座り込んでいることに障子越しに気がつく。

 

「……で…………だから……」

 

 小さな父の独り言が聞こえる。

 どうせまた調子のいい話を母にしてるんだろうと、興味本位で気配を完全に消して耳を傾けてみた。

 

「姫乃はやっぱり柚に似てしっかり者で、いつも頼らせてもらってばかりだ。銀城さんは幸せ者っスねぇ。幸介は案外涅さんと仲良くしてるみたいでして。苦労も多そうですが、それ以上に楽しそうだ。ボクがこんなんだから、二人にとってはいい反面教師なのかもしれないっス」

 

 私達の様子を嬉しそうな声色で報告する父の話を聞いていると、私も自然と口角が上がる。

 

 少しの間があった後、父が再び母に話しかけだした。

 

「ボクは相変わらず……好きにやらせてもらってますよ。最近じゃ、孫はまだかなぁ……なんて。気が早いっスよね。少し歳取ったかもしれなくて……。ところで今回の装飾どうっスか? 嗜好を少し変えてみまして……」

 

 随分と話の要領を得ない父の口調。

 ……ああ、この話し方を知っている。幸介は知らないかもしれないけど、父が母の腕の中でだけ見せる姿。

 私も見たことがあるのは、幼い時に一度だけだ。

 普段あれだけ大きく強く、頼もしく見えている父の背中が随分と小さく見える気がして……小さい頃は少し嫌だった。

 

 父が消えてしまうんじゃないかって、そう不安になるくらいに弱々しかったから。

 だから、無邪気に金平糖を頬張るフリをして、自分の不安を誤魔化したような気がする。

 

「……さっき、幸介になんで君を愛したのかと聞かれました。……我が息子ながら、痛いところついてくるなぁ……って、参りましたよ」

 

 さっきの話なんて、父から真実が一つも語られてない事は分かってる。

 だから尚更、私はその場を動くことが出来なくなってしまった。

 

「……ボクは、他人の顔色なんて伺って生きた事ありませんから。自分が変だという事を理解していてそこに興味なんてなかったっス。……君と出会うまで」

 

 ポツポツと語られる、父から母への想い。

 

「八年間。君に触れなかった。……触れられなかった。初めて、自分が"影"なんだと気がついたんス。美しくて……穢れのない君を、ボクが汚しちゃいけない気がして。ああ、自分は汚れてるんだと。気がついたんス。

 君の家に行く前に、何体も解剖をしてから行くなんてザラで。勿論殺す時だってある。隠密機動にもいましたから。仲間殺しは当たり前でした。それが"善"じゃないんだと。……だから、君には仕事の話しなかったのかもしれない。……嫌われたくなかった。否定されたくなかった。そうして取り繕ってでも君の傍に居たがる自分が、穢れている気がしてならなかった」

 

 

 父の言うことは、痛いほど分かる。

 ……私が虚しか倒したことがないかと問われれば、答えは否だ。

 如月姫乃としての記憶じゃない。浦原姫乃としての記憶上でもだ。

 護廷十三隊の仕事は、綺麗な仕事ばかりじゃない。

 仲間だった者を、処刑台に連れていかなければならない時だってある。

 同情も温情もないままに斬らなければならない時だってある。

 

 ……そうした時、その日あった出来事を母に一度も話したことがない。

 話したくないんじゃない。話せない。

 

「きっと……君は、そうなのね。って言って赦してくれるから……」

 

 ああ、そうだ。

 きっと母は、その全てを赦し受け入れ包み込むだろう。それが……どれほど後ろめたいか。

 

「感情に呑まれて、君を傷つけた。……最低なんスよ、ボク。僅かに染まる君の血の色が……紅化粧みたいだなぁ、って。綺麗だななんて思ったんス。真っ白な君に、ボクが紅色を落としてしまった」

 

 自分を責めるかのような、半笑い混じりの小さな声。きっと父は、伏せた目を上げられないでいるのだろう。

 

「……混ざっちゃいけないと思っていた色が混ざって。……綺麗だったんス……。君がそれを……教えてくれて……。君の優しさに甘えて逃げました。……君は、言わせなかったんスね。ボクに愛してると」

 

 参ったなあ。敵わないなぁ。

 よく父が母に言う言葉。その言葉通り、これ程頭脳明晰な父が母に勝てた姿なんて見たことない。

 

「……長い、長い時間を君はボクに与えてくれた。向かい合う勇気が、どれ程尊いのか。どれ程苦しいのか。君の滅多にない意地悪だなぁ、なんて今では思います。……だから、愛してると思えた。混ざり合って、向かい合って、共に歩きたいという勇気をくれた貴女だから、心から愛していると思えた」

 

 ……それ程の想いを持った母はもう居ない。

 父の声が、僅かに震える。

 

 

 

「……ダメっスね。ボクはまた……一番伝えたい事が後回しで……」

 

 

 こういうと母はなんて言ったんだっけ。

 そうだ。『知ってますよ、喜助さん』。包み込むかのように許すかのように。

 そう微笑んで父の頬を撫でるんだ。

 

 

 

『ほら、また預かってあげるから。言っていいんですよ』

 

 

 

「……寂しい。ボク、まだ寂しいっス。君がいない……毎日が……寂しくてたまらない……。愛した人が隣にいない苦しさが……罰のように思えるほどに」

 

 

 

 泣き出してしまいそうなくらいに震えた小さな声。そのあまりに痛々しい声を聞いて、私は目から涙が零れ落ちた。

 

「また期待してしまってる。君がまた……ボクの前にひょっこり現れるんじゃないかって……。朝起きたらっ……またっ……ボクの好きな食事がっ……いっぱいに並んでるんじゃないかって……」

 

 母の葬儀が終わった後、泣く私達にヘラっと笑って言った言葉がある。

 幼子に戻ったみたいに、幸介ですら珍しく声を上げて大泣きしたあの日だ。

 

 泣き顔ひとつ見せず笑う父に対して、初めて幸介が父を殴りつけた騒動が懐かしい。幸介が本気で怒った姿を見たのは、あれが最初で最後だったかも。

 それでもやっぱり、父は怒ることも泣くこともなかった。私達に弱い姿は決して見せなかった。

 

 __柚は欠片持ちっスからねぇ。現世じゃ完現術者になるかもしれないなあ。そうして人の生を終えてまた尸魂界に還ってくる。たとえボク達を覚えてなくても。きっとまた会える日が来ますよ。だから、二人とも泣かなくていいんスよ。今日はさようならの日じゃない。行ってらっしゃいの日だ。

 

 あれはきっと、自分自身に言い聞かせていたんだ。

 なんだっていい。どんな形でもいい。

 ただもう一度……会いたいと。

 叶うかも分からない夢に溺れて沈まぬよう、私達を通して父は立ち上がったんだ。

 ……乗り越えられないくらいに太陽が沈んだ日は重かった。どうにも出来ない気持ちをそれぞれが消化するのに必死だった。

 だけど、三人いたから支え合えた。

 

 独りだったらきっと……堕ちて戻れなくなってしまっていたかもしれない。

 

「会いたいっ……柚っ……会いたいっス……。けれど君は……最後に意地悪を残していくんだ。敵わないなぁ……。だって……寂しいのに、苦しいのに。……ボク、毎日幸せっス。君の温もりが、億光年先まで照らし続けるんスもん……。君の笑顔に花束を届ける今日この日が待ち遠しくて楽しみで仕方ない……。君のボクへの意地悪だ」

 

 

 私達には決して見せない、……最愛の人に向ける為だけの弱々しくて、儚くて……優しい声色。

 

 

「……愛してる。柚。昨日も、今日も、明日からも。ボクに幸せをありがとう。お陰でボクは、昨日も今日も明日からも幸せっス。君がくれた幸せです……。寂しさや苦しさすらも愛おしさに変えてしまう……君は、ボクの太陽だ」

 

 

 

『私も幸せよ、喜助さん』

 

 

 

 母の声が……聞こえた気がした。

 






未来編二話投稿、ごめんなさいっ(土下座)
前話で柚乃の命日話と、せっかく弟くんが出てきたので……もう一話追加したくなったのです。
罪深い作者をお許しください。


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特別番外編_未来編Ⅲ(前編)

 

 

 この話は、私が副鬼道長に再任して数年が経った時の話。……私の銀城さんの恋物語。

 

「ひーめーのー、なーなーおー。注文決まった?」

「んー。みたらし団子。七緒ちゃんは?」

「水羊羹を」

「アンタ達ってば、そればっかりね。せっかくなら三つくらい食べましょうよ」

「正しく栄養管理をしていると言ってください。松本さん」

 

 七緒ちゃんに同意するかのように私も首を縦に振る。

 

「虫歯になったら嫌だし。小さい頃に、眠八號と一緒にされた涅さんの治療がトラウマなの」

「……想像もしたくないわね」

「痛くなかったけど怖すぎた。ブチ切れながら器具持ってる顔が目の前にあるんだもん」

 

 生涯忘れもしないだろうトラウマだ。

 

『涅しゃん……歯が痛いの……助けてぇ……』

『マユリさま……痛いの……』

『この猿共が!! 菓子の摂取量すら守れないというのかネ!! 特にお前は、私の所に来る度に厄介事しか持ち込まない!! 二度と菓子を食おうなどと思わないようにしてやるヨ!!』

 

 あの言葉と地獄の門番のような顔は、いまでも私の脳内に張り付いている。お陰様で、我が家の方針である"好きな物は好きなだけ食べていいっスよ"を自ら正した。

 父の方針を全て信じたら、自分が損をすると気がついた瞬間だった。

 

 まあそんな思い出は置いておいて。

 ここは瀞霊廷で三本の指に入る甘味屋。情報源は乱菊さんだから、正確性はともかく美味しいのは間違いない。

 たまたま非番が重なった今日は、乱菊さんと七緒ちゃんと所謂女子会日だ。

 

「女子会と言えば、恋バナよ!! 恋バナしましょ!」

「特にありませんよ」

「なーい」

「……つまんない女ね、アンタ達」

 

 ため息をつく乱菊さんを横目で見つつ、私はふと思い出して話を振った。

 

「あ、七緒ちゃんあるじゃん。京楽隊長とか」

 

 その名前を出した瞬間に、七緒ちゃんの顔が真っ赤に染め上がっていく。そして、全身で否定するかのように手を大きくブンブンと横に振った。

 

「あ、あ、あ、あの方は違っ、違いますよ!! そ、その……」

「告白したんでしょ? 私は聞いてないんだけど、見たよ。ほら、"私がお慕いしている"……」

「記・憶・違・い・で・は!!??」

 

 私に顔をギリギリまで近づけて大声を出す七緒ちゃん。それを見て、私はクスクスと笑った。

 

「見たかったなぁ。私が魂魄保護装置から人工子宮装置に移って、魂魄細胞再生液に浸ってる時だもんなぁ……」

「……姫乃、アンタは"母胎"とか"羊水"とか、もう少し夢のある言い方しなさいよ」

 

 そうツッコミを入れつつも、乱菊さんも口に手を当てて笑いを噛み殺している。

 

「百年経っても進展ゼロ。ってことは、愛されてんのねぇ、七緒も」

「松本さんまで何を言うんですか!!」

「あの女遊びで有名だった京楽隊長が蝶より大切に扱ってんのよ。幸せものじゃない」

「た、た、た……確かに最近はめっきり遊びに行かれることは……なくなったような……。歳なのでは!?」

「まだまだ現役よ」

「げ、現役とは何を持ってして現役と!」

「まだまだ性欲バリバリってことよ」

「せっ…………」

 

 顔を真っ赤に染め上げた七緒ちゃんの首が、後ろに倒れてしまった。

 これ以上詰めると、七緒ちゃんがショートして倒れてしまいそうだ。しばらく待っていると、眼鏡を光らせながら七緒ちゃんの首が戻ってくる。

 話題を変えたかったのだろう。仕返しのように、私に話を無理やり振ってきた。

 

「姫乃さんは!!」

「……ないよ、何も」

「いえ、そんなはずはありませんよ! だって……」

 

 七緒ちゃんが言い終わる前に、言葉が止まった。それは、私達の傍に誰かが来たからだ。

 三人で向けた視線の先。そこには、一人の男の子が立っていた。

 彼の視線は、まっすぐ私に向いている。それを見た乱菊さんが私の肩をツンツンと叩いて、小声で囁いてきた。

 

「……アンタの知り合い?」

「んーん。違う」

 

 ぎこちない足取りから、如何にも緊張が伺える。私とそう年齢が変わらないように見える、何処かの隊の隊士だ。

 

「う、浦原さん! 二番隊所属の八代と申します!!!」

「はい」

「ずっとお綺麗で可愛い方だと思っていて、その! お、俺と……今度、現世に……行きませんか!!」

 

 突然の誘いに、目をパチパチと瞬きさせて脳内で彼が言ったことを反芻する。

 少し考えてから、返事を返した。

 

「……えっと……嫌」

「え、あっ、で、ですよね!! で、出直してきます!」

 

 そう言い残して、閃光の如き速さでその場を立ち去る男の子を見守った。

 案の定、乱菊さんは口元が緩んだまま私の肩を押してくる。

 

「なーんで断んのよ」

「知らない人だもん……」

「姫乃さんには似合わない人です」

「これから知り合いになるでしょ。そんなんじゃ、いつまでも彼氏出来ないわよ」

「い、いらない」

「割と男耐性ないわよね、アンタって」

「そんなこと……ないし……」

 

 私の体がグイグイと押され、椅子から落ちてしまいそう。

 誤魔化すために、届いたお団子をつまみ始めると、乱菊さんはつまらなさそうな顔をした。

 

「別に、お父さんはそこらへん何も言ってこないんでしょ?」

「うん。めちゃくちゃ悲しそうな顔でいじけてるけど」

「それで、貴族側から来る見合い話も断ってんの?」

「それとこれは別。あの人達は、私が欲しいんじゃなくて浦原家っていう後ろ盾が欲しいだけ」

 

 そう答えると、七緒ちゃんが同意の意を示してくれた。

 

「もれなく、四楓院家の後ろ盾が付きますからね。朽木家は肩入れこそしないでしょうが、財源の確保には惜しみを出さないでしょうし」

「そうなりゃ、四大貴族と同等までは行かなくても、腹心よね。上流貴族の頂点よ」

「金と権力……姫乃さんをそんな中には入れたくありません」

 

 もし私が下流貴族の嫁に嫁いだとしよう。そうなれば、鬼道衆原初の浦原家という看板に加えて、四楓院家の武力保護が付いてくるだろう。家が粗末であれば、朽木家からの資金援助の話も出る。

 ひっそりと暮らしていた下流貴族が、一晩にして四大貴族を除く、貴族界の頂点に君臨することになるだろう。金も名誉も名声も思いのままだ。

 

「確かに。それでもう何回も誘拐されてんだから、貴族に信用は置けないわね」

「実に三十回。懲りないよねぇ」

 

 私が両手を顔の横で広げると、乱菊さんは呆れたと言いたげにため息をつく。

 

「それを楽しんでんだから、やっぱ浦原家は頭のネジが飛んでるわ」

「大義名分の元、永久機関が出来るんだから楽しまなきゃ」

「永久……機関?」

「聞かない方がマシよ、七緒」

 

 誘拐という罪を犯した貴族は、四楓院家の力で存在を消される。人権の無くなった首謀者の行き着く先は、技術開発局。最深部で、"色々"研究に付き合ってもらって、結果は尸魂界の更なる発展に還元される。

 還元された事で得た資金が、技術開発局の更なる発展へと繋がるのだ。最深部で彼らが死にさえしなければ……まあ、殺さない方法はいくらだってある。

 そういうわけで、大義名分の正当性を盾にした、永久機関である。

 涅さんの高笑いが止まらないわけだ。

 

 成長した今ではそんな事もうないけどね。怖かったのは最初の一回だけで、馬鹿だなぁと私も幼いながらに気がついてしまった。

 

「鏡花水月が不貞腐れるわよ」

「うん、もう何回も説教くらってる」

 

 いつの間にか随分と話が逸れてしまった。そういえば恋バナだったはず。乱菊さんは甘味を食べる手を進めつつ、思い出したかのように手を叩いた。

 

「十三番隊の副隊長。何も無いわけ?」

「銀城さん?」

「そうそう」

「んー……」

「多分、貴方に初めて会った日から貴方の事が……」

「ちょっと!! ネタにしないでよ!!」

「あははは!!」

 

 机をドンドン叩きながらお腹を抱えて笑う乱菊さんを睨むが、全く効果なし。

 如月姫乃としての記憶の閲覧(鑑賞会)をした時に、このシーンが皆の記憶に鮮烈に残っているようで、今では半分ネタにされてる。

 

 というか、人の記憶を映画観る感覚で鑑賞するこの人達は……プライバシーという言葉を知らないのだろうか。

 

「プライバシーとか考えてるなら、さっきアンタが七緒に言ったのもプライバシー侵害よ」

「そうです!! お一人だけ勝ち逃げしようったってそういうことはさせませんよ!」

「……人生最大のミスだ」

 

 観る事に夢中になって、部屋の鍵もかけず霊圧知覚もしていなかった私のせいだけど。

 振り返った時に扉の隙間から大量の人の目が見えた時は、流石に悲鳴を上げた……今では懐かしい思い出だ。

 

「あ、あの時はあの時で……今は今だよ」

「またまたぁ。知ってんのよ、アンタがずっと銀城の事目で追いかけてんの。副隊長会議じゃ、アンタずーっと銀城のこと見てる」

「……煩いなぁ」

 

 照れ隠しついでにお茶を飲みながら、目線を外に逸らす。

 浦原姫乃としての自我を覚えだしてから、ずっと傍にいる人。

 小さい頃は、よく遊んでくれるお兄ちゃんみたいで好きだった。

 強くて、大きくて、暖かい。

 銀城さんに頭を撫でられると、涙もピタリと止むんだ。

 

「……雲みたいな人だよ 」

「雲?」

「うん。追いかけても、追いかけても届かない気がしてる。まだだよ。って言われてる気分」

「あら。ちゃんと惚れてるじゃない」

「銀城さんにとっては、私は子供でしょ」

 

 大人の女性とは言いきれない私の見た目。人間でいえば、18歳くらいだろうか。

 銀城さんの私への態度も、子供の時から何一つ変わってない。

 同じ役職を持つ者同士なのに、いつまで経っても子供扱いだ。

 

「……どうしたら子供扱い辞めてもらえる?」

「男なんて、胸押し当てとけばどうにだってなるわよ」

「……嫌味?」

「……お父さんに文句言いなさいよ」

 

 乱菊さんの憐れむような目線が、私の胸部を捉える。

 

「……銀城さんは胸で女の子選ぶタイプじゃないもん。……多分」

「好きって伝えなさいよ」

「ちっちゃい頃からずっと言ってるよ。いつも爆笑されて受け流される」

「雰囲気が足りないのよ。現世の夜景にでも誘って、少しくらい色気ある服きてみなさいよ」

「……そこまでしてダメだった時、立ち直れないよ」

「モタモタしてると他の子に取られるわよ。あの人、案外人気高いんだから」

 

 はーっと深いため息をついて、グルグルと答えの出ない思考を回し続ける。

 銀城さんが他の女の人と……嫌だな。

 そう考えるだけで、胸が傷んで泣きたくなる。

 

 いつからこんな気持ちを抱き始めたのかはわからない。強いきっかけがあったわけでもない。

 磁石が吸い寄せられる事が自然であるように。至って自然とそう思い始めた。

 彼の顔を見ると、恥ずかしい気持ちと心臓がギュッと掴まれたみたいに高鳴る。

 

 私が顔の火照りを手で仰いでいると、七緒ちゃんが乱菊さんの耳元に顔を近づけた。

 

「え……というか、銀城さんって……」

「七緒。それ銀城からダメって言われてるでしょ。私達は姫乃に合わせるの」

「ですが……あまりにももどかしいと言いますか……」

「何の話?」

 

 こんな至近距離でヒソヒソ話されても、全部聞こえてる。聞き出そうと話に割り込むと、二人揃って首を横に振ってしまった。

 

「な、なにも。私達は何も存じません!」

「そうそう、ね。大丈夫、アンタの恋は絶対叶うから! 今度アタシが銀城の好みの服でも聞いといてあげるわ!」

「……ありがと……。大好き」

「知ってるわよ! 姫乃、本当に愛くるしいわねぇ」

「前に進むのみです! あの男には私から拳骨を入れておきますから!!」

 

 早口で無理やり場を収められた感は否めないものの、掘り返しても何も言ってくれないだろう。

 久々に話し込んで、甘味も完食した私達は、会計を終えて店から出た。考え込んでしまった私の肩を叩いて、乱菊さんが笑顔で次なる提案をする。

 

「そうだ! 今から現世に三人で買い物に行きましょ!」

 

 その案に真っ先に面倒くさそうな顔をしたのは七緒ちゃんだった。

 

「副隊長三人の現世行きは、休暇といえど手続きが……」

「それ、責任者七緒じゃない。後付けでどうにでもなるでしょ」

「げ、限定印の申告も……」

「それは姫乃が責任者でしょ。五秒で出来るでしょ?」

「出来るけど……私達って……便利だなぁ……」

 

 乱菊さんの言い分は至極正しく……いや、丸め込まれたのでは? 

 深く考えすぎると、胃が痛くなりそうなので辞めることにした。一番近い十番隊の転送装置に向かうべく、私達は歩き始める。

 

 すると、さっきまで笑顔だった乱菊さんが少し遠慮がちな表情へと変わった。

 

「……その、姫乃……」

 

 何かを頼みたい。でも、それは流石にワガママが過ぎると分かっている。そんな表情だ。

 乱菊さんがそんな顔を見せる相手なんて、一人しかいない。

 

「いいよ。お父さんに連絡しとく」

「……ありがとう」

「あれ、四楓院家ではないんですか?」

 

 七緒ちゃんからの質問に、私は頷いた。

 

「うん。映像庁は今四楓院家の管轄にあるんだけど、実質的な管理者はお父さんなの」

「……やりたい放題とはこのことですか。そりゃあ、貴族も喉から手が出るほど欲しいわけですね」

「でしょ。乱菊さん、先に行って待ってるから連れてきて。えっと……霊圧はいつも通り三番隊の地下道にいるっぽいよ」

 

 霊圧知覚で探った結果を伝えると、乱菊さんが幸せそうに笑う。

 

「……ありがと。アンタ達が友達でよかったって心底思ってるわ」

 

 乱菊さんがどうしても一緒に連れていきたい人。本来、瀞霊廷内での行動範囲すら制限され、限られた時間以外の全てを監視されている人だ。

 監視といっても、隠密機動が四楓院家の名のもとにある以上、実質的には放し飼いなんだけど。

 それでも、私達よりずっと限られた生活を強いられている。現世に行くなど、一歩間違えれば私達も処分されてしまう。

 

 走っていく乱菊さんの背中を眺めながら、私は父にメッセージの送信を始めた。

 

「映像をぜーんぶ、誤魔化そ。霊圧は……私が隠せばいいか。あ、特殊義骸何処に置いたっけ?」

「この前出かけた時から、十番隊に置いたままですよ。……秩序が……。京楽隊長も、まあまあいいじゃないの。っていつも笑いますし……」

「もう皆……許してるんだよ。四十六室の無能老害以外ね。いま残ってるのは建前だけ。護廷十三隊に文句言う人はいないよ」

「……そうですね。罪を憎んで人を憎まず。ですね」

 

 七緒ちゃんと二人で目的地を目指しながら、私はまた銀城さんの事を思い浮かべる。

 私が余程難しい顔をしていたのか、隣からはクスクスと笑い声が聞こえた。

 

「わ、笑わないでよ……。七緒ちゃんは歳の差、どうやって乗り越えたの……」

「わからないですよ。でも、伝えてよかったと……そう思ってます。そして得たことは、歳なんて関係ないんだということです」

「……そっかぁ」

「私もずっと、子供扱いでしたから」

「……うう……。やっぱ無理だよう……」

「大丈夫です。銀城さんは他の女には絶対見向きもしませんから!」

「根拠は……」

「えっと……それは……その……女の勘ですよ!!」

 

 また何かをはぐらかされてしまった。二人は何かを知っていて、私のペースに合わせてくれているのだろう。

 

 噂をすればなんとやら。とはこのことだ。

 私達が進む先で、道端で雑談を交わしている銀城さんの姿が見えた。

 

「……誘ってみようかな」

 

 現世のデートに誘う。さっき乱菊さんから言われたことを実行してみようかなと口に出すと、七緒ちゃんがニコッと笑った。

 

「きっと、上手く行きます」

「うん。ちょっと話しかけてきていい?」

「どうぞ」

 

 誘うことに関して億劫にならないのは、絶対に断られることがないと分かっているから。

 私は少し小走りで、その集団へと近寄る。

 

「銀じょ……」

「えー、銀城副隊長はどっち派なんですか?」

「そりゃあ、胸だろ」

 

 聞こえた会話に足が止まった。

 

 ……胸。

 

「あーでもそうっすよね。食ってる感ありますもん。男は食ってナンボっすからね」

「だろ? チマチマしてんのは面倒で俺は嫌いなんだよ」

 

 胸の方が食ってる感がある。

 チマチマした物が……嫌い。

 

 グラッと視界が揺れた気がして、思わず後ずさりをしてしまった。けれど、もう目と鼻の先まで私がいたことには変わりがなくて。

 振り返った銀城さんの目が私と合った。

 

「おー、コッチいんの珍しいじゃねぇか。非番か?」

「え、あ……はい……」

「なんでそんな堅苦しくなってんだよ」

「なんでも……ない……」

「あっ! おい!」

 

 その場から脱兎の如く逃げ去り、無我夢中で走った。

 

「姫乃さん!!」

 

 七緒ちゃんの静止の声にも、私が立ち止まることは無かった。

 

 ……やっぱり、いつも私がどれだけ好きだと叫んでも笑われるのは……。

 銀城さんは……胸派だからなんだ。

 私は女として見てもらえていないんだ。ずっとずっと女らしい体にならないから……。

 

 ジワッと滲む視界と、ズキっと痛む心臓。

 

 目元を拭って、私は気がつけば技術開発局を目指して走っていた。





長くなりすぎて、前編と後編に分ける作者をお許しください。
過去編の藍染さんとのストーリーの方、お待たせしてしまってますが……やはり最終回に持っていきたいのでこちらの話を先に投稿します。

パスワード付きR18指定の番外編にて、姫乃の弟幸介君のラブストーリーを書いています。2話から5話です。パスワード『1122』興味ある方だけどうぞ。


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特別番外編_未来編Ⅲ(後編)

 

 

 息を荒らげながら駆け込んだ技術開発局。

 突然突風のように現れた私の姿を見て、幸介が目を丸くした。

 

「ね、姉さん!?」

「……幸介。二番手術室空けて。誰も入ってこないで」

「別にいいけど……何するの。ボク午後から使うんだけど」

「胸を……大きく造り変える」

「……はあ?」

 

 何言ってんだと言いたげな顔をする弟をさし押して、私はその場から離れる。

 技術開発局に所属していないだけで、こういった事の技術力を持っていないわけじゃない。

 並大抵の隊士なんか歯が立たないくらいには、技術者としての一面も持ってる。

 

 手術室へと一目散に向かう私の背中を、幸介が慌てて追いかけてきた。

 

「……やめなよ」

「使った器具代の請求は三倍してくれていいから」

「やめろってば」

 

 黙々と準備を進める私。幸介は、動きを止めない私の右手首を掴んだ。相変わらず表情は何一つ変わらない彼の顔を見上げて、私は睨みつける。

 私を力で押さえつけようとしても無駄だと分かっている行為をしてくる事に、悲しみに加えて腹が立った。

 

「……アンタに関係なんて一つもないでしょ」

「あるね」

「普段希望者の身体を好き勝手造り変えてるくせに、姉だけはダメなわけ?」

「そうだよ。興味ない人がどうしようが勝手だけど、姉さんは無理。続けるなら、技術開発局全体に強制シャットダウンかける。……落ち着きなよ、何があったのさ」

「どうせっ……男は胸が大きい女の方が好きなんでしょ」

「まあ、そうとも限らないけど。珍しいね、思想論に振り回されてんの。フラれたの」

 

 バチンっと彼の頬を叩く。

 叩かれた頬を擦りながら、幸介はため息をついた。

 

「……ヒステリックが一番嫌われるよ」

「アンタに関係ないって言ってるでしょ!」

「あるって言ってるだろ。研究途中の身体を勝手に造り変えて貰っちゃ困るね」

 

 少しの沈黙が続いた後、私もため息を吐く。

 コイツと話していてもラチが開かないし、急激に馬鹿馬鹿しく思えてきたんだ。

 

「振られた原因が、女性らしくない体だから。だから造り変えて見返すか振り向いてもらうか。……馬鹿だなぁ」

「煩い……」

「賢いのに馬鹿って、姉さんのためにある言葉だよね」

 

 幸介は近くの棚に手を伸ばして、私の顔にティッシュを押し当てる。

 

「まあ、まずはそのだらしない涙と鼻水でも止めたら」

「……煩い」

「恋愛経験赤ちゃんの姉さんがすることなんて、馬鹿馬鹿しくて見てらんない。男の味を知らないのに正解がわかった気でいるんだから」

「……慰めるか煽るかのどっちかにしてよね。アンタに恋愛論を説かれたくはない」

「わー、見て見て。恋愛未経験者がやりがちな行動データに姉さん全部当てはまってる。オモシローイ」

 

 彼は私を抑えつつ、器用に電子板を操作してクスクス笑う。

 馬鹿馬鹿しい事をしようとした挙句、弟に小馬鹿にされた。そして玩具の様に掌の上で転がされている現状に、心底絶望を覚える。

 

「よーちよちよち。悲しかったでちゅねー。こんな可愛いオネーチャン泣かせる男はドコノダレですかねぇー」

 

 よほど眠かったのか、死ぬほど興味が無いのか。きっとどちらも当てはまるのだろう。

 幸介は、欠伸を噛み殺しながら、何一つ感情のない棒読みでしかないセリフを紡ぐ。

 普段だったら、ここから肘打ちを入れるはずの私が、何も言わないし何もしないことに気がついて、彼はやっと表情を変えた。

 

「……うわ、ガチ泣きじゃん」

 

 間に合ってます、充分ですとでも言いたげな、心底嫌そうな顔だ。

 

「あーもう、これだから恋愛未経験者ってのは嫌いなんだよね。感情に呑まれるし、自分の慰め方一つ知らないんだから……。いつもいつも他人任せ。えっと……何処にあったっけな……」

 

 ため息を付きブツブツと文句を言いながら、幸介はさらに戸棚を漁って何かの薬を取り出した。

 

「忘却剤あるよ。ほら、口開けて。今日一日の事、全部忘れましょう」

「いらない! 忘れたらまた同じ傷つき方するだけだし……」

 

 私の頬を片手で掴み、なんとか上を向かせようとする幸介に、全身で抵抗を示す。

 半分取っ組み合いのような状態だが、私が吠えるかのように霊圧を押しつける。すると彼は、諦めたようなため息をついて手を離した。

 無理やり飲ませるか、戦いになるかの二択で引く選択を取ったようだ。

 

「……経験もない人が、ある人に楯突かないの。男に抱かれる経験くらい積んでから歯向かってくれる?」

「マトモな事してないアンタの言いなりになんかならない!!」

「はー、面倒くさ。こうなった姉さん泣き止ませるの、ボクの役目じゃないんだけど」

「……こんな時くらい、気を使えよ……」

「無理。父さんなんで今日に限っていないんだか。銀城さんに電話しよ」

 

 その言葉を聞いて、私は幸介を突き飛ばした。

 

「やめて!!!」

 

 そう言い捨てて、結局技術開発局も逃げるように飛び出した。

 事の事情を理解した幸介が、目をパチパチさせた後に口元を抑えて笑っている事にも気が付かず。

 

「……姉さん面白すぎ。これだから姉観察はやめられないなぁ……」

 

 

 その日は結局、乱菊さん達との買い物にも行かなかった。

 それから、しばらくずっとうわの空の日々を過ごしていた気がする。

 

 

 

 …………

 ………

 ……

 …

 

 

 

 __数週間後。

 

 

「……の、姫乃」

 

 勤務終わりの夜。実家でボーッとしていると、後ろから父に呼ばれて振り返る。

 

「……なに?」

「これ、断りでいいっスよね?」

 

 父の手に持たれているのは、お見合い写真だ。

 貴族からの、うちの息子は如何ですかと言わんばかしの笑顔の写真ばかり。

 

 それをジッと見つめて、目線を外した。

 

「……行く」

「ハイハイ、じゃあこれも処ぶ……ハイ?」

「行く。お見合いする」

「…………え?」

 

 手から書類を全部落として、父は固まってしまった。

 かと思えば、慌ただしく家を飛び出していく。

 

 ……ポッカリと心に穴が空いたような気持ちだ。気を抜けば涙が出そうになるから、興味のないフリで誤魔化すことを続けた。

 

 当たり前に隣にいて、当たり前に好きで。

 でも、あの人は私の事なんて見てなかった。

 

 ただの……ただのお嬢ちゃん扱い。

 

 父は出ていってしまったし、特段家出することも無い。だから私も家を出て近くを散歩することにした。

 

「……好きって気持ち……どうやったらちゃんと伝わったのかな……」

 

 私は色んな人が好き。大好き。

 けど、銀城さんを思って言う好きは……なんというか、同時に心がギュッと締まるような感覚なんだ。他の誰にも抱かない、特別な感情なんだと分かってる。

 

 それが砕け落ちて、穴を埋める術を私は知らない。

 

「浦原さん!」

 

 外を出歩けば、また知らない人に声をかけられた。いや、数週間前私に現世に行こうと誘ってきた人だ。

 

「あ、あの。何度も申し訳ないです。諦めきれなくて……俺と一緒に……」

「……いいよ」

「へ?」

「行こ」

 

 何もかもがどうでもよくて。一気に嬉しそうな顔をする彼とは対比的に、私は目線を伏せた。

 

「行きましょう!」

 

 そう言って握られ、引かれる手を見る。

 ……嫌だなと思った。

 全然暖かくない。この手は……好きじゃない。

 

「ど、どうします? 日帰りにします? お、俺は全然泊まりでも……というか、泊まりの方がもっと仲良くなれるというか……」

 

 ああ、嫌いだ。煩い。気持ち悪い。

 こういうことに嫌悪しているから、いつまで経っても恋愛経験赤ちゃんなのかな。

 みんなどうやって、大人の女になるんだろう。

 

 恋が全て思うように叶うなんて思ってない。

 だけど、その抜け落ちた穴を埋める術を知らないんだ。

 

「浦原さん?」

「……うん、いいよ」

「え、あ、え! やった、本当ですか!?」

「うん……」

 

 私の抑揚のない声と光のない目を分かっているはずなのに、目の前の男は生唾を呑んだ。

 ……ああ、気持ち悪い。

 

 けど……繋ぎたかった手は、もう掴めない。

 普段はもっと思考を回すはずが、あの日から止まったままマトモに動きやしない。

 

 ただ、ただ忘れたい。

 

 恋愛未経験者の行動データに全部あてはまってる。と幸介の嘲笑う声が耳元で聞こえてきそうだ。

 

 じゃあ、経験すれば何かが変わるのか。もっと上手に自分を慰められるようになるのかな。

 自分が惨めで、馬鹿らしくて。

 涙が溢れる。

 分かってるのに、どうしていいか分からない。

 

 私が……私が欲しかった手は……この手じゃないのに。

 

 

 

「……よお。ウチの嬢ちゃん泣かせてまで引っ張っていく必要があるか、三秒で答えろ」

 

 突然後ろから聞こえた声。

 知っている声が、いつもの数段低い。

 明らかに相手を威圧する声だ。

 

「ひっ……銀城……副隊長……」

「答えられねぇなら、立ち去るか、俺と喧嘩するかどっちか選べ。手加減は一切しねぇぞ」

 

 私を掴んでいた手が離れて、男は一瞬にして走って逃げてしまった。

 

 呆然とその場に立ち尽くしていると、ポンっと肩を叩かれる。

 

「何してんだ、おめェは」

「……勝手に決めないでよ。現世にデートに誘われただけ」

「……男ナメてんのか」

「……銀城さんに関係ない」

 

 来た道を帰ろうと踵を返すが、あっさりと私は捕まってしまった。

 ……いや、逃げることだって出来た。捕まりたかったのかもしれない。

 

 ……惨めだ。

 私が遠ざかろうとすると、絶対手を掴んでくれると分かっていてこうしたんだ。

 

「……さっき、浦原がお前が見合いするって泣き喚きながら五番隊駆け込んでたぞ」

「……」

「マジですんのかよ」

「うん」

「急にどうした」

「別に……。なんでもいいでしょ」

 

 素っ気ない私の言葉に対して、怒ることもなく銀城さんは私を背中側から抱きしめる。

 ……暖かい。大好き。この温もりが……愛おしい。

 

「っ……離して……」

「嫌だね。俺はお前の心の声全部聞かねぇと納得しねぇ。離してやらねぇよ」

 

 上から落ちてくる声が、優しい声で。

 私は堰き止めていたものが崩れるかのように涙がポロポロと溢れた。

 

「確かになぁ、姫乃は強い。本気で嫌がりゃ、並大抵の男なんて瀕死になんだろ。……けど、それは死神としての姫乃だ。……お前は女の子だから、ちゃんと自分を大切にしろ」

「もうっ……大切にしても意味無いもん……」

「なんでだよ。俺は少なくとも悲しいぜ」

 

 銀城さんの言葉は……きっと近所の子供に向けられてる程度の意味合いしかないのに。

 その言葉で、私は雁字搦めに絡め取られる。

 

 だから私は、逃げるように自分の話を逸らした。

 

「銀城さんも結婚すればいいのに」

「ぜってぇしてやらねぇ」

「なんで」

「待ってる女がいんだよ」

「……胸が大きい子?」

「……はあ?」

 

 待っている子が居るという言葉に、また胸がズキっと痛む。

 一度ならず二度までもフラれて。私は涙でぐちゃぐちゃの顔を銀城さんの方に向ける。

 

「だって!! この前、胸の方が好きって言ってた!」

「いつの話だよ」

「チマチマしたものは嫌いだって……私はどうせ小さいもん!!」

 

 私の叫び声を、困った顔で聞く銀城さん。

 必死に心当たりを探しているんだと思う。

 

「それあれか。この前お前と会う前の……」

「好きな子がいる癖に、私を縛らないでよ!!」

 

 数秒の間があって、聞こえてきたのは笑い声だった。

 必死に堪えても堪えきれないと言いたげな、この場に似合わない大きな笑い声。

 

「おまっ……おまえなぁ……」

「笑わないでよう……」

「なんでお前はっ……そう愛くるしいんだかっ……ははっ……」

「笑わないでよ!! 真剣な問題なの!!」

 

 悲しいのか怒っているのか、自分でも訳が分からなくなる。

 そんな私の気持ちなんか気にしてないかのように、銀城さんはわしゃわしゃと私の頭を撫でた。

 笑いすぎたのか、彼の目には涙が浮かんでいる。

 

「それ……筋トレの話なっ……」

「……え?」

 

 ……筋トレ? 

 

「筋トレの食事メニュー、ゆで卵がいいか鶏の胸肉がいいか。どっちが好きかの話だよ」

「……え?」

「ゆで卵をチマチマ殻剥くの、俺は嫌いなんだよ」

 

 頭の中でグルグルと情景が思い浮かばれて……全てを理解した時、顔が火が出るほど熱くなった。

 

「か、か、か、帰る!!」

「やーなこった」

 

 もがこうとする私を、銀城さんは意図も簡単に捉える。

 そして、私の目線に合うように腰を屈めた。

 

「んで、その可愛い勘違いから何がどうなったってんだ」

「馬鹿に……しないでよう……」

「してねぇって」

 

 勘違いはともかく。

 銀城さんに好きな人が居ることは事実で。

 結局私の恋心なんて実らない現実は変わらない。

 

 ……二度もフラれたんだ。一度目は勘違いだけど。三度目も四度目も変わりはないか。

 半分諦めて、ため息をつく。

 

 そうして、事の発端から末端までの全てを話た。

 

「おー、なるほどな」

「銀城さんが好きなのっ……大好き!! 銀城さんの手じゃないと嫌だったっ……銀城さん以外の誰のものにもなりたくないっ!!」

 

 泣きじゃくりながら叫んだ声。

 雲みたいな人。

 私の心を知っていて、少し届かない先にいつもいる。

 まだだよと、言われてるようで躱されているようで。

 いつまでこの人に向かって走り続ければ、私は届くんだろう。

 

「銀城さんが好きな女の人が嫌い!! 大嫌い!! 絶対虐めてやる!! 私の全権力を使って、鬼道衆にぶち込んでやる!」

「だははは! 過激だな、そりゃ」

「訓練も倍にして……書類仕事沢山させて……それから……それから……新薬の実験を……」

「姫乃」

 

 自分でも何を言っているのか分からない言葉を遮るかのように、銀城さんが私の名前を呼んだ。

 

「そりゃあ、無理な話だ」

「……分かってる。どうせそんな度胸、私にないもん。精々念を送るくらい」

「ちげぇって」

 

 再び腰を上げた銀城さん。そして、私の体がそっと抱きしめられる。

 

「……今度は、俺は間に合ったか?」

「……え?」

「お前が苦しむ道を進もうとして。その世界に俺が映るよう、間に合ったか」

「……止めてくれて、嬉しかった」

「……そっか。いつの間にか……デカくなったなぁ、姫乃」

 

 子供の階段をもう登り終わっている事。

 それを銀城さんは、私にでは無く自分自身にまるで言い聞かせているようだった。

 

「……待ってる女がいんだ」

「……うん」

 

 私の想いを、キチンと向き合ってくれている。

 だからフラれると分かっていて、今度は逃げようとは思わなかった。

 

「必死に追いかけたのによ。追いついた時には小さくなってやがった。……笑った顔も、泣いた顔も、怒った顔も、拗ねた顔も。全部全部光り輝いてる子だ」

「……銀城さんにそう思われてる子が羨ましい」

「何度も後悔したんだ。俺があの時、手を伸ばしていたら……って。だから、今度は絶対間に合わせるって決めてた。誓ってた。そいつが何処に走ろうと、何処に戻ろうと。俺は絶対に手を離さないって。逃げないって」

「……うん」

 

 まるで御伽噺をきかされているかのような優しい語り口調だ。

 言葉の一つ一つに、その人へ向けた深い愛が込められているのはわかる。

 父が母に話しかける時と同じ声だから。

 

「そいつさ、俺の気持ちなんか知らずに、好き勝手に好き好き言いやがる。俺の想いが枷にならねぇよう、まだ子供だって必死に抑えてた。仲間に無理言って、隠してもらった」

「……?」

「俺の想いが、お菓子の好きと並べられちゃあ溜まったもんじゃねぇからな」

 

 ふと思い出した思い出。

 銀城さんに大好きと駆け寄って、お菓子を並べられたんだ。

 どっちが好きかって聞かれて、どっちも好きと答えた記憶がある。

 

 ……そんな幼少の頃。好きの種類も知らずに……。

 

 そこまで考えて、私は顔を上げた。

 

「……え?」

 

 彼の語られる言葉は……なんで私の思い出と重なるんだろう。

 

「……待ってたつもりが、今度は待たせる羽目になりそうだったな。……ったく……俺達らしいじゃねぇか」

「……え?」

「俺が待ってる女は、ただ一人だ」

 

 銀城さんと目が合って、彼の優しくて大きな手が私の涙の跡を拭う。

 そして、そのまま私の前髪を少し上げるようにしてかきあげると、おでこにそっと銀城さんの唇が落ちてきた。

 

「……お前がまだ、父ちゃんの腕の中でべそかいてた時にした約束だ」

 

 __お前がデカくなるまで言わねぇよ。そんときゃ、もっと大人の言葉で伝えにいくさ。

 

 

 

「姫乃、愛してる」

 

 

 

 祈りを捧げるかのように紡がれた言葉は、私の"大好き"なんか、かき消してしまうほどの深い言葉だった。

 私だけが好きで、銀城さんは私の事なんかみてない。そんな想いが、嘘だったと素直に思えるほどに包み込まれる。

 

 嬉しいなんて言葉じゃ、今の気持ちを表せない。

 私は銀城さんにギュッと抱きついた。幅の広い体は、私が腕を回しても回しきれないほど大きい。

 

 ……幸せだという言葉以上の言葉があるのなら、今ここで欲しいと願う。その願いを小さな声に乗せた。

 

「ずっと一緒にいて」

「ずっと一緒にいただろ」

「特別にだよ。お父さんとお母さんみたいに」

「仰せのままに。嬢ちゃん」

 

 

 

 その後、軽率な行為に走ろうとしたことを軽く怒られて、二番隊の彼には断りを入れた。

 あとから聞いた話だけど、銀城さんは自分の想いが枷にならないようにと行動してくれていたらしい。父に頼んで、私の過去の記憶から銀城さんのボイスメッセージの部分の最後の部分だけを消していた。

 自分のせいで、これから沢山の選択肢がある私の未来を消したくなかったのだと。

 

 それを知っていた人達は、両想いだと知っていて中々進まない私達にモヤモヤしていたらしい。

 

 聞けば聞くほど、恥ずかしい話ではあるが……それも全部私を思っての事だ。

 

 家に帰れば、暖かい家族に迎え入れられる。

 

「あ、アタシはっ……姫乃がどこぞの馬の骨とも知らぬ男に渡るのかとっ……」

「もー、泣かないでよ、お父さん」

「面倒臭い。知らないフリして合わせるこっちの身にもなってよね、ほんと」

 

 気まずそうに気恥しそうに隣に立つ銀城さんが、父に声をかける。

 

「……浦原さん。生涯大切にします」

「……うちの子を、宜しくお願いします」

 

 そう言って小さく頭を下げる父だったが、何かを思い出したかのような表情へと変わった。

 そして銀城さんを手招きして、耳元で何かを囁く。

 

 それを聞いた銀城さんの顔が、一気に引きつった表情へと変わった。

 

「そ、ソレハモウ……モチロン……」

 

 カタコトになる銀城さんを不思議に思って首を傾げれば、なんでもないと手を振られる。

 

「お、男同士の話だ!」

「ええ、そうっスよ。大切な、大切な話ですから」

 

 一体何のことやらと考えていれば、答えはすぐに出た。これまた、一切人に気を使わない幸介の口によって。

 

 

「婚前に手を出したらマジで殺すってさ。そっちの許可は出さねぇぞだって」

「「幸介!!!!」」

 

 父と銀城さんの被さる勢いで揃った叫び声が、夜に響き渡る。

 

「な、なっ……で、デリカシーの欠片もないんだからぁぁああ!!!」

 

 顔を真っ赤に染めた私が、全員を家から追い出したことで、事態は収束した。

 

 

 長い長い時を重ねて、ようやく繋がった二人の物語。これからも悠久の時を大切に噛み締めて歩んでいきたい。

 

 

夜空を見上げ一人 ほうき星を見たの

一瞬ではじけては 消えてしまったけど

あなたのこと想うと 胸が痛くなるの

 

今すぐ会いたいよ

だけど空は飛べないから

 

もしあたしが ほうき星になれたならば

空駆け抜け 飛んでいく

 

どんな明日が来ても この想いは強い

だからほうき星ずっと 壊れないよ




次回特別番外編最終回。過去編。


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特別番外編__過去編

 これはまだ、護廷十三隊に私が入隊してすぐの頃の話。

 

「おーい! 如月! お前は行かねぇのか?」

「行かないです」

 

 門の前から大きく手を振る海燕さんに、小さく首を横に振って否定の意を示す。

 勤務時間は既に終わっていて、彼からが向かおうとしている場所。

 それは、『夏祭り』。

 

 瀞霊廷には、それぞれ季節に合わせて催し物がある。そのうちの一つ。

 

 普段だったら海燕さんも、私が行くと言うまで交渉を重ねるはずが、今日は彼も忙しい日だ。

 

「やべっ……花火の準備間に合わねぇな……。土産沢山買って来るから、早く寝て待ってろよ!」

 

 若干矛盾を感じる言葉と共に、海燕さんは多くの隊士を引き連れて隊舎から出ていく。

 浮竹隊長も、京楽隊長に飲みに付き合えと連れ出されたし……急務性のない隊士以外は、ほぼ全員が外に出ていった。

 

 私は屋根の上によじ登って、夏祭りとやらが開催されている方角に目を向ける。夜だというのににぎやかな電飾と、多くの人が群れている気配。声は聞こえずとも、賑やかそうだということは分かる。

 

 行きたくないわけじゃないけれど、見上げるばかりの人達の群れの中を歩くのは嫌いだ。

 

 膝を抱えてそちらをジッと眺めていると、屋根下に人の気配を感じた。

 

「姫乃」

「藍染さん!」

「やっぱり行かなかったんだね」

 

 私がいる屋根上を見上げて、大きく両手を広げる藍染さん。その腕めがけて、私は笑顔で飛び込んだ。

 

「おっと……失敗したな。思ったより重かった」

 

 私を受け止めた反動で一歩下がる姿に、ムッと頬を膨らませる。

 

「酷い!」

「あはは。冗談だ。まだまだ軽いさ」

「なんで此処に? 浮竹隊長はお酒飲みに行ったよ」

 

 五番隊と十三番隊は位置的に遠く離れている。何かウチの隊に用事があったのかと思って聞いてみれば、藍染さんはニコリと笑う。

 

「夏祭りに連れて行ってあげるよ」

「……やだ」

「僕が居て他に怖い事があるかい?」

「ない」

「じゃあ、行こう」

「うん!」

 

 頷くと同時に待ってましたと言わんばかしに一瞬で入れ替わる風景。

 滅多に使ってくれない、藍染さんの最長距離の瞬歩だ。屋根上から小さく群れに見えていた風景が目の前に広がる。

 暗がりを照らす無数の行灯と、行き交う人々の笑い声。

 

「さ、降りて歩こうか」

 

 促されて腕の中から降りれば、私の方へと手を伸ばされる。

 その手を掴んで、二人で並んで大通りを歩く。

 

「あれなに?」

「屋台や催し物だよ。毎年各隊が準備してるんだが……今年は出店が多いみたいだね」

「ふーん。ウチは?」

「十三番隊は、毎年この夏祭り一番の催し物、花火を準備してるだろう」

「あー……そう言ってた気がする」

 

 大通りの端に立ち並ぶ屋台。何かをして遊んだり、食べ歩いたり。

 普段は死覇装を来ている彼らも、浴衣姿の人達が多いように感じた。

 

「折角なら浴衣に着替えさせてくればよかったかな」

「うん」

「来年からそうしようか」

「うん」

「着付けを練習しておくよ」

「うん」

 

 景色の方に意識が奪われてしまって、生返事に近いが藍染さんは特段気にしてもないようだ。

 私はふと近くの店に目が止まった。

 

「ね、アレ欲しい!」

 

 グイグイと藍染さんの手を引っ張り、店に近づく。来る前までは怖かった気持ちも、この手に溶かされてどっかへ行ってしまったみたい。

 

 私が指さした先にあるのは、可愛い花の髪飾りが沢山並んだ出店だ。藍染さんも直ぐに了承してくれた。

 

「いいよ。どれがいいんだい?」

「んー……これ!」

「同じのは紐であるじゃないか」

「同じじゃないの!」

「何がどう違うんだか……」

「ガッチリしてる!」

「まあ確かに、結ぶ手間は省けそうだね」

 

 私が選んだのは、リボンの形を象った髪飾り。

 藍染さんがお会計を済ませている間に、表にしてみたり裏にしてみたりと眺めて遊ぶ。

 

「付けて!!」

「絶対そう来ると思った。これは……どうやって付けるのかな……」

 

 一つ結びをしている根元に飾り止めを刺してみたが、私が飛び跳ねるとスルリと落ちてしまう。それをみて、やっぱり紐でいいじゃないかと藍染さんは言いたげだ。

 

「絶対付けて!!」

「はいはい。これは一体何処が起点になってるんだか……」

「何してはりますの?」

 

 髪飾りの仕組みを解明しようと難しい顔をしている藍染さんの後ろに立ったのは、銀髪の少年。

 私よりは歳上に見えるけど、大人という訳でもない。

 

「やあ、ギン。女性の髪飾りの構造は多様で難しいなと思ってた所だ」

「ふーん。ボクがしたげますわ。おいで」

 

 ちょいちょいと手招きをされて、私は彼の傍に行く。

 

「後ろ向き」

「はーい」

 

 素直に後頭部を彼に向ければ、私の髪に細い手櫛が通る。こんな暑い日だというのに、彼の手はひんやりと冷たい。

 

「一回髪解かなアカンのですわ。毛に刺すんやなくて、挟むんです」

「へぇ、ギンは器用だな」

「乱菊がしとるの見て覚えただけです。痛ない?」

「大丈夫!」

 

 テキパキと私の髪型が再構成され、出来たで。との声と共に背中がポンと叩かれる。

 懐から手鏡を取り出して見てみれば、後ろ髪を上部半分だけをまとめられ、そこに花の髪飾りが付いていた。

 

「なんてゆーたかな……"はーふあっぷ"……やったかな。現世で流行っとるらしいですわ」

「可愛い!!」

「気に入ったんならよかったわ。めんこいやないの。ほな、ボクはこれで」

「ありがとう!」

 

 帰路の途中だったのだろう。祭り自体に興味はなさそうな彼は、私達に軽く手を振って人混みの中に消えてしまった。

 

「……魔法使いだね」

「かもね。よく似合ってる」

 

 再び繋いだ手に引かれるように、私達も賑やかな通りを歩く。藍染さんは隊長だから、顔も広い。多分五番隊の人がいて、小走りでこちらへ駆け寄ってきた。

 

「藍染隊長!」

「やあ、久々だね」

「あの、この前皆で話してた食事会なんですが……」

「ああ、あれか。いいよ、僕も行くよ」

「本当ですか! ありがとうございます!」

 

 その人が去れば、また次の人が来る。その度に足を止めて会話を酌み交わす姿に、段々とつまらなさを感じた。

 会話の内容に興味はないし、見たことも無い屋台が他にないか探す方が楽しいのに。

 

 私は藍染さんの袖を引っ張った。

 

「……行こ」

「もう少し待ってて」

「ねえ」

「待てるだろう?」

「……うん」

 

 私がいるからといって、他の人を疎かに扱うような人じゃない事も分かってる。

 ムッと頬を膨らませて、私は促すことをやめた。石になった藍染さんはテコでも動かないから、仕方ない。

 

「……番隊特製リンゴ飴だヨ」

 

 ふと、人混みの中から声が聞こえた。

 何番隊の出店なのかは知らないが、リンゴ飴という言葉に反応して顔を上げる。

 

「リンゴ飴だって!」

「ああ、後で買いに行こう。あの店じゃないところでね。ところで、七番隊は何を……」

「えっと、私達は射的を」

「ああ、射場君が出していた案か。後で寄るよ」

「ありがとうございます!!」

 

 "大人の立ち話"とやらで一向に動く気配のない藍染さんにため息をつく。

 

 

 

 それはほんの一瞬だった。

 つまらないと思って、手を離したその瞬間のことだ。

 

 

「もうすぐ花火が上がるぜ! 行こう!」

「うわっ……」

「あ、やべ。わり」

 

 歩き話に夢中になっていた人が、私にぶつかる。その反動でよろめいたが最後。人の波が次々に私に襲いかかった。

 花火が上がるとのことで、人並みが一斉に動き出したんだ。

 

「足元っ……見て……歩いてよ……」

 

 そんな愚痴も届かない。

 大人の足を必死で避けて、人波から脱出した時。

 

「……藍染さん?」

 

 さっきまで真横にいたはずの姿を見失ってしまった。

 全方向を見渡しても、知らない人ばかり。

 そんなに距離は離れていないはずなのに、見つけられない。

 霊圧を探ろうにも、普段から閉じてある霊圧は掴めない。

 

「どこ……」

 

 途端に不安が襲った。

 初めて来る場所と、知らない大人ばかりの群れ。仮にも瀞霊廷の中であり、絶対的にそんなわけないのに……もう二度と会えないんじゃないかという根拠の無い不安が脳裏に過ぎる。

 

「藍染……さん……藍染さん!!」

 

 周囲を駆け回っても、見つからない。

 怖くて、寂しくて、悲しくて。

 手を離した自分が悪かったんだと、塀を背に座り込んだ。

 膝を抱えて、息を殺すように身を潜める。

 

「あれ……ほら……浦原喜助の……」

「構うなって」

 

 私の存在に気がついた人達も近寄っては来ない。私も周囲の人に助けを求めようなんて考えは微塵もなかった。

 

 グスッっと鼻を啜った時……。

 

 

「姫乃!!」

 

 聞きなれた大好きな声が、私の名前を呼んだ。

 慌てて顔を上げると、人混みを掻き分けるようにして藍染さんが私に駆け寄ってくる。

 

「すまない、僕が手を離してしまったせいだね。怖かったね」

「抱っこ……」

「おいで」

 

 優しく抱き上げられ、背中をさすられる。

 一定に鳴る心臓の音と体温、そして私を落ち着かせる声を聞いていれば、やっぱりまた不安は泡のようにして消えていくんだ。

 

 藍染さんの額には少し汗が見えて、私の事を探して走ってくれたんだと分かる。

 

「手を離して……ごめんなさい……」

「謝ることなんか一つもない。僕が祭りに連れていくと言っておきながら、君の興味を待たせてしまった所為だ」

「……リンゴ飴が食べたかっただけなの」

「ああ、分かってるよ。ほら」

 

 目の前に差し出された藍染さんの手にあったのは、リンゴ飴だった。

 

「探すのを後回しにして買いに行ったんじゃないよ。ちょうど僕の隊でも売っているものだったから……そうだなあ、取ってきた」

「あー、悪いことしてる」

「隊長による味見という権限は便利だね」

「職権乱用」

「たまにはね」

 

 してやったりと言いたげな表情。その表情につられて、私もクスクスと笑った。

 腕から降りて、今度こそ手をしっかりと握り合う。

 

「どうだい?」

「美味しい!」

 

 さっきまでの不安や悲しみがまるで夢だったかのように、穏やかな時間が続く。

 

 

 ドォォオン……

 

 リンゴ飴の味を存分に堪能していると、空に大きな閃光が上がった。光に遅れて届く大きな破裂音が全身に振動として伝わる。

 

 

「花火……」

「見るのは初めてだったかい?」

「うん」

「瀞霊廷名物、志波家花鶴大砲による四尺玉。綺麗だろう」

「うん……綺麗」

 

 夜空一面に咲く光の花。思わず言葉を失うほど大きくて綺麗だった。

 

 次々と空に上がる花火を眺め続ける。私はふと思い立って、藍染さんの方を見上げて声をかけた。

 

「藍染さん……——!」

「ん?」

 

 花火の音が大きすぎて、聞こえなかったのだろう。藍染さんは腰を屈めて私の方に耳を傾けてくれる。

 その耳にちゃんと届くよう、私は大きな声を出した。

 

 

「連れてきてくれて、ありがとう!」

 

 今度こそはちゃんと聞こえたらしく、優しい微笑みが返ってきた。

 

「どういたしまして」

「また一緒に行こう!」

「いつでも。ああでも……そのうち『今年は彼氏と行く』とか言うんじゃないかな」

「言わない!!」

「あはは」

 

 揶揄う藍染さんと共に、夜空に咲く光の花束が照らす道を歩く。たまたま出た単語は、話題を膨らませるには充分だ。

 

「彼氏が出来たら、寂しい?」

「そんなことないよ。でも、どうだっていいわけでもないさ」

「将来、引く手あまたになったらどうしよ!」

「いつの間にまたそんな言葉を覚えたんだい? そうだなぁ……。選ぶ決断力は付けさせたと思っているよ」

「京楽隊長が、いつも私に言うの。"可愛いねぇ""将来は引く手あまただねぇ""ボクが全員面接するから、安心していいよ"って」

 

 そう伝えると、藍染さんは何かを少し考えるように顎に手を当てた。また難しそうな顔をしているなぁと思っていれば、視線が私に落ちる。

 

「やっぱり、京楽隊長とは教育方針が合いそうにないな」

「あ、悪口言ってる」

「違うよ。意見が合わないだけさ」

「また、"脅し"に行くの?」

「……それも、京楽隊長の入れ知恵かな? 今度はもっと長話になりそうだ」

「あはは! "お前が余計な事を言うからだろ! "って、京楽隊長が浮竹隊長にまた怒られるよ!」

 

 口の中に広がる甘いリンゴ飴の味と、美しい景色に私はまた笑顔が溢れた。

 見渡す限りで見えてる人々の顔は、どれも楽しそうで幸せそうだ。そんな中で、私はふと先程の出来事を思い出す。

 

 

「……ねぇ、藍染さん」

「ん?」

「また……私が迷子になったら迎えに来てくれる? 何処にいるのか分からなくなって。帰り道も見えない時……」

 

 何気なくした質問は、何となく……いつかもう迎えには来て貰えないんじゃないかと思ったからだ。

 その質問に、藍染さんは一拍間を置いて答える。

 

「勿論。どんな遠い所でも、どんな暗いところでも。君がそれを望むのなら、迎えに行くよ」

「そっか」

「でも」

「うわぁ!」

 

 軽々と持ち上げられる私の体は、藍染さんの肩の上に乗った。

 久々の肩車だ。重くなっただのなんだの言いながらも、結局私の事なんて軽々と持ち上げてしまうんだ。

 視点が一気に高くなって、打ち上がる花火が更に近くに見える気がする。

 

「君はきっと、駆ける。前に、前に走るだろうね。君は初めから、戻るなんて選択肢は持ってないのだから」

「んー? どういうこと?」

 

 首を傾げる私に一瞬目線を向けて、藍染さんは打ち上がる花火を指さした。

 

「僕達は生まれ落ちるという砲台から打ち上げられた瞬間から、戻る選択肢は与えられていない。君も、僕も、誰しも。上に前に進む。仮に同じ軌道を二度通るとするのであれば、それは"墜落"だ。そうして戻り、同じ場所に立ったとして。再び上に前に打ち上げてくれる存在はいない。その先に仮に進めていると思うことがあるならば、それは錯覚だ」

「でた、藍染さんの持論。つまり?」

「僕は姫乃を墜落させるより、失速した分を押し上げてあげたいと思っている」

「やーん、アイサレテルー」

「こーら、真面目に聞きなさい」

 

 二人でクスクスと笑いあって、再び目線を花火へ。

 打ち上がっては消えていく花火を眺めながら、頭の中でさっきの話を反復した。

 

「……最後は消えちゃうんだね」

「誰だってそうだ。消えるということが、重要なんじゃない。どんな花を咲かせたかが大切だと思うよ」

「藍染さんは何色の花がいいの」

「……白かな」

「なんで?」

「何色でも取り込めるだろう」

「うわ、欲張り」

「こら」

 

 花火が上がる間隔が段々と遅くなり、所謂打ち上げの終わりを匂わせていく。

 

「次で最後かな」

 

 ド──ン……と視野全体に収まりきらない程大きな花火が打ち上がって、夏祭りの終わりを告げる鐘が鳴り響いた。

 

「……私は」

 

 私は何色の花になろうか。少し考えて、藍染さんの頭に顎を乗せる。

 

「私は、何色にでもなれる花がいい」

「あはは、姫乃の方がよっぽど欲張りじゃないか」

「お互い様ー」

 

 人並みに揺られて帰り道を辿る。来た時とは違って、藍染さんは瞬歩を使わなかった。

 

「……んー……」

「眠いんだろう」

「……うん」

「帰り道ついでに寝かしつけだ」

 

 だからのんびり歩いてたんだ。

 藍染さんは肩車をやめて、私を横抱きに変える。そして、口の中に含んでいた小さくなったリンゴ飴をそっと取り出した。

 

「……歯磨き」

「今日だけ、特別。この時間に寝たら、どうせ真夜中に起きるだろう。その時にすればいい」

「うん」

 

 温かさと、一定に叩かれる背中のリズムに身を委ねていると、私の瞼はあっという間に重くなっていく。

 それを微笑みながらずっと見つめてくれた。

 

 その目が……あまりにも優しくて。

 夢の中で見たどの姿とも重ならない。

 

 夢は嫌いだ。

 現実と空想の狭間に溺れて、自分の足元を見失う。

 呑まれては苦しく、見らずば恐ろしい。

 

「おやすみ、姫乃。いい夢を」

「……ん」

 

 私達はどんな色の花になるのだろうか。

 ……どうか、願わくば。

 どんな色の花であっても……それを見てくれるのは、貴方がいい。

 

 貴方が散る時に咲かせる大輪を。

 どうか、私が見届けたい。

 

 貴方の花の色なんて何色でも良くて。

 私は……貴方に見合う色の花になりたい。

 

 






8月7日は、BLEACHの二十周年記念です。本当はそれに公開日を合わせようかとも思いましたが、これ以上お待たせするのもアレかと思いまして、一週間早い公開日です。
余談ですが、BLEACHの連載開始日である8月7日は、姫乃ちゃんの誕生日です。意図したわけではありませんでしたが、たまたま気がついて泡吹きそうになりました。

私の魂を注いだ作品が、私自身の創作活動の中で最も高い評価を得ていることも、全て読者様の応援のおかげでございます。もしかして……人生初の平均評価9.0越え……プレゼントしていただけるんですか!?
嘘です。読んでいただけただけで満足でございます。

支援絵を送ってくださいました、ツナ様。こけしすと様。
この小説のサブタイトルを考えてくださった御門翡翠様。
長い間応援してくださいました読者の皆様、本当にありがとうございました。

ご愛読ありがとうございました。
はちみつ梅より。

師匠は藍染惣右介
~A bouquet for your smil~
__完結__


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再公開記念~獄頤鳴鳴篇~

姫乃が魂魄再生せず、そのまま生き続けていた世界線の話。


 ——私達はいつだって、願いを歪に叶え続けるのだ。

 

 

 

 御伽噺を読み聞かせてもらうのが好きだったの。アナタがあまりにも大袈裟におどけながら読み聞かせるから、胸がドキドキして楽しくて、結局寝られないの。

 だから、最後は抱っこしてもらう。アナタの腕の温かさを感じて眠るの。

 

 楽しくて、嬉しくて。夢の中でも御伽噺を思い浮かべる。

 

 御伽噺は、御伽噺のままで良かったのに。

 

 

 

 ********

 

 

 

 ──西流魂街北部。尸魂界最高峰の山脈である『仙人岳』。その頂上に、一人の女性が立っていた。

 

「……もう十二年経ったよ」

 

 誰もいない土地で、小さな石で作り上げられた墓石にそう彼女は話しかける。

 

「私はこの通り、元気だよ。寿命は大きく縮んだんだけどね」

 

 困ったように眉尻を下げながら、女性──如月姫乃は墓石の傍に一輪の花を置く。

 彼女は、藍染惣右介との死闘の末に、生死の境を彷徨い続けた。しかし、涅が繋ぎ止めた希望と、浦原の頭脳が彼女を助ける結果となった。

 

「……代償は、権兵衛だった。元々斬魄刀を持たない家系だったし……仕方ないね。今は鬼道と、適当な浅打で戦えてるよ」

 

 姫乃は、その報告の為だけにここに来た訳では無い。

 

「魂葬礼祭。……瀞霊廷でやると、流石に皆いい気分しないだろうから。此処で私だけでやるね」

 

 死神は、死して霊体は霊子となり尸魂界の大地へと還元される。

 隊長に匹敵する霊威を持った魂魄は、大地へと還れない。それを還るようにする為の儀式が、魂葬礼祭である。

 

 霊術院で習う知識であるが、この儀式が実施されることはほとんど無い。隊長が"戦死"する事などほとんど無いからだ。

 

 藍染惣右介は、既に大罪人として護廷十三隊の隊長が得るべき権利の全てを剥奪されている。死後与えられるべきその全ては、認められていない。

 

「……だからこれは、私個人のせめてもの弔いだよ。皆には秘密ね」

 

 姫乃は、足元にあった小さな籠を手に取る。中には、虚圏で捕まえてきた小さな掌ほどの虚が入っていた。

 大袈裟にしたら、見つかるだろう。だから、ほんの些細な見かけだけの儀式だとしても。

 それでも、やらないという選択を選ぶことはどうしても出来なかった。

 

「不思議。此処に来ると、まだ藍染さんの霊圧を感じるの。京楽隊長が言ってた迷信、案外嘘じゃないかもね」

 

 迷信だ。隊長に匹敵する霊威を持った魂魄は、大地へと還れない。

 魂葬礼祭は、本当は隊長を地獄へと送る儀式なのではないか。

 

 いつぞやに聞いたその話を思い浮かべて、姫乃はクスッと笑った。

 

「御伽噺だよ。……けど、それが怖くてこんな小さな虚しか持って来れないの。また"怖がり"って笑うでしょ。笑わないでよ」

 

 返事のない話を振り続け、姫乃は空を見上げる。

 暫く沈黙していた時、ふと背後に誰かの気配を感じた。振り返れば、よく知った人物が二人見える。

 

「浮竹隊長……。京楽隊長……」

「やあ。いい天気でよかったな」

「水臭いねぇ。またボクらに黙って一人で行っちゃうのかい?」

 

 意地悪なその問いに、姫乃は口角を上げる。

 

「違いますよ。プライベートです。それと、転送装置の無駄使いはダメですよ」

「女の子のプライベートかあ。そりゃあ、是非ともお供したいね」

「……総隊長に怒られますよ」

「はは! 慣れっこだ! 気にするな、如月!」

「全くもう……仕方ないなぁ」

 

 ここに居る三人は、今だけただの一魂魄として立つ。

 二人は姫乃の隣に歩み寄ると、墓石に目線を落とした。

 

「藍染。如月は今度、結婚するぞ。ええっと……名前は確か……」

「ついにボケて来たかい? 浮竹ぇ。銀城君でしょ」

「ああ、そうだそうだ! まだ彼は霊術院生だが、ウチに来る事は決まっているよ」

「藍染君が、また取るのかって小言言いそうだねぇ」

「如月の時も、嫌そうな顔してたしなぁ……」

 

 大罪人であり、名前を出すことすら悪となりうる存在に対して、二人はまるで昔のように話しかけた。

 彼は許されない。それでも、二人の優しさが寄り添うことを許す。

 

「如月にも弟が出来てなぁ。この前立って歩いたと、浦原が喜んでいたな!」

「随分と風情のない家を建てたって噂じゃないか。今度遊びに行ってみようかね」

「ヨーロッパ風の家だったか? いやあ、尸魂界も近代的になってきたなぁ」

 

 姫乃が報告しなかった近況を、二人は次々に口に出す。それを聞きながら、姫乃はクスクスと笑い声を上げた。

 先程までしめやかだった雰囲気が、一気に明るくなったような気がしたからだ。

 

「お父さんの家、エレベーター付きですって」

「え、えれべーたー? あの、現世にある動く階段かい?」

「それ、エスカレーターです」

「そのうち、瀞霊廷の建物中に普及しちゃうんだろうねぇ」

「そうですね。供給に向けて、一応最終準備までは終わってます」

「いやはや……いつのまに……」

 

 答えながら、姫乃は一歩前に出る。やや話が脱線してしまったが、本来の目的がついに始まるのだ。

 

「……藍染さん。私は幸せだよ」

 

 小さな虚を掴んで、墓の前に掲げる。鬼道で練り上げた炎が、その虚を包み込んだ。

 

 声には出さなかった。

 

 だけど、願ってしまった。

 

 

 

 

 ……また会いたいと。

 

 

 

 

 ——私達の願いは、いつも歪に叶い続ける。

 

 

 

 それは偶然だった。同じ日、同じ時、同じ座軸にて、空間を超えて偶然が起きる。

 現世にて、黒崎一護の子供である黒崎一勇が、地獄の門を開いた。

 彼にとって、それが何を意味するのか。まだ誰も知らない。

 

 大切なのは、全ての事象が一致してしまったということ。

 

 

 

 ゴゥン…………。っと、重低音が場に鳴り響く。

 目視で見た光景に、三人は目を見開いた。

 

 

「……地獄……門……」

 

 真っ先に情景を口に出したのは、浮竹だった。三人の正面に、地獄へと続く巨大な門が現れたのだ。

 

「……何故だ……。何が起きて……」

 

 その答えを、姫乃は誰よりも早くに導き出した。

 

「……地獄側からの干渉を可能にしてしまいました……。均衡が……崩れた……」

「……迷信じゃあなかったみたいだね」

 

 周囲に漂う、地獄の燐気を手に取りながら京楽は表情を堅くする。

 

「……この虚は、習わしに指定された虚ではありません。儀式と名を付けているだけで、普段尸魂界で虚を浄化している作業と大差ないです……」

「じゃあ、何故っ……!」

「分からないです。その他の干渉が、偶発的か意図的か。どちらにせよ、かかってしまった。……ギリギリで釣り合っていた均衡が、崩れたという事実に変わりはありません」

 

 長い説明と会話をしている余裕はない。ゆっくりと開かれる門を、三人はジッと見つめた。

 

 

 ……パリン。

 それは、まるでガラス細工が割れるかのような音だった。

 

 聞き覚えのある音。決して忘れることの出来ない音だ。

 

 地獄の門が半分ほど開かれた時、姫乃の瞳が動揺で大きく揺れる。

 

 

「……久しぶりだね。姫乃」

 

 聞き覚えのある声。決して忘れることの出来ない声が耳に届く。

 懐かしい眼が、姫乃を真っ直ぐと捉えた。

 

 

 

「あ、い……ぜん……さん……」

 

 

 振り絞るかのように出した声は、酷く乾いて震えていた。

 

 

 ——この世界はまだ、御伽噺を読み聞かせたいのだろうか。

 

 

 

 BLEACH

 NEW

 BREATHES

 FROM

 HELL

 

 ——獄頤鳴鳴篇





原作に続きがないのと同じく、こちらも続きはありません。


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