サンセット・サンライズ (ゆーり)
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逢魔時

「うん、いいよ」

 

 ……はは、勝った!

 

「ありがとう! 実績も何もない俺だけど、最後まで諦めないことだけは誓うよ」

 

 もうすぐ日が沈もうかというグラウンドの片隅で、俺は乾坤一擲のスカウトを行っていた。

 

 ここ、トレセン学園にトレーナーとして就任して早数年。名バを育てあげて、獲得賞金で預金額九桁到達を目指したはいいものの、GⅠウマ娘どころか重賞勝利すら達成できなかった。

 

 おかげで財布は風が吹けば飛びそうな軽さだし、無能トレーナーランキングがあればランクイン間違いなしの立ち位置を確立してしまった。

 

 この状況から抜け出そうにも、無能では才能あるウマ娘をスカウトできないという負のループで、前回の選抜レース後のスカウトも奮わない結果だった。

 

 そう、選抜レースはウマ娘が選ばれる場であると同時にトレーナーが選ばれる場でもあるのだ。選択権は常に優れている側が持っている。俺が以前コイツをスカウトした時も一顧だにせず断られたしな。

 全く、頭の軽そうなガキの割には見る目があると思ったものだ。

 

 ……だが、成功した。

 

 コイツの置かれた状況が俺に味方した。ならばその波に乗らない手はない。見える、見えるぞ。金色に輝く栄光の未来が!

 

 ふふ、コイツの望む菊花賞はどうせ出られないだろうが、その後のレースでいくらでも稼げる。

 

 この天才に、無敗の二冠ウマ娘にぶら下ってるだけで金も名誉も手に入るってんだから笑いが止まらねーぜ!

 

「"諦めない"か。いいねそれ。ボクも諦められそうにない。だから君に全てを賭ける」

 

 気が合うじゃねーか。俺もお前にこの先を全部ベットさせてもらうつもりだ。

 お互いにいい目が見られるよう、頑張っていこうじゃあないか。

 

「よし、じゃあ握手でもするか! これからよろしくな、トウカイテイオー!」

 

「うん、こちらこそよろしく。トレーナー」

 

 栄光に目が眩んで何も見えてない男と、絶望の暗闇に堕ちて周りが見えなくなっていたウマ娘。そんな、天と地ほどに乖離のある二人は、燃えるように真っ赤な夕日に照らされながら、手を取り合った。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 どこで間違ってしまったのだろうか。

 

 最初から? 

 

 いや、身の丈に合わない夢だったとは思わない。

 

 才能も努力も環境も揃っていた。ダービーだって獲ったのだから、運もあったはずだ。

 

 けれど、自分の夢は唐突に終わりを告げた。否、今まで積み上げてきた全てが崩れてしまった。

 

 菊花賞、もっとも強いウマ娘が勝つと言われるクラシック戦線の終着点。

 あるいは、それに挑むことすらできない自分はどうしようもなく弱かったということか。

 

『トウカイテイオー、左脚骨折! 菊花賞出走は絶望的か!』

『トレーナーとの関係悪化!? 契約解除の可能性が取り沙汰される』

『トウカイテイオー、再契約の続報なし。発覚した気性難と脚部不安が原因か』

 

 ここ最近、紙面とワイドショーを賑わせているのはボクの話題ばかりだ。もっとも、どれ一つとして良い話ではないけれど。

 

 骨折によって菊花賞への出走ができなくなるだけであれば、まだマシだったのだろう。いまのボクはレースへの出走権も、走りを支えてくれるパートナーも失っていた。

 

 互いに信頼し合えていたはずなのに、たった一事でその関係は脆くも崩れたんだ。

 

 菊花賞への出走を許してもらえず我儘を言うボク。そして、骨折の原因は過剰なトレーニングを強いた担当トレーナーにあるという世間からのバッシング。

 

 結果的にあのヒトは、ボクと一緒に夢を見ることを諦め別の道を行った。

 

 その事実を受け入れられず、癇癪を起して暴れたボクを引き取ろうなんて物好きは、この学園には居なかった。

 

 それで怪我も悪化させちゃうんだから、本当に救いようのない間抜けだ。

 

「一人でご飯を食べるのにも慣れちゃったな」

 

 以前なら考えられないことだった。

 級友かトレーナーと食事を共にすることが常であった自分が、今となってはおひとり様の常連だ。

 

 一応弁解しておくと、他のウマ娘たちから避けられている訳ではない。マヤノも他の皆も自分を心配してよくしてくれている。それを素直に受け取れず、勝手にボクが孤立していっているだけのことだ。

 

 食堂のテレビに目を向けると、週末に行われるレースの特集番組が流れていた。

 

「いいなぁ……」

 

 失くしてしまった、当たり前だったもの。

 

 三冠、GⅠ、重賞。そんな格式はレースに出走できるという前提あってのものだと、気付くのが遅すぎたのだろうか。

 

 無敗の三冠ウマ娘になる以前の最低限の資格すら満たせない現状。憧れの存在とは似ても似つかない。

 今でもはっきりと脳裏に浮かぶ"皇帝"シンボリルドルフのレース。自分の原点であり、今も追い掛けている彼のウマ娘は、とんでもなく速くて強くてカッコよかった。

 

 なにより、彼女の走る姿には他に真似できない煌めきがあった。あのキラキラした輝きに自分もなりたいと思ったのだ。

 

 けれど、彼女の輝きはレースが強いだけで魅せられるものではない。これまで己を磨き上げてきた努力と成し遂げてきた功績。常日頃からの在り方全てが集約され、レースに臨んでいるからこそ発揮される輝きだ。

 

 それに比べれば、目指した存在の煌めきからどこまでも遠い自分。レースが速いだけでしかなかった傍迷惑な子供。

 

 それがボクだ。

 

「……今日のご飯、なんだかしょっぱいなぁ」

 

 無敗の三冠という目標が断たれた事実と同じくらい、己の矮小で情けない在り方が嫌になる。

 

「こんなの、見捨てられても仕方ないよね」

 

 必死で我慢していた零れ落ちる涙が抑えきれなくなった。誰も居なくなった食堂で一人机に突っ伏す自分が酷く惨めだった。

 

 それでも。いや、だからこそ菊花賞は……三冠だけは諦められない。

 

 信頼したあのヒトとの関係が断ち切られた以上、どれだけ今の己が目指すものから遠かろうと、もう残っているのは夢だけなのだ。

 

 獲れなければ、二冠で終わってしまえば、今までの全てが過ちだったと認めることになる。

 

「新しいトレーナーを探そう」

 

 きっとこのヒトとなら、自分の夢は叶う。そう信じた有能で優しかった者すら自分から離れた。

 同等以上の実力を持つトレーナーとの契約は望めないだろう。

 だが、菊花賞へ出ることに文句さえ言わなければ、才覚なんてどうでもいい。

 自身の力で勝ち取ってみせる。

 

 他の誰も賛同してくれないのだとしても、夢を諦めてなんて生きていけない。

 

「そうだ。離れていった奴のことなんてどうだっていい。ボクの夢を、ボク以外の誰にだって否定なんかさせるもんか」

 

 愛憎は表裏一体とはよく言ったものだ。

 

 あんなにも愛おしかった信頼できるパートナーは、今となっては憎悪の対象だった。

 

 あのヒトは、ボクの夢を断ち切った女は、今日も別のウマ娘にトレーニングを施すのだろう。

 

 そうしていつの日か、ボク以外のウマ娘で三冠を達成するのだろうか。

 

「……ははっ、バカにしやがって」

 

 顔を上げ、席から立ち上がり外へと向かう。

 

 ご飯がほとんど喉を通らないからだろうか。足取りがフラフラするがじっとはしていられない。

 

 はやく、ボクの夢を受け入れてくれるヒトを探そう。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「……どうしてっ!」

 

 そうして始めたトレーナー探しは、全くうまくいかなかった。

 

 気性難を理由に断られないよう、愛想よく相手の顔色を伺いながら話したのに。

 

 誰も彼も目を逸らして否定の言葉を吐く。

 

 なんでなの?

 

 そんなにいけないことなの?

 

 人生でたった一度しか挑めない、歴代でも数えるほどしかいない三冠ウマ娘になる夢なんだよ?

 

 君たちもトレーナーなら、その栄光を掴みたいと思うものじゃないのか。

 

「なんでそんな現実的なことばっかり言うんだよぉ……」

 

 完治が間に合わない。

 

 万全でない脚で出ても勝てない。また脚を悪くするかもしれない。

 

 三冠になれずとも、その先がある。

 

「先ってなんだよ。ボクにとって、菊花賞に出ない先なんて意味ないんだ」

 

 どいつもこいつも量産品のロボットかと思うほどに同じことばかり。

 

 なにがトレセン学園のトレーナーだ。

 

 なんの意外性も特別性もない、似たり寄ったりの理屈屋ども。

 

「くそぅ。トレーナーが居ないと出走できないなんて条件さえなければ、誰が頼ったりなんてするもんか」

 

 悪態をつくも、打つ手がない。

 

 本当にこのまま、諦めるしかないのか。

 

 ボクを見捨てたやつに、ボクのことを見もしない連中に言われるまま、走りもせず負けるのか。

 

「うっ……うぅ……くそ、ちくしょう……」

 

 もう嫌だ。ヒトなんて、みんな大っ嫌いだ。

 

「はぁ……はぁ……、やっと見つけたぞトウカイテイオー!」

 

 ……っ、誰?

 

「え、なに泣いてたの? 脚が痛むのか? 保健室行くか? おんぶするぞ」

 

 いきなり話しかけてきたと思ったら、オロオロして心配し始めた。

 

 何の用だろうか。いまは誰にも会いたくないからどっか行ってほしい。

 そう思って睨みながらなんでもないと伝えると、こちらに向き直って口を開いた。

 

「あー、そのスマン。お前が新しいトレーナーを募集してると聞いてな。他の連中に先を越されないよう探し回ってやっと見つけたんだ」

 

 トレーナーを探しているボクを、先を越されないように探してた?

 

「……それって、ボクのトレーナーになってくれるってこと?」

 

 実績のあるトレーナーを優先したとはいえ、かなりの数に声を掛けたはずだ。探し始めてそれなりに日数も経っているのに、今まで会うタイミングがなかったのだろうか。

 

「ああ、もちろんそのつもりだ! その反応ってことはまだ未契約か? おいおい、俺にもツキが回って来たんじゃねーかこれ!?」

 

 オロオロしてたくせに今度は子供みたいにはしゃぎだした。忙しいヒトだな。

 

「ちょっと待ってよ。ボクが探していたのは、菊花賞に出ることを認めてくれるトレーナーだよ。そうでないならお断り」

 

 この条件を誰も呑まなかった。

 

 断ってきたトレーナーたちも口では勝てないとかなんとか理由をごねていたが、結局のところはあの女と同じで面倒事なんか引き受けたくないのだ。

 

 骨折によって受けた世間からのバッシング。学園はトレーナーの過失を否定する見解を発表したし、ボクもそんな事実はないと世間に伝えた。だが、一度ヒートアップして思い込んだ大勢というのは厄介極まりない。その後、実際に契約解除されてしまったことも含めて、この話は真実だというのが世の中の風潮だ。

 

 それゆえに、ウマ娘に負担の大きいトレーニングや出走ローテーションを批判する空気が出来上がってしまっている。当事者であるボクを完治の見込みもないまま長距離レースに出すなんて言えば、どれだけ非難されるか。

 

 ギリギリまで出走有無を公表しないという手はあるが、ボクとしては約束を反故にされないためにも、出走の意志表明をしたい。その交渉の余地はあるだろうか。

 

「菊花賞? 出ればいいじゃねーか! たった一度のクラシックだもんな! 簡単には諦めつかねーよ」

 

 ……え?

 

「ほんとうに、いいの?」

 

 ボクが言うのもなんだけど、出走の意思表明をしただけで世間からめった刺しにされるよ?

 

「流石に骨がくっついてないとか歩くのもままならん状態で出すとは言えないけどさ。走れるとこまで持っていく気なんだろ? だったら俺が言うことはねーよ。精々お前が無事に帰ってこられるように入念なリハビリとお祈りをするだけだ」

 

 そう言って笑顔を浮かべるこのヒトからは、欠片も今後への憂いを感じ取れなかった。

 

「……あっ」

 

 その笑顔を照らす赤い光に、今になって気付いた。どうやらここはグラウンドの片隅で、いまは日が沈もうとしている夕方だったらしい。

 

「だから頼む! 俺にお前をスカウトさせてくれ! 一緒に三冠を、その先の夢を叶えよう!」 

 

 血のように、炎のように真っ赤な夕日に照らされるなかで浮かべていた笑顔は、妙に印象的だった。

 

「……うん、いいよ」

 

 急な展開に思考は追い付いてなかったが、自然と口から出たその答えが、正解な気がした。




○トレーナー(クズ):
金欲しさに中央のトレーナーライセンスを取得した俗物。
ガキ(ウマ娘)なんて適当に丸め込んで都合の良い金蔓にすればいいだろとか思ってる。
まあまあアホ。

○元トレーナー(女):
優しく聡明で真面目な黒髪ロング美人。
世間のバッシングとか気にするような性格ではない。

○トウカイテイオー:
ダービーを勝利したあとで世界の予定調和的に骨折。
菊花賞を諦めるだけの度量も強さも持ち合わせていたが、信頼していたトレーナーがバッシングに屈して自分を見捨てた(と思っている)ことで心が砕けた。
表面的な態度は変わらないように見えるが、暗い濁った色の目をしている。
三冠の夢に憑りつかれた状態。
誰ともトレーナー契約を結べずやつれていっていた。


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喰われるモノ

 トレーナーに向いてない。その自覚は大いにあった。

 

 そもそも楽しく生きるのに使う金が欲しくて選んだ職だ。高潔や理念やら綺麗な夢なんてものはない。

 

 だが、それにしても向いてない。

 トレセン学園のライセンスを取得できたのだから、それなり以上に優秀ではあるのだ。

 記憶力も、分析力も、頭の回転の早さもある。

 しかし、それらだけでは取り返せないレベルで、熱くなれない。

 

 ウマ娘は機械ではない。

 ヒトと同じ知性と感情を持っている。肉体のトレーニングだけでなく、心を持つ生き物としての理解とサポートがいくらでも能力を底上げする。

 トレーナーにはウマ娘に対する共感と熱中が最低限必要なんだ。

 

 しかし、俺はどうにもそこら辺りを真剣にこなせなかった。

 相手を理解できず結果が出せないことを恐れているのか、分かり合えず関係性が断裂する可能性に怯えているのか。

 あるいは、もっと根本的に真面目な熱血というのが肌に合わないのか。

 

 なんにしてもトレーナー失格な態度であることだけは間違いない。

 

 手を引く、背を押す、並び立つ、支える。在り方に個性はあれど、トレーナーとはウマ娘の夢を一番に応援する存在でなければならない。

 どの手法を取るにしても、ウマ娘個人を理解して伸ばすことが必須である。

 

 それを苦手とする俺ではあるが、トレーナーを辞める気があるかと言えば、そんなつもりは欠片もない。

 なんせ一発当てた時の稼ぎが良い。しかも自分が天才である必要はなく、担当ウマ娘が天才であればいいのだ。

 汗水垂らして息を荒げるウマ娘に後ろから偉そうに指示を出すだけで、何千万・何億という金が入ってくる。

 これを利用しない手はない。

 まぁ、そんな都合の良いウマ娘はそうそう転がってはいないのだが。

 

 だからこそ、このチャンスは絶対に逃せない。

 すでに実力を証明した『天才』がフリーになってフラフラしているのだ。

 なんとしても手中に収めて骨の髄までしゃぶり尽くしてあげなければ。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 トウカイテイオーのスカウトに成功するという偉業を成し遂げた俺は、嬉しさの余り飛び跳ねそうになる衝動を抑えていた。

 

 ぐへへ……。GⅠに一回勝つだけでトレーナーにはエリートサラリーマンの年収を上回る金が入ってくる。八大競走ともなれば、さらに倍ドンどころじゃない。

 

 目の前のコイツはまさしく金を生むウマ娘なのだ。

 

 ……なのだが、なんかコイツ濁った目してんな。もっと明るくて元気で姦しい感じのウマ娘だったはずだが、菊花賞に出られないことでよほど精神が追い詰められていたのか?

 

「そういやさっき泣いてたよな? 喉乾いてるだろ。水でも買ってこようか?」

 

 ミネラルウォーター100円。これからを思えば安い出費だ。

 

「ううん、気にしないで。その、トレーナーになってくれる人が見つかんなくってさ。ちょっと焦ってただけだから」

 

 はぁ? いつから学園の連中はそんな間抜けになったんだ。トウカイテイオーなんて取りあえず買いだろ。

 

「あはは、前のトレーナーから契約を切られたときに暴れちゃったからね。怪我じゃ済まない可能性もあるし、みんな及び腰になるのも仕方ないよ。世間からのバッシングとかもあったし」

 

「しょぼい理由だな。マスコミが好き勝手書いた記事を真に受けて囀る世間様なんざBGM代わりにでもしとけよ。そもそも、中坊が下らんことで暴れるなんて生きてりゃ何回かはあるだろ。どんだけお利口なやつらしか担当してねーんだよ」

 

 バッシングを真に受けたところで一円にもなりゃしないが、ウマ娘にちょっと優しくしてやれば数千万円になるかもしれない。ギャンブルとも言えない選択肢だ。

 

「そうだね。あのヒトも、そう言ってくれると思ってた……」

 

 あのヒト? 前のトレーナーのことか。でも、たしかコイツの元トレーナーって。

 

「あの真面目ちゃんか。ウマ娘に対してだけじゃなくて、世間様にも真摯に対応しますってか」

 

 俺の抱いてた印象と違うな。むしろ、ウマ娘のためなら相手を問わず噛み付きに行くタイプだったはずだ。マスコミ程度になにを言われようが、ウマ娘のためなら小動もしないだろう。

 

 ……なのに、トウカイテイオーの精神が摩耗するような雑な別れ方をした?

 

 もしやこれは。

 

「なぁテイオー。トレーナーが見つからないと言ってたが、癇癪持ちが理由で断られたのか?」

 

 そう問いかけると、一層濁った目でコチラを見てきた。ちょっと怖い。

 

「理由はむしろ菊花賞の方だったかな。その怪我で出走を約束するわけには行かないって。やっぱりバッシングを受けるのって大変なんだね」

 

 へぇ……。なんとなく読めてきたなぁ。

 

「そ、それよりさ、契約書を用意して学園に提出しようよ! 善は急げだよ!」

 

 普通に考えれば、それはトウカイテイオーという才能を逃がしたくない俺が言い出す内容だ。

 なのにコイツはよく知りもしない、事実として到底見合わないレベルの俺と組むことに必死になっている。

 

 くくく……。おいおい、こんなことあっていいのかぁ?

 

 この年頃のガキってのは、良くも悪くも視野が狭い。良い方向に転がれば、全エネルギーを一点集中させて大きな成長を見せる。悪い方向に行けば、ほんのちょっとしたことで自分を全否定されたと感じて心が捻じれてしまう。

 

 トウカイテイオーにとって、それが菊花賞と三冠の夢で現状は悪い方向に行っている訳だ。

 

 そもそも、コイツをスカウトしようって後任が現れないのはおかしい。

 

 癇癪を起したことで敬遠する空気があったのも事実だろうが、別の力が働いていると見るべきだ。恐らく、怪我をした状態で出走を強行しようとするコイツを諦めさせるために、真面目ちゃんはコイツとの契約解除に踏み切った。

 

 その後、学園側にもトウカイテイオーが冷静になるまではスカウトをさせないよう働きかけたのだろう。

 

 一応はトレーナーである俺にその知らせがないのは、抜け駆けすると判断されたか?

 

 大正解だ。

 本来なら見向きもされない相手だろうが、今のテイオーにとっては天から垂らされた蜘蛛の糸。

 どれだけ細く頼りなかろうと全力で掴みにくるわけだ。

 

 くはは、自分に味方が居ないと勘違いしたガキなんざどうとでも転がせるぜ。

 

「そんじゃ、テイオー。トレーナー室に行って契約書類を書く……」

 

「うん、すぐに行こう! はやく書こう!」

 

 食い気味に返事するなよ。藁をも掴む思いなのは分かるけど、そこまで急ぐ必要はなくない?

 

「ま・え・に! どっか飯でも食いにいこうぜ。今日は奢るからよ」

 

 もう日も暮れたし、晩飯食うとこ決めないとな。

 

「なんでごはん? そんなことより契約書を書こうよー。最優先だよー」

 

 おバカ! お腹が空いた状態でいい書類が書けるか!

 

「だって俺、お前のことすげぇ強いウマ娘で一人称がボクってことしか知らないし。まずは親睦を深めねーとな」

 

 あと、お腹が空いてると頭が回らない。

 

「それ全然知らないってことじゃん!? 後でやっぱなしとか言ったら許さないからね?」

 

 へっへっへ、心配しなくてもぶっ壊れて走れなくなるまで使い潰してやるさ。

 

「ついでだし、外出時間の延長手続きもして腹ごなしにゲーセンでもいくか」

 

 脚が使えなくてもできるゲームはあるだろ。

 

「ゲームセンターかぁ。UFOキャッチャーとかあるんだよね。行ったことないなぁ」

 

 ……は?

 

「いやいやいや、そんな訳ないだろ? R〇UND1でバッティングとボウリングと卓球、更にはゲーセンをはしごして締めはカラオケ。ガキどもの定番的な巡礼地の一つじゃん」

 

 いまどきの都会っ子は別の遊びが主流なのか?

 

「その中だとカラオケくらいしか行ったことないかなぁ」

 

 なん……だと……?

 

「学園に入るまでもレースの練習ばっかりだったし、歌とダンスのレッスンもあったからね」

 

 ああ、そうだった……。こいつらはそういう奴等だった。

 

「ちっ。おいテイオー。お前、にんじんハンバーグは好きか?」

 

「え? 好きだけど」

 

 たくよぉ、ここ最近は担当ウマ娘を持ってなかったから財布が寂しいってのに。

 

「オススメの店に連れていってやる。少々値は張るが、味と量は保証するぞ」

 

 かつて担当していたウマ娘御用達の店だ。レースはともかく舌は確かな奴だった。

 

「そんな悪いよ。ファミレスので十分満足できるし」

 

「喧しい! 俺たちのコンビ結成祝いだ。半端なもん食わせられるか! 車取ってくるから正門で待っとけ」

 

 俺の車じゃなくて学園のだけど、怪我してるテイオーを運ぶって言えば文句は言えまい。

 

 ……それにしても、ボウリングとかゲーセンが未経験ってどんな十代だよ。

 思えば、俺が過去に担当した三人のウマ娘たちも似たようなものだった。

 レースしか知らない。レースが全て。自分はそのために生まれてきたと素面でのたまう。

 

 ウマ娘ってのは質の悪いことに、本能に走ることが刻まれている。

 それが余計にアイツらの視野を狭めた。

 

 ……本当にバカなやつらだった。

 

 トレセン学園に入学できただけでも才能はある。だが、その中で輝かしい成績を収められるのはほんの一握りでしかない。結局、トレセン学園でやっていくには力不足で重賞レースにも出られず引退していった。

 

 天才共には遠く及ばないくせにレースに全てを注ぎ込んで、望む結果は出せず自分に絶望してなにもかも諦めようとする。

 

 自分が楽しむために生きている俺にとって、これしかないのだと苦しそうに走るアイツらを見ているとこっちまで気が滅入って許せなかった。

 

 俺は凡才が天才に打ち勝つ方法なんて知らないし、教えてやれない。アイツらに何が適しているかも分からない。

 だからという訳でもないが、代わりに遊び方を、俺の楽しいと思うことを沢山教えてやった。

 

 色んなとこに連れまわして、地方のレース場に行けば観光地を物見遊山してご当地めし。季節ごとのイベントに連れ回して、門限破りもしょっちゅうだった。

 

 そんなことばかりしていたからか、レースでは鳴かず飛ばずだったアイツらは、引退して学園を去るときは妙にいい笑顔をしていた。

 

 やりたい事ができたと、悲壮な感じもなく出て行った。

 

 一人目は家業の温泉宿を継ぐと言って女将修行に励んでいる。

 

 幼い頃から女将になることを決められていたのが嫌で、他の道を探すためにレースで結果を出したいと言っていた。結果的に、外に出て経験を積んだことで家業の素晴らしさに気づいたらしく、今では若女将として認められつつあるらしい。

 

 一度だけ招待してもらったが、自腹で来ようものなら一か月もやし生活になってしまう高級宿だった。

 

 二人目は地方レース場の周りにある観光地を旅行したのがよほど楽しかったのか、色々な場所を巡るために長距離トラックの運転手になった。

 

 なんでもトレセン学園を含むウマ娘の施設備品を取り扱う輸送業者らしく、ウマ娘の雇用は大歓迎だったらしい。

 

 いまでも時々トレーナー室に来て勝手に茶を飲んで、各地の土産物を置いていく。

 

 三人目は完全に意味不明なんだが、格闘家の道を歩んでいる。

 レースをするには体格がガッチリしすぎだと思ってはいたが、文字通り強さについては才能があったらしい。

 

 『トレーナーへ』というメッセージを添えてサンドバッグを蹴破る動画を送って来たりするが、なにを伝えたいのかさっぱり分からん。

 

「アイツらの時はレースで金が稼げなかったから、外に行ったときは一人前の飯を分け合って食べてたっけなぁ。テイオーならそんなみみっちいことしなくて構わんな。先行投資だと思って、せいぜい恩を売っておくか」

 

 それにしても、才能という点においてはアイツらと比べるべくもないが、それだけってのは勿体ないだろ。

 

「ま、そっち方面は得意分野だ。怪我が治るまでの暇潰しならドンと来いだな」

 

 その第一弾としてにんじんハンバーグは悪くないだろ。

 テイオーの稼ぎなら二、三年で億は固い。

 そう考えれば、たかだか数千円のハンバーグなんざ屁でもないしな。

 

 近い内に利子込みでたっぷりと返してくれよな、金蔓ちゃん。




〇一人目の担当ウマ娘
 東京近郊の温泉宿で生まれたくせに似非京言葉もどきで喋る。
 いまでもクズと連絡を取り合っている。

〇二人目の担当ウマ娘
 姉御肌で気っ風のいい性格の子。ステイヤー。
 いまでもクズの部屋にときどき入り浸っている。

〇三人目の担当ウマ娘
 肉体でのぶつかり合いこそが至高と気付いたとか言って武の道へ。
 無口かつ筋肉で意思疎通を図ろうとする。
 いまでもクズと格闘技の試合を観戦しにいったりしてる。


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この関係ってなんだろう

「うーん、これ? それともこっちかな?」

 

 菊花賞に出るためならなんでもする、その覚悟がある。けれど、ギプスも取れてない状態でやれるトレーニングには限界がある。

 

 だからリハビリやトレーニング、レースのための道具類から見直そうって話になったんだけど……。

 

「ここ、普通の服屋さんだよね?」

 

 ウマ娘のための用具類を取り扱う店舗が多く入った複合商業施設。なのに、連れてこられたのは普段使い用の服飾店だった。

 

「おーい、どれにするか決まったかー」

 

 声のする方を向くと、店舗前のベンチに座ったトレーナーがクレープを頬張っていた。

 むぅ……。

 

「一緒に選んでよ! というか何でボクはレースに関係ない服を選ばされてるのさ!」

 

 勝負服とかジャージなら分かるけど。

 

「だってお前、全然私服持ってないじゃん。制服で遊びに行くと目立つんだよ」

 

 そんな私服が足りなくなるほど遊びまくるつもりないんだけど。

 

「トレーニングする訳にはいかないのは納得するけどさー、他にもレースを見るとか走りの勉強するとかやれることはあるんじゃないの?」

 

 体を動かすこと以外はあまり熱心じゃなかったボクだけど、ここまで走りに関係ないことばかりやってると流石に大丈夫なのって思っちゃう。

 

「メリハリってのは大切なんだよ。ほっとくと勝手に体を動かしそうだからな。休息と監視を兼ねて俺の嗜好も満たせる。最高に頭のいい時間の使い方だろ?」

 

 契約を結んで二週間。ちょっと分かってきた。このヒト、頭が悪くて自己管理が雑だ。

 そして相当な浪費家。

 まだ二週間なのに何回も外食に連れて行かれたし、その度になにか買い与えられる。

 

「……もしかして餌付けされてる?」

 

 別にそんなことで絆されない……ってそもそも絆す必要もなくボクに選択肢なんてないか。

 

 契約を交わした翌日。学園に書類を提出すると、なぜか大騒ぎになった。理事長とたづなさんから何回も『本気か? 騙されてないか?』と確認されたし、トレーナーのことをすごい顔で睨んでいる女もいた。

 

 トレーナーが必ずしも優れた成績を出しているわけでないことや、かつて担当したウマ娘が全員中退していることを教えてきた辺り、よほど契約を思い留まらせたかったのだろう。

 

 もっとも、一緒に食事したときに全部教えてもらってたから今更ではあった。あのお店、オススメなだけあってにんじんハンバーグ美味しかったなぁ。

 

 ボクの契約の意志が固いことを知った理事長たちの取った行動は、トレーナーへの尋問というか圧迫面接だった。

 

 あとでトレーナーに聞いた話だが、証人になれるヒトが居る場所で菊花賞へ出走させないことを明言させておきたかったらしい。

 

 普通のトレーナーならばそんなことをする必要はない。怪我を押しての出走なんて自身の経歴としても醜聞になりかねないからだ。だが、トレーナーはそれをやる奴だと思われているらしい。

 

「囲まれて詰め寄られてる状況で、全く逆のことを言うとは思ってなかったんだろうなぁ」

 

 東条トレーナーとかも居たから相当な圧だったはずだが、トレーナーはなんら躊躇うことなく、ボクを菊花賞に出すと宣言した。

 

 嘗ての走りを取り戻すには時間が足りない、勝算もない。そうはっきり言って、それでもボクが望むなら菊花賞に出すと言い切った。

 

 ウマ娘のことを本当に想っているのなら、正しいとは言えない決断。だが、ボクにとってはその宣言が何よりも嬉しかった。

 

 まだ、ボクは夢を諦めなくてもいいんだ。

 

 未だに学園側とは揉めているらしいが、当人はどこ吹く風でなんとも思ってなさそうだ。

 

「ずーっとそのマネキン見てるけど、その服にするのか? さすがにテイオーが普段着にするには大胆すぎるような」 

 

「……へっ?」

 

 いつの間にか傍に来ていたトレーナーに言われて意識を向けると、チューブトップにショートパンツの組み合わせのマネキンが置かれていた。

 

「ぶふっ! ち、違うよ! 考え事してただけ!」

 

「いや、新しい自分になってみたいって気持ちも分かる。でもこれは親御さんになんて伝えればいいのか分からねーな」

 

 なんでそこで両親の話が出てくるのさ!

 

「ほとんど毎日状況連絡してるからな。今日も服買いに行くって伝えてるから、カモフラージュに大人しめのも買って誤魔化すか?」

 

「だから買うつもりないってば! ていうか連絡取り合ってるとか聞いてないんだけど!?」

 

 いつのまにそんなことしてたの!?

 

「あんまりやる事もないし、お前のこと心配してんじゃねーかなって連絡したら仲良くなっちまってな。親父さんとか昼間でも即レスしてきたりするから仕事に集中できてんのか怪しいぞ」

 

 は、恥ずかしすぎるっ……!

 

「今後はボクのこと両親に連絡するの禁止! 破ったら怒るよ!」

 

「はーい、わかりましたー」

 

 絶対に分かってない。破る気満々だ。学園に対してもこんな態度なのだろう。その内、理事長がキレるかもしれない。

 

「もうっ! トレーナーが不真面目すぎて出走できないなんて事になったら承知しないからね!」

 

 そんなこと有り得ないとは思うが、このヒト見てると不安になってきた。よく中央のライセンス取れたな。

 

「けけけ、心配ご無用。その辺の加減は心得てるよ。品行方正なんてやれる気がしないが、最低限のルールは守る」

 

 どーだか。

 

「暑くなってきたから動きやすい軽装も悪くはないんだがな。ギプスが外れたあともテーピングやサポーターが必要だ。ボトムスはその辺りを隠せるようなのを選んだ方がいいかもな」

 

 ……あっ。

 

「そういうの、あんまり気にしたことなかったな」

 

 服装なんて、勝負服以外はあまり拘りがない。

 

「マジか。女子の中高生とか一日として同じ私服は着られない生き物だと思ってた」

 

 そんな生態してたら破産しちゃうよ。

 

「しょうがねぇなー、じゃあ俺が選んでやるかー」

 

 楽しそうに服を物色しだしたけど、服のセンスがいいとも思えないなぁ。

 

「って、キャラ物のプリントTシャツなんて着ないよ! どんだけ子供扱いしてるのさ!」

 

 ほんとはボクのこと女子中学生だと思ってないでしょ!

 

「え、これと半ズボンで虫取り少年スタイルにしようと思ってたのに」

 

 ボトムスに気を遣えってアドバイスしてきたヒトがなんでそんなチョイスなの!?

 

「そんなの着るくらいなら自分で選ぶよ!」

 

 トレーナーの持っていた服を奪い取ってまともなモノを物色する。これにしようかな。

 

「ほー、なかなか良い服のセンスだな。トウカイテイオーと言えばやっぱり青と白か」

 

 深い考えもなく手に取ったロング丈のワンピース。その配色を見たトレーナーに、そんなことを言われた。

 

「……やっぱりこっちにする」

 

 テイオーという名前と会長への憧れを形にした勝負服。自分の象徴であるそれが嫌いになった訳ではない。

 

 けれど、どうしてもダービー後の骨折とあの女を思い出す。

 

 過去の自分と決別なんて大袈裟なことじゃないけど、別のモノにしたくなった。

 

「赤のブラウス?」

 

「ボクには似合わないかな……」

 

 あの日、トレーナーと組むことを決めた日に見た真っ赤な夕日。

 今の自分を象徴する色はこれだって思う。

 

「いや、いいんじゃねーの。元気で騒がしいやつに合ってる色だと思うぞ」

 

 そうだよねー。ボクに合ってるよねー……。

 

「やっぱりボクのことお子様だと思ってるでしょ!」

 

「ほれほれ騒いでないで会計するぞ。もうそろそろギプスも取れるし、本格的にリハビリの準備をしますかねー」

 

 これ、本当に担当トレーナーとそのウマ娘なんだよね? 遊び友達の間違いじゃないよね?

 

 そんな不安が全くないと言えば嘘になる。けれど、骨折して以降、初めて楽しいと感じる誰かとの時間はあまり嫌いになれそうになかった。




〇トレーナー(クズ)2:
趣味:散財・浪費。なんだけど少額でも満足するヒト。
週二回位のペースで五百円玉を渡して駄菓子屋に行かせるだけでいい。
最近嵌っているのはテイオーに服飾品を買い与えること。

〇トウカイテイオーの両親:
あのクソガキを育て上げたのだから間違いなく愛情は注いでいたはず。
だが、証明写真をプリクラと勘違いできる教育とはいったい?
本作においてはテイオーをそのまま大人にしたみたいなヒトたち。

〇トウカイテイオー
相変わらず濁った目でハイライトが家出しているが体調は元に戻ってきた。
最近、食べて遊ぶしかしてないが気は紛れている。
今のところ、露出が多すぎる服装はダメらしい。


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強襲Ⅰ

「あの娘を解放してくださいっ!」

 

 じめじめとした梅雨の時期。不快指数爆上がりだが、エアコンのある部屋でゆったりと雨音を聞いている分には悪くない。

 

 そんな静寂を気分よく楽しんでいたというのに、ぶち壊しにしやがって。

 

「まーたアンタか。いい加減しつこいんだよ」

 

 鬼の形相で部屋に乗り込んで来たのは、トウカイテイオーの元トレーナーだ。

 

「何度だって来ます! あなたなんかに任せていたら、あの娘の未来が潰えてしまう!」

 

 清楚そうな面してる癖に煩い女だ。そんなだと男にモテないぞ。

 

「解放もなにも束縛なんてしてねーよ。俺とアイツが結んでいるのは対等な契約。テイオーが嫌だって言ってるならともかく、なんで他人に言われなきゃならねーんだよ」

 

 テイオーと菊花賞への出走を止めないという条件で結んだトレーナー契約。それを知ってからというもの、毎日のように部屋に突撃してくる。

 

「あの娘にとって、今が一番大切な時期なんです。菊花賞を諦めることが辛くとも、その先に飛躍がある。目先のレースに囚われて無理をさせてはいけないんです!」

 

 立派なご高説だこと。実際、間違ってもいないんだろうけど、残念ながら俺には何も響かない。

 

「アイツのあるかも知れない未来なんて知ったことじゃねーよ。止めたかったら本人に言えばいいだろうが。なぁ? 故障した担当ウマ娘を見捨てた元トレーナーさん?」

 

「……っ!」

 

 おーおー、綺麗な顔を歪ませちゃってまあ。

 でも言えるわけないよなぁ? 

 契約を解除して菊花賞を諦めさせて、担当外になってまで口出しするなんて恥知らずにもほどがある。

 

「私がどんな思いでこの選択をしたと思っているの!」

 

 だから知らねーって。

 俺が考えてるのは何時だって自分の得になることだ。

 その得を生み出してくれるテイオーのことはちょこっとだけ考えてやらんでもないけどな。

 

 ……とはいえ、毎日来られるとウザったいのは事実だ。方針くらいは話しておくか。

 

「心配しなくてもアイツは菊花賞に出られねーよ。怪我が完治する見込みがないんだ。URAからお断りされてそれで終いだ」

 

 骨折してすぐに療養していればギリギリ分からなかったのかもしれないが、暴れて悪化させたのがいけなかった。

 

 勝敗はともかく、医師からの診断書もなく最低限の走る形すら保てないようでは運営側も出走を許可できない。そして、菊花賞までにそこまで持っていくには時間が足りない。

 

 俺としては金蔓が長持ちしてくれるなら万々歳。そういう意味では、目の前のコイツには感謝しないとな。

 

「そこまで分かっていて菊花賞を餌にあの娘に近づいたんですか!? どこまで人の道を外れれば気が済むんです!」 

 

 声がデカすぎて耳がキンキンする。これがヒステリックというやつか。やーねぇホント。

 

「そっちこそ偉そうに上から物を言ってんなよ。ガキに夢も見せてやれない大人が正しさを振りかざしてんじゃねーよ。死にそうな目をして俯いてたアイツを放っておくことが、テメェの言う人の道だってのか?」

 

 どういう意図があって契約解除にまで踏み切ったのかは分からない。断腸の思いがあったことも想像に難くない。だが、俺にとっては鴨がネギ背負って歩いてたようなもんだ。食べない選択肢なんざあり得ない。

 

「人でなしのクズ! どんな手を使ってでもあの娘から引き離してやる!」

 

 自分がテイオーにやったことを棚に上げて酷い言い様である。

 

「そんなことして大丈夫かぁ? 俺は夢を絶たれて失意に沈んでいたアイツが唯一縋れた存在だぞ。自分を捨てた奴が後任まで失脚させたなんてことになったら、果たしてアイツの精神は持つのかねぇ?」

 

 どれだけ言い募ろうが、テイオーがこちらの手の内にある以上は強硬手段には出られない。例え真正のクズであろうとも、救いの手を差し伸べたのは俺なのだ。その事実は変えられない。

 

「くっ……。なんであの娘がこんな目にっ!」

 

 諦めて指を咥えて見ているといいさ。心配せずとも大切な商売道具だ。せいぜい長持ちするよう手入れはしっかりしてやるさ。

 

「このっ……!」

 

 怒りのメーターが振り切れたのだろう。女が手を振り上げた。

 これで暴力に訴えてくれれば、コイツの弱みも握れて一石二鳥だな。

 

「なにしてるの……」

 

 ふと、部屋の入り口から声が掛かった。

 

 ちっ。いつの間にか放課後になってたか。タイミングの悪いことだ。

 

「あっ、テイオー……」

 

 はっとしたように腕を下した女を見つつ、さてどうするかと考える。

 ふむ。弱みは握れなかったが、突撃してくるのを止めさせるにはちょうど良かったか。

 

「テイオー、話が終わったら俺も向かうから、先に着替えてトレーニングルームに行っておけ」

 

 俺にとって逆転の目であるテイオーを部屋から離そうとする行為に、女は目を瞬かせていた。

 

 全く、察しの悪い女だ。

 

「嫌だよっ! どうせ菊花賞のこと言われてたんでしょ! これはボクとトレーナーの問題なんだから、関係ない奴は出ていってよ!」

 

 悲鳴を上げるように叫ぶテイオー。その声音に込められた悲痛さに、女の顔が今までにないほどグシャリと歪んだ。

 

「そう言ってやるなよ。コイツだってお前のことを心配してんのさ」

 

 ぷくく……。ダメだ、笑いを堪えるのがキツい。まだだ、もう少し耐えろ俺。

 

「あなたっ、わざと!」

 

 そりゃそうだろ。俺がお前の味方をするわけがない。テイオー本人から拒絶させるためだ。

 

「心配ならなんでボクを見捨てたのさ! 今さら関わり合いを持つようなことしないでよ! 惨めなボクを見て楽しんでるんでしょ!」

 

 テイオーの未来を憂いて決断したやつがこの仕打ちで、俺がテイオーのパートナーやってるんだから世の中間違ってるよなー。

 

「テイオー、私はあなたのことを……」

 

「出ていってよ! もうこの部屋には来ないで!」

 

 勝った。

 

「このままじゃ埒が明かないな。テイオー、トレーニングルームに行こう。アンタは落ち着いたら部屋から出ていってくれればいいさ」

 

 拒絶されたショックで放心している女を放って、テイオーを連れて部屋を出る。

 

 これでもう部屋に来ることはなくなるだろ。今度こそテイオーがぶち切れるだろうからな。

 

「……あのヒトの言うこと、聞いたりしないよね?」

 

 部屋を出て廊下を歩いていると、テイオーが不安気にこちらを見上げてくる。

 

 またもや信頼度アップイベントが来たか。

 

「ああ、もちろんだ。周りの連中の言うことに耳を傾ける気があるなら、最初からお前と組もうとはしないよ」

 

 そう言って頭を撫でてやると、安心したように顔をふにゃらせた。

 

 チョロくて可愛い。

 

 こうなってしまえば、もはや学園も余計な口出しはできまい。

 

 どれだけ裏が見え隠れしていようと、俺はただ担当ウマ娘の目標を応援しているだけだ。それを邪推して強引に引き離したとなれば、トレセン学園の理念そのものに罅が入る。

 

 学園の意向でどうとでも引き離せる仮初の関係なのか、とな。

 

 あと警戒すべきはルドルフくらいか。だが、皇帝と呼ばれてようと所詮は学生の小娘。テイオーがこちら側にいる以上、如何様にでもできる。

 

「テイオー、リハビリのメニューを一通りこなしたら外に飯食べに行くか」

 

「……うん。また人参ハンバーグが食べたいな」

 

 ふっ、パーフェクトコミュニケーション。 




ここがシングレ時空ならルドルフに処されたと思う。

〇トウカイテイオー
ギプスが取れてリハビリに精を出している。
食事が喉を通らない状態だったが、トレーナーや級友と一緒なら食べられるようになった。
一人ではまだ無理。
目のハイライト君は家出仲間のパーマーのとこに居候してる。
骨折はやたらと順調に回復中。


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たぶん間が悪かった

女トレとクズの関係=トムとジェリー。
テイオーはチーズのポジション。


 連れ立って部屋から出て行く二人を、ただ眺めていることしかできなかった。

 

 あの娘のためを思っての決断だったのも嘘じゃない。

 

『ウマ娘がレースで勝っても負けても最高の笑顔を浮かべられるよう支える』

 

 その信念を持って、トレセン学園の門をくぐった。

 幾人かの育成を経て、トウカイテイオーという才能に巡り合えたのは人生の中でも有数の幸運だったのだろう。

 

 菊花賞と無敗の三冠ウマ娘に掛ける想いの大きさもよく知っている。

 だが、それを成したとしても道半ばだ。彼女の目標であるシンボリルドルフはその先にいる。

 それに、絶対を体現してみせた"皇帝"ではあるが、挑戦者に自分と同様の実績を求めている訳ではない。

 無敗の二冠でも既に十分。シニア級で然るべき結果を出せば自ずと決戦の日はやってくる。

 

 だからこそ、今は焦る時ではない。

 トウカイテイオーという才能を支えるだけの肉体を作るには時間が必要。

 それが、今回の骨折で得た私の知見だ。

 もう私は傍に居てあげられないけれど、信頼できるトレーナーに任せるつもりだった。

 あの娘なら、三冠を戴かずとも最強を証明できるという確信があった。

 

「私は、どうすればよかったの……」

 

 本当は分かっている。

 誰かに任せるのではなく、自分が決断すべきだった。

 あの日の選択は自分の弱さが生んだものだ。

 

 骨折と診断されても菊花賞を諦められないテイオーを諫め宥めた。きっと分かってくれると信じて何度も話し合った。

 

 けれど、自分の中にも確かにあるのだ。テイオーを菊花賞に出したい。育てたウマ娘が栄光を掴む姿を見たいという欲求が。

 

 その想いは日に日に強くなっていった。私もテイオーも世間も、誰も彼もが無敗の三冠を望んでいる。

 

 ならば、なぜ我慢する必要がある。

 結果は出ないかもしれないが、やってみる価値はある。出れば怪我が悪化するとも決まっていないのだ。

 そんな根拠のない肯定の言葉が、心の裡から湧き上がってくる。

 

 ……私は、怖くなったんだ。

 

 自分の心の声とテイオーの悲痛な訴えに負けそうになっていることが。

 

 理性と知識が否定している。

 菊花賞の勝利は不可能で、怪我の悪化や再発の可能性を大きく高める。

 ウマ娘のためを想うのなら、心を鬼にして断固として出走は見送らせるべきなのだ。

 

 それでも、内から湧く都合の良い言葉とテイオーからの嘆願は止まらない。

 

 信念が揺れるのが分かった。

 目先の栄光と未来の飛躍。ウマ娘の意思と現実的なリスク。

 あの娘が心からの笑顔を浮かべられるのは、いったいどちらの選択なのか。

 揺れて、揺れて、揺れて、そのまま倒れて砕けそうになって。

 

『テイオー、あなたとの契約を解除する。……学園の承認も得ているわ』

 

 菊花賞を諦めさせるという大義名分のもと、私はあの娘から逃げたのだ。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「今すぐにあのクズとテイオーを引き離してくださいっ!!」

 

 とまぁ、あの娘から逃げてしまった私だが、それはそれとしてあの男がテイオーの傍に居るのは許せない。

 テイオーから更に拒絶される事態になるかもしれないが、もう逃げたりはしない。

 あれは害にしかならないタイプの男だ。テイオーを育てるのにも実力不足。なんとしても魔の手から救い出さなければ。

 

「吃驚ッ! もう少し音量を下げてくれないだろうか。鼓膜が破けそうなのだが」

 

「なに暢気なことを言っているんですか! この瞬間にもテイオーがあの男の毒牙にかかっているかもしれないというのに!」

 

「お、落ち着いてください! お二人は学園のトレーニングルームにいるのですから、そんな事態になるわけがありません」

 

あなたまで何を言っているんですか駿川さん!

 

「男なんてウマ娘を常にいやらしい目で見ているに決まっています! きっと今もリハビリで汗を流しているテイオーに邪な視線を向けて匂いを堪能しているに違いありません!」

 

 あぁ、そこは本来は私の居場所だったのに。このままでは怒りのあまりあの男を殺してしまうかもしれない。

 

「静聴ッ! あのトレーナーは良くない評判も多いがウマ娘に無体なことはしないっ! 契約の件についてはこちらでも動いてみたが、当人たちに解約の意志がない以上はどうにもできん」

 

 そんな……。

 それは本当なの?

 

「トウカイテイオーさんに改めて確認を取りました。互いに望んでの契約で不利な条件を付けられたりはしていません。その後の育成も至って標準的な内容で良くも悪くも口を出し辛いですね」

 

「しかし、テイオーには一時的なスカウト禁止令が出ていたはずです! ……あの男には意図的に伝えていませんでしたが」

 

 私がテイオーのトレーナーを辞したとしても、早々に他の者が就いてしまえば意味がない。

 だから、一時的にスカウト禁止の処置がとられた。

 当時はテイオーが精神的に不安定で癇癪を起したこともあり、この件について異論を挟んだ者はいなかった。

 

 もっとも、癇癪が原因で骨折が悪化したことが分かり、菊花賞の出走が実質不可能になったため、禁止令自体は短期間で解除されたのだが。

 

「それが、その……なんの偶然か解除されたその日にスカウトが行われたようで。禁止令のことを彼は最後まで知らなかったようなので、本当に運命の悪戯としか言えません」

 

「運命の悪戯!? そんなことであの娘の人生がクズに弄ばれるというんですか! すぐにバ脚を現すに決まっています! ライセンスを剥奪して学園から追い出すべきです!」

 

 テイオーは純粋で素直で無垢なのだ。あんな他者を利用して甘い蜜を啜りたいだけの男と一緒にいたら搾取されるだけだ。

 

「性急ッ! 些か彼への評価が穿ちすぎている。学生を指導する身として不適切な行動はあるが、最低限のルールは守っている。それに指導の巧みさはともかく、ウマ娘たちからの評判は決して悪くはない」

 

 ……そうなのだ。本当に、ほんとーに不思議なのだが、あの男はウマ娘たちからはあまり嫌われていない。自分のレース人生を託すには不足と判断されることは多いが、プライベートで一緒に過ごす分には問題なしという判定を下されているのだ。

 

「くっ。こうなったら私の体を餌として差し出して、喰いついたところを暴行の冤罪にしてブタ箱にぶち込むしか……!」

 

「り、理事長室で犯罪を企てるのは止めてください!」

 

 止めないでください!

 私はもう逃げない。大和撫子として不退転の覚悟を決めたのです!

 

「グラスワンダーさんに怒られますよ!?」

 

「前提ッ! 彼女の怪我が菊花賞までに回復することはない。彼もそれを分かっている。ウマ娘に見合う力量がないのであれば自然と契約解除に至るもの。それを待っていればよいのでは?」

 

 それだとテイオーが不埒な目に遭うかもしれないでしょ!

 

「杞憂ッ! 私も彼とはときどき行動を共にするが、幼い見た目の者に興味がないことは分かっている! 身の安全については保証されている」

 

「そもそも、人格面に問題がある方がライセンスを取得できるほどトレセン学園の試験は緩くはありません。ウマ娘の未来を担う人材として、我々も細心の注意を払っています。……ところで理事長、いったい彼と一緒に何をしているので?」

 

 まさか既に理事長まで彼に逆らえないように? もう自力でどうにかするしかないというの……。

 

「たづなっ!? いや決しておかしなことはないぞ。会う度に駄菓子やらの食べ物を恵んでくれるから食べながら話をするくらいでな」

 

「なるほど。お菓子なことをしているわけですね。食生活の見直しが必要です。お菓子はしばらく禁止にしますね」

 

「たづなぁっ!?」

 

 ……この二人に相談したのが間違いだったのだろうか。

 

「分かりました。強制的に彼を排除する方法は諦めます」

 

 そして私自身が直接出向くことも難しくなった。

 テイオーが暴れるだろうし、本音を言うとこれ以上は嫌われたくない。

 あの態度を見る限り、下がるほどの好感度が残っているかは怪しいけれど。

 

「私たちもテイオーさんの身の周りには注意しておきます。ですので、早まった真似はしないでくださいね?」

 

 一番危険なのは二人で外出しているタイミング。ご両親と腹を割って話をすべきだろうか。

 

 ……いや、まずは。

 

「"彼女"の直観と洞察力なら、クズの本性を見抜いてテイオーの目を覚ますことができるはず」

 

 今に見ていろ。

 私を貶すのは好きにすればいいが、テイオーの傍に居ることを許すつもりはない。



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強襲Ⅱ

「たーのーもー!」

 

 気合いが入っているようで聞いた側は気が抜ける。そんな声と共に勢いよくトレーナー室の扉がぶち開けられた。

 

「マヤノトップガン! ルームメイトのテイオーちゃんを魔の手から救うためにテイクオフしてきたよ!」

 

 入ってきたのは黄褐色寄りな栗毛のちんちくりん。

 

「テイオーのルームメイト? ふーん、性格の相性は良さそうだな」

 

 一見して内面もガキだと分かる。テイオーとは賑やかにやってそうだ。

 

「でしょでしょー。すっごく仲良しなんだよ! ……ってそうじゃなくて、テイオーちゃんを解放してもらいます!」

 

 梅雨ごろまで毎日のように聞かされて、最近やっと解放された文句だ。

 誰に言われて此処に来たのかは予測するまでもないが、まさか担当外のウマ娘にこんな事を頼んでくるとはな。

 

 というか、あの女はコレが俺を説得できると本気で思っているんだろうか。

 

「毎回声に出すのも面倒だからスマホにでも録音しとこうかなぁ。俺とアイツが結んでいる契約は自由意志によるものだ。本人が望まないなら何時でも解約できるんだから、本人に言ってくれよ」

 

 まぁ、本当に契約解除するって言われたら足元に縋りついて泣きながら『捨てないでくれー!』って情に訴えるんだけどな。

 

「それはもちろん知ってるよ! でも菊花賞への出走を盾にされてるのも本当みたいだったし、お兄さんがテイオーちゃんに邪な視線を向けているのが真実か確かめないといけないんだもん!」

 

 邪な視線? 俺がテイオーに?

 

「特段俺の趣味じゃないという点は置いておくとして、中坊にそれは間違いなく犯罪だ。女子高と同義のトレセン学園にそんな嗜好の奴が勤められる訳がないだろ」

 

 まぁ女帝とかタイキシャトルはやべーけどな。ふふ、もちろん俺はスカウトして断られましたけどもね。

 

「あれぇ? なんか聞いてたより全然まともというか、普通?」

 

 いやだから変態や異常者が教育者面してたらダメだから。俺はちょっと金にがめつくて稼ぎのためにウマ娘を積極利用しているだけだから。

 

「そもそもあの女になんて吹き込まれたんだよ。だいたい予想は付くけど」

 

 どうせ守銭奴でウマ娘なんて金稼ぎの道具としか思ってないとかだろ。まさにそのとおりなのだが、ウマ娘の勝利を願っているという点では他のトレーナーと大差あるまい。

 

「うーんとね、ロリペドクズ野郎でウマ娘全般によくない視線を向けて常に息が荒い変質者だって……」

 

 ただの誹謗中傷じゃねーか! そんなん一目見れば分かるし、学園内どころか外周をうろついてるだけで職質されるわ。

 

「あたしもちょっと思ってたのと違うなって。でもでも、まだテイオーちゃんの安全が確約された訳じゃないからね! そこで、テストをします!」

 

 ……犯罪者心理テストみたいなものだろうか。まぁ、そうと分かっていれば一般人らしい答えをすればいいだけだろ。

 

「それじゃあ、いっくよぉー! うっふーん」

 

 ……これもうテスト始まってるのか? 始まってるよな?

 

「おままごとは自室でやってくれないか」

 

 科をつくるという言葉はあるが、その体型でやられても感慨が湧かない。

 

「おままごとじゃないよ! ノーサツ! 男のヒトの視線を独り占めにする脳殺ポーズだから!」

 

 いや無理だろ。仮にその男共がロリコンでも微笑ましさのあまり浄化されそうだわ。

 ……そういう意味では脳が殺されてはいるのか?

 

「むぅー。トレーナーちゃんには効いたんだけどなぁ……」

 

 おいおい、ソイツ本当に大丈夫か? 真正じゃないか?

 このトレセン学園にそんな変態予備軍が入ってきているとは思いたくないが、俺でも合格できたのだから変質者の一人や二人は紛れているかもしれない。

 

「ほら、もう気は済んだだろ。この飴ちゃんをあげるから部屋へお帰り」

 

 付き合うのもバカらしくなってきたので、さっさとお帰り願いたい。

 

「子供扱いしないで! 大人のレディを飴玉なんかで言うこと聞かせられるわけないでしょ!」

 

 これはおしゃれに興味が出て無駄に凝ったものを欲しがる年頃の反応だな。面倒な。

 

「これは普通の飴ではない。あのタマモクロスが監修したすんごい飴だ」

 

 パッケージに『弾ける味覚!痺れる舌!轟く炭酸!白い稲妻キャンディー』と銘打たれている。

 

 俺も一個食べてみたが、口の中が凄まじくシュワシュワになって唾液もめっちゃ出てくる。

 

 なんでこんな味にしたのか本人に聞いてみると『これ一個でな、腹が膨れるんや。一袋で二週間はおやつが賄えるで』と遠い目をして語られた。

 以前から貧相な体型だなと失礼なことを思っていたものだが、家庭事情で食うのに苦労していたのかもしれない。今度なにか差し入れを持っていってやろう。

 

「例えそうでも飴玉なんて全然大人っぽくないよー!」

 

 ふっ、これだからお子様は。

 

「飴玉が大人なのではない。企業の製品開発に協力し、子供たちの味覚を楽しませることに頭を悩ませる。そうして最後はご家庭に笑顔を届ける。その過程と経験にこそ、大人が詰まっているのだ。この飴をゆっくり落ち着いた環境で舐めることで、君にも大人の大変さが味わえるだろう」

 

 まぁ当人は『企業案件って儲かるんやなー』と目を円マークにして汚い笑い声を上げていたが、あれも一つの大人と言えるだろう。

 

「……ッ!! たしかに」

 

 さすがはテイオーのルームメイトだ。コイツもちょろい。

 

「というわけでどうぞ。そしてお帰りはあちらです」

 

 そう言って飴玉を渡すと、その場で口に含んでコロコロと転がしだした。

 おい、自分の部屋で食えよ。

 

「甘くてしゅわしゅわでおもしろーい! あ、マヤは大人の女だからこんなことで誤魔化されたりしないからね」

 

 訂正。テイオーよりは少しだけ厄介かもしれん。

 

「お前の脳殺ポーズで無反応だったんだからセーフ判定じゃないのかよ」

 

「そっちはもういいよ? 一個だけ答えてほしい質問があるんだ」

 

 わかったわかった。答えてやるからさっさとしてくれ。

 

「トウカイテイオーと一緒に戦って勝つつもりがある、そう信じていいんだよね?」

 

「…………」

 

 問いただしてきたマヤノトップガンは、明らかに先ほどまでと雰囲気が違っていた。

 こちらを向いているのに焦点が合っていない。自分の何を見られているのかまるで理解できないのに、見られているという感覚だけは強く感じる。

 

 あの女、コイツを寄越してきた理由はこれか。 

 

「……はぁ。もちろんだ。アイツの怪我も調子も関係ない。俺は勝つことだけを信じてテイオーを支える」

 

 そもそも菊花賞には間に合わない。……そう、間に合わないはずだったんだがなぁ。

 

「マヤね、分かっちゃうんだ。たぶん間に合うよ?」

 

 そうなんだよなぁ。順調を通り越して奇跡に片足を突っ込んでるような速度で回復していっている。

 

「それでね、たぶん……ううん、絶対に勝てないよ?」

 

「だから何度も言わせるなと言っている。関係ないんだよ。勝つと信じて支えるのがトレーナーの役目だ」

 

 奇跡のバーゲンセールがあれば良いんだが、恐らく一回限りだろうな。

 全く、こんなところで使わなくてもよかったろうに。

 

「そっか。……うん、マヤ分かった! お兄さんとテイオーちゃんのこと応援するね!」

 

「なんだ、意外とあっさり引くんだな。こんな回答はトレーナーなら当然のことだろ」

 

「その当然を貰えなかったときのテイオーちゃんを見てるから。マヤね、テイオーちゃんの一番近くに居たのに何もしてあげられなかったの。だからお兄さんには感謝してるんだよ?」

 

 もしかしてコイツ、あの女の思惑とは関係なく俺のことを試しにきてたのか?

 

「心配いらないって分かって安心できちゃった。マヤはトレーニングに戻るね!」

 

 おう、さっさと帰って出来ればあの女にも止めるよう言ってくれ。

 

「あ、そうだ」

 

 部屋から出て行こうとドアを開いたマヤノトップガンがこちらを振り向いた。

 まだなんかあるのかよ。

 

「女子三日会わざれば刮目して見よ。テイオーちゃんのこと、いつまでもお子様だと思ってると、あっという間に撃墜されちゃうんだからね!」

 

 そう笑顔で言い放ったマヤノトップガンからは、先ほどの茫洋として理解できなかった視線以上の凄みを感じた。




だいぶ早めに奇跡を前借りしてしまいました。


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夏と言えば水着だろ

「トレーナーはさ、なんでボクが菊花賞に出ることを否定せずに受け入れてくれたの?」

 

 季節は夏。暦は八月。うだるような暑さに体が溶けそうだ。

 

 レースがないわけではないが、大半のウマ娘は合宿など強化トレーニングを行っている。そんな時期。

 

 まだ本格的に走れる状況にないテイオーは、いつもより静かな学園で俺とお留守番をしている訳だが。

 

 トレーニングルームでリハビリをしていると、なにやら急に変なことを聞いてきた。

 

 そりゃあ、レースに出て勝ってくれるほど俺のお賃金が上がるからな。これが勝てないウマ娘ならともかくトウカイテイオーだぞ。完全に出し得じゃねーか。

 

 ……とは言えないので。

 

「お前まだ中等部だろ。どんだけ優れてようが最近まで小学生だったガキだ。大人に我儘を言える特権はまだ残ってるだろ」

 

 ウマ娘どものチョロいことよ。レースに出させてあげれば大喜びで俺に金を持ってきて感謝までしてくれるんだぜ? 

 

「ましてやお前ってストイックじゃん。遊び呆けてる不真面目ならともかく、楽しいこと自制して頑張ってる連中の我儘が許されないんじゃ、世の中窮屈すぎるだろ」

 

 ウマ娘を顎で使うように指示出してれば称賛されるとか、こんなに楽な仕事は他にねーよ。

 この楽チンさが世間一般にバレないように、試験の難易度を上げて狭き門にしてるんだろうな。

 

 うはは、俺様勝ち組。

 

「レース以外でもやりたいことがあれば言えよ。学園のプールで水中トレーニングも飽きただろ。最近デカいウォータースライダーがあるプールが近場にオープンしたらしいから、息抜きも兼ねて行ってみるか?」

 

 俺も偶には大人の女を眺めて目の保養をしたかったから丁度いい。

 

 ウマ娘は身体能力だけでなく顔面のレベルも高い。テイオーも例に漏れず美形なんだが、ちょいと子供っぽすぎるからな。

 これがマルゼンスキーとかエアグルーヴならずっと見てられるんだが。

 

「いいの!? 行ってみたい!」

 

 アイツらに水着をプレゼントしたらレースで着て走ってくれないかなー。

 

「……? どうかしたの?」

 

「いや、なんでも」

 

 匿名で送ってみてもいいんだが、あの女の刺客が目を光らせてる可能性もあるからな。今回は自重しておくか。

 

「他にどんな施設があるかな。流れるプールがあったら浮き輪に乗って揺られたいなー」

 

 うんうん、最近はトレーニング以外でも自分の欲に忠実で大変よろしい。飯も量を食えるようになってきたし、他のウマ娘どもとの関係も戻りつつある。

 

 この前のマヤノにネイチャーメイド、マーベルサタデーだっけ? 

 友人には恵まれていたようで、その変わった名前のウマ娘たちが良い影響を与えているようだ。

 

 菊花賞まで残り三か月。どうやっても急仕上げにしかならないが、脚部不安からは脱せられる可能性が出てきた。

 本気で出走することを前提にトレーニングも組み立てる必要があるが、コイツの居るところで考えることじゃないか。

 

「日射で熱くなったプールサイドに座って飲むキンキンに冷えたコーラは最高だからな。ごみごみしてるとダルいし、行くなら平日かねぇ」

 

 今は夏合宿期間なので事情が特殊だが、平時でもレース見学に行きますと言っておけば学園を休ませて外出させられる。

 これで問題が起きてないんだからいいんだろうけど、ぶっちゃけ寮の門限とかも含めて規則がガバガバなんだよな。

 ウマ娘とトレーナーの良識ありきで成り立っているが、俺みたいなダメ人間ばっかりだとすぐに破綻するのがトレセン学園だ。

 

「うわぁ、楽しみ! はちみー売ってるかなぁ!」

 

 いやそれは知らんけど。朝買ったやつをクーラーボックスで運べばなんとかなるんじゃね。

 

 さーてと、何日がいいかなー。

 

「お、マジかよ。来週末はナイトプールで打ち上げ花火も見られるんだってよ。人は多いだろうけど、どうせならこの日にするか」

 

 この時間帯だと帰宅は夜十時ギリギリか。テイオーの親御さんにも連絡して事前に同意を得ておこうかね。

 

 学園外に行くだけならともかく、どうにも最近は夜間外出の許可申請時に学園関係者から口煩く言われる。非行がどうのと言ってた辺り、俺がテイオーを悪い道に引き摺り込もうとしていると考えているようだ。

 

 頭の悪い連中である。俺の稼ぎが減るようなことをするはずもない。

 遊びを覚えさせても怠惰にならない、それ以上に頑張れるやつだから偶に遊ばせているだけだ。

 

「花火もあるの!? でも遅い時間になっちゃうし学園が許可出してくれるかなぁ」

 

 そこは親御さんパワーが物を言うのである。

 ご両親も骨折した後のテイオーが精神的にヤバかったことは承知している。

 それを回復させた俺を信用して、その辺りの差配は任せてくれてるのだ。 

 俺がテイオーのストレス発散のために必要と言えばすぐに学園へ申し入れをしてくれる始末。 

 

 ふふっ、この世には頭の悪いやつと人の良い甘ちゃんしかいないのか?

 

「なんとでもするから心配すんな。それより、この日まではしっかりとリハビリに励んでもらうからな。厳しくするが音を上げるなよ?」

 

 ちなみに、今まで一度たりともテイオーが音を上げたことはない。根性がありすぎる。

 

「うん! ボク、頑張るからね。えへへ、楽しみだなぁ」

 

 たかがプールでこの笑顔。愛い奴である。

 

「……あ、でもボク、学園指定の水着しか持ってないや。まぁ別にいっか」

 

 なにぃ!?

 

「良いわけねぇだろ! リハビリ中止! いまから買いに行くぞ!」

 

 レジャー施設のプールで学校指定水着とかどんな羞恥プレイだよ。

 お兄さんそんなの許しませんからね。

 

「え、でも一回しか行かないだろうし、わざわざ買うほどのこともないよ」

 

 黙らっしゃい。目的は大人の女の水着姿だが、テイオーの水着もそれはそれで俺が見たいのだ。

 あんな飾り気もない水着なんて天が許しても俺が許さねー。

 

「来年も俺が連れていってやるから一回じゃ済まねーよ。そもそも年頃の女は毎年流行に合わせて買い替えるらしいぞ?」

 

 流行はともかく普通に成長期だしな。サイズ合わなくなるだろ。……合ってたらご愁傷様。

 

「……本当に来年も連れて行ってくれるの?」

 

 お前が学園を辞めでもしない限りはな。水着にプールに飯二人分でもせいぜい数万円か。こいつがGⅠ獲れば余裕で百回は行ける。

 

「学園の車借りてくるから、着替えてスマホで候補を見繕っとけよ。あと、晩飯も食いたいもんがあればリサーチしとけ」

 

 どうせにんじんハンバーグだろうけど、店によって肉質やソースに個性があってなかなか飽きさせないのだ。

 

「うん……。その、ありがとうね」

 

 子供を遊びに連れて行く位のことでいちいち礼を言うんじゃねーよ。




〇その後の車中会話
トウカイテイオー
「ところでトレーナーはどんな水着が好みなの?」

クズ
「そりゃ(ボンッキュッボンッなおねーさんが着る)ビキニだろ」

トウカイテイオー
「じゃあボクもビキニを買おうかな」

クズ
「!!!!????!?!?!?」

トウカイテイオー
「え、どうしたの?」

クズ
「致命的に似合わないから止めとけ」

トウカイテイオー
「……ぜっっったいにビキニにする!」

〇トウカイテイオー
特定の人物以外に対しては以前のキラキラした目ができるようになった。
怪我の回復は順調すぎる。


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そうだ、温泉に行こう

京言葉を話すキャラが出るけど、似非だから間違ってても気にしないでよね。
読みやすさ重視で標準語にしてるとこもあったりするよ。
だったら最初から変なキャラ付けするなって? 
うん、俺もそう思うよ。


「おこしやす」

 

 ……テレビでくらいしか聞いた事ないけど、本当に京言葉で喋るんだ。

 

「ああ、また世話になる。金は出世払いで頼むわ」

 

 そして元担当ウマ娘の実家にツケ払いを頼むトレーナー。嘘でしょ?

 

「万年底辺のトレーナーはんが、なんに出世するんやろか。ロリコンの犯罪者になって逮捕されるのだけは勘弁してほしいわぁ」

 

「そんな不名誉な出世があるか! エリートトレーナーとして名伯楽とか名将とか呼ばれたりするかもしれないだろ!」

 

 それはトレセン学園のトレーナー陣が壊滅してるのと同義じゃないかなぁ……。

 

「テイオー、なんだその訝しむような目は。お前が俺をそこまで連れて行くんだぞ?」

 

「ごめんよトレーナー。ボクは無敗の三冠とか七冠を目指してるけど、それは無理そうかな」

 

 世の中できないことってあるよね。

 

「お前最近言うことが明け透けになってきたな! 七冠より難しいって実質不可能って言いたいのか!」

 

 だってねぇ。仮にボクが最強のウマ娘でも、このトレーナーを名伯楽とは呼ばないんじゃないかなぁ。他に失礼だよ。

 

「なんや思ってたよりも仲良しさんやねぇ。上手くいってそうで安心したわぁ」

 

 この頬に手を当ててコロコロと笑っているのが、トレーナーが最初に担当したウマ娘らしい。

 細目で小柄でニコニコしてる、優しそうなウマ娘だ。

 

「えーっと、お世話になります。……先輩?」

 

 なんて呼んでいいか分からず先輩と呼称してしまったが、変だっただろうか。

 

「あら、こない可愛らしい子が後輩やなんて嬉しいわぁ」

 

 トレセン学園にもお嬢様タイプの子は居たけど、ここまでのんびりした雰囲気のウマ娘とは初めて会ったかもしれない。

 

 全然闘争本能とかなさそうだけど、レースにすごく熱意があったって本当だろうか。

 

「ほなら、改めまして、温泉旅館『厩ど』。ゆっくり癒されていってな?」

 

 菊花賞まで残り二か月を切った九月上旬。

 

 ボクたちは湯治に来ていた。

 

 

 

——————————

 

 

 

「じゃあ部屋に荷物置いて、早速温泉に入りにいくか」

 

 旅館の廊下を歩きながら、トレーナーは楽しそうに言った。

 ウキウキしているのが全然隠せてない。お子様だなぁ。

 ……まぁそのために来たのだからいいのか。

 

「二部屋取ってあげられたらよかったんやけど、一部屋になってもうて堪忍してな? 襖で仕切れはするけど、トレーナーはんに変なことされそうになったら、大きな声出さなアカンよ?」

 

「あ、はい。ちゃんと叫ぶようにします」

 

 あり得なさそうだけど、それを認めるのも癪だからあり得る前提で話しておこう。

 

「待て待て待て。自分の担当トレーナーを変態扱いするんじゃないよ。親御さんからも全幅の信頼を以って連れてくるのOKされてるからね?」

 

 ボクもおかーさんと電話してみたけど、頼れる大人って言うよりは大人の身分だけは持ってる同年代の友人くらいに思われてたよ? 

 

「そない言うて、毎晩テイオーちゃんの柔肌を揉みしだいとるんやろ? やらしいわぁ」

 

 あまりに変な表現をされたものだから、少し顔が熱くなった。

 そ、そんなんじゃないし。

 

「変な表現をするな! 脚のむくみを取るためにマッサージしてるだけで、そんな激しい揉み方はしてねーよ!」

 

「激しくはせず、優しく撫でまわすように揉んでるやて? 腕を上げたんやねぇトレーナーはん」

 

 なにもいかがわしい事なんてないはずなのに、顔から熱が引かない。

 うぅー、なんかトレーナーの顔も見づらいよ。

 

「この耳年増め。……いや、もう耳年増というには少し若さが足りないか?」

 

 いや、先輩ってまだ二十歳を少し超えた位なんだよね? 若さが足りないは失礼でしょ。

 

「ほんまに女心を欠片も理解せんヒトやねぇ。頭を蹴り飛ばしたら多少はマシになるやろうか」

 

 ニコニコした表情は全然変わらないのに気配が一気に物騒になった。この先輩、グラスワンダーと同じ系統か。

 

「ウマ娘に頭蹴られたら愉快なオブジェになっちまうだろ。そもそも、女心より先に俺の立場を考えて発言してくれない? ロリコン疑惑とか免許剥奪されかねないからね?」

 

 先輩も小柄なタイプだしちょっと怪しい。体の凹凸はボクよりずっとあるけど……。

 

「他に担当した二人もロリ系だったんですか?」

 

 この際だから先輩に色々聞いてみよう。トレーナーに聞いたら、そのうち会う機会があるからその時の楽しみにとっておけって言われたけど、やっぱり気になる。

 

「んー、ロリやないなぁ。長身姉御系とゴリマッチョやから」

 

 ロリから一番遠そうな二系統じゃん。

 

「そうそう、だから俺は全くロリコンではないからね?」

 

「せやな。女やったらなんでもかまへん悪食やもんなぁ」

  

 うわぁ。

 

「お前それ学園の男性トレーナー全員が被害受ける発言だからな!」

 

 トレーナーって学園だと周りに舐め腐った態度を取ることが多いから、手玉に取られてるのって珍しい光景だなぁ。

 

 ……それに、やっぱりボクとよりもずっと仲が良いんだ。

 

「あらあら。さて、こちらがお部屋になります。お風呂は普通の温泉と別に時間予約して入れる混浴の家族風呂もありますから、是非そっちも味わっていってな?」

 

「あー、そういやそんなのあったな。どうせならそっちも入っていくか」

 

 へっ!?!?

 

 

 

——————————

 

 

 

「……ふぅ」

 

 あ"ぁ"ー、極楽極楽。

 湯船に浸かって一息つくと、おじさんみたいな声が出てしまった。

 

「温泉を独り占めなんて贅沢なことしてるなー」

 

 金曜日からの二泊三日で来た温泉旅行だけど、部屋が埋まるのは明日からで今日はかなり空いているらしかった。

 

 折角だし、存分に寛がせてもらおう。

 

 それにしても、混浴かー。

 

「……っ」

 

 ふと意識してしまったその言葉を頭から消したくて、湯に頭から潜る。

 

 それってそういうことなの。いやでもあのトレーナーだよ? 交代で入るだけで変な意味なんてある訳ないじゃん。

 

「ぷはっ……」

 

 ダメだ。消すどころかずっと頭の中をグルグル回ってる。これじゃまともにトレーナーの顔見られないよ。

 

「お湯加減いかがどす?」

 

「わひゃあ!?」

 

 突然後ろから掛けられた声に体が飛び跳ねた。

 

「うふふ、今は他のお客さんがおらんから構いまへんけど、もう少し静かにな?」

 

 後ろを振り向くと、先輩がニコニコしながら立っていた。 

 

「い、いきなり声掛けないでよぉ」

 

 一応ボクもお客さんなんだけど、掃除でもしに来たのだろうか。 

 

「世間話のついでに背中流したろ思てな。トレーナーはんが居ると話しづらいこともあるやろ?」

 

 そう言って洗い場に手招きされる。

 

 ……さ、さすがに初対面の先輩に体を洗われるのは恥ずかしいんだけど。

 

「先輩後輩で裸の付き合い。家業を継ごうと決めて最大の役得やわぁ」

 

 もしかしてトレーナーよりこの先輩のほうが危険なんじゃないかな……。

 

「ほら、髪洗うからそこ座って。……菊花賞、ほんまに勝てる思うとるのか聞きたくてなぁ」

 

 今日までに耳にタコができるくらい言われたその言葉。けれど、そこには今までと別種の重さが宿っていた。

 

「別に止めたいわけやないんよ? 勝てへんレースに何べんも出させてもろたのは、うちかて同じやからね」

 

 そういえば先輩たちの戦績って。

 

「勝てなかったんですよね……?」

 

「そやなぁ。勝てたのは未勝利戦くらいで、プレオープンですら散々やったなぁ。重賞レースなんて夢のまた夢や」

 

 それは、ボクにとっては想像するのも難しい領域の話だった。

 

「せやからほんまに驚いたんよ。あのクズが二冠ウマ娘をスカウトしたやなんて。担当トレーナーとテイオーちゃんの弱み握って脅したに決まってる言うて、他の二人が殴り込みに行きそうになってたわ」

 

 仮にも自分が担当したウマ娘にクズ呼ばわりされて脅迫を疑われるって、どれだけ信用がないのさトレーナー。

 

「その後に『雑魚しか担当したことないから折れた天才の慰め方がわかんねー。誰か教えて?』とかメッセージ送ってくるもんやから、ほんまに殺したろかと思うたわ」

 

 敵対者に態度が悪いだけかと思ってたけど、全方位に対して喧嘩売るスタイルなんだ。

 

「でも、才能ないから走るの辞めろって言われた事はいっぺんもなかったなぁ」

 

 ……。

 

「変に気負うとらんか心配やったんよ。うちも負けたことない子の気持ちは分からんから。正確には、勝てると思ってるかより負けた後どうするつもりなんか聞いてみたかったんやけど」

 

 三冠でも、無敗でもなくなったとして、ボクはどうするのか。どうしたいのか……。

 

「トレーナーはなんて言うかな」

 

 少なくとも今は、自分の中に答えが見つからなかった。

 情けない話だ。走る資格だけでなく理由まで他者に求めようとしてる。

 

「あのヒトは間違いなく『壊れるまで走れ』って言うやろなぁ」

 

 ……それもいいかも知れない。

 周りが走るなと止めるなか、ボクに走ることを望んでくれた唯一のヒトだ。

 そんなトレーナーのために走り続けるのも悪くないかもしれない。

 

「誰かのために走ることで強くなれんとは言わんけど、あのクズのため言うのはアホらしいからやめとき」

 

 あはは、他人事ながら酷い言われようだなぁ。

 

「負けてもかまへんから、なんもやる気せんなった時は相談してきてな? うち以外の二人も含めて、そっち方面ならベテランや。温泉でもトラックの長距離旅行でも格闘技でも、走る以外の楽しいこと教えるから」

 

 走ってもいいと言ってくれるヒトと、負けた後は任せろと言ってくれる先輩。

 何もかも失って失意のどん底だったボクだけど、トレーナーたちに出会えて本当によかった。




〇先輩後輩による裸の付き合いの後会話
先輩
「そういえば混浴風呂は夜入れるよう予約したから、二人で楽しんでなー」

トウカイテイオー
「えっ、いや、それはさすがにその心の準備が」

先輩
「どっかの令嬢もトレーナーとウマ娘は一心同体言うとったから大丈夫や」

トウカイテイオー
「うっ……。でも、向こうはボクのことそんな風に見てないだろうし」

先輩
「なんか勘違いしとるみたいやけど、貸出水着の着用必須やで。というか旅館の共用設備で変なことされたら困るんやけど」

トウカイテイオー
「それならそうと最初から言ってよ!?」


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強襲Ⅲ

シルバーウィークの暇つぶしにどうぞ。
強襲もとい、サブキャラ達によるクズのお部屋訪問回です。


『トウカイテイオー、菊花賞出走登録が完了。回避はせず』

 

 トレーナー室でそんな記事が一面を飾る新聞を読みながら思案に耽る。

 

 テイオーは辛いリハビリを耐え抜き、レースに出られる状態まで脚を回復させた。

 夢を叶えたいという強い意志があってこそ、成し遂げられたのだと思う。

 

 警戒していた世間からのバッシングもあまり大きなものではなかった。

 脚の状態を心配する声もあるが、それ以上に三冠達成を見たいという声と夢への挑戦を応援しなければいけないという同調圧力が世間に出来上がっている。

 この世間の後押しはレースの結果次第で反転しかねない危うさがあるが、アイツのやる気に水を差されるよりはマシだとポジティブに考えるとしよう。

 

「周囲のお膳立ては整ったわけだ。トレーナーが俺じゃなければ案外勝ちは堅かったのかもな」

 

 確かに脚は治った。その兆候も夏を迎える前には見て取れた。

 他のトレーナーならば、あの時点でトレーニングプランを見直して菊花賞を勝つための案を練ることができたのかもしれない。

 だが、俺が考えて実行したのは普通の範疇を出ないありきたりなトレーニング内容だ。

 少なくとも、トウカイテイオーにマッチした独自の方法なんてものではない。

 

 アイツの才能に自分では見合わない。その事実を改めて認識したからだろうか。

 ここ最近、自分の中で燻っているモノをはっきりと感じ取ることができた。

 

 テイオーは夢に挑める。

 俺は大金を得られるかもしれない機会が増える。

 世間の連中は主役を欠いたレースを見ずに済む。

 良いことずくめのはずだ。

 

 なのに、勝つために必死で自分の走りを取り戻そうとしているアイツを見ていると、居心地の悪い感じがする。

 

 自分でも原因がどこにあるのかは分かっている。

 

 俺はウマ娘のために心の底から真剣になることができない。

 勝つことを信じて心から望んでいる。力になることも吝かではない。

 だが周りのトレーナーと比べると全くもって足りていない。

 

 リギル、スピカといった学園最高峰のチームだけではない。トレーナーなら当たり前に持っているべき"熱"を俺は持てていない。一般的な理論や使い古されたトレーニング方法が悪い訳ではない。だが専属トレーナーを名乗るのなら、それだけでは不足だ。担当しているウマ娘をしっかりと見て、それぞれに合った内容を真剣に模索し実践と修正を繰り返していかなくてはならない。そうした無二の関係性こそが、ウマ娘の強さに繋がる。

 

 今までは担当したウマ娘に期待できる才能がなかったからと言い訳もできていたのだが、的外れだったようだ。

 トウカイテイオーに才能がないだなんて、笑い話にもならない。

 どれだけ取り繕おうとも、これは俺自身の欠陥だ。

 

 それならば、自分が悪いと思っているのならば、直していけばいい。

 本気だって出せばいい。熱中もすればいい。したいという気持ちがない訳ではないのだから。

 そう考えたことも、それこそ数えきれないほどある。

 

「それで"熱"が持てるなら苦労はないってね」

 

 ダラダラと二十年以上も克服できなかった悪癖だ。自分ではどうにもできない。

 情けないことだが、誰かに切っ掛けをもらうしかないのだろう。

 

「失礼。シンボリルドルフだが、入っても構わないだろうか」

 

 そんな益体もない悩みに没頭していると、ドアがノックされ声が掛かった。

 

 ……このタイミングでラスボスのお出ましかよ。

 いったい何の用だってのは、考えるまでもないか。

 

「悪いが、この部屋には時代遅れの女人禁制の法が敷かれていてな。回れ右で頼む」

 

「ふむ、確かに私は左回りより右回りのレースを好んではいるが、左回りが苦手ということではないよ?」

 

 そんなこと聞いてねーから。

 

「そもそもテイオーだって女の子だろう。ふしだらな目で見ているなら蹴り飛ばすが、女性として見られないなどと言われたら、やはり蹴り飛ばすことになるが?」

 

 どないせーと言うんじゃ。

 ストレートに拒絶の意志を示したというのに意に介した風もなく部屋に入って来てやがるし。

 

「あの女と理事長、どっちの差し金か知らんが交渉するつもりはないぞ」

 

 コイツなら俺ではなくテイオーを説き伏せられそうな気もするが、此処に来たのはアイツの夢を直接否定するのは憚られたからだろうか。

 

「む? ああ、勘違いさせてしまったか。菊花賞の件で来た訳ではないんだ。君と少し話がしたかったのと、そうだな、見定めたいことがあった」

 

 ……色々と疑問の湧く目的であるが。

 

「今更なのか? お前は俺がテイオーと一緒に書類を提出した場にも居ただろう」

 

 話をしたい理由とテイオーが無関係ってことはないはずだ。だが、それにしては時期を逸している気がする。俺とテイオーが契約書類を提出した後の尋問にコイツも居合わせていたが、その時の表情からはなにも読み取れなかった。俺を疎んでいたのか、怒っていたのか。少なくとも負の感情を抱いていたとは思うのだが。

 

「おや、あまり信用してもらえていないようだね。テイオーのパートナーとして相応しいかだけではなく、私の目的の協力者として見定めたいという話に嘘はないのだが」

 

 ますます分からん。

 シンボリルドルフの目的というのは、全てのウマ娘の幸福とかいうやつだろう。

 俺からは最も遠い世界のお話だ。

 

「追々でも構わなかったのだけど、テイオーのことも心配で丁度良い機会だったからね」

 

 そう言って微笑む皇帝は、どこまでも泰然自若としている。

 ヒステリック女やお子様理事長、自称大人の女ガールとは大違いだ。

 

「座れよ。コーヒー位なら淹れてやる。……ぶぶ漬けも出せるが、どっちがいい?」

 

「なら、コーヒーをお願いしようかな」

 

 

 

 

「それで?」

 

 さっさとお帰り願いたい俺の問いかけに対して、ルドルフは至極ゆったりとコーヒーを味わっている。

 その優雅な所作でコーヒーを飲む姿は、俺なんぞよりも余程に成熟して見えた。

 

「天下の生徒会長様だとそこらのマグカップとインスタントコーヒーの組み合わせでも絵になるな。生徒会室にお高いコーヒーメーカーとか置いてそうだし、口に合わないんじゃないか」

 

 余裕たっぷりな態度を見て、早々に帰ってもらうことを諦めた俺は仕方なく会話を振ることにした。

 

「やはり、そういうイメージを持たれているのだろうか? なにぶん忙しい身だからね。私も普段はインスタントコーヒーの世話になっているよ。飲みすぎて寝つきが悪くならないか憂慮しているくらいだ」

 

 本題以外の話題にはあっさり乗ってくるのな。

 カフェインの取りすぎは中毒になるし、睡眠にあまり良い影響を与えないからほどほどにしておけよ。

 

「このマグカップは君の趣味かな? 魚の漢字が羅列されているデザインは寿司屋や湯飲みでよく目にするが、マグカップというのは珍しい」

 

「俺の元担当にトラックの運転手してる奴がいるんだよ。そいつが北海道に行ったときの土産だ」

 

 湯飲みでいいのになんでか取っ手が付いてるんだよな。アイツの趣味はよく分からん。

 

「ああ、彼女の。最近は会っていないが、他の二人も含めて息災かな?」

 

「三人とも相変わらず元気にやってる。というか、なんでお前がアイツと会うことがあるんだよ」

 

 才能なくてドロップアウトしたウマ娘と七冠の皇帝様に接点なんてないだろ。

 

「彼女はトレセン学園の備品の運送もしているからね。生徒会が員数や状態の確認に立ち会うことがあるのさ」

 

 へぇー、まぁそういう事なら機会はあるか。

 

「それに、彼女と私の在学期間は被っているからね。見知った先輩ではあるのさ」

 

 そう言えば、シンボリルドルフが学園に来た時に結構な話題になってたのをアイツと聞いてた覚えがあるな。

 

「レースで優れた成績を残せはしなかったが、芯があって自分の在り方がブレない強いウマ娘だった。だからかな、そんな彼女が学園を去ることに大きな悔恨の念を感じたものだよ」

 

 ……内心、俺が担当したのが三人と知ってる事にも驚いていたが、コイツからしたら木っ端ウマ娘だろうアイツの在学中のことも覚えてるのかよ。底知れないというべきか、物好きというべきか。

 

「退学の日、会って話をしていてね。学園を去るウマ娘は皆失意に暮れて顔を俯かせていたから、笑顔で気分良さそうに出て行く彼女には面食らったなぁ」

 

 コーヒーを飲み終え、饒舌に語るルドルフの表情は、穏やかに過去を懐かしんでいた。

 

「『やりたい事に全力を尽くして、その先に別の新しいやりたい事ができた。この学園に来て自分の道を決めることができた。後悔はない』と、そう言われたことが今も忘れられないんだ。この学園でレース以外の幸福を見つけられるウマ娘がいる事実に、私はとても大きな可能性を感じた」

 

 とても楽しそうに語ってるとこ悪いんだが、この話は長くなるのかな……。

 

「コーヒー、もう一杯淹れてきた方がいい感じか?」

 

「おや、すまない。衆目の前で語る機会が多いからか、どうにも長話になってしまうな。これでは周りから煙たがられてしまう。あ、コーヒーは淹れてほしいかな」

 

 暗にはよ帰れと伝えたつもりなのだが、分かってて遠慮がないのか天然なのかどっちだろう。

 

「はぁ……。そろそろ本題に入れよ。テイオーの話がしたいんじゃないのか」

 

「いや、彼女の話も大切なんだ。口惜しい話ではあるが、トレセン学園で栄光を掴めるのは一握りのウマ娘のみ。そこから零れた者達に道を示すことが、私にはできなかった」

 

 そりゃ道を示すと言っても、歴代屈指の成績を叩きだして会長の座に君臨している奴に言われても嫌味にしかならんからな。

 

「だからこそ、私は君と彼女たちの関係性を尊いものだと考えている。それこそ、レースで活躍するウマ娘とトレーナーの関係に匹敵する程にね」

 

 とんでもなく見当違いな高評価をされたものだ。

 少なくとも退学後の身の振り方なんて、アイツらが勝手に見つけてきただけだ。

 俺がなにかしたなんてこともない。

 いや、運送会社だけは喫煙所で屯していた業者のオッサンたち経由で俺が紹介したんだっけ?

 

「なら、学園内に職業斡旋所でも作るんだな。レース一辺倒のガキどもに世の職場体験でもさせれば視野も広がるだろうさ」

 

「……ふむ、斡旋とまではいかずとも職場体験というのは悪くないな。ウマ娘の身体能力が社会の発展に寄与している場所はレースの興行以外にも多い。無駄にはならないだろう」

 

 なに真剣に考えだしてるんだよ。レースをするための学園で他の事に現を抜かしてたら本末転倒だろうが。

 

「学園の未来なんて壮大な話は生徒会室に戻ってやってくれ。もういい加減にテイオーの事を話そうぜ。本人が此処に来ちまうよ」

 

「それはいけないな。君と二人きりで談笑している場面なんて見られたら、テイオーに焼き餅を焼かせてしまう」

 

 談笑のつもりはないが、テイオーはシンボリルドルフの熱狂的ファンだもんな。

 

「テイオーの事で私が伝えたかったことは一つ。どうかあの娘の事を宜しく頼む。立場上、贔屓することは出来ないが、それでもお願いしたい」

 

 そう言うや否や、立ち上がり頭を下げてきたルドルフを見て、俺は言いようのないばつの悪さを感じた。宜しくとはどういう意味なのだろうか。

 

 面倒は見る。それが俺の利益になる公算が大きいからだ。だが俺には、自分を慕う後輩の競技者生活を任せられるような信頼はないはずだ。

 

「頭を上げろ。話しづらい。意図は分からないが、俺にはお前が望むようなことは出来ないよ」

 

 トウカイテイオーを強くしてくれなんて意味なら、土台無理な話だ。

 

「トレーナーに求められるものは育成の手腕だけではない。ウマ娘の夢への共感、勝利を疑わない信頼、そして人生を捧げられるほどの覚悟が必要だと私は考えている」

 

 さすがは生徒会長様、志もお高いことだ。

 

「それで? 結論として俺にトウカイテイオーは相応しくないって話だろ。勿体付けるなよ」

 

「むぅ、どうにも君には上手く伝わらないな。君はその全てを満たしている。言うこと無しと断じることはできないが、テイオーに見合わないとは思わないさ」

 

 ……は?

 

「俺のどこがだよ」

 

「菊花賞と無敗の三冠という夢は、君がテイオーの手を取ったからこそ挑めるんだ。そして君はテイオーなら勝てると信じている。人生を捧げるほどの覚悟だけは、簡単に推し量れるものではないけれどね」

 

 そう自信たっぷりに答える皇帝様は、まるで俺以上に俺のことを分かっているとでも言いたげだった。

 

「ふふ、まぁあの娘が勝った暁には、二人でテイオーが勝つと信じていたって言おうじゃないか」

 

 お、おう。……ん?

 

「そういえば、テイオーと一緒に温泉に行ったそうだね。とても楽しそうに話をされたよ」

 

 おいおい、他所でその話をするんじゃないよ。警察がすっ飛んで来たらどうするんだ。

 

「温泉って硫黄の臭いがするだろう。テイオーはあまり気にならなかったと言っていたが」

 

 ……え? あ、うん。

 

「話したかったことはこれで全てだ。時間を取らせてすまなかった。菊花賞、頑張ってくれ」

 

 そう言って、皇帝は颯爽と部屋から出ていった。

 

「……もしかして、生徒会長って割かし暇なのか?」




走る理由を自分の夢以外に求め始めたテイオー。
自分が本気になる切欠を誰かに貰いたいクズ。
シリアス以外で出すなら寒いダジャレを言わせなければいけないとミーム汚染された皇帝。


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舞台裏

おハナさんと誰かをバーに行かせたかっただけのお話です。


「あ"あ"ぁ"ぁ"ぁ"ーーーー!! もうやだぁーー!!」

 

 そう叫びながらカクテルグラスを荒くカウンターに叩きつける姿を見せられると、なんとも言えない気分になる。

 

「飲みすぎよ。明日も担当の娘たちのトレーニングがあるんだから、その位にしておきなさい」

 

 これ程までにやけ酒している理由の一割くらいは自分が原因なのだが、酔いつぶれて吐かれでもしたら付き合いきれない。

 

「だってだっておハナさん! 私なりにちゃんとテイオーの事を考えてたんですよ! 落ち着いたタイミングで道理を説けば、折り合いを付けて前に進んでくれるって。その時のために後任としておハナさんも指名してたのにぃ!」

 

 そう言って、今度はカウンターに突っ伏して大泣きし始めた。

 

 ……結果的に、この子の行動は全て裏目に出て、失敗したということになる。

 

 トウカイテイオーの脚を壊しかねない選択をしないための契約解除は、彼女の心を砕いた。

 癇癪を起した彼女が落ち着くために設けた時間は、クズに付け入る隙を与えた。

 そして彼女は、そのクズの元で万全には程遠くとも怪我を回復させ菊花賞に出走する。

 

 まぁ、なんというか、この子にとっては完全な転落ストーリーだなと思う。

 

「私が後任としてスカウトする予定だということ、さっさと伝えておくべきだったのかしらね」

 

 トウカイテイオー本人の同意もない以上、あくまで裏の約束事で暫定的な処置でしかなかったが、悪手だっただろうか。

 しかし、先にその事を知られていては、菊花賞への未練を断ち切ることは無理だっただろう。

 断固として菊花賞への出走を止めたとして、それでは関係構築など出来ようはずもない。

 

 この子が逃避ではなく最後まで説得を続けていれば丸く収まったのか。

 結果論でしかないが、それもまた危ない橋だったとは思う。

 

 ウマ娘の暴力というのは、冗談では済まないのだ。

 一歩間違えれば、ほんの少し超えてはいけないラインを超えてしまえば、比喩ではなく人生が終わる。

 まぁトレセン学園にはそれがどうしたと臆さず向かい合うウマ娘バカも多いのだが、問題は暴力を振るったウマ娘の未来も閉ざされてしまう点だ。

 トレーナーとしてこれを許容できる者は、少なくともトレセン学園にはいない。

 本気で本音を晒し合ってぶつかる。その時の超えてはいけない一線を見極めるのはどうしようもなく難しい。どれだけ優れた才覚を有していようと、彼女たちは思春期真っ盛りの未熟で可能性に溢れた子供なのだ。

 大人である私たちとて、その舵取りを誤ってしまうことはある。

 

「私が逃げたのが、全部いけないんですよね」

 

「……それは正直、否定のしようがないのだけれど」

 

 これもまた結果論でしかないが、癇癪を起してしまう素養があったトウカイテイオーとぶつからない選択をしたことは、学園としてはプラスだったのかもしれない。

 事件になってしまえば、学園の運営もどうなるか分かったものではない。

 

「ま、こんな言い訳をつらつらと並べて切り替えられるのなら苦労はしないわね」

 

 あとはこの子にどうやって立ち直ってもらうかだ。

 トウカイテイオーの精神面はもう大丈夫だろう。

 あのクズは子供を利用することに躊躇はしないが、自分の側に居る相手を後悔させる真似もしない。

 今後のレースの成績はともかく、彼女が一人の人間として間違った方向に進むことはあるまい。

 クズが育てた三人のウマ娘がそれを証明している。

 

 優れた選手が優れた指導者になれる訳ではないように、優れたトレーナーが優れた教育者と同義ではないということなのだろう。

 

「それにしても、あのクズとトウカイテイオーのコンビとはねぇ。過去の私に伝えたら絶対に信じないでしょうね」

 

 仮に信じたとして、間違いなく弱みを握って脅迫したと考えるだろう。

 

「……どうしたのよ。こっちをじっと見たりして」

 

 ふと呟いた言葉を聞いた瞬間、ギュルンという効果音がしそうな勢いでこちらを向かれた。

 突っ伏した体勢なものだから、髪の毛がカウンターにバサリと広がっていて悪霊みたいで怖い。

 

「おハナさん、クズの事をクズって呼ぶんですね。どれだけ認めてなかろうと、立場上そういう汚い表現はしないと思ってました」

 

 やけ酒してぎゃん泣きしてた癖にそんなことが気になったのか。

 というかこの子、あの男の本名を知らないのだろうか。

 まぁ、トウカイテイオーのことを抜きにしても相性最悪だものね。

 

「私のはあだ名としての親しみ半分よ。もう半分は『あなた、いい加減にもう少し大人になったら?』っていう呆れだけれど」

 

 決してバカではないのだが、あれもあれで生き方が不器用だ。

 おべんちゃら使って愛想よくしていれば釣れるウマ娘がもっと居たし、学園関係者からの評判も落とさず生きやすかっただろうに、人間性を偽ることはできないらしい。

 

「全く、どうしてこう男っていう生き物はいくつになってもガキのままなのかしらね」

 

 ウマ娘を露骨に金蔓扱いするクズもいれば、あっちをフラフラこっちをフラフラした後に他所様のチームのウマ娘を奪っていく男もいる。

 

「思い出したらイライラしてきたわ。マスター、もう一杯」

 

 スズカ、スピカに行ってからは本当に楽しそうに走ってるし、ちょっとドン引きする位に速いのよねぇ。

 

「はぁ……。程度の差はあれ、ウマ娘の想いを汲み取れないという意味では私も同じ穴の貉か」

 

 取り返しが付かなくなる前に、彼がスピカへ引き抜いてくれたことに感謝するべきなのだろう。

 

「それはそれとしてお礼参りはさせてもらうわっ! 見てなさいよ、黄金世代最強はグラスだし、次世代最強はオペラオーだと日本中に教えてあげる」

 

 学園最強の座に君臨するのは、いつだってリギルなのだ。

 

「おハナさんはいいですね。トレーナー生活に張り合いも出て、気になる男性も学園に戻ってきたし」

 

「ぶふぉっ!?」

 

 気になるって誤解を招くような言い方しないでよ! 私のライバルになれるだけの実力があるのに、うだつの上がらない事ばかりしてるのが許せないだけ!

 

「それに比べて、私は一人の女の子の心を壊しかけて、壊れかけた心を繋いでくれた男への恨みを未だに捨てきれないなんて……」

 

 そう言いながらも、その声音は先ほどよりも澄んだものになっていた。

 

「なぜ今日になって飲みに誘われたのか不思議だったけれど、納得ができたのね?」

 

 負い目と情けなさから、未だに自分からテイオーに会いに行くことも、目を合わせることもできない有り様らしいが、やっと見るくらいのことは出来るようになったらしい。

 

「はい。テイオーは、とても楽しそうに前を向いて走っていました」

 

「全然本調子じゃない走りだったけど、浮かべていた表情はダービーの前と、夢に向かって進んでいたときの彼女と同じでした」

 

「だから、悔しいけどアイツが正しくて、私が間違っていたんです」

 

「私の弱さがあの娘を壊しかけて、その行動は結局は自分を守るためでしかなかった」

 

「もう私にはあの娘を導く資格がなくて、アイツにはあるんだって認めます」

 

「ごめんなさい。あなたを支えることから逃げてごめんなさい、テイオー」

 

 そうして静かに泣き出したのを見て、重たい溜息が出そうになるのを堪える。レースに挑むウマ娘にとって、怪我は付き物だ。トレーナー人生で一度も遭遇しないなんて事はあり得ない。その時に間違えずにいられるのかという問題は、この生業を続ける限り避け得ないことだ。酷い物別れをすることになった二人だが、いつの日か多少でも関係を改善できる時がくればいいのだが。

 

 まったく以て他人事ではないだけに、そう思わずにはいられない。




おハナさんもいるし、飴咥えてるスピカトレーナーもいるし、半裸サングラスや一見真面目そうなスーツのやべー奴もいます。


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日没

人=ヒトとウマ娘両方
ヒト=ウマ娘は含まない
上記の使い分けにしてますが、表記揺れがあったら申し訳ない。


「ハァ……ハァ……」

 

 日が沈み、ライトに照らされるグラウンドには、ボクとトレーナーしか居なくなっていた。

 そろそろ休息を取るべきではある。だが、もっと走らなければという焦燥は収まりそうにない。

 

 トレーナーはしっかりと約束を守ってくれた。疑っていた訳じゃないけれど、裏切られた経験と病み上がりだという事実が、最後まで自分の中に澱みとして残っていた。

 けれど、正式な出走登録手続きが終わり、公に周知もなされた。ボクがしっかりと体調を維持すれば、走れるんだ。

 

 そういう意味でも休んだ方がいいのだけど、構わず脚を前に出した。 

 あとは勝つだけなんだ。それで夢が叶う。全て上手くいくんだ。

 

 ……なのに、自分の脚は全く思うようには動いてくれない。

 

 筋力の衰えと関節の柔軟性を取り戻せていない左脚。

 トレーニング中の試走ですら息が上がるスタミナ。

 ぶっつけ本番でレース勘もなにもない。

 

 そして、夏の合宿を乗り越えて一回りも二回りも強くなったであろうライバルたち。

 敗北を予期させる要素はいくらでもあって、勝利を確信できる要素なんて見当たらない。

 

「笑っちゃうくらいに逆風だなぁ」

 

 かつて描いた夢へ至る道は、どうしようもなく険しい。

 事前投票ではボクが一番人気だったが、勝利することへの信頼ではなく、三冠達成へのお祈りが大半と言ったところだろう。

 

 競う相手となるウマ娘たちの仕上がり具合も見たが、悪くない感じだった。ダービーの時と同じ走りができるなら負ける気はしないが、たらればを言っても仕方がない。

 

 どれだけ望もうと失ったものは戻らない。

 だからこそ今あるもので、喪失の後に得たもので頑張る。

 他ならぬボク自身が、そうしたいと思っている。

 

 だが、焦りすぎて怪我をしては元も子もない。

 脚を動かすスピードを緩め、気持ちを整理しようと夜空を見上げた。

 

 実際のところ、夢の達成が困難である現状を憂いている訳ではないのだ。

 

 ぶっちゃけた話、無敗の三冠の夢が持つ意味は自分の中で随分と薄れている。

 獲れれば、歴史に名を残す偉業になるのだろう。

 周囲の評価や待遇、自分の得られるモノは増えていくんだと思う。

 チヤホヤされて、誰もがトウカイテイオーに注目して凄い天才だと褒め称え、賞賛と喝采を浴びせるのだ。

 

 そして、負ければ何もない。

 

 勝者は一人。オールオアナッシングとまでは言わないが、勝者とそれ以外には雲泥の差がある。

 敗者に向けられる同情はあれど、やはり求められているのは一着なのだ。

 別に世間のそんな対応を非難するつもりも貶す気もない。

 所詮、ファンもマスコミも目立つ存在に群がってきただけのことなのだ。

 

 強い輝きを放つ光があれば目を向けてしまう。それだけの話。

 光が弱まれば見向きもされなくなる。

 

 捻くれた物の見方だとは思う。けれど、かつての経験が世間に対しての疑念を抱かせる。少なくとも、世間からの期待に応えるために走るのは止めたほうがいい。シンボリルドルフが常に他者から求められる在り方を体現しようとしているのとは真逆の考えだが、今のボクは特に忌避感もなく受け入れられた。

 

 そして、そんな考えを持ったボクにとって、レースとは名誉や世間からの承認を得るための場ではなくなった。

 そんなことよりも、大切なヒトたちから受けた施しと恩に報いたい。

 少しでもなにかを返してあげたい。

 

 崩れ落ちたボクを立ち上がらせてくれたヒトがいる。不貞腐れて周りを拒絶していたボクから離れず、支えようとしてくれた友人がいる。例え手酷い負け方をしたとしても、変わらずに自分を迎えてくれる両親がいる。

 

 それは幾多の勝利の末に得られる栄光や財産と比べたって、決して劣ったりはしない得難いモノなんだ。

 

 誰に与えられたのかも分からない、持って生まれた才能の証明ではない。

 傍で支え、共に歩んでくれた人達に自分の成長を伝えるために走ろう。

 

『あなた達のおかげで、自分は今此処にいる』と。

 

 そう考え、だからこそ負けたくないと思った。

 負けられないのではない。敗北では変わらないモノの大切さを、知ることができたから。

 そして、敗北では変わらない人達がボクにはもう居る。

 

 それでも、変わらず傍に居てくれる人達がボクの勝利で少しでも笑顔になってくれるのなら。

 

「それだけで、ボクの全てで挑む価値がある」

 

 

 

 

 

 

 ……そう、夢の喪失は問題ではない。ならば、一体なにを焦っているのか。

 

 見上げていた空から顔を下げると、コチラに向けてトレーナーが手を振っていた。

 

 両親と友人はボクが負けたとしても変わることはない。

 けれど、トレーナーはどうだろうか。あのヒトがボクに利益を求めていることは分かっている。

 ボクには気を遣って建前を言う事もあるけど、普段の言動を見てれば気付く。

 

 ボクとトレーナーは、あの日『一緒に三冠とその先の夢を果たそう』と契約を結んだ。

 では、三冠を獲れなかった先は?

 

 あの時は後のことなんて考えられなかった。

 今日まで負けた時の話もしなかった。

 先輩は『壊れるまで走れ』と言うだろうと教えてくれた。

 

 どんな結果であれ、ボクとトレーナーの契約は続くんだと、疑うでもなく思っていた。

 

 本当にそうだろうか?

 あのヒトは、負けたボクを見捨てずにいてくれるだろうか。

 怖くて聞くこともできない。

 

 ああ、そうだ。

 

 ボクは夢が叶わないかもしれないことに焦って脚を動かしている訳じゃない。

 傍に居てくれるはずのヒトを失う恐怖から、信頼していたヒトに裏切られる絶望から逃げようと、足掻いているんだ。

 

 

 

 

「そのくらいにしておけよ、テイオー。これ以上はオーバーワークだ」

 

 全く真面目すぎるだろ。やればやるほど嘗ての走りを取り戻せるってんならともかく、悪化する可能性だってあるんだぞ。

 

「うん、分かってる。でもゴメンね、トレーナー。もう少しだけ走らせてほしいんだ」

 

 おいおい、まさか自棄になってるわけじゃないよな?

 菊花賞まで残り一週間。疲労を抜いて体調を整えるべき時期だ。ここから追い込み掛けて詰め込むなんてのは論外だぞ。

 

「応えたいんだ」

 

 ポツリと呟やかれた言葉の意味が理解できなかった。

 

「ファンの期待とかの話か? 無視しろとは言わないが、バカ正直に受け止めても疲れるだけだと思うぞ」

 

 負ければ手のひらを返す奴や筋の通らない批判の声を挙げる奴もいる。褒め言葉だけ聞くくらいがちょうどいいんだ。

 

「それはどんな評価をされても受け入れるよ。全部ボクの我儘による結果だからね。ボクが応えたいのは、トレーナーにだよ」

 

 ……俺?

 

「俺の期待にってことか? たしかに一緒に三冠を獲ろうとは言ったが……」

 

 むしろ怪我される位なら、無事にビリで負けて帰って来てくれた方が嬉しいんですが。

 

「学園のヒト達から色々言われたじゃん。見返してやりたいんだよね。『ほら、トレーナーはなにも間違ってなかった。ボクを菊花賞に出走させたことは正解なんだ。見たか!』ってね」

 

「……入れ込みすぎだ。俺はお前にトレーナーとして何もしてやれてない。俺にできて他のトレーナーにできないことなんて何一つないんだよ」

 

 トレーニングのレベル。あるいはウマ娘との絆。仮にそんな数値があるとしたら、俺は間違いなく学園でも最低だろう。菊花賞が目前だというのに、有効な策の提案や助言もできず、近くでこうやってトレーニングを見ているだけなのだ。

 役に立つ度合いなんて、精々一緒に遊んでストレス解消できるお友達Aと言ったところか。

 

「だからこそ、ありがとう。他の誰でもできるはずの菊花賞への出走を認めてくれたのは、トレーナーだけだった。それはあの時のボクにとって何にも代え難いことで、本当に感謝してる」

 

 欲に塗れているだけのことをそこまで言われると、胸がモヤモヤして仕方ない。ウマ娘はピュアな性格の奴しか生まれないのだろうか。

 

「勝ちたい理由は多い方がいいよ。ボクの夢のため、ボクの夢を拾い上げてくれたヒトのために勝ちたい。そう思うとね、脚を動かしたくて我慢できないんだ」

 

 部屋に帰って休んでもらうのがベストなんだけどなー。コイツの目を見てると言うこと聞かせられる気がしない。

 

「全力疾走はなし。トレーニング後のケアをしても門限に間に合う時間までって条件付きだ」

 

 いかんな。金蔓が無駄に摩耗する展開なんて避けるべきだ。

 いやしかし、強制的に止めさせてモチベーションを落とすのも悪手か?

 こういう時はどうやって宥めすかすのが正解なんだろうな。

 

「ありがとうっ! それじゃ、いってくるね!」

 

 そう言ってグラウンドへ駆け出したテイオーを見送って、未だ晴れない胸にある靄に思考を巡らせる。

 

 原因は今以て熱を持つことができない己への不満。

 悪いのは俺で、自分ではどうにも出来ないと思っている。

 それはいい。

 

 だが、何故このタイミングでここまで真面目に考え出したんだ。ずっと後回しにし続けて、向き合うこともしてこなかったのに。 

 

「まさか、勝ってほしいと思ってるのか? 金なんて関係なくアイツの夢のために? バカらしい……」

 

 まだ契約から半年と経っていない浅い関係だ。近づいた目的だって我欲を満たしたかっただけ。怪我にめげず奮起する女の子を近くで見ていただけで感化されるなんて、流石に簡単すぎるだろ。

 

 俺の目的はトウカイテイオーを使って金を得ること。そのためにアイツに優しくして、心と体をケアしたんだ。菊花賞一着で得られる金銭は大きいから勝ってほしい。しかし、怪我をされる位なら無理せず負けてほしいし、大怪我して引退なんてことになったら目も当てられない。

 

 やはり今すぐに休ませて、本番も無理はしないように強く言い聞かせるべきか?

 そう考え、練習コースを一周してきたテイオーに向けて声を掛けようとして、言葉に詰まった。

 

 汗をかき、息を荒げながら走るテイオーの顔はどこまでも真摯で真剣だった。

 俺の記憶にある最高潮のトウカイテイオーと比べると、無様で余裕のない走り。

 世代の代表格たるウマ娘達に勝つには、恐らく足りない。

 それでも譲りたくないモノがあるからと諦めない姿は、キラキラと輝いていた。

 

 ……いままで散々利用するために動いてきたんだ。いまさら俺に止める資格なんてないか。

 

 走るテイオーを見ていると、かつて担当した三人のことが思い浮かんだ。

 アイツらに対してだって、自分からやめると言い出さない限り口を挟むことはしなかった。

 してはいけないと思った。

 たとえ結果が伴わないのだとしても、俺は知っている。

 この学園で最も不真面目で不健全な俺だからこそ、知っている。

 自らが選択し心に決めたモノのために本気になれることは、この世のなによりも尊い。

 不純な動機でしか動けない俺が止めていいものではない。

 

「まぁ、俺はトウカイテイオーのトレーナーだしな。応援したって何もおかしくはないか」

 

 羨望か嫉妬か、あるいは不甲斐なさか。

 降りかかる不幸も困難も跳ね除けて進むテイオーの眩さに目を細めながら、変われない自分を納得させる。

 

 応援しかできないトレーナーというのも中々に笑えない話だ。

 だが、菊花賞までになにかを劇的に改善することも出来ない。

 

 二冠達成時の走りを万全として、果たして今はどれくらいなのか。

 距離三千という初めての長距離レースなのに、病み上がりで結果を出せるのか。

 俺では精度の高い予想なんてできないが、アイツの想いと努力に嘘はなかった。

 少なくとも、夕暮れのグラウンドで契約を交わしたあの日からは、一番近くでそれを見てきた。

 

「だからまぁ、夢が叶ってハッピーエンドなんて結末も有り得るよな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして迎えた菊花賞。

 

 『トウカイテイオー 十一着』

 

 それがアイツの夢の終わりで、どうしようもない現実だった。




次回、菊花賞本番です。


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天秤

菊花賞のお話です。


『おおっと! トウカイテイオー、これは出遅れたか!』

『ペースが乱れていますね。出遅れを取り戻そうと掛かり気味になっています』

『レースは終盤、第四コーナーを超え最終直線へ! しかし、トウカイテイオー伸びない! この差を詰めるのはもう無理か!』

『トウカイテイオー、十一着! 無敗の三冠の夢、ここに敗れました!』

 

 菊花賞の推移を簡潔にまとめると、こんな感じだろうか。

 可能性としては十分にあり得た話だ。

 想いと努力に嘘がなかろうと、それは周りも同じこと。

 力及ばぬ者が運だけで他の十七人を超えられるほど、世の中は都合良く出来てはいない。

 

「それにしても、もう少し見栄えの良い負け方をさせてくれよなあ」

 

 どうやら、三女神とやらは悲劇の類を楽しめるタイプらしい。

 ある程度でも自分の走りをして負けたのなら、きちんと納得することができただろうに。

 

「走る事と勝つ事を本能に刻ませて競わせてるような神様なんざ、碌なもんじゃなくて当然か」

 

 喜ぶのは一着の一人だけ。多少は判定を甘くしても三着くらいまでだろう。

 観客の一喜一憂はともかく、ターフに目を移せば大半のやつは負けて湿気た面してる。

 勝てた経験が少ないからかもしれないが、正直あんまり楽しくない。

 楽に儲けられなかったら絶対に職として選ばなかったわ。

 

「そんなことよりテイオーだな。流石にこの結果は落ち込んでるよな」

 

 本当に、どうしようかね。

 

 結果は出た。どれだけ辛かろうが変えることはできない。

 たった二人のウマ娘しか成し遂げていない、クラシック三冠制覇。

 トウカイテイオーという天才もまた、成し得なかった側になった。

 

 レースを終え、息が上がったまま膝に手をつくテイオーの表情には、悔しさがにじみ出ていた。テイオーの最終目標であるシンボリルドルフとの対決に影響があるわけではない。しかし、途中目標の達成すら出来ない有り様で"絶対"を超えられるのかという疑念は自分の中に生まれるだろう。今後の走りにも無関係とはいかない。

 それでも、絶望や諦観は感じられない辺りダメージとしては許容範囲か。

 

「体の状態を鑑みれば負けて元々だ。悔しさをバネに奮起できるのなら、それでいいか」

 

 俺個人の想いとしてはその程度である。

 勝ってほしいと思ってはいたが、負けたからどうということもない。

 

 息を整え、踏ん切りを付けるかのように一度目を閉じたテイオーは、地下道へと脚を向けた。

 

 負けたのも初めて。

 ライブのセンターでないのも初めて。

 けれど、夢が破れたのは初めてではない。

 だからだろうか、ダービーの後よりは余裕がありそうだ。

 

 はてさて、案外と大丈夫そうではあるが、これなら慰めの言葉は要らないか。

 そんなことを考えながら、自身も地下道へと足を向けたとき。

 

 ふと視線を感じて振り向くと、テイオーがこちらを見ていた。

 

「……おいおい、なんでそんな酷い面してるんだよ」

 

 悔しさは大いにあるだろうが、それでも一応の納得をしたように見えた。

 どれだけ尾を引こうとも、アイツならまた前を向いて走り出すだろうと考えていた。

 

 なのに、なぜそんなにも俺に対して申し訳なさそうな顔をしているんだ。

 

 テイオーの表情はクシャリと歪み、握った手と肩が震えているのが見て取れた。

 歯を食いしばって耐えているが、それでも涙がこぼれそうになっている。

 

 まさかアイツ、俺に悪いことしたなんて思ってるんじゃねえだろうな。

 

「……全く、病み上がりがなにをいっちょ前に他人のこと気遣ってるんだか」

 

 アイツの歪んだ表情を見て、心がざわついた。

 

 言っただろう。このレースにかかっているのはお前の夢だけで、俺にとっては数あるGⅠレースの一つでしかないんだよ。

 お前が菊花賞に出られるのはリハビリを頑張って偶然怪我の治りが早かったからで、俺が居たかどうかなんて関係ないんだよ。

 

 だから、俺のためにそんな顔をする必要はないんだ。

 そもそも……。

 

「大人の期待に応えられなくて子供が泣くなんてこと、あって良い訳ないだろ」

 

 そんなもん背負おうと考えるなんて、五年は早いんだよマセガキ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下道でテイオーを待っていると、相変わらず泣きそうな顔のまま歩いてきた。

 

 やれやれ、しょうがない奴である。

 ここは、俺が金蔓になるウマ娘をスカウトするために磨いてきた口説きテクでさくっと慰めてやるしかないだろう。

 

「よぉ、テイオー。悪いレース展開の見本市みたいな走りだったな! ……あっ」

 

 いかん、昔の担当連中と同じノリでやっちまった。

 

「……フンッ!!」

 

「痛ってええぇぇぇぇっ!!」

 

 おま、蹄鉄で脛を蹴るのは反則だろうっ……!

 

「どうせ無様で情けない走りだったですよーだ!」

 

 お、おう。意外と威勢よく反抗できるじゃねーか。そこまで心配するほどの事じゃなかったか?

 

 左脚の脛からじわりと広がる鈍い痛みを抑えるように蹲り、額に脂汗を流しながらも安堵の息を吐く。

 

「……ねぇ、トレーナー。ボクに愛想尽かしちゃってない?」

 

 あ、やっぱり大丈夫じゃないやつだこれ。

 

「愛想尽かす理由がなにかあったか? 俺には負けて失うものがあった訳じゃないんだぜ」

 

 スカウトした時点では菊花賞に出走できないと予想していたんだ。奇跡的に出られたからと言って、勝ちに勘定しておけるもんではない。負けて失ったのはテイオーが掲げる無敗の三冠だけで、俺にはなんの痛みもありはしない。

 

「だってさ、あんなにボクのために尽くしてくれたんじゃん。夢に挑む権利をくれて、絶望視されてた怪我を回復させてくれた。あれだけ先行投資したウマ娘がこんな走りしかできないだなんて、ボクだったら嫌になっちゃうよ」

 

 そう絞り出すように話すテイオーの唇は震えていて、声は今にも消えてしまいそうなほど、か細いものだった。

 

 先行投資。テイオーと食事をしたり買い物することを、そう表現したこともあったな。

 

「ボク、やっと少しだけ恩返しができると思ったのに、ぜんぜん良いとこなしで負けちゃった。トレーナーがボクにくれたものを全部無駄にしちゃった……」

 

 そこまで重いものだと捉えていたのか。

 

 確かに、俺がテイオーに向ける期待は大きい。

 かつての三人とは比べものにならない才能が齎す利益は見過ごせないモノだ。

 だから、俺も金の出し惜しみやケチな真似はしなかった。

 

 だが、そこになにか特別なことなど、一つもなかったんだ。

 中央のトレーナーとしては並以下でしかない俺がコイツに与えたものなんて、恩に感じるほどのことじゃないんだ。

 

「無駄なんかじゃねーよ。菊花賞で負けても、お前はまだ走れるだろう。GⅠなんてこれから何回でも出られる。今日の負けが霞むくらいに勝てばいいだけだ」

 

 無敗よりも、一回くらいは大コケしてた方が可愛げもあるってものだ。

 

 ……それに、俺にとってはこれが良い機会だったのかもしれない。

 少しだけ、自分の心と向き合うことができたから。

 

「本当にそう思ってくれてる? 期待に応えられなかったボクは、まだトレーナーのウマ娘で居ていいの?」

 

 傷心のコイツを半ば騙す形で始まった、この関係。

 きっと、変わっていかなければいけないのは俺の方だ。

 

「俺のウマ娘でいいのかって? むしろ、やっと釣り合いが取れたところだ」

 

「……釣り合い?」

 

「碌に重賞ウマ娘も育てられないトレーナーと無敗の二冠ウマ娘じゃ、誰が見たって不釣り合いだったろ。美女と野獣。いや、豚に真珠か?」

 

 そうだ、今日の敗北で俺はなにも失っていない。

 だから、平気なはずなのだ。

 

 なのに、こんなにもテイオーを勝たせられなかったことに苛立ちを感じている。

 自分でも驚くほどに、負けて泣きそうになっているテイオーを見て、勝たせてやることが出来なかった己の不甲斐なさに苛ついていた。

 

「今日の大負けで多少はバランスが取れた。負けたウマ娘に気の利いた言葉の一つもかけられない無能トレーナーと、情けない走りをしたレース下手なウマ娘。お似合いだろ?」

 

 ちょうど、お互い左脚に大ダメージを負った仲でもあるしな。

 そう言って、まだ脛の痛みで涙目な状態で笑いかけると、テイオーもまた泣き笑いのような表情を浮かべた。

 

「あはは、なにそれ。でも、そうだね。底辺同士でお似合いかもしれない」

 

 いや、菊花賞十一着は負けではあるが、世代全体で見ると相当に上辺だぞ。

 

「それにドン底まで沈んじゃったら、後は昇っていくだけだよね」

 

 目元の涙を拭い、大きく息を吐いたテイオーは少しだけ普段の快活さを取り戻せたようだった。

 

「ああ、ここから這い上がればいいさ」

 

 そうだ。

 きっとコイツは今日の敗北と夢破れたという辛い現実すら、強さへと変えていくだろう。

 だが、俺は違う。

 釣り合いが取れたとしても、それはほんの一時の間だけのことだ。

 あっという間に俺達の差は広がり、また釣り合いは取れなくなる。

 

 それでもコイツが勝ってくれれば、なんの問題もないのだろう。

 しかし、もしも負けるようなことがあれば、俺はまた今日と同じ不甲斐なさと苛立ちを感じることになる。

 

 俺がもっとしっかりしていれば、コイツは勝てたのではないかと。

 

「それはちょっと、楽しくなさそうだよな」

 

「……?」

 

 俺の呟きに首を傾げるテイオーを見ながら、告げる。

 

「なぁ、テイオー。ライブが終わったらさ、次を勝つための作戦会議ついでに、にんじんハンバーグでも食べに行くか」

 

「……うんっ!」

 

 金を稼ぐだけなら、必ずしも一着である必要はない。二着でも三着でも遊んで行くには十分な額が手に入る。

 だが、コイツはそれで満足するだろうか。自分の前を走るウマ娘を見て、今日のような見当違いな不安を抱え、笑顔を曇らせはしないだろうか。

 それを近くで見せられるのは、全然楽しくない。

 

 なら、手放すか?そんな訳もない。

 テイオーより才能があるウマ娘を探すだけでも困難極まるだろうに、契約に漕ぎ着けるだなんて奇跡が起きてもまだ足りない。

 

 ならば、やるしかない。金も稼いで俺も楽しい思いをする。そうするには、コイツを一着にして勝たせるしかない。

 

 そのためなら、俺が楽しい思いをするためならば、俺は今までよりも少しだけ熱くなれる。

 

「他のトレーナー連中、なにが悲しくてガキの子守を仕事にしてんのかと思ってたんだがな」

 

 なんてことはない。あの連中も楽しみたいだけのことなんだろう。自分のウマ娘が勝つのが楽しくて、勝たせられるように鍛えるのが楽しいのだ。

 

 ならばきっと、俺とテイオーが勝つために過ごす時間も楽しいものになる。

 そう考え、自然と笑みがこぼれた俺をテイオーが訝しげに見てくる。

 

「なんでもねーよ。控室行ってライブの準備するぞ」

 

 この先は、努力も時間も意志もプライドも、俺の持てる全てコイツのために使おう。

 

 それがあの日、コイツを騙したクズな大人としての責任ってやつで、トウカイテイオーのトレーナーだと名乗っていくのに必要な資格なんだと思う。




問、「『トレーナーのウマ娘で居ていいのか?』という質問に対して、安易にYESと答える愚かな専属トレーナーたちの末路を述べよ」(配点:終身雇用) 


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門出

箸休め回。
クズのメンタルがよわよわになってますが今回だけです。


「という訳で、これからの方針を決めようと思う」

 

 菊花賞を終えて数日。あの日から、俺たちの関係性にもほんの少し変化が起きた。

 金や目標と言った付随する理由に変わりはなくとも、負けたくないという想いはより強く。

 一緒に勝ちたいという意思を共有できたことで、日々の生活にも張り合いが出ている。

 

「方針? 体の負担が限界を超えない範囲で中長距離のGⅠレースに出るでいいんじゃないの?」

 

 何を言っているのだろうと首を傾げるテイオーにこっちが困惑する。

 

 ……あれ?俺の予想してた回答と全然違うんだけど。

 以前よりも理解し合えたと思っていたのだが、もしかして俺の勘違いか?

 

「それでいいのか? その、春秋の三冠とかルドルフと同じレースを走りたいとかあるだろ」

 

 出るレースによって、トレーニングの方針にも違いがでる。

 心機一転した真面目なトレーナー君としては、しっかりと意思疎通を図り認識の齟齬はないようにしておきたいんだが。

 

「別に拘るつもりはないよ。あー、でも賞金のことを考えるとグランプリは外せないかな」

 

 ……んー?

 

「しょ、賞金でレースを選ぶのはどうかと思うぞ? ほら、やっぱり自分の信念に基づいて選択するべきじゃないか?」

 

 二十数年生きてきて、ここまで口を開くのが重たいと感じたことはない。

 賞金より信念とか、どの口がほざいてるんだ。

 

「そこで取り繕わないでよ。お金が欲しくてボクのことスカウトしたんでしょ」

 

 改めて担当ウマ娘から言われてはっきり分かったが、これ最低な理由だな。

 

「そ、そんなことないし。俺はトレーナーとしてトウカイテイオーという才能が潰えるのは許せないって思ったからスカウトしたんだし」

 

「へえー、そうなんだ。ちなみにボクは菊花賞に出してくれるならどこの誰であろうとどうでもいいって思ってスカウトを受けたよ」

 

 それは言われんでも知ってるけども。

 

 ……よく考えたら俺、テイオーの怪我が治ったら捨てられる可能性を甘く見積もってたよな。

 金にしか興味ないと思われてる無能トレーナーの泣き落としなんか通用する訳ないじゃん。

 あれ、もしかして俺とうとう来期から無職か?

 

「捨てないでください。なんでもしますから……」

 

 担当ウマ娘に下座を敢行するトレーナーって歴代にどれくらい居たんだろうか。

 でも、やっと本気になれそうなんだよ。

 いまさらトウカイテイオー以外のウマ娘なんて考えられないんだ。

 

「なんでいきなり土下座しだしたの……。心配しなくてもトレーナー以外と組むつもりなんてないから。レースだって本当にそれでいいって思ってるんだから気にしないでよ」

 

 ううむ。そこまで言うのなら信じるしかあるまいか。

 

「なら話を戻すぞ。年内だとジャパンカップや有馬記念があるけど、俺は出走を見送ってもいいと考えている」

 

 菊花賞の敗北でもトウカイテイオーの人気に翳りはなく、有馬の出走権も獲得できてはいる。

 だが、ここで急いては菊花賞の二の舞になりかねない。

 腰を据えて育成に注力すべきだと思う。

 

「それでいいの? 有馬記念一着で賞金一億二千万円だよ?」

 

 イチオクニセンマンエン。

 億なんて桁、そうそう言葉にすることもない。

 それが、一部とは言え自分の懐に入るかもしれないのだ。

 金の魔力抗いがたし。だがそれでも。

 

「……い、いいんだ。次のレースは俺たちにとって本当の意味で復帰レースになる。半端な状態ではなく、納得できる仕上がりにしてから挑みたい」

 

 でも一億二千万か……。平均的な生涯年収の何割になるか。

 いやいや惑わされるな。それは勝ったらの話だ。

 テイオーの力を信じてはいるが、それはトレーナーとして妄信することではない。

 

 それに、幸いにも菊花賞の後に怪我の再発や体の不調は見られなかった。

 年内の出走を避ければ、数ヶ月はスタミナや筋力の強化に充てられる。

 

「じゃあレースに出るのは来年になってからだね。賞金なら春の天皇賞だけど、いきなりGⅠ最長距離はさすがに無茶かなぁ」

 

 菊花賞を超える距離三千二百だもんな。

 レース勘を取り戻すことも考えると、やはり初手は実績があって得意とする中距離だろう。

 

「そうなると候補はあってないようなものだな。四月の大阪杯。それが俺たちの新しい目標だ」

 

 八大レースにこそ含まれないが、新年初っ端のGⅠということもあり、出てくるウマ娘も強敵揃いになるだろう。

 

「……やっぱり、最初はGⅢとかGⅡから挑戦して徐々にステップアップしていくか? いきなりGⅠてのは高望みしすぎかもしれん」

 

 なんだか怖くなってきた。

 いままで本気でやってこなかったからこそ言い訳できていたが、本気ということはそれ以上はないということだ。

 どこまでも冷酷に現実を突きつけられる。

 お前はその程度なのだと、結局はトウカイテイオーには見合わないのだと思い知ることになるかもしれない。

 

「もうっ、なにを弱気になってるのさ! このトウカイテイオーのトレーナーなんだよ! 来年は出走するGⅠレースを俺たちで総なめしてやる位のことは言ってよ!」

 

「いやしかしだな、人生というのは謙虚に身の程を弁えて歩んでいくべきだと思うんだ」

 

 コツコツやっていくのが人生のコツだぞ。

 

「謙虚ってトレーナーに一番似合わない言葉じゃない?」

 

 口を慎みたまえよ、トウカイテイオー。俺だって似合わないなと思っているのを我慢してるんだから。

 

「と・に・か・く! 次のレースは大阪杯。その次は春の天皇賞。マイルに挑戦してみてもいいけど、順当に行けば宝塚記念って流れかなぁ」

 

 アイツらの時はプレオープンや重賞以下のレースに勝つところからだったから、こうやってGⅠレースの名前がポンポン出てくると眩暈がしてくるな。

 トウカイテイオーが如何に凄いウマ娘か、今頃になって実感が湧いてくることになるとは思いもしなかった。

 

「分かった。その予定で動こう。そんじゃ、次はトレーニングについてだな」

 

 菊花賞までのほとんどの期間はリハビリだったし、直前も負荷が高すぎるトレーニング内容は避けていた。

 ここからは、完全に怪我が回復した状態のトレーニングに切り替えられる。

 

「トレーニングはバランスよく坂路やプールを混ぜていくのがベストだよな」

 

 少なくとも、現時点のテイオーには全てが足りていない。

 だが、天性のバネや関節の柔らかさが完全に失われた訳でもない。

 時間さえあれば以前と遜色ない状態になるだろう。

 ならば、併せてスタミナや心肺機能、筋力の強化も図っていく。

 平均的に能力を鍛えていくなかで、強みも取り戻していけば最強ウマ娘の再誕である。

 

 俺の一番の課題は、そこからさらにコイツを伸ばしてやれるかってとこなのだが。

 

「心配してるのはレース勘なんだよね。ボクたちって専属だから併走相手を都合良く用意できないし、こればっかりは仕方ないかなぁ」

 

 併走相手か。チームを組んでいれば相手には困らないんだがな。

 

 学園のほかのウマ娘たちと交渉することはできるのだが、ここでも俺の存在が足を引っ張る。

 そう、俺は基本的にトレーナーを含めた学園関係者からの評判がすこぶる悪いのである。

 トウカイテイオーとの併走に価値を見出すやつはそれなりにいるだろうが、良からぬことを考えているのではないかと敬遠される可能性もある。

 その辺りを理解して融通を利かせてくれそうなのはリギルとスピカのトレーナーだが、スピカには間違いなく春の天皇賞でぶつかることになるメジロマックイーンがいる。

 お互いに手の内を晒したくないという理由で断られる可能性は高い。

 

 リギルは……。

 

『どうかあの娘のことを宜しく頼む』

 

 シンボリルドルフに頭を下げさせておいて菊花賞はあの有り様である。

 蹴り飛ばされても文句言えねーわ。

 どの面下げて併走お願いしまーすって言いに行けばいいんだ。

 

「すまん、テイオー。俺はダメダメなトレーナーだよ」

 

 まともに併走相手すら用意してやれないなんて。

 性格も態度も能力もダメなんて逆にすごいよね。無能三冠トレーナーってか?やかましいわ。

 

「さっきから落ち込んだり空中にツッコミ入れたりどうしたの? 頭大丈夫?」

 

 心配してくれてるんだろうが言い方は選ぼうね。

 

「併走相手のことはまた今度考えればいいんじゃないかな。まずはボク自身の能力を戻し切るところからだよ」

 

 ……それもそうか。

 俺のガバガバな見立てでも、年内一杯はそちらに注力する必要がある。

 他のウマ娘の出走予定なんかが分かってくれば、頼みやすい相手も出てくるかもしれん。

 

「もし見つかんなかったらマヤノとかマーベラスにも頼めなくはないしさ」

 

 マヤノとマーベラスかー。

 才能はあるんだろうけどまだ未デビューだからなぁ。

 さすがにシニア級の相手にはならないだろう。

 それでも相手をしてくれるなら意味はあるし、担当のトレーナー達と関係性を構築していくための第一歩として、こちらから恩を売れるかもしれない。

 

「はぁ……。引っ越してきた地域でご近所さん付き合いが上手くできるか悩む主婦の心境だぜ」

 

 意地悪なおばちゃんみたいな連中に虐められたらどうしよう。

 

「本当になにを悩んでるのさ。だいたいトレーナーは虐められたら倍返しするタイプでしょ」

 

 それもそうだったわ。

 真面目にテイオーと向き合っていくって決めた影響で及び腰になってるな。

 トレーナー業は嘗められたら終わりだ。

 二冠ウマ娘と一緒にトレーニングさせてやってもいいんだぜ、くらいのテンションで行こう。

 

「おーっし、弱気はやめだやめだ。二冠のテイオーよりすごいウマ娘なんて同世代にゃいないんだからな! ふんぞり返って行くか!」

 

「二冠獲ったのはトレーナーと組む前なんだけどね」

 

 わはは、細かいこと気にすんな!

 

 

 

 

 気にするな、なんて笑ってるけど気にしない訳ないよ。

 過去の栄光だけじゃ、ボクとトレーナーの評価に繋がらないじゃん。

 ボクはまだなんの恩返しも出来ていないんだよ?

 

 トレーナー、ボクに欲望は隠さずに出していけって言うよね。

 だから誤魔化したりしないよ。恩を返すだけじゃない。

 本心から、トレーナーに貰った以上のモノを与えてあげたいと思ってるんだ。

 それが今のボクのやりたいこと。

 

 だから、いくらでも賞金の高いレースに出してくれていいよ。

 ボク、頑張って稼いでくるからさ。

 

 まぁ、トレーナーがじっくり育成に臨みたいって言うなら従うけど。

 

 そうやって、自分の気持ちを整理しながら拳を握って力を込める。

 ……明らかに肉体の出力が上がっている。

 欠片も本調子ではなかった菊花賞から数日、なにかトレーニングをした訳でもないのに。

 

 理由は分かっている。

 ボクとトレーナーの両方が本当の意味で一緒に歩んでいく覚悟を決められたからだ。

 

 今までの関係が嘘だったわけじゃない。けれど、足りていなかったピースがカチリと嵌ったかのように、心身にあった違和感が消えたのを感じる。

 

 今にして思えば、ボクは精神的に騙し騙しやってきていたんだろう。

 以前のトレーナーを、あのヒトを失った絶望と悲しみを無理矢理に憎悪と怒りで上書きしていた。

 そんな心の歪みと菊花賞への焦りは無意識のうちに肉体にも負担を与えていた。

 

 それが負けたことで、いや負けたからこそ、存念なく前に進めるようになった。

 焦る必要はない。

 トレーナーの言うとおり、次のレースは万全の状態にして挑もう。

 

 そうしてトレーナーに見せてあげるんだ。

 あなたのウマ娘は誰よりも速く、地の果てまでだって走れるんだってことを。

 

 そうしてトレーナーに教えてあげるんだ。

 あなたの欲望を叶えるために、好きなだけボクを使ってくれていいんだってことを。



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年度代表ウマ娘

年末に残り二人の先輩と会うイベントもあったりしたが、カットだ。


「あ"ー肩が凝るわネクタイは上手く締まらないわ散々だ。慣れないことはするもんじゃねーな」

 

『テイオーの写真を送ってほしい』

 

 以前から、ご両親にそういう要望を受けてはいた。

 だから定期的にトレーニング風景や遊びに出たときの写真を撮っていて、多少は数をこなせていると思ってたんだがな。

 

 今までは手持ちのデジカメやスマホで満足してくれていたのだが、今日という晴れ舞台はより高画質な写真で残したいと嘆願された。

 なんならコチラからカメラを送りますよとメッセージに型番が書かれていたのだが、レンズも含めると目ん玉飛び出るような金額のやつだった。

 アイツの実家、思ってたよりも全然太いわ。

 

 あまりに高額すぎて手が震えてキレイに撮れる気がしねー、と項垂れていたところ、何を勘違いしたのか今度はルドルフが『この一眼レフとスタビライザーを使えば手ブレ対策もバッチリだ』とクソデカいカメラを置いていきやがった。

 

 そういう意味で悩んでたんじゃねーんだよ。

 というか気づいたら部屋の入口に手を組んで背を預けた状態で立ってたが、何時からいたんだろうか。

 使用料は撮影したデータの横流しで良いとか言っていたが何も良くない。

 最近俺のなかでキャラが壊れ気味なんだが、それでいいのか皇帝。

 

 それで結局ルドルフのカメラを使って撮ったんだが、重いわデカいわで腕と肩が痛い。

 そもそもアイツはなんの用途でこんなもんを持ってたんだ。

 

「……これで最低限は見せられるか?」

 

 やっとこさネクタイも納得のいく状態になった。

 もうスーツなんて絶対に着ねー。

 

「さてと、次は手の掛かるお嬢様のご機嫌取りか。なんで祝いの場なのに俺は疲れてばっかりなんだ」

 

 ジャケットを羽織り、関係者控室から出てテイオーを迎えに行く。

 

 廊下を歩いている最中、向けられる視線の温度は冷たく、聞こえてくる声に込められている感情は愉快なものではなかった。

 

「はぁ……。苦労して連れてきたんだぞ。頼むからテイオーの前では取り繕ってくれよー」

 

 すでに手遅れな気もするが、宥めるにも限界がある。

 

 そうして辿り着いた部屋には『受賞者控室』の立て札。

 

 菊花賞の敗北から早や二ヶ月が経過し迎えた新年。

 無敗の三冠こそ逃したものの、トウカイテイオーはURA年度代表ウマ娘に選ばれた。

 

 

 

 

『菊花賞は残念だったけど、それでも夢に挑戦する姿を見られて良かった』

『前のトレーナーだったら勝てただろ。無策みたいだったし、負けたのはトレーナーが原因』

『病み上がりで長距離レースは無謀だった。三冠と一緒に無敗もなくなったし、トレーナーは責任取れるのかよ』

『ダービーと同じ走りとは言えなかったけど、また走ってるトウカイテイオーが見られて嬉しい。次にどのレースに出走するのか楽しみ』

 

 以上、ここ最近ネット上で飛び交っている俺とテイオーに対する代表的な評価の抜粋である。

 菊花賞直後から少なからず声は上がっていたものの、基本的にはテイオーに対する応援と同情の声だけだった。

 そこに俺の能力を疑問視する内容が含まれだしたのは、年末頃からの話だ。

 

 切欠は、あの女の担当ウマ娘が有馬記念を獲ったからだろう。

 シニア級で数年走ってるウマ娘なんだが、今までのレース結果はあまり奮うものではなかった。

 だが、ここに来て国内最高峰のレースで勝利を飾り大きな注目を集めていた。

 その勝利者インタビューで担当トレーナーの悪い噂を払拭したかったと答えたことで、一連の事情に詳しくなかった者達にも興味を持たれた次第である。

 

 そのあとはまあ、トントン拍子にマスコミとゴシップ好きなネット上の不特定多数によるお祭り騒ぎという訳だ。

 

 トウカイテイオーの骨折と、それに伴い発生した担当トレーナーへのバッシング。

 菊花賞への出走を目的とした、大した実績のないトレーナーとの再契約。

 奇跡的に出走を果たしたものの、惨敗を喫し夢破れた菊花賞。

 

 適度に不幸で刺激的で、妄想の余地がある。そんな話が出てきたもんだから、ここ最近は随分と俺を非難する内容が盛り上がりを見せている。

 

 昨年のダービー直後は、あの女が無理なトレーニングをテイオーに強いたんだとボロクソ言われてたんだが、結局のところ面白ければ真実や正しさなんてのはどうだって良かったのだろう。

 今では前のトレーナーと共に歩むのがテイオーのためだったと言う奴が多数派のようだ。

 

 そんな風に好き勝手言われている訳だが、俺にとっては顔も見えない匿名からの罵詈雑言なんてものは道端に転がっている犬のフンと変わらない。

 目に入れば不快だが、わざわざ手間を掛けて片づけるほどの価値はないし、放っておいてもいずれ消える。そんな程度だ。

 

 疑問に回答してやるなんてあり得ないし、そんな無駄な事に時間を費やすくらいならテイオーと遊びにでも行った方が余程に有意義だ。

 テイオー自体を悪く言う輩はほぼ居ないようだし、ノープロブレムである。

 

 そしてそれは、現在俺たちを取り囲んでいるマスコミ関係者相手でも同じことだ。

 

「……だからまあ、そんなに唸って周りを威嚇するんじゃないよ。今日の主役の一人はお前なんだ。人気商売でもあるんだから、笑顔で愛想を振りまいておけ」

 

 あまり気にしてない俺に対して、隣に居るテイオーはそうはいかないらしい。

 眉間に皺を寄せ、歯を剥き出しにして『うー』と唸っている。

 

 威嚇なんだろうけど、可愛さが先行してるからあんまり問題ないかもな。この場に呼ばれたことに緊張していると受け取られるだけかも知れない。

 

「だって、負けたのはボクの責任なのにトレーナーにばっかり好き勝手に文句言うんだよ!」

 

 語調は強いが声を抑えているあたり、冷静ではあるようで良かった。

 

「どうでもいいだろ。ありもしない事を然も真実かのように書くのがお仕事なんだ。それに比べれば、俺に関する批評はあながち間違っちゃいないからな。痛快な非難の記事を書かせて、せいぜい気分良くなってもらえばいいさ」

 

 そんなことよりも、テイオーの人気が落ちたりした方が問題だ。

 レースに勝つために人気は必要ないが、金稼ぎという視点では大きな違いが出る。

 企業からのCМ出演依頼や製品とのコラボ企画、スポンサー契約なんて話が出れば、得られる金銭はレースの賞金と比較しても劣らない。

 

 無貌の悪意なんてのは俺が引き受けて、お前は小綺麗に着飾って華麗にレースを走り金を持ってきてくれればいいのである。

 

「……むぅー。ぜんぜん納得いかない」

 

 そう言って頬を膨らませるテイオーは、やはりまだまだお子様である。

 ネット上のファンもマスコミも、実際は興味ないのに乗っかってきてるだけの連中が大多数であり、そいつらは対応次第で敵にも味方にもなる。

 もちろん、そんな風見鶏みたいな連中なんざ欠片も信用できないが、味方として都合よく使えない訳でもない。

 元からないものと思って適当に使い捨てればいいのさ。

 そういう意味じゃ、連中も俺達もお互い様だ。

 

「……っと、そろそろ順番みたいだな。ほら笑顔笑顔。内実はどうあれ投票で選ばれたんだ。俺たちに得があるのも事実だし、投票してくれた連中に礼くらい言ってやっても罰は当たらんさ」

 

 最後にそう伝え、檀上に上がる準備を促す。

 

 この場において、もともとトレーナーはオマケみたいなもんなんだ。

 人生で何度あるかも分からない機会でもあるんだから、素直に祝われてこい。

 

 

 

 

『惜しくも三冠を逃しましたが、134票を集め見事年度代表ウマ娘に選ばれました、トウカイテイオーさん!』

 

 「(気持ち悪い……)」

 

 檀上に立ち、拍手の音とシャッターの光を浴びる中、抱いた感情は嫌悪だった。

 情けない走りをして三冠を逃したボクを称え、その夢に挑戦するチャンスをくれたトレーナーのことを貶す。

 それは、己が貶されることよりも遥かに許し難い行為で、向けられる称賛はどうしようもなく薄っぺらい空虚なものに思えた。

 ボクの過去と見栄えに対する評価。トレーナーと歩んできた道のりなんて誰も見ちゃいない。知ろうとすらしていない。

 

 そして、そんな連中に愛想笑いを浮かべて手を振って応えるボク。

 ああ、胃がムカムカしてきた。

 

 ボクは考えが甘かったのかもしれない。

 信頼するパートナーと想いを共有して一緒に歩んでいく。

 途中思い通りの結果が出ないことあっても、二人で乗り越えて進んでいく。

 そんな寄り道があってもいい。そう考えていた。

 

 どうやらそれでは遅いようだ。

 早急にコイツらを、ボクたちの邪魔をする連中を黙らせる必要がある。

 胸を蝕む黒い衝動はとうに我慢の限界に達していたが、爆発させるべき場所はここではない。

 ウマ娘たるもの、ターフで結果を示して己の意思を押し通すべきだ。

 だが、言われっぱなしは癪なのも事実。

 場の空気は冷え冷えになるかもしれないが、文句の一つでも言ってやろうか。

 

 そんな考えが顔に出始めていたのだろう。隣に立っているトレーナーが軽くため息をついて、小声で話しかけてきた。

 

「学園のウマ娘や両親、先輩連中もテレビ越しに見てるんだ。目の前のコイツらじゃなくて、自分と関わりのある連中を安心させてやるために笑えばいいさ」

 

 ……そういうことならまぁ、仕方ない。

 ただでさえ皆には心配を掛けてるんだ。

 菊花賞の敗北から立ち直れているのか、気を揉ませているだろう。

 ボクは大丈夫だって、ちゃんと伝えてあげないといけない。

 そうして少しだけ本心からの笑顔を浮かべると、トレーナーとは反対の側から声が掛った。

 

「おめでとうございます。でもきっと同情票も含まれていますわね」

 

「まー、それはそうだろうねー」

 

 自分と同じく登壇し、最優秀シニア級ウマ娘として表彰されていたメジロマックイーン。

 ボクにとってはクラスメイトでもあり、シニア級に上がったことで今後は鎬を削るライバルになるウマ娘だ。

 

「マックイーンも有馬記念惜しかったよねー。最後の加速が伸びなかったけど、クリスマスもまだなのにケーキでも食べすぎちゃったの?」

 

 そう意趣返しすると、顔を赤くして斜め上に逸らした。

 え、そこは怒るとこでしょ。もしかして本当に体重管理に失敗してたの?

 

「は、春の天皇賞では目に物見せてやりますわ。覚悟しておいてくださいませ、テイオー」

 

 スピカってなんとなくその辺が緩そうだもんなー。

 それともスペシャルウィークを見て、自分もあのくらい食べて大丈夫と勘違いしたのか。

 

『では、お二人に今後の目標を聞いてみましょう』

 

「私は春の天皇賞、二連覇を目指しますわ」

 

 堂々と宣言してVサインするマックイーンを後目に、なんと答えるか思案する。

 三冠も無敗もなくなった現状、明確に目指すレースがある訳ではない。

 ただひたすらに勝つと答えてもいいのだが、何故かしっくりこない。

 もう誰にも負けてやるつもりはないし、トレーナーのことをバカにしてる連中は許せないが、気炎を吐くのもボク達らしくない気がした。

 だから今の自分がしたいことを、心に浮かんだ言葉をそのまま口にした。

 

「ボクを支えてくれるヒト達に恥じない走りを」

 

 真面目にやる気なんて全く起きない表彰式ではあったが、ここだけは雑にできない。

 背すじを伸ばし、前を向いてはっきりとそう答えた。

 

 

 

 

 支えてくれるヒト達に恥じない走りを。

 そう答えたテイオーの顔つきは、先ほどまでの不機嫌が嘘のように大人びたものだった。

 

 女子三日会わざれば刮目して見よ……か。

 スカウトした日から三日も会わないことなんて一度もなかったんだが、子供というのは知らない内に成長しているものらしい。 

 

 今日着ている赤いドレスも、肩回りに細かいレースがあって可愛いよりも華やかな美しさを感じる。

 私服もそうだが、最近は赤色がマイトレンドなのだろうか。

 

 ご両親じゃないが、これじゃまるで巣立ちを見守る親鳥の心境だな。

 なんにしても、テイオーが成長してくれるなら悪い事じゃないが。

 

『お二人には功績を称え、新しい勝負服が授与されます』

 

 司会の言葉に合わせて、二人に目録が手渡された。

 

 ……そういえばあの勝負服、結局どんなデザインにしたんだろうか。

 

 この表彰式、現在進行形でテイオーの機嫌は悪いのだが、出席するか否かでも一悶着あった。

 受賞が決まったは良いものの、テイオーは表彰式に出席することに対して全く乗り気ではなく、それどころか世間の俺に対する反応を見て辞退したいとすら言っていたのだ。

 

 あまりにも勿体なさすぎるので、俺も受けるよう説得したのだが梨の礫。

 ボクだけしか評価されていないのなら断ると頑なだったのだが、新しい勝負服を貰えることが分かると渋々受けてくれることになった。

 

 GⅠレースに出られるだけの実力を持つウマ娘にしか与えられない勝負服。その二着目を得られるというのは、世代の中でも傑出していることの証左だ。ウマ娘にとっては非常に特別なものであり、テイオーも無視はできなかったのだろう。そういう物欲はどんどん出していくべきだと思う。

 

 そんなウマ娘にとって大きな意味を持つ勝負服。

 当然ながら、そのデザインにもウマ娘の意志が反映される。

 しかし、俺はその製作に全く関わらせて貰えなかった。

 

 以前、テイオーの私服を選んだ際にキャラ物のプリントTシャツをチョイスしたことでセンスを疑われているのだろうか。

 しかし、最初から口を出すつもりもなかったのだが、デザインの決定稿や試作品すら見せてくれないのはどういう理由なんだろうか。

 

「なぁ、テイオー。結局どんな勝負服にしたんだよ」

 

 問いかける俺に、テイオーは今日初めての満面の笑顔で答えた。

 

「えへへ、内緒!」

 

 ……全く、なにがそんなに嬉しいのやら。




この世界線では、このような経緯を経てビヨンド・ザ・ホライズンが生まれました。

明日の投稿は番外編になります。
書き溜めはそろそろなくなるので来週以降は毎日投稿じゃなくて間隔が空くと思います。


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【番外編】心が鳴らす音

みんな大好きナイスネイチャとトウカイテイオーの心温まる友情ストーリーです。
時系列としては菊花賞~前話の間くらい。
一部、メタな表現や三人称視点になっている場面があります。


 夢が破れるとき、一体どんな音が鳴るのだろうか。

 

 紙が破れるときのような音だろうか。

 

 心が折れるとき、一体どんな音が鳴るのだろうか。

 

 割り箸をへし折るときのような音だろうか。

 

 胸が高鳴るとき、一体どんな音が鳴るのだろうか。

 

 ……アタシの胸が高鳴ったときは、鈍くて濁った音がした。

 

 当然だろう。

 

 友の掲げた無敗の三冠が叶わぬ願いとなったとき、彼女の心から鳴る音を聴いてみたいだなんて。

 

 そんな薄汚くドス黒い感情を抱く自分から、綺麗な音が鳴るわけないのだ。

 

 

 

 

 始まりは何だっただろうか。

 

 たぶん、彼女がダービーに勝利して二冠を得た時だったと思う。

 

 同世代において、最高の天才と目されるそのウマ娘が放つ輝きは、目を焼き尽くすほどだった。

 

 この世のすべてが自分の味方で、自分のためにあるとでも言わんばかりの自信と自任。

 

 どれだけの才能を持って生まれれば、周りからの承認を得て生を歩めば、そんな在り方ができるのか。

 

 仮に同じ才能があったとしても、自分にはできそうにない生き方だなと、苦笑しながら友達付き合いをしていた。

 

 そうして彼女の骨折が判明し、菊花賞への出走が絶望視されたとき。

 

 とても信頼していた大切なトレーナーから契約解除を言い渡されたとき。

 

 あれほどの天才でも地を這うことはあるのだと、世の無常さに戦慄したものだ。

 

 そして、少しだけ自分の心が弾んでいることに気付いた。

 

 己が高みに至ることではなく、他者が理不尽な不幸で落ちていくことに、優越と快感を覚えたのだ。

 

 なんて、なんて嫌なやつなんだろう。

 

 そんな自己嫌悪を消すために、がむしゃらにトレーニングした。

 

 彼女の友人として、生活のサポートを買って出て、コミュニケーションも図ろうとした。

 

 次のトレーナーが決まるまでの間は、彼女が周りを拒絶していたから上手くいかなかったけれど。

 

 それでも、梅雨を迎える頃には以前の関係を取り戻せたように思う。

 

 そうして気付くと、菊花賞に出走できる資格を得ていた。

 

 彼女の居ないレースなら、自分にも勝ち目があるかもね、なんて軽い考えで出ることを決めて。

 

 出走できない彼女への申し訳なさと、自分だってGⅠを獲れば輝けるかもしれないという淡い期待を持って。

 

 やっと、かつて自分が抱いた仄暗い胸の弾みを忘れられたと思ったとき。

 

 地を這っていたはずの彼女は、かつてと変わらない輝きを放ちながら、菊花賞に挑んできた。

 

 

 

 アタシは御大層な夢なんて抱かない。

 

 だから、夢破れて心が折れるなんてことは、これからも一生ないだろう。

 

 その代わり、他人を羨んでばかりで、うじうじとしている自分に溜息がでちゃうけど。

 

 彼女は、物理的に脚が折れて、一緒に夢もポッキリと逝ってしまったはずの彼女は、また立ち上がって歩み始めた。

 

 なんて強さなのだろうか。

 

 彼女が才能だけで走っている訳ではないことを、アタシはよく知っている。

 

 不断の努力とひたむきさは、関節の柔らかさやバネといったアジリティに負けないくらい、稀有な才能だ。

 

 だからこそ、とんでもなく高いところを飛び続ける天才だからこそ、落ちてしまえば元には戻らないと思っていた。

 

 実際、その走りは菊花賞までに元に戻ることはなかった。

 

 けれど、そこに向けてトレーニングに励む彼女には以前と変わらない、あるいは以前よりも遥かに燃え盛る炎と熱が、煌々と瞳に宿っていた。

 

 世間は彼女のことを悲劇の天才だなんて呼んで。

 

 どこまでも無責任に奇跡の復活劇を望んでいる。

 

 まるで本当にこの世の全てが彼女に味方しているかのようだった。

 

 天才にとっては、挫折や絶望すら、人生を彩るためのスパイスでしかないのだろうか。

 

 だったら、アタシたちは一体なんなのだろうか。

 

 彼女たち、選ばれた天才の引き立て役?

 

 付け合わせの野菜。演劇の黒子。背景の賑やかし。

 

 誰がやっても同じことに、たまたま選ばれたエキストラ。

 

 そんな訳がない。あっていいはずがない。 

 

 ああ、だからどうしても、一緒に走って聴いてみたくなった。

 

 彼女の夢が破れる音を。

 

 彼女の心が折れる音を。

 

 アタシとアナタは何も違いはしないのだと、実感させてほしい。

 

 主役も脇役もない。誰もが平等に戦い絶望するのだと、教えてほしい。

 

 

 

 そうして、決戦の火蓋が切って落とされた菊花賞。

 

 成せば、トゥインクル・シリーズに消えない歴史として刻まれるだろう無敗の三冠は、夢のまま終わった。

 

 その時のアタシの心情はあまりにもぐちゃぐちゃで、筆舌に尽くし難いものだった。

 

 自分の四着という結果に落胆するでもなく、私はそれを確認することを優先した。

 

 胸の内をゾクゾクと這い上がってくる興奮と好奇心。

 

 こんなことを考えてはいけないという罪悪感と自己嫌悪。

 

 ねぇ、テイオー。

 

 今、あなたはどんな表情を浮かべているの?

 

 ねぇ、テイオー。

 

 今、あなたの心はどんな音を鳴らしているの?

 

 アタシはいま、こんなにも醜悪な笑みを浮かべて、心はこんなにも汚らしい音を鳴らしている。

 

 ねぇ、テイオー。

 

 アタシとアナタはなにも違わないって、教えて?

 

 

 

 

「ん"あ"あ"ぁ"ーーーーーー!!」

 

 チーム『カノープス』が集まりトレーニングの打ち合わせをするなか、唐突にナイスネイチャの絶叫が部屋に響いた。

 

「ネイチャ、どうしたの?」

 

 ツインターボが他の二人に問いかけているが、その様子を疑問に思っても驚いてはいないあたり、カノープスでは割とありふれた光景なのだろう。

 

「きっと、そういうお年頃なんだよー」

 

「大声を出すことで体内に酸素を多く取り込み、筋肉への血流を増加させることができます。血流を良くすると肩こりや腰痛の改善に繋がりますから。これはネイチャさんなりのストレッチのようなものでしょう」

 

 のほほんとネイチャ思春期説を推すマチカネタンホイザと、メガネをクイッと持ち上げながら、ネイチャ流健康法説を推すイクノディクタス。

 今日もトレセン学園は平和である。

 

「あぁー、確かに座って話を聞いてるだけだと退屈だし、体が固くなっちゃうもんね」

 

「……それは暗に、さっさとミーティングを終わらせて解放しろと言われているんでしょうか」

 

 ツインターボが納得するなか、カノープスのトレーナー南坂は、自分の話が長くて面白くないと言われているように思えて肩を落としていた。

 

「アタシは嫌な女だっ! 自分が勝つことじゃなくて、ライバルが負けることを望むだなんて! ナイスネイチャじゃなくてバッドネイチャなんだーっ!」

 

 机に突っ伏し頭を抱えながら叫ぶナイスネイチャを見て、一同は再度顔を見合わせた。

 

「ネイチャはなに言ってんの?」

 

「きっと、昨日みた昼ドラの影響だよー」

 

「ライバルの負け、というのは先日の菊花賞のことでしょう。この場合、恐らくはトウカイテイオーさんのことですね」

 

 イクノディクタスからその名前がでた瞬間、ナイスネイチャの体がビクッと跳ねたことで、トレーナーも得心がいったようだった。

 

「全員が万全の状態で臨み、自分が勝つことができれば最善です。しかし、定められた時期までに調子を上げてくることもウマ娘に求められる能力です。そこまで気に病む必要はないのでは?」

 

 トレーナーの視点から見れば、ナイスネイチャの悩みは珍しいものではない。

 相手の不調や失策を願ってしまうのは、それだけ勝利への執念が強いことの証明でもある。

 スポーツマンシップに悖るという考えは理解するが、嫌悪するほどのものではない。

 

「違うの! アタシ、自分の着順よりもテイオーが負けたことが気になってた! どんな気持ちなんだろうって、そんなことばっか考えてた! 友達なのに、こんなの最低じゃん!」

 

 そこまで言われて、ようやく全員が程度の差はあれ理解した。

 

 ナイスネイチャは見たかったのだ。敗北したトウカイテイオーの姿が。

 

「ネイチャって変わってるね。ターボは自分の勝ってるとこのほうが見たいかなー」

 

「ぐはぁっ!」

 

「そういうことですか。確かに圧倒的な強者が敗れる姿に思いを馳せる気持ちは理解できなくもないですね。嫌な女という点は否定できませんが」

 

「おぅふ!」

 

「私はみんなが頑張って、えいえいむんっ!って勝っても負けても良かったねーって言えるようなレースが好きかなー」

 

「うぐぅ……」

 

 三者三様にレース観を語られるなか、ナイスネイチャは自分の心が折れる音を聴いた。

 もうバキバキのベコベコのボッキボキである。

 

「……もうアタシ、テイオーの友達でいられない」

 

 突っ伏したままボソボソと話すナイスネイチャは、微かに涙声になっていた。

 

「これはミーティングどころではありませんね」

 

 溜息をついたトレーナーは、何かを考えるようにしばらく目を伏せてからこう言った。

 

「その悩みを抱えたままではまともにレースを走れません。解決する方法がありますので、皆さん手を貸してください」

 

 そうきっぱりと言い放ったトレーナーを、ナイスネイチャを含む全員が見た。

 

「ほ、方法って?」

 

 自分のクソみたいな性根を叩き直せる方法なんてあるのだろうか、という心情がありありと読み取れる声だった。

 

「はい、直接トウカイテイオーにぶちまけて、謝罪しましょう。一時間もあれば解決ですよ」

 

 いい感じのスマイルで火の玉ストレートを投げると宣言したトレーナーと、ニヤリと笑みを浮かべてにじり寄ってくる三人のウマ娘を見て、ナイスネイチャは先ほどまでとは別種の叫び声を上げた。

 

「無理無理無理! こんな酷いこと言ったらアタシ、テイオーと絶交することになっちゃう!」

 

「友達じゃいられないと言っていたじゃないですか。どちらにしろ同じ結果なら、当たって砕けろですよ」

 

 拘束され、三人掛かりで担がれ、ドナドナと運ばれていくナイスネイチャを道行くウマ娘たちが何事かと目をむいて見るが、顔ぶれを認識すると納得したように日常へ戻っていった。

 

 チーム『カノープス』

 

 勝ちきれないチームであり、雰囲気もどちらかと言えば理知的で穏やかなこのチームだが、やると決めたときの手段の選ばなさは、学園最強なのである。

 

 

 

 

「という訳で、ネイチャさんはテイオーさんに思うところがあるらしく、直接会って話がしたいとのことです。申し訳ありませんが、お時間をいただけないでしょうか」

 

 いやいや、テイオーってば目を丸くして何事かと驚いてるじゃん。

 

 トレーニングを終えて栄養補給中だったのだろう。もうじき日が暮れる食堂で軽く食事を取っているところだった。

 

「食べながらで良ければ別に構わないけど、当のネイチャがすっごい嫌そうな顔してるんだけど……」

 

 当然だ。なにが悲しくて友人に絶交を突き付けられに来なきゃいけないんだ。

 アタシが悪いのだとしても、やりきれない。

 

「ネイチャ、さっさと話せば?」

 

 よく分かってなさそうに催促してくるツインターボの能天気さが心底羨ましい。

 

「我々が居ると話しづらいのでしょう。引き上げますので、後はご自分で頑張ってください」

 

「二人とも、喧嘩しちゃだめだよー」

 

 こいつら、アタシを処刑台に運んでおいて結果を見ずに帰るとか鬼か。

 いや、近くに居られると話しづらいのは事実だけど、そもそも運んでくるなよ。

 

 ぞろぞろと帰っていく三人を恨めしく思いながら見ていると、テイオーから声が掛かった。

 

「座りなよ。表情を見る限り、あんまり良い話じゃなさそうだけど、どうしたの?」

 

 コチラを見てくるテイオーは至って普通だった。

 

 そう。菊花賞に敗れたあの時、あんなにも辛そうな表情を浮かべて、あんなにも悲しそうな音を鳴らしていたというのに、この天才はまた立ち直っていた。

 

「えっと、その、菊花賞があんなだったから心配でさ。いやアタシも四着だから偉そうなこと言えないんだけど。あ、でもURA賞に選出されたんだっけ。お、おめでとう」

 

 アタシはナイスネイチャ。脚質は逃げで覚醒スキルは逃亡者である。

 

「ありがと。ちょっと色々あって素直には喜べないんだけどね。で、本題は?」

 

 この娘はトウカイテイオー。脚質は差しと追い込みで固有スキルはブルーローズチェイサーだ。

 

 なんて現実逃避をしている場合ではない。

 

 覚悟を決めろアタシ。女は度胸。本音を隠したまま仮面を被って友人関係を続けるつもりか。

 

 たとえ蛇蝎の如く嫌われようとも、本当に友人だと思っているのなら逃げてはいけない。

 

「ごめんテイオー! アタシ、菊花賞で負けて心が折れたアンタを見たいって思ってた! その時にどんな音がするんだろうって、トウカイテイオーでもあんな顔するんだなって愉悦を感じちゃってた! 本当にごめん!」

 

 言った。言ってしまった。

 

 胸のつっかえが取れて、軽くなると同時に嫌悪がじわりと広がる。

 

「へぇー、そうなんだ。やっぱり皆も暗い気持ちを持ってたりするもんなんだね。ボクだけかと思ってたよ」

 

 あっけらかんと言ってから食事を口に運ぶテイオーを見て、アタシはしばらくなにも反応できなかった。

 

「怒ったりしないの……?」

 

「なんで?」

 

 だって、自分が負けたところを見て喜ばれているなんて憤慨ものだろう。アタシだったら許せないし、悲しくて泣いちゃう。

 

「そういう事を思われてもお互い様かな。ボクだって菊花賞の出走が確定するまで、出られる連中は全員脚折れろって思ってたからね」

 

 ええ……。

 

「フクキタルに呪術も教わりにいったよ。『専門外です!』って教えてくれなかったけど」

 

 全方位に対して天才なテイオーなら、呪術にも適正があったかもしれない。

 フクキタルが悪ノリしていたら洒落にならなかったかも。

 

「テイオー、アンタって結構イイ性格してたんだね」

 

 マヤノやマーベラスと同じ、純粋でナチュラルに善性な娘だと思ってたのに。

 

「そりゃあ、自分の状態が最悪なときに調子の良い周りなんて見たら悪態の一つでも付きたくなるでしょ。ネイチャはボクのことを正義のヒーローだとでも思ってたの?」

 

 正義かどうかはともかく、ヒーロータイプで王様気質だとは思っていた。

 

 そういえば帝王って傲慢で悪政を敷くイメージがあるから、むしろこれが正しいのだろうか。

 

「それはそれとして、心の折れたボクが見たいだなんて屈折した感情を抱かれてるとは思いもしなかったけどねー」

 

 意地の悪い笑顔でコチラをのぞき込んでくるテイオーは、もしかしなくても楽しんでいるようだった。

 

「うっ、それについては誠に申し開きのしようもなく……」

 

 テイオーだって同じようなことを考えることがあるんだと安心感は得られたものの、それで自分の行いが許される訳ではない。こんなやつと友達なんてやってられないだろう。

 

「しょうがないから、今から一緒にはちみーを飲んでくれたら許してあげるね」

 

 数瞬、言われた内容が理解できなかったが、これは財布役になれという意味だろうか。

 

「ええっとその、何百回くらい奢ればよろしいので……?」

 

 菊花賞の賞金で足りるだろうか。

 

「ボクはトレーナーほど金に意地汚くはないんだけど。奢りじゃなくて自腹で一緒に飲んでくれるだけでいいよ」

 

 もしかして、このウマ娘は帝王ではなく天使とか聖女の類だったのだろうか。

 

「それだけで、いいの?」

 

 席から立ちあがり、はちみーを買いに歩き出したテイオーを慌てて追いかける。

 

「ボク、忘れてないよ。怪我してるときに荷物持ってくれたり、契約解除されたボクを元気づけようと話しかけてきてくれたこと。あれ、全部演技だったの?」

 

 そんなことはない。

 一切の打算がなかったかと言えば嘘になるが、アタシはテイオーと友達でいたいのだ。

 いつも元気で周りを明るくしてくれる、天才肌のウマ娘。

 嫉妬するし、劣等感もあるけど、それ以上にアタシはテイオーのこと大好きだ。

 そんな娘の痛ましくて苦しそうな姿を見たくなんてない。

 友達としてちょっとでもいいから力になりたい。

 そういう思いだって、本当にあったんだ。

 

「ボクはネイチャとずっと友達でいたい。だから別に気にしないよ。それに、これからの事を考えるとあんまり怒るに怒れないから」

 

 それは、一体どういう意味だろうか。

 

「友達ってだけじゃなくてさ、ライバルだとも思ってるから。ネイチャはどう?」

 

 もちろん、アタシもテイオーのことを最強のライバルだと思っている。

 

「ライバルとして対等だから、怒ったりしないってこと?」

 

 なんだか、それは変な気もする。

 

「そうじゃなくてさ、ボクの心の折れる音が聴きたかったんでしょ? ボクは他の娘の心が折れる音なんて興味ないけど、それは折らないって訳じゃないからね」

 

 先を歩くテイオーがコチラを振り向いたとき、その表情には今まさに沈んでいく夕日の如く、熱く輝く決意が漲っていた。

 

「もう、負けたくないんだ。例えどれだけのウマ娘の心を折って、夢を破いて、絶望させることになっても」

 

 向けられる気迫と圧力に、体を冷や汗が伝う。心臓が大きく脈打つ。

 

「ボクの心の折れた音が聴きたかったんだとしても、ボクはネイチャと友達でいるよ。だからボクがネイチャの心を折っても、ネイチャはボクの友達でいてくれるよね?」

 

 テイオーの才能を恐ろしいと思ったことはあった。

 

 テイオーの在り方を恐ろしいと思ったこともあった。

 

 だが、テイオーの笑顔を恐ろしいと思ったのは、今日が初めてだった。

 

「ネイチャは次のレース、何に出るつもりなの?」

 

「えっと、有馬記念に出て、その次はまだ決めてないけど……」

 

「そっか。ボク、次は大阪杯にする予定なんだ。だから、出てくるなら覚悟しておいて」

 

 ゴクリと自分が唾を呑む音が、やたらと大きく聞こえた。

 

「二度と立ち上がれないくらいグチャグチャに叩き潰すけど、友達だから許してね?」

 

 

 

 

「それで、どうなりましたか?」

 

 テイオーから潰す宣言を受け、カノープスに与えられているミーティングルームに戻ると、トレーナーが一人で待っていてくれた。

 

「友達で居てくれるって。それと、次の一緒になったレースでグチャグチャに潰すって」

 

「それは……成功なんでしょうか」

 

 疑問に思う気持ちも分かるけど、個人的には大成功だ。

 あの後も、はちみーを一緒に飲んで他愛もない近況とか世間話に花を咲かせた。

 

「提案してくれてありがとうね。無茶でしょって思ったけど、結果的に丸く納まったよ」

 

「丸く……? 僕はカノープスのトレーナーですからね。ネイチャさんの要望に応えるのが仕事です」

 

 当たり前のようにそう答えるトレーナー。

 柔和で軟弱に見られがちだが、流石はトレセン学園のライセンス持ちというべきなのだろう。

 

「それじゃあさ、ついでにもう一個ネイチャさんの要望に応えてほしいんだけど、いいかな?」

 

 潰す宣言を受けたとき、湧き上がってきたのは恐怖だけではなかった。

 

「構いませんが、なんでしょうか?」

 

 自分の中にある闘争心が沸々と湧いてくるのが分かった。

 

「このままじゃネイチャさんはテイオーに潰されてしまう訳で、そうならないよう厳しいトレーニングメニューを用意してほしいなー、なんて」

 

 テイオーはアタシをライバルだと言ってくれた。

 

 潰すと宣言したのは、アタシのことが嫌いだからではない。

 

 対等なライバルとして、何度だって向かってくる相手だと認められたんだ。 

 

 その期待に、応えたくなった。

 

「分かりました。今日はもう休んでください。メニューは明日までに用意しておきます」

 

 本当に、頼りになる。

 

「ああ、一つだけ聞いておきます。厳しいと言っても具体的にはどれくらいをご所望で?」

 

 どれくらいか。その言葉を聞いて、唇の端が持ち上がるのが分かった。

 

 たぶん今のアタシは、また醜悪な笑みを浮かべているのだと思う。

 

「トウカイテイオーを、あの天才の心を、へし折れるくらいに」

 

 テイオーはアタシを叩き潰すと言った。

 

 ならば、アタシだって彼女の心を折っていいはずだ。

 

 あの娘は、友人としてアタシに許諾をくれたんだ。

 

 何も気にすることはない。折れたほうが弱くて悪いだけのことなんだって。

 

 だから、もうなにも遠慮しない。

 

 自分を主役の影だなんて思わない。

 

 世の理不尽さや、他のウマ娘にも頼らない。

 

 アタシはアタシの力で、あの天才をへし折る。

 

 そう決めた自分の心から鳴る音は、どこまでも黒く綺麗に澄んでいた。




ライバル関係っていいものですね。


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にぶトレーナー

皆様からご愛顧いただき、本作品の評価数が二百を超えました。
本当にありがとうございます!
評価の高い・低いを別にしても、評価数200と300にそれぞれ大きな壁があると思っていたので、それだけ多くのヒトに評価をしてもいい作品だと思ってもらえたことが嬉しいです。
これからも面白いと思ってもらえる内容を書いていきたいと思っていますので、引き続きよろしくお願いします。

堅苦しい話はこのくらいにして本編どうぞ。
ちなみにファル子先輩は出てきません。


 季節は春。暦は三月。まだ肌寒い日はあるものの、春の陽気を感じることも多くなってきた。

 

 そして、春はその年のGⅠ戦線が本格化する季節でもある。短距離の高松宮記念、中距離の大阪杯、長距離の天皇賞(春)に向けて、シニアの強豪たちが始動するのだ。

 

 そんな中、俺とテイオーはと言えば、あまり変わり映えのしないトレーニングの日々を送っている。

 

 大阪杯を約一月後に控え体調は万全なのだが、実力という点ではイマイチ伸びていない。菊花賞はテイオーが病み上がりで適正も未知数な状況だったことから、成長の有無を判断する決定的な要素にはならなかった。

 

 だが大阪杯は違う。距離は皐月賞と同じでテイオーが二冠を獲った中距離レースに分類される。そして、ダービーから約一年後の開催となるこのレースにおいて、俺とテイオーは判断を下されることになる。

 

 かつての強さからどれだけ成長し、己を高めたか。

 かつてのパートナーと比べてどれだけ優れ、劣っているのか。

 

 相変わらずの人気を誇るトウカイテイオーと違って、俺に対する世間の評価は下降の一途を辿っている。外野に関係性を口出しされる筋合いなどないが、あまりに雑音が多いとテイオーの気が散ってしまうのでよろしくない。

 

 レースで結果を出して周囲を黙らせるのが最善ではあるのだが……。

 

「強くなってるのかどうかが全然分からないんだよなぁ……」

 

 俺の育成能力と鑑定眼に難有りということが早速判明しました。

 というのも、年明け位までは順調に進んでいたのだ。

 筋力とスタミナ、柔軟性が戻ったことでトレーニングで出せるタイムはダービーの時と遜色ないレベルまで到達できた。

 

 しかし、そこからの伸びしろが此処二か月ほど見られない。

 例えば大阪杯の距離を走らせてみたタイムは、菊花賞後に測った値からほぼ変化なし。

 中盤の一ハロンや上がり三ハロンと区間毎に分けて数字を出しても同様だ。

 早くなるでも遅くなるでもなく、安定した数値がずっと続いている。

 菊花賞より短い距離だからか、スタミナが尽きて息があがるということもない。

 

 変わらない状況に焦りを感じ、メニューの変更や春天を意識してみるか、などと迷走しそうになっていた俺に対して、当のテイオーには現状への不満が見受けられなかった。

 

 なにか現状に対して自覚しているモノがあるのだろうか。

 そう思って尋ねてみたところ、以下の回答が返ってきた。

 

『なんかね、出力調整が難しすぎて上手くいかない感じ。上手く行かない理由が口で説明しづらいんだけどね。ごめんだけど、怪我が怖いからもう少しだけ慣らしに時間をちょうだい。大阪杯には間に合うから』

 

 どうやら感覚的に出力調整がバグっているというかド忘れしたというか、車で言うところのローギアかトップギアのベタ踏みしか選べない状態らしい。

 序盤から中盤にかけて徐々に上げていく、あるいは意図してスピードを出したり抑えたりが効かないらしく、意識せずに走ると大逃げか追い込みのような動きになってしまう。

 しかもトップギアでベタ踏みしたときの足に掛かる負荷が測りきれないらしく、今は常時ローギアで動かして少しづつギアの上げ下げを試行しているんだとか。

 

「はぁ。本当はこれ、俺が見抜いて修正方法のアドバイスをしてやる場面なんだよな」

 

 菊花賞以降、俺なりに熱意を持って本気でテイオーの育成に取り組んではいるものの、思ったように成果は出せない。

 当初はテイオーに見向きもされない程度だった俺と、二冠を獲らせたあの女の差はどうしようもなくあったという訳だ。

 

 その差を埋めるべく努力も始めた訳だが、そんな事はトレセン学園のトレーナーであれば当たり前の前提条件でしかない。

 一朝一夕で追い付けるだなんて考えてはいなかったが、大阪杯は目前なんだ。

 力及ばす何もしてあげられませんでしたじゃ、アイツのトレーナーを名乗れない。

 

 ちょっと憂鬱な気分だが、打てる手がないか模索するしかない。

 

 良い案がない訳でもないが、覚悟を決める必要がある。

 まずは手っ取り早い手段として、フクキタルの元でシラオキ教に入信して神頼みすべきかとアホなことを考えながら校舎内を歩いていると、階下でテイオーと誰かが話しているのを見つけた。

 

 スーツを着た男性ということは、学園のトレーナーだろうか。

 

 まだ声も聞こえてこない程度に距離があるが、テイオーの表情は心底嫌そうに歪められていた。まさか、マヤノの担当トレーナーと同じ嗜好をした変態予備軍だろうか。

 

 ウマ娘が本気で抵抗すれば人間が勝てる訳もないのだが、放っておくのも良い気分がしない。

 虫除けになるのもトレーナーの役目か。そう思い、階段を降りる歩調を早めた。

 

 

 「(しつこいなぁ……)」

 

 年度代表ウマ娘に選ばれ、新しい勝負服も手に入れた。心機一転、トレーナーと一緒にシニア級を戦っていこうとやる気が漲っているのだが、最近は水を差されることが多い。

 

 ボクの目の前で今後の育成方針やレース計画を熱弁しているのは、トレセン学園でも優れた経歴を持っているベテランのトレーナーだ。

 別に今日に限ったことじゃない。ここ最近、ベテランや中堅、若手といった区別なく、トレーナーが居ない時を見計らって引き抜きを掛けられるようになった。

 菊花賞も終わり、ボクの怪我が完治して精神的にも安定して見えたことで、及び腰だった連中が動き出したということなんだろう。

 

 やれ『自分の方が君を成長させられる』だの『今後のレースで勝ちたいならあの男とは縁を切るべきだ』だの、見当違いなスカウト文句には辟易させられる。

 トレーナーとしての実力なんてどうだっていいんだ。一番辛い時に、大切な時に傍に居てくれたからこそ、ボクはあのヒトに自分を託していいと思っている。

 それを盲信と謗る奴だっているだろう。だが、都合の良い時にだけすり寄ってくる連中とどれほどの違いがあるというのか。

 

 白けた視線を向けていることにも気づかず、一方的に捲くし立てられることも鬱陶しいのだが、コイツらに共通するどうしても許せないことがある。

 

「あのクズの元に居ては君も一緒に腐ってしまう。私でなくてもいい。別のトレーナーの元に行けば、君は以前の輝きを取り戻せる」

 

 これだ。先輩たちの親しみと敬意を込めた呼称とは違う。

 

 ボクを救い上げてくれたヒトの事をクズと呼ぶコイツらに、ドス黒い感情を向けてしまうことをどうしても我慢できない。

 

 ボクの機嫌が最悪だということに、やっと目の前の鈍い人間も気付いたようだ。

 

「私は君のことを想って言っているんだ! 他の者達のスカウトも断っているようだが、それは決して君のためにならない」

 

 それでも引かずに自身の意思を唱えたのはトレーナーとしての矜持か、ボクを想うが故か。

 そのどこまでも掛け違っている言葉を拒絶しようと口を開きかけたとき――。

 

「質の悪いナンパはそこまでにしてくれねーかな」

 

 後ろから、聞き慣れた声が掛かった。

 

 

 早足に近づいていくと、話している内容も聞こえ始めてきた。どうやら変態予備軍ではなく、ただのスカウトだったようで一安心。

 

 そう思っていたのだが、なぜかテイオーの機嫌が滅茶苦茶悪い。負のオーラが立ち昇っているし、拳を強く握りしめている。聞こえてきた限りでは変なスカウト内容ではなさそうだったが、癪に障ることでも言われたのだろうか。

 

 なんにしても、アイツが不快な思いをしているのならギルティである。お引き取り願おう。

 

「質の悪いナンパはそこまでにしてくれねーかな」

 

 テイオーの後ろに立って告げると、負のオーラを霧散させたテイオーがこちらを見上げてきた。一度だけ目を合わせてから、遮るように二人の間に体を割り込ませる。

 

「お前は……。ナンパなどとふざけた物言いをして! 何時までもウマ娘たちを好きなように食い物にできると思うなよ!」

 

 そう唾を吐きながら勢いよく話す男に向けて手をパタパタと振る。汚いからもう少し勢いを抑えて欲しい。

 

「お盛んなとこ悪いが、コイツはこれから俺とデート(トレーニング)をする約束があってね。お邪魔虫にはお引き取り願いたいんだ。ほら、人の恋路を邪魔するとウマ娘に蹴られるって言うだろ?」

 

 おちゃらけた態度を崩さずに言うと、男は顔を真っ赤にして言い放った。

 

「そのような軽い気持ちだから、この娘に菊花賞であのような負け方をさせてしまうんだ! 自分がどれだけ浅はかな行為をしたか分かっているのか!」

 

 うーん、まことに正論である。俺もこれじゃ良くないなって思い、態度を改めているところだ。しかし、如何せん才能が不足していてキャパシティが乏しい。真面目になれるのはテイオーに対しての態度だけで限界なのである。

 

 だから申し訳ないのだが、何時もどおりの対応でお帰り願おう。

 

「外野がぐちゃぐちゃと喧しいんだよ。俺とコイツの関係に他人が口出しをするな。心配しなくても、あの時にトウカイテイオーをスカウトしていればと、一生後悔するくらいの結果を叩きだしてやるよ」 

 

 ドヤ顔で宣言すると、男は更に憤慨する様子を見せ、捨て台詞を吐いて去って行った。

 

「結果を出せない無能に、何時までも居場所があると思うなよ」

 

 居場所か……。

 温泉宿の丁稚と運ちゃんのアシスタント、格闘家のセコンドだと一番楽に稼げるのってどれになるのだろうか。

 転がり込む先は考えておいたほうが良いのかもしれないな。

 

 そう思いながら後ろのテイオーに向き直ると、こっちも顔を真っ赤にしていた。

 なんか負のオーラの代わりに湯気が立ち昇っている。

 

 どうしたんだろうか。もしかして風邪か?

 

 

「お盛んなとこ悪いが、コイツはこれから俺とデートをする約束があってな。お邪魔虫にはお引き取り願いたいんだ。ほら、人の恋路を邪魔するとウマ娘に蹴られるって言うだろ?」

 

 声が聞こえた時点でドス黒い感情は消えていたのだが、次いでトレーナーが放った言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。

 そして溢れてくる、処理できない情報と感情の洪水。

 

 デート。……デートと言ったか?

 それはあれか。恋人同士が一緒に遊んだり寛いだり、共に時間を過ごすアレか。

 人の恋路とは誰と誰のことか。

 ボクとトレーナーか?

 いったい何時の間にそんな関係性に?

 いや別にダメってことはないんだけどね?

 踏むべきステップってあるじゃん、テイオーステップじゃん?(意味不明)

 いやしかし、ボクとトレーナーは担当ウマ娘と担当トレーナーで、ウマ娘とトレーナーは一心同体だから、そういうことなのか(メジロ並感)

 

 頭の中をグルグルと回る情報の処理はまるで完結せず、次の行動に移れない。

 そこに、畳みかけるように追撃が行われた。

 

「外野がぐちゃぐちゃと喧しいんだよ。俺とコイツの関係に他人が口出しをするな。心配しなくても、あの時にトウカイテイオーをスカウトしていればと、一生後悔するくらいの結果を叩きだしてやるよ」

 

 俺とコイツの関係ってなにさ?

 前後の文脈からすると、やっぱり恋人か? 

 恋人同士だったのかボクたちは?

 

 なんの行動もできずノーガード状態のボクは、軽く小突くだけで倒れてしまう程に無防備を晒していた。

 

「おい、テイオー。どうしたんだ? 顔が真っ赤だが風邪か?」

 

 顔を真っ赤になんてしてないし、いきなり恋人宣言されて舞い上がったりもしてないからね。

 

「べ、べべべ別になんでもないにょ。いやー、もう春だね。アッツいなー」

 

 手で顔を扇ぎながら完璧な誤魔化しを敢行する。

 これで体面は取り繕えただろう。

 

「……? まぁ、体の具合が悪いんじゃなければ構わんが」

 

 ちょっと脳みそが沸騰して心臓がぴょんぴょんしてるけど、全然平気かなっ!

 

「そ、それよりトレーナー、今日デートの予定なんてあったっけ?」

 

 今日どころか、今までもこれからも入ったりしないはずの予定だったが、気付かない内にボクたちの関係性には大きな変化があったのかもしれない。

 

「あ? あー、そうだな。最近はトレーニング漬けだったし、偶には息抜きするもの大事だよな。ぱーっと遊びに行くか」

 

 あ、あれぇー。やっぱりボクの勘違いじゃなくて今日はデートの予定だったの? 

 

「そ、その、なにぶんデートというのは初めてなものでして。お手柔らかにお願いしましゅ……」

 

 一体、自分は何を言っているのだろうか。

 初めてだからお手柔らかにって、慣れてきたら手荒でもいいってことになっちゃうじゃん。

 

 たぶん、なにか盛大な勘違いをしているんだという気もする。

 けれど、嫌な気は全然しないから詳しくなんて聞かない。

 

 デートでボクをどこに連れて行ってくれるのか、楽しませてもらうことにしよう。




クズにぶトレーナー
「わざわざデートなんて比喩表現にツッコミしてくるなんて、コイツも遊びたいって思ってたんだな。折角だし、俺のお遊びフルコースでもてなしてやるか!(R〇UND1)」

にぶくないトレーナーはトレセン採用試験で落ちる(偏見)


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強襲Ⅳ

まさかのクズによる強襲回です。
明日以降は毎日更新ではなくなります。


 トウカイテイオーはダービーの時と比べて強くなったのか?

 菊花賞以降、幾度となく取り沙汰される議題の答えは今のところ出ていない。

 

 日本ダービーはトゥインクル・シリーズにおいて最も重要なレースと言っても過言ではないし、事実そう捉えて挑むウマ娘も多い。

 ここで終わってもいい、だからありったけを……。

 そんな破滅的な考えを持つ者すら、居ない訳ではないのだ。

 

 もちろん、トウカイテイオーはそこが己の終着点だとは露ほども考えていなかったし、一般的にはシニア級も見据えたトゥインクル・シリーズのキャリアとして、前半と言ったところだろう。

 

 ウマ娘として本格化していても、心身の成長曲線が描く頂点として日本ダービーは早すぎる。

 ならば、ダービーで見せた圧巻の走りすら途上。彼女の至るスピードの極限はさらに先にある。

 

 世間がそのように無責任な期待をするのは道理であり、期待に応えられなかったとき原因を糾弾することもまた、彼らの主観からすれば当然の権利なのである。

 

「問題は俺だけに留まらずテイオーにまで飛び火しないかだよな。成長という意味でも、レースに蟠りなしで挑むという意味でも、GⅠで一勝が欲しい」

 

 しかし、大阪杯だけに囚われてしまうのも良くない。その次は春の天皇賞だ。何の対策もなしに挑めば、それこそ菊花賞よりも酷い結果になるだろう。

 

 手を打ちたいところであるが、能力不足気味の俺の中で最も経験値が薄いのが長距離レースだ。

 長距離レースって只でさえ少ないのに、重賞以外で絞るとほぼないんだよな。

 

 長距離のノウハウ、テイオーの脚質である先行のノウハウ。

 どちらも俺には足りていない。

 スタミナが最重要なのだから、今の時点から春天を走り切ることを考えたメニューにはする。

 

 だが、脚の負担はどう見積もればいい。

 仕掛けどころのタイミングを測る練習は流石に大阪杯が終わるまでは待つか。

 そもそも作戦はどうする。あの無尽蔵のスタミナで昨年の春天を事もなげに走り切ったメジロマックイーンを相手に、正攻法で挑むのは正解なのか?

 

 テイオーの幅広い才能がトレーニングや採れる作戦の自由度にも繋がっているんだが、俺が全く扱いきれてない。

 

「なんて泣き言はいってられないな。全部アイツのために使うって決めたが、それはアイツを理由に時間を無駄にしていい事にはならねえ」

 

 ならば、どうするか。分かる奴に聞くしかあるまい。

 俺よりもトウカイテイオーのことに詳しい奴がこの学園にはいる。

 俺よりも遥かに真剣に、長い時間をテイオーに注いでいた奴だ。

 

 頼み辛さという意味でも最上位なのだが、躊躇している場合ではない。

 プライドも、アイツのためにならいくらでも使い潰すと決めたんだから。

 

 

 

 

 そうしてやってきました。あの女のトレーナー室。

 

 全く親しくないし、むしろ不倶戴天の仇と思われているだろう。

 だからこそ、誠意を見せる必要がある。

 

 伸ばした指先をしっかりと揃え、合わせながら上体を前に倒していく。

 背筋はぴしっとまっすぐに、丸めるのではなく背筋も使いながらだ。

 上体を倒し切ったとき、額を床に擦り付けるような真似はしない。水平を維持。

 畳んだ膝が崩れないよう注意しながら姿勢を固定し、一連の動作を完了させ用件を伝えた。

 

「テイオーの育成について、相談させてください」

 

 座礼『下座・最敬礼』。

 

 音だけ口にだすと超カッコイイ必殺技のように聞こえなくもないが、つまるところ土のある場所以外で行う土下座のことである。

 

「どういう、つもり……」

 

 なんとか絞りだしたような声には、複雑な感情が込められているのがありありと感じられた。

 床しか見えないから表情がどうなっているかは分からないが、すさまじく歪められていることは想像に難くない。

 

 果たして逆の立場だったなら、俺はどう対応しただろうな。頭を踏み付けられるくらいのことはされるかも。

 

 そんなことを考えていると、もう一度同じことを問いかけられた。

 

「答えなさい。どういうつもり。ああ、しっかりと考えてから口に出しなさいよ。私はいま、冷静さを欠こうとしているわ」

 

 ……踏み付けられる程度じゃ済まないかもしれん。

 

「テイオーと話し合って、春は大阪杯と天皇賞に出ると決めた。大阪杯はともかく、俺じゃ天皇賞に対して碌なアドバイスも適正なトレーニングもしてやれない。だから、それが出来るお前に教えてもらいたくて来た」

 

 ギリッっと歯を軋ませる音がこちらまで届いてきた。相当にご立腹らしい。

 

「なら、あの子を手放しなさい。あなたに教えられないことを知っているトレーナーがここには大勢いるわ。その嘘くさい態度が本物だというのなら、本気であの子のことを想っているというのなら、あなた以外に任せる。それが最善よ」

 

 なるほど、仰る通りだ。

 今ならテイオーのトレーナーを引き継ぎたいと申し出る奴はいくらでも出てくるだろう。

 選り取り見取りだ。

 きっと、テイオーにとって俺とは比べ物にならない良縁も転がっているのだろう。

 それでも、俺の答えは決まっている。

 

「やだ。トウカイテイオーのトレーナーは俺だ」

 

 どれだけ力及ばずとも、それだけは譲れないのだ。

 

「……っ! 我儘なものね。そんなにあの子の才能が惜しいのかしら」

 

 ああ、そうだ。俺に熱を持たせてくれたアイツの事がどうしても惜しい。

 

「アイツが負けるところはもう見たくない。だが、同じくらいに俺以外の奴と一緒に勝ってるアイツも見たくない。俺がアイツを勝たせてやりたいんだ。この役目を他の連中に渡したくない」

 

 隠したってしょうがない。俺はもう、自分の至らなさを理由に目を背けることはやめたんだ。

 

「金銭目的で近づいた寄生虫があの子に何かを与えられるだなんて、驕りがすぎるわ。重荷か邪魔にしかならない」

 

「そうならないための今だ」

 

 苦しい理由だってのは分かっている。調子が良すぎるのも事実だ。

 それでも、アイツに与えられる最善をいま持っているのは、たぶん目の前のコイツだけなんだ。

 

 問答に納得したのか、腹を据えかねたのか。

 こちらにコツコツと靴を鳴らして近づいてくる音がした。

 

 次いで感じたのは、後頭部と額への衝撃。

 

「けじめよ。黙って踏まれてなさい」

 

 おい、マジで踏むのかよ。ドラマじゃないんだぞ。どんだけサディストなんだこの女。

 

「勘違いしないでちょうだい。これは私へのけじめ。あなたじゃないわ」

 

 意味が分かんないんですけど。それでなんで俺が踏まれなきゃいけないの?

 

「私はもうトウカイテイオーのトレーナーはしないと決めた。してはいけないと自分に課したわ。それでも、もしかしたらという願いと欲を断ち切れないの。だからよ」

 

「すまん。聞いてもさっぱり分からんのだが。お前の趣味以外になんの意味があるんだ」

 

 あと、そろそろ足を退けてくれないだろうか。おい、グリグリするんじゃねーよ。まだ本番じゃなかったのかよ。

 

「私が趣味で男に触れようとする訳ないでしょ。なんで男の穢らわしい頭で靴を汚さなきゃいけないのよ」

 

 嘘でしょ。コイツ、素で自分の靴の裏より俺の頭のほうが汚いって言ってんの?

 この学園の試験、絶対に人間性の測り方を間違えてるだろ。

 

「私は間違えた。けれど、あの子のためを思っての行動だったのも本当。だから、過去の失敗だけじゃ諦めきれなかった。けれど、これでもう本当に資格はなくなったわ。あの子の未来のために頭を下げに来た相手を踏み付けるような女が、担当なんてして良い訳がない」

 

 ……それはなんというか、随分と屈折した納得のさせ方だな。

 

「まぁ、私からあの子を奪った男がどの面下げてって思いもあるから、八割くらいは憂さ晴らしだけど」

 

 ほぼ私欲じゃねーか!コイツかなりやべー女だぞ!

 

 あんまりすぎる言い分に戦慄していると、頭から足が退かされた。

 やっと頭を上げられる。そう思って上体を起こそうとするとストップが掛かった。

 

「なに顔を上げようとしてるのよ。私がいいと言うまでは下げて這いつくばってなさい」

 

 やばい。全然覚悟が不足してたわ。みんな、浅い考えで下座なんてしちゃいけないよ?

 

 微妙に後悔しつつ現実逃避していると、ゴソゴソと何かを探す音を出していた女が俺の前に戻ってきた。

 

 もしかしてこれから鞭とか使った二回戦が始まったりするんだろうか……。

 

「読むのは自宅に帰ってから。途中であの子には絶対に見つからないようにしなさい。それと、丸パクリもやめて。たぶん気付かれるから」

 

 バサリと、自分の前に落とされたのは厚みのあるファイルだった。

 

「これは?」

 

 薄々予想はできるのだが、この短時間で出てくるのはどういうことだ。見越して準備していたなんてあり得ないだろ。

 

「未練よ」

 

 万感の思いが込められているだろうその声は、少しだけ震えていた。

 

「もしも、あの子とクラシックを戦い抜いていたなら。そしてシニア級に乗り込んだなら。いつの日か、"絶対"に挑み超えてみせるのなら。そういう、もしもの未練」

 

「ダービーの時点でそこまでのプランを練っていたと?」

 

 大枠の予定ならともかく、この厚みはそれで収まるようにも思えない。

 

「いいえ、練っていたのはつい最近までよ。言ったでしょう。未練だと。それをいま断ったわ」

 

 ああ、そういうことか。

 コイツも、テイオーのことを考えないようにするための切っ掛けが欲しかったのか。

 自分と、なによりもテイオーのために。

 

「女々しい未練の産物がそれよ。具体的には今後三年を見据えているわ。それが、私がシンボリルドルフに勝つのに要すると考えた時間。適当に焚書して断ち切ろうと思っていたけれど、強盗にでも入られたと納得することにするわ」

 

 ファイルを手に取る。

 

 ずしりと感じる重みは、紙束の重量によるものだけではない気がした。

 これが担当ウマ娘を育成するという覚悟なのだとしたら、やはり俺はまだまだ足りていない。

 

 反りの合わない女だと思っていたが、こういうとこは尊敬するぜ。

 ちゃんと礼をしないとな。そう思い立ち上がろうとして。

 

「だから、私がいいと言うまで顔を上げるなと言っているでしょう。鳥頭なのかしら?」

 

 ええ……。まだ続けないといけないの?足が痺れてきたんだけど。

 

「ねぇ、あの子ちゃんとご飯食べられてる?」

 

「ああ、バクバク食ってるよ。体は全然デカくならねーけどな」

 

「そう。勉強も疎かにしてないかしら。あなたを見てると心底心配だわ」

 

「やる気はないみたいだが、地頭と要領がいいんだろうな。成績上位だよ」

 

「そう。あなたに感化されて悪い遊びを覚えたりしてないかしら。私たちは、思っている以上にウマ娘たちから見られているわよ?」

 

「色々教えたが、人の道を踏み外すようなことはさせねーよ。一緒にGⅠ獲るって決めたから、最近はカラオケとか外食ついでに軽く遊ぶくらいだ」

 

「そう。……ダメね。いくらでも聞きたいことがあって、終わりそうにないわ。もういいから、さっさと出ていきなさい」

 

 顔を上げてみると、近くで俺を見下ろしているんだと思っていた女は執務机の後ろにある窓の縁に手を掛けて外を眺めていた。

 部屋に入って俺が頭を下げてから、一度たりともコイツの表情を見てないな。

 

「ありがとな。生憎と釣り合うようなお礼の持ち合わせはないが」

 

「いらないわよ。精々、それを使ったのに見合う結果を出しなさい。あの子を悲しませるような事になったら殺すわよ」

 

 ……冗談だとは思うが、肝に銘じておこう。

 

「アイツの近況、時々伝えにこようか?」

 

 同じ学園には居るが、明らかにお互いが避け合っている。まともに顔を合わせた機会すらなさそうだ。

 

「いらない……。いえ時々で、本当に時々でいいから、教えてちょうだい。綺麗さっぱりとは忘れられそうにないわ」

 

 よく見ると、縁に掛けた手は強く力が込められていた。

 もしかしてコイツ、泣いてるんだろうか。

 

「わかった。それとテイオーのこと名前で呼べよ。無理してあの子だなんて呼ぶ必要ないだろ」

 

 コイツは結局、一度もテイオーの名前を口に出さなかった。これもけじめの一部なのだろう。

 クソ真面目というか、いじらしいというか。

 

「うるさいわね。私は能天気なあなたと違って折り合いをつけるのに時間をかけるタイプなのよ」

 

 さようでございますか。

 

「近況報告はどうする。学園内で会うのもマズいしメールとかでいいか?」

 

「履歴が残るものは危険よ。私もそのファイルの元データは後で削除しておくわ。そうね、寮の門限以降にバーでも行きましょうか。おハナさんの行きつけだから、情報漏洩とかは気にしなくてもいいわ」

 

 俺、あんま酒に強くないんだけどな。

 

 さて、話すことは話した。収穫も大いにあった。

 そろそろ授業が終わる頃だし、退散すべきだろう。

 そう思い部屋を出ようと背を向けたとき、ポツリと声が聞こえた。

 

「応援しているわ。頑張って」

 

 もちろん、俺に言ったのではないことは分かった。

 

 ま、トウカイテイオーを応援している奴なんて腐るほど居る。

 その内の一人の言葉として伝えてやりゃあいいか。




トレーナーはアイテム『㊙クズでもわかる帝王学』を獲得した
「スピード」のトレーニングLvが2上がった
「スタミナ」のトレーニングLvが2上がった
「パワー」のトレーニングLvが2上がった
「根性」のトレーニングLvが2上がった
「賢さ」のトレーニングLvが2上がった
スピードが50上がった
スタミナが50上がった
パワーが50上がった
根性が50上がった
賢さが50上がった
スキルPtが200上がった
「一陣の風」のヒントLvが3上がった
女トレーナーの絆ゲージが5上がった
女トレーナーとお出かけできるようになった


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大阪杯

デジたんの一番好きなポイントはお辞儀のモーションです。


「今すぐ、部屋から出ていって」

 

 男性が女性からこの言葉を言われるシチュエーションってどういう時だと思う?

 

 え、ラブコメで女の着替えを覗いてしまったときだって?惜しいな。

 正解はもう間もなく大阪杯が始まろうかという最中、担当ウマ娘の控え室を訪れたトレーナーに向けて放たれた言葉である。

 

 ……俺、なにか怒らせるようなことをやってしまったのだろうか。

 

「もしかして、昨日のハンバーグ屋でデザートを頼ませなかったからか? 我慢させたのは悪かったが、レース前日にあまり食べすぎるのもな」

 

 俺たちにとって、重要な意味を持つ大切な復帰戦だ。より万全な状態にしたいと思っての判断だったが、かえって余計なストレスを溜めさせてしまったのかもしれない。

 今までは軽い気持ちで雑に対応していたが、こういうウマ娘の心と体のバランスを整えるための最善をどう判断するかも今後の課題だな。

 

「ちがうよ!? そんな子供みたいなことで機嫌悪くしないし、見て分かるでしょ! ボクはまだ制服なの。これから着替えるから出て行ってほしいの!」

 

 そう吠えるテイオーは確かに学園の制服のままだった。今から着替えてると本当にギリギリだし、もう顔を合わせる時間取れないんじゃないだろうか。

 

「前から気になってたんだが、なんでそんなに新しい勝負服を見せたがらないんだよ。隠すことないだろ」

 

 一月の受賞から大阪杯まで日があったにも関わらず、俺は一度も新しい勝負服に身を包んだテイオーを見ていなかった。

 レース前に何度かは着た状態で走ってみたほうがいいだろうと言ったのだが、断固として拒否された。

 

 俺はへっぽこトレーナーだからウマ娘育成におけるトレセン常識とか詳しくないんだけど、担当トレーナーに勝負服を見せたがらない理由ってなにが考えられるんだろうか。

 

 恥ずかしい……これから何万人という観客に見られるんだからないだろう。

 サプライズ……レースへの準備より優先することじゃないと思う。

 験担ぎ……聞いた事ないなぁ。

 

「どうせならカッコ良いお披露目にしたいなって。新しい勝負服を着たボクは強いんだって印象をトレーナーにも持ってもらいたいんだ。だから、もう少しだけ我慢してよ」

 

「お前がそう言うなら無理強いはしないけど、俺はトウカイテイオーが弱いと思った事なんて一度もないぞ。リハビリ中も菊花賞も、お前はずっと強かったよ」

 

 勝負服が気にならないと言えば嘘になるが、俺の言葉を聞いてなんだか嬉しそうにしているテイオーを見て、緊張や気負いはなさそうだと安堵する。

 

 まぁ、ここまで来たんだ。お披露目を大人しく待っていることにしよう。

 

 ……一応は監督義務もあるんだが、目ん玉飛び出るようなデザインの衣装だったらどうしよう。

 いや、最初の勝負服はルドルフを意識したのもあるだろうが、キチッとした服だったしセンスは問題ないだろう。

 きっと、まともなデザインになっているはずだ。

 

「なら、俺はそろそろ応援席に行くぞ。他になにか気になっていることはあるか?」

 

 実を言うと、俺のほうは気になっていることが沢山あったりする。

 結局、今日までにテイオーが本気で走ったのは、少なくとも俺の前では一度きり。

 その時のタイムをどう判断すればいいのか、俺には明確な回答がなかった。

 心身の不調はないはずだ。ならば、今日のトウカイテイオーこそが本当なのだと考えてもいいんだろうか。

 

「そうだねー。常識的なレース展開なら特に問題ないかな。奇策で大逃げとかされると、ちょっと困っちゃうかも」

 

 常識的な逃げはともかく、大逃げは確かにマズいな。

 テイオーのギア上げ下げ問題はまだ完全に解決していない。

 先頭集団がある程度団子になってくれていればいいんだが、大逃げされると付いて行こうとしてペースが乱れる可能性がある。

 距離二千だから、そうなってもスタミナが足りないってことにはならないと思うが。

 

「それでもやりようはあるよ。困るっていうのも対応できないんじゃなくて、どの対応にしようか決めかねてるだけだからね」

 

 無視して自分のペースを維持するのか、付いて行くのか。

 コイツはレースや勝負の勘所にも天性のモノを持っている。

 怪我以降の出走が菊花賞しかなく一番鈍ってる部分ではあるが、信じるしかないな。

 

「ああそれと、強くて勝てることも大事だが久しぶりのレースなんだ。楽しんでこいよ」

 

 今まで考えたことなかったんだが、仮にレースに勝ったのに楽しくなさそうな面をされた場合、やっぱり俺も楽しくないと思う。

 楽しく走って勝ってもらう。なんともまあ贅沢なことを言っているが、目標は大きいほうがやりがいもあるってな。

 

「うんっ! 本当はね、今すぐに走りたくってウズウズしてるんだ! 期待しててよね!」

 

 そう言って両手でガッツポーズするテイオーを見ていると、なにも心配はいらなそうだ。

 

 応援席でアタフタしてると周りの連中に舐められかねないからな。

 この部屋を出たら、ドンと構えて自信満々そうにしとくか。

 

 そう考えて控室を出て扉を閉めたとき、『やっぱり、胸元の布面積切り詰めすぎたかな……』という声が聞こえた気がしたが、たぶん聞き間違いだろうな。

 

 

 

 ターフに立ち、鳴り響く歓声を聞くと戻ってきたんだなという実感が湧いてきた。

 

 菊花賞は正直それどころじゃなくって、今になって思い返すと全然余裕がなかった。

 

 どちらにしろあの時点の実力じゃ勝つことは難しかったと思うけど、冷静に走れていれば入着くらいまでは持って行けたかもしれない。

 

 菊花賞五着でも賞金は一千万円だ。これがあればトレーナーともっと色々遊べたのになぁ。

 なんてお金への未練がタラタラな辺り、ボクも随分と変えられてしまったなって思う。

 全然嫌じゃないんだけどね。

 

「さてと。トレーナーにああ言った手前、無様は晒せないよね」

 

 最後に勝ったのが昨年のダービー。それから十ヶ月の間、勝ちがない。

 そんなウマ娘はいくらでもいるが、ボクにとって敗北してからのレースも長期間勝ちがないまま迎えるレースも初めての経験だ。

 

「皆、強いんだな」

 

 本人たちに言ったら嫌味にしかならないが、負けてからのレースがこれほど怖いものだとは思いもしなかった。

 けれど一着になれるのが一人である以上、大多数のウマ娘は今の自分と同じ心境でレースに臨んでいるはずだ。

 

 また負けたらどうしよう。

 もうあの頃の強さには戻れないと分かってしまったらどうしよう。

 支えてくれるヒト達の期待を裏切ってしまったらどうしよう。

 

 栄光と同等の挫折がレースにあることを、ボクはよく知っている。

 

 誰も彼もが、その恐怖に打ち勝ってターフに立っている。

 尊敬するし、すごいなって思う。

 以前の自分だったら、勝ちたいって想いから逃げちゃったかもしれない。

 

 けれど、そうはならなかった。

 ボクを救い上げてくれたヒトは、敗北の後も隣にあり続けてくれた。

 

 きっとあのヒトは、ボクがどれほどの感謝をしているのか分かってくれていない。

 ボクがどれほどに恩を感じていて、返してあげたいと思っているのか理解していない。

 分かってくれだなんて図々しすぎるから、言うつもりはないけど。

 

 言葉で伝えられないのなら、行動で示すしかない。

 

「だから、ごめんね」

 

 ゲートに入り、スタートのために腰を落として脚に力を込める。

 

 自分の内から湧き上がる力がマグマのように煮えたぎり、噴火しそうになっているのが分かる。

 

 なんとか抑えているが、脚に込めた力は爆発寸前で、今にもターフを踏み砕いてしまいそうだ。

 

 ボクは、まだまだあのヒトと一緒に走っていきたい。

 

 けどね、それを邪魔するモノがこの世にはあるんだ。

 

 負けてしまえば、その邪魔者たちはもっと調子づいてしまう。

 

 どうしても、勝たなきゃいけないんだ。

 

 それにそんなつもりはないのだとしても、ボクと同じレースに出るってことは、君たちこそが最も直接的な邪魔者だと言えなくもないよね。

 

 だからね、容赦はしないよ。

 

 勝つ。

 

 鮮烈に、圧倒的に、破壊的に。

 

 この世の誰一人として、ボクの邪魔をしようだなんて気を起させないように。

 

 ――――そうして、ゲートは開いた。

 

 

 

 

 トウカイテイオーはともかく、クズと揶揄されるトレーナーには欠片も自覚はなかった。

 

 『皆のために頂点として』規範を示すことを己に課したシンボリルドルフ。

 『支えてくれるヒトのために一人のウマ娘として』走ることを決めたトウカイテイオー。

 それは、目指した"皇帝"と比較すれば随分とこじんまりとした決意。

 

 だが、願いが大きければ強いなどと言う道理はない。

 

 三冠に手を掛けた天才は、挫折の果てに己が力の使い方を見定めた。

 ここではない世界で、何者にも為し得ないだろう奇跡を起こした魂は全く別の道を辿り『誰かのために走る』という同じ答えを示した。

 

 ウマ娘は機械ではない。

 ヒトと同じ知性と感情を持っている。肉体のトレーニングだけでなく、心を持つ生き物としての理解とサポートがいくらでも能力を底上げする。

 

 例え指導する側が成長を実感できずとも、未熟であるが故に可能性に溢れた子供たちの精神はたった一事で激変し、肉体にも影響を与える。

 

 天賦の才を誰憚ることもなく使い熟せることも成長であり、それを成せる精神性を育むこともまた、指導なのだ。

 

 今以て、自分には覚悟も実力も伴なっていないと考えているクズは、ある意味で最もトレーナーという職の神聖性に囚われていると言えた。

 

 指導者として手本にされても恥ずかしくない人間性。

 悩みや疑問に正しく即答できる、プロの育成者としての知識と経験。

 世間の悪意や理不尽に晒されかねない子供を守る、大人としての責任感。

 

 本気になると決め、以前の己があまりに至らなかった故に、そんな行き過ぎた存在になることがトウカイテイオーの隣に立つ条件だと思ってしまっていた。

 

 そんな人間など、世界を見渡してもそうそう居るものではないというのに。

 

 このトレーナーが、己こそトウカイテイオーに相応しいのだと自任できる日はまだ来ない。

 

 それでも、走れば結果は出る。

 

 結果によって判断される。

 

 トウカイテイオーの隣に立っているのは、誰なのかということを。

 

 この日、蹂躙と呼ぶに相応しい大差をつけて阪神レース場に"帝王"が君臨した。

 

 

 

 

『現在、先頭はイクノディクタス。イクノディクタスが逃げる!』

 

 イクノディクタスが逃げ、か。

 

 出走しているウマ娘の数が少ないからか、元からそういう想定でいた娘が多いのか、逃げウマ娘が居るにしては集団としてまとまっている。

 

 望むところな展開ではあるのだが、正直に言うとちょっと困っていた。

 

「(これ、どこでスパート掛ければいいんだろ……)」

 

 有り余る力を使うタイミングを本番になっても図りかねていた。

 脚を溜めすぎだし、スタミナも余り過ぎて使いきれる気がしない。

 

 けれど、まだ残り距離八百もある。

 

 いまラストスパートを掛けても普通に走り切れる、と思ってはいるのだが……。

 

「(さすがに早すぎる? けど、これ以上待っても最高速まで上がり切らないし……)」

 

 初っ端から全力全開で走ろうと思っていたが、よく考えるとボクのスタイルは逃げじゃない。

 

 仕方ないので何時も通りに2、3番手に付けて最終コーナーから抜くことにしたのだが、物凄くじれったい。

 

 こんな事なら短距離の高松宮記念にしておけば良かったかも。

 そう思うくらいに、このままでは溜めた力の使いどころがないまま勝ってしまう。

 

「(ええい、ままよ……!)」

 

 トレーナーも楽しんでこいって言ってたんだ。お行儀よくセオリーに従う必要もあるまい。

 

 むしろ、そっちの方が今のボク達らしいかと考えを改めてスパート態勢に入ったとき。

 

 ふと、会長ならここで我慢して確実に勝つ走りをするんだろうなと思った。

 

 そうしてそのイメージを、かつて目指した憧れを振り切るために、今の自分に出せる全てを脚に込めてターフを踏み抜いた。

 

 

 

『レースは第四コーナーを超え、最終直線へ! 先頭はトウカイテイオー! すでに二番手とは四バ身差!』

 

 やだ、うちのウマ娘強すぎ。それが素直な感想だった。

 

『トウカイテイオー、脚色は全く衰えない! それどころかさらに速度を上げ、グングンと後続を突き放す! 驚異的な末脚です!』

 

 既にレースで結果を出している中距離とは言え、シニア級初戦でここまで他を圧倒するのか。

 

 息一つ荒げす、まだまだ余裕と言った感じの表情。

 スパートを掛けた途端、一気に先頭に躍り出る驚異的な加速。

 それでいて、まだ最高速に到達していないのか上り続けていくスピード。

 

 残り距離百。

 

 結局、最後まで後続との距離は開き続けるだけでレースは終わりを迎えた。

 

『残り距離百メートル! しかし、その差はもう何バ身だ! 文句なし、余裕でゴールインだぁ!』

 

 大差でゴールしたテイオーの顔には汗一つ見受けられず、どれほどの余力を残してしまったのか、見当が付かない。

 

 そう、GⅠですら余力がある、ではなく余力を残してしまった、だ。

 

 それはつまり、効率ではなく最速を目指していたレースとしては完全に展開をミスったということであり、逆にしっかりとスタミナ管理さえできれば、より長い距離のレースであっても十二分に走れることの証左だ。

 

「なにはともあれ、これで一勝か……」

 

 懸念事項だった出力調整の大雑把さに起因するレース展開の失敗は現実となった。

 

 それでも圧勝するほどの力をテイオーが持っていてくれた嬉しさ、気付く奴は気付くだろうから、次からは付け入られる隙になるなという心配。悲喜こもごもと言ったところか。

 

 ――すまん、嘘ついたわ。

 正直に言うと圧倒的に歓喜のほうが上回っている。奇声をあげながらこの場で転げ回りたいくらいに嬉しい。

 

 だが俺はトウカイテイオーのトレーナー。

 たぶん、クールで厳かなダンディズムとかを求められる気がするから、澄まし顔で勝ったことが当然のようにウンウンと頷くだけに留める。

 

 割と近くでレースを見ていたメジロマックイーンとスピカのトレーナーが『絶対、この異常さを理解してねーだろ』と呆れているような気がしたが無視だ。

 

 しかし、この嬉しさを一旦脇に置いておかねばならないほどの違和感が一つ。

 

「微妙に唇の端が上がってるから嬉しいのを隠してるだけだとは思うんだが、なんであんな態度なんだ? カッコつけてるだけか?」

 

 完全に自分のことを棚上げしているが、テイオーの様子がどうにも変だ。

 

 ガッツポーズもなければ、客席に向けて手を振っている訳でもない。他のウマ娘と健闘を称え合うでもなければ、特に怪我や不調もあるように見えない。

 

 薄い、ともすれば真顔に見えかねないほどに薄い微笑を浮かべて、テイオーは客席を見ていた。

 

 

 

 このとき阪神レース場に詰めかけた者たちの中で、トウカイテイオーのトレーナーだけが気付いていなかった。

 

 鈍感クズ野郎だからか、それとも彼だけがトウカイテイオーにとって対象外だったからか。

 

 レースは終わった。

 

 誰が強者で、誰が上位者か。

 

 野生の肉食動物の雄が群れのリーダーを争うが如き闘争に決着が付き、序列は確定した。

 

 トウカイテイオーは己に挑み敗れた者たちを見下している訳ではない。

 むしろ、勇敢にも戦い抜いた心の強さに敬意を持っている。

 

 だが、それ以上に優先すべきことがある。

 

 戦いに挑む勇者たちの心意気や良し。

 

 しかし、それを周りから見てピーチクパーチク囀っているだけの連中と、今日の結果を見てまだ己を阻もうとする愚者に対しては宣言しておかねばならない。

 

 一切の例外はないと。

 

 憧れ(ルドルフ)も、友情(ネイチャ)も、春天覇者(マックイーン)も、己の前に立ちはだかる全てを等しく叩き潰すと。

 

 もう、夢は掲げない。

 

 力という冷酷な現実を突き付ける。

 

 その、会場に居る者全てを威圧する姿はあるウマ娘を幻視させた。

 

 どこまでも燃え盛る意志と、暴力的なまでの強さを以て君臨するその姿は――。

 

 怖気を感じるほどに冷たい視線でレース場を睥睨し、勝って当たり前だと佇むその姿は――。

 

 "皇帝"の名を持つ絶対者に、よく似ていた。




クズはテイオーに感化されて真面目になっていきますが、その分テイオー(とネイチャさん)は若干ガラが悪くて邪悪です。

〇テイオーの威嚇に対する会場の主な反応
ルドルフ:
「ふふっ、私は別に周りを威圧しているつもりはないんだが(しょんぼり)」

ネイチャ:
「あ~!いますぐ降りて行って心をへし折りて~!(衆目に晒せない笑顔)」

マックイーン:
「お腹が空きましたわ。せっかく関西に来たのですから、たこ焼きアイスとかいうスイーツが食べてみたいですわ(メジロ)」


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勝負服

トレーナーとしての責任を果たす回です。


 『"帝王君臨" トウカイテイオー、阪神の地で完全復活ッ!!』

 

 むふ、むふふふ…………。

 

 新聞の一面を飾るその文字を、何度も目で追って口に出してしまう。

 

 担当ウマ娘がGⅠを獲るのってこんなに嬉しいもんなんだな。

 つい嬉しくて、コンビニで新聞を十部も買ってきてしまった。

 レース直後も嬉しさが爆発していたんだが、じわじわと湧いてくるこの嬉しさも大変よろしい。

 

 俺のトレーナー人生において初のGⅠ制覇であり、先輩である三人からもお祝いのメッセージが送られてきていた。

 

 『自分の実力やなんて勘違いせんよーに』

 

 『アイツ、マジですげーな。また皆で祝勝会にメシ食いにいこうぜ! 金はクズに渡される賞金の取り分でいいだろ』

 

 『……b』

 

 俺に対する称賛の言葉が一つもないどころか、俺の金でメシをたかろうとしている始末。

 アイツら、社会に出る前にちゃんと学校で礼儀を学ばなかったのか? 担当していた奴の顔が見てみたいぜ。

 

「……アイツらも勝たせてやれていたら、この喜びを一緒に味わえたのかな」

 

 それはきっと高望みなのだろう。それでも後悔がない訳ではない。

 GⅠでなくてもいい。GⅡもGⅢも立派に喧伝できる実績だ。

 ウマ娘としてトレセン学園の門を潜った意味を、俺はアイツらに与えてやれなかった。

 

 たとえ才能がなかったのだとしても、道をこじ開けるための標になってやるのがトレーナーの役目だったのに。

 

 せめて、この気持ちを忘れずに未来へ持っていこう。

 アイツらにとって、テイオーが少しでも誇れる後輩になれるように。

 

 その決意を表明するために、三人にメッセージを返した。

 

『ああ、やっぱ手元に置くなら天才に限るわ。"俺"の金で奢ってやるから、咽び泣いて感謝しろよ中退者共』

 

 このあと、トークルーム内にテイオーには見せられない汚物のごとき罵詈雑言が飛び交ったのは言うまでもない。

 

 

 

 

「はぁ……。疲れた」

 

 躾のなってない先輩どもに成人男性としての誇りを持って口撃を行い虚しい勝利を得たあと、俺は直面しているもう一つの重大な問題に目を向けた。

 

「どうすっかなー、これ」

 

 祝辞と同様にメッセージアプリに送られてきた、ある文章。

 俺が今、頭を抱えている悩ましい問題である。

 

 そのメッセージの内容はこうだ。

 

『大阪杯の勝利おめでとうございます。私たちもテレビに齧り付いて見ておりました。ところでその、あの新しい勝負服なのですが、些か胸元が不安というか露出が多いように見受けられたのですが、排熱目的の構造なのでしょうか?』

 

 もちろん、メッセージを送ってきたのはテイオーの親父さんである。

 

 俺も気にはなっていたのだ。

 

 パドックに現れたときは、遠目だったのもあって大きな違和感はなかった。

 全体的に赤を基調とした躍動感を感じさせるデザイン。

 羽織った上着とスカートは厚手の生地でしっかりとした作りのように見えたし、ロングブーツも重厚感がある。

 招き猫を背負うだなんて物理法則に喧嘩を売る真似もしていない。

 

 ……いや、腰によくわからない『なにその、なに?』って感じの円盤が付いてたりはするが。

 

 全体的にはトウカイテイオーに非常に似合う勝負服にはなってるんだ。以前の白い勝負服からの落差というか印象の違いは大きいが、どちらも人気が出るデザインだと思う。

 

 では、なにが問題なのか。

 

 ――そう、露出である。

 

 ヘソ出しどころではない。首回りは鎖骨までがっつり見えているし、腹回りはもちろん肋骨のあたりまで出てしまっている。

 

 上着に目が行ってあまり気にならないだけで、脱げばゴールドシチーと同じか下手すると以下の布面積しかないかもしれない。

 

 あのグラビア撮影か海水浴と勘違いしてんじゃないかと思える勝負服と同等以下なんて正気か。

 

 ちなみにこの感想をゴールドシチーに聞かれたときは、ぶん殴られそうになった。タマモクロスたちが止めてくれなかったら俺はボコボコにされていただろう。

 

 そこがまた厄介なのだ。勝負服にはウマ娘たちの強い想いが込められている。

 

 夢、理想、信念、決意。

 

 どれもバカにしてよいものではなく、招き猫ですら迂闊に踏み込めばヘビーな事情が飛び出してきかねない。

 まさに藪をつついて蛇を出すというやつだ。ヘビーだけに。

 

 披露される前は気になって仕方なかったデザインだが、今となってはめっちゃ聞きづらい。

 

『その過多な露出に込められたものは何なんですか?』って女子中学生に聞いてみろよ。

 

 即ブタ箱行きになるぜ。

 

 だが、聞かない訳にもいかない。

 

 担当トレーナーに対して、両親から問い合わせが来ているのだ。

 

『あなたが担当しているうちの愛娘の服の趣味がなんだか凄いことになっていますが、どういうことですか?』と。

 

 ましてや俺はテイオーと複数回、服飾品を購入しに行っていることを両親に報告している。

 

 ダービー以降の諸々で趣味に変化があってもおかしくはないが、離れた場所から見守っている両親から見て最も大きな変化は、隣に立ってるヒトが女性から野郎に変わったことだろう。

 

 やはりなんらかの悪い影響を……?と心配になるのも無理はない。

 

 ここで『きっと、元からそういう趣味嗜好があったのだと思いますよ』なんて回答はさすがに抗議ものだ。

 

 預かっている身としても適当には誤魔化せない。

 

 そもそもデザイナーにお任せしたデザインということもないだろうし、意図はあるはずなのだ。

 

 例えば羽飾りのような装飾や炎のような飾り布は、怪我からの復活という思いを込めて不死鳥を意識したのだと読み取れる。

 

 それだけに露出にも意図があるはずなのだ。露出したいという欲求以外の露出理由なんてあるのかは知らんが。

 

 回答の候補として、もっとも一般的な見解はメッセージにもあったように排熱だろう。

 

 ヒトを遥かに超えるスピードとパワーで数分のあいだ爆走するウマ娘の体からは、凄まじい熱量が生み出される。

 

 熱が籠りすぎて汗が噴き出ると走るのにも邪魔だし、レース後に体調を崩すかもしれない。

 

 そういった理由である程度は排熱を意識したデザインにされるというのは珍しくない。

 

 だが、排熱効率が高いほどウマ娘は速くなるという定説ができるほどでもない。

 

 そうであれば、余程の事情でもない限りは全員が水着みたいな勝負服を用意することになるだろう。

 

 トゥインクル・シリーズが公共の電波には乗せられないニッチなイベントになってしまう。

 

 だからこそ、あるはずなのだ。

 

 あの露出に込められた思い。今のアイツを形作る基になったなにかが!

 

 ……自分で言っててアホらしくなってきた。

 

 とりあえず、時間が欲しいと返事をしておこう。

 

 『排熱以外には思い当たる事情がなく、調査にお時間ください』……と。

 

 だが本人に直接聞くのは憚られる。そもそもレース本番まで見せてくれなかったのだ。聞いても教えてくれない可能性が高い。

 

 ならば――。

 

「アイツが親しい連中に聞き取り調査するしかあるまい」

 

 ふっ、自慢ではないが俺は諜報活動が得意なのだ。

 

 

 

 

「えぇー? テイオーちゃんの勝負服のデザイン?」

 

「ああ、実は最近まで俺はデザインを知らなくてな。今もどういう意図があるのかよく分かってないんだ」

 

 一番手、マヤノトップガン。

 

 テイオーと同室でマセたおガキ様であるコイツなら、他人の持ち物に興味津々かつテイオーと話す機会も多いはずだ。先んじてデビューを果たして活躍しているテイオーの二着目の勝負服なんて話題に出ないはずもない。

 

「…………」

 

 なんか無言かつジト目で見られている。お腹が空いたのだろうか。

 

「なんだよ。渡せる菓子なんて無糖ガムくらいしかないぞ。それでいいか?」

 

「……いらない。毎晩毎晩、嬉しそーに話を深夜まで聞かされて、寝不足にされた理由がちょっと分かって不機嫌なだけ」

 

 なんだ相変わらず仲良いんだな。だが夜更かしは程々にしておけよな。

 

「ていうか言いたいことがあります! もっとテイオーちゃんとお話ししてあげて! 足りない分は全部こっちに回って来てるんだからね!」

 

 あん? 話なんて腐るほどしてると思うが。

 

「くっちゃべりながらトレーニングする訳にはいかないが、会話量は相当あると思うぞ? というか俺の一日の会話の八割以上はテイオーが相手だ」

 

 ちなみに会話量二位は学内の関係者で、三位はコンビニの店員だ。

 

「全然足りてない! 今の三倍にしてあげて!」

 

 多すぎるだろ。一緒にいる時間以外にあった出来事全部話すつもりかよ。

 

「まぁ検討はしてやるよ。そんで勝負服の話はどうなんだ。色々聞かされてるんじゃないのか」

 

 なにをそんなに話すことがと思わなくもないが、この年頃の子は元気が有り余っててすげーわ。

 

「テイオーちゃんの勝負服の意図なんて簡単だよ。全部なんだもん」

 

 ……ゼンブってなんだ?全部?それとも前部?

 

「女子のあいだで流行っているモンの略称かなんかのことか? チョベリグみたいな。それなら俺も流行りに乗ったみたいですって説明しやすくて助かる」

 

 盲点だったな。たしかに俺もご両親も女子学生のトレンドなんて詳しくはない。よく分からなかったのも道理だ。

 

「ちーがーいーまーすー! テイオーちゃんのあの日から今までを全部乗っけた勝負服ってこと!」

 

 あ、普通の意味なのね。でも全部って言われてもピンと来ないんだが。

 

「これ以上はアタシからは言ってあげないもん。担当しているウマ娘のことをちゃーんと理解してあげるのもトレーナーの役割なんだよ!」

 

 おい、正論で殴ってくるのはやめろ。

 しょうがないだろ、勝負服の話題は避けられ気味なんだから。

 

「言われなくても分かるくらいにいっぱいお話して情報を掴まなきゃ。女の子はね、日進月歩なんだよ!」

 

 こいつ、案外熟語とか諺が好きなんだろうか。

 

「全然参考になんなかったけど、建前で礼は言っとくわ。サンキューな」

 

 そう言ってマヤノと別れる。本命からの情報が無価値だったんだがどうしよう。

 

「女の子を子供扱いしないことー! あ、でも年齢の話はNGだからねー!」

 

 去り際に後ろからそんな声が届いてきた。その理論って結構理不尽だよな。

 

 

 

 

「え、テイオーの勝負服? アタシにそれ聞いちゃいます?」

 

 二番手、ナイスネイチャ。

 

 同期にデビューした友人関係にあるウマ娘であり、菊花賞では共に走った相手でもある。

 

 テイオーとマヤノがお子様なのに対してこっちは枯れてるというか、じじむさいというか、あんまり子供らしくない言動が目立つ。

 

 それだけではなく、最近はなんかこうテイオーを見る視線にネバついたものを感じる気がする。同期で適正距離も被っていそうだから、よりライバル意識が強くなったのかもしれない。

 

 それでも良き友人であることは変わりないようなので、参考にはなるはずだ。

 

「うーん、テイオーはアタシと違って自分を表に出すことに全く躊躇とか気恥ずかしさを感じないタイプですからねー。やっぱりこう、自分を構成してる大きな部分が前面に出ちゃってると思いますよ?」

 

 やばい、また抽象的な表現だ。自分を構成している大きな部分てなんだ。水分か?

 

「いやー、それをアタシの口から言うのは羞恥心が耐えられそうになくってですね。お二人さん、アオハルしてますねえ」

 

 アオハル……青春のことか。俺の青春はバカな連中とバカなことばかりしていた気がする。

 

「少なくともお前たちほど何かに全力投球する青春じゃなかったが、あの勝負服って青春を表現してたのか」

 

 青春のイメージカラーってなんとなく空色とかだと思ってた。

 

「いや、そうではなくてですね。テイオーが青春で体験したことと言いますか……まぁ、集大成ってやつですね」

 

 全部、集大成……。ダメだ、分からない。

 

 いや、別に良い悪いとかを判断するつもりはないんだが露出に繋がる意味が分からない。

 

「あはは、悩んでますねえ。変な理由はないんで、気にしなくてもいいと思いますけどね」

 

 俺もご両親への報告が必要なければここまで悩まないんだけどな。

 

「ところでトレーナーさん、仮にも同期のライバルであるネイチャさんに手間を掛けさせてタダってのは筋が通らないと思ったりするんですよ」

 

 なんだコイツ。明け透けに謝礼を要求してきやがった。別に構いやしないんだが、こんなタイプだったか?

 

「なにが望みだ。あんまりやりすぎると後でマヤノに不公平だって言われそうだから程々で頼むぞ」

 

 お子様を相手するときの大事な法則。格差は付けないである。

 

「マヤノのとこにも行ってたんだ。あ、お礼は全然大したモノじゃなくてよくってですね。今度、テイオーと併走トレーニングさせてほしいのと、このあと勝負服に限らず色々と話を………」

 

 ん?どうしたんだ急に黙って?

 

「いやー、やっぱ今の話はなしで。お礼を強請るなんてはしたない真似をしちゃいかんですね。それじゃ! アタシはこれで失礼しまーす!」

 

「あっ、おい!」

 

 早口で捲し立ててどっか行きやがった。なんだったんだ?

 

「ネイチャと何してたのかな、トレーナー?」

 

 ――ここ一年程のあいだ、もっとも多く聴いてきた声。

 

 だが、そこに込められた激情は過去に類を見ないものがあった。

 

「いや、別に大したことじゃない。ただの雑談だ……」

 

 お前の勝負服の露出について探ってましたとは口が裂けても言えん。

 

「へぇ、そう。詳しくは聞かないよ。信頼してるからね。けど、一つだけ教えてほしいかな」

 

 な、なんでございましょう……。

 

「話しかけたのは、どっちから?」

 

 選択を間違えると血を見ることになる。そんな予感があった。

 

「お、俺からだけど」

 

「そう。じゃあ、ギリギリ(ネイチャは)許してあげようかな。それと、もうネイチャとは二人では会わないこと。いや、カノープス関係者とは一人で会わないこと。いいね?」

 

 あ、はい。

 

「いやいや待てよ。そんな会う機会自体ないけど、理由はなんだ? ライバルだからか?」

 

 極論デビューしてる全員がライバルではあるのだが、同じ学園内にいるだけあってそこまでバチバチな関係って案外ないのだ。

 

「前はともかく、今は手段を選ばないだろうからね。遅れを取るつもりはないけど、隠せることは隠しておいたほうがいい」

 

 そ、そうなんだ。

 

「それとトレーナー。ボクね、今すごく機嫌が悪いんだ。ストレス発散のためにトレーナーのお金でハンバーグを食べに行きたいんだけど、もちろん良いよね?」

 

「……はい、もちろんでございます」

 

 やばい、なんか今日のテイオー怖い。

 

 勝負服のことも全然分かんねーし、どうすればいいんだ。

 

 このあと、マーベラスとルドルフのとこにも行くつもりだったのに。

 

「ほら早く行くよトレーナー! 今日はね、一キロは軽く食べられそうな気がしてるんだ!」

 

 おう……、それ食って体がもうちょいデカくなればいいな。

 

 

 

 結局、ご両親には『なんか今までの全部とか、自分の中の大きな部分を占めているものを意識したデザインらしいです』と返事をしたら何故か納得してもらえた。

 

 もしかしてこの曖昧な表現を理解できてないのって俺だけなのか?




言うまでもありませんが布面積が少ないのは服を買う時のチューブトップの件とか、ビキニが好きと言ったクズ野郎の影響です。

リアルと同じならGⅠって日曜の15時頃に地上波で放送される訳だけど、アキツテイオーさんとかシチーがあの恰好で全力疾走してるのを真昼間から流すのはいかんでしょ。


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春天覇者

誤字報告をしていただいている皆さま、何時もありがとうございます。

巻き戻しって言葉が果たして何歳のヒトまで通じるのか分からないが、マックイーンの現役時代は普通にあったはずだからセーフ。


『トウカイテイオーの走り、圧巻でしたね!』

 

『そうですね。次は春の天皇賞へ出走することを宣言しています。前年覇者であるメジロマックイーンとどのような勝負を繰り広げるのか、目が離せません』

 

 テレビ、新聞、雑誌。各メディアはこぞって大復活を遂げた天才を持ち上げる報道をしている。そして、メディアとその先に居るファンが気にしているのは何時だって()の楽しみだ。

 

 もっと強い相手と、もっと面白い勝負を。

 

 際限なく肥大化していく欲求に限界はなく、例え私たちが()()()()としても、それを過去の思い出にして次を見つける。

 

「見せ物であることは否定しませんが、付き合いきれないという思いもありますわね……」

 

 誇りを持って高貴なる者としての責務を果たすのも楽ではないと、溜息が出てしまう。

 

「今は世の無常さを嘆いている場合でもありませんね。早急に対策を立てなくては」

 

 衝撃的な復活劇を見せた大阪杯でのトウカイテイオーの走り。

 鎬を削り、切磋琢磨し合えるライバルが再び舞台に上がってきたことは間違いなく吉事だ。

 だが、そのライバルが底も見えないような強さを持って己に挑んで来ることは、喜びだけで表現できない。

 

 春の天皇賞二連覇。

 数多居る天才たちが未だ成し遂げていない偉業であり、メジロ家にとっては悲願でもある。

 

 弱者を甚振って春の盾を手に入れようなどとは考えたこともないが、別に全ての強者が参加したうえで勝たねばと思っていた訳でもない。

 得意の中距離に引き籠ってもらい、自分が史上最強のステイヤーという称号を得てから挑戦しに行っても良かったのに。

 

 しかも、トウカイテイオーにとっては菊花賞のリベンジという側面もある長距離レース。

 モチベーションの高さは自分に劣らない。才能という点では贔屓目に見て五分五分。

 ならば、上回っている要素はなにがあるか……。

 

 先日の大阪杯の映像を見ながら、レース展開のイメージを固めていく。

 

「随分と熱心だな。事前投票の大本命。前回の勝者であっても、トウカイテイオーの存在は無視できないか」

 

 映像の分析に集中していると、なにやら大量の紙束を抱えたトレーナーが部屋に帰ってきた。

 

「あの娘の輝きを無視できるウマ娘なんていませんわよ。例え目を瞑って顔を背けようと、その光からは逃れられません」

 

 トレーナーによって机に並べられ始めたのは新聞や雑誌、それに映像媒体のようだった。

 どうやら、資料を手当たり次第に漁ってきてくれたらしい。

 

「俺も同感だ。どうせ逃げられない光なら、しっかりと見据えて備えるのが正解だろ」

 

 内容は全てトウカイテイオーについて綴られたもの。客観的な評価も取り入れて分析しようと言うことだろう。

 

 トゥインクル・シリーズを専門とする記者や評論家の視点はバカにできるものではない。端から見ることに特化し、それを文章として書き起こすことを生業とする彼らの成果物は、短時間で濃厚な情報が得られる重要なソースだ。

 

 しかし……。

 

「ほとんどはダービー前までのモノですわね。それ以降はなんというか、ゴシップ誌の迷惑記事という印象が拭えないのですが」

 

 菊花賞までのほとんどはリハビリに充てられており、公の場に立つこともなかった。

 

 大阪杯までは担当しているトレーナー共々に好き勝手言われていたこともあって、精度という意味では信用が置けない。

 

「なにより、今のトウカイテイオーはダービーまでの彼女とは別物です。走りも、心も、在り方も。十把一絡げに扱っていると、足を掬われますわよ」

 

「たしかにな。今のトウカイテイオーは昔とは違う。だが、その本質まではそうそう変わるもんじゃない。アイツについて知っていることの復習にはなるし、昔との違いをより明確にするためにも調べておいて損はないさ」

 

 そう言われてしまえば、同意せざるを得ない。

 

 何気なく手に取った雑誌には『月刊トゥインクル』の文字。そこにはトウカイテイオーの強さを支える彼女特有の性質や、レースで好む展開について詳しく書かれていた。

 

 その内容を読みながら、自身の見解を述べる。

 

「天皇賞においても、先行することは間違いありませんわね。そして、そこに警戒すべき強敵が居た場合、あの娘はそれをマークする位置につきます」

 

 つまり、自分の後方に付かれるということであり、抜きに掛かるのは最終コーナーから。

 それは恐らく、自分に限らず大多数の予測ではあるのだろう。

 

「ですが、その予測を覆されたのが大阪杯でもあります」

 

 大阪杯では第三コーナーを超えないうちからラストスパートを掛けてきた。

 あまりにも早すぎる勝負の仕掛けどころではあったが、それで圧勝しているのだから文句を付けられようはずもない。

 

「俺はそうは思わない。正確には、春の天皇賞は大阪杯と同じことにはならないと踏んでいる」 

 

 そう断言する顔には、確信があるように見えた。

 

「距離三千二百。惨敗した菊花賞より長く、出走してくるウマ娘のレベルも高い。それにトウカイテイオーは菊花賞で全く自分の走りをできずに負けている。奇策や新戦法なんか使う前に、まずはしっかりとレースを作ることを優先したいはずだ」

 

 スタートの失敗、ペース配分の失敗、スパートの失敗。彼女の菊花賞は実力で敗北したというよりも、お粗末なレース展開に終始してしまった故の結果だった。

 

「どれほどの天才であっても、いえむしろ天才であるからこそ、過去の失敗を頭から消すことは出来ず、払拭したいという思いに囚われるということですか」

 

 だからこそ、採る戦法は王道にして最も得意とする好位追走。

 

「ああ、俺はそう考えている。あとはそれを認識したお前が天皇賞でどう走るかだ」

 

 どう走るか。それは、何時も通り自分の走りを貫くだけでは足りないということか。

 

「具体的には、スローペースな展開かそれ以外かってとこだな」

 

 スローペース。トウカイテイオーが大阪杯で見せた驚異的な加速と末脚を出来るだけ後半まで封じることが目的だろうか。

 

「良い案だとは思えませんわね。本当かどうかは分かりませんが、パーマーは大逃げするそうですわよ」

 

「なにぃ? 逃げじゃなくて、大逃げなのか?」

 

 正確にはダイタクヘリオスが大声で『大逃げ、爆逃げ、超逃げだぁー!』と叫び、一緒に歩いていたパーマーが腕を振り上げて同意していたのだが。

 

 盤外戦術ができるようなタイプでもないし、たぶん実行してくるのだろう。

 

「ええ。それにテイオーが過去の失敗を払拭したいと考えていることには同意しますが、払拭する方法は我々が考えているものと別になる可能性もあります」

 

 彼女の性質は以前と比べて大きく変質している。

 

 強い輝きを放っていることは変わらない。だが、かつての彼女がスターとして文字通り星のような煌めきを放っていたのに対して、今は星は星でも太陽だ。燃え盛る炎を伴う光熱は、近付く者を焼き尽くす。そういう攻撃的で排他的な強さが今の彼女にはある。

 

 自分に合わない展開だと思ったら、即座にぶち壊してくるだろう。

 そうなれば、自分の走りをさせてもらえなくなるのはコチラ側だ。

 

「作戦の読みに不確定要素が多い以上、お互いに得意のぶつけ合いになるか。こっちも細かいところで積み上げていくしかないな……」

 

 そう言いながら、トレーナーはレース映像を巻き戻した。

 

「色々と変化があるなかで、外から抜きに掛かることを好む性質は変わっていない。マックイーンは出来るだけ内ラチ側に付いて、トウカイテイオーには外を走らせる。スパートを仕掛けるのもこっちからだ。相手に主導権を渡すのを極力避けろ」

 

 距離三千二百ともなれば、内外で走る距離にかなりの差が出る。王者の採る策としてはなんとも姑息な気がするが、嫌なら相手も内ラチを走ればいいだけのことか。

 

「策と言っても無いよりはマシって程度だ。結局は実力がモノを言う。長距離を疲れなく走りきるための筋力強化も大詰めだ。本番直前まで負荷を上げていくぞ」

 

 望むところだ。元より、自身の実力以外の要素に頼って勝つつもりなど毛頭ない。

 

「ま、今は休憩中なんだ。体はしっかりと休めて、頭を使って分析に集中しよう。資料をかき集めるついでに糖分補給用の大容量シュークリームを買ってきたんだが、食うか?」

 

「ええ、全部いただきますわ」

 

 トレーナーの掲げたシュークリームの袋をひったくってモニターに目を向けると、トウカイテイオーが大阪杯の勝利者インタビューを受けている場面だった。

 

 

 

『トウカイテイオーさん、大阪杯の勝利おめでとうございます。大差を付けての圧勝でしたね!』

 

『ありがと。ちょっと上手くいかないところもあったけど、結果には概ね満足してるよ』

 

『新しいトレーナーの実力や関係性について、様々な憶測がありますがいかがでしょうか?』

 

『それ本人がいる前で聞く? 関係性に問題があるなら一緒にここに出てこないし、実力がないなら今日も負けてたよ。次の質問どーぞ』

 

『次は春の天皇賞ですよね! 前回の勝者であるメジロマックイーンに勝つ公算はありますか?』

 

『ボクの負けた菊花賞よりも長い距離で強い相手だからね。公算なんてないよ。けど、はいそうですかって負けは認められない。勝ちに行くよ』

 

『"皇帝"シンボリルドルフが達成した七冠。トウカイテイオーさんもやはり目指しているのですか!』

 

『七冠そのものは特に意識してないかな。ただ、やりたい事をやっていくなら追い付かなきゃいけない数だとは思ってるよ』

 

 本当に、随分と変わってしまったと思う。

 

 以前から、持って生まれた才能を思うが儘に振りかざしてはいた。

 

 もちろん、そこにはしっかりと裏打ちされた努力や彼女なりの考えがあったのだろうが、それでも感覚派だったことは間違いないだろう。

 

 それに、才能を振りかざすと言ってもそこに他者への隔意などはなく、あくまで自身の夢へ向けた無邪気な行動だった。

 

 だが、今は違う。

 

 振りかざされる才能はより激しく勢いを増した。

 

 なにより、その行動には冷酷な意志と明確な意図がはっきりと見て取れた。

 

 競い合うライバル、切磋琢磨し合う仲間。だが、それ以上に己の前に立ちはだかる敵であると考えているのだろう。

 

 彼女の底抜けの明るさと自己肯定を好み、羨ましく思っていた身としては少し物悲しくもある。

 

 それでも、レースに挑む競技者としての心の疼きは抑えられない。

 

「最強の王者として、最強の挑戦者を待ち受ける。燃えますわね」

 

 天皇賞の盾が持つ絶対的な価値は変わらない。

 誰を相手に勝って手に入れたのだとしても、胸を張ってメジロ家に持ち帰れるだろう。

 

 だが個人的には、()()トウカイテイオーに勝利して手に入れた盾の価値は格別だ。

 

 デビュー以前からクラスメイトとして近くで見てきた。

 日本ダービーを勝利して、二冠を得たときの輝くような強さに見惚れた。

 

 夢への挑戦を絶たれ、それでも這い上がって、結局は届かなかった三冠。

 どれ程に苦しみ悲しんだのか想像も付かないが、彼女は立ち上がり歩み始めた。

 

 以前よりも苛烈に、燦然と輝きながら。

 その強さに、心からの敬意と称賛を送りたい。

 

 だがそれでも、譲れない。

 

 王者とは貪欲でなくてはならない。

 

 王者とは傲慢でなくてはならない。

 

 勝ちたい。

 

 あの娘に勝ちたい。

 

 盾でも名誉でもない。

 

 家でも誇りでもない。

 

 メジロマックイーンというウマ娘の魂が、どこまでも勝利を欲している。

 

 だから、戦いましょう。

 

 全力で、全霊で、全開で。

 

 それはターフに立つ者にだけ与えられる最高の権利。

 

「どこまでも競い、高め合いましょう。テイオー」

 

 私と貴方で。

 

 最強の名を懸けて。




そうして彼女との戦いに挑む気持ちを新たにしたとき。
気が付くとシュークリームの袋は空になっていた。


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TМ論争

ウマ娘二次創作小説を書いている者として、一度は掲示板形式も書きたい。
だがいまいち、掲示板の常識というか作法が分からない。

あとこれは注意事項なのですが、タマゴとチキンはともかくチーズもチリソースも頭文字はTじゃないです。


 TМ対決、あるいはМT対決。

 

 ここ最近、各メディアを賑わせている言葉だ。

 どちらが、ではなくどちらも。

 より詳細に説明するなら、どちらで表現するのが正しいのか活発な議論が行われている。

 

「TМ、そしてМTか」

 

 トレーナー室でネットニュースを見ながら呟くと、メジロマックイーンのレース映像を分析していたテイオーの耳がピクリと動いた。

 やはりアイツも気になっているのだろう。

 

「てりマヨか、マヨチキか……。熾烈な争いになるだろうな」

 

 きのこたけのこ、つぶあんこしあん、唐揚げにレモン。人間はいつだって平和を望みながら、争うことを止められない。業であり性というやつなのだろう。

 それはそれとして、やはり一日の長があるてりマヨが優勢だろうか。

 

「違うよ!? なんでハンバーガーの売れ行きの話だと思ってるの!」

 

 テイオーが嘘でしょ!?って顔をして勢いよく椅子から立ち上がり叫んだ。

 

「なんだ違うのか。まぁ、俺はマヨネーズが入ってればどっちでもいいんだけどな」

 

 どっちも違ってどっちも良い。ラブ&ピースだ。

 

「だからマヨでもないんだってばっ! トウカイテイオーのTとメジロマックイーンのМだよ!」

 

「でも、それだとなんでアルファベットの順番争いなんてしてるんだ? 特段言いづらくもないし、どっちでもよくないか?」

 

 アルファベットが先だと内枠にしてくれたりするんだろうか。

 

「どっちが強いかってことを表したいんじゃないの。ボクも正直どうでもいいと思うよ。走れば嫌でも結論は出るんだし」

 

 タマモクロスを彷彿とさせる鋭いツッコミをしてきたにも関わらず、テイオー自身も順番に興味はないようだった。

 そりゃそうだよな。

 

「まぁ、俺はマヨネーズが入ってればどっちでもいいんだけどな」

 

 入ってなかったら悲しいけど。

 

「マヨは関係ないって言ってるんだから離れてよ! だいたいマヨってМの方じゃん! そこは無理矢理でもTを推してよ!」

 

 デスクをバンバンと叩きながらテイオーがまたもツッコミを入れてきた。

 なんだか今日はやたらと冴えてるな。

 

 それにしてもTか。

 チキン、チーズ、チリソース、タマゴ、トマト……。

 

「うーん、Мかなぁ」

 

 全てを合わせたとしても、マヨの前には鎧袖一触だろう。

 

「どんだけマヨが好きなの!?」

 

 どんだけかと聞かれると、いっぱい好きとしか答えられない。

 

「昔はマヨを容器から直接ちゅーちゅーする文化もあっただろう。俺は彼らほどの情熱を持たないニワカだが、マヨは等しく皆に幸福を与えてくれるんだ」

 

 デザート系以外のだいたいの食い物に合う魔法の白いクリームなのである。

 

「そんな汚い食べ方する文化聞いたことないよ! まさかトレーナー室の冷蔵庫のやつでやってないよね!?」

 

 もちろんである。俺はマヨと合う食べ物が好きなのであって、マヨだけ食べる趣味はない。

 しかし、テイオーは知らないのか。ジェネレーションギャップを感じる。

 

「とにかくっ! メディアやファンはともかく、トレーナーがМT対決って言うのを許すつもりはないからね!」

 

 ふむ、正直言いやすければそれでいいのだが、МTでもよい理由を勘違いされても困るから訂正はしておこう。

 

「TとМの順番なんてどっちでもいいが、お前がそうして欲しいと言うならTМ対決にするよ。どっちにしろ俺が応援するのはトウカイテイオーで、勝つと信じてるのもトウカイテイオーだ。それ以外はない」

 

 だからこそ、本当にこの話はどうでもいいのだ。

 

「そ、それなら良いんだけどさ」

 

「まぁ、巷ではМT対決の方が優勢らしいな。長距離ならメジロマックイーンというのが世間の評価な訳だ」

 

 テイオーの素質は長距離でも十分にやれると思わせるだけのモノがあるが、実績としては菊花賞の大敗のみなのだから妥当ではある。

 菊花賞と昨年の春天を制したメジロマックイーンにステイヤーとして抜きん出た実力があることは疑いようがないし、URA賞で二連覇を目標とすることを公言しており、モチベーションも高いだろう。

 

「お前の最高速と加速が文句なしであることは分かってるんだ。あとはスタミナと根性でどこまで食らいついていけるかだな」

 

 長距離レースで最も重要な能力は?と聞かれたら大半のやつがスタミナだと答えるし、実際その通りだろう。

 そして、メジロマックイーンは距離三千を超えるレースであっても、息を荒げることもなく澄ました顔で走り切るようなスタミナお化けである。

 なにかのインタビューで優雅に走って勝つことを意識しているなんて言っていた気もする。

 しかし、これは外面を取り繕っても勝てる展開だったなら、そうするというだけの話だ。

 死にもの狂いで走らなければ勝てないのなら、死にもの狂いで走れば勝てるのなら、あのウマ娘は優雅な令嬢の仮面なんて惜しみもせず全力で投げ捨てるだろう。

 

 長距離なんて泣きたくなるほど辛いだろうレースを主戦場にしている連中は、皆揃って醜く足掻ける強さを持ち合わせている。

 

 対して、トウカイテイオーはどうか?

 

 スタミナがない訳ではないが、根性とかスポコンは似合わないという意見が大多数だろう。

 優れた才能を思うが儘に振るう天性のスター。それがトウカイテイオーだと考えているやつは非常に多い。

 かくいう俺もそう考えていた内の一人だしな。

 

 だが、それも過去の話だ。

 

 根性とは、なんの理由もなく持ち得る能力とは違う。ひたすらに走ってきた距離。耐え抜いてきたトレーニング。重ねてきた勝利への想い。そういったレース本番までの日々全てが礎となって根付く性質だ。

 ダービー以前のテイオーのことは知らないが、俺と組んで以降のコイツの努力は三千二百程度の距離で潰れるような軟なモノではない。

 どれだけ無様でカッコ悪かろうと、最後まで勝つための走りを貫ける。

 

「テイオーとしてはどうなんだ? 春天で負けに繋がりそうな懸念はなにかあるのか?」

 

 怪我明けの菊花賞では発揮できなかったが、テイオーは勝負勘も半端ではない。マックイーンとの付き合いも俺よりはあるだろうし、違うものが見えているかもしれない。

 

「スタミナはどれだけ鍛えてもマックイーンを超えられないだろうから、一抹の不安があるかな。けど、それよりも危なそうなのは仕掛けるタイミングかなぁ。ボク、まともに長距離を走れた経験ないからね」

 

 レースは距離の分だけ紛れも起きやすい。失敗を取り戻せる場面も多くなるが、最後に勝つのは細かいところで失敗せずに、貯金を積んでいけるウマ娘だろう。

 

「テイオーにとっても、京都レース場で長距離を走ったのは菊花賞だけだもんな」

 

 レース場を走った経験。距離を走った経験。どちらもレース運びを考えるのに大切な要素だ。

 しかし、この点でメジロマックイーンを上回ることは不可能。

 昨年の覇者にスタミナでも経験でも劣る現状。才能と努力で勝ちますと言うのは頭がお花畑すぎるし、やはりここは奇策でも用意するべきか。

 

「爆逃げテイオーか。語呂としては有りだな」

 

 何も考えず最初から全力で前に走ればいいから、俺も頭すっからかんに出来て大変楽である。

 

「なんで逃げを採用しようとしてるのかは予想付くけど、やんないからね。変な作戦採ってもあんまり意味ないから何時も通りでいいよ」

 

「だってお前、それだと俺が居る意味ないじゃない」

 

 なんかこう良い感じの作戦をズバッと提示して、このレースは全て俺の読み通りだ、みたいな事したいんだけど。

 

「作戦やトレーニングを考えてくれるのは嬉しいから止める必要はないんだけどね。トレーナーは居てくれるだけでもいいの。それだけでボクは最強だから」

 

 それじゃ俺はフクキタルに背負われてる招き猫みたいなモンじゃねーか。

 

「出走するメンバーの走りは大体分かったから。全員が普段通りの走りをすれば、ボクは五番手くらいでマックイーンを追う形になるんじゃないかな。実際にターフに立ってみて分かることもあるだろうから、直前に作戦を変える可能性もなくはないけど」

 

 うーむ、俺も長距離レースに詳しい訳じゃないから無理に思い付きを実行させても悪影響しかないか。

 

 ちなみに例のファイルでも、テイオーの無敗記録を維持するための難関は春の天皇賞だと予想されていた。シニア級に上がって早期に挑むレースとして、三千二百という距離とメジロマックイーンという覇者が一番厄介という認識は共通のようだ。

 

 記録に拘るのなら挑まないのが最善とも書かれていた。

 

 逆に当時掲げていた最終目標、シンボリルドルフを超えることを意識するならば挑戦すべきと考えていたようだ。例え結果が負けであったとしても、得られるものが他のレースとは比較にならない、と。

 

「そんなことはいいから。ボクのトレーニングをちゃんと見てること。それが終わったらマッサージをして、一緒にはちみーを飲んでご飯を食べる。こっちが疎かになったら怒るからね?」

 

 ここ最近の定番ルーチンだな。

 勝つためにトレーニングやミーティングに割く時間が増えたから遊ぶ頻度は落ちたんだが、それでテイオーと一緒に居る時間が減ったかというと、むしろ増えた気がする。

 

「そう言えば、天皇賞はどっちの勝負服で走るんだ?」

 

 大阪杯はお披露目の意味もあったから新しい勝負服だった。復帰戦で大勝利を飾った勝負服だから縁起も良さそうだが、以前の勝負服の人気も未だ根強い。交互に着るのも有りだろう。

 

「どっちもなにも新しい方しか着る予定ないんだけど」

 

 そうなの? 古いほうも着ないのはもったいなくない?

 

「あの勝負服自体を悪く言いたくはないんだけどね。精神面の影響って大きいからさ。今のボクはアレを着ても勝てないよ」

 

 それはやはり、菊花賞の走りと敗北の印象を拭えないということだろうか。

 お世辞にも良い走りだったとは言えないが、俺にとっては大きな転換日でもあった。

 勝った負けた以上の意義がレースにはあるのだと教えられた日でもある。

 

「なにその微妙な顔。どうしても見たいっていうなら部屋で着てあげるからさ。あとは学園のイベントとかでファンサービス目的なら別に着てもいいよ」

 

 いや、別に服を着たところが見たい訳ではないんだが。

 

「さーてと、ばっちりイメージも湧いてきたし、トレーニングに行こうかな!」

 

 そう言いながら伸びをするテイオーの顔には、静かな闘争心が見て取れた。

 

「まぁ、お前の勝負服なんだ。自分がこっちだって思った方を着るのが正解に決まってるか。で、イメージが湧いてきたトウカイテイオー様から見た勝率は如何ほどだ?」

 

 レースに絶対はないが、コイツほどの天才なら七、八割で勝利が固かったりするのかな。

 

「うーん、そうだねぇ」

 

 きっぱりと断言されるかと思っていたのに、返ってきたのは思案するかのような声。

 

「楽観的かつ贔屓目に見て、五割ってところじゃないかな」

 

 苦笑するような声色と弧を描く唇に対して、欠片も笑っていない目。

 それはつまり、万全のトウカイテイオーであっても消せない敗北の可能性があるということだ。

 

 俺たちが契約を結んでから、戦績はここまで一勝一敗。

 恐らくはテイオーにとっても、過去最強の相手と競う最も過酷なレース。

 

 その中で俺は、トレーナーとしてコイツになにをしてやれるのだろうか。




ネイチャの焼いた秋刀魚が食べたい。

次回「春の天皇賞」(仮題)


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ウサギとカメ

今話、一万文字を超えているので時間に余裕のあるときにでも読んでいただければと思います。
途中で一回休むなら、レースが開始したとこの視点変更が区切りとしては良いかと。

ボス No.Ⅰ『名優 メジロマックイーン』


 コツリ、コツリと蹄鉄の鳴らす音が京都レース場の地下道に響く。

 

 やれるだけのことをやってきた。

 新しい勝負服もよく馴染んでいる。

 

 調子は万全で、だからこそ勝敗に言い訳は効かない。

 

「今日のレースに勝利し、もう一度春の盾をメジロ家に」

 

 幼い時分、邸宅の敷地内を駆け回り遊んでいた頃が懐かしい。

 ステイヤーとしての素質があることが分かってからは、常に期待が付いて回った。

 

 自分だけではない。

 メジロに連なる家系にウマ娘として生まれ、才能が見初められたのなら誰であっても同様だ。

 ライアンならばクラシック三冠。

 ドーベルならばティアラ路線。

 それぞれに期待された役割があった。

 

 それがただ重荷であったのかと言えば、そうでもない。

 

 元より私たちはウマ娘。

 走りたい。速く、より速く、誰よりも速く。

 そういう本能を最初から備えた生き物だ。

 

 期待は圧し掛かる重荷であると同時に、勝利を彩る装飾品でもあった。

 

 全身全霊で挑み勝利を飾った昨年の天皇賞。

 盾を持ち帰った私を一族総出で祝ってくれたあの時間は、人生で最も幸せなひと時だった。

 

 あの時間をもう一度。私とメジロ家に祝福と誇りを。

 絶対に勝ち取ってみせるという、揺らがぬ決意をさらに固く胸に宿して歩みを進める。

 

 そうして歩いていくうち、響く足音に自分以外のモノが混じっていることに気付いた。

 

「……テイオー」

 

 ターフへと続く交差路。

 炎を想起させる赤いウマ娘がそこに居た。

 

 揺らめく陽炎のように立ち昇る闘志。

 烈火の如く燃える瞳。

 腹に力を込めて踏ん張らなければ、たたそれだけで道を譲ってしまいそうなほどの覇気を(まと)わせて、"帝王"は堂々とターフへと向かっていた。

 

「調子は良さそうだねマックイーン」

 

「そう言うあなたも、万全に仕上げて来たようですわね」

 

 間違いなく、私が戦ってきた中で最強のウマ娘。

 前人未踏の偉業を前にして立ちはだかる存在は、どこまでも強大だ。

 

 だからこそ、価値がある。

 

「もし、負けても泣かないでくださいます」

 

「それは約束するよ。悔し涙は去年のうちに全部出し尽くしちゃったからね」

 

 そう笑うテイオーの表情からは、過去への未練は感じられなかった。

 大阪杯を見て分かっていたことだが、無敗の三冠という夢は振り切れたようだ。

 

「……ところで、どっちが先にターフに出ていこっか」

 

 別にどっちでもいいことなのだが、そう言われると後から出たくなってしまう。

 

「МT対決らしいから、マックイーンお先にどうぞ」

 

「いえ、真打というのは遅れて登場するものでしょう?」

 

 いやいや、いえいえと下らないやり取りをしていると、ここが勝負の場ではないような気さえした。

 

「試しに、二人同時に出て行ってみようか」

 

「……係員の方に迷惑を掛けるわけには参りません。じゃんけんで決めますわよ、テイオー」

 

 どちらが勝ったかは、聞かないでほしい。

 

 

 

 

『唯一無二、一帖(いちじょう)の盾をかけた熱き戦い! 最長距離GⅠ天皇賞(春)! 出走するウマ娘たちが続々とターフへ姿を現しています』

 

『一番人気は変わらずメジロマックイーンでした。トウカイテイオーは二番人気。やはり、菊花賞の敗北が要因でしょうか』

 

 共に世代屈指の強者。

 片やクラシック二冠を勝ち取り、"皇帝"の後継と目される天才。

 片や菊花賞、春の天皇賞と長距離においては歴代有数の成績を叩き出している怪物ステイヤー。

 

 確信を持って勝敗を予測できる者など何処にもおらず、それ故に数万人の観衆がもたらす熱気は、春の陽気を吹き飛ばしてしまう程だった。

 

 もっとも、ターフに立つ十四人から放たれる戦意はそれすら遥かに凌駕するが。

 

『さぁ、前回の有馬記念を制したダイサンゲンがターフに現れました』

 

『同じく、ターフには逃げ宣言をしたメジロパーマーもいますね』

 

 誰も彼もがGⅠ勝者、あるいはそれを成せるだけの実力者たち。

 

 相手がどれだけ隔絶した天才であろうとも、一瞬でも隙を見せれば喰らいつく。

 そういう気概を持った戦士たちだ。

 

「……しっかりと目に焼き付けましょう」

 

 そして、戦意を(たぎ)らせているのはターフに立つウマ娘たちだけではなかった。

 

「うん、そうだね。キラキラウマ娘同士の真剣勝負。たっぷりと拝見させていただくとしますか」

 

 次、ぶつかり合う時に勝利するために。

 今は観客の一人でしかなくとも、負けっぱなしではいられない。

 一つでも多くの情報を得て、いずれ来る戦いに備えるために多くのウマ娘が牙を研いでいた。

 

「できれば、ネイチャさんとしてはテイオーに勝ってほしいんだよねー」

 

「それは同期のライバルだからですか? それとも菊花賞の件で負い目があるから?」

 

 イクノディクタスの問いかけは至極(しごく)真っ当な疑問だっただろう。

 本人としても、大阪杯で完敗を喫したトウカイテイオーの負けは想像できない。

 

「んー? 違うよ。勝って勝って勝ちまくってさ。もう誰にも負けないって自分も世間も思ったとき、パッとしない三番手が似合いそうなウマ娘に負かされたらさ、良い音が鳴ると思わない?」

 

 そう言いながら浮かべたニコリとした笑み。

 その裏に見え隠れする黒く粘度の高い感情を感じ取ってしまい、イクノディクタスは顔を(しか)めた。

 

「憑き物が取れたのは大変結構なのですが、こちらに向けてくるのは止めてください。正直、付き合いきれません」

 

 チームメイトの劇的な変化をどう受け止めればいいのか答えは出ないが、自分まで巻き込むことだけは勘弁して欲しい。

 

「警戒しなくても、チームメイトを対象外にする分別位はネイチャさんにだってありますよ?」

 

「よく言いますね。トウカイテイオーとの勝負で一番邪魔になるのが逃げウマ娘だからと、ターボ相手に逃げ潰しのトレーニングをしまくっているくせに」

 

 そのイクノディクタスの反論を聞いた瞬間、一緒に居たツインターボの体が震えた。

 

「ネイチャ、すんごい意地悪になった」

 

 トレーニングを思い出してしまったのだろう。涙声になってしまっている。

 

「ほらほらターボ、泣かないで。もうコツは掴んだから、しばらくはやらないからさ」

 

「(なんて言ってますが、()()()()ということは何時かは再開するのでしょうね)」

 

 あっさり騙されて機嫌を直しているツインターボと躊躇(ちゅうちょ)なく騙しにいったナイスネイチャ。

 イクノディクタスは半ば現実逃避気味に、これが二人の美点なのだろうと思考を打ち切った。

 

「皆さん、主役の登場ですよ。雑談はそこまでにして集中してください。ネイチャさん、分かっていますね?」

 

 南坂の核心を省いた問いかけに、ナイスネイチャはニヤリと笑いながら答えた。

 

「もちろん分かっていますとも。このレースで見るべきはテイオーだけじゃない。(きた)るエックスデーには、マックイーンも間違いなく役者として登場するでしょうからね」

 

「その通りです。あなたが見るべきは二人より速く走る方法ではありません。あの二人も含めて、レースを走る全てのウマ娘をどうコントロールするかイメージすることです」

 

 ナイスネイチャが黒く澄んだ決意を固めたあの日から、南坂もまた"帝王"の戴く冠を簒奪(さんだつ)する術を考えていた。

 

 この天皇賞は、その重要な前哨戦(ぜんしょうせん)なのである。

 

『やってきました! 史上初の天皇賞連覇に挑む一番人気メジロマックイーン! 会場に詰め掛けたファンが歓声で出迎えます!』

 

『白い勝負服、素敵ですね。トウカイテイオーの赤と並ぶとよく映えそうです』

 

 大本命。その登場に数万の視線と期待が突き刺さって尚、王者に毛ほどの動揺もありはしなかった。

 

 ……なぜか耳はぺたりと垂れていたが。

 

『さぁ、もう一人の主役が登場です! ここまで八戦七勝! トウカイテイオー!』

 

 二番人気(対抗バ)。勝利も敗北も呑み込んで立つウマ娘からは、挑む者としての気概と強者としての威容が違和感なく溶け合っていた。

 

『両者ともに気合い十分といった表情ですね。良い勝負が期待できそうです』

 

『さぁ、全てのウマ娘がゲートに入りました。勝つのは一体誰なのか? 十四人がそれぞれのプライドを賭けて、いまスタートしました!』

 

 

 

 

 十四人の優駿たちは、誰一人遅れることなくスタートを切った。

 

 会場の熱狂と比較すると静かな立ち上がり。

 綺麗に縦に並ぶかのような位置取りだ。

 

 ()()()宣言をしたウマ娘が居たにも関わらず。

 

『これは……逃げ宣言をしていたメジロパーマーをメジロマックイーンが追う展開! トウカイテイオーはその二つ後ろ!』

 

『ラップタイムもかなり速いですね。後続も着いていくのか抑えるのか判断に迷っているように見えます。三千二百あるレースのまだ序盤。掛かっているのか作戦の一環なのか。どちらにしろ、メジロパーマーにとっては非常にやりづらい展開になりました』

 

 逃げという脚質を持つウマ娘の特徴は何か。

 諸説も例外もあるだろうが、メジャーな見解としては『頭からっぽで走ることが大好きな奴』だろう。

 

 頭が悪いとか考えなしという意味ではない。

 己の全てを速く走るという一点にのみ注げるウマ娘ということだ。

 

 事前の読み、レース展開の調整、駆け引き。

 そんな些末ごとに意識は割かない。

 誰よりも速く、誰よりも短いタイムでターフを駆けて勝つ。

 最強のウマ娘とは即ち最速のウマ娘のことだ。

 

 そんな、ある意味真理とも言える無謀を真顔で言い放つ連中が逃げウマ娘だ。

 

 では、そんな彼女達が最も嫌がることは何か。

 速く走る以外のことを考えさせられることである。

 

 少なくともメジロパーマーは、このレースの先頭は終盤まで自分だという前提で臨んでいた。

 他の逃げウマ娘とも先頭争いなど起こさせない。

 そういうつもりだった。

 

 だが、現実はそうはならなかった。

 少しでも脚を溜めるとかスタミナを温存するなんて事を考えてしまえば、追い抜かれてしまう。

 それほどの勢いでメジロマックイーンが猛追(もうつい)してきている。

 

 大逃げしている自分に追い付こうとしている。

 それは同じく大逃げしているか、最低でも逃げを作戦として採用したということだ。

 

 メジロマックイーンというウマ娘はそういった奇策を好まない。

 自制心が強く、常に誇れる己を示さんとする在り方はレースにも如実に(あらわ)れている。

 なのに、なぜ彼女にとって一番重要と断言してよい春の天皇賞でそれを曲げてきたのか。

 

 そんな余計を考えさせられている時点で、メジロパーマーは本領を発揮できているとは言い難い状態だった。

 

 もっとも、当のメジロマックイーンにメジロパーマーを牽制しようなどという意図は全くなく、本当に()()()()()だけなのだが。

 

 

 甘かった。浅慮だった。勘違いしていた。

 

 ここまで苛烈だとは、想像もしていなかった。

 

 見せつけるような存在感を放ちながら自分を追うテイオーが何を考えているのか、すぐに分かった。

 

「私に着いていけば勝てると、そういうことですか……」

 

 出走経験自体が少なく、その数少ない経験も敗北に終わっている天才が()った策は何か。

 

 実にシンプルだ。

 

 最も長距離レースへの出走経験があって強いウマ娘に着いていく。

 

 ただそれだけ。

 

「(マークされるのは事前の想定通り。想定外なのは……)」

 

 己に降り掛かる、プレッシャーの大きさである。

 

 体が圧し潰され、ターフに沈むと錯覚するほどの圧力。

 肌をチリチリと焼け焦がすような気配。

 一挙手一投足はおろか、呼吸や視線の動きすら捉えられていると思わせる針のような視線。

 

 いつも通りの走りをする。それがこんなにも難しいと感じたのは初めてだった。

 

 このペースはマズい。

 残り距離に対して明らかにスタミナの配分を間違えている。

 最終盤でパーマーと一緒に逆噴射する未来がありありと予想できた。

 

 だが、それは後ろを走るテイオーも同じことではないのか?

 

 すでに三番手まで上がってきたテイオーと後続の間にすら数バ身の差が生まれている。

 そして恐らく、テイオーは自分がプレッシャーに当てられて掛かっていることを見抜いている。

 

 ならば、自分はペースを抑えて終盤に抜き去るのが最良ではないのか。

 そうしない理由があるとすれば。

 

「(あの娘は、このペースでも最後まで走り切れる自信があるということ)」

 

 そして、徹底的に自分を叩き潰す気でいるということ。

 ならば、自分もペースを落とすことをしてはならない。

 

 速度を抑えて走りを取り戻したとしても、待っている結果は変わらず敗北だ。

 

 勝ちたいのならば、自分が上だと示したいのならば。

 

 ――超えていくしかない。

 

 後ろから迫る炎を振り切り、持つはずのないスタミナを持たせる。

 

 その無理を押し通す必要がある。

 

 たとえ、なにを犠牲にすることになったとしても。

 

 メジロマックイーンは覚悟を決めた。

 

 幾度となく決めてきたが、まだ足りていなかった。

 

 もしかすると、今日が己の終着点になるかもしれない。

 

 心に浮かんだ嫌な想像を受け入れ、僅かに笑みを浮かべたメジロマックイーンは。

 

 歯が剥き出しになるほど強く食いしばり、微笑を獰猛な笑みに変えて脚に力を込めた。

 

 

 

 

 大方の予想を覆す展開となった春の天皇賞。

 

 大逃げが成立しなかったメジロパーマー。

 

 明らかに過去のレースと異なる走りで逃げるメジロマックイーン。

 

 掛かってしまっていると勘違いするようなスピードで前の二人を追うトウカイテイオー。

 

 レースが後半に入ろうかという段階でも後続との差が詰まることはなく、四バ身近い。

 

 対して先頭集団の三人が走る距離はそれぞれに一バ身程度の差。

 

 ここまで必死に先頭を維持していたメジロパーマーだが、そのスタミナはもう何時尽きてもおかしくない状態。

 

 逃げさせて貰えなかったこともそうだが、彼女もまた後ろから迫ってくるプレッシャーに晒され続けていた。

 

 しかも、途中からは一人ではなく、二人のウマ娘から放たれるプレッシャーに。

 

 最序盤はマックイーンが自分を追ってきているのだと思っていた。

 

 序盤から中盤に入る辺りで、自分と同じく後ろから逃げているのだと気付いた。

 

 そして中盤に入ってから。

 

 追われて逃げていたはずのマックイーンからも、とんでもない圧が放たれ始めた。

 

 自分を抜き去り、追ってくる存在を置き去りにする。

 メジロ家最強のステイヤーがその覚悟を決めたのだと分かった。

 

 そうして迎えた二周目の第三コーナー。

 

 大逃げに当たり前のように付いてきた二人は、さらにスピードを上げて二人だけの世界へと突入していった。

 

 ……せめてもの救いは、先を行った二人の顔になんの余裕もありはせず、自分と同じ死に物狂いであることが見て取れたことだろうか。

 

 

 

 

 

「(マズい……っ!)」

 

 春の天皇賞。その終盤に至ってトウカイテイオーが抱いたのは焦燥だった。

 

 メジロパーマーを追い抜いて迎えた、メジロマックイーンとの一騎打ち。

 

 徹底的にマークした。嫌がらせと言ってもいい位に圧を掛けた。

 

 それが最善だと考えたからだし、効果はあったはずだ。

 

 重圧から逃れるための走りをして、普段通りの消耗で済むはずもない。

 

 メジロマックイーンのスタミナは最後までは持たない。

 

 スタミナが持たないのは自分も似たようなモノだが、自覚してのそれと相手に強いられたモノでは心構えの面で大きな違いがでる。

 

 こっちは最初から気合と根性も全部使い切ること前提だ。

 

 それでもメジロマックイーンに届くかは微妙だったが、自分の走りを貫けなかった彼女ならばなんの問題もない。

 

 そう考えていて、実際そうなっていて。

 

 ここに来て、その思惑を超えられた。

 

 レースは最終局面。

 ゴールまで残り距離二百を切ろうとしている。

 それでもまだ、トウカイテイオーとマックイーンの間に差が一バ身。

 

 しかし、トウカイテイオーの焦燥の理由は差が詰め切れないからではない。

 

「(これ以上は、脚が壊れるっ!)」

 

 まだスタミナはある。脚も前に出る。振り絞れば勝ち得るだけのモノが残っている。

 

 だが()()()()。この領域に脚を踏み入れるには、まだ早すぎた。

 

 下地と基礎。

 時間を掛けて組み上げるしかないそれらが、足りない。

 

 デビュー以降、初めてとも言える好敵手との激戦。

 己の全てを出し切って尚、届かないかもしれない相手。

 

 それはきっと、前を走るメジロマックイーンにとっても同様だったのだろう。

 

 互いに勝利を掴まんとした必死の走りは、限界という壁にぶち当たった。

 才能の限界にではない。今までに積み上げてきたモノで到達できる限界だ。

 本来ならば、そこで終わる話。

 どちらが勝つにしろ、限界を尽くし切った結果が出るだけのはずだった。

 

 この二人の闘いでなければ。

 

 ――最強の名を懸けて。

 ――絶対を示すために。

 

 譲れぬ理由を胸に抱いた極めて近しいレベルの天才同士による激突は、限界という壁に容易く罅を入れた。

 

 尽きぬスタミナ、際限なく上昇するスピード。

 天に昇るまで翔け、地の果てにすら届きそうな疾走。

 

 無論、全て()()()()でしかない。

 

 精神の高まりと周りの状況が噛み合ったことで、ほんの一時的に起きた偶然による超越。

 歴史に名を遺すであろう二人のウマ娘をして、必然で至るにはまだ遠い境地。

 

 自身の高すぎるスペックを行使したが故の怪我を経験しているトウカイテイオーには見えていた。

 消耗品である脚の越えてはいけない一線。

 

「(なのに、マックイーンのスピードが落ちないっ!)」

 

 まだ超えられる限界でないのは相手も同じはず。

 脚に掛かる負担は無視してよいものではない。

 

 それでも、先を行く好敵手の上昇は止まらない。

 それどころか、追う背中から迸る力はさらに膨れ上がり爆ぜる寸前なのが分かった。

 

「(勝つにはボクも超えるしかない! けどそれは――)」

 

 脚が壊れることを許容するのと同義だ。

 

 もう誰にも負けたくないって、そう思った。

 だが敗北と故障を天秤にかけたとき、今の自分はどちらを取るべきなのか。

 

 まだ出せる力が残っているのに、勝ちを捨てるのか。

 この先、出走できるはずだったレースを諦めてでも勝利に手を伸ばすのか。

 

 怖い。

 

 あの日々に戻るのが。

 ただ漫然と大切なヒトから与えてもらい続けるだけの、あの日々。

 

 大好きな時間だった。幸せな時間だった。

 それでも、支えて助けてもらうだけでしかない時間は辛かった。

 

 やっと対等に、並び立てるようになったのに。

 まだ一度しか、たった一度のレースでしか勝利を捧げられていないのに。

 

「(トレーナー、ボクは……っ!)」

 

 きっとあのヒトは、またボクの脚が折れたとしても傍に居てくれるだろう。

 それでも、もしかしたらという恐怖は拭えないのだ。

 与えられるだけの存在では、もしもの時にあのヒトを引き止められない。

 

 二着でも賞金は出るんだ。

 次に繋げて沢山のレースに出るほうが、折れるのに比べればずっとマシだ。

 

 そうやって自分の心に言い訳を重ね、ゴールまでの距離が百を切ろうかという時、応援席に居る大切なヒトが視界に入った。

 

 大阪杯のときはよく分からない偉そうな態度で頷いていただけだったのに、今は腕を振り上げてコチラに向けて叫んでいた。

 

 『負けるな、がんばれ』と。

 

 恥も外聞もなく応援するその姿は、己の勝利を願ってくれている事の何よりの証だった。

 

「(一体なにを考えていたんだボクはっ! レースで手を抜いて帰って、あのヒトにどんな顔をして胸を張れるって言うんだ!)」

 

 自分がするべきは負けてもいい理由探しなどではない。

 どれだけの迷惑を掛けることになったとしても、面倒を見る価値があるウマ娘だと示すことだ。

 トウカイテイオーは俺のウマ娘なんだと声高に自慢できる存在になることだ。

 

 なればこそ、恥ずべき真似はしてはいけない。

 

「(たとえこの先がどうなるのだとしても、今に全力を出し切る!)」

 

 そうしてトウカイテイオーが心を決めた瞬間(とき)――。

 

 純白の翼がターフを舞った。

 

 

 

 

『レースは最終直線! 後続を大きく引き離しての一騎打ち! だがトウカイテイオー、ジリジリと詰まっていた差がここに来て縮まらない! メジロマックイーンが粘る!』

 

 観衆の大歓声を浴びながら走る両者。その好走に決着が付こうとしていた。

 

 最終コーナーを超え、直線に入った時点であった一バ身の差。

 徐々に、しかし確実に詰められていた差は振り出しに戻された。

 

 強大なプレッシャーに晒されて三千の距離を走っていたメジロマックイーンは限界だったはず。

 だが残り距離二百を切ったとき、観衆は確かに見た。

 

 ターフを舞う白い羽。

 そして、これまでの疲労が消えたかのように翔けるメジロマックイーンの姿を。

 

『メジロマックイーン突き放す! トウカイテイオー伸びない! ここが限界か!』

 

 その実況は半分間違っていて、半分合っていた。

 

 トウカイテイオーが伸びていないのではない。

 伸びを相殺するどころから離されるほどに、メジロマックイーンが速いのだ。

 

 そしてそれは、限界を超えた者と()()()()()()()()者の差。

 

『残り百を切った! 差は変わらず! このまま終わるのか!』

 

 舞う羽は、限界の壁を越え先へと至った証。

 

 赤のスーパーカー。

 タブー破りの三冠馬。

 七冠の皇帝。

 

 世代最強ではなく、日本レース界史上の最強を争う天上の怪物たち。

 彼女たちには、よりはっきりと()()が見えていた。

 

「(天翔ける白翼、か……)」

 

 己の轟雷とも、隣に立つウマ娘の吼えるエンジンとも違う。

 

 彼女の、メジロマックイーンだけの到達点。

 

「(いや、彼女は昨年の時点で既に片鱗を見せていたはず。だが、私がいま見ているのは別モノだ)」

 

 根差す本質。魂の発露。

 

 メジロマックイーンのそれは、貴顕としてのプライドと使命を象徴したモノだったはず。

 

 ならば、目の前に広がる大翼はどこから生じたのか。

 

 誇張なく、日本レース界の頂点と称してよいはずの者たちですら見たことのないそれ。

 一人のウマ娘から生み出される、異なる二つの到達点。

 

 その源泉は――。

 

好敵手(ライバル)、か」

 

 ウマ娘が望む全てを手中に収めたと言っても過言ではない"皇帝"をして、得ることの出来なかった存在。

 

 強すぎたが故に、自分たちは知らぬまま此処まで来てしまった。

 

 メジロマックイーンは、ただレースに勝ちたいのではない。

 他の誰よりも何よりも、()()()()()()()()を超えて勝利したいのだ。

 

 その執着こそが、あの翼なのだろう。

 自分たちには持ち得ないはずだ。

 

「羨ましいわね。本当に……」

 

 隣から聞こえた声に混じる悲哀と憧憬は、普段の彼女からは想像も付かないものだった。

 

 誰もが認める強さを持っていても、その来歴からクラシックの冠を戴くことはなかった怪物。

 

「我々を倒してくれる勇者は、結局は現れてくれなかったからな」

 

 "皇帝"と"怪物"。どちらも並び立つ者が居ないからこその異名だ。

 

 勝利に喜びながらも、何時の日か玉座を追われる時が、打ち倒される時が来ると信じていた。

 

 まさかそれが、レースに勝つよりも難しい願いだとは思いもよらなかったが。

 

「ともあれ、称えようじゃないか。新たな時代を駆けるウマ娘たちの好走を」

 

『いま一着でゴール! 前人未踏! 春の天皇賞連覇を成し遂げました、メジロマックイーン!』

 

「それもそうね。幸いにも、アタシたちにはまだ戦える機会があるんだものね」

 

 偉業の達成を目の当たりにして沸くレース場。その喝采は会場を揺らさんばかりだった。

 

「けど彼女、大丈夫なのかしら。アレはタダじゃ済まないと思うんだけど」

 

 彼女の至った限界の先。

 言葉にすれば陳腐だが、齎される強さと対価はどこまでもシビアだ。

 

 メジロマックイーンは明らかに無理を通していた。

 現にゴールした今も脚元が覚束ない状態だ。

 

「……そうだな。相応の代償を支払うことになるだろう」

 

 見る限り折れてはいないようだが、下手をすれば脚の寿命を大きく縮めかねない。

 

 そしてテイオーの抱えた歪さもまた、垣間見えた。

 

「怪我を恐れる気持ちは理解できる。だが、一着でなくてもいいか等という想いはターフに立つ者が抱いてよいものではない」

 

 それに、今のテイオーはレースを楽しんでいるのだろうか。

 目的を果たす手段としか考えていないのではないだろうか。

 

 その原因は、間違いなくあのトレーナーになる。

 

 救ってくれた故の、救えてしまった故の歪み。

 

「今の二人は、良くも悪くも互いしか見えてない」

 

 共有すべき夢、目指すべき具体的な目標。

 それら、二人で共に歩んでいくべき先が曖昧だ。

 

 恐らくは、菊花賞に敗れたとき。

 そして大阪杯に勝利したとき。

 テイオーは夢と一緒に多くのモノを捨て去り、前を向いて立ち上がった。

 その負の側面が鎌首を(もた)げかけたのが今日だ。

 

 勝ちたい理由を他者だけに委ねてしまえば、最後の最後で競り負ける。

 

「アタシはそういうラブロマンスみたいな関係も好きだけれどね。まぁ、折角ターフでご一緒するんだものね。邪魔者としか思われないのは悲しいし、楽しみたいとも思うけれど」

 

 そう顎に指先を添えてなにやら思案している"怪物"。

 ……また変なことを考えていなければいいのだが。

 

「メジロマックイーンとの激闘が、かつてターフに求めていたモノを思い出させてくれればいいのだがな」

 

 などとお節介なことを考えてしまったが、そこまで心配している訳ではない。

 

 ダービー後の絶望に比べれば小石に躓いた程度の話だ。

 

 なによりも、あの娘は私たちとは違う。

 

 レースの世界がどれほど残酷であったとしても乗り越えて行くだろう。

 

 なぜなら。

 

「テイオー、君は独りではないのだから」

 

 会場を包む喝采にかき消された呟き。

 眩しい光景を見るかのように目を細めるシンボリルドルフの視線の先には。

 

 なにやらテイオーに向けて叫んでいるトレーナーの姿と、ウィナーズ・サークルに立つ勝者(マックイーン)の肩を支えながら笑い合う敗者(テイオー)の姿があった。




次回「春の天皇賞 後編」(仮題)

本作のお気に入り数が五千を超え、評価をしてくれた方も三百を超えていました。
何時も見ていただき、ありがとうございます。
書きたいことは色々とあるのですが、プロットとして固まってないところが多いため投稿間隔が開くことも増えそうです。
これからも楽しんでもらえるよう書いていきたいと思いますのでよろしくお願いします。


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ウサギとカメ2

あれです。バトルが終わった後に各陣営が所感を述べていく次章への繋ぎみたいな回。
皆が真面目な話しているとクズが無言になるのが困りどころ。


「マックイーン、脚は大丈夫?」

 

 届かなかった。

 あと一歩。コンマ数秒。ほんの数メートル。

 その猶予があれば勝てたかもしれないのに。

 

「大丈夫……とは言えませんね。折れてはいないようですが、脚に力が入りません」

 

 レース終盤に感じた限界の壁は、変わらず壁として(そび)え立ったままだった。

 対して目の前の好敵手(ライバル)は、恐らくその壁を超えたのだろう。

 レース中に感じた力の膨張。それが爆ぜたあとに幻視した白い翼。

 

 そこからはもう一方的だった。

 詰め切れるはずだった一バ身の差は縮まることはなく、二バ身まで広がった。

 思わず見惚れてしまうような綺麗で力強い翼だった。

 

「天皇賞連覇、すごいよ」

 

 自分が壁を越えていたなら、一体なにが現れていたのだろうか。

 どんな景色が見えていただろうか。

 あのヒトになにを与えてあげられただろうか。

 

 この胸の内から湧き上がる後悔を感じずに済んだのだろうか。

 

「ありがとうございます、テイオー。あなたが居たから今の私になれました」

 

 負けたくなかった。

 怪我はしたくなかった。

 

 あのヒトに勝利を捧げたかった。

 あのヒトの重荷にはなりたくなかった。

 

 マックイーンにだけは負けたくなかった。

 マックイーンにだから勝てなくても納得できそうだった。

 

「……悔しいなぁ」

 

 足りない。

 なにもかも足りない。

 勝つにはもっともっと要る。

 

 怪我を天秤に掛けることなく勝っていくならば、力が必要だ。

 自分の前に立ちはだかる邪魔者の中には、まだまだ強者がいる。

 立ち止まってはいられない。

 好敵手(ライバル)の見せた限界の先に自らも身を置かねばならない。

 

 ボクのしたいことは、あのヒトと一緒に勝つことなんだから。

 

 今はひとまず認めることにしよう。

 ボクはまだ弱い。

 けれど、ここが行き止まりでもない。

 進んでいける先がある。

 

 必ず超えられる。あのヒトと一緒なら。

 

「ふぅ……。うん、悪くないね。やる気出てきた」

 

 無理のない範疇(はんちゅう)で入着を狙って賞金を持って帰る、それも悪くはない。

 けれど、やっぱり負けるのは嫌だ。

 

「どうかしましたか、テイオー」

 

「なんでもないよ。次は負けないぞって思っただけ」

 

「あら、次も勝つのは私です。あなたには負けません」

 

 負けちゃったから大口叩くつもりはないけど、その様でよく言ってくれるなぁ。 

 

「そんなこと言うなら肩を貸すのはもう止めよっかなー。そのガクガク状態の脚じゃライブも満足にできないんじゃない? ライブのセンター変わってあげてもいいよ?」

 

 菊花賞に負けて、春の天皇賞で負けた。

 ボクの長距離適性は少なくとも中距離には劣る。

 ここからはその事実を受け止めて戦いの場を選ぶ必要がある。

 ましてや相手がこの突き刺さる視線の先に居るウマ娘たちなら。 

  

 ここはシニア級。

 先達に挑まねばならない戦場であると同時に、向こうから襲い掛かってくる戦場でもある。

 

 観察、挑発、興奮。

 読み取れるものはそれぞれに異なっている。

 確実なのは、そう遠くない未来にぶつかり合うだろうということ。

 

 なんの目的があってコチラを意識しているのか分からないが、ボクの前に立つならやることは変わらない。

 

 それがなんであろうとも、叩き潰していくだけだ。

 

 

 

 

「まさか、あのトウカイテイオーでも勝てないだなんて」

 

 抱いた感情は驚愕(きょうがく)

 

 大阪杯で私を歯牙にもかけない強さで圧倒したウマ娘よりも、さらに上が居る。

 その事実はGⅠ勝利という壁の高さを感じさせ、ともすれば絶望感すら漂う。

 

 この先、努力を重ねたとして勝てるのか。

 どれほどの努力をすれば勝利に手が届くのか。

 道は暗く、明かりは見えない。

 

 この結果には、彼女の打倒を目的とするチームメイトも心穏やかではいられないだろう。 

 そう考えて横に視線を向けると、ネイチャさんは難しい顔をしてターフを見つめていた。

 

「へぇー。ふーん、そうきますかー。天才は本当になにをさせても天才ってやつですかねー」

 

 喜色と渋面。その両方を同時に浮かべようとして出来上がったような歪んだ表情。

 発する言葉は嫉妬のようにも聞こえるが、感情の色が感じられない。

 

「大いに実りはあった。しかし懸念すべき点もあった。トータルで見ればイーブンと言ったところでしょうか」

 

 それに反して南坂は淡々と手元のファイルになにかを書き込みながら、所感を述べていた。

 

「そうだね。レース中のウマ娘に精神的な負荷を掛けるにはどうすればいいか、実践して見せてくれちゃいましたもんね。見せてくれたのがプレッシャー掛けたい相手だってのは癪ですけど」

 

 なるほど。普通に走って勝てないのなら、如何に相手に本調子を出させないかが肝要。

 

「確かにマックイーンさんは終始走りづらそうでしたね。トウカイテイオーから放たれる圧は此処からでも感じ取れるほどでした」

 

 しかし、あの化物じみた強さを持つウマ娘たちが簡単に圧に屈してくれるだろうか。

 化物同士だからこそ意味があるだけで、私たち程度が圧を掛けたところでそよ風ほどの影響しか与えられないのではないか。

 

 そう考え、再度ネイチャさんに目を向けた瞬間、無意識に体が後退った。

 

「今、後ろに下がったでしょ? 普通に威嚇(いかく)するだけだとあんまり意味はないよ。けどね、使い方次第でいくらでも意味を持たせられる」

 

 レース開始前に見せられた、へばりつくような黒い感情。

 それを遥かに上回るなにかが向けられている。

 蛇に睨まれた蛙のように、体が動かない。

 

「タイミング、緩急、ポジション。効果の大小も重要ですが、上手く使えば小さい力でも大きな影響を与えられますからね。となると、やはりどのレースで仕掛けるかが肝になりますか」

 

 金縛りにあったように動けない自分に対して、南坂はなにも感じていないようだった。

 いや、ターボもタンホイザも首を傾げて私を見ている。

 体が動かなくなっているのは自分だけなのか。

 

「一人にだけ集中させたり、周り全体に圧掛けたり、色々とバリエーションがある訳ですよ。あとは意表を突くとかね。どうだった、イクノ。怖かった?」

 

 厭味(いやみ)ったらしい笑顔で聞いてくるネイチャさんの顔を張り倒したくなった私は悪くないと思う。

 

「……こほん。それで、その嫌がらせでトウカイテイオーに勝てるのですか?」

 

 意趣返しも兼ねたとは言え、この聞き方は少し意地が悪かっただろうか。

 

「いやー、アタシはそこまで優秀なウマ娘じゃないんですわ。タイマン勝負ならどれだけ策を弄したところで完敗でしょ」

 

 自分だけでは勝てないと、ネイチャさんは当然のこととして断言した。

 

「なら、どうするのですか? 待っていてもトウカイテイオーが弱くなってくれるなんて事はありませんよ」

 

 恐ろしい事だが、今日がトウカイテイオーの上限だとは思えなかった。

 今ですら届くか分からないというのに、まだ先があるだなんて。

 

「簡単簡単。用意すればいいんですよ。トウカイテイオーを倒してくれるウマ娘を」

 

 言われたことの意味が、いまいち理解できなかった。

 

「正確には、いい感じにギリギリまでトウカイテイオーを追い詰めてくれるウマ娘かな」

 

 つまり、漁夫の利を狙うということだろうか。しかし、それは……。

 

「ネイチャさんは、それでトウカイテイオーに勝ったと思えるんですか?」

 

 反則という訳ではない。

 陸上競技のセパレートコースではないのだから、全体の駆け引きはあって当然の要素だ。

 だが、ネイチャさんは自分でトウカイテイオーの心を折りたいと物騒なことを言っていたはず。

 

「もちろん勝手に共倒れされちゃうだけじゃダメだよ。アタシが狙って全員共倒れさせて、一着でゴールする。そして負けたテイオーに手を差し伸べてあげるの。『いい勝負だったね』って」

 

 ……考えていることが性悪すぎやしないだろうか。

 

「役者がどうこう言っていたのはそういう事ですか。マックイーンさんなら、トウカイテイオーを消耗させられると」

 

 実際に勝っているのだから相手としては適任なのだろう。

 

「うん。だけど先行型の強いウマ娘ばかりだと展開が早くなりすぎてアタシが付いていけなくなりそうなんだよね。だから理想は差しと追い込みのウマ娘。それにマックイーンは休養するって可能性もありそうだし」

 

 ターフから引き上げるマックイーンさんを見ていると、十分に考えられる話だ。

 怪我はなくとも、その兆候や出走するのが危険な位に疲労が溜まっていることはあり得る。

 秋まで、あるいは年内のレースを避けることになるかもしれない。

 

「まあ人選は頼れるトレーナーに任せてるので。さてと、名勝負も見れてやる気も漲ってきたことですし、アタシは学園に帰ってトレーニングすることにしましょうかね」

 

「ですね。私も負けてはいられません。お付き合いしますよネイチャさん」

 

 変な性癖に目覚めてしまった友人だが、勝利への貪欲さが増したことも間違いない。

 見習えるところは真似させてもらうとしよう。

 

「おっ、やる気満々ですねぇ。ちょうどアタシもお願いしようと思ってたんだよね。ほら、ターボはしばらく使わないって言っちゃったし」

 

 ……は?

 

「やっぱり今日のパーマーを見てるとさ、逃げウマ娘は邪魔なんだよね。しかも干渉できるタイミングがスタート直後しかないでしょ? だから入念に練習しておかないとね。潰し方。いやー、チームメイトに逃げができるウマ娘が二人もいてくれてネイチャさんは幸せものだよ」

 

 なにを無害そうな顔して畜生発言してるんだこの女は。

 

「泣くまでやるから覚悟しておいてね。というか泣かせてからが本番だから」

 

 ……口は災いの元。

 それが今日、私ことイクノディクタスが学んだ最大の知見だった。

 

 

 

 

「やっ、中々いいレースだったね」

 

 メジロマックイーンの応援に来ていたらしい後輩と話をするためにマルゼンスキーが去った後、レース場までは同道していたもう一人のウマ娘が戻ってきた。

 

「おかえり。……毎回思うのだが、なぜレース場までは一緒に来るのに中に入ると一人でどこかに行ってしまうんだい? 同じモノを見ながら君の意見も聞きたかったんだが」

 

 相変わらず自由というか、破天荒というか。

 

「レースを見る時はね、誰にも邪魔されず自由でなんというか、救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで……」

 

 なにやら含蓄があるのかないのか分からない事を言い出したが、私が聞きたいのは観戦の作法ではなくレースの所感だ。

 

「ドリームトロフィー・リーグに登録されていないウマ娘としては最高峰のレースだったはずだが、君にはどう見えたか教えてもらえないだろうか」

 

 彼女の持つ視点は私と大きく異なる。

 マルゼンスキーとは近いところがあるが、果たしてなにを感じ取ったのか。

 

「ある意味ではルドルフに似ているんじゃないかな。レース自体の楽しさよりも、その先にある何かのために走る。楽しさよりも実利と言えばいいのかな」

 

 やはり、そう見えるか。

 

「興味の湧き具合としてはそれなりかな。いずれ上がってきた時を楽しみにしておくよ。アタシよりも君はどうなのさ。トウカイテイオーの事は気に掛けていただろう。今の彼女をどう思っているんだい?」

 

 今のテイオーをどう思うか。

 強さについては申し分ない。

 メジロマックイーンにこそ負けたが、同じ条件で勝てるウマ娘は歴代でもそうは居ない。

 これからの成長も考えると、中距離ならシニア級最強と言えるかもしれない。

 内面については以前の明るく溌剌(はつらつ)とした性質は少しだけ鳴りを潜め、排他的な面が見受けられるようになった。

 

 この一年ほどの間、彼女が置かれていた環境を(かんが)みれば仕方のない変化なのかもしれない。

 彼女の人生で、あれほどに他者の悪意や人の汚い部分を直視させられた事はなかっただろう。

 それ故にトレーナーに対して依存に近い信頼をしてしまっていることも道理なのだろう。

 

 だが、それでは困るのだ。

 

「トレーナー君と仲睦(なかむつ)まじくしている様子は微笑ましいのだけれど、シンボリルドルフとしては手放しで喜べないな。私のようになりたいと言ってくれたテイオーが二冠を獲ったとき、柄にもなく思ってしまったんだ。本当になってくれるのではないかとね」

 

 私のように、私と同じ夢を抱いてくれる存在に。

 

「おや、なんだか悪い顔をしてないかい? とても自分の事を目標としてくれていたウマ娘に向ける表情だとは思えないのだけれど」

 

 二冠を獲ったとき、頂点に立つに相応しい才能だと思った。

 菊花賞に向けて立ち上がったとき、他者の痛みと弱さを理解できる強さを得たと思った。

 数奇な運命のように悪い噂の付き纏うトレーナーと組んだとき、トレセン学園に新しい風を吹かせられると思った。

 

「無敗の七冠を無邪気に目指していただけなら笑顔で見守っていたさ。けれどね、もうそんな他人事ではなくなってしまったんだ」

 

 全てのウマ娘の幸福という荒唐無稽(こうとうむけい)な夢。

 

 それを成すには多くの力が要る。

 多様な人材が要る。

 

 あの二人は、彼と彼女は私の夢を叶えるために必要だ。

 

 だから、困るのさ。

 お互いだけを見て満足なんてされてはね。

 

「"皇帝"の後継者と目されている"帝王"。そうなってくれるんじゃないかと思うとね、我慢が利かなくなった。どうしても二人まとめて手元に収めたくなった」

 

 そうすればより多くのウマ娘に与えられる。

 活躍の場を、未来を、新しい夢という名の幸福を。

 

「手元に収めるって、具体的にはどうするんだい? シンボリの家に招き入れるという意味かな」

 

 そういった手段もいずれは考えなければいけない。

 ウマ娘の幸福を目指すのなら、学園内だけではなくURAに対する働きかけも必要だ。

 

 だが、まずは。

 

「生徒会で囲うとしよう」

 

 悩める全てのウマ娘に手を差し伸べることは不可能。

 だが、あの二人が居れば差し伸べることができる手の数は増える。

 

「立派なこと言ってる風だけど、ちょっと悪の"皇帝"っぽいよ?」

 

 そう言って笑うミスターシービーはなんとも愉快そうだった。

 

「タブー破りが代名詞になっている君に"悪"呼ばわりされるとは心外だな」

 

「タブーと言っても周りが勝手に言っていただけのことさ。破ったところで誰も迷惑は(こうむ)らない。ところで、囲うのは結構だけれど言うことを聞いてくれるのかい? トレーナーの方も随分と変わり者だと聞いているけれど」

 

「むしろトレーナー君の方が扱いは簡単だよ。会って話してみてはっきりと分かった。彼は(くずお)れる者を見過ごせない。強制せずとも引き合わせるだけで支えになってくれる」

 

 その支え方がトレセン学園の気風に合わないことが問題視されていたが、生徒会でバックアップすればいい。そうやって物事を綺麗なように見せるのは、不本意ながら得意な方だ。

 

「問題はテイオーだな。トレーナー君を貸してくれと言っても首を縦に振らないだろうし、生徒会活動にも今は興味を示さないだろう。はてさて、どうすればコチラ側に来てくれるかな」

 

 恋は盲目……で合っているのか分からないが、今のテイオーにとって最優先事項なのは彼と二人で過ごす時間。

 他のコミュニティと積極的に関わってその時間を削ろうとはしないだろう。

 

 もう少し時間を経て落ち着けばすんなり協力してくれるかもしれないが、引き込むのが早いほど手を差し伸べられる数も増える。あまり待ちたくはないな。

 

「ルドルフの夢を否定はしないけれど、それってトウカイテイオーの幸福を無視してないかい?」

 

 ……耳の痛いセリフだ。

 普段は何を考えている分からないのに、こういう時は核心を突いてくるから性質(たち)が悪い。

 

「なにも問題はないよシービー。私は"皇帝"シンボリルドルフ。トレセン学園の生徒会長で七冠を達成した唯一のウマ娘なんだ」

 

「とてもよく知っているけれど、それがなにか関係あるのかい?」

 

 関係あるのかって?

 もちろんあるさ。

 なぜなら……。

 

「私のやる事こそが"絶対"だ」

 

 そう言った私を呆れたようなジト目で見やるシービーをしり目に、言葉を重ねる。

 

「それにね、私も少しだけ拗ねているのさ。あんなに私を目指すと言っていたのに、今のテイオーはトレーナー君に夢中だろう? 可愛い後輩にまたこっちを振り向いてほしいなー、なんて幼稚な考えもあったりする」

 

 だから、ちょっとだけ強引な手段で。

 まずはトレーナー君から手に入れるとしようか。




ルドルフ
「トレセン学園を婚活マッチング場と勘違いして寿退職とかされると困るんだよ。いや本当に」
CB
「そんなやつおらんやろ」

カフェの育成に忙しくなるので次回の投稿は未定です。


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等価交換

相変わらずクズが出てこないが久しぶりにプリティーな話が書けた気がする。


 春の天皇賞を終えて一週間。

 

 私は再び盾を手に入れ、公言どおりの二連覇を成し遂げた。

 最強のステイヤーという称号を得て、メジロ家の悲願は最良と言ってよい形で果たされた。

 

 その代償、歩を進めるごとにじわりと(にじ)むような痛みが走る脚を見ながら思う。

 失ったモノは大きいが、同じ選択を迫られたとして、やはり私は同じ決断をしただろう。

 

 約一年に及ぶ休息期間。

 それが、消耗した脚をレースに耐えられるよう戻すのに掛かる時間だ。

 

 もどかしさはある。

 出走できないこの時間が、好敵手との決定的な差となってしまわないかという怖さもある。

 

 それほどまでに天皇賞の盾を争ったウマ娘の実力は凄まじかった。

 一年前の自分は彼女ほどに強かっただろうか。

 答えは否である。

 

 一年という積み重ねた時間と経験の差があってギリギリの勝利。

 己の強さが新たな段階に進んだという感覚もあったが、後ろを追ってきていた彼女とのあいだに大した違いは感じられなかった。

 

 下手をすれば次のレースでは自分と同じ場所まで上がってきているかもしれない。

 そうなったとき、春の天皇賞三連覇の夢はどうしようもなく達成困難になるだろう。

 

 さらなる成長が必要だ。

 少なくとも今の自分に圧勝できる強さを得られなければ、来年は勝てない。

 

 病は気から。

 療養のためにも気持ちを上向かせたいが、得難い好敵手(ライバル)の存在が今だけは憂鬱(ゆううつ)の種だった。

 負けてなお精神に負荷を掛けてくるだなんて。

 げに恐ろしきは"帝王"と呼ぶに相応しいその気質か。

 

「マックイーン、いま時間あるか?」

 

 益体(やくたい)もないことをトレーナー室で考えていると、部屋の主が帰ってきた。

 態々声を掛けてきたということは、今後のプランについて良い案でも浮かんだのだろうか。

 

「構いませんが、どうしました?」

 

「戻ってくる途中、トウカイテイオーに会ってな。マックイーンに用事があるってんで部屋の前で待ってもらってるんだが」

 

 今まさに思案し、対策を練ろうと考えていた相手の突然の来訪。

 このタイミングで一体なんの用だろうか。

 

「用件は聞いてみたんだが、マックイーンの居ない場所で話すことでもないって言われてな。真剣な顔してたから、遊びの誘いとかじゃなさそうだが」

 

 考えられるとすれば、やはりレースのことだ。

 長距離レースでは一応の勝敗がついた。

 だが、中距離ならどうか。

 まだ休養することは公には周知されていない。

 宝塚記念辺りでのリベンジ宣言に来たのかもしれない。

 

「話すことは問題ありません。ただ、トレーナーも同伴でという条件付きにしたいですわね」

 

「ああ。俺もそれがいいと思っている。それじゃ、入ってきてもらうぞ」

 

 トレーナーによって招き入れられたテイオーの顔付きは、聞いたとおり真剣なものだった。

 

 

 

 

 マックイーンの二連覇とそれに伴う休養。

 担当トレーナーとしては嬉しい反面、無理をさせ過ぎたことは反省すべき点だ。

 

 トウカイテイオーの強さを知った以上、次に向けた焦りもあるだろう。

 高い自制心と使命感故に頑張り過ぎるきらいがあるマックイーンに対して、此処からは精神面のケアがなによりも重要だ。

 

 焦燥を消しつつも、モチベーションは高く維持させる。

 その難題に頭を悩ませていた最中に突然やってきたトウカイテイオー。

 

「さっき伝えたように、俺も同席させてもらう。構わないな?」

 

 トレーナー室の打ち合わせスペースに三人で腰かけ、話を促す。

 マックイーンの用意してくれた紅茶を飲んで息を吐くと、肩に力が入っていたのが分かった。

 

 ……さて、どんな話が出てくるのやら。

 

 今後、何度となくマックイーンとぶつかり合う事になるだろう強敵。

 話の内容は予想が付かないが、こちらもトウカイテイオーに探りを入れて次に活かす。

 それが、スピカを率いるトレーナーとしての役割だ。

 

 そう気を引き締めると、トウカイテイオーは特に気にした様子もなく頷いた。

 

「うん。ボクはマックイーンがいいなら問題ないよ。まずは時間くれてありがとうね。まだ天皇賞の疲れも抜けきってないでしょ?」

 

 礼を述べるトウカイテイオーも天皇賞を走っているはずなのだが、あまり疲労が残っているようには見えない。

 タフネスは彼女にとって優れている面ではなかったはずだが、どうやら克服済みのようだ。

 

「それは……お互い様のはずです」

 

 少しだけ納得がいってなさそうに答えるマックイーン。

 勝てたとはいえ、レースへの出走が難しいレベルの疲労が蓄積したのだ。

 それに対して相手は特に消耗した様子もないとなると、そう思いたくもなるか。 

 

「ボクは療養について一家言あるからね。じゃあ早速だけど、相談に入らせてもらおうかな」

 

 本題に入ろうとするトウカイテイオーを見て、自然と身構えてしまう。

 隣のマックイーンからも唾の呑み込む音が聞こえてきた。

 俺にとってはレースの勝負相手という以外に接点のないウマ娘だ。

 どんな話が飛び出してくるのか、恐らくマックイーンも緊張しているだろう。

 

「メジロ家で繋がりのある税理士とか、信用できるファイナンシャルプランナーが居れば紹介してほしいんだけど」

 

 思考が固まるのが分かった。

 ぜいりし?ふぁいなんしゃるぷらんなー?

 

 内容がしばらく咀嚼できなかったし、マックイーンの頭の上にもクエスチョンマークが飛び交っていた。

 

「えーっと、話の流れが見えないというか、ちょっと内容が予想の斜め上すぎて思考が追い付かないのですが、なぜそのような相談を?」

 

 マックイーンの疑問も尤もだ。

 

 そんな事を聞いてくるトウカイテイオーがおかしいという訳ではない。トレセン学園で上位に位置するウマ娘は重賞レースで勝利・入着しているのだから、相応の賞金を受け取っている。世間からの人気が大きければ、ぬいぐるみやライブのグッズなども販売され、学生どころか大半の大人が足元にも及ばないような収入を得ていたりする。

 

 いくらレースの才能があってもまだ子供。収入に対する税制だの、グッズ販売のインセンティブや契約内容を自分で管理するなんて不可能だ。というか、専門としている者でもない限り大人でも普通に難しい。

 

 短期間で大金を得てしまい、人生観が歪んだり道を誤ったりしないよう体制を整備することも学園の重要な責務だ。だからこそ、そういった問題に対処するための部署や人員を学園でも用意している。クラシックで二冠を達成したトウカイテイオーも、既に関わり合いを持っているはずだが。

 

「確かに、メジロ家では代々重用してきた者たちや懇意にしている企業などもあります。紹介できないという事はありませんが、学園が用意している人員の質は決して低くはありません。その、わざわざ私に借りを作るような真似をする必要もないと思うのですけど」

 

 暗に紹介するのはタダではないぞと伝えたのは、マックイーンの義理堅さの表れだろう。対価は貰う。代わりに、紹介するのであればメジロ家として責任を持って不利益になるような結果にはさせないという宣言でもある。

 

「そういったことを担当しているヒトはいるんだけどさ、学園の関係者って小煩いんだよねー」

 

 やれやれといった感じで首を横に振るトウカイテイオーの言葉で、全容が見えてきた。

 トウカイテイオーの金遣いが荒い訳ではないだろう。清貧を尊ぶという柄でもないだろうが、物欲が大きいようにも見えない。趣味としても、レースと歌とダンスさえあれば満足というタイプのはずだ。

 

 ならば、口出しをされている理由はトウカイテイオー自身ではなく、その周りに起因しているのだろう。

 

「なるほど、私も少しは理解できます。ウマ娘の一番近くに居るトレーナーの金銭管理が下手くそだと、心配されてしまいますものね」

 

 冷ややかな視線を向けられ、ギクリと肩が跳ねた。

 ……まぁ、そういう事なのだろう。

 

「全く、ボクの賞金を不当に搾取されてないかだなんて、心配してるにしても失礼だよね」

 

 少々特殊な関係性ではあるが、トウカイテイオーとトレーナーの間に強い信頼関係があることは疑いようがない。そのトレーナーを疑うような相手こそ、付き合うに値しないと言いたい訳だ。

 

 憤慨した様子のトウカイテイオーを見て、自然と笑みがこぼれた。

 自分も胸を張って立派な大人ですと言える存在ではないが、あの後輩はそれに輪を掛けて世渡りが下手だ。全てが誤解とも言えないし、トレーナーとして結果を出せていなかったことも事実。

 そんな自分にとっても心配の種だった人物は、担当ウマ娘がライバルに借りを作ってでも優先すべき存在になったのだ。最近はトレーナーとしての在り方にも一本の芯が通ったように思える。

 トウカイテイオーだけではない。クズと周りから誹謗(ひぼう)されている男の成長もまた、油断できない要素だと認識を改めよう。

 

「トレーナーとウマ娘の理想の関係性は一心同体。共に歩む相棒をバカにされて黙ってはいられませんものね。ダービー以降のあなたを心配していた時期もありましたが、杞憂で済んで良かった。理由も納得できましたし、そういうことであれば紹介するに吝かではありません。手配するようにいたしましょう」

 

 マックイーンから是と返事を受け、笑顔で喜ぶトウカイテイオー。

 荒れた内容にならなくてよかった。

 そう一息ついた瞬間、次いで聞こえてきた言葉に体がピシリと固まるのが分かった。

 

「ありがとうっ! いやー、二人で暮らしていくのに必要なお金が三億円って言うでしょ? 余裕を見て五億は稼いでおきたいし、トレーナーの金銭感覚が緩いのは事実だから、ボクがしっかりと代わりに管理しなきゃなーって思ってたんだ!」

 

 ほっこり温かい空気が漂っていたはずなのに、今は体を冷たい汗が伝っていくのを感じる。

 隣に座り紅茶のカップを持つマックイーンの手も、微かに震えていた。

 

「と、ととトレーナーとウマ娘の理想の関係性は一心同体。互いの足りない箇所を補っていくものです。トレーナーの金銭感覚が危ういなら、ウマ娘が管理するのもど、道理ですわね」

 

 どんな道理だよ。確かにマックイーンに任せれば俺の財布の中身もちったぁマシな状況になるかもしれないが、学生に財布を管理されるなんて恥ずかしすぎるだろ。

 

「うんうん、そうだよね! ボクも出来るだけ長く現役で走って稼ぐつもりだけどさ、稼ぐだけ使われても困るし、遊ぶお金とは別にちゃんと貯蓄とか資産運用して準備しないとなって」

 

 いったい俺はなにを聞かされているのだろうか。準備とは、いったいなんの準備なのだろうか。というか、あの後輩は自分のウマ娘になにをさせているんだ。別の意味で心配になってきたぞ。

 

「先ほども申し上げたとおり、手配はメジロ家が責任を持って行います。日程は後ほど詰めるようにいたしましょう」

 

 これ以上、踏み込むのは危険と判断したのだろう。

 マックイーンはさっさと話を締めに入った。

 俺も完全に同意である。

 

「分かった。それで貸し借りの話だけど、なにかボクにしてほしい事ってあるの?」

 

 マックイーンの対応を特に疑問にも思っていないようで、トウカイテイオーは対価をどうするか問うてきた。マックイーンも大したものを要求する気はないだろうが、今後を見据えるとなにが最善か。

 

「マックイーン、お前に案がないなら俺が提示させてもらってもいいか?」

 

 マックイーンが頷くのを見て、トウカイテイオーに向き直った。

 

「今年の夏、スピカで合宿をする予定なんだ。その合宿にお前たちも参加してくれないか?」

 

 スズカが海外へ行き、スペはドリームトロフィー・リーグへ。

 トゥインクル・シリーズへのデビューを予定しているゴルシ、ウオッカ、スカーレットにとって、世代を代表するウマ娘と切磋琢磨する時間を設けて新しい刺激を与えることは今後の成長に役立つ。

 

「トレーナーに聞いてみないと断言できないけど、たぶん大丈夫じゃないかな。でもそれって対価になるの?」

 

 自分にもメリットはあるし、借りを返すことにはならないのではないかと、トウカイテイオーは首を傾げていた。

 

「うちのウマ娘たちにお前やアイツからの意見を色々と貰いたいのさ。疑問に思うかもしれないが、俺は対価として充分だと判断している」

 

 念のためマックイーンに視線を向けてみたが、こっちも異論はなさそうだ。まぁ、返されすぎても後味が悪いからな。

 

「二人がそれでいいならボクがどうこう言うことじゃないか。じゃあ、トレーナーに許可を貰っておくよ。マックイーン、相談に乗ってくれてありがとうね」

 

 そう言ってトウカイテイオーは立ち上がり、部屋から出ていった。

 たっぷりと時間を置き、足音が聞こえなくなったことを確認してから、大きく息を吐く。

 

「はぁ。トレーナーとウマ娘としては上手くいっているんだろうけど、なんだかなぁ」

 

 後輩はちゃんとウマ娘と対等な関係を築けているのだろうか。もしかしなくても尻に敷かれているのではないだろうか。

 

「あれも一種の成長、なのでしょうね……」

 

 部屋の天井を見上げ、マックイーンが重たく呟いた。

 

「しっかし、テイオーもやりすぎなきゃいいけどな。男ってのは束縛されるのを嫌うもんだ」

 

 特に俺やアイツみたいなタイプはな。

 

「あら、これだけレースで結果を出しているウマ娘がいるというのに、ボロい合宿所しか用意できないあなたも大概でしょう。なんでしたら、私生活から財布からなにまで、私が管理して差し上げてもよろしいですわよ?」

 

 そう冷たい笑顔で告げるマックイーンを見て、俺は部屋から逃げ出すことにした。




■設定(トゥインクル・シリーズとドリームトロフィー・リーグについて)
本作独自の設定として二つは独立していません。
トゥインクル・シリーズに登録されたままドリームトロフィー・リーグに出走可能です。
宝塚、有馬に続くグランプリの一種として夏冬にあるイメージです。
ドリームトロフィー・リーグの方が格が高く、シニア級での好成績がないと出走できません。
また、ドリームトロフィー・リーグに出走経験のあるウマ娘が通常の重賞レースに出てくると荒し行為にしかならないので、かなり厳格な基準が設けられます。そこで万が一敗北した場合、以降のドリームトロフィー・リーグ出走条件に色々と課せられたりします。

なので本作における偉大な諸先輩方はいつかぶつかる壁ではありません。
その気になれば向こうから突進してくるデモンズ・ウォールです。

■キャラ設定(作者のイメージ)
トウカイテイオー:
赤緑デッキ。
優れた才能から繰り出される暴力的な走りで周りを殴ってくる。
生来の快活さや善性は失われていないが敵対者には容赦しない。
ターフで全員を力で屈服させた後、優しく健闘を称え合うDV彼氏みたいなムーヴをしてくる。

ナイスネイチャ:
青黒デッキ。
そこそこ優れた才能から繰り出される走りと、クソみたいな性根から繰り出されるデバフで全員を沼に沈める。
生来の気配り上手さや善性は失われていないが、レース中のウマ娘の心は容赦なく折る。
心が折れかけているウマ娘に次も頑張ろうねと綺麗な笑顔で手を差し伸べるDV彼氏みたいなムーヴをしてくる。


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強襲Ⅴ

前話の裏側、というかクズサイドのお話です。
"皇帝"シンボリルドルフの刺客がクズに牙を剥く。


 他者を従えるために、何が有用だろうか。

 

 たとえば実利。

 金銭や役職、栄誉。

 価値が明確であり、私にはそれらを与えられる権限がある。

 だが、与え方を間違えれば堕落を生む危険性もある。

 

 たとえば共感。

 夢や目標、"理想"。

 些か曖昧だが、想いの強さがもたらすモノの大きさはバカにできない。

 反面、曖昧さ故のすれ違いや誤解が生じやすい。

 

 たとえば力。

 逆らうことのデメリットを示せば相手は自然とこうべを垂れる。

 大した支出もなく従えられるが、反発もまた激しくなる。

 なにより、それでは長続きしないだろう。

 

「ふふっ、私の取った方法は功を奏するだろうか」

 

 まぁ、仮に上手く行ったとしても二人からは嫌われることになるだろう。

 

 それが悲しくないと言えば嘘になるが、背に腹は代えられない。

 生徒会室の窓から、件のトレーナーの元へ赴く"女帝"を見ながら、そんなことを思った。

 

 

 

 

「というわけで、貴様には生徒会が主導しているプロジェクトの一つに携わってもらう」

 

 春の天皇賞を終えて一週間。

 次に出走予定の宝塚記念に向けてトレーニングメニューを見直していると、″女帝″が部屋に乗り込んで来てそんなことを言いだした。

 

「何がどういう訳だよ」

 

 "女帝"エアグルーヴ。

 生徒会副会長を務め、規律や規則の遵守に重きを置くウマ娘だ。

 自他共に厳しい女であり、俺も事あるごとに『たわけ』と言われている。

 

 正直、その見てくれでブルマ履いて重賞レースに出る女にたわけとか言われたくない。

 大人びた顔立ちに色気のある化粧。本当に高校生?と言いたくなるような身体つき。

 お前の恰好の方がよっぽどたわけてるだろ。

 

 口に出すとタダでは済まないだろうから言わないが。

 

 それにしてもなんで俺なんだろうか。

 以前、ルドルフが押しかけて来たときは案外取っつきやすい奴だと認識を改めた。

 気さくで話の分かる奴で、柔軟性もなくはなさそうだった。

 俺みたいな奴でも使い道があれば躊躇いなく使うだろう。

 

 だが、エアグルーヴは違う。

 印象が悪い相手に対しては期待も重用(ちょうよう)することもしないだろう。

 頑迷というよりは、そういった外面を取り繕うことも大切な努力と考えているからだ。

 そして俺は、エアグルーヴには毛嫌いされているはずだ。

 

 俺も生徒会みたいな堅物が集まっていそうな組織が嫌いで、プロジェクトとか仕事みたいな単語が嫌いだからお互い様だが。 

 

「トレセン学園全体が近く開催されるURAファイナルズに向けて大忙しなのは知っているな?」

 

 それはまぁ、もちろん知っている。

 

 芝・ダート・距離関係なく全てのウマ娘に活躍のチャンスを与える。

 そういう名目で子供理事長が発案した新しいレースの準備に上も下も追われている。

 

 GⅠレースが連日行われるお祭りのようなものだから、世間の注目も大きい。

 さらに予選からの勝ち抜き方式で通常の重賞レースと比べても参加資格が緩くなっている。

 各世代の最強格以外にもチャンスがあるかもしれないと、うだつの上がらないウマ娘たちも奮起している。

 そういう意味では距離制限を取り払った第三のドリームトロフィー・リーグと言い換えてもいいかもしれない。

 

「でも、俺たちはURAファイナルズ出ないぞ?」

 

 そんなトレセン学園の新たな試みではあるが、俺とテイオーはまるで関わる気がなかった。

 

 なんでかって?

 このレース、賞金が一円も出ないの。 

 

 走ることを目的とした、夢に向かって駆けるウマ娘たちのレース。

 それがURAファイナルズだ。

 テイオーが興味あるなら出ても構わなかったんだが、心底どうでもよさそうだった。

 

『そんなことより有馬でしょ』

 

 それが俺とテイオーの共通認識だ。

 

 ただでさえ秋から年末にかけては中距離のGⅠレースが連続する。

 ローテーションを考えるときにURAファイナルズはノイズになる。

 俺たちにとっては大した意義も見いだせないレースだし、出なくてもいいよねって。

 

 もちろん優勝すれば大きな注目を集められるし、賞金以外の面で金稼ぎに都合の良い副産物が色々とあるだろう。

 ウマ娘の本懐がなにかと考えれば、出ない選択をする俺たちの方が異常なんだと思う。

 

「はぁ……。レースへの出走は各々の自由意志が尊重されるべきだ。だが、シニア級で最も注目されているウマ娘の一人が出ないなどと、運営も頭を抱えているんだぞ」

 

 そんなこと言われても当人が無関心だからなぁ。

 どうせなら年が明けて落ち着いてからにしてくれれば良かったのに。

 それでも多分出ないけど。

 

「出走しないことについて私からどうこうは言わん。だからこそ、この話を持ってきた訳でもあるからな」

 

 おお、そう言えばそれが本題だったな。

 

「もう一度言うぞ。生徒会主導で悩みを抱えているウマ娘の相談に乗る場を設けるプロジェクトが立案された。そして、その相談役の一人としてお前が抜擢されている。ついては毎週決められた時間に所定の部屋で待機してもらうことになる」

 

 色々と疑問はあるのだが、なによりも人選を間違えてるよねこれ。

 

「そういうのは真面目で世話焼きな連中に任せるもんだろ。学園のトレーナー陣の中でも不良扱いされてる俺が選ばれるのはおかしくないか? 誰だよこれ言い出したの」

 

「……推薦人の個人情報はプライバシーの観点から秘匿させてもらう」

 

 スッと逸らされた視線からは、ばつの悪さが感じ取れた。

 何事にもスッパリと決断をして、はっきりした物言いを好むエアグルーヴらしくない態度だ。

 まさかコイツが推薦したなんて事はないだろうし、近しい誰かだろうか。

 

「受ける受けないって話は置いておくとして、お前は俺に任せていいと思ってるのかよ。俺は果たすべき"理想"とやらには程遠いんじゃなかったか?」

 

 俺がエアグルーヴをスカウトして断られたときのセリフだ。 

 ……本当はこの十倍はキツい言葉でけちょんけちょんに貶されたのだが、心が痛くなるので思い出すのは止めよう。

 

「私とてこの決定に思うところはある。だが、無意味と切り捨てることはしない。やるせない事だが、高い志があればそれだけで皆を引き上げてやれる訳ではなかった。その現実から目を逸らし続けることはできん」

 

 なるほどなぁ……。

 

 ただでさえクソ忙しい生徒会業務をこなしているというのに、コイツが熱心に後輩の指導にも精を出しているのはよく知られた話だ。

 それでも、その全てに結果が付いてくる訳ではない。

 

 多くのウマ娘が掲げるGⅠ勝利という目標ですら、敷居は恐ろしく高いのだ。

 自分に合った距離のGⅠなんて年に数回しかなく、出走権利を得るにも実績が必要。

 しかもGⅠを獲ったことのあるウマ娘が次回から居なくなってくれるなんて事もない。

 たとえばシンボリルドルフのような絶対的強者が同世代に居たとしたら。

 勝手に感情移入するのは野暮だが、一度しか挑戦できないクラシック級なんて絶望する。

 

 明るい夢と対になる暗い現実。

 いつだって勝者は一人しか生まれない。

 実力が及ばなければ、ひたすらに敗北を積み重ねていくことになる。

 心が折れるその時まで。

 

「私と同じ"理想"を抱く者だけを集めて悩めるウマ娘に手を差し伸べたところで、力になれるのは私たちに共感できる者だけだ。それを認めず異なる考えの者を排斥してしまえば、結局のところ手を取り合えない相手は増えていくだろう。……そう諭された」

 

 諭された?

 やはり最初は俺を抜擢するのは反対だったということか。

 そこからコイツを諭せる相手なんて相当限られそうだが。

 

「こほん、その事はいいんだ。なんにしても実行してみないことには始まらない。もちろんウマ娘たちは真剣に悩んで相談に来るんだ。遊び半分で対応などされては困る。……という訳でやってくれるな?」

 

 キリッとした顔つきに戻って告げてきたエアグルーヴからは、心配と期待が半々に感じられた。

 なんでこんな事になったのか理解できないが、俺の答えは決まっている。

 

「ああ。もちろん断らせてもらう」

 

 やるわけねーだろ、そんな七面倒臭いこと。

 

「なんだと貴様ァ! 方々からの懐疑的な意見を跳ね除けてゴリ押すのにどれだけ苦労したと思っているんだ!」

 

 そんなこと言われてもなぁ。俺になんのメリットがあるんだよ。

 

「適任かもねって理由だけで受けるかよ。テイオーが天皇賞で負けたんだ。俺はアイツを勝たせるためにやらなきゃいけない事が山積みなんだよ」

 

 アイツでも才能だけで勝ち続けられる訳じゃなかった。

 あの女から貰ったカンペファイルだって今のテイオーに合わせたもんじゃない。

 現状や目標に沿った修正と足し引きを考えなきゃいけないから忙しいんだ。

 

「忙しいことを理由にはさせんぞ。さっき言っただろう。URAファイナルズに向けて学園全体が忙しいと」

 

 だから、それは俺たちには関係ないって……。

 

「いま、学園のトレーナーで比較的時間の余裕があるのが貴様なんだ。シニア級で安定した実力を持つウマ娘の専属トレーナー。しかもURAファイナルズには出ない予定で、準備作業にも一切関わっていない」

 

 えぇー。そんなの出る奴らが勝手に背負ってる苦労じゃん。

 

「……実を言うとな。URAファイナルズの開催は正の側面だけではないんだ。盛り上がるウマ娘がいる一方で『どうせ出ても意味はない』。そうやって己を卑下して諦める者たちも居る。放置してしまえば、学園内に大きな溝ができるかもしれん」

 

「その溝の向こう側を退学させて切り離してきたのがトレセン学園だろ。今更じゃないか?」

 

 胸糞悪い話だが、実力主義である以上は仕方のない面でもあるし、世の中に似たような構図はいくらでもある。

 俺が今までに担当した三人だって、それは変わらない。

 

「だとしても、これからも見過ごしていい理由にはならない。もちろん貴様だけに責任を負わせたりはしない。我々、生徒会も協力するし、そのためなら権限や予算の面でも便宜を図ろう。この件に携わった時間は残業扱いとして給与も支払われる」

 

 うーん、そう言われても特に興味湧かないんだよなぁ。

 金もテイオーが勝ってくれるお陰で最近はお財布がホクホクなのだ。

 

「……分かった。そこまで言うのなら仕方がない。私も自分の身を犠牲にしないなどと都合の良い真似はできないと考えていた」

 

 ん?

 

「この仕事に従事し成果を出してくれた暁には……私がひと肌脱ごうではないか」

 

 ふぁっ!?

 

「はっきり言っておくが、他の者にこんなことはしない。貴様にだけ、特別だ」

 

 おいおいおい、大丈夫なのかこれ。

 ここは未成年の若人たちが過ごす健全な学び舎だぞ。

 

「休日に貴様の家に邪魔させてもらう事になるだろう。他言無用で頼むぞ」

 

 あかんでこれ。完全にアウトなご褒美や。

 

「ふっ、どうせ貴様のことだ。汚部屋の住人なのだろう? 私がひと肌脱いで部屋を隅々まで綺麗に掃除してやるから有難く思え」

 

 …………は?

 期待させておいて何言ってんだこのアマは。

 

「ガキの飯事(ままごと)じゃねーんだよ。舐めてんのか」

 

 ときめいてた俺の純情を返してほしいんだけど。

 

「そもそも俺の部屋は住むのに支障が出るほど汚れてない。普通の範疇(はんちゅう)だ」

 

「嘘を吐く必要はない。どうせ酒の空き缶や弁当の空きガラが転がっているんだろう。まぁ、仮になくても私はフローリングの溝や窓のサッシがあれば満足できるから問題ないがな」

 

 ヒトのことをイメージだけで語り過ぎだろ。

 それになんでこの女は興奮気味になってるんだ?

 細い溝に興奮できるタイプのフェチなのか?

 

「ふふ、win-winというやつだな」

 

 全然WINしてないんだが。俺の一人負けなんだが。

 

「待てよ。俺の意志はともかくテイオーの意見を聞かなきゃだろ。アイツにとって今は大事な時期なんだ」

 

 秘技、他人任せ。

 運悪くテイオーは用事があるとかで此処にはいない。

 だが、アイツなら後からでも俺の意を汲んで断固拒否してくれるはずだ。

 

「はっ、貴様がテイオーを出汁(ダシ)にして拒んでくることは承知の上だ。まったく女々しい奴だな」

 

 なに失礼なこと言ってくれちゃってんのこの女。

 終いにゃ張り倒すぞ。

 

「義理として貴様の意思も聞いてやったがな、この件はそもそも拒否することは認められていない。生徒会が学園の運営陣に上申し、稟議を通しているからな。ほれ、これが正式な辞令だ。拝領するといい」

 

 ぺらりと手渡された紙には、確かにエアグルーヴの言っていた通りの内容が書かれていた。

 

 マジかよ……。

 

「トレセン学園も立派な学校法人。公僕とは似て非なるものだ。断るようなら、分かるな?」

 

 もはや脅迫だろこれ。

 

「まぁ、本当にどうしても嫌だと言うのなら無理強いはできないと思っている。嫌々やられたところで、相手のためにもならんからな」

 

 だよな。だから断っても仕方ないよな。

 

「なので、このあと一人目の相談者と会ってもらうことにする。最終的な返事はそれが終わってから聞かせてもらうとしよう」

 

 そう言って立ち上がったエアグルーヴは有無を言わさず俺を引き摺っていった。

 ちょっと力技すぎやしませんかね。

 

 そうして連れて行かれたのは、何時の間にか生徒会室の隣に出来上がっていた、教会の懺悔室のような作りをした謎の部屋。

 用意周到すぎるだろ。

 

「色々と言いはしたが、もし少しでも彼女たちの心を軽くしてやれるのなら、それは金銭では測れない価値があると思っている。頼んだぞ」

 

 神妙に言ったエアグルーヴが部屋を出て数分。

 部屋の扉が開いた音がして、枠越しに誰かが席に着いたのが分かった。 

 

 そうして渋々部屋に入ってきたウマ娘の相談に乗って。

 その鬱々とした声で話される、あまりにも自分の価値と可能性を見失った視野狭窄な悩みを聞かされて。

 

 ……結論だけ言うと、俺はこの仕事を引き受けることになった。




ちなみに相談内容は地元で一番速かったからトレセン学園に来たけど、全然勝てない。恥ずかしくて地元に帰る決断もできず、どう生きていけばいいか分からない、だったそうです。


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お話ししよう

本作の総合評価が一万を超えておりました。
評価・お気に入り登録・感想をくれた皆さん、何時も読んでいただきありがとうございます。
今回は原作をリスペクトしたプリティーで熱いスポコンを描写できた気がします。


 絶対に断るという鋼の意志を持って受けた最初の相談。

 その意志は全く役に立つことなく、俺は相談役を引き受けることになった。

 

「はぁ……。まさか一発目からあの手の相談が来るとはな。毎回これだと気が滅入るぞ」

 

 週二回。水曜日と金曜日の放課後約二時間。

 それが俺の受け持つ時間帯らしい。

 

 後で知ったことだが、他の時間帯は別のトレーナーが受け持ち、生徒会側で相談内容ごとに振り分ける方式のようだ。

 女性的な悩みとか、速く走る方法を俺に聞きに来ても意味ないもんな。

 

 相談内容を募っているのは学園のホームページ。

 匿名の目安箱のような機能を元々持っていたらしいのだが、そこに送られてきていた個人的な相談事を本腰入れて対応するというのが今回の主目的らしく、希望者に対して相談室の案内をしていくらしい。

 今後はSNSやメッセージアプリの学園公式アカウントでも相談を受け付けていくようだ。

 

「それにしても、あれで意味なんてあるのかね」

 

 トレセン学園でなんの結果も残せず、地元にも恥ずかしくて帰れない。

 それが最初の相談内容だった。

 

 正直、地元が過疎化して滅びるよりはマシだから帰ってやれと言いたかったが、そういうことではないのだろう。

 枠越しで顔は見えないが、聞こえてくる鬱々として覇気のない声から、本調子でないことは分かった。

 結果が出せず精神は落ち込み、食事なんかの日常生活も徐々に不安定になっていき体調を崩すという悪循環に陥っている訳だ。

 

 こういう場合に問題なのは、自分で自分を信じられなくなっていることだ。

 

 モチベーションがあり、努力をした。

 なのに、まるで目指した夢には届かない。

 ならば他に自力でなにが出来るというのか。

 才能という見えないモノを持ち合わせていなかった自分では、なにをやっても同じように失敗するのではないか。

 一番強く願ったモノで躓いたが故に、それ以外だなんて考えも及ばない。

 

 そういう不安に呑まれ視野が狭くなっている。

 どこにでもある、大体のやつが大人になるまでに経験する悩みである。

 

 子供の頃に描いた夢を叶られる人間というのはどれ程いるだろうか。

 仮にプロ野球選手になるのが夢だったとして、入団すれば終わりではない。

 キャリアを終えたときに満足のいく成績が残せている人間はさらに少ないだろう。

 なんにせよ、折り合いを付けるときがくる。

 

 本人は認められないだろうが、トレセン学園に入学できただけでも才能と努力は証明されている。

 他のモノに向ければ、少なくとも生きていくのに苦労はしないだろう。

 

 俺は夢の後押しをして支える者としては力不足だ。

 こうすればいい、ああすれば上手くいくなんて事は言えない。

 だから具体的なアドバイスなんて無理だし、こう言うしかない訳だ。

 

『なぁ、お前にんじんハンバーグは好きか?』

 

 知ってるか?

 ウマ娘ってのはマグロと違って走り続けなくても生きていけるけどさ、メシは食わねーと死んじまうんだぜ?

 そう言って、顔を合わすのはNGというルールを破って一緒にメシを食いに行くことにした。

 

 ついでに地元に持って帰れる物がないのが恥ずかしいとか言ってたから、隣の生徒会室に突撃して中にいたルドルフとマルゼンスキーにサインを書かせて土産にさせて。

 あまりにも強引すぎる手段だったが、メシを食ったあとにサインが書かれた色紙をぼけっと眺めているウマ娘を見て、多少は元気が出ただろうかなんて考えて。

 

 ふと見たスマホに、凄まじい件数の通話とメッセージの着信履歴があることに気付いた。

 

 

 

 

 トウカイテイオーは激怒した。必ず、かの無知蒙昧なクズを蹴り飛ばすと決意した。テイオーにはクズの今日の予定がわからぬ。テイオーはJCである。マックイーンのもとで、合同合宿をする話を付けて来た。けれども、クズと一緒に居る時間は人一倍に大切だった。つい先ほど、テイオーはスピカのトレーナー室を出て、数十メートル離れたクズの部屋にやってきた。テイオーには、チームメイトもサブトレーナーもない。この後の予定もない。クズと専任の関係だ。このクズは、毎日自分とトレーニングをして食事を取ることになっていた。夕食の時間も間近なのである。テイオーはそれゆえ、ルンルン気分で部屋に帰ってきたのだ。

 

「なのに、なんでトレーナーが居ないの?」

 

 会議のような長時間部屋を空ける予定はなかったはず。

 もうすぐ夕飯なのだから、なにか買いに出たという可能性も低い。

 ちょっと散歩、ということは考えられるが。

 

「……出ない」

 

 通話に出ず、メッセージを送っても既読にならない。

 つまり暇な状況ではなく、手が離せない何かがあるということか。

 探しに行ってもいいが、滅多にない行動パターンだ。心当たりのある場所にはいないかもしれない。

 

「こういう時は人海戦術だよね」

 

 メッセージアプリで友人たちに所在を知らないか聞いてみると、早速答えが返ってきた。

 

『どこにいるかは知らないけど、エアグルーヴ先輩と歩いているのを見たよ』

 

「……へぇ」

 

 たったの一文で、ルンルン気分は決意の直滑降した。

 放課後のスペシャリストたるクズがいない以上、回復は望めない。

 

 しかし、なぜエアグルーヴなのか。

 今までに接点はなかったはずだ。雑談をするほど相性が良いとは思えない。

 態度の悪いトレーナーをエアグルーヴが注意したとかなら有り得るが、どこへ一緒に歩いていく必要があるというのか。

 

 さらに(もたら)された目撃者の情報からして、向かった先は生徒会室。

 なにか学園内の用事を頼むためという可能性もなくはない。

 だが、ボクの勘が告げていた。 

  

 ここで動かなければ取り返しが付かなくなる。

 これは、敵対行為であると。

 

「……まさか、会長たちまでボクの邪魔をしようとするだなんてなー」

 

 理解してくれていると思っていたけれど、都合の良い妄想でしかなかったかな?

 まぁ、どうでもいいか。

 

 振り切った憧れに拘泥する暇もなければ、敵対者に掛ける情けもありはしないのだから。

 

 "帝王"は首を(もた)げた黒い激情のままに、脚を生徒会室へと向けた。

 

 

 

 

「それで? なんの用があってトレーナーを連れて行ったのかな?」

 

 礼儀正しくノックをして、失礼しますという言葉と共にトウカイテイオーは生徒会室へと入ってきた。

 以前のトウカイテイオーであればなんの断りもなしに部屋に入り浸り、シンボリルドルフに甘えていただろう。

 

 新しいトレーナーの下で礼儀作法を学び、精神的に大人びた……訳ではもちろんない。

 言葉とは裏腹に慇懃無礼(いんぎんぶれい)な態度。

 声に温かみはなく、冷たい視線には微塵(みじん)も親しみが感じられない。

 

 その態度は明確に生徒会に対する敵意を表していた。

 

「気を静めてくれないかテイオー。我々はなにも君たちの邪魔がしたい訳ではないんだ」

 

 対するシンボリルドルフは、立ち昇る怒気に欠片も動じた様子を見せず、清らかな川の(せせらぎ)の如き穏やかさを保っていた。

 同じく部屋にいたマルゼンスキーとエアグルーヴも、トウカイテイオーの攻撃的な態度に多少の驚きを見せていたが、それでも動揺と呼べるほどの反応は示さなかった。

 

 部屋にトレーナーが居なかったことに舌打ちしそうになるのを(こら)え、トウカイテイオーは室内の三人を見回す。

 ボクが来ることを予測していたなと三人の反応から見当を付け、本丸にして主犯だろう"皇帝"に視線を合わせて問いただした。

 

「そうなんだ。理由なんてどうでもいいけど、ボクとトレーナーの時間を勝手に奪って欲しくないんだよね。例えそれが会長であっても。それで、もう一回聞くけどなんでトレーナーを連れていったのかな? それと、トレーナーどこ?」

 

 問いただしてはいるが、聞く耳は持っていない。そんな態度だった。

 

「此処には居ないよ。先ほど少しだけ顔を見せたが、もう出て行ってしまった。行き先は分からないな」

 

 それでもシンボリルドルフには些かの揺れもなく、泰然自若としたままだった。

 その態度に苛つきながらも、トウカイテイオーは息を吐いて心を落ち着かせていた。

 

 恐らくだが、生徒会――というかシンボリルドルフ――はトレーナーに対して何かを求めて行動を起こした。

 単なる注意や突発的な用事ではない。

 ボクの来ることも想定内となると、冷静さを失えば理詰めで丸め込まれる。

 

 トウカイテイオーは――。

 誰よりも強くシンボリルドルフを目指したウマ娘は、誰よりもその恐ろしさを理解していた。

 レースに於ける強さですらギリギリ手が届くかどうか。それ以外の面では遠く及ばない。

 以前はたった一人で生徒会を切り盛りしていたバイタリティと深謀遠慮。

 多くの者を惹きつけるカリスマ性と、反発した者すら納得させる弁舌。

 目の前の"皇帝"はターフの外でも君臨者足り得る存在だ。

 

 もう戦いは始まっている。

 トウカイテイオーは油断なく、気を引き締めた。

 

「なら、トレーナーを連れて行った用事はなんだったのかな。宝塚記念に向けて忙しい時期なんだけど」

 

 先ほどまでは前哨戦。生徒会側に裏があることは確信している。

 トウカイテイオーにとっての問題は、それが自分たちの害になるのかどうかだ。 

 

「ああ、実はトレーナー君に仕事を一つ頼むことになってね。内容を説明したら、快く引き受けてくれたよ。テイオーと過ごせる時間は少し減ってしまうかもしれないな。事後承諾になってしまってすまない」

 

 いけしゃあしゃあと、シンボリルドルフは澄まし顔で言い放った。

 

『この野郎、いい度胸だ』

 

 目元をヒクつかせ、こめかみに青筋を浮かばせたトウカイテイオーの顔がそう語っていた。

 それでもキレる寸前のところで踏み止まり、彼女は振り絞った理性で弁解の機会を与えた。

 

「ボクたちは忙しいって、そう言ったよね。聞こえなかったかな。それとも喧嘩売ってる? もしそうなら言い値で買うよ」

 

 弁解……と言う名の最後通告ではあったが。

 

「待て、テイオー! これは正式に学園が決定した事で、会長の一存だけという話ではない。納得しかねる事もあるかもしれないが、まずは落ち着いてくれ」

 

 一触即発な雰囲気に、たまらずといった風にエアグルーヴが口を挟んだ。

 尊敬する相手である会長に対して喧嘩腰なトウカイテイオーにも驚くが、その会長自身が明らかにトウカイテイオーの神経を逆撫でしにいっている。

 仲の良さを知る身としては、信じられない異常事態だった。

 

「ボクは会長と話をしているんだけど。黙っててくれないかな」

 

 最初から冷たさを宿していた視線の温度は絶対零度まで下がり、"女帝"と呼ばれるほどの苛烈さを持つエアグルーヴをして体に震えが走るほどだった。

 

 エアグルーヴは、この件について最初は否定的であった。

 なにがしかの施策は必要だが、それを担う人物として()のトレーナーは適切なのか。

 悩みを打ち明ける相手として最適とも思えないし、彼の教え子たちが選んだのは全て学園外に行き先を定める道だ。

 例えば優れたトレーナー陣から技術的なアドバイスを貰えば、成長して納得のいく結果を得られるのではないか。

 そういう未練にも似た想いがあった。

 

 それでも同志たるシンボリルドルフの『多様性がなければ手の届かない者が出てくる』という言葉に従い、彼を連れてきた。

 結果として、今はそれで上手く行くのではないかと言う気がしている。

 

 エアグルーヴは取り成しのために相談者のウマ娘とも顔を合わせていた。

 垂れた耳、伏せられた目線と俯いた顔。

 頑張れば明るい未来があるだなんて、とてもではないが言えなかった。

 

 それを速攻でルールを破って、あの男は手を引いて生徒会室に連れ立ってきた。

 嵐のような勢いで会長とマルゼンスキーのサインを貰うと、外に飯を食いに行くと二人で出て行った。

 

 その時の、呆気に取られて状況を理解できていないウマ娘に同情しながらも、こう思ったのだ。 

 さっきよりは余程にマシな顔をしている――と。

 

 私には、私たちには出来ない方法で彼ならウマ娘の心に活力を与えられるのかもしれない。

 ならば、自分は会長の側に立つ。

 "理想"のために、(すく)んではいられない。

 その想いで、エアグルーヴは口を開いた。

 

「いいや、黙らない。あの男は我々の"理想"に必要になるかもしれない。お前が奴に惚れこんでいるのは知っているが、こちらも引けん。手放すつもりはない」

 

 その全く以って具体的な内容が含まれていない言葉は、"皇帝"以上に明確にトウカイテイオーの逆鱗に触れた。

 

「ふっ、流石は"女帝"エアグルーヴだ。それなりに穏便に言葉を選んで行こうと考えていたのに、宣戦布告に来た使者の首を叩き斬って送り返すが如き所業。末恐ろしいな」

 

 思ったよりズバッと誤解を生む表現で切り込んだなと、シンボリルドルフは冷や汗を掻きながらエアグルーヴを称賛し、対応方針を変更した。

 より、過激な方向へ。

 

 そして、対応がより過激になったのはトウカイテイオーも同じだった。

 

「"理想"に必要? 手放すつもりはない? 関係のない他人がどこからモノを言ってるのさ。あのヒトはボクのモノだ」

 

 絞り出すように呟かれた言葉と共に、トウカイテイオーが放っていた冷たさの全てが反転した。

 燃え盛る覇気、焼き焦がすような視線。

 大阪杯で見せた、己の前に立ちはだかる全てを消し炭にしてやるという気迫。

 

 先ほどまでの冷気すら遠く及ばないほどの圧に押されて一歩後ずさるエアグルーヴとは対照的に、シンボリルドルフと黙って成り行きを見ていたマルゼンスキーは平然としている。

 

 あたかも、この程度で我を通せると思うなと挑発するかのように。

 

「あのヒトはボクのモノ、か。ふふっ、他者(ひと)のことは言えないが中々に傲慢だな」

 

 この一件、一応の理があるように見せているシンボリルドルフではあったが、それなりに無理筋も通している。

 だが、周囲を黙らせるのに必要な結果を出せる公算は十二分にあって、懸念していない。

 そして目の前の王様を黙らせることも、然して難しいことではなかった。

 

「隠すことでもないからな、正直に言おう。彼に頼んだのは、怪我や成績不振で学園からの退学を考えるほどに深い悩みを抱えた生徒の相談に乗ってもらうことだ。去年のテイオーやその先輩たちのような、ね」

 

 ただ正直に伝える。

 それは、なによりも効果的に燃え盛る炎を萎えさせた。

 

「……そんなの、卑怯じゃん」

 

 救われたからこそ、トウカイテイオーは誰よりも彼に価値を見出した。

 一定数、彼であればこそ手を伸ばせるウマ娘が居ることも知っている。

 

 自分と同じ境遇の者を助けたいと言われて、どう否定すればいいのか。

 その行為は、救われた己自身の否定にすら繋がるのではないのか。

 

 トレーナーを取り返す。その望みを叶える答えは、出てこなかった。

 

「テイオー、これを機に君も考えてみてはくれないだろうか。生徒会は『唯一抜きん出て並ぶ者なし』というスクールモットーに基づきウマ娘のレベル向上に努めている。同時に様々な不慮で沈みいく者たちへ手を差し伸べたいとも考えている。トレーナー君だけでなく、君もその一助になってはくれないだろうか」

 

 或いは、"皇帝"と呼ばれる者が立つ視座の高さに対して、どこまでも自分本位な望みに終始している己程度では抗うことなど不可能だったのか。

 そんな考えが、じわりと胸を蝕んだ。

 

「今すぐに答えてくれとは言わない。だが、今回の試みが相応の成果を出したなら、トレーナー君に依頼する仕事の内容も量も増えていく事になるだろう」

 

「……ッ! そんなのダメ! これ以上、ボクからトレーナーを盗らないでよ!」

 

 無力故に駄々を捏ねることしかできない。

 幼稚な我儘でしか自分の意志を通せない。

 それは、トウカイテイオーの明確な敗北だった。

 

 悲痛に訴えながらも、それで退いてくれる訳もない。

 それが分かってしまい涙が溢れそうになったとき、"皇帝"はあっさりと逃げ道を提示した。

 

「ふむ、いいだろう。誰かを助けるために誰かを蔑ろにしていたのでは何も変わらない。テイオーの意志を尊重する手段も設けるとしよう」

 

 このまま理屈で押し通してもよかった。

 だが、それも破綻させる方法がない訳ではない。

 例えばこの後、テイオーが泣きながらトレーナーに嫌だと訴えれば。

 彼はクビ覚悟でもこの話を断るだろう。

 

 だからこそ示さなければならない。

 逃げ道に見せかけた、納得させるための手段を。

 

「我々はウマ娘だ。己の意思を通したいのならば、勝利を以て通せ」

 

 トレーナーは勤め人であるが故の弱みと性根の甘さを利用してコチラ側に寄せた。

 テイオーには屁理屈と彼女の実体験を利用して否定できなくさせた。

 あとは、力で屈服させればいい。

 

「年末の有馬記念、君も出走するだろう? そこに私も出るとしよう。君が勝てば全てが今まで通りになり、我々も彼のことは諦める。逆に私が勝ったなら、我々の邪魔はしないでもらいたい」

 

 あたかも対等に見せかけた、理不尽。

 現役最強のウマ娘に……否、日本史上最強かもしれないウマ娘に勝てという条件。

 

 シンボリルドルフは、実際のところ全く以て譲ってやるつもりなどなかった。

 

「そしてテイオー、君にも協力をしてもらう。おや、これならトレーナー君と離れる時間も多くならずに済むな。我ながら良い案だ。それに、元々テイオーは私を目指していたのだろう。その目的を果たす機会が来たと思えば……」

 

 凡そ自分の思い通りに事が進み、シンボリルドルフは少しだけ気分よく言葉を紡いでいた。

 紡いでいて……気付いた。

 萎えていた炎に、自分がとんでもない量の燃料をぶち込んだことに。

 

「それで、いいんだね?」

 

 以前のトウカイテイオーならば、ここで退いただろうか。

 シンボリルドルフに勝つことを目標としていても、それはいがみ合った末の喧嘩としてではなかったはずだから。

 

 だが、今は違う。

 彼女は既に経験して知っている。

 

 愛憎は表裏一体であるということを。

 

「会長に勝つって夢を叶えて、トレーナーを取り返して、最強の座から引き摺り下ろしてやれば、それでいいんだね?」

 

 向けられる声と視線に、シンボリルドルフは自然と笑みを浮かべた。

 

 ああ、何時以来だろうか。

 己に対して、ここまで強い敵意が向けられるのは。

 

 こうでなくては。

 尊敬や、ましてや崇拝など違うだろう。

 相手が誰であろうと力で勝利し、その全てを()ぎ取る。

 それこそが、ウマ娘の本能にして本懐。

 

 やっと、私を本気で見てくれた。

 そんな身勝手な想いを抱いて、シンボリルドルフは答えた。

 

「ああ。戦おうじゃないか、トウカイテイオー。私と君、それぞれの望みを叶えるために」




マ「黙って見てたら、なんだかすごいことになったわね……」
エ「そう言えばあのトレーナー、会長とマルゼンさんだけで私にはサイン書かせなかったな……」

え?ウマ耳に手を添えてぴょんぴょんするシンボリルドルフだって?
そんな甘っちょろい幻想は捨てろ。
※サインは来賓に頼まれることが多いため生徒会室に常備している色紙を使いました。


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決意と成長と

リアルの有馬記念に合わせてルドルフと戦わせようと皮算用していた私、間に合う気がしなくて笑えない。


 "女帝"の放った辞令というサラリーマン特効の一撃によって敗北を喫し、悩めるウマ娘の相談に乗らされた翌日。

 過ごしやすい気温の爽やかな朝とは異なり、俺の心には重たいモノが圧し掛かっていた。

 

 初っ端から素人に任せるべきではない人生相談を持ってきた生徒会もどうかと思った。

 だが問題は、仕返しにと経費で高額なにんじんハンバーグに舌鼓を打っていてテイオーに連絡を入れるのを完全に忘れていたことだ。

 

 やっちまったと思いながら見たスマホには着信とメッセージの連打。

 あまりにも多い通知履歴にビビりつつも、アイツって案外寂しがり屋なんだなと思いメッセージを一通り読んでいた。

 

 異変に気付いたのは、メッセージを数十ほど読み進めたときだ。

 それまでは無断でいなくなった俺への怒りを露わにしながらも、コチラの所在を確かめる内容だった。

 だが途中から経緯不明な泣き言と生徒会への文句が並べられ、最後はこう締め括られていた。

 

『シンボリルドルフをボコボコにするっ!!』

 

 テイオーとルドルフって仲良かったんじゃなかったか?

 疑問ではあったが、そう言えば最初からテイオーの目標はルドルフだったなと思い出した。

 シニア級に上がったときの目標設定であまり意識していないようだったから忘れていたが、初心を思い出したのか何か奮起する理由でもできたのか。

 やる気が出るのなら悪い事ではないかと謝罪の返信をしようとしたとき。

 

 新たなメッセージが着信した。

 

『その前にトレーナーもボコボコにするから』

 

 ……明日が俺の命日になるかもしれない。 

 とまぁ、そんなこんなでウマ娘に力で抗う方法を考えながら眠れない夜を過ごした訳だ。

 

 そうして迎えた翌日早朝。

 すでにジャージに着替えてトレーニングコースを爆走していたテイオーと合流した。

 

「でりゃあぁーーーー!!!!」

 

 凄まじい気迫とスピードで周回を重ねるテイオーは、トレーニングというよりもストレス発散が目的のように見えた。

 声を掛けようかとも考えたのだが、あのスピードのままコチラに飛び蹴りでもされたら間違いなく死ぬ。

 できれば止まるまでは話しかけたくない。

 

 どうしたもんかと現実逃避気味に空を眺めていると、土を蹴る音が止んだ。

 視線を落とすと、コチラに歩みを進めるテイオーの姿。

 ギラついた眼に、体温の上がった体からオーラの如く蒸気を出しながら近寄ってくる様は控えめに言って怪物みたいだった。

 

「なにか、ボクに言うことがあるんじゃないかな?」

 

 久しぶりに聞いたテイオーが本気で不機嫌な時の声色。

 専属トレーナーとしてはあってはならないことをしたと、素直に謝罪することにした。

 

「すまなかった。生徒から悩み相談を受けてな。あまりにも急だったのと、内容が重たかったもんで連絡するのを忘れてた。次からは気を付けるよ」

 

「……他にも、なにか言っておかないといけない事があるんじゃない」

 

 責めるような上目遣いは、隠し事はしてくれるなと言っているようだった。

 生徒会に文句言ってたのは、定期的に悩み相談を受けることになってトレーニングの弊害になることを知ったからなのだろう。

 

「悪い。生徒会からウマ娘の悩み相談に乗ってくれって頼まれてな。週に何回か放課後はトレーニングに付き添えなくなる」

 

 辞令である以上は断り切れない話だったのかもしれないが、それでもテイオーに無断で決めることじゃなかった。

 トレーナーであるなら、こういう信頼を損ねる行動はしちゃいけないよな。

 

「……その娘、悩みは解消できそうだった?」

 

 テイオーは悩んだように、聞くかどうか迷うような素振りで問いかけて来た。

 

「正直、分からん。ちったぁ元気が出てくれりゃいいんだけどな」

 

 件のウマ娘と色々話をしてみたところ、適性は短距離で趣味は手芸らしい。

 俺の拙い知識だと短距離はそこまで突出した奴が居なくて狙い目じゃないかとも思うんだが、少し調べたところ下の世代が粒揃いらしい。

 飛び級の天才児ニシノフラワー。

 時々バカでかい声で校舎を走り回ってるサクラバクシンオー。

 いくつかレース映像を見てみたが、モノが違うウマ娘たちだと感じた。

 今年か、遅くとも来年には短距離重賞レースは地獄の様相を呈すことになるだろう。

 そんな状況でレースで納得のいく結果を出させる案は俺の中にはなかった。

 

 だもんで、自分は走る以外の方法では価値を示せないと勘違いしたウマ娘におススメの総務課に行くよう伝えた。

 走る以外でも、レースやウマ娘に関わる方法ってのは意外と多かったりする。

 手芸というか手先の器用さだと、勝負服のデザイナーだのぬいぐるみの原案作成だの。

 走ることを目的として学園に来たウマ娘には見向きもされてないが、実は採用募集やイベントもあったりするのだ。

 作る方でなくとも、モデルや練習台としての需要が普通にある。

 ウマ娘として生まれてきたというメリットは、それだけで滅茶苦茶大きいのだ。

 

 結構面白いから気分転換に行ってみろと言ったら、よく分かってなさそうに頷いていた。

 

「お前がトレーニングの邪魔だからやめろって言うなら生徒会に直談判しに行ってくるぞ。いや、この場合は理事長になるのか?」

 

 たまに賄賂として駄菓子を渡していた仲だったりするのだが、最近は受け取ってくれない。

 秘書の厳しい管理下に置かれているらしく、勝手に菓子の類を食べると後が怖いらしい。

 子供が好きに菓子も食えないとは、世知辛い世の中である。

 

「ううん。断らなくてもいいよ。ボクもトレーナーにたくさん助けて貰ったからね。ボクのことを忘れて没頭されちゃうのは嫌だけど、他の娘たちのことも助けてあげてよ」

 

 ちょっとだけ納得してなさそうに、それでも撤回する気もないといった顔でテイオーは許可をくれた。

 相変わらず、子供っぽい容姿と態度に反して内面はしっかりした奴だ。

 

「ああ。もちろん俺が一番に優先するのはテイオーだ。何かあれば遠慮せず言えよ。悩み相談は……相手にゃ悪いが最悪は後回しにさせてもらうさ」

 

 どっちにしろ後悔するんなら俺はテイオーを選びたい。

 

「うん。よーっし、この話は終わり!」

 

 区切りを付けるように、テイオーは大きな声で宣言した。

 

「それでねそれでね! 会長をボコボコにする話なんだけど!」

 

 おう、それそれ。ボコボコって表現を可愛いと思うべきか物騒と思うべきか判断に困ってたんだよな。

 

「二度と偉そうな口が利けないように徹底的にやりたいんだけど、やっぱり会長が得意の差しで圧勝してやるのが精神的にダメージ与えられるかな!」

 

「いや、なんでそこまで敵意剥き出しなの? 怖いんだけど」

 

 否定のしようもなく物騒な表現だったわ。

 勝利は最初から確定事項で、如何にして精神にダメージを与えるか考えてるのはいかんでしょ。

 スポーツマンシップを思い出してほしい。

 

「もしかしてトレーナー、会長が偶然で悩み相談の話を持ってきたと思ってるの?」

 

 え、そりゃそうでしょと返した俺に、テイオーは察しが悪いなーとぼやきながらも事の経緯を説明してくれた。

 

 テイオー曰く、ルドルフは己の掲げる夢のために俺とテイオーを手元に置きたいらしい。

 怪我に起因する夢の喪失を味わいながらも、そこから復活を遂げたウマ娘。

 育成者たるに相応しくない噂話を囁かれながらも、様々な形でウマ娘に道を示すトレーナー。

 それは、多少強引な手段を用いてでも確保しておきたい人材らしい。

 

「いやいや、テイオーはともかく俺にそんな価値を見出すのはおかしいだろ。カウンセラーもキャリアプランナーもアイツが求めれば鶴の一声で集まるんじゃないか?」

 

 俺はその手の分野について何一つとして勉強したことはない。

 ルドルフ個人の名声でもシンボリの家の力でも、人材を集めるのに苦労はしないと思うんだが。

 それでも人手が足りないからとにかく掻き集めたいという事だろうか?

 

「トレーナーって他人の悩みは扱き下ろしながら相談に乗るのに自己評価低いよね。中央のトレーナーなんだから、それだけで上澄みなんだよ?」

 

 ふっ、大人になるってのは身の程を知ることが第一歩なんだぜ、お嬢ちゃん?

 

「なに腹立つ顔してんの。トレーナーのこともボコるって話、ボク忘れてないからね」

 

 ……美味しいご飯に連れて行くから勘弁していただけないだろうか。

 

「昨日は主導権握られちゃったけど、改めて考えると会長には全てのウマ娘の幸福って夢以外にもトレーナーに執着する理由があるんだと思う。正確には、ボクを担当しているトレーナーに対してかな」

 

 昨日のことを思い出しているのだろう。少しだけ憂いた顔をしたテイオーは、ルドルフの考えに思い当たることがあるらしい。

 

「きっとボクとトレーナーの関係が羨ましいんだよ」

 

 羨ましい?

 俺とテイオーの関係性に羨むような特別性はあっただろうか。

 トレーナーの立場からしたら、こんな天才を担当できるのは嫉妬に値するだろうけど。

 

「例えばの話だけどさ、トレーナーはボクが週末に遊園地に連れて行ってほしいって言ったら連れて行ってくれる?」

 

「トレーニングの調整が付けば連れて行くけど」

 

 なんだ、ルドルフのやつは遊園地に行きたいのか?別に一緒に連れて行っても構わんが。

 

「東条トレーナーは優秀なヒトだよ。ウマ娘を強くしてレースに勝たせるって意味じゃ今のトレセン学園で一番じゃないかな。けど、あのヒトは生粋のトレーナーだからウマ娘個々人に深入りはしてこない。プロフェッショナルって言えばいいのかな」

 

 ふむ。確かにおハナさんがリギルのメンバー個々の趣味に付き合ったり、プライベートで一緒に外出しているなんて話は聞かないな。

 まぁ、あの人の場合は単純に忙しすぎて時間の捻出も出来ないんだろうけど。

 

「会長は夢の実現のために頂点に君臨しなきゃいけないと思ってる。その意味で東条トレーナーは文句なし。だけど、ウマ娘の幸福って夢にまで付き合ってくれる訳じゃないのも知ってる」

 

 シンボリルドルフにとって、レースの勝利は目的であると同時に手段。

 だが、おハナさんは勝利の先にまで口出しする気はないってことか。

 

「だから羨ましいの。ボクがお願いすればレースに勝つ以外のことも一緒に叶えてくれるトレーナーのことが」

 

 それはまぁなんというか。

 

「あいつ結構バカなんだな。レースの勝ちじゃなくてアイツの夢を一緒に叶えたいって思ってるやつも大勢いるだろうに」

 

 校内放送でも使ってぶちまければ、すぐに立候補者が見つかる気がするけど。

 

「そこはほら、立場ってものがあるから素直に行動に移せないんじゃない? 昨日のやり口もかなり陰湿というか回りくどかったからねー」

 

 詳しく聞いてみると、俺を探す一環で生徒会室を訪ねたテイオーに対して去年の骨折や先輩連中の例を出して協力を要請してきたらしい。

 しかも俺とテイオーが一緒に居ない時を見計らい、互いに相手の状況が認識できない状態で、学園への根回しと下ネゴで拒否できないようにしてだ。

 悪いことをしている訳ではないし、やりたい事にも理解は示すが正直気分が良くない。

 

「なぁ、やっぱり悩み相談は断ってこようか? 理屈はともかくやり方に納得がいかんのだが」

 

 ムカつかないと言えば嘘になるし、これじゃどう転んでもお互いにしこりが残ってしまう。

 

「断っても会長が諦めない限りはあの手この手で誘いを掛けてくるよ。断り続けるのに労力使うのもバカらしいし、本当に強引な手段に出られても困るからね。だからこそ、向こうが提示してきた賭けに乗る」

 

 年末の有馬記念でシンボリルドルフに勝つという条件。

 テイオーどころか、それ以外のウマ娘にも自分が負ける可能性を一%たりとも考えていないのは流石"皇帝"というべきか。

 

 それはともかく、あの女ですら勝つのに三年という時間を見ていたシンボリルドルフに今年挑むというのは、些かならず早計だろう。

 勝算は、少なくとも俺には導き出せなかった。

 

「その条件、お前はやれると思っているのか?」

 

 テイオーには、俺とは全く別のモノが見えているのだろうか。

 それを聞いてみたくなった。

 

「あったり前じゃん! ボクとトレーナーが力を合わせれば会長なんてラクショーだよ! コテンパンにしてやるから!」

 

 それはたぶん、根拠のない自信だった。

 それでも俺にとって、トレーナーという職に就く者にとって、一番嬉しい言葉だった。

 

「おう! そんじゃ、ぱぱっと勝って最強のウマ娘になっちまうか!」

 

 担当のウマ娘がやりたいと、やれると言っているのなら全力で付き合うのが役目。

 トレーナーとして覚悟を決めて挑むだけだ。

 

「それにしても舞台は有馬記念か。まだ少し先の話だな」

 

 勝つためのトレーニングやレースをこなしていればあっという間だろうけど。 

 

「一応は猶予をくれたんだと思うよ。今すぐに戦って勝てるかと聞かれると厳しいからね」

 

 約半年という残り期間で、どうシンボリルドルフに勝つか。

 当たり前の話だが、俺に具体的な案とかは全くない。

 

「それでねトレーナー。早速、お願いしたいことがあるんだけど」

 

 なんだろう。心の栄養補給のために遊園地でもいくか?

 

「併走相手を用意してほしいんだ。できるだけ強いウマ娘で」

 

 なるほど。トレーニングの質を上げるために欠かせない要素だ。

 なんだかんだと相手探しが滞っていたが、いい加減に見つけないとな。

 

「夏合宿するって話はあるけど、マックイーンとスペシャルウィークに頼めないか聞いてくるか」

 

 マックイーンはシニア級の対戦相手だが、背に腹は代えられない。頭でもなんでも下げるとしよう。

 

「うん。出来れば二人にもお願いしたいかな。けど、一番お願いしたいのは別のウマ娘なんだ」

 

 どうやらテイオーには明確に思い浮かべる相手がいるらしい。

 

「交渉事の巧みさを期待されても困るが、やるだけやってみるさ。で、誰なんだ?」

 

「オグリキャップ」

 

 テイオーから出たその名前は、シンボリルドルフに勝ち得る実力を持った数少ないウマ娘の一人であり、今の日本に知らない者はいないであろうアイドルウマ娘だった。




テイオー:
「ところで、悩み相談に乗るだけにしては遅くまで返事がなかったけど、なにかあったの?」
クズ:
「元気なくて体力も落ちてそうだったからメシ食わせに行ったんだよ。ほら、お前と契約する前に行ったハンバーグの店」
テイオー:
「あっ、ふーん(半ギレ)」

この後、まだ他のウマ娘と一度も行ったことのない新しい店を見繕って連れていけと要求されたそうです。


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アイドルウマ娘

本作を読んでいるがシンデレラグレイは読んだことがないヒトっているんだろうか。
とても素晴らしい作品なので皆も読もう!(ダイマ)


 オグリキャップに併走トレーニングを依頼する。

 

 言葉にすれば簡単そうに聞こえるが、実際にはかなり難度の高い要求だったりする。

 別段、当人が気難しいとか法外な対価を求められる訳ではない。

 学園の規則が邪魔をするなんてこともない。

 まぁ、仮に問題があったとしても無視するが。

 

 じゃあ、どこが難度高いのって話だが、オグリキャップは人気がありすぎるのだ。

 

 日本で名前を知らないのなんて赤子か文明を捨て仙人の様な生活をしている奴くらいだろう。

 比喩でもなんでもなく、今はそういう時代だ。

 クラシック三冠をどれ一つとして獲得していないにも関わらず、その全てを獲ったウマ娘達すら超える程の人気を誇る稀代のスター。

 

 強い。優れた成績を残した。

 そういったレースの結果だけでは計れない魅力が彼女とそのレース人生にはあった。

 

 例えば、規則の改定。

 長年適用されてきたそれを、彼女は実績を以て変えさせた。

 決めた側にも思うところがあっただろうとは言え、前例のない偉業。

 

『学園のウマ娘は学食食べ放題』というルールを破壊した、まさしく怪物と言える存在だ。

 

 約二千人のウマ娘が在籍し、種族として健啖な傾向がある成長期のスポーツマン達。

 それはもう食べる。オグリキャップじゃなくても相当に食べる。

 それでも学園のプライドを懸けて維持していた食べ放題ルールは、脆くも崩れた。

 

 偶然に機嫌が悪かったオグリキャップが『食材の貯蔵は充分か』と問うた際に『応』と食堂側が慢心して答えたのが運の尽きであった。

 腕が上がらなくなるまでフライパンを振り続けた料理人もあっぱれだったが、結果は結果。

 食糧庫はもぬけの殻と成り果て、現代日本の学び舎で多数の女学生が飢える事態が発生した。

 

 ウソでしょ、と頭を抱えた学園上層部と生徒会は仕方なく対応を検討した。

 食べ放題をなくせばいいという安易な意見も出たが、いきなりのルール改定は公平性に反する。

 昼飯も食えず腹を鳴らしながらも生徒会長――シンボリルドルフ――は、オグリキャップの良心を信じて一つのルールを追加した。

 

『学園のウマ娘は学食食べ放題。但し、他のウマ娘に迷惑が掛からない範疇にすること』

 

 オグリキャップは無限の胃袋と食欲を搭載してはいたが、幸いにも性質は善良だった。

 機嫌の悪さも解消されたことで、ションボリしながらもルールを受け入れ学園に平和が訪れた。

 

 これが、俗に言う『オグリキャップの乱』である。

 

 ……え? クラシック追加登録制度?

 そういや、そんな話もあったな。

 

 まぁ、これはただの冗談でしかないが、オグリキャップの人気は他を圧倒する。

 テイオーだって滅多にないスター性を持っていると思うが、オグリキャップに並ぶかと聞かれると現時点では厳しいと言わざるを得ない。

 そんな彼女がチームメイトでも親しい間柄でもないウマ娘との併走トレーニングを受け入れればどうなるか。

 街中で迂闊にファンサービスをしてしまい収拾が付かなくなった有名人状態になる。

 実際にそうなってしまった過去があり、彼女が併走する相手は同期やその前後にデビューをした友人のウマ娘であることがほとんどだった。

 

「さてと、部屋の前まで来たはいいがどうやって口説き落とそうかね」

 

 特に良案とかはない。

 食べ物で釣れそうな気もするが、流石にトレーナーが止めるだろう。

 オグリキャップのトレーナーをしているオッサンとはそれなり以上に付き合いがあるが、例に漏れず担当ウマ娘至上主義なとこがある。

 余程に明確なメリットを示さないと首を縦には振らないだろう。

 

「おじゃましまーす」

 

 考えても仕方がないので部屋に入ると、バケツみたいなサイズのプリンを食ってるオグリキャップと新聞を読んでいるトレーナーがいた。

 

「おいおい、知らない相手じゃないとは言えノックくらいはしろよ」

 

 生徒会長も勝手に部屋に入ってきたし、ここではこれが常識のはずだ。

 新聞から顔を上げたトレーナーは呆然としながらも反応してきたが、これは俺なりの主導権の握り方なので許してほしい。

 

「隠すようなもんもないだろ。テイオーの併走相手にオグリキャップ借りて行きたいんだけど、いいよな?」

 

 筆記用具を忘れたから貸してくれないか。

 そんなノリで担当ウマ娘を使わせて欲しいと言われたら普通は怒るところなんだが、この二人は色々と普通ではない。

 

 トレーナーの名前はキタハラジョーンズと言って、東海ダービーで一着を取ったらしいヒト男。

 という黒歴史を持った北原という名のオッサンなのだが、オグリキャップを担当するために中央のライセンスを取得してカサマツトレセンから追ってきた男でもある。

 四十代になって難関と言われる中央のライセンス取得に挑み成し遂げたのだから、その熱意と覚悟は凄まじいものだったのだろう。

 外野から色々と言われていた時期もあったから、底辺同士だった俺とは交友があったりする。

 ……もっとも、このオッサンは俺ほどに周りへの態度は悪くないが。

 

 対してオグリキャップは押し入ってきた俺を特に気にした風でもなくプリンを食べ続けていた。

 頬袋でもあるのかと錯覚するほどに口内をパンパンに膨らませて、惚けた表情でもちゃもちゃとプリンを食べているコイツが日本レース史で最高の人気を誇っているというのだから、世の中分からないものだ。

 

「はいそうですかって貸すわけないだろうが。ウチの方針は知ってるだろ」

 

 嫌、ではなく困ると言ったニュアンスを込めた回答。

 一度でも例外を作ってしまえば、なぜアイツらだけ特別扱いなのかと周囲から問われてしまう。

 それに回答するだけでも労力が掛かる。

 そんなクレームに時間を使わされるのもバカらしい。

 

 予想していた回答ではあるし、オグリキャップを口説いた方が簡単だろうか。

 

「オグリキャップ。ここに俺の全財産が入ったキャッシュカードがある。これで好きなモノを食べていいから、半年ほどテイオーの併走相手をお願いできないだろうか」

 

 テイオーのGⅠ入賞と成績に伴うインセンティブなども含めると、俺の懐に入ってきた金額は既に八桁に届いている。

 ぶっちゃけオグリキャップから見れば大した金額でもないのだが、食事に使ってよいのであればそれなりに惹かれるはず。

 俺はもやし生活が始まってしまうが背に腹は代えられない。

 どうかこれで勘弁してもらえないだろうか。

 

「おい! そういうのオグリは素直に受け取るから止めろって!」

 

 悪いなジョーンズ。俺はオグリキャップを利用しに来たんだ。

 受け取ったが最後、裁判沙汰にしてでも併走をしてもらう。

 

「テイオー……、トウカイテイオーのことだな。北原、私は走ってみたい」

 

 プリンを食べ終わったオグリキャップが会話に入ってきた。

 口に物を入れた状態で話さないことを行儀が良いと思うべきか、俺の存在はプリンよりも優先度が低かったんだろうなと戦慄すべきか。

 

「俺だってお前とトウカイテイオーが併走すること自体は大賛成だよ。まだシニア級に参戦したばかりでも、実力はドリームトロフィー・リーグに出走しているウマ娘たちにだって劣らない。実りのあるトレーニングになるさ。個人的に俺もファンだしな。だが今は時期が悪い」

 

 へぇー、ジョーンズってテイオーのファンなのか。

 応援したくなるようなスター性を持ったウマ娘が好きだと言っていたし、テイオーは合致してはいるか。

 

「俺がテイオーに頼めばサインでもちょっとした私物でもプレゼントしてやれるぞ。対価としては悪くないと思うんだが」

 

 勝負服の装飾品とかなら予備を揃えているから、レースで使用した事のあるやつでもいいぞ。

 

「……それはファンとしてダメだろ。力関係に物を言わせて私物を強請るなんてのは、ダメだろ」

 

 コイツ、かなり揺れはしたが誘惑に耐えやがった。

 ウマ娘に対して真摯なその態度。立派なものである。

 

 だがしかし、コチラも退けない。

 親しい人物にこんな手段を取るのは避けたかったが仕方がない。

 

「キタハラジョーンズは東海ダービーに出て一着になる妄想を毎日してたって言いふらすぞ」

 

 いい年こいたオッサンがウマ娘ロールプレイを日課にしてたなんて知られたら、汚物の如き視線を向けられ学園に居場所はなくなってしまうかもしれない。

 年頃の女の子は中年男性に厳しいのだ。

 

「そんなの誰だってするだろ! 自分がウマ娘になってダービー獲る妄想、するだろ!」

 

 そんな熱弁されてもな。

 俺は一着云々より付随する金の方が好きだったから、どちらかというと賞金の書かれたボードを掲げる妄想をしてた。

 

「それに今は時期が悪いんだよ。夏の予選もあるんだ。レースに向けて集中したいのに、俺とお前が合同トレーニングなんてしてみろ。マスコミが目を輝かせて突撃してくるぞ」

 

 あー、確かにな―。

 今の俺とジョーンズには共通点が多い。

 トレセン学園内でも下から数えた方が早いトレーナーとしての能力。

 それに見合わぬ才能を秘めた相方のウマ娘。

 抜群の実力と人気を誇るオグリキャップですら、シニア時代は心ない言葉が飛び交っていた。

 むしろ、オグリキャップだから飛び交っていたと言うのが正しいか。 

 

 俺なんて素行の悪さも加わるから、すぐにスキャンダルが起きると思われている節がある。

 マスコミからしたら面白おかしく誹謗できる美味しい存在だ。

 その評価自体は自業自得だから文句を言うつもりもないが。

 

 そんな俺とジョーンズが一緒になにか始めると、根拠のない憶測で記事を書かれて面倒事になる可能性はそれなりにある。

 テイオーの育成に関してジョーンズを頼らなかったのも、そういう理由からだ。

 

 だが、今回はテイオーがオグリキャップとの併走を望んでいる。

 卓越した勝負勘とレースセンスを持っているテイオーには、自分とルドルフの間に広がっている差が分かっているのだろう。

 それを埋めるために必要な要素が目の前のウマ娘にはある。

 

 俺自身からルドルフに勝つための方法を提示して手を引いてやれない以上、倒れることがないように支えてやるのがトレーナーとしての最低限の役割だ。

 なにか、二人を説得できる材料はないだろうか。

 

「一つ聞きたいんだが、なぜこのタイミングで頼みに来たんだ? 春の天皇賞は惜しかったが、得意だった訳でもない長距離であの走りが出来るのは凄いことだ。焦って併走相手を探すような状況でもないと思うんだが」

 

 黙って話を聞いていたオグリキャップが問うてきた。

 あまり他人に興味がない奴だと思っていたが、流石にGⅠの春天は見ていたのか。

 それとも、他に何か見ておこうと考えた理由があったのか。

 

 なんにしても、目的について全く触れてなかったな。

 

「生徒会と揉めててな。なぜか有馬記念でルドルフと賭け試合をすることになった。有馬までの約半年でルドルフから勝ちを捥ぎ取るために、お前の力を借りたい」

 

 テイオーがオグリキャップの何を参考にしたいのかは分からんが、関節の柔らかさやストライドの広さなんかに似ている要素はある。そういった技術を盗みたいのだろう。たぶん。

 

「"皇帝"が有馬記念に出てくるのか? それだけでもスクープだぞ。というかお前、生徒会からも目の敵にされたのか。シンボリルドルフを敵に回すなんて学園全体と敵対するのとほぼ同義だぞ」

 

「ルドルフに反抗的なウマ娘なんてシリウス位だもんな。あと、俺は敵というより被害者だ」

 

 何故か知らんが勝負の景品扱いされているから、ピーチ姫のポジションと言えるだろう。

 テイオーとルドルフは……なんであんなに燃え上がってるんだろうね。

 

 質問の回答に反応したのはジョーンズだけで、問うてきたオグリキャップは顎に手を添えて考え事をしているようだった。

 なにか気になることでもあったか?

 

「ルドルフと戦うのか」

 

 確認するように呟いてから、オグリキャップは立ち上がった。

 

「少しだけ部屋の外で待っていてくれないだろうか。キタハラと二人で話したいことがある」

 

 その綺麗な青い瞳には、何かを決意した光が灯っていた。

 

 

 

 

 部屋の外で待っていると、十分と経たない内にジョーンズが出て来た。

 なにやら疲れたような、それでいて晴れ晴れとした表情をしている。

 

「面倒事を持ってきやがって。トウカイテイオーのこと、しっかり支えてやれよ」

 

 言われんでも支えるつもりだが、それは併走OKということだろうか。

 

「この件に俺は関与しない。個人的な恨みで"皇帝"に意趣返しをしてやりたい気持ちもあるが、それはお前らに任せる」

 

 ……はぁ。何を言っているのかさっぱり分からんが、ジョーンズもルドルフから被害を受けたことがあるのか?

 

「本当にいいのか? マスコミはすぐに嗅ぎ付けてくるし相手するのは面倒だぞ」

 

「『夢を応援したいんだ』。そう言われたら、俺に断るって選択肢はないさ。但し、トレーニングの内容と条件は全部オグリが決める。それ以上を求めるのはなし。それと、今度お前の奢りで一杯やるぞ」

 

 ……夢ってなんだ?

 今回の件に、テイオーの夢が関わっているなんて話をした覚えはないんだが。

 まぁ受けてくれるならいいか。

 

 それにしても対価が飲み会かよ。

 どうせならジジイ連中とかスピカのトレーナーも誘って久しぶりに野郎どもで飲むか。

 俺は酒に強くないからコーラだけど。

 

「あと"皇帝"と戦うなら一個だけアドバイスしてやる。トウカイテイオーにも伝えておいてくれ」

 

 おお、それは有難い。

 ルドルフの勝ち方ってあんまり特徴がなくて対応とか思い浮かばないんだよな。 

 

「『呑まれるな』。そうなったら誰も勝てない」

 

 呑まれる?

 

「それはプレッシャーとか放ってる雰囲気にって話か?」

 

 学生とは思えない圧を出してるよなアイツ。

 適当にやり込められるだろとか思ってた昔が懐かしいわ。

 

「実際はそうなんだと思う。ただ、オグリが言うにはターフの上だと物理的な話になるらしい」

 

 ルドルフはターフに立つとパックマンとかワンワンにでも変身するんだろうか。

 

「まぁ、その前に今日の併走だな。半端な覚悟だとルドルフと戦う前に折られるぞ」

 

 最後によく分からん不吉な事を言ってジョーンズは去っていった。

 ここ、アイツの部屋なのに何処に行ったんだろうか。

 というか折るってなにを?今日、これから併走してくれるの?

 

 そんな疑問に首を捻っていると、オグリキャップも部屋から出て来た。

 

「待たせてしまってすまない。急な話だったから準備に手間取った」

 

 その姿は制服ではなかった。

 トレーニング用のジャージでもなかった。

 

「それにしても、()()トウカイテイオーと走れるのか。楽しみだな」

 

 どちらが強いか。

 それを決めるための勝負服に身を包んで、オグリキャップは立っていた。

 

 惚けた表情は鳴りを潜め。

 目を爛々と輝かせながら。

 一点の曇りもない漆黒の戦意を滾らせて。

 

「さぁ、トレーニング場に行こう」

 

 なんの予兆もなく唐突に。

 最強の一角を担うウマ娘がトウカイテイオーの前に立ちはだかった。

 

「私に勝てないようでは、ルドルフに勝つだなんて夢のまた夢だぞ」




ちなみにオグリの『領域』は勝利の鼓動(黒)です。
ルドルフの『領域』はアプリの神威と違い宇宙ジェットです。

誤字報告していただいている皆様、いつもありがとうございます。
これはもうどうやっても無くせないなと開き直っていますが、本小説は皆様のおかげで体裁を保てております。


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領域

ホントはダメだけど、ひでえ事だけど、シングレの更新とかもホントは週に5話、10話くらい更新してほしい!


「オグリキャップを指名したのは確かにボクだよ? けど、なんで勝負服なのさ?」

 

 なんででしょうね。俺にもさっぱり分からないよ。

 

「こうして話すのは初めてだな。オグリキャップだ。改めてよろしく、トウカイテイオー」

 

 ヘイ彼女、うちのテイオーと一緒に走ってみないかい!くらいのノリで特に喧嘩を売ったつもりはなかったんだが、なぜかオグリキャップは臨戦態勢だ。

 白いセーラー服をベースに胸元には赤いスカーフと星のような菱形の装飾品。

 葦毛の髪も合わさり、ターフを駆ける姿はまるで白い流星のようだともっぱらの評判である。

 

「あっ、うん。こちらこそよろしく。ちょっと驚いちゃったけど、急なお願いだったのに引き受けてくれて、ありがとう」

 

 対するテイオーもまた、勝負服に身を包んでいた。

 オグリキャップが流星ならばテイオーはなんだろうか。

 大阪杯での他を圧する威容、天皇賞で見せた勝者と健闘を称え合う姿に"皇帝"を幻視したという意見が少なからずある。

 それでいて敵対者へ見せる態度には冷たい意志が見られるようになった。

 勝負服の色も合わせると……火山弾とかか?

 

「ここまで準備したってことは、お互いに本気でやるってことでいいんだよね?」

 

 併走トレーニングの相手を務める条件として、オグリキャップが提示したのは二つ。

 

 お互いを知るために、まずは真剣勝負をしてほしい。

 そして、年末の有馬記念でシンボリルドルフに勝ってほしい。

 

 二つ目の条件が持つ意味を俺は測りかねていた。

 負けて不利益を被るのは俺とテイオーだ。

 負けられると訓練の相手をした時間が無駄になるという考えはあるかもしれないが、わざわざ条件として挙げるものだろうか。

 

「ああ、時間は多く残されてはいない。力の限りを尽くしてほしい。私もテイオーとルドルフが戦うのがもっと先であれば、無理に手を出そうとはしなかったんだが」

 

「ボクも今年ぶつかることになったのは予想外だよ。しかも会長から仕掛けてくるなんて。なにが気に障ったんだろうね?」

 

「春の天皇賞。それは間違いない。気に障ったという言い方が正しいかは分からないが、手をこまねいている場合ではないと思ったのは事実だろう」

 

「そんなに今のボクは想定外かな? 真っ当に成長した自覚があるんだけどね」

 

 ……あれ、もしかして俺だけ理解が及んでなくて二人はなんか分かってる感じなんだろうか。

 もっと理解しやすい表現で話してほしいんだけど。

 

「ふふっ、以前のテイオーは今ほどルドルフに反抗的ではなかったと思う。なにより、彼女の居る場所を夢と定めて其処に近づこうとしていた」

 

 それは確かにあるな。

 明るく快活なのは変わらない。だが、人懐っこさや気安さというものは随分となくなってしまっている。

 きっとマスコミやらネットのにわかファン達に嫌気が差したのだろう。然もありなん。

 

「その赤い勝負服がルドルフには決別の証に見えるんだろう。それが耐えられないんだ。また、私から離れていってしまうのかとね」

 

「今も会長のことは尊敬してるよ。ううん、むしろ三冠を夢見ていた頃よりもずっと強く想ってる。シンボリルドルフは本当に凄いウマ娘だって」

 

 そう語るテイオーのまなざしには、キラキラとした憧れとは全く別の深い思慮の色が見えた。

 シンボリルドルフのなにを凄いと思っているのか。

 単純な強さや実績ではない何かを、テイオーは昔よりも鮮明に感じ取っているらしい。

 

「それは本人に直接言ってあげて欲しい。きっと、飛び跳ねて喜ぶだろう」

 

 ……デムーロジャンプして喜ぶシンボリルドルフ。

 宇宙から飛来した謎の電波によって変な映像が頭に浮かんだ気がするが忘れよう。

 

「それは無理かなっ! いまボクは会長とバチバチにやりあってるからね!」

 

 互いを忌み嫌い排除したいと思っている訳ではない。

 だが、爽やかに笑顔で良い勝負にしようと言えるほど(わだかま)りがない訳でもない。

 相手に好意を持ちながらも、雌雄を決さずにはいられない。

 トウカイテイオーとシンボリルドルフはそういう状況に至っている。

 

 これがアオハルというやつなのだろう。 

 

「そうか、バチバチか」

 

 ――そう言っておかしそうに笑ったあと、オグリキャップは表情を憂いを帯びたものに変えた。

 

「私はルドルフから期待された三つの内、二つまでしか叶えてやることが出来なかった」

 

 世間を熱狂させるスターとなり、トゥインクル・シリーズを盛り上げること。

 "皇帝"の座を脅かすほどの好敵手となること。

 オグリキャップというウマ娘が成ったのはそこまで。

 

「ルドルフのために走っていた訳ではなかったし、叶えて欲しいと頼まれてもいなかった。だが、そうはならなかった私を見て寂しそうな顔をしていたことが、少しだけ心残りだった」

 

 彼女なら、もしかしたらと思われていたのだろう。

 己の身を粉にしてウマ娘みんなの幸せのために邁進する"皇帝"。

 その夢を抱いたことにも、進んで来た道にもきっと後悔はないはずだ。

 それでも、長く険しい道を一人歩むことに寂しさを感じない訳じゃなかった。

 

「自分の隣に立ってくれる存在をルドルフはずっと待っている。頼もしい先輩達とは噛み合わず、期待していた私もそうじゃない側だったからな」

 

 シンボリルドルフの隣に立ち、共に歩む存在。

 強さだけではなく信念でも"皇帝"と並び、夢を同じくする者。

 オグリキャップにはそうなれるだけの過程があった。

 

 成功者は極少数と言われる地方上がりの田舎者。

 初戦で勝つことは困難極まると言われる編入生としては異例の連戦連勝。

 自分を追ってカサマツからやってきたトレーナーと組むという異色。

 シンデレラの如く煌びやかに、降りかかる困難も目が眩みそうな栄光も乗り越えた自分は適任ではあったのだろう。

 

 しかし、私に出来るのは己の道を征き、走りで示すことだけだった。

 想いを口にして伝えるのが下手すぎて、せいぜい客寄せパンダにしかならない。

 誰かに手を差し伸べて分かりやすく道を示したりはできない。

 

 私以前に期待を寄せられていたウマ娘たちは……自由であるが故の強さを持つ者たちだ。

 善良で有能ではあっても、ルドルフの示す行き先へ最後まで付き合ってくれる同行者にはならなかった。

 

 ヒト、ウマ娘問わず賛同者も協力者も大勢居るが、その全ては後ろを付いてくる者たちだけ。

 身を寄せる先もなく、空いたままの両隣がもたらす寂しさは少しずつルドルフの心を削っている。

 

 そうして数にして三度。ルドルフは並び立ちたいと望んだウマ娘から振られている。

 だから四度目は、自分の事を夢だと言ってくれたトウカイテイオーにだけは振られたくないのだろう。

 その兆候は以前から見え隠れしていて、ふと立ち話をしただけでもルドルフらしからぬ焦りを感じることがあった。

 

 その結果が、今の暴走気味な干渉に繋がっていることもなんとなく分かった。

 

 あの時、ルドルフの手を取らなかった私に何がしてやれるのか。

 対立するトウカイテイオーの併走相手を務めることは、そのままルドルフへの敵対行為になるのではないか。

 

 そうした逡巡(しゅんじゅん)がない訳ではない。

 

 だが頭の良くない私でも知っていることがある。

 悩んで悩んで悩みぬいて、それでもどうすればいいかの分からなくなった時。

 そういう時は強いウマ娘と頭空っぽになる位に全力勝負をすると大抵上手くいくのだ。

 

 だから私と全力で戦おう、トウカイテイオー。

 そうしてルドルフとも戦ってあげて欲しい。

 難しいことが頭から抜け落ちて、勝つことだけに全力を尽くさなければいけないほどの。

 

 ――最強のウマ娘として。

 

 

 

 

「そんじゃ始めるぞー。二人とも位置に付け―」

 

 イマイチ気合の入らないトレーナーの掛け声を聞きながら、スタートラインに向かう。

 想定距離は芝二千二百の右回り。

 

 会長との戦いを意識するならば二千五百の勝負になるかもと考えていたが、オグリキャップ先輩が選んだのは宝塚記念をベースにした条件だった。

 コースの外周にはどこから聞きつけたのか百人を超えているだろう野次ウマ。

 

 伝説的な人気を誇るウマ娘と二冠ウマ娘がトレーニングとは言え勝負服まで用意してタイマンをするのだ。

 興味が湧くのも仕方のないことではある。

 

「それにしても、少しくらいは遠慮というか取り繕ってほしいんだけどなー」

 

 ワラワラと群がってきている観客に言っている訳ではない。

 指定された距離からゴール係が必要だという話になったとき、気前良く手を挙げて立候補してくれやがったウマ娘に対して言っている。

 

 ここ最近、本当に露骨になってきた。

 

 チラリを目を向けたゴール地点で、目を細めてニンマリと素敵な笑顔を浮かべているウマ娘の名をナイスネイチャという。

 その顔が明確に物語っていた。

 

 一番良いポジションで分析して対策練らせていただきますね、と。

 

「同期の好敵手があんなに性格悪いだなんて、嫌になっちゃうよね」

 

 排他的な性質に目覚めた自分のことを全力で棚上げして、ネイチャに白けた視線を送る。

 その視線をナチュラルに無視するナイスネイチャを見て、テイオーは溜息を吐いた。

 

「走る前に伝えておくことがある」

 

 同期の逞しすぎる成長に世を儚んでいると、隣に並んだオグリキャップから声が掛かった。

 

「春の天皇賞を私も現地で見ていた。あの時、テイオーがぶつかった壁の先に『領域(ゾーン)』がある。超える時の状況はそれぞれ違うが、極限の集中状態というのは共通する要素らしい」

 

 『領域(ゾーン)』

 

 スポーツをしている者なら聞いたことくらいはあるだろう。

 物事に没頭し、高い集中力で臨むことで限界以上の力を発揮する事象。

 

 それは、確かに春天を走ったときの自分が持ち得なかったモノだ。

 勝つか、次に繋げるか。土壇場で悩んでいては集中できるはずもない。

 

 壁の先、マックイーンが見せた白い翼は其処に踏み込んだという事だったのか。

 

「集中力を高めるためにはルーティーンというものが有効らしい。私も意識してやっている訳ではないが、周りから見ると実行していると言われた」

 

「ルーティーンって野球のバッターとかテニスのサーブでよく聞くやつだよね?」

 

 細かい原理は知らないが、特定の状況と動作を関連付けることで精神を安定させる、みたいな方法だったはずだ。

 

「でもそれって試合が動いてない時間のある競技だから出来るんであって、スタートしたらノンストップのレースじゃ使えないんじゃないの?」

 

 すでに動いている状態から実行できるようなものではなかった気がするが、慣れればレース中の動作でも使えるのだろうか。

 

「そうだな。厳密にはルーティーンではないのかもしれない。だが、レースでも往々にしてそれは起こっているんだ。例えばレース終盤で先頭を競り合う。例えばレース後半に一定数のウマ娘を追い抜く」

 

 目を閉じて例を挙げていくオグリキャップの瞼の裏に浮かんでいるウマ娘は誰なのか。

 それが少しだけ気になったが、いま重要なのは其処ではない。

 

「つまり、自分の得意とするレース展開を集中するためのトリガーにするってことだよね」

 

 勝ちパターンを構築してそこに持ち込む。そうすれば余計な事を考えず一点集中ができる。

 そういった理屈だろうか。

 

「ああ。得意な展開とは即ち、自分のウマ魂が最も燃える展開でもある。ウマ魂を全力で燃やし、目の前の勝利を掴み取る事に心と体を傾注させる。それが領域に至るコツだ」

 

 納得のいく説明ではあった。

 自分ならばダービーか大阪杯がそれに近い。

 思い描く通りに動く体とレース展開。

 いくらでも速く走れそうなあの感覚は、高い集中状態にあったからだと言える。

 

 だが、自分が限界の壁にぶち当たったのは天皇賞だ。

 集中力が影響しているのなら、壁を超えられるかもしれない感覚を抱くべきは二つのレースではないのか。

 ダービーと大阪杯。その二つと天皇賞。

 そこにあった違いは――。

 

「話し込んでるみたいだが始めても大丈夫か? ギャラリーが増え続けてるから収拾が付かなくなる前に終わらせたいんだが」

 

 考えに沈みそうになっていた意識がトレーナーの声で戻ってくる。

 答えを出さず半端にしてよい問題ではない。

 見世物になるのは避けたいが、少し時間を貰って考えるべきか。

 

「心配することはない。足りないピースは此処にある」

 

 胸に手を置き自身を指したオグリキャップは、力強く答えを示した。

 

「全力を尽くし、全てを擲っても届かないかもしれない好敵手。それが限界の先に至るのには欠かせない」

 

 ……ああ、なるほど。

 あの時はマックイーンが居てくれたから。

 

 それならば、確かに不足はない。

 なにせオグリキャップは不世出のアイドルウマ娘であると同時に――。

 

 幾多の強敵と死闘を演じ勝利してきた"怪物"なのだから。




パイセンとの勝負が終わったらネイチャさん奮闘記を書く気がしてます。


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頂点VS帝王

本作にプリティーなウマ娘なんてマックイーン位しか出てこないから早く原作にシンデレラグレイを追加していただけないだろうか。


 トウカイテイオーの目的は走法の改善にあった。

 

 オグリキャップのスタイルはレース序盤は中段から後段に付いて戦況を窺い、終盤に驚異的な末脚でぶち抜くものだ。

 先行策が採れない訳ではないが、最も得意とする作戦は分類として差しに当たる。

 シンボリルドルフもまた得意とする作戦であり、実力においても両者は伯仲していると言えるだろう。

 

 しかし、仮想シンボリルドルフの相手としてオグリキャップが最適かと問われれば、答えは否である。

 オグリキャップが己に降り掛かる不条理や困難を力でねじ伏せるのに対して、シンボリルドルフは自身の不利、或いは不利だろうと思っている周りの認識すら利用してレース展開を制御する。

 生粋の暴と卓越した謀。

 互いに優劣はなくとも代替とするには適さない。

 

 故に併走の目的は対策ではなく成長である。

 

 オグリキャップを象徴する柔軟な膝関節と極端な前傾姿勢が生み出す異様な走法。

 それを自身の走りに取り入れることがトウカイテイオーの狙いだった。

 

 関節の柔らかさが可能にするストライド走法はトウカイテイオーも得意とするところ。

 現時点での両者の違いは、脚を踏み込んだ際に生み出す推進力のベクトルにある。

 

 跳ねるように走る。

 

 トウカイテイオーの走りはしばしばそのように表現される。

 それはつまり、推進力の幾分かは上方向に費やされているということだ。

 上から下へ、重力と体重によって発生する落下方向の運動エネルギーを次の一歩に繋げることが爆発的な出力を生み出していることも事実だが、着地の瞬間に掛かる負荷は相応に大きい。

 

 対してオグリキャップはどうか。

 

 前傾姿勢は踏み込みが生み出す推進力を上へと拡散させず、その全てを前へ進む力に変換する。

 あたかも地面スレスレを低空飛行する戦闘機が如き一直線。

 

 姿勢が上下することに伴うロスの削減と荷重によって膝に掛かる負担の軽減。

 効果が見込めるか未知数な部分はあるが、どちらにしろ今のままでは"皇帝"に届かない。

 "頂点"に挑み、そのレベルの強さに至る足掛かりとする。

 

 それがこの併走の、一バ身後ろから追ってくるウマ娘の協力を求めた本来の目的だった。

 

(……領域かぁ)

 

 トウカイテイオーが先行している現状、走法を直に見ることができないため、自然とレース前の会話が頭をよぎっていた。

 

 春の天皇賞で立ちはだかった限界の壁。

 その先へ至る方法について、トウカイテイオーは今日まで一旦は考えることをやめにしていた。

 なにせ、一番簡単な方法が怪我をすることを気にせず走ることなのだ。

 リスクを考慮しなければ恐らく超えられる。

 一着以外では自分の魂が納得しないということも実感できたし、怪我をした場合トレーナーに寄り掛かってしまうこと以外には躊躇する理由もない。

 しかし、そのやり方に無理矢理感を抱いていることも否めない。

 正道で至るには最低でも筋力のさらなる強化が必須だと思っていた。

 或いはここでオグリキャップの走法を学ぶことが、壁を超える一助になるだろうか。

 

(それも含めて第四コーナーからかな)

 

 思いがけず始まった、勝負服を着ての併走という名の真剣勝負。

 しかし、第三コーナーに差し掛かった時点では静かな展開に終始していた。

 

 二人だけの勝負にはペースメーカーとなるようなウマ娘も居らず、タイムを意識している訳でもない。

 前を行くトウカイテイオーは、その優れたセンスでタイムを正確に把握していたが、距離二千二百としては比較的スローペースを維持している。

 オグリキャップの抜群の末脚を見るためにある程度は計算ずくだった展開の中で、トウカイテイオーはある言葉を思い返していた。

 

(葦毛の怪物って女の子に付ける渾名じゃないよね)

 

 "怪物"と、そう渾名されるウマ娘は幾人かいる。

 たいていの場合は圧倒的な強さを持つ存在の比喩として、ファンや外部の人間が言い出したものが定着する。

 それはあくまで強さの表現であって当人の外見や内面、性質を表してはいない。

 

 だが、オグリキャップについては少々事情が異なる。

 実際に戦ったウマ娘たちはこう語る。

 

『後ろから迫ってくる怪物の足音を聴いた』

 

 ヒトを遥かに凌駕するスピードを発揮するウマ娘の脚はターフを抉る。

 発する音もヒトの陸上競技に比べると相応に異なる。

 他に類を見ない走法を取るオグリキャップとなればさらに異質だろう。

 

 不安定な走行姿勢でも全くぶれない体幹。

 終盤の凄まじい追い上げの原動力たる脚力。

 なるほど、それらから繰り出される音は尋常なものではないのだろう。

 何度機会を用意してもらえるか分からない貴重な併走相手。

 その強さを余すところなく体感し、全力で超えさせてもらおう。

 

 そんな慢心が少なからずトウカイテイオーにはあった。

 

 トウカイテイオーは挫折を知っている。

 トウカイテイオーは信頼が裏切られる事を知っている。

 トウカイテイオーは夢の終わりを知っている。

 

 だが、それらは全て外的要因に寄るものだ。

 彼女は今以て、才能と努力の果てに影すら踏めない相手が居ることは知らない。

 万全の状態であるならば、誰が相手であろうと勝利に手が届くと疑わない。

 

 そして"怪物"とは往々にして、そうした傲る者に牙を剥く。

 

 ズンッ、と。

 音としては、そうなるだろうか。

 

 第四コーナーを超えた最後の直線。

 地面が揺れたかと錯覚するような振動を伴って、それは現出した。

 後にして思えば、揺れたのは地面ではなく自分の体だったのだろう。

 身の毛のよだつような圧迫感に体が震えたのだ。

 

 それでも尚、トウカイテイオーの心に浮かんだのは負の感情ではなかった。

 

 怪物の存在を背に感じながらも、これをこそ求めていたのだと口角を吊り上げ脚に力を込めた。

 マックイーンとの激闘に匹敵するだろう戦いの予感に心が躍り、限界の壁に挑む疾走が始まった瞬間――。

 

 自身の小柄な体躯をさらに下から潜るかのように、"怪物"は瞬く間に隣に並んできた。

 

(……ッ!)

 

 こと此処に至って、ようやくトウカイテイオーは正しく測ることが出来た。

 漠然と今のままでは勝てないと感じていた"皇帝"との間に広がる差。

 

 それが今、己の真横を駆け抜けていった。

 

 互いに十二分に脚を残して迎えた最終直線。

 維持していた一バ身は一秒で詰められ、拮抗した時間はそこから一秒にすら満たなかった。

 

 加速に於いても最高速に於いても常に抜きんでた強さを示してきた"帝王"は"怪物"に蹂躙されようとしていた。

 

 あえて言い訳をするのならば。

 

 それはシニア級を戦い抜いた歴戦のウマ娘と上がりたてのウマ娘の差であり、ドリームトロフィー・リーグという世代を超えた天才たちの戦場で今も鎬を削る猛者との差であり、春の天皇賞でようやく初めて好敵手と呼べる強さのウマ娘と競えた若手が及ばぬのは仕方のないことだった。

 

 それでも、決戦の日はすぐにやってくる。

 負けられない戦場がやってくる。

 

 己が天賦の才と不断の努力を以てしても尚、半年という時間で埋めるには非現実的な距離。

 シンボリルドルフもまた、一切の容赦なく敗北を突き付けてくるだろう。

 その現実に、二バ身にまで広がった差が齎す冷たい恐怖に心が飲み込まれそうになったとき。

 

 スタート地点に立つトレーナーの姿が目に入った。

 

 喪失の後に得た、あの日から変わらず自分を見守り続けてくれている大切なヒト。

 負ければ、あのヒトが離れて行くかもしれない。

 勝利に執着せねば、また失うもしれない。

 

 トウカイテイオーは思い出した。

 シンボリルドルフが誰に手を出したのかを。

 何を盗んでいこうとしているのかを。

 

 ドクン、と心臓が鼓動する。

 全身を巡る血が熱く沸騰する。

 頭に上った血で視界が朱黒く染まる。

 

 あのヒトを奪うことだけは『絶対』に赦さないという想いが、魂に黒い火を灯した。

 

 

 

  

 

「思っていたよりもずっと強かったな」

 

 オグリキャップから放たれたそれは、敗北者へ向けた慰めの言葉だったのだろうか。

 

「強かった? ボクは自信なくしそうだよ。調子や作戦に左右された訳じゃない、完全な力負けだった」

 

 

 菊花賞と春天で負けた経験があって良かった。

 これが初敗北だったら、ちょっと立ち直れなかったかもしれない。

 そう思ってしまうほどに"頂点"は高いところにあった。

 

 最終的に二バ身まで広がった着差。

 両者の間にある実力差はそれ以上であろうことが感じ取れてしまった。

 

「逆じゃないか? 今日、負けたことに実力はあまり関係ない。完全に作戦ミスだ」

 

「……えっ? いやだって二人だけの勝負なんだよ。作戦なんてお互いになかったんじゃ」

 

 バ場の荒れを考慮しての内外やポジション争いと呼べるようなものは起きなかった。あったのは最終直線からの純粋な速さ勝負だけで、後は追う側か追われる側かを選ぶくらいだったはずだ。

 

 だからこそ、勝敗は実力のみによって決まり、言い訳は利かないはずだ。

 

「テイオーが先を行き私が後を追った。その時点で結果は決まっていたようなものだ」

 

 確証があるかのように断定的に話をするオグリキャップの考えに理解が及ばない。

 あまり頭の良いウマ娘ではないと聞いていたが、会話を成り立たせられないボクはもしかして物凄く頭が悪いのだろうかと不安になる。

 

「私も話すのが上手いタイプではないから伝わりづらいのかもしれないな。順を追って確認していこう」

 

 そう言ってオグリキャップは質問を投げかけて来た。

 

「先ほどの勝負、テイオーは本気だったな?」

 

「もちろん」

 

 慢心が心にあったかもしれないが、それでもトウカイテイオーは一切手は抜いていなかった。

 

「なら、限界の壁は感じられたか?」

 

 しかし、春天のときほどに心に沸き立つモノがあったのかと問われれば、答えはノーだった。

 

「全然、感じられなかった」

 

 メジロマックイーンよりも現時点では強いはずのウマ娘と全力で勝負したのに、あの時の感覚は欠片もなかった。

 相手との実力差があり過ぎて勝負にならないようでは、ダメなのか。

 

「いまテイオーが考えているように力の差が大きいと『領域』に入れないことはある。但し、それは自分が強い場合の話だ。普通に走って勝ってしまうからな。……テイオーは春天と今日の違いが分かるか?」

 

 あの時との違い。

 前を走るメジロマックイーンに勝ちたいと思って走っていたあのとき。

 

「ボクが先頭を走っている……?」

 

 後ろからオグリキャップが追ってきていることは常に感じ取っていた。

 だが、マックイーンに追い付きたいと思ったときほどに、逃げ切ってやるという強い意志が湧いてはいなかった。

 

「その通りだ。私とテイオーは『領域』に入る条件が似ている。見定めた好敵手に迫り追い抜くことにこそウマ魂が震え、燃え上がる。十数人で走るレースに対して二人しか居ないこの併走では、前を走った時点でテイオーが不利だった」

 

 好敵手を見定め、追い縋る。それがトウカイテイオーが『領域』に入りやすい条件。

 

「逆に相手に追い抜かれて離されるとダメだな。勝負根性を鍛えろという話ではあるんだが、忌避感が出てしまう」

 

 そりゃあそうだろう。突き放される感覚が好きなウマ娘なんて居るはずない。

 いや、そういう展開でこそ燃える性質かどうかという話か。

 まぁ、ボクはそんなドМではないけど。

 

 などと、トウカイテイオーは特定のウマ娘に喧嘩を売ることになるかもしれない感想を抱いた。

 

「最初に言ってたのは、ボクが後ろを走っていれば勝ったかもしれないってこと?」

 

 元より目的はオグリキャップの走法を見ることにあった。

 真剣勝負であったが故に先行策を採ったが差しの方がよかっただろうか。

 

「それもある。気付いてないようだから言っておくが、私は『領域』に入っていたぞ。そして、最後の百メートル地点からずっと差は二バ身のままだった」

 

 『領域』に入っていたことはトウカイテイオーも知覚していた。突然に増した圧迫感と加速の理由がそれだろうという予測も付いた。

 しかし、二バ身差のままだったことに何か意味があるのかが分からなかった。

 

「『領域』には全力を尽くさねば勝てないほどの好敵手が必須。つまり、テイオーはすでに私が『領域』に入れなければ負けると予感させるほどに強いということだ。そして君は私と同じ場所に至っていないにも関わらず、最終的に速度に於いて並んだ」

 

 最後の百メートル。

 『領域』に至り"怪物"と呼ぶに相応しい力を発揮したオグリキャップに匹敵するほどの速度を、トウカイテイオーも見せていた。

 

「むしろ私よりも君の方が"怪物"らしいのかもな。抜き去って勝利が確定的になったというのに、背を炎に焼かれているのかと錯覚するほどの熱量を感じた」

 

 そう言ってから『本当に焼けたりしてないよな』と首を捻って勝負服の背中を確認するオグリキャップとひとしきり笑い合った後、トウカイテイオーは自分が感じたものを伝えた。

 

「なんかね、このままじゃ負けちゃうって思ったときにトレーナーの事が見えたんだ。そうしたら心臓が強く脈動して全身に力が漲るような感じがした」

 

 実際には血が沸騰して目の前が真っ赤に染まりもしていたが、それでもあの感覚がなければ差はもっと開いていただろう。

 

「そうか。勝ちたい理由がブレないウマ娘は強い。様々な要因でそれは崩れてしまうものだが、君たちは大丈夫そうだな」

 

 そう話すオグリキャップの目には憂いと羨むような色があった。

 

「アイドルウマ娘でもそんなことがあったの?」

 

 オグリキャップが走る理由。

 それは応援してくれるファンのためであるということは、テレビや雑誌で幾度となく語られていることであり有名な話である。

 

「ファンからの声を苦痛に感じたことだってあったさ。それでも今の私になれたのは、キタハラとカサマツの皆が居てくれたからだ」

 

 オグリキャップのトレーナーであるキタハラは、トウカイテイオーのトレーナーと同様に他に比べて育成能力が秀でているという訳ではない。

 それでも、オグリキャップがトレーナーを呼ぶ声には深い信頼が宿っていた。

 

「『領域』については話すことができたし、今日はこれくらいでいいだろう。今後も定期的に併走できるようにキタハラには頼んでおく。だからテイオー、どうか"皇帝"に勝ってほしい」

 

 併走の対価として出された条件。

 シンボリルドルフの常ならざる態度の理由の一端を知り、オグリキャップが少なからず過去に悔いを残していることも分かった。

 元よりトレーナーを取り返すためにボコボコにするつもりだったのだ。

 断る理由もない。

 

「まっかせて! 高いところでふんぞり返ってる偉そうな"皇帝"様を玉座から引き摺り下ろすつもりだから!」

 

 玉座から引き摺り下ろす。

 なるほど、それはいい。

 普通のウマ娘に戻れば、ルドルフも背負っている荷を降ろせるかもしれない。

 きっとそれは叶う。そう思わせてくれる目の前の小さな"帝王"を見ながら、オグリキャップは柔らかい笑顔を浮かべた。




「勝利の鼓動(ブチギレ)」のヒントLvが2上がった。
「独占力」のヒントLvが5上がった。

この調子で強固有スキルをどんどんラーニングしていこうねテイオー。


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一心同体

こいつ誰だよってくらいキャラが崩壊している奴がいる気がしますが、今更なので気にしないでください。


 トウカイテイオーとオグリキャップの勝負が終わり日が沈んだトレーニング場には、微かな熱気が残留していた。

 抜きん出た実力と人気を誇り、特異な走法が持ち味である両者の勝負が見物していたウマ娘たちの心を湧き立たせたからだろう。

 ウマ娘ならば魅せられずにはいられない速さ。

 自分もなりたいと、望まずにはいられない強さ。

 シンボリルドルフが期待した世間を熱狂させる『スター』と呼ぶに相応しい綺羅星の如き輝きを二人は持っている。

 その光はたった一度の併走だけでも、多くのウマ娘に夢を与えるほどに強い。

 

 そして、光が強いほどに日陰が産み落とす黒は色濃くなっていくものだ。

 

「はっ……、はっ……」

 

 誰も居なくなったトレーニング場で一人走り続けているナイスネイチャは、少なくとも自身の認識としては日陰側の存在だった。

 優れた存在に成れたらいいなと夢想することはあっても、それが実現したことはない。

 トウカイテイオーという遠くで輝く星に手を伸ばそうとしては、その手を引っ込めてきた。

 GⅠを獲るには力不足でもあったし、斜に構えたところがあったことも事実だ。

 

 もっとも、それも今となっては昔の話。

 ナイスネイチャには叶えたい夢ができた。

 

「こんな速さじゃ話にならない。テイオーはもっともっと速い。……もう一本だけ二千二百で」

 

 ナイスネイチャと南坂は宝塚記念に出走すると決めていた。

 トウカイテイオーとの決戦の場として定めた訳ではなく、その前哨戦。

 菊花賞を乗り越えて以降のトウカイテイオーに起こっている変化を肌で感じ、勝つために用意した札がどこまで通じ得るかを探るための確認の場。

 今日行われた併走は、ナイスネイチャの思惑と無関係ではあったが近い状況が再現されていた。

 そして近いがゆえに、あとどれほど手を伸ばさなければ届かないか理解できてしまった。

 

 宝塚記念への出走は勝利を目的とはしていない。

 それでも、切り札以外は全て投入する予定にしていたレース。

 多分に初見殺しの要素を持たせている切り札を使わないということは、絡め手なしの真っ向勝負を挑むということである。

 

 基本的に勝ち目のない勝負ではあるが、それでもボロ負けすることはあってはならない。

 蟻一匹が巨象に策を弄したところで意に介されはしない。

 せめて競い合いが成立する程度の強さを持っていなければならないのだ。

 

 そして今のナイスネイチャにとって、素の実力だけでトウカイテイオーと競り合う自信を持つことは、それなりに難題だった。

 

「ダメですよネイチャさん。これ以上はオーバーワークにしかなりません」

 

 汗を拭い、疲労で力が入りづらくなってきた脚に鞭打ってスタートの構えを取ったナイスネイチャに声が掛かった。

 

「もう門限も近いです。皆さんも心配されていましたよ」

 

 残るカノープスのメンバーである三人とのミーティングを済ませた南坂が戻ってきていた。

 ここ最近はチームとしてのトレーニングを終えた後、ナイスネイチャと南坂の二人で居残りトレーニングをすることが日課となっていた。

 三人も付き合うことを希望していたが、トウカイテイオーに勝利することを誓ったナイスネイチャがこなしているトレーニング量は怪我に至らないギリギリのラインを攻めている。

 複数人に同時に無茶をさせると南坂のキャパシティを越えかねず、マンツーマンが最善と判断していた。

 

「そんな時間だったんだ。いやー、最近はなんだか時間が経つのが早いね。アタシも年を取ったもんだ」

 

 そんな軽口を叩きながらも、ナイスネイチャはコースから出てこようとはしなかった。

 

 トウカイテイオーとオグリキャップの勝負に自分も参加したらどうなったか。

 決して結果は喜ばしいものにはならなかっただろう事が分かる。

 だから、脚を動かさずにはいられない。止めてしまえばもっと引き離される。

 トレーニング場に残る熱気とは裏腹にナイスネイチャの心は冷たかった。

 

「もう一本だけ、お願い。私は自分の全部でテイオーに勝つって決めたの。こんな所で立ち止まってられない」

 

 二人の天才がぶつかり合う好勝負に、見物していた者達は沸き立っていた。

 あの併走は、心に余裕がある者にとっては楽しいイベントだったのだ。

 

 だが、そうではない者にとってはどうか。

 例えば切実に、悲痛と言ってもいいほどにレースで勝利することを望む者にとっては恐怖でしかなかった。

 ドリームトロフィー・リーグを主戦場としているオグリキャップはともかく、トウカイテイオーは現役でシニア級を走っているのだ。

 王道たる中距離でGⅠを獲るには、()()に勝たなければならないのだ。

 

 見せ物としてではなく、競う相手を分析するために視ていた者達は気付いていた。

 トウカイテイオーの走りが、春天からまた変化したことに。

 

 菊花賞以前にはなかった、攻撃的な力強さを持った走りからの更なる進化。

 自身を追い抜き前を走る"怪物"に再び迫るために、彼女は無意識に"怪物"を真似た。

 姿勢はより前傾に、跳ねるのではなく踏み込んだ力を全て前進するためだけに使う走り。

 体が上下に振れる幅を大きく減らしたその走法は、赤い影が地を駆けているようにも見えた。

 

 簡単に真似できる動きではないはずだった。

 極端に広いストライドを取りながら姿勢を前傾させるには、関節の柔軟性とバランス感覚が必要不可欠だ。

 自然と頭を下げた体勢になるため、レース展開を俯瞰するのにも不向きで使い方を誤ればバ群に沈んでしまう。

 それでもトウカイテイオーは、それらの条件を難なくクリアしてしまえるウマ娘だった。

 

 アレが自分の好敵手(ライバル)なのだ。

 アレを倒すと、心を折ってやると、勝ちたいという想いに蓋はしないと決めたのだ。

 ならば限界まで鍛え、テイオーが挑んでいたであろう()()を自分も超えるしかない。

 

「いいえ、ダメです。それはネイチャさんが頑張っている自分に酔って自己満足したいだけです。そこに成長はなく、脚を無駄に浪費するだけ。トウカイテイオーに勝ちたいのなら、明日に備えて回復に努めてください」

 

 南坂から出た忠告は、どこまでも無慈悲にナイスネイチャの心情を読み取っていた。

 

「……もうちょっと優しい言い方してくれてもいいじゃん」

 

「優しさを望まれるのでしたら幾らでもしますよ。けれど、勝つために厳しくしてほしいと言ったのはネイチャさんだったはずです。僕はトレーナーですから、担当するウマ娘の要望に全力で応えます」

 

 年頃の女の子に対して向けるにはあんまりな物言いではあったが、勝利を欲するアスリートに対しては必要な助言。

 それが頭では理解できていても、ナイスネイチャは南坂を睨み付けること止められなかった。

 

「でも、それじゃテイオーに勝てないかもしれない」

 

 トウカイテイオーに伸びしろが残っていることは分かっていた。

 それでもたった一戦しただけで、あそこまで進化するだなんてズルい。

 アタシがあれだけ成長しようと思ったら、どれだけの努力が必要になるか。

 同じ密度で時間を過ごしていては話にならない。

 遊ぶことをやめて、寝る間も惜しんで足掻くしかないんだ。

 

 以前からあった天才への憧憬は、ずっとナイスネイチャの中に渦を巻いていた。

 グルグルと出口のないまま溜まっていく一方の感情は、本気になると決めたことで更に淀んでいき、前に進むばかりの好敵手(ライバル)を見て爆発寸前だった。

 

「勝つって決めてさ、心が晴れたんだ。ずっと自分にしてた言い訳が必要なくなって、全部を勝つために使えるようになったから」

 

 アタシは天才なあの娘と違って普通だから。

 アタシなりのそこそこにしか頑張ってこなかったから。

 勝つとか強くなるとか、そういう熱いのは生理的に受け付けないから。

 

 そんな言い訳をずーっとしてきた。

 全部嘘なのに。

 

 天才だって呼ばれる位に勝ちたかった。

 精も根も尽き果てる位に頑張ってみたかった。

 いつまで経っても消えてくれない熱い火が自分の中にあることを知っていた。

 

 けど、全力を出して本気になってしまったら。

 それでも力及ばずに負けてしまったら。

 

 もう、なんの言い訳もできなくなっちゃうじゃん。

 

「怖くなってきたの。アタシはいま、人生の中で最高に頑張ってる。一番強いアタシになってるって自信を持って言える。頭も体も全力で動かしてる。それでも負けちゃったらさ、もう次なんてなくなっちゃう」

 

 トウカイテイオーの心を折る。

 口に出すだけならば、なんて簡単な事なのだろうか。

 それが成せなかったとき、折れて二度と戻らなくなるのは自分の方だ。

 

「天才って凄いよね。勝って当たり前だって自分も周りも思ってるんだよ? それで負けちゃったらどれだけショックを受けるのか想像もできない。なのに、ちゃんと立ち上がってまた歩き出すんだもん。眩しすぎるよ」

 

 なぜ、ナイスネイチャは菊花賞に出られずトレーナーとの契約を解消されたトウカイテイオーに優越と快感を覚えたのか。

 多分にねじ曲がった感情表現こそしているが、根本的にはトウカイテイオーと自分に大した違いなどないと知りたかったからだ。

 大好きな友人は異次元の意味不明な超常存在ではなく、異なる個性を持っているだけのウマ娘なのだと確信を持ちたかったからだ。

 だから、墜ちてきてくれた友人を見て心底から安堵した。

 

 そして、底から這い上がるトウカイテイオーを見て戦慄した。

 

 あれほどの高さから落ちても、まだ立ち上がれるのか。

 どれだけ絶望したのか想像も付かないのに、まだ折れないのか。

 アタシなら絶対に無理なのに。

 

 ほんの短い間だけ感じられた安堵は、友人と己の決定的な違いを感じさせるための落差を生んだだけだった。

 

 だから、ナイスネイチャも覚悟を決めた。

 大好きな友人は待っているだけでは同じところに来てくれないから。

 あの娘とアタシはなにも変わりはしないと確信するには、自分が登っていくしかないから。

 

「負けられないの。勝てなかったら、認めることになっちゃう」

 

 やっぱり、テイオーとアタシは違うんだなって。

 

「そんなのは嫌なの! だから、我武者羅に走るしかないの!」

 

 人生で初めての、本気の本気。

 退路を塞ぎ、どちらかが折れるまで進むという不退転の決意。

 

 自分に言い訳することをやめたナイスネイチャは、一切の逃げ道なく現実と向き合わなければならないことに、圧し潰されそうになっていた。

 

「……だからもう少しだけ走らせてよ。待っていてくれなくてもいいからさ」

 

 疲労なんて望むところだ。

 少しの間だけ、この重たいモノを忘れられるから。

 

「……優れたウマ娘とは、一体どういう存在のことを指すと思いますか」

 

 ナイスネイチャの言葉を黙って聞いていた南坂が不意に問いかけてきた。

 

「えっ? ……そりゃあGⅠレースで勝つウマ娘でしょ」

 

 他所はともかく、ここトレセン学園には於いてはそれが最も重視される事は間違いない。

 

「確かにそうですね。しかし、オグリキャップなどは相応に敗北も経験しています。それにGⅠを獲る以前から、強い人気がありました」

 

 カサマツから移籍してきた年の有馬記念。そこに至るまでの重賞連勝記録は称賛に値することだが、彼女はGⅠで勝利する以前から"怪物"と呼ばれていた。

 

「僕は人に夢を見せられるウマ娘こそが、優れていると考えています」

 

 シンボリルドルフがトウカイテイオーに無敗の三冠という夢を抱かせたように。

 オグリキャップが地方からのシンデレラストーリーを夢物語ではないと示したように。 

 

「あはは、ならやっぱりアタシには無理だね」

 

 応援したくなることはあっても、アタシに夢なんて見たりはしないだろうと、ナイスネイチャは自己を評価している。

 

「そんなことはありませんよ。ネイチャさんに夢を見ている人は此処に居ますからね」

 

 普段の捻くれた態度を取る余裕もなくなっているナイスネイチャの言葉を否定して、南坂は笑いながら自信を指した。

 

「トウカイテイオーのような天才ではないかもしれません。常勝不敗やグランドスラムといった伝説を作れるウマ娘ではないのかもしれません。けれど、それでも勝つことを諦めたくないと足掻くあなたにこそ、僕は夢を見ています」

 

 トレーナーが担当ウマ娘を持ったとして、それが一番に望んだ相手のスカウトに成功したのかは別問題だ。

 才能あるウマ娘にスカウトが集中する以上、あぶれた組み合わせは必然的に発生する。

 

 しかし、ナイスネイチャと南坂はそうではなかった。

 

「ネイチャさんが本当の意味で本気になったのは昨年末からなのかもしれません。けれど、選抜レースの時からあなたの中にある勝ちたいという想いが消えたことは一度もありませんでした」

 

 表向きは隠していたとしても、口に出すのは捻くれた卑下だったとしても、勝つことを諦めないナイスネイチャは強い。

 そして、トレーナーという生き物は強いウマ娘を勝たせてあげたいと心から望む。

 だから、南坂はナイスネイチャを望んでスカウトした。

 

「次はなくなったりなんてしません。僕が機会を作りますから。もし、あなたの心が折れたのなら僕が支えます。敗北を活かして勝つための方法を提示します。あなたが勝利を諦めない限り、傍でずっと一緒に歩いていきます」

 

 ウマ娘の望みを叶えるという、ある意味で受け身なスタイルであった南坂は、これ程まで直截に自身の意思を伝えることはしてこなかった。

 しかし、今のナイスネイチャに必要なのは同道者だ。

 独りではないと、同じ願いを持つ者が居て、夢も責任も分かち合えると知ってほしかった。

 

「なによりも、僕はネイチャさんが勝てないだなんて思っていません。勝たせるのがトレーナーの役目で、僕はあなたのトレーナーですから」

 

 柄にもなく熱くなっているなと頭の片隅で考えながら、それでも南坂は口から出る言葉を飲み込みはしなかった。

 

「だから、あなたの想いを一緒に背負わせてください。そして勝ちましょう。あなたの最強の好敵手(ライバル)に」

 

 心に圧し掛かっていた重しが軽くなったと、ナイスネイチャは感じた。

 ちょっと優しい言葉を掛けられただけですぐに持ち直すだなんて、アタシって現金な女だなーと思いながらも嫌な気分はしなかった。

 トウカイテイオーに本気で勝てると信じてくれるヒトが居てくれることを、嫌だなんて思うはずもなかった。

 

「……もう、なにこれ。アタシには全然似合わない雰囲気になってるじゃん。こんな空気吸ってたら体調崩しちゃうから、帰って休むね」

 

 嫌じゃない、どころか嬉しすぎる。

 心に追い付いていなかった脳が南坂の言葉を正確に理解した直後、ナイスネイチャは火が出そうなほどに顔が熱くなったことを自覚した。

 側頭部で房のように結った髪で顔を隠しながら、そそくさとレース場から出て片付けを始める。

 

「ええ、そうしてください。明日からも厳しくいきますからね」

 

 えー、なにこれ。アタシはこんなに恥ずかしがってるのに何であっちは平気な顔してんの。もしかして、トレーナーって割と担当ウマ娘にこういうこと言っちゃうの。ヤバいなトレセン学園。

 

 高速で思考を回しつつも自分だけ照れてるのは納得いかないんですけどー、と喜悦と憤慨が入り乱れて混乱しているナイスネイチャに、南坂から再度声が掛かった。

 

「ネイチャさん、そのままで構わないので聞いてください。宝塚記念の調整として出るのは新潟大賞典に決めました。そちらでは、()()使ってみてください」

 

 その言葉を聞いて、少しだけ冷静さを取り戻したナイスネイチャはぼやくように答えた。

 

「了解ですよっと。テイオーを相手にするんだもんね。GⅠより下で走る娘たちには最低でも通用しなきゃ」

 

 南坂の言った、全部使うという言葉の意味。

 それは、ナイスネイチャにとっては反則以外なんでもすると言い換えてもいい。

 悪いとは思わない。アタシの全力とはそういうことだ。

 

「せめて、心が折れちゃった娘のアフターフォローはしっかりしないとねー」

 

 心は折りたいが、折れた娘をそのままにしておくのは後味が悪いから。

 普通のウマ娘が持つ勝ちたいという欲求とは些か以上に異なる歪さを抱えながら、自分と想いを同じくしてくれるトレーナーと共にナイスネイチャは帰路に就いた。




テイオーとネイチャが1992年に相当する宝塚と有馬に出てくる。
これがどういう意味を持つか。あるメジロのウマ娘が泣きを見ることになります。


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参戦

今回もネイチャさんのお話です。まるで主役みたいだな。


『新潟大賞典』

 

 新潟レース場で開催されるGⅢレースなのだが、芝の左回りで距離二千と正直言って宝塚と有馬のどちらを想定するにしてもあまり適してなさそうなレースである。

 適してないからこそ選んだようなものなので別にいいのだが。

 

 自分の戦法は弱者が強者に打ち勝つためのものだ。それはつまり、正攻法とは真逆な姑息で悪どいやり方と言っていい。それでいて奇抜さや唯一性には欠けていて、対処困難な訳でもない。

 来ると分かってさえいれば容易に対処可能という悲しくなるような戦い方だ。なればこそ、情報の漏えいが敗北に直結する。

 

 知られてはならない。意図を読まれてはならない。たった一度だけ、天才を後ろから一刺しするためだけの刃。

 しかし、半端な付け焼刃や(なまく)ら刀ではトウカイテイオーという分厚い壁を貫けないのも事実。実践で刃を研ぐ必要がある。そのための今日だ。

 

「ネイチャさん、今日のオーダーを伝えます。第一に用意した札を一通り試すこと。第二に使用感とトウカイテイオーへの有効性について考察すること。第三にそれらをしっかり熟しつつ勝利することです」

 

 試運転を万全に行い勝負には勝つこと。自分の掲げている目標を思えばGⅢで負けていてはお話にならないのは事実だが、周りのウマ娘からしたら舐めプと取られても仕方ないことかもしれない。

 

「はいはいっと。しっかりとオーダーにお応えいたしますよー」

 

 それでもやり方は変えない。これ以外の方法では勝利が掴めないとか、自分に一番合っているからとか色々と事情はあった。だが、今はそれらの事情を除外したとしても、押し通したい理由ができた。

 

(トレーナーがアタシは勝てるって信じてくれてるんだもんね……)

 

 トウカイテイオーに勝てると言い、自分を支えると言ってくれたヒトが提示した戦法。そこには実用性とかセオリーなんてもの捨てて構わないと思わせてくれる熱量があった。

 心の中で縮こまって燃えていた小火(ぼや)を大火に変えてくれた信頼という名の燃料投下。

 

 アタシは勝つ。勝ちたいと思う自分のために。勝てると信じてくれる相方のために。勝ってほしいと願ってくれる仲間のために。

 

「僕も修正点や対トウカイテイオーに向けた小技が他にないか分析しながら見るつもりです。まだ前哨戦のさらに準備段階ではありますが、気を抜かず行きましょう。ターボさんたちも学園で応援してくれていますよ」

 

 新潟入りしたのは自分とトレーナーだけで他の三人はお留守番。夜も独占している状態が続いているし、はっきり言って今の自分はトレーナーにもチームメイトにも大迷惑を掛けている。

 決して長いとは言えないウマ娘の大事な現役時代。その内の一年間、トレーナーがかける比率を大きく自分に傾けてもらっているのだ。笑って許してくれた三人には脚を向けて寝られないし、慢性的な睡眠不足に陥っているだろうトレーナーにはどれだけお礼をしても足りない。

 

 体を壊されても困るし、毎日しっかりと冷蔵庫の食材を活用して栄養のある食事を作ってあげることにしよう。

 ちなみに深い深い経緯があって得意の余りもの活用術ではない。

 

 食堂も閉まった後に空腹を凌ごうとトレーナー室の冷蔵庫を覗いたら、そこには飲料の缶しかなかった。飲むと翼が生えそうなやつだったり、怪物に変貌するエネルギーが摂取できそうなやつだ。そんなバカな菓子の(たぐい)くらいはあるだろと戸棚を開けてみれば錠剤しかなかった。カフェインとブドウ糖を最大効率で摂取できそうなやつだ。

 

 ネイチャさんは危機感を覚えた訳ですよ。このまま行ったら有馬記念でテイオーに勝ったとしても、トレーナーが倒れて月9ドラマみたいな展開になってしまうのではないかと。そうでなくてもこんな生活をして有馬までに体調を崩されてはトレーニングに支障がでる。アタシには現実逃避のオーバーワークはやめろと言っておきながら自分は刹那的に生き過ぎだろと、怒りさえ湧いてきた。

 

 それからというもの、毎朝早起きして昼食のお弁当と温めれば美味しく食べられる夕食を二人分用意してから朝練を始めるのが常態化した。南坂は時間と体力がもったいないからこの栄養補給バーにしようとかほざいていたが、そんなことは天が許してもアタシが許さない。

 

 体は資本。これはアタシを信じてくれたヒトへのお礼も兼ねた立派なトレーニングなのだ。

 

「ターボたちに勝ったよって報告できるよう頑張りましょうかね。それじゃ、いってきまーす」

 

 トレーナーと別れ、控室を出てターフへ向かう。

 地下道の出口が近づくにつれて、聞こえてくる歓声と視界を照らす光が大きくなっていく。

 

 それを感じながら、カチリとスイッチを切り替える。

 傍に居てくれる人達がくれる温かさをひっそりと胸に仕舞いこみ、冷徹に思考する。頭に思い描くのは年末のレース。あの天才をへし折ったとき、浮かべるだろう表情と奏でられるであろう音。自然と口角が吊り上がり足取りは軽くなる。ともすれば、鼻歌さえ歌っちゃいそうなほどだ。

 

(さーてと、勝ちにいきましょうかね……)

 

 吊り上がった口角を誤魔化すようにとろりと綺麗な笑顔を浮かべて、観客に手を振りながらナイスネイチャはターフに立った。

 

 

 

 

 

 

『さあ、新潟大賞典、芝二千。ウマ娘たちが一斉にスタートを切りました』

 

『ナイスネイチャがとても綺麗にスタートしましたね。今回は先行策なのでしょうか?』

 

 晴れ渡った空にポカポカ陽気。南西から迫る梅雨前線も、五月の新潟にとってまだ先の話だ。

 

 そんな最高のロケーションである良バ場で、ナイスネイチャは逃げウマ娘がハナを奪取するため入念に準備してきたかのようなスタートダッシュを決めた。

 本日、三枠三番だったナイスネイチャは他の逃げウマ娘を差し置いて、先頭に立ったのだ。

 そして、ほんの少しだけ外に()()た。

 自分よりも外枠の――具体的にはメジロのウマ娘がいる――側へ。

 

 作戦その一、逃げウマ娘潰し。

 

 内容は至ってシンプルだ。綺麗にスタートダッシュを決めて、ハナを取りたい逃げウマ娘を焦らせる。そして、厄介な相手のいる内か外へ進路をとって位置取りを阻害する。ただそれだけ。

 

(いやー、我が事ながら、みみっちいというかショボいというか)

 

 基本的にナイスネイチャというウマ娘が用意できる策なんてこの程度の事なのだ。相手を蹴飛ばせる訳でもタックルできる訳でもない。なんともささやかな嫌がらせ。

 

 それでも逃げを得手とする者達にとって差しウマ娘にハナを取られるだなんて屈辱でしかない。冷静に考えればナイスネイチャが暴走しただけの可能性大なのだが、どちらにしろハナを取られたままのレース展開では勝ち切れない。その考えが体力配分を誤らせ、前へと掛からせる。

 

 やらないよりはマシな嫌がらせの初手先頭争いと走行妨害。

 ツインターボが泣くまで止めず、鉄の女が泣いても止めなかったトレーニングの成果は実を結んだと言っていいだろう。

 逃げウマ娘たちとも競える見事なスタートを会得した。

 

(本当はもっと露骨に妨害したいんだけどね。国外のレースだとかなりアグレッシブにポジション取り行っていいみたいだけど、日本は国際レース以外だと判定もシビアっぽいから仕方ないよね)

 

 過去のジャパンカップを見てみれば、国内GⅠとは毛色の違うレースが見られる。

 日本のウマ娘が中々勝てない理由の一つは体格に物を言わせた文字通りのぶつかり合いにあるのだろう。

 

(ワイルドそうなウマ娘はともかく、お上品な見た目のウマ娘も平気な顔して接触してくるんだもんね。アタシは日本に生まれてよかったわ)

 

 今の自分としてはむしろ望むところなのだが、こんな歪んだ思想になる前に潰されてたんじゃなかろうか。

 

(なんて関係ない話は横に置いて、三番手が似合いそうな地味ウマ娘はひっそり沈んでいくとしましょうかね)

 

 実況解説も驚くほどに鮮やかなスタートを切ったナイスネイチャは、その後スーッと速度を落としてお馴染みのポジションに収まった。

 一体なんのためのスタートダッシュだったのかと逃げと先行策のウマ娘が首を傾げながらも前に出れば、数秒後にはその頭からナイスネイチャのことは消え去っていた。

 それは自分の走りに集中するための自発的な行為だったが、仮にナイスネイチャに意識を割いていたとしても探すことは難しかっただろう。

 

 ナイスネイチャはバ群に沈んだ。息を潜めて、中段でひと塊となった集団に溶け込むように。

 

 そうして注目を集めなくなったナイスネイチャはバ群の中で細かく位置取りを変化させていく。前方を走るウマ娘たちの視界に入りづらい位置を、横と後方を走るウマ娘たちがスパートを掛け辛い位置を常に模索して。

 

 話は変わるが、ミスディレクションという言葉がある。

 

 簡単に言えば、他者の認識を誘導したり勘違いさせたりするテクニックのことだ。

 フジキセキが得意とするマジック(手品)などは、この技術を多分に利用している。

 ナイスネイチャと南坂はこれを極限まで悪用する策を採用した。

 

 強いウマ娘は極一部の例外を除いて広い視野と高い観察力を持っている。

 明確に思考しているか本能的に判断しているかの違いはあるが、九割九分九厘に当て嵌まる特徴だと言っていいだろう。

 レース展開を俯瞰し、後方にまで意識を伸ばして仕掛けるタイミングを図っているのだ。

 

 そして、俯瞰して得た情報から精緻に展開を思い描いているほどに、突発的な予想外が訪れたときの崩れ方は激しくなる。

 

 本番のレースを想定して積み重ねたトレーニングが想定外に対する体の反応を遅れさせる。

 読み込んだ資料と繰り返し見たレース映像から得た知識が想定外の状況に思考を白紙にする。

 極限まで高まった集中力が、立て直すことが不可能なほどに霧散させられる。

 

 レースを走るウマ娘は十三人。上空から見て数えれば誰にだって分かるだろう。

 しかし、ターフを駆ける十二人どころか観客席から全体を視る者達すら見逃しそうなほど、ナイスネイチャは巧妙にポジションを変え、その気配を薄くしていた。

 

 全ては最終コーナーから最終直線の間に行われれる一事のために。

 ウマ娘たちがラストスパートへと移行する瞬間のために。

 いける、とウマ娘たちが脚に力を込めるより一瞬だけ早く。

 ナイスネイチャは自分の存在をターフに誇示した。

 

 作戦その二、サプライズアタック。

 

 潜めていた息を鋭い呼気へと変える。静かに軽やかにを意識していた踏み込みを、大きく音を鳴らすほど強いものに変える。視界に入り辛いよう下げていた頭を上げて一番速く走れる体勢に変える。一番厄介そうで勝ちに近そうなウマ娘に視線という名の圧力を飛ばす。

 

 急激な静から動への、無から有への変化。

 知っている自分だけが対応できて、知らない他者は阻害する。

 

(地味なアタシですけどね、流石にその場にいきなり瞬間移動してきたら驚かれるくらいの存在感はある訳ですよ)

 

 むしろ、それすら無かったら泣いて引き籠る。

 そんな自虐を内心に浮かべながらも周りの変化をつぶさに観察する。

 

 いきなり増した存在感による落差と、最初から居たはずなのにどうして忘れていたんだろうかという疑問。

 状況の変化に付いていけず、考える必要もないことに脳のリソースを使ってしまい『えっ?』と間抜けな声を上げてしまった前方のウマ娘にしてやったりと笑みを浮かべ、ナイスネイチャは全力疾走を開始した。

 

 他者をベストパフォーマンスから遠ざけ、己だけはベストに近づく。

 邪道という謗りは受け入れよう。スポーツマンシップに悖るという考えにも同意しよう。

 だが、これはレースだ。セパレートコースで自分の最高速を実現させる陸上競技とは違う。

 

 勝つために清濁併せ呑み、硬軟織り交ぜて相手を下す事こそ本質。

 

(なにより、勝てば官軍ってなもんですよ)

 

 初手で逃げウマ娘に嫌がらせ、ラストスパート直前にバ群全体に嫌がらせ。自分はさっさと全身全霊。

 狙うのは心と体と思考の隙間だ。生き物である以上、必ず変化するタイミングがあって、そこはなんとも脆いものだ。

 ときどき、その脆い隙すらも逆に利用してきたり、徹頭徹尾全速力しか出さないなんて例外がいない訳でもないのが困りものだが。

 シンボリルドルフとか、サイレンススズカとか。

 

 そんな、少なくともこのレースには全く関係ないことを考えられる程度には余裕を持ってナイスネイチャは完勝した。

 

 ほんの短い時間に全てを注ぎ込むレースであるからこそ、崩れた状態を立て直すのは難しい。それはトウカイテイオーだって変わらない。

 

(『領域』だっけ。それってさ、要はめっちゃ集中してる状態ってことでしょ)

 

 一旦入ってしまえば、なるほど崩すことは困難極まるのかもしれない。だが、その前ならばどうか。極限状態に踏み入ることに全力を伴うからこそ生まれる無防備。

 

 付け入る隙はあると、とナイスネイチャは確信していた。

 誰よりも憧れを抱いている自覚があるから。誰よりも同じレースを走ってきた実績があるから。誰よりも勝ちたいと執着している自信があるから。

 

 何が起こったのかも理解できぬままに負けて呆けているウマ娘たちに労いの言葉を掛けてから、ナイスネイチャは南坂の下に向かった。今日のレースは何点か。宝塚記念に向けてなにが必要か。残された時間の中でもやることは山積みだ。

 

 しかし、肝心の南坂は近づいてきたナイスネイチャに気付きながらも、手元のスマホを難しい顔で凝視していた。

 えー、勝ったんだからまずはアタシを褒めてくれるところじゃないのーと不満に思いながらも、効率を優先するトレーナーの不審な対応を訝しんで声を掛けた。

 

「三次元のネイチャさんよりスマホの二次元にご執心なんですかー? 担当ウマ娘が重賞レースで勝ったんですよー」

 

 ちょっとだけ厭味ったらしく言うと、南坂は渋面はそのままに勝利を称えてきた。

 

「おめでとうございます、ネイチャさん。レースの出来自体は良いものでしたよ。ただ、想定外の事が起きてしまいまして」

 

 そう言って向けられたスマホに映る情報を見て、ナイスネイチャは思った。

 

(あー、なるほど。意表を突かれて頭が真っ白になるってこういう状態のことを言うのか)

 

 画面に映っていたのはニュースサイトの速報。それが二つ。

 

『メジロマックイーン、宝塚記念出走を断念。年内いっぱいは休養か』

 

 これはまあいい。予定していた役者が舞台から降りてしまった訳だが、トウカイテイオーに勝つという目的達成のためにはどちらかと言えば居てくれないほうが好都合だったから。

 

 問題はもう一つのニュース。

 

『マルゼンスキー、宝塚記念への出走を表明』

 

 ……いや、なんでさ?




ニューカマー(最古参)のエントリーだ!
あと、ごめんなパーマー。

ドリームトロフィー・リーグとトゥインクル・シリーズの両方に出走できるというオリジナル設定上、当然グランプリにも出てきます。
手順としては二つ。そもそも出走意志がない場合は事前の投票時点から断ることが可能です。そして、投票にエントリーして十八位以内に入る票を獲得していた場合は回避するか選択します。ドリームトロフィーに進んだほとんどのウマ娘はそもそも投票にエントリーしません。マルゼンスキーは望んだレースに出られなかったトラウマがあるため、戦いたい娘が現れた際に機会を逃したくないという想いが強いため宝塚と有馬の投票に毎回エントリーしています。ちなみに毎回得票はするものの結局レースに出ないので外野からは賛否両論。チヨノオーが万全の状態だったなら宝塚に出ていたかもしれない。


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始動

あと一話か二話挟んで宝塚記念に行きます


 話はナイスネイチャが新潟大賞典に出走する数日前に遡る。

 

 シンボリルドルフが抱えている……抱えきれなくなりつつある問題の自己解決を図った結果、トウカイテイオーとの間に大きな溝が生まれることとなった。

 事の推移自体はシンボリルドルフの予定通りであり、物事を掌の上で思い通りに転がす万能感に笑みを浮かべていたりもした。

 かと思えば、予定通りとはいえトウカイテイオーと半ば喧嘩別れしたような状況に溜息を吐き、執務机に項垂(うなだ)れる。当たり前だけど生徒会室に遊びに来てくれなくなったとか、カラオケに呼んでくれなくなったとか無意識に呟きながら、生徒会業務が手に付かない事が増えた。

 端的に言ってシンボリルドルフは躁鬱みたいな状態になっていて、今はダウナー入ってる。

 

 エアグルーヴはそれを心配そうに見ながらも、案外自身の調子自体は好調なものだから対処に困っていた。

 なんせクソ寒いダジャレが飛んでくる頻度は減り、仕事が進まなくなったことで適度にシンボリルドルフを助ける機会も増えたのだ。なんでもかんでも自分でやろうとする会長は多少業務が滞ってこちらに振られる仕事が増える位が丁度良いだろうとも思っていた。

 

(とはいえ、覇気のない表情をなさることが増えたのは憂慮すべき事態だ。しかしどうしたものか……)

 

 越権行為ではない。だが、テイオーのトレーナーを相談員に抜擢(ばってき)したのは多分に強引ではあったのだ。

 むしろテイオーを怒らせて自分に挑ませてくることを目的にしていたのだから、現状は自業自得と言ってもいい。

 それでも自分は生徒会副会長なのだ。会長を助けその力となるのが役割である以上、手を(こまね)いている訳にはいかない。

 

(それに、あの喧しさもいざ無くなってみると物足りないからな)

 

 生徒会室に似合わぬ騒がしさを不定期に(もたら)してくれていた小さな帝王に、ほんの少しの恋しさを覚えているとノックもなく生徒会室の扉が開かれた。

 学園内で理事長室に次いで訪問する敷居が高い生徒会室になんの気兼ねもなく入ってくる人物は限られている。

 理事長とその秘書、生徒会メンバー、そして極めてマイペースな一部のウマ娘達くらいだ。

 

 そうして入ってきた人物は、後者二つに当て嵌まった。

 

「あらあら、静かで落ち着いた雰囲気の部屋なのはいつもの事だけど、なんだか今日は元気がない感じね」

 

 部屋に入ってきたウマ娘の名はマルゼンスキーという。

 圧倒的な実力を持ち、明るく朗らかで包容力のある優しい性格をしており、困っている誰かの力になることを惜しまない人格者。

 そして楽しいことが大好きな皆の頼れるお姉さんだ。

 学園に所属する生徒の中で最年長格でもあるのだが、それを指摘すると指で小さくペケマークを作った後にデコピンされるので注意が必要。

 デコピンと侮るなかれ、怒れるウマ娘の膂力(りょりょく)から繰り出されたデコピンは段ボールくらいなら容易く貫く。悶絶必至で泣きを見ることになるので言わないのが吉だ。

 

「マルゼンさん、どうされたんですか。今日は特に招集をかけてはいなかったはずですが」

 

 そんなマルゼンスキーは厳密には生徒会メンバーではない。

 だが他者を良く見て気配りの上手な性格を持ち、シンボリルドルフに物怖じせず諫言することのできる数少ないウマ娘であることから、非公式ながら生徒会長の相談役という立場に納まっていた。

 

 はて、なにか会長に用事でもできたか。それともトウカイテイオーに関する対応について否定的だったはずだから、諫めにでも来たのか。

 用件を推測しようとするエアグルーヴに対し、マルゼンスキーは特にもったいぶるでもなく答えた。

 

「チャオ、エアグルーヴ。宝塚記念に出ることにしたからその報告に来たの。制度的に問題ないとはいえ、騒ぎにはなるでしょうから先に生徒会には話を通しておかないとね」

 

 今日のディナーはイタ飯よ。そんな軽いノリで告げられた内容に思考が数秒止まる。

 

 宝塚記念に出る?マルゼンスキーが?

 制度としては問題ない。過去に事例も有りはする。

 だがそれは、間違っても普通の事態ではない。

 シニア級の()達からすれば、戦車と戦闘機が争う戦場にゴジラが出現したようなものだ。

 

 ドリームトロフィー・リーグに登録しながらもトゥインクル・シリーズに出走することは確かに可能だ。

 であれば、例えば自分がシニア時代に取れなかったGⅠに出続けたりするのでは?と思われるかもしれないが、意外と前例は少ない。

 なにせ、ウマ娘たちにもプライドがある。ドリームトロフィーに上がってきたウマ娘に手厚い洗礼を与えることはあっても、自分から後輩虐めに行くだなんて恥と言えよう。

 ましてやマルゼンスキーが出るとなれば、それはもう荒らし行為に近い。

 だからこそ、あえてトゥインクル・シリーズに降りていくのは相応に切実な――今回のシンボリルドルフのような――理由がある場合のみと断言してもいい。

 少なくとも今年の宝塚記念にマルゼンスキーが執着する理由はないはずだと、エアグルーヴは頑張って脳を回転させて答えを導き出した。

 

「その……ゴジラが出るとミリタリーから特撮にジャンルが変わるので控えた方が良いと思うのですが、なにか事情がおありで?」

 

 自分の知らない因縁の相手が居たりしたのだろうかと思案するが、それはないはずだ。

 ならば、やはり理由はシンボリルドルフとトウカイテイオーで、此処に来たのは報告ではなく先に自分がテイオーと戦うぞという意思表示のためか。

 

「どういう風の吹き回しかな、マルゼンスキー。君が楽しいこと好きなのは承知しているが、人の楽しみを奪うことに悦を感じる嗜好はしていなかったと記憶しているが」

 

 自身が渦中であることに気付きダウナーから立ち直ってきたシンボリルドルフが問うた。

 

(楽しみを奪う。それはつまり、会長はマルゼンさんが勝つと考えていらっしゃるのか? いや、それだけでは奪うとまでは言わないか)

 

 トウカイテイオーの敗北を予想するのは、特におかしなことではない。

 なぜってマルゼンスキーは、誰なら勝てるのかを度々議論される側のウマ娘なのだから。

 負けたことがない訳ではない。それこそシンボリルドルフが実際に勝っている。

 しかし、じゃあ他には?と聞かれると、少なくとも挙げられる相手で片手の指を使い切ることはないのが事実だ。

 いつの日か"帝王"が"怪物"を下す時が来るのかもしれないが、まだ時期尚早だろう。

 

「あら、奪うだなんて心外ね。まるで私がテイオーちゃんの心を折るつもりみたいじゃない」

 

 圧倒的な差を感じたとき、人の心は折れる。

 真剣であればあるほどに、真摯であればあるほどに、自分ではアレに届かないのだという現実に心を叩き折られる。

 果たして、マルゼンスキーが今までに折った心はどれほどの数にのぼるだろうか。

 

「君にはそれをしてしまえる実力がある。小賢しい策を踏み潰し、越えてみせんと挑みくる者を真っ向から跳ね返す力。テイオーとて、いやテイオーだからこそ折れてしまいかねない」

 

 彼我の力量を見誤らないこともまた強者の条件だ。

 そして見誤らないからこそ、遥か(未来)が読めてしまう。

 

「トウカイテイオーではマルゼンスキーに勝利することは不可能だ」

 

 シンボリルドルフは断言した。紛れすらない、タイマンならば確実にマルゼンスキーが勝つと。

 

「そう、それよそれ! だから宝塚記念に出ることにしたの」

 

 はて、全く以て話が繋がらないなとエアグルーヴは首を捻っていた。

 天上の選ばれしウマ娘でないと付いていけない領域の会話なのだろうかとも考えたが、そういう訳でもなかったらしい。

 

「話が見えないな。やはりテイオーを盛大に負かしたいということなのかな?」

 

 シンボリルドルフもいまいち目的を推し量れていないようだった。

 数多のウマ娘の憧れであるマルゼンスキーだが、その正体は割かし天然なお姉さんなので理論派とは微妙に噛み合わないのだ。

 

「ルドルフ、あなたって私がテイオーちゃんに負ける訳がないと思ってるように、自分も有馬で負ける訳がないって思ってるでしょ?」

 

 負けると思って戦う者が居るのかという話は脇に置くとして、実際問題シンボリルドルフは自分が負けるとは思っていない。負けた場合のプランがないのかと問われると、ちゃんと用意してはあるが。

 

「はっきり言うけど、私はあなたが負けた方がいいかもって思ってる。だから、間接的にテイオーちゃんに味方するわ。知ってる? テイオーちゃんとオグリちゃん、併走したらしいわよ」

 

 それは、ここ最近学園を賑わせている話題だった。

 接点のなかったはずのトウカイテイオーとオグリキャップによる、勝負服まで用意しての併走。

 事情を知らぬ者からすれば何があったのかと想像のし甲斐があるというものだが、生徒会からすれば目的ははっきりしている。

 シンボリルドルフに勝つための道を抉じ開けにきたのだ。

 

「あの娘は貪欲に勝利を求めているわ。よっぽどトレーナー君のことが大事なのね。そういうのって応援したくなっちゃうでしょ?」

 

 トレンディドラマが大好きなマルゼンさんらしい反応だなと、エアグルーヴは思った。

 実態としては、トレンディというよりひと昔前の昼ドラみたいな様相を呈しているのだが。

 

「私だって大事に思っているテイオーのために心を鬼にして勝負を仕掛けたさ。だから、こちらの味方をしてくれても良いんじゃないかい?」

 

 まぁ私利私欲に塗れてないとは言えないがな、と内心考えながらルドルフはマルゼンスキーにボールを投げてみた。

 

「ごめんなさいルドルフ。私、ヤンデレは趣味じゃないの」

 

 豪快なフルスイングで打ち返された球が心にめり込み机に突っ伏すルドルフを横目に見ながら、エアグルーヴはマルゼンさんヤンデレって言葉知ってるんだなと、どうでもいいことを考えていた。

 

「私と戦って負けることが、あなたに有馬で勝つ切っ掛けになるかもしれない。だから、大人げないかもしれないけれど本気で勝ちにいくわ」

 

 普段浮かべている柔らかい笑顔を引き締めてマルゼンスキーは宣言した。

 そして、シンボリルドルフもまた友人との会話に用いる気軽さを引っ込めて告げた。

 

「そうか、分かったよ。()()君は私と違う道を選ぶんだね」

 

 今日初めて、シンボリルドルフは"皇帝"たる者としての圧を放った。

 もっとも、それは憎い敵に向けた攻撃的なものではなく、自分を優先してくれなかった友人への拗ねたような可愛らしさが含まれていたが。

 

「拗ねないの。それに下の娘達だって侮れないわよ。私がゴジラだとしたら、彼女たちはメーサー兵器とかスーパーエックスかもしれない。油断していると私だって足を掬われちゃうかも」

 

 さすがマルゼンさん、古い作品のことをよくご存じ……えっ、なんでデコピンの構えを取るんですか。いやゴジラは分かりやすい比喩表現であってですね、年代が昭和どうこうと言いたい訳ではぬわーっ!?

 

 

 

 

 

「うーん、凄いことになってるねぇ」

 

 トウカイテイオーとオグリキャップの併走。なにか事情があってのことだと思ったからルドルフに探りを入れにきたんだけど、こうなったか。

 

「アタシもルドルフと違う道を選んだ側だし、こっちに飛び火する前に退散しますかね」

 

 見知っているトウカイテイオーの事はともかく、そのトレーナーには随分と興味が湧いてきているのだが、身の安全には代えられまい。

 こうして謎のウマ娘はひっそりと姿を消すのだーとか考えながら生徒会室の扉から身を翻すと、目の前にヒトがいた。

 

「……扉に張り付いてなにをしていたのシービー?」

 

 不審というよりは純粋に疑問に思っている口ぶりで東条ハナはミスターシービーに尋ねた。

 

「おや、おハナさん奇遇だね。ルドルフになにか用事かい?」

 

 全く潜めていなかったシービーは、別に後ろ暗いこともないかと堂々と対応することにした。

 

「ええ、そうだけれど中は取り込んでるのかしら」

 

「そうみたいだけど話自体はすぐ終わりそうだったから大丈夫じゃないかな。そうだおハナさん。トウカイテイオーのトレーナーがどんなヒトか知ってる?」

 

「クズのクソガキよ」

 

 うわぁ、即答だ。

 苛烈な評価を下すおハナさんに戦慄すべきか、そんな評価をされるトレーナーの存在を問題視すべきか、自由人を自称するシービーでも割と真面目に悩んだ。

 

「興味があるなら会いに行ってみればいいじゃない。尻込みするような性格でもないでしょう」

 

 尻込み、尻込みと言ったか。

 やっちゃいけないことをやるのが大好きなこのアタシに対して。

 

「そりゃあもちろん。でもねおハナさん、人と人との出会いってのは縁なんだよ。無理矢理結びにいくのはアタシ的には違うんだよね」

 

 これだけ学園を騒がせているにも関わらず、アタシことミスターシービーと件のトレーナーは一度も出会ったことがなかった。

 これはもう御縁がなかったということであろう。

 

 逆にもしも縁ができたなら、ふかーく関わってみるのも面白いかもしれない。

 なにせルドルフとトウカイテイオーの因縁を生んだ主要因だ。

 相当にヘンテコなヒトに違いない。

 

「あらそう。ところで、今日はこのあと天気が崩れるらしいから早く帰るか傘を用意しておきなさい。それじゃ」

 

 そう言って、東条ハナは生徒会室へと入っていった。

 

「よく考えたらマルゼンさんとルドルフが微妙に仲違いしてるのってリギルの危機だよね」

 

 喧嘩という訳でもないが、あの二人がギスったりしたら学園全体が荒れるかもしれない。

 

「まぁ雨降って地固まるとも言うからね。……お、たしかにこれは雨が降りそうな空模様だ」

 

 黒い雲が空の青を覆っていくのを見ながら、少しだけ気分良く歩き出す。

 

「今日は濡れて帰ろっかなー」




マルゼンスキー、逃げ、地固め、アンスキ、グッときてchu、エアグルのチャンミ使用率、うっ、頭が……!


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ローギア

感想返しが遅れており申し訳ない。しっかり読ませていただいております。


『マルゼンスキー、宝塚記念出走』

 

 そのニュースは文字通り激震となって関係各所に衝撃を与えた。

 URAやファンはなぜ今更になって?と首を傾げはしたものの、高い人気を誇るウマ娘が多くのレースに出走してくれるのならと歓迎ムード。

 宝塚記念に出走予定だったウマ娘はオワタ、なんで今年に限って、マルゼンスキー襲来などと己の不幸を呪い、概ねFXで有り金を溶かしたみたいな顔になっている。

 

 そして、原因が自分たちにあるとは露ほども考えていないクズと、まぁ何らかの関係はあるんだろうなと裏事情に見当をつけたトウカイテイオーの反応はなんとも微妙なものだった。

 

「マルゼンスキーねぇ。なんだってまたグランプリに出走してこようだなんて思ったのやら」

 

 執務机のパソコンでレース関係の情報を漁ると、その話題で持ち切りだった。

 個人的なイメージとしてはナウいイカしたチャンネー。

 学生だというのは分かっているのだが、纏う雰囲気や抜群にスタイル良しなせいかもっと年上に思える。

 何度か会話をしたこともあるが、年代としてはそれなりに上であるはずの自分と懐かしトークができるからか、どうにも年下であるという認識が薄い。

 

 もしもスカウトできたなら、いろんな意味でウハウハだろうなというのが総合的な評価になるだろうか。

 

「レースで勝った負けた以上の意味がある相手じゃないもんね。どうせなら後方から仕掛けてくるシービーが出てきてくれたらよかったのに」

 

 少なくとも、目の保養という意味ではテイオーの完敗だな。

 

「ボクとトレーナーって物凄く仲良くなったよね。今だって視線からなに考えてるのか全部分かっちゃうんだもん。で、辞世の句を詠む時間は何秒あげればいいかな?」

 

 辞世の句なんて用意してないからあと七十年ほど待っていただけないだろうか。

 

「……宝塚記念が終わったらまた水着買いに行くか」

 

 マルゼンスキーのスタイルに思いを馳せていたから、という訳でもないが梅雨が終われば夏が来る。

 来年もプールに連れて行ってやるって約束してたからな。まぁ、スピカとの合宿があるから海になるかもしれんが。

 ちなみに、大変悲しいことなのだがテイオーが昨年購入した水着はなんら問題なく今年も着用可能である。スリーサイズ・体重共に貫禄の増減なしだ。

 

「なにさその目は! 増量してるよ! ほんのちょっとだけどしてるからね!」

 

 えぇ~、ほんとにござるかぁ~?

 猛反論をされはするものの、成長期にも関わらずミリ単位しか増えないのはその、ね?

 

「今に見ててよね! デッカイのぶら下げて見返してやるから! ばいんばいんだよ!」

 

 ふぇー、とってもマーベラスだね。

 それにしてもデッカイのをぶら下げたテイオーかぁ。うーん、全然似合わないな。タッパも伸びればいい感じのバランスになるのかもしれないが、俺は今のサイズ感のテイオーが一番しっくり来る。

 

「なんにせよ新しい水着は買うとして、デザインは要相談な」

 

 昨年の水着選定でもそれはもう熱いバトルが繰り広げられたのだ。

 なぜか頑なにビキニ(それもブラジリアン)を購入すると主張を譲らないテイオーに仕方なく試着させてみたのだが、ぶっちゃけ犯罪臭しかしなかった。

 色柄でなんとか元気で溌剌な面を押し出せないか試行錯誤もしたのだが、もしもしポリスメン案件になること請け合いだった。

 流石に孫の水着写真を所持していた祖父が逮捕されたアメリカほどに日本の締め付けは厳しくないと思いたいが、任意同行を求められただけでも大問題である。

 必死の説得の末、ビキニはビキニでもハイネックタイプを選ばせることに成功し、俺の社会的地位は保たれたのだ。

 その際に捨て台詞として『来年成長して目に物見せてやる』と言われていたのだが、この分だと今年も来年も何一つとして心配はいらなさそうで一安心である。

 

「むぅー、まぁトレーナーが気に入るならそれでいいんだけど。そうだ、サイズはこれからの成長を見越してスカーレットくらいのにしようよ!」

 

 やめなされやめなされ、(自分に)惨いことをするのはやめなされ。

 せめてスペシャルウィーク……いやそれでも厳しいだろうな。

 

「それにしてもマックイーンは残念だったな。グランプリか秋天でリベンジできるかと思ってたんだが」

 

 マルゼンスキーの宝塚出走と同時に伝えられたマックイーンの休養。

 決して重い怪我ではなかったようだが、それでも年内のレースは見合わせるらしい。

 ちょろっとスピカのトレーナーに話も聞いてみたのだが、療養以上にこれからのレースに向けて耐え得る下地を作り直す時間にしたいんだと。

 なんていうか先を見据えてるって感じだよな。その場凌ぎに終始してる俺との差を実感してしまう。

 

「俺もお前になにかしてやれることがあればいいんだがなー」

 

 オグリキャップとの併走を経て変化した走法も結局はテイオーが自己解決したようなものだ。

 連れて来たのは俺だが、依頼を受けてくれた向こうさんの態度を見るに、理由を聞いた時点で無条件でOKしてくれたっぽいんだよな。

 つまり大して役に立った訳でもないということだ。

 

「またそんなこと気にして。ボクはトレーナーが喋る案山子だったとしても文句言うつもりはないんだよ? というかあの後、財布は大丈夫だったの?」

 

「あー、あれな。キャッシュカードの利用限度額なんて適当に設定してたから使えなくなってびっくりしたわ」

 

 結果こそ敗北だったものの、テイオーとしては大いに実りがあったらしい併走。

 キタハラジョーンズは対価に飲み会しようぜ!とか言ってたが、一番の功労者であるオグリキャップに賃金未払いというのはいただけない。という訳で『一緒に晩飯でもいくか? 好きなもん奢るぞ』とサラリーマン的な社交辞令を伝えた訳だ。

 

 そうして"悪魔"が顕現した。

 

 オグリキャップは"怪物"ではなかった。

 やつの真名は恐らくアバドンかベルゼブブであろう。

 蝗の王とも呼ばれる食い潰す者、はたまた暴食の大罪を司る大悪魔である。

 やつはその滅びを与える対象にトレセン学園近郊の焼肉屋を選んだ。

 

 フグの刺身を見たことはあるだろうか。

 円形の皿に綺麗に盛り付けられたそれを箸で一気に掬い上げて食す様をメディアでご覧になった事がある諸兄も多いと思われる。それがお高い焼肉屋で特上とか頭に付いてる肉で敢行された。

 

 綿飴を食べたことはあるだろうか。

 割り箸に巻かれたふわふわモコモコな砂糖菓子に齧り付いた幼少時の記憶が諸兄にもあるのではなかろうか。それがお高い焼肉屋のシャトーブリアンで敢行された。

 肉塊に箸をぶっ刺して齧り付くワイルドさはなんとも男らしい。

 

 流石にお行儀が悪いので注意したら普通の食べ方に戻ったが、あそこまで喜ばれるとは思わなかった。

 歴代ウマ娘の中でも最上位に金を稼いでるであろうオグリキャップなのに、あまり良い飯を食わせてもらえてないのだろうか。

 まさかキタハラジョーンズによる横領着服?

 なんてこともなく、外食に誘われる機会が少ないからご一緒したのが嬉しかったらしい。

 なんにせよ飯を美味そうに食べる奴は好感が持てるぜ。

 

「流石に三桁万円はいかなかったけど、あれを迂闊に飯に誘えないってのは同意しちまうな」

 

 食い溜めようという腹積もりでもなかったろうに、一食分であの量だというのだから恐ろしい。

 

「あれだけ食べればスタミナも付くのかもね。スペちゃんも量を食べるし、ボクも一考の余地ありかなぁ」

 

 身軽さが売りのテイオーにあの食事量はどうかと思うがな。トレーニング量からいってカロリー自体は問題なく消化できるだろうけど。

 ……ところでなぜ胸部を持ち上げながら思案しているんだい?

 

「そう言えば相談室の方はどう? 生徒会から変なことされてない?」

 

 変なことって何よ。これでも俺は口八丁手八丁とそれなりの学力でもってここまで生きてきた男だ。小娘どもに遅れは取らんよ。

 いやまぁ物理でこられたら手も足も出ずに降伏するしかないんですけどね。ウマ娘に人間が勝てるわけがない。

 俺たちヒト男は猛獣がうろつくトレセン学園という名のサバンナに住む豚に等しいのだ。

 

「特に干渉されたりはしてないな。エアグルーヴから予定表みたいなもんは渡されるが、それ以外はなにもない」

 

 なにやらテイオーのトレーナーである俺にも多少の執着があるらしいルドルフなんて、仕事を任せたことへの挨拶を一度されたくらいでそれ以降は会話すらない。俺の身柄が仮預かり状態だから距離を保っているのかもしれないな。

 

 ちなみにクッソ重たい相談案件は一日に一人しか来ないように調整しているらしい。それでも週に数回の相談室に毎回誰かしらが途切れずやって来るってんだから世知辛い。

 

「ならいいんだけどさ。少しでも予兆を感じたり、なにかされそうになったらすぐにボクに言うんだよ? それか大きな声を出すこと」

 

 なぜに俺は女学生から変質者に付きまとわれた時の対処法をレクチャーされているのだ。

 それは成人男性であるこちらが女性に注意すべき事項であろう。

 もしかしてこの世界はなにかおかしいのではないか?

 

 俺の灰色の脳細胞が世界の真理に手をかけたようとした時、部屋のドアがノックされた。

 

「マルゼンスキーですけど、いまお時間いいかしら」

 

 噂をすれば影が差す。

 毎回投票はされても宝塚記念に出てこなかったウマ娘の謎出走。そのご本人がこのタイミングで何の用だというのか。

 

「……カチコミか?」

 

「さすがにそこまでバイオレンスじゃないでしょ。宣戦布告に来たんじゃない?」

 

 だとしたら出走予定のウマ娘全員のとこを回っているんだろうか。まぁ、普通のウマ娘達にとってはグランプリの一着が絶望的になったんだから謝罪案件と言っても過言ではないか。

 

「あのー、返事がないけど入っても大丈夫かしら? もしかしてこれ居留守使われてる?」

 

 ドア越しに聞こえる声が悲しげなトーンに変わる。居留守してもよかったんだが、ウマ娘って耳もいいから部屋に居るのは確信してるよなぁ。

 いや、いっそ態と居留守して精神攻撃を行うことで宝塚を有利に戦えるか?

 

「……はぁ、入ってきていいぞ」

 

 念のためテイオーに目配せすると、問題なさそうに頷いたので入室を促す。ウマ娘の悩み相談に乗ってるせいか、この辺の対応が甘くなりがちだな。俺は私欲優先の悪い大人だったはずなんだが。

 

「それじゃ。お邪魔するわね」

 

 ほっとしたような声が聞こえ、ドアが開かれた。

 邪魔するんやったら帰ってーって定番やった方がいいんだろうか。タマモクロスじゃないんだからやめとくか。

 

「いったい何の用なんだ。お前って生徒会側だろ」

 

 入ってきたマルゼンスキーの表情はニコニコ笑顔。特に剣吞な様子もなく普段通りのように思える。しかし、よく考えるとこいつはルドルフの側近みたいな立ち位置にいる奴だし、テイオーが生徒会室に乗り込んだときも居合わせたらしいから内部事情も知っているはずだ。

 ルドルフとの勝負は年末の有馬だが、それを待たずしてコチラを叩くために送り込まれてきた刺客という可能性だってあるよな。

 

「あら、私は中立よ。今回の出走も私の意思であってルドルフに命令されたりした訳でもないわ」

 

 じゃあなんで出るんだよ。大人しくドリームトロフィー・リーグで怪獣大戦争しておけよ。

 

「互いの譲れない目的のためにぶつかり合う二人。でも、今のままでは対等な勝負とはいかないわ。そこに現れた新たなウマ娘。彼女はより良い未来を迎えるために敢えて壁として立ちはだかるの。どう、トレンディでしょ!」

 

「お前の趣味かよ。被害のデカさがシャレにならねーんだけど」

 

 そんな事のために何度出走できるかも分からないグランプリを荒らされるウマ娘が不憫なんだが。

 

「大事なことなのよ。一緒に走るウマ娘ちゃん達には申し訳ないと思わないでもないけれど、どちらにしろ私に怖気づいているようじゃダメよ」

 

 いや"怪物"に怖気づくのは正常な感性だろ。

 

「……ねぇ、さっきから随分と仲良さそうに会話してるけどさ、結局なにしに来たの? 用が済んだのなら帰ってほしいんだけど」

 

 おお、そう言えばコイツの趣味で出走するってだけなら此処に来る必要はないよな。

 

「あら、そうだったわね。此処に来たのはテイオーちゃんに全力で走ってほしいからなの」

 

 そう言ったマルゼンスキーは何故かテイオーではなく、執務机のイスに腰かけている俺に近づいてきた。

 

「別に言われなくても手を抜く気なんてないし、負けてあげるつもりもないけど」

 

 その行動を訝しむように見ながらテイオーが答えを返す。

 他のウマ娘はどうか知らんがこっちは"皇帝"をボコす予定があるのだ。"怪物"に怯えてなんていられないからな。

 

「うふふ、嬉しいわ。けれど、それだけじゃ足りないの。だからこれは私なりの宣戦布告」

 

 執務机の前まで来たマルゼンスキーは前かがみになり、俺の目を見ながらこう言った。

 ってか、顔が近いんだけどっ!

 

「あなたに私が先頭を走るとこ、魅せるわね(はーと)」

 

 ブチリッと、俺は確かに破裂音を聞いた。

 神経か、血管か、はたまた堪忍袋の緒か。

 対戦相手であるテイオーに視線どころか意識すら向けず、されどこれ以上はないと言い切れるほど効果的に喧嘩を売った。

 

「ぶっ潰す!!」

 

 めっちゃ顔がいいなとか、目が綺麗だなとか、なんか良い匂いがするなーという夢心地から一気に現実に引き戻される怒気の籠った声。

 阪神レース場に一足早い嵐が吹き荒れることが確定した瞬間である。

 

 ……あとテイオー、流石にその言葉遣いは汚いからやめなさい。




トレセン学園にて煽り技能は必須。
マルゼンスキーの勝利セリフは普通に『見せる』な気もするが煽ってる故仕方なし。
宝塚までに後もう一話挟むよ。テイオーの機嫌がもっと悪くなるよ。

……調べたらテイオーのバストってウオッカよりもデカいのか。
身長も考慮すると小柄なだけでスタイルグンバツなのか?


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袖振り合うも多少の縁、腕を絡めたならそれはもう運命では?

サブタイは誤字ではないので気にしないでください。
今日で残弾が尽きたので明日の投稿はないです。


『おかあちゃんから送られてくるニンジンの仕送りが減ったんです。これってネグレクトなんでしょうか』

 

 違うんじゃないか。そうだな、まずは体重計に乗って目盛が示した数値についてトレーナーと話し合うといい。

 きっと、仕送りの量なんて目じゃないほどに食事量を制限させられるだろうから。

 

『トレーナーちゃんがね、マヤのこと子供扱いするの。やっぱり色気が足りないのかな。どうすればいいと思う?』

 

 そうだな、気持ちは分かるがトレーナーの立場も考えてやるといい。誰だってブタ箱で臭い飯は食べたくないからな。

 それに男が誰しも色気に女性的な魅力を感じているとは限らない。家庭的だったり、気安い関係を好む奴もいるだろう。

 なにより、お前のことを担当としてスカウトしたってことはすでに首ったけだ。焦る必要はないさ。

 それと、ここは匿名相談室だから名前は言わないようにな?

 

『マーベラスな物を探しているんだけど、どこにあるかな?』

 

 さぁ?体育館の裏とか掘ったらなにか出土するんじゃね?

 

『同室の子があまり私のことを頼ってくれないんです。母親のように思って甘えてくれていいって言ってるのに』

 

 同室ってことは少なくとも中学生だろ?難しい年頃だし、干渉されるほど反発しちまうんじゃないか。

 お節介に思われない小さいとこから徐々に詰めていくといいと思うぞ。それに、相手も内心は感謝してんじゃないかな。

 まぁ、頑張って子離れ?しような。

 

『観客に見られると、どうしても体が強張って思うように動けなくなるんです。こんな自分が情けなくって。なにかコツとかってあるんでしょうか』

 

 うーん、俺の担当してるウマ娘は歓声とか全部自分の力に変換できるタイプだからなぁ。

 よく観客はジャガイモと思えって言うよな。ウマ娘なら奇声をあげるニンジンが陳列されてると思うとか。

 ……いや、奇声をあげてたらそれは最早野菜ではなくマンドラゴラか。

 まぁ、周りの声なんて無責任なもんだ。勝てた理由として謙遜に使うならともかく、負けそうになってまで気にするほどのもんじゃない。

 鋼の意思でスルーすることを推奨する。

 

『GⅠを獲るのが夢なんです……。でも、あなたはダート向きだって言われて。やっぱりターフじゃないと意味ないって思っちゃって。なのに結果は付いてこなくて。向いてるからってダートに逃げたくないんです』

 

 そうか。気持ちはよく分かるよ。

 栄誉、観客動員数、賞金とどれを見ても日本では芝が上ってのは否定のしようがない。

 けどな、それは周りの連中から与えられるもんの話だ。芝にもダートにも、其処で本気になって走ったやつにしか得られないもんがあって、その価値はどちらにも変わりない。

 それに逃げるってことが必ずしも悪い事とは限らない。人生ってのは楽しんだもん勝ちだ。逃げた先に楽しみが見つかるかもしれないなら、試さない方がバカだろ。芝に戻ってこれない訳じゃないんだ。一度、チャレンジしてみたらどうだ?

 

 

 

 

 

「思ったよりも雨脚が強いな」

 

 宝塚記念を目前に控えた六月。

 関東も本格的に梅雨入りし、雨の降らない日のほうが少数派になってしまった。

 まったく、濡れると不快だから雨は嫌いなんだが。

 

「……ん? おいおい、マジかよ。あれって幽霊か?」

 

 どうでもいい悩みとクソ重い悩みの寒暖差で体調が悪くなりそうな相談室を終えた帰り道。

 さっさと寮に帰ってシャワーを浴びようと正門へと歩いていくと、並んでいる街灯の下に誰かが立っていた。

 

 それだけなら別に気にすることでもないのだが、そいつは傘もささずに全身をびしょ濡れにしている。背を向けているから顔は見えないが、頭上に出ている耳からしてウマ娘。濡れた腰まで届きそうな長髪と腰から垂れている尻尾が一体となって、黒い謎の物体が浮いているのかと思って悲鳴が出そうになったわ。

 怪談話の定番は夏だろ。フライングして出てんじゃねーよ。

 

「そんな訳ないか。……待ち合わせをすっぽかされて、傘も忘れてたとか?」

 

 自分で言っておいてなんだが、流石にないだろ。

 携帯端末がない時代って訳でもないんだから連絡を取ればいいし、屋根のないところに留まる理由がない。

 

 無視して通り過ぎてもいいんだが、レースで負けて思い詰めてるとかだったらどうしよう。

 そうじゃないにしても、あの濡れた状態のまま寮に帰ったりしたら絶対に風邪ひくぞ。

 

「はぁ……。貧乏くじ引いたかも」

 

 見てしまった以上、なかったことにはできない。

 そう考え、傘を貸そうと近づいた。

 職員とか大人の義務として、なんて考えではない。

 寮に帰って風呂入って飯食って布団に入る。その間、あの変な奴は寒さで風邪引いてんじゃないかと頭の中をチラつくなんざ御免被りたいからだ。

 

「おい、寮の門限が近いぞ。この傘を貸してやるからさっさと帰れ」

 

 そう声を掛けると、振り向いたウマ娘の綺麗な碧色の瞳が俺を捉えた。

 

「やぁ、いい雨だね。こんな日に傘をさして歩くだなんて、勿体ないと思わないかい?」

 

「全く思わない。アホなこと言ってないでこの傘を使って帰れ」

 

 なに言ってんだコイツ。思春期特有の中二的な病か?

 

「言葉の割には優しいんだね」

 

 そういう妙な勘違いされると背中が痒くなるからやめてほしいんだよな。

 

「お前のためじゃねーよ。ここでお前を見て見ぬふりをして帰ると俺は楽しくない思いをすることになる。それが嫌なだけだ」

 

「へぇ……! そう、楽しくなくなるんだ」

 

 さっきからよく分からん反応をする奴だな。なんか引っかかる部分あったか?

 

「傘、要らないって断るつもりだったんだ。気持ちは嬉しいけれど、アタシにとっては邪魔でしかなかったからね。けれど、断ると君が楽しくない思いをするというのなら話は別さ」

 

 邪魔って……もしかして雨に濡れるのが趣味の変態か?

 

「アタシは今、自分の楽しさを優先して他者の楽しさを奪うか決断しなければいけない訳だ。まさしく降って湧いた悩みだけれど、これは悩ましいね」

 

 いや、変態さんと分かっていれば関わらなかったので、もう帰らせてもらえませんか。

 

「ううむ、どうするべきか。……うん、これでいこう!」

 

 そう勝手に納得した目の前の変態は、傘に押し入って俺と自分の腕を絡ませてきた。

 

「傘を借りるのではなく、一緒に入って寮に送ってもらう。私は濡れる気持ちよさを味わえないけれど、その補填として君が楽しい話を聞かせる。うん、パーフェクトだ」

 

 さぁ、それじゃあ束の間の散歩を楽しもうじゃないか。ミスター・トレーナー君。

 

 そう言ってコチラを見てくる変態に、俺は心底から辟易していた。

 引っ付かれた腕からすごい勢いで水が染みてきているし、コイツを寮に送るために遠回りする必要がある。しかも楽しい話を聞かせろだと。

 

 全力で拒否させていただきたいのだが、ここで置いていくとやっぱり楽しくない。

 今日はたぶん、厄日だ。

 

「決めた。今後、雨に濡れてるのに慌てる様子もない奴には、絶対に自分から関わらねえ」

 

「ふふ、やってはいけないこと、タブーを犯すことほど気持ちのいいことはないものさ。君も一度試してみるといい。ところで君、誰を担当してるトレーナーだい?」

 

 一つの傘に二人で入ること自体、効率悪すぎて俺的にはタブーなんだが。

 変な奴に絡んじまったもんだと後悔したが、帰るまでの暇つぶしだと諦めて質問に答えた。

 

「トウカイテイオー」

 

 むしろお前はどこの誰なんだよ。帽子にデカデカとCBって飾りが付いてるが、もしかしてバイクが好きらしいウオッカか。

 

「へぇ、君だったのか。運命的なものを感じるね」

 

 どこにだよ。変なウマ娘に服をびしょ濡れにされるのが俺の運命なの?

 

「もしかしてだけど、アタシのこと知らなかったりする?」

 

 なんか見たことあるような気もするけど、俺って普段付き合いのない奴の顔と名前を覚えるのが苦手なんだよな。

 

「なんだ、有名人だったのか? お子様なウマ娘が知り合いに多いのは事実だが、雨に濡れてはしゃぐガキに覚えはねーよ」

 

 テイオーにマヤノにマーベラス。お子様ばっかだ。

 俺が男としてお近づきになりたいのは女帝とかマルゼンなのにどっちも敵対関係だよ……。

 

「あはは、そうなんだ! いやぁ、今日は濡れて帰ろうと決めて正解だったよ。やはり非日常にこそ、新たな楽しみというのは潜んでいるものなんだね」

 

 俺はなんも楽しくねーよ。無視してもダメ、関わってもダメとか詰んでるじゃん。

 

「とはいえ、知ってもらえてないというのは少し悲しいね。だから、自己紹介させてもらうよ。アタシはミスターシービー。楽しいことが大好きなウマ娘さ」

 

 ミスターシービー。その名前は……。

 

「女性なのにミスター?」

 

 どういう意図で命名したんだ三女神。

 

「あはははははっ! 気にするのそこなんだ!」

 

 えっ、なに急に爆笑しだしたんだコイツ。怖いんだけど。

 

「ははは、ふふっ……。いやぁ笑わせてもらったよ。傘の件と合わせて、なにかお礼をしないとね」

 

 お礼とか要らないから今すぐ離れてくれないだろうか。傘はあげるから。

 

「アタシは楽しいこと優先の快楽主義者だけど、それなりに義理堅くもあるんだ。期待してくれていいよ、ミスター・トレーナー君」

 

 そのあともよく分からん話をしながら寮に送り届けたあと、ふと思い出した。

 

「あっ、ミスターシービーってルドルフと同じ三冠ウマ娘か」

 

 寮に入っていくシービーを見送っていると、入り口でルドルフが待っているのが見えたがそういう繋がりか。

 あのヘンテコがテイオーでも届かなかった三冠達成者とは、世の中分からんもんだな。 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんながあった翌日、悩み相談の担当ではない日もまた穏やかとはいかない状況が続いていた。

 

「トレーナーっ! もう一本いくよ!」

 

 マルゼンスキーが部屋を訪れて以降、テイオーはやる気が天井破りしている。

 ……もっとも、好調不調というよりは怒髪冠を衝いた結果ぶち破っているような状態なのだが。

 

「なーにが先頭を走るとこ魅せてあげるさ! それをトレーナーに言っていいのはボクだけだろ! どこのウマの骨……かは知ってるけど、余所者が出しゃばってさぁ!」

 

 誰憚ることなく大音量で文句を垂れ流しながら爆走する様は控え目に言って超怖い。

 全身から炎が立ち昇っている気さえする。

 

「……はぁ。今の状態のテイオーと併走してくれる相手、誰かいるかなぁ」

 

 頼みのマックイーンが怪我で療養。オグリやスペシャルウィークはドリームトロフィーを想定した調整だからシニア級とはスケジュールが合わないタイミングも多い。

 

「そんなミスター・トレーナー君に朗報だ。此処に暇を持て余したそれなりの実力を持つウマ娘ちゃんが一人いるんだ」

 

 いきなり背後から囁かれた言葉に、ぶるりと体が震えた。

 

「うひゃあっ! 息を耳元に吹き掛けるな!」

 

 飛び跳ねるように身を離して振り向くと、昨日遭遇した腕に纏わりつくタイプの子泣き爺(女)がいた。

 

「あははっ、いい反応するね。からかい甲斐のあるヒトは好きだよ」

 

 俺は自分をからかってくる奴は女子供だろうが三冠ウマ娘だろうが容赦しないけどな。

 

「なんの用だよ……ってさっきの言葉はどういう意味だ」

 

「そのまんまさ。併走相手を探していると耳に挟んでね。昨日のお礼も兼ねて、アタシなんてどうかな?」

 

 その泰然とした立ち姿にはシンボリルドルフと同じ漲るような自信を感じる。だが、アイツのような厳かな威圧感はなく、掴み所のない印象もある。

 なんとも言葉に表しづらい不思議な雰囲気のやつだ。

 

「ねぇ、トレーナー。昨日のお礼ってなんのこと?」

 

 うおっ、テイオーさんいつの間にこんな近くまで戻って来てたんですか?

 気配を感じさせず瞬間移動したかのように俺の隣に立つテイオーの目には、盛大に非難と疑惑の色が含まれていた。

 

「いや、大したことじゃないんだが、傘を忘れてたコイツを一緒に入れてや……」

 

「アタシが雨に打たれて肌寒い思いをしていると、そっと傘を差しだしてくれたのさ。いやぁ、雨が肌を伝う感覚を味わいながらの散歩も楽しいものだけど、身を寄せ合って触れた人肌の温もりを感じる相合傘の散歩も良いものだね」

 

 そっと傘を差しだしてもないし、身を寄せ合ったんじゃなくてそっちが勝手に引っ付いてきたんだろ。

 歩きづらいわ、半身がびちょびちょに濡れるわで大変だったんだからな。

 

「……ふぅん。梅雨なんだから普通は折り畳み傘くらい持つはずだけど、抜けてるのかな。それとも年のせいで物忘れが激しくなっちゃった?」

 

 マルゼンに言ったらタダじゃ済まない発言が聞こえた気がするが、聞き間違いだろうか。

 

「あはは、これは手厳しい。でもさ、このお礼は君たちにとっても良い経験になるんじゃないかな。君が届かなかった三冠を成し遂げたウマ娘と走る経験はさ」

 

 確かに。ルドルフと同じ三冠ウマ娘との併走はまたとない好機だ。タダだと言うのなら、是非ともお願いしたい。

 

「へぇ……。まぁ、そうかもね。七冠ウマ娘にしてミスターシービーを完膚なきまでに叩き潰したシンボリルドルフに挑むんだもん。ここで躓いているようじゃ、お話にならないもんね」

 

 あの、トウカイテイオーさん?さっきから言葉に棘が多くありませんか?

 

「言うねぇ。これでも人気ならルドルフに負けてないのだけど」

 

 あー、なんだっけ。俺もレースの録画映像見たことあるわ。すごい劇的な勝ち方が多いんだよな。

 

「人気投票で勝ち負け決めたいなら、レースから引退してアイドルにでもなれば? もうロートルなんだから体力も追いつかないでしょ」

 

「ふふふ、ルドルフの後継と目されているウマ娘が面白いトレーナーと組んでるって聞いてたから気にはなっていたんだけど、予想以上だね。それで、併走はどうしようか。アタシは去る者は追わないタチだからね。逃げるのも君たちの自由さ」

 

「望むところだよ。ギタギタにしてやる」

 

 上から睨め付けるように見下ろすシービーと、下からメンチを切るようにガンつけるテイオー。

 君たちって知り合いなんだっけ?

 まだここで会って一分も経ってないのに、なんでそんなに喧嘩腰なの?

 

「おい、勝負じゃなくてトレーニングだからな? 二人とも、そこんとこ忘れないでよ?」




アオハル的に表現するなら『ミスターシービーがチームに加わった!』
なお爆発するのはアオハル魂ではなくテイオーのご機嫌な模様。


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宝塚記念

今週末に有馬記念とかウソに決まってる。
タマモクロスが実装されるだなんてウソに決まってる。
みんな俺を騙そうとしてるんだ。
そうだ、まだ宝塚だから六月のはずなんだ。

……長くなってしまったので分割です。


 宝塚記念。

 出走資格がファン投票によって決まるグランプリレースだ。 

 

 それ即ち、大前提として『人気』が求められるということであり、他レースよりも明確にファンの期待を背負っての出走になるということ。

 強いから、展開が劇的だから、見た目や走りが好みだから。

 投じられた票に込められた想いは千差万別なれど、そこに一切の嘘はない。

 勝利予想の倍率とは一味違うプレッシャーがウマ娘たちには降り注ぐのだ。

 

 だから、あんなにも気合が入っているのだろうと、阪神レース場に集ったファンたちは考えた。

 或いは、期待薄ながらも一縷の望みを懸けて投票されていた、ある"古豪"への対抗意識を燃やしているのか。

 気炎万丈といった様子でターフに佇み、険しい目つきをしているトウカイテイオーの事がそんな風に見えたのだ。

 

 その考えは的外れでもないが、正鵠を射ているとも言い難かった。

 確かに気合は入っている。確かに対抗意識を燃やしている。

 だが、そこにスポーツマンらしい爽やかさがあるかと問われれば首を傾げざるを得ないし、少なくともファンの想いとかは欠片も頭にはなかった。

 

 

 

 

 

 

 ドロドロのタールに火を付けたかのように、トウカイテイオーの心と瞳は燃えていた。

 この、いままでに感じたことのない感情はなんだろうか。

 二冠を獲ったときの達成感とも違う。

 骨折と契約解消による絶望とも違う。

 新しいパートナーと出会えた幸福感とも違う。

 

 これは怒りだ。

 沸々と尽きることなく湧いてくる怒りという名の薪が絶えず焚べられて、心を燃やしている。

 

 しかし、怒りという感情を抱くこと自体はいまの自分にとって珍しいことではない。

 この一年程の間、理由は様々だがしょっちゅう怒っている自覚がある。

 例えば、なにも知らず口出しをしてくる外野の連中にとか。

 例えば、微妙にレディに対する扱いを心得ていないトレーナーに対してとか。

 であれば、なにを『新鮮』だと感じているのか。

 

 どいつもこいつも、トレーナーに手を出そうとしていることであろう。

 

 仕事を任せたい?

 先頭で走るとこを魅せる??

 雨の中で身を寄せ合って相合傘????????

 

 あばずr……ごほん。節操なし共め。

 巻き込むなら自分のトレーナーにしろ。こっちにちょっかいを掛けてくるな。

 特に相合傘。そんなのボクだって一度もしたことないんだぞ。

 ぽっと出の雨に濡れるのが趣味な変人に先を越されるだなんて、一生の不覚だ。

 思い出すだけで腸が煮えくり返る。

 ボクはただトレーナーとのんびり充実した現役生活を送ることができればそれでよかったのに。

 得難い好敵手も熱いレースも、あれば嬉しい追加要素(オプション)でしかなかったのに。

 望んでもいない横槍ばかりが入ってくる。

 

 ああ、そうだ。

 恋はダービー。

 即ち人生でたった一度しかない晴れ舞台。

 別の(レース)に出走する機会はあろうとも、この瞬間は二度と戻ってはこない。

 故に負けられない。奪取などさせてはならない。

 

 ここは競争社会。敗者は涙を呑んで立ち去るしかないのだ。

 

「なんだか荒れてますなぁ。良ければ相談に乗ろっか? お安くしておきますよ」

 

 人好きのする笑顔で『ワタシ、悪人ジャナイヨ。相談ノルヨ』と声を掛けてきたウマ娘は、数少ない真っ当な好敵手であり、ある意味では一番真っ当ではない手合いだった。

 

「……なんだか調子良さそうだね。グチャグチャに叩き潰すって言ったの忘れちゃった?」

 

 自分の心を圧し折りたいと、中々にアブノーマルな宣言をしてきたウマ娘に剣吞な眼差しを向ける。()()()()意味での敵にはならないと思っているが、この娘はこの娘で油断ならないのだ。目を離した隙になにか仕掛けてきそうというか、手段を選ばないというか。

 

「それがですね、今のネイチャさんは調子が鰻登りでして。耐久性も低反発素材並みなので簡単には潰せないんですよ」

 

 等身大低反発ナイスネイチャ……なるほど、ニッチな需要はありそうだ。

 

「まぁ、今日はお試しのつもりだからさ。想定外の相手も出てきたことだし、お互いに力を合わせて偉大な先輩に一泡吹かせるとしましょうよ」

 

 パチリとウィンクをしながらナイスネイチャが指した先には、今日の事前投票で一番人気を獲得したウマ娘がいた。

 

 柔らかい笑顔に欠片も緊張した様子のない自然体。

 赤の勝負服を纏い、長髪を靡かせながらマルゼンスキーは観客席に手を振っている。

 

「松永久秀に背中は任せてくださいって言われて、はい任せますって言うやつがいると思う?」

 

 ニコリと笑顔を浮かべて、トウカイテイオーはだいぶ失礼な返答をした。 

 

「ちょちょい、だーれが爆弾ウマ娘ですか。……ちなみにマルゼンさんが出てきたのってテイオーが絡んでるの?」

 

 ナイスネイチャと南坂も頭を悩ませて考えてみたが、偶然出走する気分になったとは考えづらいというのが結論だった。

 そして、ここ最近噂されるようになったルドルフとテイオーの不仲説。

 点と点が繋がって線になったと言うには情報が歯抜けているが、他にそれらしい要因も思い当たらない。

  

「絡んではいるけど、絡んで来たのは向こうからだよ。忌々しい」

 

 何処とは明言しないが、マルゼンスキーのある一点を凝視しながら唸るトウカイテイオーを見て、ナイスネイチャは愉快そうに笑う。

 

「アタシのことを松永久秀って言ったけどさ、それでもここは手を組んだ方がいいんじゃない?」

 

 『だってそうしないと、アタシとマルゼンさんで挟み撃ちにしちゃうよ』と、浮かべていた笑みをさらに深いものに変えてナイスネイチャは言った。

 

「アタシが松永久秀。テイオーは織田信長。マルゼンさんは……朝倉?と考えましょうよ」

 

 どの配役も碌な最期じゃないなと思いながら、テイオーは変わらない答えを返す。

 

「戦国時代ごっこならグラスワンダーとやってよ。ボクは全員叩き潰すつもりしかないから。というかそれ、最後は裏切りますって言ってるよね?」

 

 つっけんどんな態度で会話を終わらせてゲートへと向かっていくテイオーを見ながら、ナイスネイチャは軽く息を吐く。

 

「……んー、どうしたものかな。ま、誰にちょっかい掛けるかはその時に決めますか」

 

 そんなやり取りを経て、宝塚記念は始まった。

 

 

 

 

 

 

『票に託されたファンの夢。思いを力にかえて走るグランプリ・宝塚記念。十五人のウマ娘がゲートに入って体勢整いました。……スタートです』

 

『まずは先行争いですね。誰が先頭に立つでしょうか』

 

 逃げを得手とするウマ娘は三人。マルゼンスキー、メジロパーマー、ダイタクヘリオスだ。

 先行策を採るウマ娘も多く、序盤のポジション争いが勝敗に大きく影響すると予想された。

 

 そして、レースは大方の予想通りマルゼンスキーがハナに立って始まった。

 そこにバカ逃げコンビ――パーマーとヘリオス――が続き、トウカイテイオーが後を追う展開。

 先行策のウマ娘の中でトウカイテイオーが一番前に出たことだけが、珍しいと言える状況だった。

 

 このポジションが形成されるまでの数秒で散った火花は三つ。

 その全てがナイスネイチャによる逃げウマ娘へのけん制行動だ。

 

 見事に内枠一番を勝ち取り、惚れ惚れするようなスタートダッシュを決めてしっかりと外側へとヨレた。

 信頼と安定の初手妨害である。

 

 初見だった三枠三番のダイタクヘリオスは『うぇっ、ちょ!?』と奇声を上げ、半ば予想していたメジロパーマーは『まただよ』と顔を嫌そうに顰める。 

 向けられる非難するような視線を鋼の意思で完全スルーして、ナイスネイチャは最も妨害したい相手であるマルゼンスキーの反応を確認した。

 ここで得られる結果は重要だ。シニア級のさらに先にいるウマ娘にどこまで通じるのか。それによって次のグランプリの組み立て方も変わる。 

 

 ――結果は、歯牙にもかけられないであった。

 

 マルゼンスキーと枠が離れすぎていたのもあるが、特に気にするでもなく直進し、ナイスネイチャより前に出てから内に入る。

 『ありゃ、この程度じゃ気にも留めてもらえませんか』とナイスネイチャはマルゼンスキーを見やり『気合が入ってて可愛いわね』とマルゼンスキーが目線を返す。

 そんなやり取りを経て序盤のポジションが決まった宝塚記念。

 

 マルゼンスキーはこう考えていた。

 ハナを取れた時点で自分の勝ちは揺るがないだろうと。

 

 トウカイテイオーはこう考えていた。

 最後にブチ抜けばいいだけだろうと。

 

 両者共に自己の強さに絶対の自信を持っているからこその思考であり――。

 この時点では、シンボリルドルフの予想通りマルゼンスキーの勝利は決定的だった。

 

 そして、ナイスネイチャはこう考えていた。

 これで仕込みは万全だと。

 

 

 

 

 

 そもそも、マルゼンスキーの強さとはなにか。

 

 あるヒトは言う。載せているエンジンが違うと。

 あるヒトは言う。筋肉や心肺の質が他とは比べ物にならないと。

 あるヒトは言う。純粋な肉体のスペックが飛び抜けていると。

 

 表現の違いはあるものの、誰もが身体の出来からして他より優れていると述べているのだ。

 それ以外に挙げられるほど特徴的な何かが見当たらないと言ってもいいかもしれない。

 

 だが、マルゼンスキーと他のウマ娘の身体能力に明確な差異があるのかと言うと、具体的なものは何もない。

 筋力も心肺機能も反射神経も柔軟性も、優れてはいるが隔絶しているとは言い難い。

 非常に高い総合値であるが、ここまで他を圧する理由足り得るのか。

 マルゼンスキーと他のウマ娘の差を目視できるものなんて、レースの結果くらいしかないのだ。

 

 ならば、なぜマルゼンスキーは強いのか。

 その理屈をターフを駆けるウマ娘達は実感していた。

 

 ターフを強く踏みしめ蹴り上げた脚で速度が上がった。

 風を切るように振られた腕で速度が上がった。

 スピードに乗るかのように前に傾けた姿勢で速度が上がった。

 

 一挙手一投足の全てがスピードの上昇に繋がっていくのが見て取れた。

 カチリと噛み合った歯車のように、一つの動きに連動して全てが回っていく。

 

 踏み込んで、風を切って、また踏み込んで。

 単純に、しかし終わることなく繰り返される挙動は一つ前よりも確実に速く。

 

 無駄(ロス)なく、自身の動きが生み出したエネルギーの100%を次の挙動に繋げる。

 運動エネルギーという名のバトンを欠片も損なうことなく自分の中でサイクルしていく。

 誰よりもシンプルに。誰よりも効率的に。

 

 人生の多くを走ることに費やし、その最高峰であるトレセン学園に入学してきたウマ娘たち。

 学び、鍛え、改善を続けてきた彼女たちをして、その走りは魅入られずにはいられないものだった。

 勝たねばならない相手であるはずなのに。

 今は勝負の場であって、教えを請う場ではないはずなのに。

 あまりにも綺麗でお手本のような走りに、自分の走りが乱れそうなほどの衝撃を受けるウマ娘すらいる中でマルゼンスキーはさらにスピードを上げていく。

 

 端的に言って、マルゼンスキーは日本レース史上で最も走るのが上手なウマ娘だった。

 

 

 

 

 

 マルゼンスキーに勝つ方法は基本的に二択しかないと言われている。

 長距離レースでスタミナ切れを狙うか本調子を出させずに序盤で沈めるかだ。

 

 前者はそもそも長距離レースに出走すること自体が稀であり、対戦相手の側から操作できる要素がない。

 後者はドリームトロフィー・リーグでシンボリルドルフやグラスワンダーが実行してみせたことがあるらしいのだが、具体的な手法は明かされていない。

 

 だがそれでも、このまま好き勝手にマルゼンスキーを走らせては勝てないと全員が予感した。

 ローギアから徐々に上がっていくマルゼンスキーのスピードは、中盤の時点でも並みのウマ娘では追い縋れないレベルに至っている。

 それでいて上昇が止まる様子はなく、トップスピードが何処なのかまるで見えてこない。

 

 バカ逃げコンビすら終始追うことを強要される展開の中、トウカイテイオーもまた全力疾走していた。

 優れた勝負勘とレースセンスがとっくに分水嶺に入っていると告げたから。

 ……それでも、すでに手遅れであるという感覚もあったが。

 

 実際、マルゼンスキーとトウカイテイオーが出せる最高速度に差はほとんどなかった。

 問題は二千二百という距離でマルゼンスキーのスタミナが尽きる可能性がないことだ。

 最高速に差がなくスタミナも尽きないのであれば、単純にスパート時点でどちらが前に居たかで勝敗が決まる。

 

 そして、戦略や駆け引きの要素を削ぎ落とした勝負に於いて逃げウマ娘は滅法強い。

 

(やっぱり、こうなるわよね……)

 

 マルゼンスキーは内心で独り()ちた。

 逃げたマルゼンスキーを終盤で追い抜くことが困難だなんてレース映像を見れば誰だって分かることだ。

 それでも実際に走ってみるまでは勘違いしてしまうのだ。駆け引きは通用すると。

 甘い考えだし、マルゼンスキーに対して用いる策としては下の下と言える。

 

 最初から自身を追い抜かすことを目的としていたバカ逃げコンビの逆噴射が始まった以上、もう誰も追いつけない。

 だが、それでいい。

 最初から『こんな理不尽なレースを仕掛けてくる輩もいるぞ』と教えるために出走したのだ。

 それを次に活かして"皇帝"との勝負に繋げてくれれば問題はないのだ。

 トウカイテイオー以外のウマ娘に取っては、完全にとばっちりでしかないので多少は申し訳なくもあったが。

 

 そう考え、マルゼンスキーは勝敗を決定づけるために『領域』へ入る準備をした。

 

 本来であれば『領域』とは意図して入れるようなモノではない。

 だがマルゼンスキーにとっての()()は特段小難しい理屈を要するものではなかった。

 ただ、レースの楽しみ方を変えるだけのことなのだ。

 

 誰かと競い合い、一緒に走ることを楽しむツーリングのようなレースから。

 競争相手も観客も一切気にせず、ひたすらにかっ飛ばすことだけを楽しむレースへ。

 

 スイッチを切り替えるような気軽さで、後ろを走るウマ娘たちを意識の外に置く。

 ただそれだけでマルゼンスキーは『領域』に至る。

 

 本人としては、どちらのレースも楽しいことには違いない。

 しかし、速さだけを追求するのなら周りはなくてもいい。

 それでも折角久しぶりにトゥインクル・シリーズに戻ってきたのだからと、最後にもう一度だけ一緒に走る娘達に意識を向けることにした。

 

 うんうん、テイオーちゃんは速いわね。あれで成長途中なんだもの。何時かは得意な展開に持ち込んでも勝てなくなっちゃうかも。

 その後ろから来てる娘達はバテちゃってるけど良い逃げっぷりだったわね。最初の妨害に余計な意識を割かれなければもっと良い勝負が出来たかな。

 さらに後ろを走る娘達も必死に頑張る姿には花丸をあげたい。

 

 共に走った十三人のウマ娘全員が素敵な娘達だと、本心から思った。

 

 一頻り後方へと思いを馳せ、マルゼンスキーは改めて『領域』へと入ろうとした。

 速く走る以外の全てを頭の中から消していく。

 そうしてエンジンがフルスロットルになろうかという瞬間。

 ある事実に思い至った。

 

 あれ、今日一緒に走った娘達って()()()じゃなかったかしら、と。

 

 ――悪意とは、常に大っぴらに見せておくものではない。

 ――駆け引きとは、全ての手札を最初から開帳して行うものでは断じてない。

 

 確かに、マルゼンスキーを相手にラストスパートで追い抜けばいいなんてのは甘い考えだ。

 だがトゥインクル・シリーズ程度、何時も通りに走れば自分が勝つだなんて考えもまた激甘だ。

 

 マルゼンスキーはそれを思い知ることになった。

 

 

 

 

 

 

 ナイスネイチャはずっと考えていた。

 いや『領域』ってなによと。

 

 トウカイテイオーとの併走でオグリキャップが見せた驚異的な末脚。

 "怪物"と呼ぶに相応しい威圧感と怖い表情。

 あれがそうなんだろうと理解はできる。

 しかし、実体験が伴わなわければ、なんか凄いということ以外に感想が浮かばない。

 

 だが、『領域』とは原理不明な超能力などではない筈だ。

 理屈があって起きるのなら、理屈で以て妨げることもまた可能。

 その方法を模索することが、己が天才たちを打ち倒すための光明になるかもしれない。

 

 自分も『領域』へと至ればいいと考えないのが弱みでもあり、至れないなら勝ち目がないなと諦めないことが、いまのナイスネイチャの強さだった。

 

(オグリ先輩のを実際に見れたのは有難いなー。あ、これは今から入るなって分かるもん)

 

 序盤に逃げウマ娘をけん制して以降、ひっそりと存在感を消して集団に埋もれていたナイスネイチャはマルゼンスキーの変化をずっと注視していた。

 徐々にギアを上げていくスポーツカーの如き走りをしながらも、マルゼンスキーは後方へとしっかり意識を伸ばしている。

 強いウマ娘というのは往々にして広い視野を持って全体を俯瞰しながら走っているものだ。

 仕掛けどころを誤れば勘付かれる。

 

(『領域』ってのは要するに超集中状態のことで、誰だって茶々入れられたくはないんですよね)

 

 チャンスは一回こっきり。

 狙うのは『領域』に入る瞬間。

 大袈裟なことはなにもしなくていい。

 例えばバッターボックスに入った打者やサーブを打つテニス選手に紙屑を投げて当たったなら、やはり集中は途切れる。

 そして、どんなささやかな事象で集中が途切れたのだとしても、再度組み立てる労力と相関したりしない。

 

 もはやレースの勝敗が決したといってよい終盤。

 マルゼンスキーが発する雰囲気が明らかに変化していくのを感じながら、ナイスネイチャは自身の呼吸すら最小限に抑えた。

 

(アタシは今だけは存在感なしのモブウマ娘。路傍の石ころ。日常の代わり映えしない背景)

 

 微妙に心を自傷しながら、マルゼンスキーに感知されないよう気配を薄くしていく。

 全てはただ一刺しのために。

 

(まぁ、恨まないでくださいよ。別に大クラッシュさせたい訳じゃないんで)

 

 レースが始まる前は、どう動こうか悩んでいたのだ。

 どうせマルゼンスキーは有馬記念には出てこないのだ。 

 だったら、無敵のフィールドギミックみたいな物だと割り切って、当たる可能性のあるウマ娘たちの情報収集と本番のレースを使った豪勢な練習とするか。

 それが一番効率がいいだろうなと思っていた。

 

 それが実際に始まってみれば、徹頭徹尾マルゼンスキーを沈ませることに注力していた。

 スタート時のけん制も邪魔できると思って実行した訳ではない。

 序盤に目線を交わした相手の存在を完全に失念し、ラストスパートを妨害されたなら落差が大きくなる。 

 その終盤に仕掛ける一手をより効果的にするための仕込みだった。

 

(まさかここまで執着してるとは。自分でもちょっとどうかと思っちゃいますなー)

 

 なぜそうしたのかと問われれば、トウカイテイオーが自分以外に負けるのを見たくないからとしか言えない。

 すでにメジロマックイーンに負けてはいるのだが、それはそれ、これはこれ。

 いきなりドリームトロフィーから降りてきたウマ娘に掻っ攫われるのは業腹だ。

 だから、全力で邪魔してやるのだ。

 

(ほんのちょっと、一瞬だけブレーキを踏んでくれればそれでいいんで)

 

 後方に伸ばされていた意識が折り畳まれ、マルゼンスキーの踏み込みがひと際強くなったのを見逃さず、ナイスネイチャは切り札を切った。

 

(名付けて『領域壊し』……なんちゃって)




心を燃やせ(邪)

マルゼンスキー:かけっこ最強ウマ娘。勝つ方法は種目をかけっこ以外に変える。

なんでテイオーの視点ないの?と思われた読者様。頭の中が沸騰してて『潰す』以外の思考がほぼないからです。



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宝塚記念2

シュヴァち実装記念投稿。
ちなみに引けなかったので引退しまむら。
絶対誰も話の展開覚えてないだろうから一話から読み直してどうぞ。


 ズドンッ、という音がターフに響いた。

 少なくとも宝塚記念を走る十三人のウマ娘たちの耳には確かに届いた。

 

 マルゼンスキーが加速するために踏み込んだ音かと多くの者が推測したが、発生源は列を構成したウマ娘たちの中で後方。

 思わず音の発生源を確認しようと視線を向けてしまうような異音。奏でたのはナイスネイチャで、その音は悪意しか込められていない不協和音(ノイズ)だ。

 速度を向上・維持させることに適さない強烈な垂直方向への足の振り下ろし。ウマ娘の人間離れした脚力を以って、ターフを蹴るのではなく踏み抜くことに特化させた一撃は明確にナイスネイチャを減速させた。

 それでいいとナイスネイチャは心底から考えていた。

 

 やられた――とマルゼンスキーは思った。

 直前まで気配を消しておくことで、自身が『領域』に入ろうとする瞬間を狙い撃った妨害目的のアンブッシュ。

 見据えておくべき対戦相手を失念していたという精神的な焦り。

 レース中に起きた聞き慣れない異音への反射的な視線移動。

 

 全ての歯車が噛み合い全力で回転を始めようとした刹那に挟み込まれた路傍の小石によって、マルゼンスキーが『領域』に至るためのスイッチは切り替わることなくブレーキが踏まれた。

 

 一挙手一投足が最高率で噛み合うことで生まれるスーパーカーの如き最高速。それはつまり、僅かなズレさえも許容できないということだ。速ければ速いほどに、ほんの少しのハンドリングミスやアクセルとブレーキの踏み加減がクラッシュに繋がる。レーススタート時のローから数十秒を掛けて徐々にギアを上げていくという基本はマルゼンスキーであっても変わらない。一旦崩れてしまえば再度スパート中に立て直すことなど出来よう筈もなく、後輩虐めにやってきたOBに一泡吹かせられたかに見えて――。

 

 一秒後に、マルゼンスキーはギアを入れ直してみせた。

 

 

 

 

(亀の甲より年の功ってやつね……ちょっと年寄臭いかしら?)

 

 『領域』に入ろうかという瞬間、頭の上から冷や水を浴びせられたマルゼンスキーは動揺しながらも過日のレースを思い出していた。

 才能ある可愛い後輩たちがドリームトロフィー・リーグで自身を打ち負かすために講じてきた手段。その中で有効だったのは今まさにナイスネイチャが実行したのと同系統の手段だ。

 

(ここまで悪意テンコ盛りではなかったけれど)

 

 例えば"皇帝"と呼ばれるウマ娘は生まれ持ったカリスマを応用することでマルゼンスキーを()()()()()みせた。

 例えばかつてのマルゼンスキーと同じく"怪物"の名を戴いたウマ娘は烈火の如き闘争心を浴びせ続けることで最後まで『領域』に至るスイッチを入れさせなかった。

 過去に敗北を経験させられた技術を行使してきたという意味ではナイスネイチャの選択は正しかった。だが、過去に()()()()の手段を用いてしまったという意味では選択を誤った。

 

 マルゼンスキーは楽しく走ることができればオールオッケーなウマ娘だが、それは学習しない訳でも成長しない訳でもない。彼女もまたアスリートとして敗北から学び、ナイスネイチャによって齎された窮地に於いて過去の経験を活かした。

 

 嚙み合わなくなった歯車を直すため、確かにマルゼンスキーはブレーキを踏んだ。しかし、それは足を垂直に振り降ろしたことで結果的に減速したナイスネイチャとは全く異なる動きだ。

 ブレーキのために出した足をメトロノームの支点のように使い、マルゼンスキーの身体は大きく前につんのめった。傍から見れば止まりきれず、転んでしまったのではないかと錯覚するほどの急制動。

 

 だが、制動によって前傾し顔面からターフに激突するかと思われた瞬間、彼女は再加速した。

 あたかも水面の上を走るため、右足が沈むより早く左足を出すかのように極めて力技な対処。崩れた体勢さえも加速の材料とすることで、マルゼンスキーは崩れ切ることなくトップギアへと入った。正しくはトップギアの速度を出さなければ地面に倒れてしまうほど不安定な走行姿勢を強いられてしまった状態だが、それでも彼女は一条の紅い閃光となり、ターフにはテールランプの残光の如く美しい髪が靡いた。

 

 時間にして僅か一秒。

 

 たった一秒限りの減速。

 それがナイスネイチャが血反吐を吐くような努力を重ね、南坂が知恵熱を出すほど過去資料を参考にしてタイミングを弾きだし、宝塚記念で惨敗することを覚悟の上で放ったマルゼンスキー対策の成果だった。

 その切り札が完璧に決まって尚『ああなったら誰も勝てない』と評されるスピードへとマルゼンスキーは突入し、共に走るウマ娘たちに絶望を与えると思われた。

 

 しかし、ナイスネイチャは負けたなどとは欠片も考えてはいない。

 彼女にとって今日のレースは端からレイド戦だ。

 十四人のウマ娘が協力して、大ボスのHPを削りきる戦い。

 アタッカーがいて、タンクがいて、ヒーラーがいて、バッファーがいて、デバッファーがいる。

 その中で彼女は自身の役割をデバッファー兼()()()()()と定義していた。

 

 オグリキャップから『領域』に入る前兆を学び、過去のレース映像からマルゼンスキーが『領域』に入る条件を徹底的に洗い出した。同時に絶対に勝ちたい好敵手(ライバル)が『領域』に入る条件もおおよその当たりを付けていた。

 

 たった一秒限りの減速――ではない。

 一秒もの間、後続が距離を詰める時間を与えてしまったのだ。

 それは"帝王"を相手取るには、あまりにも致命的な隙だった。

 

(……っ、テイオーちゃん!)

 

 地面スレスレを這うような低姿勢で走るマルゼンスキー。

 対抗するかの如く前傾姿勢を取り、滑空するかのように並ぶトウカイテイオー。

 

 優れた身体能力(ポテンシャル)のままに足の回転(ギア)を上げ続けるスピードと、天性のバネによって地面を蹴った反発力全てを前方向へと変換するスピード。数値の上では拮抗する両者の対決は追い付かれたマルゼンスキーと()()()()()と並んだトウカイテイオーという構図になった時点で決していた。

 

 内に滾った熱の一切を解き放つ超加速。

 春の天皇賞ではメジロマックイーン相手に最後まで詰めることのできなかった一バ身。ナイスネイチャのアシストによって埋められた距離がトウカイテイオーを『領域』へと押し上げた。

 

 

 

 

 壁を超えた。

 それを強く実感する。

 

 レース中盤時点で気付いた失策。マルゼンスキーにどうやっても追い付けないという確信を抱きながらも諦めることなく粘り続けた走りはギリギリで功を奏した。

 スタート直後から『領域』に至るための限界の壁はずっと見えていた。それほどまでにマルゼンスキーというウマ娘が強敵であるという事の証左だが、そこからの展開はメジロマックイーンとオグリキャップ、どちらの強敵と相対した時とも異なった。

 

 壁は見えている。今度こそ迷うことなくぶち当たって突き破る覚悟を決めてきた。

 なのに、何時まで経っても壁に辿り着かない。

 自分が前に出るだけ壁が遠ざかっていく。至るための最後のピースがどこまでも逃げていく。

 

(あとハナ差、半歩分……たったそれだけ詰められればいいのにっ!)

 

 余りにも遠い。

 

 決してトウカイテイオーが弱い訳ではない。

 マルゼンスキーに一切離されることなく追従できるスピードとスタミナはドリームトロフィー・リーグに未登録のウマ娘としては破格だ。トゥインクル・シリーズの中距離最強は誰疑うことなくトウカイテイオーだろう。

 しかし、彼女が今挑んでいるのは日本至上最強格であり、年末にぶつかり合う相手はさらに同格以上なのだ。"皇帝"と"怪物"は全く性質の異なるウマ娘ではあるが、ここでの惨敗は半年後の有馬勝利に大きな不安の影を落とす。

 そして敗北とは、彼を奪われるということだ。

 

(嫌だ、イヤだ、いやだ……!)

 

 それだけは絶対に嫌だ。

 それだけは絶対に許さない。

 それだけは絶対に譲らない。

 

 沸々と湧き上がる怒りをエネルギーへと変えて速度を上げる。

 それでも前を行くマルゼンスキーとの距離は変わらず、壁にも届かない。

 

 そんな苛立ちに歯軋りをしながら追いすがるトウカイテイオー。しかし、状況は更に悪化する。

 

(このままじゃ、逆に『領域』に入られるっ!)

 

 惚れ惚れするような走りをしながらも油断なく後続を捉えていたマルゼンスキーの意識が収束していくのが分かった。それが余裕を無くしてのことであれば問題ないが、そう都合よく事が進むはずもない。

 

 意識の収束に合わせ、より洗練されていく走り。増していく存在感。

 熾烈なデッドヒートこそ『領域』への手掛かりと考えていたトウカイテイオーにとって、それはあまりにも異様だった。

 好敵手が居らずとも、競り合いが起きずとも、マルゼンスキーは『領域』に到達する。

 

 それは大きすぎる才能を持ち、好敵手との激闘を知らぬままトゥインクル・シリーズの現役を終えてしまった"怪物"だからこそ成し得る()だった。

 

(負けない……っ! 絶対に!)

 

 今以って全力疾走をした時に掛る足への負担は無視できるものではない。

 負傷してしまった時のトレーナーがどんな反応をするか考えることは怖い。

 それでも、最良の結果を自分から放棄することだけはしない。

 

 年度代表ウマ娘に選ばれた時、ボクを支えてくれるヒト達に恥じない走りをするとトウカイテイオーは言った。

 その言葉に嘘はない。

 彼を含めた大切なヒト達のために全力を尽くす。

 

(そして、勝つんだ!)

 

 ――かくして、その想いは届いた。

 

 春の天皇賞と宝塚記念。

 そこにあった違いは二つ。

 一つはトウカイテイオーが迷うことなく勝利を欲したこと。

 そして二つ目は、結果的にメジロマックイーンとの一騎打ちとは異なる介入者が居たことだ。

 

「はあぁ――!!」

 

 トウカイテイオーは特に意識した訳ではなかった。

 負けないため、突き放されないため、何度入れ直したかも分からない気合を入れ直して吼える。

 絶望的な状況に直面しても諦めることなく挑み、踏みだした一歩。

 

 その一歩が宝塚記念のレースがスタートしてから初めてマルゼンスキーとの距離を詰めた。

 

 

 

 

「やぁ、レースも大詰めだね」

 

「えっ、いやどなたさんですか?」

 

 宝塚記念の最終直線。

 春天を彷彿とさせるテイオーが前を走る強敵に追い付けない展開。

 手に汗を握って声援を上げていた俺の隣から声が掛かった。

 

 結い上げた髪にラフな服装。頭上の耳を折り畳むタイプのキャップを被ってサングラスをかけたウマ娘は一見すると不審者だ。

 だが、その声を俺は知っていたし放つオーラも完全に消せてはいなかった。

 

「……なんの用だよシンボリルドルフ。不審者かと焦っただろ」

 

 俺たちの仇敵がいつの間にか立っていた。

 いや、そこまで俺自身に恨みとかはないんだけども。

 

「本当はレースが終わるまで黙っているつもりだったのだけれどね。この光景を誰かと共有したくて我慢できなかったんだ。申し訳ない」

 

 何の目的で俺の隣に居るのかは分からないが、話しかけてきたのはレースの興奮によるものらしい。

 

「紅と緋が織りなす疾駆の競演。……私はね、今日のレースでマルゼンスキーが完勝すると断言していたんだ」

 

 異なる二色の鮮やかな赤が眼前を駆け抜けていく。

 緑のターフの上を走る赤はまるで炎のように力強く輝いていた。

 

 そしてゴールラインを先に超えた赤は――。

 

「君たちは何時も私の予測を超えていく。ああ、本当に素晴らしいよ」

 

 心底からの称賛。

 感嘆した様子でシンボリルドルフはトウカイテイオーの勝利を褒め称えていた。

 

「どっかの誰かさんに勝たないと面倒ごとを引き受けさせられることになっちまったからな」

 

 困ったもんだ。俺は自分とテイオーが楽しめればそれで良いと言うのに。

 お、勝ったテイオーがこっちに向けて手振ってる。

 

「カッコよかったぞテイオー!」

 

 声を張り上げるとテイオーは両手それぞれの指を一本と三本上げて満面の笑みが浮かべた。

 あれは……っ!

 

「宝塚記念一着の賞金一億三千万円ッ!」

 

 あばばばばば、慌てるな慌てるな。

 俺は教え子であるウマ娘を導くトレーナー(聖職者)

 金銭欲に溺れて我を忘れるなどあってはならないのだ。

 

「トレーナー君、目が円マークになっているよ。賞金を使った豪遊はほどほどにね」

 

「ああ、まずは元教え子の実家にツケてる金返さねーとだからな!」

 

「それは……いや、うん余所様の関係性に口出しはしないけどもね?」

 

 一頻り俺に笑みを向けたテイオーは一緒に走ったウマ娘たちの元へ向かい何かを話していた。

 マルゼンスキーの存在によって混迷を極めたレースだったが、終わってしまえばノーサイド。

 ターフに広がる雰囲気は決して悪いものではなかった。

 

「で、お前もなんか用件があるんじゃないのか?」

 

「おや、敵対している私の話なんて聞く耳持たず逃げられるかと考えていたんだが」

 

 ターフなら一考する余地もないが、人混みの中で障害物走ならシンボリルドルフから逃げられる可能性もあるだろうか。

 いや、無理だわ人間がウマ娘に勝てる訳がない。

 

「お前の夢のために俺とテイオーが欲しいんだって? 正直意味わかんねーと思ってたから詳しく聞いてみたかったんだよな。さっさと生徒会室に突撃しても良かったんだが、お前に会いに行くのテイオーが嫌がるから自重してんだ」

 

 テイオーはともかく俺と同じレベルの人材なんて掃いて捨てるほど居るだろう。

 そんなもんのためにテイオーと仲違いしたり、レースの結果で処遇を決めようとするだなんて皇帝様らしくない気がする。

 

「……トレーナー君は不屈という言葉をどう思っているかな?」

 

 不屈?

 その質問が話しかけてきた用事なのだろうか。

 

「大事なことなんじゃねーの? お前やマルゼンスキーだって負けたことはある。テイオーは怪我でクラシック三冠に挑戦できなくなる寸前だった。誰だって上手くいかない事があるんなら、その時に折れない精神性ってのを試されることも全員にあるんだろうな」

 

 俺みたいに怠惰な人種だとチャレンジ自体しないから挫折しづらいんだろうけど、代わりに大成もしない。

 

「ああ、とても大切だ。最も重要な才能とさえ言っていいかもしれない。人は弱いからね。どれだけ優れた身体能力と頭脳を持ち、精神性を養ったとしても世界の厳しさに少しずつ心を削られていく。そしてそれはトレセン学園に於いては退学という形で現れる」

 

 それは確かにそうだ。

 よく勘違いされるがレース成績が悪ければトレセン学園を退学させられるなどというルールは存在しない。

 出走意志自体がないならともかく、負け続けでも在学はできるのだ。

 故にトレセン学園からの退学者は、そのほぼ全てが自主退学だ。

 レースに勝てず、今後も勝てる見通しが立たない者達が居たたまれなさや絶望から去っていく。

 

「私はなんとかして去り行く者達を救い幸せになってもらいたかった。けれど、それはおかしくないかい?」

 

 サングラス超しにコチラへと目線を向け、ルドルフは続けて疑問を呈してきた。

 だが、何がおかしいのか分からない。

 

「全てのウマ娘が対象ってのはお人好しが過ぎるだろと思うが別におかしくはないだろ。俺だって目の前に不幸面した連中が(たむろ)してたら飯がマズくなって嫌だからな」

 

 善人面するつもりは毛頭ないが、他人の不幸で飯が美味くなるとも思わない。

 ネット上のモンスターとかマスゴミに対してはその限りではないが。

 

「その飯を不味くしないために行動を起こせることが素晴らしいんだ。……話を戻すが、やはり私の願いはおかしいのさ」

 

 俺の言葉を微笑を浮かべて聞いていたルドルフ。その表情が嘲笑へと変わった。

 

「だってトレセン学園で最も多くのウマ娘を絶望させたのは(皇帝)なんだよ。どの口で幸福だなんて(のたま)うのさ」

 

 サングラスの隙間から覗く両の目。

 そのドス黒く濁った目を俺は知っている。

 あの日、沈んでいく夕暮れの中でテイオーが見せた目と同じだ。

 

 コイツは失望している。

 だが、その対象はテイオーとは違い他人ではなく自分自身に対してだ。

 

「去り行く者達を救いたかったのなら最初からレースなんて出なければいいんだ。私の居ないクラシック三冠を誰かが獲り喜んだだろう。私の居た枠に入ったウマ娘が挑む機会を得られただろう。私がレースに費やした時間を彼女たちのサポートに充てていれば飛躍できた者が居たかもしれないだろう」

 

 同期にシンボリルドルフがいる絶望感。以前にそんなことを推察したこともあったな。

 まさか当人が同じこと考えているとは思いもしなかったが。

 

「矛盾している。救うために力と実績を欲し、その過程で誰よりも他者を退けてきた。そうして今、より多くのウマ娘を救うための手段として君とテイオーを力で屈服させようとしている」

 

 会話というよりは独白。ルドルフは零れてくる言葉を堰き止めることができないでいるようだった。

 

「分かっているんだ。本当に協力してほしいならやり方が間違っていると。なによりもウマ娘を幸福を願うのなら中途半端だと」

 

 嘲笑を浮かべていたルドルフの表情が今度は泣いている子供のように歪み、顔を俯かせた。

 

「なのに消せないんだ。レースと勝利を欲する(皇帝)を」

 

 今の俺にとって最も大切と言えるテイオーの勝利。その熱が冷めてしまうほどの悲嘆。

 

「もう自分独りでは、どうしたら夢が叶うのか分からないんだ。一番多くのウマ娘を不幸に(負か)した(皇帝)が、どうやって彼女たちを幸福にすると言うんだ。誰よりも輝かしい勝利を得てきた(皇帝)が、敗北に塗れた彼女たちの幸福をどうやって推し量れると言うんだ」

 

 あまりにも見ていられない有様のルドルフに言葉を掛けようとした途端、その顔が上を向いた。

 その顔に、瞳に宿るのは濁った黒よりなお黒い――光。

 

「だから、君たちが欲しい。絶望(敗北)の底に落ちても尚、屈さず立ち上がって燦然(さんぜん)と輝く君たちが」

 

 爛々と輝く狂気的な光には、普段のルドルフが持つ理性の色が一切感じられなかった。

 

「マルゼンスキーもシービーもオグリキャップも私の征く道を共に歩いてはくれなかった。彼女たちが隣に居てくれれば伸ばせたかもしれない手を諦めてきた。だが、私を憧れと言ってくれたテイオーと彼女を絶望の淵から救い上げて道を示してみせた君だけは……諦められない」

 

 そう告げるルドルフの異様な雰囲気に思わず後退る。

 そんな俺の様子見をおかしそうに眺めながら、シンボリルドルフ(皇帝)は絶対を宣言した。

 

「確かに今日のレースは素晴らしいもので私の予測を超えていた。だが、それでも勝つのは私だ」

 

 先ほどまでの弱弱しさはどこにもなく、最強のウマ娘がそこに立っている。

 

「君たちに勝ち、君たちを手に入れる。そうすれば……私の夢はきっと叶う」

 

 ルドルフの言葉には、確証ではなく希望に縋り付く必死さが滲んでいた。

 そうして言いたいことは言い切ったのかルドルフは踵を返して去っていった。

 その後ろ姿を見ながら、俺は思わず呟いた。

 

「……おいおいヤンデレじゃねーか。俺はそういうの苦手なんだが」




アニメシュヴァちのポエム良かったね。
あと許せサスケ、これで(更新は多分)最後だ。


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