走ることしか考えていないサイレンススズカと効率的に勝つ方法を考えるタイプのトレーナー。あと割と理解のある友人一同。 (サイレンススズカ専属トレーナー)
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スズカクラシック
走ること中毒サイレンススズカ


サイレンススズカ専属なので初投稿です。


「おはようございます、トレーナーさん」

「おはよう、スズカ」

「今日も良い天気ですよ、トレーナーさん」

「……みたいね……」

 

 

 目を開けると、スズカがそこにいた。私のベッドの枕元にある小さな椅子に、入院患者に会いに来たみたいに静かに座っている。

 

 というか、目を開けるも何もスズカが私を揺すって起こしたのだ。

 

 

「今日こそランニングを組んでくれるという約束でしたよね?」

「……まあ、まあ」

 

 

 全開のカーテンから射し込んでくる光と、ちらりと目に入った目覚まし時計……今が何時か確かめる。

 

 

「……そうだけどさあ、まだ四時半よ……?」

「朝は早い方が気持ちいいですから」

「限度があるぅ……」

 

 

 ご丁寧に空調まで切って、絶対に私を起こすという強い意志を感じる。仕方がないので起きて、そのままスズカの頭を抱き抱える。

 

 

「わぶっ」

「ダメだってスズカ……まだヒトは活動できないから……」

『大丈夫ですよトレーナーさん。トレーナーさんは見ているだけでも良いですから。ね?』

「外に出られないの」

『双眼鏡とか……』

「おばか」

 

 

 ヒトの私が頭を抱えれば、下手な抵抗をするとスズカは私を殺してしまうので動けない。あと二時間は寝たいし、一度スズカをこのまま寝かせてしまおう。抱き締めて少し息苦しくさせれば、無理な早起きをしたスズカなど容易いものよ。

 

 

『トレーナーさん、待ってください、約束、走る約束……』

「良いから寝なさい。無理したら怪我するわよ」

『あっ、う、ぅ……ぅ……』

「はーいお休みなさいねえ」

 

 

 妹で鍛えた寝かしつけのスキルでスズカの動きを止める。必死に私と話そうとするスズカだったが……やはりこんな時間から起きている学生がベッドに余りある体温の誘惑に抗えるはずがないのだ。

 

 

『トレーナー……さん……』

「……というか、勝手に寮に来ないでね?」

『うぅ……』

 

 

 少しずつ呼吸に波が無くなっていき、消えた。ちょろちょろ栗毛め。そのままぐっすり眠ってくれ。私も寝るから。

 

 …………今日はどうやってスズカに()()()トレーニングをさせようか……本当、強い分癖のある可愛いウマ娘だ、スズカは。

 

 

 

 

 ─────

 

 

 私がトレセン学園にトレーナーとして就職してから、半年になる。いわゆる新任のピチピチトレーナーだ。年齢の話はしないで。

 

 元々、私は賢かったわけでも努力家だったわけでもないし、そもそもウマ娘に対してめちゃくちゃ興味があったわけでもない。だが、とある因果でこうしてトレセン学園で働くことになっていた。

 

 

 その因果とは、たったの一つ。私の目に、ウマ娘の能力や適性が数値化されてステータスの形で見える、ということだ。

 

 

 例えば、今の担当であるサイレンススズカであれば、芝AダートG……ダートを走る能力は皆無で、短距離D、長距離Eでマイル中距離がA。逃げA、先行Cといった感じ。

 

 たとえウマ娘に興味がなくても、こんな能力があればトレーナーとして高い位置にいられると私は確信したわけだ。調べたところ、担当ウマ娘の距離適性を測るだけのためにレースに出たり、トレーニングの期間が削れたりもするらしい。それらを丸々飛ばして、しかもその子に合うトレーニングも考えてあげられる。素晴らしいことだ。

 

 

 それに、私には今の能力や調子、体力も見える。さて、スズカの今の様子を見てみよう。まだ私のベッドで眠るスズカをじっと見つめる。

 

 

 スピードSS+

 スタミナC

 パワーB

 根性D+

 賢さC+

 

 

 細かい数値も見られるが、この時点でお解りいただけただろうか。なんとこのスズカ、()()()()()()()()()()()()()。私が出会った頃……まあ五月のことだけど、その時点でS+の表記になっていた。

 

 あまりゲームはやらないので解らないが、彼女のスピードの数字は何のトレーニングをしてもこれ以上上がっていない。トレーニングのタイムは縮まってきているものの、どちらかといえば加速やコース取りの上手さで伸びていると見るべきだろう。

 

 

 そもそも、スズカの戦う相手……マチカネフクキタルにせよエアグルーヴにせよメジロドーベルにせよ、あのタイキシャトルでさえスピードはスズカに遠く及ばない。これ以上スピードを伸ばせないし伸ばしても仕方がないのが解る。

 

 

 だから、スズカにはスタミナをつけるトレーニングをしてもらいたい。

 

 

「…………あ、トレーナーさん……?」

「あらおはよう。思ったより早かったわね」

 

 

 現在時刻は八時を少し回ったところ。うんうん。学生の土曜日なんてこんなもので良いのよ。夏ならともかくもう長袖じゃないと辛い時期だし、走るにしてもお昼で良いはず。まだ早いくらいね。

 

 

 私の作る朝食の匂いに釣られたのか、スズカは寝起きにしてはそこそこの速度でダイニングテーブルまで歩み寄ってくる。まあ、これは私のご飯だから、スズカには食べさせられないんだけど。なんかペットみたいな言い方だなあ。

 

 

「おはようございます……」

「おはよう。顔洗ったり髪を梳かしたりしておいてね」

「……トレーナーさんがやってください……」

「良いけど私がシャワー浴びてからね」

 

 

 さっきまでの強い意志はどこへやら、流石のスズカも寝起きでは押しが弱くなる。顔を洗ったらまた走りたい走りたいと言い出すのだろうけど……残念ながら観察の結果、いわゆるただ走るだけのトレーニングはスピードが鍛えられるうえとても効率が悪い。とてもじゃないがスズカがやるべきことではないのだ。

 

 洗面所に消えていくスズカを見届け、堅焼きまで火を通した目玉焼きを皿に移す。スズカにやらせたいのは筋トレや水泳なのだ。何とか今日も言いくるめていきたいが。

 

 

「うーん……どうしようかな……」

 

 

 それがとても難しいので、彼女のトレーニングは大変なのだ。あと、衝動で走りに行ったりするから。

 

 

ごごごご……

 

「それと、約束を破ったことのお話もお願いしますね」

 

 

 破ってない、絶対やぶっていないのに、じっと蔭からこちらを見るスズカの視線に、私は納豆を床に落とした。

 

 

 

 ─────

 

 

「大体、トレーナーさんは勝手です」

「はいはい」

 

 

 今日は少しいつもより怒っているのか、勝手に私の朝食を摘まみながらもスズカはぷりぷり小言を言ってくる。もちろん、全く怖くないどころか可愛いだけだけど。怒るならもっとドスを効かせないと。エアグルーヴみたいにね。

 

 

「専属になってもらうときにも約束しましたよね。あむ……んぐ、私が気持ちよく走れるようにしてくれると」

「おっしゃる通りで」

「それが何ですか。最近ちっとも走らせてくれません」

 

 

 言いたいことはいくつもあるが、飲み込む。スズカは思慮深い一面や諸々鋭いところもある……一方、ポンコツだし頭はいつも走ることでいっぱいなので流しておけばそのうち忘れるからだ。今怒っているのも、じゃあこれから走る? とでも言えばニコニコで忘れるに違いない。

 

 

 そもそも。気持ちよく走れるというのは、レースで、のつもりで言ったことだ。出会った頃のスズカは酷い走りをしていた。適性Cの先行の走りから、場合によっては適性Eの差しの走りを練習させられていたのだ。

 

 スズカの元トレーナーにも元トレーナーで考えはあったのだろうし、逃げウマ娘といえど脚を溜める走り方を学んでおくのは重要なことだ。だが、スズカに限っては完全に裏目だっただけのこと。私達も彼に対して怒っているなんてことはない。

 

 

「トレーナーさんは酷いです。私は怒りました。もうトレーナーさんの言うことは聞いてあげません。一人で勝手に走っちゃいますからね」

「そう? じゃあこの間話したマルゼンスキーとの併走は無しね」

「…………仕方無いので併走までは言うこと聞いてあげます」

 

 

 しかし、私にはスズカの適性が見えたし、ステータスも見える。その頃から群を抜いたスピードを見せていたスズカはどこをどう見ても逸材なのだ。そこで、逃げ以外の戦法はストレスなのでやらせない、という確約のもと口説き落とした形になる。

 

 

「でも終わったら言うこと聞いてくれないんでしょ? だったらちょっと……」

「むぅ……トレーナーさんの意地悪……私がどれだけ楽しみにしていると思っているんですか? そのためにもちゃんと走って練習をしたいのに」

「スズカに足りないのは今はそこじゃありません」

 

 

 未来永劫スズカのスピードがこれ以上伸びることは無いだろう。ウマ娘という種族の限界だから、これ以上速度が上がらないのかもしれない。この境地に至っているのは他には……いる?いなくない? 

 

 

 何にも心に響かない罵倒を受け流しつつ、朝食を終え皿洗いまで済ませる。スズカはすらすらといかに自分が日々走りたくて、それを必死に我慢してトレーニングをしているかについて力説しながら隣で皿洗いを手伝ってくれる。うい奴め。マルゼンスキーにはできれば先行で走ってやってくれと言ってあるからね。

 

 

「というわけですから、ちゃんと今日の練習は約束通りランニングにしてください。良いですか?」

「うんうん。スイミングね」

「……ランニングです」

「犬かきングね」

「何も聞いてませんね? トレーナーさん」

 

 

 聞いてる聞いてる。私も鬼ではないし、勝つためにはスズカの体調ややる気も大事だと理解している。スズカの場合、ターフなりを走らせないと突然やる気を無くしたり調子が下がったりするのだ。その見極めは必要だから話は聞く(聞くとは言っていない)。

 

 

「今日は申請出し間違えているような気がするし、プールね」

「やです」

「お願いスズカ。スズカの泳いでるところがみたいなあ」

「やです」

「終わったらパフェ奢ったげるから」

「や、です」

 

 

 揺らいだなこのポンコツめ。

 

 

「何したら泳いでくれるの?」

「走らせてくれたら考えます」

「じゃあこうしよう。泳ぐんじゃなくてプールのなかで走ろう」

「プールサイドを走りますよ」

「強情ゥー!」

 

 

 私の着替え中もぴたりと側を離れず交渉を続けるスズカ。当然何を言われてもトレーニングメニューは動かさないけどね。ターフグラウンドの申請取ってないし。まあスズカなら無断で走っても許されるとは思うけどね。

 

 

「じゃあ解った。終わったらちょっとだけ走らせてあげるからそれで泳いでくれる? ね?」

「…………!」

 

 

 ぱああっ、こくっこくっ。漫画ならそんな音が間違いなくつけられるペースで喜ぶスズカ。うんうん。喜んでもらえて何よりだ。具体的な距離は言ってないけどね。いつ練習が終わるとも言ってないし。

 

 もう少し宥めすかして水泳をやってもらおう。

 

 

 

 なにせスズカは昨日、満足行くまで走れました! と笑顔で言っていたのだから。



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勝手に走るタイプのサイレンススズカ

スズカさん、これまでの戦歴

ジュニア夏
メイクデビュー。トレーナーに好きに走れと言われ大逃げをかまして快勝。

ジュニア秋
出走レースを全てトレーナーに任せた結果見誤ってしまいクラシック路線へ。アルテミスステークスに出走し同じく大逃げをするが出遅れから失敗、それでも辛勝。

ジュニア冬
逃げの不安定さを危惧するトレーナーから先行、差し策をとるように指示される。一度は頷いたものの慣れない戦法に調子が下がりまくりホープフルステークスを回避。


クラシック春
弥生賞に出走。トレーナーの指示により差し策で走るものの惨敗。
日本ダービーに出走。今度は先行策を指示されたものの無視して逃げたが、躊躇いが祟り半端な位置取りにより惨敗。
現トレーナーと出会う。逃げで勝てるように努力すると確約を得る。

クラシック夏
レースを全て回避しトレーニングに努める。

クラシック秋←今ココ
神戸新聞杯に出走。スピードがカンストし、異次元の逃亡者として覚醒する。
エアグルーヴを突き放し天皇賞(秋)を快勝。その走りから一躍注目を集め、オークス秋華のティアラ二冠をとったエアグルーヴと二強と評価される。


「スズカー」

「はい、何ですか、トレーナーさん」

「エアグルーヴ知らない?」

 

 

 ある日、私は昼にトレセンを歩いていた。

 

 トレセン学園では午前中に生徒への座学、午後はトレーニングやダンスレッスンになっている。朝早くから自主トレをするスズカみたいな生徒もいるし、ここの子達は自由時間なんか無いんじゃないかってくらい過密スケジュールで動いている。

 

 

 基本的に学園部分にトレーナーが赴くことは少ない。特に複数のウマ娘をもってるようなトレーナーはそんな余裕もないし、寮をはじめとして男子禁制の部分が多すぎるし。

 

 

「生徒会室だと思いますけど……何かご用ですか?」

「いや、生徒会に誰もいなくてね……コース許可の書類を出すだけなんだけど」

「走れるんですか!?」

「…………しまった」

 

 

 スズカのスイッチを入れてしまった。食堂に近い廊下は他のウマ娘の目も多い。ここで違うなんて言って、盾をとったウマ娘を凹ませてしまったら私がどんな目で見られるか。まだスズカのG1は一つだけど、天皇賞というのはそれだけの重みを持っているのだ。

 

 

「走って良いんですか? しかもコースで?」

「落ち着いてスズカ。これは違うの。誤解なの」

「それ以外でトレーナーさんがコースの使用許可をとる必要はありませんよね?」

「落ち着いて。ほら、ご飯を食べましょう? ね?」

 

 

 スズカを宥めつつ食堂へ。ウマ娘は超格安バイキング、人間はやや高めの食券制になっているので自腹を切らなければならない。まあ、スズカのG1勝利でボーナスが来てるから痛くも痒くもないけど。あ、今日の焼き肉ガーリックソースだ。これにしよ。

 

 

 ウマ娘が匂いを嫌がるので滅多に出ないメニューを貰いつつ、先に料理をとって席を取っているスズカのところへ向かう。

 

 

「それで、トレーナーさん。話を戻しますけど、コースの許可というのは……」

「はーいご飯を食べようね」

 

 

 

 ……実際のところ、コースの予約はもちろんスズカが走るためのものだ。しかし、少し理由が複雑なので言いたくないのだ。とりあえず食材をスズカの口に突っ込むことで追及をかわす。

 

 まず、何の力が働いたのか、今年の年度代表ウマ娘にスズカが選ばれた。ちなみにエアグルーヴと同列である。G1に三回勝ったエアグルーヴに影すら踏ませなかったのは大きい。

 

 教科書通りの抜け出しをするエアグルーヴと違い、スズカは逃げという圧倒的に不安定な作戦で勝っている。トレセンとしても世間としても、スズカの方にスター性を見出だしたのだろう。単純にエアグルーヴがメディアに冷たいというのもあるかもしれないけど。

 

 

 ともあれ、是非スズカを取材したいという声が多いのである。特に、走っている姿を見たいという声が大きい。

 

 

「トレーナーさん、聞いてますか、コースの許可を」

「はいはい。美味しいね」

 

 

 喋ってても口に物を入れられたらもぐもぐするしかない。私の焼肉定食が冷めちゃうけど、まあ走ることが懸かったスズカは怖いので安いものだ。

 

 

 そうそう、それで、取材の話だ。

 

 

「ところでスズカ、今度テレビの人が来て、色々とイベントを組んでくれるって話があるんだけど」

「はあ……んむ……んぐ……んぐ……それは、まあ、構いませんけど……どんなことをするんですか?」

「インタビューとかかな」

 

 

 そこで、スズカの写真や映像が欲しいという話が来ている。まあ、ウマ娘に肖像権は無い……無いというか、トレセンに来てる時点で一部を放棄をしている。だからまあ、許可は出すんだけど……じゃあ何を撮るのかって話になる。

 

 

「インタビューですか……上手く答えられるでしょうか……」

「心配なら練習しとく? そしたら緊張しないかも」

「ええと、緊張は大丈夫ですけど……」

 

 

 まあ、スズカを撮るならやはり走っているところだろう。それ以外でも良いけど、走ってる時以外のスズカは走ることしか考えていないし。走ってる時も走ることしか考えてないけどね。そういうことだから、撮影のためにコースを申請するわけだ。

 

 ただ、それをスズカに言うと、じゃあトレセン学園のためにちゃんと走りたいからランニングの練習をしましょう! とか言い出すに決まっている。だから黙っていないといけないのだ。なまじ言ってることはおかしくないのが腹立つ。

 

 

「じゃあ何が気になるの?」

「いえ、答えをどうしようかと……」

「……なるほど?」

 

 

 別に、そんな難しいことを聞かれるわけではないんだけど……走ることしか頭に無いから思い付かないということだろうか? 

 

 

「じゃあ……そーねー……速く走る秘訣とかは?」

「うーん……たくさん走ること……ですかね」

「なるほどね。じゃあ、普段のトレーニングはどんなことを?」

「んー……たくさん走っています……ね。あとは覚えてません」

「ふむ。そうね……普段はどんなことをしていますか? 趣味や休日の過ごし方などは」

「たくさん走っています」

「え? スズカ、休日走ってるの?」

「あっ……あの……は、走ってません。ちゃんと我慢してます……よ?」

 

 

 どう突っ込もうか考えていたけどもう良いや。ばっとご飯を掻き込んでお茶で流し込み、べしべしスズカの額を指で弾く。あぅ、わぁ、とか弱い悲鳴をあげるスズカ。

 

 

「スズカ。私言ったよね? 私の目の無いところで走らないでって。こら。この栗毛め」

「や、いぁっ、ご、ごめんなさい、つい我慢できなくてっ」

「このぽんこつ。おたんこだいこん。そうやって走る度に体を痛めるのがまだ解らないかい」

「あぅっ、ぅっ、だって、トレーナーさんが全然走らせてくれないから……」

「走らせてるでしょーが」

 

 

 先週なんか特に酷かった。結局こっちの望むトレーニングをしたのは七日中三日だけだったし。こちらとしては私が判断したトレーニング以外はさせたくないけど、調子が下がっちゃうのも困る。それに、私の生活はスズカのポテンシャルにおんぶにだっこだし尊重してあげる義務もある。

 

 だけどまあ、休日に走らせると突然三十キロ走りました! なんて言ってきたりするのでビビる。アホかと。いや、実際ウマ娘なら気付いたらそれくらい走ってるなんてこともあり得るというのがスズカ談。いやあり得ないでしょ。そんなわけない。

 

 

「このっこのっ」

「あっ、ごめ、ごめんなさい、許してくださいっ」

「もう勝手に走らない?」

「…………」

「このっばか栗毛っ」

 

 

 走れるからと言って走りまくっていたらすぐに足を痛めるのだ。しかもスズカは無意識とは言え悪路や坂路も平気で走る。走れりゃ何でも良いのかこのじゃじゃウマは。

 

 

「とにかく次走ったらこんなんじゃ済まないからね。今度こそ本気で怒るからね」

「はい……」

 

 

 しゅんとするスズカ。この会話ももう何十回目である。

 

 

「でもそれと今の話は関係ないたいっ!」

「このっ! まだ言うかこのっ!」

 

 

 

 

 

 ────

 

 

「あ、エアグルーヴ。いたいた」

「ん……ああ、スズカのトレーナー。どうした、珍しいな」

 

 

 エアグルーヴは外の花壇にいた。スズカがここじゃないかと言ってくれたので、結果としてスズカに頼ったのは正解だったことになる。

 そういえばガーデニングか何かが趣味だったような気がするな。何となくイメージには合っている……いや、どうだろう。合っていないような気もする。

 

 

「……何か失礼なことを考えているな?」

「いえ考えてないわよ。はいこれ。これが用事だから」

「ん? ああ、解った。確かに受け取った……が、スズカは何をされているんだ……?」

「そりゃ猿轡でしょ」

「頭がおかしいのか?」

 

 

 スズカがマスクを少しずらし、その下の完全に塞がれた口を見せつける。彼女は昼食後、呻くこともなくただ歩いてついてきているだけだ。見る人が……というか誰が見てもどう考えてもおかしいのだが、まあエアグルーヴなら良いだろう。スズカがただのスターではないことを知っている。

 

 

「それをよく見てもらえれば解るから。今日はランニング禁二日目だから発作をおさめるのが面倒なの」

「何だと……なるほどな。解った。これはこちらで進めておく。担当はどこだ?」

「私はたづなさんから聞いたけど」

「よし。私からも会長に言っておく。お前も頑張れ」

「ありがとね」

 

 

 

「……スズカも挨拶しとく?」

「…………!!」

「……ほう」

 

 

 と、スズカが何か言いたげにしているので口を塞ぐハンカチを取ってあげることに。絶対余計なこと言うな、この感じだと。何かを訴えかけているもの。

 

 

「エアグルーヴ聞いて、トレーナーさんが酷いの、私はただ走りたいだけなのに、走るなって」

「はあ……おい。一応聞いておいてやるが、何についてどの程度強く禁止したんだ」

 

 

 ほら、言わんこっちゃない。救いとしては周りに誰もいないってことと、エアグルーヴも解ってて聞いてるってところ。本気で注意する気ならもっと怖い目をするからね。

 

 

「休みの日に勝手に走るなって言っただけだけど。もう何十回注意したか解らないくらい」

「お前が悪い。諦めろスズカ」

「うそでしょ……」

「いや、スズカが悪いでしょ」

 

 

 スズカでなくてもトレーナー付きのウマ娘が勝手に走るのはご法度ではある。もちろんほとんどのウマ娘は自分が疲れたら走らないし、走らない休み方を知っているのでそこまで厳しくは言われないけれど。スズカはちょっとね……

 

 

「お前に潰れられては困る。ジャパンカップに出るのだろう? 今度こそ差し切ると決めワタシもトレーニングに励んでいるんだ。体調管理は怠ってくれるなよ、スズカ」

 

「でも、この間の日曜日はとても風が気持ちよくてね、星もよく見えてて、しかもいつものコースがちょうど追い風で、どうしても我慢できなくて……それに、脚の調子がとっても良かったの。私もほんのちょっとにしようと思ったんだけど、あのトラックが私を追い抜いていってね、それが本当に嫌でつい本気になっちゃって、それで気付いたら夜更けまで走ってて……でも、ちゃんと次の日は元気だったし……」

 

「待て、場合によってはお前が法定速度を破っているだろうそれだと。スズカのトレーナー。何とかしておけ。トレセンから逮捕者を出すなよ」

「善処するわ。ほらスズカ。私は帰るけど、すぐにトレーニングだから着替えて集合だからね。プールだからね」

「やです」

「やかましっ。遅れないようにね!」

 

 

 何かまだ言っているスズカの声は、耳を塞げばもう聞こえてこないのだ。




覚醒が史実より少しだけ早いスズカさん。なお割を食ったマチカネフクキタル


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先頭を絶対に譲らないサイレンススズカ

ちょっと長くなりましたね


「はーい。皆さんしっかり並んでねー。一列でねー」

 

 

 ある日、私とスズカはターフグラウンドの前に長テーブルを広げて座っていた。私達の前に、ズラリと並ぶウマ娘達。申し訳無いが名前も顔も解らない。何ならほとんどはジュニアの子達だと思う。有名人のサイン会か何かと見紛う規模になってしまった。

 

 

「はい、じゃあ名前とランクを教えてね」

「リボンララバイ、ジュニアです! あの、サイレンススズカさん! ファンです! いつも応援してます!」

「ありがとうね。頑張りましょうね」

 

 

 隣にはエアグルーヴとそのトレーナーのテーブルもある。お互いジャパンカップ前だというのに何故こんなことをしているか。それというのも、いわゆる有名税に近いようなものが関連している。

 

 スズカやエアグルーヴは押しも押されぬトップウマ娘だ。エアグルーヴは戦績で、スズカはそのエアグルーヴに圧勝した天皇賞でその立場につけている。特にトレセンではクラシック級ウマ娘は特に話題に上がるという事情もある。

 

 トレセンは人気ウマ娘を使って新規学生や興行収入を得る活動に余念が無い。それ自体は当たり前で、むしろそうしているからこその圧倒的な賞金還元率が実現されているわけで。

 

 

「コルネットリズム、ジュニアです! 是非よろしくお願いします!」

「よろしくね。良いレースにしましょうね」

 

 

 で、これもその一貫である。ジュニア級の新人との公開併走。逃げのスズカと差しのエアグルーヴに対して、それぞれ八人まで模擬レースを行うという取り組みだ。

 負担を考え三レースまで、要するにずらりと並んだ行列のうち、二十四人しか一緒に走れないということになる。ジュニアのウマ娘は全部でゆうに千人を越える。大所帯だ。これでもトレセン側で弾いているというから驚きね。

 

 

 一人一人名前をメモしてパソコンに打ち込み、後で抽選をするという形。こんなもの私達の仕事ではないが、そこはトレセン、ときめく風のウマ娘とそのトレーナーとの挨拶を、新人のモチベーションにしようということらしい。

 

 

「あ、あの! 握手してください!」

「ええ。よろしくね。いつも応援ありがとう」

 

 

 そして、スズカはすこぶる上機嫌だ。普段はファンに言われるがまま、場合によっては答えが思い付かずくるくると回り始めてしまうくらいだが、今日は全員に笑顔で一言ずつ声をかける程度には機嫌が良い。エアグルーヴは機嫌が悪い。

 

 

 まあ理由はシンプル。三回もターフを走れるから。

 

 それと、先頭を走れることがほぼ確定しているから。相手はジュニアの秋、まだデビューして数ヵ月だ。ジュニアクラシック間の一年はレベルが違う。スズカにしろエアグルーヴにしろ、基本的に絶対に負けないレースなのだ。だからスズカはご機嫌で、エアグルーヴはムスッとしている。

 

 こういうと、私の可愛いスズカの性格が悪いみたいだけど。違うのだ。スズカは別に弱いもの苛めが好きな訳じゃない。敵の強さに拘らず、自分が先頭で気持ちよく走りたいだけ。ただそれだけなのだ。

 

 

「スズカトレーナー、進みはどうだ?」

「やあシンボリルドルフ。順調よ。相変わらずどうして事務の人がやってくれないのかは不思議だけどね」

「もう十一月だからね。入学試験の準備に忙しいらしい。申し訳無いがそのまま頑張ってほしい。悪いね」

「そのためにたくさんお給料も貰ってるからね。頑張るわよ」

「そう言ってくれると助かる……払っているのは私じゃないがね。金で働く気分はどうかね……なんてね」

「…………じゃあまた後でね、会長」

「……外したか……?」

 

 

 もちろん、トレセン公認の行事に等しいのでこうして偉い人が挨拶に来たりもする。もちろん適当に流す感じにして入力を続けなければならないけど。さっきは理事長が来て大変だった。何せ声が大きすぎてジュニアの子達の声が聞こえない。

 

 

 ……と、これが最後の子か。

 

 

「こんにちは。お名前とクラスを教えてね」

「はい!」

 

 

 ……おっと? 様子が違う子が来たぞ。

 

 私はその観察眼……理屈は解らないけどこの目で、ウマ娘の強さを見ることができる。だからもちろん、この子も見える。

 

 

 スピードE+

 スタミナD+

 パワーD

 根性E

 賢さF+

 

 

 ……破格の能力だ。他の子とは文字通り格が違う。他の子の能力なんてGやF、良くてF+が良いところだ。何だこの子は。このまま成長すればスズカに届き得る。やべーウマ娘がいるぞ。

 

 

「スペシャルウィーク、ジュニア級です! スズカさん、是非よろしくお願いします!」

「あ、スペちゃん。ええ、よろしくね。頑張りましょう」

 

 

 最後はスペシャルウィークか。私は基本的にぶつかってこないウマ娘の情報は集めないが、確かスズカのルームメイトだった気がする。これまで奇跡的に関わったことはないので、これが初対面だ。

 

 

「……スペシャルウィークさんね。ここに来る前はどこで何を? もしかして、地方のトレセンとか?」

「え!? い、いえ! 北海道の家でお母ちゃんと二人で……」

「そうなの。やっぱり涼しくて走りやすいらしくて……夏でもずっと走っていられるし、こっちより空や空気も綺麗なのよね……」

 

 

 あ、スズカが食い付いちゃった。まあでもこの子は私も興味があるし、何ならスカウト……いやでも、ジュニアってことは一応トレーナーがついてるんだよね……引き抜きとか……くっ……勿体無い……! この子なら今の時点だってG1で良い勝負ができるのに! 

 

 

「はい! 空気は美味しいし、それにご飯もすっごくおいしいんですよっ。特に私のおすすめはにんじんです! 甘くて瑞々しい最高のにんじんなんですよ!」

「へえ……スペシャルウィークさん、どう? 私と連絡先とか交換しない? 良かったらもう少しお話ししたいなあって思うんだけど……ほら、スズカの話もしてあげるから、ね?」

「え? い、良いんですか? 本当に? 私、ここに来てスズカさんの走りを見て……スズカさんみたいになりたいって思ったんです!」

 

 

 短距離F

 マイルC

 中距離A

 長距離A

 

 逃げG

 先行A

 差しA

 追込C

 

 

 スズカみたいにかぁ……そっかあ……なる……ほどねえ……うーん……スー……ソッスネ……

 

 

「…………うん! 君には光るものを感じるわ! きっとスズカみたいになれると思う! だから後で連絡先を教えてね?」

「はい! ありがとうございます!」

 

 

 

 

「……突然どうしたんです? トレーナーさん」

 

 

 思わずスペシャルウィークを立ち上がって見送ってしまった私に、怪訝そうにスズカが問いかける。確かに、柄にもなく熱くなってしまった気がする。この歳になって女子学生に連絡先を迫ってしまった。

 

 

「いやね、あの子は伸びるわよ。何としても私がスカウトしたい……いやでも、単純に新入生はノーマークだったし……他にもあんな子がいるなら……でもそっちもスカウト済みかあ……」

 

 

 研究と分析までしてウマ娘を導くトレーナーとは違い、私はやるべきこともタイミングも見れば解るわけで、本来マンツーマンは逆に効率が悪い。私の稼ぎにも直結するし、チーム内で競えるのも魅力の一つだ。だけど……

 

 

「…………トレーナーさん?」

「え? ごめん、どうしたのスズカ……うわっ」

 

 ぎゅっと袖を掴まれ引っ張られる。座ったままのスズカに迫るみたいな格好に来て、スズカは少し唇を尖らせた。

 

 

「私の方が、速いですよ」

「えっ」

「私の方がずっとトレーナーさんに速さを見せてあげられますよ……?」

 

 

 …………もー! 

 

 

「可愛いねえスズカは! 別にスズカを蔑ろにしようってんじゃないからね! 私の一番はスズカだからねえ!」

「おい阿呆! 入力が済んだなら早く抽選を回せ! 終わらないだろうが!」

「エアグルーヴうるさい! 今スズカが大事なことを言ってるでしょーが!」

「あの……トレーナーさん、みんなが見てますから……」

「もー! スズカー!」

 

 

 

 

 

 

「トレーナーさん。私走るんですけど」

「あごめん。ほんとにごめんね」

 

 

 あっぶねえ。我を忘れるところだった。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 抽選の結果、何とスペシャルウィークは三レース目の一枠二番を引き当てた。一枠一番固定のスズカの隣である。やはりあの子は持ってるわね。

 

 

 スズカの時も能力を見て一瞬で強さが解ってしまったけど、スペシャルウィークの場合はさらにもう一つ、何かスズカには無いものを持っている感じがする。もちろんスズカの方が強いし、二人が完成して全盛期で走ってもスズカが勝つだろう。でもそれとは別に、彼女があらゆるものの中心にいる感覚がある。

 

 

「メイクデビュー一着、そこから勝ち星無し……あの子の世代、あんなのばっかりなのかしら」

 

 

 二レース目までスズカが蹂躙するのを眺めながら、私はスペシャルウィークの戦績を調べていた。まあジュニアの秋だし、勝ち星無しと言っても二戦一勝。数字だけ見ればよくいるレベルだけど……スペシャルウィークのあの能力でジュニアのオープン戦なんかに負けることがあるのだろうか? 

 

 正直な話、ジュニアのオープン戦など、いわゆる名を馳せるようなウマ娘……スズカとかエアグルーヴとか、そのへんにとっては勝てて当然まであるレースだ。スペシャルウィークも間違いなくその一人になる能力がある。

 

 

 ……だが、見たところスペシャルウィークはキングヘイローとかいうのに負けている。じゃあこのキングヘイローがスペシャルウィーク並に強いのかというと、キングヘイローはエルコンドルパサーに負けている。そんな魔境あるとは思いたくない。

 

 

『一着はサイレンススズカ。逃げ切りましたサイレンススズカ』

 

 

 と、二レース目が終わったらしい。もちろんスズカが大差勝ちである。一レース目はもう少し手加減していたように見えたけど、我慢できずに本気で走ったな、スズカのやつ。

 

 

「お疲れスズカ。どうだった?」

「気持ちよかったです……やっぱり好きです、私……」

「良かったね。じゃあ脚のケアをしようね。本気で走って疲れたでしょう」

「あ……はい、少しだけ……」

 

 

 本気で走ってるじゃん! 

 

 

「え? 顔が怖いですトレーナーさん、何かありましたたたたたた、痛い、痛いですトレーナーさん、私が何をしたんですか……?」

「本気で走るなって言ってるでしょ! なーんで大差勝ちなんかしちゃうの!」

「だって途中で追い風がいたたたたたたっ」

 

 

 足つぼの刑。

 

 

 

 ────―

 

 

『さあ、模擬レースサイレンススズカ杯、これが最終レースになります。一枠一番サイレンススズカ』

 

 

 さて、おまちかねの最終レースだ。既にエアグルーヴの最終レースは終わっているが、それでもスズカの走りを何度でも見たいというギャラリーは減らない。

 ……たぶんだけど、スズカを憧れの目で見てるウマ娘ほど、スズカは大人しくて控えめで上品なだけのウマ娘と思っている。だから、そんなスズカが逃げ切るというのに夢を見ているんだろう。現実にはそんなことないけど。

 

 スペシャルウィークも……スズカと会話していればとっくに気付いているだろう。気付いた上でスズカを慕ってるなら素晴らしいことだね。

 

 

 レースはスズカの圧倒的なスタートダッシュから始まった。絶対にハナを取るという意思から来る集中力は、ジュニアの子では真似できまい。まあ全力ならここでまずぐんと伸びるが、スタート直後から五バ身差をつけて第一コーナーへ。

 

 やはり勝負にならないのは間違いないけど、スペシャルウィークもかなり良い位置につけている。今回は2000mだし、スペシャルウィークはスタミナを生かして外めを走っている。まっすぐスズカを見て、コーナリングも上手い。あれは世代のトップの貫禄があるな……

 

 

『さあサイレンススズカが早くも第三コーナーから最終コーナーまでかかっていきます。後ろの子は六バ身といったところ』

 

 

 本来のスズカならここからさらに加速して最終直線に入るし、ホームストレートでもさらに伸びる。これだけの差がついていれば相手がシンボリルドルフでも簡単には差されない。だが、手を抜かせているため距離は開かない。

 

 ……だが、ただ一人。黒髪のウマ娘だけは、同期を突き抜けて前に前に躍り出る。スズカとの差を、明らかに詰めている。

 

 

『スペシャルウィーク、捲っていきます。届くか』

 

 

「……なんだ、あの新人は」

「エアグルーヴ……あれはスペシャルウィーク、スズカのルームメイトよ。あの子は絶対に凄いウマ娘になるわ」

「ほう……お前がそう言うんだ、期待はできるな。それに……見たところでも確かに良い脚を持っている」

「うん」

 

 

 隣に来たエアグルーヴも同じように、どんどん詰まっていく差に感嘆の息をついている。私はウマ娘の夢を追えないから、あまり大きなことは言えないけど……それでも、あの子を育てたいという気持ちは大きい。

 

 

 そして、スペシャルウィークともども最終直線までもつれこむ。まだ三バ身ある。これは差し切ったか……? 

 

 

『あっとサイレンススズカここでさらに伸びる伸びる! スペシャルウィーク追い縋るが届かないか!』

 

 

「あっ」

「はあ……いや、私も同じようなことはしたし他人のことは言えないが……」

 

 

 あのウマ娘……なんて大人気ない。ジュニア相手に伸び脚を……片方とはいえ使ってハナを譲らずゴールしてしまった。全力を費やし追っていたスペシャルウィークが膝まで崩れ落ちている。可哀想に……なにも練習で絶望を見せつけることはないだろうに。

 

 エアグルーヴとは性質が違う。差しウマ相手の練習は、差されても後ろから迫り来るプレッシャー対策という大きな意味があるが、あれでスペシャルウィーク達は何かを学べるんだろうか。二レース目のウマ達もそうだけど。

 

 

「トレーナーさん……楽しかったですいたいっ」

「こらスズカ。伸び脚は使わないって約束したでしょ」

「だ、だって使わないと先頭が……」

「本番のレースじゃないんだから」

「あぅあぅあぅ」

 

 

 頬っぺたをぐにぐに虐めつつ、スペシャルウィークの方をちらりと……お? 笑顔ね。結構ダメージ無いのかしら。まあ、負けると思ってたから大丈夫だったのかしらね……これで燃えるタイプとなると、さらに行く末が楽しみ……移籍とか考えてくれないかしら。スズカを餌にして。

 

 

「スズカ、三日間ランニング禁止ね」

「えぇっ!?」

「今日一週間分走ったでしょ」

 

「待ってくださいトレーナーさん、違うんです、ターフを走るのも気持ちいいんですけど、それと道や山を走るのは別なんです、あっ行かないでトレーナーさん、もうしませんから、許してください、せめて、せめて朝だけ禁止とか、話をしましょうトレーナーさん、私それじゃ死んじゃいます、あっあっトレーナーさん……!」

 

 

 うるせえ!



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負けず嫌いのサイレンススズカ

「放してくださいトレーナーさん、私、私やらないと今日は眠れませんっ」

「だめ。スズカすていっ」

「あぅぅ、は、放して放して……トレーナーさぁん……」

 

 

 ある日。私は必死にスズカに乗っかって押さえつけていた。ターフグラウンドに続く昇降口で、体操服のウマ娘に上から乗っかるスーツの私。事案だ。毎回のことだが、私がスズカに無茶をする時は基本的に周りに人がいない。ラッキー。

 

 

「いやぁ、やっぱり今日の私は一味違います! 今日こそ鬼のようにトレーニングをこなせば、またスズカさんに勝てるかもしれません!」

「うぅ……トレーナーさん、もう一回だけ……」

「だめ」

 

 

 今日のトレーニングで、スズカはマチカネフクキタルに併走を申し込まれていた。

 

 彼女はスズカの友人の一人で、運勢や祈願といったところに傾倒している変わったウマ娘だ。しかしその実力は本物で、スズカにこそ勝てていないものの菊花賞を勝ち他にも重賞を取っている。

 

 なんでも、今日の運勢は稀に見るスーパー大大大吉だったとか。そこで、絶対無敵の自分を試したいとスズカに直接申し込んできたらしい。

 

 

 単純なランニングと違って、併走は賢さやスタミナも伸びることが解っている。なかなかできる機会もないし、スズカも友達の頼みなら良いだろうとばかりにニコニコで頼んでくるから一回くらいはと許可を出した。

 

 

「むふー……うおお、負ける気がしません! 今の私は最強無敵! 次はルドルフ会長……マルゼンスキーさん……夢が広がりますねえ!」

「待ってフクキタル、もう一回、もう一回だけ……」

 

 

 そして、スズカが負けた。うそでしょ……って感じ。フクキタルのステータスを見る限り、正直スズカに届き得るようには見えなかったが……現実はステータス差を気持ちが凌駕することがある。それと、スズカがやや出遅れ気味だったのもあるか。

 

 

「スズカ、一回だけって言ったでしょ。だめよ」

「でも、でもっ……私、ここで引き下がるわけには……今度こそ私が先頭を……フクキタル……!」

「フクキタル逃げて、できれば一週間くらい顔を合わせないで!」

 

 

 羽交い締めくらいではスズカの力に勝てないので、こうして寝かせて動けないようにしないといけないのだ。リベンジに燃えるスズカだけど、今のスズカにやらせると本番さながらの手札ばら撒き全力大逃げをしてしまいかねない。だからだめ。

 

 

「フクキタル……ッ」

 

 

 俺の愛バが! 怖すぎるでしょ。自分が差されたという事実が何よりも許せないらしい。決してマチカネフクキタルを下に見ているわけではなく、これがシンボリルドルフだろうとナリタブライアンだろうと食ってかかるだろう。

 

 

「いやぁ、何をするか迷っちゃいますねえ! 次のレースも楽しみですし、運気が高まったことですし、このまま神社に行ってさらに幸運を呼び込むというのも……!」

 

 

 マチカネフクキタルも自覚無くスズカを煽ってるし。この子も悪い子じゃないんだ……ウマ娘はみんな良い子ばっかりなんだ……ただ、ちょっと先頭にこだわりすぎてるのと、幸運を全てに優先してるのとでトラブってるだけで。

 

 

「トレーナーさん……! 私怒ります……!」

「はいはい。怒って良いから部屋に帰ろうね。今日はトレーニングはもう良いからね」

「もう、もうっ……意地悪です、トレーナーさんにいじめられてます……」

「そうだ、パフェ買ってあげるから。スペちゃんも誘う? お店までは走って良いから、ね?」

「ぅ……い、いえ、譲れません……!」

 

 

 強情な。フクキタルはどこかに行ってくれたが、まだ発作がおさまらない。スペシャルウィークを誘うのは生け贄である。誰かの前を走らせてあげないと爆発しそうな激情が彼女にはある。

 

 

「お願いスズカ。一緒に行こ? ね?」

「やです……フクキタル……ッ!」

「うわっとっとっ」

 

 

 私に上からのし掛かられながらも、スズカが立ち上がり歩き出した。必然的に私は首に抱き付いて引きずられることになる。こいつッ……少し見ない間にパワーがついてきた……いや、ウマ娘は子供でも女一人くらい簡単に運べるか。

 

 

「スズカ? スズカ!」

「フクキタル……どこかしら……」

「どうしようかなあ! ねえスズカ!」

 

 

 バーサーカーと化してしまったスズカを何とか止めないと、ジャパンカップを前にスズカの今の本気も技も開示され、余計な疲労が溜まってしまう。ばしばしとスズカの平らな胸を叩きつつ、流石に増え始めた周りの目に耐えながら囁く。

 

 

「落ち着いてスズカ。そうだ。マッサージしたげる。一緒にお風呂に入ってリラックスしましょう?」

「やです」

「アイスも食べて良いよ。そうだ、明日の学校サボって温泉行こっか。途中で車を降りて走って良いから。夜もちょっとなら走って良いよ。私が見てるから」

「……本当ですか?」

「本当本当」

 

 

 めちゃくちゃ嫌だけど、仕方がない。これもジャパンカップに勝つためだ。一回目の併走ですらギャラリーは多かった。エアグルーヴ陣営に本気のスズカを見せたくない。

 

 私はあくまでも勝つためにスズカを利用しているのだ。そのためならスズカの意に反することもする。契約だって、スズカで勝つには逃げしかないと私が理解していただけのこと。

 

 

「気持ち良く走って良いですか?」

「それはだめ。ほどほどで」

「フクキタル……」

「解った! 解りました! 起きてちゃんと見ててあげるから! 気持ち良くなるまで走って良いから! 準備して! ね!」

「……仕方ないですね」

「やったあ……スズカ大好き……!」

 

 

 まあ、私の財布はスズカで潤いまくってるし……温泉一泊くらい安いものね。スズカの授業は……まあ成績表見たけど全く問題無さそうだし……温泉ってスペちゃんも来るのかな。まあ来るなら来るで全然、一晩口説ける権利を得たと思えば安いものではあるけど。

 

 

 でもなあ。スズカが特殊だっただけで、ウマ娘ってのはトレーナーを変えたりってのはあんまりしないんだよなあ。スズカと一緒ってところでどれくらい釣れるかね。

 

 

 スズカに引きずられたまま寮まで来てしまった。流石に入れないので降りて、私も急いで戻って準備だ。日帰りとはいえ私は保護者だし、ウマ娘が出掛けるには色々と面倒もある。

 

 

「あ、トレーナーさん、お疲れ様です」

「たづなさん。お疲れ様です」

 

 

 トレーナールームでの準備中、後ろから理事長秘書のたづなさんが声をかけてくれた。私は温泉宿の予約や周囲の道の確認もあるのでパソコンから目を離せないが、それでも嫌な顔一つしないあたり流石の懐の広さと理解力だと思う。

 

 駿川たづなさん。彼女には本当にお世話になって……いない。実はそんなに彼女の手助けを必要とする仕事はしていない。彼女はトレーナーを結構無差別に助けてくれるが、細々とした事務仕事しかやってくれない。トレーナーの本業には決して踏み込んでこないし、ちょっとした監視レベルのことも断固としてしないのだ。

 

 

 私は一人しか担当がいないし、スズカの分析もこの目がある。手伝いは正直そんなに要らない。なので、たづなさんとは割とプライベートだけの付き合いになっている。たまに飲みに行ったこともある。私と彼女ではウマ娘への熱量が違いすぎるので、ちょっとあれだけど。

 

 

「何してらっしゃるんですか?」

「ああいえ、スズカと出かけようと思いまして、予約を。平日ど真ん中ですし、たぶん当日予約も……あ、できますね」

「お出かけですか。どちらへ? あ、飲みます? 自販機でコーヒー当たったんですよ」

「温泉ですかね……ありがとうございます。頂きますね」

 

 

 日が落ちるまであと二時間。事故るわけにもいかないので法定速度は守るとして、まあスズカのことだから夜でも平気で走るだろうけど……まあ私の運転の時間だけかな……

 

 

「あら、ここ結構良いですよ。周りに広めの走る場所もありますし」

「はえー……良いですね。ここに……あ、予約取れるな……ここにしよう。二部屋取れるな……」

 

 

 相変わらずこの人距離が近いな。別に美人さんにくっつかれて悪い気はしないけど、男だったら勘違いする人もいそうだ。あと良い匂いする。

 

 

「やはりジャパンカップに向けて休養ですか? サイレンススズカさんとエアグルーヴさん、とても期待されていますものね」

「ええ、みたいですね……まああの性格ですから、期待に潰されるなんてことは無いですし……その点でエアグルーヴよりも一つ勝ってはいますね」

 

 

 嘘である。スズカは現状エアグルーヴに何もかも勝っている。パワーは僅差で負けていたはずだが……まあ、これについてはスズカの方がどうかしているわけで。スズカと競るだろう逃げウマは勝負になる能力ではないし、なんなら2400m走りきるのがあれでは厳しい。

 

 よって、何も無ければスズカはエアグルーヴには負けない。そして恐らく何も起きない。正直何も心配していない。ステータスが見える私からあえて言わせてもらうと、逃げウマは能力さえ足りていれば最も安定する戦法だ。

 

 

「なるほど……有記念には出ないのですよね?」

「ですね。ありがたいことに投票は早速かなり頂いているみたいですが……スズカは2400が限界でしょうね」

「の、ようですね……残念ですが。トレセンとしては是非出ていただきたいのですが……エアグルーヴさんにも」

「エアグルーヴは性格柄出るかもしれませんね。出なくても……そうですね、マーベラスサンデーやメジロドーベルあたりが活躍しそうではありますけど」

「やはり! 少し気難しい子ですけど、やはりあの二人には実力がありますよね。頭一つ抜けているというか、練習を見ていても──」

 

 

 よし、予約完了。スズカが発作を起こして走りに行ったのを迎えに行く用に、宿泊や外練習の荷物は車に積んであったりもする。準備は簡単に終わるのだ。

 

 

「じゃあたづなさん、話はまた今度ということで。楽しみにしてますね」

「あ、あら……はい、ではまた」

 

 

 たづなさんも話し始めると長いんだこれが……ただスズカもそうだが良い人ではあるので遮ったり適当に流しても怒りはしない。否定せず邪険に扱わないのが大事なのだ。

 

 

 さて、スズカとの温泉だ……二度と大吉フクキタルとは併走させない。私はそう固く誓った。




駿川たづな
誰より早くサイレンススズカの不調に気付いたが、トレーナー業には踏み込まないという自分ルールに基づき助けられなかった。
そんな中的確に彼女を覚醒させたトレーナーを非常に高く評価している。

この後のマチカネフクキタル
勢いのままシンボリルドルフに勝負を吹っ掛けるが多忙につき断られ、代わりにナリタブライアンとやることになる。ハナ差で勝利する。


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走ると心から幸せなサイレンススズカ

(入浴シーンは)バイバイだよ。


 

「良いことスズカ。ちゃんと約束は守ってね? お願いね?」

「はい。もちろんちゃんと守ります。破ったことありません」

 

 

 凄いなこの子。こんな堂々とよく言えたもんだ。本当に変なところで図太いというか。

 

 

 スズカの発作を抑えるべくやって来た温泉旅館だったが、当然スズカの興味は百割一度目の入浴の後、走って良い時間に向けられていた。走れる道の写真を見せたところ、ここで気持ち良く走るために行きの車では大人しくしてくれたうえ、ついさっきまでお淑やかで素直なサイレンススズカでいてくれた。

 

 が、五人分の御膳をぺろりと平らげ湯船に浸かった瞬間、スズカは覚醒してドライヤーをかけていた私を外まで抱えて走ったのである。今頃脱衣所には誘拐現場のようなものが広がっていることだろう。

 

 

「時速50キロまでしか出しちゃダメ、信号とトレーナーさんの合図は必ず止まる、例の脚は使わない……ですよね」

「そう。ちゃんと守らないとそこでランニングは終わりだからね」

「ふふ、解ってますよ」

 

 

 これ以上無いほどご機嫌なスズカ。ちなみに例の脚というのは、レース中スズカが先頭で最終直線に入るとハイにでもなっているのかさらに速度を上げるあの伸び脚のことである。どう見てもトップスピードからさらに伸びているこれは脚に悪いので基本的に禁止している。

 

 

 ともかく、解ってくれたようなので不安だが私もスクーターに跨がる。ヘルメットを付けてエンジンをかけ、走る前の深呼吸を行うスズカの後ろについた。

 

 

「よし、じゃあスズカ、好きに走ってらっしゃい」

「はいっ」

 

 

ドゥンッ! 

 

 

「はっや」

 

 

 思い切りスクーターのアクセルを入れる。地を蹴り抉る轟音とともに駆け出していったスズカを、急加速した私が追いかける。

 スクーターは、スズカに追い付くためだけに作った特注品である。急加速と急ブレーキに特化させ、可能な限りエンジン音を消した最高速度自体はそんなに出ないお高めのスクーター。街灯と星灯りの夜道を、スズカはギリギリの速度で駆け抜ける。

 

 風を切って、スズカはどんどんと進んでいく。どうやらコース自体はお気に召したようで、舗装だけされてほとんど人の通らない田舎道を突っ切っていく。

 

 

 後ろから追っているし、狭い道をノンブレーキで走らなければならない都合上スズカの表情を見ている余裕など無いけれど、たぶん死ぬほど幸せそうなんだろうな。走り方と息のつき方で解る。あと速すぎね。こっちはカーブで減速せざるを得ないんだから勘弁してほしい。

 

 

「あっスズカ、そこ右! まっすぐだと道が悪いから右に曲がっスズカ!? スズカ!!」

 

 

 そしてナビもガン無視。というか、走ることに没頭していてまったく聞こえていない。イヤーキャップ取り上げるぞ。

 

 

「スズカ! せめて次右! 予定の道に戻ろう! このままだと山道に行っちゃうから! 右右右右スズカ! スズカ!!? ヤバいって!」

 

 

 右折×。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「うわっ、あっ、うっうっうっ、す、スズカ痛っ舌噛んだァ!」

 

 

 スズカの暴走が止まらない。何せランニング禁三日目に加え併走で敗北、しかも私の言質をとっている形だ。坂路悪路も何のその、真の勇者は道を選ばない。スズカは勇者でも変態でもなく狂戦士(バーサーカー)だけど。スクーターはオフロード対応だが私の運転技術が対応していない。

 

 

 それに、スズカの速度がほんの少しずつだが上がってきている。ヤバい。私が異次元の逃亡者されてしまう。既に声が届くかもギリギリだ。このまま彼女が満足するまで走り続けてしまう可能性もある。

 

 ひたすら走り続けるスズカ。こう見るとウマ娘のスタミナは無尽蔵だ。まあ本番のレースだとトップスピードが違うのでまだまだスズカでは不足しているが、こうして野良で走るとマジでどうかしている。私なら500mで倒れている。

 

 

 そうして走り続けること十五キロ。スズカの脚がほんの少しずつ弱まり、しっかりと体に負担をかけないスピードまで落として止まった。小さな街灯のスポットライトの下で、ほんの少し息を乱したスズカが私の差し出したスポーツドリンクを受け取って口に含む。

 

 

「こらスズカ。道案内したんだから従わないとダメでしょ。こっちは道が悪いんだから」

「え? あ……はい。すみません、よく聞こえていなくて……」

「もう……約束通りランニングはおしまいね」

「待ってください。止まれとは言われていません。約束は破っていないはずです。ちゃんと考えてください」

「お? なんだスズカやるか? ぶっ飛ばすわよ」

 

 

 冗談ですよ、と適当に言っているスズカ。どちらにせよ帰りの道は走ることになる。三十キロか。人間のランニングとしては狂気を感じる域だが、ウマ娘、特にスズカにとっては何てことはない距離だろう。

 

 

「帰りの道を先に説明しておきます」

「やです。考えながら走りたくありません」

「拒否するならここから二人乗りします」

「やです。まだ走ります。トレーナーさんだけ先に帰っててください」

「この栗毛っ言わせておけばっ」

 

 

 取っ組み合いに持ち込もうとするが、魔王スズカに腕を掴まれれば人間など動くことはできない。蹴り飛ばそうにもまさか脚を狙うわけにいかないし、流石に良心もある。ふふふ、と非力な私を嘲笑うスズカ。完全にネジが外れている。このまま無限に走りそうだ。何とか止めなければならない。

 

 

「今日はおしまいってだけでしょ? また今度走れば良いじゃない」

「トレーナーさん、解ってませんね。こんなに気持ちの良い夜に虫の声を聞きながら月明かりの下走るより気持ちの良いコースがあるはずありません」

「ターフグラウンドは?」

「ジャパンカップですぐ走ることになりますから。それに、トレーナーさんがそう簡単に走らせてくれないことくらい私も解っていますよ」

 

 

 ぐうの音も出ない。くそっ、私の計算ではランニング禁三日目までは大丈夫なはずだったのに、余計な併走が入ったせいだ。フクキタルめ。今度彼女の御神籤に凶をたくさん入れてやろう。

 

 

「解った。帰りは走って良いから。今来た道をそのまま戻ろう。ね? お願いスズカ。これ以上はいたたたたたスズカやめて手首ちぎれるちぎれる!」

「トレーナーさん……走って来て良いですか……?」

「だめ痛い痛い痛い痛い! 割れる! バラバラになる! 卑怯だぞサイレンススズカ! ウマ娘として恥ずかしくないのか!」

「私を走らせてくれないトレーナーさんがいけないと思います」

 

 

 うおおおお手首が、私の手首がぐちゃぐちゃにされる……何とか、何とかしないと……そうだ。

 

 

「解った! 解ったスズカ、走って良い! 良いから一回脚を見せて! それだけ! ね!」

「本当にそれだけですか? 終わったら走らせてくれますか?」

「解った! 走らせてあげるから!」

 

 

 仕方ないですね、とスズカが放してくれたので、早速荷物からシートを取り出して地面に敷く。何の疑いもなくスズカはそこに寝転がった。ふはは。トレーナーを舐めたなスズカ! お前のトレーナーは勝てば良かろう傍若無人の権化なのだ。

 

 

「じゃあマッサージ……をすると見せかけてこうだ! このっバカ栗毛! 大人しくしろ! オラッ!」

「きゃっ!? あ、ぁっ!? ふ、ふふっ、ふふふあはっ、あはははっ、と、トレーナーさん、やめ、やめて……!」

 

 

 昼間のように乗っかって、イヤーキャップを取り外したスズカのウマ耳を擽る。人間の耳と同じく、ここはちゃんと触れば性感帯にもなり得る箇所だ。そんなことを知らないスズカでも擽ったさに体を捩ることになる。同時にめちゃくちゃに体を擽るのだ。

 

 スズカのくすぐったいところ、痛いところは私が一番知っている。スズカのマッサージやストレッチは毎日私がやっているのだ。スズカの体に世界で一番詳しいのは私である。

 

 

「う、うそつ、嘘つき、ふふふふっ、と、トレーナーさん、うそ……っ」

「何とでも言いなさい! これもあなたのためよ! さあ、言いなさい! 帰りは十キロ以上出さずに帰る! 今から! さあ!」

「や、やはははは、や、やで、やですっ、いゃはっ、くくぅっ、ふ、ひははははっ」

「このっまだ解らないか! このこのこのっかくなる上はっ」

 

 

 スズカのトレーニングウェアを剥がして素肌を弄くってやろうとチャックに手を掛けたところで……スズカの動きがピタリと止まる。解ってくれたか……? 

 

 

「……解りました。残念ですけど我慢します。今日は帰ります」

「よ、良かった……じゃあスズカ、解ってくれたことだしもう少しスピードを出しても……」

「その代わり、お願い聞いてください」

「…………ものによるねえ」

 

 

 簡単に何でもするとは言ってはいけない。ごねるかと思われたスズカだったが、非常に大人しく両手を私に向けてきた。少し私より背が低い彼女が、手を広げて私を待っている。

 

 

「我慢するので、ぎゅってしてください」

「……それで良いの? 私に痛くしないって約束できる?」

「約束します」

 

 

 …………可愛いねえスズカはねえ! これがわたしの愛バだねえ! 

 

 

「よーし偉いぞースズカ! もちろんぎゅってしてあげようね! ほらおいで、ぎゅーっ……」

 

 

 ウマ娘特有の体温の高さに加えて、今の今まで走っていた熱と少しの汗の匂い。アスリートとは思えない柔らかな体。スズカが望むならと背中に手を回し、しっかりと抱き締めてあげる。

 

 すると、スズカも私に腕を回し、こてん、と頭を肩に乗せてくる。可愛いやつめ。本当に、走りたくて暴走してなければ本当に良い子……なんかあれだな、DV彼氏から離れられない女みたいになってない? 私。違うからね。スズカは本当に良い子だから。私が悪いんだから。全部私が悪……うわっなになになに!? 

 

 

「よい……しょっ……トレーナーさん、痛くないですか?」

「え、ああ、痛くないけど……どうしたの?」

「いえ、トレーナーさん、軽いなあって思って……」

 

 

 私を持ち上げるスズカ。まあ、軽いと言われて悪い気はしないけど……ウマ娘からしたら重い人類なんて存在しないでしょとも思う。スズカは私を持ち上げたままゆっくりと歩き出す。自分より年下に抱えて歩かれるの、ちょっと嫌だな。

 

 そのまま五十メートルほど歩いただろうか、スズカは突然私を降ろすと、すりすりと名残惜しそうに再び擦りついたあと、私から離れた。

 

 

「よし、じゃあゆっくり帰ろ……スズカ? どうしたの?」

「ううん……いえ、その……」

「ん……?」

 

 

ドゥンッ! 

 

 

「嘘でしょ……!?」

 

 

 やられた。わざわざ私をスクーターから引き離してからのスタートダッシュで逃げていくスズカ。たった五十メートルだが、スタートダッシュと先手必勝の鬼であるスズカはトップスピードに乗るまでの時間が異様に早い。スズカがわずか四秒で駆け抜ける一方私は十秒かかるのだ。しまった、完全にしてやられた。

 

 

「スズカ! 後で覚えてなさいよ!」

「ごめんなさいトレーナーさん! 私、走ります!」

 

 

 片付けてスクーターを動かすまでの手間もある。あっけなく私は撒かれ、一人宿まで帰ることになった。

 

 

 翌朝、大満足なスズカが何故か私のベッドに潜り込んで熟睡していたので、縛り付けてフジキセキに引き渡した。お仕置きとして五日間くらいランニング禁にしようと思う。今度こそ甘えても許さないからな。



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過小評価も気にしていないサイレンススズカ

 

「んー……あった。この子と……あっタブ閉じちゃった……うざ……」

「トレーナーさん、お待たせしました……あら?」

「ああスズカ。ちょっと待っててね」

 

 

 ある日。私は直近に迫ったジャパンカップに向けて、一応他のウマの情報を集めていた。

 

 もちろんG1レースに出るようなウマ娘だ、注目度は高い。だけど、私のようなトレーナーの「強い」のハードルは上がりに上がっている。本来なら重賞というのはG3であろうと、何なら出られるだけでも素晴らしいレースなのだ。トレセンの多くのウマ娘は、未勝利戦やプレオープンにすら勝てずに沈んでいくのだから。

 

 そこはサイレンススズカ担当の私はバグっている。ただし、それが間違っているかと言われるとそうでもない。何故ならスズカが強いからだ。スズカを阻めるウマ娘などほとんどいない。

 

 

 私としては、見なければいけないのは他の逃げウマのみ。要するに、スズカの先頭を一時でも奪う可能性のあるウマ娘には注意しなければならない。

 で、そんなウマ娘は出走登録にはいない。これでスズカは最終コーナーまで先頭だろう。適宜伸び脚を使わせればそれで勝ち。なんて強い子だこの子は。

 

 

「ごめんなさい、遅くなっちゃって……スペちゃん、どうしても眠そうで……」

「ああ、まあ……うん。良いよ。落第してもあれだしね」

 

 

 スズカも、私のパソコンの画面を見て何をしているか理解しておきながら、特に何を言うわけでもなく興味も無さそうだ。そりゃそうだ。今回のジャパンカップでスズカに届き得るのはエアグルーヴくらいものだし。マチカネフクキタルも可能性の塊ではあるが、有馬に向けジャパンカップは回避している。スズカはたぶん単純に他人に興味が無いだけだけど。

 

 だからこそ、レース一週間前と言うタイミングで夜遅くまでスペシャルウィークの勉強に付き合う余裕があるのだ。スペシャルウィークもスペシャルウィークでスズカに勉強を頼むなよとは思うが、まあ同室だし。スズカも後輩に頼られて嬉しそうではあったし。

 

 

「それで、スペちゃんの移籍のことなんですけど……」

「ん! どうだった? 考えてくれそう?」

「あ、いえ……今のトレーナーさんのところでしばらく頑張るそうです。スペちゃんのトレーナーも良い人みたいですし」

「そっかあ……まあ、スペシャルウィークがやるって言うならしょうがないわね」

 

 

 だったらスペシャルウィークのライバルを抱き込もうか。来年のクラシックがスペシャルウィークを中心に回ることは想像に難くないし。

 

 

「それで、トレーナーさん。今日のトレーニングは……」

「水泳」

「あぅ……あの、私、走りたくて……」

「だめ」

 

 

 いつものやり取りを流しつつ、纏めたデータを印刷だけかけて立ち上がる。待つ間の暇潰しだったし、別に何でも良いんだけど……おや。あそこにいるのは……いや誰だか解らんね。

 

 トレーナールームの外に、きょろきょろと辺りを見回しながら歩くトレセンスーツの女の人……女の子? かな? いや、スーツを着てるってことは成人はしてるのか。たづなさんよろしくウマ娘に匹敵するほど顔が良い。あんな子なら知っていてもおかしくなさそうだけど。

 

 

「スズカ、あの子知ってる?」

「え? うーん……いえ、知りませんけど……」

 

 

 そりゃスズカは知らないか。やる気に溢れたウマ娘なんかは契約トレーナーが決まったあともトレーナーの情報を集めるらしいけど、スズカは違うし。

 

 

「そか……ちょっと声かけてくる。挙動不審だし」

「はい。じゃあ私、走って待って」

「だめ」

「へぅ……」

 

 

 担当のトレーニングを放って変な人に声をかけにいく私を止めようともしない。大方、今日はどんな理由で走るかを考える良い時間とでも思ってるんだろう。

 

 とにかくトレーナー室から出て、彼女の方を見てみる。どうやら中の様子を窺っていたようで、すぐにこちらに向き直ってきた。とてとてと小柄な体躯で駆け寄ってくる。よし。ここは先輩として威厳を見せねばなるまい。

 

 

「どうも。何かトレーナールームにご用ですか?」

「ひえっ……あ、い、いいえ! 特には!」

「えぇ……?」

 

 

 いや、これは違うわね。きっと私の先輩風に吹かれて萎縮してしまっているに違いないわ。流石私……いや、たぶんトレセンのどのトレーナーより下である自信があるんだけど。ウマ娘への愛が足りてないから。腕も……いや、考えるのはよそう。悲しくなる。

 

 

「そうなの? もしかして新人さん?」

「はい! 来年度からお世話になります、桐生院と申します! あの、さ、サイレンススズカさんのトレーナーさんですよね!?」

「ええ、そうだけど……」

「あの、い、異次元の逃亡者をわずか一ヶ月で育て上げたという!」

 

 

 いやそんなわけなくない? 

 

 

「ううん、これはあくまでもスズカの力だから。私は彼女をのびのび走らせているだけなの」

「なるほど……ウマ娘の自主性を尊重するのが育成の極意ということでしょうか」

「……それは間違ってないわね」

「なるほど……やっぱり現場で動いている人は違いますね……」

 

 

 ものっすごく誤解されている気がする。私はそんな、本当に何もしていないというか。スズカは最初から強かったし、最初から異次元の逃亡者だったよ。ただ前トレーナーとの相性が悪かっただけでね。あの人も間違ったことはしてないし。

 

 

「桐生院さんは見学でしょ? どう? トレセンは」

「はい。皆さんやっぱり素晴らしい方ばかりで、学ぶことばかりです!」

「うんうん。それは素晴らしいことね」

 

 

 私はその「素晴らしい方」には入ってないけど。

 

 話したがりの桐生院さんの対応をしつつ、トレーナールームでぽけーっとしているスズカの様子を見ておく。物憂げに外を眺める美少女……は、実際にはひたすら走ることしか考えていないのだけど、まあ見る限りでは本当に深窓の御令嬢のようだ。

 

 

「あちらがあのサイレンススズカさん……あの、良ければトレーニングを見せていただけたりは……いえその、ジャパンカップに出走なさるというのは解っていますが、誓って見ているだけに留めますし、私は誰の担当も持っていませんしっ」

「ああ、別にそれくらいなら……いい、ですけど」

 

 

 と、言った後で少し後悔。やらかした。今日のスズカのトレーニングはプール……いやスズカのトレーニングはずっとプールにしたいんだけど、ちょっと見学には向かないかもしれない。

 

 でもなあ、先輩面しちゃったしなあ……うぐぐ……いやでも……

 

 

「……トレーナーさん、そちらの方は?」

 

 

 と、待ちきれなくなったのか何か思い付いたのかスズカが少しドアを開いて顔を見せてきた。そして、桐生院さんを一目ちらりと見るとそのまま出てきて少し会釈を入れた。

 

 

「スズカ、この方は……」

「私、桐生院と申します。今、是非トレーニングを見せていただけないかという話をしておりまして」

「サイレンススズカです。トレーニングを……ふーん……そうなんですか、トレーナーさん?」

 

 ちらり。

 

 

 ……あっこいつやりやがったな。

 

 ウマ娘の聴覚は人間より遥かに優れている。私達も囁いていたわけではないし、ドア一枚くらい貫通して会話も聞こえるだろう。その証拠に、イヤーキャップが片方外されている。私が迂闊だったというのもあるが、こっちの会話を利用してきやがった。

 

 

「うん。でも、今日のトレーニングは」

「今日はちょうど、ランニングにするか水泳にするか意見が別れていたんです。桐生院さんがいらっしゃるなら、ランニングをと思うんですが……」

「……」

 

 

 この栗毛、と言ってやりたいが後輩の手前だ。それに、スズカのランニングと聞いて目を輝かせた彼女を無下にもできない。スズカのことは無下にしまくっているが、流石に尊敬がガンガン伝わってくる後輩はね。

 

 

「……そうね。じゃあスズカ、着替えてきなさい」

「水着にですか?」

「…………ランニングウェアよ」

「はいっ」

 

 

 ニコニコスズカが去っていく。なんてことだ……ジャパンカップ前だぞ。一応パワーも多少上がることは確認しているが、だったら筋トレの方がいい。パワーとスタミナが上がるんだから。追い切りとは何だったのか。

 

 

「楽しみです……あのサイレンススズカさんのトレーナーの手腕、しっかり学ばなくては……」

 

 

 たぶんこの人の中では……いや、私のことを尊敬してくれてるトレーナー達の中では、私が神的な手腕でサイレンススズカというデビュー以来ぱっとしなかったウマ娘を女帝を越えるまでに育てたことになってるんだろうなあ……

 

 大変だ、ほんと。スペシャルウィーク、スカウトしなくて正解だったかな……? 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「はっ、はっ、はっ……」

「スズカァ! 二秒速い! もう少し落として!」

「は、はいっ!」

 

 

 仕方無くランニングである。とは言っても私は平均的なトレーナー程度の手腕しかないので、やっているのは一般的な芝トレーニングになる。ウキウキで走るスズカに対してラップタイムを課して、その通り一定のペースで走らせる。

 

 後ろで見学をしている桐生院さんが何やらメモをしているが、別に不思議なトレーニングじゃないんだよね、これは。知ってるでしょ君。やり方も効果もさ。

 

 

「スズカァ! 波がありすぎ! 一定で走れって言ったでしょう!」

「すみません!」

「あと1200! ラップ三秒上げるよ!」

「はいっ!」

 

 

 スズカもこんなはずじゃなかったと絶望している頃だろう。今、マジで誰も得をしていない可能性すらある。私は慣れない上に望まぬトレーニングをさせられているし、スズカは自分のペースで走れていない。桐生院さんも知っているトレーニングを見せられているだけだ。

 

 

 しかしこう見ると、やはりスズカは制限付きで走るのが本当に下手くそだ。衝動で走ってるから仕方無いと言えば仕方無いが。むしろ、走りたいから走っているのに途中で脚がバテないのは才能と言える。

 

 それに、フォームも綺麗だし一旦惚れ惚れはするのよね。私だからその後「でもこの練習意味無いんだよなあ」と気付くだけで。桐生院さん、解ってないんだろうなあ。もちろん私のくだらない見栄だから彼女は悪くないけど、今この時間完全に無駄だからね。

 

 

 ステータスが見えるからこその虚無を感じつつ、しかもスズカの走ること中毒も刺激してしまい、その夜スズカは私の部屋で縄と私に縛られて眠った。




よく知らない人から見たトレーナー

異次元の逃亡者、サイレンススズカ。彼女はデビュー戦こそ華々しく逃げ切ったが、初となる重賞レースで辛勝に終わり中央トレセンの高い壁にぶつかる。
王道路線を王道戦法で走ることになったサイレンススズカだったが成績は振るわず、彼女はその他大勢に埋もれつつあった。

だが!とあるトレーナーが彼女を覚醒させた!逃げという不安定な戦法でありながら、レース中一度も先頭を譲らず、さらに最後に伸びる恐ろしい脚を育て上げたのだ!

トレーナーの手腕が一人のウマ娘を救い、ウマ娘の望む形での勝利を勝ち取った。トレセンにいる者として、これを高く評価し目標とするべきである。


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我慢は利かないタイプのサイレンススズカ

 

「スズカ。大事な話があります」

「……? はい。解りました……」

 

 

 ある日、私はトレーナールームにスズカを呼び出し、できるだけ真面目な顔で私の前に座らせた。今日のスズカは少し落ち着いている。というのも、昨日たらふく走ったからだ。特に駆け引きもなく、私の見ていないところで勝手に走った。嘘だろ。

 

 

「エアグルーヴ。お願いね」

「ああ。任せろ」

 

 

 そして、スズカの後ろにエアグルーヴ。わざわざこの話し合いのために呼んである。しっかりと彼女にもメリットを提示して、その上で納得のもと突っ立ってもらっていた。生徒会会議の後なのでまだ制服だ。

 

 

「エアグルーヴ……? あの、話というのは……」

「うん。スズカ。ジャパンカップまであと五日になったわね」

「はあ……あっ、待ってくださいトレーナー、私嫌な予感が、あ、え、エアグルーヴ、待って、立たせてっ」

「駄目だ。お前を逃がさないように言われているからな」

 

 

 何かを察して立ち上がろうとするスズカの肩をエアグルーヴが持って止める。彼女も賢いな。出来るだけ腕の力だけで押さえることで、パワーの差を測ろうとしている。

 

 ちなみにだが成長ペースを考えてもエアグルーヴがスズカに追い付けないのは確定している。そりゃ当たり前だ。私が『スピードがカンストしたスズカに』『足りないトレーニングだけ』をやらせているのだから、満遍なく鍛えているエアグルーヴは少なくとも数字の上では絶対に追い付かない。

 

 

 ただしパワーだけはスズカを僅かに上回るエアグルーヴ。スズカをしっかり押さえつけて、逃げようとする彼女を引き留めてくれる。呼んで良かったな。

 

 

「私はね、スズカの強さはその執念にもあると思うの。絶対に先頭を譲らないという気持ちがあなたの速さに追い付いているからこそ、あなたは勝てる」

「待ってください、聞きたくありません、やだやだ、放して……っ」

「それがスズカと他の逃げウマの絶対的な差だと思うわ」

 

 

 私は、たとえスズカのステータスが凡百であっても変わらず勝てると思っている。その理由の一つがこれだ。

 

 トゥインクルシリーズにおいて、『勝利』以外に重点を置いて走っているウマ娘はほとんどいない。色々細かな目標はあるだろうが、みな『○○がしたい』→『そのために勝ちたい』→『勝つために頑張ろう』となるわけで。

 

 

 でもスズカは違う。『先頭を走りたい、気持ちよく走りたい』→『なんか勝ってた』なのだ。極端な話をすれば、先頭でゴールさえできれば降格処分でも構わず受け入れるし、出走停止になっても代わりに野原を走る機会があればご機嫌になる。逆に、途中まででも先頭でなければレースに勝っても不完全燃焼だ。

 

 

 つまり、ハナを切るモチベーションが違う。そもそも逃げというのはストレスフルな作戦ではあるのだ。必死にリードを奪い、疲れて死にそうな終盤で後ろから足音で追い立てられ、じりじり差を詰められる。

 

 これを楽しんでできる、むしろこの作戦に執着できる時点で、勝つために逃げざるを得ないウマ娘とは圧倒的に違うのだ。

 

 

「でもねスズカ……最近私、あなたに甘かったのかもしれない……」

「や、や、やぁ……」

「私はあなたに勝ってほしいので、レース前くらいトレーナーとしてあなたをちゃんと管理します」

「え、エアグルーヴ……助けて……」

 

 

 泣きそうになりながらいやいやと首を振るスズカ。エアグルーヴに頼んでも無駄よ。彼女にはしっかり話をつけてあるから。

 

 

 

 

『エアグルーヴ。話があるの』

『何だ』

『あなたはスズカと戦って勝ちたい。そうよね?』

『……そうだな。この雪辱を果たさなければならん』

 

『でも、不調とか、本気じゃないスズカに勝っても仕方無いわよね?』

『当然だ。全力で、全力の相手に勝つ。これが女帝たる走り、勝利の形だ』

『うんうん。そうよねエアグルーヴ』

 

『じゃあ協力してね?』

 

 

 

 

 

「駄目だ。私としてもお前に調子を崩してほしくはない」

「うそでしょ……?」

「というわけで、スズカ。本番のジャパンカップでその執念を十分発揮するため……」

「いやっ、待って、トレーナーさん、私良い子にしますから、ちゃんと言うこと聞きますからそれだけはっ」

「ここからジャパンカップまでの五日間、一切のランニングを禁止します」

「あああああ…………」

 

 

 と、いうわけだ。エアグルーヴもこれを快諾。スペシャルウィークではスズカに甘くしてしまいそうだし、併走を持ち掛けられたら憧れもあって受けてしまいそうなので、ファインモーションにも話をつけ部屋を代わってもらっている。

 

 エアグルーヴのトレーナーの説得だけは面倒だったが、あれはエアグルーヴの尻に敷かれる悲しい男なので二人がかりでへし折った。

 

 

「お願いしますトレーナーさん、ちょっとだけ、ちょっとだけですから……」

「だめだね。たくさん我慢してジャパンカップで存分に走ろうね。何ならその後も死ぬまで走って良いから」

「むり、むりです、ぜったいにむり……」

 

 

 スズカが泣き出してしまった……が、ここで折れてはいけないのだ。心を鬼にして後の事はエアグルーヴに任せる。恐らくスズカは毎日私に交渉に来るだろうけど……それもやむなし。何とか走ること以外で上手く調子をコントロールしよう。

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「トレーナーさん、走りたいです」

「だめ」

「もう無理です」

 

 

 翌日、早速スズカが来た。我慢できなくなるの早すぎね、君。薬物中毒でももうちょっと我慢できるでしょ。

 私も仕事中ではあったんだけど、スズカのランニング禁を手伝う方が優先だ。久しぶりにこれはたづなさんに投げよう。常日頃から手伝わせてくれと言われてるし。

 

 

「はい座って。大丈夫、大丈夫よ。頑張ろうねスズカ」

「うぅ……むりです、だめです……」

 

 

 ソファに移り、抱き締めて背中を擦る。スズカはうわ言のように何か呟いているが、逃げようとはしないし言葉巧みに交渉もしない。

 

 我慢しようという意思がまだ残っているだけでマシかな。昨日含めて二日目で何言ってるんだって話だけど。というか痛い痛い。頭ぐりぐりしないで。おっぱいが。おっぱいがちぎれて肋骨も折れる。

 

 

「今日はじゃあどこか美味しいものでも食べに行こうか。走っちゃ駄目だけどバイクの後ろに乗せたげるから」

「やです……走りたくなっちゃう……」

「じゃあ車にしようね。中華と和食どっちが良い?」

「洋食……」

「なるほどね。エアグルーヴ……は来てくれなさそうだし、スペちゃん誘う?」

「二人でいいです……」

 

 

 先行きが不安で仕方無いけど、まあ何とかなるだろう。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「トレーナーさん、走らせてください。もうだめです。私はもう無理です」

「……だめ。ほらぎゅってしたげるから」

「そんなことで誤魔化されると思わないでください」

「昨日は誤魔化されたでしょ」

 

 

 やけになって大量食いをしたスズカのお陰で物凄い額が飛んでいった。もちろん元はと言えばスズカの稼ぎだけど。ウマ娘は人間の数倍食べる。私はほとんど食べていないのに、複数人で飲み会をしたレベルの金が無くなった。

 

 

「そもそもこのままだと私の調子が下がっちゃいますよ。本気で走れなくなっちゃいますよ」

「大丈夫でしょ。はい頑張ろうねー」

「ああぁ……」

 

 

 膝にスズカを寝かせて、バシバシと背中を叩く。肺を叩かれあっあっあっと声を漏らすスズカ。これで二日半走っていないわけだし、普段ならこれくらいがスズカの限界かもしれない。寝たままぱたぱたと無意識に脚が動いている。

 

 

「トレーナーさん……」

「頑張れスズカー。あともうちょっとだぞー」

 

 

 そのままマッサージに入りつつ、明日からの事も考えなければ。あと三日、何とか我慢させないとなあ……

 

 

「あっトレーナーさん脚に触らないでください」

「え、何? どうしたの?」

「動かしてないと我慢できないんです」

「…………」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「スズカさんのトレーナーさん!」

「うわっびっくりした」

 

 

 次の日、スズカではなくスペシャルウィークがやってきた。鬼気迫る表情で私に駆け寄ってくる。

 

 

「スズカさんと何をしているんですか!?」

「え? まあ……色々と」

「スズカさんの様子がおかしいんですよ!」

「どんな感じ?」

 

 

 我慢させ過ぎたか? でもまだ四日だし……明後日走れるって解ってるわけだし……それに、何だかんだ言ってもスズカは根は真面目で大人しい良い子なので、いくら何でも暴れ出したりはしないはず。

 

 

「私、一緒にご飯を食べようって誘いに行ったんです。でもスズカさん、授業のあとすぐ寮に戻ったらしくて」

「うん」

「お部屋に会いに行ったら、部屋の真ん中でくるくる回ってるんです! その場で! スケート選手みたいに!」

「おー……凄いねそれは」

 

 

 左回りの癖が速くなりすぎてその場回転になってしまったのだろうか。まあでもかなりギリギリっぽい。部屋から出ないあたりマジだ。必死に指示を守ろうとしているのが感じられる。普段からそれくらい頑張ってほしい。

 

 

「凄いじゃないですよ! あれじゃスズカさんおかしくなっちゃいますって!」

「うーんそうだねえ」

 

 

 元々おかしいでしょ、とは言えなかった。必ず改善することを約束させられそうになったが、ご飯を奢ることで許してもらえた。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「トレーナーさん……もう私、本当に我慢できません。日夜エアグルーヴに監視され、走れず我慢して……今許可をくれないと、爆発しちゃいますよ」

「爆発は困るわね。ほらおいでおいで」

「もう誤魔化されません。走ります。走るんです」

「解った、話し合いましょう。一度座ろ? ね?」

 

 

 あと二日。ジャパンカップは明後日。スズカがこれまでに無く息を荒げて、ゆらりゆらりと頭を横に振りながら近付いてきた。頬が熱でもあるかのように赤い。脚が震えている。なるほど……これはやべーわ。

 

 

 とにかく隣に座らせるところまではいった。これは相当キている。ランニングシューズを履いているし。欠片の理性が働いたか左右で違うシューズだけど。

 

 とにかく必死に対症療法を試みる。今までスズカの暴走を止めた私によると、スズカのこの欲求不満は以下の行動で抑えることができます。みんなも真似してみよう。

 

 

 ①人肌に触れさせる

 

「お願いスズカ、レースは明後日だから。ね? 頑張れっ頑張れっ。ぎゅー」

「やです。私はもう限界です」

「そんなこと言わないで……」

 

 

 ②食べ物で釣る

 

「甘いものでも食べに行く? パフェとかどう? あ、この間ケーキ食べたいって言ってたよね? よーしホールケーキ丸ごと買っちゃうぞー」

「向こう一年いらないので走らせてください。走らせてください。走らせてください」

「うお……」

 

 

 ③論理的に説教を行う

 

「スズカ。ワガママ言っちゃだめ。これもあなたが勝つためなの。あなたの強みを活かすためには、こうやってあなたにチャージの時間を与えないといけないの」

 

「このままだと調子を崩すと言ったはずです。それにトレーナーさん、ずっと言ってくれてますよね? 私なら負けない、私が一番速いって。嘘だったんですか? こんなに辛い思いをしないと勝てないくらい、私は遅いんですか?」

 

「いや…………ちゃうねんなそれは」

 

 

 だめみたいですね……こんなのもう説得不可能でしょ。見て、このスズカの曇りの無い目を。今走らないと自分が爆発すると信じて疑わない純粋な欲望の目よ。

 

 ……まあ逆に言えば、まだ大丈夫なんだけどね。私だって、ウマ娘に走ることを禁じたら洒落にならないことになるって解ってるし。でもその場合、ウマ娘は欲望ではなく義務感のようなもので走ろうとする。要するに、お腹空いたごはん食べたいって思ってるうちは大丈夫で、お腹空いたごはん食べなきゃ死ぬって思い始めたら駄目ってことだ。

 

 

 というかそういう健康被害は半年とかそのレベルで走らせなかったらの話だから。スズカのステータスは見えているけど、まだ絶好調だし体力も有り余ってるから。

 

 

「仕方無い……スズカ。目を閉じて。プレゼントがあるの」

「……何ですか?」

「良いから瞑って」

 

 

 あほあほ栗毛なので目を瞑ってしまうスズカ。その隙に私は手際よく彼女の両手両足に手錠を掛けた。

 

 これこそ④物理的に拘束してしまえである。

 

 

「あっ、トレーナーさんそんな」

「もうちょっと頑張ろうねー」

「むり、むりっ、トレーナーさん? トレーナーさん! 聞いてください、ほんとうにむりです、走りたいっ、ね、外して、はずしてくださいっ」

「はーい」

 

 

 ごめんねえスズカ。でもスズカの競走成績は私のボーナスにも関わるからお願いね。



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異次元まで逃亡するタイプのサイレンススズカ(JC)

 

 ジャパンカップ当日がやって来た。

 

 一着賞金三億円。レベルが低いと思われている日本のレースを海外に届かせるために作られた、日本で一番権威があると言っても過言ではない大レースだ。

 

 中距離としては長めの府中2400mを、日本海外問わず有力なウマ娘が集って走る。オリンピックにも喩えられる賞レースに、私のサイレンススズカが出られることになった。控えめに言ってスズカのレーティングは他のウマ娘をぶっちぎっている。本日の主役は間違いなく彼女とエアグルーヴだ。他にこの二人に並ぶウマ娘はいない。

 

 

 異次元の逃亡者サイレンススズカと、女帝エアグルーヴ。ファン達の論争はエアグルーヴがスズカを差せるかどうかのみに終始し、ネット掲示板では4:6でスズカの負けという印象だ。

 

 もちろん、私からすればちゃんちゃらおかしな話で、スズカが負けるはずがないと確信している。エアグルーヴでは無理だ。彼女はとてつもなく強い。強いが、言ってしまえば『非常に強い』だけ。普通に走るだけでは話にならないがたまにバグるマチカネフクキタルとは性質が違う。

 

 

 控えめに言って中距離だけに限るならシンボリルドルフやナリタブライアンにすら勝つ能力がスズカにはある。皇帝や怪物でなければあれを抑えるのは無理なのだ。残念ながら女帝では少し不足と言わざるを得ない。スズカ以外なら圧勝できる力がある以上、トラブルが無ければトリプルティアラは取っていただろうけど。

 

 

 そんな大本命、一番人気、三枠五番サイレンススズカは、今。

 

 

「スズカ? 大丈夫?」

「はい。調子は良いです……イライラはしてますけど」

「ごめんて」

 

 

 控え室にて特に緊張するでもなく私に棘を向けていた。手首には少し赤く手錠の跡が見える。外したらすぐ走り出すかと思ったが、流石に根は良い子、直後のレースのため少し我慢してくれた。

 

 この、緊張していなさそうで実は緊張している……と見せかけて全く緊張していない気性もスズカの強さだ。誰といつどこで走ろうと影響を受けない。プラスもマイナスもだ。

 

 

「トレーナーさん。約束、覚えていますか?」

「覚えてるよ。勝ったら三日分、スズカは好きな時に好きなだけどこまでも走って良い。眠たくなったら車で寝て、ご飯も食べさせてあげる。シューズも新しいのを買ってあげよう」

「……約束ですからね」

 

 

 もちろん。スズカにもご褒美は必要だ。既にキャンピングカーのレンタル手続きを終えている。何ならシューズも買ってあるし、三日間休むという申請もできている。どうせ今日から三日全部消費するだろうから。

 

 白と緑の勝負服に身を包み、既にレース後のフィーバータイムに想いを馳せるスズカ。うんうん、彼女はこれで良いのだ。今頃エアグルーヴ陣営はいかにスズカを捉えるかを考えていることだろう。今日は差しではなく先行で来るかもしれないね。そうじゃないと届かないから。

 

 

「大差勝ちしたら五日に伸ばしてくれるんですよね?」

「もちろん」

 

 流石にそれは厳しいだろうけど。G2じゃあるまいし。2400mはスズカのホームからは少し外れてはいるし。それはエアグルーヴも一緒か。どちらにせよ2400はステイヤーが手を掛けてくる距離だ。

 

 

『──レースに出場するウマ娘は、ゲートインの準備を行いますのでターフへお集まりください。繰り返します──』

 

 

 呼び出しの放送が鳴る。音の無かったTVモニターが外の様子を映し出す。割れんばかりの歓声と、そこに散見されるエアグルーヴ応援の横断幕。スーパーウマ娘、サイレンススズカの敗北を待つ者もいる。

 

 スズカの手を握る。心拍は不気味なくらい落ち着いていて、すっと細められた目に私の惚れた執念が燃えていた。強いウマ娘が負ける、それこそがレースの魅力と言う人がいる。それは否定しないし、できない。王者の連勝にも夢はあるが、ジャイアントキリングの方が盛り上がる。

 

 

「じゃあ、トレーナーさん。行ってきます」

「うん。行っておいで。見に行った方がいい? ここで待ってようか?」

 

 

 だが、マイル中距離にてスズカには勝てまい。その絶対性はそんじょそこらのウマ娘がひっくり返せるものではない。スズカは必ず勝つ。

 

 

「ここで待っていても良いですよ……必ず勝って一番に帰ってきますから」

 

 

 私の愛バは世界で一番速い。私もスズカも、それを一切疑っていないのだから。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

『さあ素晴らしいスタートを切ったのはサイレンススズカ! 2400mをものともしないハイペースで飛ばしていきます!』

 

 

 レース展開は予想通りスズカが単独で突っ走る形で進んでいった。他にいたはずの逃げウマはスズカより前に出ることを諦め脚を溜める形。エアグルーヴは……五番手。かなり良い位置につけているわね。

 

 スズカに勝てないから脚を溜めるなど愚の骨頂。むしろ無謀でも全開で走って先頭を奪わなければ話にならない。スズカに単独で逃げさせた時点でもう勝ち目はない。

 

 

『第二コーナーを回り向こう正面。先頭は依然サイレンススズカ! 快調に飛ばす飛ばす! 差がどんどん開いていきます今七バ身ほど!』

 

 

 スズカの脚に疲れや淀みは全く無い。もう見なくて良いレベルだ。直線もコーナーも変わらず誰より速いスズカに、やっと危機感を覚えた一部ウマ娘がペースを上げ出したがもう遅い。全く後ろを見ること無く駆け抜けるスズカ。一人だけ第三コーナーにかかる。

 

 

『さあ逃げるサイレンススズカ! 既に十バ身の差がついています! あーっとここでエアグルーヴ下がっていく! 厳しいか!?』

 

 

 エアグルーヴだけは冷静にスパートを見ているけど、それはそれで無理がある。追い付けないわよそれじゃ。そもそもトップスピードがスズカの方が上である以上、仮に逃げ追込のスピード差があったとしても追い付けない。

 

 早くも最終コーナーに入り、ここからスズカの本領発揮だ。いや、逃げウマの本領発揮がなんで最終コーナーからなのよ。我ながら意味解らん。

 

 

 でも事実なのだ。溜まりきったフラストレーションも相まってスズカが伸びていく。姿勢を低くしたスパート姿勢のまま、誰より速く駆け出した。

 

 

『さあ最終コーナー回ってここからスパート! サイレンススズカただ一人がぐんぐん伸びていく! 差が詰まりません! ただ一人エアグルーヴだけが! 女帝が追い縋るがまだ最終コーナー半ば! 届くか!? 差はじわじわと詰まっています!』

 

「……まあ無理だろうなあ」

 

『さあ二人とも最終直線に入りましたが先頭は大きく離してサイレンススズカ! 400を越え200にかかろうかと言うところ! ここからエアグルーヴが爆発するか! セーフティリードとなってしまうか!』

 

 

 TVを消した。もういい。後はスズカに聞く。ロッカーからタオル、クーラーボックスからドリンクを取り出す。ネクタイを締め鏡で前髪を直す。身嗜みは大事なのだ。スズカのトレーナーとして。

 

 

「こんにちは! お疲れ様です! 乙名史です!」

「いえ、早すぎるんですけど」

 

 

 こういう、記者の取材なんかもあるから。まあこの人は別に適当に扱ってもいい人だけど。

 

 

「いえいえ、結果がどうあれサイレンススズカさんには何としても取材をしなければと我々も思っておりましたので!」

「はあ……じゃあまあ、とりあえずどうぞ」

「失礼します!」

 

 

 乙名史なんとかかんとかさん。名前は正直覚えてない。ごめんね。彼女は月刊トゥインクルなる雑誌のライターで、なんとスズカにクラシック序盤から取材を入れていた慧眼を持つ人だ。たまにうるさくなるけどとても真摯だし、客観的な事実と妄想以外は書かない。妄想は書かないでよ。バカか。

 

 

 でもいい人なので取材は受けることにしている。厳しい現実はともかくこっちを煽るような質問もしないし。そういう記者には私もイライラするので……

 

 

「今日のサイレンススズカさんの仕上がりはいかがでしたか? 調べによると、ここ数日彼女はどこか落ち着かない様子で、不調ではないかという見方もあったそうですが」

「そうですね……いえ、不調でもないですよ。今日も問題なく走っていますし。レースとは関係無い他の要因だと思います」

「なるほど……では、結果はまだ出ていないわけですが、今日の勝算はどの程度おありだったのですか?」

「スズカが自分の走りを貫けば十分勝てるかと思ってましたね」

 

 

 そう言うと、乙名史さんは独特の震え上がるポーズでどこか虚空を見つめ立ち上がった。悪癖が出たわね。

 

 

「素晴らしいです! 自分の愛バなら世界一速く! 誰にも負けるはずがないと心から彼女を信用しているということですね! 彼女の力を信じ、絶対に勝てると断言できるほど普段から強い絆を結んでいる! 彼女のために私財を投じ、望むならどこへでも連れていくほどの関係性にあるということですね!」

 

 

 こういう突然始まる妄想だけは少し苦手ではある……え? いやなんか違わない? 私が建前で隠したところまで読んでばっちり当ててない? この人エスパーか何か? 凄すぎるでしょ。全部あってるわ。もう話すことないわ。

 

 

「……まあ、それで良いですけど」

 

 

 何か言っておこうと思ったが、そろそろレースが終わりスズカが戻ってくる頃だろう。少し前に地下を貫通する大歓声が巻き起こっていた。

 

 

「乙名史さん、少しの間だけ外に出ててもらえますか? スズカが帰ってきますので。続きはライブの後で」

「あ、はい。失礼しました。ではお待ちしてます」

「写真が必要ならスズカに着替えないよう言っておきますけど」

「是非お願いします! それでは!」

 

 

 乙名史記者が去っていく。ウイニングライブ、ジャパンカップは何の曲だっけ……ダンストレーニングは専門の人に任せているから私は全く知らないのよね。スズカの歌が聞きたければカラオケで良いし……まあでもスズカがセンターで歌って踊るのはアガるかも。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 それを考えるのもスズカを出迎えてから。ドアの前に立ち少し待つと、控えめな速度でノブが回された。

 

 

「おかえりスズカ……楽しかった?」

 

「…………はいっ」

 

 

 スズカは私の問いかけに笑顔で応えると、そのまま私にこつん、と頭を預けた。

 

 

「良かったね」

 

 

 勝敗は聞くまでもない。彼女の熱っぽい頭を撫でながら、私はタオルを彼女に掛けた。




一着サイレンススズカ
二着エアグルーヴ(大差)

三着以下(大差)


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基準が自分にしかないサイレンススズカ

 ジャパンカップを終え、スズカはご褒美の五日間をなんと連続で消費した。よほど走りたかったのだろう、キャンピングカーでついていく私も現在地を見失うほど疲れた。ナビが無ければ死んでいたわね。

 

 

 そして最終日、私はベッドでぐっすりのスズカを乗せてキャンピングカーでトレセンに戻り、彼女をフジキセキに引き渡した。まさか彼女も休暇を延長したうえ本当に五日間帰らないとは思っていなかったらしくめちゃくちゃ驚かれた。

 

 私も死んだように眠り、起きたらすぐ日常に戻らなければならない。

 

 

 

 といっても、スズカのトレーナー業は正直そんなに無い。もちろん彼女のスタミナを鍛えるべく上手く我慢させながらメニューを組む必要はあるが、スズカの次のレースはどんなに早くても三月の大阪杯か、その前の金鯱賞になるからだ。

 

 どちらかと言えば、並行してやるべきは新たなウマ娘のスカウトである。もう十二月になる。スペシャルウィーク世代は逃したが、次の世代はこれからなのだ。いや、場合によっては受け入れるけどね。

 

 

 トレセンの暦は一月→十二月のレース暦と日本教育の四月→三月暦が混ざって混沌としている。トレセンの受験は十一月で終わり、既に合格発表も出ている。意識の高いウマ娘は十二月からトレセンに来てトレーナーの情報を集めたり……まあ違反ではあるが自主トレを始めたりする。

 

 

「おはようございます、トレーナーさん」

「おはようスズカ。よく眠れた?」

「はい。……あ、来年のスカウトですか?」

「うん。早めにスカウトするに越したことはないからね」

 

 

 私が見ているのはその合格者の顔写真と、試験結果と本人希望から見たトレセンの適性診断だ。スズカのお陰で私へのトレセンの期待や信頼というのがうなぎ登りであり、こうして先行者利益を得る権利を貰えている。

 

 今日は日曜だが会いに来てくれたスズカが隣の席に座り、パソコンを覗き込む。それ、たづなさんとかに見られたら私が怒られるから気を付けてね。守秘義務とかで。

 

 

「いい子はいましたか?」

「んー……どうだろうね……これって子は……」

 

 

 私の目は、鮮明に映っていれば写真でもステータスを見抜く。この段階のウマ娘のステータスなどほとんど変わりはないので、主に距離適性を見ることになるね。

 

 

「スズカも直感で見ても良いわよ」

「ううん……私はあまり……」

 

 

 スズカは後輩に興味ないもんねえ、と冗談半分に言うと、スペちゃんのことは応援してますよ、なんて返ってくる。彼女への説明もスズカがやってくれて、彼女は今日朝イチで謝りにも来ていた。別に悪いのは私なのでそんな必要はないけど。

 

 スペシャルウィークはホープフルを狙っているらしく、そこから皐月、ダービーと進む。宝塚には来ないだろうし、スズカともしぶつかるにしてもシニアだろう。いや、ジャパンカップに出るなら可能性はあるか。

 

 

「あ、この子良いかも。見て。どう?」

「うーん……この子はちょっと……」

「じゃあこの子は? 速そうじゃない?」

「ううん……ちょっと違う気が……」

「そう? んー……」

 

 

 何やらちょっとした基準で私の提案を判断しているらしいスズカに、何人かウマ娘を挙げてみる。ちなみに私の基準は何かが大きく尖っていることの一点のみ。私は並のトレーナーなので、バランス型をバランス良く育てるのはどうにも面倒に感じてしまうのだ。

 

 

 しかし、何人か指さしてみるもののスズカは首を振るのみ。何だ……? 何か共通点があるのかしら。うーん……あっ違うわ、スズカはステータス見えてないんだった。データにあるものだけで考えないと。あー……ああ。

 

 

「スズカ、あなた逃げウマが嫌なだけでしょ」

「い……やですね……そんなことありませんよ」

「私の目を見ろ」

 

 

 この子はそこまで先頭を走りたいか。確かに私がスカウトすれば併走も頻繁にやることになるからね。逃げウマじゃあどっちかが後ろになるもんね。

 

 でもスズカに先行できる年下がいるわけないでしょ。

 

 

「じゃあこの子とか見ておこうか。見てほら。スピードに自信のある逃げウマ娘。良いでしょ」

「え……でもその……わ、私の方が速いですよ……?」

「当たり前でしょ。なに後輩と張り合ってるの」

 

 

 実際私の基準もおかしくなってるから強くは言えないけど、さも「私より遅い子を育てないよね?」みたいな目で見られても困る。いや待てよ、短距離に絞ればそういうのもいそうではあるわね。

 

 

 と、いたずらに逃げウマ娘を挙げてはスズカに否定されてを繰り返していると、ある一人のウマ娘が目に留まった。

 

 サクラバクシンオー。まだ入学前だというのにそのスピードはD。どう考えてもおかしい。この間のスペシャルウィークでさえE+なのに。是非一度会ってみたいものだ。しかも本人希望の距離適性が『無し』になっている。全距離という意味だ。私の目には短距離にしか適性が無いのに。

 

 

「この子見とこ。あとは……」

「……ん……その、ごめんなさい、トレーナーさん……」

「ん?」

 

 

 もぞもぞと隣のスズカが外を眺めだした。わざとらしく聞いてはみるものの、まあ理由なんか一つしかない。さっきまでどんよりと重かった空に晴れ間が差してきていた。これなら走れるとでも言いたいのだろう。

 

 

「その、ちょっと走りに行っても」

「だめ。明日からトレーニングなんだから変に体力を使わないこと」

「へぅ……」

 

 

 ぱたりと私の膝に倒れ込むスズカ。流石に昨日も夜中まで走っていれば、しゅんとするくらいで済むみたいだ。

 

 

「せっかくの新しいシューズなのに……」

「五日で履き潰しておいてまだ言うか」

「それは反省してます……」

 

 

 我慢から解かれたスズカにより、元からあったシューズが初日に、ご褒美に買ったシューズが五日目に壊されている。走行距離と踏み込み、それから悪路を無視する走りにより磨り減り破壊された。

 

 

「そもそもたらふく走ったでしょ?」

「足りないです……昨日の風と今日の風は違いますから」

「詩人みたいなこと言うわね」

「うぅ……」

 

 

 痛い痛いぐりぐりしないで太ももが痛い。

 

 

「スズカはやっぱり後ろにつく子の方が良い? そういう子なら受け入れられる?」

「別に……そうじゃなきゃいけないわけじゃないです、けど」

「うんうん」

 

 

 スズカの成長期ながら完成された体に触れ、背中をぎゅっと押すように擦る。スズカはとても静かにちらりとこちらに目を向けた。

 

 

「トレーナーさんは、私と比べたりしませんか?」

「うーん……」

「だから、いやです」

 

 

 難しい問題だ。スズカが私に対して独占欲で言っていても、最速と比べられる後輩を哀れんでいても。

 

 どうあがいても私はスズカと比べてしまう。特にステータスが見えるからこそ、上位互換下位互換が一目で解ってしまうのだ。レースはそれだけではない、が、それが大きい。

 

 

 圧倒的なトップスピードとある程度のスタミナ、パワー。スズカのステータスはウマ娘の目指すべきものと言って差し支えない。そりゃあ比べる。

 

 

「スズカが一番だよ?」

「ぅ……本当ですか?」

「本当よ。スズカより速いウマ娘なんていないもの」

「……もっと言ってください」

 

 

 これは嫉妬してるだけね……可愛いねえスズカは。仕方ないなあ。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「……そこまで言うなら、良いです。逃げウマでも」

「そう? まあ、そうと決まったわけじゃないけど」

 

 

 数十分スズカを褒めちぎり、いかにスズカを愛しているかを力説させられ、そしてこの上なくご機嫌になったスズカを膝の上でお姫様抱っこしながら作業に戻る。

 

 やりたがりスズカがマウスを持ち、チェックしておいたウマ娘をどんどん印刷にかけていく。私が選んだのは脚質がワンパターンで、ステイヤーじゃないウマ娘達。そのうちまあ、比較的育てやすそうな強い子をピックアップ。

 

 

 逃げウマ娘は良い。何度も言うが逃げというのはゲートに臨む集中力と十分なステータスがあれば最も安定する勝ち方なのだ。

 

 

「終わったならトレーニングをしましょう。今はご機嫌なので、ランニングが良いです」

「今それは何も関係無いよね。プール行こうね」

「……準備してきます」

 

 

 起き上がりトレーナールームを後にするスズカ。ファイルを纏め綴じ、適当に机にしまってから残ったコーヒーを一気に呷る。こんなことしたところで、実際スカウトできるかは話術次第なんだけどね……

 

 

「ふーっ……」

 

 

 スズカを育てた……と思われている功績が、スカウトに有利になるか不利になるか解らない。サイレンススズカを育てた超一流トレーナーの次のウマ娘になるということは、可能性と同時に重圧を背負うことにもなるのだ。世界には頭の残念な人もいる。私が失敗したことよりも、ウマ娘の努力や才能を否定する人間が。

 

 

 是非、何を言われても動じることなく、何なら私にすらものを言えるようなウマ娘をスカウトしたい。少なくとも、私の偽の威光に負けないような芯のあるウマ娘がいいね。

 

 

「すみません、トレーナーさん」

「スズカさん、ほんと、ほんと良いですから! 申し訳無いですよ!」

「どしたのスズカ。あとこんにちは、スペシャルウィーク」

「こ、こんにちは……」

 

 

 と、スズカが戻ってきている。スペシャルウィークを連れて、彼女を盾にするように立っている。ちょっとステータスの伸びが悪いスペシャルウィークは、私に頻りに頭を下げている。

 

 

「スペちゃんがテストで三十五点を取ったんです!」

「スズカさん!? 点数は言わなくて良いですよね!」

「はあ……それで?」

 

 

 そんな低いことある? トレセンのテストは典型的な団子になりやすいテストよ。トレーニングに忙しくても落第しないように。

 

 

「お祝いにこの後併走して、一緒にご飯を食べに行こうと思って……トレーナーさんっ」

 

 

 音符かな、ハートマークかな、なんてテンションでスペシャルウィークの後ろからねだってくるスズカ。言いたいことは解る。私に財布になれということだね。いや、良いんだけどね? それは本当に良い。スズカのためになら全財産を使っても良い。スズカのお陰で稼いだお金だし。後輩をお祝いしたいという気持ちは買う。

 

 でも併走はだめでしょ。

 

 

「併走はだめ」

「でも、スペちゃんも走りたいって言ってくれましたし……」

「後輩を売るなあ」

「スペちゃんも走りたいわよね?」

「それは…………まあ、そうですけど」

 

 

 はいズル。そんなこと言われたら私ダメって言えません。何故ならスズカ以外に変な態度とって変な人だと思われたくないから。優しい人だと思われたい。私は。マジで。

 

 

「……一回だけよ」

「やったあっ。さ、行こスペちゃんっ」

「えっ、えっと、あの、あ、ありがとうございます!」

 

 

 なんてこった……私のスケジュールが……

 

 がくんと凭れ、あ゙ー、なんて悲鳴を上げる。まあでも、変にスズカを不安にさせちゃったし、ちょっとくらい良いかなあ、なんて思っている自分もいた。

 

 

 そして、日が沈むまで何度も走られた。



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後輩のために頑張るサイレンススズカ

 

「はいスズカ、正座。お説教です」

「……はい」

 

 

 ある日、私はスズカを呼び出しターフの前で彼女を座らせていた。悪名が付くと困るので、しっかり物陰にレジャーシートを敷いて座らせている。横には私が用意した鉄の箱が。

 

 スズカにしては結構珍しく、お説教だというのにしゅんとしている。意味が解らないと思うけどスズカはそういう子なの。スズカがお説教されるっていうのはまず間違いなくランニング関連だし、それについてはスズカが本気で反省することは無いので、基本私悪くないもんくらいの態度を取る。

 

 

 が、今日は流石にスズカも自分が悪いことに気が付いているらしい。まあ、それくらいのことをしているからだ。

 

 

「スズカ」

「はい」

 

「……スペシャルウィークを太りぎみにしたことについて、何か言い訳はある?」

 

「……ないです」

 

 

 ぺたん、とイヤーキャップ越しの耳が折れる。私もちょっと怖い顔をして、そんなスズカの頭にチョップを繰り返す。

 

 

「あぅっやっゎぅっ」

「スペシャルウィークのトレーナーさんに聞いたんだからね。スズカあなた何回スペちゃんを誘ったの」

「……五回くらいです」

「ていっ」

「あうっ」

 

 

 そう、先日スペシャルウィークのトレーナーから、何故かお礼を言われたのだ。

 

 内容としては、スペシャルウィークをスズカが励ましてくれたのだ、というところ。まったく身に覚えのないお礼に戸惑ったし、あまりに申し訳無くて貰ったお菓子にも手を付けられていない。

 

 

 スペシャルウィークはホープフルステークスに向けて調整をしていたが、少し足を捻ってしまい回避することにしたのだそうだ。彼女もウマ娘、出られるG1に不注意で出られなくなってしまったことにショックを受け、それをスズカが励ましていたらしい。

 

 

「スペちゃんは元気になりました。それは良いです。でもね、スズカ」

「……はい」

「スズカのランニングでは負荷が足りないのよ」

「…………すみません」

 

 

 ただ、その方法というのが少し良くなかった。スズカはスペシャルウィークを甘味に誘い、埋め合わせとばかりに併走トレーニングに誘い……を繰り返したのである。

 

 まあ、許可を出した私も悪かった。でも、まさか毎日やるとは。一日とか二日おきだと思ってたのに。

 

 併走トレーニングは私の感覚としてはスピードスタミナ賢さが上がる良い練習だ。しかし一方で、そもそも平地を走るだけというトレーニングはよほど飛ばさない限り体力の消耗も少ない。

 

 

 後スズカは本当に羨ましい限りだが非常に太りにくい。細身でスレンダー、身長もそこまで高くないスズカがどうしてこんなに太らないのか不思議になるくらいだ。なので毎日甘味を口にしていても平気なのだが、スペシャルウィークは見事に太った。

 

 …………太ったのである。まるまると。

 

 

 スペシャルウィークのトレーナーが、スペシャルウィークが元気になりました、スズカさんのおかげです、と菓子折りを持ってお礼を言いに来た時の私の気持ちにもなってほしい。先輩だぞ。私よりずっと。男の人だし。怖すぎ。

 

 

「反省してる? ん? このあほあほ栗毛」

「ふぁいふぁんしゅえしえあす」

「怒られなかったのはあの人が優しいからなんだからね」

 

 

 スズカの頬をもちもちと弄びつつ、いまいち緊張感のないスズカに密かに癒されてもいる。まあ実際のところ向こうも建前ではなく全く怒っていない。話していて解ったし、わざわざ贈り物なんか持ってきてるわけだし。

 

 それはそれとしてスズカには罰を与えなければならない。スズカに与える罰。そう、ランニング禁だ。ラン禁ねラン禁。

 

 

「というわけでお仕置きです。ちゃんと反省してもらいます」

「あっ……い、いえ、今回は私反省してます。走るの禁止ですよね……い、一日で何とか許してください……」

「反省してないでしょ」

 

 

 そもそも既に何日も連続で走っていて今は余裕もある。もっと荒療治でなければ罰にならない。そのために、こうして外に出てきているのだ。

 

 

「じゃあスズカ、はい、ここにあるやつ履いて」

「はあ……」

 

 

 鉄の箱に入ったシューズを取らせてスズカに履かせる。これは特注のトレーニングシューズである。絶対にスズカを走らせないという固い意思で作られたこれには、そのための工夫が集約されている。

 

 非常に重く、私は両手で気合いを入れても持ち上げるどころか引きずることすらできない。ここまで持ってくるのにもたづなさんに頼んで適当なウマ娘に運んでもらってきている。

 

 そして、少し低いがヒール付きになっている上磁力でくっつくようになっている。自分で言うのも何だが、ここまでやらないとウマ娘の脚を止められないことに恐怖すら感じる。

 

 

「うっ……お、重い……」

「じゃあスズカ、決して走らずターフを一緒に歩こうか」

「え……でもトレーナーさん、みなさん練習して……」

「行こうねー」

 

 

 戸惑うスズカの手を引いて、たくさんのウマ娘が走っているターフへ降りる。最内のレーンを貸し切ってあるので、二人で並んで歩いていく。

 

 

「あの、トレーナーさん……これは……」

「これがお仕置きね。三周歩こう」

「……はあ……何でしょう、嫌な予感が……あっ」

 

 

 スズカは気付いたようだがもう遅い。人間の、女性の歩幅で二人並んで歩いていけば……当然、外を走るウマ娘が後ろから追い縋ってくる。迫り来る足音に押されて前に出ようとしたスズカだったがしかし、重力と磁力に阻まれ進めない。

 

 

「あっあっ……まっ……」

 

 

 ビュゥンッ! なんて思い切り風を切って、スズカが後ろから追い抜かれた。

 

 

「…………っ」

 

 

 反射的にスズカが歯を食い縛りレース中に見せる先頭を譲らない執念の表情になりかける……が、もちろん走り出すことなどできるはずがない。駆け抜けていく後輩の背中を見ながら、スズカは背中をぞくぞくと震わせた。

 

 

「と、トレーナーさ、トレーナーさん、だめです、これはだめっ」

「駄目じゃない」

「ゆるして、ゆるして……っ」

 

 

 びゅんびゅん気持ちいいくらいに抜かされていく。スズカにとって不幸なことに、隣のレーンではどこかのステイヤーがマラソンを続けていた。一定時間おきに後ろから迫られ抜かれ置いていかれる……スズカにとって一番の刑罰である。

 

 

「あっ、まっ……うぅ、く……」

 

 

 毎回スズカは走り出そうとするが、流石のウマ娘もこれは無理だ。シンボリルドルフやナリタブライアン並みにパワーがあればジョギングくらいはできるかもしれないが、スズカは私よりやや速く歩くのが精一杯みたい。

 

 

 一歩ごとに歪んでいくスズカの表情を眺めながら、既にいるかもしれない来年入学組を探す。顔は覚えているけど……サクラバクシンオーはいない。残念。

 

 

「はっ、はっ、あ、ぁっ……」

 

 

 もちろんいない方が正しくはあるけど、あっあそこにいるのは確かチェックしてたウマ娘だ。声は……まああんなに遠くまで行くのが面倒だからなあ……スズカもいるし。

 

 

「ああっ……と、トレーナーさ、ゆる、ゆるして、お願いします、お願いします……っ」

「日差しが気持ちいいねえスズカ?」

「そんなこと、い、言ってる場合じゃ……っ」

 

 

 苦しむスズカ。まだ半周ほどだというのに何度も何度も追い抜かれたスズカの闘志には完全に火が点いてしまっている。もちろん走り出そうとしてできる重さではないので反射で駆け出そうとしては躓くことを繰り返すのみ。

 

 

「お、おかしいっ、トレーナーさん、こんなのおかしいですっ」

「おかしくないわよ」

「だって、だってだって、こんなっ……」

「抜かされちゃうね……あっあの子速いね」

「ああぁぁぁ……」

 

 

 また追い抜かれ、スズカは前屈みになって前を睨むほどになってしまった。行き場のない闘争心に体が負けかけている。変な鳴き声を漏らしつつ、自分を抜かしていくウマ娘達を目で追っている。

 

 

「トレーナーさん……これ以上は本当にむりです、がまん、がまんできない……っ」

「できるでしょ? そのためのシューズよ」

「か、関係無いです、こんなの、こんなのひどい……っ」

「まだ一周もしてないけど」

「そうじゃないです、先頭、先頭が……」

 

 

 重症中毒患者スズカ。まだまだ時間は続くのに、既に限界寸前といった様子で胸辺りを強く押さえている。スペシャルウィークも後々地獄のトレーニングをするはめになるのよ。まあ、先輩の奢り(私のカード) で毎日パクパク行く彼女もなかなかどうかしているような気もするけど。

 

 

「は、走、走り……走る、走るっ……」

「ヤバそう」

 

 

 スズカが言語を失い始めた。ランニング禁より堪えている気もする。ちょっとやり過ぎたかな……目に涙がいっぱいに溜まって、それでも健気に一応進もうとしているあたり必死に闘争心と戦っているのが解る。

 

 

「ううん、でも……ぅ、あぁっ行かないで……ぁ、だ、だめ、もうだめ、トレーナーさん、もうだめですっ」

 

 

 それでも抜かされると反応してしまうのか、ついにスズカが私を内ラチにドンしてのし掛かってきた。果てしない威圧感がある。あのジャパンカップや、望まぬ走りをさせられ続けて挑んだ神戸新聞杯にも等しい熱がぶつかってきた。

 

 

「走ります、も、絶対に走ります……ごめんなさいトレーナーさん、反省は、反省するので、は、走らせて……っ、もう、むりです、わたし、わたし……っ」

「あっ待ってここで泣くのはやめて死んじゃう死んじゃう私死んじゃう」

 

 

 スズカを泣かせたのを見られたら社会的に死ぬ……というのもあるけど、そもそも可愛い愛バに泣かれると弱いのだ。彼女は滅多に泣かないのでなおさら。走ること以外で感情が大きく動かないので、悲しくなって泣くというのもほとんど見ない。

 

 だからこそ、上目遣いで胸に縋って泣かれると、これ以上は可哀想だし走らせてあげよう、なんて思ってしまう。

 

 

「……反省した?」

「……っ! ……っ!」

 

 コクコク。

 

 

「もうスペちゃんを太らせたりしない?」

「断食させます……っ」

「いやそこまでしなくて良いけど……しょうがない、ちょっとだけ走っても良いよ」

「…………っ!」

 

 パアァッ。

 

 

 スズカ百面相の後、彼女はすぐにレジャーシートに戻っていく。決めたお仕置きの半分もできないなんて、私ってば甘過ぎる……もちろんスズカ第一だし、調整に失敗した私が悪いんだけど。

 

 うきうきでシューズを履き替え、ストレッチを始めるスズカ。頑張ったし、しばらく走らせてあげよう。そう思ってターフに出ようとする彼女を手を振って見送ろうとした、その時。

 

 

「あ! おーいスズカさーん!」

「フクキタル……!? 今だめ! フクキタル! ハウス!」

「フクキタル……?」

 

 

 マチカネフクキタルが大きなダルマを持って駆け寄ってきてしまった。ヤバい。今のスズカはバーサーカーだ。しかし私の警告虚しく彼女は持っているダルマを差し出し、いつも通りの満面の笑みで語る。

 

 

「今日の運勢はスーパー大大大吉でした! なので、スズカさんに幸運のお裾分けです! これ、今日のスズカさんのラッキーアイテムです!」

「…………フクキタル」

「はい!」

「…………併走」

「え」

 

 

 あーあ。もう私しーらない。フクキタルも弱い訳じゃないんだけどね……自分の運勢が良いと相手のことなんて目に入らないから、今のスズカから溢れる魔王のオーラが解らないんだろう。少なくとも現在のフクキタルは、自分が至高の存在なので皆を導こうとする宗教家みたいなメンタルになってるから。

 

 

「良いですけど、あのっ、なんで手を引っ張るんです!?」

「早く……っ、良いから……」

「うわっとっとっ……ま、まあ良いでしょう! 今の私にそう簡単に勝てると思わないことです!」

 

 

 そうしてターフに走る二人を、私は笑顔で見送った。他のレーンを使うときは、迷惑をかけないようにね。

 

 …………なお十分後、フクキタルにハナ差で差されたスズカがへにょへにょになって帰ってきた。うんうん。それもまた現実だね。




フクキタル is GOD.


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雨の日はちょっと大人しいサイレンススズカ

 

「んー……んぅ……トレーナーさん……走ってきても良いですか……?」

「外、大雨だけど」

「ですよね……」

 

 

 ある日。大雨で他のトレーナーもいるなか、控えめにスズカが聞いてきた。小声でのやり取りの後しゅんとなって私に体を預けてくる。

 私の仕事もあり、スズカのトレーニングは今日は休みにしている。外が使えない以上スズカにはパワートレーニングをしてもらうことになるのだが、室内トレーニングはできる人数も限られているからだ。

 

 

「雨の日でも私は良いんですけど……」

「風邪ひくでしょ。あとあんまりくっつかないでね。視線がヤバいからね」

「やです……」

 

 

 走れないことが私でもスズカでもない要因によるものだと、案外スズカは簡単に退いてくれる。粘っても仕方ないのが理解できているからだ。その代わり本来の甘えたで大人しい性質が現れ、休みだというのにわざわざトレーナールームに来て隣に座る程度には私と関わろうとする。

 

 ジャパンカップも勝ったスズカの評判は既にレジェンド級であり、本来ウマ娘が入らない場所にいたところで何も言われない。それどころか、桐生院さんが遠巻きにこっちを見てメモを取っていた。何が解るんだよこの状況で。

 

 

「そもそも雨の中出歩くのが意味解らないし。濡れるでしょ」

「でも気持ちいいですよ?」

「何が気持ちいいの」

「雨が思い切り当たるので冷たくて気持ちいいですし……自分のスピードがよく解りますし……」

「あー……まあ、わか……解んないや」

「あぅ……」

 

 

 トレセンが用意して置いてくれた椅子を撤去して、スズカと並んで座れるように長椅子を置いているのだが、誰も何も言ってこない。歪んだ実力主義だよ本当に。

 

 まあそのおかげで? 私はこうしてスズカと並んでお話ししながら仕事ができているわけだし? ありがたいけどね? もうちょっと誰か何か言った方が良いと思うよ? 気付いて? スズカの威を借る私の心の痛み。

 

 

「トレーナーさんは泳いだりするんですか?」

「まあ……海とかプールに行ったらね」

「濡れても気持ちいいですよね」

「たぶんだけどそれとこれとは話違うと思うわ」

 

 

 でもまあ、雨の中を走るウマ娘は格好いいよ。スズカはそういうタイプじゃないけど、降りしきる雨を差しウマが突っ切ってくる時とかは流石に見ててテンションが上がる。

 それはそれとしてスズカには走らせるわけにはいかないけど。体に悪いからね。風邪もそうだし、脚も。

 

 

「んー……あ、スズカ引き出しの二段目から青いファイル取って」

「はい。えっと……はい、これですね」

「ありがと」

 

 

 雨の日の走りもそのうち練習させないといけないような気はしている。もちろん今日じゃないけど。現状スズカは確か良バ場レースしか……正確にはボロ負けした弥生賞は稍重だったけど、そういうレースしか出ていない。

 

 まさしく最強無敵のサイレンススズカがその程度の不慣れで負けることはないと信じてはいるけど、練習するに越したことはないわけで。

 

 

「次の夏もスズカと一緒だし、海に行って泳いでも良いかもね。スズカは泳げるの?」

「ええ、一応……でもやっぱり走る方が好きですよ」

「それはそうね……泳ぐにせよ一緒に泳いで蹴られでもしたら私がバラバラになっちゃうし」

「うぅ……」

「スズカが凹むところじゃないけどね?」

 

 

 種族差を噛み締めつつ一旦の作業は終わったので休憩とする。終わった? 何する? と期待を込めた目で見られるので財布の中を見るが……いけね、下ろしてくるの忘れてた。はい無能。満足にご飯が食べられない額しか入っていない。今から私はスズカの前でひもじく小皿メニューを食べることになります。見せ付けてるみたいで嫌だわ。

 

 

「あっ……トレーナーさん、お金、払いますよ……?」

「やめてスズカ……流石に学生にたかれないから……いや、ある意味たかってるんだけど……」

 

 

 だが、昼時なのは事実。隣のスズカがおろおろ心配そうに見てくるのを無視して食堂へと向かっていく。

 

 もちろん口座には目が飛び出るくらいのお金があるのだけど……この雨の中近くのコンビニまで行くのも面倒だし、トレセンにATMが無いことを過去イチで恨んでいる。

 

 

 食堂に着き、私が頼むのは……お? 日替わりならギリギリ頼める。レディースにするとご飯は減るけどほんのちょっと安い。行けるじゃん。日替わりが何だか知らないけど。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「あの、トレーナーさん……それ、足りるんですか?」

「足りないねえ……流石にねえ……」

 

 

 日替わりは野菜炒め定食だった。運が無さすぎる。トレセンのご飯はウマ娘の栄養管理をしやすくするために薄味になっているのだ。油も控えめ。そんなものと普段から目減りした白米と味噌汁、お新香……成人女性を舐めていないか? 頼むからキッチンを別にしてくれ。

 

 

 かといって、いつもながらプレートに大の男三人分くらいを平気で盛ってくる彼女の分には手を出せない。そっちのご飯にトレーナーが手を出すと普通に怒られる。パクパクしてくれ。私は良いから。

 

 

「ご飯の後は何をしようかねえ」

「ぁむ……んー……」

「私も仕事はあるけど、別に一日あるわけじゃないし。せっかくだし遊びに行きたいけど……この雨じゃね」

 

 

 私はスズカに休みを言い渡した日は積極的に遊びに連れていくようにしている。基本的に彼女の調子は絶好調か好調で心の底から走りたくなくなることはないけど、走る以外のトレーニングをやりたくなくなることは多いのだ。

 

 また、私のところに来るということはスズカが私と一緒にいようとしていて、かつ他の友達との約束がないという意味だ。私にはスズカを満足させる義務がある。

 

 

 スズカ、かなり友達多いというか、交遊関係が広いのよね。積極的に誰かに絡みに行くタイプじゃないんだけど、だからこそ色んな所で誰かと関わっていたり……あとは単純に速いからライバル視されていたり尊敬されていたり。とにかくかなり多くのウマ娘と関わることがあるのだ。

 

 

「良いですよ、私はお部屋でじっとしていても。トレーナーさんのおうちとか」

「そう? うーん……まあ、それでも良いけどね」

 

 

 そうしたいって言うなら止めないけど……走れないなら別に他にやりたいこともないです、とか言いそうで怖い。

 

 

「走れないなら他にやりたいこともないですし……」

 

 

 言うなよ。別に私が好きだからってことで良くない? なんでそういうこと言うの。傷付きそう。

 

 

「じゃあ私の家行こうか……帰りになんか買わないと晩御飯が無いけど」

「普段何食べてるんですか……?」

「いや、ちゃんと食べてるからそんな目で見ないでね? 大丈夫だからね」

 

 

 ……あ。そういえば。

 

 

「スズカ、冬休みは帰省とかするの?」

「いえ、別にそういう予定は……何かありました?」

「スカウト、スズカも見に来るのかなって」

「……? はい、行こうかなって思ってましたけど……」

「そか。今年はね、早めに模擬レースを始めるんだって。だからスカウトも前倒しになりそうだから」

「そうなんですね。私は大体お部屋にいるか走ってると思うので、呼んでもらえたら……」

「うん」

 

 

 

「……あ、いや、走っちゃ駄目だから。何軽く行こうとしてるの」

「へぅ……」

 

 

 私がいくら禁止しても、スズカは割と勝手に走る。それを見越して我慢させる時は荒っぽい手段を使ってでも我慢させているわけだ。禁止を破られるならそれを見越して動かないといけない。

 

 奇しくも……でもないけど、スカウトが早まったのも同じような理由ではある。十二月からトレーナーに接触したり、自主トレを始める違反ウマ娘が多すぎるのだ。でも彼女達も必死なわけだし……今までも黙認してきたんだからいっそ期限を早めてはどうかって。

 

 

 果たしてスズカのお眼鏡に適うウマ娘はいるだろうか。本当にそれだけが心配だ。私にとっては何よりスズカが大切だし、一番考えるべきは彼女との相性なのだ。

 

 それで言うとスペシャルウィークはとても相性が良い。輝くスズカを尊敬して、それに届こうという根性のあるウマ娘だからこそ、スズカも彼女を可愛がっているわけだし。

 

 根性があって、一つに尖らせる練習に賛同してくれるウマ娘……あんまりいないんだろうなあ。

 

 

「スペシャルウィークって凄いんだねえ」

「……? ええ、スペちゃんは凄い子ですよ。素直で明るい良い子です」

「ね。最近はどう? 楽しそうにしてる?」

「はい。同期の……えっと……同期の誰かに宣戦布告されたから、弥生賞で初戦って言ってました」

「はー……良いねえ」

 

 

 スズカにはライバルっぽいライバルがいないからね。強いて言えば自分を抜かそうとする全員をライバルだと思っている……か、他人のことを一切考えていないかどっちか。

 

 エアグルーヴやマチカネフクキタルにも、『勝つべき相手』としては見られているがライバルと言われると……程度。普通に仲が良いと言った方が早いくらいだ。スペシャルウィークの今後を祈って。なむ。

 

 

「ごちそうさま。行こうかスズカ。そうだ、朝日杯の録画してあるのよ。それ見ようか」

「え……でも……」

「流石にスズカよりずっと遅いレースよ。走りたくは……なりそうね。スズカなら」

「はい……」

 

 

 落ち込んでしまったスズカ。プレートを片付け、私達はそのまま私の部屋まで戻ることとなった。

 

 

 

 ────

 

 

 

「っ……ふー……」

「あっ痛い痛い痛いスズカ、力、力入ってるっ」

「あ、す、すみません……つい」

 

 

 朝日杯観賞会では途中スズカが暴走しかけたが、特に問題なくゆっくりと時間が経っていった。逃げを打ったウマ娘が脚を少し滑らせ減速し、大雨の中直線一気でぶち抜かれた瞬間のことである。感情移入しすぎね。

 

 

「スズカは滑っても勝てるから安心しなって」

「……ぁぅ」

 

 

 流石にそれは嘘だけど。スズカを膝枕しながら頭を撫で、勝ったにも関わらずぎこちなく笑う栗毛のウマ娘に目が行っていた。ダービーで敗北した時のスズカのような、こんなはずじゃなかった、とでも言いたげな表情に。



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強く残酷で無自覚なサイレンススズカ

みなさんの応援のおかげでかなりお話も進んできました。これからも是非高評価コメントお気に入り等していただけると励みになります。

あと、見てみたい展開などあればそれも(可能なら)受け付けようと思っていますので是非どうぞ。

これを書いてるのは気紛れで、別に何かあるわけじゃないです。


 

「サイレンススズカさんと、そのトレーナーさん」

「ん?」

「七十二、七十三っ……七十四……」

 

 

 大雨はやみ、うって変わってカンカン晴れとなった日。いつものように走りたい走りたいとだだをこねるスズカを何とか説得して、今日のメニューは筋トレ一式。フロントブリッジをするスズカの上に座って一緒に数を数えていると、トレーニングルームに入ってきたウマ娘がそのまま私達に話しかけてきた。

 

 この子は……グラスワンダー。三日前の朝日杯フューチュリティステークスの勝者である。つまりクラシックウマ娘。あんまり詳しくは知らないけど、ステータスを見るにスペシャルウィークに十分届く……ややスペシャルウィークの方が強いかな? しばらく見てないけど。

 

 

 トレセンの制服を着て、何かを覚悟したような表情で私達の前まで歩いてきたグラスワンダー。もっとこう……人に話す時は笑顔にしない? 怖いって。いつもスズカしか見てないから、たまに気性が難しそうなウマ娘を見るとビックリするのよ。

 

 

「私はグラスワンダーと申します。トレーニング中、申し訳ありません」

「あ、ご丁寧にどうも。スズカのトレーナーです」

「本来ならば事前に手紙をお送りしようと思ったのですが、いかんせん時間がなく……不躾をお許しください」

「はあ」

 

 

 何だこの子は……この人を殺してそうな目付きからめちゃくちゃ柔らかな物腰で話しかけてくるな……スズカの丁寧語は元来の人の良さと、まあトレーナーだしとりあえず敬語使っとくか、みたいな使い方だし。信愛はともかく敬意は……どうなの? スズカさんさあ。

 

 

「九十九……百……百一……百二……」

「それで、今日参りましたのは、一つお願いがあってのことなのです」

「うん。あ、グラスワンダー、朝日杯はおめでとうね」

「……ありがとうございます。ですが、私が頼みたいのはそのことなのです」

 

 

 スズカのプランクも折り返しに入ったところで、グラスワンダーは私達の前で正座をして座り、ゆっくりと、しかし確実に私達に聞かせるのだという強い口調で語り始めた。

 

 曰く、グラスワンダーはレースで勝ったし、それはトレーナーにも認められたしそれを否定するつもりはない。

 ただ、あの勝ちはあくまで二着に沈んだジャラジャラが脚を取られたせいだと思っているし、それがなければ差すこともできなかった。

 

 思い返すと自分の仕掛けも遅く、心のどこかで相手を侮っていたのだと気付いてしまった。油断したこの体たらくのまま練習を続けたところで、同期のライバル達に勝てるはずがない、とのこと。

 

 

「ですので、どうかお願いします。私のこの高慢を、折っていただけませんか」

「ええ……」

「百七十二、百七十三……っ、と、トレーナーさん、揺らさないで……っ」

「あ、ごめんつい」

 

 

 めちゃくちゃストイックな子が来たことに驚いてたじろいでしまった。嘘でしょ、なんだこの子。あまりにも勝負に……というか、自分に厳しすぎる。もっと自分を甘やかした方が良いよ。スズカみたいに。

 

 ただ、さらに聞くとトレーナーの許可も貰っている……どころか、その激情に気付けなかったことを謝罪され、場合によっては私に拾って貰うことすら匂わせていたとか。

 

 

 ……重すぎる……グラスワンダーもそうだけどトレーナーもヤバい。いや、トレセンのトレーナーはそっちの方が多いのかな。私の熱量が低すぎるだけのような気もする。

 

 

「……二百っ」

「あい、スズカちょっと休憩ね」

「お疲れ様です、サイレンススズカ先輩。グラスワンダーと申します」

「ふー……こんにちは。スペちゃんから何度か名前を聞いてるわ。サイレンススズカです」

 

 

 どちらにせよ、グラスワンダーを拾うのは……まあ、スペシャルウィークに並ぶ逸材だし、欲しくはある。でも、流石の私も現グラスワンダーのトレーナーである先輩に失礼ってことは解るし、今からもう一人スカウトしようっていうのにちょっと、とは思う。

 

 いやあ……迷うなあ……私が言ったら本当に私のところに来るんだろうなあ、この子。

 

 

「このままでは私には戦う資格すらありません。私は弱い、それを認めなければ、強くはなれません」

「いやいや……強いでしょ……」

 

 

 G1に一回勝つだけでも本当に名誉なことなのだ。中央でスポットライトが当たるのはトップウマ娘だけだから勘違いしそうになるけど、一般的なウマ娘の現実的な目標は重賞レースに勝つことである。G1ではない。重賞だ。そのレベルが一般的なのだ。

 

 

「あの、強いかどうかは別に良いんですけど」

 

 

 なんてこと言うのスズカ。全然興味無さそうじゃん。何も言わずに外を眺めて「走りたいなあ」ってぽけーっとしてたじゃん。

 

 

「折って欲しいと言うのは、具体的にはどうやって……?」

「それは……不都合でなければ、私を何度も、完膚無きまでに負かせていただきたいと思っています。立ち直れなくなるまで、私は弱いのだと自覚させてくだされば」

「なるほど。引き受けましょう」

「待ってスズカ。勝手に言わないで?」

 

 

 このあほ栗毛、自分が走れると知った瞬間妙に神妙な顔をして手を取りやがった。目を見れば解るからね? ただ走りたいだけでしょ。薄情とは言わないけど後輩の進退に大して興味無いもんね。

 

 

 後輩の手前いつものように叩いたりはできないので、とりあえず手を引いて二人を引き離し、不満げにこちらを見るスズカに後ろから手を回しながらグラスワンダーに笑いかける。

 

 

「ごめんなさいね、断るわけじゃないんだけど、今スズカはその、走れないというか」

「走れない……? まさか、何か故障が……?」

「いや、そうじゃないんだけど、走るべきじゃないというか……」

 

 

 くそっ口が下手すぎないか私。スズカとしかマトモに話していない弊害が出てるな。彼女も口下手だし好意か欲望しかぶつけてこないので私の頭が悪くなっている。

 

 

「いえ、トレーナーさん。私は走れます。お手伝いしてあげませんか?」

「いや……ちょっと来てスズカ」

「わわっ」

 

 

 グラスワンダーから離れ、部屋を出てドアを閉めてさらに遠くへ。ウマ娘相手のひそひそ話とはこのレベルである。

 

 

「スズカ」

「はい」

「お仕置き中だよね?」

「後輩のお願いは聞いてあげるのが先輩の役目ですよね?」

 

 

 そう、今日のスズカへの説得材料は、二日前、つまり朝日杯翌日に、結局我慢できなくなって勝手に走ったことへのお仕置きである。あの時はびっくりした。一緒に寝たのだけど、寝る前は「流石に大丈夫です、信じてください」と言っていたスズカが起きたらベッドから消えていたのだから。

 

 しかも、「夢で走っていたのにトレーナーさんの寝返りで起こされたので消化不良」とかいう理由で行った。私の寝相は良い方だし、これまでそんなことはなかったので嘘である。即堕ち一晩だった。

 

 

「お仕置きが優先です」

「……スペちゃんのライバルなんですよ? スペちゃんのためにも、しっかり助けてあげないと……」

「そ……れとこれとは話が違うでしょ、このあほ栗毛。言い訳ばっかり上手くなってからに」

「いふぁふぁふぁふぁ」

 

 

 グラスワンダーを叩きのめすだけなら、シニアのウマ娘に頼めば大体何とかなるはずだ。クラシック級だと半分くらいグラスワンダーが勝つ可能性もあるが、エアグルーヴやメジロドーベル、タイキシャトルなど安定してボコボコにしてくれるウマ娘はいるだろう。

 

 ……なんて一瞬思ったが、無理だ。普通の感覚があれば、敵でも心を折るまで負かすことに本気になれるウマ娘がいるとは思えない。スズカのように無自覚に相手を蹴散らすタイプでなければならないのだ。

 

 グラスワンダーがどこからスズカのそういう性質を聞いてきたのか知らないが、たぶんトレセンで一番適任なのはスズカだろう。強く、残酷で、無自覚だ。

 

 

「とにかく駄目。スズカは向こう五日走ってはいけません。ずっと筋トレとプールです」

「そんな……うぅ……でも、彼女のために何かしてあげたくて……」

「う……うーん……まあそれはそうなんだけど……」

 

 

 いや、絶対自分が走りたいだけなのは解ってるんだけど……それが原因だとして、言ってることは殊勝で涙ぐまれると弱い。まるで私が悪いみたいじゃん。信じてくださいって言って即欲望に負けたスズカが悪いのに。

 

 

「お願いします、トレーナーさん……彼女のためです。未来ある私の後輩のためですよ……?」

「んんんん……! この栗毛、言わせておけば……!」

「トレーナーさん……?」

 

 

 縋るな縋るな胸に縋るな。自分が好かれてると思ってそれを利用するとろくな大人になりませんよ。だからやめよう。ほんとに。揺らぐから。

 

 

「お願いしますトレーナーさん……私に先輩の仕事をさせてください……」

「くっ…………ぐ……ご……後日……後日なら……」

 

 

 なんてことだ、なんてことだ。折れてはいけないのに。スズカのなかで併走は走った感が弱いらしく、野良ランニングほどすっきりしないことが解っている。ここで流されると併走をたらふくした後その勢いで走ってしまうのは目に見えているのに……くそっ……

 

 

「ありがとうございます、トレーナーさん」

「このっ……この……!」

「わぷぷぷぷぷ」

 

 

 可愛さと涙でごり押しなんて卑怯だぞ、という気持ちを込めて頬っぺたを挟む。もう知らん。こうなったらグラスワンダーを再起不能になるまでボコボコにしよう。あの子の根性を信じて、ということになるが。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ありがとうございます。是非ともよろしくお願いします」

「一緒に頑張りましょうね、グラス」

「はい、お世話になります、スズカ先輩」

 

 

 グラスワンダーの元に戻り、引き受けるという旨を伝える。ただし、スズカをそう連続で走らせたくないこと、少なくとも少しの間走れないので、それまで待って欲しいということ。

 

 グラスワンダーはもちろんと承諾はしてくれたが、トレーナーのもとに戻るわけにもいかないのでしばらく見学として私達にくっつくことになった。

 

 

 スズカが、ん? おかしな流れですね? という顔をしていたが……あなたが悪いのよスズカ。後輩の前でいつものおねだりができると思わないことね。




グラスのトレーナーは普通にいい人です。『基本的に』トレセン関係者はいい人しかいません。スズカトレーナーが一番の悪まであります。

厳しい資格試験と就職試験の後、理事長が全員面接してウマ娘を下に見るトレーナー候補生は弾いているからです。
スズカトレーナーは試験もギリギリ面接点も本来ならば熱意が足りず落第でしたが、なんか色々あって受かっています。たぶんその辺のウマ娘か何かが怪我しかけているのを調子と体力から予見したとかそんな感じじゃないですかね。


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気持ち良ければ疲れないサイレンススズカ

 

さて、グラスワンダーが一時合流することが決まって二日。今日から本格的に彼女が行動を共にする。基本的にはスズカが私といるのと同じようなペースでくっついてくるらしい。せっかく待つのなら少しでも何かを吸収したい、とのこと。

 

昨日はグラスワンダーのトレーナーに突撃され、土下座される勢いで頭を下げられた。スペシャルウィークのトレーナーと違い、グラスワンダーのトレーナーは結構若くて……いや私より年上だしキャリアもあるんだけど、実績がやや足りてないって感じだった。実績ってG1のことね。

 

 

「ではスズカ。今日からトレーニング以外で走ることは許しません」

「………………はぃ」

「なんで不服そうなの」

 

 

スズカにはしっかり、勝手に走らない、グラスワンダーに知られる形でおねだりをしない、ということを言い付けてある。それを言われた瞬間に大変な形相で走りに行ったスズカを、流石に止められなかったのは不覚である。

 

だってまあ、グラスワンダーはスズカの速さを学びに来るわけで、しかし私のウマ娘になるわけじゃない。まず一つ、スズカのトレーニングを一般的と思われたくないのだ。

 

 

スズカの『ただ走るだけ』という趣味(悪癖)が、彼女のスピードカンストに寄与していることは間違いない。だが、それはあくまで彼女が小さな頃から暇さえあれば走っていて、しかも距離や速度が尋常ではなかったから実現したこと。本来、純粋に走るだけのトレーニングは負荷と成長のバランスがあまりにも悪すぎる……と、私には見えている。

 

仮に真似されて怪我でもされてみろ。具合によっては私の命でも償えない事態になる。よってスズカ、強制ランニング禁である。後輩のために。もう一回言おう。後輩のために、だ。

 

 

……ちょっと当て付けの意味もある。

 

 

「だって……無期限みたいなものじゃないですか、こんなの……」

「どこかのあほ栗毛が目先のチャンスしか見てないからでしょ」

「へぅ」

 

 

昨日からずっとスズカの耳はへにょりと倒れてしまっている。流石に絶好調とはいかず少し調子は下がっているが、まあ許容範囲か。たぶん禁止が解けるまで戻らないだろうし。

 

 

「その代わり併走はできるんだから良いでしょ?」

「でも、一回しか本気で走れません……」

「もう……メインは併走トレーニングじゃなくてグラスワンダーの心を折ることなんだから、そりゃハンデも付けるでしょ」

 

 

ちなみに、併走……という名の蹂躙は今日からやる。どうしてって、スズカが昨日駆け込み需要とばかりに走ったものだから、後日にする意味が無くなったからだ。相変わらず計画をぐちゃぐちゃにするウマ娘である。

 

ただ、毎日走らせないのは予定通り。その間は筋トレとプールしかしないし、グラスワンダーもそれを並んで行う。一応預かるのは一時的なので、脚に負担がかかるトレーニングは極力避けることになるね。

 

 

「じゃあ良い?しっかり先輩らしくするのよ。走りたがるのも甘えるのも駄目だからね」

「うぅ……どうしてこんなことに……」

「自業自得じゃない……?」

 

 

へにょへにょスズカを連れてグラスワンダーのもとへ。彼女はトレーナーと一緒に荷物を持って教室で待っていた。

 

いくつかの確認を済ませ、お預かりします、としっかり礼節は通しておく。グラスワンダーのトレーナーは終始心底悔しそうにしていたし、別れる瞬間もグラスワンダーと私達に謝っていたけど。今生の別れかよ。

 

 

「さて、グラスワンダー、歩きながらやることの説明をします」

「はい。よろしくお願いします」

 

 

……相変わらず肝の据わった目をしている。笑ったら可愛いだろうに、どうしてこう追い詰められたみたいな顔をしちゃうんだろうね。この辺はスズカの良いところで、いつどう誰と走っても素知らぬ顔ができる。

 

 

「まず、スズカとの併走は一日二回。1800mと2400mを、ほぼレースと同じように行います。悪いけどスズカに2500以上を走らせるつもりはないから、その練習はよそでやってね」

「解りました。むしろ二回もやっていただけて嬉しい限りです」

「それから……そうね」

 

 

よし、言うぞ。言うぞ言うぞ言うぞ言うぞ。負けるな私。私はトレーナー、大人だぞ。ウマ娘の圧に負けてはいけないのだ。あと罪悪感にも負けない。

 

 

「正直グラスワンダーではスズカの練習相手にもなりません。なので、せめて勝負になるまではスズカにハンディキャップを付け続けます」

「…………っ、は、い……当然だと……思います……」

 

 

やっぱり、グラスワンダーは凄い子だ。スペシャルウィークに聞いても同じ反応をするだろう。伸びないウマ娘はこんなことを言われても「まあスズカ先輩は強いし勝てなくてもしょうがない」となる。そこで心の底から悔しいと思えるのは良いことだ。

 

……逆に言えば、自分が弱いと心から思わせるにはこの闘志すら折る必要がある。悔しいのは、自分なら勝てるとほんの少しでも思っているからだ。

 

 

「でも、まず今日の二回は特にハンデ無しとします。精々頑張ってね」

「…………はい」

 

 

私は彼女の心を折らなければならないので、わざと煽る言い方に努める。ゆらり、と闘志が背に浮かぶようなグラスワンダーの圧を感じながら、隣のスズカの可愛さで中和して何とかターフまでたどり着いた。

 

……さて、暴力の時間だ。

 

 

「じゃあ、グラスワンダー。準備。スズカも」

「はい」

「解りましたっ」

「あと、スズカ」

「はい?」

 

 

既に体操服とランニングシューズの二人がコースに入ろうとするのを、スズカだけ止める。今日だけが何の制限もなく走れるのだと理解はしているから、噛み締めて走るだろうスズカの耳元に口を寄せ、きゅっと抱き締めながら囁く。

 

 

「走り方だけど」

「はい」

「……初日は全てを使ってグラスワンダーをぶっちぎってきなさい」

「…………良いんですか?本気出しますよ?」

 

 

 ほうら火が点いた。本気で走れると知った瞬間スズカからグラスワンダーに負けないくらいの闘志が溢れてくる。ビリビリ感じるくらいのそれを受けながら、ぽんぽんと頭を撫でる。

 

 

「良いよ。全部使って叩きのめそう」

「……はい。解りました」

 

 

静かな激情とともにコースに向かうスズカを、私は手を振って見送った。これから起こる惨劇は、できれば直視したくないなあと思いつつ。

 

 

 

 

――――

 

 

 

スズカは逃げウマ娘として理想というか、非常に完成されている。スピードカンスト、そこそこのスタミナとパワー、逃げならそれで十分と思えるものだ。

 

それに加えて、スズカの強さは彼女の先頭への執念から来る明らかにおかしな走り方にもある。

 

まず、周りを一切気にしていないからこその圧倒的集中力。出遅れることなくスタートダッシュを決められる。そして続いてそこからの加速力もあり、誰より速く先頭を突っ切ることが可能だ。

 

そしてそのままリードを保ち終盤まで走りきる。普通の逃げウマ娘はここまで守ったリードを詰められながら何とかゴールする……んだけど。

 

 

スズカ第一の伸び脚。最終コーナーあたりから他のウマ娘と同じようにスパートをかけ始める。しかも、そのスピードが他と比べて遜色がないから差が詰まらない。

 

そしてスズカ第二の伸び脚は直線に入った後のこと。そこまででトップスピードに乗っているスズカは、ここでさらに加速する。これについては本当に意味が解らない。走るのが楽しすぎて脳内麻薬がドバドバになっている可能性すらある。

 

 

先手必勝と二つの伸び脚。少なくともこの二つを使う限りでスズカに勝てるウマ娘などほとんどいない。絶好調マチカネフクキタルか、本気で勝ちに来たシンボリルドルフ、ナリタブライアン……スタートダッシュについてだけはスズカを超えるポテンシャルのあるツインターボくらいだろう。スズカの伸び脚は先頭でなければ発揮されないからね。

 

 

 

グラスワンダーは差しウマだし、打倒スズカに最も有効である『スズカより先を走り続ける』ことができない。やろうとしてもステータスが足りないけど。それに、逃げのスズカの方が速いので、それに脚を溜めて付いていこうとするなら途方もないスタミナが必要だ。

 

だから、結果として。

 

 

「はぁっ、はあっ、はぁっ……ぐ、ぅぇ……あ、はぁっ……」

「お疲れスズカ。楽しかった?」

「はいっ」

 

 

こうなる。合計4000m強を走っておきながら、自分のペースだったため少し息が上がる程度で済んでいるスズカは私に駆け寄る余裕まである。流石にわざとだと思うけど、満面の笑みと明るい声で返事ができている。

 

 

一方、1800は前哨戦と割り切り本気を出さず、かなり余力を持って2400に挑んだグラスワンダーはそれでも全く届くことなく沈んでいた。

 

影を踏めないどころの話ではない。全力で走ってもなお足音も聞こえない距離まで突き放され、スタミナを使い果たしてターフに倒れ伏している。えずくほどに必死に酸素を取り入れ、それでも動くことができないでいる。

 

 

「グラスワンダー?じゃあ今日のトレーニング行くよ?」

「はっ、はっ、はぁっ、は、はい……」

「スズカ、グラスワンダーを抱えて連れていってあげて。プール集合ね」

「はい。解りました」

 

 

グラスワンダーの脚に触れたが、まあ疲れているだけだ。体力もまだ残っているし、息さえ整えば十分何とかなるだろう。まだ歩けないようで本当に担がれていったが。

 

 

……それにしても、スピードが段違いだとここまで変わるのか。グラスワンダーも当然弱くはなかったんだけどね。相手が悪いかな。

 

 

そしたら次のスズカのハンデを考えないと。スズカのためにもタイムや距離のハンデは作れないので案外難しいのだ。やり方を間違えるとすぐにスズカが怪我をしかねない。無難に重りとかが良いだろうか。

 

 

何回やれば勝てるんだろうなあ、なんて思いつつ、私も二人を追ってプールに行かせた。

 

なお、グラスワンダーは途中で復活し、プールでのトレーニングの頃にはほとんど普通に練習していたが……それが終わると限界が来たのかかくんと眠ってしまったので、やはりというか寮まで運んでヒシアマゾンに引き渡した。

 

 

……フジキセキと違いめったに会うことがないので、無理をさせるなとちょっと怒られた。おっしゃる通りで。故障に繋がる無理はさせてないから許して、許して。



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重い空気も我関せずなサイレンススズカ

今回はスズカ成分はうすあじ。スズカとトレーナーの空気と、それを取り巻くトレセンの空気の差がありすぎるっぴ。ウマ娘はスポ根、はっきりわかんだね。


 

「んぅ……」

「……あ、あー……ぅ……」

 

 

 グラスワンダーが来てから数日経った。

 

 スズカは少しずつハンデを増やし、グラスワンダーをボコボコにし続けている。今日は重りに加えまず筋トレで息をあげてから、かつ2500mというスズカにとっては長い距離を走ることになっている。

 

 それでも恐らくまだ届きはしないだろう。一応『大差』ではない程度には詰まっているが、まだ影は踏めない。ただしスズカもかなりスタミナはギリギリだし、最終的には明らかに失速しているのが解る。ここより先は無意味な可能性はあるし、ここからしばらく継続かな。

 

 

「スズカ。起きて。遅刻するわよ」

「んー……あと五キロ……」

「何言ってるのあなた」

 

 

 特に理由もなく私の家で寝ているスズカを起こし、一緒に身支度を済ませる。スズカに作る朝食の余りを食べようと思っていたら全然足りずカップ麺を食べることになった。スズカの妙な目線が本当に痛い。

 

 

 トレセンに私の車で向かい、スズカは学園側へ。私は仕事があるのでトレーナールームに向かおうとして……部屋の前に知った顔があったので挨拶をしておく。

 

 

「桐生院さん。おはようございます」

「あっ、あっ、お、おはようございます!」

「……あの、何かあった?」

 

 

 私の顔を見るなり飛び退くみたいに頭を下げる桐生院さん。あ、この人ポニテだったんだ。初めて知ったかも。

 

 

「いえ、その……先輩が新しい子を担当していると噂に聞きまして……他にも色々と」

「ああ、グラスワンダー。彼女は別に私の担当じゃないわよ」

「そうなんですか?」

「うん。一時預かってるだけ。色々あってね」

 

 

 まさか、心を折ってほしいと言われたから協力していますなんて言えないよね。やり方も酷いし。でもそうやって頼まれちゃったし……別に今すぐ辞めたいけど。もしくはグラスワンダーを正式に担当したい。

 

 聞くと、桐生院さんはほっと胸を撫で下ろし、信じてましたよ、なんて言ってくる。どうやら、私がスズカの踏み台として先輩からグラスを引き抜いたんじゃないか、という噂があるらしい。

 

 

 なんとまあトレセンらしいというか。トレセンには良い人しかいないし、物凄くウマ娘第一主義だから、こういう類いの話はすぐに広がる。もちろん確証が無いから踏み込んでこない……いや、事実そうじゃないから無くて当たり前だけど、私にはそんな話は来ていない。

 

 

「まあ、引き抜きは……グラスワンダーのトレーナーに聞けば一発だからね。むしろあの人ならすぐ否定しそうだけど」

 

 

 グラスワンダーのトレーナー、普通にちゃんとした……いや、熱血気味だけどちゃんとした人っぽく見えたけど。たぶん、よほど彼女の件を気に病んでいるんだろうなあ。真面目そうな人だったもんな。

 

 

「他の噂っていうのも聞いておきたいけど」

「あ、それはですね……」

 

 

 少し渋る桐生院さん。私に言ったら桐生院さんの肩身が狭くなるならと思ったけど、それは違うらしい。

 

 

「その、傷付けることにならないかと思いまして、所詮噂ですし、先輩がそんなことをしないとは思っています。スズカさんの意思を何よりも尊重する方が……」

 

 

 結構えげつないことしてる気がするけどね。自由を奪って場合によっては縄で拘束するって、スズカが本気で嫌がったら普通に虐待だから。発覚したら事情聴取くらいは入るよ。

 

 

「私は大丈夫。スズカのことしか考えてないし……あんまりこういうこと言っちゃいけないけど……誰が何を言ってても、結局スズカには勝てないんだから私はそれで良いのよ」

「っ……さ、流石です……ではその……グラスワンダーに過度なトレーニングを強いているという噂がありまして……」

「…………なるほど?」

 

 

 心当たりも無くはないなあ……スズカとの併走とか、見方によっては過度だし。毎回疲れきって倒れているところを叩き起こして通常トレーニングをさせてるのも確かだ。

 

 ただその、グラスワンダーの体調はちゃんと見ているってことは何度も言っておきたい。ステータスだけに頼らず目の前のグラスワンダーもしっかり見ている。そのうえで、彼女の消耗が一過性のものだからやっているのだ。

 

 

 そもそも、それでもグラスワンダーには結構気を遣っている。あの子、筋トレやプールでもスズカと同じことをしようとするから毎回止めなきゃいけない。流石に能力が違うからね、単純に怪我をして終わりだ。

 

 

「……まあ、ちょっと過酷なことはしてるけど過度じゃないわよ。直接誰かに言われたら説明はするけど……たぶん言ってこないでしょ」

「何故です?」

「私がスズカのトレーナーだから」

 

 

 本当に、スズカの威というのは半端ではない。スズカという例があるのだから、という理由で追及をやめている人も結構いるはずだ。実力主義もここまで来ると極端である。

 

 

「そう……そうですよね。グラスワンダーが夜な夜な泣いているって話があるんですが、それも何かの間違いで……」

「そ……れは聞き捨てならないなあ。え? 泣いてるの? グラスワンダーが?」

 

 

 あの根性と執念の塊が泣くことがあるのか。仮に泣くとして人に知られるように泣くようには思えない。これは流石に本人に聞かないといけないかな……なんて考えながら、私は桐生院さんと話していた。

 

 ……ちょっとだけ、胃は痛んだ。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「……と、いう話を聞いたのだけど? グラスワンダー」

「…………そうですか。ご迷惑をおかけしました。私の不徳の致す所です」

「あ、いや、別にそんな重く受け止めないで良いから。ただちょっと、辛いなら教えてほしいなってだけだから」

「六十五、六十六……」

 

 

 午後。いつも通りに併走でボコボコにした後、トレーニングルームで私はグラスワンダーを見下ろしていた。

 

 スズカにおんぶ紐のような装置で背負われ、そのスズカは懸垂をしている。一方グラスワンダーは何故か私の話を聞くときは必ず正座をするので、部屋の一角にヤバい空間が広がっていた。

 

 

「いえ……確かに辛いとは思います。ですが、それも私が望んだこと。そんなことで泣き言を言うほど、わがままではないつもりです」

「はあ……じゃあなんで泣いてたの」

 

 

 グラスワンダーは一瞬だけ目を閉じて、まっすぐに私……の後ろ、懸垂中のスズカを見て言った。

 

 

「……あまりにも自分が不甲斐ないからです。部屋で眠ろうとすると、その日の負けが頭をよぎります。全力で走っているのに追い付けず、ただ離されていく光景が……歯牙にもかけられず、私が何者でもないように終わっていくのが怖いのです。気付いたら泣いている、ただそれだけです」

「…………そうなの」

 

 

 ええ……そんなこと言われて私どうしたら良いの。私やスズカが軽いだけなんだろうけどさあ。トレセンの人とかウマ娘、重すぎるって。

 

 いや人生懸かってるから当然だし、お前はスズカと組んでるし変な能力持ってるからハングリー精神が無いんじゃい! と言われたらそれまでだけど、にしたってもうちょっとあるでしょ。

 

 

「本当にご心配ご迷惑をおかけしました。恐らく噂の出所であろう友人には強く言っておきますので。恐らく彼女が自分のトレーナーに相談したんでしょう」

「いや、その子もグラスワンダーを心配してるだけだからそれはやめようね。良い友達だね、でしょ?」

「……はい。私には勿体無いくらいです」

「心配しないで、くらいは言っておきなね」

「はい」

 

 

 上下に揺られつつ、凹んでしまったグラスワンダーに何かしてあげられないかと考えるけど……何も思い付かない。大人として恥ずかしい限りだ。

 

 

「……それより、今日もかなりハンデをつけていただいて……その、スズカ先輩の練習に支障は出ていませんか?」

「え? 大丈夫よ。ね、スズカ」

「九十二……は、はい……もちろん。毎日楽しいですよ。それなりに気持ちよく走れてます」

「そうですか……?」

 

 

 嘘だけどね。スズカ的には『走れないよりは制限ありで走れる方がマシだけど、それはそれとしてストレス、でも余計なこと言うなって言われてるし黙っとくか』くらいの感覚だと思うよ。

 

 

「じゃあ早速友達とやらに言っておいで。今日はトレーニングおしまい。言っておくけど誤解を解きに回ったりしないでね。より誤解されるから」

「……はい。ありがとうございます」

 

 

 ……グラスワンダーは行った。それと同時に、スズカが懸垂を終わらせて私を降ろす。浮遊感から解放された私はスズカに向き直り、一応聞いておく。

 

 

「ちなみに、さっきのはどこまで本気なの?」

「え? うーんと……毎日楽しいのは本当ですよ。誰かと一緒にトレーニングするのは、楽しいです」

「気持ちよくは……?」

「ないです。走ってきて良いですか?」

「だめです」

「へぅ……」

 

 

 まあ、そりゃそうだよねって感じ。体に重りつけるとか訳解らないよね。ごめんね、と謝罪が口をつく。すると、少し驚いた後、スズカはふふっ、なんて笑みを溢した。

 

 

「なんで笑うの」

「いえ……普段は散々禁止しても謝らないのに今日は謝るんですね。おかしくって」

「……まあ、それは、そうだけど」

「謝るより走らせてくれた方が嬉しいですよ?」

「それはだめ」

「うぅ……」

 

 

 休憩しながら、スズカはまったくいつもと変わらない。スズカとグラスワンダー、どっちが変わってるんだろうなあ、なんて思うけど……たぶんスズカなんだろうな。

 

 

「ちなみにいつまで走っちゃいけないんですか……?」

「グラスワンダーが折れるまででしょ」

「……そんないつになるか解らないもの待てません」

「こうなったのはスズカのせいでしょ」

「だからってこんなに走れないと拗ねちゃいますよ」

 

 

 ぱしん、ぱしん、とスズカの尻尾が背中を叩いてくる。いや痛い痛い。攻撃力が鞭と一緒だって。

 

 

「ちなみにどれくらい気持ちよくなれてるの? 普段は」

「そうですね……走ろうと思って外に出て、ストレッチをしてる最中に止められた時くらい……?」

「なんで走ることを走ることで喩えるの?」

「それ以外思い付かないので……」

 

 

 んー、と顎に拳を当てて考え込むスズカは可愛いけど、もし喩えが合っていたなら実質走っていないことになる。じゃあいつ暴発するか解らないじゃんと。あまりにも怖すぎる。

 

 

「……ん、おいでスズカ」

「…………ん」

 

 

 ぱたん、なんて私の膝枕に倒れこむスズカ。人目があるからあんまり派手にはくっつけないけど、これでも良いや。スズカとくっつくと何より私が癒される。お腹あたりにすりすりと甘えてくるスズカを見ながら、でもいつ走りたいマシンになるか解らないなあ、と少し恐怖していた。

 

 ちょっとだけ胃は痛んだ。



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走ることでいっぱいいっぱいのサイレンススズカ

 

「ふん、ふん、ふふん」

「もう、スズカ。あんまりニコニコしてないで?」

「すみません、つい……楽しみで」

 

 

 ある日。グラスワンダーをボコボコにしたその足で、私とスズカは中山で行われる模擬レースに来ていた。

 

 元々見に来る予定ではあったけれど、今日はそれに加えて理事長……がたづなさんを経由して、是非模擬レースを見に行って、できればそこで走ってくれないか、という話が数日前にあったのだ。

 

 

 なんでも、模擬レースには既にトレセンにいるスターウマ娘に走ってもらい、背中を見せて憧れを持たせる、という新入生への洗礼があるらしい。公開模擬レースの時もそんな話を聞いた気もする。へえそうなんだ、くらい。それで折れちゃうウマ娘と奮起するウマ娘でどっちが多いんだろう……とは思ったけど、ここまでトレセンが存続しているのがその答えかな。

 

 

 で、その役目は生徒会が基本的にやるんだけど……常々逃げウマがいないことが指摘されていたらしい。その上、今日の担当であるエアグルーヴがケガで出られないとのこと。代わりを立てるという話になり……白羽の矢が立ったのがスズカだった。

 

 

「ふふ、ふふふ。楽しみですね……」

「……もう。一回だけだからね。物足りないからって続けて走ったりしないでよね」

「もちろん。私を信じてください」

「…………いやいや」

 

 

 しかも、模擬レースでのスズカの相手はごく少数。立候補とクジでたった二人が選ばれるのみだ。本題は現役G1ウマ娘の速さを見ることだからね。公開併走と違ってトレーニング的な意味は薄いので、基本的には見学のみとなる。

 

 公開併走もそうだったけど、やっぱりウキウキのスズカ。最近毎日先頭取ってるでしょ、とは言ってみたんだけど、それとこれとは話が違うらしい。

 

 

「伸び脚も使って良いんですよね?」

「……まあ、できれば全力でって言われちゃったし」

 

 

 それに、ジャパンカップにおいてスズカの手札は全て見せた。もう隠す必要もない。ご機嫌なスズカには自業自得とはいえ毎日我慢させてしまっているし、これも仕事だし。

 

 

「こんにちは。お疲れ様です、トレーナーさん!」

「お疲れ様です、たづなさん」

 

 

 私達は今現在控え室で座って待っている。そこにたづなさんも来て、今日の段取りの話が始まった。

 

 ここに来たときはビックリしたものだ。流石は『サイレンススズカ』といったところで、専用駐車場から控え室までいかつい黒服の男の人達がガードについてくれる、なんてこともあった。

 

 模擬レースとはいえ中央トレセンが開くレースだし、新入生は基本的には全員どこかの日に出場する。一般観客も入場可なので、未来のスターを見たい! と思うようなレベルの熱心なファンもかなり多いらしいのだ。そこにスズカがいるとなれば……何があるか解らない。

 

 

 実際ガードの向こうに一目見ようと人の壁ができていた。当のスズカはそんなこと気にせず、むしろ取り囲んでくる黒服の方にビビって私に引っ付いてきたけど。

 

 

「で、ここでお二人に出てきていただいて……サイレンススズカさんには何か一言頂けたらと」

「えっ……は、話すんですか……? 走るだけって聞いてたんですけど……」

「え?」

「言いました。スズカが話聞いてなかっただけです」

 

 

 さっきまで浮かれまくっていたスズカが一瞬にして凍り付いた。ちなみに私は言った。言ったし、そもそもたづなさんから話が来た時スズカもいた。『模擬レースで走っていただきたいんです』あたりで話を聞くのをやめたんだろう。走れると聞いた瞬間ウキウキになっちゃうからな、この子は。

 

 

 そんなやり取りもありつつ、打ち合わせを終える。一言とはいえ大勢の前で話すことになったスズカは、たづなさんが準備に赴くとこてん、と机に突っ伏してしまった。

 

 

「えぅ……一体何を言えば……」

「いや、一言……みなさん頑張りましょう、とかで良いんじゃないの? 走る前なんだし。セリフ考えて覚えておいたら?」

「走る前は集中したいんです……」

「わがまま娘め」

 

 

 髪が乱れないよう鋤いてあげながら、走れるんだから良いじゃない、と慰める。今日のスズカは勝負服である。まあ新入生に目標を見せ付ける場だからね。これから本気で走るというのに少し落ち込んでいるあたり、本当に雑念を入れたくないんだろう。

 

 

「話したらそこから何も考えなくて良いんだから。楽でしょ?」

「トレーナーさん……カンニングペーパー……」

「新入生幻滅でしょそんなの」

 

 

 今度からスズカには頼まないよう頼んでおかないと。エアグルーヴの頼みだから……あと本気で走れるからとスズカも安請け合いしたけど、人前に出てどうこうっていうのは一匹狼気質のスズカには向いていない。

 

 スズカが人を引き寄せるのは強く信念があるからであって、カリスマがあるからではないのだ。どちらもあるシンボリルドルフやエアグルーヴの代わりにはなれない。ナリタブライアンの代わりにはなれる。

 

 

 先頭絶対譲らないマンからただの緊張少女になってしまったスズカを勇気づけつつ待つこと数十分。ようやく私達……スズカの出番がやってきた。

 

 

「はいスズカ、復唱」

「『新入生のみなさん、サイレンススズカです。これからの学園生活がより良いものとなるように、私も精一杯頑張ります。共に頑張りましょう』」

「うん。礼して、それ言って、礼して下がれば良いからね。頑張ろうね」

「うぅ……」

 

 

 ウイニングライブでも大勢の前で話しているはずなんだけど……先頭でゴールした熱の勢いで喋っているから緊張も少ないのかな。もしくはやっぱり尊敬をむけられるのと応援に応えるのとでは感覚が違うか、どっちか。

 

 

 ターフに出る寸前で止まる。合図があったら出ていって、スズカの一言があって帰ってくるだけ。スズカにも台詞を覚えさせたし、大丈夫なはずだ。頼むよスズカ。

 

 

『───では、本日走っていただくウマ娘とそのトレーナーにご登場いただきます。なお事前に告知いたしました通り、生徒会副会長エアグルーヴは軽度のケガにより欠席しております。代理として本日は特別に、サイレンススズカさんをお呼びしています。では、どうぞ!』

 

 

 聞いたことのある声の口上を聞きつつ、特設ステージの壇上へ。万雷の拍手と共に、綺麗な列を作る新入生達の前に出た。

 

 

『サイレンススズカさんの戦歴を──』

 

 

 二人で真ん中まで歩き、スズカにマイクが渡されるまで、スズカのこれまでの戦績が明かされる。たぶんみんな知ってることだけどね。改めて聞くとイカれた戦績ではある。弥生賞や日本ダービーも負けてはいるが、そもそも出られる時点でという話。そして天皇賞、ジャパンカップという大レースの一着。

 

 私は極力感情を出さないよう、あくまでスズカのお飾りとして少し後ろに立つ。マイクが届き、今度はスズカが話す番だ。一歩前に出て、一礼。スイッチを確認して、スズカはいつもの調子で語り出した。

 

 

「新入生のみなさん、サイレンススズカです」

 

 

 …………そして、止まった。

 

 

「…………」

 

 

 え? セリフ飛んだ? 嘘でしょ? あんな短いのに? 

 

 でも、あほあほ栗毛のサイレンススズカだし……そもそも飛んでないんだったらこんなに溜める必要は無いでしょ。ほら、司会のお姉さんも何してるの? って顔してるじゃん。

 

 

 どうしよう、相手がウマ娘じゃなければ囁きで助けてあげられるんだけど……シーンとしているなかで観客もウマ娘だとバレるよね……いや、バレても良いか? こんな事故起こっちゃった以上どうしようもなくない? 

 

 

「……スズカ」

「……っ」

 

 

 後ろから囁いて、無理なら代わって、と言おうとした私だったが……息を飲むようなスズカの声に阻まれた。彼女はそのまま一度深呼吸を済ませると、ぽつり、と呟いた。マイクが何とか拾える声量で、一言だけ。

 

 

「……今日は、私が走ります」

 

 

 本来ならば、何の変哲もなく、ただスズカがミスっただけのその言葉。だけど、トップレベルをひた走る彼女が言うと、また違う意味も出てくる。

 

 ……今日は自分が主役である、と宣言するに等しいその一言で、さらに空気が凍った。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「どうして忘れちゃうかな……もう」

 

 

 その後、スズカは宣言通り『走った』。それはもう圧倒的な速さを見せ付け、一応ここに来た目的は達成されたと言って良いだろう。

 

 今はトレーナー席で望遠鏡を持ちながら模擬レースの様子を見ている状態だ。全……いくつだったかな。十二レースかな? それを見て、彼女らをスカウトに行ったり行かなかったりするわけだ。

 

 

 スズカは別に次のスカウトを見ている必要はないので、私服に着替えたあとは隣で私に倒れかかってすやすやである。まあ数レース見ている間に起きるだろうし。イヤーキャップ越しのウマ耳を弄りながら、満足して穏やかに眠るスズカの上でメモ帳を取り出しておく。

 

 狙い目はやっぱりサクラバクシンオー……だけど、正直どんな子かにもよるし、あれだけ高い能力があれば引っ張りだこだろう。こちらが選ぶ側に無いのは厳しい。

 

 

 まあでも、当然私のチェックはステータスが強い子を中心にしている。そっちの競争は激しくなる。どちらかというならもう一つのチェック、脚質がワンパターンってのがメインになるかな。

 

 

「くしゅんっ!」

「……もう」

 

 

 上着をスズカに掛けつつ望遠鏡を覗き込む。レースは滞りなく始まりそうだ。私は最後列だが、前の方にいるトレーナー達の姿勢が変わった。さて、来年の私のため、未来のウマ娘のため……頑張らないと。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「……んんっ」

「あ、スズカ起きた?」

「ぁ……おはようございます……?」

「もう夜だけどね」

 

 

 スズカが目を覚ましたのは、帰りの車の中のことだった。最近寝不足ぎみなのかもしれない。ちゃんと寝ていると思っていたんだけど……走りたい走りたいで眠りが浅いのかな。夢を見てると浅いって言うし。

 

 

「あっ……すみません、私」

「気にしないで寝てても良いわよ。あと二十分くらいだけど」

「いえ、大丈夫です……うぅん……」

 

 

 眠そうに目を擦るスズカを見ると、ちょっと可哀想になってくる。まあそれを言ったらじゃあ走らせてくださいと言い出すに決まっているので言わないけど。お風呂の時間とか、空調とか……アロマはウマ娘には匂いが強かったりするし……枕も買い換えてみようか? 

 

 

「スズカは何食べたい? グラスワンダーを拾って、そのままご飯食べに行くけど」

「んん……何でも良いです」

「そう? まあ適当に食べようかな……」

 

 

 グラスワンダーもたぶん何でも良いって言うし。というか食べなくても良いとか言い出すからね。あの子まだ解ってないから。私が預かってるんだからお腹を空かせたら私の責任になるでしょ。誰も幸せにならない。

 

 

「いい人はいましたか、トレーナーさん」

「うーん……まあ、まあ……強い子はいっぱいいたわよ。私が育てられるかは微妙だけど……」

 

 

 件のサクラバクシンオーは今日じゃなかったし。また明日来ないといけない。模擬レース、中山じゃなくて府中でやってくれないかな。そんなことを思いながら、私達は帰路を進んでいった。




そろそろアンケート結果を見てルート分岐します(行き当たりばったりカミングアウト)ので、是非アンケートにお答えいただけると幸いです。


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定期的に惚れさせてくるサイレンススズカ

スズカが入ってないやん!だけどサブタイはスズカにしたい。そんな気持ちで日々やっています。


 

 次の日の午前、私は早速スカウトへ赴いていた。授業を休んだスズカも一緒である。

 

 ただこれはよくあることで、他のトレーナーの横にもウマ娘がいたりいなかったりする。専属の形でトレーニングを受けているウマ娘にとって担当が増えるというのは大変な問題であるし、先輩ウマ娘の話を聞きたいという後輩もいるからだ。

 

 

 よって、欠席届けも簡単に受理された。これはまあ、スズカの成績が良いというのもあるけど。

 

 

「さて、サクラバクシンオーは……」

「あ。あれじゃないですか?」

「え? ……うわ、つれぇわ……何よあれ」

 

 

 早速スズカの類いまれなるウマ娘視力により、サクラバクシンオーがいるらしい『人だかり』が見つかった。近付きつつ確認するが……うん、サクラバクシンオーだ。間違いない。

 

 完全に出遅れたみたいだ……私がスカウトする頃にはもう誰かが獲得しているだろうな。

 

 

「彼女のスカウトは……」

「ええ、相当厳しいでしょうね……」

 

 

 とはいえ、試してみないことには。早速はぐれないようスズカと手を繋ぎ、人混みに突っ込んでいく。

 

 

「それでは次の方! どうぞ!」

「サクラバクシンオー! 俺と一緒に頂上を目指そう! 短距離だけとは言わない! 君ならマイルでも──」

「も~~~~~しわけございません! 私と共に長距離まで走っていただけないなら、やはりお断りさせていただきます! では次の方!」

 

 

 そこでは、トレーナー達がサクラバクシンオーにスカウトを申し込んでは断られて、が繰り返されていた。彼女は一人一人に手を合わせ頭を下げ、やたらと大きな声でお断りを出しまくっている。

 

 

 サクラバクシンオー。写真の通り……というか、写真から容易に想像できるような元気印な桜色のウマ娘だ。本人の距離希望は無し、つまり全距離である。なかなか厳しいことを言うな、と思ったものである。

 

 それに、周囲のウマ娘が凄い目で見てるけど気にしてないのかな……? 図太い子なのかもしれない。選び放題のウマ娘はいつも変な目で見られるものだ。

 

 

「スプリンターとしてのスカウト……ですかね?」

「みたいね。たぶんみんなそうなんでしょう」

 

 

 そりゃそうよね、と手元のファイルを少し開いてスズカに見せる。同時に私は彼女の顔を眺め、いつも通りステータスを見抜いていく。

 

 

「圧倒的な短距離適性、マイルも万全ではないし、中長距離なんてほぼ不可能と言わざるを得ないわ。スピードは素晴らしいし……短距離なら天下を取れる素質があるもの」

 

 

 ここまで極端に短距離しか走れないというのもそういないだろう。一応少し鍛えればマイルまでは射程だろうが、主戦場は絶対に短距離だ。そうでなければ勝てない……し、そうすれば文字通り王になれる。

 

 

「……そんなに速いんですか……」

「うん。完成されてくればたぶんスズ……あっ今の無し、ごめ、スズカごめん、叩かないで叩かないで」

「トレーナーさん……? 嘘ですよね……? 私が一番速いですよね……?」

「うんッ! そうだねえ、スズカが一番速いねえ!」

 

 

 っぶねえ。危うくスズカより速いとか言いそうになった。いやでも、スズカと同じ領域に立てるウマ娘だよ、あれは。短距離に限ればスズカでも勝てないし、マイルでも1600なら届き得る可能性がある。

 

 純粋な逃げウマでもないから、スズカに先頭を譲った上で抜かすことができるかもしれないし。

 

 

 ……しかし、これは彼女のスカウトは無理だろうな。私としては自分のウマ娘には勝って欲しいし、そのためのトレーニングをさせるつもりだ。だからスズカにも走らないよう言ってるんだし。

 

 聞いた感じだとサクラバクシンオーはスプリンターとしてのスカウトを望んでいない。私はスプリンター以外で彼女をスカウトするつもりはない。どう考えても上手く行かないのに時間を使っても仕方がないだろう。勿体無い……担当したかったんだけど。

 

 

「他を当たろう。サクラバクシンオーはやめる」

「だったら……あ、あっちにもまだ人だかりがありますよ」

「……本当だ。そっちも見ようか」

 

 

 スズカとのウィンドウショッピング感覚で、人が集まっているウマ娘の所をいくつか回ってみる。ただやはりというか、私がファイリングしている強いウマ娘は他のトレーナーも目を付けていて。今から行っても何も起こらなさそう、というのが正直なところだった。

 

 

 そうしていくつか回って、これは仕方ないし失礼だけどあんまり声のかかっていない子のところに行こうかな、なんて思っていた時のこと。

 

 

「次は……あそこはまだ行ってませんよね?」

「行って……ないね。あれは誰だ……?」

 

 

 捲る捲る。五、六人だが、結構時間が経っているのにずっと話している印象がある。中心にいるのは……そう、ミホノブルボンだ。

 

 無理に真顔を作ろうとして逆に変顔みたいになってしまっていたサクラバクシンオーとは対照的に、あまりにも自然な無表情で写真に写っていた子。チェックはしている。何故なら逃げしかできなさそうだったから。

 

 

「行ってみようか」

「どんな子ですか……?」

 

 

 ファイルを覗き込むスズカに見せてやりながらミホノブルボンの元へ。でもまあ、たぶん今いる人達にもかなり口説かれてるだろうし、ここも厳しいような気はするなあ……

 

 

「そんなこと言わずに、ね? たとえば春秋スプリントだって立派な称号よ?」

「申し訳ありません。何度も繰り返しますが、クラシック三冠ウマ娘を目指すことは必須事項です」

「だけどミホノブルボン、君の能力はどう見てもスプリンターで……」

「……それは理解しています。ですがそれでも、私はスプリンターとしてのスカウトを受けることはできません」

 

 

 ……こっちも拗れてるなあ、おい。

 

 

「サクラバクシンオーさんと同じ感じですかね?」

「いや……向こうとは少し違うかな。私は彼女のレースを見ていないから何とも言えないけど……」

 

 

 短距離C

 マイルB

 中距離A

 長距離B

 

 

「……彼女がスプリンターには見えないんだよねえ」

 

 

 適性だけを見るなら彼女はどう見てもステイヤー寄りだ。いや、ステイヤーというには長距離がやや苦手か。どちらにせよスプリンターではない。間違いなく。

 

 ……まあ、確かにスタミナはめちゃくちゃ低いけど。嘘みたいに低いけど。スピードは悪くないし、距離適性も少し鍛えるだけで長距離も走れる。ひたすらスタミナを鍛え続ければ不可能ではないと思うんだけど。

 

 

「スプリンターではないんですか? みなさん、そっちでスカウトしてるみたいですけど……」

「……私の見立てだと違う……かな。私だったらスプリントレースより普通にクラシックを走らせるし……なんでだろ」

 

 

 たぶん、彼女の今の走りがよっぽどスプリンター然としているか、スタミナが無さすぎてスプリンターだと思われているかどちらかだろうな。ちなみに私は資格試験もギリギリの自分のことを信じていないので、基本的には目で見たステータスを信じることにしている。

 

 

「次のクラシックは彼女ですか?」

「うーん……私はそう思うけど……」

「トレーナーさんがそう言うなら……え、トレーナーさん、ミホノブルボンさんが来ます」

「え? なんで?」

 

 

 考えるのをやめて向き直ると、確かにミホノブルボンがこちらへ真っ直ぐ歩いてきていた。え? 逆スカウト? なんで? スズカを連れているから? まあ確かに同じ逃げウマだし、狙い目ではあるけど……

 

 

「失礼します。今、私の距離適性について話しているのを聞きました」

 

 

 地獄耳が過ぎる。流石はウマ娘。

 

 

「え? あ、うん。話してたけど……」

「もう一度それを聞かせていただけますでしょうか」

 

 

 無表情……無表情? どこか縋るような目にも見える。ともかく、ミホノブルボンは私とスズカに頭を下げると、それきり話さなくなってしまった。

 

 まあ、これもスカウトのチャンス。それに、私は嘘偽りを言っているわけじゃない。少なくとも私にとって私のこの目は真実だ。正直に一つずつ話していく。ミホノブルボンの距離適性はマイルから中長距離であるように思えること、目下の課題は単純なスタミナ不足であるように感じること。

 

 

 それらを聞くと、ミホノブルボンはゆっくり目を閉じ、それからその鋭い目線をこちらにキッと向けた。

 

 

「……私の目標は、クラシック三冠達成です」

「……そうなの」

「ですが同時に、私自身はスプリンターに向いていることは自覚しています」

「……そう」

「正直に申し上げますが、私に対して、短距離に適性が無いと言い切ったのは父も含め初めてで……プロセス:『疑い』をあなたに向けています」

 

 

 そんなこと言われても。胡散臭いのは解るけどそう見えちゃったんだから仕方がない。私はスズカの前トレーナーのこともあり、ベテランの目利きよりもこの能力が正しいと思ってるけど。

 

 

「しかし、サイレンススズカさん。あなたを育てたトレーナーの手腕については、信頼に値すると判断します」

「ええ。良いトレーナーさんよ。たまに意地悪だけど」

 

 

 人前でそんなこと言うんじゃありません。変に思われるでしょ。

 

 

「……ですので、もしあなたが私のマスターになっていただけるなら……私は、それを望みます」

「……そう……そうね……」

 

 

 頷くのは簡単だ。でも、果たして良いのだろうか。彼女は明らかにスズカとは違う。レースに、あるいは特定のレースに執着して、一着を取りたいと感じている。そんな彼女を、私が育てきれるのか? 

 

 スズカの才能に、私はおんぶにだっこだ。ミホノブルボンにそれがあるかは解らない。

 

 

「……あの、ミホノブルボンさん……少し考えても良いですか? 明日、またここで待っていてください」

「……了解しました。では明日」

 

 

 悩んでいるうちに、スズカが対応して彼女を帰してしまった。結論は出ないまま、スズカに連れられる形でトレーナールームまで戻る。気を遣わせてしまったのだろうか。不甲斐ない。そんな気持ちから、謝罪が口をついた。

 

 

「……ごめんスズカ」

「……? いえ、お昼ご飯の時間ですから。午後はグラスワンダーさんと走るんですから、時間がかかっても困ります。走って待ってて良いならいくらでも待ちますけど……」

「私のエモを返して……?」

 

 

 平気な顔をするスズカを見て、ちょっと元気が出た。ファイルは机にしまい、早くしてくださいと急かすスズカを追って食堂へ歩き出す。

 

 

「それで、どうしてさっきはすぐに返事しなかったんです?」

「え? うーん……ちょっと、自信が無くて……」

「なんでですか?」

「なんでって……」

 

 

 彼女はスズカではないから、なんて失礼なことは言えないけど、それでも何かを言おうとした私に、振り向いたスズカは微笑んで言った。

 

 

 

「私がこんなに速いんですから、トレーナーさんにも自信を持ってもらわないと困っちゃいます」

 

 

 

 …………この、ばか栗毛め。

 

 

「何なら今から走りますか? トレーナーさんのために。トレーナーさんのためにですよ?」

 

 

 台無しだよもう。



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たまには空気も読めるサイレンススズカ

「じゃあ二人とも、頑張ってね。今日は2500と2000。スズカはこれ、重りね」

「はいっ」

「解りました」

 

 

 午後。連日貸し切る形になっているターフグラウンドで、スズカとグラスワンダーが走る準備をしている。いつもながらチョッキとリストバンド型重りを着けるスズカは、深呼吸の後やる気を高めるグラスワンダーを気にすることもなく私の方に寄ってくる。

 

 

「今日は長距離が先なんですか?」

「うん。スズカもそろそろ重り着けて走るのに慣れたでしょ? たまには中距離、制限無しに走っておいで」

「やったあっ」

「あっ待って重り付きで抱き付かないで死ぬ死ぬ死ぬ」

 

 

 コースに出る二人。スズカの適性はマイル中距離なので、2500は不得手……ということになる。2400は走れるのに? と思わないでもないが、実際走ってみると何故かタイムが出ない。

 

 一方、グラスワンダーの長距離適性はA。得意距離である。とは言え、マイルから走る都合上こっちもあまりにも長い距離は得意ではないらしい。何故か中距離がBなのは少し気になるが、今のところ比較対象がスズカのみなので問題があるかは解らない。

 

 

 二人がスタート位置についたのを見て、スタートのホイッスル。いつも通りスズカがロケットスタートを切り、そこそこのグラスワンダーが続いていく形だ。ただし、大きく引き離される形で。もちろんグラスワンダーが流しているのに対してスズカは飛ばしているから一概には比べられないけれど。

 

 ただ、スズカの走りはやはり全力と比べれば劣る。それでも突き放すスピードは流石だ。かなりパワーも付いてきたからフォームも崩れず走れている。もちろんそれに慣れちゃうといけないので今日の二レース目は自由に走らせることにしたのだ。

 

 

 早くもスズカが後半に差し掛かり、ここでほんの少しだけ息を入れている。スズカの伸び脚はこの一瞬の減速により生み出されるもの、だと思っている。スズカ本人は休んでいる意識は無いみたいだけど、まあその時点で抜かれるようなリードではないし、最後に伸びた方が強いし、熱い。

 

 

 そして直線からコーナーへ入る。ちなみにもう一つスズカに不利なことはあって、それはまあ、グラスワンダーが外を回る必要が無いということ。

 通常差しウマであれば、この時点で少しずつ外に出るか、内から抜くコースを見ておかなければならない。だが二人で走る以上、最低限最終コーナーで少し膨らめば直線で並べることになるのだ。

 

 

 グラスワンダーも少しずつ位置を上げている。重りの影響で思いの外速度の下がったスズカにかなり迫ってきた。スピード差とスズカの最後の減速を考えれば、もう五バ身……いや六バ身くらいまで詰めておくべきだ。

 

 

 ……が、無情にもスズカは最終コーナーで伸びる。第一の伸び脚が詰まっていく距離を留めた。双眼鏡越しのグラスワンダーの顔が歪むと同時に、スズカの目が燃える。姿勢は低く、前に前にと速度を上げていく。

 

 ……勝負あったわね。

 

 

 グラスワンダーもスズカも最終直線で伸びる。もちろん、脚を溜めてきたグラスワンダーの方が最大速度から考えれば切れ味はあるだろうけど……そこは能力差の方が大きい。ここから差は詰まらない。何故かって、スズカが先頭だからだ。

 

 

 最終直線、スズカはやはり伸びる伸びる。第二の伸び脚がグラスワンダーを突き放す。重りをつけてその切れ味はいつもよりは鈍いものの、それでもじりじりと差が開いていく。

 

 グラスワンダーは……かなり厳しい。ハンデ付きとはいえスズカに追い縋れるのは才能だけど……ラストスパートで大幅に減速したスズカにそれでも届かずほとんど大差に沈んだ。

 

 

 やはり今日もそれ以上は何も起きず、笑顔でスズカがゴールしていた。いつもの通り、適性以上の距離を走ったスズカよりもそれを追ったグラスワンダーの方が体力を使い果たして倒れている。

 

 

「お疲れスズカ、グラスワンダー」

「はいっ。あの、次は何も無しで走って良いんですよね?」

「うん、グラスワンダーが復活したらね。大丈夫、グラスワンダー?」

「はい……お気遣い……なく……っ」

 

 

 息も絶え絶えのままそれでも気丈に振舞おうとするグラスワンダー。最近は、この子はどうやったら折れるのかと思い始めている。いくら負けても折れない闘志があるというか……何度もやって一度も届いていないのに、それでも差す瞬間は殺す気で走ってくる。

 

 

「グラスワンダーも聞いてたと思うけど……次はスズカが制限無しで走るからね」

「はい……はい……!? っ、はっ……あっ……」

「!?」

 

 

 一応グラスワンダーにも伝えておくか、と声をかけておいただけなのだけど……突如として彼女はターフを殴りつけ、切ない声を上げたと思うと、胸を押さえたまま動かなくなってしまった。頭を抱えるように座り込み、少し見える横顔は思い切り歯を食い縛っているように見えた。

 

 

「どうしたのグラスワンダー! 何か体調でもっ……」

 

 

 慌てて駆け寄る。ターフに雫が滴った。汗も、そして、彼女の頬に熱いものが流れていた。

 

 

「違います、何もありません、何も……」

「嘘つかない! 何も無い人がそんなことするわけないでしょ!? すぐに医務室に……」

「本当に、何も、無いんです……ただ、ただ……っ!」

 

 

 手を伸ばした私を、グラスワンダーは片手で制する。疲れと、それから嗚咽でつっかえながらも、彼女は仰向けに倒れてその顔を隠してしまった。

 

 

「ただ……?」

「私……今、安心しました……っ」

「……なんて?」

 

 

 泣きながら、グラスワンダーが叫ぶ。とりあえず体に異変が起きたわけではなくて助かった、けれども……今のどこに、安心するところが……? 

 

 

「安心してしまいました……ハンデの無いスズカ先輩と戦うことにっ、勝てなくても仕方が無いと思ってしまった……!」

「……グラスワンダー」

 

 

 ……まだ勝てると思っていたのね。

 

 

 いや、舐めているわけじゃない。むしろ驚いているのだ。ここまで負け続けてなお、本当に勝ちを狙って走っていたなんて。苦しむグラスワンダーに何を言ったら良いのか解らない。

 

 

「……あの、その……」

「……すみません、私の、私に、非があります……から……」

「…………グラスワンダー?」

 

 

 ゆらりと立ち上がり、グラスワンダーは涙を流したまま私達に頭を下げた。そしてそのまま、震える声で続ける。

 

 

「お世話に……ぃっ……なりました……っ、私っ、もう一度、すべてやり直します……から……っ」

「…………」

「その時に……もう一度……私と戦ってください……!」

 

 

 折れているようには、見えないけど。それでも私がどうこう言っても仕方がない。私としては、むしろスズカに勝てないという当然のことを思ったくらいでそこまで悔しがらなくても、とは思うんだけど。

 

 

「……うん。待ってるよ。スズカもいつでも走るもんね」

「……はい。待ってるわ。何回来ても、返り討ちにするから」

「………………っ!」

 

 

 スズカの言葉がトドメになったのか、弾かれるようにグラスワンダーは飛び出していった。少し疲れの残る身体を引きずるように、体操服の袖で何度も涙を拭いながら駆けていく。

 

 そんな彼女の後ろ姿に、スズカの顔も少しだけ曇っているように見えた。

 

 

「……行っちゃったね、グラスワンダー」

「はい……でも、彼女が決めたんですから」

「まあ、そうだね……いつ戻ってくるかな。半年? 一年?」

「……さあ? 私に勝つまで、なら……永遠に戻ってこないですよ」

 

 

 スズカは珍しくそう断言した。ウマ娘にとっての勝負というものがどんなものか、ほんのちょっとだけ解った気がした。

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「じゃあ私は走ってきます!」

「うん……うん? いや待って、もう走らなくて良いわ」

「……え?」

 

 

 え? じゃないでしょ。グラスワンダーが行ってしまった後、それでもなおコースに出ようとするスズカの肩を掴んで引き留める。

 

 

「どうして……? 今日は走って良いと聞いてますけど……」

「グラスワンダーのためにね。グラスワンダー、もういないでしょ」

「……いえ、彼女もきっと見てくれています。走りますよ私は」

「見てるわけないでしょ」

 

 

 ウマ娘の方が視力は良いから否定はできない。白々しく言うスズカを雑に否定して、額をぱしんぱしん弾く。

 

 

「ぁぅっへぅっゃぅっ」

「走るの禁止ぃー。もう後輩のためって言い訳は使わせません」

「そんなっ、酷いですっ、嘘っ、つきっ」

 

 

 うるせえ。

 

 

「ゃぁ……走りたい……」

「だめ」

「でも、もう走る気持ちなんですっ。走らないといけないでしょう……?」

「知らない知らない」

「おかしいですよ……!」

 

 

 静かに怒り、ごつんごつん私に頭突きをかましてくるスズカ。まだ重りをつけているから体当たりが痛すぎる。そんなワガママいけません。めっ。

 

 

「もう気持ちと脚ができてるのに……勝手に走っちゃいますからね」

「だめよ。勝手に走ったら一週間禁止ね……うわっとっとっ」

「ぇぅ……」

 

 

 そのまま倒れ込んできたスズカに押し倒される。しっかり見ておかないと本当に勝手に走るからなこのあほ栗毛。上手く抜け出して、だだをこねるスズカを引きずろうとするも力が足りない。

 

 

「やです、走る、走りますぅ……」

「もー。このところ毎日走ってるでしょ? 今日はお休みで良いから、ね?」

「あぁ……グラス……」

「グラスワンダーがいれば、みたいな顔しないで?」

 

 

 流石のスズカもさっきのグラスワンダーに口は挟めなかったのね……そりゃそうか。

 

 

「お願いします、一回だけ、ちょっとだけですから……」

「ちょっとでもだめ。はい、我慢しようねー」

「ああー……」

 

 

 スズカに抱き付かれながら強引に歩き戻っていく。さて、何とかここからスズカを宥めて、ミホノブルボンを受け入れる準備をして……あとはまあ、まあどこか自由に走れる場所を探しておこうかな。

 

 

「もう一回グラスを呼んできますから……」

「頼むからそれだけはやめてあげて……?」

 

 

 この後トレセンを何かを探しながらうろつくスズカが私に目撃された。あえなくお縄になり、ランニング禁一週間の刑である。




グラスは別にレギュラーとかではないです。ブルボンは新レギュラーです。


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走ることを語ると止まらないサイレンススズカ

投稿が開きましたがエイシンフラッシュは二万円で出ました。可愛い可愛い。作者の趣味がバレますね。そう、栗毛が好きなのではないのです。元気な子より落ち着いている子が好きなのです(天下無双)

つまりスズカです。


 

「ではミホノブルボン。私があなたをスカウトします。私と一緒にトゥインクルシリーズを駆け抜けましょう」

「はい。スカウトを受理します」

 

 

 午後。十数分に渡る『説得』の末スズカを大人しくさせた私は、必要な書類を書き上げた上でミホノブルボンとの約束の場所に来ていた。完全に拗ねてしまったうちのウマ娘を自宅に放って、新たなウマ娘のスカウトである。

 

 

 変わらず無表情のミホノブルボンは、私が差し出した書類を手早く読み込むと、すぐさま私の目をじっと見つめてきた。変化の無い棒読みのまま、しかしそれでも不思議な重みのある声で私に告げる。

 

 

「ですが、先に確約していただかなければなりません。私を、皐月賞、日本ダービー、菊花賞のクラシック三冠レースに、あなたが思う最善の状態で出走させることをです」

 

 

 だが、不本意なことにスズカに元気つけられた私はそんなものには怯まない。大丈夫だ。私のやることは変わらない。スズカの名にも賭けて、弱気になってはいけない。右手を差し出し、まっすぐ彼女を見返す。

 

 

「約束しましょう。あなたと三冠を取ってみせるわ。だから私を信じなさい。最短でそこにたどり着く」

「……了解しました。これよりあなたを私のマスターと認め……つまり、これからどうぞよろしくお願いします、ということです」

 

 

 ミホノブルボンはその手を両手で掴み、恭しく頭を下げた。

 

 

 ……マスターって何? 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「じゃあブルボン。早速だけど紹介するわ。知っていると思うけど、こちらがサイレンススズカ。あなたと同じ逃げしかできないウマ娘よ」

「……マスター。彼女の目から、謎の感情を感知しています。これは……?」

「気にしないで。そのうち解るけど、いつものことだから」

 

 

 私の部屋にて。ブルボンを連れ帰った私を待っていたのは、玄関先でシューズを履いて脱走しようとしていたスズカであった。

 

 ミス油断できないちゃん、うちのじゃじゃウマ娘を捕獲して、初日の挨拶だからとしっかりと私の横に座らせた。走れないし、私の家にいるのにすり寄ることもできないスズカはさっきまでに増して拗ねている。

 

 

「スズカ、挨拶は?」

「……サイレンススズカです。よろしくね。好きに呼んでね。好きなことは走ることです」

「よろしくお願いします……リーダー」

 

 

 なるほど、複数のウマ娘を担当している私達は確かにそれだけでチームだ。ふてくされているこの栗毛も、ブルボンにとってはチームリーダーだね。でも私はトレーナーで良くない? なに、マスターって。

 

 

「基本的にブルボンとスズカは一緒にはトレーニングしません。スズカは……それで良いよね。ブルボンは大丈夫?」

「はい。マスターの指示に従います」

「よし。じゃあブルボン。早速だけど、トレーニングの方針を決めましょうか」

 

 

 何度もブルボンの目標を確認して信頼を煽りながら、スケジュールカレンダーを広げる。流石に興味があるのかスズカが横から覗き込んできた。不満げに擦り寄ろうとする彼女を少しだけ押し返しながら、ブルボンに立てた計画を指さして確認していく。

 

 

「まず、目標、必須となるレースは皐月賞、日本ダービー、菊花賞の三つ。クラシック三冠から……その後はとりあえず王道のシニア路線を考えているけど、それについては?」

「異論ありません。三冠ウマ娘に求められるものも考慮し、有記念や天皇賞などに進むことが必要だと判断します」

「ダービー……芝2400……あああ……」

「ほら、頑張ってスズカ。気をしっかり持って飛んで行かないで」

 

 

 頬を軽く叩く。仕方が無いので甘えるのはもう許容することにする。どうせそのうちブルボンにもバレるんだし、出会って数日とはいえ彼女がそうそう周りに大きな声で言いふらすようなウマ娘には見えない。全部終わったら説明することを決め、膝の上にスズカを寝かせる。ごめんね、とブルボンに言ってみるが、まったくもって気にしていない様子でいえ、と返されてしまった。あの、トレーナーと担当ウマ娘が膝枕してるんですけど。え? 本当は良くないって思ってたの私だけ? ブルボンはこれを見て何も思わないの? 

 

 

「肉体的接触は信頼や友愛を刺激し、高めるための有効な手段であると思われます。何の問題も検知していません」

「そう……で、まあ、まずは皐月賞ね。ここまでにG1を一個経験しておきたいし、何なら勝っておけば皐月賞への出走も確定させられる。考えているのは朝日杯だけど、どう?」

「承知しました。当面の目標は朝日フューチュリティステークスでよろしいでしょうか」

「正確にはメイクデビュー後、様子を見ながらG3程度の重賞に出たいと思うわ。そのためにメイクデビューは確実に、一回で、できるだけ圧倒して通過します」

「了解しました。一時優先目標を、メイクデビュー勝利に設定します」

 

 

 なんて話が早いんだろう。スズカと目標レースを決めるときは結構難しかったのだけど。自由人だしねこの子は。それが強みだからどうでもいいんだけど……出られるならどんなレースでも良いとか平気で言い出すから、全面的に私が決める必要があった。ウマ娘に目標レースがあるって良いことだね。

 

 

 その後、今までミホノブルボンがやってきた練習を聞き出しておく。彼女は淀みなくそのメニューを語った。地元で、父親にどんなメニューを課されてきたか……その、どう考えても過酷としか思えない練習メニューを。

 

 

 坂路坂路坂路。この子の地元には坂路しかなかったのかと思えるほどの一辺倒なトレーニングだった。スズカがやったらすぐに倒れる。いや、スズカでなくても、普通のウマ娘ならとっくに死んでいるレベルだ。自主トレーニングのレベルをはるかに超えている。だが、私が見ている限りでは彼女には何の不調も見られないし、調子も良い。特に丈夫なのだと言われればそれまでだが。

 

 

「本当に坂路だけ? 走り込みや水泳は?」

「ほとんど行っていません。お父さんは、私にはスピードは足りているからと言っていました。足りないスタミナを底上げし、中央でトレーナーさんに見つけてもらえるように頑張れ、と言われて育ちました」

「なるほどね」

 

 

 確かにそんなステータスだ。坂路練習は根性が伸びるが、スピードやパワーが少しずつ伸びる。根性が伸びると粘り強くなったり、スタミナが切れた後無理が利くようになるので体感ではスタミナが伸びているように感じられるのだ。まあ、それは恐らく私でなければ知りえないことだろう。

 

 

「じゃあそうね。一度今までやっていた通りの練習を見せてもらえる? 私も書類を提出するから、その間に準備しておいて」

「承知しました」

「スズカも一緒に走る? 坂路だけど」

「……やです……普通に走る……」

「もう……ああ、ブルボン、一度ここは終わりよ。着替えておいで。そっちの部屋を使って良いから。トレーニングウェアは持ってきたよね?」

 

 

 はい、と平坦に返事をして去っていくブルボン。ワガママスズカは……まあ、気持ちは解らなくもないけど。走れると思ってたら取り上げられたんだもんね。一週間禁止になったのは自業自得だけど、私も本当にスズカが一週間我慢できるとは思っていないし。どうせ勝手に破るでしょ。犬か猫みたいに丸まって動こうとしないスズカの体を起こし、縦に抱くように膝に座らせる。

 

 

「ほらスズカ。元気出して?」

「うぅ……トレーナーさん、残酷だと思いませんか? 走るって気持ちにしておいて……一番辛いです」

「痛い痛い。おっぱいもげちゃうって。しょうがないでしょ? これでグラスワンダーの色々も終わったんだから、生活も元に戻るじゃない」

「ご褒美くれても良いんですよ? 走らせてください」

「いや、グラスワンダーのあれが始まったのはスズカのせいでしょ」

「へぅ……」

 

 

 あ、調子が下がった。うーん、好調くらいまでは良いんだけど、普通になるのはいただけない。手のかかる子だ。頭を撫でてあげながら、ぐりぐりに頭を押し付けてくるスズカを少しだけ押しのける。

 

 

「やです……走ります、絶対に走ります……」

「そんなこと言わないで? スズカももう先輩よ? ちゃんとしたとこ見せないと」

「走らせてくれたら考えます」

「ダメって言ったらどうするの?」

「ブルボンさんとたづなさんにあることないこと話します」

「えげつないことするわね!」

 

 

 甘えながらなんて怖いことを言うんだ。そんなことされたらただでは済まない。いや、絶対にクビにはならないけど減給とか……だめだめ。私が自由に使えるお金はトレセンの給料だけなんだぞ。スズカとは関係ないところだけ。それが減らされたら……減らされてなんかあるか? 何も無いかもしれん。いやいや……どんな悲しい日々を送っていたらそんなことになるの? 

 

 ……まあ、まあ……スズカもいるし、別に寂しくは無いけど、しばらく親には会わない方が良いかもしれない。

 

 

「じゃあちょっとだけ聞いたげるから。どこで走りたい? 夜?」

「夜風と月明かり……も捨てがたいですけど、私は昼間に走るのも好きですし、どちらかと言えば走る場所の方が大切です。自然に近い場所の方が走っていて気持ちいいですよね。やっぱり広い野原とかが理想なんですけど、走った道が解りやすいって意味だと普通の道でもいいかもしれませんね。でも、アスファルトはやっぱり芝に比べると劣るような気もしますし……悩んじゃいますね……」

「待って待ってスズカ」

「最近気が付いたんですけど、海風って言うのも結構気持ちいいんです。景色も良いですし、どこまでも走っていけそうな気がして……都会で走るのとでは空気が違います。あ、でも都会で走るのが嫌ってわけじゃないんですよ? びゅんびゅんビルが視界から消えていって、ああ、走ってる、って実感できますし……でも、たまに飛ばしてる車に追い抜かれるのが嫌なんですよね……だったらやっぱり原っぱが良いんですけど……あんまり遠出するのも……ブルボンさんの練習も田舎でむぎゅっ」

「ストップストップスズカ。ごめん。私が悪かった。私が悪かったから要望は止めよう。ね?」

 

 

 止まらないスズカの口を塞いで、ソファに投げ捨てる。ああー、なんて言いながら飛んで行くスズカ。そろそろブルボンの着替えも終わる頃だろう。なんとこの短時間でスズカの調子は少し上がっている。こいつ……妄想だけである程度満足してしまった……? 毎回それやって? それだと助かるからさ。

 

 

「とにかく一週間は禁止って言ったんだから何をするにもその後。じゃあスズカは坂路走らないってことで良いのね?」

「……それは走ります」

 

 

 スズカは唇を尖らせて、ソファに寝転がったまま呟いた。いや走るんかい。坂路でもいいんかい。

 




ブルボンのトレーニング周りは設定のガバが多発するかもしれませんので、意味解らなかったら指摘してもらって構わないし嬉しいですけど、「それはガバです」としか答えられない可能性があります。

というのは、流石にブルボンには「坂路」をメイン練習にしてほしいので、そのために世界が歪むからです。ただでさえ歪んでるのに。目を瞑って楽しんでいただけると幸いです。


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人気と信頼を一手に集めるサイレンススズカ

前回言った通り、今のところこの作品一番のガバがあります。許して許して。仕方無かったんです。ブルボンのメイン練習は坂路。それは流石に譲れなかった。


 

「はい。じゃあ走りましょうか、ブルボン」

「了解しました。いつもお父さんとやっているようにでよろしいですか?」

「ええ。その通りに。スズカもじゃあ並んで」

「はいっ」

 

 

 トレセンの坂路コース。ウッドチップの敷き詰められたコースで、二人がストレッチをしながら並んでいる。

 

 坂路練習とは、その名の通り坂道を上り下りするというだけの練習である。メインは上りで、上り坂を駆け上がることでスタミナがつく、というのが現在の見方である。あとパワーも結構つく。

 

 ただ、ステータスを見ることのできる私は、スズカや他のウマ娘の練習を見て、それぞれのトレーニングで何のステータスが上がるのかを検証し終わっている。少なくとも坂路練習は主に根性が伸び、次いでスピードとパワーが伸びてくる。スタミナは伸びない。

 

 

 だからまあ、ブルボンは根性が高めでスタミナが非常に少ないのだろう。スピードやパワーも悪くはない程度に収まっている。

 

 

「スズカは……そうね、ブルボンより必ず前にいること。あなたの方が速いんだから負けちゃだめよ」

「負けなかったら後で走っても良いですか?」

「だめ」

 

 

 ぁぅ、とスズカには引き下がってもらい、早速真っ直ぐに伸びるコースへ入らせる。笛を吹くと、二人はかなりのペースで突っ込んでいった。

 

 

 速い……凄いわね。スズカが速いのは知っていたけど、ブルボンもスタートダッシュに限れば近しい能力がある。地力の差こそあれど、やはり逃げしかできないウマ娘というのは多かれ少なかれこういう性質がある。先手必勝を信条としているからだ。

 

 

 徐々に増えていく傾斜を前に……おお。二人とも減速する素振りを見せない。スズカは思いの外スピードが出ないという事実に掛かりまくっているが、ちゃんと加速するから大したものね。

 

 ブルボンも走りは安定している。スズカに追い付こうとでもしているのか少し前傾が過ぎるものの、しかしブレの出なさそうな走り方だ。良いね。

 

 

 さて、走っているうちにステータス上昇を見よう。これはまだ検証できていないことで、ウマ娘それぞれに伸びやすいステータスがあるかもしれないという仮説だ。スズカはスピードが上がらないので検証ができなくて……

 

 

 ……ん? お? 

 

 

 双眼鏡でブルボンを見る。すぐに今のステータスが見えるんだけど、伸びてるステータスは見て解るようになっている。スズカはちゃんと根性とパワーが伸びている……のだけど。

 

 

 ブルボンはスピードスタミナが伸びている。ええ……? どういうことなの。坂路のメインが根性なのは間違いないんだけど……一度視界を切って、何度見てもやっぱりスタミナが伸びている。

 

 走ることそのものは順当に少しずつ差が開き続けて終わり、流しながら二人が戻ってきた。スズカは満面の笑みで、ブルボンは無表情のままで。

 

 

「お疲れ。距離はどう? ブルボンの地元と違うよね?」

「はい。私が今まで遂行していた距離に比べ200mほど長く設定されています。ですが、傾斜が0.5%程度緩くなっています」

「…………凄いねえブルボンは。測定機じゃん」

 

 

 後ろでニコニコしながら次の出走を待っているウマ娘とは大違いである。信じられるか? さっきまで坂路はちょっと違うみたいな反応をしてたんだぜ……? 

 

 だけどまあ坂路の違いなんて正直どうでも良くて。何よりも何故か坂路でスピードスタミナが伸びていたという事実の方が驚きである。もちろん数値はこんなんじゃ変動しないが、ひたすらやっていればスタミナが上がっていくのだろう。

 

 

 …………まあ良いか? だったらひたすら坂路で良いもんね。スピードとスタミナが最優先なんだし、むしろ好都合かもしれない。

 

 

「ちなみにブルボン、いつもはどれくらいやっているの?」

「連続では四本、4000mほどです。それを朝と晩に行っていました」

「……ふむ」

 

 

 逆に、そうであればいかに坂路をたくさんやるかがブルボンにとって重要になってくる。恐らく負荷に強いだろう彼女の身体を活かし、強引にスタミナを上げ続けていくのが一番早いわね。

 

 

「じゃあブルボン、もう二本行って。インターバルは一分で」

「オーダーを受理しました。インターバル一分の後もう二本行います」

「私も……」

「スズカは一回ここで待ってて」

「ええ……? でも、もう一回……」

「はいはい。ごめんね。一回だけ休みね」

 

 

 朝と晩に4000mずつ。正直破格の練習量と言える。そもそも坂路は脚へのダメージを抑え、その代わり身体機能へ強い負荷をかけるトレーニングであり、3000mが精々、それだって朝晩でやるようなものではない。他のトレーニングと並行して少しずつやるようなものだ。

 

 

 渋るスズカを腕に抱え込み、ブルボン一人が再び同じペースで走り出す。……うん。スズカがいなくてもやはり変わらない。理由は解らないが、ブルボンは坂路でスピードとスタミナが上がるという性質を持つ、ということだろう。にしたってじゃあ地元での坂路は何だったのって話だけど。

 

 もちろん、そもそも坂路の根性の伸びもベストではなく、ブルボンの坂路も伸び率は良いように思えない……が、それでも強い。その二つを同時に上げられるなど存在して良いトレーニングではない。

 

 

「トレーナーさん?」

「ん……いや、ううん。どうしたのスズカ」

「いえ……ブルボンさん、凄く減速してますけど……」

「え? あ……本当だ」

 

 

 向こう正面で、ブルボンがへろへろになっている。別にトラブルがあったわけじゃなさそう。単純に体力が尽きただけかな。さっきまで平気な顔をしていたはずだけど……あ違うか。スズカと走った時のペースで走ったから二本目で疲れているんだ。

 

 

「はっ……はっ……はぁっ……」

「ブルボン? 大丈夫?」

「スタミナの激しい消耗による……一時的なパフォーマンスの低下です……問題ありませ……ん……」

「……まあ、大丈夫なら良いけど」

 

 

 息も絶え絶えに戻ってきたブルボンは、肩で荒い息を繰り返し、口も開けたままだった。しかし、不調は起きていない。まだ大丈夫だ。本当に疲れているだけだろう。

 

 タイムの調整も早いとこやっておかないと。

 

 

「じゃあ次はスズカも走って良いよ」

「やったっ。一分ですよね?」

「いや、流石にブルボンが……」

「問題……ありません……っ、オーダーは忠実に遂行します。残り二十二秒でスタートします」

 

 

 誰がどう見ても走れるようには見えないけど、それでもふらふらとスタートラインに向かっていくブルボン。原因でもあるスズカは非常に楽しそうで、またスズカが後輩を虐めているみたいになっている。

 

 そしてきっちり帰ってきてから一分。ブルボンが走り出し、それを追ってスズカも飛び出した。

 

 ……が、流石に今回は全くと言って良いほどついていけていない。ぐんぐんと離される一方だし、ブルボン一人だけを見ても完全にバテている。かなり厳しそうだ。一気にフォームも崩れている。

 

 

 そして帰ってきた頃には、ブルボンはほぼ機能停止レベルまで疲れきって、私の前に直立している間もふらついていた。今にも倒れてしまいそうになりながらも、ブルボンは、オーダーを遂行しました、とだけ言ってきた。

 

 

「うん。大体解ったわ。ありがとうブルボン。今日は早いけどこれで終わりにします。次から目標タイムを定めるから」

 

 

 了解しました、と必死の呼吸の中少し頭を下げて、歩き出すのも危うく見えるブルボン。スズカと二人で支えて、仕方がないのでそのまま車の後部座席に彼女を乗せた。

 

 

「寝ちゃいましたね」

「まあ……仕方無いわよ。スズカが速すぎるから」

「そうですか……? ふふ、照れますね」

「褒めて……いや褒めてるか。褒めたわ。褒めたけど調子には乗らないでね」

 

 

 スズカについていく必要はないと言っておけば良かったな。あるいは言っていてもついていこうとしたのだろうか。どちらにせよスズカと一緒には走らせられないな……これは。

 

 

 スズカのシャワーを待ちつつブルボンの実家の住所を学園から聞き出し、二人で彼女を送りに行く。一月にならないと寮の部屋が用意されないのだ。毎日わざわざ電車で田舎から出てきてるブルボンには頭が下がる思いだ。

 

 少しずつ周囲から建物が減っていき、どんどんと田舎の方へ入り組んでいく。道幅も狭いし舗装も不十分だしスズカが隣で景色を見ながらそわそわし始めたし。もう帰りたいもん。

 

 

「……トレーナーさん、あの、ま、窓を開けても……?」

「だめ。我慢できなくなるでしょ」

「でもその、大丈夫ですからちょっとだけ……」

「だめ。そんなもじもじしながら言っても説得力ありません」

 

 

 そして、どうやって戻るのか解らなくなる程度に暗くなり狭い道に差し掛かり、やっとのことでブルボンの家まで辿り着いた。

 

 完全に寝てしまったウマ娘を抱える力は私には無いのでスズカにやってもらいチャイムを鳴らす。田舎の家らしく古めかしい押しボタンに対して、優しげな男性が出迎えてくれた。

 

 

「これは……」

「夜分遅くなりました。私、トレセン学園のこういうものです。ミホノブルボンさんのトレーナーを務めることになりました」

 

 

 名刺を渡し、適当にスズカと走らせたら疲れて倒れました、というのをオブラートに包んで包んで包んで嘘は言わずに伝える。初日から明らかにやらかしているし実際私のミスなのですぐに頭を下げた、のだが。

 

 

「いえ、頭を上げてください。ケガが無いならブルボンは大丈夫ですから」

「しかし……」

「この子の根性と丈夫さは私がよく知っています。それに、その見極めは私なんかよりあなたの方が上手でしょうから。お恥ずかしながら、私はこの子に厳しくしてやるしかできませんで」

 

 

 ブルボンのお父さんは眠るブルボンを丁寧に受け取り、スズカを見てスズカにも優しく笑いかけた。

 

 

「そちらはブルボンの先輩さんですか?どこかで見たような……」

「ええ。サイレンススズカです」

「サイレンススズカ……さん……あの、ジャパンカップを獲った……?」

「ええ、まあ……」

「そうか……そうですか……すみません、少しだけ中でお話をさせていただいてもよろしいですか?」

 

 

 断る理由はない。ご褒美は? ここまで運んだご褒美は? とちらちら私を見てくるスズカには話している間走ってきて良いと許可を出しておく。まあ退屈だろうし、携帯電話はしっかり持っているからすぐに呼び戻せる……呼び戻せるかな。心配になってきた。まあもう行っちゃったから良いけど。

 

 

 こう言っては何だけど、ブルボンの家は小さな一軒家で、家具も不自然に少ない。家電が不思議なほどに存在しないし……今時ブラウン管テレビなんか見ないけど。

 

 

「いや、まさかあのサイレンススズカさんのトレーナーさんに拾っていただけるとは……これだけで少し報われたような気分です」

「いえ、そんな……こういう言い方もなんですが、所詮ウマ娘の才能に頼っているようなものです」

 

 

 お父さんがお茶を持ってきてくれて、一応口をつける。すやすやと眠りこけるブルボンに布団をかけてやりつつ、お父さんは真面目な顔で語り出した。

 

 

「いえね、昨晩ブルボンに聞いたのですよ。自分をクラシック路線でやってくれるトレーナーがいたのだ、と。自分の娘ながら、まさかブルボンに短距離の適性がないなどと言う方がいるとは思いませんで」

 

「はい」

 

「正直不安もありました。娘が嬉しそうで何も言えませんでしたが、そんな見る目の無いトレーナーについて良いのかと」

 

「……当然のことだとは思います」

 

「まずは謝らせてください。疑ってしまった。」

 

 

 そんな……疑って当然でしょう。人が良すぎますよお父さん。私が逆の立場なら全力で止めている。マトモなトレーナーはスプリンターをステイヤーとして育てる真似はしない。せっかくの才能を潰すに等しいからだ。

 

 

「彼女は……サイレンススズカさんのことは私も何度もテレビで聞いています。逃げで大成した、それ以外では勝てていない……ブルボンも逃げしかできないのですよ。どうも抜けているというか……悪く言えば愚直なもので、駆け引きなどはとてもとても」

 

「…………」

 

「ですから……こういう言い方は少し態度が大きいようですが、私はあなたを信じることにします。娘を、よろしくお願いいたします。三冠が獲れるよう、娘を鍛えてやってください」

 

「……お任せください。できる限りのことはします」

 

「あの子は丈夫で、強い子です。並のトレーニングじゃ倒れやしません。それだけは保証します。あの子は夢のためにどこまでも頑張れる子だ。ひたすら鍛えるにはうってつけのはずです」

 

「ええ……三冠に可能な限り近付けます。スタミナさえ補強すれば彼女にはそれができる素質が、強さがある。お父さんのおかげです。彼女には、壊れるギリギリの練習をさせます。勝つために、です」

 

「……ありがとうございます……良かった……ブルボンの夢のために、私は何かできているのかと……」

 

「……約束はしません。ですが、納得はさせます。誰から見てもブルボンが勝つと思えるように……サイレンススズカのように、誰にも捕まらないと思わせるように」

 

「ああ……ありがとう……ございます……」

 

 

 歯を食い縛って泣きそうなお父さんを前に、私ももらい泣きをしそうになっていた。何も言われなくても……いや、お父さんに文句を言われてもブルボンを勝たせるのは私の中で確定事項だったけど。

 

 

 それでも、私への期待はスズカが勝ち得た信頼だ。裏切るわけにはいかない。そう、私は強く決意していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スズカ! ほら、帰るよ!」

「やです、まだ走るぅ……」

「ちょっとだけって言ったでしょ!」

「でも、ちょうど良い風が吹いてきて……それに、地面も適度に柔らかくて走りやすくて……あっ、だめ、思い出したらもう……は、走ってきます……!」

「あっスズカ! こら!」

 

 

 帰りの車にスズカはどうしても乗ろうとしなかった。それもこれも、夜道は危ないですし泊まっていきませんか、とお父さんが言ってきたせいだ。だったらまだ走れますよね? というスズカのスイッチが入ってしまった。

 

 まあ、話が弾んでしまった私も悪いんだけども。

 

 

「ごめんなさいっ、すぐに戻りますから……っ」

「くっ……」

 

 

 そして、私が彼女に追い付けるわけもなく。異次元の逃亡者は夜道を駆け出していってしまった。どうしてくれるんだお父さん。私、着替えなんか持ってきていないのに……そうでなくても人の家に押し掛けて泊まるなんて申し訳無くて死にたくなる。

 

 騒がしさに目を覚ましたブルボンが何事かと辺りを見回す中、私は絶望して崩れ落ちていた。

 

 

 

 

 

 なお、着替えがないのはスズカ共々であり……わざわざ新品を出してもらって悪いが、流石はブルボン母娘。

 抗いようのないサイズ差に、私はスズカを抱きしめて泣きながら寝た。

 

 ……そして、遅くまで走って朝起きられなかったスズカを運ぶのも死ぬほど疲れたので、私は仕事を休んだ。




たぶんシリアスちっくなのはここで終わりか、あと一話くらい。お付き合い頂きありがとうございました。アンケートも置いておきます。


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サイレンススズカとトレーナーのあれこれ

一旦レギュラーが落ち着きますので確認の意味も込めて。本編ではありません。細かいステータスはガバを招くので書きません(天衣無縫)


 登場人物

 

 

 レギュラー

 

 サイレンススズカ

 

 速さSS+

 勝負勘E

 負けん気S

 根性C

 

 とくせい:一定期間走れないと調子を崩す

 

 異次元の逃亡者として覚醒済みのスーパーウマ娘。圧倒的なスピードと、逃げているにも関わらず何故か伸びる脚により紛れもなく世代最強レベル……どころかトレセンでも屈指の実力を持つ。

 

 一方でレース勘があるわけではなく、本人としてはトレーナーの言う通りにレースに出て、適当に気の向くまま走っていたら勝っている、くらいの感覚。絶対に先頭は譲らない、程度の勝利欲はあるらしい。

 

 気持ち良く走ることを生きがいかつ趣味にしており、最優先事項にしている。止められなければ毎日のように疲れきって眠るまで走り、自分の意思だけでランニングを我慢できるのは二日くらい。それ以上は衝動と欲求に負けてしまう。

 

 トレーナーのことを心から信頼している。

 

 

 

 ミホノブルボン

 

 速さC

 勝負勘D

 負けん気C

 根性S

 

 とくせい:坂路練習の効果が『根性(大)スピード(小)パワー(小)』から『スピード(小)スタミナ(中)』に変更される

 

 デビューは大体半年後。スズカなど現役のウマ娘に比べれば劣るものの、同年代のなかでは既に頭角を現している。ただし、現時点では短距離マイルはサクラバクシンオー、中長距離はマチカネタンホイザに大きく劣る。

 

 スズカに比べればまだマシだが、やはり勝負勘は無い。良くも悪くも決まったことしかできないので、逃げ以外の戦法はスズカ以上に絶望的。

 

 機械のような正確さと忠実さ、そして狂気染みた根性を併せ持ち、言われたことは例外無く倒れてもやる。前者二つは生来のもの、後者は父親のスパルタトレーニングによって育まれた。基本的に自分の意思や感情は見せないが、夢の話だけは強く欲求を見せる。

 

 

 

 サイレンススズカのトレーナー

 

 とくせい:ウマ娘のステータスが可視化されている

 

 一般女性トレーナー。純粋なトレーナーとしての腕は高くなく、ウマ娘と一心同体でその杖になるという熱意も無い。あくまでウマ娘が一番勝てる(自分の利になる)形でウマ娘を制御する方向性で育成するため、明確にライバルがいるウマ娘や、本人の素質と希望が合っていないウマ娘との相性は最悪。

 

 ウマ娘のステータスを見ることができる。見られる情報はアプリで見られる程度のものであるため、基本的には怪我はさせないし調子の調整も的確に行う。トレーニングも上がるステータスを把握し、足りないもののみをやらせることができる。その性質上ステータスを尖らせやすいため逃げウマ娘の育成に向いている。

 

 スズカを心から信頼している。

 

 

 

 

 ゲストの方々

 

 

 エアグルーヴ

 

 速さA+

 勝負勘S

 負けん気A

 根性B+

 

 スズカの被害者その一。スズカを除けば同世代でも圧倒的な力を持つ。レース勘なども含めた総合点ならスズカにも勝っているが、毎回身体能力のステータス差に殴られている。

 

 スズカにこそ負けているがG1計3勝、ティアラ二冠獲得、またジャパンカップや天皇賞(秋)はシニア混合であり、そこで二着につける力をもって女帝と呼ばれている。

 

 

 

 マチカネフクキタル

 

 速さC-A-EX

 勝負勘B

 負けん気C

 根性B

 

 スズカの被害者その二にして加害者その一。世代一位二位はスズカとエアグルーヴでほぼ確定だが、三位争いには必ず名前が上がる菊花賞ウマ娘。

 

 運勢によって本人の能力がプラシーボで上昇し、真の力を発揮した場合スズカをも凌駕する末脚を見せる。本人としては別にスズカに恨みがあるわけではなく、自分の強さ(運勢)を証明するため道場破りをしている感覚。人生を変える出会いを果たし最強に上り詰めたスズカを幸運の女神か何かだと思っている節がある。

 

 

 

 スペシャルウィーク

 

 速さC

 勝負勘C

 負けん気B

 根性B

 

 スズカの後輩にしてルームメイト。スズカは半分くらいトレーナーの家に泊まるので、一人なことも結構ある。それでもスズカを心から尊敬しているし、目標にもしている。

 

 世代最強を争うレベルの強さを持つ上、スズカの姿を間近で見ていること、本人が憧れに突き進むタイプであることから成長速度も著しい。

 

 

 

 グラスワンダー

 

 速さC

 勝負勘B+

 負けん気SS

 根性C

 

 スペシャルウィークの同期。初期の才能だけなら世代最強といえる実力を持つが、その影響からか朝日杯で慢心してしまう。そのことを恥じてスズカ達に挑むがボコボコにされ今は心が折れている。

 

 心に決めたライバルやこれと決めたレースに勝つこと、良い勝負をすることがメイン目標であり、スズカとは正反対に近い。

 

 

 

 シンボリルドルフ・ナリタブライアン・マルゼンスキー

 

 名前だけ出た方々。実力でスズカを止められる可能性があるウマ娘達。長距離まで走れば間違いなく勝てる。マイルは無理、中距離だと五分だが、マルゼンスキーは多少無理をしてでもスズカの前に出れば良いのでマイルでもそこそこ安定して勝てる。

 

 

 

 桐生院葵

 

 お馴染みハッピーミークのトレーナー。トレーナーとしての技量は非常に高く、先走りがちなことを除けばスズカトレーナーなんかより圧倒的に有能。人間の癖にウマ娘並みに顔が良い。

 

 トレーナーはウマ娘のために存在する! という熱意の塊のような人間で、(ほぼ勘違いではあるが)スズカを望む形で勝利を掴んだスズカトレーナーを心から尊敬している。

 

 

 

 たづなさん

 

 お馴染みたづなさん。やたらとウマ娘について詳しい。トレセンでも理事長と並び、在籍ウマ娘を全員覚えている説がある。あと身体能力がすごい。感覚とかも鋭い。

 

 桐生院と同じ勘違いをしているのでスズカトレーナーへの信頼は厚い。

 

 理事長

 

 お馴染み理事長。スズカトレーナーの熱意の無さには懐疑的だが能力は高く評価している。




次から普通に戻ります。


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後輩をも利用するサイレンススズカ

レオ杯の追い切りやってて投稿遅れました。
無事オープンA突破です!


「じゃあブルボンは坂路四本。55秒の14秒、インターバル30秒」

「オーダーを受理。直ちに遂行します」

「スズカは一本だけね。我慢できなさそうなら走らなくても良いからね」

「はいっ。走りますっ」

「即答かあ」

 

 

 年の瀬も近付いてきたある日。私は今日も二人を連れて坂路コースに来ていた。ブルボンがギリギリ走れるタイムの見極めも完了し、指示を出してひたすら走らせるだけの練習が続いている。

 

 本来ならブルボンとスズカはやるべき練習が違うが、二人とも何も言わなければひたすらくっついてくる。スズカ……は、まあそういう子だから。ブルボンは何を考えているか解らないままプールで座っていたりする。

 

 

 ブルボンの扱いやすさは本当にピカイチだった。もちろん私の比較対象はスズカだけだけど、言われたらすぐに練習を始めるし、話は黙って聞く。制御はしやすい、本当に。

 

 

 帰ってきて、息を整えすぐに走り出すブルボンと、案の定我慢できず二本目に入ろうとするスズカ。忠実だが目標を絶対に曲げない子と、目標はこっちに任せてくるが自由人な子ってこんなに違うんだねえ。

 

 

「トレーナーさん、もう一本……」

「だめ。だから言ったでしょ、我慢できないなら走らないでって。懲りないわねスズカも」

「だって、今日はこんなに走りやすい天気で……コースにも全然人がいないですし……」

 

 

 日が出てて適度に暖かいもんね。でも君、曇ってても眩しくなくて良いとか言ってたよねこの前。何でも良いんか? ん? 雨でも冷たくて気持ちいいとか言うじゃんか。

 

 

「スズカにはプールがあるでしょ。疲れちゃうじゃない。そっちがメインなんだからね」

「でも、見てください、私、もう走りたくて震えてるんです」

 

 

 寒いからじゃないの。

 

 

「上着着る?」

「……それは着ます。でも走ります」

「強情だなあ」

 

 

 ジャケットをスズカに手渡し、ふわふわと浮くような足取りで走っていってしまいそうなスズカの肩を掴んで止めておく。ごつんごつん後頭部をぶつけてくるが、もちろん許さないわよ。

 

 

「走りたいです……トレーナーさん……」

「はいはい。頑張ろうね」

 

 

 ブルボンが入ってもスズカの走りたい欲はまったく落ち着かない。落ち着くとも思っていなかったけど。おかげでブルボンにも何度も暴走を見られている。当のブルボンは一つも気にしていないようだから特に説明もしてないけど。

 

 

「はぁっ、はあっ、はぁっ……マスター、オーダーを遂行しました…… 」

 

 

 今回も、戻ってきたブルボンに、スズカに後ろから抱き付いている形になっているのを見られてしまった。もちろん彼女は気にする余裕なんか無いだろうけど。私が見れば解るのだが、次走ったら怪我をする可能性が高いほど体力を限界まで消耗している。

 

 

「どう?」

「スタミナは……大幅に減少、呼吸の乱れと四肢の震えの回復まで、およそ……およそ……およそ、二十二分ほどと算出……されま……す……」

「うん、歩けるだけ成長してきてるわ、ブルボン。昼トレーニングは終了ね。次は夜です」

「承知、しました……っ」

 

 

 だがこれで良い。普通ならこんなギリギリまで練習なんかできないが、私の力と彼女の根性があれば可能だ。ふらつきながらも私やスズカの少し後ろをついてくる。夜もひたすら坂路だ。少なくともメイクデビューを越え、秋まではこれで行く。彼女には何よりもスタミナが重要だ。あまりにも低すぎるし。

 

 

「スズカは今日はどうやって泳ぎたい?」

「走りたいです」

「日本語が通じない子ね」

「ブルボンさんはこんなに走ってるんですよ?」

「あれを見て羨ましいと思うの……?」

 

 

 あんまりにも倒れそうなくらいで、私もいつ手を貸そうかと考えているくらいなんだけど。というか同じことやったらスズカは壊れるからね。

 

 というかブルボンもなかなかヤバい。スズカと喋っている場合ではなく、まっすぐ歩くことすら覚束ない。一応並んで支えてやって、そわそわと背中を震わすスズカを見やる。

 

 

「同じ量を走ったら怪我するわよスズカは」

「ううん……怪我は嫌ですけど……でも、走りたくて……平地なら大丈夫ですから……」

「そういう問題じゃないから」

 

 

 ゆっくりプールに着き、二人は水着に着替えに行った。私も流石にスーツは不味いのでジャージに着替え、他にも練習をしているウマ娘を眺める。おっ、あれはサクラバクシンオーじゃん。あの子もトレーナーを捕まえたのね。

 

 正直な話、ブルボンがもしスプリンターとして適性を持っていたとして、短距離であの子に勝てる気がしない。絶対に無理だ。というか、あの子が短距離で負けたら桜の木の下に埋めてもらっても構わないよ。それくらい自信がある。

 

 

「お待たせしました、トレーナーさん」

 

 

 と、スズカが来た。本当に、いつ見ても惚れ惚れするくらい走るための身体って感じだ。まだ走ることに未練があるのか窓の方をちらちらと見ているけど、彼女は磨りガラス越しに何を見ているんだろう。

 

 

「ん。じゃあストレッチ。ブルボンは……うーん……少しなら行けるか。ブルボンもストレッチして」

「了解しました」

 

 

 ブルボンはまた、回復も早い。彼女を見るに、恐らく少しくらいのトレーニングは平気そうだ。身体が丈夫で根性があるって凄い。

 

 ブルボンは自分が後輩という意識が結構あるのか、自分からスズカに言ってストレッチを手伝い始める。良い子だ。非常に身体の柔らかいスズカを見ても驚くことなく、ぺたん、と胸が地面に着くまで押し込んでいる。

 

 

「スズカもやったげてね」

「ぁいー……」

 

 

 潰れたスズカの返事を聞きながらトレーニングメニューを眺め、しっかりスズカを鍛えないと、と私は決意を改めた。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「走りたいです」

 

 

 食堂にて、私達は三人で食事を取っていた。驚いたのはブルボンの食べる量である。ウマ娘平均のスズカより遥かに食べる食べる。あまりにも素早く大量に食べるので、途中からスズカと私は面白がって私のプレートのご飯をブルボンの口に運んでいた。

 

 

「だめ。この間走ったでしょ」

「二日前じゃないですか……そろそろ良いと思うんです。頃合いですよ?」

「そんなわけなくない?」

 

 

 交互にブルボンの頬におかずを突っ込む。箸を持ったままひたすらもぐもぐと咀嚼するブルボンを見て、スズカは唇を尖らせた。

 

 

「ブルボンさんは毎日走ってるのに……」

「スズカにはあの練習は必要無いからねえ。というか後輩をやっかんでどうするの」

「そういうわけでは……ん、後輩……?」

「そうよー。ちゃんとお手本にならなきゃ」

 

 

 私の指示を守ることについてはスズカがブルボンをお手本にしてほしいけど……なんて、頬がリスみたいになったブルボンへの餌付けを止める。スズカも箸を置き、何かを考え込み始めた。

 

 そして、はっと何かを思い付いたのか椅子を少しずらしてブルボンの隣につけると、そのままもぐもぐブルボンの肩に手を回すように近付いていった。

 

 

「ブルボンさんは後輩なのよね?」

「んぐ……んむ……んっ、はい。マスターの担当ウマ娘であること、入学順を考えてもその表現が妥当です」

「そう……じゃあ、私はトレーナーさんと仲良しだし、私もトレーナーさんみたいなものよね?」

 

 

 スズカが間抜けなことを言い出した。私達が一心同体なこととそれは関係無いよね? いくらブルボンが大人しくて忠実だからってそんなおかしなこと言ってもしょうがないでしょ。

 

 

「そんなわけないじゃん」

「オーダーを頂ければ従います」

「なんで????」

「やったぁっ」

 

 

 やったぁっじゃないんだけど。え? トレーナーは私だよね? 乗っ取られたの? 私。

 

 

「え? ブルボン? 何言ってるの?」

「これまでマスターとスズカさんを観察、分析した結果、お二人の精神的な距離、つまり、絆が大事なのではないかと考えられます。その状態を維持するために、お二人をほぼ同一視するべきと判断しました」

「ええ……?」

 

 

 だれかー。私のウマ娘おかしくなっちゃったー。取り替えてー。

 

 

 担当が何を言っているか解らない。それを聞いてうきうきでまた餌付けを再開したスズカの言葉も意味は解らなかったけど、ブルボンも何かを掛け違えているわよ絶対。直さなきゃ。

 

 

「ブルボン? 良いのよスズカの言うことは聞かなくても。ろくなこと言わないんだから」

「しかし」

「いやしかしじゃなくて」

「ブルボンさんは今日の夜一緒に私と走りに行きますよね?」

「はい」

「はいじゃないが」

 

 

 あまりにも雑で無理矢理なやり方に愕然とする。まあブルボンも直後に私がだめと言ったら引き下がってくれたけど、スズカがニコニコなのが怖い。いつブルボンを利用して走りに行くのか? というところである。

 

 ……というかブルボンには夜練習もあるし。走りに行ったって疲れてて見てるだけなんだから実質スズカのひとり旅でしょ。

 

 

「ブルボン、スズカのこれは無視して良いから」

「これ……以前から疑問だったのですが、スズカさんは何故走りたいのですか?」

「走りたいからですけど?」

「なるほど」

 

 

 何にもならない会話も繰り広げられ、食事を終えた二人はプレートを返しに行った。まあ、何だかんだ馴染んでいるというか……仲は良さそうで何よりだ。ブルボンもたぶん物事を深く考えるタイプじゃないし、スズカがまるで当然のように喋るとそれを簡単に受け入れられるんだろう。

 

 それに、天皇賞(秋)とジャパンカップはこれからブルボンが行く中長距離路線なら是非押さえたいレースだ。それを勝っている逃げウマ娘への憧れだってあるのだろう。

 

 ……たらればの話をするつもりはない。現実には負けたしそれは覆らないが、もしクラシックレース前に私と出会っていればスズカはダービーまでは勝てただろう。それは私だけの評価ではない。一部のクズなスズカファンはダービーの結果に文句を言っていて、その対応にトレセンも動いたほどだ。それも、ブルボンにとってスズカが憧れである理由の一つだろうね。

 

 

「じゃあブルボン、一旦休憩にはするけど、スズカを勝手に走らせたりしないこと。良い?」

「了解しました」

「ブルボンさん。でも私が走っているところ、見たいわよね?」

「はい」

 

 

 ………………。

 

 

「スズカ? 後輩を利用しないで?」

「トレーナーさん? 私は後輩のためふぇふふふぇっ」

 

 

 妄言を吐き既に勝った気でいるスズカの頬を両手で弄くりながら、私はスズカとゆったりとした午後を過ごした。ブルボンはずっと私達にくっついて、ひたすらにじっとそれを見ていた。



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ファンサもかかさないサイレンススズカ

「スズカすていっ。これ以上いらないって」

「ええ……? 絶対に必要ですよ……?」

 

 

 ある日。ブルボンが加入したということで、三人の休みを合わせ、私達は近所の巨大ショッピングモールに来ていた。もちろんブルボンのトレーニング用品を買い込むためである。

 

 一応スカウト前から多少は買っていたんだけど、まさか今みたいに超スパルタでやるとは思っていなかったし。それに、物によってはブルボンの希望も聞いておかないといけない。

 

 

 ……のだが、私はスズカの買い物を止めていた。

 

 

「ぜっっっったいいらないから。何枚あると思ってるの?」

「でも、これは夜走る用、こっちは昼走る用、こっちは汗が多い時の……」

「生理用品じゃないんだから」

 

 

 というのも、スポーツショップに入った途端、スズカがふらりといなくなったのだ。ブルボンがメインだし問題無いか……と放置して、何故か大量のゼリー飲料を買おうとするブルボンを止めていたところ、スズカはウキウキで戻ってきた。

 

 

 カゴに、大量のシャツとタオルを詰めてである。

 

 

「というかタオルなんか全部一緒でしょ」

「それは違います、トレーナーさん。微妙に違うんです。少しずつ違いますし、肌触りだって変わります。暑くてかく汗と運動でかく汗は違いますし、だったらそれを拭き取るタオルだってそれに合わせて……」

「ごめん解った。それはスズカが正しいから。悪かったから」

 

 

 何枚あるんだよ、というレベルだが、本来のスズカはこれくらいなら普通に使う。なにせ、走って、タオルを使って、ふぅ……よし、走ろう! となる子なのだ。いくらあっても足りない。

 

 でも、私はランニングを禁じているから関係無いよね? そもそもタオルだっていっぱいあるし。確かに私の洗濯も遅いかもしれないけど。

 

 

 ……まあ、勝手に走ってこっそり洗濯すればセーフと思っている可能性もあるけど。前科があるもんスズカには。

 

 

「ぁぅ……でも、いざというときのために……」

「来ませんそんなの。戻してらっしゃい」

「んぅ…………じゃあ自分のお金で買います」

「んんんんん……」

 

 

 しょんぼりともせず当然のように財布を取り出すスズカの手を掴んで止める。

 

 

「解った、解ったからトレーニング用品で自腹は切らないで……私が死んじゃう……」

「じゃあ……」

「……買ってあげるから半分にしなさい」

「やったあっ」

 

 

 スズカは本気でこういうことで自腹を切ってしまうから怖い。私としては大体のものは……本当にスズカが個人的に欲しい娯楽用品だとか、友達のために使うお金以外は出してあげたい。特にトレーニング用品なんて私の罪悪感が刺される。

 

 

「はぁ……あ、ごめんねブルボン。欲しいものは決まっ……ん? んんん? ブルボン?」

「はい。必要な分のウマ娘用カロリーゼリーを算出しました。ちょうど半年分は賄えると考えられます」

「置き場が無いから戻してね? あと食堂を使おうね。身体に悪いからね」

 

 

 こっちはこっちで箱買いしてるし。いや良いけどさ。でも同じ味ばっかり収納度外視で買われるのは普通に困る。でも言って戻してくれるだけ良いか。二箱くらいにしておこうね。

 

 

「あとはシューズもたくさん買っておかないとね。行こうか、ブルボン」

「はい」

 

 

 半分……と見せかけて七割は残っている布の山を持ってスズカも合流してくる。これはまあ、良いや。スズカも嬉しそうだし、新品の方が使いたいだろうし。

 

 

「うん……ここと、あとこっちを……」

 

 

 ブルボンを椅子に座らせ、足のサイズを測る。ウマ娘御用達のトレーニング用品店であるここには、あらゆるサイズのシューズが用意してあるのだ。単純な靴のサイズ以上に、革靴レベルで精密かつピンポイントなサイズ差も考慮されている。

 

 それを測るのも私の仕事だ。ウマ娘の素足に触れる、ということでめちゃくちゃ神経をすり減らしつつ、メジャーでサイズを見ていく。

 

 

「……よし。ブルボンもう良いよ……何してるの、スズカ」

「い、いえ、その、新しい長距離シューズが出ていて……これ……」

「ああ、あの大本命の……でも確か先月買わなかったっけ。あ、その緑のやつ」

「買いましたけど……その……」

 

 

 ブルボンのシューズはこれかな。一応マイルシューズと……モチベーションのために長距離シューズも買ってみようか。

 

 

「その……何故か破れちゃって」

「何故かじゃないねえ。スズカが走ってるからだねえ」

「ちょっとしか走ってません!」

「ちょっとも走らないでって言ってるのよ?」

「ぁぅぁぅぁぅ」

 

 

 まあ、一応スズカの分のシューズもカゴに入れておき……それはそれとしてデコピンを喰らわせておく。本来スズカは長距離シューズなど使わない。にもかかわらず普通のウマ娘より履き潰してしまうのだ。勝手に走る時は長距離シューズを使うから。

 

 

「まったく……はい、二人とも買い忘れは無い? もう良い?」

「あっトレーナーさん、制汗スプレーが減っていたと思います」

「ん、そう。じゃあそれも買おう。ブルボンは好きな匂いとかある?」

「いえ、特にはありません。強いて言えば無香料を使っていました」

「じゃあ私と一緒ね。トレーナーさん」

「そうね。じゃあ変えなくていっか」

 

 

 ウマ娘用の制汗スプレーの違いなんて私には解らないけど。香料付きもあるんだけど、ウマ娘の嗅覚に合わせてるから本当に解らない。スズカに何度か聞いたけど、まったく違うとのこと。

 

 あった。隣に置いてあるサンプルを嗅いでみてもやっぱりさっぱり解らない。全部匂い無しでしょこんなの。

 

 

「全然違いますよ。ほら、これは石鹸の匂いがします」

「……いや無理。ブルボン解る? これは?」

「すんすん……シトラスです」

「マジ?」

 

 

 まあ、人間みたいに嗅覚の鈍い生き物がちゃんと気付くレベルだとかなり刺激になっちゃうってことだろうけど。しっかりパッケージを見てカゴに入れていく。

 

 ……そう考えると、そんな細かい匂いに気付くなら、私ももうちょっと気を遣った方が良いのかな。臭いとか思われてたら死ぬしかなくなるし。

 

 

「……私用のも買っとくか」

「……トレーナーさんは走らないしいらないんじゃないですか?」

「いや……気になるでしょ。自分の臭いとかさ」

「…………? 私は好きですよ?」

「あっ待って嗅がないでやめて死ぬ死ぬ」

 

 

 襟元に近付かないで。ほんとだめだって。ヤバいって。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 

 

「トレーナーさん……お願いします、一生のお願いですから……」

「だめ。絶対嘘だから」

「でも、こんなの走るしか……」

「いや絶対にだめ」

 

 

 ミスった。

 

 

 元々、スズカは超が付く有名人だ。そりゃあシンボリルドルフやナリタブライアンレベルかと言われると微妙だけど、トゥインクルシリーズを追っているなら名前を知らないのはモグリと言っていい。顔を知っている人も多い。

 

 それに、トゥインクルシリーズはウマ娘の間ではおとぎ話のプリンセス、人間の間でも最大手プロスポーツである。その知名度は半端ではない。

 

 

 そのため、一応スズカには髪を結ばせ、帽子を被せた上で伊達眼鏡も着けさせている。私の顔は……まあ、インタビューとかちゃんと見ていれば気付かれる可能性もあるのでサングラスだけ。あと三人とも私服だ。

 

 

「その……あの……」

 

 

 目の前にいるのは、小学生くらいの小さな男の子。先ほど変装を貫通してスズカに気が付いた大切なファンの一人であるらしい。建物を出て駐車場まで向かう道半ば、捕まってしまった。

 

 

「すみません、息子が変なことを……」

「いえ……私もできればお願いを聞いてあげたいんですけど……」

 

 

 ちらっちらっ、なんてスズカが私を見る。なんとこの子、何を間違えたのかウマ娘に憧れているらしいのだ。しかも自分も走りたいという方向で。そして、スズカと走ってみたいと言い出したのだ。

 

 

 いやまあ、ファンサは大事なのよ。それは解るの。相手は子供だし、走る場所もあるしね。子供が遊ぶ公園もあるし、ランニングコースなんてスズカが走るってなったら全員退くだろうし、そもそも誰も走ってないし。

 

 だから、走ってもいい……けど。ブルボンなら即時許可を出してたけど。でもさあ……

 

 

「スズカ、大丈夫なのね? 信じて良いのね? その、色々考えてね? 大丈夫?」

「はいっ。もちろんです。信じてくださいね、トレーナーさんっ」

「……まあ、軽く一周ね」

「はいっ。じゃあえっと……行きましょう?」

「うん!」

 

 

 スズカはなあ、とは思うのよ。だってあのスズカよ? 走ることしか考えていないと私のなかでもっぱらの噂になっているサイレンススズカよ? しかも、卸したてのシューズを履いてウキウキの。どうなるか予想がつくもんこんなの。

 

 

「よーい……」

 

 

 手を繋いでランニングコースに出た二人。一応安全だけ確認して二人がスタートに付くと、親御さんが笑顔で手を上げ、合図を出してくれる。

 

 

「どんっ!」

 

 

 と、そこからは一方的な虐殺が…………始まらなかった。

 

 

「…………おお?」

 

 

 なんと、あのスズカが男の子のやや後ろをゆっくりと追ってあげているのだ。ウマ娘にとっては歩くに等しい速度だが、しっかり走っているかのようなフォームで走っている。

 

 

 スズカ……偉い。成長したねえ。トレーナーさん嬉しいわ。

 

 

「マスター? 何故泣いているのですか……?」

「いや泣いてないけど……泣きそう。やっぱり良い子なのよね。スズカは……ファンの子のためにちゃんと欲望を抑えられる偉い子なのよ」

 

 

 ご褒美に後で気持ちよく走らせてあげよう。うんうん。初めはね、今度は後輩のみならずファンまでダシにしてとか、親御さんの前で断り辛い空気を出すなんて余計に賢くなってとか思ったけど。でもちゃんと考えてあげているのね……。

 

 

 歳のせいか……いや別にまだ若いけど、こんなことで不覚にも目が潤む。私の愛バがこんなにいじらしいというか……決めるところではちゃんと決める子だったなんて思わなかった。

 

 

 広い公園だが、コースはたったの200m。ウマ娘にとっては何にもならないどころか最高速度に乗るのもやっとな距離ではある。すぐに二人は戻ってきて、当然男の子が先に……あれ? スズカの方が先だな。

 

 

「いつ抜かした? 見てなかったわ」

「50m地点で抜いていました。ちょうどマスターが俯いた頃です」

「うわぁ……」

 

 

 うわぁ……。

 

 

 

 結局スズカはじわじわと距離を離し、大差でゴールしてしまった。何とも言えない親御さんの表情と、泣きそうなのを我慢する男の子の顔に対して何を言ったか自分でも覚えていない。男の子だもんね。強く生きてね。その悔しさで強くなれるからね。

 

 スズカのランニングについては考え直すことにするわ。



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走るキッカケを教えてくれるサイレンススズカ

ウマ娘のクリスマスにはイチャイチャ回が必須って僕は僕から聞きました。もしかしたら嘘を言われたかもしれないので間違っていたら教えてください。


 ウマ娘にとって、クリスマスというのはあったり無かったりする。というのは、トレセン側も収入を気にしているのか、年末の大一番、ウマ娘にとっても最大レースである『有記念』をクリスマスにぶつけるからである。

 

 クリスマスは家族でトゥインクルシリーズを見よう! とばかりに、かなり力を入れた独占番組も配信される。もちろんレースは昼なのでその部分は録画になるけど。そのため、有記念の結果は即時報道されない。グランプリウマ娘を使った販促も翌日からだ。

 

 

 そんなクリスマスの夕方。私はスズカを連れ立って街に出ていた。

 

 

「はぁーっ……わあ、息が白い……」

「雪も降るかもって話だからね。風邪ひかないようにね」

「大丈夫です。温かくしてますから」

 

 

 流石にこの鬼のように寒い中変なファンサも無いだろうとのことで、スズカの変装も少なめだ。ウマ娘用ニット帽と、マフラーも口元が出るか出ないかまで深く巻いている。白と緑と勝負服ツートンコートは少しぶかぶかで着られている感も否めない。

 

 

「雪、降って欲しいですね」

「好きなの?」

「ええ、雪は音を吸うんです。静かに走れるんですよ」

「そうなんだ。まあ静かなイメージはあるよね。ホワイトクリスマス」

 

 

 流石に年末は人も多い。トレセンはメインの区からは外れているとはいえ東京ど真ん中にあるから仕方無いけど。その点スズカを連れるのは簡単だ。何せ勝手にスズカがこちらに身を寄せてくるのだからはぐれることもない。

 

 

「走りにくそうだけどね、雪で滑って」

「少しは滑りますけど……でも、気持ち良く走れますよ」

「凄いなあ、ウマ娘は」

 

 

 確かに冬のレースや札幌のレースだと雪のターフを平気で走るもんね。でもどうだろう、整備された芝やダートとは違わない? とは思うよ。

 

 

 さて、外に出てきたのはスズカとケーキを買うためである。というのも、ブルボンがクリスマスを祝うためその用意をさせて欲しいと申し出てきたのだ。もちろん、むしろ祝うのはこっちの仕事だからと言ったのだけど是非やらせてくれと言われたので好きにさせている。

 

 一方で暇になった私達は準備を見ているわけにもいかないだろうとケーキを買い、ついでに少しだけスズカが走るためにこうして出てきたのである。

 

 

「トレーナーさんも走ってみたら解ります。風を切る感覚、流れていく景色、どんどん自分の世界が広がって、どこか何かを越えていくような気がするんです……」

「私のスピードじゃそうはならないだろうなあ」

 

 

 スズカの手を握り人混みを避けながら、私達はそこそこ有名らしいケーキ屋に向かう。一応予約の電話は入れてあり、お金だけ払い大きめのホールケーキを無事に手に入れた。

 

 

「……足りるかな、これ」

「ケーキは気持ちですから。そんなにたくさん食べませんよ」

「そう……なの」

 

 

 でも、三人でホールケーキは多いと思うな、私。甘いものは嫌いじゃないけど、ケーキなんかショートケーキ一個でいいもん。

 

 

「……あっ、見てくださいトレーナーさんっ」

「おお……降ったねえ……」

 

 

 サンタ服の店員さんに元気良くメリークリスマス! と見送られ外に出ると、ちょうどホワイトクリスマスが始まった。ちらほらと降り始めた雪がスズカの鼻先に落ちて、スズカがそれを拭う。

 

 

「この後が楽しみです」

「……クリスマスパーティーが? ランニングが?」

「もちろんラ……どっちもです」

「即答してほしかったなあ」

 

 

 早速情緒が情熱に負け始めたスズカ。だけどまあ、今日は頭を撫でながらウマ耳を弄るくらいで許してあげよう。

 

 

「あ、う、ふふっ、く、くすぐったい……」

「せっかく後輩が準備してくれてるんだよ? もっと楽しみにして?」

「わ、わかって、わかってますよっ、冗談、冗談じゃないですか、ふへへ、わふふっ」

「変な声」

 

 

 大通りを抜けて、車を止めていた駐車場に。暖房を切って、冷えた車内のまま車を走らせる。

 

 

 基本、私とスズカはノンストップで話したりはしない。別に二人とも口が多いわけでもなし、特にスズカは走ることしか考えていないので今も窓から外を眺めている。カーナビから流れるクリスマスソングを聞きながら向かったのは、府中にある有名なランニングコース。

 

 私はスズカについていけないけど、まあスズカはポンコツではあるが優しい子だ。ウマ娘用ゾーンから出てぶつかるなんてことはないと思うし、少しずつ積もりつつある雪のせいか、ランナーなんてろくすっぽいやしない。

 

 

「滑らないでね、スズカ」

「大丈夫です。小さな頃から何度も走ってますから」

「雪の日に?」

「雪の日に、です」

 

 

 倒した車のシートでストレッチを手伝いつつ。スズカは言っていませんでしたっけ? なんて少し惚けた表情で言った。

 

 

「小さな頃、雪の日に外に出て、走って……それが本当に気持ち良くて……それから走るのが好きなんです」

「そうなの?」

「はい。思えばあの日から、自分だけの世界を追いかけているような気がします」

「へえ……走れれば何でも良いと思ってたけど」

 

 

 私がそう言うと、スズカはむっとわざわざ声に出して、私のことを残念な子だと思ってませんか、なんて答える。思ってるよ? 今まで何度もね。

 

 スズカの評価はこれ以上上がらないし下がらない。スズカがどんな子でも、どんな選択をとっても、私にとっては走るのが好きで、速くて、厄介でポンコツな愛バだ。

 

 

「これは違うな、なんて走りだってあるんですよ?」

「たとえば?」

「えぇっと、たとえば…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………行ってきます、トレーナーさんっ」

「おいこら」

 

 

 ジャージのスズカが車を降りて素早く走り出す。まったくあの子は……何度見ても惚れ惚れするスタートダッシュだ。二歩目、三歩目からもう既に自分の世界に入っているんだろうなあ。

 

 ……寝るか。どうせ走り出したスズカは止められないし、戻ってくるのを待つしかない。こういう時エンジンを止めても死なないから冬は良い。上着をさらに増やして、私はその場で眠りについた。

 

 スズカ、時間通りに帰ってくると良いなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

『…………さん?』

 

 

『……レー……さん……?』

 

 

『トレーナーさん、起きてください』

「ん……ああ、スズカ……早いね」

「もうっ。一時間で帰ってこいって言ったのはトレーナーさんですよ?」

「ごめんごめん……」

 

 

 スマホのアラームより先に、スズカに揺り起こされて目を覚ます。欠伸を噛み殺しつつスマホを見ると、なんとぴったり一時間。まさか、スズカがランニングを自分の意思で切り上げてきた……? そんなはずが……

 

 

「……んぅ……」

 

 

 いや、切り上げたなこれは。外に未練があるのがありありと伝わってくる。ちらちら外を見て、後ろで尻尾がぶんぶんと振られている。

 

 

「ちゃんと我慢できたんだ」

「その……ブルボンさんが用意をしてくれてますし……」

「偉いねえ」

「はふ……」

 

 

 ぎゅっとスズカを引き寄せ、頭を撫でつつ抱き締める。良いことをした時は褒めてあげましょう。私はそう習いました。確か何かのペットの講習の話だけど。

 

 

「まだ走りたいんですよ……?」

「クリスマスプレゼントはあるけど……」

「走る方が良いです……」

「じゃあそれもあげようかしらね」

 

 

 まあ、クリスマスだし良いか、なんてシートに寝転びながらすりついてくるスズカを撫でる。ちなみにスズカとブルボンへのプレゼントは先週買ってある。スズカにはとあるメーカーの最新シューズを抽選で当てたのでそれを、ブルボンはまだちょっと好みが解らないのでタイマー付きの腕時計を買ってみた。トレーニングにも使えるし。

 

 ……値段的には結構差があるけど、スズカはそんなの気にしないでしょたぶん。

 

 

「じゃあ帰ろうかスズカ。ちょうど良い時間だし」

「はいっ」

 

 

 一頻りスズカを可愛がってから、私達はトレセンへと帰っていった。

 

 

 そして。

 

 

「ジングルベール、ジングルベール、すずがーなるー」

 

 

 今日はーたのーしいークリスマスー……

 

 

 私とスズカはブルボンの超がつく棒読みのクリスマスソングを聞きながら、ブルボンが作った料理の数々を食べていた。

 

 

 凄いなこの子……スズカも私も料理はできるけど、クリスマス料理なんか家庭料理のレパートリーじゃないし、そもそもものの二時間で完璧に用意したのがヤバすぎる。美味しいし。ここまでやってもらうと、何故か歌だけやたらと完成度が低くても全然気にならないわ。

 

 

「わあ……」

 

 

 それにスズカは笑顔で楽しんでいるようだし何よりだ。ブルボンも私達を楽しませたいと言ってくれていたし、みんなが幸せな空間が広がっている。素晴らしいことだ。これぞクリスマスって感じ。

 

 

「ご静聴ありがとうございました。続いて、マスターとスズカさんにプレゼントがあります」

「あ、私もあるわ」

「私もあります」

 

 

 と、同時にプレゼントを二つずつ取り出し、それぞれが贈り合う。ブルボンが進行に歪みが発生しましたと結構はっきり言ったけど、それは想定しておこう? スズカはともかく私は大人だからさ。そりゃあげるでしょプレゼントくらい。

 

 

 ブルボンからは二人ともに洗剤のセット。スズカからは二人ともに……ランニングシューズ。

 

 

「……スズカ?」

「ぇぅ……その、貰って嬉しいものをあげようと思ったんですけど……どうしてもこれしか思い付かなくて……」

「私は嬉しく思います。実用性の観点から見ても適切なもの……つまり、『ベストチョイス』です」

「たくさん買い置きしてなければそうなんだけどね」

 

 

 まあ、まあ……プレゼントなんて内容はどうでも良いのよ。大事なのは贈ったっていう事実だからね。

 

 こうして、私達はブルボンのクリスマスを満喫したのだった。

 

 

 ……ただし。

 

 

「我慢よスズカ。頑張れっ頑張れっ」

「うぅぅ……走りたぅ、ぅっ、ゃぅっ」

「ぁむ、む……」

 

 

 有記念を見た瞬間からはついにスズカが我慢できなくなってしまい、勝手にシューズを履いて走り出そうとしたのを止めた。スズカは私の膝の上でうつ伏せになって、背中を太鼓みたいに叩かれている。

 

 インタビューからレースの映像まで食い入るように見つめるブルボンが料理を残さず平らげようとしている。

 

 

「雪……雪が……ぁっ、ぁっ、ぁっ」

「雪が降ってるねえ」

 

 

 でも、こっちの方がスズカらしくはある。私はどこで走らせてあげようかなと考えつつも、温かくなったスズカの背中を叩き、撫で回していった。




なんでか知らないけど曇らせたい気持ちもある。幸せな一時を書いたからか……?定期的にIFのBADENDを挟んでいきたい。シリアスも許してくれるって聞きましたけど?


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チーム名には興味の無いサイレンススズカ

曇らせについてのご意見をたくさん頂き、ありがとうございます。

こちらとしても、サブタイトルや前書き等注意喚起はしますし、お気に入りから飛んでもまず注意書きが目に入るように改行等工夫して参ります。

まあ本当にやるかは解りませんが。スズカは可愛いので曇らせる必要は無いでしょ(正論)


「お疲れ様です、トレーナーさん」

「お疲れ様です、たづなさん」

 

 

 ある日。いつものように走りたいとだだをこねるスズカとレジャーシートに座りながら、死にそうになりながら坂路を走るブルボンを眺めていると、たづなさんが話し掛けてきた。

 

 

「用があるなら呼んでもらえたら良かったのに」

「そうはいきません。トレーナーさんは期待の星ですから」

「あはは……ありがとうございます」

 

 

 でもたづなさん、トレセンにいる全トレーナーに同じこと言ってそうなんだよね。トレセンのトレーナーは全員理事長が選んだ有能なので全員期待の星です! とかたぶん平気で言うし。

 

 

「それで、何を……あ、すみませんちょっと」

 

 

 ブルボンが帰ってきた。今日はこれで二本目、既に全身の痙攣が始まっているし汗も尋常ではない。彼女に出せる全力を出させているのだから、一本目から疲労困憊ではあった。

 

 

「はいブルボンこっち来て。よいしょっと」

 

 

 が、私は体力については十分に見ることができる。一応ポーズとして脚を何度か触り、ブルボンの無表情な目を覗き込む。もちろん、彼女がまだ大丈夫だと知ってのことだ。まだ怪我をしない。怪我をしないならあとは根性の話だ。

 

 

「うん。じゃあブルボン、行こう」

「……は……い……っ、ミホノブルボン、続行します……っ」

 

 

 

「……それで、何でしたっけ」

「あ、いえ……面談とか組んだ方が良いんでしょうか……でも……

「たづなさん?」

「いえ、何でもありません。今日はですね……」

 

 

 ごそごそとポーチから書類を取り出すたづなさん。聞こえてましたよ? イカれたことをしている自覚はあるので何も言い返せませんけど。

 

 そんな私の疑いの目は知らん顔で、たづなさんが差し出してきたのは……チーム申請書類。

 

 

「今日はこちらをご記入いただけたらと思いまして」

「え……いや、二人ですよ? まだじゃないですか?」

 

 

 トレセンにおいて、トレーナーというのはウマ娘がいなければ存在できない。一方で、どっちが希少性があるかというと圧倒的にトレーナーの方だ。これは人数の差とハードルの差もある。

 

 トレセンにいるウマ娘は合計すると二千人ほどになっている。入学者希望者が年々増えているというのもあるし、厳しい入学試験こそあるが、理事長の判断で熱意入学なんてものもあるのだ。だから、能力が圧倒的に劣っていて全く勝てないが絶対に諦めないウマ娘なんかもいる。

 

 

 一方、トレーナーはシビアもシビア。厳しい資格試験と理事長からの面接があってやっと中央トレセンに来られるわけで、百人もいるか怪しい。単純計算で一人二十人見るのか。そんなわけがない。

 

 ……多くのウマ娘が、最低限のことしかしない最低保証のようなトレーナーに集中して、まあ勝てずに辞めていくという現実がある。そういうトレーナーも別に悪意があるわけじゃない。むしろ、トレーナーすらつかずにレースに出られないウマ娘を見捨てられない人達だ。

 

 

 と、いう厳しすぎる一面もあり、トレーナー達には何人ものウマ娘を担当することが求められる。そのため、複数人担当を持つとチーム制度を利用できることになっている。

 

 

「ええ、ですが、サイレンススズカさんのトレーナーさんが新しく担当を持つということで、話題性とか……ね?」

 

 

 ね? じゃないが。

 

 

「まあ、別に……断る理由はありませんけど……人数を増やせとか言われなければ」

「それは安心してください。しばらくは私らの方が何か言うことはありません。まあその、志望する子は来るかもしれませんけど……」

「…………それはまあ、しょうがないですけど」

 

 

 チーム制度を組むと、まずチームとして部屋が貰える。今私は共用のトレーナールームに机を持っている状態だが、荷物は私の家とか貸しロッカーとか、あるいはスズカの部屋を使っている。

 

 それに、チームとして予算も配分される。複数を担当しているトレーナーにより頑張ってもらって、より多くのウマ娘が活躍できるようにするわけだ。

 

 

「承けていただけますか……?」

 

 

 あとはまあ、トレセンの興業もある。チームを組むと……うちで言うとスズカとブルボンを抱き合わせでグッズ展開できたり、写真撮影とか、まあ、色々。個人報酬ではなくチームにお金を払う形になり、向こうとしては商売がやりやすくなる。ソロアイドル数人より、一ユニットアイドルの方が扱いやすいわけだ。

 

 

「……まあ、まあ。承けます……はい。これを提出したら良いですか?」

「ありがとうございますっ。ええ、提出してもらえたらこちらで処理しますので。早急に!」

 

 

 では! とたづなさんが去っていく。私は少し前に戻ってきていたブルボンの脚に触れつつ、ぼーっとして書類を読むスズカ達を交互に見る。

 

 別に二人は何も考えて……いやブルボンは疲れきって考えられないだけだけど、スズカは何も考えてないし何も気にしていないだろうなあ。スズカにとっては少しだけど収入が減るんだけど。

 

 

「チーム……チームってことにしとく?」

「どちらでも良いですよ? 今の関係が変わらなければ……」

「むしろ、はぁっ……ち、チームを組むことで……問題は……起こり得ない、はず……です……」

「まあね」

 

 

 二人が良いなら良いかあ……どうせこういうので稼ぐお金はレース賞金に比べたら誤差で、ファンサービスやトレセンへの還元が主だし……元々スズカはそういうの好きじゃないからたくさんはやらないし。

 

 私達もね、トレーナーは超高給、ウマ娘も学費は高いけど設備は充実しているし賞金の配分も良い……これくらいはやらないとね。

 

 

「まあ書いとくね。ブルボンは昼はこれで終わり……いや、二分待ってもう一本行こう。さっきラスト少しペース落ちてたからしっかり保ってね」

「はい……承知しました、体内タイマーを修正し、次は対応します」

「でもそうかあ、チームかあ」

 

 

 名前を付けるのか……トレセンのチームは星の名前から取るのが普通なので、空いている名前を調べるところからやらないといけない。

 

 オリジナルなら何でも良いんだけど。チームスズカでも良いし、チームブルボンでも……それはスズカファンに刺されそうだな。

 

 

「スズカはどんな名前が良い?」

「私は……別に……これって言うのは……」

「だよねえ」

 

 

 ブルボンの走りを見るスズカ。スズカがそういうのに口を出すとは思ってなかったけど。というか、ブルボンもそんなことは言うまい。私が一人で考えるのか……

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……ま……スター……、完遂……しまし……ぅ……た……」

「ああほら戻しちゃうって。喋らなくて良いから」

 

 

 次走ったら絶対に怪我をする。そんなレベルに追い込んだブルボンも帰ってきた。疲れと酸欠で吐きそうになりながらも私の前で直立はするブルボンの背中を擦り、スズカと協力してトレーナールームに連れ帰る。ここでしばらく休ませて、夜になったらまた走る。私とブルボンでなければ死ぬ練習量で、ブルボンを強引に勝ちに導くのだ。

 

 

「じゃあスズカも自由に……走らなければ自由にしてて良いからね。今日のプールは夕方だから」

「はい。あの、その……走っても」

「今だめって言ったよね???」

 

 

 いつものやり取りを挟みつつ、それならばと途端に私の膝に倒れ込むスズカ。右膝はスズカ左膝はブルボンで、もはやトイレにも行けない。終わった。あと足がむくむ。ヤバすぎ。

 

 

「そういえば、トレーナーさん」

「何?」

「スペちゃんが、今度一緒に走りませんかって言ってくれたんです」

「言って()()()?」

「あっ……()()()()()()()()()

「ふぅん……」

 

 

 ぷいっ、と顔を逸らし、私のお腹に抱き付くみたいに隠れるスズカ。まあ、相手はスペシャルウィークだ。スズカにとっても……まあ、直属の後輩はブルボンだが、初めての後輩はスペシャルウィークだし。叶えてあげたいけどね。

 

 

「まあ、良いけど……あの世代に強い逃げウマなんていたっけ……?」

「みたいです。確か、ええと……何とか……かんとか」

「何も伝わってこない……」

 

 

 まあ、後で調べておこう。スペシャルウィークが警戒するんだからよっぽど強いんだろうし。それにしたってスズカ相手は過剰だけど。

 

 そういえば、グラスワンダーはどうしてるかな……そろそろ立ち直ったかな……? グラスワンダーのトレーナーから何も連絡はないから、トラブルも含めて何も起こっていないというのが無難な解釈か。

 

 

「まあ良いか。せっかくだしスペシャルウィークにも友達連れてきてって言っておきなね。あの子は先行か差し型だし、人数は多い方が練習になるから。距離は、じゃあ……2400くらい? まあ、出るレースに合わせようか。先頭ぶっちぎっておいで」

「わぁっ……トレーナーさん、好きですっ」

「これで言われても嬉しくないわね……?」

 

 

 とは言いつつ愛バに好きと言われれば嬉しい。撫でてあげよう。二人撫で比べである。贅沢だ……スズカの方が慣れてるから気持ち良く感じるね。

 

 

「いつが良いですかね……?」

「いつでも良いよ。向こうの都合で」

「解りました。言っておきますね」

「それまでスズカはランニング我慢ね」

「…………明日やります」

「それは無理でしょ」

「ひゃぅっ」

 

 

 スズカにはデコピンを、すやすやブルボンにはナデナデを。ごつんごつん頭突きを始めたスズカのウマ耳を指で弄くりつつ、パソコンで使われていない星の名前を調べていく。

 

 

「……結構あるけど……うーん……」

「チーム名ですか?」

「うん。まあ浮いても困るし星の名前にするつもりだけど」

「んん……せっかくだしおしゃれな方が良いですよね?」

「それはそう」

 

 

 とはいえ、星の名前なんか詳しくないし……α星くらいは有名だし聞き覚えはあるけど、たった二人でα星の名前を埋めるのも申し訳無い。スズカは実績を冷静に見ると結局G1二勝であり、最上位にはいるがトップではない。ただ、強い勝ち方と見てて気持ちの良い走りをするからここまで人気が出たのであって。

 

 

 じゃあ……名前の響きとか……お、星言葉なんてのもあるのか。

 

 

「これ良いね。星言葉。花言葉みたいでおしゃれじゃない?」

「『機敏』とかですか?」

「何それ?」

「アルストロメリアの花言葉ですけど……」

「花の名前も知らないもんなあ」

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

「じゃあたづなさん、よろしくお願いします」

「はい。部屋の確保はできてますので、清掃の方を呼んだらすぐに使っていただけますよ。もちろんこちらで呼んでおきますので」

「解りました。ありがとうございます」

 

 

 トレーナー、私。実績あるウマ娘はサイレンススズカ一人、これから実績を上げるウマ娘がミホノブルボン一人。まだたった三人だけど、このチームでどこまでも逃げていく。

 

 理事長室でたづなさんに書類を提出した後、私は心の中でそんな決意を固める。

 

 

 ……まあ、どんなにカッコつけたところで、所詮トレセンのお金のためのチーム結成ではあるんだけど。

 

 

 

 

 

 

 ──チーム『エルナト』、始動──ッ



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作戦を上から蹴散らすサイレンススズカ

基本レース周りの理屈は適当だと思ってください。


 

 新年。まだ明けてはいないけど、今年最後の夜がやってきた。

 

 

「案外空いてますね……」

「まあ、わざわざ遠くまで来たしね」

 

 

 ウマ娘にとっては、ここが年の始まりである。いや、当たり前だけど……一般に日本で使われる四月三月の暦よりも、レース暦……一月十二月暦の方が重要なのだ。

 

 大晦日の夜、私達は少し遠出して東京を出て、人が少なさそうな神社を選んで赴いていた。

 

 

「マスター。祈祷はおよそ一時間後のようです。それまでは……」

 

 

 ぐぅぅ、とブルボンのお腹が鳴る。わぁ、なんて隣でスズカが微笑ましいものを見た目になった。確かに、アニメでもなかなか無いようなお腹の虫だったね。びっくりしたわ。

 

 

「ステータス『空腹』を検知。嗅覚による条件反射だと思われます」

「ん。まあご飯食べようか。夜も遅いしちょっとだけね。スズカも食べる?」

「いえ、あの……私はその、あれ……」

「え?」

 

 

 ウマ娘は屋台でもお札が必要なくらい食べるけど……なんて思いながら座れるところを探し始めた私。しかし、スズカはじっとどこかを……近くの屋台に貼られたチラシを見ていた。

 

 

「何……」

 

 

 新春マラソン大会、のお知らせ。どこかのご年配が手書きで書いたんだろうな、という味しかないチラシを食い入るように見つめるスズカ。賞品は金一封、距離は……三キロ。

 

 発走は除夜の鐘のラストと同時だが、この手のローカルイベントにありがちの飛び入り歓迎! の文字が踊っている。

 

 

「トレーナーさんっ」

「ダメ。地獄絵図でしょ」

 

 

 完全に目がお金……ではなく先頭に眩んでいるスズカ。出れば確定で先頭になれるレースに彼女は目が無い。

 

 これがねえ、スズカの厄介なところなのだ。普通のウマ娘っていうのは、『勝ちたい』という気持ちなので相手にもこだわる。いわゆる格下狩りを嫌い、同格や格上をぶち抜くために日夜特訓をしている。

 

 だけど、スズカははなっから周りなんて見ていない。先頭で走れれば……スズカに言わせれば、静かで綺麗で、自分だけしかいない世界で走れれば何でも良いのだ。相手は人間であっても良い。極論、私が挑んでもスズカは喜んで受ける。

 

 

 当然だが人間がウマ娘に走りで勝てる道理はない。これが四十キロ五十キロ、あるいは何日もかけて走るような鉄人レースならウマ娘の脚が痛んで勝てるかもしれないが、三キロなんかウマ娘にとっては準備運動である。タイム差もえげつないことになるわよ。

 

 

「でも……走りたい……」

「落ち着いてスズカ。人間のレースだからね?」

「じゃあブルボンさんも走るわよね?」

「なんで?」

「オーダーであれば」

「なんで??」

 

 

 突然のドリームレースに驚きが隠せない。ちょこちょこ……というか前に聞いてはいたけど、この子本当にスズカの指示でもノータイムで頷くんだよね。同一視とか何とか言ってたけど。

 

 

「だめよスズカ。人間は人間と、ウマ娘はウマ娘と競走すれば良いと思うの」

「でも……目の前でレースがあるのに参加できないなんて……」

「見なきゃいい話じゃない?」

 

 

 ふらふらとチラシに書かれた受付デスクに向かっていってしまうスズカ。私は必死に止めようとするのだけど、浮かれたような歩き方のスズカを止めることすらできない。むしろ私が引きずられている。ブルボンに助けを求めて

 

 

「ブルボン、止めてブルボン」

「了解しまし……たたたた」

「あっ無理かあ。そうかあ」

 

 

 みたけど、わあー、と二人してスズカに引きずられる。よく考えたらブルボンのパワーでスズカを止められるわけがなかった。

 

 そのまま引きずられるようにして、スズカが受付デスクにたどり着いてしまう。気の良さそうなお父さんが、変装してはいるがウマ娘のスズカを見ておっ! と声を上げた。

 

 

「お嬢ちゃん、マラソン参加かい?」

「はい、あの……」

「ああ、気にすんなって! ウマ娘だからって来るなとは誰も言わねえよ! 何ならウマ娘が走ってくれたらおじさん達も盛り上がって嬉しいからな!」

 

 

 お父さんだめですよそういうこと言っちゃ。この子は手加減とか知らないから。

 

 

「お父さん良いですから。ウマ娘が人間のレースに出るわけにはいきませんから」

「良いさ良いさ! お嬢ちゃん走りたいんだろう?」

「…………っ!」

「いやしかし……」

「走りたい人が走るのが一番だからな!」

 

 

 こくっこくっ、とスズカが目を輝かせて頷く。そうかそうか、とお父さんが名簿に手を掛けてしまった。くそっ、スズカはともかくお父さんは善意で動いてるから何も言えない……!

 

 

「マスター」

「……待ってブルボン」

「私も走ってもいいでしょうか」

「……もう、好きにして…………」

 

 

 私も出走します、とブルボンも寝返ってしまった。スズカ、そしてブルボンと名簿に名前が書かれる。ゼッケンを貰ったスズカが満面の笑みで戻ってきた。

 

 

「トレーナーさんっ」

「もー……スズカぁー……」

「ふぁぃふぁぃふぁぃ」

 

 

 ブルボンは地図も貰い、私はスズカの頬をつねりながら歩き出す。出走は……もう少し後だけど、向こうもあんなに歓迎してくれたのに私の独断で辞退するのも申し訳無い。本当もう……このアホ栗毛ども。

 

 

「ブルボンも!」

「ぶぶぶぶぶ、しかしマスターあああああ、スズカさんがががががが」

 

 

 ブルボンにも往復ビンタをしつつ、屋台エリアに。適当にいくつか屋台飯を買い込んで、少し通りからは離れてビニールシートを広げる。

 

 

「ああいうことは卑怯だと思うの」

「ああいうこと……?」

「何本気で解らない顔してるの? まず手続きからやるのはずるいでしょ?」

「んぅ……? ぇぅっ」

「とぼけた顔しないの」

 

 

 焼きそばソースに汚れたスズカの唇を拭うついでに鼻をつつく。全く、変に賢くなっちゃって……と思ったけど、こういうことをしてたった三キロ走って、その後私に禁止をくらうことを考えられないあたりポンコツか。目先の欲望に負けてしまうからあなたはサイレンススズカなのよ。わかる? 

 

 

「ブルボンも。スズカの言うことは聞かなくて良いのよ」

「しかし」

「いやしかしじゃなくて」

 

 

 ブルボンもブルボンでかなりやる気に満ち満ちている。今のところのブルボンの最終目標の距離、3000mを、現状最強の逃げウマ娘であるスズカと走るのだ。

 

 こう見ると、ブルボンはスズカと違い多少の対抗心というか……闘志というものが感じられる。ちなみに、テスト通りの回答をするならウマ娘には必ず『闘志』がある。スズカには絶対に無いけど。

 

 

「どうしてあんなこと言ったの、もう」

「申し訳ありません、マスター。スズカさんのオーダーであること……そして、謎の感情ステータスにより言語プログラムにバグが発生しました」

「謎の感情ねえ」

「スズカさんとともに走る機会を、逃したくありませんでした」

 

 

 ……やっぱこの子には闘志があるな。流石は根性に任せたパワーレベリングも可能なウマ娘だ。

 

 

「よし……じゃあブルボン、ちょっとおいで。スズカは食べてて良いからね」

「……? はい。解りましたけど……」

 

 

 スズカへのお仕置きも兼ね、ブルボンを連れて少し離れたところまで向かう。ウマ娘の聴力といえど、人混みと距離で絶対に聞こえないだろう場所までたどり着いてから、私はブルボンに強めの口調で話す。

 

 

「ブルボン。スズカを打倒するため、あなたに指示を与えます。現状全てがスズカに劣るあなたが、唯一勝つ可能性がある方法です」

「……! 解りました。全力で遂行します」

「指示はたった一つ──―」

 

 

 

 

 

 ────―

 

 

 

 

 

 

 新春マラソン大会が始まってしまった。ライトアップがされた三キロのコースを、新年と同時にスズカとブルボン、あとは人間が結構たくさん走る。完全に走る格好の人達と、私服にコートという格好の二人が非常に浮いていた。

 

 だがもちろんこんなものハンデにもならない。あえて対等になるハンデをつけるなら……そうね……二人に問題集でも渡して解きながらやらせたらちょうど良いんじゃない? 知らないけど。

 

 

 さて、除夜の鐘が鳴り始め、スタート位置では景気の良い実況のお兄さんの声とともにカウントダウンが始まっている。昼間みたいに明るい夜道のスタートラインの先頭が、スズカとブルボン。

 

 

「頑張れ……」

 

 

 どちらともなく応援を呟く。コースは三キロ、同じ道は通らないが、くるりと回ってゴールラインもここだ。しっかり見られる位置の飲食店の窓際に座り、私はブルボンに言った作戦を思い出していた。

 

 

 

『ブルボン。スズカの最大の武器は何だと思う』

『圧倒的なスピード、そして最終コーナーと最終直線の伸び脚と広く認知されています。私の分析においてもおおむね同様です』

『うん。間違ってない。でもね、他にもスズカの強さがあって、それは同時に弱点でもあるのよ』

 

 

 

 除夜の鐘が、108を数えた。実況のお兄さんが明けましておめでとうございます! と挨拶を叫ぶと同時に、スズカ達も一斉に走り出す。

 

 当然、ウマ娘であるスズカとブルボンに人間は一瞬たりとも勝つことはできない。スタートダッシュの蹴り脚が違う。あっという間に二人は孤立し、ちょうど前後に並ぶ。

 

 

 そう、()()()()()()()()()()()()()

 

 

「よし……」

 

 

 なにも、スズカに負けてほしいわけじゃない。というかこの作戦だって、絶対勝てないブルボンにワンチャンスを与えただけだ。闘志を見せたブルボンに、せっかくだから付け焼き刃を焼き付けただけ。

 

 だが、驚くほど順調に作戦は成功していた。

 

 

『スズカより前に出続け、掛からせまくる。そしてスズカの失速を狙い、最後に捲る。これしかないわ』

 

 

 距離は三キロと、レースであればスズカは露骨に失速し走りきれない距離だ。だが、当たり前だがこんな日常でレース並みの速度は出さないし出せない。靴も服装も違う。

 

 だが、そこはスズカの弱点を利用する。つまり、自分が先頭ではない事実に我慢できず、ペース配分を乱してでも追い抜こうとするのだ。もちろん、それを補うための普段のスタミナトレーニングなのだけど……

 

 

 ただまあ、そんな風な弱点を突くにはやはりブルボンにもスタミナが要る。だから、無理に先頭を奪おうにも最初の1000mまでだ。そこまでで何秒間スズカを掛からせることができるか。そして、ブルボンはいかに冷静に、スズカに先頭を譲った後回復できるか。ブルボンにスタミナは足りないが、それ以上にスズカが消耗すれば勝ちの目があるかもしれない。

 

 

 

 

 今、お互いのプライドを賭けた戦いが始まる────。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

「はぁ……気持ちよかったです……」

 

 

 まあ無理だったよね。そりゃそうだわ。スズカはまったく疲れた様子も無く、対照的にブルボンは疲労困憊で帰ってきた。結果として、スズカが先頭を譲っていたのはスタートから100mまで。冷静に考えればスピードが違いすぎる。作戦では何ともならんわこんなの。作戦もめちゃくちゃだし。反省しよう流石に。

 

 

「ごめんねブルボン。無茶言って」

「い、いえ……大幅なスタミナ不足を痛感、データベースに再度記録……しておきます……」

 

 

 それを何とかするのは私だからつまり私のせいなんだよね。スタミナさえつけばこの距離なら勝てるはずだからさ。今も坂路とプールを交ぜて急ピッチでスタミナを伸ばしているわけだし。

 

 

「でも、ちょっとびっくりしました。最初だけとはいえ負けるなんて……もっと頑張らないといけませんね」

「まあ、そうね……」

 

 

 だめかあ……嬉しいような悲しいような複雑な気分だ。まあ、結果としてブルボンもスズカも併走トレーニングの効果で成長していたし、怪我無く帰ってきたし万事解決ではあるけど……

 

 

「ふぅ……帰りましょう、トレーナーさん」

「……そーだねえ」

 

 

 こてんと肩に頭を預けてくるスズカに適当に返しつつも、これは来年は負け無しだろうな、と末恐ろしいものを感じていた。



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スズカシニアⅠ/ブルボンジュニア
何かにつけて走ろうとするサイレンススズカ


 

「おはようございます、マスター。新年となりましたので、私も栗東寮で自室を頂きました。同室はニシノフラワーさんです」

「おはようブルボン。ごめんね、今ちょっと部屋は使えないからさ」

「おはようございます、ブルボンさん。あの、良ければ今から」

「走りには行きません」

 

 

 新年のある日。早速私達のチーム申請が受理され、流れるように部屋が用意された。念願の個室である。これで私がスズカにベタ甘になっているところや、かと思ったら虐待紛いのことをしているところを見られる心配が無くなる。

 

 今は荷物を業者さんが運んでくれているのをスズカと部屋の外で眺めている状態。終わったらブルボンは坂路なので、スズカの反対側、私の隣に並ぶ。

 

 

 この二人は何か示し合わせてでもいるのか、スズカが右、ブルボンが左に立つことが多い。まああれね、スズカと私の距離が基本近いから、スズカの隣だと疎外感を感じるとか……そういうことかしらね。

 

 

「ニシノフラワー……ああ、確かブルボンの同期にいたわね」

「はい。本日フラワーさんに菓子折りを頂きました」

「そう。後で買ってあげるからお返しをしましょうね」

「了解しました」

 

 

 あんまり覚えていないということは尖ってなかったか……あるいは私の目が曇っているかどちらかだ。でもまあ残念なことに、ブルボン世代の勝負は目に見えている。中長距離はブルボン、短距離はバクシンオーだ。マイルレースは空いているけど、バクシンオーがそこまで出てくる可能性はある。

 

 

 ここぞとばかりに追加注文した家具もついでに運び込まれていく。お疲れ様です業者さん。ちなみに、こういう業者には珍しく半分が女の人で構成されているのでちょっと時間がかかる。ウマ娘寮に男性を入れるわけにはいかないし、私も女だし気を遣ってくれたんだろうね。たづなさんが。

 

 

「ところでスズカ、もう年も明けたけど……最初は大阪杯で良い? それとも金鯱賞に出ておく?」

「うーん……たくさん走れるなら何でも……」

「だよね」

 

 

 スズカはそう言うと思ったわ。まあ金鯱賞かな……たぶん枠は空いてると思うし、スズカは結構スムーズに入れるだろう。ここがスズカの便利なところ。名声に比べると実績が無いから躊躇無くG2に出られる。いやG1複数回取ってるのは凄いことなんだけどね。ただ名声やファン数はそれ以上だから。

 

 三冠プラス何かとか取っちゃうとG2出た時弱いものいじめとか言われる問題も発生するらしいんだけどね。そんなウマ娘そうそういないけど、シンボリルドルフの日経賞も色々言われたらしい。お前トライアル出なくても天皇賞出られるじゃん、って。

 

 

 スズカのレースは一応金鯱賞に設定しておく。別にそのために何をするわけでもないけどね。変わらずスタミナを何やかんや伸ばしていくだけ。後は……時々筋トレも。

 

 

「ブルボンは今年も坂路。一応メイクデビューは最速の六月を考えているわ。皐月の2000までは1600、1800と少しずつ伸ばすから」

「ターゲット確認。オーダー、承りました」

「うん」

 

 

 二人とも素直で従順なのでミーティングも秒で終わる。素晴らしい。普通こんな廊下でミーティングはしないからね。二人には聞かれて困る作戦も何もないし。ステータスでごり押せば勝てる。逃げウマって素晴らしい。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「おおー……やっぱ良いわね個室は。最高」

「よいしょ……本当ですね。私達の部屋なんだなあって嬉しくなります」

 

 

 荷物の搬入が終わり、チェックやら何やら終わらせた後。荷解きをある程度済ませて、私達は部屋の真ん中のテーブルでお茶を入れて飲んでいた。なおブルボンもスズカも平気な顔で着替えている。いや鍵はかけてるしカーテンも閉めたけどさあ。

 

 

「やる気出るわねやっぱり」

「ですね。走りたくなってきました……!」

「いつもでしょ?」

「でも今日はお祝いじゃないですか……?」

 

 

 スズカの悪い癖が始まった。制服を丁寧にハンガーにかけつつ、こちらを良くない目で見つめる。

 

 

「別にこんなのお祝いじゃないでしょ? スズカも言ってたよね? チームなんてどうでも良いみたいな」

「でもお祝いですよ?」

「いやいや」

「お祝いですよ?」

 

 

 それ以上思い付かないからってその一言でごり押さないで?? 

 

 

「もしお祝いでも走るのはだめ。最近スズカは走りすぎ」

「そんなに走ってません。ちゃんと我慢してますっ」

「嘘。私知ってるんだからね。スペシャルウィークにこっそり履き潰したシューズを捨てさせてるでしょ」

「……知らないでしゅぅぇぅぇぅぇぅ」

 

 

 嘘のつけないバレバレスズカの頬を弄びつつ、そろそろちゃんと我慢させようと覚悟を決める。

 

 

「禁止。何日が良い? スズカ?」

「……い、いちにち……」

「五日ね」

「やぁぁぁぁ……」

 

 

 痛い痛い。頭突きしないで。スズカが悪いんだからね。私の言うこと聞かずに夜な夜な抜け出して走りに行くんだから。というか一日禁止って何。何にもならないでしょ。

 

 

「五日なんて死んでしまいます、ウマ娘は走らないと死んじゃうんですよ?」

「魚か。諦めずに頑張らなきゃ。ブルボンも頑張ってるんだからさ」

「ブルボンさんは走ってるので頑張ってません……」

「スズカにとっての努力の定義が問われるわね」

 

 

 私は頑張ってないのか、と目を見開いたブルボンの頭を撫でつつ、ブルボンは頑張っていると何度も伝える。だからこれからも頑張らないと。ちゃんと頑張ってくれたらクラシックにも勝てるからね。

 

 

「大丈夫? ブルボンの努力は今良い感じだからね。頑張ろうね」

「はい。ステータス『愕然』の解消を確認。マスター、坂路予約の時間です」

「ん。じゃあ行こうか。スズカは来る?」

「スペちゃんと併走のお話をしてきます……」

「なるほど」

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

「はいもう一本。ブルボン、ペース上げすぎ。次が辛いだけよ」

「しゅ……修正……中……申し訳ありません、改善し次走へ……移行、します……」

「ん。頑張れブルボン。体力ついてるわよ」

 

 

 ブルボンのペースもほとんど把握し、今は少しずつそれを押し上げる段階まで来ている。と言っても、一本速度を出すなら出来るのだ。しかし、スタミナを伸ばすのが目標である以上、必要なのは四本を同じタイムで走る力である。

 

 目指すはラップ全てを同じペースで、かつ速いペースで。現在のタイムでは勝てない。もちろんここから丸一年あるわけだから、まだ急ぐ必要はないが。

 

 

 ブルボンのデビューは1600だ。ガチガチのスパルタを毎日繰り返し、ブルボンのスタミナはみるみる伸びてきている。このペースなら間違いなく走りきれる。スズカと同じ強い勝ち方ができるはずだ。

 

 

 勝てば良いブルボンに勝ち方を要求しても仕方無いけど、1600でそれくらい圧倒しなければ3000で勝てるはずがない。

 

 

…………あと、恐らくマスコミやらに「なんでブルボンを短距離に行かせないんだ」と言われるだろうことが本当に面倒なので初戦で黙らせたい。

 

 

「ブルボン! 落ちてる落ちてる! しっかり! ラスト1ハロンちゃんと上げて!」

 

 

 誰もいないことを良いことにメガホンで叫ぶ。少し戻ったけどやっぱり落ちてるなあ……まあ、これからよこれから。相変わらずちゃんとスタミナが伸びてるし、そのうち平気に走れるようになる。そうなったらもっとノルマを上げるんだけどね。

 

 喉を酷使して応援しているうちに、ブルボンが帰ってきた。ペースは思い切り落ちているものの、フォームだけは崩すなと厳命しているのでそこだけは守られている。だからまあ、タイムに関しては毎回毎回嫌味のように言う必要もない。

 

 

「はぁっ、はあっ、はぁっ……ぁ、っ、はーっ、はーっ……」

「お疲れブルボン。昼はこれで終わりね。大丈夫? 立てる?」

「分……析……中…………」

「ほら、肩くらいは貸したげるから」

 

 

 壊れかけのコンピューターを待つ気は無い。私ももう少し鍛えようかな。もう少し体格が良ければブルボンを背負って持って帰れたんだけど。肩を貸すくらいしか出来ないのが悲しい。

 

 

「完全回復……まで……およそ六時間……回復プロセスには……睡眠が……必須……です……」

「うん。また夜頑張ろうね」

 

 

 さて、帰ろう……とした時。振り向くとそこに、特徴的な身体をした我らが理事長が立っていた。

 

 

「謝罪ッ! チームエルナトのトレーナー君、少し付いてきてもらえないだろうか!」

「……申し訳ありません、ブルボンをトレーナールームに連れてから……」

「うむ! ではその後来てもらいたいッ! 時間は取らせない!」

 

 

 ニャー、なんて理事長の猫が鳴いた。バッと開いた扇子には、達筆で『面談ッ!』と書いてあった。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「トレーナー君。君に、ウマ娘を虐待しているという噂が流れているッ!」

「……はい」

 

 

 理事長室に赴くと、そこには既にスズカがいた。別途で呼び出された彼女にはある程度たづなさんが話を聞いていたらしく、私達が部屋に入ると同時に話すのを止め私のもとへ駆け寄ってきた。

 

 

「遺憾ッ! 君を合格させた私が君を信用しきれていないのは問題だが、君のウマ娘への態度に疑問が残るのも確かだ!」

「……おっしゃる通りです」

 

 

 いやほんともう、何も言えないけど。ウマ娘トレーナーにはあるまじき態度ってことですよね。それはそう。でも『尋問ッ!』の文字は止めてください。パワハラですよ。

 

 

「しかし、事実ッ! 君の手腕でサイレンススズカというトップウマ娘が生まれたのだ! だから、何を言うべきでは無いのかもしれない! 確認したい事は一つのみッ!」

「…………はい」

「君はミホノブルボンを大切にしてくれているのか!? それだけで良い、故障など起こさず走れるならば、周りが何と言おうと当人達の意思を尊重できるのだ……」

 

 

 流石熱い人だ……ウマ娘のことを第一に考えているというのはマジで嘘でも誇張でもない。ウマ娘のためならいくらでも私財を投げ打つし、絶対無茶だろということでもやる。凄い人だ。

 

 

「…………大切にしていますよ。心から」

「……ならば良し! 解散ッ!」

 

 

 そこから、ちょっとしか心にも無いことを並べて説得をしようとしていたのだけど。理事長は扇子を閉じ、マジックよろしく扇子の文字を変えた。

 

 

「え、すみません、もうよろしいんでしょうか……?」

「既に確認は済んでいる! サイレンススズカからも、日々楽しく過ごしているという報告を受けているからな!」

「スズカ……」

「はいっ。酷いことをされたりはしてません。ブルボンさんも、望んで走ってますっ」

「ご心配おかけしまして、本当に申し訳ありません。ですがこの通りです、二人は私が責任持って健康でいさせますので……」

 

 

 良かった……ありがとうスズカ。なんか逆に疑われそうな言い方だけど、そうよね。スズカは解ってくれるわよね。それだけで良いわ。うんうん。感動した。私達には絆があるということね。むんっ、と気合いを入れるポーズのスズカの頭を撫で、理事長に頭を下げる。

 

 

「でも、たまにつねったり叩いたりするのはやめてほしいです」

トレーナー君……? 

 

 

 あっ(絶命)




このあとめちゃくちゃ言い訳した。トレーナーを売ったスズカは一日走る権利を得て五日失った。


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後輩の前ではちゃんとしているサイレンススズカ

 

「スペちゃん、これで全員集まったかしら……?」

「はい! よろしくお願いします、スズカさん!」

 

 

 一月十日、木曜日。記録者、ミホノブルボン。

 

 本日午後十二時三十分より、チームエルナトの先輩であり天皇賞(秋)、ジャパンカップを制したウマ娘、スズカさんがイベントを行うと聞き、そのヘルプに赴いています。

 

 

 場所は、チームエルナトのトレーナールーム。スズカさんの後輩の一人、ルームメイトのスペシャルウィークさんの手助けもあり、人数分のパイプ椅子を用意できています。マスターは不在です。会議があるのだとか。

 

 集まった方々は、スズカさんの一つ下、つまり、今年のクラシックレースへの出走権を持つ方々です。つまり、彼女らも一つの私の目指すべきゴールであり、その見学のためにマスターが私をここに派遣したと考えられます。

 

 

「ええと……じゃあ、まずはその、急だけど、集まってくれてありがとう。サイレンススズカです」

 

 

 事前に頂いたメモを見ながら、部屋に備え付けのホワイトボードに出走表を書いていきます。

 

 本日与えられたタスクは二つあります。

 

 ①スズカさんのレースイベントの開催を手伝うこと

 ②スズカさんのレースイベントの出走回数を一回に抑え、次回開催を最低でも未定にすること

 

 の、二つをマスターから仰せつかっています。

 

 

「その、本当は併走だけのつもりだったんだけど、思いの外盛り上がっちゃったので、模擬レース、という形にしたいと思います」

 

 

 出走表の後は抽選ボックスを用意します。集まった人数はサイレンススズカさんを含めて、六人。スペシャルウィークさん、エルコンドルパサーさん、グラスワンダーさん、キングヘイローさん、セイウンスカイさん。

 

 私はオペレーション『クラシック三冠達成』のため、日夜クラシックレースに関する情報収集と分析は欠かしていません。

 

 

 スペシャルウィークさん。前走、芙蓉ステークス二着。王道のレース展開が得意で成長著しいウマ娘です。今回のイベントを提案した方のようで、スズカさんの目の前に座っています。

 

 その隣、エルコンドルパサーさん。前走、京都ジュニアステークス一着。かなり前めの先行策を得意とするウマ娘です。

 

 その隣、セイウンスカイさん。前走、阪神ジュベナイルフィリーズ一着。メイクデビューから一貫して逃げを選んでいる、この中では三戦無敗のウマ娘です。しかし、どのレースもギリギリの戦いをしており、比較的に評価は低くなっています。

 

 その向かい、キングヘイローさん。前走、朝日杯フューチュリティステークス二着。後ろからの差し策で捲る展開を得意としているようです。

 

 そして最後にその隣、グラスワンダーさん。前走、朝日杯フューチュリティステークス一着。彼女の視線もまっすぐスズカさんに向けられているのですが……無関係である私まで、ステータス『恐怖』を……

 

 

「六人ですけど、練習にはなると思うし……うん、それで良ければこのままの人数で行こうと思うけど……どうですか?」

 

 

 ……スズカさんには無いようです。データベース検索……以前、マスターがおっしゃっていました。スズカさんは精神が図太いのだと。いかなる状態でも思考プロセスを妨害されない点は見習わなければなりません。

 

 

「良いと思いマース! まさかあのスズカ先輩と走れるなんて思いもよりませんでした!」

「ええ……これは高みを見るチャンス……一流のウマ娘として、絶対に逃せないわ……!」

「んー……ふぅ……あ、私もそれで大丈夫でーす。よろしくお願いしますねー」

「…………」

 

 

 口々に了承を伝える皆さんを見てスズカさんの口角が数ミリ上がります。「ふふっ」と微笑んだ後、私へ視線を向けました。

 

 

「ではタスクを進行します。こちらの抽選ボックスから一人ずつ籤を引いていただき、枠番を設定します」

「じゃあ、スペちゃんから回してもらって……」

 

 

 一人ずつ籤を引き、それぞれが提示した数字に従い出走表を記入します。内からスズカさん、セイウンスカイさん、グラスワンダーさん、スペシャルウィークさん、エルコンドルパサーさん、キングヘイローさん。

 

 照合、分析開始……完了。定石からのアプローチであれば、逃げ戦法であるスズカさんは内枠の方が有利となります。ですが一方で、一度ブロックを受ければ著しく勝利の可能性が低下するとも言われています。

 また、差し策が予想されるキングヘイローさんが外枠なのはベストと言って良いでしょう。

 

 当然の思考として、スズカさんに勝てるはずはありません。新年のレースでマスターから頂いた対スズカさんソリューションが正しければセイウンスカイさんが勝つ可能性もあるのでしょうか……。

 

 

 ……プロセス中断。スズカさんが負けるイメージを再生できません。

 

 

「じゃあ、えっと……借りているのは芝コースだけど、距離はどうかしら……やっぱり、中距離が良いわよね……?」

「それなんですけど、スズカさん。私達全員がぶつかるのはダービーって決めたんです。だから、2400mでお願いします!」

「え……でも、スペちゃんは皐月賞も出るし、2000も……」

「それは……そうなんですけど……」

 

 

『ピーンと来ました』。ペンを置き、発言の準備を整えます。

 

 

「だったらみんなの疲れにもよるけど、2000と2400をやるのは──」

「申し訳ありません。マスターより、一本のみにするよう指示を受けています。どちらか一方としてください」

「えっ……」

 

「ムー……トレーナーさんが言っているなら仕方がないデース……」

2400でも実力は見られるし、何より先頭を取れなかった時の練習にはなる……あ、セイちゃんもオッケーでーす。まあ、仕方無いよねー」

「うそでしょ……?」

 

 

 タスク完了です。スズカさんもそれ以上は何も言いませんでしたので、これで私のタスクは完遂となります。あとは彼女らについて行き、見学です。観察の後私に利用できるものは利用しなければなりません。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「お疲れブルボン。大丈夫だった?」

「はい。マスターからのタスクの内一つは成功、一つは未履行となっています」

 

 

 つまり二本走ろうとはしたのか。

 

 

 スズカがスペシャルウィークに頼まれてすることになった併走は、もはや併走というより模擬レースになっていた。特にセイウンスカイはなんでいるの? って感じ。てっきりスペシャルウィークはセイウンスカイ対策でスズカに声をかけたんだと思ってたけど。

 

 そして他の面子も。あまりにも豪華な面子過ぎる。今年のクラシックレースを牛耳るだろうメンバーが揃っていた。エルコンドルパサー、キングヘイロー、グラスワンダー……既に全員が重賞を取り、本格的に今年から殴り合いを始めるわけで。

 

 

「ブルボンもよく見ておきなね。もちろん本番じゃないけど、まずこのレベルは想定しないと勝てないから」

「承知しました。詳細まで記録します」

 

 

 監督役の私が来たことで、ウォームアップをしていた彼女らがレーンに入る。スズカは最内か。全員がスズカを意識している以上不利な位置ではあるけど……まあスズカが負けるわけはない。

 

 

「位置についてー!」

 

 

 笛を鳴らす。と……おお? 同時にセイウンスカイが飛び出していった。良いスタートダッシュだ。一瞬だがスズカと並んでいる……が、まあスズカの前は取れない。やり方はあってるし、ステータス的にもブルボンより可能性はあったのだけど……まあ無理か。

 

 先頭はスズカ、その後セイウンスカイ、エルコンドルパサー、スペシャルウィーク、キングヘイロー、グラスワンダー。脚質からしてそうなるだろうという順番には落ち着いている。そのままずっと変わらず走り続ける。

 

 時々セイウンスカイが追い抜こうと外に出ているが、悲しいかな先頭をひた走るスズカはそう簡単には追い抜けない。それができるのは今のトレセンでは割と本気で数えるほど……逃げウマ娘に絞ればマルゼンスキーくらいしかいないのよね。

 

 

 そのまま何も起きずに最終コーナーにかかる。もちろんスズカはここから大幅に伸び始めるが、そこはクラシック大本命達、セイウンスカイはともかく、他はそう離されることなく食らい付いていた。

 

 

「おお……凄い」

 

 

 思わず素直に褒めてしまう。まさか一瞬でも距離を詰めることができるとは。

 

 

「…………まあ」

 

 

 でも、結局最速最強はスズカだ。

 

 

 ほんの一瞬だけ詰められたように見えた六バ身が開いていく。セイウンスカイ以外の四人はほぼ団子になって懸命に追うが、しかし届かない……グラスワンダーが抜けた。

 

 スタート前からずっと鬼気迫る表情を見せていたグラスワンダーが、ほんの少し前に出て集団を引っ張っている。めざましい成長だ。朝日杯後の併走からさらに強くなっている。

 

 

 ……相手がサイレンススズカでなければ、その気迫だけで差し切れただろう。

 

 

 大きく私が笛を鳴らす。スズカのゴールだ。結局二着のグラスワンダーに八バ身がついた。流石にブルボンのようにふらつくほど疲れている様子は無いけれど……スズカに比べるとどうしても。

 

 

「トレーナーさんっ」

 

 

 ほうらスズカだけ元気一杯だ。適性距離ギリギリを走ったとは思えないように戻ってくる。スズカだけたぶんバグってるんじゃないかな。この子たぶんスタミナ消費って概念無いんじゃない? 楽しければ疲れないって本気で思ってそう。

 

 

「お帰りスズカ……だめだよ」

「えっ……」

「まだ終わってないでしょ」

 

 

 駆け寄ってきたその勢いで抱きつこうとしたスズカを窘める。後ろにはスズカが蹴散らした後輩達がいるんだからね。もちろん誰一人として恨み言は言わないだろうけど。

 

 

 眉を下げて戻っていくスズカを見つつ、ブルボンにも話を聞かせに行く。レースを終始見ていたブルボンが……何か得られたとは正直思えないけど、まあこういうのは見ることに意味があるのだ。モチベーションとか。

 

 

 ブルボンは次は坂路。スズカはお休み。先に戻っていよう。どんな話をしているか気にならないでもないけど、遠くて聞こえないし。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

「トレーナーさんっ」

「ただいま、スズカ」

 

 

 ぴこんっ、とスズカのウマ耳が立ち上がった。ふらつくブルボンを支えながら戻ってきた私を見て、嬉しそうに声をあげる。

 

 

「よい……しょ。スズカごめん、毛布取ってあげて」

「はいっ」

 

 

 暖房を緩めて、トレーナールームに設置したベッドにブルボンを寝かせる。すぐに眠りについてしまった。最序盤と比べると倒れなくはなったが、それでもまあギリギリではある。

 

 

「……オッケー。はい、スズカおいで」

「……!」

 

 

 ソファの背もたれから乗り越え座る。すぐにスズカが隣に来て、私に寄りかかって目を閉じた。

 

 

「気持ちよかった?」

「はいっ……とっても楽しかったです……!」

「そう」

 

 

 走るな、とは言うけど、いざ走るなら気持ち良く走っては欲しい。かなり満足したらしいスズカは、しばらく何も言わずじっとしていたけど、少し経つとそのままずり落ちて私の腿に倒れ込んだ。

 

 

「明日から走るの我慢、頑張ろうね」

「やです……」

「やですじゃないんだよ」

「やぁ……」

 

 

 ワガママスズカの頭を撫でつつ、私はどうやって我慢させようかなあ、なんて明日からのことを考えていた。



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無敵な思考のサイレンススズカ

「トレーナーさん……走りたいです……」

「もう? まだ二日よ」

「やっと二日です……」

 

 

 今日も今日とてスズカは我慢できなくなっていた。直前までプール練習をしていたとは思えないほどのやる気をもって、仕事中の私にソファの横からすり寄ってくる。

 

 

「私、たくさん我慢したと思うんです。昨日はプール、今日もプール……確か明日も予約をしていましたよね?」

「してるねえ」

「してるねえ、じゃないですよ。そろそろ走ったって良いはずです。おこですよ、おこ」

「どこでそんな言葉覚えてくるのっのっのっのっやめてスズカ、タイピングが、ああバグるバグるめちゃくちゃになる」

 

 

 私の膝に寝転がり、ぽよん……じゃない、ぺちんぺちんとお腹を叩くスズカ。というか向かいにブルボンもいるんだからもうちょっと先輩らしい対応をですね。

 

 

「最近寝付きが悪いんですよ……? 走る夢ばっかり見るんです。あ、でも夢だけあって凄く気持ち良くて、ふわふわしてて……」

「じゃあ夢で良いじゃない」

「そういうことじゃないんですよ……こう、ちょっと現実味が足りないと言うか……」

「そりゃそうよね」

 

 

 走ることソムリエのスズカは寝ても覚めても走ることしか考えていない。寝相は恐ろしく良いので一緒に寝ても大丈夫だけど、もし蹴られたら……まあ、うん。怖いね。

 

 

「そもそも夢の方が気持ち良く走れそうだけど」

「永遠に目覚めなければそれでも良いですけど……」

「怖いこと言わないで?」

「大体最後まで走れないんです……途中で空を飛んじゃったり、崖から落ちたり、花火にぶつかったり爆発したり……」

 

 

 スズカの夢、どうかしてるんじゃないの。

 

 そんな夢見てたら魘されそうなものだけど、それを聞いても、まあ走れるからセーフとのこと。つくづく走れれば何でも良いんだねえスズカは。

 

 

 いつも通りいかに自分が走りたいかを力説するスズカ。もっとこう、ブルボンを見習って? 勉強してるのよ? いや、それはそれで自室でやったら? とは思うんだけど、でも偉い。最悪スズカに聞けるからね。私に聞かないでね。

 

 いや解らないとかじゃなくて。私はトレーナーであって教師じゃないからね。本当よ? 一旦信じてもらって。

 

 

「代わりに私がやってあげたら走っても良いですか?」

「ダメ。というかブルボンだってそれ課題でしょ?」

「はい。入学までに提出しなければならないタスクですが、ニシノフラワーさんに助言を頂きまして、トレーニングに集中するため、一時的に優先順位を変更しています」

「ほら。自分でやらないと意味無いやつだから」

「うぅ……」

 

 

 ちなみにトレセンの課題はそこそこちゃんとある。テストは赤点回避だけなら誰でもできるようなレベルだけど、課題は普通に多めにある。

 

 そう考えると、毎日勉強して、トレーニングして、たまにダンスレッスン受けて、課題もやって……ウマ娘って凄いわよね。スズカとかいっつも私と一緒にいるけどどうなってるの? 

 

 

「んぅ……絶対走ったら気持ちいいですよ……? そうだ、トレーナーさんも走りませんか? トレーナーさんも走れば解るはずですっ」

「やだ。外は寒いでしょ」

「走れば寒くないですよ?」

「走ったら疲れるでしょ」

「走れば疲れませんよ?」

「……シャワー浴びたり大変でしょ」

「気持ち良ければどうでも良くなりますよ?」

 

 

 無敵かこの栗毛。

 

 

 実際私は新年になり、心を鬼にすると決めているのだ。金鯱賞、それから大阪杯に向けてしっかりトレーニングをしないと。スタミナをひたすらに伸ばす。あとパワー。あと賢さ。というかスピード以外の全てを可能な限り上げていく。つまりランニングは無し。

 

 だから、いくらスズカが唇を尖らせて可愛くねだってきても負けたりはしない。ダメなものはダメだとこのポンコツにも教えなければならない。スズカの頬を指先でこねくり回しつつ、しっかり説得しないと。

 

 

「私は走らないしスズカも走らない。明日もプール。楽しいわね」

「トレーナーさんも私も走ってみんなで幸せです。ブルボンさんも走りたいと言ってます」

「言ってません。ブルボンはスズカみたいなランニング狂じゃないんだからね」

 

 

 というか他にこんなスピード狂いるんだろうか? いたら情報交換はしたい。いないと思うけど。

 

 

 そんなー、とぱたぱた脚を動かしてアピールを続けるスズカ。こんな細い脚でよくもまああんなに走れるもので。ウマ娘はつくづく不思議な生き物だ。限りなく人間だけど人間ではないことがよく解る。

 

 

「走る……走るぅ……」

「はいはい。我慢しようね。そうだ、何か食べる? 甘いもの買いに行こうか」

「走って買いに行きます……」

「車で行きます。食べる?」

 

 

 スズカが微妙な声をあげる。食べるらしい。何が良いかな。いちご大福を買ってあげよう。ブルボンにも聞いてみたがお腹を鳴らして断ったので買ってくることにする。

 

 

「スズカは行く?」

「外の空気に触ったらもうダメです」

「その理屈だとトレセンから出られないじゃない」

 

 

 一応ブルボンにも見張っておくよう言っておいて、私は近くの和菓子屋に車を走らせるのだった。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「あら、スズカ先輩のトレーナーさん……お邪魔しています。先日はありがとうございました。キングヘイローと申します」

「え? あー……うん、こんにちは、キングヘイロー」

 

 

 帰ると、トレーナールームにキングヘイローがいた。私を見るなり立ち上がり、深く頭を下げる。

 

 

「スズカ?」

「相談をと言われたので……」

「そうなの。コーヒーはブルボン?」

「はい」

「ありがとうね」

 

 

 ブルボン、気質……持ち前の根性からか物凄く体育会系みたいな振る舞いをすることがある。来客とか、チームでのミーティングの際は率先してお茶やコーヒーを用意してくれるのだ。

 

 流石にコーヒーメーカーを置くほど好きでもないし、他にも使えるようガスコンロとヤカンとインスタントなんだけど。こんなアナログな設備でよくやる気になるものね。電気ポットとか置こうかな。

 

 

「お話は終わりそう?」

「あっ……すみません、お邪魔なら切り上げて……」

「ううん。むしろ私が聞いちゃいけなかったら出ていくけど」

「いえ、むしろトレーナーさんにも聞いて欲しいくらいで……」

 

 

 最後のはスズカだ。明らかに困っている。私のスズカを困らせるとはキングヘイロー……とはならない。何故ならたぶんスズカの方がおかしいから。キングヘイローの言葉遣いや立ち振舞いはとても丁寧で、よく出来た子という感じだ。そう意味の解らないことは言わないだろう。

 

 逆にスズカはお話……特に相談と言っても……うーん……最近はスペシャルウィークも段々解ってきたみたいで、勉強と併走とどうでも良いこと以外でスズカに相談はしないって言ってたもんね。

 

 

 少し前かな、「もしかしてスズカさんって、四六時中走ることしか考えていないんですか……?」と物凄く真剣な顔で言われちゃったし。そうだよって言っておいた。というかその時スズカもいたけど否定しなかった。

 

 とにかく世界で一番……マーベラスサンデーと並んで相談やカウンセリングに向いていない先輩がサイレンススズカである。この二人に比べたらまだナリタブライアンに聞いた方が建設的な答えが返ってくる。とにかく走れば良いで押し切ろうとするスズカと、何でもマーベラスで表現するマーベラスサンデー。

 

 ……いや、マーベラスサンデーはあれで色々考えてるし、後輩の悩みを解決することもあるらしいしスズカよりマシか……? 

 

 

「じゃあ良ければ私も聞くけど……あ、いちご大福食べる?」

「ありがとうございます。頂きます……ではその、普段どんなトレーニングをしているかとか……差し支えの無い範囲で構いませんから……」

 

 

 まあ、別に。

 

 

「スズカは今はひたすらプールで遠泳よ。たまに筋トレ……まあ、特筆するようなメニューは無いわね」

「……スズカ先輩もそうおっしゃっていました。では、スズカ先輩の速さは……」

「……天性のものというのはあると思うわ」

 

 

 なんでこんなに速いんだろうね。私も知りたい。趣味で走ってるのが全てトレーニングとしてスピードに寄与してるんだろうというのは私の予想だ。もちろんこんなことは言えない。

 

 

「天性……才能……」

「その、それが全てってわけではないのよ。でも、スズカは他と比べて特別で過酷なことをしているってことはないの」

 

 本当はこんなこと言いたくはない。ただ、毎日暇さえあれば走っている行動が実力の秘訣だと解って、それを真似するような子が出てきたら困る。これはスズカが心の底から楽しんでいるからできることであって、普通では不可能である。脚を壊す。だからスズカには走らせていないのに。

 

 

「レースには、どんな気持ちで臨んでいるのですか?」

「ううん……その日はどんな景色が見えるかなって……あとは、絶対に先頭を走るぞって……」

「なるほど……」

 

 

 キングヘイローが何か難しい顔をし始めた。彼女にとっては一つ上のレジェンドくらいの感覚だから、このセリフから何かを学ぼうとしているのかもしれない。いや何か、本当にごめんね? スズカ、そんな深い意味で話してないから。あんまり真剣に聞かない方が良いんじゃないかな。

 

 

「スズカは誰かに勝とうとかをあんまり思ったことが無いから。レース勘なんかはあんまり役に立たないかも……」

「……いえ、とても参考になります。一流のウマ娘を目指すものとして、学ぶことはあります」

 

 

 無いでしょ。

 

 

 とはいえ、本人がそうしたいと言っているなら何も言うことはない。実際、入れ込み過ぎているウマ娘なんかにはスズカの心持ちを学ぶことが有効なのかもしれないし。誰も不幸にならないんだから放っておこう。

 

 というか、別にキングヘイローってここまでの成績が悪いわけじゃないのにわざわざこんな聞きに来ることがあるのかな。結構凛々しいタイプに見えるけど……結構不安定な子だったりして。

 

 

「ありがとうございました。お礼は後日必ずさせていただきます」

「いいえ、別にそんな……」

「いえ! トレーニング内容という重要なことを話していただいたのですから! お礼もしないなんてキングの名折れよ……です」

「本当に良いから、ね? その、本当に大したことはしていないから……」

「決してそんなことは……」

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 キングヘイローとのやり取りはその後もしばらく続き、結局お礼はしてもらってしまうことになってしまった。私、学生相手にこんなことも押し切れないのかと少し悲しくなる。流石に何か貰ったら返さないとなあ、キングヘイローのトレーナーさんって話しやすい人かな……なんかこう、厳しそうなおじいちゃんだったらどうしよう。私苦手なんだけど、そういう人。いや、同年代の同性以外みんな苦手みたいなところはあるけど特にね。

 

 

 

 キングヘイローが帰った後、買って来たいちご大福を食べながら小休憩。ブルボンはトレーニング後で食べると言っていたけど、そんな余裕あるの、この子。まあ消費期限は明日だけど……午前は学校だから食べられないと思うんだけど。届けてあげても良いけど……あんまり入り込むのは良くないしなあ。

 

 

「それで、走らせてもらえるって話ですけど」

「そんな話してなかったよね?」

「ぁゃっ」

 

 

 大福を頬張るスズカの頭にチョップをかまし、明日はどう誤魔化そうかな、なんて、二人してキングヘイローのことはあんまり思い出には残らなかった。




先輩のトレーナーにはちゃんと敬語を使えるキングヘイロー。これは結構私の中でも解釈が分かれるところです。一流は然るべき場ではしっかりしているのか、誰に対しても意識して「キングヘイロー」を貫くのか。マスコミに対してはパフォーマンスもあるのでキングキングしてますけど……


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インタビューを受けるサイレンススズカ

「それではサイレンススズカさん、トレーナーさん、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします……」

「お願いします。すみません、お待たせして」

「いえいえ! こちらこそお時間空けていただいてありがとうございます! あ、今田と申します。よろしくお願いします」

 

 

 ある日。メディアの方を招き、チームエルナトはインタビューの仕事を請けていた。一応スズカに来たお仕事だけど、まあその、ブルボンのやる気を煽ろうかなっていう軽い気持ちで同席させている。今日は昼坂路ができずプール練習だったので、ブルボンにもそこそこ余裕がありそうだ。

 

 

 来ているのは、えーと……あー……なんかの雑誌だったはずだ。名前忘れちゃった。基本的にチェックもトレセンにしてもらっているので全然把握できていない。トレセンもトレセンでアダルト出版社と悪意あるゴシップ出版社をきっちり弾いてくれるので、こっちとしても助かってます。いつもありがとうございます。

 

 ……というかスズカに駄目元ワンチャンスでアダルトなオファーする奴多すぎな。ブラックリストだかんな。

 

 

「では始めさせていただきます。録音機の方こちら、今から録音します。後でチェックもしていただきますが、使われる可能性はあるというのはあらかじめご承知ください」

「はあ……」

 

 

 ちなみに、スズカはメディア取材は大嫌い……というか、別に毛嫌いはしていないけど本当に困っているらしい。まあでも、それも一応ちゃんと答えなきゃと思っている証拠だし。健気な子だ。

 

 インタビュアーの女性がボイスレコーダーを机に置いて電源を入れる。その後ハンドボードを取り出してペンを構えた。

 

 

「では……そうですね。まずは様式美として、自己紹介をお願いできますか?」

「えっと……サイレンススズカです。あとは……チーム……エル……ナト? に入っています」

 

 

 スズカ? 自分のチーム名よ? 

 

 

「今年からシニア一年目ということですが、どうでしょうか、クラシックを振り返って感想などは?」

「ええと……うーん……今のトレーナーさんに会ってからは、気持ち良く走れるようになったと思います……うん。前のトレーナーさんも、色んなことを教えてくれましたけど……私には向いてなかったので」

 

 

 席順はスズカと記者さんが向かい合わせ、スズカの隣に私、さらにその隣にブルボンだ。ブルボンは当初端の方で座っている予定だったが、記者さんがブルボンにも聞きたいということでこうなっている。

 

 後輩から見たサイレンススズカについて聞きたいらしい。ブルボンは早い段階でスズカがポンコツあほあほウマ娘だということを解っているが……果たしてこの二人にそれを隠すような受け答えができるんだろうか。

 

 

「なるほど。ちなみに、その前トレーナーさんというのは……もちろん我々も把握していますが、やはり契約解除に至ったのもそのことが原因で?」

「そう……です。最後まで応援してもらいました。良い人? だったと思います」

 

 

 いい人だったね。ぽっと出の私にもスズカをよろしくお願いしますって頭下げてきたもんね。スズカもかなり好意的に見ている。今でもレースに勝つ度に私に連絡が来るからね。自分の担当もいるのに。

 

 

「なるほど……今のトレーナーさんについてどう思われますか? あの、隣にいるなかで答えにくいとは思いますが……」

「……? 大好きです。別に答えにくいことはないですよ?」

「……なるほど……ちなみにどんなところが好き、とか……」

「私の走りを認めてくれたところもそうですし、優しいですし……あとは、甘えさせてくれたり……温かくて良い匂いがするんです」

「すみません。スズカ、やめて私が恥ずかしいから……本当にごめんなさい……」

 

 

 すらすらと淀み無くアクセルを踏んだスズカ。最後のとか私の体臭をよその人に暴露してるだけじゃん。スズカが変なことを言い出したら基本的にスズカの口を塞ぐのだけど、急な羞恥で私が顔を隠してしまった。

 

 いや、私も大好きだけど……愛バだけど……誰が見るかも解らない雑誌で言わなくても……トレセン内だけにしとこ? ね? 

 

 

「あっ……はい。なるほど、関係は良好と。普段はどんなお話をされるんですか?」

「え……と……うーん……あんまり話さないかも……」

「ほう」

「と、トレーニングの話とか……?」

 

 

 そこはそこそこの答えができるんだ。そりゃ濁すよね。私達の会話なんか八割はスズカが走るか走らないかの会話してるだけだし。直前の答えがあるから不仲説も出ないだろう。出ないよね? 出ても良いけど。

 

 

「なるほどなるほど。では話を変えまして。今年からシニアということですが、まずはどのレースを狙うのでしょうか? やはり大阪杯を?」

「ええと……」

 

 

 ちらり。もう。スズカったら。

 

 

「金鯱賞」

「あっ、き、金鯱賞です。それから大阪杯……? のはず、です」

「ふむふむ。金鯱賞ですと……あのマチカネフクキタルが出走するのではと言われていますが、いかがですか? 世間では、長めの距離ならマチカネフクキタル、短い距離ならサイレンススズカと言われていますが」

「フクキタルは……はい。私、長い距離は得意ではないですから……」

 

 

 フクキタル、出るのか。2000だしスズカが負けることはないし心配はしていない……なんてこともない。実際2500を超えていけばフクキタルの勝ちだと思うし、そもそも併走、模擬レースとはいえ短めの距離でもフクキタルはたまにバグるのが怖い。

 

 

「では、金鯱賞は充分勝機が見えていると」

「見え……はい。見えています……よね? トレーナーさん」

「見えています。スズカは勝ちますよ」

 

 

 スズカもよく解らなくなってるもんね。これがエアグルーヴならこんなに警戒しないんだけど、マチカネフクキタルだと自分が負けかねないということを理解している。

 

 記者さんがここで少し長めにメモを取る。と同時に、部屋を誰かがノックした。この多目的室を使っているのはたづなさんしか知らないはずだけど。もしくは裏方、事務の人とかかな? 

 

 

「マスター。対応しますか?」

「いや私が行くよ。ブルボンは座っててね」

 

 

 記者さんに頭を下げつつ部屋を出る。やはりたづなさんだ。申し訳ありません、から始まり、用事そのものはなんてことのないことだった。次の取材記者が来られなくなったから後日に回すというのと、この後行う写真撮影もその時纏めてになったとのこと。

 

 

「取材はどうですか? 確か今日は週刊ダービーの方ですよね? 今田さんが来られてるなら人当たりの良い人だったと思いますけど……」

「圧迫とかも無くやらせてもらってます。いつもありがとうございます、チェックとか」

「いえいえ。トレーナーさんにああいうオファーを読ませるのは時間の無駄ですから」

 

 

 無駄、とかいう強めの言葉を使うたづなさん。彼女も怒っているみたいね。そりゃそう。たづなさんはあの理事長の秘書としてトレセンに骨を埋めるとまでマスコミに語った人だし、ウマ娘第一主義の塊だし。この人と結婚する人は大変そうだ。

 

 

「ところでトレーナーさん、またどうですか? どこか美味しいものでも食べに行ったり……あ、今度はお酒も是非!」

「あ……はい。行きましょう。どこかのお休みに」

「はいっ。あ、ごめんなさい、取材中でしたね。私はこれで──」

 

 

 ガチャ。

 

 

「あの……トレーナーさん……?」

 

 

 スズカがドアの隙間から頭だけ出してきた。

 

 

「スズカ?」

「すみません、不安になっちゃって……ちゃんといてくれないと困ります……」

「……ごめんごめん」

 

 

 すみません、とたづなさんと別れ、スズカの頭を撫でつつ部屋に戻る。何と言って外を見に来たのか、記者さんは特に気分を害した様子もなく待っていてくれている。

 

 

「すみません、つい……」

「大丈夫ですよ。それで、ええと……一つ下の世代のお話なんですが……既に黄金世代と呼ばれ、スペシャルウィーク、キングヘイローを中心にクラシック戦線に注目が集まっています。どうでしょう、注目選手なんかはいたりしますか?」

「ううん……あんまりそういうのは……」

「最速では宝塚記念でぶつかるのではないかという噂もありますが」

「宝塚記念にはたぶん出ますけど……」

 

 

 スズカが困ってるなあ。まあ負けるとは思ってないだろうし、そもそもスペシャルウィーク以外は覚えていないまでありそう。グラスワンダーなんかは結構関わったんだけどね。この間走った時も何も言わなかったもんね。

 

 結局勝敗についてはスズカは無言を貫いた。本音を我慢できたスズカのため私もしっかりノーコメントを貫く。

 

 

「では……ミホノブルボンさん。後輩のあなたから見て、サイレンススズカさんはどんな方で、どんなところが強みだと考えていますか?」

「はい。スズカさんは常に一着で走ることをゴールに定めており、思考プロセスに無駄が見られません。そのため、いかなる場合においてもステータス異常を起こさない恒常性は見習うべき強みです」

「な……るほど?」

 

 

 記者さん困ってるじゃない。この人、癖しかない二人の担当になって後悔してそう。まあブルボンは答えはちゃんと言うからスズカよりほんのりマシだけど。

 

 

「ブルボン。つまり?」

「つまり、『マイペースでつよい』ということです」

「なるほど……」

 

 

 ブルボン語、難しいですよね。私もちょっとだけ困ってます。文字に起こせばそんなに複雑なことは言ってないんだけど、心の準備無く平坦かつ流暢に話してくるから脳の処理が追い付かないんですよ。

 

 

「ちなみにミホノブルボンさんの目標なんかは参考までにお聞きしても?」

「クラシック三冠です」

「ミホノブルボンさんはサクラバクシンオーさんと並び短距離路線での活躍が期待されていますが……」

「クラシック三冠の他にはありません。私の適性を理解した上での決定です」

「……そうですか。ありがとうございます、ではええと、一度インタビューの方ここで終わらせていただいて、はい、ありがとうございました。続いて写真撮影をさせていただきます」

「はいっ。準備してきますね。勝負服でしたよね」

 

 

 あ、スズカ。写真撮影はまた後日になったんだってさ。今日は無し。

 

 

「えっ……」

 

 

 そんな絶望したような顔しないで? 撮影で走れるってたったの1000mそこらでしょ? 

 

 

「騙されました……」

 

 

 あと記者さんの前でその台詞はやめて?




ブルボン語(一部)

タスク→お役目、お仕事。主に一時的で終わるもの。
オーダー→トレーナーや教師など、自分の上位存在からの指示全般。スズカからのものも含む。
コマンド→オーダーのうちより具体的なもの、あるいは即時動作で完遂できるもの。
ステータス→感情や肉体状態など。バッドステータスはあるがグッドステータスは無い。


ブルボン語難しい……難しくない?「それはエイシンフラッシュじゃん」と「それは感情無さすぎじゃん」を行ったり来たりしてるわ。


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後輩のことを優先できるサイレンススズカ

 

「放してください、すぐですから、スペちゃんならきっと解ってくれるはずですから……」

「見苦しいわよスズカ! 人……いやウマ娘として恥ずかしくないの!?」

「でも、でもこんなのってないです……!」

 

 

 ある日。私はエルナトの部屋でスズカにのし掛かっていた。うつ伏せのスズカに跨がるように乗り、両手を体重をかけて押さえるいつもの格好である。それを、ドアの目の前で行っていた。

 

 いつものように坂路を終え倒れているブルボンだが、流石にスズカが騒いでいるためこちらをじっと見つめている。騒がしくてごめんね。

 

 

「あまりにも酷すぎます……トレーナーさんは鬼です、悪魔ですっ」

「そう、私は鬼で悪魔だからそういう恥ずかしいことはさせません。諦めなさいスズカ。しょうがないでしょ?」

 

 

 スズカが荒れている……いやまあいつも通りではあるけど、部屋から脱走を図っているのは他でもない、走るためである。スズカがアクティブに行動することなどそれしかない。

 

 しかもなんと、今日は走って良い日だ。もう三日我慢したし、まあ一日許してあげようということでさっきそのことを通知したのだけど。

 

 

「うぅ……でも……」

 

 

 しかし、今日のスズカはスペシャルウィークに勉強を教える約束をしてきてしまったらしい。午前中はスズカとの連絡を取らないこともあるので、そんなすれ違いが生んだ悲劇だった。

 

 スズカのランニングはともかく、スペシャルウィークにはトレーニングがあり、その隙間を縫ってスズカに教わりに来るわけだ。先に入った予定でもある。どちらを優先するべきかは明白だし、私だってじゃあ明日、せめて夜にしようね、くらいのことは言った。

 

 

「走りたいのに……」

 

 

 が、そこで我慢できないからサイレンススズカなのよね。一回走れると聞いた瞬間気持ちがそこに行ってしまって、スペシャルウィークとの約束をずらそうとしたので流石に止めた。

 

 

「大事な後輩との約束でしょ?」

「そうですけど……明日は今夜から雨ですし、今日は少し風が吹いていて絶好のランニング日和というか……」

「先にした約束でしょ?」

「うぅ……そうですけど……スペちゃん……走るぅ……」

 

 

 ただ、もうそこそこ打ち解けているんだろう、スペシャルウィークのことを大事に思っているから、まだ筋は通さなきゃという考えがある。ねだりつつも、約束が優先だとは理解しているわね。偉いぞースズカ。

 

 

「うぅぅ……」

「はいはい。偉いねスズカ。頑張ろうね。明日は走って良いからね。スペシャルウィークも頑張るんだからね」

「んんぅ……」

 

 

 体を起こさせ、ぽんぽんと背を撫でながらソファに戻る。スズカが泣きそうになりながらホワイトボードの予定を書き換えたのを見てしっかり褒めてやり、そこからスペシャルウィークが来るまで三十分くらい。

 

 

「失礼します! こんにちはスズカさん……スズカさん?」

「こんにちは、スペシャルウィーク。スズカのことはあんまり気にしないでね」

 

 

 立ち直れず机に突っ伏したままのスズカを見て、入ってきたスペシャルウィークは一度は驚いたものの……気にするなと言われてすぐに気にせず座った。よくあることみたいなリアクションが心に刺さる。

 

 

「スペちゃん……」

「はい」

「頑張りましょうね……」

「……? はい……もちろん頑張りますけど……」

 

 

 ちなみに、スズカがこんなになってる理由を語るつもりはない。スペシャルウィークがスズカ側につくと面倒なので。あとはまあ、シンプルに私も仕事はあるし。スペシャルウィークにお茶だけ出してあげて、デスクへ。

 

 

「んしょ……っと」

 

「じゃあスペちゃん……始めましょうか……」

「はい。えっと、前回のテスト範囲がここまでだったから……この辺からお願いします!」

 

 

 スズカ? 切り替えて? 

 

 

「こらスズカ。ちゃんとやんないとダメでしょ」

「……ごめんなさい。ええと……スペちゃん、どうせ前回の範囲も解ってないんだからもうちょっと前からやりましょう?」

「う……はい……」

 

 

 しっかりスズカも立ち直っ……てるかは解らないが、二人で色々と広げて大人しく勉強をし始めた。後輩の前ではちゃんとしてるって言うのはあながち嘘でもなかったらしい。

 

 しばらく、お互いに静かな時間が続いた。聞いている感じ、やはりスペシャルウィークはかなり成績がよろしくないみたいだ。私も人のことが言えるような人間じゃないけど、スズカも結構大変そうにしている。

 

 

 と言うかスズカはなんで普通に勉強できるの? あなたいっつも走ることしか考えてないし、「今日の授業中外を眺めてたら走りたくなって……」とか平気で言うのに。天才か? 

 

 

「……うん。正解。じゃあちょっと休憩にしましょうか。この間キングさんから貰ったお菓子セットがあるんだけど……」

「キングちゃんのお菓子……!? い、いえ! 私、きさらぎ賞のために我慢してて……」

「そうなの……? でも、さっきもお腹が鳴っていたし……お腹が空いてると集中できないでしょ?」

「うぐ……ぐぐぐ……」

 

 

 しばらくして、一度中断したスズカ達は棚からキングヘイローのクッキーセットを持ち出してきた。相談のお礼にと彼女が持ってきたそれからあまりにも溢れすぎる高級感のおかげで、私もスズカも食べて良いのかと本気で迷っているやつだ。

 

 しかも、とりあえずって言っていたし。こんなのが他にも来るのかと思うと心臓が痛むわ本当に。

 

 

「もちろん、スペちゃんが勝てるのが一番だし、食べないなら良いのだけど……」

 

 

 申し訳無いのかしゅんとなるスズカ。まあ、これに関してはスズカが例外と言うか、非常に太りにくいだけで、ウマ娘によってはお菓子なんか食べてられないよ、という子もいるから仕方無い。

 

 

『太り気味』

 

 

 ……特に今のスペシャルウィークはただでさえヤバそうだし。紅茶のお代わりを注ぐスズカと私をちらりちらりと見ながら生唾を飲み込んで、今しがた書き上げた問題集を顔に押し付け自分を守っている。

 

 ウマ娘は種族的に甘いものとにんじんが大好きらしいからなあ。どうしてかは解明されてないけど……人間のように人それぞれとかじゃなく、誰にどう聞いてもベスト5にはどっちも入ってくるらしい。

 

 

「んぐぐ……っ! でも、なまら美味そうな匂いが……っ!」

「あの、スペちゃん? 大丈夫?」

 

 

 にしたってスペシャルウィーク、歯を食い縛って、辛い感じにしすぎ。そこまでじゃないから。それはスズカがランニング禁を貰った時の反応じゃん。ウマ娘じゃなければ、頑張って甘いものを絶ってるんだなあ、悪戯で煽っちゃおうかな、なんて思わないでもないけど、それは大人としてまずいか。

 

 

「……トレーナーさんに……聞いても良いですか……?」

「良いけど……」

 

 

 その場で携帯を取り出すスペシャルウィーク。どこかに電話をかけている間に、スズカは中のクッキーを一枚食べ始めた。一口が小さくて可愛い。

 

 

「はい、はい……うぅ、でもトレーナーさん……少しだけ……」

「見覚えあるなあ」

「私はこんな感じじゃないですよ……?」

「スズカとは言ってないわよ。スズカだけど」

 

 

 電話口ではあるがやたらとしっかりねだるスペシャルウィーク。私としては食べたら良いのにとは思うんだけど……まあそこはトレーナーごとの考え方だし、あちらのトレーナーさんも考えて言ってるんだろうし。カロリー計算とか栄養学って作業量が多くて面倒なんだよね。

 

 

「……ダメでした……」

「一枚も?」

「どうせ我慢できなくて食べちゃうからって……」

「見覚えあるなあ」

 

 

 さっきから集中が切れたせいでそわそわし始めた栗毛が同じようなことを言われてた気がする。脚が動いてるのよスズカ。もう身体が我慢できなくなってるから。頑張って。

 

 

「じゃあこれはしまっておくわね。続きをやりましょう」

「うぅ……ぐぅ……」

 

 

 スペシャルウィークのお腹の虫は私の方には聞こえてこないけど、たぶんかなり鳴ってるんだとは思う。ちょうどおやつの時間だしねえ。スズカがしまう前に私も取り出して机に置いておく。流石に今食べるのは鬼だな……。

 

 

「じゃあ今度は古典を……スペちゃん?」

「あああ……でもでも、我慢、我慢……」

 

 

 そして、しばらく勉強を続けていたスペシャルウィークだったのだが。ひときわ大きくお腹が鳴ったかと思えば、顔を真っ赤にしてペンを置いてしまった。

 

 

「……ごめんなさいスズカさん……私っ、集中できません!」

「ええ……?」

 

 

 なんと潔いこと。立ち上がったスペシャルウィークがぱしんぱしんと自分の頬を叩き、私と、スズカと、順番に見てからゆっくり拳を握る。

 

 

「でも、レースのために頑張らないとなので……三十分だけ! 走ってきます!」

「えっ、あの……」

「スズカさんのトレーナーさんもごめんなさい! トレーニングの時間は大丈夫ですか!?」

「え……まあ、大丈夫だけど……」

「ごめんなさいスズカさん! 私、行ってきます!」

 

 

 バァン! ガチャ。パタン。

 

 

 怒涛の勢いのまま出ていってしまったスペシャルウィーク。取り残されたスズカが、ふぅ、と息をついて机の上を少し片付け、筆箱をしまって、カップに残った紅茶を飲み干して。

 

 

「行っちゃいましたね、スペちゃん」

「……だねえ」

 

 

「……さて」

 

 

 立ち上がるスズカ。何でもないような顔をしたまま、そのまま棚からシューズを一足出して、制服のファスナーに手を掛けた。

 

 

「さてじゃないが」

「私も走りに行こうかなあと……」

「いやダメでしょ」

 

 

 私が言った瞬間、ウマ耳をへにょりとさせてソファに倒れ込むスズカ。薄々ダメと解っていても同じように勢いで行けば押し切れると思ったんだろうか。

 

 

「……三十分だけ、走ってきますっ」

「だめ」

「そんなぁ……スペちゃんは走ってるのに……」

「スペシャルウィークは食べるの我慢するために走ってるのよ。じゃあスズカは走るの我慢するために食べたら?」

「あまりにも高そうで怖くて味がしません……」

 

 

 ……わかる。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「ぁぅぁぅ……」

「はーいたくさん食べようねー」

 

 

 その後。なんやかんやあった結果私もソファに横に座り、スズカを後ろから抱き締めつつクッキーを一枚一枚食べさせていた。ぱたぱた両脚は動き続けているが、とりあえず上半身は大人しい。

 変わらずベッドから動かないブルボンもチョコレートバーを咥えてじっとこちらを見ている。

 

 

「ただいま戻りました! すみません、スズカさ……スズカさん?」

「あっ」

「あっいけねっ」

 

 

 ドアが開く。時計見てなかった。スペシャルウィークが私達を見て、うーん、と少し考えて、何事もなかったかのように座る。いや、スペシャルウィークに見られるのは良いんだけどね? スペシャルウィークがノックしないとは思えないし、じゃあ気付かなかったよねって。それは不味いでしょ。

 

 

「……スズカ」

「……はい」

 

 

 立ち上がり、それぞれ定位置へ。いや定位置って隣じゃなくてね。私はデスク、スズカは椅子へ。

 

 

「やりましょう、スペちゃん」

「あ、はい……あの、今のは……」

「……内緒ね」

 

 

 今度からは鍵をかけよう。強くそう思った。あと私はともかくスズカも見られちゃ不味いって思ってたんだ。意外だわ。




本当に今さらなんですけど、誤字報告や感想をいつもありがとうございます。前者は無いに越したことはないですが本当に助かってます。是非たくさん感想も頂けると嬉しいです。お気軽に。


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クール系美少女のサイレンススズカ

 

「あ。トレーナーさん……」

「どうしたの、スズカ」

 

 

 ある日。スズカは先日の取材の続きで、写真撮影に赴いていた。休日朝から何社かに同じようなインタビューを受け、午後から纏めて撮影会である。

 

 トレセン生徒は当然学生だが、それと同時にプロアスリートでもある。スポンサーはいないものの、メディア露出からは逃れられない。何ならスズカは写真集は出していないだけマシな方とも言えるわね。

 

 

「やっぱりこの服を着ると、走りたくなってしまって……」

「ああ……まあそれはもう頑張って我慢するしかないわねえ」

「ですよね……はあ……」

 

 

 今日の撮影は勝負服である。ウマ娘の勝負服に対する意識は結構あやふやで、トレーニングに着るのもいれば本番以外では絶対に着ないのもいる。スズカは後者のタイプで、それはすなわち、パブロフの何とやら。着ると走りたい欲求がさらに強まるのである。

 

 

 ただまあ、今回に関してはお仕事というのもあって必死に抑えている。代償にその場でくるくると左回りを始めているが些細なことだ。たぶんそのうち治まるでしょ。

 

 

「終わったら走って良いですか……?」

「昨日走ったよね?」

「たったの三キロですし……」

「たったの……?」

 

 

 ウマ娘にとっては「たったの」か。まあ良いや。とにかく撮影の準備が整ったようだ。スタジオは完全にモデルの写真撮影といった様子になっている。

 

 ……シビアな話をすると、ウマ娘はみな顔が良いので、単純に写真として人気があるのだ。記事に写真載っけとくか、以上に、写真を目当てに買う人間も少なくない。だから雑誌新聞の撮影なのにこんなガチガチの撮影会になる。

 

 

「サイレンススズカさん! 準備の方整いましたのでよろしくお願いします!」

「あ、はい……行ってきます、トレーナーさん」

「行ってらっしゃい」

 

 

 私は後方でトレーナー……プロデューサー面である。インタビューはともかく撮影に私の出番はない。ちゃんと更衣室もあるし空調も効いているし、至れり尽くせりだ。スズカは未成年だしURAからもかなり手厚く話が行っているらしい。

 

 

 たくさんのカメラの前で、スズカがおどおどとポーズを取っている。まっすぐ立っているだけだったり、少し横を向いてすん……としてみたり、胸に手を当て微笑んでみたり。

 

 

 

 あー…………スズカ可愛いなあほんと……

 

 

 いや、単純に顔が良いのもそうだけど、こう、物憂げな美少女系って言うのが良い。あれで中身は果てしない熱に溢れてるのはそう何人も知ってることじゃないけど。

 しかも、ただ幸が薄そうなわけじゃないのよね。中身の熱が少し漏れ出る風に目に力があるのも良い。ただの守られる弱い少女ではなく、確かな強さを感じられる。

 

 それにスタイルも良い。いや、良くないところもあるんだけど、でも程好い身長とすらりと長い手足は何なら羨ましくなるくらいだ。それも、細くもないしムキムキでもない。半端ではない密度の筋肉と、それを覆うように適度についた柔らかさがスズカにはある。関節の柔らかさと相まって、地面を抉るように超前傾でスパートを掛ける姿は見ていて気持ちいいくらい。

 

 ウマ娘自体に興味はそこまで無い。でも、スズカはやっぱり別格だ。惚れた女ってやつ。流石に恋愛感情とまではいかないけど、何かこう、重い感情があるのは自分でも理解できる。スズカほんとすき。

 

 

 しばらく撮影を眺めていると、一度休憩にでもなったのかスズカがカメラマンの一人とこちらへやって来た。気持ちを切り替え飲み物を持って迎える。

 

 

「お疲れスズカ。すみません、ありがとうございます」

「いえこちらこそ。えっと、今あらかた撮影終わりまして。それで、もしよろしければなんですけど、トレーナーさんもご一緒に写っているのも頂けないかと思いまして」

「……あ?」

 

 

 やべ。仕事相手に出しちゃいけない声出ちゃった。

 

 

「すみません、その、わ、私もですか?」

「はい。週刊シャイニーでは先程のインタビュー、トレーナーさんとの関係性を重視してお話を頂きまして。トレーナーさんにも事前にアンケートの方お答えいただいたと思うんですけれども」

 

 

 スズカに飲み物を渡す。あー……そういえばちょこちょこあったな。なんて答えたっけ……まあ当時の私が真面目に答えてるから、変な答えじゃないはずだけど。

 

 

「ですので、見出しとしては……これは一例ですけれども、このような感じで考えてまして」

 

 

 手帳が差し出された。『JCウマ娘、サイレンススズカ! 次も二人三脚で大逃げ!?』……あー。ありそう。確かにこれは私とのツーショットも欲しい……のかな。別にいらなくない? とは思うけど。

 

 

「あの……カメラマンさん」

 

 

 まあ断る理由もないしなあ、別に良いか。ウマ娘に興味の無い両親にだって、雑誌に写真載ったら自慢できるんじゃないかな、なんて思っていると、隣からスズカ。

 

 

「はい」

「その、写真って言うのは貰えたりってするんですか……?」

「ええと、はい、一応うちでは写真は全てそちらへ送らせていただいて、確認していただく形になりますが……」

「トレーナーさん、撮りましょう?」

「……ではよろしくお願いします」

 

 

 スズカにも言われちゃ仕方無い。スズカに手を引かれる形でカメラの前へ立つ。何人かは私を撮る気は無いのか撤収準備を始めているが、それにしてもまだ多い。写真をちゃんと撮るのなんていつぶりだ……? 履歴書や志願書はスピードで撮ったしなあ。七五三とかかな。

 

 

「ではトレーナーさん、サイレンススズカさん。まずは二人で並んでいただいて……もう少し距離詰められますか? はい。オッケーです。撮ります」

 

 

 スズカと並ぶ時、基本的にスズカは私の右側にいる。スズカを撫でたり、押さえ込んだりする時に右手が咄嗟に出るようにね。いつも通りそう並び、少しスズカが前に出る感じでどうやら良かったようで。

 

 表情指定とか……無いの? もしかして私が勝手にやらないと仏頂面のスズカトレーナーみたいな感じで雑誌に載る? ええ……? 

 

 

「あの、カメラマンさん。私とトレーナーさん、笑っても良いですか……?」

「あ、はい。こちらとしてはどちらの表情でも構いませんよ」

「じゃあトレーナーさん。せっかくですから、ね?」

 

 

 ね? じゃない。振り向かないで、あざとい子。誰の影響かね。ちょっと気に食わなかったのでスズカの背中を密かにつつき、カメラに向かって笑顔……できてる……? 

 

 

「はい! オッケーです! ありがとうございます!では続いて椅子の方用意しますので、ええと……サイレンススズカさん、座っていただけますか?」

「あ、はい」

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 

 撮影はその後もしばらく続いたが、予定よりほんの少しだけ早く解放はされた。お金とかそういう話をちょこちょこっとして、二人で車でトレセンまで帰っていく。

 

 

「……っ、ぅ……トレーナーさん、その……」

「走らないよ」

「ぅぅ……ランニング日和なのに……」

 

 

 いつも言ってるよね? それ。晴れでも曇りでも雨でもランニング日和だもん。

 

 助手席で景色を見ながらそわそわ揺れ始めたスズカを止めつつトレセンへ。もうそろそろ日が沈む。ブルボンの夜坂路もあるし寄り道はできないのだ。できても走るのは駄目だけど。

 

 

 そもそも直近走ってから二日だし。勝負服を着て走りたくなっちゃったからって許してはいけないのだ。

 

 

「せめて、トレセンまでとか……」

「もう着くけどそれでも良ければ」

「……それでも良いので……」

 

 

 むちゃくちゃ言い始めた。トレセンは本当に目と鼻の先。まさか走るとは言わないだろうと許可は出したけど……もう200もない。嘘でしょ? 信号待ちのタイミングで、スズカは本当にシートベルトを外して車を降りてしまった。

 

 

「ちょっとスズカ!?」

「ごめんなさい、ちゃんとまっすぐ帰りますから……トレーナーさんを待たせたりしません……から!」

 

 

 最後の方は声も聞こえず、物凄い勢いでスズカが吹っ飛んでいった。蹄鉄だったらアスファルト抉れてそう。というか魂胆は見えるわよ。トレセン前は普通に混むので、到着までの時間と駐車してトレーナールームに着くまでの時間を目一杯走ろうというのだ。

 

 そうと解れば少し急ごう。安全運転で、だけど。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「……どう? スズカ」

「全然走りたりません……」

 

 

 そりゃそうでしょ。

 

 

 トレーナールームに戻る。ブルボンに着替えの指示を出しつつ、スズカはやはりというかなんと言うか、ウマ耳をへにょらせて机に突っ伏していた。当然だ。あの百倍の距離でやっと満足するかっていうスズカが満足できるわけがない。

 

 中途半端に火をつけてむしろ辛い……けど、それはそれとして少しでも走っていたいのがスズカである。

 

 

「ぅぁー……」

 

 

 後ろから背中を撫でても変な声をあげるだけで動かないスズカ。いや、脚はふらふらと動いているけど、身体の動きは止まってしまっている。着替えを終えたブルボンが来たので一応体調のチェックをしてから坂路だ。今日もスタミナを伸ばそうね。

 

 

「スズカも来る? 坂路」

「……走って良いなら行きます……」

「良いよ走っても」

 

 

 ぶんぶん尻尾が跳ね回り始めた。ぴょこん、とウマ耳を立てて、突っ伏したままのスズカがゆっくり起き上がる。

 

 

「今、走って良いって言いました……?」

「うん。まあブルボンのついでだけど……ブルボンと同じくらいだけなら走って良いよ」

「……ブルボンさん。調子はどうですか?」

「セルフチェック済みです。ステータスに問題はありません。絶好調です」

「そうですか……!」

 

 

 スズカが棚からシューズを出してきた。手早く着替え、ドアの前で待つ私達の所へ無言のまま歩いてきた。

 

 

「行きましょうっ。ブルボンさん、頑張りましょうね」

「……現金だなあ」

 

 

 まあスズカらしいっちゃらしいんだけど。今日はお仕事で悪戯に欲を煽られたわけだしね。ちょっとくらい走ったって罰は当たらないでしょう。スズカにそれを与えるのは私だけど。

 

 

「坂路、十本くらいでしたよね?」

「いやブルボンが死ぬでしょ。四本よ」

「でもブルボンさんは十本行けるわよね?」

「オーダーならば必ず遂行します」

「こらこら」

 

 

 冗談ですよ、と何も信用できないスズカを連れて、私とブルボンは坂路練習に向かった。スズカは何故か十本を走りきり、何故かブルボンはその最後の一本に付き合った。その後帰ってきたブルボンの行く末は乙女の名誉のために言い控えさせていただきます。



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速さにプライドのあるサイレンススズカ

 

「あ、トレーナーさん」

「ん?」

 

 

 ある日。トレーニング後にシャワーを浴びたスズカの髪にドライヤーをかけていると、スズカがポケットからスマホを取り出した。

 

 

「これ……私のウマッターとウマスタのアカウントなんですけど……」

「へえ。スズカも始めたんだ。流行ってるよねえそれ」

 

 

 ウマッター、ウマスタ。ウマ娘の間で大流行のSNSである。URA及びトレセンでも半ば公認となっており、ここで起きたトラブルには結構早めに動いてくれるのでみんなここに集まるわけだ。ちなみにウマッターは文字メイン、ウマスタは写真メインらしい。

 

 以前スズカと話した時は、特に呟くこともないので……と言っていたような気がするけど。覗き込んだ画面には、何の設定もなくただ作られただけのウマッターアカウントが。名前も仮なのかスズカとだけ書かれている。

 

 

「やらないって言ってなかった?」

「そうなんですけど……スペちゃんにやった方が良いですよ! って言われちゃって……」

「スペちゃん、友達多そうだもんね」

「私が少ないと思ってませんか……?」

 

 

 いやそんなつもりじゃなかったけど。スズカも友達……と、スズカをライバル視してくる子も多いし。フォロワーも増えるんじゃない? 

 

 

「うぅん……でも、どんなことを呟けば……スズカさんはウマスタ向いてないってスペちゃんが」

「あー……」

 

 

 まあ向いてないでしょ。スズカのスマホの画像フォルダ、私か友達との写真しか無いもんね。しかもスズカが撮ったんじゃなくて送ってもらったやつ。綺麗な景色は結構好きなんだけど、撮るより走る派だし。

 

 ただ、ウマッターが向いてるかと言われるとそうでもない。文章考えるの面倒とか思ってるだろうし。

 

 

「別に、何かを呟かなきゃいけない決まりもないし……友達にリプ送るだけでも良いんじゃない?」

「そっか……じゃあとりあえずフォローしようかな……」

 

 

 呟いて、友達を検索していくスズカ。あら、スペシャルウィークはめちゃくちゃ簡単プロフ。だけど、『日本一のウマ娘になります!』とだけ書いたプロフィールには何か感じるところもある。

 

 

「何を呟いてるの、スペシャルウィークは」

「ええと……」

 

 

 画面が動く。写真ばっかりだ。それも、食べ物ばかり。というか、投稿のほとんどが食事と友達のことで埋め尽くされている。下へ下へ行っても、ちょこちょこっとトレーニングの話があるくらい。

 

 まあでもウマ娘ってそうよね。結局学生だし、友達と遊ぶのが一番楽しい。あとは食べること。私もそうだったし。

 

 

「スペちゃんったら……ふふっ」

「あ、スズカの投稿もあるわね」

「あら……あっ、もう……スペちゃん……勝手に……」

 

 

 秋口くらいの投稿にスズカとのツーショット。普通に写真を載せていることにスズカが微笑ましく笑っているけど、たぶんスペシャルウィークは勝手にそんなことする子じゃないわよ。

 

 写真の二人は少し汗ばんでいるし体操服だし、併走でもした後だろう。スペシャルウィークも許可は求めたが、スズカも気分が良くて適当に返事をして覚えていない可能性がある。というか間違いなくそう。この子の危機管理はもうぐちゃぐちゃ。

 

 

 一度スペシャルウィークのアカウントは閉じ、スズカのホームへ。どうやら一応アカウントを編集するらしい。名前は流石にサイレンススズカにするとして、プロフィール文だけど……

 

 

「どんなのが良いと思いますか?」

「まあ、スペシャルウィークみたいにシンプルで良いんじゃない?」

「シンプル……日本一とか……?」

「スズカはもう日本一だしねえ」

「んー……」

 

 

 ドライヤーを終え、櫛で梳かしていく。ちなみに何故私がスズカの髪を弄っているかって、こうしないとスズカが自分でやらないからである。スズカには自分を磨こうという頭が無いし、優先順位もバグっている。髪も、濡れていた方が広がらなくて楽とか……これは言ってないけど言いそう。

 

 一応何かこだわりでもあるのか、坊主やショートヘアにしようとはしない。まあ髪は女の命と言うし、流石のスズカも女の子なのかな……可愛いしそうだねたぶん。

 

 

「じゃあ……先頭……んー……」

 

 

『先頭の景色は譲りません。トレーナーさんと頑張っています』なんて、スズカの細指が動く。うわあ、私のこと言ってくれてる嬉しい……よりも、プロフィールにそれだけが書いてある世代最強ウマ娘のプレッシャーたるや。後輩が泣いてしまうよ。

 

 

 まあ、スズカがそうしたいなら止める理由もないけど。これでまたエアグルーヴが燃えちゃうからさ。あの子、スズカに言っても暖簾に腕押しって解ってるからまず私に言いに来るのよ。怖い怖い。

 

 

「で……まあ、挨拶くらいしておいたら? ファンの人達なら勝手にフォローするだろうし……あっ」

「あっ……あっあっ、あっ」

 

 

 怒涛のフォロー通知が押し寄せる。驚いたスズカがスマホを取り落とし、ピロリンピロリンと鳴り続けるスマホを呪いの道具であるかのように避けて私にすり寄ってくる。代わりに拾って通知を切った。

 

 

「びっくりしました……」

「熱心なファンもいたものだねえ」

 

 

 にしたってって感じもするけど。スズカって名前とIDの@silenceSuzukaで「ん?」となり、今のプロフィール変更に反応したのだろうか。

 

 とにかく予定通り、『始めました。よろしくお願いします』の呟きの後、今度は猛追するリプライリツイート通知も切る。と言うかフォロー内だけでの通知にすりゃ良いのか。スズカもフォロバするとは思えないし。

 

 

「……あ。スズカ。スペちゃんからリプ来てるよ」

「え……あ、ほんとだ」

「早さがファンと同レベルね……」

「ふふっ。ですね」

 

 

『スズカさん! ウマッター始めたんですね! フォローしました!』

 

「えっと……お……ね……が……」

 

 

 スズカがたどたどしくフリックしていく。さっきも思ったけど、スズカ、文字打つの遅くない? 不器用な子じゃないんだけど……まあ慣れていないんだろう。私との連絡も電話でしたがるし。

 

 

おばあちゃんの速度……

「……今遅いって言いましたか……?」

「いけねっ」

 

 

 ぐりんっ。スズカがこっちを向き直り、ぐっと寄ってくる。押し倒すみたいにソファの肘置きに私を追い詰めて、スマホを放って私の頬に手を掛ける。

 やっべえ不機嫌だ。人差し指で一文字ずつ確認しながらフリックするスズカについ言ってしまった。スズカは何の話であろうと自分が遅いと聞くとちょっとイラッとくるらしく、私には遠慮もないので割とこうなる。

 

 

「遅くないですよね? 私が一番速いですよね?」

「違う違う。フリック。文字入力の話。スズカ? 怖い怖い心臓バラバラになっちゃうから」

「……なんだ。変なこと言わないでくださいね。びっくりしちゃいます」

 

 

 尻尾はずっと思いっきり振られたままだけど、冷静になったらしくそのまま私を背もたれに寝転がるスズカ。放ったスマホを拾って私の顎を脳天でくりくりと弄りつつまたフリックを続ける。おっそ。

 

 

「……今」

「言ってない言ってない」

 

 

 なんだこの栗毛。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「よし……と。これでみんなかな……」

 

 

 トレセンの知ってる子達をフォローし終え、スズカの初SNSが終わった。ウマスタもアカウントだけは作ったけど、たぶん動かさないんだろうなあ。

 というかスズカのフォロー欄がヤバすぎる。重賞ウマ娘が当たり前にポンポンいる上、G1も結構網羅している。残酷なまでの格差社会を感じるところね。強いウマ娘は強いウマ娘と仲良くなるし、だから合同トレーニングや併走も質が良くなる。するとさらに強くなる。この繰り返しだ。

 

 

「大丈夫だと思うけど、あんまり熱中しすぎないようにね。寝不足とか気を付けるように」

「もちろんです。ちゃんと控えめにしておきますね」

 

 

 形だけの注意も終え、私も自分のスマホでフォローを入れておく。一応監視もしとかないといけないからね。保護者として。もちろん、スズカに限って何もトラブルは起きそうにないけど……鋼のメンタルだし。

 

 

「じゃあブルボンが来たら私は坂路に行くから。スズカはどうする?」

「さっきスペちゃんにご飯に誘われたので、行ってこようかな……うん。行ってきます」

「ん。行ってらっしゃい」

 

 

 スズカは結構頻繁にスペシャルウィークやタイキシャトルと遊びに行ったりご飯を食べたり、割とアクティブに動いている。スズカも自分から誘いに行かないからありがたくついていくのだ。

 

 ちなみに、どちらと行ってもスズカは食べ過ぎて帰ってくる。スペシャルウィークだと単純に量が多く、タイキシャトルはメニューも重いらしい。スズカもウマ娘だけどそんなに食べる方じゃないからなあ……。

 

 

「食べ過ぎないようにね」

「はい。気を付けますね」

 

 

 スズカを見送り、私は部屋の掃除なり何なり。早速ウマッターのトレンドにスズカの名前がある……流石はトップウマ娘、SNSを始めただけでこんなに話題になるとは。担当がスズカで良かった。スズカに宣伝案件なんか来ないだろうし。

 

 でも、スズカも今度は写真集のオファーが来てるんだよね……トレセンは推奨はしてきてないから断って良いやつなんだけど。でもスズカの写真集は私が欲しいわ。

 

 

「マスター。お待たせしました。ミッションを達成しました」

「ん。じゃあ坂路行くよ。準備」

 

 

 ブルボンは昼坂路はお休みで、サクラバクシンオーに誘われどこかに出掛けていたらしい。一年を祈願して神社に行ったとか何とか。にしては時間かかりすぎだけど。あと行くのも遅すぎね。

 

 

「ちなみに、ブルボンはSNSとかやってないの?」

「はい。機械類に触れると故障するので、端末も可能な限り触れないようにしています」

「何それ。スマホ持ってないってそういうこと?」

「はい。契約はしていますが現状操作はできていません」

 

 

 そんなことある? とは思うんだけど、冗談を言っているようには見えない。それに、私が嫌われてるんじゃなければクリスマスにあげた時計も一切つけていないのもちょっと気になってた。ごめん。

 

 

「……もしかして、腕時計もつけられない?」

「……はい。申し訳ありませんが、ニシノフラワーさんの提案によりケースに飾っている状態です」

「なるほど……あっ違うわよ怒ってるんじゃなくて」

 

 

 しゅんとして謝るブルボンの頭を撫でつつ、今度はゼンマイ式の物を買ってあげようかな、それともそもそも時計をやめようかな、なんて考えていた。




レースがないと話が進まない定期。日常パートは無限に書きたいし展開上いくらあっても困らないので、そっちの要望とかはぜひ聞かせていただきたいとは思ってます。


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するべきことは理解しているサイレンススズカ

今回は薄味。前にも言いましたが基本的にスズカが絡まない部分は元のウマ娘よろしくスポ根です。スズカだけギャグ時空に生きてるくらいの感覚で大丈夫です。


 

「あ! スズカさん! スズカさんのトレーナーさん! ブルボンさん!」

 

 

 ある日。私達はスズカに誘われ、京都までスペシャルウィークの応援に来ていた。G3、きさらぎ賞だ。スペシャルウィークにとっては最初の重賞レースになる。予想通りというかなんというか、スペシャルウィークのトレーナーさんも彼女の強さを理解している。オープン戦など既に眼中に無いだろうな。

 

 観覧席に私達を見つけ、駆け寄ってくるスペシャルウィーク。ステータスを見る。うん。今日の勝者は君だよ。アピールも見てたけど、少なくともステータスは圧倒しているね。

 

 

「来てくれたんですねっ」

「ええ。調子はどう? スペちゃん」

「万全です! 頑張りますよっ」

 

 

 本人のやる気もある。体調も悪くないならあとはレース展開だけだね。スペシャルウィークは好位追走のレースもできるし、後ろから捲っていくレースもできるし。先行ができるウマ娘は差しも割とできる傾向にあるんだね。

 

 スズカに応援され、スペシャルウィークもやる気を高めている。ちゃんと激励をしている姿にスズカの中の先輩力を感じてきた。偉いね。ブルボンもかなり定型文っぽいけど一緒に応援してくれている。まあこっちはそういう子だからね。スペシャルウィークも人が良いのか全然気にしていないし。

 

 

「じゃあ行ってきます! 見ててくださいね!」

 

 

 私達と、ついでに他の観客にも笑顔で手を振るスペシャルウィーク。人気出そうだなあ。スズカと違って確固たるライバルがいるというのも良い。ここからじゃ実況解説は聞こえないけど、話題の中心は彼女だろう。

 

 

「マスター。レースについてどう思われますか」

「珍しいわねブルボン。スペシャルウィークに興味があるの?」

「個人への興味ではありません。しかし、きさらぎ賞はクラシックレースに進むことを希望しているウマ娘によるレースだと認識しています」

「まあそうね。ここに勝って……まあ直接皐月か、弥生を挟んで皐月じゃない? スペシャルウィークは」

「弥生賞、懐かしいですね……」

 

 

 しみじみ噛み締めるスズカ。結果的にはスズカの汚点だとかネットで言われてるあの辺りのレースからもう一年か。早いなあ……いやほんとに。まあ私はトレセン入ったは良いけどスカウトも取れず絶望していたよね。

 

 

「そうねえ……実際のところ、実力だけならまず間違いなくスペシャルウィークの勝ちよ。全てにおいて他を上回ってる……と思うわ」

「なるほど。では順当に行けば彼女の勝利でしょうか」

「でしょうね。でもまあ、実力で勝ってるからレースにも勝てるっていうのは逃げだけよ。バ群に飲まれるとかもあるからね。特にスペシャルウィークは逃げる子じゃないから」

 

 

 あまりにも私が何を言ってもなるほどなるほどと聞いているブルボン。いつも本当に話聞いてるか疑いたくなるくらい素直に話を聞く。まあ私のレース分析は少なくとも実力と調子に関しては外さないから何も言わず聞いてくれれば良いんだけどね。

 

 

「ちなみにブルボン。見るのは良いし何か学ぶことがあればそれで良いけど、あなたに彼女の走り方はできないからね。あなたが目標とするのはスペシャルウィークではなくスズカよ。それだけは認識するように」

「承知しました。元よりそのつもりです」

 

 

 さて、レース場では全員がゲートに入り、一斉に飛び出したところ。適性通りスペシャルウィークは中盤やや後ろから。ただ位置は正直あまり良くない。埋もれる寸前といったところだ。

 

 しかし一方、きさらぎ賞はスタート直後が登り坂である。見た感じ明らかにスペシャルウィークには余裕がある。流石のパワーだ。あれを見るに位置取りはわざとだろう。行こうと思えば先頭にも立てたはずだ。

 

 

「スペちゃん……」

「大丈夫。いけるよ」

 

 

 向こう正面を越えて第三、最終コーナーへかかる。どうだ? まだ変わらない。やや前に出たような気はするが少し内過ぎるか? 

 

 

「……いやっ」

 

 

 来た来た来た。スペシャルウィークが来ている。前が開いた一瞬で、物凄い勢いであがってきた。先頭に並ぶこともなくそのまま先頭に立ち、なおも衰えないまま直線を駆け抜けている。

 

 

「頑張れっ、良いわよスペちゃ……あっ抜かれちゃう……」

「こら。逃げに感情移入しない」

 

 

 思わずスズカも少し声を張り上げるほど、煌めきすら放つような抜け出し。団子状態とはいえあまりに綺麗に先頭を奪うスペシャルウィークを見て、少しスズカがうめいた。

 

 スペシャルウィークはそのまま伸びていき、先頭のままゴール。結局実力通り、危なげなく彼女は勝った。勝手に感情移入して自分が抜かれたかのように一瞬だけ火が付いたスズカの背中をとんとんと落ち着かせながら、私達はウイニングライブ会場へと赴いた。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 スペシャルウィーク、ライブ酷すぎ問題。

 

 

「スズカ……」

「……はい。私からも言っておきます。もう、スペちゃんったら……」

 

 

 トゥインクルシリーズにおいては、まずレースを直接見るのにお金がかかり、次にライブを見るのにお金がかかる。私達はトレセン関係者なので前者のお金はかからないけど。

 

 で、ライブと言っても席がたくさんあるわけで。もちろん一番良いのはステージ前、アリーナ。あとは二階席なんかも見やすくはある。そういう人気な席の決定には、当該レースでの勝ちウマ娘を予想してその子への投票券を買う必要があるのだ。

 

 本気で予想しても良いし、推しのものを買っても良い。ただし、予想が外れ掲示板に載らなければ基本紙屑になる。逆に予想が当たれば、そこに書かれた抽選番号を使ってウイニングライブの指定席が決まるというわけだ。

 

 

 要するに、ライブを良い席で見るには、勝つウマ娘の投票券を買うことが求められる。この売れ行きがいわゆる人気に繋がるわけだ。

 

 

「あれはシンボリルドルフも怒るわよ……」

「スペちゃん、メイクデビューでもこんなんだったのに……」

 

 

 私達の大本命◎はスペシャルウィークだし、三人揃って確信もあったのでアリーナ率の高いお高めの投票券を買っていた。そして、しっかりアリーナを確保してペンライトを用意したのだけど。

 

 スペシャルウィーク、まさかの振付全部飛び。歌だけは何とか思い出したのか、明らかにカンニングのモニターを見ながら歌いきったけど、ついぞ踊ることはできなかった。

 

 

 私はあんまり強くは言えない。だってウマ娘と同じことは絶対できないから。勉強しながらトレーニングしてダンスレッスンなんて私がやったら爆発しちゃう。でもトレセンはそういうところだし、収益にはそれ目当てのお金も含まれている。

 

 でもさあ……スズカですらライブは完璧なのに。ファンサの笑顔も含めてスズカはそれはそれは可愛い。スズカの場合は走った後の大満足ハイの状態でライブをするからテンションが上がっていて時々ウインクなんかもしてくれたりってのもある。もちろん一着じゃなくてもちゃんとやるけどね? 

 

 

「ブルボンはああならないようにね」

「問題ありません。既にダンスレッスンは開始しています。メイクデビューの振付は80%インプット済みです」

「良かった」

 

 

 人間側が言うのは本当におこがましいことだけど、ウマ娘にとってレースとライブは切り離してはいけないものだ。人間はレース場の整備、トレーニング施設の用意など、ウマ娘が気持ち良くその闘争本能でレースができるように努め、ウマ娘はそれにかかったお金を賞金の一部やライブの収益で返す。私達の共存の仕方である。そりゃウマ娘に優しいことで有名なシンボリルドルフもライブを軽んじた時は怒るわけだよ。

 

 

 レースまではお見事だったんだけどね……これで三連続ライブ失敗だ。スズカも同室の先輩として厳しく言ってくれるっぽい。何なら教えてあげて。

 

 スペシャルウィークのその件で、流石のスズカもヤバいと思ったのか走る欲が抑えられている。さっきまでは「いつ走りたいって言おうかな」なんて思ってる顔をしてたんだけど、一転して何とも言えない絶妙な困り顔に変わっている。スズカのせいではないんだけどね? 

 

 

「でもスペシャルウィークもこれでほぼクラシックレース確定だし、かなり良い感じになってきたんじゃない?」

「ですね。スペちゃん、ダービー取りたいってよく言ってますから。頑張って欲しいですね」

「参考までに、マスター。スペシャルウィークさんの三冠は現実的でしょうか」

「いや全然。グラスワンダーやエルコンドルパサーの方が強いよ。全員で奪い合ったら厳しいね」

 

 

 スペシャルウィークも強いし伸びも良いけど、この間見たステータスからすればあの二人の方が強い。まあグラスワンダーはいつ心が立ち直るか解らないけど。この間は立ち直っていなかったし。

 

 それに、スズカとマチカネフクキタルのように、ステータスで圧倒していてもそれがひっくり返されることは稀にある。逃げウマ以外ならなおさらだ。まだ彼女の試練は続くね。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

「あー……疲れた。スズカはスペシャルウィークのお祝い?」

「いえ、明日です。でも今日は寮に帰りますね」

「今日はというかそれが普通なんだけどね」

 

 

 トレーナールームにて。半々の確率で私の部屋に泊まるスズカは今日は帰るらしい。珍しくこれから走るだ何だとは言わなかった。今日はお祝いからお説教だろうなあ。頑張れ、スペシャルウィーク。

 

 

 じゃあ私はブルボンと一緒に坂路に行くか……と声をかける。すると彼女はいつものように即答せず、

 

 

「……マスター。一つ私からも要望があります」

「どしたの」

「スズカさんとまた走らせてください」

 

 

 …………ほう。

 

 目に燃える対抗心。ウマ娘に顕著に見られる、『他人のレースで自分が燃える』という現象。理由も言わず言いきったブルボンは私をまっすぐに見つめ、胸を手を当てたいつものポーズのまま答えを待っている。

 

 

「……まだ勝てないよ」

「理解しています。ですが、ステータス『高揚』を確認。現在の実力の確認に最適と判断しました」

「……なるほどねえ」

 

 

 実力の確認は日々やってるけど、本人がやりたいというならまあブルボンなら良いかな。ブルボンの言葉を聞いたスズカもこちらを向いて動きを止めているし、断るわけもない。

 

 

「……良いよ。スズカの調整にもなるし、走っておいで」

「ありが」

「走って良いんですかっ?」

「……もう」

「ぇぅっ」

 

 

 尻尾を振り回すスズカの額を弾く。どうして最後まで真面目でいられないかな、この栗毛は。




ウマ娘レースはギャンブルではないが、それはウマ娘レースがギャンブルではないという意味ではないんです。朧気ながらこういうシステムが頭に浮かんできました。


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後輩の高い壁になれるサイレンススズカ

 

「ふん、ふんふふふんふん、ふふんふふんふふんっ」

「ご機嫌だねえスズカ」

「ふふっ、解りますか?」

 

 

 そりゃ解るでしょ。

 

 

 翌日。スズカは昼ご飯も食べずにトレーナールームへ飛び込んできた。今日の昼練習はブルボンとスズカの併走トレーニングである。それもガチガチのやつ。私も私主導でやるのは初めてだ。

 

 併走トレーニングは平地の芝で行うと言っている。つまりスズカが最も好むコースである。それに、今までの私の態度から薄々解っているんだろう。トレーニングでちゃんと走らせた後はそのまま夜も走って良い許可を出すことが多い。

 

 

「はあ……今日はどこを走ろうかなあ……確か山の方の道、まだ右に行ってなかったし……ううん、せっかく走れるんだから、絶対気持ちいい道を走らなきゃ……あぁ、迷っちゃいます……トレーナーさんはどこが良いと思いますか?」

「……気分で走るのが一番なんじゃない?」

「むぅ……トレーナーさんは解っていませんね。どの道を走るかできぶぶぶぶっ」

 

 

 中途半端に走らせて我慢というのは流石に辛いだろうし、私から言い出した時や仕事の時は完全燃焼するまで走らせているわけだ。

 

 

 適当に返事をする私の返答で膨らんだスズカの頬袋を潰し、そのままむにむにと頬っぺたを弄くる。私の身体を背もたれに座るスズカは、ご機嫌な鼻唄を歌いながらぽわぽわとランニングの妄想と半々に生きていた。

 

 

「ちゃんと指示は守ってね? 大丈夫?」

「大丈夫ですよ。言い付けは破ったりしません」

「何回も破られてるんだけど?」

「…………」

「あっこら甘えて誤魔化すな」

 

 

 お腹に擦りついてくるな。そんなんじゃ誤魔化されないからね。何回、「今日はこうこうこういうタイムで走ってね」を無視されたか解らないんだから。いっつも我慢できなくなってつい、とか言うのよこの子は。

 

 

 今日のメニューとしては、まず通常の併走、つまり並んで走るトレーニングがあって、その後タイムを計りつつ2000mレースを二本。スズカはもっとできるけど、たぶんブルボンが掛かりまくるので一応これだけ。落ち着いて走ることができればもう少し行けると思う。

 

 

「スズカ。一旦ご飯食べようか。楽しみなのは解るけどどうせ晩御飯抜くでしょ」

「食べますよ?」

「どうせ夜風で走るのが楽しくなってそのまま寝ちゃうんだから。昼しっかり食べないと駄目よ」

 

 

 そして、夜トレーニングがスズカお待ちかね、ブルボンスズカの模擬レースだ。ちなみに、流石に差してくる子がいた方が気分的に練習になるのでゲストのメジロドーベルを呼んである。コースは2000mになるわね。

 

 

 ……本当はマチカネフクキタルも呼ぶ予定だったんだけど、今日はトレーナーと一緒に近所のビンゴ大会で優勝しなければ運勢が下がるらしい。意味が解らなかった。逆でしょ。

 

 

「じゃあ食べますね」

「ん、偉い。じゃあ食堂行こうね。ほら」

「ぅぁー」

 

 

 自分で立って? 同じ女としてこんなこと言いたくないけど、ウマ娘はそこそこ重いんだから。

 

 スズカがもう甘えたになってしまっている。可愛いから良いんだけど、よほど走って良いのが嬉しいらしい。あとは、後輩との合同トレーニングってのも少しはあるのかな。ウキウキよウキウキ。

 

 

 二人で食堂に向かい、いつものようにそれぞれで注文を済ませる。適当に決めた席に座ると、やはりいつも通り周りからの視線が凄い。流石はサイレンススズカ。挨拶ツイート以降マジで何も呟いていないのにウマッターのフォローが十万に行った女だ。

 

 

「いただきますっ」

 

 

 食べないと言っていた割にはいつもより多いように見えるわね。まあ浮かれてるんだろうけど、無理せず食べてね。

 

 

「んむ……あ、そういえばトレーナーさん。来週、タイキがバーベキューをするからって誘われたんですけど……」

「良いよ。行っておいで。来月は金鯱賞だから、ちゃんと火は通すんだよ」

「タイキが焼くから大丈夫だと思います。慣れてるので」

「それもそうか」

 

 

 タイキシャトル。スズカの友達その……いくつだ? 紹介を受けたのはエアグルーヴの次なのでその二にしておく。マイルを中心にスズカより短い距離で成功を収めているウマ娘だ。G1も二つ取っている。

 

 陽気な外国人のお姉ちゃんって感じの子で、グイグイ距離を詰めてくる上にすぐパーティーに誘ってくるので少し避けてる。ごめんね。

 

 

「トレーナーさんも来ませんか?」

「いやあ……私はやめとくね。友達だけで行っておいで」

「む……そうですか……残念です」

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 そうこうしているうちに、夜がやってきた。まだ日が沈むのは少し早いけれど、月夜のレーンには結構なウマ娘がいる。寮の門限までは、というかそれを過ぎてもトレーニングをするのがウマ娘という学生である。

 

 

「じゃあ併走。スズカは二レーン外で、一周八分。インターバル二分で三本。三本目前に足のチェックをするから私のところに来るように。以上質問は?」

 

 

 こういう時に限り非常に動きの良いスズカが、タイマーやベンチの運搬を手伝ってくれてスムーズに終わった。プールの時も同じくらいやる気になってくれると嬉しいよ私は。準備は私の仕事だから、決してやれとは言わないけどね? 

 

 

「大丈夫ですっ」

「問題ありません。オーダー、遂行します」

「はい、じゃあストレッチ終わったら行っておいで」

 

 

 ともかく、スズカもブルボンもやる気に満ち溢れている。二人で相互にストレッチをしながら……スズカはなんか別のものを見てそうだけど、ブルボンは目の前の相手に集中できている。

 

 夕方、よろしくお願いしますと私のもとに来たブルボンとも話したが、ブルボンはブルボンでスズカとやれるのが嬉しいらしい。もちろんブルボンから言い出したことなのだからそれで当然だけど、絶対に負ける勝負を積極的に仕掛けられるのは強い証拠だ。少なくとも私にはできないし、スズカもやりたがらない。

 

 

「こんにちは、スズカのトレーナー。今日はよろしく……お願いします」

「ああ、メジロドーベル。今日はよろしくね」

「う……はい。お願い……します」

 

 

 二人がストレッチを終えたあたりで、約束通りメジロドーベルが来てくれた。阪神ジュベナイルとティアラ二冠の実力者で、他にG2も勝っている。

 

 スズカやマチカネフクキタルと同期であり、つまりエアグルーヴの一つ下。トレセンでの評価も高く、一部生徒からは熱狂的な人気を誇る……らしい。あとトレセン外の男からの人気も。

 

 

「良いよ。いつも言ってるけど話しやすいように話しな。私も気にしないから」

「うん……ごめん、ありがと……今日はよろしくね」

 

 

 彼女はかなり強気というか……変に気が強いのに自分すら振り回されている。特に男相手だとマトモに話せないレベルで反抗心が芽生えるらしい。でもトレーナーは男なんだよね。普段どうやって話してんの? 

 

 

「えっと……アタシは二人を差すように走れば良いんだよね。どれくらい走るの?」

「こっちは2000を二本。メジロドーベルはどれくらい走れる?」

「一本で良い? アタシも大阪杯あるから」

「ん。そしたら準備運動しておいて。三十分後にスタートね」

「了解。手伝ってもらっていいかな」

 

 

 残念……だけど、まあ当たり前。スズカのようにいくら走っても楽しければセーフみたいなのが特殊なのだ。

 

 メジロドーベルのストレッチを手伝いながら、走り始めた二人を眺める。うん、しっかりスズカもタイム通り走れてるかな。本当は併走にタイム設定はしたくない……というのも、自由に競って走らせた方がトレーニングになるからだ。タイムを決めるなら一人で良いし。

 

 

 でも、スズカはすぐ掛かるからそうせざるを得ない。今だってギリギリ同じペースだけど、スズカの方がちょっと前に出てるし。走る自分の視界に他のウマ娘がいることが許せないから、並んで走ることができないのだ。

 

 

「相変わらずね、スズカも」

「わかる?」

「まあね。一応その、友達だし」

「そっか」

「まあまだよく解らないとこもあるけどね。ぽわぽわしてて話聞いてないこともあるし、突然ちょっと走ってきますって駆け出したりするし」

 

 

 ごめんよ。うちのスズカがポンコツで。あと後者についてはあとで詳しく教えてね。

 

 

 メジロドーベルのストレッチ姿勢に見惚れつつ、スズカ達は二本目に入っていた。かなり遅めのペースだしトレーニングというのもあり、ブルボンもしっかりついていけている。

 

 こう見ると、ブルボン、かなり自分でもスタミナを実感できているのかもしれない。ステータス上はギリギリEと正直まだまだだけど、それでも出会った頃から考えれば嘘みたいに上がっている。このまま朝日杯までにはDを超えてくれば皐月に楽勝で間に合うわね。

 

 

「っと……ありがとう。良ければアップに三本目、付き合っても大丈夫?」

「良いわよ。八分で走ってるから」

「了解」

 

 

 少し待ち、二人が戻ってきた。用意してある折り畳みベンチに座らせ、足に触れつつ体力も見ておく。うん。やっぱり大丈夫ね。多少息は上がってるけど……

 

 

「ブルボン、行けるわね」

「はい……はぁっ……ふー……疲労は軽微、パフォーマンスは充分に発揮できます。呼吸、心拍ともに予想以上に安定しています」

「スタミナがついてるのよ。頑張ったわねブルボン。このまま突っ切るわよ」

「はい。よろしくお願いします」

 

 

「スズカは大丈夫ね」

「はいっ。あの、この次は抑えなくて良いんですよね? もう今からうずうずしちゃって……早く走りたい……っ」

「今走ってたんだよねスズカは」

「ドーベルもよろしくね。頑張りましょう?」

「うん。よろしく。絶対追い抜いてみせるから」

 

 

 それぞれへの声掛けとチェックも終わり、三人はまた走り出した。そして、帰ってきて念のためもう一度体力を確認して、そして。

 

 

「じゃあレース、やろっか」

「はいっ」

「はい」

「よし……絶対負けない……!」

 

 

 ……今さらだけど、大阪杯に出るってことは普通にスズカと当たるな。まあ良いか。今さら隠す技もないし。

 

 

「ふぅ……じゃあ行きましょうかドーベル。ブルボンさん」

 

 

 スズカが仕切る。それだけでも全員に完全に火が付いた。伸び脚を片方縛ろうと思ったけど余計か。好きに走らせよう。

 

 

 

 

 そして数分後、スズカにボコボコにされたメジロドーベルと、二人にボコボコにされたブルボンが戻ってきた。心底悔しそうなメジロドーベルと、一見無感情なブルボン。それに比べて、スズカはやはり楽しそうに、もう一本やりますか? などと問いかけていた。



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美しく自由で力強いサイレンススズカ

「おいスズカのトレーナー……何をしているんだ?」

「ああ、エアグルーヴ。ちょっと待っててね、今スズカをお仕置き中だから」

 

 

 ある日。エルナトのトレーナールームにエアグルーヴがやって来た。私を訪ねてくるにしては珍しく書類も何も無い手ぶらで、服装も制服ではなくトレーニングのジャージである。

 

 

「はぁっ、ふぅっ……ふう……エアグルーヴ……助けて、助けて……トレーナーさんと後輩に虐められてるの……」

「マスターの指示に従っているだけです」

「エアグルーヴなら解ってくれると信じてるわ」

 

「……一応、何があったのか聞いておこう。おおむねスズカが悪いんだろうが」

「エアグルーヴ!?」

 

 

 ちなみに、今現在私とブルボンはロープでぐるぐる巻きになったスズカをソファに転がし、二人でくすぐって罰を与えていた。指示なので、と先輩に躊躇なく拷問できるブルボンがちょっと怖い。

 

 

「昨日ね、エアグルーヴ。スズカが私の部屋に来たのよ。夜の十時くらいに」

「……待て、もうおかしいだろう。門限はどうした門限は」

「違うのエアグルーヴ……」

 

 

 あの時はびっくりした。お風呂に入ろうかなあと廊下に出たら、勝手に入って来たスズカが廊下に立っていたのだ。マジでお化けか何かかと思った。スズカが勝手に入ってくること自体はいつものことだし鍵も渡しているから良いんだけど、夜はやめてほしいわ。

 

 

「まあ門限は良いのよ」

「良くはないぞ」

「まあ私的には良いのよ。住居侵入とも思ってないし、いつ来ても良いんだけどね。理由がね」

「ほう?」

「ほらスズカ。自分で言いなさい」

「……エアグルーヴぅ……」

 

 

 ブルボンに跨られ逃げることもできないスズカが、捨てられた子犬のような目でエアグルーヴを呼ぶ。ふはは。そんな可愛いことをしても無駄よ。それで堕とせるのは私みたいなクソチョロ女だけだからね。

 

 

「何故そうなったんだ」

「いや、あの、その……き、昨日は風が気持ち良くて……気が付いたら走っていて……」

「ほう」

「……その、門限、過ぎちゃったから泊めてもらおうかなって思っただけで……」

「お前が全面的に悪いじゃないか」

「ぇぅ……」

 

 

 いつものごとく私の禁止は無視され、よく解らないいつもの理由で走り出したらしい。ちなみに、一応理性で帰って来ただけでまだ走り足りなかったということで、私が晩御飯を作っている間も部屋の中をくるくると回っていた。

 

 

「でもでもっ、エアグルーヴ聞いてっ」

「なんだ」

「昨日の夜空、見たでしょ? 少し風が吹いていて、星も綺麗で……走るわよね?」

「走らん。何のためのトレーナーだ」

「……トレーナーさん?」

「こっち見ないで」

 

 

 可愛さに折れそうになるから。スズカが悪いのよ。私は走るなって言ってるのに、私がどうせ許すからって。まあ許すんだけど。本気で禁止するときはちゃんとやるけど、他は控えてね、くらいの効力だと思ってるし。

 

 

「しかしまあ、元気そうで何よりだ。あまり心配もしていなかったがな。金鯱賞も近い、ちょっとした偵察も兼ねて激励に来たんだが」

「ありがとうエアグルーヴ。スズカは元気よ。元気すぎるくらい」

「見れば解る」

 

 

 縛られたままのスズカの喉をごろごろと擽る。ブルボンも楽しくなったのか後半は自発的に擽っていたように見えた。今も別に具体的な指示は出していないが、私がいつもしているように頬を挟んでうりうりと弄くっている。

 

 エアグルーヴはそんな光景を何とも思っていないのか、座って良いかと律儀に聞いた後椅子に腰掛ける。

 

 

「大阪杯に出るのだろう? スズカは」

「出るわね。その後宝塚に……ファン投票が上手く行けば」

「ふん……こんなことは言いたくはないが、それは問題ないだろう。お互いにな」

「まあね……ああ、ちょっと待ってて」

「いや……ああ。すまん」

 

 

 エアグルーヴにコーヒーを出しておく。ブルボンは今手が離せないし、冷静に考えると別にブルボンの仕事ではないし。なんでお茶汲みを選手がやってるのよ。

 

 

「はい」

「すまないな」

「人気のエアグルーヴさんが来てくれたからね」

「ふっ……人気のサイレンススズカさんのトレーナーは言うことが違うな」

 

 

 エアグルーヴとスズカの間には人気の差が結構あるけど。いや、本当に失礼なことだけど、生徒会として丁寧と言ってもエアグルーヴはこういう子だから冷たいと誤解されがちなのだ。一方スズカは何も知らなければ物静かでお淑やかでミステリアスな薄幸の美少女である。

 

 

「ゎぅゎぅゎぅ、ま、待って、許して……ブルボンさん、頬っぺたが落ちちゃうからっ」

「ウマ娘の頬は落ちませ……本当に落ちないのでしょうか。尻尾や耳は無くなることもあるとデータベースにあります。であれば、頬も外部刺激によって落ちる可能性も……」

「落ちないよ?」

「落ちますよ?」

「…………?」

 

 

 何も知らなければね。

 

 

「大阪杯は今度こそ差す……と言いたいところだが、こんな態度で信じられん速さだからな。そう大口を叩いても仕方あるまい」

「……なに。弱気ねエアグルーヴ」

「……ふん。お前には関係のないことだ。これは私の問題だからな。アイツと共に乗り越えてみせるさ。スズカも、私自身も」

 

 

「ぁぅぁぅ……ぶ、ブルボンさん、楽しんでるわよね? 先輩、私先輩っ。止まってっ。オーダー、オーダーっ」

「了解しました」

「はぁ……解いて?」

「はい」

 

 

 何故か私の指示が上書きされたことは置いておいて。スズカを見るエアグルーヴは、どこか何か、眩しいようなものを見る目をしていた。女帝エアグルーヴがスズカの何を羨むのか解らないが……まあ永遠に知ることはないだろう。私は彼女のトレーナーじゃないし、スズカはエアグルーヴには負けない。

 

 何度も言うが彼女には無理だ。一気にスズカと同じステータスまで上がってくれば逆にスズカでは一生勝てなくなるが。レース勘や賢さはエアグルーヴの方が上なのだ。同じ速さを手に入れれば勝てる。完璧な作戦だ。そんなことは不可能であることに目を瞑れば。

 

 

「……そういえばスズカ。お前、いい加減タオルを溜めて洗濯に出すのはやめてくれとフジキセキが言っていたぞ。あまり迷惑をかけるなよ」

「あっエアグルーヴそれは」

「何、スズカ、またやってるの? 勝手に走るからそうなるんだよね?」

「やってませんよ……?」

「嘘つけっこのっ」

 

 

 ああー、と悲鳴を上げるスズカを膝の上に寝かせ、ぱしんぱしんと背中を叩く。それを見てエアグルーヴはふっと少し笑い、私が出したコーヒーをぐっと飲み干した。

 

 

「この様子なら大丈夫だろう」

「ええ……? 私が言うのもなんだけど、これ見て大丈夫って言えるのは相当だと思うの」

「スズカの走りはそういうものだ。むしろ歯を食い縛ってトレーニングをしていた方が心配するな」

「……それはそうね」

 

 

 邪魔をしたな、と言い放ち、エアグルーヴが去っていく。彼女、スズカの友達じゃないの? 当のスズカはひたすらぐったりとしているけど。まあ二人とも良いと思ってるなら良いんだろう。二人には二人の関係があるんだろうし。

 

 

「はい。じゃあスズカ、反省した?」

「しました……」

「もうしない?」

「…………」

「このっあほあほ栗毛っ」

「ふへへははっ、や、やめっ、トレーナーさんっ、やめてふはへへっ」

 

 

 できない約束をしないのは偉いけどそうじゃないんだよなあ。でもまあスズカも焦っているのだろう。金鯱賞は目前だ。と言うことはどうなるか? そう、長期ランニング禁止である。長期と言ってもたかが五日か一週間くらいだけど、スズカにとってはそれはもう毎回苦労することになっている。

 

 

「もう……今日は筋トレだからね。頑張ろうね。ブルボンも今日はこっち。坂路取れなかったから」

「承知しました」

「ターフが……ターフが私を呼んでいます……」

「詩人か。呼んでません」

 

 

 ちゃんと我慢させればスズカが負ける要素がゼロになる。スズカの身体能力と先頭への執念、二つがあって異次元の逃亡者なのだ。まあ後者が無くても大体勝てるとは思うけど、用意は万全にしたいし。

 

 

「うぅ……エアグルーヴ……どうして……」

「いや、助けるわけないでしょスズカが悪いんだから」

「ウマッターに呟きます……」

「エアグルーヴが可哀想だねえそれはねえ!」

 

 

 エアグルーヴに見捨てられました。という投稿がなされる。いや燃える燃える。エアグルーヴがだけど。一応削除させておく。私達なら冗談と解ると言うかスズカが何かやらかしたんだろうと解るけど、解らない人もいるからね。

 

 

「スズカも普段から呟いたら? エアグルーヴでさえ呟いてるのに」

「呟くこと無いですし……」

「普段何考えてるかとか……今何考えてるか呟いてみてよ」

「今何を考えているか……?」

 

 

 走ることでしょ。知ってる。私に膝枕されながらスマホを弄るスズカがさらに文字を打つ。

 

 

『トレーナーさんと一緒です。気持ちいいです』

 

「やめようスズカ。それもなんかまた違ってくるから」

「えっ……でも、今は……」

「私が大変なことになるから」

「ぁぅ、私のスマホ……」

 

 

 慌ててスマホを取り上げて文字列を消して返す。本当に危うい……というか何なら狙ってるとしか考えられないくらいだ。自分の影響力というのを何も考えていない。まあウマッターなんか毛ほども興味が無いんだろうけど。

 

 

「呟く時は私の前でやってね? 誰かと話すのは良いから」

「……? はい。解りました。じゃあ走ってきますね」

「脈絡無く変なこと言わない。ほら準備して。ブルボンもね。パワーをつけようね」

「あぅ……」

 

 

 てきぱきとブルボンが二人分の準備を始める。私もそれに参加して、窓の外を遠い目で眺め始めたスズカの手を二人で引いていく。トレーニングルームまでの窓を全部眺める気かこの栗毛は。

 

 ……まあ、金鯱賞前に一度走らせてあげて、そこからまた五日くらい我慢させて、かな……。また頑張ろうねスズカ。今回は三人で……まあ、ブルボンは巻き込まれる形になるけど。




別ゲーのシーズンと、一個やらなきゃいけないことがあるのでもしかすると更新が遅れるかもしれません。ご容赦。


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力ずくの交渉も辞さないサイレンススズカ

遅くなりました。


「ではスズカ、座りなさい」

「いやです」

「座りなさい」

「いやです」

「座りなさい」

 

 

 ある日。私はトレーナールームでスズカを詰めていた。内開きのドアを開けられないように壁にドンして塞ぎ、私の腕の下でつんとそっぽを向くスズカを睨みつける。

 

 スズカはこの部屋に入って来てから私のただならぬ気配を感じ取ったようで即刻逃走を図った。もちろん許さず、スズカが無理にドアを開けば私の顔面が大変なことになる位置でそれを阻んだ。

 

 

 金鯱賞まであと六日となった。つまり、スズカはランニング禁をする。ジャパンカップでもやった、勝つための施策である。

 

 ……いや、もちろん私はスズカの勝ちは疑っていない。それは本当だ。だが、今回は例外的にマチカネフクキタルがいる。少しでも不安は取り除いておきたい。絶好調マチカネフクキタルはステータスを無視して勝ち切る恐ろしさがあるが、スズカも執念がマックスならそれでも勝てる……かもしれない。

 

 

 それに、そうでなくとも、レースによってやり方を変えるとスズカにも悪影響だし。そういう子じゃないとは思うけど、「このレースは我慢させられてないから手を抜いても良いレース」と思われても困るし。まあ手を抜いても勝てるんだけど。

 

 

「スズカ」

「い、や、で、す。トレーナーさん、もしかして天気予報を見ていないんじゃないですか?」

「何よ天気予報って」

「今週は絶好のランニング日和だそうです。私もそう思います」

「スズカは気象予報士じゃないでしょ」

「肌で感じるんです」

「意味解らないこと言わないの」

 

 

 すん、と澄まして、トレーナーさんの話なんて聞いてあげませんよ、という構えのスズカ。これからランニングを取り上げられるということで、話を聞いたら負けだと思っているようだ。残念ながら部屋に入って来た時点で負けなんだけどね。

 

 

「とにかく座りなさいスズカ。解ったわ。あなたの言い分によっては禁止したりしないから」

「……本当ですか? 裏切ったら酷いですよ」

「何されるの?」

「……寝てる間にいっぱい走ります」

「本当に困ることをしてくるわね」

 

 

 とにかく一応納得してくれたらしいスズカとソファに座る。そして、そのまま流れるような動きで彼女の手に手錠をつけた。どうせスズカの頭はどうやって禁止を回避するか考えているだろうから、その間にと思ったら案の定だった。この子大丈夫かしら。誘拐とかされない? 

 

 

「えっ」

「さてスズカ。これから金鯱賞まで走るの禁止。夜は私の家に来るようにね」

「あっ、えっ……と、トレーナーさん騙しましたね? 酷いです……」

「いや……今のはもうスズカが悪いでしょ」

「もう知りません。私は怒りました。今日はいっぱい走りに行ってきます」

「そんなこと言わないで」

 

 

 ぶちっ。おもちゃのプラスチック手錠は容易く引きちぎられ、ぷいっと目を逸らすスズカ。そんなスズカに私は擦り寄り、スズカのウマ耳や頭を撫でながらゆっくりと膝枕の体勢に変えていく。

 

 

「ね? スズカ。お願い」

「だめです。もう怒ってます」

「そんなこと言わないで? レースの後はいくらでも走って良いから。また車でお出かけしよ?」

「い……いやです。折れません」

 

 

 あ、これは折れるわ。

 

 

「まあまあ。どうせ名古屋まで行くんだから、どう? 美味しいものを食べて、どこか旅館をとって泊りがけで、ね? 何なら名古屋から東京まで走って帰ってくる? 全部で350kmあるから、途中車で休みながら。ね?」

「ぅ……ぃ……ぃぇ……いえ! 負けません。私は怒っているので、トレーナーさんが禁止を解いてくれるまで許しません」

「もう……また何か言うこと聞いてあげるから。ね?」

「ゃぅゃぅゃぅ」

 

 

 スズカの肩やら背中やらをマッサージしつつ、自称お怒りのスズカの機嫌を直そうと口を回す。実際350kmは無理としても、それを聞いた瞬間スズカも私のお腹に顔を埋めたのでかなり揺らいでいる。

 

 

「お願いスズカ。ね? 頑張ろ?」

「ぅ……うぅ……でも、走りたいのに……」

「金鯱賞まで我慢したら一着をとってそのままランニングよ? その方が良いわよね? 見たいなあ。スズカの走ってるところ、見たいなあ」

「ぅ……お、怒ってる……私は怒ってます……」

 

 

 強情なスズカ。ただ、初めのように強硬ではなくなっている。スズカはクソチョロあほ栗毛なので、鬼のように走れるという事実に完全に負けている。口では怒っているとは言うものの、尻尾がぶんぶん振り回されているし、言葉に覇気も無い。

 

 とどめとばかりにぽしぽし背を叩き、スズカを転がして表情を見ておく。スズカはもう口元が少し緩んでいて、ポーズだけ怒るために頑張って結んでいる状態だった。ふはは。可愛い栗毛め。スズカがどうすれば喜ぶかは私にはまるっとお見通しなのだ。

 

 

「じゃあ今日は最後に走り納めしていいから。ね?」

「……本当ですか?」

「本当本当」

 

 

 ほら折れた。ちょろいもんだぜサイレンススズカ。所詮は私の可愛い愛バである。私に勝てるはずがないのだ。

 

 

「じゃ、じゃあ……仕方無いですけど、が、我慢……します。トレーナーさんが困ってるみたいなので、仕方無くですよ?」

「やったあ。スズカ大好き。じゃあ今日は走って良いからね。門限までに帰っておいでね」

「は?」

「あ?」

 

 

 一度は顔を伏せたスズカが、ぐりん、とこっちを見上げてきた。こっわ。まあ可愛いので怖さ九割減ではあるけど。そのままスズカは私の胸を掴んで、ギリギリと力を込めてきた。

 

 

「トレーナーさん……? 今日は確か、夜はプールでしたよね……?」

「……そうだね……」

「それが終わって、片付けして、ちょっとここで二人きりで過ごして……そんなことしたら門限までどれくらい残るんですか?」

「か、勘の良いスズカは……いたたたたたもげるもげるおっぱいがもげる」

「騙されました」

「騙してないたたたたた」

 

 

 もちろん加減はしているのだろうけど、それでもはちゃめちゃに痛い。こっちも対抗してスズカの……えーと……肩を掴み力を加えるけど、明らかにノーダメージだ。強いね、ウマ娘って。

 

 

「日付が変わった頃、家の鍵を開けておいてくださいね。閉めてても開けますけど」

「…………九時まで」

「日付が変わるまでです」

「…………十時まで」

「日付が変わるまでです」

「…………十時半」

「日付が変わるまでです」

 

 

 普通こういうのってお互い歩み寄らない? この子はもう……自分が賢くないことを理解しているのか、一周回って賢いのか、たまにbotになるわね。一応胸は普通に痛いので放してもらって、もう交渉はできまい。スズカが折れる気が無いからだ。

 

 悲しいかな、私達はトレーナーとウマ娘。トレセンの理事長があれだから、トレーナーは力でも立場でもウマ娘には勝てない。

 

 

「じゃあ……解った。でも鍵は私に一旦返して。日付が変わる瞬間まで鍵は開けておくから。それを超えたら寮に帰って怒られなさい」

「……解りました。それで良いです」

 

 

 制服のポケットから鍵を返してくるスズカ。いつも持ち歩いてんの? これ。

 

 

「じゃあプール行こっか」

「ふぅ……はい。準備してきますね」

 

 

 また今日もスズカを甘やかしてしまった……まあ良いか。誰が損をするわけでもないし。何より私はスズカが大好きなので、結局強くは出れないんだし。交渉に勝ってウキウキのスズカを見ながら、私はそんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「三、二、一……はい終わ……っ!?」

「はぁっ……はあっ……はーっ……こんばんは、トレーナーさん。間に合いましたよね?」

「間に合ってないわよ」

「いいえ間に合いました」

 

 

 その夜。スズカはマジで日付が変わる瞬間にドアをこじ開けてきた。ドアが壊れるので大人しく開く。そこに、スズカとブルボンが並んで立っている。何故ブルボンがここに。

 

 

「ブルボン?」

「スズカさんに誘われました。同時にタイムキープを指示されましたので、併走を」

「……なるほどねえ。ブルボンは良かったの? 寮とか」

「問題ありません。オペレーション『気分転換』として認識しています。寮長への連絡も済んでいます」

 

 

 ……まあ、ブルボンが良いなら良いけど。

 

 

「でも二人か……じゃあちょっと家ではご飯食べられないかな……絶対足りないし」

「夕食は七時に済ませました」

「じゃあブルボンはお腹空いてないの? ステータスチェック?」

「…………『空腹』、です」

 

 

 部屋着からコートを羽織り、ジャージの二人にも着させて車のキーを持ってくる。ここからでもそこそこ開いている店はあるだろう。

 

 

「じゃあ二人とも、ご飯食べに行こうか。何食べる? まあそんな候補無いけど……」

「何でも良いですよ」

「同意見です」

 

 

 じゃあ……なんか、ラーメンとかで良いかな。一旦車に乗って考えるか。

 

 

「……ところでさあ」

「はい?」

「はい」

 

 

 車に乗り込み、ウマ娘受け入れ可のお店を調べて移動中。ふと疑問に思い、二人に問いかける。

 

 

「ブルボンは一緒に走ってたんだよね。それでブルボン、体内時計完璧じゃん」

「はい。それについてはお父さんにも褒められました。自信があります」

「なのに、あんなギリギリで戻ってくるのはおかしくない?」

「それは」

「あ。トレーナーさんっ。明日からの我慢なんですけど、私、頑張りますねっ」

 

 

 わざとらしく遮るスズカ。

 

 

「それは、何。ブルボン」

「当初の指示では日付変更三十分前のタイムキープだったのですが、当該時刻に通知したところ、あと五分だけ、とおっしゃるので……」

「あの、あのあの、トレーナーさん、この話は終わりで……ブルボンさん、オーダー、オーダーっ」

「上書きします。話して?」

「はい。そのやり取りが四度行われ、予定通りマスターの家にたどり着けませんでした」

「……スズカ?」

「へぅ」

 

 

 助手席で、目が泳ぎまくっているスズカ。いやまあ、怒ってはいないのよ。結果間に合ってるし、間に合ってなくてもデコピンくらいしかしないし。でもさあ。あれだけ日付変わるまでって自分で主張して、時計代わりに後輩を連れてなお負けてしまう意志の弱さよ。このポンコツどうしてくれよう。

 

 

「……今日はスズカは一人で寝てね」

「えっ」

「私はブルボンとベッド使うから、スズカは布団敷いて寝なね」

「えっいや、あの、それはその」

「ブルボンは二人で寝るの大丈夫?」

「はい。以前は両親と一緒に寝ていました。二年ほど前からお父さんは寝てくれなくなりましたが」

 

 

 ……反応に困ること言わないで? 

 

 

「あのっトレーナーさん、それは違うと思います、だって、え? トレーナーさん? お話しましょう、違うんです、これはその、確かに私が悪いんですけど、それはあんまりで────」

 

 

 ブルボンはスズカより少し体温が高く抱き心地が良い。勉強になったね。



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良心に溢れているサイレンススズカ

更新遅くなりました。というのもワクチン二回目打ってきたんですね。マジで普通に熱出るんですね。久しぶりに「おいおい嘘だろ」ってなりましたがまあ元気です。


 

 三月七日、記録者、ミホノブルボン。

 

 本日、マスターは体調不良により自宅療養中です。スズカさんは三日後に金鯱賞を控えており、私もそんなスズカさんと行動を共にすることが多いということで、感染症のリスクも鑑み、マスターの居住・行動エリアへの接近禁止命令が出されています。

 

 

「八十五、八十六……」

 

 

 スズカさんのトレーニングについてはマスターからメニューを頂いていますし、私のものについては確認しましたが平時と内容は変わらないものになっていました。スズカさんのレッグカール・マシンの重りを上から押さえて負荷を上げつつ、非常に真剣にトレーニングに励むスズカさんの観察を続けます。

 

 普段から、スズカさんは一度練習メニューを受諾した時点でそれを完遂するまでは集中する方です。プロセス『交渉』は必ずそれが終わった後に為されます。成功した試しはありませんが。

 

 

「ブル……ボン、さん……最後の十回なので、もう少し負荷を上げて」

「了解しました」

 

 

 少し力を加え、負荷を二百五十キロ程度まで上げます。強引に私の身体が浮き上がり、カウントが再開されました。マスター曰く、スズカさんのパワーはウマ娘の中でも特異なものではないらしいですが、それでも私を圧倒するものがあります。

 

 

「九十九……百……っ、ふぅ……ありがとうブルボンさん。これで終わりだっけ?」

「はい。昼トレーニングは以上です。お疲れさまでした」

「お疲れさま、ブルボンさん。これからスペちゃん……みんなと甘いものでもって言われてるんだけど、どう?」

 

 

 ステータスチェック。『空腹』……ではありませんが、疲労による麻痺だと判断。マスターは基本的に食事制限等を設けませんので、問題は無いはずです。資金もお父さんにお小遣いを貰っていますし。

 

 誘っていただけたことに感謝しつつ、シャワールームに戻ります。私も坂路練習の後ラットプルダウンを行いかなり疲労感がありますが、私の数倍の負荷でトレーニングを終えても平然としている彼女には驚かざるを得ません。

 

 

 トレーニング施設のほぼ全てに隣接されているシャワールームに入ります。更衣室及び脱衣所は共用ですが、チームである私達は慣例として同じロッカーを使います。

 

 

「よい……しょっと……」

 

 

 ……マスターも度々言う通り、スズカさんの身体はウマ娘の理想形とも言えるものです。

 

 身体に起伏や脂肪が少なく引き締まり、筋肉も大きさではなく密度を増して張り詰めたようなものです。お父さんとのトレーニングで私もそれなりに自信はありますが……ステータス『残念』……いえ『羨望』……でしょうか。私はスズカさんより筋肉量も密度も劣りますが、どうも足や臀部、胸部の脂肪分が多い気がしてなりません。同年代のウマ娘の身体データはデータベースにありませんが、恐らく速く走るためには不要なものでしょう。

 

 

 二人分の体操服をロッカーに入れ、浴室へ。

 

 

「スズカさん。イヤーキャップが」

「あ……ありがとう。危ない危ない」

「先に行っています」

 

 

 マスターがいないからか、スズカさんの様子はいつもと違います。私が四ヶ月の間見てきた彼女はその……直接言うのは躊躇われますが、レースで見せる威圧感は一切無く、マスターと強い絆で結ばれた一人のウマ娘です。

 普段からのマスターへの要求もそうですし、我々の立場からすれば管轄外であるマスターの仕事にも興味を示します。私にも良くしてくださいますが、時々オーダーもあります。

 

 

 ですが、マスターのいない時のスズカさんは少し落ち込んでいるような気がします。分析ではなく、感覚としてですが。

 

 

「……あっ……」

「どうかしたの?」

「い、いえ……誤って冷水を出してしまい……」

「気を付けてね」

 

 

 声色等にしても特に平常時と変化はありませんが、ややトーンダウンしているように感じられます。エルナトで共用しているボディーソープを泡立てながら、私は磨りガラス越しのスズカさんにボトルを渡します。

 

 

「どうぞ」

「ありがとう」

「……あの、スズカさん」

「どうしたの?」

 

 

 耳を避け髪を洗いながら、シルエットのスズカさんがこっちを見てくれます。マスターがいる時は基本的にお二人が話すことになりますので、かなり貴重な経験です。

 

 

「今日は、一度も走りたいと言う言葉を聞いていませんが……体調不良ですか?」

「違うけど……ブルボンさんも私のことを誤解してるわね?」

「妥当な帰納かと思いますが」

「私だってちょっとくらい考えてるのよ?」

「……そうだったのですか?」

 

 

 身体を流し軽く拭き取り、先に浴室を出ていくスズカさんについていきます。スズカさんはいつも通り起伏の読み取りが困難な複雑な表情のまま、うーん、と顎に指を当てて何か思考プロセスに入ります。

 

 

「別に、走りたいし走っても良いのよ? ブルボンさんが走って欲しいって言ったら今すぐにでも走るけど」

「いえ、そんなことはありません」

「うぅ……でも、その……今走るのは……ね? 違うでしょ?」

「ストッパーであるマスターがいないのであれば、最も合理的な判断かと思われますが。スズカさんは走ることを何より望まれているようですから」

「そ……れはまあ、そうなんだけど……」

 

 

 尻尾を拭き取り、テールオイルを使用しつつ、スズカさんはさらに続けます。

 

 

「トレーナーさんが病気でいない時に走るのは……卑怯かなって」

「卑怯?」

「ううん、言葉にしにくいんだけど……解る?」

「申し訳ありません。いつも通りでは?」

「言うようになったわね……?」

 

 

 マスターが不在の際、スズカさんからは何度も一緒に走るようオファーを受けています。日常会話よりもその方が回数は多いでしょう。私はマスターからのオーダーによりそれらを全て断ることになっていますが、それをスズカさんが上書きすることも多々あります。

 

 

「その……ね? トレーナーさんが寝てるとか、ただ見てないだけとか、追い付けないとか……そういうのは別に良いんだけど……」

「いえ、良くはありませんが」

「良いの。でも病気の日は違うかなあって」

「……そうですか」

 

 

 いまいち理解できませんが、スズカさんが言うのならそうなのでしょう。元々スズカさんの言動は半分は理解できませんし、理解する必要はないとマスターからも言われています。

 

 機械の類いは触れられないため髪と尻尾にドライヤーをかけてもらいます。スズカさんは尻尾や髪のケアには一家言あるらしく、非常に上手くやってくれます。何故か一般的なそれとは違い、纏めて絞り広がらないような処置をとりますが。

 

 一般的にはボリュームを重視するべきなのではないでしょうか? お父さんもお母さんもそうしていました。もちろんこだわりはありませんし、スズカさんが当然のようにそうしているので、トレセンにおいてはそれが一般的なのかもしれませんが。

 

 

「そのうち解るわ」

「そうでしょうか? マスターとスズカさんのことが私に理解できるとは思えません」

「そんなことないわよ」

「そうですか」

 

 

 スズカさんが言うならそうなのでしょう。私の家の文献でも、人……ウマ娘も含めて、人どうしというのはちょっとしたきっかけで信頼し合うことができるようです。お二人が関わった期間は聞くところによると一年にも満たない程度ですが、それでも。

 

 

「はい、尻尾終わり。じゃあちょっと待っててね。私もするから」

「ありがとうございます」

 

 

 自分のケアを始めるスズカさんを隣でじっと眺めます。本当にこだわりをもってやっているのでしょう、走る時と並ぶ程度には彼女は真剣です。脳内メモリを休ませると思って特に何も考えず待つことに決めます。

 

 

「うーん……まだ少し広がっているような……」

 

 

 マスターは大丈夫でしょうか……一応、看病についての知識は取り急ぎインプットし終えています。マスターの家はオール電化ですので主だった家事の手伝いはできませんが、熱冷ましが必要ならそれくらいはできますし、道順さえ指示していただければ買い出しも務められます。

 

 ……あるいは、人肌が必要ならと頭によぎりますが……これはスズカさんがやるべきことでしょうか。

 

 

「ブルボンさん、タオル取ってくれる?」

「はい。ハンドタオルでよろしいですか?」

「うん。ありがとう」

 

 

 待機中……スリープモードに移行……いえ、いけません。この後出掛けるのですから……しかし……体力低下による疲労が著しく、強制スリープが……

 

 

「あっブルボンさん」

「……申し訳ありません、強制スリープへ移行しかけました。まだ活動可能です……」

 

 

 つい、持っていた荷物を取り落としてしまいました。まだスタミナが足りていないのでしょうか……いえ、マスターからは劇的に伸びているとのお墨付きを頂きましたし……

 

「無理しないで。今日は解散しましょう」

「しかし……」

「遊びに行くのは今度でもできるから。ブルボンさんはいつも頑張ってるんだし、今度トレーナーさんにお願いしましょ?」

「……ありがとうございます……」

 

 

 私の荷物だけ持って、寮へ……いえ、少し体力が……トレーナールームで仮眠を取りましょう。早急にスリープモードに移行しなければ、先程のように途中で倒れてしまう可能性もあります。スズカさんに一礼の後、ふらつく身体を何とか制御しつつ歩いていきます。

 

 

 スズカさん達の会合に参加できなかったのは大きなマイナスです。感覚としても、論理的思考の上でも、スズカさんやその後輩の方との会話は貴重です。今度マスターに話してくれるとのことですが……正直なところマスターとの会話はいついかなる状態でもできます。緊急性を有しません。

 

 

 強制スリープ移行を含め、バッドステータスが複数感知されています。早急に休まなければ。夕方のトレーニングもあります。

 

 そしてエルナトのトレーナールームまでたどり着いたところで……後ろから声をかけられました。

 

 

「これはこれはブルボンさん! ちょうど良かった!」

「……バクシンオーさん」

「今ちょうど、同期の皆さんでカフェに行こうとしていたのです! どうですか!」

 

 

 サクラバクシンオーさん。私と同期として入学し、私と同じように……いえ、私以上にスプリンターとして期待されているウマ娘です。何度かお話しし、助けていただいたこともあります。

 

 彼女が一人で話し掛けて……いえ、彼女は基本的に一人で行動しているのですが。

 

 

「一人しかいないようですが」

「これから誘いに行きます!」

「しかし」

「さあ行きましょう! ブルボンさんが普段喋らないと皆さん心配していますよ!」

「待っ」

 

 

 手を引かれ、意見する間もなく連れていかれます。スリープ、私の睡眠、が……

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

『あ、もしもし、トレーナーさん?』

 

「あー……どしたのスズカ……何かあった……?」

 

『ブルボンさんなんですけど……あの、夕方のトレーニングはできないみたいです』

 

「な……んで? 珍しいわね」

 

『同期の友達達に色んなところに連れ回されたみたいで……起こしても起きなくなっちゃいました』

 

「あ、そう……いいよ。寝かせときな」

 

 

 なんでそうなるの、ブルボン。



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世代のキングたるサイレンススズカ

「あ、お疲れスズカ、昨日一昨日はごめんね、休んじゃって。我慢辛かっとっとっとっとっ」

「走ります」

「話が早いなあ」

 

 

ある日。金鯱賞を二日後に控えた日、私は二日に渡る病欠から復帰して、トレーナールームにやって来たスズカを出迎えた。

 

ウマ娘の人生を預かる身として、トレーナー達は基本的に小さな体調不良でもトレセンから通院するように言われるし、何ならそのおかげで経費になる。トレセンってすごーい。ただの風邪だったけどね。

 

 

しっかり治して、入ってきたスズカに両手を広げて笑顔を向けたのだけど、スズカは少し不機嫌そうになりながら私の胸に飛び込んで、そのままソファに押し倒してきた。

 

ぐりぐり頭を擦り付けながら、走ります走りますと呟くスズカ。私の愛バが壊れちゃった……というのは二割冗談として、まあ可愛いのでセーフ。頭を撫でて抱き締めつつ、当たったら死ぬんじゃないかってくらい振り回される尻尾を眺める。

 

 

「休んでごめんね……寂しかった?」

「寂しかったです。走りたいです」

「その二つ並べないで?適当に言ってるでしょ」

「言ってません。走りたいです」

「凄いなあこの子は。全然動じないじゃん」

 

 

あと鳩尾に、鳩尾にぐりぐりされると痛い。慣れてるから良いけどでも普通に痛いからね?おでこじゃなくてほっぺたにしてくれないかな。

 

 

「もう限界です。破裂します」

「どこが。破裂なんてしないでしょ」

「しますよ。この辺が」

「しません」

 

 

くるりと仰向けになって、胸辺りを摩るスズカ。まあもうかなり日数経ったもんね。わかるわかる。解らないよ?破裂しません、そんな細い身体して。ぐっとスズカを持ち上げ、後ろから寄り掛かるように抱きつく。

 

 

「そう言わないでスズカ。明後日よ?明後日は走って良いんだから。ね?」

「いーえ、もう我慢できません。私はもう怒りました。走らせてくれないとトレーナーさんに酷いことをします」

「何する気よ。言っておくけど何されても駄目だからね」

 

 

スズカの脳天を顎でぐりぐりと弄っていると、スズカが物騒なことを言い出した。まあスズカのことだし酷いことと言っても精々グルグルパンチくらいだろうし、良い子のスズカに大したことはできまい。ふはは。

 

 

「ふふふ。昨日キングヘイローさんに聞いたんですよ。人にお願いを聞いてもらうにはどうしたら良いかって」

「どうするの」

「こうです」

 

 

振り向き、私の腕の中から解放されたスズカが私を押し倒す体勢になり、ゆっくりと顔を近付けながら、私の胸元に何かを掴むように手を伸ばした。

 

すかっ。

 

 

「……何?」

「あっ……もう、どうしてネクタイを着けていないんですか!できないじゃないですか!」

「え……ああ、ごめん……じゃあ着けようかな……」

 

 

よく解らないけど思ったのと違ったらしい。一応トレセンのトレーナーはスーツが正装だけど、割と敷地内かつ平時なら改造しようが着崩そうが許されたりする。まあそんなにオラついた人もいないので精々が私もそうしているようにネクタイを着けないくらいだけど。

 

 

「着けてください」

「うん……」

 

 

もちろん着けると息苦しいから着けてなかったわけで、スズカが言うならと内ポケットから取り出して着ける。やっぱり苦手だ。締めてスズカに胸を張ると、彼女はゆっくり私のネクタイを掴んで、ぐっと引いてきた。

 

 

「うわっ」

「っと……」

 

 

スズカのすんと通った鼻がぶつかりそうになるくらい引き寄せられる。近い近い。顔が良いんだからそういうことしないの。あといい匂いするから。

 

 

「……で?ここから?」

「ふふっ」

 

 

スズカが不敵に……笑おうとして、いつも通りポンコツな自慢笑いになっている。スズカがこういう笑い方をする時はろくなことを考えていない時だ。私には解る。スズカはそのまま私の目をまっすぐ見て、普段からはちょっと考えられないくらいしっかりした声で言った。

 

 

「このス……スズ……スズカの言うことが聞けないと言うの?」

「お……うん、いい線行ってたけど惜しいわね」

 

 

あとキングヘイローは先輩に何を教えてるの。というか彼女は自分のトレーナーにこれをやってるの?え?男性だったっけ?大丈夫?問題にならない?ウマ娘にこんなことされて勘違いしない男がいるわけなくない?

 

言い終わってすぐ顔を真っ赤にして私の胸元に倒れ込んだスズカ。ウマ耳がへにょへにょになってしまっている。恥ずかしいならやらなきゃいいのにと思いつつ、擦りついてくるスズカを撫でながらあやす。

 

 

「どうだった?上手くいった感じ?」

「……思ったより恥ずかしかったです……」

「だろうね」

 

 

ウマ娘は顔が良いので、基本おとぎ話のプリンセスとか、今日日ドラマや漫画でしか見ないことをやっても見られる感じにはなる。事実、エアグルーヴあたりが言ったらどうだろう。あのトレーナーさんのネクタイを持って引っ張って、「貴様、この女帝の言うことが聞けないというのか」とか……あー。これは良いんじゃない?たぶんキングヘイローもこういう子なんだろう。

 

……ちなみにエアグルーヴのトレーナーはこんなことしなくてもすぐに折れる。あの人既婚者って話も聞くけど、奥さんにどんな接し方してるんだろう。

 

 

「他の人に方法を聞いたって仕方ないでしょ」

「一日作戦会議ができたので、つい……」

「いやついじゃないけど。ちゃんとトレーニングしよ?」

「それはちゃんとしましたけど」

「……ごめん。それは確かにそうだね」

 

 

しっかりスズカから連絡は来ている。これでスズカは真面目だから、ちゃんと要求したトレーニングはやってくれたのだろう。見ていないけど信用はしている。ブルボンは言うに及ばず。

 

 

「キングヘイローと一緒だったの?」

「いえ、みんな……あ、グラスさんはいなかったかな。スぺちゃんと、エルさんと、スカイさんはいました」

「凄いなあ」

 

 

あの世代のトップの会合じゃん。スズカ達で言えばスズカメジロドーベルマチカネフクキタルタイキシャトルシーキングザパールとオマケにエアグルーヴが一堂に会する感じ。バグってるって。まあ、スズカ達も仲良いし、彼女達も仲が良いんだろう。ウマ娘ってのは不思議な生き物で、ライバルならライバルほど、強ければ強いほど仲が良い。

 

でなければ正直、普段からぽわぽわしてるし根本的に他人を見ていないし、何なら半分くらい人の話を聞いていないスズカや、自分に厳しいあまり他人にもかなり厳しいエアグルーヴ、運勢に傾倒するあまり割と無自覚に人を傷付けることもあるマチカネフクキタルにこんなに友達が多いわけないし。それは言い過ぎかもしれないけど。もちろんタイキシャトルやシーキングザパールのように強くてしかも人当たりが良いのもいるんだけどね。

 

 

「それで教えてもらったんだ」

「はい……一応皆さんに聞いたんですけど、できそうなのがこれしか無くて……」

「他には何を習ったの」

 

 

またあすなろ抱きに戻り、スズカの背もたれになりながらくしくしと彼女の首筋辺りを撫で回す。んんっ、なんて気持ちよさそうにしながら、スズカは首を傾げた。

 

 

「確か、スカイさんには、ちゃんと説明して言い包めたら?って言われました。よくやってるらしいです」

「まあ……スズカにはできないねえ」

「はい。それで、エルさんには……なんだったかな……そうそう、情熱的に誘えば乗ってくれるデース、って……」

「スズカにはできないねえ」

 

 

適当を吹き込むのは良いけど、スズカにできそうなことを言わないか、後輩の諸君。もしかしてスズカで遊んでる?いや無いか。あの子達にとってスズカはレジェンドだろうし。それともスズカの本性を理解し始めたかな?スペシャルウィークもいるしあり得るな。それにしてもって感じもするけど……

 

 

「ちなみにスぺちゃんは?」

「スぺちゃんは、トレーナーさんの言うことを聞いた方が良いと思いますって……私は走りすぎだって言われました」

「辛辣ゥ」

 

 

無いわ。スペシャルウィークだけスズカへの扱いのレベルが違う。一人理解度が段違いだ。ちなみにスペシャルウィークが本気でスズカを走らせようとすれば、まあまた併走か何かを申し込んでも良いし、所詮私も立場には弱いので彼女のトレーナーさんに頼まれたら断りにくい。それを理解しているのかいないのか、走らない方が良いと思いますと先輩に言えるスペシャルウィークは強い。

 

 

「スぺちゃんは酷いんです。いっつもスズカさんスズカさんって楽しくお話してるのに、走ろうとするとそれはダメだと思いますって突き放すんです」

「私もそれはダメだと思います。じゃあスペシャルウィークが嫌いなの、スズカは」

「……それとこれとは話が別です。スぺちゃんは可愛い私の後輩ですし、大好きですよ?でも、スぺちゃんも私が大好きなんですから、走らせてくれたっていいと思うんです。トレーナーさんもそうですよ?私のこと、大好きですよね?走って来ていいですか?」

「急ハンドル切ったなあ」

「ふぁふぁふぁ」

 

 

それとこれとは話が別だよ、とスズカの鼻をつまんだり放したり。良い子に育ったなあ、スペシャルウィーク。スズカと同室って凄いね。

 

その後もしばらく足をぱたぱたと動かしながら走りたい走りたいと甘えてきたスズカだったけれど、ブルボンがトレーナールームに来ると一度止まって少し静かにしてくれた。ブルボンのトレーニングは邪魔しない。偉いねスズカ。

 

 

「お疲れブルボン。遅かったね、どうしたの」

「申し訳ありません。日直でした」

「そうなの。ちゃんとできた?」

「はい。バクシンオーさんが手伝ってくださいましたので」

「へえ……あの子、友達思いなのね。クラス違うのにわざわざ」

「いえ、私と彼女の友人関係は否定しませんが、バクシンオーさんは毎日日直を手伝いに来ます」

「え?なんで?」

「学級委員長だからです」

「……いやいや。せめて自分のクラスだけでしょ。なんで他のクラスも回るの」

「学級委員長だからだそうです」

 

 

ブルボンもなんか意味解らんことを言い出してるな。まあ良いか。友達付き合いなんてあって困ることはない。トレセン内の、ウマ娘どうしのものならなおさら、悪いオトモダチを作ることも無いし。サクラバクシンオーがそういう子ってだけだし。昨日はびっくりしたけど。まさかブルボンが、友達と遊びに行って眠いのでトレーニングできなくなるとは思わなかったし。

 

 

「ちなみにブルボン、昨日遊びに行ったお友達はサクラバクシンオー?」

「はい。他にも……申し訳ありません、昨日は疲労によりメモリへの書き込みが遅れ、パーソナルデータを開示することができませんが……他にも、同期のウマ娘が数人いました」

「楽しかった?」

「……申し訳ありません。マスターの指示を遂行することができず」

「あっ違うのブルボン。怒ってるんじゃなくて。友達は大切にしなね。言ってくれればそれは休みにするから。ほんと怒ってないの、ごめんね」

 

 

ブルボン達はなんだかんだ学生なのだ。今のように毎日倒れる寸前までトレーニングして寝て勉強してを繰り返すよりよほど健全である。ごめんねブルボン、私の言葉選びが悪かったね。こんなの怒られてるって思って当然だね。

 

 

「ブルボンが楽しかったなら良いから。むしろ今度はブルボンから誘ってあげなさいね。毎日やらないと置いて行かれるような生半可な鍛え方をしてるって自分で思ってる?客観的な分析をして?」

「……いえ、私のトレーニング量は一般的基準に照らし合わせれば過酷であると考えています」

「うんうん。じゃあ大丈夫。じゃあ次遊ぶために今日頑張ろうね。準備して。坂路行くよ」

「了解しました」

 

 

あぶねえ……今のはギリセーフでしょ。別にハードトレーニングを課す以上多少嫌われても構わないけど、すぐ怒るとか怖がられるのは心が痛む。素直な子だから言葉通りに感じてくれると思いきや突然普通に普通の子みたいな判断をするから厄介だよ、ブルボンは。

 

 

「スズカはどうする?ついてくる?」

「私は走ってきます」

 

 

ダメだよ。



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たまにはあやす側もできるサイレンススズカ(金鯱)

特に不要なんですけどエルナトの設定があるからには書かざるを得ない……と思って前半を書いてたんですが閃きにより後半ができました。良かったです。


 スズカは、金鯱賞に勝った。

 

 もはや私はレースではなく引率とライブ見学のために名古屋まで行った気がする。それくらい、スズカの勝ちを私は確信していた。正直控え室で映像を特に感動もなく見ていたまである。

 

 いや、スズカが勝ったら嬉しいし、うきうきで可愛がったりもするのよ。でもその、うわー! 勝った! やったー! とはならないって話。負けたらむしろびっくりするよ。結局、やる前から能力を把握できるのに、勝てるかなあ、どうかなあ、なんて白熱することはないよねってことで。今日はマチカネフクキタルもそこまで絶好調じゃなかったみたいだし。私いっつもマチカネフクキタルを警戒してんな。

 

 

「ふん、ふふん、ふふん……」

 

 

 無事に大勝した後、いつもより熱が入っているように見えたウイニングライブの曲をまだ口ずさんでいるスズカ。助手席でご機嫌にカーナビを弄っている。バックのベッドにはブルボンが寝ているが、あれはしばらく起きないだろうなあ。

 

 ちなみにスズカはさっきまでたらふく走っていたばかりだ。それも、三日連続で。現在私達はスズカとの約束のため、名古屋からキャンピングカーを使いつつ走って帰っている。

 

 

「ふふふふーんふふーん」

「こらスズカ。踊るのは止めなさい危ないから」

「ごめんなさい、ふふっ、つい楽しくて……」

「凄いわねスズカは本当に」

 

 

 スズカのトレーニングを真似たい盛りのブルボンも一緒にスズカと走っていたのだが……一日目でダウンして残り二日は私が止めた。いかにスズカがバグっているのかよく解る。それに、ブルボンはなんだかんだ夜は眠そうだけど、スズカはそんなの関係無いとばかりに走るし。でも二日もすれば生活習慣も戻るというのが凄い。これが若さか。

 

 でもそのおかげでスズカは三日走るだけでそれなりに満足してくれた。諸事情で途中で走るのを止めてもらうことにはなったが、それまでは昼夜問わず走り回っては寝て走っては食べてを繰り返したのだから満足してもらわないと困るけど。それでも元気いっぱいなのは……なんでだろうね。スズカだからかね。

 

 

「ところでトレーナーさん。どうして最後まで走っちゃいけないんです?」

「トレセンから早く帰ってこいって連絡が来たのよ」

「何かあったんですか?」

「あったんだねえ、それが」

 

 

 というかスズカのせいでもある。ついに恐れていたことが起きてしまった。チームエルナトに、新規のウマ娘達が押し寄せてきたのである。

 

 何せスズカはこれで重賞三連勝、それも全て大差勝ちしている。本来なら年明けに殺到してもおかしくはなかった。ただ、面接がトレセンの暦やテスト期間の都合でずれただけで。

 

 

 あるいは、たづなさん辺りがある程度選別してくれた可能性もある。恐らく押し寄せてきたのは膨大な数だ。現在、マトモなトレーナー……つまり、しっかりウマ娘を見て、分析して、その子のためのメニューを考えられるトレーナーはそう多くない。後は面倒を見る子が多すぎて、画一トレーニングしかできなくなったトレーナーだ。そういうトレーナーについているウマ娘は、常日頃から虎視眈々とマトモなトレーナーへの鞍替えを狙っているし。

 

 

「スズカに後輩が増えるかもしれないね」

「また新しい子を入れるんですか?」

「嫌?」

「ブルボンさんは良いですけど……そんなにいっぱいはいない方が良いです。トレーナーさんも大変でしょう? 忙しくなって、ゆっくりできなくなっちゃいますよ?」

「そうねえ……」

 

 

 つまり、増えすぎて自分のことを蔑ろにしないで、ということだ。スズカは可愛いねえ……とはならない。ウマ娘はみんなそう思っているから。そりゃそうだ。専属が一番に決まってる。いや待てよ? スズカは甘えたいだけでは? だったら可愛い案件だな。はい可愛い。

 

 ともかく、私は一応顔も出すし面接もするけど、誰も取る気はない。トレセンだって無理に担当しろとは言わないだろう。要するに、二人しかいないチームでは形式上だけでも募集打ち切りはできないよってことだ。何よりもスズカ、次にブルボン。私の人生はそうやってできている。

 

 

「まあ、スズカより速い子がいたら考えようかな」

「えっ……その、一生担当の子、増えませんよ?」

「凄い自信だなあ」

「じゃあトレーナーさんは私よりも速い子がいると思いますか?」

 

 

 スズカより速い子……そうね。

 

 

「サクラバク」

「は?」

「スズカが一番速い! ね!」

「ですよね?」

「そうだねえ!」

 

 

 メンヘラ彼女みたいな絡み方のスズカ。というかまあ、サクラバクシンオーがこれからどう成長するにしろ恐らくスズカ『より』速いことはないんだろうけどね。少なくともトップスピードはスズカのスピード値を見れば一番だから。

 

 一瞬怖くなった恋人とは目を合わせないようにして、高速道路を降りる。そろそろトレセンだ。あー……面倒だなあ。いくら仕事とはいえ、最初から断ることが解っている状態でウマ娘たちに会うのは辛いものがある。

 

 

「冗談はやめてください、トレーナーさん」

「う、うん……ごめんって……」

 

 

 おー怖。流石だなあスズカは。運転中なのに手が震えてきた。隣からの圧力にも負けてしまうような私が、ウマ娘達が叶わない志望をするのを平気で見ていられるのかって話よ。しかも志望される立場よ、私。

 

 

「でもまあ、トレーナーさんがこの子は強いなって認めた子なら良いですよ、増やしても」

「良いの?」

「トレーナーさんのお仕事ですから」

「ありがとうね」

 

 

 でも大丈夫。そんなことしないからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 

 今日、私の運命が決まる。

 

 思えばトレセン学園に入ってから、私のレース生活は良いとは思えないものだった。

 

 私達ウマ娘は、トレーナーさんがつかなければトゥインクルシリーズに出走することができない。もちろん、ドリームリーグも同じだ。だから、入学してまずトレーナーさんを探さなければならない。

 

 それは基本的には、模擬レースを行ってスカウトを待つ、という形だったり、はたまた私達の側から自分を売り込んでみたり……変わったところだと何故か日常会話から始まったりするらしいけど、私はそんな特別なウマ娘じゃない。単純に誰の目にも留まらず、自分から声をかけても断られ、百人規模チームになし崩しで入っているただのウマ娘だ。しかも、それだってそういうチームに入れただけまだマシな方である。入れない子はどこにも入れない。

 

 

 でも、そんなチームじゃ勝てない。もちろん一番大事なのは私の努力だ。だけど、みんなと同じトレーニングをして、それを見ることもなく質問も返ってきたり来なかったり。そんな状態ではどうしようもない。私は上には行けない。せめてデビュー戦は勝たないと……これからずっと未勝利戦を走るなんて絶対に嫌だ。

 

 

「よし……よーし……頑張るぞ……」

「き、緊張しすぎよアンタ……」

 

 

 隣には、入学直後に会った友達が私と同じように深呼吸を繰り返している。緊張するなと言う彼女の方が緊張してる。絶対。私も足はがくがくだし、今にも腰が抜けそうだ。この部屋にいる子全員がそうだと思う。なにせ人生がかかっていると言っても過言じゃないからだ。

 

 

「し、仕方ないでしょ……こんなの緊張しない方が頭おかしいし……は、吐きそう……」

 

 

 今、私はとある待合室にいる。トレセンの学園棟ではなく、トレーニング棟と呼ばれる方の部屋の一つだ。そして、三つ隣の部屋では、とある面接が行われている。

 

 

 

 そう、あのチーム・エルナトの編入面接である。

 

 

 チームエルナトは新設チームであり、正直に言えば他にも多くの歴史あるチームはある。合計実績で言えばもっと上はある。だが、そういうチームは既に結構な数のウマ娘を抱えていたり、模擬レースでの足切りをするので純粋に望みが薄いのだ。

 

 でも、エルナトに限ってはそれがむしろプラス。だってエルナトのトレーナーさんはあのサイレンススズカ先輩を覚醒させたと名高い素晴らしい人だ。その人が、たった二人のウマ娘しか見ていない。こんなの行くしかない。私達は年末に応募をして、半分くらいの人が書類審査で落ちてここに来ている。エルナトは新設チーム、面接で何を聞かれるのかも解らない。今のところ二人とも逃げウマのようで、その点では私はちょっと不利かもしれない。

 

 

 でも、頑張るんだ。頑張れ私。必死にトレーニングをするにしても、まずは良いトレーナーさんに、ちゃんと私を見てもらってからじゃないとトップには対抗できない。覚悟を決め、お祈りをして、たづなさんに呼ばれた私は数人で面接会場に向かった。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「えー……じゃあ次に、それぞれ、目標とするレースなんかを教えてもらおうかな。トゥインクルシリーズを走るにあたって、勝っておきたいレースでも良いし、最終目標でも良いし。じゃあ左の子からね」

 

 

 面接は、とても険しい雰囲気で行われていた。面接官は三人。スズカ先輩と、たづなさんと、そしてエルナトのトレーナーさん。基本的にはスズカ先輩とたづなさんは喋らず、真ん中に座るトレーナーさんが進行をしている。名前と、簡単に自分の思う距離適性なんかを話した後、私達はそんなことを聞かれた。

 

 エルナトのトレーナーさんは、若い女性で、トレセンに入ってまだ一年しか経っていない。見るからに真面目そうな可愛らしい人で、口調も優しいので勘違いしそうになるけど、それじゃダメだ。この人は超敏腕と言っても過言じゃないトレーナーさん。何を考えているか解ったもんじゃない。それに、私達を見る目がそもそも険しい。

 

 

「──うん、ありがとう。じゃあ次の人」

「はいっ!」

 

 

 私の番だ。目標レース……なんだ。私の目標レースとは……

 

 

「わ、私は、じゅ、重賞レースで一着をとって……宝塚記念に出走したいです!」

 

 

 ウマ娘の憧れ、グランプリレース。そのうち、夏に行われる宝塚記念に選ばれて、出たい。私の憧れをたくさん語ると、トレーナーさんは少し微笑んで、次の人、と促した。ど、どう答えるのが正解だったんだろう……でも、嘘をついたって仕方ないし……でもでも、多少嘘を交えないと面接は厳しいってどこかで見たような気が……うう、失敗したかも……? 

 

 

「では、合否は追って連絡しますね。みんなお疲れさまでした。すみませんたづなさん、後はよろしくお願いします」

「はい。では皆さん、今日はこれで解散です。お疲れさまでした」

 

 

 その後も二問くらい質問は続いた。そして、私のトゥインクルシリーズは終わった。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「あぁ……心が痛いよスズカぁ……」

「はいはい。お疲れさまでした。頑張りましたね」

 

 

 数日かけて、面接は終わった。採用することは恐らく無いから余計な希望を持たせないようにしたいんだとたづなさんに相談したところ、やはりやけにウマ娘の心理に詳しいたづなさんに色々教えてもらった。とはいえあからさまだと不味いしできれば担当してほしいということでそこそこちゃんと質問はしたけど。目標レース、どうして走るのか、周りの人との関係をどう思っているかを聞いてみた。

 

 

 みんな頑張って応えてくれるんだけど、どこまで行っても私はこの眼から逃れられない。スズカどころかブルボンと比べても見劣りするような……しかもそれでクラシック世代だとか、最悪シニア世代とかってのもいたし、一目見て全員担当する気を失くしてしまう。

 

 私はウマ娘に人生を懸けた覚えは無い。あくまで不思議な能力があったからトレセンに来て、偶然スズカに惚れ、スズカが積み上げた名声を守るためにブルボンにも力を入れている。勝てるウマ娘しか育てたくない、君は勝てないからこのレースには出さない、と言えてしまうというのは正直トレーナー失格だろう。「君を勝たせてみせる」と啖呵を切って、彼女らの人生を導けるトレーナーこそ正しい姿だ。

 

 それでもその、大人として、ね? 頑張る子達を頑張っていない私が拒否することに罪悪感はあるのだ。

 

 

「仕方ないですよ。これもトレーナーさんのお仕事じゃないですか」

「うん……」

「私やブルボンさんを大事にしてくれたらいいんです。その分私達だって頑張りますから。ね?」

「うん……」

 

 

 トレーナールームでスズカに抱きしめられながら、頭や背中を撫でてもらう。大して身長が変わらなくてよかった。差があったら大きな大人が学生に慰めてもらう地獄の絵面が……今もそうか。スーツと制服だし。ともかくよしよしされながらソファに寝転がる。いつもと逆だなあ。

 

 

「それにほら、こうして二人でいる時間も減っちゃいますから」

「うん」

「まあブルボンさんもいますけど……彼女も馴染んでますしね」

「うん……はあ。ありがとうスズカ。元気出たわ」

 

 

 まあ、まあ、解っていたことだし。ゆっくりやっていこう、少なくとも今力を注ぐべきはスズカとブルボンなんだから。よし。頑張ろう。顔を上げて、私もスズカを撫でて立ち上がり伸びをして。そろそろブルボンも夜トレーニングに備えて目を覚ますだろう。準備をしなくちゃ。気合を入れた私に、スズカは柔らかに微笑みかけた。

 

 

「じゃあ元気が出てきたところで走りに行きましょうか」

「それは違うでしょ」

「トレーナーさんのそういうところは嫌いです私」



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ラスボスの素質があるサイレンススズカ

今回はうすあじ。


 

「いち、に、いち、に……スズカさん、目線は小指!」

「はいっ」

 

 

 金鯱賞を越え、すぐに大阪杯もやって来るとある日のこと。私は珍しく、スズカのダンスレッスンを見に来ていた。

 

 トレセンの生徒は、まあトゥインクルシリーズを主な目標に掲げている。その収益やファンサのためにも、ウマ娘達はウイニングライブを欠かすことはできない。場合によってはレースより、ライブでセンターに立ちたいと言うウマ娘もいるくらいだ。よって、トレセンには専属……専属なのかな、あんまり詳しくないけど、専門のトレーナーさんがついてダンス、ボイスレッスンを受けることができる。もちろん、スズカのようにウマ娘どうしでもファンが多くて大変な子だとほぼ専属で受けられる。

 

 

 今日はダンストレーナーさんに指示されながら、曲は何だったかな……大阪杯は……『Special Record!』だったかな。あれを踊るスズカ。うーん可愛い。流石は私の愛バ。基本的に振り付けはもうできていて、細かいクオリティを上げる練習が主なのだけど、見て。こんなの私に手を振ってるじゃん。はー可愛い。見に来てよかった。

 

 トレーナーがダンスレッスンを見に来るのは基本的にあんまり推奨はされていない。シンプルに見てもそうそう口を出せるわけじゃないからだ。そんな暇があったら他の仕事をしろって話。私? うるせえ。スズカを見るんだよ。

 

 

「はい、じゃあ十分休憩!」

「ふぅ……ありがとうございました」

 

 

 と、一区切りついたようでスズカが私の方へ歩いてきた。隣に置かれていたドリンクを渡すと、ありがとうございます、と汗を滲ませてそれを受け取る。ウマ娘のスタミナがあっても、ダンスレッスンは疲れるらしい。まあ体への負担と言う意味ではそう無いから特に問題は無いけど。口を付けながら隣に座るスズカ。

 

 

「今はどこのダンス?」

「これは三着……だったかな……この曲、あんまり振り付けが変わらないからたまに解らなくなっちゃうんですよね」

「それは不味くない?」

「もちろん、本番までにはちゃんと覚えますよ? それに、区別がつかないだけでもう頭には入ってますから」

「そ……うなんだ。まあ私にはよく解らないけど」

 

 

 私はその、性根が良いとは言えないので、スズカに一着以外を練習させる必要性と言うのを感じないでもない。まあ譲って二着だろう。バックダンスなんかは絶対に不要だと思うけど、ウマ娘達は冗談でもそんなことは言わない。スポーツマンシップの塊のような子達なので、自分が一着をとれなかった時、お粗末な振り付けをしてセンターの子のライブにケチがつくのを良しとしない。生まれつき純粋で穏やかな戦闘民族なのである。

 

 

「今日はブルボンさんは?」

「さっき坂路が終わって、そのまま寝てるよ。いつも通り」

「まだ厳しそうですか」

「いいや。想像以上に伸びてるよ。この分だと坂路を減らしてスピードを鍛えてもいいかもしれない」

「なるほど……それは良かったです。だったらブルボンさんと一緒に走れますね」

「スズカは走れないよ」

「え?」

「え?」

 

 

 ブルボンは非常に順調だ。出会った頃の……まだ三か月だけど、あの絶望的なスタミナから考えたら果てしない成長を遂げている。このまま伸びれば実はステイヤーだったんです! と言い張っても問題無いくらいにはなるだろう。ちなみにスズカは調子に乗るので言わないが、そうなったらスズカとの併走も増やそうと思う。スズカはブルボンにとっての永遠の仮想敵になれる。

 

 ……まあ、二人とも仮想敵とかそういうの関係なくどこまでも頑張れるタイプのような気がするけど。スズカはこんな感じだし、ブルボンも病的に忠実だし。

 

 

「まあ、それは今度話し合いましょう」

「話し合いの余地は無いよ」

「話し合います。ちなみに、私とブルボンさんがもしぶつかるとしたらどのレースですか?」

「気になるの?」

「それなりには」

 

 

 ごろん、と私の足に寝転がってくるスズカ。少し熱っぽいスズカを撫でながら、私は即答した。

 

 

「走るならジャパンカップか宝塚。でも私は二人がぶつかったらスズカを止めるからね」

「なんでですか?」

「二人が同時に走ったらスズカが勝つでしょ。別にスズカは何のレースでも良いんだからスズカが譲りなね」

「あー……それはそうですね」

 

 

 なるほど、と私に向かってくるくると転がってくるスズカ。髪が乱れるでしょ、そんなことしたら。まあダンス中で元から乱れ気味ではあるけどさ。外で梳くわけにもいかないんだからね。何なら結んどくか。さっきから髪がかかって邪魔そうだったし。

 

 

「ブルボンは出るレースにはこだわるだろうし、三冠をとったらある程度出るレースも世の中が決めるからね。宝塚とジャパンカップは求められるでしょうね」

 

 

 もちろん、ブルボンが勝てないと判断したらまた別で考えるしたぶん却下するけど。わざわざ惨敗するだろうレースとか、勝てないと解っているレースに出しても仕方が無い。もちろん、ブルボンがそうならないようにするのは私の仕事でもあるけども。

 

 

「なるほどですねえ……」

「スズカもそうなのよ? 宝塚記念と秋の天皇賞、ジャパンカップあたりは今から求められてるんだからね?」

「そうなんですね。たくさん走れて何よりです」

 

 

 すりついてくるスズカの髪を結んでやって、イヤーキャップも一度外す。気持ちばかりのマッサージだ。私の腿とお腹に突っ伏したまま、スズカはされるがままに寝転がっている。

 

 

「頑張ろうね? スズカ」

「はい……頑張りますよ」

 

 

 そのまま寝ようとするスズカを叩き起こし、続きのレッスンに行かせた。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「マスター。先日、チーム・エルナトへの編入試験を行ったと聞きましたが」

「ああうん、したけど」

 

 

 その日の夜。夜坂路を終えたブルボンが、動けなくなってスズカに抱えられたまま私に聞いてきた。スズカもさ、できたらなんか、お姫様抱っことかにしてあげない? 肩で担ぐのは止めてあげたらどう? 

 

 

「では、私にも後輩ができるということでしょうか」

「ううん、誰も担当はしないからできないね」

「そうですか」

 

 

 ブルボンがそんなことを聞くとは思わなかった。やっぱり興味はあるんだろうか。担がれたまま表情は上手く見えないし、声色からも正直判断がしづらい。

 

 

「後輩がいた方が嬉しい?」

「いえ。私の特殊性を鑑み、後輩の有無で私のトレーニングに変化は生まれないと推測されます。むしろ、これは『安心』ともいえる感情です」

「安心することがあるの?」

「はい。まだ私はスズカさんの足元にも及びません。その状態で後輩を迎えることは憚られますので」

「なるほどねえ」

「ふふふ。そんなことを言ってると一生後輩ができないですよ?」

 

 

 スズカもちょっと嬉しそうに口を挟んだ。何だかんだ認められるのは嬉しいらしい。事実とはいえ、言ってることは魔王にもほどがあるけど。

 

 

「問題ありません。必ず追いつきます。マスターの指導により、私自身、成長を実感していますから」

「ふふっ。じゃあ走ってみますか? まだまだ先頭は譲りませんけど」

「可能なら是非走もっもっもっ」

「可能じゃないからね。二人で勝手に話を進めないでね」

 

 

 ブルボンの頬をもちもちして口を塞ぐ。危ない危ない。たまに流れるようにスズカに喧嘩を売るな、この子は。まあライバル意識は大事だけど……それともこういうところから自分の成長を感じてるんだろうか。

 

 確かに考えてみると、ブルボンがどうやって自身の成長を感じるんだ、というところはある。坂路のタイムは少しずつ上げているけど、たくさん走ることが目的なので劇的には上げていないし、同期と比べることも少ないし、坂路の後はこうして動けなくなったり、泥のように眠ってしまったりするわけで。

 

 逆に、そんななかでも成長を実感するとか言えるのはブルボンの凄いところかもしれない。それはつまり、自分が圧倒的に負けている相手への誤差みたいな追い上げを認識できるということだし。

 

 

「トレーナーさん、今良い話をしてたんですよ」

「何が良い話よ。スズカが走ろうとしてただけでしょ」

「そんなことありません。私はブルボンさんの成長のことだけを考えてます」

「そうなの?」

「そうですよ」

 

 

 白々しい嘘をつきおってからに。サイレンススズカがそんなことを考えるわけが無かろうが。うんうん、としたり顔で頷くスズカに、私は懐からメモ帳を取り出す。

 

 

「ブルボンの成長のためなら相手はスズカじゃない方が良いのよ。今度同世代の誰かと併走を組んでおくから」

「えっいや私がやりますよ?」

「ブルボンの成長のためよ、スズカ」

「……トレーナーさんに意地悪をされました」

 

 

 折れるのが早すぎるでしょこのポンコツ栗毛は。

 

 

「スズカもブルボンも自分のレースだけ考えておけばいいの。というかスズカは今更何言ってるの」

「今の流れは走らせてもらえる感じだと思ったんですけど……おかしいですね……」

「おかしいのはスズカの思考回路でしょ」

「でももう一日走ってませんよ」

「何が『でも』なの???」

 

 

 肝心のところでぼろを出すのはいつものスズカだ。自分の話から話題が逸れた瞬間黙るのもいつものブルボン。やっぱりしばらくはこの二人で良いな、私も。大体何人も纏めて面倒を見るなんて忙しくなくても私にはできないだろうし、合ってないわたぶん。

 

 

「次は大阪杯に向けてランニング禁止だからね、スズカ」

「でも金鯱賞は勝ちましたよ?」

「だから何が『でも』なの?」

 

 

 トレーナー室のベッドにブルボンを寝かせるスズカを見ながら、私はそんなことを考えていた。



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グッズを出すサイレンススズカ

 

「あ、エルナトのトレーナーさんっ。お疲れ様です」

「たづなさん。お疲れ様です」

 

 

 ある日。廊下を歩いていると、後ろからたづなさんが駆け寄ってきた。段ボールをいくつも重ねて持ち上げて、変わらぬ笑顔で声をかけてくる。

 

 

「どうしたんです? その荷物。どこかに運ぶならお手伝いしますけど……」

「いえ。これはお届け物です。エルナトのトレーナーさんにも……ええと……これですね。これをお届けです」

 

 

 差し出された段ボールを一つ受け取る。そこそこずっしりとした重さがあり、上面にはチーム・エルナト『サイレンススズカ』の文字が。スズカの何か? ファンレターとかかな。

 

 

「これは?」

「はい。いつだったかサイレンススズカさんのグッズ製作のお話をさせていただいたんですが、各所から試案が届きましたのでチェックをお願いします。そのまま差し上げますので」

「あーなるほど。了解です」

 

 

 そういえばそんな話もしたような気がする。こんな重くなるほどたくさんだったかと言われると微妙だけど……でもまあスターウマ娘ってのはこれくらいなのかもしれない。

 

 それぞれ説明書や御断り書きも中に入っているとのことで説明を受け、たづなさんと別れる。せっかくだしみんなで見るか。私は段ボールをえっちらおっちらトレーナールームへ運んでいった。

 

 

 ……一応平均的一般女性の私がそこそこ苦労して運んでるものをいくつも同時に持つたづなさんは一体何なの? 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「──ということらしくて。今からせっかくなのでチェックしようか」

「へえ……凄いですね。こんなにたくさん。びっくりしました」

「マスター、機械類が含まれていないなら私もお手伝いを」

「まあ壊しても良いやつだから大丈夫よ」

 

 

 トレーナールーム。今日の昼練習は既に終えているが、今日は調子が良かったのかブルボンも行動可能になっている。テーブルに段ボールを置きカッターで開くと、中には言われた通り大量のスズカグッズがこれでもかと詰め込まれていた。

 

 

「おー……じゃあ何か嫌なものがあったら言ってね。基本的に貰っても良いやつだからね」

「はい……あっタオル。じゃーん。見てくださいトレーナーさん」

 

 

 即座に走るのに使えそうなものを探し当てたスズカ。白と緑のタオルに文字とデフォルメイラストが描かれたマフラータオルだ。広げて見せびらかす面には綺麗なカタカナフォントでサイレンススズカと書かれている。

 

 

「あら可愛い」

「うーん……でもちょっと生地が……それに、マフラータオルはたくさん汗をかいちゃった時には使いづらいんですよね……」

「え? それちゃんと使う気なの?」

「はい。タオルですから」

「自分のグッズはアレじゃない?」

「別に気にしませんよ? 使えるなら何でも良いです」

 

 

 裏面には『異次元の逃亡者』というスズカの異名が。『ランニング狂』とかにした方が良いんじゃない? 

 

 

「これって要望出しても良いんですよね? シャーリングよりもパイルの方が使いやすいんですけど、言ったら何とかなりませんか?」

「買う側は汗拭く用にこれを使わないのよ」

「タオルなのに……?」

「ファングッズってのはそういうものでしょ」

 

 

 ぱっぱと行かないと。次は……ああ、キーホルダー系が纏められている。まあ、こういうのは全然問題無いかな。というかこういうので問題ってどうやって作るの。尖ってるとか? 

 

 

「スズカもこれスマホとかに付ける? スズカキーホルダー」

「自分のキーホルダーはちょっと……」

「ええ……」

 

 

 キーホルダーはダメなんだ。タオルは良いのに。

 

 私は使おう。この小さめのストラップみたいなやつ。綺麗な筆記体でサイレンススズカと書かれている。素晴らしいことに端の方におうし座が描かれている。そんなにこだわってエルナトって名前を付けた覚えはないけど、でもちょっと嬉しいわね。

 

 

「ブルボンは付ける?」

「はい。寮の鍵に妥当なサイズのものがあれば」

「結構あるよ。どれくらいのサイズが良い?」

「鍵と比較して大きすぎなければ問題ありません。キー部分が42ミリ、持ち手が25ミリです」

「じゃあ同じやつ使えるよ。色違い」

「ありがとうございます」

 

 

 スズカストラップは白と緑、そしてその混合の三色がある。基本的にスズカグッズは勝負服にちなんでこの三種類だ。白が人気出そうだな流石に。

 

 器用にストラップを付けるブルボン。私も携帯に付けよう。今まで付けてた何か変なやつより全然良い。突然流行の最先端って感じがしてきた。

 

 

「……やっぱり私も付けます」

「え? 自分のは付けないって」

「気が変わりました。ください」

「あ、うん……良いけど」

 

 

 二色のものをスズカに渡す。いそいそとそれを付けるスズカを見ながら次だ。

 

 

「これは……ポーチかな」

 

 

 あらかわいい。

 

 

「全然使えるねこれも。ちょっと材質は怪しいけど」

 

 

 仕方無いけどね。実用なんか前提にしてないだろうし。学生が持ってるなら良いんだけど、ちょっと私は厳しいかな……? まあでも小物入れとしてバッグに入れておくだけなら関係無いか。デザインも問題は無さそう。

 

 

「マスター。ぬいぐるみがあります。頂いてもよろしいですか?」

「待ってブルボン。一応確認はするから」

 

 

 ブルボンからぬいぐるみを取り上げつつ、他にもあるそれらを全て取り出す。何とは言わないけどちゃんと細部を確認しておかないと……二人に目を覆わせる。

 

 

「どうして目隠しをするんです?」

「一応ね」

 

 

 ぬいぐるみをひっくり返して…………あ、ほらあった。これ発禁にしなきゃ。もう、忠実再現は良いけどやりすぎだから。悪意があるかは知らないけど流石にダメ。御断り書きを記入して別で置いておく。しかもスズカのと違うしね。何とは言わないけど、ほんとに。

 

 ……でもあれか。別にこれを返却しても何にもならないのか。余計な人の手に渡る可能性を考えたら一つでも私が抱え込んだ方が良かったりするのかな。

 

 

「はい。ブルボン、こっちから選んで良いよ」

「はい」

「あっ目はもう開けて良いから」

「了解しました」

 

 

 全身のプチぬいぐるみから顔だけをデフォルメしたようなものまで結構幅広くある。スズカは毛色なりイヤーキャップなりで個性も出しやすいんだろう。

 

 

「凄いですね……こんな感じなんだ……」

「ね。デフォルメって凄いね」

 

 

 ちなみに、ぬいぐるみなりグッズ上のスズカは当然ギラついた逃亡者のスズカだ。結構目付きも鋭めになっている。今自分のぬいぐるみをつつきながら眺めるスズカのように、私のよく知る穏やかで優しいスズカではない。どっちもスズカだけど、世間からスズカがどう見られているかがよく解る。

 

 

「あ、これ可愛い。貰お」

 

 

 ふと見付けたぬいぐるみを手に取る。大きめの、寝そべったような格好のスズカのぬいぐるみ。ブルボンもそれを選んでいたようで、ちょこんと頭に乗せてご満悦そうにしていた。ちょっと微笑んでいるのが解る。

 

 

「トレーナーさんはぬいぐるみはダメです」

 

 

 が、私が持つそれをスズカが取り上げた。

 

 

「あっ何するのスズカ」

「私がトレーナーさんのお部屋に行きにくくなります」

「別に来れば良いでしょ」

「や、です」

「もー……何よ突然拗ねちゃって」

 

 

 スズカのぬいぐるみを私から守るみたいにいくつか抱き抱えるスズカ。大きめのやつばっかり持っていかれている。まあ確かに、自分のぬいぐるみがある部屋のベッドで寝るとか地獄かもしれないけど。スズカがそんなことを気にする子とは思わなかった。

 

 

「それにこんなの飾ってどうするんですか」

「え……まあ眺めたり抱いたりするけど」

「私がいるのにですか?」

「……あ、そういうこと?」

 

 

 気付きを得た。ふん、と顔を逸らすスズカに、私は慌てて寄っていって撫でる。

 

 

「本物のスズカが一番だって。ね?」

「知りません。走らないし甘えないサイレンススズカを可愛がったら良いんじゃないですか、トレーナーさんは」

「ごめんて」

「つーん」

「ごめんってスズカぁ」

 

 

 段ボールからグッズを取り出しては装備するブルボンを横目に、完全に拗ねてしまったスズカに身体を寄せて尖った唇を指で弄ぶ。

 

 

「ふいっ」

「走るし甘えるスズカの方がもちろん好きよ。ね? 解ってるでしょ?」

「私の方が好きですか?」

「好きよ」

「走る私がですか?」

「うんうん」

「じゃあ走ってきて良いですか?」

「それはダメ」

「ぇぅ」

 

 

 そんなー、と倒れてくるスズカ。油断するところだった……危ない危ない。まあスズカは大丈夫そうなので、そのまま次だ。

 

 

「あっ無視しましたねトレーナーさん。怒りますよ」

「あ。ほらスズカ、タペストリーあるわよ。部屋に飾ろうか。どっちが良い? 立ち姿と、走ってるやつと」

「あーあ。もう私知りません。拗ねました。勝手に走ります」

「やっぱり走ってるスズカの方が可愛いから、こっち飾ろうか」

「褒めてもダメです。おこですよ、おこー」

「はいはい。おこー」

「ぶぶぶぶっ」

 

 

 口先を尖らすスズカのそこを指で弾きつつ、タペストリーは横に置いておく。気が付いたらブルボンがシャツと上着、タオルとウマ耳カチューシャまで着けたオタクになっていた。頭と肩にスズカが乗っている。

 

 

「ポスター、シール、バッテリー、スマホケース……あ、目覚まし時計だって。どう、これ。スズカ」

「これは売れるんですか……?」

「さあ……売れるんじゃない?」

 

 

 確かにこんなの売れるのかな。一応今のところはスズカの声とかが録られた覚えもないし、説明書にも特に書いていない。本当にデザインだけか。まあ、スズカが持ってるみたいに時計盤があるデザインはお洒落ではあるけど……

 

 

「マグカップとか……あっこれはちょっと気持ち悪いかも。これNGにしとこ」

「どんなのですか?」

「いや、スズカの印刷の位置が……一瞬想像したら気持ち悪くなっちゃった」

「ああ……なるほど」

「スズカは気持ち悪くないの?」

「私じゃないですから」

「はえー……」

 

 

 思ったよりスズカがドライでびっくりしている。でも私の精神衛生が良くないのでNGで。クリアファイルはOK、ラバーマットもまあ良くて……最後に手に取ったのは、Tシャツだった。何だこれ。スズカの印刷はあるけど、不自然にスペースが空いてるな。

 

 

「説明書……んー……あ、スズカ。これはスズカのやつ」

「何ですか?」

「ここになんか、スズカに何か言葉を入れて欲しいんだって」

「はあ……」

 

 

 そういうのもあるんだ。私、ウマ娘グッズとか見たこと無いからなあ。シンボリルドルフとかのもあるんだろうか。マーベラスサンデーとかも気になる。マーベラス! 以外に何かあるのかな。

 

 

「うーん……何でも良いんですよね?」

「良いと思うよ」

「じゃあ……これで」

 

 

 スズカが自ら説明書に書き込む。彼女の直筆で書き込まれた文面を見て、私はこのTシャツが本当に売れるのか心配になってきた。

 

 

『先頭の景色は譲らない』

 

 

 ちなみに、ブルボンは最終的に完全装備のまま寮に戻っていった。途中から楽しくなっちゃったんだと思う、たぶん。周りの人にバグとか言われないことを祈っておくね、ブルボン。



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大雨の日はわきまえるサイレンススズカ

「あれスズカ。今日は走らないの?」

「む……意地悪されています……」

 

 

 ある日。大阪杯も近付いてきた週末のこと。スズカはいつも通り私の家に入り浸っていた。私が作ったそうめんを啜りつつ、ウマ耳をへにょらせてしまっている。

 

 

「ふはは。残念だったわねスズカ」

「むぐ……む……ふーん、です。その気になれば走れるんですからね。トレーナーさんがお願いするから走らないだけなんですからね」

「ふふふっ。そうね」

 

 

 今日の空模様は最悪だ。傘があっても外出は憚られるくらいの大雨が降り注いでいる。ついさっきまでそこそこ晴れていたのだけど……スズカにしろブルボンにしろせっかくの休みが残念なことになってしまったね。

 

 特にスズカは……まあからかっておいてなんだけど、今日は珍しく走って良い日だったのだ。それがこの大雨で、途中で切り上げて戻ってきたのである。濡れ鼠のスズカをお風呂に入れて簡単にだけどご飯を食べさせている。

 

 

「でも偉いねスズカ。ちゃんと途中で切り上げられてね」

「……身体が冷えちゃいますし。トレーナーさんに心配かけちゃいますから」

「ありがとうね、スズカ」

 

 

 お代わりの最後の束をお皿に盛って、それらを淀み無く頬張るスズカを見ながら洗いものに入る。スズカ達にご飯を作ると後片付けも一苦労だ。だけどまあ、外に食べに行く天気でも無いしね。

 

 むしろスズカには是非食べてから走って欲しい。本人曰く朝ごはんはたくさん食べないと気持ちよく走れませんとのことだが、じゃあ昼食も食べてくれという話だよ。

 

 

 ちなみに、スズカはここまでの大雨でなければ雨でも走る。濡れそぼっても走るので時々怒るんだけど、まあ聞き届けられた試しは無い。子供の頃から雨でも雪でも走っていて、風邪はひいたことが無い……らしい。確かに一度も体調を崩しているところは見たことがないけど。

 

 

「今日はトレセンに帰る? どうする?」

「んー……泊まります」

「そ。じゃあ晩ご飯も考えとかないとね」

 

 

 買い込んでいた数日分のそうめんは全て今無くなったので、また新しく買いに行くついでにご飯を食べて帰ってこよう。あんまり外出はしたくないけど、ウマ娘に対して料理を振る舞うことの方が辛い。手の込んだ料理なんて特にだ。

 

 

「ごちそうさまでした。美味しかったです」

「ん。ごめんね、薬味が少なくて。味、飽きてたでしょ」

「いいえ、シンプルな味も好きですから」

 

 

 自分で食べたお皿は持ってきてくれるスズカ。そのままスポンジを手に取って皿を洗い始める。偉い。その間に私はお風呂を洗い直しておこう。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「と、トレーナーさん、違、違いますそれはっ」

「何が違うの」

「待って、待って……」

 

 

 一時間後。私とスズカは並んでコントローラーを握っていた。画面内では私の操作するウマ娘がスズカの操作するウマ娘に迫っていた。3200m、最終コーナーでこの差は勝ったな。

 

 

「おかしいです、どうしてスパートボタンが出ないんですか!」

「逃げだからでしょ」

「あっやだやだやだっやめてくださいトレーナーさんっ。ずるです! ずる!」

「ずるじゃな痛い痛い痛いっ、攻撃は本当にずるでしょ!」

 

 

 ウマ娘達をモチーフにレースができるフリープレイゲームを見付けたのでプレイしている。スズカは逃げウマしか選ばないので差しを選ぶ私に負けまくっているけど。

 

 

「こんなのっ、こんなのおかしいです! どうしてスパートをかけないんですか!」

「逃げだからだねえ!」

 

 

 ゲームシステム上……というか、現実でも逃げウマ娘は目を見張るほどのスパートはかけない。リードを作り、それを守りきるのが普通の逃げウマ娘であって、スズカのようにトップスピードに任せて終盤で恐ろしく加速することはないのだ。そうでなくても序盤中盤で延々と加速ボタンを押し続ければそりゃ垂れる。

 

 

「あぁぁぁあ……」

 

 

 着外に沈んだ自キャラを見てコントローラーを放り投げるスズカ。いうて私も下手なのでCPUに負けて二着だけど。

 

 

「も、もう一回……もう一回ですトレーナーさん……!」

「良いけどもう六連敗くらい……」

「次は勝てますから……!」

 

 

 と言って逃げウマを選ぶスズカ。そのキャラ使って延々加速し続ける限り絶対勝てないと思うけど……まあそれは加速すればするほど前に出られてしまううえにスタミナが切れると思い切り逆噴射するゲームシステムも悪いと思うけど。

 

 

『~~♪』

 

「ごめんスズカ、電話来た」

「あ、はい。待ってますね」

 

 

 電話を取りつつ少しスズカから離れる。見知らぬ番号からの電話に怯えつつ、非通知ではない以上一応出ておくかの精神で通話ボタンを押した。

 

 

『もしもし! ミホノブルボンさんのマスターさんでしょうか!?』

「うわっ」

 

 

 声でっか。バカじゃん。人と電話する声量じゃないって。

 

 

「も、もしもし……? 私はミホノブルボンのトレーナーで合っておりますが……どなたでしょうか?」

『これは失礼しました! 私はサクラバクシンオーと申します! ブルボンさんの友人ですッ!』

「ちょ、ちょっと声量下げようか……聞こえてるから、ね?」

『失礼しました!』

 

 

 まだ大きいけどまあ良いや。

 

 

 しかしサクラバクシンオーから電話か。番号は教えていないし、まあブルボンだろう。たぶん一緒にいるんだろうな。ブルボンは機械類に触れると一定確率で破壊するとかいう意味の解らない体質に悩まされているので、基本的に連絡手段がない。寮の電話を受けることくらいはできるものの、携帯電話なんかは怖くて扱えないらしい。

 

 なので、外で誰かに連絡するには他の人の助けが必要になる。寮から電話するにしてもニシノフラワーや隣の部屋のウマ娘の力を借りなければならない。

 

 

「どうしたの、サクラバクシンオー。ブルボンに何かあったの?」

『いえ、現在駅前のカフェに来ているのですが、この大雨で雨具が無く……ブルボンさんに代わり、マスターさんへのお迎えの要請を引き受けた次第です!』

「あーなるほど。ありがとうね、サクラバクシンオー。助かるわ」

 

 

 最初は晴れてたからね。仲が良さそうで何より。

 

 

『いえいえ! 困っている人を助けるのは学級委員長として当然ですから!』

「そうなのね。それで、今どこにいるの? 駅の出口と、店名とか教えて貰える?」

 

 

 居場所を聞いて、すぐに外出の準備を整える。コンピューター相手にも負けまくってコントローラーを放り投げて寝転がるスズカにも一応声はかけておこう。

 

 

「スズカ。ブルボンを迎えに行くけど一緒に来る?」

「行きます……」

「はい、じゃあ急ごうね」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「凄い雨ですね……気持ち良さそう……」

「バグってるバグってる。考え方が狂ってきてるから」

 

 

 運転中。豪雨寸前のザーザー降りに対しても、ゲームとはいえ先頭を奪われまくったスズカはウインドウに張り付くみたいにうっとりと眺めていた。

 

 ゲーム、やらなきゃ良かったな。先頭欲を刺激してしまった。ごめんスズカ。結構暇だったし、スズカも乗り気だったから大丈夫かと思ったんだけど……お互い下手すぎたのが悪かった。

 

 

「雨に打たれても、風邪をひかなければセーフ……?」

「風邪ひくから。ダメだよ絶対」

 

 

 というか雨に打たれるのを冷たくて気持ちいいと感じる感性がいまいち理解できない。それだけはスズカの色々の中でもマジで理解できないし何なら気持ち悪いまである。濡れたくはなくない? しかも服着たまんまよ。

 

 

 他愛もないいつもの会話を繰り広げつつ電話のあったカフェの隣のコンビニへ。待ち合わせはこっちでしている。ブルボンは私の車種やナンバーを知ってると思うけど……あ、出てきた。二人とも楽しそうに話している。大きく手を振るサクラバクシンオーに、私はジェスチャーで止まれと指示を出す。

 

 

「スズカ、後ろにタオル敷いといて」

「はい。背もたれはどうします?」

「そっちも。バスタオルはいっぱいあるから」

 

 

 その間に私は窓を開け、二人に一つずつ折りたたみ傘を投げ付ける。二人に待てをしつつ、一緒に後部座席にタオルを敷いて。よし。ここから見た感じでも二人とも結構濡れてるし、まあ無いよりマシかな。多少はしょうがないしね。

 

 

 おいでおいでをすると、二人が傘を差して足早に駆けてきた。しかし、そのまま滑り込むように車に乗り込むブルボンの一方、サクラバクシンオーは乗ってこない。

 

 仕方無いので嫌だけど窓を少し開ける。

 

 

「どうしたのサクラバクシンオー。乗らないの?」

「いえ、私は大丈夫ですから!」

「迎えを呼んでるってこと?」

「いえ、トレーナーさんは今日はお仕事ですから呼べません!」

「じゃあどうするの?」

「走って帰ります! 大変ありがたいのですが、スピードも落ちてしまいますし、傘はお返ししますね!」

 

 

 ええ……? 何この子。学生とは思えないほど真面目ね。中学高校の時の私だったら何としても乗せてもらおうとするわ。傘があろうと無かろうと雨の中なんて帰りたくないし。

 

 

「良いのよサクラバクシンオー、乗りなよ。何かあったら困るでしょ。トレセンまで送ってあげるから」

「いえいえ! お車を汚してしまいますし、私もスピードには自信がありますから!」

「気にしなくて良いから。危ないし、ブルボンも手伝ってもらったから。ね?」

「むむ……しかし、学級委員長として迷惑をお掛けするわけには……!」

 

 

 君の中の学級委員長、歪んでない? 

 

 

「バクシンオーさん」

 

 

 どう説得しようかと悩んでいると、既に車に乗り込んで髪を拭いているブルボンが非常に冷静に口を開いた。

 

 

「マスターはトレセンではトレーナー職、つまり私達にとっては教諭に並ぶ存在です。であれば、その提案は受け入れるべきではないでしょうか」

「むっ……た、確かにそうですが……」

「それに、風邪はひかないようにしないといけないわよ、バクシンオーさん」

「むむむ……そ、それでは、トレセンまでお願いできますでしょうか!」

 

 

 ありがとうスズカ、ブルボン。助かる助かる。折れてくれたサクラバクシンオーが車に乗り込んだらトレセンに出発だ。良かった良かった、スズカは風邪ひかないけどサクラバクシンオーはひくかもしれないからね。

 

 

「ところで、バクシンオーさん。トレーナーさんの家でゲームをしていたんですが……少し、一緒にやりませんか?」

「え?」

「はい?」

 

 

 スズカがとんでもないことを言い出した。なんだこの子は。

 

 

「しかし……」

「お願い、バクシンオーさん。少しだけ付き合ってくれませんか?」

「は、はいっ! お願いとあれば断るわけにはいきませんね! 良ければトレーナーさん、お邪魔してもよろしいでしょうか!?」

「……あ、うん。良いよ。じゃあ二人でお風呂に入りなね」

 

 

 まあ、スズカの先頭欲の生け贄になってもらおう。ブルボンはゲームできないけど……まあ友達とわいわいしてるだけでもそこそこ楽しいだろうしね。

 

 サクラバクシンオーを連れて、家に帰った。サクラバクシンオーにすらボコボコにされたスズカは、その日ずっと拗ねていた。




まずい!バッドエンド書きたい欲が強まってきた!なんでだ!リベンジャーズを読んだからか!?pixivで曇らせ作品を読み漁ったからか!?


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寝不足すやすやサイレンススズカ

遅くなりました。

別作品としてBADEND短編集を投げましたので、興味があれば検索してご覧ください。


「トレーナーさーん……」

「ん、何、スズカ」

 

 

 ある日。いつものように寝ているブルボンを見守りながらソファに座っていると、スズカが眠そうに私に擦り寄って来た。そのまま肩に寄りかかるスズカを受け止め、ゆっくり膝に寝かせる。

 

 すぐに私の方に寝返ってあくびをするスズカ。こんなに眠そうになっているスズカは結構珍しい。

 

 スズカは基本的に普段からぼーっとしているけれど、生活習慣が狂っているわけではない。いや正確には、多少寝不足でも走ってぐっすりと眠るとすべて治るという話だけどね。

 

 

「眠いです……」

「見れば解るけど。どうしたの。寝てないの?」

「最近ちょっと、面白い本を見つけて……それを読んでたらつい……」

「何。そんな読書好きだったっけ?」

「んん……別に、好きではないですけど……」

 

 

 そりゃあね。そんなインドアな趣味をスズカが持ってるわけないからね。いやこれは言い過ぎか。一つや二つ持っててもおかしくない……そうかな。趣味と特技は走ること、な女だからな、この子。

 

 

「風景の画集で……図書室で見かけたので借りたんですけど……」

「ハマっちゃった?」

「はい……綺麗でした……」

 

 

 まあそんなところだろうと思った。走ることに関係無いものにスズカが興味を持つとは思えないし。極端な話勉強だって、『普段からちゃんとやっていないとテスト前に缶詰になって走れなくなるから』だし。走ることしか考えていないというのは伊達ではないのだ。

 

 

「でも、ちゃんと寝ないとダメよ。大阪杯ももうすぐなんだから」

「ぁぃ……すみません……」

 

 

 大阪杯も目前だ。つい先日金鯱賞だったような気がするほど時間の流れは早い。既に禁止期間に入っているスズカがこうして眠気で大人しくしてくれているのは誠に失礼ながらとても嬉しい。調子を崩すほど慢性的なものでもないみたいだし。

 

 スズカの頭や額を撫でながら、私にそれらを擦りつけてくるスズカに寝てもいいよ、と笑いかける。ブルボンの夜練習までまだ少し時間はあるし、仕事も別に足が無いままでできるし。

 

 

「んぅ……飛んで行きたい……」

「怖いなあセリフが」

 

 

 眠そうにもぞもぞとしているものの、なかなか寝ない。私の足が固いとかかな。いや固くねえよ。これまでにもスズカはここで熟睡したことはあるのでそんなことはなくて、純粋に走りたい欲で体が覚醒しているだけだろうなあ。睡眠欲と走行欲のせめぎあいが行われている。

 

 

「あんまり無理すると体に悪いわよ。寝ちゃいな」

「んー……」

 

 

 しばらく呻いていたスズカだったが、しばらくすると流石に参ったのか穏やかに寝息を立て始めた。手を伸ばして毛布を……掛けようと思ったが手が届かないので諦め、スーツのジャケットを掛けることにする。私のウマ娘は二人とも眠ってしまった。とても平和だ。一生続いてほしい。

 

 

「さて……」

 

 

 二人の寝息をBGMに、仕事にかかる。目下やらなければいけないのは、ブルボンのメイクデビューの申請である。

 

 というのも、メイクデビューから未勝利戦の時期と言うのは非常に幅が広い。ジュニア級六月の終わりから始まり、そこから一年強未勝利レースが存在する。そのどこで走っても規則上は問題無いことになっている。いや、正確に言えばトレーナーがついてから一年間一度も出走しないと処分対象だが、これまでそんなことが行われた前例は無い。

 

 

 基本的にはメイクデビューは最速で行うのが最も良いと言われている。まあウマ娘のためというよりトレセンのためのファン獲得というのも大きいけど。一応ウマ娘としても、六月にレースを済ませて見えてきた課題や適性をもとに夏を過ごせるというメリットがある。

 

 

 それに、私とブルボンに関してはそれに加えて、年末の朝日杯に出ることと、それまでに何かレースに出ておきたいという事情がある。短い間隔でレースに出ることは望ましくないし、当然最速一択だ。ただし、そんなことみんな考えているわけで、早いレースから出走枠の奪い合いにはなる。

 

 

 これがね……いつものようにスズカに貰った私の立場とかを利用して推せるなら良いんだけど、これに関してはより多くのウマ娘の活躍のために平等に抽選になる。それにまあ、そういう実績なんかに影響されると、その他大勢のウマ娘はトレーニングの質も低いうえにデビューも遅れるという二重苦を背負うことになるし。

 

 

 だから、三月も半ばと言うこのタイミングから既に申し込みが始まっている。何とか頼む。マジで。夏真っ盛りにレースはできれば出させたくないし、合宿のタイミングで変なレース場に途中で行くなんて御免だ。

 

 

「願掛けくらいはしとくか」

 

 

 寝ているスズカの手を引いて、マウスに重ねる。私よりスズカの方が幸運だろう、ということなのだけど……不安になってきた。別に私の方が幸運じゃないか? こういう力を手に入れて、スズカという圧倒的ウマ娘に出会えたんだし。ブルボンだってたぶんそうなるだろう。じゃあ自分でやった方が良いな。

 

 

 でもそれはそれとして愛バに力を借りることは大きいので手を重ねてクリック。何が変わるわけでもないんだろうけど、こういうのは気分だし。そのまま手に取ったスズカの手を眺める。少し冷たいすべすべの手。

 

 ……なんか変態みたいだな。でも可愛いもんなあ。

 

 

「んっ……あ、あー……」

 

 

 と、しばらく経って後ろでブルボンが起きたらしい。発声チェックを済ませて、立ち上がって後ろから覗き込んでくる。

 

 

「おはようブルボン」

「おはようございます、マスター。スズカさんは……」

「寝不足みたい。ブルボンも気を付けてね」

「問題ありません。今のところ夜眠気が来ないことはありませんので」

「それもそっか」

 

 

 いっつもギリギリまでトレーニングしてるもんね。眠くならないわけがないか。

 

 伸びをしながら私の隣に座るブルボン。まだゆっくりと寝息を立てているスズカを見つめ、顔にかかる前髪を払った。

 

 

「マスター」

「なに?」

「スズカさんの大阪杯を勝つ可能性はどの程度でしょうか」

「気になる?」

「はい。私もいずれ出る可能性のあるレースです。目標設定の参考になると思います」

 

 

 イヤーキャップを外し、ウマ耳を弄び始めた。スズカはまだ起きない。よほど眠かったか。

 

 

「まあ、先に言っておくと、色々考えることはあるわよ」

「はい」

「でも、勝つか負けるかで言うなら……スズカは確実に勝つと思うわ」

「それは……何故でしょうか。スズカさんの強さは疑いの余地がありませんが、しかしG1レースです。確実と断言できる根拠をお聞かせください」

 

 

 私もスズカのウマ耳に手を掛ける。ぴろぴろぴろ。うーん触ってて気持ちいい。ブルボンなんか両手で触り始めたから。起きないようにスズカの背を擦って、私はさらにブルボンに続ける。

 

 

「まず、大阪杯に出てくるなかでスズカに比肩しうるウマ娘……つまり、G1を安定して取れるようなウマ娘はメジロドーベルとエアグルーヴくらいよ」

 

 

 他にもG1ウマ娘はいるけど、まあ実績と、ステータスも見て恐らくその二人だろう。G1なんて正直複数取るものではない。みんな強いんだけどね、実際。

 

 

「でもねえ、やっぱりスズカの方が速いのよ。というかスズカより速い子はたぶんトレセンにはいないわ。並ぶ子もいない」

「……であれば、スズカさんは常勝ということになりませんか?」

「もちろん、能力の上でもスズカに勝ち得る子はいるのよ。例えばシンボリルドルフ。あれは最高速度では確かにスズカより下だけど、適切なタイミングで加速するだけのパワーと多少の無茶を可能にするスタミナ、そして捲って上がってくる時に明らかに能力以上の速度を出している。ナリタブライアンもそうね」

「なるほど」

「それだって絶対ではないけどね」

 

 

 やはり安定して勝てるのはマルゼンスキーだろう。スズカに先頭を譲らない走りを得意としている。それによりスズカの二つの伸び脚を両方潰せるのは大きい。他の強いウマ娘よろしくマルゼンスキーにも突然の伸び脚はあるし。

 

 

「ただ、それとは別に、なんかよく解らないけど勝つって子がいるのよ」

「はい」

「現状スズカの近くにいるのはマチカネフクキタル。能力だけなら絶対にスズカには勝てないけど、条件さえ揃えばよく解らないうちに勝つことがあるわ。だけど、エアグルーヴやメジロドーベルは違う。彼女らは強い力をそのまま発揮するタイプよ。だから今回もスズカの勝ちでしょうね」

 

 

 まあ、二人のステータスはそう頻繁に見ていないけど。二人の成長速度では無理だろうね、残念ながら。安定して勝てるのは後者のタイプではあるんだけど、ジャイアントキリングは起こらない。

 

 

「……スズカさんはどちらなのですか?」

「んー……どっちかな。私は後者だと思わないこともないけど……基本的には前者でしょうね。ただし、スズカの勝つ条件が緩すぎるから勝ってるだけ」

 

 

 持ち前のスピードをもって強引に先頭を奪い、レース後半先頭でいるならほぼ勝ちだ。これを打ち崩すのは相当難しいだろう。もちろん無敵ではないけど、実力で勝っているうえにそういう勢い勝ちもできるとなれば最強ではあるだろう。

 

 

「だからまあ、申し訳無いけどスズカは目標にしちゃダメよ。エアグルーヴやメジロドーベルを見ていた方が良い……とは思うわ」

 

 

 そんなことをしても追い付けないのだし、そもそもそういうウマ娘はスズカを除いては不安定だ。

 

 

「なるほど。理解しました。スズカさんを目標から外します」

 

 

 あら素直。だけどまあその方が絶対良い。スズカとかいうバグを参考にしても仕方無いし、スズカにはなれないし。スズカの頬を手のひらで挟み始めたブルボンを撫でる。

 

 

「そうよー。こう言っちゃなんだけどスズカは三冠ウマ娘じゃないんだからね。勝てるレースで順当に勝つウマ娘と、無理なレースに挑んでるブルボンは結構違うし」

 

 

 内心ネガキャンについては謝りながら私もスズカの頬に触れる。結局はそこに落ち着くのだ。スズカは尊敬されるようなウマ娘ではない。私が言うのはなんだけど。

 

 

「ところでマスター」

「なに?」

「そろそろトレーニングですが、スズカさんは起こしますか?」

「……そうね」

 

 

 非常に心が痛むものの、私達はスズカを揺すって起こすことにした。

 

 ……夢でも走るスズカは途中で起こされたことにご立腹で、続きを走らせろとごねた。



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トレーナーのことを信じていたサイレンススズカ

「はーしーりーまーすー」

「だーめーでーすー」

 

 

 ある日。というか大阪杯の二日前。阪神レース場への道順を私が確認している間にも、スズカは変わらず走りたがっていた。いつものことだ。私の向かいで寝転がって、ぱたぱたとばた足を繰り返す。ソファが丈夫で良かった。

 

 

「やー」

「やーじゃありません」

「ぅぁー……」

「呻いてもダメ」

 

 

 さっきまで筋トレをしていたとは思えない体力の残り方である。もちろんそこまで追い込んだりしていないので当然っちゃ当然だけど、だだをこねる余裕がまだあるのか。

 

 スズカはその特性上基本的には追い切りなんかはしない。基本的に逆効果……悪戯にリスクを増やすだけに終わるからだ。まあ、スズカの勝ちの七割はステータスだし。二割気迫、あと一割は運。

 

 

「でもこんなにお天気ですよ? トレーナーさんも走った方が良いんじゃないですか?」

「やだ。暑いもん」

「そうやって暑いからと屋内にいたら健康に良くないです。そんなんだからそんなひょろひょろなんですよ」

「うるせえなんだこの栗毛」

 

 

 痩せていると言え。それにスズカを抱き上げるくらいはできるんだからひょろひょろではない。これは真面目な話だ。私にそれ以上の力がいることがあるか? いや、無い。

 

 

「だから走りましょう。私も走りますから」

「関係無いよね?」

「私気付きました。たぶんトレーナーさんは走ってないから走る気持ち良さが解らないんです。良いですか? 走るというのはやっぱり何よりも自分が一人の世界に入るということなんです。色んな悩みとかそういうのを置いておいて、ひたすら自分を見つめ直すような素晴らしい行動です。もちろん、こんな深い意味じゃなくて、もっと単純に気持ち良さだってあります。流れる汗がスピードで乾いていって、ひゅんひゅんと耳が風を切って──」

 

 

 スズカの講釈が始まってしまったので、その間に後ろのベッドで横になるブルボンの様子を見る。一応私の力で体力や怪我は見ているが、こうして直接触ることも大事だ。あんまり信用はしてないけど。三割くらいは触りたいだけかもしれない。

 

 

「マスター」

「うん、問題無さそうね。筋肉増えてきたみたいだし……そろそろスピードも鍛えていこうか」

「スタミナは、マスターの合格点に届いていますか?」

「んー……」

 

 

 ブルボンのスタミナは、E。もう一押しでE+に届くだろう。私が思うに、皐月賞の目標はスタミナD+。あとちょうど一年だ。問題無く間に合う。メイクデビューを中距離にしても問題は無いくらいだ。

 

 最近はブルボンもトレーニング終わりに死んだように眠ることが少なくなった。体力を失うことに体が慣れてきているんだろう。負荷は上がっているはずだが限度はある。そのうち平気で最高負荷をこなすようになると思うと末恐ろしい根性だ。

 

 

「聞いてますか? トレーナーさん」

「聞いてる聞いてる」

「絶対聞いてないですよね。良いんですか? 私、何するか解りませんよ」

 

 

 本当に何をするか解らないやつはそんなことを宣言しない……けど、スズカに限っては本当に何をするか解らない。あの手この手で許可をもぎ取りに来て、取れなかったら最悪こっそり走るというのがお決まりだ。

 

 ……仕方無い。ちょっと乗ってあげよう。

 

 

「なに、スズカ。じゃあ走るのは身体に良いってこと?」

「そうですっ。トレーナーさんのためなんですよ? 大好きなトレーナーさんに長生きして欲しいので、一緒に走りましょう」

 

 

 なんて単純な子。

 

 

「……解った。じゃあ、私がおしまいって言ったらおしまいね。私が走れなくなるまでは付き合うから」

「本当ですか!?」

「うん。どこかランニングコース出ようか」

「やったっ。やった、やったっ」

 

 

 おもちゃを買ってもらう子供みたいになるスズカ。舞い上がって私のジャージを棚から出してくる。ニコニコで差し出すそれを受け取り、勢い良く尻尾を振りながらドアの前で待つスズカの視線を受けながら着替える。

 

 上機嫌に鼻唄なんて口ずさんじゃって、厄介なおてんばウマ娘め。こっちにも考えがあるんだからね。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「じゃあスズカ。さっき言った通り、私が走れなくなったら終わりだからね」

「はいっ」

「あの、どうして私が呼ばれたんですか……?」

 

 

 三十分後。とあるランニングコースに、私とスズカ、そしてスペシャルウィークが立っていた。今にも走り出そうとそわそわしているスズカの横で、意味も解らずとりあえず呼び出されたのがスペシャルウィーク。

 

 

「トレーナーさんが、私を止める子を誰か呼んでって言ったから……ごめんね、スペちゃん。トレーナーさんが心配性で……」

「来てくれてありがとうスペシャルウィーク。スズカがポンコツじゃなかったらこんなことしないでも済んだんだけどね」

「はあ……全然呼ばれるのは大丈夫ですけど……大丈夫ですか?」

 

 

 スズカが呼んだらすぐに快く来てくれたスペシャルウィークは天使かもしれない。舞い上がったスズカも大した説明もせず呼び出したわけだけど、嫌な顔一つせずに納得してくれた。

 

 そして、ウキウキスズカをちらりと見ながら私に聞いてくる。あら賢い。ちゃんと解っているみたいね。

 

 

「大丈夫よ。ね、スズカ?」

「はいっ。ふふっ。一時間……いえ二時間は走れる……ふふふっ……」

「絶対大丈夫じゃなさそうですけど……?」

 

 

 スズカから恐ろしい独り言が聞こえたが基本的に無視。走れば解る。スズカもまさか後輩の前で私を無視して走るわけにもいかないでしょうから、この人選はラッキーだった。少なくともブルボンにしなくて良かった。

 

 

「じゃあ走りましょうか。よーい……」

「すーっ……はーっ……」

「どんっ」

 

 

ドゥンッ! 

 

 

「はっや」

「あっ待ってくださいスズカさんッ!」

 

 

 手を振り下ろした瞬間スズカが走り出す。スペシャルウィークも後を追った。こう見るとスペシャルウィークのスタートダッシュもかなり洗練されている。もちろんスズカ相手には足元にも及ばないし脚質的に及ぶ必要も無いんだけど……ステータスもかなり仕上がってきている。これは皐月も楽しみだ。

 

 

 そして、私も走り出して、

 

 

 

 

 

 

「…………スズカ……終わり」

「は?」

「え?」

 

 

 十五分で倒れ伏していた。いやマジ、死ぬ。助けて……助けて……。

 

 

「え、い、いや、トレーナーさん? 大丈夫ですか? えっと、あの、す、スぺちゃんどうしようっ、トレーナーさんが……」

「待って……無理……ほんとむり……」

 

 

 走るのなんていつぶりだろう。少なくとも大学で四年は走っていないわけで、元々出来の良くない私の身体は走り始めて十分で悲鳴をあげていた。息が苦しい。足が痛い。終わった。

 

 ちょうど限界に達したところでスズカが横を通ろうとしたので、これ見よがしに崩れ落ちる。と言うかそうでなくても死にそう。なんだこれ。やっぱ人間は走るべきじゃないわ。ウマ娘がいるのに何故人間が走るのか? 哲学だ。哲学じゃねえよ。

 

 

「どうしたんですか!? 体調でも悪いんですか!?」

「いや……絶好調だけど……」

 

 

 と言うか、我ながらこんなに体力が無いとは思わなかった。スペシャルウィークも色々察していたみたいだけど、さらにそれを下回る私のひ弱さに、一緒になって驚いている。

 

 二人が倒れた私を囲んで声をかける図になっていることに気付き、何とか上体だけでも起こす。通報されてしまうこんなの。

 

 

「トレーナーさん、病院に行きますか……!?」

「違うのスズカ……本当に……疲れただけなの……」

 

 

 ええ……? と眉を顰める二人。いや本当にごめん。三十分くらいは走って、全然満足してないだろうけど約束だもんね? しょうがないよね? って言おうとしてたわ。こんなはずじゃなかったの。マジで。

 

 少しずつだがスズカもそれを理解したらしく、はあ、と大きくため息をついた。そして、少し笑って翻った。

 

 

「大丈夫そうで何よりです。じゃあ私は走ってきますね」

「いや……終わりって言ったでしょ? ダメ」

「へぅ……だ、だって、こんなのおかしいです! 私ちゃんと調べたんですから! ヒトは二時間くらいは走れるって!」

「それは普段から走ってる人の話でしょ。私みたいな頭脳派は無理」

「じゃあトレーナーさんは頭脳派じゃなくていいです。走りましょう!」

「泣きたくなってきたわ」

 

 

 無茶苦茶言うスズカだったが走り出すことはしない。スペシャルウィークがしっかりとスズカの腕を掴んでくれている。それが無ければスズカは走るということをしっかり理解しているスペシャルウィークはやはりスズカの立派な後輩になったのだろう。理解度が違う。

 

 ともかく、少しくらいは息を整え、何とか立ち上がってスズカに身を寄せる。脚がガクガクになってしまった。流石に危ないので運転代行を頼もう。明日の筋肉痛に備えてトレセンに車も出してもらおう。

 

 

「トレーナーさん……もうちょっと、もうちょっとだけ走りましょう? 大丈夫です、きっとまだ走れますよ」

「むーりー……」

「そんなこと言わないでください。応援しますよ。ほら。頑張れっ、トレーナーさんっ。頑張れっ。ほら、スぺちゃんもっ」

「いや、たぶんですけどスズカさんは走らない方が良いんだと思います」

「スぺちゃん……!?」

 

 

 ウイニングライブばりの満面の笑みで幻のポンポンを振るスズカと、謎に冷ややかな目で見るスペシャルウィーク。スズカの応援で体に気力は漲る……が、そこは気合や根性でどうにかなる部分ではない。もう走れません私は。スズカの肩を持って後ろから押していく。座りたい。いったん車に戻ろう。

 

 

 スペシャルウィークとオマケの私に押されてもびくともしないスズカ。拒否したって無駄なんだからね。私は限界なんだから。

 

 

「トレーナーさんに騙されました……こんなの酷いです。酷いので走ります」

「騙してません」

「こんなダメダメとは思いませんでした!」

「ダメダメなのは否定しないけどさあ!」

 

 

 中途半端に走らされたスズカの説得にはそこから一時間を要し、最終的には自分で運転できるくらいには体力が戻っていた。スペシャルウィークのトレーナーさんには許可を貰ったうえで三人でご飯を食べ、その日は解散に至った。

 

 

 そして、大阪杯が来る。



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無意識な強者たるサイレンススズカ(大阪)

意味解らん逃げ方で沸かせたサイレンススズカが死んでしまった一週間後にセイウンスカイが意味解らん逃げ方で菊花賞を勝って沸かせたって話ほんとすき。


「あ、スズカさんのトレーナーさん。お招きありがとうございます……」

「あらスペシャルウィーク。来たわね」

「どうもー。すみません、私も呼んでもらってー」

「スカイさん! 失礼でしょう!」

「別に気にしないで。そんな立派な人間でもないから私は」

 

 

 大阪杯、当日。阪神レース場の選手控室にて、私とブルボンはスズカの勝利を待っていた。

 

 控えめなノックとともに入ってきたのは、スペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイロー。既に今年の皐月賞への出走を表明し、枠を確保している今年のクラシックの星である。正確にはあと二人、エルコンドルパサーとグラスワンダーの五人での絡みが多いらしいけど、今日はいない。

 

 

「今パドックですか?」

「うん。もうすぐスズカだよ。外枠だからね」

 

 

 先ほどエアグルーヴが凛とした表情でカメラに目線を送っていた。メジロドーベルも……うん。可哀想だけど、ウマ娘記者は全員が女性ってわけじゃないからね。ちょっと顔が引きつってたかな。

 

 

 三人がここにいるのは、まあ、スペシャルウィークに対するお詫びのようなものである。この間は結局ただ呼び出してご飯を食べただけに終わってしまったし。もちろんトレーニングが休みってことも少しくらい走って良いかも許可は取っているけれど、それにしても余計に動いてもらっちゃったから。

 

 そこで、せっかくなので解説付きでレースを見たいとのことで、友達を呼んでもいいよ、ということでこうなった。キングヘイローは何故かスズカから何かを学んだみたいな不思議なことを言っていたもんね。

 

 そして……セイウンスカイはなんでだ。逃げウマだからかな? 距離が近いからそこそこ打ち解けてきたスペシャルウィークと、大先輩としてしゃんとしているキングヘイローと違ってちょっとだけ態度が気安い。もちろん、スズカに対してならともかく私に対してはかしこまる必要も無いけど、心臓が大きいんだろうか。

 

 

「あ、次だねスズカ」

「おおっ」

 

 

 モニターにスズカが現れる。ステージの前まで歩いていって、上着を脱ぎ捨てた。いつもの白と緑の勝負服には、いつもどおり装飾も何も無い。勝負服はどんな装飾をしても不思議な力で本人の運動の妨げにはならないのだけど、それでもあらゆる抵抗を省いた無二の勝負服だ。

 

 今日もスズカは絶好調だ。胸に両手を当てて、深呼吸一つ。控えめに、大挙したカメラマン達に手を振っている。おっ。モニター目線もある。これはラッキー。

 

 

「スズカさん……落ち着いてるなあ……」

「スペちゃんとは大違いだねー」

「うぅ……だって緊張するんだもん……」

「トレーナーさん。スズカ先輩の調子はどうですか?」

「絶好調かな。気持ちも身体もまったく問題無いわ。たぶん緊張もないでしょう」

 

 

 流石……みたいに目を見開く面々。これは確かにスズカから見習うべきところだと思う。特にスペシャルウィークは緊張しいみたいだし。ウイニングライブも酷かったしね。スズカにはそんなトラブルは無いので、羨ましく映ることもあるだろう。

 

 特にキングヘイローは食い入るようにスズカを見つめている。普段プレッシャーに負けたりしてるんだろうか。

 

 

「トレーナーさん。どうしてスズカ先輩は緊張しないんでしょうか?」

「まあ……スズカの場合、特定のレースにどうこうって考えが無いからね。相手には申し訳無いけど、自分しかレースにいないって考えでいるからね」

「スズカさんらしいですね……」

 

 

 ほんとにね。

 

 

 スズカのアピールが終わり、上着を拾って帰っていく。程なく出走だ。一度映像が切り替わり、私達も来てくれたみんなに飲み物を出しておく。

 

 

 三人の元気なお礼を聞きながら、まあ、私もちゃんとお役目を果たすことにする。もちろん私が話せるのはスズカがどんな存在かだけで、一般論については私が言えることなんてそれぞれのトレーナーさんの方が詳しいし良いことを言えるはずだけど。

 

 でも、スズカについてこの世で一番詳しいのは私だ……と、ちょっと誇らせてほしい。

 

 

「これはスズカが逃げウマだからってこともあるのかもしれないけどね。結局、他人の目をあんまり気にしないからこそのサイレンススズカだから」

「それって、最初から最後まで、ですか?」

「そうだね。最初から最後まで。ゲートに入った瞬間から、既に他のウマ娘を見ていない」

「はあー……なるほど……私にはできそうもないですねえ……」

 

 

 セイウンスカイは逃げ適性がある子だったかな。それならばスズカから得られるものもあるのかもしれない……けど、どうも彼女の場合は純正の逃げじゃないような気もしてきている。先行適性がBと現実的に実用ラインだ。もしかしたら後ろから捲るレースもできるんだろうか……? 

 

 

「まあそこまで極端じゃなくても、あんまり後ろは気にしない方が良いとは思うわ、私は。特にスズカは速さで勝ってるから、気にするべきは基本的に自分のスタミナだけだし」

「なるほど……」

「マスター、出走のようです」

 

 

 ブルボンに促され、私達は再びモニターに目を向ける。ちょうどスズカがゆっくりとゲートに入っていくところだった。流石にここまでくればどの子も周りなど見ずに集中している。中でもやはりスズカの集中は異様にも映るレベルではあるが。

 

 ちなみに、スズカはゲート入りも早い。一秒でも早く走りたいからだ。これはまあ、言わないでおこう。

 

 

「じゃあ、一応私は細々話すから、何かあったら聞いてね」

「はい……」

 

 

 三人……いや、ブルボンも含めて四人は集中モードに入ってしまった。私の解説いるかな……とは思いつつ、それが目的なので勝手に話すことにする。モニター越しのファンファーレ。ちなみに控室モニターは実況を切っている。音は無い。走り出した足音以外は無くなる。

 

 

「……まず、だけど」

 

 

 スタート。全員一斉に飛び出した。ブルボンとセイウンスカイがむっとする。逃げウマにしか解らないこともあるのだろう。あるいは、自分があそこにいたらどうなるかを考えているのかもしれない。

 

 答えを言おう。スズカに先頭を取られている。

 

 

「スズカの逃げウマとしての強みの一つは、絶対に出遅れない、と言わんばかりの集中力よ。しかもよく見ると解るのだけど、出遅れ無しのスタートの中でも一足先に出ているでしょう」

 

 

 そして、間髪入れずトップスピードに近しいところまで乗っていく。私がスズカのパワーを育てるごとに、この加速力にも磨きはかかるのだけど……それにしても速い。同じ逃げウマがいるが、既に三バ身は離されている。

 

 執念と欲望から来る圧倒的な集中力。それについてこれるウマ娘は少ないだろう。スズカの一人旅が始まっている。

 

 

「それに、ここからもそう。普通、ハナを取ったからと言ってあんまり飛ばさない。大きく離しても失速したら意味が無いから、大体はそこそこのリードを保つ。でも、スズカの場合は大逃げと言うべきで、勝手に自分のペースで逃げていく」

 

 

 するとどうなるか。後続は逃亡者を捕えるためにハイペースにならざるを得ない。スズカ本人はそんなことは考えていないだろうけど。

 

 

「だけど、そもそもスズカのペースは狂ってる。逃げの有利を捨てるくらい超ハイペースで逃げるから、必然的に後続に二択を強いることができるわけよ」

 

 

 択一は示された。後続がどちらに乗るかは一瞬の判断が必要だ。一縷の望みのために、一瞬たりとも迷えない。メジロドーベルはあまり変わらない位置にいるが、明らかにエアグルーヴが前に出ている。掛かっているんじゃないかというほどペースを上げているけど、たぶん違う。ジャパンカップでスパートが足りずに逃げ切られた、と、彼女は考えているんだろう。

 

 

「それは……どちらが正解なんですか?」

「正解は無いわ」

 

 

 ちらり、と聞いたスペシャルウィークがこちらを見た。ぎょっとして眉を顰める。

 

 

「スズカに乗ればハイペースになり、元々バ群に飲まれないためにスタミナを消耗しやすい差しウマは脚が残らなくなる。でも、乗らないとスズカに追いつけない。もちろん、圧倒的なスピードがあればそれでも何とかなるけどね」

 

 

 でも、スズカは速い。誰より速いから、逃げウマの癖に差しウマのスパートから逃げ切ることができてしまう。そして、スズカのスタミナもどんどん補強されている。もう止まることはない。レースは中盤、スズカのリードは八バ身。差し策を基本とするエアグルーヴが二番手にいるという異様な光景を、四人が息をのんで見つめている。

 

 なかでもブルボンとセイウンスカイの視線は険しい。今彼女達が見ているのは大逃げと言う戦法の最たる例だ。マイペースに走り、そして無意識ながら他のウマ娘に択を強いることでレースを支配する。これを再現すれば負けることはないと言ってもいい。

 

 

「崩す手段はあるんです?」

「あるよ。スズカに先頭を取らせなければいい。スタミナでスズカを圧倒して、潰し合いに持ち込めばスズカには勝てる。もちろん、そこから他の子から逃げ切る力が必要だけどね」

「……つまり、後ろからでは勝てないと……」

「そうだね。後ろからで勝つには……圧倒的な加速力を持って、スズカに最後方からでも届くくらいの速さが無いとダメかな」

 

 

 ひゅぅ、と誰かの喉から息が漏れた。現実的にスズカに勝つならそのどちらかだ。前者は何度も言うがマルゼンスキー。現状私から見てスズカの一番の天敵だろう。シンボリルドルフやナリタブライアンはハイペースに乗らずともその距離を詰めるだけの加速力がある。これはスズカの大逃げが少し普段より遅ければ捉えられる可能性もあるレベルだ。

 

 レースは終盤に差し掛かる……直前。私は少し声を大に、四人に聞かせるように言った。

 

 

「ここ。今スズカが減速したのが解る? しっかり息を入れるタイミングを作って、ここからのスパートに備えているのね。もちろんこのままでも勝てそうだけど、スズカがスズカたる所以はもちろんここから」

 

 

 そう、異次元の逃亡者が強いのはここからである。

 

 

 終盤最終コーナーで、スズカがスパート体勢に入る。そのまま大きく息をついて、私には解る。あの地面が抉れるくらいの踏み込みから、スズカが飛び出した。

 

 

「だからこそこうやって最終コーナーで伸びる。これをすると、さっきの二択をもう一度強いる形になるわけ。スパートを早めるか、あるいはスズカに置いて行かれるか」

 

 

 そして、エアグルーヴが同じように飛び出す。メジロドーベルや他の数人も、他より早くスパートに入っている。ここで差し切り態勢に入っていないウマ娘はもう無理だ。今回の二択は明確に正解がある。スパートをかけなければならない。それをすれば切れ味が鈍ると解っていても、進まなければならない。そうでなければ絶対に届かない。

 

 伸びる伸びるサイレンススズカ。恐ろしい勢いで逃げていく。後続も迫るが、これもスズカの強さだ。最初から飛ばしているぶん、最高速度に乗るまでに時間がかからない。結局差しウマや先行ウマというのはある程度抑えて走っているわけで、そこからの加速とは話が違ってくる。

 

 

 後輩四人が見守るなか、スズカが一人突き放して直線に入った。ここからの加速については説明ができないので私も黙ることにする。

 

 ……ある意味、ハイになって行われるこの加速が、一番スズカらしい加速なんだけどね。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「トレーナーさんっ」

「スズカ」

 

 

 レースの結果は言うまでもない。控え室の扉を開けると、スズカが満面の笑みで私に飛び込んできた。そのまま熱を持った身体で擦りついてくる。

 

 ぶっちぎり先頭でゴールしたスズカのことだ、やはりというか興奮冷めやらない様子で、んんっ、と抱きついている。私もちゃんと頭を撫でつつ……ただ、今回はちょっと後ろにね。いるからね。

 

 

「スズカごめん、みんないるから。ね?」

「えっ……あっ、ごめんなさい……」

 

 

 スズカが引いていく。後輩達も特に何も言わず流して挨拶に入ってくれた。お祝いの言葉も述べて、スズカと何か楽しく話し始める。

 

 

 うん。スズカが今日も可愛い。次は宝塚記念……また、こうして祝えることを私は確信している。

 

 

「あ、そういえばトレーナーさん。帰りですけど……」

「流石にここから東京は無理だからね。走っちゃダメだからね」

「ぁぅ」

 

 

 お茶目を言う余裕があるほど、スズカは余力を残しているのだから。



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ファン感謝祭でのサイレンススズカⅠ

初めて一話完結じゃない雰囲気出してますけど別にそんなことはないし、そもそもこれまでも言うほど一話完結だったか……?という気持ちです。


「それではこれで今日のところは……はい。大丈夫です。お疲れさまでした」

「解散ッ! それでは次の会議で会おう!」

 

 

……あー疲れた

 

 

 ある日。私はトレーナー達が集まるトレセン学園の会議に出席していた。一つ大きめのホールを使い、前の方で話す理事長や議題関係者の話を聞くだけだけど、これがまあ疲れるんだ本当に。

 

 そもそも、非常に遺憾ながら私は他のトレーナーとあまり仲が良くない。いや、嫌われてるとかじゃないよ。単純に関係が薄いだけ。全体で集まろう! みたいな時には呼ばれるくらいの、微妙な立ち位置だ。

 

 

「あ、エルナトのトレーナーさんっ。お疲れ様ですっ」

「お疲れ様です、たづなさん。どうかしましたか?」

「いえ。個人的な激励です。サイレンススズカさんはその……ね、今回は主役ですから」

 

 

 私としてはそもそも男性はちょっと遠い感じがするし、もっと言えば年上の男性と仲良く……というつもりはあんまり無い。怖いし。でもなあ。ベテランさんはそんな感じだし、私と同じ若手はスズカの威光にひれ伏してしまう。いや本当に。全然話してない人から凄い尊敬語使われるからね。

 

 

「ええ。スズカにもよーく言っておきます。任せてください」

「助かります。何か問題があれば私か、エアグルーヴさんに頼んでありますからご報告ください。すぐにお手伝いしますから」

「ありがとうございます」

 

 

 エアグルーヴ……いや、あの子は芯の通った子だもんね。大阪杯で三連敗したからといって距離を取る子じゃない。惚れ惚れするくらいの勝負根性だ。

 

 

 たづなさんも忙しいのか長話はしない。私は特に誰と話すでもなくトレーナールームに戻ることにした。

 

 

 さて、スズカが主役とは、今日の会議の議題についてである。四月頭に毎年トレセン学園で行われる、ファン感謝祭の話だ。

 

 基本的にウマ娘からファンへの一番のファンサはウイニングライブやメディアを通したトークである。もちろんグッズなんかもあるけど、やはり動いて話すウマ娘が一番求められている節がある。

 

 しかし、それらはやはり限界もあるというか、たとえばウイニングライブは投票を当てないと恩恵が薄いし、メディア出演も向いてる子と向いてない子がいる。

 

 

 よって、それらを解決するのがファン感謝祭だ。非常に安価な入場料で、それぞれのウマ娘をメインに据えたブースや企画が催される。来場者は推しのところに行って楽しんで帰れば良いということになるし、面白そうな企画があれば新しく推しが増えるかもしれないと。

 

 

「ただいま、スズカ」

「トレーナーさんっ。遅いですよ。留守番できたので走りに行きます」

「その前にお話があるからね。もうちょっと待とうね。ほらこっち来て」

 

 

 今日は元々走って良い日だ。少しずつブルボンとの併走を組んでいる。スズカとブルボンでは同列に走ることは難しいが、それならそれでやりようはある。部屋に入るなり尻尾ぶんぶんで駆け寄ってくるスズカの喉を擽り、指でつついて鼻を潰す。

 

 

 スズカ本人はぼけぼけでトークは苦手だし、世間からもギラついて先頭をすっ飛ばしていく気性を秘めたウマ娘だと思われているので……まあこれは事実だけど、ともかくメディア露出は少なめである。ウイニングライブもね、センターは外さないものの性質上二着以下をぐちゃぐちゃにかき回してしまうため良い席をとるのが非常に難しいらしい。

 

 

「話……ですか? あ、もしかして宝塚記念までは好きに走って良いとか……?」

「そんなわけないでしょ。ファン感謝祭よ」

「ぁぅ……期待させるなんて酷いです……」

「勝手に期待しておいて何を言うか。あっブルボンは来なくても良いよ。そんなに関係無いし、聞いてるだけで十分だから」

「承知しました」

 

 

 スズカと向かい合わせに座り、貰ってきた資料を広げる。一応、トレセンにも企画屋という人達はいるようで、スズカの場合は三日間の感謝祭のうち二日間、三つの企画を二回行うことになっている。六企画は正直破格の回数だ。未勝利ウマ娘はやらないとして、オープンウマ娘だってサイン会一回が関の山だからね。

 

 いわゆる三冠やティアラには全く絡んでいないものの、ジャパンカップと天皇賞に勝っていれば名実ともに日本一の一人である。それも距離も相手も関係無く逃げ一択で大差勝ちなんてしたらそりゃ人気も出るわけだ。

 

 

「トレセン側から何かスズカがやりたいことは? って言われたけど」

「走りたいですっ」

「って言うと思ったから、よくある企画を教えてもらってきました。これをやります」

「えっ……ふぁ、ファン感謝祭は私のやりたいことをやって良いって聞きましたけど……?」

 

 

 私が差し出す側から書類を指で弾き返してくるスズカ。ちなみに貰ったのはサイン会、そして他との合同でリレー。そしてクラスで何か一つスズカが貰ってくるらしい。うーん丸い。奇抜なものよりこういうのの方が助かるわ。

 

 

「逆に聞くけどスズカだったら何をするの」

「そうですね……」

「うん」

「まずは外で三時間ほど軽く流して、それからコースを2000で何度か強めに走って……それからもう一度外に出て良いところまでランニングって感じにしましょう。あ、でもショットガンタッチも捨てがたいですね。そろそろ暖かくなってきましたし、ビーチフラッグスなんかも楽しいかも……そういえば聞きましたかトレーナーさん。川崎近くのランニングコースがリニューアルして、なんと山道を走れるようになったんです! 行くしかないですよねっ」

「ストップストップ」

 

 

 そんなに目をキラキラさせても無駄だからね。行くしかないわけないのよ。そのことについてはあとでちゃんと止めておかないと。ただの学生なら移動手段で止まるけど、スズカには足があるからね。

 

 

「ファン感謝祭なのにファンが見てるだけでしょそれじゃ」

「ダメですか?」

「ダメ……じゃないけど、流石に三つ全部はトレセンに怒られちゃうから」

 

 

 去年ナリタブライアンが怒られてたらしいからね。私が走るのを見ていれば満足だろうとか言って。事実でもダメなものはダメなのだ。アイドルだって歌って踊るだけではファンサにならない。

 

 

「……じゃあ何でも良いです……ふん」

 

 

 走れないと知って一気に凹むスズカ。もう話す気は無くなったと言わんばかりにしゅんとして、私の隣まで来て膝を枕にふて寝してしまった。同時に後ろからブルボンが覗き込んでくる。

 

 

「ファン感謝祭……何をされるんですか?」

「サイン会とリレー。スズカはクラスで何するの?」

「……何でしたっけ……?」

「なんだこのポンコツめ」

 

 

 いつも通り言葉が耳の周りをクルクルしただけで終わったらしい。いつ決めたのか知らないけど、ちゃんとクラスの話し合いは聞いてね。ボーッとしてると訳の解らないものをさせられるよ。

 

 

「ウマッターで聞いてみます」

「いやいや。知らないでしょ。知ってたら怖いじゃん」

「クラスの子もフォローしてくれてるし、たぶん教えてくれる……と思うんですけど……」

 

 

 そんな微妙な繋がりに頼らないで? 

 

 

「ヘルプが可能なら引き受けますが」

「ありがとう。でもまああんまりって感じ。他のところに友達と行ってて良いよ」

「承知しました。友人との約束を取り付けておきます」

 

 

 無理にとは言わないけどね。ブルボンに約束すると断言できる友達がいて何より。真顔のブルボンの頬をつつきながら、スズカにバラバラにされた書類を纏め、スズカからの不満は無かったということでしまう。あとはサイン会のルールを確認して、スズカ特有のルールを決めて……リレーは出走順を決めて後日報告があるはずだ。

 

 

「じゃあスズカ、ブルボン。行こうか」

「やったっ。ブルボンさん急いで、早くやりましょう」

「急いでも走る量は変えないからね」

「えっ……」

「えっ……じゃないのよ。そりゃそうでしょ」

「…………」

「黙らないで???」

 

 

 露骨にテンションが下がる……ものの、すぐに持ち直しブルボンの手を引いてスズカは駆け出していった。私がいないとスタートできないけど、そんな後先考えないで行かなくても。部屋を軽く片付けて、私もゆっくりと部屋を出る。

 

 ……スズカの携帯どうしよう。置いていっちゃったけど。まあ走るときは預かるから最初から私が持っていても問題ないけど……なんか通知来てるな? 

 

 

『スズカさんはポーカーフェイス選手権ですよ!』

 

 

 なんだよその選手権。

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「はい、じゃあ説明するから聞いてね」

「はい」

「…………」

「スズカ?」

「き、聞いてます、聞いてますよ」

 

 

 ちらりちらりとコースを見ているスズカ。まあ良いか。スズカには基本的に好きに走ってもらうだけだし。

 

 やらなきゃいけないのはブルボンの制御である。最近、彼女はこう……スズカへの対抗意識が見えてきている。まあ、それ自体は良いのだけど、ブルボンに限ってはちょっと抑えて欲しい気持ちもあるのだ。

 

 

「ブルボンはミドルペースでひたすら周回。スズカが自由周回をしてるから、たぶんブルボンは何回も抜かされることになると思うわ」

「はい」

「だけど、ブルボン。あなたはスズカみたいな圧倒的なスピードもないし、ごり押すスタミナがあるわけでもない。普通のウマ娘よ」

「理解しています」

 

 

 そして、彼女の脚質適性。スズカもそうだが逃げウマ娘というのは不思議なもので、逃げしかできない方が多いのだ。先行ウマは差しもできるし逆も然り、追込ウマも差しができるが、ブルボンやスズカは違う。

 

 スズカのこれは先頭への執念が表れたものだろう。じゃあブルボンは? 私が思うに、この子は賢くないのだ。めちゃくちゃ失礼だけど、臨機応変な動きができないから逃げにしか適性がないと思われる。

 

 

「だから、ブルボンが今日やるべきはひたすら同じペースを保つこと。良い? スズカに抜かれようと突き放されようとペースを乱さない。良いわね」

「オーダー、了解しました。全力で遂行します」

「よし」

 

 

 器用なことができないのは普段の走りや言動からも解る。ならばどうするか。ブルボンが全力を尽くして出せる目標区間タイムを提示し、寸分狂い無くそれに沿って走らせる。『逃げ』ではなく、他のウマ娘がいないように

 

 ブルボンの体内時計の誤差は無い。あとは掛かるか掛からないかだけだ。少しタイムに余裕を持たせれば、最終コーナーから直線で伸びるスズカの脚を再現もできる。

 

 

「頑張ろうねブルボン。デビューは最速。六月だよ」

「……承知しました。ミホノブルボン、オーダーの通りに」

「あのっ。もう走っても良いですか? 良いですよね? 走っちゃいますよ?」

 

 

 

 ブルボンは掛かった。




最初の10連でハロウィンライスお迎えできました。ママも出したかったけどどう考えてもハロウィンライスが強いのでセーフ。


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ファン感謝祭でのサイレンススズカⅡ

ウイニングポストとウマ娘を交互にやるとG1レースの重みがぐちゃぐちゃになって精神が死に時間が溶ける。


 

「わあ……凄いですね……人がこんなにいっぱい」

「凄いよねえ……」

 

 

 ファン感謝祭、当日。この三日間はトレセンをあげて昼トレーニングは禁止ということになっている。無事に友人との約束を取り付けたブルボンを見送り、私とスズカはトレーナールームの窓から並んで外を眺めていた。

 

 

 やはり中央トレセン……つまり日本一を決めるリーグに属するこの学園には相当の数の人が集まってきている。みんなウマ娘レースが好きなんだな、と少し感動すら覚える。

 

 既にいくつかの企画は動いていて、そこかしこで拍手なり歓声なりが聞こえていていた。スズカのサイン会ももうすぐ。リレーは夕方、それまでにポーカーフェイス選手権とかいう意味の解らない企画が入ってくる。明日も大体同じ感じ。

 

 

「スズカは大丈夫? 心の準備とか」

「あんまり大丈夫じゃないです……ど、どんなことを言われるんですかね……?」

「基本的には応援してます! って感じだと思うけど」

 

 

 人混みや知らない人とのコミュニケーションが好きではないスズカ。一応ファンサの重要性は他のウマ娘よろしくちゃんと解っているので拒否はしないが、やっぱりサイン会はちょっと及び腰かな。

 

 

「変な人がいたらすぐに止めに入るから、ね?」

「うぅん……そんな人ばかりではない……とは思いますけど……ぁふ、んんっ……」

 

 

 隣で不安げなスズカの喉をくすぐる。正直それについては私も保証できないし、スズカを傷付けてしまう可能性も大いにある。単純にファンの数が多いので、そりゃ厄介なのもいるだろう。

 

 特に心配なのはスズカではないウマ娘のファン。エアグルーヴやメジロドーベルを筆頭に、スズカがぶっちぎってきた子達のファンは場合によってはスズカに悪感情を持っているかもしれない。

 

 

「んっんっんっ」

 

 

 当然、ウマ娘本人は基本そんな考えはしない。彼女らは根っからのスポーツマンであり、種族総出でスポーツマンシップが刻み込まれている。勝っても負けてもそれが実力、という考え方がデフォルトだ。ただ、ファンは……人間はそうもいかないわけで。

 

 

「と、トレーナーさ……そ、そろそろ時間ですから……」

「……あ、ほんとだ。じゃあ行こうかスズカ。一応そこでくるっと回って。服チェックするよ」

 

 

 はい、と扉の前まで歩いていったスズカがくるりとターンを決める。うん可愛い。落ち着いた白と緑のツートーン勝負服も似合っている。最後にイヤーキャップを着けてやり、準備完了だ。持つものを持って部屋を出る。そこには既に、トレセンが手配してくれた警備員さんが待っていてくれている。この間顔合わせも済ませている。

 

 

「時間ですね」

「ええ。今日はよろしくお願いします。スズカのこと」

「あ……あの、よ、よろしくお願いします。サイレンススズカです」

 

 

 自己紹介はこの前したわよ。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

「サイレンススズカさん! いっつも応援してます! これ、この間の大阪杯のチケットなんですけど! これにお願いできますか!?」

「は、はい。いつもありがとうございます。こ、ここで良いですか? トレセンの判子、隠れちゃいますけど……」

「あっ……こ、ここら辺で、小さめに、はい、お願いします!」

 

 

 スズカのサイン会が始まっている。一応私もスズカの隣で座っているが、特に仕事はない。警備員さんも一歩引いて見てくれている。スズカが怖がるのでスーツではなく警備員服でとお願いしたんだけど、これはこれで警察みたいで私が怖いな。

 

 

 既にスズカの前には行列ができていて、スズカの熱心なファンの後輩が列を整理してくれている。クラシック世代とか、ブルボン世代とか。それでもかなりスペースを取ってしまうな。流石はスズカだ。

 

 一人一人書いて欲しい物を持ってきてそれに書いてもらいつつ一言二言会話ができる。ちなみに中学生以上の男性からの握手はNG。これはスズカと私からのものだ。半分くらいのウマ娘がNGにしているけどね。

 

 

 投票券チケットへのサインが為され、ファンの男性がはける。うわっこの人A投票で三連単当ててるよ。すご。高い単価のA投票で三連単ということは、この間の大阪杯は本当にアリーナ最前列とかにいたんだろうな。まあスズカがいる以上単勝で勝っても低確率抽選になっちゃうし、ここまで攻めないといけなかったのかな? 

 

 

「サイレンススズカさん、テレビでいつも見てます。次も頑張ってください!」

「ありがとうございます。頑張りますね」

 

 

 あらこんなに小さな子が。親御さんがこちらに会釈をしてくれた。いつもありがとうございます。でもその、ぬいぐるみにサインは厳しいんじゃないですかね……? 持ってるだけなら良いんだけど。

 

 ということで色紙を取り出し手渡す。あんまりみんなに渡すものじゃないけど、まあ小さい子だし。スズカも撫でてあげている。無邪気に喜ぶ姿が可愛い。サインを書いてあげてその子に渡す。すぐにお母さんのバッグにしまわれちゃったけど、嬉しそうで何よりだ。

 

 

「トレーナーさん……すみません、ちょっとお手洗いに……」

「あ、うん。すみません! 少しの間中断します! すぐ再開いたしますので少々お待ちください!」

 

 

 一度中断し、スズカを下がらせる。十分もあれば行って帰ってこられるだろうか。確か関係者用の隔離トイレはそう遠くなかったし、まさか迷うなんてこと無い……まあ、無いだろう。スズカはポンコツだが無能ではないので。むしろ賢い方なんじゃないかと……それはそれで違うか。

 

 

 熱心な一部のファンが私にまで話し掛けてくるのを適当に流しつつ、スズカを待つ……のだけど、おかしい。十五分経っても戻ってこない。何かあったんだろうか……一つ思い当たるものは意識して考えないことにして、一応トイレの方へ探しに行くことに。

 

 

 さて、スズカは……いた。秒で見つかった。トイレの少し前で数人のウマ娘に何か言い寄られている。くるくると回るスズカを見るに、何か困っているんだろう。急いで彼女らの間に割り込む。

 

 

「ごめんねー。何してるの、こんなところで」

「あっ、え、エルナトのトレーナーさん……」

「と、トレーナーさん……、た、助けてください……! 大変です、大変です……!」

 

 

 ……なんだ。どうしてスズカはこんなに困ってるんだ? とにかく回り続けるスズカの身体を抱き寄せて、元凶だろう三人を見やる。ウマ娘はこういう陰湿なトラブルは起こさないものだと思っていたけど、やっぱり違うのかな。

 

 

「……何の話をしていたの。場合によっては報告させてもらいます」

「す、すみません、ごめんなさい! そんなに無茶を言ったつもりでは無かったんです!」

「本当にごめんなさい!」

 

 

 いや謝るのが早い。こんないじめっ子がいるか? それとも私だからか? そんなのに怯えるウマ娘なら最初からスズカに絡んだりはしないよね。とにかく悪意を持ってどうこうではなさそうなので、スズカのホールドを少し緩めて普通に立たせる。

 

 

「どうしたの。何を言ったの」

「い、いえその、私達のクラス、2000mタイムアタックっていうのをやってて……エキシビションをブライアン先輩に頼んでいたんですけど、やっぱり生徒会、忙しいらしくて……」

「だ、ダメ元だったんです! スズカ先輩に走ってもらえたら盛り上がるかなって! ごめんなさい! トレーナーさんにまず聞くべきでしたよね! すみません!」

 

 

 ……なるほど? 

 

 

「……スズカ」

「あっ待ってください、本当に我慢できなくなっちゃいます、抱き締めといてください、い、今必死なんですよっ」

「……はあ」

 

 

 まあ、なんだ。まずトレーナーの私にまず聞かなかったのはちょっと良くない……けど、ちょっと良くないだけだ。そんなこと全然ある。むしろそんなに必死に謝られても困る。

 

 スズカの物言いがおかしくね? 

 

 

 とりあえずスズカはそれには出られない旨を伝え、後輩達には謝って帰ってもらう。途端にしゅんとするスズカ。そんなスズカのほっぺをつねる。柔らかいね。

 

 

「変なトラブルかと思ったでしょーが!」

「いふぁいふぁいふぁいふぁい」

「えいっ」

「あうっ……だ、だって突然誘ってきたりして……! 私がどんな思いで我慢してるか解ってないです!」

「そりゃ解ってないでしょ」

「走りたいけど、でも今サイン会の途中だし、お手洗いも行きたいし、どうしようどうしようって思ったらもう頭がおかしくなりそうで……」

「トイレも行ってないの君」

 

 

 ごつんごつんと頭突きをかましてくるスズカ。おちおち一人でトイレも行かせられないのかこの子は。途中で走るチャンスがあったら後回しにしちゃう可能性があるってことでしょ。知ってたけどイカれてるな。

 

 

「もう……はい、まあでも偉いわスズカ。よく我慢できたね。ちゃんとファンの人には対応しないといけないもんね」

「はい……うぅ、でも走りたい……」

「よしよし。頑張ろう。大丈夫、もう少し我慢したらリレーだからね。スズカはアンカーでしょ? 1600mも走れるじゃない」

「あっ走れるとか言わないでください走りたくなります……い、今ギリギリなんです、ほんと、せ、瀬戸際なんですよっ」

「ごめん」

 

 

 とにかく瀬戸際らしいスズカをトイレに行かせ、帰ってきた瀬戸際スズカを連れてサイン会に戻る。一連の会話や行動が一般の人に見られていなくてよかった。トレセン様々である。更衣室エリアやトイレの近くの警備が尋常ではない。望遠カメラ対策すらしていると聞いた。すごいね。

 

 一応私の隣を歩くスズカの呼吸は荒い。気持ちがね。必死だからね。でも何か誤解されそうだよ私は。虐待とか。

 

 

 そんななか、会場内にはどこかのアナウンスが響き渡る。

 

 

『さあ行きましょう! 1000m直線一本勝負!』

 

「ぁっ……」

 

『差した差した! 最終直線で一気にあがってくる!』

 

「っ……ぁ」

 

『ツインターボ先頭! ツインターボ先頭! しかしこれは厳しいか! 差は三バ身!』

 

「さんっ……」

「一旦落ち着こうスズカ。頑張れ。大丈夫だからね」

 

 

 こんなときに限って先頭を奪われてそうな実況が聞こえてくる。特にツインターボの実況は不味い。スズカとは少し性質が違うとはいえ大逃げを打つウマ娘が捕まっている。横で見ていて、完全にスズカのスイッチが入ってしまったのを感じる。

 

 

「で、でも、でも走らないと……」

「落ち着いてスズカ。繰り返してみよう。あれは私じゃない。あれは私じゃない」

「あれは私じゃない、あれは私じゃない、あれは私じゃない……」

「よしよし」

 

 

 胸を擦ってやると、既に身体が準備を終えているようで心拍数が上がりまくっている。どうかしてるんじゃないかこの子。目付きが鋭くなっているようにも見える。完全に異次元の逃亡者になってしまった。

 

 

「頑張れスズカ。良い子ね。頑張ろう」

「ふーっ……ふー……はぁー……」

 

 

 深呼吸の後戻ったサイン会で、スズカはその心拍数と目付きのまま、尻尾を振り回しつつサイン会を行った。ヤバいかなと思ってウマッターを見たのだけど、『レースの時のサイレンススズカだ!』みたいに興奮してる人が多かったので放っておくことにした。すごいね、ヒトって。



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ファン感謝祭でのサイレンススズカⅢ

更新が遅れつつありますのは大体ウイニングポストのせいです。そろそろチャンミ育成もしなきゃなのにな……


 

「あ、トレーナーさん、待ってください」

「ん?」

 

 

 サイン会が終わり、一度休憩をとるべくトレーナールームに戻ろうとする私をスズカが引き留めた。

 

 

「せっかくなので色々見て回りましょう? 何か楽しいことがあるかもしれませんから」

「良いけど……珍しいね、スズカが自分からそんなこと言うなんて」

「どういう意味ですか、トレーナーさん?」

 

 

 そのままの意味だけど。

 

 スズカは友達が多いんだけど、年がら年中友達と一緒に絡むのを好むタイプじゃないので割と一人でいることが多い。そもそも人と話すのがそこまで得意じゃないというのもあるが、なんにせよイベントだ! 楽しもう! なんて言い出す子ではない。

 

 

「いや……もちろん良いよ。待ってね。片付けが終わったら一緒に行こう。次の企画まで時間ある?」

「一時間ちょっとありますから。すぐに終わりますよ」

「終わる?」

「あっ……じゃ、じゃあ、私待ってますから。お手洗い行ってますね」

 

 

 ……まあ、何を誰がどう考えても何か企んでいるようにしか思えない態度をとられると、むしろ追及する気も失せる。たかたかと走っていってしまったスズカを見送りながら、やたらと話し掛けてくる厄介なタイプのファンを適当に対応しながら会場を軽く片付ける。

 

 荷物を纏めてトレーナールームに置きに戻り、スズカと合流。トイレに行くって誤魔化して会話を切ったんだからせめてトイレにいて? どうして玄関で待ってるかなこのポンコツは。

 

 

「お待たせ。どこ行く?」

「えっと……あっ、い、いえ、適当に歩きましょう。ね?」

「……まあ、スズカがそう言うなら……」

 

 

 何を企んでるんだろうなあなんて思いつつ、歩き出すスズカについていく。妙にご機嫌なスズカは特に屋台や他の企画に目を向けることなくひたすら歩いていく。

 

 

「どこに行こうとしてるの?」

「ど……ことかじゃないですよ……? 適当に歩いているだけで……」

「そうなの……」

 

 

 隠し事に向いていなさすぎる。何回か指摘するものの、何もないですよ、という適当な言葉で流される。目が泳いでいるし声が震えていることに自分で気付かないんだろうか? 尻尾がぶんぶんなのもおかしいし。

 

 とにかくスズカについていくと……コースへ出た。レース系の企画がいくつか行われている。リレーもここですることになるのだろう。到着するとスズカはすぐウマ娘用の待機スペースまでまっすぐ歩いていった。その先に、スズカの友人が。

 

 

「ワオ! スズカ! 来てくれたんデスネ!」

「タイキ。そろそろ出走よね?」

「イエス! スズカは休憩デスカ?」

「ええ。あ、こちら私のトレーナーさんよ」

 

 

 タイキシャトル。スピードはエアグルーヴより上、スズカより下。1600mまで、短距離とマイルの先行策に全てを懸けたウマ娘に見える。マイルG1も取っている陽気なウマ娘だ。勝負服だからだけど露出が眩しい。ビキニじゃんそれは。

 

 

「よろしくね、タイキシャトル。いつもスズカがお世話になってます」

「イエ! ワッツフレンダフォー!」

「ワッ……何?」

「友達デスカラ! お互い様、デス!」

 

 

 会ったのは初めてではあるけど、スズカから話を聞いていた通りすごく元気な子だ。笑顔で握手を求めてくる。片手を差し出すと、両手で包んでぶんぶん振られた。

 

 

「タイキシャトルはここで何を?」

「これはにんじん食い競走デス!」

「おー……ウマ娘らしい」

 

 

 私達でいうパン食い競走か。にんじん大好きウマ娘にはぴったりだ。とってもワンダフルでファンタスティックらしい。言っていることはよく解らないがとにかく楽しそうなのは伝わる……これが本物か。

 

 

「スズカも出マスカ?」

「良いの?」

「いや、え?」

「オフコース! みんなでエキサイトしまショウ!」

 

 

 私の隣でスズカがくすりと微笑んだ。この娘……まさか狙ってきたか? いや、流石に考えすぎだよね? 友達に誘われて嬉しいだけだよね? 

 

 

「まさか本当にスズカが来てくれるナンテ! 昨日はジョークだと思ってマシタ!」

「スズカ?」

「あっ、た、タイキ、しーっ、ないしょっ」

 

 

 人差し指を唇に当て騒ぎ出したスズカに視線を向ける。スズカは瞳を揺らしながら私から目を逸らし、吹けもしない口笛を吹く振りをし始めた。確定したなあ君。一応公衆の面前だし一般の人も多いので本当にはやらないけど、頬っぺたをつねる真似をしておく。

 

 

「こらっ」

「んんっ……あっ、ちが、違いますよ? ほんとですよ?」

 

 

 反応して頬っぺたを差し出しそうになりつつも、スズカはまだ言い訳を重ね……られていない。まあそりゃそうだ。この状態から言い訳なんて、タイキシャトルが間違っていると言うしかないけど、優しいスズカにそんなことが言えるわけがない。

 

 

「タイキシャトル?」

「昨日、リベンジしたいと言われマシテ……ウップス! 言ってはいけなかったデスカネ!?」

「リベンジ……?」

「タイキ!? 内緒、ないしょ……!」

 

 

 タイキシャトルの口を塞ぐスズカ。私の方はまったく見ようともしない。顔を覗き込むとそのぶん首を捻り逃げていく。仕方ないのでタイキシャトルに事情を聞かなければならない。

 

 

「リベンジって? 一緒に走ったこと無いよね?」

「少し前に、併走に誘ったんデスガ……オウ、ソーリースズカ、トレーナーさんにもシークレットなら言っておいてくれれば……」

「スズカ?」

「し、知りません……私は知りません……」

 

 

 この栗毛、どうしてくれよう。また勝手に走ってからに。とにかく今は何もできないけど、あとで……いや、まあ叱ったりはしないけどね。私がエゴで我慢させてるんだから。でもつねるくらいはする。

 

 

「……まあ、行っておいでスズカ」

「えっ……い、良いんですか? 走っても……」

「まあ、タイキシャトルとスズカだし見たい人も大勢いるでしょ」

 

 

 それに、走ることがメインではなさそうだし、距離だってごく短いだろうからね。普段のレースに比べたらお遊びも良いところだ。一応伸び脚だけ使わないということにしておけば良い。

 

 

「まあ、あんまり速く走りすぎないようにね……って、タイキシャトルの前で言うのは悪いけど……」

「オフコース、理解してマス! スズカも脚は大事にした方がベター、ネ?」

「も、もちろん解ってますよ……? じゃあその、タイキ、登録をしてもいい?」

「オーケー! 行きまショウ! カムヒア!」

 

 

 タイキシャトルに連れられ、スズカがどこかへ行った。私もたまには普通に観戦席で見ようかな。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

『さあ始まりました! 芝1200m、にんじん食い杯! それでは出走ウマ娘の入場です!』

 

 

 少し経ち、レースが始まった。結構多くの人がスタートを待ち望んでいる。パドックではなくホームストレッチにウマ娘達が出てきた。スズカは……いた。スズカは目立たないが隣のタイキシャトルがめちゃくちゃ目立つ。

 

 

『続いて三枠三番! 言わずと知れた異次元の逃亡者が飛び入り参戦です! すらっとしたスタイルは食については少し不利か!? サイレンススズカ!』

 

 

 スズカは……いつものパドックとあまり変わらず、少し控えめに手を振っている。かなり落ち着いているというか、ファン感謝祭ということもあってか普段より笑顔だけれど、私には解る。スズカが胸に手を当てているということは、これから走れるという喜びで制御がギリギリということだ。信じられないがこの娘、こんなレースでテンションが爆上がりしている。

 

 

「あれは本気出しちゃうなあ……」

 

 

 先が思いやられる。いやまあ、たとえ本気で走っても伸び脚を使わなければ最低限許せるんだけど。

 

 

 そして、出走。

 

 

『さあ先頭を切ったサイレンススズカ! そのまま突き放していきます! タイキシャトルはただいま二番手! 少し離れたか!』

 

 

 いつも通りスズカが前に出る。スタートダッシュは残念ながらレースのスズカだ。加減する気無いなあやっぱり。そのまま第一コーナー越えて第二コーナーへ。本来ならここからスズカは第一の伸び脚を使うが、しっかりと減速して人間の速度まで落ちていった。

 

 

『さあ第一第二コーナーの中間! ここにあるにんじんを食べなければゴールは認められません!』

 

 

 長テーブルににんじんがぽんと丸一本並べられている。人間なら罰ゲームとしか思わないが、ウマ娘はそれでも平気。スズカも手を合わせて、いただきます、と呟いてから皿のにんじんを取って口に運んだ。

 

 

「……!」

 

 

 その瞬間、ピン! と尻尾が立った。一口齧っただけで完全に動きが止まる。当然ながら、その間にも後続がにんじんにたどり着いている。並ばれても焦る様子もない。何かあったんだろうか。

 

 スズカに何かあったかと心配になりコースに殴り込もうとした……のだけど、他のウマ娘も一口にんじんを齧って止まってしまっている。にんじん自体に何かあるのかな……? 

 

 

『あーっと脚色が完全に止まったー! どうしたことでしょう! 解説のたづなさん!』

『これはですね……』

 

 

 解説いたの? 

 

 

『私も先ほど聞いたのですが、今回用意されているにんじんはとある高級にんじんでして……その甘みは一口食べたらやみつき! 正直、美味しすぎて走っている場合ではありませんあんなの!』

 

 

 食べたことあるの? 

 

 

 しかし謎は解けた。二口目を何とか口に運んだが、また止まってしまうスズカ。味わっているだけか。表情が曖昧だからよく解らない。全員が競走停止かと思うほど動かなくなってしまう。

 

 だが、そんな中でもスズカはゆっくりと前に進み始めた。なるほど。流石はスズカ。食欲より先頭欲が勝ち始めたか。

 

 

 一歩一歩にんじんを齧りつつ進み始めたスズカ。歓声が飛ぶ。いまだかつてないほどスローな動きのスズカだったが、半分ほど食べたところでコーナーを抜け、また止まってしまった。

 

 

 頬を膨らませてもぐもぐと咀嚼をしながら前に出ようとしつつも、にんじんの美味しさに止まってしまうスズカ。何度か葛藤が繰り返されたのだろう。そのうちその場でくるくると左に回り始めてしまった。

 

 

『あーっと先頭のサイレンススズカ、ここで謎の行動に出始めました! 大丈夫でしょうか!?』

 

 

 回るのはスズカの癖として、果たしてどっちが勝つかは見物ね。回り回るスズカがにんじんを食べ進めていき、大体他のウマ娘と同じペースで全て食べきる。タイキシャトルですら余韻に浸り普通に歩いているが……それでもスズカは飲み込むと同時に進み始めた。

 

 

『行った行ったサイレンススズカが行ったぁ! このまま先頭でゴールか!?』

『うそ……あのにんじんを食べてなおまともに走れるなんて……』

 

 

 たづなさんの反応が完全に毒物じゃん。

 

 

『サイレンススズカそのままゴールイン! 素晴らしい! レースレコードです! 歴史が刻まれました!』

 

 

 こんなものでレコードなんか記録するな。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「お疲れ、スズカ」

「トレーナーさん……走り足りないです……まさかあんなにんじんが出るなんて……」

「……そんなに美味しいの、あれ」

「とっても」

 

 

 かなり神妙な顔で頷くスズカに、私は何も言えなかった。

 

 なお、ポーカーフェイス選手権は肥えた舌に激辛料理が衝突して負けた。




タイキの口調難しすぎる定期。ルー大柴が頭をよぎるよぎる……


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苦労人なこともあるサイレンススズカ

最近更新が遅れがちですが、チャンミの追い切りとウイニングポストのせいです。飽きたとかじゃないので気長にお待ちください。ネタ切れ説はちょっとありますので、見てみたい展開とかは常に募集はしています。


 

「トレー……ナー……さんっ」

「どしたの?」

「これっ……流石に……キツ……い……」

「大丈夫! 頑張れスズカー。偉いぞー」

 

 

 ファン感謝祭は無事に閉幕を迎えた。

 

 最後のリレーに参加した赤チームアンカーのスズカだったが、バトンを受け取った時点で白チームアンカーのエアグルーヴと相当の差がついていた。もちろんスズカの方が圧倒的にスピードはあるが、1600mというそこそこ短い距離で、しかも大幅ビハインドから。

 

 まあそりゃ勝てないよね。スズカの伸び脚は『先頭を奪い取る』ものではなく『先頭を譲らない』執念によるものであって、最初から負けている段階からでは勝てない。まあそもそも伸び脚使うなとは言っていたけど……どうせスズカは使うだろうし。

 

 

 そんな理由で二番手でゴールになることになったスズカは、それはもう荒れに荒れた。エアグルーヴが苦手としている分ファンの人達には最後の力を振り絞って愛想よく対応したものの、そこからよたよたと私をトレーナールームに引きずっていって、息もあがったまま私をソファに押し倒して言ったのだ。

 

『走ります』と。

 

 

 今までに無い剣幕に正直ビビってしまった私は咄嗟にそれを許してしまい、まあ走った。それはそれは走った。

 

 とはいえそのおかげでこうして満足したスズカがかなりやる気になってトレーニングをしてくれているんだけど。

 

 

「っ……く……」

「頑張れ、頑張れっ、あと八メートルっ! 進んでるよスズカ! もうちょっと!」

 

 

 現在、スズカは犬かきでコースを泳いでいる。腰のベルトからそこそこ強めのゴムが何本か伸びていて、スズカのパワーだとギリギリ前に進めるかどうかというところ。それをプールサイドから応援する私という構図だ。

 

 

 水面に顔を出してあっぷあっぷしながら必死に水をかくスズカを見ながら声援を飛ばしていた私だったけど、そうしていると後ろに誰かが立った。

 

 

「マスター」

「え……ブルボン。もう平気なの?」

「はい。ステータスに異常はありません。高負荷でなければ十分活動可能です」

「強くなったねえ」

「ありがとうございます」

 

 

 トレーナールームで寝ていたはずのブルボンがそこにいた。ほんとこの子は最近復帰が早い。走った後も卒倒するのではなくしっかり自分の足で帰れることが増えた。

 

 そんな彼女がわざわざ水着に着替え私を訪ねてくるとは何事か。少し心配になりつつもブルボンを隣に座らせる。

 

 

「どしたの」

「ご相談があります。私では判断しかねる問題が発生しました」

「……何?」

 

 

 真顔……のなかでも、いつもより少し神妙に見える。私の問いかけに、ブルボンは淀み無く答えた。

 

 

「来週、友人の誕生日があります。クラスの方々に、クラスをあげてお祝いをすると言われました」

「……参加を迷っているってこと?」

「いいえ。参加は確定事項です。友人ですから。準備のヘルプの予定も入っています」

「おお……じゃあ何?」

 

 

 じっとこちらを見つめるブルボン。毎度思うけど、この子は別に無感情じゃないのよね。むしろ感情や情緒は幼く感じられる。話し方や効率重視の考え方、ストイックさを考えるに、そんなことは無駄なので出席しませんくらい言ってもおかしくなさそうだけどそんなことは言わない。

 

 

「誕生日プレゼントに何を渡すべきかと思いまして……」

「……何でも良いと思うけどね」

「ですが、対等な友人へのプレゼントの経験が不足しています。同様の判断が適切かどうか解りません」

「まあ……まあ、それはそうねえ」

 

 

 プレゼントは気持ちがこもっていれば良い……とはいえ、学生のプレゼントは学生のプレゼントだ。お歳暮やお中元ではない。貰った側も、まあ困る可能性はある。どうするべきでしょうか、というブルボンへの返答に困っていると、泳ぎきったスズカがプールサイドを掴んで話しかけてきた。

 

 

「あの、お、終わりました……何の話をしてるんですか……?」

「あ、お疲れスズカ。今ね、ブルボンが友達に誕生日プレゼントをあげるっていう話をしててね」

「お疲れ様です。参考までに、スズカさんは──」

「待ってください、まずゴムを外しっ、あっ」

「あっ」

 

 

 ゴムに引かれ、スズカが緩やかに吹き飛んでいった。わああぁ……と消え入るような声を残して力無く離れていくスズカを見て、不謹慎にも笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 

「で、どんな子なの友達は」

「サクラバクシンオーさんです。以前会ったかと記憶しています」

「会ったねえ。あのやかましい子か」

 

 

 トレーナールームに戻り、三人でソファに座り話し合いである。走った上トレーニングをして大満足スズカが私の膝の上でごろごろしているのは置いておいて、そんなスズカを撫でつつブルボンと話し合いのお時間だ。

 

 

「はい。あのやかましい子です」

 

 

 とても真面目な顔で言うブルボン。もうやかましいのは間違いないのね。台詞の全てにびっくりマークが付いてそうなあの子。でもステータスは良いんだよねえ……たまに見かけることがある。あえて言葉を選ばず言うと、クソみたいなスタミナから嘘みたいなスピードを持っている子だ。何をどう間違えてもブルボンが短距離路線に行かなくて良かった。絶対ボコボコにされて終わる。

 

 

「その子の欲しいものが解れば簡単なんだけどね」

「はい。ですので三日前、直接リサーチを行いました。みなさんが元気にいてくれるのが一番です! とのことです。私個人からと伝えたのですが、ブルボンさんはちゃんとメンテナンスをしてください、と」

「ええ……」

 

 

 ブルボンに意味の解らない友人ができている。お母さん……お母さんって歳じゃないけど、お母さん悲しいやら嬉しいやらだよ。いや、この間も思ったけどさ。

 

 しかし、友人の意味の解らなさはブルボンも認めるところ。言ってることがおばあちゃんだもん。直接聞くブルボンも直球が過ぎるような気もするし、答えも個性的が過ぎる。

 

 

 ただまあ、一応聞かれたからには答えなければいけないわけで。

 

 

「……その友達の好きなものとかは?」

「確証の持てるものはデータログにはありません。ですが、人助けと以前聞いた気がします」

「ええ……?」

 

 

 どういう子なのか解らなくなってきた。確かにこの間も、豪雨のなか走るのが速いから走って帰るとか言い出すイカれた部分は見えてたけど……ウマ娘ってのは個性のある子しかいないんだなあ、と、スズカをちらり。

 

 

「……なんですか?」

「いや……スズカだったら友達に何渡す? というか渡したことある?」

「当たり前じゃないですか」

 

 

 撫で続ける私の手を掴んでおもちゃにして遊んでいたスズカに問いかけると、流石に失礼だったか少し唇を尖らせた。ごめんね、とスズカの身体を起こし、なお寄り掛かってくるスズカを支える。

 

 

「あんまり特別に気にしてない時は、ヘアスプレーとかちょっとした小物とか……あ、でもこの間のエアグルーヴの誕生日にはジョウロとスコップをあげました。お気に入りが壊れたと聞いたので」

「やっぱりそういうのが無難かなあ」

「まあ……貰って困りはしないかなって……あと、その、タイキとかフクキタルとかパールさんとか、訳の解らないものを欲しがるから……手に入らなくて……」

 

 

 遠い目をするスズカ。いったい何を言われたんだ……やはりウマ娘には変わったのしかいないわねこれは。

 

 

「大変だねえスズカも」

「いえ、あの……はい。割と……」

 

 

 そのまま、スズカが聞いてもいないのに語り出す。

 

 

「クリスマスとか、誕生日とか、私が決めると全部スポーツ用品になっちゃうのでちゃんと聞いて選んでいるんですけど、フクキタルは聞くたびに違う答えが返ってくるうえにどこで買うのか解らないものを言ってくるし」

「うん」

「虹色の首飾りとか、枯れた花の押し花とか、黄金の鎧とか……ラッキーアイテムらしいんですけど、とにかく訳が解らないんです。かと思ったらフリル付きのハンカチとか普通のことを言うし」

「ほう」

「パールさんは海外のものを欲しがるんですけど、結構マイナーみたいで調べても英語のページしか無かったりして怖くて買いにくいし、そもそも非売品だったりするし……」

「はい」

「タイキはプレゼントよりもパーティーデース! ってそもそも答えてくれないし、やっと答えてくれたと思ったらこれからはキスとかハグで挨拶とかそういうことを言うし……」

 

 

 スズカが止まらなくなってしまった。苦労してるんだなあスズカも……と思ったのも一瞬のこと。別に逆も然りだ。スズカと付き合う友人も大変だろう。なにせ話を半分聞いていないし、下手に走らせるとすぐに火がついてしまうし。緊急通報用にスズカの友人達に連絡先渡してるんだからね、私。

 

 まあそれはそれで良いんでしょう、知らないけど。ウマ娘がみんな個性的なのはもう解ったし、だったら相互に迷惑をかけたうえでそれを許せる子と付き合うのが良い。

 

 

 ……良い話だけど、ブルボンの解決にはなんないねえ、スズカくん。

 

 

「とにかくまあ、一旦無難というか、ウマ娘みんなが持ってるようなものは用意して、その後変わったものを考えたら良いんじゃない? 思い付かなかったら無難でも良いと思うし」

「そうでしょうか」

「そうだと思うよ。それにみんな渡すんでしょう。だったら狙っても仕方ないだろうし」

「なるほど。一般的なウマ娘向けのプレゼントについてリサーチを進めます。ありがとうございます、マスター、スズカさん」

 

 

 ろくなことは言えてないけど、お礼は受け取っておく。リサーチってどうやるんだろうね。ブルボン、機械触れないのに。

 

 

「あ、でもブルボンさん、やっぱりね」

「はい」

 

 

 代わりに調べようかと言う前に、スズカが遮った。

 

 

「貰って嬉しいものをあげるのも一つの手だと思うわ」

「それは……難しい問題です。スズカさんもそうしていますか?」

「……してないかも……忘れて」

 

 

 もうちょっと粘るとか……無いのこの子は。

 

 

 結局ブルボンは悩みに悩んだ末文房具セットとかいう小学生みたいなプレゼントを持っていったらしい。バクシンオーいわく「減りが早いしすぐ失くすので助かります!」とのこと。

 

 トレセンって凄いところなんだね。




ダークな欲求が高まる高まる。


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素晴らしい先輩のサイレンススズカ

スズカを主軸にウマ娘で50話も書いててしかもクラシックを半分飛ばしてるのにまだシニア天皇賞(秋)まで半年ってマジ?遅いかどうかもわかんねえや。


「ぅー……」

 

「……スズカ」

 

「ぁぅ……」

 

「……スズカ?」

 

「あぁ……」

 

 

 ある日。私の愛バはくるくるだった。私とブルボンの周りを囲うようにトレーナー室を左に回る回る。呼び掛けも聞こえているんだかいないんだか、ただ呻くばかり。

 

 どうしてこうなっているか。今日が、スズカの一番の後輩であるスペシャルウィーク、皐月賞の出走の日だからである。

 

 

 なんだかんだスズカもスペシャルウィークの諸々については気になってもいるようで、数日前からスペちゃんは大丈夫でしょうか、様子を見に行ってきますと頻りに言っていた。そのうち一回はスペシャルウィークが見つからず、探して走り回っているうちに走るのが楽しくなって帰ってこなくなった。

 

 

「スズカが焦ったって仕方ないでしょ」

「そう……なんですけど……やっぱり特別なレースですから……ね、ブルボンさん」

「強く同意します」

 

 

 ベッドからではテレビが見えないということで、ブルボンは私の膝枕で寝ている。スズカよりウマ耳がぴこぴこ動いてくすぐったいな。あと慣れていないからか骨の当たり具合がマジで痛い。ほんとに。

 

 

「うぅ……」

 

 

 唸るスズカ。確かに二人が言う通り、皐月賞は特別なレースではある。

 

 たとえばだけど、天皇賞とかってのは連覇を狙うでもなければ何度でも挑戦できるレースだ。何年かかろうが勝ったら凄いというレース。グランプリレースなんかもそう。

 

 一方、皐月賞というのは生涯一度しか、それも特定のタイミングでしか出られない。そして、このレースを含めて三レースで、『三冠』という称号が与えられるのだ。ダービーは言うに及ばず、皐月賞や菊花賞もウマ娘の憧れである。

 

 全てのレースに貴賤無し……とは綺麗事で、ウマ娘もそれらのレースを特別視しないわけにはいかない。

 

 

 そんなダービーを去年大敗しているスズカに思うところがあるのかは解らないけど、まあ後輩を心配するのは良いことだし。スペシャルウィークだってたぶん緊張もしているはずだ。

 

 

「マスター。マスターの予想を聞かせていただけますか」

「スペシャルウィークキングヘイローセイウンスカイ。この誰かでしょうね」

 

 

 まあ、その三人以外のステータスは見てないけど。それに、あんまりレースに情熱も無いので有力ウマ娘も割と知らない。三人にせよ、知り合いだから名前を挙げられただけだ。その他は名前もピンと来ない。

 

 ただし、こちらには雑誌や新聞もある。それによると、大本命は圧倒的にスペシャルウィーク。セイウンスカイ、キングヘイローと続くが、スペシャルウィークが圧倒的だ。

 

 

「能力としては……まあ、あの三人はそう変わったものじゃないかな。キングヘイローのスタミナは少し足りなさそうだけどギリギリ走れると思うし、スペシャルウィークのスピードが低めなのも差しってことを考えれば全然」

 

 

 いわゆる黄金世代……と、スペシャルウィーク達は言われている。下馬評からして、それぞれバラけた世代なら間違いなくトップだったと言わしめる実力者が集まっているからだ。

 

 今回はグラスワンダーとエルコンドルパサーはいない。これは私もさっき知ったんだけど、グラスワンダーは怪我をしているので大事をとって休養中らしい。エルコンドルパサーは少し後のマイルレースに出るため三冠は回避。

 

 ……私としては、あの二人のステータスの方が少し抜けている気がするから主役不在って感じだけど。

 

 

「……あ、ほらスズカ。始まったわよ」

「は……はい……」

 

 

 皐月賞特番が始まった。コメンテーターと司会者が挨拶をして、すぐに今回の出走ウマ娘を紹介し始める。流石にテレビ、どのウマ娘も平等に……なんてことはない。現実は残酷であり、あの三強以外はほぼ名前と一言レベルである。

 

 

「むむ……」

「…………」

 

 

 ただまあ、私も含めこの部屋にいる観客はそれでも良いわけで。ゆらゆらと落ち着きなく揺れるスズカと微動だにせずじっとモニターを見つめるブルボン。来年、ブルボンがあそこに映るわけで、そう思うと今から感動してきたわ私。

 

 

「……やっぱり見に行こうかな……今から走れば何とか……」

「絶対間に合わないからバカなこと言わないの」

 

 

 画面はところ変わってパドックへ。一人ずつ前に出てきて勝負服や決めポーズをアピールする。かなり待って、スペシャルウィークの勝負服はかなり王道路線というか、カラーリングもそこそこシンプルだ。スズカ意識かな? そんなことないか。とても立派だ。

 

 でも、表情からも緊張が伝わってくる。ちょっと過剰な緊張かもしれない。これは厳しいかもね……スズカの言う通り無理してでも見に行くべきだったかな……

 

 直接見に行っていないのは私の仕事とブルボンのトレーニングとの兼ね合いである。スズカ一人で走って見に行く案もあったものの、普通に危ないので止めた。

 

 

「緊張してますね、スペちゃん……」

「だねえ……落ち着けると良いんだけど」

 

 

 スペシャルウィークは大外なので決めポーズも順番が最後になる。これまで出てきたキングヘイローやセイウンスカイは緊張など微塵も感じなかったけど、こう……メンタルが弱めなのかな。

 

 

「はぁ……ふー……」

 

 

 そして、開始のファンファーレ。実況の前口上を聞きながら、ゲートインを待つ。最後に大外スペシャルウィーク。舐めていくカメラで全員の顔を見ながら、深呼吸とともに祈り始めたスズカ。うーん可愛い。

 

 

 スタートしました。大方の予想通りセイウンスカイが前に出る……いや、二番手三番手に甘んじてるな。やっぱり純逃げじゃないのかな。積極的に奪おうとしている様子もない。キングヘイローがかなり前めで走っている。スペシャルウィークはかなり後ろ。差し位置の最後方か。

 

 

「セイウンスカイさんは逃げないんですかね……?」

「うーん……まあ、正直スズカみたいにぶっちぎって逃げる方が少ないからね。何人か逃げウマがいればこうなるかなって感じだけど」

「こう……むずむずします……もっと前に出れば良いのに……」

 

 

 君はスペシャルウィークに勝って欲しいのかどっちなんだい。

 

 

 レースは淀みなく進み、終盤にも差し掛かったところ。セイウンスカイが少しずつ進出し、先頭に出てきている。そしてキングヘイロー。スペシャルウィークはまだ。そして隣のスズカの様子がおかしい。

 

 

「っ……ぁ、ふーっ……うぅっ……」

「どうどう」

 

 

 結果的に逃げウマであるセイウンスカイがかなり僅差で最終コーナーに差し掛かる。レースを見ると無意識に逃げウマに感情移入してしまうスズカが、私の肩にすがって掴んでくる。一方でスペシャルウィークを応援しなければという気持ちもあるんだろうけど。

 

 

 最終直線。スペシャルウィークが大外を回ってくる。やはりあの三人だ。逃げるセイウンスカイ、その後ろにピタリとつけたキングヘイロー、そして後ろから詰めてくるスペシャルウィーク。

 

 

「ぁっあっあっ」

「痛い痛い痛い痛い」

「あーっ……!」

「取れる! 腕が取れる! スズカ!? スズカ!」

「……っ!!!」

「あっ──」

 

 

 とれた。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「……ごめんなさい」

「いや、うん……まあ、次はぬいぐるみか何か掴んどこうか……」

 

 

 私の腕は幸いにも怪我無くレースは終わった。

 

 皐月賞の勝ちウマはセイウンスカイ。キングヘイローは伸びが足りず、スペシャルウィークは捉えきれなかった。先行策もとれるセイウンスカイだからこそ、無理に先頭争いをせず足を溜め気味に走ることができたのだろう。

 

 

「残念だったね、スペシャルウィークは」

「はい……もう少しでした……」

 

 

 スズカに破壊されかけた肩をグルグルと回しながら、しゅんとするスズカを励ましておく。正直差し切ると思ったんだけどねえ……スペシャルウィークには2000は短いのかもしれない。まあそもそも後ろにつけるのが弱いという説もあるし。

 

 

「ブルボンもああいうことよ。先頭が取れなくても掛からず落ち着くと粘れたりするわけ」

「……なるほど」

 

 

 ……ブルボンの反応が悪い。スズカも気付いたようで、二人揃って表情を覗き込む。ほんの少しだけど感情が読み取れる、目をまっすぐ見てみると。

 

 

「……ブルボン?」

「申し訳ありません。現在、思考プロセスに原因不明のエラー発生中です。体内から謎のエネルギーを感知……」

「ぶ、ブルボンさんが壊れちゃいました……」

 

 

 そんな、ロボットじゃないんだから。

 

 

「病院行く? 保健室とか……」

「いえ、身体ステータスに不調はありません……スズカさん」

「ど、どうしたの……?」

 

 

 すっくとブルボンが立ち上がり、少し頬を赤らめて棚まで歩いていく。そこからゆっくりとランニングシューズを持ち出して、スズカに差し出した。

 

 

「解決のため、今から、私と走って頂けませんか。マスター、申し訳ありませんが、許可を」

 

 

 …………うーん。

 

 

「えっ、あっ、い、良いんですか? あの、わ、私は、ふへ、ぜ、全然良いんですけど、ブルボンさんに頼まれちゃいましたし……」

 

 

 降って湧いたチャンスに一気に顔が緩みまくるスズカ。ふにゃふにゃになって、私が何か言う前に差し出されたシューズを手に取った。しょうがないですねと口だけは嫌々だが、もう尻尾が物凄いことになっている。

 

 

 当てられちゃったかなあブルボン。まあ自分の最大目標だもんね。将来的にはこの辺のメンタルも改善しないと本番で掛かりまくって負けることになりかねないけど。

 

 まっすぐ私を見るブルボンと、ちらりちらりと私を見るスズカ……仕方無いか。こんな突然ブルボンの相手を探すなんて面倒だし、スズカは宝塚までレースが無いし。

 

 

「しょうがないわね。じゃあブルボンが納得行くまで──」

 

 

 ぴろりろり。

 

 

「あっ……すみません、電話が……スペちゃん?」

「え?」

 

 

 その代わり、監視で私も行くからね。そう思っていた矢先、机に放置されていたスズカのスマホが鳴り始めた。スペシャルウィーク? レース終了からしばらく経っているし、もうそろそろライブも始まると思うけど。とにかく電話に出させる。すぐに電話口で、よく聞こえないが彼女の声がした。

 

 

「もしもし……ええ、うん、見てたわ。うん。惜しかったわね。頑張ったわねスペちゃん。うん。うん。そうね。そう。良かった」

 

 

 少しの間、スズカはうんうんとスペシャルウィークの話を聞いていた。

 

 

「ええ。そうね。じゃあ、うん。頑張って。うん。またね」

 

 

 電話を切ったスズカ。さっきまで緩みきっていた表情がどこへやら、少し微笑んだような、とても優しい表情をしていた。

 

 

「ブルボンさん」

「はい」

「走るの、ちょっとだけで良い? あと、ライブを見てからでも良いかしら」

「……もちろんです。ありがとうございます」

「トレーナーさん。今日は私、早めに寮に帰ります。夕方のトレーニングはお休みでも良いですか?」

 

 

 そう。

 

 

「良いよ。……どこか予約がいるなら取っておこうか」

「……一応、何か美味しいものがたくさん食べられるところをお願いします」

「ん。いらなかったら言ってね……ブルボン、友達か誰か誘おうね」

「了解しました」

 

 

 監視はいらなそうだ。足早に出ていく二人を見て、私も帰り支度をすることにした。




カワカミプリンセスストーリー良かったですね……悪意ある手紙のところはスズカのストーリーにもあった感じで特に良かったです。うちのスズカはあんなもので気に病むタイプじゃありませんけど。


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無尽蔵に走るサイレンススズカ

久しぶりにスズカの怪物要素を前面に出したかった。可愛さどこ……ここ……?僕はこれにも可愛さを見出しているので問題ありません(天下無双)

ところでこの作品のグラスワンダーって本人のトレーナーとの会話を描写せずにやるからすげえ重い女だな。自分で見直してびっくりした。基本的にレジェンドに自分の悩みをぶつけてるわけだからそりゃあんなにもなるか。


 

「はあっ……ぁ、は……はーっ……」

「ぐ……ぅ……くそっ……」

「トレーナーさんっ。私、楽しくなってきました……!」

「うん……そうかあ……」

 

 

 皐月賞も終わった数日後の昼下がり。今日はスズカもブルボンもオフということで、皐月賞当日に中途半端で終わってしまった併走をすることにしていた。

 

 基本的にブルボンはひたすら走ることを目的としているし、私もそれでいいと思っている。彼女はそう器用なタイプではないし、どうせ逃げしかさせないのだから、やるべきは身体能力の補強だ。だから今回は、ひたすら走り続けるスズカに必死についていくブルボンという構図ができあがっていた。真隣に居続けるとスズカのストレスが爆発するので、少し後ろをだけど。

 

 そして、ゲストにエアグルーヴが来ている。せっかくなのでブルボンにも後ろから迫られる相手が必要だということで呼んでみたところ、自分を試す意味合いだとかで、限界までスズカに付き合うと宣言なさった。女帝の正気を疑ったのは後にも先にもこれが初めてである。

 

 

 もちろん、そこまでとなると彼女のトレーナーを呼ばないわけにもいかず、一本4000m、それをエンドレスに繰り返す三人をひたすら眺めていた。

 

 

「まだ走れるわよね、ブルボンさん、エアグルーヴ」

「はぁっ、はあっ……無論だ……そう簡単に堕ちはしない……」

「問題ありません……活動可能まで……あと……思考エラー……」

 

 

 そして、この地獄絵図である。ブルボンは完全に倒れ伏しているし、エアグルーヴも膝をついている。元気そうなのはスズカだけだ。流石に少し息はあがり頬も上気しているが、すぐにでも走りたい様子で屈託のない笑みを浮かべている。可愛いね。声をかける相手が疲れて倒れていなければね。

 

 

 一応平地で軽いターフ、それにスズカのペースもレースの時のような破滅的ペースではないから、これで故障することはないと言っていい。私の目にも三人が怪我をするようには映っていない。単純にこれは根性で走る二人と、楽しくて走りたくて仕方が無いスズカの違いだろう。

 

 ……そう考えると、ブルボンは凄いな。エアグルーヴは決して根性無しではない。トップウマ娘の一人として精神力も相当のものがある。そんな彼女に未だ一度も抜かれていない……つまり、一度として走ることを諦めていない。

 

 むしろ、先頭を走るスズカに近付くことが何度もあった。力のあるウマ娘であるスズカとエアグルーヴのペースは変わらないので、つまりブルボンが掛かっているのだ。やっぱり直線で迫られると掛かりがちだ。改善していかないと。

 

 

「エアグルーヴ、大丈夫か!」

「大丈夫だ……むやみに心配を……するんじゃない……たわけが……」

「でも……」

「言っただろう。これは必要なことだ……! スズカ、行くぞ、次だ……!」

「ええ。ブルボンさん立って。行くわよ」

「了解……遂行します、遂行、遂行……」

 

 

 三人が再びスタート位置へ戻っていく。いやほんと、スズカは楽しそうだ。二人が何を思っているかは解らないけど、まあ、エアグルーヴには同意が取れているし、ブルボンだってスズカを誘った以上こうなることくらい解っていて然るべきだろう。だよね? そうだと思っておこう。

 

 

「よーい」

 

 

 ぴー。スタートの合図は全て私が行っている。しっかりと三人が一定の間隔を空けて走り出した。いざ走り出すとエアグルーヴとブルボンの違いがよく解る。ブルボンは流石に疲れが出てフォームが崩れつつあるが、エアグルーヴは一本目と大して変わっていない。やはり実力差は如実だ。

 

 

「あの……つかぬことを伺いますが、サイレンススズカさんはどんなトレーニングを……? つい、彼女は長距離レースには出ないものと思い込んでいたのですか……」

「あ、いえ、特別なことは何も……それに、長距離には出ないですよ。レース用のスタミナはやっぱり足りないと思います。エアグルーヴとそこまで差はないと思ってます」

 

 

 エアグルーヴのトレーナーさんは少し気弱そうな男の人だ。そりゃエアグルーヴにも尻に敷かれるだろうなって感じ。当たり障りのない会話をしつつ、私もしっかりブルボンを見ないといけない。うーん、こう見ると前に出ようとする気性は少し改善されたような気もするんだよね。この間の先行策セイウンスカイを見たのもそうだし、何度もスズカにボコボコにされているから慣れたのかもしれない。これは良いことだ。

 

 スピード、スタミナともに目標値は十分に達成している。このまま続ければメイクデビューは華々しく大差勝ちすら見えるくらいだ。

 

 

 ブルボンの未来に思いを馳せながら、私は帰って来た二人に渡すドリンクを用意し始めた。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「はあ……気持ち良かった……ありがとう、エアグルーヴ、ブルボンさん」

「…………」

「終わった……のか……? 私は……これは……」

 

 

 スズカの走行欲は、キリが良いので十本にしましょう! ということで40kmで解消された。うん、三人とも怪我無く走り終えられて何より。ブルボンは完全に活動停止してしまったけど、エアグルーヴは……この子も凄い。トレーナーさんに支えられながらも倒れていない。ほとんど抱えられる感じにはなっているけど、それでも立っている。

 

 ……エアグルーヴのトレーナーさんは気が気で無さそうだけど。ここまで消耗するエアグルーヴも珍しいんだろう。ブルボンはこんな感じになるのが割といつも通りなのでスズカも満面の笑みでブルボンを抱え上げている。

 

 

「じゃあ終わりで良いね、スズカ」

「はい。お部屋に戻りましょう、トレーナーさんっ」

 

 

 ここまでやってもスズカがまだ元気なのが怖い。走っていれば疲れないというのは伊達でも誇張でもないということだ。最高速度を出すレースならともかく、マジで走っている限り無尽蔵のスタミナを持っている。

 

 

 私に擦り寄ってくるスズカの頭を撫でつつ、挨拶を終えブルボンをトレーナールームへ運び込む。スズカに外を見張らせつつ脱がせて汗を拭き取り、ストローを口に突っ込むとちゅうちゅう吸い始めた。

 

 

「はあ……ん……もう少し走ればよかったかな……」

「嘘でしょ」

 

 

 有り余ってるなあ、体力。どうかしてるんだろうなこの子は。ご機嫌に鼻歌を口ずさみながらソファで私を待つスズカにあまり反応しないようにして、ブルボンの口を拭いて落ち着いて眠りについたのを確認してからエアグルーヴによく休んでね、とメッセージを送っておく。

 

 

 こんこんっ

 

 

 と、ドアノック。スズカが開けると、そこにグラスワンダーが立っていた。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「まずは、しばらく連絡もせず避けてしまっていたことを謝らせてください」

「はあ……」

「そして、大阪杯、おめでとうございます。寮からですが拝見しました。いつもと変わらず自分を曲げないその姿勢に感服しています」

「はい……」

 

 

 グラスワンダー……去年の暮れにスズカにボコボコにしてくれと頼んできて、その通りボコボコにして泣かせてしまったスズカの後輩だ。こういうとスズカがやべーやつみたいだけど。スペシャルウィーク達の世代というのはどうもスズカへの信頼感と言うのが半端ではない。スズカは合同トレーニングを基本的に断らないし、実績も十分だ。

 

 それに、一つのことを極めた結果誰にも捕まらないというのは……まあ、ウマ娘的には刺さってるんだろう。

 

 

 並んで話を聞く私達に対面するグラスワンダーも、とても神妙な面持ちだ。スズカの前にいるという事実に緊張している可能性すらある。ちなみにスペシャルウィークはそういう幻想から既に解放されている。この間ねぎらう過程で一緒に走る? とスズカに聞かれ、それはダメですと即答したらしいからね。

 

 

「そして、不躾ながら本日はお願いがあって参りました」

「お願い……?」

 

 

 何ならスズカもグラスワンダーをどう思っているのやら。本人は走ることしか考えていないし、自分が最速だという自覚はあれど、尊敬されるべきウマ娘だという自覚には欠けるところがある。グラスワンダーへの返事が適当に聞こえるのは、たじろいでいるのか興味が無いのか。

 

 

「今、私は少し足を痛め、正直な話調整も含めればダービーまではレースを回避するように、とお医者様に言われてしまっています」

「なるほど……?」

「ですので、復帰は半年後、毎日王冠を予定しているのですが……スズカ先輩。そこで、私と戦っていただけませんか」

「え」

 

 

 あっちょっとテンション上がったなこいつめ。

 

 

「えっと、あの、それはその……」

「スズカ先輩にとってはもしかすると眼中にないレースかもしれませんが、何卒お願いできませんでしょうか。解らないのです。まだ悩んでいるのか。満足に走ることもできず同期のレースを眺めるだけの今、私が成長することができているのか」

「ええっと……」

 

 

 スズカがもう彼女の話を聞いていない。ちなみに正直そのレースにスズカを出す予定は無かった。まあ宝塚の後は秋の天皇賞だとは思っていたけど、正直トライアルに出る理由が無いからだ。スズカはG1で三勝、ほぼ間違いなく天皇賞に出られる実績を積んでいる。だったら回避して、優先出走権を他に回した方が良い。G3に出るか、場合によってはぶっつけ本番で天皇賞に行こうとしていたところだ。スズカもレースにはこだわっていないし。

 

 ただ、まあ出ろと言うなら出ても良い。断る理由は無い。正直これは上から目線が過ぎる言い方だけど、そのレースに出て誰かが困るとすればスズカに負ける子達だ。一人分枠が潰れるわけだし。

 

 

「無理にとは言いません。ですが、是非検討していただけませんか」

 

 

 ちらっちらっ。スズカがこちらを見つめてくる。しょうがないですよね、とでも言いたげな目だ。

 

 

「トレーナーさんは何て言ってるの?」

「トレーナーさんは……優しい方です。私は強くなっていると、焦るなと言っていただけました。でも、トレーナーさんは私の身内のようなものです。共に歩むものとして、時として正直なことが言えないこともあるでしょう。彼を信じ切ることができないのも、私が弱い故かもしれません」

 

 

 ちらっちらっ。

 

 

「……まあ、出走するのは問題無いけど」

 

 

 グラスワンダーの重さとスズカの可愛い流し目に、また私は負けた。私、こんなのばっかりだ。反省しよう。




設定厨による50話までの(一般人から見た)サイレンススズカ

サイレンススズカ(シニア一年目)

勝ち鞍 天皇賞(秋)
    ジャパンカップ
    大阪杯

「異次元の逃亡者」とも呼ばれる圧倒的な逃げウマ娘。二着以降に影すら踏ませないほど速く強い勝ち方をする。レース場入場、パドックアピールまでは穏やかで淑やかな笑みを浮かべているが、レースが始まった瞬間豹変し、鋭い目つきで先頭を奪ってそのまま駆けていく気迫を見せる。ライブでもその迫力を見せつつ満面の笑みでアドリブ交じりのパフォーマンスをするため非常に人気が高い。どちらが彼女の素なのかについては今もネット掲示板で論争が起こっている。

メディア露出は相当少なく、直接姿を見るためにはレースかライブ、あるいはトレセンに直接行かなければならない。時々街にいることもあり、その場合は話しかけると大抵のことには応じてくれる。ただし、レースを申し込むと人間でも加減なく叩きのめしてくるため注意が必要。

普段の練習はインタビューでも基本的に語られない。トレセンのウマ娘の中でも特に特別なことをしている様子は無い、と話題になっている。ただし、人気のない山道や広い道に突如吹く突風はサイレンススズカが練習中なのではないか、とも噂が立っている。

トレーナーは二年目の新人で、サイレンススズカを覚醒させたのは彼女である。トレセン内では時々サイレンススズカでさえ嫌がって涙を流すような言い合いをしている姿や物理的に束縛して指示を聞かせる姿も見られ、関係者によるとかなりのスパルタ練習を行っているらしい。最近では新たに育成ウマ娘を増やしたそうで期待が高まっている。


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とても優しさに溢れているサイレンススズカ

 

 現在、私はとても悩んでいた。

 

 

「どうしようかな……」

「何がですか?」

「いや、こっちの話……」

 

 

 がしゃこん、がしゃこん、とスズカのトレーニングマシンの追加の重りとして上下に動かされながら、私は首を捻っていた。こちらを見つめるブルボンが、真顔のまま少しだけ首を傾げる。

 

 皐月賞は四月後半、つまり、もう四月も終わりが近付いているのだ。

 

 何を悩むかと言えば……まあ、ブルボンとスズカの誕生日。ウマ娘と言うのはなんの因果か誕生日が上半期に集中する傾向にある。ブルボンが四月二十五日……つまり三日後で、五月一日がスズカの誕生日である。もちろん、私からも何かをしてあげたい……のだが。

 

 

 でもなあ。二人ともただの女子高生って感じじゃないからなあ。スズカはこんな感じだし、ブルボンもそういう……消費欲求みたいなのがあるようには見えないし。何をしてあげるべきか、何をあげるべきか決めかねている。ケーキだけとりあえず頼んだけど、それ以上は何もしていない。

 

 特に去年の誕生日はまだスズカに出会っていなかったこともあり祝えていない。二人とも今回が私との初めての誕生日だ。この間迷いに迷った末奥の手としてそれとなくブルボンのお父さんに聞いてみたのだけど、そういう物を欲しがる子ではないもので両親にも解らないのだと。どんな学生よ。

 

 

「……スズカはさあ」

「はい」

「普段からマジで走ることしか考えてないの?」

「いえ、そんなことはないですけど……今は流石にトレーニングのこと考えてますよ……?」

「そうかあ……」

 

 

 最悪スズカは走るための道具を贈っても良いし、キャンピングカーレンタルという手もある。ブルボンがマジで解らない。

 

 

「……ブルボンは普段何考えてるの」

「思考プロセスは多岐に渡るため、特定して答えることはできません。ですが、一般的なウマ娘と大差はないのではないかと……私自身は考えています」

「そうかあ」

 

 

 絶対そんなわけないけどね。普通のウマ娘は倒れて何時間も活動不能になるような練習はしないのよ。ズレてるんだろうなあ……まあ良いんだけど、ちょっと困った。本当にどうすればいいか解らなくなってきた。

 

 

「ブルボン、負荷を10kg下げてくれる?」

「了解しました」

「じゃあスズカ、後200ね」

「はい」

 

 

 とりあえず探してみるかと考えつつ、私はまたがしゃこんがしゃこんと上下するお役目に戻っていった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ややっ! これは皆さんお揃いで!」

「おお、サクラバクシンオー」

「はい! サクラバクシンオーです!」

 

 

 トレーニングルームに戻ると、サクラバクシンオーが立っていた。手に紙袋を持って、私達に大げさに頭を下げてきた。相変わらず元気な子だ。うちには大人しいのしかいないから新鮮ね。

 

 

「どうしたのですか?」

「いえ! 委員長として、友人の誕生日を祝いに参りました! 少し早いですが当日は私、用がありますので……」

「なるほど、ありがとうございます」

「いえいえ! ブルボンさん、お誕生日おめでとうございます!」

 

 

 これはプレゼントです! と紙袋の中からかなり荒っぽくラッピングされたプレゼントを差し出してくるサクラバクシンオー。それを受け取り、開けてみてください! という彼女に従いブルボンが中身を改める。

 

 

「……機械油……?」

 

 

 正直お世辞にも上手いとは言えない包装の中には、いわゆる自転車とかのチェーンに使う、ノズルの付いた缶々の潤滑油が入っていた。

 

 

「はい! 潤滑剤に使えるもののようです!」

「えぇ……?」

「普段は電池などエネルギーを差し入れていますが、たまにはメンテナンス用品も重要ではないかと思いまして!」

 

 

 ブルボンをロボットかサイボーグだと思ってるでしょ。こんなの貰ってブルボンはどんな反応をしたらいいの。

 

 

「……? はい、ありがとうございます……?」

 

 

 ブルボンが絶妙に間の抜けた表情で固まってしまった。もしかしてブルボン虐められてる……? と思ったけど、私が何度か出会ったサクラバクシンオーがそんなことをするようには思えない。というかウマ娘は基本的にそういう陰湿なことはしない。精々が陰口レベルの善性な生き物なのだ。

 

 

「喜んでいただけて何よりです!」

 

 

 それに、見てくれこのサクラバクシンオーの満面の笑み。こんなに輝いてる、天真爛漫と言う言葉の見本みたいな笑顔見たことないわよ。少しドヤ顔が入ってるけど顔が良いので非常に可愛い。頬っぺたをもちもちしたい。こんな子が悪意でこんなプレゼントをするわけがないでしょ。

 

 

「では、申し訳ありません! 他にも何人か渡す方がいますので、これにて失礼します! 良いお歳をお過ごしくださいね、ブルボンさん!」

「……はい。ありがとうございます、バクシンオーさん。大切に使います……?」

 

 

 過去一露骨に感情を表に出しているブルボンを置いて、サクラバクシンオーは廊下を駆け抜けていった。廊下は走らないで? ここ人間も通るから。ぶつかったら死ぬから。

 

 

 突風のような友人が去った後、しばらく固まっていたブルボンがちらりと私を見た。思考が完全に止まった表情で、私に何のコメントを求めているのか。悪いけどこのプレゼントに反応はできないって、私。善意なんだろうからなおさら。困った末貰っておきなさい、だけ言っておいた。これ以上は何も言えない。

 

 

「あの……あの子はいったい何を考えているんですかね……?」

「さあ……ブルボン、いつもこんな感じなの?」

「はい。たまに電池をいただきます。複雑ですが、基本的には嬉しく思ってはいます」

「そうかあ」

 

 

 私も電池あげるか、じゃあ。

 

 

 三人とも引きつつもトレーナールームに戻り、片付けの後定位置で座って潤滑油を見つめる。私とその隣にぴったりつくスズカ、向かいに座るブルボン。どうしたら良いの、これ。この部屋にこんなのが必要な機械なんて無いんだけど。ブルボンが飲んだりする? これ。

 

 

「とにかくそれはどこかに置いておきましょうか……悪いけどまあその……使い道、無いし」

「はい。これまでいただいた電池も保管していますが、それは……」

「全部纏めて置くのは使ってないのが露骨すぎるし……持っておいたら」

「承知しました」

 

 

 サクラバクシンオーのプレゼントの件は終わり、んー、と足に倒れ込んできたスズカがブルボンに語り掛ける。

 

 

「そういえばブルボンさんは誕生日のお祝いは何が良い?」

 

 

 ……スズカすき。さいこう。

 

 

「誕生日……いえ、取り立てて物品やイベントを求めることはありませんが」

「でも、何かお祝いはしないと。誕生日よ?」

「理解しました……ですが、やはり思いつきません。申し訳ありません」

「いえ、怒ってるわけじゃないのだけど……」

 

 

 二人ともしゅんとしてしまった。可愛いなあ私のウマ娘達は。心の底から優しいんだよな二人とも。質問は何にも役に立たなかったけど、可愛いからOKです。

 

 

「スズカさんは何か希望はありますか?」

「私は……まあ、特には……シューズもたくさんあるし……」

「なるほど」

「ごめんね、困るかもしれないけど……」

「いえ……」

 

 

 またしゅんとしてしまった。何をしてるんだかこの子達は。

 

 

「はいはい。お互い気を遣い過ぎね。別にやりたいことやれば良いの。欲しいものが無いならこれだけはやめてほしいものを言ったら良いでしょう。それだけ避ければ後は嬉しいってことなんだし」

「なるほど。ではスズカさん。何かありますか? 私は何もありません」

 

 

 そりゃブルボンには無いでしょう。このプレゼントを許容できる器があれば。

 

 

「あんまり辛いものでなければ……」

「なるほど」

「スズカ、辛いの苦手だもんねえ」

「苦手というか……まあ、苦手ですね……」

 

 

 私もあんまり辛いものは作らないようにしているし。私がそもそも好きじゃないってのもあるし、大量に作らないといけない都合上どうしても味付けは日和ってしまう。彼女らの体は人間よりはるかに丈夫だし、栄養過剰摂取なんてほとんど起こらないことは解っているんだけど、大鍋に塩を袋から直接がばっと入れる、みたいな調理は人間の本能が拒否してしまう。

 

 

「それで準備をしたらいいじゃない。ちゃんと考えればそれでいいって前にも言ったでしょう?」

「そうかもしれないですね……」

「では、プランを立てます。楽しみにしておいてください」

 

 

 そう言って、ブルボンは少し笑った。またクリスマスの時のようにブルボンの圧倒的料理スキルが発揮されるんだろうか。今となってはあれだけのことができるのも納得できる。マニュアル通りの動きにおいてブルボンはほぼ完全だ。手先も器用だし、料理を作業感覚でやっているんだろう。決められたことを決められた時間に綿密なスケジューリングのもとで。

 

 

「じゃあ私もプレゼント、用意しておきますね。ご飯もせっかくなので私が作りますねっ」

「おっ。それは凄いなあ。スズカって料理できるの?」

「簡単なものなら、一応……」

 

 

 これは思いがけない収穫だ。まさかスズカの手料理が食べられるなんて役得が過ぎる。楽しみにしておこう。

 

 

「じゃあスズカ、今度休みを教えてくれたら買い物に車出すから……それともネットで買う?」

「いえ、ひとりで行けますよ?」

「一応有名人だし、電車は……タクシーは高くつくよ」

「何を言ってるんですかトレーナーさん。私には脚があるんですよ?」

「何言ってるのスズカ。私は走るなって言ってんのよ」

「ふゃふゃふゃ」

 

 

 私が言わなかったら買い物のついでに東京を一周するつもりだったでしょ。私の追及に案の定目を逸らして抱き着いてきたので突っぱねて頬をうりうりしておく。油断も隙も無い子ね。レースはまだ当分先とはいえ、シンプルに故障も心配なのよ私は。好き勝手に走りおって。

 

 

「二人で買いに行きます」

「や、でしゅしゅしゅしゅ」

「二人で行きますー。スズカは私から離れたらダメなんだからね」

「そんなー……」

 

 

 私からスズカとブルボンに買うものも何となくだけど決めた。後は当日、ブルボンが喜んでくれることを祈ろう。スズカ? スズカのことを身内以外で一番知っているのは私だよ。喜ばないわけがないということをちゃんと考えておくから勝ったも同然よ。




チキンレースはやらない方が良いと思っていても、多少えっちなものを書きたくなる……書きたくならない?冗談だよ。


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誕生日を祝うサイレンススズカ

曜日調べるの面倒だったから手計算だけど合ってるよね?


 

「お誕生日おめでとう、ブルボン」

「ありがとうございます」

「おめでとう、ブルボンさん」

「ありがとうございます」

 

 

 迎えたブルボンの誕生日当日。ブルボンは両手に結構な量のプレゼントを抱えてトレーナールームに入って来た。これで友達は多いのかもしれない。私のウマ娘、友達少なそうな性格して普通に交友が広かったりするからね。スズカもそうだし。

 ともかく、トレーナールームに大量の料理を並べてみた。といってもウマ娘が食べるような量じゃないけど。スズカが八割作っているので、手間も考えるとそんな量は作れないのだ。

 

 そして始まった三人だけの誕生会。といっても、その雰囲気はいつもと変わらない。スズカがボケて、ブルボンが何故か乗っかってくるのを私がツッコむだけだ。特に特別な会話があるわけでもないし、何かイベントを用意してあるわけでもない。

 

 

「じゃあブルボンさんはその状況でも走らないんですか……?」

「……? はい、特には」

「ほらスズカ。スズカがおかしいのよ」

「トレーナーさんが……私に冷たい……」

 

 

 まあスズカは会話の流れ的に大体へちゃむくれてるけど、ブルボンは微笑んでいるしセーフ。そして、そういえば料理を忘れてましたね、なんて言いつつブルボンが食べ始める……が、一口食べて止まってしまった。

 

 

「どうしたのブルボン」

「いえ……すみません、少し判断に時間を要するかと思います」

「何の……?」

 

 

 突然ブルボンが考え込むのはいつものことと言えばいつものことなので、いったん置いておいて私もスズカの料理に手を伸ばす。スズカの手料理は初めて食べるわね。たぶんだけどそんなに器用な子じゃないし、レシピ通りって感じなんじゃないかと思うけど。

 

 ぱくり。うん。なるほど……なるほど。これはあれね……無味。

 

 

「素材の味ね、スズカ」

「えっ……」

「やはりそうでしょうか。私の味覚のバグではありませんか」

「うん。下味すらないでしょこれは」

 

 

 口に運んだ肉野菜炒めは、肉と野菜の味しかしなかった。美味しくはない。本当に。

 

 

「ちゃんと味付けした?」

「し……てないかもしれない……です……忘れたかも……」

「いやいや……忘れないでしょ流石に」

「ふ、普段作るときはしてないので……」

 

 

 嘘でしょ……? いや、スズカならあり得るな。この子は食事を栄養補給だとしか思っていない可能性があるから。何回か話したことがあるけど、スズカは朝食と昼食は必ず食べる一方で夕食は平気で抜く。走っていて食べるのを忘れたって言うのもあるけど、そもそも食べてもそのエネルギーで走れるわけじゃないとか言い出したこともある。だからこそ、私の家に呼ぶようになったし、呼んだときは無理にでも食べさせているんだけど。

 

 

「その、普段は栄養が摂れればいいかなって感じで料理してるので……すみません……」

 

 

 ほら来た。

 

 

「もう……気を付けようねスズカ。ブルボンもスズカがポンコツでごめんね」

「食事の目的は栄養補給であると認識していますが」

「きみもか」

 

 

 どうりで普通に食事を再開していると思った。どうしてそういうところで気が合うのこの子達は。いや、まあ、良いのか……? 主役は私じゃないし、二人が良ければそれでも……いやいや。

 

 

「でも気を付けることは気を付けるのよ」

「ぁぃ……」

 

 

 涙目になるスズカ。流石に失敗だと認識していてよかった。反省したならそれで結構。偉いと褒めつつ頭を撫でてあげて、私も箸をとる。愛バの作った料理だ、流石に食べないわけにはいかない。私が主役でなくとも。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 かなり無理のある食事を終え、お待ちかね……私は結構緊張してるけど、お待ちかねのプレゼントだ。まずはスズカが隠しておいた箱を取り出した。

 そういえば結局、スズカは私と買い物には行っていない。何かを買ったわけじゃないのか、それとも勝手に走っていったのか。ともかく片手に収まるような小さなプレゼントを出してきた。

 

 

「改めておめでとう、ブルボンさん。これからも一緒に頑張りましょうね」

「はい。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」

 

 

 改めて言葉にして差し出す。早速、と言わんばかりに膝に置いたブルボンが、丁寧に包装紙を剥がして中身を取り出した。結構重厚感のある箱の中に、綺麗に折りたたまれた紙が一枚入っている。何の変哲もない紙のようで、それを両手に乗せたブルボンが少しずつ開き始める。

 

 

「その、私はプレゼントとか思いつかなくて……トレーニング用品とかを買うと、トレーナーさんがそんなのにお小遣いを使うなって怒るし……」

「いや、友達とかにあげるぶんには良いのよ? あくまで自分用のものは私が出すから自腹を切らないでって話で」

「じゃあ次にブルボンさんなら何が欲しいかなって思って、昨日やっと思いついたの」

 

 

 完全に開くと、その紙は小さめのノートくらいに広がった。ひらり、とこちらに見せてきたそこには、向こう二か月分のカレンダーと、そして、下の方に書かれた二種類のメッセージ。さらには、何かのハンコ。

 

 

「私からって言うのはちょっとずるい気もしますけど……これで、喜んでくれるかなって」

 

 

 カレンダーには赤と青の二種類の丸が点々と記されている。一部は重なっていたり、どちらもない日があったり。メッセージは下に二つ、非常に達筆な赤いものと、書き殴ったような少し乱暴な青いもの。ハンコは、これは、よくあるキャラクターものの子供向けハンコか。

 

 

『挑戦を待っている。未来の三冠ウマ娘を目指す君へ』

『やるなら全力だ。覚悟しておけ』

 

 

「昨日、エアグルーヴにも頼んで、生徒会室に行ってきたの。ルドルフ会長とブライアンさんのスケジュールなんだけど……併走相手をお願いしてきてみたわ。丸が付いてる日に一回だけだけど……」

「…………マジ?」

 

 

 なんだそのプラチナチケットは。流石の私も引いている。他はともかくブルボンはまだジュニアですらない。デビュー前だ。二か月後でもやっとデビューしているかどうかというところ。そんなウマ娘が、あの二人と併走? マジ? 暴動ものじゃないのそれは。金を積んででも欲しがる子が出るわよそんなの。

 

 

「よ……く受けてくれたわね……え? 本当に?」

「お二人とも最初はそれは難しいと言っていたんですけど……エアグルーヴが、エルナトのトレーナーさんが見つけた三冠候補って言ったら特別にって……あ、内緒にしてほしいそうです。走るのも、誰もいなくなった夜にと……」

「ひえっ」

 

 

 震えてきた。まあ認知されてるのは知ってたし話したことも全然あるけど、なんだその期待。あんなの怪物よ怪物。スズカにすら勝ちの目があるウマ娘に期待されなきゃいけないの、私。何でもないことのように言うスズカが悪魔のように見える。でもなあ、エアグルーヴも一緒に行ったとなると怒るに怒れないし、スズカの力になったんだと思うと複雑な気分だ。

 

 

「ありがとう……ございます……」

「喜んでもらえたかな……」

「とても……処理が追い付かないほどに……」

 

 

 というか、スズカの影響力を思い知ったような気がする。これ、私の名前を出す以上にスズカとエアグルーヴが言ったのも大きいんだろう。シンボリルドルフはウマ娘ファーストだが、同時に非常に賢くお金など汚い話もしっかり知っている。トレセンにとって今のスズカは稼ぎ頭でもあるし、コネと権力の最高の使い方かもしれない。

 

 

 紙を持ったまま小刻みに震えフリーズするブルボン。ヤバい。私のプレゼントが霞む……というか、それは良いんだけど、渡した結果水を差すみたいになるのは流石に避けたい。この感動に便乗しよう。幸い、私のプレゼントも偶然ながらスズカにかなり近い。

 

 

「ブルボン、私からはこれ、二つ……一応」

「……あ、ありがとうございます……」

 

 

 心ここにあらず感のあるブルボンが、私のプレゼントも開け始める。私からは二つだ。スズカみたいに、物欲の無さそうなブルボンが何なら喜ぶかと考えて攻めたものと、まあこれだろうと少し日和ったもの。まずは小さめの、日和った方から開けられる。

 

 

「……時計」

「それならその、機械ではあるけど電気製品じゃないし、前にあげたのは使えなかったって聞いたから……それならネジ式だし着けても大丈夫かなって」

「……ありがとうございます」

 

 

 そして、もう一個にも手を掛ける。うわあ怖い。学生時代の友達にあげるより怖い。将来結婚とかして子供産んだら毎年こんな気持ちになるのかな。生唾を飲み込んで、私はブルボンの反応を待った。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 四月二十五日、木曜日。記録者、ミホノブルボン。

 

 本日は私の誕生日を、マスターとスズカさんが祝ってくださいました。お二人からのプレゼントと祝辞、それからプレゼントを頂きました。それらを持って、解散後寮に戻ると、既に同室で同期でもあるニシノフラワーさんがいました。

 

 

「おかえりなさい、ブルボンさん」

「ただいま戻りました、フラワーさん」

「あ、それ、今朝おっしゃっていたトレーナーさん達からのプレゼントですか?」

「……はい。素晴らしいものを頂きました」

 

 

 フラワーさんには私自身の判断により、誕生日プレゼントを用意しないようにあらかじめ言っておいています。普段から数多くのサポートをしてくださる方です。マスターにも報告しましたが、間違っているとは言えない、との反応がありました。

 

 

 ……マスター達からの、プレゼント。

 

 

 ベッドにそれらを置き、座ります。時計の包装を解き、ケースから出して手に取りました。異常は……感知されません。取扱説明書に従い時刻を合わせ、ネジを巻きます。未だ故障は見られません。腕に巻いても変化なし。これを扱うにおいて、私の体質は障壁ではないと判断します。

 

 そして、スズカさんからのプレゼントを机の引き出しにしまいます。フラワーさんは信頼できますので、これ以上の秘匿措置は必要が無いと判断。三冠ウマ娘。私の夢を、私よりも先に叶えた方々への挑戦権。シンボリルドルフ会長と、ナリタブライアン副会長は、ともにウィンタードリームリーグで活躍する三冠ウマ娘です。私の目指すべき場所。私の夢。

 

 

 そして最後に、マスターからのもう一つのプレゼント。メモ帳に記された、マスター直筆の数ページにわたる記述。メモ帳の表紙にはマスターの字で、『通知表』と書いてあります。

 

 

「……スピード、E+、不足。スタミナE、不足。パワーF+、不足」

 

 

 私の能力を、マスターが独自の基準で判定して記したものです。根拠や算定基準は説明されませんでしたが、それでも、マスターは信用するべきだと思います。それに、そこに並んでいる文字には一つとして、十分、あるいは及第点などの表記はありません。スピード、スタミナ、ともに私には足りていません。自覚はあります。

 

 私には、他者を圧倒する才能はない。お母さんも、そうでした。お世辞にも強いウマ娘ではないと、お父さんにも何度も教えられました。だからこそ、トレーニング量で他者を圧倒する必要があるのだと。ミホノブルボン号は、他者の手無くして成立し得ません。

 

 次のページには、スズカさんの能力も書かれています。目を見張るほど、私とは違います。全ての項目において、一つとして勝てていません。スズカさんは才能に溢れているのだと、マスターはおっしゃっていました。それに加えて、あの無尽蔵ともいえる欲望がスズカさんを強くしていると。

 

 

「……総評」

 

 

 数ページにわたり、トレセン所属の有力なウマ娘の能力が書かれています。当然ながらどれも、私とは比べ物にならないものばかりです。そして、最終ページ。私とスズカさんの総評が書かれていました。

 

 

『サイレンススズカ。敵無し。本調子であり、特段の事情が無い限り負けない。逃げウマ娘としては最速最強。言うこと無し』

 

 

 そして、ミホノブルボン。当然、評価はかなり低く、

 

 

『現評価は低いが、素晴らしいウマ娘。能力も予想以上の成長。このままの速度で成長すれば、クラシックの大本命。成長ペースを加味して、既に中長距離路線に力十分。頑張れブルボン。この調子』

 

 

 

 

「……ブルボンさん? どうかしました?」

 

「いえ……何でもありません」

 

 

『通知表』を閉じ、それも机にしまいます。これ以上の活動は危険と判断。入浴の後、直ちにスリープモードに移行します。

 内側から溢れる衝動にも似た謎のエネルギーを感知しながら、私は大浴場へ向かいました。通知表とは、お父さんにも見てもらうものです。送付の用意もしておきましょう。




シリアス向いてない説あるな。


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誕生日を祝われるサイレンススズカ

マンハッタンカフェ出しました。スズカブルボンエイシンカフェで推しがみんな揃いました。やったね。


「わぁ……あ、あの、早く停めてください、私、私……!」

「待って待って。専用の場所があるから」

 

 

 続いて、スズカの誕生日。ブルボンの誕生日は非常に複雑な空気で終わってしまった。マジでブルボンのツボが解らなかった結果攻めに攻めて現在見えるステータスを書いて渡したのだけど、ブルボンが完全に黙ってしまったのだ。

 外したか……? と怯えつつ過ごした一週間。しかし今回はスズカである。スズカが何を喜ぶかを私が外すわけがない。そう、ランニングである。

 

 ということで、私達三人はとある場所に車を走らせていた。重めに荷物を準備し、気持ちばかりのサプライズにスズカの目を隠して二時間くらいの運転だ。

 

 

「マスター。あちらが空いています」

「良いね。あそこに停めよう」

「早く、早く早くっ」

 

 

 珍しく助手席にいるのはブルボンである。スズカは期待が高まりすぎて大人しく座っていることができなくなったため、後ろで座席に座りシートベルトを破壊する勢いで動き回り尻尾をぶんぶんさせている。基本的にダウナーで冷静なスズカの声が弾んでいた。

 

 

「マスター。荷物は全て下ろすということでよろしいですか?」

「そっちの緑のバッグは無くてもいいや。それは渋滞対策だから。あとこっちの荷物が重いからそれをお願い」

「了解しました」

 

 

 車を停め、荷物をブルボンに持ってもらって降りる。ここはそう、富士山である。

 

 

「わぁ……空気が美味しいですね、トレーナーさんっ」

「空気は無味です」

「どっちに突っ込もうかな……」

 

 

 スズカも大はしゃぎだ。何せ、富士山は流石のスズカも勝手には来られない。ウマ娘用の登山ルートは整備されているが、保護者がいなくてはならないのだ。というかレースに関わらないウマ娘は人間用ルートを使うため、ウマ娘ルートを使うのは実質的にはトレセン所属のウマ娘のみ。つまり保護者とはトレーナーのことである。

 

 結構前だが、スズカがここで走りたがっていたのを思い出し、お祝いにここに来ることにした。ついでに、プレゼントもちゃんと用意してある。これから渡すところだ。

 

 

 ともかく一度スズカを落ち着かせ、三人で登山ルートへ向かう。トレーニングするウマ娘専用みたいなルートだから、売店は小規模、山小屋もほとんどが無人である。しっかりと手続きを済ませてから、私はスズカにプレゼントを手渡した。

 

 

「はいスズカ。誕生日おめでとう」

「ありがとうございますっ。開けて良いですか?」

「むしろ今すぐ開けて使って欲しいわ」

「え……?」

 

 

 気が急いているのかビリビリに破いてプレゼントを開くスズカ。中身はカメラと、それを体に固定するベルトのようなものである。

 

 

「プレゼントはオマケだけど、良かったら使って」

「トレーナーさん……」

「走って良い時に、どこかに走りに行ったら、ね?」

「……はいっ。じゃあ早速今日も使いますねっ」

 

 

 ベルトを体に巻き、胸元に来た金具にカメラをがちゃっと嵌める。これで揺れないし落ちない。ちなみに構造上着用できる人は限られるやつなので、私やブルボンは無理。理由はほら、いや煽ってるとかじゃなくてね。ちょうど良かったなって。スズカも喜んでるしさ。

 

 にこにこで装着を終え、ストレッチを始めるスズカ。そこまで大がかりではないが私達も準備を始める。スズカに合わせて屈伸をし始めたブルボンの肩を叩く。

 

 

「あ、ブルボン。ブルボンはこっち。ストレッチしなくて良いから」

「……スズカさんと登るのではないのですか?」

「登るよ。あれで」

 

 

 そう言って私が指差したのは、この登山ルートに用意されている、電気自動車である。

 

 

「車で……登山を……?」

「そりゃそうでしょ人間なんだから」

 

 

 文明の利器万歳。私はウマ娘にはついていけません死んじゃうから。

 

 冗談はさておき、これはみんなが絶対に使う。ウマ娘用ルートは道もちゃんと整備されているのだけど、急な傾斜を抑え道も広めに作っている都合上非常に長い。人間用の登山ルートは長くとも一泊二日だが、ウマ娘ルートを人間が歩こうものならそれは大変な時間がかかるわけで。

 

 逆に、長い道のりだからこそ窓さえ開けていれば車で登っても高山病になりにくいという謎の利点もあるけど。

 

 

「スズカさんと走れるのだと認識していました」

「走るのは良いけどスズカについていけないとダメよ。一緒に行動しないといけないから」

「……車に乗ります」

 

 

 まあ、車に乗ったところでスズカに追い付けるかは怪しいけど。その場合は頻繁にある山小屋で逐一待っていて貰うことになるわね。まあそれは仕方無いと解ってくれるでしょいくらスズカでも。解ってくれるよね? 

 

 その後いくつか注意事項を伝えよーいどんした結果、案の定ぶっちぎられた。お説教は今日のところは勘弁してあげます。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「あ、トレーナーさん。遅いですよ?」

「スズカが速すぎるんだよ、もう」

 

 

 何度目かの合流を終え、今回の山小屋には人がいるようだった。スズカが勝手にお団子を食べつつ外ベンチに座って待っている。ウキウキわくわくサイレンススズカはもきゅもきゅと団子を頬張りながら満面の笑みを浮かべていて、私が隣に座るとすぐに寄りかかってきた。

 

 

「汗がついちゃうでしょ」

「知らないでーす」

「困った子ね」

 

 

 タオルはたくさん持ってきているので、拭き取ってあげることにする。目を閉じて顎を上げるスズカを抱き締めるようにして、額からうなじ、首筋まで撫でる。

 

 

「んー……」

「何、もう」

「んぁー……」

 

 

 気持ち良さそうに鳴くスズカ。ベルトを外して手を突っ込み背中を拭き取る間も、ぐりぐりと私に頭を擦り付けてくる。

 

 

「甘えたってことはもう満足? もう走らなくて良い?」

「もうちょっと……」

「走るのは九合目までだからね。それ以上は普通に危ないから」

「ぁぃ……」

 

 

 可愛いなあスズカは。テンションが上がりきって頭が溶けている。こっちは若干息苦しくなってきているのに、スズカはノーダメージ。まあ、ブルボンもそうだから、これは私が……というか人間がひ弱なんだろうけど。

 

 ウマ娘と人間は運動能力において絶対に越えられない壁があると言われる一方、超長距離走まで行けば人間が勝てるとも言われている。ウマ娘の脚がガラスと称されるほどに弱いことに起因する論説である。だけど逆に言えば、そこまでいかなければ持久力でも人間では勝てない。出来が違うなあやっぱり。

 

 

 汗を拭き取り、脚を少しマッサージして、最後に微笑むスズカを撫で回して休憩おしまい。お団子代を支払い、私達も数本買って車に戻る。ここから九合目の山小屋までが最後の走行区間だ。そこから先は流石に道が狭いし、下りはもし滑ると命に関わる。ブルボンを連れ立って車に戻りエンジンをかけると、ブルボンが助手席から団子の串を持ったままこちらを見つめていた。

 

 

「マスター。最終区間、走ってもよろしいですか」

「……だから、ついていけないと大変なんだって」

「最終区間の3000mならば、そしてここまでの道のりによる消耗を勘案し、十分走りきれると考えます」

「絶対無理だね。スズカはそんなんで追いつけるほど甘くないよ」

「そうでしょうか」

 

 

 ぴょんぴょんと数回脚を慣らした後駆け出したスズカを眺めつつ、団子を食べる私達。ブルボンの判断は正直解らないけど……でも、彼女はスズカが無尽蔵に走れるということを知っているはずだし、大きくパフォーマンスが落ちるようなら私が止めることも理解しているはず。そこまで理解していてなおこれを言うということは、勝算があるんだろうか。私は絶対に無理だと思っているけど、やってみる価値はあるか? どちらにせよ、ここから3kmなら突き放されてもそうそう差はつかないだろう。

 

 

「……よし。良いよ、走っておいで」

「ありがとうございます」

「おっと……ブルボン、何で下に体操服着てるの」

 

 

 ブルボンの格好はいつも通り男の子みたいなシャツにパーカーだった。だが、がばっとそれらを脱ぎ捨てるとその下にはトレセンの体操服が眠っていた。ぐいんと主張する胸元を私に向かってぐんと張り、それから下も脱いだ。

 

 

「常にあらゆる可能性を想定しています。この一連の会話もシミュレート済みです」

「……やるなあ」

 

 

 もうブルボンに思考を読まれている。ちゃんと調べて、考えて行動するさまはスズカよりは賢い。荷物の中からジャージの上を取り出して羽織ったブルボンは、ミホノブルボン、発進しますと言い残して車を降りて行った。鮮やかー。

 

 まあ、できるかどうかはすぐに解る。3kmなんてウマ娘にとっては一瞬だ。スズカに何かを話しかけて、テンションの振り切れたスズカにぽんぽんと頭を撫でられ……いや、様子がおかしい。ブルボンがさらに何かを続けたところ、スズカが纏う雰囲気が変わった。天然ほわほわあほ栗毛から一気にスイッチが入り、目つきが鋭くなる。真顔のブルボンが怖い。煽ったね、この子。あーあ。私知ーらない……ともいえないのがトレーナーの辛いところだ。

 どうすればいいかも解らず、私は走り出した二人を追ってアクセルを踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「だから言ったのに」

「生意気なことを言うのはこの口? んんっ?」

「ふぁいふぁいふぁいふぁい」

「何言ったの一体」

 

 

 私が二人に追いついたのは、結局山頂であった。完全に火の付いたスズカと放火したブルボンが止まるわけもなく、狭い足場の悪さも何のその、ただひたすらに登って行った。私が行った頃には既に二人は休んでいて、ふにょんふにょんとブルボンが頬を両手で抓られているところだった。

 

 聞くに、今ならスズカに勝てる可能性が高い、みたいなことを言ったらしい。本気を出させるためなんだろうけど、やはりスズカもかちんと来たそうで、取り立てて怒りはしないがたてたてよこよこに頬を伸ばしている。結果としてブルボンは影すら踏めずにぶっちぎられたわけだけど、この場合ブルボンの能力が足りなかったのか、それともスズカがヤバすぎるのか……両方か。

 

 

「まあまあスズカも許してあげたら。ブルボンも悪意があったわけじゃないんだから。それに疲れてたのは事実でしょ」

「む……じゃあトレーナーさんは私が負けると思ってたんですか?」

「いや? 絶対無理だと思ってたけど」

「トレーナーさん大好きですっ」

 

 

 ばっと離れて今度はこっち。この子発熱でもしてるんじゃないだろうな。あまりにも感情の針が振り切れている。さんざん弄ばれたであろうブルボンも頬を摩りながら少し乱れた息を整えている。

 

 

「どう、ブルボン」

「はい。事前シミュレーション通りの完敗です。先ほどは失礼なことを言って申し訳ありません」

「まあ、スズカも別に怒ってはないから。ね、スズカ」

「ん? あ、はい。勝てるわけないですから」

「ほらね。こういう子よこの子は」

 

 

 自分が最速であることを微塵も疑っていない。素晴らしい自信だ。もちろん、それに見合うだけの実力があるのだけどね。とにかく特に確執が生まれるわけでもなく、じゃあ下りは車で、となった時、スズカが胸元のカメラを取り外した。

 

 

「写真、撮りませんか?」

「ああ。どう、道中で良い景色はあった?」

「途中では撮ってません。よく考えたら、走ってるのに途中で止まって写真なんて撮ったらもったいないです」

「……確かに」

 

 

 甘かったな。まあおまけだしね。ここに連れてきたこと自体はどう考えても喜んでくれているのでセーフ。担当一人喜ばせられない無能トレーナーではなかったということだ。ブルボンは……喜んだかは解らないけど。

 

 カメラを持って見晴らしのいい展望台にかけていくスズカを追いかける。設置された写真台にカメラを載せて、こっちですよ、と手招きで呼んでくる。

 

 

「スズカが一人で撮る?」

「もちろんトレーナーさんとです」

「では私がシャッターを」

「ブルボンさんも一緒よ。当たり前でしょ」

 

 

 そう言って私達の手を引くスズカ。明日このテンション恥ずかしくなるわよあなた。覚えておいてね。

 

 

 そして、タイマーをセットして写真撮影。とても楽しそうなスズカと写真写りが悪くてぎこちない笑顔の私、そして、真顔のブルボン。たぶんそんな写真が撮れたんじゃないかと思う。あとで現像した写真は貰おう。部屋にでも飾るか。

 

 

「記念の一枚目です。これからも色んなところに連れて行ってくださいねっ」

「……スズカ」

 

 

 かしゃん、とカメラをスズカの胸に戻す。ふう、と一息吐いて、私はスズカの頬を挟んでぐりぐりと動かし始めた。

 

 

「良い雰囲気にしても走らせてあげないからね」

「あ、あふぇふぇふぇ、お、おかしいです、トレーナーさんはそうだねって言ってくれると思ってたんですけど」

「シミュレート失敗じゃん」

「先ほどの写真は後で頂いてもよろしいですか?」

 

 

 いつものスズカだった。ほんの少し安心したようながっかりしたような、そんな気持ちで帰りの車を運転する私だった。



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ファンレターを受け取るサイレンススズカ

ライブラ杯は専用に作ったゴルシが勝てなかったので昔適当に作ったゴルシ出したらA行けました。なんやこのゲーム!(更新遅れて申し訳ないです!)


 

「はいスズカ、復唱。『私はトレーナーさんに無断で走りました』」

「私はトレーナーさんに無断で走りました」

「『だから、三日間はトレーナーさんの家にお泊まりして勝手に走りません』」

「だから、三日間はトレーナーさんの家にお泊まりします」

「『勝手に走りません』」

「……」

 

 

 ぷいっ。私の愛バは今日もできない約束はしないようだった。

 

 日本ダービーも近付き、スペシャルウィークの同期たるエルコンドルパサーがNHKマイルカップで快勝した日からも数日。いつものことだけれど、私はソファに正座するスズカにお説教をしていた。

 

 

「約束ーっ」

「ゃぅゃぅゃぅ」

「なんで走るのーっ」

 

 

 昨日のこと、それはもうスズカは走った。皐月晴れといった感じの日、今日はせっかくだし走らせてあげようかな、なんて電話をしたのがお昼前。その時既にスズカは我慢できなくなりトレセンを駆け出していたのだった。

 

 

「だめでしょーっ」

「ゎぅゎぅ」

 

 

 スズカの頬をむにゅむにゅにしながら、怒っているふりをする。当然いつものことながら、本気で怒っているわけではない。形だけお説教をしているだけで、約束もされなかったからといって特に何のペナルティもない。こういう距離感なのだ私達は。

 

 スズカも途中から拗ねて唇を尖らせるのをやめて、擽ったいみたいに笑い始めている。お腹いっぱい大満足まで走って、その勢いでトレセンに帰ってきて。ハイになったままファンの後輩に見付かり併走を挑まれ快諾、ぶっちぎった後寮に帰ってぐっすり寝たらしいからね。そりゃご機嫌にもなる。

 

 

「だってトレーナーさん、昨日のお天気見ましたか? 流石にあれは走らないとダメです」

「いやダメじゃないでしょ」

「んぅ……日が出てるけどそんなに紫外線もキツくなくて、気温も高すぎず低すぎず、少し乾いた風が吹いている……走るための日ですよ? ブルボンさんもそう思いますよね?」

「はい」

「ブルボン? 適当に返事しないで?」

 

 

 後ろのベッドで座るブルボンも一応話は聞いている。この子も最近は体を起こしていられるまでになって……トレーナーさんは感動しました。タイムをもっと切り詰めることにします。

 

 

「ほら」

「ほらじゃないけど。そのブルボンは勝手に走ってないけど?」

「……」

「あっ誤魔化すなっ」

 

 

 私の胸元に擦り付くスズカ。もう、反論できなくなるとすぐこれだ。可愛くて愛されていることを自覚した行動は控えましょう。私が困っちゃうからね。

 

 でも仕方ないのでちょっといい匂いのするスズカをそのまま抱き止めて頭を撫でる。響かせるつもりの無いお説教は響かないまま終わってしまった。ため息をついてやりたいようにやらせておく。

 

 

 こんこんっ

 

 

 と、ドアノック。ブルボンが颯爽と立ち上がり、迎えに行った。この子は坂路の後活動できるのを誇らしく思っているのか知らないけど、体育会系後輩気質がさらに増した気がする。スズカを一応一度引き離しておいて、ドアを開くとたづなさん。

 

 

「失礼します、トレーナーさん」

「お疲れ様ですたづなさん」

「お疲れ様ですっ」

 

 

 いつもながら眩しい笑顔のたづなさん。いつかのように、両手で段ボール箱をいくつか持っている。そのうち二つをブルボンに渡してきた。

 

 

「こちらスズカさん宛のファンレターと、トレーナーさん宛のお手紙が多数ありましたのでお届けに来ました」

「ありがとうございます……私宛?」

 

 

 スズカのファンレターは解るし定期的に来るが、私宛とは。私にファンがいるのか? そんなバカな。ネットでの私の評判酷いんだからね。スズカを解放しろとか言ってるのもいるんだから。するわけないだろ。

 

 

「はい。お見せするべきか悩んだんですが、その……ウマ娘の皆さんからの、ご要望と言いますか……」

「あー……なるほど……」

 

 

 チーム加入のどうこうか。溜めて溜めて来るんだろうね。たぶん今も猛アピールを続ける子は少なからずいるんだろうし、気持ちも解る。

 単純に私がそういうのを罰していないだけ。メンバー受付はしていないので、本来こういう手紙はよろしくないのだ。たづなさんが言葉を濁したのもそういうこと。大っぴらに言うべきことじゃない。

 

 

「とにかく両方受け取りましたので。すみません、ありがとうございます」

「いえ。一応検閲はさせていただいているので、何かあればご連絡くださいね。あと、たまにはトレーナーさんもどこかご飯に行きませんか?」

「か、考えておきます……」

 

 

 丁重にたづなさんを見送る。たづなさんとのご飯……万が一タイマンだった時が怖すぎる。あの人はウマ娘を語ることしかしないからな。私ではついていけない。

 

 

「お手紙……ふふ。嬉しいですね」

「そうねえ」

 

 

 一方段ボール箱を持ちつつ微笑むスズカ。走ることしか考えていないスズカも、ファンサを含めファンの方々への意識はそこそこある。ファンレターも返信こそあまりしないが、一応嬉しいという感情はあるらしい。

 

 

「何か変わったものとかあったりしますかね……」

「あとで読んでみれば良いじゃない……あ、これとかほら、ウマ娘からよ」

「本当ですね。また私みたいになりたいって走ってくれる子がいたりするのかな……」

「ね」

 

 

 いて欲しいやらいて欲しくないやらだけどね。スズカみたいにはなれないっていうのがほとんど確定しているんだし。憧れるならシンボリルドルフやエアグルーヴが良いよ。

 

 

「私はこっちを読まないとなあ……」

 

 

 ファンレターはスズカが箱を開け始める。私も一応手紙を見ておかないと。新しい子を取るつもりは無いけど、読まずに捨てるのも何かなあって。返事は……あーだめだめ。こんな量返事できません。文字通り山ほどあったわ。

 

 読み始めると……まー凄い。熱意がもう大変なことになっている。そりゃそうよね。何せクラシック未勝利戦は夏の終わりまでで、それ以降は強制的に引退となる。六月までにトレーナーを捕まえて夏に特訓しまくって、何とかオープンまでは行かないととみんなが思っている。

 

 

 ……でもなんか、みんな書いてることがおかしくない? 私は厳しい練習にも耐えられますとか、やる気は誰にも負けません! とか。私のこと、能力の無いウマ娘をスパルタで何とかするトレーナーだと思ってるでしょ。逆だからね。

 

 

「トレーナーさん見てください。このお手紙、挑戦状です。これは受けないと失礼ですよね?」

「そんな野良の勝負を受けちゃいけません」

「でも芝2000ですよ?」

「何がでもなの?」

 

 

 せめて2200って言うなら宝塚と一緒だね、くらいは言えたのに。

 

 

「というかキリがないでしょそんなの受けてたら。そもそも相手は誰よ」

「……聞いたことないです」

「そりゃそうよね」

 

 

 差出人を見たけど私も知らない。もう、うちのスズカをそういうのに使わないでよね。私達はシンボリルドルフをブルボンの練習に使うけどそれはそれ、これはこれ。

 

 私の側はもうこれ以上読むこともないので、適当にしまってスズカの隣へ。んー、と手紙を広げながら私に倒れ込むスズカ。

 

 

「マスター。私が代わりに受けることは可能でしょうか」

「ブルボンもダメ」

「そうですか……」

 

 

 贅沢な練習ができるのだから、わざわざ下を見る必要はない。ブルボンが目指すのは重賞一勝とかG1出走とかそういうレベルではない。三冠なのだ。申し訳無いが比較対象が違いすぎる。

 

 しゅんとしながらチーム宛の手紙を眺め始めたブルボンは放っておいて、スズカが新しく手を伸ばした手紙の便箋は少しサイズが大きいものだった。

 

 

「こっちは小さな子からのお手紙ですね……お返事しようかな……」

「あらほんと。可愛いねえ」

 

 

 レターセットの便箋にひらがな交じりの長い手紙。こういうのがあると嬉しくなる。ファンを区別するのもどうかと思うけど、気持ちがね、違うね。

 

 

「何て書いてあるの?」

「私のこと、好きですって。速くて可愛いって……」

「解ってるねえ」

「ええ、本当に」

 

 

 とにかくスズカを言い表す言葉なんてそれで十分。格好いいって言うのもある。まあ大体のファンレターはそんなことが書いてあるんだけどね。スズカは速くて可愛い。それだけを胸に生きていってほしい。スズカも謙遜しないもんね。私が日々可愛い可愛い言ってるから。

 

 

「お手紙、住所……書いてますね。後でお返事書きます」

「そう。一応書けたら見せてね」

「はいっ」

「マスター。こちらにも挑戦状があります」

「ええ……?」

 

 

 そんな気軽に挑戦状を送るな? まあちゃんとしたトレーナーがいないからこういう手段を取るんだろうし、強く非難もできないけど……早く見つかると良いね、トレーナーさん。

 

 それはまあしまって。代わり映えのしない手紙をいくつか消化して、届いた報告をウマッターに呟くことに。みんなでスマホを覗き込み、スズカが打ち込む文字を見届ける。

 

 

「えっと……たくさんの方から、お手紙を貰いました……んー……ありがとう……ございます……」

 

 

 相変わらず打つのが遅いんだよなあ。

 

 

「併走のお誘いは、トレーナーさんにダメだと言われてしまいました……」

「待って……ギリギリ燃えそう……」

「トレーナーさんに怒られたので……」

「燃える燃える」

 

 

 事実なのが複雑な気持ちではあるけど。マイルドな言い方に変えさせて投稿しておく。早速いくつか返信がつき、残念だの早めに相談してだの適当な言われようである。私か? 私のことを相談するのか? ん? 

 

 

「あ、スペちゃんから返信来ました」

「ほう」

「……今から行きます……?」

「え?」

 

 

 確かにそう書いてある。それも、記号も絵文字もなく、ただシンプルに一言だけ。スペシャルウィークらしからぬ物言いに、私達は首を傾げながら待つことにした。




忘れないうちに言っておきたいんですが、ダービー、メイクデビュー、宝塚とやったあと一気に毎日王冠に飛びまして、そこからかなり早いペースで天皇賞(秋)まで行きます。皆さんご存じの通りあれがあるからです。性質上うちのトレーナーは曇りに曇るので、できるだけ早く駆け抜けたいと思います。一応アンケートも置いておきます。


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後輩に解られているサイレンススズカ

 

 その後、改めてこれから行って良いかと連絡が来て承諾したのだけど、結局スペシャルウィークが来るまで結構かかった。

 

 待つ間暇なのでブルボンとスズカのオセロを眺めていたところ、ブルボンの夜練習ギリギリといった時間に彼女は来た。寸でのところで八連敗を回避したスズカが手早く片付け、二度パーフェクトを叩き出したブルボンが立ち上がってお茶を用意し始める。

 

 

「すみません、突然こんなこと……」

「ううん。スペちゃんのことだもの。何か大切なことがあるのよね?」

「……はい」

 

 

 スペシャルウィークの表情は非常に……まあ、良いとは言えない。今でも何かを悔やんでいる、そんな目をしていた。皐月賞だろうか? でも、スズカ曰くスペシャルウィークは皐月賞の敗北についてはそこまで深く引きずってはいなかったとのことであり、少なくとも今のような感じではなかったはずだ。

 

 スペシャルウィークも、優しさに溢れているのだ。自分は負けたが友達が勝った、だから自分が落ち込んでいてはいけないと考えるタイプ。ウマ娘にはよくあることだね。

 

 

「特に、こんなこと、スズカさんやスズカさんのトレーナーさんに言って良いのかってずっと悩んでいて……結局こんなギリギリになっちゃって……」

「そうなの……大丈夫よスペちゃん。皐月賞の時も言ったでしょう。ずっと応援しているし、私にできることがあったら何でも言ってって」

「スズカさん……」

 

 

 私とブルボンいる? 二人でどこか行ってた方が良い? ブルボンはこういうの何も感じないのかもしれないけど、私は何か恥ずかしいよ。普段私とスズカが二人だけの空間を作っている時って周りから見るとこういう感じなのかな。

 

 

「ありがとうございます。その、スズカさんにそう言ってもらえて、凄く嬉しいです!」

 

 

 うーん美しい友情だ。やっぱり私は一度外に出ていようかな、と思って立ち上がろうとしたんだけど、スペシャルウィークはそれを止めて声をあげた。

 

 

「ですので、スズカさんのトレーナーさんっ」

「どうしたの」

「私、ダービーまでスズカさんと一緒に練習したいです!」

「……なるほど」

「良いわねスペちゃん。とっても良いと思うわ。早速今からとかどうかしら」

 

 

 スズカは置いておいて。スペシャルウィークも心なしかスズカの方を見ていない。一秒で飛びついてきっとした目になるスズカの向かいで、スペシャルウィークはこう……どちらかと言えばダメで元々みたいな顔をしている。

 

 

「どうして、スペシャルウィーク。事情を知らないわけじゃないわよね?」

「はい。難しいことは解っています。でも、それしかないって思ったんです」

「あれ、スペちゃん? あの、私、全然良いのだけど……」

「理由を聞きましょう」

「あれ、トレーナーさん? おーい、トレーナーさーん」

 

 

 差し出されたお茶をぐっと飲み干すスペシャルウィーク。覚悟は決まっていそうだ。スズカとの練習というのはまあ、私に断られるどうこうというのもあるし、そもそも自分が一方的にボコボコにされてしまうということを意味する。スズカに勝てるわけがないからだ。

 

 

「私、日本一のウマ娘を目指しているんです。そのために、日本ダービーはどうしても勝ちたいです」

「うん」

「あ、あれ? おーい、二人とも、私は準備できてますけど……」

「でも、それにはまずスカイさんに勝たないといけません。他のみんなと違ってスカイさんは逃げ……追い付く経験が足りないんです」

「それで、スズカと?」

「あの、もしもし? 聞こえてますか? お、怒りますよー……ぅゃぅっ」

 

 

 スズカを引っ張って膝に寝かせながら考える。スペシャルウィーク、明るいおばかじゃなかったのね。いやスズカへの理解度からしてバカのわけがないんだけど、かなり見直したというか。

 

 スペシャルウィークの言葉はその通りで、正直な話末脚よーいどんの勝負は駆け引き以前に身体能力が大切になる。もちろん仕掛けるタイミングや位置取りはあるが、特にスペシャルウィークの同期はかなり後ろめで控える子が多い。

 

 一方逃げウマ娘対策は身体能力以前にレース勘が重要だ。前提として逃げができないスペシャルウィークは逃げウマ娘に付き合えば確実に沈む。主導権を全て相手に委ねることになるからだ。かといって相手はセイウンスカイ、もっと身体能力に差があればともかく、今の時点で適当に走って捉えられる相手ではない。

 

 

「スカイさんの走り方は独特ですけど……スズカさんに似ているような気がするんです。途中で少し減速して、最後に伸びる逃げ方……まだスズカさんほどではないですけど、でも、そんな感じがして……」

「……確かに、解らなくはないけど」

「それに、そういうの抜きでも、私の知る一番の逃げウマ娘はスズカさんです! お願いします!」

「スペちゃーん? 私私。私にお願いして? トレーナーさんじゃなくて」

 

 

 まあ……やらせていいか。スズカの次走は宝塚だ。ダービーまでたらふく走っても支障は出ないし、スペシャルウィークができるだけと考えればそう脚にも負担は行かないだろう。

 

 スズカ的にはほんの少しスタミナが上がる程度であまり旨味はないが、スペシャルウィークのためだしスズカも乗り気だし。

 

 

「……解りました。しばらくスズカと一緒に練習をしましょう。メニューはそちらのトレーナーと話し合いの上で決めるわ」

「ありがとうございます!」

「スペちゃん? 私。私は?」

「スズカさん、私、頑張りますね!」

「おかしいわ……スペちゃんがおかしい……」

 

 

 よし。ちょっと憂鬱ではあるけどスペシャルウィークのトレーナーさんの連絡先も聞き、了承の旨を伝えていく。今日の夜は四人でメニュー作りを兼ねてご飯を食べに行くことになった。ブルボンも連れていきたかったけど、流石に無関係なので断念。

 

 

「マスター。夜練習の時間です」

「ん。じゃあスペシャルウィーク、また夜に」

「はいっ」

「ついでにスズカのご機嫌も直しておいてくれる?」

「あー、トレーナーさんが言っちゃいけないこと言いました。もう私は知りません。おこですおこ」

「まあまあ。スズカさん、もちろんスズカさんにも感謝してますよ? 一緒に走るの楽しみです」

「そ、そう……? 私も楽しみよ? でもその」

「速いんだろうなあ、スズカさん。追い付けるかなあ」

「……絶対追い付かせないから。精々頑張ってね、スペちゃん」

 

 

 あとで私もちゃんとスズカをあまあまにして機嫌をとろう。悲しいかな後輩に褒められふにゃふにゃになっているスズカを見ながら、私はブルボンを連れて坂路に向かった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「オーダーを完遂。坂路四本、終了しました」

「セルフチェック」

「呼吸、脈拍は想定より安定。疲労度は極めて高く、思考のエラーも起きています」

「うん。そうね」

 

 

 かなりギリギリまで切り詰めたタイムで坂路を終え、私のもとに戻ってきたブルボン。相変わらず消耗は半端なものではないが、今日は初めてかもしれない、ブルボンがまっすぐ立ってふらつきもせず私と目を合わせている。

 

 これは快挙だ。成長に合わせて厳しくしているから体感の消耗は変わらないはず。身体がガス欠に適応しているのもそうだし、スタミナの伸びも著しい。

 

 

「身体に異常は?」

「ありません」

「そう。では以前から言っておいた通り、ここから体幹と上半身を中心に筋力トレーニングをするから。ダウンがてら一本流して来なさい」

「了解しました」

 

 

 私の指示に何一つ反論せず坂路に戻るブルボン。そんなブルボンのステータスを後ろから眺める。坂路で上げてきたスピードとスタミナは申し分無い。賢さは実戦で上げるとして、多少パワーもあったほうがレース場の坂に対応しやすい。特に体幹の強さはあって困ることは絶対に無いし。

 

 ブルボンは完全消耗からの回復も早めだし、体幹トレーニングはそもそも消耗も少ない。まだいける。ここからさらにブルボンを強くして、メイクデビューで周りの全員を黙らせてジュニアG1をとる。

 

 

 ブルボンは気にしていないかもしれないけど、ブルボンが短距離に進まないというのは割と色んな所に漏れているし批判も集まっている。私はまあネットの評判なんか今さらだし、世間が言ってることの方が間違っていると思ってるから良いんだけど、万が一ブルボンに火の粉が飛ぶと事だからね。

 

 そのためにはジュニアG1はホープフルでも良いんだけど……気分として朝日杯1600、スプリング1800、皐月賞2000の方が成長も実感できるだろう。朝日杯の前の重賞も1600くらいを選ぶつもりだし。

 

 

「……マスター、完了しました。続行できます」

「うん。じゃあマシンルームに行きましょう。そこまでキツくはやらないけど、そこそこにね」

「はい」

 

 

 スズカとブルボンは違う。スズカに必要なのはトレーニングよりメンタルケアだが、ブルボンに必要なのは厳しいトレーニングだ。メイクデビューを越えたら重賞に向け食事の管理をすることになる。

 

 徹底して管理し、厳しいトレーニングを積み、中途半端な適性と低いスタミナを補完し切る。逃げのブルボンは能力さえあればごり押せるのだ。

 

 

「……ブルボン」

「はい」

「メイクデビューは六月一日。中山芝1600よ」

「……承知しました」

 

 

 ブルボンを引き連れ、私はトレーニングマシンルームに歩き出した。後ろをゆっくりとついてくるブルボンからは気のせいだろうか、スズカと似たような威圧感が放たれているような気がした。



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普通のトレーニングはできないサイレンススズカ

 ある日。

 

 

「…………っ!」

「…………」

 

 

 スペシャルウィークとスズカ、それにブルボンがコースで走っている。まだ半分アップの段階ではあるが、そこそこのペースでのマラソンを行っていた。

 

 先頭をひた走るスズカと、その後ろを広がって続くスペシャルウィークとブルボン。先輩ということでスペシャルウィークが外を走らされているため、二人は割と同じくらいの疲労度に見える。

 

 

 スペシャルウィークを預かって数日。ブルボンも坂路予約が取れなかった日はこっちの練習に参加させることにした。練習メニューはスペシャルウィークのトレーナーとの兼ね合いもあるのでそう過酷にはできなかったが、練習のメインはそういうところではないし。

 

 

「ブルボン! 垂れてる! 内を走ってるのよ! スペシャルウィークより前出なさい!」

 

 

 私はメガホンを持ってそれを見ている。坂路のブルボンと自由人スズカを受け持っている身としては結構レアな経験だ。返事は聞こえないけど、ペースは上がったし聞こえてはいるんだろう。

 

 外枠スペシャルウィークと競るブルボン……レースでもないしある程度のペースは保っているからスタミナ不足がどうという問題にはならないけど、それにしても凄いなあの子。根性の塊みたいな子ねやっぱり。

 

 

 ……まあ何より凄いのはそんな二人が追い縋るのをガン無視して悠々と走るスズカなんだけどね。明らかに一人だけ余力を残している。

 

 

 こちら正面に戻ってきた三人。正面から見るとブルボンの消耗がやや激しいように見えるかな……? 表情があんまり変わらないから解りにくい。体力や怪我率は問題ないから続行はするけど。

 

 

「あと5000! スズカ! ペース上がってる! 抑えて!」

「……っ」

 

 

 スズカは露骨に嫌そうな顔をして走り抜けていった。まあその……うん。そりゃ嫌よね。何にも楽しくない……まあ走れるからその分マシってくらい? ペース走はね……スズカ的にはね……。

 

 

 でも仕方が無い。スズカだって昨日話聞いてたでしょ? パクパク食べるスペシャルウィークにわんこそばみたいに料理を取り分けながらさ。二人で決めてるって言っても向こうのトレーナーさん主導なのよ。私もその、ちょーっと年功序列には逆らいにくいからさ。

 

 

 現実問題スペシャルウィークに必要なのは何って、賢さじゃないかな。コースの問題もあるとはいえ皐月賞では脚を残していたし、仮想敵がセイウンスカイならなおさらだ。

 

 とすると、身体能力向上も兼ねてひたすら模擬レースを繰り返す方が楽だし、たぶんエルナトではそれを想定していたんだと思う。ただその、普通のトレーナーは模擬レースのことを「実力を計るもの」くらいにしか思っていないってだけで。

 

 

「ふぅ……トレーナーさん、終わりました……」

「つ、疲れますね……スズカさん、どうしてそんな平気そうに……」

「スズカさんは……常に……こうです……から……」

 

 

 三人とも全然余裕そうね。まあアップみたいなものだしバテても困るけど。

 

 

「じゃあ次は……んー……スプリント。スズカはやらなくて良いわ」

「むー……」

「むーじゃないでしょ。逆にやりたいの? 600直よ?」

「……く……」

「何を本気で悩んでるの……?」

 

 

 最高速度に乗りにくいし乗っても短いし良いことないでしょ。大人しく私の横に座らせて、三人ともに飲み物を渡す。流石に昼間から人目もある中寄り掛かっては来ないが、かなり近くに座って尻尾もぶんぶんだ。可愛いわね。

 

 

「ブルボンとスペシャルウィークは600直二本。スペシャルウィークは15m後ろから。頑張ってね。ブルボン、三バ身離されたら夜のパフェから苺が消えます。勝ったら一個増やすわ」

「苺……全力を尽くします」

 

「じゃあスペちゃんは負けたらパフェ抜きとかにする?」

「……ま、負けません……絶対に……!」

「いや流石に負けたら事でしょ。ご飯抜きでも良いくらいよ」

 

 

 非常に和やかな雰囲気で、二人がコースに戻っていく。瞬発力比べとなるとかなりブルボンも良い勝負ができると思うんだけどね。逃げウマ娘に必須のスタートダッシュの良さをしっかり備えているから。スペシャルウィークも上手くはあるけどブルボンほどではない。

 

 

「スズカも意地悪言うわね」

「スペちゃんはこう言うととてもやる気が出ますから。本当に抜くと泣きそうになるのでやっちゃダメですよ?」

「やらないわよ。ブルボンにもやらない」

 

 

 スタート位置についた二人を見て旗を持つ。笛やピストルは隣のスズカが倒れるので使えない。立ち上がって勢いよく振り上げて、数秒待って振り下ろす。

 

 

「やっぱりブルボンさんはスタートは上手ですね」

「だね。スピード差は大きいけど、スペシャルウィーク相手に粘れるんだから大したものよ」

「あっ抜かれ……あぁっ……」

「どうどう」

 

 

 尻尾がびゅんびゅんのスズカの背中を撫でて落ち着かせる。どうやらスペシャルウィークが差し切ったらしい。おおむね予想通りの着差ね。

 

 戻ってくる二人に指導を入れもう一本。結果は変わらずスペシャルウィークが差し切り一バ身。スズカの喉元をくすぐって落ち着かせながら二人が戻ってくるのを待つ。

 

 

「トレーナーさん」

 

 

 すると、スズカが非常に冷静に口を開いた。

 

 

「……これは何か違うと思います」

「……まあねえ」

 

 

 私もそう思う。この練習風景は違うでしょ。二人とも素直だから言われたメニューをこなしているし、ブルボンはそれで良いんだけど……スペシャルウィークは前提としてスズカと練習するためにエルナトに合流しているわけだ。

 

 だったらこんなことしてないでひたすらスズカに追い縋る練習をさせた方が良いんじゃないかと思う。やっぱりスズカもそう思うよね……ごめんね……私が強く言えなかったばっかりに。

 

 

「もちろん私も走りたいですけど、それよりスペちゃんが申し込んできたトレーニングはこうじゃないと思うんです」

「だよねえ……はあ……」

 

 

 言わなきゃダメか。でも、どんなにやんわり言ったとしても、結局「うちで預かるんだからトレーニングはこっちで決める」ということに他ならないのよ。ウマ娘のトレーニングは本来めちゃくちゃ慎重に決めなきゃいけないもので、言い合いになれば間違っているのは私だ。

 

 ウマ娘の消耗と怪我率、それから何のトレーニングで何が伸びるかを理解しているからこそ、効果のあるトレーニングを一つだけ雑にやらせる私のやり方が成立するのだ。

 

 

「トレーナーさん……」

「そんな目で見ないで……」

 

 

 今回については100%私がやるかやらないかにかかっているからスズカの目を見られない。スズカも走りたい以前に後輩のためを思って私に頼っている。もー……頑張らないとダメかなあ……

 

 二人が帰って来た。まだまだ平気ね。ややブルボンは疲れが見えるけど、これくらいは全然平気。

 

 

「マスター。それぞれ着差は二バ身が最大です。オーダー、遂行しました」

「あ、危なかったです……差し切れなかったらどうしようかと……」

「お疲れ二人とも。じゃあ少し休憩して、その後2000併走を三本。ストレッチ挟んでスズカを入れて2400行くから。スズカも用意しておいてね」

「え……私は2000には入れないんですか?」

「スズカがちゃんと隣で走ってくれるなら入っても良いけど」

「むぅ……」

 

 

 憂鬱だなあ……でもこれもスズカとスズカの後輩のためだもんなあ。やらないとなあ。はあ……あんまりこういうのは得意じゃないんだけど……所詮私は小物だしさあ……

 

 

「スズカさん、全然疲れてないんですか?」

「走ってただけだから……それよりスぺちゃん、たぶん明日からはもうちょっとちゃんとした練習になるから、覚悟しておいてね?」

「え? は、はい! 頑張ります!」

 

 

 退路を塞がれた気分だ。と言うか今もちゃんとした練習だから。今の方がと言った方が良いかな? ひたすらスズカとスペシャルウィークを並べて競わせ続けるとか正直正気じゃない。スズカはそっちの方が嬉しいんだろうけどね。スペシャルウィークのためにやってる感も強いし。

 

 

「……スズカ、今日はお泊りね」

「ふふっ、はい。楽しみにしてますね」

 

 

 笑顔で応援してくれるスズカのため頑張ろうと決意して、私はスマホを取り出した。緊張するなあ、もう。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「走ります」

「走りません」

「走ります」

「走りません」

 

 

 その日の晩。ブルボンの坂路を眺めながら、私達は……というか私とスズカはいつも通りの話をしていた。今日の夜、恐らく私の帰りは遅くなる。絶対に揉めるのでスズカを連れていくわけにもいかない。それを伝えたところ、一人で留守番は怖いので夜は走りに行くとか言い出した。

 

 

「怖いわけないでしょそもそも」

「怖いです」

「何回一人で留守番してるのー」

「いふぁいいふぁいふぁい」

「スズカさん……」

 

 

 スペシャルウィークの目を見てみなさい。頬っぺた抓ってるから見えないと思うけど、この人は何を言ってるんだろう、みたいな目を後輩に向けられているのよあなたは。可愛いからって許されるのは私相手だけなんだからね。

 

 

「待ってる間だけですから……」

「だめ。絶対に帰ってこないから」

「じゃあスぺちゃんに見張りをお願いしますから……」

「だめ。スペシャルウィークじゃスズカに追いつけないでしょ。あなた何回監視のブルボンをぶっちぎってるの」

 

 

 ブルボン一人が「スズカさんを見失いました」とか家に来るの、すごくびっくりするんだからね。しかもスズカからの指示を自分のスペック不足で守れなかったことにしょぼんとしてるし。ブルボンがそれでやる気を失くす子だったら大変なことよ。

 

 ……実際には今度こそ遂行してみせます、とか言って燃え続けるので別に良いけど。

 

 

「というかその、明日からたくさん走れるって話なのでは……?」

「あら良いこと言った。ほらスペシャルウィークが良いこと言ったわよ」

「明日と今日の風は違うんですよ? スぺちゃん」

「そうですか……? あんまり変わらないですけど……」

「変わるわけないでしょーっ」

「ゎぅゎぅゎぅ」

 

 

 夜の坂路には誰もいないのでスズカを弄り放題だ。ブルボンと違ってスペシャルウィークは参加してこないあたりにまだまだ染まり切っていない感じがする。

 

 一頻りスズカを説得していると、ブルボンが帰って来た。今日も特に問題はない。ダウンを指示して私からも体調をチェック。ステータスも……うん、良いねえ。これでメイクデビューは圧勝でしょ。負けたらたまげる。同世代でも圧倒的に抜けたステータスまで仕上がっているし、ここからはスペシャルウィークとスズカに挟まれて走ることもできる。後ろから迫られる経験、前に自分以外がいる経験、完璧だ。スペシャルウィーク的にもスズカとタイマンより他の……言い方は悪いけど他の垂れウマがいる方がレースの特訓にはなる。

 

 

「走りに行ったら怒るからね。デコピンするよデコピン」

「いーやーでーすー」

「このっわからず屋めっ」

「ふはへへへっ、や、やめ、やめてっくすぐ、ふふふっ」

「大変なんですね、トレーナーさん……」

「まあね」

 

 

 夜はブルボンにも頼もう。スペシャルウィークも頼めば来てくれそうだし。今更今日禁止したところで明日からたらふく走るんだから何も変わらないのはそうなんだけど、一応ね。少しでもスズカの消耗は抑えたい。そんな気持ちで私は日々を過ごしているのだ。




夏合宿の描写は悩みどころさん。宝塚後だしカットかなって感じ。ブルボンのぶるぼんは各自勝手に想像してください。想像する必要ないか。アプリを開けばそこにあるもんな。


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一人だけ許されないサイレンススズカ

ニシノフラワー is God.ベッドの中だけで3000文字使うってマジ?こんなのもう実質……いやそんなこともないか。


「……トレーナーさん? ねえトレーナーさん。もう朝ですよ? 起きた方が良いですよ?」

「んー……スズカ……今何時……?」

「四時半です」

「バカじゃないの……」

 

 

 翌朝。終電ギリギリまでスペシャルウィークのトレーナーと揉め続け、議論は白熱しまくった。不思議な力で色々すっ飛ばしている私の考えとしっかり勉強してきて職務を全うしてきた彼の意見が合うはずがない。それはもう……夢に出てきた。

 

 ヒートアップした末にスペシャルウィーク本人の電話越しでも解る熱いお願いによりエルナトに一任されることになった夜が明け、気疲れを癒そうと私はスズカと寝ていた……が、そのスズカに起こされる。

 

 

 朝から私の腕に抱かれながら私を揺さぶってくるスズカ。こちらの意見が通った……つまり今日からスペシャルウィークが納得行くまでひたすら模擬レースをやり続けるということで、うちの気性難も非常にご機嫌である。

 

 

「朝から走ると健康に良いんですよ。今日からたくさん走るんですから、走っておいた方が良いと思いまわぷっ」

「何言ってるのあなたは……」

 

 

 スズカを抱き締め胸で口を塞ぐ。ぷは、と抜け出したスズカ。ここまで近いとウマ娘用シャンプーといえど良い匂いが微かに解る。目が希望に満ちてとても可愛い。見上げられるとドキドキしてくる。

 

 

「良いじゃないですか。気持ちいいですよ? 今週は天気が良いんですけどあんまり気温が上がらないし、風もあるからじめじめしないし……」

「だとしてもこんな時間から走るのはおじいちゃんおばあちゃんだけよ」

「トレーナーさんはおばあちゃんみたいな体力じゃないですか」

「一般的二十代女性よ。人間だけど」

 

 

 ほんのちょっと人よりひ弱かもしれないけど。

 

 

「トレーナーさーん」

「もう……まだ眠いの私は」

「じゃあ寝てて良いですから走ってきて良いですか? ご飯も自分で作りますから」

「だめー」

「んぅ……」

 

 

 今日に限っては昨日早く寝たし、何よりスズカのテンションが高過ぎるので、いつもなら抱き締めていれば寝るのにまだ話し掛けてくる。私は普通に眠い。人間が活動を始める時間じゃないのよ。

 

 

「お腹空いたの?」

「……そんなにですけど、走る前はちゃんと食べておかないと。力が出ませんから」

「太るわよ」

「走ってるし大丈夫ですよ?」

「無敵じゃん……」

 

 

 スズカが勝手に抜け出さないように足を絡めようとすると、必死に逃げられる。パワーが違いすぎて競り合いにすらならないし、ちょっと無理な動きをして抵抗されると私が物理的に折れるので諦める。

 

 身体を動かしているうちに眠気が覚めてきてしまったけどまだ寝られる。そもそも今日は土曜日なのだ。担当の諸々が無ければこの時期は週休無限日の素晴らしい職場である。もう少し経つと夏の色々と、秋になれば見学会とか入試とかあるけど。

 

 

「トレーナーさーん」

「あっあっあっあっ叩かないでスズカっかっかっかっ」

 

 

 退屈になってきたのか私の身体を再び揺さぶるスズカ。せめてもの抵抗にイヤーキャップの無いウマ耳を弄くるが、全く効果がない。何とかならないかなこの子は。私が可愛さに負けてしまう前に何か思い付きたい。

 

 

「トレーナーさんは見てくれてなくても良いですよ? ちょっと一周してくるだけですから」

「府中レース場コースあたりを一周くらいなら良いけど」

「たったの三キロじゃないですか。そんなの走ったうちに入りません」

「どこから入るの」

「気持ちよくなったらです」

「一メートルで気持ちよくなって……?」

 

 

 より強く抱き締める。この細っこい身体のどこからそんな体力が出るのか。ウマ娘は人間の科学を超えた神秘というのも頷ける。どう考えても無理なことを可能にするのがウマ娘である。なんであんなランニングフォームでスピードが出るの。身体起こせ。

 

 しばらく抱き締める私と走りたいスズカの攻防は続いたが、そのうちに面倒になったのかスズカが逆に私の背中に手を回し、そのまま回転して私の下敷きに動き始めた。

 

 

「うわ何するの」

「もう五時ですよ? おはようございますトレーナーさん。ねぼすけさんはダメですよ」

「やめ、やめっ……」

 

 

 トレーナーはウマ娘に対してやられたらヤバいことを習っていたりもする。正直に言おう。押し倒されるより持ち上げられる方がヤバい。そして今、スズカの細腕と膝が私を完全に持ち上げていた。

 

 

「あー……」

「今日から頑張りましょうね、トレーナーさんっ」

「もー……」

 

 

 持ち上げられたら暴れるかウマ娘を傷付ける以外に抵抗できない。暴れて落ちたら怪我をする。あらやだ。私は詰んでしまったのだ。

 

 

「トレーナーさん?」

「……ご飯、目玉焼きとウインナーとにんじんで良い?」

「はいっ」

 

 

 またスズカに屈してしまった。でもこれは力に屈したのでセーフ。可愛さに負けたわけではない。

 

 

「まったくもう……あ」

 

 

 電話が鳴った。ベッドを出て腰掛けつつスマホを取る。テレビ電話か。ブルボンだな。ブルボンだった。スマホに無闇に触れないので、彼女にとって通話とはすなわちテレビ電話限定である。元々構造上ウマ娘はスマホで通話するならスピーカーだけど。

 

 

「もしもしブルボン?」

『あ、ブルボンさん、トレーナーさん出られましたよっ』

『ありがとうございます、フラワーさん』

 

 

 こうして他人の手を借りなければ電話ができないというのも困りものである。あと机に私達三人の写真が飾ってあって感動しました。

 

 

『マスター。おはようございます……御就寝のところ申し訳ありません』

「あぁ、うん……それはまあ良いけど……」

「トレーナーさん?」

 

 

 五時だしまあ譲りに譲って許すことにする。四時台と五時台の違いは大きいのだ。許した瞬間スズカがこっちにゆっくり視線を向けてきたがそれは無視することにする。

 

 

「どうしたの、こんな時間に……」

『はい。私としても想定外です。システム起動時間は常に一定のはずですが、何かエラーが起こった可能性があります』

「まあ、早起きで悪いことはないんだけどさ」

『はい。用件ですが、これから三十分ほどのランニングを行おうと思っています。許可を頂いてもよろしいでしょうか』

「あー……良いよ」

「トレーナーさん……?」

 

 

 スズカが身体を捻って私の下から見上げてくる。怖い怖い。仕方無いでしょ。ブルボンは時間を決めて許可を取りに来てるんだから。スズカは無限じゃん。

 

 

『ペースですが、一キロあたり二分ほどを想定しています。よろしいですか?』

「キロ二分……えー……時速……あー……もう少し落とそうか。時速二十五くらいで。できるだけアスファルトを選びなさいね」

『了解しました。では、一キロあたり二分二十四秒を目標に設定します』

 

 

 計算はっや。

 

 

「ニシノフラワーもごめんね、こんな時間に付き合わせちゃって」

『い、いえ! 私は結構早起きさんなので、平気です! たまにお弁当を作るときなんかもこれくらいの時間に起きますし……そうだ、せっかくですしブルボンさん、朝ごはんを作っても良いですか? 暇になっちゃうので……』

『……マスター』

 

 

 なんか聖人がいるわね。幼い顔立ち……というか身体も普通に幼いのになんて良い子なの。学生で土曜日五時から友達に起こされたらキレるわよ私。もちろんブルボンの体質は解ってのことだし、彼女なりにちゃんとお礼は言ったんだろうけど。

 

 ……それにしても、ニシノフラワーもなかなかいかついステータスをしている。ブルボンが走るような距離には来られないだろうけど、短距離に行ったらブルボンはボコボコにされるだろう。この幼さでウマ娘として本格化しているというのが信じられない。神秘ー。

 

 

 と、忘れてた。不安げにこちらを見るブルボンに返事をしないと。考えながらスズカのウマ耳を弄っている場合じゃない。

 

 

「良いんじゃない。ちゃんとお礼は言いなさいね。ニシノフラワーもありがたいけど無理しないでね」

『いえ、あの、いつも頑張っているブルボンさんに何かしてあげたくて……』

「ありがとう。ブルボン。頑張ろうね」

『はい。ありがとうございます。よろしくお願いします』

 

 

 ブルボンがまっすぐにニシノフラワーに頭を下げるのを見守り、よろしくね、と再度彼女に言って電話が切られた。形は違えどブルボンの友達は世話焼きしかいないのかな? 

 

 

「トレーナーさん……どうしてブルボンさんはすぐに許可したんですか」

「スズカも決められた距離とペースを守れるなら良いんだけど、どう?」

「……無理ですね……」

「でしょ?」

 

 

 でも酷いです、と私の膝を叩き始めたスズカに笑いかけながら、私はスマホを放り投げてキッチンに向かった。途中からスズカも手伝ってくれたので、朝ごはんはとても美味しかった。

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「あ、おはようございます! スズカさん! スズカさんのトレーナーさん!」

「あら」

「おはよう、スペちゃん。早いのね……どうしてにんじんを咥えてるの……?」

 

 

 朝ごはんを食べ、走りたいとごねるスズカを何とか説得し続けながらトレセンに着くと、ランニング……人間ペースだしジョギングか。ジョギング中のスペシャルウィークに出くわした。口ににんじんを咥えながら走っちゃいけません。

 

 

「早起きして、いてもたってもいられなくて……朝ごはんは食べたんですけどお腹空いちゃって」

「ちゃんと食べないと今日からキツいよ?」

「お昼はしっかり食べます! それでスズカさんにも勝ちます!」

 

 

 スペシャルウィークは今日も底抜けに明るい。ちょっと寝癖の残った髪で、ふふん、と笑顔をスズカに向けた。対して、スズカの雰囲気が変わる。

 

 

「……そう……」

 

 

 もうみんなスズカの扱い方を解っているみたい。スズカは走りの速さに関してはIQが3になるので、どんなに安い挑発でも乗るのだ。目に炎が灯ったスズカを慌てて後ろから抱き留める。

 

 

「ごめんねスペシャルウィーク。今はやめてもらっていい? 大変だから」

「あっ……すみません、つい……本当はレース前に言おうと思ってたんですけど……じゃあ私、もうちょっと走るので!」

「ん。頑張ってね」

 

 

 スペシャルウィークが走り去る。スズカにしては珍しく挨拶が無かったけど、まさかあれで怒るわけもないし。スズカの顔を覗き込むと、スズカは目を少し細めてこちらを非難するように見返してきた。

 

 

「……どうして止めるんですか。一番速いのは誰か教えてあげないといけないのに」

「そんな解りきってることしないで良いの。スズカに決まってるでしょ」

「……本当ですか。ちゃんと解っていますか?」

 

 

 めんどうな子だわあ、まったく。

 

 

「スズカが一番速いよ。当たり前でしょ?」

「……解ってるなら良いんです。ふふんっ」

 

 

 スズカは満足げに笑って歩き出した。ちょろいなあ、スズカは。そこがとても可愛い。今日から何回先頭が取れるだろうね、スズカ?




Tips!
サイレンススズカを挑発してもしなくても、スズカが走りで手を抜くことは無いぞ!ただし、トレーナーがあらかじめ「伸び脚を使うな」などの指示をしていた場合、それを無視させることができるんだ!


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根性では負けられないスペシャルウィーク

一回やってみたかったシリーズ。もちろん本編はぶらさないで書きますけど、これはこれで評判良ければサブタイ変えてちょくちょく書きます。たぶん良くはないと思います。反省。


「じゃあルールね。芝2400、左。全て内からブルボン、スズカ、スペシャルウィーク。ゲートはゲートくん三号。良い?」

「はい!」

「はいっ」

「問題ありません」

 

 

 ついにこの時がやってきました。私とブルボンさん、そしてスズカさんの耐久模擬レースです。三人で並んでスズカさんのトレーナーさんの説明を聞きながら、私は逸る気持ちを抑えるのに精一杯でした。

 

 昨日の夜、あまり良くない頭で必死にトレーナーさんを説得して、「そこまで言うならスペの好きにしなさい。その代わり、必ず何かを掴むんだぞ」と言われた瞬間から、私はドキドキしっぱなしです。スズカさんが寮にいなくて良かったです。それはいつも通りですけど。

 

 

「一レースごとに私が脚をチェック、休憩を取ります。何か異常が見付かるか、無くても私がそれ以上は危ないと判断した時、もしくはスペシャルウィークのギブアップでのみ終了とします」

「はいっ!」

 

 

 昨日の電話の時は不思議なくらい無言だったスズカさんのトレーナーさんも、今は真剣な表情で私達一人一人をゆっくりと見比べています。こうして見るとやっぱり凄い人なんだなあ……。

 

 もちろん、スズカさんを育てた方ですし、ブルボンさんもデビュー前とは思えないくらい速いですから、凄くないわけがないんですけど……普段、スズカさんとのやり取りを見ていると忘れそうになります。

 

 

「ではコースに入って。よいしょ……っと」

 

 

 ゲートくん三号を転がすトレーナーさんを見ながら、しっかり外枠に入ります。本当なら一緒に走る二人に何か声をかける方が良いのかもしれないけど、走る前のスズカさんに何を言っても聞いていないだろうし良いや。

 

 私達の目の前にバーが下ろされます。ボタン一つでこれがしゃきんと引っ込むゲートくん三号は便利なんですけど、一つだけ弱点があって。

 

 

「良い? 行くよ」

 

 

 機械からバーを伸ばして引っ込める都合上、ほんの一瞬だけスタートに差が生まれます。今回なら外から伸びているので私が遅れることになりますね。

 

 ……もちろん、同時だからといって何が変わる訳じゃないけど。

 

 

「よーい」

 

 

 いけない、切り替えなくちゃ。まずは一本目。だけど、毎回本気で。すべてはダービーのため。日本一のウマ娘になるため。そのためにスズカさんやトレーナーさん達にも手伝ってもらっているんだ。

 

 ここで、私はもっと強くなるんだ。

 

 

「どんっ」

 

 

 かしゃん。バーが目の前から消え、スタートを切りました。ダービーは最後に坂と長めの直線があるから、私の末脚を活かすため少し抑え気味に走ることになっています。

 

 びゅんびゅん飛ばす二人に乗せられないように自分のペースで。しっかりと脚を溜め、直線で一気に抜け出す差しの作戦です。

 

 

 府中に合わせたスタート位置からコーナーへ。予想通りのハイペースで進むのはスズカさん。かなり離れてブルボンさんは私から少し前。スズカさんを抜くつもりはないのか内ラチギリギリを走っています。

 

 

 先頭を進むスズカさんの呼吸のペースさえ聞こえてきそうなくらいに二人は崩れません。大きく逃げられると不安になってかかってしまうのは悪い癖です。落ち着かないと。中盤のスピード勝負で勝っても何の意味も無いんだから。

 

 

「ふっ、ふっ、ふっ……」

 

 

 それでも、いくら言い聞かせても私のペースは上がっています。さっきまで感じなかったブルボンさんの規則正しい呼吸音がはっきりと聞こえてきました。つまり、私が詰め寄っているか彼女が遅くなったか。まだ三コーナーにもかかっていません。たぶん前者です。

 

 落ち着け私、今じゃない。まだ、まだだ。ここからじゃ届いても差し切れない。三コーナーを越えて、まだ。下がってきたブルボンさんをかわして外に少し出て、大きく息を吸って、吐く。

 

 

 その時。私の前の方。七バ身先のスズカさんの身体が大きく沈みました。すぅ、と私より深く、強い呼吸の音。ほんの一瞬だけ、スズカさんの影に私は近付きます。

 

 二秒、三秒。スズカさんに追い縋れたのはそこまで。四コーナーに入った瞬間、沈んだままのスズカさんが──消えた。

 

 

「そんな……、いやッ──!」

 

 

 信じられない速度で離されていく。私も負けじとスパートに入るけど、それでも差が縮まらない。伸ばされていく。突き放される。

 

 歯を食い縛って、折れそうなくらいに地を蹴って、知らないうちに叫んででも走って。少しも縮まらない差を、スズカさんが通って、その風すら無くなった場所を通る。内か外かなんて段階にすら持っていけない。ただひたすらに一人で走っている。

 

 

「く……ッ」

 

 

 一瞬諦めそうになる、と、後ろからの足音が私を急かす。まだ差は開けている。だけど、スズカさんとのそれより小さい。クラスの差は同じはずなのに、私の後ろにはちゃんとブルボンさんがいる。

 

 そして、再び力を込めた私など見ていないみたいに、スズカさんがゴール板を通過していた。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 今日もスズカが絶好調だ。

 

 スペシャルウィークが勝てるだなんて思っていたわけではない。だけど、それにしたって七バ身差は衝撃だ。一つ下のクラスということを考えたら余裕くらいかな。

 

 

 もちろん誰が悪い、誰がおかしいかと言えば間違いなくスズカだ。スペシャルウィークは真っ当にレースをしていた。普通ならあれで正解のレースだ。三人だからバ群こそ無いけど、中団やや後方の位置取りだろうか。そこから最終コーナーで前に出て、長い直線をパワーと末脚のキレで押し切る。理想的ね……相手がスズカでなければ。

 

 

 相手がスズカでなければ、というのは正直褒め言葉として私は使いたいよ。これは相手が皇帝でなければとかそういうレベルの話。スペシャルウィークはそういう、頭のおかしな速さには届いていないし。

 

 

「ん。全員異常無し。次行っておいで」

 

 

 だから走り方については私は何も言わない。私が知っているのはスズカへの勝ち方であって、セイウンスカイに同じことをやってもたぶん意味が無い。皐月賞もそうだったしね。

 

 二レース目に向かう三人を見送って、私はまたゲート位置で号令をかけた。

 

 

 

 

 ────―

 

 

 

 

 スズカさんは、本物だ。天才とはこういうことなのだと思う。何度挑んでも落ちず、変わらず、ひたすら私から離れていくスズカさんを見て、私は強く実感していた。

 

 

 それも、ただの天才じゃない。優秀なトレーナーさんがいて、今も成長し続けている。スズカさんに勝ちたい。でも、敵うはずがないって言う私もいる。

 

 

「は……はあっ、はあっ……く、ふはっ……」

「…………けほっ」

 

 

 レースは一回一回全力でやるもの。そのぶん消耗だって半端じゃない。もちろん練習だから本番よりは消耗しない。でも、逃げウマ娘で常に全力を出し続けているスズカさんは、私よりさらに疲れていなければおかしいはず。

 

 

「はぁ……あっ、トレーナーさん、これいつものドリンクじゃないですけど」

「ああごめん、どこかの誰かが朝ばたばたさせたお陰で間違えたのよ」

「私のせいって言いたいんですか?」

「そうだけど?」

 

 

 それなのに、現実は違う。倒れている私やブルボンさんの横で、スズカさんは涼しげな顔でトレーナーさんと笑いあっている。トレーナーさんも心配していない。あれが当然なんだ。四レースを終えて、まだ走れる。途中の休憩なんて二レース目からほとんど意味がない。

 

 スズカさんの走ることしか考えていない性格は、結構厄介だったりもするし、話を聞いているとトレーナーさんも厳しいというより、スズカさんが訳の解らないことを言うからトレーナーさんが止めているような感じがするけど、同時にスズカさんの強さでもあると解らされる。

 

 

「ブルボン? まだ行ける?」

「……けほっ、問題ありません……まだ……システムグリーン、続行可能です……」

 

 

 そして立ち上がるブルボンさん。スタミナは私より少ないはずなのに、スズカさん達の方をまっすぐ見ている。肺が苦しい。息をする度に刺すように痛む。身体を動かしていなくても整わない。お腹の底がむかむかして、戻してしまいそうになる。

 

 

「スペシャルウィークは?」

 

 

 でも、まだ私は走れるらしい。この地獄は私が折れるか怪我の危険が生まれるまで終わらない。トレーナーさんが私に聞くということは、まだ私の身体は走れるということ。ブルボンさんにスパルタ特訓をやっている観察眼は信頼できる。まだ私は走れる。あとは気力の問題だ。

 

 

「走れ……ます……!」

 

 

 スズカさんは2400までしか走らない。私は少なくとも3000、もしかしたら3200まで走る。負けられない。スピードで勝てなくても、根性で負けちゃいけない。

 

 私は日本一になるんだ。そのためにはこんなところで諦められない。私が望んだことなんだ。絶対に身体の限界まで走ってみせる。負けてたまるか。日本一は日本一だ。スズカさんにも負けちゃいけないんだ。

 

 

「やりましょう……次は勝ちます……!」

「……楽しみね」

 

 

 身体が重い。でもまだ走れる。コースに立つと、少しだけ気力が戻る気がします。条件は同じ。それに、どこでスパートをかけるか、いかに道中を楽に走るか、身体が覚えてきました。

 

 何かを掴む。必ず。この二週間で、あの背中に追い付く力を、知恵を得る。そうでなければ勝てない。みんなダービーに懸けているんです。私だけじゃない。強くなるのも私だけじゃない。

 

 

「良い? じゃあ行くよ」

 

 

 勝てる。勝つ。絶対に差す。これは私の夢なんだ。絶対に諦めない。全身全霊で駆け抜けて、届かせてみせる。何でもないことのように話す二人のところに私も行くんだ。

 

 

「よーい」

 

 

 すっと前しか見えなくなる。見るべきは二人だけ。自分と走るライバルだけ。最終コーナーからは絶対に負けない。

 

 

「どんっ」

 

 

 一歩を踏み出した。意識を切らすな。どうしたら勝てるかを考え続ける。初日だとかは関係無い。

 

今、今日、このレースで勝つ。




トレーナー「はえ~すっごいこの子……」

スズカ「気持ちいい……!最高……!」

ブルボン「通常トレーニングと相違ありません」

スペ「負けない!日本一のウマ娘になる――ッ!!!」


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最近は大人しいサイレンススズカ

二話連続こんな感じ。言い訳になりますけど、スズカメインでないレースはやっぱりスポ根色が強くなるというか、今回とかはスズカも一緒に練習しているかなり深い仲の後輩というのもあってこうなっちゃいました。展開に必要だから書きたい自分とモチベ的に書きたくない自分がいる。


 

「はい、じゃあ今日はここまで。終わりね。スペシャルウィークとブルボンはダウン。スズカはストレッチ」

「はぁ……気持ち良かった……」

「了解しました……ではクールダウンに入ります」

「ありがとう……ございました……」

 

 

 スペシャルウィークを預かって一週間。今日も六レースを終え、倒れ込むスペシャルウィークとブルボン、流石にかなり疲れているスズカに私は終了を告げた。今回はスズカの怪我率が上がったからである。

 

 怪我率が上がる子は毎日結構違うが、流石にスズカが多い。それは普段がどうというより差しウマより逃げウマの方が負担が大きいという現実があったり、ブルボンには規格外の丈夫さがあるから平気なだけだったり。

 

 

 それとは別に見た様子は全然違うけどね。スズカは疲れてこそいるが晴れ晴れとした表情でストレッチを始めているし、ブルボンはそれ以外に体力を使いたくないという様子でコースに戻っていった。

 

 そして、スペシャルウィークは倒れている。ブルボンと違って、限界まで消耗することに身体が慣れていないのだ。

 

 

「大丈夫? スペちゃん」

「あんまり……」

「冷たくて気持ちいいわよ」

 

 

 スズカの問いかけにも一言返事をするのが精一杯らしい。仰向けのスペシャルウィークの額に、スズカが氷水を垂らす。顔面をびしゃびしゃにしながら、スペシャルウィークはあああ……と気持ち良さそうに転がっていた。

 

 

「スペシャルウィークも動けないならストレッチくらいしておいてね。身体に悪いから」

「はい……あっスズカさん入る入る目に入ってます」

「あっ……ごめんなさい。手が震えちゃって……」

 

 

 タオルでスペシャルウィークの顔面を拭くスズカ。今日まで未だ五バ身までしか詰め寄られていない。ダービー前といえば流石にスペシャルウィークももう本格的に現役といって差し支えないレベルに仕上がっているが、それでもそのレベルである。

 

 しかもそのレースはスズカが躓いてスタートが遅れている。代わりに先頭を行ったブルボンが数秒で競り負けたので終盤の伸び脚は発揮されていたとはいえ、出遅れがあってもなお勝てるとは。

 

 

「ほらスペシャルウィーク。ブルボンのダウンが終わっちゃうでしょ。急いで」

「はい……」

 

 

 のそのそ立ち上がり、スズカとストレッチを始めるスペシャルウィーク。先輩としてスズカが率先して手伝ってあげて、限界の彼女でも一応できている。

 

 

「……規定のオーダーを遂行しました。クールダウンを終了します」

「ん。じゃあスペシャルウィークとスズカが終わったら昼は終わりね。夜は坂路だからね」

「はい。ではスズカさん。良ければ手伝いますが」

「大丈夫よ。ありがとうね」

 

 

 微笑ましく三人を眺めつつ、その裏のステータスも見る。かなり無茶な練習をしている自覚はあるし実際そうなので、嬉しいことにスペシャルウィークとブルボンについては少しだがステータスが上がってきている。スズカは変化が無いけど。

 

 

 成長はしている。後はセイウンスカイやキングヘイロー、エルコンドルパサーがどこまで仕上がっているかだ。

 

 

「スズカさん痛い痛い痛い痛い」

「あら……?」

「あらじゃないですよ!?」

 

 

 一方で兆しはある。一部の強いウマ娘……伝説として往年に名前が残るだろうと言われるようなウマ娘が持つ、伸び脚の兆し。元々最終コーナーからの末脚のキレは抜群だったが、もう一つ。直線でも、力を燃やし尽くすような加速……の、片鱗があった。

 

 

「スペちゃん、体固くなった?」

「スズカさんが柔らかすぎぎぎぎぎっ」

「スズカさん。解析によるとこれは『マジ』です」

 

 

 あれを完璧なものにできれば何かがありそうだ。もちろん実際にレースをしてスズカに勝てるかと言われればそれは絶対に無理だが、ベストのスズカに大差以内は安定させられるんじゃないかな。

 

 

 でもなあ。伸び脚の習得なんか私には解らない。ステータスはともかくそっちは結果論でしか語れないのだ。

 

 スズカのそれはたぶん先頭への執念とランナーズ・ハイによるものだろうし、マルゼンスキーであれば本人も言うように生まれ持った才能……文字通りエンジンが違いすぎてただスパートをかけるだけでぶっちぎっているに過ぎない。

 

 

「そんなに無理したかしら……?」

「無茶ですよ。こんなんですよこんなん!」

「……? ええ、これくらい……」

「柔らかすぎるんですよスズカさんが!」

 

 

 なんにせよ私にできるのはひたすら三人を……まあスペシャルウィークを走らせるだけだ。練習の効果はそうはっきりと保証できない。健康だけはちゃんと管理するけど。

 

 

「みんなもう良い? シャワー浴びてきな。スズカは今日は終わり。スペシャルウィークは回復次第で坂路に来ても来なくても良いわ」

 

 

 姦し娘達の元気な返事を聞き、私は一足先にトレーニングルームへ戻る。ダービーまであと一週間。何か掴めると良いんだけど。

 

 ……あと、私としてはスズカが大人しくてちょっとなあって感じ。毎日たらふく走ってるわけだから不満なんてあるわけないし、後輩の手前ちょっとは甘えるのも控えさせてるし、夜も寮に戻らせてるけど。

 

 

「あー……ふー……」

 

 

 夏合宿の手続きをやっておかないと。あとはスペシャルウィークのトレーナーさんへの報告と、トレセンの仕事の諸々。後は学校見学会の話もそろそろだ。今のスズカのことだから、絶対に目玉にされる。回避したいけどなあ私は。

 

 

 自分で淹れた手を掛けつつ、一人の部屋で黙々と仕事を進める。しばらくすると扉がノックされた。来客の予定を入れた覚えはないけど、と開けると、スーツ姿でペンを持つ知っている顔。

 

 

「どうもこんにちは! エルナトのトレーナーさんっ」

「……あの、アポとか取らないんですか?」

「たまたま寄る機会がありまして、ご挨拶に伺ったまでですよ?」

「……はあ」

 

 

 いや嘘じゃん。絶対取材に来てる。まあ良いけど。この人のインタビューは勝手にこの人が喋ってるだけで全然こっちの負担にならないし。たまに誇張が入るけど。何が聞きたいんですか、と問うと、よろしいですか!? と白々しく返してきた。

 

 

「こちらの情報ですと、スペシャルウィークさんをエルナトで見ているとか」

「ああ、ええ。見ていますね」

「スペシャルウィークさんの評価や、見込みなんかを聞けたらと」

「……いやいや」

 

 

 それを私が言うのは不味い気がする。スペシャルウィークのトレーナーに聞けば良いのに。負けかねないとかだったらどうするのよ。

 

 

「レース関係者ってことにしますし、しっかりボカしますから」

「……いやあ」

「お願いします!」

「…………まあ、私が言うのはアレですけど」

 

 

 面倒になってきた。まあこの人なら大丈夫だろう。最悪URAに告発するから。

 

 

「実力は伯仲って感じだと思いますね。特別スペシャルウィークが強いわけでもなく弱いわけでもなく」

「なるほど。最大のライバルはやはり皐月賞を取ったセイウンスカイでしょうか?」

「だと思いますが……」

 

 

 実際セイウンスカイを見てみないことには。まあ私が探していないのもあるけど、彼女はあんまり人前で練習していないみたいだから。隠れてやっているタイプなんだろうね。

 

 

「セイウンスカイの力も把握しているわけじゃありませんし。それにキングヘイローや他のウマ娘もいますから」

 

 

 まあキングヘイローは能力が同格なら適性で勝てるだろうけど。スペシャルウィークとは立つべき土俵が違うんじゃない、あの子は。

 

 

「エルコンドルパサーも電撃参戦という話ですが?」

「まあ……まあ。一旦怖いですけど……抜けているかと言われるとですかね」

「では、スペシャルウィークの勝算はどの程度?」

「……うーん」

 

 

 全く解らない。ただ、相手がセイウンスカイとエルコンドルパサーだとして、果たしてどこまでやれるかと考えると……恐らくセイウンスカイには勝てるだろう。長い直線も登り坂も差しをとるスペシャルウィークに追い風だ。

 

 しかしエルコンドルパサーはどうだ。あれは差しもできたはず。展開によって結果も変わるかもしれない。キングヘイローも同格なら勝てるというだけで、根性でひっくり返すタイプならまだ解らないしそもそも能力負けしている可能性もある。

 

 

「……三割ちょっとじゃないですか。十分本命ですが、どこまでも展開次第としか。実力で圧倒して勝つレースにはならないかもしれませんね」

 

 

 やはりスズカにはなれない。当然だ。あんなウマ娘がそうぽんぽんいたら困る。私のスズカはどこまでも特別なのだ。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

『三割ちょっとじゃないですか』

 

 

「っ……」

「スペちゃん……」

 

 

 エルナトのお部屋に戻ってきた時、中で話している声が聞こえてきました。ノックをしようとスズカさんが前に出た瞬間聞こえてきた、私の話。

 

 三割。三割? 三割勝てるということは、三回やって一回。じゃんけんと一緒くらい。負ける可能性の方が高いと、そう言われている。

 

 

「……」

 

 

 シャワーでふやけた手のひらを見つめます。私は強くなっている……と思っています。トレーナーさんもそう言ってくれました。

 

 でも、スズカさんにはずっと届かないまま。出遅れたスズカさんにすら勝てていない。何かを掴もうとここに来て、まだ何も変わっていない。

 

 

 ……まだ、足りない。もう少し。あと少しできっと掴めるような気がする。前を走る誰かに届くために、私の脚でできること。

 

 

「スペちゃん?」

「あ、はい、すみません。大丈夫ですっ。お話、終わるまで待ちましょうか」

「え? 入って大丈夫よ」

「でも、真面目な話とか、取材とか……」

「トレーナーさんが怒るわけないわ。それに、私がいた方がトレーナーさんも楽しいわよきっと」

 

 

 スズカさんのその自信はよく解らないけど、私も何か考えなきゃ。トレーナーさんにも今夜電話しよう。

 

 

「スズカさん。私、今夜はトレーナーさんと電話するので、良かったらお家の方に行ってもらったほうが良いかもしれないです」

「と、トレーナーさんのところ? う、うん、そういえば最近行ってなかったし、行こうかな、うん……」

 

 

 準備もできました。日本ダービーが来ます。もう、すぐそこに。



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初めてトレーナーを騙したサイレンススズカ

とりあえずダービー終わりまではスポ根が強くなりそうですねえ。


「……何してるの、スズカ」

「お帰りなさいトレーナーさん。静かにしてあげてくださいね」

「まあ」

 

 

 ダービーまであと数日のある日、家に帰るとスズカ達が私のベッドを占領していた。普通に寝ているブルボン、その横に腰掛けるスズカ、そしてその膝で眠るスペシャルウィークという布陣だ。

 

 今日も二人はスズカと限界まで走り続け、いつものようにふらつきながらトレーナールームに戻っていき、何の会話があったのか私の家に来ることになったのだ。

 

 

 私は仕事があったので合鍵を持つスズカが連れて行ったのだけど……まあ、疲れて寝ちゃったか。

 

 

「ご飯、車に積んであるから後で運んでくれる? 言われた通りいつもの四倍買ったけど」

「ありがとうございます。スペちゃんもブルボンさんもたくさん食べるし、たぶん食べ切れると思いますから。最近いっつもお腹を空かせているみたいで……」

「恐ろしいなあ」

 

 

 私と実質二人とはいえ、スズカは二人を寝かせながら非常に慈しみの強い目をしている。先輩なんだなあこの子も。前から知ってたけど。手に持っていたいくつかのレジ袋をキッチンに置いて、いつからベッドにいるのか知らないけど二人分のマグカップを持って戻る。

 

 

「紅茶とジュースどっちが良い?」

「またりんごですか? いちごにしましょうよ」

「売ってないんだって。我慢して?」

 

 

 スズカに紅茶を渡し、スペシャルウィークがいない側に座る。すやすやと寝ている彼女を見つめると、いつものようにステータスが表示される。

 

 スピードD+

 スタミナC

 パワーC+

 根性E+

 賢さE+

 

 ……まあ、まあ。G1戦線で名前も上がらないようなウマ娘がFやらEが中心なことを考えれば破格だ。特にスタミナやパワーだけならスズカに届き得る。この辺りは菊花賞やシニア戦線も走るだろうスペシャルウィークと、長くて2400のスズカとの違いね。

 

 

「スペちゃん、厳しそうですか?」

「ん……いや、そこまで厳しいってわけじゃないけど」

 

 

 インタビューではレース関係者が語ったことになったが、やはり三割だ。ウマ娘レースと考えればかなり高い……けど、私のこの眼で能力を看破した上で言っていることだ。

 

 

「じゃあ、厳しいですね」

 

 

 事実、スズカと初めて走った神戸新聞杯、私はスズカに「九割勝てる」と言った。秋の天皇賞もそう言った。そこからはスズカも聞いてこないが、聞かれたら今でも言うだろう。そういう話をしているのだ。

 

 

「どうしたら勝てるんでしょうか」

「そうねえ」

 

 

 スズカの隣に寄ると、半身を傾けて頭を擦り付けてくる。久しぶりの甘えに私もスズカの髪を撫で鋤いて、んー、と呻くスズカの耳を擽る。

 

 

「スペシャルウィークは寝てる?」

「ぐっすりです」

「そう……まあ、正直今のままだとお祈りかな」

「お祈り……」

「実力伯仲だから、レース展開にもよるし」

 

 

 勝つことが目的ならこうであってはいけないんだけどね。実力で圧倒してどういうレースになろうと勝つ方が良い。そういう意味ではスズカも未完成だ。最終コーナーで先頭を取れなければ沈む。

 

 スペシャルウィークもハイペースからの末脚よーいどんならたぶん負けない……と思う。だけど、もしセイウンスカイの一人逃げになってしまったり、レースがスローペースになれば届かないかもしれない。

 

 

「何か方法は無いんですか?」

「何。ちゃんと聞くじゃん」

「スペちゃんの話ですよ? 大事な後輩です」

「そっかあ」

 

 

 まあ、もちろん、スズカがそう思うなら勝たせてあげたい。けど、一月二月任せてもらえるならまだしも、というかそうであっても、能力の急上昇はできない。戦法や戦術は私が言うよりスペシャルウィークのトレーナーさんが言った方が良いだろう。

 

 

 だとして、私ができることは何だって話。

 

 

「うーん……まあ……一応一つ、考えてることはあるのよ」

「何です?」

「伸び脚。スズカにもたまに言うでしょ。伸び脚禁止って」

「ああ……あれですか。こう、じれったくて背筋がぞわぞわするので二度と禁止しないでくださいね」

「嫌だね」

 

 

 そんなー……なんていつものように倒れ込もうとして、スペシャルウィークがいるのでできずにグーパンチ。痛い痛い。猫パンチでどうしてそんな威力が出るの。かなり手加減してるんだろうけど肩が粉々になるかと思った。

 

 

「伸び脚がどうした、ぁっぁっぁっ」

 

 

 仕返しにスズカの鼻をつつく。

 

 

「スズカは先頭だと楽しくなって気付いたら脚を伸ばすでしょ。そういう風に、特定の展開で伸びる子ってのがいるんじゃないかって思うの」

「はあ……よく解りませんけど」

「スペシャルウィークもそういうのがあるかもしれないでしょ? スズカだって自分で自覚あるでしょ? レースの最終直線では明らかに実力以上のスピードが出てる」

「まあ……そうなのかも……?」

 

 

 まあ、やめてと言ったらやめてくれるし自覚はあるのかな。何か考え込んだスズカの首元に触れつつ、さらに慎重に考えながら話す。流石に能力が見えるみたいな怪電波は知られたくないし。

 

 

「だから、スペシャルウィークにそういうのがあれば、そして他の子にそれがない、あるいはスペシャルウィークより振れ幅が小さければ行けると思う……けど」

「それは……どうすれば?」

「それが解らないんだねえ」

 

 

 スズカのことだって解らないんだからスペシャルウィークのことが解るわけがない。大人しく顎を差し出す愛バは曲がりなりにも一年ちょっと付き合って推測できたけど。

 

 

「んぅ……んー……それって、手がかりとかあるんですか?」

「無……い……かな? たぶんその子の特徴とか……スズカだって先頭で走るのが楽しいから先頭で速くなるわけだし、スペシャルウィークにもそういうのがあれば」

「んー……スペちゃんが好きなこと……?」

「心当たりがあるの?」

「食べること……とか……?」

「そういうことじゃないねえ」

 

 

 まあ食欲があることに越したことは無いけど。時には武器になるかもしれないしね。今のスペシャルウィークに必要なのはスタミナでもパワーでもなくスピードなのよね、たぶん。

 

 

「スペちゃんの強み……んー……」

「……まあ、あと一日、明日があるからね。もしかしたら何かが起こるかもしれないし、何も無くても勝てるかもしれない」

「そう……ですね。明日……明日までですね……はあ……」

「何ため息ついてるの。そりゃ前日までこんな練習できるわけないでしょ?」

「そうですけど……」

 

 

 ですけどー……と言い残してスズカがカップを置いて仰向けに倒れる。手を引かれたので私も転がり、手を伸ばして私の胸を叩くスズカにされるがまま。

 

 

「こんなに楽しい時間が終わっちゃいます……」

「たくさん走ったからね。ダービーの後は宝塚もあるんだからまた頑張らないとね」

「スペちゃんを手伝ったご褒美に走ったりは……」

「もちろんダメいたたたたたた潰れちゃう潰れちゃうおっぱいが凹む」

「走りたいです……」

「毎日それはもう自由に走ってるじゃない」

 

 

 解ってませんね、とスズカのドヤ顔がムカつくので上から覆い被さるように体を起こしてほっぺたをつねる。あわあわして顔を逸らし逃げていった。

 

 

「今やっているのは模擬レースです。決まったコースを決まった距離走ります。これではこう……最後まで気持ちよくなれないというか……一回なら良いんですけど、何回も走ってるとこう、良くない考えが浮かぶというか……」

「なにさ」

「どうしてこのまま走り続けられないんだろうってもやもやしてきちゃって……やっぱり何もないところをびゅんびゅん飛ばすのが一番気持ちいいです」

「贅沢だなあ」

 

 

 走っているうちにストレスが溜まって走りたくなるとは恐れ入った。それはそれとしてじゃあ模擬レースやめる? と言ったらそれは拒否するのだから難しい。

 

 

「だからその、走ってきても良いですか?」

「ダメでしょ」

「なんでですか?」

「本気で解ってない顔しないで」

「走りたいんですよ?」

「だから何よ」

「走りたい時は走るのが一番です」

「毎日たくさん走ってるでしょーっ」

「それとこれとは話が別ですよーっ」

 

 

 ばしばし叩きに行くが、全て見切られて掴まれた。そのうち疲れてやめた。私はひ弱なのだ。毎日走ってもまだ走りたいスズカと違って。

 

 

「それに最近ここにも来てませんでしたし、やっぱりたくさん走ってトレーナーさんのご飯を食べて寝たいですよ?」

「……そういうこと言わないの」

「はあ……走りたいです……」

「はいはい。ご飯食べに行くから準備して車乗りなね。スペシャルウィークとブルボンも来るだろうし」

「え?買ってきたんじゃ」

「疲れたから食べに行くよ」

「はあ。じゃあ起こしておきますね」

「ん」

 

 

 ちょっと照れてしまったので、隠すのも兼ねて部屋を出る。普段よく行ってるお店、突然行っても大丈夫かな。まあ大丈夫か。スズカも歓迎してくれてるしね。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「……らしいわよ、スペちゃん」

「はい……ありがとうございます、スズカさん」




この後出禁になった。


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後輩で遊ぶサイレンススズカ

宗教上の理由でスズカにデバフや回復は積めない(加速と速度アップのみ)のでチャンミの育成が非常に大変です。ふええ……地固め継承できないよぉ……


「んー……あ?」

 

 

 翌朝。目が覚めると目の前にブルボンが眠っていた。死んでるんじゃないかってくらい安らかに目を閉じて、でもよく見ていると非常に規則正しく寝息を立てている。睫毛なっが。どいつもこいつもウマ娘は美人ばっかりだ。

 

 シャットダウンしたアンドロイドの寝間着を少しだけ直してあげて、寝返りで振り向くとスズカ。こっちはこっちでどこか微笑んでいる。眠り姫どもめ。私の自尊心を削って何が楽しいんだ。

 

 

 そしてまあここにはいないスペシャルウィーク。いなくてよかった。流石にセミダブルに三人は狭い。スズカと寝るために買ったベッドだけど、大人しくダブルにしておけばよかった。今度キングに買い直そう。

 

 ちなみにスペシャルウィークも昨日の時点ではベッドで寝る気マンマンだった。スズカ達と同じく人と寝ることに抵抗がないタイプだったようだ……けど、寝相が悪く私を蹴り飛ばしてしまうということで断念。あのスズカが真顔で「やめた方が良いと思います」と言ってきたのが印象に残っている。

 

 

 時計を見て、まあ良い時間なので起き上がる。リビングの床で来客用の布団が見るも無残にぐちゃぐちゃになっていた。こわ。

 

 トイレを済ませ歯を磨き洗顔、着替えと一通り終わらせる。ご飯は……まあ作るか。絶対足りない人間サイズの朝ごはんを作るのはスズカが好きだと言うからだけど、一応四人分のご飯を早炊きにかけておいて。

 

 

「んー……何にしようかな」

 

 

 適当に料理は作りたいけど、今日はあまりにも材料が豊富なんだよね。ウマ娘サイズの料理は疲れるから朝からなんて作らないけど、普通に晩御飯作るつもりで昨日買ってきてるからなあ。多めになっちゃうけどまあ食べられるか。

 

 

 手早く調理開始。二人分は一人分に毛が生えただけなんだけど、四人分ともなるとちょっと大変だ。まあこれでもそこそこ料理は得意だし、お味噌汁も作って……最後玉子を巻く前に三人を起こそうかな。

 

 

 ということで火を止め、卵を割る前に寝室へ。いまだに眠るスズカとブルボンの側に座り、まずはブルボンから。大きめの耳に触れるか触れないかまで指を伸ばし、ふわりと触れる。そのまま髪を撫でながら頬まで降りて、それでも変わらない表情に口を開く。

 

 

「ブルボン?」

「はい」

「きゃあぁあぁっ!!?」

 

 

 本気で起こすつもりはなかった。あー可愛いなあって呟くみたいに名前を呼んだだけだったのに、ブルボンがぱちりと目だけを開いた。驚いた末叫びながらベッドから落ちる。びっくりした……何してくれるの。めちゃくちゃ腰打ったんだけど。

 

 

「んー……なんですかトレーナーさん……朝から……」

「い、いや、あ、ごめんスズカ、起こしちゃったね……ぶ、ブルボンが……」

「ブルボンさんが何かしたんですか?」

「いえ、呼び掛けを受けましたので、起動命令と判断して起動しました」

「ね、寝てたよね……」

「トレーニング後のものは回復のための緊急スリープです。通常シャットダウンであればマスターの命令を聞き逃すことはありませんので」

 

 

 そんなんでその寝起きは普通に怖いんだけど。体を起こしてふんすと胸を張る。私の貸した寝間着が千切れそうになってるって。

 

 私の叫び声に目を覚ましたスズカが、大きく伸びをしながらどや顔ブルボンを見る。そして、騒ぎすぎですよ? と私を叱った。ごめん。でもびっくりするじゃん。

 

 

「そんな、パソコンだって立ち上げるのにもう少しかかるわよ」

「体調管理のため、起動もシャットダウンも一瞬で行えるよう努力しています」

「ロボットじゃん。え、じゃあブルボン、シャットダウン」

「シャットダウンします……ぐぅ」

 

 

 どさ、と仰向けに倒れるブルボン。

 

 

「起動」

「ミホノブルボン、起動します」

 

 

 がば、と上体を起こすブルボン。

 

 

「シャットダウン」

「シャットダウンします……すや」

 

「起動」

「ミホノブルボン、起動します」

 

「シャットダウン」

「シャットダウンします……すぅ」

 

「起動」

「ミホノブルボン、起動します」

 

 

 スズカが遊び始めた。いや、ブルボンも本当に寝てるか解んないけど。下半身を微動だにせず上半身を起こすその腹筋に驚くばかりだ。悪戯に触ってみる。起動のタイミングで……うわかった。金属じゃん。

 

 

「シャットダウン」

「シャットダウンします……すやぁ」

 

「起動」

「ミホノブルボン、起動……起動シークエンスにバグが発生しました。再起動失敗。原因を捜索中」

「あースズカが無理するからブルボンが壊れちゃった」

「ふ、ふふっ……も、もしもし? 起動してくださーい」

 

 

 二人で笑いながらブルボンの鼻をぽちぽち押してみる。ブルボンがふざけるなんて珍しい。何度か押していると、ぱっと目を開いた。

 

 

「電源ボタンが十度押されました。ミホノブルボン、爆発します」

「物騒な機能ね」

「残り五秒」

「有無を言わせない早さ!」

「ふっ……ふふっ……」

 

 

 スズカがお腹を抱えて笑っている。なんとも言えない絶妙に飛んだ表情で、ブルボンの無慈悲なカウントダウンが始まる。

 

 

「三、二、一……ぼーん」

「迫力が無さすぎるでしょ」

「くふ、ふふふっ……」

「ご安心ください。そのような機能は搭載されていません。メカジョークです」

「知ってるわよ」

 

 

 すっと体を起こしたブルボン。笑い転げるスズカを見てさらにどやる。ウケました、とでも言いたげなブルボンに何を言うべきか思い付かないので撫でておく。とても満足げにしてくれたブルボンとくすくすしているスズカを連れて、私達はリビングに向かった。

 

 

 なお、スペシャルウィークはこの騒ぎの中すやすや寝ていた。図太いね、君は。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「美味しいです!」

「あ、うん。良かった」

 

 

 朝食。ウマ娘にとっては朝ごはんまでの軽食でしかなく、私にとっては大事な食事。だが、スズカやブルボンは自分の分を半分も食べていなかった。何故か。

 

 

「はい、あーん」

「あーん……んむんむ……」

 

 

 スペシャルウィーク餌付け大会が突然に始まったからである。満面の笑みでご飯を食べるスペシャルウィークと、そんな彼女にテーブルから無差別にご飯を食べさせるスズカとブルボン。いつかブルボンにもやったことあるな、これ。

 

 

 スペシャルウィークはお腹がペコペコだったらしく、自分の分を平らげた後お腹を物凄い勢いで鳴らしていた。トレセンへ行っての朝食まで我慢しようとした彼女だったが、それを面白がったスズカにこれ見よがしにニンジンを差し出され敗北。

 

 最初は遠慮していたが、冷静に考えてこんな量の朝食あってもなくても変わらないし、スズカ達も料理そのものより楽しければ良いと知りタガが外れた。今となっては次々に差し出されるご飯を美味しい美味しいと食べるマシンになってしまった。ご飯食べるロボットと走るロボットとただのロボットがいるな、この家。

 

 

「トレーナーさん、ニンジンありませんか?」

「そこにあるでしょ」

「丸一本のやつです」

「ええ……食べないでしょ」

「スペちゃんは丸ごと生ニンジン大好きですよ?」

 

 

 嘘でしょ。でも気になるので持ってきた。スズカに渡すと、躊躇い無くスペシャルウィークの口に突っ込んだ。

 

 

「んむんむんむ」

「わー……食べてる……」

 

 

 ウマ娘的には普通なのかな。ブルボンやスズカは食べないし、にんじん○○みたいな料理のにんじんだってちゃんと加工は入ってるのよ。本物の生にんじんを食べてる……うわあ……信じられない。

 

 

「美味しいですよね?」

「む? はい。美味しいですよ?」

「そうなの……」

 

 

 スペシャルウィークがそう言うなら良いけど。料理はした方が良いと思うけどなあ私は。私も自分の分を食べきり、私より先に食べ終わった全員分の食器を片付ける。ウマ娘と食べると絶対に残りが出なくて良いなあ。しかも三人ともちゃんと丁寧に食べるから、食器がとても綺麗で助かるわ。

 

 

 スズカの持つにんじんをリスみたいに食べ進めるスペシャルウィークとそれを見つめるブルボン……を見ながら簡単に食器を洗っておく。

 

 

「歯磨いて着替えなね。コースは十時だからね」

「はい。早く食べてスペちゃん」

「あむあむ」

 

 

 私の準備はできてるし、後は待つだけ。ベッドの片付けでもしようかな。布団も脇に避けただけだから畳まないと。あとは食材の整理をして、あと……まあそれくらいか。スペシャルウィークは知らないけど他二人の準備は早いし、十時前からアップができるなこれは。

 

 

 三人が食べ終え、動き出す。それを見守りつつテレビをつける。やはりどこのニュースもワイドショーもダービー特集だ。大本命は……割と割れている。ウマ娘レース評論家達がスペシャルウィーク達の名前を挙げ、強さを力説している。

 

 でも、論調としてはエルコンドルパサーが優勢かな。やはり距離も長いし直線も長いし、逃げのセイウンスカイの評価はそこまでか。スペシャルウィークとエルコンドルパサーが抜けている。キングヘイローも推されてるな。

 

 

 流石にテレビ越しの顔写真でステータスは見えない。媒体を通すにも一つくらいにしないといけないか。どうだろうな。勝てるかな、スペシャルウィーク。勝って欲しいけどね。スズカも喜ぶし。

 

 

「トレーナーさん、シャワー使いますね」

「良いけど何したの」

「スペちゃんの寝癖がどうしても直らないので……」

「そう。好きにしてー」

「はーい」

 

 

 スズカの大事な後輩だし、勝たせてあげたい……が、結局今日でスペシャルウィークの特訓も終わりだ。流石に延長はできない。直前までトレーニングができるのはごく一部……ブルボンにはさせるつもりだけど。

 

 スペシャルウィークのことを知らなすぎてアドバイスもできないし、祈るばかりなのが残念だ。スズカにはああ言ったけど、そのスズカだって自分で考えている訳じゃないからね。伸び脚の仮説だって私が勝手に言ってるだけだし。

 

 

「マスター。準備完了です」

「ん。ブルボンも飲む? コーヒーかココアかジュース、どっちが良い?」

「ジュースで」

「はいりんごジュース」

「…………」

「ブルボン?」

 

 

 コップを差し出す私に、またふふん、と微笑むブルボン。

 

 

「流石はマスター。朝はりんご、完璧です」

 

 

 聞いたかスズカ。私の勝ちだぞ。



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後輩の背中を押すサイレンススズカ

「と、トレーナーさん、絶対ですよ、絶対に手を離しちゃダメですよ」

「解ってるって」

 

 

 ダービーが、来た。

 

 五月後半、日本において圧倒的人気を誇るウマ娘レース、トゥインクルシリーズでも屈指の集客率を誇るのが、この日本ダービーである。

 

 クラシック級限定かつ生涯に一度だけしか出走できないこのレースは、成り立ちからして日本一のウマ娘を決めるもののうえ、汚い話賞金額もかなり高い。前走皐月賞の大体二倍くらいだったかな。

 

 ウマ娘が賞金目当てにレースを走るって話はそう多くないけど、まあそういう色々な理由があって、やはりこのレースは特別だ。トレーナーにしろウマ娘にしろ、これに勝てたら引退しても良いなんて言い出すのがいるくらいに強く懸けている。

 

 

「マスター。屋台を確認しました。ステータス『空腹』の改善を提案します」

「はいはい。何か買おうか」

 

 

 当然それはスペシャルウィークも例外ではないし、その先輩であるスズカも皐月賞に続きかなり気持ちが入っている。今度は直接見られるということで、東京レース場へ来て、一般観客に交じっている。当然変装付きで。

 

 ……私はトレセンのトレーナーなので、その気になれば特別観覧席へ行けるんだけど、是非声の届くところで応援したいとスズカが言うので今日はこっちだ。

 

 

「スズカも何か食べる? 飲み物とか」

「あ、ええと……じゃあ何か甘いものがあったら……」

 

 

 そのスズカはずっと私と手を繋いでいる。不安なので手を繋いで欲しいらしい。可愛いところ見せてくるじゃん。どこの人間が買うんだよ、というハチミツ入りの激甘ジュースを買い、その隣で大盛り焼きそばを買ってきたブルボンとともに観覧席へ。

 

 

「そんなにお腹空いたの、ブルボンは」

「いえ、『空腹』については特筆するほどの深刻なバッドステータスではありません。ですが、日本ダービー出走に伴い、記録と学習のため極度の集中状態になることが予想されます」

「お腹空いてると邪魔ってこと」

「その通りです」

 

 

 素早く焼きそばを食べ始めたブルボン。出走までに全部食べきるつもりかこの子は。

 

 

「と、トレーナーさん、入場ですよ、入場」

「ん」

「どうですか? スペちゃんは勝てそうですか?」

「んー……」

 

 

 地下通路から出てきたウマ娘達。一人一人名前を呼ばれながら、観客の方へ向く。キングヘイロー……うん、まあ……悪くはないけど適正とスタミナがね……ちょっとトレーニングを根性に寄せすぎじゃない? 

 

 セイウンスカイは……まあスペシャルウィークと互角くらい。良い勝負をしそう。やっぱりここは展開によるとしか言えないかも。

 

 

「……まあ良い勝負はできるでしょう。十分勝機はあるわね」

「勝機はある、ですか」

「……ごめんね。でも嘘はね、良くないから……」

 

 

 スズカのウマ耳がぺたんとしてしまった。うーん……結局最後までスペシャルウィークは特に変化無かったからなあ。展開お祈りかなあ、これは……

 

 

「全力で応援しましょう、トレーナーさん」

「もちろん」

「ブルボンさんもですよ」

「了解しました。オペレーション『応援』を開始します。出力設定、全力で行います」

「待って怖いね。ブルボンの本気はマジじゃん。喉を潰さず応援が終わった後不調が起こらない程度にしてね?」

「出力を四段階低減します」

 

 

 どんな声でやろうとしたんだ。

 

 

 入場は最後にエルコンドルパサー……おっと? 抜け出てるねえエルコンドルパサーが。三強よりやや強い。少しスタミナが弱い気もするけど、周りよりスピードが抜けている。これは……

 

 

「……彼女が強いですか、トレーナーさん」

「強いね。強い。一番人気も納得だよ。NHKマイルからダービーは正気じゃないけど……やっぱりスペシャルウィークは『勝機がある』までかな」

 

 

 スズカに見抜かれたので正直に話す。スズカを見ている私は、やっぱりスピードを一番重視してしまう。それが一番高いのはエルコンドルパサーで間違いない。スタミナは低めと言っても2400は十分走りきれるだろう。彼女の作戦にもよるけど、厳しいかなこれは。

 

 

「頑張れー……頑張れスペちゃん……!」

 

 

 ゲートまで行き……おお。四人が握手しあっている。スポーツマンシップだ。素晴らしいことね。みんな頑張ってほしい。もちろんスペシャルウィークをメインに応援するけど。

 

 

 そして、ファンファーレと心地よい口上が流れ、そして。

 

 

『──スタートしました!』

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 日本ダービー。私の憧れ。日本一のウマ娘になるために必要なこと。

 

 グラスちゃんは怪我で出られなくなったけど、みんなでここで戦おうって決めた舞台。

 

 エルちゃんに負けないように努力し続けた。

 キングちゃんと並び立てるよう諦めなかった。

 セイちゃんに追い付けるように特訓を重ねた。

 グラスちゃんに誇れるように今日も全力で走る。

 

 

(もうすぐ第三コーナー……! ペースは速めかも……みんな前にいるし、外に抜けるルートも……大丈夫、ここからなら大外走っても体力はもつ!)

 

 

 レースを作っているのはキングちゃんとセイちゃん。とても良いスタートを決めたキングちゃんがそのまま先頭を行き、セイちゃんはその後ろ。少し離れてエルちゃん。

 冷静に、冷静に。少しずつ外に出ながら、位置取りを上げる。見続けるんだ。抜けるタイミングを考え続ける。

 

 流れに乗って走ったせいかそこまで消耗は大きくない。一息だけ入れて、私は第三コーナーに差し掛かって少し速度を上げた。

 

 

(どう見てもキングちゃんは掛かってる……スパートに遅れなければ届く……!)

 

 

 先行集団につき、展開を窺う。ほんの少し前を走るエルちゃんの動きを見逃すな。セイちゃんのスパートに遅れるな。キングちゃんを侮るな。集中っ! 

 

 そして、第四コーナーから直線に入った。

 

 

「今っ!」

 

 

 セイちゃんが前に出る。一瞬遅れてみんながスピードを上げたのが解った。

 

 

「くっ……」

 

 

 そんななか、キングちゃんも前に出ようとしているけど脚が残っていない。一瞬判断が早かったのはやっぱりエルちゃん。私がようやく先行集団を捲った頃に、既にセイちゃんの二番手につけていた。

 

 

「ま、け、る、かあぁあぁっ!!!」

 

 

 セイちゃんが粘る。直線はまだ残ってる。

 

 私も、ここからだ。

 

 

「うわあぁあぁっ!!!」

 

 

 一番切れ味があるのは私だ。五番手、四番手、キングちゃんを抜き三番手。全力でスパート。負けられない、この末脚勝負で負けちゃいけない! 

 

 

 ターフを思い切り蹴り付け前を目指す。詰まってきてる。セイちゃんの影は掴んだ。これ以上は伸びない。私とエルちゃんがセイちゃんを置き去りにゴール板へ向かっていく。

 

 でも、三バ身。まだ三バ身ある。長い。セイちゃんもエルちゃんも私が思うより伸びていた。

 

 

(息が……っ!)

 

 

 歯を食い縛り詰め寄ろうとする。私の方が速い、速いけど、エルちゃんが速すぎる。差が詰まらない。こんなペースじゃ間に合わない。もっと、もっと速く走らないといけない、のに──! 

 

 

「ぐっ……」

 

 

 どう考えてもこれ以上速くなれない。私は今全力を尽くしている。それでも、三バ身が、遠い。ダービーが、勝利が離れていくような、そんな感覚がある。全てを走ることに注いでいるのに。これ以上無いほど踏み込んで、それで、それでも、私、は、

 

 

(負ける…………? そんな、でも……!)

 

 

 気が遠くなる。それでも体は動く。ひたすらエルちゃんを追いかけ、私とエルちゃんを連呼する実況の人の声が聞こえる。歓声が、私達を包んでいる。二着の私と、一着のエルちゃんを。声が広がり遠くなる。時間の進みが遅い。私の脚とエルちゃんの脚。残酷なくらい比べられてしまう。これじゃ届かない。いくら詰めてもかわせない。

 

 

(そんな……)

 

 

 

 

 

 心の折れる音、の、その一瞬前。スローモーションになっていく視界の中で。

 

 

「スペちゃぁああぁん!!!! 頑張れぇええぇ──っ!!」

 

 

 

 声が、聞こえた。

 

 

 

 

(スズカ、さん)

 

 

 私の先輩。一番速い人。誰より速く、自由な人。私のために練習に付き合ってくれて、それで、私は、

 

 

 

 私は、

 

 

 

 

 私……

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は、どうして諦めようとしてるんだ? 

 

 

 三バ身が何だ。たったの三バ身じゃないか。私は何回、影も形もないスズカさんを追い掛けていたんだ? あの時私は何を考えていたんだ? 勝てないって諦めていた? 違う。勝つにはどうするか、ずっと考えていた。

 

 目の前にエルちゃんはいる。走っている。本当に薄く呼吸が聞こえる。大地を踏みしめる揺れすら感じる。影は私の目の前にある。私の届くところに、エルちゃんはいる。だったら、諦めてなんていられない。

 

 

 スズカさんのトレーナーさんは言っていた。私が、私の強みが私を超えれば、勝てるって。私のトレーナーさんも言ってくれた。私の末脚は一級品だって。キレは誰にも負けてないって。

 私の武器はなんだ。私はそれほど賢くない。スタミナが必要な距離じゃない。トップスピードだって大したことはない。

 

 私にあるのは、だったら、やっぱり一つだ。

 

 

「っ…………」

 

 

 折れるほど歯を食い縛る。一歩ずつ、一歩も無駄にできない。全て、全力で、走る。追い縋るんだ。根性は、最終直線は、負けられない。私の武器はこれだ。スズカさんとの勝負もそうだった。

 わたしにできるすべてをやるまで、あきらめられない。

 

 

 わたしのちからでターフをえぐる。それくらいやらないとおいつけない。

 ぜんりょくじゃない。ほんきでもない。いっかいいっかい、かならずかつつもりではしるんだ。このからだの、ぜんぶをそそぐ。

 

 

 

 

 いくよ、エルちゃん。みてて、スズカさん。

 

 

「────────ッ!!!!!」

 

 

 

 

 これが、わたしの──―ッ

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

「おお……っ!?」

 

 

 不思議なことが起こっていた。

 

 スペシャルウィークとエルコンドルパサーのスピード差はいかんともしがたい。何せ後者はマイル戦の勝者だ。スペシャルウィークが差しであることを考えても、二人の差はほとんど縮まっていなかった。そして、ステータスを見るにゴールまでに差し切れないと、そう思った。

 

 

 が。

 

 

『スペシャルウィーク並んだ! スペシャルウィーク並ぶ! エルコンドルパサー粘る! エルコンドルパサー粘れるか! 厳しいか! スペシャルウィークまだ伸びる!』

 

 

 目の前で、スペシャルウィークがその絶望的な差を埋めていた。

 

 

「行けえぇぇっ!! スペちゃん!!!」

 

 

 スズカの応援を聞きながら、私はエルコンドルパサーに並び、そしてなお前に進む彼女の姿をしっかり捉えていた。スペシャルウィークが、差し──

 

 

『エルコンドルパサーか! スペシャルウィークか! エルコンドルパサー! スペシャルウィーク! 今並んでゴールイン! エルコンドルパサー粘ったか! スペシャルウィーク差し切ったか!』

 

 

 た……のかな? 

 

 ……いや、なんにせよ、信じられない。本当にこの土壇場でスペシャルウィークが伸び脚を使った。どう見ても完成している。完全にトップスピードに乗っていたスペシャルウィークが、さらに前に出た。

 

 

「しゃ、写真……けほっ、ごほっ……」

「ああほらスズカ。あんまり無理しないの」

 

 

 喉を痛めて咳き込んだスズカの背中を撫で、飲み物を飲ませておく。完全に隣のブルボンの声を掻き消す声量だったものね。普段出さないエネルギーを使ってしまったのかもしれない。

 

 ……レースの結果は写真判定か。

 

 

「げほっ、こほっ、んんっ」

「気を付けて飲みなさいね」

 

 

 差し切った……ように見えた。差し切ったと思う。でも所詮観客視点だし贔屓目かもしれない。スペシャルウィーク単勝投票券とともに、三人揃って発表を待つ……そして。

 

 

「あ、と、と、トレーナーさん! トレーナーさん!」

「うん、見てる、見てるよスズカ!」

 

『一着はスペシャルウィーク! スペシャルウィークが差し切りました!』

 

 

 

 今年のダービーウマ娘は、スペシャルウィークです! そんな実況の叫びと同時に、呆然と立っていたスペシャルウィークが勢い良く右手を上げて──




Tips!
伸び脚は二種類、条件を満たすと無意識に発動されるものと、任意で気合いや集中により発動できるものがあるぞ!ちなみにスズカの伸び脚は全て前者だ!


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夏に期待するサイレンススズカ

地固めがどうしてもどうにもならないから賢さ挙げて中盤スキルで先頭奪おうとしたんだけど、うちのスズカは何故か全然追い抜きモードにならんのだ。なんだ……?何が起こってるんだ……?


「トレーナーさんっ、走ってきますね」

「ダメ」

「なんでですか?」

「普段からダメって言ってるよね??」

 

 

 ある日。ダービーも終わり、今度はブルボンのメイクデビューも差し迫った頃、スズカはいつも通りトレーナールームで私の隣に座っていた。

 

 

「でもスペちゃんはダービーに勝ったんですよ?」

「それはおめでたいね。ブルボンのことが落ち着いたらお祝いしようね」

「だから走ってきます」

「それは話が違うねえ」

 

 

 私に寄りかかるスズカ。今日のトレーニングも終わったというのに、どうしてこんなに元気なのこの子は。

 

 むー、と唸りながら私の服のボタンを外すスズカ。嫌がらせはやめなさい。地味に困るやつだからそれは。掛け違いとか。

 

 

「お祝いですよ?」

「それはそうね」

「おめでたいですよ?」

「そうねえ」

「じゃあ」

「関係無いんだもんなあ」

 

 

 確かにトレセンは死ぬほど盛り上がってるけど。なにせスペシャルウィークの着差は発表によると三センチだったらしい。スペシャルウィークの嬉し泣き交じりのウイニングライブも大盛況、一躍彼女はトレセンのど真ん中に位置することとなった。

 

 

「じゃあ併走を組んでくださいトレーナーさん。走りたいです、もう脚がうずうずしちゃって……」

 

 

 その代わり、彼女の全身全霊を懸けた伸び脚を見たスズカが当てられてしまい、自分の伸び脚を味わいたいとか言い出している。確かにあれは凄かったからね。走り終わったあとエルコンドルパサーに起こされて着順を見るまでスペシャルウィークは動けないくらい疲れてたし。

 

 それに、スズカの伸び脚……つまり、スズカでは出せない速度に到達するあの力はレースでしか発揮されない。よほど気持ちいいんだろうし、味わいたい気持ちは解るけどさ。

 

 

「宝塚記念でぶっちぎれば良いでしょ」

「待てません。今やりたいんです。ね、トレーナーさん。解ってくれますよね?」

「解りませーん。スズカがワガママでーす」

「ワガママじゃないでーす」

 

 

 スズカを膝に寝かせ、仰向けの彼女の膨れた頬をつつく。ぱたぱた足を動かしつつも逃げない。テーブルに置いてあるキャンディを口に突っ込むと、もごもごして大人しくなった。

 

 

「可愛いねえスズカは」

「ぁー……」

 

 

 気持ち良さそうに目を細め、口をもごもごさせる。最近二人でのこういう時間が無かったから懐かしくすらある。でも私のお腹を向いて鼻を鳴らすのはやめてね。恥ずかしいから。めっ。

 

 スズカがすんすんさせる鼻をつまんで放す。

 

 

「むぁっ」

「それにスズカと併走なんて誰もやりません」

「そうですか? 知ってますよ? 申し込み、いっぱい来てますよね?」

「後輩からね」

 

 

 ジュニア級やデビュー前の子を中心にだけど、一緒に走ってほしいという要望はある。直接の手紙もそうだし、エルナトのメールボックスは大変なことになっているのだ。加入希望も後を絶たないし。

 

 

「受けましょうよトレーナーさん。フルゲートでレースできますよね? あ、私のランニングにひたすらついてくるとかどうですか? 坂路も悪路もありますよ? あとすっごく景色が綺麗で、そうだトレーナーさん、聞いてください、私この前素敵な場所を見付けたんです。木々の間に細い道があって、そこを駆け抜けていくんですけど、ちょっと短いですが凄く空気も綺麗でしゅぷっ」

「はーい暴走しないの。スズカのランニングなんかついていったら死んじゃうでしょ」

「走るだけなのに……」

「それが一番怖いわ」

 

 

 スズカのランニングはあのブルボンですらついていくことができないからね。もちろんスピード負けはあるんだろうけど、にしたってあの根性の塊みたいな子がついていけないのは相当よ相当。

 

 スズカの言う坂路や悪路って普通のウマ娘が想像してるのと違うし。ぬかるんでようが大きめの石がごろごろしてようが走れないとスズカにはついていけない。坂路もそう。山登りみたいな傾斜でも走るからなこの子は。

 

 

「後輩育成ですよ?」

「強くなる前に死んじゃうって」

「むむ……」

 

 

 夏合宿の予約でーきたっと。去年はスズカを何としても逃げで勝たせるため、そして私自身の能力を見極めるためにもちょっと無茶苦茶をする必要があり非常に人気の無い練習場を選んだ……が、今年は単純に人を避ける目的で同じ場所だ。

 

 

「そういえばスズカ」

「はい」

「今年の夏合宿はさ」

「あ、ふふ、楽しみですね。去年と同じところですか? 楽しかったですよね。トレーナーさんが好きなだけ走らせてくれて、ふふっ……」

「今年はそうはならんけどね」

「は? ぅぇぅぇぅぇ」

 

 

 スズカの目から感情が消えた。怖すぎる。頬っぺたをぐりぐりして感情を取り戻すが、どう見ても怒っているスズカはそのまま私を掴んで押し倒した。物凄い威圧感だ。

 

 

「どういうことですか? 私、それを楽しみに日々我慢してるんですけど」

「我慢できてないじゃん。さっき軽く流したけど、この前素敵な場所を見付けた話は後で詳しく日付も教えてね」

「…………それはまあ、今は一旦良いじゃないですか」

「ええ……ごまかしちゃダメよスズカ」

「ぁぅぁぅ……むんっ」

 

 

 頬をつねって上下に動かす。力無く全身で動くスズカが、ぷくりと頬を膨らませて私の指を弾いた。そして、私のお腹に乗ってぽすぽすとマウントポジションで叩いてくる。

 

 

「夏は走りますー」

「走りませーん」

「ブルボンさんは?」

「走る」

「私は?」

「走らない」

「なんでですか……?」

「あっ待って痛い痛い粉々になるバラバラになる」

 

 

 火力が。火力が違いすぎる。死ぬ死ぬ。

 

 

「大事。走ることは大事なんですよ。トレーナーさん。夏は走る季節です」

「いやでも」

「暑いからといって走らないのはおかしいです。むしろ暑いからこそ走って暑さを吹き飛ばすことが必要です。びゅんびゅん風を受ければ涼しいですよ」

「謎理論過ぎるなあ!」

 

 

 降り注ぐスズカの平手を受け止めつつ、おかしいですと抗議を続けるスズカを受け流す。実際には九割食らってるけど。しこたま叩いた後、むむむ、と唸り私の鼻を押し始める。

 

 

「じゃあ私は夏の間どうすれば良いんですか……? お休みしちゃいますよ……?」

「良いよ。二ヶ月海で遊んでても全然大丈夫よ」

「むー……」

「嘘、冗談だって。ちゃんと走る機会はあげるから、ね?」

「……どういうことですか。事と場合によってはトレーナーさんがこの間買ったシャンプーを使い切ります」

「それはやめよう。あれ高かったんだからね」

「私はあの匂い嫌いです」

「……じゃあまあ良いけど」

 

 

 スズカが夏走る条件……まあ、正直砂浜ランニングはかなりパワーも伸びるので走りたければ走って良いんだけど、結局スズカは言っても意識なんかしないだろうし。逆にブルボンはただ走らせるだけでも筋力を意識する傾向にある。口酸っぱくフォームを崩すなと言っておいたのもあるかも。

 

 で、夏に走る条件だけど、たった一つ、後輩と走るなら許可、である。

 

 

 夏合宿とはトレセンのウマ娘……だと語弊があるかな。ちゃんとしたトレーナーがついているウマ娘ならほぼ必ず参加する大イベントである。中央トレセンが地方のありとあらゆる民宿やホテルと連携を取り、夏休みの二ヶ月を海辺で過ごすというものだ。

 

 もちろん夏の課題はあれど、この間は授業がなくダンスレッスンも激減する。一日をトレーニングと回復に明け暮れて過ごすことが可能なのだ。

 

 

 さらにもう一つメリットとして、近しい場所に泊まった場合は積極的に合同練習を行うべし、というトレセン側からのお達しがある。普段は授業やダンスレッスンの都合で難しいが、夏の間はそれが簡単にできる。

 

 よって、後輩から何か言われるようなことがあれば……いや先輩でも良いんだけど、お誘いは受けた方が良い。スズカとやるならそりゃ走ることになるだろう。それを聞くと、スズカはぱっと笑顔を咲かせて私の上から退いた。にこにこでお行儀良く座り、頭だけこちらに寄せてくる。私も起き上がってそれを肩で支えた。通販のページを開いた私を誘導して、私の良く知らないシャンプーを買わせてきた。

 

 

「それならそうと最初から言ってください。びっくりしたじゃないですか。つまり、スぺちゃんとかを誘えば走っても良いんですね?」

「自分から誘うのは無しだからね」

「えっ」

「誘おうとした?」

「……してませんけど?」

「してたねえ」

 

 

 スペシャルウィークも他の後輩も……何ならスズカは出会ったウマ娘なら大体が付き合ってくれるだろうから、誘うのをアリにすると実質無制限になってしまう。こんなこと言いたくないしさせないけど、お金を払ってでもスズカと走りたい人はたくさんいるからね。ウマ娘はそういうのを利用するような意地汚い種族じゃないけど。

 

 

 目が泳ぎまくったスズカの頭を小突いておいて、私の仕事はとりあえず終わったのでテレビをつけてみる。ちょうどお昼過ぎ、ワイドショーは政治かウマ娘レース、ゴシップくらいしかやっていない……今日はレースだから当たりだね。

 

 

『じゃあスペシャルウィークさん、今回のダービー、勝因はずばり何だったの?』

『勝因、しょ、勝因……そうですね……』

 

「あ、スぺちゃん」

「スペシャルウィークはインタビュー出るんだねえ」

「……出た方が良いんですか?」

「スズカは良いのよ。出たくないでしょ」

 

 

 あの性格だし頑張り屋だし、こういう露出はどんどん増えていくだろうなあ。勝負服を着てテレビ局のスタジオの椅子に座るスペシャルウィークは、周囲から割と弄られながら会話が進んでいく。リアクションが大きくて面白いし。

 

 

『なるほど、練習は先輩と一緒に』

『はいっ。スズカさん……サイレンススズカ先輩なんですけど、毎日一緒に練習してもらって……そのおかげですっ』

 

「あっ」

「もう、スぺちゃん……」

 

 

 これは……明日から面倒になる。後でスペシャルウィークはスズカの方からちょっとした悪戯をしてもらおう。スズカの名前を出すのは全然良いし、過去にもタイキシャトルか誰かがスズカとのエピソードトークを語っていたし。ただその、ダービーをあの末脚で、しかもエルコンドルパサーを下した彼女の強さがスズカとの練習だという話になるとこっちに練習依頼が殺到してしまう。無理無理。やってくれたわねスペシャルウィーク。

 

 

「ふふふっ」

 

 

 それを解っているのかいないのか、スズカはスペシャルウィークを見ながら笑っている。これから大変だなあ、私もスズカも……。

 

 スズカと二人の時間を過ごしつつも、既にメールボックスには通知が来ていた。



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デビュー戦を控えるミホノブルボン

君さあ、早く天皇賞を消化したいあまり日常が疎かなんとちゃうの?そんなんじゃ甘いよ。

※デビューにともないブルボンがサブタイトル昇格です。
※これからも変わらずスズカ不在回は無いです。


「さて、ブルボン。明日はいよいよメイクデビューです」

「はい。マスターの期待に応えられるよう、全力を尽くします」

「よろしい。一応作戦会議……というほどでもないけど、確認をします」

 

 

 五月も終わりのある日。私とブルボン、スズカはコースに出て、ちょっとした会議をしていた。

 

 六月一日がブルボンのメイクデビューだ。本来、レースの前にトレーニングはしない。二日か三日は休むのが一般的である。私も最初はそのつもりだったし、スズカにも……まあスズカについては別の理由だけど、とにかく走らせていない。

 

 だが、ブルボンについては少し事情が違った。彼女は普段スズカとトレーニングをし続け、その上皐月賞、ダービーと非常に近しい距離で見たことで、昂ってしまっていたのだ。ギリギリまでトレーニングをしてほしいと強く言うので、仕方ないのでこうして出てきたわけだ。

 

 

「まずはコースの説明。中山1600。直線も短めだしブルボンは内枠……基本的にはとても有利になるわ」

「はい」

「一方、傾向としては後ろからのレースも十分間に合うから逃げが有利ともいえないはずよ」

「はい」

「まあどちらにせよブルボンに逃げ以外の選択肢は無いからね。基本的には前に出て走ることになるから」

 

 

 私から見れば適性で、ブルボンや他から見れば単純にブルボンのレース勘の無さから、作戦は基本的に逃げ一択だ。ブルボンにあるのは周囲に合わせて臨機応変に動く柔軟さではない。あくまで、言われたことを正確に、忠実に完遂する実直さだ。つまりマトモにレースはしない。あくまでブルボンのスタミナからタイムを決めその通りに走らせる。そのためには逃げの方が都合が良いというだけだ。

 

 

「そして目標タイムを言っておきます。ハロン当たり11秒5から12秒を守ること。余力が残っているなら最終直線で吐き出すこと。タイミングについては別途条件付けして渡したプリントを見て覚えて」

「承知しました」

 

 

 メイクデビューは所詮メイクデビューだ。ブルボンもそうだし、周囲のウマ娘も強くも速くもない。特にジュニアの子達はスピードを鍛えてスタミナを軽視する傾向にある。万が一最終直線でもブルボンの前にいるようなのがいても、そこから捲る脚がブルボンには残るはずだ。

 

 

「という感じで、じゃあ質問はある?」

「問題ありません。オーダーを受理しました」

「ん。じゃあスズカ、お願い。言っておくけど伸び脚は禁止ね。絶対ダメよ」

「大丈夫ですよ。安心してください」

 

 

 私達もブルボンの体内時計は信頼している。なにせ夜の闇の中で何時間も走った上で、ヒント無く正確に日付変更を見抜くレベルなのだ。常軌を逸していると言ってもいい。スタミナもスピードも申し分無い。だから、やるべきはスタートの練習と、前に出られた時かからないようにする練習だ。レースを冷静に運べれば……自分から崩れるような真似をしなければブルボンは負けない。

 

 練習相手としてスズカがコースに立ち、スズカに運んでもらったゲートくん一号……一人用ではあるが本番のゲートとほぼ同一のものにブルボンは入る。何の感情も無さそうにゲート内でブルボンの頭が下がったのを見て、私は後ろ手で開閉ボタンを持った。

 

 

「……」

「……」

「ふー……」

 

 

 少し首を回すスズカのルーティーンを待ち、何の予備動作も無くスイッチを入れる。

 

 

「始め」

 

 

 ゲートが開いた。反応してスズカとブルボンが飛び出す。うん、良いスタートだ。十分合格点と言っていい。スタートの反応はスズカの方が良いんだけど、加速力についてはブルボンもかなり良い。これがブルボンがスプリンターと言われていた所以だろうか? そのうち武器にはなるかもしれない。

 

 それからはストップウォッチを持ち、ハロンごとにタイムを見ていく……うん。素晴らしい。全くタイムがぶれていない。トレセンのコースでは坂の位置や傾斜が再現できていないが、それにしてもかなり良い。誤差0.5秒しか許されないラップタイムを忠実に守っている。前をぶっ飛ばしていくスズカにも惑わされず、じりじり差が開いても詰まっても同じペースで走れている。

 

 

 そして……あっスズカが伸びた。もう。どうせやると思ってたけど本当にやるか。あとでふにふにしなきゃ。流石のブルボンも何かあったのか一瞬余計に速くなろうとしたが、すぐに落ち着いた。そして最終直線で少しずつ少しずつ加速していく。うん。良い。

 

 

「お疲れ。ブルボン、素晴らしいわ。完璧」

「ありがとうございます。しかしセルフチェックによれば、ゴールの瞬間まだ多少のエネルギーが残っていました。最終コーナー以降はゴールから逆算しエネルギーを使い切るように走る……正確にオーダーを遂行できたとは言えません」

「それでも上等よ。それは追々修正できるし、そこまで全力を燃やさなければいけない相手がそうそういるとは思えないからね。スタートも良いし、あと二回スタートだけやろうか」

「はい。オーダーを遂行します」

 

 

 さて。

 

 

「スズカ。伸び脚は使っちゃだめでしょ」

「つい……」

「ついじゃなくてね。まあもうやっちゃったものは仕方ないけど」

 

 

 スズカの頬をむにむにとしながら怒る。片手間にゲートのスイッチを入れ、視線を向ける……出遅れない。凄いねブルボンは。

 

 

「どうですか、ブルボンさんは。勝てそうですか?」

「うん。勝てるね。九割勝てる。未勝利戦の登録はしなくていいね」

「良かったです。ブルボンさんには勝ってほしいですからね」

「だね」

 

 

 はいスタート……出遅れないか。よく見てるなあ。反応速度が尋常じゃない。ロボット扱いもよく解る集中力だ。まあそれに関してはスズカもできる……というか逃げウマ娘は割とできるけど、それでもあの崩れ無さは高評価だ。こういうところは私の目では解らないウマ娘の強さである。気合や気持ちでひっくり返してくる子達もそうだけど。

 

 

「特に初手が素晴らしいのよね。先手必勝は逃げの鉄則よ。特にブルボンみたいな逃げしかできない子にはね」

「そうですね……そうですね? あ、あの」

「何?」

「……私の方が上手ですよね?」

「当たり前でしょ何言ってるの。スズカが一番よもちろん」

 

 

 すぐ嫉妬するんだからこの子は。私の言葉に安心したスズカの頭を撫でながら、戻って来たブルボンにストレッチをさせる。ブルボンの親御さんに挨拶とかした方が良いのかな。電話で良いか。デビューしたら向こうから連絡来るかな? 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「はいブルボンさん、たくさん食べてね」

「ありがとうございます」

 

 

 その日の夜。私達はトレーナー室で早めの夕食を取っていた。何が食べたいかをブルボンに聞いても無駄であることは解っているので、あくまでスズカが作れるものを作ってあげることに。手伝いにエアグルーヴも駆り出されていた。

 

 

「ごめんねエアグルーヴ、突然呼び出して」

「なに、ちょうど退屈していたところだ。それに、他ならぬエルナトの秘蔵っ子と聞けば様子も見たくなる」

 

 

 ブルボンの世話を甲斐甲斐しく焼くスズカを眺めながら、私とエアグルーヴはつまみながら話している。本当はマチカネフクキタルも呼んでいたらしい。誰かを手伝わせるとなった時にこの二人を選んだスズカの真意やいかに。ちなみにマチカネフクキタルは今日は大凶なので寮に引きこもっている。

 

 

「やめてよ変な期待するの」

「だが、スズカを育てたトレーナーが再び逃げウマ娘を育てたのだ。新聞やテレビも騒いでいるだろう」

「悪い意味でね」

 

 

 どこまでいってもブルボンの評価はスプリンター。それにしては距離が長いんじゃないかとか、そもそもブルボンがクラシック路線に進むと宣言していたのもあって、やっぱりその、良くない話もたくさん出ている。まあブルボンはそういうのを調べたりしないし、スズカもやらないからそっちにダメージは無いんだけど。そもそもスズカのファンはブルボンに対して好意的だし。第二のサイレンススズカを期待しているんだってさ。まあ純逃げで強い子って少ないからねえ。

 

 

「まあ、マスコミなどそんなものだ。好き勝手に言うだけで目を引くことしか考えていない」

「そういう仕事だからね。トレーナーがウマ娘のことしか考えてないのと一緒よ」

「違いない。手早く実績を出すつもりなら彼女をクラシックには進ませんだろうからな」

 

 

「あ、ほらこれ、ブルボンさん。美味しいですよ。私が作ったんじゃないですけど」

「スズカさんが作ったものはどれですか?」

「これと、これ……?」

「それは……サラダでは」

「その、味付けはまだちょっとよく解ってなくて……複雑なものは作れないなあって」

「なるほど」

 

 

 テーブルに並んだ料理……発言からしてエアグルーヴがほとんど作ったらしいが、それらを吸い込むように食べ切っていくブルボン。食べ過ぎると明日に支障が出ると言おうとしたけど、食材を買ったのは他ならぬスズカだ。スペシャルウィークで塩梅にも慣れているだろう。慣れてるよね? 残っても二人ウマ娘がいるけど、残さないようにしてね。

 

 

「そういえばエアグルーヴはさ」

「どうした」

「宝塚はどうするの」

「選ばれれば当然出るさ。覚悟しておけ」

「何の覚悟を? スズカが負けるわけないでしょう、一番速いんだから」

「ふっ……そう言うだろうと思ったよ。その揺るぎない自信はうちのバカにも見習わせたいものだな。あいつは心配性でな、この前も──」

 

 

 エアグルーヴによるトレーナーがいかにエアグルーヴを心配しているかの講釈が始まった。適当に聞き流しながらそろそろ料理を食べ切ろうとしているスズカ達も見ておく。しかしエアグルーヴは料理上手いな。ブルボンも相当上手いけど、こっちはより人間味がある。

 

 

「明日勝ったらご褒美あげますよ。何が良いですか?」

「メイクデビュー勝利はマスターからのオーダーです。遂行に報酬は必要ありません」

「そうですか……一緒に走るとか……」

「是非お願いします」

「待て待て待って。そう言うと思った。ダメだからね。スズカ、ブルボンは後輩に含みません。同じチームなんだから」

「えっ……そんな……うぅ、走りたい……」

「残念です……」

 

 

 二人してしょぼんとしないで。私が悪いこと……まあ悪いことはしてるんだけど、変な気持ちになるじゃない。しょうがないでしょ。ブルボンはスズカに忖度しかねないもん。

 

 

「はぁ……あ、トレーナーさん」

「ん?」

 

 

 さっきの台詞、もう一回言ってもらって良いですか? と、スズカ。あらかた食べ終わったからかテーブルを回り、私の隣に座ってきた。私越しにエアグルーヴを見ている。

 

 

「さっきの……ああ」

 

 

 スズカを抱き寄せ、二人でエアグルーヴに向き直る。

 

 

「エアグルーヴ。宝塚もスズカの勝ちよ。スズカが一番速いから負けないわ」

「……ふっ。言っていろ。宝塚も秋の天皇賞も私が勝つ。いつまでも逃げ切れると思わないことだな」

「ええ。頑張りましょうね」

 

 

 ご機嫌になったスズカと不敵に笑うエアグルーヴ、ぱくぱくのブルボン。食事会の主役を見失いつつも、私達は楽しく過ごした。



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メイクデビューも快勝するミホノブルボン(MD)

 ミホノブルボン、メイクデビュー当日。

 

 

「ん、じゃあ頑張っておいで。一着よ、良い?」

「はい。オーダーを承りました。ミホノブルボン、一着でゴールします」

「頑張ってね、ブルボンさんっ」

「はい。ありがとうございます」

 

 

 作戦の最終確認を終え、私とスズカはブルボンを見送った。私達は控え室でモニターを付け、並んでそれを眺める。

 

 と言っても何なら見なくても良いけど。パドックの様子が映されるけど、案の定みんなスタミナを疎かにしてるんだろうな、っていうのばかり。その割にスピードでもブルボンに届いていないのだから勝てるはずがない。

 

 

 それは私の目がなくてもみんな解るのか、前々からあれほどデビューに1600は長いだの何だの言っていた世論も一番人気という形で覆っている。何だかんだ言ってウイニングライブはみんな見たいので、ちゃんとこうして強さや期待に従って人気がつくのだ。

 

 

「さて……? 何バ身つくかな?」

「大差をつけてほしいですけど……」

「全然あり得るね。まあやる理由が無いから狙いはしないだろうけど」

「気持ち良いですよ?」

「みんながみんなスズカみたいなジャンキーじゃ無いってことね」

 

 

 失礼ですね、とは言いつつ、それ以上反論もしないスズカ。モニターではブルボンが前に出て、事前の指示通り微笑みながらぺこりと軽く会釈をしていた。ウマ娘にはこういうファンサも大事だからね。愛想良くすれば良いってわけじゃないけど、一番簡単なのはそれだし。

 

 

「他に逃げの子はいそうですか?」

「たぶんいない……かな。まあいたところでスズカと違って影響はないし」

「どういう意味ですか……?」

「痛い痛い痛い。ただでさえ少ないお腹のお肉が無くなっちゃう」

「少ない……?」

「は? それ以上は戦争だからね」

 

 

 私の体重や体脂肪率は平均より低いんだぞ。参ったか? まあスズカも痩せてるから対抗しても仕方無いけど。

 

 

「単純に、スズカは一人旅の方が良いでしょってこと。ブルボンが逃げるのは埋もれてペースが崩れないようにしてるだけだから、前に一人二人いても良いのよ」

「そういうことですか……びっくりしちゃいました」

「あっこら擦りつかないの」

 

 

 一応ブルボンに用意された部屋だというのに、お構い無しに私の肩にすり寄ってくる。ブルボンも下がっていき、他のウマ娘のアピールも終わって、既にURA公式のCMが流されていた。あっスズカが映ってる。いいね。

 

 

 しばらく待ち、映像が切り替わってゲート付近へ。初レースとは思えないほどスムーズにゲートに入り、そのまま大人しくスタートを待つブルボンが際立っている。実況も聞こえるが、ブルボンへの注目もかなりある。良くも悪くも話題になってるからね。

 

 最終確認でも何度か確認したけど、あの子、一切緊張していない。自分のデビューなのにまるで何でもないかのように待っている。まあ緊張するより遥かに良いけど、スズカといいブルボンといい大舞台を何だと思ってるんだろうか。

 

 と、スズカがそわそわとし始めた。

 

 

「……なんか……その」

「走りたいとか言わないでね」

「どうして解ったんですか?」

「どうして解らないと思ったの?」

 

 

 スズカの欲望が勝ってしまった。まあ放っておいても勝つレースだしね。スペシャルウィークの時のように応援に集中できないんだろう。それは私にも責任がある。九割勝てるなんて普段スズカに言うような言い方だし。安心してしまったのだろう。

 

 実際事実を言っているだけなんだけどね。逃げのブルボンは初心者同士の勝負においてその時点で有利だし、これで伸び脚でも誰かが持っていれば話は違うけど、そんなことはないし。

 

 

「大人しく見てようね」

「うぅ……」

「頑張れー」

 

 

 スズカを応援してるのかブルボンを応援してるのか解らなくなってきたけど、まあ良いや。たぶん今この瞬間で誰より頑張ってるのはスズカだし。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「オーダー完了。完璧な勝利です、マスター」

「ん。おめでとう、ブルボン」

「おめでとう、ブルボンさん」

 

 

 そして、ブルボンはきっちりと勝った。終わってみればやはりというか大差勝ちである。一人だけスタミナが違った。1600はね、ティアラ路線とかマイラーとかが集まる距離だから、一旦スタミナを捨てているような子が多いのよね。

 

 

「不調は無い?」

「セルフチェック済みです。システム、オールグリーン。稼働に支障のある疲労もありません」

「ん。じゃあライブ、楽しみにしてるわ」

「はい」

 

 

 差し出した飲み物を飲みながら、ブルボンは特に疲れも無い様子だった。やっぱり丈夫な子だ。出会った頃とはスタミナも見違えたし、ちゃんと育ってくれた。

 

 

「ライブも笑顔でやるのよ、ブルボン。声は音程を合わせたまま少し高めに。サビとそれ以外の抑揚もちゃんとつけるのよ」

「了解しました。オペレーション、『ウイニングライブ』、やり遂げてみせます」

 

 

 よろしい。

 

 

「じゃあトレーナーさん、お祝いの準備をしないとですね」

「大丈夫。もういくつか電話してあるから。お腹いっぱい好きなものを食べて良いわよ」

「随分準備が早いようですが」

「そりゃブルボンは勝つって信じてたんだからね。それと色々と事務的な話もあるけど、まあそれは追々。とりあえず今は休んでて大丈夫よ」

 

 

 はい、と控え室の椅子に座り、いつも通り背筋を伸ばし微動だにしない座り姿になってしまったブルボン。まっすぐ私とスズカを目で追っている。それリラックスできてる? できてるなら良いけど。まあブルボンがこれで机に突っ伏して疲れたぁ~とか言ったらびっくりするけど。

 

 

 こんこんっ

 

 

「あ、はーい。二人とも、たぶん記者さんだからちょっと良い?」

「はい」

「じゃあ端っこの方にいますね」

 

 

 ノックを受けて扉を開く。やはり記者さんだった。私の知ってるあのやかましい女の記者さんだ。失礼ながら何回会っても名前が覚えられないんだけど。乙……おと何とかさんだ。

 

 

「こんにちは! おめでとうございます! 乙名史です!」

「あ、どうも。ありがとうございます」

 

 

 この人も悪いじゃん。この人私に名乗ったの最初の数回だけだよ。あとはテンションが高すぎて名乗りが聞き取れない。でも良い人ではあるので対応はする。招いて座ってもらい、私と、左にブルボン。スズカは端っこにいる。

 

 

「今日のメイクデビュー、自信のほどはどうだったのでしょう?」

「勝てると思ってましたよ。ブルボンはよくやってくれてますし、能力も飛び抜けています」

「なるほど! ミホノブルボンさんは期待の星! 同期の中で輝く一等星だと! 来年のクラシックは頂いたと言う宣言ですね!?」

「あー……ええ。その通りです」

 

 

 また誇大妄想が始まった……が、別に否定するようなことでもない。事実だし。それに、隣のブルボンもちょっと嬉しそうにしているので止めないことにする。こういうところがやっぱり良い人だ。

 

 ブルボンがクラシック三冠を目指すと言っているんだから目指すって書けば良いのに、トレーナーに騙されてるだの本人の意思とは異なるだの言われてるからね。この人は誇張を挟むくらいするのでそういうところを疑いはしない。

 

 

「では、ジュニア級での目標はホープフルステークス、あるいは朝日杯フューチュリティステークスですか?」

「ええ。朝日杯になるとは思います。距離は少しずつ伸ばしていきますので」

「ブルボンさんは走ってみていかがですか? 1600mは下バ評からすれば長すぎるのではないかという意見もありますが」

「スタミナについては全く問題ありません。エネルギーはまだ多少の余裕がありますし、ラップタイムについてもまだ改善の余地があります」

「なるほどなるほど……」

 

 

 そういえばラップタイムは完璧だったね。最終直線で伸びていたけど、まだ余力があったか。大きくタイムを縮めることはしないけど、このまま最終直線でもっと伸びるようにタイミングを教え込んでいきたいわね。

 

 

「最終目標は菊花賞の3000mということでしょうか」

「一応は。ですがシニアもありますから……これは少し気が早いですが」

「いえ! 素晴らしいです! ウマ娘のために何年も先のことを考え人生を捧ぐ覚悟、目標達成後も驕らずその先まで導く、まさに唯一無二のパートナー!」

「……はあ」

 

 

 良い人なんだけどなあ。三分以上会話するとテンションについていけなくなるからなあ。

 呆れる私……の横で、珍しくブルボンが問い掛けられてもいないのに口を挟んだ。

 

 

「失礼ながら、唯一無二のパートナーという表現は適切ではありません。心理的距離、契約期間、実績等鑑み、どちらかを選ぶのであればその表現はスズカさんに使われるべきです」

「あっ、いえ、失礼しました、そういうつもりでは……」

「ああいえ、良いですよ、唯一無二のパートナーで。ブルボン、この人はそういう人だから」

「……なるほど。申し訳ありません」

 

 

 しゅんとウマ耳が垂れてしまったのでぽんぽん撫でておく。先輩に気を遣ったんだねえ。偉いねブルボンは。でもその先輩は走りたくて走りたくて今も尻尾ぶんぶんだし、別に気にしてないのよね。

 

 それにまあ、スズカとブルボンが爆発するとなったらスズカを助けるけど、それはそれとして二人とも大事だし。どうしても手のかかりがちなスズカに甘くなってしまうのは否定できないし、それはまた直していかないと。

 

 ……私、この歳で子育て論みたいなところにたどり着いてない? 大丈夫? 戻ってこれる? 私の花の独身二十代はどこ……ここ……? 

 

 

「次走の候補などございますでしょうか?」

「あー……そうですね、一度重賞を挟むとは思います。ぶっつけでG1は気持ちの問題もありますから」

 

 

 今日の様子を見ているとそんなの関係無さそうだけど。緊張なんかしないだろう。もししたらしたでできることもちょっとは考えているし、多少の緊張で崩れる作戦をとっていない。

 

 

 取材も終わり、記者さんが帰っていく。彼女は熱血なので終わり際すぐに来たが、他のメディアの取材も明日以降増えるだろう。対応しないとなあ。スズカの時と違って明確な目標と意志があるからやりやすいけどね。

 

 

「ごめんねブルボン。休んでて良いよ」

「はい」

「スズカも戻ってきなね」

「はあ……自分でなくてもこういうのは苦手です……」

 

 

 でもまあこれで二人ともトゥインクルシリーズ所属になったわけだ。私も頑張らないとな、なんて決意を新たに、私は購入してあったペンライトを弄くっていた。




※トレーナーは痩せてる方です。名誉のために。

小柄という表現は流石にガバかったのでサイレント修正しました(威風堂々)


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ちゃんと説得してほしいサイレンススズカ

 ある日のこと。私がトレーニングを終えたスズカとブルボンと、トレーニング室でいつものように過ごしていると、スズカがうきうきでスマホを見せつけてきた。今日はやらなきゃいけないことがあるんだけど、いったん愛バとの時間は必要なので付き合うことにする。

 

 

「見てくださいこれ! ね、トレーナーさん」

「何……シューズ?」

「新発売のシューズなんですけど、これが凄くて、ランニング特化で悪路でもクッションになってくれる凄いものなんですっ」

「……はあ」

 

 

 ランニングシューズ。ウマ娘にとってはそれはもう重要なものである。何せ走るために生まれてきたような子達だ。人間にとっての靴より重要度が高い。

 

 一般的にウマ娘用シューズは距離別になっていて、それぞれ重みや丈夫さ、クッション性なんかが違う。これは人間でも解るくらい露骨に違うし、トレーナーたるもの見分けくらいはできないといけない。

 

 

「買いたいの?」

「はいっ」

「まあ、別に買うのは良いけど」

 

 

 スズカのことだし、買わないなんて言ったら自腹で買う。こうしてねだってくるだけ遥かにマシなくらいだ。あんまり何でも買い与えるのは良くないけど、トレーニングに使えるものは流石にね。

 

 ……まあ、今回はそんなの問題じゃないんだけど。

 

 

「なんで十足も買おうとしてるの」

「必要だからですけど?」

「必要じゃないでしょーっ」

「ゎぅゎぅ」

 

 

 当然のようにカートに大量買いしているスズカのスマホを取りあげ、一つにしておく。同時に頬をふにふにと挟んで動かし、柔らかさを楽しむ。

 

 

「靴は一度に十足も買うものじゃありません」

「でもすぐに潰れちゃいますし……」

「すぐに潰れるのはスズカが走ってるからでしょ」

「……いやいや」

 

 

 走ってませんけど? というように目を逸らし、頬を揉む私の手を外から撫でるスズカ。

 

 ウマ娘のシューズは潰れやすいのは事実だけど、すぐに履き潰すほどなのはスズカぐらいのものだ。あとはブルボン。走っている距離にしてはそれでも長持ちする方だけど、それにしても既に数えるのが面倒な量の靴を履き潰している。

 

 

 だけどスズカだもんなあ。

 

 

「大して走ってませんよ」

「じゃあ二日前は何してたのか言ってごらん?」

「……走ってませんよ?」

「甘えて誤魔化さないの。スペシャルウィークに聞いたんだからね」

「口止めはしたはずです」

「スズカの口止めよりトレーナーの質問。大人は怖いねえスズカ?」

「あとでお腹をふにふにします」

 

 

 私を? スペシャルウィークを? とは聞かず、胸にすり寄るスズカの頭を指で弾く。ぁぅ、ゃぅ、と離れていき、あぁー、とそのまま私とは逆に転がった。

 

 

「二足だけ買います。ブルボンはいる?」

「トレーニング用品の判断はマスターに委ねます」

「じゃあ買お」

 

 

 ちなみに、ブルボンにもデビューの賞金が入った。トレセンは凄いところ……というか、レースが毎週ある都合上、賞金や出走奨励金はほぼ即座に支払われる。汚い話スズカのそれと比べれば雀の涙みたいな量だけど、私にも臨時ボーナスが入っている。ブルボンの賞金の一部ね。

 

 ただ、自分の口座を自分で管理しているスズカと違い、ブルボンの振込口座は実家のご両親の管理下にあるらしい。まあATM使えないし、わざわざ銀行窓口にってのも面倒だし。よって、ブルボンの生活費は定期的に実家に帰って直接貰う形になっているらしい。

 

 ……あと私からのお小遣いね。これは内緒。あのお父さんうるさいからさ。今はトレーナーが掠め取る割合は上限があるって言ってるのに賞金を渡そうとしてくるからね。流石に電話切ったもん。失礼だけど。

 

 

「足のサイズはーっと。あ、ついでにウェアも買お」

 

 

 ページを移りトレセンの公式ホームページへ。指定のジャージ、結構高いのよね。未勝利戦も突破できないウマ娘とかを見ると、割とボロを着てたりしてちょっと悲しくなるやつ。まあ顔をしかめるほど着続ける子はいないけど。

 

 一通り買い終わってパソコンを閉じる。うーん終わった。今日も一日平和だった。天気も良いしブルボンの夕方トレーニングまで寝ても良いかもね。

 

 

「あっ寝ようとしてますねトレーナーさん。いけないんですよ、お仕事中に」

「トレセンは休憩時間自由なのよ」

「あー……っ」

 

 

 スズカも巻き込み横になる。そして、ぐっと体を絡め、結構見付かったら逮捕されそうなくらい密着していく。複雑に絡めば絡むほど、力ずくで逃げにくくなるのだ。

 

 

「もう、なんですか? お昼からなんてトレーナーさんおかしいですよ」

「うんうん……さてスズカ。一週間後、宝塚記念です」

 

 

 ……! (スズカが何かに気付き私から逃げようとする音)

 

 ……! (体を犠牲に食い止めるはずが二秒で逃げられる私の声)

 

 

「ブルボン! 捕まえてブルボン!」

「オーダー受理、直ちに──」

「止まってください、ブルボンさん」

「い、一時停止します……」

 

 

 ブルボンが動きを止めた。ドアノブを掴むスズカ。いつでも逃げ出せるんだぞ、というようにこっちに口元を引き結んでふふんと得意げにしている。でも部屋から逃げ出さない辺りが可愛いんだねえ、スズカはねえ。

 

 

「まだ何も言ってないよね、スズカ?」

「トレーナーさんのことなんて何でも解っちゃいますからね。私は走りますよ」

「うんうん。頑張って我慢しようね、スズカ?」

「やです」

「スズカ?」

「やです」

 

 

 やですbotになってしまったスズカ。いー、と口の形を歪めて私を威嚇しつつ、捕まえるべきかの葛藤に処理落ちしてしまったブルボンをけん制している。

 

 

「聞いてスズカ。こんなのいつものことじゃない。今更言うことじゃないでしょ?」

「あー、トレーナーさんが言っちゃいけないこと言いました。何だかんだいつも説得してくれたのに、適当にしましたね」

「良いから良いから」

 

 

 こっちにおいで、とスズカを呼ぶ。ぷんすかぷんになってしまったスズカは一応大人しく来てくれるものの、つんと唇を尖らせたまま目を逸らしている。拗ねてるなあ。まあ私が適当になったからなんだけど。

 

 

「ごめんスズカ。機嫌直して? ちゃんと説得して走るの禁止するから」

「……自分で言っておいてなんですけど、それはそれでなんか悔しいです」

「そんなこと言わないで。よしよし。偉いねスズカは」

「むー……適当に撫でれば誤魔化せると思ってませんか?」

「ぎくっ」

「そんなこと口で言う人います?」

 

 

 私の膝に乗ってされるがままのスズカ。ウマ耳マッサージをしながら頭を撫で髪を梳く。

 

 

「宝塚で楽しく走りたいでしょ? 全力で走って良いから、ね?」

「やです。今日走りたいんです」

「マスター」

「そんなこと言わないで? 我慢すればするほど走った時気持ち良いのよ」

「今走っても気持ち良いです」

「あら意地っ張り」

 

 

 むーっと私に抱き着いて押し倒してくるスズカ。まったく、ワガママね。まあ無茶言ってるのは私だけど、でも一応決まり……私が勝手に決めた決まりなので、しっかり守ってもらわないと。トレーナーさんだぞ、私は。

 

 

「じゃあちゃんと頑張れたら何したいか考えていいから。ね? 何したい?」

「走りたいです」

「どこが良い?」

「マスター」

「今から、近所をです」

「もうっ」

「んぁぅんぁぅんぁぅ」

 

 

 赤ちゃんでも抱くみたいに揺さぶり、目を回したところでどーんとソファに押し倒す。すぐに跨りマウントを取って、体重を持って腕を固定してやる。これで動けまい。

 

 

「わわっ」

「さあ我慢すると言いなさい」

「マスター」

「やです」

「強情なっ」

「やははははっ、ふふ、うふふっ」

 

 

 くすぐって何とか口を割らせようとして、お腹や脇の下をまさぐって、

 

 

「マスター、よろしいですか」

「ひぃゃああっっ!!?」

「みみ、みみがこわれる……」

 

 

 耳元で囁かれて崩れ落ちてしまった。頭を思い切りぶつけながら床に倒れ伏す。痛った……たんこぶできたわ。悶える私を、ささやきの主であるブルボンが真顔で見下ろしている。何、何が起こったの。

 

 

「マスター、どなたかいらっしゃっています」

「え、あ、ごめん」

 

 

 ぶわっと冷や汗が出る。やべえ。スズカと遊んでて来客に気付けないのは流石に不味い。すぐに服装を整えて、扉をゆっくりと開く。理事長じゃありませんように理事長じゃありませんように理事長じゃありませんように理事長じゃありませんように理事長じゃありませんように……

 

 

「祝福ッ! この度はメイクデビュー快勝、おめでとう!」

 

 

 あっあっあっ……

 

 

「お……疲れ様です理事長。対応遅れまして申し訳ありません。言っていただいたらこちらから伺いますのに」

「それには及ばんとも。祝いの言葉は直接来て伝えるべきだ。それに、それだけではないからな!」

 

 

 理事長の扇子に『礼儀ッ!』の文字。とにかく部屋に招き入れる。珍しくたづなさんがいないな。基本的に二人一組で行動しているイメージがあったんだけど。

 

 

「改めて、祝福ッ! チームエルナト二人目のデビューと、ミホノブルボンの快勝を心からめでたく思うぞ!」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます、理事長。これからも頑張って参ります」

「うむ。最初は虐待を疑うなどしてしまったが、結果としてミホノブルボン自身の目標通り、1600を走り切りその先の可能性も示した! これは非常に素晴らしいことだと思う!」

 

 

 あ、すっごく褒められてる。良かった、流石にお説教もののミスをしたからマジで怖かった。

 

 

「ブルボンの目標はクラシック三冠ですから。まだまだこれからですよ」

「当然! 我々もできる限りの支援はしようとも! いやあ、面接の時から聞いていたが、夢を貫く姿勢が他のウマ娘達にも良い影響を与えてくれると良いな!」

「面接……覚えてるんですか? ブルボンの」

「無論ッ! すべてウマ娘の目標はしっかりと覚えているとも! 私の責務だからな!」

 

 

 凄いなこの人……一年に何人入ってくると思ってるんだ。どう考えてもそんなことできるわけないんだけど、理事長が言うと本当に覚えてるんだなって

 

 

「ありがとうございます」

「では別件だが、早速いくつか取材やグッズ展開などの申し込みが来ていてな!」

「それは……理事長からお話を聞くとは思いませんでした」

「私欲ッ! 個人的に会いに来たかっただけだ! 二人とも息災のようだし杞憂だったな!」

 

 

 あー、私、そうね。監視対象か。そりゃそうよね。だいぶ無茶苦茶したし当然。心配かけました。

 

 その後もしばらく理事長との話があり、彼女は夜練習にまでついてきた。坂路のペースの数に理事長がドン引き、数日後の面談が決まった。



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理想の一日を過ごすサイレンススズカⅠ

俺はスズカから逃げたのか……?育てたスズカが十五レースやってレース中一度も一瞬も先頭に立てず、育成が間に合わず数合わせに入れたゴルシが一着をとる始末……俺は……無力だ……


 

「トレーナーさん、起きて、起きてください」

「んー……あー……」

「約束、約束ですよっ」

「んー……」

 

 

 翌日。私は朝早くからスズカに揺り動かされ起こされていた。

 

 

「ブルボンさんも」

「はい。起床しました」

 

 

 変わらず流石に三人は狭いベッドで、私とブルボンと、その間に挟まれたスズカ。時計を見る。まだ四時半だ。ブルボンも跳ね起きたものの、流石に目の焦点が一瞬合っていなかった。私も正直死ぬほど眠い。

 

 しかし、そんななかでもお目目ぱっちり元気元気スズカ。ベッドから降りて、何の躊躇いもなくばっとパジャマを脱ぎ捨てた。カーテンから外を覗き込んで、機嫌の良い時のニコニコ笑顔で喋っている。

 

 

「良かった……今日は晴れたみたいです。風も少しありそう。絶好のランニング日和ですね」

「そう……良かったねえスズカ」

「良かったです。おはようございます、トレーナーさん」

「おはよう、スズカ」

 

 

 さて、今日はスズカが自由にして良い日、ということになっている。宝塚記念に向けたランニング禁の条件として、最後に一日好きにやらせてほしいということになったのだ。

 

 じゃあ朝起きてから日付が変わるまでね、ということで、スズカは私の部屋に前乗りして、『トレーナーさんにおはようを言う』を達成していた。そのままトレセンのジャージに着替え、私の手を引いて洗面所へ。ブルボンもゆっくりついてきた。

 

 

「大丈夫、ブルボン。もうちょっと寝る?」

「いえ、ステータスに異常はありません。平均起床時間からすれば二時間ほど早いですが、それに備え昨日も二時間早くスリープモードへ移行しています」

「そういうので何とかなるんだ……」

「睡眠は心身の回復行為です。単純に時間を変更するだけなら問題ないと教わりました。事実お父さんは時に帰りが遅く、深夜のトレーニングもありましたので」

「そうなの……身体を壊しそうな理屈ね」

 

 

 そんなんでよくこんな育ったもんだ。歯磨き中の二人を見ながらしみじみ思う。スズカは性格上基本的に夜更かしはしないし、食事も……いや食事は怪しいな。まあ睡眠と運動はちゃんととっているはず。でもブルボンと身長は変わらないし、本人が気にしていないとはいえ発育の差も物凄いことになっている。

 

 あとお父さんは娘に何教えてんの。生活リズムとか……ご存じ無いんですか? やっぱあの人元トレーナーだな。トレーナーってのは必ずどこかイカれていくって昔先輩が酔って話してたもんな。私もそうならないように今から気を付けよう。

 

 

「まあ良いんじゃないの、もう成長期も過ぎたでしょ」

「あむ……ぺっ。いえ、依然としてバスト、ヒップサイズは微増傾向ですが」

「ええ……まだ育つの君は」

「良い子は大きく育つそうです。私はステータス、『良い子』なので大きく育ちます。サンタさんも来ますし閻魔様に舌も抜かれません」

 

 

 動揺のあまりスズカの髪をセットする手が止まりかけた。凄いのねこの子。色々。

 

 

 二人の髪のセットを終え、食卓へ戻る。どうせ早朝から起こされると思っていたので、昨晩既にほとんど作り終わっている朝食を温めていく。

 

 

「ブルボンさん、本当についてくるんですか?」

「はい。スズカさんと同じ速度を維持することはトレーニングにも有用です」

「無理だと思うけどねえ」

 

 

 ダイニングで話す二人に、キッチンにいる私も交ざる。今日はスズカデーなので一応スズカ気味に話すことにする。普段ならそんなことしなくて良いよ、くらいにしていたところだ。無理だと思ってるのは本音だけどね。

 

 

「ふふっ、ですよね? 一人でずーっと行っちゃいますから」

「必ずついていきます。お任せください」

「ふふふっ」

 

 

 でーきたっと。二人に食器を出して貰い、朝御飯だ。別に学園で食べれば良いのにわざわざ私に作ってほしいと言うスズカは一旦可愛い。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 朝食を食べ終え、着替えまで終えて三人でトレセンの食堂へ。まだ六時だが、何とトレセンの食堂はもうやっている。朝食から夕食まで対応するのがあのやべー学生食堂である。流石はちょっとした村か町くらいの規模を誇る中央トレセン学園をたった三つの食堂で支えているだけある。

 

 お腹いっぱいの私は一緒にいるだけで、スズカとブルボンはそれぞれいつも通りの量を頼んできた。空腹でも人間には厳しい量を平気な顔で食べ始める二人を前に、暇なのでノーパソを開いて色々と始める。

 

 周りには……まあ流石にほとんど人はいない。だからこそ目立っちゃってるけど。こっちをちらちら見てる子、たぶんステータス的にジュニアか、上手く行ってないクラシックなんだろうけど、朝早くから頑張ってるのね。

 

 

 朝食を済ませ、ゆっくり歩いてトレーナー室へ。荷物を置いて、活動開始がちょうど七時だった。まあ予定通りである。制服からジャージに着替えた二人を校門まで見送りに行く。

 

 

「じゃあスズカ、ブルボンも、授業には遅れず出るのよ」

「はい」

「はい」

「ん。じゃあ気を付けて行ってらっしゃい」

 

 

 ストレッチを済ませ、物凄い勢いで駆け出していく二人。やっぱりブルボンのスタートダッシュは一級品だ。スズカに負けず劣らず。

 

 

「あら? エルナトのトレーナーさん。おはようございますっ」

「あ、おはようございます、たづなさん。早いんですね」

「毎朝挨拶をしてますから」

 

 

 入れ違うようにたづなさんが来た。私もしばらくやることはないし、しばらく会っていないからかたづなさんも自然に隣に来て話す気満々だし。まあお話ししようかな。ついでに挨拶運動も一緒にやろう。善行善行。

 

 

 

 ────―

 

 

 

 

「あー……疲れる……」

 

 

 チャイムギリギリまで続く挨拶運動を終え、その後カフェテリアでたづなさんに非常に熱く今年のクラシックのことを語られた後。十一時に解放された私はお昼ご飯のため食堂に来ていた。今日の日替わりは唐揚げだった。

 

 どう考えても割高で、いくら東京と言えどその辺のご飯屋さんに入った方が良いんだけど、美味しいし来てしまう。こうして私達の給料をトレセンに戻そうとするのだ。怖いね。

 

 

 ちなみにお昼は基本的に一人だ。大体のトレーナーというのは激務に激務を重ねているため、お弁当とか軽食で昼を済ませることが多い。あとは担当と食べたり。スズカはお昼は私と友達を天秤にかけ友達の方を選んだ。まあそれはそう。そもそもまだ授業終わってないし。

 

 

 食べ終わって、トレーナー室に戻る。しばらく仕事をしよう。スズカが来るまでまだ時間があるし。

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 六月十五日、記録者、ミホノブルボン。

 

 本日は朝から、チームの先輩であるスズカさんが全てのスケジュール設定を行い、マスター共々それに従うことになっています。

 

 

「んしょ……じゃあ行ってきますね、トレーナーさんっ」

「あの、ブルボン。本当に大丈夫? 確かに身体は大丈夫だろうけど、シンプルにその、体力とか」

 

 

 現在、午後二時三十分。授業を終え、スズカさんに誘われ複数人での食事を楽しんだ後、私は通常通り坂路トレーニングを行いました。

 

 この日もマスターの指示通りのタイムで走破することに成功。またさらに短縮すると言われ、次に向けて奮起しました。そして、トレーニングを観察していたスズカさん曰く、これから走りに行く、とのことです。

 

 

「問題ありません。身体機能はオールグリーン。スタミナはレッド……危険域でしたが、現在はイエローまで回復しています。また、マスターの分析に則るなら私の根性次第、ではないでしょうか」

「そうだけど……まあいっか。好きにしなさい」

「ありがとうございます」

 

 

 当然ついていきます。朝のランニングにおいては開始二十分で差が大きく開き、終了時には動けずスズカさんに抱えられてシャワー室へ向かう結果となりました。次こそ最後までついていきます。

 

 

「行ってらっしゃーい」

 

 

 マスターの見送りを受け、朝と同じように校門よりランニングを開始します。並んで走ることはスズカさんより禁止されているので、三メートル後ろを追走します。コースについてはスズカさんの気分次第です。

 

 坂路等、パワーのステータスが必要なコースでは私はスズカさんに有利かもしれない、というのはマスターの分析です。現実にそうなれば良い経験となるでしょう。

 

 

 前を走るスズカさんに続きます。朝よりペースが10%上昇しています。スタミナはイエローを維持。分析中。判断を変更します。これは無理です。

 

 

 そして、予測通り私は大きく離され、スタミナ危険域で大幅にペースダウンしてしまった頃には背中すら見えなくなってしまっていました。

 

 

 走りながら体力回復に努め、再びスズカさんを追います。コースのランダム性は高く一度見失うとほとんど追い付くのは不可能ですが、はぐれたら合流するポイントを事前に決めていました。このことによりスズカさんのランニングを妨害する結果になってしまうことに強く憤慨を覚えます。

 

 

 ですがそれ以外に私の取れる行動はありませんし、自己判断でトレセン学園に戻ることもできません。約束ポイントである小さな公園へ到着すると、ベンチに座り数人の人間に囲まれているスズカさんがいました。

 

 険悪な空気ではないと判断。であればファンの方でしょうか。話し掛けるべきではない可能性があります。全員いなくなるまで待機するべきでしょうか。

 

 

「あ、ごめんなさい、来たみたいなので、これで……はい。ありがとうございます」

 

 

 ですが、スズカさんは会話を終了してこちらへ。手には自動販売機で購入したと思しきスポーツドリンクのボトルがあります。それを私に差し出しました。

 

 

「良かったわ。大丈夫? 相当辛そうだけど……まだやる?」

「……ぷは、勿論です。マスターへの連絡をお願いします」

「……解ったわ。頑張るのね」

 

 

 マスターは、一度でも休憩を挟んだ場合その時点で続行の判断を仰ぐように指示されています。理由は不明ですが、必ず守るようオーダーを受けています。それに従い、スズカさんのスマートフォンを使ってマスターに連絡を取ります。

 

 

 ……私は続行不能と判定され、その場でマスターの車を待つことになりました。じゃあ行くわね、と話すスズカさんとの背中に、解析不能の感情が感知されました。



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理想の一日を過ごすサイレンススズカⅡ

「いただきます」

「はーいどうぞ」

 

 

 その日の夜。スズカがランニングから帰ってきたのは夜八時のことだった。普段から晩ご飯はちゃんと食べてと言っているので、自由な日と言えども戻ってくることにしたらしい。

 

 現在、リビングには私とスズカしかいない。ブルボンは寝室で熟睡している。さっき気まぐれに名前を呼んでみたけど起きなかったから、よほど限界だったんだと思う。そりゃそうだ。朝と午後スズカに付き合ったんだから。

 

 

 朝はあっけなく突き放され、午後は坂路の後というのもあって流石に止めた。けど、ブルボンも負けん気が強いのか何なのか、それでも走ろうとするのだ。まあ怪我率は出ていなかったから好きにさせたが、これも途中で突き放されて終了。休憩したらしいところからテレビ通話が来たが、流石に怪我の可能性があったのでやめさせた。

 

 

 まあスズカはその後も走り続けてこんな時間になったんだけど。都合七時間半くらい走ってることになる。化け物じゃん。人間がフルマラソン走るより長く走ってる。無敵か? 

 

 

 でもまあ何も言わない。ちゃんとご飯を作って、ぱくぱくのスズカを眺める。

 

 

「この後の予定は? スズカ」

「んむ……んー……もうちょっと走って、日付が変わるくらいには帰ってきます」

「まだ走るの……?」

「はい。ダウンですよダウン」

「ダウンで三時間走るわけないでしょ」

 

 

 でもスズカはやる。走ると言ったら走るのだ。走っていれば疲れないというのが嘘でも誇張でもないのではと思えるくらいに走る。量は少なめといえどこうして晩ご飯を食べた後に走りに行って……三時間くらいかな、それくらいの時間も目一杯走る。

 

 

「でも夜風が気持ち良いんですよ。こう、身体の中は運動で温まっているのに、肌は夜風で少し肌寒くて……あ、あと、この時間になると車の音より虫の音の方がよく聞こえるんです。星明かりは都会だと難しいですけど、月明かりは結構感じられるというか……」

「それは……風情があるわね」

 

 

 学生の感性じゃないような気もする。あっという間に食べ終わったスズカと一緒に食器を洗い、そしてスズカは当然のように玄関へ向かっていった。うーん有言実行。流石だ。

 

 

「夜食は食べる?」

「ちょっと甘いものがあったら嬉しいです」

「ん。気を付けるのよ。スマホは持った? お金は?」

「持ちまし……あ、お昼に飲み物を買って使い切っちゃいました」

「そう。はい。ちゃんと水分補給はするのよ」

「はいっ」

 

 

 いくらかのお金を渡し、スズカを見送る。さて、何を作ろうかな……まあお菓子は用意してあるけど、今日はスズカの好きにさせてあげたいし、せっかくなら何か作った方が喜ばれるだろう。

 

 ……まあ、作るのは日付が変わるギリギリだけど。どうせ帰ってこないし。お風呂を沸かして、私はリビングのソファに寝転がった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「……さん?」

 

「……ーナーさん……?」

 

 

「トレーナーさん!」

 

「うわっ」

 

 

 飛び起きる。ヤバい、寝てしまった。目を覚まし体を起こすと、かなり覗き込んでいたらしいスズカと目と鼻の距離まで近付いた。微かに汗と、スズカがいつもつけている制汗剤の香りはしない。普段から汗をかくようなことを繰り返しているスズカは大した臭いもない。こつん、と額をぶつけて、そのまま起き上がる。時計は……ちょうど日付が変わる寸前だった。

 

 

「ごめんスズカ、普通に寝てた……」

「もう、疲れているならそう言ってください」

「いや、疲れてなくてもこの時間は寝るって……」

 

 

 皴になってしまった上着を放って、お風呂を沸かし直す。少し顔を洗って目を覚まし、スズカにタオルと飲み物を手渡しておく。

 

 

「食べるの、今からでも良い?」

「はい。一緒に作りますか?」

「良いよ、どっちでも」

 

 

 じゃあ作ります、と言うので、ホットケーキを焼くことにした。フードプロセッサーでぐちゃぐちゃにしたにんじんも入れて、特に会話も無くお菓子作りに勤しむ。何だかんだ良い匂いはする。初めて作った時はホットケーキににんじんは正気かと疑ったけど。たとえそれが普通に存在するレシピでも、マジでやる人がいるとはって感じだった。

 

 

「もう良いんじゃない、ひっくり返したら、スズカ」

「はい……あっ」

「はい失敗。それスズカのね」

「そんな……もう一回やらせてください」

「やだね。見てな……あっ」

「ふふっ……私の方が綺麗ですね、トレーナーさん?」

 

 

 焼き上げていると、寝室の方から足音が。ぽてぽてと、夜中に起きてしまった赤ちゃんみたいな軽い足音は……じゃなくて、うちに今いるのはあと一人、ブルボンである。相変わらず私のパジャマをぱつぱつにして、目を擦りながら近寄って来た。毎回忘れるけどブルボンの服も揃えておかなきゃ。早急に。ブルボンが着た服は基本的に胸元がびろんびろんになって着られないから。

 

 

「起こしちゃった? ごめんね、うるさくして」

「いえ……音声による起動ではありません。何をされているのですか?」

「ホットケーキ作ってる。食べる? まだ材料あるけど」

「いえ、深夜帯の飲食は」

 

 

 ぐぅ。誰かのお腹の虫が鳴った。無理しないでブルボン。根本的にウマ娘が甘いものの誘惑に勝てるわけないのは知ってるのよ。食欲より走行欲が強いスズカが異質なだけで、ウマ娘の食欲は基本的に止められない。びくん、と体を起こし、ウマ耳をへなへなにしてしまったブルボンに二人で笑いかける。

 

 

「おいで。一緒に食べよう。大丈夫。ブルボンはそう簡単には太らないわ」

「……では」

 

 

 そのまま食器棚に向かうブルボン。スズカも少し笑った後、新しくにんじんを刻み始めた。同じように生地に混ぜて、三つ目を焼き始める。

 

 

「せっかくだからブルボンさんもひっくり返す? トレーナーさんに見本を見せてあげてください」

 

 

 はは。ブルボンにできるわけ……いや、ブルボンって料理とかべらぼうに上手いもんね。平気でやりそう。お任せください、と焼き始めの生地を眺めるブルボン。私もはちみつと、ジャムと、バターと……じゃん。ココアパウダー。美味しい。

 

 

「行きます」

 

 

 ブルボンが作ってひっくり返したホットケーキは、非常に綺麗な円を描いていた。ヤバすぎる。お料理ロボットじゃん。失敗作の二枚は私が食べることにして、スズカの分を追加で作った。

 

 

 

 

 

 ────―

 

 

 

 

「はあ……美味しかったです。ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした。美味しかったねえ」

「ごちそうさまでした」

 

 

 おやつを食べ終え、ブルボンは歯磨きに、私とスズカはお風呂に入りに洗面所へ。特に分かれる理由も無いのでそのままスズカと一緒に入り、スズカの長い髪を洗う。

 

 

「そんなに丁寧にやらなくても……」

「だめ。あ、ほら虫いるじゃん。どこ走って来たの」

「森ですけど……」

「だからちゃんと洗うのよおバカ」

 

 

 そうでなくてもスズカは烏の行水というか……ゆっくり温まるってことを知らないのかな? って思う。まあ普通の女性として考えれば普通くらいだけど、ウマ娘は日常的に走るので、泥ハネとか、それこそ虫とか葉っぱとか。スズカはくっつき虫くらいなら平気で付けてくるからね。私がスズカの髪を、尻尾を自分で洗わせる。

 

 

「あ、トレーナーさんシャンプー変えたんですか?」

「あなたが変えさせたんでしょ」

「だって香りが強くて……トレーナーさんからはトレーナーさんの匂いがしてほしいですから」

「あの、日々若さを失ってる大人に体臭の話はしないでマジで」

「好きですよ?」

「それでもダメ」

 

 

 髪を巻いてタオルで包み、先に湯船に浸かるスズカ。尻尾がぶわっと広がって見ていて気持ちが良い。まあスズカの後入ったら毛がもう酷いことになるけど。あーあ。まあ出るときシャワー浴びればいっか。

 

 身体を畳んで縁から私を眺めるスズカ。私なんか見て楽しい? あなた。何も無いでしょ。

 

 

「トレーナーさん、背中に汗疹できてますよ」

「え? 嘘。全然痛くも痒くもないけど」

「赤くぽちっとしてます。今度お薬塗りますね」

「お願い……しまったなあ……ちょっとショック」

 

 

 そして目を瞑ってしまったスズカ。ああ、私の汗疹を見てただけなのね。それはそれで複雑ね。まあずっとそのままぬくぬくしててくれ。

 

 

 そして、スズカに湯船を譲られて場所を交代。体を拭くスズカ。私も湯船から手を伸ばして尻尾の水気を取る。本当、スズカの尻尾はどうも他のウマ娘よりも締まっているというか、纏まっているような気がする。これも空気抵抗を何とかするための長年のスズカの努力の結果だろうか。

 

 乾かした尻尾にオイルを塗りこみ、スズカの指示に従いしっかりと纏めるように絞る。ふわりとさせた方が可愛いと思うんだけどなあ。スズカの意識はよく解らない。

 

 遅れて私もお風呂を出る。用意していた牛乳をちびちびと飲むスズカに遅れて私も服を着て、ぽかぽかのままスズカを連れて寝室へ。既にベッドの真ん中ですやすやと寝ているブルボンは動かさないようにして、ブルボンを挟んで寝ることに。この子は体温が高いので暖かくて気持ちが良い。冷房をつけてタオルケットをかけてブルボン湯たんぽを使うと非常にちょうどいい。

 

 

「楽しかった、スズカ」

「大満足です」

「そう。じゃあ明日から頑張ろうね」

「……やっぱり楽しくなかったのでもう一日良いですか? もし良ければあと一か月くらい良いですか?」

「ダメに決まってるでしょ」

 

 

 冗談です、と上機嫌にくすくす笑うスズカ。いや冗談じゃないな。明日になったら同じこと言うだろうし。まあ一日自由にやらせたわけだし、少しは楽になるだろう。宝塚記念、それから夏の練習……まあスズカの夏はおまけだけど。去年は死ぬほど鍛えたけど、現状のスズカに人並みのトレーニングを課すつもりはないし。

 

 それでも、ブルボンの練習相手としてスズカは便利だし。そこで走るわけだから、しばらくスズカと言い合いをすることも減るかな……それはそれで寂しいような気もするけど。

 

 

「おやすみなさい、トレーナーさん」

「おやすみスズカ」

 

 

『トレーナーさんにお休みを言う』を達成したスズカは、微笑んだまま眠りについた。

 

 

 

 翌日。

 

 

「走りたいですトレーナーさにゃいにゃいにゃい」

「ダメ」

 

 

 トレーナー室で昨日のことが無かったかのようにくっついてくるスズカの頬っぺたを抓りつつ、夏の練習メニューでちょっと意地悪してやろう、と私は思うのだった。

 

 宝塚記念まで、あと六日。




夏休みは誰と練習しようかな、と思ってるところさん。まああんまり候補は無いけど。でも実はアプリ版だと既にライスがブルボンを意識しているんですよね。


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友達を手伝うサイレンススズカ

今回はうすあじ。


「助けて……助けてくださいスズカさぁん!」

「え……何……? どうしたのフクキタル……」

 

 

 ある日。今日も今日とて走りたいスズカを何とか宥めていると、トレーナー室にマチカネフクキタルが飛び込んできた。スズカは私の膝の上で私を殴っていたが、そんなことは気にせず彼女は続ける。

 

 

「大変なことになってしまいましたぁ! 本当にもう……ダメかもしれません……!」

 

 

 ……こう言ってはなんだけど相変わらずどうしてスズカと友達なのかよく解らないやかましい子だ。嫌いにはなれないけど。

 

 

「聞いてください……今日、タロット占いをしていたんですが、結果が何度やっても最悪なんです! 堕落! 弱さ! 中途半端! 私、私はぁ……どうしましょう……!」

「そう……なの。まあその、良いことがあると良いわね……?」

「朝の占いも最下位でしたし、願掛けに行った神社でも凶……うぐぐ……」

「そう……あ、ジュース飲む?」

「飲みます……」

 

 

 マチカネフクキタルは占いや運勢というものに傾倒している……故に、常に占いとお祈りを欠かさないしラッキーアイテムも持参している。今日はどうやら右腕のチェーンアクセサリーがそれっぽいわね。

 

 聞くところによるとかなり自分に都合の良い解釈もするらしいし、強引に良い結果が出るまでやることもあるらしい……が、占いは結構当たるとか。

 

 

 スズカにジュースを出され、飲んで落ち着いた……と思いきや、はっとなってマチカネフクキタルはまた騒ぎ出す。

 

 

「違いますよスズカさん! 美味しいジュースを飲んでる場合じゃありません! ごちそうさまです!」

「ええと……私は何をすれば……?」

「今日のラッキーカラーは緑! そして白です! つまりスズカさんはラッキーそのもの! 幸運の女神様みたいなものですよね!」

「え? あ……まあ、そうなのかも?」

 

 

 スズカの珍しい一面が見られるね。ぐいぐいぶっ飛ばして来られるとこうなるのか。もしくは話半分で聞いてて何も考えていないかどちらかだな。

 

 

「そしてですね、加えて私今、ひっじょ~~~~にピンチでして!」

「運勢じゃなくて?」

「運勢もそうなんですが! その、あの、か、課題が終わらなくてですね……」

「……ああ、フクキタル、赤点だったものね」

「そうなんです……このままだと夏合宿に行けません!」

 

 

 それは……大変だね。

 

 トレセン学園はウマ娘ファーストを掲げているし、何かトラブルがあれば基本的にウマ娘保護に動いてくれる。ただ一方で、決してウマ娘に甘いわけではない。

 

 トレセン学園は何だかんだ言って扱いは普通の中高一貫校である。トレーニング施設がオマケ扱いだ。だから、ちゃんと単位をとって卒業すれば高卒になるわけだ。明らかに授業のコマ数が足りてないような気はするけど何とかしてるんだろう。

 

 そのぶん勉強についてはそこそこ厳しい。もちろんトレーニングも重要なので救済に救済を重ねてくれるが、まあそれにしても困る子はたくさんいるだろうし。

 

 

「テスト、そんなに悪かったの? テストの日はなんか、大大大吉だから絶対大丈夫です、って言ってなかった……?」

「あ、いえ、その、そうなんですが……」

 

 

 当然、課題や救済措置が終わらなければトレーニングには出られない。これがレースなら優先させてくれるが、夏合宿はその対象ではない。この基準が細かくて難しいんだこれが。

 

 

「スーパーラッキーだったので勉強せずに全てサイコロと勘で解答したら赤点でした……」

「バカなの?」

「筆記がボロボロで……」

「バカじゃん」

 

 

 思わず二人の会話に挟まってしまった。いやバカなんだよな流石に。調子に乗りすぎ。どうして記号だけでいけると思ってしまったのか。

 

 

「えっと……じゃあ記号は合ってたの? 今回は筆記が多かったし……」

「はい……」

「嘘でしょ」

 

 

 いや書けるところはうまくいってるんかい。

 

 

「それでその、お願いしますスズカさん! 課題を手伝ってくださいませんか!? このままだと私、本当に夏合宿に行けなくなってしまいます! と、トレーナーさんも流石に怒ります……!」

「ええ……まあ、手伝うのは構わないけど……今はやることもないし」

「ほんっと~~~に申し訳ありません!」

 

 

 私が言うのもなんだけどスズカが友達で良かったね。普通グランプリ前にそんなことする人いないよ。スズカは追い切りをしないし、何なら気を紛らすのに使えるから手伝えるけど。スズカと、ついでに私も拝んできたマチカネフクキタル。次は勉強するのよ。

 

 早速背負っていたバッグから荷物を広げ、分担を始めるマチカネフクキタル。うわあ。私が見てもヤバい量が出ている。

 

 

「じゃあえっと……何なら手伝えるかしら……」

「とりあえずこの辺! この辺りの丸付けをお願いします! で、その後──」

 

 

 意識を切った。まあ友達に宿題をやってもらうくらいで何か言うこともあるまい。スズカも平和的に時間を潰せるし、Win-Win……かな? スズカは勉強は苦痛だと思ってないし、まあ良いんじゃないの。

 

 

 二人に再び飲み物を用意して、真ん中にお菓子も置いておく。マチカネフクキタルは確かそんなに厳しい食事制限はしていなかったはず。していたら拷問だけど……あんまりこの子が大食らいって話は聞かないものね。

 

 

 泣き言を言いつつ課題に取り組むマチカネフクキタルと、苦笑しつつそれを手伝うスズカ。スズカ、よくこういうの頼られるなあ。

 

 

 考えてみると、まあマチカネフクキタル、スペシャルウィークがよくこういうのを頼んでくるわけだけど……それぞれ他に頼む相手、あんまり候補が無いんだろうな。スペシャルウィークはかなり仲の良い同期がいるけど、あのなかで勉強ができそうで、かつ課題を手伝ってくれそうな子……いるか? 

 他二人は大して話したことないけど、キングヘイローとグラスワンダーは落ち着いていて丁寧に話すし頭は良さそうだ。ただ、あれだけしっかりしていると課題を手伝うって言っても見張りとかになってしまいそうだし。

 

 マチカネフクキタルは……えー……あんまりこの子の交遊関係知らないや。本人は課題を抱えないし成績は良いし、かといって課題は全部自力でやりましょうみたいな意識の高さも無い、トレーニングもそこまでしないから時間もあるスズカ、都合の良い女すぎるな。

 

 

 黙々と続ける二人。私も色々返事とかしようかな。雑誌とか新聞とか、今度からはブルボンの分もやらなきゃいけないからそこそこ大変なのだ。でも疎かにすると二人にトラブルが行くからやらざるを得ない。

 

 

 しばらく課題をする二人を眺めつつ、私も色々、部屋も出たり入ったり。夕方にも差し掛かる時間になって、ブルボンが目覚めた。本当にこう、寝てても会話を聞いてるんじゃないかってくらい、自分に関係無いときは目を覚まさないなこの子。

 

 

「おはようブルボン」

「おはようございます、マスター。体力回復完了。いつでもいけます」

「おはようございます、お邪魔しています、ミホノブルボンさん!」

「おはようございます、マチカネフクキタル先輩」

 

 

 初対面のはずだけど、やはりトップウマ娘達は違う。マチカネフクキタルもただテンションの高い占い狂いではなく、菊花賞ウマ娘である。たまに麻痺しそうになるが、G1というのは本来出るだけで名誉、掲示板で一生ものの栄光、勝てば歴史に名が残るのだ。彼女を知らないウマ娘はモグリと言っても良い。

 

 

「じゃあブルボンはもう少ししたら坂路ね。その前に……二人もちょっと休憩して甘いものでも食べる? おやつの時間だよ」

「あら? もうそんな時間……あっという間ね」

「やっと……やっと二時間……? 私は……ふぎゅ」

 

 

 崩れ落ちるマチカネフクキタル。まあどう見ても集中切れてたし、ちょうど良いくらいだろう。一応彼女のトレーナーにも確認の連絡をさせて、まあトレセンのカフェテリアで良いか。

 

 

「じゃあ行こうか。それとも買ってくる?」

「ではせっかくなのでご一緒……」

「フクキタルは買ってくるからここで続きをやってて?」

「ええ゙ええぇ゙あぁあ゙っ……」

 

 

 すっげえ声出たな。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ありがとうございましたーっ!」

 

 

 カフェテリアで持ち帰りでいくつかシュークリームを買った。絶望してサイコロを転がさないように見張りとして置いてきたブルボンと、今もたぶん頑張っているマチカネフクキタルの分は一つ多い。と言ってもスズカだって五個買ってるけど。いちいち量が多いのよウマ娘は。二つ食べたらお腹が甘くならない? 色んな意味で。

 

 

「これくらいなら普通というか……スペちゃんなら倍食べますよ?」

「恐ろしすぎる……」

 

 

 まあ自分の顔より大きい特大パフェとか普通に食べるもんね、ウマ娘。隣を歩くスズカも何も不自然には思っていなさそうだ。

 

 

「でも良かったわね、彼女が来て。気も紛れたでしょ」

「そんなわけないじゃないですか。私が授業中もどれだけ我慢しているか知ってますか?」

「授業中は授業聞いて?」

「聞いてますけど……せめてカーテンを閉めて、風や鳥の声が一切聞こえないようにしてくれれば何とか落ち着いていられるんですけど……」

「監獄だねえそれは」

 

 

 普段どれだけ耐えてるんだこの子は……なんて呆れつつ、トレーナールームへ戻ると、

 

 

「ふおおおおっ……」

「っ……!」

 

 マチカネフクキタルがブルボンの腕を掴み、何かを止めようと奮闘していた。

 

 暴行事件か……とはならない。ウマ娘はそう簡単に暴行事件なんか起こさないし、ブルボンならなおさらだ。スズカも特に驚きはせず、一度おやつを置いてから話しかける。

 

 

「どうしたの」

「ブルボンさんが! ブルボンさんが私のご利益MAXスーパー解答サイコロ鉛筆改良型markⅢver.4.0.6改弐を破壊しようと!」

「こらブルボン。なんでそんなことするの」

「フクキタルがサイコロ使おうとしたんでしょ」

 

 

 スズカはもっと友達を信じて差し上げて。

 

 

「理由を話しなさい」

「はい。先程報告の機会を失いましたが、起床直後ですので排泄の必要があります。非常に切迫しています」

「トイレ?」

「はい。緊急性が非常に高いと判断し、向かおうと思ったのですが、それではオーダー『見張り』を完遂できません」

「それで?」

「サイコロを破壊すれば見張る必要が無いと思いました」

「おばか。まずトイレ行ってきなさい」

「はい」

 

 

 やや普段より足早に部屋を出るブルボン。トイレ行きたくて思考がバグっちゃったんだろうか。今度から『~~しておいて』という指示はやめよう。もしくは条件付けを……生理現象と身の危険は命令に優先するとかいう指示を出しておくとか。

 

 ……あといくら同性とはいえトイレ申告は恥じらお? スズカだってもうちょっとあるんだからね。

 

 

「ごめんねマチカネフクキタル。あとで叱っておくから」

「いえいえ、大丈夫です……ち、力強いですね……ちょっとビビりました私」

「ね。パワーあるでしょブルボン」

 

 

 パワー系ポンコツサイボーグだからね、あの子は。




このあと数日課題を手伝った。


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会話はターン制のサイレンススズカ

 

「ここではない……どこかへ……」

「うん」

「限界です……はし、走る、走ります……」

「そんなこと言わないの。頑張れ頑張れ」

「無理です……」

 

 

 宝塚を翌日に控えたある日。宝塚記念前のランニング禁止期間はマチカネフクキタルが課題を持ち込み、ついでとばかりにスペシャルウィークにも声をかけて頭を使わせることで何とかやり過ごしていたのだけど、昨日それも終わってしまい、結果としてずっと座って勉強していたストレスもプラスしてスズカが不味い。

 

 

「くっ、う、ぅ……」

「よしよし。頑張れー。頑張れスズカー」

「絶対に走ります、今すぐ走ります……」

「明日は思い切り走れるぞー」

 

 

 トレセンの体操服を着てランニングシューズを既に履いているスズカ。無意識にここまでやってしまったらしい。この格好になるまでは走るつもりは本当に無かったのだと。でもこの格好になったからには走るしかないと。

 

 無意識に着替えたというのもスズカだとなんか信じられるな。

 

 

「今日が良いです、本当にもう身体が爆発しちゃいそうです……」

「大丈夫、ウマ娘は爆発しないわ」

 

 

 完全に走る格好のスズカを膝の上に乗っけて、撫でたり抱き締めたり。何だかんだおねだりがちょっと弱いし、他に意識を割いていたというのは大きいようだ。ストレスと換算してギリギリプラスかな。

 

 次のレースでも同じことができると良いね。天皇賞……の前に一レースくらい出るかな? オールカマーか毎日王冠あたり。それから天皇賞連覇に挑むと。

 

 

「ちょっとだけ、先っちょだけ走らせてください」

「だめ。どれだけ走るつもりよ」

「……解りました。私も学んでます。トレーナーさんが思わず『それならスズカの好きにして良いよ』と言ってしまうようにします」

「ほう」

「……二十キロでどうでしょう」

「ダメに決まってるでしょ」

「ゃんっ」

 

 

 額を弾く。何も学んでいない……どうしてそれでいけると思ったのか。

 

 

「に、二十キロですよ? 普段の半分以下ですよ?」

「人間にとって二十キロとは絶対に足では行けない距離よ」

「トレーナーさんがひ弱なだけですよ。やーいひ弱ー……なんちゃってふふ、ふふふっ」

「言ったな? 事実でも言って良いことと悪いことがあるのよ」

「ふひゅ、ふふふっ、ふへへ……」

 

 

 スズカをくすぐって黙らせる。いうて今日ももう日が沈む。ブルボンが起きたら坂路やって終わりだし、そしたらすぐ夜行列車に乗らないとだから。

 

 

「次に私のことをひ弱と言ったら人前で耳に悪戯するからね」

「あー良いんですかそういうこと言って。そんなことしたらみんなにトレーナーさんの匂いについてお話しますよ」

「やめて……」

 

 

 あまりにも残酷な脅しに声が震えちゃった。ダメダメ。それはたとえ私が女子高生でも無理だから。

 

 

「じゃあこうしましょう。まず私が走ります」

「うん」

「あ、うんって言いましたね? 走ってきます」

「ずるでしょ! 相づちじゃん今のは!」

「わわっ」

「うおあっ」

 

 

 駆け出そうとしたスズカの手を掴む。引き留めようとしたら当然のように私が引きずられた。床に叩き付けられた私を、しゃがんだスズカが眺めている。大丈夫ですか? と強かにぶつけた肩を撫でてくれる。砕けるかと思ったわ。

 

 

「やめてくーだーさい」

「走らせてくーだーさい」

「ダメ」

「じゃあせめて勝手に走った時のお仕置きを決めておきませんか?」

「破る気満々じゃんか」

 

 

 助け起こされソファへ舞い戻る。

 

 

「あっ」

「なに」

「UFOです」

「古典的すぎて今あなたが愛おしくてたまらないわ」

「UFO……?」

「愛おしいのがもう一人増えたわ」

 

 

 ばっと起き上がるブルボン。こんなの真に受ける人、この世にまだいたんだ。寝起きにも関わらずぱっちりお目目で私達の方……ではなく、窓から見える夕焼けを見ている。

 

 

「UFOはいないのよ、ブルボン」

「……いないのですか?」

「どこかにはいるかもしれないけどここにはいないわ」

「……そうですか……」

 

 

 ブルボンががっかりしてしまった。まさかそういうのを信じてるタイプか。確かにサンタさんとか言ってたもんね。去年のクリスマス、親に何貰ったのとか聞かなくて良かった。夢を見てる子は見てた方が良いよ、ほんとに。

 

 

「UFO好きなの?」

「UFO……宇宙船には興味があります。より正確に言うなら戦闘機やロボットに類するものです」

「へえ……そうなんだ。そういうアニメとか見たの?」

「はい。父と一緒に」

 

 

 お父さんはブルボンをロボットに育てたかったんだろうか。少し聞いてみると、あくまで偶然見ただけだし、お父さんに言われる前に興味を持ったと言う。どちらかと言えばブルボンの趣味がそういうのなんだろう。

 

 

「UFOはいないから寝てても良いのよ」

「いえ、既に体力回復は完了しています。問題ありません。それよりもスズカさんが」

「え?」

 

 

 振り向くと、スズカがソファの隅で膝を抱えて寝転がっていた。

 

 

「スズカ?」

「つーん」

「どうしたのスズカ」

「トレーナーさんなんか知りません。今は私の番でしたよね」

「いや……まあその、ごめんてスズカ。スズカのことを蔑ろにしたんじゃないのよ」

「もう知りません。言うこと聞いてあげませんからね」

 

 

 言いつつ私の膝を枕にふて寝してしまった。まあ耳が立ったままだから本気ではないんだろうけど、確かにブルボンの話で放っておいちゃったか。拗ねるスズカの頭を撫でて、ウマ耳をマッサージしながらご機嫌斜めスズカに語りかける。

 

 

「ごめんね。怒らないでスズカ」

「ふん」

「拗ねても可愛いだけよ。今から明日どれくらい走るか決めとこうか。お祝いのご飯も決めて良いよ」

「お祝いはスペちゃんがしてくれるって言うのでそっちに行きます……」

「んー。お祝いは一回だけなんてルール無いんだから。ほらほら。あんまり拗ねてるとくすぐっちゃうわよ」

「ん、んぅ、んふ、ふふひゅ、んふふふふっ」

 

 

 ほら笑顔に戻った。ちょろいものよ。強引だけど笑えば良かろうなのだ。流石に我慢がヤバいのか情緒不安定ではあるので、今回は私が反省しないといけない。これで不調に陥っちゃったら元も子も無いし。

 

 

「ほらスズカ。ブルボンの坂路見に行く? そしたら電車乗らないといけないから」

「坂路を走ります……」

「それはダメだけど応援してても良いから、ね?」

「やです……」

「応援してくれるのですか?」

「……応援はします」

 

 

 偉いねえスズカは。わしゃわしゃしてあげよう。

 

 その後もスズカのテンションを大幅には下げないように宝塚後の話をして、時間を潰した。なお、応援を受けたブルボンが坂路を一本増やすというのでやらせたところ、あの、これ以上は乙女の名誉のために言わないでおきます。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「頭が……頭が爆発します……」

「ウマ娘は爆発しないわ」

「うぅぅ……」

 

「元気かスズカ……元気そうだな」

「何してるの、スズカ……?」

 

 

 坂路も終わり、ベッドで完全機能停止を迎えたブルボン。私達は変わらずソファでお話をしていたが、そこに宝塚でのスズカの……なんだろうね、まあとにかくメジロドーベルとエアグルーヴがやってきた。

 

 言葉に困ったのはその、スズカの勝ちを疑っていない私が、この二人をライバルと呼ぶのは白々しいような気がするからだ。ライバルというのはたぶん、スペシャルウィークにとっての同期のような関係を言うのだろう。少なくとも私はこの二人に勝つための練習も戦術も考えたことはない。

 

 

「エアグルーヴ……ドーベル……助けて、助けて……」

「ああごめんね二人とも。スズカは今瀬戸際だから」

「だとしてそんなになることある……? びっくりした」

「いやドーベル。スズカはいつもこうだ」

「ええ……」

 

 

 私の膝で丸まるスズカを見てそれぞれの反応が痛い。エアグルーヴは慣れすぎて、私に声をかけて冷蔵庫の缶ジュースを取り出した。それを受け取るメジロドーベルはここまで来たスズカを見るのは初めてかな。

 

 

「やっぱり明日の話?」

「もちろん。まあ宣戦布告とまでは言わんが、様子を見に来ただけだ。明日はスズカの全力が見られそうか?」

「全力で走れそ?」

「無理です……頭が真っ白になっちゃいます……」

「いつも通りじゃないか」

 

 

 確かに。

 

 

「レース中に頭が真っ白になるの、キツすぎませんか……? 私、まだたまに危ないんですけど……」

「ドーベルはそのまま克服すれば良い。スズカのこれはお前のとは性質が違うものだから気にするな」

 

 

 メジロドーベル、確か男の人が苦手で、それはそれとして他にも緊張しぃなんだっけ。それは大変だろうなあ。私も小市民だから気持ちは解るよ。そもそもこの歳で、メジロという家の名と名誉を背負って、全国民が結果を知るレースで走っているというのが凄いことなのだ。胸を張って欲しい。

 

 

「スズカはこれで良い。半端に私達のことを意識されても困る。栗毛の逃亡者は自由に逃げていれば良い。私が捕まえる。指名手配というやつだ」

「女帝だけに? 私はスズカの異名は『異次元の逃亡者』の方が好きよ」

「異なる次元になど行かせてなるものか。絶対に勝てないとでも? 私は同じ次元に上がり続けるぞ」

「ふふふ。できると良いわねエアグルーヴ? スズカ相手に? 同じ次元に?」

 

 

 スズカが負けるわけ無いんだから。何をどうやったってスズカの勝ちよ。少なくとも私は一欠片もそれを疑っていないし、明日ひっくり返るような要因があるとも思えない。それこそ今日の夜行列車で腰を痛めるとかそういうレベルのトラブルが無い限りね。

 

 それだって私とスズカの距離感で、私も一応トレーナー試験は通ってるんだし。そう簡単に怪我はさせないのよ。

 

 

「……言っただろうドーベル。スズカは何も言わないが、スズカのトレーナーの態度を見ていると闘志が滾ると」

「はい……ちょっと解りました。あと、うちのトレーナーもどうしてこれくらい言えないかなって怒りも」

「それは……そうだな。後で聞いてみるか」

 

 

 二人のトレーナーが私のせいでとばっちりを受けてしまった。ごめんなさい先輩。でもメジロドーベルはともかくエアグルーヴのトレーナーは腰低すぎると思います。女として思うんですけどなんか、もう少しちゃんとしないとその、奥さんとか、ね? 

 

 

「明日を楽しみにしておけ」

「ん。ウイニングライブも楽しみにしてるね」

「……ふん」

 

 

 二人は……というかエアグルーヴはかなり上機嫌で部屋を出ていった。何故か直後に機嫌が直ったスズカがくっついてきて、ニコニコ笑顔でブルボンを運んで、私達は阪神へと向かうのだった。




そろそろ次の更新辺りでアンケート消しておきます。結果としては『仕方無いけど明るくして欲しい』と『めちゃくちゃ重くして良い』が僅差、その次に『まあ書いても良い』が続きます。読者によって許せるラインが二分されてるのわろける。

まあ言ってしまえばめちゃくちゃ重くは個人的にはなりません。書く前にも『ここから○○話でやります』と言ってからにするので。何なら章にと思ったんですけど流石にやりすぎかもしれん。


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領域を見たサイレンススズカ(宝塚)

ここから例のアレへ近付いていきます。

基本的には早く消化したいので駆け抜けますが、たまに日常も挟まるかもしれません。

例のアレが関わる話には『領域』という単語をサブタイに入れておきます。また、本格的に曇り空になったら終了までのカウントダウンも入れます。

全てが終わったらあらすじを纏めて前書きに書きますので、どうしても不穏な空気が苦手な方は読み飛ばしていただけたらと思います。


 宝塚記念とは、ファンの間では有馬記念と並びグランプリと呼ばれるレースである。これらグランプリレースは出走登録もあるが、加えてファン投票で上位に入る必要がある。

 

 一応クラシックから出走できるものの、この時点で名が知れていて大人気、なんてのは、セイウンスカイやスペシャルウィークのように三冠なりティアラなりの路線で活躍しているウマ娘である。ダービーやオークス後に出るのは正直無理。

 

 なのでまあ、実質シニア級の戦いになる。今年の宝塚記念の目玉は何といってもサイレンススズカとエアグルーヴ、それにメジロドーベルを加えた三つ巴の争いである。もちろん他にもたくさんいるけどね? 

 

 

「準備は良い、スズカ」

「……」

「そう怒らないで? 今から走れるんだから」

「……つーん」

「もう。ごめんってば」

 

 

 そんなスズカだが、現在拗ねてしまっている。もちろん勝負服には着替えているし、ストレッチもして走る準備はできているが、ふいっと私と目を合わせないようにしながら控え室のベッドで寝ている。私の膝を枕にして。

 

 ちなみにブルボンはいつも通り無言で座っているだけだ。私達に対して今更何か言うようなこともないんだろう。

 

 

「怒ってます」

「ごめんって。許してスズカ。スズカが一番だから。私はスズカを疑ったりしないわ」

「ふーんだ。トレーナーさんなんて知りません。私じゃない投票券を買えば良いんです」

「間違えただけなのよ。本当よ」

 

 

 私はスズカのトレーナーとして、ウイニングライブは特別席である。正直投票券を買う必要はない。けど、それはそれとして趣味の範囲で一枚持っておくことにしているのだ。もちろん抽選には参加しない。ただ持っておくだけ。

 

 だが、今回間違えてスズカの隣の名前の解らないウマ娘を買ってしまった。それがスズカに見つかった結果、珍しく本気拗ねをしてしまっている。レース前にだ。

 

 

「あーあ。がっかりしちゃいました。トレーナーさんは私の走りを信じてくれていると思ったのに」

「本当に違うのよ。私はスズカが一番だから、ね?」

「つーん」

 

 

 スズカのやる気が下がってしまった。なんてことだ。ちょっと反省。まあその、自分の担当でもないウマ娘の投票券を買うのは流石に私が悪すぎる。スズカに限らず他の子だってそれは怒る。全面的に謝罪するしかない。ごめん。

 

 

「スズカが一番速いわ。絶対に負けない。スズカの一着が見たいなあ」

「つーん」

「先頭で駆け抜けるスズカがかっこいいなあ。ずっと一人で走ってるのが見たいなあ」

「…………」

「スズカは可愛いし速いし、私の一番のウマ娘! スズカが気持ち良く走ってるのを見るのが楽しいのよね」

「…………本当ですか?」

 

 

 やる気 が 上がった ! 

 

 

「本当本当。投票券もスズカの買い直すから。何ならルール無視していくらでも買うわよ。貯金全部つぎ込もうか?」

「……ふふ、そこまでしなくて良いですよ。もう解りましたから。ちゃんと信じててくださいね? 拗ねちゃいますよ?」

「もう拗ねてたじゃん」

「え?」

「スズカは可愛いねえ!」

 

 

 あっぶねえ。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 レース内容については、正直驚いた。僅差の一着。確かにエアグルーヴは強かった。二着の子の名前も覚えておこう。しかし今日のはそれ以前の問題というか……どうもこう、最後の伸びでスズカの脚が一瞬止まったように見える。

 

 

「トレーナーさん……」

「お帰りスズカ。楽しかった?」

「はい……楽しかった……ですけど……」

 

 

 帰ってきたスズカの様子もおかしい。レース直後、明らかにスズカには体力が残っていた。スズカは次を見据えて温存なんかするタイプではない。

 

 そして、帰ってきたスズカがどうも浮かない顔をしている。いつも通り駆け寄ってくるのを受け止めて抱き締めあっつ! は? 

 

 

「スズカ!? どうしたの!」

「レースが終わった辺りから急に……どうしてでしょう……?」

 

 

 スズカの体が熱い。発熱している。風邪か何かか? いやでも、走る前は何ともなかったはずだ。こんな短時間でここまで上がるものだろうか? でも、レースを走った以上は何かがあっても不思議じゃない。とりあえず体温計を脇に突っ込む。

 

 

「不調はある? 熱は……かなりあるけど……」

「いえ、全然不調は無いというか……むしろ気持ちいいくらいで……悪いことじゃないと思います」

「でも、顔色悪いよ」

「いえその、突然こうなっちゃってちょっとびっくりしてるだけです……レース中、その、私……」

 

 

 次の瞬間、スズカがきっと目尻を吊り上げた。鋭い眼光が私を貫く。もちろん私は慣れているけど、それでも一瞬怯んでしまうような……戦意? 活力? とにかく、レース中にサイレンススズカが見せる、逃亡者としての顔をしていた。

 

 でも、もちろん今はスズカは一着を取り終えて、控え室のベッドに一応横にした段階だ。そんな、気合いが入るわけがないと思うんだけど。

 

 

「スズカ?」

「あっ……い、いえ、何でも……」

「レース中、何があったの」

「その……上手く言葉で言えないんです……」

 

 

 声をかけるとスズカが戻った。ド天然ほわほわあほ栗毛……だけど、どこかテンションが低いというか、変に落ち着いている。

 

 

「良いよ。言える範囲で教えて」

「レース中、最終コーナーあたりで、視界がぼやけたんです。それで、スパートをかけたらさらに見えにくくなって……何か、自分が違うところにいるような、そんな気がして……」

「うん」

「その、先が見える感じがしたんです……」

「先?」

 

 

 体温は……いや、もう熱が下がってる。額をくっつけても熱くはない。念のため胸やお腹にも触れるけど、どこもおかしくはない。さっきまでの熱が、どこかに消えたみたいだ。

 

 

「本当に、上手く言えなくて……とにかく先なんです。このまま走れば、その先に行けそうな、そんな感じがして……でも、一瞬怖くなって……その、スパートが遅れて……結局そこには行けませんでしたけど……」

「その先……」

「もっと、速く、今のスピードの、さらに向こう側というか……」

「向こう側……?」

 

 

 スズカが何を言っているのか正直解らない。でも、それをスズカが悪く思っていないことは伝わった。だったら良いんだけど……まあ病院には連れていこう。ウイニングライブはとりあえず大丈夫そうかな。脚にも異常は無いし。

 

 

「とにかくスズカが楽しそうで何よりよ。じゃあライブの準備もしようか。一応レース場のお医者さんにも診てもらった後に」

「はい。たぶん、特に異常は無いと思うんですけど……熱だけよく解らないので」

「そうねえ」

 

 

 ウマ娘特有のものだろうか。でも、トレーナーになるために勉強はしてきたけどそんなの聞いたことがない。よほど症例が少ないか、特異なものか……怪我率は出ていないのよね。つまり身体異常ではないのかな。

 

 

「ブルボンは何か解る?」

「いいえ。そのように表現される場所についての知識はありません。ですが、レース後の高揚感やレース中の全能感が類似していると考えられます」

「それ……なの、スズカ」

「いえ、そういうのじゃなくて、本当に、そういう領域というか、踏み越えてしまうというか……」

 

 

 スピードの向こう側とやらが何なのかの解明は……厳しいかな。他のウマ娘にも聞けば解るんだろうか? そもそもスピード狂のスズカが一瞬でも恐れるって相当ヤバいんじゃないか。もし本当に今より速くなれるのであれば何でもするくらいの子なのに。

 

 

「あ、トレーナーさん」

「何?」

「忘れてますよ。ほら」

 

 

 立ち上がったスズカが私にうんと近付いて、ん、と胸を張った。やっぱりそんなに気にしてないのね、スズカも。まあ、私が気にしてれば良いか。

 

 

「よく頑張りました。お疲れ、スズカ」

「はいっ」

 

 

 尻尾ぶんぶんのスズカの頭を撫でつつ、いっそうしっかりしなくてはと強く思った。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「え? でもそれだとこっちが入らないですよ。九文字ですよね?」

「あー本当だ。いやでもそれ以外無くない? 全然思い付かないけど」

「それは……そうですね」

「いえマスター。スイートピーは和名に『麝香連理草』を持ちます。じゃ、こ、う、れ、ん、り、そ、う……九文字です」

「おお……物知りだねえブルボンは」

 

 

 結局、スズカに異常は見られなかった。

 

 ウマ娘用の病院にライブ後即向かい診察を受けたものの、まったくもって健康体、何なら兆しすら発見できなかった。トレセン指定の病院と推薦のお医者さんだし、信用はできる。本当に何もないのだろう。

 

 帰りの電車でクロスワードを解くスズカ。ずっと見ているが一瞬たりとも怪我率は発生していない。他の子達にはばっちり出ていたので私の目が曇ったわけでもない。本当に原因不明の発熱だった。採血もして結果もそのうち届くことになっている。

 

 

 あとでたづなさんや理事長にも聞こう。あの二人はそれはもう恐ろしくウマ娘に詳しいからね。あとはシンボリルドルフか。

 

 とにかくしばらくちゃんと様子は見ないと。

 

 

「ブルボンさん、それは違うわ。絶対にA賞よ」

「お言葉ですが、スズカさん。タオルは多くあります。ここは消耗品であるエナジーゼリーのB賞に応募するべきです」

「ゼリーこそたくさんあるわよね?」

「その分消費します。日々の栄養補給です。一日三つのペースですから」

「タオルも寿命があるのよっ。たくさん使うとすぐ固くなっちゃって大変なんだから」

 

 

「スズカ? タオルをたくさん使ってるの?」

「あっ、いえ、言葉の綾というか……使ってませんよ?」

「ブルボンもゼリーを食事に含めてない?」

「……おっしゃっていることがよく解りません」

 

 

 二人してすん……と目を逸らしてきた。まったくもう。人が考えてる時に。

 

 

「まあ良いけど、電車だから普通に静かにね」

「はい……」

「申し訳ありません」

 

 

 平和的にジャンケンをして即敗北したスズカ。ゼリーもタオルも業者かってくらいあるし、私はそもそもクロスワードの応募なんか面倒だと思うの。まあ二人がやりたいなら良いけど。

 

 特にスズカにはその、病院云々で結局走る走らないをうやむやにしちゃったし。やりたいことをやって欲しい。

 

 

 ……さて、夏合宿頑張るか。主役はブルボンだけど、スズカのスピードの向こう側も、少しは考えつつ。



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真面目で几帳面なサイレンススズカ

以前も言いましたが夏合宿は雑に流す可能性があります。


「あぁ……暑いですトレーナーさん」

「暑いねえ……」

 

 

 ある日。夏合宿を翌日に控えた私達チーム・エルナトは、トレーナー室で荷造りを行っていた。ちなみにブルボンはしばらく実家に帰れていないということで今日は帰省である。

 

 

 夏合宿。それはトレセン学園においてしっかりそれ専用の規則もあり、制度もあり、なんと参加率九割を超えるやべーイベントである。あ、まともなトレーナーがついていればの話ね。百人規模のチームはちょっと厳しい。

 

 この期間は寮への外泊届け……うちはスズカがあまりにも出しすぎてもはや顔パスまで行っちゃってるアレを出さずに、最低限の日記だけで長期宿泊ができる。同時に、トレセンが多くの旅館やホテルに働きかけて提携を結び、うちは何人までならウマ娘を受け入れますよ、と発表をしてくれるのだ。

 

 

 で、こっちは砂浜、坂路、宿泊施設に加えて慰安のプライベートビーチまで確保できる。向こうはしっかり調整すれば廃棄する食料も減り、部屋をトラブル率の非常に低いウマ娘という種族で埋めることができる。まあ汚い話だがウマ娘がいるということで集客もできるし、提携の時にそこそこのお金も入る。Win-Win。

 

 一応合宿で山に行く選択もあるらしいんだけど、やっぱり砂浜というトレーニング施設は大きいし、海と温泉のどちらがモチベが上がるかは結構偏りがある。夏だしね。私? 温泉に決まってんじゃん。

 

 

「シューズ……うーん……二十もあればとりあえず良いかな……」

「向こうで極力買いたくないし、三十入れとこう」

「はい。えっと、悪路用だけで良いですか? 長距離用は……」

「スズカが走らなければいらないでしょ」

「じゃあ入れておきますね」

「なんだこの栗毛開き直ったな」

 

 

 まあ、夏合宿中は私もスズカに走るななどとは言うつもりは無いけど。シューズ専用のバッグに詰めていくスズカに色々と言うものの、流石にこの期間はしょうがない、とは思っている。そういう期間なのだし、宝塚も終わったのだし。もちろん、毎日毎日気が済むまで走るなんて話じゃないけど。

 

 

「タオルは洗濯が面倒だから少なめにしてね。もしくは捨てて新しいの買うか」

「そんなもったいない使い方するんですか……?」

「私忘れてないからね。去年そう言うスズカを信じたら大変なことになったんだから」

「……ふふっ」

「ふふっじゃないが」

 

 

 荷造りをしているのは主にスズカで、私は前日と言うことで最終確認とか、向こうの人とのやり取りとか、最終決定した他のウマ娘の宿泊先とかを見ている。同世代のウマ娘は無し、一つ下は……キングヘイローとグラスワンダーがいる。まあそこそこ広めのところだからね、他にもちらほらいるが、これは名前を憶えていないから気にしないことにして。

 

 グラスワンダーのトレーナーさんには挨拶くらいはしておこう。どっちがお世話になったかはさておき、色々あったし。事前にメッセージをするのは合同トレーニングを申し込んでいるみたいな誤解をされたくないのでパス。本当はやった方が良いんだろうし、スズカの方が先輩な以上大丈夫だとは思うけど一応ね。

 

 

「エナジーゼリーはどうします?」

「持っていかない。ブルボンがすぐそれで済ませようとするから」

「あとお財布……うーんと……あっ、ドリンクの素と……あれ? この辺にあったはずですけど……もう飲んじゃったかな」

「それは後で買いに行きましょう。ドリンクね」

 

 

 メモメモ。あとやることと言えば、トレーニングメニューの考案だけど、私の場合は行き当たりばったりでやった方が上手く行くし。もちろん概ねの方針は決めるけど、細かくはまあ、決めなくてもいい。適宜ブルボンの様子を見ながら、倒れる寸前までやらせればいいのだから。

 

 

 で、そのブルボンの育成方針なんだけど……正直な話、スタミナはかなり補強できている。もちろん学園では坂路の効率が良すぎるのでそれをひたすらに続けさせるが、合宿まで来てそれをやるかは微妙なところだ。どちらかと言えば他のことをやらせた方が、学園での坂路に集中できる。と言うことで、どちらかと言えばパワーや根性と言ったところを伸ばしていくことになる。

 

 合宿でそれらを伸ばすと言えば、そう、やはり砂浜走り込みだ。タイヤを引かせても良い。後は本当の意味での併走。うちはスズカの関係で併走の意味が壊れかけているが、本来の併走は並んで走り根性を煽る目的で行う。それに、一応賢さも上がる。特にブルボンにとって掛かりは致命的だからね。

 

 

「んー? トレーナーさん、これは何の充電コードですか?」

「見せて……あー……たぶんメガホンだと思うけど。試しに挿せる?」

「メガホン……メガホン……え? メガホンは持っていきます?」

「いや、持っていかない……かな。別に面倒だったら試さなくてもいいよ。片付けしてるわけじゃないし」

「はい。じゃあこれは後で……わーっ……」

「スズカ!?」

 

 

 棚から崩れたトレーニング用品に、スズカがゆっくりと埋もれていった。なんて緊迫感の無い悲鳴よ。いや迫真の声が出ても焦っちゃうから心臓に悪いんだけどさ。荷物に埋もれたスズカを救い出し、片付けを手伝っておく。整理もしとかないといけないな。帰ってきたらやるか。

 

 

「よいしょ……っと。これで良いかな……トレーナーさん。たぶん準備できたと思います」

「ん。じゃあえっと……あった。一緒に確認しようか」

 

 

 あらかじめスズカと決めて保存しておいた持ち物リストを開く。一つずつ上から確認して、持ってます、と真面目なスズカの返事が返ってくる。こういうことをさせるとスズカが優等生であることを再確認できる。走ることさえ絡まなければ基本的に真面目で几帳面で頭もちゃんと回る子なのだ。基本的に目立った欠点は無いと言ってもいい。走ることさえ絡まなければ。

 

 しばらく確認が続き、とりあえず着替え以外の全てが用意できていることをしっかりと確認。適当に詰めるのではなく、しっかりコンパクトに中身が散らからないように入れてくれている。助かるわ。私はそんなに得意じゃないからさ。後は買い足すものがちらほら。まあそれはこれから行くから良し。あとは荷物をトレセンの業者さんに渡して、明後日には届いているという寸法で。

 

 

「じゃあスズカ、運ぼうか」

「はい。よ……っと」

「くっ……重……」

「私が全部持ちますよ?」

 

 

 結局荷物は鞄三つ、それぞれがかなりの重さになってしまった。私がやっとのことで一つ持っている横で、平気な顔をしてお手玉でも持つみたいに持っているのが恐ろしい。ウマ娘ってすげえ。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「はあ……トレーナーさん……」

「何、スズカ」

「走りたいです……」

「明後日から走れるんだから良いでしょ?」

「何度も言ってますけど。今日の気持ちと明日の気持ちは違うんですよ? トレーナーさんはご飯食べたいってなっても明日で良いかってなるんですか?」

「ならないけど」

「ほら」

「ほらじゃないが」

 

 

 買い物ついでに、ブルボンを迎えに行くことになっている。流石に二か月完全にこちらが預かるとなるとブルボンの家族にも挨拶せざるを得ない。スズカの親はそういうところ緩いらしい……というか緩くないと小学生のスズカが夜中走りに出かけたりできないからね。もちろん一報は入れたけど、私が引率なら何しても構わないとのお言葉を頂いている。大体お母さんが出るんだけど、あの人あってこのスズカって感じ。スズカ本人は性格はお父さん似って言ってたけど。

 

 ……あと、あの人私が教え子に手ぇ出すとか考えてない? 最近スズカとはどう? じゃないんだよ。スズカの調子とトレーニングは話した後、学園での姿は担任から連絡が行っているはずで、それ以上何が聞きたいのよ。

 

 

 ブルボンの家に続く田舎道に入り、スズカは当然のように走りたいと言い出した。ダメだからね。今から走ったらどうせ日が暮れて、またあの家に泊まらないといけない。私、お金の話とかでブルボンのお父さんを避けてるんだから。明日万が一にも別行動にならないために迎えに行ってるけど、できれば行きたくないんだからね。あの人はあの人で本気で私がもっと受け取るべきだって思ってるから困る。

 

 

「そうだ、トレーナーさん」

「ん?」

「さっきスぺちゃんから連絡がありましたよ」

「なんだって?」

「こっちに一回だけ来られることになったから、その時にみんなでレースをしませんか、って」

「あー……うん。良いんじゃない。みんなってみんなでしょ? あの子達」

「たぶんそうだと思います」

 

 

 こっちもブルボンを出せるし、スズカも嬉しそうにしているから良いね。セイウンスカイとエルコンドルパサーがいるかは正直解らないけど、まあグラスワンダーとキングヘイローはいるんだろうし。うちでもレースでは後ろから追われる経験が積みにくいからね。

 

 

「えっと……わかったわ……っと……わっ返信早い……」

 

 

 ここ右で、次の意味解らないくらい狭い道に入って……本当、何回来てもブルボンの家は迷いそうになる。東京ではないとはいえ都会生まれ都会育ちなので、田舎はどこも同じ道に見えるのだ。それでも何とか辿り着く。

 

 

「はい……どうしたのスズカ」

「待ってください、今、今かなり来てます……」

「もう。別に明日走っても良いから。頑張れスズカ」

「んん……」

 

 

 人気のない空気の良い田舎道にテンションの上がってしまったらしいスズカ。座席から外をちらちらと見上げながら、脚をかたかたと揺らしてしまっていた。エンジンを止め、顎をこしょこしょしておく。すぐに我慢できなくなるんだからこの子は。困ったものね。この後帰って着替えの荷造りしなきゃいけないんだからね。

 

 

「んぅ……」

「はい、じゃあ行くよ。別に降りなくても良いけど」

「……じゃあ車で待ってます」

「そう? じゃあ手錠掛けとこうか」

「えっ」

「はい、がしゃんっと」

 

 

 ウマ娘用の手錠をかけ、車に繋ぐ。一応よ? 一応。途中で我慢できなくなって走りに行ったら困るし。すぐ帰って来るからさ。一応エンジンをかけ直して、鼻をぷいぷいして車を出る。そんな捨てられた子犬みたいな目をしないで。普段の行いが悪いでしょ。こういうときのスズカは信じられないんだからね。まさかスズカ達にブルボンのお父さんが苦手なんて言えないし、スズカが勝手に走る可能性はあるのだ。

 

 

 ブルボンを拾い、私達は東京へ戻っていった。なおスズカは拗ねて後部座席で寝ていた。聞くと、本気でちょっと走って帰ってくるつもりだったらしい。危ねえ。



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煽り煽られるサイレンススズカ

チームエルナト、狂気アピ回。キングヘイローはTPOや相手はわきまえてちゃんと丁寧に話すので、文字だと「誰だよ!」ってなる。


 

「マスター。オーダー遂行しました。山道コースを二周、砂浜にて合計3000mの走り込みを終了しました。まだ活動可能です」

「みたいね。じゃあスズカ、お待たせ、走って来ていいよ」

「はいっ」

 

 

 夏合宿も数日が経った。ブルボンが着替えを二セットしか持ってこなかったという事実は判明したものの、それ以外はおおむね順調である。二か月合宿なのに寝巻二セット普段着二セットは攻めすぎでしょ。ファッションに無頓着すぎる。

 

 

 規模感で言えばかなり小さなチームということで予約したのもかなり小さな旅館だし、平和に練習もできている。とにかくブルボンを鍛えまくって、この夏でダービーくらいまで戦えるくらいにするのが理想だ。最低でも2000で戦えるレベルまで鍛える。

 

 

 今日も山道コースを使った疑似坂路と、重りを付けて砂浜をひたすら走るというトレーニングをやらせている。これに筋トレの日と休みの日を挟んで、基本的に遊ぶ日は二週に一回とかでやる。ちょっと残酷だけど、ここに来るまでの車でもブルボンは言ってたもんね。

 

 

『ブルボンは海でやりたいこととかある?』

『質問の意図が解りません。合宿はトレーニングが目的であり、トレーニングメニューの決定権はマスターにあります』

『遊びたいとか無いの?』

『海に興味はあります。ですが、目標達成のため、優先順位は揺るぎません』

『そうかあ』

 

 

 スズカも海で遊ぶのはそこまで好きじゃないらしいし、エルナトは海に合宿に来てひたすら鍛えるだけの人達になってしまいそうだ。厳しいと言われるチームでも、二週間くらいは休んだりするんだけどね。

 

 

「じゃあスズカ、ランニングコースを一周ね。ブルボンも並んでついていきなさい。スズカは嫌なら振り切りなさい」

「一周……二周にしませんか? 三周……いえ、ブルボンさんが大変ですかね?」

「鬼か」

「スズカさんがおっしゃるなら」

「いやいや……」

「一周では抜かしてしまう可能性もあります」

「こらこら」

 

 

 山道も砂浜も、少しはスズカも走っていたはずなんだけど。やっぱり全然満足できていないご様子。うちのお姫様は我儘なのよね。いや姫か? 大型犬かもしれない。しかもブルボンは煽れば乗ってくると解っていてわざとやるから質が悪い。

 

 この二人は何と言うか、関係性が歪んでるよね。私が言うことじゃないかもしれないけど。スズカから見てブルボンは素直な後輩なんだけど、「こんな練習ブルボンさんはできないかあ~」みたいな方向性で煽れば即乗ってくる。ブルボンからすれば天然な先輩なんだけど、「スズカさんくらい簡単に抜かせますよ」と煽れば一秒で乗ると。エルナトの二人は仲は良いです、本当よ。

 

 

 ブルボンはトレーニングはキツければキツいほど良いと思っている……まあ体を壊さない、モチベも下がらないという条件ならそれも正解なんだけど、そういう極端な子なので、スズカを煽れば煽るほど練習相手が強くなることを理解してしまっている。だからこういうやり取りが生まれるわけだ。

 

 

「バカなやり取りをしない。一周ね。スズカも落ち着いて」

「む……ふんだ。一周で振り切りますから。覚悟してくださいね」

「いかにスズカさんといえど一周では不可能です」

「ブルボンさんが一周で音を上げるくらい飛ばしますからね」

 

 

 ……まあいいや。もう何も言うまい。何でもないように見えて、普段と違うロケーションにブルボンもテンションが上がっているんだろう。ウマ娘達の共通認識として、夏合宿でいかに成長するかにそれからがかかっているというのがある。受験と一緒ね。それも一因だろうし。

 

 

「はい、じゃあコースはちゃんと守ること。ブルボンもスズカも、一度でも足を止めたらそこからは歩くこと」

「了解しました」

「はーい……」

「よし。じゃあ行っておいで。タイム計るよ。じゃあ、よーい……どんっ」

 

 

 スタートの合図とともに、二人の目の色が変わった。つくづくスズカはただのあほ栗毛ではないことが解る。スタートの合図への尋常ではない反応速度と、飛び出しの速さは目を見張るスズカの武器だ。それに、初手の加速力は素晴らしいものがあるブルボンが続く。二人が肩を並べて走っている。ちょっと感動だ。

 

 

 あっという間に二人が視界から消えてしまった。ぶっ飛ばしていった二人を見届けて、そこにあったベンチに腰掛ける。暑いなあ……でもなあ、基本的にトレーニング中はスーツじゃなきゃいけないからなあ。団扇とか小型扇風機で何とかなる気温じゃないんだよなあ。

 

 

「奇遇ですね、エルナトのトレーナーさん。ご機嫌よう」

「え? あ……キングヘイロー」

 

 

 少しして、キングヘイローが現れた。まあ私達が独占しているコースじゃないしね。人気の少ないところを選んだつもりではあったけど、同じエリアに居ればそりゃ出会うか。

 

 スズカやブルボンとほぼ同じ身長だけど、なんか小さく見える。物腰丁寧で素晴らしいウマ娘だ。でも、彼女がネクタイを引っ張るやり方をスズカに吹き込んだのよね。この子の素も見てみたいやら見たくないやら。

 

 

「自主練? 偉いのね」

「いえ、これくらいは。休んでいる時間などありませんから」

「……休めって言われたら休んだ方が良いよ?」

「トレーナーにはしっかり宣言……いえ、許可を取りましたから。夏バテなんて情けない……」

 

 

 ああ……そういう感じ。暑いもんね。私も気を付けないと。

 

 

「そういえば、クッキーありがとうね。美味しく頂いたわ」

「それは何よりですが、トレーニング内容を教えていただいたんですから当然です」

「いやその、何度も言うけど特別なトレーニングなんかはしてないのよ?」

「……ふふっ。一流のトレーナーさんともあろう方が謙遜なんて」

 

 

 本気なんだって。まあ、キングヘイローはあんまり関わっていないからスズカの洗脳が解けてないんだろう。スズカをスパルタで覚醒した絶対王者だと勘違いしていると、おのずと私も超有能トレーナーになってしまうのだ。その証拠に、スペシャルウィークは結構気軽に接してくれるようになっているし、エアグルーヴも煽り合いができるくらいの関係性になっている。

 

 ……ちなみにタイキシャトルはそういうのが解る前から普通に超フレンドリーだった。逆にマチカネフクキタルは解ってさらに拝まれる回数が増えているような気がする。

 

 

「ところで、今はスズカ先輩とブルボンさんは走っているところですか?」

「うん。もうすぐ戻ってくる……あ、来た来た。キングヘイロー、ちょっと耳塞いでてね。大声出すからね」

「は、はい」

 

 

 キングヘイローと話しながら双眼鏡を覗いていたのだけど、遠くにスズカ達が見えてきた。ここから届くかな。たぶんウマ娘だから届くでしょ。流石スズカと言うべきか、たった一周、4000mで結構差を付けている。メガホンを手に取って、咳払いを一つ。よし。

 

 

「ブルボン!!!! それ以上離されるなら今日のトレーニングは終わりよ!!!!」

 

 

 よし。ブルボンがちょっとだけスピードを上げた。スズカはどうせ走り出してすぐブルボンのことなんて頭から消えてたんだろうけど、私の声が聞こえたのかちらちらと後ろを見始めている。

 

 そして、しっかりとそれ以上……五バ身以上は離されずに二人は帰って来た。偉い。上出来よ上出来。最悪途方もないくらい離されてもおかしくないとは思ってたんだから。流石にペースが崩れたかスズカの息もあがっている。ブルボンはさらにだけどね。

 

 

「お疲れ。やるわねブルボン。ちゃんと離されずについてきたわね。想像以上よ」

「いえ……オーダー……遂行には……まだ不足が……」

「スズカは……」

「もう一本やりましょう……! 今度こそ何も言えないくらい突き放しますから」

「少し休んでからね」

「むぅ……」

 

 

 私の横に座るスズカと、座る私の膝に倒れるブルボン。うん、二人とも怪我も怪我率もない。まだいけるわね。本当にブルボンの頑丈さには舌を巻くばかりだ。頭に氷水で冷やしたタオルを載せ、口があるであろう所に水筒のストローを差し出す。

 

 

「あ、ごめんなさい無視しちゃって。こんにちは、キングさん」

「いいえ、お疲れ様ですスズカ先輩」

「……? 良いのよ、いつもみたいに話しても。トレーナーさんは大丈夫だから」

「さ……すがにそれは。その、スズカさんのトレーナーですし」

「別に気にしませんよ。ね?」

「え? あ、うん。別に」

 

 

 少しとはいえ走った後で機嫌が良いのか、それともブルボンが倒れてしまい退屈なのか、スズカが結構キングヘイローに話しかけている。別に私はどっちでも良いんだけど、スズカが気にするなと言うなら気にしないよ。

 

 それでもキングヘイローはそういうわけにはいきません、と断り切ったようだけど、やっぱり結構気を張ってる感じか。まあほどほどにね、って感じ。

 

 

「そうだ。ブルボンさんが復活するまで一本、一緒に行きませんか? 待つのも退屈なので」

「え? これで練習は終わりなのでは……」

「え? 終わりなんですか?」

 

 

 ……? ああ、ブルボンが倒れてるからってことね。

 

 

「いや、ブルボンはあと二本くらいは行けるかな。まだ大丈夫だと思う」

「い、いや、完全にもうダメ……」

「大丈夫大丈夫。ね、ブルボン。あと何分かかる?」

「体力回復まで……あと……十三分……」

「ほらね」

「じゃあその間にもう一本できますね!」

 

 

 スズカがやる気になっている。まあ私はちゃんと決めているからね、何も言わないけど、夏合宿の間はスズカのトレーニングは基本的に止めない。もちろん知らない後輩とかを捕まえて走るとか言い出したらアレだけど、キングヘイローは私も知ってる子だし。

 

 

「良いですよね、トレーナーさん?」

「まあ、良いけど。キングヘイローが大丈夫なら」

「それは……出来ることならお願いしたいところですけど」

「じゃあ決まりですね! 準備運動は大丈夫? 手伝おうか?」

「もう済ませてあります。あの、本当に大丈夫ですか、ブルボンさんは……」

「うん。じゃあ行っておいでスズカ。ブルボンのプライドにかけて五バ身以上突き放してくるのよ」

「任せてください」

 

 

 大きく息を吐くスズカ。一気にテンションが全部熱量に変わっている。素晴らしい切り替えね。キングヘイローもすぐにスイッチを切り替えたみたいだけど、まだ少しブルボンを気にしている様子がある。

 

 

「よーい……どんっ」

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「げほっ……けほっ……はぁ……」

「あら? 今日は自主練だったのでは?」

「ああ、グラスさん……いやその、ちょっと色々あってね……ちょっと疲れたのよ」

「珍しいですね、頑張り屋さんのキングが。明日は嵐ですかね?」

「茶化さないの」

 

 

 日陰で休みつつ水分補給中の私に、同期のグラスさんが近付いてきた。これまではあまり直接対決は無かったけれど、夏を越えたら本格的にぶつかることになる私のライバルだ。

 

 

「今日ね、あのチームに会ったのよ。スズカ先輩の。偶然にね」

「っ……そう、ですか……どうでしたか、エルナトは」

「あなたの言う通りだったわ。並大抵の覚悟で参加しちゃダメね。あれをいつか相手にすると思うと……」

「気が重いですか?」

「まさか」

 

 

 山道コース、4000m。スズカ先輩は長距離は走れず、私の目標は菊花賞。一流たるために選んだクラシックの終着点の長距離レースを走る。一年先輩であろうと、スタミナ負けするなんて。

 

 結果、八バ身突き放された。解っている。甘かったのは私だ。言い訳なんてしたくない。脚や体力を残したのは私の判断ミスでしかないのだから。全力を尽くし先輩にあの差まで追い縋っていた彼女の方が強かった。間違いなくね。

 

 

 それに恐ろしいのはそのトレーニング量。聞くに、私と会うまでにいくつかのメニューをこなして、しかも私の後一本走っていた。二本走ると言っていたのが急に一本で打ち切った理由は解らないけれど、いずれにせよ正気とは思えない。だからこそ、あの二人があそこにいるのでしょう。

 

 

「俄然やる気が出たわ。私はキングよ。諦めたらそれで終わってしまうだけ。一流のウマ娘とは諦めないもの、つまりキングのことよ! おーっほっほっほっごほっごほっ!」

 

 

 でも、だとしても、一度や二度で折れて堪るものですか。私はキングヘイロー。勝つまであがき勝利する義務がある。相手が誰であっても。

 

 

「……ですよね。ちょっと侮りました。ごめんなさい」

 

 

 私が王道を行く限り、避けられない。鍛えあげ、勝利する。こんな私についてきてくれたあのへっぽこのためにも、お母様に私を認めさせるためにも。

 

 少し微笑むグラスさんも、話によるとエルナトの練習に参加したことがあるらしい。その時は最終的にどう思ったか、言いたくないようだったので深くは聞かなかった。けれど、そこから心が鋭くなった、というのはどう見ても解る。もちろん、研ぎ澄まされた、という意味で。

 

 

「どう、グラスさん。しばらく組まない? せっかく同じ場所にいるのだから」

「ふふっ。実は私もそのつもりで声をかけたんです。実はトレーナーさんにも許可を貰ってます」

「……はあ。話が早いわね」

「止まっている時間はありませんから」

「……そうね」

 

 

 まだ太陽は黄色い。体力もあるし脚に異常もない。それに、遠くの方からグラスさんのトレーナーさんが駆け寄ってくるのが見えた。うちのへっぽこにも電話で喝を入れておかなきゃ。まったくもう。

 

 

「ところでグラスさん、聞きたいんだけど」

「はい?」

「お粥ってどうやって作るのかしら。何か特別なお米を使うの?」

「ええ……?」

 

 

 なによ。何でもないですよ。グラスさんは笑って言った。




なおキングがちゃんと走っても、スズカについていく力はブルボンの方が高い模様。もちろんレースしたら普通にキングが勝ちます。


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泳ぎは速くないサイレンススズカ

チキンレースは好きじゃないのでそんなつもりじゃありませんが、ここまで描写を省けばガイドラインも問題無いでしょう。誓って性的な要素は書いていません。


「よーい……どんっ」

 

「っ……」

「わっ」

 

 

 ある日。今日は非常に気温が高く、流石のスズカといえども陸を走るのを十秒躊躇うほど過ごしにくくなっていた。目が覚めた瞬間びっくりしたもん。昨日まで結構涼しかったし布団並べて三人で寝てたんだけど、寝相の良さに定評のあるうちの子達が掛け布団を蹴り飛ばしていた。三人そろっておねしょでもしたんかってくらい寝汗かいてたし。

 

 ただまあ、だからといって何もしないままでも暑いものは暑い。旅館のクーラーをガンガンにして過ごすのも何か違うな、ということで、今日は珍しく海に入っている。

 

 

「頑張れ頑張れー」

 

 

 といっても、ちゃんとトレーニングだ。二人はね。私は浮き輪で浮いてるだけ。二人は両方そこそこちゃんと泳げるということで、ひたすら泳ぐスピードを競っている。さっきからこの子達が泳ぐたびに波が発生して私の浮き輪はひっくり返っているけどご愛敬。

 

 

「はい、ブルボンの勝ち。これで六戦六勝ね」

「やりました」

「あー……」

 

 

 で、なんと泳ぎについてはブルボンが優勢だった。ちょっと驚き。身体スペックはスズカの方が圧倒的に上なのだけど、ブルボンの方が効率とか、体の使い方に精通しているから、そしてパワーはスピードほど大差でもないから、ということだろうね。さっきから勝ち星を重ねる度にブルボンがとても嬉しそうにしている。

 

 一方我らがスズカはやはり走りほど熱は入っていないようで、あまり悔しそうにはしていない。泳ぎ終わるたびに力無く水面に浮かぶのみだ。水をかいて二人の元へ向かう。

 

 

「一旦休憩しようか。飲み物とかいるでしょ」

「はい……うぅ、負けました……」

「はいはい」

 

 

 二人に引っ張られる形で浜へ戻る。クーラーボックスから取り出した飲み物は、流石に少し温くなっていた。残念、パラソルだけでは限界があったか。ワンチャンあるかと思って持ってきたアイスは完全に溶けている。

 

 

「はい、これスズカ。これブルボン」

「あい……」

 

 

 三人入るとパラソルも狭いし。二つ借りてくるべきだったな、失敗した。でも今更戻る気は起きない。もう水着に着替えちゃったから。まあ私のは水陸兼用な奴だから戻ろうと思えば戻れるけど。

 

 

「暑いですね……」

「だねえ。今日明日だけって聞いてるけどね」

「明後日……いえ、明日は慣れて走れるかも……」

「走る気なの……? 正気……?」

 

 

 二人はトレセン指定のスクール水着である。なんかこう、ブルボンとかは大丈夫? って聞きたくなるわね。私も詳しく知らないけど、一応学生だしあんまり過激なものや派手なものを着られては困るってことでスクール水着指定ってことらしいんだけど……犯罪感が増すだけじゃない? 

 

 でもこのルールが無かったらタイキシャトルやシーキングザパールあたりはやべー水着着てきそうだから指定があって助かったと言えるかもしれない。

 

 

「あー……」

 

 

 現に、私の肩に寄りかかって暑さで溶けているスズカに関してはむしろ似合ってるまであるし。冷たく感じるタオルを二人に載っけるけど焼け石に水かもしれない。まあ気温のピークはもう過ぎているし、二人も暑いだけで何か体に異変があるわけじゃない。怪我率も出ていないし、脱水にさえ気を付ければ全然平気ね。

 

 

「というかスズカ、勝てないわね」

「ブルボンさんが速いんです……」

「スズカは遅いってこと?」

「は?」

「ごめん」

 

 

 泳ぎの話でも一旦は反応してくるな、この栗毛。

 

 

「まあ、泳ぐのはあんまり速くないですね……まあ良いです、走るのは誰よりも速いので」

「それはそう。ブルボンも泳ぎで勝ってもねえ」

「はい。陸では依然として大きな差があります」

「ふふふ。毎日挑んで良いんですよ」

「毎日挑みます」

「毎日はやめようね?」

 

 

 休憩もそれなりに取ったということで、再び炎天下に飛び出していく。ちなみに現実的に一番倒れる可能性が高いのはどう考えても私なので、麦わら帽は手放せない。二人は普通に気力に満ちていて凄いわ。種族差ね。ウマ娘に人間が勝てる身体的特徴は超長距離走行のみ、というのは過言でも何でもないのだ。

 

 

 二人の髪を縛り直して海へ。次は少し負担をかけよう。区間を区切り往復する。私の浮き輪を体に繋いだままで。一往復ごとに交代してひたすら繰り返す。

 

 ……というのがまあ、割と普通にあるトレーニングなんだけど、正直言ってめちゃくちゃ怖いわけ。今私がどうなってるかって、物凄い勢いで牽引される浮き輪から、バランスを崩したら吹き飛ばされる、みたいな状態で片手にストップウォッチを持っている状態よ。下手な絶叫より怖い。別に泳げるし良いけど、本能的に恐怖を感じるわ。

 

 

 でも、こうやってタイムを計っててもブルボンの方がやや速いような気がする。もちろん走ったときみたいな大差ではないけど。ひたすら往復させられながら、二人の疲労具合も見ておく。まだ流石にスズカの方が楽そうだ。

 

 

 二人のスタミナは正確に把握しているが、見られないステータスというのもある。これはブルボンが顕著だが、スタミナが尽きた、あるいは尽きそうな時への対応力である。根性とはまた違う適応力みたいなものがあるんだと思う。

 

 それでいえばブルボンはその能力が非常に高い。これはスズカより圧倒的に上だ。全ウマ娘の中でもピカイチではないかと感じている。そして、得意距離の都合上ブルボンのスタミナ要求値はスズカより上。ゆくゆくはブルボンの方が平気な顔をしている、という状況を作りたいものね。

 

 

「はーいそこまでー。今日はおしまい。夜はもし涼しくなったら砂浜を走るからね。それまで休憩」

「はい」

「了解しました」

 

 

 終わりのストレッチはこの際シャワーを浴びてからでも良い。二人を連れて、私は旅館に戻るのであった。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「あー……」

「トレーナーさん、おばさんみたいですよ、声出すの」

「やめて、傷付く」

「マスターの年齢はまだ『おばさん』と呼ばれるものではないのでは」

「『まだ』って言わないでマジで」

 

 

 こっちは二十歳からどんどん若さを失うことを恐れてるんやぞ。

 

 

 夜は結局ほとんど気温が下がらなかったので、トレーニングは室内での筋トレに切り替えて終えた。特に何があるわけでもなく普通に終わり、私達は今、三人で温泉に入っている。まあスズカとは毎日入ってたんだけど、今日はブルボンが倒れていないため三人だ。

 

 

「ところでトレーナーさん」

「なあに?」

「誰かから申し込みは来たんですか?」

「まあ……いくつかはね」

「ふふっ。楽しみですにゃぶっ」

 

 

 近場どころかかなり離れたところからも合同練習の申し込みが来ている。結構多い。期待に目を輝かせたスズカを引き寄せて、水鉄砲を顔面に飛ばす。今回はスズカは何も悪くないけど、勝ち誇った顔がムカついたので一応。

 

 

「何するんですか!」

「合同トレーニングはしません」

「ええ……どうしてですか?」

「得るものが無いからです」

「むむ……」

 

 

 スズカもそのあたりは解っているはずだ。スズカどころかブルボンでさえ、そんじょそこらのウマ娘とはレベルが違う。言っては何だが差が開きすぎて、そこまで格下とやる理由がない。たくさん集めて模擬レース……はちょっと考えたけど、別にブルボンは逃げだし、相手が何人いても大して変わらない。

 

 

「私が走る権利を得るんですけど」

「合宿中はずっと持ってるでしょ」

「むー……」

「何、そんなにレースにこだわることがあるの?」

 

 

 聞くと、スズカはんんっ、と背筋を伸ばし、深く湯に浸かる。別に、レースじゃなきゃいけないわけじゃないですけど、と呟いた。

 

 

「宝塚記念で見えた、スピードの向こう側……一人で走っていても全然見られないんです。相手がたくさんいた方が良いのかなあって」

「まあ……何かしらの条件はあるかもしれないわね」

 

 

 スズカの言う『スピードの向こう側』は、とりあえずスズカの第三の伸び脚だと思うことにした。であれば発動条件があるはずだ。先頭に立っている以外の何かが。珍しく真剣に考えているらしいスズカ。まあ、そう言うなら多少やるのは構わないんだけど。大体の申し込みは日程はこっちに合わせるって言ってるし、こっちが圧倒的に選ぶ側だし。

 

 

「ブルボンは良い? たくさん人が来ても」

「問題ありません。一般的な考えに基づけばむしろ、練習はある程度大人数で行った方が効果があると認識しています」

「そうかあ」

 

 

 私以外は、基本的にはそうなんだけどね。ズレまくってるからさ、君のマスターは。でもブルボンも良いって言ってるし、スズカもやりたがってる。断る理由が無くなっちゃったな。二日か三日に一回ならこっちのトレーニングと十分並行できるし、じゃあ集めておこうかな。

 

 

「……わぶぶ」

「スズカは何やってるの」

「いえ……いつもの癖でトレーナーさんにくっつこうとしたら沈んじゃって」

「肩まで浸かってるからそりゃそうなるでしょ」

 

 

 何間抜けなことをやってるんだか。隣に座らせ、少し湯から肩を出す。すぐにスズカが頭を乗せてきた。反対側には無言でただそこにいるブルボン。静かになった。じわじわ気温が暑い。今日は私はサウナも入ろうかな。これだけ気温があれば水風呂が気持ちいいかもしれない。

 

 

「私はサウナ行くから」

「え、私も行きますよ」

「え? スズカはやめておいた方が良いわよ。入ったことないでしょ」

「一回くらいはありますよ?」

「そういうレベル?」

 

 

 まあ私がついてるし、ヤバそうだったらすぐ出せばいいか。まさかすぐに倒れるなんてことはないだろうし。ブルボンも無言でついてくるし、たぶん入りたいんだろう。よく解らないけどとりあえずついて行ってみるか、というスタンスで動くブルボン、犬みたいね。

 

 

「ブルボンはサウナは入ったことあるの?」

「あります。お父さんに連れられて頻繁に利用していました。疲労回復や筋肉痛の回避に効果があるそうです。一時期から共に入ってくれなくなりましたが」

「その話はやめよう」

 

 

 あぶねえ。たまに触れにくいことを平気で言ってくるもんな。

 

 

 

 その後、サウナに入った。初めての「ととのい」に混乱したスズカの姿はとても可愛かったし、サウナの中でも顔色一つ変えないブルボンにはちょっと引いた。



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アイドルに誘われるサイレンススズカ

学年とデビューが別だから、スズカとファル子の先輩後輩の呼び方はもうめちゃくちゃよ。


 

 夏合宿もかなり経ったある日。今日も今日とて私達はブルボンをギリギリまで追い込んでいた。

 

 二人がやると言った合同トレーニング……という名の、実際にやるのは特殊ロードレースだが、それも何度か行い、定例行事のようになっている。まあ、スズカは楽しそうなのでOK。ブルボンも何だかんだ自分と他人とのバランスに慣れることだろう。

 

 

 まあ、距離を2000mに設定してしまったので、スズカが独走し、その他でやりあう構図ができてしまったけど。それでもブルボンと一部のウマ娘はかなり拮抗……あるいはブルボンがやや不利くらいで走れている。逃げウマ娘が軒並みブルボンより弱いのは幸運だった。逃げと競る練習は普段からいくらでもできるからね。

 

 

 で、今日は。

 

 

「ね!? 良いでしょ!? ちょっと一回だけ歌って踊ってファンサしてみない!?」

「えっと、あの、でも……」

 

 

 模擬レースに参加していたウマ娘の一人から、スズカは熱烈に口説かれていた。いや、名前は知っているので誤魔化す必要は無いけど。

 

 スマートファルコン。一応スズカの一つ上。一応というのは、世代がどうあれスズカとぶつかることはないから。スマートファルコンは、ダートを主戦場とするウマ娘である。戦法は適正通り逃げ。芝を走るのは相当キツいんだろう。

 

 その代わりかなりのスピードと、パワーは目を見張るものがある。ダートは芝ほどスピード勝負にならないが、その分ただ走るだけでパワーが要求される。もちろん、本人の走り方や好みにもよるから、ブルボンが走れるかといえば走れないけど。

 

 

「スズカちゃんのこと、ずっと見てたんだ! もう少し早く話しかければ良かったんだけど、ちょ~っと忙しくて! ごめんね!」

「え? えっと、いや、き、気にしないで……ください?」

「ありがとう!」

 

 

 で、このスマートファルコン、今の今まで知らなかったが、『砂のサイレンススズカ』と呼ばれているらしい。何しろ、今日の時点で最高六連勝、連対はなんと十二連続というイカれた戦績である。それを逃げで叩き出した超一流のウマ娘だ。勝ち星はスズカより多く、それに加えてスズカより世代が上なのにスズカが本家扱いされているあたり、ウマ娘界隈のダートレース軽視が何となく見える。

 

 

「あの、スマートファルコン? 突然どうしたの」

「エルナトのトレーナーさん! スズカさんとウマドルとして活動させてください!」

「ええ……?」

 

 

 凄いグイグイ来る子ね。スズカと合いそう。スズカ本人もガンガン来てくれた方が過ごしやすいからね。この子は黙ってると自分からは話を進めることが少ないから。走ることしか考えていないので、それ以外は引っ張ってもらうのが楽なのだ。

 

 しかしそれにしても、テンション感からは考えられないほど非常に丁寧なお辞儀である。

 

 

「う、ウマドル?」

「ウマ娘のアイドルです! 輝くウマ娘の姿をみんなに見てもらって、楽しんでもらいたいんです!」

「はあ」

 

 

 ウマドルの存在は知ってるよ。知ってるけど、実質ウマ娘なんてアイドルみたいなものじゃん。舞台がレースメインかメディアメインかみたいな話じゃないの? 

 

 

「それでスズカを?」

「はい! ブルボンさんも一緒に!」

「キャラ被ってない?」

「……? 被ってますか? 全然違うタイプだと思いますけど」

 

 

 そうか……スズカとブルボンは似た者同士って前提が私以外には無いのか……じゃなくて。

 

 

「いやあの、別にスズカを誘う意味は……」

「お願いします!」

 

 

 来たなゴリ押しタイプが。ウマ娘にもたまにいるのだ。大きく頭を下げる彼女への反応に困っている。まあ適当に流すのは簡単なんだけど、なんかここまで真摯に来られると困るというか……これがチーム加入とか、こっちの仕事に直接関わるならちゃんと断るんだけど、結局これってスズカが頼まれてるだけだからね。

 

 アイドル活動を追加でやると言っても、別に圧倒的な負担がスズカに来るわけじゃない……だろうし、それがいやかどうかを判断するのはスズカだ。ブルボンは……まあ、休みの日の軽い運動にブルボンが選んだらいいんじゃない。まあ、今日もぐちゃぐちゃになるまでトレーニングをしたブルボンにその判断が出来るとは思えないけど。私はスズカ達の保護者ではなくトレーナーなのだ。何が違うのかって感じだけどね。

 

 

「スズカは?」

「いえ、うーんと……あんまり、興味は……」

「そんなぁ……やってみたら楽しいよ?」

「ううん……」

 

 

 相手がちゃんとした大人なら私も割って入るんだけどね。学生同士なら好きにやってもらってって感じ。別に対等な立場なんだし、押しが強くてやらされちゃっても嫌なら後から言えば良い話だし。それにこの感じは断るだろう。スズカはぽわぽわしているが、別に頭が悪いわけじゃないからね。ただのあほじゃないってところをここらで見せつけてほしい。私に。

 

 

 スズカは放っておいて、私は倒れているブルボンに近付いていく。普段とは違って上半身の筋トレもちゃんとやっているので、今日という今日はもしかすると動けないのかもしれない。仰向けに直し、足に乗せて頭を高くする。ストロー水筒で水分を取らせ、あんまり効果はないかもしれないが冷感スプレーを吹き付けた扇子で仰いでおく。

 

 

「どう、ブルボン、体の調子は」

「体力の著しい低下……全身の筋肉疲労、思考力低下……」

「いつも通りね」

 

 

 タオルで汗と砂を拭き取ってやりつつ、少しずつ生気が戻ってくるブルボンを撫でながら見守る。いつも通りブルボンとの時間が取れた時は、いかにブルボンが成長していて、どの程度強くなっているのかをひたすら言って聞かせて自信を付けさせる。事実しか言っていないし、こうしているとブルボンがいつも嬉しそうにしているし。

 

 

「夏が終わったら重賞に出ようか。何に出たいとかある?」

「マスターの指示に従います……」

「朝日杯も良いけど、やっぱりホープフルでもいいかなって思ってるんだけど、どう?」

「マスターの指示に従います」

「それによって秋の重賞も1600か2000か変えようと思うの」

「2000m」

 

 

 ブルボンが止まった。流石にまだ自信が足りないかな。そりゃそうよね。2000は中距離の中では短めだけど、スプリンターが走れる距離じゃないし。この間の1600はスプリンターでも走りきれる距離だからね。自分の練習量が桁外れなことは理解しているんだけど、それが全て実力に換算されているという自覚がいまいち足りないのよね。

 

 

「自信無い?」

「……おっしゃっている意味が解りません。マスターの指示に従うのみです」

「じゃあ3000走ってって言ったら走る?」

「……それが命令であれば」

「声震えてるって」

 

 

 無理しないで良いのに。へにょりと垂れてしまったウマ耳に悪戯しつつ、少し眉をひそめた……ように見えるブルボンに笑いかける。

 

 

「無理なら無理で良いからね。もう一回1600走ろう。ギリギリまで待つから、もし気が変わったら教えて」

「私の気分ではなく、マスターの指示により走るべきです」

「じゃあ次走すみれステークスから皐月賞行こっか」

「これが……プロセス:『意地悪』……?」

 

 

 んー可愛い。初対面の時から考えるとかなり表情豊かになった。拗ねるみたいにうつ伏せになったブルボン。尻尾がどうもこっちを責めるみたいに向いている。ウマ娘の感情は表情と尻尾とに出るからね。ちょっと怒ってる? というか君うつ伏せ辛くない? 

 

 でも頭を撫でることは拒まないので続ける。そろそろ良いかな。練習再開しようかな……と、その前に、スズカとスマートファルコンのやり取りがどうなったかを確認しよう。

 

 

「スズカ、もう良い? お話終わった?」

「はい……」

「はい! これから何度か、スズカさんとブルボンさんをお借りしますね!」

「何負けてるのスズカ」

「ぇぅ……」

 

 

 ふらふらとスズカが私に抱き付いてきた。ウマ耳がへにょってしまっている。押しに弱い子ねえスズカは。よしよしと慰める。本当に嫌なら断らないとダメよ。

 

 

「スズカはそれで良いの? 大丈夫?」

「んぅ……その、別に嫌ではないので、良いですけど……良いですけど……」

 

 

 ちょっと納得してないくらいか。まあそれくらいなら良いんじゃない。なんだかんだやれば楽しいでしょ。ブルボンまで巻き込まれたのは意味解らないけど。まあライブパフォーマンスの練習と思おう。スマートファルコンのライブ参加数はスズカより上だしね。

 

 

「ブルボンも大丈夫?」

「マスターの指示であれば従います」

「え? じゃあ」

「……レースについては考慮の余地があります」

「ふふふ」

 

 

 スズカが来たので起き上がったブルボン。こっちを目を細めて見ている。二人が可愛くて私は大変だよ本当に。こうなってくると二人がウマドルになるってのも楽しみだ。ファンサしてファンサ。私に。

 

 

「じゃあまた後で! フォーメーションとライブ日程が決まったらお知らせするから、スケジュールを教えてね!」

 

 

 元気にスマートファルコンが去っていった。またね、とスズカが見送っているわけだし、まあ円満……なのかな。二人が嫌がってないなら好きにすれば良いか。

 

 

「じゃあトレーニング再開するよ。ブルボンはもう大丈夫ね?」

「はい。十全に回復したと考えられます。問題なく最高パフォーマンスを発揮できます」

「じゃあスズカに七バ身つけられるまで耐久山道コース行こうか。倒れるのが先かブルボンが負けるのが先か」

「……! 任せてください。マスターが判断するまで必ず実行します」

「心強いねえ」

「ふふふ。あんまり大きなことを言わない方が良いですよ?」

 

 

 走ることになると口数が増える。私の知るいつものスズカって感じ。ふふん、と一気にご機嫌になったスズカを連れて、私達は山道コースへ向かっていった。

 

 耐久ランニングについては何とか限界まで走りきっていた。全然離すことができず拗ねたスズカが寝るまで引っ付いてきて、その夜は死ぬほど暑かった。でもブルボンはご機嫌だったから許すことにするよ。



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領域に届かないサイレンススズカ

領域シリーズその②。まだ曇ってません。まだ大丈夫です。


「あぁ……楽しみですね、トレーナーさん」

「だねえ」

「はあ……やっぱり我慢できません、今からでも走って向かった方が良いような気がします」

「しないよ」

 

 

 ある日。通常トレーニングを早めに切り上げた私達は、その夜に車に乗って近くのレース場に向かっていた。目的は一つ、レースである。夜、元々あるレース場を貸してもらえることになったのだ。そこに来るのはスズカが適当に招集した面々。珍しく、スズカの方から誘ったレースである。

 

 宝塚記念でスズカが見た、スピードの向こう側なる謎の領域。あれを見たい見たいとスズカが一昨日温泉でごねにごねた。最終的には全裸で絡まれ、誰かが温泉に入ってくる気配を感じた私がつい許可を出してしまった。もちろんスズカはそんなつもりじゃないんだろうけど、見られていたら一発アウトだっただろう。危なかった。

 

 まあとりあえず考えたいから拒否していただけで、別にスズカが人を集めるならとやることになった。ブルボンにも良い経験になるし、夜の使っていないレース場を使うことは結構よくある。清掃と整備を頼むお金だけでやってくれるし、それだって結構トレセン側が持ってくれるからね。

 

 

 スズカの意図なんか解らないだろうけど、それはそれとしてみんなはこぞって来てくれたらしい。それで、こうしてご機嫌スズカを乗せて向かっているわけだ。そのためにブルボンのトレーニングも早めに終わらせたのだし、ブルボンも後ろでやる気十分だ。

 

 

「良い、スズカ。みんなブルボンとは違うんだからね。走るのは良くて二回よ。一回だって危ないんだから」

「もちろん、解ってますよ?」

「どうだか……」

 

 

 やっとたどり着いて、荷物を持って更衣室へ向かう。今日はスズカもできるだけ本気で走れるように、勝負服を持参している。スズカの相手達は全員が全員勝負服を持っているわけではないのでアレだけど。そういえば、ブルボンの勝負服も決めないといけないな。

 

 

「どう、スズカ」

「うん……やっぱりこれを着ると気持ちが入ります……すぐにでも走り出したいくらい」

「良かった。じゃあしばらく待機ね。私はいないけど、誰か来たらちゃんと対応するのよ」

「はいっ」

 

 

 スズカが急に呼んでしまったということで、挨拶くらいしておかないといけない。まあこれもスズカのため。いくつかの部屋を訪れ、レース前の時間を潰した。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「行ってきます、トレーナーさん」

「ん。行ってらっしゃい」

 

 

 そして、本番。メンバーは、正直私も覚えてないような感じ。唯一マチカネフクキタルは来てくれたらしいが、まあ、勝負になるのはそれくらいだろう。その彼女だって別に勝てるわけじゃない。ブルボンも残念ながら今回限りはその他大勢だろう。マチカネフクキタルから逃げ切れば大金星だが……まあ、2200ではちょっとね。まだ厳しい。

 

 ただ、今回はそれで良いのだ。前回の宝塚も、結局ほとんどは相手にならないウマ娘ばかり。エアグルーヴとマチカネフクキタルが同等かと言われると微妙だけど、状況としてはそこそこ近しいはずだ。

 

 

 一枠一番サイレンススズカを眺める。うん、集中状態も良い。いつもの逃亡者スズカだ。首をくるりと回して、スタートを待っている。ブルボンもちゃんと集中しているし、ブルボンはスタートが良いというよりスピードに乗るまでが得意なタイプだ。多少出遅れても……出遅れるのは普通に辛いか。

 

 

 スタートし、予想通りスズカが一番、次に一人挟んでブルボン。ブルボンにはちゃんとラップタイムを指示してあるけど、守れ……そうね。すぐ後ろとすぐ前に先輩がいても問題無く無視して進めている。一方独走するスズカ。

 

 スピードの向こう側は、宝塚記念のスズカの脚が一瞬止まったタイミング……最終コーナー近くで見えるはずだ。あの時とスピードは遜色ない。少し後続との差が離れすぎてはいるが、スズカの性格を考えるなら詰められるよりマシだろう。そして、スズカがそのままスパートに入り……何も起きていない。

 

 

 少し止まることもなく、正しくいつものスズカのスパートが始まっている。そのまま直線でももう一度伸び、無事にゴール。圧倒的大差をつけ、二着のマチカネフクキタルをぶっちぎって帰って来た。ブルボンはラップタイムを忠実に守り、ちょうど半分程度の順位でゴール。まあそんなものよね。これ以上速くすると今のブルボンではバテてしまう。これがベストだ。

 

 

「お疲れスズカ。どうだった?」

「え? あ……ええと」

「見えたの?」

 

 

 更衣室に戻り、どこか煮え切らない態度のスズカ。しっかり話を聞かなければならない。あの時のように発熱は見られないし、スズカも普段のポンコツスズカに戻っているから、これはダメだったんだろうけど……

 

 

「すみません、走るのに夢中で、全然覚えてません……」

「……もー」

「いひゃいいひゃいいひゃいれす」

「そのためのレースでしょーっ」

「ひゃめひゃめひゃめひぎれひゃう」

 

 

 このあほあほ栗毛め。今まさに控室で死ぬほど反省会をしているだろう他のみんなに申し訳ないと思わないの。一頻り頬っぺたを抓って赤くしたそれを撫でて、落ち着いて座る。聞くに、別に意識せずに宝塚の時も入ったんだから問題ないだろう、とのこと。確かにそれはそうだけどさ。もうちょっとあるじゃん。

 

 

「でも、たぶんダメだったと思います。普通に楽しく走っただけでした」

「そっか……本番のレースじゃないとダメなのか、あの時の相手の中に特定の誰かがいたのか……あんまり考えにくいけど」

 

 

 確かに一部、因縁というか、何故かこいつには負けたくない! と強く意識し合うウマ娘はいるらしい。でも、スズカにはいなかったはずだ。いや、いないからこそスズカは強いのだ。それでさらに速くなるとは思えない。

 

 ……もちろん、今まで私が見てきたスズカが間違っているなら、それもあり得る。そしたらもう……泣くわよ私。

 

 

「たぶん、レースじゃなきゃダメ……なんですかね……? でも楽しかったので……良いかなって」

「良いかなって……もう……はあ……」

 

 

 じゃあ良いよ、となってしまうのが、私がスズカに対して弱いところだ。まあ今回については私も大したことはしていないし、借りるお金だって元はといえばスズカのお金だ。そもそも補助アリで格安だったし。

 

 

「で、ブルボン」

「はい」

「素晴らしかったわ。タイムは完璧、一度も掛かることなく走り切ったわね」

「はい。しかし、順位は良いとは言えません。スズカさんにも勝つことはできませんでした」

「まあ……そうね。それは仕方が無いわ。スズカに勝てるタイム設定じゃなかったし、それをやったらブルボンが沈んだし」

「そうですか……」

 

 

 ウキウキスズカとは対照的に、ブルボンはしょんぼりしてしまった。いや、別にいい成績だったと思うけどね。あと、もう少し縮められたような気がする。ごめんね、それは私の設定ミスだ。へにょったアホ毛とウマ耳を立たせてあげて、ぽんぽん頭を撫でてあげればそれなりに機嫌が戻る。

 

 その日はそれで解散とし、私達はそれぞれの合宿へと戻っていった。なお、スズカはマチカネフクキタルから謎の古びた鍵を貰っていた。

 

 

 

 ────―

 

 

 

 その夜。お風呂から出た私が夜風に当たろうと外に出ると、スズカが既にそこにいた。

 

 

「あ、トレーナーさん」

「何してるのスズカ。体が冷えるわよ」

「トレーナーさんだってそうですよね?」

「私は大人だから良いのよ」

「お母さんみたいなことを言いますね?」

 

 

 スズカは浴衣ではなく、普段着のようなものを着て寒そうにしていた。上に着ていた羽織をスズカに被せておく。

 

 

「なんで外にいるの。走りに来たの?」

「私が走ることしか考えてないと思ってませんか?」

「違うの?」

「……まあそうかもしれません。ここにいるのもちょっと気になっちゃっただけですから」

「気になった?」

「はい。スピードの向こう側……辿り着いたらどうなるんだろうって」

 

 

 スズカのステータスはスピードがカンストしている。これは純然たる事実であり、しばらくまったく成長はしていない。そのうえで伸び脚を発揮しているのが今で、その先。つまり、カンストのさらに先がある、ということだろうか。

 

 

「トレーナーさんは言いましたよね。私が一番速いって。それは今も本気ですか?」

「本気よ。スズカより速い子はいないわ。だから選んだの」

 

 

 んふふ、と首元をくすぐられたスズカが笑う。

 

 

「そうですか……じゃあもっと速くなったら、もっと好きになっちゃいますね」

「好きに……まあそうね、そうかも」

 

 

 別に、それだけじゃないけど。ゆっくりと道を歩くスズカが、機嫌よく振り返った。

 

 

「じゃあ、何としても行かなきゃいけないですね、スピードの向こう側。今度のレースはいつでしたっけ?」

「毎日王冠」

「じゃあ毎日王冠で勝って、ついでに見てきますね。あ、でもG1じゃなきゃ見られない、とかだったらどうしましょう。こんなことなら、あの時怖がらずに走るべきだったかな」

「ふふ。見られると良いわね」

「はい」

 

 

 頭を撫でると、ゆっくり近寄って来た。擦りつくような距離で、二度曲がって旅館までの道につく。やっぱりとても可愛い。しかも速いんだからもう言うこと無しだ。これ以上速くなる必要については正直解らないけど、まあスズカがそうしたいというならそうすればいい。んー、と擦り寄るスズカを優しく叩き、くしゃみをしたので足を速める。

 

 

「戻るわよスズカ。ほら。何してるの」

「え? いえ、その……もう少し星を見ていたいなあって」

「何? 急にロマンチックになったの?」

「あ、はい……そうですよ?」

「……ん? 待ってスズカ。そういえばあなた、どうして浴衣を着てないの?」

「いや、その……さ、寒かったので……」

「半袖の方が寒いでしょ」

 

 

 いくら薄い上着があると言っても流石に無理がある。それに、今思ったんだけどスズカ、なんか、普通に靴……シューズじゃない? 

 

 

「スズカ……まさか」

「ち、違うんですよ? これはその、そう、実験です。もしかしたら一人で走ったら見えてくるかもしれませんし」

「……」

「……そ、そんな目で見ないでください……」

 

 

 はあーあ。ちょっといい雰囲気だったのが台無しになっちゃった。なるほど、だから必要以上に私にくっついてきてたのね。目を逸らすスズカ。その手を丁寧に取って、私はそのままぎゅっと両手で抱きしめた。

 

 

「帰るわよ、スズカ」

「あっ待って、その、もうスイッチ入っちゃってるんですっ」

「ダメ」

「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけですから……」

「ダメ」

「あぁぁあぁぁ…………」

 

 

 スズカの腕は温かかった。完全に走る気だったわね、この子は。



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勝負服を考え始めるミホノブルボン

トレーナーも煽り耐性低いんだよなあこのチーム。どうなってるの?そんなんで良いわけ?


「……んあ?」

「おはようございます、トレーナーさん」

「……おはよう」

 

 

 朝目が覚めると、目の前にスズカがいた。またこの子は勝手に部屋に上がり込んでベッドに入って来てからに。綺麗な顔が近いのよ。

 

 

「どうしたの。寂しくなっちゃった?」

「そんな感じです」

「そうなの?」

 

 

 夏合宿も終わり、私達は東京に帰って来た。当然スズカのメインの寝床はトレセンの寮になる。こないだまで三人で同じ畳で寝ていたわけだからね。そりゃ寂しくもなる。まあブルボンは来てないけど。

 

 ちらりと見た目覚まし時計ではもう少し余裕があるようだったので、ゆっくりスズカを抱きかかえる。ニコニコのスズカ。可愛いねえスズカは。撫でてあげよう。

 

 

「でも早起きね。特に用事も無いのに」

「うーん……目が冴えちゃって」

「寝不足とかやめてね?」

 

 

 と言いつつ目を覗き込む。まあ、不調は無さそうね。単純に起きちゃっただけか。スペちゃんとか寮長とかびっくりしてるでしょ。もしくは慣れすぎてもう何も言わないのか。たぶん後者だけどね。

 

 夏が終わればスズカとブルボンの重賞挑戦だ。スズカは毎日王冠から、ブルボンは……サウジかアルテミスあたりのG3がちょうど良いかな。京王杯やデイリー杯だと朝日杯が近すぎる。それに、万一、無いとは思うけど抽選漏れするとジュニアでG1に進むのが面倒になる。

 

 

 九月は何も無いし、のんびり過ごして良い。ブルボンはのんびりなんかできないけど。九月からは一応食事制限もかけてるしね。ただしどっちかと言うと食べる方向で。ブルボンはどうやらそもそも太りにくい……というか発育に回されるタイプらしいし、トレーニングも過酷だし。制限というより管理だね。

 

 

「スズカ、ご飯は食べる?」

「食べます……目玉焼き……」

「目玉焼き? じゃあ作ろうか」

 

 

 ぎゅーっと一回抱き締めてから、スズカを置いて台所へ。よし、じゃあ愛バのために頑張ろうかな。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「あ! スズカさん! おはようございます!」

「おはよう、スペちゃん。それにグラスさんも」

「おはようございます、スズカ先輩」

 

 

 トレセンの校門。結構な早朝だけど、スペシャルウィークとグラスワンダーがほぼ同時に登校していた。手を大きく振るスペシャルウィークと、丁寧にお辞儀をするグラスワンダー。スズカの扱いの差がよく出てるわ。もしくは性格かしら? 

 

 

「スペちゃんは夏はどうだった?」

「たっぷり特訓しました! トレーナーさんに頼んでお休みをちょっとだけ減らして、しっかり!」

 

 

 どれどれ……うお。びっくりした。無意識か知らないけどしっかりスピードが伸びてきている。素晴らしい成長速度ね。良いトレーナーがついているわこれは。グラスワンダーもかなりえげつない伸び方はしているものの、スペシャルウィークの方が少し上か。

 

 

「スズカさんの話も聞きましたよ? 今度はキングちゃんをボコボコにしたって」

「ボコ……いえ、そんなつもりはなかったんだけど……」

「まあそうですよね。スズカさん、そういう人ですもんね」

「そういう人……?」

 

 

 なんで解ってないって顔してるの、あなた。

 

 

「でも、キングちゃんも強いですからね。きっと強くなりますよ」

「そうなの。楽しみね」

「……はい。見ててくださいね」

 

 

 おっと。スズカが大して興味を持っていないのがバレてそうな反応だ。そりゃそうだ。自分が負けるとは欠片も思っていないのだから、他人が強くなろうが本質的にはどうでも良いだろう。もちろん、スペシャルウィークやブルボンには思い入れがあるから別だけど。

 

 グラスワンダーの時も、究極的には自分が走るためのキッカケくらいにしか思っていなかったような気もするし。もちろん残酷とは言わない。それはスズカの性格で、特権だからだ。

 

 だから、スペシャルウィークもスズカを責めるようなことは言わず、そのまま続けた。

 

 

「次は菊花賞……また私とスカイさん、キングちゃんで戦うことになります」

「……エルコンドルパサーとグラスワンダーは出ないの?」

「私やエルは……長距離は少し苦手なんです」

 

 

 ……別にそんなこと無さそうだけど。二人とも中距離の方が得意なのはともかく、全然長距離も走り切れそうだ。どちらかといえばそもそものスタミナが低い。ブルボンみたいなものね。

 

 

「スズカさん。今度の毎日王冠、よろしくお願いします」

「ええ。頑張りましょうね」

……やっぱり私なんて眼中に……ええ、必ず差し切りますから。スズカ先輩がいくら強くても、今回は勝てる気がするんです」

 

 

 あっグラスワンダーそれは、

 

 

「そう……そうなの……? 勝てると良いわね、グラスさん……」

 

 

 グラスワンダーってこういう挑発する感じの子だっけ。完全にスズカに火がついちゃったんだけど。スズカへの理解がそこそこ高くないと、強者をわざわざ挑発しようなんて思わないと思うんだけど……例えば、シンボリルドルフと戦うのに挑発するウマ娘がいるだろうか、という話だ。

 

 

「……スペシャルウィーク、あの、これはあなたの入れ知恵ね」

「グラスちゃんが本気のスズカさんと勝負したいって。ね、グラスちゃん」

「ええ、でも、その、スズカ先輩にこんなことして大丈夫ですか……?」

「大丈夫だよ。ね、スズカさん」

「いや、私が大丈夫なんじゃないんだけど、スペシャルウィーク」

 

 

 見えてるか見えてないか解らないけど、スズカの尻尾が大変なことになってるんだから。もうしばらく先だけど、スズカのランニング禁が大変なんだからね。別にこんなことしなくてもスズカは手を抜いたりしないしできないから心配しなくていいのに。

 

 

「落ち着いてスズカ」

「トレーナーさん……」

「スズカが負けるわけないんだから熱くならないの」

「……んふふ」

 

 

 あんまり外ではやりたくないけど、このままの勢いで解散すると勝手に走りそうなので引き寄せて撫でておく。相変わらず煽り耐性の無い子ね。そういうのはこう、自分の強さに自信の無い子か、戦闘狂がやること……戦闘狂は片足突っ込んでるかもしれないけど。

 

 

「スズカさんのトレーナーさんも覚悟しておいてくださいね」

「何の?」

「スズカさんが負けた時に慰める覚悟です」

「……へえ、勝てると思ってるの? スズカに?」

「私、トレーナーさんは私のこと言える立場じゃないと思います」

 

 

 いや、これは……違うじゃん。ちょっと聞いただけだから。決してスペシャルウィークに調子に乗んな! とか思ってないから……それに、善性で有名なウマ娘の中でもスペシャルウィークは輪をかけて良い子だからね。一連の発言もわざとやってるのは解り切っている。こんなことは普段他の人にはやらないだろうしね。

 

 その証拠にその後は挑発なんてすることもなく、楽しそうに友達のことやスズカの思い出を話す二人と、それをうんうんと物静かに聞いているスズカ、流石に完全に黙らざるを得ない私という構図が生まれていた。途中で私が離れても特に何も起こらず手を振って来たし、まあプロレスってことで。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 その日の午後。ブルボンがトレーナー室に一番乗りだった。次走について話しつつ、坂路予約の時間を待つ。夏の間の伸び率はブルボンもかなりのものだ。正直冬のG1はホープフルステークスでも良いくらいね。ジュニアのタイムなら問題無く走りきれると思う。

 

 まあ、2000を走るのはまだ自信がつかないだろうから1600で勘弁しておこうと思うけど。それに、朝日杯は結構ここからクラシックに行く子もいるし評判も申し分ない。

 

 

「だから、たぶんアルテミスステークスかサウジアラビアロイヤルカップを走ることになると思うわ。どちらにせよ十月ね」

「はい。当初の予定通りですね」

「ええ。練習と思って行ってきなさい。それから、勝負服の申し込みをそろそろしておこうか」

「勝負服……」

「うん」

 

 

 パンフレットをいくつか取り出してブルボンに取り出す。広げると、ブルボンの大きな目がくるりと見渡した。

 

 

「時期尚早では?」

「早くないわよ?」

「しかし、勝負服はG1レースで着用するのが主であると」

 

 

 ウマ娘の勝負服。基本的にはトレーナーかウマ娘がデザインから何から決めて、G1レースに出走する際に着るものだ。学園指定の汎用のものもあるが、あまり好まれない。スズカのようにシンプルでも自分の特別なものを作るのが一般的だ。

 

 色々アクセサリーを付けても邪魔にならず、どう考えても走りにくいでしょってものでも何故か普通に走れるようになってしまう不思議な服が勝負服だ。私もいまだにマチカネフクキタルのリュックや招き猫は邪魔でしょと思ってるし、エアグルーヴやシンボリルドルフのマントもぱたぱたしてて走りにくく見える。

 

 

 さてそんな勝負服、一般的には確かにG2に勝ってから作るのが普通だ。二ヶ月ほどで完成するしG1でしか着られないわけで、むしろ前もって作っておくなんて普通やらない。恥ずかしいからだ。

 

 

「ブルボンは絶対に次も勝つんだから良いのよ」

「……絶対に」

「絶対に。何がどうあれあなたが朝日杯やクラシックレースに出られないことはないわ。何なら勝負服がいらないレースなんか出たくなきゃ出なくて良い。三冠取ればレースなんか選び放題よ」

「三冠……」

「そうよ? 三冠取るんでしょ? シンボリルドルフを見なさい。G2なんか出たら弱いものいじめって言われるのよ」

 

 

 それはそれで普通に可哀想だけど。別にステップレースや同コースくらい練習で走らせてあげたら? とは思うけど、今ブルボンの説得には関係無い。固まってしまったブルボンに手を伸ばしてほっぺたをふにゅふにゅして、んー、と鼻をつまむ。

 

 

「んぷっ」

「だからデザインを考えておきなさいね。すぐ申し込んで良いから」

「……試作段階でマスターにお見せします。ぜひご意見を」

「私の意見なんかいらないでしょ。聞くならご両親に聞きなさい。みんなの夢なんでしょ、三冠」

「……はい」

 

 

 やっぱり三冠意識のものになるんだろうか。それとも、シンボリルドルフのように冠を取る度に飾りが増える感じかな? それでも良いな。どちらにせよ私にはファッションセンスなんか無いし、勝負服にトレーナーが口出しなんてとんでもないと思ってるから良い。自分の着る服くらい自分で決めたら良いのだ。

 

 

「ありがとうございます、マスター」

「何が?」

「いえ……何でもありません」

「そう?」

 

 

 ブルボンでも言葉を濁すことがあるんだなあ、と思う昼下がりだった。




グラス
「あの、スペちゃん、ちょっと相談が」

スペ
「どうしたの?」

グラス
「今度スズカ先輩に会った時、どんな顔をすれば良いか解らなくて……毎日王冠でぶつかるんですけど、スズカ先輩、私のことなんか見てないんじゃないかって」

スペ
「うん。見てないと思うよ。私と走ってても私のこと見てないし」

グラス
「ええ……?」

スペ
「でも意識させることなら簡単だよ。グラスちゃんのことだし、本気で来て欲しいんだよね?こしょこしょ」

グラス
「え……ですが、先輩にそんなことを……それにトレーナーさんに聞かれたら……」

スペ
「大丈夫だと思うよ?スズカさんはこのくらいじゃ怒らないし、むしろ可愛いくらいだよ。トレーナーさんもちょっと抜けてる人だから大丈夫」

グラス
「あの、え?スペちゃん、流石にそういうことを言うのは失礼というか……」

スペ
「???」

グラス
「いえ、もういいです……」


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可愛さは譲っても良いサイレンススズカ

スズカは面倒な方が可愛いって読者が言ったから……


 

「こんにちは、スズカさ……」

「あら、スペシャルウィーク」

「スペちゃん、助けて助けて……」

「あー……」

 

 

 アルテミスステークスまであと五日、毎日王冠まであと六日。二人の重賞レースがそこそこ近くまで迫ったある日、エルナトのトレーナールームにスペシャルウィークがやって来た。両手に段ボール箱を抱えて、簡単なノックの後普通に部屋に入ってくる。

 

 そして、手足を縛られ私に膝枕されているスズカを見て動きを止めた。もしくは、ベッドで機能停止中のブルボンを見てだろうか。

 

 

 当然残り一週間を切ったので、スズカはランニング禁止期間に入っている。ブルボンが倒れているのは……その、久しぶりに倒れるまでやりたいって本人が言うから。最近自分が倒れていないことに違和感を覚えていたらしい。ストイックが過ぎる。

 

 

「うーんと……うん。こんにちは、スズカさん、トレーナーさん!」

「あらやるわね、スペシャルウィーク」

 

 

 この状況を見て突っ込むことなく会話を続けるのは理解者の証拠よ。他にはエアグルーヴもいる。マチカネフクキタルもツッコミは入れないかな。

 

 

「おかしい……おかしいわスペちゃん」

「スズカさん、大丈夫ですか?」

「大丈夫に見える?」

「いつも通りに見えますけど……」

 

 

 スペチャン……と鳴き声を残して私のお腹にくしくしと擦り付いてくるスズカ。自業自得じゃない? 何と言うか、ちょっと清々しいくらい何とも思われてないのね、あなた。先輩が両手両足縛られてたらこう、私なら通報するけど。

 

 

「トレーナーさんに意地悪されてるの……助けてスペちゃん」

「はあ……どんな意地悪ですか?」

「今日はこんなに天気が良くて涼しいのに、走るなって……しかも新しいウェアが届いたのに……」

「スペシャルウィーク?」

「あ、はい。解ってますよ。スズカさん」

 

 

 はっと顔を上げ、希望に満ちたスズカ。どうしてこの会話の流れで希望を持ってしまうのか、このぽんこつは。縦に抱っこして話しやすいようにしてあげると、にこにこしながらこっちとスペシャルウィークを交互に見ている。

 

 

「たぶんですけどスズカさんがいけないんですよね?」

「スペちゃん!?」

「正解」

「トレーナーさん!」

 

 

 痛い痛い。顎が、顎が壊れる。ごつんごつんしないで。

 

 

「それで、痛、痛いスズカ、きょ、今日はどうしたの、スペシャルウィーク……このっスズカっ痛いでしょーっ」

「あ、はい。この間、私のグッズがたくさん届きまして……お世話になっている人にお渡ししてるんです。だから、スズカさんやスズカさんのトレーナーさんにも!」

 

 

 あら良い子。そしてもうグッズが出ているのね。流石はダービーウマ娘と言ったところ。今完成品が届いてるってことは夏前には試作ができてるってことだし、やっぱり大きいレースに勝つと扱いが違うわね。

 

 その点で言えばブルボンはたぶんスペシャルウィークより注目度が高いし、いつそういう話が来るか楽しみではある。勝負服のデザインによっては写真とか雑誌取材はもっと早く来そうね。

 

 

 私の膝に乗っかったまま暴れるスズカの拘束も解いて、みんなで段ボール箱の中身を取り出していく。ちょうどスズカの気を散らすにも良い感じの暇潰しになりそうで良かった。

 

 

「何か選んで受け取ってもらえると嬉しいです!」

「ありがとう。それなら、選んでみようかな……」

 

 

 グッズの内容は……まあ、あんまりスズカと変わらないか。ぬいぐるみ、キーホルダー、ステッカー……でも、スズカと違って笑顔の比率が高い。ファンの人達からも笑顔の絶えない子だと思われてるのね。すごい。

 

 

 何か物色している様子のスズカだったが、スペシャルウィークと話しながら手に取ったのは……時計? 

 

 

「それは目覚まし時計ですね。録音、結構大変だったんですよ」

「へー……どんな感じなんだろ。鳴らしても良い?」

「良いですけど、結構大きな音鳴っちゃうので気を付けてくださいね」

 

 

 セットして置いておく。少し待って、ピッ、と電子音。一応少しスズカの耳を塞ぐ。まあ市販する目覚ましだし、そこまでってことはないと思うけ

 

 

『おはようございます!!!!! 朝ですよ!!!! 今日も一日頑張りましょう!!!!!』

 

 

「うるさっ」

「わわっ」

「!?」

 

 

 部屋が揺れるような爆音が響いた。慌てて止めたが、後ろでブルボンが跳ね起きたのが解る。気を付けてくださいねと言ったスペシャルウィーク本人がひっくり返ってるもんな。

 

 起きてしまったブルボンには謝って、まだ寝てて良いと言うと再びぐっすり眠り始めた。普段私達がどんなに騒いでても起きない子なのに叩き起こせるとは畏れいった。二度と鳴らさないからこんなの。私もスズカもブルボンも隣人とかあるのよ。

 

 

「びっくりしました……何度か聞いたんですけど慣れないですね」

「気軽に鳴らす物じゃないわね……こういうのにした方が良いかも」

「あ、ぬいぐるみ! 可愛いですよね! すっごく可愛く作ってもらいました!」

 

 

 モデルが可愛いんでしょ。

 

 

「元々のスペちゃんが可愛いものね。ぬいぐるみも可愛くなるわ」

「え? そうですか? えへへ、恥ずかしいですね……」

「愛嬌もあるもんね。いつもにこにこしてて元気だし」

「褒めすぎですよぉ~っ」

 

 

 スペシャルウィークがふにゃふにゃになってしまった。褒められ慣れてないんだろうか。もっと褒めてあげてね、スズカ。

 

 

「じゃあ私はぬいぐるみにしようかな」

「良いですね。私も……いやでも、部屋にスペちゃんがいるし……キーホルダーとかにしようかな。この辺とか……」

 

 

 スペシャルウィークの勝負服、青と白を基調にしたストラップがいくつかある。これ凄いね。スペシャルウィークの名前が日の丸背負ってる。日本代表じゃんこんなの。日本一が夢だって言ってたよね? 

 

 

「本当はちょっと、まだ恥ずかしいんですけどね……まだスズカさんにも勝ってないし、会長さんとか、日本一には遠くて……」

「その理屈だと永遠に日本一になれないけど大丈夫そう?」

「ふへへ……トレーナーさん、いきなりなんですか?」

 

 

 自慢の愛バを横から撫で、まるでいつか勝とうとしているスペシャルウィークをいつもの仕返しにちょっと煽ってみる。彼女はむっとすることもなく、必ず勝ちますよ、とだけ言って会話を切った。

 

 結局スズカはかなりシンプルなキーホルダーを選び、ありがとう、とポケットにしまった。私も大きめのぬいぐるみを貰う。

 

 

 デフォルメされたスペシャルウィーク、本当に可愛いな。スズカはどうしてもレース中からインタビューまでのスズカで作られるから、顔付きが鋭いというか、格好いい寄りになりがちなのよね。

 

 その点スペシャルウィークはレースが終わった瞬間から天真爛漫スペシャルウィークに戻るから、ファンの間でもその姿が素だと解っている。難しいわねファンサって。

 

 

「……なんか私の時より見惚れてません?」

「いや、可愛いなって」

「私よりもですか?」

「流石にこっちの方が可愛くない? スズカのは格好いい寄りでしょ」

「……まあそうですけど」

 

 

 スズカがすり寄ってきた。いや、スペシャルウィークの片付け手伝お? ほら、スペシャルウィークも困って……ないね。微笑ましいものを見る目で見ないで? 私達も手伝うからさ。そんな手際よく片付けなくても良いから。

 

 

「そんなので妬かないの」

「妬いてません……スペちゃんは可愛いです。とっても可愛いのでしょうがないです。見惚れるのも解ります」

「じゃあ良いじゃない」

「でも私の方が速いですよ?」

「何がでもなの」

 

 

 まーたこの子は何でも速さで解決できると思ってる。まあそこ以外負けても良いと思ってるからそうなるんだろうけど。

 

 

「スズカの方が速いのはそうだけど、今は可愛いか可愛くないかの話をしてるのよ」

「でもトレーナーさんは可愛いから私が好きなんですか? 速いから私が好きなんですか?」

「……まあどっちかって言うなら……速さ?」

「じゃあちゃんと私のことが好きな方が良いですよ」

「うーん? ん? そう……なの? ん?」

 

 

 何を言っているかは解らないけど、とにかくスズカが面倒くさいのは解った。鼻をぷえぷえしておきながら、一応気持ちばかり片付けは手伝う。

 

 

「でも、いつかスズカさんより速くなりますから、覚悟しておいてくださいね」

「む……スペちゃん、そんなこと言ったらダメよ。トレーナーさんは私のことが大好きなんだから」

「あ、いえ、トレーナーさんを盗っちゃうって話じゃなくて」

 

 

 片付けも終わったので肩に頭を預けてくるスズカを受け入れる。何をしょうもない言い争いをしてるんだか……とも思ったけど、ウマ娘はトレーナーとか、旦那とか、いわゆるパートナーへ少なからず独占欲を持つ生き物って習ったからね。余計なことは言わないことにするよ。

 

 

「そこまで言うなら解ったわ。これから走りに行きましょう。私の方が速いということを教えてあげる」

「え? いや……そ、それはやめときます。まだスズカさんには勝てないですよ私」

「まだ……?」

「う……い、いえ、それだけは私のプライドに懸けて譲れません! まだ、スズカさんには勝てないですけど! いつか勝ちますからね!」

「むむむ……スペちゃん、生意気になったわね……」

「スズカさんのおかげですよ?」

 

 

 それに、二人の会話は大体何でも微笑ましいし。女学生……というにはちょっとアレだけど、若々しくて可愛い。あとは基本最終的にスズカがやり込められるのもね。この子口が弱すぎるし思考回路が単純なのよ。あほあほだからさ。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「そういえばトレーナーさん。毎日王冠、スズカさんの勝率はどれくらいですか?」

 

 

 その夜。せっかくだからとスペシャルウィークを連れてご飯を食べに行っている途中、彼女がこんなことを言い出した。食べるか喋るかどっちかにしなさい。あと出来たらもう少し抑えて貰ってもよろしいでしょうか? あの、好きに食べなさいと言った私から言うのはダサすぎるけど、手心というかさ、あるじゃん。

 

 しかしスズカの勝率か。まあ考えるまでもないわね。

 

 

「九割勝てるわよ。その次の天皇賞もね」

 

 

 残りの一割も、全力マチカネフクキタルとか、先頭を取られて掛かったスズカが斜行しちゃうとか、そういうハプニングの話だ。実力でスズカが負けることはない。

 

 

「そうなんですね……そうか、九割、そっか……」

「まあ、グラスワンダーやエルコンドルパサーもまだ足りないわね。ポテンシャルはありそうだけど」

 

 

 まだ勝てないけど。エルコンドルパサーも逃げ適正があればまだ解らなかったかも。でもどうかな。スズカ対策は知らないと無理……いや、少し賢ければトレーナーもウマ娘も気付くか。気付いてもできないってのが本質だもんね。

 

 

「でも、甘く見ない方が良いですよ。グラスちゃんもエルちゃんも物凄く強いですから」

「だってさ、スズカ」

「え、うん、気を付けるわね」

 

 

 気を付けてないんだろうなあ、というスペシャルウィークの反応が、とても印象に残った。




当初お伝えした通りここから毎日王冠、天皇賞(秋)までほとんど挟みません。ブルボンの重賞すらカットして進みます。ある意味ではこの話で一旦の見納めの可能性すらあります。


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領域まで辿り着かないサイレンススズカ(毎日)

どうやら逃がさない方のスズカの人が言及してくれていたらしいです。向こうと違って大した物語性はないので、進みが速いのも多少はね。というか私個人的にはこれでも遅いと思ってるくらいだったわ。

今回は短め。


 迎えた毎日王冠。普段なら何の問題も起こらず、ただ一着を取ってくるスズカを見送り出迎えるだけだけど、今日は少し空気が違った。

 

 

「どう、スズカ。調子は」

「……うん、とっても良いです。たぶん……これなら……」

 

 

 そう、普段は目標も何も無くひたすら楽しく走るだけだが、今回についてはスズカに明確な目標が出来てしまっている。すなわち、『スピードの向こう側』に到達するということ。恐らく本番のレースでしかたどり着けないと思われる、スズカにしか解らないどこか。

 

 

「はぁ……ふぅ……ふー……っ」

「緊張してるの?」

「楽しみなんです。どんな気分なんだろうって……そう考えたらドキドキしてきちゃって」

「そうねえ……私は正直あんまり解らないけど」

 

 

 理解はできないが、スズカがそれを求めているなら、というくらいの気持ちで、うきうきわくわくのスズカを見送った。G2ということでトレセンの体操服に身を包み、深呼吸を繰り返していたスズカ。

 

 スズカの調子はいつもと同じ、つまり絶好調だ。そもそも勝つか負けるかの話にはならない。そこは疑いの余地はないし、未来永劫疑うことはないのだと思う。

 

 

「見えたらどんな感じか私にも教えてね」

「はいっ。必ずこの目で確かめてきますっ」

 

 

 いつにもなく始まる前にぎゅうっと抱きつくスズカ。既に体温が上がり始めていた。それだけはその、やめてほしいんだけど。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ん……早い。攻めたわねグラスワンダー」

 

 

 レース展開には言うことなんてない。強いて言えばグラスワンダーは、今日は恐らくレースではなくスズカに勝ちに来ている。あまりにも仕掛けが早い。

 

 最終コーナーで先頭をとられていたら負け、かといって逃げ策をうつことはできないし競り合うスタミナは無い……だから、ロングスパートでスズカを止めようと思ったのだろう。けど甘い。

 

 

 早仕掛けとはいえ差しの位置からその加速力じゃ届かないよ。もしシンボリルドルフが同じことをしていればかなりいい作戦だったけど……現状のグラスワンダーのスタミナとパワーではただ脚を吐き出すだけで終わる。

 

 かなり前まで詰めて行ったがそこでゲームオーバー。スズカのスパートが始まり、どんと距離が離れていく。

 

 

 そして、スズカは……ダメだ。ここから見ている感じではたどり着いたのか着いていないのか解らない。あくまで本人の気持ちか? スピードは普段のスズカの伸び脚を超えるものはない。コーナーで伸び、さらに直線で伸びる。完璧なスズカのレースだ。エルコンドルパサーがずっと二番手にいるが、あれはもうこれ以上上がれない。

 

 

 ……終わってみればやはりスズカが圧勝したに過ぎない。しかし、失礼ながら今回の私達の見るべきところはそこではない。帰ってくるスズカを扉の前で出迎える。

 

 

「お帰り、スズカ。楽しかった?」

「ただいまです、トレーナーさん……んんっ」

「あっつ……見えたの? スズカ」

「んふ……ん……トレーナーさん、冷たい……」

 

 

 帰ってきたスズカを抱き締め、目を覗き込む。体温、心拍数ともにあり得ないほどに高まっている。顔が赤い。あの時と一緒だ。とにかくそのまま手を引いて座らせる。飲み物を手渡し、熱が下がるのを待つ。

 

 

 ……これだけは本当に、何とかならないか。元々伸び脚だってどう考えても身体に悪いに決まっているんだ。これはスズカだけではない。他の全てのウマ娘にも言える。自分のスピード以上のものを出して全く問題ないなんてはずがない。

 

 スズカの場合はそれに加えてこれだ。私の目をもってしてもそれは解らないが、寿命を縮めてたりしない? 大丈夫? 

 

 

「……? トレーナーさん? どうしたんですか? 浮かない顔ですけど……」

「え、いや……何でもないのよ。それでスズカ、どうだった? スピードの向こう側は」

 

 

 聞くと、スズカはしょんぼりとして私の膝に倒れ込んできた。んー、と擦りついた後、くるりと仰向けになって胸に手を当てる。

 

 

「それが、また入れませんでした」

「え……でも」

「見えたんです。すぐそこにあったんですけど……ちょっと足りなかったかな……」

「足りなかった?」

「まあ……たぶん?」

 

 

 残念ね、とスズカには言いつつ、ちょっと安心している自分がいる。応援……してたけどさ。こうしてもう一度入りかけのスズカを見ると、やっぱり身体に悪いんじゃないかって思ってしまう。

 

 

「そう……ほらスズカ、目を閉じて……それっ」

「ひゃんっ、ふ、ふへへ、ふふふへっ、な、なんですか、突然んふふふふっ」

「レースは終わったんだから怖い顔しないの」

「え、でも」

「良いから」

 

 

 それにこのまま、スズカがどこかに行ってしまうような気がする。私に甘えるスズカではなくて、逃亡者サイレンススズカから戻ってこられなくなる。少しくすぐってふにゃふにゃにしておく。

 

 もちろん……事実どっちもスズカなわけで、「こんなのスズカじゃない!」なんて言ってしまったら私がメンヘラなだけだけどさ。私はスズカありきだけど、スズカは私ありきではない。ぶら下がっているのは私だ。

 

 

「……トレーナーさん? あの」

「ううん。ほら、ライブに備えて少しでも休んで」

「あ、はい」

 

 

 ちょっとがっかりしているスズカ、それにこれまでの言動でも、スズカがそれを楽しみにしていることはよく解る。止めてもしょうがないし、私はスズカのトレーナーだけど、普通の関係性じゃない。

 

 

「そんな顔しないの。次はすぐに天皇賞があるじゃない。そこならたぶん何とかなるわよ」

「あ、いえ、うん……そうですね。今度こそ、ですよね」

 

 

 その日のライブのスズカはとても可愛かった。いやいつもか。いつもだったわ。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「んむ……んー……美味しいです」

「そう? 良かった。たくさん食べなね」

「あい」

 

 

 その夜。私はスズカを連れてご飯を食べに来ていた。たまにはがっつり食べたいと言うので、お肉を食べに来ている。ウマ娘に対して食べ放題焼肉をするという正気ではない店はそう多くないが、探せば結構ある。もちろん笑ってしまう額だけど。

 

 私が焼いたそばからカルビがスズカの中に消えていく。すご。もう私そんなお肉食べられないって。いや食べられるけど一秒で太るもん。

 

 

「そういえばトレーナーさん。さっきグラスちゃんから連絡があったんですよ」

「ん、何だって?」

 

 

 グラスワンダー、いい線行ってたんだけどね。場合によってはって感じだった。ステータスが足りないのが惜しい。結果として正攻法で来たエルコンドルパサーの方が上ではあった。終わった後の彼女の、この世の全てを呪っているみたいな表情がめちゃくちゃ怖かったもんね。

 

 

「いや……物凄い丁寧に謝られまして」

「え?」

「その、侮っていましたとか、無礼を働きましたとか……よく解らないので、まだ返信してないんですけど」

「ええ……?」

 

 

 何を考えているのか解らなすぎる。侮るも何も戦術としては悪くなかったと思うんだけど。そういう意味では正面から来たエルコンドルパサーの方が侮ってはいるよ。無礼に関してはマジで解らないし。

 

 

「そのうち直接言いに来るみたいです」

「ひえっ」

 

 

 や、やめてね? 無いと思うけどなんか、この勢いだと平気で頭丸めるくらいやりそうで怖い。こっちはマジで何も失礼を働かれた覚えはないんだけど、彼女的には何かやってしまったんだろう……か? 

 

 

「ま、まあ……別にあの子は圧はあるけど悪い子じゃないし……」

「怖がり過ぎじゃないですか……?」

「まあ……そうなんだけど」

 

 

 日に日に尊敬度が高くなってきてるような気がするからさ、あの子……ブルボンがG1勝ったら爆発するんじゃない、あの子。いやマジで。

 

 

「あ、トレーナーさん、もう五皿くらい頼んでも良いですか?」

「え? うん、ま、まだ食べられるの……?」

「はい、全然……六分目くらいです」

 

 

 お皿、頭の上まで積まれてるけど。平皿よ。何人前頼んだかもう覚えてないし。でもまあお祝いだし、これが食べたいって外で言うことはあんまり無いしね。でもブルボンは連れてこなくて良かった。良かったって言うか、珍しくスズカが二人が良いって言って来ただけだけど。

 

 

「ところでスズカはさ」

「はい?」

「なんで今日は二人でって言って来たの」

「ん……さあ?」

 

 

 一杯に膨らんだ頬を飲み込んで首を傾げるスズカ。

 

 

「何となく……ですかね? トレーナーさんと二人が良いなって」

「何となく……そっか」

 

 

 何となくで焼肉を食べられなかったブルボンとは。まあ後日連れて行ってあげよう。スズカの気まぐれは今日に始まったことじゃないし。走ることしか考えてないないとかそれ以前にどこか抜けているというか……天然なところもある子だからね。何となくで二人っきりを選んだくらいでは私も驚かないよ。

 

 

 その後、スズカが満足するまで食べさせて、部屋で二人で眠った。いつもよりくっついてくるスズカは不思議に思いつつも、暖かな彼女を抱きしめて眠った。




今回のアンケートは次回更新までのものになりますので、是非ご回答ください。

次回から天皇賞編です。元々この作風でやるのは賛否のあるものですが、スズカを主役にする以上避けるつもりはありませんので、せめて書き方については問いかけることを決め前回のアンケート(削除済み)も行いました。

大きく分かれたので曇りの度合いについては好きにやります。タイトルで見て解るようにして、終わった後にも簡単な纏めを入れますので苦手な方はご自衛ください。

さて、天皇賞編で書きたいことは大体十二話くらいになります(予定)。ですが、恐らくこれで行く場合一話当たりの文字数は今と同等か、今より少なくなります。場面転換が多い、くらいのイメージで考えてください。
更新速度は正直そこまで変わらないと思いますので、読まない方や流し読みする方にとっては長らく更新停止と変わらない状態になると思われます。そもそも話数が多くなって読みにくいって方もいると思います。どちらかといえば私もそうです。

ですので、「文字数を問わない十二話」か、「一話当たりを長めにして五話以内」でのアンケートを取ろうと思います。どちらを選んでも展開は変わりませんので、お気軽に投票をお願いします。また、感想でも言いたいことがあれば受け付けます。その際は、一応話への感想もあった上でやっていただけると反応がしやすいのでお願いします。


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あなたのために、サイレンススズカ(秋天)

 天皇賞。

 

 春と秋に行われる大レースの一つである。去年はスズカが勝ち、思えばあれがスズカの躍進の始まりと言っても良い。あれからジャパンカップ、大阪杯、宝塚記念と勝って、今に至る。

 

 そんな天皇賞について、スズカの出走は基本的に非常に求められている。ウマ娘レースにおいてよく言われることとして、中央に来たらエリート、未勝利勝ったら一流、重賞勝ったら栄光、G1取ったら伝説なのだ。今回はそれに加えて連覇までかかっている。そりゃ期待値も高まるだろう。私だって、本当なら手放しで喜んでいた、と思う。

 

 

 ……けどなあ。

 

 

「ん……どうしたんですか、トレーナーさん」

「ううん。何でもないのよ」

 

 

 最近、本当にスズカを天皇賞に出すのが正しい選択なのか、そう思うことがある。

 

 スズカの健康は、毎日王冠の直後も、そこから毎週、お医者さんのところに連れて行っている。だけど、どうしてもあの熱病のような、スズカをどこかに連れて行ってしまう現象だけが解らない。何度調べても、何度見ても、スズカには異常は無い。しまいにはトレセン側から、何の問題も無いのに何度も利用するなとお叱りを受けてしまった。私も強くは反論できない。事実、私だって何がどうなっているのか解らないのだ。

 

 

 私の隣で、授業中貰ったらしい課題を進めるスズカ。何度見ても、彼女に怪我率は無い。私の目の正確さについては私は信頼しているし、これまで一度として間違ったことはない。ブルボンについてもかなり無茶をしているが何事も無いし、それとなく他のウマ娘の怪我を見抜いたこともある。

 

 そんな私の目は、この間もそう、スズカは健康だと言っている。トレセンでいらぬ心配をしているのは、ただ私一人なのだ。スズカも、お医者さんも、『私』も、私なんかよりよっぽど信じられる人達が、異常は無いと断言している。

 

 

 それでも、あの高熱から感じた言いようのない恐怖は日に日に私にのしかかってきている。次に走って、スズカが完全にスピードの向こう側に入っていった時、何が起こるのか解らない。

 

 

「……スズカはさ」

「はい?」

「……天皇賞、どう思ってる?」

「え……? 楽しみ……ですけど」

 

 

 ドリルを解きながら首を傾げるスズカ。これも厄介なのが、普段のスズカなら、きっと私が「天皇賞はやめよう」と言えば従ってくれるのだ。

 

 

「今度こそ向こう側に行けるかもしれないですから」

 

 

 でも、今回は違う。スズカの目には確固たる意志がある。「走れるからレースが楽しみ」、ではない。これは、私が曲げてはいけないものだ。スズカの数少ない自我の一つなんだから。走りたい、走って走って、一人になりたい。そう言っていたスズカに、私がこれ以上何か言って良いはずがない。

 

 

「そうよね……うん、楽しみ」

「どうしたんですか……? トレーナーさん、毎日王冠からおかしいですよ」

「そんなことないけど……ちょっと疲れてるのかもね」

「……いっぱい食べて寝てくださいね?」

「ええ」

 

 

 ブルボンみたいにね、と言うと、くすくす笑い出す。ああ……可愛い。スズカはやっぱり、スズカだ。私のウマ娘だけど、私のものではないのだ。私はブルボンに指示は出す。でも、口が裂けてもダービーに出るなとは言えない。スズカも同じだ。普段走るのを制限できたとしても、今回のそれを止めるのは、スズカから大切なものを奪うのに等しい。

 

 

 特に話すこともなく、そのままブルボンが部屋に来るまで私はボーっと何でもないことを考えていた。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「マスター……はぁっ、はあ……オーダー……完了しました……」

「うん。んー……まだいけそうね。もう一本、同じタイムで。今度は最終直線で余力を全部吐き出すこと。良いわね」

「はい……では……走行可能まで回復し次第、直ちに遂行します……」

 

 

 ブルボンのトレーニングは、しっかりとやらなければならない。アルテミスステークスでもブルボンは快勝し、少なくともマイルまでは間違いなくトップランナーと言ってもいい。これを覆すのは朝日杯、そして、その後の1800、そして皐月賞の2000だ。まあ、今の時点でもブルボンなら走りきれるだろうけど。

 

 

「トレーナーさん……退屈です……ちょっと走ってきます」

「だめ。スズカはこの後プールなんだからね」

「でもこんなにいい天気なんですよ?」

「スズカ天気なんか気にしてないでしょ絶対」

「気にしてますよ? 気温、湿度、風……少し違うだけで感覚が全然違うんです。たとえばですけど、少し涼しくて風が吹いている日なんかは、ひゅうひゅう耳を風が抜けていって、段々冷えていくんですけど、体の芯の方から温まってきて、じわじわ脚に力が入ってきてですね。これが風が無いと、今度は温まる方が早くて、でも私が速いのでそのまま風を切っていく感じになって、そうするとこう、一気に気持ち良さがぐんと増すんです。なので」

「ごめんスズカ。私が悪かった」

「じゃあ走ってきます。トレーナーさんが悪い人なので」

「それとこれとは関係無いねえ!」

 

 

 そんなー……と私の前から寄り掛かってくるスズカ。こうしていても何も違わない。いつものスズカだ。たぶんあの高熱も、スズカからすれば直感で、問題無いと感じているのだろう。それはそれで信用ならないが、直感で危ないと感じている私も同じようなものだ。

 

 

 ……と、指示通り走ったブルボンが帰って来る。うん、怪我率が出ている。これで終了だ。ストレッチをさせて、次はスズカのトレーニングに行かないと。

 

 

「ほらスズカ。ブルボンが終わったら次はスズカなんだからね。早く着替えなさい」

「むぅ……もう走る気持ちができてるんですよ?」

「勝手に気持ち作らないで?」

「これからは作りません。じゃあ今回はもうできちゃってるので……」

「だめーっ。このっ、往生際が悪いのよっスズカはっ」

「んっ、んふふ、ふふふっ、ず、ずる、ずるですっ、く、くすぐった……」

 

 

 スズカをうまく誘導して連れていくのも、もう慣れたものである。大人は怖いのだ、残念だけどね。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「ではマスター。お休みなさい」

「ん、お休みブルボン」

 

 

 ぱたん、と寝室の扉が閉まる。今日はスズカもブルボンもお泊りに来ている。まあスズカは結構来ているので今更だけど。ブルボンも、時々本人の意思以外に、ニシノフラワーにお友達とお泊りするからと言われることがあるらしい。

 

 

 私はと言うと、柄にもなく……本当に、何年振りか解らないくらいの、お酒を飲んでいる。絶対に一杯目に飲んじゃいけないタイプの強いやつ。

 

 

「んー……ぐぅ」

 

 

 きっつ。一瞬にして酔っぱらう感じがする。お酒、弱いもんなあ私。甘いお酒しか飲んだことないから、口に広がる苦みに顔がきゅっとなる。

 

 二口飲んだだけでかっと体が熱くなってきて、やり過ぎたかなあなんて思っていると、今日は最後にお風呂に入ったスズカが出てきた。

 

 

「トレーナーさん、お風呂あがりましたよー」

「んー。ほらスズカ、こっちおいで」

「なんですか? もう、甘えんぼですか?」

「スズカに言われたくないなあ……」

 

 

 とは言いつつ、隣に座ってくれるスズカの脚に寝転がる。細いなあ。こんな足からあのスピードが出るなんて信じられない。そりゃあ、ウマ娘の脚はガラスの脚とか言われるわけだ。物理法則を無視した不思議な力は、ウマ娘にとっても制御しきれない敷居がある。

 

 お風呂上りでぽかぽかのスズカが、機嫌良く私のことを撫でてくる。スズカの顔が見られない。私、最低のことをしようとしている。

 

 

「……スズカ」

「はい?」

 

 

 それでも、お酒の力を借りて、言わなきゃいけないことがある。

 

 

「天皇賞、だけど」

「はい」

 

 

「……回避するわけには……いかない、かな」

「……どうしてですか?」

 

 

 突然何ですか、とは言われなかった。

 

 

「私……ごめんね。スズカの、スピードの向こう側……応援できないかもしれなくて」

「はい」

「スズカがね、どうにかなっちゃうんじゃないかって、心配……ううん、不安なの」

「はい」

「何も理由なんて無いの。ただ私が、何となくって思ってるだけなの」

「はい」

 

 

 涙が出てきた。私、何を言っているんだろう。走ることが、速いことが何よりも好きなスズカに、私は、言っちゃいけないことを言っている。スズカに必要なのは私じゃなくて、自由に逃げさせてくれるトレーナーで、私はスズカが気持ちよく走れるようにって、そう言って契約したのに。

 

 

「でも、スズカ」

「……迷っちゃいますね」

「え……」

「トレーナーさんは、どっちが良いですか?」

「私は……出て、欲しくない」

「じゃあ」

「でも、スズカのやりたいことを邪魔したくないの……! スズカ、そこに行きたいって言ったじゃない。びっくりしたの、スズカが、これがやりたいって言ったから! いっつも私、スズカにダメって、走らないでって、これで次は目標まで奪ったら、私……」

 

 

「そうですか……」

 

「……やっぱり、迷っちゃいますね」

 

 

 スズカが、私の頬に手を置いた。細い指が触れて、するり、と耳元へ抜けていく。上から聞こえるスズカの声は、とってもいつも通りだった。

 

 

「私は、スピードの向こう側に行ってみたいです」

 

「確かに、これが……目標? なのかも? よく解らないですけど、たぶん目標なんだと思います」

 

「でも、トレーナーさんのこと、私は信じています。トレーナーさんが言うなら、もしかしたら、良くないことが起こるのかもって、ちょっと思います」

 

 

 ぺし、ぺし、と私の頭を叩くスズカ。

 

 

「だから、悩んでます。トレーナーさんは私に走ってほしくないんだなって、ちょっと前から気付いてましたから」

「ごめん、ごめんねスズカ……」

「赤ちゃんみたいですね、トレーナーさん」

 

 

 スズカの脚に突っ伏して泣いてしまう。淡々と話だけを聞いてくれるスズカに、それ以上私は何を言うこともできない。これでスズカが止まってくれるんだろうか。止まってくれないだろう。私ではもう、どうにもならない。

 

 

「スズカ……」

「寝ましょう、トレーナーさん。具合悪くしちゃいますよ」

「うん……」

「大丈夫ですから。きっと上手く行きますよ。トレーナーさんのこと、信じてますから。私のことを一番に考えてくれてるって知ってますから」

「うん……」

 

 

 そのまま、私はスズカに抱き着いたまま眠った。介抱しようとしたスズカの手によって、私は翌日全裸に剥かれていた。なんでそうなるのよ、ぶきっちょ。風邪ひくじゃん。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 十月二十日、記録者、ミホノブルボン。

 

 本日、マスターはトレーナー達の集まりがありトレーナー室へ来るのが大幅に遅れます。よって、私は事前に頂いていた筋トレメニューと走り込みを終えて、体力回復のためにトレーナー室に戻りました。

 

 

「ただいま戻りました……エアグルーヴさん。こんにちは」

「ああ、ミホノブルボン。お疲れ。すまない、少し話をしているんだ。邪魔をする」

「いえ。目的は睡眠ですので問題ありません。シャットダウンはいかなる状況でも行えますので、気兼ねなくお話しください」

 

 

 トレーナー室に、エアグルーヴさんがいました。スズカさんの一つ上ですが、スズカさんと対等な関係で、何度かここにも宣戦布告をしに訪れたことがあります。マスターの評価は……データベース検索、確か、実力はあるが正統派であるためスズカさんへの勝率は絶望的である、だったはずです。

 

 

「ごめんねブルボンさん。お休みなさいね」

「はい。お休みなさい」

 

 

 スズカさんにも申し訳なさそうに挨拶を頂きました。トレーナー室においては私の定位置となったベッドに横になり、タオルケットを掛けてシャットダウンに入ります。三秒前、二、一、

 

 

「……話を戻そう。さっきのスズカの懸念だが……正直、そうなる……と思う。勝手な想像で、すまないが」

「そうよね。うん、そう思ってたわ。トレーナーさん、優しいから……そうなったら困っちゃうもの」

 

 

 シャットダウン処理を中断。目を閉じたまま、二人の会話を記録することにします。

 

 

「しかし不思議な話だ。お前のトレーナーがお前にレースを回避させるとはな」

「うん……私もちょっとびっくりしたわ。そんなこと一回も無かったし、天皇賞だって元々トレーナーさんが選んだレースだから……」

「理由も無いのだろう? スズカが何度か医者にかかっていたのは知っている。異常は無かったと」

「無いみたい。私も何にも解らないわ。むしろいつもより調子が良いくらいで……でも、トレーナーさんはたぶん、何かを感じてるんだと思うの」

 

 

 マスターが、スズカさんにレースを回避させる……? 理解不能です。マスターの思考はいまだ予測は難しいですがしかし、お二人の意見からすればむしろマスターはレースを推奨する立場のはず。

 

 

「ああ、それについてはスズカが信じるというならそれで良い。私が言うようなことじゃない……だがスズカ。さっきも言ったがそれは……周囲は騒ぐぞ」

「そうよね……」

「当然だ。私もスズカから話を聞かなければ一度は沸くだろう。何故何の異常もないスズカを走らせないんだ、と。何も知らない者共からすれば尚更だ」

「うん……私も、そう思うわ。みんな、私のことを待ってるんだなって思うの」

 

 

 スズカさんを、待っている。秋の天皇賞を連覇する、稀代の逃げウマサイレンススズカを待っている。なるほど、尤もです。スズカさんが病院に通い、何の異常も検知されなかったのは私も知っています。マスターはどうやらレース後にスズカさんが起こした発熱や食欲増大を懸案していたようですが、一時的な興奮によるものであると結論付けられています。

 

 ですから、天皇賞回避を決定した場合、その判断は理解されない、ということでしょう。私やスズカさんはマスターの指示に従いますが、それは、マスターの指示を信頼しているからです。

 

 

「トレーナーさんを心配させるのはね、嫌なんだけど……でも、これで走らなくて、みんながトレーナーさんに何か言い始めたら、それは、その、トレーナーさんが、心配で……」

「……言いたいことは解るぞ、スズカ。お前の考えは間違っていない……と、私は思う。私がもしお前の立場だったなら、きっとそうしただろう」

「それにね、今回は私、走りたいの。レースに出て、走りたいって思ってるの」

「……スズカがか?」

「ええ。やりたいことが……見たいものができたから」

 

 

 スピードの向こう側。私もマスターも未だ真意を図りかねている、スズカさんが突如として主張を始めた概念。走行中のアドレナリン放出による全能感や多幸感とは明らかに違うらしく、現在のスズカさんはそれを求めてレースへの準備を進めています。以前とは、明確に異なります。

 

 

「そうか……それで、どうする」

「エアグルーヴは、どうしたら良いと思う?」

「一人のお前の友人として、もし走らなくても、私は否定しない。自分のトレーナーを信じることに理由は必要無い。どんな結果になっても、私はお前の味方でいよう、スズカ」

「うん」

「だが、トレセンの……仮にも意思決定に少しでも関わる立場としては、お前には走ってほしい。それを待ち望んでいるファン、後輩がいて、ウマ娘エアグルーヴもいる。恐らくURAもそれを望むだろう。時に私達は、勝者は、走らなければいけない時が来る。お前のそれは、たぶん今だ」

「……うん」

 

 

 走らなければいけない時。エアグルーヴさんも、スズカさんも、勝者です。私には理解できない概念を聞かされても、スズカさんはそれが当然とばかりに肯定しました。共通認識があるのでしょう。まだ勝者ではない私には解らない何かが。

 

 しばらく室内に静寂が広がりました。一番大きい音は、私の吐息か、あるいはグラスで変形して滑る氷の音。会話が止まっても、二人とも、何も言わず時間が過ぎるのを受け入れていました。

 

 

「トレーナーさん、怒るかな」

「何故だ?」

「走るなって言われたのに、私が走るから」

「……知るか。お前達の関係は時々全然解らなくなる」

「そうなの? エアグルーヴは結構解っていると思ってたんだけど」

「……他に比べればな。お前の友人だからだ」

「ありがとう、エアグルーヴ」

「感謝するな。お互い様だ」

 

 

 どうやら、スズカさんの意思が固まったようです。マスターの指示に反し、天皇賞に出走するのでしょう。走らなければいけない時に、走るようです。

 

 

「もし私がこれで……」

「やめろ。聞きたくもない」

「トレーナーさんに怒られて走っちゃダメって言われたら、ちゃんと説得してくれる?」

「……お前の冗談は解りにくいんだ」

「冗談じゃないわ。きっとトレーナーさん、怒るわよ。怖いんだから。笑って息ができないくらい擽ってくるし、嫌だって言うまで頬っぺたをふにふにするんだもの」

「楽しそうで何よりだよ」

「あー、エアグルーヴが適当になった……」

 

 

 これ以上聞く必要は……いえ、これまでも必要はありませんでしたが、好奇心も満たされました。今度こそ、スリープモードへ移行します。

 

 

 三、

 

 二、

 

 一、

 

 

 ゼロ。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 天皇賞当日。

 

 

「それじゃあ行ってきますね、トレーナーさん」

「……うん」

「もう、大丈夫だって何度も言ったじゃないですか。そんな顔しないでください」

 

 

 スズカはもう、割り切っていた。勝負服に身を包み、レース前だというのに私に気を遣ってくれている。私がまだ迷っているから、余計な迷惑をかけてしまっている。

 

 

 結局、スズカは出走を選んだ。理由は何度言っても教えてくれなかったけど……果たしてスピードの向こう側への欲望が勝ったのか。それとも、私のためなのか。それは卑怯だと思って、回避したら私が何て言われるかなんて話題に挙げなかったのに。変なところで敏感なんだから、スズカは。

 

 

 ゲートに向かっていくスズカを見送り、今日はスズカを直接見るため観覧席……それも、一般のお客さんに交じった一番下の正面スタンドへ降りていく。隣にいるブルボンは、こんな私を見てどう思ってるんだろう。しっかりしなきゃ。スズカのことで悩むのと、ブルボンのことは別なんだから。

 

 

「ブルボン」

「はい」

「はぐれないようにね。物凄い人だから」

「はい。手を繋ぎましょう、マスター」

「……まあ、それはそうね、繋ぎましょう」

 

 

 ブルボンと手を繋ぎ、観覧席へ。マナーは悪いけど人混みをかき分けて、最前列に陣取った。スタートはちょっと見辛いけど、まあそれはそれ。双眼鏡を首から提げて、とんとんと胸を叩く。まだ不安は取れない。でも、スズカは走ることを選んだ。理由はどうあれ、もう止めることはできない。スズカに期待する実況の前口上を聞きながら、スタートをひたすら待った。

 

 

 お願い、スズカ。

 

 

 

『スタートしました! やはりサイレンススズカ、素晴らしいスタート! 序盤からどんどんと飛ばしていきます!』

 

 

 見えてきた。スズカは当然先頭を走っている。他に逃げウマがいないからか、ほぼ一人旅同然の差が既に開いている。スパートで速度を上げなければならないのに当然の権利のように普通に飛ばすのは正直少しスズカの笑いどころだ。まあでも、スズカは速ければ速いほど楽しくなって速くなるからこれで良いのか。スズカが足を溜めたら私もびっくりだし。物凄い勢いで直線を突っ走るスズカに、ちょっと気が楽になる。

 

 

 前半が過ぎ去り、みんなで長い直線を進んでいる。スズカに潰されないためか、スズカ以外のペースはやや緩い。スズカ一人だけが、五十七秒という意味の解らないペースで進んでいく。緩く登り坂を経ても何も変わらない。絶対王者スズカがただ一人、カーブに入りつつある。第三コーナー。グラス越しのスズカは相変わらず、鋭い逃亡者だった。

 

 

「スズカ……!」

「……マスター」

 

 

 先頭、スズカ。大きく離れて二番手、さらに離れて三番手。いつものスズカだ。絶好調の、一番強いスズカだ。

 

 

 スズカが、スピードの向こう側に行ってしまう。大欅に消える瞬間に少し口を開き息を入れたスズカの姿に、私はそんな確信を抱いた。

 

 

 体が勝手に柵に縋りつく。手に持っていた双眼鏡が落ちる。再び現れたスズカが、スズカではなくなっているかもしれない。私が私の不安を煽り、身を乗り出して名前を呼んだ。

 

 

 

 

「スズカ!」

 

 

 

 

 そして、世界が止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あーっと……これは……さ、サイレンススズカ! サイレンススズカの様子が! これは、どうした……!』

 

 

 

 

 欅を抜けたスズカの体は、明らかに跳ねていた。違う。スズカじゃない。スズカならもう、地面を突き刺すみたいなあの脚で加速している。それが、弾むように遅く、そして、必要も無い外へとよれていく。

 

 

 

「……っ」

 

 

 

 手足が出る。柵を掴み、体が浮きあがった。上がる視点から、こんなに遠くで、でも、スズカの様子だけはずっと見えたまま。

 

 

 大きく外に避け、そのまま、スズカの体が崩れ落ちた。丸まるみたいに両手両足で芝を踏むスズカ。私の体がスズカに近付いて、

 

 

「スズカ……ぅあっ!?」

 

 

 がくんと落ちる。視界からスズカが消えていく。スローモーションのお別れの間、後ろから呼びかけるブルボンの声が聞こえていた。蹲って動かないスズカに手を伸ばし、そのまま、わたしは

 

 

 

 

『さ、サイレンススズカに故障発生! サイレンススズカに故障発生です! これは大変なことが起きてしまいました……!』

 

 

 




次回は早めに。今のところ全三話を予定しています。


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あなたを求めて、サイレンススズカ

 

 十一月二日、記録者、ミホノブルボン。

 

 昨日行われた秋の天皇賞において、スズカさんは、競走中止となりました。

 

 中足骨骨折……私には知識が無く、羅列される医学用語を一字一句記録するのみでした。しかし、話から判断する限りでは、恐らくスズカさんがこれで競走生命を絶たれることはないのだろうと考えられます。深刻ではあるが、一方複雑骨折、あるいは粉砕骨折まで及んでおらず、三か月ほどで十分に回復、復帰も可能だそうです。詳しいことは、マスターも同席して話すとのことでした。

 

 もう少し強く、長く踏み込んでいれば予測不可能な大惨事であった可能性も示唆され、流石のスズカさんも表情を歪めたのが印象に残っています。

 

 

「では、お大事になさってください」

「ありがとうございます」

「あの、トレーナーさんのこともよろしくお願いします」

 

 

 説明を終えた医師と看護師の方が部屋を出ていきます。頭を下げ、エアグルーヴさんも座り直しました。マスターはここにはいません。ベッドの上でギプスを着けたスズカさんと枕元の私、それから、駆け付けてきてくださったエアグルーヴさんだけです。

 

 スズカさんが骨折したと思われる決定的瞬間、マスターは無謀にも観覧席の柵を乗り越えていこうとし、手を滑らせて転落。気を失い、同時に病院に運び込まれています。とりあえず意識が戻るまで、こちらの病室でスズカさんの説明を聞くことになっていました。

 

 

「……肝が冷えるな」

「ごめんねエアグルーヴ。来てもらっちゃって」

「気にするな。これより優先することなど無い」

 

 

 スズカさんは、非常に元気そうです。レース場に倒れ、救急車に運ばれたときから、医師の診察を受け、ギプスを装着し、ベッドに横になった今まで、痛みに眉を顰めつつも、涙を流したり、取り乱すこともありませんでした。

 

 一方、話を聞いている間も落ち着かず、医師の説明にも割り込んで質問をするなど、気を急いているのはエアグルーヴさんです。私は……あまりの出来事にいまだ脳内メモリが処理しきれていません。ただ、説明をマスターに伝えなければという思いと、安堵のみが検出されています。

 

 

「痛みは無いのか」

「うん。痛み止め、ちゃんと効いているみたい」

「そうか……いや、本当に……こう言っては何だが、この程度で終わって本当に良かった……」

「ううん、私もこれで済んで良かったって思ってるわ。もう少しで大変なことになってたって聞いた時は、流石に驚いちゃったけど」

「当たり前だ……こんな時まで呑気でどうするんだお前は」

 

 

 ふふ、と笑うスズカさん。とても、片足を吊るされているとは思えません。私が物語で見たウマ娘は確か、絶望に塗れたような表情をしていたと記憶にあります。しかし、スズカさんは違います。表情にも余裕が見えますし、真意は解りません。

 

 

「それよりトレーナーさんが気になるわ。滑って落ちるなんて、そんなことある?」

「衝動というのは恐ろしいものだな。愛されているようで何よりだ」

「でしょう? 私のことが大好きなのよ、トレーナーさんは」

「はぁ……」

 

 

 ため息を一つ、エアグルーヴさんが立ち上がりました。どうやら、一度トレセンに戻るようです。マスターの意識回復によっては、エアグルーヴさんやスペシャルウィークさんに生活用品を頼まなければなりません。私でも良いですが、現状仮にもスズカさんの身内と呼べるのは私だけなのであまり離れないように、と言われてしまいました。

 

 

「大人しくしているんだぞ、スズカ」

「もちろん。私を何だと思ってるの、エアグルーヴは」

「たわけだ」

 

 

 そう言い残して、エアグルーヴさんが部屋から出ようとしたときでした。はたと足が止まります。遠くの方から、凄い勢いで走ってくる足音。これは人間の、少し小柄ですから女性か子供と判断。

 

 

「エアグルーヴ、ドアから離れた方が良いかも」

「……のようだな。しかし病院を全力疾走とは……奴は何歳だ」

「怒らないであげてね」

「……まあ、また今度にしよう」

 

 

 そう言って、エアグルーヴさんが病室の陰へ消えていきます。足音は病室の外で止まり、そして、勢いよく扉が開かれました。

 

 

「スズカッ!!」

 

 

 やはり、マスターです。病院着ですし、頭に包帯も巻かれていますが、ここまで走ってこられたということは、健康に別状は無かったのでしょうか。そのまま部屋に飛び込み、ベッドの横まで近付いてきます。そのまま、スズカさんに縋るように乗り出しました。

 

 

「スズカ、け、怪我は……」

「え、えと、こ、骨折って……」

「っ……ぅ、ぅえ……」

 

 

 蹲り、マスターがえずいてしまいました。咄嗟に近くにあったゴミ箱を手に取ります、ですが、そのままマスターは頭を床に着け、背中を震わせながら絞り出すように言葉を発しました。

 

 

「ごめんッ……ごめんスズカ……本当にごめんなさい……申し訳ありません……私の、私のせいで……こんな、スズカが、スズカに……」

「と、トレーナーさん、あの」

「私がもっとちゃんとしてれば……スズカのこと、見てあげてれば……こんなことには……」

「え、えと、その」

「私、最低だ……ごめん、ごめんねスズカ……」

「はあ……」

 

 

 マスターのこんな姿を、初めて見ました。思考、エラー。マスターが、スズカさんに、泣いて謝罪を行っています。地に頭を擦りつけたまま、しゃくりあげ、嗚咽交じりに叫んでいます。

 

 私もスズカさんも、何を言うべきかが解りません。見かねたエアグルーヴさんが出てきて、棚にあったティッシュの箱を取り上げました。そのまま、蹲るマスターの背中を思い切り打ちます。

 

 

「この……愚か者!」

「いっ……」

「スズカが困っているだろう。騒ぐだけなら邪魔だから出ていけ。お前もトレーナーならすることがあるんじゃないのか」

「っ……ご、ごめん、エアグルーヴ……」

 

 

 顔を上げ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったマスターに、そのままティッシュが差し出されました。痛みで落ち着いたのか、マスターはある程度顔を拭き取ると、枕元に膝で立ってスズカさんの頬を両手で挟みました。マスターが時々行う、謎の行為です。私の知る限り、最もマスターが真剣な表情になる行為です。

 

 

「スズカが……走れない……」

「え? あ、ええと……はい、もちろんそうです……けど」

 

 

 スズカさんの一言に、またマスターの目から涙が溢れました。

 

 

「ごめ……ん……そんな……」

「そ、そんなに泣かないでください……その、確かに残念ですけど、でも」

「だってスズカ、走れないんだよ……私のせいで、スズカが走れなく……なって……」

「だ、大丈夫ですから……そりゃ走りたいですけど、でも……」

「絶対、私にできることは全部するから……! スズカが走れるように、絶対に……」

 

 

 はっとスズカさんが気付いたような顔をしました。そして、また少し笑って、呆れたようなエアグルーヴさんに手で合図を出します。

 

 

「じゃあ、治ったらきっと走りますね。どこまでも走っていきたいです」

「うん……! 好きに走って良いから……だから、スズカ……」

「楽しみです。今からだと大阪杯とかになるのかしらね、エアグルーヴ」

「……バカを言うな。どこの世界に復帰してすぐG1を走る奴が……いや、とても身近に二人いたか」

「え……す、スズカ……?」

 

 

 ……なるほど、二人でマスターをからかおうということでしょうか。確かに、ジョークで緊張が和らぎ、落ち着いて話ができるかもしれません。ここは私も何か言うべきでしょう。

 

 

「マスター。スズカさんは今年の終わりまでに足に改造手術を施し、来年は私と同じサイボーグとして生まれ変わります。通常の三倍で動くことが期待できます」

「……?」

 

 

 失敗しました。

 

 

「……失礼しました。マスター、スズカさんは全治三か月、そこからリハビリが長引いても、来年の春には復帰が可能です」

「え……は、走れないって……」

「ちゃんとお話は聞かなきゃダメですよ? 少しの間だけです。安心ですね、トレーナーさん?」

 

 

 これが……羞恥心……? バッドステータス、『滑った』……? 

 

 

「よ……かった……スズカ……」

「はい。良かったです。だからそんなに泣いちゃダメですよ? それに、さっき言質取りましたからね。治ったら好きに走って良いって。ふふ、どうやって走ろうかな……」

「ふっ……スズカ、お前はいつまでも学ばないな。お前のトレーナーがそんなことを」

「うん……たくさん走ろうねスズカ……好きに走って良いからね」

 

 

 ぴたりと私達の動きが止まります。マスターの顔が見えません。俯いて、スズカさんの手を静かに取りました。スズカさんの瞳孔が僅かにぶれ、表情が固まりました。

 

 

「どうやって走りたい?」

「え、うーんと……そうですね、あんまり、ここっていうのは無いですけど……」

「好きなことを言ってね。日本一周でも世界旅行でも、必ず連れていくからね」

「本当ですか? 良いこと聞いちゃいました。ふふ、楽しみです」

 

 

 ログに無いやり取りが行われています。マスターも混乱中なのでしょうか。元々マスターやスズカさんの言動を予測できたことなどありませんので、そう驚くことではない……かもしれません。

 

 

「……まあ、何だ。とりあえず医者の所へ行ってこい。お前の容態の話もあるのだろう」

「あ……そうね。ありがとうエアグルーヴ。もう少しいてくれると助かるわ」

「まあ……別に構わんが」

「うん……じゃあスズカ、すぐに戻るからね」

「はい、行ってらっしゃい、トレーナーさん」

 

 

 手を振って、マスターを見送るスズカさん。そして、マスターが部屋から出ていくと、ふう、とため息をついて、僅かに首を傾げました。それを見て、エアグルーヴさんが口を開きます。

 

 

「……すまない、スズカ」

「何、突然?」

「いや……」

「トレーナーさんのことなら気にしないで。私のことも。心配してくれるのは嬉しいし、味方になってくれるって言うのも心強いけど……」

「しかし、私はお前の背中を」

「エアグルーヴ?」

 

 

 エアグルーヴさんの言葉を遮って、スズカさんが非常に強い語気で言いました。直後の言葉にはそれはありませんでしたが、しかし、確かにスズカさんが……これは、ステータス『怒り』……? ですが、私の知るそれとはかなり違うような感覚があります。

 

 

「あなたも勘違いしてない?」

「……」

「私は自分で決めて走ったの。エアグルーヴのためでも、トレーナーさんのためでもなくって」

「……だが」

「いつもみたいにしてほしいの。速くなりたくて無茶をして、怪我をした私を叱ってほしいの」

「……スズカ」

「良いから」

「……そうか」

 

 

 一言だけ残して、エアグルーヴさんはそれきり日常会話に戻っていきました。お二人の考えは依然解りませんが、スズカさんが望んでいるのであれば、それが良いのでしょう。私も何も言わず、普段通り、スズカさんの横に座っていました。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 スズカさんの負傷から一週間が経ちました。

 

 この間、チーム・エルナトは非常に忙しく動いていたみたいです。私もできるだけスズカさんの隣には居たいけど、私は私で菊花賞に向けてトレーニングをしなきゃいけないので、あんまりお見舞いには来られていません。スズカさんのトレーナーさんも、あんまり来られていないそうです。それにしてはいつもブルボンさんはいて、眠そうにしていますけど。

 

 

「もう菊花賞ね……スぺちゃんは大丈夫?」

「はいっ。調子は良いし、トレーナーさんからも十分仕上がっていると言ってもらえましたから!」

「これで勝ったら二冠だもんね。日本一にまた近付くわ」

「むむ……スズカさんに勝てるまで日本一なんて言えないって言いましたよね。意地悪してますか?」

「ふふ。ごめんなさい。でも、それじゃいつまでも日本一になれないから撤回したら? って言ったわよね?」

 

 

 スズカさんは怪我をした後も何も変わっていなくて、本当に良かったです。こういう話になるたびに絶対に勝つんだって気持ちになって、トレーニングにも本気になれます。やる気に満ちますね。

 

 一方で、スズカさんのトレーナーさんは変わってしまった……というか、私は事故があってからほとんど会っていないんですが、どうやらかなり忙しくしているみたいです。取材とか記者会見とか、理事長さんとのお話とか……あんまり病室にも来られていないって話です。

 

 幸運なことに……って、私が言うのもおかしいですけど、幸運なことに、世間からスズカさんのトレーナーさんへの反応はそこそこ温かいようです。この前エアグルーヴさんに会った時教えてもらいました。トレセンやURAは、スズカさんの怪我を運命的な悲劇として大きく取り上げることで二人を守ろうとしたらしいです。それに、お二人が何度もかかったお医者さん、私も一度診てもらった方で、めちゃくちゃ凄い方らしいです。その他にも色んなお医者さんが、原因は全く解らない、前触れもなかった、と発表したらしくて。

 

 良くない憶測もあるみたいですけど、とにかく、スズカさんのトレーナーさんがトレセンを辞めるようなことにはならないだろうと私のトレーナーさんも言っていました。

 

 

 私にも何度か変な人から取材の申し入れがありました。いつもならトレーナーさんが勝手に断ってくれるんですけど、今回はスズカさんを守るためにも、と、ずっと元気だったということを話しました。本当にレース以前のスズカさんには何の不調も無かったらしいですし、むしろ調子が上がっていたので、それについては本当に解りません。

 

 

「でも、今回もスカイさんが出るんでしょ? どう?」

「どう……うーん……私のトレーナーさん曰く、距離が長いので後ろからの私の方が有利って言ってました。でも、スカイさんはああ見えて色々考えてて、今回も作戦を練ってくるかもしれないです」

「まあ、そうね……あんまり、作戦についてはスぺちゃんにアドバイスはできないけど……」

「……スズカさんがレースの作戦でアドバイスしてくれたこと、ありましたっけ?」

「スぺちゃん……? どうして突然辛辣になったの……?」

 

 

 いや、まあ……スズカさんは速いし、見習うところも多いし、心から尊敬してるんですけど……真面目なアドバイスとか相談はちょっと……菊花賞で逃げ切る作戦とか聞いたら、速く走れば良いとか言うでしょ。

 

 

「じゃあ、菊花賞で逃げ切るために何してくると思います?」

「え? えー……お、追いつけないくらい速く走れば……」

 

 

 ほらね。スズカさんにレースの走り方については聞かないようにしています。あんまり意味無いので。逆に心構えとかは見習わなきゃいけないんですけど。

 

 

「そう言うと思ってましたもん」

「うそ……むむ……」

「それに、そんなことスズカさんにしかできないですよね?」

 

 

 スカイさんがそんなことして来たらもう……まあ、それはそれでなんかわくわくしますけど、そういうのはスズカさんで十分なので……

 

 

「スズカ? ごめんね、遅くなって」

「あ、トレーナーさん」

「あ、こんにちは、お邪魔してます」

「あらスペシャルウィーク。ありがとうね。こんにちは」

 

 

 話しているうち、スズカさんのトレーナーさんがブルボンさんを連れて入ってきました。何かスズカさんが頼んだのか買い物袋を持っています。ブルボンさんはそのままとことこと歩いていき、スズカさんの枕元、窓際の席に座りました。いつもながらすっごく眠そうですね……

 

 

「調子はどう? 痛くない?」

「はい。全然平気です」

「そう。これ、甘いもの買って来たから……スペシャルウィークもどうぞ」

「良いんですか!? わぁ、ありがとうございます!」

 

 

 ありがたく……大福ですね。大福をいただき、スズカさんと一緒に頬張ります。うん、美味しい! じゃなかった、一応席を退かないと。スズカさんの枕元には、流石にトレーナーさんがいるべきですよね。

 

 

「ああ、良いよスペシャルウィーク。すぐに出なきゃいけないから」

「そうですか?」

「うん」

 

 

 立ち上がった私を引き留め、トレーナーさんは窓のブラインドを開きました。かんかんの秋晴れが、病室に差し込みます。

 

 

「今日は良い天気よ、スズカ」

「ですね」

 

 

 ……最初に見た時は、なんか少しやつれてしまっているようで心配だったんですが……ただ疲れているだけでしょうか。伸びをするトレーナーさんは、前に見た時とあんまり変わらないような気がします。

 

 

「こんなにお天気だと、走りたくなりますね。こっそり走りに行っちゃいましょうか」

 

 

 ……いつものが始まる前に部屋から出ておこうかな。いや、微笑ましい感じがして良いんだけど、ほんのちょっと気恥ずかしいというか、やり取りをブルボンさんがじっと見ているのも不思議な気持ちになるし、それに、

 

 

「看護師さんに怒られちゃうかもね」

「……じゃあ止めといた方が良いですね」

「そうよ。治ったら好きに走れるんだから」

 

 

 ……おや? 

 

 

「ふふっ。ですね。楽しみにしておきます」

「ん。じゃあごめんね、もう行くから。次来るときは長めにいられると思うから、またその時ね」

「はい。楽しみにしてますね」

 

 

 私が黙っている間に、忙しそうにスズカさんのトレーナーさんが出て行ってしまいました。私の勘違いでしょうか? なんかこう、は、始まると思ってたんですけど……

 

 

「……はぁ」

「あの、スズカさん? その……え? どうしたんですか?」

「うーんと……うん、まあ、あんまり気にしなくて良い……かな。どうすれば良いか、私も考えてるところなの」

「はあ……」

 

 

 スズカさんが少し俯いて、目を閉じました。指先だけで胸を撫で、前に垂れた髪に触れます。ぴこぴこと耳が揺れて、流し目を私に向けました。

 

 

「……スぺちゃんは」

 

 

 ぽつりと呟きます。

 

 

「私が作戦を考えたら手伝ってくれる?」

 

 

 スズカさんがいつになく真剣な顔をしています。少しびっくりしました。二人とも、やっぱり何かおかしいです。話していればスズカさんは普通ですけど、でも、こんなに真面目に言われたのは初めてです。何度か併走を頼まれたことも、トレーナーさんを説得するのを頼まれたこともありますけど……どっちも、走ることで頭がいっぱいな感じでしたし。

 

 

「……スぺちゃん?」

「あ、は、はい」

 

 

 でも、何にせよ私が言うことは一つです。私の憧れ、最強のウマ娘、スズカさん。スズカさんには元気でいてほしいし、いてもらわないと困っちゃいます。いつかスズカさんにも勝たないといけないんですから。だから、私は覚悟を決めてスズカさんの手を取りました。

 

 

「何でも言ってください。スズカさんのためなら私、何だってやりますから!」

「……ありがとう。じゃあその、行ってほしいところがあるのだけど。これ、渡してくれる?」

 

 

 そう言って、スズカさんが枕元からメモを取り出しました。それを受け取って、一度読もうとした私を、こら、とスズカさんが止めました。

 

 

「見ても良いけど、トレーナーさんには内緒ね」

「は、はい!」

 

 

 部屋を駆け出します。トレーナーさんが帰ってくる前に、渡して帰ってこなきゃ……!



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あなたに向けて、サイレンススズカ

一話増えました。


 

 十一月二十日、記録者、ミホノブルボン。

 

 スズカさんの事故から一か月が経とうとしています。回復の具合が良くなく全治までの期間は少し伸びるとのことですが、しかし、脚の吊り下げ固定は終了し車椅子での活動は解禁され、スズカさんも自分一人でトイレや入浴が可能になっています。

 

 さらに、先週からマスターも通常通りの業務に戻っているようで、私とマスターはトレセン学園でのトレーニング後、スズカさんの病室で過ごし、夜になるとマスターだけが残り、スズカさんが眠った後に帰宅するというのを繰り返しています。

 

 

 ……ですが、スズカさんとマスターの会話は、感情や心に疎い私でも解るほど、普段と大きく違っています。会話量そのものは事故の前から比較して約二十パーセントほど増加しているものの、身体的接触は七割減、スペシャルウィークさんが「いつもの」と称していた会話群に関しては一度たりとも行われていません。

 

 少しずつ、マスターの足音が軽くなっています。体重測定は目視では行えませんが、生活リズムから推測するに、睡眠時間、食事量ともに不足していると考えられます。

 

 

 ですが、それも今日まで、と、スズカさんは言いました。

 

 

「……そろそろかしら。うん……そうね。じゃあブルボンさん、お願いね」

「はい。お任せください。必ず遂行します」

 

 

 本日、マスターはトレセンから二キロほどにある都内のアパートに宿泊しており、トレセンからの指示があるまで外出禁止が言い渡されています。悪質な記者が接触を図っているという報告がトレセンで挙がり、その対策として一時的に身を隠しています。

 

 ですが、これはあくまでスズカさんが事前に決めたものです。二週間前のこと、スズカさんはお見舞いに来たたづなさんに声をかけ、作戦の全貌を話していました。

 

 ……私が肝心の作戦の全貌を聞いたのは今日のことですが。仕方ありません。ここに毎日来ることを決めたのは私ですが、常に体力を大幅に消耗し、十文字以上の会話を処理するだけの余力が残っていません。

 

 

 

 

 

『……なるほど……それは……』

 

『お願いできませんか……? たぶん、今のトレーナーさんは話なんて聞いてくれないと思うんです。何を言っても、自分を責めちゃうだけですから』

 

『そうですね……確かに、イベントの枠は今から変更……できますが』

 

『では』

 

『ですが、この直前の告知で人が集まるかどうか……それに、詳しいことはURA上層に話を通してみないことには……』

 

『お願いします』

 

『……解りました。最善は尽くします。待っていてください』

 

 

 

 

 

 私の持ち物は、大きな袋、中身にヘッドホン、目隠し、猿轡、荒縄。ここを出て、バクシンオーさん……には断られてしまったので、ライスシャワーさんと合流することになっています。マスターは平均的体躯の範疇ですが成人です。暴れ出せば危険なので、確実に二人で運びます。

 

 

 そして、マスターのいるアパートにはマルゼンスキーさんが車を用意している手筈です。スズカさんをも霞ませるような強さの逃げウマ娘ということで、いつかお会いしたいと思っていましたが、このような形とは。事前の打ち合わせでの言葉の三割は理解できませんでしたが、作戦は共有されています。

 

 

「お待たせしました! すみません、少し遅れました!」

「スぺちゃん。ううん、大丈夫。ちょうど今からだからね」

「ふぅ……すみません、じゃあ行きましょう! 看護師さんにはもう言ってありますか?」

「もちろん。よいしょ……」

「スズカさん! 私がいるときは抱えますからって言ってるじゃないですか!」

「一人でできるって何度も言っているのだけど……」

「何かあったら大変でしょう! さあ!」

 

 

 スズカさんは、今到着したスペシャルウィークさんに連れられトレセンに向かいます。本日、秋のファン感謝祭が行われており、かなり賑わっておりますので、こちらもスペシャルウィークさんのトレーナーさんが車を用意してくれています。

 

 そして、準備は向こうで行うことになっています。詳しいことは解りませんが、スペシャルウィークさんを通してキングヘイローさんに連絡を取り、何か頼みごとをしていました。了承した際のキングヘイローさんの感情の入り混じった顔が忘れられません。

 

 

 

 

 

『と、いうわけなんだけど……もちろん、お金は払うわ。でもその、全然知らない方に急ぎのものをっていうのは少し気が引けて……せめて、知り合いにと』

 

『え……えぇ……わ、解りました……ほ、本人でなくとも、知り合いに当たればきっと何とかなるはずですから……』

 

『……あの、無理ならいいのよ、制服とか、勝負服とか、色々あるし……』

 

『い、いえ! 大丈夫です、スズカ先輩にはお世話になりましたし? おかげさまで今も心から頑張れているところもありますし……こ、こっちの事情です……』

 

『本当に、無理しないで……? 声裏返ってるし、汗も酷いわ』

 

『大丈夫って言っているでしょう!? わ、私はキングよ! 大丈夫、私は大丈夫……ちょっと電話するだけだもの、び、ビビッてなんかないんだから……あっ、す、すみません、つい……』

 

『本当に大丈夫……?』

 

 

 

 

 

 

 

 両親に連絡するだけで何を怯える必要が……? 

 

 

 病室から病院を出て、正面入り口付近で座り込んでいるウマ娘を発見します。ライスシャワーさんです。デビューは私と同年であり、来年は恐らくクラシックを争うことになる方です。

 

 私がアルテミスステークスを勝った三日ほど後から、定期的に私を背後から眺めていることがあります。振り向くといなくなってしまい、追いかけるに至る前に逃げられてしまいます。自己分析により、私やスズカさんのような逃げウマではないかという推測が立っています。

 

 

「ライスさん」

「ひゃっ、は、ははははいぃっ! ライスシャワーですっ!」

「知っています。今日はありがとうございます」

「う、うん……それで、結局何をするの……?」

 

 

 見られたところで不快ではないので放置していたため、こうして正面から話すのはそう多くありません。ですが、複数人での会合で同じ空間に存在していたことはありますし、バクシンオーさん曰く「ブルボンさんは超有名人ですから!」とのことですから、私のことは知っていました。

 

 

「はい。今日はこれから、こちらのメモにあるアパートに向かい、私のマスター……トレーナーと合流します」

「うん」

「その後、マスターをこの袋で拉致し、目隠しとヘッドフォン、猿轡を装着した後トレセンへ連行、生徒会室へ連れ込むのが最終ミッションです」

「……ごめんねブルボンさん。もう一回言ってもらえる? ライス、ちょっと耳が悪くなっちゃったかも。その袋で、何?」

「ですから、この袋でマスターを拉致し、生徒会室まで運びます。移動手段は確保しておりますのでご安心ください」

「……ら、ライス、帰るね」

「待ってください。私一人ではホテルにたどり着けない可能性があります。携帯電話が扱えるという意味でも、ライスさんに帰られるわけにはいきません。安心してください。マスターがこの件で私達を訴えることはありませんし、仮に怒られてもトレーニングが減るだけです」

「言ってる意味が解らない……! あっ、ひ、引っ張らないで、行く、行くから……心の準備だけさせて……!」

 

 

 こうしてライスさんを説得し、私達はマスターの部屋へ向かったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お願いできる?』

 

『そうだな……人を集めるのはできるだろう。これだけの特典があればな。よくURAもこれを許可したものだな』

 

『ふふ、変に話題になるのも助かることがあるのね』

 

『まあ、解った。とにかくこっちの手配は任せろ。推薦したいウマ娘がいれば聞いておくぞ』

 

『ん? うーん……別にいないかな……』

 

『そうか……なあ、スズカ』

 

『どうしたの?』

 

『……本当に大丈夫か?』

 

『大丈夫よ?』

 

『……何かあれば私のところに来い。話くらいは聞ける』

 

『……うん』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マスターのいるアパートにたどり着きました。ドアに耳を当て中の様子を窺います。好都合なことに、ちょうどトイレの水を流す音が聞こえました。これから拘束するのでいいタイミングです。ライスさんに合図を出し、彼女がドアノブをゆっくりと掴みます。そして、首を振りました。どうやら鍵が掛かっているようです。

 

 

「どうしよう、ブルボンさん……」

「……ミッションに変更はありません。マスターは必ず拉致します」

「じゃあ、一旦チャイムを鳴らして、開けてもらってから、事情を話して……」

「それでは拉致ではありません。スズカさんより、マスターとの会話は拒否するように言われています。マスターに指示を受けた場合、行動を停止する必要が発生します」

「……でも、別に拉致にこだわることもないんじゃ……鍵も開いていないし」

「私に考えがあります」

 

 

 ドアノブを掴みます。施錠を確認。一般的なドアノブに鍵が付随しているもののようです。価値を算出。問題無く、私の所持金でも払うことができます。再びライスに合図を出し、袋を構えさせてから、そのまま、思い切りドアノブを捻りました。

 

 

 バギッ! 

 

 

「鍵が開きました。突入します」

「ひぃっ……む、むちゃくちゃだよぉ……っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……と、いうことなのですけど』

 

『うん……話は解った。足止めしかできないのが歯痒いが……君のトレーナーは私が預かろう』

 

『ありがとうございます、会長』

 

『やめてくれ。生徒会長として片棒を担ぐなんて洒落では済まないスキャンダルだよ』

 

『……すみません?』

 

『謝らないでくれ。だから私は、シンボリルドルフとして……可愛い後輩であり、将来のライバルである君のために動くんだ。一人の才能あるウマ娘を、ここで潰してしまわないためにもね。君のトレーナーはこう言ったことがあるらしいじゃないか。皇帝相手でも、サイレンススズカは勝てるのだと。そこまで言われては、勝負をするまで消えてもらっては困るからね』

 

『……ありがとうございます。でも、私は負けませんよ。トレーナーさんは今も信じてくれてますから』

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、何!? 誰!?」

 

「ミッション完了。ライスさん、目隠しの次はヘッドフォンです。急ぎましょう」

「名前を言ったら意味無いよね!? まだ耳当てしてないんだよ!?」

 

「ぶ、ブルボン!? 何してるの!?」

 

 

 ソファで力無く倒れるマスターを強襲し、目隠しとヘッドフォン、猿轡まで着け、両手両足を縛り袋に入れます。少し大きさが足りず足が出てしまっていますが許容範囲です。多少暴れていますが、言葉を発することが無ければミッション遂行に支障は無いと判断。そのままライスさんと担ぎ上げ、扉を閉めます。

 

 

「ライスさん。しっかり支えていてください。予定では既に……あの車です」

「えっ……あ、マルゼンスキーさん……」

「はぁ~い! チーマー諸君、上手く行ってる~?」

「行きましょう。時間がありません」

「わわっ」

 

 

 階段を降り、マルゼンスキーさんの乗って来た車にマスターを載せます。一般的な乗用車で来ていただいていますので、後部座席にマスターを載せ、私もライスさんと共に挟みます。挨拶から笑顔のマルゼンスキーさんが全てを確認して親指を立てました。

 

 

「パーペキね! 昼だしあんまりスピード出せないけど……ケツカッチンだものね。しっかり捕まっていてね、かっ飛ばすわよ……!」

「急いでください」

「今私、急ぐって言ったわよね?」

「……? 失礼しました。外来語についての語彙は十分ではなく、いくつか理解できない単語が」

「ちょっと古かったかしら……もう! 舌噛むから口閉じてなさいな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

『はい! これ、一応完成したよ!』

 

『ありがとう、ファルコン先輩。まさかこんなに早くできるなんて……』

 

『ううん! 先生も言ってたよ! 元々がとっても良かったから、合わせて作るのはすっごく簡単だったって!』

 

『でも、それを作ったのはファルコン先輩ですし……私だけじゃ、形には』

 

『それは違うよ、スズカさん』

 

『え……』

 

『人の心を動かすのは形じゃないよ。心だと思う。何か強く伝えたいことがあって、伝えるんだって、何か強く心を動かしてほしいんだって、そういう心が大事なんだよ。ファル子はそれっぽくしただけ。あくまでスズカさんが作ったんだって、そう思っていないと力にならないよ』

 

『……そういうものですか?』

 

『うん!』

 

『……今度、ミニライブの件、ちゃんと考えさせてください。予定、空けるので』

 

『ほんと!?』

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちは。マスターをお連れしました」

「ああ、話には聞いている。生憎会長は少し外していてな。確かに受け取った……軽いな。終わったらちゃんと飯を食わせてやれよ」

「はい。そのように言っておきます。あとはよろしくお願いします」

「え? あ、う、うん……あの、これから何が起こる……んですか、ナリタブライアンさん……」

 

 

 生徒会室にたどり着き、変わらず動き回るマスターを差し出します。外で行われている大々的なイベントの影響で、ここまであまり見付からずに運べました。引き渡してオーダー完遂です。十全に遂行することができました。作戦終了後、スズカさんにしっかりと報告しなければ。

 

 ですが、遂行にあたってはライスさんの協力は不可欠でした。アパートへ向かう際、恐らく一人では迷っていたでしょう。お礼を伝えておくと、困惑した表情を返されました。

 

 

「さあ? 私は何も聞いていない。強いて言えば会長はとても楽しみにしていたぞ」

「ええ……?」

「ライスさん。お手伝い、改めてありがとうございました。良ければ今夜、夕食をご馳走します」

「え……い、いいよ、ライスは別に……」

「いえ、ライスさんの手助けが無ければミッション遂行は果たせませんでした。助けられた時は必ずお礼をするようにと、お父さんにもマスターにも言われていますので。私個人も、ライスさんにお礼がしたいと感じています。ライスさんのおかげですから」

「ら、ライスのおかげ……じゃ、じゃあちょ、ちょっとだけご馳走になろうかな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

『スズカさぁん!』

 

『わわっ……びっくりした……どうしたの、フクキタル』

 

『何かこっそりしているらしいじゃないですか! 水臭いですよ! 何か手伝えることはありませんか!?』

 

『えっと……うーん……無い……かな』

 

『ガーン……そ、そんな……』

 

『……あ、でも』

 

『何かあるんですか!?』

 

 

『……これが上手くいって、トレーナーさんが戻って来てくれるかどうか……それだけ占ってくれる?』

 

『……お任せください! 手相、タロット、四柱推命! 占ってしんぜましょう! なんでもござれですよ! 安心してください! 絶対にいい結果を出してみせます! 大大大吉間違いなしです! 私の有り余る幸運をスズカさんにも分けて差し上げます! 絶対上手くいきますよ! ね!』

 

『ふふっ……占いって、そういうものだったかしら?』




次回、天皇賞編閉幕。


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あなたに捧げて、サイレンススズカ

 その日、私は生徒会室に運ばれていた。

 

 スズカの事故から時間も経ち、私の仕事は平常に戻っていた。これまでは本当に忙しかった。忙しかったといっても、その内容は結局はどれも私の身を守るようなもので、スズカのためのものではないから、文句を言うような立場にはないんだけど。

 

 色々なところに飛び回り、直接ではないが様々なメディアに出演させられた。責任から逃れろとトレセンが私に言うのだ。スズカのそれから逃げることはしたくなかったけど、私にはまだブルボンがいる。この事故が起こってもなお、まだ私のトレーニングをやってくれるブルボンを誰かに託すわけにもいかない。私がバッシングを受けることは良くても、それが原因で辞めることになれば放り出されるのはあの子だ。

 

 

 それに、トレセンも私を放しはしないだろう。私の能力は把握しておらずとも、私の実績はあまりに大きくなり過ぎた。変わらずウマ娘を見れば全てが表示される目は、今も正常に動き続けている。

 

 スズカの怪我を予想できなかったものの、それは他のお医者様と何も変わらない。目がおかしいというより、私の勘が冴えていたのかもしれない。あるいは、あの時のスズカは既にウマ娘として行ってはいけないところに足を踏み入れていたか。

 

 

 トレセンは私を全力で守っていたし、私もとにかく何かやらなければならないという一心でそれに従っていた。今のところ、私に悪意が向けられることは無くなってしまっている。

 

 今日も、悪質な記者が秋の感謝祭に紛れてくるというリークがあり、トレセンが用意したアパートに一時避難をさせられていた。監視や警備も多少つけているとのことで、私でなくスズカにつけろと苛立ちながらも鍵を掛けてじっと部屋で大人しくしていた、のだけど。

 

 

「な、何!? 誰!?」

 

 

 突如として玄関から鈍い音が響き、とたとたと軽い足音が入り込んできた。私が侵入者を確認する前にうつぶせに組み伏せられ、目隠しを装着させられる。

 

 どう抵抗しようとしてもどこも動かせないほどの理不尽な力は、明らかにウマ娘のそれだった。

 

 

「ミッション完了。ライスさん、目隠しの次はヘッドフォンです。急ぎましょう」

「名前を言ったら意味無いよね!? まだ耳当てしてないんだよ!?」

 

 

 そして、聞こえてきたいつもより少し弾むような愛バの声。もう一人誰かいるけれど、とにかく、私を直接押さえつけているのはブルボンだった。

 

「ぶ、ブルボン!? 何してるの!?」

 

 

 私の言葉も虚しく手足を縛った後ヘッドフォンを着けられ、猿轡まで噛ませられた。そのまま何かの中に入れられ、どこかに運ばれている。

 

 何をしているの。というかブルボンはスズカのところにいるんじゃなかったの。今スズカは一人ってこと? 意味が解らない。どうして自分の担当にこんなことをされているんだろう。

 

 

 そこそこ丁寧にどこかに寝かされ、そこからしばらくゆっくり、小刻みな揺れが続いた。車か何かだろうか。寒さは無いし感触はそこそこ柔らかい。普通に座席に乗せられたな。

 

 

 ブルボンが仮に突然私を嫌いになっても、こんなことをするとは思えない。ブルボンはたぶん、この間夢で見たみたいに、無言で書きあがった契約解除書類を置いて出ていくだろう。それが一番効率的だからだ。

 

 こんな手段はブルボンでは思いつかない。もう一人、ライスと呼ばれていたウマ娘の入れ知恵だろうか。聞いたことはある。確か……そう、ライスシャワーだ。どんな子かはあんまり覚えてないけど、こんな子なの……? ブルボンの友達、どうなっているの。

 

 

 困惑しているうちに、また持ち上げられる。こんどは運搬スピードが速い。そこそこ急いでいるのだろうか。そして、少し経って、誰かに引き渡された。米俵みたいに肩に担ぎ上げられ、乱暴に柔らかな何かに放り出される。

 

 

 逃げる……逃げる? どうやって? ウマ娘から逃げられるわけがない。ここがどこだかは解らないけど、室内のはずだ。扉から出なければ逃げられない以上、そこを塞がれたら人間に太刀打ちはできない。

 

 何をされるのか、ブルボンは何がしたかったのか。そんなことをしている間に時間は過ぎていき、いい加減猿轡で吐き気を催してきた頃、私は袋から出された。

 

 

 手足が解放され、ヘッドフォンと猿轡がほぼ同時に無くなった。

 

 

「どうしたのブルボン。私に何か不満があるなら」

「ああ、すまないエルナト・トレーナー。ブルボン君なら今はいないよ。今頃、友人とカフェテリアかどこかにいる」

「……シンボリルドルフ」

「……そう怯えた声を出さないでほしいな。私だって人並みに傷付く」

 

 

 自分の手で目隠しを外す。ちかちかと目を差す人工的な光源の下、私が寝転がっていたソファの向かいに座る彼女は、ウマ娘の長と言っても過言ではない、トレセン学園現生徒会長、シンボリルドルフだった。

 

 悠然と、いつもと同じどこか達観しているような、それでも希望に満ちた表情で生きている。

 

 

「……突然どうしたの。呼び出すなら言ってくれれば自分で来るのに。わざわざブルボンにこんなことさせなくても」

「すまない。トレセンには完全防音の部屋が少なくてね。本当は生徒会室に来てもらわなくても良かったんだが」

「どういうこと? あなたが私を呼んだんじゃないの?」

「私じゃないよ。むしろ逆さ。私は雇われの身だよ。報酬は甘いパフェと心躍る勝負……を、予定している。どんなウマ娘も逆らうことはできないね。私もやっと我、に返ったところだ」

「……意味が解らないわ」

「……今のはそこそこ解りやすいつもりだったんだけどね」

 

 

 シンボリルドルフ生徒会長は学生でありながら、持っている権限なんかはもはや我々トレーナーや教師より上と言っても過言ではない。本人の実績もあり、賢く高潔なウマ娘だ。それに、ウマ娘のことを第一に考えるというのは伊達ではない。自分の人生をウマ娘のために捧げられる存在だからこそ、シンボリルドルフ。あの気難しいエアグルーヴが手放しで尊敬し、一匹狼なナリタブライアンが頭を下げる存在である。

 

 そんな彼女が私を呼び出したのなら、間違いなく『お話』だろう。それも、私の望む形での。だけど、そうではないと言う。彼女はあくまで冷静で、特に会話を始める気も無いのか、ポットからお茶を淹れて私に差し出してきた。

 

 

「どうぞ」

「……ありがとう」

 

 

 連行の間、そこそこ寒かった。温かいお茶が骨身に染みる。シンボリルドルフも一応大人の私がいるのにも関わらず、ソファへの座り方はとてもラフだ。このまま黙っていれば何も言わず時が流れるんじゃないかという不気味な沈黙が流れていた。私って、こんなに沈黙に弱かったかな。

 

 

「それで。誰に言われたかは解らないけど、何か言いたいことがあるから連れ出したんじゃないの?」

「言いたいこと? 無いとも。私の立場であなたに言えることがもしあるなら、何の効果もない慰めの言葉くらいだ」

「……どうして。あなたはウマ娘第一主義でしょう。みすみす担当を怪我させた私を責めるべきじゃないの」

「それは今のところ考えていないよ。何度も言うが私の立場から……いや、シンボリルドルフ個人からしても、あなたを責めるつもりはない。あなたに責められる謂れが無いし、私個人に義憤も無いからだ。あなたももっと簡単に考えた方が良いと思う」

 

 

 少し困ったように笑いながら言うシンボリルドルフ。呑気に湯呑を置いて、ふう、と一息つくその姿に、そして、その言葉に、かちん、と目の前が赤くなるような気がした。

 

 

 

「違うでしょうシンボリルドルフ。そうじゃない……私には責められるべき理由と事実がある」

 

 

「私はあの子の、スズカの担当トレーナーなの。あの子の怪我は私のせいと言えば良い。責めるべきところならいくらでもあるでしょう? いくらだって何だって言える……!」

 

 

「私を見てよ! スズカにみすみす怪我をさせて、それでこの二週間私がしたことは何!? どれもスズカのためじゃない! 全部全部私のためのこと! 私が傷付かないための、私を守ることしかしていなかった! あの子を傷つけた私が、全責任を負うべき私が、保身に走って!」

 

 

「いっちょまえに悲劇のヒロインを気取って! 何が痩せたよ! 何が眠れないよ! だから何よ! 誰よりも辛かったのはスズカで! 誰よりも痛かったのはスズカじゃない! 私じゃない! なのに、なのになのになのに! それでスズカを放って自分のために走り回っている私が、責められる謂れが無いなんて!」

 

 

「私には解っていたの! あのまま走ればスズカに何か良くないことが起こるって! それでも止めなかった! スズカの優しさに甘えて、スズカのためと言い訳をして、それによって起こる責任から逃げたんだ! いくらでもやりようはあった! 何度も何度も何度もスズカを縛り付けておいて、それなのに、突然にあの子の意思を尊重すると綺麗な言葉で誤魔化した!」

 

 

「やめてよシンボリルドルフ! あなたは良いじゃない! あなたが何を言っても私が消えることはないの! 私をあなたが責めても、それで傷付くウマ娘はいないのよ! 好きなように言えば良い! スズカに寄りかかる身分の癖に、そのスズカを傷付けた私を! あなたには責める権利がある!」

 

 

「ウマ娘が第一なんでしょう! だったら怒ればいい! 何をされても甘んじて受け入れるわ! 誰も彼も私は悪くないだの気にしちゃいけないだのふざけたことを! 私に責任が無いはずがない! 私はあの子のトレーナーで、全て解っていて、それで見逃した……だから……こんな……こんなのおかしいのよ……」

 

 

 

「私の役目はあくまで時間を稼ぐことだからね。言いたいことがあれば言うと良い。私に対してでも、そうでなくても。あえて何か言わせてもらうなら……哀毀骨立は人として当然だ。それはあなたの権利だと思うよ。切歯扼腕もさ」

 

 

 ヒステリックに叫び出した私に、まだシンボリルドルフは何も言わない。咳き込んで、テーブルに項垂れる。

 

 

「ねえシンボリルドルフ……スズカの友達も、理事長も、誰も何も言わなかったわ……どうして? スズカがああなってしまったのに、どうして誰も何も言ってこないの……すべての元凶は私なのに……」

 

「人の気持ちは難しいものだよ、エルナト・トレーナー。それぞれに考えがある。勝手に憶測しても、代弁してもいけない」

 

「仇には怒るじゃない、不幸があれば悲しむじゃない……なのに私だけなんで許されているの……? おかしいとは思わないの……?」

 

 

 私が何を言おうと、シンボリルドルフはただ無言で聞いているだけだった。入り口にはいつの間にか、扉を塞ぐようにナリタブライアンがもたれ掛かっている。本当に何がしたいの、みんな。私を拘束して向こうからは何も言わないのは何故? 

 

 

 そのまま、私は何も言われないまま時間だけが過ぎた。そして、突然にシンボリルドルフが立ち上がり、私の湯飲みを取り上げた。

 

 

「……そろそろかな。じゃあ悪いけどトレーナー。もう一度目隠しとヘッドフォンを着けてもらっても良いかな。もう騒いだりしないだろうし、猿轡はいらないだろう?」

「……今度はどこに連れていかれるの?」

「すまないが説明する気は無いし、時間も無い。抵抗するならブライアンが力技で着けさせるが」

「……おい、聞いていないぞ」

「言っていないからね」

 

 

 謎のやり取りが交わされている。でも、流石に逆らうことはできないし、意味も無い。言われた通り目隠しを着け、ヘッドフォンに手を掛けた私の横で、シンボリルドルフは閉じ切っていた窓を開いた。冷たい秋風と同時に、喧騒が舞い込んでくる。トラブルで免除された、ファン感謝祭が行われていた。

 

 

『あっ、あっ……あ! ゴール、今ゴールしましたっ……! ええと……六番さん? 四番さんの方が先だったかしら……ううん、あ、四番さん? 四番さんらしいです。秋の感謝祭、サイレンススズカ杯の一着は四番、ファイネストデイさん。おめでとうございます。え? 何か一言……? ええと……心臓に悪いので、できればもう少し早くスパートをかけてくれるとドキドキしなくて済みます……あっ、こういうのじゃなくて? ごめんなさい、え?』

 

 

「……スズカ?」

「こらこら。良いから耳を塞いでくれ」

 

 

 直後に無理矢理ヘッドフォンを着けられてしまったが、最後に聞こえてきたマイク越しの声は確かに、今も病室にいるはずのスズカのものだった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 次に連れてこられたのは、どこか少し肌寒い場所だった。目隠し越しに光くらいは解る。真っ暗だ。明かりはほとんど無い。でも、座らされた椅子はかなり上等で柔らかい。まるで映画館みたいな、そんな感覚がある。

 

 運び方もかなり丁寧で、たぶんブルボンではなかったんだろう。他の誰かだ。ということは、何人ものウマ娘がこの件に関わっていることになる。まあ、シンボリルドルフが手伝っている時点でどんなウマ娘が出てきてもおかしくはないけど、ここまで大掛かりにして、でも私に何も言わず。水面下で何かをする理由が解らない。

 

 それに、さっき聞こえてきた言葉は何。スズカの声だと気が付いて内容がいまいち入ってこなかったけど、でも、レースの実況……のようなことをしていた気がする。スズカが? そんなわけないと思うんだけど。

 

 

「あっ」

「こんにちは、スズカさんのトレーナーさん」

「スペシャルウィーク? 私を呼んだのはあなた?」

「いいえ。スズカさんです」

「スズカが……?」

「少し経ったら迎えに来ますから」

 

 

 ヘッドフォンと目隠しが外される。暗闇だ。ずっと目を閉じていたからか、何も見えない。目が慣れない。少しずつ、ほんの少しずつ、闇目が利いていくより前に、ぱっと目の前でライトがついた。ここは、どこかの、ホール? 

 

 

「す……ぁ……」

 

 

 その光景に、目を奪われた。

 

 

『……はぁっ』

 

 

 息を吐き出す音がした。ステージ上に、スズカがいる。スポットライトに照らされて、広いステージの真ん中に一人だけが座っている。高めの細い椅子に、お行儀よく座って、マイクを持っていた。

 

 勝負服と同じ、白と緑のスレンダーライン。髪に飾った銀色のティアラ。綺麗に結ばれた栗毛が、いつもより輝いて見えた。

 

 

 

 

『星の海が、広がる空』

 

 

『静寂だけが満ちていった』

 

 

 音楽は静かに、小さく。掠れそうなスズカの声が、ホールに響く。

 

 

 

『優しい夢くれる光』

 

 

『安らぐ刻をくれた闇』

 

 

 観客は私一人。観客席の真ん中に、私が一人。目を閉じて、呟くように。両手で握るマイクが、スズカの唇に近付いていくまで、鮮明に見えた。

 

 

『この世界は美しいの』

 

 

 私はきっと、そう歌い上げて私に向いたスズカの微笑みを生涯忘れない。

 

 

 

『見て』

 

 

 本当に綺麗で、儚い笑顔に、あの時も私は、

 

 

 

 

『良いんですか……? 本当に、私と走ってくれますか……?』

 

『ええ。あなたならきっと誰より速くなれる。自由にやりたいように走ってほしいの』

 

『……私、一人で走っていたいんです。でも、それじゃ勝てないって』

 

『ううん。あなたが譲ることはないわ。あなたが一番速いのだから、好きに走ればいい。それで勝てるように私がしてあげる。あなたがそんなことで悩まなくていいように、私が何とかするから』

 

『……私、負けず嫌いですよ。信じちゃいますよ。私が一番にゴールできるように、あなたが……』

 

『約束する。あなたの走りに惚れたわ。信じてくれていいから、あなたの走りたいように走って。私の前で、誰も追いつけないあなたを見せて』

 

『……はいっ』

 

 

 

 私は、スズカを、

 

 

 

 

『ひとり見上げた夜空』

 

『ただ 静かな世界』

 

『縛るものなど何もない』

 

『心は自由だから』

 

 

 

 聞き惚れ、動けない。着飾って歌うスズカから目が離せない。

 

 

『誰のためでもなくて自分のために』

 

『星に向かって歩いて行こう』

 

『そっと静かに そっと確かに』

 

 

 

 

 

 

『輝く Silent Star』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 歌い終わったスズカと、聞き終わった私。音楽が止まると同時に、二人揃って抱え上げられ、トレーナー室に連れてこられていた。

 

 ソファに座る私に寝転がって、スズカが頭を預けてくる。ひじ掛けにギプスの脚を置いて、ドレス姿のまま目を閉じている。

 

 

「サイレンススズカ杯って、何?」

「第一声がそれですか?」

 

 

 私の手を引いて、勝手に首元に触れさせる。

 

 

「流石に一人のために機材とか、借りられなかったので。レースを開いて、ライブまでの時間をちょっとだけ使わせてもらったんです」

「レースを開いたの?」

「はい。URAも快く協力してくれました。凄いですよね。勝ったら今度の有馬記念で、投票名簿に名前を載せてもらえるらしいですよ。賞金は出ないですけど」

「……凄いわ」

 

 

 こくん、とくん、と、飲み込む音や鼓動を感じる。少しいつもより速い。

 

 

「歌や、ドレスは?」

「ファルコン先輩がウマドルの曲を作ってもらっている方がいるんです。作詞も手伝ってもらいました。ドレスはキングさんのお母さんがデザイナーらしくて」

「……全部、スズカが?」

「そうですよ。何とかできました。たくさん手伝ってもらって、私は、歌っただけですけど」

 

 

 仰向けのまま、すりすりと頭をすりつけてくるスズカ。

 

 

「……後」

「トレーナーさん」

 

 

 遮られた。

 

 

「違いますよ」

「……ごめん」

 

 

 ぱちりと目を開けて、じっと私を見るスズカ。優しく頬を撫でると、くすぐったそうに声を漏らした。

 

 

「ちゃんと見ててくれました?」

「……うん」

「どうやったらトレーナーさんが戻って来てくれるか、考えたんです」

「……うん」

 

「きっと話しても解らないだろうし、トレーナーさんは優しいから、たぶん優しく言われても嫌がると思って」

「……うん」

「もう、塗り潰すしかないかなって。どうでした? 忘れられそうですか?」

「……わかんない」

「トレーナーさんがこんなに私に良くしてくれるのは、私のことが大好きだからですよね? 私の走りが」

「……うん」

 

 

 人間なら耳のあるあたりに手が上り、そのまま解かれた髪束を梳く。

 

 

「でも、私今、走れないので。だから、歌いました」

「……うん」

「惚れ直しました?」

「……うん。綺麗だったよスズカ」

 

 

 良かったです、と、にへらと笑うスズカの頭を抱えて、ウマ耳に触れる。こくりと喉が鳴った。

 

 

「じゃあ、トレーナーさん。私のためでも良いです。トレーナーさん自身のためでも良いです。いつも通りでいてください。叱ってください。それから、いっぱい褒めてください」

「……叱ることなんかないわ」

「ありますよ。だって私、トレーナーさんの言うこと、聞きませんでした。速く走りたくて、走っちゃいました」

「スズカがそうしたかったなら……そうすれば良いのよ。自由に走らせるって、約束したんだから」

「それならもっと叱ってもらわなきゃいけませんね。トレーナーさんを信じるって、私、言いましたから」

 

 

 スズカが手を伸ばす。きゅっと首を抱えられ、ぐっとスズカに近付く。

 

 

「叱れないよ」

「私がそうしてほしいのにですか? トレーナーさんの大好きなサイレンススズカですよ? ほらほら」

「うん」

「……私は私のために走っただけです。トレーナーさんがちゃんと止めても走ってました。勝手に背負わないでほしいです。私が挑戦して、私が失敗したんです。だからトレーナーさんは、勝手なことをするなと、いつもみたいに怒ってください」

「私は、スズカのトレーナーだから、私が止めないと」

 

 

 また手を奪われ、甲でぺちん、ぺちん、とスズカの頬を叩く。

 

 

「……怒っても叩いたことは無いわよ、スズカ」

「でしたね。でも、普通のトレーナーさんはこんなこともしないんですよ」

 

 

 スズカが私の頬を抓った。鼻を押し、唇をなぞる。

 

 

「今更じゃないですか。それとも、トレーナーさんが普通の人だったら、私が普通のウマ娘だったら、こうして一緒に居られましたか?」

「……ううん」

「じゃあ良いじゃないですか。普通じゃないんですよ。勝手に走る私と、止めるトレーナーさん。トレーナーさんが縛ったって私は走りますからね」

「……誇って言うことか」

 

 

 私も、スズカの額を指で弾いた。

 

 

「それに、私がこれくらいで済んだのはトレーナーさんのおかげです」

「私は何も……」

「あの時、はっきり見えたんです。スピードの向こう側が。さらに上への光が見えたんですよ」

「……そう」

「でも、トレーナーさん、言いましたよね。私がどうにかなってしまうって。だから、やめました。行っちゃいけないんだなって。だからたぶん、これくらいで助かったんです。私は確かに速く走りたいですけど、死にたいわけじゃないですよ」

「スズカ……」

 

 

 だから、とスズカは両手で私の頬を挟み、耳を撫でた。

 

 

「トレーナーさんのおかげで助かりました。でも、トレーナーさんのせいで、スピードの向こう側にはもう行けないんだと思います」

「……うん」

「ありがとうございます。私は怒ってます。おこです。おこー」

「……おこー」

 

 

 私も、スズカの頬に触れた。スズカの頬に、雫が落ちた。スズカの頬が、にこりと歪んだ。

 

 

「だから、私から離れちゃダメです。責任を取ってもらわないと困ります。これからも私が走れるように、これからも一緒に、居てくれないと困ります」

「……言われなくても、一緒にいるよ」

「今のトレーナーさんは居ないですよね。解ってて言ってますか?」

「……うん。解ってる」

 

 

 潤んだ視界を袖で拭う。スズカがいつもの微笑みのまま、私を見ていた。

 

 

「ちゃんと、スズカと一緒にいるよ」

「本当ですか?」

「本当」

「本当に本当ですか?」

「本当に本当」

「絶対ですよ」

「絶対」

 

 

 くるりとスズカが寝返って、俯せになって擦りついてくる。いつぶりか、スズカの頭を撫でた。気持ちは固まった。もう逃げられない。私はずっと、走るスズカを見ていることになる。常に走り続けるスズカの姿を。

 

 つまり、今までと変わらない。

 

 

「なら、良いです」

「……うん。そうね。ごめんスズカ」

「……話、聞いてましたか? 謝らなくても良いってことですよ?」

「それじゃないわ。スズカの話はよーく解ったから。もう大丈夫。私は、もう大丈夫だから」

 

 

 スズカの顔を見ないように、脚に負担を掛けないように、そのまま抱き起こす。胸に抱いて、しっかりとスズカを抱えた。くっつくとさらに、早鐘みたいにスズカが脈打っていた。

 

 

「無理させてごめんね、スズカ。私のせいで、変に頑張らせちゃったね」

「……トレーナーさん」

「本当は、最初にこうしなきゃいけなかったね。もう私は大丈夫だから、スズカも、大丈夫よ」

「…………トレーナーさん」

「ありがとうね、スズカ」

 

 

 ぐっとスズカの体が縮まった。その分抱きしめやすくなる。可愛いねえスズカは。でも完璧じゃないんだよね。できることとできないことがある。できることは走ること、できないことはそれ以外。走ることで全てをねじ伏せて解決してきた子はやっぱりレベルが違う。そんな子に色々やらせちゃったし、その分ちゃんと甘やかしてあげないといけないわね。

 

 

「……痛かったです」

「痛かったね」

「怖かったです……!」

「怖かったね」

「私……っ、も……走れないんじゃないかって……! 二度と走れなかったら……どうしようって……」

 

「頑張ったね、スズカ」

「っ……! も……トレーナーさんに……嫌われちゃうって……走れなくなったら、私……ただのワガママで……!」

「うん」

「もうダメですよ……! 私から離れちゃダメですから……! 本当に、不安で……ずっと、怖くて……!」

「ありがとうね」

「っ……」

 

 

 大きくスズカが息を吸った。ぺたん、とウマ耳を両腕で抱える。少しくらいこれでも音を遮断できるだろうか。無理か。ウマ娘って耳が良いもんね。

 

 そして、スズカはそれからしばらく泣いていた。泣き止むまでこうしていようと、私はただスズカの背中を撫でていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「菊花賞、惜しかったわね」

「はい……スカイさんにしてやられちゃいました……あそこまでやられると悔しいけど悔いも無いです!」

 

 

 ある日。私がスズカの病室に帰ると、スペシャルウィークがいた。そういえば、拉致の日に声を掛けられてから会ってなかったっけ。色んな人へのお礼回りはスズカが松葉杖でも一人で動けるようになったらって話にしたし、彼女の場合は菊花賞もあったから。

 

 ……まあ、あの日あんなに動き回っておいて何言ってるんだって感じだけど。なんだかんだ泣き疲れて寝落ちして病室に帰れなかったこと、死ぬほど怒られたし。

 

 

「あらスペシャルウィーク。こんにちは」

「あっ……こ、こんにちは!」

 

 

 緊張してるなあ。まあ、私が悪いんだけど。

 

 

「菊花賞の話?」

「はい。スカイさんの逃げが凄かったって話です!」

「確かに凄かったねえ」

 

 

 スズカと同じことを、スズカほどの身体能力無しで再現したのは恐れ入った。最初に飛ばして、最後にもう一度伸びる。それに加えて中盤で大きく減速することでスタミナ切れを匂わせ、一人だけスパートを早めることで逃げ切る。素晴らしい作戦勝ちだった。ステータス的に、どう考えてもスペシャルウィークが勝つと思っていたんだけど。

 

 

「でも、いつかは勝ちますから。ずっと頑張れば、いつか必ず勝てます。スズカさんにも!」

「私には勝てないと思うけど……」

「私だって速くなったんですよ!」

「……あんまり言われると走りたくなっちゃって困っちゃうわ。ちょっと……うん、走らないので一回外行って良いですか?」

「ダメ。絶対動くでしょ。安静って言ってるのよ」

「ぁぅぁぅ」

 

 

 また変なことを言い出したスズカの唇を摘まんだり放したり。この前外に出て、走りたいあまり身体が前に出て車椅子倒したの忘れてないからね。私が支えなかったら大惨事だったのよあれ。

 

 

「ちょっとだけ……」

「ちょっとでもダメ。入院期間が延びるわよ」

「退院しても走らせてくれないじゃないですか!」

「当たり前でしょーっ」

「ふゃぅふゃぅ」

 

 

 頬をすり潰す。ダイエット成功の私と違ってスズカはこういうところは健康的だ。柔らかくてムカつく。なんだこの子は。

 

 

「あ……あははっ」

 

 

 そんな私達を見て、スペシャルウィークが突然に泣き始めた。

 

 

「スズカさん……良かった……わた、私……」

「あっごめんスペシャルウィーク! 私のせいだね! 泣かないで! 心配かけたね!」

「す、スぺちゃんには成功したって連絡入れたでしょ? 泣かないで、ああっ、あぅ……」

 

「遅くなりました。おつかいミッションを達成……何をしているのですか?」

「あっブルボン! 早くドア閉めて! 勘違いされる!」

 

「スぺちゃん落ち着いて、ほ、ほら、買って来たお菓子食べて良いから……」

 

 

 二人でスペシャルウィークを宥める横で、我関せずと定位置に座るブルボン。扉、閉めてないねえ! これは誤解されるねえ! 

 

 

「おい、何故スズカの病室から泣き声が……何をしている」

「エアグルーヴ……! 助けて! スペシャルウィークが泣き止まないの!」

「……意味が解らん」

 

 

 頼みの綱のエアグルーヴが来た。すぐに帰った。何しに来たの、あの子はあの子で。

 

 その日はスペシャルウィークを元気付けるのに一時間ほど費やし、帰るタイミングを失った私は病院に泊まった。コンビニのおにぎり、こんな美味しかったっけ?




以上天皇賞編でした。最後までお付き合いいただきありがとうございました。次回からは平常運転に戻ります。


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代替機を探すサイレンススズカ

お久しぶりです。所用ありまして遅れました。

スズカメインストーリー来ましたね。月並みになってしまうし感動のあまり長くなるので感想は控えますが、一言言うなら、そもそも回避するルートなんだ……ってのと、タキオンくんはなんでその流れで堂々と曲出してんの?ってとこです。現場からは以上です。


「おはようございます」

「……何してるの、スズカ」

「あ、トレーナーさん。これ、使い方解りますか?」

「何それ」

 

 

 ある日。もうすぐ一か月となり、そろそろ退院もできるといったところ、病室に向かうと、スズカが何やら大きな機械を持って唸っていた。ブルボンは迷わず定位置に向かい、スズカが持つそれをじっと見つめ始める。

 

 

「トレセンから貸してもらったんです」

「へー。ゲームでもするの?」

「いえ、そういうんじゃないんですけど」

 

 

 スズカが持っていたのは、大きめの機械ゴーグル。まあつまりVRゴーグルのことだ。本来はゲーム機に接続して3Dゲームとか、体感ゲームを楽しむためのものだったと思う。あんまりゲームには詳しくなくて、家にあるのもスズカの先頭欲を抑えられないかと買ったウマ娘レースゲームだけなんだけど、それでもCMで見たことがある。

 

 トレセン、そういうのも貸してくれる……というか持ってるんだ。それがまず意外過ぎる。何に使うの、そんなの。

 

 

「そろそろその、私限界で」

「……一応聞くけど、何が?」

「もう走らないと死んでしまうので」

「死なないのよ。走らなくてもウマ娘は死なないの」

「死んでしまうので、せめてこう、体感だけでもと思って」

 

 

 そう言ってスズカが取り出したのは、いつぞや私が渡したカメラ。

 

 

「これと接続して、誰かに代わりに走ってもらおうかなって」

「狂気の発想……ネットに転がってるバイクとかの映像じゃダメなの?」

「エンジンの音が気になっちゃって……」

 

 

 ふーん。まあスズカがそう言うならそうなんだろう。枕元に座り、機械弄りを続けるスズカを眺める。

 

 結構重厚だし、そもそも私の買ったカメラだってそこそこ高い。このゴーグルももしやかなり高級品なのかも。それをぽんと、私に話を通さずに貸すあたりはトレセンがウマ娘に甘いのか、スズカの名声がありすぎるのか。多分後者かな。

 

 

 この間スズカが開催したサイレンススズカ杯もかなり好評だったらしいし。出走していたのは実績が未勝利からG3までだったんだけど、それにも関わらず投票券が飛ぶように売れたらしいからね。理由は解らないけど。後、スズカの実況音声ごとのレース映像がネットに出回っていた。まあ違法なんだけど、たぶんスルーなんだろうな。私も見たけどあんまり良いものじゃないし、公式でそういうのを売ってるわけでもないし。

 

 ……それと、一着だった、えー……ファイネストデイだっけ? 彼女が泣いてお礼を言いに来た。やめてやめて。どうやらサイレンススズカ杯に勝ったウマ娘ということでオープンウマ娘にしてはかなりの支持が集まったらしく、有馬記念のファン投票でもかなりの得票が集まっているらしい。既に内々定というか、恐らく出走できるから勝負服を考えておいて、との連絡が行っているらしい。げに凄まじきはスズカの影響力よ。

 

 

「あっ……できました。たぶんこうです。トレーナーさん、カメラカメラ」

「ん。はいスズカ―、笑ってー」

「にこー……じゃないですよ。持っててください」

 

 

 スズカがゴーグルをはめる。スズカも頭が大きい感じじゃないし、普通の女性よろしくの体型だからどでかいゴーグルは非常に不釣り合いだ。視界が塞がれたことにあわあわしつつも、指でこちらを指してくる。

 

 

「今は近いのでリアルタイムで……あ、見えました見えました。じ、自分で自分を見るの、何か不思議な感じですね」

 

 

 じゃあ今、カメラとスズカの視界がリンクしているのか。これ幸いとカメラをスズカの顔に近付けていく。

 

 

「すー」

「わ、わわっ」

 

 

 スズカが驚きのけぞって倒れてしまった。転がったままゴーグルをずらし、目をしぱしぱさせながら私に枕を投げつける。痛い痛い。鼻が。鼻が潰れちゃう。

 

 

「びっくりするじゃないですか」

「可愛いでしょ。これ、私の愛バ」

「むむ……適当に褒めれば何をしても良いと思ってませんか」

 

 

 まったく……と言いながら、またゴーグルをはめるスズカ。許してはくれるんだ。ちょろかわ。やっぱスズカよ。せっかくなのでブルボンにもカメラを向ける。

 

 

「……はっ」

「おお、良いねブルボン。どこで覚えたのそんなの」

「友人が、カメラを向けられたらポーズをとるべきだと言っていました」

 

 

 無表情でピースサイン。見た目は非常に大人っぽいので、色々な要素が混ざって危うくすら見える。でも可愛いのでそのまま……しまった。接続中だからシャッターが切れない。あとでスマホで撮ろう。

 

 

「で、これでどうするの」

「トレーナーさん、私の代わりに走って来てくれませんか。録画とか」

「ええ……無茶言わないでよ」

「私のためですよ? 愛バですよー愛バー」

 

 

 微笑みながら手を振ってくる。可愛い子ぶりたいなら目は見せた方が良いわよ。

 

 というか走るって何。私はこれでも大学時代から一切走ったことの無い一般的な社会人女性なのだ。そうでなくても別に運動は好きじゃないし、特にただ走るなんてなおさらだ。走ることが誇張無く三度の飯より好きなスズカや、トレーニングは攻めれば攻めるほど効果があると思っているブルボンとは根本が違うのである。

 

 

 ただ、まあ一ヶ月我慢できただけでも快挙と言える。折れてるのが腕なら間違いなく脱走していたんだろうけど、流石に脚が折れている状態でっていうのは無理だったか。代替策も悪くないし、協力はしてあげたいけど。

 

 

「だってスズカ、めちゃくちゃな距離を走らせるじゃない」

「そんなことないですよ」

「あるでしょ」

「トレーナーさん。私もトレーナーさんのこと大好きですから。嫌々走ってもらうのは申し訳無いです」

「ほう」

 

 

 スズカが学んだ……? やっと人間は走る生き物ではないと解ってくれたのね。嬉しいわ私。

 

 偉いわね、と頭を撫でると、ふふん、と調子よく喜ぶスズカ。ついに理解し合えたわね、私達。これは二キロくらいのランニングで済むかも。それくらいなら私も頑張るよ。

 

 

「ですので、ここは控えめに十キロくらいでお願いします」

「解散」

「なんでですか!」

「死ぬからでしょ」

 

 

 ゴーグルを外して声を上げるスズカ。やっぱり私達は分かり合えないのね。悲しい。まあ十キロくらいなら素人でも何とかなりそうだけど、私は素人以下なので、めちゃくちゃを言ったスズカの頬をつつく。

 

 

「むっむっむっ」

「そんなに走れません私は」

「十キロですよ? 百キロじゃないですよ?」

「百キロだったら私は二度とスズカの元へ帰って来ないと思うわ」

 

 

 えー、と唇を尖らせながら、スズカはゴーグルをとりあえず私に渡してきた。そもそも私がスズカが満足するようなスピードで走れるわけがないので、この会話は最初から破綻していると言っても良い。一応エンジン音が小さめなスクーターはあるけど、スズカと違って私には道交法とかあるし。いやスズカにもあるけど。

 

 

「ひ弱……」

「何とでも言いなさい」

「でぶ」

「戦争がしたいの?」

 

 

 あまりにも直球の悪口が来た。言った直後顔を背けて笑っているから冗談なんだろうけど、それはウマ娘間でやるから冗談で済むのよ。ウマ娘は太りやすい子もすぐに痩せるし、体質的な肥満というのがほとんど無い。走ることに特化した種族だからだ。でもほら、私だってさ、日々頑張ってるからさ。食事制限とか。腰回りのことは言わないで貰っていいかな。

 

 

 失礼をかましたスズカのウマ耳を擽り、珍しくけらけら笑う頬をつねる。

 

 

「そもそも頼む相手が違うでしょ。あなた友達がいっぱいいるじゃない」

「みんな有馬記念に出るんですもん。タイキは海外帰りですし、来年も遠征するから忙しいんですよ。パールさん……は、ちょっと任せたくないだけですけど」

「後輩は?」

「……!」

 

 

 視界の端で、ぴこん、とブルボンのウマ耳が立った。すっと私達の視線が向く。変わらず無表情だ。尻尾はぶんぶんだけど、まあ一旦置いておいて。

 

 

「スぺちゃんはジャパンカップと有馬記念に出るって」

「菊花賞から? なにその狂気のローテ」

「グラスちゃんもですし、みんな有馬記念です」

「……まあ、確かに選ばれるんだろうけど」

 

 

 それにしてもスズカの友達がヤバすぎる。有馬記念を何だと思ってるのってくらいぽんぽん出るわね。いかに強い子ばかり友達か、というところ。そこにスズカも……まあ出さないけど、出ることはできたというのだから驚きだ。

 

 

「だからその、頼める人がいないんですよ」

「……!」

 

 

 ぴこん。

 

 

「……ブルボン? 走りたいの?」

「……いえ」

「……これ、気に入ったの?」

 

 

 そういえばさっきから、ちらちらとゴーグルを見ているような気がする。試しに動かしてみると、顔の向きこそ変わらないものの、視線が誘導されている。

 

 

「別に面白いものでもないと思うけど……」

「アニメで見たコックピットの装備品に似ています。興味があるだけです」

「そういう感じ?」

 

 

 相変わらず変なものが好きなのね。男の子みたい。勝負服、ゴーグルとか着けてこないよね? 視界を大幅に遮るものは流石に怒られそうだけど。

 

 

「着けてみる? 流石に頭に着けるだけなら壊れないでしょ」

「良いのですか?」

「まあ……いや、やめとく? 怖いかも」

「むー……」

 

 

 スズカが拗ねてしまった。走る方法についてはまたあとで考えよう。私も流石に何とかしてあげたいからね。バイクの免許とっても二人乗りできないしなあ。なんかその辺のウマ娘にカメラ持ってもらうとか? 

 

 

「じゃあブルボンには私がどこかショップに行って、壊れてもいいゴーグル買ってきてあげる」

「良いのですか?」

「中古だけどね。流石に新品破壊は勿体無いから」

 

 

 あとは、ブルボンとスズカのクリスマスも考えてあげないと。特にブルボンはサンタさんを信じている説もあるし、それで言うと去年は渡せなかったからね。まあブルボンのお父さんが実家で誤魔化したりしてくれたのかもしれないけど。

 

 

「機能追加です」

「追加はされないでしょ」

 

 

 むふー。と胸を張るブルボンと、一転して微笑ましいものを見る目で見るスズカ。年末に向けて、考えることが増えちゃったなあ。頑張らなきゃ。




年末なので少し遅いですがまた誰か増えるかもしれません。この小説がいつまで続くかは解らない(少なくともブルボンシニアまでの展開はある)ので、出したところでその子のトゥインクルを描写できるかは解らないんですが、大丈夫ですかね……?


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勝負服を語るミホノブルボン

 

「マスター」

「どうしたの」

 

 

 ある日。ブルボンのトレーニングを終え、倒れるブルボンが復活するのを待っている間、息を整えながらブルボンが何か呟いた。

 

 

「先日、私の実家に勝負服が届きました。昨日受け取り、既に自室にあります」

「どうして今?」

「いつ言うべきか考えていました」

 

 

 倒れながらでなかったらもう少し何か違う反応ができた気がするんだけど。

 

 

「まあでも、おめでとう。これでブルボンも一流のウマ娘ね」

「ありがとうございます。昨日もお父さんに同じことを言われました」

「良かったわね」

「泣きながら抱き締めて貰いました。立派になったな、と」

「そう……」

 

 

 お父さん、まだブルボンはG1勝ってないのよ。あと一週間後くらいに言ってあげるとちょうどいいと思います。

 

 

 結局ブルボンは予定通り朝日杯に出ることになった。別にホープフルステークスでも良かったのだけど、まだ少しブルボン自身の自信が足りないような気がしたからね。現実問題2000というのはスプリンターの頭からすれば非常に長い。極端なステイヤーでもなければ普通に長距離を走れるようなウマ娘と肩を並べるのがこの距離だ。

 

 ミホノブルボンはステイヤー……とまではいかないものの、中長距離が主戦場だと心から信じているのはこの世界で私とスズカのみ。ブルボンやその御両親も最後までは信じられないのは仕方が無い。それも皐月で覆す予定だけど、とりあえずはマイルから。

 

 

「病室でマスターやスズカさんにもお見せします」

「そう? じゃあ楽しみにしないと。スズカが治ったらみんなでお祝いね」

 

 

 スズカの時は勝負服のお祝いなんてできなかったからね。当時のスズカはそもそもレースが嫌いになる瀬戸際みたいなところあったし。目をきらきらさせて微笑む……俯せで見えないけどたぶん微笑んでいるブルボンに、こっちまで嬉しくなる。可愛いねえブルボンは。

 

 

「ところで、もう良い? 回復した?」

「……完全回復まで、残り三分ほどです。トレーニング続行は現段階でも十分可能ですが」

「じゃあ後三分待つわ」

 

 

 そんな可愛いブルボンを、本人の希望とはいえ倒れるまでスパルタする私。こんな私を見て、是非新入生達は解ってほしい。才能のあるブルボンですらこうなのだから、そうでない子は責任持てないよ、というところをね。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ではマスター、スズカさん。勝負服をご覧ください」

「はーい」

 

 

 病室。ベッドのスズカとその横の私に頭を下げて、ブルボンが病室のトイレに消えていった。

 

 

「……大丈夫ですか、ブルボンさんの勝負服」

「さあ……?」

 

 

 スズカが柄にもなく苦い表情を見せている。というのも、ブルボンの勝負服が入っているらしい入れ物……まあ、スズカだったらその辺の紙袋とかに入れるし、小物が多いエアグルーヴなんかだと専用のケースがあるんだけど……ブルボンのそれが、何度見てもアタッシュケースなのだ。それも、厚みがあって重厚な金属っぽい質感のもの。たぶん私は持てないんだろうなってやつ。

 

 いや、服じゃないの? 流石にびっくりしたわ。ブルボン本人はいつもの無表情で、どう思っているか解らないし。

 

 

「でも、勝負服……どんな感じなんでしょうね。やっぱり機能性重視なんでしょうか」

「かもね。スズカもそうでしょ? あんまり飾りが無いやつ」

「はい。あとは……色とか? ブルボンさんに合いそうな色……やっぱりシンプルな色ですよね。白とか、黒とか……」

 

 

 まあ、ブルボン自体がきゃぴきゃぴしてないし、かと言ってオラついてもいないわけで。本人のカラーというか、そういうのはあんまり思いつかない。スズカは少し色が違うけど栗毛だし、白が似合うのかな? 

 

 

「デザインも、なんかただの全身タイツとかだったりしてね」

「ふふ、何ですか、それ」

「一番走りやすそうじゃない」

「全身タイツの子が後ろから来たら笑っちゃって走れないですよ……?」

 

 

 くすくす笑うスズカ。まあでも現実問題、ブルボンはスズカと違って発育が良いし、そこらへんも真剣に考えなければいけないものだ。ある程度なら別にどうでも良いんだけど、ブルボンはある程度じゃないし。まるきり布で覆って押さえつけるのか、通気性とかを考えて大きく開けるのか。

 

 

「あ、タイキシャトルみたいなので来るかもね」

「あー……あり得ますね。あれ、動きやすいって本人も言ってましたし。私もああいうのに変えようかな……」

「まあ、好きにすればいいけど」

 

 

 スズカの勝負服は今のが一番だ。凄く似合っているし、カラーリングもスズカの原点……雪景色の白と、今のスズカの舞台、ターフの緑。これ以上にスズカを簡潔に表した勝負服もなかなか無いんじゃないかと思う。あんまり変えなくて良いんじゃいかな。

 

 

「マスター。装着が完了しました。出てもよろしいでしょうか」

「おー」

「おおー」

 

 

 言っている間にブルボンの声が聞こえ、二人で控えめに拍手で出迎える。勝負服を着ているにしては着替えがスズカ並みに早い気がするけど、やっぱり同じようなシンプルデザインかな。スズカとお揃いとかだととっても尊いなあって感じだけど、流石にそれはね……

 

 

「お待たせしました」

「お……ん、ん?」

「……?」

 

 

 そして、トイレから出てきたブルボンの着ていたブルボンの勝負服は。

 

 

「……ほう」

 

 

 レオタードに超ミニスカート……のみ。白とピンク中心の……何? 何のデザインと言えば良いの、これは。そして、腰に……これも何? 機械がくっついている。

 

 

「どうでしょうか。自己評価S。お父さんやお母さんにも高い評価を頂きました」

「うん……カッコいいよ、ブルボン」

「ありがとうございます。どうぞ隈なくご覧ください」

 

 

 そう言って、ブルボンがくるくると回り始める。非常に嬉しそうだ。かなり気に入っているのだろう。もちろん、デザインに異議を出すとかそういうのじゃないけど、純粋に何故このデザインなのかと疑問ではある。スズカもまさかの方向性に言葉を失ってしまったし。

 

 

「ちなみにブルボン」

「はい」

「その……腰のは何?」

「これは、基にした戦闘機にもあったアンチ・グラビティ・ブースターです。私のものにはその機能はオミットされていますが、作品内では、これにより戦闘中、周囲の星の重力の影響を受けることなく高速での航行が可能なほか、熟練パイロットであれば加えて一部故意に重力の影響を受けることで不規則な軌道での航行を」

「あ、え?」

「……何か支障がありましたでしょうか。やはり、デザイン段階でマスターに意見をお聞きした方が……」

「あっ、いや、違うのブルボン。そういうんじゃないのよ」

 

 

 突然ブルボンが語り出し、咄嗟に止めてしまった。そういえばこの子、そういうところに憧れというか、そういう趣味をしてたわね。なるほど、それが色濃く出たと。まあこれはこれでらしいっちゃらしいけど。なんせサイボーグだのロボットだの言われてるんだし。

 

 

「デザインは素晴らしいと思うわ。そうじゃなくて、基にした戦闘機というのは」

「幼い頃、アニメで見た戦闘機です」

「アニメの戦闘機」

「アニメ自体のストーリー性については既にメモリから削除済みです。キャラクターも主人公を除いては同様ですが、当該戦闘機の闇を切り裂く光跡、理外の速度、その時の父との会話は未だ深くに記録されています」

 

 

 またお父さんじゃないか……ブルボンの人生にどれだけの影響を与えてるの、あの人は。そりゃ親バカにもなるか。素敵な家族ではあるんだけど、もうちょっとこう、何か……まあ、人の家庭の話だし何を言う筋合いも無いけど。

 

 

「理外に踏み込み、見るものの目を奪う圧倒的な速さを、私は目指しています。ステータス『憧憬』を忠実に反映したデザインです」

 

 

 それに、ブルボンがいつになく饒舌というか、曖昧で感覚的な話をしている。ということは大事なことなんだろう。三冠だって色んな論理的な話を全部無視して取りたいって言っていたし、そういうことなのだろう。

 

 ……あと、それってスズカじゃんとか言ったら流石に空気読めてないかな。常識から外れていて速さで目を奪うって……いやスズカでしょ。スズカは戦闘機だった……?

 

 

「どうでしょうか」

 

「うん。いい勝負服だと思う。ね、スズカ」

「はい。ブルボンさんらしくて素敵だと思います」

 

 

 ふふん、と少し微笑んで、さらにくるくると回るブルボン。

 

 

「機能性も十分ですし、マスターが三冠を前提にとおっしゃったので、人目を引くデザインにもなっていると判断できます」

「あ、まあ、言ったし、嘘じゃないんだけどね」

 

 

 トレーナーさん、あんまりその格好でくるくるしてほしくないかなって。絶対に大丈夫なのは解っているんだけど、スカートがひらひらしてお姉さん心配になっちゃうからさ。下、レオタードでしょ? 大人しくしておいた方が良くない? 

 

 

「ちなみに、その機械は飾りですか? 靴も何か機械みたいですけど」

「いえ、ブースターとしての機能はありませんが、プロトタイプのこれには発光機能があります。靴も展開します。スイッチがここに」

 

 

 スズカの疑問に答え、ブルボンが腰の一対の機械に触れる。すると、ピンク色の蛍光が辺りを照らし始めた。

 

 

「靴はここです」

 

 

 靴ひもにあたる部分を押すと、しゃきん、と靴の踵から何かが飛び出た。

 

 

「腕がここです」

 

 

 手首の機械に触れると、二の腕の輪っかのライトが光った。

 

 

「そして、胸のこれはコアを基にしています。こちらは発光が解りにくいですが。スイッチはここです」

 

 

 むぎゅ、とブルボンが胸を持ち上げ、恐らくそれを下から支えているのだろう金属部分に触れると、胸元の蹄鉄がきらきらと微かに光り始めた。同時に耳を澄ませると、きゅいいいいん、とモーター音も聞こえてくる。

 

 

 

「もちろん、レースで着る量産タイプにはこれらの機能はありませんが、今着ているこのスーツであれば夜間トレーニングも可能です。私が触れても壊れないよう、非常に単純な構造にしていただきましたので、故障時も十分私一人で対処可能です」

 

 

 ふんすと胸を張るブルボン。フルアーマーブルボン、爆誕。あらとってもメカメカしいこと……やっぱりブルボンの好みはよく解らないかな……スズカの趣味もよく解らないって言ってるし、私、愛バの趣味嗜好を理解する力が低すぎるでしょ。

 

 

「とりあえず人前で胸のコアを動かすのは禁止ね」

「どうしてですか」

「どうしても」

「……そんな」

 

 

 ブルボンが肩を落としてしまったけど、流石にちょっと良くない感じになりそうだったからね。それはいけない。何とは言わないけど、良くないファンが増えそうだから。勝負服デザインそのものについては……まあ、URAが良いと言ったなら良いけど。

 

 

「まあ、良かったわねブルボン。それで朝日杯も勝つわよ」

「はい。お任せください。必ずマスターの期待に応えます」

 

 

 誇らしげに胸に手を当てるブルボン。朝日杯も目前、ついにブルボンがG1ウマ娘になる日が来るんだなあ、なんて、少し感動すら覚えた一日だった。

 

 それはそれとしてレース以外であんまり着ないでほしい気持ちもあるけど。




トレーナーさんは女の子なのでこのロマンが解らない(ステレオタイプ)


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G1ウマ娘になるミホノブルボン(朝日)

過去一スズカの登場が少ない回。健康で文化的な最低限度のサイレンススズカが出演している。


 ジュニアG1の一つ、朝日杯フューチュリティステークス。

 

 阪神ジュベナイルフィリーズ、ホープフルステークスと並び、ジュニア級のチャンピオンを決めると言っても良いレースである。

 

 概ね、翌年のクラシックで三冠路線を走るならば朝日杯かホープフル、トリプルティアラを走るなら阪神というのが暗黙の了解というか、慣習になっている。当然、ブルボンはそれに合わせて朝日杯である。

 

 

「体調はどう、ブルボン」

 

 

 その控え室。当然スズカは来られないため、私とブルボンは二人きりになっている。既にブルボンは例の勝負服……の、発光機構無しバージョンを着ていて、準備万端。ストレッチも終え、後は出走を待つばかりだ。

 

 

「すー……はぁ……問題ありません。心身ともにオールグリーン。十分に能力を発揮できると思われます」

「よし」

 

 

 知ってるけどね。怪我率無し、絶好調。勝負服を着て深呼吸をするブルボンと向き合い、ブルボンの状態を見ておく。一応出走ウマ娘も見たけど、問題は無い。ブルボンの勝ちだ。残念ながら格が違う。悪いけど、正直今のところブルボンが誰かに負けることは無いだろう。完成度が違う。

 

 

「ラップタイムは頭に入っているわね」

「はい。最序盤と最終盤を除きハロン12.0。誤差はプラスマイナス0.5秒までです」

「うん。何が起きても自分のペースを守ること。自分のレースで行きなさい。良いわね」

「はい」

 

 

 行ってきなさい、と言うと、ブルボンは短く返事を残し、扉へと歩いていく。

 

 ……おっと? 

 

 

「……ブルボン?」

「はい」

「大丈夫、緊張しないで良いわ」

「……緊張……いえ、そのようなステータス異常は確認されていません。オーダーであればすぐに移行しますが」

「そう。凄いわブルボン。緊張してないのね」

 

 

 一度ブルボンを引き留める。尻尾がさ、垂れ下がっているのよ。普段はそんなことないじゃない。静かに揺れたり少し跳ねているくらいがブルボンのニュートラルだ。ブルボン本人がどう言おうと、尻尾は正直。そりゃあ、ブルボンにとっては初のG1レースであり、このレースはクラシック三冠に向けての前哨戦と言っても過言ではないジュニア王者決定戦だ。緊張もするだろう。

 

 自称緊張していないサイボーグを振り向かせ、頬に触れる。冷たい。無感情な目を覗き込んで、ブルボンのステータスを眺めながら私は言う。

 

 

「私は緊張しているから言葉にさせてね、ブルボン」

「はい」

「ブルボンは強いウマ娘よ。誰よりも努力をして、同世代の誰よりも強くなった。あえて言うけど、実力においてブルボンより上の同世代はいないと言っても良い。解った、ブルボン」

「はい。誰より過酷なトレーニングを積んできた自負はあります」

 

 

 うむ。ブルボンよりスパルタを受けてきたウマ娘がもしいたら私のところに連れて来なさい。私が直々に説教して証明してあげるからね。真っすぐに私を見つめるブルボンの肩を掴み、ばしん、と強めに叩く。

 

 

「よろしい。だったら解るわねブルボン。これはミホノブルボンの一冠目よ」

「一冠目……」

「朝日杯、皐月賞、ダービー、菊花賞。ここから一度も止まらず証明しに行くわよ。良い。あなたが今日やるのは勝負じゃないの。確認よ」

「確認」

「そう。あなたが一番強いの。それをただ見せるだけ。周りのことなど気にしなくていいからね。勝って当然なレースに勝つのだから、緊張などする必要はないわ」

 

 

 なんか暗示みたいになって来たけど、それもやむなし。何よりブルボンの弱点は頭……じゃなくて、戦術の弱さだ。周りを無視した逃げしかできない。だからこそ、誰にも惑わされず、誰にも流されず、ひたすら自分の力を押し付けて勝つ。スズカとは別の、力押しをさせる必要がある。少しへなっていたウマ耳を立て直し、ブルボンをくるりと扉に直させる。

 

 

「坂路一本、走れるかどうか不安になる?」

「まったく」

「同じよブルボン。絶対にできることをやるのに緊張はしない。指示通り勝ってきなさいブルボン。言っておくけど、勝っても褒めはしないわ。負けたら怒るからね」

「……了解しました。オーダーは必ず完遂します。行ってきます、マスター」

 

 

 そう言って扉を閉めるブルボンは、既にいつものミホノブルボンになっていた。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

『さあ、年の瀬迫る阪神レース場。集いましたジュニア級ウマ娘達が、未来へ向けてターフを駆け抜けます』

 

 

 ブルボン達がゲートイン。枠順はちょうど真ん中で、逃げとしてはそこそこ厳しい。ただ、阪神1600外はコーナーまでにかなり余裕があるし、出遅れさえなければ問題はないか。

 

 あとは他のウマ娘の戦術だけど……逃げっぽいのが二人……逃げもできるのがちょこちょこ。だけど彼女らは逃げないだろうね。そもそも逃げという戦法は基本的に弱い。王道とは逃げではなく先行か差しなのである。初G1で他にも選択肢があるのに逃げはしないだろう。

 

 

『注目の一番人気は四番、ミホノブルボン。メイクデビューからそのまま重賞制覇。今日も期待を背負って勝負服の初お披露目です』

 

 

 誰より先にゲートに入り、胸に手を当て直立不動のブルボン。頑張れブルボン。あなたがしっかり走る限り負ける要素は無いのよ。

 

 

『全ウマ娘、ゲートイン完了しました! それでは参りましょう! 芝1600m、朝日杯フューチュリティステークス』

 

 

 ……ストップウォッチ、忘れちゃったな。

 

 

『スタートしました!』

 

 

 よし、良いスタート。流石ねブルボン。やはりそのスタートからの急加速だけは真剣にスズカに勝っている。

 

 

『やはりミホノブルボン、好スタートを切りました。前へ前へと進んでいきます。他の子は無理に追わない判断のようです』

 

 

 良いわよ。脇目も振らずただ前に進むのみ。それ以上のことはブルボンには必要無い。とにかく一定ペースで、誰にも負けないスピードで走り続ければ勝てるのだ。

 

 

『速い速いミホノブルボン! 未だ先頭をひた走ります! これはかなりのハイペースですが、スタミナは保つのでしょうか』

 

 

 まだ先頭。ここからも。そう差が無く後ろにつけられていてもなお全く掛かる様子はない。もう大丈夫だろう。コーナーを回り、最終直線に向かっていく。

 

 

『さあここから逃げ切れるか! 捉えることができるか! その差は二バ身から三バ身! 既にたった一人スパートに入っているぞ! 強い強い! 差が開きます!』

 

 

 最後の200mに関してはタイム制限は無い。ブルボンが残りのスタミナを使い果たすように走るわけだ。よほどでなければそれで加速できるため、逃げとはいえスパートもそこそこにかけることができる。

 

 

『後続も必死に追いますが……これは厳しいか! 差が縮まりません! 同じリードを保ったまま! 粘る粘る譲らない! ミホノブルボンこれは決まったか! ミホノブルボンだ!』

 

 

 涼しい顔のブルボンがゴール板を通過したのを見てモニターの電源を落とす。ふー……勝った。ブルボンの勝ち。

 

 

「あー……ドキドキした……」

 

 

 ブルボンの勝ちを疑っていないのは本当だ。でもそれはそれとして、スズカとブルボンでこんなに気持ちが違うとは思わなかった。正直かなり頑張らないと冷静に見ていることもできなかった。こんなのをあと何回見るんだろう、私。

 

 

「……あ、スズカに電話しなきゃ」

 

 

 朝日杯は見ないようにする、と宣言してきたスズカに電話をかける。すぐに出てくれた。

 

 

『もしもし。勝ったんですね?』

「うん。ブルボンの勝ちだね」

『流石です。これでG1ウマ娘ですね』

「そうねえ」

 

 

 ブルボンと会ってちょうど一年。いやあ、結構感動するね。勝つとは思ってたし危なげない勝利なんだけど、それでも。

 

 

『お祝い……病院ではできませんし、今日はこっちに来なくても良いですよ』

「む……スズカが寂しくない?」

『む……じゃあ寂しいので毎日起きたらすぐここに来てください。起きてから寝るまで隣にいてもらっていいですか?』

「お仕事があるからね」

『仕事と私どっちが大切なんですか?』

 

 

 面倒くさい彼女かよ。

 

 

「スズカが仕事だけど」

『私によくしてくれるのはお仕事だったんですか……? がっかりです』

「そんなわけないでしょ。私個人がスズカのことが好……あ、ブルボン帰って来たから切るね」

『え、いや、良いですけど別に最後まで言ってくれても』

 

 

 ぷつん。

 

 

 電話を切った。まったくめんどくさい子ね。電話で言ってもしょうがないでしょうに。

 

 

「入って良いわよ、ブルボン」

「ただいま帰りました、マスター。一着、達成しました」

「見てたわ。おめでとうブルボン。これでG1ウマ娘ね」

 

 

 扉を開けて、ブルボンが入ってくる。勝負服の所々に泥が跳ねて、体に伝う汗をタオルで拭き取る。ぐしぐしと顔を拭くと、くすぐったそうに片目を瞑って私に手を伸ばした。

 

 

「はい。この後は皐月賞です」

「うん。そうよブルボン。解って来たわね。それで、今回のレースに反省点はある?」

「……途中、一ハロンだけ、目標タイムより大幅に早まりました。直ちに修正しましたが、その点を鑑み、自己評価はBです」

「良いのよ。次頑張ろうねブルボン」

 

 

 まあ、勝ったんだしね。抱きしめて頭を撫でる。心臓がどくんどくん言ってるし熱い。走って来たから当然か。ブルボンの頭を抱えるみたいにぎゅっと抱いていると、ブルボンが私の胸に顔を埋めた。

 

 

「現在、謎の感情を検知しています。言語化は今のところ不可能です」

「嬉しいんじゃなくて?」

「そうではありません」

「そっかあ」

 

 

 ごめん、私は人間だし、今まで持ったのもスズカだけだからさ……G1に勝った普通のウマ娘の感情なんか解らないんだ。まあその、そのうち解るように頑張るから、ちょっと今回はコメントは控えさせていただくわね。

 

 

「まあ、好きに思っときなさい。次勝ったら何の気持ちか解るかもね」

「はい。楽しみにしています」

 

 

 ぷは、と顔だけ出してくるブルボン。次はライブよ、と唇をなぞると、これまでに見たことが無いほど嬉しそうに微笑んで、はい、と答えた。

 

 なお、ウイニングライブはこれまでと同じように、満面の笑みと明るい歌声を披露していた。この子の変わり身も凄いなあ、本当に。



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情緒不安定なサイレンススズカ

加入の前触れ。


「トレーナーさん……」

「どうしたの」

「暇です……走りたいです……何とかしてください……」

「難しい注文だわね」

 

 

 ある日、病室でスズカはやはり嘆いていた。

 

 

「もう何日走ってないと思ってるんですか? もう脚が疼いて疼いて仕方が無いんです。この際何でも良いので静かで私だけのどこまでも続く走りが必要です……」

「何でも良くないじゃない」

「道や天気の話です」

「いつもそうじゃん」

 

 

 実際色々考えてはいるんだけどね……まずはスズカが自宅療養に切り替わってからだ。年内には帰れる……クリスマスがギリギリとは聞いているけど、どうなるか。まあスズカの尊い犠牲もあって安静にしているので、治療には問題無いらしいけど。

 

 

「もう限界です、本当にダメです……体がもう勝手に走りそうになってるんですよ」

「はいはい。落ち着こうねー」

「んむむむ」

 

 

 とは言え、流石に禁断症状めいたものが増えてきているような気がしないでもない。何となく気が立っているし、そわそわと落ち着きなく上半身が動き回っているし。

 

 うるさい唇を指で塞ぎつつ。

 

 

「実際走れないんだからしょうがないでしょ。何度も言ってるじゃない、映像とかで良いなら撮るけど」

「やーでーすー」

「嫌じゃないでしょ。あなた見た? 昨日のブルボンの顔。この世の終わりみたいな顔してたでしょ」

「それは……申し訳無いと思ってますけど」

 

 

 昨日、ブルボンがカメラを装備して街中を走り回るという行動に出た。 スズカの指示である。一応私も話は聞いていたけど。

 

 映像自体はちゃんと撮れていたし、尺も一時間弱と大満足……とは行かずともかなり良さげなものだったのだ。だけど、それをVRで見たスズカが一言。

 

『スピードが足りないです……』

 

 

 

「ブルボンなら何言っても良いと思ってるでしょ」

「そんなことないですよ。スペちゃんでも同じこと言います」

「泣くわよスペシャルウィークが」

「スペちゃんはじゃあ次はもっと速く走ります! って言ってくれるので……」

 

 

 ……それはブルボンも言った。スズカの呟きに反応して落ち込んだ後、二人がかりで慰め、直後の帰りの車で。結果的にモチベーションが上がっているあたり、ブルボンはブルボンでイカれているんだと思う。

 

 

「あれやって無理なら何しても無理でしょ。スズカより速いのなんていないんだから」

「んん……も、もう一回……」

「スズカが一番速いんだから、誰の映像でも満足できないでしょ」

「んー……んふ……」

 

 

 よほど精神が荒んでいるらしく、褒められ待ちも露骨になってきた。私に撫でられながら機嫌良くウマ耳をぴこぴこさせている。少し緩む口元は可愛らしいけど、うーん、まあ解決策は見つからないしたぶん無いし。我慢してもらうしかないかな。

 

 

「いつ治るんですか……」

「軽くでも走れるようになるのは……まあ、骨は一月もすればくっつくって言ってたけど」

「じゃあその後ですか」

「くっついたからって走れるわけじゃないからねえ」

 

 

 二月とかになるのかな、スズカが走れるのは。それだって全開で走れるわけじゃないし。まだまだ先にはなりそうだ。

 

 

「トレーナーさーん……」

「そんな甘えられても私は何ともできません」

「そんなー……」

 

 

 私の掌を両手で持ってツボでも押すみたいに握り始める。痛い痛い痛い。未来永劫左手が使えなくなっちゃうって。

 

 

「映像で我慢するしかないでしょ」

「我慢できたらこんなになってません……」

「でも頑張るのよ。ブルボンだって頑張ってるんだから」

「むむむ……」

 

 

 ちなみに、ブルボンは今回友達……サクラバクシンオーに呼ばれてトレーニングを行っている。うちでは珍しく向こうにお呼ばれした形だ。どうやらサクラバクシンオー、ブルボンをロボットだと本気で思っているらしく、ウマ娘や人間に馴染めるように積極的に誘ってくるらしい。ありがたいけど、それはどうなの。

 

 ブルボンも嫌がってないから良いけど。それもどうなの。

 

 

「じゃあ私が走ってブルボンさんがここで寝ましょう」

「何バカなこと言ってるの?」

「はーしーりーたーいーでーすー」

「だーめーでーうわっ」

 

 

 手を引かれベッドに引きずり込まれる。むー、と唸りながら、俯せに倒れた私の背中を叩くスズカ。

 

 

「何か考えてくださいトレーナーさん。私が今すぐ走れる秘策をです」

「私、スズカに秘策とか与えたこと無いじゃない」

「ぽんこつ……」

「言ったわねポンコツ」

 

 

 否定はできないけどポンコツ扱いはムカつく。ブルボンにはちゃんとやってるし。スズカだけよ何も言わないの。何言っても聞かないし守らないんだもん。

 

 

「……あ、ところでトレーナーさん」

「ん?」

「この間たづなさんが」

「あ待って」

 

 

 突然の話題転換にはっとする。しかもその名前。やられた。まさかスズカの方に言うなんて。

 

 

「新しいメンバーを増やしませんかって」

「むぐ……む……」

「わ、なんですか、ふふ、ふへ、な、なに……?」

 

 

 特に理由はないがスズカをくすぐっておく。寝返って、スズカの太ももに寝転がるようにして、スズカが前髪を弄ってくるのを受け入れながら呟く。

 

 

「……どうしよっかなあ」

 

 

 すると、スズカが私の顔を掌で包み込んだ。じっと見下ろしてきている。

 

 

「もしかして、私の怪我のせいで乗り気で無いなら……」

「いや待って、違うよ。本当に違う。それはそう。ね? 本当に違うからね?」

「必死だとますます怪しいですね……」

「ああああああ」

 

 

 体を起こしかけた私の額を、冗談ですよ、と押し返すスズカ。

 

 チームメンバーを増やせというのはこの間ブルボンのお祝いの言葉を理事長とたづなさんに言われた時についでとばかりに言われたことだ。上手く濁したけど、くそ、スズカに言うのは卑怯だ。

 

 

「なにか理由が?」

「スズカもブルボンもさ……強いし素直だし……他の子育てられるか解んないんだって」

「ああ」

 

 

 納得したとばかりに微笑むスズカ。自分が強いことを微塵も疑っていない素晴らしいウマ娘である。

 

 それに、私の持ち味というか……私が他より圧倒的に勝っているのはやはりトレーニングの量に他ならない。適正の見極めから何からが素早く、かつ、怪我ギリギリまで反復してトレーニングができる。質ではないし、他が優れているわけでもない。

 

 

 スズカやブルボン相手だといい加減考えていることも解るようになってきたけど、それは私の能力が高いというより一年なり二年なり一緒にいたら当然だろうという話だ。

 

 

「それは難しいですね……ブルボンさん、言えば無限に走りますもんね」

 

 

 君もだよ。

 

 

「でも、申し込みはたくさん来ているんですよね?」

「まあ……これでもかなり減ったけどね。よいしょ」

 

 

 起き上がってノートパソコンを開く。フォルダ分けされたそこにあるチーム加入の申し込みは、一時期に比べれば半分近く減っていた。にしても多いし、これはたづなさんによる選別が行われた後のお話だけど。

 

 

 世間様の意識として、スズカの怪我は私のせいではなくなった……が、全員がそれを共有しているわけではないし、特にトレセンの生徒達がどう思うかは別だ。今のところエルナトの評判は良いとも悪いとも言えない。事故の前の評判がもっと極端になった感じ。

 

 つまり、能力がない、適正がないことをスパルタで何とかするチームという感じ。まあ、スズカにしても私と出会う前はボロボロだったのは確かだし、ブルボンも世間的には無理やり適正を上げたスプリンターだ。

 

 

「ブルボンが倒れてるのも何かもうトレセン名物みたいになってるしね」

「それは……まあそうですね……」

 

 

 そういう評判が増えた結果どうなったかというと、ある程度能力のあるウマ娘はそもそも極端なスパルタを嫌い応募してこない。逆に、追い詰められている子は変わらず応募してくるというわけだ。

 

 特に入学直後の子の応募は激減した。最初からそういうチームやトレーナーにつこうって子なんているわけがない。トレーニングに嫌悪感や抵抗が無いこと、体を動かすのが好きなことはウマ娘という種族の特性だけど、それとスパルタを積極的に受けに行くかは別だ。

 

 

 ……ブルボンって凄いのね。

 

 

「私もさあ……別にそういう子を強く育ててどうってのが好きなわけじゃないのよ。そりゃ最初から強い子を育てたいに決まってるでしょ」

「また正直な」

「というか私はそんなに必死になれないのに、向こうだけ必死になってもお互い面倒じゃない」

「ふふ……そうですねー、トレーナーさん、担当のために必死になれないんですものねー」

「……何よ」

「何でもないですよ?」

 

 

 頭が抱えられて撫でられる。画面が見えねえ。あとまだタンコブあるんだから触らないで。痛いでしょうが。

 

 

「じゃあ誰もスカウトしない感じですか?」

「誰もいなければ年明けの模擬レースは見に行くわ。スズカも来るでしょ?」

「行って良いなら行きますけど……」

「ブルボンも連れていく。あなた達と合わないなら絶対入れないから」

「はあ……」

 

 

 頬をつままれ耳を弄られる。微笑ましいものを見る目を向けないでくれる? 何した覚えもないし、スズカの癖に生意気なんだけど。あなたが一番微笑ましい存在なのよ。

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「おーただいまー……あ? ただいま!」

 

 

 寮の自宅に戻る。電気がついてたから声をかけたが返ってこねえ。見れば机にいて、頭を抱えてじっとしてる。

 

 

「おいスカーレット。挨拶はした方が良いぜ、流石によ」

「……え? あ……ごめん。ちょっと考え事してたの」

「考え事ねえ」

 

 

 荷物はベッドに放り投げて、何をしてるのか見てやることにする。同室だし、そこそこ長く知ってる仲でもあるし、辛気臭くされても部屋の空気が悪くなるからな。

 

 どうせトレーナー選びのことだろ。結構悩んでたみたいだし。こういうのはスパッと決めた方が良いんだ。スカーレットみたいに長いこと悩んでも良いことがねえ。

 

 

「トレーナー選びだろ? だから何回も言ってやったじゃねえか。過去とかそういうのを考えるよりもさ、一目見てビビっときた奴とやるのが一番だって。ずっと勝ててなくても、これから勝てるかもしれないだろ」

「アンタみたいにバカじゃないのよ……」

「人が心配してんだぞ」

 

 

 しおらしくしてると思ったらそんなことも無いのかよ。心配して損した。でもまあ、スカーレットがどのチームに入るかは興味がある。コイツは記録とか気にするタイプだもんな。

 

 

「どれどれ。どこに入ろうとしてんだ……げっ、おい、マジかよ」

「うっさいわね! だからこんなに悩んでるんじゃない!」

「そ、そうかよ……」

 

 

 加入届の先は、あのチーム・エルナト。徹底的で、時に泣きが入るくらいの厳しいスパルタをするっていうチーム。今のところ二人しかいないみたいだが、色んな先輩がそこの練習に参加したって話も聞く。

 

 

「いや……別に止めねえけどさ……スカーレットならもっとこう……他にあるんじゃねえのか?」

「うるさい……良い、私はね、絶対に一番じゃなきゃ嫌なの。厳しいトレーニングだろうと知ったことじゃないわ。耐えれば良いんでしょ、簡単よ!」

「お前、声震えてるって」

「うるさい!」

 

 

 荒れてんな、スカーレット。まあこの前俺が勝ったからか。あれは正直ギリギリだったが、熱い勝負でもあった。ぶっちぎるのも別の良さがあるけど、ああいう勝負も悪くねえ。

 

 そのためにはまずコイツ。スカーレットには強いままでいて貰わなきゃ困るんだけどな。

 

 

「ま、別に入りたきゃ入れば良いさ。俺には関係ねえし。好きにしろよ」

 

 

 荷物を片付けに少し離れる。片付けて、着替えも終えて、諸々を終わらせてる間にも、スカーレットは頭を抱えたまま動かなかった。何だかんだやると決めたら貫き通す奴だし、結局入るんかな。

 

 しばらくして、スカーレットが顔を上げて、ベッドに座り雑誌を読む俺の方に歩いてきた。目の前で止まり、俺のデコを突いてくる。

 

 

「何だよ?」

「……ついてきて

「は?」

 

 

 声が小さくて聞こえねえ。聞き返しつつ耳を傾ける。

 

 

「……ついてきて

「え?」

 

 

 いつも喧しいくらいなのに何だコイツ。風邪でもひいたか? 保健室行くか? 

 

 

「何だよ、聞こえ」

「不安だから体験についてきてって言ってるのよこのおたんこにんじん!!!!」

 

 

 耳がイカれた。




スカーレットも面倒なら面倒なほど可愛い。ごめんなウオッカ。君のかなり常識人なところが本当に書きやすいんだ。


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どうしても倒れたいミホノブルボン

チームエルナト狂気アピ回。スカーレットはいつ加入するんですかね……もう年末なんですけど。


 

「……なあスカーレット。なんで俺達隠れてるんだ?」

「静かに。よく考えなさいウオッカ。まずは練習を見ることが大切だと思うの。一部始終をね」

 

 

 次の日、しょうがねえからスカーレットに付き合ってチーム・エルナトの体験に向かったんだけど、何故か坂路コースの陰に隠れることになってた。

 

 

「じゃあ言って見せてもらえば良いじゃねえか」

「私達が見ることによって普段と違うことをするかもしれないわ。それに、見学は断られるかもしれないし」

「見学を断るチームは体験も断るんじゃ」

「しっ! トレーナーさんが来たわ!」

 

 

 よく解らねえけど、まあ俺よりスカーレットの方が頭は良いんだし、スカーレットのチーム選びなんだから好きにすれば良いか。後ろから顔を出すと、おー、いる。エルナトのトレーナーと、ミホノブルボン先輩。二人で坂路に出てきた。

 

 

「うお……すっげえトモ……やっぱ違うなあの人……坂路の申し子ってかっけえ異名が付いてるだけあるよな」

「うーん……ここだとギリギリ会話が聞こえないわね……でも、これ以上近付くと気付かれる可能性が……」

 

 

 ミホノブルボン先輩。今年クラシックに行く世代で、今から主役だって騒がれてる人だ。かなりイカした人だって思う。だって短距離しか走れねえってみんなに言われたのをひっくり返して、絶対に三冠に行くって宣言したらしいからな。実際朝日杯も勝ったし、すげー人だ。

 

 尻から太ももにかけてトモの張りが半端じゃねえ。流石、すげえ鍛えてるな……

 

 んで、トレーナーもすげえ人。ブルボン先輩の他にスズカ先輩の担当もしてるんだけど、それまで成績が良くなかったスズカ先輩が、あの人に出会って覚醒したって話だ。確かに、去年のダービーの映像とか見ても、スズカ先輩からこう、オーラみたいなのを感じなかったしな。運命の出会いってやつか。かっけえ。

 

 なんかタブレットを持ってできる女って感じだな。あんまり怖い感じじゃねえけど。

 

 

「このまま様子を見るしかないわね」

「お、何か話してるぞ」

 

 

 考えてる間に、ブルボン先輩とトレーナーが向き合って何かを話している。見た感じ、何かを主張してるのがブルボン先輩で、トレーナーはそれに首を振ってる感じ。

 

 なんか頼んで、断ってんのかな。トレーニングの話か? 

 

 

「何て言ってんだろうな」

「全然聞こえないわ……まあ大方、トレーニングをどうするかって話じゃない? 物凄いトレーニング量らしいし、減らす交渉かも」

「あんま考えたくねえな、ブルボン先輩がそういうこと言うの」

 

 

 もちろん絡んだことは無いけど、サイボーグとか言われる人だしな。どんなトレーニングも顔色一つ変えずこなすくらいするかと思ったけど……ま、そんなウマ娘がいるわけねえか。スカーレットでさえ自主練の後は辛そうにしてるもんな。

 

 

 しばらく二人は話している。トレーナーの方が腕を組んだりして難しい顔をしてるな。体格が違うし背も同じくらいだから、なんかブルボン先輩の方が主導権を握ってる感じがするけど、まあ逆なんだろうな。

 

 

「くっ……何の話をしてるのかしら……」

「やっぱトレーニングを軽くしてもらおうと……お、決まったか?」

 

 

 しばらく見てると、ブルボン先輩が頭を下げた。トレーナーがやれやれと首を振っている。つまり、ブルボン先輩の案が通ったってことか? スパルタスパルタって割にはウマ娘側の意見が通るんだな。ちょっと意外かもしれない。

 

 

 腕を軽く伸ばしながら、ブルボン先輩が坂路へ。ストップウォッチを持ったトレーナーが出したスタートの合図は大声なので何とかこっちでも聞き取れる。

 

 

「坂路か……やっぱ三本くらいやんのかな。二本だってかなりへとへとになっちまうのに」

「三本……それくらいなら、まあ……」

「強がんなよスカーレット。無理だって」

「無理じゃないわよ!」

 

 

 目が泳いでるスカーレットは放っておいて、え、いや、ブルボン先輩速ぇ。嘘だろ? まるで平地みたいに平気な顔して走ってる。信じられねえ。

 

 しかも、そのままろくに休みもせず二本目に行った。マジ? トレーニングに対してインターバルが短すぎるだろ。怪我が怖くねえのかよ。

 

 

 二本目もブルボン先輩はそ知らぬ顔で走りきった。俺には解る。あれは並大抵じゃねえ。坂路に限らずスタミナを付けるトレーニングってのは半端じゃなく疲れるんだ。あんまり甘っちょろいトレーニングしかしねえから教官のトレーニングはサボってるが、スタミナだけは参加してる。キツいからな。

 

 そんな坂路を二本走りきってなお、ブルボン先輩はまっすぐトレーナーの前に立っている。特に表情が変わってる様子もねえ。これがクラシック本命ウマ娘のトレーニングか。

 

 

「……お、おい三本目か? 本当にやるのかよ?」

「っ……くらくらしてきたわ」

 

 

 休んだ様子はねえ。トレーナーに一言二言言われただけで、すぐに坂路に戻っていった。休まずの三連投。普通じゃ考えられないことだ。キツい云々よりも怪我をするだろ、あんなの。

 

 だが、ブルボン先輩はやっぱり何も変わりはしない。ただ無表情に走っているだけだ。フォームも崩れねえし、スピードも落ちている様子はねえ。ここまでやればスプリンターでも長距離を見られるってことか? 

 

 

「坂路三本……い、いや、できる、できるわスカーレット……一番になるんだから……どんな辛いことでもやらないと……!」

 

 

 スカーレットはスカーレットでなんか呟いてるし。マトモな奴がいないのか? ここ。誰かに見られたらどうするんだコイツ。優等生気取ってるんじゃなかったのかよ。

 

 

「……三本目、終わったみたいだな」

 

 

 ブルボン先輩がまた戻ってきた。流石に少しふらついてるか……? いや、気のせいか……解らねえ。だけど、トレーナーの前に立つと何かを話し始めた。ギブアップか? いや、そりゃ当たり前か。坂路三本とかどうかしてるし。

 

 が、トレーナーは信じられない行動に出た。

 

 

「お……いおい。大丈夫かよ。暴力事件か?」

「これがスパルタかしら……?」

 

 

 トレーナーが先輩の顔を両手で挟んで、威圧するみたいに顔を近付けたんだ。顔が隠れちまったが、ブルボン先輩もぴたりと動きを止めてしまった。

 

 

「……どうしたんだ」

「さあ……」

 

 

 そのまましばらくじっとしてた二人だったが、少し経つと普通に戻り、ぴっと指を指した。それに合わせ、先輩が坂路に……は? 嘘だろ? 四本目? 正気か? 

 

 

「お、おいおい、無茶苦茶だ! 死んじまうって!」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 

 

 隣のスカーレットが混乱して呼吸を荒くして頭を抱え始めた。地獄かここは。まさかさっきのは、嫌がるブルボン先輩を無理やり走らせたってことか? 信じられねえ……が、今日やってるってことはいつもやってるってことで。ブルボン先輩も契約を切らないあたり受け入れてるのか……? 

 

 

「ふ、ふふふ……大丈夫、大丈夫よスカーレット……あなたは大丈夫……きっとできるわ……だってあなたはダイワスカーレットだもの……」

 

 

 スカーレットがイカれちまった。でも気持ちは解るぜ。俺も目の前で起こっていることがまだ理解できてねえ。休まずの四連坂路なんか聞いたことがない。それに、四本目にも関わらずブルボン先輩の走り方はほとんど変わったように見えない。

 

 こんなのを毎日やってるのか……? す、スズカ先輩もか……? 背中に冷たいものが走るぜ。できるわけがねえ……身体がついてきても心がついてこねえ。脚か心かどっちかが間違いなく折れる。

 

 そんなのを見ながら、トレーナーはタブレットに何か話し掛けている。何でもないことなのか? 坂路四本がここでは普通なのか……? 

 

 

「できるかなあ……ママ……できるわスカーレット……頑張れ……」

「帰ってきた……あとはダウンして終わりか」

 

 

 収穫は……まあ、あった。あったが、スカーレットがそれに適応できるかは別の話だ。精神が壊れかけたスカーレットを引っ張って部屋に戻ろうとして、そこで、二人がまだ何かしていることに気が付いた。

 

 

「……あれは」

 

 

 帰ってきて、流石に倒れちまったブルボン先輩。それを受け止め寝かせると、少し何か話した後、トレーナーはベンチに戻って水筒を持ってきた。蓋を開けて、近付いて手渡

 

 

「おい! おかしいだろ!」

 

 

 さずに、顔面に水をかけた。思わず大声を出しちまったので慌てて隠れる。やべえチームだ。スカーレットのこと、もしかしたら本気で止めないといけないかもしれねえ。スカーレットの親御さんとかに言えば何とかなるだろうか。

 

 にしても疲れて倒れてるウマ娘に水をぶっかけることがあんのか? そんなことがあって良いのかよ。トレセンとか怒った方が良いんじゃねえの? 

 

 

 しばらく体を隠し、こっそりと覗く。ちょうどブルボン先輩が立ち上がり、また顔をぐっとやられていた。まさか、おい、流石にそれは……

 

 

「……い、行った……五本目……!」

「あ、ああ、あああ……」

 

 

 騒ぐスカーレットに構う余裕もない。信じられねえ。しかもまだフォームが崩れていない。行かせるトレーナーもイカれてるが、これで走れるブルボン先輩もイカれてる。今すぐ行って止めてやりてえが、二人の間の話も聞こえてねえし、それを受け入れているからこそ契約をしているわけだし……いや、ブルボン先輩が強く反抗できないタイプって可能性も……くそっ、意味が解らねえ。

 

 

 また先輩が帰って来た。今度は減速した瞬間ふらつき始めて、そのままトレーナーのところへ惰性で走って、ふらつく勢いでトレーナーごと倒れた。さ、流石に終わりだよな……? もうやらないよな……? 完全に倒れて動かなくなっちまったぞ……? 

 

 

 心配したが、流石にこれで終わりみたいだ。トレーナーが先輩の下から這い出して、ブルボン先輩を起こして、背負ってどこかへ歩いて行った。見届けてから隣のスカーレットを……うおっ。

 

 

「大丈夫、大丈夫、大丈夫…………!!!!」

「……」

 

 

 声震えてるとか言ったらぶん殴られそうだったので、やめておくことにした。体験、俺も一緒にトレーニングするのかな。やべーな。生まれて初めてトレーニングから逃げたいと思ってるな、俺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

「マスター。本日のトレーニングですが」

「うん」

「特別コースを希望します」

 

 

 出たわね。

 

 

 ある日のこと、ブルボンがいつもの坂路トレーニング前にそんなことを言い出した。

 

 

「だめ」

「しかし」

「いやしかしじゃなくて」

 

 

 特別コースというのは私が冗談で名付けたら正式名称になってしまった、ブルボン向けの……まあ隠さず言ってしまうけど、倒れて気を失うまで追い込むトレーニングのことである。本数とタイムを調整して、精神を無視して身体の限界までやる、私自身もあまりにも残酷なので滅多にやらないものである。というか普通にやりたくないでしょこんなの。

 

 

「前回の特別コースから既に二週間が経過しています」

「いやブルボン。時間を取れば良いってことじゃなくて」

「本日の体調、モチベーション、両者ともに最高を記録しています。やるなら今日です、マスター」

「でも今日はクリスマスの買い出しをするって言ったじゃない。やめとこ? ね?」

「当該時刻までに回復が可能です。お願いします」

 

 

 しかし、ブルボンはこういうことをすぐに言う。彼女は朝日杯でも成功体験を積み重ねてしまった結果、トレーニングは過酷なら過酷なほど良いと思っている。なまじ何回もやっているしそれが可能な体を持っているため、こうして定期的に倒れるまでやるトレーニングを求めてくるのである。

 

 

「……ブルボン重いから嫌よ」

「確かに体重は微増傾向ですが、マスターの食事制限通りです。想定の範囲内の増加では?」

「……んもう」

 

 

 頑固な子ね。誰に似たの。スズカか? 

 

 

「……じゃあ今日やったら年内は終わりね。絶対ダメだからね」

「解りました。ありがとうございます」

 

 

 頭を下げるドМサイボーグ。なんで私、これで感謝されてるの。今から担当ウマ娘が気を失うまで追い込むんだけど。ブルボンの目がキラキラしているあたりイカれた子なんだなあって感じ。誰がこんな子に育てたの? お父さんか? 

 

 

 でも仕方が無いし説得している間も寒いので、指示タイムを少しだけ遅くしておく。言いつけると、すぐにストレッチの後走り出していった。ますますスズカに似てきたなあ、あの子……でもまあ、勝手には走らないだけ良いのか……? それに、走れば走るだけ強くなるのは確かなんだし、スズカとは事情が違うけど。

 

 

「……あ、スズカに電話しなきゃ」

 

 

 忘れるところだった。久しぶりにブルボンのトレーニングを見たいとのことで、ビデオ通話の準備をしたのだ。通話をかけるとスズカがすぐに出た。

 

 

『遅かったですね、トレーナーさん』

「ごめん忘れてた。見える?」

『見えますけど……え? 今忘れてたって言いました?』

 

 

 アウトカメラでブルボンを映しつつ、何やら騒ぎ出したスズカを宥めておく。仕方ないでしょ。ブルボンと色々あったんだから。

 

 

『今日もいつもと一緒ですか?』

「いや、少し遅くしてる。今日は倒れるまで走るって言うから」

『え……羨ましい……私もやりたいです』

「うそでしょ」

 

 

 あーあ、とため息をつくスズカ。この子を誰がこんなにしたの? ブルボンか? 

 

 

「言っておくけど怪我から復帰しても倒れるまでとかスズカにはやらないからね」

『どうしてですか? ブルボンさんは良いのに?』

「でもスズカはスズカじゃん」

『差別……!』

 

 

 酷いです酷いですと騒ぎ出したスズカ。スズカがやったら死んじゃうってそんなの。あれはブルボンの丈夫な体と類まれなる精神力があってこそできるものなんだから。絶対にダメだからね。

 

 

『でも一回くらい……お試し、お試しなら』

「絶対ダメ」

『むぅ……走った後そのまま寝るのが一番気持ち良いんですからね』

「あなたはそれで何回私のベッドシーツをダメにしたの?」

『尊い犠牲だと思います』

 

 

 いつも通りスズカの話を聞きながら、ブルボンにとりあえず三本やらせる。ここまではいつも通りだ。これで終わるにしてもかなりスパルタ気味というか……本来何本も毎日やるとかいう練習じゃないからね、坂路って。ブルボンは特異体質だから毎日これで済んでるけど。

 

 

「お疲れブルボン。セルフチェック?」

「疲労度イエロー、思考プロセスは正常に稼働しています。十分に行動可能です」

「そうねえ」

 

 

 いつもより提示タイムが遅いだけあって、結構余裕がありそうだ。設定間違えたかな。私の想定よりブルボンに根性がある。一応見てみるけど怪我率も無い。上気した頬っぺたを持って目を覗き込む。うん、大丈夫。全然行けるわね。行かせたくはないけど。

 

 

「よし、じゃあ行ってきなさい。タイムを昨日と同等に戻すわ。ラスト一ハロン、平地でスパートもかけなさい。良いわね」

「了解しました」

「行きなさい」

 

 

 合図とともに再び走り出すブルボン。これでまだ耐久力……ウマ娘に耐久力なんて言い出すのはおかしいけど、上がってるのよね。スタミナや根性とは別に。どれだけ過酷なトレーニングに耐えられるか、みたいな能力が。私が勝手に言ってるだけで見えないけど、でもたぶんある。そのうち聞いたこともないトレーニングをしないと満足できない体にならないかお姉さんは心配です。

 

 

『走りたい、走りたいです……』

「見なきゃ良いのに……」

『せめて人が走ってるのだけでも……もう頭がおかしくなりそうで……』

「怖いこと言わないで?」

 

 

 画面にかじりつくみたいに顔を近付けてくるスズカ。近い近い。難儀な子ね。私だったらこんなことしないけど。ダイエット中に飯テロ動画見るみたいなものでしょ? 流石に頭が悪すぎる。スズカがやりたいならやれば良いけど、それにしたって。

 

 

「まあ、指を咥えてみてなさい。明日は病室からは出られるわよ」

『走れないんじゃ意味無いです……』

「そう言わないの。ブルボンのご飯、楽しみでしょ?」

『それはまあ、楽しみですけど……うぅ……走る……』

「もう……」

 

 

 へにょへにょの可愛いスズカの声を聞きつつ、こっちではブルボンが帰って来た。流石にふらついている。そのまま私に寄りかかって来たので受け止めて、寝かせる。シートとか持ってきておけば良かったな。

 

 

「大丈夫、ブルボン」

「思考プロセスは大幅に低下……残存体力はレッド、私の判断ではステータス、行動不能です……」

「じゃあ終わりね」

「……マスターが続行不可能だと断言できるのなら」

 

 

 じゃあ、ってやめるとブルボンに後から怒られてしまうかもしれないので、しっかり見ておく。怪我率は出ている……が、私もちゃんと学んできている。これくらい数字が低ければ、少し休めば何とかなる。もう一本行けるわね。

 

 水筒を持ってきて蓋を開ける。しまった、ストローを忘れてきた……どうやって飲ませる……いや、かけるか。

 

 

「かけるよブルボン」

「はい……」

 

 

 普段からやってるし、ブルボンも平気な顔で受け止めている。むしろ気持ちよさそうにしているので、上手く呼吸を止めさせないように位置とタイミングを見計らいながら頭を冷やす。誰かに見られたら誤解されそうな気もするけど、これでブルボンは水分補給できてるから。本人はこれで満足してるし、起き上がるのも回復の邪魔だから面倒とか言う子だからねブルボンは。

 

 水筒を半分もかけ、脚に触れる。目みたいな超能力は無いけど、まあ軽いマッサージや触診くらいならできるし。改めてブルボンを見る。うん、怪我率が消えたわね。ギリギリまで追い込むにはこういうことをしないといけないのだ。もう大丈夫よ、とブルボンの手を引いて起こし、ほとんど負荷を変えずに五本目を指示。ブルボンが走り出した。

 

 

「流石にフォームが崩れてきたわね」

『ですね。スピードもさっきのだと厳しい感じがします』

「まあ、それはしょうがないわ。これで帰ってきたらたぶん落ちるからね。もう切るわねスズカ。ちゃんと病院食食べるのよ」

『食べても走れない食事に何の意味が……?』

「嘘みたいな考え方ね」

 

 

 通話を切る。冗談なのか本気なのかいまいち解らないのが本当に怖い。まあ流石に冗談だろうけど。いくらスズカでも走らないなら食べなくて良いとかは言わない……言わないよね? この間残していたのは本人の言う通り体を動かしていないからお腹が空かなかっただけだよね? 信じるよ? マジで。

 

 そして、帰ってくるなり倒れたブルボンを抱きかかえる。抱きかかえるというか、押し倒される。よく頑張ったわねブルボン。これでしばらくは無茶なことを言い出さなくて済むかな。おぶってトレーナー室へ戻る。体がこう……がっちりしてきたわ。もちろん、ウマ娘はどんなに鍛えようが筋肉が極端に肥大化して……つまりボディビルダーみたいになることは無いので、女の子の体ではあるんだけど……それでも筋肉の付き方や密度、張りがそんじょそこらのウマ娘と違う。そりゃ勝てるわけだよ。

 

 

 それからブルボンが目覚めるのを待ち、私達はクリスマスパーティーの買い出しに向かった。クリスマスプレゼントのオマケ、そろそろ書いとかないとね。



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クリスマスは家族と過ごすミホノブルボン

更新が遅れたのはウイニングポストをやっていたからです(威風堂々)
チャンミは運ゲーなので諦めました。お前もだぞ安心沢。


「本当に手伝わなくて大丈夫、ブルボン」

「はい。手順は全て最適化し、単独での調理を想定しています。連携ミスもありますので」

「なるほどねえ」

 

 

 ある日。チーム・エルナトはこれからクリスマスパーティーをやる。去年と同じように企画主催ミホノブルボンである。特に何を言ったわけではないし私がやるのも当然と思っていたのだけど……ブルボンがやりたいと言うのでこうなっている。

 

 私は去年通りプレゼントだけ用意して、スズカを病院へ迎えに行った後、エルナトの部屋で待っているだけ。料理はブルボンが家庭科室で作って来てくれるということで、それがまあ一時間くらい前のこと。

 

 

「楽しみですねえ」

「だねえ。あ、スズカは何飲む? イチゴ?」

「はい。それで大丈夫です……え? トレーナーさん、それ」

「いやその……福引で当たったから……」

 

 

 私が取り出したのは……シャンパン。食材の調達はスーパーの他に商店街でもしたんだけど、そこでの福引で私が当たったのだ。ちなみに隣にあったウマ娘向け福引ではにんじん一本を貰った。生のまま齧りながら買い物をするブルボンの姿が忘れられない。

 

 で、まあシャンパン。普通にアルコールである。飲まないけどね? 持ち込んでいる時点でギリギリだから。スズカもそんな目で見ないで? 

 

 

「家に帰ったら飲むから」

「……寂しくないですか? 一人で」

 

 

 煽っ……てはいない。この子は本気で言っている。スズカの前でも飲んだことあるもんね。普通に心配してくれたことは嬉しいので、スズカのジュースを注いで隣に座る。

 

 

「寂しいわよ。スズカが早く帰ってきてくれないと」

「ふふっ……別にトレーナーさんのお家は私のじゃないですよ?」

「合わせてやったのにこのっ」

「ふぁいふぁいふぁい」

 

 

 スズカの頬を抓る。尻尾をぶんぶんにして抵抗するスズカの唇をそのままぷるぷると弄り、わー、と笑わせる。

 

 まあ、スズカの自宅療養は年始からということになっているし、滞在先はトレセンではなく私の自宅なのですぐに一緒に住むことになるんだけど。そこから週何回か通院してリハビリをしながら筋力を落とさないように保ち、脚が地に付けられるようになったらそこから歩行のリハビリもして……と、かなり目白押しである。

 

 

 スズカのリハビリについては嬉しい誤算もあって、普段から悪路も坂路もお構い無しに走るスズカは体幹が非常に強いのだ。これはとてもプラスになる。

 

 

「そんなこと言うなら私の家には来させないからね。実家に戻ったら?」

「そんなこと言わなくても良いじゃないですか。私が行った方が嬉しいですよね? ね?」

「自惚れるなよサイレンススズカ!」

「ぷぁぷぁぷぁ」

 

 

 鼻を摘まんだり摘ままなかったり。ほんと可愛いなこいつ。こいつとか言っちゃった。スズカね、スズカ。

 

 

「……あ、トレーナーさん」

「ん?」

「誰か来ましたよ」

「え?」

 

 

 しばらくスズカと過ごしていると、唐突にスズカがそんなことを言い出した。私には感知できていないけど、ウマ娘の耳だと捉えられるらしい。服装をある程度整えて扉を向く。ブルボンなら料理を載せた台車と一緒に来るし、たづなさんかな? 

 

 

「失礼します!」

「……お? はい! どうぞ!」

 

 

 が、扉をノックしてからかけられた声は私の知らないものだった。少し裏返ってはいるが女の子の声だ。ウマ娘かな? 職員のテンションじゃないけど。

 

 入室を促すと、ゆっくり扉が開く。

 

 

「こ、ここ、こんにちは、エルナトのトレーナーさん!」

「こんにちはー」

「あ……はい。こんにちは」

 

 

 そこに、二人のウマ娘がいた。

 

 挨拶からめちゃくちゃ緊張が伝わってくる方が……あら可愛い。赤髪のツインテールにティアラを乗せた……えー……うん……大きいウマ娘。おおきい。女の私でも一瞬びっくりしたもん。

 

 で、全然緊張してなさそうなのが短髪で、大きな流星で目が見え隠れしているかっこいい系のウマ娘。挨拶の声量とは裏腹に、彼女の方が前に出ている。

 

 

「ども。ウオッカっていいます」

「あ、これは丁寧に……どうも」

 

 

 第一声で私がビビッてしまっている。大きな声を出されることが少ないからね。スズカもブルボンも必要がなければ話さなくても平気なタイプだし、騒ぐ子達じゃないから。

 

 

「ほらスカーレット。お前の用事だろ?」

「だ、だだ、ダイワスカーレットです! これ! お願いします!」

「あ……はい。どうも……」

 

 

 一応こちらも名乗っておき、差し出された紙を受け取る。あ、トレーニングの体験か。ごめんだけど、エルナトでは断っていて……と、言う前に一応ステータスは見ておこう。凄い子だったら話は別だ。ルールより能力を重視するのがトレセンである。流石にそれは嘘かも。

 

 

「……む」

 

 

 思わず声に出てしまった。素晴らしいステータスだ。来年がジュニアだよね? デビュー半年前か。にしては素晴らしい能力をしている。適正は二人ともマイルから中距離、ダイワスカーレット……ツインテの子は長距離も走れる。

 

 スピード、パワー、スタミナともに申し分ない。何なら同じ時期のブルボンより強い。これがすなわち才能の差か。

 

 

「トレーナーさん?」

「あ、いや。とにかくどうぞ、二人とも座って。お話を聞かせてね」

 

 

 こんな子がエルナトに来るのか……と少し驚いた。エルナトの評判、そんなに良くないはずなんだけどね。能力的にはウオッカの方がほんの少しだけ強いような気はするけど、差しウマは合わない。いや、ブルボンの練習相手にするという意味なら有りか? 

 

 二人を座らせ、飲み物を用意しておく。その態度にスズカは何かを感じ取ったのか、既に二人に何か話し掛けていた。

 

 

「二人は同世代なの?」

「そうっす。コイツ……スカーレットと並んで、来年デビューって感じっすね」

「じゃあブルボンさんの一つ下ね。よくうちに来てくれたわね」

「え?」

「トレーナーさん、誤解されやすい人だから……」

 

 

 何が誤解で何が誤解じゃないかも解らないけど、まあ良い。二人にジュースと、食べるかどうか解らないけどお菓子を用意して私も座る。

 

 

「えっと……とりあえずダイワスカーレット、これは受理したわ。体験ね」

「はい! よろしくお願いします!」

「ウオッカ、あなたは?」

「あ、いや、俺はスカーレットの付き添いっつーか……もうトレーナーも決まってるんで……」

「ふぅん」

 

 

 残念。まあ、同世代で二人、しかも真っ向から当たりそうなのを抱えても仕方ないけど。

 

 それで言えば、ダイワスカーレットを担当したとして、ウオッカが立ち塞がってくるのも嫌ね。やっぱり育てる以上は自信をもって送り出してあげたいし。何かの間違いで路線がずれたりしないだろうか。

 

 

「じゃあダイワスカーレット。私としては契約まで行っても良いかなって感じなんだけど……」

「えっ」

「え? いや、体験……あ、体験だけ? それは……困ったわね」

 

 

 まさかの聞き返しに驚き。なんかもう、割と抱えるつもりでいたけど。もちろん本人の希望とかあるし、私と……何よりスズカやブルボンと噛み合わないとダメなんだけど、最近はチームメンバーを増やせと言われてるし、強くて逃げウマ娘というのは一旦完璧だ。

 

 ちょっと怯え癖というか、気弱な子なのかな、というのはあるけど、多少大人しい子の方がスパルタ……もとい、従順に従ってくれるような気がするし。跳ねっ返りの強い子よりはね。

 

 

「あ! いえ、その、担当していただけるなら、もちろんそれは……」

「そう? じゃあダイワスカーレット、あなたの思う距離適性とか、進みたい路線とか……とにかく何でも良いからあなたのことを教えて?」

「はい、え、えっと……」

「……あ、じゃあ俺帰ります。すんません、来るだけ来て」

 

 

 付き添いのウオッカが帰ろうとして立ち上がり……ダイワスカーレットに腕を掴まれた。無言で、彼女の方を見ずに掴む。あ、その、めちゃくちゃ仲良い感じ? さっきコイツとか呼んでたけど、それはウオッカがアウトローなだけ? 

 

 

「……スカーレット」

「……いて」

「はぁ……面談みてえだしいない方がいいだろ?」

「別にいてもらっても良いけど……その方がダイワスカーレットが話しやすいなら。あ、飲み物も飲んで良いからね。あんまり緊張とかしないで話してくれたら良いよ」

 

 

 ……と、言うものの……まあそうはいかないかな。これまで面接した子達もそうだったからね。私には人生が懸かってないが、ウマ娘には人生が懸かっている。そこのギャップは埋められないのだ。

 

 話すことも覚束無いような気弱な子だと逆に扱いにくいんだけど……ダイワスカーレットはウオッカを座らせて、まっすぐ私を見て言った。

 

 

「……一番になりたいです」

「……ん? ごめん、なんて?」

「とにかく一番になりたいんです……!」

 

 

 おお……? なんだ? スズカか? 

 

 

「えっと……距離とか……」

「短距離……はちょっと忙しくて苦手ですけど、それ以外なら……! まずはトリプルティアラ、その先も一番のウマ娘になりたいです!」

 

 

 スズカだな。

 

 

「同類よ。良かったわねスズカ」

「え……こ、後輩の前でなんでそういうこと言うんですか……?」

「同じこと言ってるからさ」

「私は先頭を走りたいのであって、一番が良いわけじゃありません。トレーナーさんの理解が浅くてがっかりしました。あーあ。もうダメになります」

「もう」

 

 

 拗ねたスズカには後で対応するとして……ダイワスカーレットも案外話せてきたし、それにそういうことでうちに来ようと言うのは非常に珍しい。大体はもう後が無いからスパルタでも大丈夫です! と言ってくるのだから。

 

 案外気弱でも無いのかもしれないツインテールの彼女は震える手でコップから一気に飲み干すと、ふう、と一息入れて、またこっちを見る。目力があるなこの子。

 

 

「一番速くて一番強くて、一番認められるウマ娘になりたいんです! そのためにここに来ました! どんな練習でもします!」

 

 

 ……そう言い切る彼女はとても危うく見えた。何か、一番にこだわってそのまま身を滅ぼしそうなそんな予感さえ感じられるほど精神的に危ない……

 

 

 ……が、先頭にこだわっても滅びていないウマ娘がここにいる。全く問題はない。とにかく彼女の手をとって、何回か練習に参加してもらうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

「ただいま戻りました、フラワーさん」

「あ、お帰りなさい。楽しかったですか?」

「はい。マスターにもスズカさんにも喜んでいただけました。大成功です。これはフラワーさんへマスターから、クリスマスプレゼントだそうです」

「あっ……え、ほ、本当ですか……?」

 

 

 十二月二十五日、記録者、ミホノブルボン。

 

 本日はチーム・エルナトのクリスマスパーティーを行いました。いくつかの料理のレシピを覚え、家庭科の先生に一部器具の扱いを任せた上で、マスターやスズカさんと三人で過ごしました。

 

 結果ですが、自己評価、A。目立ったミスも無く、料理も美味しいと言っていただけました。どうやら新しくチームに合流するらしいウマ娘……ダイワスカーレットさん……がいましたが、その方にも褒めていただきました。

 

 

 そして、片付けをマスターに任せ、私はマスターからの二人分のプレゼントを持って帰宅しました。なお、スズカさんは入院中、またはマスターの家で療養する都合上、プレゼント交換は控えるように、とのことでした。

 

 

「な、何かお礼をしなくちゃいけませんね」

「お礼は不要です。フラワーさん。歳の差を考えてください」

「でも、戴いたからには」

「不要です。普段のブル……私へのサポートの返礼と考えてください。いつもありがとうございます、フラワーさん」

 

 

 事前にマスターが予想していたやり取りを行い、せめてメッセージを、といったところで収めます。文面を考え出すフラワーさんの一方、私はマスターからのプレゼントを開封します。

 

 

 一つは私が以前お話しした戦闘機のプラモデルです。二年前サンタさんにお願いした時は、既に発売中止ということで断られてしまったのですが……彼のプレゼント収集手腕を疑問視せざるを得ません。世界中にプレゼントを届けることはできるのに、人間であるマスターが調達できるプラモデル一つ用意できないとは。しかし発言はしません。今年も来てくれないと困るので。良い子でいましょう。

 

 マスターが用意してくれたのは、確かに私の記憶にあるあの宇宙戦闘機です。早急に組み上げて飾りましょう。ステータス『わくわく』です。

 

 

「ブルボンさん、あの、トレーナーさんって甘いものとか……」

「物品も金銭も食料も受け付けません」

 

 

 そして、もう一つ。マスター曰く『おまけ』らしい、一つの冊子。以前貰ったものよりややボリュームダウンしていますが、それは路線がクラシック三冠で確定したウマ娘のみを調べているからです。

 

 マスターからの『通知表』。マスターの能力分析はかなり正確だと思われます。どのような手段を取っているのかは不明ですが、マスターが怪我をすると言えば怪我をし、しないと言えばしない。スタミナが伸びていることと、スタミナの評価も相関にあります。

 

 そして、来年の私はクラシックを走ります。何度もマスターに言われました。私が一番強いのだと。何も心配せずにただ走れば一着で帰って来られると。

 

 

 表紙に大きく通知表と手書きされた冊子を開きます。一ページ目に、スズカさんの現在と、クラシック中期……つまり、マスターとスズカさんが出会った当初のステータス。特に目を見張るのは現在のものです。

 

 

 スピードSS+

 スタミナB

 パワーA

 根性C

 賢さB+

 

 

 下に注釈があります。スズカさんの距離適性では、必要なスタミナはC+からB+。スピードは恐らくトレセン最高値。

 

 ……流石スズカさんです。マスターが絶対にスズカさんが一番強いということを譲らないのも理解できます。信頼等の精神的繋がり以前に、マスターの目線では確かにスズカさんが最も強いと確信できるのでしょう。これに加えて、マスターから以前お聞きしたこと……レース中、最終コーナーと、最終直線において先頭であれば、この表記よりさらに上のスピードを発揮する、伸び脚があると。

 

 

 そして、ルドルフ会長、ナリタブライアンさん、マルゼンスキーさんの能力も開示されています。確かに、他の能力ではスズカさんに勝っていますが、スピードだけは追いついていません。然るに戦っても互角か、展開によってはスズカさんが有利というのはそういうことでしょう。ブライアンさんの能力が妙に低い点はあとでマスターに聞きましょう。マルゼンスキーさんも能力は同等ですが、逃げウマ娘であることがアドバンテージです。

 

 

 そして、次に、私の能力値。

 

 

 スピードD+

 スタミナC

 パワーD

 根性D+

 賢さD

 

 

 注釈。2000m、2400mを走るにあたっては、スタミナは及第点。これからスピードを伸ばし、安定させる。

 

 

 

 ……あれだけ、スピードはあるがスタミナが足りないと、お父さんも含め言われ続けてきた私の能力が、スタミナが十分、スピードが不足、と。今のミホノブルボンに足りないのは、速度であると、断言されました。

 

 

「……っ」

 

 

『これまでのスパルタの成果が確実に出ている。これからのクラシックも大安定、大本命。自分のペースで走れる限り敵無し。このまま行けば三冠、無敗の三冠も九割取れる。頑張れ、ブルボン』

 

 

 震え、ます。クラシック三冠。私の夢。そのために、私は。

 

 

「ブルボンさん、こんな感じでメールを……ブルボンさん?」

「……はい」

「わわっ……ど、どうしたんですか!? ぐ、具合でも……」

「いえ……心身ともにきわめて良好です」

「でもその、な、泣いて……」

「……なるほど」

 

 

 何故涙が……などというつもりはありません。大きな感情の起伏によるものでしょう。どういったものかは解りませんが。とにかく、このままではいられません。フラワーさんに頼んで携帯電話を取り出し、通話をかけてもらいます。

 

 

「両親に、実家にかけてください」

「はい。えっと……家、家……」

 

 

 伝えなければなりません。ミホノブルボンのことを。今すぐに、話さなければなりません。



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一番は譲れないサイレンススズカ

 

「ん-……これ」

「それじゃないです。これです」

「うわー……覚えてた、覚えてたって絶対」

 

 

 ある日。私とスズカは眠くてふらふらのブルボンを横に、病室で神経衰弱をしていた。

 

 スズカの退院の目途もつき、既に私のマンションの部屋にも多少の改善がなされている。こういう時高給取りで良かったと思うわけだ。何ならトレセンも結構援助してくれたので、これを機にベッドがキングサイズになった。これで安心。色々ね。

 

 

「トレーナーさん、ボケちゃったんじゃないですか?」

「私のこと年寄りだと思ってない?」

「でも一ペアも取れないのは流石に……」

「スズカが連続しすぎなのよ」

 

 

 もうスズカもすっかり元気になっているし、上半身だけだがトレーニングを再開している。今日もちょっとだけだがダンベルを持たせたし、腹筋もできる。股関節のストレッチも継続できるようになったし、何とか少しでも早く復帰してほしいものね。

 

 三連敗完封負けという大敗を喫したトランプを片付け、微笑ましい笑みを浮かべるスズカを無視してノーパソを開く。正式にダイワスカーレットが私のチームに仮所属となっていた。まあこのまま所属するだろう。というかたぶんだけどそんな生半可な覚悟で私のチームに来るとは思えないし。

 

 

 どうしてこうなったんだろうなあ……私、こう、気軽に強い子を見抜いて、楽に稼げると思ってこの仕事を選んだんだけど。誰のせいだ? ブルボンか? たぶんブルボンだな……こんなスパルタのイメージがつくなんてさ。

 

 

「ところで、スカーレットさん」

「うん」

「あの子はどうなんですか? 強い子ですか?」

「そうねえ……」

 

 

 概ねFからF+で纏まったステータスを見るに、非常に強いと言わざるを得ない。適性も前めの脚質二つにあるし……まあ、マイルから長距離まで走れるのは少し広すぎると言わざるを得ないが、それはブルボンと同じだし。

 

 あとは……まあ、本人が一番にこだわっているところと、隣にいたウオッカの存在だろうか。彼女もかなり強いみたいだったし、一緒にいたことも考えるとライバル……友人? なんだろう。彼女が目の上の何とやら。

 

 

「強いね。将来有望って感じ。G1も楽に取れると思う」

「へえ……じゃあ凄い子なんですね。一番って聞いた時はちょっとむっとしましたけど」

「気にしてたんじゃない」

「当たり前じゃないですか」

 

 

 頭を預けてくるスズカ。頬を撫で、髪を梳く。まあ、本人の前で直接食って掛からなかったあたり、私が彼女のことを認めて、チームに入れようとしていたのを理解していたんだろう。別にスズカが嫌だというならこれから誰も取らないというのもやぶさかじゃないけど。

 

 

「もちろんスズカの方が上だし、どう育ててもスズカより速くはなれないわよ」

「ふふ……そうですか? ちゃんと解ってますか?」

「解ってるって」

 

 

 私もスズカもそこは疑っていないし。どちらかと言えば彼女がその事実と私の事実に耐えられるかどうかだ。私は口が裂けてもスズカよりも速いなんてことは言わないし、戦ってスズカに有利を取れるなんてことも滅多に言わない。今までそれを言ったのはマルゼンスキーだけだ。

 

 ブルボンにもそんなことは言っていないし。言っていないのに勝手に燃え上がるのがブルボンの凄いところだけど。ダイワスカーレットもそういう子だと良い。何よりも本人が楽だ。頂点を目指すのは良いことだけど、それは頂点に届きうる場合に限る。スズカのような、どう考えても届かないものを見ても仕方が無いのだ。ウマ娘にレースで勝とうという人間がいるだろうか? という話。

 

 

「スズカはどう? 仲良くなれそう?」

「うーん……まあ、大丈夫だと思います……あんまり苦手なタイプってのも無いので。トレーナーさんが変なことを考えなければ、ですけど」

「そう。じゃあ何も心配ないわね」

 

 

 ぴこぴこ動くウマ耳に触れつつ、かくんかくんと舟を漕いでいるブルボンは眠そうなので聞くのはやめておく。まあ、ブルボンならたぶんマスターの判断なら、と何でも受け入れてくれるだろう。一応後で聞きはするけど、これでブルボンが「あの人は苦手なので入れないでください」とか言ったら逆に驚く。

 

 

「じゃあ加入かな……大丈夫かな、トレーニング、スズカとブルボンしかやってなかったけど」

「それがどうして問題なんですか?」

「二人ともマトモじゃないからよ」

「あーあ。私は今傷付きましたー」

「今更でしょ?」

 

 

 ごてん、と寝転がってしまったスズカの胸をぽこぽこと叩く。勝手に走る子と何を言ってもやってくれる子のどこがマトモなの。ブルボンもこっち見てはっとしてるけどさ。ブルボンもそんなリアクションする権利無いからね。

 

 

「普通にトレーニングしなきゃいけないんだから。ちゃんとモチベーションも保たなきゃいけないし」

「私達なら必要無いってことですか?」

「お? じゃあ走りたくないですって言ってみなよ」

「……走りたく」

 

 

 スズカが止まった。口をぽかんと開けて、冷や汗を流し始める。ふふふ、と笑う私に、首をぎぎぎと向けた。顔を少し赤らめて、呼吸も止まる。

 

 

「ふふふ。どうしたのー? もしもーし」

「……むむむ」

「スズカさーん」

 

 

 ぴろぴろぴろ。上唇を指で弾く。しばらくして、諦めたのかごろりと寝転がって深く布団を被ってしまった。

 

 

「ふんだ」

「私の勝ちね」

「知りませーん。もうトレーナーさんなんて知りませーん」

「拗ねないでスズカ。もちろんちゃんと大事よ。スズカを放ったりしないから、ね?」

「つーん」

「もー」

 

 

 布団の上からぐりぐりと撫でる。んー、と暴れるスズカ。まあ、現実には二人ともちゃんとモチベーションの管理が必要なんだけどね。未だにブルボンの下がる理由とかは解ってないけど。どうやったら復活するのかも微妙なところだし。

 

 

「ほらスズカ、機嫌直して? 別にスズカを蔑ろにしようって話じゃないからさ」

「やーでーす」

「ブルボン! くすぐるわよブルボン!」

「了解しました」

「え? いや、待って、わあああ……!」

 

 

 二人でスズカを上から擽る。一頻り諸々が終わって、疲れて眠ったスズカを置いて私達は帰った。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「おはようございます!」

「おはようダイワスカーレット。よろしくね」

 

 

 めちゃくちゃ夕方だけど。

 

 

 その日の夕方、陽が沈む少し前。私とブルボンはいつも通りトレーニングに来ていた。この前ブルボンに渡した通知表の通り、これからは坂路を抑えめにしてスピード練習を多めにしていく。

 

 ブルボンは何故か坂路でスピードとスタミナが伸びるので別にいきなり坂路をやめる必要は無いんだけどね。ダイワスカーレットが初日なのにあのイカれた坂路練習をする必要も無かろうて。

 

 

「じゃあ200インターバル。無制限にスピード上げて良いからね」

「はい」

「ダイワスカーレットもあまり離されないように頑張って」

「はい!」

 

 

 ウッドチップコースに向かっていく二人。ダイワスカーレット、結構真面目な子ね。自分から率先してブルボンの準備運動も手伝っていたし、アップもかなり真剣にやっていた。内気で控えめって言うのは勘違いだったかな。返事も良いし、緊張しやすいだけで真面目な優等生タイプかも。

 

 

「はい、じゃあスローで200ー」

 

 

 走り出す二人。ブルボンが前、その後ろにダイワスカーレット。ちゃんとスピードが上がっていることを確認して一ハロン

 

 

「スプリント! ぶっちぎりなさいブルボン! 七バ身!」

 

 

 一気にスピードアップ。うん、流石にブルボンが速い。クラシックも安泰だろう。

 

 ペースを落としてもう一ハロン。でも、思ったよりダイワスカーレットも追い縋っていたというか、七バ身目標とは言ったものの大差になると思ったのだけど。200だしそこまで差が開かないというのを差し引いても、大した勝負根性をしている。これはやっぱり逃げ先行ウマ娘というところ。

 

 

「スプリント!」

 

 

 三回目のスプリント。ダイワスカーレットが露骨に落ちたかな。まあしょうがない。とりあえず帰って来た二人を呼び止める。

 

 

「ん、じゃあじっとしててね二人とも」

「はあ……」

 

 

 何をするんだろう、と息を切らしながら不思議そうな顔をしているダイワスカーレットを横に、まずはブルボン。うん、まあまだ走れるわね。一応少し心拍や脚にも触れてみるけど異常無し。もう二セットくらい大丈夫でしょうたぶん。

 

 で、ダイワスカーレット。一応、これからどれくらい近付いていいのか知りたいので、彼女の顔に触れてじっと目を覗き込む。スズカといいブルボンといい顔が良すぎるでしょ。赤い目に合わせればすぐに情報が見えてくるけど……うん、まだ大丈夫ね。

 

 

「オッケー。水分だけ摂ってもう一セット行こうか。ブルボン、もっと千切りなさい。相手は一つ下世代よ」

「了解しました。必ず」

「ダイワスカーレットは素晴らしいわ。よくあそこまで追い縋れるわね。でも無理に追い抜こうとしないで、真後ろに付くと良いわ。風除けもできるし」

「い……いえ……抜かします……!」

「そう? でも……あー……解った。行ってらっしゃい」

 

 

 危ない危ない。危うく「でも絶対抜かせないよね」と言ってしまうところだった。そういうのは流石にモチベを下げるので初日から言うのはね。まあ七バ身ぶっちぎれ! も結構際どかったような気もするけど……それは反省しよう。

 

 

 とにかくまた走り出した二人を見ながら、ダイワスカーレットのトレーニングも考えておく。ブルボンのように坂路漬けにする必要は無い。まあスピードとスタミナを上げていく感じになるのかな。先行策も本人が希望しないでもなければやらない感じで。逃げで良いのよ逃げで。逃げは全てを解決するんだから。

 

 

「……ん、じゃあダイワスカーレットはこれでおしまい」

 

 

 戻ってきて、早くも怪我率が出たダイワスカーレット。もう? これはブルボン基準とかじゃなくて、早すぎるような気もする。体が弱いとかかな……体力が無いとか。

 

 でも仕方が無いので終了を宣言すると、ダイワスカーレットが心底驚いたような表情でこちらを見てきた。

 

 

「え? でも私、まだできますけど……」

「いや……やっちゃダメ」

「え、えっと、初日だからこれで終わりとか、そういう……」

「ううん。単純にこれ以上はオーバーワークだから」

「オーバーワーク……?」

 

 

 自分の体を触れながら困惑するダイワスカーレット。精神の方が習熟しているのかな。まだできると判断しているけど、体の方が先に限界になっていると。これは良い。つまり、これからも身体の限界まで鍛えることができるということだ。

 

 

「とにかく休んで。見てても良いし帰っても良いから」

「……見学します」

 

 

 そう言って、大人しく座るダイワスカーレット。そして私はブルボンを走らせる。

 

 

「じゃあブルボン。単独で走るわよ」

「はい」

「ハロン13秒台に乗ったら強制的に終わりにするから」

「……承知しました。全力を尽くします」

 

 

 そう言って走り出すブルボンを、ダイワスカーレットは恨めし気に見ていた。




早く化けの皮剥ぎたい……剥ぎたくない?実際剥がないとツッコミ要員にならないんだよなあ。


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一緒におでかけするミホノブルボン

日常回のサブタイに悩む定期。


 

 大晦日、私とブルボンはちょっとした買い物のために街に出ていた。

 

 

「ブルボン。これ香りどっちだっけ。こっち?」

「スズカさんが常用しているものであればこちらです」

「あ、それか」

 

 

 ダイワスカーレットが合流し、私達のチームも三人になった。三人といえばいつか学園にあったらしいアオハル杯にも参加できる人数である。マイルのスズカ、中距離のダイワスカーレット、長距離のブルボンでバランスも良い。

 

 というわけで、少しだが物資の買い出しをしなければならない。本来なら私一人でやるべきものだが、ブルボンを連れていくと荷物持ちとメモの役割を兼ねてくれる。非常に賢い子だ。

 

 

「これくらいかな……うん、ありがとうブルボン。じゃあレジ行って帰ろうか」

「はい」

「帰りにどこか寄る? ちょっとならお菓子買っても良いよ?」

「ありがとうございます。是非」

 

 

 いつものパーカーを着てカートを押してくれるブルボン。ぴこぴことウマ耳が動いている。ブルボンも何だかんだでウマ娘なので、食欲旺盛である。ブルボンにしろスズカにしろ他の欲求が強すぎて霞んでいるが、本来甘い食べ物に逆らえるウマ娘など存在しない。ふふん、と少しご機嫌になってカートを押していくブルボン。

 

 

「スズカさんの分も買って届けましょう」

「ダメ。今日は病室にスペシャルウィークが来るから。一人だけ食べられないのも可哀想でしょ」

「では私も」

「だから内緒ね、内緒。病院行かないで神社行くから」

 

 

 店内は混みあっていてレジ前ともなると行列になっている。流石は年の瀬という感じだ。去年は神社に行けたんだけどね、流石に今のスズカを人ごみに連れ出すわけにはいかないし。

 

 一方ブルボンはちゃんと今日から連れていく。お祈りもして来年に備えないと。それからブルボンの実家に行って挨拶をして、それから家に帰る感じで。スズカの実家にも行こうと思ったんだけど、スズカから別に来なくていいですと言われてしまったし。仲が悪いわけじゃないんだろうけど、関係性がよく解らないんだよねあの一家。

 

 

「何が食べたい?」

「候補には何がありますか?」

「何言っても大体食べられるでしょ」

「ではアップルパイが良いです」

「ちょっと遠くなるねえ」

 

 

 一瞬へにょりかけたウマ耳を立たせて、会計を済ませる。他のことは大体できるブルボンだが、セルフレジだけは何もできない。下手に触れて破壊すると洒落にならないから仕方が無いので、私が全部やるのをひたすら見ている形になる。

 

 

「マスター、本日私の実家に来られるということですが」

「うん」

「午後三時過ぎにマスターの携帯に、夕飯の献立についてお母さんから連絡があるそうです」

「……え? 行くの深夜よ?」

「是非と」

 

 

 どうして私の担当ウマ娘は可愛いのに実家が可愛くないんだろうなあ……尊敬度が高すぎるブルボンの家と、やたらと私とスズカの関係を疑ってくるスズカの家。ダイワスカーレットの家もなんかそういう一面があったりしないだろうな。

 

 

 晩御飯は後で何とか断るとして、荷物を車に積んでブルボンご所望のアップルパイを買いに走る。ブルボンの分だけ買って、もぐもぐ食べるブルボンを横に高速へ。やはりというか今回も、空いていそうな神社を調べてある。調べたのは私じゃなくてマチカネフクキタルだけど。

 

 

「マスター、電話です」

「ん」

 

 

 運転は続けつつ、ノールックで左手を差し出す。ブルボンが私の手を握り、自分は触れないように通話ボタンを押す。スピーカーまで押して、それから対応もブルボンがしてくれる。

 

 

「はい。チーム・エルナト、ミホノブルボンです」

『あ、ブルボンさん。運転中?』

「おースズカ。どうしたの」

『トレーナーさん。今スぺちゃんが来て挨拶をって……今日はもう来ないですよね?』

「そうねえ」

 

 

 でもまあ挨拶がしたいならとそのまま代わってもらう。菊花賞、ジャパンカップ、有馬記念と最近負けが続いている……いや、成績自体はめちゃくちゃ良いし、まずそのローテで走れることが凄いんだけど、まあ負けが続いている。しかし、かなり元気そうというか、日々楽しそうにしている。こういうところがトップウマ娘の貫禄というか。仲間が強くなることで自分が強くなることができる、と心から喜ぶことができるのだ。

 

 あの世代、本当に爆発しそうだもんね……二冠ウマ娘、ダービーと秋シニア二着、有馬記念、ジャパンカップから来年は海外。キングヘイローも一着が無いだけでいつも掲示板にいる。最強世代じゃん。

 

 元気な彼女の所信表明や感謝の言葉を聞きながら、こちらも目的地付近まで近付いてきた。

 

 

『と、いうわけなので、また是非よろしくお願いします! 私のトレーナーさんも、何か手伝えることがあればって言ってますから!』

「うん。後でお礼を言っておくわ。スペシャルウィークも頑張ってね。次は春?」

『少し間を空けて休まなきゃって言われちゃいました。トレーニングはしっかりやりますけど』

「それが良いわ。来年も楽しみにしてるからね。春の天皇賞と、有馬記念とか?」

 

 

 大阪杯、宝塚、秋の天皇賞、ジャパンカップはスズカが貰うけど。

 

 

『……中距離はスズカさんが浚うってことですか?』

「バレた?」

『必ずスズカさんに勝ってみせますから。私達みんなの悲願なんですからね』

「怖いこと言うなあ」

 

 

 実際スペシャルウィークとグラスワンダーあたりは怖いのよね。有馬記念で勝ったのはグラスワンダーなんだけど、実力だけを見るならどう考えてもスペシャルウィークが勝つべき勝負だった。それでもグラスワンダーは届いたのだ。ダービーでのスペシャルウィークVSエルコンドルパサーでも同じようなことが言える。

 

 つまり、あの二人は、実力を気合で覆すことのできるタイプ……つまりマチカネフクキタルみたいなタイプなんじゃないかって話。そうなると状況次第ではスズカを下す可能性も出てくる。それは本当に怖いわ、私。

 

 

『安心してください、トレーナーさん。そんなことにはなりませんから』

『スズカさんまで……絶対勝ちますからね……負けませんから……!』

 

 

 声しか聞こえないがご機嫌に煽るスズカ。仲が良さそうで何より。そろそろ到着するので切るわね。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「あー……あちこち痛いわ……」

「マッサージしましょうか」

「大丈夫よ。それよりブルボンは平気?」

「問題ありません」

 

 

 神社。大晦日の日が沈んですぐということで、マチカネフクキタルに祈りながら来た少し小規模な神社は、割と空いていた。マトモな神社か? これが……と驚きつつ、ちゃんと祈祷はやってくれた。そういう知識は人一倍あるというのは伊達ではなかったらしい。

 

 私の体が座布団一枚の正座に耐えられなかったのはともかく、あまり開いていない出店の中から適当に食べ物を買って車に戻っている。

 

 

「時間ありそうだし、どこか大きいところも行こうか」

「良いのですか?」

「そんな遠くないし。たくさん祈った方がご利益だってあるでしょ」

 

 

 よく知らないけど、たぶんそうじゃないかな。膝いっぱいにご飯を並べて平らげるブルボン。晩御飯だしもうちょっと食べられるだろう。もっと栄えているところに行った方が出店も多いし、お御籤だけ引いて帰ってくるとかでも良い。

 

 ファンの人に会ったら面倒……とかは思っていたけど、今はあながちそうでもないんじゃないかと思っている。朝日杯も勝ったことだし、ブルボンはしつこく三冠路線に進むと言い切っている。ここでついてくれるファンはたぶん、それを応援してくれる人達だろう。交流も、まあマイナスではないんじゃないかな。

 

 

「来年はもっと忙しくなるしさ。良いんじゃない。一人の神様だけじゃ背負いきれないかもしれないでしょ」

「神様は全能ですから、平気だと思いますが」

「細かいことは良いの。三冠なんて取ったらスズカの比にならない評判が立つのよ。ブルボンならなおさらね」

「……確かに、そうかもしれません」

 

 

 スズカはただ強いウマ娘であって、その身にタイトルは無い。まあG1勝利数は大変なことになっているけど、三冠……特に無敗三冠となればその名誉は比にならない。それを来年ブルボンが取ると。すげえ。

 

 

「そのために頑張らないとね、ブルボン」

「はい。これからは特別コースも頻繁に行いましょう」

「それはダメ」

「なぜ……?」

 

 

 なぜ、じゃないでしょ。

 

 

「言っておくけどブルボン。もういらないって。もうスパルタしなくても良いんだってば。もうスタミナも十分だから」

「今度はスピードが不足しているとマスターが言ったはずです」

「そうなんだけどね? でも違うじゃんそれとこれとは」

「能力を上げるにはトレーニングが最適です」

「もー」

 

 

 ほにゃほにゃ食べながら生意気を言うブルボンの頬を横から潰す。慌てて飲み込むブルボン。一瞬止まったものの、何事も無かったかのように食事を再開してきた。

 

 

「しかし」

「食べながらでないと話せんのかおのれ」

「失礼しました」

 

 

 ごくん。

 

 

「成長のためには人以上のトレーニングが必要です。お父さんも、マスターもそう言った発言をしました」

「私は言ってないって」

「私の会話ログには言ったとあります」

「私のログには無いのよ」

「記憶力においてマスターに劣るとは思っていません」

「このっ、ぽんこつロボット! この口か? この口がいけないのか?」

「んむむむ」

 

 

 頬っぺたを挟んで上下に動かす。寒さで少し赤らんだブルボンが、されるがままに頷いた。

 

 

「とにかくダメったらダメだからね。絶対ダメ」

「しかし」

「しかしじゃなくて」

 

 

 ブルボンがスズカみたいになってきたな。謎理論で押し切ろうとして無理ならbotになるスズカと違って、ブルボンはずっとbotだけど。とにかくしかしで押し切ろうとしてくる。毎回そこで口を挟む私がいけないんだけど。

 

 

「そんなことしなくてもブルボンは強いんだからね」

「しかし私の強さとはトレーニングによって得られたものです」

「そ……う言われると何も言えないわね」

 

 

 スズカだけじゃなくてブルボンとの言い合いにも勝てるようにならないといけないのか、私は……? 

 

 

「……まあ百歩譲ってそれはどうでも良いけど、ブルボン」

「良くはありませんが」

「ダイワスカーレットにそれを言うのはやめてね。一応言っておくわよ」

「真実を伝えるのは重要です。特に彼女は強くありたいと思っているようですから。既に何人かにも言っています。トレーニングは全てを解決すると」

「……あちゃー」

 

 

 やってしまったね、ブルボン。だからうちのチームがイカれてるみたいな扱い受けるのよ。

 

 一度チームの決まりを作らなければならない、と強く実感しながら、私達はブルボンの実家へと向かった。



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スズカシニアⅡ/ブルボンクラシック
実家のように安心するサイレンススズカ


 

「はあ……やっぱりここが我が家って感じがします……」

「我が家じゃないでしょ」

「我が家みたいなものじゃないですか」

 

 

 新年を迎えたある朝。スズカが病院を退院し、私の自宅へとやって来た。

 

 このためにちょこちょこっとリフォーム……まあトイレとお風呂、玄関に手すりを付けて、ベッドを大きくして、最悪ギプスを吊るせるように金具を取り付けたり。あと、電気をリモコン操作できるようにしてもらったりを済ませて、ようやく引っ越しである。

 

 スペシャルウィークが寮で一人になった……と思いきやそんなことは無いらしく、彼女の部屋は主にグラスワンダーが入り浸っているらしい。なんでも、自分の部屋にいると騒がしかったり臭いが気になるんだとか。どういうことよ。寮を跨ぐような支障があるの? 

 

 

「んー……」

「寝ないでね? すぐ学園に行かなきゃいけないんだから」

「寝ませーん」

「寝そうじゃない、もう。ほら、起きて」

「あー……」

 

 

 後輩達と病室で新年を迎えたスズカは、今朝が早かったのもあってとても眠そうにしている。松葉杖を放ってソファに突っ伏すスズカを転がして仰向けにして、私もちょちょっと掃除を済ませる。

 

 

「ところでトレーナーさん」

「ん?」

「スカーレットさんはどうですか?」

「どうって……まあ、普通?」

 

 

 ダイワスカーレット。新年は実家に戻っているらしく練習は休んでいる。たぶんこのままチームに加入するだろう彼女だけど、まあ従順に指示には従ってくれている。終了を告げると決まって少し寂しげにしているけど、今のところ理由が解らない。

 

 私に不満があるなら言ってくれれば、まあ直せるところは直すんだけど……今は学園にスズカがいないから、私は自他ともに認める一般的女性トレーナーのはずなんだけど、何が不満なのか。

 

 でもまあ、言いにくいのかもしれない。何しろ、先輩にあたるブルボンがわたしに一切意見をしないのだ。ダイワスカーレットが慣れるまで、トレーニング中の交渉……つまり、もっと厳しくだの倒れるまでやろうだの、そういう交渉はしないと言ってあるのだけど、そうするとマジでブルボンがトレーニング中話さなくなる。淡々と私に言われたことを消化して、その報告くらいしかしない。

 

 

 でも、それを許すとダイワスカーレットの前でブルボンを殺すことになってしまう。なんかこう……嫌じゃない? 気分が。それに、ダイワスカーレットを理由にしてスパルタロボットを黙らせられるならそれが良いわけで。

 

 

「ブルボンさんとも大丈夫ですか?」

「何? 気を遣ってるの、スズカ」

「そういうわけじゃないですけど」

 

 

 ソファに転がりながら、掃除機をかける私を目と指先で追うスズカ。

 

 

「ブルボンさん、トレーニング大好きだから、浮いちゃうんじゃないかなって」

「スズカが浮かないんだから大丈夫よ」

「私がトレセン一変な子だって思ってませんか……?」

 

 

 そうでしょ? 

 

 

 掃除を終え、色々準備を少ししてからスズカを起こす。変な子扱いにむくれるスズカの頬を指で潰して、ふひゅ、と鳴らしておく。少し乱暴に頭を撫でると、スズカは少しご機嫌に擦りついてきた。

 

 

「撫でれば何でも許すと思ってないですか?」

「許してくれないの?」

「……許しますけど」

「なら良かった。じゃあ車に乗りましょう。トレセンに行かないと」

 

 

 理事長なりたづなさんなり、挨拶とお礼回りに行かないといけない。とりあえずスズカがここまで回復したことも伝えないと。たづなさんは結構お見舞いに来てくれていたらしいし、私が知らないうちに理事長も一度来たらしいけど。

 

 

「よいしょ……と」

 

 

 片脚で立ち上がり、私が松葉杖を渡すまでそのまま立っているスズカ。片足立ちだというのにほとんど揺れずバランスを保っていられるのは、やはり強靭な体幹と持って生まれたバランス感覚の賜物だろう。これがあるからスズカはどこでも走れるし、どこでも走るからさらに磨かれていく。

 

 

 んしょ、んしょ、と杖をついてついてくるスズカ。車まで乗ると、思い出したかのようにはっとして座席の横から頭を出してきた。

 

 

「で、話は終わってません。私聞いたんですからね。スカーレットさんが来てからブルボンさんのトレーニングが温くなったって」

「いや……まあ、温くなったのは本当だけど、それでも周りの基準からすればめちゃくちゃ普通か少し厳しいくらいなのよ」

「私が戻った時もそうならないか今から心配です。たくさん走りたいんですよ、私は」

 

 

 頬をつつかないで。

 

 

「元々スズカは走らせるつもり無いから。危ないからシートベルト着けなさい」

「はい……いやでも、ブルボンさんも私の仲間です。走りたいのにトレーナーさんが走らせてくれない同盟ですよ」

「ろくな同盟じゃないわね」

 

 

 それにその同盟、加入ウマ娘に差がありすぎるでしょ。ブルボンはなんだかんだダメだって言ったら何もしないのよ。でもスズカは何を言っても走るじゃん。我慢が利かなすぎる。

 

 

「むぅ……でもブルボンさん言ってましたよ。もっと厳しくされたいって」

「いけない方向に進みつつあるのを私は止めなきゃいけないのかしらね……」

「可愛い可愛い担当の望みは叶えてあげるべきじゃないですか?」

「そうだねって言ったら、じゃあ走らせてくださいって言う可愛い担当がいるからダメ」

「……そんなつもりないですよ?」

 

 

 露骨に目を逸らし、シートベルトですっと目を隠すスズカ。バックミラーから逃げるように体を傾けている。尖らせた唇で吹けもしない口笛を吹く。

 

 

「ふひゅー」

「へたくそ」

「む……」

「とにかくダイワスカーレットが慣れるまで……というか慣れてももうブルボンにそこまでする必要は無いんだからね」

「ブルボンさんがかわいそうです……」

「あなたたちの可哀想の基準がもう……可愛いわ」

 

 

 まるで私が悪いみたいに言いおって。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「あけましておめでとうございます!」

「あらスペシャルウィーク。あけましておめでとう」

「おめでとうスぺちゃん。今年もよろしくね」

 

 

 トレセンで大人たちへの挨拶を済ませてトレーナー室に戻っている途中、スペシャルウィーク達……いわゆる黄金世代に出会った。

 

 

「あけましておめでとう、デース!」

 

 NHKマイルカップ、ジャパンカップの勝ちウマ、エルコンドルパサー。世界最強になるべく、今年は主に海外を周り凱旋門賞を狙うらしい。世界最強、なれるといいね。スズカ以外だから世界二位か、世代最強くらいを名乗ってほしいところだけど。

 

 

「おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします」

 

 朝日杯、それから怪我を経てなお有馬記念を勝ったグラスワンダー。今年こそはスズカへの引っ掛かりを無くしていただきたいところ。メンタルが強いのか弱いのか解らない子だ。

 

 

「おめでとうございます。ご健勝、ご多幸、心よりお祈り申し上げますわ」

 

 非常に丁寧なのがキングヘイロー。今まで勝ちには恵まれていないが、どんな距離、どんな状態のバ場でも三着までに粘って滑り込んでくる凄いウマ娘だ。多分一度も外していない……のかな。私が見ても、まあ全距離を走れる素質というものがある。

 

 

「おめでとうございまーす」

 

 そして二冠、セイウンスカイ。菊花賞での逃げは後で映像を見たが見事だった。スペシャルウィークには基本的にスペックが劣っているはず……なんだけど、戦略や駆け引きでそれを乗り越えるというのは私達には絶対にできない芸当だ。素直に尊敬。

 

 

 それぞれが別の世代なら三冠と言っても良い素質を持ちながらも、伯仲のもとせめぎ合う物凄い世代……それがこの黄金世代である。ちなみに、それら黄金世代最強がいつかぶつかるだろうと言われているのが隣でにこやかに挨拶をしているサイレンススズカその人である。

 

 

「今年はやっとスズカさんと戦えますから。頑張りますよ!」

 

 

 まあ、当の本人達にとってはスズカへの挑戦というのはあまり眼中に無さそうだけど。グラスワンダーはまだスズカへの引っ掛かりを解消できていないし、エルコンドルパサーは海外進出、セイウンスカイは何も言わず笑っているだけ、キングヘイローは……浮かない感じ。一人だけ勝ちに恵まれていないことに引け目でもあるのかな。

 

 

「ええ。楽しみね、スぺちゃん」

「私を何とも思っていないこと、必ず後悔させてあげますから……!」

 

 

 そんな彼女らとスズカの言い合いを眺めつつ、私は鞄から用意してきたものを取り出した。

 

 

「じゃあはいこれ、ちゃんと挨拶ができた五人にお年玉をあげよう」

「ありがとうございマース!」

「やったー、ありがとうございまーす」

「ちょっとスカイさん!」

「エル……失礼でしょう」

 

 

 素直に受け取ってくれるエルコンドルパサーとセイウンスカイ、受け取らないどころか二人を窘めるキングヘイロー、グラスワンダー。五人の違いがよく解る。スズカのみならず私のこともかなり理解しているはずのスペシャルウィークは少し遠慮気味に受け取った。

 

 

「グラスワンダー」

「受け取れません。去年もさんざんお世話になりましたし……」

「キングヘイローは」

「同じくです。多く助けられていますから」

 

 

 あんまり助けた覚えは無いけど固辞されてしまった。

 

 

「じゃあ二人の分もセイちゃんが貰っときまーす」

「そう?」

「なっ……ちょっと!」

「だってキングはいらないんでしょ? トレーナーさんも、出したお金は引っ込められないですよねー?」

 

 

 サンキューセイウンスカイ。

 

 

「そうねえ。困っちゃうわ。いらないなら捨てちゃうかも」

「ほらほら。キング? 相手の顔を立てるのも一流のやるべきことだよね?」

「くっ……では、お、お言葉に甘えて……」

 

 

 キングヘイローは貰ってくれた。あとはグラスワンダー。

 

 

「グラスワンダー?」

「……受け取れません。何度も迷惑をかけたうえ、身勝手に挑戦状を叩きつけ、何の成果も得られず……有馬記念の賞金も全額トレーナーさんに受け取っていただこうと」

「あっそれは受け取ってあげて。マジであなたのトレーナーさん困っちゃうから。本当に。怒られちゃうから」

 

 

 会うたびにストイックが極まっている。ストイックというか……自分に厳しすぎる。これはこれで他にはない彼女の特徴なのだろう。とことん自分の欲望のことしか考えていないスズカ、目標のためには何も省みないブルボンと来て、自分にひたすら厳しくするグラスワンダー。ここまでくるともしかしたら私がおかしいのでは、と思わなくもない。

 

 

「まあ、そこまで言うなら」

「グラスちゃん。私のトレーナーさんを困らせちゃダメでしょ」

「うぐ……し、しかし……」

 

 

 スズカが横槍を入れてきた。私は諦めようとしたんだけど、流石にスズカに言われるとグラスもうっとした顔でたじろぐ。

 

 

「受け取ってあげないと困っちゃうこともあるのよ。お年玉とか、レースの賞金も」

「うぅ……」

「ちゃんと自分のために使ってね」

「……ではその、あ、ありがとうございます……」

 

 

 グラスワンダーにも受け取ってもらうことができたので、お別れしてトレーナー室へ。ちょっと休憩して帰宅。今日の用事は終わりだ。いや、ダイワスカーレット関連の手続きがちょっとだけ残っていたかな。

 

 

「ありがとねスズカ。助かったわ」

「頑固ですものね」

「本当にね」

 

 

 パソコンを開き、ソファで寄りかかってくるスズカの喉元を擽りつつ立ち上げる。そのまま仰向けに倒れ込んだスズカ。

 

 

「そういえば、スズカにもお年玉、あげようか」

「えー……一万円貰うより10000mが欲しいです」

「どういうことよ」

「走りたいです……」

 

 

 10000kmじゃないんだ、と言った私に、流石にそれは死んじゃいます、と真面目な顔になったスズカがムカついたので、スズカへのお年玉は五百円にした。




なんだかんだスズカ覚醒と世代ランダムの一番の影響を受けてるのはスペシャルウィークなんですね……


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二つは我慢できないサイレンススズカ

 

「やっぱりここに来ると走りたくなりますね」

「それ、さっきも聞いたねえ」

 

 

 ある日。スズカはトレーナールームで平和そうにのほほんとして私が買って来たはちみーを飲んでいた。人間が飲んだら一発で糖尿病になりそうな、はちみつにさらに糖度を足した地獄の飲み物である。ちなみに、走りたくなりますね、は今日だけでも五回聞いた。何かの施設を見る度に走りたくなるのだ。

 

 

「トレセンは走るところですから」

「勉強するところでしょ」

「トレーニングセンター、ですよ?」

「学園、よ?」

 

 

 ウマ娘達にも長期休みはある。ただし、トレーニングはそれぞれの裁量なので、基本的には無いことの方が多い。完全にレースを諦めて退学間近、みたいな子は十分に満喫しているらしいけど、当然私の担当にそんな子はいない。スズカなんて今すぐ脚が治ったらそのままG1でも出るようなレベルで溜まっているし。

 

 今日も夕方からダイワスカーレットとブルボンのトレーニングがあるということで、スズカを連れて昼食をとってそのままトレセンに来ている。二人はまあ、まだ来るまでしばらくあるけど、まあただ待ってるだけだし、スズカと二人きりで何も支障は無いし。

 

 

 私の肩にもたれ掛かるスズカ。私はと言えば、ダイワスカーレットのことを考えていた。

 

 ダイワスカーレットにも結構トレーニングに参加をしてもらっているが、やはり消耗が激しい。体が弱いというより最近は、もしかしたら彼女はスズカと同じような存在ではないのかと気付き始めた。

 

 スズカと出会ってしばらくの間も、何故か消耗の激しいスズカのことを不思議に思ったものだ。しかし、それはスズカの体が弱いのではなく、ただ単に私の知らないところで走っているだけというのが判明した。そこからまあ、こういうスズカとのやり取りが始まったわけだ。それに、そのことはスズカも問い詰めるまでもなく話してくれた。何も悪いことだとは思っていない口ぶりでね。実際怒るつもりは無いけど、トレーナーをつけているのに勝手に走ってトレーニングに支障が出てるのは人によっては普通に悪行でしょ。

 

 

「こんな厄介な子が二人になるのかな……」

「……なんでこっち見るんですか? 私が厄介だって言いたいんですか?」

「違うの?」

「あーあ、今私傷付きました」

 

 

 ずり下がって私の足に寝転がるスズカ。はちみーのプラスチックカップを置いて、私の左手を手に取って振る。どう考えても厄介極まりないスズカは、走れなくなってからというもの元来の甘えたがさらに増している気がする。まあ可愛いから良いんだけど、ころころ転がっていて脚は大丈夫なのかと一瞬心配になる。そこはやっぱりウマ娘、人間とは体の使い方のレベルが違うわ。

 

 

「勝手に走る子のどこが厄介じゃないの」

「勝手じゃないですよ。トレーナーさんに毎回言ってますよね? 走りたいですって」

「走りたいのであって走るとは言ってないでしょ」

「お腹空いたって言ったらそのうちご飯を食べるし、お手洗いに行きたいって言ったらそのうち行きますよね? つまり?」

「つまり? じゃないのよーっ」

「ぷぁぷぁぷぁ」

 

 

 したり顔のスズカの鼻を摘まんだり放したり。はちみーのストローを口に運び、一口飲おえっなんだこの飲み物バカじゃないの殺す気か? 甘すぎ甘すぎ。スズカの心から理解できないことリストに入れておきます。

 

 

「人間の飲み物じゃないですよ」

「みたいね」

 

 

 ティッシュに吐き出しながら、ストローはスズカに向けておく。授乳みたいな体勢だな。飲みにくくないんだろうか、スズカも。

 

 

「美味しいの、これ。ウマ娘には」

「美味しいですよ。甘いし」

「甘ければ何でも良いの?」

「そうですねえ」

 

 

 そんなに言うなら砂糖でも食べたら、と言おうとして、蜂蜜なんか砂糖の塊みたいなものだと気が付く。ウマ娘は甘いものに弱い、それは解っていたけれど、まさか甘ければ何でも良いのか。流石に冗談か。スズカも笑ってるし。

 

 

 用事も終わったことだし、パソコンは閉じる。ブルボンとダイワスカーレットを待って、来たらすぐにトレーニングだ。それまでに、スズカには色々言っておかなきゃいけない。

 

 

「ところで、スズカ」

「はい?」

「ダイワスカーレットの前では甘えるの禁止ね」

「……はい?」

 

 

 ダイワスカーレットのことは私も結構調べたし、たづなさんにも聞いてみた。その代償に朝帰りを決めてしまったが、まあそれは誤差みたいなものなのでセーフ。同性だし何も問題は無い……無いのかな。無いと思う。

 

 で、ダイワスカーレット。彼女はどうもこう、スズカやブルボンとは方向性の違う優等生らしい。言ってしまえばスズカやブルボンも優等生ではあるのだ。ただ、タイプが違う。スズカは先生の話は半分聞いていないし、誰かの前に立つのも好きではない。それでも、ちゃんと授業は聞かないと補習になって走る時間が減るし、人並みに怒られるのも嫌なので真面目にやる。結果として成績優秀な手のかからない優等生になる。

 

 ブルボンは自分より立場が上で、従うべき場合は必ず従う。それは私であろうと先生であろうと理事長であろうとそう変わりはしない。言われればリーダーも務めるし、大体のことはする。その分ちょっと融通が利かなかったりもするが、まあそれにしても優等生の域はギリギリ出ていない。

 

 ダイワスカーレットは何の欠点も無く、入学試験など成績も優秀なら非常に従順だし愛想も良い。頑なにチームには参加しなかったことだけが唯一の反抗と言っても良いくらいで、その他は本当に何の非も無い。友人のウオッカは合同練習をサボったり勉強もできないしと少し不良感を見せているのとは対照的だ。

 

 

「なんでですか」

「あなたブルボンの時はブルボンがあんな感じだから良かったけど、ダイワスカーレットが同じとは限らないでしょ」

「走れない私からトレーナーさんまで奪うんですか? 許しませんよ」

「ダイワスカーレットが慣れるまでだって」

「いーやーでーすー」

 

 

 私の腰に腕を回し、ぐりぐりと私の腹筋に頭を痛い痛い痛い。壊れちゃう。私のお腹が壊れる。

 

 私も何もそこまで本気ってわけじゃない。けど、ダイワスカーレットがそういう優等生だと解った以上、三秒で順応するブルボンみたいな子ではないだろうし、普通に担当に引かれるのは心が痛む。強くツッコミくらいできるくらい馴染んでからにしない? それだけなんだけど、うちのお姫様がどうやら納得してくれない。姫か? 大型犬かも。

 

 

「えいっ」

「うおわっ」

 

 

 信じられないほど軽い声で、器用に両手だけで押し倒される。這うように上がって来たスズカが、そのまま私の胸をぽこぽこと叩く。

 

 

「良いじゃないですかー。後生ですよ後生」

「こんな軽い後生ある?」

「んんー」

 

 

 頬を挟んでむにむに動かす。柔らか。むあー、とされるがままになりつつもスズカは私の上から降りようとしない。このまま居座るつもりか? 重いって。というか鍵かけてないんだからさ、見られたらどうするのよこのぽんこつ。

 

 

「降りて―」

「むにゅむにゅむにゅ」

「何言ってるか解らないわ」

「……それはトレーナーさんが悪いですよね?」

 

 

 私の手は一秒で解かれ、代わりにスズカが私の第二ボタンを外したり付けたり。それをして何になるの、と言いたいのをぐっと抑えて、唇の先を擽る。

 

 

「慣れるまでって見せないで慣れるも何もないじゃないですか」

「馴染むまでって言えば良い?」

「私達はこれが普通なんですから、こっちに馴染んでもらいましょう? ね?」

「やーだ」

「良いと言うまで叩きますよ」

「やってみるがい痛い痛い痛い痛い無くなる無くなるおっぱいが凹む」

 

 

 というか心臓が止まるわこんなの。

 

 

「先輩でしょ? 何かこう……無いの?」

「無いです。私は走ることとトレーナーさんでできています」

「ご飯も食べようね」

「走れないので太っちゃいます」

「そんなわけないでしょこんな細い体して」

 

 

 ごちんごちん私に頭突きを繰り返すスズカの背中をどうどうと叩く。本当細いわこの子。絶対無理だけど、見た目だけなら私でも圧し折れそうなくらい手足が細い。走るために体の余分なものを全てそぎ落としたと言われても信じる。そのうち疲れたのか頭突きをやめたスズカが、そのまま片手で着信音の鳴ったスマホを取り出した。

 

 

「もしもし、サイレンススズカです……あ、スカーレットさん。はい、ええ。大丈夫よ。うん。待ってるわ」

 

 

 

 電話を切る。スズカが体を起こし、んんー、と体を伸ばす。ダイワスカーレットが来るのかな。何だかんだ言ってこうしていうことを聞いてくれるスズカは可愛い。こういうところが素直で大好きなのよね。偉いので撫でておき、はちみーでイカれた味覚を戻すべくコーヒーを淹れる。少し欲しいと言うのでスズカの分も。やっぱり多かったんじゃない、はちみー。残さないでよね。私飲めないよそれ。

 

 

「何分くらいで来るって?」

「すぐって言ってました。練習の音が聞こえたので、もうトレセンにいると思います」

「何だろ。まだ全然時間まであるけど」

「さあ……?」

 

 

 用件も聞かずに、今から行くと言われたら待ってますと言ってしまうのがスズカらしいというか。まあ新人とはいえ後輩二人目だし、あまり会っていないとはいえ何かあるんだろう。それとも、厄介な子で纏めたことに何か思ってたりする? 自分で言っておいてなんだけど、スズカより厄介とは思ってないわよ。

 

 

 しばらく待っていると、失礼します、とダイワスカーレットが部屋に入って来た。そのまま私が促すまでソファに座らなかったので座ってもらい、飲み物を手渡す。

 

 

「どうしたの。早いじゃない」

「いえ、その……別に、大したことじゃないんですけど」

「はあ」

 

 

 大したことじゃないことを言う人の表情ではないが、まあ。スズカも黙って聞いているし、放っておけばいいんだろう。スズカは何だかんだ言って、私がコミュニケーションに失敗していれば隣から割り込んできてくれる。私が返答に困ったときとか、混乱した時とかも。ただのふにゃふにゃウマ娘ではないのだ。そのスズカが何も言わないということは、別に今この沈黙は問題ではないということ。そのままダイワスカーレットが喋るのを待つ。

 

 

「……その、トレーニングの相談なんですけど」

「あー……うん。どうしたの?」

「私、こう……エルナトって、もっと厳しくトレーニングをしてくれるんだと思ってて……でもその、私、入ってから他より軽いトレーニングしかしていないじゃないですか」

「……まあ、そうねえ」

 

 

 だって怪我率出てるんだもん。怖いじゃん。

 

 

「その、もう少しトレーニングを厳しくしてもらうことって……」

「いやあ……これでも怪我しかねないから止めてるだけなんだけどね……むしろダイワスカーレットは心当たりとかない?」

「……心当たり?」

「こっそり自主練とかしてない?」

「……すみません」

 

 

 してるんだ……やっぱり? 聞けて良かった。悪いことをしたという自覚があるだけどこかのおばかよりマシだからね。「昨日は30km走りましたけど?」って言うのを平気な顔して言ってくるのがあなたの先輩だし。

 

 

「そんなに怖い顔しないで大丈夫ですよ。私もよくしてますから」

「え……」

「変な知識持たせないで。走らない方が良いからね?」

「は、はあ……」

 

 

 余計なことを言う前にスズカの唇に手を伸ばそうとして、引っ込める。危ね、こういうことをダイワスカーレットの前でしないんだった。代わりに横からチョップをかまして黙らせる。そのままソファに倒れていったスズカは見ないことにして、ダイワスカーレットに努めて優しく、私が本当に怒っていないことを解ってもらえるように穏便に話す。

 

 

「たぶんそれで消耗して、怪我しやすくなってるのかも。厳しくしたいなら、まあ、少しは考えるから」

「……本当ですか? 私、絶対に勝ちたいんです。そのためなら何だってやります。お願いします」

「ああ、うん、それはまあ、じゃあ、今日は軽めにして、明日休んで、明後日から厳しくして良い? 継続するかはダイワスカーレットの健康を見ながらになるけど」

「お願いします!」

 

 

 やべーことを約束しちゃったような気はするものの、まあ彼女が満足するならそれで良いんだろう。そんな会話をしながら、まーた私は自分のウマ娘をダウンさせてしまうのか……と頭を抱えていた。ちょっと力加減を間違えたのか、スズカも転がったまま頭を抱えていた。ごめん。本当に。




次回、ダスカ死す。デュエルスタンバイ!


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腑に落ちていないサイレンススズカ

バレンタインブルボン可愛すぎるのおおおおおおおお!!!んほおおおおお!!!!


「はあ……」

「何ですかため息なんかついて。幸せが逃げちゃいますよ?」

「走れない時のスズカだってため息ばっかりじゃない」

「幸せに逃げられたからため息なんです」

 

 

 ある日。私とスズカはトレーナールームでブルボン、ダイワスカーレットを待っていた。先日ダイワスカーレットと約束した、エルナトの本気のトレーニングを見せつけるのが今日である。いやスパルタはエルナトの代名詞じゃねえよ。ブルボンだけなんだからね。

 

 

 当然ながら気乗りはしていない。もちろん、この能力を持ってトレセンに入って、「ギリギリまで量に任せたトレーニングができる」と確信していたのは間違いないし、そもそも私が他に優位に立てるところなんてそれしかない。

 

 ただねえ、実際にブルボンがギリギリまで攻めた結果どんな感じになったかって言うと、まあちょっと人様に言えない感じになったり、意識を失ったり。それを私が望んでやっていると言われるのは……別に傷付くとかじゃなくて、違うの……と言いたくもなる。

 

 

「マスター、スズカさん。おはようございます」

「おはようブルボン」

「おはよう」

 

 

 でも、こうして部屋に入ってきて、定位置に収まるブルボンの目が何より輝いているので、まあ、受け入れなければならないんだなあって感じ。そうだね。今日は限界までできるもんね。マスターはあなたの将来が心配です。

 

 

「はあ」

「幸せ逃げちゃいますよー」

「んむむ、ぷは。ダイワスカーレットが来たらそういうことしちゃダメなんだからね」

 

 

 私の膝に寝転がったスズカが手を伸ばし、私の口を塞ぐ。今からダイワスカーレットが来ると言うのに、隠す気あるんだろうか。話聞いてない? もしかして。バレないようにしようねって言ったのにさ。ムカつくのでウマ耳を揉みしだく。わー、と震えるスズカは放置して、ブルボンに準備を指示しておく。

 

 

「酸素吸入等は必要ですか?」

「フル装備で行きましょう。何があるか解らないし」

「承知しました」

 

 

 酸素や吸引器、エチケット袋、折り畳みの担架など。ダイワスカーレットがどうなっても大体対応できるように……元はと言えばブルボンのために買ってあったものだけど、予想以上に適応したため使わなくなったそれらを取り出させる。てきぱきと手際よく進めるブルボン。突然ふと顔を上げると、荷物をテーブルに置いてから私達の向かいに座った。

 

 

「今日は何日でしたでしょうか」

「え? 一月……七日だけど」

「なるほど。では、マスターに相談があります」

「どうしたの」

 

 

 ブルボンの方からトレーニング中以外で何かを言ってくるのは結構珍しい。会話を続けていたら弾んだことはあるが、ここにいる三人は基本的に黙っていようと思えばずっと黙っていられるのだ。会話が多いことをプラスとは思っていないというか。

 

 

「本日、私の友人の一人であるライスシャワーが実家への帰省から戻ります」

「ああ、ライスシャワー……あー……」

「マスターの拉致を手伝っていただいた方です」

「あー。あの子ね」

 

 

 あの子ね、って別に顔を見たわけじゃないんだけど、そんな子がいたことは覚えている。いやその、私が原因だから良いけど、友達に拉致を頼むのはどうなの。

 

 

「その子がどうしたの」

「彼女は最近、私と行動を共にしています」

「え? そうだっけ。あ、学校でってこと?」

「いえ。彼女が私の後方に居続けています」

「……ストーカー?」

「定義上はそうなります」

 

 

 ええ……? 何言ってるのこの子。徹頭徹尾意味が解らない。友達にストーカーされていて、その子を友達と呼んで、協力してもらったこともあるの……? しっかりしているのかしていないのか解らない。いや、ブルボンが問題視していないということは大したこともないのだろうか。なんだ……? 今私は何をされているんだ……? 

 

 

「えっと……それが、何?」

「本日からそれが再開される可能性がありますので、こちらのトレーニング等に支障が出ない範囲で認容していただきたい、というご相談です」

「やめさせようとか、そういうのじゃなくて……?」

「本人に聞きましたが、理由は聞けませんでした。実害は無いと判断していますので、特にそのような希望はありません」

 

 

 そっかあ……まあ、当人同士で何も思ってないなら良いかあ……物凄く腑に落ちないけど、まあ……たぶんちょっと変わった子なんだろうな……普通ストーキングなんてしないし、拉致の手伝いなんてしない。ぶっ飛んだ子か……。

 

 

「失礼します!」

 

 

 と、担当の闇に打ちひしがれているところにダイワスカーレット。ばっと身体を起こすスズカ。完全に寝ているところから体を起こせる筋力に驚きつつ、少し乱れたスズカの髪を手櫛で整えると、スズカが何か恨めし気にこちらを睨んだ。何よ。

 

 

「おはようございます! 今日はよろしくお願いします!」

「おはよう。元気だね」

「はい、おかげさまで、疲れは少しもありません!」

「それは良かった」

 

 

 確かに……気力に満ちているように見えるし、体力もちゃんと回復している。この状態でどこまでできるかが、本当のダイワスカーレットの「限界」ということだろう。ブルボンほどじゃないだろうけど、こんなにやる気があるなら、という感じもする。

 

 

「じゃあ早速やろうか。大丈夫? 飲み物とか飲んでおく?」

「いえ、大丈夫です! 準備は完璧に整えて来ましたから!」

「頼もしいなあ」

 

 

 スズカに手を回して立たせ、松葉杖も手渡す。地面に脚を着けないと死んでしまうとスズカが言うので、車椅子は折り畳みが部屋の隅に置かれているだけになっている。四人で坂路コースへ。ブルボンはともかくダイワスカーレットに坂路を走らせる意味はないけど、とりあえず今回はダイワスカーレットを潰すのが目的なのでこれが一番早い。

 

 

 ベンチにスズカとともに座り、ジョグをさせる。二人で並んでさくさく往復する二人。改めてジュニアの子と比べると、ブルボン、凄く強くなったなあ……と感動するわけ。スズカの脚に手を置いて気にかけつつしみじみ見ていたら、隣のスズカがどすんと肘を入れてきた。

 

 

「いった。何、スズカ」

「……いーえ別に。私はトレーナーさんには甘えられないので何もしていません」

「どうしたの……?」

「別にー。何でもありませんよー」

 

 

 何故か突然に拗ねているスズカ。後で機嫌をとろうと決意しつつ、戻って来た二人を見る。まあ必要は無いんだけど、怪我率は当然無い。ブルボンにはいつも通り、普段より少し余力を残すようなタイムを、ダイワスカーレットはこれまでの何回かで出した予想タイムを提示する。

 

 ブルボンの方が当然体力はあるが、タイムによる負荷が違う。たぶん同じくらいのタイミングで倒れる……と思う。こんなの予測できるかと言いたい。私は不思議な力を持った一般トレーナーであって、有能トレーナーではないのだ。

 

 

「それで一本行こうか。ダイワスカーレット」

「はい!」

「一応言っておくけど、今日は限界までやるから。その代わり、私が無理と言ったらそこで大人しく引き下がること。心から信じろとは言えないけど、続行の判断は私に一任してもらいます」

「……もちろん、覚悟できてます! よろしくお願いします!」

 

 

 元気だなあ。

 

 

「ブルボン。最後に確認するけど、あなたも倒れるまでやるのね?」

「はい」

「……ダイワスカーレットより先にダウンしたら二度とやらないからね」

「……! 承知しました。問題ありません。では、トレーニングを開始します。行きましょう、スカーレットさん」

「はい!」

 

 

 走っていく二人。問題無く、二人とも走り出す。

 

 ダイワスカーレットに、ブルボンほどの恒常性というか、正確な時計ができるとは思えない。それはスズカにも無理だし、私にも不可能……なんならエアグルーヴにもできないブルボンの特質ともいえるものだ。つまり、タイムを指定したところで疲れれば疲れるほどそれを気にする余裕が無くなる。

 

 よって、ダイワスカーレットは基本的に前を飛ばすブルボンとの距離を考えながら自分のタイムを把握することになる。一般的に六バ身で一秒、それを考えながらだ。見えるように時計を用意しても良かったけど、まあ見る余裕も無いからどっこいだろう。

 

 

「速いですね」

「そう思う?」

「はい。もちろん、ブルボンさんからすればまだまだでしょうけど」

「スズカからしたら?」

「そりゃもう、ひよっこですよ」

「流石だわ」

 

 

 呟くスズカの頭を撫でる。一瞬こちらに首を傾けたスズカだったが、すぐにふいっと横を向いてしまった。ウマ耳をぴこぴこさせて、二人の間に水筒を少し乱暴に置いた。

 

 

「何よスズカ。何拗ねてるの」

「別にー。ほら、帰ってきましたよ」

「ああ。お疲れー。ブルボンはいつも通りタイムぴったり。流石ね」

「ありがとうございます」

 

 

 スズカに言われなくてもタイムを計っているのだからそっちは見ているけど。なんだ。スズカの気持ちが解らん。私何かした? 怖い怖い。

 

 

「ダイワスカーレットは一秒早いかな。もう少しゆとりを持っていいよ」

「す、すみません……つい、気が急いて……」

「まあ、しょうがないけどね。でも、ダイワスカーレットは先行もあり得るんだし、前に誰かがいても掛からないようにしないと」

「はい……あれ? 私、レースのこと話したことありましたっけ……」

 

 

 いっけね。

 

 

「……模擬レースを見たのよ」

「模擬レース、逃げたんですけど……」

 

 

 ……ふーん。やるじゃん。今日のところは私の負けにしておいてあげるわ。

 

 

「……はい、もう一本」

「行きましょうスカーレットさん」

「え、は、はい!」

 

 

 ……あぶねえ。今のは私の頭が悪かった。走り出す二人を見送りながら反省。

 

 その後、何本か走らせ、その結果。

 

 

「……げほっ……ぉぇ……は、ひゅ……」

「はー……はぁー……っ……」

 

「お疲れー。今回は二人とも目標通りだったわよ」

 

 

 ダイワスカーレットは倒れ、ブルボンも私にもたれ掛かって来ていた。受け止めてダイワスカーレットの隣に転がす。水分、どうしようかな。ブルボンには顔からかけるで良いんだけど、ダイワスカーレットの方は慣れてないだろうし、むせたら困る。仕方ない、頭を抱えてストローとかで何とかしよう。

 

 

「はいダイワスカーレット、口開けて。飲める?」

「……んぐ、ぅ……げほっえほっ!」

「落ち着いて? 吸わなきゃ出てこないから」

 

 

 ダイワスカーレットに水分を取らせ、慣れているし本人がそれを望んでいるブルボンには顔面にかける。落ち着いて補給と呼吸を済ませるブルボン。流石ね。

 

 さて、で、二人の体調だけど。

 

 

「ブルボンはまだできるわね。立てるようになったら立ちなさい」

「……は……い……」

「ダイワスカーレット……も、お、まだできるじゃない。起きて。立ちなさい」

「…………ぐ……ぅ……!」

「……ほう」

 

 

 なんと驚きだ。ブルボンより負荷が小さいとはいえ、倒れてえずくまで行ってもなお走ることができるとは。それに、仮に走れたとして走る意思が残っている。凄い子だ。丈夫さより何よりその根性を高く評価できる。私の声に返事は無いが、ゆっくりとだが体を起こし始めた。

 

 

「よしブルボン。タイムを再設定します。いつも通りに」

「了……解……」

「ダイワスカーレット。大丈夫。まだ走れる?」

「当然……じゃない……! ナメんじゃないわよ……! 次……っ、行くわよ、次……!!」

 

 

 ……君そんなキャラだった? お姉さん怖いんだけど。ふらつきながらもブルボンの体に手を置き、コースに戻っていく。あの、怖い怖い。大丈夫? 怪我率は出てないけど、感覚でなんか怖い。

 

 

「あの、ダイワスカーレット? ま、まだやるの? 本当に?」

「トレーナー……が……! まだ、アタシはできるって……そう思ったんでしょ……!」

「い、いや、そうなんだけど」

「だったら……気合でしょうが……! バカにすんじゃないわよ……アタシが……自分で言ったんだから……! ブルボン先輩にも……負けないんだから……ァ……!」

 

 

 か、覚悟が決まっている……。ブルボンと並び立てるような根性だ。目つきが鋭すぎてそれ以上何も言えなかった。まあ、まあ……スタート位置に立ったあたりからはふらつきも戻ったし、良いんだけど……私はじゃあ、また座って待ってようかな……

 

 

「スズカ……あの子ヤバいわ」

「凄いですね……良いなあ……」

「……羨ましいかは知らないけど」

 

 

 しかも、走り方。ブルボンは恐らく帰ってきたら倒れる。意識不明になるかは置いておいて、これが限界だろう。ここまで来れば流石のブルボンと言えどもフォームに乱れができ、スピードも少しだけだが波が生まれ始める。それも遅くなるんじゃなくて掛かり始めるという方向でだけど。

 

 そして、その後ろ、少し離れてダイワスカーレット……彼女もかなり走り方は良いとは言えないが、しかし完全に崩れているかと言えばそうではないし、ブルボン同様やや暴走気味に加速している。疲れで減速ではなく加速するあたり、素晴らしい根性だわ。

 

 

 そのまま掛かりっぱなしで走り切り帰って来たダイワスカーレットとブルボン。完全にガス欠で歩いてくる二人をいつでも支えられる用意をしていた……特にブルボンは毎回私に倒れかかってくるので手を広げたのだけど、一向に倒れてこない。まさか、かなり怪我率も出ているこの状態で、ブルボンがまだ立っていられるのか……? 

 

 

「……っ」

 

 

 ブルボンの後ろで、ダイワスカーレットが倒れた。俯せが苦しいのか仰向けになるまでは無意識にやったようだったが、それから眠るように気を失った。ステータス異常は無い。ただの気絶だ。ブルボンにもよくあることだけど、一応ちゃんと後で気にかけてあげないと。そして、そのブルボンは。

 

 

「……ブルボン?」

「……っは」

 

 

 ダイワスカーレットより少し後、ブルボンが私に倒れ込んだ。いつもならこの時点で意識を失っていたりするわけだけど、ゆっくりだがまだ動いている。

 

 

「ミッション……完了……行動不……能……タイミン……グは……私が……」

「……ああ! なるほどねブルボン。ええ、あなたの方が後よ。流石ね」

「機……能……て……」

 

 

 ブルボンが落ちた。律儀な子だ。それともそんなにこのスパルタを失いたくなかったのか。後者だとまた私の担当がイカれている証拠が増えてしまうので考えないようにしておきます。

 

 

 とにかく、二人ともに無事限界を迎えさせることができた。後は復帰した時話を聞いて……と、その前に、二人を運ばないといけないのか。スズカの機嫌も直さないと。大体私が引き起こしている気がするけど、やることが多いって大変ね。




最近スズカ成分足りない……足りなくない……?みんなが満足してくれているか不安です私は。ヘラったついでに感想や高評価をお願いしておきます。お願いします。


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無言で圧をかけるサイレンススズカ

これは言い訳なんですけど、別に加入理由とかは極論言えば何でも良いし、丁寧にやると一話一スズカができなくなるので適当に書きました。


 

「……ぅ」

「お、起きた。大丈夫、ダイワスカーレット?」

「ここは……」

「トレーナー室よ」

 

 

 ダイワスカーレットを運び込んだトレーナー室。ベッドに並んで寝かされたブルボンとダイワスカーレットだったが、当然ながらブルボンの方が復帰が早かった。既にかなり回復し、私の簡単なコメントを聞いた後スズカと将棋を始めている。

 

 

「ま、待った……」

「スズカさん、これで四回目です。一手戻しても戦況は変化しません」

「じゃあ三手くらい……」

「それでは勝負になりませんが」

 

 

 ……まあ、ブルボンがボードゲームにおいて最強というのは解っていたことだし、わざわざ喧嘩売ってボコボコにされているスズカには何も言うまい。どうしてブルボン相手にゲームを持ちかけてしまうのか。たぶん会話も弾まないからだろうけど。二人とも聞き側だし。

 

 

「お疲れダイワスカーレット。はいこれ。普通の飲み物と甘いの、どっちがいい?」

「あ……じゃあ甘いのを……」

 

 

 用意していた飲み物を手渡すついでに見ておく。うん、大丈夫。怪我や不調は無いし、驚くことにやる気も落ちていない。根性のある子ね。ただ、疲れは残っているだろうし、現に少しずつしか飲まないダイワスカーレット。まあ、シンプルな消耗は寝れば治る。若いし、ウマ娘だし。

 

 

「ありがとうございます」

「ん。どうだった? 厳しくって言うとこんな感じだけど」

「これが普通ってことですか?」

「厳しくしたんだって。いつもこうじゃないから。本当。今日はリクエストに応えただけというか」

 

 

 絶対に誤解されないように言い含めておく。これで、これがいつもじゃないなら抜けますとか言われたら驚いてしまうけど、トレーニング中や直訴の時より少し雰囲気が柔らかくなっているような気もする。

 

 

「そうなんですね……その、どれくらい、こういうことを……?」

「い、いや、ほとんどしないのよ。こういうことは良くないからね。本当にたまにしかしないから」

「……でも、これでスズカ先輩やブルボン先輩は強くなったんですよね」

「うーん…………まあ……そうかも……」

 

 

 答えにくい質問だ……ブルボンの強さはスパルタから来たもので間違いはない。スズカはスパルタではないが、その速さは才能か、あるいは日々アホみたいに走り続けてきた積み重ねによるもの。どっちも大っぴらに後輩に話すことではない。

 

 

「……その、私、一番になりたくて……だから、どんなことだってするつもりで……」

「そっかあ……」

 

 

 私、何を言えば良いんだ? どうするのこれ。

 

 

「まあ、全然、一番を目指す分には良いと思うわ。応援する。トリプルティアラから、G1をとる感じで」

「……私、一番になれますか?」

「あー……っと……」

「……」

 

 

 やばい。スズカがここぞとばかりに私の隣に座ってきた。理解のある先輩面はしているものの、言いたいことは明白である。真面目に先輩として話すならすぐに口を開くはずで、それをせずぴたりと私の隣に陣取っているのはつまりそういうことだ。

 

 

「……エルナトでは、一番速いウマ娘はサイレンススズカ、というのが、えー、公式見解です」

「え……」

「基本的にスズカが負けるはず無いし、スズカより速い子はいないの。だから、ダイワスカーレットが入っても、あなたを一番と言うことはできないから……それだけ、ごめんなさいね」

 

 

 私がそう言うと、ダイワスカーレットは露骨に落ち込んだ様子で目を伏せた。でもその、そればかりは私も嘘をつくわけにはいかないし、私が一番大切なのはやっぱりスズカだ。

 

 

「……ブルボン先輩も解っててここに?」

「解って、というのは、スズカさんが一番速いという事実についてですか?」

「……はい」

「理解しています。比較については正確にはできていませんが、マスターがそう分析したのであれば恐らくそうなのだと思いますし、私の体感でもそうです。もちろん、それに甘んじるつもりはありませんが」

 

 

 将棋盤を片付けつつ平気な顔で言い放つブルボン。隣のスズカがちょっと反応したが何も言わない。偉い。

 

 

「私はそれとは無関係に、私が三冠をとれると言ったマスターに師事しています。マスターやスズカさんがどうあろうと無関係にここにいます」

「ブルボン……」

「もちろん、いつかスズカさんには勝ちます」

「っ……」

 

 

 どうどうスズカ。反応しないの。挑発される度に乗ってたらキリが無いから。

 

 

「……スズカ先輩が一番……」

「もちろん、来てくれるならダイワスカーレットの一番良いようにするわ。でも一番はスズカなの。ごめんね」

「スズカさんが……一番……」

 

 

 ヤバいかな。ちゃんと言っておかなきゃいけないのと、隣にいるスズカの圧に負けてつい本音を話しちゃったけど。ビビっている私に対し、しかし、ダイワスカーレットは数秒考えこんだ後、ふう、と一息ついて、何も言わずに部屋から出ていった。

 

 ……なんだ? 断るにしても何か言うでしょ流石に。何のつもりで無言で退室したんだろう。流石に意味が解らなくて嫌な気持ちにもならない。

 

 

「どうしたんですかね?」

「さあ……どこに行ったんだろ」

「あ、外にいますよ。ドアの前です。足音が聞こえないので」

「あ、そうなの……そうなの? なおさらどういうこと?」

 

 

 私にはさっぱり解らないけど、スズカもブルボンもドアの方を見てウマ耳をぴこぴこ動かしている。一回部屋を出て……断り文句とかを探してるのかな。向こうから申し込んで向こうから断るんだし、言いにくいのかも。私は基本何されてもスズカが気にしないなら気にしないし、スズカも大体のことは気にしないので、「やっぱやめますわ!」くらいでも普通に許せるけど。

 

 

 しばらくそのまま待っていると、再び扉が開いた。今までになく澄ました顔で、今度は座る私達の隣に立つ。うわでっか……じゃなかった。

 

 

「……決まった?」

「……スズカさんが一番のウマ娘なんですよね。それって、会長さんとかよりもですか?」

「そうだけど」

「……じゃあ、スズカさんに勝てたら私が一番ってことで良いんですよね?」

「え」

 

 

 それは無理でしょ、と言おうとすると、横からスズカの手が伸びた。口を塞がれたので、私も喋るのをやめる。なんだ。今話すべきじゃないのか。スズカがそう思うならそうなのか……な? 

 

 

「そうですけど、それがどうかしました?」

 

 

 私の代わりに返事しないで?? 

 

 

「……トレーナー。私、決めたわ」

「……何を?」

 

 

 スズカの手を退ける。ダイワスカーレットがさっきからちょこちょこ敬語が取れてるのはどうしてだろう。こっちが素? 気弱だけど根性があるみたいな……私の見る目が間違ってた感じ? 

 

 

「私の目標は、一番になることにする。だからそのために力を貸しなさい」

「えっと」

「ゆくゆくは!」

 

 

 私の言葉を遮って、ダイワスカーレットは言った。

 

 

「ゆくゆくはスズカ先輩にも勝つから……! ここで、スズカ先輩を追いかけることにするわ!」

 

 

 ……ええ……? 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

「と、いうわけで……ダイワスカーレット、正式加入ー」

「わー」

 

 

 ぱちぱちと拍手するスズカとブルボン。書類を揃えたづなさんに提出し、今日は夕方のトレーニングが取れていないということでそのままみんなでご飯を食べに来ている。何度かお世話になっている、ウマ娘に高値とはいえ食べ放題焼肉を出しているやべー店である。スズカもブルボンも破滅させるような量を食べないので来店を許されている節はあるけど。

 

 とはいえ到底人間ではありえない量を注文し、あらかた揃ったところで号令をかける。急遽とはいえ歓迎会のようなものだ。

 

 

「これからよろしくね、スカーレット」

「よろしくお願いします!」

「結局どっちが素なの、あなたは」

 

 

 スカーレットの口調はずっとふわふわとしている。基本的には丁寧語、トレーニングの時や加入を決めた時はかなり強めの口調で来ていた。てっきり素を見せた以上、それからはそっちで来ると思ったんだけど。黙々と肉を焼いては食べ続けるブルボンから一定の肉だけは守りつつ、スカーレットは少し眉を顰めた。

 

 

「……たくさん人いるし。さっきトレーナー、ここ、よく来るって言ったじゃない」

「よく来るね」

「……そういうことよ。チームの中ではもう、隠しても仕方ないけど」

 

 

 小声でそれだけ言いつつすっと目を細めたスカーレット。そっかあ、以上は言えず、ぱくぱく消えていく肉を眺める。ああ、そういう感じなの。いたわこういう子、同級生にも。その子はどっちかって言うと嫌われてたけど、スカーレットは素を見てもあんまりイヤミな感じがしない。ウマ娘だからかな。

 

 

「あ、ほらスズカ、口に付いてるって……何その目は」

「……トレーナーさんはあれですね。おばかです」

「お? なんだ喧嘩か?」

「解ってないならなおさらですぅー。おばかなトレーナーさんはお肉を食べなくて良いですよ」

 

 

 せっかく拭いてあげようとしたのに。ダメだこいつ、みたいな目で見なくても良いじゃない。箸を伸ばし、明らかに自分ではない肉を掴むスズカ。

 

 

「あっスズカ先輩! それアタ……わ、私のお肉、なんですけど……?」

「えっあっ、ごめんなさい、こっちだったかしら」

「それは私が焼いていたロースです」

「あ、あれ?」

「私のを狙ってるなら無駄よ。焼いてないから」

「ず、ずるです……」

 

 

 嫌がらせ失敗。大して賢くないのにそういうことをするからよ。逆にスズカが育てた肉を横取りすると、むむむ、と頬を膨らませておしぼりを顔面に押し付けてきた。熱い熱い。というかメイクが。引きはがすついでに膨らんだ頬を摘まんで空気を抜いておく。

 

 

「ぷひゅ」

「残念ね。冷静に考えてみなさい。ウマ娘が焼肉をしているところに割り込める人間がいるわけないでしょ」

「むぐぐ……」

「何誇ってるんですか……? 別に悔しがるところでもないし」

「ふんだ……トレーナーさんなんて知りません」

「今のそんな拗ねることでした?」

 

 

 ほら見なさい。スカーレットが呆れた目でこっち見てるでしょ。色々隠す気ある? 一応今のところのスズカは越えるべき高い壁なんだけど。一気に天然ほわほわウマ娘になっちゃうでしょ。悔しくないの? 

 

 

「マスター。同じものを十皿お願いします」

「あい」

「私もくださーい」

「はい。スズカは?」

「……二十食べます」

 

 

 珍しい。スズカが一番注文している。ずっとそわそわしている感じがするけど。というか食べられる……食べられるか。ウマ娘だもんね。でもあんまり飛ばすと出禁になっちゃうから気を付けてね。

 

 そうして歓迎会を終え家に帰っても、スズカの機嫌はちょっと斜めだった。



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見せつけていくサイレンススズカ

強引に状況を整える編。


 

「あー……疲れた……」

 

 

 スカーレット加入の夜。二人を送り届けた私は家に帰り、スズカの入浴を手伝いつつ自分の支度も済ませていた。

 

 倒れるまでトレーニングをするとどうも心に来るのかいつもより疲れてしまう。一応それも仕事だし、むしろ仕事をしているのにこれ以外ではほとんど精神ダメージの無い私は恵まれているんだけどね。

 

 

「お疲れ様です、トレーナーさん」

「ありがとー……」

 

 

 寝室に入るなり倒れ込んだ私を、先にベッドに入っていたスズカが上からつついてくる。一日中座っているか松葉杖だったのにスズカは疲れていない。信じられない体力だ。

 

 這い上がるみたいにベッドに入る。枕に頭を乗せると、腕の中にスズカが滑り込んできた。リモコンで電気を消して、腕枕から伸ばして目にかかりそうな前髪をどかす。

 

 

「……ドライヤー、適当にやったでしょ」

「……バレました?」

「当たり前でしょ」

 

 

 今まで何回スズカの髪を乾かしたと思っているの? 全く無頓着なんだから。電気を付ける。風邪をひいても困るし髪も痛むので、脱衣所からドライヤーとタオルを持ってくる。

 

 

「自分でできます、じゃないじゃない」

「できてるじゃないですか」

「できてないからこうしてやってるんでしょ」

「……トレーナーさんが細かいんです」

「スズカが大雑把なの」

 

 

 私も早くお風呂に入りたかったのもあって、自分でできると言うスズカを信じてしまった。これからはこのようなことが無いように努めます。スズカは走ることしかできないってよく知っていたはずなんだけどね。あまり良くないけど床に座らせてドライヤーをかける。せっかくさらさらなのにもったいないでしょ。

 

 

「あああ……」

 

 

 ウマ耳をぺたんと折り畳み、気持ちよさそうに受け入れるスズカ。ウマ耳の毛並みも整えないといけない。しまった、櫛を持ってきていなかったわね。まあ今から寝るし良いか。それより、髪の毛が適当ってことは尻尾もやらないと……いや、なんかちゃんとしてるな。相変わらず尻尾にはこだわりがあるらしい。

 

 

「どうかしました?」

「いや、やっぱり尻尾はちゃんとしてるのね」

「当たり前じゃないですか。広がったらスピードが出ません」

「そう……」

 

 

 髪は良いんだ。良いんです。そんな何度もしたやり取りを交わしつつドライヤーを終え、手櫛で悪いけどある程度整える。いつもしている通り、ウマ耳を少しマッサージしてから前髪まで揃えて、

 

 

「あー」

「あっ」

 

 

 スズカが倒れてきたので、台無しになってしまった。間抜けな声を出してこの子はまったく。楽しそうに見上げてくるスズカの顔を揉みしだく。むにゅむにゅ一頻り楽しんだところで、ご機嫌スズカを抱き上げてベッドへ寝かせる。

 

 

「ふう」

「んんー」

 

 

 再び、寝転がる私に寄ってくるスズカ。腕枕はさっきの一瞬だけでも死にそうになったのでやめた。胸元にもぐりこんでくるスズカを受け入れ、ぎゅっと抱きしめる。くすぐったそうに声を上げつつも、擦りついてくるスズカ。

 

 

「何、今日はやけにくっついてくるわね」

「みんなの前ではやっちゃダメって言うからじゃないですか」

「守れて偉い」

「トレーナーさんは守れてないので偉くないです」

 

 

 失敬な。人に言って自分が守れないなんてことがあるはずがない。私はマトモなトレーナーとして生きていくのだ。ぽんこつなスズカと違ってね。

 

 

「はいはい、まともまとも」

「何よその言い方。生意気ね」

「むぎゅぎゅ」

 

 

 強く抱きしめ口を塞ぐ。いとも簡単に抜けて出たスズカ。ぷは、と顔だけ出して、私の鼻先を頭でこつんこつんと叩く。シャンプーの良い匂いがするなあ。可愛いなあスズカは。

 

 

「この調子でちゃんと隠していこうね」

「……本当にできてると思ってるんですか?」

「できてないって?」

「ええ……?」

 

 

 目を細めるスズカ。最近すぐそういう目をするのよねこの子。可愛ければ何をやっても良いと思ってるでしょ。ぷい、と鼻を押し込む。

 

 

「できてるでしょ」

「いや、できてない……ぷぇ」

「いつできてないの」

 

 

 失礼なことを言うスズカを再び抱きしめて黙らせる。眠くないの、スズカは。私はめっちゃ眠いけど。

 

 

「だってトレーナーさん、何かと私を撫でようとしますよね?」

「……した?」

「お店でも口を拭こうとしましたよね?」

「……したっけ」

「しましたー」

 

 

 少し距離を空け私の胸を弄ぶスズカ。痛い痛い。取れちゃう取れちゃう。

 

 

「私は我慢してるのにそういうことするから怒ってるんですよ」

「した覚え無いけどなあ……」

「しましたー」

「痛い痛い痛いごめ、ごめんって。もうしない。もうしないから」

「しない?」

「あああああもげるもげるもげる」

 

 

 唇を尖らせる可愛い顔からは考えられない万力で実力行使に訴えてくる。抵抗はできないし位置関係的に大声を出すとスズカが死んでしまうので、私はあっけなく負けてしまった。

 

 

「わ、わかった……スズカの好きにして良いから……」

「本当ですか?」

「本当、本当……」

 

 

 いつになく強硬策に出てくるスズカ。落ち着かせて抱きしめて、背中をぽんぽんと叩くと流石に眠くなったのか向こうからも抱き着いてきた。よしよし。横になって背中を撫でられたら眠くなっちゃうのね。今日は大人しく寝ようね。

 

 

「じゃあ、普通にしたいです……」

「普通ねえ」

「いつもどおりが良いですー」

「……困った子ねえ」

 

 

 スカーレットがびっくりしちゃうって言ってるのに。そりゃいつかはね? 見せることにはなるんだろうけど。でもほら、本格加入すぐはさ、ね? 

 

 

「トレーナーさんはスカーレットさんの精神と私、どっちが大事なんですか」

「……スズカだけど」

「じゃあ良いじゃないですかー」

「……じゃあ良いけど」

「やったー」

 

 

 頬擦りとともに妙に高音で喜ぶスズカ。ぴこぴこのウマ耳を摘まんで捻ると、それに合わせて体を曲げた。

 

 

「ういーん」

「……ふふ。何それ」

「何でもないでーす」

 

 

 上機嫌だなあ。そんなにストレスを与えちゃってたか。ちょっと反省。走れない分、他のところでストレスは与えたくないし。まあ、スカーレットの順応力に賭けよう。もしかしたらスカーレットも、トレーナーはこれが普通とか思ってくれるかもしれないし。チームはともかく私達みたいな実質専属の在り方なんて調べてないでしょ。

 

 

「じゃあ明日からいつも通りにしましょう。スカーレットさんに見せつけていきましょう」

「見せつけるって……何? 何かあるの?」

「トレーナーさんの一番は私じゃないですか。ちゃんとしておいた方が良いですよ」

「……確かに?」

 

 

 スカーレットが目指す一番はそういう意味じゃないと思うけどね。逆にそういう意味でスズカを超えてくる人がいたらびっくりでしょ。なんだろう……夫とか、家族とか? そのレベルじゃん。

 

 

「嫉妬なんて可愛いことするじゃない」

「嫉妬じゃないですぅー」

「嫉妬でしょ? 私が取られちゃうってこと?」

「違いますぅ―。嫉妬なんかしてませんー」

「このこの」

「ふひゃっ」

 

 

 スズカを擽り、身を寄せてきたところを捕まえる。ふう、とスズカが目を閉じて、定位置に収まった。

 

 

「ふふふ……」

「ふふっ」

 

 

 くすくす笑うスズカ。手を出して喉元を擽ると、私の目の前でウマ耳がまた跳ねた。

 

 

「お休みなさい、トレーナーさん」

「ん。お休みスズカ」

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 

「んー……あー……」

「露骨ねえこの子は」

 

 

 トレーナー室にて、スズカは宣言通り、『いつも通り』を実行していた。ソファに座る私の膝に寝転がり、お腹に抱き着くみたいにして暇を潰している。走る走らないの言い合いをしないスズカのいつも通りはまあこんなものだけど……切り替え早いなあ。

 

 

「おはようございま……す」

「おはようブルボン」

「おはようございますー」

 

 

 入って来たブルボンがびっくりしてしまった。この子がじっと止まって困惑している姿もなかなか見られるものじゃないわよ。それも一瞬で、すぐに立ち直って定位置に座ってしまったけど。

 

 

「隠蔽はやめたのですか?」

「うん。スズカがやめようって言うから」

「スカーレットさんに一番は誰かを教えてあげないといけませんから」

 

 

 絶対そういう意味じゃないって。

 

 

「……なるほど。では失礼します」

 

 

 ふふん、と得意げなスズカに言われて、ブルボンは立ち上がって私の後ろに立った。そのまま、体重をかけるみたいに首に手を回し体を押し付けてくる。

 

 

「……何してるの」

「マスターの二番であることのアピールです」

「……対抗してるの?」

「先輩なので」

 

 

 ……ちょっと嬉しそうね、ブルボン。まあやりたいならやれば良い。もう全てさらけ出していこう。でも、その体勢辛くない? いつスカーレットが来るか解らないんだけど。

 

 

「ブルボンさんも解ってるみたいですね。トレーナーさんの一番は私です」

「はい。そう認識しています」

「ふふん」

「今のところは」

「えっ……?」

 

 

 ぐりん、と視線を向けるスズカ。なんでブルボンに対してはちょっと弱気なの。対抗しなよ。

 

 ジョークです、と微笑むブルボン。痛い痛い。なんで。今のはブルボンが悪いじゃん。なんで私を叩くの。私何も言ってないって。

 

 

「マスターの一番も速さの一番も、いずれ奪っても良いのですが」

「は?」

「あっブルボン速さはダメだね。それは本気になっちゃうね」

 

 

 スズカ百面相。捨てられた子犬みたいな顔からむすっと拗ねた表情になって、突き刺す眼光を向け始めた。やっぱりそれは弱気にすらならないんだ。私の取り合いで、ああ、可愛いなあ、とか思ってる私の純情を返して? ブルボンが得意げな顔で私を引き寄せてるでしょ。

 

 

「冗談です」

「……なんだ。びっくりしちゃうので変なこと言わないでくださいね? 解らせちゃうところでした」

「走れないんだから解らせるとか」

「は?」

「ごめんて」

 

 

 こっわ。

 

 

 ひゅん、とスズカがにこやかに戻る。冗談です、で良いんだ。どうせ走れるようになったら一気に解らせようとしてるんだろうなあ。怖いなあ。ブルボンもこう、スズカを煽るのが楽しくなってない? 良いけど、良いけどさ。私に触れてる時にやられると痛い目見ちゃうね。私が。

 

 そのまま、気持ち二人で私を引っ張り合うようにくっつきながら、私達はスカーレットを待った。

 

 

 なお、スカーレットは「何やってるの?」と眉を顰めながら繰り出した。説明したスズカに対しても、そういう意味じゃないんですけど、と一言でばっさり。ほら見たことか。なんか勘違いしたみたいで恥ずかしいじゃん。




やっと整った……!ボケ、ボケ、半々、辛辣気味ツッコミって構成が良い感じなのでスカーレットは時に口汚くなります。


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後輩の理解外にいるミホノブルボン

展開に悩んでいて更新は遅れましたが、それはあくまでレースなどストーリーに絡まないところで何を書くか悩んでいたという意味で、別にレースだけを進めるなら一気に進められます。

でも私は知っています。そんなものを読者は誰も望んでいないし、何より私も望んでいない。


 

「じゃあ、スプリングステークスからの始動で良い?」

「はい。一時目標を三月、スプリングステークスに設定します」

 

 

 ある日。私とブルボンはトレーナー室で向き合って、今年の動きについて話し合っていた。

 

 シニア二年目、それも基本的には私の言ったレースに出走するだろうスズカと違い、ブルボンには譲れないポイントというのが存在する。それがクラシック三冠であり、当然、まかり間違ってもそもそも出走できないなんて状況になっては困る。よって、しっかりトライアルレースから出走し、なんとしても優先出走権を勝ち取らなければならない。

 

 

 ……まあ、既にG1を勝っているうえ人気もかなりあるブルボンのこと、恐らく何も言わなくても皐月賞には出られるだろうけど、一応ね。

 

 

「出走ウマ娘はまだ解らないけど、まあ誰が出てきてもブルボンが負けることは無いと言って良いわ。距離もまだマイルの範疇だし、余裕のあるレースになると思う」

「はい。私自身の判断でも、1800mを走り切ることは十分に可能です。スプリングステークスにおいて一着をとり、優先出走権を獲得して皐月賞、でよろしいでしょうか」

「そうね。もちろん弥生賞でも良いわ。ブルボンなら楽に走りきれる。どう?」

「……マスターの指示であれば従います」

 

 

 ブルボンがしゅんとしてしまった。まだちょっと自信が足りないかな。まあ、1600、1800と勝てばまた変わるだろう。ブルボンの中にインプットされた「自分はスプリンターである」という自覚は結構根強い。もちろん、ブルボンのお父さんも根拠があって言っていたんだろうし仕方ないことだけど。

 

 

「冗談よ。1800に行きましょう。それともそろそろ挑戦権使っておく? まあまだ勝てないだろうけど、走り切るくらいはできると思うけど」

 

 

 スズカがブルボンにプレゼントした、ナリタブライアン、シンボリルドルフとの併走……というか模擬レース権。オークションにしたら間違いなく学園中のウマ娘が……特に中長距離を目指す子達なら絶対に飛びつくプラチナチケットを、ブルボンはまだ両方残している。

 

 

「いつ使うべきでしょうか」

「まあ……別にいつ使っても変わりは無いと思うけど」

 

 

 クラシック戦線前に調子を付けるために使うでも良いし、菊花賞前にそれまでの成果を示すために使っても良い。どのタイミングで使おうとも、基本的に勝てる勝負ではないのだ。

 

 

「……マスターが勝てると思ったタイミングで使うことは可能ですか」

「良いけど今年は多分無理よ」

「……一日のトレーニングをどの程度増量すれば可能ですか?」

「無茶言わないで?」

 

 

 当然のようにトレーニングの増量を申し出ないで。私のことトレーニングマシンだと思ってるでしょ。トレーナーだから。何なら人間だから。

 

 無茶、と言われたのを「勝つのが無茶」と受け取ったのか、ブルボンはしゅんとしてウマ耳を折ってしまった。目から露骨にがっかり感が伝わってくる。シンボリルドルフに勝てないと言われてここまで凹むウマ娘も珍しいだろう。彼女はもはや存在が奇跡みたいなものだ。目標ではあるが壁ではない。あそこにたどり着くには同じように存在からして選ばれたような存在でなければ厳しい。そう、スズカだ。

 

 

「ブルボンが使いたいときに使えば良いから」

「……マスター。トレーニングを開始しましょう」

「まだ予約の時間じゃないって」

「単純なもので構いません」

 

 

 立ち上がりこそしないものの、やる気に満ちた目でこちらを見てくるブルボン。こんなにころころ感情が切り替わるようになって。厄介だったり嬉しかったり。というか単純なものって何。走り込みとかのことを言ってるんだろうけど、そんな効率の悪い練習させたくありません。スピードを伸ばすならスプリントダッシュや……ああ、雑巾がけとかね。その方が良いじゃん。

 

 

「だめ」

「では坂路でも」

「坂路ならオッケーとかあるわけないでしょ?」

「そんな……」

 

 

 そんな……じゃないけど。当たり前でしょ。むしろ坂路の方が厳しいんだから嫌がったらどうなの? 

 

 

「じゃあスズカさん、私はこれで!」

「ええ、ありがとう」

 

 

 どうすれば……と間抜けに口を開けて考え込んでしまうブルボン。扉が開き、スズカが入って来た。今日の付き添いはスペシャルウィークだったらしい。学園でのスズカへの付き添い……特に放課後トレーナー室までのものは結構日替わりになっている。こういうときスズカの人望を実感する。一週間で割っても違う人が来てくれるというのはよく考えなくても凄いことじゃないの。

 

 まあ、それとは別にスペシャルウィーク、エアグルーヴが多いけどね。あの二人はスズカに並々ならぬライバル意識を持っていると同時に、スズカと仲が良いトップツーと言っても良い。特にエアグルーヴ。彼女、本来去年でドリームリーグに行くつもりだったところを、まだスズカとの決着が付いていないからと今年も少しだけ続行するらしいからね。

 

 

「お疲れスズカ」

「お疲れ様です、スズカさん」

「こんにちは、トレーナーさん、ブルボンさん」

 

 

 一月も中旬、そろそろスズカの脚からも露骨なギプスが外れる頃だ。流石はウマ娘というか……ケガや病気に対する抵抗力が半端ではない。世間ではウマ娘は怪我しやすいだの何だのと言われてはいるが、一部不治ともいえるものを除けば回復は人間より早い。ガラスの脚というのは事実だけど。

 

 ギプスが外れればとりあえず両脚をつけて歩くこともできるようになるし、まあ散歩くらいすれば気も晴れるだろう。いや、逆かも。歩けるようになったことでむしろ走りたくなって狂う可能性もあるわね。

 

 

「んー」

「はいはい」

 

 

 ソファに座り、肩を預けてくるスズカ。手を回して撫でる。スズカは目を細めつつ、テーブルにあるメモ書きを眺めている。

 

 

「ブルボンさんの出走予定ですか?」

「そうよ」

「スプリングステークス……ああ、確かブライトさんが走ってたような」

「走ってたわね。二着だったかな」

 

 

 どうでもいい雑談を挟みつつ、テーブルのお菓子を食むスズカ。んー、と体を伸ばし、クッキーを咥えて戻ってくる。

 

 

「ブルボンさんはどうですか?」

「勝てるでしょ。負ける要素が無いもの」

「じゃあ安心ですね」

「というか三月の話だからね。すぐに皐月賞だし、別にこのレースどうこうで喜ぶこともないわ」

「じゃあ皐月賞はどうなんですか」

「ブルボンが負けるわけないでしょ」

 

 

 これから誰かが驚くような急成長を遂げるか、あるいは、マチカネフクキタルやグラスワンダーのような特定条件で全てを破壊するタイプでもない限り大丈夫だ。つくづく思うけど、グラスワンダーが同期に居なくてよかった。あれはそもそも才能がある上に格上殺しの素質がある。それがスズカに向いた時が非常に怖い。

 

 

 話も終わり、ブルボンは何をするわけでもなく定位置でじっと私達を眺めている。少し機嫌が良さそうだ。スズカも上機嫌だし、今日も平和ね。

 

 

「お疲れ様でーす」

 

 

 と、しばらくしてスカーレットが来た。もうそんな時間か。ただ雑談しているだけで時間は過ぎるものね。スカーレットはスズカやブルボンと違って色々と任せられることが多く、忙しい。まあ基本的にしっかりトレーニングには来るし、それらを理由に減らすことも要求はしないけど。

 

 

「……はあ。トレーナー、飲み物冷やすわね。さっき先生に貰ったやつ」

「お疲れ。良いよ。飲まれたくないなら名前書いときなね」

「別に誰が飲んでも良いわよ。先輩方は飲みます? 炭酸ですけど」

「私は炭酸は……」

「トレーニングに支障が出ないなら頂きます」

「ん、飲んでも良いよ。ちょっとね」

 

 

 コップを用意して、注いでブルボンに手渡すスカーレット。扉を閉めた瞬間から口調が素に戻り、私のこともトレーナーと呼んでくる。新鮮だ。スズカもブルボンも距離感はともかく敬語だし、スズカ達の友達や後輩も敬語だからね。生徒会面子くらいかな、タメ口なのは。あれは誰に対しても……いや、エアグルーヴはマルゼンスキーやシンボリルドルフには敬語を使っていたような気もするな。じゃあ何故……? 

 

 

「今日のトレーニングは?」

「スプリント。ブルボンも一緒」

「ふーん。どれくらいやるの? 倒れるまで?」

「いやいや……一般的な量だって」

「アンタの一般的は信用できないから」

「ええ……?」

 

 

 妙に冷たいスカーレット。ズレてる自覚はあるけど、一般的って言う時はそれなりの量しかやらせないし……信じて信じて。

 

 

「倒れるまでトレーニングを行いますか? 是非」

「待ってブルボン。ダメよ。正気に戻って」

「しかし」

「いやしかしじゃなくて」

「目の前にスパルタにハマって強くなった先輩達がいるんだけど。これで信用するのは無理でしょ」

「うぅ」

 

 

 ぴこんっとウマ耳を立たせたブルボンと、最近はもう何でも良くなってきたのか発作を起こしてうつ伏せになるスズカ。スズカのことはまだ話していないので、まだスカーレットの中では二人ともスパルタで全てを黙らせる子だということになっている。スズカは違うって。マジで。勝手に走るんだって。

 

 

「別に良いけど。たまにやってよ、アレ」

「うわあああ……」

「何そのリアクション」

 

 

 部屋に鍵を掛け、制服からジャージへ着替え始めるスカーレット。同じタイミングでブルボンも着替えを始める。スズカの背中を太鼓みたいに叩いてんっんっと鳴かせつつ、早くも無茶を言い始めたスカーレットにクッションを投げる。服を脱いでる最中なのにいとも簡単に片手で止められた。投げ返され、顔面にぶつかった。

 

 

「す、スカーレットも染まっちゃった……スパルタの風……」

「染めたのはトレーナーでしょ。というか染まってないし」

「じゃあ何。あなたもブルボンと同じなんでしょ」

「アンタ自分のウマ娘を何だと思ってんの?」

 

 

 そりゃねえ。何とは言わないけど。

 

 

「別にキツいからやりたいんじゃなくて、あれが一番成長できるならやりたいってだけよ」

「……まあ、一番成長できるのは間違いないけど」

「ブルボン先輩もそれで強くなったんですよね? 一緒よ一緒」

「はい。ですのでこれからも継続していきたいのですが」

「いやいや……」

 

 

 まだブルボンのことがよく解ってないわね、スカーレット。まがりなりにも一年ちょっとブルボンを何度も気絶させてきた私を理解度で上回ろうなど甘い。というかスカーレット全部脱いでから着替えるタイプ? 鍵があるからってそれはどうなの? スズカやブルボンはもう諦めてるけど。

 

 

「言っておくけどブルボンは半分くらいはキツいことがしたいだけよ」

「そんなわけないでしょ。ね、ブルボン先輩」

「大きな負荷がかかることを期待してリクエストを行っています。成長への最善手を考慮しているだけです」

「そんなこと言って。倒れるほどトレーニングしてるって実感が好きなんでしょ? ブルボンは」

「否定はしません」

「ええ……?」

 

 

 スカーレットが引いていた。残念でもないし当然。

 

 

「……あと、スズカ先輩に何やってるの」

「スズカ、こうされるの好きなのよ」

「……アレね、もしかしたらここ、マ──」

 

 

 カタカナ五文字の良くない言葉を、私はクッションを投げて遮った。




これくらいのツッコミが好き。だいたいこんな感じで行きたい。でもちょっと時間は早めてそろそろスズカを治すかも。


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トレーナーに無茶を言うサイレンススズカ

私は肋骨しか折ったことが無いので、骨折周辺の理屈は「ウマ娘だから」で押し通していきます。更新が遅くなったのは「アルセウスをやっていたから」で押し通します。


「……トレーナーさん! 見て! 見てください! 私の脚です!」

「スズカの脚だ……!」

「感動の仕方が人魚姫なのよ。今脚生えました?」

 

 

 二月も近付いてきたある日。病院にて、明日起きたらギプスを着けなくても良いよ、と言われた翌日。私とスズカは朝から騒いでいた。テンションに任せてトレーナー室に突っ込んで、遅れてきたブルボンやスカーレットの拍手を受けている。

 

 ベッドで起き抜けにニコニコで私を叩き起こしたスズカが、その勢いのまま私の前に立っている。ぴょんぴょんと飛び上がって、小さく両手を振ってくれる。ファンサねファンサ。

 

 

「やっと……! やっと地に脚を付けて歩けます……!」

「良かったねえ!」

「おめでとうございます、スズカさん」

「おめでたい……んですけど、何かしら、釈然としないテンション感……」

 

 

 そりゃ嬉しくもなる。なにせスズカは最悪の場合二度と自分の脚で歩けなくなる可能性もあったのだ。何とかそれは回避したものの、それでも何か月も歩く姿が見られないというのは思ったより私のストレスだったらしい。当たり前と言えば当たり前だけど。

 

 

「これで明日からちゃんとトレーナーさんと歩けますね?」

「ん、そうね。嬉しいわ」

 

 

 今まではスズカが私の少し後ろを杖を突きながら歩いて、横を向きながらそれを見る感じだったもんね。普通に隣を歩けるだけで嬉しい限り。

 

 ……と、喜んでいるばかりではいけない。一応スズカの骨はおおむねくっついているし、硬化もしているらしい。日常生活にはほとんど支障は無いとのことだけど、残念ながらスズカはアスリートである。いかに早く現役に復帰するかも重要になってくる。

 

 

「じゃあスズカと、一応みんなにも、スズカのやってはいけないことリストを共有しておくから。そんなことは無いようにするけど、何かあった時は自分もこうなるんだと思っておいて」

 

 

 ウマ娘の自然治癒能力は尋常ではない。毒や薬への耐性も高いし、怪我も人間より遥かに高速で治るトンデモ生き物である。ただし、やはり力が強すぎて自壊しやすい。骨折も人間と比べればすぐに治るが、完全に治る前の再発は当然怖い。病院で貰った、この段階のウマ娘の禁止リストを開く。

 

 

「あまり考えたくはないですよね……」

「知識の保有がマイナスになることはありませんが」

「そうなんですけど」

 

 

 ブルボン、スカーレットにはちょっと怖がらせるような格好に……まあ、今までスズカが松葉杖で歩いていた時点で今更か。とにかく、これはすなわち脚にこれだけの負担をかけると危ないよ、という目安である。ブルボンの言う通り、知っていて損は無い。

 

 ということでスズカと共に座り、ソファの後ろから覗き込んでくるブルボンとスカーレット。封筒の中身を開き、順番に読み上げていく。

 

 

「痛みがほとんど無い場合の禁止事項」

「これですね。全然痛くないですし」

「リハビリ、頑張ったもんねえ」

「ふへへ」

 

 

 撫でてあげよう。がんばってえらい。くすぐったそうに目を閉じるスズカ。鬼気迫る表情でやってたもんね。絶対に治ったと同時に走るんだという強い意志を感じた。

 

 

「いちゃついてないで早く読みなさいよ」

「……えー。体重の二倍以上の負担を脚にかけることは禁止」

「つまり?」

「スズカを含めて、プラス体重分の重さを持っちゃいけないってことね」

「まあ、それくらいは大丈夫です。あんまり重いものも持たないですし」

 

 

 では次。

 

 

「強い衝撃を避けること。具体例、自分の身長以上の高さからの落下程度の衝撃を避ける。蹴りなども控える」

「跳ばないですよね、そんな高さ」

「というかどこのレースウマ娘がそんな頻繁に蹴りなんてやるのよ。私達のこと何だと思ってるの?」

 

 

 ごもっとも。

 

 

「で、ランニング等」

「はっ……静かに……」

 

 

 別に読めばいいのに、しっかり私の読み上げを待ってくれるスズカ。そして、私は告げた。

 

 

「必要以上のスピードを出さない。おおむね一般的な人間が出せる速度を超えないこと」

「えっ……」

 

 

 ひゅん、とスズカとくっついている左半身が冷えたような気がする。横からスズカの手が伸びて、紙を奪うとそのままじっと見つめ始めた。他にもいくつも項目があるから、いったんそれだけ読ませてほしいんだけど。

 

 

「まあ、しょうがないですよ。軽いランニングくらいはできるんだし、良かったじゃないですか」

「スカーレットさん。残念ながらスズカさんの表情を見てください」

「え?」

「スズカさん。大丈夫ですかスズカさん」

 

 

 しばらく紙とにらめっこを続けていたスズカが、ふっと笑って紙をぐしゃぐしゃに握り潰した。こいつめ。読みにくくなるでしょ。そのままどこかに投げ捨てたので、ブルボンが何も言わずに小走りに拾いに行く。

 

 そして、深呼吸の後、私に頭を預けて、私の腕にぎゅっと抱き着いた。スズカさん、あの、私の肘が。肘が死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!!! 痛い痛い!! 

 

 

「す、スズカ! ヤバい、ほんとヤバいっ」

「何かの間違いだと思います。さあトレーナーさん。私は走りに行きますので、晩御飯を用意して待っていてください」

「待って、だめだめだめ、今私の腕に間違い起きてるって!」

「スズカ先輩! トレーナーの腕が! しなってますしなってます!」

「それ以上はいけません、スズカさん」

 

 

 

 間違いは起きた。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「頑張ってください……! 良いですかトレーナーさん。私の人生、いえ、ウマ生がかかっています」

「大げさだなあ……」

 

 

 一時間後。チームエルナトは室内トレーニングルームにいた。何を隠そう人間用のそれである。ウマ娘用に調整されたものではなく、人間が使う用の機材がいくつか設置されている、トレセンの簡易的なジムである。誰もいない。人気の無い場所であった。

 

 それも当然、中央のトレーナーともなると、基本的には自分が体調を崩すなんてことは起こさない。一日の遅れは三日の遅れ。ウマ娘の調子やスケジュールに合わせてトレーニングを行うためには、自分が休んでいては成り立たない。それに、野外に行こうものなら荷物なり移動なりでそれなりに体を使う。基本的にこの施設はホワイト企業アピールであって、必要性の欠片も無いのだ、けど。

 

 

「大丈夫です、トレーナーさんならできます! ひ弱でもちょっと速く走るだけならできますよね?」

「スズカ先輩は頑張って欲しいのか欲しくないのかどっちなんですか?」

 

 

 それでも私がここにいて、しかも制服の担当に比べて私だけジャージなのにはあんまり深くない理由がある。つまり、

 

『トレーナーさんが走れる速さなら走って良い!』

 

 とのことである。つくづく学ばないというか、走ることが絡むとIQが3になるのよね。

 

 

「じゃあトレーナーさん、準備は良いですか。お願いしますね。明日からの私の寝つきが懸かってるんです」

「別に毎日すやすや良い子に寝てるじゃない」

「走れない時に走らないのと、走れるのに走らないのは話が違います!」

「……そういう問題?」

「医者から走るなって言われたのは走れないカウントだと思うんですけど……」

 

 

 準備体操も済ませ、少し使い方も確認したところで、ランニングマシンに立つ。とりあえずやれば気が済むだろう。とっとと終わらせよう。私は頭脳派なのだ。

 

 

「とりあえずえっと……あ、これが時速ですね。じゃあトレーナーさん、始めますね」

「最初はどれくらい?」

「40kmで行きましょう」

「死ぬ死ぬ死ぬ」

「マスター、突然降りるのは危険だと注意書きがあります」

 

 

 いやいや。死ぬって。当然のようにスイッチ入れたわねスズカも。スカーレットもさ、止めてくれても良いのよ。あなたのトレーナーが殺されかけたんだけど今。というかこれ人間用よね? なんでそんな速度出るの? 誰が使うの? 

 

 

「40kmはやる前から解るから。無理だから」

「え……? スカーレットさんが調べてくれたんですけど……」

「スカーレット!?」

「待って、私はただ人間の最高速度を調べろって言われただけ! 無実よ!」

 

 

 両手を上げるスカーレット。私に何をさせようとしてるのかしらスズカは。最高速度って瞬間最高速度とかじゃないの。それも人間のトップアスリートが出すやつ。おばか。一般人基準だって言ってるでしょ。

 

 

「じゃあ30にしておきます」

「無理」

「……29」

「刻むの早すぎでしょ」

「おかしい……絶対におかしいです、こんなの……」

 

 

 スズカが崩れ落ちた。巻き込まれてしゃがんで注意書きを読んでいたブルボンが倒れる。残されたスカーレットも何故か少し姿勢を低くした。それはなんでよ。

 

 

「どうすれば良いんですか……」

「あの……えー……スズカ、20kmくらいなら私頑張るから」

「散歩ですか?」

「辛辣ゥ」

 

 

 いや……スズカのためなら頑張りたいけどさ……私も見たけど、継続して30やら40kmは私には無理だって。せめて大の大人を連れてこないと。女子供……というか鍛えていない一般的女性に出せる速度じゃないから。

 

 しばらくブルボンの上に倒れていたスズカだったけれど、少ししてふっと立ち上がり、どこかに通話をかけながらトレーニングルームを出ようとしていた。

 

 

「スズカ? どこにかけてるの」

 

 

 しーっ、と指を唇に当てるスズカ。正気に戻ったのだろうか。そのまま少し経つと、電話口に声が聞こえてくる。

 

 

「あ、もしもしスぺちゃん? ごめんね、今大丈夫かしら」

『スズカさん? どうしました?』

「ちょっと聞きたいんだけど……スぺちゃん達って確かみんな小規模チームか専属だったわよね?」

『え、はい。私以外専属ですけど……どうかしました?』

「男の人?」

『そうですけど……』

 

 

 待った。嫌な予感がする。どうか合コンとかのお誘いであってくれ。マジで。

 

 

「できるだけ急ぎで会いたいの。今日にでも。お願いできるかしら」

『良いですけど……トレーナーさんにですか? みんなの?』

「みんな。スぺちゃんのトレーナーさんもできれば。グラスさんのトレーナーさんとか若い男の人だったわよね」

『……うぇ? なんですかこれ。え? あの、え?』

「お願いね」

 

 

 電話が切られた。そのまま歩き出そうとするスズカの肩を掴む。何も言われずともブルボンがスズカの前に立ち塞がる。唯一何も解っていないスカーレットが、え、なにこれ、と混乱しつつ、しかし何かしようと思ったのかスズカの腕を掴む。

 

 

「……何する気?」

「……ちょっと走ってもらうだけですから」

「確保ーっ!」

「は、放してください。もうトレーナーさんは諦めました。よく考えたらあの紙、人間としか書いてませんでしたよね」

「生意気な……あっ、こらスズカ! 待ちなさい!」

「すぐに戻ります!」

 

 

 三人分の拘束をするりと抜けて、トレーニングルームから抜け出すスズカ。くそっ、一応私しかいないから部屋を放置して追うわけにもいかない! ブルボンとスカーレットを派遣して、私は急いで退室の準備を進めた。

 

 

 

 

 その日、何故か行われたトレーナールームランナー選手権では、見事キングヘイローとグラスワンダーのトレーナーが壮絶なデッドヒートの後同時に脱落した。たまには運動も良いだろう! 感心ッ! と悪ノリした理事長により、二人には賞品が進呈されたらしい。

 

 

「ふんだ」

「もー……機嫌直してよスズカ」

「知りませーん」

 

 

 無事40kmを勝ち取ったスズカだったが、私が病院に電話し確認したところ、無事25kmを限度とするというお触れを頂いた。この拗ね方は長引きそうだ。



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ついに走れたサイレンススズカ

 

「んぐぐぐぐ」

「お疲れ様で……何してるんですか」

「す、スズカがいつもより強くて……痛いか痛くないかの瀬戸際を攻められてる……」

「聞いても解んなかったわ」

 

 

 ある日。私はスズカからベアハッグを受けていた。ソファに座ったままスズカに抱き付かれ、ぐりぐりと頭を押し付けられている。

 

 

「理由とかあるの?」

「ゆ……夢を見たって……」

「夢?」

 

 

 部屋に来たスカーレットはそのまま飲み物とお菓子を出して、恐らく今日の分だろう復習を始めていた。真面目な子だ。毎日とは言わないけど、多くの日で勉強をしている。

 

 

「わ、私が突然いなくなる夢って……痛い、スズカ!? ち、力抜こっか、もう少しで良いから」

「……思い出させないでください」

「ご、ごめん……」

 

 

 どういう夢だよとは思ったものの、まあ私も天皇賞の時は毎晩のようにスズカが死んだり折れたり私に手を掛けたりしていたし。そういうこともあるんだろう。にしても背骨がギリギリだけど。

 

 というわけで、今日は会った瞬間からスズカが引っ付いてきている。取り立てて仕事は無いから良いんだけど。ゆっくり頭でも撫でながら過ごすことにした。

 

 

「夢ねえ。まあ、時々恐ろしい悪夢を見る時だってあるけど……こんなんなる? 普通」

「なるんだねえこれが。スズカはこう見えてメンタルが脆いかららららららら」

「メンタル脆いウマ娘はトレーナーの骨を折ろうとしないと思うんだけど。あと人前で抱き付いたりもしないわよ」

 

 

 圧力から逃れるために寝転がる。しっかりくっついてきて、そのままのしかかってくるスズカ。よしよしと頭や背中を撫で回し、テーブルのコーヒーに手を伸ばす……と、スカーレットが取ってくれた。

 

 

「ん。溢すわよ」

「ありがと。スカーレット中等部でしょ? 何か解らないことがあったら言ってね。教えられるから」

「……高等部だと教えられないの?」

「……恥ずかしながら」

 

 

 科目によるから。そんな目で見ないで? 頭が良いとは言わないけどバカ扱いはちょっと嫌だ。私はほら、大学期間はほとんど勉強せずにトレーナー資格を取るのに本気出してたから……決してサボってたんじゃなくてね? 

 

 

「トレーナーさーん……」

「どしたの」

「走りに行きたいですー……」

「困った子ね」

 

 

 走りに行くも何も走れないでしょ。本当にゆっくりジョギングで済むなら良いけど……こればっかりはいくら考えてもどうするべきか解りかねている。

 

 スズカが走りたい欲に負けて本気を出してしまう、というのが基本的な考え方として、一方で、流石のスズカもお医者さんに「また折れるぞ」と止められれば自分を抑えることができるのではないか、というところ。マジで解らない。

 

 

 いや、普通に考えれば後者なんだよ。絶対に。でも今のスズカは都合三か月くらい全く走れていない。三か月分のフラストレーションをスズカが抑えられるのか……それだけが不安だ。

 

 

「ちょっとだけでも良いですから、ね? ね?」

「うーん……」

 

 

 顔を埋めながら、うあー、と呻くスズカ。どうするか……怖いなあ。

 

 

「少しくらいなら走らせてあげたら? スズカ先輩だって参っちゃうじゃない」

「スカーレットは知らないから言えるのよ。スズカを走らせるというのがどういうことか」

「ウマ娘が走ることに何の問題があんのよ」

「そうですよトレーナーさーん……私、ウマ娘です……」

 

 

 うーんスズカが援護を受けてしまった。どうすれば良いんだこれ。まあ、スズカの良心と理性に期待して、ちょっと走らせるくらいは……まあ、これまで頑張ったんだし、少しくらい息抜きをするのは良いことかもしれない。

 

 それに、今日はメンタルが崩れていそうだし、頑張って我慢させるというのは酷かな。

 

 

「じゃあスズ」

「走って良いんですか!?」

「遮られたからダメ」

「そんなぁー……」

 

 

 冗談冗談、とウマ耳を揉み解す。尻尾が、尻尾がムチみたいに私を叩いてきてるのよ。痛い痛い。

 

 

「ちゃんと速度を出さないって守れる?」

「…………もちろん」

「何、今の間は」

「……45kmですよね?」

「25kmよ」

「何言ってるんですか、先輩」

 

 

 課題をやりながらくすくすと笑うスカーレット。まだ冗談だと思ってるな。まあそう思っていてほしい。すぐに覆るんだから。

 

 

 抱き着いたところから顔を上げ、ふんすふんすちゃんとできます、とでも言いたげなスズカ。まあ、まあ……ちゃんと言っておけばいいか。

 

 

「言っておくけどスズカ。お医者さんは『再発するかもしれない』から速度制限を付けたのよ。それを破るとどうなるかスズカでも解るわよね」

「……解ります」

「走っても良いけど超えたらダメよ」

「……頑張ります、けど」

 

 

 ウマ耳がへたれてしまった。自分で言っていても自信が無くなっちゃったか。じゃあやめなきゃなんて思っているわけじゃないだろうね。絶対に、何と言えば走らせてもらえるかを必死に考えてる。

 

 

「……でも走らないと死んでしまいます。もう我慢しなくて良いですよね?」

 

 

 考えた末強引に押し切ろうとしてくるのか……

 

 

「じゃあ解った。走ってきて良いよ」

「本当ですか!?」

「うん。でもどうせスピード出しすぎちゃうから、ブルボンとスカーレットが一緒に走るなら許可しようかな」

「……まあ、走れるならそれでも良いです。スカーレットさん、良いですよね?」

「え? でも私まだ予習が」

「良いですよね?」

「でも」

「良いですよね?」

「はいって言わなきゃ進めないRPGみたいな感じですか?」

 

 

 こら、と頭を小突く。流石に後輩の勉強の邪魔はしちゃいけない。それにブルボンもまだ来ていない。走るのは夜と決めて、既に結構立ち直ってそうなスズカと過ごした。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「はい、じゃあ」

「待って」

「……どしたの」

「どしたの、じゃないんだけど。何それ」

 

 

 その夜。約束通りブルボンとスカーレットを連れて、私達はトレセンのランニングコースに出ていた。人気もほとんど無いし、何があっても騒ぎにはならないと思う。ちなみにブルボンは二つ返事で引き受けてくれた。

 

 

 そして、どうすればスズカがスピードを出しすぎないか、私考えました。そして出た結論がこちら。

 

 

「何ってロープだけど」

「……それをどうするのよ」

「スズカに結ぶ」

 

 

 うきうきでストレッチ中のスズカ、指示なので特に何も考えることなく突っ立っているブルボン、自分を抱いてすっと距離を取るスカーレット。私が持っているロープを見て引いている。

 

 

「アンタ……やたらスズカ先輩と距離が近いと思ってたらそういう……?」

「違う違う。マジで違う。ほんとに。彼氏もいたことあるしノーマルなお付き合いしてたから。それにロープはブルボンとスカーレットにも結ぶし」

「ごめん、アタシそういうのは……ひ、否定はしないけどアタシは違うし……」

「だから違うんだって。スズカも何か言って? 今私達あらぬ誤解を受けてるわよ」

「あぁー……」

 

 

 くそっ聞いちゃいない。ブルボンに前屈を手伝われながらぺたんと地面についている。ほんとこの子身体柔らかいわね。

 

 

「ハーネスにしようと思ったけど三人分無かったのよ。スズカの分しか無くて」

「何言ってんの?」

「私とスズカを繋ぐとそのまま引きずられちゃう可能性もあるし」

「何言ってんの??」

「三人を縛って繋げばスズカが暴走しても止められるでしょ」

「だから何言ってんの???」

 

 

 まだよく解っていないスカーレット。でもまあこうして素直についてきてくれているんだし、説明も長くなるとスズカが我慢できなくなっちゃうからやめておこう。ジャージとシューズを着けて、もうスズカは今にも走り出したくてやっとのことでブルボンが羽交い締めにしている段階だから。

 

 

「ブルボンは時速25kmと言ったら倒れるまで時速25kmぴったりで走れるから、これでスピードを縛って、ブルボンだけだと仮に暴走した時困るからスカーレットと二人がかりで止めてもらおうかなって」

「アンタの中のスズカ先輩は何なの? 暴走モンスターか何か?」

「言い得て妙かも。はーいスズカー、ブルボーン。ロープ縛るからこっち来てー」

「行きましょうスズカさん」

「は、早く、早くしてください、私もう……あぁっ……」

「今この空間でマトモなのって私だけ?」

 

 

 二人の胴をロープで繋ぐ。スカーレットも何だかんだやってくれた。これでたぶん大丈夫だろう。しばらくのためにハーネスを買っておこうかな。とにかく三人を縛って繋げたので、これで準備が整ったことになる。

 

 

「じゃあブルボン。目標速度は時速24.5kmね」

「了解しました。しかしマスター」

「ん?」

「継続して長時間走ることへの影響は無いのですか」

 

 

 それは聞いてある。あくまでも一時的に衝撃や負荷をかけなければ良いわけで、軽めを長くやる分には問題ないらしい。スズカのことも考えおかしな仮定もぶつけたがそれでも平気とのことなので問題無い。心配してくれたブルボンはなるほど、と一言返して戻っていった。

 

 

「じゃあスズカ、後ろの二人が倒れる前にやめるのよ。良い?」

「二人とも、よろしくお願いしますねっ」

「は、はあ……」

 

 

 そして、スズカの三ヶ月ぶりのランニングが始まった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 四時間で終わった。後ろの二人が倒れる前にちゃんと切り上げ、スズカは止まった。まあその、結構ギリギリっぽいけど。ブルボンはともかくスカーレットがヤバい。

 

 

「お疲れ。大丈夫、スカーレット」

「っはー……ぃ、ひ……はぁっ……お、おかしいんじゃないの……いくら何でも……ぶっ続けでこんな……」

「ごめんね。はい酸素。ゆっくり吸って。落ち着いてー」

 

 

 何となく理由は解る。私が見ても解るくらい、スズカは精彩を欠いていた。普段より圧倒的にスローペースなランニングに満足できない心と、でも走れるから楽しい気持ちがぶつかった末四時間で折り合いがついたんだろう。

 

 

「ブルボンは大丈夫?」

「残存体力イエロー。思考、心身ともに余力があります」

「流石ね。で、スズカ?」

「はーい……」

 

 

 ロープを解きスズカを呼ぶ。一応大分不満も解消されたのか、そこそこ落ち着いていた。まあまだちょっと目付きが鋭いけど。

 

 

「はいスズカ」

「ふにゃっ」

「ん。二人にお礼言って今日はおしまい。時間が時間だからみんな巻き込まれてお泊まりなんだからね」

「はい……ありがとう、二人とも。助かったわ。本当にギリギリで……」

 

 

 怖い言い方。ロープを始末していたので三人の会話はあんまり聞いていなかったけど、終始スカーレットが困惑していたのは解る。新鮮だなあ、スズカのおかしさに困惑する子。

 

 

「これでもう少し我慢できるわね」

「……」

「ええ……?」

 

 

 やはりできない約束はしないらしい。それは我慢してよ。困るじゃん。

 

 黙ってしまったスズカや他二人を連れて、私は部屋に戻ることになった。流石に私がソファで寝るべきかなこれは……人目を避ける目的とはいえ、門限に間に合う時間にするべきだったか。

 

 

 ……まあスズカが楽しそうだし良いか。




みなさんのご愛顧のおかげで、この小説も100話を迎えることができました。ありがとうございます。

色んな理由で更新が遅いこともございますが、これからも変わらず読んで頂けると幸いです。高評価、コメント、お気に入りなどもよろしくお願いします。また、既にしてくださっている大勢の方、ありがとうございます。

まだまだ本作は完結しませんがキリの良い話数ということで、改めて色々とお伝えしておきます。

こんな話が見たい、なども変わらず一部受け付けておりますが、加えて、読みにくい点や改善すべき点など、運対に掛からない範囲で教えていただければ検討させていただきます。今のところ、レースを行う会はサブタイトルに少し追記を行おうかと思っておりますので、良ければ是非もご意見ください。もちろん、感想と併記していただけると嬉しいです。


長くなりましたが、これからもよろしくお願いいたします。


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倫理観を疑われるサイレンススズカ

 

「え? 一緒にお風呂入るの?」

「入る……入るねえ」

 

 

 スズカのランニングを終え、ご飯を食べて家に帰って。満腹と疲れで半分寝そうになっていたぽんこつロボットをさっさとお風呂に入れて待っている間、リビングで話しているとスカーレットがそんなことを聞いてきた。

 

 

「倫理観とか無いの、トレーナーって」

「人並みにはあるって」

「普通のトレーナーは担当とお風呂なんて入らないっての」

「トレーナーに男の人の方が多いってだけでしょ。同性ならそんなものだって」

 

 

 スズカを膝に乗せて脚のマッサージをしつつ、ええ、と引きつつあるスカーレットに言い返す。別に私だって下心があるわけじゃないし、そもそも毎日入っているわけじゃないし。骨折してからは毎日だけど、それ以外は三回に一回くらいだ。

 

 

「トレーナーさん、結構洗うの上手ですし……温まっていれば全部やってくれるので便利で良いですよ」

「貴族と赤ちゃんしか許されない言い方なんですよね」

「ばぶばぶ」

「ふざけてます?」

 

 

 ふざけてませんよ、と笑うスズカ。膝を曲げたり揺らしたり、うーん流石に消耗が少ない。ブルボンがアレくらいで怪我をするわけはないと思ってるけど、後でスカーレットにもやっておこうか。

 

 スズカを起こし、ウマッターを始めるのを隣で眺める。最近はより一層フォロワーも増えて、反応も難しくなってきている。ファンサの一環として何となく目についたものには返してみたら? と言ったら、「どうして走るのが好きなんですか?」に対して一晩中悩んでいた。そういうのは良いから。

 

 

「やめろとは言わないけどおかしいのは知っておいた方が良いわよ」

「実はみんなやってるかもよ? 女性トレーナーと担当ウマ娘でお風呂くらい」

「もしかして実例があるの? それなら」

「無いけど」

「舐めてんの?」

 

 

 家にあったお菓子を口に運びつつ、笑顔で青筋を浮かべるスカーレット。怖い。でも、実際どうなんだろう。まあ私とスズカが普通じゃないのは重々承知の上なんだけど、如何せん私にも同性の仕事仲間なんていないし、案外お風呂くらい普通である可能性もあるわけだ。

 

 

「いや無いでしょ。トレーナーと担当だし、成人と学生よ」

「……そう聞くといきなり犯罪みたいに聞こえるわね」

「訴えられたら負けるんじゃない?」

「……スズカはそんなことしないし……」

「声震えてるわよ」

 

 

 でも一応スズカにはこういうことはあんまり言わないように言っておこう。私と何かした系のエピソードトーク禁止で。スズカは好いていないからテレビなんかへの露出は少ないけど、もしあったとしてもね。

 

 

『スズカさんおはようございます!』と言うファンに『おはよう』と夜に返すスズカを横で見ながら、気を取り直して私もお菓子を食べる。

 

 

「スズカ先輩は何も思わないんですか?」

「思うって、何に?」

「いや……トレーナーとの距離感とか」

「うーん……あんまり。走らせてくれない以外不満は無いかな。お風呂もまあ、別に」

 

 

 それはもう今のこの感じからすれば今さらだし。久しぶりに走ったわけだし丁寧にストレッチを施す。うつ伏せのスズカに跨がって腕をとる。本当に柔らかいわねスズカは。

 

 

「あー……むぐぐ」

「柔らか……やっぱり柔軟性はあった方が良いの?」

「もちろん。まあそれによって悪い影響も無いわけじゃないけど、あった方が良いのは確かだと思うわ。スズカのレースを見たことはある?」

「まあ、何回か。距離適性も似てそうだったし、私も前めで走る方が得意だから」

「みたいね。まあスズカに2500……長距離は長いんだけど」

 

 

 適性だけを見るならスカーレットはスズカやブルボンの完全上位互換でしかない。二人は逃げしかできないし、スズカは長距離はボロボロ、ブルボンもメインはあくまで中距離である。先行策もとれるし長距離も走れるスズカと言ったところか。

 

 

「スズカのあのスパートは柔らかくないとできないと思う。そもそもあんな速さでスパートに入れるのがスズカの強いところだけど」

「……本当にそうよね。意味解らないもん。あれで脚を溜めたらどうなるのかってくらい驚いたわ」

「無理。二人とも全く向いてないわ。先行すらできないかな」

「練習してないからってこと?」

「ううん。気性とか性格の話」

 

 

 あとは頭の良さね。失礼な話だけど、レース勘みたいなものがよろしくないから。自分が先頭でないと気が済まないスズカと、決められたことをなぞることしかできないブルボン。位置取りやバ群突破、脚を溜めるというのがド下手だから。

 

 

「お待たせしました、マスター。入浴と就寝準備を終えました」

「ん。先に寝てて良いわよ。お休みブルボン」

「お休みなさーい……いたたた、トレーナーさん痛い痛い」

「お休みなさい! お疲れさまでした!」

 

 

 ブルボンがお風呂から出てきた。ホカホカノブルボンを先に寝かせて、色々言われたものの私はスズカと一緒にお風呂に入る。と言うか話を聞いていたはずのスズカも何も言わずについてきた。

 

 

「結局入るんだ……」

「スカーレットさんも入る? お風呂広いし、入れるわよ」

「いや、私はいいです」

「放っておけばトレーナーさんが洗ってくれるし」

「恥ずかしいことこの上無いですよね?」

 

 

 スズカは私のこと何だと思ってるの? 

 

 

「レースの話とかする?」

「急に魅力的!」

 

 

 三人で入った。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「いや私がソファで寝るって」

「アタシが寝るって言ってるでしょ? 良いからベッド行きなさいよ」

 

 

 入浴後。ついスズカのレースについて語ってしまいのぼせ気味で出て、特にすることもなく寝ることにした。もちろん三人をベッドで寝かせ、四人では狭いので私がソファに行こうとしたらこれである。

 

 スカーレットが良い子なのは解るんだけど、どうもね。お風呂に入るときはあれほど歳がどうという話をしていたのに、こういうのは引かないんだ、って感じ。

 

 

「まだ寒いし体がバキバキになるから。明日のトレーニングに差し支えるわ」

「大丈夫よ。アタシも結構机で寝ちゃったりするし。それにトレーナーこそ体を痛めたら大変じゃない。若くないんだから」

「歳の話はしないで」

「ふふ」

 

 

 何笑ってんのスズカ。こっちは真剣なんだからね。

 

 

 しかし困った。引いてくれないし、じゃあと私が寝るわけにもいかない。トレーナーだし、家に連れ込んだ以上保護者でもあるし。そうでなくても客人をそんな扱いは不味い。

 

 髪を結ってナイトキャップまで着けたスカーレットに、どう言えば引き下がってくれるか考えていると、スカーレットの後ろでもぞもぞと動く影。先にベッドに入っていたスズカが手を伸ばし、スカーレットの腕を掴んだ。

 

 

「えいっ」

「ひゃっ!?」

「トレーナーさんも来てください。喧嘩しちゃダメですよ」

「喧嘩じゃないけど……うわっ」

 

 

 近付くとスズカに掴まれる。二人揃ってベッドに引きずり込まれ、四人で川の字にされてしまった。私はともかくスカーレットすら抵抗を許さないパワーは流石の一言。スピード特化とはいえ根本の能力が高い。

 

 いくら何でも四人は狭い。限りなく密着してしまっている。端っこで微動だにせず眠っているブルボンを起こすわけにはいかないので派手にずらすわけにもいかず、結果としてもはや三人で抱き合うレベルになってしまった。ブルボン、スズカ、スカーレット、私で。

 

 

「……これはおかしいでしょ流石に」

「私もそう思う」

「温かくて良いじゃないですか。揉めるより平和です」

「身動きすらできないんですけど!?」

「私はトレーナーさんと一緒に寝たいけど、トレーナーさんは譲りたくなさそうだったし……良いでしょ? だめ?」

「ぐ……」

 

 

 よく見えないけど、またスズカが可愛く頼んでいるってことは解った。顔が良いので本当に卑怯だ。スカーレットが数秒黙った後、陥落して諦めてしまった。

 

 

「はあ……まあ、良いですもう。眠いし」

「良かった。大丈夫よ、私もトレーナーさんも寝相は良いし、ブルボンさんなんか見ての通りですから」

「……そういえばこんな騒いでるのによく起きませんね」

「絶対起きないわ。でも、き……起こす言葉を言うと即起きるから」

「矛盾してません?」

 

 

 またブルボンに余裕がある時試してみようね。再起動し過ぎると壊れちゃうけど。今日は疲れてる……疲れてるのにこんなじっと眠れるブルボンもなかなかよね。

 

 

「狭いなら私が出るけど」

「だからアタシが……」

「ダメですよ。もう寝ましょう。眠いので」

「……まあ、良いですけど」

 

 

 スカーレットが諦めたので、私も諦めて眠ることにする。私達三人は仰向けやうつ伏せでは到底スペースが足りないので、まあ横向きになってしまう。スカーレットの頭を眺めて目を閉じた。

 

 

 …………。

 

 

「……あの、最後に良いかしら」

 

 

 スズカの囁き声がする。

 

 

「どうしたんですか?」

「……場所変えても良い?」

「え、体勢的に無理ありません?」

「いや、トレーナーさんの横が良いから……よいしょ」

 

 ベッドが軋み、スカーレットを乗り越える形でスズカが割り込んでくる。半分私に乗っかるようにして降りてきた。スペースを空けてあげ危ねえ落ちる落ちる。寄れなかった。

 

 

「ふぅ……この方が落ち着きますね」

「……それはそうね」

 

 

 スズカの匂いがする。まああまりにもスカーレットの肩身が狭すぎるけど、それはその、まあその、た、耐えてもらって……? これは仕方無いことだから。抱き枕みたいなものだし。

 

 

「……アタシの後ろで変なことしないでね」

「しないよ!?」

「ぁ、み、みみ……みみが……」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 翌朝。

 

 

「おはよう……あれ、トレーナーだけ?」

「おはようスカーレット。二人はあと十分くらいかな。時間通りに起きるタイプだから」

「ふーん……何作ってるの?」

「お味噌汁」

 

 

 三人より少し早く起きて朝食を作っていると、スカーレットだけが起きてきた。スズカとブルボンより早起きとはやるわね。

 

 基本的に自分用のお味噌汁に近寄ってきたスカーレットがすんすんと鼻を鳴らす。軽快な音楽とともにご飯が炊けた。手伝おうか、と言うスカーレットにお願いして食器を出してもらう。

 

 

「スカーレットは朝はご飯? パン? 食パンはそこにあるから焼くけど」

「あんまりこだわりは無いわね。みんながご飯ならそれで合わせるわ。お茶碗はこれ?」

「うん。箸は気になるなら割り箸もあるし、じゃなければ好きなの使って。あ、お味噌汁味見する?」

 

 

 手際良いなあスカーレット。配置を知っているスズカやブルボンと並ぶくらい早い。こういうお手伝いとか、何なら自分で料理もするんだろう。せっかくだから、と言うスカーレットのお椀に少し注いで渡す。

 

 

「……美味しい」

「良かった」

 

 

 私とスズカの味付けで美味しいなら何よりだ。スズカは味なんか半分気にしていないようなものだけどね。そういう意味ではブルボンもか。初めてまともに味の評価ができる子じゃない? もしかして。

 

 

 二人は起こせばすぐ起きるので、ご飯と味噌汁をよそうのはスカーレットに任せて一応起こしに行く。しゃもじを渡してお願いね、とエプロンを外していると、ぼそっとスカーレットが言った。

 

 

「……私はしばらくあんまり泊まりに来ないようにするわ」

「どうして?」

「……朝御飯の匂いで起きるの、ホームシックになりそう」

「あら」

 

 

 可愛いところあるじゃない、と言った私に、スカーレットは顔を真っ赤にして騒いだ。



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お菓子を手作りするサイレンススズカ

 二月十三日、記録者、ミホノブルボン。

 

 

 本日はスズカさんのご要望により、チーム・エルナトのメンバーで家庭科室に訪れています。明日に迫ったバレンタイン・デーに備え、チョコレートの作成を行います。

 

 

「去年はどんな感じだったんですか?」

 

 

 材料調達は三人で行い、その際『お揃い』のエプロンも購入しました。同一デザインで、緑色、桃色、赤色のものです。紐を結びながら、スカーレットが問います。

 

 

「ちょっと忘れちゃってて」

「あんな距離感でバレンタインを忘れることあります?」

「トレセンのみんなにはあげたのよ。でもトレーナーさんの分を忘れちゃって。今年は思い出せてよかったわ」

「それなら良かったです。もしかして余計なことを言ったんじゃないかと思ってました」

 

 

 エプロンを装着。気分の高揚を感知。衣服を揃えるのは良好な関係性を示す行為として有効です。友人とのコミュニケーションにおいて非常に親密になったという証だと考えられます。お二人は厳密には友人ではありませんが、限りなく類似しているでしょう。

 

 

「うん。助かってるわ。また忘れるところだった……危ない危ない」

 

 

 今回の会合は、スカーレットさんの「そういえばバレンタインとか誰かにあげるんですか?」という発言をきっかけに行われています。雑談の一環としてされた発言にスズカさんは大いに驚き、はっとして計画を立てていました。

 

 私も、友人達へチョコレートを贈るため、そして、他ならぬスズカさんに手伝うことをリクエストされたため参加。スカーレットさんもせっかくなのでと来ています。昨年は入学直後で私も毎日トレーニングに明け暮れていたのでできませんでしたが、どうやら『友チョコ』というものがあるそうです。

 

 

「じゃあやりましょうか。ブルボンさん、お願いね」

「はい。ではまず、全行程の説明から始めます」

 

 

 材料調達の前から、スズカさんよりレシピ役を仰せつかっています。バレンタイン前日で、トレセンの二つある家庭科室はどちらも予約が連続しています。何とか予約は取れたものの、調理工程を考えればほとんど余裕がありません。レシピの確認、再認識を行うよりも、全て暗記したのち指示をした方が効率的です。

 

 

「ではその通りに。何か質問はありますか」

「全部レシピ暗記してるんですか?」

「はい。先ほど全てインプットしました。短期記憶ですが問題ありません」

 

 

 普段であれば準備、片付けまで時間をかければ私一人でも調理は十分可能です。ですが、今回はいかにそれぞれ効率よく調理を進めるかが重要になりますので、全て行動を制御します。お二人に伝えるべきことは全て伝え、調理を開始します。

 

 

「凄いですよね……記憶力」

「ですね。ブルボンさん、頭が良いから」

「インプットのみです。情報処理や思考能力は劣ります」

 

 

 チョコレートを削ります。下処理を進めるお二人に褒められました。情報のインプットは得意分野です。スズカさんとの神経衰弱など記憶力を問う勝負では一度も負けたことはありませんし、それはお父さんとも同様です。

 

 

「テストも点数とか取れるんですか?」

「はい。稀に思考力を問う問題で減点されることはありますが、概ね満点です」

「すっご……す、スズカさんは?」

「私は普通よ。八十点くらい」

「ですよね? あ、焦った……トップウマ娘ってみんなこんな感じなのかと……いやでも、ブルボン先輩みたいな人がいるかもしれないし、やっぱりもっと頑張って満点前提で動いたほうが……いやでも、どの時間で……? というかスズカさんは高等部だし、八十点ってかなり凄いんじゃ……」

「エアグルーヴでも満点はそう取らないから大丈夫よ。フクキタルなんて赤点ばかりだし」

 

 

 会話ログローディング。スカーレットさんはチーム加入時も一番になりたい、と話していました。勉学においても同様の行動目標を持っているということでしょうか。

 

 

「トレセンの定期テストは教科書に載っていない知識を問われることはありませんので、授業中及び教科書の内容をインプットすれば満点が取れます。インプットのサポートくらいなら可能です」

「え……い、良いんですか?」

「はい。後輩ですから」

 

 

 お願いします、と卵を泡立てるスカーレットさんに言われてしまいました。ステータス『高揚』を再び感知。先輩として、後輩のために行動するのは当然です。私はスズカさんのように身をもって目標を示し続けることはできませんから、直接の行動が必要でしょう。

 

 

「と言うか教科書の内容全部覚えてるんですか?」

「はい。小学校まではお父さんの指示のもと身体能力向上に注力していましたが、お母さんがある程度の成績でなければトレーニングの続行は認めないと言いましたので」

「へー……小さい頃はお父さんに鍛えてもらってたんですね」

「はい。勉学を軽視しないよう、お母さんがお父さんを殴打しました」

「反応しづらいエピソード挟むのやめてもらって良いですか!?」

 

 

 チョコチップ・クッキー用のチョコレートの加工完了。スズカさんに生地を作ってもらいます。調べたレシピにより、クッキーのみ一時間の冷却時間が必要と解っています。これは私とスズカさんが配布するものですので任せて、私はチョコレートケーキ用のチョコレート加工に移ります。

 

 

「お父さんも反省していますので問題ありません」

「いや、そういう問題……まあ、別に良いんですけど……す、スズカさんはどうですか? 何か勉強のコツとかあったりしたら是非教えてください」

「え……私はあんまり……復習はしてるけど、そんなに考えてやってないし……」

「それでそんなに取れるんですか!?」

「ブルボンさんも言ってたけど、変な問題は出ないから。躍起になって勉強しなくてもそこそこの点数は取れるわ」

 

 

 スズカさんが勉強しているところを見ることは非常に少ないですが、スズカさん本人が言うのなら間違いないでしょう。どちらにせよトレセンでは特殊な学習が必要になるテストはあまり行われません。文武両道は重要なスローガンですが、それではどうもならない方がいますので。友人であるバクシンオーさんであるとか。

 

 

「それに、成績が落ちたらそれを理由にトレーナーさんが走らせてくれなくなる可能性もあるし」

「あー……それは重要ですね。私も頑張らないと……一番……」

 

 

 お二人の認識に齟齬が発生している気もしますが放置します。

 

 

 クッキーの生地が完了し、生地をスカーレットさんに形成していただきます。その間にチョコレートケーキ作製に回ります。

 

 

「三月にはテストもあるし、学年一位……!」

「頑張ってね。応援してるわ」

「ありがとうございます……」

「スカーレットさん。ブランデーはごく少量です。注意してください」

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「トレーナーさーん」

「どしたの……うわっびっくりした」

 

 

 ある日。トレーナー室で色々と作業をしていると、スズカ達がやって来た。用事があるからとトレーニングを休みにしていたはずだけど……って、しらばっくれてもしょうがないか。バレンタインね。程よく甘い匂いがする。それぞれが持つ三枚のプレートと、その上に載ったお菓子。ケーキと、クッキーとチョコかな。食べてみないと解らないけど、流石はブルボンが参加しているだけのことはある。見た目はとても良い。

 

 

「家庭科室の時間がちょっと危ないのでここで仕上げとかラッピングしても良いですか?」

「良いよ。好きにやりな」

 

 

 三人の手が埋まっているので、急いでテーブルを片付ける。女の子らしいことしちゃってまた。三人お揃いのエプロンがとても可愛い。ブルボンのクッキー、スズカのケーキ、スカーレットのチョコが置かれ、出ていく。調理器具を持って戻ってきて、黙々と作業を始めた。

 

 

「スカーレットはチョコ? やたら多いけど」

「まあね。友達と、先生方と、後色々。いくつ必要になるか解らないし、量が少ないと手抜きしたと思われるでしょ」

「先生方にもあげるの? かっこいい人でもいるの?」

「関わった先生みんなよ」

 

 

 ええ……律儀にも程があるでしょ。なかなかしないわよそんなの。人気の男の先生にあげるとかは競ってやった覚えがあるけど。かなり多めのチョコレートを手際よくラッピングしていくスカーレットが、こちらを見ずに返してくる。

 

 

「少しでも印象を良くしておくのが大事なのよ。成績にも繋がるし、心証が良いことで損はしないわ」

「猫被りにストイック過ぎない?」

「全ては一番になるためよ」

 

 

 一番とは。狙ってる一番が広すぎる。そりゃまあ、普段から優等生のスカーレットがお礼って言ってバレンタインを持ってきて悪い気はしないだろうけど。本気だなあこの子も……

 

 

「ブルボンはクッキー?」

「はい。スズカさんと共同製作という形です。友人と、お父さんにも毎年渡しています」

「一個貰って良い?」

「後ほどマスターにも差し上げますので、めっ、です」

 

 

 微笑んで止めるブルボン。スカーレットよりさらにラッピングが速い。機械梱包かな? スカーレットも速いけどレベルが違いすぎる。次々に積み上がっていくプレゼントクッキーを見て、ちょっと引いた。

 

 

「友達と交換とか楽しみね」

「はい」

 

 

 はっきりと返事をしたブルボンは本当に楽しそうだ。尻尾を振って口角が上がっている。友達いっぱいできて良かったね。マスターも嬉しく思っています。

 

 

「で、スズカはケーキと」

「はい。トレーナーさん、甘いのそこまで好きじゃないですよね? 甘さ控えめです」

「え? あ、うん。もしかしてそれ私の?」

「エルナトのみんなで食べようと思って。もちろん、トレーナーさんにも」

「わあ……ありがとうスズカ……」

 

 

 クリームを塗ってスポンジで挟む。嬉しい限りだ。去年は貰えなかったし、スズカはそういうのに興味が無いものかと思っていた。この状況で走りに行って良いよって言ったらケーキほっぽり投げて走りに行くのかな。わくわくしたけどなんかどう転んでも損しかなさそうなので止めておこう。

 

 表面にもクリームを塗って、まんべんなく白くしたら削った……チョコレートかな、チョコレートをまぶす。シンプルで良い。めちゃくちゃ豪華にトッピングしたものをスズカが出して来てもそれはそれで嬉しいけど、この方がらしいというか。

 

 

「できました」

「おー」

「切り分けますね」

 

 

 まずは私の分をショートケーキサイズに、そして残りを三等分に。嬉しい人間サイズを受け取りお礼を言うと、スズカは口元に手を当てて照れたように笑った。くすりと微笑んで、フォークを差し出す。

 

 

「ハッピーバレンタイン、トレーナーさん」

「ありがとうスズカ。とても嬉しいわ」

「片付けとかあるので、先に食べていてください。ブルボンさんもスカーレットさんももう終わりそうですし」

「はい。推定残り時間、一分と三十秒ほどです」

「はっや……あ、あと一分で終わらせます! あと残ってるのウオッカとパパなんで!」

 

 

 どんなところで対抗してるのよ、とおかしくて笑った。みんなで食べたケーキはとても美味しかった。ホワイトデー、考えておかないとね。




可愛いしかない……なくない?やっぱエルナトってチーム『かわいい』だったんだなって。


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完全復活したサイレンススズカ

 

「ふー……もう一本行くわよ」

「待った。今日は少しだけ余裕残しておいて」

「何かあるの?」

「まあ、もしかしたらだけど」

 

 

 三月も迫って来たある日。今日はブルボンがおらず、必然的にスカーレットにマンツーマンになっている。ダッシュをひたすら繰り返させていたところを止めて、飲み物を渡す。

 

 

「スズカとブルボンが病院に行ってるのよ」

「まあそれは聞いたけど」

「それが、お医者さんに全治の判定を貰いに行ってるのよ」

「へえ……治ったの? 良かったわ」

「うん」

 

 

 本当は三月に入ってから検査をするという話だったのだけど、スズカが待ちきれず病院に行くと強く主張した。トレーナーの間でちょっとした会議があったりして付いていけないと言ったのだけど、それでもいいから一日でも早く許可を貰いたいと。

 

 確かに最近はスズカに怪我率が出ていない。これまでは脚を使わせようとすると多少なりとも出ていたから、お医者様からも言われている制限は守らせていたけど。私の目ではもう平気になっている以上、お医者様が良いと言えばまったく問題は無い。だからこそ、二人で行かせたのだ。走って帰ってきても良いよ、と。

 

 

「でも凄いわよね。骨折明けなのにスズカ先輩、平気そうにしてる」

「スズカだからね……走ることに関しては天才だから」

 

 

 少しはイップスを心配していなかったわけでもない。長らく走っていないわけだし、私は現場は見ていなかったけど、走っている間に怪我で倒れてしまったのは事実なんだし。トラウマとかあっても不思議じゃない。本当ならね。

 

 でも流石はスズカというか、行きはちょうど病院に行く用事のあった友達に相乗りする形で向かい、許可を貰えたらそのまま走って帰ると言い切った。許可を貰えなかったらどうするのかと聞く前に電話を切られたけど、マジでどうするつもりなんだろう。治っている自信でもあるのだろうか。あるんだろうな。勘の良い……子か? 本当に。

 

 

「文武両道のお手本みたいな人じゃない。私もバレンタインに聞いてビックリしたのよ。ブルボン先輩も」

「ブルボンは決められたことをする範囲では天才だから」

「アンタの教え子天才ばっかりじゃない」

「でしょ」

 

 

 ふふっと笑いながら飲み物を突っ返してくるスカーレット。今日はスズカが帰ってきたら、ブルボンもスカーレットもご要望だった模擬レースをしようと思っている。もしやるならスペシャルウィークやグラスワンダーが来るとスズカは言っていたけど、本当に来るのかな。

 

 

「脚使っちゃいけないなら筋トレはどう? 今日はやる気があるんだけど」

「やめておいた方が良いよ。万が一にも全力を出せずにスズカに負けたら後悔しない?」

「……まあ、そりゃそうね。大人しくしとくわ」

 

 

 全力を出せたくらいでスズカには勝てないけど。でも、スカーレットの性質はまだ解らない。スカーレットがもし、特定条件で実力以上の力を出せる……マチカネフクキタル型ならばそのうちチャンスは巡ってくるかもしれない。もちろんエアグルーヴ型では厳しいけど。

 

 

「ちなみにトレーナー」

「ん?」

「もし私とスズカ先輩がやったら、どうなると思う?」

「大差でスズカ」

「即答……ブルボン先輩なら?」

「2200までなら大差。そこからは伸びれば伸びるほど近付くかもね」

「……スペシャルウィーク先輩なら?」

「スペシャルウィークを知ってる……そりゃ知ってるか」

 

 

 同室のバカがダービーにうるさいのよ、とスカーレットは言った。さあ、どうだろうね。スズカが勝つのは間違いないし、そうそう僅差にはならないとは思う。ただ、大差を付けられるかはまた違う話だ。スペシャルウィークの力は私も掴みかねている。

 

 

「勝つのはスズカよ。でもどうかしらね。大差ではないかもしれないわ」

「ふーん……ねえ、次のダービーはブルボン先輩、勝てると思う?」

「勝てるでしょうね」

「……じゃあ、私とウオッカが二人でやったらどうなる? 最初に挨拶についてきてもらった子」

「……うーん」

「……なるほどね」

 

 

 

 ウオッカの能力、いまいち覚えてないからなあ。スカーレットより強かったような気がしないでもないけど。同程度の子達がやれば、レースや展開で当然変わってくる。二人が戦うであろうマイル中距離ならなおさら。できればぶつかりたくはないわね。

 

 

「……電話鳴ってるわよ。あと、飲み物ちょうだい」

「え、ああ、ごめん」

 

 

 何か考えながら空を見上げるスカーレット。電話はスズカから……ではなく、病院からだった。出てみると看護師さんの名乗りの後、すぐにいつもの落ち着いたトーン。

 

 

『マスター、ブルボンです』

「ああ、ブルボン。どうしたの」

『先ほど診察が終わりました。スズカさんですが、全治の判定を受けました』

「それは良かった。それで、スズカは?」

『診察後待合室にて待機していたのですが、バッドステータスを受けたため私の判断で先に帰っていただきました』

「バッドステータスとは?」

『読み上げられる全ての名前に反応する、外を見て息を荒くする、貧乏揺すりを繰り返す、などです』

「……ごめんね、ブルボン」

『いえ』

 

 

 まあ、まあ。今日は怒らないでいてあげよう。多かれ少なかれ怪我明けのウマ娘なんてそんなものだ。特にスズカは走れるか走れないかの瀬戸際から復帰したわけで、喜びもひとしおだろう。ブルボン相手にしか迷惑をかけていないならまだ良い。

 

 

「じゃあブルボンも帰っておいで。待ってるわ」

『はい。では』

 

 

 まったくスズカは。明日からはまた走りたいスズカを止める日々が始まるのかと思うと、なんかこう、考えるところもある。何だかんだ言って普通に面倒だし。

 

 それはともかくスカーレットのところに戻って、レースの準備を指示しようとすると、その前に座り込んでこちらを見上げるスカーレットに笑われた。

 

 

「スズカ先輩、走れるようになったのね」

「電話の声が聞こえてるの? 流石ウマ娘……」

「そのだらしない顔何とかしたら?」

 

 

 ……しまった。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「おめでとうございます、スズカさん!」

「ええ、ありがとうスぺちゃん。あの、スぺちゃんからもトレーナーさんに言ってくれない? 放してって」

「嫌です! じゃあアップしてきます!」

「フクキタル……」

「ありがたや……!」

「拝まないで……?」

 

 

 その後。スズカは満面の笑みで走って帰って来た。スペシャルウィーク、グラスワンダー、そして話を聞きつけたマチカネフクキタルが幸せを分けてもらおうと合流してきた。

 

 ブルボンも少し遅れて帰ってきて、スズカを除くみんなでアップをし始めた。それを見ながら、私は人間みたいにとっても遅く走るスズカの手首を縛って持っている。

 

 

「トレーナーさん……」

「ダメ」

 

 

 最初はスズカも一緒にアップをしようかと思っていたけど、血走った眼をしているスズカを見てやめた。ちょっと制御できそうにない。スタートの時間になってもあと五分……と言い続けるのが目に見えている。ここまで走って来たから準備運動もいらないだろうし、むしろヤバい時のスズカをスカーレットに見せつけることもできる。

 

 

「は、はし、はしはし」

 

 

 言語に異常が見られてきた。これから走れるっていうのに我慢の利かない子ね。でも、そうそう、こんな感じ。思い出してきたような気がするわ。

 

 

「トレーナーさん、一周、一周で良いから放してください、死んじゃいますっ」

「死なない死なない」

「あ、あああ、だめ、もうだめ、本当にだめです、私何するか解らないですよ……!」

「頑張れ頑張れ。もう少しで走れるわよー」

 

 

 後ろをゆっくり追いながら、びゅんびゅんに振り回される尻尾にぶつからないようにスズカを宥める。実際にもう少しなのだ。今、最後のブルボンがアップを終えて、ストレッチの最後に首を回して、終わった。

 

 

「はい、戻るわよスズかかかか」

「はやく、はやく……っ」

 

 

 痛い痛い痛い痛い!!!! 死ぬ!!! やばいやばい!!! ひきずられっ、ぐぐぐがががががが!!!! 

 

 

「トレーナーさん、はやく、はやくスタートしてください、はやくはやくはやく!」

 

 

 ブルボンが手を振って合図をした瞬間、コースの中心を突っ切ってスタート位置へ戻るスズカ。これまでの様子でもまだ必死に我慢していたんだなあと解るほど豹変して、物凄いスピードで走り出した。ギリギリ人間の速度ではあったけど、それでも私がついていける速度ではなく、ほとんど引きずられるようにして戻る羽目になった。地面が土で良かった。アスファルトだったら死んでいた。

 

 

「いたた……じゃ、じゃあスズカ、枠は……」

「何でも良いです! 大外でも!」

「じゃあ世代の順に外からで……」

 

 

 その場で足踏みをしながら一応スタートは守るつもりのスズカ。世代と脚質を考え、内からドン引きのスカーレット、スズカが荒れていれば荒れているほど強くなるとウキウキのブルボン、微笑ましそうに見るスペシャルウィーク、集中しているあまり目を閉じて深呼吸を繰り返すグラスワンダー、そしてスズカ、こちらもやる気十分のマチカネフクキタル。

 

 並んでからは早くスタートしないとスズカが壊れてしまうので、並ばせながらブルボンとスカーレットに指示を出す。

 

 

「ブルボンはもう実戦目標に入るわ。ハロン12秒目標。最終タイムも2分フラットを目指して」

「承知しました」

「スカーレットは勝ちに行きたいなら自分の好きに走りなさい。強さを思い知りたいなら最初から最後までスズカについていくこと」

「……上等じゃない」

 

 

 全員が並ぶ。スタート用のフラッグを持って、打った頭を押さえながら大声を張り上げる。

 

 

「よーい」

 

 

「スタート!」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 今日、スズカさんが怪我から完全復帰するそうです。正確には今日の診察で恐らく許可が下りるだろうとのこと。

 

 せっかく走れるようになるのだし、せっかくだから一緒にどう? と言うスズカさんの提案を快諾したのは良いんですけど、少し心配なところもありました。

 

 

 だって、もう半年近く走っていないわけです。この前一応ゆっくりなら走れるようになったらしいですけど、トレーナーさんが心配症で走らせてくれなくて、と嬉しそうに話していたのを覚えています。今日から全力が出せますよ、で出せるなら、リハビリなんか必要無いわけで。

 

 

 グラスちゃんは「スズカ先輩と競うのに心配などする立場ではありません」と言っていたけど、それでも少し心配なまま模擬レースに赴きました。

 

 そして、私の心配なんて完全に余計だったと思い直しました。

 

 

 怪我明けなんてとんでもない。昨日まで過酷な特訓でもしてたんじゃないかってくらい本調子に見えます。流石にトレーナーさんを引きずるのは初めてだと思いますけど、殺気すら感じる気迫からはブランクなど感じません。私もスズカさんのことを考えるのはやめました。

 

 

「スタート!」

 

 

 フラッグが降りると同時に、両脇から三人が吹っ飛ばして行きました。右からブルボンさんと、新しく加入したらしいダイワスカーレットさん。左からスズカさんです。たった六人とは言え外からぐんぐんと伸びていくスズカさんに付かず離れず、それだけでもかなり体力を削られます。

 

 

 グラスちゃんは私より少し前。先頭を走るスズカさん、その真後ろのスカーレットさん、その少し後ろのブルボンさんのさらに少し後ろ、スズカさんとギリギリ存在を感じ合えるような位置です。普段とは逆に、私がグラスちゃんの真後ろを走る状態。後ろから、フクキタル先輩が迫ってきています。

 

 

 二コーナーを回り、スズカさんと他の差は開く一方です。何が病み上がりなんでしょう。ダービー前、スズカさんと何度も走ったあの時よりもさらに絶望感がのしかかります。こんなところで位置を上げるわけにはいかない、だけど、上げなければ届かないという選択を迫られ、グラスちゃんの外まで気が急いていきます。

 

 後ろとの差が開いていくのを感じます。流石フクキタル先輩、私達よりもスズカさんと走ったことがあるだけあります。落ち着いている。前では三コーナー、ブルボンさんが二番手に上がっています。というより、スカーレットさんが流石に落ちてきた? 

 

 

「……スゥー……」

 

 

 私達もコーナーに入り、ここからが勝負。既に四コーナーにも入っているスズカさんをめがけて、ここから一度も呼吸をしない、それくらいいっぱいに空気を取り込む。寒空に、隣のグラスちゃんの煙みたいな息が噴き出した。スカーレットさんの真隣はグラスちゃんが行く、だから私はその少し後ろ、外を回って懸命に地面を蹴る。

 

 

(スズカさん────ッッッ!!)

 

 

 ここで復帰するということは、大阪杯から私達の前に立ちはだかってくるかもしれない。スズカさんのトレーナーさんは中距離路線はスズカさんが攫うと言ったけど、そんなことさせない。必ず勝つ。勝ちたい、のに。

 

 

「────ッッ!」

 

 

 歯を食い縛って、自分がどんどん最高速度に近付いていく。正直まだ少し仕掛けるのが早い。私の全力はそう長くは続かない。グラスちゃんもそのはずだ。最後までこれを維持できるかは怪しいけど、それでもスパートをかけて、ブルボンさんには手のかかるところまで来ている。ブルボンさんはここからは伸びない。最終直線半ばで届く。でも。

 

 

(速い……! スズカさん、そんな……!)

 

 

 スズカさんが落ちない。私達が伸びてもスズカさんに届かない。逃げてなお最終直線でさらに伸びる脚が、戻って来た。異次元の逃亡者と言われたイカれた末脚で、まったく差が詰まっている気がしない。

 

 グラスちゃんとほとんど並んで、彼女の苦しそうな顔を見れば私もどうなっているかはすぐに解る。差し脚に大した差は無い。二人並んで、このまま我慢比べだ。でも、スズカさんには届かない。そのまま大きく突き放されなくても、届くことは無い。

 

 

「ふおおおおお!!!!」

 

 

 後ろから物凄い勢いでフクキタル先輩が来ている。ほとんど変わらない私達を抜き、スズカ先輩にも迫っている。あと100、200あれば届くような勢いで追い上げている、けど。

 

 

 ピッ、と、スズカさんがゴールした笛の合図が聞こえた。



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一週間で取り上げられるサイレンススズカ

 

「じゃあトレーナーさん、行ってきますね」

「待った」

「……? なんですか? 何かありました?」

 

 

 ある日。いつも通り走りに行こうとするスズカを、私は止めていた。

 

 そう、『いつも通り』走りに行こうとするスズカを。

 

 

「まあ座りなさい」

「でも走りに行くのに座っちゃダメですよね?」

「良いから」

「……もう」

 

 

 ぴっと私の向かいを指さしたのに、私の隣に座ってくるスズカ。そんなスズカの頭を抱えて膝に抱えてから、私は逃げられないようにスズカのウマ耳をぴこぴこと動かしつつ問いかける。優しくね。

 

 

「昨日のスズカは何をしていましたか」

「走りました」

「一昨日は」

「走ってました」

「一昨昨日は」

「走ってます」

 

 

 膝枕にあおむけになって、ウマ耳を弄る私の手を擽るスズカ。そう。なんとこの子は怪我が治ってから今まで毎日のように走っている。それも、私と出会った当初のようにトレーニングそっちのけで。

 

 

「走り過ぎです」

「……! 待ってください、放し……あっあっあっ耳、耳がっ」

「走り過ぎだねえ!」

「ぅあ……みみが……こわれる……」

 

 

 控えめに大声でスズカに言いつける。もちろん、スズカのトレーニングなんて今やあってないようなものではある。そもそもの話走る……脚を使うようなトレーニングは大抵はスピードを鍛えるためにやるものであって、スズカはその段階にはいない。

 

 ただし、それとスズカが走っても良いかは別問題だ。常軌を逸した速度で常軌を逸した距離を走るスズカは、ある程度制御しなければどうなるか解らない。普通に脚が心配だし、走ることへの執念が強さの秘訣なのだ。そんなもの無くてもたぶん勝つけど。

 

 

「もう一週間になるわね」

「待ってください、こういう考え方はできませんか? まだ一週間です」

「もう一週間だけど」

「あれ、あれ……トレーナーさんが頑固……」

 

 

 ぱたぱた脚を動かして逃げようとするスズカ。流石にウマ耳を掴まれている状態からはなかなか抜けられないものの、それでも私の体ごとドアの方へ逃げ出そうとしている。流石のパワー。しっかり肘と腿でスズカを挟んで抵抗しながらしっかりと語り掛ける。

 

 

「聞いてスズカ。もう良いでしょう。一週間スズカは自由に走りましたね」

「や、やです」

「これからは扱いを元に戻します」

「やぁー……」

 

 

 呻いて、私のお腹を顔面で押し込むスズカ。痛い痛い。

 

 

「ふぁふぁふぁ」

「聞こえないって」

「トレーナーさんは意地悪です。また私から奪っていくつもりですね。悲しいです……」

「話を重くしようとしても無駄だからね。ダメったらダメ」

「ぅぁぁ」

 

 

 私の腰に手を回し、んん、と体を揺さぶるスズカ。ソファから脚を降ろしてずるずる滑り落ちていこうとするスズカの脇を支えて起こすと、わー、と口を開けて歯を見せつけ威嚇してきた。動物かおのれは。

 

 

「がっかりですよがっかり。トレーナーさんはこんなもので私が満足していると思ってるんですか?」

「いくら走っても満足しないでしょ。私がスズカのことを知らないと思って?」

「……んもう」

 

 

 うわっすがって登って来た。

 

 

「調子の良いことを言えば良いと思ってますよね」

「そんなこと無いって。私は本気でスズカはいつまでも満足しないヤバい奴だって思ってるから」

「それはそれで嫌ですね……」

 

 

 ずずず、と滑り落ちて膝にうつ伏せになるスズカ。上から背中を押さえつけると大分大人しくなり、うぐぐ、と呻きながら観念したのか動きを止めた。

 

 

「せめて最後に一回だけ走らせてください……今日だけ、明日から頑張りますから……」

 

 

 依存症の言い訳なのよ。

 

 

「ダメ。明日も同じこと言うでしょ」

「……言いませんよ」

「今の間は何?」

「わあーっ」

「わーっ」

 

 

 スズカはあまりにも雑な泣き真似をしつつ、そのまま動かなくなってしまった。終わったかな。まあ気持ちは解るけどね。私の止めるタイミングも悪かった。走る気持ちを整えてからだったからね。まあだからと言って許さないんだけど。

 

 

「お疲れ様です……何してるんですか?」

「お疲れスカーレット。ちょっとね」

「はあ……今日はスズカ先輩、走りに行かないんですか?」

「そうよね? 走りに行った方が良いと思わない、スカーレットさん」

「ええ……いや、その方が良いって話じゃなくて、聞いただけなんですけど……」

 

 

 すんっと体を起こし、私の隣に座り直すスズカ。合流したダイワスカーレットはまだスズカの暴走を見ていない……まあ怪我明け初日の暴走は見ていただろうけど、たぶん何か、現実を認識するのをスカーレット自身が拒んだのかもしれない。明らかにイカれてたし、半年走れなかったことへの何かだと思っているのかも。

 

 

「ウマ娘は走る生き物よね、そう思わない?」

「まあ、走るために生まれてきたんだなあとは思いますけど」

「じゃあ走った方が良いわよね」

「そ……うですね、たぶん」

 

 

 鍵をかけて、制服からジャージに着替えだすスカーレットにスズカが絡み出す。まだよく解っていないうえ、着替え中で生返事気味なスカーレットなら丸め込めると思っている可能性がある。賢くなったわねこの子も。

 

 

「ほら」

「ほらじゃないのよ。ダメ」

「やです……走らないと頭がおかしくなります……一回、一回だけ……」

「もしかして薬とかやってます?」

「……ふふふっ」

 

 

 下着姿であまりにも辛辣な言い方をするスカーレットのギャップに噴き出してしまった。ばっさりとやられて撃沈したスズカが肩に頭を預けてくるのを受け止めて、仕方ない子ねえと撫でる。心なしか涙目のような感じもするけど、まあ走れないショックで泣くスズカに構っていても仕方が無いのでね。

 

 

「今日は何のトレーニング?」

「プールの予約が取れてるからそれかな。ブルボンは平地だから順番で」

「別なの? 珍しいじゃない」

「ブルボンはプールはあんまりやらないからね」

 

 

 スタミナは足りているし、足りなくても坂路で良い。たぶん泳ぐブルボンを見ることはそう無いだろう。ブルボン的には疲れれば何でも良いと思っている可能性はあるけど。

 

 

「私も走ります……」

「ダメ」

「うああ……」

「っ……ふう。良いんじゃない? 別にただ走るくらいトレーナーがいなくたって良いでしょ。昨日までそんな感じだったんだし」

「ですよね!」

 

 

 あっスズカが調子に乗っちゃった。一気に笑顔になって、ふふふ、と私をじっと見つめる。スカーレットは事情が解っていないし、第一スズカのトレーナーじゃないでしょ。

 

 

「トレーナーの許可なく走ることは許しません。普通のウマ娘はそうよね、スカーレット」

「まあ……そうね」

「裏切られた……」

「良いじゃないですか。今日のところは走らなければ」

「スカーレットさん…………なんてことを言うの」

「そんなおかしなこと言ってませんけど」

 

 

 着替え終わり、ソファの向かいに座りテーブルのお菓子を摘まむスカーレット。私も一つ取って、うるさいスズカの口に押し込んだ。リスみたいにさくさく食べて飲み込んで、すぐにまた寄りかかるスズカ。

 

 

「この際スカーレットさんが一緒でも良いですから……」

「私は嬉しいですけど、なんか引っかかる言い方なんですよね」

「やめておいた方が良いわよ。前の地獄をまた見たいのでもなければ」

「地獄って……いくら何でも言いすぎじゃない? あれはしばらく走ってなかった反動みたいなものでしょ」

「甘いわね。スズカがそんなマトモなわけないでしょ」

「アンタ自分のウマ娘に何言ってんの?」

 

 

 本当なのよねえ、としみじみしながらスズカに餌付けをしていると、ブルボンが入って来た。今日も本調子で、今月末に迫ったスプリングステークスに向けてやる気も十分。勝ったな。

 

 

「お疲れブルボン。着替えたらすぐ行くわよ」

「承知しました。すぐに着替えます」

「ブルボンさん……トレーナーさんが走らせてくれないです……」

「データログを参照中。スズカさん、『スズカさんが悪いと思います』、です」

「あああ……」

 

 

 あわれスズカ。撃沈してしまった。よしよし。大人しく二人のトレーニングを見ていようね。頑張ろうね。大阪杯も出られるように調整してあるからね。

 

 

「え……大阪杯に出るの? 本気?」

「本気だけど」

「いや……ステップレースとか、オープンで叩くとか……」

「いらないでしょ。スズカだし。何も不安材料は無いわ」

 

 

 この一週間でも解るし、怪我から復帰した瞬間からの騒動でも解るけど、スズカにスランプなんてものは無い。当たり前と言えば当たり前だ。スズカは元々レースをレースとして走っていない。本来的に、自分一人が走っているのが大好きなのであって、それはレースでなくても問題は無いのだ。ただ、レースとなれば一人で走るためには先頭でなければならないというだけで。

 

 つまり、考えながら走ったり、練習の成果を出したり、並のウマ娘とは走り方が違う。一つの戦法しかとれない代わりに、その戦法は体に染みついた魂のものだ。何年休もうと錆び付かない。一応走ることそのものが鈍る可能性は考えたがそれも無い。だったら問題は欠片も無い。

 

 

「マスター、トレーニングウェアへの換装が完了しました。いつでも開始できます」

「ん、じゃあ行こうか。ほらスズカ、見ていたいなら見ていても良いし、嫌ならここで寝てる?」

「……見てます」

「じゃあ行くわよ。スカーレットも」

「了解……っと」

 

 

 とぼとぼ着いてくるスズカ、気合十分のブルボン、首を鳴らしながらやる気に満ちているスカーレット。うーん個性的な子達……大変だなあ……

 

 

「ところでトレーナーさん」

「ん?」

「もしあれなら私、併走しても構いませんよ? 先輩、落ち込んじゃってますし」

 

 

 猫を被ったスカーレットが囁いてくる。うーん……どうせ中途半端にやっても耐えられなくなるだけだと思うんだけど。私だってスズカが十分のランニングで満足できるならやらせてるけど、我慢できなくなってそのまま暴走するのが目に見えてるし。

 

 

「……まあ、アレよね、スズカが我慢できるって示せればいいのよ」

「できます」

「即答してきたわね」

 

 

 そこまで言うのならやってもらおうじゃない。絶対に無理だと思うけど、一応挑戦権くらいは与えてみようかしら。よく考えたらスズカだって一週間走っているわけだし、落ち着いて我慢できるかもしれない。

 

 

「じゃあスズカ、ブルボン、スカーレットで併走して、スズカが三番手だったら走って来ていいわよ」

「……っ」

 

 

 ぴたりと歩みを止めたスズカ。気にせず進み続ける私とブルボン。これでまったく気にしないブルボンも凄いわね。スカーレットだけは心配して立ち止まっている。

 

 

「良かったじゃないですか。私も一緒に走れて嬉しいです」

「……むり」

「え?」

「絶対に無理です……!」

 

 

 涙声のスズカ。

 

 

 そして、無理だった。スズカは結局自分に勝つことができず、二人をぶっちぎった。まあ、そうだろうなあ、と、私とブルボンは驚きもしなかった。




新シナリオのせいでステのインフレが起こり、ステータスをパッと見て強いと断言できなくなったので、特に理由なくスズカを上方修正する可能性があります。

というかクラシック始まるぞ!!!スポ根だ!一部!


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口火を切るミホノブルボン(SS)

エルナトが始動します。当然ギャグをやってるのはスズカだけなので、ブルボンが活躍すればするほど濃度が下がっていきます。まあブルボンも大概ですけど。


『全国のウマ娘レースファンのみなさん、お待たせいたしました! 本日のメインレースと言っても過言ではないでしょう! クラシック三冠、皐月賞の椅子取りレース! 若葉、弥生に続き、春の切符を競い走ります、スプリングステークスがまもなく開幕致します!』

 

 

 ブルボンのスプリングステークスの日がやって来た。

 

 2000mである弥生賞、若葉ステークスではなくスプリングステークスを選んだのは予定通り。今のブルボンならスタミナはむしろ過剰と言ってもいい。むしろ、ブルボンの主戦場であろう中距離には短いのが不安なくらいだ。

 

 

「体調に問題は無さそうね」

「はい。心身ともに良好です。最高のパフォーマンスをお見せできるかと」

 

 

 その控え室。チームエルナトは全員揃ってブルボンを……と言ってもスカーレットはレース場控え室の感じに少し舞い上がっているような気はするし、スズカは机に突っ伏しているけど、ブルボンを送り出しに来ている。

 

 

「うん。実力を押し付ければ勝てるわ。落ち着いて、既定タイム通りに」

「承知しました。ハロン12秒から12.5秒を設定。その通りに」

 

 

 ブルボンの仕上がりも素晴らしい。もちろん、多少不調なくらいで負けるような鍛え方はしていないけど。パドックも見ていたが、少なくとも現状ブルボンの敵になるようなウマ娘はいない。

 

 一応朝日杯で掛かってしまったのと、結局マイルまでのウマ娘だと思われているのか何故か二番人気にはなってしまったものの、それでも、以前のブルボンを考えれば物凄いことだ。この子は本来、1400でバテるスタミナだったのだから。

 

 

「ここを取って無敗で三冠に行くわよ」

「……無敗で」

「当たり前でしょ」

 

 

 今日はG2ということで体操服のブルボンの肩を叩く。朝日杯でついた自信が活きている。言葉の通り心身ともに良好……つまり、緊張はしていない。それならまあ大丈夫か。

 

 

「ところで」

「うん?」

 

 

 と、ブルボンは控え室の机で突っ伏して悶えるスズカを指差す。

 

 

「スズカさんは何を?」

「あ、やっぱブルボン先輩も気になるんですね。私本当にいつ言ったら良いかと悩んでたんですよ」

「いつもの病気よ」

「は?」

「なるほど」

「なるほどじゃないんですけど?」

 

 

 大阪杯は来週だ。よって、スズカはいつも通りランニング禁止期間に入っている。まだ二日目だけど、少し前まで自由に走れたことからの反動は大きいんだろう。

 

 走りたい欲と我慢しなければという使命感、しかし後輩の応援をしたいという情動がスズカを襲っているに違いない。良い子なのか良い子でもないのか解らないなこの子も。

 

 

「スズカ先輩、ほら、一言くらい言った方が良いですよ。もう時間ですし」

「うう……が、頑張ってブルボンさん……応援してるから……」

「ありがとうございます。スズカさんより一足早く、先頭の景色を見てきます」

「うわーっ」

「どうして火に油を注いだの、今」

 

 

 ふふん、としたり顔で冗談ですと告げるブルボン。遊んでるなあ。まあリラックスできたようで何よりだ。それが一番大切だからね。

 

 

「では、行ってきます、マスター。結果をお待ちください」

「ん。頑張れ、ブルボン」

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

『さあ、各ウマ娘が次々とゲートに収まります。注目は三番人気、スプリントの新星がまさかのクラシック路線に殴り込み、サクラバクシンオー。圧倒的なスピードは他の追随を許さないものがあります。そして同じくスプリント路線と思われた二番人気ミホノブルボンも宣言通りクラシックに来て参ります。朝日杯で見せた実力は十分、重バ場が響いてくるかどうか。そして堂々一番人気──』

 

 

 ブルボンの枠番は一枠一番。圧倒的有利と言っても良い。同じく逃げをとってきそうなのはサクラバクシンオーくらいか。なんであの子ここにいるんだろう。まさか本気でスプリント以外の道にも進むつもり? 彼女のスタミナもそうだし、距離適性もそうだが長距離……いや、中距離すら不可能と言っても良い。マイルすら万全ではない。それはブルボンも同じことだが、それでもブルボンには今の時点で2000を走り切るだけのスタミナがある。多少の不利は何とでもなる。

 

 

「ブルボン先輩、今回はどうなの?」

「勝てるでしょう。不安材料はサクラバクシンオーだったけど、それもさっき見て確信したわ。ブルボンの敵にはならない」

 

 

 逆に、スプリント勝負をすればブルボンが相手にならなくなる。二人の差は歴然だ。特にサクラバクシンオーのスピードは脅威以外の何物でもない。やはり根が真面目なのかメモ帳を持ったまま話を聞こうとするスカーレットに、せっかくなので話しておくことにする。

 

 

「ブルボンにとって不利なのは他の逃げウマ娘だけと言っても良いわ。それも、ハナを奪ってくるスズカのようなタイプ。万が一にでもブルボンが掛かってしまえば並のウマ娘とそう変わったものじゃないし。もちろんそうならないように練習はしてきているけど、結局スズカとの併走も数はこなせなかった」

「それがサクラバクシンオー先輩だったってこと?」

「まあね。あの子は逃げから先行寄りの走りをするでしょうし、だったらブルボンより前に出ることはそうそう無いでしょう。もちろんバ場が良くないから前には出ようとするでしょうけど、ブルボンの方が内だからね」

 

 

 控えて走る選択肢がある子は控えて走る方に行きがち、というのは感覚的なものだ。特にジュニアも終わって間もない段階で、しかも岡目八目な私達と違って当事者が、計算してわざわざ競り合う選択をとるかというところ。

 

 

「仮に競り合ってもブルボンの方がスタミナもパワーもあるから負けることは無いし、ブルボンもある程度は自制して走れる。サクラバクシンオーは必ず沈むから構う必要は無いわ」

 

 

 最後に大外の子がゲートに入るのをモニターで見届ける。ブルボンの勝利条件は出遅れ、掛かり無し。リラックス状態で集中力もある今のブルボンなら問題は無い。流石に表情までは見えないが、内枠のブルボンは落ち着いていると思う。

 

 

『スタートしました!』

 

 

 始まった。まず前に出るのはやはりブルボン。素晴らしいスタートダッシュね。二番手にサクラバクシンオーか。少し走ってコーナーにかかっても抜いてくる様子は無い。逃げとはいえ無理に前に出ない選択肢を選んだか、あるいはスタミナ不足を理解したうえで抑えているか。

 

 

「どう? スズカ」

「うーんと……うぅ、気持ちよさそう……」

 

 

 悶えつつもレースは見るスズカもこう言ってるし。単騎逃げが成立した時点でスズカもブルボンも勝ちみたいなものだ。居場所を変えて私の隣に座るスズカを撫でて宥めつつ、じっと集中するスカーレットにはこれ以上何も言わないようにしておく。

 

 

『さあミホノブルボン飛ばしていきますリードが一バ身から二バ身と言ったところ、続いてサクラバクシンオーが控えております』

 

「頑張れ……頑張れ……」

 

 

 そこまでの大逃げではないとはいえ抜かれる気配の無い後輩にスズカも気持ち安心している。少しぽわぽわしている感じもするが概ね真面目な顔で応援までしている。可愛いねえスズカ……

 

 

 レースは特に変化無く進み、ブルボン先頭、次いでサクラバクシンオーのまま進む。最終コーナーまで入ってもなお変わらず、三番手以下は団子状態。このまま押し切って勝ちだろう。文字通りレベルが違う。

 

 

「流石ブルボン。良かった良かった。これで無敗三冠でしょう」

「無敗三冠……そんな簡単に言っても良いわけ?」

「少なくとも皐月とダービーで負けるとは思えないし。菊花賞も今のところ怖いウマ娘はいないかな」

 

 

 もちろん、あの中……あるいは私達が知らないところから、マチカネフクキタルみたいなのが来なければだけど。でもああいうのは突然変異みたいなものだし、そうそう簡単には出てこない。グラスワンダーやスペシャルウィークはその素質がありそうだけど、でもスズカには勝てない。つまりそういうことだ。出力が違う。私、本当に一生マチカネフクキタルに怯えてないか? 

 

 

 レースはそのままブルボンが押し切り圧勝。最終コーナーまで縋って来たサクラバクシンオーは予想通り大きく沈んでいった。いる場所が違うんでしょうあの子とは。精々別路線で無双することね。私もそっちには絶対に行かせないから。お互い棲み分けをしましょう。

 

 

 

 

 

 ────―

 

 

 

 

「ただいま帰りました、マスター。一着、達成しました」

「うん、お疲れ。素晴らしい走りだったわ」

「おめでとうございます!」

「おめでとう、ブルボンさん」

「ありがとうございます」

 

 

 帰って来たブルボンを迎え入れ、タオルで泥を拭き取る。髪も少しだけど絞って、風邪をひかないように上着をかけておく。

 

 スズカとスカーレットにも祝福されてはいるが、特段誇らしげにもしていないブルボン。それで良いのよ。勝って当然という気持ちで行きましょう。スズカを見なさい。来週復帰G1なのに全く心配していない。

 

 

「反省点は?」

「自己評価S。ラップタイムの誤差も許容範囲内です。スパートも含め、完璧なレースであったと自負しています」

「よし。偉いねブルボン。次も勝つわよ」

「……はい」

 

 

 どうせこの後シャワーを浴びるので、ぐしゃぐしゃに頭を撫でる。しっかり出来が良かったと自負できるのは素晴らしいことだ。少し首を引っ込めながらされるがままのブルボン。次は皐月賞がすぐだ。この調子で行きたい。もちろん私からすれば、始まる前から結果が解っているような、そんな感じだけど。

 

 

「スズカさん。走ってきました」

「……むむ。なんですかブルボンさん。挑発ですか? そう簡単に乗ると思ったら大間違いですよ」

「いっつも簡単に乗るでしょ」

「うるさいでーす」

「やり取りが子供の喧嘩なのよね」

 

 

 私とブルボンを恨めし気に見るスズカ。別に来週走れるんだから良いじゃない、とは思うけど、それが耐えられないからスズカなのだ。ブルボンも少し微笑んでいるし、完全に面白半分で煽っている。煽り耐性ゼロのスズカもそれに対してぐぬぬと頬を膨らませながら、つん、と椅子の上で私の方を睨み出した。

 

 

「……ブルボンさん、七バ身くらいつけてましたよね」

「そうね」

「……大差付けますから。見ていてください。勝ったらそんな風に私も撫でてください」

「……良いけど」

 

 

 執念が溜まり始めたスズカを見ながら、スカーレットが震えていた。私? 私はもちろん適当に話していただけだ。スズカが、レース前に決めた目標をレース中に覚えていられるはずがない。それができたらスズカじゃないし、それでも勝つからこそのサイレンススズカなのだ。

 

 

「楽しみにしています」

 

 

 今日の勝者はそう言って、頭の私の手を上から押さえた。



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後輩を破壊するサイレンススズカ

緩急つけてけ。


 

「それではよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 

 

 三月二十五日、木曜日。本日はマスターとともに、都内のテレビ局へ来ています。スプリングステークスに勝利し、クラシックレースである皐月賞への出走を確定させた私に取材の申し入れがありました。

 

 マスター曰く、クラシックレースに優先出走権と共に挑むウマ娘はほぼ例外なくこのような取材を受けるそうです。もちろんスズカさんの際はマスターは担当ではなかったうえそもそもそのステージに居ませんでしたから、実際に受けるのは初めてとのことですが。

 

 

 会議室に通され、マスターと待機すること数分。記者の方が数人訪れ、良ければ、とマスターに席を外すように要請しました。

 

 

「何か不都合なことが?」

「いえ、是非トレーナーさんとのことも聞きたいので、そういうのは面と向かっては嫌がる方もいらっしゃるんですよ。もちろんレースの展望や仕上がりはトレーナーさんにもお聞きしたいので、少しの間出ていただくだけでも良いんです。お願いできませんか」

 

 

 マスターの感情を分析、ステータス、『警戒』。よくエルナトに訪れる記者とは違う方ですし、この取材は雑誌ではなくテレビのものです。見知らぬ方への警戒は当然でしょう。前日準備でもマスターは、『いつもの雑誌の人なら何言っても大丈夫なんだけどなあ』と話していました。

 

 

「……ブルボン、大丈夫? ちゃんと受け答えできる?」

「はい。お任せください」

 

 

 オーダー通りに、ではあらぬ誤解を招きますので言葉を切ります。元々インタビューに対する受け答えはマスターと事前準備を終えています。軽く肩を叩くマスターを一礼で見送り、インタビュアーに向き直りました。

 

 

「ではよろしくお願いします。ミホノブルボンです」

「あ、はい。緊張しなくても大丈夫ですからね。簡単に答えてくれれば大丈夫だから」

 

 

 ……失敗。少し笑われています。自己紹介は不要だったでしょうか。マスターに確認するべきでした。

 

 

「まずなんですけど、ミホノブルボンさんがクラシック路線に進んだというのはブルボンさん自身の希望というのは本当?」

「はい。私の強い要望によるものです。幼い頃より三冠ウマ娘に憧れていました」

 

 

 インタビューのマスターとの約束、その一。全ての受け答えにおいて、他者のオーダーや意志が介入しているという受け答えをしてはならない。私のみならず、マスターやお父さんに対しての邪推が生まれる可能性がある、とのことです。お父さんの話は出さず、あくまで私の意志であるということを前面に出して答えます。

 

 

「なるほど。ではスプリント路線は完全に捨てるということでしょうか? 一部には、三冠に進むこととは別に、スプリントでのミホノブルボンも見てみたい、との声もありますが」

「勘案中です。ただし、メインとなる路線はクラシック三冠から王道中長距離となります」

 

 

 その二、ある一部の質問については勘案中として明言を避けるというもの。それは、スプリント路線を並行するかどうか、クラシック三冠が取れなければ転換するか、そして、スズカさんに当たったならどうするか、の三つです。

 

 これらについて、私とマスターの中では揺るぎの無い回答はあります。スプリント路線には進まない、クラシック三冠が取れないなどあり得ないし取れなくても転換はしない、スズカさんと当たるレースはスズカさんが避ける、ということです。ですが、理由を説明することが難しい場合もありますし、説明したところで逃げたと受け止められるのは不名誉です。現実に逃げてはいますが。

 

 

 スプリント路線を進むであろうバクシンオーさんを、マスターは大いに高く評価しているようです。ぶつかれば勝てないと言われました。なるほど、マスターがそう言うならそうなのでしょう。訂正するつもりもありませんし、事実、バクシンオーさんと共に走ると最高速度の差は感じます。短い距離であれば最強、とマスターが言うのも間違いではないでしょう。

 

 ……それはそれとして、そう言われると何か未知の感情に襲われます。マスターの担当は私とスズカさん、スカーレットさんであり、二番目が私です。スズカさんはともかく、マスターの中での序列が、バクシンオーさんの方が上なのではと思うことも、

 

 

「ブルボンさん?」

「はい」

「……その、何か不快なことでも?」

「いえ……失礼しました」

 

 

 無意識に耳を絞ってしまっていたようです。手で直しておきます。今はインタビュー中ですし、できるだけ感情はニュートラルでなければ。

 

 

「質問を続けてください」

「はあ……では、警戒すべきウマ娘等いますでしょうか?」

「当然全てのウマ娘です。ですが、私は挑戦をする立場であるため、特定のウマ娘を警戒していることはありません」

「取り立てて挙げることは可能ですか?」

「不可能です。逃げという作戦をとる以上全員から追われるのは確定事項です」

 

 

 いくつかの質問の後、今度はかなりプライベートなことが聞かれ始めました。普段の友人との関係や、成績についてなど。こちらの質問はマスターも予測が面倒として自由に答えていいとのことでしたので、私自身の判断で受け答えを行います。

 

 

「トレーナーさんのことはどう思っていますか?」

「大切な方です。マスターのトレーニングにより、クラシック三冠に挑むだけの能力が身に付いたと認識していますし、その路線に進む許可を頂けただけでも幸運なことですので。関係性は良好です」

「何か不満とかあったりしますか? もちろん関係は良好ってことは前提で良いんですけど」

「……不満」

 

 

 マスターに対する不満……マスターとの約束、その三、エルナト特有の関係性については口外しない、に抵触する可能性があります。であれば存在しない、と答えるのが正解でしょうか。それとも、換言して伝えるべきでしょうか。

 

 

「いえ、特筆すべき不満はありません。今の関係性に満足しています」

 

 

 マスターが突然路線を変更すると言っても、恐らく私は交渉を始めるでしょう。契約を切ることはしません。特別メニューを頻繁にしていただけなくなったのは不満ではありますが、あのトレーニングは特殊なものなので口外はできません。秘密です。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 しばらく待って、私も合流していくつか質問に答えてその日は解放となった。まあ簡単だったわね。スズカと違ってブルボンはある程度自己判断でインタビューに答えることができるのが良い。これがスズカだったら私は退席していなかった。

 

 取材そのものは結構簡単というか、変に詰められたり悪意のあるものは少なかったように思える。まあ、負けたらどうする系の質問はちょっとかちんと来たけど、それについては勝ちを確信して走らせてる私が異常なだけで普通は考えるべきことだ。にしても本人の前で言うかねとは思うけど。

 

 テレビの取材だからちょっとビビってたけど、これなら大丈夫そうだ。生放送ならともかくテレビ出演も考えてもいいかもしれない。ブルボンならそうそう問題にはならないだろう。これがスズカなら……もうやめとくか。

 

 

 私が部屋に戻った時の空気もそこそこ和やかだったし、うまくできたブルボンをねぎらう。おやつ代わりに貰ったカップケーキの一つを食べるブルボンを横に置いて二人でトレセンに帰り、この後はすぐにトレーニングだから、と伝えながらエルナトの部屋に入る、と。

 

 

「スカーレットさん……」

「やめて……それ以上アタシに話しかけないで……助けてママ……」

 

 

 地獄が広がっていた。

 

 

「やっぱ無理だったか」

「スカーレットさん、大丈夫ですか。ただいま戻りました」

「……っ、ば、ばか、なんてことさせんのよ……!」

「いや、スカーレットができるって……」

 

 

 心配して駆け寄ったブルボンに思い切り抱き着くスカーレット。流石のブルボン、まったく体幹をぶらすことなくスカーレットを受け止めて、そのまま抱き上げていつもの席に座らせた。私が残したカップケーキをスカーレットにあげると、やり切ったと判断したのか着替えを始める。

 

 

 さて。

 

 

「こらスズカ。何後輩を精神崩壊させてるの」

「何もしていません……ただ走らせてくださいと交渉をしただけで……」

「そんなことしたらダメでしょ」

 

 

 ベッドにいるのはスカーレットを精神崩壊させてしまった元凶、エルナトのやべーやつサイレンススズカ。インタビューで名前が出た時はまるで伝説みたいな扱いを受けていたのに、同時進行で後輩を破壊してしまうとは恐れ入った。まあでもブルボンなら壊れなかったし、スカーレットが慣れていないだけな気もする。スペシャルウィークとかでも軽く受け流せるし、早く慣れていただきたいところだ。

 

 そんなスズカは明後日の大阪杯に向けてランニング禁止期間に入っている。流石に今回の取材にスズカを連れて行ってもしょうがないので留守番をさせようと思ったわけだけど、スズカが我慢できるはずがない。そこで、両手両足を縛ったうえで、トイレや水分補給兼監視役としてスカーレットを隣に置いておいたのだ。

 

 

 もちろんその、スズカは呟くように走らせてくれと言い続けるに決まっているので、スカーレットには荷が重いと後輩を呼ぼうとしていたのだけど……私を舐めてるの? とスカーレットが大きく出たので任せたのだ。案の定スカーレットもスズカにマトモに向き合ってしまったか、あるいは囁かれ続けて参ってしまったか。

 

 

「大丈夫、スカーレット。気持ちは強く持つのよ」

「なにあの人……どうかしてる……」

「スズカがどうかしてるのは何度も話してるでしょ」

「失礼です……私はただ走りたいだけです。交渉は自由って言ってましたよね」

「限度はあるでしょ。罰を与えるわよブルボン」

「了解しました」

「えっ」

 

 

 先輩を擽り始めたブルボン。死んだ目でカップケーキを食べるスカーレットの背中を撫で、少しでも落ち着いてもらう。でもさ、スカーレットも悪いと思うな私。できるって意地張るから。無理だって。何言われても「ダメです」で答えられないと。まあそれができるのはブルボンか、スペシャルウィークか……エアグルーヴもできるか。それくらいよね正直。

 

 甘いケーキに少し精神が回復したか、目に生気が戻って来た。スズカと二人きりにするのは危ないかもしれない。少なくとも極限状態のスズカはヤバい。今でこそ好きに擽られて息も絶え絶えで動けなくなっているが、イカレているのは間違いないのだから。

 

 

「落ち着いた?」

「うん……トレーナー、アタシ、その……パパとママに電話する……お礼を言わなきゃ……」

「なんで」

「ワガママ言ってごめんって……どんな気持ちか解ったの……」

 

 

 中学生になんてこと自覚させてるのスズカ。

 

 悟ってしまったスカーレットの完全回復にはまだ時間がかかりそうなので、走って気分を切り替えてもらおう。その前に、あまりにもスズカの評価が落ちているような気がしてそれは嫌なので、スカーレットの頭を撫でながらフォローも入れておく。

 

 

「スズカは変わってるけどさ、でもほら、明後日それだけじゃないってところ見せるから。嫌いにはならないであげてね」

 

 

 絶対当事者の前で言うことじゃないけど、どうせスズカは聞いていないし。起こった事故を二度と起こさない覚悟を決めて、私もスズカを擽ることにした。



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変わらず君臨するサイレンススズカ(大阪)

 

 ある日。私とスズカは戻って来ていた。そう、スズカのレース復帰その日である。三月も終わる直前の日曜日、スズカはG1、大阪杯で復帰を果たす。

 

 スズカは更衣室で勝負服に着替えるべく部屋を出ている。今いるのは私とスカーレットだけだ。ブルボンは友達と一緒にスタンドで応援するらしい。

 

 

「本当に驚いたわ。本気で大阪杯で復帰するんだ」

「また言ってる」

「それくらいびっくりしたってことでしょ。せめて金鯱賞からとか無かったわけ?」

「優先出走権が絡むようなレースにスズカが出るのは考えものね。枠を一つ潰すわけだから」

「……余裕綽々って感じ?」

 

 

 二日前スズカの圧倒的トラウマを受けたスカーレットもほぼ回復して付いてきた。というか本人の言い方的に毎回付いてくるんだと思う。まあ、聞きたいことがあればすぐに聞ける環境にいた方が良いとは思うし、全然構わないけど。

 

 待つ以外にやることが無いというのもあり、スマホを弄りながら話すスカーレット。パックの牛乳を飲み切ってゴミ箱に放って、外したそれを拾いながら私も答える。

 

 

「余裕も余裕よ。そもそもあそこにはG1ウマ娘も二人しかいないし、どっちもスズカに届くような子じゃないから。そもそも片方は出走取消だし」

「フクキタル先輩がいるんじゃないの? トレーナー、いつもビビってるじゃない」

「ビビっ……てるか。ビビってるね。でも今日は大丈夫よ。そんなに調子良くなさそうだし」

 

 

 マチカネフクキタルがスズカに届きうるほどの大吉を引いているのなら、パドックから解るほど浮かれていてもおかしくない。菊花賞の時はそうだった。今日はそれが無いということはそこまでではないということで、そうでなければスズカが負けることは無い。

 

 

「ヤバい時のマチカネフクキタルもそのうち見られると良いわね。本当にヤバいから」

「語彙力」

「いやほんと……私はスズカが一番強いとは思ってるけど、あのフクキタル相手には断言できないもの。今日じゃなくて良かった、本当に」

 

 

 私の本気を理解してくれたのか、スカーレットはそうなの、と言ってそれ以上は聞かなかった。こればっかりはね……私の優位性がまったく活かされない場所だし、心から起こらないことを願ってるよ。本人には悪いけどね。

 

 

「じゃあ今日は一着?」

「九割勝てるわ。スズカの調子も良いし」

「あれで調子良いの?思いっきり入れ込んでるように見えたけど」

「良くなかったら走りたがらない……いや、スズカは調子悪くても走るか。じゃあ関係無いわ。忘れて」

「何言ってるのアンタ」

 

 

 今日もスズカは朝から走りたがっていた。レース直前……当日朝でもお構いなしで。私が止めなければ本当に走りに行く。本人曰くウォームアップらしいが、どこの世界に当日朝からくたくたになるまで走る子がいるのよ。

 

 そうこうしている間にスズカが着替え終わったらしく、扉が開いた。そこに、いつものG1勝負服に身を包んだスズカが立っていた。

 

 

「はあ……やっぱり落ち着きます。こう、走りたくて心がざわざわするというか」

「それは落ち着いているとは言わないのでは?」

「何言ってるのスカーレットさん。走りたいんだから落ち着いてるでしょ」

「ん、え? は? 今日本語話しました?」

 

 

 スズカが勝負服を着て立っている。半年ぶりか。思えば早かった。脚を折ったウマ娘は命を奪われたも同然だ。走れないウマ娘は感覚を失うにも等しい苦痛を覚える。それに、そもそもレース中に転倒すれば実際に命が危うい。

 

 だから、こうして立っているスズカが見られるというのは奇跡なのだ。走っている間に勢い任せに倒れていても、強く踏み込んで砕けていても、スズカの体の回復が少しズレてもこうはならなかった。スズカは何だかんだと言ったが、大事にならなかったのは私の腕でも何でもなく、ひとえに運とスズカの頑張りによるものなのだ。

 

 

 そう思うと、このシンプルな勝負服にも意匠があるような気もしてくる。走ることのルーツになった雪の白と、今いる場所であるターフの緑だけの勝負服。これでスズカだ。どちらも無くてはならない。キッカケだけでは走れない。今ターフに立っているからこそサイレンススズカなのだ。これから走れるのだと上機嫌なスズカに私は痛い! なんだ!? 何があった!? 

 

 

「いつまで黙ってるのよ。何か言うことあるんじゃない、トレーナー」

「あ、え、あ……うん……」

 

 

 お尻に強い衝撃が走る、振り向くと、スカーレットが脚を振り抜いてこっちを睨んでいた。変わらず私の前に立っているスズカに、衝撃で数歩近付く。今私何してた? もしかして飛んでた? 

 

 

「……その、スズカ」

「はい」

「……似合ってるね」

「……ふふっ。なんですか、それ。変ですよ?」

「ごめん……」

 

 

 あ、だめだ、私これ、だめなやつだ。実感が追い付いてくるにつれて目頭が熱くなってくる。言葉が出てこない。私スズカに何言ってたっけ。ブルボンにはタイムの確認と自信付けをして、スズカには……ええと……なんだっけ。

 

 

「トレーナーさん?」

「あ、えっと、その……か、体は大丈夫? 調子は悪くない?」

「とっても良いですよ。今朝走らせてくれたらもっと良かったと思います」

「むぐ」

「……もう、何してるんですか。そんな顔しないでください。私が悪いみたいじゃないですか」

 

 

 スズカが私の口角を無理矢理上げた。私、どんな顔してるのよ。そんな言われるほど変な顔してる? 

 

 

「私は早めにターフに行きますけど、何か他に言うことないんですか?」

「……その」

「はい」

「……スズカがまたレースに戻って来られて、良かった」

「はい。それで?」

「それで……だから……その」

 

 

 スズカを抱き寄せて、ぎゅっと手を回す。思い切り押し付けると、なんてことはない、スズカだって物凄く動揺してるんだと解る。いや、これは私の鼓動かな、どうだろう。たぶんスズカかな。スズカってことにしておこう。

 

 だめだ、声が、震える。

 

 

「……無事に帰ってきてほしい。ちゃんと私のところに、帰ってきてほしい」

「……トレーナーさん」

「トレーナー……」

 

 

 ただ何となく口をついた言葉に、スズカも、スカーレットも、静かに呟いた。しんとなる室内で、スズカが返事をするまで、たぶん誰も話さないんじゃないかと待つこと十秒、スズカが突如として私を抱き返し、そのまま万力のような力を込め始め痛い痛い痛い痛い!!!!! 死ぬ!!!! ばらばらになる!!!! 

 

 

「スズカ先輩!? 何やってるんですか!?」

「スズカ痛い痛い痛い痛い!!!!」

「……言う言葉が違います。言い直してください。そんなことが聞きたいんじゃありません」

「ああああああああ!!!!!」

「先輩! トレーナーがぐちゃぐちゃになりますって!」

「……あっ」

 

 

 スカーレットの必死の訴えにより解放された。危なかった。流石に死が頭を過ってしまった。もちろんスズカのこと、ちゃんと手加減はしてくれていたと思うんだけど、にしても痛かった。いつもよりギリギリを攻めていたような気がする。

 

 

「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫……」

「痛くしたの、スズカ先輩ですけどね」

「だって、トレーナーさんがおかしなこと言うから……」

 

 

 再びスズカが抱き着いてきた。今度は痛くない。ちゃんと人間の範疇で強く抱きしめる。私の胸に顔を埋めたまま、淡々と、ちゃんと、それが当然だと言わんばかりに告げる。

 

 

「そんなこと言われなくたって帰ってきます。帰ってくるなと言われても帰ってきます。違います。ちゃんといつも通りにしてください。拗ねちゃいますよ」

「……あー、うん……ごめんスズカ」

 

 

 段々と鼓動がゆっくりになっていくにつれて、私も落ち着いてきた。もう大丈夫。少し乱れたスズカの服を整えながら一歩引いて、ふふん、と笑うスズカの口元に触れる。

 

 ああ……もう、可愛いわねこの子は。

 

 

「いってらっしゃい。今日も、いつも通りにぶっちぎっておいで」

「はい。見ていなくても良いですよ。勝ちますから」

 

 

 そう言って、スズカはいつも通り自信満々に部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「あー……はっず……」

「でしょうね。見てるこっちが恥ずかしいもの」

「私変な顔してない?」

 

 

 

 スズカを見送って、私達はモニターをつけて座り直した。スズカが入院した時はあんまりと言うか、それどころじゃなかったしスズカも結構いっぱいいっぱいだったから気にならなかったけど、なまじ今回はスズカが冷静なだけどっと恥ずかしさが押し寄せてきた。私、こう……メンヘラ気質なのかな。

 

 

「メンヘラ彼氏と理解ある彼女って感じはしたわね」

「ぐぐ……そ、そんな関係じゃないし……」

「そんな関係じゃないのにそんな関係ちっくなことしてる方がヤバいわよ」

 

 

 ごもっとも。

 

 

「はあ……あーあ。今日はよく解らないけどパーティーしようかな。復帰とG1勝利の」

「……本当にそこだけは疑ってないのね。凄いわ」

「まあね。スズカが負けるわけないから」

「その言い方の方を恥じらった方が良いんじゃないの……?」

 

 

 やたらとスズカを持ち上げる実況中継がモニターから流れてくる。冷静に考えるとレース中の怪我とはいえ半年での復帰だし、復帰が絶望的だったなんて事情も無いのでここまで奇跡の復活と言えるほどじゃないような気もするけど、持ち上げた方がURA的には旨みが多いんだろうね。収益とか。出走を決めてからもプッシュの量が半端じゃなかったし。

 

 

 それに、スズカがどうなるかなんてスタートを見れば解る。ゲートインからスタートを待つ内枠のスズカ。そしてファンファーレが鳴った。

 

 

『スタートしました!』

 

「……はや」

「……わあ……」

 

 

 そして、当然のように誰よりも早く飛び出していくスズカ。ブランクだとか、そんなものは欠片も存在しないかのようにぶっ飛ばしていくスズカに、流石の私達からも声が漏れた。逃げだから当たり前っちゃ当たり前なんだけど、一人だけエンジンが違う。もう一人逃げの子がいるけど、競り合うつもりも無いのか大きく引き離している。

 

 何なら序盤から大差をつけてそのまま押し切ろうとしている。あまりの差にスカーレットが動きを止めてしまった。無茶苦茶するなあ、スズカ。

 

 

『速い速いサイレンススズカ! 既にただ一人最終コーナーにかかっている! 既に圧勝ムードか!』

 

 

 そのまま後続をちぎって突き進むスズカ。逃げを打つはずだった子と、今日は好位先行を選んだらしいマチカネフクキタルを筆頭に追いかけてくるが遥かに後ろ。圧倒的だ。そして、最終コーナーでさらに火が付いた。

 

 

『さらに伸びる伸びる大きな差がついています! これは! 落ちない! サイレンススズカ落ちない! 二番手三番手脚色は良いがこれは届かないか! 団子になって追いかけるが、しかし!』

 

 

 しかし、先頭はサイレンススズカだ。いつまでも変わらず、そこが定位置。追いつけるのはほんの一部、壊れたウマ娘だけ。息もつかずに駆け抜けたスズカに、観客も数秒間黙ってしまった。だけど、その直後。

 

 

『──さ、サイレンススズカ一着! サイレンススズカ一着です! 帰って参りました! 異次元の逃亡者が今! ターフに完全復活です!』

 

 

 割れんばかりの大歓声がレース場を揺らしていた。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「トレーナーさんっ」

「お帰り、スズカ」

 

 

 戻って来たスズカは扉も閉めずに飛び込むように私に抱き着いた。大きく深呼吸をして、んー、と顔を擦り付けてくる。

 

 

「楽しかった?」

「はいっ……すっごく、楽しかったです……!」

「良かった」

 

 

 それなら何より。満面の笑みを浮かべるスズカの頭を撫でると、さらに上機嫌になって尻尾を振り始めた。ぴこぴこのウマ耳を弄ると、目を細めてさらに密着してくる。レースの熱を持て余すスズカ。これは終わった後走り回らないとダメね。いつも通りか。

 

 

「スズカさぁん!!!」

「うわっびっくりした」

「スズカさああああん!!!!」

「ふ、フクキタル、落ち着いて……」

 

 

 スズカに遅れて乱入してきたマチカネフクキタルが騒ぎ出してわちゃわちゃに終わってしまったけど、それでも良いかと思える。何よりもスズカが楽しく走れるのが一番だからね。勝敗は二の次……まあ、スズカは先頭以外嫌だから一着にはなるんだけど。



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後輩とごり押すサイレンススズカ

 

「トレーナーさーん」

「なに」

「走りたいです……」

「だめー」

 

 

 ある日。いつも通りスズカは走りたい病を発症して、ソファで私に擦り寄っていた。

 

 

「この間たくさん走ったでしょ」

「足りないです……毎日走らないと体を悪くします……」

「そんなわけないでしょ」

 

 

 大阪杯後、スズカはそれはもう走りに走った。ただでさえ溜まっていた欲求が、大阪杯大差勝ちで完全に火が付き、もはや私では止められないほどに暴走してしまっていた。当日はまあ自由に走らせたものの、次の日も同じように暴走していた。

 

 それでも何とか必死に説得して、少しでもいいから暗いうちに寝てほしい、ちゃんとシャワーは浴びてほしい、と頼んだところ、夕食を食べてから飛び出し、夜中の三時頃私のところに帰って来た。いくらスズカが諦められていて外泊届なんてあって無いようなものとは言えそれはどうなの。でも言わなかったらシャワーも浴びず朝帰って来たと考えると恐ろしい。

 

 

「脚がうずうずしちゃって……もう走らないと止められないと言ってます」

「止まらない、ならともかく止められないのはスズカのせいになってるじゃない」

「細かいことを言うと皴が増えますよ」

「やめて……」

 

 

 すーぐそういう煽り方をする。肩に頭を乗せて、つーんと体を伸ばしているのに言うことがえげつなさすぎる。相手の年齢を問わず女性にそんなこと言ってはいけません。

 

 

「走る走る走る……ほらトレーナーさん、いい天気ですよ。春先は暖かいし」

「春先って言うほど? もう四月になるのよ」

「新学期のお祝いに走ります」

「適当な理由付けね」

 

 

 それでも何とか待ってくれているあたりまだマシな方なのだろうか。言っていることはめちゃくちゃだけど。何とか我慢してもらうために頭を撫でて、ウマ耳を揉み解す。キャップを取っておこう。これが無ければそうそう勝手に行ったりはしないだろう。

 

 

「あっトレーナーさん……返して、返して……」

「やだー」

「あー……」

 

 

 手を伸ばして遠くにやる私を追いかけてくるスズカ。そのままのしかかられる。バタ足みたいに脚が動きソファを蹴り飛ばした。

 

 

「はあ……春の空気……」

「詩人みたいなこと言うじゃん」

「詩を読むので走ってきます」

「適当言い過ぎじゃん」

 

 

 スズカを捕まえて適当に流しながら二人を待つ。いつも通り、先にスカーレットが来た。どうしてかは知らないが、割とスカーレットは毎回先に来てここで着替える。もちろんチームの部屋で着替えるのも過ごすのも自由だけど、更衣室とか使ったら良いんじゃない? 

 

 

「お疲れ……何してるの?」

「スカーレットさん! トレーナーさんが走らせてくれないんです!」

「あ、ああ……あの……はい……そうですね……」

「こら。後輩を怯えさせないの」

「まだ何もしてない……と言うか何かしたこと無いですよね?」

「スズカの中ではね」

 

 

 でも見なさい、露骨に目を泳がせるスカーレットの姿を。可哀想とは思わないの? 思わないか。そんな殊勝な子じゃないわよね。どうして普段の優しさがこういうとき発揮されないのかしら。

 

 

「だって、スカーレットさんもブルボンさんも今日走るんですよね。なのにどうして私だけ走れないんですか。差別です」

「こんなの差別に入らないわよ。二人はトレーニングなんだからしょうがないでしょ」

「私もトレーニングしますー……二人と一緒に走るぅ……」

「隣で走れないくせに何言ってるの」

「へぅ」

 

 

 スズカが擦り付けてくるおでこを指で弾く。でもまあ、スズカとの併走の経験は非常に役には立つからやっていきたいとは思ってるんだけどね。特にブルボンは何よりも自分のペースで走ることが重要だから、構わずぶっ飛ばしていくスズカは、まあ。

 

 

「いやー……走りたいです……この際特別コースでも良いですから……」

「え? 特別コースやるの?」

「やらないやらない。スズカも適当言わないで。うちのチームおかしい子ばっかりなんだから乗り気になっちゃうでしょ」

「今特別コースを行うと聞きましたが」

「ほら変な子来た」

 

 

 最低のタイミングでブルボンが入って来た。流石はウマ娘、ドアくらい簡単に貫通する耳を持っている。目を気持ち輝かせてこっちに迫ってくるブルボンに対し、私はスズカの背中に隠れる。

 

 

「スズカが勝手に言ったことだから」

「……ではやらないのですか?」

「あーあ、トレーナーさんがブルボンさんをがっかりさせました」

「……がっかりしていません」

 

 

 しゅんとウマ耳をへにょらせて座ってしまったブルボン。適当を言ったスズカを否定しただけでがっかりされて私はどうしたら良いのよ。大体スズカが悪いじゃん。

 

 

「もうやる必要は無いって何度も言ってるでしょ、ブルボン。あなたは強いわ」

「……しかし」

「しかしじゃなくて」

 

 

 露骨にがっかりしてしまった。何て残酷なことを。スズカにも同じことをしてやるからね。走れると思いきや走れない、みたいな。

 

 がっかりブルボンを慰めつつ、いくつかあるブルボン向けのアンケートをやってもらう。クラシック路線はテレビ生出演からこういう細々した取材まで多くあると先輩やたづなさんも言っていたし、その通りたくさん来ている。URAとしてもこれを逃す手は無いとして結構強く推してくるし、結構忙しくさせてしまうかもしれない。

 

 

「マスター。こちらの質問ですが、正直に答えてよろしいですか?」

「あー……まあ、内容によるかな……」

「では後ほど検閲をお願いします」

「うん。あ、スズカもいくつか来てるからやろうね。ほらおいで。パソコンだから」

「ぅぁー」

 

 

 完全にやる気の無いスズカにマウスを握らせる。こっちはG1を複数取るようなレジェンド級のウマ娘が常時求められているようなインタビューで、質問を変え媒体を変え編集者を変え同じようなことが聞かれる。

 

 そういえば私の家にもそろそろまた新しいスズカの載った本が届くはずだ。徹底解剖的なやつが。ああいうののスズカは美化され過ぎているというか、勝利にどん欲な稀代の天才みたいな描かれ方をしているから好きではないんだけど。いつも思うが実物のスズカとメディアのスズカに差がありすぎるでしょ。

 

 

「好きなこと……走ること……趣味……走ること……」

「また、もう。こらスズカ。せめて言葉を変えなさいといつも言ってるでしょ」

「走らせてくれるなら考えます……もうスイッチが入っちゃって頭が回りません……」

「毎日入りっぱなしじゃん」

 

 

 言いながらもちゃんとやってくれるスズカを見守りつつ、途中からスズカから逃げるかのように会話に入らず勉強を始めたスカーレットも見ておく。こんなトレーニングまでの隙間時間にもちゃんと勉強をしている姿は本当に真面目で良い子なんだなあと。にしてはさっきの特別メニューの話には食い付いていたけど、スカーレットはお願いだからそっちに行かないで……? 

 

 

「トレーナーさん……レースの秘訣とか知らないですけど……」

「適当に書いとけば? 前回は何て書いたっけ」

「……さあ?」

「こんなんで勝てるのは尊敬するべきかしら、それとも蔑むべき?」

 

 

 前回は……あー……そうそう、自分の走りを崩さない、だったかな。我ながら良い答えだと思う。嘘は言っていないし、まるでちゃんとしているようにも聞こえる完璧な答えだ。実際その通りだし問題は無い。こういう言い方はあんまり良くないけど、あとは勝手に勘違いしてくれる。

 

 

「むむ……」

「そういえばマスター、報告が遅れましたが一つ」

「どしたの」

「明々後日、シンボリルドルフ会長と模擬レースを行います」

「おっ」

 

 

 アンケート用紙から頭を上げずにブルボンが言う。ついに使うのね、あのプラチナチケット。実力的にはナリタブライアンからの方が良いんじゃないかと思うけど、順番とかってどうやって決めてるんだろう。本人の話し合いなのか、シンボリルドルフが先だというのが決定事項だったのか。

 

 でもまあ、ちょうどいいというか、これに関してはどのタイミングにやっても特に効果が変わらないので大歓迎だ。でもまあ、ブルボンはスズカとの関係もそうだが、かなり挑戦者側のメンタルができている。そこだけ注意しないといけない。あくまで相手がシンボリルドルフだから負けたのであって、同世代には負けないというのは何度も言わないと。私が何度も説得して王者としての自覚を持たせないと、すぐ自分が下だと考えてしまうからね。

 

 

「良いんじゃない。頑張ろうね」

「はい。ですので明日、特別コースを実施しましょう」

「そういう流れかあ」

 

 

 こういう感じね。ブルボンは同世代最強と言って過言ではないし、距離も少なくともダービーまでは克服していると言っても過言ではない。菊花賞はまた次に考えることだ。そしてブルボン自身の走り方……つまり、一着を取れるように決められたペースを忠実に守り続け、余力でスパートをかけるという走り方。これもまた、自分が普通に走れば勝てると確信するチャンピオンのメンタルが必要だ。スズカみたいに。

 

 

「うー……」

 

 

 こうやってパソコンの画面を眺めて唸っているスズカだが、その点は数少ない、明確にブルボンがレースで見習うべき点だ。スズカは自分の実力を疑っていない。自分のスピードに自信があり、絶対に負けないと考えている。これは傲慢とも取られかねない思想ではあるが、実力が伴っているうえに周囲もそれを解っていて挑んでいる。よって何があろうとぶれないし、常にチャンピオンの自覚があるのだ。

 

 一方ブルボンはやはりスプリンターから努力で這い上がったという経験がある分、本来はできないことを成し遂げるという意志が強い。それをやめたら負けてしまうとでも思っているかのようにトレーニングに打ち込んでいる。だから、何も言わなければレースにもチャレンジャーとして挑む。それでは困るのだ。勝って当然と思ってもらわないと。

 

 

「それは、シンボリルドルフに勝ちたいからやるの? 皐月賞のためにやるの?」

「もちろん後者です。現実的に、今何かしたところでルドルフ会長に勝つことは不可能です」

「まあ、それはそうね……」

「ですので」

「皐月賞目的なら何もしなくても勝てるでしょ。わざわざ自分を追い込む必要は無いわ」

「マスター」

「そんな目をしてもダメなものはダメ」

「はっ……トレーナーさん……」

 

 

 ブルボンを真っ向から見つめ合う私の背中にスズカがくっついてきた。こいつめ、この勢いでブルボンと一緒に押し切ろうとしているな。走れないよりは、その形態を問わずとりあえず走るという強い意志を感じる。あすなろに抱き着いて耳元で囁いてくる。

 

 

「ほら、ブルボンさんもやりたいって言ってますよ? 良いじゃないですか。一日だけ、ね?」

「ダメ」

「トレーナーさん……ワガママ言っちゃダメですよ」

「マスター。お願いします」

「ダメってば」

「一回、一回だけですから。ね? ね? トレーナーさん……?」

「もーっ」

「何してんのアンタら」

 

 

 助けてスカーレット……私を骨抜きにするつもりよこの子達。ブルボンも便乗して私を挟み込みに来ている。愛バサンドイッチされてるって。だめだめ。

 

 

「愛バのお願いですよーっ。ほら、愛バー」

「あいばー」

「くっ」

「こんな大人にはなりたくないわね」

 

 

 やめろ、やめろ……! 卑怯よスズカ、可愛さで何でも押し切れると思ったら大間違いだし、ブルボンが変なこと覚えちゃうでしょ。絶対に認めないからね。

 

 

 その後もひたすら二人の攻撃に耐え、無事トレーニング開始の時間まで逃げ切った。大人を舐めてはいけないということよ。私の方が上手だったわね。

 



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黙らされるサイレンススズカ

 

 皐月賞も目前のある日。私達チーム・エルナトは、夜間ライトをつけてトラックにいた。

 

 ベンチに座る私とスズカ、スカーレットの前で、ブルボンがウォームアップ代わりに足踏みをしている。そして、遅れてやってきたシンボリルドルフが今、私達を見て、げっ、みたいな顔をしたところ。

 

 

「やあ、エルナト・トレーナー……何をしているか聞いても良いかな」

「スズカのことは気にしないで」

「すみませんルドルフ会長。うちのトレーナーは少し変わっていまして……」

 

 

 スカーレット? おかしいよね。この場で一番おかしいのはスズカじゃん。私はスズカを何とかしようと知恵を絞っただけで、決して私が根本的におかしいなんてことは無いんだけど。

 

 

「いや、ある程度はエアグルーヴにも聞いているからね。ただ、どうして彼女は手足を縛られ猿轡を嚙まされているのか聞いても良いかな」

「それはまあ……暴れ出さないように?」

「あなたは何を言っているんだ?」

「すみません会長、トレーナーはちょっと抜けてて……」

 

 だからさ。

 

 

 今日のメインイベントはあくまでブルボンとシンボリルドルフの併走であって、スズカとスカーレットは完全なる見学だし、私もトレーナーとして同席はするが別に必要なわけじゃない。精々、レース途中で掛かったら活を入れるくらいで、作戦とか、健康管理とか、ブルボンは自分でもできる。言ってしまえば私はただここにいるだけなのだ。

 

 だから、スズカには大人しくしていてもらわなければならない。もちろん今のスズカはレース前でもないし、一応幅広く禁止はしているが我慢できなくなれば勝手に走る程度のものでしかない。だから、突然暴走するなんてことは無い……と信じている。でもそれと何も対策しないかは別である。スズカは戦闘狂ではなく先頭狂だし、相手が強いほど燃えるなんてことは無いと思うんだけど、一応。

 

 

 というわけで、スズカはロープで手足を縛って私が運んできた。さらに猿轡も着けている。時間が時間なので校内やコースにも誰もいないのでマスクは外したので、見た目だけ見れば結構危うい感じになってしまっている。

 

 

「いや、まあ……エアグルーヴからは、頼むから二人が何をしていても止めないでくれと頭を下げられているから何もしないが」

「ちょっと待って。エアグルーヴは何を言ってるの」

「あまりにも真剣だったもので頷いてしまってね。ああ、もちろん本人に伝えて良いかはちゃんと許可を貰っているよ。止めなければ何でもいいとのことだ」

 

 

 エアグルーヴに裏切られた、とスズカが目を見開いて倒れてしまった。流石に挨拶の途中なので膝に倒れる前に受け止めて、肩に乗せ直す。片手でスズカを宥めながら、ブルボンのために勝負服を着て来てくれたシンボリルドルフに向き直る。

 

 

「それはそうと、今日はありがとう、シンボリルドルフ。忙しかったでしょう」

「それなりにはね。しかし、事務仕事の良い息抜きだ……と、言ってしまうとエアグルーヴに怒られてしまいそうだが、まあやはり走っていた方が調子が良いからね」

「……!」

 

 

 ほらね、じゃないのよ。変なこと訴えないで。シンボリルドルフは普段からウマ娘のことを第一に考えて心を砕いてるのよ。スズカは欲望でしょ。結構ちゃんと違うものを並べるのは失礼じゃん。きらきらとした目でこっちを見るスズカのウマ耳を摘まむ。

 

 

「それにだ。本音を言うなら楽しみにしているんだよ、エルナト・トレーナー。私はあなたの見抜く力については相当なものがあると思っているからね」

「お世辞を言っても何もしてあげないわよ。それに他の人に悪いでしょ、そんなこと言われたら」

「お世辞ではないとも。それに特別扱いでもない。事実、あなたのトレーナーとしての腕はそう大したものではないと思うよ。こっちもたまにトレーニングメニューやらは調査することがあるが、特筆すべき点は何も無い」

「……まあね」

 

 

 そりゃ当然。だって本当に大したことないもの。他とおんなじ。首を回し腕を伸ばしながら、私の能力に気付いているのかいないのかシンボリルドルフは続ける。

 

 

「ただ、その見抜く力は本物だ。そうだろう? サイレンススズカに逃げをやらせたのもそうだが、2400を走らせておきながら2500は考慮すらしなかったらしいじゃないか。それに、ミホノブルボンにクラシックを走らせるというのもね。私としても彼女はスプリンターに見えたよ」

「本人がしたいようにさせているだけ。別におかしなことじゃないわ」

「そうとも。数々の名医でも予見できなかった故障を見抜いて、自己嫌悪まで陥ったのがただの『嫌な予感』であれば別だがね」

「……何、シンボリルドルフ。大人をからかってるの? 怒るよ」

「失礼。戻ってきたようだし話はまた今度にしよう」

 

 

 むむ……なんか普通にバレてないか、私のこと、いや、元々そんなに強く隠そうともしていない。黙って誤魔化すくらいのものだったから、あの時のメンタルで何か不味いことを言ってしまったのかもしれない。会話の内容はほとんど覚えていないけど、生徒会室で彼女に何かまくし立てた記憶はある。

 

 というか、仮にそれらを見抜いていたとして、そこから何を言われるかが怖い。言ってしまえば怪我や適性を見抜くというのは圧倒的アドバンテージだし、何かこう、私をうまく敵に回さないようにURAが取り込んでくるとかありそうだもん。いや、流石に陰謀論過ぎるか? 

 

 

「ルドルフ会長。本日はありがとうございます」

「気にしないでくれ。私も楽しみにしていたよ。それで、今日はどのように?」

「はい。まずは、ルドルフ会長が本日どの程度まで走って良いのかをお聞きしてもよろしいですか?」

「そうだな……強度にもよるが6000といったところかな」

「承知しました。では6000mを限度にメニューの構築を行います」

 

 

 アップから戻って来たブルボンがシンボリルドルフと会話をしている。唯一無二たる無敗三冠を成し遂げた彼女と、それにこれから追いつこうとしているブルボン。物凄い光景だ。将来ブルボンを語る書籍が出たら間違いなくこのエピソードが挿入されるだろうね。

 

 

「構築終了。提案します。計三本、全て2000mで行います。一本目は会長には私の前後を走っていただき、私のペースを乱すことに集中していただきます。二本目は普段のレース通り、全力で私を差し切ってください」

「ほう……いや、了承した。それで、三本目は?」

「……マスター、三本目ですが」

 

 

 えっこっちに来るの? 今日は私は黙って座りながらスズカを愛でているつもりでいたんだけど。

 

 

「三本目は私ではなく、スズカさんと会長に走っていただくわけにはいきませんか」

「えっ」

「……!」

「うわっ気持ち悪……あっすみません」

 

 

 突然降って湧いたチャンスに、スズカがそれはそれは気持ちの悪い動きで自己主張を始めた。海藻みたいな動きをするスズカの頭を抱き寄せて動けなくしてやり、本当は嫌だが猿轡を外し始める。シンボリルドルフは控えめに言ってぎょっとしていたが、ブルボンは少しも動じることなく私をまっすぐ見る。

 

 

「どうしてスズカなの。三本とも二人で走ったら良いじゃない」

「……マスターに言うべきことではありませんが」

「うん」

「好奇心です」

「えっ」

 

 

 この子は何を言っているのかしら。でも冗談を言っている感じではない。ブルボンは真面目な時と冗談を言っている時で大して表情に変わりは無いものの、でも解る、本気だなあこの子。三人で走る、とかじゃなく自分を外してくるとは。正直三人でって言うのはほんのちょっと予想していた。どうやって断ろうかなあとも思っていたんだけど、まさか二人とは。思わず断り文句を忘れてしまった。

 

 

「好奇心」

「はい。スズカさんとルドルフ会長のレースを見ることで、私自身に何か変化があると予測されます。もちろんマスターに決定権がありますので、却下であれば三本目も私が走ります」

「ぷはっ……ブルボンさん。素晴らしいと思うわ。時には他の人のレースを見ることも重要よ、ね、トレーナーさん」

「スズカ先輩がマトモなこと言ってる……」

「調子のいい子ね」

 

 

 猿轡から解放され、優しい笑みを浮かべてブルボンの両手を包み持つスズカ。縛られたままなのに器用なことだ。しかし、その目は欲望に眩んでいる。私には解る。ちらりとこっちを見るブルボンが果たして狙ってやったのかどうか……せめて私にこっそりと提案してくれれば考えられたのに。

 

 

「スズカはダメ」

「どうしてですかっ、ブルボンさんのためですよ」

「自分のためでしょ」

「違いますっ。可愛い後輩が必要としてくれているんです、これを引き受けなくてどうしますか!」

「そのだらしない目を何とかしてから言いなさーい」

「あわわ」

 

 

 走りたいでいっぱいの目尻を引っ張って伸ばす。手足をわちゃわちゃにして逃げようとするスズカを捕まえて、今度は膝に封印してしまう。転がしてお腹に顔を埋めてしまえばそれ以上喋れない。

 

 

「お願いします」

「そうねえ……」

 

 何があるかなんて私には解らない。解らないが、それでも、ブルボンがそれで何かが起こるというなら信じた方が良い。わざわざ好奇心と言い切る必要が無い。ブルボンは口下手だが賢い子だ。もっともらしい理由をつけようと思えばいくらでもできるはずだし、好奇心なんて言い方をしたら即反論されるくらい解っているはず。

 

 

「むー……ぶぅぼんふぁん……」

「くすぐったいから喋らないで?」

「むぐむぐ」

「やめ、やめてやめて、ほんとに……!」

 

 

 考えがまとまらない。スズカに喋らせてもろくなことにならないし黙らせてもろくに考えられないとはどうなっているんだ。一応スズカの意見を聞こうと猿轡を外したのは失敗だった。もう一回着けるか? 

 

 

「あー、なんだ、エルナト・トレーナー」

「シンボリルドルフ」

 

 

 と、苦笑い中の生徒会長が割って入って来た。

 

 

「どちらでも私のやることは変わらないだろうし、とりあえず二本始めてしまうのはどうかな。私は時間がどうなろうと構わないが、あまり遅くなるのも問題だろう?」

「……まあ、それはそうね。じゃあブルボン、とりあえず二本走ってきなさい。ペースは何度も言っている通りに」

「はい。承知しました。それでは会長、スタート位置へお願いします。私が内枠でも構いませんか」

「もちろん。ではエルナト・トレーナー。また」

 

 

 二人がスタート位置に早足で向かった。こっちはこっちでスズカを解放して睨む。

 

 

「トレーナーさん……お願いしますっ」

「むむ」

「ね? トレーナーさん。ブルボンさんのためですよ? 無敗三冠とらせてあげるんですよね? ね?」

「……無敗三冠って簡単に取れるんだっけ……後で頭冷やさなきゃ」

 

 

 お願いお願いとねだってくるスズカ。もう……私もこれに弱いのだ。なまじブルボンの希望というのが腹立つ。スズカの希望ならまだもっと断りやすかったのに。

 

 

「……じゃあスズカ、一つ条件を付けます」

「なんですか?」

「この二レース中、一言も言葉を発さずに大人しくしていられたら認めます」

「……!」

 

 

 言いながら両手も解く。スズカははっとして、解放された両手で口を押えてこくこくと頷いた。素直だなあ……可愛い。

 

 

 そして、ブルボンとスズカの挑戦が始まる。



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同着は許せないサイレンススズカ

 

「始まった……!」

 

 

 シンボリルドルフとブルボンが走り出す。と同時に、私の隣に座るスズカがお口チャックのままむん、と拳を握る。いつものように前に出て一定ペースで走るブルボンの斜め後ろにぴたりとシンボリルドルフがつけた。こういうのを見ると、私の力もいい加減当てにならないというか、それを超えてくるウマ娘がたくさんいるということを実感させられる。

 

 

「徹底マークって感じね……あんなにしっかりつけるの?」

「上手いよね……本当にこう、天才って感じ。流石皇帝と呼ばれるだけはあるわ」

 

 

 本来、徹底マークというのはそう簡単なものではない。相手のペースがどうなるか解らない中で接触もせず、離され過ぎることもなくくっつくだけでも難しいし、それに加えて自分の存在を相手に見せ続けプレッシャーをかけるなんて芸当はジュニアどころかクラシックでもできない子が多い。

 

 それでも、それを簡単にやってのけるのがシンボリルドルフだ。流石は絶対とも言われたウマ娘。「レースに絶対は無いが」という枕詞はつまり、シンボリルドルフには「レースにおいて」絶対があるということに繋がる。トップスピードがどうとかそんなものよりも、レース運びが異常に上手いのだ。だからこそ、彼女は圧倒的大差で勝つことはしないのだ。

 

 

「で……やっぱりブルボン先輩があんなこと言ったのって」

「流石にそうでしょうね」

 

 

 シンボリルドルフが、挑発するかのように横に出てブルボンの横に並ぶ。流石のブルボンでもちらりと彼女を見た。しかし並ばれたまま走ることができている。やや彼女が前に出ても、なおそのまま走れている。素晴らしい。

 

 一方、私の隣のスズカは早くもかなり限界が近付いていた。まだ第二コーナーにも入ってないけど、がしんがしんと私に体当たりをしながら、自分の心臓あたりをとんとんと叩き始める。抱え込んで頭を撫でると、完全に肩で息をしていた。こっちはダメダメだ。

 

 

 シンボリルドルフが下がる。こうやって揺さぶられても自分を崩さないでいられれば、基本的にブルボンが身体強度で負けることは無い。もちろんスズカのように圧倒的なわけではないし、同期の動向も見ておかなければいけないけど、それでも平気だろう。再びプレッシャーをかけ始める彼女を後ろに、ブルボンが直線に入る。

 

 

「良さそうね。ほらスズカ、マトモに先頭走ってる時くらい休まないともたないわよ」

「ふー……ふー……っ」

 

 

 ダメだこりゃ。口元を押さえたまま私にも反応してくれない。黙ってはいるけど脚はばたばた地面を踏みしめているし、これは声を出すのも時間の問題かな。まあ、まあ、頑張ったんじゃない? 私はてっきり一回目から我慢できないと思っていたから。

 

 

 再びコーナーでシンボリルドルフが前に出た。再び並ばれ、今度は足取り軽く抜き去られる。ちゃんとこれも耐えられ……あ、ブルボンが掛かった。シンボリルドルフが振り向いている。惜しいというか何と言うか。行けると思ったんだけどね。用意してあったメガホンを手に取る。

 

 

「スカーレット、耳塞いで」

「あ、ええ」

 

 

 スズカは何も言わずとも防御しているのでスカーレットにだけ注意して、立ち上がって口に当てる。流石に喉が痛いからあんまりやりたくないんだけど、仕方が無い。大きく息を吸い込み、叫ぶ。

 

 

ブルボン!!!!! 真面目に走んなさい!!!! 

 

 

 届いたかな、あ、届いてる。ブルボンがペースを下げた。それに合わせてシンボリルドルフも再び後ろに下がる。良かった良かった。とりあえず落ち着いたし、もう大丈夫だろう。まあ彼女みたいなプレッシャーをかけられるクラシック級の子はほとんどいないだろうし実践的には大丈夫なんだろうけど。

 

 そして、声を出す前に私が真面目になってしまったので何とかスズカは我慢できたようだ。振り向くと、したり顔で微笑んでこちらを見ている。誇らしげにしやがって、私が大きな声を出したから助かっただけでしょうが。

 

 

「でも偉い」

「ふへへ」

「あっ喋った」

「そ、それは違いますよね! ずるです! 今ずるをされました!」

「あの、スパート入ってるんだけど見なくて良いの?」

 

 

 良いの。この場の誰も、最終的にブルボンが勝てるなんて思っていない。重要なのは道中だ。流石にスパートはスピード差がありすぎる。案の定、正面ではシンボリルドルフが一バ身ほどつけてゴールしていた。

 

 戻ってくる二人に飲み物を渡し、一応二人とも見ておく。うん、まあこれくらいで怪我率なんか出ないわよね。ブルボンの消耗もどちらかといえば精神的なものが大きい。

 

 

「お疲れブルボン」

「申し訳ありません、マスター。道中ペースが乱れました」

「むしろあの程度で修正できたのは良いことよ。次はできるわ、ブルボン」

「……はい」

 

 

 凹むブルボンのウマ耳を立たせてあげて、怒っちゃったのでちょっと優しく。頭を撫でてあげると大人しくされるがままになっていた。補給を済ませた二人を再び送り出す。走るのは私がいなくても二人でやってくれるから楽だ。そしてスズカだけど、意地悪に怒って座り直した私をばしんばしんと殴り付けていた。

 

 

「痛いでしょスズカ」

「喋ってません、私喋ってません!」

「でもふへへって」

「話が違うじゃないですかぁ……」

 

 

 ふにゃふにゃになって倒れたスズカを撫でる。別にこれでダメって言うつもりは無いけどね。冗談冗談。でも本気で絶望してそうなスズカが可愛いのでとりあえずこのままにしておいて、二人のレースを見届ける。こちらもブルボンに勝ち目は基本的に無い。そもそもシンボリルドルフの方が強いうえに、差しの事故要素であるバ群に飲まれるという事態が起こらない。大外を回る必要も無い。だから安心して見ていられる。私は。

 

 

「……っ、ぁ、ぁっ……」

 

 

 スズカはそんなことないんだけどね。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「じゃあスズカ、ちゃんと一回だけよ。シンボリルドルフにやってもらうんだからね」

「はいっ。ちゃんと解ってますよ。トレーナーさん大好きです」

「はいはい」

 

 

 上機嫌なスズカ。結局何回か咄嗟に声をあげそうになったものの、私に抱き着くことで強引にそれを回避してきた。よく聞けば喋ってたんだけど、おおむね我慢できたということで偉いので走らせてあげることにした。ブルボンの希望でもあるし、少しくらい息抜きは必要だ。ということで、スズカがウマ耳をぴこぴこさせながらスタート位置へ走っていく。心なしかシンボリルドルフも楽しそうだ。

 

 

「二人の勝負はどう? やっぱりスズカ先輩が不利?」

「いや。互角かな。距離的にはスズカの方が強いし、これで後二人くらい壁がいればスズカの勝ちで間違いないんだけど」

「いくら何でも会長にそれを言うのは……」

「スズカを舐めちゃダメよ。スカーレットには言ったことなかったっけ。スズカがこの学園で不利がつくのはマルゼンスキーだけ」

「……そんなに?」

「そういう子なのよスズカは」

 

 

 いかにシンボリルドルフといえどもスズカに追いつくのは至難の業だろう。彼女はレースの天才であってタイマンに全てを懸けられるような子ではない。スズカはそういうのは関係無いし……まあ、そこまで考慮してもなお絶対に勝つとは言い切れない辺りやっぱり『皇帝』だなあとは。

 

 

「ブルボンも良かったわね、見られて」

「はい」

 

 

 簡潔に答えるブルボン、珍しく、私の方を向いて返事をしない。水筒を持ったままじっと二人を見つめている。よほど見たかったんだろうね。私はスズカの負けるところはあんまり見たくないけど。

 

 レースが始まった。やはりスズカが大きく前に出る。シンボリルドルフもついていこうとして、すぐに諦めた。圧を掛けられるような相手ではないと気付いたのだろう。やっても自分が潰れると。賢い。かなり控えて走っている感じで、スズカと目を疑うような差が開いた。そして中盤になってから進出を始める。

 

 

「あんなに開いて大丈夫なの……?」

「たぶんね」

 

 

 じりじりと差が詰まっていく。大差を割って、射程圏まで行ったところで最終コーナーにかかり、スズカのエンジンが一気にかかる。当然のように伸び脚を発揮して再び突き放し押し切ろうとするスズカを、さらに上回る加速力で強襲するシンボリルドルフ。すっご。こうして実際に見ると、本当にあのスズカに追い縋れるウマ娘なんているんだとびっくりするわ。そのまま突っ込んで、最終直線に入るころには既に六バ身まで詰めている。

 

 

「抜かれる……!」

 

 

 スカーレットが声をあげる。でもまだだ。最高速度はスズカも生半可なものではない。そう簡単に抜かせない根性もある。じりじりと詰まってはいるが、決定的に無理だと言えるようなものでもない。これは微妙だ。残り400、いや、決まったか……? 

 

 

「……っ」

「うわっ」

「……失礼しました。少し力が入ってしまい」

「あ、う、うん……白熱してたもんね」

 

 

 二人がほぼ並んでゴール。その瞬間、ブルボンが水筒を握り潰した。ひえっ……。

 

 着順だが、正直目の前でゴールされると速過ぎて解らない。スカーレットにも聞いてみたが解らなかったようだし、ブルボンは何か感じ入ったように喋らなくなってしまったので放置するしかない。走り切って戻って来たスズカが私に飛び込んでくるのを受け止める。聞いて良いのかな。でも、スズカが負けてたらもう一回とか言いそうだもんな。聞かない方が良いかも。シンボリルドルフもゆっくりと戻ってきて、持参したボトルを口に運ぶ。

 

 

「いやはや……なるほど、これは聞いていた以上だった。参った。完敗だ」

「……スズカが勝ったの?」

「差し切れた実感は無いね。一対一で負けるようならレースでも勝てないだろうし、負けで構わないよ。まだまだ精進が必要だね、私も。まったく、あのエアグルーヴが大言壮語を受け入れているから不思議だとは思ったんだ。実力が伴っているなら何も言えない」

「口数が多いじゃない」

「それだけ楽しかったと思ってほしいな。まだまだ頑張ろうと思えるよ。感想を聞いておきたいが」

「……だ、そうだけど? スズカ」

 

 

 私に抱き着いたままのスズカが、ぴくりとウマ耳を起こす。スズカの勝ちね。どっちだか本当は解ったものじゃないけど。しばらく何も言わなかったスズカだったけれど、心配になって顔を覗き込むと、いつにも増して鋭い目でこっちを見返してきた。

 

 

「うわ怖」

「トレーナー……さん……!」

「ヤバい。ブルボン、スカーレット、取り押さえて──」

「トレーナーさん……!」

 

 

 異次元の逃亡者が私を射抜いていた。私の襟元を握って、思いっきり顔を近付けてくる。ヤバすぎ。二人が後ろから引っ張っても微動だにせず、私をそのまま壁まで押し付けた。

 

 

「もう一回……!」

「な、なんで……走ったでしょ……?」

「今のは違います……! もっと離せました……!」

「勝ったならそれで」

「すぐ隣なんて嫌です……! もう一回やります……!」

 

 

 ヤバい。私では止められないかもしれない。それとも、シンボリルドルフ本人ではなく私に言ってくるあたりが最後の理性だろうか。フクキタルに負けた時は本人に向かって行っていたし、単純に気を許しているかどうかかな。どちらにせよ私が詰められることには変わりないんだけど。物凄いオーラを纏わせたままじっと見つめてくるスズカと、その後ろで無力なブルボン、スカーレット。シンボリルドルフがその後ろから来てくれた。

 

 

「あー、その」

「い、良い、大丈夫だからシンボリルドルフ、帰った方が良いかも……! あとスズカと一週間くらい顔を合わせないように……!」

「トレーナーさん……何言ってるんですか。走るんですよ私は」

「早く帰ろう! シンボリルドルフ!」

「あ、ああ……解った。それではあとで改めて挨拶に行くよ。色々片付いたあとに」

「う、うん……!」

 

 

 よし。とにかくシンボリルドルフは帰らせられた。あとはスズカだ。完全に火が点いている。流石に走らせないと収まらないかもしれないけど、この感じだと無限に走ってしまう。どうすれば良いの、私。こうしている間にも吐息を感じる距離で目を見開いたスズカが見てるんだけど。目が据わっている。

 

 

「スズカさん。今日は帰りましょう」

「す、スズカ先輩!」

「ほ、ほらスズカ、ね? 明日また話そう? ね?」

「……走ってきます」

「いや! きょ、今日は遅いし、ね? その、ほら、帰って一回寝てから考えよう! ね!」

「走ります……次は無いです……」

「あー……」

 

 

 ダメだ。スズカが完全に壊れてしまった。バーサーカーを止める方法はまだちょっと解らない。もう少し理性があれば会話ができたんだけど、負けたならともかく僅差で勝つのが一番ストレスなのかも、なんて、今後に役立てたい知識を一つ得て、私はもはやスズカに許可を下ろすしかできなかった。




本人すら気付いてませんがハナ差でルドルフが差し切っています。


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ドッキリに関わるサイレンススズカ

ちょっとあっさり悪趣味。エイプリルフールなのでこれくらいはね?

前半はトレーナー→スズカ、後半はスズカ→トレーナーですが、並行世界なのでどっちが先とかは無いですし、この後の展開にも関わりません。


 

「あ、こんにちはサイレンススズカ。どうしたの?」

「スズカさん! おはようございます!」

「え……え?」

 

 

 四月一日の朝。今日は珍しくスズカが友達との色々で遅れ、スズカに用があるスペシャルウィークはトレーナー室で待機することになっていた。あまりにも暇だったのと、そこそこ私達も仲良くなり、せっかくのエイプリルフールということで、何かスズカにドッキリを掛けようという話になった。

 

 

「トレーナーさん、呼び方、え?」

「そうか、スぺに用があるんだっけ」

「はい。この間頼まれた本、借りてきたので渡そうと思って!」

「え、え?」

 

 

 結構スペシャルウィークも乗り気だったというか、「確かにどんな反応するんでしょうね……」とかなり好奇心もあったらしく、すぐに二人で計画を考えた。その名も、担当トレーナー入れ替わっちゃったドッキリである。

 

 私がスズカの担当であり、スペシャルウィークは別のトレーナーが担当していることなど恐らくトレセンの誰もが知っている話だとは思うが、あえてそれを入れ替えて、私がスペシャルウィークを担当していることにしてみよう、という内容だ。

 

 本当は死亡ドッキリくらいしようと思ったんだけど、流石にそれは悪趣味だし、普通に傷つけてしまう。我ながらかなりマイルドに解りやすいドッキリを考え付いたと思っている。

 

 

「本?」

「はい。スズカさん、風景とかそういう本が好きなんですよ。私が借りてたんですけど、返却して借り直してきました」

「へー。サイレンススズカにもそういう趣味があるのね」

「トレーナーさん、スズカさんのこと何だと思ってるんですか……?」

 

 

 私はスズカのトレーナーではないという設定なので、呼び方とか、知識とか、色々気を付けている。部屋もそこそこ片付けた……けど、まあロッカー開けたらスズカの服があるし、何ならシューズも簡単に見つかる場所に隠してある。そこらへんはちょっと突貫工事だった。

 

 あと、万が一のことを考えてベッドの下にブルボンとグラスワンダーがいる。ブルボンは普通にいたので巻き込み、グラスワンダーも案外ノリノリで看板作りを手伝ってくれた。まあなんだ、本当に恨みとかじゃないけど、普段からしてやられていたり話を聞いていなかったり、そんな可愛い先輩をちょっと困らせてやろう、くらいのものよ。生まれついての善性であるウマ娘の三人が止めなかった時点でラインは守れている。

 

 

「というか寮で渡せば良くない?」

「スズカさん、結構部屋にいないことも多いので」

「あ、あの、え、と、トレーナーさん……? え?」

「どうしたの、サイレンススズカ」

「あ、あの、呼び方……トレーナーさん?」

 

 

 おー困惑している。押され気味のスズカは結構レアだ。学園では結構濃い友人に振り回されていたりしてそういうこともあるらしいけど、私の前ではスズカが中心だからね。困り眉のスズカも可愛い。

 

 わくわくで看板を構える二人への合図は私がうっそーって言ったらということになっている。もう少し引っ張れるかな。ちょっと楽しくなってきたぞ。こんな可愛い反応が見られるとは思ってなかった。

 

 

「呼び方? 別にいつも通りだけど……さん付けするような仲でもないでしょ?」

「あ、あの、そうじゃなくて……」

「そういえばスぺ、最近トレーニングはどう?」

「え? あー……い、良い感じですよ! というかトレーナーさん! 私のトレーナーさんなんだから解っててもらわないと!」

「あっ……そ、そうね! スぺのトレーナーだもんね!」

「トレーナーさん……? わ、私、私のトレーナーさんですよね……?」

 

 

 私とスペシャルウィーク相手にこんなに言葉に詰まっておろおろと視線を彷徨わせるスズカも珍しい。とりあえず何かを解決しようと思ったのか、より近くにいるスペシャルウィークの肩を掴んで揺さぶった。

 

 

「す、スぺちゃん!? 何言ってるの? わ、私のトレーナーさんよね? ね?」

「え? なんですかスズカさん。私のトレーナーさんですよ」

「お、おかしいわ、そんなの、だって、私のトレーナーさんだもの……」

「スズカさん? 流石にそれは困っちゃいますよ。あ、スズカさんもエルナトに入るってことですか? それは私は大歓迎ですけど……」

「あ、あ、え? と、トレーナーさん?」

 

 

 今度は私か。流石に取り乱すスズカが可哀想になって来たし、ちょっと会話したらネタバラシと行こう。

 

 

「どうしたのサイレンススズカ」

「それ、それやめてください……私のトレーナーさんですよね?」

「スぺのトレーナーだけど……」

「え、あ……だって、わ、私に……私のトレーナーさんだって……」

 

 

 スズカが固まってしまった。伸ばした手が行き場を失って、私の方を見たまま動かなくなる。そろそろネタバラシかな。キーワードを言えばすぐに二人が出てくるはずだ。

 

 

「う……スズカ!?」

「え……あれ……? あ、あ……」

 

 

 が、私が何か言う前にスズカがぼろぼろと涙を流してしまった。これはいけない。一瞬でヤバいと感じたのか、ベッドの下の二人も飛び出てきて、スペシャルウィークも慌ててスズカを後ろから抱きしめた。

 

 

「スズカさん! 嘘! 嘘です! エイプリルフールです!」

「ど、ドッキリ! ドッキリ大成功です!」

「スズカさん、落ち着いてください。ジョークです。ジョーク」

 

「え……え……?」

 

 

 混乱した挙句看板を見せつけるように辺りを歩き回るブルボンと、やってしまったと息を荒げるグラスワンダー。私もスズカを抱きしめて撫でる。やり過ぎた、ヤバい。ちょっとこれは洒落にならないことをしたかもしれない。

 

 

「ごめんスズカ! ドッキリなの! エイプリルフールだから!」

「えいぷりるふーる……」

「そう! 四月一日! ね!」

「じゃあ……うそ……?」

「嘘! 嘘だから! ごめん! 申し訳ありません!」

 

 

 変わらず涙を淡々と流すスズカが、顔を上げて真っすぐ見つめてきた。そ、そんな悲しい顔をしないで……私が悪かったから……ごめんて……

 

 

「トレーナーさんは、わたしのトレーナーさんですか?」

「そうだよ! スズカのトレーナーだよ!」

「わたし……あいば?」

「愛バだねえ! スズカは私の愛バ! 間違いない! 大好き!」

 

 

 揺らめくスズカを強く抱き留める。声が震えすぎている。これはその、は、反省、反省しなきゃ……

 

 

「……よかった」

 

 

 その後、スズカを慰めるのに一時間かかった。ストレスが溜まったと言い出したスズカは、そのまま走りに行ってついでにエアグルーヴに死ぬほど怒られた。ブルボンとグラスワンダーについては非常に申し訳ないことをしてしまったと思っている。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「トレーナーさんっ」

 

 

 ある日。スズカがトレーナー室に来て、顔だけ出して呼びかけてきた。普通に入ってこないのはとても珍しい。様子を窺うような子じゃないし、こちらも入られて不味かった試しも無いし。とりあえずパソコンを閉じて、どうしたの、と声をかける。

 

 

「あの、ちょっとご報告があるんですけど……」

「報告?」

「はい。あの、えっと」

 

 

 言い淀みつつも、スズカは扉をそのまますべて開ける。スズカの横に、私の知らない人がいた。スズカよりけっこう背が高い、スーツ姿の男性だ。顔に見覚えは無いが、ここにいるということはトレセン関係者だろうか。新人トレーナーさんかな? もしかして、スズカを知らずにスカウトしたとか? いや、流石に無いか。私じゃあるまいし、トレーナーともあろう人がG1ウマ娘を、特にスズカを知らないはずがない。

 

 

「あの、私この人と、お付き合いすることにしましたっ」

「へー。そうなの。良かっ……ん? なんて?」

 

 

 聞き間違いかな。笑顔のスズカが何かを言ったような気がする。

 

 

「この人とお付き合いするんです。えっと、な、名前を……」

「初めましてトレーナーさん。三島と申します。スズカさんとお付き合いをさせていただくことになりました」

 

 

 恭しく一礼をする三島さん。なんだ……? 何が起こっているんだろうか。もしかして私は幻覚を見ているのだろうか。何て言ったのか。スズカがお付き合いだと? 男の人と? いや性別はどうでも良いんだけど、え? 付き合う? どこに? なんで? 

 

 

「あの、トレーナーさん? 聞いてますか? トレーナーさんに教えようと思って手伝っ……つ、連れてきたんですけど……」

「えっと……その、大丈夫ですか?」

 

 

 なんと言ったら良いか解らない私に、二人が話しかける。付き合う、付き合うって何だ……? どういう意味だ……? 私の知っている付き合うという日本語と同じ意味だろうか。

 

 

「つ、付き合うって何……? お買い物とか……?」

「こ、恋人ですっ」

「こい……びと……?」

 

 

 あ、頭が痛くなってきた……吐き気もする……どうして……? す、スズカだってさ、ほら、こ、高校生なわけだし……こ、恋人の一人や二人や三人くらいいたって不思議じゃないし……私の愛バってったって、ほら、あ、あるじゃん……

 

 

「トレーナーさん!?」

「す、スズカ……」

「はい!」

「その恋人は、何人目……?」

「質問の意味が解らないんですけど……」

 

 

 いつの間にか座り直してしまっていたらしく、スズカが私を見下ろすようにしている。わ、私はどうすれば良いの。お、お祝い、そう、お祝いしなきゃ、スズカの、こ、恋人……なんだし……

 

 

「と、トレーナーさん……? あの、これは」

「スズカ……お、おめでとうね……」

「トレーナーさん!?」

 

 

 ああ、しまった、泣いてしまった……なんでだろう、なんで私、こんな胸が痛いんだろう……意味解んないし……泣く必要も無いんだし、か、悲しむ理由も無いし……は? ほんと……バカじゃん……

 

 

「と、トレーナーさん、日付、日付!」

「け、結婚記念日ってこと……?」

「違います、エイプリルフールです、嘘です、ごめんなさい!」

「ごめん! ちょっとからかってみたいと言われて手伝ったんだよ!」

 

 

 前を向けなくなった私にスズカが抱き着いてくる。後ろで、男性が服を脱ぎ捨て髪を取った……髪? カツラ? 

 

 

「私だよ、フジキセキです! 本当に、ちょっと変装を頼まれただけなので!」

「ふ、フジキセキ……?」

「な、泣かないでくださいトレーナーさん、あの、そのっ」

「泣いてないし……」

「な、泣いてないですね、そうですね、良かったです、トレーナーさんの愛バですよー愛バ」

「あいば……」

「そうですよ? ね?」

 

 

 その後、しばらくの間スズカにあやされていた。後日めちゃくちゃフジキセキに謝られたが、冷静に考えると悪いのはスズカなのでスズカにはランニング禁止を課すことにした。




フジキセキの変装、見破れない説。


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幸せな朝を過ごすサイレンススズカ

二連あっさりなんて誇りは無いんか?


 

「んー……ぁ」

 

 

 翌朝、起きるとスズカが目の前で寝ていた。

 

 

「あー……まあ良いか」

 

 

 まだ時間ではないので起こさないで良いとして、私は起きて朝ごはんを作ることにする。

 

 昨日は大変だった。走りたい走りたいとワガママを言うスズカを何とか宥め……ることは無力な私達にはできず、シンボリルドルフがうまく隠れきったから良いものの、そのまま暴走気味にトレセンを飛び出してしまったのだ。

 

 よくスズカを見てみるとランニングのジャージのままだし、髪を梳くと少し汚れている。というかシーツがまた汗と泥でダメになっちゃった。

 

 

 支度を済ませていると、誰かがキッチンに入ってきた。足音からしてスカーレットか。泊めたっけ。疲労困憊だったし自棄になっていたから本当に覚えがない。たぶんお互い面倒になってここに来たんだと思うけど、そうなるとスカーレットはどこで寝たの。

 

 

「あ、トレーナー。起きてたんだ。おはよう」

「おはようスカーレット。え? 今日どこで寝た?」

「普通にトレーナーのベッド。トイレ借りてただけよ」

「そっか。まあ良いや」

「泊まっておいてなんだけど、アンタ家に他人がいる事実をもっと重く見た方が良いわよ」

 

 

 そう言って隣に来てくれるスカーレット。手伝ってくれるそうなので、遠慮なくいくつか頼んでおく。家に他人がいる……と言ったってスズカとスカーレットだし。これが人間なら何であれ怯えていたけど、ウマ娘、しかも自分の担当ともなれば嫌がるトレーナーはいないと思う。

 

 と言うか今日は三人だったんだ。ブルボンは帰ったのかな。聞いてみると、食器を出しながらスカーレットが答えてくれた。

 

 

「ブルボン先輩もいるわよ。リビングで寝てるわ」

「え? ベッドで寝なかったの?」

「親御さんに電話するんだって。かけてって言われたからかけて、先に寝てて良いって言うから」

 

 

 珍しいこともあるものね。まあ流石に四人で寝るのは狭いし仕方無いか。どうしようかな。ベッドを増やすか、特注で特大のを買うか。分けて寝るのも何か味気無いと言うか、今の感じだと私とスズカとブルボン、スカーレットで分かれてしまいそうで嫌だ。

 

 少し背伸びをしてリビングを探すと、なるほど、ブルボンは床に倒れて寝ていた。死んでるんじゃないかってくらい大人しく寝ているから気付かなかった。これは起きたらマッサージが必要ね。身体がガタガタになりそう。

 

 

「スカーレットも食べる? 朝ごはん」

「んー……そうね。お願い」

「はいはい。ブルボンのスマホだけ充電してあげて。たぶん切れてるから」

「了解」

 

 

 スカーレットをリビングに行かせ、四人分の朝ごはんを作る。作ったら二人を起こして……ブルボンは大丈夫かな。どう考えても家族に電話したまま寝落ちしてるけど。夜通し親と電話することある? 

 

 

「おはようございます、トレーナーさん……」

「おはようスズカ。何か言うことはある?」

「んー……楽しかったです」

「このっおばかっ」

「ふゃふゃふゃ」

 

 

 しばらくして、ご飯ができたあたりでスズカが起きてきた。たらふく走ったからかかなり目覚めの良いスズカがこちらに来たので一応聞いてみたんだけど、やっぱり反省してないなこいつ。頬っぺたをふにふにしておく。

 

 

「泥だらけでベッドに入っちゃだめでしょーっ」

「ち、違いますトレーナーさん、誤解です」

「何が誤解よ」

「走った後そのまま寝るのが最高に気持ちいいんですよ」

「このっ」

「うぁううぁううぁう」

 

 

 あなたのおかげで私も朝風呂に入らないといけないんだけど。別に嫌いじゃないから良いけど、それはそれとしてムカつく。今更シーツの洗濯の頻度を気にすることもない私も毒されてるな……? 

 

 

「お風呂に入らずに寝るの、嫌じゃないですか?」

 

 

 と、ご飯待ちのスカーレット。ド正論をぶつけられたスズカだったが、やはり怯むことはなかった。

 

 

「普段はそうですけど、走った後は別です。あのふわふわとした良い気分と、少し疲れて眠たくなった感じのままトレーナーさんのいるベッドに入ってそのまま寝るととっても気持ちいいんですよ。それはもう寝付きも目覚めも良いですし、心から幸せを感じることができます。もちろんお風呂に入ってお布団というのも良いものですけど、夜中の涼しい時に走った時はそのままの方が良いと言うか」

「……でもほら、シーツの洗濯とかあるじゃないですか」

「些細な問題です」

「洗濯するのは私だけどね」

「じゃあ私がコインランドリーに行きましょうか」

「走って行くからダメ」

「そんなぁ……」

 

 

 よし、完成。じゃあブルボンを起こそう。ふにゃふにゃになって寄ってきたスズカは気にしない方向で、スカーレットに頼む。

 

 

「あんなぐっすりなのに起こせる?」

「いや、耳元で『ミホノブルボン起動』って言えば秒で起きるから」

「は?」

「シャットダウンって言うと寝ますよ」

「は?」

 

 

 食事を並べる間にスカーレットが起こしに行っている。あ、スカーレット信じてないな? ブルボンを起こすのにそんな頭を近付けたら危ない……あっ。

 

 

「っあ……いった……」

「……スカーレットさん」

「な、なんでそんな平気そうなんですか……!」

 

 

 ブルボンは起きるとき目をぱっと開けて上半身を起こす。思い切り頭をぶつけたスカーレットがひっくり返った。平気そうに見えるかもしれないけどブルボンも声が震えてるし涙目よ。そりゃ痛いでしょうね。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ごちそうさま。美味しかったわ」

「良かった」

 

 

 食事後。前回来た時もそうだけど、スカーレットは私の味付け……つまりスズカの味覚と相性が良いらしい。スズカとスカーレットは本当に美味しそうに食べるわね。ブルボンは甘味以外は表情を変えないのでよく解らないけど、まあ文句を言われてもスズカ向けの味付けは変えられないので困る。

 

 

「じゃあスズカ、お風呂入りな。急いで。遅刻するから」

「多少遅れても走れば良いですよね? 速いですよ?」

「そういう問題じゃないのよ」

 

 

 確かに車よりスズカの方が速いし早いけどさ。これ見よがしに走ろうとしなくて良いのよ。

 

 

「スカーレットも送ってく?」

「……待って。今めちゃくちゃ考えてるから」

「何を?」

「いや……外泊した上車で行くとか流石に私のイメージが……」

「ふーん」

 

 

 全然解らない。私が学生なら、車で行けるものなら車で行きたかったし行ってた。そもそも外泊の時点で今更じゃない? みたいな。外面を固めるのも大変と言うか、日々頑張ってるんだなあと。悩み始めたスカーレットは置いておいて、片付けを手伝ってくれているブルボン。

 

 

「ブルボンはさ、昨日はずっと電話してたの?」

「はい。強制スリープまでお父さんと話していました」

「へー。やっぱり皐月賞の話とか?」

「広く解釈すればそうです」

 

 

 気になる言い方だけどもはやわざわざ言うのも面倒だ。ブルボン語は難しいし、特に意味がない時もある。皐月賞以外にもいくつか話したというくらいの意味だろう。お父さんと仲が良くて何より。

 

 

「マスター。皐月賞ですが」

「うん」

「勝てるでしょうか」

「九割勝てるだろうねえ。負ける相手がいないよ」

 

 

 弥生賞上がりにしろ若駒上がりにしろ特に怖くはない。格が違うというのはこういうことだ。流石にG1、ライバルの調査は進めているけど何度見ようがブルボンに並ぶような子はいない。

 

 もちろん、絶対とは言わない。結局私は永遠にマチカネフクキタルやグラスワンダーのような爆発型に怯え続けなければならないのだ。本当はスズカにもブルボンにも、必ず勝てると断言してあげたいんだけど。

 

 

「ライスシャワーはどうでしょうか」

「ライスシャワー……ああ、あの変な子」

「変な子……」

 

 

 友達のストーカー兼友達のトレーナーの拉致に一枚噛んだとかいうやべーやつ、ライスシャワー。直接話したことはないし会ったことも無いけど、たぶんえげつないヤンキーみたいな子なんだと思う。

 

 

「脅威だと思う?」

「私に徹底して執着する気概は評価に値すると思います」

「なるほど……確かにそれはそうね」

 

 

 グラスワンダーみたいな感じかな。彼女もたぶんだけど、ライバルを決めてそこに打ち勝つことに全てを懸けられる子っぽいから。スズカにそれが向けばっていうのは何度か考えた。スズカの場合は安定型なのか爆発型なのか解らないから結論は出ていないけど。

 

 もし本当にそういうタイプならいくらブルボンでも普通に危ない……というか負けかねない。いや、恐らく負けるだろう。爆発力というのはそういうもので、安定タイプでは抗うことは不可能と言っても良い。

 

 

「不安?」

「……いえ、マスターが勝てると言っていただけるならば勝てるのでしょう。ごく小さな懸念です」

「そうね……」

 

 

 こればっかりは不安を取り除いてあげることはできない。何故ならまずもって私が断言できないから。ウマ耳をしょぼんとさせてしまったブルボンを撫でながら、何て言えば良いかを考えて……うーん……まあ解るわけないなあ。私が教えてほしいくらいだ。

 

 

「とりあえずライスシャワーともっと仲良くしてみたら良いんじゃない」

「仲良く」

「敵を知れば何ちゃらかんちゃらって昔の偉い人も言ってたし」

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず、でしょうか」

「そうそれ。ブルボンは賢いわね」

 

 

 よく勉強してて偉い。撫でてあげよう。私のうろ覚え、少しもかすってなかったけど。

 

 とにかく相手を知らないことには何も始まらない。かといって私が探るのもあからさまだし不自然だし。知ったところで何も起きない可能性もあるけど、とりあえずね。

 

 

「了解しました。オペレーション、『ライスと仲良く』を遂行します」

「ん。頑張ってね」

 

 

 愛称で呼べているあたり何も問題はないどころか既に仲良しだと思うけどね。こういう作戦無しで仲良くしてるなら何よりだし、ウマ娘はそれができる種族ってことは解ってたし。ともあれ今度ライスシャワーを連れてきた時に引かないようにだけ気を付けよう。また拉致とかされないよね……? 

 

 

「トレーナーさーん……お風呂……」

「あっごめんね。今行くから待って。じゃあブルボン、ごめんだけど片付け頼んで良い?」

「お任せください」

 

 

 仕事を任せるとキラキラするブルボンをキッチンに残して、私はスズカとお風呂に入った。スカーレットは悩んだ挙げ句歩いてトレセンに向かっていた。



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危なげないミホノブルボン(皐月)

 

 皐月賞が来た。来てしまったって感じもする。

 

 いわゆる世代限定戦の一つである皐月賞には、生涯一度しか出走することができない。それは日本ダービー、菊花賞も同様で、だからこそ三冠というものの価値も高くなっていく。

 

 

「ブルボン、調子は大丈夫?」

「はい。心身ともに良好、問題ありません。普段以上のパフォーマンスを発揮できます」

「うん。流石ね」

 

 

 スズカとスカーレットは二人で外で応援ということで、待機室には私とブルボンしかいない。私も本当は外にいたかったんだけど、普通にブルボンが心配だし、こう、大舞台はできれば勝って帰ってくるみんなを出迎えたい気持ちもあるのだ。外で見てから戻れば良い話なんだけど。

 

 

「ここからクラシックだからね。無敗三冠、取りましょうね」

「はい。必ず……ところで、スズカさん達はこちらには来ないのですか?」

「え? うん。いた方が良かった?」

「……いえ、聞いただけです」

 

 

 二度目となるレオタードみたいな勝負服を着て、その上に上着を羽織っているブルボン。私から見ても、仕上がりは十分だ。元の実力と合わせれば、負ける要素はほぼ無い。

 

 それを知っているからか、ブルボン自身もあまり緊張しているようには見えないし、むしろ非常に落ち着いているようだった、のだけど、突然にブルボンが口を開いた。

 

 

「マスター、少しよろしいでしょうか」

「どうしたの」

「緊張しています」

「……嘘じゃん」

「嘘ではありません」

 

 

 そんな平然としていて何が緊張か。スズカを見過ぎたせいでレースの重みを忘れてしまったんじゃないかってくらいリラックスできている。ウマ娘の感情は表情より何よりウマ耳や尻尾に出るので解りやすい。

 

 ウマ耳が横を向いているし、尻尾も少しだけ持ち上がっている。ブルボンが最初に言った通り、間違いなく本調子なんだけど。

 

 

「まあ、じゃあ緊張してるとして、どうしたのいきなり」

「いえ」

「……?」

「特には」

 

 

 そう言って、私と一歩のところまで距離を詰めるブルボン。そして、じっと私を見つめる。心なしか顎を引き、身体を私に差し出しているかのように立っていた。

 

 ……なんだ? 

 

 

「何か不調があるなら……」

「ありません」

「じゃあ」

「……どうぞ」

 

 

 どうぞ、どうぞって何だ。何をどうぞされたんだ私は。

 

 よく解らないがとりあえず、差し出された頭を撫でてみる。勝負服着用にあたって髪の手入れもちゃんとやってあるし、私が触れるのも申し訳無いくらいだけど。

 

 

 どうやらとりあえず撫でられるのは嫌いではないらしいブルボン。目を少し細め、そのまま私の手を握った。そして、ゆっくり肩に降ろしていく。

 

 

「マスター」

「……ああ、うん」

 

 

 なんて可愛い子だ、ミホノブルボン。これも良い傾向かな。こういう自己主張はやっぱり大事だ。と言うか気付けて良かった。もうあまり時間がない。両手をブルボンの肩に置いて、まっすぐ見つめる。

 

 

「ブルボン。ただのタイムトライアルよ」

「はい」

「あなたが一番速いわ。出走する誰よりもあなたが一番強い」

「はい」

「だから安心して走ってきなさい。誰も気にする必要はないし、勝つか負けるかを考える必要もないわ。何よりもブルボン、あなたが考えるべきは一つ、ペースを保てるかどうかよ」

「はい」

「あなたが他に付き合うことはないわ。そう、スズカみたいに、あなたの走りに周りを巻き込んで引きずるのよ。あなたはチャンピオンよ。胸を張りなさい。王者は王者らしく勝って当然と思いなさい。良いわね」

「……はい」

 

 

 呼び出しの放送がかかる。最後に無表情のブルボンの頬を撫で、鼻の頭を指先で叩く。

 

 

「二冠目にして、まず一冠よ。あなたが一番強いのは解ったわよね。今日はそれを観客にも解らせなさい。無敗三冠ミホノブルボンがいるということを、2000mで知らしめなさい」

「……解りました。ミホノブルボン、始動します」

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

『さあ、各ウマ娘一斉にスタートしました! 先行するのはやはり例によってミホノブルボンです。ミホノブルボン前へ前へ進んでいきます』

 

 

 実況を聞きながら、ブルボンのいつも通りのスタートダッシュを見届ける。ブルボン以外が少し詰まっていて解りにくいが、実況によるとライスシャワーは二番手の集団にいるらしい。

 

 はっきりとブルボンが評価すると言い切ったのがライスシャワーだ。何度見てもどう考えてもブルボンに迫るようなウマ娘ではない。少なくともダービーまでは。スタミナは驚くほどあるから来年、春の天皇賞まで来れば脅威になるかもしれない。

 

 

 やはり一番大切なのはスピードだ。絶対的なスピードと最低限のスタミナがあれば勝てるというのはスズカが示している。後ろの脚質だとそうはいかないけど、スズカにしろブルボンにしろスカーレットにしろ一瞬の加速力というのはそこまで必要がない。

 

 スピードで圧倒していれば負けはしない。ブルボンはスズカに比べれば、もしくは想定より低いものの、それでもあの中では抜けている。だから先行争いにも負けないし、先頭のまま走り続けることができる。

 

 

『さあ第三コーナーを回ります。先頭はミホノブルボン、堂々リードを保ちます! やはり本日もこのまま逃げ切ってしまうのか、後続上がって参りました、二番手争いから前を狙います!』

 

 

 そして、それでいてスタミナも十分にある。完璧だ。負ける要素が無い。爆発力のウマ娘がいたなら、既に目も眩むような輝きを発していてもおかしくない。いない。ライスシャワーも中団でもがいたまま出てこれていない。問題はなく、ミホノブルボンの勝ちだ。

 

 

『スパートに入った! 速い速いミホノブルボン! スピードを見せつけていきます! まだリードを保っております! これは決まったか!』

 

 

 今までのような心のざわめきというか、万が一負けたらどうしようという緊張感が無い。良い意味で振り切った。私のどこかが、ブルボンは負けないとちゃんと確信できたということだ。そしてその通り、ブルボンはそのまま誰にも抜かされずにゴール板を駆け抜けていた。

 

 

『先頭はミホノブルボン! 堂々五連勝達成だ! ミホノブルボンが勝ちました! 無敗の皐月賞です! 皐月賞まで無敗!』

 

「……ふぅ」

 

 

 とはいえちょっとくらいドキドキはしたかも。せっかく淹れた紅茶を飲むのを忘れていた。冷めてしまったので諦めて捨て、カップを片付けてタオルと水を取り出す。モニター越しで、勝負服のブルボンが観客に向けて少しのアピールをしていた。歓声がここまで届いている。

 

 ブルボンが、無敗のクラシックウマ娘になったのだ。鮮烈に、観客に夢を押し付けた。無敗の三冠ウマ娘が生まれるのだと意識させた、その結果がこの大歓声だ。ブルボンが驚いてターフで止まっている。よーく浴びてきなさい。秋にもっとでかいの浴びさせてあげるからね。

 

 

 ブルボンが帰ってきたのは、たっぷり数分、割れんばかりのブルボンコールを浴びた後だった。

 

 

「……ただいま戻りました、マスター。一着、達成しました」

「お疲れ、ブルボン。反省点は?」

「自己評価……申し訳ありません。現在、大幅な分析能力の低下を認めています」

「へえ」

 

 

 タオルをかけて汗を拭き取り、丁寧に髪を直しつつブルボンに問い掛ける。普段なら即答するはずのその質問に、今日は言い淀むどころか答えすらしなかった。

 

 

「どうして?」

「……詳細は不明です。ですが、大きな感情の動きがあります。言語化は不可能です」

「いつから?」

「……ゴールから数十秒後、歓声を聞いた時からです」

 

 

 ぼそりとブルボンが呟いた。やっぱりブルボンはサイボーグでもロボットでもないわね。歓声を聞いて心が動くのは物凄い成長よ。これまでだって冷血とかそう思ってたわけじゃないけど。

 

 

「朝日杯の感情も解った?」

「解りません」

「そう」

 

 

 ブルボンを抱き締めると、やはりどくんどくんと身体が脈打っていた。朝日杯やスプリングステークスのレース後より激しい。消耗よりももっと違う要因だ。ぎゅっと私に押し付けて、肩に顔を埋めた。

 

 

「嫌いではありません」

「それは良かった」

「後程、スズカさんにも聞きます」

「……スズカじゃなくてシンボリルドルフとかの方が良いんじゃない? いや、聞きにくいかもしれないけど」

「ではそうします」

 

 

 この後はウイニングライブだ。ブルボンも飾りを光るやつに替えないといけないし、いつまでもこうしてはいられない。全然落ち着かないのはもう諦めて水分補給をさせ、私はブルボンを送り出した。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ブルボンさん、おめでとうございますっ」

「ありがとうございます」

「おめでとうございます、ブルボン先輩!」

「ありがとうございます」

 

 

 翌日、トレーナー室。今日は一日オフのブルボンだったが、ついここに来てしまったというのでみんなでお祝いをしている。といってもジュースと、冷やしてあったケーキを出しただけだけど。

 

 

「凄い逃げ切りでした! 後続、差を詰められてませんでしたよ!」

「そうですか。走行中、ステータス『不安』を検知。足音も聞こえましたので、後方確認も何度か行いましたが」

「解ります、後ろから音が聞こえると気になりますよね……」

「スズカのそれとは違うから解らないで?」

「ええっ」

 

 

 ニコニコでケーキを切り分けるスズカ。スカーレット曰く昨日もえらく興奮していたようだった。まあ昨日のブルボンはかなり安全に逃げきったしいつもよりマシだったとは思うけど。

 

 

「一緒ですよ?」

「一緒じゃないって」

「静かに走りたいってことですよね?」

「ほら違うじゃん」

「へぅ」

 

 

 ずれたことを言うスズカの額を弾き、私もちょっとだけケーキを貰う。ほとんどはブルボンに分けられたので、本当に少しだけ。

 

 ともあれこれでブルボンも一歩目を踏み出したし、危なげない勝ち方でこれからも安心できる。エルナトの未来も明るい。暗くなったことは一度しか無いけど。

 

 

「お祝いに一緒に走りませんか?」

「良いのですか?」

「良くないでしょ」

「と言うかお祝いに走るって何ですかその謎概念は」

 

 

 途中からサクラバクシンオーがお祝いに駆け付けたそのパーティーは、結果的にケーキが無くなった後も外に出て続いた。

 

 ……サクラバクシンオー、ブルボンのことをヤバイ生き物だと思ってない? 大丈夫?



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羞恥心に欠けるサイレンススズカ

これがお色気ってことだああああああ!!!!(大嘘)


 

「いや、どうもありがとうございます。いつもフクがご迷惑をお掛けしてます」

「いえこちらこそスズカが仲良くしていただいていて。これからも是非よろしくお願いします」

 

 

 ある日。スズカはマチカネフクキタルに申し込まれ、併走を行うことになっていた。もちろんレース形式のものである。スズカは本来の意味での併走は行えないからね。

 

 本当はやりたくなかったのだけど、まあ二人も仲が良いわけだし、今日はマチカネフクキタルも末吉ということだったので快諾した。性格が悪いようだけど、スズカが負けるようならやらない。暴走が怖いので。

 

 

 マチカネフクキタルのトレーナーさんと挨拶を交わして、どの程度走らせるのか相談を始める。その間にも、二人と見学のブルボン、スカーレットがアップを始めていた。

 

 

「良いですよねえ皐月賞。私も是非出てみたかったです」

「出走できていなかったのですか?」

「フクキタルはデビューがちょっと上手く行かなかったものね。私もだけど……」

「たはは……いやー、迷走していた頃ですからね、お恥ずかしい限りで……」

「でもそこから菊花賞を勝ったんですよね。凄いです!」

 

 

 ぺたんと地面に胸をつけるスズカと、ごく普通の柔軟をするマチカネフクキタル。それぞれ後ろから背中を押すブルボンとスカーレット。微笑ましい光景だ。私もマチカネフクキタルのトレーナーさんとはそこそこ年が近いのでやりやすい。

 

 スペシャルウィークのトレーナーさんとかと話す時は未だに緊張するもんな。ベテラン! って感じがして。

 

 

「では軽く走ってからという感じで」

「はい。距離はとりあえず2200くらいが二人にとってちょうど良いと思います」

「やっぱり2400だと長いですか?」

「そうですね……ジャパンカップに向けた調整はあまり視野に入れてないので……かなり先の話ですから。もちろん2400でもスズカは減速せずに走りきれるので、全然こちらとしても構いませんよ」

「本当ですか? いや、助かります。次走は天皇賞か目黒記念あたりを考えてまして」

「でしたら全然、何なら本数を減らしてブルボンと3000とか2500でも」

「良いんですか? それはもう是非お願いしたいくらいで」

 

 

 諸々話した後、四人で並んで走り出したスズカ達を待ってからメニューを話す。計二回走るスズカは、今回は二回とも先頭を走ることができるのでご満悦だ。差されなければだけどね。

 

 

「あと、ブルボンも一本走って貰うから準備はしておいて」

「はい。距離は同じですか?」

「2500。ダービーよりちょっと長いけど、練習にはなるでしょ」

 

 

 向こうのトレーナーさんに聞こえないようにウマ耳に近付く。

 

 

「末吉のマチカネフクキタルに負けちゃダメよ。向こうの方が強いとはいえ本調子じゃないんだから」

「聞こえてますよーっ!?」

「まあまあ」

「ぐぬぬ……ら、ラッキーアイテムさえあれば……」

 

 

 実際末吉というのがどんなものかは知らないけど、まあ小吉の下くらいだろう。スズカにとって脅威になるのが大大吉、菊花賞が後から聞いた話だと大吉……その遥かに下なわけで怖くも何ともないのは事実だ。

 

 みんながアップを終え、スズカとマチカネフクキタルがコースに出て行く。そして大した会話も無くスタート。予想通りスズカが前に出た。今日のマチカネフクキタルはかなり足を溜め気味に走っているような気がする。使い分けてはいるが彼女の本来の脚質は差し。その方が強いんだろう。

 

 

 レースは淀みなくスズカの勝利に終わり、二人が帰って来た。スズカを迎え入れ気持ち良かった? と聞きながら撫でる私、二人で真面目に反省を話し合っているマチカネフクキタル達。トレーナーとは。

 

 

「もう一本行くから休憩してね。五分空けるから」

「はいっ」

「いやー、スズカさん! 流石速いですねえ!」

 

 

 水筒を持つスズカに、マチカネフクキタルが話しかけてきた。まあ、反省点も大して無いんだろうね。フクキタルはスズカと比べるとアレだが実力者であることは間違いないし、そもそもG1を勝っている時点で歴史に名を残せるウマ娘なのだ。

 

 

「フクキタルこそ、また速くなったんじゃない? 末吉なのに」

「アレですね、スズカさんもトレーナーさんも末吉のことをバカにしてますね?」

「吉の中でも最弱でしょ」

「ちっちっちっ。違いますよぉ?」

 

 

 ベンチに座る私達の前で、マチカネフクキタルはまるで自分のことを自慢するかのように胸を張った。

 

 

「末吉とは、大吉や小吉などとはまた違うものなのです! 言うなればお御籤には吉と凶と末吉があるイメージですね! 吉と凶が現在の運気を示すのに比べて、末吉とはこれからの運勢を示すものになります。末吉と末凶がありまして、つまり、これからの行動によって運勢が上下するということです! 他にも平や半吉というものもありまして、これらはそれぞれ運勢の変化が小さいこと、吉も凶もそれぞれが訪れることとお御籤は内容により様々なのです!」

「へえー。そうなの」

「普通に知らなかったわ。じゃあマチカネフクキタルはこれから幸運になっていくってこと?」

「そうなります! ……が、今日のところはラッキーアイテムも手に入らず、少し不安なんですが……」

 

 

 占いになると目を輝かせてくる子だ。それに、私はともかくスズカはまったく興味無さげに私に寄りかかっているのにまったく気にしている様子が無い。こういうところもスズカと仲良くできる要因なんだろうね。お互いにお互いが熱くなる話題に興味が無いというか。どっちも反論されたらさらにヒートアップしそうだし。

 

 しかし、マチカネフクキタルの語るところが本当ならこれから彼女は速くなるのだろうか。それはそれで怖いな。ラッキーアイテムとか調達できなくて良かった気もする。

 

 

 

「ところで、ラッキーアイテムって何だったの?」

「え?」

「もしここにあったら……まあ、フクキタルが気付いてないってことは無いんだろうけど、せっかくだし運勢は良い方が良いと思うわ、うん」

「スズカさん……!」

「あ、でもそこそこにしてね。差し切られたくないし」

「スズカさん!?」

 

 

 スカーレットやブルボンも来て会話は続き、スズカも楽しそうだ。そろそろ五分になる。向こうのトレーナーさんも色々書いていたようだけどこっちに寄って来た。ごめんなさい、女だけで話してて。居づらいですよね。

 

 

「本日のラッキーアイテムは、なんと白いパンツです!」

「……? フクキタル、持ってるじゃない」

「洗濯中でして……トレーナーさんも違うと言うし、着替えに帰ってもらうのも……」

「フク! 変なこと言うんじゃないよ!」

「あだっ!?」

 

 

 彼女のトレーナーがボードでマチカネフクキタルをぶん殴った。おー痛そう。でもこれは君が悪いよ。私、謎に同僚のパンツの色教えられたんだけど。どんな顔したらいいの。顔あっつ。いや恥ずかしすぎるでしょ。気まずくなる前に立ち上がって、とりあえずもう一本をささっと終わらせようと息を吸ったところで、

 

 

「す、すびばせん……」

「あ、でも確かトレーナーさん、今日白でしたよね?」

「!? げほっ、ぐ、えほっ! な、なななななに!? 何言ってるのスズカ!」

「違いましたっけ? あっ」

「あ、ああああ……」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 四月十二日、記録者、ミホノブルボン。本日は、スズカさんの友人であるマチカネフクキタルさんの要望で併走トレーニングを行っています。本来私とスカーレットさんは見学でしたが、予定変更により2500mを私も走ることとなりました。

 

 その一本目が行われ、マスターの予想通りスズカさんが勝利して二人が戻ってきました。二人の会話を聞くべく私も雑談に参加していましたが、その会話の終わり際、スズカさんの問いかけから事態は急変しました。

 

 

「あっ……すみません、つい」

「す、すすすす、すず……っ」

「確かそうだったなあって思ったら思わず……」

「~~~~~っ!!」

 

 

 スズカさんが、マスターの下着の色を公表しました。データログ参照。昨日は確かに、スズカさんはマスターの自宅に滞在しています。つまり、入浴も一緒でしょう。その際に確認したのでしょうか。

 

 マスターの顔の上気を検知。ステータス、『混乱』。動作を停止してしまいました。フクキタルさんのトレーナーさんが会話中にもかかわらず耳を塞ぎました。数秒経ち、マスターが顔面を隠しました。会話の中断を確認。続行するべきでしょう。

 

 

「たし」

「ブルボン先輩!?」

 

 

 エラー。スカーレットさんに口を塞がれました。

 

 

「はい」

「い、今余計なこと言おうとしましたよね!」

「いえ、スズカさんの発言について信ぴょう性の評価を」

「何考えてんですか!?」

「おお! すみませんスズカさんのトレーナーさん! ちょっと抱きしめても良いですか!? 運気! 運気を分けてくださいな!」

 

 

 スカーレットさんから解放されましたが、睨まれているので何も言わないことにします。その間にも、フクキタルさんがマスターに抱き着きました。正面から、顔を隠したままのマスターの背に手を回します。

 

 

「えっ」

「いやー、まさかこんなことってあるんですねえ! 流石私、そしてスズカさん!」

「あのフクキタル、抱き着くのは」

「え?」

「あ、えっと……えい」

「わわっ」

 

 

 スズカさんがフクキタルさんを押しのけ、マスターの前を奪いました。後ろに回るフクキタルさんを、私が遮ります。

 

 

「失礼します」

「ああーっ! なんですか!? お願いします! ちょっとだけ! さきっちょだけ!」

「さきっちょ……?」

「ふー……落ち着け私……ここで声を荒げちゃダメ……冷静に……冷静にならなきゃ……」

 

 

 スズカさんと私でマスターを抱きしめたままベンチに戻ります。マスターは変わらず顔を覆ったまま動かないので座らせ、その隣でスズカさんが腕を引いて寄り添いました。フクキタルさんに視線を向けて、むむ、と小さく呻きます。

 

 

「ダメよフクキタル。トレーナーさんに勝手にそういうことしちゃ」

「すみません……まあおかげで助かりました! 一時的とはいえ幸運は私の手にあることでしょう! 行きますよスズカさん! 第二ラウンドです!」

「……やりましょう。絶対に千切るから」

 

 

 そう言って、お二人はコースに戻っていきました。これが終われば次は私が2500を走ることになります。それに備えウォーミングアップを再び行いましょう。マチカネフクキタルさんは私が目標とする菊花賞を勝ったウマ娘です。彼女と長距離で走れることは私自身の成長に非常に有用であると思われます。

 

 

「スカーレットさん。残念ですがマスターをお願いします」

「こ、このトレーナーさんを私に任せないでください!」

「よく解りませんが精神のケアをお願いします」

「公衆の面前で下着暴露されたのをどうやって慰めるんですか!」

 

 

 ステータス、『高揚』。これでまた成長できます。日本ダービーまで日がありません。またマスターに確信していただくために、もっと頑張らなければ。何か話しているスカーレットさんを置いて、私はウォーミングアップを開始しました。



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後輩然とするミホノブルボン

私の特技は……地の文を……削ぎ落とすことです


「あ、ブルボンさん、こっちよ」

「おはようございますスズカさん、みなさん」

 

 

 四月二十三日、記録者、ミホノブルボン。本日はスズカさんに誘われ、昼食を共にすることになりました。

 

 スズカさんが私を誘うのは珍しいことではありません。週に一度程度の定期的なペースで誘っていただけています。多くはスズカさんが友人と何か活動を行うに際して私が参加する形になります。

 

 

 本日は食事ですが、やはりスズカさんの友人達が食堂に揃っていました。エアグルーヴさん、メジロドーベルさん、スペシャルウィークさんのお三方です。

 

 

「申し訳ありません。私が最後で」

「大丈夫よ。こっちも勝手に食べてるから」

「勝手に食べてるのはお前とスペシャルウィークだけだ。一緒にするな」

「別に良いのに。ブルボンさんはそういうの気にしないわ。ね?」

「はい。特には」

 

 

 お三方ともクラシック・レース……つまり、三冠とトリプルティアラを走りきり、結果を出した方々です。それぞれが冠を被り、シニアになっても活躍、あるいは活躍するだろうと目されています。

 

 

「不満があれば言った方が良い。スズカは言わなきゃ解らん……いや、言っても解らない時はあるが」

「言われたら直すわよ流石に」

「じゃあ私と遊びに行った時に突然走りに行くの禁止ね」

「……限度はあると思うわ、私」

 

 

 私が到着したことで、エアグルーヴさん、メジロドーベルさんも食事を始めました。元々私はあまり話さず、スズカさん達の話を聞くだけですので、今日も同じように。

 

 

「何が限度だ。風だの天気だのよく解らない理由で走りに行く癖に」

「解るでしょ? エアグルーヴだって天気が良かったら走りたくなるし、風を切るのは気持ちいいんじゃないの?」

「でもスズカさんって雨でも走りますよね」

「冷たくて気持ちいいし……」

「つまり何でも良いんじゃない」

 

 

 あるいは、せっかく誘っていただけたわけですし、レースの話をするべきでしょうか。皐月賞後にこうして誘っていただくのは初めてです。

 

 ですが、それぞれ別のレースやトレーニングを抱えているのも事実です。私の話をするわけにもいきませんし、そもそも会話は不得手です。

 

 

「そういえばブルボンさん、この間の皐月賞はおめでとうございます!」

「……ありがとうございます」

 

 

 ですが、話題は意外にもスペシャルウィークさんから為されました。

 

 

「次はダービーですよダービー! 思い出しますねえ……」

「思い出すほど昔でもないだろう」

「あはは……まあそうなんですけど。でもほら、副会長さんだってオークスのこととか思い出しません?」

「ふっ……そうだな。まあなんだ、聞きたいことがあれば聞いておくと良い。私達が答えられることなら大抵は答えよう」

 

 

 ……! 

 

 

「私もクラシックの話ができたら良かったんだけど……」

「スズカがもしダービー走っててもろくなこと言えないでしょ」

「どうしてそういうこと言うの……?」

「普段の行いじゃないですか?」

「試しに……そうだな、宝塚へ向けて何か言ってみるといい。言えるものならな」

「え? うーん……が、頑張る……?」

「やっぱり」

 

 

 聞きたいこと……何を聞くべきなのでしょうか。勝ち方、戦略、トレーニング……いえ、それらは私にとってほとんど意味の無い情報です。マスターに一任し信頼することが最良であると判断しています。

 

 

「スズカさんはそういう頭空っぽなところが良いんですから、自信持ってください!」

「言葉が悪すぎるのよね、フォローにしては」

「スペチャン……」

「まあ、それについては普段から何も考えていないのも事実だろう」

「そんなことないわ……今日もほら、どこを走ろうかなあとか、何て言えばトレーナーさんが走らせてくれるかなあとか、ずっと考えてるもの」

「さっきまで授業だったんじゃないの?」

「何故お前の成績が良いのか理解に苦しむな」

「良いなあ……私ももう少し成績上がらないかなあ」

「スペちゃんは授業中寝てるだけでしょ……?」

 

 

 では、聞くべきこととは。精神的な何かでしょうか。

 

 

「……では」

「ん、なんだ」

「……クラシックレース勝利時、皆さんはどう思われましたか」

「……ふむ」

 

 

 プレートのほとんどを食べ終え、先程まで自由歓談中だった皆さんが一斉に考え出します。少なくともスズカさん以外は五月後半、ダービーもしくはオークスを勝った方々です。

 

 エアグルーヴさんとメジロドーベルさんはオークスを、スペシャルウィークさんはダービーを。それぞれクラシックの中心とも言えるレースに勝ち、栄光を掴んだ方々です。

 

 

「そうだな、私の場合は……嬉しかったよ、本当に」

「嬉しかった」

「ああ。母と、私の理想と……見たかったものが見られたと確信した。女帝と成り、ひたすら理想を追うような、そんな道に踏み入ることができたと思った。震えたよ」

 

 

 懐かしむように目を細め、エアグルーヴさんはお茶の入ったカップを口に運びました。耳飾りを揺らし、優しく微笑みます。

 

 

「私も……その、嬉しかったし……強くなれたと実感が湧いた。次が楽しみでしょうがなかったよ」

「次」

「うん、秋華賞……結局さ、走る理由があって、それを達成できたら、ひたすら嬉しくて……それだけになっちゃうんじゃないかな」

「……ありがとうございます。参考になりました」

「あれ? 私の番は? 何言おうか今物凄く考えてたんですけど……!?」

「私の気持ちが解った? スペちゃん」

 

 

 スペシャルウィークさんの話はスズカさんから日常的に聞いていますし、マスターがいてもその話題になることが多々あります。ダービーウマ娘として喜ぶと同時に、トレーナーさんや、母親の誇りになれたこと、認めてもらえたこと……一晩中語られたのだとスズカさんが言っていました。

 

 

「……その、では失礼ながら追加で質問させていただきます」

「こ、今度こそ私! 私が答えますからね!」

「背伸びをした先輩面は見苦しいぞ、スペシャルウィーク」

「私そんな風に見えてますか!?」

 

 

 その後も会話は続き、いくつかの有益な情報を得て昼食は終了しました。なお、まだ話し足りないとの皆さんの申し出によりオペレーション:『甘味バイキング』に移行することとなりました。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「ん、そう。楽しんでおいでね」

 

 

 ある日。今日はトレーニングを休むとブルボンやスズカから連絡が来た。スカーレットは元々休みなので、あら不思議、今日の仕事が無くなってしまった。やったねすごいね。

 

 スイーツバイキングか……まあエルナトではそんな厳しい食事制限は無いんだけど、スペシャルウィークとか大丈夫なんだろうか。また地獄のダイエットが始まらない? 

 

 

「……暇になっちゃった」

 

 

 スペシャルウィークのトレーナーさんの心配はともかく。私は基本的に、三人がいないとやることがない。午前中で当日の仕事というのは割と終わるのだ。ファン感謝祭の話も、去年同様会議を軽く通して終わっている。

 

 今年はスズカも変わらず大人気だが、黄金世代……スペシャルウィーク、エルコンドルパサー、グラスワンダー、キングヘイロー、セイウンスカイの五人の通称というか、異名みたいなものである。そっちがプッシュされている。ライバル関係と言うのは人を熱くするのだ。スズカにはライバルとかいないからね。

 

 

 五人が色んな催しに参加して、裏でスズカもいると。トレセン……URAも興業に抜かりがない。こういう風に毎年スターが生まれるというのも凄いことなんだけどね。来年の今頃はブルボンが無敗の三冠ウマ娘として神話になっているだろうし。

 

 

 そういえば、もうブルボンとスズカの誕生日だ。スカーレットも五月に入ったらだっけ。

 

 

「なーにが良いかな……」

 

 

 スズカにランニング、ブルボンに通知表は確定だ。たまにブルボンのお父さんから通知表の話も出るし。普通のトレーナーはあんまりこういうことはしないからね。タイムや見た感じで評価するから、他人に具体的に教えることができないのだ。

 

 ただまあ、それはアスリートとしての二人に贈るものであって、学生の二人に贈るものではない。いやスズカはそれでも良いか。物あげても喜ばなさそうだし。

 

 

 ブルボンは何だろう……やっぱりそういうおもちゃとかになるのかな。トレーニング用品は論外だし。でもなあ、私があんまり詳しくないし、お父さんに聞くとどうせ長くなるしそんなの貰えない! とか拒否されるしなあ。お母さんへ直通の番号が必要だ。

 

 

「調べるか……何かこう、良い感じのものを……」

 

 

 調べつつ、書きかけの通知表も眺める。ブルボンの項目は大体書き上がっているけど、ライバル……同期の子達のものがあんまりって感じ。

 

 めぼしい子を見てステータスを覚えるだけなら簡単だし、大体見終わったんだけど……ブルボンから聞いた、ライスシャワーの情報は気になる。本人もライスシャワーと仲良くするということで、そのうち解るのかもしれないけど……うーん……

 

 そもそもダービーは運のあるウマ娘が勝てると言われるほど時に荒れる。実力が同程度なら外枠を回されれば非常に不利にもなる。ダービーでは人数が揃わないなんてこともないし、スズカ並みに圧倒的な実力が無ければ安定はしない。

 

 そんなレースだからこそ、伏兵としての力というのが脅威になるのだ。それに2400は限りなく長距離に近い。スタミナ勝負に持ち込まれた場合はワンチャンスがあるかもしれない。

 

 

 もう少し、スパルタしようかな……やりたくないけど、やっぱりそれが一番良いなあ。スプリントとかダッシュを中心に……いや坂路で良いか……もし大外でも楽勝になるくらいのスタミナは欲しいし。あーあ。またブルボンがサイボーグになってしまいます。私のせいです。

 

 

 

 ……ふー……あーあ。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

「ただいま、トレーナーさ……ん?」

「ただいま戻りました」

「おかえりスズカ、ブルボン。楽しかった?」

「はい。私は座ってただけですけど」

「私も動作上はそうです」

「どういう集まり……?」

 

 

 二人が帰ってきた。揃ってお腹を膨らませている。バイキングの経営者もここまで食べられると気持ちいいんじゃないかな、たぶん。残りの三人がどんな感じかが解らないけどたぶん同じようなものだろう。ウマ娘だし。

 

 

「じゃあ行ってきますね」

「どこに?」

「たくさん食べたのでお腹を引っ込ませてきます」

「ああ、プールとか?」

「……」

 

 

 すっと目を逸らすスズカ。

 

 

「……ほんの一時間くらいで帰ってきますから」

「走る気でしょ」

「ひゅ、ひゅー……」

 

 

 吹けない口笛を吹きおってからに。嘘をつかないのはご立派だけど、それと許されるかは別なのよ。

 

 

「走る気でしょーっ」

「あっあっあっトレーナーさんお腹はダメですお腹は」

 

 

 スズカを取り押さえてソファに転がし、制服からせり出た丸いお腹をぱしぱしと叩く。流石に苦しいのか口元を押さえるスズカ。食べ過ぎたウマ娘のお腹は太鼓みたいでとても叩き心地が良い。

 

 

「ブルボン! 取り押さえてブルボン!」

「ま、待ってください、ずる! ずるです! どうして私だけ!」

「ブルボンは走る気無いでしょ!」

「ちがっ、あっうっむっ、こ、この、この話はブルボンさんがっ」

「えっ」

 

 

 くるりとブルボンに向き直る。ブルボンはブルボンで自分のお腹を擦りながら、非常に他人事というか、何も気にしていないいつもの無表情で立っていた。

 

 

「ブルボンが言ったの?」

「いえ、摂取カロリーを考慮し、通常以上の消費が必要だと話しただけです」

「それだねえ! それだよ!」

「けぷ」

 

 

 ソファのクッションを投げ付ける。顔面にそれを受けつつ体を揺らすブルボン。何その表情は。私悪くありませんみたいな顔をして。スズカにとってのカロリー消費なんか走る以外に無いんだからね。

 

 

「もー……」

「ま、ま、まって、お、おなか、おなかがくるしい」

「ブルボン。余計なことを言ったお仕置きです。来なさい」

「はい」

 

 

 スズカのぽんぽんをぽんぽんしながら手招き。ブルボンが私の前に立った。大きく張ったお腹を指で押し込む。

 

 

「変なことをスズカに言ったらダメでしょーっ」

「うぁ、けぷ」

 

 

 どうやらたらふく食べたらしい二人の体重はあっけなく増えた。メニュー、組み直さなきゃ……。



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太り気味なサイレンススズカ

ゴールデンウィークに更新ゼロってマジ?

もう(新規読者を獲得する気が)無いじゃん……


 

「でぶ」

「あーあ、トレーナーさんが酷いこと言いました」

「でぶじゃん」

「あぅ……」

 

 

 ある日。スズカ達が太り気味になった。なったというか、なっている。スズカとブルボンがね。

 

 

 ウマ娘にとって太り気味……大幅な体重増加というのは滅多にないことである。本格化するとしばらくの間身体が大きく変化しない。身長体重スリーサイズにいたるまで誤差レベルの成長しかしない。

 

 もちろん筋肉の発達によっても体重は増加するが、それも僅か。大して体重が変わらず、筋肉量も劇的に増えていないのに何故かトレーニングによって出力が成長するというのがウマ娘の神秘である。

 

 そして、ウマ娘はウマ娘としての力を発揮する限り、半端ではないカロリーを消費する。栄養バランスは良ければ良いが悪くても問題無く生きていける。先の神秘と合わせて、こういう事情で太らないわけだ。羨ましい。

 

 

 しかし、それでも食べ過ぎると……どうやらそれぞれのウマ娘が持つ許容量を超えると、消化後も大幅に体重が増える。基本的にはお腹に脂肪がつき、顔が少し丸くなるのだ。これを我々は太り気味と呼んでいる。

 

 

「まさか揃って太り気味になるなんてね。止めるべきだったかな」

「すみません……」

「申し訳ありません」

「あ、ううん、怒ってるんじゃなくてね。私の管理が甘かったなって。ごめんね」

 

 

 そんな太り気味、トレーナー達にとっては非常に面倒なバッドステータスである。私の目にも燦然と輝く『太り気味』の文字。つまり怪我と同列なのだ。

 

 太り気味になったが最後、何もしなければ戻らない。その状態ではもちろん走る速度が落ちるし、疲れやすくなる。二人には関係無いけど末脚のキレが無くなるなんてことも言われている。

 

 

「仕方無いので今日はたくさん走ります」

「やったっ……あいたっ、と、トレーナーさんが怒った……」

「太ったことには怒らないけど、今調子に乗ったことに怒ります私は」

 

 

 それにだ。よく考えてみれば相手は中高生であり、こっちはアスリートの管理でお金を稼いでいる身なのだ。太り気味だの何だの、ウマ娘の不調はこっちの責任に他ならない。それはそれとしてスズカにはムカついたのでデコピンをかます。

 

 

 と、いうわけでジャージの二人と坂路コースに出ているわけだ。見なさい周りを。『あんなに強い先輩でも太り気味になるんだ……』みたいな目を……ん? 本当か? 二人じゃなくて私を見てない? マジ? 

 

 ……おほん。

 

 

「プールが空いてなかったし、しょうがないので坂路です」

「っ……」

「揃って嬉しそうな顔をしないで??」

 

 

 特にスズカ。走れれば何でも良いの、あなたは。

 

 

 とにかく気を取り直して二人にメニューとタイムを伝える。ブルボンはいつも通り攻め攻めのタイムで、スズカはどうせ守れないとは思いつつさらに上の段階を指示。ウォームアップを済ませ、早速駆け出していく二人。うーんお腹出てるなあ。

 

 

 走り出すスズカ。やはりこう、少し切れ味が鈍いような気がする。それでもぐんぐんとブルボンを引き離していくのは流石の一言だけど。ブルボンも珍しくかなり苦しそうにしている。まあ、基準タイムは普段のものだからね。厳しいかな。

 

 というかスズカ、走り出して二歩目くらいからもうタイムのこと忘れてるんだろうなあ。設定タイムを守ればこんな大差はつかないから。

 

 

 ……たまにはブルボンにも、難しいことを考えずに走らせるのも良いかもしれない。せっかく今日はスズカと走っているのだし。

 

 戻ってきた二人を労い、早速それを話しておく。

 

 

「二人とも大丈夫よね。次行くわよ」

「はいっ」

「はい」

「たまにはブルボン、自由に走って良いわ」

「自由に」

「うん」

 

 

 水分補給中のスズカを見る。こちらのことなんて何も気にしていない。ただひたすら走るのが楽しくて笑顔のままだ。可愛いので隣に立たせて撫でる。

 

 

「んー」

「スズカはこんなんだからどうせ全開で走るし」

「こんなん……? こんなんって言いました……?」

「事実でしょ」

「ぅゃぅゃ」

 

 

 ちょっと乱暴にわしゃわしゃしてスズカは黙らせておく。

 

 

「自由に走るスズカにひたすら追い縋る感じにしようか。坂路だし、ブルボンの方が根性もあるから勝負にはなると思う。久しぶりにちょっと頑張ろうか、ブルボン」

「……よろしいのですか」

「うん。スズカも良いでしょ?」

「え、あー……は、はい、大丈夫です」

 

 

 聞いてなかったねえ君。

 

 

 尻尾を振ってやる気満々のブルボン。目を見れば一瞬で見れば解るほどにやる気に満ち溢れている。元々トレーニングになればすぐさまやる気を出してくれる子だけど、スズカとバチバチにやりあうのは別格なのかもしれない。

 

 

「頑張れブルボン。行っておいで」

「はい。ミホノブルボン、発進します」

 

 

 スズカもチェックして次に行かせる。さて、どうなるだろう。少しの間くらいなら追い縋れる、とは思うんだけど。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「はーっ……はー……」

「な、なんですか、これは……」

「お帰り。今日はこの辺でやめとこうか」

 

 

 その後二本の坂路を行い、スズカもブルボンもくたくたになって帰ってきた。ブルボンが早々に倒れたのは様式美として、スズカもかなり疲れている。坂路三本だし当然と言えば当然だけど、要因はもっと別のところにもあるだろう。

 

 

「お疲れブルボン。思いの外追い縋れてたと思うわ」

「ありがとう……ございます……」

「トレーナーさんの指示ですか……? ひ、酷いです、せっかく気持ち良く走ってたのに……!」

「まあまあ。先頭は譲ってないんだから良いじゃない」

「いやですー。足音や息遣いも聞きたくないですー」

「相手は坂路の鬼よスズカ。本気で追ってきたら千切るのは無理でしょ」

 

 

 スズカにくっついて追い掛けて走れと私が言った通り、ブルボンはスズカの少し後ろを走り続けた。もちろん平地ならこうはいかなかっただろう。あくまでブルボンの方が坂路に慣れているからこそ、スズカが消化不良になって騒ぐ事態に陥っている。

 

 

「あーあ。がっかりしました。今夜は走りに行きます」

「良いよ」

「えっ」

「寮に帰るかうちに来るかは早めに連絡してね」

「えっ」

 

 

 汗を拭いてあげながらそう言うと、スズカが目を丸くして動きを止めた。見ればブルボンも倒れたままこちらを見ている。

 

 ……いやいや。

 

 

「私が何でもかんでも止めると思ってるでしょ」

「違うんですか……?」

「たまに許可も出すじゃん」

「週に一度あるか無いかじゃないですか」

「それを人はたまにと言うのよ」

 

 

 そもそも禁止しても律儀には守らないくせに白々しい。禁止は破る、走らないと調子を崩す、おねだりが可愛いと色々揃ってるくせに。

 

 

「でぶだから走った方が良いんじゃない」

「へぅ」

「ふふふ」

 

 

 もたれかかってくるスズカ。しかし、これから走れるということに喜びを隠しきれていない。特に尻尾と口角。ショックを受けた振りをするならちゃんとすれば良いのに、素直な子ね。

 

 ともかく、走って良いと言われればスズカが走りに行かないわけがない。すぐに寮に連絡を入れた。ということはつまりうちに来るということだし、夜中まで走るということだ。夜食を準備しておこう。食べずに寝る可能性の方が高いけど。

 

 

「ブルボンも走る? スズカと一緒とか」

「スズカさんが良いなら」

「……良いですよ?」

 

 

 声が震えている。

 

 

「無理しないの。別ルートにしておく? ブルボンは」

「いえ、今日は帰宅します。また後日お願いします」

「そう。今日はスズカだけね」

 

 

 スズカと二人なんて久しぶり……とはならない。別に割とある。スズカとブルボンの泊まりに来る頻度は結構違うし。そろそろブルボンも顔パスで外泊できるかもしれないけど。スズカはとっくの昔に顔パスだし、スペシャルウィーク達もそれを良いことにあの部屋を溜まり場みたいにしてるらしいし。

 

 

「じゃあダウンして今日は終わりね。お疲れさま」

「ありがとうございました」

「じゃあ私は走りに行ってきますね」

「待て待て待て」

 

 

 何がじゃあなのかは解らないが走り出そうとしたスズカを掴んで止める。こうなるだろうとは思っていたので、今日はトレーニングの荷物の中に財布やら何やらを入れてあるのだ。ポーチをスズカに持たせる。

 

 

「気を付けるのよ。速度制限とか見てね」

「はい」

「あと、帰る前に連絡してくれたらお風呂を沸かすから」

「そのまま……」

「そのまま寝るのはダメだって言ったでしょーが」

「ぁぅぁぅ」

 

 

 肩をがくんがくんと揺さぶり、ちゃんと注意事項は話しておく。こんなに言っても連絡はしないんだろうなあ。私も期待せずに最初から沸かしておくよもう。信じてないからね……ある意味信じているとも言えるかな。

 

 

「行ってらっしゃい」

「はいっ」

 

 

 そして突風が吹き荒れた。許可を貰っていると行動が早い。楽しそうで何よりです。

 

 

「じゃあシャワー浴びなね、ブルボン」

「はい。お疲れさまでした」

「はーい」

 

 

 シャワーに向かうブルボンを見送って片付けを済ませ、今日のお仕事はおしまいだ。家に帰ってスズカを待つことにしよう。

 

 ここから始まるいくつかのイベントのことを考えつつ、私はその日の仕事を終えた。



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知識はボロボロなサイレンススズカ

 

「次に行くぞスズカ」

「トレーナーさん……たすけて、たすけて……」

「まだ始めて十五分よ」

 

 

 ある日。トレーナー室でエルナトのメンバーに加え、エアグルーヴがスズカに詰め寄っていた。

 

 テーブルにつき、ポンとおもちゃの早押しボタンを渡されたスズカと、並んで座るエアグルーヴ、分厚い本を開き向かいに立つブルボン。スカーレットは私が仕事をするデスクに寄り掛かって見ていた。

 

 

「問題。無敗の三冠ウマ娘であり、七冠の栄誉に輝いた我らが生徒会長、シンボリルドルフ。彼女の過去三度の敗北レースとは、何?」

「……スズカ?」

「……え……っと……ぉ」

 

 

 現在、四人はクイズの練習中である。

 

 何があるかと言えば、ファン感謝祭だ。基本的に自分が何をするか他人に任せているスズカは、今年はクイズ大会に回されてしまった。スズカは基本的に成績優秀だし、レースも一流だ。なればこそ、こうして知識を問われる場に出ても問題無いと思われたらしい。

 

 

 問題自体はウマ娘やレースに関するクイズであり、熱心なファンや……それこそ私達トレーナーなら即答できる内容でもある。しかし、それはつまりウマ娘にとってもそこそこ簡単ということ。

 

 そんなクイズ、まさかサイレンススズカが一問も取れないなんてことになったら。URAやトゥインクルレースは興行でエンターテイメントだ。他者に全く興味が無いウマ娘が最強というのは……まあ少なくともエアグルーヴはそれを心配していた。

 

 

「スズカ?」

「……わ、わからない……」

「ええ……」

「冗談だろうスズカ。会長のことだぞ。いや、なんだ、三つは言えなくても二つは言えるだろう」

「……だ、だーびー……」

「三冠ウマ娘です、スズカさん」

 

 

 知ってるレースを適当に言ったわね。

 

 

 あのナリタブライアンでさえ、強者には一定の興味と知識があった。それに、孤高というのもあの性格にあっている。しかしスズカは違う……ということで、それら諸々を心配したエアグルーヴが対策問題とともに殴り込んで来たのである。

 

 

「解った。スズカも走ったレースだ。これでどうだ?」

「……はぇ……」

「お前は普段何を考えて生きてるんだ?」

 

 

 しかしこのポンコツ、予想以上だった。マジで走ること以外に興味が無い。レースの名前すら曖昧で、それが他人のものとなればなおさらだ。流石にダービーくらいは知っていたようだけど。

 

 

「わ、わからない……負けたレースなんて覚えてどうするの……?」

「負けたからこそ印象に残るんだ。特に会長はな」

「さ、三人はわかるの……?」

「「「ジャパンカップ、秋の天皇賞、サンルイレイステークス」」」

「ぁぅ」

 

 

 三人とも賢いしちゃんとそういうのは学ぶタイプの子だからなおさらスズカのポンコツが目立つ。本番で何か一問でも取れれば、後は他に譲ったとか、早押しが苦手とか、言いようはいくらでもあるのだ。

 

 

「おかしい……!」

「おかしくはないんですよ会長のことだし」

「い、いじめられてます……!」

 

 

 まあ圧倒的に向いてないけど、クラスでの会議も適当に聞き流したツケが回ってきたわね。これに懲りたら外ばかり見てないでちゃんとクラスに参加するように。

 

 

「続いて、問題。その末脚は鉈の切れ味とも称された、史上二人目の三冠ウマ娘であり、日本のトレーナーのスローガンにも名を刻むウマ娘は、誰?」

「え、エクリプス……」

「そっちじゃないですし日本でもないです」

 

 

 むり……と突っ伏してしまうスズカ。しかし今回は……というか今回もエアグルーヴは真剣なので手心が無い。問題はだいぶ手加減されてる感じはするけど、あまりにもレースシーンに興味が無さすぎない? トレセン入学試験や面接ではそこら辺はあんまり問われないとは聞くけど、にしても。

 

 その後も問題が何問か続くも、即答できるような問題は無し。悩んで悩んだ末ブルボンにヒントを貰ってやっとと言った感じ。流石に友達のことはある程度は頭にはあるようだ。

 

 

 しばらくうんうんと頭を悩ませるスズカを見届けながら仕事を終え、コーヒーを淹れようと立ち上がったところで、スズカがソファに倒れながら私にボタンを差し出してきた。

 

 

「ぱす……一回走らせてください……」

「休ませてくださいじゃないんだ……」

「そもそもこの程度の問題、中央のトレーナーが解らんはずがないだろう」

「まあ流石にね」

 

 

 四大難関資格は伊達ではない。現役ウマ娘のリサーチが終わっていないことはあれど、シンプルなクイズで答えられないはずがないのだ。エアグルーヴに脚を掴まれ逃げられないスズカからボタンを受け取り、まあ暇なので、とそのままスズカをエアグルーヴと挟み込む。

 

 

「何でも良いわよ」

「では、レジェンド級を」

「最高難易度みたいな名前してるわね」

「最高難易度です。問題」

 

 

 どんなもんだろうね。言っても受験から結構経ってるし、この前振りで解らなかったら笑えないけど。

 

 

「現在の札幌レース場芝Bコースの一周距離及びその直線距離をお答えください」

「1650.4の267.6」

「一般に大腿四頭筋と纏められる筋肉をすべてお答えください」

「大腿直筋、内側広筋、外側広筋、中間広筋」

「初の三冠ウマ娘であるセントライト。彼女が勝った三冠レースを当時の名称でお答えください」

「横浜文部省賞典新呼娘、東京優駿競走、京都文部省賞典新呼娘?」

「正解です」

 

 

 いえーい。

 

 

「見た? ねえスズカ見た? 凄いでしょ」

 

 

 すべて答えられたのでスズカの頭をぽんぽんと撫でながら煽る。この期に及んで私が答えられないとでも思っていたのか、スズカは大きく目を見開いて、あー……と声をあげながら倒れてきた。

 

 

「裏切られました……」

「裏切ってないって。できないと思われてたの、私」

「いやすみません、正直私も無理だと思ってました」

「お前……審美眼だけのトレーナーではなかったのか」

「よーしお姉さん怒っちゃおっかなー」

 

 

 え? 冗談だよね? まさかエアグルーヴ、本気で思ってないよね? 信じてるよ? 

 

 

「まあ、何だ。スズカも少しは自分のトレーナーを見習うんだな。ここまでとは言わないが、シルバー級くらいまでは答えられるようになってくれ」

「ゃー……」

「頑張んなってスズカ。簡単簡単」

「むり……」

「もう……」

 

 

 転がったまま抱き付いてきたスズカを起こし、涙目のスズカを肩に寄せる。向いてないのは事実なんだけどね……今からでも演目を変えられれば良いんだけど、こう言ってはなんだけどスズカは『その他ウマ娘』じゃないからね。告知の変更も大変なのだ。

 

 

「こんなの無理です……せめてこう、数学とかなら普段やってるし……」

「見てる側も楽しくないでしょそんなの」

「と、都内のオススメランニングコースとかどう……?」

「トレセンでやる必要があるのか?」

 

 

 成績優秀ウマ娘の姿か、これが……? 知識が偏りすぎている。この子、後輩のレースの話を聞くときどんな気持ちで聞いてるんだろう。もしかして聞いてないとか……いや、スペシャルウィークにしろブルボンにしろそこら辺は理解した上で、そもそもレースの話を振らないのかもしれない。

 

 

「ではスズカさん、次です」

「へぅ」

 

 

 そして、次々と投げつけられる問題に対し、スズカは答えを放棄したり適当に答えたり。あるいは友人のことなら多少答えられるようだった。ただそれも、それ自体を覚えているというよりはその友達との会話を思い出してやっとというところ。去年の三冠の勝ちウマ娘で考え込んだ時はどうしてやろうとも思った。

 

 

「続いて」

「ま、待って、ブルボンさん待って」

「待ちます」

「休憩にしましょうエアグルーヴ……あたまが、あたまがパンクしちゃう……」

「まだ三十分だぞ」

「せめてちょっとだけ……ちょっとだけで良いから走らせて……風……風が欲しい……」

「窓開けようか?」

「わーっ!」

 

 

 痛。冗談だからクッションで殴らないで。頭がくらくらしたわ今。

 

 

「もう無理です、やる気無くなりました……おうち帰る……ご飯作ってくださいトレーナーさん……」

「しょうがないわね」

「おいこら、スズカを甘やかすんじゃない」

「まあまあ。無理にやらせても身にならないでしょ?」

「トレーナーさんっ……!」

 

 

 ばっと抱き付いて額を擦り付けてくるスズカ。頭を撫でてやりつつ、呆れた様子のエアグルーヴに笑いかける。

 

 

「一旦休憩で良いじゃない。スズカのモチベーションも大変だから」

「はあ……どうしてこう、普段の集中力を活かせないのか……」

「ダメな子だからね」

「ダメで良いです……だから走ります……ほんのちょっとで良いですから、すぐ戻りますから……」

「嘘じゃん」

 

 

 戻ってくるはずがないことはもはや考えるまでもない。しかし、自業自得とはいえスズカにもやる気が出るようなご褒美があってもいいのかも。すり寄ってくるスズカの喉元を擽りつつ、目を細めるスズカに一応提案は入れておく。

 

 

「あと三十分頑張ろうか。その間正解した数だけ走らせてあげるから」

「えっ……ほ、本当ですか? 本当に走って良いんですか?」

「良いよ。この際この間こっそり走ったことも追及しないであげよう」

「そ……れは……ぁぃ」

 

 

 いつになったらこの子は友人達が監視役になっていることを学ぶのだろうか。もはやこっそり走ることはできないのに。しゅんとしたスズカのウマ耳を立たせる。

 

 

「一問につき十分ね」

「い、言いましたね? 絶対ですよ? 絶対走らせてくださいね?」

「良いよ」

 

 

 私の許可を受け、俄然やる気になったスズカ。ぴこぴこと耳を震わせて私から早押しボタンを奪い、ふふん、と胸を張ってブルボンを見やる。

 

 

「来てくださいブルボンさん。次こそ大丈夫です」

「……そうは思いませんが」

「正解したら走れるんですよ? こんなに良いことはありません。完璧です。さあさあ、どうぞ」

「では、問題」

 

 

 呆れた様子のブルボンが、問題を読んだ。それを聞いて、スズカが再びふふん、と鼻を鳴らす。

 

 そして数秒。スズカは黙ったままでいたが、少し経つとおずおずとボタンを押した。

 

 

「お答えをどうぞ」

「……ふー……」

 

 

 ぱたん、とスズカが私に倒れてきた。仰向けになって手で顔を覆い隠す。そして、か細い声で言った。

 

 

「わかりません……」

 

 

「そりゃそう」

「まあ、解ってはいた」

「やる気で正解が出せるならテストも苦労しないですからね」

 

 

 今日もスズカは走れない……というオチにはならず。ブルボンの優しさで出題された最低難易度問題に二問答え、二十分のランニングを得た。

 

 なお、走りに行ったスズカはそのまま帰ってこなかった。部屋の全員が、だろうなあ、という顔をしていたのが印象的な一日だった。



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有利を逃さないミホノブルボン

 

「お疲れブルボン。日々加速が早くなってるわ。その調子で、加速ポイントで即トップスピードに乗れるように頑張りましょう」

「はい」

「反省点だけど……やっぱり根本のスピードはまだ足りてないかも。やっぱりしばらくはその方向でトレーニングかな。現時点で2400は確実に走りきれるから」

「承知しました」

「じゃあもう一本。スパート位置を10m下げて同じタイムを出せるよう努力しなさい」

「了解しました。開始します」

 

 

 ある日。いつも通り私はブルボンにトレーニングを課していた。早めに終えたスカーレットが水分補給をしながら見学で座っている。スズカは……まあ、まあ。

 

 

「スタミナを鍛えてハイペースに持ち込むって戦法はどうなんですか?」

「んー……それでも良いけど、いくつか問題もあるわ。まず根本として、ブルボンにスタミナがあるとはいえ本職……いわゆるステイヤーと消耗戦はしたくないってこと。もちろん出走ウマ娘的にも、ブルボンが身体能力で劣っているとは思わないけど」

 

 

 外なのでスカーレットも敬語だ。スカーレットはまだトレーニングのためのトレーニングみたいなことしかしていないので消耗はそこそこ。ただ、スカーレットの才能は半端なものではない。それこそブルボンなど鼻で笑えるような強さがある。早い段階で通常トレーニングに移行しても良いかもしれないわね。

 

 

「もう一つは、ハイペース消耗戦はその場その場で周りの様子を見ながらペースを変えられる子じゃないと崩れるってこと。特にブルボンは高確率でハナを切るからペースメーカーとしても動かなきゃいけない。あの子はそんな器用な子じゃないわ」

「ふーん……じゃあ戦法はいつも通りってことですか? ダービーなのに?」

「まあね。特別なことなんて何も無いわよ。いつもと一緒。特にブルボンなんか練習通りに走れるのが何より大切なんだから」

「……なんかこう、ダービートレーナーになりたい! とか無いんですか?」

 

 

 ダービーに合わせて2400を走るブルボンを眺めつつ、横から話し掛けてくるスカーレットに答える。先輩がいると遠慮しているのか面倒なのかあまり話さないんだけど、二人だと結構話してくれる。良好な関係は大事よね。

 

 

「無いかな……ダービートレーナーになっても担当志願が増えるだけで給料も上がらないし」

「担当が増えたら上がるじゃないですか」

「あんまりウマ娘に話すことじゃないけどね。未勝利戦とかプレオープンとか、いくらにもならないのよ」

「本当にウマ娘に話すことじゃない……!」

 

 

 基本大きく給料が上がることもないし、上げるために多人数チームを組むかって言えばそんなこともしたくないし。頭を抱えるスカーレット。

 

 

「名誉とかもあるじゃないですか……」

「うーん……私が望んでもね……結局私は走らないし、トレーニングもしないし……ブルボンがダービーはやめるって言ったらやめるで良いんじゃない、って感じで」

「いえ、ダービーには必ず出走しますが」

「お帰りブルボン。まだもうちょっと縮めたいわね。少し休んでもう一本行こうか」

 

 

 話している間にブルボンが帰ってきた。スピードを伸ばすことを胸に刻み、立ったまま休むブルボンに水筒を渡す。

 

 

「もちろんブルボンはダービーに出すわよ。そういう約束だしね。私は懸けてないって話」

「なるほど」

「何とも思わないんですか?」

「クラシック三冠は私の夢です。マスターとは私自身を勝利に向けて万全の状態で出走させるという契約を交わしています。特に不履行はありませんので」

「全然解らない……どういう距離感……?」

 

 

 色々とね。あるから。私とスズカとブルボンは。何ならスカーレットだけ唯一、特に約束無く私の担当になっている。スズカはスズカの走りのまま勝てるようにすると言ったし、クラシックを勝たせるとブルボンには言った。

 

 大レースで勝つより、二人との約束を守る方が大切ということで。今のところスズカとの約束は守ったと言っても過言ではないし、ブルボンとのそれもほぼこのまま叶うだろうし。

 

 

 軽く話しながら休憩を終えたブルボンが大きく息をついた。怪我率も出ていないことを確認して、これがラスト一本かな。もう少しパワーを上げた方が加速に役立つかもしれない。もしくはトップスピードに近いペースを設定して、加速を必要としない戦法をとるか。

 

 スズカは後者なので究極的には加速力はいらない。ブルボンは……うーん……あんまりハイペースで周りを潰す逃げは向いてないとは思うんだけど。

 

 

「そういえば今日はスズカ先輩は?」

「スペシャルウィークにどこかに誘われたらしいわよ。ご飯も食べてくるって」

 

 

 なんで教え子が遊びに行くのにご飯の心配をしてるのかな、私。母親かよ。

 

 

「じゃあ今のうちに言いたいんですけど……その、次はいつ特別メニューってやるんですか?」

「え」

 

 

 また始まった。スズカがいなくてもこういうのから逃れられないのか私は。

 

 

「と、突然何……?」

「いえその……そろそろちょっと、一回やっておきたいなって思いまして。もちろんブルボン先輩との兼ね合いもあると思うんですけど」

「いやほら、まあ、うーん……ダービーに向けてちょっとはやるけど……」

「是非お願いします!」

 

 

 嫌だなあと思いつつ、まあやるべきだ。もちろんスピードをメインで伸ばせるならそれで良いが、ブルボンの場合は坂路でも何故かスピードが上がる。それを量こなすのも悪くない。私の精神衛生以外はね。

 

 というか、スズカがいない時を見計らうあたりは解ってきてるのよねスカーレットも。その調子で、実は私がスパルタを望んでいないことも気付いてくれないかな。

 

 

「スカーレットはほら……まだそういう段階じゃないっていうか」

「ブルボン先輩は加入直後からやってたって聞きましたけど」

「そう言われると何も言えないけど」

「なら良いじゃないですか」

 

 

 敬語……だが、視線が真っ直ぐ射貫いてきている。真っ赤な目がもう、「なら良いわよね? 断らないわよね?」と語っている。こっわ。だだこねのスズカ、botのブルボン、そして威圧のスカーレットだ。

 

 

「スカーレットは才能があるし……そんな、スパルタに頼らなくても」

「才能にあぐらをかくのはバカのすることだと思ってます」

「うーん耳が痛い」

 

 

 私と、スズカも割とそんな感じだし。クラシックの夏もスズカはトレーニングを繰り返したとはいえスタミナの補強をしたくらいで、あの走りが才能任せでぶん殴っていることには変わりないのだ。私のこの目も同様にね。

 

 

「ただいま戻りました」

「ああブルボン。良い感じね。たぶんダービーまでには要求値だと思うわ。じゃあダウンして終わりね」

「はい……ところで、今ミホノブルボンには才能が無いから特別メニューを執り行うという話をしていましたか?」

「地獄耳!」

 

 

 スカーレットに手伝われながらストレッチを始めるブルボン。この距離で、走りながらこっちの会話が聞こえるとは。ウマ娘とは恐ろしい種族ね。

 

 というかその、まあ解ってはいたけど、ブルボンは自分に才能が無いことを心の底から認めているのよね。努力ができるのも才能だとは思うけど、それを言うとお父さんが鍛えてくれたからと言い出す。自己肯定感はそこそこあるから良いけど、もう少し何か思うところとか無いのかな、とは思う。

 

 

「いやその……や、やるけど……やるけどね? でもほら、ちょっとだから。そんなにがっつりはやらないから」

「しかし、次走は日本ダービーです。これまで同様、厳しい戦いが推測されます」

「これまでそんな厳しい戦いしてた……? 大楽勝で勝ってたじゃない」

「努力の成果です。怠ることはできません」

「なるほどなあ」

 

 

 目がキラキラとしている。自信に満ち溢れていた。この場合間違ってるのは私だもんなあ。ブルボンに三冠をとらせるためにバシバシ鍛えるって話はしたし、実際にそれで勝たせてしまったのも要因だ。事実、トレーニング前のブルボンのステータスはお世辞にも高くなかった。

 

 

「ちょっとはやるからさ……それで勘弁してくれない……?」

「これもトレーニング計画です。頻度は正確にお願いします」

「……週に一回とか」

「それではダービーまでに五度しか行えないことになります。今日が金曜日ということも考慮すると四回になる可能性もあります」

「……何回やれば良い?」

「トレーニング計画の作成はマスターの職務です」

「そっかあ……」

 

 

 と言いつつ、そりゃ毎日でしょと目で訴えてくるブルボン。私の担当、目で語り過ぎだって。顔が良いからじっと見つめられるとこっちが恥ずかしくなる。私は一体どうすれば……? 

 

 必死に逃げられないか考えるものの、目の前でじっと見てくるブルボンと後ろから密かに見ているスカーレットの圧に負けそうになった、その時。

 

 

「あっ」

「……!」

 

 

 電話が鳴った。これ幸いと逃げ出す。ありがとう……えっと……スペシャルウィーク? 

 

 

「もしもし? スペシャルウィーク?」

『あ、スズカさんのトレーナーさん、今大丈夫ですか?』

「むしろ助かったくらいよ」

『え? ああ、まあそれは良かったです。えっと、今スズカさんとセイちゃんとご飯を食べてたんですけど』

 

 

 まだ五時よ。

 

 

『この後夜釣りに行かないかと誘われちゃいまして。帰りが遅くなっちゃいそうなんです』

「うん。ちゃんと寮長には話しておきなね」

『はい。それでその、申し訳無いんですけど、私とスズカさんを夜に迎えに来て貰えないかなと』

『トレーナーさん! 大丈夫です……! 私達には脚がありますから!』

 

 

 後ろからスズカの声も聞こえる。心なしか暴れているような感じもするわね。ため息が出る。どうせスピーカーだろうし、後ろのスズカに聞かせる気持ちで。

 

 

「解ったわ。迎えに行く。時間は解る?」

『トレーナーさん……!?』

『遅くても日付が変わる頃には終わるそうです。場所は後で地図を送りますね。セイちゃんに連絡先を教えても大丈夫ですか?』

「大丈夫よ。じゃあスズカをよろしくね」

『トレーナーさん、私、私が先輩……』

『はい。じゃあよろしくお願いします! 失礼します!』

「はーい」

『あっ待ってトレーナーさ──』

 

 

 後ろでわめくスズカを無視して電話を切った。ありがとうスペシャルウィーク、ちゃんと止めてくれて。そこでちゃんと止められるのがあなたの凄いところだと思うわ。夜中に突然タクシーをさせられるより、スズカが走る方がダメージだと理解している。

 

 

「じゃあそういうことだから、今日は解散ね」

「全く関係ありませんが」

「逃げ方が雑じゃないですか?」

 

 

 くそっ。

 

 

 結局今日も担当からは逃げられず、二人の高頻度での特別メニュー実施が決定してしまった。がっでむ。



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誕生日も煽るサイレンススズカ

 

「ねえスカーレット」

「何?」

「誕生日プレゼント、何が良い?」

 

 

 ある日。エルナトにはスズカとスカーレットがいた。ブルボンは明日の特別メニューに備えて一日休養、スカーレットもそうだが何故か来ている。

 

 スズカは今日のトレーニングを終え、ソファで作業をする私の横に座っている。机にジグソーパズルを広げて、そこそこ機嫌良く大人しくしてくれていた。

 

 

「まあ……うーん……ブランドバッグとか、香水とか?」

「あら普通。助かるぅ」

「普通って何よ。とびきり高いの要求するわよ?」

「あっあっあっ」

「冗談だって」

 

 

 ファン感謝祭もつつがなく終わっ……いやスズカのクイズはボロボロで無事とは言い難かったけど、終わった。まあそれは良い。世間のスズカに対する好意というのは素晴らしいもので、ついぞ一度もボタンを押さなかったスズカが叩かれることもなかった。心配が杞憂に終わるのは良いことだ。

 

 感謝祭が終わったら次は三人の誕生日である。ウマ娘はその多くが春に生まれるという謎の生態があるため、基本的に誕生日は近い。よってこうしたラッシュが起こる。

 

 

「何でも良いし無くても良いわよ。誕生日なんかよりレースで勝ったらお祝い、の方が嬉しいし」

「そうはいかないんだけどね……ただでさえスズカやブルボンにもろくなもの渡してないのに」

「それを聞いてさらに貰うわけにはいかなくなったけど」

「いえ、貰ってますよ? でもその、私達そういうの苦手なので」

「ちなみにスズカ先輩は何を貰ったんですか?」

 

 

 うーんと、とパズルを解きながらスズカが語り出す。八割くらいは気持ち良く走れたという話だったが、一応カメラも記憶の片隅に残っていたらしい。あまりにも使っているのを見たことがないから忘れてるのかと思った。

 

 ふんふん、と話を聞いていたスカーレットも、カメラかあ……と首を傾げてるし。いや私だってさ、微妙だとは思ってるよ。でもしょうがないじゃん。スズカって物欲無いんだもん。今年もパズルとかにしようかと思ってたよ。幼稚園児か? 

 

 

「にしたってもうちょっとあるでしょ……」

「いや、まあ……そうなんだけど」

「ブルボン先輩には何あげたのよ」

「時計と通知表……」

「アンタ自分の担当を何だと思ってんの。思春期の女の子に渡すのがカメラと時計って。彼氏か」

 

 

 ぐうの音も出ない。私だってチョイスがずれてるのは解ってるって。でもしょうがないじゃん……! こればっかりは二人の喜びポイントの方がおかしいって……! 

 

 

「というか通知表って何? 学園で貰えるじゃない」

「いや、レースウマ娘としての通知表というか……見る? 今原稿書いてるんだけど」

「へー。変わったことする……のね……?」

 

 

 スマホを置き、身を乗り出すスカーレットに書きかけの通知表の向きを変えて見せる。今書いてるのはブルボンのライバル達の欄だから、スカーレットが見たところで何にも使えないけど。

 

 ……あ、でもあれか。スカーレットってば勘が良いから、私の能力について見抜かれるかもしれない。

 

 

 ぴたりとスカーレットが動きを止めた。じっと項目を読んで、原稿を私に返す。ふう、と息をつき、自然な流れで紅茶を淹れて戻ってきた。あ、ありがとう。ちょうど何か飲もうと思ってたの。

 

 

「なんてもの作ってるのよ……!」

「えっ」

 

 

 噎せるところだった。あっぶねえ。

 

 

「お、怒らないでスカーレット……」

「い……や、いやいや、怒ってない、怒ってないけど……! こんなの全ウマ娘が喉から手が出るほど欲しがってるやつじゃない!」

「私を信じられるならそうだろうけどさ」

「アンタ自分の名声を自覚した方が良いわよ。試しに誰かに聞いてみたら?」

「うーん何も言えない」

 

 

 隣のスズカを撫でる。私の諸々の評判はこの子のおかげでもあり、この子のせいでもあるのだ。それに、スズカにしろブルボンにしろ私が見出したと思われているのは仕方がない。実際見出しているし。

 

 

「だからって私のこれをちゃんと信じられるかは怪しくない? 結局は他人だし新人だしさ、ベテランの方を信じた方が良いと思う」

「私は信じてますよ?」

「ありがとねスズカ。ブルボンも喜んでくれてれば良いけど」

「でも……うーん……そういうことなのかな……」

 

 

 通知表を返してもらい、引き続き書き込んでいく。調べは既についているのであとは写すだけなのだけど……そういえばライスシャワーのことはどうなっただろうか。ブルボンが仲良くなるとは話していたけど。

 

 まあ二人とも変わった子だし仲良くなるのは早いかも。変な子は変な子と引かれ合うのがウマ娘の基本のき。

 

 

「とにかくそう簡単に見せちゃダメよ。暴動が起こるわ」

「それは言い過ぎ」

「どうかしら。賭けても良いわよ」

「強気だなあ」

 

 

 隣でふむふむ、と何か頷きながら通知表を覗くスズカは何も言っていない。そこの感覚は私には解らなくて困る。個人的にだけど、見ず知らずの相手に勝手に数値化されたものをありがたくは思えないからね。もちろんトレーナーとウマ娘の違いはあるんだろうけど。

 

 

「今年も誕生日は走って良いんですよね?」

「良いよー。どこ走りたい?」

「また温泉旅行に行きたいです。自然の中の夜道が良いです」

「良かった。前のところの予約をとってあるからね」

「やった、ふふ、楽しみです……あぅ、想像したら走りたくなってきました……ちょっと行ってきます」

「スカーレット」

「はいはい」

 

 

 立ち上がったスズカをスカーレットが掴んで止める。非常に自然な流れで走りに行こうとしたスズカだったが、こちらも手慣れてきたものだ。問題は、スズカの方がパワーがあるため止めきれずに引きずられていることである。

 

 

「止めないでください、スカーレットさん……!」

「いや止めます……と、止められてないんですけど止めますよ!」

「むむむ……仕方無いです。トレーナーさんに言われたんですものね。でしたらこうしましょう。並走して私が勝ったら私が走ります。負けたら諦めましょう」

「この……っ……か、勝つ気で賭けを持ち掛けるなんて……」

「乗っちゃダメよスカーレット」

「解ってるわよ!」

 

 

 久しぶりに何をしてでも走ろうとするスズカが見られた気がする。こうして平和で、何もすることがないとこうなってしまうのだ。忙しければそれを察して何となく我慢してくれるんだけどね……困った。

 

 落ち着いて……落ち着くのよスカーレット……と顔を真っ赤にして自己暗示を始めたスカーレット。この子もこの子で煽り耐性が低すぎるでしょ。スズカのこと、完全に放しちゃってるけど。

 

 

「ぐ……っ」

「ふふふ」

「か、勝った気で……う、うぅ……!」

「じゃあ走りに行ってきます」

「ま、待ちなさい……! やるわよ、やってやろうじゃない! 勝ちゃ良いのよ……! そうよスカーレット、アタシが一番なんだから……!」

 

 

 雲行きが怪しくなってきたわね。

 

 

「こらスカーレット。揺れないの」

「はっ……ゆ、揺れてない……アタシが一番、アタシが一番、アタシが一番……!」

「ぐらぐらじゃない」

 

 

 スカーレットが頭を抱え始めたので寄っていってスズカを引き取る。やー、と嫌がっていたものの、私相手に強引にはなれないので引きずられて戻ってきた。

 

 

「暇ならせっかくだしコメントとか書いたら? ブルボンもきっと喜ぶでしょ」

「暇じゃないですー。これから走りに行くんですー」

「走るの禁止だから暇じゃないの」

「やー」

 

 

 ぽすんぽすんと頭突きをされる。内なる自分を押さえながら席に戻ってきたスカーレットに飴を渡しておき、わがままスズカに通知表の原稿を渡してみる。

 

 

「むー……どこなら書いて良いんですか?」

「この辺。ここに私が書くから」

「む……何を書いたら喜びますかね……」

「……何だろうねえ」

 

 

 ペンを取って、うーん、と考え込むスズカ。どんなことを言ったらブルボンが喜ぶかなんて私が知りたい。レース前にブルボンに暗示をかけるのは喜んでるのかな。それともシンプルに不安なのか……うーん。ブルボンの感情もそこそこ解るようになってきた……というか、ブルボンは無感情であるという先入観が無くなってきたから、もう少し解り合いたいかもね。

 

 

 しばらく考えるスズカを眺めていると、少しして、どこかに電話をかけ始めた。

 

 

『はい、もしもしスズカさん?』

「あ、もしもしスペちゃん。あの、ちょっと相談があるのだけど……」

「直接後輩に聞いた……」

「プライドとか無いの、唯一の直属の先輩として」

『あ、トレーナーさんいらっしゃるんですね。こんにちは』

「はいこんにちは」

 

 

 まあスズカの頭では出てこなかったか。こう、スズカらしいと言うか何と言うか。つくづく自分の走ることしか考えていないんだなあ、と。

 

 

『それで、相談って?』

「あ、うん。その、ブルボンさんの誕生日プレゼントにメッセージを書きたいのだけど」

『あ、え? はい。な、内容ですか? ごめんなさい、私もそういうのは……お母ちゃんに書いたことくらいしかなくて』

「あ、ううん。書く内容、思い付いたんだけど……もしスペちゃんだったら嬉しい? って聞きたかったの」

『……え? スズカさんそういうことできたんですか?』

「スペちゃんも最近トレーナーさんみたいなこと言うわよね……」

 

 

 あなたのせいですよ、とばかりにこちらを睨むスズカ。いや……私も驚いている。まさかスズカにそんなことができたなんて。

 

 そして、スズカがスペシャルウィークにメッセージ案を語る。非常に簡潔に纏まったそのメッセージに、スカーレットは震え私は呆れ、スペシャルウィークは。

 

 

『……大丈夫だと思います。物凄く、欲しくなりますよ。私も、凄く、ちょっと羨ましいです』

 

 

 その声が、明らかに燃えていた。

 

 

 電話が切られ、スズカが我が物顔で棚からシューズを取り出す。うーん、まあ、良いか……ブルボンが喜ぶならそれが一番良いわけだし。ただまあ、今からはちょっと厳しいかもね。

 

 

「行きましょうトレーナーさん。よろしくお願いしますね」

「夜にしましょう。勝負服も着て、ね」

「むー……じゃあウォーミングアップに走ってきます」

「だめでーす」

「やー……」

 

 

 

 嫌がるスズカを引き留めて、私は通知表の最終推敲に入るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ただいま戻りました、フラワーさん」

「お帰りなさ……ぶ、ブルボンさん? なんですか、それ……」

「マスターに頂いた誕生日プレゼントです」

「え、あ……よ、良かったですね……?」

 

 

 四月二十五日、日曜日。記録者、ミホノブルボン。本日は、私、ミホノブルボンの誕生日です。今年は催しとして、マスター、スズカさん、スカーレットさんの料理を食べ比べるということを行いました。スズカさんはいつになったら味付けを覚えるのでしょうか。

 

 また、それぞれからプレゼントも頂きました。世代、年齢、収入を鑑みスカーレットさんには前もって不要と話しておきましたが、マスターとスズカさんからは頂いています。

 

 

 スズカさんから、何枚かのタオルを頂きました。私のデータベースにはありませんが、全て異なるメーカーの、異なる材質を用いた品だそうです。是非次に買う時の参考にして欲しい、と言われました。

 

 そして、マスターからいつか話したVRゴーグル……を、玩具向けに改造したものを頂きました。撮影、外部接続機能はありませんが、内部カメラにより全方位が見える上、音が鳴ります。高揚感を覚えたので着けたまま帰宅しています。

 

 

「あ、ブルボンさんっ」

「誕生日プレゼントなら不要です」

「う……じゃあ、せめて、これ、今日の私のおやつなんですけど、ショートケーキ、ブルボンさんに食べて欲しくて」

「……しかし、フラワーさんから誕生日プレゼントは貰わないようにマスターに」

「私今日、甘いものの食べ過ぎは良くないってトレーナーさんに言われちゃったんです。だから、はんぶんこしましょう? 助けてくれると嬉しいです」

 

 

 解析中。誕生日プレゼントの授受にはあたらないと判定。普段お世話になっているフラワーさんの手助けであると思われます。マスターの指示には反しないと判断。

 

 

「……では、いただきます」

「良かったっ。じゃあちょっと、切り分けちゃいますねっ」

 

 

 どこかから包丁を取り出したフラワーさんが、悩みながらケーキを切り分けようとしています。その間、私はマスターからの二つ目のプレゼント……十数ページの冊子を取り出します。マスターからの通知表です。

 

 

「……」

 

 

 ゆっくりと開きます。ほとんどは、私と共にクラシック路線を走るウマ娘達のことが書いてあります。また、去年と一昨年のダービーウマ娘の、ダービー勝利時のステータスも表示されています。歴代でないのは手間でしょうか? それとも、何か要因があるのでしょうか? 

 

 

 そして、最後三ページ目。そこにある、私のステータス。

 

 スピードD+

 スタミナC

 パワーD+

 根性D+

 賢さD+

 

 そして、向かいのページに、総評。

 

 

『ダービー前追切でスピードCは固い。全体的なステータスも素晴らしい、出走ウマ娘で一番。ダービーも大本命一着、無敗三冠も王手。頑張ったわね、ブルボン』

 

 

 ……。三度目です。自分の、感情の、制御も、できています。日々、言われていることです。文面にされたところで、何も、変わりはしません。

 

 次のページ、は。

 

 

『まってます』

 

 

 スズカさんの字です。たったの五文字。これだけ印刷ではなく、手書きで載っていました。そしてその下に、数字の羅列。

 

 

「2200m、二分──」

 

 

 書かれていたのは、タイムでした。スズカさんのサインのように並んだそれらを理解するのに時間がかかります。

 

 

「フラワー、さん」

「え? はい! 苺はもちろんブルボンさんが食べて良いですよっ」

「ありがとうございます……いえ、フラワーさん。芝2200mのレコードタイムをご存じですか?」

「え? うーん……すみません、1600mまでしか覚えてなくて……」

「ありがとうございます。気にしないでください」

 

 

 待っている。スズカさんが、このタイムにいます。越えなければなりません。常に先頭で走るスズカさんを、私は追いかけて、そして……

 

 

「……ブルボンさん?」

「……いえ、大丈夫です。問題ありません」

「そうは見えないですけど……」

 

 

 内側から、謎のエネルギーの増大を確認。トレーニング欲求にも似ています。いけません。今日はダービーへの追切に向け休養をとるように指示を受けています。走ってはなりません。しかし、この感情の昂りは。

 

 

「……っ」

「きゃっ……ぶ、ぶぶ、ブルボンさん!?」

「……申し訳ありません」

 

 

 自制のため、フラワーさんを抱き締めます。人肌は感情や欲求の抑制に有効です。マスターやスズカさんが日々実践しています。

 

 

「な、なんですか、け、ケーキ……」

「……っ」

 

 

 しかし、まだ足りません。胸元の痛みが、腹部の熱が、震える背筋が、今すぐ走り出せと命令を下しています。常に平静で、自分のペースを保たなければなりません。私の勝利のメソッドは一つしかありません。ですから。

 

 

「フラワーさん……こちらへ」

「あ、え!? ま、まってくださいブルボンさん、あ、あの、その、一緒に寝るのは子供みたいで、あっまっ、せ、せめてお風呂、お風呂に入ってからじゃないと汚れちゃ、あ、あっあっ」

 

 

 セカンド・プランをとります。エルナトの常識に従って、ですが。




この後めちゃくちゃ説教された。次回、ダービー追切。


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ステージギミックなサイレンススズカ

 

「じゃあ覚悟は良いわね。ここから本気で詰めるわよ」

「はい。よろしくお願いします」

「スカーレットも」

「はい! お願いします!」

 

 

 ダービーも見えてきたある日。私達チームエルナトは、ダービー前最終追い切りを行うということで、約束通り特別コースを行っていた。すなわち、私は今から担当をズタボロになるまで追い詰めることになる。

 

 

「じゃあまずストレッチとジョグ。終わったら私のところに来なさい」

「はい」

「はい!」

 

 

 一応、この日のために二日間の休みを取らせている。一日休めば取り返すのに三日かかる……というのは貧弱な我々人間の話。ウマ娘にとっては休んだ分の体力で鍛えた方が効率が良い。もちろん、休まなくて済むならそれで良いんだけど。

 

 特に、ブルボンはともかくスカーレットはそう身体が強い方じゃない、というのはありそうだ。本人の気合いが半端ではないので何となく強いように見えるものの、並のウマ娘と大して変わらない。だから、休ませないとこのトレーニングはすぐ脱落してしまう。

 

 

「今日はいい天気ですね……」

「そうねえ。走るにはちょっと暑いかな」

「そんなことありません。暑い時は暑い時なりの楽しみというものがありますし」

「それだけは一生解らないわ。あと雨の日と風の強い日。というか走るのが楽しいってのがそもそも解らない」

「知ってます」

 

 

 二人でストレッチを進める二人を、スズカと一緒に眺める。一応今日からの練習メニューにはスズカも参加して貰うことになっている。それを今日伝えた時の喜びようと言ったらなかった。今も隣でかなりご機嫌である。

 

 

「はあ……もう想像しただけで最高です……」

「大げさ」

「前回走ったの、いつだと思ってるんですか?」

「いつだっけ……四日前くらい?」

「え……あ、はい。四日前です」

 

 

 あらあら目がすいすいと。

 

 

「……また勝手に走ったでしょ」

「……ほんのちょっとですよ? ほんのちょっぴり、ちょこっと身体を動かす程度です」

「わー」

「あややゃゃ」

 

 

 嘘のつけないスズカの頬をつねる。さて、結構待ち、スズカの頬が赤くなってきたところで二人のウォームアップも終わったらしい。私の前に並んでくる。

 

 

「完了しました、マスター。スカーレットさんも同様です」

「ん。真っ直ぐ立ちなさい」

「はい」

 

 

 視線を合わせ、ちゃんと確認。体力に溢れていることと、怪我率が出ていないことをだ。身体のどこかを痛めていたりすると、元気でも怪我のリスクがある。二人ともゆっくり目を合わせて、よし、と横に並ばせる。

 

 

「じゃあやるわよ。まずはブルボン、坂路ダッシュ。タイムはいつも通り、スカーレットはこっちでミニハードル。足首に重り着けなさい」

「はい!」

「私は重りは着用しないのですか?」

「とりあえず良い。スカーレットはこれね。ブルボンが帰ってくるまでに四往復すること」

「四……は、はい!」

「では始め」

 

 

 一礼の後ブルボンが走り出す。スカーレットが重りを着け、ブルボンがスタート位置に着いたのを見てからホイッスル。ミニハードルをひたすら越えていくスカーレットと、いつも通りの坂路を行うブルボン。

 

 さて、この練習もまあそこそこキツくはあるものの、二人のトレーニング耐性からすれば大したことはない。こんなものは準備運動のようなものだ。

 

 

 ブルボンは想定タイム通り、スカーレットは少し遅れている。これはまあちょっと良くない。ただ、二人の消耗はそこそこだ。もちろんここまでは前座。ブルボンはスピードをメインに鍛えたいので追い込むのはここではない。

 

 

「じゃあそのままトレセン外周してターフに集合。スズカもアップ代わりに走っておいで。それからブルボンは、はい重り。ここから着けて」

「はあ……はー……はい……」

「スカーレットは完遂しなかった分重り外して三往復やり直し。それから追い付いてきなさい。ブルボンを待たせないでね」

「ぐ……はい!」

「頑張って。じゃあ移動」

 

 

 うう……心が痛くなってきた。まあでもこれが私のできることだし三人が望んでいることなのよね。真剣に顔を歪ませた後ハードルに戻るスカーレットを途中まで見てから、私も動く。

 

 厳しくいこうと思うとどうしても口調がキツくなってしまう。もっとこう、いつも通りに指示ができる方が良いんだけど……三人がそういうことを気にするタイプじゃなくて良かった。

 

 

 場所は変わり、坂路から芝コースへ。私は校舎をショートカットしてきたので、当然二人が、そしてさらに遅れてスカーレットが現れた。

 

 

「じゃあスズカ、好きに走ってて良いよ」

「す、好きに……?」

「うん。流石に貸し切りにはできなかったけど、どう飛ばしても良いからね」

「ふへへ……じゃ、じゃあ行ってきます!」

「行ってらっしゃい」

 

 

 よし。今さら申し訳ないとも思わないが、スズカが走るトレーニングに参加するというのは「ついでにスズカを鍛えるか」ではなく「速く走るNPCが欲しいな」である。放っておいてもしばらくびゅんびゅん飛ばしてくれるので、早速飛び出していったスズカに手を振って見送る。

 

 んで。

 

 

「じゃあ二人とも。今からスプリント。400ね。スタートはここ。スズカが来たら並んで追い縋りなさい。400走ったらジョグで戻ってくる。これをひたすら繰り返します」

「追い縋る」

「うん。とにかくスピード出しなさい。向こうはひたすら走ってるんだから追い抜くくらい当然と思うこと。良い?」

「了解しました。オーダー、『スズカさんを追い抜く』を開始します」

 

 

 二人がコースに戻っていく。そして、くるりと一周して戻ってくるスズカ。こちら正面、どんどんと近付いてくるスズカに合わせて、ホイッスルと共に二人も思い切り駆け出した。

 

 

「えっ……!?」

 

 

 そんなスズカの嘆きの声が聞こえたような気がする。当たり前と言えば当たり前か。自由に走れると思ったら後輩達が横で並んでるんだから。

 

 当然とばかりにスズカのペースが上がる。眼光が鋭くなり、絶対に先頭を譲らないという逃亡者スズカが見え隠れしてきた。しかし、ゼロからの加速とはいえ400mだけ走ればいい二人とのスピード差は大きい。

 

 

 ……それでも最後には振り切っているあたり、やっぱりスズカは怪物だけど。

 

 

 スプリントを走り、元の場所まで戻ってもう一度。普段の坂路よりは回数がこなせるだろう。目論み通り二人のスピードがちゃんと上がっている。よしよし、この調子でダービーまでスピードを鍛えていこうね。

 

 

「スカーレット、遅れてるわよ」

「解ってるわよ……! 次! 見てなさい!」

 

 

 フリーランニングのスズカ、重り付きのブルボン。結果的にスカーレットへのハンデになっている。それでもやはり少し厳しいかな。あまりにもスピードが違いすぎる。何だかんだブルボンは一時的にとはいえ並べているものの、スカーレットは全体的に少し遅れ続けていた。

 

 私の指摘に大声で返すスカーレット。もう取り繕えてないじゃん。ジャージを脱いで私に投げ捨てる。シャツの裾を引き絞って結び、少しズボンを上げた。ついでとばかりにブルボンもジャージを脱ぎ捨てる。

 

 

「二本目ー」

 

 

 ぴっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 覚悟が決まっていてゆっくり休んだ分、二人のトレーニングはかなりの回数続いた。

 

 

「スカーレットー。まだできるわよー」

「は……ぁ、はっ……話し……げほっ、はぁっ……かけんな……ッ!!」

 

 

 担当が怖すぎ。

 

 

 しかしまあ、流石にそろそろ限界かもしれない。スカーレットもブルボンも、ほとんどスズカに並ぶことができなくなっていた。数回前からブルボンの重りは外したものの、それでも届いていない。

 

 一方のスズカもそろそろ満足する……と思いきやそんなことはなく、むしろ時々並びかける後輩相手に熱くなってしまったのかまだまだ止まる気配を見せない。心の底から楽しそうにはしてるから良いけど。

 

 

「ブルボン。気合い入れなさい。これ以上離されるなら中断するわよ」

「努力……します……ッ」

 

 

 スタート位置で膝に手をついて震えるブルボン、地を這ってでも多少の回復を図ろうとするスカーレット。そんな彼女達の頭から水をかけつつ、怪我率も見ていく。まだ行ける。もう二本くらいだとは思うけど。

 

 

「来たわよ立って」

「はぁっ、はあっ、はっ、はーっ……行ける、絶対行ける、やれる、アタシはやれる……ッ!!」

「よーい」

 

 

 ぴっ。恐らく二人にとってはさぞ無慈悲だろうスタートの合図が鳴った。同時にしっかりと走り出し、一瞬遅れてスズカが後ろから吹っ飛ばしていった。

 

 ぐんぐんと追い抜いて、そのまま離していくスズカ。だが、ブルボンがトレーニングを終わりたくない一心……あるいは、対抗心や負けん気もブレンドしてそれに必死に追い縋っていく。

 

 

 スカーレットは……まあ、まあ。これはしょうがない。いくら才能に溢れているといっても、相手は異次元の逃亡者と坂路の申し子だ。数回だけでも追えていたのが不思議なくらいで、心を燃やそうが何をしようが身体スペックは埋められない……一部の化け物以外は。

 

 案の定、差をつけてスプリントを終えたスカーレットが、そのまま再び膝から崩れ落ちた。もはや気遣う余裕もなくスタート位置にふらつきながら戻っていくブルボン。

 

 

「……はあ」

 

 

 心が痛い。けど、こうなった以上私も何か言わないと。小走りでスカーレットに駆け寄り、とりあえず支えてコースから引きずり出した。くるりとひっくり返して、膝枕にして口元にストローを持っていく。

 

 

「大丈夫、スカーレット」

「ぃ……ぁ、は……はっ……ぉぇ」

「落ち着いて」

「んぐ……んく……はっ、はっ、はぁっ、はぁっ……と、トレーナー……え、アタシ……」

「む、無理して喋らなくても」

「まだ……まだできる……!?」

 

 

 後ろで、スタート位置についたブルボンが、またスズカと並んで走っていく。どんどんと迫ってきて、私がスカーレットを見て返答する前にスズカに遅れ走りきった。

 

 

「ぁ……」

 

 

 それを見て、スカーレットが目を絞って掠れた声をあげた。

 

 

「まだできるわよ。立てるようになったら立ちなさい。ブルボン、次あたりラストだと思ってやりなさい」

「了……解……しました……」

「まだできる……アタシはまだやれる……!」

「……頑張って?」

「上等……ッ」

 

 

 あまりにも鋭い眼光に私がビビってしまった。待って待って怖すぎる。こ、こんなに? 知ってたけど。こうなると薄々感じてたけど。それにしてもこう、もうちょっとさ、せっかく可愛いんだし、顔に気を付けていかない? 

 

 

「いける……いけるいけるいけるいける……ッ! まだやれる、まだ走れる……気合いよスカーレット、負けてたまるか……アタシが……アタシは……!!」

 

 

 私の身体を支えに縋るように立ち上がってくるスカーレット。やはり根性の塊、ダイワスカーレット。身体が限界でないならつまり気合いで何とかなる、という人間では決して為し得ない理屈で折れることがない。

 

 しかし怪我率は無いものの少しふらついている。ちょっとだけ時間を置きたいということで支えたままスタート位置に戻ることに。一方、ブルボンは再びスズカを追いかけて、後ろから私達に追い付いてきていた。

 

 

「……待ったブルボン。こっち向いて」

「……はい」

 

 

 息を大きく乱し、汗だくになりながらスタート位置に戻ろうとするブルボン。腕が震えている。目が少しぶれているような気がしないでもない。頬を挟んでしっかりと目を合わせる。スカーレットが私の支えを失い倒れそうになったが、何とか腕に掴まって事なきを得……待って今袖からちょっと笑えない音したな。

 

 

「まだ……まだ……オーダーを……完了……していません……」

「うん……まあ次が最後かな」

「……そんな」

「そんなじゃないでしょ」

 

 

 やっぱりゆっくり休んだだけあってブルボンも頑張った……んだけど、流石に怪我率が出始めた。歩いて戻ってもう一回が良いところかな。

 

 

「スズカさんに……まだ……」

「今日はもうダメ。スカーレットもゆっくりね」

 

 

 スズカも止めないと……なんだけど、よく考えたら止める力が無いな。ブルボンとスカーレットは限界だし、私単独では走っているスズカは止められない……終わったか……? まあ、仕方無いから一旦二人の最後を見届けてからにしようか……

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「スズ──」

 

 

 びゅん、とスズカが目の前を駆け抜けていった。これは私の話なんか聞こえてないかなあ。

 

 

 何が不味かったかな。時々競り合わせたことで火がついちゃったことかな。とにかくスズカが止まらなくなってしまった。気を失っているブルボンとスカーレットを扇ぎながら、どうやったら止まるかなあ、なんて考えていた。

 

 

「……はあ」

 

 

 最悪私がコースに出れば無理矢理にでも止めることはできるだろうけど、普通に危ないし怖いから嫌だなあ。ため息をついて、仰向けで倒れる二人に目を向ける。

 

 ブルボンならダービーは間違いなく勝てるとは思っている。やたらとライスシャワーを警戒しているみたいだけど、スペックを見るなら負けるはずがない。スタミナ最大値の勝負になれば厳しいとは思うけど、いくらスタミナがあっても結局はスピード勝負だ。ブルボンがスタミナ不足ならそれで終わりだがそうではない。

 

 

 ……ただまあ、ブルボンの話では今もどこかでブルボンをストーキングしているらしいライスシャワーについては是非一度会ってはみたい。相当ぶっ飛んだ子だろうし、覚悟が決まった後でね。

 

 

「帰っちゃうよスズカー」

 

 

 ……愛バとのコミュニケーションもとれてないし。



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注意喚起を受けるミホノブルボン

受けてるのはブルボンじゃないじゃん。


 

「こんにち……は、スズカさん……何してるんですか……?」

「お仕置き……?」

「ぁっ、ゃっ、ぁっ、たっ、たすっ、たすけてっ、スペっ、ちゃんっ」

 

 

 ある日、スペシャルウィークがエルナトの部屋にやって来た。私はと言えば、スズカを膝に寝かせてぽこんぽこんとお尻を叩いている。ペットボトルで。

 

 

「今度は何をやったんですか、スズカさん……」

「おっ、おっ、おかしっ……どうして私が悪いみたいな……」

「いつもそうだからですけど……?」

 

 

 スズカの後輩の中でもスペシャルウィークはやはり距離が一際近い。結構この部屋にも来るし、冷蔵庫の中には彼女が置いていった飲み物もある。何も言わずそれを取って、私達の向かいに座るスペシャルウィーク。

 

 

「この頃走らせすぎたからね。自由に走って良いと思っちゃったみたいで」

「ああ……そういえば昨日も走りに行ってましたね、スズカさん」

「でしょ? だからちょっとお仕置きって感じで」

 

 

 ブルボンとスカーレットを追い込むのにスズカの存在は非常に便利だ。フリーで……つまりレース外で走っている限りスズカのスタミナは無尽蔵と言っても良い。ペースも恐ろしく早いので、消耗した二人とならばスプリントの練習にもなるのだ。

 

 ただ、それを二日に一回やっていると、走ることしか考えられないサイレンススズカは勘違いしてしまうのだ。つまり、ダービー追い切り期間は無制限に走って良いのでは? と。

 

 それに加えて、やはりトレセンのコースは他のウマ娘もいるし、ブルボンやスカーレットは故意に並ぼうとしてくるわけで。走って楽しい! の裏でストレスは溜まるんだろう。それを解消するために寮を抜け出したのである。

 

 

「仕方無いじゃないですか……! こんな、生殺しみたいなものです、走るなら、走るなら一人が良いです……!」

「じゃあ明日から追い切りにも出なくて良いわよ」

「それはやります……ぁぅっ」

「わがままねスズカは」

 

 

 ばちこん。難儀な子ね。

 

 

「それで、スペシャルウィークは今日はどうしたの?」

「いえ、ブルボンさんとスカーレットさんが毎日大変なことをしてるって聞いたので、どんな感じかなって気になっちゃいまして」

「どんな感じ……まああんな感じ?」

 

 

 後ろを指さす。エルナトのベッドに、スカーレットとブルボンが倒れていた。壁側で完全に眠ってしまっているのがスカーレットで、目だけは開いていてこちらをじっと見つめているのがブルボン。

 

 今日は学園は休みだったし、だったら涼しいうちにやる方が良いに決まっている。お昼はもう過ぎてるから、そろそろ起こして食べないといけないんだけど……スカーレットが起きない。仕方無いけどね。

 

 

「うわあ……なんか……自分がやるのは良いですけど、人がやってるの見るのはなんか引きます」

「逆じゃないの……?」

「やってる時は必死なので……」

 

 

 仮にもスズカの洗礼を受けたことのある子は深みが違う……天真爛漫を地で行くスペシャルウィークが、やけに悟ったような顔で言ったのにはびっくりしたけど。

 

 

「スペちゃんもやらない? ブルボンさんのダービーが終わった後とかどう?」

「次の私の目標、スズカさんに宝塚で勝つことなんですけど……」

「そうなの……?」

「私、寮で何度も話してますよね!?」

「……そうだったかしら」

 

 

 逃げようとしていたスズカが一転して私に顔を押し付けて隠れてきた。

 

 

「こらスズカ」

「ひぇ」

「まあ、スズカさんが覚えてるわけないとは思ってましたけど……」

「ち、違うのスペちゃん、話は聞いてたのよ」

「ならより悪いじゃないですか」

「あぅ」

 

 

 くすくす笑いながらのスペシャルウィークに負け、涙目で私に縋るスズカ。でもこれはスズカが悪いと思います私も。次はスズカさんと走ります! みたいに言われてるってことでしょ。

 

 

「ち、違います……ちょっとド忘れしちゃっただけですから、本当に……お、覚えてるんですよ?」

「じゃあ普段関わっている人達の次走、言えますか?」

「言……………………えるけど……?」

「目ぇ泳いでるわよ」

「言えますぅー」

 

 

 完全に私に抱きついて、そのまま身体を丸めるスズカ。腕を広げて抱えてあげる。まあ言えないでしょう。他人に興味が無いんだから。菊花賞も話を合わせただけの可能性があるからね。

 

 

「まあ、良いですけどね。スズカさんらしいですし」

「でしょ?」

「……私が言うのもなんですけど、トレーナーさんは一回怒った方が良いと思います」

「あれ……?」

 

 

 それはそうと、とスペシャルウィークが話を切った。スペちゃん……とさめざめ泣くスズカ。扱いが上手いなあ。これで誇張無しに心の底から尊敬してるというんだから凄い。尊敬することと持ち上げることは必ずしも一致はしないのよね、実際。

 

 そういう意味であればスズカだってある程度他の人を尊敬しているはずだし。マチカネフクキタルのバイタリティとか、エアグルーヴの高潔さとか。あくまでレースに興味が無いだけでね。

 

 

「ダービー、勝てそうですか?」

「ん……まあ勝てるでしょうね。九割勝てるわ」

「じゃあ大丈夫……でしょうか。まあその、あんまりどちらかの味方はしないようにとは言われているんですけど……この間グラスちゃんと話をしたんですよ」

「うん」

「ダービーにグラスちゃんがいたら、どうなってたかって話なんですけど」

 

 

 グラスワンダーは怪我によりクラシック前半を棒に振っている。とはいえ、その後しっかり年末までに成長してスペシャルウィークに勝ったのは物凄いことだ。爆発力と実力の両立、それも爆発力が侮れないレベル。バランスはスズカの上位互換と言っても良い。

 

 

「もしもの話をあんまりしてもしょうがないですけど、でも、きっと同じように徹底マークから追ってくるとは言ってました。怖いんですよねえ、グラスちゃんのマークは……」

 

 

 しみじみ言わないで本当に怖いから。私も怯えてるんだからね。あれは標的が多すぎて自分で自分を縛っているだけで、それがスズカ一人に向くとヤバい。スペシャルウィークに勝ったのも、スペシャルウィーク一人を標的にできたからだ。まあ、元から強いから実力勝負をしても伯仲だろうけど。

 

 

「で、ここからなんですけど……今年のクラシックに、グラスちゃんが、『運命的なものを感じる子がいる』って言ってたんです」

「……ライスシャワー」

 

 

 ブルボンが喋った……? 

 

 

「その子は、ライスシャワーではありませんか?」

「え? いえ、物陰にいるのを見付けて、雰囲気とか眼が似てるって話だったので名前までは……」

「物陰というのは私がいる後方の物陰ですか? 黒髪で、小柄な方です。片目が隠れていて」

「あ、そんな感じです……そう言われればスズカさんとブルボンさんに話し掛けに行く途中でした」

「ではライスシャワーです」

 

 

 ブルボンが少し満足そうに口角を緩めた。あの付き纏ってくるヤバい子ね。黒髪で小柄なんだ。なんていうか……その、メンヘ……いや、その。ごめんやめとくわ。

 

 

「最近ライスと仲良くなりました。彼女は恐らく今日も私を追い掛けてきています。マスター曰く、脅威ではないようですが」

「むむ……ま、まあ、そうだけど」

 

 

 なんか皮肉られているような気がする。ちゃんと見た方がいい? ライスシャワーのこと。でも確かに、本当にグラスワンダーと同じタイプなら脅威ではある。脅威だったところで対策は私にはできないんだけど。

 

 

「やはりライスシャワーは脅威です。ですので、ダービー後もさらなるトレーニングが必要です」

「そうですよ、たくさん走りましょう、ね、ね?」

「……ブルボンについては検討しておきます」

「あ、あれ? トレーナーさん? 私は?」

 

 

 何も言えなくなってしまった。心なしかふふん、とブルボンが誇ったように見える。ほえー、とスペシャルウィークがちょっと間抜けな声をあげた。

 

 

「トレーナーさん、誰かを脅威に思うことあるんですね」

「私を何だと……いやまあ、滅多にないんだけど……」

「グラスちゃん、怖いですからね。物凄く」

「何かされたことがあるの?」

「無いですよ。私は」

「ああ……」

 

 

 思い当たる節があるのか、小さく呟くスズカ。何かされたの、あなたじゃないでしょうね。

 

 

「なので、ダービーも気を付けてくださいねってことです。あと宝塚も。私もグラスちゃんも出て、スズカさんにも勝ちに行きます。最近、ちょくちょく一緒にトレーニングしてるんですよっ」

「へー。生半可なトレーニングで……いや、どんなトレーニングをしようとスズカに勝てる気にはならない方が良いわよ。無理だからね」

「……こういうところなんですよね。わざわざ言いに来たくなるのは」

 

 

 ぐっとジュースを飲み干すスペシャルウィーク。ごめんね。私はスズカ最強を疑っていないし疑えないのよ。マイル中距離にてスズカは最強。一生そう思って生きていくと思うしさ。

 

 解ってるじゃないですかぁ、とご機嫌になって起き上がり、肩に頭を乗せてくるスズカ。あなた今お仕置き中だからね。可愛いからしばらく許すけど、調子には乗らないでね。そんな意味を込めて鼻を摘まんだり放したり。

 

 

「ぷぁぷぁ」

「まあ、忠告はありがとう。私はそれは気付けないから助かるわ。ブルボンには三冠を取らせなきゃいけないし」

「凄いこと言いますね……三冠なんかなかなか取れるものじゃないんですよ。G1勝つだけでも大変なのに」

「ふふふ。普通のウマ娘は未勝利勝つだけでも大変って言うのよ。染まっちゃったわねスペシャルウィーク」

「はっ……い、いやいや! 私は良いんですよ! 私は今まで勝ったみんなを背負ってるんですから! トレーナーさんも、そういう心構えの方が私には良いって言ってくれてるので!」

「そうなの? やっぱあの人凄い人ね……」

 

 

 心構えなんか私はほとんど言えないし、ブルボンもどう思っているやら。確かにスペシャルウィークはそういう芯が通っているというか、背負った方が頑張れるのかもしれない。

 

 ダービーもブルボンに何か言ってあげたいけど、特別な思想は持ってないからなあ。とにかくライスシャワーが覚醒しないことを祈るばかりだ。

 

 

 その後もしばらく話し込んだ。途中からはスズカとスペシャルウィークが話すのを私達が聞いている感じになってしまったけど、これはいつも通りのこと。彼女が帰った後、昼食をとりながら、ブルボンは言った。

 

 

「今度、是非お父さんが家に来て欲しいと。あるいは東京に出てくると言っていました」

「……それは、どうして?」

「ミホノブルボンがダービーを勝つことがあれば、それは元トレーナーであるお父さんにとっては生涯を捧げても足りないほどのことだと」

「……それはまあ、そうだけど」

「マスターにお任せします。私は提案するよう指示されただけです。マスターが私のお父さんを苦手としていることも理解しています」

 

 

 教え子に気を遣わせてしまった……最低だ私って。戒めとしてお父さんとは連絡をとります。まあブルボンの大事な話だからね。何だかんだこういう連絡からは逃れられないしちゃんとやらなきゃいけないところ。

 

 

「ところで、マスター」

「ん?」

「マスターは、ダービートレーナーという肩書きにご興味がありますか」

「いや……まあ、あれば嬉しいなあくらい……?」

 

 

 そうですか、とフォークを咥えるブルボン。そりゃあ、普通のトレーナーにとってはダービーなんて夢のまた夢なんだから。一度でも勝てればそのままレースの世界から消えても良いくらいの栄誉と言われてるんだからね。

 

 ……私は別にそこまで興味ないけど。

 

 

「では、マスターに必ずダービートレーナーの称号を差し上げます」

「え? うん……嬉しいけど」

 

 

 ゆっくりお待ちください、とブルボンは言った。どういう心境の変化かは解らなかったけど、食べ物で頬を膨らませるブルボンは可愛かったので笑顔で頷いておいた。



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友達を紹介するミホノブルボン

うすあじ。


 

「じゃあ今日も終わりね……聞こえてないか」

「……ぃ……ぇ……」

「まだ意識あるの? 凄いじゃないブルボン。ちょっとびっくり」

 

 

 ダービーも直前まで迫ったある日。今日もブルボンとスカーレットを潰した私は、ターフにしゃがんで二人を水で冷やしていた。スカーレットは完全に気絶、ブルボンは虫の息……っていうと瀕死みたいだけど。疲れてるだけね。

 

 やっぱりこの二人は凄い。二日に一度気絶するまで追い込んでいるのにモチベーションが留まることを知らない。それに、ブルボンに至ってはダービーに向けて高めた強度を既に克服し始めた。

 

 

「スピードの伸びも良いし。やっぱり効率良いわね、スズカと走るの」

「…………ぁ」

「無理して喋らなくて良いのよ。寝てたら運んであげるから」

「…………」

 

 

 仰向けのままゆっくり首を振るブルボン。今度はあれかな、気絶するまで追い込まれてもなお意識を保つ自分に喜びを感じているとか。そんなことに喜び感じないで? 

 

 さて、それでこっちはこっちでやることがある。いつも通り走り続けるサイレンススズカを何とかしなければならない。一応対処法は確立されている。

 

 

「スズカー」

 

 

 こっちに向かってくる周回を見計らってメガホンで声をかける。

 

 

「終わりよー」

「!?」

 

 

 対処法というか、スズカも少しずつ良い子になってきているのだ。最初の方は理性無く走り続ける悲しきモンスターだったものの、今では私の声に反応を示すようになってくれた。

 

 ……ちなみに、スズカ自身の聞き分けが良くなったわけではない。単純に普段から走れるようになったから欲求不満が多少なりとも抑えられているだけだ。

 

 

「はい、終わり!」

 

 

 そして、私の声に反応して脚が人間レベルまで落ちたところで、走るスズカの目の前に飛び出す。物凄い衝撃とともにスズカに押し倒される形になるが、すぐに足と足を絡める。

 

 

「ぅぎゃっ……と、トレーナーさん、もう一周……二周だけ……!」

「何伸ばしてるの」

「ぁぅぁぅ」

 

 

 スズカの体重そのものは大したことはない。スピードさえ無ければ走っていてもギリギリ……まあ結構痛いんだけど、覚悟さえしていればぶつかっても大丈夫。ちなみに本気で走っているところに飛び出したら双方ただでは済まない。

 

 逃れようともぞもぞ動くスズカの頬をうりうりして、額を指で弾く。早めに退いてくれないと周りに誤解されるからね。抱えるみたいに立たせて、ウマ娘用の手錠をかける。私と繋げばもう暴走はできない。

 

 

「酷いです、横暴です」

「何が横暴よ。たくさん走ったじゃない」

「これは走ったうちに入らないです……」

「はいはい。また考えてあげるからスカーレットを担いであげて? 部屋に帰るよ」

「あい……」

 

 

 実際今の期間はスズカのランニング禁止もかなり緩い。キツくしてもスズカは勝手に走るから関係無いけど、私からのお墨付きありと無しでは気持ちが違うんだろうね。え、そうだよね? そう思っておいて良いよね? 

 

 

「よいしょ……っとっとっとっ」

「あっ危ないですよトレーナーさん」

 

 

 ブルボンを持ち上げた……のは良いものの、少しふらついてしまった。後ろにブルボンごと倒れそうになる私の腕をスズカが掴んだ。片腕でスカーレットを持ち上げながら二人分を止めるとは流石ウマ娘。

 

 

「ありがとう。ちょっとふらついちゃった」

「助けてあげたので走っても良いですか?」

「それはだめ」

「……二人とも私が抱えますから走っても良いですか?」

「だーめ」

 

 

 そんな……なんて消え入りそうな声で呟くスズカ。この子はまったく何かにつけて。

 

 

「じゃあ帰るわよ。よいしょ」

 

 

 肩掛けのバッグはスズカに持ってもらって、トレーナー室へ戻っていく。肩に担ぐみたいに抱えているわけだけど、まだ意識があるはずのブルボンはこれどんな気持ちなの。

 

 

「……マスター」

「ん? どしたの」

 

 

 しばらく歩いて校舎に入った頃。ブルボンがか細い声で呟いた。

 

 

「以前……ライスと会いたいとおっしゃっていました」

「私が? うん。言ったけど」

「今から私の指示通り動いてください」

「え……あ、会う約束とかしてるの?」

「いえ、ライスは付いてきていますので裏を取ります」

 

 

 取ります、じゃないが。

 

 

 でも興味はあるのでブルボンの言われた通り校舎内を練り歩く。今更良いんだけど、担当を抱えて歩き回る私ってどういう風に見られてるのかしらね。あと普通に疲れてきたし。

 

 

「次、右折したらすぐに走って左折してください。六秒以内です」

「いや無理無理。抱えたまま走れないって」

「……ではルートを変更します」

 

 

 そして、しばらく歩き回って、いい加減私の腕も限界、何ならブルボンが回復して一人で歩けるんじゃないかと思い始めた頃。ブルボンが私の肩を叩き止まらせた。もう良い? 本当に疲れたんだけど私。もう階段登れないって。

 

 

「振り向いてください、マスター。あれがライスです」

「ほう」

 

 

 なぜ歩かされたのか解らないけど、まあスズカと一緒に振り向く。そこに、小さめのウマ娘がいた。長い黒髪で、片目が隠れている。何かこう……思ってたのと違う。

 

 もうちょっとロックな感じの子だと思ってた。なにせ誘拐の手伝いをしたり、ストーキングしたりする子だから。ところがどっこいこう見ると、とても大人しそうというか、どちらかと言えばおどおどしているタイプだった。

 

 

 ……いや待て、本当にそうか? おどおどしてたら見付かった時点で逃げ出すような気もする。私とスズカが見ているのに、物陰からちょこんと顔を出したまま逃げようともしない。一歩ライスシャワーに踏み出すと、一歩下がっていく。

 

 

「ここからどうするの?」

「彼女は会話ができます」

「そりゃできるだろうけど……ブルボンが話しかけたら?」

「解りました。ライス、聞こえますか」

 

 

 びくっとライスシャワーが一瞬身体を隠し、すぐにまた出てきた。

 

 

「今日は元気そうですね、ライス」

「……!?」

「いえ、これはトレーニングの結果です。不健康から来るものではありません。ご安心ください」

 

 

 ちょっと距離があるので私にはライスの言葉は解らない。話している間に少しずつ近付いていく。

 

 

「え、あ、ええ。こんにちは。サイレンススズカです」

「スズカさん、会ったことがあります」

「えっ……そうなの……? あ、ああ、思い出したわ。確か会ったわね」

「スズカさん……ああ、ライス。マスターの聴力では聞こえません。あと十メートルほどお待ちください」

 

 

 またこの子は。担いだスカーレットで顔を隠すスズカ。ライスシャワーとの距離もそこそこ詰まってきて、彼女も物陰から出て物凄い勢いで頭を下げてきた。

 

 

「こ、こここ、こんにちは!! ライスシャワーです!」

「あら……こんにちは。可愛い子ね」

「はい。小動物を思わせるとクラスでも評判です」

「そう……」

 

 

 確かに少し震える声は庇護欲をそそる。これが母性……? 普段スズカに感じてるのは母性じゃなかったのね。良かった……良かったのかな。

 

 ともかくライスシャワー。思っていたイケイケヤンキーではなく、普通におどおどした小さめ、小さく見える子だった。これに拉致を手伝わせたの、ブルボンは。

 

 

「ど、どうしたの……あの、め、迷惑だった……?」

「いえ。ついてくることについては以前もお話ししたようにまったく問題ありません。今日はこちらの……私のマスターがライスと顔合わせをしたいと」

「あ、あの、あ、ら、ライスシャワーです、ブルボンさんには、えと、お、お世話になってまひしゅ……ぁぅ」

 

 

 ぺこぺこと頭を下げるライスシャワー。よくブルボンと仲良くなれるわね、こんな感じで。真逆とかのレベルじゃなくない? ブルボン、言葉選びとか間違えてライスシャワーにダメージを与えてたりしない? 

 

 

「こちらこそいつもブルボンと仲良くしてくれてありがとうね。ちょっと挨拶がしたかっただけなの。驚かせちゃったらごめんね」

「あ……い、いえ、大丈夫、です……ライ……私こそその、大きな声出してしまってごめんなさい……」

「ううん。大丈夫よ」

 

 

 さて。ライスシャワーの目を見て能力を見せてもらう。これが大きな目標だ。

 

 うーん……普通。別に他のウマ娘とそう変わらない。やはり何度見てもブルボンに届き得る能力ではない。これが何か爆発力を以てブルボンを超える可能性……もちろんマチカネフクキタルとかいう世界のバグがいるのであり得ない話ではない。

 

「少しお話したいなと思ったけど……時間とか大丈夫?」

「え、えと、えっと……」

「マスター。食べ物で釣りましょう。ライスはこの体躯ですがとてもよく食べます。私と同じタイミングでトレーニングをしているでしょうから、恐らく現在ステータス:空腹と思われます」

「ブルボンさん!? い、言わないで!? と言うか釣るって何!? ライスお魚さんじゃないよ!?」

「じゃあ甘いものでも食べようか?」

「良いですね。行きましょう、ライスさん」

「あっあっあっ」

 

 

 大人の私とスズカとに言われ、ライスシャワーは混乱して黙ってしまった。軽く暴露をかましたブルボンが私の肩から降りて、ふらつきながらもライスシャワーの手を握る。

 

 

「行きましょう」

「えっ……あ、えっと……は、はい……じゃあ……」

「良かった」

 

 

 こういうパワーバランスかあ。スズカフクキタルの正反対とはまた違う感じね。何よりブルボンが他の子と仲良くしてるのを見るとこっちまで嬉しくなる。スズカからスカーレットを受け取り、財布を渡しておく。

 

 

「私はいらないから先に頼んでおきなね」

「はい。じゃあ行きましょうか、ライスさん」

「は、はい、よろしくお願いします……」

 

 

 スズカも少しだけ気を張ってくれているし、これで安心だ。あとは私も個人的にライスシャワーと話せるようになって、色々把握しておかないと。

 

 

 ……でも、やっぱりこんな気弱そうな子が飛ばしてくるとは思えないけどなあ。まあそのうち解るか。ダービーまでに何か掴めると良いんだけど。



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見抜けないミホノブルボン

見抜けてないのはブルボンじゃないじゃん。

ライスとの会合はカット。


 

「やはりマスターも気付いていただけましたか」

「嬉しそうねブルボン。やっぱり走りたいだけじゃないの?」

「そんなことはありませんが」

 

 

 結論から言うと、何も解らなかった。

 

 元々、私の目はウマ娘の現在のステータスと調子、怪我率諸々が見えるに過ぎない。しかし、トレーニングはともかくレースの結果はそれだけでは決まらないのだ。

 

 例えば、スズカを筆頭に一流のウマ娘は、レース中能力以上の速度や加速力、スタミナを発揮することがある。これを私は伸び脚と呼んでいるが、これは私には把握できない。何度もレースを見て、どんな条件でそうなるのか見抜くしかない。もちろん、ステータスが見えるからこそ伸び脚の存在に気付けるわけだけど。

 

 

 そしてもう一つ解らないのがこの、爆発力のこと。マチカネフクキタルは運気が良いと能力を遥かに超える力を発揮するし、グラスワンダーは標的を決めそれを上回る輝きを見せる。これも、ステータスが見えるからこそ気付けるものだ。

 

 

 しかしまあ、この爆発力というのは伸び脚以上に見抜くのが難しい。なにせ実際に走るまで解らないのだ。マチカネフクキタルの場合は軽率に併走を挑んでくるためほぼ完全に把握しているが、グラスワンダーはいまだ推測の域を出ていない。

 

 

「ヤバいかヤバくないかで言えばヤバいんだと思うわ」

「トレーナーにあるまじき雑な言い方ね」

「こればっかりはね。見抜けるものと見抜けないものがあるから」

 

 

 トレーナー室にて、エルナトは全員集合で話していた。今日はスパルタは休みなので、ブルボンやスカーレットも普通にしている。筋トレはやったはずなんだけど、今更その程度じゃ騒ぐほど疲れもしないらしい。

 

 ライスシャワーを誘って行った食事……結局おやつを食べさせたらさらにお腹が空いてしまったということで晩御飯まで連れていったのだけど、収穫は微妙なところだった。

 

 

 ライスシャワーが爆発力を持っているかどうかは私には解らない。ただし、爆発力を持っていることを前提にその条件を考えることは不可能ではない。会話の中で、ライスシャワーのブルボンに対する執着が見てとれた。

 

 

 

『ブルボンさんは、みんなを笑顔にするウマ娘……だから、ライスもそうなりたい。追い付いて、ライスもみんなを笑顔にしてあげたいんです……っ』

 

 

 ……執着というか、憧れというか。

 

 とにかく、正々堂々勝負をするために、というグラスワンダータイプではない。ないが、徹底的にブルボンのことしか見ていない。他のウマ娘をほとんど眼中に入れていないあたり、やはり強者だ。

 

 

「仮だけど、グラスワンダーと同じタイプとしておくわ。グラスワンダーもそんなことを言っていたらしいし」

「じゃあ、何か対策をとるってことはできないんですね」

「そうなるわね」

 

 

 スズカが私の隣で微笑んだ。私はスズカ最強主義だが、マチカネフクキタル、グラスワンダーが完全にスズカを捉えることを恐れている。それはスズカも解っているのだろう、私の太ももに手を置いて、こてん、と寄り掛かってきた。

 

 

「本当に何もできないわけ?」

「それは本当に申し訳ないけど、こればっかりはね。爆発力に対抗するにはこっちも爆発力を持つしかないわ。身体能力差で押し切れるならスズカがマチカネフクキタルに負けるわけがないもの」

「しかし、勝率は上げられるはずです。トレーニングの強度を上げましょう」

「……まあ、私達にできることを考えるとそういうことになるわね。ダービーもそうだけど、菊花賞は特に」

 

 

 それに関しては仕方がない。ブルボンが可哀想とか心が痛むとかそんなことを言っている場合ではないのだ。気休めにもなるし、たぶんだが爆発力にも大きさというものがある。小さければ何とかなるかもしれない。

 

 

「爆発力を後天的に獲得する方法は無いのですか」

「まあ、あるのかもしれないけどね。私もウマ娘レースをちゃんと見たのはここ数年だけだから」

「……そうなの?」

「そうよ。映像でも何となくは解るけど、ちゃんと追っていないと正確な把握は無理」

 

 

 そもそも、身体能力を覆すようなものをそう簡単に獲得できるとも思えない。マチカネフクキタルの運勢フリークやグラスワンダーの勝負フリーク、スペシャルウィークの主人公の素質がそう簡単に身に付くかという話だろう。

 

 

「じゃあひたすら頑張るだけってことですね。ふふっ」

「ダービー過ぎたらスズカはブルボンのトレーニングには関わらないのよ」

「えっ……」

「えっじゃなくて」

「話が違います。菊花賞まで毎日一緒に走って、夜はその分走ってトレーナーさんのお家で寝ても良いって話でしたよね、今」

「ここぞとばかりに欲望を詰め込んできた……」

「夜はその分走るって何ですか。日本語おかしいでしょ」

 

 

 そんな話してないでしょ、とスズカの口に飴玉を突っ込む。むー、と私のシャツのボタンを外したりつけたり。ぴこぴこと動くウマ耳をマッサージしながら擽ると、んあー、と間抜けな声をあげて膝に倒れ込んでくる。

 

 

「へぅ」

「宝塚に向けてのトレーニングはするから」

「ランニングですか!?」

 

 

 ばっと顔を上げたスズカの鼻先をつつく。

 

 

「き、ん、と、れ。はあと」

「ふぇぅ」

「ブルボン先輩コーヒー飲みます?」

「苦味は得意ではありません」

「じゃあミルク出しますね」

 

 

 人数分のコーヒーと牛乳が用意され、苦い……と呟くスズカのそれに横からガムシロップを注ぐ。ところで、スカーレットって紅茶派じゃなかったっけ。紅茶もあるよ。ここ、もう第二の自室みたいになってるから。チーム制度さまさま。

 

 

「いや……目の前でいちゃつかれると心がね……羨ましくはないんだけど、それはそれとして一旦ムカつく」

「いちゃついてるわけじゃないけど」

「面白い冗談ね。はっ倒すわよ」

 

 

 ちょっとスズカを可愛がってるだけでどうしてそんなことを言われなければいけないのか。コーヒーを半分残して飴を舐めつつ外をちらちら見始めたスズカの尻尾を掴む。ダメだからね。走らないでね。

 

 

「そもそもスカーレットは大げさなのよ。こんなのただのスキンシップじゃない。トレーナーはウマ娘が嫌がらない程度に適度なスキンシップが必要なのよ」

「適度って言葉を辞書でひいたら?」

「程度がちょうどいいこと、ほどよいこと、とあります」

「流石ブルボン先輩。そういうことです」

「どういうことよ」

 

 

 見た目だけならお淑やかなじゃじゃウマ娘を右手で抱き抱え、左手でコーヒーカップを傾ける。揺れる揺れる。頬っぺたを私の肩に擦り付けて飴玉を転がすスズカ。

 

 

「じゃあアンタの中のいちゃつくの基準は何なのよ。恋人いたことあんの?」

「あるわよ。言ったことあるでしょ」

「……そう言えばそうね。え? 彼氏がいたくせにこんなにずれてるの?」

「ずれてるとは……?」

「まずスズカ先輩を撫でるのをやめろって言ってんのよ」

 

 

 撫でるくらいどのトレーナーもやってるでしょとは思いつつも言われたので手を放す。すると、スズカが立ち上がってスカーレットを後ろから抱き締めた。

 

 

「撫でられちゃいけないんですか……?」

「ひぇっ」

「悲しいです……寂しいですスカーレットさん……まさかスカーレットさんが、そんなことを言う人だったなんて……」

「あ、あああ、い、いえ、そのこれは冗談のツッコミというか……」

「ご安心ください。スズカさんも六割冗談です」

「結構本気じゃないですか!」

「ふふ……っ、くふふ……」

「笑えない! 全然!」

 

 

 仲が良いことは良いことだ。ちょっとスカーレットが弄られまくってるような気がするけど、スズカとブルボンに挟まれて嫌な気分はしないだろう。スカーレットも立ち上がって逃げようとはしていないし。

 

 

「そろそろおやつでも食べに行く?」

「そんな空気じゃないの解んないの!?」

「微笑ましい状態じゃない」

「違うって! スズカさんから漏れ出てる本気が怖いのよ!」

「まさかあ」

 

 

 スズカが怖いわけ……いや逃亡者サイレンススズカは怖いな。ファンの間でもあの目付きの悪さが逆に良いみたいな評判もあるみたいだし。久しぶりにファンスレでも覗こうかな。半分踏み外してる人ばっかりだけど。

 

 

「甘味ならライスシャワーを誘ってもよろしいですか」

「良いけど……そんなに頻繁に誘って来てくれるの?」

「用事がある日はストーキング行為を行いません」

 

 

 あれって暇だからやってるとかそういうものなんだ……いやそんなわけないのは当たり前だけど、ブルボンの認識もどうなってるの? 

 

 

「あの子もブルボンに勝ちたくてやってるんでしょ。知ってて許してるんじゃないの?」

「いえ……許しているのは実害が発生していないからです。咎める理由がありません。また、精神的な作用が無いにも関わらず執着するというのはまだ理解できません。非効率的です」

 

 

 それはね。でも、彼女はそういう子みたいだし、実際にそう言っていたわけで。相手が勝つことを疑わず、そこに勝ちに行く戦法は非常にリスキーだ。グラスワンダーもそうだけど。

 

 ……しかし、その相手がブルボンやスペシャルウィークのような強者なら話が変わる。レース全体に勝利するより個人に狙いを絞って勝つ方が簡単なのは当然であり、対象が必ず先頭にいるからだ。

 

 ただ、それをブルボンに言っても仕方無いのかな、とは思う。油断でも何でもなく、ブルボンに、相手が脅威であるということを強く意識させたくない。スペシャルウィークとは真逆で、ブルボンはいかに何も背負わず自分の走りを貫けるかで勝負が決まってくる。

 

 

「……ブルボンが必ず一着をとるって信じてるから、それに勝てば一着って理屈じゃないの?」

「……なるほど」

 

 

 なんかブルボンがちょっとがっかりしているようにも見える。言い方、間違えたかな。ごめんねブルボン、気が利かなくて。スズカもブルボンも強いから勘違いしてるのかも。

 

 スズカの囁きに何らかのトラウマを持ってしまったらしいスカーレットを微笑ましく見守りながら、今日も平和に一日が流れていった。



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後輩の脳を破壊するミホノブルボン

ダービーが、来る。


 

「見て! トレーナー!」

「うわっびっくりした」

 

 

 ある日、スカーレットが扉を破壊する勢いでトレーナー室に入ってきた。左手にファイルを持って、即ドアを閉じていつもの調子でそれを掲げる。

 

 

「どうしたの」

「見なさい! 私のこの輝かしき成績を!」

 

 

 テストの結果か。そういえばスズカやブルボンにも昨日聞いたわね。スカーレットだけ見せて来なかったけど、別にトレーナーとしては赤点かどうか以外はそんなに大事じゃないし、三人がそんなもの取るわけがないので追及しなかった。

 

 トレセンのテストは結果が出るのが遅めなのだ。いつのテストか忘れた頃に来る。補習とか再テストを喰らうと確信できるような子からすれば勉強時間をたくさん取れて嬉しいんだろうけど。

 

 

 誇らしげに差し出される結果表を受け取り開く。まず飛び込んできたのは並んだ百点。国語と理科はたぶん一問くらい落としたんだろうけど、それにしても凄い。中等部一回目のテストということを差し引いても破格の成績だ。

 

 

「凄いじゃない、百点」

「そこじゃないわ。その下」

「下」

 

 

 下は順位だ。まあ……それはそう。全ての教科、全科目総合までしっかりと並んだ学年一位の表示。すっご。天才じゃんうちの子。

 

 

「流石ねスカーレット……まさか全部一番取るとは思ってなかったわ。総合一位はあり得ると思ったんだけど」

「ふふん、甘く見ないでよね! 全部勝ってこそ一番なのよ!」

「偉い。よく頑張ったね」

「当然じゃない!」

 

 

 ただでさえ大きな胸をさらに張って鼻を高くするスカーレット。普通に凄いことをしているし、頭を撫でられウキウキになるスカーレットが可愛いので嫌味にも感じない。いつも着けているティアラが輝いて見えるわ本当に。

 

 

「ご褒美をあげようか。何が良い?」

「そうねえ……別に? こんなの当然だし? ご褒美なんかいらないけど?」

「私があげたいのよ」

「じゃぁーしょうがないわねぇー」

 

 

 くそかわ。何だかんだこうして調子に乗っちゃう辺り中等部って感じね。もしくはよほど不安だったか。ふふふん、とニコニコしながら私の隣に座ってきてるし。頭撫でられ待ちのウマ娘というのは、もうそういう魅了の力でも持ってるんじゃないかってくらい可愛い。

 

 こだわりのツインテールにだけ気を付けて、叩くように撫でる。触れる度に誇らしさからか身体を伸ばしてこっちに近付いてきているような気がするわね。

 

 

「どうしよっかなー……回らないお寿司とかぁ」

「良いねえ。どこかお店潰しちゃおっか」

「ブランドバッグ……香水も良いわね……」

「うんうん」

「まあー……でもぉ……」

 

 

 ふにゃふにゃになったご機嫌スカーレットがついに寄り掛かってきた。懐くと密着してくるのはウマ娘の特性か何かだろうか。全然悪い気はしないけど。というかおっぱいでっか。

 

 

「やっぱりぃ……特別メニュー回数券よね」

「それはやめよう」

「……今おねだりすれば何でも貰える流れじゃなかった?」

「限度があるでしょ」

「回らないお寿司より……?」

「和牛ヒレ食べ放題の方がまだマシ」

 

 

 駄目かあ、と私の膝に寝転がるスカーレット。もう満足したのか私の手をぺしんと払い、ふう、と目を閉じる。

 

 

「六月に……デビューするわけじゃない、私」

「まあそうねえ」

「負けたくないじゃない」

「そうねえ」

「じゃあ鍛えなきゃじゃない?」

「一理あるわね」

 

 

 スカーレットのデビューは基本通り六月末に行われる。今年もしっかり予約に打ち勝っていた。ブルボンといいスカーレットといい幸運には愛されているらしい。うわやわらか。もちろんスカーレットの場合は来年のティアラに間に合えば良いのでそこまで急ぐ必要も無いんだけど。

 

 

「必要があったらやるから。私、トレーナー。あなた、ウマ娘」

「その片言を信じるほど私バカじゃないわよ。なにせ学年で一番だから」

「じゃあダメだ。私は平均点だったもん」

 

 

 何と言って誤魔化そうか考えていると、ドアが開いた。

 

 

「おはようございます、マスター」

「こんにちは!!!! サクラバクシンオーです!!!!」

「お、お疲れ様です……すみません騒がしくて……」

「お……はようございます!」

 

 

 先頭、ミホノブルボン。その後ろにサクラバクシンオー、ニシノフラワー。あとたぶんさらにその後ろにライスシャワー。世代の主役とも言って良い大物達が一挙に押し寄せてきた。即座に膝枕から起き上がり、立ち上がって頭を下げるスカーレット。変わり身早いなあ。

 

 

「おはよう。どうしたの? みんなを連れてくるなんて」

「バクシンオーさんが赤点を取りました」

「いやー……お恥ずかしい限り! 今回は自信があったのですがね!」

「でもバクシンオーさん、テストの時寝てましたよね……?」

「解き終わりましたので!」

 

 

 元気な子だなあ。やかましい子とも言う。あとやっぱり後ろにちらちらライスシャワーが見える。ミホノブルボン、ライスシャワー、サクラバクシンオー、ニシノフラワー。四人揃ってトゥインクルシリーズを焼け野原にでもしようとしてるんだろうか。少なくとも短距離はサクラバクシンオーが焼け野原にするだろう。ニシノフラワーも良い勝負ができそうね。

 

 

「夏合宿が危ういので、私達で学習の補助を行います。自習室は私語禁止ですので、ここでやってもよろしいですか」

「おー良いよ。好きにしなね」

「ありがとうございます。ではバクシンオーさん、教科書を出してください」

「はい! ……あれ? わ、忘れてしまいました! 走って取ってきます!」

「いえ、バクシンオーさんは行って帰ってこない可能性があります。私が行きます」

「いえ、何かあったら困るので私が行きますね」

 

 

 ごめん、ニシノフラワー。また何かお礼するね。いつもブルボンが色々迷惑をかけているみたいで。でも何だろう、自分がパシる宣言をしながらもちょっと楽しそうじゃなかった? ただの世話好き? もしかして。

 

 

 スカーレットにはベッドもあるのでそっちに行ってもらい、三人がテーブルを囲む。まずは、と取り出されたサクラバクシンオーの答案は、それはもう酷いものだった。赤点も赤点、大赤点だ。勉強を舐めてるのかと。

 

 

「ば、バクシンオーさん……えと……ライス、流石に反省した方が良いと思うよ……」

「反省はしています! ですが、くよくよしているより、次にどう活かすかが大切だとトレーナーさんもおっしゃっていましたのでくよくよしません!」

「トレーナーさんが言ってたことってそういうことじゃないと思うな……」

 

 

 ……まあ、あれよ。結果として点数が取れるかどうかより、友達同士で頑張ったって過程の方が重要なのかもしれないし。テストが赤点ギリギリで走りもイマイチだったらちょっと眉も動くけど、サクラバクシンオーに限ってそれはないだろうし。トレセンは文武両道実力主義だが、テストとレースとどちらが大切かといえばレースだ。

 

 

 ニシノフラワーも合流して早速教え始めた三人。ちょっと聞いている限りあんまり身になっていなさそうだけど。教え方の評価なんかできないけど、たぶんブルボンとライスシャワーは向いてないんじゃないの。

 

 

 しばらく教えていたが、あまりにも成長のないサクラバクシンオーに対し面倒になったのか、ブルボンが自分の鞄から答案を取り出した。

 

 

「対策の変更を提案します。全範囲の復習は非効率的です。ここ数年の傾向を分析したところ、本試験の問題の約四割から五割が出題されています。つまり、本試験解答を全て暗記すれば赤点は回避可能と判断できます」

「あの、それじゃバクシンオーさんのためにならないというか……ちゃんと最初からやってあげないと……」

「再試験まで日がありません」

「それはそうなんですが……でも、丁寧に……」

「うぅん……確かにこのままじゃ時間が足りないし、いっそ重要なところだけ抜き出して全部暗記する方が良いかも……?」

 

 

 なんか教育方針の違いも出てきている。罪な女サクラバクシンオー。見た目や話し方に似合わずそれぞれ芯が強いので、食い違うと面倒そうだ。別に口は挟まないけど。揉め事は自分で解決してね。

 

 

「目標は赤点回避です。成績向上ではありません」

「テストは勉強の成果を試すものです! 答えを丸暗記するなんて勉強とは言いません!」

「あ、あの、お、落ち着いて……」

「ぐぅ……わ、私はどうしたら……?」

 

 

 と、揉め始めた机から、ひらりとブルボンの答案が落ちた。すかさずスカーレットが拾う。ちらり、と点数が見えたのか、スカーレットが顔を青くした。

 

 

「え、あの、ブルボン先輩、これ……」

「拾っていただきありがとうございます。助かります」

「いや点数!」

「点数がどうかしましたか?」

 

 

 なお、ブルボンの今回のテストは驚異の全科目満点である。当然学年一位を持ってきた。流石はブルボンといったところで、でもちょっと引いた。

 

 

「満点じゃないですか!」

「はい。今回は思考創意を問う問題が教科書の例題通りでしたので問題なく解答できました」

「ほ、他の教科は……」

「満点ですが」

 

 

 さらっと言ってのけて、またニシノフラワーとの言い争いに戻るブルボン。スカーレットといえば、ブルボンの圧倒的成績を突き付けられ、ふらつきながら私の横まで戻ってきた。

 

 

「ねえ……ねえ、トレーナー……さん」

「ん……どうしたの」

「トレーナーさんは点数、知ってたんですか……?」

「……まあ、一応」

「私……滑稽でしたよね……」

「いや……そんなことはないけど……」

 

 

 私の肩に手を置いて、震えるスカーレット。可哀想に。ロボットに暗記で勝負なんか無理なのよ。良いじゃない、人間の中では一番優秀なんだから。

 

 

「私の自己肯定感を返して……」

「重すぎるって……」

 

 

 ブルボンがどうあれ学年一位には変わりないんだし受け入れれば良いのに。そういうことじゃないのかな。少なくとも私の中では満点だろうが満点じゃなかろうが一番は一番だ。レコードタイムを出さなきゃ一番じゃないなんてこともあるまい。

 

 

「次は絶対に満点取るから……!」

 

 

 小声で呟くスカーレット。良い。良いけど……無理はしすぎないように気を付けてね、としか。

 

 なお、サクラバクシンオーの教育方針は最終的にライスシャワーによる折衷案、「要点まとめプリントを丸暗記させる」が採用されたらしい。赤点は回避した……と思う。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「スズカさん……?」

「ひえ……す、スペちゃん……お、起きてたの……?」

「いえ、まあごそごそしてたので……どこ行くんですか?」

「あっ電気はつけなくても」

 

 

「……スズカさん?」

 

 

「その……違うのよ。これは違うの」

「いや……ジャージとシューズで何が違うんですか。こんな夜遅くに」

「あの……は、走りたくなって……」

「……トレーナーさんに電話します」

「あっ待ってスペちゃん、お願い内緒、内緒にして」

「……でも走りに行くんですよね。走ったら教えてって言われてるので……」

「お願いスペちゃん……もう二日も走ってないの……」

「何言ってるか解らないです……あっ」

 

 

「ごめんなさいスペちゃん……! もう限界だから行くわね……」

 

 

「あっ……あー……行っちゃった……連絡、明日で良いかな……」




スズカさんの出番が入れられなかったのでオマケにして無理やり入れました。ノルマ達成。


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世代最強になるミホノブルボン(優駿)

ダービーへ、ようこそ。

あとホーリックスちゃんごめんやで。これはそういう作品なんや……


 

 すべてのトゥインクル・シリーズのなかでも、日本ダービーというのは格が違うレースである。それは皐月賞や菊花賞と比べても、だ。

 

 こんなことを言っては何だが、別にレベルが高いというわけではない。シニア混合のレースや、ドリームリーグの方がレベル自体は高くなる。事実、府中2400のレコードはジャパンカップで更新するものであり、ダービーで更新するものではない。

 

 現在のレコードはスズカがクラシックで叩き出したものになっているが、これもダービーで更新されることはないだろう。破滅的逃げとそれを捉える末脚が揃わなければ、そうそうレコードなど出はしない。スズカはスピードで出すけど。

 

 

 しかし、それでも日本ダービーが特別なものであり、すべての関係者の夢と言われるのは何故か。

 

 それは、何よりダービーの名が付いたレースであり、生涯一度しか出られないレースであり、正しく世代の頂点を決めるレースだからだ。

 

 

「セルフチェック完了。体力、思考ともにオールグリーン。想定通りのパフォーマンスをご期待ください」

「ん。それは何より。じゃあ今日もあなたの勝ちね、ブルボン」

 

 

 控え室には私とブルボンのみ。スズカとスカーレットは客席で応援だ。三回目の勝負服に身を包んだブルボンは控えめにいって絶好調。気力も体力も申し分ない。それに、ちょこちょこ出走ウマ娘を見たがやはりブルボンには敵わない。

 

 そんなダービーを控えたブルボンは、いつも通り落ち着いていた。そうでなくては困る。勝負服を着て、変わらない無表情で立っていた。

 

 

「ライスシャワーの警戒は一度忘れなさい。何度も言うけどあなたは何も考えずに走るのが一番強いわ。特に道中はね」

「はい。思考優先度を下げ、意識外とします。ラップタイム遵守を最優先に設定しました」

「よろしい。じゃあ行ってきなさい」

「……では」

 

 

 ばっと両手を広げるブルボン。ずいっと身体を寄せて、私を見つめる。必要? それ。もう良くない? 

 

 

 でもブルボンがして欲しいというなら吝かではないので抱き締める。鼓動が物凄く早い。尻尾だけだと解りにくかったけど、死ぬほど緊張してるんだろうか。

 

 んー、と力を入れていく。私の肩に手が回ってきた。脈拍と体温が高まっていっているような気がする。赤ちゃんみたいに石鹸の匂いがする。そういえば、朝シャワーを浴びたって言ってたっけ。

 

 

「ブルボン」

「はい」

「あなたが一番よ」

「はい」

「あなたが一番頑張って、一番強くなったのよ。必ず勝てると思いなさい。あなたが世代に君臨するのよ、ブルボン。最強として帰ってきなさい。ちぎれるわブルボン」

「はい」

「努力が何物でも越えられることを見せ付けるの。あなたを信じているみんなに。無敗三冠を勝ち取る器と脚を理解させましょう」

「……はい」

 

 

 もう一度力一杯抱き締めて、離れて胸元の蹄鉄型ユニットを小突く。飾り物のコアユニットの代わりに、ぱちりぱちりと瞬きを繰り返すブルボンの目が光ったように見えた。

 

 

「もうちゃんと自覚できた?」

「マスター。ダービートレーナーになると、特別賞与があると聞きました」

「どうして生徒がそれを知っているの……?」

「お父さんに聞きました」

「ええ……?」

 

 

 恐らく渋い顔をしただろう私の口角を指で上げるブルボン。どことなく微笑んで、また、ゆっくり胸に手を当てた。

 

 

「ダービートレーナーがいかに名誉なことかも聞きました。勝利をこの手に、マスター」

「……うん。必ず持って帰ってきなさい。ここで待っているわ」

「お任せください」

 

 

 ふんすと鼻を鳴らすブルボン。スズカのようなオーラは見えない。だけど、ブルボンはやる気に満ち溢れていた。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

『さあ、今年もこの時がやって参りました! 全ウマ娘の憧れにして頂点を決める戦い! 府中芝2400mに、世代最強のウマ娘達が集いました! 東京優駿日本ダービー、まもなく開幕です!』

 

 

 モニター越しにゲート前で集まるウマ娘達を眺める。ブルボンはいい加減圧倒的一番人気に推され、他のウマ娘達にもかなり警戒されているようだ。視線が強い。

 

 ただ、それを意に介していないのがブルボン。そこまで私が計算しているわけではないけど、エルナトでの色んなことは確実にブルボンの精神を良くも悪くも変化させている。今のブルボンなら先頭を奪われようが何をしようが掛からないだろう。

 

 

 で、問題はライスシャワーだ。実況解説を聞く感じ、全く警戒されていない。私もブルボンに言われなければ警戒しなかっただろうし、事実能力は大したこともない……いや、一流ではあるものの、ただの一流である。

 

 

 ダービーに勝つようなウマ娘はただの一流ではない。全員が全員シンボリルドルフではないしナリタブライアンではないが、それでも、ただの一流が勝てないからこそダービーなのだ。

 

 そして、ライスシャワーはただの一流にしか見えない。他と何も変わらない。一部の選ばれたウマ娘でなければブルボンとは勝負できないだろう。ゲートに入っていくブルボン。全く問題無く準備を終えている。少し足元が重いけど、これも切れ味勝負をしないブルボンには追い風だ。

 

 

「やっぱブルボンの勝ちね」

 

 

 流石はブルボンだ。才能を全て努力で埋めきったと言っても良い。2400も全く問題なく走れる。素晴らしいウマ娘だ、あの子は。本当に良い子を見付けられたものね。

 

 

『各ウマ娘、ゲートイン完了しました。さあ、東京優駿、日本ダービー、今──』

 

 

 スタートした。

 

 

『各ウマ娘素晴らしいスタート。どっと飛び出しました! 大本命ミホノブルボンも好スタート! これは第一コーナーまでに先頭に出られるでしょう。行った行った上がっていきますミホノブルボン。すっと先頭に立った。やはり行った!』

 

 

 ブルボンはやや外。しかし、幸運にも誰も競りかけてこない。問題なく内へ内へと入っていく。ライスシャワーがぴったりくっついてきているが、流石に少し離されていく。先行差しの子だ、単逃げのマークはしないわよね。

 

 

『ブルボンが行きました! このまま2400を逃げ切るのか! 出来るのかミホノブルボン! リードが広がる広がる既に四バ身から五バ身! 飛ばします! 完全にミホノブルボンのペースです!』

 

 

 そして、単逃げになった時点でブルボンは崩れなくなった。万が一にも掛かる可能性が消え、言ってしまえばこの時点で勝ったも同然と言える。向こう正面までひたすら差を広げるブルボン。手元のストップウォッチは、しっかりと指定したラップタイムを刻んでいる。

 

 第三コーナーにかかり、ブルボンに全く変化は見られない。良い。凄く良い。ブルボンのタイムは変わっていないのに後続にやや詰められているのは、つまり後ろが仕掛けを誤っているのだ。これはダービー。第三コーナー仕掛けは早すぎる。

 

 

『一バ身まで詰められている! これはブルボン、これまでか! 2000mを待たずして捕まってしまうのかミホノブルボン!』

 

 

 ここからでもどよめきが聞こえてくるくらいだ。完全に逃げウマ娘の負けパターンに入っている。トゥインクル・シリーズの圧倒的大多数にとって、今、逃げウマとはつまりスズカだ。ブルボンは後輩でもある。たぶん、私も含めて幻影を見ている。

 

 

 スズカならこうはならない。スズカならここから伸びる。スズカなら……なんて。今走っているのはブルボンだ。ブルボンにはブルボンのやり方がある。ギリギリのリードを守ったまま最終コーナーを曲がってきた。

 

 

『さあ府中の直線は長い! ミホノブルボン先頭で最終コーナーを回った! ここから後続が襲い掛かります! ブルボン厳しいか!』

 

 

 つまり、最終直線まではラップ、その先は溢れるスタミナにものを言わせてスピードで押し切るという走り方。先頭である必要さえない。切れる脚は無いから後ろ過ぎても困るが、そうでなければ自分のペースを守れているかどうかしか問題にならない。

 

 

『さあミホノブルボンが先頭を……ゆ、譲らない譲らない! なんとここで突き放したァッ! 残り400! ミホノブルボン未知の世界! しかし伸びる伸びる超特急! 二番手争いライスシャワー、後方からマチカネタンホイザ飛んで来ているがこれは届かないか!』

 

 

 伸び脚と言えるほどではない。ブルボンが本来のスピードでスパートをかけているだけだ。それでも、ブルボンのスピード、スタミナはともに一級品。スパートをかけた時点で上がり三ハロンで他と勝負が出来る。リードを縮めず、重バ場ともなればむしろ広げていくことすら可能だ。

 

 

『これはもう大丈夫! ミホノブルボンダービー制覇でしょう! これは大丈夫です! ミホノブルボン完璧なレース!』

 

 

 涼しい顔のブルボンがモニター越しに見える。目頭が熱くなってきた。ついにブルボンがダービーに届いたのだ。物理的に血が滲んでもおかしくないトレーニングを経て、既にブルボンをスプリンターと呼ぶ者はいない。

 

 

『ミホノブルボン完勝ッ! 府中2400も逃げ切った! 府中の坂を踏み越えて、実力を証明して見せました! 素晴らしい脚! 無敗二冠達成ですッ! ウマ娘の歴史が動きました!二着ライスシャワーに二バ身つける完勝です!』

 

 

 誇らしく客席を向くブルボンは、日本ウマ娘レースの歴史に残る偉業を達成したというのに、酷く落ち着いて立っていた。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 五月三十一日、日曜日。記録者、ミホノブルボン。

 

 

 日本ダービーが終了し、ターフの私達に歓声が向けられています。走行リザルト、一着。自己評価A。完璧な勝利ではありませんが、マスターの期待通りの結果です。

 

 そして、これが私の三冠目にして二冠目。一度も負けることなく、ここまで来ました。

 

 

『素晴らしい脚! 無敗二冠達成ですッ!』

 

 

 大歓声のなか、微かに実況席の声が聞こえます。いつもの女性です。無敗二冠。私が。掲示板に、私の番号が刻まれています。

 

 

「……ブルボンさんっ」

「ブルボン先輩! 凄い! 凄いです!」

「……スズカさん、スカーレットさん」

 

 

 観客席から手を振っているお二人に駆け寄ります。何を言うべきか解らず手を差し出すと、笑いながらスズカさんがそれを両手で包みました。

 

 

「ダービー制覇、おめでとう、ブルボンさん。素晴らしい走りだったわ」

「スズカさん……」

「でも、もう少し離してくれると心臓がきゅんとならなくて助かるわ」

「……はい」

 

 

 いつものスズカさん。そして、涙ぐむスカーレットさん。そうか、私は、勝ったのだ。やはり勝ったのだ。ダービーに勝った。

 

 

「勝ちました……スズカさん」

「ええ。良かったわ。みんなにも挨拶と、お礼をしたら?」

「……挨拶」

 

 

 そうでした。勝った私は、応援していただいたことへ感謝しなければなりません。それはスズカさんですら欠かしていないことです。一礼して二人から離れ、ターフに戻り、ゴール板の前で立ちます。

 

 体温が戻りません。呼吸量も心拍も、回復が極端に遅れています。見上げる先で、観客の全てが、私の名を叫んで手を上げていました。拍手と、雄叫びと、地鳴りのようなどよめき。

 

 

「ミホノブルボンさん、マイク必要ですか?」

「……これは」

「いえ、ダービーウマ娘にはターフで何か一言頂くのが通例ですので、是非」

 

 

 URAスタッフの制服を着た方が、ハンドマイクを差し出してきました。何か話す。何か……話す。

 

 

「何を話せば良いでしょうか」

「え? うーんと……まあ喜びとか、感謝のコメントが多いですけど……」

「なるほど」

 

 

 手が震えています。スタッフの方に聞いてもありきたりな答えしか返っては来ないでしょう。ですが、私の自己判断による言葉よりも、通例と慣習に合わせた無難な選択をするべきと判断。しゃがんで突き出されるマイクに近付き、当たり障りの無い言葉を吐きます。

 

 

「ダービーウマ娘、ミホノブルボン、です」

 

 

言語野機能の大幅な低下を確認。するべきは、ダービーウマ娘に求められるだろうコメントの推測。私が、言うべきことは。

 

 

 ああ、私の言葉に合わせて、歓声が止まってしまいました。特筆すべきことは言わないのですから、話していていただいて構わないのに。私とは違うのですから、私のために、感情表現を抑えることはないのに。

 

 

「……その、も、もう一度……」

 

 

 こんな静かなダービーがあっていいはずがありません。私の知るダービーは、もっと、騒がしく、そう、お祭りのような勝負で、誰もがそれを称賛するような、もっと素敵なものだったはずです。

 

 

 私にも見せて欲しい。ダービーを。ここに立つ私に、教えて欲しい。

 

 

「もう一度、私に聞かせてください。歓声を、拍手を」

 

 

 そして、割れんばかりに浴びせられた音の雨は。

 

 

「……っ」

 

 

 これを勝つために生まれてきたのだと、そう思えるくらいに激しく、私の感情を揺さぶりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ついてく……ついてく……」




おいおいまるでスポ根だな。


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脅しを掛けるサイレンススズカ

急降下ジェットコースター。メインはもちろん後半なので前半は飛ばしてもらってもかまわないやつ。


 

「天晴ッ! 素晴らしい快挙だ、エルナト・トレーナー!」

「ありがとうございます」

「サイレンススズカ君もそうだが、歴史を塗り替えたと言っても過言ではないッ! 偉業だな、これは!」

「ええ、本当にそう思います。おめでとうございます、トレーナーさん!」

「本当に、ありがとうございます。ブルボンはよくやってくれました」

 

 

 ある日。エルナトのトレーナー室に、理事長とその秘書、たづなさんが来ていた。生憎、褒められるべき主体であるブルボンは友達に誘われてダービーのお祝いに連れていかれてるし、スズカやスカーレットも是非話を聞きたいと言われ駆り出されているので、私一人で応対することに。

 

 流石はトレセン、部屋にはどう考えても遊ぶためだけの物がいくつもあるが、スズカやブルボンの実績の前にそれを指摘することはない。開き直ってコーヒーメーカーを動かすと、死ぬほど砂糖を入れて飲み始めた。そんなに甘いのがお好きですか。先に言ってくれればココアとかもあるのに。

 

 

「それにしても素晴らしい功績だ。私としても正直な話、夢や心意気は買うが本当に達成可能とは思わなかった。心の底から信じてやれないのは私の未熟さ故。しかし! 努力でそれを覆したことはどんな言葉でも讃えることのできない快挙だ!」

「ええ。ブルボンはとても頑張り屋で、丈夫な子です。無理を言っても頑張ってくれる素晴らしいウマ娘ですから」

「うむ! しかし、スパルタというのもだな、本来は──」

 

 

 たまに暴走すること以外に欠点が無いとまで言われる小さな理事長は、『伝説ッ』の扇子を広げて機嫌良く扇ぎながらいつものありがたいウマ娘についての話を始めてしまった。

 

 

 まあその、ウマ娘のために死ねるようなトレーナーなら冗談ではなく本当にありがたい話なのだろうけど、生憎と私が知りたい情報は二人からは基本的に出てこない。伸び脚や爆発力というのは、その子の限界が見える私にしか気付きようのないものだ。

 

 レースと練習は違う。練習でのタイムよりも本番の方が高いというのはかなり多くの一流ウマ娘に共通する性質でもある。誰が言ったか、『僕らは一人では強くなれない』。まあスズカみたいに一人で勝手に強くなるのもいるし、現状トレセンでもトップのシンボリルドルフ、ナリタブライアン、マルゼンスキーだって別に確固たるライバルがいたわけじゃないけど。

 

 

 お話も数十分続き、理事長は一度トイレを挟んでまで話していた。そして、あらかた話し終えたのか、ぐっとカップの中身を飲み干すと、たづなさんに合図をしていくつかの書類を差し出してくる。

 

 

「世間話はこれくらいにしておこう。本題は二つあるからな!」

「はい」

 

 

 ここから二つあるんだ……

 

 

「細かい説明はたづなに任せるッ!」

 

 

 理事長が言うんじゃないんだ……

 

 

「では、ええと、こちらとこちらですね。説明用のものですので扱いはご自由に。秘匿はトレーナーまででお願いします」

「ありがとうございます……ふむ」

 

 

 渡された書類によると、どうやらいくつもの局や新聞社、出版社から、ブルボンへの取材ないし出演依頼が殺到しているとのこと。まあそりゃそうよね。

 

 たづなさんの説明が始まるが、気持ち丁寧というか……いやたづなさんはいつも丁寧なんだけど、今日は輪を掛けてゆっくり進めてくれているし目線もかなり低い。

 

 

 ……これはあれね、スズカに続いて次はブルボンにスター性を見出だしたから、好き勝手使おうって話ねたぶん。

 

 スペシャルウィーク達はそれこそみんなで切磋琢磨して強くなるタイプの子達だから、五人全員との兼ね合いが必要だ。一方、スズカにしろブルボンにしろ大体の話が単体で完結する。直属の先輩後輩であり、同じ逃げウマ娘というのもあるし、一般人に二人の走り方の違いなど区別などつくまい。最終直線で伸びる逃げは大体同じだ。

 

 

 もちろんブルボンの意思が最重要なのはこの場の全員が解っているので、最終決定だけせずに話を進める。ニコニコと聞いているだけの理事長。あの、猫と遊ぶのはやめません? 可愛いですけど。

 

 

「と、まあこれくらいですね。質問があればいつでもご連絡ください。あ、何ならどこかご飯でも食べながらお話をするでも」

「え、ええ、またそのうち」

 

 

 仕事中に飲みに誘うのもやめませんか、たづなさん。

 

 

「で、続いてなのだが、エルナト・トレーナー。こんなメールでも良いような仕事の話はどうでも良い。大切なのはここからだ」

「……はい」

 

 

 突然、いつにも増して真剣な顔になる理事長。扇子を置いて、厳粛に語り始めた。

 

 

「皐月賞も勝った。ダービーも勝った。ミホノブルボン君の夢はまだ濁ってはいないだろうか。まだ、胸を張って三冠を目指すと言えるか?」

「言えますよ。ブルボンが三冠を諦めることは決してありません。何があろうと菊花賞には出るし、勝つでしょう」

「……君は、どうだ。それを信じ、勝たせるために今と同じことを続けるのか」

「……申し訳ございません」

 

 

 ですが、これはブルボンが勝つために必要不可欠なんです、とだけ繋ぐ。ライスシャワーがいる以上、私達は少しも手を抜くことは許されない。やっぱりスパルタは良い顔をされてはいないが、やめるわけにもいかない。

 

 

「……いや、謝る必要はない。以前も言ったが、君が心から大切に思ってくれているのならそれで良い。残酷なことだが、勝つために捨てなければいけないものは大きい。彼女のような、そもそもが向いていないウマ娘にとってはなおさらだな。君に最大限の理解を示そう」

「……痛み入ります」

「この後も同じようにするという意味だろうか?」

「…………します」

 

 

 私はブルボンを勝たせなければいけない。そういう契約で、私も勝って欲しいからだ。私にできることは全部やる。その上であの子を送り出してやらなければならない。夏でブルボンを圧倒的に強くする。そして、ライスシャワーの致命的な爆発力を超えられるようにする。

 

 私が今まで避けていたことだ。スズカは大大吉マチカネフクキタルに勝てない。最強最速のスズカであってもだ。それを、努力だけで覆そうとしている。

 

 

「ミホノブルボンはそういうウマ娘です。もし私が止めてもやります。そして、あの子が自分でやめたいと言うまで私はやります」

 

 

 つまり、永遠に諦めることはないということ。ブルボンは走れなくなるまでは走る。絶対にだ。精神的な理由でそれを止めることはない。

 

 そうか、と目を閉じる理事長、少し考え込んだ後、普段の満面の笑みに戻って立ち上がり、そのまま扇子を広げた。いつの間にか、『面談ッ』扇子になっている。あの、面談とお仕事の話は分けてもらえると本当に助かるんですけど……。

 

 

「では、また来るからよろしく頼むぞッ! トレーニングに励むように!」

「お疲れさまです。ありがとうございました」

 

 

 ドアを半開きにしてビシッと指をさす理事長と、丁寧に頭を下げるたづなさん。二人を見送りホッと一息。あー緊張した。毎回のことだけど怒られるんじゃないかと思ってしまう。心臓に悪いからあんまり会いたくないわね、二人には失礼だけど。

 

 

「おはようございます、トレーナーさん」

「ああ、おはようスズカ」

 

 

 そして、仕事を片付けつつ夏の予約の準備もしていると、今日はスズカが先に来た。荷物を置いて、制服からジャージに着替え始める。

 

 

「今日のトレーニングのことなんですけど」

「うん」

 

 

 この子も全部脱いでから着替えるタイプなのは何なのかしら。エルナトってそういう警戒心が無い子しか入れなかったりする? 私が女だから? でもスズカとブルボンはトレーナーが男でも普通に脱ぎそおえっ。想像したら脳が破壊されました。

 

 

「トレセントラックの芝よりトレセンの外の土が良いです。外に出ませんか?」

「……ん?」

「今日は一日快晴らしいですから、夜にかかれば星空も素敵ですよ。私が走れば実質流星群です」

「今日はランニングにすること前提で話が進んでない?」

「……ですので」

「ですのでじゃないが」

 

 

 着替え中のスズカにクッションを投げ付ける。ほわぁ、と間抜けな声をあげて、バランスを崩してソファに崩れ落ちるスズカ。下着姿のままバタバタと脚を動かして、ちらりちらりとこちらに目配せを繰り返す。

 

 

「ちらっ? ちらちらっ?」

「今日はプールって言ってあるわよね」

「嫌です……走らないと……今日は走らないと大変ですよ?」

「何が起こるの?」

「爆発しますよ」

「爆発するのは大変ね」

「ですよね!?」

「じゃあ水に浸けときましょうか」

「んなー……」

 

 

 クッションで顔を隠して仰向けになるスズカ。隠すとこ違うでしょ。というかエアコン効かせてるんだから風邪引くわよ普通に。

 

 

「良いじゃない、プール。もう暑くなってきたし、水浴びだと思えば」

「トレーニングを遊び扱いするのは違うと思います」

「はっ倒すわよおバカ」

 

 

 ちょうど手元にあったスズカぬいぐるみを投げ付けると、カウンターでクッションが飛んできた。椅子ごと後ろに傾く圧倒的パワー。手加減して手加減。もうちょっとさ。鼻潰れちゃうから。

 

 

「というか服着なさい。誰かが来たらどうするわけ?」

「走らせてくれるなら着ます」

「自分を何だと思ってるの。そんなこと言っても走らせてあげないからね。下着のままいれば?」

「変態……」

「私が見たいみたいに言わないで?」

 

 

 ウマ娘ってみんなこうなの? いや、トレセンは事実上女子校なわけだし、そのうえ身近な大人も女となればこんなんになるのかな。それとも家庭環境から来る歪みかな。後者だと触れづらいし前者は改善できないし。

 

 

「このまま走ります……」

「バカバカ。二人纏めて犯罪者じゃん」

「でもトレーナーさんが走らせてくれないのが悪いですよね?」

「そんなわけないでしょ。ほら着なさい」

「やー……あー……」

 

 

 寝転がるスズカにジャージを持って歩み寄る。流石に服を着せてあげるのはやり過ぎなので自分でやって欲しいんだけど、走りたい走りたいになってしまった以上何を言っても無駄かもしれない。しょうがないから着せるか。

 

 

「ほらスズカ。着なさい」

「どうしてですか……まずは走る方が先のはずです……!」

「着る方が先でしょ」

「わー」

 

 

 抵抗するスズカ。このっ、やはり力が強すぎる。無理やりどうこうできるようなパワーの差ではない。こうなったら一旦ふにゃふにゃにしてから着せるか、とジャージを投げ捨て脇に手を伸ばしたところで。

 

 

「あっトレーナーさん外に」

「エルナト・トレーナー! 一つ言い忘れていたことがあるの……だが……?」

 

 

 ドアが開いた。半裸のスズカに襲い掛かる私。死んだ。

 

 

「なん……で鍵を掛けてないのスズカ……! 理事長! これは違います!」

「いや……も、もちろん、と、トレセンは恋愛禁止などとは言わん……ウマ娘が卒業後トレーナーと結婚するようなことは日常茶飯事だ……ど、同性カップルへの理解も……このご時世……」

「待ってください理事長! 行かないで!」

 

 

 どうしてこんなタイミングで戻ってくるんだこの理事長は。タイミングが悪すぎる。ヤバい、変な誤解をされる……! 

 

 

しかし、大切にとはそういう意味ではなくだな……

「違……理事長!? 理事長!」

 

 

 そっと閉じられた扉を、私は強くこじ開けた。開かなかった。スズカは笑いを堪えていた。服の上と言わず直接お尻叩くわよこのポンコツ。




ブルボンが活躍すればするほど作品がシリアスになるんだよなあ


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トレーナーに理解のあるサイレンススズカ

当然っちゃ当然なんですが天秋なり菊花なりで感想欄がざわめくの面白いんですよね。まあネタバレしない程度にしか答えられないのでそこだけご理解くださいね。


 

 六月三日、水曜日。記録者、ミホノブルボン。

 

 本日は、スカーレットさんの要請により二人でマスターの自宅に訪問することとなりました。どうやら、マスターの作る朝食がお気に入りのようです。夜のうちからお邪魔して、そのまま学園へ通学するとのこと。

 

 スカーレットさんは優等生を目指していたはずで、外泊は嫌っていたような気もしますが、私も楽しみなので黙っていました。ダービーウマ娘は気も遣えるのです。

 

 

「お疲れ様二人とも。どうぞ」

「お邪魔します」

「お邪魔します……こんな当然のようにスズカ先輩がここにいるの、ツッコんだ方が良いのかな……」

 

 

 今日は留守を任されているらしいスズカさんが出迎えてくれました。勝手に走りに行かないよう、既に走った後なのだとか。もちろん、流石のスズカさんも家を空にしてまで走りに行かないと予想されますが。

 

 

「当たり前じゃない。お留守番は大事なんだから、勝手に外へ行ったりしないわ」

「全然信じられないんですけど」

「あ、あら? 私、先輩じゃなかった……?」

 

 

 首を傾げるスズカさんを置いて、家の中へ。寝室に荷物を置きます。いつの間にかベッドがダブルからキングサイズになっていますが、まさか、担当が増える度に大きくするつもりでしょうか。

 

 個人的な話をするのなら、私とスズカさんが寝られればそれで良いのですが、マスターのやり方には従いましょう。

 

 

「ところで、マスターはどちらに?」

「ダービーのお祝いにってトレセンの人達に連れていかれちゃった。お酒を飲んで帰ってくると思うわ」

「トレーナーってお酒飲めるんですか?」

「好きじゃないらしいけど、吐いたりはしないわ。ちょっとお酒の臭いはするから、苦手だったら先に寝ていた方が良いかも」

「別に大丈夫ですよ。酔っぱらいの相手は一人じゃ大変じゃないですか? 手伝えることがあったら言ってください」

「ありがとう。十時くらいには帰ってくると思うわ」

「遅……」

 

 

 トレセンで通常業務を行っている場合、六時には解放されるはずです。特にマスターは担当が少なく、トレーニングも半分近くはその場での判断だと聞き及んでいます。

 エルナトは周囲の評判に違わず、才無きウマ娘でも強引に強くするチームです。もちろん、スズカさんやスカーレットさんはマスターも認める才能の持ち主であり、私ほどのトレーニングは必要ないと言われてはいますが。

 

 そのトレーニングはマスターの信じられないほど正確に体力や調子を見抜く力があってこそ。事前の準備よりその場の判断の方が重宝される珍しいケースです。

 

 

「それにしても、やっぱりダービートレーナーっていうのは凄いんですね。最近は取材やらテレビ出演やら忙しそうじゃないですか」

「ええ。てんてこまい。ブルボンさんより忙しいんだ、って感じだけど」

 

 

 スズカさんが夕食に使ったらしい食器や鍋を一緒に洗いながら、データログを参照します。確かに、メディア露出は私よりマスターの方が50%ほど多く割り振られています。

 

 基本的に、私はメディア露出に向いていません。今でも余計なことを言わないようにとマスターに指示された内容を忠実に守ることしかできませんので、私自身の言葉で語れないわけです。

 

 

 ……これもダービーウマ娘の義務です、と自分だけで参加した雑誌の──普段マスターに話し掛けることの多いあの記者の方の雑誌ですが──インタビューで、感想を聞かれて「嬉しいです」しか言えなかったのは痛恨の極みです。

 

 

「お仕事は選んでいるんだろうけど……それにしてももっとこう、休んでくれた方が良いわよね……心配」

「スズカ先輩はこうしている間好き勝手走れるから嬉しいとか思ってそうですね?」

「あれ……? 辛辣……」

 

 

 しょんぼりとするスズカさん。しかし、それは聞き捨てなりません。スズカさんの思考を読み取る力にかけてはスペシャルウィークさんにも劣らない私の、ダービーウマ娘による正確な考察をお見せしましょう。

 

 

「いえスカーレットさん。スズカさんはいつものやり取りができなくなったことでステータス:『寂しい』を獲得しています」

「はぇ」

「えー……これはチャンスとか思ってそうじゃないですか?」

「マスターとの身体接触の減少もあります。スズカさんはマスター曰く寂しがりやです」

「正解はどっちですか、スズカ先輩」

「私でしょう、スズカさん」

「ぁぅぁぅ」

 

 

 どっちでも良いでしょ、とスズカさんが顔を紅潮させたままキッチンからリビングに駆け出してしまいました。食器洗浄は終わっていましたし、乾燥機にかける作業は私ではできないのでスカーレットさんに任せて私が追います。

 

 

「間違っていましたでしょうか。スズカさんの思考パターンのインプットは義務です」

「そんな義務無いでしょう……?」

「あります。スズカさんの後輩ですから」

 

 

 ソファに寝転がったスズカさんの顔の横にしゃがみ、手で顔を扇ぐスズカさんに問い掛けます。体温上昇、血流増加を確認。羞恥心と焦りを感知。

 

 

「さあ」

「いや、さあ、じゃなくて……」

「嬉しい、と寂しい、どちらですか」

「へぅ」

「スズカさん」

 

 

 目を見つめます。視線が彷徨い、くるりと回った後、スズカさんは私を押し退け始めました。

 

 

「も、もう……やめて……!」

「うわっ」

 

 

 いかに鍛えているとはいえパワーの差は如何ともし難く、そのまま突き飛ばされてしまいました。まだトレーニングが足らないようです。

 

 

「お、お手洗いに行くから……」

 

 

 そう言って走っていくスズカさん。手を拭きながら、スカーレットさんが追い付いてきます。

 

 

「なるほど、尿意でしたか」

「いや、あの……私もムキになっちゃったからアレですけど……やめてあげません? スズカ先輩、茹でダコみたいになってたじゃないですか」

「……茹でダコ」

 

 

 確かに、排泄欲を気取られるというのは羞恥心に繋がると聞いたことがあります。いや、そういうことじゃなくて……え? 聞いたことがありますはおかしくないですか? ブルボン先輩は恥ずかしくないんですか? はい。生物なら当然の行動です。空腹や眠気を訴えるのと同等では? 何言ってるんですか? 

 

 

 

 女とは何たるかについて説教を受けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

「そういえば、トレーナーさんって酔うとどんな感じなんですか?」

「え? そうね……」

 

 

 ボードゲーム等で時間を潰すこと三時間。入浴中、スカーレットさんが湯船からスズカさんに問い掛けました。湯船には浸からず執拗に尻尾の手入れを続けるスズカさんが、ブラシを持ったまま首を傾げます。

 

 

「酔った大人の人を見ることが両親くらいしか無いんだけど……結構人が変わるタイプだと思うわ」

「え、そうなんですか? 意外……」

「ああ、暴れたり騒いだりとかじゃないのよ。それは大丈夫」

「え、あ、はい。ん? 両親しか知らないのに酔ったら暴れる発想が……?」

「それは……まあ良いじゃない」

 

 

 湯船の縁に身体を預け、脱力するスカーレットさん。流石に私とスカーレットさんでは少し狭くはあります。特に理由無く三人で入りましたが、失敗でした。

 

 

「ほら、何とか上戸ってあるじゃない? それで言うと、泣き上戸って感じ。大泣きするの」

「ええ……面倒くさ」

「そう、とっても面倒くさい人なのよ」

 

 

 ニコニコと笑うスズカさん。こだわりの尻尾のケアはまだ終わりません。

 

 

「でも、たまに見ると面白いわよ。子供みたいで可愛いし」

「……まあ、結構顔が良いですからね、トレーナー」

「トレセンの女性トレーナー番付でもそれなりに上位だそうです」

「そんなのあるの……?」

「はい、そのようです。男性版もあります」

 

 

 私はどうやらトレセンの方々にトレーニング以外には何の興味も無いと思われているようで──実際興味が薄いのは認めますが──私を認識していても世間話を取り止めようとはしません。よって、恐らく生徒が知るべきでない情報もあります。

 

 

「そもそも男性版って誰に聞くのよ……ほとんど女性トレーナーなんていないじゃない。うちのトレーナーの好みが見えそうで嫌だわ……」

「民間人だと思いますが」

「まあ、それはともかく。見たいなら泣かせてみると良いわ。疲れたら寝るだけだし、明日に引かないから楽よ」

「赤ちゃんじゃないですか」

 

 

 マスターが号泣している場面……見てみたくはあります。しかし、倫理的に泣かせるというのは良くない行為です。一方で、スズカさんが良いと言うのは絶対に怒られないという保証に等しいものです。

 

 基本的に私達が見るマスターというのは通常の大人としての一面と、スズカさんを甘やかす時の一面、それからスパルタトレーニングを行う時の鬼の面です。そのどれもが理性の制御下にあります。理性が飛んだマスター……なるほど。

 

 

「是非見てみましょう。何と言えば良いですか?」

「何かお願いしたら何でも泣くと思うわ」

「ハードル低すぎません? 泣き上戸が過ぎるでしょ」

「試してみま……早速来たようですね」

 

 

 扉の前で立ち止まる足音。この足音はマスターです。少しふらついていて不規則ですが、それでもドアを開け、廊下を進もうとしているようです。スズカさんが立ち上がり、迎えに行きました。

 

 

「ただいま……あれ、ブルボン、スカーレット……何してるの……?」

「お邪魔しています」

「何してるのっていうか……その、まあそれは良いじゃない」

 

 

 スズカさんに肩を支えられてマスターが帰ってきました。まさかマスターの朝食が食べたいと言うわけにはいきませんので特に何も言わずにスカーレットさんに任せることにします。ダービーウマ娘は空気も読めるのです。

 

 

「んー……まあいっか……」

 

 

 普段より小さく見えます。口元ははっきりしていますが立ち振舞いが酩酊状態のそれと一致しており、かなり大量にアルコールを摂取したことが窺えます。流石のスズカさんも鼻呼吸を止めています。

 

 

「今お水を持ってきますね。ここで待っててください」

「んぁ……ありがとー……」

 

 

 こちらに目配せをしてキッチンに戻るスズカさん。なるほど、今ですね。では早速マスターに泣いていただきましょう。適当な要求をすれば良いとのことですので、ソファに座らされたマスターに対し、いつものように話しかけます。

 

 

「マスター」

「なに……?」

「久しぶりに明日、特別メニューを行いませんか」

「……だめ……」

 

 

 にべもなく断られるのはいつものことですが、今日はそのまま飛び付くように私に抱き付いてきました。嗅覚、遮断……うぐ。

 

 

「ごめん……ごめんね……私、私ね、ブルボンに、勝ってほしいの、三冠も、その先も、ブルボンは勝てるのに、ブルボンは強いから大丈夫なのに、私がダメダメで、たくさん鍛えてあげられなくて……」

「本当に突然泣き出しましたね」

「ま……マスター……」

「ごめんね、ごめんね……私じゃなきゃもっとブルボンは強かったのに……ブルボンなら、きっと何だってできたのに……」

 

 

 な、何を返せば良いのでしょうか……普段と言っていることが違い過ぎます。思考エラー。言葉が出ません。泣き出したマスターをとりあえず抱き締め返しますが、これは……これが、母性……? 

 

 

「トレーナーさん、お水ですよ」

「スズカぁ……」

「わわっ。もう、溢しちゃうじゃないですか」

「ごめん……」

 

 

 スズカさんが帰ってきて、すぐに解放されました。涙を流していたのが嘘のように落ち着き、マスターは差し出された水を飲み始めます。

 

 

「泣き止んだ……」

「面白いでしょう。情緒不安定なのよ」

「トレーナーとウマ娘は似るらしいですからね」

「何か言った?」

「いえ何も」

 

 

 飲み終わったマスターがスズカさんに抱かれ、抱き付くようにして顔を隠してしまいました。赤んぼうのようですが、スズカさんの表情に悪感情は見られません。流石のお二人です。逆でもそうなのでしょう。私はバッドステータス:吐き気に襲われていますが。

 

 

「じゃあ、トレーナーさんは着替えさせて寝かせてくるから……部屋はたぶん臭いがキツいから布団敷いて寝てね」

「はい……」

「着替え、手伝いましょうか? 私は結構平気ですし」

「大丈夫よ。それくらい一人でできるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 朝起きたら全裸だった。なんでよ。人を剥いておいて隣でそんな平和そうに寝ないで?




重そうに見えますが別に重くはないです。トレーナーに心の闇とかはこれまで開示された以外には無いです


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意に介さないサイレンススズカ

 

 ある日。今日も今日とてスズカは走りたがっていた。

 

 

「どうしてダメなんですか?」

「次は宝塚よ。走る量を少なくしていきましょうね」

「やー……」

 

 

 ソファで私の隣に座り、足をばたつかせながらこてんと頭を寄せてくるスズカ。そう、もう六月も少し経ち、今度はスズカの宝塚が迫ってきている。

 

 ファン投票は堂々第一位。恐らくそのまま一番人気になるだろう。他は……宣言通りスペシャルウィーク、それについてきたグラスワンダー。そして、エアグルーヴがトゥインクルシリーズでのラストランを決めている。

 

 元々、エアグルーヴはシニア二年でドリームリーグに昇格する予定だったらしい。しかしスズカの怪我を受けて、三年目で最後にスズカとの決着をつけてから行くと、春シーズンだけ延長することを発表した。

 

 

「そんなエアグルーヴに報いようとは思わないのあなた」

「だから走った方が良いですよ? 練習しましょう?」

「あなたに限っては正論じゃないのよね、残念ながら」

 

 

 何度も言っているがスズカの強さは根本のスピードと先頭への執念から来るものだ。そして、スピードはいまだ全く伸びていない。今更走るだけのトレーニングでは何も変わらないどころかマイナスにもなり得る。もちろん、どんなにたらふく走っても、レースとなればスズカは燃えてくるんだろうけどね。

 

 

「エアグルーヴも走ってほしいと言っているはずです」

「言うわけないでしょ。何年一緒なのあなた達」

「言いますぅ。エアグルーヴは泣きながら『走れスズカ。走ってくれ』って言ってましたー」

「それ脚が折れてる時の話じゃないの」

「むむ……」

 

 

 私の太ももをぱしんぱしんと叩くスズカ。まだ完全禁止期間に入っていないからこそ、スズカのおねだりも少し落ち着いているような気がす痛い痛い痛い足がバラバラになるって。

 

 

「はーしーるー」

「だーめー」

「なーんーでー」

「筋トレならたくさんやるけど?」

「それじゃ! 走れないじゃないですか! もう!」

 

 

 もう! じゃないのよ。走らせないためにやってるんだから当たり前でしょ。ちゃんとトレーニングルームもとってあるんだからね。足りないところを伸ばすのは大事だ。これ以上長所が伸びないんだから。

 

 

「風……風が……風が私を呼んでいます……」

「今日は風なんか吹いてないけど」

「走れば吹きます」

「相対的風かあ」

 

 

 私をゆっくり押し倒して、上に乗ったままむむむ、と私のボタンを付け外しし始めるスズカ。これからこんなんで、もうすぐ来る禁止期間を乗りきれるんだろうか。レースの度に困ってるわ私。お互い様ではあるけど。

 

 

 しばらくスズカと過ごしていると、スズカのウマホに連絡。スペシャルウィーク達が来るらしい。一人でこっちに向かっていたが、途中でグラスワンダーやエアグルーヴと合流したんだとか。あの三人は対スズカの第一人者だからね。

 

 スズカに勝とうと思ったら……まあ他もそうだけど、基本的に知らないと勝てないわけだ。三人はスズカがどういう存在かをよく知っている。走ることしか考えていないし、自分の速さを微塵も疑っていないモンスター。

 

 

 普通、自分の力を疑う段階というのは誰にでもある。負けた時とか、伸びが苦しい時とか。スズカはマチカネフクキタルには何度か負けているし、タイムなんか計っていないが恐らく大きくは伸びていない。

 

 それでも、スズカは自分が一番速いことを欠片も疑っていない。良い悪いの話ではなく、特異なのだ。そして、それらを全て知っていてなお、力押しではまず勝てない。

 

 

「三人とも大変なんだねえ……」

「あの、私も人のこと言えませんけど、そんな適当な……」

「スズカが負けるわけないもんねえ」

「……もう。褒められると走りたくなりますよ」

「アホ」

「直球の悪口……」

 

 

 スズカが私の膝に落ちてきた。鼻をつついてぷぁぷぁと鳴かせているうちに、ノックの音。はーい、と返事をすると、来客は普通にドアを開けて入ってきた。

 

 

「こんにちは、スズカさん、トレーナーさん!」

「お二人とも、お疲れ様です。お邪魔します」

「邪魔をする……ふっ。いつも通りで何よりだ」

「いらっしゃい。適当に座って。飲み物もお好きにどうぞ」

 

 

 スペシャルウィーク、グラスワンダー、エアグルーヴ。現在のトレセンにおいて、恐らく打倒スズカを堂々と掲げている三人だ。メジロドーベルやメジロブライトは路線が微妙に違うのと、マチカネフクキタルは……何してるんだろう。まだトゥインクルにいるとは思うんだけど。彼女はもう勝ってるから違うか。

 

 私の見立てで言うなら、まあグラスワンダーは怖い。しばらく会っていないうちに何か吹っ切れたようで、特に何の柵もない微笑みを見せてくれている。可愛い。

 

 

「宝塚前の視察ってことで良いの?」

「はい! 万が一にもスズカさんが本気で走れないなんてことがあると困りますから!」

 

 

 スペシャルウィークが燃えている。いや、エアグルーヴとグラスワンダーもそうか。一応会いに来てくれたということで身体を起こしたスズカを、少し煽るような笑顔で見ている。なるほど、これがスズカでなければ少し怯えてしまうほどの迫力がある。事実私はちょっとビビっている。

 

 

「ありがとう。でも大丈夫よ。トレーニングもしっかりできるし。今日もこれから走りに行くの」

 

 

 しかし、スズカは違った。異次元の逃亡者と呼ばれるのは伊達ではない。どちらが強いかはともかくとして、異次元から殺気が飛ぼうと挑発されようと何の影響があろうか、ということだ。文字通り次元が違う。

 

 

「行かないよ。ジムだよ」

「え……言ってることが違います。今日は疲れて眠くなるまで夜道をランニングだって話でした」

「よくもまあ一言も言ってないことを捏造できるわね……?」

「あーあ。もう本調子じゃなくなっちゃいました。宝塚は本気で走れません。ごめんね三人とも。私、もう走れない……」

 

 

 ついに友達の負けん気を武器にすることを覚えたようだ。賢い。しかし、まだ自分と友達、後輩の関係性が解っていない。ポンコツ。

 

 

「いや、走らないで良いですよ? その方が物凄い走りをするじゃないですか!」

「ふぇ」

「同感だな。いつも通りランニング禁止を……今から始めるのはどうだ? 長ければ長いほど強くならないか?」

「もう、お二人とも……そんなはっきり言わなくても……」

 

 

 スズカに対して妙に辛辣なスペシャルウィークはともかく、笑顔だけなら優しそうなグラスワンダーすら強く否定はしない。親友といってもいい間柄に裏切られたとでも思ったのか、スズカはわっと泣き出したようなリアクションの後私に抱き付いてきた。

 

 ちなみに、私自身がスズカを制御しきれていないからやっていないが、禁止期間を長くしたら青天井で強くなるのかは私も気になる。ああいや、やらないよ? 本気で泣かれると嫌だから。

 

 

「たくさん走った方が良い成績を残せるわ。ね?」

「普通のウマ娘はな。スズカは違うだろ」

「私、ウマ娘。ふつう」

「お前が普通のウマ娘なら、私だってこんなにお前を……まあ、なんだ。とにかく、スズカの禁止には私も力を貸すからいつでも言ってくれ」

「わぁ助かる」

「トレーナーさん!」

「痛い痛い痛いメイクが、メイクが落ちる」

 

 

 クッションで顔面を殴り飛ばしてくるスズカ。顔はやめて顔は。ガードはするが怒りのスズカは止まることなく連打を繰り返す。

 

 

「がっかりしました。三人もよ。私のことを解ってくれていると思ったのに……」

「誰よりも解っているとも」

「その上で、走らないでください、スズカさん!」

「へぅ」

 

 

 スズカ、撃沈。

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 

「はいロープ。縛る練習をします」

「はいじゃないのよバカトレーナー」

「宝塚記念へ向けてであれば少し早いですが、何か理由があるのですか?」

「引っ掛かるのはそこじゃないんですよ」

 

 

 いつもの決意表明VS挑発が終わり、三人と入れ違いになってブルボンとスカーレットが来た。三人の希望通り、早速スズカに荒縄を差し出す私を見て、スカーレットは眉を顰め目を見開いた。

 

 

「親友と後輩から頼まれたのよね、スズカ」

「りょ、了承していません……」

「あの三人のために頑張ろうとは思わないの?」

「三人を盾にするのは卑怯です……!」

「スズカに言われたくないなあ」

「大体事情は把握しました」

「え……理解早くないですか?」

「ダービーウマ娘ですから」

「関係無……それ流行ってるんですか?」

 

 

 それに値するほどの名誉ではあるものの、ブルボンはダービーウマ娘であることをことあるごとに誇ってくるようになった。あら可愛い。これで三冠取ったらこの子はどうなっちゃうんだろう。

 

 

「どんな縛り方が良いか言ってみなさいスズカ。聞くだけ聞くわ」

「何言ってんのアンタ」

「縛られたくないです……」

「そりゃそうでしょ」

「強いて言うならで良いから」

「あるわけないでしょバカ」

「手が使えないので後ろ手は嫌です」

「何であるのよ!」

 

 

 今日は練習なので、とりあえず体育座りをするスズカの手足を縛って転がしておく。ブルボンとスカーレットが来たので仕事をしないといけないのだ。

 

 スカーレットもツッコミはしている……が、まあ、縛られたスズカを解こうとはしないし、何か恐ろしいものを見る目を向けつつも飲み物を出してきたあたり慣れてきている。そうでなくては困るわ。

 

 

「とりあえず二人には連絡事項ね。スカーレットのメイクデビューは二週間後。ほとんど最速だから、順当に勝てればジュニアのうちに重賞も取れるし阪神ジュベナイルフィリーズにも間に合うと思う」

「頑張るって言うべきかしら……それとももっと目の前の現実に向き合うべき?」

「ブルボンはまたいくつか取材とか入ったから、確認してみてね。一個トレセンの方から是非出てほしいって言われたのがあるんだけど」

「承知しました。どんなオーダーでも受け付けています」

「ラジオ生放送よ」

「……撤回します」

 

 

 こっちも、仕事と言っても大したことじゃないけどね。スズカもブルボンもできることとできないことがはっきりしているからこういう仕分けもとても簡単なのだ。従順だし賢いので説明も最低限で良い。スカーレットもたぶんそうだろう。

 

 

「何なら一回で良いからスズカとブルボンでゲストにって言われてるわ」

「走って良いなら行きます」

「では特別メニューを組んでいただけるなら行きます」

「ダービーウマ娘の誇りはどうしたんですか誇りは」

 

 

 こいつら。スズカのついでにブルボンも縛った。お茶の間に見せられない感じになったのですぐに解いた。ラジオの仕事はせっかくなので受けた。




次元が違う(ギャグ時空とスポ根時空)
スズカはスポ根に混ざっちゃいけないってそれ一番言われてるから。


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真実はいつも一つなミホノブルボン

 

「八百八十二……八百八十三……」

「じゃあやりましょうか。ああ、スズカはそのまま続けてね」

「はい……!」

「…………やっば」

 

 

 ある日。宝塚記念に向けて……ではないけれど、スズカにトレーニングをさせることに成功した私は、しっかりジムに来てスズカに筋トレをさせていた。足を天井から斜めに吊り上げたまま腕立てをやらせている。重りを抱えてその背中に座りながら、鞄から封筒を取り出した。

 

 

「これは練習だからね。しっかりやること。本当に今収録しているつもりで」

「はい。お任せください」

「うむ」

 

 

 何をするかと言えば、ラジオ出演の練習である。

 

 トレセン的には、スターウマ娘には色んなことをしてほしいわけだ。ウマ娘というのは総じていくつになっても若く可愛く美しく見え、表面上はともかく本質的には誰にでも友好的で、ちゃんと自分達の在り方を理解しているので大抵のことは真面目に頑張る。URAとトレセンとトレーナーを挟むため出演料が高くなるのは内緒だ。

 

 

 しかし、スズカとブルボンは私が狙って生出演等は断っている。二人にできるはずがないからだ。そのため、それでもどうしても、一回だけ、ちょっとだけ、先っちょだけ、というオファーが後を絶たず、トレセンも少しくらいは、と推してくるのだ。

 

 

 ウマ娘でお金を稼ぐどうこうについては何も言えないし言うつもりはない。他ならぬ私が収入の九割方をスズカ達に頼っているわけだし、こういう活動のお陰でウマ娘はトレセンに『やや高い』位の学費を払うだけで済んでいるのだから。

 

 

「一応一時間番組の二つのコーナーに出るだけだから、まあ三十分くらいとは言われてるわ。内容も全部聞いてきてるから、明後日のリハーサルに向けて今のうちから練習よ」

「どれだけ心配してるんですか……」

 

 

 見学のスカーレットがぼやく。他に人の目がちらほらあるので完全敬語だし、トレーニング中のスズカを行儀良く座って眺めていた。ジムの隅っこだし、相変わらずエルナトは遠巻きにされているので、たぶん態度は崩しても良いと思うわ、私。

 

 今回の出演はブルボンのみとなっている。基本的にはダービーのことや普段のトレーニングについて聞かれているブルボンが、初めてバラエティ的というか、フリートークのようなものに挑むことになる。

 

 

「ブルボンを甘く見ちゃダメよ。そもそも、経験の無いことをするのだから練習はした方が良いわ」

「まあ、それはそうなんでしょうけど……それで、その封筒がお便りとかってことですか」

「こっちがお便りで、こっちが質問。全部ここから出るってことだから」

「なんか、裏の事情を知っちゃって悲しいやら何やらです……」

 

 

 パーソナリティは当然プロだがゲストたる我々は素人である。ガチガチの台本でもやむなし。そもそもパーソナリティさん達も八割くらい台本って言ってたし。

 

 

「まずはお便りね。あっスズカ、もうちょっとちゃんと沈んで。浅くなってる」

「はい……っ」

「じゃあこれ」

 

 

 お便りを一枚取り出しブルボンに渡す。すぐに、すらすらと読み始めるブルボン。こういう読み上げとかの方が向いてると思うんだけどね。仕方無い。

 

 

「はい。『私には小さい時から仲の良い友達がいて、一緒に走るのが好きだったのですが、最近友達の方が速くなっていてどうすれば良いか解りません。どんな風に接したら良いでしょうか?』とのことです」

「あーありそう……よく聞くやつですね」

 

 

 極端な話二人が喋っていればそれで良いのだ。非常にシンプルなお便りを選んだものだと思う。それにしてはじっと考えているけど……大丈夫よね? スカーレットも、なんで黙ってるんだろうみたいな目で見てるから。なるはやで。

 

 

「はい」

「はいブルボン」

 

 

 さっと手を上げたブルボン。

 

 

「この情報量では何も判断できませんが、ここではなく指導者たる立場の方に意見を求めるのが良いかと思います」

「……うーん」

「いや、まあ正しいですけど、たぶんそういうことでは……もっと精神的な面じゃないですか?」

「精神的……鍛える他ありません。追い付きたいのであれば死ぬ気で努力するべきです。質問をしている場合ではありません。とにかく走りなさい」

「ラジオのお便りに正論ぶつけるのはやめませんか?」

 

 

 怒涛のマジレスにスカーレットが引いている。そうよね? 私の違和感、間違ってないよね? スカーレットを巻き込んで良かった。マトモな感性と普通の考え方ができる存在はエルナトでは貴重だ。私も全部にツッコめるわけじゃないし。いや、トレーニングするとなれば必ずくっついてくるというだけで、狙ったわけではないけど。

 

 

「もっとこう……希望を持たせるような感じの方が良いと思います」

「希望……ですか」

「前向きになれるような感じで」

「……鍛えれば良いというのは非常にシンプルかつ前向きな解決方法ではありませんか? 問題点は発見されませんでした」

「まあそう……そうなんですけど。ブルボン先輩が正しいんですけど、でも何でしょう、腑に落ちない……」

「対案を出さずに否定するのは感心しません、スカーレットさん」

「……ふー……ちょっと失礼。ここってサンドバッグとかってある?」

 

 

 無い。ほとんどのサンドバッグはウマ娘のストレスをぶつけられると粉々になるから。

 

 頭を抱え落ち着くフェーズに入ってしまったスカーレットは放っておいて、せっかくなのでスズカにも聞いてみる。そこそこ過酷なトレーニング中ではあるんだけど、しかし流石はスズカ。たまに忘れそうになるが、これでもシニア二年目のトップウマ娘である。フォームを崩さず喋るだけの余裕があった。

 

 

「え……うーんと……んー……」

「無いなら無いで良いけど」

「いえ……えっと……走ることってそういう、誰かと比べてとかだけじゃないと思うんです。私達は走るために生まれてきたとはよく言われますけど、勝つために生まれてきたわけじゃなくて、もちろんレースになったら勝ちたいし、頑張りますけどそれだけじゃないというか、少なくともまだレースに出ていないなら、楽しいから走っているだけだと思うんです。あなたが走って楽しいのはどうしてですか? 一緒に走ることが楽しいのか、お友達に勝つのが楽しかったのかによると思います。もしあなたの方が速かったとして、二人で走らなくなりますか? 私はずっと一人で走っていましたけど、自分の足が遅くなっても走ると思います。本質はそこではないからです。速くありたいとは思いますし、そうあるように頑張ります。でも、楽しさは人それぞれというか、もしお友達と一緒に走るのが辛ければ、星の見える夜とか、そよ風の中を走るのはどうですか? 悩みなんて全部どうでも良くなると思います。直近で言うと三日後は気温もちょうど良いし、当日と翌日が晴れで星もよく見えるし、風も良い感じに吹いているという予報です。私もこっそり走ろうかなって……あっ」

「スカーレット、ジャッジ」

「いやなんか……根源的な恐怖を感じました」

 

 

 隙あらば自分語り。まあウマ娘を呼んでやるラジオなんてウマ娘のことが知れればあとはどうでも良い可能性もあるけど、走ることに関してスズカに聞いてはいけないということはしみじみと感じた。短く纏めてくれれば良い感じになりそうなのに。スカーレットが心底怯えている。あっブルボン頷かないで。これは悪い例だから。

 

 

「もっと短く纏めて、スズカ」

「…………走るのが好きかどうかと、友達と競うのが好きかは分けて考えて良いと思います」

「よくできました。偉い」

「んー……」

「採点が甘すぎるんですよね、本当に」

 

 

 スズカは賢いねえ。今度は短すぎるような気がしないでもないけど。真面目なトレーニング中は頭もある程度真面目になるんだろうか。頭をぽんぽんと撫でておく。

 

 

「まあこんなものでしょ。大丈夫、本気で悩んでいる子はラジオなんかに投稿しないから」

「身も蓋も無さすぎる……」

「そもそもブルボンを起用するにしろスズカを起用するにしろ使い方がなってないのよね。マイク渡して夢の話なり走ることの魅力なり話させておけば永遠に語るんだから。その方が可愛いのに。無難にしようとして良さを殺してるというか」

「親バカ……!」

 

 

 誰が親バカか。

 

 

「……ふはっ、お、終わりました……あー……」

「ん。お疲れスズカ」

 

 

 ちょうど今日のスズカのトレーニングも終わったことだし、残りは部屋に戻ってからにしようかな。汗をかいたままだと風邪もひくし。腕を少しだけ触診して、お疲れのスズカだけシャワールームへ。私達は一足先にエルナトの部屋に戻ることとした。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「はい。はい。ええ、今練習をして、良い感じに答えられるように……え? いらない? しかしですね、ブルボンに素でやらせるととんでもないことを……構わない? いや、まあ……はい。はい。申し訳無いです。はい。では、はい。そのままで。はい。失礼します」

 

 

「……なんだったの?」

「ああ、まあ……局の人、ブルボンがああいう子だってある程度解って呼んでるから、変に練習とかしないで欲しいって……」

「ええ……? じゃあ今までの練習は何だったの……」

「……いやごめんブルボン……ブルボン?」

 

 

 たづなさんと別件の連絡をしていた時、ラジオの話になった。どうやら、ちゃんと備えて答えも考えさせようとした私の行動は求められていなかったようで、普通に注意された。まあ、私は私で完全に無難なことを言わせようとしていたし、怒られるのも仕方が無い面は否めない。

 

 無意味に考えさせてしまったことを謝ろうとブルボンの方を向くと、虚空を眺めてふらふらと首を動かしていた。苦手なことを考えさせちゃったからオーバーフローしちゃったかな。

 

 

「ブルボン先輩!?」

「バグっちゃった……」

「ウマ娘に使う言葉!?」

「一旦再起動しませんか?」

「生物に使う言葉!?」

 

 

 スズカが面白がってしまった。ブルボンのロボット要素がツボらしく、たまに遊んでしまう。今回に関してはブルボンは被害者だけど、ほえ……みたいな顔が間抜けで可愛いのであんまり止める気も起きない。

 

 

「ぽちっ」

「ミホノブルボン、シャットダウンします」

「ふふふ……っ、ぽちっ」

「ミホノブルボン、再起動します」

「…………くっ」

「笑ってるじゃない」

 

 

 鼻を押されゆっくりと倒れ、もう一度押されバッと起き上がるブルボン。結構余裕あるわねこの子。スカーレットも勢いよく顔を逸らした。

 

 

「……わ、笑ってないし……」

「連打ぁ」

「ミホノブルボン、自爆します。に、いち、ぼーん」

「相変わらず逃げる隙を与えないわね」

「…………っ、ふ……くっ……」

 

 

 お腹を抱えるスカーレット。にっこにこのスズカ、ウケたのでドヤ顔のブルボン。今日も平和だ。

 

 

 なお、ブルボンがいくつかの制約のもと素で行ったラジオに関しては何故か大好評だった。ただ、質問やお便りの大半に「努力しなさい」で答えた結果、さらにエルナト宛のメールの必死度は増した。でも月一くらいでやってくれとレギュラー化した。



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穏やかに過ごすミホノブルボン

箸休め日常回(n回目)

トレーナーを被害者にしてるときがいっちゃん楽しい。


 

 六月十日、水曜日。記録者、ミホノブルボン。

 

 

「……ライスさん」

「ひゃぁっ!?」

 

 

 授業が終了し、先約もありませんのでライスに声をかけると、鞄にしまおうとしていた筆箱を盛大に床にばらまきました。

 

 ライスシャワー。ダービーで私に二バ身まで迫ったウマ娘です。マスターの観察眼によれば、能力は特筆すべきものではなく、ダービーの結果についても『爆発力』の片鱗を見せた結果だということです。

 

 

「な、なに……? どうしたの……?」

「今日も私のストーキングを?」

「え……うん……たぶん」

 

 

 爆発力が菊花賞で発揮された場合、私では勝てないというのがマスターの見解でしょう。直接的な言葉は使われていませんがしかし、そのように解釈される会話ログが残っています。

 

 しかし、それとは別に彼女は大切な友人です。休日に行動をともにするくらいは当然です。本来であれば、爆発力を発揮させないような施策をとるべきなのでしょうが、私自身、理由無くそれを拒絶していました。なるほど、これがマスターの言う、『ウマ娘はスポーツマンシップの塊』ということでしょうか。

 

 

「本日のトレーニングは休みなので、良ければこの後どこかに出掛けませんか」

「え……い、今から? 二人で?」

「問題があれば他の方を誘っても構いませんが」

 

 

 本日はスズカさんのランニング禁止開始日ということで、マスターはそちらへ尽力するべく私とスカーレットさんのトレーニングを休みにしました。

 

 なお、「この分はきっちりやってくれるのよね?」とマスターを睨み付けたスカーレットさんにより、近日中の特別メニューが確約されています。素晴らしい働きでした。

 

 

「う、ううん、二人でも大丈夫だよっ。どこに行く?」

「電子機器が無ければどこでも」

「現代社会じゃ難しいんじゃないかな……」

 

 

 とりあえずの目標を『散歩』に決定し、行き掛けにはちみーを買うことを提案します。受諾されましたので、半歩後ろをついてくるライスとともに昇降口へ向かいます。

 

 

「そういえばね、駅前のゲームセンターにね、ダンスのゲーム? が増えたらしいよ」

「ウイニングライブの練習になるでしょうか? どちらかといえば懸念点は歌唱にありますが」

「歌の練習はできないと思うけど……あ、カラオケとか行く?」

「リモコン機器、マイクに触れられません」

「そっかあ……ライスが持っててあげるよ?」

 

 

 評価C。カラオケはもっと騒がしい方と行った方が楽しいでしょう。私とライスはそう話す性格ではありません。むしろ、コミュニケーション能力に難のある私に、ライスが話し掛けてきてくれている状態です。

 

 友人は大切にしなさい、ライスと仲良くなってよく知りなさい、とのオーダーをお父さんとマスターから発令されていますし、私個人としても、ライスシャワーは良き友人です。

 

 

「ところでライス、次走の予定は立ちましたか?」

「え……ううん。ブルボンさんは?」

「マスターの決定に従いますが、恐らくは秋からです」

「そうなんだ……じゃあライスも秋からかな……」

 

 

 靴を履き替え外へ。目の前をトレーニング中の方々が走り去っていきました。ぞわりと尻尾の付け根が粟立ちます。私ももっとトレーニングを行いたいところです。

 

 

「たぶん、レースは選べると思うし……」

 

 

 ライスはトレセンでは珍しく、重賞──特にG1で勝ち負けを狙える位置にいながらも、専属や小規模チームのトレーナーがいない存在です。大規模の、本来であれば未勝利戦で苦戦するような方々が所属するチームに名前を登録してレースに出ている状態です。

 

 お父さん曰く、そういったチームでは当然トレーナー主体によるトレーニングは最低限になります。チームの名前で各種サポートや医療は受けられるそうですが、手続きを自分で行う必要があるそうです。

 

 一方、チームやトレセンに引かれる賞金額が少ないという点のほか、トレーニング内容や出走レースを自由に選べるという利点もあるようです。もちろん、手続きは自ら行いますが、後者のメリットを勘案してこちらに所属するウマ娘も僅かながらいるのだとか。

 

 

「では、神戸新聞杯や京都大賞典、セントライト記念でしょうか」

「うん……ブルボンさんは?」

「まだ解りません。マスターの判断ですから」

「そっかあ……じゃあライスもまだ解らないかな……」

 

 

 そのような事情がありますので、ライスは私と同じレースへの登録を容易に狙うことができます。ダービーを終えたあたりから、時々、ライスが恐ろしく冷えた目をするようになりました。いえ、冷えた目というのは比喩表現ですが、バッドステータス:恐怖を喚起するような目です。

 

 徹底マークから来る爆発力。確か、スペシャルウィークさんもグラスワンダーさんのことを、「怒らせると怖い」と評していました。私も今度からこの表現を使いましょう。

 

 

「ライスは怒らせると怖いですから」

「ふえぇっ!? お、怒ってないよ!?」

「いえ、練習です」

「何の!?」

 

 

 正門ほどまで達した頃、練習コースの方から高笑いのような何かが聞こえてきました。ライスと目を見合わせ、声のもとへ進路をとります。

 

 そこに、見慣れた光景がありました。

 

 

「はーっはっはっはっはーっ!!!! 幸運! 無敵! 最強! 来てます! 誰であろうと負けるはずがありません! 私は今究極の幸運パワーを宿したのです!!」

「フク……キタル……!」

「スズカさん! 落ち着いてください!」

 

 

 コースのゴール位置で両手を広げ叫ぶマチカネフクキタルさん。そして、スカーレットさんに羽交い締めにされながらも彼女に強引に手を伸ばすスズカさん。どういう状態であるか、聞かずとも推測できました。

 

 

「なるほど」

「え? 何がなるほどなの? ブルボンさんはこれで何が解ったの?」

「ライス。手を貸してください。スズカさんを止めます」

「訳が解らないよ……!?」

 

 

 ライスへの説明の優先順位は高くはありません。とにかく三人のもとに走り、挨拶を省略してスズカさんに掴みかかります。パワーはまだ劣りますが、視野の狭くなったスズカさんであれば、制御しやすいように抱くのも難しくはありません。

 

 

「ブルボン先輩!?」

「スズカさん。落ち着いてください」

「もう一回……フクキタル……ッ!!」

「スカーレットさん、マスターは」

「お手洗いに……その間にフクキタル先輩が声をかけてきて、止めたんですけど……」

「……なるほど」

 

 

 臨機応変な対応は私の不得手とするところです。しかし、強引にスズカさんを止める力が無いのも事実であり、このままでは、今日から禁止期間のはずのスズカさんを無為に走らせてしまいます。

 

 お二人が走ったということは中距離でしょう。二分と少しかかったはずです。つまり、マスターがトイレから帰るまで、長くともあと数分と予測されます。それまで留めておけばミッション完了となります。

 

 

「放して二人とも……次は絶対に逃げ切るから……」

「マスターの許可をとるべきです、スズカさん」

「戻ってくるまでに何とかするから……! トレーナーさん、たぶん時間かかるから……朝してなかったし……!」

それは本当にやめてあげてください……

 

 

 スカーレットさんが悲痛な叫びをあげています。流石の私もマスターのそういった事情は把握していません。スズカさんは……宿泊ペースと距離感を考えれば大抵のことはお互い理解しているでしょうが。

 

 

「フクキタル……2400右でも良いから……」

「何度やっても結果は変わりませんとも! スーパーフクキタルと呼んでください!」

「フクキタルさん、スズカさんを挑発するのは控えてください」

 

 

 これ以上パワーを上げられると、私では制御できなくなります。仕方ありません。ライスに向き直る余裕はありませんので、尻尾でこっちに来るよう伝えます。

 

 

「ライス。スカーレットさんの代わりにスズカさんを押さえつけてください」

「わ、訳が解らないよ……!」

「ライス……私は、あなたの力を高く評価しています。ライスならできます。私のライバルとなるウマ娘ですから」

「こんな時に聞きたくなかったよぉ……!」

 

 

 涙目と涙声になりつつも、しかしスカーレットさんを引き継ぎスズカさんの押さえ付けに参加してくれます。マスターのステータス上は私の方がパワーはありますが、しかしライスもダービーで私の後ろに来たウマ娘です。普段の私とスカーレットさんの押さえ付けよりも、スズカさんが動きにくそうにしています。

 

 

「待ってブルボンさん、これは違うの、ちょこっとだけ、あと一回やれば勝てるから……!」

「勝てるかもしれませんが落ち着いてマスターの指示を待ちましょう」

「次は怪物! そして女帝! 皇帝! ああ、私は全てのウマ娘を超えてしまったのです!!!!」

「まだ負けてない……これは勝ちの途中だから……!」

「スカーレットさん、フクキタルさんを黙らせてください」

「あ、はい」

 

 

 こっちに行きましょうフクキタル先輩、などと誘導してフクキタルさんが連れていかれました。あとはマスターを待つだけです。慣れている私はともかく、ライスの体力が心配ですが、彼女はマスターも認める生粋のステイヤー。問題無いでしょう。

 

 

「あの、ブルボンさん……!」

「はい」

「いつも……こんなことしてるの……!?」

「はい。後輩の責務です」

「そんな責務無いよ……!?」

 

 

 なお拘束から逃れ飛び出そうとするスズカさんに抗っていると、校舎の方から小走りでマスターが戻って来るのを視認しました。ミッション完了です。ライスに伝え、状況から何が起こったのか把握しているらしいマスターにスズカさんを引き渡します。

 

 

「こらスズカ。何してるの」

「トレーナーさん……! フクキタルが、フクキタルが私を差したんです……取り返さなきゃ、先頭を、先頭……うぅ……っ」

「どうどう。お疲れブルボン、スカーレット。ごめんねライスシャワー、巻き込んじゃって」

「は、はい……あの、その、ひ、肘がぴんぴんに……」

「大丈夫これくら痛い痛い痛い痛いスズカ痛いって緩めて、折れる! 折れる!」

 

 

「……もしかしてブルボンさんのトレーナーさんって凄い人?」

「はい。何故?」

「ライスとブルボンさんでやっとだったのに、一人で押さえてる……」

「スズカさんにのみ通じる捕縛術があるのでしょうか」

 

 

 あとでマスターにご教示頂きましょう。そして、マスターが合流した以上私の役割はもうありません。

 

 

「ではライス、行きましょう。体力回復のため、はちみーは濃いめにするというのはどうですか?」

「え……う、うん。良いね。多めにもしちゃおっか。あとで走ればお腹も大丈夫だもんね」

「はい。私はマスターのトレーニングがあるので太ることなどありませんが」

「……前、お腹ぽんぽこりんだったよね?」

「……私のデータログには何もありません」

 

 

 オーダー:ライスと仲良くなるは今も順調に達成されています。これからも引き続き、このまま良い関係を築いていきたいと思います。くすくすと小さく笑うライスを見て、私はそう思いました。




フクキタルは史実通り今もひっそり走ってます。レース当日に大吉が引けないのがフクの一番の不運なのでは……?


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心を殺すサイレンススズカ

 

「んー……」

「どうかしました? トレーナーさん」

「んにゃ……大したことじゃないんだけど」

 

 

 ある日。トレーナールームにて、私は悲しい日課になってしまったメールチェックをしていた。

 

 チーム・エルナトの悪評……悪評か? まあ私は悪評だと思ってるけど、悪評は留まるところを知らない。もう八割諦めているけど、スパルタで全てを解決するチームだと思われており、崖っぷちのウマ娘達が頻繁に連絡を取ってくる。

 

 非常に切実なメッセージもかなりある。これに関してはこの間のブルボンのラジオも効いてる可能性もある。ブルボン、スパルタ教の教祖様みたいなところあるもんね。そのブルボンが『悩んでないで行動しなさい』って言ったらそれは行動するよ。

 

 

「また色々メールがね」

「良いじゃないですか、気にしなければ」

「そりゃそうなんだけどさあ」

 

 

 ランニング禁止中のスズカは今日はほんの少し落ち着いている。何でも、エアグルーヴと話して、せっかくだからその覚悟に応えたいんだとか。スズカにもそういう感情があったのね、と言ったら尻尾で叩かれた。なんでよ。

 

 暇潰しのジグソーパズルを組み立てながら、しかし見知らぬ未勝利ウマ娘には流石に興味はないらしい。強者の特権を今日も遺憾無く発揮している。

 

 

「そろそろ病んじゃうよ私」

「大丈夫ですよトレーナーさんだし」

「私のこと何だと思ってるの」

「私がいるじゃないですか」

「それはそうかも……?」

 

 

 スズカが用意してくれたコーヒーを一口。まあ、スズカとその脚のおかげで幾分余裕ができていることは否定できない。何があっても、『でも私にはスズカがいるし』と思えるのは大きい。

 

 とはいえ、流石にここまで積み重なると思うところがないわけでもない。別に何とかできるなら今すぐ何とかしたいとは思っているのだ、私も。来たメールを何とかするというよりは、メールが来ないようにしたい。

 

 

「何か良い考え無いかな……」

「無いんじゃないですか?」

「もっと親身になって?」

「スズカ相談所はランニング10kmで一時間話を聞くことにしました」

「じゃあ一生聞かない。廃業~」

「……ぇぅ」

 

 

 撃たれたみたいにソファに寝転がるスズカ。いい加減私も憂鬱になってきたのでパソコンを閉じる。ルール上着信拒否はできないのが辛いところだ。勝手にスズカが砂糖をドバドバにしたコーヒーを持ってスズカの隣に腰掛ける。カップを渡すと、さも当然のように飲み始めた。

 

 

「甘過ぎない?」

「美味しいですよ」

「そっかあ。いやそっかあじゃないな。砂糖入れすぎね君」

「私の怒りです。今日は走るのに良い日なのに、ぅ、ぅぁ」

 

 

 どんな日でも良い日な癖に。ムカつくのでイヤーカバー越しにウマ耳を弄ぶ。カップを置いて、私にもたれ掛かるスズカ。良い匂いするなあ本当に。ウマ娘からすれば人間が感じ取れるほどの匂いは強すぎるので、つまり私のためにこうしてくれているわけだ。可愛いわね。

 

 

「返信、しなくて良いんですか? 凄い子がいるかもしれないですよ」

「いないわよ」

「そうですか……」

 

 

 実力のある子はよっぽどの変わり者じゃないとスパルタなんかしない。当たり前だ。私がこの力を持ってブルボンやスカーレットがそれを使っているから成立しているだけで、どちらか欠ければすぐに心か脚が折れる。

 

 それ以外にも、多すぎると私はダメになるし、なまじ能力が見えるだけあって平等に扱う自信が無い。この間もスズカのために二人のトレーニングを休みにして物凄い顔で特別メニューを快諾させられた身だ。

 

 

「お疲れ様です、トレーナーさん」

「お疲れスカーレット。早いわね」

 

 

と、悩んでいるうちにスカーレットが来た。ブルボンは今日は実家に呼ばれているらしく来ない。トレーニングは当然スカーレットだけになる。楽で良いわ本当に。これで固定給は変わらないしそこそこ貰えるのバグでしょ。

 

 

「……日直に手伝いを断られたのよ。いつもやってもらって悪いからって。先生が見てたのに……加点のチャンスを逃したわ」

「会話を聞いてれば高評価じゃない? 慕われてる子ってことだし」

「……まあ、それなら良いけど」

 

 

 ドアを閉じて素の口調に戻り、鞄を放って飲み物を取り出すスカーレット。そもそもはこの子も、圧倒的才能に目が眩んで受け入れちゃったのよね。あんまり増やす気は無かったのに。

 

 

「で、何悩んでんの?」

「……解る?」

「そりゃ解るでしょ。めちゃくちゃ顔に出るもん。ですよね、スズカ先輩」

「……私だって解ってるわよ。でもトレーナーさんが話してくれるまで聞かないでおこうって思っただけなんだから。別に解ってたし」

「……よろしく、トレーナー」

 

 

 こいつ。唇を尖らせてぎゅっと私に寄ったスズカが面倒になって逃げた。私達が座るソファの向かいに座り、缶ジュースで口元を隠しながら目を逸らすスカーレット。え、というか私ってそんな顔に出る? 自分の頬を弄くってみるけど何も解らない。個人的にはクールビューティーって感じで行きたいんだけどな、私。

 

 

「ビューティーはともかくクールは無理でしょ」

「なんでよ。行けるかもしれないじゃん」

「まずスズカ先輩の頭から手ぇ離しなさいよ」

「……クールビューティーでも担当を撫でるくらいするでしょ」

「しないでしょ」

 

 

 私のイメージがどうなっているかは後で問い詰めるとしよう。スズカを撫でるのは継続しつつ、課題を開いているスカーレットを眺める。慣れてきたなあ色々と。だからこそ、新しい子を入れるのが物凄く怖いし嫌なのだ。たづなさんは入れろ入れろって言ってくるけど、そんじょそこらのスパルタとは訳が違うんです我々は。

 

 

「で、実際何で悩んでたのよ」

「ん、まあ……チーム加入希望が多くてね……」

「後輩……はできなさそうね。じゃあ何? お断りの文句でも考えてるの?」

「学園のテンプレをそのまま貼るだけだからそれは良いのよ」

 

 

 あのテンプレ、再度の応募も受け入れるみたいに読めるから切実に改変して欲しいけど。

 

 

「じゃあ悩むこと無いじゃない。私が言うのもおかしいけど、このチームは選ぶ側でしょ?」

「でもさあ……ちょっと心に来るじゃない。お断りを出し続けるだけでも」

「ふわっとしてるしどうすれば良いか解んないし。女々しいわよトレーナー」

「女だよ?」

「女ですよ?」

 

 

 おっぱい触るのやめよう?

 

 

「だから前言ったじゃないですか。希望者全員にテストを課しましょう。私に勝てたら加入ということで」

「誰が入れるんですかそのテスト」

「走りたいだけじゃんスズカが」

「どうしてやる前から諦めちゃうんですか? もしかしたら一人くらい……一人……ぅ、ぉぇ」

「おーよしよし。心にも無いこと言えるタイプじゃないんだから無理しないの」

 

 

 たとえ嘘でも、スズカは「走りたくない」と「自分より速い子がいる」は言いたくないらしい。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「……あ、思い付きました」

「何を? はいお水」

「ありがとうございます……さっきの話です」

 

 

 トレーニングも終わり、ストレッチ中。スカーレットが唐突にぴこんとウマ耳を立てた。どうやら思い付いたらしい。うちで一番賢い子だし、聞く価値はある。順にブルボン、スズカと価値は減る。

 

 

「いっそのこと体験で受け入れてしまえば良いんじゃないですか?」

「どういうこと?」

「いや、生半可な覚悟ではついてこられないってことを広めれば応募も減ると思うんです」

「……そうはならなくない?」

 

 

 スズカに前屈させられながら、どうも頭の悪そうな理論を展開するスカーレット。元々私を頼ろうなんてウマ娘はスパルタか退学かを迫られてるような子だし、そう簡単に折れるとは思えないけど。

 

 

「あんまり他の子をバカにはしたくないですけど……ここのトレーニングが続けられるのはよっぽどの覚悟がありますよ」

「ブルボンとスカーレットはやっていけてるじゃない」

「……それを聞きます?」

 

 

 ぎろり、と他に見られないように私を睨むスカーレット。相変わらずの迫力にひぇ、と声が漏れ、こらこら、とスズカが強く上体を押した。

 

 

「いたたたたたたスズカ先輩、痛い、ヤバいですこれは!」

「ダメじゃないそんな顔しちゃ」

「今日スズカ先輩がおかしいんですけど! トレーナーさん!」

「今スズカは必死に自分を殺しているのよ」

「何を言ってるのか解らない……!」

 

 

 スカーレットが死にそうなので少し緩めてあげて、完全に目が死んでいるスズカを撫でる。どうにかエアグルーヴのために走らないようにするべく、スズカなりに最大限の努力をしているらしい。それができるなら毎回やって欲しかった。

 

 

「でもまあそうね……体験……体験かあ」

「やってないんですか? 私はやったのに」

「スカーレットは才能の塊だったからつい」

「……ふーん、そう」

 

 

 でももし心が折れなかったらそのまま引き受けることになりそうで怖い。私そんなに責任持てないよ。確固たる約束をしたのもブルボンまでだし。

 

 一方で、心が折れるならギリギリ良いアイディアかもしれない。悪評はさらに加速するとしても、応募は少なくなるだろう。と言うか私自身が何も思い付いていないので何を言うこともできない。

 

 

「……まあでもダメ。もし折れなかった時加入させたくないから」

「……チッ」

「今舌打ちした?」

「してません」

 

 

 とは言え、何となく少し体験……というか入部テストという名目で数日間面倒を見るくらいはやっても良いかもしれない。是非、私が才能を見抜けるだけの一般トレーナーだということを知って欲しい。

 

 

「スズカさんも良いアイディアだと思いませんか?」

「……スカーレットさん、静かに」

「そうよスカーレット。スズカは今限界なんだから」

「何言ってうわっ尻尾ぶんぶんじゃないですか」

「すみませんトレーナーさん……め、目隠し……手枷も……無理、ターフが見えるともう……」

 

 

 ウマ耳をぴこぴこ跳ねさせ、びゅんびゅんに尻尾を振ったスズカが助けを求めてこっちを見てきた。目が鋭くなりかけている。まあこっちもしっかりと用意はあるので、目隠しと手錠を着けて座らせておく。

 

 少しずつ呼吸が深くなっていくスズカ。走りたいメーターが上がっていくのを感じる。スカーレットはまだ理解度が足りないわね。

 

 

「そんな走れそうなこと言ったらスズカが困っちゃうでしょ」

「いや……断言しますけど私は悪くないです」

「でも現実にスズカは今必死に戦ってるのよ」

「知らないですよ」

 

 

 宝塚まであと一週間。スズカは果たして我慢できるのか。頑張れ頑張れと呟きながら、私はその日スズカを撫で回して過ごした。




エルナトのメンバーは増えません。いつもの狂気アピです。


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稀に見る落ち着きを見せるサイレンススズカ

この作品史上もっとも落ち着いているスズカ。


 

「「「「「よろしくお願いします!」」」」」

 

「はいよろしくお願いします。じゃあミーティング始めますね」

 

 

 翌々日。

 

 早速メールの中からまだマシ……いや本当に申し訳無いんだけど、団栗の背比べの中からまだ見込みのありそうな子を五人選んで、『体験加入をしないか』という返信をしてみた。

 

 すると、全員が一分で参加しますとの返信を寄越してきたし、十分で全員集まってしまった。いやその、ちょっと怖いくらい追い詰められているような気がしないでもないけど。

 

 

「自己紹介は……まあ追々、真面目な話が終わった後にしましょうか。とりあえず練習のスケジュールとかルールとか、そういうのを伝えておきます」

 

 

 希望を持たせて刈り取るような真似であることは解っている。でも、私の心の平穏のために我慢して欲しい。それに、少なくとも私の所にいる間はそれなりに成長できるわけで、やらないより良いと思う。

 

 正規エルナトのうち二人は、私の後ろでベッドに腰掛けて無言で圧をかけている。というか、走れないスズカと無表情のブルボンはそんなつもりがないのに見つめるだけで圧になっていた。

 

 

「どうぞ、先輩方」

 

 

 そしてもう一人はこれ見よがしに出来る後輩アピールに走り飲み物を用意してくれている。集まってくれた子達はクラシックの子、つまりブルボンと同世代が三人、シニアが一人、ジュニアが一人なので基本的にスカーレットの先輩にあたる。

 

 でもまあ、その、ステータスや適性は酷いものでスカーレットにも劣る。いや、スカーレットはごく一部の選ばれた才能の塊なのでそれと比較するのは残酷だけど、それにしても今まで何をしていたんだと思ってしまう。

 

 

「まず期間だけど、基本的には夏合宿までを考えてます。その先は相談しながら。で、私との相性とか考えつつ正式に加入だったりって感じで」

 

 

 適性が壊滅的なのは良い。良くないけど良い。それは本人の才能であって努力ではどうにもならない。にしても芝CダートDとかは私にどうしろって言うのよとは思うけど良い。

 

 一方ステータスは本人の努力も半分くらいある。あと半分は良いトレーナーに巡り会えるかどうか。こっちも酷いのは正直直視できない。シニアでスタミナFとかいくら短距離マイル中心でも限度があるでしょ。スピードFももうちょっと無いの? そりゃ未勝利しか勝てないって。むしろ勝てたのが奇跡じゃん。

 

 

 ……とまあ、こういう風に見てしまうので、私はスズカ達みたいな強いウマ娘しか育てられないのだ。冷静に考えて、ほぼインチキで活動している私よりも、この五人の方が頑張っているに決まっている。私に見下す権利は無い。無いのに、見えてしまうとそう思わざるを得ない。

 

 

「トレーニングはそこに書いてある通り、全員共通でやります。そしてこれからが大事なのだけど、みんなには決して私の指示を超えたトレーニングをしないことと、私の指示の範囲で限界までトレーニングをすることを誓ってもらいます」

 

 

 何を当たり前のことを、と首を傾げたり互いを見合ったりする五人。ごめんね。エルナトは凄いところなの。そう思わせるために犠牲になってもらうわ。怪我はさせないし、ある程度強くはしてあげるから許してね。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「じゃあ次は……」

「ちょ、ちょっと待ってください……き、休憩……」

 

 

 準備運動も終わり、アップで既に疲れている子もいたけど無視してメインのトレーニングへ。長い距離を限界ギリギリの強度で何度も走らせる、エルナトお得意の地獄のようなランニングをやらせてみた。

 

 

 アップをチームの後輩に教えるという仕事を任されご満悦なブルボンと、やや疲れが来ているが今日は猫被りが止められずいつもよりキツそうなスカーレット。うちの子達はいつも通りだ。

 

 

 一方、体験組は完全にバテている。ラスト一本はつい怒鳴ってしまったくらいタイムを無視していた。多少はしょうがないけど、最後の方ほぼ歩いてた子もいる。

 

 スピードとスタミナのステータスを見ながらタイムは設定したけど、少しまだ遅いかな。もう少し早めても良い、と思っていたのだけどね。しかも、その修正をしている間休ませていたはずの五人が何か言ってきた。

 

 

「聞きながら座ってても良いですよ」

「いやその……も……もう少し……」

「……うーん」

 

 

 体力はまだ残っている。怪我率も無い。同じくらいのブルボンとスカーレットは普通に立っているし、消耗への耐性の差が如実に出ている感じ。体力を限界まで使い果たすことを知っているので、それまで動くことができるのだ。

 

 一方五人はそうではない。走った直後の消耗を、根本的な消耗と間違えているのだ。その証拠に喋る余裕がある。初めの方のブルボン達はそれすらできずに倒れていたわけで。

 

 

「まだできるし今十分休んだでしょう。目標タイムを全体的に上げます」

 

 

 ただ、だからと言って手心はない。

 

 

「うそ……むり……」

「無理じゃない。最初に言ったでしょう? 指示の範囲で限界までやってくださいと」

「も……限界……」

「それを決めるのは私です。ブルボン、スカーレット、立たせなさい」

 

 

 追い込むのが目的とはいえ、もちろん怪我はさせたくないしさせない。少しとはいえ責任感もあるから強くはしてあげようと思う。思うが、それとこれとは別の話。

 

 結局、全てはブルボン達のように倒れるまでやることに通ずる。説得も面倒なので一方的に指示を出し、背中を押すようにして位置につかせた。

 

 

「死ぬ気でやりなさい。大丈夫、本気で走ればギリギリ達成できるはずだから」

 

 

 有無を言わさず笛を吹く。何だかんだウマ娘は素直なので、ヘロヘロでも一応真面目に走ろうとはしていた。本人達の覚悟もあるのだろう、思ったより遅いが目標を守ろうと言う意志は感じられる。

 

 ただ、意志があろうと脚が遅いことに変わりない。段々と遅れていき、戻ってくるなりまた座り込んでしまった。初めてなのでメガホン二回目は控えておきます。

 

 

「うーん……遅れてます。もう少し気合い入れなさい」

「無理です……走れません……」

 

 

 うちでやりたいという気合いに比べて根性が無さすぎる。まだもう二回くらい走れると思うんだけど、どうして諦めてしまうのか。いや、私ならもっと早めに諦めてるけど。

 

 

「次」

「うぐ……」

「ブルボン、スカーレット」

「はい」

 

 

 全員手を引かれて連れていかれた。あと二本、少し休憩とマッサージを挟めば追加でもう一本行けるかな。

 

 心なしかブルボンの調子がとても良い。かなり気力が溢れているように見えるし、喜んでいる以上に普通に強くなっている。今日もライスシャワーは見てるんだろうか。

 

 

 そして、再び五人が帰ってきた。帰ってくるなりそのまま倒れ込む。流石のブルボン、スカーレットも立ってはいるが、スカーレットについてはブルボンの肩に手を置いて寄り掛かってもいる。

 

 

「お疲れ。良かったですよ。あなたはもう少しストライド閉じてみましょう。スタミナはそこそこあるみたいだから、距離短縮してピッチで押した方が可能性あるかも。1800とか1600くらいが向いてますね」

 

 

 水分と、一応ちょっと固形物も持ってきてはいる。差し出してはみるが、みんな受け取ってはくれない。喋らなくなってしまった。

 

 

「二人はまだ大丈夫よね?」

「もちろん……です……」

「はーっ……はー……と、当然……じゃない……ですか……げほっ」

 

 

 流石うちの子はヤバい。本調子からの消耗の割合を見るならあまり変わらないはずだけど……才能と気合いの差をこんなに感じることはない。五人がダメなのではなく二人がイカれているのだ。そうしたのは私だけど。

 

 

「水分はとった方が良いですよ、はい」

「……ぃ……」

「いらないなら良いですけど。二人はいる?」

「私は不要です……スカーレットさんは」

「……お願い……します……」

「はい。じゃあ貰いますね」

 

 

 スカーレットを寝かせて、顔にドリンクをかけ始めるスズカ。五人にもやってあげたいけど、慣れてないと普通に苦しいだけなのよね。ついでにジャージも脱がせて背を反らせ顎を上げる。

 

 倒れている五人はどうしようか。もう覚悟しているので今さら心は痛まない……いや痛まないのは嘘だけど、限界までやることに躊躇はない。まだできる。

 

 

「トレーナーさん……その、一回だけ走っても……」

「ダメ」

「そんな……今なんですよ。ちょうど今、一番走るのに適した気温になりました。ほら」

「ほらじゃないが。温度計なんか持ち歩かないで?」

 

 

 スズカにもそこそこ余裕がありそうだ。スズカはスズカで今回の禁止については精神的な鎖が大きい。エアグルーヴのためというのもあるし、私の手が止まって練習が止まるとチームとして良くないというのをちゃんと解っているんだろう。

 

 今回は偶然とはいえ、次からやるにはスズカのストレスが心配なのでできないけど。無理やり禁止させるならともかく、スズカに良い子を演じさせるのは本当に傷付くからね。私もスズカも。

 

 

「もう少しで終わるから、ね」

「んむ……早くしてくれないと我慢できなくなっちゃいますよ」

「はいはい。偉いねえスズカは」

 

 

 抱きしめて頭をぽんぽんとして、もう少し頑張ってもらう。私もほら、責任を負いたくないというのはあるけど、そもそもスズカとの時間を失いたくないってのもあるのだ。推しだからね。最推し。

 

 

「さて……じゃあ五人とも、立ちなさい。約束しましたね。まだできますからまだやります。少しだけペースは緩めますので」

「マスター」

「ブルボン達は別よ。同じタイムで走りなさい」

「……了解しました」

 

 

 嬉しそうね、ブルボン。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「……ふむ」

「ふむじゃないですけど」

 

 

 そして、強引に走らせた結果、死屍累々といったところ。気を失ったのが二人、乙女の尊厳を失ったのが二人、意識はあるが何にも反応しなくなってしまったのが一人。全員がターフに倒れ伏していた。

 

 芝を汚さないようにバケツを差し出したスズカが、中身を見ないようにしつつベンチの裏に置き、私の隣に立つ。

 

 

「どうでした?」

「……まあ、頑張ってたわ」

 

 

 そうですか、と、オマケのように倒れている正規エルナトの二人にばしゃばしゃ水をかけるスズカ。二人は意識もあるしまだギリギリ会話もできる……はず。頭が回っているかは知らないけど。

 

 

「ごめんねブルボン、スカーレット、五人を運ばないといけないからもう少しだけ頑張れる? とりあえず屋内まで運んでくれたら後は私がやるから」

「……ごめ……む……り……」

「……行動…………可能体……力まで……残り……十五……時間……」

 

 

 流石のブルボンもバグっちゃった。ただやり過ぎとは思わない。これを望んだのはブルボンだし、良いところを見せようとしたのか最後の一回で無駄に加速したのは本人だからだ。それくらいじゃ怒らないけど、よくもまあそんなことができたものだ。

 

 しかし、二人が動けないとなると……適当に呼び出せる人手にも心当たりが……いや、待てよ。

 

 

「ブルボン。今日はライスシャワーはどこにいるの?」

 

 

 これくらい頼んだってバチは当たらないだろう。

 

 

 

 なおブルボンを見ながら同じことをしようとしていたライスシャワーも限界だったので、結局力は借りられずスズカと一緒にせっせと運んだ。




結末なんか皆さん予想できるでしょうので、もう次で当然のように全員リタイアしてるか、もう一話くらい狂気アピするか考え中。


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マッサージされるサイレンススズカ

 

「ん、じゃあ解散。しっかり休んでくださいね」

「はい……」

 

 

 ある日。今日も体験組へのイジメ……もとい、スパルタトレーニングが終わり、よろよろと五人が部屋から出ていった。大体は終わった後動けるようになるまでエルナトの部屋で寝かせているので、もうすっかり日が沈んでしまっている。

 

 

「……あー……しんどい……」

「お疲れ。今日は危なかったわね」

「しょうがないでしょ……いくら何でもこう連続だとキツいわ……」

「自分で決めたことだもの。仕方無い仕方無い」

「そうなんだけど……労うとか褒めるとか無いの?」

 

 

 スカーレットが珍しくぐったりと、今さっきまで体験組達が倒れていたソファに転がる。かなり疲れてしまっているみたいだ。身体的というより、精神的に。

 

 スカーレットは基本的に仲が良い……というか、身内同然くらいに多く接する相手以外には猫を被っている。評判や体裁を気にしているからだ。まあ家族と、エルナトと、ウオッカかな? 

 

 しかし、近頃はそうではない子達がいる。その子達の前では、どんなに疲れていても演技を止められないのだ。追い込まれた結果言い放った『楽勝……ですよ……ッ!』はギリギリだったような気がするけど。

 

 

「トレーナーさん……私も疲れました……」

「はいはい。頑張ったねえスズカ。偉い」

「扱いの違いに怒る……体力が足りないわね」

 

 

 すり寄ってくるスズカに頬擦りして撫でる。走っていない証に髪がすべすべだ。んんー、と頭を擦り付けてくるスズカ。宝塚まであと二日。何とか我慢できそうだ。あーっと鳴き声をあげて、膝に倒れてくる。

 

 

 ブルボンは占領されていたベッドを取り戻し、いつも通り横になってじっとこちらを見ている。毎日完全に動けなくなるほど追い込んでいるのだけど、それでもご満悦なのは流石のミホノブルボンだ。

 

 

「なー」

「どうしたの。やけに絡んでくるじゃない」

「最近トレーナーさんが怖いので……」

「もうすぐ終わるから。ね?」

 

 

 不満げに喉を鳴らすスズカ。五人のモチベーションがかなり下がってきていることはどう見ても解る。絶不調だ。夏までに全員脱落するだろう。初日の、絶対に食らいつくという気概が薄れてきている。

 

 だからまあ、もうあと何日かってレベルだとは思う。思ったより頑張ったかな。私、初日で一人くらい欠けるかと思ってたけど。

 

 

 あと私そんなに怖い? そんな迫力あるようには思えないけど。

 

 

「んむんむ」

「可愛いねえスズカは……」

「猫か」

「にゃん」

「ええ……?」

「…………ぁぅ」

 

 

 小さく呟いて、すぐに顔を真っ赤にして伏してしまうスズカ。おお……と目を見開くブルボン。何に感心したんだろうあの子。

 

 しばらくスズカを楽しんだ後、満足して隣でちょこんと座るようになったスズカのうなじを撫でる。少し反省。スズカに寂しい思いをさせるなんて。

 

 

「ところでトレーナー。アタシのメイクデビューだけど」

「うん」

「その後はどこを走るとか、決めてる?」

「んー……スカーレットが走りたいところがあるならそこで良いけど。今年はブルボンの菊花賞があるから、夏はできれば避けられればとは」

「……阪神は行ける?」

「楽勝でしょ」

「……そう」

 

 

 間に合わないわけがない。まず間違いなくスカーレットは重賞を圧倒できる力を持っている。確かトリプルティアラを目指していたはずだけど、私もそれに賛成だ。それには阪神ジュベナイルフィリーズで実力を見せつけるのが一番良い。

 

 

「阪神……芝右回り、1600……」

「アタシね、ちょっと今ウオッカと……え、今何か呟きました?」

「私も走りたい……」

「いや、無理ですけど……」

 

 

 解ってますけど、とスズカ。コース詳細を呟いたと同時に尻尾がびゅんびゅんに揺れている。悲鳴みたいに声を漏らして、脚をばたばたと動かし始めた。

 

 

「はいはい。頑張って我慢しようねー」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」

「どんな声?」

 

 

 強めに肩を揉み解して黙らせる。中央のトレーナーたるもの、マッサージで担当を黙らせるくらいは当然である。いや違うな。私たるものスズカを黙らせるくらいは当然である。脚に触ると怒られるので、肩から背中、腰にかけて指の関節を突き立てる。ぐりぐりとツボを押してスズカを鳴かせまくる。

 

 

「あっ、あう、んんっ、とれ、トレーナーさ、ストップストップ、力入らなくなる……」

「入らなくなれば走らなくて済むじゃない」

「ち、力が入らなくても走ることはできま……あっあっあっ」

 

 

 中央のトレーナーを舐めないでほしい。私は平均だが、得意な人はマッサージで怪我を治すことすら可能なのだ。もはや特殊能力だと思わなくはないけど、私も怪我率を少し下げることくらいはできるし。スズカを骨抜きにしていると、ブルボンが横になったまま手を挙げた。

 

 

「私もマッサージを所望します」

「やってほしいの?」

「はい。体力回復に有用だと予想されます。スズカさんの反応からの推測ですが」

 

 

 全身とか背中はブルボンにもやったことはない。スズカに悪戯でやるくらいだ。基本的にブルボンは倒れるので、わざわざマッサージをするより寝かせている方が良いし、意識を保てるようになってからも別に欲されなかったし。

 

 もちろん求められれば快諾して、寝転がるブルボンに跨る。スズカは私がマッサージをするとふにゃふにゃになってしまうので全然目安にならないけど、ブルボンにも通じるんだろうか。普通にトレーナーが最低限修めておくべき整体の知識しかないんだけど。

 

 

「じゃあ行くわよ」

「はい……うっ」

 

 

 首筋に手をかけ、絞めるように肩まで滑らせる。流石は身体が丈夫なブルボン、全然凝っていない。すぐに首から背中に進み、手のひらと指に体重をかけていく。

 

 

「痛くない?」

「処置部の痛みはありません。ですが、俯せは胸部が痛みます」

「先に言って??」

 

 

 クッションを顎の下に滑り込ませて、引き続き背中を摩る。あまり深く揉んでも痛いだけなので、マッサージ機に近付くように細かく揺れるように動かす。背筋も含め恐ろしい力を持つ割に、やはりブルボンも女の子の柔らかさがある。押すとぐにんと少し沈むのも、自前のブルボンのクッションによるものね。

 

 腰を掴んでくるくると回すようにお尻を振らせ、そこそこ強めに拳を叩きつける。柔らか。

 

 

「気持ちいいんですか?」

「……予想の20%ほどです」

「ダメじゃないですか」

「やっぱり?」

 

 

 ブルボンは大したリアクションもせず、問い掛けたスカーレットに答えた。私も一度中断して、ブルボンの上で手首を回す。

 

 疲れているとはいえブルボンは健康体だし、凝りが発生するような偏った走り方もしない。そういう所じゃないとマッサージなんて特筆するほど気持ちよくはないのだ。

 

 

「スズカさんは悶えていましたが」

「スズカは……まあ、スズカだし」

「どういう意味で言ってますか? 怒りますよ。走りますよ?」

「いたたたたたたちぎれるちぎれるちぎれる」

 

 

 太ももはやめて太ももは。笑えないくらい痛いから。あと摘ままないで。摘まめるという事実が私の心を傷付けるから。

 

 

「この差は何でしょうか……」

「なにもそんなに真剣に考えなくても」

「マスターへの好感度でしょうか」

「知りませんよ」

「実験のため今度お父さんを呼びます」

「……それは絵面がヤバくないですか?」

 

 

 ヤバいね。ただブルボンはよく解っていないようだったのでそれ以上何も言わないように脚のマッサージに移る。脚の付け根に手を差し込んで軽く潰しながら足先へと引く。

 

 

「んぐ……ぅ……ふ……」

「え」

「痛かったら言うのよブルボン」

「は……い……」

 

 

 スズカにはできない脚のマッサージ。いくらブルボンが丈夫でも、脚を酷使していることに変わりはない。怪我はしないようにしていても疲労は溜まるし、特に近頃は連日それをやっているわけだ。

 

 こっちはそこそこブルボンをも黙らせる自信がある。圧力をかける度に無意識なのか力が入るあたり、感じ入るところはあるみたいね。

 

 そんな様子を見て、スズカが起き上がって紅茶のカップを片手に呟いた。

 

 

「良いなあ……」

「スズカは脚はやらせてくれないじゃない」

「やっても良いですよ。私は待ってます。ただ、気持ちよくなるためにはまず疲れを溜めないとですよね? ですからまず走ってきます。その後マッサージしてください。そしたらその脚で走ってきますから」

「そういうところを含めてやらせてくれないって言ってるのよ」

「ぐ……ぉあ……」

 

 

 流石に脚は筋肉量が段違いだ。見た目は普通の女の子だし触ってみてもそこまで驚くほどじゃないけど、張りや形、押し込むと解る奥底の筋肉が違う。ある意味ではスズカより上と言っても良い。これが天性の才能と努力で得た力の差か。

 

 

「……ねえトレーナー。それ、私もやってもらって良い?」

「もちろん良い……よっ」

「くっ……ぐ……ぅ……」

 

 

 右足首を回し、ふくらはぎを軽く伸ばす。やっぱり脚はそこそこ疲れているみたいね。まああんまり解しても良くないし、そこそこで終わりにしようと左足から靴下を剥いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 

「で、さっき何を言おうとしてたの?」

「え? ああ……いやね、ウオッカとちょっと話をしたのよ。どんなレースに出るかって」

 

 

 夜。私とスカーレットで作った夕食を四人で食べながら、スカーレットに聞いた。

 

 

「私はティアラ路線確定で、アイツはダービーだけ絶対に出るって言ってるんだけど、基本はマイルやティアラだって」

「へー。良いんじゃない」

「……何も思わないわけ? ティアラからダービーよ?」

「別に。同じようなものでしょ」

 

 

 ブルボンには悪いけど、ダービーをそこまで特別視した覚えはない。確かに世の中、ティアラ路線は三冠路線に劣るという言説はある。ティアラ路線出身の時点で、三冠路線出身より下に見られることもある。

 

 もちろんその辺は私には関係ないけど。同じ2400だし、名誉もよく解っていない。何故トリプルティアラの方が三冠より下なのか、まあ、何となく歴史があるんだなあ、くらいしか。

 

 

「好きに走れば良いし……まあ、好きに走れば良いのよ」

「何言ってんの?」

 

 

 危ない危ない。ウオッカは怖いからオークスから消えてくれると嬉しい、なんて言ったら普通に殴られそうだ。

 

 

「んむ……ごちそうさまでした。お風呂入ってきますね」

「一緒に入る?」

「ブルボンさんと入ります」

「えっ」

 

 

 スズカがブルボンの肩を掴み、茶碗に少し残ったご飯と合わせるおかずが無く、箸をさ迷わせていたブルボンがさっと振り向いた。今日はみんなたくさん食べたので、ちょっと足りなかったみたいだ。

 

 

「トレーナーさんは走らせてくれないので入ってあげません」

「待ってください、まだ食事が……あー……」

「曖昧になってきてるなあ、色々」

 

 

 茶碗と箸を持ったままのブルボンをスズカが引きずっていった。今回は私が強く禁止しているというよりスズカ自身が頑張ると言っていたはずだし、いつもお風呂に一緒に入らなくて凹むのはスズカだ。

 

 

「……アンタが入りたがってるの? いつも?」

「違うよ? スズカだよ?」

 

 

 ……もちろん、私もほんのちょっと入りたい気持ちはあるけど。意趣返しにスカーレットと入って、ブルボンに追加の何かを食べさせてあげなきゃ、と考えるのだった。




次回、宝塚。


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神には見向きもしないサイレンススズカ

デート回(n回目)

グランドライブシナリオ、メインキャラ昇格おめでとうございます。

二次創作してる身として一番怖いのは公式解釈に真っ向から歯向かってしまうことなんですけど、まあなんかスズカさんならこんなものだろうなあって感じではありました。良かった。


 

「はーいどうぞ。お待たせしました」

「わあ……ありがとうございます」

「ゆっくりしていってねー」

 

 

 気の良さそうなおばちゃんが、漫画で見たことありそうな三色の団子をはじめ、いくつもの団子の皿を置いていった。通りから少し入ったところの野外テーブルで、私とスズカは先に出されていたお茶を啜る。

 

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 

 うん、美味しい。

 

 

 宝塚記念前日。私達は二人で京都に来ていた。特に何か理由があるわけではない。阪神レース場で行われる宝塚記念に際して前乗りしたのだが、ホテルでじっとしていたら我慢できなくなります、とスズカが言うのでせっかくだからと少し遠出してきたのだ。

 

 いつも通り私がキャンピングカーを動かして来ているので、そこにちゃんとブルボンやスカーレット、他の臨時エルナトの子達も乗ってきてはいる。ただし、阪神レース場併設のトレーニング施設で全員潰してきた。今頃は大阪のホテルで倒れていることだろう。

 

 

 よってスズカと二人きりだ。何も話さなければお淑やかで綺麗系なスズカなので、あまり騒がしくない場所の方が合っている。ウマ娘らしく団子の数はちょっと引くくらいだけど。

 

 

「あっトレーナーさん大変です……」

「ん?」

「最初にみたらし団子を食べたら、他全部味がみたらしになっちゃいました……」

「ぶふっ」

「あぅ、き、汚い……ちょっとトレーナーさん、きな粉を飛ばさないでください」

「んぐ……ご、ごめん……アホだなあって……」

「直球……」

 

 

 昼食は少し少なめにしてあるので、いくら食べても構わないと言えば構わないけどね。お店も事前に連絡をしてあるから。何とか舌を戻そうと湯呑みを傾けたまま止まりお茶を舐めるスズカ。

 

 しばらくして諦めたのかみたらし団子を全て私に押し付けて、他のを食べ始めた。

 

 

「んー……美味しいです」

「ね。心が落ち着くわ」

「いえ落ち着きはしませんけど。今すぐ走り出したいですけど」

「外でも内でも我慢できてないんじゃない」

「当たり前です。走らないとダメなんです」

 

 

 意味が解らないけどとにかく力説してくる。団子を頬張っていなければもうちょっと言い返しても良かったんだけど、可愛いので適当に流しておくことにした。すると、むむむ、と頬を膨らませて串を私の足の隣に刺してきた。

 

 

「あっぶな」

「ちゃんと聞いてますか? この頬っぺたを見てください」

「いっぱい食べれて偉い」

「頬張ってるんじゃありません。拗ねてるんです」

 

 

 つんとそっぽを向くスズカ。でも頭を撫でるとちょっとこっちに傾く。可愛いねえ。この調子で頑張って我慢しようねえと声をかけていると、お店の人が……ご夫婦かな、二人で並んで外に出てきた。

 

 

 なんでも、せっかくなのでスズカにお店の宣伝をしてほしいと。スズカにできる宣伝はウマッターくらいだけど、それでも良いそうで。一番奥の人目につかない場所に陣取らせてもらってるし、たくさん食べさせてもらったのでもちろん承諾。スズカとお二人のスリーショットを撮った。

 

 

「えっと……保存……んー……トレーナーさん、文面とかどうしたら良いんでしょう」

「お店の名前入れて、ここでお団子食べました、みたいなので良いんじゃない。美味しかったですって」

「なるほど……」

 

 

 ご厚意でお代がちょっとだけ安くなりつつ。お店を出る支度をしながら、スマホを見ながら首を捻るスズカに適当に返す。あのご夫婦がスズカをどう思ってるか知らないけど、世間一般にとってのスズカは『異次元の逃亡者』だ。ギラついて先頭しか見ていないウマ娘に凝った宣伝など求めてはいないだろう。

 

 

 ……まあ、ウマッター上では結構化けの皮は剥がれてるけど。夜におはようの返信をするとか、好きなポーズで自撮りが欲しいですとかいう半分セクハラに対して走行中のぶれまくった自撮り写真を送ったり、チャームポイントを聞かれて何故か私の写真を送ったり。最後のは叱った。

 

 それでもレース前後の目付きと、『あのエルナトにそんなウマ娘がいるわけがない』という謎の偏見によって、まだまだスズカは格好いいタイプのウマ娘に思われていそうだ。

 

 

「じゃあ……うん、投稿っと……」

「え? あっ待ってスズカ今じゃない」

「え? もう投稿しちゃいましたけど」

「あー……」

 

 

 またこの子は何も考えず。スマホを取り上げて呟きを削除する。トゥインクルシリーズ一億人のファンが見ているのだ。それも、阪神で大レースが行われる日の前日の京都である。

 

 

「えっサイレンススズカ!?」

「嘘! ここじゃん!」

 

 

 そりゃこうなる。滅多に呟かないぶん、通知とかしてる人もたくさんいるんだろう。道の方からざわざわと結構な人数が入ってきてしまった。

 

 

「あっトレーナーさん、なんでお団子を取り上げるんですか……」

「ファン対応の時間だからよスズカ」

「えー……むむ……」

 

 

 不服そうにしながらも口を拭って日陰の方に座るスズカ。私はお店の人にめちゃくちゃ頭を下げて、お団子を買ってからファンサということで許してもらった。ウマ娘に続いて数えるのが面倒な数のファン。夏の売り上げはもう良いんじゃない?

 

 スケッチブックを借りて、時間を区切って書いておく。あとはこれを渡しておけば、最後尾まで回っていくはずだ。ファン感謝祭でもプラカードで同じようなことをしているし。

 

 

 ……トレセンにも連絡しておこう。京都レース場辺りから警備の人を送ってもらえるかもしれないし。他のウマ娘ならともかくスズカならいけるでしょ。

 

 

「本当に大好きで、まさかこんな近くで会えるなんて、あの、あ、明日も応援してて、そのっ」

「あ、あの……な、泣かないでください。落ち着いて……」

 

 

 突然のファンミーティングに、列に並んでいる人達もかなり喜んではいる。まあその、近くにスズカがいるからって突撃してくるファンというのは否定できないけど、一言言っただけでちゃんと一列に並んでくれてるし、荒れている様子もない。

 

 

「トレーナーさん、あの、写真を……」

「ああ、はい。じゃあこっち側に座ってもらって」

「いえ、私とトレーナーさんの写真が欲しいらしくて」

「……ん? うん」

 

 

 なんで???

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

「あー……疲れました……」

「お疲れ。これに懲りたら気を付けなね」

「はい……」

 

 

 時間を区切ってファン交流を乗り切り、何とか抜け出した先。勝負運で有名な神社に行くことにして、スズカに変装を施した。お団子屋さんまでは数人にバレるくらいで済んだんだけど、一度バレているのでちょっとだけ入念に。

 

 

「握手で手がバラバラになっちゃいます」

「応援されてる証じゃない。後で揉んであげるわ」

「応援は嬉しいですけど……目の前で走るのを見るとかで満足してくれないでしょうか……」

「無理でしょ」

 

 

 スズカのレース出走ペースはかなりゆったりしているから、それだけでも満足するファンもいるかもね。

 

 

「何とか私が走るだけで済むファン交流を考えてください。このままじゃ私の握力と写真が大変です」

「走りたいだけじゃん」

「何か問題がありますか?」

「ありまーす」

 

 

 やや色の付いた眼鏡、普段は被らない鍔付きのウマ耳隠し帽、髪もポニーテールに纏めてられていてとても可愛い。服もやっぱりどっちかというならマニッシュ寄りの方が似合っている。尻尾もパンツに隠しているし。格好的に撫でられないので、代わりに手を繋いでスズカの腿を叩く。

 

 

「もう少しこう、節操というか」

「節操で走れるんですか?」

「子供みたいな反論しないの」

「子供ですぅ。子供なので走ります」

「学校と部活が終わってから夕方のチャイムが鳴るまでね」

「ゼロじゃないですか」

 

 

 ファンサ決定の瞬間より不服そうにしないで?

 

 

「今だって人がたくさんいるから我慢してますけど、脚がウズウズしてるんですよ。こんな格好させるから」

「別に変な格好じゃないし、何ならあなたの私服でしょ」

「ズボンは全部です。走りたくなります。ジャージに似てるので」

「今度スカート買いに行こうか」

「スカートは脚を動かしやすいので走りたくなります」

「無敵だなあ」

 

 

 何でも良いらしいスズカにその辺で買った抹茶の何かを買い与えておき、ゆっくりと神社へ歩いていく。美味しいですよ、と一口貰った。美味しかった。

 

 

 そして長いこと歩き、境内も見えてきた頃。すれ違うように、エアグルーヴと出会った。

 

 

「あら、偶然」

「本当にな。お前達も祈願に来たのか? 珍しい」

「あなたもじゃない? 神頼みとか好きなタイプだっけ?」

「努力に追加してのことならな。それに、明日でトゥインクルを引退するんだ。少しくらい良いだろう」

 

 

 隣にトレーナーを連れ、スズカとは違いほとんど変装もせずに過ごしているエアグルーヴ。スズカとのメディアでの扱いの差が出ている。スズカは単に露出が少ないだけだが、エアグルーヴは明確に嫌っている節がある。そんな彼女を街中で見掛けても、積極的に寄っていくことはないんだろう。

 

 向こうのトレーナーさんはスズカや私とほとんど話したことがないので、必然的に少し下がる形になる。何か気を遣ったのか、飲み物でも買ってくるよ、とどこかへ行ってしまった。

 

 

「お前達こそ祈るタイプじゃないと思ってたが」

「トレーナーさんとデートよ。いいでしょ」

「……お前、ついに教え子に」

「違う違う違う。変な誤解しないで? ただスズカがじっとしていられないって言うから遊びに来たの」

 

 

 冗談だ、と冗談ではない顔で言うエアグルーヴ。あなただってトレーナーと二人じゃない、とか言ったら殺されるんだと思う。

 

 

「まあ良い。ここで会えたのも運が良かった。スズカ、少し話したいことがある。お互いのトレーナーは抜きでだ。本当は今日の夜辺りに電話でも良かったんだが」

「ん? ええ。良いわよ。今から?」

「ああ……すまない、スズカのトレーナー。スズカは責任を持って走らせないし、話が終わったら必ずあなたの元に帰す。良いか?」

「良いけど」

 

 

 今も学園では毎日会っているはずで、積もる話なんか無いと思うけど、かなり真面目な顔をするエアグルーヴの圧に負ける。彼女ならスズカを走らせないこともできるかな。はなから私達に祈る気なんかないし、必要ならスズカを連れていかれても問題ない。大観光地で突然女一人トレーナーが生まれるだけだ。

 

 

「じゃあスズカ、行こう。歩きながらで良いから」

「ええ。じゃあトレーナーさん。また」

「ん、また」

 

 

 それにしても、エアグルーヴがこうして祈りに来るなんて。本気なんだなあ。今も彼女のステータスは私に見えている。速い。強い。相変わらず超一流と言って良い。実力の話をするなら黄金世代と比べても遜色無い。レース経験も含めればかなりかなり有利だろう。

 

 だが、惜しむらくはやはり、彼女には爆発力がない。スズカに勝つには、ここ一番で理不尽になれる何かが無ければならない。それは彼女も解っているはずで、だからこそ、実力以上の何かを求めて来たのだろう。

 

 

 逆に、だからこそ私やスズカは祈らないのだ。ほんの少しもスズカの勝ちを疑っていない。明日もスズカは勝つだろう。エアグルーヴが弱いのではない。スズカがおかしいからだ。




禁句:以前の話では普通に街中歩いてませんでした?


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勢いに任せるサイレンススズカ

 

「……今、何と言いましたか?」

「え?」

 

 

 宝塚記念は、やはりというかスズカが勝った。

 

 

 エアグルーヴ、スペシャルウィーク、グラスワンダーが猛然と追い上げてくるなか、2200という最高にちょうど良い距離を燦然と逃げ切ってしまった。

 

 もちろん驚くような結果ではない。いや、三人とも強かったし本調子だったのは間違いないけど。エアグルーヴも昨日何の話をしたのか、物凄く集中していたように見えたし。

 

 

 ただ、まあスズカには勝てない。エアグルーヴは恐らくどうあっても厳しかったろうし、スペシャルウィークもダービーの時ほどの煌めきは無かった。何か爆発力の条件が満たせなかったか、あれで使い果たしたか。使い果たすなんて概念があればだけど。

 

 惜しいのはグラスワンダーだ。あれは確実にスズカに勝つ可能性を秘めている。ここと決めたレース、これと決めた相手に集中して打ち勝つ、というものだ。ただ残念なことに勝ちたい相手が多すぎた。スズカ、スペシャルウィーク、エアグルーヴといてしまうと中途半端にならざるを得ない。

 

 

 逆に、他に強敵がいないタイマン状態なら届いてきただろう。本当に恐ろしいウマ娘達だ。しかし、それらをハナ差で抑えて二着まで粘ったエアグルーヴもまあまあ信じられないことはしている。地力から見ればギリギリ解らなくはないとはいえ。

 

 

 まあそれは良い。私はトレーナー。勝敗で気にするのは担当が勝ったかどうか、次に勝てるかどうか。負けた子達がどういう気持ちになっていようと、それはその子の担当が何とかすることだし、ウマ娘はレースが終わればノーサイド。日常生活ではスズカとエアグルーヴも親友のまま過ごすだろう。

 

 

 で。じゃあ次の私の仕事は何か。ウイニングライブでペンライトを振ることではない。

 

 

「何って……ここから府中まで走って帰りますと」

「……お、おかしいですよ、何のための車なんですか」

「宿泊用でしょう?」

 

 

 ベッドが足りないけど、それは二人で使うなりしてもらって。震える声で抗議する体験組から視線を外す。

 

 駐車場の一角で、正規エルナトの三人は柔軟を進めていた。表情は結構違うわね。ブルボンとスカーレットは覚悟が決まりきった感じではあるけど、スズカだけは心の底から楽しそうだ。

 

 

 そう、今回もスズカへのご褒美として、帰宅マラソンをすることになっていた。そのためのキャンピングカーである。そして、今回は他二人が妙に乗り気だったので、ついでに臨時メンバーにもやらせて一気に振り落とそうかと思っている。

 

 

「良いから準備をしなさい。それが終わったら道のりと距離を指定します」

「お、おかしいですよこんなの……!」

「三人はやっているでしょう」

「ぐ……」

 

 

 毎回、スズカが帰宅マラソンをしたと聞くと少しだけ羨ましそうにしていたしね。最高に意味が解らないけど。それ、本当にやりたい? 全部走るわけじゃないとはいえ400km以上あるのよ? 

 

 

「外泊届けの期間、おかしいと思ったんです……小旅行か何かかと思ってたのに……!」

「残念ですね。いいから準備運動をしなさい」

 

 

 泣きながらストレッチを始める五人を見送る。それと同時に、うちの三人が諸々を終えて戻ってきた。

 

 

「マスター。走行準備完了。いつでも行けます」

「ふーっ……頑張れ、頑張れ私……絶対ついていくのよ……ッ」

「早く、早く行きましょう、待ちきれません、早く早く早くっ」

「……まずは落ち着いて、スズカ」

 

 

 常識と非常識を比較して見せられた気分。足踏みをしながらその場で回転するスズカを抱き締めて止め、そのまま一緒に座り込む。

 

 

「何するんですか、走ります、走るんです、放して……っ」

「どうどう。みんなが終わってからね」

「……ッッ」

 

 

 ウマ耳に触れて落ち着かせようとしたものの、ランニング禁止に爆発寸前のスズカは抑えきれない。親の仇みたいな目で、ごねて準備運動が遅れているメンバーを睨み付ける。こんなことで異次元の逃亡者みたいな眼力を発揮しないで? 

 

 

「もうアップしましたよ? 着替えてますよ? 外ですよ? 走れないのはおかしいですよね?」

「苦情は私に言わないで?」

「じゃあ誰に言えって言うんですか……! うぅ……は、走りたいのぶぶぶぶぷぷぷ」

 

 

 車の陰で周りの目も無いので、思う存分スズカを撫で回し、落ち着かない唇を指で弾く。もう少しの我慢よ、と語りかけるものの、ちらりと振り向いた時の顔が怖すぎる。

 

 

「ただでさえ、二人が途中までついてくるって言ってるんですよ? もう……頭がどうにかなりそうで……」

「すぐに振り切れるでしょ」

「一秒でも嫌です……」

「……舐めないで。そう簡単に振り切られてたまるものですか」

「マスター。出発しましょう。今すぐに」

 

 

 二人がキレちゃった。

 

 

「二人とも、スズカを煽らないで……?」

「私に要求されるスタミナはスズカさんへのそれより上です。長距離ランニングにおいて不覚を取ることはできません」

「アタシはアンタにキレてるんだけど。すぐに振り切れるって何?」

「言葉の通りの意味かな……」

「ああ……何を言うか全部解ってるのに物凄くイライラしてきた……!」

 

 

 確実に二人ともこっちを見ている。でもその、今さら言われても困る。私はスズカこそ最速最強だと思っているし、スカウトの時から定期的にそれを伝えてるはずだし。

 

 というかたぶん今回ついていけるかどうかはレースの強さとか関係無いと思う。もっと別の何かでしょ。

 

 

「言っておくけどくれぐれも無茶はしないでね。本当に。これはメインはスズカがただ走りたいだけなんだからね」

「解ってるわよ。無理はしないけどついていくから……!」

「……そうかあ」

 

 

 それが無茶って言ったら怒るか。黙って他の子達を待つことにする。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「では色々と話します。よく聞いてください」

 

 

 全員集める。スズカだけは既に限界なのか最後尾でよそ見をしまくっているけど、元々注意事項なんかスズカ以外へのものなので放っておく。一人だけ出発しても本当は問題ない。

 

 でもここにいてくれているのは、あくまでスズカの中にも後輩の気持ちを汲み取ろうという考えが少しくらい残っているからだろう。

 

 

「これから府中まで走って帰るわけですが、当然全て走るのは不可能です。ですので、全員道順は完全に指定します。加えて、いくつかチェックポイントは用意するから、そこで逐一ビデオ通話をしてもらいます」

 

 

 ちらっちらっ。

 

 

「その他にも、もし途中で立ち止まってしまったらその時点で必ず連絡をすること。これはケガ防止のためなので誤魔化さないように。正午と午後四時の時点で全員回収するので、それまでにどこかのチェックポイントにはいてください。他に何か質問は?」

 

 

 ちらっちらっ。

 

 

「……走らずに帰るのは」

「できません。他には?」

「途中で立ち止まった場合、連絡以外のタスクはありますか」

「連絡時に別途指示します。言い忘れたけどブルボンだけ人の多いところをチェックポイントにしたので、連絡は誰かに頼んでください。他には? ……無いようなので、それでは出発します」

 

 

 ばっ。

 

 

 勢いよく立ち上がるスズカ。全員、いつものトレセンのジャージではなく市販のウマ娘用ジャージなのでこの光景は新鮮だ。スズカはトレセンジャージしか着ないし。

 

 ちなみにスズカだけは疲れるかお腹が減ったら回収なので他とは扱いが違う。スカーレットはともかくブルボンはそれでも良かったけど、ブルボンに曖昧な指示をすると限界までやるのでやめた。

 

 

「では、よーい。始め」

 

 

 全員が走り出した。中でも飛び抜けて速いのがスズカ、そしてそれに続くブルボン、スカーレット。他は温存でもするつもりなのかかなりゆっくりなスタートダッシュになった。それでも人間より遥かに速いんだけど。

 

 

 私も車に乗り込み、寝る準備を整える。あんまり早く脱落されると拾うのが面倒なので、同じようなところで止まっていてほしいなあ。あと願わくばここでエルナトを脱落してほしい。

 

 一応あの五人も、そこそこ……スズカ達の水準からすれば歯牙にもかからないレベルだけど、「ああ、これは未勝利も無理だろうな」よりは成長している。だからといってかなり運が絡むとは思うけど。

 

 

 ここで全員が脱落してくれると、スカーレットのデビュー戦があって、そこからエルナトの三人だけで夏合宿に行ける。トレーニングメニューをろくに立てない私は別に人数が増えてもブルボンが疎かになることはないが、それでも人数は少ない方がいいからね。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「はあ……最高……っ」

「良かったねえ……」

 

 

 次の日の夜。私しか運転できない都合上、今夜は車を停めて車中泊とした。やはり人間夜に寝ないと調子が上がらない。スズカに合わせて普段は規則正しく生きているのでなおさらだ。

 

 しかし、昼間の待機時間で寝ているのも事実。まだ陽が昇らないうちに目が覚めてしまいどうしようかと外に出たところ、車の屋根に座るスズカを見つけた。

 

 

「明日も走れるなんて信じられません……幸せ……」

「明日は東京に着くかなたぶん。夏は……まあ、ちょこちょこって感じで」

「む……どうして今走れてる私に走らなくなる話をするんですか? 拗ねますよ」

「拗ねてる拗ねてる」

 

 

 ん、と手招きされ、私も登り。スズカは私を背もたれに座り、パジャマ姿で振り向いて私の顎を指で弾く。むむ、と唇を尖らせてはいるが、目が楽しそうだ。

 

 ブルボンは初日こそそこそこ頑張れていたものの、二日目からはスズカが「昨日はついてきたから今日は良いでしょ」とばかりに吹っ飛ばして行ったのでかなり早期にリタイアしていた。つまるところ、今日のスズカは一日のほとんどをたった一人で走ることに費やしていたわけだ。

 

 

「一生走れたら良いのに……」

「……それはそうなんだけどねえ」

「夏、ブルボンさんが走っている間、私は別のところで走ってますね?」

「ダメだよ。スズカを一人にするとご飯も食べないでしょ」

「トレーナーさんが迎えに来れば良いじゃないですか」

「また人任せにして……そもそも言ったって止まらないでしょーっ」

「わぷわぷ」

 

 

 内なる喜びに耐えられないのか、終始くすくすと笑うスズカの顔を叩く。ごつん、と頭突きで対抗するスズカ。その火力に私も後ろに倒れてしまい、お腹に手を回していたのもあってスズカも私の上に乗っかる。

 

 

「ちゃんと止まりますよ。トレーナーさんが言うなら。大事なことですから」

「スズカ……」

「それに、ただ走るだけじゃダメだって解りましたから。走った後、こうしてトレーナーさんと過ごす時間も大切です」

「……スズカ」

 

 

 身を翻し、私に上から抱きつくスズカ。そんなスズカに、私も改めて手を回し、頭を抱えるようにして抱き締めた。

 

 

「良いこと言ったって今日スズカが晩御飯で帰ってこなかった事実は忘れないからね」

「……トレーナーさんっ」

「可愛く誤魔化してもダメ」

「ぇぅ」

 

 

 へにょっては立ちを繰り返すスズカのウマ耳。私の胸元に顔を擦り付け、ばたばたと脚を動かす。

 

 

「この空気なら押せば何とかなると思ったのに……」

「星空の下ならもうちょっとマシだったかもね。私寝起きだし、もう夜が明けるわ」

「……今度は夜にやります」

「仮にそうなっても無駄よ。絶対流されないから」

「……ふんだ」

「いたたた」

 

 

 ぎゅうぎゅうに力が強まる。ちょっと痛い。撫でても収まらないので我慢することにした。

 

 

「……言っておきますけど、明日はまだ好きにしますからね。自由に走りますし、夜はこうしてくれなきゃ嫌ですから」

「はいはい。家に帰ったらご飯も作るよ。それとも食べに行きたい?」

「……トレーナーさんのご飯が良いです」

「ん」

 

 

 可愛いねえスズカは。びゅんびゅんの尻尾を見ながら、上ってくる朝日を眺めていた。




キャンピングカー(概念)は大人数が寝られるしウマ娘への炊き出しもできるし車の上でゆっくり過ごすこともできる。

トレーナーは中央のトレーナーなので大体のことができる。cf.重機運転、ウマ娘に走って追い付く


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デビューを果たすダイワスカーレット(MD)

 

「準備は良い、スカーレット」

「当たり前でしょ。最高だっての」

 

 

 ある日。今日はスカーレットのメイクデビュー。中山に来ていた。

 

 

「頑張ってくださいね。必ず勝てます。先頭で……うぅ、先頭……」

「もう少し取り繕えませんか……?」

「心から応援しています。先輩ですから。ご覧ください。特殊応援衣装です」

「恥ずかしいから絶対着ないでくださいね?」

 

 

 先日。帰宅マラソンが終わったのにもかかわらず私の制止を振り切って走りに行ったスズカをどうしてやろうかと考えていたところに、体験加入の五人がやって来た。

 

 抜けさせてください、と。それはそれは綺麗に揃って頭を下げてきた。私、どう思われているんだろう。そんなに怯えるならメールで良いよ、とは思ったけど、最後の最後で優しくしても仕方が無いので変わらない態度で接した。

 

 

 思ったより粘ったなあ、なんてしみじみ噛み締めながら、餞別に全員に一言ずつアドバイスだけしておいた。バ場と距離の適正をそれとなく教えてあげただけだけど、ちゃんと従ってくれれば引退までに一回くらい勝てるかもしれない。

 

 帰り際の涙、感激だと良いな。私から離れられた安堵とかだったらどうしよう。いや、感激してやっぱり継続しますとか言われても困るけど、ああ、やっぱりアドバイスなんかしなきゃ良かったかな。

 

 

 そして、その日も全力スパルタをするつもりで来たブルボンとスカーレットが、今日一日最後にやっていったら、なんて追いかけようとするのをやんわり止めつつ。やってることがスズカと一緒なのよね。

 

 

 それが三日前。その間ゆっくり休ませ、あんまり意味の無いレース理論の話や作戦会議をして、今日がやってきた。

 

 

 今日から走れなくなり、ウマ耳をぴこぴことさせながら震えるスズカと、どこから調達したのかチア衣装を取り出すブルボン。スズカはともかくブルボンが掛かっている。

 

 

「しかし、これも責務だと」

「いや、本当にいいですから。本当に。本当ですよ?」

「三回言った際はその額面指示に逆らうのが様式美であると」

「ぜっっっったいやらせないでよ!? トレーナー! ちゃんと見ておいてよ!?」

 

 

 昨日の夜もうちに泊まって、眠れませんとか言ってたしね。自分が走るより緊張している。結局今日も寝不足のまま来てしまった。そのうえ、既に私の家にパーティーの食材が運び込まれているのでその調理もするらしい。

 

 

「別に良いじゃない。可愛いわよ」

「ブルボン先輩にチアガールさせてデビュー戦とか悪目立ちするじゃない!」

「いえスカーレットさん。既にライスとフラワーさんにも衣装を渡しています」

「あら……」

「何してんですかバカァ!」

 

 

 同期にめちゃくちゃするわねこの子。むしろなんで二人は引き受けてくれたの? 聖人か? いや、ニシノフラワーはブルボンに本当に良くしてくれているし、ライスシャワーも押しに弱そうだし、ギリギリ……まあ、それだけ仲良くしているということにしておくわね。

 

 ブルボンの肩をぐわんぐわん揺らすスカーレット。当のブルボンはボケているのか真面目なのかよく解らない顔で、首の据わらない赤ちゃんみたいにくらんくらんしている。

 

 

「絶対やめてくださいね! 良いですか! 今すぐ連絡してください!」

「しかし、ライスシャワーから先ほど連絡がありまして、着替えが窓から飛んでいってしまったので帰りは車で送ってほしいと」

「ギャグ漫画みたいなミス……!」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 ライスシャワーにはスズカが持っていた予備のトレセンジャージを渡すことにした。もしかしたら中山府中間なら走らせてもらえるかもと一縷の望みをかけて持ってきていたらしい。

 

 化物クラシック世代のチアガール部隊も阻んだところで、ひとしきり言いたいことも無くなったのか、それとも怒涛のツッコミ役を休ませようということなのか、二人とも黙る。

 

 

「……大丈夫?」

「だ、大丈夫……あったまってきたわ」

「なんか今他の意味入ってなかった?」

 

 

 どう見ても熱くなっているスカーレットだけど、その実尻尾はゆっくり揺れているだけだし、少し首筋に触れた時の脈拍も悪くない。ウマ耳も特に変化無し。リラックスできているようだ。

 

 ……今のやり取りでリラックスできるのは、染まっちゃったんじゃないかと心配になるけど。

 

 

「まあ良かった。落ち着いて走りなさいね」

「ええ。逃げで良いのよね?」

「うん。別に番手に構えても良いわよ。無理にハナを取る必要は無いかな」

「了解。とりあえず前めってことね。そっちのが性に合ってるわ」

 

 

 スカーレットは逃げでも先行でも走れる。デビューもマイル戦にしてあるし、まあ負けることはないだろう。他の子はまだ見ていないけど、少なくとも名前は聞いたことないし。

 

 パドックまで残り数分となり、呼び出しの放送もかかる。手持ち無沙汰に腕を伸ばしていたスカーレットが、それを聞いて、一息ついてから私に両手を伸ばした。

 

 

「ん」

「……ん?」

「……何、その顔は」

「いや……何してるのスカーレット。もう行った方が良いんじゃないの」

「……アンタね、まだボケてんの? それとも素?」

「まだって……さっき私はボケてないし、スズカもブルボンもあれが素よ」

「知ってる」

 

 

 しばらくそのまま止まっていると、スカーレットが強く尻尾を揺らしウマ耳を絞ってしまった。

 

 

「ねえ、もしかしてわざとやってる?」

「何を……」

「あるでしょ? こう、ほら、ね? あるじゃない」

「何が」

「レース前よ!? スズカ先輩の時もブルボン先輩の時も! ほら!」

「え、ああ……やった方がいい?」

「トレーナーがやりたいんでしょ!」

「……うん、やりたいけど」

 

 

 何も言わないことにした。ぎゅっとスカーレットを抱き締める。強めに力を入れて、背中をとんとんと叩く。スカーレットは背中には手を回さず、顎を置いた私の肩に添えた。

 

 

「勝てるわスカーレット。よく頑張ったわね。あなたがあの中で一番強いから安心して走りなさい」

「……ちょっと引っ掛かるけど、まあ良いわ」

 

 

 痛い痛い。手に力入れないで。

 

 

「じゃあ、最後に言ってもらおうかしら。一番のウマ娘は誰?」

「……仕方無いわね。それはもちろん、ダイ」

 

 

 ぐるり、とブルボンがこちらを向いた。

 

 

「ワ」

 

 

 すっとスズカが私の後ろで背中に手を添えくっついてきた。

 

 

「……サイレンススズカです」

「……初めてウオッカの言ってることが解った気がするわ。これがダサいってことね」

「マスターは、ダサい……」

「ダサくても好きですよ」

「畳み掛けて来ないで?」

 

 

 そもそもスズカが真後ろ、横からブルボンに圧をかけられてまでスカーレットの方が速いなんてこと言えるはずがない。ブルボンもこういうことするようになっちゃったかって感じ。悲しくはないが普通に怖い。

 

 

「先輩? 今は私の番なので、それくらい……ひゅっ」

「スカーレットさん……悲しいわ。そんなことを言うなんて……悲しいので今日は走って帰りますね」

「ダメ」

「ぶ、ブルボン先輩……?」

「はい。ミホノブルボンです」

 

 

 何かした? という顔で見つめるブルボン。自覚が無い子の眼力じゃないのよ。

 

 しばらく黙っていたスカーレット。時間も無くなったので頬を撫でて促すと、どん、と胸元を押して私から離れ、ドアノブを掴みながら振り返った。

 

 

「見てなさいよ」

 

 

 スズカやブルボンにも匹敵する眼力。うちはこんな子ばっかりだ。

 

 

「絶対、アタシのデビュー戦が一番良かったって言わせてみせるんだから!」

 

 

 物凄い勢いで扉が閉まる……と思いきや、外に人がいたのかゆっくりになる。猫なで声で「はーい、今行きます、遅れてすみませーん」という言葉が聞こえてきた。

 

 

「……ダメじゃない、後輩に圧かけちゃ」

「かけてません」

「かけていません」

「かけてんのよ」

 

 

 でも、最後までスカーレットが緊張している様子は一切無かった。そういう意味ではこの会話も、意味がちゃんとあったのかもしれない。もしかして二人も狙っていたのかな、とスズカを撫でたが、何も解っていない顔をしていたのでデコピンもした。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「トレーナー! 見てた!? アタシが一番!」

「うん。素晴らしいレースだったと思うわ。おめでとう」

「感動が小さいんじゃない? もっと泣いて喜んでも良いのよ!」

「目薬あったかな」

「露骨に演技すんな!」

 

 

 レースそのものは私の見立て通り、スカーレットの勝利で終わった。引き当てた内枠を活かして二番手に控えると、三コーナーでの先頭抜け出し争いに打ち勝って単独でハナへ、そのまま押し切り勝ち。

 

 スズカやブルボンのように圧倒的なレースでこそ無いが、スカーレットの根性や負けん気がよく出た強いレースだったと思える。

 

 

「でも偉い。流石ねスカーレット」

「ふふんっ。ま、当然よね! アタシの才能と努力があれば!」

「それは本当にそうだと思うわ。いや本当に」

 

 

 勝ち誇って鼻を鳴らし、私の目の前で腰に手を当ててふふん、と笑うスカーレット。事実、努力量は抜きん出ているし、適性まで含めた才能はスズカやブルボンより上だ。そう考えると負ける要素がない。

 

 髪が崩れないよう撫でると、鼻が伸びてるんじゃないかってくらいにふんぞり返っていく。撫でにくいって。あと体操服破けるわよ。

 

 

「おめでとうございます、スカーレットさん」

「おめでとうございます。スカーレットさん」

「う、あ、ありがとうございます……」

 

 

 スズカとブルボンも両脇からシンプルな称賛を送る。流石に二人に強くは出られないのか少し縮こまり、恥ずかしそうに鼻先を掻いた。

 

 ブルボンが珍しく口角を少し上げ、ぱしぱしとスカーレットの肩を叩いている。かなり感情が昂っているのだろう。勝ったスカーレットより尻尾が揺れている。

 

 

「ティアラ路線を目指す場合、次は阪神ジュベナイルフィリーズでしょうか」

「え? あ、そうですね……そうなのよね?」

「うん。まあ何か重賞に出るなら他に出ても良いけど」

「んー……」

 

 

 座ったスカーレットに飲み物を渡す。タオルで首元や背中を拭いてあげると、身を委ね手を上げてくれる。

 

 

「ま、それは任せるわ。もちろん、勝つためにプレオープン、なんて言ったらちょっと怒るけど」

「自信あるわね?」

「当然でしょ。アタシは一番になるのよ。ちゃんとしてないとみんなに失礼じゃない」

 

 

 スズカ先輩みたいに、ということか、ちらりと見るスカーレット。うんうん。自信があるのは良いことだ。強ければ何でも許されるのではない。強く、それが当然だと思われると何でも許されるようになる。それこそスズカのように。

 

 

「だから、しっかりアタシが一番だと解ってもらえるレースを選びなさい。そこから阪神。良いわね?」

「了解。考えておくわ」

 

 

 GⅢか、GⅡか、どちらに出ても問題なく勝てるだろう。一番を強調しすぎたせいでスズカに頬をつねられるスカーレットは、それでもとても嬉しそうにしていた。




スカーレットもデビューしたしまたステータスまとめを作ろうとしたけど、二回目はダサいのでやめました。

でも投稿した後で、一回目を消してやれば実質一回目なんじゃないかとも思いました。


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覚悟を求めるミホノブルボン

前後半に別れています。

前半だけでいつも通り4000文字くらいありますので、そこで読むのをやめていただいても問題ありません。

後半はド真面目です。どうしてこんな注意書きみたいなことを書いているかというと、高低差にしても流石にやりすぎたかなと自分でも頭を傾げたからです。


 

「いーやーでーすー」

「だーめー」

「……何してるの?」

 

 

 夏合宿を数日後に控えたある日。私は家で、何とかスズカを縛り付けようとしていた。最近は特に用が無くてもうちに来るようになったスカーレットが、リビングのドアを開けるなり乱暴に首を傾げる。

 

 

「た、助けてくださいスカーレットさん、乱暴されてます」

「良かったですね」

「スカーレットさん!?」

 

 

 荷物を置いて、私達が暴れるソファとは別の椅子に座る。うーん、とっても自然。最近はこれくらいじゃ声を荒げることもなくなったわね。慣れたようで何より。何よりか? 何よりではないかもしれない。

 

 

「それで、今日はどうしたんですか?」

「し、縛られるぅ……」

「トレーナー?」

「最近調子乗ってるからお仕置きしようと思って」

「だからといって縛るのはやり過ぎでしょ。バカなんじゃないの」

 

 

 そうは言いつつスズカを助ける気はさらさら無いようで、鞄から教材を取り出して勉強を始めた。この部屋、世界で一番勉強に向いてなくない? 

 

 

「いや、こう……逆に集中できるかなって思って」

「無理でしょ」

「あぅ、あぅ」

「こらーっ逃げるなーっ」

「んむむむむ」

 

 

 スズカにのしかかるようにして動きを封じる。ウマ耳を擽ってあげれば、それだけで力が抜けて抵抗をやめる。身体を起こしてそのままひっくり返し、膝の上に乗っけてロープを構える。

 

 

「ちなみに、調子乗ってるって何をしたの?」

「また勝手に走って、泥だらけでベッドに潜り込んできたのよ」

「うわあ……」

「ち、違うんですスカーレットさん、その、き、昨日はとっても星が綺麗で、車が少なくて、ほんのちょっと走って我慢するつもりだったんですけど、静かでそよ風もあってどうしても我慢できなくてっ」

「何も違わなかったですけど……? ああトレーナー、飲み物貰うわね」

「はーい」

 

 

 流石に私の家ではまだ無断で飲み物を持っていったりはしないらしい。冷蔵庫のものの八割は三人のためのものだから、適当に扱ってもらって構わないんだけどね。もちろん、常識からすれば許可は取るべきなんだろうけど。

 

 

 オレンジジュースを注いでスカーレットが戻ってくる。私はやっとこさスズカの手を後ろ手に縛れたので、次に脚を狙う。まあ、ただのロープなんてその気になれば一瞬で抜けてくるけど、スズカは大人しく転がってくれる。

 

 

「スカーレットさん……助けてください……」

「……身体柔らか……今結構見直しました」

「こんなことで……?」

 

 

 後ろ手に縛った手をくるりと前に持っていくスズカを見て、スカーレットがわお、と口を動かした。見直すの? こんなことで? それはそれで逆に普段どう思われてるの? 

 

 スズカがふにゃふにゃで柔らかい身体を持っているのは何度も見せていたと思うんだけど。でも、見せつけるようにぐるんぐるん前後に手を回すスズカ。何となしにスカーレットも手を組んで、同じように回そうとして、回らずに諦める。

 

 

「お風呂上がりにストレッチとかしようかな」

「そんなに固くないでしょ」

「スズカ先輩みたいになりたいじゃない」

「まあ、それは止めないけど」

 

 

 柔軟性くらいならコツコツやればそのうち身に付くだろう。それくらいのストレッチは自分一人でできるだろうし。

 

 また色々組み替えなきゃ、とテキストに戻るスカーレット。こちらはといえばもう一度後ろ手に戻し、イヤーカバーを取り上げていた。

 

 

「あっカバー……返して、返して……」

「もうこんなことしないなら返すわ」

「……つーん」

 

 

 ふいっとそっぽを向くスズカ。剥き出しにされたのが嫌なのかぴこんぴこんウマ耳は動いているけど、逃げようとはしない。というかやっぱりできない約束はしないのね。

 

 

「そもそもトレーナーさんが悪いんですよ。夏はブルボンさんに付きっきりとか言うから。そんなこと言われたら、じゃあ私は走っていますねって言うしかないじゃないですか」

「じゃあ言えば良いじゃない。なにも行動で示さなくても良いのよそんなことは」

「じゃあ私は走っていますね」

「だーめー」

 

 

 体を伸ばして逃げようとするスズカを捕まえて隣に座らせる。むぐぐ、とむくれながらも、スズカはかなり寄り掛かって斜め下から私を見上げる。

 

 

「何でもダメダメ言ってちゃダメですよ。わがまま言っちゃダメです」

「はいはいわがままわがまま」

「むー」

「痛い痛い痛い痛い」

 

 

 太ももを殴り出すスズカ。さっとカバーを取り返して投げつけてくる。

 

 

「着けてください」

「はいはい」

 

 

 と言ってもイヤーカバー着けるの下手くそなんだけど。言われたからにはやらないと……どこをどう着けるんだ。人間にウマ娘用のイヤーカバーは難易度が高過ぎる。

 

 

「ねえ、今、夏はブルボン先輩に付きっきりって言った?」

「え……うん」

「……私は?」

「……まあ、もちろんトレーニングは見るよ。でもほら、メインというかさ」

「……ふーん」

 

 

 ヤバい。スカーレットがウマ耳を倒してしまった。こちらとしてもスカーレットを蔑ろにするつもりはないのだ。ただ、今年の夏に関しては、もはやブルボンを殺す勢いで鍛え上げなければライスシャワーには勝てない。現在のステータス差であのバ身差に迫っていたのだ。次は無い。

 

 

「あーあ、トレーナーさんがスカーレットさんも悲しませましたー」

「べっつにー。悲しんでないですけどー」

「ほらトレーナーさん。悲しんでます」

「悲しんでないって言ってますよね!?」

「いや、これはスカーレットが露骨なのが悪いと思う」

 

 

 壁掛けの鏡を眺めて、ウマ耳を手で立て始めたスカーレット。むむむ、と立てる度、ぱたんと倒れる。面白いし、事実ややそっちのけにしてしまうのは事実なので、スズカと一緒に近寄って肩に手を掛ける。

 

 というか普通に「お前はついでね」とか言ったらトレーナーとして素質を疑われることをしている。でもスズカがふざけたままということは、そういう意味で本気で怒っているわけでもないんだろう。じゃあ何って、スカーレットが可愛いって話。

 

 

「安心してスカーレット。あなたもちゃんと構ってあげるから。ね?」

「アンタ私のことスズカさんと同じに思ってるでしょ。ペットじゃないのよ私は」

「私もペットじゃないですけど……?」

「脚が速いペットじゃないんですか?」

「脚が……ふふふ、そうですよ。私は世界一脚が速いんです」

「いやいやいや。誤魔化されてる誤魔化されてる」

「え……あっ。もうっ」

「……ふふっ」

「わ、笑った……スカーレットさんが私のこと笑った……!」

 

 

 笑ってないですけど! 笑いました! という二人のやり取りを微笑ましく眺めつつ。私の心も結構和らいでいた。ちょっと、今日は憂鬱でお酒に逃げようかなあとまで思っていたところなのだ。

 

 それというのも、今日ここにはいないブルボン。ブルボンは現在、実家で私が来るのを待っている。ご両親に色々と挨拶をしに行かなければならない日がやって来たのだ。

 

 

 夏合宿でブルボンを可能な限り鍛えるのは決定事項だ。しかし、私自身特に飛び抜けて有能ではないので、その手段はやはりスパルタになる。それこそ、側から見て真似をしているかもしれないライスシャワーごと潰すようなレベルのものを続けることになる。ブルボンの頑丈さがあれば毎日追い込めるだけあって、ベストを尽くそうと思えばそうするしかない。コツコツ成長するとかそういう次元の話ではないのだ。

 

 結局、そこまでしてブルボンがどうなってしまうか私にも解らない。もちろん、見えている怪我率は今も信じている。ブルボンに幾度となくトレーニングをさせたが、怪我は一度もない。

 

 ただ、その結果菊花賞を走り、ブルボンが怪我をしてしまう可能性は否定できない。スズカがそうなったのはウマ娘として越えてはいけない一線だった説もあるから、今のスピードでブルボンがそうなるとは思えないけど……それでも、怯えるくらい許されるはず。

 

 

「今日はスカーレットは泊まっていって」

「え? 私着替えとか持ってきてないわよ」

「良いから良いから。スズカ一人で残すのは寂しいでしょ。この前来たとき洗濯したのが畳んであるから」

「……え? どっか行くの? スズカ先輩を置いて? 私と二人きりにして?」

「ちょっとね」

 

 

 我が家のクッションの投げ合いをするスカーレットが、心底怯えた目でこちらを見た。そんなに? トラウマ持ちすぎじゃない? 

 

 

「……大丈夫ですか? 夜突然走ってきますとか言わないですか?」

「言わないですよ?」

「絶対言うじゃないですか……! 待って、私の手に負えないわよ……!?」

「スカーレットならできるわ。もう慣れたでしょ」

「これに!?」

「これ扱いは酷いですよね……?」

 

 

 落ち込んだような覇気のない愚痴と比べて、スズカは圧倒的パワーでスカーレットを押し倒しのしかかって両手を掴んでいた。スカーレット、勉強はしなくても良いの? 

 

 もちろんスズカもちっとも傷付いてはいないが、引き剥がして私の隣に戻すと傷付いたふりをして膝に寝転がった。ぐりんぐりん寝返りを打って、後頭部を腿に押し付けてくる。

 

 

「まあ、実際今日は大丈夫よ。ね、スズカ」

「はい。ちゃんと待ってますね」

「え……た、体調不良とかですか? 看病の買い出しした方が良いですか?」

「スズカを何だと……いや本気で心配してる? 大丈夫、スズカは今日も健康よ」

「……そう」

 

 

 走らないと言っただけでここまで心配されるんだ、スズカって。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「お久しぶりです。お世話になっております。お元気そうで何より」

「いえこちらこそ、おかげさまで、何も問題なく」

 

 

 ブルボン家。いつもよりちゃんと着付けたスーツで首が苦しい。ネクタイなんかいつぶりだろう。畳とちゃぶ台でこちらに恭しく頭を下げるブルボンパパに合わせ、私も大きく頭を下げる。

 

 

「どうぞマスター」

「ありがとう、ブルボン」

「お父さん、泣いている場合ではありません。話を聞いてください」

「ああ、すまんね……」

 

 

 今日に限っては私も下から頼む立場だと思っているので、頭を上げられない状況だったが、ブルボンがお父さんに促してくれたので助かった。無限に話が始まらないところだった。

 

 顔を上げたお父さんの目には涙が浮かんでいる。会うだけで泣かれるのもちょっと困るというか、その熱量をブルボンに向けて褒めてあげてほしい……いや、確かこの人達、何日も連続で寝落ち通話できるくらいブルボンを褒めてたな。じゃあ何も言えないわ。

 

 

「それで……今日はどのようなご用件でしょうか。ブルボンを帰したということは、娘が何か粗相でもしましたか」

「いえ、むしろとても良い子で助かってるくらいです。普段のお茶くみとか、生徒にやらせることじゃないんですけど」

「そうですか……いや、この子も塞ぎ込んでいるわけでもなし、まさかとは思いましたが……では?」

「ああ、ええと……」

 

 

 やっぱり私、この人苦手だ。こんなにまっすぐに尊敬されても困る。罪悪感とか、色々。ブルボンだからこそ私はブルボンを無敗二冠まで押し上げることができたのだ。

 

 だけど、今日は頑張らなきゃ。普段のように会話を避けていてはいけない。今日だけはしっかり言わなきゃダメだ。

 

 

「勿体つけるつもりはありません。まずはこちらを」

 

 

 そう言って私が取り出した書類を見て、お父さんと、隣に座っていたブルボン、そして台所から覗いているブルボンママまではっとして目を見開いた。すぐに、お父さんがこちらに縋るような視線を向ける。

 

 

「これは……や、やはりブルボンが何か……」

「いえ。ですが、これも必要なことなのです。私にとっても、ブルボンにとっても」

 

 

 取り出したのは、担当解除願。基本的にウマ娘側から提出されることがほとんどだが、当然私にも出せる。私の名前と、この前紙で隠してブルボンにも名前を書かせてある。あとは保護者欄のみだ。

 

 

「夏合宿を迎えるにあたって、ブルボンと、そしてお二人に、言っておかなければなりません。一度契約解除とし、説明の後、改めてこちらを」

 

 

 そして、担当契約届を出す。これには私の名前は書いていない。二枚を見比べ、なるほど、とお父さんは呟く。一声かけ、お母さんがペンを持ってきた。

 

 

「もちろん、こちらを書かせてもらいます」

「いえ、その前に説明を」

「聞かずとも大体は解ります。ブルボンが、とても嬉しそうに話してくれましたから」

「え?」

 

 

 ブルボンに目を向けるが、何のことか解らないといった様子で首を傾げる。隣でニコニコと笑うお母さんに顔の作りはそっくりだ。エプロンがお揃いでとても可愛らしい、

 

 

「菊花賞、非常に厳しいと」

「な……」

「ライスシャワーというライバルがいて、彼女に勝てないかもしれない。トレーナーにもそう言われたと、聞いています」

「……面目ございません……」

 

 

 机に頭を擦る。ブルボンなら勝てると言い続けて、結果がこれだ。その私が、ブルボンにこんなことを言っているなんて。話が違うと言われても仕方がない。

 

 

「話はまだです。ブルボンは続けてこう言いました。だから、勝つためにこれまでより鍛えなければならないのだと。きっとそれは、トレーナーの意に反しているだろうと」

「……」

「ですから、話は概ね理解しております。夏の合宿で、あるいはその後で、ブルボンが壊れてしまうかもしれない。そういうことなのでしょう」

「……はい」

 

 

 頭が熱くなってきた。吐き気もする。こんなこと、本当はしたくないのに。スズカ以外のためにこんなこと、したくはないのに。

 

 でも、ブルボンが。ブルボンも。もう、ブルボンはスズカのオマケではない。勝たせてあげたいと思った。私の一番はスズカだけど、二番はブルボンだ。二番でも、私の大切なものであることに間違いはない。

 

 

「……話はおっしゃる通りです。練習中の怪我はさせないよう最大限努力します。ですが、レース中どうなるかは断言しかねます。私の一存でこの先に進むわけには参りません」

 

 

 どうなるか解らないというのはもちろん、二度と歩けなくなるような、そんな怪我も含みます。そう言った時、流石のお二人も顔を歪ませた。

 

 

 立ち上がり、深く頭を下げる。私にも覚悟が必要だ。スズカの姿に目を焼かれ、この子のために全部尽くしてあげたいと思ったときのような、そんな覚悟が。逃げられない。選択を避けられない。

 

 

「交渉や、説得をするつもりはございません。私は、現状ではブルボンは菊花賞で勝てないと思っています。任せていただけるなら、それに必要なことをします。妥協の余地はありません。ですが、ブルボンなら、私から離れても引く手数多でしょう」

「……解りました。少しだけ、ブルボンと話す時間をいただきたい」

「……車で待っております」

 

 

 ずきんずきんと心臓が痛む。もう引けなくなった。いや、もちろんブルボンが私を選ぶなんて確証はどこにもないし、親御さんがいるならもっとだけれど。

 

 車に戻ってエンジンをかけ、スマホを取り出す。スズカ、もう寝てるかな。今何してるかな。

 

 

「……あーあ」

 

 

 嫌だなあ。辛いなあ。ウマ娘に関われば関わるほど、こんなことばっかりだ。スズカ一人が精一杯だったのかな。

 

 でもなあ。楽しいんだもんなあ。みんなでいてさ……みんなが勝ったら嬉しいんだもんなあ……やめられないなあ……なんて。

 

 

 少しの間、虫と蛙の声がしていて。しばらくして、車のドアが開いた。

 

 

「……ブルボン?」

「マスター。書類については二枚ともこちらで焼却しました」

「何も焼かないでも良くない……?」

 

 

 パジャマにエプロンから私服に着替えたブルボンが乗り込んで、扉を閉める。私の手を取って、私の指でエアコンをつけた。

 

 

「行きましょう」

「……話は良いの?」

「はい」

 

 

 今生の別れみたいな雰囲気のなか、ブルボンが良いと言うので走り出す。すっかり夜道になって、カーステレオもつけないので、ブルボンが息を飲む音まで聞こえた。

 

 

「お父さんは、私に走ってほしくないと」

「……そう」

「夢は大切ですが、無事に生きていくことの方が親として嬉しい、そうです」

「……でしょうね」

 

 

 私もきっと、スズカに同じことを思うだろう。本人に言うかは別として。

 

 

「ですが、最終的には私の選択に委ねると。よって、こうしてマスターについていくことにしました。菊花賞に勝てるまで帰ってこなくていい、だそうです」

「そっか」

 

 

 ブルボンが珍しく、車のシートに完全に背をつけている。がたんと車が揺れ、首が動いてこちらを見つめた。

 

 

「私はマスターを心から信頼しています。菊花賞に勝てないというのは私の実感も伴った結論であり、マスターの教えでもあります」

「そうね」

「それを覆すためであれば、あらゆるリスクを受容する必要があります。どんなことが起こっても、私はそれを受け入れます。三冠ウマ娘になるためです」

「……ん。ありがとうね、ブルボン」

 

 

 田舎からちょっと田舎を通って高速に乗る。

 

 

「高速道路に入り戻れなくなった段階で伝えてほしいという伝言もあります。お母さんも含めて両親からです」

「何?」

「この菊花賞でたとえ私が死ぬことがあっても、それを理由に謝りに来ないでほしい、謝るなら、菊花賞を勝てなかったことだけを言ってほしい、だそうです」

「おっもいなあ……色々……」

 

 

 もう少し軽い人達だったら、今ごろ一人で帰ってたんだろうけど。笑おうとしたとき、ブルボンが何かを言った。ライトだけでは顔も見えないし、声が聞こえなかったので少し身体を傾ける。

 

 

「ごめん、聞こえなかった」

「運転に集中してください。事故で死ぬ気ですか」

「それはマジでごめん。めっちゃ気を付けてるから」

「ふふ」

 

 

 ……今笑ったな? 

 

 

「もう一つ、マスター。これは個人的な意見ですが」

「なに?」

「冗談でも本気でも、契約解除のことに触れるのはやめてください。思考回路のエラー、強制停止がかかります」

 

 

 可愛いなあ、ブルボンは。私はブルボンを抱き締めるためだけにPAに停まった。いつになく、ブルボンの鼓動は早かった。

 

 

 

 

「スズカさんに匂いを問われます」

「消臭剤とか買う?」

「……いえ。無対策で帰りましょう。反応が楽しみですから」

「いや、買おう」

「いえ、買わずに帰りましょう」




最近のブルボン、情緒育ち過ぎ説。次回夏合宿編、大幅ナーフ予定。


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直前を堪能するサイレンススズカ

夏合宿編。もちろん主役はブルボン。まだですけど。


 

「……んぐ」

 

 

 朝目覚めると、目の前にスズカがいた。お互い決まった時間に目が覚めるタイプだけあって、昨日の夜は結構倒れるように寝た気がするんだけど、スズカはまだすやすやと眠っていた。

 

 

「……さて」

 

 

 おはようと言いたいところだけど起こしてしまうかもしれないので、顔にかかった髪を払うくらいにして、朝食の準備をするべくベッドから降りる、と。

 

 

 ブルボンとスカーレットが二人で布団を敷いて寝ていた。そして、スカーレットは目を覚ましてスマホを弄っている。何してるの、二人とも。

 

 

「おはよう、トレーナー」

「おはよう……なんで布団? 一緒に寝たら良いじゃない」

「いや……色々あるのよ。それよりご飯の準備をするの? 手伝うけど」

「ありがと。身支度整えてきても良いわよ」

「ん」

 

 

 一度別れ、準備中にスカーレットが戻ってきた。能力が高いからか私が解りやすいからか、何を作るか把握して勝手に手を出してくれる。というか、ともすれば私より手際が良い。

 

 

「手伝ってくれてありがとうね」

「お礼なんて言われることしてないわよ。当たり前でしょ」

「そういうところが偉いのよ」

「……撫でないでよ? 料理中の手で」

「何。撫でて欲しかった?」

「はっ倒すわ。料理中の手で」

 

 

 二人で協力して朝食を……主にウマ娘三人の食事を調えていく。私の朝食なんかパン一枚でも良いんだけど、私がそれで三人にちゃんと作ると怒られそうなのでちゃんと作る。三人に適当なものを出すことはできないし。

 

 調理をしながら、スカーレットに昨日のことを聞いてみた。私は帰ってきて、気疲れしていたのでお風呂に入ってすぐに寝た覚えしかないけど。

 

 

「その後、スズカ先輩とブルボン先輩の間で戦いがあったのよ」

「揉めるようなタイプ? 二人って」

「真面目な話をしに行ったのにブルボン先輩を抱き締めたでしょ」

「……ウマ娘ってすごーい」

 

 

 知ってたけど、匂いというのは恐ろしい。でも、スズカがそんなことで争いを起こすとは思えないけど。

 

 

「『これでマスターの一番により近付きました』ってスズカ先輩にドヤ顔かましたのよ」

「うわあ見たかったわあそれ。ブルボン渾身のドヤ顔」

「トレーナーのドヤ顔よりムカつかなかったわ」

「どうして突然私を刺したの?」

 

 

 にしても。今となってはブルボンは結構表情豊かに見えるけど、人に何かを誇るタイプじゃないのでドヤ顔はそうそうしない。マジで見たかった。

 

 そして、何故そういう方向でスズカを煽ってしまうのか。

 

 

「しばらくどっちが隣に寝るかで睨めっこした後、スズカ先輩がブルボン先輩を布団の上に座らせて」

「うん」

「シャットダウンって言って崩れ落ちたわ」

「ふふふ……何してるの二人とも……」

 

 

 言い争いの最中でもそれで寝ちゃうんだ、ブルボンって。誘拐とかされ放題じゃない? 流石に相手は選ぶだろうけど。

 

 

「でまあ、私とブルボン先輩で布団で寝たのよ」

「なるほどねえ……食器出してスカーレット」

「ん。えっと……これ……とこれと……」

 

 

 だとしても、ブルボンと一緒に寝ること自体はもう何とも思わないんだ。そう言ってやろうと思ったけどやめた。自覚無く言ってるならわざわざ指摘することもない。

 

 一通り準備を終えた頃、スズカとブルボンも起きてきた。

 

 

「おはようございます……トレーナーさん……」

「おはようスズカ」

「おはようございます、マスター。本日も健康状態は良好、回復も十分です」

「おはようブルボン。それは何よりね」

「おはようございます、先輩方」

 

 

 ブルボンは家具を壊されると困るのでそのまま食卓へ、スズカは配膳のため台所へ。盛り付けながら、ブルボンとの争いに勝利したスズカの額を弾く。

 

 

「へぅ」

「聞いたわよスズカ。ブルボンをいじめたでしょ」

「……? 何のことですか?」

「ブルボンを寝かし付けたでしょ」

「……ああ。でもあれはブルボンさんが悪いんですよ。変なこと言うから。トレーナーさんから一番好かれてるのは私とか言うんですもん」

「いえ、そこまで言っていませんが」

 

 

 またこの子は適当に話を聞いてる。

 

 

「ブルボンを強制シャットダウンしたら危ないでしょ。記憶とか飛んだらどうするの」

「言ってることがパソコンの注意書きなのよね」

「飛んでませんよ。ね?」

「……ここはどこでしょう、私は誰ですか。管理者データを入力してくださささささささささ」

「飛んでる飛んでる。フリーズもしてます」

「ふふふ……」

 

 

 今日もブルボンのロボジョークはスズカに刺さっていた。結構スカーレットも笑ってるし、良い感じなんじゃない、ブルボン。ウケてるウケてる。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「あー……よし、じゃあ出発するわよ」

「大丈夫ですか? 顔色が悪いですけど」

「二日連続で真面目な話をしたからね」

 

 

 ブルボンの夢のため、ブルボンを潰すかもしれない(意訳)を理事長……は怖いのでたづなさんに伝え、逃げるようにトレセンを後にした。合宿場所への前乗りである。既に夏休みに入っているので、三人と宿泊先の許可さえあればいつから始めても文句は言われない。

 

 

 今年もしっかり三人で、周りに坂道と砂浜が揃った場所を確保してある。少人数チームなので予約が通りやすくて良い。部屋を四人一部屋にできるというのも大きい。トレーナーは男性が多いし、大人数になってくると個室じゃなきゃ眠れない子や事情のある子も増えてくるし。

 

 今年はいよいよスズカにはほとんどトレーニングをさせないということもあり、スズカは助手席で少しご機嫌斜めになっている。それでも取り立てて文句を言ってこないあたり、ブルボンのためというのは理解しているようだけど。

 

 

「青い空、白い雲……砂浜……走る……」

「ダメよ」

「やだぁ……この天気で走らないなんて人生の九割九分九厘を損してます」

「ウェイトが大きすぎるんですよ」

「そもそも今日は向こう着く頃には日が暮れるわよ」

「夜道……」

「流石だなあ」

 

 

 いつもの通り走れれば何でも良いらしいスズカが、シートベルトを握り締めて外を眺め、こつんこつんと額を窓にぶつける。放っておくと車を降りて走っていくとか言い出す子だけど、流石に高速で構ってあげるのはちょっと危ないので後輩達に任せることにする。

 

 

「スズカさん。夜道は危険です」

「ブルボンさんは走れるから良いじゃないですか……」

「確かに毎日走れますが」

「あーっ」

「どうして今事実で殴るようなことをしたんですか?」

「ブルボンさんが……ブルボンさんがいじめる……」

「いじめていません。しかし私は走れます。スズカさんは走れません」

「もしかして夜のこと根に持ってます?」

 

 

 まあ、抑えられそうね。できなくても車を止めなければ良いだけなんだけど。というかどうせ降りたって、流石に高速を走るのはウマ娘にも無理だし……いや、サービスエリアだと降りられる……のかな。それはそれで法律とかに触れそうだけど。

 

 

「落ち着いてスズカ。なにか甘いものでも飲む? はちみー?」

「はしりー……」

「珍しい名前の飲み物ね、スズカ?」

「スズカさん、管楽器において舌を扱う奏法のことは何といいますか?」

「タンギング……」

「絵画などで用いられる、刺激的な桃色は?」

「ジョギングピンク……」

「先輩実は余裕あるでしょ」

「無いです……」

 

 無い人は無いとは言わない。今日のスズカはとても理性的だ。後輩思いというのは良いことね。もちろん、行き過ぎてストレスにならないように私が色々してあげないといけないけど。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「うわ……合宿ってどこもこんな感じなの?」

「そうね。何ならここはかなり少ない方よ。そういうところを選んでるし」

「へえ……やっぱり中央って凄いのね」

 

 

 まあね。

 

 

 私達は揃って前乗りしているが、もちろん私達だけではない。何なら、これは一部だけだけど、授業期間を休んでいるウマ娘もいる。もちろんそういう子達はちゃんとテストやら手続きやら行ってからやってる少数派だけど。

 

 それに、受け入れる側やトレーナー達は当日会ってはい終わり、では済まない。トレーニングができるかどうかのチェックや整備も必要だし、大規模チームであれば食事や設備についての打ち合わせもしなければならない。

 

 よって、既に結構な人数が砂浜で忙しく動いていた。距離を測ったり砂の質を確かめたり、一部のトレーナーは先んじて自分が走っている。そんな先輩達を横に、毎年来ている小さめの旅館に到着した。

 

 

「こんにちは。お世話になっております」

「どうもトレーナーさん。今年もありがとうございます」

「いえいえ」

 

 

 三人が荷物を下ろすなか、ちゃんと挨拶。旅館の女将さんが顔を覚えてくれている。目立ちますもんね、ウマ娘。事前打ち合わせの量も半端じゃないし、今年は結構無茶なことも言っちゃったし。

 

 というかこの旅館、相変わらず私達しかウマ娘がいない。穴場か何かなんだろうか。特に不備や不便があるわけでもないけど……窓から海が見えないからかな? 

 

 

 いくつか確認も終えて、部屋に通される。残念ながら荷物は全て三人に持ってもらっているのが情けないような、当たり前のような。部屋は去年と同じくらいの大部屋。布団を敷いて寝るタイプの和室。何なら到着時間が時間だから既に敷いてある。お世話になります。

 

 

「さて……じゃあ今日はゆっくりしようか。トレーニングは明後日から」

「明日からではないのですか?」

「明日は一応三人にも道とか距離を確認してもらいたいから……午後は軽く走るかも」

「はし……!?」

「うんうん」

 

 

 飛び付いてきたスズカを受け止め、頭を撫でる。良いの? 走って良いの? という顔でウマ耳と尻尾をぶんぶんにしているスズカが可愛い。それに、まあこの夏はそこまでちゃんと縛らなくても良いだろう。

 

 普段は禁止しているといっても寮生活をすれば私の目を盗むことができるが、合宿中は本当に私を振り切るしか方法が無くなる。それは普通に可哀想だ。

 

 

「良いよ。ちょっとだけ走っても」

「やたっ」

 

 

 燃えるんじゃないかって勢いで私の身体におでこを擦り付けるスズカ。そのまま私を押し倒すみたいに這い上がってきて、にっこにこで私の手を両手で揉む。

 

 

「トレーナーさんもたまには話が解りますね。この天気で走らないのは損ですよ損」

「二キロね」

「は?」

「あら怖いたたたたた折れる折れちゃう折れちゃう!」

 

 

 ほんの冗談で言っただけなのに、私の手を開いて指の一本一本をさらに開こうとするスズカ。痛い痛い。

 

 

「もちろん好きに走って良いんですよね?」

「痛、待ってスズカ、ダメダメダメ、折れる折れる」

「というかもう我慢できません。今すぐ走りに行きます。良いですよね?」

「解った、解ったから放して、指が、指が変な方向に曲がる曲がる!」

「トレーナーさん大好きですっ」

「もー……」

 

 

 本気で折るわけがないと思いつつ、弱い私は屈してしまった。完全に私を押し倒してぱしんぱしんと胸を叩くスズカ。癪に障るので、スズカの頭を抱えてそのまま胸元で抱き締めた。

 

 

「むぎゅ」

「晩御飯までに帰ってこなかったらお仕置きをします。これをブルボンにやらせます」

 

 

 私? と、スカーレットをトランプ……スピードでボコボコにしつつこちらを向き直るブルボン。余所見をしながらも圧倒している。アナログゲーム最強まであるわねこの子。

 

 

「日付が変わるまでに帰ってこなかったらスカーレットにやらせるから」

「私!? ちょっと、静かに! 今集中してるから!」

「誰まで息ができるか見物ね」

「私の身体を何だと思って……ああああ! もう一回! 先輩!」

「構いませんが」

 

 

 ぷは、と顔を出すスズカ。

 

 

「つまりスカーレットさんに抱き締められれば日付が変わるまで走っても良いってことですよね?」

「……そうきたか」

 

 

 そうくると思ってたけど。

 

 

「夜道には気を付けるのよ。街灯も少ないんだから」

「もちろんです。ふふふっ」

 

 

 今日もスズカが可愛い。トレーニングが始まったらそうそうこういうこともできなくなるし、今日明日はうんと甘やかしてあげないと。スズカのためにも、私のためにも。



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地獄に踏み込むミホノブルボン

質問が多かったので一応言っておきますが、ナーフというのは夏合宿においてブルボンの情緒や人間性を潰すことを指します。何故ならそんなことをしている余裕を残さないからです。


 

「……うあ」

「おはようございます、トレーナーさん」

「……おはよう、スズカ」

 

 

 夏合宿三日目。今日からブルボンの地獄の毎日が始まる。ブルボン本人は地獄とは感じていないかもしれないけど、私からすれば狂気にも等しいことをやらなければならない。

 

 一昨日は普通に、昨日も下見をしているうちに我慢できなくなって走ったスズカは非常にご満悦で早起きをして、とても丁寧に尻尾のケアをしていた。

 

 

「今日も良い天気ですよ。だから」

「走るのはもう終わりよ」

「あぅ……」

 

 

 まだかなり早いので、寝癖だらけのスズカの髪をとかす。尻尾より先にこっちをやりなよね。ブルボンとスカーレットはまあ流石に寝てるか。軽くとはいえ昨日はトレーニングしたしね。

 

 いつも通りブルボンは寝相が信じられないほど良く、薄い掛け布団でじっと眠っている。一声かければ起きるだろう。そして、スカーレットは……

 

 

「……スカーレットはどうしてこんなに暑いのにシーツに布団にくるまってるの?」

「ああ、それなら」

 

 

 スズカがブルボンの枕元を指差した。そこに、雑に畳まれたスカーレットの私服がある。

 

 

「昨日の夜、二人で賭けスピードをやっていまして」

「なんてことしてるの」

「お金は不味いからって服を賭けたら、スカーレットさんが全敗しちゃって」

「ええ……」

 

 

 何してるのこの子達。じゃあ何、スカーレット今全裸なの? だからシーツにくるまってるの? 剥かれる前に引けば良いのに……いや、性格上降りれなかったか。

 

 心なしかウマ耳がしょんぼりしてるのはそういうことなのね。まあ、相手が悪かったということで納得して欲しい。

 

 

「面白かったですよ。手も足も出てなかったです」

「ブルボンと処理能力で戦ってもね。スズカはやらなかったの?」

「私はそこまで得意じゃなくて……審判でした」

「そういうの遅そうだからね」

「今遅……いたたたた」

「こらこら」

 

 

 こっちは髪を弄っているのだ。遅いという言葉に反応して振り向いた結果、髪が引っ張られて失敗したスズカ。いぁ……とか細い悲鳴をあげながら、手入れが終わったらしい尻尾で鞭のように叩いてくる。

 

 

「変なこと言わないでください。痛いじゃないですか」

「スズカの手先が遅いのは事実じゃない」

「また言った……! トレーナーさんが私のこと遅いって言ったぁ……!」

「いたた」

 

 

 後頭部でぶつかってくるスズカ。機嫌良く脚をぱたぱたさせて、むむむ、と頬を膨らませる。

 

 

「まあ、脚じゃないので許してあげます」

「脚だったら許してくれないの?」

「私が世界一だと言うまで走りますから」

「あら怖い」

 

 

 はいはい速い速い、とウマ耳を撫でると、適当に言ってますね、とちょっと怒る。一通り髪が整うまで私の胸は打撃を食らったけど、終わると立ち上がって、飲み物を持ってまた戻ってくる。

 

 

「飲みますか?」

「ちょっと貰うわ」

 

 

 私の布団の上で並んで座り、まだ眠る二人を眺める。スズカが持ってきてくれた飲み物を貰いつつ。

 

 

「今日からブルボンさん、トレーニング、本気でやるんですよね」

「そうねえ……」

「大丈夫ですか? 途中で諦めたりしません?」

「大丈夫よ。ちゃんと私も本気だから」

「そうですか……じゃあ私も本気で走らないといけませんね」

「……ん? え、何言ってんの。スズカは関係無いでしょ」

「……誤魔化せませんでした?」

 

 

 私に寄りかかって、ふふ、と笑うスズカ。その気はないが頬をつまむ。抵抗して腕を掴まれた。

 

 

「誤魔化せるわけないでしょ」

「……でも、私とトレーナーさんが二人で落ち込んじゃったら大変ですよ。どっちかは楽しい方がいいです」

「……それは一理あるかも」

「なら」

「でもダメ」

「えー」

 

 

 矛盾してますよ、と自分の頬と手で私の手を挟むスズカ。むにむにして柔らかい。優しく微笑むスズカが今日も可愛い。なんかこう、今日から頑張ろうと思える。

 

 トレーニング中はあまり構ってあげられないということで、夏はちょこちょこ走らせてあげるつもりだ。スズカ本人に言ったら調子に乗るから言わないけど。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「じゃあやるわよ。まずはブルボン、これ。全部着けて」

「はい」

「これって……」

 

 

 全員が起きて、朝食をとって少し経ち。既にカンカン照りの太陽の下、ついにチームエルナトの全力を見せる時が来た。

 

 ライスシャワーのチームは超大規模チームだったので、合宿そのものをチームとしてはやっていない。あり得るのは、ライスシャワーが個人的に来るのみだ。しかし、私の感知能力では彼女のストーカーの距離は気付けないし、それに気付けるブルボンはそんなものに割く余裕がない。

 

 

「これは重り。毎日トレーニング中は着けておきなね」

 

 

 来ているか来ていないか解らない……が、もはやそんなものはどうでも良い。来ていたとして、絶対についてこられないレベルのことをする。私とブルボンならできる。ライスシャワーまで貫通して、これ以上やったら死ぬと思わせるような。

 

 ……それに、坂路でスピードとスタミナが上がるのはブルボンの特異体質だ。完全コピーされてもブルボンの方が成長できる。

 

 

 手首足首のアンクルと、重り付きのジャケット。暑くないようにビブスっぽいのを改造して作っておいた。呼吸制限のマスクは様子を見ながら。

 

 全て着けるとかなりの重さになるが、そこはやはりミホノブルボン、平然と立っている。真似をしたいだろうし、スカーレットにも全体的に軽いものを渡しておいた。

 

 

「まずはそのまま……そうね、ここをちょうど二分で。タイムは守れなくても構わないから、いつもと同じフォームで走ることを強く意識して。まずはそこからよ。矯正ができてからメインのトレーニングに入るからそのつもりで」

「承知しました。オペレーション:『フォーム矯正』を直ちに実行します」

「よろしい。ちょっとうるさいけど我慢してね。スカーレットも指示は同じよ。負荷の分、必ずブルボンより早く修正しなさい」

「おっけー。見てなさい」

 

 

 二人がスタート位置についたのを確認してから、レンタルしたバイクに跨がる。ハンドルに横向きのカメラを固定して……待って、運転しづらいなこれ。普通の二輪は教習所以来かも。スクーターばっかりだもんな。

 

 並んで走って撮影をして確認。スズカだとできないことがブルボンならできる。いってらっしゃい、と小さく手を振るスズカに手を振って返して、普段よりかなりゆっくりなペースで走り出す。

 

 

「ぐっ……走りづら……!」

 

 

 ものの三歩でスカーレットが気付いてしまったようだ。そう、体に重りを着けるのに賛否というか、諸説あるのはこういうところなのだ。普通、重りを着けて走るとその重みを何とかしようとしてフォームがそれ専用に変化する。これは無意識のものだ。その状態で鍛えたところで効率が良くない。よって、重りを着けるといっても手首に軽めのものを着けるとか、そのレベルしかできない。そう、普通なら。

 

 

「ふっ……ふっ……ふっ……」

 

 

 だがブルボンは普通ではない。フォームの変化は、身体がより楽な方を選び、よほど意識しないとそれに抗えないから起こること。ブルボンの意志の強さと負荷への抵抗力なら、その辺を押し切って普通に走るのも不可能ではない。

 

 後ろを追うスカーレットがかなり崩れ気味に前に進むのに対して、ブルボンは普段と比べ呼吸こそ荒いが走り方が変化しているようには見えない。いつも通りどっしりと落ち着いた、精密機械の走り方をしている。

 

 

 これだけしっかり走れる上に、故障にも強いブルボンだ。効率だけを追い求めるなら、重りを着けない理由が無いまである。二人に並びながら撮影を続け、くるりと一周して元の場所に戻る。臨時マネージャースズカが飲み物とタオルを渡してくれた。

 

 

「お疲れさま。どうでした?」

「体力低下が……普段の約1.3……いえ、1.4倍はあります。集中力も必要です」

「大丈夫、すぐに慣れるわ。スカーレットさんも」

「もちろん……! どんな感じか解ったわ、トレーナー。次はいける!」

「ん。じゃあ一応今の映像見とこうか」

 

 

 今撮ったものと、以前から撮ってあったものを比較して見せる。私、撮るの下手くそだな。もし来年スカーレットに同じことをしなきゃいけなかったら今度はプロに頼もう。何とか比較できるものではあるけど、質が良いとは言えない。

 

 その場で手の振り方から脚の出し方、重心まで事細かに確かめてもう一本。ブルボンはまだ僅かにずれている。スカーレットは……元が悪かったとはいえ修正幅が大きい。やっぱり天才だ。

 

 

「もうちょっとやろうか。ここはこだわるわよ」

「はぁ……はぁ……ふー……はい。さらに修正します」

「こうして……こう……よし……うん、行くわよ。次で決める!」

 

 

 ちなみにずっと羨ましそうに尻尾を振って見ているスズカは少しでも重りを着けるだけでもめちゃくちゃ嫌がる。走ることについては間違いなく特異で天才だがそれ以上に、スズカは自由を求めるウマ娘なのだ。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「よし。いい感じね。それを明日からも忘れないでね。また録画するのも面倒だし時間も体力も使うし」

「了解しました」

「はぁっ、はあっ……で……つ、次は……!?」

「次は……うん、ブルボンは坂路。スカーレットは砂浜に出て走り込みね。ルートは良いわね、ブルボン」

「はい」

 

 

 フォーム矯正もとりあえず今日は終了ということで、昼の部、メイントレーニング。かなりスカーレットは消耗しちゃっているけど、予定に変更無し。スタート位置を浜辺の道に設定して、二人纏めて見える位置まで歩く。

 

 

「スタートして戻ってくるまで五分。坂はこことここだけど、ブルボンには関係無いわよね。一定のペースで除算して走りなさい」

「はい。計算も既に完了しています。周回数の設定もお願いします」

「とりあえず三とするけど、一回ごとに休憩を認めるわ。脱水で倒れるのはくだらないし」

 

 

 たったこれだけでも多少なりとも回復するのはウマ娘の凄いところだと思う。もちろん騒ぐほどのことじゃないし、相当疲れているのは間違いないけど……ひゅっ!? 

 

 

「な、なにスズカ!」

 

 

 首筋に冷たいものが。ちらほらだが他に人もいるのにすっとんきょうな声を出してしまった。位置的にどう考えてもスズカなので咄嗟に振り払うことはせず、飛び退くだけに留める。

 

 

「トレーナーさんも飲まないと倒れちゃいますよ」

 

 

 ……そういや喉渇いたな。

 

 

「……ん。ありがとうスズカ。助かるわ」

「ポイント一ですよ、トレーナーさん」

「……それがなければ完璧なんだけどねえ」

 

 

 走っていない時はお手伝い、というのはスズカにとって、お手伝いの分だけ走る、かのように聞こえてしまったようだ。それが良いならそうしようかな。走りたくて健気にお手伝いをするスズカも可愛いし。



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地獄を歩むミホノブルボン

うすあじ。


 

 その日の朝の部が終わり、一度限界を迎えたブルボンはリクライニングチェアで食事を取っていた。

 

 

「あーん」

「あー……んぐ……んむんむ……」

 

 

 ブルボンを限界まで追い込むと言った以上、ブルボンにはそれ以外の時間は全て休憩に回してもらう。それに、ブルボンがいくら丈夫でも、運動には休息と食事が付随しなければならない。

 

 よって、トレーニング後は私かスズカがブルボンを担いで布団まで連れていく。そして、昼食なり夕食なりの時間を遅らせないため、まだブルボンが動けない段階から食事を始めることにしている。

 

 

 まあ要するに、現在、疲れきって動けないブルボンの口に食事を突っ込んでいる。

 

 

「んぐ」

「大丈夫ブルボン。苦しくない?」

「……」

 

 

 ほっぺたを一杯にして、ふるふると首を振るブルボン。本当に苦しくないか遠慮してるのか非常に解りにくいけど、たぶん大丈夫だろう。ウマ娘だし。

 

 

「ごちそうさまでした。じゃあ走ってきますね」

「こらこら。手が離せないからってそういうことしちゃダメでしょ」

「えー……だってこの後ただ休むだけじゃないですか。時間が勿体ないですよ。三時間あればどれだけ走れると思ってるんですか」

「時間をランニングで換算しないで?」

「というかよく食べた後すぐに走れますね……いつものことですけど」

 

 

 スズカとスカーレットが先に食べ終わった。この夏は限界を攻めるため、運動食事睡眠を完全に管理する。旅館にも二ヶ月分割増料金を支払い、メニューや量に口を出させてもらった。笑えない額だったけど三冠のためなら安い犠牲である。

 

 トレーナーとして学んだ栄養学と、トレセンのお医者様、スポーツ栄養士の方まで使って全て献立を確定させ、時間も徹底的に管理している。

 

 

「はいブルボン、次はこれ。あーん」

「んむ」

「ちょっと……こっちが気持ち悪くなってきたわ」

 

 

 元々ウマ娘はその人間の理論を無視した力を発揮するとき、人間サイズのその身体からは信じられない量を食べる。ウマ娘によっては自分の体積を超えてるんじゃないかって量も食べる。

 

 しかし、あくまでそれは普通にトレーニングしたりレースをしたりという状態であり、それプラス、当然、飢えていたり消費が大きければその分も食べる。人間のように太ってから筋肉にする、なんてことをする以前に、ウマ娘でも多いような量を食べさせなければ、ブルボンの身体が消費に耐えられないのだ。

 

 

 そのうえで成長も見込むのだから、当然さらに食べる。結果としてスカーレットが、三人で食べるにしては少ないわね、と素で言ってしまう量を詰め込むことになった。もちろん栄養バランスを考えた上でね。

 

 

「スカーレットも休んだ方がいいわよ。夜もやりたければね」

「やりたいし休もうと思ったけど、今はブルボン先輩が見たいわ。本当に食べ切れるの?」

「食べさせるから食べ切れるわよ」

「恐ろしい答えが返ってきたわね……」

 

 

 一気に詰め込むのも、人間と違って極度に太りにくいウマ娘だからできること。それに、まあこれくらいなら食べられるとお医者様達も言ってる量だから、案外大したことはないんだけどね。どっちかといえばトレーニングで疲れきった状態でっていうのが大きい。

 

 表情を変えずひたすら食べ続けるブルボン。暇なのかスズカも食べさせに加わった。三十分かけて全て詰め込み、そのまま倒れていくブルボン。食べた直後なので大きくお腹が出てしまっているが、たぶんすぐ吸収するはずだ。

 

 

「本当に食べ切った……」

「少し身体を起こさないとブルボンが辛いわよ」

 

 

 少しシートを起こして、完全には寝転がらないように。疲れきっているブルボンはこれでもすぐに眠りについた。普段はシャットダウンだの何だのと弄っているけど、その気になれば自分の意思でどこでも一瞬で寝られるのは一種の才能よね。

 

 

 片付けをしてもらい、ブルボンが回復するまでしばらく休憩。将棋をやり始めた二人を眺めつつ、三人のステータスも見ておく。

 

 スズカは相変わらずスピードカンストで、トレーニングも緩いので成長は鈍い。しかし、成長が全てスピード以外に注がれているため、実質的に通常の速度で強くなっている。やっぱりこの子が最強だ。そもそもスズカはそうそう厳しくトレーニングをして強くなるのは向いていない。ストレス耐性が低いからね。

 

 スカーレットは……いや、スズカやブルボンと比べるとアレだけど、じゃなきゃめちゃくちゃ強いわね。問題なくジュニア女王になれるだろう。ウオッカの強さも見ておかないと。見たところで、現状のブルボンとライスシャワーを見るにあんまり参考にはならないけど。

 

 

 で、問題のブルボンはというと、やはり菊花賞をとれない方がおかしいくらいに仕上がっている。正直ここから負ける気がしない……爆発力を持つライスシャワー以外には。どんなにトレーニングをしてもその不安は振り切れない。

 

 

「王手です」

「え……あっ。ま、待った……」

「待ちません。私の勝ちです! やった!」

「トレーナーさん……負けました……」

 

 

 泣き言を言って転がってくるスズカ。結構序盤で完封負けしてるわね。もっと得意なもので挑んだら良いのに、あえてスカーレットを勝たせてあげようとしたとか? 

 

 隣に座ってこてんと頭を預けてくるスズカ。むー、と少し上向きになるスズカの喉をくすぐり、んふふ、と笑うスズカの頬を撫でる。ブルボンにボコボコにされた反動からかスズカをボコボコにして胸を張るスカーレットが、そのまま布団に倒れていった。

 

 

「あんまりスズカをいじめないでね」

「昨日ブルボン先輩にいじめられまくったんだけど」

「負けるのが悪いんでしょ」

「アタシのことも慰めなさいよおたんこにんじん!」

 

 

 スカーレットは普通の夏合宿くらいの強度でしかトレーニングをしていないので、休むといっても活動する余裕がある。投げてきた枕を受け止めスズカに渡して投げ返す。ふぎゅ、と倒れていった。

 

 

「この世は不平等だわ……」

「そもそもスカーレット、こういうの別に望んでないんじゃないの」

「……当たり前でしょ。ただでさえ暑いのにそんな引っ付くなんて」

 

 

 枕を抱き締めながら仰向けにこちらを睨むスカーレット。じとりと絡む視線を向けられ、スズカがさらに抱き寄ってくる。怖いですよ、と白々しく微笑んだ。

 

 

「してほしいなら正直に言ったら良いのに。ちょっとだけならトレーナーさんを貸してあげますよ」

「してほしいなんて言ってませんけど」

「またまたぁ」

「言ってませんけど!」

「ぐえ」

 

 

 調子に乗ったスズカが枕を投げ付けられ崩れ落ちた。先輩よ、そんなんでも。ちゃんと敬えとは言わないけど。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「はい、百二十二ぃー」

「百……二十……二……!」

「頑張れ頑張れ。浅くなってるわよブルボン」

 

 

 トレーニング、夜の部。というか夕方。目を覚ましたブルボンを連れ出して、夕日の差す中筋トレをさせていた。

 

 

「頑張れー」

「ほらほら。足がつかなくなってきたわよー」

 

 

 足を吊り上げたブルボンの背中に板を載っけて、私達三人でそこに乗って腕立て伏せ。腰掛けている私達の足が地面につくように沈むよう言っているけど、流石に百を超えるとかなりキツそうにしている。最初の五十回くらいは平気そうにしていたのに。

 

 

「百……三十……二……!」

「あと十八回ー。もうちょっとよブルボン。ラストスパート!」

「ぐ……百……三十三……ッ!」

 

 

 疲れているから辛そうだけど、万全ならこれくらいは問題なくできるはずだし。体幹も鍛えつつ、脚には負担をあまりかけないように。カウントも自分でさせて、呼吸も一緒にさせる。

 

 あんまりこれに時間をかけられると困るんだけどね。この後いくつか筋トレして、走らないといけないから。

 

 

「そういえばトレーナーさん。あの、たまには私達もお祭りに行きませんか?」

「え? うーん……まあ、一日二日くらい良いかな」

 

 

 ゆっくり上下する板の上、スズカがそんなことを言い出した。私達は根本的に騒がしいタイプじゃないし、そもそも人が少ない場所を選んでいる都合上、お祭りが行われる場所から少し離れている。行かなくても良いかなあ、なんて二年思い続けていた。

 

 どうして急に、なんてことは言わない。スズカとの付き合いも長いし、大切な愛バなので言いたいことなど手に取るように解る。

 

 

「どうしたんです? スズカ先輩、お祭りとか興味ある人でしたっけ」

「え? うん……少しね」

「じゃあ今年はお祭り行こうか。ね」

「んん……」

 

 

 スズカの頭を撫でる私を見て、スカーレットがはっとした顔で口元を押さえた。

 

 

「あっそういう……私達は留守番?」

「どっちが良い? スズカ」

「……むむ」

 

 

 初日なんかならいざ知らず、夏合宿中の私はブルボンに付きっきりだ。それに朝は早く、そしてそのために夜も早く寝る。色々と、時間が取れていないのだ。首筋を擽られるも、流石にブルボンが大変なので大きくは動けないスズカ。

 

 少し唸って、スズカは尻尾を少し振った。巻き付けるみたいに私の腰にぶつける。

 

 

「……かわいっ」

「な、撫でないで、撫でないで……」

 

 

 そして、そんなスズカを見てニヤつくスカーレット。あなた、小動物感覚で接してない? 先輩よ? そんなんでも。

 

 

「百……五十……マスター……!」

「はいお疲れ。じゃあ五分休憩ね」

 

 

 ブルボンも終わったらしい。すぐさま降りて、仰向けに寝かせる。諸々の処置を終わらせつつ、膝に乗っけて頭を上げる。消耗はあるとはいえ、走っていないだけまだマシかな。

 

 

「お祭りに行くんですか、マスター」

「ええ。ブルボンも行く? 探せば何日間かは行けると思うけど」

「……いえ。留守番しています」

 

 

 そう? と汗を拭き取る。まあ、一日も休みたくないと言うなら良いけど。お祭りに行く日をやや軽くしてってのでも良いと思うけど……まあ疲れたままじゃ楽しめないだろうし、それは全面的にブルボンに委ねるけどさ。

 

 

「ねえトレーナー。ちなみにそれっていつになりそう?」

「んー……調べなきゃ解らないけど、まあお盆の前後だと思うわ。ごめん、すぐ調べとくから」

「ううん。別に直前でも良いわよ。ちょっと友達に誘われてるだけだし。休みは無しだと思ってたから断ってたけど」

「元々スカーレットにそこまでするつもりはないけど」

 

 

 もちろんスカーレットにもキツめのことはするが、別に休み無しなんか言うつもりはない。そう言うと、スカーレットは少し顔を顰めた。

 

 

「ブルボン先輩がこんなにやってるのに、私が遊べるわけないでしょ」

「ブルボンは気にしないわよ。ねえブルボン?」

「はい……ぉぇ」

「おっと」

 

 

 えずいたブルボンの口元を押さえる。戻されるとまた食べさせるのが面倒だ。喉がちょっと嫌な音を鳴らしたけど、まあ誤差よ誤差。

 

 

「私が気にするのよ」

「そう?」

 

 

 ならこれ以上は言わないけど。遊べるなら遊んだ方が良いと思うわ。ブルボンくらいイカれてるなら別だけどね。




今後の予定ですが年内のシリアスなものはブルボンライスのイベントがいくつか、スカーレットのイベントが一つ、残りはスズカの尺です。自由度が高いんじゃ。1話1スズカはノルマなので必ずあります。


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脚で稼ぐサイレンススズカ

デート回。


 

「ん、これで終わりね。お疲れブルボン。今日もよく頑張ったわ」

「……」

「聞こえてないか」

 

 

 ある日。今日もブルボンを倒れるまで鍛えて、背負って部屋に帰る。スズカとスカーレットは今日はいない。夕方からお祭りに行く予定になっているので、せっかくだからと浴衣を借りに行った。

 

 敷いた布団にブルボンを寝かせ、振動で目を覚ましたブルボンにゆっくり飲み物を飲ませる。哺乳瓶はこういうとき便利だ。吸わないと出てこないからブルボンのペースで飲める。

 

 

 こくりこくりと喉を鳴らすブルボンの前髪を弄りつつ待ち、水分補給が終わったら服を脱がせて汗を拭く。マッサージを挟みつつ、ご飯が届いたらそれを食べさせる。

 

 

 

「どう、ブルボン。調子は」

「良好です」

「明日もトレーニングできる?」

「問題ありません」

 

 

 最初の数日は目を白黒させていたブルボンだったが、やはりその適応力は半端ではない。疲れきってはいるしほとんど動けなくはなっているが、意識は保てるようになってきた。

 

 まあ、だからといって劇的に強くなったとかじゃないけど。ゆくゆくは劇的に強くなってもらうが、今のところは慣れただけかな。怪我が怖いのでこれ以上は攻められないから、とりあえずこのままで。

 

 

「本当にお祭り、行かなくて良いの?」

「はい。回復プロセスを中断できません」

「そっか」

 

 

 口ではそう言うブルボンだけど、やはりウマ耳が少しへにょっている。疲れているだけかもしれないけど……結局はブルボンだって一人の女子学生なわけで、そりゃあ、私と一緒じゃなきゃいけないなんてことはないけど、夏休みの全てを捧げるのに積極的であるはずがない。

 

 

「菊花賞に勝ったら秋のお祭りに行こうか」

「……開催されているでしょうか」

「お祭りが無い季節なんか無いわよ」

 

 

 ぴょんとウマ耳が立った。頭を撫でると少しだけ口角を緩めて、私のその腕を握る。

 

 

「是非行きましょう。スケジュールに記録しておきます」

「二人で行く?」

「む……選択しなければなりませんか」

「両方でも良いのよ」

「ではそうします」

 

 

 ふふ、と少し笑って、そのまま胸の辺りまで私の腕を持っていくブルボン。しばらくスズカがするように私の手を弄っていたけど、そういえば、と視線を自分の鞄に向けた。

 

 

「私の携帯を取っていただけますか」

「え? うん」

「手を借ります」

 

 

 持っていってあげると、私の指を使って操作をし始めた。もうこの携帯、ブルボン以外の五人くらいの指紋でロックが外れるようになってるもんね。セキュリティとかさ、無いの? 

 

 しばらく何かをしていたブルボンだったが、用を済ませたのか画面を消した。何回か通知音が鳴っていたから、誰かに連絡をしていたんだろう。実家は……今は連絡できないだろうから、別のところか。

 

 

「ありがとうございます。ではこれよりスリープモードに移行します」

「そう。お休みブルボン」

 

 

 ブルボンが眠るまで撫で続け、眠ったら薄いタオルケットをかけておく。空調も調整して、起きたら飲めるように水筒も用意しておく。あといらないと思うけどお菓子をちょっとだけ。

 

 ブルボンを置いていくことにあんまり心は痛まないけど、できるだけ早く連れていってあげよう。どうせこのまま夏が終ってもしばらく厳しくするわけだし。まあ、九月は今と比べれば大分マシになるとは思うけどね。こんなこと一日中一緒じゃないとできないから。

 

 

「さて……よし」

 

 

 夜はスズカとお祭りだ。ブルボンの代わりに楽しんで来よう。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「お腹空きましたね」

「ね。何食べようか」

 

 

 そして夜。三人でお祭りに来た。スカーレットは友達がいるとのことで別行動で、私とスズカの二人になっている。レンタルした浴衣に身を包み、小さな巾着を持ったスズカ。髪を纏めているのを見るのはとても新鮮で可愛い。

 

 流石のスズカも下駄では走れまいて。大人しく横を歩いているスズカも新鮮というか。たまにはスズカだって、隣で歩くのも良いとか言って良いと思うんだけど……残念ながら「どうせ歩くなら走った後でも良いですよね」とか言う子なんだよね。

 

 

「なんですか、じっと見て」

「ううん。スズカもこう……たまには隣で歩くだけで幸せとかあるのかなって」

「トレーナーさんのですか?」

「うん。走ったりしないで隣にいてくれるとかさ」

「……? 走った後隣にいればお互い嬉しいんじゃないですか?」

 

 

 首を傾げるスズカ。やっぱりそう言うと思った。髪型を決めてるので撫でるのはやめて、顎下を指でなぞる。んー、と目を閉じるスズカ。その後、すんすんと鼻を鳴らして目を開き、ちょっと遠くの屋台を指さした。

 

 

「私あれが良いです、トレーナーさん」

「ん。じゃあ食べようか」

 

 

 スズカご所望のたこ焼き屋さんに向かい、数人待っておじさんに頼む。間が悪く、作り置きの最後の一つが残ってしまっている。いっそ十人前くらい頼めば出来立てにならないだろうか。スズカなら食べられるし。

 

 

「二人とも美人さんだし、出来立てをやろうね」

 

 

 と思っていたら、なんと新しく作り直してくれた。ウマ娘は顔が良くて助かる。世の中顔よ顔。しかもよっぽどお気に召したのか、二人前貰った。でも私が屋台の大将でも、浴衣のスズカが来たらそれくらいすると思う。本当に。

 

 

 二人前のたこ焼きと他にもいくつか買った食料を持って少し歩き、人が少なめの適当な階段に座る。レンタルの浴衣が汚れないようにタオルを敷いて、からんころんと音を立てていた下駄を脱ぐ。鼻緒が少し痛かったらしい。怪我をしてはいけないので私の靴下と靴を捧げて履き物を交換。普段着に下駄というヤバい成人女性が爆誕した。

 

 

「これで走れる……? あのトレーナーさん。せっかくだし服も取り替えませんか?」

「こんなところで? バカじゃないの」

「私は気にしませんよ?」

「やかましゃっ」

「んむ、は、ははふ、はふ」

 

 

 走りたいがあまり羞恥心を捨ててしまったスズカの口にたこ焼きを突っ込む。わちゃわちゃして飲み込むスズカ。火傷しました、と舌を出した。

 

 

「もうちょっと恥ずかしいとか思った方がいいわよ」

「でもトレーナーさん。ちゃんと下も着てますよ。ほら」

「ほらじゃない。無人じゃないのよここ」

 

 

 浴衣の襟元からちらりと中身を見せてくるスズカ。いつもスズカが着けている走ることしか考えていない色気の無い下着ではなく、しっかり浴衣用の肌着を着ていた。暑そう。せっかくならちゃんとした着付けをしてもらいなとは言ったけど、そこまでちゃんとしてるんだ。

 

 

「そもそも襦袢でも恥ずかしいものは恥ずかしいでしょ。羞恥心がイカれてるの?」

「言葉がストレート……」

「それくらいびっくりしてるの。はい。美味しいから走るの忘れられるでしょ?」

「舌を火傷しててそれどころじゃないんですけど」

 

 

 無視してまたたこ焼きを突っ込む。はふはふしながらも今度は美味しく食べられたらしい。道中買ったペットボトルのジュースを一息に半分飲みきり、むむ、とこっちを緩く睨み付けた。

 

 

「熱いじゃないですか」

「美味しいでしょ」

「なんでさっきからトレーナーさんが誇らしげなんですか? 美味しいですけど」

「私が食べさせてあげてるからでしょ」

「無理やりですよね。私もやってあげますよ。ほら口を開けてください」

「熱いじゃん」

「熱いですよ」

 

 

 そこそこ熱い思いをしつつ私もたこ焼きを食べさせられる。というか普通に火傷したよね。揃って猫舌なの、私達。悶絶する私を見て、珍しくスズカがけらけら声をあげて笑っていた。

 

 ゆっくりめに残りを食べて、スズカはさらに三屋台分くらいを次々平らげていった。お腹が空いているというのは嘘ではなかったらしい……でもおかしいわね。今日のスズカは人間の出力しか出していないし、そもそも宿でもちゃんと食べているのだから、そんなにお腹が空くとは思えないけど。

 

 

「あ、そういえばトレーナーさん。お金、返しますね」

「うん……うん?」

 

 

 スズカに預けていた小さな財布を返してもらう。手に持つと、ちゃりんちゃりんと小銭の音がした。おかしいな。私確か、電車賃はお釣りが出ないように細かいのを入れておいたはずなんだけど。

 

 

「どうかしました?」

「ううん。何でもないのよ。ところでご飯は何を食べたの?」

「色々あって食べられなくて。その分も残ってます」

 

 

 食後のりんご飴に入ったスズカ。財布の中身を見てみる。電車賃と、軽く食べるお昼代と、浴衣の色々に使うお金と、何かあった時の諭吉二枚。ちゃんと計算して渡したはずが、何故か小銭が残っている。

 

 

「お昼は食べてないのよね? じゃあお金は使わなかった感じ?」

「はい」

「浴衣のお金って確かそこそこきりが良かったと思うんだけど」

「ですね」

「……じゃあこの小銭って何の小銭?」

「……あっ」

 

 

 あっ、じゃないが。やったわねスズカ。いや、私も油断してたけどさ。

 

 

「走ったでしょ」

「ほ、ほんの二駅ですし、ちょうど遅延しててっ」

「そういう話じゃないでしょーっ」

「ふぁいふぁいふぁい」

 

 

 小銭をがめる悪さも無い、トレーナーさんが間違って計算してましたよと押しきれるわけでもない、なのになぜ誤魔化せると思ってしまったのか。スズカの頬をつねって上下左右に動かす。油断も隙もあったものじゃない。出発する時は普通に普段着だったからまさか走らないだろうと思ってしまった。

 

 

「あの服で走ったの」

「いえ……す、スカーレットさんの荷物にジャージを入れてもらって、駅のトイレで……」

「こらこらこら」

 

 

 やけに用意周到じゃない。そんでスカーレットはそこそこ荷物軽そうだったのにどういう収納術なの。これが女子力? 

 

 

「花火は見ないで帰ります」

「え、嫌です……見ましょうよ花火」

「走るのが悪いんでしょーっ」

「や、です」

 

 

 たこ焼きの串で肌をつついてくるスズカ。くすぐったいなあもう。りんご飴を一度置いて、いー、と私の口を引っ張る。

 

 屋台のライトアップでスズカが照らされている。ちゃんとしないといけないのに、ニコニコしながら見上げられると弱い。いつもの五割増しで美人なスズカが、たぶん自分の綺麗さに気付かないまま、か細いくせに喧騒を貫くいつもの調子で言った。

 

 

「見ますよね、花火」

 

 

 むむ。百万点。

 

 

「……もう。帰ったらお仕置きなんだからね」

「いやでーす」

 

 

 スズカはさらにご機嫌に微笑んで、逃げるように立ち上がった。

 

 

「それよりもう一回りしましょう。花火を見る場所も確保しないといけないですし、もうちょっと食べたいです」

「誤魔化されないからね」

「ふふふ」

 

 

 ふふふ、じゃないんだけど、私がこれ以上追及する気を無くしたことを感じ取ったわね。スズカに手を引いて立たされた拍子に私は転んだ。スズカは笑っていた。二度と下駄は履かないことにします。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「あっトレーナーさん、射的ですよ射的」

「そんな興味ある? 射的」

「見てください、景品」

 

 

 片手で持って食べられるものをちょこちょこ買って繋ぎながら適当に回る。ベビーカステラを物凄い勢いで消費していると、スズカが射的の屋台を指差した。

 

 特に変哲もない射的だと思ったんだけど……スズカが手を引くので連れていかれる。景品の並べられた棚を見ると、なるほど確かに、ちょっと気になる物はあった。

 

 

「スズカもブルボンも人気になったものだねえ」

「トレーナーさんのおかげですよ」

 

 

 スズカとブルボン、あと数人のウマ娘のぬいぐるみ。屋台の景品だしどこかの売れ残り……ということもないんだろうな。時々トレセンから売上報告が届くけど、意味解らんくらい売れてるみたいだし。スズカ単体の人気ももちろん圧倒的だけど、スペシャルウィーク達黄金世代が共通のラスボスみたいな扱いをしてくるので、そっちのファンもセットで手を伸ばしてくるらしい。

 

 

「できるの?」

「できなかったらトレーナーさんがやってください」

「いや、私ができるとは言ってないけど……」

 

 

 少し浮かれているんだろう。私も楽しいよスズカ。空いているスペースに入って、弾を買う。狙うのはぬいぐるみ一択として、こういうのって本当に取れるものなんだろうか。

 

 

「んー……えい」

「外れ」

「えいっ」

「外れ」

「へりゃ」

「外れ……どこ狙ってるの?」

「おかしいですね……?」

 

 

 スズカの撃った弾は掠りもせず、当たっても落ちない可能性など感じさせずに消えていった。首を傾げるスズカから最後の一発を託されたので狙ってみる。

 

 

「ほりゃ」

「外れです。どこ狙ってるんですか?」

「おかしいわね……?」

 

 

 銃身が曲がってるかも。インチキねインチキ。こんな店にこれ以上いたらダメよ。

 

 

「金魚すくいにしましょう」

「良いわね。インテリアとかになりそう」

 

 

 びり。

 

 

「輪投げがありますよ」

「そうね」

 

 

 すかっ。

 

 

「くじ引き……」

「やめようスズカ。今日は何をやってもダメな気がする」

 

 

 五等。

 

 

「あっトレーナーさん。五等はタオルですよタオル」

「屋台の景品にあるまじき実用品ね……」

 

 

 走ること以外ポンコツのスズカと、遊び慣れていない一般成人女性の私では基本何をしても上手くはいかなかった。それに、下駄を履く私が辛くなってきたので、最後に綿菓子を買って花火が見えるらしい高台まで上がる。

 

 屋台に払ったお金がムダになるたびに、スズカは楽しそうにくすくす笑っていた。だったらまあ何でも良いんだけどさ。

 

 

「案外人が少ないですね……?」

「少し離れめだからね。空いてて良いじゃない」

「それはそうですけど」

 

 

 予定ギリギリの到着から適当に座り、友達に送りたいというので二人で写真を撮る。ウマッターにもとスズカは言ったけど、それは普段着にしときな、とやんわり止めた。

 

 ほどなくして、花火が上がった。

 

 

「わぁ……」

 

 

 私にウマ耳を少し塞がれ、花火に見とれるスズカ。ブルボンにも見せると言って動画を回している。マイク近いから、あんまり話さない方が良いんじゃない? 

 

 

「この方が一緒に見てる感じがするじゃないですか」

「そうかな……? そうかも……」

「そうですよ」

 

 

 まあ、スズカがそう言うなら。

 

 花火のほとんどを動画に収め、自分で確認までするスズカ。それが終わると、私の肩に寄りかかってきた。

 

 

「花火、綺麗でした」

「そうだね」

「……定番の、言ってくれないんですか?」

「言ってほしいの?」

「……そこまでじゃないですけど」

 

 

 本当にそこまでじゃない、と言った様子。じゃあ言わない。でも内心はそう思ってるよ。花火よりスズカの方が綺麗だ。

 

 

「花火より速いとかなら」

「火薬より速いのは無理じゃない?」

「む……私が遅いって言いたいんですか?」

「挑む相手を間違えすぎでしょ」

 

 

 綿菓子の棒を手で弄り回して、私が持ち歩いていたゴミ袋に捨てる。私の体を跨ぐように捨てて、その戻り際に私を背もたれに倒れ込んだ。

 

 

「これでもう少しだけ待っていてあげます」

「……何を?」

「トレーナーさんが私のことを放ったらかしにしてもです」

「……仕方無いでしょ? ブルボンも大変なのよ」

「知ってますよ。だからちゃんと待ってるんです」

 

 

 何を? さあ? そんな適当な会話を終え、ひとしきり人が捌けるまで待つ。それから、返却の時間も迫っているので靴を交換して、からんころんと車に戻る。

 

 

「時々こうして思い出させてあげないと、トレーナーさんはすぐに無茶をしますから」

「したっけ?」

「してないなら良いんですよ」

「そう」

 

 

 今日のスズカはえらくご機嫌だ。なぜか。二人で出掛けているから? 勝手に走ることができたから? それとも、私の精神状態が思いの外良かったからだろうか。

 

 

「だったら何も言うこと無いです」

 

 

 私が二つ、スズカが一つ。私が原因だったら良いなあと思いつつ、断言できないのがサイレンススズカでもある。少なくとも私はスズカが幸せそうで嬉しいから、お互いにそうだと思っておくことにした。それが一番平和ね、やっぱり。




【定期】禁句:前はファンに囲まれて困ってたよね?

たぶん髪型変えたら誰だか解んなくなるんじゃない?(適当)


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尻尾が絡むサイレンススズカ

尻尾ハグとかいう二次創作の敗北、好きだし好きだよ。


 

「マスター」

「うん……?」

「私より消耗しないでください」

「ごめんて……」

 

 

 ある日。いつも通りブルボン達に厳しくトレーニングをして、ブルボンのお世話を終えたところで、私は部屋で倒れていた。

 

 

「ひ弱……」

「やめて、言い返せないのが普通に辛い……」

 

 

 シンプルに暑さでやられた。夏は暑い。意味が解らない。ブルボンにせよスカーレットにせよ、動いていてもウマ娘はそう簡単に潰れたりしないが、人間である私は温度変化が辛い。

 

 言うても私の目は体調不良でも性能が低下しないことが解っているし、やるべきことはスズカも代行できるから問題はない。それに、やると決めた以上ブルボンの追込は死んでも続行する。

 

 

「運動足りてないんじゃない? もうちょっと普段から動いた方が良いわよ」

「ぐうの音も出ないわ」

「じゃあ私とランニングしましょう。健康ですよ健康」

「開始五秒でスズカに置いていかれて各自ランニングになるじゃない」

「五秒もかかりませんけど……?」

「いたたたたたた」

「そこじゃなさすぎません?」

 

 

 完全に夏バテしてしまった私は現在、スズカがまっすぐ伸ばした脚を枕に横になっている。アイスキャンディを買ってあるんだけど、そんなもの食べる気にならないくらい怠い。部屋を涼しくして寝ていることしかできない。

 

 

「私はトレーナーさんの健康を気にしているんですよ?」

「絶対違うじゃん。じゃあ私の隣で走ってくれるの?」

「ランニングは誰かに合わせるとかじゃなくて、自分のペースでやるものです」

「正論突き付けてくるの、結構腹立ちますね」

 

 

 スズカは頭が悪いときと普通のときがあるからね。元々アホではないから……まあ賢いわけでもないけど。こと走ることに関しては絶対に賢くはない。

 

 

「そもそもそういうことならスズカと一緒である必要がないじゃない」

「トレーナーさんが倒れたら運んであげますよ」

「流石にいらないですよ」

「……なるほどなあ」

「嘘でしょ?」

 

 

 でもそれは大事かもしれないなあ。実際今走ったら絶対倒れるもん。前に走った時も普通に倒れたし。十五分とかが限度の若者もヤバいなあとは思いつつ、じゃあこれから健康的に鍛えるかと言われると。

 

 

「夜中こっそり起きて筋トレするよりダイエットにも良いですよ」

「そういうこと言うのやめて?」

「どうせ三日に一回とかしかやらないんですから」

「マジでやめて」

 

 

 ズバズバ刺される。なんで? スズカは今日は走ったし、この間二人でお出かけもしてご機嫌だと思ったのに。私の何が悪かったのか言ってみて、直すかもしれないから。

 

 

「走ったってアレですか? ブルボンさんの後ろで走るやつ。あれは走ったって言いません」

 

 

 今日のブルボンはたまには趣向を変えて……というか精神的にも鍛えておきたいので、スズカに後ろからひたすら追わせるということをしてみた。正確には、本気で追い抜こうとするスズカから可能な限り逃げ続けるというもの。

 

 それはそれは物凄い威圧感で走ったスズカは、ブルボンをかからせ超ハイペースで追いかけた末にブルボンを追い抜いて三十分くらい走った。水分補給しに来たのを捕まえたけど、これが無かったら日が暮れるまで走っていたかもしれない。

 

 

「行動としては走ってるでしょ」

「走ってません。一人で走る時以外走っているとは認めません」

「アンケートとる? ここで」

「良いですよ。トレーナーさんはウマ娘の本質が解っていません。ウマ娘は走らなければいけないんです。気持ち良く走って、大好きな人と一緒に寝る。これがウマ娘の幸せです」

 

 

 抜かしよる。ここはエルナトなんだからね。トレセンのあなたの友達や後輩なら情でスズカの味方を……してくれないか。してくれるわけないわね。大体私の味方よね、たぶん。

 

 

「走った方が良いと思う人ー」

「……ひっ」

「えっ」

 

 

 スカーレットが弾かれたみたいに手を挙げた。ウマ耳が完全にへたれている。というか一応喋ってるのは私なのに私の方を見ていない。むしろ私の上の、スズカを見ている。

 

 異次元の逃亡者モードになった目付きの鋭いサイレンススズカを。

 

 

「嘘でしょスカーレット」

「い、いや今……挙げないと殺されるような気がして……」

「何後輩に凄んでるのーっ」

「す、凄んでません。普通に見ただけです」

「この目は何だこの目はーっ」

「んあう」

 

 

 下から頬を挟み、ぐっと頭を下げさせる。体柔らか。脚を伸ばしているのに頭が私にくっついている。全然痛くなさそうだし、やっぱこの子凄いわ。

 

 

「スズカは目が怖いんだから気を付けないとダメでしょうが」

「え……それは普通に傷付きました……ちょっと外の空気を吸ってきます……」

「何走ろうとしてるの?」

「いたたたたたトレーナーさん痛いです痛いです閉脚でこの角度はダメです」

 

 

 頭から手を放す。わー、と気の抜けた声を出しながら、反動で後ろに倒れていった。私もそれなりに回復してきたので、再度補水液を飲んでスズカに跨がる。

 

 んむんむ蠢くスズカの動きを止め、頭だけ後ろから抱いて引き上げる。腿に乗せて尖った目尻を指でほぐし、ふにゃふにゃになったところで唇をふるふると弾く。

 

 

「うぶぶぶぶぶ」

「そういえばブルボンは挙げなかったんだ。頑張ったわね」

「余力がありません」

「ああ……」

「もちろん、私の精神が成長した可能性もあります。プレッシャーを無視することは私にとって最重要事項ですので」

 

 

 それはそう。誇らしそうで何より。

 

 

「スカーレットも早くビビらないようになれると良いわね」

「ビビってないけど」

「流石に無理があるでしょ」

「ビビってない!」

 

 

 心なしかブルボンがスカーレットに対してもしたり顔になっている。こういうところは結構勝ち誇るわねこの子。身体的には妥協や油断をしない気性もあってこういうことはしないけど、根性とか度胸とかになると途端に自己顕示に走るから。

 

 

「とりあえずスカーレットの投票は無効ね。脅迫よ脅迫」

「そんな……話が違います」

「後輩を脅迫するのを前提に話をしてたんですか……?」

「まったくもう」

 

 

 擦り上がって私を背もたれにするスズカ。尻尾を腕に巻き付けてきてくすぐったいし暑い。ここまで密着するとクーラーとか関係無いわね。

 

 でも今日はもう走る気は無いということは解った。スズカは尻尾の手入れに命を懸けるからね。私に任せる時もちゃんとやらないと普通に不機嫌になるし、自分でやると湯冷めするまでやるから。

 

 走るために尻尾を大事にしているということは、尻尾を乱すようなことをしたらその日は走らないということ。それはそれとして、許可を出したらその瞬間走るだろうけど。

 

 

「明日はお手伝いしないですよ?」

「毎日やろうなんて思ってないわ。四、五日に一回で良いのよ」

「なんでですか? 毎日やってください。十バ身くらい離せば我慢しますから」

「離し過ぎて練習になってないじゃん」

 

 

 むちゃくちゃ言うスズカの、腕に巻き付いた尻尾の先っちょを弄る。ここには神経がないのでスズカも何とも反応しないけど、こっちはこっちで動物の尻尾みたいで触っていて気持ちがいい。

 

 

「……ところでさ、いつも軽くやってるけどさ、それ、トレセンではやんないでね」

「ん?」

「それ」

 

 

 しばらくして、思い出したかのように尻尾の巻き付いた私の腕を指差すスカーレット。私何かした? スズカの尻尾と戯れるくらいいつものことというか、今さら驚くことじゃないでしょ。

 

 

「最近さ、トレセンでドラマが流行ってんのよ。LOVEだっちって言うんだけど」

「……知らないわね」

「スズカ先輩は?」

「……? 知らないですけど」

「……まあ、そうね、そうか。知らないですよねスズカ先輩は」

「私今バカにされました……?」

 

 

 こっち見ないで。私も同じ感想だから。流行りのドラマなんか知らないでしょ。風景の画になった瞬間走りたくなるんだから。何回あなたと映画行って、やっぱ無理ってなったと思ってるの。

 

 

「でね。そこでまあ……登場したわけよ。尻尾ハグが」

「何それ」

「だから、それ」

 

 

 それって……尻尾を腕に絡めてるだけだけど、私また何かやっちゃった? 

 

 

「結構こう……過激というか。自分のトレーナーと先輩が日常的にやってるとか……なんか、バレたら恥ずかしいじゃない」

「そうだったの? トレーナーの勉強中は習わなかったけど」

「習わなくても何となく解るでしょ。尻尾よ?」

「私の中のウマ娘はスズカだから」

 

 

 スズカが気にしていないことは気にしない。意味が無いから。でも確かに、スズカに尻尾のケアを任せられたのも結構後からだったような気もする。髪と同じようなものでしょと思ってたけど。

 

 しかしどうやら違ったようで、どういう行為なのか力説してくるスカーレット。どうやら正確には尻尾と尻尾でするのが尻尾ハグで、場合によっては色恋にも通ずるようなちょっと進んだ行為らしい。

 

 

「可愛いわねえ」

「なんか腹立つわね」

「だって……ねえ。つまりキスとかハグぐらいってことでしょ? そんな騒ぐことじゃないじゃない」

「……彼氏もいないのに経験豊富ぶるのやめなさいよ。みっともないから」

「なんだ? 戦争か?」

 

 

 いないんじゃないから。作らないだけだから。やめてよ。今時恋人がいないとか何とかで煽る方が恥ずかしいんだからね。そもそも今いないだけでいたことないわけじゃないし。

 

 というかトレセンはウマ娘に脳を焼かれた人ばっかりで、そういう色恋とか無いし。何なら担当とトレーナーの方がまだ希望あるくらいなんだから。そっちで卒業後結婚したとかはたまに専属で聞くけど、トレーナーとトレーナーはマジで無い。

 

 

「子供は黙ってなさいよ……」

「声震えてるわよ」

「私にはスズカがいるからいいのよ!」

「はいはい。いますよー」

「スズカぁ……スカーレットがいじめる……自分もする相手いないくせに……」

「はっ倒すわ。今必ずここで」

 

 

 スカーレットが枕を片手に襲いかかってくる。こっちはスズカと仲良くやってるのに。二対一よ。勝てるわけないでしょ……と思っていると、スズカが守ってくれなかったので引き剥がされ、転がされて上に乗られた。

 

 

「このっ」

「や、やめてスカーレット、事件よ事件」

「同意の上よ!」

「私の同意は……?」

 

 

 そのまま枕越しに殴られる。別に痛くないし重くもないけど、首もとに枕があると息がしにくい。しばらくされるがままになっていたところ、スズカが近寄ってきて流石に助けてくれた。そのままスカーレットの隣に座り、少し笑って肩に手を置く。

 

 

「私とする?」

「えっ、い、いやその、それはほら、なんかこう、いやいや……」

 

 

 あら可愛い。途端に赤くなっちゃった。というかスカーレットがこんなになるようなものがトレセンで流行ってるの? 風紀とか大丈夫? 

 

 

「やりましょうか」

「あっ先輩やめて、あっあっあっ」

 

 

 スズカとスカーレットの尻尾が器用にくるくると絡んでいく。脚をぱたぱたさせて抵抗していたスカーレットだったけど、二周するころには歯向かうのをやめてされるがままに転がっていた。スカーレットの耳元で、スズカが何かを囁く。

 

 

「あんまりトレーナーさんに変なことを言っちゃダメよ。トレーナーさん、すぐ真に受けちゃうんだから」

「わか、わかりました、わかったから……!」

 

 

 何を言っているかは聞こえないけど微笑ましく二人を眺めていると、側でブルボンがまっすぐにこちらを見ていることに気が付いた。

 

 

「どしたのブルボン」

「……いえ」

 

 

 こちらに背を向けるように寝返りを打つブルボン。這っていった私の腕に、ブルボンの尻尾が巻き付いた。

 

 

「したかったの?」

「欲求ではありません。必須行動です」

「そうなの……?」

 

 

 よく解らないけど、ブルボンが言ってるならじゃあ必要だったのかな、と思ってしまう。もう片手で頭を撫でると、ぴこぴこと素早くウマ耳が動いた。可愛い。でもほら、あんまり可愛いことをされると私の普段の行いの罪悪感が凄いからさ、ほどほどにしてね。

 

 

「拒否します」

「なんで……?」

「理由を開示する必要性を感じません」

「そうなの……」

 

 

 疲れているから口数は少ない。でも、寝たまま横目にこちらを見るブルボンは楽しそうだったからそれ以上は何も言わないことにした。




新しく投稿したやつは別にパラレルとかじゃないしそんな頻繁に更新しないのでこっちがエタることはないです。


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悩むミホノブルボン

読者の想像力次第で味付けが大幅に変わるタイプのうすあじ。ネタバレですがスズカトレーナーはライスが菊花賞を回避したら手を挙げて喜ぶ人間です。


 

「……マスター」

「ん?」

「先日……マスター達が祭りに赴いた日、ライスをここに呼びました」

「え……来たの?」

「来ました」

 

 

 八月も半ばのある日。旅館のお風呂に入るべくブルボンを担いで、脱衣所で脱がせていたところ、ブルボンが真面目な顔で……いや表情は元から薄いけど、それにしても真面目な顔で言ってきた。

 

 見て良いらしいのでスマホの履歴を見ると、確かにライスシャワーに連絡している。ところでどうして登録名が「薔薇」なの。

 

 

「バクシンオーさんが、『クラスに馴染むにはあだ名が必要です!』と言ったので、薔薇です」

「ブルボンは何なの」

「ロボです」

「サクラバクシンオーは?」

「委員長です」

「……そうなの」

 

 

 委員長はともかく薔薇とロボはいじめられるでしょ。まあサクラバクシンオーのことだから悪気なんか絶対に無いんだろうけど。周りからの評判が悪ければ、こんな風に話してはこないだろうし。

 

 

「で、ライスシャワーがどうしたの」

「というか来てるんですね、ライスシャワーさんも」

「怖いですねえ……」

 

 

 みんなで来ているので、スズカとスカーレットもいる。今日はそこそこ走ったのでスズカもご機嫌だ。スカーレットはいつも通り、ブルボンの裏で相当消耗している。それでも普通にしているあたり、丈夫になったわねこの子も。

 

 

 それにしてもライスシャワーか。本当に、名前だけで怖い。なんだかんだスズカは圧倒的な実力があったし、目下恐ろしいグラスワンダーは眼が移ろっていて火力が落ちている。フクキタルまで行くともはや怖いとかそういう次元ではなくなってくる。あれには勝てない。

 

 だから、ブルボンを担当しつつ迎え撃つライスシャワーが結局一番怖い。実はダービーのあれが爆発力の限界で、あれ以上の出力は無い、なんてオチにならないだろうか。

 

 

「執念が凄いわねあの子も」

「はい。そして、菊花賞についての対話を行いました」

 

 

 会話と来たなら、特にメリットや目的を考えないお喋り。対話なら、それらがある何か。そもそも、わざわざブルボンが呼び出してまで話す時点でそこそこ理由はありそうだけど。

 

 

「それがどうかしたの?」

「私一人では結論が出ませんでした。マスターにも聞いていただきたいです」

「聞かせて良いの?」

「特に口止めはされていません」

 

 

 そりゃしないでしょ……とは思ったけどあんまり追及はしないでおく。聞いちゃダメそうなら私が黙ってれば良いんだし、スズカやスカーレットもそんなことはしないだろうし。

 

 

 ブルボンに聞くところによると、ブルボンはライスと近況報告がしたかったらしい。あと、私やスズカとエアグルーヴ達の会話を見て、ああいう風に宣戦布告するのも体験してみたかったと。

 

 そして呼び出して、必ず菊花賞に勝つと話したところ、ライスが身動きの取れないブルボンを見て泣き出したらしい。

 

 

「そこまでしなくて良いと言われました。ライスは私に勝ちたいけれど、菊花賞でなくても良いからと。私が壊れる前に、菊花賞は辞退すると言われました」

「そうかあ……」

 

 

 三人がかりでブルボンを脱がせて、どうもかなり落ち込んでいるらしいブルボンを抱き上げる。一人でも持てるけど、二人が手伝ってくれるとやっぱり軽いわね。

 

 

「ライスが菊花賞に出なければ、私がここまでする必要も無くなる、とのことです」

「なんか……悲しいですね……そんなの」

 

 

 個人的には、勝ちたいレースに強敵が出てこなければ勝ちの目が上がるから万々歳だと思う。話を聞いているのにきょとんとしているスズカは私と同じ、歯噛みするスカーレットはそうではないのだろう。

 

 ウマ娘は走るために生まれてきた種族だ。全員が全員と言うつもりはないけど、十分に走る能力があるのなら誰だってレースで勝ちたいと思っている。現実的にレースに出るだけでも上澄み中の上澄み、勝つなんて夢のまた夢だから普通に生きるウマ娘もいるわけで。

 

 そんな種族だからこそ、スポーツマンシップの塊でもある。一流のレースウマ娘となれば、こと走ることについては卑怯なことはしない。ウマ娘レースが始まった当初は行われていた薬物検査なんかも、今ではほとんど行われていない。ウマ娘はそんなことをしないからだ。

 

 

「本当に出走しないのでしょうか、ライスシャワーは」

 

 

 しかし一方で、だからこそ、明らかに自分の障壁となる存在をも受け入れてしまう。蹴落とすのではなく、正面から戦って打ち勝つという思考になるのだ。

 

 繰り返すが、私のように意識の低いトレーナーや、とにかく一人で走れていればいいスズカのような異端児は違う。勝てるならライバルなんかいない方が良いし、先頭で走るためならレースの優先度が下がる。

 

 

「ブルボンはどうなの」

「……私の目標は三冠制覇です。そしてその障壁として挙げられるのがライスシャワーです。彼女が自ずから降りるのであれば、それを止める理由はありません」

「そりゃそうね。じゃあ悩む必要は無いじゃない」

 

 

 毎日のように洗っていたので、そろそろ髪質だけでブルボンとスズカの区別がつくようになってきたかもしれない。ブルボンのはスズカよりさらさらしている。スズカはどちらかというと纏まった感じを好むけど、ブルボンは無頓着で素の髪質が出てきているのかな。

 

 

「じゃあ回避してくれってお願いしないとね。これで三冠確実じゃない」

 

 

 私に洗われてじっと座るブルボンが可愛いので、ちょっと意地悪を言ってみた。すぐにブルボンのウマ耳がへたれて、尻尾が鞭みたいに私を叩いた。濡れてると流石にめちゃくちゃ痛いけど、何とか声を出さずに耐える。

 

 

「マスター」

「何?」

「どうするのが正解の行動でしょうか」

「今まで私がそんなことを教えたことがあった? 私はね、厳しくしてあげることしかできないのよ」

「……ですがぶぶばぶ」

 

 

 そうなの。余計なことを言いそうだったので頭から流して黙らせる。

 

 

「ブルボンが走りたいようにすれば良いのよ。決定権はブルボンにあるんだから」

「ぅあ」

 

 

 椅子と膝で横に寝かせて泡を流していく。顔や身体に引っ掛かったシャンプーも洗い、ブルボンはこっちをじっと見上げていた。

 

 

「では、ライスに菊花賞を回避してもらうのが正解でしょうか。いえ、そうしない理由がありません」

「それで良いなら良いんじゃない。私ならそうしてると思うわ。せっかくだから宣言してみたら。ライスには菊花賞に出ないで欲しいって」

「ライスには……菊花賞に」

 

 

 いー、の口で固まるブルボン。私がコンディショナーを終えるまでそのままだった。パソコンがフリーズしたときはしばらく放置するのが良いって聞いたことあるから。

 

 

「……出ないで、……」

「どうしたのブルボン」

「マスター……発声機能にエラーが生じました。宣言を完遂できません」

「スズカと同じじゃない」

「スズカさんと……」

 

 

 ボディソープを手に馴染ませて、同時に身体全体にも直接かける。身体は軽いマッサージもかねて手で洗うのが良い。十分に泡立てながら、絞るように四肢を擦る。こうして手で触れると、本当に強い子だということが解る。しばらく眠っただけで消耗が回復するし、毎日無理に食べているのにお腹も膨らんだ様子がない。ウマ娘基準でも信じられない消化吸収といえる。

 

 

「できない、やりたくないことは言えないのよ」

「私のことを何だと思ってるんですか?」

「じゃあ言ってみてよ、走りたくありませんって」

「走りたく……あり……あ……ぅ……」

「ええ……? 本当に言えないじゃないですか」

「スカーレットも一番になりたくないとは言えないでしょ」

「舐めてんの? 言うだけなら簡単よ」

 

 

 スカーレットがいち、いち……と呟くオモチャになってしまったのでこれも放っておいて、ブルボン。いまだにいーの口で止まっている。スズカの走りたい欲求とか、スカーレットの一番へのこだわりとか……そういう人生を懸けたようなことはなかなか嘘でも否定できないのよ。素直だったり直情的ならなおさら。

 

 少し前までならブルボンだって、三冠を諦める、なんてことは言えなかった。でも現状、ライスの菊花賞を認めるということはそのリスクを背負うと言っているも同じ。指先だけ泡を落として口の形を戻す。

 

 

「これも成長よブルボン」

「しかし、これはマスターやお父さんへの背信行為です。三冠のために全てを捧げると約束しました。あらゆる手段を講じるべきです」

「前にもこんな話をしたかもしれないけどね、ブルボン。勝つだけなら簡単よ。トレセンで集団食中毒でも起こせば勝てるわ」

「……うわあ、最低……」

「やらないけどね? やらないよ? その目はやめよ? 傷付くから」

 

 

 全身を泡泡にして少し待つ。顔と髪だけ泡から出ているブルボンが見ていて面白いので。

 

 

「でもブルボンはライスに菊花賞を走って欲しいんでしょ。それはたぶん、ブルボンが学んでるのよ」

「学んでいる……」

「誇りとか、そういうものをよ」

 

 

 朝日杯で無理だと言われた壁を越え、ダービーでそれを上回る歓声を浴びた。喜ぶとかそういうもの以前に、ブルボンが気付いてしまったのだ。元々強者がいないならともかく、いるのにそれを排除したところでそこに誇りは無い。強いウマ娘特有の誠実さをブルボンが持ってしまった。

 

 

「ライスに勝ってこそって思うんでしょ、今となってはさ。三冠は勝つことそのものよりも、世代で文句を言わせない最強であることが大切なのだと」

「うぶぶぶぶぶ」

 

 

 今さら何を? とか思われたくないし、普通にこんなに真面目に話すのは恥ずかしいので、返事を待たずに全身を押し流す。そのまま洗い場から浴槽まで連れていき、適当にお湯に落としておく。すぐに仰向けに浮き上がってきた。

 

 先に入っていた二人が泳ぐように寄ってくる。うわおっぱいでっか。

 

 

「乱暴ね」

「大丈夫大丈夫。ほら浮いてるじゃない」

「肝心の顔が浮いてないけど」

「あらあら」

 

 

 頭を支えてブルボンボートを作り、冷えないように水面から出た部分にお湯をかけ続ける。なんかいけないような気がしてきたのでタオルを乗せておいた。三人でぱしゃぱしゃやりながら、スカーレットに笑いかける。

 

 

「ところでスカーレット、ウオッカはティアラからダービーなのよね?」

「え? ええ、そうだけど」

「せっかくだし年末も朝日杯に行くように言ってくれない? そうすれば二人ともジュニアGⅠウマ娘になれあ待ってそのゴミを見るような目はやめて本当に傷付いちゃうから」

「……サイテー」

「違うの……ブルボンとの会話があってのものなの……!」

 

 

 ほらブルボンを見て。なるほどって顔してるから。もののたとえじゃない。スカーレットもウオッカと勝負することにこだわりがあるって言いたかったの。まあスカーレットの場合はどう足掻いてもウオッカに直接勝たないと一番になれないからかもしれないけどさ。

 

 

「こういうことよブルボン。解った?」

「……スカーレットさんは特殊な例だと思います」

「ブルボン先輩!?」

 

 

 浮かんだままのブルボンがそのまま笑って、スカーレットから逃げるように器用に沈んでいった。床を掴んで私の隣に来ると上体を起こし、まっすぐ私を見上げる。

 

 

「ライスには菊花賞に出走するように言っておきます」

「それが良いんじゃない」

「はい」

「もうお話は終わりましたか?」

 

 

 真面目な話は終わり、黙っていたスズカが反対側につく。ほう、と既にのぼせてそうな息を吐いて、私の肩に頭を乗っけた。

 

 

「ん。終わったわよ。スズカには解らない話が」

「失礼ですね。ちょっとくらいは解りますよ」

「ちょっとなんだ……」

 

 

 何かを思い出すべく目を伏せたスズカ。うわっ美人。びっくりした。やっぱ顔が良いのよねスズカは。お風呂につかって上気しているのもとても良い。

 

 

「エアグルーヴとかスペちゃんとか、話は聞いていますから」

「刺さってないくせに」

「トレーナーさんのせいじゃないですか?」

「私が何したってのよ」

「私が一番速いって言ってくれているからです」

「……そうかあ」

 

 

 私が言わなくてもスズカの自信は揺るがないとは思うけど。でもそういうことならそういうことにしておこう。擦りついてくるスズカとブルボンを撫でつつ、でも実際菊花賞は回避してくれないかなあ、なんて考えていた。



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風を読むサイレンススズカ

レース条件変更を加味するの面倒すぎる高校卒業なので、この世界では菊花賞トライアルは三つあります。


 

「むむむ……」

「……何してるの?」

 

 

 夏合宿もつつがなく終わり、私達は日常に帰ってきた……帰ってきたのかな。ブルボンはいまだスパルタの風に飲まれている最中だし、夏も終わったし厳しくしてくれるのよね? というスカーレットの真っ赤な目に負けて、スカーレットにもその風が吹き散らかしているけど。

 

 

 そして、そんな中唯一スパルタの風には飲まれなかった栗毛が、トレーナー室でくるくると左に回っていた。

 

 

「あ、トレーナーさん。お説教は終わりましたか?」

「お説教って決めつけるのはやめて? 私そんなに不真面目じゃないから」

 

 

 これでも勤務態度評価はかなり良いのだ……まあトレセンのトレーナーは一部を除いて素行は良いし、評価にはウマ娘への情熱による補正がかかるので、相対的に見ると別に上位とかではないんだけど。

 

 それに、実際ほとんどお説教を受けたようなものだった。帰ってくるなり理事長に呼び出され、尋問かってくらいの圧でブルボンの無事を確認されたし。たぶんブルボンに傷の一つでもあったら殺されていたと思う。

 

 

「トレーナーさんは不真面目ですよ。たまにフジ寮長に言われますから。外泊が多すぎるよねって」

「それは……まあ」

 

 

 くるくると回りながら、頬を触ったり首を傾げたり。隙間を縫って座るが、回るのはやめない。

 

 

「でもウマ娘がトレーナーの部屋に行くのは禁止じゃないから。逆は不味いけど」

「良いですけどね。トレーナーさんもスペちゃんも大切ですから」

「浮気者……?」

「ふふふっ」

 

 

 今日はスズカがやけに楽しそうだ。何かあったかな。トレセン的には何の行事も無かったはずだし、走る許可を出したわけでもないのに。

 

 

「今日はやけにご機嫌じゃない」

「はい。見てくださいこれ」

 

 

 そう言ってスズカが差し出してきたスマホに、天気予報が表示されている。今日は九月にしてはとても涼しい。明日からまた暑くなるらしいけど、こと今日に関しては外を歩いたら汗だく、みたいなことにはならない程度には。

 

 

「今日は絶好のランニング日和です。なんと最高でも25℃しかないんですよ。運動するなら今です。今日はみんなで走りましょう」

「え……無理……」

「なんでですか」

「一般女性は25℃は暑くて死んじゃうから」

「ひ弱……!」

 

 

 というか大体の人間はこの気温で真面目に走ったら身体を壊すわ。ウマ娘とは身体の出来が違う。暑さにも寒さにも強い種族と一緒にしてもらっては困る。

 

 というかご機嫌な理由がこれ? そんな、これを見せれば私が走るのを許可するだろうと思ってたってこと? 考えが浅すぎるでしょ。いや確かに私もそんなに深いことは考えてないけどさ。

 

 

「そんなこと言わずに走りましょう? あ、私一人で走っても良いですよ。トレーナーさんはお家でご飯を作って待っていてください」

「何時間走るつもりなの??」

「十時には家に戻りますから」

「五時とかならまだ悩めたんだけどねえ」

「でも五時までだと全然走れませんよ?」

「それが狙いだもん」

 

 

 むむむ、と普段の顔には似合わない風に目元を吊り上げて、スズカはスマホをソファに投げてから私の横へ飛ぶように腰かけた。私の首元をぐりぐり指で押しつつ、唇を尖らせる。

 

 

「気温も湿度も風向きも最高ですよ?」

「ちなみにどれくらいが最低条件なの」

「気温は0℃から30℃、湿度なら40%から80%、風は……まあ前が向ければどれくらいでも良いです」

「毎日じゃない」

 

 

 特に暑すぎる日と寒すぎる日以外は走るってことね。だと思ってた。スズカの指先を掴んで、パーにして纏めて頬を撫でる。

 

 

「じゃあ冬は北海道にでも行こうか。寒いし」

「良いですね。雪の中を走るのが一番好きです」

「やっぱ沖縄にするわ」

「暖かな日差しの下で走るのが一番好きです」

「こやつ無敵か」

 

 

 頬を私の肩に擦り付けるスズカ。私と同じ匂いのする栗毛が勢いで肩に絡んでくる。ばさばさ言ってるのは尻尾を振ってるからね。

 

 

「とにかく走ります」

「何がとにかくなの。ダメ。今日はマシントレーニングです」

「いつもじゃないですか!」

「そりゃそうでしょ」

 

 

 猫パンチじみた拳をぶつけてくるスズカ。こんなんでもめちゃくちゃ痛い。種族差が重すぎる。でも手加減のためにスピードが無いので手首から掴み、そのまま膝の上に倒す。

 

 あぅ、ぅわ、と背中を叩いて鳴かせながらパソコンを開く。ブルボンの次走の登録が既に終わっている。京都新聞杯だ。まあ、トライアルに出なかったところで菊花賞から弾かれるはずがないんだけど、一応ね。優先出走権があるに越したことはない。

 

 

 で、他にも既に多くが登録しているのだけど……まあ予想通りライスシャワーがいる。やっぱり追ってきたか。彼女の適正は中長距離Aと私には表示されているが、実際彼女は長い距離の方が得意ではある、と思う。彼女がそう思っていれば、精神的にも少しは変わる。

 

 セントライトか京都か神戸かはマジで何でも良かったので適当に決めてはいる。まあ一応菊花賞も京都だし、それに合わせる感じで。

 

 

 ギリギリまで粘って決めても良かったけど……夏合宿の感じからして、ブルボンの闘志を上げるのも菊花賞の勝敗に絡みそうだったし。それによって菊花賞を待たずして負ける可能性も出てきてしまったし、トライアルで当たることでさらにライスシャワーが強くなることも否定はできないが。

 

 

 まあどちらにせよ、ここで勝てないなら菊花賞でも勝てない。私の契約は「ブルボンを可能な限り最善な状態にしてクラシック三冠に出走させる」ことである。どうせライスシャワーは今もストーキングを続けており、爆発力がどうなっているか想像もつかない。だったらこの一レースでの意味はブルボンの方が上、だと思う。

 

 

「またいますね、ライスシャワーさん」

「いるねえ。というか登録順凄いわよ。マジでブルボンの直後に登録してる。ここまでやられると清々しいわ」

「直接対決もするんですか? ブルボンさんを煽るために?」

「まあ……そうね。やらない意味は無いだろうし」

 

 

 そうなんですねえ、とスズカが呟いて、知っている子がいるかどうか天皇賞(秋)のトライアルを見始めた。

 

 本人に言うと調子に乗るので言わないけど、こういうことはあくまでブルボンだからやることだ。スズカにはやらない。ブルボンはそもそもラップタイムで走る都合上、闘志や勝負根性はあくまで最終直線でしか発揮されない。あるいはスパートまでか。

 

 対ライスシャワーではその粘りで勝てる可能性があるからやるだけで、スズカにその必要はない。何故なら、競りかけられることはないからだ。出会った時からずっと、スズカに最終直線で並びかけられるウマ娘などそうそう存在しないし、それがある時はスズカが負ける時に他ならない。

 

 

「……? なんでこっち見てるんですか?」

「いや……スズカは速いなあと思ってね」

「え? んふふ……もっと褒めても良いんですよ」

 

 

 言っちゃったや。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「マスター」

「うん?」

「明後日、これを使用することになりました」

 

 

 その夜。みんなで鍋を食べていたところ、ブルボンが、ばばん、とSEでも付きそうな勢いで懐から例のあれを取り出した。生徒会三冠ウマ娘と直接対決ができるあのプラチナチケットである。

 

 

「じゃあ今度はナリタブライアンね」

「はい。連絡の際生徒会室でルドルフ会長に会いましたが……『少し気難しいが実力は本物だ』と言われました」

「でしょうねえ」

 

 

 なにせ三冠ウマ娘だ。そりゃ強いに決まっている。気難しさも……直接話したのは拉致された日だけだけど、まあシンボリルドルフが言うならそうなんだろう。今日も強めに鍛えたにも関わらず、勝負への喜びでブルボンのウマ耳がぴこぴこと動いている。

 

 

「マスター。現時点での私と副会長の勝率はどの程度でしょうか」

「走り方にもよるわね。何回か走っての勝率? それとも初見一回目の勝率?」

「変わるの? いくらブルボン先輩でも、流石に相手が悪いでしょ」

「どうかな」

 

 

 今言っても信じてもらえないだろうし、諸々の理由はその時に言うとして。先輩じゃ絶対に勝てないと暗に言ってしまったスカーレットが鍋からざばぁと大量の肉を奪われていった。

 

 

「ブルボン先輩!?」

「私は三冠ウマ娘になります。ブライアンさんは三冠ウマ娘です。力量は互角であるべき……いえ、後発のウマ娘の方が能力に優れるのは当然の傾向です」

「だからって全部取ることあります!?」

 

 

 必死に抵抗するスカーレット。肉を箸で直接取り返しに行くのではなくブルボンの手首を直接掴むあたりマナーが……いや食卓で暴れてる時点でか。

 

 消耗度はブルボンの方が上だけど、それでも基礎スペックで徐々にお肉がブルボンの鍋に近付いていく。暴君極まれりって感じね。両手で引っ張ってもなお持っていかれている。

 

 

「良いトレーニングです」

「この……っ、絶対に負けないから……! バカにしないでよ……ッ!」

 

 

 スカーレットのスイッチが入った。妙に辛辣なブルボンも合わさって、スズカがさっきから口元を隠してくすくす笑い続けている。スズカが笑ってるなら適当に対応しても良いか。元々仲が良いんだから鍋をひっくり返しそうになったら止めるくらいで良い。

 

 

「喧嘩しないの」

「喧嘩!? 一方的に略奪されてるんだけど!?」

「では宣言してください。ミホノブルボンは三冠ウマ娘になるウマ娘です。学園で最速であるべきです」

「は?」

「あっ」

 

 

 ブルボンが地雷を踏んでしまった。

 

 

「ブルボンさん?」

「……いえ、私が最速です」

「おおっ」

 

 

 ブルボンがスズカの圧に負けなかった。初めてじゃない? 

 

 

「え?」

「……スズカさんの次に速くあるべきです」

「ああ……」

 

 

 やっぱダメだった。なんであの透明感のある声でこんなに威圧感が出るんだろうね。怖いね。

 

 ギリギリ許せなかったのかブルボンの肉が全て持っていかれた。向かいの席に座るスズカがふふふ、と笑って自分の鍋に入れてしまう。奪い返そうにも、身を乗り出すとスズカはともかくブルボンは鍋をひっくり返してしまうので、ブルボンとスカーレットの戦いは続く。

 

 

「はいはい。まだお肉はたくさんあるから。ね?」

「奪われたって事実が大切なのよ……ッ」

「じゃあ走って決めない? 一着がお肉全部、二着がお野菜全部、三着はそこのにんじん」

「デスマッチ過ぎるでしょ」

「上等じゃない! やってやるわよッ!」

「こらこら」

 

 

 一回火がつくと絶対に勝負から引かない気性だけ何とかならないかな。うちのウマ娘はこんなのばっかりだ。何とか全員を宥め……というか勝負を後日に回すことで一旦落ち着いてもらい、その場は事なきを得た。得たかな。得たってことにしておきたい。




ブルボンが主役並にストーリーを進めるおかげで

トレーナー:主人公
スズカ:ヒロイン
ブルボン:後輩

から

トレーナー:語り手
スズカ:語り手の嫁
ブルボン:主人公
スカーレット:後輩

みたいになってる説もある


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ご機嫌斜めなサイレンススズカ

前回までの「走ることしか考えていないサイレンススズカ」!


こんにちは、ダイワスカーレットです。

ブルボン先輩が使ったプラチナチケットのおかげで、私もあの怪物ナリタブライアン先輩の走りを特等席で見ることができました。

一回目はブルボン先輩が勝つとトレーナーが言うので、ああ、ついにこの人の目も曇っちゃったかと思ったんですが、なんと本当に勝ってしまいました。嘘でしょ!?

……って、負ける度に強くなる!?何それ、反則じゃない!爆発力って何でもありなの!?

う、ウオッカがこんなんだったらどうしよう……ううん、負けるな私!必ず私が一番のウマ娘になってやるんだから!

そうと決めたらトレーニング、始めましょうか!次回、「限界を越えるダイワスカーレット」!は?うるさい!アンタ私のトレーナーでしょ!?私のために全部捧げるのが仕事でしょうが!


 

 ある日。

 

 

「つーん」

「もうスズカ……謝ってるじゃない。機嫌直して? ほらショートケーキ買ってきたから」

「ふーんだ」

 

 

 スズカがそれはそれはとてもご機嫌斜めだった。原因は……今回に関してはただただ私が悪いとしか言えない。

 

 

 先日、ブルボンはプラチナチケットでナリタブライアンと対戦をした。それ自体はまあ……いや、二人ともあまりにもマジな目で「もう一回」をし続けて、最終的に帰りが遅い妹を心配したビワハヤヒデが迎えに来るまで私でも止められなかったけど、まあ別にこんなの今さらでトラブルじゃない。

 

 ナリタブライアンは私も事前に色々映像を見たりして分析していたのだけど、あれは怪我をした段階からほとんど成長していない。弱いとは言わないけど、クラシック水準の強さで止まっている。

 

 にも関わらずドリームリーグの一線級で活躍できているのは何故か。たぶん……というか間違いなく、彼女は爆発力でその辺を覆している。正確には解らないが、もしかすると、負ける度に強さを増す、みたいなインチキ染みたものの可能性がある。

 

 

 だからこそ、一回目はブルボンが勝てると言った。そして実際に勝った。ブルボンにも少しだけ手加減させたので、本人もどうして勝てるんだ、みたいな顔をしていた。

 

 そして二回目、ブルボンをライバルと認め燃え上がったナリタブライアンに思い切り差し切られた。

 

 で、まあブルボンも熱くなって、ナリタブライアンも勝ったら少し爆発力が弱まって、最終的にはギリギリ勝てそうだけど勝てない、くらいのパワーバランスで落ち着いたのだけど、その二回目のナリタブライアンの差し脚を見て、私はつい感動してしまったのだ。

 

 

「はっや……」と。

 

 

「トレーナーさんなんかブライアンさんのトレーナーになれば良いんです。速いですよーだ」

「ごめんね。スズカが一番よ。本当よ」

「む……嘘ですぅー」

 

 

 他の子に構ってるとか放ったらかしにするくらいは割と許してくれるくらいにはスズカは大人だ。精神年齢は私の方が下なんじゃないかってくらい結構余裕があるし、周りのことをよく見ている。

 

 ただ、これはちょっと良くない。そもそも私達の馴れ初め……じゃなくて、出会いはスズカの速さに私が感動して口説き落としたことから始まっている。割と心から他の子の速さに感動してしまった私を見て、スズカがそこから拗ねに拗ねている。

 

 

「ほら、あーん。美味しいわよ。食べるでしょ?」

「いらないです」

「そうだ、マッサージしてあげようか。気持ちいいわよ」

「や、です」

「もー、許してよスズカー」

 

 

 ぷんすこして私の膝に寝転がるスズカに色々やってみるものの、全然機嫌を直してくれない。私もナリタブライアンを褒めた後すぐに気付いて「でもスズカの方が速いかな」までは言ったのでどん底ではないけど、やる気を無くして、ソファについた私の腕に尻尾を巻き付けている。

 

 ぎゅうぎゅうに絞られるウマ耳を何とか元に戻そうと揉みしだくも、肝心のスズカの機嫌が直らない。尖った唇を指で弾く。噛みつかれそうになったので避けて、鼻を摘まんだり放したり。

 

 

「言葉のあやじゃない。私が一番速いと思ってるのはスズカよ、本当に」

「んんっ……そんな調子の良いことばっかり言って。結局速ければ誰でも良いんですよね」

「そんなことないわ。スズカのあの速さが大好きなのよ」

「んぐぐ」

 

 

 私に頭を撫でられながらも諦めないスズカ。バカめ。ウマ耳が戻ってるからちょっと機嫌が直ったのはお見通しよ。そもそもよく考えれば私が責められてるのおかしいよね。私一応トレーナーだもん。そりゃ物凄い脚を目の前で見せられたら感動もしちゃうって。

 

 ……なんかダメ男みたいだな。女がいたら見るじゃん、みたいな。じゃあやっぱり私が悪いか。

 

 

「今日という今日は騙されませんからね!」

「あっスズカ、どこ行くの」

「ふーんだ」

 

 

 しばらく抱き締めながら撫で回していたが、これでは怒っているアピールができないと気付いたのかはっとなって私から逃れるスズカ。がおー、と威嚇のポーズをとって、そのまま私が買ってきたケーキを持ってトレーナールームから出ていった。

 

 

 ……まあ良いか。今日は私が悪いんだし、最悪勝手に走っても何も言うまい。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「それで出てきちゃったんですか?」

「でも聞いてスペちゃん。これはトレーナーさんが悪くない?」

 

 

 今日はトレーニングがかなり軽めで、どちらかというと秋の天皇賞に向けての調整やミーティングが主でした。私達は一部の方々のような理不尽な才能みたいなものは無いので、しっかり展開や勝ち方を予測しなければなりません。

 

 私達というのは……まあ、世間の皆さんに黄金世代と言われている私達のうち、エルちゃん以外全員です。

 

 いつも言い争いになるんですが、私達はお互いにお互いを才能のあるウマ娘だと考えています。グラスちゃんの差し脚、キングちゃんの距離適性や根性、スカイちゃんの戦略にはあっぱれです。

 

 ですが、私達には共通の越えるべき壁もありますし、レースの話になるたびにお互いに褒めたり謙遜したりももう面倒なので、全員才能が無いということでそれ以上言わないことに決めました。

 

 

 ……ああ、エルちゃんはその話し合いにいなかったので、私達のなかで唯一圧倒的な才能があるウマ娘のままです。この間『才能無いチームVS才能あるエルちゃん』と描いたプリクラを送ったら珍しくキレてました。

 

 

 で、その共通の越えるべき壁というのが、私達のおしゃべりカフェテリアに合流したスズカさんです。言葉で言い表すことすら難しいくらい強く、速いウマ娘。走ることに関してだけは掛け値無しで尊敬できる人です。

 

 

「ねえキング、これって」

「しっ。余計なこと言わないでスカイさん」

 

 

 ただ面倒くさいな、とは思いますが。

 

 

「ケーキ一つで私のご機嫌がとれると思ってるのがいやよね。私が何に怒ってるのか解ってないの」

「食べ物で釣るのは良くないですね」

「でしょう?」

「そうですかね? 結構良いケーキですよこれ。大体のことは許せるかもしれません」

「スペちゃんは食いしん坊だから……」

「そんなことないですよ……?」

 

 

 世間では目の上のたんこぶだの何だの言われてますが、スズカさんは私達にとって大切な存在です。レース以外でも仲良くしてますし、じゃあこの五人とツルちゃん以外に誰を誘うのっていえば大体スズカさんです。私は二人で出掛けたりもしますし、何を参考にしているかは解りませんが生き方が参考になるとかでキングちゃんとも仲良くしています。絶対に参考にしない方が良いと私は何度も言ったんですが、誰にも賛同してもらえませんでした。

 

 ただ、誰とどう遊んでいてもスズカさんが取り乱すことはほとんどありません。走ることとトレーナーさんのこと以外ではむしろとても落ち着いた人です。その二つが絡んだ時が酷いんですけど。

 

 

「私が怒ったら撫でたら良いと思ってるのよ」

「でもスズカ先輩、嬉しそうじゃないですか」

「嬉しいのと許すかは別でしょう?」

「それは……まあ」

 

 

 こうしてぷんすかしてるのも珍しいことです。スズカさんが持ってきたケーキ、これ結構高いやつかもしれません。相当美味しいですね。

 

 

「でも、ご機嫌をとってくれるだけでも愛されてますよ。ね、スカイさん?」

「そうですよー。セイちゃんなんか今日もこうしてサボってるのに追いかけてもらえないんですから」

「それはあなたが女子トイレなんかに逃げるからでしょ? 今から連絡するわよ?」

「にゃはは」

 

 

 私以外は遠慮してケーキを食べないようなので、私が全て食べることにします。最近は体重管理が上手くいってるのでこれくらい許され……いや……い、一応トレーナーさんに確認しておこうかな。うん。

 

 

「じゃあみんなは自分のトレーナーさんが他の誰かに見惚れてても平気ってこと?」

「私は別に……あ、凄い子を見付けたんだなあって」

「セイちゃんも別に気にしませんよ?」

「キングのトレーナーは目移りなんかしませんので!」

「あら……何人が嘘を言ってるんですかね……?」

 

 

 ……グラスちゃんもちょっと気にしてそうだし。私もまあ少しは嫌ですけど、チームというのはそういうものだと思います。自棄で頼んだ特大はちみーに吸い付きつつ、スズカさんはまだ納得行ってない様子。

 

 

「もっとこう……ね? あるじゃない?」

「でも抱き締めて撫でて褒めてもらったんですよね?」

「む……まあ、そうなんだけど」

「あの、白昼堂々そういうことはやめた方が……」

「今さらだよ。スズカさん一緒にお風呂に入って尻尾のケアもしてもらってるし」

「お風呂……? 尻尾!?」

 

 

 トレセンで一番担当との距離が近いチームはエルナトかもしれません。最近はブルボンさんも距離が近くて……と以前スズカさんに言われた気がします。スカーレットさんにはこうなって欲しくないなあ、逆に。

 

 

「もう少し怒って色々買ってもらったら許す、で良いんじゃないですかー? どうせ怒ってないんですし」

「む……でも、別に欲しいものは何もないのよね……あ、でもトイレットペーパーがそろそろ無くなりそうだったかも……あと洗剤……」

「そんな主婦みたいなのじゃなくてですね……」

 

 

 むむむ、と唸り始めるスズカさん。解ってますよ。別にもう怒ってないんですよね。怒っているアピールがしたいだけなんですよね。スズカさんが本気で怒ってるなら……見たことないですけど、たぶんちゃんと話し合いますもんね。

 

 

「はあ……もう、今日は帰ってあげないことにするわ」

「それが普通なんですけどね」

「スカイさん!」

「ありがとうね、話を聞いてもらって」

「いえいえ。楽しかったですよ、色々」

 

 

 あ、終わりそう。ケーキが残ってしまいました。結局トレーナーさんからの返信が無いので食べて良いのか怪しい……たぶんダメかな……? 仕方無いのでもったいないですけどスズカさんに返そうかな。一口分だけ切り分けたやつはたぶんスズカさんに食べさせようとしたのでしょうし。

 

 

「お礼に少し走る? スペちゃん達は次は何に出るんだっけ」

「……ほう」

 

 

 ……友達目に、グラスちゃんのスイッチが入ったのが分かりました。なるほどなるほど。まあ確かに私達も、次走をスズカさんに報告したりしません。いちいち言うのもおかしいもんね。うんうん。そうそう……

 

 

 ……ふう。

 

 

「走りましょうスズカさん。次は私達、同じレースに出るんです」

「へえ、そうなの? じゃあちょうど良いわ。五人でってことは中距離ってことよね」

 

 

 ふー……。

 

 

「天皇賞ですスズカ先輩……」

「……え」

「私達が出るの、天皇賞です……ああもう、みんなそんなに怖い顔しないで……スカイさん? スカイさんからも何か」

「セイちゃんビデオカメラ持ってきますね。ちょっと調子が悪いので走らずに撮影って感じで……」

「分析する気満々じゃない!」

 

 

 お、落ち着け私。こんなのいつものことじゃないですか。そうそう。宝塚も危うく忘れてたくらいだし、こんなことでいちいち色々怒ってたらスズカさんと過ごしてられないというか。

 

 

「良いですね。やりましょう。ちょうど食後の運動がしたかったところです」

「じゃあ私、トレーナーさんに許可とってきます!」

「ああ、もう! 私もやるわよ!」

「やった。じゃあ先に行って待ってるわ」

 

 

 スズカさんは許可取りをしないので、さっさと走っていってしまいました。とりあえずトレーナーさんにメッセージだけ送って、一息つきます。

 

 

「はあ……よし!」

 

 

 気合いを入れ直して、自分で頼んでいたはちみーを飲み干します。

 

 こんなことでは負けていられません。スズカさんに勝つと決めたんですから。それに、どこまで行ってもスズカさんの脅威になれない私達が悪いんです。スズカさんのトレーナーさんは結構してくれそうですけど、スズカさんはよほどでなければそういう意識はしません。

 

 スズカさんに勝てないと、私は胸を張って日本一を名乗れない。私に背中を見せてくれたスズカさんのことをちゃんと追い抜かないと、私は終われない。

 

 

「天皇賞、ジャパンカップ……ううん、天皇賞で勝つ。必ず勝つ」

「……ええ。スズカ先輩にも、スペちゃんにも勝ちます」

「望むところだよ、グラスちゃん。グラスちゃんにも、みんなにも、私が勝つから」

 

 

 体に熱が入ります。次は京都大賞典、それから天皇賞。今の天皇賞はスズカさんの舞台といっても過言じゃない。春に次いで、必ず私が勝つ。

 

 それに、この天皇賞はキングちゃんと戦える最後の機会だ。既にキングちゃんは短い距離への転向を決めています。次からはきっと、ドリームリーグでも、一緒には走れない。

 

 

 スズカさんとも、きっとそうだ。何となく解る。だから、最後に勝って終わる。日本の芝中距離左回りでスズカさんに勝つ。グラスちゃんとの決着もつける。フランスに行ったエルちゃんにも勝つ。

 

 

「行こうグラスちゃん」

「ええ、スペちゃん」




ブルボンVSブライアンはお互い獣の目をしてリベンジを繰り返し、トレーナーがビビり散らかしてるだけなのでカットになりました。

ナリタブライアン
→生徒会では唯一の爆発力タイプ。怪我を契機にほぼ成長が止まっており、カタログスペックは大したことはない。ただし「負けてなお心が折れていない」ことを条件としてルドルフと肩を並べる力を発揮する。勝つと少しずつ弱まる。


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ツン成分が薄すぎるダイワスカーレット

アストンマーチャンが出したかっただけ?それはそう。可愛い。


 

「あ、スカーレットからメッセージ来た」

「珍しいですね、こっちに来ないで伝えてくるのは」

「ね」

 

 

 ある日。スズカとトレーナー室でオセロをしていると、スカーレットからメッセージが届いた。基本的にエルナトの子達は……まあブルボンは事情が事情だから仕方無いとして、スマホでの連絡はあんまりしない。直接会って話せば良いし、よっぽどのことでなければ私が怒らないのを知っているからだ。

 

 私も甘いので大抵のことは二つ返事で許すし。わざわざトレーニングジムの予約をとったのに当日朝に「今日はランニングをすると凶らしいので運命に抗って走ってきます」と言われてもまあ許す。お仕置きはするけど。

 

 

「今日ここで勉強会するって」

「……? 今ですか? 中等部はテストがあるんでしょうか」

「いや、日程は中高一律だったと思うけど」

 

 

 夏休み明けのテストはあったが、もちろんうちは優秀な子ばかりなので何の問題もなかった。ブルボンはいつものほぼ百点、スカーレットはついにブルボンを超え全科目満点を達成、スズカも二人に比べれば劣るけど普通に優等生の範疇だ。

 

 トレセンは変なところで厳しいので、あまりにも成績が悪いとレースに参加できなくなったりもする。時々サクラバクシンオーがブルボン達に連れてこられるのはそのせいね。

 

 

「友達を連れてくるのか。ちょっと片付けましょうか」

「あ、じゃあお菓子を買ってきますね」

「ん? ここにいっぱいあるじゃない」

「お客さんに対してそんなの失礼ですよ。私買ってきますから」

「お菓子買いに行くのにシューズに手を伸ばす人もそうそういないでしょ」

 

 

 やだあ……と喚くスズカをシューズの棚から引き剥がし、ソファに寝かせて片付けを始める。むむむ、と唸っていたけど、少し経つとスズカも勝手に手伝い始めてくれた。

 

 

「良いお菓子屋さん見付けたんですよ。評判が良いらしくて」

「へえ、ちなみにどこにあるの?」

「港区です」

「港区まで走るつもりだったの……?」

「往復でも80kmくらいですよ」

「くらいですよ、じゃなくてね」

 

 

 止めて良かった。せめて府中内なら少しくらい許せたのに。

 

 

 スズカの助けもありあらかた片付けて、とりあえず勉強ができるスペースを確保。とりあえずこれで良いか。

 

 ……と、ノック。流石にスカーレットだろう。扉を開けて招きつつ、先にコップを用意しておく。

 

 

「お疲れ様です、トレーナーさんっ」

「お疲れ、スカーレット」

「ども、こんにちは」

「こんにちはウオッカ」

「お邪魔しますです」

「はーい」

 

 

 やはり聞き慣れた猫なで声。チームでは声が低い……低くはないが媚び成分がゼロになるスカーレットが来た。そして後ろにはウオッカと……誰だ。あんまり見たことないわね。少し小柄で、頭に王冠を乗っけている眼鏡の子がいた。

 

 

「……ふー……ほら、適当に座りなさいよ」

「お、おう……じゃあ失礼します……」

 

 

 スカーレットとウオッカは早速席に着く。ウオッカに教えるってことかな。スカーレットが誰かに教わる成績とは思えないし。ウルトラCでウオッカが希代の天才だったら面白いけど。

 

 で、残りのもう一人は席に座ることなく、じっとこちらを見てくる。スズカ達と違って明確に私より小さいところからちらちらと上目遣いで見つめてきている。

 

 

「えっと……ど、どうしたの?」

「こんにちは。アストンマーチャンです」

「はい……こんにちは。スズカのトレーナーです」

「アストンマーチャンです。復唱してください。アストン?」

「マーチャン……?」

「素晴らしいです。お近づきの印にこちらをあげます。マーチャンブロマイドです」

 

 

 なんか貰った。確かに写っているのはアストンマーチャン……目の前の子だ。結構ちゃんとしてるというか、写真を撮る技術を感じるわね。自分で撮ったのかな。

 

 で、まあ癖としてウマ娘の能力は見るようにしている。同世代かな……能力的には悪くはない。悪くはないが……まあ相手が悪い。なにせ世代の中心はスカーレットとウオッカだ。短距離とマイルが走れるとはいえ、マイルでは勝負になるまい。

 

 

 こんな風に、スカーレットにとって脅威ではないと解ると安心してしまうのは私の悪いところだ。

 

 

「そしてこちらがマーちゃん人形です。お腹を押すと声が出ます。尻尾を捻るとオンオフが切り替えられます」

「技術的ね……」

 

 

 私が知らないだけなのかな。もしかしてこの子、ウマ娘ファンの中では知る人ぞ知る物凄い人気の子だったりするの? どこからか取り出して貰ったぬいぐるみもかなり出来が良さそうだし。もちろん、人気商品であるスズカぬいぐるみよりは劣るけど。

 

 

「キーホルダーもあります。是非お家とご実家とトレーナー室に飾ってください。一族郎党ご贔屓に」

「スカーレット、何この子! 怖いけど!」

「マーチャン、この人の家はスズカ先輩のグッズで溢れてるから渡してもあんまり意味無いわよ」

「そういうことじゃなくて!」

 

 

 スカーレットとウオッカは慣れているのか大して気にしていない。面食らっている間に、アストンマーチャンはスズカにもぬいぐるみを渡していた。スズカもあれでまともな面があるので、ぐいぐい来られると普通に引く。

 

 

「スズカ先輩もオマケをどうぞ。こちらはマーチャン印のシューズです」

「え……聞いたことな……これ、最近話題のマイルシューズじゃない」

「シールを貼りました」

「もったいない……私、抽選当たらなかったのに……」

 

 

 落ち込んだスズカが私のところへ駆け寄ってきた。うあー、と悲鳴をあげて、座る私の膝に乗る。友達の前で何してんのよという視線がスカーレットから送られてくるけど、私は知らないわ。何もしてないでしょ私は。

 

 煽るように肩をすくめると少しだけ目尻をぴくぴくさせて、それでもキレることなくウオッカに向き直る。いつの間にかスカーレットがソファ、ウオッカが床に座らされていた。

 

 

「……はい、じゃあウオッカ、相応のお願いの態度をとってもらおうかしら」

「ぐ……た、頼む、勉強を教えてくれ……!」

「ん?」

「教えて……ください……っ」

「んー? お腹の底から声を出してよ。聞こえないじゃない」

「あああ!!!! お願いしますスカーレット様ァ! 勉強を教えてくださいッ!」

「やればできるじゃない」

 

 

 向こうは向こうで何してんだか。何故か部屋にあったムチで、土下座するウオッカの頭をぺしぺしと叩いているスカーレット。似合うわねこの子。そういうお店かと思っちゃった。八重歯とつり目が良い感じに働いてる。

 

 

「あれは何をしてるんですか……?」

「スカーレットは教室で頼まれると二つ返事ですから」

「ああ……引き受けるのは良いけどその感じで引き受けるのは癪なのね」

「そこ! 余計な想像しない!」

 

 

 アストンマーチャンが二人をガン無視して勉強を始めた。眼鏡、外すんだ。

 

 

「三人の時はキャラ付けで着けてます。カッコいい系、可愛い系、そしてマーちゃんは知的なインテリ美少女です」

「あんまり自分では言わないけどね」

「属性はバラけた方が印象に残りますから」

 

 

 勉強の内容は……簿記? なんで? さっきから本当に、スカーレットは一体どんな友達を作ってるの? 悪いことじゃないけど変わりすぎじゃない? 

 

 

「ふう……まあ良いわ。ほらノート出しなさい。少しはやれるようにしてあげるから」

「お、おう……助かるぜ。ありがとな」

「ふん。お礼なら補習を乗り切ってから聞くわよ。できるまで帰さないから」

 

 

 程無くしてスカーレットも気が済んだようで、向かい合って勉強を始めた。せっかくなので少し見てみる。

 

 スカーレットのノートはやはり優等生といったところで、恐らく完璧に板書をしているだろうな、という感じ。ただ、それとは別に手元で広げたメモみたいなものには色ペンでぎちぎちに補足が詰め込まれている。努力を隠すにも限度があるでしょ。

 

 一方でウオッカは……あーこれはダメね。絶対授業中寝てるわ。授業をろくすっぽ聞いていないスズカでももうちょっと書き込んでるわよ。本当に勉強が苦手なのね。

 

 

「あとでノートは写して提出し直しね。それと本試験の問題は……無いわよね。私が持ってるからまずはこれの復習からやるわよ。難しいことは考えなくても良いから、やり方だけ覚えるわよ」

「お、おう……」

 

 

 仮面優等生と見せかけて、別に素でも普通に優等生なスカーレット。面倒見も良いし、偽っているのは割と口調くらいのものだったりする。今回も、他の人の目があるなかで笑顔で応じるのが嫌だっただけで、わざわざ実質マンツーマンで教えてあげているし。

 

 

「スカーレットはツンデレですから。キャラが立っていて良いですね」

「キャラとか言わない。スカーレットのあれは素でしょ。確かにこてこてだとは思うけど」

「聞こえてるわよ!」

「ふふふ」

 

 

 主に私とアストンマーチャンの会話がスカーレットの茶々になりつつ、でもまあ真面目に勉強をするようなのでしばらく静かにしてあげることに。

 

 聞いている感じ結構ウオッカもバカじゃないというか、勉強が嫌いなだけで頭が悪いわけじゃないんだな、とは思う。私もそうだし、学生なんかみんなこんなもんかな。

 

 

「なあスカーレット。なんでこれsが付いてるんだ? 違う単語か?」

「それは主語が三人称だと付くのよ」

「三人称って何だ?」

「私とあなたが入ってないもの全部よ」

「おお。なるほどな。じゃあこれもsが付くんだな」

「過去形には付かないの」

「そうなのか……」

 

 

 こんなに長い間スカーレットが声を荒げていないのも久しぶりね。私達のせいだけど。何度同じことを聞かれてもちゃんと落ち着いて答えてあげるあたり本当に真面目で優しい子だ。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

 

「ん、じゃあ休憩。あと二割くらいよ、頑張んなさい」

「ぐえ……」

 

 

 それからしばらくして。どうやら一段落ついたようで、スカーレットが冷蔵庫から飲み物を出してきた。せっかくなので私達も貰うことにして、八連敗中のオセロ盤をひっくり返す。

 

 

「結構長いことやってるけど大丈夫? 空調とか……聞くの遅いか」

「や、大丈夫っす。ありがとうございます」

「スカーレットも疲れてない?」

「ん……ま、ちょっとくらいはね。でももうちょっとで終わるから。疲れたなんか言ってられないわよ」

 

 

 さらっと言うなあ。しばらくずっと座ったまんまだったのに。ウオッカなんか疲れきってテーブルに伏せているし、アストンマーチャンも少し前に勉強をやめて横から少し口を挟む立ち位置に落ち着いてたし。

 

 労いを込めて肩を揉んでみる。はあ、とため息をついて目を閉じるスカーレット。

 

 

「ウオッカはどう?」

「ん……まあまあね。バカじゃないんだし、ちゃんと勉強すればこんなことにはならないのよ。ま、私が教えてるんだから当然だけど」

「一言余計だろ」

「うっさい。元はといえばアンタがこのままじゃアルテミスに出られないとか言うからじゃない」

「え?」

 

 

 そんなに追い詰められてるの? 確かにあまりにも悪ければそういうこともあるだろうけど……まあ、中学の初歩から躓いてるとなればトレセンも目をかけるか。ただでさえスカーレットとウオッカは世代でもトップクラスの風格があるし。スカーレットだってエルナトに自分から来なければ、本来私みたいな若くて実績の甘いトレーナーがとれるウマ娘じゃないのだ。

 

 

「いや違……も、もしかしたらって言っただけだろ!」

「少しでも可能性があるだけでダメなのよ! いい、私と阪神で戦うんだから、もし出られないなんてことになったら絶対に許さないんだからね!」

「ぐ……わ、解ってるよ! 絶対に勝つからな!」

「ふふん! まあ出ても勝つのは私だけど!」

 

 

 なんかこう……スカーレットってやっぱり素直なのかも。元々結構解りやすい子だと思ってたけど、ここまで来ると三周くらい回って清々しいわ。

 

 

「心配なんですね、ウオッカさんが」

「は、はあ!? 何を言ってるか解りませんけど!? 誰がこんな奴心配なものですか! ただ、挑んでおいて逃げられるのは嫌というか! 別にこいつを心配してるんじゃなくて! アタシが消化不良になるというか! それだけで!」

「はいはい」

「その目は何だッ!」

 

 

 クッションを投げ付けられた。今のは私じゃなくない? 相槌でしょ相槌。その前に聞いたスズカに怒るべきじゃん。微笑ましいな、とは思ってたけど。

 

 

「勘違いするんじゃないわよ! アタシが一番になるための踏み台よ踏み台! アンタみたいなのを倒さないと霞むじゃない!」

「アンタみたいな?」

「実力のあるウマ娘、かな……」

「ぶっ飛ばしてやるッ!」

 

 

 顔を真っ赤にしたスカーレットがこっちに飛び掛かってきて、しばらく勉強会は中断となった。怒ってるのか照れてるのかはマウントポジションで殴られていた私には解らないけど、スズカもアストンマーチャンも楽しそうだったし、ウオッカは照れていたからそういうことなんだと思う。まる。




重賞ラッシュ、いくか……(戦慄)


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『負けない』ミホノブルボン(京新)

ブルライややシリアスシリーズが始まってしまった。流石に場合によってはスズカ未登場回ができる可能性もある。


 

 京都新聞杯がやって来た。ブルボンにとっては依然無敗チャレンジ中、そして三冠への前哨戦である。

 

 

「ん、よし。問題無いわね」

「はい。心身ともに良好。良い結果をお見せできます」

「頼もしいわね」

 

 

 GⅡなので体操服のブルボン。最近も変わらずかなり厳しくトレーニングをしているけど、それを感じさせないほど状態は良い。

 

 調子は上がり続けている。それは私の目が無くても解る。逆に心配になるくらい素晴らしい。筋肉の張り、肌艶、毛先に至るまで誰が見ても「このウマ娘が負けるわけなくね?」と思うことだろう。それを示すかのように投票券も圧倒的一番人気だ。

 

 

「いい、ブルボン。今日はあくまで前哨戦だけど」

「もちろん理解しています。ここで負けるなら、3000mでライスには勝てない」

「そうよ。心して走りなさい、ブルボン」

 

 

 それに、ただの観客には解らないだろうけど、目付きがダービーまでとは明らかに違う。勝ちを確信してそれを実現するために走るのと、負けを意識してそれを打ち破るために走るのはやはり気持ちの入り方が違う。もちろん、ブルボンはその差がかなり小さい方だとは思うし、これについては私も結構悪いところがあるけど。

 

 

「とはいえ、気負ったところでブルボンがやることは一緒だからね。自分を信じて走りなさい。あなたはずっと世代最強のウマ娘よ」

「……はい」

「大丈夫、信じてるからね」

 

 

 私がブルボンを脅かした。それ以上に、ブルボンは自分の考えをもってライスシャワーに怯えている。怯えているというには闘志が強すぎるので、ライバル視していると言うべきか。

 

 

 ライスシャワーを見ておきたいけど、その頃にはブルボンもパドックにいるはずで何も伝えられない。ちらほらいた他の出走ウマ娘については問題なくブルボンの方が強いことを確認した。ダービーは世代最強の証、何を間違えてもブルボンが負けることはない。

 

 

「ライスシャワーのことはレース中は忘れなさい。自分が一番と思って走ること。できるわブルボン。あんなに頑張ったんだもの」

「はい」

「よし。行っておいで。明日の一面はブルボンで決まりよ。三冠確実って書かせてやりましょう」

「はい。ご命令通りに、マスター」

 

 

 不思議なくらいブルボンの言葉尻はしっかりしていて、冷静で強い意志を感じる。いくら気負ってもそのエネルギーをすべて正確さに回せるからブルボンは強い。最後に見送りでぎゅっと抱き締めて、いつも通りの速さの鼓動を感じてから、私はブルボンの背中を押した。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 子細省略。記録者、ミホノブルボン。本日、京都新聞杯。

 

 マスターとの会話、接触による心拍数の安定を確認。控え室よりパドックへ向かいます。マスターの言葉を、何度も繰り返して再生します。

 

 

『自分を信じて走りなさい』

『あなたはずっと世代最強のウマ娘よ』

 

 

「世代、最強」

 

 

 マスターの表情、声色から嘘は感じ取れませんでした。世代と言うからには、そこには当然にライスシャワーも含まれるべきです。

 

 マスターの特別な能力について、スズカさんと話したことがあります。あまりにも能力値や体力への理解度が高過ぎると。スズカさんは言いました。そうだと思うけど、隠しているみたいだから言及はしないで欲しい、と。

 

 

「……私が、最強のウマ娘?」

 

 

 マスターが言うのですから、私が最強であることに疑いはありません。スズカさんが最速であることも、間違いなく。

 

 しかし、そのスズカさんや私をもってしてなお怯える、爆発力と呼ぶ力の存在。特定条件で実力以上の力を発揮する力。それを、私のライバルたるライスシャワーが保有しているといいます。

 

 

「……ライス」

 

 

 パドックへの道のりの途中、私の前をライスが歩いているのを発見しました。私との対話の影響か、それとも別の要因でしょうか、ライスの菊花賞へのモチベーションは非常に高い水準のようです。

 

 

「……ライス?」

 

 

 しかし、その前哨戦であるこのレースにおいて、前を歩く彼女の姿には、時々感じる脚が止まるような威圧感がありません。どこか震え、ふらついています。私は彼女に駆け寄り、その肩を叩きました。

 

 

「ライス、大丈夫ですか」

「……ブルボンさん……」

「体調が、優れませんか」

 

 

 ライスにとっての優先順位を、私は決める立場にありません。ですが、もしライスの体に異変があるのなら、このレースを捨ててでも菊花賞を走って欲しいと感じます。小さく感じられる彼女の体を支えて、壁際に引きずり込みます。

 

 掴んだ腕、俯く頬、体操服から出た二の脚、すべてライスの本来の身体からすれば著しく仕上がりに欠けています。調整失敗か、そもそも、このレースに向けて調整をするつもりが無いかのように、痩けています。

 

 

「怪我ですか、病気ですか、体調不良ですか」

「……ううん……大丈夫……ライスは大丈夫だよ……」

「そうは見えません」

「どこも辛くないし、痛くない……ただちょっと、疲れちゃってるだけ……」

 

 

 はあ、とライスが息を吐きます。少し肌寒いからでしょうか、吐息が白く見えた、気がしました。

 

 そして、彼女はこちらを見上げます。私に壁に押し付けられる格好で、顔で二割、目線で八割私の方を向いた、ライスシャワーの目……が。

 

 

「ライスは大丈夫……菊花賞には間に合わせるから……ブルボンさんと良い勝負ができるように、頑張るから」

 

 

 そこに、冷徹で強い意志を見ました。がれた身体と消え入りそうな声からは想像もつかないほどの確固たる決意に、背筋が凍ります。

 

 

「約束だもん……ライス、必ずブルボンさんに並べるように強くなるから……菊花賞は、ライスが勝ってみせるから……だからごめんね、今日はライス、ブルボンさんには勝てないかもしれない……」

「な……ん……」

「でも走るよ。絶対に走る。今日もブルボンさんを追いかけるから」

 

 

 言葉が出てきません。その雰囲気と細腕に押され、ライスは私の腕を抜けていきました。マスターに、彼女の怪我について今からでも問うべきでしょうか。しかし、それは……それは? 

 

 問うべきです。菊花賞で共に走るためにも、ここでライスに怪我をされては困ります。止めるべきです、が。

 

 

「……ライス」

 

 

 ライスシャワーも、同じ思考に至ったのかもしれません。私も、故障を覚悟で夏を過ごしました。すべてのエネルギーをトレーニング関連に注ぎました。それは、すべてを懸けてでも菊花賞に勝つためです。

 

 彼女もそれを承知で、決着を菊花賞に決めた。ならば……私も、ライスを止めてはならないのかもしれません。もし逆の立場であれば。私が挑戦者で、ライスシャワーが王者だったならば、きっと私は同じことをするからです。

 

 

「そうですか」

 

 

 体内から、謎のエネルギーの増大を感知。障壁は無くなりました。ライスをおいて私は負けない。マスターがそう言ったからです。油断や慢心ではなく、私はそれを事実として走る義務があります。

 

 マスターは私に可能な限りの強化を施す。私はマスターを疑うことなく、その命に忠実に従う。私が諦めない限り強化は行われます。それが契約であり、私はマスターを信じていたい。

 

 

「良い勝負をしましょう、ライス」

 

 

 そして、負けられない理由が新しくできました。菊花賞で、無敗でライスを待ち受ける。息をついて、歩き出します。ふらつくライスを追い抜いて、私はターフへ出ていきました。

 

 

 

 

 そして、私は京都新聞杯を勝利し。

 

 ライスシャワーは、六着に沈みました。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「明日はどうしようか。お祝いだし何でも言って?」

「みんなで走りませんか?」

「私はブルボンに言ったんだけど」

「私もブルボンさんに言ったんです」

 

 

 その夜。無事に京都新聞杯を勝ったブルボンは、そんなことをしている場合ではありません、と泊まって観光して帰るプランを拒否した。

 

 別に私はどっちでも良いし、スズカもスカーレットも文句は言わない。新幹線に揺られながら、駅弁の箱を積み上げるブルボン。うとうとしているスカーレット、私に凭れてウマッターをやっているスズカ。

 

 

「走りましょう」

「本当ですか? 流石です。解ってるわね。走った後は走るのが一番よ。そうよね」

「いえ、そうではありません」

 

 

 スズカに反抗するのがマイブームになってきたイヤイヤ期のブルボンがバッサリいった。はぇ……と私に倒れてくるスズカを撫でる。

 

 

「冗談なのに……」

「本気にしか聞こえないのよ」

「むむ……じゃあ本気で走ります」

「……考えておくわね」

 

 

 奇跡的に我慢が続いているし、そろそろ走らせても良いかもね。天皇賞ももうすぐだし、それに向けて長期禁止に入るわけだし。

 

 

「で、ブルボンはトレーニングよね」

「はい。休まず続行しましょう」

「もちろん私は良いけど」

 

 

 やはり菊花賞でのライスシャワーを警戒し続けている。今日の彼女は明らかに調整不足ではあった。これは私の目で見えるとかどうとかってレベルではない。トレーナーどころか一般人から見ても、明らかに体重が落ちすぎていた。

 

 ダービーの彼女は素晴らしかった。自己プロデュース力があるのだろう。もし彼女に専属トレーナーがいても、きっと身体を鍛えるよりメンタルケアが主になるはずだ。

 

 

「ライスシャワーと話したの?」

「はい。良い勝負をすると約束しました」

「約束したの」

「黙示ですが」

 

 

 黙示での約束って何だろう。目と目で語ったとかかな。ウマ娘は時々以心伝心するから解らない。運命的な繋がりとかもかなり多くが実感するらしいし、三女神様のお告げを聞いたとかも。オカルトの塊だ。

 

 

「ライスは必ず私に並び、私に勝つと言いました。彼女の実力なら、本日のレースもあのような結果にはならなかったはずです」

「それは……そうね、そうかも」

 

 

 常日頃ブルボンの方が強いと言ってはいるが、結局ライスシャワーにしろマチカネタンホイザにしろ別に弱いわけじゃない。飛び抜けているとは言わないが、そう簡単に着外にはならない。

 

 特にライスシャワーは長距離の方が得意でダービー二着まで来ている。今回の結果は流石に実力ではないと言わざるを得ない。

 

 

「菊花賞ではライスは必ず来ます。私はそれを倒さなければなりません」

「必ず来るの?」

「来ます。確信しました」

 

 

 いつにもまして強く断言するブルボン。まっすぐこちらを見つめる目には、変わらず決意が漲っている。日に日に闘志が果てしないことになっているような気がする。

 

 

「おべんと付いてるわよ」

「む」

 

 

 口元のご飯粒を掬いとって食べさせる。尖った雰囲気が霧散した。この切り替えができるうちは大丈夫ね。戻ってこられなくなったらまたやり方を考えないといけないけど、まあ今のところは。

 

 

「トレーナーさん、窓際、窓際に行っても良いですか」

「ダメ。走りたくなるでしょ」

「そんな……」

 

 

 戻ってこられなくなった前例もあるし。責任取らなきゃいけないから、こういうのは増えたら困るものね。



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後輩を回るサイレンススズカⅠ

せっかくなので同時投稿です。デートと見せかけてあんまりデートじゃないやつ。


 

「あ、スズカー。こっちこっちー」

「あ……お疲れさまです、トレーナーさん」

 

 

 ある日。今日明日は聖蹄祭である。ファン感謝祭の一つだけど、こっちはクラスやチーム、果ては個人での出し物がメインになる。たとえばブルボンならお化け屋敷、スカーレット達は飲食店。

 

 スズカ達も仮装喫茶を開いているらしく、ちょっとした会議が終わって合流したスズカはトレセンの制服ではなく綺麗なエプロンドレスを来ていた。勝負服カラーのウエイトレス姿がとてもよく似合っている。

 

 

「可愛いじゃない、衣装」

「ありがとうございます。みんなが張り切っちゃって」

「そりゃあねえ」

 

 

 聞くところによると、スズカはキッチンや裏方を完全に免除されているらしい。人気やら諸々を考えた結果というなら名采配と言わざるを得ない。こんなに可愛いんだから前に出さない方が終わってる。

 

 ……とはいえウマ娘はみんな顔が良いから顔面偏差値はほとんど変わりないと思うけど。私がスズカを特別視してるだけで。教え子だからね。

 

 

「イヤーキャップは自前なんだ」

「本当は取った方が良いらしいんですけど……やっぱり恥ずかしいので」

 

 

 で、そんな人気者のスズカだけど、なんと普通に抜け出すことができた。私と回ると言ったら快諾されたらしい。普段どういう扱いをされてるの、あなたは。

 

 しかしラッキーなことは間違いないので、こうして適当に見て回ることにしている。少なくともブルボンとスカーレットのところは顔を出したいからね。

 

 

「まずはブルボンさんのところですか?」

「だね。他にスズカが行きたいところがあれば行くけど」

「うーん……スペちゃんのところは何かのクイズをやってるらしくて行っても……エアグルーヴは生徒会だし……フクキタルは占いをやってるけど、別に行っても……」

「フクキタルだけ雑じゃない?」

「お客さんが少ないなら顔を出しても良いんですけど、なんでか結構いるんですよね」

 

 

 適当に歩き回りつつ、とりあえず方向だけブルボン達の方に向けておく。かなり人が多いけど、まあギリギリ不快じゃないくらい。やっぱり一般客も多いなあ。土曜日なのに。

 

 そのまま話しながら進むと、ブルボン達の教室が見えてきた。だいぶ改造されてお化け屋敷らしく一角が暗くなっている。めちゃくちゃ頑張ってるわね。子供なら泣くんじゃない。凄い悲鳴も聞こえる。音声素材よね? マジの利用者の声じゃないわよね? 

 

 

「わあ怖そう」

「そんな怖くなさそうな声ある?」

「……まあ、実は別に」

「でしょ」

 

 

 私も平気だし、スズカも全然大丈夫。ホラー映画もグロテスクを含めて全然見られるタイプだ。今さらスズカがお化け屋敷くらいできゃあきゃあ言ってても引く。普段人気のない暗い夜道だろうと墓地のそばだろうとお構い無しなんだから。

 

 

「でもブルボンさん達が頑張ってるんですから、もしかしたらってこともあるじゃないですか」

「もうその言い方が怖くない人の言い方なのよね」

「じゃあ怖くないです。トレーナーさんがきゃあきゃあしてください。怖くて私に抱きついても良いですよ」

「それが、私も全然怖くないのよね」

 

 

 ただ、ブルボンという存在がいるなかで作るお化け屋敷には物凄く興味がある。かなり中心に近い位置にいると聞いているし。

 

 

「あ、い、いらっしゃいませ!」

「あらライスシャワー。受付?」

「は、はい! えっと、これとこれと……あ、えっと、一回に二人までしか入れません!」

「二人しかいないから大丈夫よ」

「あっ、あっ……あの……や、やっちゃった……!」

 

 

 この子を受付に置くのは人選ミスでしょ、と同時に、こんな子がレースになればあの恐ろしい雰囲気を纏って来るんだからウマ娘は解らない。京都新聞杯も負けたとはいえ、身体は全然なのに気合いと圧力だけは半端じゃなかったのよね。

 

 

「ライス、今戻りまし……マスター、スズカさん」

「お疲れブルボン。ブルボンは何の担当なの?」

「受付です。この時間、ライスと二人で」

「ああ、えっと……うん? 二人も必要なの?」

「はい。私だけだと不安ということで皆さんが選んでくれました」

「違うんです、ライスだけじゃできないかもだからブルボンさんが来てくれて……!」

 

 

 どっちなんだろう。いや、どっちが受付に向いてるか……いやどっちもどっちよねたぶん。事務的なことであればブルボンの方が向いてるのかな……でも時々エラー起こすからなあこのポンコツロボットは。

 

 

「まあ、話はまた今度聞くからさ。とりあえず……それを貰えば良い?」

「はい。ペンライトとイヤホンです。こちらウマ娘用、こちらが人間用です。道中指示がありますので、それまでには着用をお願いします」

「お、音はこれに入ってます!」

「本格的ね……」

「カバー外さないと……」

 

 

 学生のお化け屋敷なの、これが……? 予算とかどうなってるの……?

 

 

「ではライス、どうぞ」

「し、知ってる人の前は無理だよぉ……っ、ブルボンさんがやって……」

「構いませんが、ライスの方が上手ですから。マスターにより良いものを提供してください」

 

 

 仲良いなあと眺めているうち話が纏まったのか、ライスシャワーが咳払いをして、おどろおどろしく私達を見上げた。

 

 

「『昔々。あるところに──』」

 

 

 お化け屋敷の前のエピソード語り……ライスシャワー、めちゃくちゃ上手かった。その表現力で怪談やった方が良いんじゃないのってくらい。終わった瞬間茹で蛸みたいになっていたけど、演じている最中はスイッチ入ってたし。

 

 

 

 ……ああ、まあお化け屋敷そのものは大したことなかったけど。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「お、いらっしゃい! 適当に座れよ!」

 

 

 続いてスカーレットのクラス。最初に会うのが知ってる子ばかりなのは普通に幸運だ。ぴっとした燕尾服に身を包んだウオッカが声をかけてくれた。

 

 

「こんにちはウオッカ。そこで大丈夫?」

「おう。ちょうど良かったぜ。さっきまでめちゃくちゃ混んでてよ」

「それは良かった」

 

 

 普段と違う口調のウオッカだけど、たぶんこれが素かな。普段の敬語は割と雑というか、取り繕ってる感が消せてないから。スズカやブルボン、スカーレットの淀みない敬語を聞いてるととても不自然に感じる。

 

 だけどまあ男勝りというか……でも不愉快じゃないのよね、まったく。ただのタメ語はともかくオラついた感じのは得意じゃないんだけど……なんでかな。顔が良いからかな。

 

 

「普通に話すのね、ウオッカさん」

 

 

 席について注文をとると、暇なのかウオッカが戻ってきた。お客さん、少ないけど……口ぶりからしてさっきまでは本当に座れるかどうかも怪しかったんだろう。

 

 お冷やを飲みながらスズカが話しかけると、ウオッカはバツが悪そうに頭を掻いた。

 

 

「スカーレットに言われてて……嫌だったらすんません」

「ううん、良いのよ。私もエアグルーヴに敬語なんか使わないし」

 

 

 スカーレットに言われた、とは。聞いてみると、辺りを見回した後に姿勢を低くして声をひそめる。

 

 

「店をやる時にスカーレットを副長にしちまったんですよ。そしたらアイツ張り切っちゃって。やるなら学園で売上も一番! って言い出して」

「スカーレットがそう言ってるのが目に浮かぶわ」

「そしたらマーチャンが利益も出しましょうって乗ったもんだから、クラス中がガチなんすよ」

 

 

 利益を追求する文化祭なんかあって良いんだろうか。

 

 

「ウオッカの口調はなんで?」

「あー……よくわかんねえっすけど、素でいた方が人気が出るってスカーレットが言うもんで。別に変わらないと思うんですけどね」

「一般の方は素の方が良いんじゃない? 確かに人気は出るかも」

「だと良いんすけどね」

 

 

 しばらくウオッカと話していると、キッチンがあるであろう裏からスカーレットが声をあげた。

 

 

「できました、ウオッカ、持っていってー」

「おー。じゃあ持ってくるから待っててくれな」

 

 

 にっと笑ってウオッカが配膳をしてくれる。これは……ウマ娘の顔に耐性がないとやられちゃう可能性があるわね。厄介客とか招きそうだけど……まあ輩ってのは自分が危なくなる相手には手を出さないものだ。物理的にもトレセン的にも、ウマ娘に手を出したら自分が死ぬ。

 

 パンケーキとジュースが来た。ウオッカがサービスでシロップをかけてくれたので美味しく頂く。なんやかんや出来立てなので美味しい。学生の飲食店ってやって良いの、こういうの。普通に私もやりたかったわ。写真展示とかじゃなくてこういうキラキラしたやつ。

 

 

「スカーレットさんにも一言声をかけようと思ったんだけど、忙しそうね、それじゃ」

「そうかもですね。仕入れとかはマーチャンが全部やって、裏はスカーレットが回してるから。おかげでこっちは休みが多くて助かってますよ」

「スカーレットさんがそれで良いなら良いのだけど……」

 

 

 スズカが秒で食べ終わり、私を待ちながらスズカが話してくれている。スカーレットのことだから、それを負担と思ってもいないんだろう。ウオッカはこう言っているけど、他の子もスカーレットに押し付けられてラッキー、とはなっていないはずだ。ウマ娘だからね。

 

 

「あ、でもそういや、エルナトの人が来たら教えてって言われたんだった。ちょっと良いすか、スズカ先輩。他の対応もしないとだし」

「もちろん。頑張ってね」

「あざっす。ゆっくりしていってくれよな」

 

 

 丁寧に頭を下げ……ようとして、普通に敬語で話してることを思い出したのか、それともただ格好をつけているだけなのか、ぴっと指を振って立ち去った。かっけえ。

 

 

「……今のはかっこよくなかったっすか?」

 

 

 台無しだよ。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「お疲れトレーナー。よく来てくれたわ」

「うん……そりゃ来るけど」

「じゃ、宣伝してくれるわよね?」

「ぐいぐい来るなあ」

 

 

 良い感じに人目を抜けた場所で、スカーレットに壁ドンされている。手じゃなくて肘。顔ちっか。そんでぎゃんかわ。

 

 

「スズカ先輩のアカウントでちょちょいっとツーショあげてくれたら良いから。ね?」

「全力過ぎない? これ学生の文化祭……」

「良いから」

 

 

 ハートマークでも付きそうな勢いで有無を言わせないスカーレット。ヤバい、この子あまりにも本気すぎる。なんとしても客を回すという意志を感じる。

 

 

「本番は日曜日よ。もちろん中身も充実させるけど、宣伝も必要不可欠よね?」

「あ、あんまりそういう客の引き方は感心しないというか……」

「お店の宣伝に店員が写ることの何が問題なのよ? 大丈夫、そういうサービスがあるわけじゃないから。写真だって小さい子や学生としか撮ってないし」

「そういうサービスって言わないで?」

「そもそもトレセン内で変な奴なんか動けないわよ」

 

 

 それはそう。日本一のアスリート兼アイドルが一堂に会しているのだから、基本対策はトレセン側が色々やってるし、すぐに警備員も飛んでくる。

 

 

「じゃあ写真……え、スズカじゃなくて?」

「どっちが良いか考えたんだけど……スズカ先輩がいるって勘違いさせたらケチがつくかなって。その点トレーナーなら服的にも間違いないし、アンタ顔が良いんだからバッチリよ」

「そういう話かな……?」

 

 

 でもスカーレットが是非と言うので写真は撮った。ほっぺたくっつけて二人の手でハート作った。マージで恥ずかしかったので二度とやらねえ。




いつも感想ありがとうございます。今回二話同時ですので、感想を書いていただける際は個別でも纏めてでも歓迎しております。


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後輩を回るサイレンススズカⅡ

かわいそうはかわいい。クソガキ黄金世代&被害者トレーナーが書きたかった。


 

「あ、おーい。こっちでーす」

「あ、いた」

 

 

 スカーレットとのきゃぴきゃぴ自撮りを乗り切った直後、スズカのスマホに連絡が来た。セイウンスカイから。

 

 

「いやー、すみません急に呼び出しちゃって。お時間大丈夫です?」

「ええ。あと……一時間くらいなら」

「ああもう、全然大丈夫です、三十分くらいでお二人なら終わると思うんでー」

 

 

 スズカと黄金世代はかなり仲が良い。あの五人と……あとなんか一人いたと思うんだけど、そことプラススズカで絡んでることも多いらしい。私は見たことないけど。

 

 なので、セイウンスカイの呼び掛けにもスズカは行ってみましょうか、と悪い気はしていないようだった。頼られるのは先輩としても嬉しいみたい。

 

 

「何をすれば良いの? 助けてほしいって……」

「や、教室についてから。ああ、騙してお客さんとして連れ込もうってんじゃないですよ? うちの出店、もう終わってるんで」

「もう終わってるの?」

「クイズして色々配ってたんですけど、在庫無くなっちゃって。基本お客さんが絶対に勝てるやつなんですよ。あんまり拮抗するとキングやグラスちゃんがすぐに熱くなっちゃうんで」

「難儀な子達ね……」

 

 

 連れられてセイウンスカイ達の出店に向かう。ドアに、本日終了の注意書きが貼られていた。まだ数時間残ってるけど……凄い人気ね、この子達も。

 

 

「実質スペちゃんやグラスちゃん、キングの出店ですからねー。他はみんな裏方って感じで」

「あなたもでしょ?」

「セイちゃんにファンなんかちょっとしかいませんよー。大事にしないとですよねー」

 

 

 じゃあここで待っててもらって、と言われ、ドアの前で待つ。セイウンスカイだけががらりとドアを開け、半身入室した。片付けとかをスズカに頼むのは流石にやらないだろうし、何だろう。基本スズカにできることって少ない……いや、真面目な子だから言えば大体のことは──

 

 

「甘いねキング! まだ私のメインフェイズは終了してないよ!」

 

 

 !? 

 

 

「なっ……スカイさん、まさか決心がついたの!? 絶対に逃げたと思っていたのに!」

「ふっふっふっ……私のトレーナーさんは忙しいからね! 代わりを連れてきたよ!」

「それはあなたが照れてるだけなんじゃ」

「私は手札から、サイレンススズカ先輩とそのトレーナーさんを召喚!!」

 

 

 あ、なんか召喚されたな。出ていけば良いかな。

 

 

「しょ、しょうかーん」

「こんにちはー……」

 

 

 セイウンスカイの後ろから顔を出す。教室のなかはウマ娘でいっぱいで、教壇に設置されたステージみたいなところにキングヘイローが座っていた。豪華な椅子で、王冠を被っている。

 

 

「限定パフェ無料券四枚をリリースして効果発動! 私の代わりに二人にチャレンジしてもらうよ! お願いします、先輩方!」

「プライドとか無いの?」

「このままキングに負けるよりマシですから!」

「そっかあ」

 

 

 黒板の端っこに、賞品→『学食の限定パフェ無料券五枚』と書いてある。五枚中四枚捧げて良いんだ。ノリノリで頭を下げるセイウンスカイ。まあ楽しそうだしスズカも嫌な顔をせずに入っていったので私もついていく。

 

 どうぞどうぞここに、とセイウンスカイに促されて、回答席らしき場所に座らされる。私とスズカの間に仕切りがあって見えない。私の手元にはホワイトボードとペン。あ、ちゃんとクイズしてるわね。

 

 

「ちょっと待って! 反則! 禁止カード! その二人は卑怯よ! 勝てるわけないじゃない!」

「どう、審判のグラスちゃん!」

「んー……まあ、明言はしていませんが、一応クラスの催しですし……ちょっとズルいかも……」

「……そう、そうなんだグラスちゃん。私、がっかりだよ。グラスちゃんは認めてくれると思ってたのに……」

「……なんですって?」

 

 

 反則と言いたいのか、赤いカードを掲げようとするグラスワンダー。競技者じゃなくて審判なんだ。まあ公正にやりそうだし良いかもね。

 

 でもあれよ、笑ってる。俯いてるけどセイウンスカイ、笑ってるって。寸劇始まってるって。

 

 

「グラスちゃんもキングも、気高い戦士だと思ってた……いつも何かに挑んで、限界を越えていく……みんな、そんなウマ娘だと思っていたのに……」

「スカイさん、何を……」

「逃げるんだ! 勝てなさそうだからって、スズカ先輩と戦わずして! 反則扱いして勝ちを拾うんだね! あーあ、がっかりだよ!」

「……ちょっと、誰が逃げるですって?」

「……私がスズカ先輩から逃げる……? セイちゃん、今なら許しますよ」

 

 

 いや、審判ならグラスワンダーは勝つも負けるも無いでしょ。

 

 

「逃げないと言うのなら、上げる札が違うよねえ、グラスちゃん! さあキング! キングとして挑戦を受けるのか受けないのか、はっきり言葉にしてよ!」

「ぐっ……こ、この、このキングが……! 一流のウマ娘たるこの私が……っ!」

 

 

 何を見せられてるの、今? 

 

 

「受けて立とうじゃない! キングはいつ誰からの挑戦でも受けるわ!」

「……召喚を認めます。ではバトルフェイズ」

 

 

 勝手に移行するな。

 

 

「そういうことなんでお願いします。お二人ならたぶん勝てるんで」

「え、でもクイズはゲスト有利だって」

「ああ、これは私達が個人的に遊んでる別のやつです。トレセンからのご褒美争奪戦なんですよ。午前で一番お客さんを集めたので」

「それに私達が出るの……?」

「良いって言ってるんで」

 

 

 じゃあお願いしまーす、とセイウンスカイはグラスワンダーの隣に座った。机の上の看板は『実況』。というかグラスワンダーは『解説』なんだ。解説兼審判って。

 

 

「さあ、では始まりました、『ドキッ♡絆を試そう! 以心伝心これな~んだ!』、セイウンスカイのターンです。実況はセイちゃんがやりまーす。あ、うん、じゃあ質問よろしく~」

「何度聞いてもふざけた名前ですね。解説のグラスワンダーです」

 

 

 飛ばしてきてるわね。私もスズカもよく解らずここに座ってるけど。スズカが見えないのが不安で仕方がない。こんなところで実質一人にされたようなものなんだけど。

 

 混乱している間に知らないウマ娘が箱を漁って、何枚か紙を取り出した。

 

 

「ではお二人のためにルール説明をしますね。今から十問質問をしますので、答えてください。二人の答えが揃ったら一点です」

「ちなみに現在のトップは見ての通り、キングちゃんとそのトレーナーさんの八点です。つまり間違えて良いのは一問まで。これは厳しいですね」

「ちなみに最低点はいくつだっけ、グラスちゃん?」

「……最低点は私とトレーナーさんの一点です。でもあれは問題が」

「言い訳するんだ?」

「そもそも自分のトレーナーさんが恥ずかしくて呼べなかった人に言われたくありません」

「ち、違うし……本当に忙しかったんですよ……」

 

 

 そこでバチバチしないで? 

 

 

「では気を取り直して第一問。はい。『ウマ娘の趣味は?』だね。お書きください。まあこれは序の口って感じかな、グラスちゃん」

「ですね。長い時間を過ごしているわけですから、これくらいは知っておいてほしいです。特に少人数チームですからね」

 

 

 スズカの趣味ね。これは簡単。それ以外を書くわけがない。というかうちの子達が解りやすすぎる。問題が出た瞬間黄金世代達が「あーはいはい」みたいな顔になってるし、キングヘイローははっとなって抗議の手を上げている。

 

 

「じゃあ仕切りを外しながら、回答を、良い感じにお互いにも見えるようにお願いしまーす」

「では、オープーン」

 

 

 私、『走ること』。スズカ、『走ること』。

 

 

「出来レースじゃないの!」

「これは一致ですね。お見事」

「一問目クリアー。いやー、まあスズカ先輩の趣味といったらって感じはあるよね」

「ですね。有名です」

 

 

 案外簡単ね。ハードルを上げるだけ上げた段階で無理めな問題が出たらどうしようかと思った。やるならやるで、私がスズカのことを理解できていないなんて思われたくないし。全力で勝ちに行く。二問目、三問目と順調にクリア。五問目正解で観客が沸き始めた。

 

 

「いやー、これは凄いね。実際グラスちゃんは知ってる? トレーナーさんの身長とか」

「……明日聞いておきます」

「私は知ってるけどね」

「え」

「にゃはは。はーい次、六問目ー」

 

 

 実況解説というか雑談してるのよね、あそこ。まあスズカには話を振ってるみたいだから良いか。私に振っても仕方無いしね。主役は黄金世代、ゲストも私というよりスズカだろうし。私はスズカに合わせる役に徹しよう。

 

 

「『ウマ娘の好きな食べ物は?』とのことで。これもサービス問題かもしれないね、グラスちゃん」

「ですね。トレーナーさんがご飯を作ることも結構ありますから」

「あー。ちなみにグラスちゃんは何が好き?」

「肉じゃがですかね」

「わー家庭的」

 

 

 スズカの好きな食べ物って何だろうな。一応私が作るときは……うーん、大体なんでも美味しいって言ってるな。好きなもの食べて良いよって言うと『トレーナーさんのご飯』って言うし。それで言うと私のご飯って書くのが正解か? いやそんな恥ずかしいこと言える? 外したときヤバいでしょ。

 

 ……まあいちご大福かな。流石のスズカだってそこは恥ずかしいという気持ちがあってほしい。というか私が書けない。

 

 

「では、オープン!」

 

 

 私、『いちご大福』。スズカ、『トレーナーさんのご飯』。

 

 

「ちょっとぉ!」

「え、トレーナーさん? なんでですか?」

「書けるわけないでしょそんな答え! 今死にそうよ私!」

 

「あーっと外してしまいました。これは痛いねえグラスちゃん」

「ですね。一問しか間違えられないので、もう少し難しい問題のために残しておくべきだったかもしれません……というか凄いですね。私書けませんあんなこと」

 

 

 顔あっつ。嘘でしょ。ちょっと待って。普通にしてられないんだけど。私だけ仮面とか被っても良い? 恥ずかしすぎるこんなの。

 

 ちゃんと私に合わせてくださいね、と人差し指をぴっとするスズカ。いや解るよ。趣旨というか、メインはスズカだから、スズカは素で私が合わせるのは理解できる。

 

 ……でもこの答えで自分のご飯って書けるトレーナーなんて本当にいるの? 

 

 

「好きなんですか? スズカさん」

「え? ええ、そうね……好きですね。たくさん食べてますから」

「どの料理が好きとかあります?」

「うーん……ポトフとか……?」

「それを書く問題じゃないんですか? というのはおいといて、第七問! ここからは間違えられないからね。ではもんだーい」

 

 

 ばっと問題係のウマ娘が紙を広げる。

 

 

「『トレーナーがお風呂で最初に洗うのは?』だね。あー引いちゃった。外れだよこれは」

「知ってるわけないですからね。というか答えたら問題ですよこんなの。入れたの誰ですか」

 

 

 ええ……何この問題。私が暴露するだけじゃない。同性しかいないからって何言っても良いって話じゃないのよ。めちゃくちゃじゃない。無回答とか……いやあ冷めるかな……でもこれは問題が……いや待てよ。

 

 これってスズカの回答を当てれば勝ちなんだよね……じゃあ別に私のプライベートを告白する必要ないわね。答えはこれだ。

 

 

「はい、じゃあ無回答だと思うけどおーぷーん」

 

 

 私、『スズカの髪』。スズカ、『私の髪』。

 

 

「よしっ」

「こ……れは正解ですね……」

「やっぱりおかしいでしょこの問題! 一緒に入ったことないと答えられないじゃない!」

「じゃあ一緒に入ったら良いんじゃない?」

「できるわけないでしょこのおバカ!」

 

 

 あっぶない。何とかなった。嘘はついていないし正解しているのでセーフ。事実スズカと一緒に入るときは必ずスズカから洗うことにしてるし。風邪でもひかれたら困るのと、尻尾のケアにどうせ時間をかけるからね。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「全然予定が合いませんでした……あれ?」

「あ、スペちゃん。やっほー」

「誰も見つけてこられなかったですか?」

 

 

 今日と明日は聖蹄祭です。私達のクラスは、凄く恥ずかしいですけど、『黄金世代に挑もう!』ということで、ちょっとしたクイズとかゲームとかを、私達四人と、エルちゃんの代わりにツルちゃんを入れてやることになりました。

 

 ツルちゃんもギリギリまで自分では格落ちする! と叫んでましたけど、頑張りやさんで応援したくなるツルちゃんにはかなりファンがたくさんいました。

 

 

 ただ、私達の人気だけで何とかしようという出店で、私達も「たくさん人が来るよ!」とは言えず……お昼頃には景品が無くなってしまったので一時的に閉じることにしていました。

 

 

 暇になってしまったのですが再開に備えて遊びに行くわけにもいかず、どうしようか悩んだ末この間黄金世代にと貰ったパフェ無料券の分配を賭けて勝負をすることになりました。勝った人が全部持っていく感じで。

 

 

「え!? スズカさん!? 誰ですか、スズカさんを連れてきたの!」

「セイちゃんでーす。勝ち確ぅ」

「卑怯! 卑怯です! スズカさんは勝負が決まっちゃうから呼ばないようにしたのに!」

「なはは。勝てば良かろうなのだー」

「セイちゃんはトレーナーさんを呼ぶのが恥ずかしいだけじゃん!」

「やめてよ……」

 

 

 本当は本人か、もしくは同世代の友達とそのトレーナーさんを連れてきて答えさせようって話だったんですが、あいにく私のトレーナーさんはおじいちゃん……おじさん……ご年配のベテランなのでこういうふざけ方はしてくれませんので、代理を探すべく走り回っていたんですが……誰も見つからず帰るとスズカさん達がいました。

 

 

「はーあ。セイちゃんがこんなズルいことをするなんてがっかりしました」

「まあまあ。ほらここ座って。今ちょうど楽しいところだから」

「もう……え、スズカさんのトレーナーさん、なんで突っ伏してるんですか?」

 

 

 確かに勝手に禁止と判断していた私が悪いのであんまり強くは言えないんですが、なんか釈然としません。軽く併走に誘ったら勝負服で来られた気分です。

 

 グラスちゃんの隣に座って見ると、スズカさんのトレーナーさんがホワイトボードで頭を抱えて突っ伏していました。珍しいですね、人前でこんな感じになるのは。

 

 

「それはね、八問目の質問が『ウマ娘の好きな匂いは?』で、回答が『トレーナーさんの匂い』だったんですよ」

「ああ……」

 

 

 だからこんなになってるんですね……まあスズカさんなら言いそうです。なるほど、トレーナーさんが合わせにいってると。

 

 

「ちなみに九問目は『トレーナーのチャームポイントは?』だったよ」

「もう解放してあげた方が良いんじゃないですか?」

「別に良いんだけどキングが不戦勝は受け入れないって騒ぐから」

「いやそれはっ……まあ、なんか、もう私が悪い気がしてきてるわ今」

 

 

 スズカさんはかなりご機嫌みたいです。トレーナーさんはずっと身動きしませんけど、まああの人なら大丈夫でしょう。明日にはけろっとしてます。スズカさんと一緒で切り替えが早い人ですから。

 

 

「では最終問だーい。さあ当たりの問題を引けるかなー」

「発表をお願いします」

「どん。おーっとこれはー……『ウマ娘の幸せとは?』と。これはもう答えさせるつもり無いね……スズカさんじゃなければ」

「ちょっとぉ! 有利お題じゃない!」

「誰が書いたんですか、こんなの」

「ではお書きくださーい」

 

 

 スズカさんがちらちら仕切りを見ながらすらすらと書いていく。トレーナーさんは……か、髪がぐしゃぐしゃ……頭を抱えています。あ、頭を机に打ち付けた。

 

 

 スズカさんの幸せって……まずは走ることですよね。これは間違いないです。これはみんな解ると思います。まあ、グラスちゃんやセイちゃん、キングちゃんはそれを書くと思っているでしょう。

 

 しかし私には解ります。これは『トレーナーさんと過ごすこと』を入れるかどうかです。

 

 

「トレーナーさーん。早く書いてくださーい」

「これは何を迷っているんでしょう……? 流石に一択だと思ったんですが」

 

 

 みんなはスズカさんのこと、ただ走ることを生き甲斐にしているくらいにしか知りません。好きなこと、趣味、幸せ……全部走ることだというのはとっくにバレてます。ただ、それでトレーナーさんに色々してることとか、最近は走った後のこともこだわり始めていることとかは知らないんですよね。

 

 トレーナーさんはそういうのがもちろん解っているので、ペンを持ったままどんどんと机を叩いています。こんなに追い詰められているのを見るのは初めてだなあ……私なら絶対書けないので気持ちはとても解ります。

 

 

 セイちゃん達に急かされながら、トレーナーさんは殴るみたいに答えを書きました。どう考えても大変なことになってそうなんですけど、スズカさんみたいな凄いウマ娘とトレーナーさんが理解し合っているという事実にクラスのみんなはウキウキなので何も思っていなさそうです。

 

 

「はーい、じゃあオープン!」

 

 

 スズカさん、『走ること』。トレーナーさん、『たくさん走って私と寝ること』……あっ。

 

 

 ばんっ! (トレーナーさんが机を叩き付ける音)

 

 がたんっ! (トレーナーさんが椅子を蹴飛ばして立ち上がる音)

 

 がちゃん! がん! (トレーナーさんが肩をぶつけながら走って出ていく音)

 

 

「あー……なるほど……」

「これは……不正解ですね……なんかもう、それ以上の問題があるような気がしますが」

「あ、あれ……? ねえ、まさか私負けた? 引き分けだよね?」

「スズカ先輩を呼んだっていう反則を加味して負け、ですかね」

「そんなぁぁぁ…………」

 

 

「じゃあ私、トレーナーさんを追いかけるわね。楽しかったわ。また明日」

「あ、はい。お疲れさまですスズカさん」

 

 

 にっこにこのスズカさんが浮き足だって追いかけていきました。嬉しそうだなあ。向こう数日間はこのことをにこにこで話すスズカさんが見られそうです。可愛いから聞けちゃうんですよね。

 

 

「お慈悲を……」

「私もこんな勝ち方納得行かないわ! もう一回! もう一回やるわよ!」

 

 

 ま、向こうは二人のことなのでいっか。明日の準備もあるし、私もセイちゃんをからかおっと。




迫り来る菊花賞に震えろ。


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『負けたくない』ミホノブルボン

ブルボン視点で書いてたんですが、あまりにもだったのでいつも通りのトレーナー視点になりました。


 

「はぁっ、はあっ、はぁっ……」

「お疲れブルボン。良かったわよ」

「ちょっと……もう一回……! 今の無し……!」

 

 

 ある日。ついにブルボンの菊花賞も目前に迫り、直前追切をどうするかというのを考え始めていた。

 

 ブルボンのステータスは相変わらず申し分ない。例年の菊花賞なら問題なく……まあ、一部怪物を除けば勝てる。スタミナも十分だし、レコードタイムを出せといえば出せるだろう。

 

 もちろん身体強化は重要だ。だけど、本当の本当に直前までやって疲れが残っても良くない。それなりのトレーニングならブルボンは数時間で回復するが、だからと言って脚の万が一は一生怖い。

 

 

 そこで、精神のトレーニングに比重を置こうと思い立った。まずはブルボンをプールに入れて体力を消耗させ、それからスカーレットを後ろに先頭を走らせるのだ。当然スカーレットは抜きに行くし、その時の気迫は一流ウマ娘にも匹敵するものがある。ブルボンも疲れているから油断すると差されると。

 

 

「でも二バ身はちょっとね。平静を装うあまりスパートが遅れてたわ。合図と同時に加速しなさい」

「は……い……っ、改善、します……!」

「スカーレットは素晴らしいわ。また速くなったわね。この状態でももし差せたら大金星よ。もう少し早く加速して追い比べに持ち込みましょう」

「……それってブルボン先輩のための指示? それとも私へのアドバイス?」

「スカーレットへのアドバイス。あなた脚を溜めるの向いてないし、取り立てて瞬発力もないし。早めにスピードに乗って潰し合った方が根性勝ちできて有利でしょ」

「……そ」

 

 

 天皇賞、菊花賞と終わればすぐにスカーレットもデイリー杯ジュニアステークスがやってくる。スカーレットの力は頭一つ抜けているので大丈夫だとは思うけど、この子はこの子で逃げ以外に向いていなさすぎる。前に行きたい気持ちが強すぎて、最終直線でガン有利、道中全部不利みたいな状態が直せないのだ。先行Aは嘘でしょ。

 

 ……まあ直す気も無いけど。私はスタミナを狙って効率的に鍛えることができるので、掛かるならそれでも上等、そのうえで粘れるスタミナをつければいい話なのよね。ブルボンと違って冷静に走る必要はない。スズカと一緒。

 

 

「よし、じゃあもう一本やって今日は終わりね」

「え? まだ全然行けるけど」

「スカーレットはもちろん続行よ。ブルボンの話」

「……私も十分続行可能です。問題ありません」

 

 

 仰向けに倒れているところから起き上がってまっすぐ見てくるブルボン。スカーレットより早く脱落、というのが気に入らないらしく、ぴこぴことウマ耳を動かして抗議している。

 

 ブルボンのお腹を撫でて落ち着かせて、諸々説明をして。スカーレットにダッシュを指示させて待っている間、ブルボンを私の足の上に乗せる。汗と土で汚れた顔を拭っておき、ぽんぽんとおでこを叩く。

 

 

「流石に三日前に動けなくなるまでやるのはやり過ぎ」

「……しかしライスが」

「もう実力を伸ばす期間じゃないわ。実力を発揮できるように調整するタイミングよ」

「…………はい」

 

 

 少しは納得してくれたか、大人しくなって撫でられを受け入れるブルボン。ウマ耳もリラックスしているし、説得できて良かった。油断でも慢心でもなく、今日明日くらいは休むべきだと思う。

 

 ……それに、ここ数日何故か調子が微妙に下がっている。今までのことを考えれば今さら多少スパルタしたくらいでこうなるとは思えないんだけど……なにか心境の変化でもあったかな。

 

 

「……マスター」

「ん?」

 

 

 と、ブルボンが私の手を取った。手のひらをマッサージするみたいに両手で弄ぶと、口元を隠すように持っていった。

 

 

「今日はマスターの自宅に行っても構いませんか」

「もちろん良いわよ。二人が良い?」

「……いえ」

 

 

 これはどっちだろう。ブルボンの表情が絶妙で解りにくい。他を呼びたくないならもちろん呼ばないけど……微妙。まだ解らない感情があったのね。

 

 しばらく目を揺らして、スカーレットが帰ってきてまた行って、それからゆっくりブルボンは私の手を胸に当てた。

 

 

「マスターと二人が良いです」

「ん。じゃあ今日は二人でいようか」

 

 

 はい、とブルボンは少し笑った。可愛い愛バ。菊花賞に勝たせてあげたい。頑張れ、ブルボン。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

『そうですか。解りました。じゃあ今日は寮に帰りますね』

「うん。ありがとうスズカ」

『いえ。大丈夫ですよ』

 

 

 何も言わないとスズカもスカーレットも普通に来てしまうので、しっかり連絡を入れておく。今日のスズカは日差しが柔らかかったという謎の理由で『走ってきます』とだけメッセージを残しトレーナー室に来ることすらなかったので、たぶん今頃どこか座れるところで水分補給でもしてるんだろう。

 

 

「ちゃんと帰るのよ」

『何言ってるんですか? まさか私が夜通し走るとか思ってませんか』

「思ってるけど。スペシャルウィークから聞いたんだからね。真剣な顔して『どうやったらトレーナーさん、京都まで走らせてくれると思う?』って相談したらしいじゃない」

『スペちゃん……口止めしたのに……』

「いつまでスペシャルウィークのことを信用してるの」

 

 

 あの子はとっくの昔からこっち側だし、いくら口止めしても連絡来るんだって。雑談とかするわけじゃないから私とスペシャルウィークの個人チャット凄いのよ。『スズカさんが○○って言ってました』『ありがとう』『スズカさんが走ってました』『ありがとう』みたいな地獄が繰り広げられてるんだから。

 

 

「とにかくちゃんと門限までに帰るのよ。遅れても家には入れてあげないからね」

『ぁぃ……できたらそうします……』

「どうしてこんなことでそんな辛そうにできるの」

『だって、門限まであと一時間ちょっとしかありません』

「充分だなあ」

 

 

 泣きべそをかくスズカに一瞬ビデオ通話をしてもらい、せっかくなので怪我率が無いことを確認して通話を切る。まあ今日は私からしても走りやすそうな天気だし解らなくはないけどね。ちょうど良い秋晴れだし。

 

 それに、そろそろ走れなくなるスズカを放置してしまっているこっちにも非があるわけで。仕方無い仕方無い。

 

 

 ……いうて本当に仕方無いか? 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「そこで、私とライスでじゃんけんをすることになったのですが」

「うん」

「なんとライスが五連勝しまして、フラワーさんのクッキーはすべて奪われました」

「ふふ……かわいそう」

 

 

 その夜。宣言通りうちに来たブルボンは、私が作った豚野菜丼をひたすらかきこんでいた。せっかくならカツ丼を大量に作りたかったけど、流石に調理が追い付かないので断念。最初の一杯だけにした。

 

 食べ終わったブルボンから食器を回収して、新しいものを渡しつつ片付けと調理をこなして、数台ある炊飯器でご飯を供給し続けながらブルボンの話も聞く。全部やらなきゃいけないのがトレーナーの辛いところね。

 

 

「ライスの不幸体質はじゃんけんには適用されないのではないか? とみんなで話していたところ」

「うん」

「教室のライスの椅子が壊れました」

「代償が重すぎる……いやでもニシノフラワーのクッキーは替えが利かないけど、学校の椅子は替えが利くしなあ」

「はい。ライスも『やっぱりバチが当たったんだ……! どうしよう、大変なことが起きちゃうかも……!』と言っていたので、椅子が壊れたことについてはあまり思うところはなかったようです」

 

 

 基本的にはブルボンが話してくれるので、私は聞きながら相槌を打つだけ。大体は友達とのエピソード。ライスシャワー以外にも何人も登場人物が出てくる。関係も色々上手く行っているようで何より。友達がたくさんできたのね。お姉さん嬉しい。

 

 

 満足するまで食べさせて、二人で残った洗い物を済ませる。偉い、と頭を撫でると、尻尾を振って微笑んでくれた。

 

 そして。

 

 

「消すわよブルボン」

「はい」

 

 

 お風呂も一緒と言うので一緒に入り、やたら口数が多いブルボンを洗ってあげて。一緒に寝るのは別に特殊なことでもないので先にブルボンをベッドに入れて、電気を消して後から潜り込む。

 

 ポカポカノブルボンとかなり近付いて……まあ良いか。そのまま抱き締める。胸に抱くと、すぽんと顔を出して見上げてきた。

 

 

「寒くない? 大丈夫?」

「温かいです」

「良かった。じゃあお休み、ブルボン」

「お休みなさい、マスター」

 

 

 いつの間にか調子が元に戻っている。よっぽど負けが込んでいるとか、そもそも走るのが楽しく感じられていないのにトレーニングだけ厳しいとか……そういう理由でもない限り、調子なんて最高なのが一番良い。ブルボンなんかは特にね。

 

 三秒でブルボンは夢に落ち、私もそんなブルボンを抱き締めたまますぐに眠りについた。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 どすん、どすん。

 

 

「……ん……」

 

 

 どすん。

 

 

 夜中。まだカーテンから光が見えない時間。加湿器がタイマーで止まったくらいの時間に目が覚めた。同時に、お腹から足にかけて鈍い痛みを感じる。寝ぼけた頭がすぐに覚醒して思考を取り戻し、滑るようにベッドを出る。

 

 ブルボン……と声をかけてしまうと起きてしまうので、何も言わず部屋を常夜灯に切り替える。今日はかなり涼しい。そろそろ秋も深くなってくるし、三人のパジャマも考えないと。まあ各自持ってるとは思うけど。

 

 

 で、あの衝撃は。ベッドで眠るブルボンを見る。もぞもぞと動いていた。それも、あまり良くはなさそうなように。私に当たっていたのは、かくん、がくん、と前に突き出される膝だったらしい。ウマ娘のパワーが乗っていなくてよかった。乗っていたら私の足はバラバラだった。

 

 というかブルボンの汗が酷い。完全に魘されてるじゃない。呻く姿がとても痛々しい。すぐに台所で水を、脱衣所から濡れたタオルを持ってくる。起こすか……寝付きが良い子を夜中に起こすのは忍びないけど仕方がない。

 

 

「ブルボン、ブルボン? 起きて」

「……ぅ……ぁ……」

「起きてブルボン」

「……は」

 

 

 いつもより反応の鈍いブルボンを揺さぶって起こす。ぱちん、と目を開けたブルボンが、そのまま私を見て、辺りを見回して、自分の体を見て、それからかくんと力が抜けたように深くベッドに沈んだ。

 

 

「起動が遅れました。申し訳ありません」

「良いのよ。飲む? 汗を拭いてあげるわ」

「……はい」

 

 

 全身を軽く拭って、それから水を飲ませる。落ち着いてから寝る位置を交代して横になる。じとりと湿ったシーツの気持ちの悪さはともかく、眠ることなくこちらを見上げるブルボンの頬を手のひらで揉む。

 

 

「嫌な夢でも見た?」

「……マスター」

「ん?」

「……私は、ライスに勝てないんでしょうか」

 

 

 ブルボンの調子が少し下がっている。これか。むにむにと頬から顎にかけて触れ、少しずつ下ろして肩から腕を撫でる。

 

 

「負けたの?」

「はい……直線で突き放され、一バ身のまま追い付けませんでした」

「いつもそうなの?」

「……夢の完全なメモリ保存は不可能です。ですが、負けたことは覚えています」

「そうかあ」

 

 

 頭の先から髪を梳いて背中に手を回す。こつんとおでことおでこがぶつかった。少し震えている。体も、声も。

 

 夢にまで見るか。どれだけ恐れているかがよく解る。それも一度や二度ではなさそうだ。夢にしては妙に差がリアルではあるけど。実際負けパターンはそんな感じだろう。ブルボンの根性もそうだし、ライスシャワーはブルボンに勝ちに来る以上そう圧倒的な差はつけない。

 

 

「私は……努力によって踏み越えられないものは無いと思います。それは、精神によって肉体や才能を凌駕できる……と判断したからです」

「うん」

 

 

 鍛えられたブルボンの腕を擦る。同世代の中では間違いなく抜けている。数字を見るまでもない。それどころか、上の世代と比べても遜色無いレベルだ。

 

 元々才能があったかどうかはこの際問題ではない。これはブルボンの成果だ。

 

 

「ですが、それはライスも同じではないでしょうか」

「うん」

「彼女の精神力は私を越えているように思います。であれば、私がライスに勝てる道理は無くなります」

「……うーん」

 

 

 別に、一時的な不安だとは思う。ライスシャワーと比べた上で、これまでずっとブルボンの方が頑張っているということで進んできたわけだし。大レースの前でナーバスになっているだけなんだろう。

 

 かと言ってそれを放置するわけにもいかない。うちの子達に限って自信過剰なんてことはないのだ。自信はあればあるほど良い。もちろん、指示を無視しても勝てる、とかいう方向性だと困っちゃうけど。

 

 

「そうねえ」

 

 

 胸に抱いて、へなったウマ耳を後ろからゆっくり立てる。ライスシャワーについて脅かしたのは私だし、責任は取らないといけない。しかし、ライスシャワーに勝てる、なんてのはお互い嘘でしかないのは解っているはずだ。私達とライスシャワーは現状立場が逆転している。当のライスシャワーがそう思っていなくても、勝つのはライスシャワーで、それに抗うのが私達だ。

 

 

 ただ、それでも。覚悟で言えばきっとブルボンの方が上だと思える。確信できる。この目があってもなお、爆発力の存在を認識してもなお、ブルボンのこの覚悟が勝敗に寄与すると信じたい。

 

 だって私達は共有しているのだから。三冠を諦めるくらいなら抗って死ぬ方がマシで、脚が折れてでも可能な限り走る。それは絶対だ。

 

 

 

「別に、勝てないと思うならそれで良いんじゃない」

「……マスター」

「そんな不安そうな顔をしないで、ブルボン。だってそうでしょ? あなた、別に自分を信じて走り続けてきたわけじゃないじゃない」

 

 

 またこっちを見上げるブルボン。心底弱った目で見つめて、私に頬を撫でられてそれを閉じた。半開きの唇が震え、何かを言おうとして吐息に終わった。

 

 

「自分を信じられないならそれでも良いわ。それは仕方ない。いつか信じられるように頑張りましょう。でもねブルボン。あなた人生を捧げられるくらい私のことを信じてくれたんじゃないの」

「……はい」

「だったら良いじゃない。今はとりあえずそれで」

 

 

 足を絡めてさらにくっつく。体が丈夫だから、少しくらい強めに抱き締めたって痛くはないだろう。柔らかくて、その奥に果てしない強さがある。ミホノブルボンは努力の結晶だ。誰が何と言おうと……たとえブルボン自身が違うと言ってもだ。

 

 その信頼を私は持ち続けなければならない。私はブルボンのトレーナーだからだ。三冠の栄誉は知らないけれど、ブルボンの夢だと言うのだから降りる選択肢はない。

 

 

「私はブルボンの限界を見ているわ。だから言う通り走りなさい。自分のことを信じていなくても良いから、私のことは信じていて」

「……マスター」

「全部知ってるからね。ブルボンの強さも、頑張ってることも。私は信じてるから。それじゃ足りない? 私に全部を賭けてくれたのよね?」

「…………ライスシャワーの脅威を初めに示したのはマスターです」

「それは……ごめんって。じゃあ一晩中ブルボンのすごさを語ってあげるわ。それで良い? 寝るまでずっと」

「私が即座にシャットダウンできることはマスターもご存じのはずです」

「じゃあお手紙書こうか」

「何枚書くつもりですか」

 

 

 淡々と私に返しながら、ブルボンからもすり寄ってきた。両足を絡め終えて改めて頬を撫でる。少し安らかになった口角を指でなぞって、ちゃんと笑いかけてあげる。

 

 どうにもならない恐怖から、少しだけ安堵して、深く考えるように目の色が変わる。まっすぐに目を合わせて

 

 しばらく見つめあっているうち、ブルボンがゆっくりと目を開いた。

 

 

「マスター」

「ん」

「お休みなさい」

「お休み」

 

 

 目を睨むように細める。

 

 

「脚を放してください。怪我をさせます」

「良いよ」

 

 

 ぎゅっと離れないようにブルボンの口を塞ぐ。ぴこん、へにゃ、とウマ耳が動いた。スズカと違ってブルボンはここから振りほどくと私を傷つけてしまうかもしれない。私から抜け出せずもがくも、数秒で諦めてしまった。

 

 

「また魘されたらすぐに起こしてあげるからね。私が起きなかったら折って起こして」

「できません」

「それくらいの気持ちでいてってことよ」

 

 

 全部嘘ではないことを教えてあげたい。こんな私だけれど、ブルボンのことを心から大切にして覚悟を決めたのだと伝えたかった。懸けるとはそういうことだと思う。

 

 少しの間解放を待っていたブルボンだったけど、しばらくして諦めたのか私に顔を埋めた。ブルボンからも手を回して、ちょっと痛いくらい力を入れてきた。

 

 

「背中も折ります」

「……ふふ。良いよ」

 

 

 ぽんぽんと頭を撫でて、それから数分。ブルボンは普段からは考えられないほどゆっくりと眠りについた。翌朝、肩は凝ったが足も背中も折れていなかった。




次回菊花賞(予定)。


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『負けられない』ライスシャワー

二話投稿です。真面目なので飛ばしても良いです。


 

 菊花賞。クラシック三冠レースの最後の一つであり、最難関とも言われるGⅠレースである。

 

 まず、クラシック後期のこのタイミングは、早熟の子も晩成の子もギリギリ本気で戦える短い期間となる。極端に遅い子はシニア数年で開花するし、極端に早熟な子は夏で枯れるけど……一般的にはここが均衡点になる。

 

 そして、クラシック級では初めてとなる3000mの大台であり、地力の高さが問われる。早熟がアドバンテージになる皐月、紛れもあり運が絡むダービーに続き、ある意味では真に実力が問われるといっても過言ではない。

 

 

「じゃあその通りに。問題は無いわね、ブルボン」

「はい。目標、許容誤差ともに実現可能です。指示通りの走りをお見せできます」

「よろしい」

 

 

 スピード、スタミナともに十分。精神的にも非常に安定していることが尻尾とウマ耳で解る。調整は成功、後は本人に頑張ってもらうしかない。

 

 

「頑張ってください、先輩!」

「頑張ってね、ブルボンさん」

「ありがとうございます。必ず三冠を達成します」

 

 

 スピードは圧倒的に勝っている。スタミナは……ライスシャワーの方が上。だが、スピードはともかくスタミナは過剰という概念もある。私がスピードの絶対値を見ることができるから解ることだ。スタミナは不足すれば問題だが、過剰にあってもほとんど意味はない。

 

 分の悪い戦いではない。普段なら必ずブルボンが勝つと断言していただろう。普段なら。相手がライスシャワーでさえなければ。

 

 

「ライスシャワーがいつどうやって飛んでくるか、正直解らないわ。スタミナにものを言わせて中盤からロングスパートをかけてくる可能性もあるし、スピードでは勝てないと踏んで最終直線だけに全力で来る可能性もある」

「はい。シミュレーションは万全です。それぞれの対応策もインプットされています」

「よろしい。重要なのは、どういう風に来られても動揺しないことよ。最後まで冷静にね」

「承知しています」

 

 

 人気はブルボンが圧倒的だ。世論で言えばブルボンが三冠確定と思われている。ライスシャワーはダービーの二着と京都新聞杯の惨敗がちょうど相殺して大きく開いての二番人気。

 

 既に観客席に、三冠を祝う風船の準備等が見えていた。実況もかなりブルボン寄りになっている。三冠確実のブルボンに、ライスシャワーがどれだけ食い付けるか、という方向性だった。

 

 

「では、マスター」

「……ん」

 

 

 ばっと両手を広げるので、二つ返事で受け入れる。鼓動を圧力で止めてしまうくらいに強く力を込めて、気力に満ちた体を抱き締める。勝負服越しに、ブルボンの高い温度が伝わってくる。

 

 

「信じてるわ、ブルボン」

「……マスター。勝敗予測をお願いします」

「……そう、ね」

 

 

 いつもやっていることだ。スズカになら九割勝てると断言してきた。そして、ブルボンにもそう。『何か不測の事態が起きない限り、実力を発揮すれば負けることはない』と言う責任が私にはある。それを信じろと私が言ったのだ。

 

 それは解っていても、ブルボンを信じていると大口を叩いていてもなお、はっきりと言葉にするのは白々しいのではないか、という意識が抜けない。

 

 

「……もちろん」

「マスター。正確な分析をお願いします」

「……そうねえ」

 

 

 全部飲み込んでブルボンの勝ちを告げようとした私を遮って、ブルボンは強い瞳で私を見つめた。後ろからスズカが押すように背中に触れてくれる。

 

 

「順当に行けば、ライスシャワーが勝つでしょう」

「私に勝算はどの程度ありますか」

「一割あれば良い方じゃない」

「……そうですか」

 

 

 一度俯き、ぐっと私の胸に埋めて、それから戻ってくる。押し付けすぎて鼻が少し赤くなってるじゃない。可愛い。赤らんだそこをなぞってそのまま唇まで進むと、ブルボンは私のその右手を包み込んで引く。

 

 

「では改めて、私の勝率はどの程度でしょうか」

「え」

 

 

 何を……と言う前に気付く。そうね、そうよね。ブルボンだって全部解っているはずなのだ。さっきのも、一応聞いてみたかっただけなんだろう。やっぱり、私達が言うべき言葉はこれしかない。

 

 

「もちろん、九割ブルボンの勝ちよ。当たり前でしょ。ブルボンが一番強くて、一番頑張っていて、一番信念があるんだから」

「……はい」

 

 

 おでこをこつんとぶつけて、鼻の頭を合わせて笑う。目が輝いている。誰が何を言おうとブルボンは大丈夫だ。このブルボンが勝てないならもう一生勝てない。今の能力でのブルボンのベストはここだ。

 

 

「無敗の三冠ウマ娘、楽しみにしてるわ。あなたが伝説になるのよ、ブルボン」

「はい」

「あなたの力も、頑張りも、それに相応しいだけの名誉が必要よ。物語もある。ライバルもいる。後は勝つだけで良いの。最後まで先頭を走るだけよ。簡単よね? 私の愛バが先頭を譲るところは見たくないわよ」

「……はい。オーダーは必ず達成します。無敗の三冠ウマ娘として、マスターに最高のリザルトを報告します。ご期待ください」

「ん」

 

 

 頬をくるくるしてブルボンを送り出す。良かった良かった。無事ブルボンをベストな状態で送り出せた。断言できる。ミホノブルボンという存在が生まれて今に至るまで、最も強くなれた可能性は今ここだ。

 

 ……ああ、良かった。とりあえず私がするべきことは終わったんだ。あとは結果に……ブルボンの勝ちを喜ぶか、負けて殺されるか、折れて人生を背負うか……責任をとるだけだ。

 

 

「はあ」

「お疲れ様です、トレーナーさん」

「ありがとうスズカ……」

 

 

 後ろに倒れそうになった私をスズカが受け止めて、そのまま長椅子に引っ張る。スズカの腿に転がって、にこにこのスズカに癒される。

 

 細指に耳や頬を弄くられながら深呼吸。後は野となれ山となれ。本当は観客席で叫びたいくらいだけど、どうせ勝つから見なくて良い、という態度を崩したくない。余計な不安をブルボンに与える……ああでも、応援してあげた方が良いのかな。応援したいなあ。

 

 

「……で、実際そんなに厳しいの、ブルボン先輩」

「そうねえ……まあここまで来ると、解らないとしか……気持ちの差じゃない」

「気持ちって……」

「最後は大体の勝負でそんなものでしょ、たぶん」

「……それもそうか」

 

 

 モニターをつける。今日の淀は曇り、稍重。ポツポツだが降り始めている……が、どちらにせよ常にスピードを出し加速力を必要としないブルボンには有利な盤面だ。泥試合は私達の得意とするところ。

 

 来なよ、ライスシャワー。偏執(エルナト)に覚悟で勝てると思わないでよね。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「ライス」

「ブルボンさん」

 

 

 仔細省略。記録者、ミホノブルボン、本日菊花賞。

 

 マスター達に見送られ控え室からターフに向かう最中、ライスに鉢合わせました。お互いに立ち止まり、横に並んだまま呼び合います。

 

 

「私が勝ちます」

「……ライスが勝つよ」

「私です」

「絶対に負けない」

 

 

 マスターにも認められた通り、現在私のコンディションは過去最高といって差し支えありません。実力も目標値を上回り、あとはライスを越えるだけとなっています。

 

 しかし、それはライスも同様のようで、今日の仕上がりは京都新聞杯の時とは比べ物になりません。オカルトの不存在は当然ですが、それでもなお、その眼光と気迫が立ち上るオーラを感じさせます。ウマ娘として高みにいるとしか形容できません。

 

 

 これが、ライスシャワーの全力。私が越えるに相応しい名誉。

 

 

「良い勝負をしましょう。約束通り」

「うん。良い勝負にする。それでライスが勝つ」

「それでこそです。全力で挑み、私が勝ちます」

「ライスも本気で行く。絶対に負けない。ブルボンさんに、必ず追い付くから」

 

 

 薄暗いトンネルの通路から、外の明かりが見えてきました。曇天、青空は見えません。最初から最後までスピードを上げる私は、雨が降ってもそう不利にはなりません。その場合の不安材料であるスタミナ不足は既に克服できています。

 

 

『さあ、来ました来ました! 本日の主役といっても良いでしょう! これまで無敗! 皐月賞、ダービーに続いて菊花賞で三冠を狙います!』

 

 

 観客の方々に見えるタイミングで、場内にいつもと同じ実況の方の声が響きます。それと同時に、会場すべてを揺るがすような大音量の歓声。二冠ウマ娘である私に向けられた期待に、身体がびりびりと震えます。

 

 

『スプリンターと言われながら、あのエルナトで過酷なトレーニングをこなし少しずつ距離を踏み越える努力の塊! 顔色一つ変えずに無理を可能にする姿はまさにサイボーグ! 今日は初めての3000mですが、彼女なら必ず走破してくれると誰もが確信しています!』

 

 

「ではライス、先に行きます」

「うん……あの、ブルボンさん」

「はい」

 

 

 影から出る瞬間、ライスが私を引き留めるように腰のユニットを掴みました。

 

 

「ライス、頑張るから。どっちが勝っても良い勝負に……悔いの無いように、約束」

「……はい」

 

 

 決意と覚悟に満ちた瞳。私も彼女の腕を掴み、握手の形に変え、引き寄せて顔を突き合わせます。

 

 

「この(なまえ)と命に懸けて、私は三冠ウマ娘になります。全てを懸けて追ってきなさい、ライスシャワー」

「……うん。ライスも全力で差し切る。逃げてよ、ブルボンさん」

 

 

 私が笑いかけると、ライスもくっと笑いました。私は本当に幸運です。支えてくれる両親、すべて理解してくれるマスター、そして同じ覚悟で並んでくれるライス。

 

 ……いえ、覚悟は私の方が上と断言しましょう。

 

 

『本日も断トツ一番人気! チームエルナトの超特急──―』

 

 

 

 

 私の身体はそのすべて、誰かの信念でできているのですから。

 

 

 

 

 

『────ミホノブルボン!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 今日の菊花賞は重バ場、パワーとスタミナが要求される状態です。

 

 ライスはどちらかと言えばスピードには自信がなく、一瞬の瞬発力も無い方だと思います。その代わり、スタミナには少しだけ自信がありました。

 

 

『さあミホノブルボン現在二番手、かなりのハイペースで先頭を奪おうとしています』

 

 

 そのライスがブルボンさんに勝つためにはどうすれば良いか。トップスピード勝負ではたぶん勝てません。どんなに頑張ってもスピードだけはある程度以上は限界があります。

 

 ライスの武器はスタミナです。ブルボンさんの強さはスピードと根性にあると思います。勝つためにそれをちゃんと受け入れて、それで勝つには。

 

 

『二番人気ライスシャワーは中団先頭、良い位置です。こちらも掛かり気味でしょうか。前二人のハイペースに比べバ群が短くなっています。これは恐ろしい消耗戦が始まっています! まだ正面スタンド!』

 

 

 レース全てをハイペースにして、ブルボンさんに末脚を残させないのが一つ。そして、早くから仕掛けて最終直線で並ばずに抜き去ること。

 

 ブルボンさんがスパートの加速を終える前に前に出て、ブルボンさんが粘る形に持ち込まないこと。そのために、序盤はブルボンさんの後ろにぴったり付くよりも、ライスの位置取りに拘ることにしました。

 

 

『さあペースが安定しませんミホノブルボン、大丈夫か! 先頭との差が縮まっています! パドックでの溢れるばかりの気力が悪く出てしまっているか!』

 

 

 違う。ブルボンさんはそう簡単に崩れてくれない。ペースが乱れているのはむしろボーガンさんの方で、ブルボンさんはずっと同じペースで走っている。私には解ります。ずっとブルボンさんだけを見てきたから。

 

 絶対にブルボンさんは自分のペースで走る。そしてそのペースは、ブルボンさんのことを世界で一番理解しているトレーナーさんが指定した、『ブルボンさんがぴったり走りきれるギリギリの速度』。それでもきっとこのペースは──たぶん、いえ間違いなく、一瞬でも掛かればそれで終わってしまうほどギリギリの設定のはず。

 

 

 向こう正面に入り、直線で少しペースを落とします。坂の様子は一回目で掴んでいますし、問題はありません。ライスならいける。早めに勝負をかけないと勝てない。だから、この坂から加速を始めます。

 

 

「っ……!」

 

 

 後ろのタンホイザさんが息を飲むのが聞こえます。ライスだって解っています。これは早すぎる。

 

 ……でも、ライスはライスのことを解っているし、それ以上にブルボンさんのことを解っています。コーナーから、最終直線からでは勝てない。並んではいけない。上り坂で追い付いて、下り坂で突き放す──最終コーナーではライスが前にいるように。

 

 

『う、動いた! ライスシャワーが動きました! 差を詰めている! これは仕掛けたか!? しかしこれも早すぎる、焦ったかライスシャワー!』

 

 

 ブルボンさんの背中が近付いてきます。ライスの前に遮る子はいません。坂路は何度も何度も走っています。楽は求めません。とにかく踏み込んで、一秒でも早くこのズブい脚をトップスピードに乗せないと。

 

 ブルボンさんの足音が聞こえるまで近付いて、斜め後ろからさらに伸ばします。上り坂を強引に進んで、上りきる頃にはブルボンさんの隣に立っていました。

 

 

 ブルボンさんの表情はよく見えません。でもきっと、気付いているはず。ライスの仕掛け方と、それがどういう意味なのか。ライスの方がスピードがついています。ここから突き放して、そのまま勝つ。

 

 

 見ててブルボンさん。ライスが勝つよ。ブルボンさんに応えてみせる。ライスに抜かれてもなお決してペースを崩さないブルボンさんを置いて、ライスは叫びながら下り坂を全力で駆け抜けていきました。



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『負けられない』ミホノブルボン

あんまりにも固いと読みにくいので後半はちょっと柔らかくしました。二話投稿なので前話からどうぞ。


 

「やああぁぁあぁあああっ!!!!!」

 

 

『ライスシャワー行った! ライスシャワー二番手! そのまま先頭に迫る! ミホノブルボンこれは出遅れた! 第三コーナーを回りミホノブルボン三番手! しかしここから! ここからが勝負です!』

 

 

 思考エラー。現状把握は困難。

 

 ですが、ライスシャワーが私の前にいることだけ理解できます。

 

 

 残存体力はギリギリ、マスターに指示された限界のスパートポイントで一気に加速しますが、それでもタイミングの差は大きく、現在三番手から二番手、最終コーナー。

 

 

「っ……!!」

 

 

 私に可能な加速は十全にされています。ここまでラップ誤差は許容範囲内、いえ、ベストです。

 

 つまり、ここが私の果て。スペック上許されたすべてがこの速さ。

 

 

『速い速いライスシャワー! ミホノブルボン追い縋るがまだ三バ身ある! 頑張れ! 頑張れミホノブルボン!』

 

 

 いまだ叫びながら先頭をひた走るライスシャワー。私は既にトップスピードに乗っています。スピードは私の方が上であるはず。スタミナの差は可能な限り埋めたはず。それでも追い付けない。黒い勝負服に近付けない。

 

 

「ぐ……っ」

 

 

 決して私が遅いのではありません。後ろからマチカネタンホイザさんが追ってきていますがまだ距離があります。ここは逃げ切れます。しかし、ライスシャワーを追い抜かなければ一着にはなれない。三冠ウマ娘になれない。

 

 

「ああぁぁああぁああ!!!」

 

 

 負けたくない。負けられない。無意味だと解っていても絶叫が喉を刺します。これ以上スピードが出せない。勝てない。ハイペースなレース展開も、残存体力、スパート位置ともに私のベストであるはずなのに。

 

 

 

 ──負ける。私が。ミホノブルボンが。

 

 

 ああ、ライス。

 

 

 

 認めざるを得ないようです。あなたは私より強かった。私の予測より、マスターの予測より遥かに強かった。

 

 あなたに勝つために全てを投げ打って、全てを捧げてもなお届かない。詰められてかわされるよりももっと単純な敗北。私では再現不可能な並外れた早仕掛け。

 

 

 生まれもっての才能もあるのでしょう。私はスプリンターで、あなたはステイヤーだった。しかしそれ以上に、私の努力ではあなたに勝つには足りなかった。

 

 

 意識を失うまで走っても、鍛える以外何も考えずに過ごしても、それでもなおあなたに勝てない。

 

 

 それがきっとあなたの努力の証なのでしょう。私がそうであるように、あなたは確かに全力で応えてくれた。心優しいあなたを焚き付けて、約束で縛ってこの場に立たせて、それでもあなたは来てくれた。

 

 

 ライス。私の負けです。次にやる時はさらに鍛えてからやりましょう。今の私ではあなたには勝てない。私とマスターの敗北です。私のスペックでは、あなたの力を越えることはできなかった。

 

 まだまだ、私は長距離では勝てないようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが菊花賞(さんかん)は別です。

 

 

 

 このレースだけは絶対に譲れません。これは私と、私のお父さんと、マスターと、ここまでミホノブルボンを作ってきた全員の夢です。

 

 私の生はこの勝利のためにあります。後のことは知ったことではありません。ただこのレースに勝つために十年を懸けました。ウマ娘として許されない言葉でも断言できます。このレースに勝つためなら、これから全てあなたに負けても良い。

 

 

 負けられない。一人娘(わたし)が死んでも三冠を目指して良いとしてくれたお父さんのためにも。心を殺して私をここまで追い込んでくれたマスターのためにも。

 

 そして、ここまで強くなってきてくれたあなたに応えるためにも。

 

 

 マスターが勝てると言ったのです。私に言ってくれたのですから、私は勝てねばなりません。マスターの言葉を実現する義務が私にはあります。マスターが言ったのだから勝てないはずがありません。

 

 それが私達のあり方であり、唯一絶対の行動原理です。

 

 

 勝てるのなら折れても良い。死んでも良い。そう言ったことは嘘ではありません。なにがなんでもここで負けてはいけないと魂が叫んでいます。

 

 見せましょう、ライス。全てを懸けてレースに勝つとはどういうことか。ここまで私を追い詰めたあなたに敬意を表して──やりたくはなかったのですが。

 

 

 

(──目標速度、削除)

 

 

 ただがむしゃらに鍛えている以上に、私は成長しています。あなたの力を読み違えた私達のように、ライス、きっとあなたもこれを見ればびっくりしますよ。

 

 

 

(──目標地点、ゴール0m)

 

 

 私は、たくさんのことを学んでいます。このチームで、そしてあなたに。

 

 

 

(──既定残存体力削除。新たに残存体力をゼロに設定)

 

 

 一つ、気持ちで絶対に負けてはいけないということ。勝てる勝てない以上に、一番にこだわり、そのために全力を賭すこと。

 

 

 

(──全出力解放。リミッター解除)

 

 

 一つ、私よりも、ミホノブルボン(わたし)の限界に到達する方法。本物の肉体の限界と、そこへ到達するための枷の外し方。

 

 

 

(──新規目標速度を∞に設定。加速開始)

 

 

 一つ、絶対的な速さのイメージ。絶対に先頭に立ち、決して追い付けない無敵の概念そのもの。速さは私のメモリに刻まれています。それを再現するだけ。私ならそれが可能──少なくとも、ほんの少しの間だけなら。

 

 

(ッ……!)

 

 

 全身に軋むような痛みが走ります。精神と、身体が、これ以上出力を上げてはならないと訴えています。私が動物の身体を持つ以上避けられない、生存本能のダメージコントロール。

 

 一歩ずつ破滅に向かっていく予感。芝を踏みしめる度に身体がバラバラになりそうな感覚。刺すような心臓の痛みと白んでいく意識を繋ぎ止めて、すべての息を吐き切って強く歯を食い縛ります。

 

 

命令(オーダー)を聞きなさい……ッ! 今さら……ここまで来て! 痛みとか苦しみとか、そんなもので止まるなど認めません! 言われた通りに走りなさい! これまでそうしてきたように!)

 

 

 ライス、恐らくあなたもこれができてしまうのかもしれません。いえ、きっとできるのでしょう。私程度のトレーニングでできたのですから、あなたならきっとできる。

 

 しかし、今は私だけの力。死んでもあなたに勝つ。

 

 

 

(最後の命令(オーダー)ですミホノブルボン──ッ!!! ダメージリミッターを解除しなさいッ!!)

 

 

 ここからですライス。文字通りの、私の『全力』を、すべての力をぶつけます。

 

 

(──G00 1st.F

 

 

 

思考、中断。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

『これは強いライスシャワー、圧勝……いや! 来ている! なんと来ている! 背後からミホノブルボン! 後ろから再びミホノブルボン追い上げてきている!』

 

 

「……っ!?」

 

 

 耳を疑いました。ライスがおかしくなってしまったのかと思いました。だけど、そうではありません。後ろから圧倒的な足音が聞こえます。これは。この足音は。

 

 

 ──ブルボンさん!? 

 

 

『残り200を切った! いまだ先頭ライスシャワーだがミホノブルボン来ている! 三冠を取りに栗毛の超特急が突っ込んできた! 半バ身も無い! これはどうだ! 三番手マチカネタンホイザまだ後ろ! これはマッチレースになった!』

 

 

「くぅっ……やああぁぁあぁぁああ!!!」

 

 

 追い付かれてはいけない。並ばれてはいけない。並んで根性の勝負に持ち込んではいけない。その一心で必死に前に出ます。後ろから少しずつ、隣まで、視界に入るまで、ブルボンさんが上がってきています。

 

 そんなはずはありません。私が抜いた時点で、あそこからこんなにブルボンさんが持ち直してくるはずがない。後ろから逃げウマのブルボンさんが抜いてくるなんてはずがないのに。

 

 

「────ッ」

 

 

 ブルボンさんがいる。隣に。声も出さず息もせず並んできている。どうして。いや、そんなことを考えている場合じゃない、とにかく逃げないと。追い付かれる。並ばれている。このまま末脚勝負に持ち込んでも──

 

 

 ──そんなことを考えなければいけない状況ではないはずなのに。とっくに抜き去って、ここから逆転なんてあり得ないのに。

 

 

「ああああぁぁぁあぁぁ!!!」

 

 

 めちゃくちゃに叫んで前に、ブルボンさんが横に、真横に、少し前に、真横に、少し後ろに、そのままもう少し、もう少しだけ速く──ッ! 

 

 

『ライスシャワー粘る! ライスシャワー粘る! 並んでいる並んでいる! 抜かさせない! 離されない! ぴったり並んだ! 信じられません! ミホノブルボンまだ並んでいる!』

 

 

 離せない! かわせない! ブルボンさんが振り切れない──ッ! 嫌だッ! ライスが勝つんだ! ブルボンさんと並ぶために! 勝ちたいッ! 勝ちたい勝ちたい勝ちたいッ!!! 

 

 

「うわあぁああぁぁああ!!!!!」

 

 

『譲らない譲らない! ライスシャワー譲らない! いまだ先頭並んでミホノブルボン、ライスシャワー! 三冠なるか! 三冠なるのか! 完全に並んでいる! 追い付いている! ミホノブルボンあと少し!』

 

 

 叫ぶライスと、何も言わないブルボンさん。肩がぶつかる距離で、ゆっくりとゴールに向かっていく。あと、十メートル。

 

 

『並んで今ゴールイン! 粘りましたライスシャワー、追い付きましたミホノブルボン! これは写真判定でしょう! 三冠の行方は写真判定です! 投票券は確定までお持ちください!』

 

 

 ゴール……したの? 結果は写真判定……じゃあ、ライスはブルボンさんを振り切れなかった……あの状態から捲られたんだ。最終コーナーで完全に前をとっていたのに。

 

 

 ……でも、良い勝負だったのかも。ブルボンさんも私も全力で、素敵な勝負ができた。どっちが勝っていても良い。大事なのはそういうのじゃないから。

 

 ブルボンさんとこの喜びを分かち合わなきゃ。きっとブルボンさんも喜んでくれる。こういうときライバルのウマ娘は握手して、ハグして、二人で手を振ったりして……ライスがもし勝っていたらみんながっかりするかもしれないけど、できたら二人で歓声を浴びよう。

 

 

「ブルボンさ──」

 

 

 そう思って、ゆっくり走りながらブルボンさんの方を見て心臓が止まりそうになりました。

 

 同時にゴールしたはずのブルボンさんは隣にはいなくて。ゴールのすぐ近くで、全身を震わせて倒れそうになっていました。

 

 

「ブルボンさんっ!」

 

 

 咄嗟に駆け出して、顔から倒れるブルボンさんを滑り込んで支えます。完全に力が抜けていて、何なら息も……っ! 

 

 

「ブルボンさん!? ブルボンさん!」

 

 

 どうしたら良いのか解らずただ背中を叩きます。ブルボンさんが死んでしまう。誰か、誰かの助けを……ダメ、みんな疲れて動けないし、スタンドからは……だめ、長距離レースで倒れるくらいよくあるし、近くじゃないと深刻さが伝わらない……! ら、ライスが、ライスが何とかしなきゃ。ブルボンさんを助けなきゃ。どうしよう。心臓マッサージ? でも心臓は動いてるし……人工呼吸? そうだ、人工呼吸! 

 

 

「ブルボンさん……ごめんっ」

 

 

 みんな動けないんだからライスがやらなきゃ。ライスがブルボンさんを助けるんだ。大丈夫。やり方は習ったもん。怖がらなければライスにだってできるはず。呼吸を整えて、ちゃんとした息にして……

 

 

「……ライス?」

「ひゃあぁぁっ!?」

 

 

 始まる寸前にブルボンさんが目を覚ましました。喋るのと一緒に息もしています。た、助かった……? ブルボンさんが生き返った……! 

 

 

「……近いです、ライス。掲示板が見えません」

「あ、え、うんごめん、あのその、ぶ、ブルボンさんが倒れちゃったから、大丈夫かなって、だからその、邪魔したかったとかじゃ」

「……確かに倒れています……申し訳ありません。平衡感覚にエラーが発生しているようです」

 

 

 物凄く小さな声だけど、いつものブルボンさんだ。でも倒れちゃったのは事実だし、お医者さんのところ……まずはトレーナーさんのところ? とにかくライスが運んだ方が良いのかな。救急車は芝には……もう一つレースも残ってるし……

 

 

「結果は……勝敗はどうなりましたか、ライス」

「え、あ……しゃ、写真判定……」

「……そうですか」

「とりあえずブルボンさん、病院行こう! ライスが運んであげるね!」

「問題ありません……極度の疲労と身体的なダメージが深刻なだけです」

「問題大有りじゃん!」

 

 

 し、身体的なダメージ……怪我? でもどこにも傷は……まさか骨、腱とか……だったらはやく、早くブルボンさんを連れていかなきゃ、早く……! 

 

 

「ライス……恐らくすぐに、マスターが泣きながら走ってきますので……私は疲労による強制スリープに入ると伝えてください……」

「う、うん! 伝えるよ! だから病院に」

「それと……目が覚めたら、一緒にマスターに謝ってください……」

「それはなんで……?」

 

 

 ライスの脚の上で、ブルボンさんは目を閉じたまま途切れ途切れに話します。掠れた声で、まだ不規則な呼吸と一緒に。

 

 

「ライスに勝つために……ここまでしてしまいました……ライスのせいでこうなったのですから……一緒に……マスターはきっと怒ります、から……」

 

 

 つっかえつっかえだけど、少しずつ、言葉がゆっくりになっていって、あんまり痛みとかは無さそうで、冗談……ううん、ライスとの勝負のために頑張ってくれたことは嘘じゃないけど、話し方からそこまで深刻な状態ではないことは解ります。

 

 ……でも、もちろんブルボンさんの自己分析が壊れてしまっている可能性もあるし、でもとにかく、ブルボンさんがここまで言ってくれたんだから、ライスも何か言わなきゃ……! 

 

 

「素晴らしい勝負でした……ライス。結果として、あなたに勝てていても、負けていても……お互い死力を尽くした結果ですから」

「……うん。ありがとうブルボンさん。とっても良い勝──」

 

 

『いやブルボンの勝ちで良いって……』

 

 

「──負……」

 

 

『三冠がかかってるんだからさ……判定とか……』

 

 

「……っ、だったね……!」

 

 

 スタンドから、誰かの声が聞こえた気がしました。

 

 

 怒ってはいけない。解っていたことだから。みんなブルボンさんの三冠を見に来てる。無敗で三冠ウマ娘になるんだもん。当たり前。ライスが怒ることじゃない。

 

 ライスとブルボンさんの勝負だから。他の人がそれを汚すことはできないから。だから怒っちゃいけない。誰も悪くない。

 

 

「……ライス?」

 

 

 でも、こんなことをブルボンさんに聞かせたくない。あんなに頑張ったんだから、こんなことを言われてほしくない。ライスがブルボンさんを守らなきゃ。ブルボンさんの耳をゆっくり畳む。何も聞こえないようにして、ライスだけが口を寄せて話します。

 

 

「ううん……ありがとうブルボンさん……ライス、とっても楽しかったよ。また走ろう、ブルボンさん。結果はライスがちゃんと伝えに行くから、ゆっくり休んで」

「はい……また、走りましょう……ライスシャワー」

 

 

『良いじゃん、今回はブルボンで……』

 

 

「……うん……っ」

 

 

 ずきずきと胸が痛みます。泣いてしまいそうです。だけど、笑わないと。ブルボンさんとの勝負は本当に楽しかったんだから、頑張らないと。頑張らなきゃ。やらなきゃ。頑張れ、頑張れライス、笑顔、笑顔で……! 

 

 

「お休み、ブルボンさん……!」

「……はい」

 

 

 ブルボンさんが寝てしまいました。これで、もう泣いても良いかな。どうしてこんなに、泣きそうなんだろう。解ってたのに。ちゃんと考えていたのに。もし私が勝ったら、みんなががっかりしちゃうことも覚悟してきたのに。

 

 

「ら、ライスちゃん……」

 

 

 後ろから、誰かが話しかけてくれています。だけど、今何かしたらこのまま泣いてしまいそうで、ライスは返事をせずに、息を飲んでブルボンさんを抱き上げました。とりあえずトレーナーさんのところに連れていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──写真判定の結果、ほんの数センチ差でブルボンさんが勝っていたそうです。残念だった、と言ってくれたたづなさんに抱きついて泣いてしまったことは、二人だけの秘密にしてくれるみたいです。



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誰より気にしているダイワスカーレット

少しずつダークネスを抜いていく話。次からちょっとだけ元に戻ってから天皇賞(秋)。


 

「……と、いうことでブルボン。明日には東京に戻れるわよ。良かったわね」

「はい」

「じゃあ私、ブルボンさんのお父さん達を呼んできますね。ロビーにいるっておっしゃってましたし」

「はい。よろしくお願いします」

 

 

 菊花賞翌日。ブルボンは結構な重症と引き換えに菊花賞を勝利し、それを運んできたライスシャワー、行動は私と一緒のスズカ、スカーレットで病院にいた。

 

 ブルボンだけど、全身の骨に数ヵ所のひび、同じくいくつかの筋断裂と、酸欠から来る意識混濁、膝に軽度の靭帯炎、脚の筋膜炎……軽いところで食い縛りによる歯茎の出血や各部の炎症とまあ、よく激痛でその場で倒れなかったと言われるほどぼろぼろになっていた。

 

 

「本当に良かったわ……ブルボンが無事で」

「ご心配をおかけしました」

「ううん。良いのよ」

 

 

 心臓が止まるんじゃないかってくらい心配もしたし、ブルボンが倒れた瞬間机を殴り付けた結果私の右手首にも包帯が巻かれている。

 

 しかし幸いなことに、怪我の数は満身創痍だが一つ一つの怪我はそこまで重くはないとのこと。それこそ一月もせずに完治するらしいので、そこは、まあ。

 

 

 包帯ぐるぐる巻きのブルボンと、対照的に怪我も無く一晩ブルボンのベッドの横に座っていたにしては疲れもほとんど残っていないライスシャワー。何ならご両親を呼びに行ったスカーレットの方が京都までの移動の疲れが残ってるんじゃないかってくらい。

 

 これが天然ステイヤーと人工ステイヤーの違いか。ブルボンは文字通り全ての力で挑んだが、ライスシャワーは本気ではあるが全力ではなかった。少なくとも身体の安全装置を外さずにブルボンとほぼ同着まで来たのだ。

 

 

「死んでも勝つって話だったものね。だったらあなたの選択は間違っていなかったと思うわ。約束通り」

「……ありがとうございます。これでライスと謝らなくてすみます」

「あ、謝らないの……? ライス、坊主までは覚悟してたんだけど……」

「覚悟が重すぎる……」

 

 

 坊主にするくらいなら死んだ方がマシなんだけど。いや本当に。

 

 

「マスターの許しを得ましたから」

「私、別に許す立場にないけどね。普通の手段でライスシャワーに勝たせてあげられなかったし」

「ライスが長距離において天才だったということですか」

「そういうことになるわね」

「や、やめて……は、恥ずかしいから……!」

 

 

 ちなみに、菊花賞に勝ったと伝えたときのブルボンは意外にもそこまで喜んだわけではなかった。無言で号泣するくらいはあり得ると思ったんだけど、『そうですか。マスター、それで、身体ダメージはどの程度でしたか』で済ませてきたのは流石に驚いた。三冠よ三冠。夢叶ったのよ。

 

 ウマ娘にしては尻尾も……いや尻尾はベッドで見えないけど、ウマ耳も大して動いていないし、もしかして痛すぎて喜んでいる場合じゃないとか? いやでも、痛み止めは多少効いている……こんな怪我に痛み止めなんか焼け石に水か。

 

 

「トレーナーさん、ご両親いらっしゃいますよ」

「ん……じゃあブルボン、私一回出てるわね」

「何故ですか?」

「大人の事情とか?」

 

 

 そうですか、とウマ耳がへなってしまうブルボン。ごめんて。私もこう、色々考えてるのよ。

 

 いくら結果を出したといってもブルボンの身体をここまでぼろぼろにした原因は私だ。お二人にはブルボンは死ぬかもしれないくらいのことは言っているが、それでも生きている娘を見れば約束なんて飛んでも当然だと思う。

 

 そうしたら、もしかすると、ブルボンを傷つけた私に怒りを覚える可能性もある。そして、怒りを覚えたこと自体にお二人が罪悪感を持つかもしれない。いや、私ならそうなる。スズカを誰かに預けてぼろぼろにされたら、スズカの意思だろうと事前に解っていようと瞬間的には怒る。

 

 

 だからスカーレットに呼びに行かせて、こっちに来る前に報告させた。ブルボンと、絶対に離れたくないというライスシャワーを残して外に出る。

 

 

「お菓子でも買おうか。売店で。ブルボンの好きなのも持っていってあげよう」

「ブルボン先輩に好きとか嫌いとかあるんですか? あの人何でも食べますよね」

「そんな、人をクリーチャーみたいに」

「そこまで言ってないです」

 

 

 適当に売店でお菓子を買って、まあ話は長くなるだろうから屋外の休憩スペースに出る。周りに人がいるとスカーレットも大変だろうし……いやでも、外に出た瞬間からスズカがきょろきょろし始めた。

 

 

「走っちゃダメだからね。病院なんだから」

「わ、解ってますよ。嫌ですねトレーナーさん。私がどこでも走ると思ってませんか」

「思ってるけど」

 

 

 視線と尻尾の動きが走りたい時のそれなのよ。あと表情も。その、真剣に物静かにしているだけですよ、みたいな美人さんの顔をしている時は大体そう。欲望について考えてるのに傍目からは美少女なのずるいわ。

 

 

「流石にこういうところでは走りません。あの道はリハビリや運動不足解消用で、私の走る道ではありません」

「本当は?」

「誰もいないし、先っちょだけなら……わぶぶぶ」

 

 

 ベンチに座り、最後の最後で隠しきれなかったスズカを膝に乗っける。顔にアイスの袋を載せて黙らせて、ああぁ、と押さえるスズカの口にスナックをあーん。

 

 スズカはやっぱりイチゴの味がお気に入り。スカーレットはリンゴ? チョコ? 甘ければ何でも良さそう……それはウマ娘みんなそうか。スティックのお菓子をスズカに餌付けして、代わりにチョコのアイスを食べさせてもらいながら時間を潰す。

 

 

「そもそもスズカは天皇賞があるんだから今週は走っちゃダメよ」

「えっ……き、聞いてません。聞いていないので無効です」

「今言いましむぐぐ」

「言ってません。知りません。明日は秋晴れですよ。週末の天気が崩れる前の快晴です」

「むぐ……ふは。ダメ。一緒に我慢しようねー」

「やだぁ……ぁむぁむ」

 

 

 今度の天皇賞は既に『異次元の逃亡者VS黄金世代最後の戦い』という謳い文句がついている。セイウンスカイはスズカの前に出られるのか、スペシャルウィーク、グラスワンダー、キングヘイローはスズカに追い付けるのか。

 

 特にキングヘイローは中長距離はこれが最後らしいし、他もドリームリーグへの移籍が囁かれている。勢揃いするのは本当にこれが最後かもしれない。

 

 

 ……というかさ、まあ通常でいえばそうなのかもしれないけど、スズカがトゥインクルからいなくなるみたいな話、私はしたことないよね? 誰よそのキャッチコピー考えたの。

 

 

「来月は私も重賞か……なんか実感出てきたわ」

「そう? 私はまだ実感無いけど。もう二ヶ月もしたらうちの子全員GⅠウマ娘になるのよ」

「またそういうことを……ま、まあ安心してみてなさい。必ず私が勝つわ」

 

 

 あら頼もしい。でも口元にチョコが付いてるのよね。ティッシュで拭ってあげて、何してんのよ、と叩かれたところで、膝に寝ているスズカがゴミを片付けながら私のお腹をつついた。

 

 

「それで、ブルボンさんに本当のことは言わないんですか?」

「……それはちょっと気になってたわ」

「いや……待って。隠し事はしてるけど嘘はついてないでしょ。言い方言い方。あとお腹はやめて」

 

 

 スズカを起こして肩に寄り掛からせる。本当のことといっても、本当に嘘をついているわけじゃない。ただ、アナログ生活をしているブルボンのご両親や自力でデータ媒体に触れられないブルボン自身では知りようのないことを隠しているだけ。

 

 

「別に、言わなくたって良いでしょこんなこと。水を差すだけじゃない」

「それは解るけど……でもなんか納得行かないというか……先輩を騙してるみたいで……」

「根が良すぎるわスカーレット。あなたが気に病むことじゃないのよ」

「……うん」

 

 

 辛そうなスカーレットの頭を撫でて落ち着いてもらう。スズカは何だかんだ……というよりこの子の場合、私がそう言ってるなら大丈夫なんだろう、くらいに思っていそうだ。理解者。

 

 

 で、ブルボン一家に何を黙っているかというと、世間一部でのブルボンの評判である。

 

 無敗三冠は歴史に残る偉業であり、あのシンボリルドルフに並んだというのはウマ娘としては不朽の伝説と同じ意味になる。当然、URAやトレセンもブルボンの話題性で稼ごうとしているだろうし、日本中が熱に浮かれているとは思う。

 

 だが、悪意のある人間というのはどこにでもいるもので。ブルボンの勝利が気に入らないのか、それともライスシャワーの熱狂的なファンなのか……ブルボンのハナ差勝ち判定は不正であった、という論説が既に出ている。

 

 

 無敗三冠のネームバリューに目が眩み、URAが不正を働いたとか何とか、忖度三冠だの酷い言われようだ。暴言付きで呟いた奴はトレセンから開示請求してるから震えて待ってろ。

 

 とにかく、そういう言説が写真判定直後から出ているということだ。

 

 

「そもそも事実無根なんだから放っておけば良いのよ。スカーレットだって解ってるでしょ? 今回の判定に不正があったわけがないって」

「そりゃあまあ……解るけど」

 

 

 今回の判定について、これが普段のレースだったなら、まあ百歩譲って言いたいことは解らなくはない。人間には悪い心があるし、不正に手を染めることもあるだろう。それは仕方ない……とは言わないが、信用できないという考えも解る。

 

 だが今回、あの場にはシンボリルドルフと秋川やよいがいた。映像も含め全ての中央ウマ娘レースを見ている理事長と、重賞は可能な限り見ている皇帝が。そして、判定にも参加している。

 

 

「シンボリルドルフと理事長よ。何も問題はないわ」

 

 

 これだけは断言できる。あの二人が絡んでいて不正は絶対に起きない。あの二人はウマ娘に魂を売っている。拳銃を突きつけられてもウマ娘への不義理はしないし、千人に囲まれても不正を防ごうとするし、もし預かり知らぬ不正があればすぐさま告発する。

 

 あのなりで実質的に中央ウマ娘レースを仕切っている理事長と、学生であるにも関わらずそこらのURA役員より発言力がある皇帝だ。あの二人が不正をするより世界が滅ぶ方がまだ可能性があるだろうね。

 

 

 ウマ娘に少しでも詳しければそんなことすぐに解る。だから、騒いでいるのは普段ウマ娘には全く興味の無いような人間だけで、実際そういう説は集中砲火すら浴びている。それで生まれた火種は……まあ、まあ。

 

 

「ブルボンは三冠をとった、ってだけで良いのよ。良いじゃない、難しいことは考えずに喜べるならそれが一番。悪意なんか自分から触れに行くものじゃないのよ。ねースズカ」

「ですねえ」

「スズカ先輩にもあるんですか? そういうことが」

「無いですけど」

「無いんだ……」

 

 

 いや、あるよ。あるある。スズカが気にしなさすぎなだけ。普通にレースが面白くないとかやる気無いならGⅠ出るなとか言われてるから。あまりに気にしていなさすぎて問題が起こってないだけで。

 

 

「とにかく、取り立てて隠しはしないけどわざわざ伝えたりもしないわ。ブルボンが気付いたらそれはそれで説明しておしまい。解った、スカーレット」

「……まあ、トレーナーが言うなら良いけど」

「素直で偉い」

「撫でるなひっぱたくわよ」

 

 

 と言いつつセンチメンタルな気分なのか振り払いはしないスカーレット。それでもやる気が下がらないあたり、この子も本物ね。戦闘狂というか、とにかく結果で解らせる思考というのができている。

 

 この件について私にできることはほとんど無いし、URAがどう動くか……そもそも動くかどうかも解らない。わざわざ弁解とかするのかな、URAが? 性質上意味無いとは思うけどね。

 

 

「あなた達は自分のレースのために頑張んなさい。それで全部解決とは言わないけど、あなた達はちょっとくらいは名誉を共有してるのよ。チームなんだから」

「ん……うん」

 

 

 やっぱり一番賢いというか、センシティブなのはスカーレットかな。でもこの子割と周りを見る余裕があるのよね。今日は月曜日だけど、ブルボンがぼろぼろならサボってもそこまで自分の評判に影響はないことを理解してるみたいだし。

 

 

「じゃあトレーナーさん。ブルボンさんの名誉のために頑張りましょう」

「え? うん。頑張ろうね」

「明日からトレーニングです。たくさん走りましょう。ね?」

「……ぜっっっっったいにダメ」

「へぅ」

「ふふっ……スズカ先輩いつもそれじゃないですか」

 

 

 私に挨拶するまで帰らないとご両親が言うのでしばらくして病室に帰ると、ブルボン達は一家揃って号泣していた。解る解る。ライスシャワーも泣いていた。それはなんでよ。




とりたててヒトミミを悪く言いたいわけじゃないんですけど、まあ無敗三冠がかかっててほぼ同着でしかもレース後の様子があれならむしろ妥当な疑いですらあるかもしれない。不正をする理由も状況も揃ってるし。


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脳を破壊されるサイレンススズカ

前こんなの書けって言われた覚えがありました。言われて無いかもしれません。



 

「やです」

「ダメ」

「やーでーす」

「ダーメー」

 

 

 ある日。日曜日に天皇賞を控えたスズカに、私はランニング禁止を課そうとしていた。

 

 

「おかしいです。トレーナーさんはいつもそうです。私のことを何だと思ってるんですか。ウマ娘は走らないと死んじゃうんですよ。トレーナーさんは私が死んじゃっても良いんですか」

「一週間やそこらで死ぬものじゃないでしょ」

「私が特異体質かもしれないじゃないですか」

「いや実績があるし」

 

 

 ソファに座る私と、トレーナー室のドアノブを握っていつでも逃げられる構えのスズカ。逃げないのは何故か。さっき隙をついて、私とスズカの脚をロープで繋いだからである。

 

 ひとしきりスズカを説得したら、腕も繋ごうと思っている。

 

 

「とにかく、解りました。じゃあ今日だけ。今日だけ走ります。それで良いですよね?」

「そう言って明日も走るんでしょ」

「それは明日の私に言ってください」

 

 

 むむむ、と眉を顰め、尻尾もウマ耳もびゅんびゅんに動かすスズカ。こっそりロープを踏んで千切ろうとしていたので引っ張って妨害しておく。ロープに脚を取られスズカが浮いた。

 

 

「ぅぁー……」

「何してるのあなたは」

 

 

 ドアノブとロープで支えられて宙吊りになったスズカ。ロープを引くとハンモックみたいに揺れる。ドアノブを離したら顔面から落ちるけど、まあウマ娘の力なら大丈夫。

 

 しばらく吊られたスズカを楽しんだ後ゆっくり降ろし、酔ったのかそのまま寝そべってしまった愛バを抱えてソファに戻る。手錠を繋ぎ、腕と腕を縛って隣に寝転がらせる。

 

 寝たまま腕だけ私に引っ張られているの、事件性を感じるわね。

 

 

「おに……あくま……」

「そんなに残酷じゃないでしょ」

「残酷です……外を見てください、こんな日に走らないなんてどうかしています……」

「今にも降り出しそうな曇り空だけど」

「台風じゃないんですよ」

「ハードルが地面に埋まってるのよ」

 

 

 バタバタ脚を動かして猛抗議するスズカ。別にやりたければ私ごと引きずれるしロープも手錠も引きちぎれるんだけど、とりあえず今回はかなり理性が強そうだ。

 

 スペシャルウィークにも色々言われてるらしいし。直接呼び出されて、絶対に走らないでくださいね、と強く詰められたらしいし。先輩の威厳とは。

 

 

「時間がありませんトレーナーさん。週末は大荒れです。天皇賞だってできるか解らないんですよ」

「そしたら禁止期間が一週間延びるだけよ」

「約束が違います……」

「約束なんかしてないからね」

 

 

 うぅぅ、と呻き始めたスズカを抱き寄せて、膝に乗せてお腹を撫でる。私のボタンを弄り始めたのでとりあえず一旦抵抗はやめたらしい。唇を尖らせて、むむむ、とブラウスを引っ張る。お腹出ちゃうって。

 

 でもまあ、実際天皇賞は無理そうなのよね。嵐が来てるから。そうなると都合二週間の我慢になるけど……まあ大丈夫でしょう。偉い子だし。

 それに、黄金世代もトレーニングの期間が増えて助かるでしょ。相も変わらず勝てるわけはないと思うけど。

 

 

「スズカ飲み物飲む?」

「いちご……」

「ん」

 

 

 ところで、エルコンドルパサーが凱旋門で負けたらしい。結構びっくりした。あの世代で誰が一番強いかと言えば間違いなくエルコンドルパサーだったから。ともすればシンボリルドルフのような才能の暴力ができるステータスを持っていた。もっと育てば、だけど、スズカとも勝負ができたかもしれない。

 

 だが、欧州最強と名高いモンジューの前に二着に終わった。一応日本のウマ娘が凱旋門で二着というのは快挙というしかない。だけど、ギリギリまで粘っていながら最後に差された精神的ダメージは大きいだろう。

 

 私は性格が悪いので大して何も思わないけど。海外でやってる分にはスズカの脅威にもならないし、別に二着でも凄いものは凄いし。日本最強と欧州最強じゃレベルが違う。向こうは何ヵ国も含めての話だし。

 

 

 ……ああ、ただしスズカは除く、ね。この子はウマ娘の理論値だ。芝に慣れるまでは手こずっても、一度慣れてしまえば負けることはない。相手がどこの誰であろうと能力比べなら勝てる理不尽の化身がスズカだ。

 

 

「むぅ……なんですか? 走って良いよって言うつもりになりましたか? ええっ、良いんですか!? やったっ、じゃあ走ってきますね! トレーナーさんありがとうございます!」

「何も言ってないでしょーっ」

「ぁぅぁぅぁぅ」

 

 

 頬っぺたをうりうりして調子に乗らないようにしておく。いつの間にかベルトも外されていた。何してるんだか。

 

 

「脱げちゃうでしょ。腰細いんだから」

「でも夏よりフックの穴が一つずれてません?」

「そういうこと言わないで」

 

 

 恐ろしい。今度ジムとか契約しようかな。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「ところでさあ、トレーナーはさあ」

「うん」

「元カレってどんな人だったの」

 

 

 しばらくして、部屋にスカーレットが合流した。トレーニングの予約時刻まで少しあるので話していると、突然そんなことを言い出した。

 

 

「なに、いきなり」

「いや……あるでしょ、そういう話がしたい気分の時」

「あるけど、私あなたより十近く歳上よ」

「クラスでしてもさ……『私はまだまだですから、そんなこと考えてる場合じゃないですよ』って言うしかないじゃない」

「声の切り替えが凄い」

 

 

 別人がいるかと思った。トレーナー室で声が低いダイワスカーレットか。常に電話しているお母さんモードみたいな。そもそも別に色恋の話くらい優等生でもするでしょ。

 

 猫被りの台詞中は顔も可愛い笑顔に変わり、そうしていると可愛い優等生そのものになる。変わり身が凄いし、なるほど確かにこの顔の子が彼氏いますとか言うわけないと思うわ。

 

 

「変に噂が立って、異性交遊反対の先生がいたらどうするのよ。そもそも本当に全く無いんだから話そうにも全部嘘じゃない」

「まあ、そりゃそうか……出会いも無いものね」

「トレーナーが男だったらそういう匂わせもできたんだけどね。良い感じにエピソード盛っとけばそれなりに話せるでしょ」

「匂わせって……」

 

 

 別に好き好んでやるようなものじゃないでしょ。私が男だったとして、中学生に手を出したみたいな風評が立つ可能性があったってこと? スカーレットはそれで良いの? 

 

 

「で、どうなの」

「別に取り立てて話すようなことがある人じゃ……顔は良かったかな」

「良かったんだ……スズカ先輩何やってるんですか」

「いえ別に……」

 

 

 お姫様抱っこの体勢に上がってくるスズカ。下から私の顔を撮り始めた。撫でてあげると満足そうにどこかとチャットを始める。せっかくだから脚上げで腹筋をさせているけど、まったく堪えた様子がない。流石のパワーだ。

 

 

「トレーナー顔は良いもんね」

「顔はって何? 私だって傷付くけど」

「じゃあ他の取り柄があるの?」

「結構尽くすタイプよ」

「だからスズカ先輩とお風呂入ってるの?」

「彼氏とお風呂なんか入らないでしょ」

 

 

 ゼロかと言われると何とも言えないけど。少なくともスズカとは二日か三日おきに入ってる……というかスズカが寮にいる時以外は入ってるから同列にしちゃいけないでしょ。

 

 ……いやゼロだな。思えば一回も無い。まあ最後に付き合ったの高校だし当たり前か。

 

 

「好きなタイプとかいるの?」

「えー……別にこれと言ってかなあ」

「足が速い人ですよね」

「そんな小学生みたいな基準はないでしょ」

「でも私のことは好きですよね?」

「当たり前でしょーっ」

「わふわふ」

 

 

 抱き締めて顔を塞いだり放したり。今ウマ娘の好みの話はしてないのよ。隣に座らせて、スズカのスマホを覗き込む。スペシャルウィークに私の写真を送っていたらしい。

 

『見て』

『はい?』

『可愛いでしょ』

『はあ』

『え? 何ですかこのメッセージ』

『スズカさん?』

 

 

 ……マジで何してるの? 

 

 

「何これ」

「別に」

「……まあ良いけど、知らない人には送らないでね」

「フォロワーさんは?」

「良いわけなくない??」

 

 

 そうですか、と言いつつウマッターを開くスズカ……ああリプ返か。良かった。天皇賞のことでたくさん応援を貰ってるし、多少はそれに返さないとという意識もあるみたいだし。答えなくて良いタイプのやつだけ口を出しつつ、あとはスズカの首筋を撫でて眺める。

 

 

「強いて言えばとかで良いのよ。私のこの……欲を満たして」

「えー……」

「栗毛ですよね」

「別に毛の色は気にしたこと無いけど」

 

 

 尻尾やら髪やらを巻き付けてくるスズカ。もちろんスズカの毛を汚いと思うことは無いけど、何よりあなたが鬱陶しくない? 動きづらいでしょ。

 

 

「でもそれで言うなら黒髪の方が好きかも」

「えっ……」

「人間の男の話ね」

「へー……他には?」

 

 

 ぐいぐい来るなあ。語れば語るほどスズカがくっついてくるからあんまり深掘りしてほしくないんだけど。私のお腹で何かをもぐもぐしている。私の服がぐちゃぐちゃよ。

 

 タイプの次は元カレのことを質問攻めされ、十分くらい経ってひとしきり満足したらしいスカーレット。というより、自分からは話せないことに気付いてやる気を無くしたのか、つまらなそうな顔でため息をついて私の隣に座った。

 

 

「はあ……まあこれくらいで良いか」

「ま、満足した……? あの、スズカ、痛い、背中が折れちゃう」

「むー……」

「むーじゃなくて……あああおれおれおれる助けてスカーレット」

「昼間から抱き合うのやめなさいよ」

「そんなんじゃないのわかるよね! あ、あのスズカ、それ以上はやばばばばば」

「むむむ」

 

 

 スズカからの熱烈なハグが止まらない。背中が軋んできた。なんでこんなことに、私はただ恋バナをさせられていただけなのに。愛バからの愛が痛すぎる。折れる、痛い痛い痛い。

 

 額をぐりぐりしてベアハッグを続けるスズカ。煽った原因たるスカーレットが機嫌良く勉強を始めてしまったので、甘んじて受け入れるしかなくなっている。あの子、私とスズカなら何してても放置で良いと思ってるでしょ。

 

 

「す、スズカ、わかった、わかったから、ごめん、軽率に元カレの話は良くなかった、ごめんって」

「むむむむむ」

「ぐぐぐぐぐ」

 

 

 ウマ娘の独占欲を甘く見ていた。スズカはそういうの薄い方だと思ってたし、一応同性なのに。話すごとにふにゃふにゃになってすり寄ってくるのが楽しくて私も悪ノリしてた部分はあるから痛みは受け入れるけど。

 

 もちろん引き剥がすことはできないし、まあ走りたい走りたいとごねて逃げ出すよりはマシなので……いやマシか? 普通に今の方が苦痛じゃない? 私じゃなかったら絶叫してるよ。

 

 

「こ、こんにちは……ひぇっ、な、何してるんですか……?」

「ライスシャワー、ちょうど良かった助けて、死ぬ死ぬ死ぬ」

「えっ、え?」

「黒髪……」

「あだだだだだだライスシャワー早く助けてブルボンが目じゃないくらいの怪我する」

 

 

 ブルボンの病院まで毎日送り届ける約束をしているライスシャワーが来てくれて、戸惑いながらも引き剥がそうとしてくれた。

 

 ……まあ力の差で引き剥がせなくて、結局ライスシャワーの送りの時間になるまで抱き付かれたまんまだったけど。ごめんて。




『こんな態度の二人だが』

『トレーナーが恋愛感情を自覚するとバッドエンド一直線になる』


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未来を見据えるサイレンススズカ

天皇賞が来るぞ天皇賞が来るぞ天皇賞が来るぞ?


 

「でね、最終的にはバクシンオーさんが全てを壊しちゃって丸く収まったの」

「彼女らしいですね」

 

 

 天皇賞まであと二日。そろそろ週末に来る嵐の予兆が空に見え始めた頃、私は約束通りライスシャワーを病院に送り届け、ついでにしばらく留まっていた。

 

 ちなみに、毎日ライスシャワーを送り迎えするというのは私が言った。というか、言わないとライスシャワーが毎日走ってでも通おうとしたので言うしかなかった。ブルボンは私の担当だし、それを毎日お見舞いするならまあ、多少は私だって協力はする。もちろん、他ならぬライスシャワーだからというのもあるけど。

 

 

「サクラバクシンオーは気にしないの? 一応学校の備品でしょ?」

「はい。気にしちゃうと思ったので、壊した瞬間クラスのみんなで褒めてあげたんです。バクシンオーさん、素直な人だから……」

「正直な方ですからね」

 

 

 包帯ぐるぐる巻きのブルボンに、絵本でも読み聞かせるかのように学校での話を語るライスシャワー。この子達の世代もトラブルが絶えないわね。一番のトラブルメーカーであるサクラバクシンオーが一番行動力を持っているから仕方無いか。

 

 それにしても本当に楽しそうに話すな、ライスシャワーって。本当に読み聞かせとかやってみたら? 向いてるんじゃない? 声も聞いてて心地良いし。張っているわけじゃないけどちゃんと聞き取れる良いバランスの声色だ。

 

 

「そういえばライス、次走は決まりましたか」

「え、えと……まだ決めてないかな、もちろん、年末は選んでもらえたらたぶん、出るけど……」

「なるほど」

 

 

 そういえば、ブルボンと菊花賞についての諸々をライスシャワーは知ってるんだろうか。知らなかったら薮蛇なので聞くことはできないんだけど……かといって普段のライスシャワーについて詳しいわけでもないのでその様子でも判断できない。つい最近まで半分ヤンキー半分ストーカーみたいな子だと思ってたし。

 

 しかしまあ、ブルボンが何も言わないということは大丈夫なんだろうか。ブルボン曰く、ライスシャワーは一番の友人でありライバルだ。ブルボンの解りにくい感情表現を彼女はかなり正確に見極められるらしいので、逆もそれなりに然りだろう。

 

 

 一方ブルボンの気持ちはそこそこ解る。話が聞けてご機嫌だ。

 

 

「では、ステイヤーズステークスに出ませんか」

「ステイヤーズ……3600? どうして?」

「ライスは長距離の方が強いようですから。そうでしたよね、マスター」

「そうね。長ければ長いほど……まあおおむねだけど」

 

 

 適性は中長距離ともにAだがスタミナが違う。先行しておきながら京都の登りからロングスパートをかけるスタミナの暴力は、基本的にスペックでは愛バが勝っていると疑わない私でも負けを認めざるを得ない。

 

 それを考えれば3600だろうと4000だろうと問題はないはずだ。もちろん私はライスシャワーのトレーナーではないのであんまり口は出さないようにするけど。

 

 

「ライスの真の力を見ておく必要があると判断しました。当然断っていただいても構いません。中二週ですから」

「真の力……お、大袈裟だよ、ライスはそんな……それに、ステイヤーズステークスにはシニアの先輩方も出るし……」

「そうですか……マスターはどうお考えですか。ライスシャワーがステイヤーズステークスに出走した場合、どの程度勝負が可能でしょうか」

 

 

 けどまあ、スペシャルウィークのトレーニングを見たときもそうだけど、スズカやブルボン経由で言われれば私は従ってしまうのだ。完全にリードを握られている。

 

 

「全然勝ちだって見えると思うけどね。一応メジロブライトが出てくる可能性はあるけど……」

 

 

 それでもライスシャワーなら善戦できるだろう。彼女がブルボン以外を相手に爆発力を発揮できるかは解らないけど、できなくても一流ではあるし。スピードがやや足りてないような気もするけど、向こうもパワー足りてないからどっこいどっこいみたいな。

 

 

「やはりそうでしょう。ライスシャワーなら勝てます。その本領を見せてください、ライス」

「え、そ、そうかなあ? えへへ、じゃ、じゃあ頑張ろうかなあ、ブルボンさんのお願いだし、しょうがないなあ」

 

 

 ちょろかわ。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「スズカ先輩? 何してるんですか、こっちですよ」

「え、ええ。ごめんなさい、ちょっとボーッとしてて」

 

 

 ちょっとした買い物でスカーレットに誘われ、しかもよく解らないけどスズカ先輩がくっついてきた。もちろん、先輩と接点があるってのは良いことだ。メリットとかそういうのとは別に。

 

 

「ごめんなさい、衝動が……」

「ランニングコースならともかく、あれはゴーカートのコースじゃないですか」

「道には変わらないかなって……」

 

 

 一緒に回っていて、何なら俺の買い物はもう終わった。服のブランドとかはそこまでこだわってねえしな。けど、スカーレットとスズカ先輩の買い物がいつまで経っても終わらねえ。

 

 ……これが女の買い物ってやつか……俺も女だけど。会話はよく聞こえないけど、戻ってきたスカーレットが店の紙袋を俺に押し付けてきた。

 

 

「ウオッカ、ちょっとこれを持っててもらっても良いですか?」

「おい、まだ買うのかよ」

「もう少しですよ。スズカさん置いてくので見ておいてくださいね」

 

 

 今日のスカーレットは出先なので猫を被ってる。でもまあ助かったかな。普段通りのスカーレットだったらこのまま荷物も全部持たされているかもしれないし。

 

 それにしても……いくら悪天候で週末はレースできないかもって言ったって、天皇賞まであと三日だぜ。スズカ先輩をつれてきて大丈夫なのか? 連れてきた割にはこうして俺のところに置いてどっかに行っちまったし。

 

 なんかそわそわしてるっつーか……十一月になったらすぐデイリージュニア杯だから当たり前か。俺もアルテミスステークスはあるけど、不思議とそこまで緊張はしてねえ。

 

 

 ……つーかこの人全然喋らないな。いや、後輩だし俺が話を振るべきか? レースのこととか……でも、脚質が違いすぎて走り方は参考になるか微妙なんだよな……。

 

 

「あー、その、スズカ先輩。先輩、天皇賞はどうなんすか。結構最終決戦とか色々、言われてるみたいですけど……」

「え? ああ、えっと……最終決戦?」

「スペシャルウィーク先輩とかと……」

「ああ、最後、そうね、最後かも」

 

 

 休憩スペースの丸テーブルで、スズカ先輩はゴーカートのコースをじっと見ている。三番のカートがインから抜かれていったのを見て、少し尻尾を揺らした。

 

 

「でもあんまり変わらないのよ。スペちゃん達にも、頼むからいつも通りでって言われてるから。特別なレースとは思ってないんじゃない、あの子達もそうだと思うわ」

「……そんなもんすかね」

「ウオッカさんは違うの?」

 

 

 違うの、って言われてもな……俺だって、もしアルテミスがスカーレットとの直接対決だったらもう少し緊張していたかもしれない。他の奴らを軽んじるつもりはないけど、結局俺に立ち塞がってくるのはスカーレットだと思ってる。

 

 ……俺の道は俺が決める。トレーナーもそれで良いと言ってくれた。だけど、そこにスカーレットが必ずいることは解っている。決着をつけねえと胸を張って生きていけねえ。だから、クラシックは桜花賞に出るんだ。

 

 

「俺は……もしライバルと戦うことになったら特別なレースだと思います」

「スカーレットさんのこと?」

「……そうすね」

 

 

 スカーレットが戻ってこないことを確認しながら、適当に買った缶ジュースを呷る。

 

 

「スカーレットがどう思ってるか知らないすけど、やっぱライバルなんで。きっと次もスカーレットは勝つだろうし。そうなったら俺達、世代を引っ張っていくことになると思うんで」

 

 

 もうみんな言ってるみたいだったしな。世間の評判なんかどうでも良いけど、そう言われて悪い気はしねえ。どっちかと言えばスカーレットが本命で、俺はそれをぶち抜くダークヒーローの方がかっけえ感じはあるけど。

 

 

「そうね、まあその、スカーレットさんも相当緊張してるみたいだから」

「え……いや、そんなことないと思いますけどね」

「そう? じゃあそうかも? こんなにたくさん買ったりする子じゃないのかなって」

「そう言われれば、まあ」

 

 

 そういう理由でこんな衝動買いみたいなことしてるのか? それはまあ……心配? かな……あんまりそうでもないような気もする。

 

 

「私達も色々スカーレットさんに強いちゃってるから。よろしくね、色々と」

「何の話っすか」

 

 

 こっちの話よ、とニコニコしながらずっとゴーカートを眺めているスズカ先輩。

 

 

「あ、また抜かされちゃった……あの三番のカート、さっきからコーナリングが甘いのよね。もうちょっとスピードに乗ったまま曲がってくれないと」

「はは。何言ってんすか」

 

 

 ちょこちょこ冗談みたいなことも言ってるし、俺が先輩の前で緊張してるのを解そうとしてくれてるのかな。スズカ先輩だって大レースの前で、色々と思うことはあるはずなのに。さっきから目付きがレース中の鋭いものになっては、思い出したかのように平和そうなものに戻ることを繰り返している。

 

 やっぱ度量というか、そういうのがあるんだな。一番長くエルナトのトレーナーに付いていってるんだ、そりゃ鍛えられて当然か。スカーレットもそのうちそんな感じになるのかな。

 

 

 

 ……それはそれで何か嫌だな? 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「あー……なんかすっきりしたわ」

「買いすぎだっつの! バカ!」

「何よ! 良いでしょこれくらい! トレーナーのお金よ!」

「大声で言うことかよ!」

 

 

 買い物が終わったらしく呼び出されたので迎えに行くと、スカーレットがぱんぱんに戦利品を抱えていた。いやまあ、なんか固くなってたから買い物でもしたら? とは言ったけど、私の財布が。

 

 でもスカーレットもちょっと考えちゃってそうだし、これくらいは必要な貢ぎだ。スズカはレジェンドだし、ブルボンは三冠をとってしまった。本人もかなり気にするタイプだし、プレッシャーは半端じゃないだろう。使ったとはいえアウトレット品だし額はたかが知れているしね。

 

 

 ……中学生なんだし、個人的には「私のお金でしょ!」より遥かに健全に思える。トレーナーは保護者だし、年末の阪神ほどじゃないけど大事な重賞の前だし。

 

 

 ぎゃあぎゃあ後ろで言い合っている元気はあるようなので、こっちはこっちで助手席のスズカと話すことにする。珍しくスカーレットの方に行くと言うので送り出したのだけど、元々ショッピングなんかしない子だからスカーレットのバイタリティに負けてへろへろになってしまっている。

 

 

「どうだった?」

「疲れました……本当に」

「気分転換になったでしょ」

「なってません……三番が……」

「何の話?」

 

 

 今度は私も行こうかな。きゃぴきゃぴショッピングできそう。スズカやブルボンとは絶対にできないし……というよりたまには二人の私服も買っておかないと、平気で同じのを着るからね。

 

 

「あとちょっとなんだから、ね? 頑張ろうねスズカ」

「ううん……むり……」

「だからアンタのセンスは理解できないってんのよ!」

「んだと!? まっピンクのバイクはダセエって流石に解るだろ!?」

「バイクまでは合わせたんだから良いでしょ!」

「じゃあ今度髑髏と十字架付いたスカート買ってやるよ!」

「ダッッッッッサ!!!」

「はっ倒すぞ!」

 

 

 別にピンクはスカーレットの趣味でもないでしょ。たぶん髑髏もウオッカの趣味じゃなさそうだし。

 

 

「言っておくけど、アンタ私とやる前に負けたら承知しないわよ!」

「こっちの台詞だ!」

 

 

 元気ねえ。

 

 

「明日は私とお出掛けする?」

「ランニングですか!?」

「ウォーキングくらいならしてあげるわよ。二人三脚みたいに縛って」

「へぅ」

 

 

 むむむむ、と唸って窓ガラスに鼻をくっつけるスズカ。外への憧れが……いや、今すれ違ったマラソンランナーを見てただけか。目敏い。

 

 

「あれくらいのスピードなら走っても良いですか……?」

「良いけどどれくらいのスピードだったか解るの?」

「普段どれだけ走っていると思ってるんですか? もちろん解ります。時速50kmですね」

「金メダル間違いなしね」

 

 

 外からは見えにくいと思うけど、一応自分がウマ娘界の伝説って覚えておいてね、スズカ。ファンの人とかが、どう思うかとかさ。



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全て理解しているサイレンススズカ

 

「──とまあ、こんな感じだな。何か参考になっただろうか」

「はい! ありがとうございます、副会長さん!」

 

 

 十月二十二日、金曜日。記録者、ミホノブルボン。本日は、エアグルーヴさんからの要請により病室にて情報交換……情報提供を行っています。私からの開示は終了し、副会長の番です。

 

 甘味をとりながら、ということで、病院近くの甘味処で持ち帰りのスイーツを買ってくることになりました。支払いは副会長です。マスターにも好きにしてこいとの許可を頂いていますので、一日五食期間限定、スペシャルデラックスアップルパフェを注文しました。

 

 

「すまないな、大したことが言えなくて。結局スズカに勝てなかった私の言葉など、何の説得力も無いかもしれないが」

「そんなことありません! だってその、えーっと……その」

「お前のこともそこそこ解っているつもりだ。言葉を選ぶ必要は無いぞ」

「負けた方が得られるものが多いってトレーナーさんも言ってました!」

「没収」

「そんなあぁぁぁ……っ!」

 

 

 常に減量期間中であるスペシャルウィークさんは、今日も小さなアイスクリームに甘んじています。エルナトには太りやすい体質のウマ娘はいませんのでその辺りの事情は解りませんし、過去に行った体重管理も、どちらかといえばハードトレーニングによってがれないようにする措置の方が主でしたから……可哀想ですね。

 

 エアグルーヴ副会長が紅茶しか飲んでいないのは気分だそうです。私は何も気にせずライスに食べさせてもらっていますが。

 

 

「まったく……少しは言葉を選べ」

「言ってることが違うじゃないですか!」

「冗談じゃないか」

「あーっ! 食べましたね! 私のアイスを! 戦争ですよ!」

 

 

 メモリ参照。副会長のスズカさんに対しての戦績は五戦全敗です。その全て、お二人はお互いを認知したうえで走っていますので、当然対策や作戦もその数存在します。性質上、スズカさんから副会長への対策は無いでしょうが。

 

 スズカさんは恐らく今年でトゥインクルシリーズを引退します。ドリームリーグに進むかは不明ですが、少なくとも、トゥインクルでスペシャルウィークさん達と戦うのは残り二戦、天皇賞とジャパンカップのみとなります。

 

 

 ジャパンカップは海外からのウマ娘の招待が多く、日本のウマ娘は枠が限られている都合上──少なくともスズカさんとスペシャルウィークさんが弾かれることはそうそう無いでしょうが、黄金世代とスズカさんの激突は実質上明後日の天皇賞が最後です。

 

 

「でもまあ、お二人のおかげで色々知れましたし、ここからトレーナーさんと相談して、作戦を立てて……うん、良いですね」

「……ところで、ブルボン、君は良かったのか。スズカの走り方や弱点を言ってしまって」

「構いません」

 

 

 マスターにも許可を頂いています。理由は容易に推察できます。一つは、「先頭に立たせない」という究極的な対策は逃げ戦法のとれないスペシャルウィークさんには実現不可能だということ、もう一つは、「スズカさんの走り方などとうに分析されきっているから」でしょう。

 

 そして三つ目の理由は、スズカさん自身が構わないと言ったから、です。

 

 

「私はエルナトに所属している以上、スズカさんの勝利を疑うことはできません」

「相変わらずのチームだな」

「何なんですかね本当に。いや、それが良いとも言えるし、そういうスズカさんを尊敬して目指しちゃったのは私なんですけど……」

 

 

 理解者たるお二人はそれ以上私へ指摘はしませんでした。あーん。ライスの一口は大きめなので少しだけ困ります。食べさせてもらっている以上、指摘はできませんが。

 

 

「それに、皆さんは無為に広めることはしないでしょう」

「それはもちろん! 絶対に言いふらしたりはしません!」

「なら構いません」

「あ……クリームが無くなっちゃった……」

 

 

 ステータス、『驚愕』……アップルソースの部分を食べきってしまったようです。ここからはアップル要素はシャーベットのみ……よく考えて食べさせてほしいです。

 

 

「副会長こそ、一方的に誘い、代金を支払ってまでスペシャルウィークさんにそれを伝えた意図が解りません」

「……まあ、失礼を働いた懺悔の代金だ。お前を代わりにするのに等しいからな」

「副会長さん……」

「私らしくないとは言われたよ。トレーナーにも、会長にも。だが私にはもう挑戦権がない。少し重ねて夢が見たいんだ。そのためならどんな協力も惜しまない。併走を承けたのもそれが理由だ。後輩だから、友人だから、とかではなく」

 

 

 副会長は紅茶を含むと、スペシャルウィークさんが書いてきたメモを取って開きました。スズカさんと多く走ったことから得た様々な知見が書かれています。

 

 マスターは分析力においてはトレセンでも随一……特殊能力と言えるほどに……ですが、どうも偏りがある面や、レース中の挙動は軽視する傾向にあります。スズカさんのことは全て知り尽くしているでしょうが、盲信できる我々でなければ解らない言い方をしますので、エルナト外の分析にも非常に大きな価値があります。

 

 

「要するにだ、一人の友人としてスズカが負けるところが見てみたい。あのトレーナーもな」

「それは……解ります。どんな反応するんですかね、あのトレーナーさん」

「泣いて謝る可能性もあります」

「そうか……まあ大丈夫か」

「それは大丈夫なんですか……?」

 

 

 大丈夫でしょう、恐らく。スズカさんが落ち込むことはないでしょうから。お二人のうちどちらかでも本調子なら、お互いに励まし合って復帰します。その目線からすれば、

 

 

 きゅるるるる……

 

 

「え」

 

 

 ライスが顔を真っ赤にして手をバタバタとさせ始めました。持っているスプーンからクリームが飛び散って私の顔に付着しています。ライスはお二人の予定に無かったうえ本人が拒否したので取り分がありませんが……そもそも大食家なわけですからお腹も空くでしょう。

 

 

「あっ、あのあのあのっ、ご、ごめんなさい、お腹空いちゃってっ」

「え? 今お腹鳴ったのは私ですけど」

「え?」

「え?」

 

 

 ……よく解りませんが、どうしてスペシャルウィークさんはそんなに誇らしげな顔ができるんですか? 

 

 

 ぴりりりり。

 

 

 スペシャルウィークさんに何か言おうとしたとき、私の携帯電話が鳴りました。着信音からしてマスターです。当然私単独では出られませんので、代わりにライスが携帯を取り出して通話状態にしてお腹の辺りに置いてくれました。

 

 

「はい、ブルボンさん。ここで大丈夫?」

「ありがとうございます。もしもしマスター、ミホノブルボンです。何人かいますがこの状態で問題ありませんでしょうか」

 

 

 許可を頂いたので、部屋から出ようとするお二人にはそのままいていただきます。食べかけのパフェはライスにあげることにして、どこか平坦なマスターとの通話を開始します。自分の配分ミスを反省してください。

 

 内容は、少し予測していた通りでした。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「トレーナーさん」

「ん」

「お手洗い……」

「三十分くらい前に行ったでしょ」

「また行きたいかもしれないじゃないですか!」

「あなたの身体も嘘も私が一番理解してるのよ」

 

 

 ある日。台風が週末に迫り、恐らく天皇賞は延期だろうというのがトレーナー達の間でもほぼ確実になった。延期先は……慣例なら月曜日だが、収益を考えるなら天皇賞だけは日曜日にするかって感じ。

 

 そして、そのことを愛バに伝えたところ、血相を変えて走り出そうとしたので、まあまあまあと宥め誤魔化し抱き締めて撫で回して、ようやく部屋の机→私の腕→私の足→スズカの脚を手錠で縛ることに成功した。

 

 

「トレーナーさん、冷静に考えてください、週末は嵐……つまり今がラストチャンスなんです。ここで走らないと走れません」

「トイレに行きたいんじゃなかったの」

「あ、えー……い、今行かないと来週まで行けないんですよ!」

「適当だなあ」

 

 

 普段と違って本気で焦っている様子のスズカ。ウマ耳も尻尾もびゅんびゅんに動かして、妙に早口で私の腕を揺らしてくる。

 今回も普通の手錠なのでスズカなら簡単に引き千切れる……が、単純に引っ張って千切ると私の身体がばらばらになるし、走りたくて限界のスズカにはドアから遠ざかって鎖を持って千切るなんてことはできない。あほなので。

 

 

「やだやだぁ……走るぅ……」

「どちらにせよ今日だっていつ雨が降るか解らないのよ。ほらおいでスズカ」

「あぁ……」

 

 

 手錠を引っ張ってスズカを引き寄せ、膝に座らせる。動けないように髪の毛を掴んで、さらさらの栗毛を三つ編みにしたり、ロールアップにしたり。

 

 泣きそうにはなりながらも、まだ一応スペシャルウィーク達との約束は残っているらしいスズカ。と言っても許可を出したら即走りには行くだろうけど。こうして考えると、後輩達の存在はスズカを縛る鎖にはなるが、その強度はこの手錠と大して変わらないかもしれない。

 

 

「じゃあ今から天皇賞の後どうするか考えておこう? 何したい?」

「走りたいです。今すぐに」

「それ以外で」

「時速50km以上でエンジン音無しで風を切って高速で移動したいです」

「移動系以外で」

「じゃあ無いです」

 

 

 相変わらず単一の欲望しかない女、スズカ。走ること以外頭から抜けている。後ろから首もとを擽って、んー、と頭を擦り付けてくるのを受け止める。ぱたんぱたんと両脚をばたつかせながらも、とりあえず部屋にいてくれている。

 

 

「走る走る走る……もう耐えられません。私はですねトレーナーさん。なんと追い風を選んで走り続けるという特技があるんですよ。見せてあげます」

「見せなくても良いよ。無理だから」

「やってみなきゃ解りません。風は私の味方です」

「本当に味方ならこんな悪天候にならないでしょ」

「私が走らないから機嫌が悪いんですよ。走ればすぐに好転します」

「神話の生き物じゃんか」

 

 

うぁ、うぁ、と鳴き声をあげながら背もたれの私にどんどんとぶつかってくるスズカ。スカートで腰より上に脚を上げちゃいけません。

 

 

「走らせてくれたら考えます。全てはそれからです」

「人前でできるもんならやってみなさいよ」

「……スペちゃんなら何も言いませんし」

「それは喜んで良いの?悲しむべきじゃない?」

「この間……今日は寮にいますって言ったら、え?友達呼んじゃいました、って言われて追い出されたんです」

「ウケる」

 

 

 ……いい加減風が強くなってきたし、今日はもう帰った方が良いかもね。病院にも行かなきゃいけないし、嵐の中運転するのは普通に危ないし。ガタガタ鳴ってきた窓をカーテンで遮って、どっちに帰る? とスズカに聞こうとすると。

 

 

『トレーナーさん? すみません、駿川です。少しお時間よろしいですか?』

 

 

 ドアがノックされた。来ちゃったか。思ったより早かったなあ。週末に天皇賞が予定通り開催されていたら来週になった可能性もあったんだけど……まあ仕方がない。

 

 

「ごめんねスズカ。ちょっと行ってくるから帰り支度だけしておいて」

「……はい。待ってますね」

 

 

 スズカも何となく気が付いているようで、走っているとは言わずに手を振った。そのまま大人しく帰り支度を始めてくれる。ありがとうスズカ。

 

 

「ところでトレーナーさん、もしかしてジャージを着れば家まで走れたり」

「しないよ」

「……むぐ」

 

 

 ごめんね。来週はたぶん走れるからさ。許してね。




スペシャルウィークはスズカのことが大好きだし心から尊敬してます。それはそれとしてダメウマ娘とは思ってますが。


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あなたのことを、サイレンススズカ

うすあじ。スズカさんの株を上げたい……上げたくない?


 

「……それだけですか?」

「うむ! 君への処分はこれで以上だ!」

 

 

 理事長室で。理事長の本題から入るスタイルに助けられ、私はURA及びトレセンから正式に処分された。

 

 処分理由は当然、ブルボンの大怪我だ。流石に二年連続で担当が病院送りになるのは理事長といえども完全には庇えなかったらしい。事実なので積極的に否定してこなかったとはいえ、スパルタチームとしてやってきたという悪評もある。

 

 

 名誉を焦って無理なトレーニングをして二人壊したと言われても完全には否定できない。トレーニングでは怪我をさせていないのはともかく、レースで怪我をして大事に至っていないのは単なる幸運でしかない。責任が私にあるのはぐうの音も出ない真実であり、処分も覚悟していた。

 

 外部には調整と休養として伝わっていて、ブルボンが大怪我をしたのは内部のみが知っている事実。それでもなお、いや、そうだからこそ、直々に処分が下されて当然だ。

 

 

「あの、わ、私が言うのは烏滸がましいかもしれませんが、それで上層部は良いのでしょうか? 説明に比して罰が軽すぎるかと……」

「もちろん、良いはずがない! 免許剥奪の後解雇が上からの要求だ!」

 

 

 そんな私に下されたジャッジはもちろん有罪。そして、罰の内容だが。

 

 

 年内のトレーナー免許の凍結と、それに伴う謹慎……あとはもちろん権限の一時剥奪とか、減給とか……それだけ。たったこれだけ。二人潰しておいて、こんなあるか無いか解らないような罰しか下されなかった。

 

 年内も何も残り二ヶ月しか無いわけだし、確かにその間減給は受けるがトレセンはそもそもの給料が良い。普通の企業のフル支給より高いお金で有給をとっているのと等しくなる。

 

 

「では何故」

「私情ッ!」

 

 

 ばっと開いた扇子に、大きく権力ッ! と書いてあった。ええ……。

 

 

「確かに君は二人のウマ娘に怪我を負わせた。二人とも、場合によっては選手生命を絶たれていた可能性もある」

「……はい」

「だが、それに並ぶほどのものをもたらした! 故に私情ッ! 自らの身を犠牲にしてでも夢を掴む姿勢を私は否定しない! 過程はどうあれ二人が目標に届いたならば良し! あえて言おう、君を罰するのは形だけのものであると!」

 

 

 ……理事長。

 

 

「それに、他にも理由はある。君に言うべき綺麗な理由と、言うべきでない汚い大人の理由もな! 収益とか!」

 

 

 理事長……。解るんですけど、今は……いや、理事長なりの冗談か。にんまりして顔の半分を隠す。どう見ても子供で実年齢も解らないが、この人は私なんかよりずっと賢くてウマ娘について熱い人だ。だからこそ、この人が良いと言うなら良いんだろうと思える。少なくともウマ娘を幸せにすることにおいて、この人より深い人は存在しないだろう。

 

 

「まあそれは冗談半分として、だ。いずれにせよ、第一はウマ娘でなければならない! ここはそういう場所であり……三人には君が必要だ、そうだろう?」

「……ありがとうございます……」

「長期休暇と思って休むと良い。来年には復帰するのだ、部屋もそのまま使用することを特別に許可する!」

 

 

 つまり、私は何も変わらないということだ。変わるのは……ああ、スカーレットを他のチームに一旦でも動かさないと、無所属になってしまっては阪神ジュベナイルフィリーズの登録権が得られない。それだけか。

 

 ブルボンは元々年内は走れないし走らない。スズカは……こうなれば今年で引退ということになる。宝塚がラストランだったことに。

 

 

「これからもウマ娘のため尽くすように!」

「はい……ありがとうございます」

「ついでにチームメンバーを増やすというのは」

「失礼します!」

 

 

 あぶねえ。説教を食らった人間の態度ではなかったな。でもまだメンバーを増やすような余裕はないし、私は少人数が向いていると自分でも思うし。

 

 理事長室を出た私はそのままブルボンに電話をして、スカーレットにメッセージを入れておく。年内はエルナトが実質解散になるため、二人にはトレーニング場所の予約手続とかの関係でどこか適当なチームに入ってもらうことになるからね。ブルボンは年内完全休養でも良いような気はするけど。

 

 

 確かブルボンは今スペシャルウィーク達と一緒にいるんだっけ。彼女達黄金世代には悪いことをした。他はともかく特にスペシャルウィーク……何度もスズカへのリベンジを思っていたのに、結局勝ち逃げをする形になった。まあほら、宝塚は戦ったからセーフでしょ。

 

 もちろんスズカと何回戦ったところで、今のところスペシャルウィークに負けるとは思えないけど。ダービーの時は確かに爆発的な力を発揮していた……けど、それからというものそれが見られない。勝ってはいるけど。

 

 

「ただいま、スズカ」

「お帰りなさい……どうでした?」

「軽く済んだよ。理事長には感謝しないとね」

「それは何よりです。じゃあしばらくお休みですね」

「そうだね」

 

 

 一応出勤はするからここには来るけど、何をするわけでもないし。元々私が独自でチームのためにやってる仕事は少ないので、ほとんどすることはなくなる。それはそれで嫌かも。

 

 

「まあ、ちょうど良いんじゃない。人間、お休みが多くてダメなことはないわ」

「……そうですか」

 

 

 私の影響でスズカはもう引退になる。スズカにはちゃんと正直に全て説明した。全て聞いて、しかしスズカは特に何を言うこともなく、良かったですね、で終わらせた。お互いに、もはや処分は解りきっていたみたいだ。

 

 私の分も荷物を纏めてくれたようで、普段使いの鞄を渡される。それから、スマホの画面を見せてきた。

 

 

「じゃあ、どこかお出掛けしましょう。電車も飛行機も、まだ動いてますし。もちろん車でも良いですよ。西の方に向かえばちょうど台風も抜けられますし」

「スズカ」

「せっかくですから、ね?」

 

 

 ……何となくどういう気持ちかは解る。スズカと私だからね。でもまあ、実質保護者としてこれから嵐って時に外出はさせられないかな。まだ行けるとは私も思うけど。

 

 

「色々明けたらね」

「じゃあお休みの連絡をしておきますね」

「サボるの?」

「ダメですか?」

 

 

 ダメでしょ。別に断言はできたけど、しないことにした。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 その日もライスはブルボンさんのところに行きました。トレーニングと並行して、毎日お見舞いに行くのが新しい日課です。菊花賞までは、ブルボンさんと同じトレーニングをしていたから放課後に動くなんて考えられなかったんですけど。

 

 送り迎えはブルボンさんのトレーナーさんがやってくれています。ライスは走ると言ったんだけど、それは勘弁してって言われちゃったので。

 

 

 今日も迎えに来てもらったんですけど、トレセンの駐車場から寮まで遠くて……雨も風も酷いので、週末はトレーナーさんの家に泊めてもらうことになりました。電話で伝えた時の寮長さんの「エルナトなら良いよ」という言葉が忘れられません。

 

 

「適当に過ごしてね。ちょっと濡れちゃったしタオルとか……お風呂入っても良いからね」

「あ、ありがとうございます……」

 

 

 なんか、トレーナーさんのお部屋……手すりとか、トレセンのパンフレットにあったお部屋と違うような……? テーブルもなんか大きいし……。

 

 

「ライスシャワーは何か嫌いな食べ物ある?」

「あ、いえ、何でも大丈夫……です」

「ん。まだギリ外出られるし、私は買い出し行ってくるからさ、あとはスズカに聞いて。大体何でも知ってるから」

「あ、じゃあライスもお手伝いをっ」

「気にしないで。一人で大丈夫だから」

 

 

 でも、とライスは何とかついていこうとしました。泊めてもらうのにお買い物の手伝いもできないなんて良くありません。それに、ライスの食べるものも買うならライスのお財布を持っていかないと。

 

 

「よろしく、スズカ」

「はい。行ってらっしゃい、トレーナーさん」

「わぷわぷ」

 

 

 でも、後ろからスズカ先輩に抱き締められ、口を塞がれてしまいました。ライスはパワーにはちょっと自信がないので、そのまま部屋まで引きずられます。

 

 

「あ、あの、あのっ、お手伝いを……あとお金……」

「外に出たら危ないわ。それに、ライスさんがお金を出したらトレーナーさんも困っちゃうし」

 

 

 そ、そんなこと言われても、あっ行っちゃった……どうしよう、ライス、どうしたら……? 

 

 

「じゃあ待ってましょうか。お風呂入る? 用意するけど。もし気になるならお掃除をお願いしても良い?」

「は、はい! やります!」

「ありがとう。道具とか説明するから、よろしくね」

 

 

 よ、良かった、何もしないのに泊めてもらう悪い子になるところでした……友達の家でもそういうわけにはいかないのに、自分のでもないトレーナーさんの家でなんて。

 

 掃除用具を説明してもらい、早速お掃除に取り掛かります。泊めてもらうんですから、ぴかぴかにしたいですよね。幸い、ライスはお掃除お片付けにはちょっと自信があります。ライスの周囲はライスの不幸のせいですぐにくしゃくしゃになっちゃうので、何とかするために頑張って覚えました。

 

 

 お風呂の中は普通……なのかな? でもやっぱり何か違うような感じもします。ライスが何もしなくてもとても綺麗です。トレーナーさんかスズカ先輩が綺麗好きなのかな。

 

 

 しばらくちゃんとお風呂を洗って、言われた通りお湯を張ります。とりあえずこれで良いはず。何度も栓を確認してから部屋に戻ると、スズカ先輩は神経衰弱をしていました。

 

 

「お、終わりましたっ」

「ありがとうね。ライスさんもやる? トランプ」

「あ、じゃあ……」

 

 

 というわけでスピードをやることになりました。とりあえずゆっくり、トレーナーさんを待つつもりでということで、軽くやります。どうしてかにこにこ笑うスズカ先輩……でもこの人は、現トゥインクル最強のウマ娘さんです。ライスがあれだけ頑張ってやっとハナ差のブルボンさんより遥かに強い……あのブルボンさんが、まだ勝てないと断言する人です。

 

 そんな人とトランプで遊んでいるライス。訳が解りません。しばらく無言でひたすら続けて、三十分くらい経ちました。スズカ先輩は何も言いません。

 

 

 ……もしかして、ライス、何か話さなきゃいけないのかな。でも確かにライスが後輩だし、話題、話題……うぅん……

 

 

「そういえば、ライスさん」

「ひゃいっ!」

「ブルボンさんの様子はどう?」

「あ……げ、元気そうです。ご飯もたくさん食べてるし、その」

 

 

 ぐうう。

 

 

「……ぁぅ」

「お腹空いた?」

 

 

 お、お腹鳴っちゃった……お昼も食べたのに……中途半端にパフェを食べたからかな……もしくはお財布のお金が足りなくておかずが一品少なかったから……? 

 

 大きな音がしたので、それを聞いたスズカさんがくすくすと笑います。最後の一枚を場に出して、七連勝を決めてから、内緒よ、と指をしーしてキッチンに連れていってくれました。

 

 

「ちょっとだけご飯、作って食べちゃおうか。目玉焼きとか、肉野菜炒めとか、簡単なものになっちゃうけど」

「でも、晩御飯前なのに……」

「だから、内緒」

 

 

 匂いとか、洗い物とか、そもそも食材が無くなるのだから絶対にバレます。でも、じゃじゃん、と冷蔵庫から出されたお肉の誘惑にライスは勝てませんでした。ライスは悪い子です。お腹が空いてしまったのです。卵料理はライスが担当することになりました。

 

 

 そして。

 

 

 

「ただいま……え、何してるの?」

「トレーナーさん……お、お腹空いちゃって、ご飯作ったんですけど……」

 

 

 あむ。

 

 

「え……うわ、またやったのスズカ」

「す、すみません……」

「味無し野菜炒めほど不味いものもないでしょ……どうやったら野菜炒めの味付けを忘れられるの」

 

 

 あむ。

 

 

「ライスシャワーも無理して食べなくて良いからね? 今から私作るし、これはスズカが責任持って食べるから」

「トレーナーさんも食べてください……」

「ウマ娘と違って私には胃袋の限界があるのよ。大事な晩御飯をこんなもので消費できないわ」

「わーっ」

 

 

 あむ。

 

 

「ライスシャワー? そんな、辛そうにしてまで食べなくて良いから!」

「えと、ど、どうしましょう、何も反応してくれなくて」

「ライスシャワー?ライスシャワー!返事をしてライスシャワー!」

 

 

 あむ。

 

 あむ。

 

 あむ。



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一段上にいるサイレンススズカ

スズカ先輩って打つの面倒だったのでスズカさんになりました。一日で距離が縮まったのかもしれへんし。


 

 どうやら、スズカ先輩はそんなに怖い人じゃなさそうです。

 

 

 ライスだけじゃないけど、トレセン学園におけるスズカ先輩はとても怖い……ストイック? 真面目? な人です。

 

 あのエルナトに入っているのもそうだし、レースの時の鬼気迫る表情とか、いつも何を考えているのか解らない態度とか、とにかくミステリアスで不思議な人と思われています。ライスもそう思ってました。

 

 

 でも、トレーナーさんの家に転がり込んで一日、土曜日の昼、ライスは気付きました。あっ、この人はただ気ままに生きてるだけなんだな、って。

 

 

「あ、ここ良いですね。ここにしません? ここが良いです」

「あなた今ランニングコース併設しか見てなかったでしょ」

「そんなことないですよ……?」

 

 

 急遽泊まることになったので、することがありません。スズカ先輩に教科書を借りて勉強をしていますが、同じリビングで、二人は一つのスマホを眺めています。

 

 

「でも一番大事ですよね?」

「でも露天風呂が無いのよ。それに併設されてなくて良いじゃない。どうせ移動するでしょ」

「違います。走った後そのままお風呂に入れるし、お風呂に入った後そのまま走れるのが良いんじゃないですか」

「言っておくけど、いくら何でも走りすぎたら止めるからね」

 

 

 ソファに座るトレーナーさんと、スマホを持つ手を枕に膝の上に寝転がるスズカ先輩。昨日からずっとこんな感じです。距離が近いというか、何というか。

 

 なので、ライスは勉強どころではありません。話し声で集中できないとかではなく、本当にここにいて良いのか、不思議なオーラで追い出されそうな感じです。歓迎されているのは解ってるんですけど……

 

 

「嫌です。半日は走ります」

「だめー」

「むきゅ」

「走っちゃダメよ。はい解りました。うん偉い」

「んぐぐ」

 

 

 ほっぺたに手を回して、うんうんとスズカ先輩の顔を動かしています。

 

 

「走って良いですか? うん良いよ。ありがとうございます」

「いだだだだだスズカ痛い痛い首から腰にかけて死んじゃうから」

「走れるなら安いものです」

「背骨は命に関わるから……!」

 

 

 顔を両手で掴んで、無理やり頷かせています。

 

 

 昨日の夜も普通にお風呂に一緒に入っていました。確かに二人くらいなら入れそうでしたけど、入れるからって普通入りません。ブルボンさんが言ってたこと、本当だったんだ。え? 恋人さんかな? 

 

 

「ここは?」

「そこ露天風呂が混浴じゃん。やっぱり前行ったところが良いんだって。スズカも感触良さげだったじゃんか」

「んー……せっかくだし別のところを探したって良いじゃないですか。解りませんか? この繊細な乙女心が」

「繊細……?」

「ぱんちしますよ」

 

 

 ベッドなんか一つしかないし。一応お客さん用の布団はあったみたいで貸してもらって部屋の床で寝たけど、二人と同じ部屋で寝て大丈夫かな? 邪魔じゃないかな? と昨日の夜はドキドキしてしばらく眠れませんでした。何もなかったのでいけない子なのはライスでした。死にたいです。

 

 だけど、なるほど、ブルボンさんが楽しそうに色々話してくれるのが全部本当だってことも解ったし、あ、ブルボンさんももしかしてこんな感じになりたいのかな、というのも気付きました。

 

 

「ここは……ウマ娘用のプランが無いですね」

「別料金でも良いけど……走らなきゃ人間のご飯でも二日くらい何とかなるんじゃない?」

「一時間で飢えますよ」

「どれだけ走るつもり……?」

 

 

 ちらりちらり二人を眺めていると、結婚するとこんな感じなのかなあ、と思えてきます。もちろん二人はそういう関係じゃないし、それはブルボンさんも言っていたんだけど、もしかしてブルボンさんがよく解ってないだけじゃない? これ。

 

 

「これは?」

「あー……良いかもね。新幹線になるけど。でも大丈夫? 雪が降ってるかもよ?」

「雪が降ってるから何ですか? 豪雪でも走りますよ私は」

「強いなあ」

 

 

 どれだけ走りたいの? 

 

 

「言っておくけど雪でも雨でも降ってたらダメだし、降ってなくても積もってたら走らせないから」

「そんな……残酷な仕打ちですよそんなの!」

「大人の判断よ」

「むぅ」

 

 

 言い合いの途中もずっとお互いに触れ合っているというか……もしかしたらトレーナーが女の人だとみんなこうなのかな。その方があり得るかもしれません。今度誰かに……女のトレーナーさん、あんまり見たことないけど。

 

 

「そうだライスシャワー、お昼は何食べたい?」

「ひゅっ」

「ひゅ?」

「あ、いえ、あの、な、何でも大丈夫です……というか食費……」

「お米と麺どっちが良い? おうどんか……炒飯とか、一つの鍋でできるものなら何でも作るけど」

「じゃ、じゃあおうどん……」

「はーい。スズカ、ちゃんと選んどくのよ」

「あい……」

 

 

 そういえばもうお昼の時間です。ライスは早起きさんなんですが、昨日の夜は眠れなかったし、お二人も「流石にこんな時まで早起きしない」だそうで。こんな時……嵐のことかな。

 

 キッチンは姿が見えて声が届く距離とはいえ、ウマ娘向けの量を作るとなるとトレーナーさんも話す余裕はありません。またスズカさんと二人きりです。

 

 

 むむむ、と唸りながら引き続き温泉旅館を探しているらしいスズカさん。小規模チームはこういう時はちょっぴり羨ましくなります。ライスももっと最初から積極的になれたらトレーナーさんがいたのかもしれません。

 

 ……そうだ。

 

 

「す、スズカさん」

「ん、なに?」

「スズカさんはどうやって、トレーナーさんと契約したんですか?」

 

 

 せっかくなので今日こそライスから話題を振ってみることにします。たぶんお互い黙っていたらいつまでも無言になってしまうと思うので。スズカさんは結構会話無しでいられる人みたいだし、気まずかったらライスから話さないといけません。

 

 

「んー……まあ、別に変わったことじゃないと思うわ。普通の、専属の子達と一緒」

「はあ……」

「夜にいつも通り走ってたらね、突然トレーナーさんが来て、私と一緒に走ってほしいって」

「普通……?」

 

 

 ライス、聞いたことないけどな、そんなの。怖くなっちゃった。知らない人にそんなことされたらビックリしちゃうよ。

 

 

「先頭を好きに走って良いって言うから、良いかなって。色々あったりもしたけど」

「揉めたんですか……?」

「ちょっとだけ。前のトレーナーさんも良い人だったから、ほんのちょっとだけね」

 

 

 確か、ジュニアからクラシック前半までは他のトレーナーさんだったはずでした。そことも確か専属だったはずなので、もしかしたらスズカさんはそういう意味でも凄い人なのかもしれません。

 

 テーブルの上のコーヒーカップを両手で包んで、体操座りのままゆらゆらと揺れています。横顔がとても綺麗でした。嬉しそうに微笑むスズカさんが、あまりにも眩しくて目を逸らしてしまいます。

 

 

「それで、夏で色々あって、今って感じ」

 

 

 夏に何があったの……? 

 

 

「大変なこととか、無いんですか?」

「ちゃんと約束通り走らせてくれるし、先頭で走れてるし、で、勝ててるから……特に無いかな。勝ち負けなんてどうでも良いけど、お金は必要だから」

 

 

 勝ててる、という言葉の重みをライスは知っています。本当なら、「勝ててるから」とか「勝ち負けなんてどうでも良いけど」なんてこと、普通のウマ娘は言えません。上手く言えないけど、やっぱり、ライス達とは根本的に違います。この人は、勝つために生まれてきているんだ、と思いました。

 

 だから、ライスはぽろっと聞いてしまいました。

 

 

「勝って、何か言われたことはあるんですか?」

「何かって?」

「その、わ、悪いこと……とか……」

 

 

 菊花賞の時も、その後も。ブルボンさんは良くないことを言われ続けています。見てはいけない、見ない方がいいと思いながら、ライスはいつまでもそれらを見てしまいます。

 

 そして、ライスにも。もしライスが勝っていたら……という言葉で、勝たなくて良かったなんて。ブルボンさんがそれらを見ることは絶対に無いと思うけど、それでもやっぱり気になってしまいます。

 

 

 こんな質問をされたらスズカさんも困ってしまう、そう思って、すぐにライスは撤回しようとしました。しかし、忘れてください、と一言言う前に、スズカさんはスマホを取り出しました。

 

 

「調べる?」

 

 

 !? 

 

 

「ウマッターで良いか。んと……『サイレンススズカ』、どんなかな……悪いこと、悪いこと……『悪い』」

 

 

 この人は……無敵……? 

 

 

「あ、『遅い』……とか?」

 

 

 何をしているんでしょう、スズカさんは。本当に? 信じられません。わざわざ自分の悪いところを調べるなんて……いや、ライスもやってるけど、なんかそれとは違うような……

 

 

「スズカさんに遅いって」

「え?」

「ひっ……お、遅いって言える人はいないんじゃないかって……」

「ああ……そうよね」

 

 

 今一瞬、信じられないくらいの圧力が飛んできたような……き、気のせいかな? 気のせいだよね。そんな、怖くなるような威圧を出せるウマ娘なんていないよね。うん。

 

 

「『遅い』……『のろい』……『にぶい』……」

「一旦スピードから離れませんか……?」

 

 

 ちゃんと気のせいでした。眉間に皺は寄ってますけど、むむむ、と唸る姿は可愛いスズカさんのままです。検索ワードはおかしいですけど。後ろから覗いてみるけど、いくら何でも今のスズカさんにそんなことを言える人はいません。たまに無理やり言ってる人はいても、流石にそれはライスでも大丈夫なやつです。

 

 

 しばらく検索をしていたスズカさんでしたが、何故か悪口の語彙がスピードに関連するものしかなかったので調べ尽くしてしまったようで、ライスに検索ワードを言うよう要求してきました。

 

 

「えっ」

「私じゃもう思い付かないし……何かあると思う? 私の悪いところで、みんなが知ってそうなこと……」

「ええっ」

 

 

 言えません。まずそこまで知らないというのもあるけど、それ以上にこの状況でそんなこと直接言えるはずがありません。スズカさんは全く気にしていないようだったのでたぶん素なんでしょうけど、ブルボンさんと言いスズカさんと言い、天然さんが集まるチームなんでしょうか。ライスがしっかりしなきゃ……! 

 

 

「あ、あの! ライスはそういうこと、調べない方が」

「トレーナーさんは知ってますか? 私が言われてそうな悪口」

「まあねー」

 

 

 トレーナーさん!? 

 

 

「『つまらない』とか『邪魔』とか『かわいそう』とか『貧乳』とか」

「一個だけ褒められてません?」

「スズカにとってはね。ド直球侮辱セクハラなんだけど」

 

 

 この二人の感覚が解らなくなってきました。心無い言葉は誰であっても傷付ける、とライスは教わってきたんですけど、悪口を言うトレーナーさんもそれを入力するスズカさんも何も感じ入るところはないように見えます。

 

 これが心の強さなんでしょうか? そういう言葉に負けないことが大切ということなのかな。早速検索して出てきた呟きを見ていくスズカさんからも、傷付いている様子は全くありません。

 

 

「結構あるわね」

「え、あ、あの……何ともないんですか?」

「え? 何が?」

「はいはい。何も起きないから検索はやめようね」

 

 

 きょとんとして眺めているうちに、トレーナーさんがお鍋を運んできてくれました。だしと醤油とお野菜のいい匂いがします。鍋敷きを敷いて、ライスの前に置いてくれます。美味しそう……! 

 

 

「ごめんねライスシャワー。たぶんそういう気持ちはスズカには解らないと思うわ」

「む……なんですか、せっかく人が後輩のために頑張ってるのに」

「勝者の悩みとは無縁だからよ。勝った意識すら曖昧なんだから。他に相談した方が良いかもよ、ライスシャワー?」

「あ……はい」

 

 

 聞けば聞くほど、あ、この人はもうライスなんかとは別のところにいるんだな、と思えてきます。成績を見るよりずっと強く、『異次元』という称号が似合っていると理解できます。普通のウマ娘とは明らかに違う。だからブルボンさん、スズカさんは役に立たないときは本当に役に立たないみたいなこと言ってたんだ。

 

 

 ぐうう……

 

 

「あう」

 

 

 あ、後のことは食べてから考えよう……うん、そうしよう。お腹空いたんだもんね。美味しいものを前に出されたらお腹鳴っちゃうのはウマ娘として普通だし。ブルボンさんも、たくさん食べられるのは凄いって言ってたし。これはライス悪くないよ。恥ずかしくない、恥ずかしくない。

 

 

「大きな音ね」

「ぁぅ」

 

 

 恥ずかしくない……! 恥ずかしくない……!




これで株爆上がりやろなあ……


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一番知ってる、ダイワスカーレット

 

「あー……しんどい。つらい」

「そういう時はランニングですよ。走れば悩みはどうでも良くなります」

「疲れきって何がなんだか解らなくなるだけじゃない」

「それでも悩みが飛んでいることに変わりはないですよ」

 

 

 ある日。スズカとの旅行の日程を決め、その出発前日のこと。嵐も過ぎ去り少し天気が回復して、いつも通りライスシャワーを連れて病院に来ることができるようになった。

 

 ところで、ライスシャワーって走り以外でも怖い子ね。気弱な感じで話してくるから勘違いしそうになったけど、嵐でも構わずブルボンのところに行こうとしたもんね。二人がかりで……主にスズカが力ずくで止めたけど、「ブルボンさんを一人にできない……!」とか言って。看護師さんとか良くしてくれてるからさ。

 

 

 他にも夜、布団のなかでなんか呟いてるし。起きてるみたいだから何も言わなかったし、ちゃんと聞き取れるスズカ曰く別に放っておいても良いらしいから放置したけど。

 

 

「それはただの現実逃避ではないですか?」

「何言ってるのブルボンさん。これは解決よ。どうでも良いと思えば悩みは悩みじゃなくなるもの」

「……!」

「ブルボンさん? 確かに、みたいな顔しないで?」

 

 

 で、今私はスカーレットをパシらせて、病室でお喋りしながら覚悟を決めている。持ってきた鞄の中には、チーム移籍届が入っていた。ちなみにスカーレットは率先して、それはそれは嬉しそうに自分からパシった。

 

 

 話を戻すが、私がトレーナー免許を凍結されることで、エルナトというチームは書類上存在しなくなる。つまり、私が持つ三人のウマ娘はトレーナーがいないことになる。

 

 そのため、『トレーナーがついていること』が条件であるレース出走はできない。そして、トレーニング施設の予約も、基本的にはトレーナーがついている方が優先される。チームか専属かは平等だが、無所属かどうかについては普通に厳しいのだ。もちろん配慮もあるけど。

 

 

 よって、ブルボンとスカーレットには一時的に移籍してもらう。ブルボンはかなり速いペースで回復してきていて年内に軽いトレーニングくらいなら復帰できるし、スカーレットには阪神がある。とりあえずブルボンは身動きが取れないのでライスシャワーのいるところにお願いして籍を移した。

 

 

 で、それの何が問題かって、一時的にでもブルボンとスカーレットを手放すことになるということ。そして、そのまま戻ってこない可能性。特にスカーレットは。

 

 別に、私だって絶対そうなると思っているわけじゃない。二人のことを大事にしてきたつもりではあるし、関係も良いと思っている。ブルボンがそうそう私から離れることはないだろう。

 

 

 だけど、結局二人は他のチームを知らないし、普段から不満があった、なんてことになればこれがチャンスになる。

 

 実際、スカーレットなんかは悪名高い私のところより、他のところの方が良いのかもしれないし。あの子なら絶対に引く手数多だ。来年のクラシックの主役と言っても良い子だからね。

 

 

 そうなると、まあ、戻ってきてくれない可能性だってゼロじゃない。自分から解消を言い出せないから今いるだけってこともあるかもしれない。昨晩スズカは「大丈夫だと思いますけどね」とは言ってくれたが、流石にはいそうですかとはならないわけで。

 

 

「お待たせしました。飲み物買ってきましたよ」

「お、ありがとー」

 

 

 割と本気で憂鬱だし、でもやらないわけにはいかない。ただ……まあ、こうなってしまったことは仕方無いが、しかし、私やブルボンが選択を間違えたとは思っていない。死んでも良いから三冠をとるというのは二人で共有したことだ。仮に本当に死んで私が責任を取って檻の中に入っても後悔はしない。

 

 

「これがトレーナーさんの紅茶、スズカ先輩はイチゴ、ブルボン先輩はリンゴ……ライス先輩は本当にいらなかったんですか?」

「うん。お水あるから」

 

 

 どんな感じで言い出すのが良いんだろうなあ。あんまり真面目にならない方が良いのかな。もしくは直接言って頼むとか……それは圧になっちゃうか。今さら私の言葉に圧があるかは解らないけど。

 

 

 飲み物の配分も終わり、五人で不思議と黙る時間になる。狙っていなくても、誰も率先して話さなくなることがあるのだ、私達は。別に不快じゃないし。

 

 しかし、いつまでも黙っているわけにはいかない。私は書類を取り出し、スカーレットに手渡した。

 

 

「はいこれ、スカーレット」

「……なんです、これ?」

「チーム移籍届。しばらく他のチームにいてもらうことになるからさ。ブルボンも。とりあえず年内は」

「……はあ」

 

 

 いやあ怖い。これで「やっぱり向こうにこのまま残ります」とか言われたら泣くかもしれない。でもそれを言われるだけのことを私がしているという事実。

 

 ……まあ、ちゃんと戻ってきてくれるとは思うし、信じているけど。私が勝手に不安になっているだけでね。

 

 

「すぐに出さないとデイリー杯が厳しくなっちゃうから。一応登録はしてあるけど変更の手続きもあるし、早めに。年明けに戻ってくるためのやつも渡すから、よろしくね」

「……そうですか。そう……」

 

 

 スカーレットの様子が変わった。俯いて、インテークが目を隠す。影になった顔のところから、輝くような紅がこっちを睨み付けていた。視界の端で、スズカとブルボンの合図を受けたライスシャワーが目を瞑り、ウマ耳を塞いで押さえている。

 

 目を伏せたまましばらく震えていたスカーレットが、ゆっくりと顔を上げた。縦瞳孔がまっすぐに射貫いてくる。書類を震える手で適当に折り畳んで、私の胸元に突き付けた。

 

 

「……なんて顔してんの」

「え?」

 

 

 ライスシャワーは目も耳も塞いでいる。しかしそれでも病室に誰かが入ってこないとも限らないし、声を出せば目立つだろう。声そのものは大きくはない。しかし、それ以上に底冷えのする声でスカーレットは言った。

 

 

「何の了見で私に媚びた顔してんのよって聞いてんのよ……!」

「……そんな顔」

「してる……ムカつく、なんでアンタにそんな顔されなきゃなんないわけ……!? あああっ、もう!」

 

 

 突き付けていた書類は私が受け取らないので地面に落ちる。代わりにスカーレットの頭がぶつかってきた。

 

 

「……このっ……ぐ……うう……ああ!」

 

 

 私が何かを返す前に、ゆっくり優しく突き飛ばされる。人間としても弱い力で怯まされ、その間にスカーレットが早足に病室の扉を開けた。

 

 

「スカー……」

「ついてこないで!」

 

 

 ゆっくり扉が閉まり、スカーレットが消える。一気に病室が静まり、無表情で寝たままのブルボンと目を耳を塞いだライスシャワー、あらあら、みたいな顔でイチゴジュースを飲むスズカが残される。

 

 

「んー……私、そんな顔してた?」

「まあ、少し。でも8:2だと思います、悪さは」

「どっちが8?」

「もちろんトレーナーさんです」

 

 

 そっかあ。まあ、私が悪くなくても追い掛けないとね。たぶん走って帰ったんだろうから、向こうが先にトレセンに着く。探すのも、そこそこ簡単にできるはずだ。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

「おおスカーレット、お帰り。あのよ……」

「……っ!」

「……ん?」

 

 

 ばん! と乱暴にドアが開いて、スカーレットが帰ってきた。結構珍しいな。寮には他の奴らもいるから、ドアを閉めるまでは丁寧なのが普通なのに。

 

 今日はトレーニングをしなかったのか、トレセンの制服のままだ。かく言う俺も今日は休みだったから、暇になって雑誌を読んでるだけだけど。

 

 

 スカーレットは俺の言葉には何も返さずに、そのまま自分のベッドに倒れ込んだ。一瞬怪我か何かかと思ったが、スカーレット自身も言ってたしな、「エルナトのトレーニングは死ぬほどキツいけど、絶対に怪我はしない」って。

 

 

 挨拶くらいしろよ、と言ってやりたかったが、何となく様子がおかしいような……耳は絞ってるし、尻尾も振り方が荒い。機嫌が悪い時は触れないに限る。とばっちりが来たら嫌だからな。

 

 

「……っ! あぁ、もう!!!」

 

 

 よっぽどのことがあったのか、壊れるんじゃないかって勢いでベッドを殴り付けるスカーレット。そもそも、綺麗好きのこいつが外から帰ってそのままベッドに入るなんか信じられねえ。相当キてんな、これは。

 

 

 枕に顔を埋めて、どん! どん! と拳を叩きつけるスカーレット。おーおー、荒れてる荒れてる。こいつがこんなにキレてんのは、前回はいつだったかな……ああ、ミホノブルボン先輩をコケにした雑誌を見つけた時か。あれは俺もムカついたな……。

 

 今回は何だろうな。大体自分にキレてるか友達のためにキレてるかなんだけど、同じ熱量で怒るから区別がつかねえ。

 

 

「……っ! ……っ!!」

 

 

 ……一旦部屋出るか? 一人にした方がいいかもな。というか、普通に伝えなきゃいけないこともあるんだけど。まあ一旦言っとくか。

 

 

「一応伝言だから伝えとくぜ。俺のトレーナーがよ、年内の一時移籍先として面倒を見てくれるって言ってたんだ。必要ならトレーニングなんかも見るってよ。もちろんスカーレットには必要ない……と、思うけど……」

 

 

 言ってる最中、スカーレットがこっちを見ていた。瞳が潤んでいる。何があったか知らねえが、しかし、とにかく何かはあったんだ。

 

 ……何泣いてんだ。一体何があったんだよ。いつもなら勝手にキレて勝手に落ち着いてるじゃねえかよ。俺より賢いんじゃないのか。泣くなよ、何があっても。

 

 

「……伝えたかんな。俺はしばらく出掛ける」

 

 

 財布しか入ってねえ鞄を掴んで部屋を出た。ドア一枚しかないんだ、ドアに凭れれば何が起こってるかは簡単に解る。お互いにその場から動いてねえ。俺が外にいると解ってても、スカーレットは変わらずベッドをぶん殴ってるだけだ。

 

 

 

 ……くそ、しょうがねえな。今回だけだぞ。今回だけ、こんなこと俺には向いてないんだからな。

 

 

「……よお、スカーレット」

 

 

 少し深呼吸をして、部屋に戻る。疲れたのか、ベッドを殴るのはやめていた。落ち着いたわけじゃないことは、俺を無視していることから解る。これもこいつなりの気遣いだ。キレてる時に喋ると強く当たりすぎちまうから、誰とも話さない。特に俺やマーチャンやチームメイトとか、仲の良い奴には。

 

 

「その……なんだ。荷物の整理を忘れててよ。で……あー……その間、ちょっと暇だから……うん、暇だから、少しくらいなら、話を聞いてやらんことも……ない、みたいな、そんな感じだ。うん」

「……」

「いらないなら、良いんだ。いらないなら……お前がそれで良いなら、俺は」

「……ウオッカ」

 

 

 くそ、顔が熱くなってきた。何て言ったら良いんだ。余計なことは言いたくねえ。スカーレットが必要としてないことをしてもしょうがないんだ。俺達はチームでも家族でもない。ライバルだからな、お節介はお互いに嫌いだ。

 

 俺がどう思っているか解ったのか解ってねえのか、スカーレットはゆっくりと顔を上げて、そのまま俺のところへ転がるみたいに駆け寄ってきた。で、ベッドに座った俺にもたれ掛かるみたいに抱き付いてくる。

 

 

「いやおい、それは」

「ウオッカ……私ね、怒ってないの。何も怒ることなんてなかった」

「……じゃあなんだよ」

「解んない……」

 

 

 どん、と拳が俺の後ろに叩き付けられた。口をほとんど塞いだままでも聞こえるくらいの声で、スカーレットは呟いた。

 

 

「解んないの……どうしてこうなったのかも、なんであんなこと言ったのかも」

 

 

 シーツが掴まれて裂けそうになっている。こいつ、こんなに体温高かったか? 

 

 歯を噛み食い縛る音がした。シーツが裂けた。なんだこの迫力は。そして、スカーレットは叫んだ。

 

 

「解んない! 解んないけど嫌なの! だって、だってだってだって! ブルボン先輩にはあんなことしなかった! スズカ先輩にも! なんで私だけ、あんな顔させなきゃいけないの!?」

「……一体何が」

「言ってくれれば! 言ってくれたら私だって! 私だって……!」

 

 

 話は見えねえ。何も伝わってこないが、とにかくスカーレットが悔しがっていることは解った。チームで何かあったんだな。

 

 

「当たり前って顔してよ……どうして私に媚びるの……? アタシ、信じてもらえてない……」

「……その」

「私、アタシ……許せなくて……! わけわかんなくなって……だって、アンタは間違ってないのに、私は知ってるのに、アタシだけ仲間外れみたいで……」

 

 

 よく解らないけど、俺が何か言うことじゃないみてえだな。チームの話だ、俺が出ても拗れるだけか。

 

 ……だから何も言わねえけど、あんまスカーレットに適当なことすんなよ。トレーナーの話だろ? 細かい事情までは知らねえが、衝突で済まないようならスカーレットを任せられねえ。

 

 

「足りないのかな……伝わってないの? アタシ、アンタのこと、本当に凄いと思ってるの……! 意味解んないところもあるし、時々イラつくし、絶対マトモじゃないけど! でも、でも……スズカ先輩もブルボン先輩も、あそこまでなれたのはアンタのお陰って思うの……!」

 

 

 ……心配いらねえか。

 

 

「だから、だから……アタシ、このチームで、必ず一番になるの……他のところじゃなくて、このチームで一番にならなきゃいけないの……! アンタのことを解ってあげられるの、アタシ達しかいないんだから……!」

 

 

 ちょっとずつ、スカーレットの声に芯が入り始めた。やっぱりこいつ強ぇ。俺は何も言ってないのに自分で解決している。伏せられたところから少し顔を上げると、いつもの真っ赤な眼が光り輝いているように見えた。

 

 

「……大事なのは覚悟よね、やっぱり。ウオッカもそう思うでしょ?」

「……ああ。そう思うぜ」

「……うん。ありがとうウオッカ。ありがとうついでに一つお願いがあるの」

「なんだよ」

 

 

 スカーレットが俺から離れて、床に座り込んだ。胡座で俺を見上げる。もう落ち込んではいないみたいだ。眼を見れば解る。まだ多少ムカついてはいるみたいだけど、この後トレーナー本人と話せば落ち着くだろう。

 

 覚悟が決まった時の目ってやつは迫力がある。それでこそ俺のライバルだ。来年もその次も俺に立ち塞がってくるのはこいつだ。こんな奴に勝たなきゃならねえ。

 

 

「阪神、さ。ううん、それまで走る全てで、ウオッカ。アンタ、ぶっちぎって勝ってよ」

「……は? 何を」

「とにかく強く勝って。アンタならできるでしょ。誰にも文句が言えないくらいに勝ってよ。アンタは必ずそうなれるはずだから」

「おい、お前自分も走るってこと」

「クラシックの主役はウオッカだって……言わせて」

 

 

 また声が震え始めた。緋色が震えて、薄く滲む。

 

 

「一強だって言わせるくらいに。他の子のことなんかみんなが忘れるくらいに千切って。ダイワスカーレットなんていてもいなくても同じだって、みんなに思わせて」

 

 

 泣きながら、スカーレットはそう言った。確かに言った。負けを認めているような言葉だった。だが、決してそんなはずはない。スカーレットはそんな奴じゃない。誰が相手だろうと負けたらムキになって、勝とうとして、俺なんかよりずっとかっけえ奴なんだ。

 

 だから、きっとこれはスカーレットなりの決意なんだと解った。そして俺は、その決意に応えなきゃいけない。何故なら、俺はこいつのライバルだからだ。

 

 

「……言われなくても、負けるつもりで走ってたまるかよ」

「ウオッカ……」

「それに、元々お前がいたって、俺はそう思われたろうぜ」

 

 

 違う。俺は自分が最強だなんて思ってねえし、前にいる奴をぶち抜く方が好みだ。一強なんて面白くねえ。それはスカーレットの役目で、俺はそれを倒そうとしていたんだ。俺はお前より強いけど、それはお前が弱いって意味じゃない。俺のために、お前には強くいてほしい。

 

 

「だから……お前が心配することは無いだろ。俺は勝手にやらせてもらうぜ。勝手に勝って、で、俺が……一番になる」

 

 

 任せとけよ。ちゃんと一番(ここ)は守っといてやる。

 

 

「……私、行ってくる」

「……おう」

 

 

 しばらくただ座っていたスカーレットが、やけに落ち着いた感じで立ち上がった。よく見ると、こいつ何の荷物も持たずに帰ってきたのか。いつも勢いで行動するんだよな……人のことは言えねえけど。

 

 

「……ありがと、ウオッカ」

 

 

 部屋を出る間際、アイツはこっちを見ずに言った。耳まで真っ赤にして、それから早足で去っていった。

 

 

「……くそっ」

 

 

 こっちまで恥ずかしくなってくるじゃんかよ。この部屋に一緒に住んでるってこと、アイツ忘れてるんじゃないだろうな。

 

 ……何となくムカつきつつ、俺は携帯を出してトレーナーに電話をかけた。

 

 

「……おう、悪いな突然。いや、別にトラブルとかじゃないんだ。ただその、年末、勝たなきゃいけない理由ができた。そう、絶対にだ。だからよ……これからもよろしく頼むぜ、相棒」




覚悟完了イベントは予定通りですが、どう考えても中学生に言わせるセリフではない。


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一番近くで、ダイワスカーレット

今回は二話投稿です。『一番知ってる、ダイワスカーレット』よりお読みください。


 

 スカーレットと連絡を取ろうとしたけど、あの子、ずっと通話中だ。トレーナー室で定期的に連絡を取りつつひたすら待つ。

 

 でもそろそろ門限なのよね。申し訳無いけど今日はライスシャワーとスズカには歩いて帰ってきてもらうことにして、私の方から歩き回るべきかな、なんて考え始めた頃、電話が掛かってきた。

 

 

『今行くから。家で待ってて』

 

 

 それだけ言って切れた。よく解らないけど言われたからにはそのまま家に戻る。どうもこう、スズカやブルボンが厄介な時みたいな圧力を感じる声だった。

 

 

 車を走らせ少し、家にたどり着く。電子ロックを開けて、健康のために階段で自分の部屋に向かうと、ドアの前にスカーレットがいた。

 

 

「……遅かったじゃない」

「いや……うん、ごめんね。寒いでしょ?」

「ううん。走ってきたから」

「そっか」

 

 

 少ししおらしくなっていた。別にこれから家に入るだけだけど肩を擦る。確かに少し体温が上がっていやあっつ。思ったよりちゃんと体温上がってるな。これじゃ逆に寒いでしょ。

 

 ともかく家に入れて、お風呂も沸かしておく。タオルを首に巻いたスカーレットがリビングのソファに陣取っていた。話さなければいけないので私も隣に座る。

 

 

「お風呂入る?」

「……入る」

「じゃあその後に話が」

「アンタも」

「え?」

 

 

 提案でぴっと立てた私の指をスカーレットが掴んだ。私ではないどこかを見つめて、小さな声で言い切る。

 

 

「アンタも入りなさいよ」

「いや……まあ、良いけど……」

 

 

 さっき私を睨んでいたとは思えないくらい少し弱気で、でも渦中にいるとは思えないほど視線はまっすぐだった。脚を抱え込んで座り、口元を隠している。こんな状況でもなければ、告白でもされるんじゃないかってくらい殊勝な雰囲気だ。

 

 

 それからお風呂に入るまでは特に会話もなく、スカーレットが可愛いのでギリギリ気まずくないくらいの時間が続いた。見れば見るほど、私この子をあんなに怒らせたんだ、と憂鬱になる。

 

 スズカは8:2とは言ったけど、実際私が悪いんだろう、たぶん。自覚はないけど、そりゃ私だって、めっちゃ仲良い子に突然媚びた顔で「明日からも友達でいてね」とか言われたら訳が解らない感情になる。怒……りはしないかもしれないけど。

 

 

 お風呂が準備できたので二人で入る。先に脱いで洗い場にいたスカーレットが、私が入るなり手招きをした。

 

 

「ん」

「なに?」

「洗って? 尻尾も」

「……ん」

 

 

 ご所望のようなので、洗わせていただく。うちで一番髪が長いのがスカーレットだ。他二人より格段に気を遣っていて、触れるだけでそれが解る。一人で入る時もお風呂が長いのはそういうことだ。私もその分丁寧に丁寧にやる。何ならスズカにやるよりも。

 

 

「こんな感じで良い?」

「……ん。上手いじゃない」

「でしょ? トレーナーだからね」

「関係無っ」

 

 

 コンディショナーまで終わらせて、流石に体は自分で洗って、それから尻尾。寒いしお風呂に浸からせて、しっかり暖まってからお尻だけこっちに向けて突き出してもらう。

 

 

「どんな感じにするとかある?」

「え……バリエーションがあるの?」

「スズカがいっぱいテールオイル持ってるのよ。纏まるタイプとかさらさらになるやつとか」

「美容室みたいになってるじゃない……じゃあスズカ先輩と一緒で」

「はーい」

 

 

 いつものスズカのやつ使って良いかな……まあ良いか。たっぷり使っちゃお。スカーレットの尻尾のケアなんてそうそうやることないだろうし。

 

 揉み解して馴染ませながらぎゅっと絞っていく。付け根辺りはまだ神経があるので慎重に。擽るとスズカは嫌な顔をするし、スカーレットも近付くとちらりとこっちを見てくる。

 

 

「スズカ先輩にもいつもやってるの?」

「ううん。スズカは尻尾は結構自分でやりたがるわね。たまにやらせてもらえるけど、メインはスズカかな」

「ちなみに時間かけすぎじゃない?」

「まだスズカの二割も経ってないわよ」

 

 

 まあでも五分くらい経ったかな。ウマ娘の尻尾は本当に触り心地が良い。それに、髪や肌のように体の調子をそのまま反映するので、今日も健康なスカーレットの尻尾もそれに準じてふさふさでふわふわになっている。

 

 寒いので私もお風呂に入り、膝の上で同じ体勢になってもらって続行。ちょっと尻尾が動くのは……ああ、流石に恥ずかしいのかな? しばらく尻尾を弄くった後、タオルで拭いておしまい。スカーレットがお風呂を出る……かと思ったら、そのまま浸かり直した。

 

 

「え……オイルもったいなっ」

「ああ……まあ、一旦待ってよ。私もこう……アンタと話さないとじゃない?」

 

 

 ……まあ、良いけど。浴槽で向かい合って、髪を纏めたスカーレットがじっとこっちを見ている。話さないとも何も、私が悪いんだから、それは私の役割なんだけど。

 

 でも、スカーレットは自分から何か言おうとしているし、待った方が良いかな。スカーレットが許してくれれば……じゃないや。こういうことを考えているから怒らせちゃったんだよな。

 

 

 そうしてしばらく待っていると、スカーレットがため息とともに語り出した。

 

 

「嫌かなあって、思ったんだけどさ」

「うん?」

「全然嫌じゃなかった。アンタに尻尾を触られても嫌じゃない」

「そう……なの」

 

 

 ぱちゃぱちゃ小さく拍手をして、スカーレットは私の胸元を見つめている。嫌じゃないと言われるのは嬉しい。もちろん、スズカやブルボンだって嫌がることはないけど、尻尾って言うのがどれくらい大切なものかは何となく解るし。

 

 

「嫌だったら、まあ、違ったんだけど。でも嫌じゃなかったから、もうダメなんだなあって」

「……何が?」

「ねえ、アンタさ。ブルボン先輩が大怪我したじゃない。それで三冠とってさ。謹慎だっけ。お給料も減らされるんでしょ? そういうのって。解らないけど」

 

 

 スカーレットが答えてくれない。台本でも読んでるみたいに自分の言葉を押し付けてくる。

 

 

「まあ、そうね……少しね」

「それで良かったって思う? ブルボン先輩、もしかしたら死んじゃうかもしれないことしたんでしょ。それでアンタがもしトレーナーを続けていけなくなったり、するかもしれないでしょ」

「まあ、良くはないけど」

 

 

 良くはないけど、ベストではないんだけど、悪くはないし後悔もしていない。それが必要だったならそれに甘んじるしかない。ブルボンの覚悟がそれだったなら、トレーナーとして殉ずる責務がある。

 

 

「良くはないけど、受け入れるわ。そういう約束だもの。ブルボンもきっと後悔しないし、私も後悔はしない。私達が悪かったとは思ってない」

「……そう。よく言えるわね、そういうこと」

「そういう女だからね」

 

 

 スカーレットが少し上気して、体操座りでぎゅっと近付いてきた。そのまま手を伸ばして私の手を取ると、縋るみたいに両手で包む。

 

 

「そうよね。そう、そう……うん、私、間違ってなかった。アンタはきっとそう言うと思ってた」

「え」

「ねえトレーナー。私ね、私、決めたの」

 

 

 さらに引かれて、スカーレットに覆い被さるような体勢にされる。ざぷん、とお湯が一気に溢れた。

 

 

「私、絶対にエルナトで勝つから」

 

 

「アンタの下で、アンタの教えで勝つから。それで一番になる。私、トレーナーやブルボン先輩が間違ってるなんて思ってない。誰にもそんなこと言わせたくない。私、他のところに行っても勝つわよ。そしたらアンタどう思われるの? 三人が強いだけって思われるわ。それで良いわけ?」

 

 

 ……一旦事実ではあるんだけどね。私じゃなくて、スズカやブルボン、スカーレットが強いだけ。そう言われても否定できない。でも、スカーレットが目を潤ませて見上げてくるので、いつもの癖で抱き……抱えそうになり、慌てて撫でるだけにした。距離感。

 

 

「ありがとうね、スカーレット」

「……良くないとは言わないんだ。そうなんだ。そうよね。トレーナーはそういうこと言うわよね」

「みんなそうよ。トレーナーはみんなそう思ってるの。凄いのはいつだってウマ娘で、私達は大したことはできない」

「でも、アンタじゃないとスズカ先輩もブルボン先輩もああはならなかった」

「……まあね」

 

 

 撫でやすいようにウマ耳が避けていく。今度はスカーレットが私の方に寄ってきた。足の上に乗るようにして寄り掛かる。吐息がかかる。少しずつ目がきらりと光っていく。

 

 

「だから、私はそれで良い。アンタについていくわ。私ね、一番になれれば何でも良いなんて思わない。誰もが認めるように一番になるの。だから一緒にいて。私をアンタのウマ娘と思っていなさい。二人はとっくにそうなんでしょ? そこに私が増えるだけ。ね? 解るでしょ?」

 

 

 鼻先が当たる距離。スズカとも滅多に無いくらいの距離感で、スカーレットはそう宣言した。普段の強い語調ではなく、言い聞かせるみたいな淡々とした言い方だ。こんな声も、こんな話し方もできるんだ、この子。お互いに熱が上がっていて、流石にドキドキしてきた。

 

 スカーレットも、私のウマ娘。そう。だけど、スカーレットは、ううん、そう。合ってる。私のウマ娘だ。スズカと、ブルボンと、スカーレット。私の大切なウマ娘達。

 

 

「私が怒ってたとしたら、それだけ。言ってよ、トレーナー。自分が正しいと思ってるなら。私もついていくから。アンタの力だけで、私を一番にして。ここで誓って、当たり前って顔をして?」

 

 

 私はなんてことをしてしまったんだろう。こんな健気な子を信じていなかった。送り出したら戻って来ないと不安になった。私はこの子達のトレーナーだから、何が起きても信じ続けないといけないのに。

 

 それができなくて、またみんなに余計な、似合わないことをさせてしまった。衝動でそのまま抱き寄せて、二人で肩まで浸かる。少し温くなってきていた。風邪ひいちゃうなあ。

 

 

「ありがとう……ううん、ごめんね」

「……うん」

「信じてるわスカーレット。あなたのこと。ちゃんと私のところにいなさいね。必ずあなたを一番のウマ娘にしてみせるから」

「スズカ先輩よりも?」

「いや……まあ、それは、まあまあまあ」

「腹立つぅ」

 

 

 いたたたた。頬っぺたつねらないで。それだけは譲るわけにはいかないんだってば。

 

 

「いつか言わせるからね。私の方が上って」

「いやあキツいでしょ」

「絶対に言わせる。もう怒った」

「ぶぼぶば」

 

 

 お湯に沈められくしゃくしゃになる。数秒で解放されて顔を拭った頃には、スカーレットはもう湯船を出て扉を開けていた。ふふっと悪戯っぽく笑って、小さなタオルを私に投げつける。

 

 

「言いたいことはそれだけよ。悪かったわね。チームの件はウオッカのところに籍だけ移すから。それで良いのよね」

「……ん。よろしく、スカーレット」

「良いのよ。それより風邪ひかないうちに出なさいよね。明日からスズカ先輩と出掛けるんでしょ?」

「ああ……うん、出るね。スカーレット、タオル取って」

「ん。ええと、タオルタオル……」

「あ、いるじゃない。もう、返事くらい……して……」

 

 

 脱衣所のドアが開いた。お風呂の中まで視線が通っている。そうよね、そりゃ帰ってくるわ。こんなにお風呂でちんたらやってたら。

 

 

「す、スズカ先輩……」

「……? どうしたの? どうかした?」

「い、いえ、目が怖──」

「そんなことないと思うんだけど……」

 

 

 そこにスズカが立っていた。私はもちろん、スカーレットも真面目に話していたので音で気付かなかった。スズカは合鍵で入ってくるし、大方走って帰ってきているから堂々と声をあげたりもしない。

 

 

「違うんですスズカ先輩、ちょっと、色々ありまして……私もどうしてこんなことをしてしまったのか自分でも解らなくて、へ、変なテンションで誘っちゃったんですよ」

「え? いや、別に言い訳しなくても、何も言ってないから……」

 

 

 本当に何も思っていないし考えていないので言い訳をされると困るスズカと、やらかしたと思って慌てるスカーレット。噛み合わないなあ。それと、あんまり冷静にならないで? 私も今じわじわ来てるから。いくら何でも距離が近過ぎた。全裸の距離じゃなかったかも。

 

 そして謎の罪悪感。別に付き合っているわけでもなし、スズカに申し訳無く思う筋合いはないはずなんだけど、いざこうして目の前で見られると何となく心が痛むような気がする。

 

 

「本当に違うんです……ただ話していただけで……!」

「それは……まあ、お話以外することないでしょ、お風呂で……」

「ぐぅ……トレーナー……! 何か言ってよ……私、殺される……!」

「いえ、本当に何も言ってなくて」

「あー……うん」

 

 

 良くない誤解が絡まっているような気がするなあ。この場の全員が困ってるじゃん。地獄よ地獄。作ったのは私達だけど。

 

 

「トレーナー!?」

「あの、トレーナーさん、スカーレットさんが壊れちゃったんですけど……」

 

 

 愛バ達の言葉を聞き流しつつ、時間がかかりそうなので追い焚きボタンを押した。私、全然長風呂派なのよ。スズカと入るとタイミングが合わないだけでね。




「ところで親御さんへの連絡は良いの?ジュニアは全部捨てるんでしょ?」

「ここに来る前に電話したけど」

「ええ……?」


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あなたといっしょに、サイレンススズカ

 

「いーやーでーすーぅ」

「だーめーでーすーぅ」

 

 

 ある日。スズカと旅行に行く日の朝、私は出発の時間からは考えられないくらい早く起きて、スズカを全力で説得していた。

 

 

「流石に電車で行こ? ね?」

「嫌です。この旅行中は好きに走って良いと言われました。行き帰りも走ります」

「無茶だって。100kmあるんだよ? しかもどんどん田舎道になってくしさ」

「100kmなら一時間半で着くじゃないですか!」

「それはそうだけどさあ……」

 

 

 スズカが誘ってくれた旅行だったが、一応色々考えた結果、大きな温泉街のメイン位置から外れた旅館をとることにしていた。やっぱり全体の規模は大きいところの方が良い……私は。スズカはあんまり関係無いだろうけど。

 

 で、そこまで大体100kmとちょっと。確かにまあ、スズカなら楽に走破できる距離だ。この子はそれくらいなら平気で止まらずに走り切ってしまう。

 

 

 だけどまあ、旅行は行き帰りの交通も含めて旅行である。しかも昨日までスズカも電車を乗り継いで行ってくれると言っていたはず。なのに突然、今朝になって、『やっぱり走って行きます』と。何があったの。

 

 

「お願いしますトレーナーさん。ここで走らないなんてウマ娘の名折れですよ」

「勝手にウマ娘を背負わないで?」

「絶対にトレーナーさんは待たせませんから。電車より早く着けば良いんですよね? 簡単ですよ」

「落ち着いてスズカ。私はスズカと一緒にのんびり行きたいなあ」

「向こうでいくらでものんびりできるじゃないですか!」

 

 

 朝ベッドでそれはそれはたまげた。昨日は確か三人で寝ていたはずだったのに、いつの間にかスズカが消え、走る時に着ける本当に小さなポーチだけ着けたジャージ姿のスズカがいたのだ。何ならこっそり出発しようとしていたし。

 

 

「お菓子買ってあげるから」

「嫌です。花より団子は風情がありません」

「その場合の花は絶対に流れ行く景色のことは指してないのよ」

「先頭に咲く華と言われたことならあります。つまり花が咲くんです」

「字が違う……」

 

 

 絶対にランニングしかできない格好で、正座するスズカ。尻尾をぶんぶんに振って、隙あらば立ち上がって逃げようとするので、私はソファに座って、スズカの体を足で挟むようにしている。

 

 

「これも計画だったでしょ? 予定は守ろう」

「ラップタイムのことですか?」

「耳付いてる? 予定って言ってんの」

「解りました。時速70kmは出さないと約束します」

「この話が無ければ出す気だったの?」

「嘘だと思っていますね? 解りました。出します」

「話聞いて?」

 

 

 私が悪かったな。走る許可は現地に着いてから出すべきだった。東京から許可を出せばこうなることは予想できていたのに。たかたかと私の足を叩いて、何かあれば滑り抜けようとしているスズカ。この子の柔軟性なら楽勝だろう。

 

 何て言えば説得できるのか……アスファルトで過剰なスピードを出すことは脚への負担が半端じゃない、というのはまあ一般論だ。固さもあるし、単純にウマ娘は速さの割に身体が脆い。

 

 

「逆に70kmを切ったら終了でも良いですよ」

「道交法って知ってる?」

「走り屋はそんなもの守らないと聞きました。私は走り屋です」

「その場合の走り屋は絶対に自分の脚で走ることは指してないのよ」

 

 

 しかしスズカは違う。走ることの天才でありランニングジャンキーだ。小さな頃からどんな場所でも構わず走ってきた経験がある。砂場だろうと岩場だろうとコンクリートだろうと走るし走れる。何ならターフが一番経験が少なくて苦手なんじゃないかってくらいに。

 

 天性の才能により、たとえアスファルトだろうとスズカは問題なく走れてしまう。身体がそういうランニングに適合しているのだ。天皇賞の速度はウマ娘としての限界を越えてしまったが、アスファルトでの70kmは普通のウマ娘でも出そうと思えば出せるし。

 

 

「どうしたら走らせてくれますか? マッサージしますか?」

「私がマッサージしてあげる。だから電車で行こう?」

「嫌です。こっちは人質取ってるんですよ。大人しくしてください」

「いたたたたたスズカダメダメ死ぬ死ぬ死ぬ」

 

 

 トレセン指定の健康診断では何の問題もないし、まだ若い私でも、スズカの握力で足ツボされると悶えるほど痛い。暴れてもスズカの指一本弾けないことに戦慄しているわ、私。薄々解ってはいたけど。

 

 

「さーん、にーい、いーち」

「待って怖すぎる! 何そのカウントダウン!」

「ぜろっぜろっぜろっ」

「ああああああ壊れる! 足が壊れるってスズカ!」

 

 

 なまじ力加減が完璧なので、激痛を与えつつ本当に壊しはしない、本職マッサージ師並みのダメージが来ている。もちろん素人なので痛いだけだけど。

 

 

「何騒いでんの朝っぱらから……」

「スカーレット助けて足が粉々になる!」

「おはようスカーレットさん。説得を手伝ってくれる?」

「おはようございます……足が壊れるのは説得じゃなくて拷問だと思うんですけど」

 

 

 私がうるさくしたのでスカーレットが起きてきた……と思ったけど普通に起きる時間だから起きてきただけだった。眠そうにもしていないし、文句を言う様子もない。

 

 勝手に牛乳を持ってきて、携帯を弄りながら私達の対面に座る。お互い、流石に一晩経てば恥ずかしさも消え……た。消えてる。大丈夫ね。

 

 

「またスズカさんが無茶言ってるんじゃないですか」

「そんなことありません。目的地まで走りたいと言っただけです」

「無茶じゃないですね。無茶苦茶ですね」

「じゃあスカーレットさんはたったの100kmを走破できないって言うんですか? かちーん。絶対に走ります」

「いつもながら自己完結が雑なんですよね」

 

 

 朝から声は荒げないスカーレット。でも何だかんだ戯れにスズカのロックを外そうとして、全然パワーが足りず諦めてしまった。

 

 

「とにかく走ります。これはもう決定です」

「何とかしてスカーレット」

「アンタがどうにもできないのに私が何とかできるわけないでしょ……朝御飯食べよ。キッチン借りるわね」

「私作るよ?」

「良いわよ。大変でしょ、今」

 

 

 私達が留守の間、スカーレットがここにいてくれることになった。ウオッカと顔を合わせるのが恥ずかしいらしい。どんな会話をしたのかはついぞ教えてくれなかったけど、まさかウオッカともお風呂で語り合ったとか……それはないか。

 

 それにしても、トレセン、というか寮長はもうちょっと厳しくした方が良いと思う。エルナトなら良いや、が極まりすぎてない? 今回に関してはそもそもスカーレットが一人で外泊する形になってるんだけど。許しちゃダメでしょ。

 

 

「ところで二人は何か食べて行くんですか? せっかくだしついでに何か作りますけど」

「じゃあサンドイッチかおにぎりみたいな」

「ものを絶対に作っちゃダメよ。時速70kmおにぎりウマ娘が爆誕するから」

「都市伝説みたいになってるじゃない」

「しかも走りながら食べるわけないですよね、流石に」

 

 

 スズカにマトモなことを言われるのが一番腹立つ。

 

 

 電車で行くならどこかの駅か目的地で食べようと思っていたのでわざわざ作ってもらうようなことじゃなかったんだけど、どうやらスズカは何を言おうと走るつもりのようなので諦めるしかなさそうだ。鼻息荒く気合いを入れるスズカを止める方法があまりにも無い。

 

 縛ったりリードを着けたりすればいけるけど、それで外に出たら間違いなく職質されるし。

 

 

「もう……そろそろ電車の時間だからね。私行くからね」

「あ、待ってください。荷物荷物……」

「え? 走るんじゃないの?」

「え? この荷物を一人で持って動くんですか? 大変ですよ?」

 

 

 きょとんとした顔で私を見るスズカ。

 

 

 宿泊に際しての着替え、色んな身だしなみの道具、走るための用具とかパソコンとか、諸々。スーツケースが一つと、バッグが二つ。そりゃ重いなあとは思ってたけどさ。

 

 いざそれらを一人で持つスズカを見ると、なんだかんだ言ってスズカにも人の心が残っていたことを感じられる。他の冗談は基本全部解るんだけど、走ることについては一生解らない。というか毎回本気で言ってるのは一旦間違いないと思う。

 

 

「からかってたのね」

「いえ八割本気でしたけど……いけませんか?」

「……良いけど。ギリギリ許す」

「むむむむ、ほっぺ引っ張るのはゆるひてないれす」

 

 

 急遽決めた旅行だから荷物を送れなかったのよね。軽々と全部玄関に運んでくれるスズカ、とっても助かる。結果的にちゃんと二人で行動してくれそうなのも含めて。

 

 朝御飯を用意中のスカーレットに諸々話しておいて、私も出発の準備を整える。スズカも荷物を運んでから謎の早着替えを見せ私服に着替えている。スカートにタイツは変わらず、上に一枚ミドルコート。勝負服にしろ私服にしろ、やっぱり白緑がよく似合う。

 

 

「じゃあよろしくね、スカーレット。走りたくなったら連絡して」

「あいあい。行ってらっしゃい。楽しんでくださいねー」

「走りたいです」

「スズカには言ってないのよ」

 

 

 今日はちょっと暖かいかも。上着はいるけど、昼になったらギリギリ脱いでも良さそう。

 

 

「駅までは車ですか?」

「タクシー呼んであるわ」

「駅までは走った方が良いんじゃないですか? 健康です健康。あと節約」

「スズカは使いもしないシューズを衝動買いするのをやめてから言おうね」

「待ってください。あれは全部使うために買ってるんです。明日私が短距離に目覚める可能性もあるじゃないですか」

 

 

 あるわけないでしょ。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「空いてて良かったですね」

「ねー。本当に」

 

 

 東京から電車に乗って少し。何度か乗り換えをして、県を跨ぎ移動中。だんだん下っていくわけで、当然ながら人気も減っていく。平日だし、出勤通学からも外れた時間のローカル線なんてこんなものよね。

 

 二人で座って、なおかつ荷物を横に置いても絶対に怒られないだろうってくらい空いている。カタンカタン揺れるのに合わせて隣のスズカが頭を乗せてきた。脚を揃えて手を合わせて、本当に黙っていれば清楚で可愛いんだけど。

 

 

「これで走ってよかったら完璧なんですけど」

「走りたいあまり日本語が崩壊してるじゃない。今電車の話してたよね?」

「日本語って難しいですね」

「勝手に難易度上げないで?」

 

 

 適当に話しながら進んでいくけど、本当に人が乗って来ないな。すかすかじゃん。車両によるのかな。

 

 不思議に思いつつ数駅、流石に眠くなってきた。朝早いし、一昨日はスカーレットの諸々で眠れなかったし。うとうとしてスズカにもたれ掛かってしまう。

 

 

「寝ても大丈夫ですよ」

「ん……ごめんスズカ、ちょっとだけ」

「はい。ちゃんと目的地で起こしますから」

「いや一個前にして……?」

 

 

 同じ時間に起きているはずのスズカは全然元気で、私を押し返すことなく顎あたりを擽ってきた。この差は何だ。種族差か? そりゃそうだ。人間はウマ娘に勝てない。

 

 だから、もたれ掛かって寝ようとしたのに、無理やり膝枕させられるのにも抗えない。もう大人なんだから、いくら人がいないからって電車の座席で寝るのはまずいって。

 

 

「お休みなさい」

 

 

 ……まあいっか……暖かいし。

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「起きてください、トレーナーさん」

「ん……ごめん、ありがと……」

「よいしょ」

 

 

 次に起こされたのは、ちょうど電車がとある駅に到着する時だった。私が起きるのと同時に少し人が入ってくる。良かった、空いてるから寝かせてても良いかとかスズカが思わなくて。

 

 

「あと三駅か……」

「すぐですよすぐ」

 

 

 私の姿勢を起こしてから、飲み物を出してくれるスズカ。案外長く寝ていたみたい。電車でそんなに眠れないと思っていたんだけど、流石に横になると違うか。

 

 

 まだ頭が眠っているのをお喋りで起こしながら、目的地の駅へ着く。流石にここまで来るとそこそこ人はいた。ど真ん中ではないとはいえ観光の街だから流石にね。駅を出ると、ありがちなようこその看板が出迎えてくれる。

 

 

「どこかご飯屋さん探しながら歩こうか。そんなに遠くないから」

 

 

 移動は徒歩かタクシーか。あんまり歩かせるとスズカもストレスだろうからそこは気を付けないといけない。まあストレスは車でも溜まるし飛行機でも船でも電車でも変わらないけど。

 

 

「はし……?」

「あなたが走った瞬間はぐれるけどそれで良ければ」

「…………スマホ、よしっ」

「はぐれる覚悟決めないで?」

 

 

 逃げられないように手を繋いで目的地へ。ちょっと調べた感じでは食べるところはいくらでもあるし、観光地だけあってウマ娘への用意をしているところもかなりあった。まあ、そもそも食べ放題とかじゃない限り、食べた分お金を払うだけなんだけどね、普通は。スズカはそんな異常に食べるタイプでもないし。

 

 

「トレーナーさんは何が食べたいですか?」

「スズカの好きなもので良いよ」

「じゃあレンタルキッチン探します?」

「そういうのじゃなくて」

 

 

 じゃあ何でも良いですよ、と言うスズカに、それじゃ困るでしょ、と返すと、じゃあトレーナーさんは何かあるんですか、と聞き返されてしまった。

 

 ……まあ、私も特に無いけど。スズカと一緒だし。



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ワガママになるスペシャルウィーク

二話投稿です(威風堂々)

スズカ編とスペシャルウィーク編を二話ずつお届けしますが、時系列は微妙にずれています。
また、スペシャルウィーク編はシリアスなので苦手な方は読み飛ばしてもらって大丈夫です。


 

「あれ、グラスちゃん、もう食べないの?」

「はい。スペちゃん食べますか? 最近その、減量中で」

 

 

 天皇賞が終わり、私の食事制限も少しだけ甘くなりました。なんと一品までデザートをつけても良いという大盤振る舞いです。おかしいな、北海道にいた時はいくら食べても良かったのに。

 

 一方、グラスちゃんは逆に制限を喰らってしまった……なんてことはありません。グラスちゃんのこれは嘘です。単純に食欲がないだけ。それを言うとみんなが心配するから、適当なことを言っています。

 

 

「……そっか」

 

 

 残ったものは私が食べるとして、やっぱり、ずっとグラスちゃんの様子はおかしいです。いえ、彼女だけではありません。黄金世代の他のみんなもきっとそうです。もちろん、私も。

 

 

 天皇賞は私が勝ちました。いえ、勝ってしまいました。本当に、その言葉が一番しっくり来ます。一緒に走ったみんなには悪いけど、私もみんなも、全力で走っていたとは到底言えません。

 

 だって、あそこにはスズカさんがいなかった。あれは私達同士が決着をつける場であり、誰がスズカさんに勝つかを試す場でもあったはずです。マーク先を失ったグラスちゃんや、作戦を組み直さざるを得なくなったセイちゃん。私やキングちゃん、ツルちゃんにも影響がなかったかといえば嘘になります。

 

 

 王者不在の天皇賞。そう言われても仕方がないです。私達もそう思っています。全員が狂わされたまま、私は勝ってしまった。

 

 

「ごめんなさいスペちゃん、私この後、用事があって」

「え、あ、うん。行ってらっしゃい。大丈夫だよ、片付けもしておくから」

「いえ。スペちゃんの分を持っていきますね。ありがとうございます」

 

 

 私のプレートを持っていくグラスちゃん。彼女へのダメージが一番大きかったはずです。天皇賞の前、グラスちゃんは言っていました。初めて会った時圧倒され、一緒にトレーニングをして伸びた鼻を叩き折られ。私達同期のライバルとスズカさんの間で揺れ、ようやくスズカさんだけを見る決意をして、深々と謝ってきたんです。

 

 

『ごめんなさい、スペちゃん。私、天皇賞はスズカさんだけをマークします。そうでなくては勝てない。他のみんなを見ることはできません』

 

 

 一着をマークして最後に抜かせば一着。なるほど簡単です。グラスちゃんにはそれをするだけの力がある。でもそれは、マーク相手が勝つと確信しているからできること。私ではなくスズカさんをマークするというのは、つまりそういうことです。

 

 

 それでも良かったんです。私は嬉しかった。ついにグラスちゃんが本気になれたんだと思って。でもスズカさんは消え、動揺したグラスちゃんは本番までに意識を移せなかった。脚は良かったけれど、あの鬼のような気迫が無かった。

 

 

「……グラスちゃん。私、こんなの嫌だよ」

 

 

 歯車は狂わされました。他ならぬスズカさんの手で。もちろん事情は知っています。それに、スズカさんとトレーナーさんが二人で決めたことなら、それが一番スズカさんにとって幸せだったんだと思います。

 

 だけど、それはそれとして、スズカさんがいれば。こんな考え方は間違っていると思います。私達は一つ一つのレースで、相手が誰であっても、全力で走らなければなりません。

 

 

 ……でも。

 

 

「これじゃダメだ……絶対」

 

 

 それだけスズカさんは、私達にとっての圧倒的な壁は大きかった。ウマ娘は目標無しでは走れません。私達にとっての目標は、スズカさんの存在であり同期のライバル達の存在だった。

 

 全員が落ち込んでいる。動けるのは私だ。何故なら勝ったから。勝った以上、私は絶対に首を下げてはいけない。私は、私が蹴散らした全員を背負っている。

 

 

「……よし」

 

 

 頬をぱんぱんと叩いて気合いを入れます。次はジャパンカップです。今回のジャパンカップには、エルちゃんを凱旋門で負かした欧州最強のウマ娘、モンジューさんが来ます。一方で、日本のウマ娘は黄金世代では私だけ。ありがたいことに日本総大将なんて呼んでいただいています。

 

 期待には応えなきゃ。だって私はスペシャルウィークなんだから。日本一になるんだ。止まっていられない。

 

 ……どこまで行ったって、その先にスズカさんはいないのに。本当なら日本最強(ここ)はスズカさんのもので、私は勝ち取ったんじゃない。譲られたんだ。

 

 

 ……そんなこと考えてる場合じゃないか。とにかく全力を尽くさないと。エルちゃんの敵討ちとしての意味合いもあります。今回も全力で、本気で。

 

 

 今日のトレーニングも頑張らないと。そう思ってプレートを片付けて歩き出した時、後ろから不意に声が掛かりました。

 

 

「やあ、スペシャルウィーク」

「ひゃあぃっ!?」

「すまない、驚かせてしまったかな」

 

 

 肩を叩いてきたのは会長さん……シンボリルドルフさん。色んな人に話し掛けているイメージはありません。速いし、仕事のできる人だとは思いますけど、まさか話し掛けられるなんて。そういえばエアグルーヴさんが言ってたっけ。話してみると意外とユーモアがある、みたいな。

 

 

「い、いえ。大丈夫です。どうかしましたか?」

「いや、少し話があってね。歩きながらで良いかい」

「はい。もちろん良いですけど……」

 

 

 促されとりあえず歩き出します。目的地とか一切無く歩くんでしょうか。と思ったら、話し始める前に既に外に出て、トレセンの門も潜っていました。

 

 

「あの、どこへ……」

「散歩さ。こういうのは目的地を決めずに自由に行くべきと友人が言っていてね。せっかくだからその通りにしようと思ったんだ」

「はあ……」

 

 

 街中に出てきてしまいました。大丈夫でしょうか。私も会長さんもそこそこ有名人です。何も対策無く出てきてしまって、話し掛けられたりしないかな。

 

 

「さて、スペシャルウィーク。話というのはだな」

「はい」

「これだよ。見たかい、モンジューのインタビュー記事だ」

「インタビュー記事?」

 

 

 それはまた随分気が早い……いくら一月を切ったとはいえ、まだ向こうもヨーロッパにいるでしょうに。

 

 しかし、会長さんがどこからか取り出して渡してきた雑誌には、確かにインタビュー記事が載せられていました。これ、月刊トゥインクルですね。スズカさんのところによく取材してるあの女の人がいるところ。私、あの人苦手なんですよね。言ってないことを言ったことにされるので。

 

 

「安心すると良い。流石にあの記者も他国のウマ娘にそんなことはしない。あれで相手は選んでいるんだ」

「それってなおさら悪いんじゃ……」

「まあ、気にすることはない。それに、あの人は誇張はすれど嘘は書かない。あの悪癖があってなおトレセンで取材ができているのにも理由があるんだ」

 

 

 とにかく受け取って、適当なベンチに座って読み始めます。最初の一文は、『日本で調整を続けるモンジューに直撃インタビュー』……え、もう日本にいるの? こういうのは、エルちゃんみたいに前哨戦を走るのでもなければ一、二週間前が精々なのでは。

 

 

「そうだ。当然早く現地に入った方が万全な形で走れる。それだけ向こうも本気ということだ」

「本気……ヨーロッパのウマ娘が、わざわざ日本のウマ娘を相手にですか?」

「残念ながらそうなるな。日本の方がレベルが低い、欧州の後追いというのは否定しきれない。その上で、だ」

 

 

 会長さんが自販機から温かい飲み物を買ってきてくれます。私は雑誌を持っているので、蓋まで開けてくれました。

 

 

「向こうの目的はサイレンススズカだ。彼女はあまりに圧倒的過ぎた。警戒され過ぎている。わざわざ日本のレースまで見てペースを掴み、芝や空気にも慣れて、万全な状態で挑もうとしている」

 

 

 そこまでして……いえ、そこまでさせた。確かにそうです。もし私がジャパンカップのメインならこうはならなかった。私はグラスちゃんやエルちゃん、セイちゃんにも負けているし、キングちゃんにも先着されている。実力は五分かそれ以下であって、モンジューさんがエルちゃんに勝っている以上そこまで警戒はしない。

 

 だけど、スズカさんは違う。誰にも負けていない。どんな相手でも大差に近しい実力差で捩じ伏せてきたのがスズカさんです。そのスズカさんがジャパンカップにいて、しかも欧州最強としてそれに挑むなら。入念な対策がとられるはずです。

 

 

「つまり、モンジューさんは移動の負担やバ場の違いなんて無く全開で来るということですか」

「そうだ。しかし問題はそこではない。そのモンジューだが、ここに来て回避を匂わせている」

「は?」

 

 

 記事に目を通します。字が小さくて漢字が多いので読みにくい……けど、どうやら何となく書いていることは解ってきました。スズカさんを警戒して来て、入念な準備をした。しかし、スズカさんは出ないし、代わりに総大将とされている私は一度彼女にボロ負けしている。スズカさんに負けたグラスちゃんやエルちゃんにも負けている。

 

 これでは来た意味がない。日本と欧州の激突として面白くもない。賞金目当てならともかく、こうなるとわざわざ怪我のリスクを背負って走る必要がない、と。

 

 

「スペシャルウィーク。君には悪いが言っていることは尤もだ。URAも誘致にあたって、お互いに最強を決めようと言って誘っている。欧州のウマ娘にとって日本の芝はスピードが出過ぎて危険なのも事実だ」

「スズカさんがいない今、走るに値しない、と?」

「そういうことになる。もちろん、URAも止めるだろうがね」

 

 

 こんなところまで波及してるじゃないですか、スズカさん。何してるんですか……走らない理由も、もちろん解りますけど。

 

 

「それで、だスペシャルウィーク。これを伝えたかったのが一つ。もう一つは個人的な話なんだが」

 

 

 つまり、これを私に伝えるのは個人的ではなかったということ? トレセンか、URAか……もちろん知らせられることは嫌ではないですし、むしろ教えてもらってありがたいです。トレーナーさんはこういうのもしっかり見ているでしょうが、私に言うかは解らないので。

 

 

「君は、今のままで良いと思っているか?」

「どういう意味ですか? モンジューさんに軽んじられていることなら、事実しょうがないとは」

「違う。それもそうだが、そもそも舐められているのはどうしてだ? 君がサイレンススズカに勝てなかったからだ」

「……何が言いたいんですか」

 

 

 こんなに直接、気にしていることを。大体、スズカさんの引退は今さら私がどうこうできる問題ではありません。言ってしまえば運命のようなものです。そもそも、一度戦えただけでも幸運だったんです。あの時、天皇賞で二度と走れなくなる可能性だってあった。元気になってくれただけでも、私は。

 

 

「君が良いならそれで良いんだ。しかし、しかしだスペシャルウィーク。君は物分かりが良すぎる。運命だの宿命だので片付けてしまうならそうすれば良い。だが、時には抗って覆すことも必要だよ」

 

「……会長さん」

 

「我々はそもそも、別の世界の誰か、あるいは何かの名前を受け継ぎ、その魂に引かれて走る運命にある。私もそうだ。別の世界のシンボリルドルフが三冠をとったならそれに応えて、とっていなければそれを託されて三冠をとった」

 

 

 会長さんが雑誌を手にとって、どこかにしまってしまいました。私の隣で、私ではなく前を向いて、人一人分の間隔にコーヒーを置きます。

 

 

「だが、私達は私達だ。いくら進む道が決まっていようと、それに支配される生き物ではない。私は私の力で勝ったんだ。運命によって勝ったんじゃない。私が負かしてきたみんなも、負けるために生まれてきたのでは断じて無い。もしそうなら、私達に走る意味など無い」

 

 

 越えてこそだよ、と会長さんは言葉を切りました。越える。何を? 運命を。私が、スペシャルウィークがジャパンカップでモンジューさんに勝ったのかどうかは解りません。でももし勝っていても負けていても、それは私が勝てる理由にはならない。

 

 私の力が及べば勝てる。及ばなければ負ける。とても簡単です。とても簡単で、でも、忘れてしまいそうなこと。ウマソウルや運命的な何かを感じられる私達が、間違えてしまいがちなこと。

 

 

「だから、不満があるなら立てスペシャルウィーク。君は何のために走っているんだ。私達には走れる脚があるんだぞ。やりたいことは何だ、言ってみろ」

「……私、は」

 

 

 やりたいこと。何故走るか。そんなのずっと一つしかない。私はずっと、今も昔も、いつかの約束を、私の夢を追って、ここまで来て。

 

 そして、憧れに届きたかった。あの日見た風を越さないと、私は胸を張って日本一を名乗れない。

 

 

「サイレンススズカに、勝ちたい……」

「だが彼女はもういない。どうするんだ」

「関係無い……! このまま勝ち逃げなんかさせない、もう一度、何がなんでも走ってもらう! 私が、そうしたいから!」

 

 

 つい力が入って、持っていた缶がぐしゃぐしゃになる。そこらに紅茶が飛び散った。私は、やっぱり諦められない。ずっと目指していたんだ。最強無敵のあの輝きを。

 

 

「会長さん!」

「うん?」

「私、やります! 必ずもう一度スズカさんと走って、それで、私が勝ちます!」

「……うん。その目が良い。君の強さはきっとそういう強さだ」

 

 

 缶の残骸を会長さんが持っていって捨てます。そして、今にも走り出したくて、何かが爆発しそうな私の肩をぽんと叩きました。

 

 

「ついでに私からも言わせてくれ……君は日本の代表だ。その称号は重いぞ、日本総大将」

 

 

 その低い声で、また一つ力が沸いてきたのが解りました。だから、私は強く答えることができました。

 

 

「その方が頑張れるんです、私」



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あなたとこれから、サイレンススズカ

いっぱい感想やここすきが欲しいし、2話投稿は読みづらいかなと思ってやめました。

ただ、この作品を見に来てスズカ不在のシリアスだけ見させられるのは馬鹿馬鹿しいと思いますから、次の話(スペ編)はその次のスズカ編の準備が終わってから、それらの間隔を一日として投稿します。よろしくお願いします。


 

「トレーナーさん、はやくはやく」

「はいはい。ちょっと待っててね」

 

 

 ご飯、めちゃくちゃ美味しかった。なにぶんウマ娘向けのメニューは量重視になるので盛り付けが雑だったりするんだけどそんなこともなく、おしゃれかつたくさんの料理が出てきた。

 

 美味しかったのでお礼に後でご飯の写真とか載せようと思う。今載せるとお前謹慎中に何してんじゃいとなりそうだから、年明けにね。いやほんと、謹慎中に何してるんだろうね。

 

 

 で、お腹いっぱい大満足になって、荷物を旅館に置いたところで、今日のメインイベント……私は絶対に違うと思ってるけど、スズカにとってはメインイベント。

 

 

「待ちきれません、もう行きます、すぐ行きます今行きます」

「わー待って待って。あった。はいこれ。発信器」

「なんてもの買ってるんですか……?」

「スズカが位置共有アプリを使ってくれたらこんな出費しなくて済んだのよ」

 

 

 そう、何を隠そうランニングである。あらかじめ買っておいた発信器を服につけるスズカ。流石に土地勘が無いし、しっかり位置は把握しておきたい。

 

 発信器をつけたら、あとはランニングウェアのスズカが自由に走るだけだ。本当は結構、スズカが走るところを見たいんだけど……残念ながら私の視力では走るスズカは遠目からでしか解らない。

 

 

 ……実際見なくても良いんだけどね。どう考えても超高速で走り回っているに決まっている。スズカは気持ち良さ最重視だし、誰も見ていない、自分一人の方が良いだろう。

 

 

「もう良いですか? もう行きますよ?」

「もう少し落ち着くとかできないの?」

「無理です。見てくださいこの景色を。走らない方が失礼ですよね」

「景色とは眺めるものよ」

「私自身が景色になります」

 

 

 何を言っているのかは解らないがとにかく走りたいことだけは伝わった。そこそこ広い和室の客室で、畳の上で正座するスズカ。この子は本当に、もう。もう少しゆっくりしてからとかないの? 

 

 この会話すら、走って出ていこうとするスズカを腕を掴んで強引に止め、押し倒すようにして動きを封じてやっと始まったのだ。

 

 

「六時には帰ってくるのよ。私はその辺で足湯にでも行ってるから」

「おばあちゃんみたい……」

「いくらスズカでも歳のことは怒るからね」

「ぁぅぁぅ」

 

 

 肩を揺らして鳴かせる。別に負け惜しみとかじゃなくて普通に私は若いし。でも私も高校生だったら私の歳はおばさん……いやいくら何でもじゃない? まだ私高校生とかで押し通せるって。

 

 

「あと、途中でお土産とか買わないでね。明日じゃないと荷物になるからね」

「何を言ってるんですか? 走ってる時にそんなもの考えられるはずありません」

「そういうと思った」

 

 

 何だかんだ頬を膨らませる姿は可愛いので頭をぽんぽんしておく。ウマ耳がぺたんとなって受け入れてくれる。でも手を横に動かそうとすると物凄い形相で睨まれた。走る前に髪が乱れるのはNGらしい。

 

 一瞬撫でられて思考が止まったものの、すぐにはっとなって立ち上がるスズカ。あなたが動いたせいで髪の毛が乱れたけど。むむむ、とこっちを睨む。私が走るのを邪魔するとでも思ってるんだろうか。

 

 

「そうはいきませんよ」

「何が」

「また誤魔化して走るのを止めようとしてるんじゃないですか? 今日は誤魔化されません。一回許可を貰いましたから」

「いやいや……流石によ。流石にそんなに鬼畜じゃないって」

 

 

 目を吊り上げて怒るスズカ。全然怖くない。先頭狂の時は本当に背筋が凍るくらい怖いんだけど、私はもう慣れちゃった。頬っぺたをうりうりして額を弾く。あぁ……とか細い声をあげて倒れて……行くと思いきや斜めで止まった。腹筋すご。

 

 

「じゃあ走ってきますね」

「ん。行っておいで。時間は守るのよ」

「あい。行ってきます、トレーナーさん」

 

 

 ……今、言い終わる前にスイッチ入ってたな。まだ部屋だし、ここから館内を歩いてから外なんだけど。大丈夫だよね? 屋内を走ったりしないよね? 

 

 

 開け放された扉から覗いてみると、ちゃんと大人しく歩いていた。良かった。流石にそこまでじゃなかったわ。走ってたらお説教だったよ、本当に。

 

 

 じゃあ私はしばらく寝ようかな。四時くらいで良いか、動き出すのは。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 あったけー。

 

 

 温泉地だけあって……温泉地なんかそうそう来ないけど、足湯も結構あった。まだ冷え性とかは無いし、スズカと寝ることが多いから夜が寒いことはほとんど無いんだけど、でも温かくするのに越したことはない。

 

 冬らしくかなり日も落ちてきた六時、山……丘? 山の遊歩道に併設された足湯スペースで一人で寛ぐ私。周りからはどう見えてるの、これ。他に誰もいないから良いけど。

 

 

 スズカの現在地はずっと把握しているので、メッセージで場所を教えた上で近くでこうして待っている……いや、走ったまま来られるところにした方が良かったかな? 多少歩かせて落ち着かせないとヤバいかなと思ってこうしたけど。

 

 

 先頭狂はスズカの力の源だ。だけど本質じゃない。スズカはいつだって、たった一人の景色が見たいだけなのだ。だから今日も、人がいないところを選んで走っているんだろう。どんどん山道に逸れていっている。それに合わせて半端とはいえ山登りをした私を褒めて欲しい。

 

 

 でもその分足湯は気持ち良いし、空いているからずっと入っていられる。マナーなんて知らないけど、誰も待ってないなら営業時間中は大丈夫でしょう、たぶん。

 

 そうしてしばらく温まって待っていると、スズカではない誰かに話し掛けられた。

 

 

「こんにちはーお姉さん。お一人ですか?」

「……え」

 

 

 振り向くと、私と同い年か少し下くらいの男が二人。お姉さん……私よね? 私以外いないし。きゅっと心臓が縮む心地がした。二人とも謎に笑顔なのが逆に怖い。

 

 

「えと」

「びっくりしましたよー。旅行か何かですか? 俺らもそうなんすよ。男二人で小旅行? みたいな? まあ電車で数駅なんですけど」

「お姉さんみたいな人がお一人なの、結構珍しくて声かけちゃったんですけど……あ、もしかして誰か待ってたりします?」

「ええ、その、一人、連れが」

 

 

 畳み掛けてくる。しかも、私の言い方から何かを……私が彼氏と来ているんじゃないことを察しでもしたのか、一気に距離が詰まった。

 

 

「へー! じゃあちょうど二人と二人で良い感じですよ! 夜ご飯まだだったりします? 良かったらどこか飲みに行きません?」

「あの」

 

 

 こういうオラついた感じの人は苦手だ……本当に。二人で話してくるものだから私が話すタイミングが掴めない。高校まではそこそこ明るく遊んでたんだけど、大学はトレーナー試験に全てを懸けてしまったので色々経験が足りない。

 

 

「ネットより良いお店も知ってますし、美味しいのに客が入らないタイプのとことか……全然、普通のチェーン居酒屋でも良いですけど」

 

 

 両隣に座られてしまった。私は私で裸足なので逃げ辛い。というか私の荷物とタオルを退かして座られた。え、どうするの私。どうにもならないんだけどこれ。

 

 

「いえでも」

「ね? 良いじゃないですか。こうして会えたのも何かの縁ですよ」

「あちょっと」

 

 

 肩を抱き引き寄せられ、思考が止まる。怖い。え、力強、あ、私これ無理だ、全然無理。やだやだ。逃げなきゃ。

 

 

「行きましょ行きましょ。予約とかできる?」

「おーしとく。とりあえず、ね?」

 

 

 私、終わった。

 

 

「あ、トレーナーさんいた」

 

 

 スズカが来てしまった。走った直後で息も荒いまま、早足に近付いてくる。携帯持ってる……もしかして連絡しようとしてくれてた? マナーモードのままだったか。

 

 

「もうトレーナーさん、ダメですよ。走って来れるところで待っててくれないと困るじゃないですか」

「トレーナー……?」

「あれでしょ? レースの。へー、トレーナーさんなんですね。俺らウマ娘レースも結構見てるんですよ。お話とか聞きたいなあ」

 

 

 すぐにスズカにも標的が移る。適当なことを言いつつ口説きにかかった。

 

 

「……?」

 

 

 二人を見て、それからこっちを見て、数ミリだけ首を傾げるスズカ。解ってるけど、何があろうとスズカに何があるわけじゃないのは知ってるけど、それでも、スズカは逃がさなきゃ、とその一心で、喉が引き攣って、

 

 

「スズ──」

「あ、あった。トレーナーさん、またこんな安物のタオル使って……すぐにダメになっちゃいますよ」

「ん? ああ。それで、君もこの後一緒に」

「罰として走ってきますね」

 

 

 訳の解らないことを言いながら私を抱き上げるスズカ。もちろんほとんど力を入れることなく持ち上がり、脚で支えて抱えたまま私の足を拭くことすらできている。流石の筋力とバランス力だなあ。

 

 そして、ほぼ無視された形になる男達だったが、それでもスズカ……走った後という世界一可愛いスズカを前に退く選択肢は無かったらしい。そのままスズカの肩を掴み、強引にでも振り向かせようとして、

 

 

「危ないですよ、触ると」

 

 

 一ミリも動かせなかった。当たり前といえば当たり前だ。私はもちろん成人男性と比べても、ボディビルダーと比べようとウマ娘のパワーは圧倒的であり、どちらかといえば細身に見える彼らではどうにもなるまい。本気で引きずろうとしたなら重機でも持ってくるしかないのだ。

 

 

「うおっ……!?」

「よいしょ。はいトレーナーさん、靴を履いてください」

 

 

 ビビって身動きのとれない私を拭いて、適当ながら靴下を履かせる……ここまで抱えながらやっていて、それでいて外から力を加えられても微動だにしない。本当に恐ろしい種族だ、ウマ娘は。

 

 私をおままごとの人形のように軽々と振って、靴を履かせるスズカ。そして、私の持っていたハンドバッグを取り上げると、ぎゅっと腕に抱きついてきた。

 

 

「さあ行きましょう。向こうの方にトレーナーさんでも走れそうな場所がありましたよ」

「あっちょっと」

「夜景が綺麗でしたよ」

 

 

 終始二人をガン無視するスズカが怖くもありつつ、全然目が怖くない……欠片も怒っている様子が無いので、もしかすると本当に眼中に無いのかもしれない。何が起こってるかは解ってるよね? ナンパよナンパ。

 

 

 すたすた歩くスズカに背中を押され、かなり遠くまで歩いてしまう。あの二人、ウマ娘と直接触れ合ったことが無かったんだろう、パワーの差を恐れて立ち竦んでしまっていた。

 

 

「ありがとうスズカ、助かったわ……」

「ダメですよトレーナーさん。すぐに逃げないと」

「ああ、何されてたかはちゃんと解ってるんだ……」

「私のことを何だと思ってるんですか?」

 

 

 スズカに寄り掛かって靴下を直し、靴もちゃんと履く。常識があるんだか無いんだか……走ること以外はマトモなのはいつものことか。タオルをジップロックにしまいつつ、スズカはわざと神妙な顔で言った。

 

 

「私だって色々知ってますよ」

「でもどうでも良いと思ってるでしょ? その色んなことを」

「うーん……まあ、まあ……そうですね」

 

 

 しばらくゆっくり山を降りていく。途中、適当に話しながら。快晴で、星がよく見えていた。

 

 

「元気が出ない時は走るに限ります。走れば元気が出ますよ」

「元気が出ても体力が無くなるのよ」

「体力は休めば回復します。でも元気は休んでも回復しません」

「そういう問題じゃなくてね」

 

 

 ちょっと寒いかも。上着はスズカに渡す。ランニングウェアは流石に寒過ぎる。迷わず着込んだし結構感じてたみたい。気付かなくてごめんね。ともかくゆっくり降りて、そのまま宿まで歩いて帰った。たらふく走った後だからか、スズカはとても大人しかった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「んー……美味しい」

「よく食べるわね本当に」

「お腹が空いちゃって……たくさん走ったし、夜も……ね?」

「ね? じゃないけど」

 

 

 夜。せっかく二人で旅行に行くということで、そこそこ遅くまで起きて誰もいない時間に露天風呂に行くことにした。まあ見た感じ他にお客さんいないしそこまでする必要なかったけど。

 

 それまで時間潰しに二人で調べながら色々買ったり、スズカが持ってきたボードゲームをやってみたり。で、今はご飯を食べている。

 

 

 私はお刺身とか、ちょっとした小皿とかがたくさんの普通のコース。見るだけでも普通に楽しめるというか、お高めの料金相応に手が込んでいて豪華。おしゃれな料理、私も作れるように……なってもなあ。食べさせる相手がいないしなあ。スズカは量の方が大事だし。

 

 そのスズカは卓上コンロを出されてひたすらお肉を食べている。すき焼きと、しゃぶしゃぶ。総額からしてそこまで高いものじゃないはずだけど、それでもものともしない。ウマ娘は顎も胃袋も強いからお安い固めの肉でも良くない脂の多い肉でも美味しく食べられる。

 

 

「走っちゃダメって言うんですか? この二日間は無制限と聞きましたよ」

「走ることは止めないけど、大人として九時からとか十時からとか、そういう時間に走りに行かせて帰ってくるのは旅館にも迷惑でしょ。明日もあるし」

「む……それを言われると何とも言えないんですけど……」

 

 

 会話の最中も一切手を止めないスズカ。空になったお盆が横に積まれ、従業員さんが持っていった。十までは前払い、それ以上は二十まで追加料金、それ以降はお断り……だったかな。まあ流石にそこまでは食べないはずなので関係無いし、足りなかったらどこか連れ出して食べさせても良いし。

 

 

「どうにかならないですか? 一回聞いてみません?」

「スズカが十一時とかに帰ってくるならギリギリ交渉できるんだけどね。あなた二時とか三時に帰ってくるじゃない」

「十一時までと約束すれば良いですか?」

「約束できるならね」

 

 

 走れるチャンスは得たが、ここで走ると私が真面目に怒ると解っているので即答はしない。実際十一時でも遅いものは遅いけど……騒ぐわけでもなし、静かに入ってくれば、まあ、まあ。

 

 

「ぐぐ」

 

 

 しかしスズカは約束できなかった。走ると我を忘れるので、結局のところ終わりの時間を決めてもどたばたになってしまう。ちゃんと自分のことを解っているスズカの鍋からお肉を一枚貰いながら、あとで褒めてあげよう、と思い至るのだった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 その夜。結局スズカは走れないので、代わりと言ってはあれだけどちょっとした散歩に出てきていた。

 

 旅館の浴衣はお風呂上がりに着るのでまだ普段着。スズカも絶対に突然走り出さないと誓って気分だけでもとランニングシューズを履いているが、一応普段着ではある。

 

 

「良い空気です。流石に東京とは違いますね」

「ね。こういうところに暮らしたいわ。府中のど真ん中よりも」

「じゃあ毎日長距離通勤ですね 」

「うーん勘弁だなあ」

 

 

 もしそうなったら田舎は田舎でもレース場がある田舎に行きたいな。そうすればトレーナーとしても働き続けられるし、もしスズカがターフで走りたいと言っても対応できるはずだ。

 

 ……でもそうなると、私、地方のウマ娘を相手にするの? 嫌だなあ……私、最低のこと考えちゃう。地方のウマ娘、全員オグリキャップにならないかな。

 

 

「まあ大丈夫ですよ。私だってそんな贅沢言いません。週四回連れてきてくれれば」

「いくら使う気なの……?」

「私もお仕事しますよ」

「仕事しながら週四で……?」

 

 

 ダメですか? と笑うスズカが月明かりで光る。風に吹かれて少し髪がそよぐ。仄かな汗の香りのなかに、スズカ自体の……おっと。

 

 

「危ないですよ」

「ありがと……なに、この段差」

 

 

 見惚れていたら転びそうになった。スズカに手を引かれて持ち直す。本当に綺麗だよ、スズカは。ちょっとドキッとするくらいには。

 

 

「そもそもトレーナーさん、トレーナーのお仕事できるんですか? 遅い子は担当したくないみたいなこと言ってませんでしたっけ」

「その言い方だと私がクズみたいじゃん」

「クズでも好きですよ」

「クズってところを否定して?」

 

 

 事実とはいえ。

 

 

 しばらくそのまま手を繋いで歩いていって、気付けば温泉街ど真ん中まで来てしまった。ちょっと距離があるはずなんだけど、全然疲れていない。スズカもどこか楽しそうにしてくれている。走れなくてストレスかと思ったんだけど、ご機嫌だ。

 

 

「何か食べる? まだ色々開いてるけど」

「ん……大丈夫ですよ。それよりこのままもっと先に行きませんか」

「ランニングコースでもあるの?」

「……そんなに風情がないように見えます?」

 

 

 むむむ、と目尻を吊り上げてこっちを睨んでくるスズカ。おー怖い怖い。違うの? と頬を撫でると、違わないですけど、と擦りついてきた。可愛いねえスズカは。甘いものでも買ってあげよう。

 

 

 夜も明るいお店から適当に饅頭を買ってみる。不思議な甘みの饅頭をスズカと分け合い、適当に道の端で食べる。私は普通の、スズカはフルーツの。うん、美味しい。

 

 

「食べる?」

「あーん」

「あーん」

 

 

 スズカはともかく私は丸々一個は多いし、シェア……というか私は半分私、スズカのを一口貰う。あーんと口を開けるので私のを突っ込んでおく。一緒に買った温かいお茶、渋めね。

 

 

「さむ……」

「くっついた方が良いですよ」

「ん……座るところあるかな……」

 

 

 適当な道端のベンチしか無かった。ハンカチ、流石に一枚しか持ってないな……まあスズカで良いか。

 

 敷いて、二人で座ってくっつく。流石にウマ娘のスズカは体温が高くて気持ちが良い。私が持つ饅頭をあむあむと横から食べていくスズカ。んー、と頬が緩んで、たまに下からこっちを見てにこにこ笑う。幸せだ。

 

 

「当たりですよ当たり。美味しいですから」

「なんでも美味しいって言うじゃない」

「なんでも美味しい方が幸せで良いですよ。それになんでもじゃないです。トレーナーさんのご飯が一番好きですから。週に一回はケーキを作ってくださいね」

「無茶言うなあ」

 

 

 まあウマ娘なら大丈夫なんだろうけど。人間の私や絶賛アスリートのウマ娘は栄養管理とかあるけど、現役を抜けたウマ娘ならそんなもの気にする必要はない。栄養が偏ろうとカロリーが過剰になろうとちょっと動けば大丈夫な種族だ。一生毎日ケーキでも健康に生きていけるだろうね。もちろん作る側の私は死ぬけど。

 

 

 饅頭を食べ終わって、ついでに買っていたゆでたまごを一口で飲み込むと、満足したスズカが私の肩に寄り掛かってくる。ぐりぐり髪を押し付けるようにして、機嫌良く、んー、と高い声を出した。

 

 腕を開いて膝枕にしようとして……ここが外だったと思い直し、胸で受け止めるように止めて腕を回し撫でる。イヤーキャップ越しのウマ耳を擽ると、喜んで尻尾を振った。私もスズカの頭に頬を擦る。

 

 

「そろそろ戻る?」

「んー……もう少し」

「そ。満足したら言ってね」

「じゃあ走るまで帰れませんね」

「即帰ぃー」

「ぁー……」

 

 

 立ち上がると引き摺られてスズカは倒れる。ベンチに転がるスズカを起こしておでことおでこをぶつけると、にっこり笑って蕩けた顔をした。

 

 肌寒い夜の道を再び歩いて帰る。でもやっぱり最初から最後まで、スズカは今にも走り出しそうなくらい前を向いていた。



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覚悟を背負うスペシャルウィーク

土日で次を出せる目処がついたので初投稿です(構文)

新シナリオ実装で完全に書く手が止まったことをここにお詫びします。


 

「……無理していないですか、スペちゃん」

「無理してるよ。でもやる。私は必ずやるよ。決めたから」

 

 

 私の後ろからグラスちゃんが歩いて追ってきます。私は携帯のメッセージを見つつ、早足にトレセンを歩き回っていました。

 

 モンジューさんは動かせた。かなり無理をしたし、たぶん今ごろトレーナーさんは色んな所に頭を下げに行ってくれていると思うけど、とにかく動いた。ジャパンカップには必ず来る。

 

 

 あとは私の問題だ。スズカさんを引きずり出すにはただの覚悟じゃダメだ。スズカさんに少しでも私を意識させないといけない。

 

 

「私、スズカさんにとってよくいる弱いウマ娘の一人でしかないと思うんだ」

「そんなことは……」

「あるよ。スズカさんはそういう人だから。いつもたった一人で先頭を走ってる。仕方無いと思うよ。私は今まで、スズカさんに並ぶことしかできてないんだから」

 

 

 どんなに傲慢に思えても、スズカさんだけは咎められない理由があります。それは、誰よりも速いということ。私達はウマ娘です。良くないと解っていても、無意識にでも足の速さで格付けをしてしまいます。たとえば、私達中央のGⅠウマ娘が地方の未勝利ウマ娘と勝負するとき、少しの油断もなく全力で走ることができるかといえば、とても難しいでしょう。

 

 その範囲が、スズカさんのそれはあまりにも広いというだけ。ここで悪いのはスズカさん? 違う。弱い私達が悪いんだ。少なくともスズカさんの判断基準は速さなのだから、私は速さを見せ付けなくてはならない。

 

 

 ……つまり、万が一このジャパンカップ、一着を取れないなんてことがあれば、私の立ち位置は何も変わらないまま。圧勝、レコード、余裕、そこまでしてやっと、少しくらいは意識してもらえるかもしれない。

 

 

「だから、絶対に勝たなきゃいけない。でも、今の私じゃきっとモンジューさんには勝てない。もちろんトレーニングもする。だけど、それだけじゃダメだ」

 

 

 トレーナーさんは言っていました。私はきっと、誰かの期待や約束、覚悟が良い方向に働くウマ娘だと。私が押し潰れない限り、背負ったら背負っただけ心が満ちます。

 

 モンジューさんは強い。それに、日本への適応もしてくる。移動の疲れもない。本当の本当に本調子で来るはずです。地力の差は歴然。それを埋めるのは、きっと精神の強さです。

 

 

「スペちゃん……ごめんなさい、私も走れれば、こんな……」

「ううん。大丈夫……あ、いた。エルちゃん」

 

 

 それこそ、グラスちゃんのように。心が強いことはそのままレースの強さに繋がります。あの殺意にも似た覚悟を、私も背負わなければなりません。

 

 

「スペちゃん」

 

 

 一人目。エルちゃん。海外帰りでしばらく休養し、来年からはドリームリーグに進むと決めています。凱旋門賞ではモンジューさんに最後の最後に差され、惜しくも世界一の座を逃しました。

 

 本来のジャパンカップは、とても失礼なことだけど、『あのエルコンドルパサーに勝った』モンジューに挑む私、という構図であったはずです。

 

 

 だけど、私はそれでは足りない。走るのは私で、私の脚にもっと大きな期待をかけてくれないと困る。エルちゃんの敵討ちとかそんな程度ではなく、エルちゃんの代わりに走るような重荷が必要だ。

 

 

「珍しいデスね、突然。しかも、エルのところに行くから待ってて、なんて」

「うん。これは私が行かなきゃって思って。それにさ……エルちゃんも何の話か解ってるでしょ?」

「……もちろん。トレセン中の噂デスよ? スペちゃんがとんでもないことやらかしたって」

 

 

 放課後になり誰もいなくなった私達の教室にエルちゃんはいました。帰国してから少し落ち着いて……ううん、元気を無くして。世界一を逃し、敗北した相手には二人ともに逃げられた。境遇は私と一緒。

 

 私の友達は、私のことを察してくれています。私を見て少し笑っているのがその証拠です。グラスちゃんも私の行動については怒らなかった。

 

 

「モンジューの話デスよね。ううん、ジャパンカップの話」

「うん。私は勝たなきゃいけない」

 

 

 そうしないといけないと感じた。その時点で、そうでなければ逃げたのと同じ。エルちゃんは私を見つめて、それからちらっと私の後ろのグラスちゃんを見て、それから後ろ手に持っていたものを押し付けてきました。

 

 

「これ、読んで。私が書いたの」

「……必敗ノート」

「修正してるの見えませんか?」

 

 

 普通のノートの表紙に大きく書かれたタイトル。エルちゃんらしいなあ。まだ漢字は苦手みたい。押し付けられたそれを受け取ってパラパラと捲ると、どのページにもモンジューさんのことや、ヨーロッパのこと、レースのこと……エルちゃんが、世界一になるためにした努力の証が詰め込まれていました。

 

 

「言っておくけど、スペちゃんのために書いたんじゃないデスよ。いつか必ず私がこの手でモンジューを下しますっ! スペちゃんには一番槍として様子を見させるだけデース!」

「……うん。ありがとうエルちゃん」

 

 

 完全にノートを受け取り持っている私を見て、エルちゃんは少し驚いたようにマスク越しに目を丸くしました。どうしてかは簡単に解ります。今の私でなければきっと、これは受け取らなかったでしょう。これは、エルちゃんの血と汗の結晶に他なりません。

 

 

「これ……本当なら私、これを受け取っちゃいけないんだと思う」

「……スペちゃん」

「これはエルちゃんのものだもんね。私は私の力で勝つ、っていうのが正解なんだよね。エルちゃんの努力を横から奪うようなことはしちゃいけない」

 

 

 それでも受け取って、全部私のものにする。そうして、エルちゃんのことも背負う。

 

 

「でも、ありがたく使わせてもらうね。必ず勝つから。モンジューさんは私が倒す。エルちゃんの分まで」

「……あくまでも私が後で勝つってことは忘れないでよ?」

「もちろん」

「じゃあ良いデス。別に返さなくても良いデスよ。全部覚えましたから」

 

 

 にかっと笑って、バンバン私の肩を叩いてきます。身体が揺れるくらい強くされて、何回も受け入れた後、エルちゃんは私達とすれ違うように通り過ぎて、少しだけ振り向いて手を挙げました。

 

 

「よろしくねスペちゃん! ぶっちぎってあげてよ、私達の力で!」

「……うん。任せてよエルちゃん……あ」

 

 

 なんて、エルちゃんをそのまま見送ろうとしたところで、ノートの片隅に貼られたプリクラに気付きました。昔私達が送った、才能煽りの四人でのやつですね。

 

 

「これ貼ってくれてるんだ、エルちゃん」

「あーっ! それの文句を言おうと思ってたデス! 絶対に許さないから! モンジューの前にここで決着つけてやりますデース! レスリングで!」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「あ、セイちゃんいたいた」

「んー……んあ……なんだスペちゃんか」

 

 

 

 二人目。セイちゃん。皐月賞と菊花賞を勝ったウマ娘。今は怪我をしていて今年はお休みだけど、来年もトゥインクルで走ることになっています。

 

 トレセンにあるたくさんのお昼寝スポットのなかでも、陽が当たって暖かいところで、ニシノフラワーさんに膝枕をされて寝転がっていました。お腹の猫は野良で、頭の冠はフラワーさんが作ったものでしょうか? 

 

 

「なんだって……連絡入れたでしょ?」

「見てなかったや。ごめんごめん」

「既読ついてるけど」

「フラワーがつけたんじゃない?」

「私!?」

 

 

 何やら作ってもらったらしいお菓子を頬張りながら適当なことを言うセイちゃん。でも、すぐに起き上がってぽんぽんと彼女を撫でお腹に載っていたバスケットを渡します。

 

 

「ごめんフラワー。少し良い?」

「あ、は、はい、もちろん」

 

 

 というかまたセイちゃんはサボってるんでしょうか。いつものことだし、サボってても強いことは強いので何も言えないんですけど。

 

 

「……で? スペちゃん。正気? 色々と。いくら何でもやり過ぎたとか思ってない? 普通に国際問題だよ?」

「……ヤバいよね、やっぱり」

「考えてなかったんですか!?」

「そういう後先考えないとこ、好きだよ」

 

 

 言われてみると、やらかしでは済まないことをしたような気はします……いやいや! まあ無理はしちゃったけど、大枠は一緒だし! 会見でやるか直接言うかの違いだし、まあ大丈夫でしょ……たぶん? 

 

 焦る私を見てセイちゃんは笑って、冠をフラワーさんに被せてもう一度撫でながら、こちらを見ることなく言います。

 

 

「勝てないと思うよ、私は」

「やってみなきゃ解らないよ。それに、勝つためなら何でもする」

「何かハンデがあれば何とかなったかもね。芝でも空気でも展開でも、知らないことが一つでもあれば。でも無い。実力勝負は流石に厳しいよ」

 

 

 セイちゃんの言うことは尤もです。彼女は一人でトレーナー並みの分析力を持ちます。私達の中でも正直に言えば、身体能力は一つ下でしょう。しかし、それらを覆すような駆け引きを仕掛けてくるのがセイウンスカイという才能です。

 

 その彼女が言うのだからそうなのでしょう。私もトレーナーさんに何度も言われています。きっと、スズカさんのトレーナーも同じことを言うでしょう。

 

 

 でも、それでも私はセイちゃんをまっすぐ見て、こう言うしかないんです。私はもう一度スズカさんと走る。そのために、必ず勝つ。

 

 

「それでもやるよ、私は」

「……だよねー」

 

 

 へらへら笑ってこっちを見つめるセイちゃん。胡座のままゆらゆらと揺れて、何か言いたげな隣のフラワーさんの肩に寄り掛かります。

 

 

「じゃあしょうがない。頑張んなよスペちゃん。私も応援してる。スペちゃんなら勝てるって信じておくから」

「セイちゃん……」

「それにさ、最強とかはどうでもいいけど、全員に勝つのは大変だし。スペちゃんが勝ってくれて、それに勝ったら世界一。良いねえ。とても良いじゃないですか、解りやすくて」

 

 

 それに、とセイちゃんは目を閉じて、また開きました。そこにはもう笑みなんか無くて、いつもよりもっと解りやすく、炎が宿っていました。

 

 

「スペちゃんが勝って、しかもスズカ先輩も引きずり出してくれるんでしょ? 期待してるよ」

「……うん。任せてよ。約束する」

「頼むよー? スズカ先輩相手の作戦、何ヵ月かけて考えたと思ってるの」

 

 

 よいしょ、と立ち上がって手を振るセイちゃん。私を掴んで背を向かせると、ばしん! と強く叩きました。

 

 

「いたぁっ!?」

「ちょっと、我慢しなって。この空気でそのリアクションはダサいよスペちゃん」

「いや違……ごめん、ちょっと、想像の五倍くらい痛くて……」

「もう一発いっとく? 気合い足りないんじゃない?」

「だ、大丈夫! 十分入ったから!」

「えいっ」

「いっっったあぁっ!?」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「キングちゃーん!」

「あらスペシャルウィークさん。もう来たの? もう少し時間がかかると思ったんだけど」

「いや、うん……いてて……」

 

 

 エルちゃんにドロップキックを受け、セイちゃんに背中を殴られたダメージを引き摺ったまま、キングちゃんのところへ。トレーニングターフでストレッチ中の彼女を呼び止めて、買ってきたドリンクを差し入れに渡す。最中かと思ったけど普通にまだ準備運動だったや。

 

 

「それはそうよ。どれだけあなたと一緒にいると思っているの? 何をしたいかも何をするかもみんなお互い解ってて当然じゃない」

「まあ……そうかもね。じゃあ用件は言わなくて良い? 当ててみて」

「そういう話じゃないでしょ!?」

「やっぱり?」

 

 

 もう! と声を荒くするキングちゃん。まだGⅠこそ勝っていないけど、どんな距離でも掲示板にいる圧倒的な距離適性と底知れない根性を持ったウマ娘です。

 

 どうしてもGⅠを取りたい、ということでまだトゥインクルにいるそうですが、きっと遠くないうちに取れるでしょう。キングちゃんの能力は私達に劣っているわけではありません。

 

 

「まあでも、トレーニング中に会いに来るって時点で色々解ってるわ。それに、あなた今トレセンで一番有名人だし」

「そ……うだよね、流石に」

「当たり前でしょ。相手はヨーロッパのスターウマ娘よ? それがいるホテルに殴り込むなんて捕まっても文句言えないわ」

 

 

 みんなに色々言われる度に、勢いで行動しちゃいけないんだなあ、と思わされます。確かに直接行って啖呵は無理があったかもしれません。

 

 でも、そうでもしないと走ってくれないかもしれないし。それこそ同期のみんなやスズカさん、私自身もそうですが、ウマ娘は正面切って挑戦状を叩き付けられたら受け入れてしまう性を背負っています。

 

 

 呆れるようにこんこんと注意してくれるキングちゃん。喋りながらでも滞りなく準備ができるのは流石です。トレーナーさんもそれを解っているのか、特に注意をすることもないですし。

 

 しばらくキングちゃんのストレッチを手伝ったりして、流れでなぜか私達も準備運動をしたり。ひたすらお説教を受けながらですけど。グラスちゃんが落ち込んでてほんの少し助かったかも。二人に詰められたら私は泣きます。

 

 

「それで、キングちゃん。私、今日は」

「さ、やるわよスペシャルウィークさん。グラスさんも。位置につきなさい」

「私もですか……?」

 

 

 有無を言わさない気迫で誘われ、位置につきます。このために準備運動させられたのかな。いや良いんだけど……やるならやるで、本気でやりますけど……

 

 

「距離は?」

「3200」

「え?」

「3200。何? 私には長いとでも?」

 

 

 流石に、と言おうとして、でもキングちゃんは菊花賞でも掲示板に来ています。しかし、中長距離は走らないと言ったのは本人ですし……ううん、言うよりとりあえず走る、ってことで……! 

 

 

 

 始まった3200併走は、やはり私が勝ちました。キングちゃんにはやっぱり距離が長くて、グラスちゃんも長距離は走れますが3200は長過ぎました。最初こそ競り合っていましたが、2500を越える頃にはキングちゃんが下がり、3000で私一人になってしまいました。

 

 

「はぁっ、はぁっ、はあっ……はー……はは。やるじゃない……流石だわ。やっぱり厳しいかもね、私は……」

「キングちゃん……」

「逃げたつもりは無いわ。だけど、だけど……それでも、そうね……そう……」

 

 

 逃げたんじゃない。そんなことはみんな解っています。知らない人達が何を言おうと。完全に倒れ伏しているキングちゃんと、膝に手を突いているグラスちゃん。疲れきっていても、二人ともやる気に満ちたままです。

 

 そして、しばらくそのまま息を整えた後、キングちゃんは横向きに転がって、私から目を逸らして呟きました。

 

 

「私は戻らないからね。この道は、私とあの人で決めた道よ……たとえスズカさんがもう一度帰ってきても、もう私は挑まない。決して二言は吐かない」

「……そっか。うん、知ってるよ」

「だから、まあ、本当はこんなの、私らしくないのかもしれないけど」

 

 

 立ち上がり、それから私の胸をどんと叩きました。まだふらついていて、それでも寄り掛かるんじゃなく、本当に攻撃するように拳を突き付けてきます。

 

 

「少しの間だけ、私に残った後悔を振り払うために。あなたにキングの意思を継ぐ権利をあげるわ。私の代わりに走る権利を」

「……ありがとう、キングちゃん」

「勘違いしないでね。このレースだけよ。キングのことを背負って良いのは私だけ。二度とこんな真似はしない」

 

 

 拳を包もうとしたら、ぱっと振り払われてしまいました。腕を組んでちょっと冷たいことを言うのはいつものキングちゃんです。でも、耳が少しきゅっとなって、声も震えているようで。

 

 何を言っていいか解らず立っているしかできない私。これでレースのキングちゃんとはさよならです。距離によって練習や走り方も違いますから、遊びやアップ以上の併走も無くなるでしょう。

 

 

「だから、ちゃんとしなさいよ。このキングの心は重いわよ?」

「……うん。絶対に勝つから。モンジューさんにも、スズカさんにも」

「楽しみに見てるわ……ところで、私もどこか一発気合いを入れた方が良いのかしら。どうせ二人にもやられたんでしょ? どこが良い?」

「待って、別に私そこまでは」

「やっぱこういうのは肩かしらね!」

「いっだあぁぁっ!?」

 

 

 

 心配そうにしているグラスちゃんはもう少し時間が必要かもしれません。何だかんだ一番頑固だし、こうしてずっと付いてきてくれてますけど、どこかずっと納得がいっていないような顔をしていますから。

 

 帰り道も、グラスちゃんは何も言いませんでした。脚がそう強くなく、無理をして天皇賞に出たことでジャパンカップは厳しく禁止されてしまっています。グラスちゃんならジャパンカップに出ればきっと物凄い走りをしたでしょう。

 

 

 だけど、そうはならなかった。ジャパンカップの日本総大将は私になり、私が勝たなければいけなくなった。そして、これから私はスズカさんへのリベンジも賭ける。絶対に負けられないように、負けないように、覚悟と決意を背負って。




悪のスペシャルウィーク(IF)

「逃げるんだ!フランスのウマ娘が、日本のウマ娘から逃げるんですね!」
「あーあ!がっかりだなあ!結局そういうことなんだぁ!」
「これがイギリスのウマ娘なら正々堂々勝負してくれたんだろうなあ!やっぱりヨーロッパの中心!世界の英国だからなあ!」
「残念!やっぱりイギリス人はユーモアもあるし芸術も解るからかなあ!ねえモンジューさん!」

モンジュー「 」


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あなたとずっと、サイレンススズカ

 

「スズカ行くよー」

「待ってください、オイルが……あれ? 確かここに入れたはずなんですけど……」

「その、手に持ってるのは違うの?」

「新しく買ったやつがあるはずなんです」

 

 

 へー。

 

 

「置いていっちゃうよ」

「わ、解りました、今行きますっ」

 

 

 夜。少し遅い時間まで待って、お風呂に入りに行くことにした。お客さんの少なさを狙って旅館は少し外れのところを選んだので、温泉は手形を買って中心街まで向かうことに。こんな時間でも結構営業しているものね。

 

 ヘアオイルに一家言あるスズカを半ば無理やり連れて、再び夜道へ。流石にお店は閉まっていて、点々とある手形受け入れの旅館が明かりになっている。街灯も装飾が凝っていて綺麗ね。

 

 

「どこに行くんですか?」

「同じ土地だしどこも変わらないと思うけどね。あの旅館より広いってだけで……大体美容じゃない? 効能的には」

「いります? トレーナーさん、お肌綺麗じゃないですか」

「おかげさまでね」

 

 

 スズカと関わるそれ自体が私にとってとても健康とかに良いのだ。なにせ基本的にストレスというものが無い。時々胃に穴が開くんじゃないかってくらい辛くはなるけど、日常的には無いからね。その時点で、まっとうに働いている同世代よりたぶん得はしている。

 

 しばらく歩いて、適当な大手そうな所に入る。いくら何でも時間が時間だし、人はいないに等しかった。早速お風呂へ直行する。やっぱりかなり広いわね。

 

 

「脱衣所からこんなに広いんですか?」

「びっくりよね……走っちゃダメよ」

「私のことをバカだと思ってません?」

 

 

 脱いだ服を私に投げ付けてくるスズカ。脱ぐの早。まだ私スマホ置くくらいしかできてないんだけど。

 

 

「先に行っちゃいますからね」

「待って待って。この歳で早脱ぎなんてさせないで」

「ふふ。遅いんですね、トレーナーさん?」

「脱ぐ早さなんか誇らないで?」

 

 

 一生活かされないだろうスピードを示した後、堂々と私の真横で何も隠さず待つスズカ。羞恥心とかは……まあ私も今さらスズカに対しては全く無い。全裸くらい見慣れているし。

 

 ともかく色々調え、二人で浴場へ。とりあえず洗い場へ向かうと、スズカは当然のように椅子を二つ縦に並べてその前に座ってしまった。

 

 

「……何してるの」

「……? 洗ってくれないんですか?」

「……まあ洗うけど」

「ん」

 

 

 思ったより自然な動きだったからびっくりしちゃった。一つの躊躇も無かったもんね。流石だ。相変わらず特定のことに関しては一切のブレーキが無い。でも私もそういうのを前提に動いているみたいなところあるし、後ろから腕を回し上を向かせるようにして、目にかからないよう注意しながらシャワーを流す。

 

 

「熱くない?」

「大丈夫です」

 

 

 洗う前に軽く流して、櫛を通しておく。スズカの場合は髪が絡まってるとか変に汚れてるってことはないけど、念のため。それから、毛先にコンディショナーをつけておく。そうしている間にスズカが自分でシャンプーを泡立ててくれているので、頭に載っける。

 

 いつものスズカの髪に、わしゃわしゃと指を立てていく。頭皮を揉みほぐすみたいにゆっくり、爪を立てないように。んー、と背筋を伸ばして私に後頭部をぶつけてくるスズカ。ちらりと目が覗き、機嫌良く細くなる。

 

 

「トレーナーさん」

「ん?」

「うなじ……」

「はいはい」

 

 

 スズカの言う通り掻いてあげて。ウマ娘は耳が頭にあるので、変に泡が入らないように気を付けないといけない。しっかり避けて、ウマ耳は別に手を洗い流してから後ろの辺りを擦る。

 

 

「こらスズカ、動かさないの」

「ぁぅぁぅ」

 

 

 ウマ耳、自分の意思よりも感情で動く部分の方が多いから、私が洗ってあげてるとぴこぴこして邪魔。一応しばらく洗ってるとちょっとずつ横に倒れていくけど。走るのを引退したら人間と同じ位置に耳が動いたりしないかな。

 

 ぐるっと頭を泡で覆ったくらいで、長い髪を少し持ち上げて泡で巻き込む。毛先を見失わないように丁寧に、半ばくらいまで泡で包んでおく。

 

 

「流すよー」

「はーい」

 

 

 流す時はそのままだと色々と面倒なので、スズカを後ろに倒して斜めにしてからにする。私も支えてはいるけど、スズカの場合一人でリクライニング体勢を維持できるのがお役立ち。美容師さんがそうするくらい慎重に洗い流し、泡が全部無くなったのを確認してから下ろした髪にトリートメント。手慣れたものね、私も。

 

 

「トレーナーさん寒くないですか? お湯をかけましょうか」

「お願い。まあもう少しで終わるけどね」

「あい」

 

 

 髪に残らないようしっかり流して、仕上げに纏めてタオルで頭に巻く。あんまり長くやるのは髪にも良くないけど、お湯に浸けるわけにもいかないし。

 

 体は自分で洗ってもらって、その間に私は自分をちゃかちゃか洗っておく。途中でスズカが洗った泡付きのタオルを受け取って……いや、家でやるならともかく外でこんなケチなことする必要ないな。まあ良いか。

 

 

 スズカに少し遅れて洗い終わり、二人でお風呂へ。どこも空いているし、適当に何か普通そうなところに入る。

 

 

「あちちち」

「気を付けて入るのよ……うぁ、ああ……」

「おばあちゃんみたいな声……ふぁ……ぅ」

 

 

 くそっ声が透き通っていて若い。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「トレーナーさん、そろそろ爪切った方が良いですよ」

「いや今度さ、ネイル着けようと思ってちょっとだけ長めにしようとしてるんだけど」

「えー。似合わないですよ。長いと困ることもありますし」

「そっか……じゃあ切ろうかな」

 

 

 多少とはいえ東京から離れると、星が綺麗に見える。開放的な夜空を臨む露天風呂に浸かって、隣のスズカとどうでも良い話をしたり、黙ったり。

 

 少し上気したスズカの頬を撫でる。んー、と手を取って弄くるスズカ。いくつか点々と違う湯船に来てるけど、ここが一番景色が良いかも。

 

 

「そういえばスズカ、家にたくさん味付け玉子作ったじゃない」

「はい。あの美味しくないやつですよね」

「そうそう。あれ、新しい作り方試すから全部食べちゃってよ」

「無茶言わないでください。味が濃すぎます」

「どうせ美味しいからたくさん作って大丈夫って言ったじゃない。責任責任」

「味見の時はあんなにダメダメとは思いませんでした。前言撤回です」

 

 

「あの変なお面何とかしてよ。怖すぎるんだけど」

「でもフクキタル曰く開運グッズらしくて……」

「でもあの子、スズカのこと幸運の権化みたいに扱ってなかった?」

「はい。だから、あれで運気を溜めて自分の部屋に飾るんだそうです」

「それじゃスズカが不幸になるじゃない」

「それが、吸い取るんじゃなくてコピーするみたいで」

「何でもありじゃん……」

 

 

「トレーナーさんおっぱい大きくなりました? それとも太りました?」

「はっ倒すわよ……スズカは本当に変わらないわね。小さいままね」

「ふふ。すごく走りやすいですよ。もう少しお尻が大きくなると、たぶん出力も上がると思うんですけど」

「何か言われたこと無いの? 同期とかに」

「うーん……あんまり……むしろ私が小さくなるブラとか渡してるくらいで……タイキとかパールさんとか、短距離のウマ娘はそういうものなのかなって思うんですけど、フクキタルとかブライトとか、可哀想で……」

「……ん、まあスズカがそれで良いなら良いけど」

 

 

「え? サウナ入るんですか? 良いじゃないですか湯船で」

「別に良いじゃない。スズカだって気持ち良さそうにしてたんだし」

「確かに気持ち良かった……んですけど、何か違う気がして……怖くないですか? 絶対に走った方が良いですよ」

「運動してもね……気持ち良さより先に疲れが来るのよね」

「おばあちゃんじゃないですか」

 

 

「あっあっ、あっ、と、とれーなーさ、だめだめだめ」

「スズカ。整ってる時に騒がないで」

「きゅっとする、きゅっとするっ。て、てをにぎってっ」

「あー…………」

「や、やだやだ、きもちよくない、むりむりむりっ」

「消えるぅ……」

「ぁ、ぁっ、ひゃ、あ、あー……あーっ……」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「はあ……あ、い、んっ、んんっ」

「変な声出さないで」

「すみませ、あ、ぁんっ」

「もう」

 

 

 宿に帰り、スズカのケアの時間。少し時間が空いてしまったがテールオイルを使った後。俯せになるスズカに跨がって肩と背中をマッサージしていた。

 

 流石に一日走り回っていただけあってそこそこ疲れてはいる。スズカ自身、走っていれば疲れないとは言うものの、当然身体への消耗はあるのだ。でもたぶん普通のウマ娘より圧倒的に少ないかな。

 

 

 人間より遥かに強いとはいえ、リラックス状態でマッサージをする分には変わらない。揉んだり叩いたり押したり、ゆっくりゆっくり時間をかけて解していく。

 

 

「んぅ……くは、ふぅ……」

「もう大丈夫かな。よいしょ……っと」

 

 

 最後に背骨を伸ばして鳴らし、ぐえ、と大人しくなったスズカの腰を叩いて終わり。思いの外汗をかかないで済んだし、私もこのまま寝ようかな。

 

 

「ほらスズカ、そっち寄って。もしくは布団戻して」

「あい……」

 

 

 当然のことながら布団は二つ敷かれていたが、部屋に入るなりスズカがその片方を畳んで部屋の隅に投げてしまった。

 

 一緒に寝ているのなんていつものことだけど、流石に敷布団で二人は狭い。電気を消して、普段にもましてほとんど抱きついているに等しい距離で布団に入る。

 

 

「んー……ん? ぅん。ん?」

「何してるの」

「何となく収まりが悪いと言うか……手の位置とか」

 

 

 しばらく蠢いていたスズカだったが、少しすると落ち着いたのか、私の腕を引っ張り出して枕にすると、私の胸元に縋るように丸まった。結局いつも通りじゃない。

 

 定位置を見つけたことで機嫌が良くなり、すりすりとおでこを擦り付け密着しようと脚や腕を回してくる。拒否する理由もないし狭いので受け入れ、私からも抱き締めておく。わあ暖かい。

 

 

「はあ……今日は幸せです、本当に」

「いつもは違うの?」

「言っておきますけど私はかなり妥協しているんですよ。あまりにも走る時間が短すぎます」

「たくさん走ったじゃない……しかも自然の中でさ」

「そういう話じゃないんですよ。地理と気候と時間が合わさって初めて完璧なランニングになるんです。全部細かく条件があるんですよ」

「じゃあそれに合わない時は走るの禁止ね」

「そういうことじゃない……ん、あの、トレーナーさん?」

 

 

 細々喋ってるうち、胸に顔を埋めたままスズカが目だけこちらを向いてきた。浴衣、ぐちゃぐちゃになっちゃったな。珍しく静かな雰囲気で、二人の間の空間が消える。

 

 

「私、卒業するじゃないですか」

「そうだね」

「トレーナーさんは……その後、どうするんですか」

「……そうね」

 

 

 ドリームリーグに進むならともかく、そうでないなら大学課程までトレセンにいる必要はない。スズカの場合今年で引退すれば、次の三月で卒業することだろう。

 

 もし私にスズカしかいなかったなら、きっとそのままトレーナーも辞めていた。私は強いウマ娘しか育てられない。必ずスズカと比べてしまうからだ。どこかで、重賞は絶対に無理だろうとか、未勝利戦勝ったのも奇跡とか、そんなことを言ってしまう。素直に喜ぶことができない。

 

 

「しばらくはトレーナーを続けるわよ。二人が辞めるまではね」

 

 

 ブルボンとスカーレットがいてもそれは変わらないけど、スズカへの依存度は下がっているような気もする。もちろん、スズカが辞めてと言うなら今すぐ辞めよう。だけど、二人も大切な私のウマ娘だ。責任は持ちたい。

 

 

「その後は?」

「どこか田舎に行って、適当な働き口でも見付けるわ。あなた達のおかげで、最悪働かなくても生きていけるくらいのお金はあるし、きっとブルボンもスカーレットもこれから物凄いお金を稼ぐだろうし」

「東京にいないんですか?」

「だってスズカが言ったんじゃない。ビルの間より草原を走りたいんでしょ? どこの田舎にまだ草原があるのかとは思うけどさ」

 

 

 流石に東京で暮らすには家賃とかが心配だし。元々騒がしいのは好きじゃないから、都会にいる必要はないのかも。

 

 スズカのおでこをぐりぐりと指で押す。眉を顰めるスズカ。ぎゅっと目を閉じたかと思えば、ごちん、とまた頭突きを決める。ふう、と小さく息を吐いて、私に回した腕に力を込めた。ぐっと密着して、私の胸を押し上げてくる。それからまた顔を埋めていった。

 

 

「私、一緒にいて良いんですか」

 

 

 ぽつりとスズカが言った。さらに力が入る。少し骨が軋み始めた。

 

 

「何言ってるの、今更」

「だって」

 

 

 ほんの少しだけ声が小さくなった。さらに布団の中に潜り込むようにして消えていく。もじもじと体を震わせて、さらに強く私を抱きしめる。痛い。普段よりも手加減ができていないような気がする。でもまあ、そんなことで騒いでるようではウマ娘のトレーナーではいられない。ウマ娘に人生を捧げることはできないけど、スズカに殺されるのならそれでも良いかな、とは思える。

 

 力技で反らされた背筋を強引に丸め、肺の空気が押し出されそうになりながら手を伸ばして後ろから頭を、さらさらの髪を梳くように撫でる。目の前でしゅんと萎びたウマ耳を擽って、指で引っ掛けて立てる。マイクみたいに私の口元に寄せて、ふっと息を吹きかけると、びくん、とスズカが腕の中で揺らめいた。

 

 

「そんなこと聞く必要があった?」

「……私だって、少しくらい考えてるんです。良いじゃないですか、不安になるくらい」

「まあ、別に不安になるくらい良いけど」

 

 

 スカーレットってこんな気持ちだったのね。本当に酷いことをしたかも。しかも年上の私が。

 

 

「大丈夫よ。しばらくの間は一緒にいようね。連れて行ってあげるから」

「しばらくって何ですか……ずっとじゃダメですか」

「それはダメかなあ……いたたた」

 

 

 私も布団の中に少し潜って、目を埋めるスズカの顔を少しだけ上げる。隙間から入ってくる常夜灯の光が瞳に反射して見えた。

 

 じっとスズカを見つめる。いつも通りじゃないスズカの可愛い顔がある。空色の目が私を見たり、少しぶれたり。私の背中を擦って、体を擦り付けてさらにくっつこうとする。

 

 

「なんでですか」

「結婚とかあるじゃない」

「結婚するんですか?」

「スズカがね」

 

 

 私はたぶんしないけど。この先誰と恋をしても誰と暮らしていても、たぶんスズカに呼ばれたら行くだろう。そんなようでは結婚なんかしていられない。するにしてもスズカの後かな。

 

 スズカは……もちろんずっと一緒にいられればそれで良いけど、ウマ娘は次代を残すことも大切な役割だ。子供がいないとおかしい、なんてことは今の時代に合っていないけど、ウマ娘に関してはほとんどがそういう生き方をする。

 

 

「スズカが相手を見つけて、ウェディングドレスを着たら結婚しようかな」

「しようと思ってできるんですか?」

「どうかな。できないかもね」

 

 

 一生独り身かな、私は。仕方無い。私にはスズカ以上の運命は無い。この子が最初で最後だろう。でも、一生分の幸運でスズカに会えたならそれはとても素晴らしいことだ。

 

 

「じゃあ、ずっとですよ」

「スズカなら好きに選んで良いのよ? あなたはそれだけのウマ娘なんだから」

「選ぶって誰をですか? トレーナーさんより素敵な人を?」

「そうねえ」

 

 

 張り裂けそうなくらい嫌だけど、スズカが、私より素敵だと誰かに言う時はきっと来る。私が一番でいたいけど、私が一番と思ってほしくない。いつでも私から逃げて良い。いつだって、ヒトとウマ娘、相手を選ぶのはウマ娘だ。

 

 泣きそうになって、被さるみたいに抱き付く。

 

 

 やだなあ、ほんとうに。ほんとうに、いやだ。

 

 

「いませんよ」

「いるよ」

「いません」

 

 

 私の足が、スズカの脚に絡め取られる。いつの間にか、スズカの手が私の頬に伸びていた。まっすぐ見上げて、無理やり私の目を奪って、異次元の逃亡者は強く言い切った。

 

 

「いません」

「……仕方無い子ね」

 

 

 いないなら、それでも良い。世界で一番スズカのことを知っているのは私だ。永遠は約束できないけど、いつか来るその時までは一緒にいる。それが一番スズカのためだと断言できる。

 

 

「じゃあ、見つかるまで一緒にいましょうか。きっとすぐよ」

「本当ですか? 絶対ですよ。このまま一緒ですよ」

「絶対。見つかるまでね」

 

 

 私もスズカの頬を撫で、むっとした唇を指で伸ばす。母親……じゃない。これは母性じゃない。独占欲のような、もっと嫌なもの。スズカの一生を縛るにはあまりにも醜いものだ。

 

 だから、スズカがもっとマトモなパートナーを見つけるまで、一緒にいさせて。スズカの一番として、スズカを幸せなままで守っているから。

 

 

「……なら、良いです。いつまでもいますから」

「いつまでもいられると良いわね」

 

 

 少しずり上がって、二人で布団の外に出る。スズカはそう大きく表情が動く子ではない。だけど、スズカなりの動き方というものがある。

 

 そして、今のスズカは間違いなく、満面の笑みを浮かべていた。

 

 

「はい。()()()()探すことにします」

「うん。()()()()探しなね」

 

 

 鼻先の距離で見つめあって、長い睫も、お行儀の良い鼻も、薄い唇も、上気した頬も、暗がりの中でもよく見える。ふふっと笑って、こつん、と鼻と鼻をぶつけた。

 

 

「大好きですよ、トレーナーさん」

「……うん。私も大好きよ、スズカ」

 

 

 囁くようなスズカの声に心臓が跳ねた。目を閉じて額を合わせる。密着したスズカから、同じように早鐘を打つ鼓動が聴こえてくる。

 

 数分。耐えきれなかったのは私。そのまま顔をずらして、単純に抱き締める。旅館のシャンプーの香りがする。スズカの吐息が首にかかり、スズカがぐっと私の胸元を触れて寄り掛かった。

 

 

「引退したら、毎日走っても良いですか?」

「もちろん──」

 

 

 へな、とウマ耳がよれた。

 

 

「──ダメよ。スズカの脚が大切だからね」

「むむむ。意地悪ですね、トレーナーさん」

 

 

 ぴこん、とウマ耳が立ち上がる。

 

 

「仕方無いのでちょっとだけ言うことを聞いてあげます」

「仕方無いのでって何よ」

「仕方無いのでは仕方無いのでです」

 

 

 ぐりぐりに抱き付いて、弾んだ声で言うスズカ。ぴこぴこ動くウマ耳を撫でていると、少しずつ大人しくなっていった。

 

 

「お休みなさい、トレーナーさん」

「ん。お休み、スズカ」

 

 

 今日もスズカが可愛い。きっと明日も、その次の日も。

 スズカといつか別れるまで、たぶんスズカは可愛い。



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サイレンススズカとトレーナーのいろいろ

スズカ編がほぼ完結したのでオマケの情報開示です。ステータスは実際のものではなく要約で、トレーナーにも見えていないものが含まれます。


……完結?主人公なのに?


SS+ 人外
越えられない壁
S 化物
A シニアGⅠ級
B クラシックGⅠ級
越えられない壁
C 重賞級
D オープン級
E 未勝利級


 

登場人物

 

 

サイレンススズカ

 

はやさ:SS+(最大)

レース:C+

タイプ:爆発(Lv.1)::レース後半に先頭にいる

伸び脚:『最大集中』

    『異次元の逃亡者』

    『先頭の景色は譲らない…!』

    『限界の先へ

 

いつものあほ栗毛。

圧倒的なスピードと先頭への執念によりレースで無類の強さを誇る文句無く現役最強のウマ娘。ただし強さはギミックではないので負ける時は負ける。

 

走ることしか考えていないうえ、大体の価値基準が速いかどうか、走れるかどうかに寄っているポンコツ。何であろうと遅いと言われることが許せずキレる煽り耐性の低さを持つ。

 

ただ、走ることさえ絡まなければ非常にマトモで、成績も教師からの覚えも良く人当たりも良い。同世代では自分がツッコミだと思っている。

一般人及びトレセンの七割くらいからはストイックな孤高の王者と思われているが、話しかければ割と何でもしてくれるしファンサは手厚い。

 

トレーナーの一人目のウマ娘にして一番のウマ娘。お互いに以心伝心であり、自他ともに、どちらかが健在ならもう片方がどうなろうと必ず快復すると理解されている。トレーナーのことを心から信頼している。

 

四つ目の伸び脚は失われたわけではなくスズカが自分の意思で使用を控えているため、やろうと思えば使える。

 

 

ミホノブルボン

 

はやさ:B+

レース:D+

タイプ:実力

伸び脚:『先手必勝』

    『切り開く者』

    『G00 1st.F∞;EX

 

いつもの脳筋。

努力は全てを解決するという主義信条のもと、ありとあらゆる障壁を力業で何とかしようとする三冠ウマ娘。本人はライスに負けたと思っているが、それはそれとして三冠は誇る。

 

エルナト基準でも群を抜いて抜けているボケ担当。スズカと違い自分の速さに絶対の自信を持っているわけではないので大概の悪口は意に介さない……が、自分の努力量と目標たるスズカの強さについては自信を持っているためそこを弄ると簡単にキレる。

 

同世代でも大体中心にはいるが、ライスかフラワーがいないとあまりの天然ぶりに可愛がりが始まって話が進まなくなる。成績や機械操作以外の技能は万能に近しく優秀。

エルナトの極悪トレーナーの被害者としての評判はまだ高く、話しかけられることも少ない。色紙がないとサインしてくれないが、名前を呼ぶ時に"三冠ウマ娘の"や"ダービーウマ娘の"を付けると機嫌が良くなって服にもサインしてくれる。

 

エルナトとしては一人目のウマ娘。エルナトの悪評は大体ブルボンのせい。スズカほどではないが割と考えていることは解るし大切にされている。トレーナーのことを心から信頼している。

 

伸び脚はブルボンがあえて自壊覚悟で走らなければ暴発しないので安心。なおブルボン自身は多用しても壊れない身体になれば何度でも使えると思っている。

 

 

ダイワスカーレット

 

はやさ:C+

レース:E

タイプ:実力

伸び脚:『レッドエース』

 

いつもの後輩。

本人はスパルタに向いている身体ではないしそんな考え方も持っていなかったが、スズカやブルボンの強さを見て覚悟を決めた。そもそも走ることが好きなスズカ、生まれつき従順なブルボンと違い気合いで同じことをしているヤバい奴。

 

エルナトきっての常識人……だったが、気性の荒さは三人の中でも抜けており、そもそも主義信条のためにジュニアレースを全部捨てるという暴挙を犯している。ママも流石に引いていた。スズカと並び煽り耐性が無い。

 

チーム外や深い友人以外には愛想の良い優等生ダイワスカーレットで通しているため毎日忙しくしている。とはいえ猫被りしている姿も素ではある生粋の優等生。

デビューで千切りはしたがスカウト時点でウオッカに評判負けしていたため見た目人気が主。ファン対応は猫被りモードで行うため、人によってはレースとの違いを感じて首をかしげるらしい。

 

エルナト二番目のウマ娘。いつか先輩二人を越えようとしているが、そもそも才能では圧倒的に勝っているので、理論上同じことができれば越えられる。先輩やトレーナーのことも理解してきているためツッコミが雑になってきている節がある。

 

 

 

スペシャルウィーク

 

はやさ:A

レース:B+

タイプ:爆発(Lv.?)::???

伸び脚:『はらぺこ総大将』

    『全身全霊』

    『シューティングスター』

 

ご存知シリアス担当の日本総大将。

スズカに憧れているのは変わらず、何度もボコボコにされ勝ち逃げされ限界に追い込まれたことでウマ娘として覚醒を続ける主人公の大器。

 

スズカの一番の理解者であり、よくエアグルーヴと笑顔で言い争っていたりする。性質から性格まで熟知しているため、スズカに囚われることなくスズカを追うというスタンスを確立した。ただしスズカに負けず劣らずボケ気質ではあるので二人でいると割と立場が入れ替わる。

 

黄金世代の絶対的エース……とは割と思われていない。ファンもエルやグラス、キングの方が多い。何なら才能だけ見てもエルには劣る。しかしその辺りを覆す強い意志と爆発力を以て同レベルの戦いが成り立っている。

 

 

エアグルーヴ

 

はやさ:A

レース:A

タイプ:実力

伸び脚:『水月鏡花』

    『女帝の権謀』

    『ブレイズ・オブ・プライド』

 

いつもの女帝。

スズカに千切られてからは、一着でなければならない重圧からある意味解放された。ドリームリーグでも善戦するだけの実力はある。

 

スズカの一番の理解者であり、よくスペシャルウィークと争っている。ほぼ全て理解しているため制御もほぼ完全にできる。昇格を遅らせてまでスズカと戦ったことで執着はかなり薄まっているので、スズカがドリームリーグに行かなくても何も思っていない。

 

レースにおいてはかなり強い。比較対象がいつもスズカや爆発力持ちなので何となく見劣りするが、格下にワンチャンを許さない堅実なレース運びはまさに女帝。

 

 

ライスシャワー

 

はやさ:C+

レース:C+

タイプ:爆発(Lv.5)::決意と憧れを以て一人に執着する

伸び脚:『決意の直滑降』

    『黒の刺客』

    『ブルーローズチェイサー』

 

いつもの刺客。

しっかりしたトレーナーがいないので、折れずにトレセンで走ることを決めたきっかけは100%ブルボンになっている。ついてくついてく。

 

ブルボンに強い憧れを抱いており、それに勝つことを目標としている。ブルボンとよく一緒にいるが、二人だと結構強めにツッコミを入れることができる。フラワーと並ぶ同期の良心と言われている。

 

正直彼女自体はそう驚くほど速くはない。レースも限られた戦法しか取れないため結構簡単に負けるときは負ける。だが全てをひっくり返す根性がある。

ブルボンに比べると身体が強いわけではないのにブルボンと同じメニューをトレースして故障しなかったのはシンプルに運。

 

 

ウオッカ

 

はやさ:C

レース:B

タイプ:実力

伸び脚: 『好転一息』

    『カッティング×DRIVE!』

 

いつものイケメン。

スカーレットの最大のライバルにしてスペシャルウィーク並みの主人公の器。ルドルフ、エルと並ぶ絶対的な才能を持ち、特化練習のスカーレットをしてなお同レベルの力を持つヤバい奴。

 

スカーレットとは終生のライバル。何故か既にスズカ⇔トレーナー並みにお互いを理解している。アウトロー志望のウオッカと優等生のスカーレットと思いきや、実のところは堅実なウオッカと(エルナトで)壊れたスカーレット。

 

レース勘、才能ともにスカーレットを大きく凌ぐ天才。本人が直線一気を好むため戦法が一辺倒になりがちだが、その気になればイン捲りや先行押し切り等割と何でもできる。

 

 

マチカネフクキタル

 

はやさ:B

レース:B

タイプ:爆発(Lv.5)::心の底から自分が幸運だと思い込む

伸び脚:『奇術師』

    『スーパーラッキーセブン』

    『来ます来てます来させます!』

 

いつものバグ。

サイレンススズカが一番負けている女。それが公式戦で起こっていないのはエルナトトレーナーの幸運。

 

スズカの親友の一人。スズカが走ることが絡んでいなくてもぞんざいな扱いをする数少ないウマ娘で、お互いに半分くらい話を聞き流している。それはそれとしてスズカのことを幸運の権化だと思っているので、スズカに渡す開運グッズはどちらかというとスズカを幸運にするものではなくスズカの幸運を吸い取る類いのもの。

 

ウマ娘界でも屈指の爆発力の持ち主であり、ハマった時は覚醒ナリタブライアンをも凌ぐパワーを発揮する。しかし一方で幸運に頼り過ぎない心構えをトレーナーから教わり、実力は上がっているが爆発力は衰えつつある。

 

 

グラスワンダー

 

はやさ:A

レース:B+

タイプ:爆発(Lv.3)::覚悟を以て一人をマークする

伸び脚:『大和撫子』

    『乗り換え上手』

    『精神一到何事か成らざらん』

 

いつもの鎌倉武士。

作中一番のスズカの被害者であり、レースの度に曇らされ、トレーナーとのやり取りで何とか出走してを繰り返していた。ただし本人達は覚悟が決まりすぎているので成長のチャンスとしか思っていない。

 

関係性はどちらかといえばスズカと直接ではなくスペシャルウィークを通してのものが多く、特に直々にスズカにボコボコにされてからはほとんど二人になっていない。というかグラスがガンガン行くタイプではないので、二人になっても二人とも何も喋らないなんてことにもなる。

 

爆発力に加えてシンプルに実力も高いハイスペックウマ娘。レース運びもかなり上手いうえ努力も怠らず、精神集中さえできていれば黄金世代でも最上位。ただし、スズカに負けまくってから勝ちたい相手がぶれてしまい実力が発揮できたりできなかったりしている。

 

 

エルコンドルパサー

 

はやさ:S

レース:A

タイプ:実力

伸び脚:『鷹の目』

    『余裕綽々』

    『プランチャ☆ガナドール』

 

いつもの世界最強。

黄金世代の中でもスズカとの絡みが少ない。というより国内での活躍がスズカ故障中と被り、その後は海外なので出番自体少ない。

 

黄金世代の最強は彼女。爆発力こそ無いが無くても問題ないほど強い。才能比べをするならルドルフにも劣らないレベル。

 

 

キングヘイロー

 

はやさ:C+

レース:B

タイプ:???

伸び脚:『大局観』

    『電撃の煌めき』

    『Call me KING』

 

いつもの一流。

スズカとは裏で話していたりするくらい。絶対にぶれない態度がお気に召したらしく、参考にしていたりしていなかったりする。そのせいでよく高めのお菓子がエルナトに届き、その度にトレーナーは顔をしかめている。

 

覚醒はまだ先。秘められた素質は十分で、後は自分に合った舞台と一流のトレーナーの力で何とかなる。

 

 

セイウンスカイ

 

はやさ:C

レース:S

タイプ:実力

伸び脚:『ファストリトリーブ』

    『脱出大作戦』

    『アングリング×スキーミング』

 

いつものトリックスター。

逃げ差し戦法はスズカを見て考え付いた……が、結果としてできたものはデバフ気味のものになってしまったので再現性で言えば失敗。この秘密は墓場まで持っていくつもり。

 

黄金世代で一番弱い。しかし相手の分析と周りを掻き回す戦術のセンスは抜群で、スズカの潰し方も誰にも教わらず解明し、あとは身体を鍛えるだけという段階にまで持っていった天才。

 

 

シンボリルドルフ

 

はやさ:S+

レース:SS

タイプ:実力

伸び脚:『皇帝の眼差し』

    『鎧袖一触』

    『汝、皇帝の神威を見よ』

    『翳り退く、さざめきの矢』

 

いつもの皇帝。

スズカのことはいつか戦いたいと思っていたくらい。どちらかといえば後輩としてブルボンを目にかけていたりする。

 

現トレセン最強であり、特に作戦が無くてもスズカに勝つ可能性を持つイカれた実力の持ち主。今のところタイマンでしか戦っていないので実力が出せず負けているが、全力なら5:5。

 

 

ナリタブライアン

 

はやさ:B+

レース:B

タイプ:爆発(Lv.4)::敗北してなお闘志が燃えている

伸び脚:『餓狼牙

    『一刀両断

    『BLAZING WOLF

    『渇望する怪物

    『Shadow Break

    『灰色の臨界点

 

いつもの怪物。

今のところブルボンが自分から挑んで勝負することで満足させているが、不足すれば間違いなくスズカに牙を剥く戦闘狂。

 

怪我の影響でクラシックからほとんど成長していない。しかし闘志により爆発力に覚醒、怪物達と並んでも劣らないパワーを手に入れた。というかそもそもクラシックで成長が止まっていようと並のウマ娘では話にならないくらい強い。スズカとは一回戦は0:10、二回戦は10:0、三回戦以降は4:6。

 

 

マルゼンスキー

 

はやさ:S+

レース:D

タイプ:実力

伸び脚:『ギアチェンジ』

    『アクセル全開!』

    『マイルの支配者』

    『じゃじゃウマ娘』

 

いつもの激マブ。

よくスズカと走るだ何だと言っているが実現したことは少ない。マルゼンスキーからすれば本来の先行脚質で走れるため走りたいが、設定が固まってなかった初期ならともかくスズカは自分に勝てる相手と走りたがらないため。

 

スズカほどではないが圧倒的な速さと逃げの走りができるためスズカにガン有利。対策をしなくても5:5、対策すれば7:3。なお本人は気ままに走っているだけなのでレース勘はそこまででもないという意味でスズカと同類。

 

 

サクラバクシンオー

 

はやさ:S

レース:C

タイプ:爆発(Lv.1)::自信を持って走る!

伸び脚:『バクシン的スプリント!』

    『バクシン的リード!』

    『優等生×バクシン=大勝利ッ!』

 

いつもの"王"。

ブルボンの同期で、同期の集まりを主催するのは大体彼女。トラブルを起こすのも何だかんだ解決するのも彼女。

 

世界線的に走れるレースが多く、トレーナーからもスプリント路線を走らされているので史実より覚醒が速い。スズカと違って特に理由なく圧倒的なスピードを持つ生まれながらの王。育ち方によってはスズカの領域まで上がってくる素質がある……上がってきても距離適性がね……

 

 

 

エルナトのトレーナー

 

しごと:C

みため:A

タイプ:メンヘラ(Lv.?)

スキル:『家事全般』

    『トレーナー最低技能全般』

    『対担当メンタリズム』

 

いつものメンヘラ。

物語の語り手にして実質的な主人公。ガイドラインによりウマ娘には酷いことができないのでその分を背負う定めにある。ウマ娘のステータスを可視化する能力を持つ。

 

能力頼りで今までやってきたためそれ以外への自己肯定感が低い。スズカとのやり取りでかなり回復はしてきたし、あくまでもトレーナーとして、あるいは大人の女として屑だと思っているだけなので学生時代は普通だった。

 

トレーナーとしての能力は可もなく不可もないくらい。ただ、職を選んだ動機が動機なので各種適性診断や面接の点数は低い。普通の人としては運転も家事もできるし頭も良いので優秀。美人で尽くすタイプなので重ささえ耐えられれば恋人としても良い。運動はカスだがスズカを抱くくらいはできる。

 

スズカ、ブルボンと以心伝心であり大抵のことは言わなくても伝わる。トレーナー⇔スズカ相互の感情は本人達にも不明。少なくとも恋心を自覚したらBAD ENDなことには変わりない。スズカとブルボンのことを心から信頼している。



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何も無かった?サイレンススズカ

できるだけ頭を悪くしました。前回があんな感じだったのでね。


 

 ある日。

 

 

「ところでマスター。一つお聞きしたいことがあります」

「ん?」

 

 

 ブルボンの病室でみんなで過ごしていると、ブルボンが唐突に口を開いた。流石ウマ娘というか、たったの一週間くらいなんだけど包帯の量が減っているような気がする。元々小さな怪我を全身に受けた感じだったから回復も早いんだろう。

 

 

「マスターが旅行中、ライスと話していたのですが」

「!? 待ってブルボンさん! 言わなくて良い! やめよう!?」

 

 

 流石に病院だとかなり大人しくなるスズカ、今日もトレーニングを終えヘトヘトながらお見舞いに行けないと宣言するのは負けだと思っているスカーレット、皆勤賞のライスシャワー。このメンツで過ごすことがかなり多くなった。ライスシャワーも何だかんだご飯くらいは一緒に食べたりするし。

 

 

 まあ、全員が病室に揃っていても会話が活発ってわけじゃないけど。一番喋るスカーレットが今にも眠気に負けそうだし。

 

 

「何。どんなこと話してるの、二人で」

「いえ、マスターが旅行中」

「ブルボンさん!? やめて!?」

 

 

 そんななか話し出したブルボンの口をライスシャワーが塞ぐ。ついさっきまで甲斐甲斐しくりんごの皮を剥いていたのにどうしたの。そんなに大きな声出せたんだ。

 

 

「めちゃくちゃ拒否ってるし何も言わない方が良いんじゃない? 何の話か知らないけど」

「珍しいですね、こういうの、ライス先輩が遮るの……あ、トレーナー。私オレンジ貰いますね」

「何が残って……うわっただの水。こんなの買ってこないでよスカーレット」

「っ……え、ええ、今度から気を付けますね、すみません」

 

 

 ライスシャワーの手前キレられないスカーレット。でも実際毎回外れかのように水を買ってくるのはスカーレットの遊び心でもあると思うし。もしくはパシらせる私への仕返し。自分で好き好んでパシるくせに。

 

 

 各自スカーレットの買ってきた飲み物を飲みつつ、ブルボンにはライスシャワーがストローで飲ませつつ。どうやら話を聞いていたスズカが気になったようで、飲み物を飲まされて口を塞がれているブルボンを助けていた。

 

 

「聞かせてください」

「スズカさん待って……」

「はい。二人で話していたのですが」

「ブルボンさんストップ!」

「もしかするとマスターとスズカさんが性的なことをしているのではないかと」

「ぶふっ」

「きゃあっ!?」

 

 

 真面目な顔でとんでもないことを言い出したブルボンに、つい水を噴いてしまった。え? 誰よブルボンにそんなこと教えたのは。私は許さないわよ。

 

 

「ちょっとトレーナーさん……? めちゃくちゃかかったんですけど……!?」

「ごめ、ごめんスカーレット……いやびっくりしちゃって……」

 

 

 スカーレットの服を汚してしまった。死ぬほど怒られそうだしライスシャワーがいて良かった。申し訳ないとは思いながらも口を拭いてから向き直る。ブルボンは無表情なまま、ライスシャワーだけが隣で突っ伏して、ウマ耳まで真っ赤になっていた。かわいそう。

 

 でも二人で話してたって言うし、ブルボンが自分からそういう話を振るとは思えない。元凶はライスシャワーね。何してくれたの。

 

 

「別に何もなかったけど……どうしてそんな話になるの?」

 

 

 そしてまったく平気そうなスズカ。人の気も知らないで……じゃなくて、もう少し動揺しようよ。高校生でしょ? 私だけ震えてバカみたいじゃん。

 

 

「いえ、夜に連絡を取ろうと思ったんですが、ライスに止められまして。初めは夜は迷惑だのと言っていたんですが、私とマスターの間柄でそれは今さらではないかと判断しました」

「そうね。日付が変わっても起きてるもんね、トレーナーさん」

 

 

 それはスズカが日付が変わってからランニングから帰ってくるだけじゃん。

 

 

「特に取り止める理由がないと話していたら、ライスがその可能性を示唆しました。行為の最中である可能性があると」

「そこまでストレートに言ってないよね!? ただ、二人きりで良い雰囲気かもって言っただけで!」

「しかし状況からしてあの発言にはそういう意図が」

「無い! 無かった! ライスそんなこと言ってないから!」

 

 

 ブルボンをぽかぽか殴ろうとして、怪我人は殴れず頭の横のところで握りこぶしをわちゃわちゃさせるライスシャワー。一連の発言中もずっとブルボンは平然としており、感覚の違いを感じさせる。情操教育が足りてないのかな……でも高等部で入ってきてるし、流石に私の仕事じゃないもんなあ。

 

 

「対第三者コミュニケーション機能に自信はありませんが、対ライスであれば私は他の誰より優れている自信があります」

「ライスは可能性の話をしただけだもん……!」

「しかし明らかにそういう意図が」

「無かったって言ってるよね!? 人の話聞いてる!?」

「バイタルの上昇を確認。ステータス、『羞恥』を検出。何を動揺する必要があるのですか、ライス」

 

 

 動揺しまくって悶えるライスシャワーではブルボンには勝てない様子。というか普段から聞いてても二人が話すと主導権はブルボンにあるみたいだし、こんなもんか。私も頬の熱が引いたあたりで、ド天然スズカとびしょびしょにされたスカーレットも口を挟んでくる。

 

 

「特に何も無かったし、あっても連絡してくれて良いのよ」

「いやあったら連絡しちゃダメじゃないですか。どんな気持ちで話すんですか?」

「え……まあ、別に、一旦中断してお話すれば良いんじゃないの?」

「……中断とかできるんですか? そういうのって。一回始めたら止められないとか」

 

 

 ダメだ。スズカはともかくスカーレットが中学生(ししゅんき)だ。スズカはスズカで何も考えていない。下着の色でも迷わず開示できる羞恥心の薄さが悪く出てしまった。

 

 

「さあ……? できないのかしら。ご飯とか、寝てる時は中断できるじゃない。同じじゃないの?」

「ですが睡眠や食事と違い、徐々に満たされる類いではありません。それにスズカさん、もしこれがランニングであれば中断できないのでは?」

「確かにそうね……でもランニングにゴールは無いのよね。そういうことって一応ゴールが」

「もうこの話やめない……? ブルボンさん。ライス今本当に消えてなくなりたいよ」

「どうなんですか、トレーナーさん」

「やめよう? 私も死にたいから」

 

 

 手で口元を隠して、誰にも視線を合わせないスカーレットがちらちらと私のことを見ている。恥ずかしいなら話さなきゃ良いのに……でも自分がもし中高生だったら? とは思う。

 

 そしてやはり何のダメージもないスズカ。何も考えていなさそうにぼけっと会話に交ざるだけで、いつも通り話す相手しか見ない。ライスシャワーがベッドに突っ伏したまま沈んでいっている。

 

 

「でも中断できたとして嫌じゃないですか? 話しかけられるのも話しかけるのも」

「経験があるのですか?」

「無いです。あっても言うわけないじゃないですかバカなんですか」

「別に減るものじゃないし……」

「減るんですよね。減るんですよ。寿命とかが」

 

 

 止めるの面倒だな……別に私に声がかからなければ何でも良いもんな。巻き込まれると死にたくなるだけで。絶対に私を会話に入れないでね。今想定されてるのって私がスズカに手を出すかどうかでしょ? 

 

 

「スズカさんなら問題ないでしょう。走行欲以外存在しないわけですから」

「私のことを何だと思ってるの……? お腹が空いてたら走れないし、眠いまま走ったら危ないじゃない」

「その言い方だと全部走る欲求じゃないですか」

「あら……? でも美味しいものを食べたい気持ちはあるし……」

「でもスズカ先輩味付け忘れるじゃないですか」

「へぅ」

 

 

 私は石、私は石、とやっていたんだけど、カウンターを受けたスズカが私のところに寄ってきてしまった。椅子を隣に置いて、そこから私の膝に倒れ込んでくる。仕方がないので撫でてやり、喉元を擽る。

 

 普通に私、三人の親くらいの感覚で……いやスズカは解らないけど、親くらいの距離感でいるはずなんだけどね。私とスズカが変なことしてるって妄想はキツくない? 身内でそういうのはさ。そういう話に飢えてるのかもしれないけど。

 

 

「そもそも同性で行為は可能なのでしょうか? 生物学的に無意味では?」

「いやそれは……ほら、色々あるんじゃないですか? ねえ、トレーナーさん」

「私に振らないで。絶対によ」

「経験があるのはマスターのみでは?」

「言論統制するわよ。拳で」

 

 

 スズカが膝にいるし、腕力で勝てるわけないんだけど。どうして教え子にこんなこと言われてるの私は。友達でも家族でもこんな話しないじゃんか。

 

 でもまあ、三人が仲良く喋ってるならそれは良いことだ。私とライスシャワーは生け贄ってことにしておこう。

 

 

「やはりスズカさんに体験して頂くしか」

「えー……別にどっちでも良いけど……」

「どっちでも良いんだ……」

「気持ち良くなるなら走る方が効率が良くない? 疲れちゃうでしょ、そういうのって」

「何言ってるんですか?」

 

 

 ねえ、と私の方を向くスズカ。こっち見ないで。私はノーマルだし絶対にあなた達に手は出さないから。こっちにも理性というものがあるのよ。良識とかね。

 

 

「ねえブルボンさんやめよう? ライス菊花賞より心臓が痛いよ。それにさ、スズカさんとトレーナーさんの前でこういう話は良くないよ」

「? そうでしょうか。むしろ年長者がいないと空論で終わってしまいますし適切では」

「そうじゃなくて……」

 

 

 良いぞライスシャワー。頑張れ。君が一番の良心だ。このお転婆どもを止めてくれ。私は発言したら声が裏返るからできない。

 

 

「こ、恋人さんの秘密じゃないの……そういうのは……」

 

 

 そうじゃねえ。

 

 

 顔を真っ赤にしたままブルボンを止めるライスシャワー。心なしかこっちをちらちらと見ている。あれね? 彼女も実は興味あるわね。三人より良識があるのと、やっぱり一歩引いた立場なだけで。

 

 

「二人は恋人ではありません」

「え……冗談だよね?」

「いえ、冗談ではありません。ですよね、マスター」

「そうなんですか?」

 

 

 当事者であるはずのスズカまでもが膝から見上げてくる。にまにまして気持ちの悪い煽り方がムカつくので頬っぺたをつねって、イヤーキャップを取り上げる。くしゃくしゃにしてブルボンに投げ付けると、照れ隠しかライスシャワーがブルボンのウマ耳に着けた。サイズが合ってないけど。

 

 

「あ……はい。サイレンススズカです」

 

 

 あら可愛い。

 

 

「わあスズカさんだ。スズカさん、速く走るコツは何ですか?」

「知りません。私に聞かないでください。走ってきます」

「ええ……」

「結構言いそうですね……」

「私ってそういうイメージなの……?」

 

 

 あら似てる。

 

 

「トレーナーさんとは恋人なんですか?」

「違います。走ってきても良いですか? 本日は晴天、気温は18℃ほどです。ランニング日和です」

「……ちょっと私、走ってきます」

「ダメよ」

 

 

 あら大変。

 

 

「何か一言お願いしますスズカさん」

「私が一番速いので、先頭の景色は譲りませ──」

「は?」

「──ライス。今までありがとうございました」

「諦めるのが早いよ!」

「あっぶな……私じゃないのに私が吐きそうになった……スズカ先輩睨むのやめてください本当に」

「でも今」

「はーいスズカが一番速いね。強いね」

 

 

 がくん、と首を九十度回して睨み付けるスズカ。余計なことを言ってしまったブルボンが怯えてウマ耳を倒してしまった。普通にスズカが不機嫌なので、こっちを向かせて生に露出したウマ耳を擽る。一気に怒りが霧散したのを確認してから抱え起こしてお腹を叩く。ぽんぽこ。

 

 

「ダメでしょスズカ、後輩にキレちゃ」

「キレてません。ただどっちが速いか解らせないといけないと思っただけです」

「スズカが勝つに決まってるでしょ大人げない」

「──なるほど」

「──チッ……ダメ、キレるな私……こんなの今に始まったことじゃないじゃない……平常心……」

「ま、待って……二人とも目が怖いよ……? どうしたの……?」

 

 

 くそっ面倒な子達ね。私にどうしろって言うんだ。

 

 

 物凄い迫力を出し始めた二人から目を逸らし、唯一ダメージを受けないスズカを盾に視線を切る。恋人ではないスズカが肩を回して頭を撫でてきた。向こうも向こうで何を言っても無駄だと解っているからすぐに何も言わなくなり、また何かみんなで話し出した。

 

 

「ところでトレーナーさん」

「ん?」

「スペちゃんから連絡が来てたんですけど」

「うん」

 

 

 手慰みに私の腕やら肩やらを触っていたスズカだったけど、しばらくすると思い出したかのようにスマホを取り出して見せてきた。メッセージ欄に『待ってます』の文字。その前に日付や時間があるんだろう。

 

 

「いつ?」

「今日の夜です。トレーナーさんと一緒に来るって言ってました。あとブルボンさんもできれば来て欲しいってことなので、病室で会う感じですかね」

「それは……まあ、良いけど」

 

 

 スペシャルウィークのトレーナーも来るんだ……普通に大先輩と話しなきゃいけないのね。ブルボンの現状を怒られたりは……しないか。流石にか。

 

 ともかく了承して、じゃあ二人を帰しておかないと。スカーレットは……まだうちに居るのかな? 割とずっと居るけど、同室のウオッカはどんな気持ちなの。

 

 

 それからもしばらく三人は話していた……が、スカーレットが満足したあたりで何となく会話は終わった。どうやらブルボンとスカーレットはちゃんと解っていて話していたようで……唯一解っていなかったライスシャワーが、話し終わった後もちらちらと顔を真っ赤にして私の方を見ていた。

 

 

 ……手、出さないよ? 絶対に。




スズカ
保健体育以上の知識がないし覚える気もない
ブルボン
保健体育以上の知識がない
スカーレット
一般中学生
ライスシャワー
マセた高校生

トレーナー
少なくとも彼氏がいたことはある


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啖呵を切られるサイレンススズカ

 

 夜。ライスシャワーを巻き込む理由は流石に無いので一人だけ送り返し、残りのエルナトメンバーは病室でスペシャルウィークを待つことに。スカーレットは指定されていないけど、ブルボンが良くてスカーレットがダメなことはないだろう。本人もいたいって言ってるし。

 

 

「はい終わり」

「な!? 嘘でしょ!? これでもダメなの!?」

「ふふ。遅いわスカーレットさん。遅い遅い」

「このっ……ぐぐぐ、こんなムカつくトランプ初めて……!」

 

 

 結構時間がかかるとのことなので、暇潰しにスズカとスカーレットがスピードを始めた。勝ったら相手に遅いと言って良いというデスゲームである。

 

 スズカは先頭狂でありスピードに絶対の自信を持っているが、別にトランプのスピードまで異常に強いというわけではない。ただ、慣れと『もし遅いと言ったらどうなるか解ってるわね?』と言わんばかりの圧がスカーレットを鈍くしていた。

 

 

「テーブルは壊さないでね。備え付けのは脆いんだから」

「解ってるわよ……!」

 

 

 キレすぎ。

 

 そんなわけで今のところスズカがバカ勝ちしている。後輩と遊ぶのが楽しいのかルールだからなのか、珍しくストレートに煽るスズカの姿が見られていた。

 ベッドのご飯用のテーブルを上げて、ブルボンによる審判のもとゲームは行われている。最初は広めの空間で椅子を並べていたんだけど、ブルボンからあまり離れると、それを見るブルボンの視線があまりにも寂しそうなのでやめた。

 

 

「反則してませんか……!?」

「していません。それよりもスカーレットさん。指示通りカードを出してください。勝てません」

「ブルボン先輩が速すぎるんですよ! なんで反射でやってる私より指示の方が速いんですか!」

「情報処理には自信があります」

 

 

 審判というか、完全にスカーレットに肩入れしてるけど。アナログゲーム最強のブルボンも、流石に指示出しでは勝てないらしい。神経衰弱ならたぶん勝てるとは思うんだけどね。

 

 

「ハンデをつける? それでも良いわよ」

「いりません……! 絶対に自力で勝ちますから」

「私のサポートを受けている時点で自力ではありませんが」

「速すぎてサポートになってないんですよ!」

「ではサポートレベルを大幅に落としましょう」

 

 

 それはそれで嫌だ、という顔をするスカーレット。いや、もちろん三人の仲は疑ってないよ? 仲が良いのは本当だし、じゃなきゃ今のエルナトは無いし。でもすぐに煽る癖はどうにかならないかな。あと負けん気も日常生活で出す必要はないのよね。

 

 

「スズカが気付かれないように手加減したら良いんじゃない」

「は?」

「……何でもないです」

 

 

 困った子達だ……。

 

 

「スピードじゃ勝てないと思うわ。よくトレーナーさんとやってるし」

「練習になってる? あれ。私、ボコボコにされてるだけじゃない」

「楽しいので成長します」

 

 

 頭を抱え戦術を練るスカーレット。しかし悲しきかな、単純にパワー押しができる相手に戦術など通用しない。しばらくスカーレットがトランプ最弱かな。

 

 頑張って考えて色々試したスカーレットだったが、結局この日は勝つことはできなかった。もうちょっと運の要素があれば勝てそうだけど、それはスカーレットのプライドが許さないし、スズカも自分が勝てるからこそこんな罰を受け入れているところはある。性格悪くない? 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「すみません、こんな夜に」

「ううん。良いのよ」

 

 

 日付感覚の麻痺により仔細省略。記録者、ミホノブルボン。未だ入院中。

 

 本日、スペシャルウィークさんがスズカさんへ話がしたいとのことで、夜七時頃トレセンに来ていました。彼女のトレーナーもともに来ましたが、分かれてほしいと要請があり、マスターとともに外へ出ています。

 

 

 ライスの話では、スペシャルウィークさんは海外から来たウマ娘の宿泊するホテルに突撃して、ジャパンカップに出走するように迫ったそうです。トレセンで一番の有名人になったとか。

 

 スズカさんやマスターは旅行に出ていましたしまだ知らないようです。ですが、何となく理解はしているでしょう。スペシャルウィークさんから、何かとてつもないものを感じます。

 

 

「それで、どうしたの? 何の話?」

「……はい。スズカさん、ジャパンカップのことはトレーナーさんから聞いて……いや、知ってますか?」

 

 

 そして、私よりスペシャルウィークさんに詳しいのがスズカさんです。ことウマ娘に限るなら、お二人は一番の理解者どうしでしょう。それぞれに副会長やグラスさんもいますが、やはり一つ違うように感じます。

 

 

「……ごめんね、何も知らないわ。何かあったの?」

「簡単に説明しますね。今回のジャパンカップには、ヨーロッパ最強のモンジューさんが出走する予定でした。目的は一つ、日本最強のスズカさんと走るためです」

「そうだったの」

「ですが、スズカさんは走らないとのことなので出走取消という話になり……まあ、それは私が何とかしました。モンジューさんは出走します」

 

 

 聞いているスカーレットさんの耳が絞られていました。私もどこか、憤りを覚えます。いえ、冷静な思考のもとであれば理解できます。日本のターフはヨーロッパのウマ娘にとってはリスクが高い。それを負ってでもスズカさんと走りに来たのだから、それがいなければ帰国する。当然です。

 

 

「私も見ました。記者会見……あんなの、日本のウマ娘を軽く見てるみたいじゃないですか」

「仕方ないです。事実ですから。日本のレースはヨーロッパのレースを追って作られてます。下に見て当然だと思います」

 

 

 しかし、そう、私達は私達に誇りを持っている。私なら私とライスに、スペシャルウィークさんなら同期の面々に。スズカさんを目指したウマ娘としても、眼中に無いと言われたに等しい扱いです。

 

 しかし、スペシャルウィークさんは何も思うところはない様子で、まっすぐに会話を続けます。

 

 

「でも、このジャパンカップで私が勝ちます。強いのは私達日本のウマ娘です。スズカさんがいないと、なんて言わせません。みんなのいないターフを、誰にも渡しはしない」

「……スペちゃん」

「でも安心しました。スズカさんは何も知らないし何も考えてないだろうなって思ってましたから。これでモンジューさんに勝つために対策してた、とか言われたらどうしようかと」

「あれ……? スペちゃん……?」

 

 

 スズカさん……

 

 

「それで、ここからが本題なんですけど」

 

 

 スカーレットさんが用意していた椅子から立ち上がり、彼女は一息ついてからスズカさんを直視し、勢い良く頭を下げました。

 

 

「来年もう一度、私とトゥインクルで走ってください、スズカさん!」

「……どうしたのスペちゃん。あなたらしくないじゃない」

 

 

 私とスカーレットさんにも緊張感が広がります。スズカさんは、()()()()()()()()引退を決めました。その意味は、二人についてある程度の理解があれば当然理解できるはずです。

 

 理解の無い言葉には、相応の態度を。

 

 

「もう私は走らない。自分で何を言っているか解っているの、スペちゃん?」

 

 

 底冷えのする、強者にしか出せない威圧。格上たるスズカさんが、小さな声でスペシャルウィークさんに言い放ちました。遅いと言われること、それ以外でスズカさんが怒ることはそうありません。

 

 ドリームリーグに進まない理由は確固たるものがあっても、トゥインクルシリーズから消える理由はそう大きくありません。ただ単に、タイミングが良かったから。その一点です。

 

 

「解ってます。だから、嫌なら断ってくれて構いません」

「じゃあ嫌」

「……一応最後まで聞いてもらっても良いですか?」

 

 

 しかし、たとえ理由が何であれ、スズカさんとマスターの二人でした決定は、お二人のなかで大きな意味があります。思い切り耳を絞るスズカさんなどそうそう見られません。

 

 予想通りスズカさんは即答しました。取り付く島もない返事でしたが、しかし、それでもスペシャルウィークさんは怯まずに平気な顔で続けます。

 

 

「私のジャパンカップ、必ず見に来てください」

 

 

 これがマスターの言う、主人公の器でしょうか。日本のウマ娘が次々に出走を回避し、相手はヨーロッパ最強のウマ娘。日本全域からの期待が彼女に懸かっているでしょう。

 

 私は、走る時マスターとの会話で懸けられた期待を忘れています。自分のペースで走ること。それが私に必要なことで、過度な期待はそれを妨げる要因になります。三冠の時ですら、あくまで私は夢とマスター、それから両親の期待で走っていました。

 

 

「私は必ず勝ちます。絶対です。今、スズカさんが私のことなんて見ていないのは知ってます。だからスズカさん。もし私の走りを見て、少しでも何か感じたら」

 

 

 その一方、あえて全てを背負うことで強くなろうとしている。これがヒーロー。スペシャルウィークという存在の強さ。感服です。私はそうはなれない。それができるとすればスカーレットさんでしょう。

 

 

「少しでも二人の心を動かすことができたら、来年もう一度走ってください」

 

 

 非常に真摯で、誠実で、しかし自信に満ちている。堂々とした立ち振舞いと一切迷いが検出されないほど覚悟のある言葉。尊敬します、スペシャルウィークさん。

 

 

「何のレースでも、いつでも構いません。マイルでも私は受けます。スズカさんの準備ができるまで待ちます。もう一度だけ、私と勝負してくれませんか」

「……うん。そうなの。そう」

 

 

 それを聞いたスズカさんは怒るのをやめ、ゆっくりと立ち上がってスペシャルウィークさんの目の前に構えました。たった3cmの目線の差が大きく見えます。

 

 

「私達が何か感じたら、で良いのね」

「はい」

「心が動かなければ走らなくても良いのね」

「はい」

「走るレースは私が……トレーナーさんが決めても良いのね」

「はい」

 

 

 二人はともに流れるように話しています。台本を読んでいるかのように、お互いを完全に理解している様子で目を合わせて、向き合ったままスズカさんが目の前で微笑みました。

 

 

「楽しみにしてるわ」

「……してないくせに」

「してるわ。ちょっとだけ」

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「で、話は受けたの」

「まあ……他ならぬスペちゃんのお願いですから。それに、ジャパンカップも頑張ってほしいですし」

 

 

 その夜。家に帰りベッドの中。スペシャルウィークとの会話からいつになく大人しいスズカ。阪神までは帰れないスカーレットは床に布団を敷いている。一緒に寝れば良いのに、と何回か言っているが、自分を省みて言いなさいよと一蹴されてしまった。

 

 私の足を絡めてスズカの脚がぐっと力を込める。んー、と私の胸に顔を埋め、スズカはため息をついた。

 

 

「でも……不本意です。今年で引退って決めていたのに」

「偉いじゃない。ちゃんと後輩のために判断できたんでしょ」

「ん……それは、そうなんですけど」

 

 

 背中に手を回し、スズカのお腹や脇腹を擦る。くすぐったいようにもぞもぞと動き、スズカの手が私の首元に触れる。顔を出して私を見つめると、少しだけウマ耳を絞って言った。

 

 

「トレーナーさんが、私以外で感動するのは嫌です」

「……別に、感動なんて言ってないでしょ。心が動いたらでしょ?」

「一緒です。危ないかもって思うんですか? 私が?」

「バカね、思うわけないでしょ。あなたはずっと唯一絶対よ。マチカネフクキタルに負け越しててもね」

「……公式レースでは負けてませんし」

 

 

 ぴくんぴくんと倒れたまま震えるウマ耳を手のひらの中でほぐす。イヤーキャップを外したふわふわなウマ耳をマッサージしながら、少し鋭くなった目尻を指でなぞる。

 

 スズカ以外に感動するのはスズカ的にはNG、そんなことは解っている。もちろん私も心意気は底辺とはいえトレーナーの端くれ、スピードと輝きを見たら少しは心が動く。だけど、やっぱり、他の専属トレーナーのように、スズカの走りに頭をやられていることは間違いないのだ。

 

 

「スズカが決めなさい。私は全部あなたに任せるから」

「……そういえば、スペちゃんのトレーナーさんとはどんな話を?」

「あなたと同じよ。熱心に頼まれたわ」

「……よく断れましたね。ビビリなのに」

「スズカのために頑張ってるんでしょーっ」

「ぁぅぁぅ」

 

 

 頬っぺたをぐりぐりと挟んだあたりで、既にウマ耳は戻っていた。大変だったんだからね、スペシャルウィークのトレーナーとのお話。向こうは実績も何も全部私より上なんだから。スズカとブルボンでは捲れないくらいのキャリアがある。そういうおじさんがめちゃくちゃ丁寧に頭を下げてくるわけ。

 

 わざわざ私とスズカを分断したのは、本当にスズカと話したかったから? それにしてはブルボンやスカーレットは気に掛けていなかった。どちらかといえば私をトレーナーと二人にして圧をかけようとしたんじゃないか? と、そう思うくらい地獄の空間だった。

 

 

「……もう寝る?」

「ん……寝ます」

 

 

 むにむにしていると眠そうにしてきたので頭を撫でて眠ることに。胸元に擦りついてくるスズカを受け入れ、頭が潜らないように布団をかけ直す。

 

 うとうとのスズカを見つめる。わざわざこの話を自分から振ったということは、そこそこ思うところがあったということ。こんな感じだけどスズカは結構周りが見えているからね。

 

 

「おやすみ、スズカ」

「ん……おやすみなさい」

「おやすみスカーレット」

「……おやすみ」

 

 

 起きてたんだ。




スカーレット「私は壁、私は空気、私は床……」


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お手伝いするダイワスカーレット

しばらくストーリー無しでいきたいですよね。実はこっちが本編。スカーレットとイチャイチャfeat.スズカみたいな。

……スズカがおまけなのはおかしい、おかしくない?


 

「ん……んー……はぁ」

 

 

 ある朝。いつも通り早朝に起きた私。今日は学校は休み。目を開けると、目の前にぐっすり寝付いているスズカがいる。体温や汗に異常がないかを軽く確かめ、起こさないようにそっとベッドを出た。

 

 

「……おはようスズカ」

 

 

 スズカの頭を撫でて部屋を出る。朝御飯を作らないと。普段はトレセンでも食べられるから人間スケールで良いけど、休みの日は私だけでウマ娘スケールを作らないといけない。

 

 顔を洗って、トイレ……と洗面所を出ると、ちょうどトイレの扉が開いた。

 

 

「あ」

「あら。おはようスカーレット。早いじゃない。よく眠れた?」

「おはよ……まあまあね。別に眠いけど」

 

 

 ウオッカと顔を合わせづらいとのことでしばらく完全に泊まっているスカーレット。寝起きって感じでもなさそうね。パジャマはちょっと乱れてるけど。お腹を出すと風邪を引くわよ。これから寒くなるんだから。

 

 

「来週の小テスト、いつもより範囲広くて……復習を長めにとろうかなって」

「偉い」

 

 

 授業以外の勉強時間をとりたくないのでやる時は本気を出すスズカ、こと暗記については他の追随を許さない脳を持つブルボンと比較すると、スカーレットは本当にたゆまぬ努力でトップに居続けている。これは本当に凄いことだ。

 

 がんばり屋って凄いわね。私が中学生の頃なんて勉強は適当にやってたからなあ。トレーナー免許の教養試験が一般常識寄りで良かったって感じ。

 

 

「何か解らないことがあったら聞くのよ」

「ん……ん? 待って。何してんのアンタ」

「え? トイレ……」

 

 

 ひらひら手を振ってすれ違いドアノブを掴むと、後ろからスカーレットが私の肩を止める。顔だけ振り向いて、紅の瞳が私を射貫いていた。

 

 

「もうちょっと待ちなさいよ」

「いや、我慢するのダルいし……」

「直後はダメでしょ直後は。アンタデリカシーってものが無いの?」

「……まあ、気持ちは解らなくもないけど……っとっとっとっ」

 

 

 うちの消臭剤、ウマ娘仕様だし。嗅覚が鋭いウマ娘からして効果を持つようなものだから、人間が感じ取れるようなものではない。じゃなきゃ共同生活なんかできないでしょ。

 

 しかし残念なことに私よりスカーレットの方が力があるので、そのままキッチンまで引きずられていった。

 

 

「マジでゼロよ? 本当に何も感じないのよ?」

「気持ちの問題でしょ。逆にアンタはなんで気にしないの」

「トレーナーだし」

「トレセンの評判が下がるからあんまり代表面しない方が良いわよ」

 

 

 わずかに顔を赤くしながら私を引っ張って連れていくスカーレット。そして、三角巾を私に投げ付けて自分も装備を調え始めた。

 

 禁止されてしまったことは仕方無いので朝御飯を作り始めることにする。スカーレットもぐちぐち言いながらも調理器具を出したり、お米を用意したり。

 

 

「どれくらい炊く?」

「一升のやつ。お願いできる?」

「了解。……よいしょ」

 

 

 スズカ達のとんでも消費に追い付くべく買った新しめの炊飯器、最近使い詰めだ。お米を研ぐのも面倒なんだよね……でも無洗米はなあ。たぶん誰も気にしないだろうけど、そんなに美味しくないというか。気分かな。

 

 平気な顔で2リットルペットボトルを片手でひっくり返すスカーレット。腕を捲ってお米を研ぎ始める。

 

 

「よっ……む……」

 

 

 もしくはスカーレットが来てからのお米はスカーレットが研いでくれるから気持ちで美味しくなってるかどっちかだ。ポニーテールに三角巾とエプロンまで着けてくれる可愛いスカーレット。私は髪しかちゃんとしてないけど。

 

 母親にでも習ったのかスカーレットはちゃんと料理ができる。お米を研ぐのも上手いものだ。何も言わなくても小分けにして少しずつ洗ってるし。スズカだとたぶん纏めてやるでしょうね。できるだけでやる気は無いから。

 

 

「卵焼き、味付けどっちが良い? 甘いのとしょっぱいの」

「んー……まあ、どっちでも」

「じゃんけんする? スカーレットが勝ったら甘いのね」

「良いわよ」

 

 

 じゃーんけーんぽん。スカーレットの勝ち。

 

 

「お砂糖お砂糖」

「ふふん。私の勝ちぃ」

「勝利に飢え過ぎでしょ」

「……反射で喜んだだけじゃない。やめてよ」

「研ぎ過ぎ研ぎ過ぎ」

 

 

 照れ隠しか物凄い勢いで手を動かすスカーレットを止めてご飯の準備は完了。こっちに合流してくれるスカーレットにお味噌汁を作らせて、ちゃかちゃか他のおかずに入る。量があっても種類がないと飽きちゃうからね。

 

 

 何も聞かずに味付けしても良いものもある。ただし、私の分とウマ娘達の分を別で作らないと味が濃くて病気になるけど。生活習慣病とは無縁って良いわね、ウマ娘って。はちみーとか週一回でも糖尿になるやつだし……。

 

 でもまあ私が体調を崩したら三人が困るわけで、私だって長生きしたいし気を付けないと。一方、二人のご飯にはドバドバ調味料を入れても大丈夫。トレーナーは味見をせずに美味しい料理を作るスキルが必須である。

 

 

「コンロからお魚取れる? あと豆腐を切ったから鰹節かけておいて」

「了解……相変わらず手際良いわね。何品並行してんの」

「トレーナーだからね」

「トレーナーって料理人のことだったの?」

「ライセンスには調理師と管理栄養士は含まれてるけど」

「難しすぎる……」

「まあね。こんなの取るものじゃないわよ」

「トレーナーとしてその言いぐさはどうなの」

 

 

 私だってこの目がなければ目指してなかったし。合格すれば絶対に育成で有利ということが解っているから頑張れたわけで……まあ、他でも役には立つけど。

 

 

「そもそも手際の良さは免許とは関係なくない?」

「スズカに私の手料理が悪いものだと思われたくないでしょ。量が少ないとか品数が少ないとか」

「あんまり気にしなさそうじゃない?」

「これで私まで適当にしたら本当に食事を栄養補給だと思っちゃうからね」

 

 

 納豆をかき混ぜてもらっているところにぽこぽこ卵を投げ入れて、ダッシュでねぎを刻んで、後何があるかな……あ、白菜漬けてたんだった。デザートの果物を切って、それとベーコンとか焼こうかな。

 

 

「お味噌汁、そろそろ大丈夫だと思うんだけど」

「ん。ちゃんとできてる?」

「んー……うん。美味しい」

「はい天才」

「ふふ。何それ」

 

 

 火は使い終わったし、あとは冷たいものをいくつか切って盛り付けるだけ。人手があるとやっぱり違うわね。スズカは言えば手伝ってくれるけど、手際が良いかっていうと微妙だし。

 

 

「手が空いたからスズカを起こしてきてくれる?」

「空いたようには見えないのよね。私、微力過ぎない?」

「スカーレットのおかげで助かったわ。ありがとうね」

「……まあ、なら良いけど」

 

 

 小さく言いながら手を洗って、スカーレットがキッチンを出ていった。ウマ耳がピコピコなのがとても可愛い。実際私は助かってるし、エプロン姿のスカーレットが隣で手伝ってくれるだけでも気分が違う。なかよし。

 

 残りの調理を全て終わらせ、ご飯と味噌汁をよそって、食卓に全部出して……おかしいな、スカーレットが帰ってこない。スズカ、寝起きは良いんだけど。

 

 

「スカーレットー? どうしたのー」

 

 

 気になって見に行くことに。ここまで活動しておいて二度寝なんかもないだろう。ドアが開いたままの寝室に入ると、スカーレットがベッドに上半身を食われていた。

 

 

「何してるの」

「んんんんん!!!!」

 

 

 脚をバタバタさせるスカーレット。助けるのは良いけどあなたが暴れてる限り私は近付けないのよ。

 

 

「おはようスズカ。何してるの」

「ん……トレーナーさん……おはようございます」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」

「放してあげて?」

 

 

 流石のパワーね。それが売りではなくても、都合二年くらいをひたすらパワーとスタミナのトレーニングにつぎ込んできた成果が出ている。スカーレットもこうなれると良いんだけど……まあ厳しいかな。スピード中心にせざるを得ないから。

 

 私の呼び掛けにスカーレットを解放するスズカ。どうやら寝惚けているわけでもないようで、平気な顔で起き上がりそのまま乱れた布団を直し始めた。

 

 

「よく眠れた?」

「はい。元気です」

「ん。ご飯ができてるから顔を洗っておいで。あとスカーレットはなんで捕らわれてるの」

「トレーナーさんかと思ったんですけど……それにしてはおっぱい大きいなあって」

「まず匂いで解りますよね!?」

 

 

 匂いじゃ解んないでしょ。いやウマ娘なら解るか。私はスズカなら解るし。

 

 

「ご飯の良い匂いがして解らなかったわ」

 

 

 あ、そうか。

 

 

「それで誤魔化されるのはトレーナーだけです」

 

 

 ん? 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ところでトレーナーさん」

「うん?」

「今日のランニングなんですけど」

「うん……うん?」

 

 

 少しして、食卓。いつもながら朝から食べる食べる。ちょっと信じられないくらいスズカ達は食べる。私はとっくに食べ終わり、物凄い勢いで料理を平らげる二人を見ながら適当にテレビを回す。あ、今日重賞あるんだ。

 

 

「山道を走ろうと思ったんですけど、この間の雨でぬかるんでるかもしれないので海の方に行ってきますね」

「信じられないくらい雑にぶっ込むじゃないですか」

「いけると思ってるの? それで?」

 

 

 メジロドーベルのエリザベス女王杯は来週だっけ。あの子もこれで昇格か。

 

 

「交渉術として使えるって覚えたんですけど……」

「にしても使い方が雑なのよ。もうちょっと丁寧に喋ったら?」

「でも走りたいですし……」

「何が『でも』なんですか?」

 

 

 話しながらも着々と平らげていく二人。繰り返しお代わりをよそって、そんな状況でも喋る余裕がある二人を眺める。

 

 

「十二時間だけで良いですから」

「脚壊れるじゃないですかそんなの」

「やってみないと解らないですよね? 解りました。やります」

「自己完結しないで」

「むぐぐ」

 

 

 口ににんじんを突っ込んで黙らせる。もぐもぐ。食べるのが早すぎるでしょ。口封じにもならない。最後のお代わりを食べきったスズカが野菜スティックを咥えながら首を傾げていた。

 

 

「じゃあ二十四時間にしますよ?」

「流石に無理ですよスズカさんでも」

「あっスカーレットそういうこと言うと」

「かっちーん。絶対に走ります」

「ああ。これは私が悪いわ間違いなく」

 

 

 ジョッキサイズの牛乳を飲み干すスズカ。栄養を与えすぎて走る気持ちが湧いてきてしまったのかもしれない。今日はあまりにも脈絡がない……それはいつもか。

 

 スズカが食器と空になった器を全部片付け、そのまま洗い始めながらぷりぷりと怒っている。少し頬を膨らませたまま鼻息を荒くしてこっちを睨んだ。私まで立つとスカーレットがかわいそうなので水を飲みつつ笑い返す。

 

 

「言っておきますけど二十四時間でも走れますからね。絶対に走れます。賭けても良いです」

「疑ってないって。解ってるわよそれくらい」

「もちろんトレーナーさんが解ってくれているのは解ってますよ。でもスカーレットさんは解ってないかもしれないですよね? だから一回見せてあげます。二十四時間ランニングを」

「いや私も信じてます本当に」

 

 

 流石に二十四時間は冗談だと思うけど、スズカに関しては本気で言っている可能性も否定できない。たんたん聞こえるのはたぶん、スズカが床を軽く蹴っている音かな。

 

 ちなみに可能か不可能かで言うなら不可能だ。どんなにたくさん食べても、二十四時間走る消費カロリーを一食で賄うことはできない。これは大食らいだろうと無理。特にスズカのスピードだと。

 

 

「バカなこと言ってないで、スカーレットの勉強でも見てあげたら。次のテストで満点取ったら走っても良いわよ」

「本当ですか!?」

「私の点数でスズカさんにご褒美が入るの?」

「スカーレットはご褒美関係無く一番が欲しいんでしょ? じゃあwin-winじゃないの」

「ムカつかないかどうかとは別問題でしょ」

 

 

 スカーレットも食べ終わって片付けに入ってくれる。三人でも作業ができる広さのキッチンで良かった。

 

 

「でもかなり良い賭けじゃない? ねえスカーレットさん。満点取れるわよね?」

「い……やまあ、取れ……ますけど……!」

「圧をかけない」

「かけてません」

 

 

 しかも私を挟んで。近頃のスズカは自分の意思で圧をコントロールできるようになってきている。少し前まで無意識だったような気がするけど。バトル漫画かよ。

 

 言い争いの末結局スカーレットが乗せられ賭けが成立したらしい。私としては……スズカとしては、賭けがあろうと無かろうと毎日交渉し続けるのでどうでも良いことなんだけど、これでスカーレットが頑張れるなら良いことだ。

 

 

「トレーナー、私……満点取らなきゃ殺される……?」

 

 

 ちょっとプレッシャー掛かりすぎてる可能性もあるけど。

 

 

「満点取ったらスカーレットにもご褒美あげるわ。何が良い?」

「そう……んー……まあ、そうね」

 

 

 スカーレットは自分の割り当てを終わらせると、スズカの食器に手を伸ばしつつ私に笑いかけた。

 

 

「久し振りに倒れるまでやりたいんだけど、良いでしょ」

 

 

 ……この子もか。




家事(クオリティ)
トレーナー(プロ)>ブルボン(手本)>スズカ(人並み)>スカーレット(お手伝い)

家事(速度)
トレーナー(プロ)>スカーレット(手際が良い)>ブルボン(手順を飛ばせない)>スズカ(人並み)


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策略に落とすダイワスカーレット

ブルボンが出なさすぎてファンに怒られそう。次回はたぶん出ます。


 

「ねえトレーナー」

「んー」

「確かに私、リビングに三人でいることは受け入れたわ。押し掛けてるのは私だし、まあみんなでいるのは嫌いじゃないし」

「うん」

 

 

 ある日。いつも通りスズカとスカーレットは私の家にいた。小テスト前日ということで最後の追い込みに入っているスカーレットを眺めつつ、スズカとソファに座る私。

 

 

「でも目の前でいちゃつかれるのは普通にムカつくんだけど」

「いちゃついてないけど」

「鏡見なさいよ!」

 

 

 投げ付けられた消しゴムをスズカがキャッチ。危ないですよ、と投げ返し、私の膝の上でウマッターの返信を続ける。私もスズカを後ろから抱き締めたままその返信を後ろから見ている。スズカの肩に顎を乗っけてその作業を眺め、缶ジュースにストローを使って二人で飲む。

 

 

「そもそも今さらでしょ。ずっとこうじゃない」

「だからずっと言ってるでしょ」

「そうだっけ……ああスズカ、それは返信しなくて良いわよ。煽ってるから」

「煽ってるんですか? これ……」

「それが効かないのはスズカだけよ」

 

 

 黄金世代厄介ファンだろうか。「スペシャル達に勝てないから逃げてるんだろ」みたいな書き込みがちらほらあった。掲示板ならともかくスズカに直接、しかもBANや開示が速いウマッターでやる度胸は買うけど、スズカにダメージは無いのよね、それじゃ。

 

 スズカの喉をごろごろくすぐって、代わりにスズカが肩もとにある私の顔に頬を寄せてくる。ここまで近いとウマ娘シャンプーの香料でもギリギリ解るかも。

 

 

「そんな簡単にいちゃついてる判定しない方が良いわ。こんなものよこんなもの」

「じゃあ私に同じことしてみなさいよ」

「そりゃできるでしょ。やる?」

「やらない……今それどころじゃないの。見て解らない?」

「もちろん解ってるけど……それ何周目? そんなにやる?」

「落としたらスズカさんに殺されるのよ私は。それに特別コースもお願いしたいし」

「ええ……」

「いふぁいれすゃあ」

 

 

 スカーレットにプレッシャーをかけすぎているスズカの頬を両側から抓る。指が滑って、スズカの返信がおかしくなってしまった。抓られたまま『ありがとうございまひま』を見るスズカ。スマホを放り投げて、寝転がりながら私の手を引いた。もちろん抗えず私も倒れ込む。

 

 

「何するの」

「痛いじゃないですか」

「スズカが悪いでしょ。スカーレットのあの顔見て。怒ってるわ」

 

 

 ペン回しをしながらこっちを睨むスカーレットを指さす。

 

 

「私はついに添い寝し始めたトレーナーに怒ってんのよ」

「自分だってしてるじゃない。三人で寝ることもあるんだから」

「それとこれとは別!」

 

 

 スカーレットが床の布団で寝るかベッドで三人で寝るかはスカーレットの気分次第だ。こっちは拒んだりしないので本当に来るか来ないかだけ。

 

 逆に、普段からそんなことしてるから添い寝とは何なのかが解らなくなってきている。一緒に寝るだけなのに何故名前が必要なのか? ちなみに抱き心地はスカーレットの方が良い。一番はブルボン。感情は抜きで。

 

 

「解ったわ。もう邪魔しないから、ね?」

「本当に? もういちゃつかない?」

「まずはいちゃつくとは何かを定義するところからね」

「今は何もしてないですよね」

「ねー」

「シャーペンが折れたわ。次はアンタよ」

「怖すぎない?」

 

 

 流石にシャーペンは折れていなかった。しかしスカーレットもすっかりやる気を無くして……これに関してはもう三時間近く連続でやってるし、私が何もしなくても時間の問題だったとは思う。むしろよく三時間もできたよ。

 

 勉強道具を畳んで机に突っ伏すスカーレット。ぐりぐりと首を振っている。まあ何時間も座って勉強してたらね。スズカの頭をぐしぐしして立ち上がり、スカーレットの後ろに座る。

 

 

「マッサージしてあげようか」

「ん、良いの……? お願いしようかしら」

「任せて。とりあえず伸びてみよっか」

 

 

 膝で背中を押し込んでゆっくりゆっくり背筋を伸ばし、ぎゅっぎゅっと腰から背中まで反らせる。肩関節を入れて腕を上げ、手首を纏めて上に引っ張る。

 

 

「はいぐーっ」

「ぐーっ」

 

 

 ぐっと思い切り伸びをしてスカーレットを引く。引く、引く……

 

 ばつん! 

 

 

「え」

「あ」

 

 

 結構な音がしてスカーレットの身体が揺れた。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「んー……うん。身体絞りましょうか」

「……」

 

 

 少し後。体重計の上で、私はスカーレットの身体のサイズを計っていた。スリーサイズから腕回り、腿、首回りまで細かく。全体的に太ましくなっていた。

 

 一度着替えに行き、帰ってきた時にはやたらと意気消沈していたスカーレット。単に買うサイズを間違えていただけでは? とも思ったけど、そうでもないようなので身体を測ることに。

 

 

「……そんなに?」

「いや、まあ成長の範疇だとは思うけど。スカーレットが太い方が綺麗って言うならこのままでも良いわよ。ただ、出力が上がってるわけじゃないから少し邪魔かなって」

 

 

 ショックで動けないスカーレットの脇腹をスズカが摘まもうとしているが、別に太っているわけでもなし、摘まめていない。一応毎日の食事はちゃんとしているし、トレーニングもやっているんだから太るわけがない。

 

 しかし、ふらつきながら体重計を降りたスカーレットはバスタオルにくるまったまま私を睨んだ。

 

 

「アンタのせいだからね!」

「え、私?」

「アンタが! 毎日美味しいものを食べさせるから!」

「文句が言いたいの? 褒めてくれてるの?」

 

 

 ついでにスズカも測ってみるが、こちらは変化無し。面白いくらい何も変わっていない。それに関してはスズカが単純に太りにくいだけだろうけど。元々の肉付きからしてもスカーレットの方が影響は大きいかもね。

 

 

「絶対に痩せるから! スズカさんみたいに!」

 

 

 床にうちひしがれて叫ぶスカーレット。床を殴るのは控えめにね。結構高いしちゃんとしてるから大丈夫だと思うけど、下にも人はいるからさ。

 

 

「スズカになるのはもはやダイエットじゃないでしょ」

「細身スレンダーになる!」

「無茶言うなあ。そもそも太ってるんじゃないって。ちょっと絞れば問題ないし、むしろ良い傾向よ。筋肉を増やすチャンス」

「スズカさんのサイズを目標にする!」

「改造手術ねそれは」

 

 

 スズカでなければキレているだろう言葉を吐きつつ崩れ落ちているスカーレット。本当に太ったうちに入らないとは思うけどね。ウマ娘だし、五キロまでは誤差。

 

 ただまあ、トレーナー目線ではそうでも本人達にとっては違うのは当然。このままだと勝手にダイエットを始めかねないので、勉強を頑張ってもいることだし、と決意する。こんなご褒美みたいに言うことじゃないんだけど、涙声になってるのは流石に可哀想だ。

 

 

「じゃあ解った。絞れるまでは倒れるまでやってあげる」

「……本当?」

「うん。ブルボンには内緒……にしなくても良いか。治りが早くなるかもしれないし」

「……本当に本当? やっぱやめるとか無しよ?」

「本当だって。でも夜ね。流石に昼間に大っぴらにできないから。一応仮にも謹慎中だし」

 

 

 そこまで言うと、スカーレットがばっと顔を上げて立ち上がった。さっきまで身体を隠すみたいにくるまっていたのに、突然開き直ったかのごとく堂々と立っている。一周回って男らしい。

 

 

「え」

「言質とったわよ。早速今夜からやりましょうか。やっぱこれがないとね。満点はとるけどそれはそれとしてね」

「……嘘泣き?」

「泣いてないけど。トレーナーが勝手に泣いてると勘違いしただけじゃないの?」

 

 

 ニヤニヤしながら私の胸に指を突き立ててくるスカーレット。涙目どころか希望すら感じさせるほど目に光がある。完全に騙された。思春期女子だし体重は気にして当然よね、とか思った私がバカだった。

 

 

「騙したのね。私の気持ちを弄んだんだ」

「人聞きが悪いわね。ちょっと閃いただけじゃない。むしろ褒めても良いのよ、この頭脳プレーを」

「何が頭脳プレーよ。涙で人を騙すのは最低の所業よ」

「こんな泣き真似に騙される方にも問題があるでしょ」

 

 

 確かに点数によらずやる気ではあったけど。でもちょっと悔しい。まあ良いや。精々頑張ることね。成長すればするほど限界を攻めると辛く感じるのよ。根性で走る範囲が増えるからね。

 

 ご機嫌で着替えに戻るスカーレット。すると、後ろからスズカが手を伸ばし、脇の下から抱き締めてきた。

 

 

「スカーレットさんがやるってことは、私も走って良いんですよね」

「何の話?」

「嫌ですねトレーナーさん。もちろんランニングです。そういう話でしたよね」

「いつそんな話したの……?」

 

 

 ゆっくり引きずられていきソファに戻される。俯せで上に乗られ、肩に手を置いて耳元で囁かれる。

 

 

「スカーレットさんが特別メニューをする時、私はランニングができる。そういう約束でした」

「ずれてるわ……スカーレットが満点をとったらランニングができる。ついでに特別メニューもできるって話だったはず」

「同じようなものです。良いんですか? 嘘をついて」

「嘘、ついてないのよね」

 

 

 脚を絡めて完全にホールドされている。囁かれると耳がくすぐったいし、背中でもぞもぞされると何かこう……こう。

 

 

「良いじゃないですか。ちょっとだけ。たった半日で良いんです」

「ちょっとの概念が壊れるわ」

「往生際が悪いですよ」

「因果をねじ曲げた人に言われたくないけど」

 

 

 手が首筋に来た。何もしないと解っていても本能的な恐怖を感じる。やたら熱っぽく囁くスズカ。頭の横の所でこんこんと頭突きを繰り返し、息を吹きかけてくる。

 

 

「お願いしますトレーナーさん。ね、ね?」

「可愛く言えば何でも許されるわけじゃないのよ……!」

「でも? トレーナーさんは? 私が大好きなので?」

「わー!」

「あー……ぐえ」

 

 

 お尻を突き上げてスズカをバウンドさせる。お腹にダメージを受けたスズカが床に転がり落ちた。腰やった。流石に無理があったか。

 

 

「良いじゃないですか。勝手に走っても良いんですよ私は。一応許可を取っているだけ褒めて欲しいくらいです」

「む……はあ、まあ、良いわ。ちょっとだけね。日付が変わるまでに帰ってくるのよ」

「解りましたありがとうございます行ってきます」

「待って待って晩御飯は食べて」

 

 

 ギャグ漫画みたいに駆け出そうとするスズカの首を掴んで止める。そんなに滑るわけない床でつるつると脚を空回りさせるスズカ。めちゃくちゃ普段着のワンピースなのにどうやって走るの。

 

 引き留めた勢いでソファに戻りイヤーキャップを奪い取る。これで勝手に走ることはできまいて。顎でつむじをぐりぐりしてぁぅぁぅさせ、帰ってきたスカーレットに手首を持って振る。

 

 

「というかスカーレットは新しいのを買わなくても大丈夫なの? 買いに行く?」

「トレーナーと下着買い行くの? 私」

「スズカのは割と私が買ってるけど」

「ええ……きっしょ」

 

 

 私の腕の中で、何とも思っていないスズカが純真な目で見上げてきた。可愛いねえスズカは……。




次回、スカーレット死す。(n回目)


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引き伸ばしに行くダイワスカーレット

みなみけ並に淡々と日常を描く小説となっている。

なんと三連続タイトルがスカーレットでした。詐欺かな?


 

「む、ぁむ、んぐ……んんっ」

「よく食べるわね今日は」

「当たり前でしょ……!」

 

 

 ある日。登校を控えた朝からスカーレットの食欲が爆発していた。炊飯器を二個使えと要求してきた時は何かと思ったけど、少し頑張ればそれでも食べられる。流石のスズカもわぁ……とほわほわ驚いている前で、ほぼそのまま一尾の魚をぺろりしたところで箸を置いて野菜ジュースを呷った。

 

 

「たっぷり栄養を摂らないと痩せちゃう……ここで一気にやるのよ」

「いや痩せるのが目的なんじゃ」

「は?」

「何でもないです」

 

 

 一日目夜、長らくやっていなかった限界ギリギリの特別メニューを終わらせたスカーレットは、そういうことに気付いたらしい。つくづく私、ウマ娘との知恵比べには全敗してるかもしれない。

 

 痩せるまでやる、つまり痩せない限り終わらない。これが人間なら、いくらカロリーを消費しようがドカ食いしたら身体を壊すんだけど、ウマ娘はある程度食い溜めができてしまう。

 

 

「これで体力もつくでしょ。どう? いつもよりできそう?」

「うーん……」

 

 

 別に私が見てる『体力』はスタミナじゃなくて怪我のしにくさだもんなあ。食べたところで何も変わらないというか。一定以上減ったら怪我率が出るよってだけで、出る早さはウマ娘によって固有だと思う。

 

 ブルボンが怪我しにくくてスカーレットはしやすい、スズカはもっとしやすい。平均はたぶんスカーレットとブルボンの間、スカーレット寄りのところ。あのブルボンですら残り体力に対する怪我率の度合いは成長していないし、たぶん先天的に決まってるんじゃないのかな。

 

 

「じゃあまだ食べる? お米は時間かかるけど、麺ならすぐできるわよ」

「食べる。味薄めで」

「はぁい」

 

 

 キッチンに引っ込み調理開始。たくさん食べたいならそれを止める理由もない。

 

 ……ただまあ、食べれば食べるほど……というかお腹に物が入っていればいるほど、辛いのはスカーレットなんだけど。しかもこの辛さ、成長とは一切関係ない。ブルボンもそうだけど、成長したいとかそれ以前に辛い目に遭いたいと思ってない? 大丈夫? まあここから夜なら消化できるか……。

 

 

「大変ですね」

「ね」

 

 

 とっくに食べ終わっていたスズカが隣に立ってくれる。この子はこの子で昨晩走ってきただけあってとてもご機嫌。正確には走ることは許可していないけど。勝手に走ってるけど。

 

 

「まあ良いんじゃない。やりたいならやれば」

「え?じゃあ」

「スズカには言ってないから勝手に走らないようにね」

「差別……」

「差別よ」

 

 

 目を輝かせるスズカに肩で当たる。ちょうど持っていた泡まみれのプラスチック食器を落としそうになりあわあわと慌てるスズカ。泡だけに。

 

 

「昨日走ったことはまだ許してないからね」

「あんなに頬っぺたを抓ったのに……」

「あれは趣味。お仕置きは別」

「趣味でいじめるのはやめてください。私の頬っぺたもタダじゃないんですよ。壊れちゃったらどうするんですか」

「壊れちゃったら流石に責任取らないとかな」

「え、壊れたら責任取ってくれるんですか?」

 

 

 もちろん今更スズカについて何か見誤ることがあるわけないけど。スズカ本人よりスズカを理解している自信がある。たぶん。

 

 だし中心の薄味のうどんにたくさんの卵をとじて、ばっと大量のネギを投下。これで二人前。ちょうど良いくらいかな。スズカも洗い物が終わったようなのでお鍋を運んでもらう。

 

 

「はいスカーレットさん。おうどんですよ」

「ありがとうございます!」

 

 

 そしてまあすぐに胃袋に入れていくスカーレット。完全に食べ過ぎてるけど……まあ、特別メニューの許容量が増えるかどうかは置いておいて消費カロリーは半端じゃないし、夜は倒れて食べられないから太り気味にもならないでしょ。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「よーしじゃあ行くわよスカーレット。覚悟は良い?」

「いつでも良いですよ! よろしくお願いします!」

「待ってくださいトレーナーさん。私には質問があります」

「スズカさん、私集中してるんで後で良いですか」

「私は、トレーナーさんに、質問があります」

 

 

 その夜。あらかた生徒達がいなくなったトレセン芝コースにて、私達は準備運動を終えていた。

 

 

「ごめんねーライスシャワー。こんな時間に呼び出すことになっちゃって」

「あ、ううん、大丈夫です。ブルボンさんも来たいって言ってたし」

「あのトレーナーさん。聞きたいことがあります」

 

 

 現状、私は単独でトレーニングコースの予約ができない。一応書類上謹慎となっているからだ。これでトレセンにパパラッチが常駐していたらここに来ることもできない立場である。

 

 なので、トレーニングの予約はウオッカのトレーナーの名前か、ライスシャワーのチームの名前なんかを使っていくことになる。いつもお世話になってます。

 

 

「身体の調子はどう? 何かあったらすぐに言うのよ」

「マスター。体調チェックは昼間に行いました。当然変わらず、体調に問題はありません」

「昼間に聞いてても心配にはなるのよ」

「トレーナーさん? 話があります」

 

 

 ということで、一応名前を貸してもらっているということでライスシャワーがいる。あと車椅子のブルボン。回復の経過は順調らしい。それこそ昼間、問診とちょうど鉢合わせたので聞いたけど、全身がぐちゃぐちゃになった割に回復は異様に早いらしい。自己治癒と別に修復機能でもついてるんだろうか。

 

 

「しかし、ステータス『羨望』。一刻も早い回復が必要です」

「回復してもやるとは言ってないけど」

「……? スカーレットさんの回数分、回復後に私の回数に付加されると」

「誰が言ったの」

「マスターの言動等から私が判断しました。いける、と」

「いける、じゃないのよおバカ」

 

 

 ブルボンの額を指で弾き、さっきから声を挟んでくるスズカに向き直る。スズカも見学というか、私と一緒に行動しているので当然来ている。何をすることもないけど、逆に何かされると困るので例の磁力トレーニングシューズを履かせていた。

 

 

「どしたのスズカ」

「どうしたのじゃないです……これじゃ走れません……!」

「走らせないためだからね。大人しくしてようねー」

「い、いやです、走れると思って来たのにっ」

 

 

 の割には靴を運ぶのを手伝ってくれたし大人しく履いたじゃん、とか言ったら普通に怒られそうなのでやめておきます。

 

 

「スズカは走らないんだから関係無いじゃない」

「それとこれとは話が違いますっ。だってターフがあるんですよ。走らないといけません。ウマ娘はターフを走るために生まれてきたんです」

「走るために生まれてきたことと走らなきゃいけないことは別だからさ」

「じゃあトレーナーさんは今後一生食事……睡眠……んー…………子育てを禁止します」

「むちゃくちゃ言い過ぎでしょ」

 

 

 言うほど子供作るために生まれてきたわけじゃない……いや生物としてはそうだけど、人間としては違うでしょ。そもそも私に子供はできない。結婚もしないし。

 

 

「あのトレーナーさん。もう良いですか? 一本目行きます」

「あ、うん。目標タイムは把握してるよね? 三本くらい行ってても良いわよ」

「了解。っし。行きます!」

 

 

 ばしん! と自分の頬を叩いて気合いを入れるスカーレット。私の腕にシャドーボクシングを決めるスズカを無視してストップウォッチを入れた。

 

 

「……成長していますね、スカーレットさん」

「でしょう? スカーレットには申し訳無いからあんまり言わないけど……阪神に行っても勝てたと思う」

「なるほど」

 

 

 感心しているのはブルボン。スズカは練習用ゲートが開く音に反応して走り出そうとして転んで私が抱き抱えている。練習風景を見ていない時期はそんなに長くないけど、それでも違いを感じられるのは流石ブルボン。分析と客観視に長けているわね。

 

 車椅子の上からウマ耳をぴこぴこさせてスカーレットを眺め、尻尾を振って時間を計っているらしいブルボン。一秒周期で振れるの凄いね、それ。私は指でも無理だ。

 

 

「十五秒」

「んー……ライス数えるの早かったなあ」

「ライスには向いていませんよ」

「むむむ……」

 

 

 ライスシャワーがブルボンの尻尾に合わせて左右に揺れ始めた。世界一可愛い振り子時計じゃん。私もスズカに揺らされてるけど、こっちは暴力だし。

 

 

「トレーナーさん……一周だけ、一回だけで良いですから……」

「それを止めるのは誰だと思っているぁんぁんあぅあ折れるスズカ首が折れるって」

「ちょっとだけっ」

「ゆ、揺れる揺れる揺れる」

 

 

 下半身を動かせないからって腕力で何とかしようとしてくる。当然私なんかでは抗えないのでされるがままにしておいて、折り返してくるスカーレットが掛かったのを見て、あ、と声が出た。

 

 

「ペースが崩れましたね」

「うん。確かあの辺りちょっと荒れてるんだよね。だからじゃないかな」

「なるほど」

 

 

 タイムは計れないが相対速度の感覚は完璧らしいライスシャワー。一人に付いていく抜群のセンスはやっぱり脅威ね。

 

 スカーレットは……まあ掛かっても良いや。ブルボンとは違ってペースキープは必須じゃないし。以前はブルボンという絶対的ペースメーカーがいたから大丈夫だったんだろうけど、いないとそりゃこうなる。

 

 

「まず一本……はぁっ、はあっ……よし! 次!」

「ん。頑張って。途中ちょっとペース上がってたから気を付けてね」

「了解!」

 

 

 帰ってきたスカーレットにも対応してもう一本。スズカもブルボンも羨ましそうに見ているし、ライスシャワーはそんなブルボンを微笑ましそうに見ているし。イカれてるな。

 

 

「トレーナーさーん……」

「はいはい」

 

 

 ねだるのに飽きたのか、シューズを脱いで私の横に座り膝に寝転がるスズカ。一言言ってくれればハンカチか何か敷いたのに。髪がベンチにつかないように気を付けながら頭を撫でる。

 

 ストップウォッチを持っている方の手を取って時間を眺めるスズカ。親指の付け根のところをぐりぐりと変に押し込み、ちらちらとスカーレットも確認している。見たって何も解らないでしょうに。

 

 

「頑張れー」

 

 

 手を振るなら自分の手を振りなさいよ。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「はっ……はっ……ぁ、は、げほっ、ぐ……ぅ……」

「お帰り。相変わらず流石ねスカーレット。この消耗で加速するのは凄いわ。本当に」

「なめ……な…………まだ……」

「無理して喋らなくて良いから。ほら口開けなさい」

 

 

 そして何本か後。帰ってきたスカーレットがついに倒れた。二本前あたりから上着を脱ぎ捨て、インナーも腰で強引に結ぶいつもの格好になったスカーレットが仰向けで喋れなくなった。

 

 ばちゃばちゃ水分をかけてあげつつ怪我率を見る。少し出てきているけど、これくらいなら放っておけば消えるかな。そろそろ寒くなってきた季節とは思えないほど全身を汗と泥で汚して動けないスカーレット。

 

 

「じゃあもう一本行きましょうか。あと二分で立ちなさい」

「わあ……スカーレットさんも凄いんだね。ライスもこんなにやったら倒れちゃうよ」

「倒れてから言ってください。私と同じメニューをこなしながら一人で行動していたのでしょう。私はスズカさんやマスターに運ばれていましたが」

「動けるまで倒れてるだけだよ?」

 

 

 そしてこの空間、一人としてそのスカーレットを心配していない。天性のスパルタマン、走ってれば無限マン、あと執念で全部覆すヤバい奴と……疲れすぎて呼吸もままならない教え子に次を強要しつつ頭にペットボトルをひっくり返す私。上着で扇ぐスズカが相対的にマトモに見える。

 

 

「早い復帰が望まれます」

「だね。ブルボンさんがこうなってるところ、ライス結構好きだよ」

「ライスは心配なので私と一緒にやってください。マスターの監督下で」

「一緒にやっていいの?やったぁ」

 

 

 恐ろしいデートの約束をしないで。いちゃつくトピックスじゃないから。

 

 

「っし……もう……一本……よね……」

「まだ二十秒あるけど」

「いい……! 次、行く……わよ……!」

 

 

 早めにスカーレットが復活した。汗とドリンクで髪が乱れて、その裏から人を殺せるんじゃないかという眼光が覗いている。物凄い気迫とともに扇いでいるスズカの身体を掴んで立ち上がってくる。そのまま顔に張り付いた髪を避けて視線をこっちに向けた。

 

 

「負けない……絶対に……!」

「そう。じゃあ行きなさい。頑張れスカーレット。みんな応援してるわよ」

「頑張れー」

「え、あ、ふぁ、ふぁいとー!」

「マスター。何とか今だけでも私が走ることは可能でしょうか。マスターの力で何とか」

 

 

 一人違う子がいたけど、とにかくスカーレットは走り出す。無心で速度を上げるスカーレットのステータスを見て、その成長に笑ってしまう。強いなあ本当に。惚れ惚れする。

 

 

「トレーナーさん」

「マスター」

 

 

 下から、そして横から手が伸びた。捕まっている。じろりと視線が向いた。

 

 

「今、見惚れてませんでしたか」

「……しらないよ?」

「マスター。確かにスカーレットさんの躍進は先輩として喜ばしいと感じています。しかし、能力面のみを考えても、精神面を考慮に入れても」

 

 

 ……ごめんて。そんな、違う方向から囁かないで? 

 

 

「私の方が速いですよ」

「私の方が走れますよ」

 

 

 ……スカーレットが帰ってきた。けど、すぐにバケツに顔を突っ込んで倒れてしまった。とりあえず我慢はできたらしい……けど、もちろんこっちの修羅場に物を言うより先に動かなくなった。ライスシャワーはずっとニコニコしている。この場にツッコミはいなかった。




定期的にモブ達がドン引きするシーン書きたくなるけど謹慎中なんだよなこいつ。


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羞恥心に目覚めるミホノブルボン

この小説全体をとると、現在一番幸せなのはライスなのかもしれません。同着でスズカ。なので今ライスは病んでもいないし依存もしてません。


 

「あ────きつ……死ぬ……」

「じゃあやめる?」

 

 

 ある日。病室にてスカーレットが椅子を二つ使って寝転がりながら言った。今日もスカーレットはスパルタ明けである。授業が終わりダンスレッスンが入ってスパルタして倒れてから現在午後七時である。

 

 全盛期ブルボンに匹敵するハードスケジュールをこなすスカーレットが心配ではあった。お見舞いは行かない方が良いと説得したんだけど、『疲れたからと日課をやめたら煽られる(意訳)』とのこと。あなたの中のブルボン、人の心が無さすぎない? 

 

 

「やめない。見て私。デブ」

「言ってて悲しくならないの?」

「不思議と胸が痛いわ。たぶん成長痛ね」

「心が泣いてるわよ」

 

 

 よくあんなもの好き好んで連続でできるものだ。ブルボンにしろスカーレットにしろ……まあ、スズカも含めて。いやまあ、やるけどさ。必要だし、必要無くても要求されたし。

 

 寝転がったままスカーレットはブルボンの方を見ている。そのブルボンといえば、ライスシャワーと格闘していた。怪我の治りが早かった左手一本で。

 

 

「ライス。何度も言っていますが食事は一人で可能です。左手があれば問題ありません」

「ダメだよブルボンさん。何かあったら大変でしょ? 看護師さんも言ってたよ? 色々手伝ってあげてって」

「やり過ぎで──ぁむ、むぐ、あむ……ごくん。やり過ぎです」

「これはライスの使命なんだよ?」

 

 

 提供から三十分弱経った病院食。そのスプーンを持って食べさせようとするライスシャワーと、何としても自分で食べたいのでその腕を掴むブルボン。何かもう見慣れた。

 

 根本のパワーはブルボンの方があるが、左手一本だし全身に負傷中。最後には押し負けて食べさせられている。これでライスシャワーが涙に訴える危うさを持ってるようなら精神衛生上止めないといけないんだけど、にっこにこだしパワーで押してるから平気でしょたぶん。

 

 

「使命は私にレースで勝つことのはずです」

「だからブルボンさんには早く治して走ってもらわないといけないんだよ」

「治癒速度とこの行動に関連性を見出だせません」

「ブルボンさんは感情の機微に疎いもんね」

「ステータス、『憤慨』──むぐ」

 

 

 やりたいようにやられるブルボン。大体依存するとろくなことにならないから良くない。特に人が人に依存するとね。だけどまあ、ライスシャワーは半分くらい面白がってそうだし、『治らないで欲しい』ならともかく『治らないとレースに出られない』なら健全でしょ、たぶん。

 

 

「トレーナーさん。私、これを買おうと思うんですけど」

「何……うわでっか。何この棚。いる?」

「家のグッズを整頓しようかなって。今の棚、外からグッズが見えないじゃないですか」

「んー……まあスズカが良いなら良いよ」

「やったあ」

 

 

「野菜もちゃんと食べないとダメだよブルボンさん」

「野菜ではなくライスを拒否しています。私自身に好き嫌いはありません」

「じゃあほら、あーん」

「マスター。ライスを止めてくださむぐもぐ」

 

 

「あ。何自分のお金使ってるの。ダメでしょ私のカード使わないと」

「良いじゃないですか」

「ダメ。私の家なんだから。私がスズカのために買うならともかく、あなたが買ったらおかしな話になるでしょ」

「えー……でもまあ注文しちゃったので。サイズぴったりだったので」

「いつの間に測ってたの……?」

 

 

「最後の一口だよブルボンさん」

「ですから自分で食べられます。ライス。私の左手は正常です。しかし本日一口も自分で食事をしていません。どういうことか解りますか」

「その分復帰が早くなる?」

「違います」

 

 

「……こうはなりたくないような、私だけ外されてるみたいでムカつくような……」

 

 

 ライスシャワーの気持ちもギリギリ解らなくはないし。結局菊花賞はブルボンが勝っているわけで、それに、あのレースは私達もライスシャワーも揃って、ライスシャワーが勝つと思っていた。ブルボンが勝てたのはブルボンが自分の限界を越えてまで一時的な強さを手に入れたからだ。

 

 その相手が倒れ、少なくとも有マで戦うことはできなくなった。レースがなくても友達ではあるし、ライスシャワーも尽くすの好きそうだし。

 

 

「じゃあはい、デザートもあるよ。ちゃんと許可は取ってあるから安心して食べてね」

「待ってください。また作ってきたのですか? ありがたいですが頻度が高過ぎませんか」

「ブルボンさんに言われて手作りは週五にしたよ」

「高過ぎます」

 

 

 ……いや解んないな。無理だわ。私には理解できない。ウマ娘にとっての愛ってなんだろうね。そもそも愛なのかなこれは。まあたぶん愛でしょ。

 

 ブルボンを追いかけてズタボロになるまでトレーニングしてるより遥かに良い。ライスシャワーは私の担当じゃないけど、ブルボンの一番の友達でありライバルである以上多少目にかけるくらいは必要だろう。スペシャルウィークのように。

 

 

 デザートのドーナツも食べさせられているブルボン。わざわざ揚げたのか、ドーナツ。面倒だから私も滅多にやらないのに。

 

 

「わあ美味しそうなドーナツ」

「スズカも食べる? 今度作ってあげようか」

「市販で十分ですよ」

「選んでみなさい」

「んー……トレーナーさんのが良いです」

 

 

 立っている私の前に座り、振り向いてふにゃりと笑うスズカ。可愛いねえ、とウマ耳を揉みしだく。抱き締めると、わぁ、と私の腕に手を掛けた。砂糖たっぷりの美味しいのを作ってあげよう。トレーナーたるものウマ娘のリクエストには応えられて当然──私たるものスズカのリクエストには応えられて当然である。

 

 何を作らせるかネットでドーナツを調べ始めたスズカ。ブルボンとスカーレットがこっちをガン見していたので笑いかける。

 

 

「もちろん二人の分も作るわよ。選んだら」

「良いの? やった。スズカさん私の視界に入ってください」

「では私も選択を」

「ブルボンさんにはライスが作ってあげるよ?」

「マスター。ライスを止めてください。私の全てが支配されます」

「ライスシャワーにも作るわよ。せっかくだし……種類はブルボンと合わせて決めて欲しいけど」

「マスター?」

 

 

 ライスシャワーもこっちを見てニコニコしている。可愛いわねこの子はこの子で。こんな可愛い子にお世話されるなら本望なんじゃないの、ブルボンだって。スズカを見なさい。世話を焼かれることに何の抵抗も無いのよ。

 

 

「あの、トレーナーさん。その、ら、ライスにもお菓子の作り方を教えてくれませんか。ブルボンさんに作ってあげたくて……」

「マスター。教えてはいけません」

「ブルボンがダメって言ってるからダメ」

「あぅ」

 

 

 抱かれたついでに肩を揉まれても抵抗しないスズカ。まあスズカの場合、走れるうちは走ることだけ考えてれば良いんだけど。これだけレースに勝ってれば引退した後も名前だけで食べていけるし、賞金もたんまりあるし。家事もできないなら問題だけど、できるけど任せてるってのが本当のところだから。

 

 そうしてしばらく私からブルボンのお世話のための技術を学びたいライスシャワーとそれを止めたいブルボンの言い合いが続いた。ブルボンも私はともかく友達はまずいと感じているのか断固拒否を貫いている。

 

 

「何かあったら困るよね? ブルボンさん」

「何もありません。少なくとも食事は可能ですし、食事に際して何が起こっても肉体がダメージを受ける事態にはなり得ません」

「解らないよ?」

「何が解らないんですか?」

 

 

 思考を放棄しているライスシャワー。割といつも会話はこんな感じではある。ブルボンもやっとbotを相手にする苦労を知ったのかもしれない。これで復帰した後も自重してくれるかも。

 

 

「何を想定しても……と、ライス、申し訳ありません、ナースコールを」

 

 

 会話のなか、ブルボンが動きを止めた。触れられないのでコールボタンを求める。しかし、ライスシャワーは思考を停止しているので、はっと気付いたようにベッドの下に手を伸ばした。

 

 

「任せてブルボンさん」

「マスター。早く呼んでください。マスター。急いで」

 

 

 おお、ブルボンが珍しくマジ焦りしている。表情こそあんまり変わらないがどっと汗をかき始めた。

 

 ナースコールを押してもらうのは、ライスシャワーがいる時はもっぱらライスシャワーの仕事になってくる。夜間は繋ぎっぱなしのスマホがあるらしい。電子機器全滅でも入院させられる病院の配慮には感謝しかない。

 

 

 ただ、昼間はライスシャワーや私が来たタイミングでスマホが無くなるので、まだ両脚にヒビがあるブルボンは焦って私の方に助けを求めている。とりあえず話だけ聞こうと思ってライスシャワーの腕を掴んだ。

 

 

「大丈夫だよブルボンさん。ライスいっぱい勉強したから、ね?」

「ね? ではありません。何をするつもりですか」

「お手洗いでしょ? これだよね」

 

 

 満面の笑みのライスシャワーが取り出したのは、尿瓶……のウマ娘用のやつ。中に溜めておくのではなく、ホースを通して別途タンクに溜めることで臭いを抑える目的の……漏斗に近いようなものだ。間違ってはいないらしく、ブルボンもウマ耳とアホ毛をぴんと立ててぐっと枕の方へ避けていった。

 

 

「これだよね、ではありません。ライスにやってもらわなくても」

「大丈夫、任せて」

「ステータス、『驚愕』、および『恐怖』。私にも、羞恥心があったのですね、マスター。急いでナースコールを押してください」

「あー……うん、まあ押すのは良いけど」

「大丈夫です、トレーナーさん。ライスに任せてください」

「ピクリとも動かないのよね」

 

 

 逆に私も掴まれてしまっている。手加減完璧ね。驚いたわ。痛くないけど腕が全く動かない。こんな精密な手加減ができるんだ、ライスシャワーって。

 

 助けを求めてスズカを見るも、顔を背けて笑っている。真顔でマジ焦りをするブルボンがお気に召したんだろう。まあスズカが笑ってる限りはふざけてても良いんだけど、ブルボンが尿意とは違う何かで震え始めた。

 

 

「解るよブルボンさん。ライスが初めてだから不安なんだよね?」

「いえ不安ではありません。羞恥心です」

「ライス、ブルボンさんに一日でも早く復帰して欲しいから」

「それとこれとは無関係では?」

 

 

 笑顔で詰めるライスシャワー。真顔で逃げようとするが……ブルボン、後ろが壁! ということで逃げきれない。スズカがお腹を抱え、スカーレットすら笑い始めた。いや普通に面白い。ブルボンの尊厳は消えそうだけど。

 

 

「恥ずかしがってると大変だから、勝手にやるね。あんまり足を動かすと危ないから気を付けて」

「ライ──ライ、ス、考え直しなさい。サポートはありがたいと思っています。そうです、患者個人でこういったことを行うのは規則上問題があるのでは」

「えへへ。看護師さんに『ブルボンさんを手伝ってあげたい』って言って教えてもらったんだよ。だから大丈夫だよ」

「なんですか、その行動力は」

 

 

 問答無用で病院着に手を掛けるライスシャワー。ここから暴れると大怪我なのでブルボンも止まらざるを得ない。そもそもまだ痛いはずなので派手に拒否はできないのだろう。

 

 ……というか、良いんだ。ライスシャワーがやっても。それが良いなら私もスズカの時やれば良かった。いやスズカの時は片足だからこういうの使う必要が無かったけど。

 

 

「うんうん。じゃあ脱がすよ」

「待っ──マスター。スズカさん? 助けてください。エラー発生中です。ライスに」

 

 

 見られたくないだろうので三人で病室を出ようとすると、ブルボンが震えた声で引き留めてきた。まあ、良いんじゃない。ライスシャワーができるなら。

 

 

「助けてくださいスカーレットさん」

「……ブルボン先輩。確か三日くらい前、私にこう言いましたね」

 

 

 スカーレットに言われる前に、賢く記憶に自信があるブルボンは思い出したらしい。変わらず冷や汗を吹き出したまま震えている。

 

 

「『私ならもう一本できます。つまりスカーレットさんはまだまだです』と」

 

 

 そんなこと言ってたな確か。うちの子達は誰に似たのかマウント癖があるから。もちろんエルナト内部とか、特に仲の良い子、お互いマウントを取り合っても良い人にしかやっちゃいけないとは言ってるけど。

 

 つまりブルボンはスカーレットにマウントを取っても良いということだ。エルナト内部ならむしろ推奨している。煽れば煽るほど強くなるので。

 

 

「待ってくださいスカーレットさん。私は客観的な評価を下したに過ぎません。私個人の感情とは異なります」

「ですので……疲れてますから、手伝えません。ごめんなさい」

「待っ──」

 

 

 ぴしゃん。病室のドアが閉まる。同時にスズカが笑って膝から崩れ落ちた。たまに出るスズカのゲラ。そしてつられたスカーレットも外にも関わらずドアにおでこを当てて笑っている。ブルボンかわいそう。

 

 

「何かブルボンに買ってきてあげようか。アイスとか」

「良いわね。下の売店、シャーベットが売ってたでしょ。レモンの」

「ふっ、くっくく……」

「性格悪ぅ」

「ちょっとした仕返しよ」

 

 

 病室に戻ったとき、ブルボンは珍しく顔に枕を乗せて隠れていた。ライスシャワーはとても嬉しそうだったのでセーフ。セーフか? まあブルボンも悪いから良いか。うん。




入院回りは適当です。


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魂に飲まれるサイレンススズカ

 

「ねースズカ先輩」

「ん?」

「トレーナーさんなんですけど」

 

 

 ある日。家で入浴中、湯船に浸かったスカーレットがスズカにお湯を掛けながら言った。私の膝の上でいつも通りお尻だけ湯船から出して尻尾を手入れさせてくれるスズカ。それを挟んで私とスカーレット。

 

 ……スズカの背中をちょうどいいテーブル代わりにして持ってきたジュースを飲んでいるスカーレット。誇りとか無いの? スズカには。

 

 

「うん」

「最近太ってません?」

「な……んでそういうこと言うの? 別に太ってないから。知らないのスカーレット、女性は男性より太りやすいのよ。しかもあなたが知ってる裸って所詮ウマ娘の裸だけでしょ? 私は人間だから。生まれつきアスリートで走るために生まれてて肥満児なんて一人もいないような種族と比べたらそりゃ太って見えるわよ。そもそも私もいい大人なんだし、若いとはいえ代謝も落ち始めてるし、そんないつまでも学生時代の身体をキープできるわけないわよね。ちなみに、本当にちなみにこれはまったく関係無いんだけど、トレセンの女トレーナーで私は体重も体脂肪率も下から二番目だから。別に関係無いけどね? でもスカーレットには教えておくわね? 勘違いされたら困るからね?」

「効きすぎでしょ」

「ぶぶぶぶぶ」

 

 

 危ない危ない。心が壊れるところだった。突然の火の玉ストレートに死にそうになっていた。せっかく三割がた尻尾の手入れを終わらせたスズカを抱き締めて湯船に沈めてしまっている。

 

 それに別に効いてないから。私は本当のことを言ったまでだし。そもそも私トレーナーよ? 資格には栄養士も入っている。その私が太るなんてことないでしょ。舐めないでよね。マジで。

 

 

「栄養士かどうかは関係無いでしょ。ダイエットは運動と食事の両面からやって初めて効果があるものであって、どっちか片方だけじゃ遅かれ早かれ」

「ぼばばば」

「もうやめましょうこの話は。誰も幸せにはなれないから。あとスカーレットにはあとで情操教育をするわ。大人の女性に体重と体型と年齢と結婚と子供と彼氏の話をしてはいけないということを」

「地雷多すぎだし被ってない? こういう大人にはなりたくないわね」

 

 

 トレーナーに向かってなんて言いぐさ。実際プラス体重なのは事実なので言い返せないが、そこまで露骨に増えてはいないし、そもそも私は元々痩せている方……まあ少なくとも太ってはいない方だったから、緩やかに脂肪がついたところでまだまだ騒ぐものではない。

 

 ……が、まあ、それでも気にはなる。ほんのちょっとね。

 

 

「ところで、そろそろ引き上げないとスズカ先輩が死ぬわよ」

「うわーっ! スズカーっ!」

「ぶはっ、は、はっ……そ、草原で走る私……」

 

 

 危ない危ない。抱き締めたまま拘束してしまっていた。まあでも本当にヤバかったら首の力だけでも私ごと持ち上げられるからセーフ。息の切れ方に比較して意識もはっきりし過ぎているし。

 

 走馬灯……というか願望? を見るだけで済んだらしいスズカに適当に謝っておいて、私の全力をもってスカーレットの顔面にお湯を叩き付けた。

 

 

「ぶっ」

「とにかく体重の話は二度としないで。次にその話をしたらあなたの味噌汁だけ出汁無しにするから」

「地味な嫌がらせはやめなさいよみっともないから。体重くらいで」

「それくらいのことなのよ……!」

「うぁぅうぁぅ」

 

 

 音が響く場所で大声はウマ耳に良くないので、代わりにスズカをぐわんぐわん振り回すことで気持ちを伝える。手癖でスズカの髪をツインテールにして抱き寄せた。

 

 

「し、森林を走る私……誰もいない景色……」

「スズカ先輩バグってない? 幻覚見えてるって」

「いつものことでしょ」

「いやまあ……そうなんだけど、それがいつものことで片付くのはまあまあヤバいわよ」

 

 

 んぐんぐ身体を捩るスズカ。身体が細くて肌がすべすべで凹凸が無いので持ちにくい。赤ちゃんを抱いてるのと一緒だけど、物理的に持ち上げることはできないので、密着しようとするなら羽交い締めに近くなってくる。

 

 ある程度回復してから私を確認してにこにこになるスズカ。そのまま体重をかけて私ごと肩まで浸かった。口まで沈む私。何とか仰向けになって呼吸を確保。私達が体勢を変えているのでスカーレットもそれを避けるべく私達に並ぶ形になる。

 

 

「狭いんだけど。適当に動かないでよ」

「えー。でも元々スカーレットさんが太ってるとか言ったからですよね」

「実際太ってるじゃないですか。スズカ先輩もそう思いません? それこそ走るのに邪魔そうとか」

「え……それで言うなら私が出会った中で一番邪魔そうなのはスカーレットさんです」

 

 

 無自覚に人を傷付ける女、サイレンススズカ。なお彼女の走りにくいの基準は長髪以外の全てなので、ナイスバディはことごとくマイナスだし、人によってはチャームポイントだったりコンプレックスだったりする大きなウマ耳や、ちょっと手脚が太いだけでも哀れみになる。

 

 ちなみにスズカのその哀れみは嫉妬混じりとかではなく100%本気。今でもブルボンやスカーレットの裸を見ると物凄い目をしている。あの二人のプロポーションに対して「本当に可哀想で……」という反応ができるのは世界で唯一スズカだけだろう。

 

 

「ねえ待ってください。胸ですよね? 胸の話ですよね? お腹とか腿じゃないですよね? あくまでも胸が大きいからですよね?」

「でも少しお肉は付いてきたかもしれません。ダイエットしても良いと思いますよ、トレーナーさん」

「摘ままないで摘ままないでマジで傷付く」

「ねえッ! スズカ先輩ッ!?」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ねー本当にやるの?」

「善は急げって言うでしょ。面倒がってたら一生できないんだから」

「ふーん……まあ私は全然良いけど……あれは?」

「あれは……まあ放っておきましょう」

「トレーナーさん!?」

 

 

 翌日の日が暮れた直後。食事の準備をあらかた終わらせてから、早速ダイエットのためランニングに出ることにした。

 

 ウマ娘への諸々を学ぶ過程で、比較として人間の管理も学んではいる。結局、人間は最終的には運動食事両面からのカロリーコントロールと生活習慣の見直しが最善手である。しかし、一人で運動しても続かないのは明白。

 

 

「私と走りましょう? ね? トレーナーさんの一番大好きは誰ですか? 私ですよね?」

「あれは悲しきモンスターよ。解放してはいけないわ」

「何にも否定できないのが悲しいところね」

 

 

 愛すべき担当達と一緒なら続くだろうということで、ランニングの格好でスカーレットと一緒に準備運動をしている。スカーレットは今日は呼吸の仕方を間違えて乙女の尊厳を失っていたが、それでも付き合ってくれるとのことで。

 

 

「モチベーションが必要なんですよね? 私の方が良いですよ。一番好きなのは私ですよね」

「愛されてるじゃない」

「うーん心が痛かったり痛くなかったり」

 

 

 もちろんそんなことをすれば怒るのはスズカである。私が一緒に走ります、と言い出したので、無言でソファに縛り付けた。普通にソファごと玄関まで追いかけてきたけど。

 

 私がスズカでなくスカーレットを選んだ理由はもはや改めて言うまでもないくらい明白だが、どんな理由があろうと自分よりスカーレットが選ばれたという事実にスズカは傷付いたらしい。たぶんだけどそれは本当に傷付いている。

 

 

「でもまあ無理だしそこにいなさい。部屋を出ちゃダメよ」

「そんな、何とかしてください、私、絶対に走れると思ってたのに」

「それはスズカ先輩が逸っただけですよね」

 

 

 しかし、それはそれとして走れば本能に負けてしまうのがスズカである。よっぽど真面目な雰囲気で、かつ隣を歩くくらいなら大丈夫なんだろうけど……残念ながら走ればそのまま突っ切ってしまう。私と一緒に走るのが目的だろうとそれを覚えていられない。だからこそ、悲しきモンスター。

 

 流石にソファごと出れば部屋を壊してしまうので廊下以降には出てこないスズカ。背筋伸ばしをする私達を、ソファを置いて座らされたまま脚をバタバタさせて睨んでいる。

 

 

「一回やってみましょう、ね? トレーナーさん、私だって成長しています。それに今回はトレーナーさんの健康が第一ですから。絶対に隣で走りますから」

「でもあなた確かランニングは自分のペースでやるものって言ってたわよね」

「そうですトレーナーさん。でもよく考えてください。今回、トレーナーさんと同じスピードで走ること……こんなのランニングではありません。歩いているのと一緒です。だからスカーレットさんも走れるわけですから。大丈夫です。信じてください。私もトレーナーさんを励ましたり応援したりしたいです」

 

 

 ……いや本気だな。少なくとも嘘は言っていない。本当に歩くのと同じだと思っているし、応援してくれる気もある。しかし信じて良いものか。まあそこまで疑うのも可哀想だし、このまま縛り付けとくのもね……。

 

 

「解った。ありがとうねスズカ。じゃあ三人で行きましょう。でもちゃんと私のペース……私が設定したペースで走ってね? お願いよ」

「はい。任せてください。私もちゃんとトレーナーさんの手助けができますからね」

 

 

 ロープを縛り、いつも通りの早着替えで出てくるスズカ。二人はそもそも準備運動なんていらない速度なので、そのまま外に出てスズカにストップウォッチを渡す。うきうきで首にかけるスズカ。信用してるわよ、と示すために時計は一個しか持ってきていない。

 

 

「ペースは?」

「んー……とりあえずキロ10分くらい」

「えっ」

「ん?」

「い、いえ何でもありません。ということは時速6kmですね。はい。うん……わ、解りました。頑張りましょう」

「遅……まあ人間はこんなものか」

 

 

 明らかに動揺しているスズカ、ラスボスみたいなことを言い出したスカーレット。レースウマ娘が手伝ってくれるなんて本当はとっても贅沢なのだ。なにせ彼女らのペース配分やタイムキープは優秀だし、荷物をある程度持っても人間のランニングなんか楽勝だし走りながら話しても問題がない。

 

 ……それでも、種族として『育てられる』が合っているから種族ウマ娘の職業トレーナーは少ない。基準が自分になりがちだったりするし。

 

 

「よし。じゃあ行くわよ。コースは……まあ走れればどこでも良いでしょ。時間で区切るわ」

「ん。頑張れー」

「頑張りましょうね、トレーナーさん」

 

 

 右にスズカ、左にスカーレットで走り出す。明るいところは人通りがあってぶつかると危ないから、少し暗めのところを進むことにする。悪い人達がいたところで二人がいれば逃げられるし。刃物くらいなら持っていても返り討ちにできるし、最悪私を担いでも人より速い。

 

 私もトレーナーの端くれ、ペースを一定に保つことはできる。ゆっくり息を吐きながら、手を大きく動かして走るように。横でちらちらと見ながら、ほとんど早歩きのフォームで並んでくれるスカーレット。

 

 

「ファイトー」

 

 

 そして、宣言通りちゃんと応援してくれるスズカ。私より一歩前を走ってるくらいは想定内。だけど、やたら冷や汗をかいている。早くない? まだ走り始めて五分よ。

 

 しばらく走り、少しスズカに並びスカーレットより前に出る。ちょっと速かったかなと少し速度を落と──す前にスズカがさらに前に出る。一応スズカを信じてペースを上げスズカに並ぶ。するとさらに前に出る。

 

 

「ちょっと、ペース上がってないですか? スズカさん?」

「え、あ、はい。少し」

 

 

 またゆっくりに戻り、スズカに並ぶ。スズカが前に出る。もう一度ペースを上げて並ぶ。スズカが前に出る。

 

 

「ねえスズカさん、やっぱりペース狂って──」

 

 

 スカーレットが前に出て、覗き込むようにスズカと並ぶ。瞬間、スズカの目が一気に険しくなって首を下げた。

 

 

「──ッ!」

「わわっ」

「スズカさん!?」

 

 

 記録、八分。頑張った方かもね。私に並ばれるだけでギリギリだったスズカは、スカーレットに並ばれて限界を迎えた。前に出て覗き込む……つまり、スズカを振り返って見る形になったのが悪かったのかもしれない。一気に火が付いたスズカはそのまま異次元の逃亡者として突っ走っていった。

 

 

「……うわあ」

 

 

 一度止まり、スカーレットに持たせていたドリンクを一口。秒で後ろ姿すら見えなくなったスズカを眺めて、スカーレットは心底軽蔑するような声を漏らした。

 

 

「ふっ……ふ、はぁっ、はあっ、はあっ……ま、まあ、が、頑張ったんじゃない……どうせこうなると、ひ、ぃ、お、思ってたし……」

「息切れすぎじゃない?」

 

 

 スズカと纏めて私まで変な目で見られたところで、その日スズカはなんとたったの一時間で帰ってきた。偉い。偉いか? 偉くないじゃん。

 

 ……次の日からスズカは予定通り縛り付けることにした。残念でもないし、当然。




スズカが真面目な雰囲気ならトレーナーの隣で進めるのは本当。


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勝利宣言するスペシャルウィーク

本当は名前を出したかったんです。アニメの二次創作キャラとして。でも本人役ってなると普通に現実世界の名前と同じですから、まあ規約に引っ掛かると思いました。

次回への前振り回です。


 

「こんにちはブルボンさん。調子はどう?」

「ありがとうございます。依然変わりありません」

 

 

 日付感覚消失につき仔細省略。記録者、ミホノブルボン。午後六時十三分、スズカさんとスカーレットさんが病室を訪れました。ちょうど私の検診をしていた看護師が入れ替わりで出ていきます。

 

 

「お疲れ様です、看護師さん」

「あらありがとう。ミホノブルボンさんは順調よ。後で先生からも話があると思うけど」

「ありがとうございます」

 

 

 大人の方への対応はスカーレットさんが一番適任、ですがスズカさんもそれなりの応対ができます。走ることさえ考えていなければスズカさんは非常に正常です。二面性のあるスカーレットさんや、コミュニケーション能力に難のある私より遥かに。

 

 いつも通りしばらくいてくださるようで、お二人とも椅子に座って、スズカさんに至ってはテレビをつけました。お見舞いを拒否できないよう、できるだけただいつも通り過ごすようにとマスターが指示を出しているようです。

 

 

「ブルボン先輩はどっち飲みます? リンゴマスカットとリンゴベリーなんですけど」

「いつになったら純粋なアップルジュースを買ってくるんですか、スカーレットさんは」

「つい癖で……トレーナーさんがいる前提で来てたんで」

 

 

 本日、マスターは諸用により来られません。お二人も自分の足で来たはずです。そして、同じカリキュラムを消化して直前に迫ったステイヤーズステークスのための追い切りも行い、それでもなおお二人より先に来ているライスもです。

 

 

「ん? どうしたのブルボンさん。お腹空いた? お手洗い? どこか痒い?」

「……いえ」

 

 

 私が分析するに、彼女がこうなってしまったのは、私が怪我をしたことで彼女の奥底にあった母性のようなものを刺激してしまったからでしょう。もちろん実質的に行動不能なのは間違いありませんのでサポートは必要です。ですが、少しやりすぎな面が最近強調されてきました。

 

 無言でライスの方を見ることができません。彼女は、私が言語コミュニケーションを問題なく行えることを一番知っているはずなのですが……早く回復しなければ、生活の全てをライスに支配されます。

 

 

「ライスは、学校での活動に支障はありませんか。毎日誰よりも早く来ていますが」

「大丈夫だよ。むしろ最近ぐっすり眠れてるし、勉強もできるようになったし、身体の調子も良いんだっ」

「そんなはずありません。私のために時間を使っているのですから、それ以前より好転するはずが」

「でも本当に調子良いんだよ?」

 

 

 話が通じません。私の周りはこういう方が多すぎます。狂気が加速していきそうなライスにはこれ以上この話題を提示するべきではないでしょう。本当に、ありがたいとは思っているし毎日来ていただけるのは『嬉しい』、のですが。

 

 

「お世話をするのが好きって人はいるものね。トレーナーさんもそうだし」

「あー……それはそうかもしれないですね。尽くすタイプって自分でも言ってましたし」

「恋人と担当は違う……とは思いますが」

「ライスはいまだに、スズカさんとトレーナーさんがお、お付き合い、してないのが信じられないけど……」

「してくれないんだもの」

 

 

 自分で飲むかライスに飲ませてもらうかで飲み物を奪い合いつつ話します。左手一本でベッドに寝たままでは可動域が……く、は、敗北……二十三戦二十三敗。調整モードに移行します。

 

 

「無理しちゃダメだよ? ブルボンさん」

「無理などしていません」

「無理している人はみんなそう言うんだよ」

「しかし、私の自己分析は正常です」

「じゃあブルボンさんは、目の前に大怪我をしている人がいたとして、その人が大丈夫って言ったら信じる?」

「……いえ信じません。正しい指摘です」

 

 

 私は無理をしていたようです。大人しくライスに飲み物を持ってもらって飲むことにします。何か、誤魔化されているような気がしますが、ライスは間違ったことを言っていません。

 

 

「誤魔化された……」

「ブルボンさん、最近頭の回りが鈍いわよね。やっぱり走ってないからかしら。私も走りたくなってきたわ」

「そんな酷いこと言わない方が良いですし、別に走ることとは関係無いですし、何よりその流れでスズカ先輩が走りたくなるのは意味が解らないです」

「あら三連発」

 

 

 教科書を開いたスカーレットさんが片手間に指摘します。科目は……現代文のようですので、私が力になれることは無さそうです。スズカさんがつけたテレビに目を向けます。

 

 

『──さんをゲストにお迎えして、今週末のジャパンカップ、注目のウマ娘をご紹介します。よろしくお願いします』

『はい、よろしくお願いします』

 

「あ、やけにウマ娘に詳しいおじさんだ」

「このおじさんいつも見ますけど、どういう肩書きで出てるんですか?」

「『やけにウマ娘に詳しいおじさん』では?」

「絶対に本職呼んだ方が良いのに、なんなんですかねこの説得力」

「私は嫌いじゃないわよ、やけに詳しいおじさん。間違ったことは言わないし、スペちゃんのこと良く言ってくれるから」

「と言うかこの人ずっとおじさんじゃないですか? 歳とかとってるんですか?」

 

 

 女性アナウンサーと男性MCが一人ずつ、それからウマ娘の間でも『やけにウマ娘に詳しいおじさん』と覚えられている男性が、フリップとスクリーンで番組を回していました。ジャパンカップはスズカさん、そしてスペシャルウィークさんにとって重要なレースです。もちろん、日本にとっても。

 

 

『やはり注目株はモンジューでしょうか』

『そうですね。凱旋門から日が短いものの、かなり力を入れて休養と調整を行っているようです。ヨーロッパでの彼女を考えるに取材などは積極的に受けそうですが、今回については追い切り一週間は報道陣をシャットアウトしています。本気度が窺えますね』

『反対にスペシャルウィークは普段からは考えられないほど取材を受けています。心境の変化を感じますね』

 

 

 MCとやけに詳しいおじさんの分析が正しいかは解りませんが、恐らくそれなりに正しいのでしょう。聞くに、モンジューさんはかなり早い段階で入国しています。入念に和芝に慣れてからスズカさんに挑もうとして、その準備がそのままスペシャルウィークさんを相手に変わった形です。

 

 出演者達は全員日本人ですので、やはり日本のウマ娘であるスペシャルウィークさん寄りの論調になるでしょうが……それでもなお、本気で信じているかは怪しいところです。少なくとも現時点での世論はモンジューさんに傾いていますし、そもそもスペシャルウィークさんはそこまで圧倒的評判を持つウマ娘ではありません。

 

 

『当番組でもスペシャルウィークさんへの取材に成功しました。続いてその様子をご覧いただきます』

 

 

 場面は変わり、どこかのスタジオ。トレセンではないようです。

 

 

「スペシャルウィーク先輩ってそうなんですか?」

「んー、そうね、あんまり取材は受けないかも。エルさんとキングさんが凄く派手だからってのもあると思うけど、緊張しやすいんだって」

「ああ……そんな感じですね、スペシャルウィーク先輩」

「で、でもしょうがないというか、大変ですよね、インタビューとかって……」

 

 

『スペシャルウィークさん、トレーナーさん、よろしくお願いします』

『よろしくお願いします!』

『よろしくお願いします』

 

 

 私もそのうち取材が増えるのでしょうか。現在、私は実際の怪我の割に見た目が酷く、このまま露出すると悪影響だということでメディアのほとんどを断っていただいています。たづなさん曰く、無敗の三冠ウマ娘の話題性は一ヶ月や二ヶ月の休養で落ちるものではないので覚悟をしてください、とのこと。

 

 

「本当ね。スペちゃん、全然緊張してないわ」

「解るんですか?」

「もちろん。何となくね」

 

『──では、かなり自信がおありということで?』

『はい! ジャパンカップは必ず勝ちます。お約束します!』

『おお、頼もしいですね。作戦……は言えないとは思いますが、やはり最も注目しているのはモンジューでしょうか?』

『そうですね。ただ、今の彼女の仕上がりなら、特定の対策よりも自分らしく走ることが大切だと考えています』

 

「こういうのを堂々と言えるのが、何でしたっけ、トレーナーさんがよく言ってるの」

「『主人公の器』です」

「そうそれです」

 

 

 マスターの言い方からして、メリットとデメリットのあるものだとは解っています。私とスズカさんはそうはなれないが、なる必要もない、と。

 

 

「でも嘘や強がりじゃないわね。本気で勝てると思ってるわ、スペちゃん」

「そ、そうなんですか?」

「ええ。スペちゃんはそんな難しい嘘はつけないし、すぐバレるわ。素直だから」

 

 

 もし私が健在なら、私がジャパンカップに出走していた可能性はあります。その時菊花賞を勝っていても、負けていても、果たして私はあのように胸を張って勝てると断言できたでしょうか? いえ、マスターが断言できたのなら──

 

 

「大丈夫、ブルボンさんがもしあそこにいても、ライスは一生懸命応援するからね!」

「心を読まないでください」

「ブルボンさんの強さをライスは知ってるから。誰が相手でもいつか勝ってくれるって信じてる」

「ライス? 聞いていますか?」

 

 

 手で耳を戻しておきます。そもそも、私のライバルにこんなことを言われる筋合いはありません。今度こそライスに完勝するのですから、それを信じていると言われたところでエールとして機能していません。

 

 インタビューは滞りなく進み、どうやら最後に『日本総大将』について問われたスペシャルウィークさんが立ち上がりました。カメラに向かってまっすぐ目線を向けます。……なるほど確かに、一つとして嘘偽りの無い決意がそこにはありました。

 

 

『ありがとうございます。その、私、必ず皆さんの期待に応えてみせます! 日本総大将として、この日本のウマ娘の誇りにかけて、芝中距離左回り(この場所)は誰にも譲りません! 是非見に来てください。私が勝つと信じて、私を応援してください!』

「……すご」

 

 

 スカーレットさんが完全に手を止めてスペシャルウィークさんに目を奪われています。スカーレットさんはどちらかといえば自信家ですが、実績がまだ全く無いことから少しそれも陰ってしまっていました。

 

 

「これで、スペシャルウィークさんが勝てばスズカさんは現役続行ですか」

「ううん。勝ったらじゃなくて、私が感動したら、よ。もちろん、スペちゃんは勝つだろうけどね」

 

 

 スズカさんが来年も走るのなら、私はスズカさんと直接対決が可能となります。スズカさんへの対策は知識として知っていますし、来年──今でも、それを実現できるだけの力はあるはずです。

 

 

「だから、しょうがないけど、もう一回だけ走るのかな」

 

 

 スズカさんはそう言って微笑みました。まだ、決定を覆されたことは許していないようですが、それでも後輩たるスペシャルウィークさんとの絆は強いようです。笑顔で語る画面内のスペシャルウィークさんを見て、スズカさんは耳を揺らしました。




次回、ジャパンカップ。


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栄光を掴むスペシャルウィーク

RTTT良いすね……


 

 ジャパンカップが来てしまった。私にとって因縁で、運命で、覚悟のレース。もちろん、全てのレースを全身全霊で走ってきたけど、このレースは一つ違う。

 

 

「準備は良いか、スペ」

「──はい」

「頑張ってスペちゃん!」

「頑張ってください、先輩!」

 

 

 控え室で、勝負服を着て呼び出しを待ちます。もう数分後にはみんなの前にいて、それから十数分経てば勝負が終わっている。集中する私に、トレーナーさんと、先輩や後輩のみんなが声をかけてくれます。

 

 お腹の底がどろどろと淀むような緊張感と、期待を掛けられている、というストレス。きっといつかの私なら、こんな重圧には耐えられなかったはずです。

 

 

「良い集中だ。心配は無さそうだな」

「……トレーナーさん」

「何だ」

 

 

 ベルの音がして、もうパドックに出る時間です。しかし、誰も私を急かすことなく、立ち上がった私はトレーナーさんをまっすぐ見つめました。

 

 

「ありがとうございました。私、無理なことを言って」

 

 

 ジャパンカップにモンジューさんを引きずり出す。日本中のプレッシャーを集めて、一人で背負って勝つ。そして、スズカさんへの挑戦権を手に入れる。どれも私が勝手にやったことで、トレーナーさんは私の無茶の後始末に随分忙しそうにしていました。

 

 それでも、トレーナーさんは何度謝っても同じように言うのです。

 

 

「何、気にするな。無茶なことはないさ。そうしたいんだろ? 悪事以外は──悪事だったってお前の夢のためなら何でも手伝うとも。それがトレーナーってやつだ」

「……私、絶対に勝ちますから。この(なまえ)とみんなの期待に懸けて、絶対に負けません」

「もちろん、信じている。体重もダービーと同じ、仕上がりも完璧──おめでとうと言ってやりたいくらいだ」

 

 

 トレーナーさんは皺の刻まれた顔をくしゃくしゃにして笑いました。あまり笑わない人ですが、それでもその顔を見ると、ああ、本気で信じてくれているんだと、力が湧くような気がして。

 

 

「……トレーナーさん。最後にもう一度、お願いできますか」

 

 

 ドアノブを掴んだまま、私は背後のトレーナーさんにお願いをします。トレーナーさんと私で見付けた、私の強み。私はきっと、誰かの期待やプレッシャー、追い詰められれば追い詰められるほど実力を発揮できる。

 

 だからこそ、これまで何度も何度もみんなに啖呵を切った。誰にインタビューを受けた時も必ず勝つと宣言してきた。私にはもう勝つことしかない。私のことを誰もが応援してくれている。

 

 

「……解った」

 

 

 肩に手が置かれます。背負えば背負うほど、私はきっと強くなれる。それに押し潰されるようでは、スズカさんにも勝てない。このジャパンカップで負けたならもはやそれまで。スズカさんどころか、有マで待ってくれているグラスちゃんにも顔向けできません。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「はい! スペシャルウィーク、行きますッ!!!」

 

 

 ばん、と強く背中を押して(たたいて)もらいました。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「スペシャルウィークさん!」

「「「スペちゃん!」」」

 

 

 地下道で、後ろから呼び止められました。声を合わせるなら呼び方も揃えれば良いのに、とかちょっと笑いそうになりながら振り向くと、そこに私の同期達。駆け寄って、寄ってたかって私の身体を叩きます。

 

 

「期待してるわ。日本には私達がいるってこと、しっかり教えてやりなさいな。舐められたまま帰すなんて許されないわよ」

 

 キングちゃん。

 

 

「日本がどうなろうと知らないけどさ。スペちゃんが負けたら私のスズカさん対策がムダになっちゃうから、頼んだよ」

 

 セイちゃん。

 

 

「スペちゃんなら大丈夫デス! ちょちょっと捻ってやりましょう!」

 

 エルちゃん。

 

 

「……その、スペちゃん」

 

 そして、グラスちゃん。

 

 

 グラスちゃんはジャパンカップに出走するつもりでした。そうなればきっと、私はグラスちゃんに一度も先着していませんから、日本総大将は彼女だったはずです。まだ、回避したことで私が一人になったことを気に病んでいる。

 

 

「大丈夫だよ、グラスちゃん」

 

 

 きっとグラスちゃんは放っておいても立ち直るでしょう。優秀で覚悟のあるトレーナーさんがついています。二人とも、道半ばで諦めるくらいなら死んだ方がマシと平気で言える人ですから。

 

 だけど、今回はグラスちゃんの力も借りたい。本当の意味で私は代表になって、みんなの前で走る。目を伏せるグラスちゃんに近付いて、ぎゅっと抱き締めました。少し、震えていて。

 

 

「私は絶対に勝つから。それで、スズカさんともグラスちゃんとも決着をつける。約束するよ。必ず勝って戻ってくる」

「……ごめんなさい、私」

「何言ってるの。私、これで勝っても日本一になれないんだよ? エルちゃんにもグラスちゃんにも負け越してさ」

 

 

 そしてスズカさんにも。私の周りは、凄い人ばっかりだ。本当に、本当に……だから、私はもっと頑張れる。日本一の約束と、私より強い誰かを目指して走っていける。

 

 

「だから、グラスちゃんには堂々と待っていて欲しいの。私は勝って挑みに行くから。有マで必ず、日本一を勝ち取りに行くよ」

「……スペちゃん」

 

 

 グラスちゃんの肩を持って、約束するよ、と小指を差し出します。グラスちゃんは泣きそうなまま、その指を両手で包み込みました。

 

 

「……必ず、勝ってください」

「うん。必ず勝つよ。任せてグラスちゃん」

 

 

 みんなに笑いかけます。強がりとかじゃなくて、私は勝てると確信しています。何故なら、私は負けてはならないからです。

 

 私より強い、私の仲間のために。胸を張ってみんなに挑むために、私も強くなくてはいけないから。新しい夢錦の勝負服は、誰かを背負う私の覚悟だから。

 

 

「……そうだ、エルちゃん」

「はい?」

 

 

 私は大丈夫、と示すため、できるだけ悪い顔をしてエルちゃんに手招きをします。

 

 

「宣戦布告のフランス語を教えてよ。とっておきのやつをさ」

「ええ……任せてください、スペちゃん!」

 

 

 

 ────

 

 

 

『さあ続いて、おーっと来ました来ました! 本日は二番人気を背負いましたが──日本にとって主役は間違いなく彼女でしょう!』

 

 

 地下道からパドックに出ると、信じられないほどの大歓声が私を押し潰してきました。全身がびりびり来るくらいの期待と、地鳴りのような応援、身体の奥底がぎゅうと痛む重圧。GⅠ、ジャパンカップ。まだまだ世界一を決めるレースとは言えないけど、世界一に挑むレース。

 

 

「──よし」

 

 

 パドック実況は私には聞こえません。そんなものよりも、もっと多くの声援を。聴覚の隅で、前口上が始まったことだけが解ります。勢いよく、服がはためくようにいつもの気合い入れアピールポーズから、もう一度深呼吸をして拳を握り締めます。

 

 

『日本ダービー、天皇賞春秋連覇。今日はライバル達の分も背負い、新たな勝負服で世界の壁に挑みます。目指すは日本か世界の頂!』

 

 

『輝く黄金の総大将! スペシャルウィーク!』

 

 

 どん、と身体が吹き飛びそうなほどの音の波が押し寄せて、負けないように右手を掲げます。もっと私に声援を。もっと私に期待をして。きっと私は応えてみせる。私はスペシャルウィークだから。名前に刻んだ魂に懸けて、誰より強いウマ娘になってみせる! 

 

 

「スペシャルウィーク!!! 負けるなよ!!!」

「信じてるぞスペシャルウィーク!!」

「頑張ってスペシャルウィーク!!!!」

「日本を頼んだぞ──!!!!」

 

 

 プレッシャーを受けて震える身体を、噛み締めて留めます。私の身振りに合わせて人の壁が動きます。手を振ってもっともっとと煽って、浴びて、段々と力が湧いてくるような感覚がしてきます。

 

 

『さあ最後に本日の大本命! あのエルコンドルパサーをも蹴散らして、欧州最強が日本に殴り込み! 凱旋門の栄誉を以て世界一を確たるものへ! フランスの要塞、モンジュー!』

 

 

 横に避けると、後ろからモンジューさん。気のせいかもしれませんが、私の新しい勝負服とカラーリングが似ているような気がします。私のは錦の和風で、彼女のはフランスの豪華でおしゃれなものですけど。

 

 

 軽いアピールをした後、彼女の視線が私に向きました。パドックから降りつつ、ゆっくりと私の前に立って顔を近付けてきます。さらに歓声があがって、向き合って微笑みます。

 

 この人は強い。私達よりもきっと。いや、それで普通なんだ。日本はまだまだ世界に遅れている。だからこそタイキ先輩やパールさんが世界のレースで勝った時、何よりみんな沸いたんだから。

 

 

「期待、している」

 

 

 それは、たとえ舞台が日本でも変わらない。特にモンジューさんは今回、入念に日本に慣れてきている。そこを突くことはもうできない。たどたどしい日本語で、単語を切って話してくれたモンジューさん。

 

 ……良かった。チャンピオンの立場でいてくれて。だったら私だって心置きなく、あなたに挑むことができる。

 

 

「La victoire est à nous!」

「!! ……Je l'aime bien」

 

 

 ……何を言っているか解りません。でもまあ握手はしてくれたし、気合いのガッツポーズも笑ってもらえたのでコミュニケーションは成功ですね! 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「……スペちゃん」

「ん……どうしたのスズカ」

「いえ、その」

 

 

 ジャパンカップ当日。レース場に特別に部屋を貰い、そこからスペシャルウィークのレースの様子を見ていた。パドックでも見る限り、やはりモンジューの方が強い。というか、あのスペシャルウィークをもってしても出走ウマ娘でも抜けている。一応あそこ、各国のダービーウマ娘が集結してるんだけど。

 

 ドイツ、イギリス、フランス、あと香港で暴れてるのもいる。賞金を積んだとはいえよくここまで大物ばかり集められたものだ。日本代表たるスペシャルウィークや、仮にも天皇賞二着の子が小さく見える。

 

 

 そんななか、スペシャルウィークを含めても一番興奮しているスズカが私の腕の中で呟いた。

 

 

「パールさんが言ってたんですけど……ガッツポーズってヨーロッパでは侮辱のジェスチャーじゃないですか?」

「そうなの……? スペシャルウィークがそんなことするようには……いや今のスペシャルウィークならやりそうね」

「エルさんに何か吹き込まれたのかしら……まあ楽しそうだし良いか……」

 

 

 ソファで私に寝転がりつつスズカはくすくすと笑った。胸辺りに私の腕を持ってきて手のひらを握ったり指で揉んだり弄りながらモニターをじっと見つめる。落ち着いているように見えて、ウマ耳がぴこぴこと揺れているし、薄い胸に触れると鼓動の早さがよく解る。

 

 

『さあ各ウマ娘がゲートに入っていきます。国の威信を懸けて、集った各国の英雄達が、ダービーウマ娘達が、落ち着いた様子で準備を整えます』

『スペシャルウィーク、これはかなり集中していますね。恐ろしい気迫を感じます』

 

 

 実況、解説はいつもの人達。場内が静まり、ゲート入りを待つ。

 

 

『あのエルコンドルパサーを差し切ったモンジューの恐ろしい末脚が、日本の我々の目に焼き付いています。迎え撃つ日本総大将はスペシャルウィーク。回避した仲間達、数千の日本のウマ娘を背負って走ります』

 

 

 ファンファーレと手拍子が響き、ゲートに入るスペシャルウィーク達。実況解説の展開予想を聞き流し、落ち着かないスズカの頬から首を擦って、唇を指でなぞる。手のひらを合わせて指を絡めて握り締めてくる。

 

 

「……頑張れ、スペちゃん」

 

 

 そうスズカが呟いた。あまり応援していなさそうな声で、小さく一言だけ。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

『さあスタートしました。まずぐんぐん前に出るのはやはりスムースミー。ゆっくり前に出ますスムースミー。続いてインハビタントも前に行こうとしています二番手につきました。キンイロリョテイも前、インコースからアクーレオ』

 

 

 まず、出遅れずにスタートは切れた。府中の直線、思い切って後ろにつくのはトレーナーさんとの話し合い通り。そしてモンジューさんは私より後ろ。これも思った通り。モンジューさんには世界一の末脚があるし、日本の芝はヨーロッパよりスピードが出る。だったら、みんなが見える最後方に位置取っても問題ない。

 

 

『総大将スペシャルウィークは中団のやや後方、そして少し離れてモンジュー、後ろから二番手。これは末脚勝負の構えでしょうか』

『しかしかなり縦長です。スムースミー、良いリードをとれています。後ろのウマ娘が差し返せるのか気になる開きですね』

 

 

 最初二つのコーナー、絶対に内には入れない。バ群は抜けられても後ろから来るモンジューさんの後からになってしまえば追い付けません。多少のコースロスは覚悟で外を回って、できるだけ直線で息を入れる。

 

 ……見えてる。私の行くべきコースが。外を回ってそのまま直線、ゴールまでまっすぐ走れる。

 

 

『さあ向こう流しに入っていく、いまだ先頭はスムースミー、三バ身から四バ身離していきます。その後アクーレオ、インハビタント。平均ペースかややスローと言ったところでしょうか。そこからマウンテンレオ、キンイロリョテイと続きます。ポツンとカルパロス、トップグロウ、少し離れてスペシャルウィークここにいます! その後ろモンジュー! さあ仕掛けていくかスペシャルウィーク!』

 

 

 そろそろ終盤、位置取りを上げていかないと……後ろをちらりと見ます。明らかにモンジューさんは私を意識している。あれだけ言ったのだから、やっぱり半マークされていて、たぶん私に合わせて末脚で来るはず。

 

 だけど、もちろん私はそれに乗る。それが私の走りだから、直線勝負に乗っていく。この戦いはただ勝てば良いものじゃない。スズカさんに私を認めさせて、少しでも意識させる。そのためには小細工じゃなく、真っ向勝負で勝たなければいけない。

 

 

(よし……ここから!)

 

 

『コーナーにかかった! スペシャルウィークがぐんぐんと上がっていく! それを追ってモンジュー! 後方からウマ娘達が押し寄せてくる!』

 

 

 大きく息を吐いて、思いっきり吸い込む。これが最後の呼吸のつもりで、全部飲み込んで、燃やす。溜めた足を一気にここで使って、一歩横へ。

 

 思い出すんだ。私の走り方。見せ付けなきゃ。私が一番速いってことを。誰よりも速くなる。日本一になると誓ったんだから。

 

 ──だから、負けない。

 

 

「やあぁああぁぁああぁぁ!!!!!!」

 

 

『スペシャルウィーク外から飛んできた! スペシャルが来ている! 後ろからモンジューもぴったりくっついてスペシャルウィーク! 既に四番手! 前スムースミーからインハビタントに代わった!』

 

 

 蹄鉄を踏み込んで直線に向く。これ以上外には出ない。渾身の力で遠心力を潰して、歯を食い縛って前へ。勝てる。勝つ。前に誰もいない。いても関係無い。この中で一番速く走れば、私が一番になれる。

 

 世界で一番速いのは私なんだ。私が、一番のウマ娘になるんだ! 

 

 

「勝つ、ん、だああぁああぁあぁぁぁ!!!!」

 

 

 絶叫、そして視界が白くなる。歓声と風で息も聞こえなくなる。

 

 

『直線飛んで日本総大将! 後ろから世界の末脚モンジュー来ている! スペシャルウィーク先頭に並んだ! インハビタントを交わす! 内からトップグロウ! 先頭は13番スペシャルウィーク伸びている! モンジュー追い縋る!』

 

 

 後ろからの重圧(プレッシャー)で、さらに脚に力が入る。まだまだ。接戦なんて冗談じゃない。私は勝つんだ。どうやって勝つかしか考えていない。直線はまだある。

 

 

「だあぁあああぁぁああぁぁあ!!!!!」

 

 

 もっと速く! まだだ! まだ足りない! これじゃ私、スズカさんに胸を張れない! 全部引き出すんだ! 今までの私! みんなの力! 私はスペシャルウィークだ! 日本で一番のウマ娘なんだ! 私が今まで発した言葉全て、そういう覚悟で言ってきたんだ! 

 

 

『先頭スペシャルウィーク! 伸びる伸びるまだ伸びている! モンジューを突き放す! 既に二番手争い! 先頭はスペシャルウィークこれはもう間違いない! 差が開く! スペシャルウィーク圧倒的だ!』

 

 

「負けるかああぁぁああぁ!!!!」

 

 

 先頭に、見慣れた栗毛のウマ娘。いつかこの場所で誰より速く駆け抜けた、速さの象徴のような緑の勝負服が、私の数歩先、そして、夢中で振る両手が、大事なそれに掴みかかって。

 

 

『先頭はスペシャルウィーク! スペシャルウィーク! 今圧倒してゴールイン!』

 

 

 越えた。越えられなかった。それでも私は、負けられない。拓けた視界にターフの緑、色の混ざったゴール板はとっくに通り過ぎていた。いつよりも、ダービーを勝った日よりも、天皇賞で復活と言われた日よりも、どんな時の誰よりもきっと大きな叫び声。押し潰されそうになりながらも、それでも吐き出される場内アナウンス。

 

 

『やはり日本総大将ッッッ!! やってくれましたスペシャルウィーク! 堂々2400! 奪い返したァ! 世界のウマ娘を前に、スペシャルウィークがやりました!』

 

 

 ──勝った。私が勝った。掲示板に13番の表示。それから、レコードという赤の文字。掴めた。ほんの一瞬でも、時計の中だけの話でも、私はあの人に届いたんだ。

 

 足を緩めて、そのまま仰向けに倒れる。信じられないくらい鼓動が高鳴っていた。まだ終わっていないのに、これが最後とばかりに騒いでいる。日は傾く時間だけれど空は青く澄んでいて、顔を向けると観客席にみんなが見えました。

 

 

「せーのっ!」

「「「スペちゃ────ん!!!!」」」

「スペシャルウィークさ──ーん!!!」

 

 

 ……あはは。だから、合わせれば良いのに。満面の笑みを浮かべる仲間達に、親指を立てて応えます。私、勝ったよ。ここは私達の場所だから。そして、みんなの道を作ったよ。四人だけで、十数万のお客さんにも負けない声でした。

 

 

「スペシャルウィーク」

 

 

 視界に影が射し、見るとモンジューさんが私に手を差し伸べていました。髪はぐちゃぐちゃで、よく見るとお化粧もかなり乱れてますが……それは私も人のことは言えないですね。とにかくその手を掴んで立ち上がります。足が熱くて、でも痛くはない。丈夫な身体に感謝。

 

 モンジューさんは私を助け起こした後、何か悩んで言葉に詰まっています。話している言葉はたぶん、ええと、とか、そういう言葉でしょうか。困ったような、心底申し訳無さそうな表情で……

 

 

「なかなか、だった」

 

 

 諦めたように出てきた言葉は、その二言だけ。……勝ったの、私なんだけど……いや、これは、そうか、ふふ、なるほど。この人、勝った時の日本語しか用意してないな? 私も挑発の決め台詞しか用意してないけど。

 

 

「La victoire est à nous!」

「……?」

「La victoire est à nous!」

「……!」

 

 

 負けたくせに、勝ったみたいな目線で話す。勝ったのに、ライバルを労うこともしないで煽る。最低な会話でしたが、どうやらモンジューさんも理解してくれたようで、くしゃっと笑って私を引き寄せます。そして、私の頬に、柔らかく触れて、ちゅ、とわざとらしく鳴らしました。

 

 

「ふぇっ」

「Merci」

 

 

 そう言って、観客席に手を振りながら戻っていくモンジューさん。えと、あ、ありがとう、で良いのかな。え? キスされた? 私。が、外国では挨拶って本当だったんだ……

 

 

「モンジュー!!! スペちゃんに何してるんデスか!!!!」

「エルさん行くわよ! 落とし前をつけさせるわ!」

「ほらグラスちゃん泣いてないで。私達も行こ行こ」

「……ふふ、何、騒いでるんですか……ふふっ」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「……凄かったねえスズカ」

「……」

「……スズカ?」

 

 

 スペシャルウィーク、勝った。マジ? やっぱり色々と違うのねあの子。勝てる相手じゃないと思ったのに、突き放してレコード。しかもそのレコード、スズカのなんだけど。

 

 もちろん、スペシャルウィークかスズカならスズカだ。今後これが変化することはないだろう。私は爆発力を恐れているが、それはそれとして実力で走ってるウマ娘の方が強いだろうとも思っている。

 

 スズカが一番速いことを疑わないし疑ったこともない。それはスズカもよく解っているはずだ。だけどそれでも、スペシャルウィークのあの走りには感動せざるを得ない。

 

 

 だからだろう、途中まで私の手を握ってはらはらしながら見ていたスズカだったけど、直線でスペシャルウィークが抜け出した辺りで目を離して私に抱き付いていた。勝ちを確信していたわけだ。

 

 

「どうしたのスズカ。もう。お互い気にしないってことにしたでしょ? 別にこんな約束どうでも良いやつじゃない。そんな怒らなくたって」

「……言って、おきますけど」

 

 

 ぎょっとした。私を引っ張って押し倒して、胸ぐらを掴む代わりに首筋から頬を挟むスズカ。これまでに無いくらい小さな声で、しかも震えていた。あの、怪我をした時にも並ぶくらいに。

 

 

「……私の方が、速く走れますから」

「え」

「スペちゃんよりも私の方が速いですからっ。スペちゃん、凄かったですけど、でも、その、私ならもっと速く走れます」

「……スズカ?」

 

 

 ぐっと顔が近付く。スズカの綺麗な顔がアップになって鼻と鼻がくっついた。スズカにしては走りたいという狂気が見えない。速く走れます、から証明に走ってきます、と続かないのが逆に怖い。

 

 

「ちゃんと解ってますよね? トレーナーさん、私の方が速いですよね? 私の方が速くて、可愛……いさはちょっと勝てないかもしれませんけど、トレーナーさんのことは何でも解ってますし、あの、だから、その」

 

 

 ぽすん、と私の胸元に倒れ込むスズカ。ぐりぐりに顔を押し付けて、むー! と何か叫んでいる。よく解らないけどとりあえず手を回して背中を撫でる。部屋でじっとしていたはずなのにほんのり汗をかいているし、心拍が上がっていた。

 

 

「……だから?」

「……っ、ん、む、んんっ!」

「いたたたたたスズカ痛い痛い痛いきゅっきゅっぼんになるきゅっきゅっぼんに」

 

 

 訳は解らなかったが、とにかくスズカは私を万力のような力でしばらく抱き締め続けていた。来年の決着が楽しみだ。果たしてスズカが何バ身つけてくれるのかっていうところで。




日本勢の皆さん

ラスカルスズカ
オースミブライト→世代シャッフルの影響で不在

スティンガー
ウメノファイバー→世代シャッフルだが路線が違うので参加

スエヒロコマンダー
アンブラスモア→問題無く参戦

ステイゴールド→いつもの生き字引


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宣伝するサイレンススズカ

ライス編が近付いてきています。あの子はすぐ空気を重くするからな。


 

「トレーナーさん、見てくださいこれ。凄いですよこのシューズ」

「どれどれ」

 

 

 ある日。スズカが目をきらきらさせて私にくっついてきた。差し出されたスマホの画面に、新発売らしいシューズが大々的に載せられていた。スズカがよく推している会社のものだ。

 

 

「重量が1%減、なんとグリップは5%増でソールが同じという素晴らしいものです」

「1%……?」

「これは大きいですよ。流石です。利益を全部捨てて新商品ばかり作っている会社は違いますね」

「それは会社としてはどうなの?」

 

 

 スズカは走ることジャンキーではあるが、それと同時にトレーニング用品……ちょっと語弊があるな。ランニング用品マニアでもある。シューズとかタオルとか、変わったところではサングラスとかイヤーキャップなんかも。

 

 走るための道具については道具そのものや関連知識、会社情報まで詳しい。就活でもしているのかってくらい詳しい。もしサイレンススズカという名前だけで生きていけなくても、たぶんそういう会社に入れる。まあ大丈夫だろうし、私なり夫なりが養えば良いんだけど。

 

 

「最近失敗続きだったんですよ本当に。これで売れればまたほんのちょっと余裕ができます。半年くらい」

「経営がギリギリすぎる……」

「お金持ちが趣味でやってるらしいですよ」

 

 

 まあ良いものは買わないと、とポチるスズカ。ついでにいくつか買い込んでいる。相変わらずランニング用品については財布の紐がゆるゆるになる子だ。買い支えたいんですと言うのでスズカの財布から出すことにする。

 

 結構な額を買って満足したのかウマッターを開き返信を始めるスズカ。あれから数日、まだ日本のトレンドはスペシャルウィークだ。世界相手に堂々レコード勝ち、しかもそのレコードはスズカが作ったもの……流石にこれは沸かなきゃおかしい。スズカに対しても、スペシャルウィークとのことを聞くリプライが増えてきた。

 

 

「最近またリプライが増えてない?」

「増えてますね……そろそろ面倒だから全部無視しようかなって」

「全無視はやめてあげて?」

「でも返すことなくて……スペちゃんをどう思うも何も、正直に答えるわけにもいかないし……もうっ」

 

 

 スマホを放り投げるスズカ。やることが無くなったようで、んー、と私の肩にすり寄ってきた。手を伸ばして首筋を擽る。んふふ、と小さく笑った。

 

 

「トレーナーさーん……走りたいです……」

「あなたこの後の予定を忘れたの」

「覚えてますけど……ちょこっとだけ」

「あと一時間もしたら出発よ。スズカが三十分で帰ってくるって約束できるなら許すわ」

「……むぐ」

 

 

 もちろんそんなことは不可能なので、何も言えずぐっと背筋を伸ばして私の頬にぶつかってくるスズカ。ぴこぴこと揺れるウマ耳がくすぐったい。少し向いてふっと息を吹き掛けると、わぁ、と仰け反ってからその勢いで私の脚に倒れ込む。

 

 この後何があるかと言えば、スズカの撮影である。とある企業のCMの。あんまり無いことではあるが、何とスポーツ用品のメーカーからのオファーだった。謹慎中の私だが先約は先約なので仕事しても良いらしい。

 

 

「でも撮影って勝負服ですよね……そんなの走らないと服に失礼です」

「お仕事よスズカ」

「むむむむ」

 

 

 肩から尻尾までぎゅっと力が詰まった身体を撫でる。腰辺りに指を突き立てると、んく、と喘いで尻尾を思い切り立てた。

 

 

「何するんですか」

 

 

 拗ねたように言いこっちに向くスズカの鼻先を爪で掠める。すぐに手を取られ弄ばれ始めたので、問題なくスタジオ入りできます、と連絡を入れつつ一応新入生の情報なんかを見ることにしたのだった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「私も来て良かったんですか?」

「事前に言ってあるもの。スカーレットもそのうち来るかもよ、こういう話が」

「自信持ちすぎじゃないですか?」

「そりゃあトリプルティアラウマ娘には来るでしょ」

 

 

 ぐう……と顔を押さえてそっぽを向いたスカーレットは放っておいて。諸々の話を終えて、一応メイクもしたスズカが勝負服でスタジオに入ってきた。

 

 

「トレーナーさん」

「あら綺麗。一割増しくらい」

「あんまり変わってませんね?」

「元が可愛いからね」

 

 

 ありがとうございます、と待機の椅子に座るスズカ。スタジオ……というか撮影用の民家の玄関が今回の撮影場所になる。ヘアセットもちゃんとプロがやっている都合上触れられないので、隣にしゃがむだけにしておく。

 

 PRするのはシューズ。走りに行こうとするスズカがドアを開けたあたりで気付き、新製品のシューズに履き替えて出ていく、というのが撮影部分。あとは録音だ。

 

 まあ、普段のランニングを勝負服ではやらんでしょとは思うけど。いやたまにいるけどね? 勝負服を貰ってウキウキでそのまま走る子も。何ならスズカもそのタイプだし。

 

 

「走りたくなってきました……今走りに行ったら怒られますかね?」

「そりゃそうでしょ」

「んんん……トレーナーさーん……」

「すり寄らないで髪が乱れるわよ」

「でも我慢できないですよ」

「ほら寄りかからないの」

 

 

 顔や頭には触れられないので喉を擦る。スタジオは慌ただしく動き回っていて私達をちゃんと見ているのは私達担当らしい女性社員のみ。まあ触れるくらいしたって良いだろう。

 

 

「あの、サイレンススズカさん」

「んー……あ、はい」

「……その、ファンです。応援してます」

「はい、ありがとうございます。頑張りますね」

「サインとか貰っても良いですか……?」

 

 

 その女性社員もファンだし。スズカほどのウマ娘はトップアイドルにも等しいから、そりゃこうなる。芸能事務所の人とかは線引きしてたりするけど一般の人だからね色紙代わりの名刺にサインを書くスズカ。といってもスズカ本人が凝り性でもないので、崩し字にちょっと飾りがあるだけのものだけど。

 

 

「あの、ら、来年走られるんですよね……?」

「はい、まあ」

「良かった、あの、宝塚記念、どうしても仕事でリアタイできなくて、せめてラストランはレース場で見たいと思ってて」

「ごめんなさい。じゃあ是非見に来てくださいね。ちゃんと勝ちますから」

「あ、ありがとうございます、絶対に一番高い投票券買うので!」

「ふふ。期待していてくださいね」

 

 

 隣に立つ私の足を尻尾で叩きつつも、ファン対応はしっかりやるスズカ。いくら走りたくて心がぱんぱんでもこういうのはちゃんとやらないとね。たぶん向こうもこういうお喋りができる前提で配置してるだろうし、何ならそれが仕事の一貫まであるかもしれないし。

 

 

「サイレンススズカさん、お願いします!」

「あ、ではよろしくお願いします。サイン、ありがとうございました」

「いえ。これからもよろしくお願いしますね」

 

 

 今日のスズカは結構真面目だ。やっぱり外のお仕事というのは大きい。これもスズカの大事な収入源だし。もちろんレースを除けば私ほどじゃないけど、税金の色々を考えるとなかなか貰っている。

 

 しかしいずれは私から離れていくのだから、将来のことを考えるのは良いことだ。まあ考えた結果家を共同名義にしようとか言われたけど。ぜっっっったいに家の名義は単名にするし、結婚する時は売るから。スズカのために家も用意できない男なんかお母さん認めませんよ。

 

 

「何変な顔してるんですか」

「……してた?」

「はい。バカなことを考えていそうな目でした」

「神妙とか言い方あるでしょ」

「いやバカな顔でした」

 

 

 やけに冷たいスカーレット。玄関の方でスズカがカメラを回されていた。普通のシューズで外に出ていこうとするシーン、何かに気付いて戻ってくるシーン、靴箱を開ける中からの視点、そして靴紐を結ぶ指先。うわあ可愛い。びっくりした。これは宣伝効果◎。

 

 

「様になってますね……今まで完成したのしか見たことなかったですけど」

「もう三回目だからねえ。まあスズカの場合は最初からこなれてたけど」

「やっぱり自然体って大事なんですね……」

「あなたはちょっと固い方が良……なんで腕を掴むの」

「公衆の面前で撫でようとしたからです」

 

 

 手首が折れそうになったので撫でるのはやめる。スズカの方に目を向けると、何度かのリテイクとともに順調に撮影を進め、どうやら最後のシーンになったらしい。すぐさま撮影場所まで行って、少しスズカを引っ込めさせてもらう。

 

 

「何かありましたか?」

「いえ、少し、内々の話でして。ごめんスズカ、ちょっと」

「……はい」

 

 

 そのまま更衣室代わりの部屋に入り、鍵をかけて部屋の奥へ。立ち竦むスズカの肩に手を置いて目を見る。

 

 

「トレーナーさん……」

「……スズカ」

 

 

 震えた声で私を呼ぶスズカ。潤んだ瞳が私を少し見上げ、そっと私の胸に手を当てた。まだ何もしていないのに完全に火がついたその瞳を見て、私は吸い寄せられるかのように顔を寄せる。

 

 

 CM最後のシーン。それは、背景は合成といえど外で走るスズカのフォームに注釈が入り、シューズのアピールをするというものだ。音声はプロの声優さんだかナレーターさんだか。とりあえずスズカはただ走れば良い。

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「トレーナーさん……やっぱり今からでも変更してもらいましょう。広い草原を好きに走るシーンに差し替えませんか」

「無理に決まってるでしょ。はい深呼吸。大丈夫よスズカ」

「ふー……ふぅぅー……」

 

 

 スズカの一番嫌いなこと。それはゆっくり走ることである。もちろん常にじゃない。たらふく走って満足しているときに限っては私のランニングの隣で走ることはできる。

 

 ただまあ、それはそれとしてゆっくり走るのは苦痛らしい。当たり前といえば当たり前というか、スズカが走るのが好きなのは誰もいない景色と風を切る感覚と、要するに圧倒的なスピードがあってこその理由だ。だから、それが無いランニングは本質的に全部ゴミということになる。

 

 

「よしよし。もうちょっとだから頑張ろうね。終わったら走っても良いからね」

「むり……むりです」

「打ち合わせの時は我慢できるって言ってたじゃない」

「着たら全然無理でした……」

 

 

 まだ走る準備もしていないのに既に鼓動が加速している。スイッチオンが早すぎるのよね。真剣に、服を着た瞬間からどんどんボルテージが上がっている可能性すらある。

 

 背中をぽんぽん叩いて何とか落ち着かせて、既にぎらついている目を合わせて綺麗に伸びた睫毛を爪で沿って触れる。睫毛は自前なので触れても平気。少しずつ目が丸くなっていくスズカ。

 

 

「もう平気?」

「もうちょっと……」

「ダメよ。待たせてるんだから」

「んんぅ」

 

 

 スズカからの接触でも顔なり髪なりが乱れてしまうのでくっつくわけにもいかず、少しテンションが落ちてしまった。まあこれくらいがちょうど良いだろう。首筋をつーっとなぞって、くすぐったくて少し笑顔になったスズカの肩を軽く叩く。

 

 

「よし、行っておいで」

「ぁぃ……」

 

 

 重ね重ねの説得と仕事への責任感で縛られたスズカは無事CM撮影を完遂した……が、反動で鬼のように食べたし鬼のように走った。なお、CMが放映された時。

 

 

『速さの向こう側。異次元まで』

 

 

 

「……縁起の悪いキャッチコピーだこと」

「ですねえ」

「スズカさん、この製品は使っていないようですが」

「人間用だから……」

「アフレコ上手すぎません?」

「年がら年中演技してるみたいなものだからねこの子。あなたと一緒よ」

「は?」

 

 

 は? じゃないが。



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心配になるミホノブルボン

※ライスシャワーのキャラ崩壊が含まれます


 

 ブルボンさんが回復したみたいです。

 

 

「ご覧くださいマスター。完全復活です」

「……ん、おめでとう」

 

 

 これで全部治ったわけじゃないみたいですけど、看護師さんが言うには、この段階になれば普通に生活できるし、治るのにトラブルも起きないから完治と言ってもいい、そうです。

 

 ところどころ包帯は残っているけど、さっきみんなが来る前にライスがいつも通りお世話しようと思ったらちゃんと抵抗されちゃったので本調子ではあると思います。

 

 

「良かったねブルボンさん……! おめでとう!」

「ありがとうございます。これでまたあなたと走れます、ライス」

「……! う、うん、うん……! 必ず走ろうね、ブルボンさん……!」

 

 

 ベッドに腰掛け、ブルボンさんは私の手を取ります。泣いてしまいそうです。でも、菊花賞の時とは違います。凄く胸が温かくなって、泣いちゃいけないんだって考えが出てきません。

 

 やっとブルボンさんが戻ってきてくれた。戻ってこれた。ライスに勝つためにブルボンさんは壊れる覚悟で走ってくれました。本当に良い勝負で、もし治らなくても私達は後悔しない、けど。それでも、また走れると解ったら、やっぱり。

 

 

「おめでとうブルボンさん」

「ありがとうございます」

「ブルボン先輩……! 良かったです……!」

「はい。ありがとうございます」

 

 

 有マ記念は出られないから、次は来年……できるだけ早めが良いな。中山記念、は、まあライスには短すぎるけど、それでもブルボンさんと走れるならそれでも良いかも……。

 

 

「……よく頑張ったわね、ブルボン」

「……マスター。ありがとうございます。遅くなりました」

「ううん。早すぎるくらいよ……凄いわブルボン。本当に……」

 

 

 本当に泣いちゃいそうだったけど、ライスよりさらに泣きそうな人がいるとちょっと引っ込んじゃいました。ブルボンさんのトレーナーさん。目元を隠して、肩を震わせて、隣のスズカさんに寄り掛かっています。

 

 

 ライスはトレーナーではありません。トレーナーさんもいません。だから、ライスとどっちが、なんて思いません。でも、ブルボンさんとトレーナーさんの仲の良さは見ていればすぐに解ります。よく、ウマ娘とトレーナーを恋人や夫婦に例えることがあるけど、ブルボンさんとトレーナーさんは親子みたいな感じかな。

 

 

「マスター。遅くなりましたが、リザルトです」

 

 

 ブルボンさんも、普通みたいな顔をしていますが本当はそうではないはず。ライスには解ります。菊花賞に勝った時、ブルボンさんはほとんど反応しませんでした。病室で意識がはっきりしている時も、そうですか、くらいのもので。

 

 だけどきっと、ブルボンさんの気持ちは、今なんだ。

 

 

「オペレーション、『三冠獲得』を達成──完遂しました。自己評価D。マスターのご尽力あってこその栄誉です」

 

「──本当に、ありがとうございます」

 

 

 立ち上がって、トレーナーさんの前まで歩いて行って、丁寧に頭を下げました。ブルボンさんはあまりお辞儀をしません。そんなことをしなくとも、言葉や所作で過剰に丁寧に見えるけど。

 

 それでも、深く頭を下げるブルボンさん。トレーナーさんも、そんなブルボンさんを強く抱き締めて、肩で嗚咽を漏らし始めました。

 

 

「違うの……違うのよブルボン……! あなたの頑張りなの、あなたが凄いのよ……よくやったわブルボン。頑張ったわね、凄いわ。偉いわ。あなたは、私の、誇りよ……」

「……マスター。三冠、です。三冠を、とりました。マスター、私、は、すべて、マスターの、」

「ブルボン……!」

 

 

 ブルボンさんとトレーナーさんは、『契約』、をしているみたいです。三冠に挑ませる。その代わり、トレーナーさんの指示には必ず従う。そういう約束だって言ってました。だから、今二人は、一つの約束を守ったことになります。

 

 ……ライスは二人に負けた。だけど、次は勝つ。ブルボンさんはシニア王道路線で間違いないから、それならライスも走れる。次こそ勝って、咲き誇るのはライスだ。

 

 

 でもやっぱり、泣きながら抱き合っている二人を見ると、頑張って良かったと思います。逃げなくて良かった。ライスもブルボンさんも強くなれた。

 

 

「ライス、事前に話した通りです。お願いします」

「うわわっ」

「え、あ、うん。連絡してあるよ。あと……三十分くらい」

「では出発しましょう」

「待って、ブルボン待って持ち上げないで、というかお化粧がぐちゃぐちゃになっちゃっ──」

 

 

 

 ────

 

 

 

『時には運だって必要と言うのなら』

 

『宿命の旋律も引き寄せてみせよう』

 

 

 病院近くのカラオケボックス。ライス達は事前の計画通り、トレーナーさんのため、先取りウイニングライブをしていました。

 

 一ヶ月倒れたとはいえ、ブルボンさんは三冠ウマ娘です。それに、あの菊花賞のウイニングライブはまだ開催されていません。ライスやタンホイザさんも、どちらかが繰り上げセンターなんて認めなかったので、きっとブルボンさんの体調を見ながら今年のどこかで執り行われるでしょう。

 

 

『走れ今をまだ終わらない』

 

 

 だから、その前に、ブルボンさんはトレーナーさんに見てほしいと。ウイニングライブは勝利の喜びを分かち合い感謝を伝えるものです。だから。

 

 

『辿り着きたい場所があるから』

 

『その先へと進め!』

 

 

 センター、ブルボンさん。二着ライス、三着役スズカさん。トレセンから借りた壊しても良いマイクを繋いで、カラオケボックスのパーティールームで練習した振り付けを見せつけます。クラシックに勝ったウマ娘だけに許される、憧れの歌。

 

 トレーナーさんを連れてきて、ウイニングライブを聞いてもらいたいとブルボンさんが言いました。ライスももちろん手伝って、大丈夫だと思うけど、三人分のダンスを撮ってブルボンさん達にも渡しました。

 

 

『涙さえも強く胸に抱き締め』

 

『そこから始まるストーリー』

 

 

 ブランクがあってもブルボンさんのダンスは堂々としていて、本当に、凄い人で。ダービーの時以来、真横で歌うブルボンさんを見て、ライスはとても嬉しくなりました。

 

 

『果てしなく続く──winning』

 

 

 ペンライトは四本だけ。音響は三十分百円ちょっとの設備。割れんばかりの歓声も無いし、スポットライトもモニターも無し。だけど、隣にブルボンさんがいて、この一ヶ月一緒にいて幸せだった、楽しかった人達がいる。

 

 

『──the soul!』

 

 

 そして、ブルボンさんはこれまでに無いくらい楽しそうで──やっと、私とブルボンさんの菊花賞が終わりました。勝ったのはブルボンさん。この結果に後悔はない。ライス達の戦いだから。

 

 ……だから、周りが何と言っても、ライスは揺らがない。絶対に。

 

 

『その足止めるなwinning the soul!』

 

 

 

 ────

 

 

 

「では作戦会議を執り行います」

 

 

 そのしばらく後。正規のウイニングライブも終え、ブルボンさんもトレーニングを始めた頃。学食でお昼ご飯を食べていると、突然ブルボンさんがそんなことを言い出しました。

 

 

「解りました! 私の完璧な作戦をお伝えしましょう!」

「え? あの、え? な、何の作戦ですか……? ステイヤーズステークスの? 阪神カップの?」

 

 

 一緒にいるのはいつもの四人です。私達が揃っていると何故かブルボンさんのトレーナーが目を逸らすという四人です。フラワーさんはしっかりものだけどまだ小さいし、バクシンオーさんはがんばり屋さんだけど時々訳が解らないことをします。

 

 そして、ブルボンさんは真面目だけどたまに信じられない思考に走ります。ライスがしっかりしないと、きっと全部めちゃくちゃになっちゃう……! ま、守らなきゃ……ライスがしっかりしなきゃ……! 

 

 

「な、なんの作戦会議なの? ブルボンさん」

「……はい。これは非常に由々しき問題です。もう時間もありません。少なくとも十二月中旬までには解決しなければ、私は最悪の場合、この学園を去ることになります」

「そんな……な、何があったんですか!?」

 

 

 ……なんだろう、大変なことを言われているんだけど、なんとなく大変じゃなさそう。どうしてかな……ブルボンさんと毎日一緒にいたし、割と数時間ずっとお喋りしてたから……ブルボンさんが勘違いしてるとか、明後日の方向に考えてるのが手に取るように解るよ、ライス。

 

 

 でも、そうではない二人は──フラワーさんは何となく気付いていそうだけど、とにかく深刻にブルボンさんの話を聞くことに。大盛りにんじんチャーハンを食べきって、ブルボンさんはテーブルに肘をおいて組み、口元を隠すように言いました。

 

 

「来年度もマスターとの契約を続行するためには、どうしたら良いでしょうか」

 

 

 解散。

 

 

 

 

 ……いやいや。

 

 

「マスター……トレーナーさんですよね。な、何かあったんですか? ケンカしちゃったとか……」

「おお……それは大変な問題ですね……!」

 

 

 いやいやいや。

 

 

「フラワーさん、バクシンオーさん……話半分で良いかも……」

「待ちなさいライス。私は真剣です。お願いします」

「そ、そうですよね。トレーナーさんとの関係はウマ娘にとってとても大事……頑張って考えましょう! ね、ライスさん!」

「お任せくださいブルボンさん! この私が! 学級委員長の名に懸けて! 円滑な関係をサポートしますよ! さあライスさん! ともに考えましょう!」

 

 

 ダメだ……ここではライスが間違ってる……! 確かに、友達が悩んでいるのに適当で良いよ、とか言っちゃったのはライスがおかしいんだけど……! 

 

 

「それで、何故契約解消の可能性があるのでしょうか?」

「はい。私はマスターと、『三冠出走』を条件に契約しています。マスターはそれを完全に遂行してくださいました。菊花賞前は、正直半ば諦めかけていたのですが、結果として、三冠まで獲得することができました。マスターには、深く、感謝をしています……」

 

 

 その! 顔は! 何! 恋じゃん!!! せめてなんかこう、あるでしょ! 『スズカさんからマスターを奪いたいです』とかの方がまだ納得できるよ! それならでき……なくても応援するよ! 

 

 

「ですが、既に私は契約条件を達成してしまいました。であれば、もはや契約している理由がありません。ですので、また新たな理由が必要です」

「なるほど……でもシニア王道を走るって理由じゃダメなんですか?」

「これまでの私ならそれで可能です。しかし、今現在私は既にスプリンターとして扱われていません。客観的に見て、他のトレーナーでも良いと言われれば反論はできません。スプリンターの私をクラシック路線に出すというのがマスターとの契約でしたから」

 

 

 無いよ!!! 無い!! 無い!!!! 絶対契約続行だって!!!!! なんでそこは客観的に見ちゃうの!! 主観で良いじゃん!!! もう! 

 

 

「じゃあ……えっと、新しい目標を作るってことですよね。今のブルボンさんにとって難しいことの方が良いってことですか?」

「そうなります。あるいは、私の有用性をマスターに示し、手元に置いておきたいと思わせる方法も考えていますが」

「ではともにスプリンターとして私達と戦いましょう! ここはクラシックとはまた違う戦場ですよ!」

「……考慮はします」

 

 

 ライスにどうしろって言うの……? 二人はさあ、あんまりトレーナーさんと会ってないから解らないんだって……! ブルボンさんがどうなろうとあのトレーナーさんがブルボンさんとの契約を解除するわけないんだよ……!? 

 

 きっとブルボンさんも色々思うところはあると思うよ? まあ八割くらい自分が悪いんだけど、スパルタしたとかしてないとかスカーレットさんに煽られまくって、他のメンバーは今もほとんど一緒に暮らしてて、解る、ブルボンさんだけ寂しかったからちょっとネガティブになっちゃったんだよね。ライスは解るよ。なんであの人達一緒に暮らしてるんだろうね。

 

 

「でもクラシック三冠より困難なことなんて……凱旋門とかですか?」

「しかし、距離適性は正常です。芝適応は……モンジューさんの例を見るに不可能ではありません」

「やはりスプリント路線でしょう!」

「……それは、まあ」

 

 

 でもさ、そういうのじゃないでしょ? 絶対に違うよね? 今ライス達、無意味な時間を過ごしてるよね? 

 

 

「あの、ブルボンさん、ライス、そんな心配しなくても一緒にいてくれると思うな。トレーナーさん、ブルボンさんのこと大好きだと思う」

「大切に思われている自覚はあります。しかし、それとこれとは別です」

「何も別じゃないよ」

「ま、まあまあライスさん、ブルボンさんも心配なんですよ、ね?」

「はい」

 

 

 あ、フラワーさんが完全に気付いた。

 

 

「とりあえず、えっと……そうだ、お弁当を作ってみるとか、そういうところから始めてみるのはどうですか? 喜んでもらえると思います」

「なるほど! では好み等を知っていた方が良いですね!」

「確かに……一理あります。聞いてみましょう」

「……うん。ライスも良いと思う。機械とかはライスも手伝うよ?」

 

 

 良かった、流石はフラワーさん。うまく纏めてくれそうです。ブルボンさんも満足げです。

 

 

「……ですが、家事労働についてマスターはほぼ完璧といっても差し支えありません。加えて、マスターは自分が誰かに尽くす方が好みであると話していました。私が作業をすることで、いらぬ心労を与える可能性もあります」

 

 

 そういうのを理解できてるのに!!!! なんで!!!!! 自分のことが解らないの!!!!!

 

 

「そ、そうなんですか……?」

「はい。そもそもよく考えれば、マスターは利害ではなく感情や契約で担当を選んでいます。申し訳ありませんが、有用性を示すプランは非効率かもしれません。撤回します」

「ちょわっ!? ら、ライスさん!? お箸が!」

「あ、ご、ごめんなさい、やっちゃった……!」

 

 

 箸が折れちゃった……でも、ああ、どうして解ってくれないんだろう。そこまであの人のことを理解していて、なんで自分がそこにいるって気付かないの? ライス、もう悪いことを言っちゃいそうだよ。

 

 

「ダート路線に……?」

「それはどうなんでしょう……トレーニングではどうにもならないような……」

「ブルボンさん。大丈夫だって。ライスから見て、ブルボンさん達はずっと一緒だよ」

「ライス。その言葉は嬉しく思います。しかし、マスターはライスが思うより複雑、いえ、難儀……面倒な方です。いつ何があるか予想できません。ですから、確実な楔が必要です……ふふ、本当に、大変な方ですから」

 

 

 ブルボンさんのばか!!!!! 鈍感!!! 朴念仁!!!! にぶウマ娘!!!! ロボ!!!!! わーーーー!!!!! 

 

 

「ライスさん……? どうして突然頭を抱えて……?」

「何でもない……何でもないのバクシンオーさん……ただ、ライスは無力なんだって……こういう時ちゃんと言えない弱いウマ娘なんだって思っただけだよ……」

「それは何でもなくはないのでは……?」

 

 

「やはりスプリント路線を目指すべきでしょうか。しかしそれは私の本来の適性に戻るに過ぎません。マスターの指導が必要という証明にはならない可能性があります」

「まあ、来るなら全力でお相手しますけど……」

 

 

 もうダメだ……ライスはもう何もできないんだ……無力なんだ……ダメな子、ざこ、よわむし……

 

 

「早速マスターに伝えます。マスターから目標を提示していただけるかもしれません。相談に乗っていただき、ありがとうございました」

「あ、はい……また何か困ったら言ってくださいね」

「よろしくお願いします。ではまた」

 

 

 ブルボンさんは立ち去りました。ライスだけご飯を食べ切れていません。まだお昼休みは残っているけど、食欲もなくなってしまいました。

 

 

 ……まあ、あの人達ならライスが何もしなくても何とかしてくれるよね……また遊びに行こうかな。トレーナーさん、ご飯も美味しかったし……

 

 

「ライスさん……?食欲がないのですか?大丈夫ですか?保健室に行きますか?」

「ううん、大丈夫……バクシンオーさん、大好きだよ……」

「ちょわ!?」

 

 

 あと、色々なことはちゃんと言葉にするべきだと思いました。いや、本当に。




ライスの台詞没案

「もうやめようよ!! もうこれ以上悩むの!やめよう!時間がも゛ったいな゛い!!!」

「ブルボンさんのバカ!もう知らない!うわーーーん!ブルボンさんのバカー!!!」

「ばかやろーー!!!!ブルボンさんァ!!!!!何を悩んでる!!!!ふざけるなーー!!!!」

「ブルボンさんの意気地無し!もう知らないから!」


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お手伝いをするミホノブルボン

前後半にしたかったんですが、それをやると後半が真面目一辺倒なのでやめました。長めです。



 

「ん……ぅ、はぁ……よし」

「おはようございます、マスター」

「きゃあぁぁあぁあっ!!?」

 

 

 ある日。朝起きると枕元にブルボンがいた。カーテンが閉まっていて、冬の五時半なんてまだまだ真っ暗で……そんな中に、ただ何もせず座っているブルボン。寝起きの頭が一気に冴えた。反射で事件性のある悲鳴をあげてしまう。

 

 

「んー……何ですか、突然大声出して……」

「え、あ、ごめんスズカ。今洒落にならないくらい驚くべきことが起きたの」

「え……わっ、ブルボンさんいたんですか?」

「おはようございますスズカさん。一時間ほど前に来ました」

 

 

 怖すぎ。どうしてうちの子達は突然奇行に走ってしまうのか? 心臓がばくばくなんだけど。隣で寝ていたスズカも起こしてしまったし、床に寝ているスカーレットも飛び起きた。

 

 

「ひゃっ……ぶ、ブルボン先輩……!? な、なんですか? 寝起きドッキリ?」

「おはようございます、スカーレットさん」

「お、おはようございます……」

 

 

 あくびをして体を起こしたまま私に倒れ込むスズカ。三人とも早起き耐性はあるけど、スズカは時間通り眠るタイプなので寝起きが悪い。膝に寝かせてあげて頭を撫でていると、再び寝息を立て始めた。

 

 

「ど、どうしたの……? 来るなら言って……いや言わなくても良いけどせめて無言で枕元に立つのはやめて……?」

「申し訳ありません。マスターの起床を確認して行動を開始したかったので」

「行動?」

「はい。本日、マスターに私の能力を知っていただこうと考えています」

「……はあ」

「ど、どういうことですか……?」

 

 

 時々意味が解らなくなるブルボンのなかでも、特級に意図が解らない。ブルボンの能力はそれこそ世界で一番私が知ってるけど。というかどんな理由があっても枕元にいられるのはキツいわ。全員に合鍵を渡してるし、私がどうなってようと勝手に入って生活して良いとは言ってるけど。スズカとか勝手に寝てるし、何かあった時のための共用財布もあるし。

 

 私達の疑問には答えず、ブルボンは一礼の後部屋を出ていった。スカーレットと顔を見合わせて、スズカを丁寧に寝かせてからそれを追いかける。

 

 

「お休みスズカ。で、スカーレット」

「アンタスズカさんが寝るとき絶対それ言うわよね。きっしょ」

「愛バが寝るのよ。挨拶したって良いでしょ」

「限度があるでしょ。うたた寝とか二度寝とかでも言うのは流石に気持ち悪いわ」

「なんでそういうこと言うの?」

 

 

 スカーレットの体調を確かめつつ追いかける。キッチンにブルボンが立っていた。

 

 

「調理を開始します」

「え゛……ブルボン先輩、無茶はやめてください。マンションで火事はヤバいです」

「安心してください、スカーレットさん。対策は万全です」

 

 

 エプロン姿のブルボン。さっきは暗くて見えなかったけど、なんで勝負服を着てるの? 今日はかなり極まってるわね。颯爽と傍らに置いていたらしいアイテムを取り出した──オモチャのマジックハンドを。

 

 

「これを使用します」

「いや無理ですよ!」

「問題ありません。シミュレーションは万全です。千切りもこれで行えます」

「それは素手でやんなさいね危ないから」

 

 

 よく解らないけどブルボンがやると言うので任せることにする。既にキッチンに食材やら何やらが準備されていた。この子、今日は何時に起きたんだろう。

 

 スカーレットとリビングで眺めることに。言うだけあって、ブルボンは問題なく料理を進めていた。オール電化なので一歩間違えるとキッチンが全部死ぬんだけど、結局触れなければ良いわけで、スイッチの切り替え以外では調理工程で問題は起きない。杞憂──いや絶対杞憂じゃないわ。考慮しておくべきリスクでしょ。

 

 しかし、レンジや炊飯器の扱いも器用にマジックハンドを使ってこなしている。ブルボンの器用さが留まることを知らない。これで手際まで良かったら私は自信を失っていたけど、流石にそこはね。

 

 

「何か手伝おうか?」

「問題ありません。すべてお任せください」

 

 

 教え子にご飯を作らせるのはまずいとは思いつつ、やりたいならやらせた方が良いとは思うし……いやに真剣な顔をしているのは気になるけど。何の風の吹き回しだろう。スカーレットにも聞いてみるけどやはり解らないようで。後でスズカに聞こうかな。スズカにも解らなければまあ……いやこんなことでご両親に連絡はしたくないな。ただでさえ避けてるのに。

 

 

「トレーナー、今日さ」

「うん」

「見たい服があるんだけど付き合ってくれない? というか車出してよ」

「良いよ。じゃあお昼は外で何か食べようか」

「昼食のレシピも考えてありますが」

「え……まあ良いよ流石に。みんなで食べよう」

「……了解しました」

 

 

 ブルボンのウマ耳がぺたんと倒れた。え? 私が悪い? これ。突然お手伝いに目覚めたんだろうか。もっと何かやらせた方が良い? めちゃくちゃ落ち込んでる。

 

 しかし落ち込みながらも腕が落ちないブルボン。つつがなく調理を終わらせ、寝室に戻っていった。

 

 

「……え、本当に何?」

「お手伝いしたいお年頃なんじゃないの」

「アンタ高等部相手に何言ってんの」

「ブルボンは半分幼女みたいなものだから」

「それは……まあ、そうね」

 

 

 久しぶりに朝何もせずご飯が出されるのを待っている気がする。高校の時以来かな。不思議とそんなに幸せでもないのよね。私も労働に慣れちゃったのかな……それとも、私の魂が教え子達に尽くすことで悦びを感じているかどっちか。重いなあ私。

 

 

「……おはようございます」

「おはようスズカ」

 

 

 調理は一時間弱で、ちょうどスズカの起きる時間になっていた。しかし何とスズカはブルボンに抱かれて起きてきた。なんでよ。

 

 

「力ずくで引き込まれそうになりましたので、力ずくで抵抗しました」

「おーよしよし。おはようスズカ。体調はどう?」

「走りたいです……」

「良さそうね」

「先輩が二人とも幼女なのよね。私もそうなった方が良い?」

 

 

 スズカは私以外に起こされた時、高確率で起こしに来た人をベッドに引き込む。茶目っ気なのか、私に起こされなくて不機嫌なのかは知らないけど。スズカを受け取ってイヤーカバーを着けてあげる。尻尾が腕に巻き付いてきて、体を完全に預けてくるスズカ。

 

 軽く指で髪を梳かしていると、ブルボンがテーブルの準備を始めた。スカーレットが手伝いに行って断られて戻ってくる。

 

 

「先輩が動いてるのに……私は座って待ってろって……?」

「あなたも拗らせてるわね本当に」

 

 

 出てくる料理は私が作るより少し少ないくらい。流石はブルボン、見た目は完璧だし盛り付けも良い。機械にさえ触れなければ、マニュアルを忠実に守ることが要求される分野においてブルボンは最強だ。てきぱきと準備を済ませ、最後に全員分のご飯をよそってくる。

 

 

「申し訳ありません。米のみ一人五杯までとさせてください。ガスコンロを二台しか借りることができず、飯盒が二つしかありません」

「飯盒で炊いたの……?」

「炊飯器は使えませんので」

 

 

 やるわね。私も流石に飯盒は扱えないわ。というかそんなことしようと思わないし。あと私は五杯もご飯食べないから。

 

 

「ブルボンさんが作ったんですか?」

「はい。どうぞお召し上がりください」

「美味しそうね。いただきます」

「いただきます」

「いただきますっ」

 

 

 献立も私が普段作るようなのと……つまり一般的な日本人の朝食のメニューから外れていない。あとは味……あら美味しい。スズカの味とはほんのちょっと違うけど、一口食べてスズカも微笑んでいる。スカーレットは元々そんなにこだわり強くないし、全員が満足できている。

 

 ……というか料理上手いわねやっぱり。結局私みたいなのは正確な分量は量れないからそこら辺が雑になるし、味見もおちおちできないので気合いと勘でやるしかない。もちろんその分、ブルボンはスズカの好みを完全には把握していないというのがあるんだけど。

 

 

「美味しいわブルボン」

「流石ですね先輩は」

「ありがとうね、ブルボンさん」

「何よりです。調理は得意分野ですので」

 

 

 ウマ耳も尻尾もびゅんびゅんにして、どこか誇らしげなブルボン。やたら私の方を見ながら自分もご飯を食べている。やたらと嬉しそうだ。今日は本当にどうしたんだろうか……何か良いことでもあったのかな? 

 

 

「買い物もお任せください」

「え……別に任せるようなところ無くないですか」

「私のパワーならお三方を抱えての巡行が可能です。想定速度は20km/hとなっています」

「いや、車で良いですそんなの」

 

 

 無茶を言うブルボン。確かに勝負服を着ていればそれくらいの速度は出せそう。今後一生子育てはしないけど、お手伝いしたい盛りってこんな感じなのかな。

 

 

「では荷物を持ちます」

「私の買い物だし私が持ちますけど」

「遠慮する必要はありません」

「遠慮じゃないですマジで」

 

 

 黙々と食べるスズカに目線を向けてみるが、微笑んで肩をすくめられた。まあ、スズカが異変を感じていないなら大丈夫か。何か気付いている可能性はあるけど、言わないといけないことはちゃんと言うだろうし。

 

 

「食後、皆さんの身支度をサポートします」

「え゛」

「ライスとフラワーさんで練習しました。ヘアセットから着替え、洗面まですべて行えます」

 

 

 それは私怨でしょ。

 

 

「いや……それは良いかな。私はほら、大人だし」

「私はトレーナーさん以外に髪と尻尾を触って欲しくないです」

「じゃあスカーレットだけってことで」

「ちょっと!? 生け贄じゃない!」

「ブルボンがやってくれるって言うんだからさ」

「……ぐ、ず、ずれたらマジで怒りますからね先輩! 髪には命懸けてるんですからね!」

「お任せください」

 

 

 食べ終わって、洗面所に向かう二人。少し遅らせて私もスズカと行こう。スカーレット自慢のツインテールがどうなっているか楽しみだ。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「なに仏頂面してんの」

「別に……思いの外ツインテールが完璧でキレ損ねたとかじゃないから」

「思いの外ツインテールが完璧でキレ損ねたのね」

「マスターとスズカさんはともかく、スカーレットさんの髪型は私には経験不足でしたので、ライスで実験しました」

 

 

 外出中の車内。完璧にいつもと遜色無いツインテールにされたスカーレットが死んだ目で座っていた。後部座席の片方はそんなんだし、もう片方は褒められまくってうきうきになっている。

 

 そして助手席ではブルボンとのじゃんけんに勝ったスズカが上機嫌だ。

 

 

「じゃあライスさんがツインテールにされたの?」

「そうです。携帯に写真がありますので良ければどうぞ」

「え、見ようかな」

 

 

 ブルボンのスマホのロックを外し、信号待ちで私にも見せてくれる。ツインテールでティアラ代わりのカチューシャを着け、珍しく両目とも見えているライスシャワーがいつものメンバーに囲まれてダブルピースを決めていた。

 

 

「顔真っ赤じゃない」

「問題ありません。ライスも満足してそのまま一日生活──するように強要──しました」

「今怖いこと言った?」

「いえ、特には」

 

 

 スズカ曰く、退院してからブルボンとライスシャワーの仁義無き戦いが巻き起こっているらしい。バトルじゃなくて世話焼きなのが可愛らしいところね。この間は確か、ブルボンがお腹いっぱいご飯を食べさせられて帰ってきたし、その前はライスシャワーの頭に花束レベルの髪飾りがくっついていた。

 

 

「二人も買いたいものがあったりする?」

「新しくシューズが出たんですよ。長距離用なんですけど、走りやすさが段違いらしくて試してみたいなと」

「新しいシューズを買うとまた走るからダメよ」

「じゃあ自分で勝手に買います」

「解った。私が買うから」

 

 

「特に必要なものはありません」

「じゃあ私服をちょこちょこ買おうか」

「……いえ、必要ありません。私にロリータ・ファッションは似合いません。やめましょう。ゴシックも客観的なイメージと正反対です」

「そんなこと言ってな……ああ、ライス先輩か。買ってもらったんですね、ゴスロリ」

 

 

 私も今度やろうかな。ブルボン着せ替え人形。ちょっとスタイルが良すぎて色々制限がついちゃうけど。やっぱりスズカくらいのが一番ちょうど良い。引退したらモデルとかどう? どうせ走り続けるんだから体型も崩れないでしょ。

 

 

「別にモデルのお仕事でも良いですけど。トレーナーさんがこのままマネージャーさんになってくれるなら」

「この話はやめましょうか」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまです」

「ごちそうさま、ブルボン」

「はい。では片付けに入ります」

 

 

 買い物を終えて帰宅。やはりブルボンは特に何も変わることなく、帰ってきてすぐに家事を始めた。掃除やら夕食の準備を黙々とする姿を見つつ、流石に怖かったのかスズカもスカーレットも何とかしろよという顔で私を見ていた。

 

 私としても、まあ。今もブルボンは、私達が口を挟む前にテーブルから色々を片付けていった。食べている最中もやっていたし、いや、助かるしありがたいんだけど、一応保護者として凄く複雑。

 

 

「ブルボン?」

「はい」

「手を止めてこっちに来れる?」

「はい。すぐに行きます」

 

 

 ブルボンを呼びつけると、スカーレットがやや怯えた位の顔で指を突き立ててくる。

 

 

「トレーナー。マジで何とかしてよ。先輩に尽くされたら私は死ぬわ」

「あ、うん。何とかするよ」

「お願いよ。スズカさんは私がお風呂に入れておくから」

「あの、何か勘違いしてない? 私はトレーナーさんと一緒に入りたいだけで、一人じゃお風呂に入れないダメウマ娘扱いは心外なんだけど……」

「良いから行きますよ。洗ってあげますから」

「ブルボンさんに尽くされたからって私で発散しないで……解った、行く、行くから引っ張らないで……!」

 

 

 結構強引に連れていかれた。普段から、この三人は加入順のパワーバランスだと思っていたけどこれは撤回かしら。欲望が溜まっている順かな。

 

 二人が去って少しして、ブルボンがリビングに戻ってきた。ソファの隣に座らせて、向き合って頭を撫でる。

 

 

「今日は一日ありがとうね。凄く助かったわ」

「いえ」

 

 

 強めにぐしぐしすると、ちょっと首を引っ込めてされるがままになるブルボン。ぴこん、ぴこん、と振れながら、ウマ耳が私の手を避けていく。頭から頬に降りて目元を親指でなぞったくらいで、ブルボンが私の手を取った。

 

 ブルボンにしては珍しく、掴んだ手を引いて両手で握る。数回自分の頬に触れさせて、それから、胸元に持っていって押し付けた。

 

 

「マスター」

「ん?」

 

 

 もちろん、何かがあったことなんか解る。目を伏せて私を呼んで、それから数分、ひたすら続きを待った。その間ずっと、私の手は痛いくらい握り締められていた。

 

 

「本日、ご理解いただけたかと思いますが」

「うん」

「私の能力について、私は、方法の確立している行為であり、機械に触れることが無ければ、一定以上の成果をお約束できます」

「うん。助かってるわ」

 

 

 ぐっと私の手が沈んでいく。

 

 

「また、マスターほどではありませんが、スズカさんのことも理解しています。お二人にとって有益な存在である、と、考えています。いかがでしょうか」

「何が?」

「……それは、その」

 

 

 少し意地の悪い話だけど、こうして話してくれたなら、最後までブルボンの自意識で話させるべきだ。言い淀み、口をぱくぱくと軽く動かすブルボン。少しでも勇気を出して欲しくて、余った左手を頬に添えて唇を拭う。

 

 また数分経って、はっとしたようにブルボンが少しだけ顔を上げた。ぶんぶん尻尾を振って、私というか、私の手を見て息を詰まらせる。

 

 

「加えて、私はレースにおいても良好な成績を残すことができます」

「そうね」

「マスターのお力添えさえあれば、私はどんなレースでも走破できます。アイビスサマーダッシュからステイヤーズステークスまで対応可能です」

「……そう」

 

 

 アイビスサマーダッシュは無理でしょ。

 

 

「身体の丈夫さにも自信があります。本格化がいつまで持続するか確約できませんが、続く限りは走り続けることができます」

「ブルボン、私は」

「マスターの給金に私の賞金の一部が充当されていること、私の成績に応じて加給金が支払われていることも鑑み、これも私を手元に置くメリットだと考えています」

「私はね」

「それから……それから、……そして」

 

 

 畳み掛けるように続けてくるので、私も諦めて無視して抱き寄せた。ブルボンは視線を伏せて、珍しく悩ましげに目を泳がせている。少しずつウマ耳が倒れていく。どんどん引き寄せるので私の手がブルボンの身体に沈む。そこそこ大きなそれがあってなお、物凄い音を鳴らす心臓が感じ取れた。

 

 

「もう無い?」

「……私は、可愛いです」

「メリットなの? それは」

「私は可愛くないですか?」

「んー可愛いねえ。過去一番可愛い」

 

 

 物凄く声が小さくなってしまったブルボンを引いて抱き留める。手は放してくれないので挟まれる形になった。それでも構わずブルボンを胸に埋める。

 

 

「ブルボンが可愛いから、どうしたの?」

「……その、ですから」

 

 

 過去に無いほど声の震えたブルボンが、私の胸元で呟く。完全にへたれたウマ耳を頬で撫でる。また数分して、ブルボンは私を見ないまま言った。

 

 

「たくさんの、利点がありますので」

「うん」

「……来年度も、契約を続行して頂けませんか。これからも、マスターのご命令のもと、頑張ります、ので。目標を設定し、またマスターと」

「良いよ。というか別に解除しないよ」

「……え」

 

 

 この困惑の言葉もかなりレアね。大体この子は困惑させる側だから。

 

 

「ブルボンが大事だから、ブルボンが私に言うまで解除はしないよ。毎年ちゃんと更新するし、一緒にいたいからさ」

「……マスター」

「別に、一年くらいブルボンが走りたくないってならそれでも良いし。努力してGⅠは疲れたから、適当にGⅢやOPで、って言うならそれでも良いと思うし」

「それは、いえ、私は」

「とにかくブルボンのことが大切だから契約は続行するわ。何かあればあなたから契約を切りなさい。私からは切らない。解った?」

 

 

 目だけ見上げるブルボン。いまだ私の手を握って、少しだけ立ち直ったウマ耳を揺らす。ぐ、とさらに自分を押し付けた後、ゆっくり目を閉じた。

 

 

「……解りました。マスターの『大切』でいられるよう努力します」

「何もしなくても一生大切よ。こんな私の隣にいてくれるだけでね」

 

 

 母性が溢れそう。生涯独身で良かった。絶対私子供をダメにしちゃう。ブルボンが愛しくて仕方がない。ブルボンにとっては真剣だったのかもしれないけど、私からすればそんなわけがないのに、捨てないでと、この子達はどうしてこう、こんなに愛らしいんだろう。

 

 

「ごめんねブルボン。不安にさせて。私のこと、信じられる? 私はブルボンを捨てないし、契約解除もしない。言葉じゃ不足?」

「……いえ、十分です。失礼しました。取り乱しました」

 

 

 平静に戻った……なんてことはなく、ブルボンは変わらず私に抱きついたままだった。それでもウマ耳はぴんと立ってご機嫌に左右に動いていたし、尻尾も景気良く振られていた。スズカがそうするようにおでこを私に擦り付けて、しばらくブルボンはそのまま、時々私の背中を叩くみたいに確かめながら動かなかった。

 

 

 

 ────

 

 

 

「大変でしたね」

「……何。聞こえてたの」

「そりゃまあ。シャワーを流してるならともかく、普通に入ってただけですし」

「そう」

 

 

 その夜。ベッドの中でスズカが言った。全部聞こえていたらしい。それにしては無反応だった気もするけど。

 

 

「私だって空気くらいは読めます。それに、そんなに心が狭いわけでもないですよ」

「いたたたたた、スズカ痛い、力強いって」

 

 

 言葉に反してめちゃくちゃな力で抱き締められ骨が軋む。少し前までブルボンに優しく叩かれていた私の背中が、スズカには強く掴まれるみたいに擦られている。

 

 何をどう見ても明らかに拗ねているスズカが、唇を尖らせて私を見上げる。ウマ耳を絞って、むむ、と喉の奥の方で唸る。

 

 

「ブルボンさんが過去一番可愛いんですもんね」

「ブルボン史上過去一番可愛いって意味で、別に全員含めて一番だなんて言ってないわ」

「じゃあ私が一番可愛いんですか?」

「それはもちろん──」

「……マスター」

 

 

 ぴた、と後ろから手を置かれる。後ろには久しぶりにブルボンがいる。ブルボンは早々に寝てしまうしなかなか起きないので背中を向けていたんだけど、どうやら起こしてしまった……いや、今の私達の音量で目覚められたらどうにもならないって。

 

 

「そうなのですか」

「え、いや、あの」

「スズカさんの方が上ですか」

「ふふっ……もちろんそうですよね? ……くくっ」

「ひぇ」

 

 

 前にも後ろにもメンヘラがいる。何だこれは……私が何をしたっていうんだ。いや、これはスズカが悪いわね。この子は普通に面白がってる。私の胸元でくすくす言ってるし。機嫌良いなあ。

 

 

「どっちですか、トレーナーさん」

「……マスター。私も理解しています。スズカさんでしょう」

「はぇ」

 

 

『圧』が前後から送られてくる。わざとらしくブルボンもくっついてきているところを見るに、ブルボンはブルボンで楽しんでいるわね? 違うよと言えという重圧が来ている。助けてスカーレット。

 

 

「トレーナーさん」

「マスター」

「ぁ……あ……お、おやすみ……」

 

 

 強引に目を閉じた。しばらくの間、私の頭は二人にもみくちゃにされていた。




なお前回で全員がご理解いただけているとは思いますが、こんなもん本気で心配してるのはブルボン(とバクシンオー)だけです。


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可愛さでごり押すサイレンススズカ

ブルボンの情緒が大幅に育っている +3050

そろそろステイヤーズステークスから有馬ですかね……


 

「マスター。一つご提案があります」

「ん」

「私も本調子に戻りましたので」

「うん」

 

 

 ある日。いつも通りトレーナー室で過ごしていると、ブルボンが入ってくるなりそう言った。私の膝で横になるスズカの尻尾を弄りながら、ぱたぱたと動く脚を眺める。

 

 

「特別メニューを実施します」

「しません」

「します」

「しません」

「走ります」

「走りません」

 

 

 突然下からも入ってきた。ぐるんとひっくり返って、腹筋で起き上がって私の顔を持ってくる。怖い。やらないのは解っていても、この子のパワーなら私の首くらいすぐに飛ぶのよね。だから両手で持つのはやめよ? 本能的な恐怖が来るから。

 

 

「しかしマスター。三冠ウマ娘として健在をアピールすることは急務かと思われます」

「何もしなくてもブルボンは三冠ウマ娘よ」

「……、そうではありません」

 

 

 三冠ウマ娘と言われると反射で喜んで尻尾とウマ耳が反応してしまうブルボン。さらに可愛いことに、私に言われるとさらに嬉しいらしい。少しずつメディア仕事も増えてきたが、インタビュアーに聞かれる度に反応してるし。あー可愛いねえ。

 

 

「そもそも健在アピールを学内で内密にやるトレーニングでやってどうするの。そもそも一応あなた全治はしてないし。その腕の包帯は何か言ってみなさい」

「これはファッションです」

「お母さんそんなの許しませんよ」

「ふふっ」

 

 

 怪我率は無いとはいえ、元からやりたくなかったことを怪我復帰直後のブルボンにやるのは気が引ける。来年はまた迫り来るライスシャワーをスパルタで何とかする……菊花賞は何ともならなかったんだけど、何とかする日々が始まるのだから、それまで休めばいいのに。

 

 ……まあ、休みなく鍛え続けるのが最適解なのは理解しているけど。普通のトレーニングはやるし、ブルボンの普通は既に他人のスパルタなんだからさ。わがままでごめんね、本当に。

 

 

「では私はどうすれば」

「いや普通のトレーニングをして?」

「ブルボンさん負けないで。一緒に走りましょう」

「なんで自分は走れるみたいになってるの。ダメだから」

「お願いしますトレーナーさん。ちょっとだけですから」

「ちょっとでもダメー」

 

 

 頬をつねられたのでつねり返す。スズカの方が柔らかいしよく伸びる。これが若さね。そのままぐしぐしして変な顔をさせながら膝の上に戻す。抵抗して起き上がろうとするのを押さえ込む。よっ、という軽い言葉と共に、何と私の身体ごと起き上がってきた。

 

 

「あっぶな」

「危ないのはトレーナーさんです。良いんですか、私とブルボンさんが爆発しても」

「爆発しないって」

「でも見てください。ブルボンさんが爆発寸前です」

「起爆シークエンス作動中。警告。警告。三十メートル以上離れてください。自爆します」

「ほら……ふふふっ」

「ほらじゃないが」

 

 

 離れろと言いつつ近付いてくるブルボンを掴み、転がって私と入れ換える。スズカと合わせて押し倒し、二人並べてソファに転がす。

 

 普通に落ちそうで危ないのでスズカがブルボンを支える形になる。愛バサンドイッチの構え。もちろん挟まれると私の理性と体裁とが死ぬので入らないけど。

 

 

「酷いですトレーナーさん。ブルボンさんはこんなに頑張りやさんなのに。とても真面目な子なんですよ」

「マスター。趣味は人間にとって生きる糧です。それを奪うのは人道に反します」

「相互で来ないで。あなた達そんなにコンビネーションできるタイプじゃないでしょ」

 

 

 わざとらしく頬をくっつけよってからに。可愛ければ何でも良いと思ってるでしょいや可愛いな。写真撮ろ。あーダメダメ、可愛すぎますこんなの。私が挟まらない理由が変わってきます。抱き合って顔をくっつけるのはダメです。

 

 

 パシャ。

 

 

「撮影料はランニング50kmです」

「同じく坂路三本です」

「ここぞとばかりに来るわね」

 

 

 ややふざけているスズカ、結構楽しんでいるブルボン。しばらく病院にいて、流石のスズカも病院ではいつも通りの走りたがりはやらない……やらない(当社比)ので、このやり取りに参加できているのが嬉しいのかもしれない。

 

 とはいえ、承諾したら絶対にやることになる。そこは間違いない。うちの子達は適当に話していようが会話の流れだろうが何だろうが、走って良いと言ったが最後走りに行く。絶対に。

 

 

「三分ごとに追加で坂路一本の利子をつけます」

「良いわね。私も利子をつけますね。一分につき10kmずつ」

「ブルボンに比べてスズカが暴利過ぎる……」

 

 

 ぱぱっと服を直して、スズカを膝に乗せていた都合で置いていたコーヒーカップを手に取る。こういう時こそ落ち着いてツッコミをいれていかないと収拾がつかなくなることを私は知っている。しっかり冷静にならなければならないのだ。

 

 

「今日の勝利のめーがみはー」

「私だけにちゅーする」

「するー」

 

 

 ん゛っ(不整脈)

 

 パシャ

 

 

「いけるわブルボンさん。このまま押せば今日は青空の下でランニングよ」

「ミッション把握。マスターを『悩殺』します」

「悩殺は私がするからそこまではしないで」

 

 

 このっ……この、なんだ、この……! ダメだ、ここで負けてはいけない。押せばいけるちょろい女だと思われてはいけない。私はそんなに安くないんだから。ガードが固いで有名だったんだから。

 

 

「今日のステージのめーがみはー」

「私だけにぎゅっとする」

「するーっ」

 

 

 あ゜(心不全)

 

 パシャ

 

 

「うぐぐぐぐ」

「トレーナーさん? どうしました?」

「マスター。お願いします」

「んーっ!」

 

 

 たすけてすかーれっと。わたしふたりにやられる。

 

 

「お疲れ様ですトレーナーさん。ここで待っててウオッカ」

「おー。早くな」

 

 

 スカーレット!? 

 

 

 私の理性が崩壊する前に、三女神に祈りが届きスカーレットが現れた。扉を閉めた瞬間いつもの彼女に戻り、棚の方へ歩きつつこの惨状を見ている。

 

 

「えっと……どういう状況ですか」

「マスターをステータス『可愛い』で押して、本日のトレーニングを特別メニューに変更していただこうとしています」

「えっ特別メニューやるんですか? それは……ちょっと、ウオッカに今日の予定断って来ようかな」

「スカーレット?」

「可愛さで押せば良いですか?」

「スカーレット!」

 

 

 救いの手が上から降りて、沼で溺れる私の頭を押さえ付けてきた。なんてことだ、もう逃げられない……哀れトレーナーは愛バ達の可愛いの奔流で死に至るのです。

 

 

「待ってスカーレット。あなたまで参加したらもう取り返しがつかなくなるわ。ただでさえ今めちゃくちゃなんだから」

「……いや、まあ別に私可愛い子ぶるの得意じゃないし。普通に恥ずかしいからやめとくわ」

「えー……良いじゃないですかスカーレットさん。私達が走れるかどうかの瀬戸際ですよ」

「こんなことに瀬戸際って言葉を使わないでください。瀬戸際の人に失礼ですよ」

 

 

 良いぞスカーレット。私はしゃがんで深呼吸をしてるからそのクレイジーキュート達の相手をしておいて。あとあなたが可愛い子ぶるのが苦手かどうかは後で話し合いましょう。

 

 

「私達は命を懸けているのよ」

「走れなくても死なないんですよ」

「む……がっかりです。スカーレットさんは解ってくれると思ったのに。やってやりましょうブルボンさん」

「はい」

「……私に可愛さのごり押しが通じると思わないでくださいね。それで堕ちるのはああいう狂人だけです」

 

 

 スカーレット? 

 

 

「ブルボンさん」

「はい。……む」

「……ふふん。今さら睨んだくらいで私が怯むと思ったら」

「え?」

「……お、おお、おおおまちがいなんだからね」

 

 

 ブルボンまでは耐えたがスズカの圧には怯んでしまった。やはりスズカのはレベルが違う。気性もあるのかな。

 

 

 おおむね自分を落ち着かせることができたので、立ち上がって、震えながらスズカ達にメンチを切るスカーレットを後ろから支える。気丈に二人を睨み付けてはいるが、身体が完全に私を求めてすがっている。怖いねえあの二人は。ブルボンとか感情表現が薄いみたいな話だったはずなんだけどね。顔が良いから、ぶりっ子しても睨んでも破壊力が高いのよね。

 

 

「スカーレットは何をしに来たの」

「あ、ああ、うん、あの、タオルを取りに来たんだけど」

「……ミッション失敗。マスターへ要求が通りませんでした」

「待ってブルボンさん。もうちょっと頑張りましょう。まだ可能性は残ってるわ」

「ウオッカと一緒にトレーニング?」

「いや? アイツが忘れたって言うから渡すだけ。持っていって良いですか?」

「ん、良いわよ。それでトレーナーさん。走らせてもらえるって話でしたけど、日付が変わるまでには帰りますね」

 

 

 部屋のタオルは九割がスズカのものなので、当然許可はそっちに行く。一通りが終わったことでブルボンは見切りをつけて諦めてしまい、仲間を失ったスズカがそれでも抗おうと平気な顔をして決定を押し付けてきた。こういう方向性で押される分には問題なく流せる。私は可愛さに弱いのだ。涙と圧は大丈夫。

 

 

「そんな話はしてないけど」

「しました。トレーナーさんが覚えていないだけじゃないですか?」

「それで押し切れると思ってるの?」

「押し切れる? いえ、話をしたのは事実なのでそういうのではないですけど……」

「嘘はどんなに突き通しても嘘よスズカ」

「百回言えば現実になると聞いたんですけど……」

「なりません」

 

 

 そんな……と倒れていくスズカの横に座り、頭を腿に乗せておく。むー、なんて呻きながらくるくると回ったり、私のブラウスを出して引っ張ったり。伸びちゃうからやめてね。

 

 一方ブルボンは特に消耗があるわけでもないのに定位置たるベッドに腰掛けている。

 

 

「ウオッカさんは阪神ジュベナイルフィリーズでしたか」

「はい、そうですけど」

「マスターから見て、ウオッカさんはいかがですか」

「え? いや……しばらく会ってないし見てないから何とも。どうして?」

 

 

 最後に見たのも随分前だし……今もドアの外にいるんだろうけど、わざわざ見に行くのもね。何ならその直後に評価するのもおかしくない? スズカやブルボンはあほだから気が付かないかもしれないけど、スカーレットは怪しむでしょ。

 

 ちょうど良いのが見付からないのか探し続けるスカーレット。そこに、ブルボンが直球をぶつけていった。

 

 

「スカーレットさんも心配なのではないかと思いました。私も、ライスの次走が心配ですから」

「んんぐっ……い、いやいや。ブルボン先輩。心配とかないですから。なんで私がアイツの心配なんかしなきゃいけないのか解らないっていうか」

「そうでしょうか? 心配しているように見えます。いえ、私の勘違いなら構いませんが」

「か、かかか、勘違いですよ」

「心配しすぎでしょ」

「心配してない!」

 

 

 せっかく選んで取り出したタオルを私に投げつけるスカーレット。膝上から手を伸ばしたスズカがキャッチ。ムチみたいに私を叩き始めたのは無視して、ちょうど楽しいのでスカーレットに笑いかける。

 

 

「別に心配したって良いでしょ」

「いやっ……だからあ……っ!」

「友達のレースくらい誰だって心配になるわ」

「そうじゃなくってえ……!!!」

 

 

 うんうん、と頷いていると、顔を真っ赤にしたスカーレットが手に取った新しいタオルを握り締めて私にキッと視線を向けた。あ、これは怒鳴られるな、と私が軽く考えている最中、部屋のドアがそっと開き、スカーレットが大きく息を吸った。

 

 

「スカーレッ──」

「ウオッカは絶対勝つから心配なんかしなくて良いってんのよ!!!! バカ!!!!!」

「──ト……」

 

 

 ウオッカが、顔を出していた。

 

 

「なっ──」

「あ」

「あーあ。トレーナーさんのせいですよこれは」

「ええ……自爆でしょこんなの」

 

 

 ウオッカが、話を聞いていた。

 

 

「いや……おう、うん、か、勝つぜ。まか、任せとけよ、うん。うん? うん」

「ちょっ、ちが、これはその……っ」

「いや! 待て、わかった、何も聞いてねえ、から。うん。何も聞いてないぞ」

「あ、あ、あああ、あっ」

 

 

 さらに茹でタコみたいになって両手をあわあわと振り回すスカーレット。これは誤魔化せないでしょうね。ここから誤魔化せたら大したものだわ本当に。何ならウオッカも顔真っ赤だし。可愛いわね二人とも。

 

 しばらくわちゃわちゃしていた二人だったが、しばらくするとスカーレットが耐えられなくなり、ばん! とテーブルを殴りつけた。

 

 

「別に! 私は! 別に!」

「解った! よし! 帰る! お疲れした!」

 

 

 ウオッカが走って出ていった。残されたのはどどどどど! とテーブルを叩くスカーレットだけ。あああっ!! と悶絶して一頻り暴れると、大丈夫ですか? とブルボンに聞かれてふらふらと立ち上がる。

 

 

「……アンタのせいだから……!」

「え」

「アンタが変なこと言うからこんなこと言っちゃったのよ、バカ! どうしてくれんのよ!」

「うわわ」

 

 

 そして、そのまま私の胸ぐらを掴む……掴むというか、縋るみたいに私にまたがって抱きついてきた。

 

 

「直接言うつもりじゃなかったのに、ばかぁ……!」

 

 

 み゜(心臓発作)

 

 

「あっトレーナーさんが倒れた」

「流石ですスカーレットさん。これがスキル『ギャップ萌え』ですか」

「狙ってやったみたいな言い方やめてください!」

「今なら朦朧としてるから許可してくれるんじゃない? 聞いてみましょう」

 

 

 

 許可した。




???「マーチャンもいます。マーチャンです。よろしくお願いします」


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周りを巻き込むミホノブルボン

エルナトは日常会話で煽ることが多いので、お互いにラインを完全に把握している。ただたまにわざとライン越えすることもある。


 

「マス──マスター。よろしいですか?」

「ひぃっ」

「ああ、うん。すぐ閉めてブルボン。いらっしゃいライスシャワー」

「こ、こんにちは……え? おかしいよね? 今」

「適当に座ってください」

 

 

 ある日。私はスズカをお仕置きするべくロープでぐるぐる巻きにしてソファに転がして太鼓にしていた。たまたまテレビのCMで草原を走る動物達の映像が流れてしまったからかもしれないが、昨晩スズカは走っていった。

 

 全てを無視して走るのは本当に久しぶり──でもない。割と十日に一度くらい暴走している。

 

 

「た、たた、た、たす、たすけ、助けてくださ、ぶる、ぶるぼ、ブルボンさっ」

「た、助けてあげないと、ブルボンさんっ」

「いえ、こちらの用件が優先です」

「ええっ!?」

 

 

 流石はブルボンという感じで、ライスシャワーを引き連れて部屋に入ってくると、何も指摘することなく鍵を閉めてくれた。ライスシャワーだけは混乱しているけど、まあ病室ではここまでしてないからね。

 

 

「い、良いの? 助けなくて……」

「気にしないでください、ライス先輩。どうぞ」

「あ、ありがとう……」

 

 

 ……でも、混乱しつつスズカに手を出すんじゃなくてブルボンに言われるがまま座ってしまうのは流石だと思う。そういうの遠慮しそうな性格だと思うんだけど、スカーレットがお茶を淹れても普通に一番に飲んだもんね今。結構図太いでしょ君。

 

 

「ま、ままま待ってください、いいい」

「聞き取れません」

「!?」

「言いましたねー今。一刀両断でしたよ」

 

 

 ばっさりいかれてスズカが大人しくなった。安物の縄を引きちぎって私に抱き着いてくる。勝手に抜け出さないで、と腕を組んで拒否すると、そのまま丸まっていじけた。

 

 

「で、用って何、ブルボン」

「はい。数日後のステイヤーズステークス、そしてその後の有マ記念にライスが出走します。是非勝って欲しいと考えています」

「そうね」

 

 

 ブルボンと競合しない範囲ならいくら暴れてもらっても良い。願わくば来年はブルボンとの直接対決は全て避けてくれないかな。ブルボンはシニア三冠に行くから、それ以外全部あげるよ? 

 

 

「以前の約束もありますので、ここはマスターからライスへ、特別メニューの実行を提案します」

「却下」

「ほら、だから言ったよねブルボンさん! 普通やってくれないよ!? どこのトレーナーさんがライバルに秘伝の特訓をするの!?」

「スパルタを秘伝みたいに言わないで?」

「違ったの? てっきり一子相伝クラスのものだと思ってたけど」

「親は会社員だし私は末代なのよ」

 

 

 一応、結構そういうトレーナーもいるけどね。アドバイスとか。ウマ娘はスポーツマンシップの塊だ。ライバルが強ければ強いほど燃える子がほとんどだから、ライバルとも平気で合同トレーニングはするし、短期移籍もまあ無いわけじゃない。

 

 ……ただまあ、同じくウマ娘は独占欲の強い種族なので、そういうことをするとたとえ同意があってのことでも担当ウマ娘から強めの感情を向けられることもあるらしいけど。

 

 

「トレーナーさん……話が長くなりそうなら走ってきても良いですか」

「ダメ。というか昨日走ったでしょ」

「それは昨日の私ですよね。今日の私は走ってません。別人です。ウマ娘は毎日進化しますので、今の私なら昨日より気持ち良くなれると思います」

「私にはあなたが劇的に速くなったようには見えないけど。元から最速なんだから誤差でしょ」

「褒めたって誤魔化されませんよ。走ります」

 

 

 これはなんかまたちょっと違うやつね。

 

 

「どうするのブルボンさん」

「任せてくださいライス。私はこれでもエルナト二番目のウマ娘、つまり古参です」

「三人しかいないのに……?」

「半分より早いですから」

「いやぴったり半分じゃない……?」

「年代まで考えると半分より後じゃないですか?」

「とにかく任せなさい。マスターやスズカさんについて私はプロフェッショナルです。三冠ウマ娘に不可能はありません」

「ライス今日はずっと心配だよ。ブルボンさんがその感じで任せなさいって言ってトラブルが起きなかったことないもん」

 

 

 こちらに向き直るブルボン。作戦会議は終わった? どういう結論が出たのかしら。

 

 

「マスター。ライバルであり最大の脅威であるライスの強化を避けるのは理解できます。私も恐怖を感じないわけではありません」

「でしょう? 私は何も意地悪で言ってるんじゃないのよ」

「勇気を出してくださいマスター」

「こっちに来なさい」

 

 

 ブルボンを呼びつけ目の前に立たせ、その柔らかな頬っぺたをつねる。両方からむにぃと伸ばしたが、真顔で頬だけ引っ張られたブルボンが変わらず続ける。

 

 

「私が煽りに乗ると思ったら大間違いだからね」

「怖いのですか、マスター。ライスが強化されれば私が負けると?」

「え、うん」

「……三冠、ウマ娘なのですが、いえマスター、想定されていた返答ですが、その」

「あごめん。本当にごめんねブルボン! ブルボンが強いわよ! 負けない! 大丈夫!」

 

 

 いけね。つい流れで普通に答えてしまった。嘘は言っていないしもっと真面目な雰囲気なら許されただろうけど、これくらいの軽口のなかで言うのはまずかった。

 

 

「問題、ありません。想定内の、解答です」

「ごめん! 大丈夫! 大丈夫よブルボン! ブルボンが一番強い! ね! 三冠ウマ娘だもんね!」

「……ふーん」

「へー……」

 

 

 お願いだから静かにしててややこしい。負けん気とこだわりが強すぎて面倒くさいってこの子達。静かに寄り添ってプレッシャーかけるのやめて。スカーレットまで。そんな、寄り掛かって耳元で囁くタイプじゃないでしょ。

 

 想定内と強がりつつ明らかに動揺しているブルボンをふにゃふにゃになるまで撫で回してから解放する。私の左にいたスカーレットをパワーで一人分退かして、そこに座った。

 

 

「確かにライスは脅威です。ですが約束は約束です」

「いや、私は約束してないから」

「マスターは保護者と聞きました。私がした約束を負う義務があるはずです」

「それでいうと契約を反古にする権利もあるわよ私は」

「……ブルボンさん? やっぱりライスいいよ? そりゃ一回くらいやってみたいなあと思ったし、ブルボンさんと一緒に走れるのは良いことだけど……できないこともあると思うし」

「……解りました。やり方を変えます。オペレーション『後先考えない』に移行します」

 

 

 作戦名が怖すぎる。

 

 

「何をする気? 負けないわよ私は」

 

 

 ふふん、と自信たっぷりに来るブルボンが可愛いなあ、と思いつつ、一応ファイティングポーズはとっておく。しかしブルボンは私を無視して、スズカに向いた。

 

 

「……スズカさん。私は三冠ウマ娘であり、ライスはそれに比肩する実力を持ちます。つまり、私達はスズカさんよりも速」

「表に出てブルボンさん」

「ちょっと?」

「スカーレットさん。スカーレットさんは、根性に自信があるようですが──ライスはあなたより上です。もちろん私も」

「……あ゛? いくら先輩でも言って良いことと悪いことがありますよね? 上等じゃないですか。目に物見せてやりますよ」

「見なさいライス。これで私達が多数派です」

「ライスを入れないで! ライスは何も言ってない! ライスは知らない! ライス帰る!」

「待ちなさい。この状態で置いていかないでください」

 

 

 煽っておいて怖がるブルボン。逃げようとするライスシャワーを掴んでずるずるとドアの方へ引きずられていく。もはや止めようのない『圧』。スズカとスカーレットが無言で服を脱いだ。

 

 

「あーあ……何てことしてくれたのブルボン」

「ミッション達成です」

「巻き込まないで! 巻き込まないで!」

「私達は親友ですよね?ライス」

「泣きそうになるくらいならやめようよ……!」

 

 

 ライスシャワーもかなり気迫があるタイプの子だと思っていたけど、流石にこの二人の圧にはビビるんだ。というか、そもそもが気弱なのかな? 本当に、弱いのか弱くないのかよく解らない子ね。

 

 

「さあ行きましょう。すぐに千切ってあげるわ」

「着替えるの早すぎない?」

 

 

 まだ下着姿で制服をかけているスカーレットと、既に全てを終わらせてジャージになっているスズカ。気持ちが完全に入っているようで、異次元の逃亡者としての顔で一歩ずつブルボン達に向かっていく。

 

 遅れてスカーレットも、面倒になったのか制服を投げ捨てて着替えて付いていく。ドアを開けようとするライスシャワーと、ノブを上から掴んで抵抗するブルボン。なんだここは。地獄か? 

 

 

「ブルボンさん、どうしたの? 外に出て? 何秒追い縋れるか見てあげるわ」

「ま、マスター」

「はいはい。落ち着いてスズカ。怖すぎるから」

 

 

 そんなスズカを後ろから抱えてソファに引き戻す。二人とも怒ってるとか、仲が悪いとかじゃないんだけどね。どうしても一番煽りは効くのよね。ギラギラの目付きを手で覆い隠して胸に手を回すと、鼓動がエンジンが掛かっているように高鳴っている。強めに抱き着くと、少しずつゆっくりになっていった。

 

 

「離してくださいトレーナーさん。もはや言葉はいらないはずです」

「まあまあ。やらなくても解る勝負でしょ」

「む……むぐ」

「そもそもあなたお仕置きの途中だからね。解ってるの?」

「あんなこと言う方が悪いじゃないですか」

「このチームであれくらいの煽りなんか日常茶飯事でしょ」

 

 

 こんなこと言ってるのが既におかしいけど。でも仕方無い。エルナトは煽り推奨である。その方が三人とも強くなるしやる気も維持できるから。

 

 

「ブルボンも煽ったなら責任もって立ち向かいなさい」

「申し訳ありません。ですが、マスター。是非」

「……まあ、解った。ブルボンが本気ってことはよーく解った」

 

 

 しかし、煽りというのにも最低限のルールというのがある。煽ったことは咎めないけど、火をつけておいて逃げ出すのは放火魔と同じである。ただ、ブルボンがそこまでしてでもライスシャワーを鍛えたかったのは伝わった。

 

 しゅんとするブルボンを手招きして、へたれたウマ耳を弄ったり頭を撫でたり。スカーレットもスズカが鎮火したことで落ち着いたのか、戻って制服をハンガーに掛ける。

 

 

「我を忘れるところだったわ……」

「忘れてたでしょ完全に」

「は? 私がそんなすぐキレるように見えるの? そんなウマ娘に思えるの?」

「見える。思える」

「ぶっ飛ばすわよ」

 

 

 そして落ち着くと私の周りにスカーレットも座る。あら可愛い。けど怖い。いつの間にかライスシャワーが身内カウントで猫被りも雑になってるし。別に言いふらす子じゃないでしょうけど、それで良いわけ? 

 

 

「まあ、ともかく。じゃあ明日特別メニューをやりましょう」

「っし!」

「……! 今すぐやりましょう」

「じゃあ私、終わるまで走ってますね」

「え、い、良いんですか?」

 

 

 誰か躊躇って欲しい。気を失うまで走れって言ってるのよ、今。

 

 

「準備しておきなさい。スカーレット、ライスシャワーも。スズカもこの際二人が倒れるまで走って良いから」

「やたっ。スカーレットさん。五時間くらいやってね。お願い」

「それは無理です。……いや睨まれても無理ですから!」

「マスター。私が数に入っていませんが」

 

 

 まあどうせ外れた時間にやるし、予約も取れるだろう。ブルボンだけが不安げに私を見上げてきたので、私も安心させるように笑顔で言い放った。

 

 

「今回の罰としてブルボンは見てるだけね」

「……え」

 

 

 かちん、とブルボンは固まっていた。




調子に乗ると親にお仕置きされるのが長女

調子に乗ると姉妹に脅かされるのが次女

調子に乗るとか乗らないとかあんまり関係無く不憫なのが三女

わちゃわちゃに巻き込まれてるのが似合うウマ娘ステークス一番人気ライスシャワー


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『勝っても負けても』ライスシャワー

最後にちょっとだけ掲示板形式があります。あとはタイトルで察してください。


 

 ──ス

 

 

 ──イ―ス

 

 

「ライス!」

「わっ」

 

 

 はっとなって起き上がります。あれ、ライス今、何してたんだっけ……そうだ。

 

 

「起きた? 来なさいライスシャワー。私の目を見て」

「あ、はい……」

 

 

 身体がびしょびしょです。特に首から上が。髪の毛も濡れてしまっています。寝転んでいたから背中も芝と泥だらけです。身体を起こすとエルナトのトレーナーさんがライスの頬を挟んで覗き込んできます。

 

 そうだ、ライスは今までエルナトでトレーニングをしてもらっていたんだ。トレーナーさん曰く、ライスに対してはブルボンさんレベルの効果は期待できないらしいけど、それでもせっかくブルボンさんが誘ってくれたし、個人的に興味もあったから。

 

 

 今、何回くらい走ったっけ……よく覚えてないや。菊花賞の前もこうだった気がする。走ることだけ考えていると、他の全てが消えていって。あの時はブルボンさんに勝ちたいって気持ちだけが残っていました。

 

 

「……驚いた。まだ走れるわね。びっくりしたわ」

「……本当ですか」

「うん。めちゃくちゃ驚いてるわ。本当に」

 

 

 疲れて気を失い、ブルボンさんに揺すられたり水をかけられて起きたライスだったけど、どうやらまだできるみたいです。そういえば思い出してきました。このトレーニングの約束ごと。トレーナーさんの続行、終了の判断には絶対に従うこと。まだできそうでもやめろと言われたらやめる、もうできないと思ってもやれと言われたらやるってだけです。

 

 そのままブルボンさんに引っ張られて立ち上がります。立ち眩み……頭がくらくらして、視界がちょっとだけ白くなったり戻ったり。思い出したみたいに胸が痛くなって、おかしくなっちゃったんじゃないかってくらい速く動いています。

 

 

 息を吸っても吸っても足りなくて、身体に力が入らなくて、ブルボンさんに支えられてやっと立っているくらい。だけど、トレーナーさんはまだ走れると言います。

 

 

「……おかしいわね、ここまで来たら大体怪我するんだけど」

「ライスは特別ですから」

「いや、まあ……うん、まあ良いか。じゃあもう一本行きましょう。はい、イヤホン着けて」

「はい……」

 

 

 ライスは走れる。別に、ライスは『信頼している』なんて言えるほどエルナトにはいないけど、でも、ここはブルボンさんの場所だし、トレーナーさんはちょっと怖いくらい担当ウマ娘に……真摯? というか、執着……は、ライスが言えた話ではないか……偏愛? あ、愛とか言っちゃった……。

 

 とにかく、ブルボンさんもそんなトレーナーさんを信頼しているのだから、それに合わせることはできます。ライスは自力ではタイムキープができないので、ブルボンさんがカウントしてくれるイヤホンを着けてもらいます。

 

 

「ブルボン。ラップタイムを0.5秒下方するわ。ただしスパート区間は変動無しで」

「承知しました。ではライス、行きましょう」

「待ちなさい。何ブルボンも行こうとしてるの。あなたは見学よ」

「反省しました」

「反省は素晴らしいことね。信じてるわ。でもあなた身体が万全じゃないでしょう」

「……スカーレットさん」

 

 

 いつの間にかベンチで動かなくなっているスカーレットさんに泣きつく真似をするブルボンさん。何をしてるんだろう。そりゃブルボンさんと一緒にやりたかったけど、よく考えれば交渉が上手くいくとか関係無く怪我しているんだから走れるわけないのに。

 

 スカーレットさん、いつ脱落したんだろう……? ライスが気を失った時かな。というか、スカーレットさんは気絶で終わりなのにライスは起こされたんだ。ちょっと嬉しいかも。ブルボンさんはどっちなんだろう? 

 

 

「一人で行きなさい、ライスシャワー」

「はい……行ってきます……!」

 

 

 少し時間が経って、それでももちろん回復なんてしていません。だけど、勝手についていっていた時もそう、体力が空っぽになっても、思ったより身体は動きます。限界を超えたあたりに、思考が全部止まって、研ぎ澄まされたような感覚がある……と思う。あんまり、覚えていないけど。

 

 

『お願いします』

『ダメ』

『いつなら許可を頂けますか』

『全身治ったらかな』

『……治りました。マスター、開示が遅れましたが、ミホノブルボンには回復機能が備わっており、非行動状態にいると身体的なダメージが徐々に治癒します。つまり』

『それはもうロボットとかサイボーグじゃないでしょ。クリーチャーよあなた』

 

 

 イヤホン越しにブルボンさんがおかしくなっていました。もしあったらあの怪我全部治ってるじゃん、そんなの。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「え、い、良いんですか……?」

「もちろん。いっぱい食べなさい」

「ライス先輩。食べる時は思い出さない方がいいですよ。マジで気持ち悪くなるので。いや本当に」

「あ、うん……」

 

 

 言われなくても思い出したくありません、あんなの。

 

 

 限界トレーニングが終わり、無事に動けなくなって倒れたライスは、トレーナーさんのお部屋で目を覚ましました。全身ぐちゃぐちゃだったし、その、走り終わってすぐ、なんかこう、口の中が酸っ……いや、思い出さないようにしよう……

 

 ともかく気付いたら身体も綺麗だし着替えも……え、と、トレーナーさんだよね? トレーナーさんがやってくれたんだよね? 

 

 

「ライス」

 

 

 ブルボンさんが料理を出しながら背中の辺りを指さします。触れてみると、一房だけライスの髪が編み込まれていました。やられた……! ブルボンさんだ! ブルボンさんがライスを丸ごと洗って髪も乾かして梳かして編み込んで着替えさせたんだ……! 

 

 

「ライスは軽くて洗いやすいです」

「な、も、んんっ、んーっ! ブルボンさん! 言わなくて良いよ!」

「小柄ですし」

「んんんん!!!」

 

 

 食卓なので、あんまり大きな動きもできません。んんん! と両手を動かして、少しでも怒っていることを伝えないと。それから、次は何をするか考えておこうっと。ファッションは結構やったし……何かスイーツを作る? うーん……あ、復帰したブルボンさんのためにPVとか作ってウマッターに上げようかな。でもこれは世話焼きじゃなくてファンだなあ。

 

 

「しっかり食べてください」

「え、あの……というかあと二人は……?」

「スズカさんは帰ってきません。日付変更後の帰宅でしょう。スカーレットさんはまだ起きられません」

「ええ……ライス達が走ってる間だけって言ってなかった?」

「スズカさんがそれを守れるとはマスターも考えていません。そもそもマスターは『走るな』と言ってはいますが、あれは嘘です」

「そういうこと言わないでくれるー?」

 

 

 スカーレットさんが動けないので、ブルボンさんとトレーナーさんがテーブルの用意をしてくれていた。たまにご飯を食べさせてもらうけど、いつもいつも本当に良い匂いがする。トレーナーさん、お料理がすごく上手で、匂いだけで一気にお腹を空かせてきます。

 

 よ、よだれが……。

 

 

「食べて構いません」

「え、でも」

「私達は既に夕食を終えました。これらは全てライスの夕食です」

「ええっ!?」

「二割ほどは私が作りました。同時に作り始め、半分は私が作る予定でしたが……次までに改善します」

「良いのよーブルボン。助かったわ」

 

 

 こ、これ全部? テーブルに載らないくらいあるよ? ライスを入れて五人で座っても余裕があるくらいのテーブルに、いっぱいだよ? いくらなんでも多くない? 

 

 

「お、多いよ?」

「大丈夫です。ライスなら食べきれます。それに、私には解ります。特別メニュー後はエネルギー補給が急務です。私はともかく、スカーレットさんですら抗えない食欲のようですから。以前特別メニュー後のスカーレットさんが、教師の前でお腹が鳴ったと言ってマスターを殴り飛ばしました」

「いや、うん……そうかも……?」

 

 

 確かに物凄くお腹が空いていて、準備が終わるまで我慢しろと言われても謝るくらいです。一人で走っていた時は怖いくらい食欲が無くて、怖くなってたくさん食べていたけど……もしかして食べなかったらライス死んじゃってたのかな。本当に? う、嘘だよね……? 怪我は良いけどお腹が空きすぎて死んじゃうのは……うぅ。

 

 

「じゃ、じゃあいただくね……?」

「はい。どうぞ。栄養価についても考慮済みですので、全て平らげてください」

「そ……れは解らないけど、頑張るね……」

 

 

 自分の配膳が終わったのか、ブルボンさんはそのまま席に座りました。じっとライスを見つめています。いつの間にかライス専用になったらしいお箸を取ります。よ、よーし。食べるぞー……何から食べようかな……? 

 

 

「ちなみに、ライス」

「ん? なに? いただきますっ」

 

 

 よく見ると料理ごとに違いがあります。というかブルボンさんの料理は雰囲気で何となく解るなあ。見分け方があるわけじゃないけど、なんかこう、何かが違うというか。じっとライスのことを見つめてくるブルボンさん。

 

 

 すっ。

 

 

「……!」

 

 

 すっ。

 

 

「……?」

 

 

 箸を動かすとブルボンさんの耳が立ったり寝たり。か、可愛い……なんかもうこれでお腹いっぱいになりそう。でもちょっと意地悪で、トレーナーさんの料理を取るふりをしてみます。

 

 

「……」

 

 

 しゅんとしちゃった……あ、あぅ……可愛くておかしくなりそう……さっきもどれくらい作ったかアピールしてきたし、食べて欲しいんだね……うふふ。んー。どうしようかなあ……仕方ないとはいえ、ライスを丸ごと洗ったんだもんね……

 

 

「……どうしました? ライス」

「う、ううん、ら、ライスを丸ごと洗ったらやっぱり洗米なのかなあって……」

「……?」

「あっ、今のは違って……」

 

 

 あんまり意地悪しても良くないので、ブルボンさんの作った分を食べます。うん……美味しい。やっぱりブルボンさんは料理が上手だなあ。ライスはこんなに美味しくできないし、作れるのも甘いものが中心だから……今度お料理教室とか……でもエルナトのトレーナーさんがそういうの得意そうなんだよね。ブルボンさんが止めてるから教えてくれないけど。

 

 

「どうですか? ライス。疲労状態を鑑み、普段の10%味付けを追加しました」

「うんっ。んぐ……んむ、んっ。美味しいよブルボンさん。ありがとう」

「……それは何よりです。マスターも同様の措置を取っていますのでどうぞ」

「うんっ」

 

 

 うーん美味しい……ライスは食レポとかできないけど、やっぱりトレーナーさん、お店のご飯より美味しい。ブルボンさんもそう。このチームに入るとご飯が美味しくなるのかな。スズカさんとスカーレットさんは……まあ、スズカさんは、あれだけど。

 

 

「食べたらゆっくり休んでください。追い切りは三日前まで、ライスが望むならその後の三日間もマスターの指示が受けられますが、どうしますか?」

「え……い、良いの?」

「マスターは優しい方ですから。私やスズカさん、スカーレットさんが頼んで断ることはありません」

「こらーっ。そういうことを本人が言っちゃダメなのよーっ」

 

 

 じゃあ、お願いしようかな……エルナトのメンバーになれないのは、ライスがブルボンさんを追いかけている限りは無理だって解っているけど……でも、トレーナーさんがいるのといないのとでは変わるはずだし。

 

 

「……本当はもう一つ、マスターに要請していたのですが、それは拒否されました。ライスにも見せたかったのですが」

「拒否されてるじゃん……」

「……拒否されていますね」

 

 

 小声になるブルボンさん。ダメじゃん……

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「い、いやいや、ブルボンさん、やっぱりライス、ソファで寝るから……!」

「……? 何も問題ありませんが」

 

 

 ステイヤーズステークス前日の夜。中山レース場は前乗りしないので、トレーナーさんのお家にお泊まりしました。寮長に外泊届けを出したんですけど、怖いくらい何も聞かれませんでした。ああ、エルナトか。くらいの反応でした。

 

 ライスもこの三日間大体晩ご飯後の帰宅だったので、注意するのも面倒に思われたのかもしれません。ライス、悪い子だ……! 

 

 

 それで、お泊まりなんだけど……何故かブルボンさんと一緒に寝ることになっていました。聞くと、敷くお布団は一つしかないから、ベッドに三人、お布団に二人が普通みたいです。いやあの、なんというか、それで良いの? って感じです。

 

 

「ソファでの睡眠は身体に悪いですよ、ライス」

「そ、そうだけど……ひっ」

「申し訳ありません。寒いので」

 

 

 ぶ、ぶぶぶぶぶる、ブルボンさん、が、くっついて……! お、落ち着いてライス、落ち着いて……! ね、寝顔くらい何回も見てるし! は、裸も、み、見たことあるんだから、今さら、一緒に寝るくらい……! 

 

 

「ん……ライス」

「ん゛んっ」

 

 

 ぎゅ、ぎゅってされちゃった。ね、寝ぼけてる? そんなことないよね? 普通だよね? 

 

 

「ねえ、狭い……もう少し寄ってよ」

「これ以上寄るとスズカの寝るスペースを奪っちゃうでしょ」

「抱き合えば詰められるでしょ。私が寝返り打ってベッドから落ちたらどうするの」

「寄っても良いですよ、トレーナーさん」

「軽率にそういうことを言ってはいけません」

「別にそれは前からでしたよね? 敏感になってませんか?」

「いちゃついてないで早くして。良いのよ私はソファで寝ても」

 

 

 や、やっぱり普通なんだ……! これくらい受け入れられなきゃいけないんだ……! え、えいっ。だ、抱き締めるってこれで良いんだよね? というか、うわ、あ、温かい……抱き枕……? 

 

 

「……ライス」

「な、なに……?」

 

 

 ね、寝てなかった……! つ、つまり素でやってるんだ……! 

 

 

「頑張ってください、ライス」

「え、う、うん……」

 

 

 ライスを下から抱き締めて、ブルボンさんは言いました。シャンプーの良い匂いがします。ライスも今日はそうです。そして、さらにブルボンさんはライスの肩辺りに顔を擦ってきました。

 

 

「ねえ、ブルボンさん」

「はい」

「ライス、頑張るね」

「はい。楽しみにしています」

 

 

 ブルボンさんのライバルとして、ライスは負けるわけにはいきません。それに、ステイヤーズステークスは超長距離。ライスの得意距離……だと思います。出走ウマ娘はみんな強いけど、それでも、ライスなら。

 

 

「そして、来年の勝負も」

「……うん」

 

 

 ブルボンさんが笑ったので、ライスも笑います。みんながライスのことを応援してくれているから、ライスも頑張らないと。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ライスシャワーさん!!! ステイヤーズステークス優勝おめでとうございます!!!!」

「おめでとうございますっ」

「おめでとうございます」

 

「あ、ありがとう……えへへ」

 

 

 中山レース場近くの焼肉屋さんに来ています。バクシンオーさん、フラワーさん、そしてブルボンさん。それと、ウマ娘だけだとお店に断られるのでエルナトの人達。スズカさんとスカーレットさん、トレーナーさんは通路を挟んだ隣のテーブルにいます。

 

 

 ステイヤーズステークスは、とても良い勝負ができました。正直、どんどんと迫ってくるブライトさんの気配には参りました。いつ抜かれるか、並ばれるか……これまでライスは勝負根性だけでやってきたようなものなので、ほわほわした雰囲気のブライトさんはとても苦手です……話すのは楽しかったんですけど。

 

 

 でも、結果として優勝できたし、ブライトさんとも友達になれたと思います。それは本当に良かったです。それに、お祝いするってみんなが連れ出してくれたから。

 

 

「流石はライスさん! 素晴らしい脚でした!」

「はいっ。あんな長い距離だと仕掛けどころも難しいと思うんですけど……完璧だったと思います!」

「次は有マ記念……ライスなら良い成績が残せるでしょう」

「そ、そんな……褒めすぎだよぉ。今回だってブライトさんに負けそうだったし、次だって相手が相手だし……」

「劣っているようには思えませんが。それに、投票を受けている時点であなたには勝つ資格があります」

「私は投票していただけませんでした……何故でしょうか……?」

「距離適性では?」

「なるほど! やはり実績で示すしかありませんねえ! この私が! ブルボンさんやライスさんにも劣らないバクシン的ステイヤーになることで!」

「その前に私との決着もつけるんですからね、バクシンオーさんは」

「もちろん受けて立ちますよ! 2400ですか!? 3200ですか!?」

「1600で良いですか?」

「良いですとも!」

 

 

 たくさんトレーニングをして、友達とお泊まりをして、レースに勝って、みんなでお祝いをして美味しいものを食べる。ライスはとても幸せです。わいわいと騒ぐみんなを見ていると、ライスはとても恵まれているんだ、と思います。

 

 

「そもそもバクシンオーさんのトレーナーさんは、長距離出走を許可してくださるのですか?」

「もちろん! 私はいずれ全ての距離で"王"となるべくしてトレーナーさんと出会ったのですから!」

「へー……凄いですねえ。そういえばこの間もスタミナトレーニングをしてましたよね」

「はい! 25m潜水を三本!」

「……ステイヤー向けのメニューであれば潜水はもっと」

「ブルボンさん!? まずいよ!」

 

 

 こうしてみんなとトレーナーさんの話を聞くのも楽しいし、ライス、トレセンに来て走っていて良かった。それで来年は、ブルボンさんに勝って……きっと、勝っても負けても悔いは残さない。良い勝負だったねってお互いに言える。そんな世界にライスはいます。

 

 

「ふふふっ」

「……らいふ。わはっえるああいではあいません。くちをはなしてくらさい」

「ダメだよ」

「!?」

「ダメですよ」

「!?」

「どうしました? 口を塞いだままでは食べられませんよ? ……まあ、主役はライスさんですし、そこまで問題ではありませんが!」

「!?」

 

 

 言ってはいけないことを言いかけたブルボンさんの口を塞いだままお肉を焼きます。きっと明日も来月も来年も、こうしてレースの世界で楽しくやっていけるはずです。ブルボンさんの三冠の栄誉は、きっとブルボンさんが自分で何とかするでしょう。

 

 だから、ライスはそれまでブルボンさんの栄誉のためにも、強くありたい。ブルボンさんを追い詰めておいて、負けるなんてことがあってはいけないから。

 

 

「ライス、有マも頑張るねっ」

「はい。楽しみにしています」

 

 

 それがライスの頑張れる理由だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【朗報】ライスシャワー、やはり覚醒

 

1:名無しのウマ娘ファン

 あのメジロブライト相手に粘り勝った模様

 

3:名無しのウマ娘ファン

 勝ったのか

 

4:名無しのウマ娘ファン

 でもメジロブライトの方がエロい身体してるし

 

8:名無しのウマ娘ファン

 3600なのにまだ脚残してそうなメジロブライト側にも問題がある

 

9:名無しのウマ娘ファン

 3600は短距離だからな

 

11:名無しのウマ娘ファン

 3600は1200が3つだから短距離

 

12:名無しのウマ娘ファン

 エンジンが違うのがライスシャワー、エンジンが温まるのが遅いのがメジロブライト

 

15:名無しのウマ娘ファン

 ステイヤーズステークスで温まらなくていつ温まるんだよ

 

19:名無しのウマ娘ファン

 カドラン賞なんでしょ

 

21:名無しのウマ娘ファン

 あれだけズブズブならロンシャンの方が向いてるまでありそう

 

23:名無しのウマ娘ファン

 やっぱメジロはヨーロッパ目指すべきでは? 

 

24:名無しのウマ娘ファン

 メジロは長距離とヨーロッパをメインにしていけ

 

26:名無しのウマ娘ファン

 なおドーベル

 

30:名無しのウマ娘ファン

 ドーベルは可愛いからセーフ

 

33:名無しのウマ娘ファン

 ドーベルにファンサうちわ向けたら手を振ってくれたから好き

 

36:名無しのウマ娘ファン

 お前はドーベルの良さをわかってない。あの冷たい目が興奮するんだ

 

40:名無しのウマ娘ファン

 可愛いからセーフ理論なら全ウマ娘の全てが許されるだろ

 

41:名無しのウマ娘ファン

 可愛くないウマ娘とか哲学かよ

 

42:名無しのウマ娘ファン

 40とか50のババアなら

 

46:名無しのウマ娘ファン

 お前その歳のウマ娘見たことないだろ。70とか80ならともかく20から40くらいはマジで見分けがつかんぞ。色気があるから辛うじて10代かどうかをギリギリ見分けられるレベル

 

50:名無しのウマ娘ファン

 走るための種族だししゃーなし

 

53:名無しのウマ娘ファン

 その歳でもウマ娘は走るからな。本格化中より遅いだけで

 

57:名無しのウマ娘ファン

 大学時代、37のウマ娘を同世代と間違えてナンパしたワイ高みの見物

 

59:名無しのウマ娘ファン

 俺達は何も背負ってないけどウマ娘は別世界の名前を背負ってるから優れているのも妥当

 

62:名無しのウマ娘ファン

 またヒトカスが敗北したのか

 

64:名無しのウマ娘ファン

 うるせえこっちはオスだぞ舐めるな

 

66:名無しのウマ娘ファン

 圧倒的に選ばれる側なんだよなあ

 

68:名無しのウマ娘ファン

 そしてお前は選ばれないぞボケナス

 

71:名無しのウマ娘ファン

 スペちゃんあたりなら食べ物で釣ればワンチャン無い? トレーナーも爺さんだし

 

72:名無しのウマ娘ファン

 あるわけねえだろ○ね

 

76:名無しのウマ娘ファン

 ああいう子が逆にガードが固いんだ

 

80:名無しのウマ娘ファン

 そもそも天皇賞春秋制覇ウマ娘だぞ。引く手数多どころの話じゃないだろ

 

81:名無しのウマ娘ファン

 秋勝ったのはサイレンススズカがいなかったからだろ

 

82:名無しのウマ娘ファン

 はい戦争

 

86:名無しのウマ娘ファン

 お前さあ、たられば持ち出して恥ずかしくないわけ? 

 

90:名無しのウマ娘ファン

 逆に聞くけどじゃあお前らはスペちゃんが勝ったと思ってんのかよ

 

94:名無しのウマ娘ファン

 ジャパンカップの時計は勝ってた定期

 

97:名無しのウマ娘ファン

 でもそれって二年前のタイムですよね? 

 

100:名無しのウマ娘ファン

 うーんこの化け物

 

104:名無しのウマ娘ファン

 たらればは無しとは言うがサイレンススズカは別だろ。スペちゃん本人が負けを認めてるからあの記者会見があったわけで

 

106:名無しのウマ娘ファン

 スペシャルが負けを認めてるおかげでサイレンススズカがもう一回走ってくれるんだぞ感謝しろ

 

108:名無しのウマ娘ファン

 お前誰だよ

 

110:名無しのウマ娘ファン

 そもそもURAくんがトレーナーを謹慎にしなきゃ天皇賞もジャパンカップも走ってたんだぞ

 

111:名無しのウマ娘ファン

 まあ(去年は骨折で今年も意識飛んでたから)多少(の罰則)はね? 

 

115:名無しのウマ娘ファン

 エルナトのトレーナー可愛くてすこ

 

116:名無しのウマ娘ファン

 美人系なんだよなあ

 

118:名無しのウマ娘ファン

 は? やんのか? 

 

119:名無しのウマ娘ファン

 あのちょうど良い感じの体型とか身長が最高に興奮する

 

122:名無しのウマ娘ファン

 URAくん今からでも遅くないから罰則を変えないか? 謹慎じゃなくて写真集出版とかにしない? 

 

125:名無しのウマ娘ファン

 レースウマ娘は学生だからアウトだけどトレーナーは一社会人だからエロい目で見てもセーフ説

 

126:名無しのウマ娘ファン

 何歳でもアウトなんだよなあ

 

129:名無しのウマ娘ファン

 やっぱり結婚しかねえ。一回で良いから飯奢らせてくれ口説くから

 

130:名無しのウマ娘ファン

 お前に見向きするはずないだろ

 

132:名無しのウマ娘ファン

 顔面も安定性も年収も年齢も全部負けてる

 

136:名無しのウマ娘ファン

 パワーは勝ってるから……

 

138:名無しのウマ娘ファン

 でもウマ娘の文句を押し潰してスパルタやらせてる人だからな。もしかするとウマ娘レベルの怪力かもしれんし

 

140:名無しのウマ娘ファン

 ウマ娘が逆らえないのに俺らが逆らえるわけないだろ

 

144:名無しのウマ娘ファン

 それはそう

 

147:名無しのウマ娘ファン

 エルナトトレーナーはサイレンススズカと結婚するんだよあくしろよ

 

150:名無しのウマ娘ファン

 消えろよ百合豚

 

154:名無しのウマ娘ファン

 お前ウマッター見てないの? あの距離感はどう見ても恋人だろ

 

158:名無しのウマ娘ファン

 営業だぞ

 

161:名無しのウマ娘ファン

 営業であのレベルは無理だろ

 

165:名無しのウマ娘ファン

 よく考えろよお前だったら泣くまでトレーニングさせてくる奴を好きになるのか? しかも同性だぞ

 

166:名無しのウマ娘ファン

 どうしても百合だと認めたくないのはわかった

 

167:名無しのウマ娘ファン

 お前が言い張ってるだけだろアホ

 

171:名無しのウマ娘ファン

 トレウマハーレム作れ(脅迫)

 

172:名無しのウマ娘ファン

 あの人、いちゃつく暇あったら少しでも多く走れとか言いそう……言いそうじゃない? 

 

174:名無しのウマ娘ファン

 絶対言ってるだろ

 

176:名無しのウマ娘ファン

 言ってるの聞いたことある気がしてきたもん

 

177:名無しのウマ娘ファン

 あのレベルの高スペに彼氏がいないわけないだろ

 

181:名無しのウマ娘ファン

 お前女をスペックでしか見てねえのかよ

 

183:名無しのウマ娘ファン

 引っ込んでろ底辺がよ

 

187:名無しのウマ娘ファン

 そらいるだろ。婚約しててもおかしくない

 

188:名無しのウマ娘ファン

 残当

 

192:名無しのウマ娘ファン

 相手もどうせトレーナーだぞ

 

196:名無しのウマ娘ファン

 顔面も安定性も年収も年齢も全部負けてる

 

197:名無しのウマ娘ファン

 こっちはパワーも負けてる

 

201:名無しのウマ娘ファン

 じゃあどうすれば結婚できるんだよ

 

205:名無しのウマ娘ファン

 まずトレーナーになります

 

207:名無しのウマ娘ファン

 できるかバカ

 

209:名無しのウマ娘ファン

 何年かかっても俺じゃ無理そう

 

211:名無しのウマ娘ファン

 その辺の美人捕まえる方がまだ現実的

 

213:名無しのウマ娘ファン

 ライスシャワー推しワイ、専用スレに来たら誰もライスシャワーの話をしていなかった

 

215:名無しのウマ娘ファン

 叶わない夢を見る奴が多すぎるんだよ大人しく結婚報道を待て

 

219:名無しのウマ娘ファン

 あんなに清楚そうな子に彼氏がいるわけないだろ。貰い手いなくなってサイレンススズカと結婚しろ

 

222:名無しのウマ娘ファン

 もう良いから帰れよ。これ以上喋るなキモいから

 

225:名無しのウマ娘ファン

 ライスシャワーは次は有マか? 

 

226:名無しのウマ娘ファン

 まあ投票入るやろな

 

228:名無しのウマ娘ファン

 果たしてクラシックウマ娘のライスシャワーは、シニア最終決戦のスペグラに太刀打ちできるのでしょうか? 

 

231:名無しのウマ娘ファン

 ライスシャワーに2500は短いだろ

 

232:名無しのウマ娘ファン

 2400は2着だぞ

 

233:名無しのウマ娘ファン

 他が弱かっただけで適正距離は3000からだろ

 

236:名無しのウマ娘ファン

 なんで走ってもねえのにわかるんだよ

 

240:名無しのウマ娘ファン

 見ればわかるだろ

 

243:名無しのウマ娘ファン

 わからねえよカス

 

246:名無しのウマ娘ファン

 現実ミホノブルボンに負けてるんだから2400は短いんだろ

 

247:名無しのウマ娘ファン

 ブルボンがイカれてるだけ定期

 

248:名無しのウマ娘ファン

 ミホノブルボンはスプリンターおじさん「ミホノブルボンはスプリンターだぞ」

 

252:名無しのウマ娘ファン

 スプリンターが3000走れてたまるかよ

 

254:名無しのウマ娘ファン

 走れてんだよなあ

 

256:名無しのウマ娘ファン

 そもそもその理論だと3000でも短いってことになるだろ負けてるんだから

 

257:名無しのウマ娘ファン

 菊花賞はライスシャワーの勝ちだろ

 

261:名無しのウマ娘ファン

 出たゴミクズ

 

263:名無しのウマ娘ファン

 陰謀論も大概にしろよ

 

266:名無しのウマ娘ファン

 生きてて恥ずかしくねえのかな

 

270:名無しのウマ娘ファン

 あのさあ、三冠ってのは特別なんだよ見てる側にとっても走る側にとっても。それをあんな勝ち方で認めて良いのかよ

 

273:名無しのウマ娘ファン

 お前にそれを語る資格はねえだろ

 

274:名無しのウマ娘ファン

 あのレースを見てミホノブルボンをシービーやらルドルフやらブライアンと同じだと思えるのか? 

 

277:名無しのウマ娘ファン

 実績は同じどころか無敗なんだからシービーとブライアンより上だぞ

 

278:名無しのウマ娘ファン

 バ身差が見えないアホ

 

281:名無しのウマ娘ファン

 お前は電光掲示板も見えてねえじゃねえか

 

282:名無しのウマ娘ファン

 ずっといるよなこういうゴミクズ。全方位に失礼だと思わんのかね。どういう教育受けてきたんだ

 

286:名無しのウマ娘ファン

 一部マスコミも乗っかってるのが本当に闇

 

290:名無しのウマ娘ファン

 全部潰せあんな奴ら

 

292:名無しのウマ娘ファン

 ここで話すのは百歩譲って良いけどウマッターで書き込んでる奴と雑誌の記事にしてる奴はなんなんだ。性格終わってるだろ

 

294:名無しのウマ娘ファン

 本人の目に入る可能性を考えられないクズ共

 

298:名無しのウマ娘ファン

 事実として三冠の名誉は落ちただろうが

 

301:名無しのウマ娘ファン

 お前の頭の中の事実なんか知らねえよ二度と口利くなカス

 

303:名無しのウマ娘ファン

 良いだろどんな勝ち方でも一応三冠だぞ

 

307:名無しのウマ娘ファン

 もうその言い方が失礼なんだよ。なんで手放しで褒められないんだ。一応三冠とか考え方が狂ってる

 

309:名無しのウマ娘ファン

 三冠を軽んじてるのはお前らだよ

 

312:名無しのウマ娘ファン

 不正してないとも限らないだろあんなデカい組織が。潔白なら証明してみろよ

 

314:名無しのウマ娘ファン

 世の中のこと何も知らないんだな。不正を証明するのはお前だよ

 

317:名無しのウマ娘ファン

 マジでやめろよお前。こっちは純粋にライスシャワー推してんだから

 

321:名無しのウマ娘ファン

 こいつらのせいでライスシャワー推しが下に見られるのマジで不快。こっちは良いライバルとしてミホノブルボンを見てるわけ。わかる? 勝って欲しいけど負けたからってキレるのはおかしいだろ

 

322:名無しのウマ娘ファン

 一生レース見るなよもう

 

326:名無しのウマ娘ファン

 マジでライスシャワーやらミホノブルボンやらが走らなくなったらこういうクズ共のせいだからな

 




ライスは頭ピンクであって欲しいので、百合とか関係無くすぐにどぎまぎするタイプ。

どうしていつメンでマチタン出すのがちょっとあれなのかなって思ってたんですけど、あれですね。さん付け敬語だからってのと、やっぱりマチタンはカノープス絡みが似合ってるからですねたぶん。


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トレーナーで遊ぶサイレンススズカ

 

「祭りですか」

「うん。行こうって言ってたでしょ? 良い機会かなって」

「あー……良いわね。行きたい……先輩、ここなんですけど、こういう順番になる理由とかって」

「暗記してください」

「……ですよね」

 

 

 ある日。いつものようにトレーナー室で、私は勉強中のブルボン、スカーレットに提案していた。スズカは二人には交ざらず、特に興味も無く新入生達のデータを見たり、クリスマス前後にやるらしいスマートファルコンとのライブの振り付けをチェックしたりしている。

 

 ちなみに、にべもなくばっさりいかれたスカーレットだけど、ブルボン流の暗記とは『テキストに書いてあることを一字一句全て覚える』を指す。理屈や仕組みごと全部覚えれば基礎も応用もできるという荒業であり、スカーレットには根本的に不可能である。

 

 

「遠くにお出掛けですか? 田舎の方とか」

「まあ、東京でも冬にお祭りはやってるけど。東北くらいなら日帰りでも行けると思うし」

「……? 東北に日帰りは難しいですよ。途中で疲れちゃったりとかもありますし、一泊くらいした方が気持ちいいです」

「あなた今走って行くことを想定してるでしょ」

「違うんですか?」

 

 

 隙あらば走ろうとするスズカはいつものこととして……夏の約束を今更ながらって感じ。年明けでも良いけど、まあ今行けそうなら今行くのが良い。雪祭りとか各所でやってるし。

 

 

「遠出するんですよね? ほら、ガソリン代とかありますから、節約ですよ」

「節約ねえ……じゃあスズカのご飯はこれから私と同じ量にしようかしら」

「……………………それで走れるなら、我慢します。一日くらいなら何とか……」

「本気で思い詰めた顔はやめて?」

 

 

 スズカが一人走ったところでっていう現実的な話もあるし、まず他のところで節約して欲しいし。聞き分けの無い走り方をするスズカが走るには、色々経費が嵩むのだ。いや経費じゃ落ちないけど。発信器とか高かったんだからね。あとシューズとかね。

 

 

「スズカがもうちょっと脚と靴に優しい走り方をしてくれるなら、もっと走って良いんだけどね」

「今走って良いって言いましたよね?」

「どうして前半を聞いていないの?」

「スズカさん、意味解らない走り方しますもんね」

 

 

 後輩根性が極まったスカーレットが私の分まで飲み物を注ぎに来た。ウマ娘の中では、蹄鉄なり靴の手入れは自分でできるのが常識だ。もちろんトレーナーもできるけど、自分でやる子が多い。まあ、命を預けるに等しいものだし、思い入れもあるだろうからね。

 

 それはスズカも同じで、むしろ尻尾のケアまで任された今となってもなお蹄鉄は私にはやらせようとしない。言えば断りはしないけど、ちょっと嫌そうにはする。それくらいだ。

 

 

「別にスズカさんもできるんじゃないですか? シューズをダメにしない走り方とか」

「理解が不足しています、スカーレットさん。スズカさんが走行中に創意工夫することは不可能です」

「どうしてそういうこと言うの……?」

「できるんですか?」

「……できないけど」

 

 

 それはそう。できるんだったらとっくにやっているだろうし。圧倒的な速度を得るための踏み込みは加減できるようなものではない。むしろ、これでもスズカのスピードからすればマシな方なのだ。

 

 

「でもね。実はスカーレットさん、私は速く走っている方が脚が痛まないの」

「嘘じゃないですか」

「嘘じゃないわ。速く走るとその勢いで進めるから、踏み込みが弱くて済むのよ」

「え? え……うん? そ、そんなことあります……?」

「そうなのよ」

「そんなわけないでしょ。ゆっくり走ればその分負担も軽くなるわよ」

「スズカさん!?」

「む……残念」

 

 

 後輩を騙そうとしないで? 

 

 

 ともかくお出掛けには三人とも乗り気のようで良かった。それぞれ友達を連れてくるかと聞けば、スペシャルウィークは有マのためにトレーニングに励んでいるし、ライスシャワーもそう、ウオッカは……もうしばらく気まずいので会いたくないとのこと。じゃああなたいつまでこっちにいるのよ。

 

 

「迷惑?」

「別に。ずっといたければいても良いよ」

「……まあ、ずっとじゃないのよ? アイツも阪神勝ったし。そもそも私は色々気を張ってるけど学校では普通に話すし」

「あ、阪神勝ったんだ」

「……アンタトレーナーとしてそれはどうなの?」

「普通に勝つと思ってたし……それに、ウオッカが勝とうが負けようが、スカーレットとぶつかったらスカーレットが勝つって信じてるから」

「ん゛……自分の非を認めない大人にはなりたくないわね」

 

 

「それでいつ行きます? 土日ですか?」

「流石に。二人の予定で良いでしょ? スズカはどうせ大体暇だし」

「私にも友達はいるんですよ?」

「でもあなたの友達は言ってたわ。スズカは遊んでる最中ふらふらと走りに行きそうになるって。よく友情が続くわね」

「……まあ、それは良いじゃないですか。風が悪いですよ風が」

 

 

 意味不明なことを言い出したスズカをソファに寝かせ、上から乗ってマッサージ風に背中を押す。ぱたぱたと脚を動かして抵抗していたスズカだったが、しばらくすると諦めてぐったりと寝転んだ。

 

 ブルボンとスカーレットもそこそこキリの良いところまで終わったのか勉強をやめて各々定位置に戻っていく。ブルボンは設置されたベッド、スカーレットはドアに近い席。何をするわけでもなく、特に何もしていないスマホを持つだけ持って会話に入ってくれる。

 

 

「私もいつでも良いわよ……というか私も行って良いの? ご褒美みたいなものでしょ、これ」

「私はいつも通りのメンバーで行きたいです。そして、スカーレットさんもそうです」

「……そうすか」

「もちろん二人でも別途行きます」

「ああ、はい。ですよね」

「マスター、私はライスの有マ記念に被らなければいつでも構いません」

 

 

 暇すぎない? うちの子達。助かるけど。ウマ娘の年末は有マやらホープフルやらがある関係で忙しいものね。トレーナーは……まあ私でなければ忙しいんじゃない? 私は今ニートだから。

 

 

「まあ善は急げって言うし。次の土日とかで良いか。大体どこかで何かやってるし」

「あ、待ってくださいトレーナーさん。この間新しく頼んだシューズ、受け取りが来週の火曜日なんです。さ来週にしましょう」

「……どうしてシューズの受け取りを待つ必要があるの?」

「……どうしてですかね?」

「とぼけるなーっ」

「ゎーっ」

 

 

 スズカを押し倒して全身を擽る。イヤーキャップを外して投げ捨て、スズカの薄い胸をとことこと叩く。悶えるスズカがこっちをふにゃふにゃな目で睨み付けた。

 

 

「はぁっ、はぁっ……良いんですよ、こっちは。たとえ出先で走れなくても地元で走りますから」

「どうしてスズカさんが交渉を拒否する立場なんですか?」

「走れるものなら走らないでみなさいよ」

「む、じゃあ走りま……今なんて言いました?」

「走るなって言ったのよーっ」

「ゃーっ」

 

 

 スズカの脚を持って体を回す。上体がソファから放り出されたが、やはりウマ娘、強靭な腹筋により何でもなさそうにしている。何なら脚に乗った私を持ち上げてきた。ぐわんぐわん揺らされる。自分が軽くなった気がして悪い気はしない。まあスズカにとっては私が40kgだろうが60kgだろうが80kgだろうが100kgを越えていてもあんまり関係無さそうだけど。

 

 

「じゃあ来週の土日ね。予定入れないでね」

「あの、シューズは」

「あっぶないあぶない落ちる落ちる。解った解った。走って良いから。ちょっとだけね? 本当にちょっとね?」

「やったーっ」

「わーっ」

 

 

 ついに真上に飛ばされた。何とか反応して着地できたけど、落ち方によっては大惨事だった。流石のパワー……感動しちゃうわ。

 

 

「マスター。私もできます」

「何対抗してるんですか」

「マスターの『感心』を検知しました。これより証明作業に入ります」

「待って待って怖いってマジで」

「ご安心ください。成功する可能性は九割です」

「一割ミスるってことじゃない!」

「アンタがいつも言ってることでしょ……え、本当にやるんですか?」

 

 

 抵抗虚しくブルボンに持ち上げられ、重量上げみたいにされる。スズカが果てしない柔軟性をもって後転でソファから降りると、代わりにブルボンが寝転がって私を脚に乗せた。

 

 

「靴は脱いだ方が良いですよ。服が汚れちゃうんで」

「そこじゃない、そこじゃない!」

「失礼しました。スカーレットさん、持っていてください」

「え? あ、はい」

 

 

 スカーレットに手渡された。私のことを何だと思ってるんだろう。でも下手に抵抗できないし、抵抗しても意味無いし。ブルボンが素足になって合図を出すのを見て、スカーレットはそっと脚に乗せた。

 

 

「ぐう」

「マスター。体を起こしてください」

「い……いや、無理……! やり方おかしいって……!」

 

 

 お腹あたりを脚二本で支えられ、私の身体がくの字に曲がる。当たり前だけど私にはこの状態で身体を起こす体幹は無いので、何なら息もできない。み、みぞおち……! 

 

 

「ああ、トレーナーさん死んじゃいますよ。座った体勢じゃないと危ないですから」

「も、持ち上げることを止めて……?」

 

 

 足と頭をスズカが支えてくれたけど、にしてもブルボンの脚が私に突き刺さっている。大人として我慢してはいるが普通に吐きそうだし。出ちゃう出ちゃう。お昼のサラダが。ただでさえカロリーギリギリで生きてるのに。

 

 

「寝て、そうです、膝を曲げて、脛のあたりに座らせる感じで……そうです。はいトレーナーさん。気を付けて座ってくださいね。はーい」

「はーいじゃな……うおわっ」

 

 

 あっぶない。本当に戻すところだった。体勢的に全部ブルボンの顔面にぶちまけるところだった。流石のブルボンも顔面にモロ被りしたら怒る……怒るかな? 案外怒らないかもしれない。ブルボンって何したら怒るの。

 

 

「ご覧ください。持ち上がりました」

「ご覧くださいっていうか持ち上がってるの私だね」

「お父さんのことを思い出します。幼少期、よくやってもらいました」

「微笑ましいじゃないですか」

「私の成長にあたって身体的接触が減少しまして、それに伴いやってもらえなくなりました」

「反応しづらいこと言うのやめてくださいマジで。どんな理由でもキツいです」

 

 

 お父さんさあ、言いにくいのは解るけど、もう言って良いんじゃない、色々やらない理由をさ。普通の人間が普通に生きてたら気付く事実に気付いてないですよこの子。混浴とか普通に入りそう。怖いわマジで。

 

 

「ブルボンさんパース」

「はい」

「いやはいじゃないが」

 

 

 非道ノブルボンとサイレンスふざけが私でキャッチボールをし始めた。もちろん脚で。ピンボールみたいに宙を浮く私。あの、まあ斜め下にスカーレットがいるから大丈夫だろうけど、普通に床にぶつかったら痛いからね? 

 

 

「あっぶないあっぶない」

「アンタって何したら怒るの。いじめられてるわよ今」

「いじめてないわ。一緒に遊んでるの」

「いじめっ子の理屈なんですよそれは」

 

 

 ふわふわ飛ばされるのは一回くらいなら気持ち良い……のだけど、脚に着地した瞬間の振動がヤバい……一度覚えた吐き気が増大していく。あっいけないですねこれは。もうダメみたいです。

 

 

「あの、トレーナーが死にそうな顔してますけど」

「あっ待って待って出ちゃう出ちゃう」

「あ、やり過ぎた」

「気付くのが遅……ぅぇ」

 

 

 あっぶ。

 

 

「そろそろ降ろさないとトレーナーが吐きますよ」

「失礼しました。大丈夫ですか」

「うお……」

「セーフ……」

「セーフじゃな……いや、ちょっと待……」

 

 

 って、大丈夫じゃないかも……! ヤバい、人間として終わる……! と、トイレに……! 

 

 

「抱えますか」

「うーん……一応鼻栓だけしておいた方が良いかもしれないですね」

「あーあ。ブルボンさんのせいよ。一人で掃除してね」

「スズカさんが言い出したことでは?」

「でも最後に乗せてたのはブルボンさんじゃない」

 

 

 私は休み時間のドッジボールかよ。

 

 

「どうするんですか? トイレに連れていきます?」

「何なら外に連れていかない方が良いんじゃない? 間に合わなかったら大惨事だし、部屋にいさせた方が」

「同意見です。病理由来でなければ一度吐けば解決するでしょう。その後のケアに注力する方が効率的です」

 

 

 ダメだ……! この子達吐くことに抵抗が無さすぎる……! 誰よこんな感じに育てたのは。文句言ってやるから出てきなさい。吐くっていうのは尊厳を失うってことなのよ。そんな、一回口から出したらすっきりするくらいの感覚でやっちゃダメなのよ。牛かおのれらは。

 

 

「ぅぐ……ごぽ」

「あーダメねこれは。じゃあ私は外出てるからあとよろしくお願いしますね、お二人とも」

「……やはり多少手伝っていただくわけには」

「ぅ」

先輩方頑張ってくださぁーぃっ♡

 

 

 スカーレットが逃げた。くる、くるくるくる、あ、あっあっあっ、

 

 

「トレーナーさん!? なんで抱き付いてくるんですか!?」

マスターの一番はスズカさんですから

「ぅ……ぐぐぐ」

「ひ、ひえ……あのトレーナーさん、流石に私、この距離は躊躇するというか、あの」

「ぐぐっ」

「……っ!!!???」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




このあとめちゃくちゃ我慢できた。

スズカブルボン、三日間晩御飯のスイーツ抜き。


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欲望が漏れ出るサイレンススズカ

ウマ娘レースは一大興行って設定はとても便利で、私は野球もサッカーも将棋も知りませんが王やキングや竜王は解るわけですから、あの世界の人達はウマ娘を知らなくても三冠ウマ娘は解る。まあ今回は関係無いですけど。


 

「うさぎ」

「銀砂」

「砂糖」

「浮き輪」

「忘れな草」

「山椒」

「……乳母車」

「松かさ」

「最高」

「……ねえ、ちょっと」

「スカーレットさん、『う』です」

「スカーレットの負け? じゃあ音楽流すわよ?」

「そうじゃなくて!」

 

 

 ある日。ブルボンとの約束通り冬祭りに行くべく車を走らせていた。冬の祭りに行くのに雪も無いのでは味気無いだろうということで北上中である。暇だし私が全部運転しないといけないので、起きている二人が話し相手になってくれていた。

 

 

「なんで『う』攻めするのよ!」

「私だって『さ』攻めされてるのよ」

「攻めるならもっと難しい文字で攻めなさいよ!」

「あ、そっち?」

 

 

 色々やって時間を潰しているが、今はしりとり中である。負けた人がカーステレオで熱唱するということでやっているが……まあ、流石にスカーレットが一人だけ不利を受けている感は否めない。そもそもこういう勝負でブルボンが負けるわけがないし。

 

 現にブルボンの攻めはここまで完璧である。必ず『さ』で返してきているし、私もこの歳で熱唱はキツいので本気でやっている。まあその、あんまり早く終わっても仕方がないからそれなりの文字でやってるのは事実なんだけど、こういうところでも手を抜かれるとご立腹のスカーレット。

 

 

「『り』とか濁点とかあるでしょ!」

「でもスカーレット、それじゃ瞬殺じゃない」

「は? 言っておくけど私賢いんだからね」

「もうその台詞が賢くないのよ」

「スカーレットさん、『う』です。続行不能であれば『うまぴょい伝説』を流します」

「うまぴょい!? もっとあるじゃないですか!」

「決定権は私にあります。私は賢いのでマスターにも勝てますから」

「その台詞が賢くないですよ!」

「ブルボンは賢いわね」

「ぶっ飛ばすわ。グーで。今ここで諸とも死んでも良いのよ」

 

 

 スカーレットの賢いは正直私も通った道というか……その、申し訳無いけどこういう知能においてはブルボンが上位互換過ぎる。というかこの子にお勉強で勝てる存在がこの世界にいるのかも怪しい。どんな難しいことでも完璧に暗記しそうだし。

 

 

「瓜!」

「流砂」

「詐称」

「う冠!」

「立体交差」

「最強」

「あーっ!!!! やってられない! ストレス!! 終わり終わり! うまぴょいでも何でも歌ってやろうじゃない!」

 

 

 スカーレットがキレた。手加減をされたくないという気持ちと勝ちたいという気持ちがぶつかるとスカーレットはよく壊れる。後ろからブルボンが座る助手席を叩く。勝負ありです、と私にふふん、という感じでピースするブルボン。

 

 

「ちゃんとコールしなさいよ!」

「やるわよ。ブルボンが」

「やります……しかしマスター、歌唱が罰ゲームであるなら、それに付随してコールをすることも罰ゲームなのでは」

「細かいことは気にしないで」

「では、歌唱モードを起動します」

 

 

 流れ出す電波なテンポの曲。何の歴史があるのかは置いておいて、ウマ娘達の中で何故かトップレベルの楽曲とされているものが流れ始めた。イントロから、猫被りスカーレットのぶった声が流れ出す。それと、ブルボンのやたら高い歌唱力が解き放たれる抑揚の無いコール。

 

 

「……ほあ」

「あ、スズカ起きた? どう、スカーレットのうまぴょいは」

「可愛いです……なんで今うまぴょいを……?」

「色々あってね」

 

 

 後ろの席で寝ていたスズカが起きてきた。お出かけ中はどうしても我慢できなくなったときに一度だけ走って良いということで交渉こそ済んだのだけど、引き換えに前日夜、『我慢できません』と走りに出ていってしまったスズカ。

 

 流石のスズカも次の日がお出かけで夜中まで走ることはない……と思ったんだけど、何かが噛み合ってしまったらしく欲望のまま夜更け……というかギリ朝くらいまで走り続けていたらしい。

 

 

「そろそろサービスエリアだから、何か買いましょう……俺の愛バが!!!!!! 

「うるさい……」

「マスター?」

「ごめん、つい」

 

 

 やらなきゃいけないような気がして。

 

 

 その後、うまぴょい伝説を全て歌いきり、スカーレットが叫びながら背もたれに倒れた。顔を真っ赤にして顔を覆う。ブルボンと、よく解っていないスズカの拍手が鳴る。たぶんそれ、一発ごとにスカーレットの尊厳を削ってると思うわ。

 

 案の定段々と俯いていくスカーレット。可哀想……こうなったのは私達のせいだけど。

 

 

「まあ元気出してスカーレット。サービスエリアで好きなものを買ってあげるわ」

「スタバ……」

「はちみーじゃなくて?」

「蜂蜜入りが出てる……」

「そうなの。じゃあ買おうか。二人も飲む?」

「私はいいです」

「飲みます」

「ん。もう着くから寝ないでねー」

 

 

 私もコーヒーとか買おう。スタバは甘過ぎるから、適当にブラックとかで。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「特製蜂蜜、コーヒー少なめで」

「同じものをもう一つ」

「アイスコーヒー一つ。それとこのドーナツを三つお願いします」

「はぁいっ。ありがとうござい……み、ミホノブルボンさんですよね?」

 

 

 サービスエリアのスタバ。可愛くて愛想の良いお姉さんに注文を取ってもらう。一応スカーレット以外は髪をポニーテールにして伊達眼鏡をかけているんだけど、流石にレジの至近距離だと普通にバレた。

 

 というか、スズカとブルボンが並んでいてブルボンが声をかけられるなんてことになってるのね、今。やっぱり三冠って凄い。ウマ娘レースに興味が無くても誰もが知る一大名誉とは伊達じゃないのね。

 

 

「あんまり……」

「あっすみません、お、お出かけですか? いつも見てます。三冠、思わずテレビの前で拍手しちゃいましたっ。菊花賞の、掲示板が点いた時とか叫んじゃって……あ、ライブはその、時間がなくて行けなかったんですけど……!」

「ええ……ブルボン、静かな声でね」

「はい。応援ありがとうございます。ミホノブルボンです。ちゅ」

「あ゛っ」

 

 

 投げキッスはサービスしすぎじゃない? さっきまでスカーレットがうまぴょいしてたからでしょ、それ。普段そんなことやらないじゃない、あなた。ウマ娘がやると火力が高すぎるんだって。

 

 

「ぁっ……あ、あの、奢らせてください……!」

「金品やそれに準ずるものの収受は禁止されていますので」

 

 

 良かった、民度が良い方のファンの方で。まあ、概ね女性の方は色々と話しやすいし、お客さんがたまたまいなかったからかもしれないけど。

 

 突然三冠を褒められたブルボンもうきうきだし、お姉さんは……まあ、今後一生ブルボンの可愛さに囚われたままかもしれないけど仕方無い。私の苦しみを味わってほしい。

 

 

「人気者ね、ブルボンさん」

「はい。よく声をかけていただきます」

「ファンサの練習もしないとね」

「はい。しかし、私の友人はそういう面で不得手ですので……ライスを筆頭に」

「ああ、まあ……でしょうね」

 

 

 商品待ちの間、スカーレットの言葉から、私達の脳内に駆け巡るブルボンの友人達。レース以外は気弱なライスシャワー、頭空っぽのサクラバクシンオー、自分を普通だと思い込んでいる重賞掲示板ウマ娘、マチカネタンホイザ……うーん。

 

 

「フラワー先輩はできそうじゃないですか?」

「いえ……可愛いと言われるばかりで練習を活かす機会が無いと話していました」

「スズカさんの友人はいかがですか」

「まず私のこと聞いて?」

「スズカさんが苦手なのはもうみんな解ってるんで」

 

 

 そんな……と私にくっついてくるスズカ。頭を撫でつつ商品を受け取って配る。わあ、もう匂いが甘そう。恒常メニューでも甘いのに。

 

 

「じゃあ行きましょうか。ファンサの話は後でね」

「はぁい……」

「これからも応援よろしくお願いします」

「は、はいっ」

 

 

 お姉さんに挨拶もして車に戻る。……ああ、そうそう。これは言っておかないと。

 

 

「トイレは大丈夫? 道、普通に混みそうだけど」

「私はさっき行きました」

「問題ありません」

「大丈夫ー」

「あい。じゃあ行くわよー」

 

 

 この分だと昼過ぎになりそうかな。後はまあ、渋滞に突っ込んで私がイラつかないかだけど……三人が可愛いから大丈夫でしょ。ここまでも普通に楽しいし。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「続いて……あなたは森の中で熊に出くわしました。あなたは武器をいくつか持っています。猟銃、鉈、爆弾です。どのように対処しますか?」

「走って逃げるわ」

「選択肢にありません」

「待って、それ以前にその問題は何? 猟奇的過ぎるでしょ」

「……あ、読み上げに不足がありました。失礼しました。猟銃、鉈、爆弾、槍です」

「変わらないわよ」

「武器を使っても熊には勝てないもの。でも走れば熊に勝てるわ」

「熊の最高速度は50~60km/hですが」

「じゃあ勝てるわね」

 

 

 案の定渋滞に巻き込まれたので心理テストで暇を潰している。しかし出題がブルボンなのはともかく、答える側がスズカではどうにもならないでしょうに。この子の心理なんて走ること以外に無いんだから。

 

 

「選択肢からお願いします」

「えー……じゃあ猟銃で」

「猟銃を選んだあなたは……結婚相手に対して家庭に入り守ってもらうことを望んでいます。つまり相手に家事を求めるということです」

「だ、そうです、トレーナーさん」

「なんで私に振るの」

「トレーナーさんが美味しいご飯を作ってくれたら私、頑張ってお金を稼ぎますよ」

「時代は共働きよ」

 

 

 もっとも、スズカ一人満足に養えないような男は私認めないけど。

 

 

「……ねえトレーナー」

「ん?」

「これさ……渋滞ってどれくらい続きそう?」

「え、うーん……まだ解らないかなあ」

「……そう」

 

「では続いて。あなたは草原で小さな花が群生しているのを見つけました。何輪咲いていましたか?」

「草原で……? 花を……? 走ってたら見付けられないわ、そんな小さいの」

「もし見付けたらでお答えください」

「待ったブルボン。もしそれが『将来欲しい子供の数』とかだったらそれ以上言わなくて良いわ。吐きそうになるから」

「しかしマスター、現在のペースで医学が発達すれば、マスターとスズカさんの子も不可能では」

「やめてマジで」

「どっちがお母さんでも良いですよ」

「やめて」

 

 

 漏れてくる結婚願望。やだやだ。私は嫌よ。絶対にスズカとはくっつかないから。いつかスズカに綺麗なウェディングドレスを着せてバージンロードを歩くのが夢おえっ。やめやめ。頭痛くなってきた。

 

 

「スズカさんが母体の方が子供がウマ娘になる可能性が上がるかと」

「それって両方女の人でもそうなのかしら」

「さあ……人間同士でもウマ娘が産まれるケースは稀にありますし、無関係かもしれませんが、もし関係していればそうなるでしょう」

「確かに……」

「確かにじゃないのよ」

 

 

 高速道路でさえなければ二人ともひっぱたいてるのに。

 

 

「トレーナーさんは子供は人間とウマ娘、どっちが良いですか?」

「スズカとの子でなければどっちでも」

「そんなことはないですよ」

「あるでしょ」

「ないです。トレーナーさんは私とずっと一緒なので」

「ふー…………殴りなさいブルボン」

「スズカさんへは手が届きません」

「私をよ」

「運転中は危ないですよ」

 

 

 こいつ、どうしてくれよう。殴らない代わりにコーヒーを私の口元に持ってきてくれるブルボン。今度お見合いとかしようかな。恋愛結婚はできなくても利害のあるパートナーとしてなら結婚できるかもしれない。そうなればスズカも諦めがつくでしょ。

 

 心理テストそっちのけで話し始めた二人の会話を聞き流しながら、でも今時ってどうやってそういうのやるんだろう、と考えていた。

 

 

「トレーナー」

「ん」

「まだ渋滞抜けない?」

「まだだね」

 

 

 相変わらず目の前には、車の列が立ち塞がっていた。




ウマ娘世界のウマ娘は女しかいない種族でかつ人間より上位なので、現実世界よりも同性関係周りが発達している可能性がある。


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欲望は漏れ出なかったダイワスカーレット

なにも関係無いですけど、仮にトレーナー養成学校が4年制だったとすると、ストレートに卒業してすぐ中央に来てクラシックのスズカと出会っているわけなので、今年25の年だったということになります。


 

「ねえトレーナー」

「んー?」

「あとどれくらいかかりそう?」

「さあ……」

 

 

 絶賛渋滞中。スズカとブルボンが話しているなか、スカーレットが結構頻繁に状況を聞いてくるようになってきた。シートベルトをしているから実際にはできないが、乗り出してくる勢いだ。そりゃイラつくわよね、スカーレットは。こんな大渋滞じゃ。

 

 うちの子達は基本的には気は長いし滅多なことではイラついたりはしないんだけど、気を張っているからか、そもそも気性が荒いからか、スカーレットだけはこういうのは苦手としている。

 

 

「スカーレットもやっぱりやる? 心理テスト」

「私はいい……それより、め、目安とか解らないの?」

「目安かあ……」

 

 

 何なら私もどちらかと言うとスカーレット……というか、普通の感性寄りなので日々イライラすることはあるし、渋滞も別に嫌ではある。私の場合は愛バを天然BGMにしているから平気なだけで。

 

 

「まあ……二時間とか? 正直解らないのよね。たぶん長さ的にはそれくらいだと思うけど」

「二時間……そう、二時間ね……」

 

「スズカさんが決めたバラの総数のうち、白が多いほど恋人に尽くす気概があります」

「え……じゃあ私ゼロじゃない。逆じゃないの?」

「……逆なのですか? スズカさんは尽くされる側では?」

「私だってトレーナーさんに尽くしたりもするわよ」

「どうやって」

「料理とかお洗濯とかできるし」

「見たことがありませんが」

 

 

 二人とも気長なので、ひたすら心理テストをやっていても飽きはしないらしい。さっきからスズカは発進停止を繰り返す度に少し悶えているけどこんなのいつも通りだし。

 

 その本、ライスシャワーに借りたらしいけど、まさか読破するつもり? さっきからスズカの性格診断が──信憑性はともかく──流れ続けてるんだけど。そんなのみんな知ってるって。

 

 

 ……あと、スズカが家事全般できるのは事実なのよね、驚くことに。

 

 

「失礼しました。私とスカーレットさんの能力しか把握していないので」

「それはまあ……どうなんですかトレーナーさん」

「能力はブルボンの方が高いでしょ。ただ日常生活で役に立つのはスズカじゃない? ブルボン、手抜きとかできないタイプだし」

「なるほど……ではスキル『手抜き』を習得すればよろしいですか」

「まあ、そうね……実際持っておいて損は無いかも。ある程度の仕事と家事だけね?」

 

 

 ブルボンなら勘違いはしないだろうし、私が言えた話でもないけど。トレーナー業の半分くらいこの目で踏み倒してるわけだし。

 

 そういえば、今年の通知表、どうしようかな……いい加減ブルボンもライスシャワーしか見ていないみたいな感じはあるから、ライバルとの比較はいらないかな……と思うんだけど。

 

 

 ああ、でも、あれね、スズカが来年どこで走るのかにもよるかな……ブルボンの次の目標はグランドスラムになるわけで、そうなると、どうしてもスズカの戦場と被る。一応スズカはマイルも走れるけど、マイルでスペシャルウィークを迎え撃ったら評判が落ちるなんてものじゃ済まない。

 

 それがラストランになる以上、適当な重賞ってわけにもいかない。これは相手にとってもトゥインクルでのラストランになるわけで、それが地方のよく解らんGⅢで開催なんてなったら暴動ものでしょ。いや、GⅢをよく解らんとか言えるのがまず贅沢なんだけどね。

 

 

「ブルボンは今年、通知表で見たい子とかいる?」

「マスターにお任せします……が、差し支えなければ来年走るであろうスズカさんやスペシャルウィークさん、グラスワンダーさん等を希望します」

「やっぱりそうよね」

 

 

 スズカのラストランには黄金世代が揃う可能性がある。キングヘイロー以外。そのうちブルボンにとってセイウンスカイは脅威にはならない。あれは低い能力を戦術で補うタイプだ。スズカ一点読みでなければ舞台には上がって来られない。スズカごと纏めて負けるか、スズカ相手の戦法が刺さらず惨敗か、だろう。

 

 となるとエルコンドルパサー、グラスワンダー、スペシャルウィークになる……が、このうち後ろ二人は爆発力を持っていると思われる。エルコンドルパサーは純粋に強いだけなのでステータス開示に意味があるが、残り二人は解らない。

 

 

「でもまあ、見ておくに越したことはないか……よし、今年もクリスマスに纏めて渡すからね」

「マスター、ライスシャワーにも渡すわけには」

「嫌」

「……そうですか」

 

 

 最近のブルボンはライスシャワーを強化したがる。やっぱりこの子、マの付く性癖の持ち主なのかもしれない。ライバルを強化して何が楽しいのか、ウマ娘のこういうところが一生解らない。スズカなら大喜びだけど。

 

 

「失礼ですね。私だってみんなが強くなってくれれば良いと思ってますよ」

「じゃあもし仮にブルボンがあなたより強くなって同じレースで逃げられるようになったらどうするの」

「私より前なんて出られるはずがないのでその前提はおかしいです」

「仮によ」

「……一緒に走れなくなってもブルボンさんは大切な後輩です」

「スズカさん?」

 

 

 ダメなんじゃん。

 

 

「ねえトレーナー……まだ渋滞抜けないの? もう三十分くらい経ったでしょ?」

「十分も経ってないけど……さっきからどうしたの。キレるなら声出してキレた方がすっきりするわよ」

「キレてない……十分しか経ってないの……?」

「スカーレットさんもやはり何かしませんか。気が紛れます」

「いえ……じゃあその、何かありますか」

「では……」

 

 

 スカーレットは恋愛とかしてなさそうだけどね。してたらそれはめでたいことだけど、普段から色々動き回ったり自分を磨いたりで忙しいから。ほんの一ミリでも恋愛に向けばすぐに恋人なんか作れるだろうけど。

 

 変にしおらしいスカーレットに対して、ブルボンがパラパラとページを捲る。『スカーレットに合いそうなもの』という曖昧な概念で自律思考ができるあたり、この子は立派になった……(保護者面)

 

 

「あなたは今夜道を歩いています。後ろから足音が聞こえてきました。あなたはどうしますか? 走って逃げる、戦う、立ち止まる、話す」

「想定してる状況が怖すぎるんだって」

「……走って逃げます」

「走って逃げる、を選んだあなたは、現在大きな困難の最中で、早急な解決を望んでいます。短絡的な解決方法も厭わないタイプで、直面している問題も緊急かつ切迫しています」

「診断が細かすぎる……」

「へ、へー……あんまり当てにならないですね、やっぱり……」

「声震えてるわよ」

 

 

 そんな差し迫った悩みとかあるの? 私に相談して? 何とかしたいからさ。

 

 

「続いて……あなたは水難事故に巻き込まれています。一分一秒を争う状態です。その状態で」

「他……他のでお願いします」

「あなたの目の前に破裂寸前の風船があります。あなたの手元には」

「他ので」

「あなたが旅行していると目の前に困難が現れました。それは次のうちどれですか? 一つ目、決壊間近のダム」

「わざとやってます?」

「何がですか?」

 

 

 何をしているんだか。その本大丈夫? 出版社とかがイカれてるんじゃない? 

 

 

「もっとこう、晴れやかなやつは無いんですか……」

「晴れやか……あなたは今、ちょうどトイレを済ませて」

「心理テストはやめましょう」

 

 

 スカーレットが背もたれに戻っていった。それを受けて、スズカがじっとスカーレットを見つめる。私もちらりとミラーで見ると、ひゅんひゅんに目線が動いている。

 

 

「スカーレットさん?」

「はい? どうかしました?」

「あの、揺れてるわ。座席」

「く、車ですから……」

「いえ、そうではなくて」

 

 

 ああ、そういう? 

 

 

「スカーレット、トイレ?」

「……いや、違うけど」

「本当に?」

「当たり前でしょっ」

「擽りなさいスズカ」

「待っ……解った。解ったから! さ、触らないでください本当に! スズカさん!? ちょっとぉっ!?」

 

 

 そういうことでしたか、と隣でブルボンが本を閉じた。スズカにがおーっとやられて怯えるスカーレット。さて、どれくらい絶望かしらね。私も現実から逃げたくなってきた。大渋滞、大人一人、超有名人の思春期女子、スリーアウトってところかしら。

 

 

「ちなみにスズカとブルボンは? 大丈夫?」

「私は全然……」

「ゼロではありませんが、許容範囲内です」

「残り時間は?」

「三時間オーバーです」

 

 

 よし。良かった。何も良くはないけどヨシ! 

 

 さて、それで本番だけど。

 

 

「スカーレットは、どう。どれくらい我慢できそう?」

「ふ、ふん……ほんのちょっとだし……そんな、人を我慢もできない子供みたいに言わないでよね」

「そう、じゃあ解決策はいらないわね」

「ま、まあ? 一応聞くだけ聞いておこうかしら!」

 

 

 まあ、正直問題はない。一瞬絶望しかけたが、普通にこれくらいのことを対処できない中央トレーナーなどいるはずがない。あります、ちゃんとそれ用のやつが。グローブボックスに入ってます。

 

 ……ただ、あることと使えるかどうかは別だし。流石のブルボンでも入院中人前では恥ずかしがっていたし、それがスカーレットならなおさらだ。プライドも羞恥心も段違いに高いからね。

 

 

「まあ言ってみなさい。どれくらい我慢できるの」

 

 

 使わないに越したことはない。そう思って聞くと、スカーレットは顔を覆ってぐっと背筋を伸ばした。嘘みたいな小声で呟く口元だけが見える。

 

 

「ま、まあ……三……」

「三時間?」

「さ、三十分くらいなら……ギリ……何とか……」

 

 

 あら瀬戸際。

 

 

「もー。早く言わないとダメですよスカーレットさん」

「し、仕方ないじゃないですか! サービスエリア出て五分でしたくなるとか、や、ヤバい奴みたいで!」

「ええ……そのコーヒー何が入ってるんですか?」

「こんなの不平等じゃない……! どうして同じものを飲んでるブルボン先輩やトレーナーは何ともないわけ……!?」

「流石に解りかねます」

「中央トレーナーなんてのはね、依存ギリギリまでカフェインを摂って身を削ってる人ばっかりだから、今さらどうってこともないのよ」

「もう……っ!!」

 

 

 スカーレットが前の座席を掴んで頭をこつん。ブルボンが座席ごと揺れ始めた。

 

 

「早く、早く抜けなさいよ……!」

「無茶言わないで? どう見ても無理でしょ」

「真ん中が空いてるじゃない!」

「バイクじゃないんだから」

「中央分離帯が!」

「あそっち? バラバラになるわ」

 

 

 どどどど! と座席を叩くスカーレット。ブルボンが、あ、あ、あ、と呻く。

 

 

「降りて次のパーキングまで走ります? 私も付いていきますよ」

「普通に違反なのよね……そもそもスカーレットは走れないでしょ」

「ブルボンさんが担げば良いじゃないですか」

「それだとあなたただ走るだけじゃない……というか揺らしたらスカーレットがダメでしょ」

「何でも良いから……早く飛んで……! ジャンプ……!」

「意識が朦朧としていますね」

 

 

 そろそろ助け船を出そうかな。ま、本人ももはや選択肢がないって解ってるでしょ。

 

 

「スカーレット」

「爆発すれば全部無かったことになるんじゃない……? そうよ、これは夢……爆発オチ……」

「仮に夢だったらスカーレットさんおねしょ確定じゃない?」

「あああああ……っ」

「はいはい。良いから諦めなさいな」

 

 

 がくがくと震え始めたスカーレット。ブルボンに言ってそれを二つ取り出してもらう。一応遠出なので、何かあった時用に人数分買ってある、外出用の携帯トイレである。まあ背に腹は何とやら、どうしても嫌なら座席を汚しても構わないけど……ね? 

 

 

「無理、無理無理無理無理無理!」

「無理でも良いから持っておきなさい。別に体を壊さなきゃいくら頑張っても止めはしないから」

「いやだぁ……!」

「はいはい。する時は言ってね。全員で大声出すから」

 

 

 欲望とプライドの間で揺れ動きながら本人も動き回るスカーレット。精神衛生上頑張ってほしいけど……まあ無理でしょうね。ここからしばらくは覚悟の時間かな。

 

 

 そうしてしばらくスカーレットを待つ。車内に緊張感が走り、スカーレットが揺れ動き大きく息を吐く音だけがする。そして十分と少し経過、ついにスカーレットが動いた。

 

 

「……うぅ」

「する?」

「……トレーナーもして」

「は?」

「私一人は嫌ぁ……っ!」

「嘘でしょ……」

 

 

 とんでもないことを言い出している。駄々をこねている感じではない。しっかり正気だ。正気のまま私を巻き込もうとしている。普段の距離の近さが完全に仇となっている。

 

 ……が、ここで私には選択肢がない。ここで強く拒否をしても良いが、それをすればするほどスカーレットの抵抗感を煽ってしまう。なんというか、保護者としては一択なんだけど、人間として躊躇いが半端じゃない。

 

 

「なるほど」

「ブルボン?」

 

 

 そしてノータイムで私のズボンに手を掛けるブルボン。待って……マジで……ッ!

 

 

「落ち着いて二人とも……大丈夫よスカーレット。みんなの性格は知ってるでしょ? 気にする人なんかいないって……!」

「それでも一番はイヤァ……ッ!」

「スカーレットさん……そんなに……!」

 

 

 確かにスカーレットが一番を拒否するなんてよっぽどだけどさあ……ッ! スズカは面白がってるでしょ! 私なら笑って良いとかじゃないからね! マジで! ねえ……っ! 

 

 

「ブルボン? ブルボン!」

「マスターは完全に着座していますから、この状態で用を足すには少なくとも膝まで、あるいは足首まで脱ぐ必要があります」

「解るけど一回止まろう! ね!」

「時間がありません」

「ねえっスカーレット考え直して! ヤバいって! 私手ぇ放せないんだって!」

「早くして……! 次は私だから……ッ!」

「承知しました」

「ブルボンッ! ブルボンッ!」

「ふっ、ふふふっ、ふふ、ふふふ……」

 

 

 息を殺して笑うスズカ、もう止まれないスカーレット、力ずくで私を脱がすブルボン、真っ昼間に車の中とは言え露出し始めている成人女性。尊厳がっ。尊厳が失われるっ。

 

 

「お、往生ぎ、ふふっ、際が悪、悪っ……くっくっ……んふ……悪いですよ……」

「これはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのため……」

「暗示が本気過ぎる……ふふふ」

 

 

これはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのためこれはスカーレットのため………………!!!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

「コロシテ……コロシテ……」

 

「スカーレットさんは私が押さえておく?」

「ん……ぐ、ふぅ……い、いいです、やっぱり私、我慢します……っ」

「大丈夫なの?」

「なんか、う、動いてる感じあるので……っ、これならギリ間に合う……ッ」

「あらほんと。思ったより早かったわね」

 

 

「コロシテ……コロシテ……」

 

「あとその……思ってた百倍恥ずかしくて……あ、私絶対無理だって……」

「まあ、そうよね……良かったですねトレーナーさん」

「ナニガ……?」

「スカーレットさん、頑張ろうって気持ちになりましたよ」

「マスターの献身の効果です」

「ヤメテ……」

 

 

 わんわん泣くまであと一言。




ド○えもんで一番好きなエピソードは悪魔のイジ○ールです。


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褒めて褒められダイワスカーレット

東北は宮城岩手福島しか行ったことないから雪国エアプかもしれません。でも嘘みたいに雪が積もってたことだけは覚えてます。


 

「おぉ……」

「ブルボンの地元は雪は降らない?」

「あまり降りません」

「にしても凄いわね……まさに雪国って感じ」

 

 

 現地に入り、ホテルまでの道にて。十二月も真っ只中、東京では見たことがないくらいに雪が積もっている。ちょっと感動。三人とも珍しく普通に感動している。スズカも雪が好きなので、流石に窓の外を見る視線が違う。

 

 

「お祭りはいつ?」

「日が落ちてからね。ライトもつくし」

「じゃあ一旦お昼ですか?」

「そうねえ」

 

 

 ホテルに着き、荷物を任せてチェックイン。そのまま部屋まで三人に運んでもらう。こういうときウマ娘を連れると楽ね。この子達にとってスーツケースの一つや二つ存在しないのと一緒だから。

 

 部屋は分ける理由もないので四人で一部屋としている。適当にテーブルに座ると、早速スズカが肩にもたれかかってきた。

 

 

「んーっ……」

「出た」

「出たって言わないで」

「スカーレットさん。昼食を決めましょう。二人はこの際放置します」

「いや珍……あ、はい。じゃあ決めましょうか」

 

 

 完全に贔屓だけど、スズカにとってこの移動だけでもかなり消耗があったはずだ。渋滞中も、前に出そうになっては止まってを繰り返す車の挙動で目付きが変わりつつあった。よく我慢できたものだと思う。

 

 流石にブルボンが旅行の主役だということは解っているらしい。一般道に降りて適当なところでチェーンを巻いている時も、私だけ走りに行きます、とは言わなかった。言いそうな空気だけはめちゃくちゃ出てたし、たまたま見かけたランナーをじっと見つめてはいたけど。

 

 

「お昼は適当でも良いですか?」

「いえ、むしろ夕食は屋台のものもありますし、ホテルでもとれます」

「あ、なるほど。じゃあお昼は食べ放題とかにしますか」

「バカねスカーレット。普段のご飯じゃないのよ。これはブルボンのお祝いも半分なんだから、ケチらず普通の料金で探しなさい」

「やるぅ」

 

 

 もたれるスズカの首もとを擽ったり、笑うスズカの唇をなぞったり。くすくす笑うスズカのお腹に触れると、きゅるるる、と小さく鳴った。

 

 

「スズカもご飯を考えてきたら?」

「んー……あっ無理です、離れると走りたくなります」

「ええ……昨日の夜走ったでしょうが」

「空気が良くて、雪が……あぅ、ちょ、ちょっとだけ走ってきて良いですか? お昼までには戻るので、軽くお腹を空かせるだけ」

「良いけど一回にカウントするからね。今日走ったらそこから我慢よ」

「ぐっ……」

 

 

 ぐっ、じゃないのよ。

 

 

「トレーナー! 良い感じのお寿司があるんだけど!」

「んー……まあ、まあ……構わないけど」

「許可を得ました。予約しましょう」

「予算、書いてないですね」

「……? 書き忘れでしょうか」

「んっ」

「むぎゅ」

 

 

 待って、と言いたいのをスズカを抱き締めることで我慢する。まあ、お、お祝いだし? 三人の金銭感覚がマトモなのは普段の生活で解ってるし? さ、三冠ウマ娘なんだからそれくらいはね? でもその、私、小市民だからさ。そういう、ウマ娘の食べ方をしたらどういう会計になるか解らない店は怖いわ。

 

 

「私の老後……」

「私が稼ぎますよ?」

「やだぁ……」

 

 

 私の腕から顔を出して、ふふん、と笑うスズカ。この子は……胸に触らないで。押し倒さないで。

 

 

「私は一人で生活できるから」

「そんなこと言わずに。二人で暮らした方が楽しいですよ」

「いーやだ」

「じゃあトレーナーさんは一人と二人、どっちが良いんですか」

「一人」

「解りました。ブルボンさんもつけます。スカーレットさんも」

「一人」

 

 

 あと二人の人生を勝手に決めないであげて。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「やっぱりこうなるのね」

「まあ良いんじゃない? ブルボン先輩は嬉しそうだし……スズカさんはまあアレだけど」

「覚悟しておきなさい。あなたも来年ああなるのよ。三冠もトリプルティアラもそう変わらないんだから」

「……ふーん」

 

 

 昼食後。メニューが時価のお寿司屋さんは普通に断られた。それはそう。ああいうお店は諸々こだわってたりするので、その気になれば店の食材を食い尽くせるウマ娘は無条件では入れてもらえない。収益メインのお店とかだと貸し切らせてくれたりするけど、職人気質の方だとそういう独占を許してもらえない。

 

 ただ、ちゃんと食べる量が決まったコースなら許されたのでそれを堪能した。足りない分は近くに市場直結の海産のお店があったのでそこでお腹いっぱいにした。刺身とか鍋とか揚げ物とか、本当に美味しそうに食べるものだ。

 

 

 で、ちょっと休憩兼デザートということでそのままそこで時間を潰していたんだけど、普通にバレた。流石は日本一の興業、ウマ娘レース。どこに行ってもスズカとブルボンは有名人だ。それについてはもうどうしようもないし、本人達もそれなりに楽しく思っているようなので好きにやらせることにする。

 

 

「ま、当然っちゃ当然か。ウオッカももう次代のエース扱いだって。サインってどうやって書くんだーって学校で悩んでたわ」

「スズカも悩んでたけどね。トレセンにはそういうのを聞いてくれる人もいるのよ。トレーナー経由で連絡できるはずだけど」

「ああ、アイツは『サイン書けないから教えてくれ』とか言えないタイプだから」

「難儀な性格ね……」

 

 

 二人がファン対応をしている間、まだ顔面人気しかないスカーレットは休憩中だ。私も呼び掛けが聞こえる距離でスカーレットと話している。スズカもブルボンも慣れているから大丈夫でしょう。NGもちゃんと理解しているし。

 

 ……相変わらずトップウマ娘は凄い。大体の場所をそのままファンミ会場として貸してもらえるし、むしろ喜んでやってくれと頼まれるまである。人気もあるが、本人にカリスマというか、人を惹き付ける才能がある。ギリギリまでトレーニングに明け暮れていてろくすっぽ対策をしていなくてもウマ娘が就職にあぶれないのはこういうところだ。トレセンの力もあるけど。

 

 

「スズカさん達はどうしてるの?」

「二人とも凝ったサインが必要なキャラじゃないからね。基本はただ名前を書くだけで何とかなってるかな」

「え、じゃあ私もいらない?」

「どうして?」

「可愛い系の真面目で清楚な感じでしょ、私は」

「清楚……まあ、清楚、清楚か……?」

「はっ倒すわよ」

 

 

 清楚には外見も必要じゃない? スカーレットの見た目ではちょっと。あとおっぱいでかすぎ。

 

 

「きゃぴきゃぴアイドルの方が可能性ありそう」

「それだとサインを凝らなきゃじゃない。優等生なんだから清楚で良いでしょ」

「あなたよく考えなさいよ。赤髪ツインテールの清楚がどこにいるの」

「……一理あるわね」

 

 

 ツインテールはやめられないわね……とぼやくスカーレット。まあ、なるようになると思うけどね。結局ファンにどう見られるかでしかないんだから、どう見られてるかがそのまま本人の魅力ってことなのよ。たまに自分の願望とファンからの扱いの差に悩む……まあシンボリルドルフみたいなのもいるけど、そういう風に見られている時点で、なのよね。

 

 スズカとブルボンもそう。走ることしか考えていない依存症患者とキツいトレーニングほど喜びを感じるマゾなんだけど、ファンからは孤高でストイックなクール系と夢のために悪徳トレーナーに魂を売ったヤバい奴と思われている。

 

 

 ……ブルボンだけどっちにしろだな? 

 

 

「まあ真面目で可愛い系まではその感じならいけるでしょ。走ってる時は凄い顔してるけど」

「え……私そんな顔してる? みんなと同じくらいとかじゃなくて?」

「こう、いくつかあるじゃない、タイプが。笑ってるのと、真剣な顔なのと、食い縛り顔とさ。あなたは最後のタイプね。気合いで走ってるとそうなりがちなのよ」

「……ほんと? うわ……次から気を付けよ……」

 

 

 自分のキャラ付けに悩み始めたスカーレット。今の感じでも十分可愛いわよ、と笑いかけると、ばん! と机に突っ伏してしまった。ま、ウオッカとの兼ね合いもあるでしょうからね。彼女がクール系になれば自ずと熱のあるところが話題になるだろうし。

 

 

「マスター。撮影をお願いします」

「はい。スマホですか? じゃあツーショット……」

「いえ、私とマスターです」

 

 

 また……? 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「禁止にしようかな、私とスズカ達のツーショットを撮るの」

「良いじゃないですか。私は嬉しいですよ? 結構SNSにアップしてくれてますし」

「してくれてる……?」

「証拠は多い方が良いですからね」

「何の話してるんですか」

 

 

 夕暮れ前。みんなでお祭りに行く準備をしながら撮った写真がアップされるのを見ていた。恐ろしいことに、ファン達の間にはトレーナーとウマ娘の関係性を尊ぶ文化がある。実際ウマ娘と専属トレーナーの結婚率は結構現実的な割合なので間違ってはないけど、それが私達にも適用されている。

 

 で、スズカもブルボンも写真アップロードOKのタイプだから、ハッシュタグには結構な数私がいる。

 

 

「最近はブルボンとのやつも増えてきたし」

「まあしょうがないでしょ。アンタ顔は良いんだし」

 

 

 トレウマってやつ? 男女でやると絵にはなるんだろうけどね。話題性もあるし。でも私女なのよね。トレセンにはイケメンも多いし、そういう高身長イケメンエリートと可愛いの権化ウマ娘が並べば絵になるのは解る。

 

 

「でももう二十代半ばだからねえ。何ならアラサーって言う人もいるくらいの年齢だし」

「……いや、まあ……普通に若く見えるけど」

 

 

 ……ほんと? 

 

 

「いくつに見える?」

「んー……まあ、十代……十九とか? 高校生にしてはちょっと大人かも。まあ言い張れば否定はできないくらい……?」

「そんなに若く見える……?」

「まあ正直」

「やったぁ」

「むぎゅぎゅ」

 

 

 教え子に褒められたくらいでめちゃくちゃ嬉しくなる。そんなに若く見えるんだ私。まあ? スカーレットはお世辞とか言わないだろうし? じゃあ事実ってことよね。ふふん。まだ若い。嬉しいのでブルボンを抱き締めた。

 

 

「どうしてですかね? トレーナーさん、あんまり気を遣ってる感じじゃなさそうですけど」

「バカ言わないで。毎日めちゃくちゃ考えて生きてるわよ」

「別にどっちでも良いですけどね、私は」

 

 

 ツイートを探していいねをするスズカ。まあ、同年代の他の人ほど気を遣ってないけどね。普通に忙しいし。ブルボンを抱きながらぐりぐりとスズカを脚で叩く。写真を撮るとき自分を写さないタイプが半分くらいいるのよね、不思議なことに。

 

 

「見てくださいトレーナーさん。お似合いカップルですって。この人フォローしよ」

「どういう基準でフォローしてるの……」

「その場の勢いです」

 

 

 ファン格差とか、気にした方が良いんじゃない?




まるでほのぼのいちゃラブコメじゃん(本懐)


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屋台を満喫するミホノブルボン

 

 夕暮れから少し。私達はしっかり厚着をしてお祭りに出ていた。どうやら少しだけ暖かいらしく、今のところ雪は降っていない。ただ、雪解けほどは気温が上がらず降り積もったものがかなり残っている。ホテルから徒歩の距離で良かった。

 

 ここに到着した時もそうだったが、うちの子達は雪にウキウキになっている。一番落ち着いているスズカが個人的に雪が大好きで、ブルボンとスカーレットはまだ情緒が幼い……二人の年齢差っていくつあるんだっけ? 

 

 

「スズカは寒くない?」

「めちゃくちゃ寒いです」

「でしょうね」

 

 

 雪の音という謎概念が好きなスズカは、何とこの寒いなかイヤーキャップを外している。ウマ耳がぴくぴくと震えていて非常に痛ましい。頭を撫でるついでに指で挟んでちょっとでも温めてみるが、こんなの焼け石に水か。

 

 

「じゃあ三人にお小遣いをあげるわ。足りなかったら言ってね」

「屋台で出す札じゃないのよ、一万円札は」

「シンプルに経営側に迷惑ではありませんか?」

「冗談よ。ちゃんとたくさん小銭持ってきたから」

 

 

 三人お揃いのポーチにそれなりの数の小銭を入れさせる。ほとんど揃って行動するけどね。楽しみにしすぎたあまりモコモコジャンバーとマフラーとキャップと専用イヤーカフを着け、もはや誰だか解らなくなりつつあるブルボンは着膨れしてポーチに手が届かない。

 

 

「……小銭を扱えません」

「だから言ったじゃないですか。着込みすぎです」

「しかしこういった気候帯は初ですから、入念な準備が必要だとフラワーさんが」

「だから一泊二日なのにスーツケースが二つになるんですよ」

「しかし今私はスカーレットさんより温かいです」

「マジで十分もしたら暑くて嫌になりますよたぶん」

「早めに言ってね。汗かいたら風邪ひくから」

 

 

 言った途端頭の装備を全部外すブルボン。何やってんだか、もう。いつもの雑変装で、早速屋台の多い通りに出る。屋台の料理が発する熱気で思いの外暖かい。ブルボンがまた一枚脱いだ。

 

 

「どこ行こっか。やっぱりホットスナック的なものの方が良い?」

「金魚すくいを所望します」

「それは夏限定かなあ」

「かき氷は」

「それも夏だけじゃない?」

「……そうですか」

 

 

 ブルボンががっかりしてしまった。可哀想。また夏は連れてきてあげようね。もっとも、来年の夏は秋の天皇賞でライスシャワーに勝つためにまたずたぼろになりたがるんでしょうけど。

 

 

「探せばあるかもしれないから、ね? 適当に買いながら進みましょう。手ぇ繋ぐ?」

「繋ぎます」

「私も繋ぎます」

「スズカはダメ」

「どうして……」

 

 

 すぐに指を絡ませようとするから。

 

 

 むむ……と睨むスズカは目の下あたりをぐしぐしして宥める。別に普段から手を繋いでいるわけでもあるまいし、そう簡単にブルボンに対抗しちゃいけません。歩きながらも時々スズカの様子を見て、ぶすっとする頬を指で突く。ふひゅ、と音を立てた唇は、十分もすればご機嫌に戻っていった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「難しいですよー射的は」

「いや本当に。私とスズカは全滅だったんだから」

「それは二人が不器用なだけじゃない?」

 

 

 ご飯は後で良い、とのことで、とりあえず遊べる感じのものに行くことにした。こっちは結構夏と変わらない。まあ、別に食べ物もそんなには変わらないけど。よく考えると夏も温かいやつばっかりだし。火を通すからしょうがないけど。

 

 

「先に予言しておくわ。ブルボンはたぶんプロ」

「でも屋台の射的は初めてでしょ? これがスナイパーライフルとかなら上手くできそうだけど」

「スナイパーライフルならできるのね……」

 

「はいお嬢ちゃん。頑張ってね」

「残弾四発。一発をテストに設定。装填……狙います」

 

 

 ぐっと身体を前に出して銃を構えるブルボン。パンツルックで良かった。ほとんど水平になってるじゃない。ゆっくりと狙いを定めて引き金を引いた。一等の端っこに当たり、ほんの少しだけずれたようにも見える。

 

 

「なるほど」

「何か解ったんですか?」

「分析完了。次は倒します」

 

 

 屋台の射的ごときにあまりにも本気過ぎる。

 

 

「撃ちます」

 

 

 コンマ一秒レベルでカウントできる精密性と、ウマ娘のパワーで押さえつけることによるブレの低減。初体験とは思えない精度でブルボンが撃ったコルク弾が、綺麗に一等に当たり……特に何も起きなかった。

 

 

「バカな……」

「ちなみにブルボン、コルク弾は均一じゃないのよ」

「……なるほど。理解しました」

 

 

 再び構えて撃つ……同じようなところに当たり、同じように何も起きなかった。何が起こっているのか解らないが、ブルボンのウマ耳がふにゃふにゃになってしまった。残弾も外れ、落ち込んだブルボンが私の横に帰ってきた。

 

 

「ミッション、失敗……」

「まあしょうがないわ。そう簡単に倒せたら一等じゃないじゃない」

「そうですよ。トレーナーさんなんて当てることもできないんですから」

「それはスズカもでしょうがーっ」

「ふぁいふぁいふぁい」

 

 

 頬をつねって解らせる。ま、屋台の遊びなんて外れて当然という気持ちでやらないとね。頭をぽんぽんしているとスカーレットも挑んでいった。期待はゼロだから適当に見ていたけど、案の定全て外していた。ブルボンとお揃いのくるくるの飛び出す紙のやつを貰ってくる。

 

 

「残念賞ね」

「待って。射的は向いてなかっただけよ。輪投げとかならブルボン先輩なら楽勝でしょ」

「確かに……!」

 

 

 しゅこっしゅこっとやりながらブルボンがはっとして辺りを見回した。確かに、じゃないけど。そんなに悔しかった? 射的ができないの。早速見付けたようでスカーレットの手を繋いで駆け出すブルボン。

 

 

「楽しそうですねえ」

「そうね」

「ところで、ものは相談なんですけど」

「走ること以外なら聞くだけ聞いてあげるわ」

「走ること以外でも聞くことしかしてくれないんですか……?」

 

 

 私の肩にすり寄ってきて頭を擦るスズカ。剥き出しのウマ耳が本当に寒そう。痛々しくなってきたので、持っていたキャップを被せる。暖めるためにちょこちょこっと揉んで擽ると、ふふ、とスズカは笑って無理やり私の手をとって繋いだ。

 

 

「で? 走ること?」

「……いいえ? こんな平和な時間がいつまでも続けば良いなって」

「誤魔化し方が雑なのよね。全然相談じゃないし」

「ちょっとした冗談じゃないですか」

「じゃあ走るのは無しね」

「もうっ」

「ふふ」

 

 

 触れた手があまりにも冷たかったので、手を繋いだままコートのポケットに突っ込む。中でむぎゅむぎゅされたので握り返すと、さらに強めにやられた。痛すぎ。

 

 

「何するの」

「何もしてませんよ?」

「……やっぱ手ぇ繋ぐのやめようかな」

「あっ、もう、ちょっとしたお茶目じゃないですか」

「いらなーい」

「いりまーす」

 

 

 んーっ、と私の腕に寄りかかってくるスズカ。少しずれている変装メガネを整えてあげて、二人を追って歩き出す。特に理由も無く心拍数が上がっていた。この子、もう走りたくてたまらなくなってない? 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ミッションコンプリート。上々の成果です」

「私は……何もできないし、何も凄くない……」

「まあまあ。こういうことでブルボンに張り合うのが間違いなのよ」

 

 

 少し立ち止まっている間に二人を見失い、適当にぶらついて合流した頃には既にご機嫌のブルボンと絶望にうちひしがれたスカーレットができあがっていた。本当に、頭も良いし器用だし努力家だし猫を被る以前に素の性格も良いのに……ウマ娘の性質が強くて変にプライドが高いから、自分に不利なジャンルで張り合ってしまうのよね……。

 

 合流までに色々回ってご機嫌なスズカと、屋台の景品を両手一杯に持つブルボン。お腹も空いただろうから、色んな所でちょっとずつ買いながら適当なスペースを目指す。

 

 

「ごめんママ……私、特別じゃなかった……」

「そんな、田舎から出てきた本物を知らない天才みたいな」

「上には上がいるのね……」

「マスターとしては最も才能があるのはスカーレットさんではありませんでしたか」

「そうね、スカーレット、ブルボン、スズカかな」

「……いえ、スズカさんと私は逆であると認識していますが」

 

 

 右手がスズカで埋まっているので左手でスカーレットに触れる。こんなことで本気で落ち込んでいるようで、スズカにするように喉元を擽っても抵抗してこない。

 

 

「スズカは走り癖があるから結果として速くなったわけで、距離適性も狭いし身体もそんなに丈夫じゃないし。ブルボンの方がまだ才能があるわ」

「そうでしょうか。天性のものでは?」

「それもあるとは思うけどね。どちらにせよスカーレットが一番才能には溢れてるんじゃない」

 

 

まあ身近だとウオッカが圧倒的だから、上には上がいるってのは間違ってないけど(超小声)。

 

 

「……本当に?」

「ええ。才能のスカーレット、努力のブルボン、あほ栗毛のスズカ」

「えっ……私にも何か無いんですか? 最速とか最強とか最速とか最速とか」

「まずアホを否定するべきでは?」

「アホじゃないですよ!」

「今の受け答えが最高にアホ」

「ま、良いわ。お腹空いたから早いとこ座れるところ探しましょう」

「あの、何も良くないんですけど」

 

 

「……! ご覧くださいマスター。あのにんじん焼きを」

「どれ……うわたっっっっか! 嘘でしょ? にんじん一本の値段じゃないじゃない」

「買ってもよろしいですか」

「良いわよ。三冠とったから三本買って良いわ」

「では一人一本で、マスターには私が一口差し上げます」

「何言ってるの。ブルボン一人で三本に決まってるでしょ」

 

 

 終始結構きょろきょろして楽しんでいる様子のブルボンだったが、お腹が空いてくるとさらにウマ耳がぴこぴこして尻尾を振って私の袖を引いてくる。小さな子があれ買って! している感じが可愛くて、頭を撫でつつ嘘みたいな値段のにんじん焼きを購入。ブルボンの口に一本突っ込む。

 

 

「あーん」

「あー……む、ん、ぐ、はふ、は、はっはっはっ」

「熱いでしょそれは」

「ふは、は、ふほは……美味しいです」

「美味しいんだ……」

「残りも熱いうちに食べましょう。スペースの確保を最優先とします。後から合流してください」

 

 

 そう言って駆け出そうとするブルボン。人がたくさんいるから走らないようにね。私はスズカとゆっくり追いかけるから。両手に景品のブルボンと両手に食料のスカーレットが前に出る。

 

 

「気を付けるのよ。ぶつかったら危ないから」

「細心の注意を払います。では……」

「待ってくださいブルボン先輩。先輩一人じゃ連絡が取れないです」

「そうでした。急ぎましょうスカーレットさん。焼きそばとホットドッグとフライドポテトお好み焼き大判焼きたこ焼イカ焼きにんじん焼きわたあめ唐揚げ竜田揚げ焼きおにぎりじゃがバタケバブ焼きとうもろこし牛串焼き鳥が冷めます」

「えー……んーっと……いやわたあめは冷めないですよ!」

「ありがとうございます」

「今本当にツッコミ合ってた?」

 

 

 あとそのメニューを人数分は買い過ぎね。残さず食べるのよ、マジで。




ブルボンが腕を振りながら銃を撃つことで弾速を上げて一等を倒すルートもありましたが、流石にやりすぎなのでやめました。


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雪の夜を走るサイレンススズカ

でもウマ娘はコケることに対する耐性は高そう。


 

「んふ、えへへ、ふふっ。トレーナーさん、早く、早く行きましょう」

「はいはい。ちょっと待ってあげて」

 

 

 夜。一応スズカとブルボンは日本で並び立つ方が難しいほどの有名人であり、スカーレットも一応それなりにファンがいる。エルナトのファンサの制限は緩く、道端でも迷惑でなければやるけれど、流石にお風呂は色々と問題を誘発しかねないので人目を避ける必要がある。

 

 事情を説明した上で深夜の時間外に貸切風呂を予約して、ついに爆発したスズカが真顔でランニングの権利の行使を申し出てきたのがさっきのこと。夕食後、部屋でゆっくりしたり、ブルボンがライスシャワーに写真を送ったりしていた時だった。

 

 

「気を付けてね。ウマ娘にこんなこと言うのもなんだけど、転ばないように」

「ん。了解」

「問題ありません。降雨時の坂路トレーニングの経験があります」

「雨と雪は違……え? 雨の日も坂路やってたの? 怖……」

 

 

 ブルボンとスカーレットもたまにはスズカと走りたいとのことで、全員で外に出てきている。蛍光部分のあるランニングウェアと専用のシューズはスズカがたくさん持ってきていた。たくさんはいらないでしょ。

 

 

「何があるか解らないじゃないですか」

「逆に何を想定していたの」

「突然トレーナーさんが私に甘々になって制限無く走らせてくれる可能性はありましたよね」

「いや、たぶん無いですよ」

「1%でも可能性があるならそれに賭けたいです」

「0%でしょう」

 

 

 部屋の玄関でくるくる回りながら私達を待つスズカ。相変わらず一人だけ着替えるのが早い。用意されたシューズにはちゃんと二人のサイズのものもあったので、それを履こうと二人がしゃがむ。

 

 

「これ、冬用ですか?」

「正確には雪用です。いわゆるミドルカット、ハイカットと言うんですが、足首が高いものですね。それから、防水性ももちろんなんですけど、中からは湿気を通す作りになってます。あとはスパイクですね。チェーン型なのでウマ娘の踏み込みでも……まあ実際に履いたことは少ないので解りませんが、たぶん普通よりマシだと思います。冬用というと防寒性とか防風性で終わっているものもあります。機能追加版みたいな感じなので雪用を買うのが良いですが、ウマ娘用はチェーンの固定が強くて普通の工具じゃ外せないので。ただ寒いだけの日はカチャカチャしますし、こう、足の裏で地面を踏み込む感覚が無くなっちゃうのであんまりおすすめはしません」

「詳しい……」

「あ、ブルボンさんはこっちの方が良いですよ。少し足囲が大きめの方が合うと思います」

 

 

 ランニングジャンキースズカ。ここまで言っておいて、自分のシューズは少し厚いだけの普通のシューズというのも凄い。スズカだけは慣れているので、できるだけ普通のもので走りたい、みたいな感じだろう。危ない……とはならない。スズカだし。

 

 何ならスズカのシューズの中には特注品も混ざっている。オーダーメイド自体はウマ娘としてはよくあるというか、レースやトレーニングのシューズは半数くらいはオーダーメイドではある。ただし、普段使いのシューズとか、いつか使うかもしれない下駄箱のシューズまで趣味で頼んでるのはスズカくらいじゃないの。

 

 

「足首をちゃんとストレッチしておいてくださいね。ちょっと負担が掛かるので。それと、慣れないうちはゆっくり走ると良いですよ」

「スズカさんと一緒に走りたいんですけど、待ってくれたりします?」

「ランニングは一人でやるものです」

「マスター。私達の調整が終了するまでスズカさんを制止できますか」

「無理」

 

 

 できるわけがない。今ここにスズカがいてくれるのもスズカの理性次第なのだから。

 

 

「ではトレーナーさん。私はもう行きます。我慢できないので」

「ちゃんと端末は機能してる? 水分はとった? 応急セットは?」

「全部大丈夫です」

「よし。じゃあ行ってらっしゃい。日付が変わるまでには帰ってくるのよ」

「はいっ」

 

 

 とたとたと早歩きで動き出すスズカ。その後をブルボンとスカーレットも追っていった。建物内はちゃんと歩くから偉い。偉いの基準が低いような気がするけど。私もゆっくり部屋を出る。どうせスズカの走っているところは私には見られない。絶対に追い付けないからだ。雪があるなかでバイクを借りてもスピードを出せないし。

 

 

「……お風呂行こうかな」

 

 

 家なら時間なんて守らない可能性が高いけど、流石に出先ならちゃんと言いつけ通り戻ってくるだろう。それまでは普通に暇だし、大浴場も行ってみたいし、確かマッサージとかアカスリがあるみたいな話も聞いたし。

 

 

 

 ────

 

 

 

「ただいま戻りました、マスター」

「あ、ブルボンお帰──」

「はあっ、はぁっ、はっ、はっ、はっ……」

「す、スズカさん! 落ち着いてください!」

「ま、待って、放して、あと少しだから、あと五分で良いから、あの道、森の道に」

「この暗さでこの地面で山道は無理ですよ!」

「無理じゃないから、無理じゃないこと見せるから、お願い許して、行かせてっ……!」

「ご覧の状態です」

「ええ……」

 

 

 日付が変わるギリギリに、ちゃんと三人が戻ってきた。三人で戻ってきたというか、スズカを二人がかりで掴んできている。ブルボンはスズカの押さえ方を完全に把握しているし、流石のスズカも右腕一本では抗えないらしいが、スカーレットは左腕を押さえきれていない。

 

 抵抗するスズカにかなり振り回されているスカーレット。完全に腕を抱き締めて固定しているのに、なおパワーで負けている。凄いなあスズカは。放っておけばそのうちスカーレットを振り解いて、ブルボンと一騎打ちで勝ってしまうんだろうな。

 

 

「トレーナー! 早く!」

「はいはい」

「ふぎゅ」

 

 

 スズカの引き渡しを受け、胸に埋めて抱き締める。どんなに余裕がなくても、スズカは私が触れれば無意識に力を抜いてくれる。スカーレットに対しての暴れ方をされると私の身体なんかバラバラだけど、腕と胸の中でもぞもぞと動き回るスズカは私でも押さえ付けられる。

 

 

「あっぶな……助かったわ」

「お疲れ様ですスカーレットさん。もう少しパワーのトレーニングが必要ですか」

「いや……こんなことでそんなこと実感したくないんですけど」

「先にシャワーを浴びてください。私は預けてきたバッグを持ってきます」

 

 

 あなたたちにパワーなんて必要ありません。あと発信器付きの鞄を他人に渡すのは法に触れそうだからやめて? 

 

 

 そのまま体勢を変えてスズカを引きずって、敷いてもらっていた布団に倒れ込……いや、走った後だしやめておこうかな。ここに寝なきゃいけないんだし。畳の上にスズカごと倒れると、スズカがもぞもぞして私の方を睨痛い痛い痛い痛いおっぱいが取れちゃうってマジで! 

 

 

「どうして止めるんですか? 私言ってますよね。あの森の小道に入らないといけないんです」

「走らなければいけないことはないでしょ」

「私の名前の『サイレンススズカ』に賭けて走らなければいけません」

「勝手に背負わないで」

 

 

 別の世界のサイレンススズカも困惑でしょそんなの。殴られても文句言えないレベルじゃない。

 

 

「むぐぐぐぐ」

「痛い痛いって。本当にもげちゃうから鷲掴みはやめて。あとシャワー浴びて。私お風呂入ったばっかりなんだって」

「むむーっ」

「やめてやめてやめてパジャマこれしかないんだから」

 

 

 さらに密着してくるスズカ。よっぽど走りたいところがあったみたいね。完全に身体と気持ちができあがっている。肉食獣みたい。こうして私と絡んでいてもなお眼光が異次元の逃亡者になっている。それでもこう、私と一人だった頃と比べると、引きずられながらでも戻って来ただけ偉いのかも、こんなになるのは久しぶりだけど、きっと全盛期のスズカなら全てを置き去りにしていたし、小道を走りたいことに気付かれる前に走っていただろう。

 

 

「どうどう」

「んんんんん! トレーナーさん、走らせてくれないと怒りますよ。絶対ですよ」

「怒るとどうなるの。ちゅーでもする?」

「夜中勝手に起きて走ります」

「あっそういう感じ? ごめんって。ほら落ち着いて」

 

 

 ダメだった。あんまり成長してないかも。冗談で流そうとしたのに普通に本気だった。どうしましょうねこれ。ブルボンとスカーレットはもう部屋のシャワーを浴びに行っちゃったし。というかトイレ行こうと思ってたんだけど。風呂トイレ一緒はこれだから。

 

 

「落ち着いてスズカ。いくら何でも危ないわ」

「危なくないです。今までの人生で何回雪の降り積もる中を走ったと思ってるんですか」

「それは原っぱの話でしょ? コンクリートの雪とは違うじゃない」

「なら大丈夫です。あの道は土舗装でした」

「見間違いだと思うわ」

「私が地面のコンディションを間違えるわけがありません。証明しましょう。今から行きましょう」

「待って待って」

 

 

 スズカのことを掴むけど、そのまま引きずられていく。布団がぐちゃぐちゃになっちゃう。普通に歩くスズカの腰に縋り付く私。何があったのかしらね……まあこっちが普通なんだけど。最近は後輩二人のおかげで人間性を得てきていたので勘違いしてしまいそうだけど、この子は本来走れれば何でも良い子だった。

 

 

「帰ってからにしよ? ね? この後予約してるから。ほら。もう子どもじゃないんだから、ね?」

「走れない大人より走れる子どもでありたいです」

「まあまあまあ」

 

 

 無理やり立ち上がってスズカを持ち上げる。廊下で寝かせて上に乗って、全身に手を這わす。擽ったさそうにしながら、少しずつスズカの目尻が柔らかくなっていく。楽しくなって体を倒しウマ耳も揉みつつ、何ならこのまま全身をまさぐっても良いくらい。

 

 

「ほらほら。お風呂に行くって言いなさい」

「んふ、ふくくっ、んーっ、ふふ、ふふっ、い、いやで、いやです、は、はしりま、はしりますっ」

「こらーっ」

「んんーっ!」

 

 

 しばらく攻防が続き、スズカがいつも通りに戻る、というか欲望が無くなる頃には私も普通に汗だくだった。まあこの後みんなでお風呂だから良いけど、損した気分。

 

 

「はぁっ、はぁっ……もう、きょ、今日はしつこいわね……」

「ふ、ふふっ……んぐっ」

「ほら、お風呂行くわよ、時間が来ちゃうわ」

「ブルボン先輩、次……あ、スズカ先輩落ち着いたの?」

 

 

 私達の真横で風呂場の扉が開いた。警戒心を失った女子学生め。タオル以外を身につけてから出て来なさい。

 

 

「え、もう出たのスカーレット」

「十五分くらい経ってるけど」

 

 

 防水袋のスマホを見て呆れるスカーレット。髪を丁寧に拭き取りながら私達を跨いで部屋に戻っていく。動じないわねこの子も。どうやら本当にかなりの時間が経っていたようで、部屋の中にブルボンがいた。スカーレットと交代でシャワーを浴びようとしている。帰ってきたことにも気付かなかったの、私達……? 

 

 

「というか予約何時? ブルボン先輩入らない方が良かったりしない?」

「いや、結構余裕あるから大丈夫よ」

「何分余裕取ってるの」

「どうせ遅れると思ったし」

 

 

 散々擽られた結果体力と欲望を同時に失ったスズカをお姫様に抱えつつ部屋に戻る。スカーレットはさあ、女の子なんだから裸で胡坐はやめなさい。私達が悪かったんだろうけど恥じらいは捨てないで。

 

 

「ごめんなさいねブルボン。別にシャワー浴びるなら浴びても良いけど」

「問題ありません。気温や湿度の関係上緊急ではありませんので」

「というか遅刻前提で予定立てるのはどうなの?」

「うちにはわがままなお姫様がいるからね……っと。スズカ体重落ちたでしょ。ダメよちゃんと食べないと」

「はい……」

 

 

 私の腿に寝転がるスズカ。減ったといってもほんのちょっとだから良いけどね。でもスズカの場合余計な脂肪が無いから体重減少は怖い。ブルボンとかスカーレットなら、ちょっと太ももが減ったかな? くらいで済むのに。

 

 

「何か失礼なこと考えてるでしょ」

「いや別に──」

 

 

 ぐう……ぎゅるるるる……

 

 

 大きな腹の虫に、ぴたりと空気が止まった。

 

 

「私じゃないですけど」

「私ではありません」

「私も違うけど?」

「スカーレットね」

「……なんで私なの」

「スズカとブルボンがこの程度のこと誤魔化すわけないでしょ」

「……ぐう」

 

 

 言葉を詰まらせて倒れるスカーレット。あとで何か深夜でもやっているようなお店にでも行こうか。遅刻の原因でもなく誤魔化しもしなかったブルボンは偉いので撫でておく。ふんふんとウマ耳を動かすブルボン。そして、

 

 

 ぐうぅぅうぅぅ……

 

 

「……ステータス、『空腹』」

「ふふ。可愛い」



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ガールズトークするサイレンススズカ

イベストのスズカさん可愛すぎですふざけないでほしい


 

「そういえばスズカさん」

「なぁに」

「もうすぐクリスマスですけど」

「そうね……」

 

 

 記録者、ミホノブルボン。現在旅行中。

 

 マスターが深夜の入浴権を貸し切ったことで、現在浴場には私達しかいません。スズカさんがいつも通りマスターに全身を洗っていただいたので、まだマスターだけが屋内の洗い場にいます。

 

 

「何か欲しいものとかあるんですか?」

「うーん……別に」

「お二人へのプレゼント、難しすぎるんですけど」

「必要ありませんが」

「そうも行かないです。いつもお世話になってますから」

 

 

 マスターが不在の場合、基本的にスカーレットさんが話し始めます。スズカさんと私は自ら会話を開始するのが不得手ですし、反対に、スカーレットさんは会話の無い空間が苦手のようです。

 

 ……ところで、私やスズカさんがスカーレットさんの世話をしたことがあったでしょうか? 彼女は普段から進んで雑用を引き受けますし、彼女の方が器用で気が利きます。私達は何もしていないのでは……? 

 

 

「でも本当に無いのよ。その、あんまり何かを欲しいと思ったことがなくて」

「ランニング関連でも良いですけど」

「うーん……ランニング用品はトレーナーさんのお金じゃないとトレーナーさんが怒るのよね……あ、でもこれはプレゼントだから……うーん……」

 

 

 露天風呂にて口元ギリギリまで沈み、スズカさんが首を傾げます。マスターが怒る光景は想像できませんが、スズカさんが言うということは、これまでにあったのでしょうか。それとも、普段の言動を怒っていると判定しているだけでしょうか。

 

 

「食べ物とか?」

「別に好きなものがあるわけじゃ……コンビニのいちご大福とかで良いし……」

「アクセサリーとか」

「走る時邪魔よね」

「化粧品とか、香水とか」

「走る時に汗とかに混じって気持ち良さが薄れるというか……匂いも大切だから……」

「……服とか?」

「あの、本当に無理しなくても良いから……ごめんなさい、何も無いのよ」

 

 

 スカーレットさんが後ろに倒れ込みます。髪が沈まないよう後頭部を押さえ、特に理由はありませんが腰に手を当てて身体を持ち上げます。私達の単純接触は『需要』があるそうです。マスターとスカーレットさんが時々言うのみで、実感はありませんが。

 

 身体が浮いたことには構わず、スカーレットさんは、本当に何も無しは無理です、と断言します。

 

 

「何と言うかこう……何もしないのは気持ちが悪いですよ」

「まあ、それは解るんだけど」

「ブルボン先輩はどう思います? スズカ先輩のプレゼント」

「……そうですね」

 

 

 スズカさんが欲するもの、必要としているもの……何でしょう。即物的な欲求がスズカさんにあるのでしょうか。

 

 

「……申し訳ありません、該当する経験が存在しません」

「ですよね……トレーナーに聞くか……でもなあ……」

「トレーナーさんも困ってると思うわ。私が何も言わないから」

「困らせている人がそれを言うんですか」

「無いものは無いもの」

「スズカさんの同期や友達は?」

「……それぞれあげたいものをくれるわ」

 

 

 私は知っています。スズカさんは今、さも自分が被害者かのように振る舞っていますが、そのスズカさんも他者へのプレゼントはそう考えていないことを。基本的にリクエストに応える形ですし、そうでない時は適当に……確か、フクキタルさんへのクリスマスプレゼントをコンビニで購入したことが……

 

 ……いえ、双方納得しているならそれで構わないのですが。結局のところ、渡すにしろ受け取るにしろスズカさんには『興味』が無いということです。

 

 

「大変なのよ。よく解らない置物とかよく解らないオブジェとかよく解らない装飾品とか」

「よく解らない物を憎みすぎじゃないですか?」

「でも本当に置くところがなくて……実家に送ったりもしてるんだけど」

「親御さんびっくりしません?」

「うちはそういうの適当だから」

 

 

 スズカさんがスカーレットさんの脚を持ちました。左右に揺らします。

 

 

「みんな、本当に考えてくれてるんだけどね……」

 

 

 流石に嫌がったスカーレットさんが私達から抜け出して、縁に座って頭を結び直します。それを眺めるスズカさんは、いつも通り、哀れむ目をしていました。

 

 

「あの、その目は本当にやめてください」

「あ……ごめんなさい、つい。そうよね、傷付けるつもりはないの。本当にごめんね」

「いや傷付くことは今後一切無いんですけど、無性に腹が立つので」

 

 

 スズカさんの目がスカーレットさんから私に向き、そして空中へ。大きく背筋を伸ばしたことで、スズカさんのプロポーションが強調されます。マスター曰く、走るのに不必要なものをすべて捨てた身体であり、速く走ることに特化した身体だそうです。

 

 スポーツ医学等の知識はありませんが、それを持っているマスターが断言するのですから確かなのでしょう。つまり私も、最も速いウマ娘になるためにはスズカさんのようにならなければ……いえ、私が目指すのはレースでの最強であって、単純最高速度ではないので、少し違う気もします。

 

 

「本当にごめんね……」

「ごめんね、じゃないんですよ」

「……外科手術等で切除できないでしょうか」

「痛いこと言わないでください!」

 

 

 湯船に浮かぶ自身のそれを手で持ち上げます。重量は不明ですが、全て切り落とせばその分身体が軽くなるはず……軽くなれば最高速度も上がるのでは……? 

 

 

「大丈夫よ、エアグルーヴもフクキタルも大きいけど速いから」

「確かに相関は確認できませんが、スズカさんが最速であるならそこに越えるべき壁があるはずです」

「ふふっ。そんなに褒めなくても良いのよ、越えられないから」

「……ほう」

「湯船に浸かってまでバチバチするのはやめませんか」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「スズカさんって来年で二十歳じゃないですか? もしかして」

「ええ、そうね。来年で」

「良いなあ……やれることもいっぱい増えますよね」

「うーん……でも、増えることってやりたいことでもないわよ。お酒もいらないし……」

 

 

 話題は変わり、スズカさんの年齢のことに。スズカさんは既に高校課程を修了し、大学課程に入っています。少なくとも法律上はウマ娘も二十歳で成人ですので、様々な権利が解禁されます。

 

 学生の間で取沙汰されるのはやはり飲酒、ついで自由結婚……これは改正がありましたが、それから運転免許でしょうか。どれもスズカさんには無関係に思えます。

 

 

「あ、でも運転免許は持っておいても良いかも。トレーナーさんと交代できるし」

「スズカさん、道路交通法についての知識と遵守意識はありますか」

「あるけど……私のこと何だと思ってるの?」

「制限速度とか解ってます?」

「ふふっ。流石にそれくらい知ってるわ。60kmでしょ? そもそも車じゃ風が感じられないじゃない。そんなに飛ばさないわ」

「絶対にオープンカーは買わないでくださいね。あとバイク」

「バイク……!」

「気付いた、みたいな顔をやめてください」

 

 

 体温上昇。上半身を湯船からあげて座ります。スカーレットさんも並んできました。スズカさんは体温変化に強いのか、変わらず顎先まで沈んでいます。

 

 スズカさんのことですから、そもそも自分での運転は嫌うでしょう。ウマ娘にも当然道路交通法は適用されますが、車に対してのものと比較すると違反項目も少なく、制限も緩いものとなっています。走った方が良い、と言いかねません。

 

 

「というかお酒飲まないんですか? 私は結構飲んでみたいですけど」

「そうなの? なんか意外ね。そういうのは不良の飲み物なのよ、くらい言うかと思ってた」

「それはもはや優等生じゃなくて潔癖じゃないですか。いや、飲みたいというか、うーん……同室の奴がですね、たまにカクテルとかウイスキーの話をしてくるんですよ」

「ああ……しそうね」

「一般的なアルコールではウマ娘は酔わないと聞きますが」

「専用のお酒があるし、ちゃんとしたところに行くと耐性を下げてくれる薬が貰えたりするのよ」

「本当にあるんですね、それ……」

 

 

 

「トレーナーとのこととか考えてないんですか?」

「んー……どうしようか困ってるのよね。やっぱり籍は入れられないじゃない? でも、何かしら関係性がないと逃げられちゃいそうで」

「養子縁組でしょうか」

「勝手にできるならとっくにやってるけど……断られそう」

 

 

 話は何度も転換し、スズカさんの将来について。スズカさんはドリームリーグに進みませんので、来年で卒業となります。恐らくは一般の大学課程に進むでしょうが、その後の生活については。

 

 

「今のところは私が結婚するまでは一緒にいてくれるって言うから良いんだけどね。いつ気が変わっちゃうか解らないから」

「なるほど」

「大丈夫だと思いますけどね」

「逆にトレーナーさんが結婚しちゃうかもしれないし」

「いや──────…………ないでしょ」

 

 

 マスターが結婚……? 

 

 結婚……。

 

 

 結婚。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「あっブルボン先輩がフリーズしてる」

「あり得ないことを想像しようとするとこうなるのね」

「まあトレーナーさんが結婚するわけないですからね」

 

「ちょっと? 失礼なこと言わないでくれる?」

 

 

 身体を洗い終えて露天に出ると、割かし失礼な会話が聞こえてきたので割り込む。既にあらかた温まったのか、ブルボンとスカーレットは縁に座って休んでいた。うわおっぱいでっか。

 

 それはそうと湯船に浸かると、スズカがゆっくりと寄ってきた。ほんの少し出ている肩にお湯をかけてあげつつ、指で優しく頬を摘まむ。

 

 

「結婚するかもしれないでしょ」

「しないでしょ」

「言っておくけど相手なんかいくらでもいるんだからね」

「連絡先の男の人の割合言ってみてくださいよ」

「今それは関係ないじゃん……」

 

 

 いやしないけどさあ。しないよ? でもさ、こう、あるじゃん。何の話で私に回ったかは知らないけど、こっちはそれなりに決意して生涯独身なのにさ。

 

 

「わがまま言っちゃダメですよ」

「なーにがわがままか。わがまま言ってるのはスズカだからね」

「違いますぅ」

「違わないですぅ」

 

 

 私に寄り掛かってタオルを巻いた頭で小突いてくるスズカ。すり寄られるとタオルがほどけちゃうので少し押さえて、代わりに頬から首筋をなぞる。くすくすと笑って大きく息をつくスズカ。何してんの、とスカーレットが呆れながら、なぜかフリーズしているブルボンの肩を揺する。

 

 

「ブルボン先輩、風邪ひくんで一回浸かりましょう」

「……はっ。マスター、お父さんが娘はやらんと言っています」

「そりゃやらんでしょ」

 

 

 またうちのロボが処理落ちして壊れてる……




デビュータイミングで公式の年齢(スズカさんなら推定高1)としています。推定高3組とかえらいことになりますが、そもそもウマ娘はサ○ヤ人よろしく走るために若い期間が長かったり(妄想)、常識としてレースウマ娘は学生、としているでしょうから(妄想)、たぶん新卒年齢なんか何も気にしないんだと思います(妄想)。

高3デビュー(18)だとシニア2年走ったとして21、そこからドリームリーグとなりますね。思いの外そんなに歳いってないな。


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駆け引きは通じないミホノブルボン

この旅行は、ブルボンに旅行っぽいことをたくさんやってもらおう!という趣旨でなされています。次回で終わりかも。


 

「……ちょっと待ってくださいね。ここがA、ここが11、隣が2……だからここが6!」

「その隣です。そしてもう一枚はここです」

「ああああああ!!!!!」

 

 

 夜。小腹が空いた三人を深夜のラーメン屋に連れていった後、三人娘はトランプに興じていた。

 

 遊ぶためにコンビニでお菓子とジュースも買ったので、私もちょっとだけお酒を買って、今はちょっとふわっと酔っている。あんまり酔うと号泣しながら周囲に懺悔を繰り返してしまうことが解っているので控えめに。

 

 私の介抱をしようとすると大体スズカは脱がせるところで諦めてしまうので、基本全裸で目覚めることになる。こればっかりは何度言っても服を着ていない。まあ着せるのって難しいもんね? でも全裸のままで起きて酔った自分の動画を見せられるこっちの身にもなって? 

 

 

「ま、待ってください、あと一ターンください」

「スカーレットさんがそれで納得できるのなら構いませんが」

「ぐっ……ぐぅ……い、う……」

「続行してブルボンさん」

「解りました! あと一ターン! あと一ターンだけください!!!」

 

 

 で、トランプなんだけど、どうしてやっているかといえば、今日寝る順番をどうするのかってことで揉めたかららしい。私がトイレに行っている間にバチバチしてた。いやバチバチは言い過ぎだけど、それなりに揉めてた。

 

 

「スカーレットさんの番です」

「い、いや待ってください……今思い出してるんで……」

「なお現在開示されたカードを全て把握していても、33.3%を一度成功させなければ勝つのは不可能です」

「その1/3まで行けないんですって!」

「よく見ておかないから……」

「見ました! 見たんですよ! その結果がこれなんですよ! これ以上どうしろって言うんですか!」

 

 

 非常に恥ずかしいことではあるが、現在スカーレットがボコボコにされ発狂している神経衰弱勝負の景品は私の布団である。

 

 いや私の隣の布団じゃなくて、私の布団である。なんで? わざわざ布団を一枚畳んでそんなことする必要ある? 

 

 

 いやその、スズカはまあ解るわ。私のこと大好きだもんね。言ってて死にたいけど。ブルボンとスカーレットはなんで? 百歩譲ってスカーレットは勝負事で退けないだけだとしても、ブルボンはどうしてわざわざ争うの。

 

 

「こ……これ……いや待つのよスカーレット。あなたは賢い……じ、自分を信じるのよスカーレット……!」

「ふふ」

「気にするな……気にするな私……可愛くて賢くて速いダイワスカーレットを信じるのよ……これ!!!! よし!!!!」

「おお……正解です。では続けてどうぞ」

 

 

 しかも勝負は負けを認めるまで続くらしい。三人の勝負となるともう一回が何度も続く……特に権力を持っているブルボンとスカーレットが負けん気が強過ぎるので一発勝負だと勝ち気が爆発してしまうのだ。これを中断させるとトレーニングにぶつけてくる。物凄い気迫で。気性難どもめ。

 

 

 そんなわけで耐久トランプ大会が始まっている。期限はほろ酔いでスズカの背もたれになって座る私が寝るまで。後ろからスズカを抱き締めて、鎖骨あたりにぐりぐりと頭を乗せて絡んでいる。スズカすき。

 

 

「スズカさあ、キングそこじゃない?」

「喋っちゃダメですよ。はいあーん」

「あむ」

 

 

 チーズ美味し……

 

 

「マスター、こちらに来ませんか。スカーレットさんが外した場合、高確率で私が勝利することになりますので」

「トレーナーさんは私のことが大好きですもんね」

「変なこと言わないで。別にそういうんじゃないから」

「んふふ。ちなみにブルボンさん。言っておくけど私は当てるわよ。絶対に当てるから」

 

 

 まあ、理由なんかどうでも良いんだろう。こうやって夜更かしして遊ぶってことが純粋に楽しいらしい。我が家の普段は早寝早起きのスズカ、九時に眠くなるブルボン、優等生スカーレットの並びだからね。

 

 どうやら三択を外したらしいスカーレットが突っ伏す。同時にスズカが何枚か取った後、何かを外した。首をかしげて私に大きく寄り掛かるスズカ。つむじに顎を乗っけて撫でたり、ヒトミミの部分から頬まで擦ったり。スズカの尻尾が私の足に巻き付いた。

 

 

「ではスカーレットさん。四回戦目をするかどうか考えておいてください。そしてマスターは私のところに来ることを要求します」

「か、勝った気で……」

「全て把握できているので、取得枚数を鑑み私の勝ちとして問題ありません。マスター、どうぞ」

「しょうがないなあ」

「あぁっ……」

 

 

 ブルボンが私を呼ぶのでスズカから離れ、ブルボンに対し同じように座る。満足げに頭を擦り付けてくるブルボン。私の手を引いてあすなろに絡めて最後の一枚を取った。

 

 

「そういうルールじゃなかったですよね?」

「私の二勝一敗です。スズカさんの勝ちはフロックですので、何度やっても私が勝ちます。私がマスターと寝ます」

「寝まーす。いえーい」

「ふーっ……いやいける、次は勝てる……! 頑張りましょうスズカさん!」

「……そもそも全部神経衰弱なのがおかしくない?」

「……はい?」

 

 

 流れ変わったな。

 

 

「単純暗記とカウントよね。ブルボンさんの大得意分野じゃない。ずるいんじゃない、もしかして」

「三回やってやっと気付いた?」

「確かに……ババ抜きとかにしません? 七並べとか。駆け引きしましょう、ブルボン先輩?」

 

 

 ほんの少しだけブルボンの体温が上がった。この子らはすぐ挑発するんだから。ただ、相手の得意分野を避けるのは屈辱らしく、スカーレットは挑発しながらも青筋が立っている。スズカだけはプライドがないので純粋に勝ちに行っているみたいだけど。

 

 ……でも大丈夫かな。駆け引きも何もポーカーフェイスもスカーレットの苦手分野じゃない? まあ、そもそも論ブルボンにとってババ抜きは駆け引きじゃないけど。

 

 

 確率論を盲信できて、かつ無表情で記憶力も完璧なブルボンに対して勝てるゲームなんかあるんだろうか。そもそもスカーレットがトランプゲームに向いていない説もあるわね。カルタとかなら勝てるんじゃない? 勝てないか。

 

 

「解りました。良いでしょう、思考ルーチンを『ババ抜き』に最適化します。かかってきなさい」

 

 

 ということで、ババ抜きが始まった。ブルボンがカードを配り、初期の捨てを完了させる。大体同じくらいの枚数ね。ブルボンがやや少ないかな。ババはブルボン以外の誰かか。肩越しに眺め、酔い覚ましの水をストローで吸う。

 

 じゃんけんで順番を決め、引き始める。三人というのもあって、かなり揃いやすい。この勝負は揃う揃わないよりもババを引く引かないになるだろう。

 

 

「ブルボンがんばれー」

「……これです」

 

 

 スカーレットから引いて、一組捨てる。押してる押してる。良いじゃないブルボン。スズカが引くのが異様に早いから、ジョーカーはスズカが持ってる可能性がある……あ、スカーレットが引いた。解りやすいわねこの子も。目付きが鋭くなってウマ耳がぴこぴこと。この子に隠し事は無理ね。

 

 そこから少しだけスズカも慎重になるが、ブルボンは違う。スカーレットの反応がウマ耳に出るので容赦なくジョーカーを避ける避ける。一方ブルボンとスズカは全く表情に出ない。そこには駆け引きなんか無かった。勝負あったでしょこれは。

 

 

「……ちなみに、ブルボン先輩、スズカさんも」

「はい」

「一つ言っておきたいことがあります」

 

 

 そして、スズカ二枚、スカーレット二枚、ブルボン一枚。間違いなくスカーレットがババ。枚数的にブルボンはこれでは上がれないけど、この時点でスズカが勝ち確定、スカーレットの負けは濃厚である。後ろの私にトランプを持たせるようになったブルボンが淡々とカードを引こうとした時、スカーレットが一言挟んだ。

 

 

「お二人は、私が解りやすいと思っているんでしょうけど……私は耳を自由に動かせます。これまでのものは全部ブラフです」

 

 

 絶対に嘘じゃん。そんなことができるウマ娘がいるわけがない。

 

 

「そうなの……だそうよ、ブルボンさん」

「そうですか」

「さあブルボン先輩。引くのは本当にそっちで良いんですか?」

 

 

 駆け引きを仕掛けるスカーレット。対してブルボンは何の躊躇いも無くカードを摘まんだ。

 

 

「む」

「勘違いをしているようですが、スカーレットさん」

 

 

 そして淀み無くカードを引く。6。もちろん外れだけど、ジョーカーではない。残念ながら、スカーレット。ババ抜きを駆け引きだと思っている限りブルボンには勝てないのよね。

 

 

「なっ……」

「私は駆け引きに応じた覚えはありません。スカーレットさんの反応が本心でも演技でも、参考にならないと判明した時点で、当然50%の試行でしかありませんので」

「くっ……」

 

 

 当然スズカは揃い、スカーレットに引かれてあがり。再びスカーレットの二択。素早くかしゃかしゃとカードを入れ換えるスカーレット。しかし、無意味な抵抗とばかりにブルボンがカードを引いた。

 

 ジョーカー。そりゃそう。二択だもんね。

 

 

「よしっ、よしっ!!!」

「……選択、失敗」

「トレーナーさん、私の勝ちですよ。こっちに来ませんか」

「待ってスズカ。今これまでに無いくらいスカーレットが集中してるから」

「移動の必要はありません。未だ累計では私が勝っています」

 

 

 ブルボンに引き留められたのでそのまま。ジョーカーは右。スカーレットがじっくりと選んで、左に手を掛けてじっとブルボンを見つめる。

 

 

「……ブルボン先輩」

「はい」

「……トレーナーのことが好きなんですか? さっきからくっついてますけど」

「好意はあります」

「……この前ライス先輩が、ブルボン先輩のこと大好きな人って言ってましたよ」

「私もそうです」

「ブルボンがそういうので動揺するはずないでしょ」

「ふっ……バカね。そんなの解ってるわよ」

 

 

 スカーレットがジョーカーではない方を摘まんだ。

 

 

「トレーナーを見てるのよ!」

「やべっ」

「マスター???」

 

 

【悲報】ブルボンに抱きつく私、外付けデバフ。

 

 

「来た来た! さあブルボン先輩! 1/2ですよね! 私は100%ですけど!」

「ごめんねえブルボン」

「いえ……んっ」

 

 

 流石に申し訳なくなって、後ろからブルボンを好き放題撫で回す。襦袢姿のブルボン、可愛いねえ可愛いねえ。ウマ耳をふにふにしてあげようね。

 

 ……ところでもう二時過ぎか。明日の運転は昼過ぎだけど、別に寝る暇があるわけじゃないからなあ。寝ないと危ないか。元々睡眠時間は短い方だけど、流石にね。

 

 

「もう眠いから一緒に寝ようか、ブルボン。ね」

「はい。寝ましょう」

「ブルボン先輩!? 勝負つけましょうよ! 私の一勝を待ってからにしてください!」

「ブルボンさん? ねえブルボンさん。話が違うわよね。誰も累計なんて言ってないじゃない」

「紐ほどけてるから結び直すわよブルボン」

「ねえ! ブルボン先輩!」

「ねえブルボンさん?」

 

 

 ブルボンの着物を直して端の布団に入る。ほろ酔いとブルボンの体温が本当にちょうど良く一気に睡魔が襲ってくる。挑発された後のぽかぽか感がたまらない。おでこをくっつけてすりすりしていると、ブルボンも小さくあくびをして私の襟元を掴んだ。

 

 

「ねえトレーナーさん。いっそみんなで寝ませんか」

「スズカさん……狭いので」

「えっ……あの、ブルボンさん……?」

「んー可愛いねえ。ブルボンは」

「あの、あのっ」

「ブルボン先輩! あと一分! あと一分ですから!」

 

 

 わいわいと寄ってくるスズカとスカーレットをよそに、私はブルボンと一緒に眠りについた。

 

 

 

 次の日。

 

 

「つーん」

「あの、スズカ?」

「つーん」

 

「スカーレットさん」

「はい?」

「いえ、その」

 

 

 私もブルボンも普通に怒られた。朝食を終える頃までシンプルに口を利いてもらえなかった。ごめんて。



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大食らいのミホノブルボン

わんこそば食べさせたいなあって思っただけです。うすあじ。


 

「では説明させていただきますね」

「よろしくお願いしますっ」

 

 

 翌日。つーんとしたスズカとスカーレットを連れて結構運転し、岩手まで来た。これは私の個人的な興味として、ウマ娘がどのくらいわんこそばを食べられるかが気になったので連れてきただけ。食べたら帰宅になる。

 

 ウマ娘のわんこそばは料金約五倍と高い……とはいえ人の十倍食べるのでそういう意味ではお得とも言える。実質食べ放題だし。引き換えに、見世物としての需要があるので囲まれるくらいは受け入れる必要がある。断ろうと思えばもちろん断れるけど、うちはそういうの緩いので。

 

 

 余所行きニコニコのスカーレット、少し視線に緊張しているスズカ、それからお腹が空きすぎてスズカに両手を押さえ付けられているブルボン。三人揃って割烹着のスタッフさん六人と、結構な数の観客に囲まれている。私は隣のテーブルでゆっくり食べることにしている。向こうはこれから戦場になる。

 

 

「トレーナーさんはわんこそばは初めてでいらっしゃいますか」

「はい、そうです」

「ではこちらも説明させていただきます」

 

 

 三人を連れている時点で私、どこ行ってもトレーナーさんって呼ばれるのよね。お客さんとかお姉さんとか言われても良いと思うんだけど。ともかく飲み物と、結構うっとなるくらいのおつまみが出されながら説明を受ける。うんうん、イメージのわんこそばと同じね。

 

 

「では準備をいたしますので、こちらお食事もお楽しみください」

「ありがとうございます」

 

 

 私はそんなにたくさん食べる気はない。ここから運転もあるし、そもそも少食な方だと思うし。何なら通常のおそばでも良かったけど、気分だけでも味わうためにわんこそばコースにしている。なので出された小皿の料理を普通に食べることにする。お刺身美味し。

 

 こっちは一人で平和にやっている間、隣のテーブルでは。

 

 

「スズカさん。放してください。バッドステータス:『空腹』。早急に解決しなければ、強制シャットダウンの危険があります」

「そばの箸休めにするからダメ。ブルボンさん全部食べちゃうでしょ」

「食べません。私のことを食いしん坊だと思っていませんか」

「思ってるけど」

「そんな……」

「お腹鳴らして言っても説得力無いですよ」

 

 

 目の前の料理を食べたいブルボンの両手がスズカとスカーレットにホールドされている。このためにブルボンだけ朝食を抜いたので、ウマ娘の代謝も合わせ、恐らくブルボンはじきに死ぬ。だから人間くらいには食べておきなさいと言ったのに。

 

 あ、二人がもう片手で小鉢を食べた。ブルボン? 人が見てるからそういう目をするのはやめようね? 

 

 

「お二人とも。古来よりこのような格言があります。『飯の恨みは恐ろしい』」

「解ったわ。復讐して良いわよ。芝2200左ね」

「……良いでしょう」

「大人気ない……あ、私は芝1600右で良いですか?」

「構いませんが」

「……もうちょっと躊躇ってもらって」

 

 

 別に三人は大食い自慢とかじゃないんだけど、ブルボンはどんなことでもスズカに勝ちたい盛りなのでやる気満々で、朝食を抜いたのもそのためである。そんなことしなくてもスズカはウマ娘的にも標準かやや少食だし絶対に勝てると思うんだけどね。

 

 

「目指せ1000杯よブルボンさん」

「期待してますよブルボン先輩」

 

 

 そして標準の二人はそこまでのモチベーションは無いので既にブルボンを煽りに煽っている。あの、戻したら本当に洒落にならないからほどほどにね? 

 

 あくまで自分のペースで、と店員さんに窘められつつ、先に私のわんこそばが始まった。うん。美味しい。あんまりおそばの品質なんか解らないけどたぶん美味しい。薬味がたくさん用意されてるのが良いわね。

 

 

「トレーナーさん頑張ってくださーい」

「んー」

 

 

 頑張らないって。あなた達と違って私はすぐ太るし痩せるのも大変なんだから。

 

 というわけで適当に食べて30杯くらいで終わらせる。ま、メインは私じゃないし、全然お腹いっぱいだし。こんなもんでしょたぶん。なお後日同僚の葵は150杯を食べたことがあるという話を聞いた。嘘でしょ……。

 

 

 私が即ギブアップとなったので、残された薬味を食べつつスズカ達を眺めることに。まだ始まったばかりだったが、やはりウマ娘、食べるスピードが半端ではない。よそわれた分からばんばん消えていく。私も遠巻きに眺めていたが、まあ500くらいまではものの数にはならないだろう。

 

 

「ブルボーン。二人に負けちゃダメよー」

「お任せ、ん、お、ちゅる、おま、んんっ」

「食べながら話さないでねー」

 

 

 どんどん積み重なっていくお椀。食べるのが早いので、よそう側も数人がかりである。何か、お皿に水滴がありました、くらいの軽い感じで食べていくわね。本当にそれくらいの量なんだろうけど。

 

 50杯で机が片付けられて、代わりに金色のお椀が出てきた。三人娘は全く速さを変えずに食べ続けている。しばらく暇なので、私単独に話し掛けてくる奇特なファンの方々に対応しつつ待つ。

 

 

「あとでサイレンススズカさんと写真をお願いしても良いですか?」

「ごめんなさい、食後は色々あるのでお断りしてるんです。サインとかなら大丈夫なので、申し訳無いです。またご縁があったらお願いしますね」

「サイレンスさんって来年はどこで走るんですか!? 自分絶対に現地でリアタイしたいんですけど、下半期はめちゃくちゃ忙しくなりそうで!」

「あー……たぶん上半期だと思います、まだちょっと調整中ですけど」

「やった! 自分絶対に投票券買うので!」

「ありがとうございます。一番高いので大丈夫ですよ。絶対にスズカが勝つので、最前列で応援してくださいね。サイリウムは緑ですよ」

 

 

「ブルボンちゃんってたくさん食べるんですか?」

「そうですね。ウマ娘基準でもそこそこ食べる方かもしれないです。平気な顔してたくさん食べるのでびっくりしますよ」

「えー! だから強いんですね! かわいーっ」

「そ……れはあんまり関係無いかもしれないですけど、よく食べてよく走るのは良いことですから」

「あの、ミホノブルボンって来年はシニア王道って聞いたんですけど本当ですか?」

「そうですね。一応そういう風に調整はしてます。宝塚は是非ブルボンをよろしくお願いします。シニア制覇も達成しますので」

 

 

「トレーナーさんって彼氏とかいるんですか?」

「あー……今はいないですけど、ちょっと気になってる方はいるので、そういうのは……」

「なあトレーナーさん。来年のクラシック三冠路線は誰が来ると思う?」

「ごめんなさい、来年の三冠路線は走らないので、他の路線のことはあんまり……」

「私、ジュニアの子を推すのが好きなんですけど、エルナトって新しい子は……」

「まだ考えてないですねー……」

 

 

 ブルボン六割、スズカ三割、私一割って感じかな。ファンの数で言えばスズカが不動だろうけど、やっぱり三冠は大きい。話題性が永遠に尽きないのがクラシック三冠という栄光である。もし仮にスズカが十年後忘れ去られていても、ブルボンは今後何十年と歴史と記憶に残る。

 

 私に対しては……うん、よくこんな人前でナンパできるなあって感じ。その度胸、私以外に向けてくれないかな。私はスズカに人生を捧げてるから、スズカがお嫁に行っても結婚しないのよ。

 

 

「はい、これで300!」

「どんどん行きましょう、はいっ」

 

 

 三人娘が300を超えた。つくづく思うのだけど、大体のウマ娘が明らかに胃袋の容量を超える食事を摂れるのはどうしてなのかしらね。ウマ娘七不思議のうち一つ。

 

 それから、あ、そうそう、時々ちゃんとスカーレットに興味を持ってくれる人もいた。そういう人にはね、しっかりと布教をしていかなければならない。

 

 

「あの赤髪の子は……」

「ああ、今年デビューしたダイワスカーレットというウマ娘ですね。来年はティアラの主役になるので是非追ってください」

「ってことは、ウオッカと同世代っすよね? めちゃくちゃ強かったすけど」

「スカーレットの方が強いので応援しておくと得ですよ。トリプルティアラも必ず勝ち取るので」

「はえー……そうなんすか」

「はい。ブルボンと並んで来年の主役ですよ」

 

 

 こういう営業みたいなことは正直やらなくてもいいんだけどね。やった方がいいことには間違いないから。あ、三人が500超えた。

 

 

「ふー……ふう。ちょっと休んでも良いですか……?」

「テーブルの誰かが食べてれば大丈夫ですよー」

「ブルボンさん、よろしく……」

「あい」

「私もちょっと、休憩……お、お水貰っても良いですか……?」

「トレ……あ、えっと……あの」

 

 

 反射で私を呼ぼうとして、ギャラリーが多いことに気付いたらしいスズカ。たぶん私を呼んで寄り掛かろうとでもしたんだろうけど、残念。スカーレットは普通に休んでるし、一方ブルボンはさらに食べ進めている。

 

 そのうち復帰はしたものの、結局あまり食べられずスズカは断念。スカーレットも少し頑張ったがギブアップ。そしてブルボンだったが、なんと1000杯に届いた。

 

 

 ……届いた、けど。

 

 

「キャパシティ……オーバー……」

「頑張ったねえブルボン。でも無理しすぎね」

「三冠ウマ娘ですので……退くわけには……」

「別に大食いの称号じゃないのよね、それは」

 

 

 車内。コンビニの駐車場に停め、私は助手席に倒れるブルボンを擦っていた。お腹がぽんぽこりんになって口元を押さえるブルボン。1000杯食べるには少しキャパが足りなかったらしいのだけど、よく頑張れたものだわ。900超えたあたりから完全に手が止まってたのに。

 

 

「ブルボンさん大丈夫ですか? あの、一回戻しときます?」

「吐くのを手軽な解決策としないで?」

「でも有効じゃないですか?」

「最善策かどうかとか有効かどうかじゃなくて、そんな軽いノリで嘔吐させないでって言ってるの。女の子でしょ」

 

 

 まあ今さらだとは思うけど。

 

 

「しばらく出発できないですか?」

「まあ、そうねえ……ちょっと治まるまで厳しいかも」

「もうしわけ……」

「喋らなくて良いから」

 

 

 ぱんっっっぱんのお腹を優しく撫でる。こうして停車してるのも、ブルボンが突然「マスター……嘔吐まで残り三十秒です」とか言い出したからである。そりゃ食べ過ぎたらそうなる。ブルボンの場合は少し前は結構簡単に吐いてたというのもあるけど。

 

 

「もう一時間か二時間くらいはこのままかもね」

「なるほど……」

「なんで今バッグを出したの。言ってみなさい」

「……別に、腹ごなしとか思ってませんけど?」

「思ってるじゃない……あっスズカそれは待って流石に。こんなところで着替えないで」

「許可してくれたらコンビニで着替えますけど」

「それもそれでダメなのよね」

「三十秒あれば着替えられるので普通にトイレ行くより早いですよ」

「そういう話じゃなくてね?」

 

 

 後ろでコンビニアイスを食べつつ休む二人。まあ、ただ待ってるのも可哀想だし走らせてあげようかな。こういう狭いところにずっといるとスズカのストレスが半端じゃなくなる。それにしてもあんなに食べたのによくもまあ走れるものね。

 

 

「スカーレット、外で周りを見られる? 陰に停め直すから」

「しょーがないわね」

「……なに? お腹いっぱいでご機嫌なの?」

「別に?」

 

 

 走れると悟りうきうきになるスズカ、わんこそば終了あたりからやけに機嫌の良いスカーレット。お腹さえ何とかなればブルボンも達成感でにこにこになるだろうから、帰りは三人でご機嫌カラオケでもしてもらおうかな。

 

 

「ますたー……」

「はいはい」

 

 

 それまでにブルボンがダメにならなければだけど。




わんこそばエアプではないですけど二回行って二回同じ店なので危ないって気持ちがあります。


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私怨に走るサイレンススズカ

 

「お断りします」

「そこを何とか、ね、ねっ!」

「絶対にお断りします」

 

 

 旅行から帰ってきて数日。十二月もそろそろ下旬、色々と準備をしながら日々過ごすエルナトの部屋に、今日はちょっと珍しい子が殴り込んできていた。

 

 

「ファルコンさん、あまりに唐突ではありませんか? クリスマスまで一週間ですが」

「……い、色々調整とかあって……でもでも、十二月後半の土日ってことは伝えてたよね、ね!」

「絶対に嫌です」

 

 

 スマートファルコン。砂のサイレンススズカという名誉なんだか不名誉なんだかよく解らない称号を与えられた、ダートにおいて鬼の強さを誇るトップウマ娘の一人である。スズカ達とよく絡んでいるらしい。

 

 ただ、私と彼女の関わりはほとんど無い。というのも、彼女はダートウマ娘ということもあり地方を飛び回っていることが多いからだ。彼女の場合はさらに、自身がアイドル……ウマドルか。ウマドルをやっているというのも大きい。地方巡業ね。ウマドル活動にはスズカやブルボンも巻き込まれているけど、私はそこにはノータッチ。気恥ずかしいらしいのでライブも見に行っていない。

 

 

「お願いっ! 二人がサプライズで来てくれたらみんな喜ぶと思うんだ!」

「私は構いませんが」

「私は嫌です」

 

 

 で、そんな彼女がわざわざエルナトまで来て床で正座をしている。どうしてかと言うと、今度のクリスマスに……えーと……そう、逃げシス? だったかな。それでライブをしたいらしい。

 

 

「ファルコン先輩一人でもブルボンさんと二人でもみんな喜びますよ」

「もちろん私一人でも本気でやるよ? 喜んでくれるように頑張るよ? でもほら、や、やっぱりさ。告知の時も、あっ、二人はいないんだあ、って思ってるファンのみんながいるかもしれないでしょ?」

「いるかもしれませんが……私は嫌です」

「お願いお願いお願い! この通り!」

 

 

 ライブの告知はスマートファルコン一人で行い、セットリストも組んだらしいのだけど、一週間前になって気付いたらしい。やっぱりスズカとブルボンもいた方が盛り上がるな? と。そこで早速二人を誘いに来たそうで。

 

 エルナトでの予定はクリスマスパーティーくらいだし、生徒間でも有マがある都合上クリスマスはスルーされがちではある。なので、友達付き合いとどっち? みたいな話にはならない。何なら今年の有マはクリスマス当日だし。

 

 

 ……問題は、スズカが珍しく普通に不機嫌になっている点である。

 

 

「ファルコン先輩、別に土下座でも何でも良いんですけど」

「はい……」

「ライブ、二十四日なんですよね。解りました。それで、二十五日の先輩の予定はどうなってますか?」

「……それは、その」

 

 

 ソファに座り、床に正座するスマートファルコンを見つめるスズカ。ブルボンはいつも通りベッドの上が定位置で、スズカの気迫により何となく合わせて正座している。

 

 

「まあ、い、色々と……」

「そうなんですか。色々と。ちなみに聞かせてもらっても?」

「長くなるから……」

「全然聞きますけど」

 

 

 スマートファルコンを詰めまくりながら、隣の私の腕を抱くスズカ。ちゃんと不機嫌らしくいつもより肘が極っている気がする。耳も絞ってるし、声がいつもより平坦だし。

 

 しかしそこは流石スマートファルコンと言ったところ。冷や汗は凄いし目も合わせていないが、気まずそうながらも笑顔を忘れていないウマドルの鑑。トップウマ娘の精神力というのは凄いね。やっぱりある程度レース慣れして実績を積むと……もしくは、逃げウマ娘としての経験があると、『圧』に強くなるのかもしれない。

 

 

「に、二十五日は……」

「はい」

「と、トレーナーさんとお出かけでぇ……」

「声が裏返ってますよ? もっと堂々と言ってください」

「トレーナーさんにデートに誘われてます……」

「ですよね。前に言ってましたもんね。良かったですね、無事誘われて」

 

 

 圧と台詞が合っているような、合ってないような。少なくとも段々とスズカがくっついてきているのは間違いない。あんまり不機嫌になられると困るので、絞ったウマ耳に頬で触れる。

 

 

「私は二十四日のトレーナーさんとのデートをキャンセル、二十五日はファルコン先輩はクリスマスデートですか。良いですね」

「デートじゃないけどね。クリスマスの買い出し」

「私はデートだと思ってます」

「私は思ってないけど」

「誠に申し訳無いと思ってるから……許してスズカちゃん……」

 

 

 ぺたんぺたんとスズカのウマ耳が私の頬を叩く。ぎりぎりと肘が軋んできた。おーおー怒ってる怒ってる。別にスズカが怒るのもおかしいというか、スマートファルコンもそこまで悪くないような気もするけどね。伝達が直前というのはともかく、別日に何しようと勝手だろうし。直前っていっても社会人でもあるまいし、一週間前ならそれなりな気もするし。

 

 ……まあ、それはそれとしてムカつくのも解るよ。どっちの肩も持たないけど。

 

 

「何とか……そこを何とか……」

「デートの時間と被らないなら良いですよ」

「デートじゃないけどね」

「……四時開演なんだけど」

「嫌です」

 

 

 普段振り回されているみたいだからね。良いんじゃない、たまには。スマートファルコン、たまに三日前とかに言ってきたりするからね。ただこれ以上強くされると腕が折れちゃうのでスズカの鼻をぷいぷいしてちょっとでも弱めてもらう。んふふ、と私の指を追って首を傾げるスズカ。

 

 

「ブルボンちゃん……あの、何とか説得とか……」

「了解しました。では、スズ──」

「え?」

「──不可能です」

「もうちょっと頑張ろうよぉ!」

「……エラー発生。エネルギーチャージを開始します」

 

 

 ベッドから降りてきて私の足に寝転がるブルボン。あなた達さ、スマートファルコンの前なんだけど。そんなにくっつくのはどうなの? 二人して丸まって近付かないで。特にブルボン、完全に丸まった猫じゃない。

 

 

「と、トレーナーさんからも何とか……」

「私はウマドル活動には口は出しません。どっちの方向でも」

「うぐ……う、ううん、ファル子、諦めないよ!」

「もう無理じゃない?」

 

 

 丸まるブルボンの背中を撫でていると、頬を少しだけ膨らませたスズカがさらにくっついてくる。アンガーマネジメント。手が使えないので頬擦りとかになってくるよね。

 

 

「逆にスズカちゃんはさ、何をしたら出演してくれる?」

「何を言われても嫌です」

「併走とか?」

「嫌です。先輩はハナ切りたいタイプですよね。相容れません」

「そっかあ……ファル子がよく使ってる、人気のほとんど無いランニングコースを教えるとかでもダメ?」

「……………………だめです」

 

 

 声が震えてる。こんなに意地になって普通に怒っていたのに、人の目が無いランニングをちらつかせられただけでこうだ。生きにくくないんだろうか。いやそんな程度で生きにくくなる子じゃないのは解ってるけど。

 

 案の定動揺が伝わり、これだ、と目を輝かせるスマートファルコン。スズカのウマ耳がぴこぴこしてくすぐったい。私が抵抗できるくらいに腕のロックが緩んでいる。

 

 

「都外ではあるんだけどね? 電車かバスで一時間くらいで、街中から緑地を通って夜空が綺麗に見える感じなんだけど」

「っ……」

「本当に人がいなくて、何なら主要道路から離れてるからクラクションとかも聞こえないし」

「ぁっ……ぅ、んっ……」

「ちゃんと舗装はしてあるし走りやすいよ。カスタマイズも全然できるし」

「くぅっ……ふ、ぅぅ……っ」

 

 

 耳元で喘がないでおかしくなるから。

 

 

 一応我慢しようとしているスズカだったが、完全に心が持っていかれているのは明白である。たぶんもう一押しで堕ちる。九割五分ライブに出ても良いという気持ちになっていることだろう。誤魔化すためか私の腕に顔を押し当てた。しかし、脚がそわそわと動いているので何も誤魔化せていない。

 

 

「トレーナーさん……」

「はいはい」

 

 

 助けを求めているようだったのでスズカを受け入れ、首元をくすぐって宥める。まあこの子もね、根本的な芯は強いとはいえ、それは走ることに関してのみ。それ以外のことに関しては大体振り回される側で、基本は周りに流されがちだから。こうしてウマドルになったのだって元を辿ればそういうことだし。

 

 正直ちょっと意地悪がしてみたかっただけで、本気で断るつもりは無さそうだし。何だかんだ優しくて自分が薄い子だから、よほどでなければ友達の要求は聞く。嫌がっていれば私が解る。だから平気だ。

 

 

「……ファルコン先輩」

「……はい」

「二十四日だけですね? この前みたいに、好評だったから明日もやります! ってライブ中に宣言しないですよね?」

「しません! しませんから!」

 

 

 そんなことしてたの? 

 

 

「……解りました。しょうがないので今回だけ参加します。今回だけですよ。先輩は私がデートをキャンセルしたということを思いながらセットリストを組んでください」

「デートじゃないけどね」

「やったぁっ! ありがとうスズカちゃん! じゃあこれセトリ、渡しておくね! 明後日から三日間スタジオを押さえてあるから、後で予定を聞かせてね!」

「……む」

 

 

 スズカとブルボンに小冊子、私にもチラシを渡し、そして嵐のように去っていくスマートファルコン。うーん鋭い。スズカが断らないであろうことを読んでいたのかもしれない。気が変わらないうちに走り去るのも賢い。

 

 

「むむむ」

 

 

 そして、ふにゃふにゃになって私の腿に倒れてくるスズカ。ブルボンも合わせてひっくり返ったので、私の足に頭を合わせて寝転がる形になった。可愛いので二人の首をくすぐる。スズカの頬はすべすべ、ブルボンはもちもち。ちょっとスズカの方が顔が小さい。撫で比べだ……。

 

 

「ブルボンは良かったの?」

「はい。感情表現やレース演出、ファンサービス……ファルコンさんには学ぶべきことが多くあります。私の不得手スキルを保有していると考えています」

「そうなのねえ」

 

 

 今度はそっちのライブも見に行こうかな。よく考えると先頭狂じゃないスズカのライブが見られるのはレアだもんね。

 

 

「二人にはコールとかあるの?」

「え? えと……」

「逃げ切りシスターズ共通のものと、我々固有のものがあります」

「共通のは?」

「ぶるぶるぶるぶる……」

「ん」

「ブ・ル・ボ~ンッ♡」

「ぁー! かわぃぃねぇ!!!」

 

 

 少しだけにこっと笑いながら両手でハートを作ってくれるブルボン。きゅんきゅんに左右に揺らしてアピールしてきたので、ハートをとんとんして指で内側をなぞる。満面の笑みもできるはずだけど、ほんのちょっとだけ微笑むのが本当に可愛い。

 

 このファンサが毎回見られるの……? これは流石に行くしかない。私はブルボンのことが大好きなので、今すぐにでもチケットを買いたい。幼稚園内だけのチャリティーとかじゃないよね? 

 

 

「ブルボンは可愛いねえ!」

「……トレーナーさん」

「スズカ」

「すずすずすずすず……」

「おっ」

「スズカ~っ♡」

 

 

 ……ぅぁ(心停止)

 

 

「……スズカ」

「は、はい……」

「恥じらいが残ってる……ぅ」

「言うことが違いますよね……!?」

 

 

 ぐ(尊死)




ところでずっと設置されてるアンケートなんですけど、お察しの通りライスシャワー関連です。

ライスがどんな経緯で春の天皇賞に挑むかがちょこっと変わるだけで結果もその後の関係も大して変わりませんのでオマケみたいなものです。選ばれなかった方はIFエンドにでも書こうかなと思ってます。


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怒ったり怒らなかったりするサイレンススズカ

 

「みんなありがとー!! メリークリスマス!」

「メリークリスマス!」

「メリークリスマス」

 

 

 十二月二十四日、土曜日。記録者、ミホノブルボン。

 

 現在、オペレーション『クリスマスライブ』を完了。控え室にて、クールダウン及び撤収準備中です。

 

 

「お疲れー! 良かったよスズカちゃん、ブルボンちゃん!」

「はあ……緊張しました……もう、聞いてないですよファルコン先輩。いつものライブハウスだと思ってたのに」

「言ってなかったっけ?」

「会話ログ検索中。十二月二十一日のリハーサルにて『本番は上からも見られるからね』という発言がありました」

「言ってないじゃないですか」

「ご、ごめんね……」

 

 

 本日は某所のショッピングモール一階のステージにてライブが行われました。出演料の負担は求められておりませんので、恐らくこちらが招待された形でしょうか。私とスズカさんはマネジメント業務には一切関与していませんので、これだけの知名度を得られたのはファルコンさんの手腕と言わざるを得ません。

 

 ……クリスマスソングのアレンジ音源、サンタクロースの改造コスチューム、数台あった取材の大型カメラ。一体彼女の行動力はどれほどなのでしょうか? 活動資金は? 

 

 

「でもスズカちゃんもノリノリでアドリブ決めてたよね?」

「二人がアドリブするからじゃないですか!」

「タスク『アドリブアピール』も重要だとファルコンさんが」

「ブルボンちゃん! しーっ! ダメだよそれ言っちゃ!」

 

 

 ファルコンさんの指示により、私の感情表現及びファンサービスのクオリティが明らかに上昇しているのが解ります。アピールモーションは彼女のものを流用していますが、投げキッスは正解だったようです。

 

 と、控え室の利用可能時間はそう長くはありません。着替えなくては。明日はマスターの家で有マ記念を観戦しながらのパーティーです。そこでクリスマスプレゼントとして通知表も贈られます。

 

 

 ステータス『緊張』下では睡眠導入が平時より格段に遅くなりますので、本日は可能な限り早く寝ます。フラワーさんにも話したところ、子守唄を歌っていただけるそうです。

 

 

「着替えましょう」

「わーっ待って待って! カーテン!」

「あ、そうか」

「そうかじゃないよ!? 危機感! ウマドル……というか女の子でしょ!?」

「そうです」

 

 

 脱衣を止められましたが、対処はファルコンさんが行ったので問題無いでしょう。着替えます。

 

 

「もっと気を付けてね?」

「すみません、つい……普段はそんなこと考えないから……」

「いくら何でも窓とカーテンを開けて着替える女の子はいないよ」

「そういえばいつも閉まってますね……トレーナーさんかスペちゃんがやってくれてるんだと思います」

「はあ……もう……」

 

 

 ……私も言われたことがあります。ライスやフラワーさんに。反省点ですが、どうしても必要性を感じず習慣化しません。理論上は理解できますが、しかし。

 

 

「まあ、でもそういう感じだもんね、二人は。プライベートはファル子に任せて? ちゃんと守るからね」

「あ、はい」

「でも服は上下で順番に着替えて? 一回下着になるのはやめて?」

「はい」

「女の人がトレーナーさんだとみんなそうなっちゃうの?」

 

 

 着替えの後ファルコンさんのトレーナーが入室、今回の報酬の話や後処理について聞き、解散となりました。帰りは送るとは言われましたが、スズカさんがそれを受け入れるはずがありません。私も同様ですので、そのままファルコンさんと別れます。

 

 なお、報酬は支払われる時と支払われない時があります。その時々で報酬のあるライブと無いライブがあるそうです。

 

 

「やった。これはチャンスよね。そう思わない?」

「走るならマスターに許可を頂くべきでは?」

「チャンスの女神には前髪しか無いって言うでしょ?」

「この場合のチャンスとは許可を乞うことができるかどうかではないでしょうか?」

 

 

 ファルコンさんが我々に施した変装は、マスターがするそれよりも格段に上等なものでした。通常ならどこで行動していても視線を感じますが、全く感じません。私はスズカさんがスズカさんだと認識していますが、していなければ一致しないでしょう。

 

『たぶんファンの人達がたくさんいるから、変装をちゃんとして、お互いに名前を呼んじゃダメだよ!』との指示を守り、スズカさんが歩くままについていきます。

 

 

「黙っていてくれれば良いの。私が責任をもって走るから」

「私の責任にはそれを伝達することが含まれます」

「内緒にしてくれたらアイス買ってあげるけど」

「……なるほど」

 

 

 アイス……いえ、私には責任が……しかし、空腹……用意された飲料は甘味の無いものでしたし……ダメですミホノブルボン、これはマスターから常に言われていること。オーダー。オーダー……注文……ベリー、チョコレート、バニラ、キャラメル……

 

 

「……走るための服装と靴ではありません」

「大丈夫。トレーナーさんは今家だから、トレセンに寄って帰ればバレないわ」

「そこまでの道は」

「んー……まあ、ゆっくり走る感じで。それでどう? ウマ盛りにしても良いわよ。六段よ六段」

「六段……!」

「そうよ。全部違うの乗せちゃいましょう」

 

 

 ……仕方がありません。よく考えればスズカさんの管理は私の仕事ではないはずです。マスターの職務です。問題ありません。

 

 

「黙秘します」

「よく言ってくれたわ。じゃあ買いに行きましょうか。ふふん。早く行きましょうすぐに行きましょう。時間が無いわ。晩御飯までには帰らないといけないんだから」

 

 

 

 

 ────―

 

 

 

 

「あ、いたいた」

「あ……ああ、トレーナーさん……」

「何その顔は」

 

 

 クリスマスイブ。私はスズカとブルボンのライブを見にショッピングモールに来ていた。結構遠かった。普通に道も混みすぎだし、中は中で人が多いし。

 

 それで、ライブだけどめっちゃ良かった。それはもうコールでも絶叫しちゃった。あんまりバレない方がいいかなと思ってたのにめちゃくちゃ叫んだもん。客層に女の人が多くて助かった。男ばっかりとかだったらギリギリ聞き取れたかもしれない。

 

 

 で、終わった後は着替えとかあるんだろうなあ、と思いつつ、物販もないので適当に時間を潰すこと一時間ちょっと。連絡を取って合流することにして、歩くことさらに十数分。アイスクリームショップに並ぶスズカ達を発見した。

 

 というか変装上手いわね。びっくりしちゃった。スマートファルコンのトレーナーさんは男の人だったし、スマートファルコン自身がやったのかな? 私ももうちょっと学んだ方が良いのかな。

 

 

 ただ、どうもスズカの機嫌が悪い。単に怒っているというよりは拗ねてる半分かな。なんだこの子。

 

 

「会いたくなかったみたいな顔をしないで?」

「いえ別に、そんなつもりじゃないですけど」

「いやそんなに耳倒されても」

「倒れてませんよー」

 

 

 ウマ耳を絞りに絞って、代わりに両手でウマ耳を示すスズカ。そのジェスチャー自体が可愛いのであんまり怒っている感じがない。会いたくなかったって思われるのは普通に傷付くんだけど? 

 

 

「何ならアイス代渡そうか? お小遣いが浮くでしょ。何頼んだのか知らないけど」

「それは別に良いです」

「じゃあ何」

 

 

 ちゃんと髪型をセットしていたので頭を撫でるのはやめておき、代わりに背中を擦る。身長はそんなに変わらないけど、上目遣いに睨まれスズカの指が私のお腹に突き刺さった。

 

 

「痛い痛い貫通しちゃうってマジで」

「会いたくないことはなかったって言ってるじゃないですか。会いたかったですよトレーナーさんのこと好きですから」

「白々しい……何か知ってる?」

「はい。彼女は──」

「ストップ、すていっ」

「発言を許可するわ」

「……す、す」

「ほらバグっちゃった。あなたのせいだからね」

「絶対にトレーナーさんのせいです」

 

 

 矛盾する命令を与えられると処理落ちして黙ってしまうブルボン。いい加減命令の優先順位を変更してもらえないだろうか。私とスズカが同列なのはおかしいでしょ。もう関係性も正確に理解してるよね? 

 

 六段重ねとかいう意味の解らないアイスを受け取り、適当に話しながら私の車へ。ブルボンなら落とさない……とは思うけどはらはらしながらやや混みの道を走る。どうやって食べるんだろう、それ。

 

 

「それで? どうして迎えに来たんですか」

「もう。本当にどうしたの。別に担当を迎えに行くくらい普通でしょ」

「まあ、それはそうなんですけど……」

 

 

 とりあえずウマ耳は戻ったのでもう怒っているアピールにはなっているスズカ。情緒不安定なんて今に始まったことではないのであんまり追及しても仕方ないし、邪険にされたところで腹も立たないから良いけど。普通にどうしてこんなに不機嫌面をしているのかは好奇心から気になる。

 

 ……まあ、スズカが不機嫌になる理由なんて多くないから容易に想像できるんだけどね。

 

 

「どうせ私に内緒で走って帰ろうとしたんでしょ? ブルボンだけアイスを買ってるのは……買収ね」

「むむ……」

「正解です」

「良かった。あと、買収されたことは堂々と言わない方が良いわよ。スズカのことなら何を喋っても良いけどね」

「むー……」

 

 

 スズカ理解度には自信がある。スズカならあらゆる施設のロッカーに走る用の装備を入れていても驚かない……いや流石にだと思うけど。

 

 油断も隙もないというか、何と言うか。別に走ること自体は今さらだけど、その場合ブルボンはどうするのって話だし。アイスだけ渡されて結構離れた地で置いていかれる方の気持ちを考えた方が良いんじゃないの? 

 

 

「スズカも後輩を買収しない。倫理観とか無いの?」

「倫理で走れるんですか? 法はともかく倫理は知りません」

「ヤバい思想ね」

「帰ったら走ります。私がウマ娘であるうちに走らせた方が良いですよ」

「走らないとウマ娘じゃなくなっちゃうんだ……こわ」

 

 

 さあ、着いた着いた。確かブルボンは今日は早く帰って寝ると聞いているので、トレセンで解散。スズカは帰っても良いし帰らなくても良いんだけど、帰したら勝手に走ったりしない? この子。そういうオーラが吹き出てるんだけど。

 

 ……まあ、それは良いとして。

 

 

「で、スズカ、この後なんだけど」

「なんですか? 私はこの後走ります。もう止められませんよ」

「堂々と言わないで。そうじゃなくて、ほら、今日もこの後やることないでしょ?」

「走るって言ってるじゃないですか」

「走るってのは一旦置いておいて?」

 

 

 ブルボンが帰った後、何故かスズカは都合よく残っていたので声をかけてみる。大丈夫かな。完全に走るつもりでいるから、もう何も言うことを聞いてくれないかもしれない。

 

 

「この後どう? 美味しいものでも食べに行かない?」

「……言っておきますけど、ご飯で釣れると思わないでください」

「そんなんじゃないって。スズカがデートデート言うからさあ。今日も頑張ってたし、出かけるくらいはね?」

「……デートですか?」

「デートじゃないけど、気持ちだけね? ホテルのラウンジでフルコースディナーはどう?」

 

 

 二ヶ月前からの予約画面を見せる。ちょっとだけスズカの目が大きく開いた。昨日からヒヤヒヤしてたよ私。まあ予約の時間は遅くしたからライブが入ろうと大丈夫だろうとは思ってたけど、疲れて寝るとかね? 今もスズカがそれより走ります! とか言われるとめっちゃ困るし。

 

 

「大人のデートっぽいでしょ? うん、それっぽい」

「……もうちょっと上手く誘ってくれません?」

「ちゃんと誘ったら本当のデートみたいじゃない。あと私誘われる派なの」

 

 

 スマホを突き返しつつ、スズカのオーラが消えていく。

 

 

「じゃあ来年は私が誘います」

「楽しみにしてるわ」

 

 

 スズカが外したシートベルトをつけ直した。

 

 

「一回帰っておしゃれしても良いわよ」

「……じゃあ帰りましょう」

「ん」

 

 

 ギアを入れる。ちらりとスズカを見る。

 

 

「……ふふ」

 

 

 ぴこぴこ動くウマ耳が可愛かった。まる。




スズカは隠せるつもりでいますがお察しの通りいざ走ったら全て忘れて汗だくのまま家まで帰ってしまうのでバレます


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割と不安もあるダイワスカーレット

 

「ただいまー」

「あ、帰ってきた。お帰りトレーナー」

「まだ起きてたの?」

「面白いテレビがやってたから」

 

 

 スズカとのクリスマスデート……デートじゃない、お出かけが終わった後。家に帰るとスカーレットがまだ起きていた。中学生さあ。九時には寝なさいよ成長期なんだから。いや本格化してるから成長なんてしないけど。

 

 ともかく十一時過ぎまで起きていたスカーレット。帰りの車で寝てしまったので背負ってきたスズカを渡すと、代わりに優しくソファに寝かせてくれる。

 

 

「というか帰ってきたんだ。絶対帰ってこないと思ったのに」

「いや、そりゃ帰ってくるでしょ。ご飯食べただけだし」

「スズカ先輩からメッセージ来てるのよ。ほら」

 

 

 スマホを見せてくれた。確かにスズカから、『今からトレーナーさんとホテルで大人のデートです』と来ていた。何をしてるのスズカ。誤解されるでしょ。色々。まあその、確かに、ちょっと背伸びした感はあったけどさ。

 

 

「これが来たらもう朝帰りかなって思うでしょ」

「そんな簡単に朝帰りって言わないで」

「でもホテルって」

「ディナーだから。そういうホテルじゃないから」

「……全然、言ってくれれば玄関に芳香剤置いとくし、早めに寝とくし」

「生々しいこと言わないで」

 

 

 頭思春期……まあ現実に思春期のスカーレットが目を逸らしながら言ってくる。絶対に無いから。そして仮に万が一億歩譲ってあったとしてもそれでスカーレットに気を遣わせたら私は死ぬわ。

 

 黙らせがてらハンドバッグを投げつけておいて、ソファに捨てられたスズカに毛布をかけておく。後で着替えさせて運ばないといけないけど、それは私の支度が終わってからね。

 

 

「ちなみにスカーレットは晩御飯何食べた?」

「ん……トレセンで食べたけど。ちょっと身体も動かしたかったし」

「何か作る?」

「ん……じゃあ、ちょっとだけ。かるーく」

「かるーくね、かるーく」

 

 

 ソファに座り、眠るスズカのウマ耳や髪を弄び始めたスカーレット。じゃあ軽く夜食でも作ろうかな。私はちゃんとコース料理だったからお腹いっぱいだけど。というか心配なのはスズカなのよね。人間用のフルコースだし、お昼も何食べたか解ったものじゃないし。

 

 まあ、走っていなければお腹は……でもライブの後なのよね。お腹が空いたらそのうち起きるか……。

 

 

 ということでそのままキッチンへ。にんじんが残り少ないかも。でもご飯が半分くらい残ってるし、お肉もあるし……丼とか? 全然軽くないけど、ウマ娘の『軽い』は量基準だから。小腹が空いた、に人間よろしく野菜スティックとか出したら普通に暴動でしょうね。

 

 

「にんじん何本ー?」

「にほーん」

「二本ねー」

 

 

 にんじんをしりしりしつつスカーレットを眺める。横になり眠るスズカの髪を手で纏めたりさらさら遊んだり、絡み方を見るに普通に寂しかったのかもね。今日は寮で何かイベントがあったらしいけど、あんまり楽しくなかった? 

 

 

「んー……いや、めちゃくちゃ楽しかったわよ。何も言うことないくらい楽しかったわ」

「じゃあ何。今楽しくなさそうじゃない」

「そういう気分の時だってあるでしょ? 楽しんだ反動が来てるの今」

「感性が大人じゃない? 子供なんだから楽しい気持ちのまま寝るまでテンション上げるか電池切れで寝なさいよ」

「電池切れは流石に私のこと幼く見過ぎでしょ」

「あなたスズカを見てみなさい。十九でこれよ」

「……スズカさんは別じゃない」

 

 

 それはそう。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ごちそうさま。美味しかったわ」

「ん、お粗末様でした。お風呂入る?」

「シャワーで良いわ……お湯張る? やっておくけど」

「お願い。ありがとうね」

 

 

 食事後。小腹が膨れたスカーレットが浴室に消えていき、依然熟睡中のスズカと二人で残された。起こすのもかわいそうだし、このまま着替えさせるか。

 

 明日は朝起きて午前中に買い出しを済ませて、準備をしながらお昼を食べた後中山に行って有マを観て、帰ってきて準備を終わらせてクリスマスパーティーとなる。友達を呼んでも良いとはなっているけど、まあわざわざ来ないでしょたぶん。

 

 

 と、いうわけで適当にスズカを剥いて寝巻きを着せ、担いでベッドに放る。おやすみを言って外に出て、つきっぱなしのテレビを見ると、どうやら見ていたのは地上波ではなくビデオ配信型のネット番組らしかった。なるほど、ゲストがウオッカ。だからか。

 

 再生すると……まあ、よくあるインタビューと、密着型の番組だった。流石はウオッカ、既に来年の主役扱いだ。確かに、控えめに言って彼女には圧倒的な才能がある。それこそ、スカーレットなんかを遥かに凌駕する……マルゼンスキーやシンボリルドルフ、エルコンドルパサーのような圧倒的な強さがある。それはつまり、場合によってはスズカに手をかけるレベルということだ。

 

 

 次走はチューリップ賞から。恐らく桜花賞、そこからスカーレット曰くダービー。菊花賞は走れないから秋華賞かな。スカーレットはもちろんトリプルティアラだから……うーん。性格的にはチューリップ賞に被せて闘志を煽った方が良いけど、普通に負けかねないのよね、ウオッカの場合は……。

 

 とにかく、来年はまずダイワスカーレットVSウオッカ。そしてシニア一年目、ミホノブルボンVSライスシャワー。最後に黄金世代VSサイレンススズカの最終対決。いわゆる王道の路線はここが見所になるだろう。

 

 

『今のところは、全体的に意識してという感じですね。特定の誰かというのはないです』

 

 

 ウオッカのトレーナーも出ていた。まあ、そうよね。スカーレットはほとんど走っていないんだし。まだまだ世間的にもスカーレットに評判なんて無い。顔人気はありそうだけど。幼めの美人系だしおっぱい大きいし。

 

 

「出たわよー……あ゛っ!? ちょっと、何見てんのよ!」

「自宅のテレビだけど……」

 

 

 やっぱり大きいな……普段スズカと過ごすのが長いから、よりヤバい感じに見える。浴室からバスタオル一枚巻いて出て、慌てて私からリモコンを奪い取るスカーレット。すぐに一時停止をかける。

 

 

「ふふっ……」

「くっ……くっくっくっ……ま、待って無理……!」

 

 

 半分フェードした決めポーズで止まるウオッカ。次のシーンが薄く映り、親指で自分を指し示したまま止まった。止めた本人が笑っちゃってるじゃない。でも面白い。ドヤ顔も格好いいからなお面白い。とりあえずそのままにして写真を撮るスカーレット。

 

 

「……じゃない! 何見てんのよ!」

「だから、自宅のテレビ……」

「アンタは見る必要ないでしょ! ろくなこと言わないんだから!」

「ええ……私を何だと思ってるの」

 

 

 スカーレットから見る私、何? そりゃ特に言うことはないけど。むしろコメントを求められたら困る。スカーレットが勝つと断言できないので。もちろん演技はできるけど、スカーレットに通用するかどうか……。

 

 と思ったけど別に通用するな。ちょろいもんなこの子。

 

 

「心配しないでスカーレット。あなたが一番よ。スズカとブルボンの次」

「三番じゃない!」

「めちゃくちゃ頑張ればいつかブルボンは越えられると思うわ」

「スズカさんは?」

「あれは殿堂入りだから。並ぶことはできても越えるのは無理……ところで、来年はどこから走る? チューリップ賞に直行する?」

 

 

 軽く伝えつつそう聞くと、スカーレットは一瞬止まって考え込み、そのまま座った。

 

 

「いや服着て。風邪ひくわよ」

「あ、ごめん」

 

 

 改めて浴室に戻り、服を着て帰ってくるスカーレット。座る。

 

 

「直行して良いの?」

「ん、まあ……良いわよ。もちろん違うところからでも良いけど」

「……そうねえ…………」

 

 

 しばらくウオッカのことを見ていないから細かくは言えない。隣で目を閉じて天を仰ぐスカーレットの腿のあたりを擦る。お風呂上がりなのでぽかぽかだ。ただ、気持ち落ち込んでいるような気がしないでもない。

 

 

「……どうなの。仮に今、私とウオッカがぶつかったとして」

「……まあ、スカーレット有利かなあ」

「いつもの九割じゃないんだ」

「そうねえ……」

 

 

 なるほどねえ……と嘆息した後、再び番組を再生する。ジュニア級でありながら、既に取材慣れが見える。あそこは専属トレーナーで先輩がいなかったはずだから、よっぽど数をこなしたんだろう。密着取材は負担が大きいからスズカも断っているくらいだ。ブルボンも……まあ、ちょっと考えないといけないかも。

 

 

「まあ……ムカつくけどそうよね。そりゃそうだわ」

「納得なの?」

「まあね……アンタがそう言う時はさ、圧倒的な差がついてる時でしょ?」

「まあね」

「じゃあ……しょうがないかってなるじゃない」

「……ごめんね?」

「別にそれは良いんだけど」

 

 

 ウマ娘の強さはトレーナーの力量による。だからこれは一部の有能なトレーナーなら、才能など関係なく強くなる。だからまあ、スカーレットが勝てないのは私のせいだ。流石にね。

 

 私のそういう考えをちゃんと理解しているようで、スカーレットは特に責めることもなく私の隣に来て、そのまま腕を抱いてきた。お、珍しい。こういう直接的な接触はそんなに好きじゃないイメージだったな。でももちろん悪い気はしないので私からも寄り添っていく。

 

 

「そうよね。悪いのはトレーナーよね」

「えっ」

 

 

 頬を撫でようと伸ばした手が掴まれる。悪い、私死んだ。

 

 

「ところでもう今年が終わるわよね」

「……まあ」

「今私達が練習できてないのはトレーナーにも原因があるわよね」

「そうね」

「私が負けたら嫌よね?」

「もちろん」

「じゃあ私が言いたいこと、解るわよね」

 

 

 あっヤバい痛い痛い痛い痛い痛い。腕が。腕が破壊される。こんな精密な力加減ができるようになって立派ねスカーレッ痛い痛い痛い痛い痛い! 曲がる! 曲がっちゃいけない向きに! 

 

 

「待って、痛い、ちょ、うお……」

「私が言いたいこと、な~んだ?」

「いぢぢぢぢぢぢ」

 

 

 私の腕の曲げられないところを無理矢理曲げようとしながら、語尾にハートをつけて話すスカーレット。満面の笑顔があまりにも怖い。トーンはあくまで恋人レベルなのも。

 

 

「おれ、おれる、折れる折れる!」

「え~? 本当に解んな~い?」

「それやめて! マジで!」

 

 

 あ、ちょっと緩んだ。危なかった……スズカなら折ってた。

 

 

「もうっ、トレーナー。私が言いたいこと、解るわよね?」

「……ワカンナイデス」

「ウオッカにも他の子にも負けないために、たくさんトレーニングが必要よね?」

「……ソッスネ」

「今まで二ヶ月ちょっと、私に我慢させてきたお詫びは?」

「……スイヤセンシタ」

 

 

 スカーレットの目が決まってきている。このまま食い殺されるんじゃないかという目だ。怖い……! 

 

 

「やらなきゃいけないことがあるわよね?」

「……ケーキバイキングに連れていくとか?」

「それは連れていって。でも違う」

「……また遊びに行く?」

「行くけどそれも違う」

「あの、あの……」

 

 

 完全にマウントを取られ、腕を掴まれ動けない。ひえっ……ここ最近は結構平気だったのに、ついに誤魔化せなくなったらしい。まあ、ブルボンやスズカもそうなるだろうから全然良いんだけど……はあ……。

 

 

「もちろんトレーニングよね?」

「ち、近い……圧が……」

「よね?」

「はい……」

 

 

 鼻先をつける距離まで詰め寄られ、輝く瞳に見つめられると反論ができない。興奮しているうえにお風呂上がりで体温が上がりきったスカーレットに圧され、私は頷くことしかできなかった。弱き者、私……。




次回、(特に何があるわけじゃないけど)有マ。そこでライスシャワーの分岐が確定します。各レースの結末は何も変わりませんが。


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割と心配していたミホノブルボン

うすあじ。


 

「トレーナーさんどうしたんですか?」

「動けないって。体調が悪いみたい」

「あー……どうします? 病院とか?」

「ううん。それは平気。ただちょっと色々あるだけだって」

 

 

 十二月二十五日、日曜日。記録者、ミホノブルボン。本日、有マ記念及びエルナトのクリスマスパーティー。

 

 エルナトのなかではスカーレットさんが最も早く目覚めます。多少の無理をして早く起きているらしく、誰もいない段階で身支度を済ませるためだそうです。マスターが作業内容により五時から六時、私は必ず七時起床、スズカさんは朝食ができる少し前です。

 

 全員寝過ごすことはほとんどありませんので、本日も通常通り七時にリビングに来ましたがマスターが不在。その後起きてきたスズカさんに事情を聴いたところ、証言が返ってきました。

 

 

「重篤度によってはマスターの意思に関わらず通院させるべきです」

「たぶん大丈夫だと思うわ。何日も続いたら病院だろうけど」

「どんな症状なんです?」

「寝違えと風邪と生理が同時に来てるって」

「思ったより地獄……!」

 

 

 今すぐ通院させるべきでは? 引きずってでも。

 

 

「あと昨日高いもの食べたからお腹がびっくりして下ってるって」

「それは……ちょっと面白いですね。呟こうかな」

 

 

 しかし、マスターが不在となると本日の予定はいくつか変更しなければなりません。中山レース場まで車を運転できませんし、買い出しも不可能です。そもそも夜にパーティーをすることもできません。治ってからとなるでしょう。

 

 ライスの有マ記念は是非現地で応援したいのですが……仕方がありません。走りましょう。一時間から二時間で到着するはずです。

 

 

「じゃあパーティーは延期ですかね。有マはどうします?」

「私は行きます。ライスの応援がありますので」

「私も……スペちゃんの応援もしたいし……」

「あー……じゃあとりあえず中山行きます?」

「そうねえ……トレーナーさん、置いていって大丈夫かしら……聞いてくるわね」

 

 

 マスターを放置する許可をとり、走って中山に行く許可もいただきました。流石のマスターも、電車で行くようには言わないようです。負い目でしょうか。

 

 

「ううん。外にトレーナーさん無しで出たら私が我慢できないからだと思う」

「なんてこと自慢げに言ってるんですか?」

「ところでスズカさん。シャワーのあてはありますか」

「レース場の近くに銭湯があるわ」

「詳しい……」

 

 

 そうして話しながらも、スズカさんは既にランニングウェアに着替え始めています。レースは夕方ですし、応援に行くにしてもまだ早すぎますが、やはりスズカさんにはそんなことは関係無いようです。

 

 

「もう一つ、スズカさん」

「どうしたの? あ、連絡はスカーレットさんにしてもらってね。二人ならちょうど良いでしょ?」

「いえ、私の方が速いのでちょうど良くはありません」

「は?」

「……失礼。そうではなく」

 

 

 言語発声エラー。スカーレットさんを怒らせると怖いので気を付けましょう。マスターもよく言っていますが、エルナトが行動する時はどうしてもスカーレットさんが権限を持ちます。スズカさんは走ること以外に興味がなく、私は主体的に行動するには制限が多く、マスターは私達のことしか考えていませんから、意見を出すのも決定するのもスカーレットさんです。権力者に逆らうべきではありません。

 

 ……とはいえ、ミホノブルボン(わたし)はマスターの最高傑作ですから、発言自体は否定しませんが。

 

 

「マスターの許可は中山レース場に向かう部分のみで、その他は含まれていないのではないでしょうか」

「……ん、ブルボンさん。確かにそうね。だから中山まで走るのよ」

「では出発は一時から二時で良いはずです」

「ああ、これは別に着てるだけよ。出発はそれくらいで良いと思うわ」

「え……てっきり中山まで迷うかもしれないから朝から走るとか言うと思ったんですけど」

「私のこと、何だと思ってるの?」

 

 

 宣言通り、着替えを終えた段階でスズカさんは座り直し、はあ、とゆっくり倒れ込みました。会話ログ参照。確かにスズカさんは、マスターが病床であれば走らないと言っていました。

 

 なるほど、今なら理解できます。マスターとスズカさんのやり取りは愛情表現の一つですし、マスターが倒れているという負い目が発生した時点で、許可無く走ってもそれについて注意を受けることはないでしょう。

 

 

 ……つまり、スズカさんの中で、マスターとの関係は走ることよりも優先順位が高いということでしょうか。いえ、それは早計かもしれません。可能性の話であって、もし本当にそうだとすればこれは革命的な真実です。

 

 

「ではスズカさん。一緒に今から中山まで走りませんか」

「ブルボンさんがそう言うならしょうがないわね後輩のためだものお願いは聞いてあげないとねさあ行きましょうブルボンさん思いっきり飛ばすから付いてこなくても良いわよ」

「嘘です」

「は……?」

 

 

 証明終了。やはりスズカさんはスズカさんでいたたたたた。頬に痛み。つねられています。脱出不可能です。

 

 

「からかっちゃダメよ。今ギリギリで耐えてるんだから」

「すうぃわへん」

「まったくもう……」

 

 

 解放……冷却の必要あり。冷蔵庫から適当なペットボトルを取り出します。

 

 

「あれですね、スズカさんってただのジャンキーじゃないんですね」

「今我慢しなかったらただのジャンキーだと思われてたの……?」

「普段の行いを省みてもらえますか」

「どうしてそういうこと言うの……?」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「お待たせしました」

「あ、ブルボンさん。ちゃんと買えた?」

「買えました。スズカさんの分はこちらです」

 

 

 時は経ち、午後三時半。有マ記念出走まであと一時間です。無事中山レース場に来た私達は、エルナトの名前でとった待機室にいました。予約確認のため電話で起こしたマスターは非常に苦しんでいる様子でしたが、とりあえず下痢は収まったようです。

 

 私はスカーレットさんを連れ、投票券を買いに行きました。私はもちろん最高ランクの投票券を三枚、全て単勝:ライスシャワーです。スズカさんも同じく単勝:スペシャルウィークを三枚。スカーレットさんは特にこだわりが無かったようで購入はしませんでしたが、熱心に新聞を読んでいます。

 

 

「事前評価はスペ先輩とグラス先輩の二強ですね」

「まあ、そうよね……スペちゃん、ジャパンカップも凄かったし」

「一番人気はグラス先輩ですけど、かなり僅差ですね」

「勝ってないものね」

 

 

 下バ評としては完全に二強、これまで直接対決では全敗している分でグラスワンダーさんが上の評価を得ています。ライスは……三番人気。素晴らしい。このレースにおいて一番、二番人気はほぼ決まっていたようなものですから、実質的に一番人気とも言えるでしょう。流石はライスです。ふふ。

 

 スペシャルウィークさん、ライス両名ともにレース前の激励は断ったのでそのまま待機です。レース観戦時は下に行く……予定ですが、流石に有マ記念ともなると人の多さから身の危険すら感じます。ここで観戦でしょうか。

 

 

「どうなると思います?」

「ん? んー……まあ、もちろん私はスペちゃんを応援するけど、そうね……正直解らないのよね。トレーナーさん、前はグラスさんだけを警戒してたのよ。私に勝てるかもって。でも、スペちゃんにもそんなこと言い出して。酷いわよね。私が負けるわけ無いのに」

「こわ……」

「でも……確か、そうね、実力で言えばグラスさんの方が上……だったかな? あんまりよく覚えてないけれど」

 

 

 ライスは勝てるでしょうか。マスター曰く、ライスシャワーは『ただの一流』であって、スズカさんのような……すなわち、GⅠも構わず勝ち切るような一部の傑物ではない、そうです。正直あまり実感はありませんが、マスターが言うならそうなのでしょう。

 

 しかし、ライスには特定の場面で目を見張る力を発揮することがあります。それがもしこのレースで発揮されたなら。爆発力を発揮したライスは私をも凌ぐ実力を発揮します。大いに期待できます。

 

 

「どちらにせよ、最近の二人は調子良さそうだったし。たぶん悔いなく走れると思うわ」

「何よりです。ライスも同じくですから、きっと一着争いでしょう」

 

 

 菊花賞から十分な休養をとっているはずですし、トレーニングも問題なく行っています。流石に菊花賞前のあの身を削るトレーニングはしていないと思いますが、それでもライスの普通とは一般から見たスパルタです。ある種ではエルナトと同じように。

 

 

「飲み物とか買う?」

「良いですね。私行きますよ」

「でも投票券も買わせちゃったし……じゃんけんにしない? そろそろ私、ちょっとは足を動かさないと死んじゃうから」

「あ……良いですよ。スズカさんが行っても」

「そう? ありがとう。じゃあ私が行くわね。確かレース場を出たところにスーパーがあったわよね」

「……レースまでには帰ってきてくださいね?」

 

 

 良い成績を残すでしょう。ペンライトの用意をすることとします。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「……ライス」

「……ブルボンさん」

 

 

 今日は、有マ記念でした。ライスも投票で選んでもらえたので、せっかくだから出ることにしました。菊花賞でちょっと無茶をしたせいで、お医者さんにはしばらく休んだ方が良いって言われたんだけど……せっかくだから。ブルボンさんが出られなかった、っていうのもあるけど。

 

 それで、一生懸命走ったんだけど……結果は三着。一着はまだスペシャルウィークさんとグラスワンダーさんのどちらか発表されていないけど、どちらにせよかなり差をつけられてしまいました。

 

 

 控え室に戻ろうとすると、私服のブルボンさん。レース前は集中のために応援を断っていたので、何となく久しぶりなような気がします。

 

 

「称賛するべきか、慰めるべきか、解りませんが」

「うーん……ふふ、そうだよね……えへへ。負けちゃった、ブルボンさん」

「……はい。惜しかったです、ライス」

 

 

 何を言うべきか迷いつつ、でもとりあえず来てしまった……そんな様子のブルボンさんが可愛くて、つい頬が緩みます。少し笑って歩き出すと、そのまま付いてきてくれました。

 

 今日の結果は……うん。悔しい。本当に、悔しい。泣きそうなくらい悔しいです。全然勝負にならなかった。でも、良かった。ライス、ちゃんと悔しいって思えています。

 

 

「ごめんね、ブルボンさん。ブルボンさんの分まで頑張ったんだけど……」

「いいえ。素晴らしい走りでした。やはりライスは強いウマ娘です。きっと次は勝てます。私のことを気にする必要はありません」

 

 

 ほんの少しだけ、心配になることもありました。だけど、ジャパンカップを見て、今日の走りをして、それで、レースに勝ちたいと思えます。

 

 

「うん……そうだと良いなあ」

 

 

 もっともっと強くなって、それで、いつか勝ちたい。トゥインクルシリーズでもあの二人はもう一度走るはずだし、ドリームリーグだってあります。負けたくない。みんなと一緒に、行けるところまで行ってみたい。

 

 負けているのに少し笑ってしまうライスを、ブルボンさんは頻りに覗き込みます。おかしくなったとか思ってそう。ブルボンさんってそういうの全然解らない人だし。

 

 

「本当に気にしていませんか?」

「え、うん。本当に気にしてないよ。負けて悔しいだけ」

「それなら良いのですが……ライスの精神は不安定なので心配です」

 

 

 ほら、やっぱり。というかライスってそういう風に思われてたんだ。ショック。言っておくけど絶対ブルボンさんの方が不安定だからね。

 

 

「大丈夫。次は勝つよ。越えなきゃいけない。みんなを」

「……ええ。一緒に勝ちましょう、ライス」

「ブルボンさんにも勝つから」

「はい。かかってきなさい。そう簡単に勝てると思わないことです」

「うん」

 

 

 控え室の中にも普通に入ってくるブルボンさん。冷蔵庫のドリンクをとって、うちわで扇いでくれました。真冬とはいえ走った後はかなり熱くなっているし、気持ちいいな……。

 

 

「ちなみにライス、ライスならセンター、悪くても掲示板だと思いまして、こちらを作ってあります」

「え? なになに……何? それ」

「ファンサービスを求めるうちわです。スマートファルコンさんからノウハウを得ましたので……事前に聞いておこうかと。どれが良いですか」

「いや……どれも嫌だなあ……!」

 

 

 ブルボンさんが出したうちわに、派手派手な飾りつけで色々書いてあります。

 

 投げキッス、ウインク、ターン、指ハート、色んなジェスチャーを求めるもの、とたくさんある……いやあの、全然、良いんだけど、ちょっとライスにはハードルが高いかなって……

 

 

「おすすめは投げキッスです。ライスの場合、ウインクをすると両目が塞がりますから」

「いや……まあ確かにいつも隠れちゃってるけど。踊ってたら見えるよ、片目」

「そもそも、最も魅力が伝わるのは投げキッスではないですか?」

「ライスドキドキして死んじゃうよ」

「そうですか……ではデフォルトのファンサうちわにします」

「うん、そうしてくれると助かるかな……」

 

 

 解ってくれた……でも、ちょっと興味あるかも。有マ記念って物凄い人が来てくれるよね……ら、ライスのファンの人ってどんな感じなのかな……どこか振り付けに入れられたりしないかな……?




決意の刃。ライスはネットを見なかったのでとても前向き。
これでしばらくイベントがないので、エルナトがアクセルを踏み込めます。


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一番強くかましたのはサイレンススズカ

トレーナーさんきっしょーい♡


 

「え、じゃあ準備は良い? 水飲んどく?」

「良いわよ。来なさい」

「早くやりましょう。絶対解らないですから」

「ふふ。甘く見ちゃダメよ」

 

 

 ある日。マジでしんどかったクリスマスを乗り越えると、そこは愛バに囲まれたクリスマスパーティーだった。本気でしんどかった。単体では全然だけど重なるとヤバい。ブルボンもあんな気持ちだったのかな、なんて朦朧としていた。

 

 何なら、私は気にせず中山に行っておいでって言ったのを後悔してたくらい。寂しくて寂しくて、何度スズカに連絡しようとして踏み留まったか解らない。

 

 

 で、遅れてきたパーティー当日。四人で仲良く料理を作り、楽しく時間を過ごしていたところ、ちょっとした会話から一つの疑問が生まれた。

 

 

「絶対に解るからね」

 

 

 それは、利きエルナト、私なら完璧に解る説。つまり、私なら担当のことをどんなことでも判別できるとする説である。こんなもの、トレーナーなら間違いなくできる。絶対にできる。トレーナーとはつまり、担当のために自害できる人種を言うのだから。

 

 しかし三人は信じてくれなかったので、私は椅子に座らされ目隠しをしている。そして準備の時間を待つこと一時間とちょっと。作問を終えたらしい三人娘が意気揚々と戻ってきた。

 

 

「いくら何でも言い過ぎですよトレーナーさん。解ることと解らないことがあります」

「いーや絶対に解るね。あなた達のことは全部解る」

「どうしてほろ酔いでそういう意地が張れるのよ」

「大好きだから。あなた達が」

「では第一問。三人で料理をしましたので、誰の調理か当ててください」

 

 

 こういうことは私を全肯定してくれそうなスズカでさえ懐疑的だ。ブルボンも私を盲信してくれていそうな気がしたけどダメだった。スカーレットは……まあ常識人だからいいか。

 

 

「外したら一つずつ言うこと聞くのよ」

「良いわよ。何でも言いなさい」

「無制限に走らせてください」

「毎日特別メニューをやりましょう」

「ブルボン先輩と同じで」

「もっと可愛いお願いは無いの?」

 

 

 まあ良いけど。外すわけないし。何でも言うと良いわ。ぜっっっっったいに解る。

 

 

「では三口お食べください」

 

 

 ブルボンにあーんしてもらって一つ食べる。あ、エビチリ。私エビ好きなのよね。スズカが選んでくれたかな? 

 

 

 あむ。

 

 ……うん。美味しい。流石はうちの子、どんなにイカれているように見えても根本のスペックが高い。今日はスズカもちゃんと作っているだろうし、楽しみね。

 

 

「美味しい」

「ありがとうございます。それでは二食目……」

「これを作ったのはスズカね」

「……いえ、二食目を」

「スズカでしょ」

「……正解です」

「ええ……?」

 

 

 しっかりと即答すると、何故かドン引きするスカーレットの声。いや、解るって。違うじゃん。スズカが作った料理の味だったって。スズカは味付けにこだわっていないんだけど、いざやらせると出汁が多めになる。もしくは味のはっきりした調味料が多すぎる。今回は前者だったのでかなり解りにくかったけど、スズカの料理のなかでは相当美味しい部類かな。

 

 

「スズカの味がした」

「きっ……い、いやいや。先輩、次、次」

「あ、はい」

 

 

 二食目。うん。うん。

 

 

「スカーレット」

「正解です」

「ええ……」

「スズカまで引かないで」

 

 

 スカーレットは一番家庭的ね、良くも悪くも。味がはっきりしていて単純で濃いめ。あと、かき混ぜるとかそういう動作がちょっと荒っぽい。でも総合的には一番美味しいかも。

 

 

「三食目は食べますか? 私ですが」

「せっかくだし」

「承知しました」

 

 

 ブルボンはレシピ通りにしか作れないし作らないので、尖ったものがなく非常に食べやすい。やや物足りない感は否めないけど、来客に出すならこれかな。うん。解る解る。

 

 目を開けると、三人は結構ちゃんと引いていた。非常に遺憾の意を表せざるを得ない。私はトレーナーとして当然のことをしただけなのに。私は料理はそこそこ得意だから特に。

 

 

「どう?」

「どうします? 普通に解かれちゃいましたけど」

「うーん……とりあえず次行きましょうか」

「じゃあ次。これを聞いてもらうわ」

 

 

 数秒の作戦会議が行われ、スカーレットがICレコーダーを取り出した。私がいくつか備蓄してあるやつ。主に三人から言質をとった時のためにね。わざわざ使い方を調べたんだろうか。

 

 とにかく、今回は目を開けて良いようなので目隠しをとって、受け取って再生ボタン。耳元で音源を流す。

 

 

『──では行きます』

 

 

 と、ブルボンの声が入り、その後、ホワイトノイズでギリギリ聞こえるか聞こえないかの音がする。これは……ああ、スズカの足音ね。ウマ娘みたいに遠くの足音の判別はできないけど、しっかり聞こえる範囲なら私にも解る。

 

 

「誰の足音でしょうか」

「スズカ」

「正解です」

「本当に解るんですね……ただ足踏みしただけなんですけど」

「足音に重みがあって、ちょっと躊躇いが見えたわね。スズカ、アレでしょ。その場足踏みでも走りたくなって危ないから、肩か何かを二人に押さえてもらったわね」

「おお……」

「気持ち悪……」

 

 

 感心の拍手と、正解する度に目が冷たくなっていくスカーレット。スズカは既に一周回ったようで、普通に嬉しそうにしている。にこにこで私に駆け寄ろうとして二人に止められていた。

 

 まあ、これはね。歩調を見抜けないようではトレーナー失格だ。私じゃなくてもこれはできるでしょ。必須技能必須技能。

 

 

「どうします? これ三問目やる必要あります? 絶対解りますよ」

「そうねえ……どうしましょうか。別の何かを考えた方がいいかも」

 

 

 そろそろ信じてくれているらしく、ブルボンとスカーレットの足音は無かった。まあ聞いても解ると思うし。ちなみに三問目は何だったの? 

 

 

「一問目も二問目も無理かなと思って……鼻先で髪をふぁさってしようかなと思ってたんです」

 

 

 それは……即答かな……。三人を匂いで判定するんでしょ? それは楽勝でしょ。できなかったらもう……あれよ。

 

 

 私はずっと自信満々で待機しているんだけど、どうしても私に外させたい三人娘はこそこそと少し離れたところで再び会議を始める。そこまでして走りたいのかと。こうなると、そもそも絶対に無理! と私を焚き付けたのも、外させて走りたいだけにしか思えなくなってきた。やけに長い準備も乗り気だったし、絶対そうでしょ。私は詳しいんだ。

 

 

「どうします? 何なら解らないんですかね」

「んー……ブルボンさん何かある?」

「スズカさんが思い付かないのであれば不可能ではないでしょうか」

「どうして諦めるの。走りたくないの?」

「しかし現実的に最も可能性の低かった足音を判別された時点で、我々に勝ちの目があるとは思えません」

「今から絵とか習字とかします?」

「完成度で解るでしょう」

 

「スズカさんがいる限り脱いでもダメですもんね」

「うーん……あんまり意味無さそうだし寒いし……」

「極まった変態ですからね……手とか足だと一瞬ですよね」

「どこを使用しようと、裸を見せていない限りにおいてしか有効ではありません。我々にはどうにも」

「そうよね……」

「最初をスズカさんにして動揺を誘った後、私とスカーレットさんを誤認させるという手はありますが、実効性には疑念があります」

「今さら何なら動揺するんですか? トレーナーって」

 

「トレーナーにやったことないことをしないといけないと思うんですよ」

「ええ……そんなのないでしょ。やったことないこと……?」

「何かないんですか?」

「無い……んじゃないかしら」

「……ですよね」

「そもそも経験の無い行為はそのほとんどがするべきでない行為と同一です」

 

 

 恐ろしい会議が数分なされた後、三人は何か納得してはいけないことに納得したようで、私に向き直る。いくら意地になったところで私に当てられないわけがないが、そもそも私がされたくないことだって……あるか? ある……いや、あるでしょ。教え子なら何でも受け入れられるかと言われると……何なら受け入れられないかな、私。結婚くらいじゃない? 

 

 自分の許容ラインがガバガバであることに戦慄していると、ブルボンが先頭に立って私に目を閉じるよう要求してきた。言われた通り目を閉じる。すると、ぱちん、と手のひらを叩く音がして、すぐにスカーレットが私の顔を優しく包んだ。

 

 

「良い、トレーナー。今からアンタをビンタするわ」

「!?」

「もはやこれしかありません」

「待った! 絶対他にあるって!」

「ありません。性的行為か暴力行為かしかありません」

「絶望の二択……!」

 

 

 注射をする前に消毒する看護師のごとく私の頬を擦るスカーレット。いや怖いって。めちゃくちゃ怖い。そりゃ手加減が完璧なのは解ってるし、後に引くようなこともしないって解ってるし、そうなると大して痛みも無いのは解るけど、でも怖い。

 

 

「考え直さない? ねえスズカ」

「ごめんなさいトレーナーさん」

「ブルボン」

「治療が必要ではないレベルを約束します」

「スカーレット」

「心苦しいけど必要なことなのよね。走るためには」

 

 

 優しくアイマスクがかけられる。目の前が真っ暗になって、三人娘のじゃんけんのコールだけが響いてきた。え? 本当に? 本当に今からビンタされるの、私? いやあの、良いけど、別に良いんだけど、心の準備というか、

 

 

「参ります」

 

 

 バシン! 

 

 

 いったぁっ!! 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「……どうしたんです? ブルボンさん」

「いえ……機会損失です。戦略が甘かったと言わざるを得ません」

 

 

 十二月二十六日、月曜日。記録者、ミホノブルボン。クリスマスパーティーが終わり、私は寮に戻ってきています。エルナト内で交換したプレゼントは、スズカさんのものだったはずです。恐らくランニング用品でしょう。見なくても解ります。

 

 

「あ、ところでケーキ食べますか? もし良ければなんですけど」

「いただきます」

「ありがとうございますっ。じゃあ切り分けますね」

 

 

 まだ少し早い時間ということもあり、寝巻き姿ではありますがフラワーさんが起きていました。日記を中断して、冷蔵庫からケーキを取り出してくれます。恐らく手作りではありますが、しかし店売りと遜色無いクオリティです。

 

 

 ……さて。それではフラワーさんのケーキを食べながら、通知表を読むこととします。来年のレースに向けて、現状を把握しておき、この数ヵ月での遅れを取り戻さなければなりません。スズカさん、スカーレットさんと協力し、より多くのトレーニングを要求するためにも、これは非常に重要な事柄です。

 

 

「ブルボンさん」

「はい」

 

 

 目次。私の評価は三ページ目からです。今年はマスターに時間があったこともあり、これまでより比較対象が多いようです。直接対決は無いであろうウマ娘の情報や、過去のウマ娘のシニア突入時のステータスも充実して、

 

 

「食べながら読むのはやめましょう」

「……申し訳ありません」

 

 

 後にします。




仮に傷付いたとして、中央のトレーナーは不思議な生き物なので、ウマ娘のために負った傷は五秒で完治します。


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人混みに狂うサイレンススズカ

 

「行けるの?」

「行けます」

「我慢できる?」

「できます」

「本当に?」

「絶対です」

 

 

「……解った。スズカのことを信じるわ」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「っ……!」

「落ち着いてスズカ」

「き……くぅ……ぐ……っ」

「どうどう」

 

 

 ある日。というか大晦日。エルナトとしては大晦日は例年家で過ごしていたのだけど、今年はブルボンが二年参りに行きたいと言い出した。何のことか解らなかったので調べたところ、一部方言で大晦日から新年にかけてお参りに行くことらしい。

 

 で、エルナトの神社仏閣アドバイザーであるフクキタルに連絡を取ったのだけど、恐らくバイト中であり返事が無かった。以前行ったところは工事が入っているそうで、まあしょうがないから大きめのところ行こうか! となったのが昼のこと。なおスカーレットは家族と過ごすので不在となった。

 

 

「いま……っ、ぅうぅっ……!」

「はいはい。頑張れ頑張れ」

 

 

 そして夜、物凄い人混みの中変装して並ぶスズカとブルボン。ブルボンは良い。問題はスズカだ。さっきからどぅんどぅんとオーラを出したり引っ込めたりしている。自分で言っててアレだけどオーラって何よ。

 

 ただ、実際問題オーラとしか言いようがない何かがあるというのも事実。先頭狂のスズカは目付きといい雰囲気といいトップウマ娘としての貫禄を取り戻し、一部一流のウマ娘やトレーナーだけがそれに気付くことができる。バトル漫画かな? 

 

 

「むり……もうむりです、帰りましょうトレーナーさん……」

「いやいや……もうここから帰るのも無理でしょ」

 

 

 ぎっちぎちの参拝客のなか、私に助けを求める眼鏡のスズカ。どうしてこうなっているかといえば、それはもう、スズカに過剰な人混みは猛毒だったというだけだ。

 

 スズカの大逃げはマルゼンスキーのそれとは違う。速いから前に出ているのではなく……まあそれもあるだろうけど、本質的には前に誰もいてほしくないから大逃げになるわけで、それはもちろん日常生活でもそうだ。

 

 

 流石に普段生活する上で経験するようなレベルの人混みや、人の背中にいちいち掛かりはしない。そこまで行くともはや別の何かとして、しかし、過剰な人混みや周りと触れ合うような混雑となると話は別。今もこうして必死に自分を抑えながら私に縋っている。

 

 

「ぐっ……は、放してください、大丈夫です、私ならすり抜けられます……!」

「無理だから。ね? 一旦落ち着いて?」

「あ、あ、あ……っ」

 

 

 ウマ込みが本当にダメなのだ、スズカは。レースでなくても、人間であってもそう。囲まれるということへのストレスが半端ではない。私の腕に抱き付いているのだけど、このまま爆発するんじゃないかってくらい心拍が上がっている。他の人よりもさらに濃く吐息が白く噴き出してきた。放してくださいと口では言いつつ、理性がまだスズカを止めている。

 

 

「やっぱり無理でしたか」

「まあねえ……そりゃそうよね」

 

 

 こうなるから、出先にスズカにしっかり問い掛けたのだ。本当に人混みで大丈夫か、頭がおかしくなるようなら自制してくれ、と。それこそ何度も確認した。それでもこうなった。まあ解ってたけど。私はスズカを良くも悪くも信じているからね。

 

 ……ただ、鋭い目付きで威圧と蒸気を撒き散らすスズカを見ると、一般人はこういう威圧に鈍感で良かった、と思うわけ。幸いところどころ同じような蒸気は上がっている。ウマ娘は体温が高いので、運動させた後とか、周りが寒い時とか、ほぼ煙が立つ同然の蒸気が上がるのだ。

 

 

「はーっ……ふぅーっ……ぅ、ぅぅ、あっ……」

「いっ……てててて……痛い痛いスズカ、折れる、折れるって」

「折れません……! 良いから走らせてください……走ります、今すぐ……!」

「ぐぐぐぐ」

 

 

 口ではそう言うものの、身体は私にくっつくスズカ。身体は頑張っているのにお口は素直ね。口が本能で身体が理性なこともそうそう無いでしょ。というか身体が理性にしては力が強すぎる。折れるってマジで。

 

 

「……安心して……この腕にかけてもお参りはするから……!」

「じゃあ走りに行きますよ……!」

「いだだだだだ、た、助けて、助けてブルボンっ」

「了解しました」

 

 

 ギリギリ折れなかった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「良いですか、トレーナーさん」

「スズカ……待って、一旦落ち着いて」

「いいえ。待ちません。これが最終警告です。走ります。でなければ死にます」

「怖すぎ……」

 

 

 何とか参拝を終えた後。何だかんだ優しい子であるスズカの理性は、ブルボンのお願いというのもあり最後までもった。口ではずっと限界だの何だの言っていたが、何とあのスズカが人混みを三時間耐え抜いたのである。お母さん感動しちゃった。立派になって……。

 

 しかし、また人混みを歩くこと一時間、車に戻った瞬間スズカは私に突撃してそのままボンネットに押し倒すと、私の背中が反って大変なことになっているのにも構わずそのまま鼻をくっつける勢いで迫ってきた。

 

 

「走ります。ここから走って帰ります。これはもう決定です」

「ま、待った、スズカ? ね? 一緒に帰ろう? 夜道は危ないわ」

「もう一時過ぎです。朝みたいなものです」

「その理屈はおかし痛い痛い痛い痛い痛い! スズカ! 外ではやめよう! ね! 通報されちゃうから! 現行犯は私でも庇えないって!」

 

 

 オーラを撒き散らしながら有無を言わさない勢いのスズカ。げに恐ろしきは人混みのストレスである。まあ割といつもこんな感じだけど。でも一応外ではここまでやらなかったと思うし。

 

 今この瞬間こそ人は少ないがいつ来るか解らない。というか痛すぎ。関節が増えちゃいそう。

 

 

「スズカさん」

「何……今余裕がないの、変なことを言うならいくらブルボンさんでも」

「走ってはいけません」

「は?」

「ちょっとブルボン──」

 

 

 どうしてそんなわざわざ死にに行くようなことを、と咄嗟に止めようとした。スズカが私から離れてブルボンに詰め寄っていく。『圧』が余すことなくブルボンに向けられた結果、いつも通りブルボンが怯えて退く……ことはなかった。

 

 

「いけません」

「……ブルボンさん。意地悪言わないで。もう本当にギリギリなの。私はいつ走り出しても良いんだからね。それとも一緒に走る? 何秒持つと思う?」

 

 

 いつになくスズカが好戦的だ。私に止められて走らせてもらえないのと、人混みによって強制的にストレスを与え続けられるのとでは心持ちが違うらしい。先んじてスズカから煽りに行くのはなかなか無いような気がする。

 

 

「やってみますか」

 

 

 しかし、ブルボン、なんとまったく退かず。むしろスズカをまっすぐ見つめ返していった。素晴らしい精神力だ。恐らくスカーレットなら、退きこそしないがここまで堂々とにらみ合いはできないだろう。いや、それはそれで凄いことなんだけどね? 

 

 

「やるわねブルボン。ついに克服したの」

「『スピードB+、スタミナB+、パワーB、根性C、賢さD+。変わらず同世代において圧倒的で、中距離路線及び秋シニア三冠は確実、春の天皇賞にもスタミナ十分、ライスシャワーを除き敵無し。一つ上世代とも直接対決ができるだけの実力があり、トップウマ娘として覚醒している』、ですから」

 

 

 一字一句覚えてるじゃん……怖……。突然自信持ちすぎじゃない? 嬉しいけど……やっぱり実力を客観的に示されるとそうなるのね。

 

 

「誰にも負けられませんので。スズカさんも含めて」

「……そうなの。じゃあちゃんと解らせないといけないわね」

 

 

 あ、流れが良くないなこれ。もう、すぐ負けん気見せるんだからこの子達は。

 

 

「トレーナーさん。走りに行ってきますね」

「マスター。許可を」

「え、あの、え?」

「トレーナーさん」

「マスター」

 

 

 ブルボンまで迫ってきちゃった。もう……どうしてこうなるの? 私の教育が悪かったかな。もっとこう、平和に行きたい……私も教え子も心を痛めてスパルタやるとかさ、無い? 無いか。ごめん。

 

 ……まあ、大体のことは予測できてるから準備もしてあるけどね。

 

 

「……解った。二人は走って帰ってきなさい」

「やったっ、行ってきま──」

「着替える。シューズを履く。光り物を着ける」

「買えって言うんですか?」

「トランクに積んであるから」

「トレーナーさん……!」

 

 

 こんなこともあろうかと……というかスズカが無理なのはまず間違いなかったので、しっかり色々積んである。ランニングウェア、シューズ、蛍光テープやライト、タオルとか、GPS端末やらテレフォンカードやら。夜に走る用のアイテムセットを持ってきてある。

 

 

「流石ですトレーナーさんやっぱりトレーナーさんは素敵です大好きです走ってきますので先に寝ていてください日が昇るまでには帰るのでそれでは行ってきます」

「待って待って。車のなかで着替えて」

 

 

 トランクの中身を見るなり走れることが確定してテンションが最高潮になってしまうスズカ。躊躇い無くコートを脱ぎ捨てその下まで手を掛けたので慌てて止めて車の中に押し込める。放っておいたら真冬の深夜でも本当に脱ぎかねない。何とか説得してアップもさせないと。スズカなら大丈夫だとは思うけど、寒い中突然運動すると身体に悪い。

 

 

「ブルボンも着替えておいで」

「よろしいのですか」

「ダメって言っても走るでしょうに」

「……では行ってきます」

「ん。急いで着替えなね」

 

 

 そうして二人の着替えを待ち、色々と装備を着けさせる。刻一刻と限界が近付いてきているスズカの周りを蒸気が覆い始めた。いやあっつ。インフルエンザかな? 

 

 宥めながらストレッチをさせると、そんなスズカに触れ合ったからかブルボンの目もギラつき始めた。こっちは体温が上がったり周りが見えなくなるタイプじゃないけど、スズカほどではなくともオーラが漂い始めている。うちの子怖い。

 

 

 じゃあまあ、せっかくだし声でも掛けておこうかな。スズカのそれは狂気だがブルボンのこれはやる気だ。こっちは煽っても大丈夫。むしろ指示という形で限度を決めた方が都合が良い。

 

 

「じゃあブルボン。あなたが言ったんだから、そう簡単に千切られたら許さないからね」

「はい」

「トレーナーさんっ、はやく、はやくはやくはやくっ」

「そうね……三十分は追い縋りなさい。今ならそれくらいできるわ。良い。あなたは中長距離で最強になるのよブルボン。スズカの後天下を取るのはあなたよ。十分で千切られたら帰ってこなくて良いわ。解った?」

「……! 必ず達成します」

「よし」

「良いですか? もう走りますよ? はい走ります。うぅ、は、はし、はし……」

 

 

 エルナトスイッチオン。実際スタミナはほぼ同等まで来ている。フリーのランニングでスズカに並ぶウマ娘はたぶんこの世にいないだろうけど、途中まで追い縋るくらいなら簡単だろう。

 

 肩をぽんぽんして、どどどど……と迫力を出しながら震えるブルボンの背中を押す。その瞬間、耐えきれなくなったスズカと合わせたブルボンが走り出した。

 

 

「行ってらっ──」

 

 

 突風が返ってくる。スタートダッシュが上手いなあ。流石逃げウマ娘だなあ。いやあ……寂し。これ私一人で運転して帰るのかあ……いつ帰ってくるんだろう……? 

 

 

 

 

 ────―

 

 

 

 

「はあ……気持ち良かった……最高です……」

「……あらそう。それで? またお風呂に入らずに寝たの?」

 

 

 翌日。朝起きるとスズカがいた。ウェアのままだったので軽く揺すり起こすと、ふにゃふにゃに笑って寝ぼけたまま私に抱きついてくる。またシーツがやられちゃった。胸元に擦りついてくるスズカの頭を撫でつつ起き上がるが、すぐにスズカが脱力して膝に崩れ落ちた。

 

 

「癖になりそうです……」

「もうなってるのよ、癖に」

「ちょっと……あと三時間くらいこうしていても良いですか」

「いや。シャワー浴びて。洗濯するんだから」

 

 

 ところでブルボンはどこ? 

 

 

「それですトレーナーさん。どうしてあんなこと言ったんですか? ずーっとついてきて、もう本当に……もうっ」

「後でブルボンは褒めてあげないといけないわね」

「むーっ」

「痛い痛い痛い」

 

 

 新年最初の目覚めは、スズカに優しく頬を叩かれながら。これはこれで良いなあ、と思った午前七時のことだった。あけましておめでとう、スズカ。



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スズカシニアⅢ/ブルボンシニアⅠ/スカーレットクラシック
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特別メニュー(スパルタ)の時間よ! オラァッ!」

「!?」

 

 

 ある日。謹慎明け早々しっかり回されてきた仕事をこなすべく冬休みのトレセンに出勤していた時のこと。突然トレーナールームの扉が蹴り破られ……てはないけど、あまりにもチンピラな台詞と共に強めに開けられた。

 

 

「捕まえてください」

「マスター。抵抗する度痛みを与えます」

「淡々とした脅迫……!」

 

 

 そしていつもの三人娘が乗り込んでくる。スカーレットの様子がおかしい。すぐに扉は閉めたものの、扉が開いたままああいう発言をするというのはポリシーに反するんじゃないだろうか。まあ、正直言ってほとんど人はいないけど。いくらトレセンでも三が日は大体休んでるし。

 

 

 スズカの指示と何故か抵抗しない私の働きにより、しっかり後ろ手に縛られる私。スズカを縛りすぎたせいでスズカ自身が縛り方を覚えてしまい、しっかり拘束されている。スズカなら麻縄くらい力ずくで破れるけど、私はできないのでそのままただ拘束されるがままに。

 

 

「何するの」

「あ、トレーナーさん、これは名前をつけて保存が良いですか?」

「いや上書きで良いよ」

「はーい」

 

 

 というか、あと五分あれば終わるんだけど。保存するくらいなら最後までやらせてくれない? 

 

 

「良いわよ。一回解くわね」

「ありがとう」

 

 

 一回解いてもらい、三人に見守られながらお仕事を終える。それからもう一度縛られ、気を取り直して椅子に座ったままキャスターで壁際に追い詰められた。

 

 

「何のつもり? 事と次第によっては怒るわよ。スズカがおやつ抜きになるわ」

「どうして私だけ……?」

「ブルボンとスカーレットは寮に帰るらしいし」

「上等じゃない。やりたきゃやれば?」

「スカーレットさん!?」

 

 

 今日一番掛かってるのはスカーレットか……スズカはまだ理性的かも。スズカは元旦に走って、その勢いで謎理論を振りかざして二日も走ったのでかなり落ち着いている。ブルボンは……あっダメな目をしてるな、これは。

 

 さて……何だろうな……この掛かり方は尋常じゃないなあ……スカーレットの理性が飛んでるのは結構珍しいし……

 

 

「新年明けましておめでとう、トレーナー」

「おめでとう、スカーレット」

「謹慎が明けたらしいじゃない。良かったわね」

「……そうね」

 

 

 などと現実逃避はしてみたけど、まあそうよね。そういう話よね。何なら入ってくる時言ってたしね。うちの子ってば走ることと勝つことに狂ってるから。でもスカーレットか。ブルボンが先かと思ったけど。ウオッカのせいかな? 

 

 

「トレーナーに問題よ。前回の特別メニューはいつでしょうか?」

「……えっと」

「二ヶ月前よ」

 

 

 早いなあ。惚ける隙もない。

 

 

「私が言いたいこと、解るわよね」

「解るわ。解るけど一つ聞かせて。スカーレットをこんなにしたのは誰? スズカ? ブルボン?」

「強いて言うならアンタよ」

「そう……」

 

 

「往生際が悪いですよトレーナーさん。もうやるしかないんです。私も心苦しいですけど、二人からひたすら逃げる役目を果たしますから」

「スズカは昨日走ったじゃない。一昨日も。もう良いんじゃないの? さも後輩のためみたいな顔をして」

「昨日の話はしてません。私は今日の話をしています。今日走れるか走れないかで今日の寝付きが変わるんです。ほら今日の話」

「今日は昨日の積み重ねでできているのよ」

「過去を見ていては成長できませんよトレーナーさん」

 

 

「ねえブルボン。ブルボンは良い子よね。私の言うこと聞いてくれるわよね。私を困らせたりしないわよね」

「アンタ悪い親みたいなこと言うのやめなさいよ」

「マスター。大阪杯は四月です。時間がありません」

「そっかあ……四ヶ月ってすぐだもんね……」

「マスターには選択肢があります。二日に一度特別メニューを実行するか、毎日実行するかです」

「イカれた二択ね」

 

 

 スパルタ狂い二人とランニング狂い一人に捕らえられた時点で勝負は決まっていたのかもしれない。事実私もそんなに強く抵抗するつもりはない。

 

 去年とは事情が違っている。ブルボンにはライスシャワーという怪物がいるということが解ったし、どう考えてもブルボンの出るレース全てに被せてくるだろう。そしてスカーレットにもウオッカという百年に一人の逸材がいる。私は一流トレーナーではないので、二人を勝たせるにはどうすれば良いかというと、そう、スパルタだね。

 

 

 いや、これは本当にそうだ。別に三人の要求はおかしくない。勝つためにトレーニングを厳しくしてほしい、うん、ウマ娘なら当然の要求だ。私もそう思うし、言われなくてもやるつもりではあった。

 

 

「さあ外に行くわよ。今日は死ぬまで帰さないから」

「本日は夜も予約を取ってありますので、回復の後午後も実施しましょう」

「ふん、ふふん。ふふん」

 

 

 でもどうしてだろう、この三人については何か違うような気がする。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「よーしやるわよー」

「ふーっ……ふう、よし、よし! 行くわよ!」

「……!」

「あの、この境遇に異論があるんですけど」

 

 

 トラックにて。いつも通り準備をして外に出た私達。スズカとベンチに手錠をかけて、ブルボンとスカーレットはスタート位置についている。ゲートくん三号を前に気合いが高まりきっている二人は、やはりしばらくスパルタをやっていなかったからか体力があり余っている。普通のトレーニングはしていたんだけど、二人の身体はもはやそんなトレーニングでは疲労を残さないように調教されてしまったのかもしれない。

 

 

「スズカはいいでしょ。最近ずっと走ってるし」

「そんなのおかしいですトレーナーさん。トレーナーさんは二日ご飯を食べたら次の日はいらないんですか?」

「まあ正直ご飯は一日おきでも死にはしないわ」

「それは人間の話ですよね」

「今あなたが人間の話をしたのよね」

「それとこれとは関係無いです」

「じゃあ逆に何が関係あるのよ」

 

 

 一応手錠はパワーで外れてしまうし、レースウマ娘ともなればベンチごと地面から引き抜いて引きずることも不可能ではない。ということで鋼鉄マグネットブーツも履かせている。これでスズカは身動きできない。あとはまあ、膝枕して私の手でも動きを制限しておく。

 

 

「ブルボン。いつものタイムからハロン0.2秒早めて。スカーレットは最終着差を五バ身までに抑えなさい。あと、可能な限りブルボンの前に出ること。良いわね」

「目標修正。いつでも行けます」

「っし……イン入りますね、ブルボン先輩」

「はい。内ラチから二メートルを越えないようにお願いします」

「了解です」

 

 

 脚を放り出し仰向けに転がるスズカと、既に目が本気になりつつスタート位置につく二人。一旦スズカを置いておいてゲートくんのスイッチに手を掛ける。

 

 

「覚悟は良い? 一応言っておくけど途中でやっぱやめたとか無しだからね。やるからには今日は死ぬと思ってやりなさいよ」

「初めからそのつもりです」

「良いから始めて。誰に言ってんのよ」

 

 

 ドドドド……とオーラが噴き出る二人……いやこれはブルボンだけだな。スカーレットはまだ無理。まあこれは別にどうでも良い。出してるのは一流だけど、出せないからと言って二流三流ってわけではない。

 

 

「じゃあ行くわよ。位置について、よーい──」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「走ります」

「走りません」

「走ります走ります」

「走りません走りません」

「走ります走ります走ります」

「走りません走りません走りません」

「走ります走ります走ります走ります」

「走りません走りません走りません走りません」

 

 

 何回か後。好き勝手に走る二人を見て、スズカが早くも落ち着きを無くしている。誰もいないことを良いことに私に絡み付いて耳元で囁いてくる。声は良いけど台詞が同じだからおかしくなりそう。私が走り出すんじゃないの、これだと。

 

 鋼鉄ブーツへの順応も少しずつ早くなってきている。ベンチの金属に反応してくっついてはいるが、位置の調整もできている。もたれかかるみたいに私に抱き付いてきているが、別に自立もできるだろうスズカなら。

 

 

「意地になっちゃダメですよトレーナーさん。素直になりましょう?」

「今私は過去一素直よ」

「私のこと好きですか?」

「何言ってるのあなた」

「素直って言うから……」

「言い直すわ。あなたを走らせないことについて素直よ」

「そこは天の邪鬼でも良いんですけど」

「あちょっと待ってねスズカ」

「あ、はい」

 

 

 メガホンをとるとスズカが耳を塞ぐ。

 

 

「スカーレット!!! あと一ハロン粘りなさい!!! そんな簡単に抜かれるんじゃないわよ!!!!」

 

 

「一回だけ。ちょっとだけですから。絶対に本気は出さないので一回だけお願いします。ちょっとだけ」

「ダメ男かおのれ。私はそういうのには騙されません」

「良いじゃないですか。本気は出さないって言ってるんですから信じることも大切です。それともトレーナーは私のことを信じていないんですか?」

「あ、ストップ」

「あ、はい」

 

 

「ブルボン!!!! 速い!!!! もう少し落としなさい!!!!」

 

 

「信じてるわよ。あなたは絶対に本気を出す。絶対に。そして何もかもぶっちぎってくる」

「照れますね。ではご期待にお応えしてぶっちぎってきます」

「応えなくて良いからここにいなさい」

「お手洗いは大丈夫ですか? お腹空いてませんか? ガスの元栓と家の鍵は閉めました?」

「私を排除する方向にシフトしないで。オール電化だしオートロックだから」

 

 

 バカな話をしている間に二人が帰ってきた。ん、と頬を撫でると、スズカがんー、と微笑んで私から離れる。帰ってくるなり崩れ落ちる二人。これは疲れているだけね。特に意識がどうとかって感じじゃないかな。

 

 とはいえ何度か走っている以上消耗は大きい。スズカは動けないので飲み物を渡そう……として、どこか期待に満ちた目で見ている二人。あー。うん。良いけど、良いんだけど、それはもうスパルタで圧倒的成長! とか関係無くない? 

 

 

「ブルボン。まだこのタイムで行けそう? 下げとく?」

「い……え……問題……ありません……」

「スカーレットは……あなたはまだ頑張りなさい。もう少しペース上げないと、次は六バ身つくわよ」

「わかっ……るわよ……! 話し……かけんな……!!」

 

 

 顔面からドリンクを掛けるいつもの飲ませ方を実行。もうかなり久しぶりのはずだけど、二人とも完全に順応して水分補給ができている。先に立ち上がったのはブルボン。体重をかけて持ち上げるようにしてスカーレットも起こす。

 

 

「持ってて……!」

「はいはい」

 

 

 新年早々上着を脱ぎ捨て半袖になるスカーレット。体温と汗が蒸気になって立ち上っている。同じくブルボンも脱ぎ、ふーっ、と大きく息を吐く。蒸気機関車みたい。

 

 

「じゃあもう一本。位置につきなさい」

「っし……できる、できるできるできる……!」

「ふーっ……ふー……っ」

 

 

「……トレーナーさん。ちょっと……一ハロンで良いので……」

「ダメ」

「気持ち良さそう……羨ましい……」

 

 

 全員狂ってるなあ……

 

 

 

 ────

 

 

 

「お疲れ。うーん……少し待てばもう一本行けるかも。五分休憩ね」

「はっ、はっ、はっ、はっ……」

「げほっ……ぐ……ぅぐっ……」

 

 

 ついに二人が動けなくなってしまった。ラスト一本に備えて休憩に入り、スズカと二人で水をかけたり扇いだり。流石にこの段階に来るとスズカも大人しくなり、一緒に作業に入ってくれる。結構マネージャー適正があるというか、サポートとしての能力はあるのよね。何よりも自分が走ることが好きだから、必要なものが理解できている。

 

 

「と……れ……」

「何?」

「人……い……る……?」

「人? いや……別に誰もいないけど」

 

 

 回復体位だったスカーレットが仰向けに直り、人がいないことを確認して、そして、

 

 

「そ…………!」

「こらこらこら!」

「な……ほど…………」

 

 

 自分のウェアを掴み、胸元からちぎろうと強く引いた。ブルボンも続こうとしたので二人で慌てて止める。こんなところでエルナト三人中二人が上半身下着は不味い。私も捕まる。あと女を捨てすぎね。

 

 

「何してるの!」

「いきが……くるしい……」

「さんそ……」

「だからって外だから! 露出は不味いって!」

「ぐ……」

 

 

 悔しそうに体勢を戻すスカーレット。確かにまあ、解るけど。これはもうそういうものなので仕方がないが、ウマ娘用のスポブラ、普通に苦しいのよね。巨乳不利説は昔から囁かれているし、正直私もそう思う。ただ、ウマ娘の力とウマソウルの前にはそんなもの誤差だっていうだけで。

 

 日々成長中の二人で、かつスパルタは結構久しぶり。感覚的に息苦しさが増しているのかも。

 

 

「大丈夫ですか……? 酸素ですよ」

「く……」

 

 

 ああ……スズカの目が心底哀れみに満ちている……この子には無縁の苦しみだものね……普通に良心からトレーニングの手伝いをしているだけなのに施しに見える。

 

 

「寝るときは脱いでも良いからトレーニングの間は着てて」

「マジで……頼むわ……」

「じゃあラスト一本行こうか」

「あと……五秒……」

「はいはい」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「お疲れ二人とも」

「……」

「……」

「聞こえてないですね」

 

 

 さらに後。ついに二人が物言わぬ屍になってしまった。しかしまあ、かなり持った方だと思う。休み明けで体力があり余っていたのと、久しぶりのスパルタで気合いが入っていたというのもあるかな。その分本当の本当に限界を攻めてしまったので、ほぼ気絶同然となっている。

 

 

「運ぼうか」

「はい」

 

 

 二人を背負い、さらに荷物まで持ってくれるスズカ。トレーナー室に帰り約束通り二人を脱がせて寝かせると、ほっと一息ついてからソファの隣に座ってきた。

 

 

「懐かしいですね、この感じ」

「そう? 言っても二ヶ月ぶりでしょ?」

「そうじゃないですよ」

 

 

 んー、と私の胸元に寄りかかり、うなじ辺りでこんこんと顎に触れてくるスズカ。唇に指を伸ばすと、軽く食んで微笑んだ。

 

 

「二人きりってところがです」

 

 

 そうかな。確かに長らく無かったかも? 正直覚えてないけど。いてもいなくても同じようなものだし。

 

 そのまま唇から顎にかけてのラインを撫でながら、さらにぐっとくっついていく。ふふん、とご機嫌なスズカがそのまま私を押し倒して横になる。ソファは狭いので、当然ほぼ抱き付く形になった。

 

 

「……二人ともいるけど」

「寝てるんだから良いじゃないですか。風情がないですね」

「スズカに言われたくない。私気付いてるからね。外をちらちら見て。このまま良い感じの雰囲気にして流れで走りに行こうとしてるでしょ」

「……何のことだか解りません」

「ほうらね」

「ぷあぷあ」

 

 

 鼻を摘まんだり放したりして鳴かせると、ぐりぐりとおでこを擦り付けられる。長髪に触れて抱き寄せ、抜け出せないようにスズカの頭にくっつく。目を閉じるスズカ。とても幸せそうに、んふふ、と笑った。



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トレーニング失敗するサイレンススズカ

 

「はい、さんじゅうごー」

 

「ご……!」

「いっ……ぐ、ぐぅっ……ごっ……!!」

 

「さんじゅうろくー」

 

「ろく……!」

「っ、ぅ、ちょっ、ぐ……ぐぎぎぎ……ろ、く……ぅ!」

 

 

 ある日。スパルタができると言えど、流石に連日は二人の脚がもたない。しかし、体力が残っているなら上半身は鍛えられるということで、今日はジムに来ている。うちは脚質としてのパワーは重視していないが、重バ場に対応するパワーのためには筋トレも大事なトレーニングではある。

 

 

「頑張ってスカーレット。もう少しスズカの力入れる?」

「いらない…………!!!!」

「そう」

 

 

 天井の金具を使いクラッカーみたいに強化ゴムハーネスで二人を繋げて、床の鉄棒で天地逆転懸垂をさせている。やはりパワーはブルボンが圧倒しているのでスカーレットが終始ギリギリで引っ張っている状態ではあるが、とりあえずスズカの手助けもあり拮抗はしている。

 

 

「さんじゅうななー」

「なな……!」

「ふーっ、ふーっ、ぐ、ぐぐぐっ、ぎ、ぐうぅぅっ……!! な、ななァ……ッ!」

「頑張ってスカーレットさん。あと十三回……あの、あともう少し沈める? ちょっとギリギリなんだけど……」

「がんばり……ます……!!」

 

 

 顔は女としてはギリギリだけど、そこはやっぱりウマ娘、必死になって歯を食い縛っていても美しい。スカーレットの上に乗ってゴムを引っ張るスズカの頭が安全バーに掠めている。

 

 

「ブルボンは大丈夫?」

「問題……ありません……! 筋稼働率は……想定範囲内……97%以下を維持しています……!!」

「めちゃくちゃギリギリの数字に聞こえるんだけど……」

「あの、スカーレットさん? めり込んできてるめり込んできてる」

「さんじゅうはちー」

「はち……!」

「は……ぐ、ぎっ……ぐ、うぅぅぅっ!!!! はちッ……あっ」

 

 

 あっスカーレットの手が滑った。

 

 

「ぐぇ」

「スズカ!?」

 

 

 スズカがスカーレットと安全バーの間に挟まれた。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「頑張れ頑張れー。進んでないわよー」

「ファイトーっ」

 

 

 また別の日。プール予約を取り、ゴムに引かれながらこちらに泳いでくる二人。ゴール地点で手をぱちぱちしたり手旗を振って応援するスズカ。プールはキツい割に身体への負担が小さいので良い。うちではそんなにスタミナを重視していないからアレだけど。

 

 トレセンには温水プールがあって良いわね。私もトレーニングが少ないうちに入っておこうかな。定期的に泳いでおかないと泳ぎ方忘れちゃいそうだし。

 

 

「ブルボーン! あと十メートルーっ」

「スカーレットさーん。息継ぎが多いと戻されますよーっ」

 

 

 スズカも気分で水着を着ているし、気分が乗れば二人で……みんなで泳いだりしたいね。もちろんトレーニングとかにはならないけど。

 

 

「もう少しですよーっ」

「っは……はっ、はっ、はーっ……!」

「お疲れブルボン。ちょっと待っててね」

 

 

 スカーレットがゴール間近なので手を伸ばすスズカ。一方のブルボンはこちら側にたどり着きプールサイドの手すりを掴んでいる。ゴムと身体を繋ぐ金具を外し、ちょっと気合いを入れてブルボンを引っ張り上げる。

 

 

「流石泳ぐの速いわねブルボンは」

「はい……」

「じゃあバタ足三十秒行こっか」

「……はい」

 

 

 少し離れたレーンで津波を起こしながらバタ足に入るブルボン。スカーレットがもう少しで戻ってくる。意地を張ってゴムの強度をブルボンと同じにしてしまったので相当キツいはずだ。不可能ではないから受け入れたけど、まさか完遂するとは。途中で引き戻されると思ったのに。

 

 

「もうちょっとーっ」

「……ッ、あぁっ!!! もう!! つ、着いた……ッ」

「お疲れさま、スカーレットさん」

「いや……無理無理……死ぬって……! 何よこのバカみたいな強度……!」

「達成してるけど……」

「は、はやく外してください……!」

「あ、うん」

 

 

「良いじゃないスカーレット。流石ね」

「ふんっ……当然でしょ……! 楽勝よ!」

「今キレてたの聞こえてたけど」

「難儀な性格ですね……ん? あれ? 外れない……」

「何してるの」

 

 

 金具は背中側にあり、水に入らずに取るにはちょっとだけコツがいる。スズカが身を乗り出して外そうとしているけどできないらしく、プールサイドを掴むスカーレットに乗っかるくらいに乗り出した。

 

 

「あれ? ここ……これですよね」

「んふ……す、スズカさんくすぐったい……」

「ちょっと背中押さえますね」

「ひんっ!?」

「あら珍しい声」

「うんしょ」

「んぃ……く、ぅんっ……」

 

 

 何をしてるんだか。

 

 

「私が取るから退い──」

「くふ、んっ、あははっ……あっ」

 

 

 笑った拍子に手を放すスカーレット。

 

 

「えっ」

 

 

 よく解らないままとりあえず反射で抱き付くスズカ。

 

 

「あああああ…………」

「スズカ!?」

 

 

 二人纏めて引きずられていった。全てを諦めたかのような小さな悲鳴が水しぶきに消えていく。不謹慎だが普通に笑った。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「そういえばスカーレットさん」

「……はい?」

「この間お買い物に行ったじゃない」

「あー……どれですか? 二人で行ったのですか? ブルボン先輩もいたやつですか?」

「二人で行った時の方」

「はい」

 

 

 次の日。流石に毎日過酷なトレーニングはまずいので、今日は運動は心拍数を高める程度に留めて、かなり軽めのトレーニングにした。ただひたすら片足立ちを続けるというシンプルかつ簡単なトレーニングだ。

 

 

「あの後私調べてみたんだけど、やっぱりあのパウダー、にんじん味も発売されてたわ。あのお店に無かっただけみたい」

「え、ですよね? 良かった買わなくて……」

「何の話ですか?」

「いや、ドリンクパウダーの新作見てたんですけど、にんじん味だけ置いてなかったんですよ。で、店員さんに聞いたら、発売されてませんって」

「でもにんじん味が無いわけないじゃない?」

「確かに」

 

 

 並んで片足で立ち、普通に世間話を続ける三人。流石は一流のウマ娘というか、もう十分を超えるんだけど一切バランスを崩した様子がない。スカーレットがちょこちょこふらつくくらいで、特にスズカが微動だにしていない。

 

 やはりスズカの圧倒的な体幹とバランス感覚には惚れ惚れする。悪路長距離で培われたスズカの身体は国宝級のものだ。一人だけ目を閉じているが崩れる様子がない。

 

 

「悔しいから買わなかったんだけど……やっぱりあったわ」

「販売店によって入荷商品に差異はあるかと思いますが」

「それならうちは取り扱ってませんって言いません?」

「確かに……」

「あんまり新商品を置かないお店だったのかしら。最新シューズも置いてなかったし」

「スズカさんの『最新』って新商品発表会直後とかじゃないですか。まだ予約すら始まってるか怪しいくらいの」

「それは……まあ、そうね……」

 

 

 しかしブルボンとスカーレットも負けていない。元々ブルボンにとっては得意分野だったか、こちらもほぼぶれがない。スカーレットも同様に、話す余裕がある。

 

 

「でもシューズは大事よ。いかに良いものを使うか、それを探すアンテナが生命線なんだから」

「でもスズカさん、この間新作シューズを特に説明見ないでポチってましたよね」

「スズカ? どういうこと?」

「い、いや違います、ちゃんと考えて買いましたよ。新作発表会の配信も見てましたから。決して適当に買ったわけではないです」

「いくらだったの、ちなみに」

「………………さあ?」

「賞金を稼ぎすぎるとこうなっちゃうのね……気を付けよ」

 

 

 ブルジョワジースズカ。一応たぶんスズカの金銭感覚はそこまで狂っていない……と思う。少なくとも三人のなかで一番裕福なのはスカーレットだろうし。

 

 

「気を付けるのは良いけど、トレーニング用品と食事は妥協しない方が良いわよ。それだけ稼いでるんだし、あなた達のおかげで私も潤ってるし。何でも言ってね」

「走っても良いですか?」

「何も関係無い話はしないで」

「関係あります」

「いや無いって」

「あります」

「ごり押しますね……」

 

 

 さらに待つこと数分。地につける足を変えて耐久していると、流石にブルボン、スカーレットがふらつき始めた。スズカだけはずっと不動だけど。

 

 

「くっ……」

「お、倒れる?」

「バカ言わないで……! 絶対倒れないから……!」

「ふらっふらじゃない」

「くっ……このっ……」

 

 

「ブルボンさんは平気なの?」

「問題ありません」

「ブルボンもふらついてるわね」

「マスター?」

「ふふ。無理しない方がいいわよ」

 

 

「スズカはハンデとして脚上げたら? I字バランスできるでしょ?」

「えー……まあ良いですけど……」

 

 

 しゅっと脚を真上に上げるスズカ。すっごい。爪先をちょっと摘まむだけでその体勢をキープできるのね。流石スズカ。柔軟性も他の追随を許さない。

 

 あと立ち姿が綺麗すぎる。長い脚が真っ直ぐ伸ばされて、ほぼ身体と同じ角度まで来ている。背筋も一本筋が通っていて、スズカ特有のギリギリまで削ぎ落とした筋肉質なお腹がちらちら見える。

 

 脚、細くて綺麗だなあ……走ることに特化したウマ娘の脚の中でも別格に見える。細いんだけどしなやかで筋肉が詰まっていて、曲線と直線のバランスが素晴らしい。普段はタイツが多いからあんまり素肌を見せることはないんだけど、悪路を走っているのに傷がほとんど無いし日焼けも少ないから、ターフに乗せると白と緑でとても映える。

 

 触れるときゅっと締まっていて固さがあり、しかし柔軟性もあるという複雑な──

 

 

「目がきっしょい」

「……どうしてそういうこと言うの?」

「よだれ拭いてから言いなさいよ」

「嘘っ」

「嘘よ」

「この……っ」

 

 

 大人をからかいおってからに。

 

 

「別に良いですよ。一旦嬉しいですから」

「スズカ先輩。変態を甘やかしちゃダメですよ」

「変態は言いすぎでしょ。ねえブルボン」

「……」

「ブルボン?」

「ほら見なさい」

 

 

 黙ってじっとこっちを見るブルボン。そしてゆっくり脚を上げてスズカと同じように立った。

 

 

「いかがですか」

「ブルボン先輩!?」

「ほら見なさいスカーレット。担当の脚見て何が悪いの」

「見方によるでしょ!?」

 

 

 ブルボンも綺麗──

 

 

「……っ、エラー発生……!」

「えっ」

 

 

 ブルボンの柔軟性では完全I字は厳しかったか、バランスを崩し倒れるブルボン。そしてその先にスズカ。当然ながら避けられるはずもなく重なって倒れる二人。

 

 

「あぁ……」

「スズカ!?」

 

 

 いやに冷静な悲鳴だったが、倒れた先でも180度開脚はできていた。凄いね。



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疑われるミホノブルボン

 

「マスター……」

「ん?」

「意識が……低下しています……」

「寝ちゃっても大丈夫よ」

 

 

 ある日。今日は午前中に限界ランニングを決めたので、午後は休養とマッサージにあてることにした。トレセン経由でプロを呼んで待っている間、私の方でも多少のことをしている。

 

 私達トレーナーはトレーニングのプロなので、やっていることはマッサージというより触診やストレッチに近い。主目的は体の状態を知ることと怪我しにくいようにすることで疲労回復ではないのだ。ツボとかもあんまり知らないし。

 

 

「ん……ふ……ぅ、んっ」

「よっ……しょ」

「くぅ……っ」

 

 

 が、それはあくまで必修科目の範囲であって、疲労回復マッサージの知識もそれなりにはある。そもそもブルボンもスカーレットも気を失うまで走っているわけで、そうなると多少下手でも効果はちゃんとある。

 

 ただ、トレセン経由だとかなり安くプロが呼べるし、何なら提携として呼ぶことが推奨までされている。使えるものは使った方が良いわね。

 

 

 ブルボンの全身を揉みしだきつつごりごりにほぐしていく。私がベッドでブルボンを鳴かせている間、スズカは床にマットを敷いてスカーレットとストレッチをしていた。

 

 

「はい倒すわよー」

「待ってくださ痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」

 

 

 スカーレットの背中を押して前屈をさせようとするスズカ。脚を開いて騒ぐものの、そもそも体が疲れきっているので抵抗できていないスカーレット。だんだんだんと床を殴って抗議しているようだが、もちろんスズカがそんなものに怯むはずがない。

 

 

「大丈夫よ。まだ倒せるわ」

「いや待っ……無理無理無理! 腰が折れますって!」

「ぐーっ」

「ぐーっ、じゃなくて!」

 

 

 ストレッチというか拷問かも。一応スズカも色々解っているので無茶はさせないから安心は安心。死ぬほど痛いけど不可能なことはやらせない……はず。スズカ自身の柔軟性が高過ぎるので同レベルのことを求めがちというのはあるか。

 

 

「トレーナー! 壊れる壊れる!」

「大丈夫よ。おっぱい大きいんだから倒れるにも限度があるでしょ」

「胸が付くの前提なの何!? というかそんなに変わらないから! 誤差よ誤差!」

「はいブルボン。ぐーっ」

「ぐー」

「スカーレットさんも、ぐーっ」

「いだだだだだだ」

 

 

 背を反って肩から腕を思いっきり伸ばすブルボン、強制前屈に悶えるスカーレット。ほら付いたじゃない。よっぽど固いタイプじゃない限り、ウマ娘ならそれくらいできるのよね。一回やったらあとはもうズブズブよ。

 

 

「それにあれでしょ、痛くて気持ちいいでしょ」

「ただ痛いだけよ!」

「辛いの好きじゃない」

「人を変態みたいに言わないでくれる!? ブルボン先輩じゃあるまいし!」

「スカーレットさん?」

「似たようなものでしょ」

「マスター?」

 

 

 違ったんですか? とスズカ。なおキレようとするスカーレットをさらに押し込んで黙らせる。

 

 

「辛いことそのものが好きなわけないでしょ!」

「でもブルボンは好きよ」

「マスター?」

「ブルボン先輩は狂ってるじゃない!」

「スカーレットさん?」

 

 

 股下から腕を入れて、膝を上げて脇腹に向けて伸ばす。悶えつつもブルボンが右手を挙げた。

 

 

「異論があります。私は苦痛を好んでいるわけではありません。成長を目的とした時、苦痛を伴うトレーニングが最高効率であるというだけです」

「またまたぁ」

「いえ冗談ではありません」

「でもブルボン先輩、スパルタの時一瞬も嫌そうな顔しないじゃないですか」

「スカーレットさんもそうでしょう」

「私は流石に一瞬嫌で痛い痛い痛い痛い痛い! 予告無しはダメですって!」

「なんかお話ししてたから、邪魔しちゃダメかなって」

「折れる折れる! スズカさん!? スズカさん!」

 

 

 マスター? と問い掛けてくるブルボン。あ、うん。もちろん解っていてふざけているだけよ。そんな子いるわけない。強いて言えばスズカはランニングの疲労そのものを尊んでいる可能性はあるかな。

 

 

「そんなことないですよ。疲れないならそれが一番良いです」

「じゃあ三人に聞くわ。もしここに、いくら走っても疲れない薬があるとして、それを飲むの?」

「飲みます。さらにトレーニングの効率の上昇を見込めます」

「飲むわね。無限に鍛えられるし」

「飲……待ってください。疲れない、疲れない……え、それはその、まったく疲れないんですか? ちょっと息が上がるとかも無しで? 体温が上がるとかはありますよね? そうじゃないと走る楽しみが薄れるかもしれません」

「あなたがそっち側に行ってどうするの」

 

 

 やはりスズカはスズカだった。何言ってるんですか? と冷静にツッコミを入れたスカーレットがさらに柔軟をさせられ黙らされる。こっちはブルボンを起こして、両腕を掴んで背筋と両肩を伸ばす。弓なりになったまま、あああ……とされるがまま声を漏らすブルボン。

 

 ある程度終わったのでブルボンをソファに投げ捨てる。くるんと空中で回って転がるブルボン。ソファに正座して、振り向いて背もたれを掴みこっちを見つめた。

 

 

「撤回を求めます、マスター。私は苦痛を好んでいるわけではありません」

「ところで、二人は矯正ギプスって興味ある? 体に物凄い負荷がかかるの」

「……ありません」

「尻尾揺れてるわよ。誤魔化せると思わないでブルボン」

 

 

 目を逸らすブルボン。口では嫌がっていても尻尾は正直ね。いや、本当に違うんだけどね? 痛いのが好きとかでは絶対に無いけど、成長に繋がる可能性をちらつかされるとすぐに尻尾を振ってしまうのがエルナトの呪いである。

 

 

「スカーレットさん。尻尾を動かさないで」

「すみません、つい……」

「あなた人のこと言えないじゃない」

「スズカさんに言われるなんて……」

「私のこと何だと思ってる?」

 

 

 

 …………ああ。

 

 

 

「ちなみにやらないわよ? 普通に痛いだけだし」

「はい」

「当たり前でしょ」

「今やると思ってたでしょ。何ならちょっと楽しみにしてなかった? あなた達の教育方針を考え直すから正直に言って?」

「していません」

「してないけど?」

「……そう」

 

 

 やる気は常に絶好調なので変化が解らない。でも、とりあえず二人の言葉を信じることにした。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「そういえばトレーナー」

「ん?」

「年末年始なんだけどね?」

 

 

 少し遅れているとのことで、外注マッサージを待つこと三十分。じゃんけんで私がパシったはちみードリンクを飲みつつ、スカーレットが口を開いた。

 

 

「実家に帰ったじゃない、私」

「うん」

「でね? 割と地獄みたいな空気だったのよ」

「え?」

「ああ、安心して。私が勝手に地獄みたいな空気出してただけで、別にパパやママがどうって話じゃないわよ」

「いや、何も安心できないんだけど……」

 

 

 私は教師ではないので、根本的に家庭環境のことは知ったことではない。もちろん精神衛生に影響するようなら色々考えるけど、うちの子達はみんな家族仲が良い……良いかな? スズカだけずっと解らないのよね。

 

 

「別に仲は良いですよ。ちょっと放任気味ってだけで」

「スズカはもうちょっと実家に帰りなさいよ」

「トレーナーさんと結婚するまで帰ってくるなと」

「言われてるわけないでしょ」

「……」

 

 

 ねえ? 何か言って? 嘘だよね? 

 

 

「でね? どうしてそうなったかって話なんだけど、私って家を出る時、絶対に一番になるって言って出てきたのよ。まずは阪神って言ってきたのよね」

「ああ……なるほど」

「でも今、私は重賞に出走すらしてない。これはどうなってるの、って話なわけ。ちなみに私が重賞に出たらどうなるかだけ一回聞いても良い?」

「誰が来ても相手にならないでしょ」

「……ん、うん。それで、お願いがあるんだけど」

 

 

 結構しおらしくなっているスカーレット。あら可愛い。でも結局彼女はダイワスカーレットなのよね。この後何を言うのか手を取るように解る。女の子の可愛らしいお願いでないことだけは絶対に確か。

 

 

「一月ってどこかの重賞に出られる?」

「あー……うん。そう言うと思ってた」

 

 

 今のところスカーレットはジュニアレースに一切出ていない。これがスカーレットにとってどれだけの苦痛かというところは、私も結構考えている。一番狂いのスカーレットが、そもそもレースに出ることすらできず、クラシックの注目ウマ娘を語る上で一切出てこない。

 

 いまだスカーレットの評判は見た目人気と、スカウト前のものしかない。つまり、能力こそ恐らく高いが気性が悪くトレーナーとしてはちょっと……ウオッカの方が良いよね、といったものが残っている。

 

 

「完全に抽選になっちゃうから、あんまり一月の重賞はおすすめできないのよね。適当なオープンに出るのが良いと思って」

「抽選を当てられるなら?」

「まあ……京成杯? フェアリーステークスもまだ登録間に合うかな。ちょっと近いけど、GⅢなら多少疲れが残ってても勝てると思うし」

「ふーん……そう……ねぇ……」

 

 

 膝の上のスズカとブルボンを撫で回しながら返す。本当は、スカーレットのレースは私が決めて直前に言うくらいが良いとは思っていた。スカーレットってば気合いが入りすぎる。掛かっても勝てる実力はあるけど、だからといって毎回掛かっていたらいつまでもレース勘が身に付かない。

 

 

「マスター。私は」

「ブルボンは大阪杯。弾かれることは無いと思うし、出たければ二月にどこか選んでも良いわよ。経験として一個くらい出すから」

「トレーナーさん、私。私は? 府中300000mとかどうですか?」

「出走者一人でレース不成立ね」

 

 

 私の両手が二人に取られた。スズカが手癖で右手を取り弄び始めると、ブルボンが真似をして同じく遊び始める。単純に暇なので指を開いたり折り曲げたりして遊ぶスズカと、手を導いて自分に触れさせるのがお気に入りらしいブルボン。

 

 

「私のレース勘が無くなったらどうするんですか」

「元々無いでしょ」

「辛辣……」

「そういうの無しでも圧倒的に速いんだから何でも良いじゃない」

「褒めれば良いと思ってません?」

「事実を言っているまでよ」

「んふ……解ってるじゃないですかぁ」

「そりゃあね」

 

 

 私の右手を抱いて急にご機嫌になるスズカ。そして、しばらくしてスカーレットが蓋を取って一気にはちみーを飲み干した。カップをテーブルに叩き付けて、私に対して指をさす。

 

 

「じゃあシンザン記念にするわ」

「え……いや、流石に無茶……」

「フェアリーステークスが行けるならシンザン記念も行けるでしょ」

「まあ……そうだけど。そんなに焦ってもしょうがないと思うわ。もうここまでやっちゃったんだし」

 

 

 直前が過ぎる……けど、一応登録はできるし抽選の対象にもなれる。ルール上は。やりたければやれば良いけど……そんな急な。

 

 

「良いのね? ちなみにシンザン記念に出るならスパルタは終わりだから。調整期間に入るわよ」

「……最後に一回だけ良い? それで終わりにするから」

「ダメに決まってるでしょ」

 

 

 はあ、とため息をついて、ぐっとソファに寄りかかる。そのまま逆さまに私を見ると、本当に嫌そうな顔をして食い縛った歯を見せてきた。いー。

 

 

「じゃあクイーンカップにするわ。ママも走ってるし」

「……そんなに?」

「焦ってもしょうがないんでしょ?」

「……まあ、そうなんだけど」

 

 

 教育方針、考え直そうかな。




11月から12月上旬は忙しくなるので更新が遅れるかもしれません。
ですが甘え癖が出るので更新できないとは言いません。よろしくお願いします。


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豪雨に狂うサイレンススズカ

 

「嫌です……無理です……」

「そう言わないで。あともうちょっと力緩めて。折れちゃうから」

「背骨より大切なことです」

「脊椎より大事にするべきものはこの世に無いと思うわ」

 

 

 ある日、エルナトのトレーナールーム。今日は午後から稀に見る土砂降りで、外でのトレーニングは不可能な状態だった。小雨ならそういう練習として扱えるが、いくら何でもこの雨で練習はやり過ぎている。本番なら受け入れないといけないけど。

 

 一月の重賞に向けて冬休みを返上するウマ娘もトレーナーもおらず、朝晴れているうちに来た私とスズカは部屋に取り残されている。お仕事は一段落したのでいつ帰っても良いんだけど、傘をさしてもどうにもならなさそうだし。

 

 

 まあ、天気なんか今はどうでも良い。本当にヤバいのはスズカだ。私に抱き付いたままかれこれ一時間近く動かなくなってしまった。そして繰り出されるベアハッグ。私は死ぬしかない。

 

 

「仕方無いことでしょう? 子供みたいなこと言ってないで受け入れなさい」

「こんな理不尽を受け入れるくらいなら永遠に子供で良いです」

「天気とは往々にして理不尽なものなのよ」

「まだ解りません……!」

「何が?」

 

 

 こうなったのも全部大雨のせいだ。いまだスズカの雨天中止のラインは解らないが、豪雨だと流石に走るのは取り止める。いや正確には走りに行くんだろうけど、ギリギリ私の心配を優先してくれる。

 

 だが、今日は少しだけ事情が多い。何とこの度、スズカにテレビの取材がつくことになった。それも密着ドキュメンタリーである。

 

 

 まだ誰もはっきりとは言っていないものの、スズカと黄金世代の最終決戦は宝塚記念だろう、というのがほぼ全国民の共通理解になっている。何なら以前、『#かかってこいモンジュー』がトレンドに入っていた。普通に失礼なので本人には届かないで欲しい。

 

 それに合わせ、事前特集が大量に組まれることになった。それらはもちろん宝塚記念より少し前に放映され、撮影はさらにその前。あんまりたくさんの子が映ると面倒とのことでこのタイミングになった。

 

 

 が、当然これはスズカにとって大ダメージである。数日間カメラに晒され続けるというのがそもそもストレスであり、それに加えてスズカの場合は普段通りに過ごすわけにいかない。

 

 

 当然だが私との過度な接触は禁止。普通に不適切だから。そしてトレーニングをしていないかのような態度も禁止。普通に不適切だから。さらに過度に走るのも禁止。普通に不適切だから。

 

 ……不適切だらけじゃん。自主規制が多すぎる。

 

 

「私が走っていないから雨が降っているのかもしれません。勝負服を着て走ってきます」

「祈っても晴れないわよ」

「やってみなければ解りません。勝負服を出してください」

 

 

 まあ、正直過度な接触は一億歩譲ってあってもいい。が、過度なランニングは本当に不味い。何が不味いって、前者は真似されてもトレーナー側が変な気を起こさなければ良い話だが、後者が真似されると脚を痛めるウマ娘が出る。それはいけない。

 

 

「巫女じゃないんだから祈って天気が変わるわけないでしょ」

「じゃあフクキタルから巫女服を借りてきます」

「もう本人連れてきた方が早いでしょ。神社の娘でしょ? あの子」

「今呼びます」

「この雨の中そんなことのために……?」

 

 

 というわけで取材中は勝手に走るのを禁止するので、代わりにしばらく走っても良いことにした。そして今日がその初日である。取材の資料を読み終えたら走りに行っても良いよと言ったら、読んでいる間に豪雨となった。

 

 当然走る機会を失ったスズカは暴走。理性を失いそうになったところを何とか宥めて抱き締めたら反撃を受けているのが今だ。

 

 

「こら。本当に電話をかけようとしないの。可哀想でしょ」

「可哀想じゃないです」

「いや流石に可哀想よこれは」

「でもフクキタルは開運に繋がるなら何でもするんですよ。この間は数時間私を撫で続けていました」

 

 

 ははーん。さてはバカだな? 受け入れるあなたも。

 

 

「だとしてもこの雨で呼び出すのは人の心が無いのよ」

「でも今走れないとウマ娘として終わるんですよ」

「終わらないわよ」

「見てください。終わりそうですよ」

 

 

 ベアハッグを解いて脚を上げ、見せ付けてくるスズカ。靴と靴下を脱いで、足の甲でぺしぺしと私の頬を叩いてくる。横抱きで頭を支えつつ、お返しに尖った唇ごとほっぺたを掴む。

 

 

「解らないわ」

「私の脚が……今走らないとダメになると言っています。これは私の意思ではありません。医学です医学」

「そんなスピリチュアルな医学は無いわ」

 

 

 タコみたいな口になりつつ文句が止まらないスズカ。足の爪が頬に当たりそうで怖い。傷はやめてね傷は。いくらスズカにつけられたものでも顔はダメよ。

 

 取材を断れば良かったと思いつつ、トレセン側からもこの一大ムーブに乗りたい、もちろんウマ娘の意思を尊重するが、というのを遠回しに言われている。言えば尊重してくれるのは間違いないが、それでもまあ、正直断りづらいのも事実だ。

 

 

「『サイレンススズカ』が言ってるんですよ。もっと走れって」

「勝手にサイレンススズカを代弁しないで。どこかのサイレンススズカもいい迷惑よ」

「そんなはずありません。走るしかない。私は常にそう思ってます。きっとどこかのサイレンススズカも思っています」

「主語が大きい……うわっ」

 

 

 ヘッドシザースに私を捕えるスズカ。靴。靴脱いで。上履きとはいえ汚いって。

 

 

「走りますーっ」

「痛い痛い痛い痛いスズカ首はダメマジで体重かかってるって」

 

 

 私の頭を挟んだまま腹筋で起き上がるスズカ。スズカの全体重がかかり無理やり腰を折らされる私。完全に起き上がると、表裏逆肩車で私の肩に腰掛ける。今日は随分とアクロバティックね。前を向くと息ができないので上を向いた私のおでこをぺちんぺちん叩き始める。

 

 

「もう一度よく考えてください。走ります。全国ネットでトレーナーさんにちゅーしますよ」

「脅しがあまりにも怖すぎる……カットよそんなもの」

「私が流出させます」

「なーにを言っているのかね君は」

 

 

 その体勢のままソファにスズカを叩き付ける。すると、首から脚を外し、今度は私の腰に回してきた。

 

 

「練習しますか」

「待っ……」

 

 

 ぐっと身体を引かれスズカの顔ギリギリまで行ってしまう。顔良。長い睫と大きな瞳、少し微笑んだ唇、鼻先がくっついて吐息がかかる。喉から出る「んー」という妖しい声。ちか、かわ、すき、あ、ぅ、あっ。

 

 

「良いんですか? もう私の掌の上です」

 

 

 手をついて抗おうとするが、もちろん無理。スズカの手が私の顎にかかる。くすくす笑いながら、踵で私の背中をとんとんと叩く。いつでも何でもできるんだぞ、という余裕を感じる。

 

 ……が、残念ながら私はトレーナー。ウマ娘に負けるようではやっていけないのだ。私はスズカのことを世界で一番知っているし、スズカが強引に来たときのこともちゃんと考えている。対策をね? 対策をよ? 

 

 

「それはどうかな」

「む……ひゃっ!?」

 

 

 スズカの制服に手を入れて擽りを開始。どこが効くのか、私は全て解っています。手を沿わせた瞬間から笑い始めるスズカ。

 

 

「んふ、ふふっ、ふへははふっ」

「放さないと笑い死ぬまでやるわよ」

「ずる、ず、ふひふはははっ」

「うわっ!」

 

 

 ふふふ。私の勝ち。スズカの癖に私に勝とうというのがおかしい。スズカは私には勝てない運命だ。顔が良いからって調子に乗らないでよね。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「んあ……ぅ……」

 

 

 ただ、まあ結局、今スズカが走りに行けないのは私が禁止したからではなく雨がやまないから。私に言われてもどうにもならない。ひとしきり騒いだあとやっと大人しくなったスズカが私の腕の中で座りながら、新入生のデータを眺めている。

 

 

「興味あるの?」

「んー……別に、無いですけど」

 

 

 後ろからスズカの髪型を変えて遊ぶ私。まだまだ雨はやみそうにない。ゴムやらピン、櫛からドライヤーまでこの部屋には揃っている。うちの子は三人とも髪が長いし、私もそれなりなのでヘアセットはほぼ趣味になった。

 

 

「もうスカウトしないんですよね?」

「ん……まあ、しないかな……」

「良いですよ? 別にしても」

「そうは言ってもね……できないわよ、今更」

 

 

 芝CダートG、芝FダートD、芝BダートD……やっぱりダメだ。こんなこと思っちゃいけないんだけどね、トレーナーとしては。一番大切なのは才能だわ。ブルボンだってそう。本人はああ言ってるけど、芝A中長距離Aが既に特別な才能なんだから。

 

 

「一人くらいマトモな後輩がいても良いと思うんですよね」

「それはあなたがマトモなら言って良いんだけどね」

「二人よりマシじゃないですか?」

「そうね……五十歩百歩かな」

「む。私はもっと先にいますよ」

「じゃああなたが一番ダメなんじゃない」

 

 

 後ろに進んでるじゃない。後ろだろうと何だろうと先に進んでるから良いんです。そう。

 

 

「あらこの子良いわね。才能あるかも」

 

 

 と、どうでも良いことを話しつつふと見つけた芝BダートC。中長距離だからダートは限られるけど、適性は非常によろしい。マウスを持つスズカの手をとってくるくると囲むと、むっとしたスズカが上を向いてきた。

 

 

「何ですか? 浮気ですか?」

「あなたは一体どうしたいの」

「何かこう、良い感じにしてください。私はいつでも走りに行って良いんですよ。でも濡れた私を拭くトレーナーさんが大変だと思うので走っていないだけです。とにかく私を喜ばせてください」

「私はスズカの世界一速い走りが大好きよ」

「みゅ」

 

 

 ちょろかわ。

 

 

「しょうがないですね」

「んー」

「んーっ」

 

 

 私の手をとりスリスリとほっぺに押し付けるスズカ。ご機嫌になって私に思いきり寄り掛かると、そのままゆっくり力を抜いて寝息を立て始めた。

 

 

「もう……おやすみスズカ」

 

 

 抱き抱えて膝枕に入る。抱えてベッドに寝かせても起きない。今日は走りたい気持ち先行で朝早かったものね。ゆっくり寝て、夜に晴れるようならその時は──あら? 

 

 

 カーテンを開く。いつの間にやら雨がやみ、雲に切れ間ができていた。薄く虹が見える。こんな短い時間でやむものなのね。残念。もう少し長く起きていたら走りに行けたのに。起こすのも悪いし放っておこうかな。

 

 眠っているスズカの頬を撫で、長い睫を指で弾く。くすぐったそうに少し呻くスズカ。どこか時間を探して走らせてあげよう。カメラだって当然、夕方のトレーニングまでしか追ってこない。頭を撫でウマ耳を弄りつつ抱き付くみたいにスズカの肩に埋まる。ぽかぽかで暖かい。家なら一緒に寝ていたけど、流石に職場ではね。今更かもしれないけど。

 

 

「……久しぶりにスズカが外で走るところが見たいかも」

「見ますか?」

「きゃあぁぁああぁっ!!!???」

「みみ……みみが……」

 

 

 め、目を覚ました……なんで? どう見ても寝ていたのに。私がスズカの狸寝入りを見抜けないはずが……まさか、私の言葉に反応して起きたの? 嘘でしょ? 

 

 

「びっくりするから騒がないでください」

「び……びっくりしたのはこっちなんだけど……」

「走るところが見たいって……あ、晴れてるじゃないですか! 走ってきます行ってきます止めないでください」

 

 

 ちゃかちゃか準備を終えて走り去っていくスズカ。心臓ばくばくの私。凄い地獄耳ね……ちょっと呟いただけなのに……あと準備が早すぎる。直前まで寝ていたとは思えない速度で出ていった。声をかける暇すら無い。全体的に恐ろしすぎる。

 

 

「……あ、GPS忘れた」

 

 

 しばらく走っているところを見ていないから見てみたいのは本当。でもまあどうせ見られないし、それでスズカが満足ならそれも良いかな。

 

 どうにも心拍が落ち着かないなか、数時間の暇をどう潰そうか、とりあえず昔に撮ったスズカの映像を見ることにしようかな、と棚のDVDに手を伸ばした。



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永久保存版のサイレンススズカ

うすあじ。


 

「こんにちはスズカさん!」

「いらっしゃいスペちゃん。適当に座ってね」

「こんにちはスペ先輩! 上着預かりますよ!」

「え、怖……」

 

 

 ある日。ちょっと学園に用があったので、そのついでにエルナトに来ています。この間出張に出たトレーナーさんから貰ったお土産を持って部屋に入ると、スカーレットさんが私の上着を取ろうとしてきます。

 

 

「じ、自分でやりますよ?」

「いえいえ! 私がやりますよ!」

「な、何? 何ですかこれ!」

「最近ライスさんがうちに来ないから、スカーレットさんが後輩力を持て余してるの。好きにさせてあげて」

「チーム直属の後輩でもここまでしないですけど……怖いですよもはや」

 

 

 出会い頭の一発を食らった気分ですが、ここの人達がみんなどこかしらおかしいことは既に解っているし、申し訳無い気持ちはありますがとりあえず上着を預かってもらいます。ちょっと引くくらいウキウキでハンガーに掛けるスカーレットさん。いや怖いって……真面目な人だとは思ってましたけど、ここまでなんて……。

 

 

「あ、これ、私のトレーナーさんが買ってきたやつなんですけど、皆さんで食べてください。私は食べちゃダメだって言われたので」

「じゃあなんで受け取ったの?」

「せめて匂いだけでもって思って……」

「じゃあスペ先輩も十分怖いですよ」

 

 

 ちょうどおやつの時間なので、三人がそれぞれ箱の中身を見て一つずつ持っていきます。羨ましい……三人ともあんまり太らない体質なので、こういうケーキとか、そういうのの制限が無いんですよね。

 

 スズカさんはイチゴの乗ったショートケーキ、ブルボンさんが生チョコのケーキ、スカーレットさんがモンブラン……お腹が空いてきました……お昼あんなに食べたのに……。

 

 

「いただきます……あ、美味しい。甘い……」

「ありがとうございます、スペシャルウィークさん。ちょうどエルナトのお菓子が無く、誰かが買いに行こうと話をしていたところでした」

「それはちょうど良かったです」

「私が行きたかったですけど……」

「え?」

「いえ何も」

 

 

 三人がそれぞれ紙のお皿と使い捨てフォークでケーキを食べ始めました。私も食べたい……でもトレーナーさんの食事制限を破るのは個人としても先輩としても……うぐぐぐ。こ、これでは誘惑に負けてしまいます。話題を逸らさないと。

 

 

「と、ところでトレーナーさんはどちらに?」

「ああ、トレーナーさんなら今日はお出掛けよ」

「へえ。珍しいですね、一人でなんて。お仕事ですか?」

「ううん。合コン。でももうすぐ帰ってくるわ」

「えっ」

 

 

 合コン……合コン? あの人が? スズカさんが好きで好きでたまらないあの人が? 

 

 

「一口分の交換を提案します、スカーレットさん」

「良いですよ。あーん」

「あー……ん」

 

 

 それってスズカさんは何も思わないんでしょうか? 以前セイちゃんが、トレーナーさんが女の人と出掛けてたって泣きそうになってましたけど。セイちゃんとトレーナーさんはまだ付き合ってないけど、スズカさんとトレーナーさんはもう付き合って……るんだっけ? 私達が勝手にそういうことにしてるだけかな。

 

 

「え、合コンって、合コンですか? 恋人を探しに行く、あの?」

「ええ。高校の同級生が、どうしてもって。トレーナーさん綺麗だし、トレセンに勤めてるって言うと男の人がたくさん集まるらしくて」

「へえ……え、スズカさんは何かこう、止めたりしなかったんですか?」

「……? どうして?」

 

 

 フォークを咥えて首を傾げるスズカさん。スズカさんも交換しませんか、と二人と食べさせ合いっこを始めてしまってそれ以上答えが無さそうなので、私が続けます。

 

 

「こう……他の人とそういう関係になったら、とか。無いとは思いますけど」

「大丈夫よ。トレーナーさん、私のこと大好きだから。他の人なんて見ないわ」

「凄い信頼……」

「そう? 二人もそう思うでしょ?」

「まあ」

「はい」

 

 

 ……確かにまあ、想像はできません。あの人がスズカさんの他の人を好きになるところ……うーん……例えば──

 

 

 

 

 

 

『あの、トレーナーさん』

 

『あ、スズカ、ごめんね? 今日いきなりだけど会いたいって言われちゃって。悪いんだけど、急いでるからまた後で良い?』

 

『え、あ……はい。解りました。いってらっしゃい……』

 

『ごめんねー。じゃあまた明日ね、スズカ』

 

『あの、明日は……』

 

『あー、たぶんそのまま泊まりで昼まで寝てると思うから、明日は自主練でよろしく!』

 

『……解りました……』

 

 

 

 

 

 

 ──みたいな? 

 

 

「あまり適切な未来予測とはいえません」

「それだとトレーナーさんが職務放棄のクズじゃないですか」

「というかトレーナーさんは夜更かししても必ず五時とか六時には起きるわよ」

 

 

 ……ちょっと想像力が足りなかったみたいです。いや、こんな想像力いらないですけど。

 

 

「じゃあどんな風になるんですか?」

「スズカさんに対する態度がそのまま移行するものかと」

「そんなカップルいたら嫌ですけどね私。スズカさんだからギリ許せますけど」

「え、際どい? 私……」

「結構」

 

 

 そうかしら、と最後の一口を食べるスズカさん。再びブルボンさんから一口貰ったところで、ふと、箱に残った最後のケーキを思い出したようです。

 

 

「最後の一つも食べて良いの?」

「良いですよ。全部私のなので」

「そう……誰が食べる? 二人は食べたい?」

「食べたいです」

「できれば」

「……じゃあ何かで決めましょうか?」

 

 

 そう言って、ケーキが冷蔵庫にしまわれました。戻りつつ棚からシューズを取り出すスズカさん。

 

 

「なんで走ることでしか決められないんですか」

「ダメ?」

「ダメでしょう、勝手に走ったら」

「でも、これはケーキ争奪戦であってランニングではないから」

「それを定義するのはスズカさんではありません。辞書です」

「言葉の意味は移り変わるものよ」

「たった一人で世界を変えられるとでも?」

「トレーナーさんは私の脚は世界一だって」

「今スピードは関係無いです」

 

 

 シューズをスズカさんから取り上げて縛り付ける二人。ロープとこの行動が自然に出てくるこのチームはヤバいと思います。この光景を見てその程度にしか思わない私も。

 

 

「まだ何もしてないじゃない……」

 

 

 縛られたスズカさんも大して抵抗せず、何もなかったかのように起き上がりました。でも、走りたがりになったらスズカさんはこれ以上無いほど厄介なので、これも仕方の無い措置かな、とは思います。私も止めるのは疲れますし。

 

 それで、ケーキです。誰かが食べるんですから早く食べてくれないと、今も良い匂いがして頭がおかしくなりそうです。糖分が、糖分が足りない……最後に甘いものを食べたのは一昨日です。

 

 

「トランプとかどうです?」

「うちでトランプやるとブルボンさんが絶対勝つのよね」

「ボードゲーム系は全部無理ですね。まあ? 次やったら勝てるかもしれないし? 私はやっても良いですけどね、ブルボン先輩?」

「やってみますか」

「……っ」

 

 

 確かにブルボンさんボードゲーム強いからなあ……じゃんけんが一番公平なのかな。挑発なのか首をかしげたブルボンさんの頬をスカーレットさんがつねります。効いていないようで、ふふん、と誇ったままですが。

 

 ちょうど三人が良い勝負ができるものが無いんでしょう。走りも……まあ、こんなことを言っては何ですが、あまりにもスカーレットさんが不利です。今年がクラシックですよね? いくらなんでも、今既にスズカさんと競り合えるなんて聞いたら私が泣きます。結構血の滲む努力をしているつもりだったので。

 

 

 ……私はやっても良いですけどね。今なら勝ちの目もあると思いますから。ここから半年はそれを確実にする期間です。

 

 

「あみだくじにしましょう」

「ブルボンさんはパターンを全部覚えられるじゃない」

「じゃんけんにしますか?」

「ブルボンさんが後出しするかもしれないし」

「ブルボンさんのことを一体何だと思ってるんです?」

 

 

 ロボットみたいだ何だと言ってますがウマ娘ですよね。流石に。時々可愛い一面もありますし。

 

 

「ではにらめっこにしましょう」

 

 

 こんな感じで。

 

 

「良いわよ。三人同時で良い?」

「いや……そ……うですね。それが一番平等かな……?」

 

 

 確かに。スズカさんは良くも悪くもいつも同じような顔してますし、ブルボンさんも割とそんな感じです。スカーレットさんはいつも元気いっぱいの笑顔ですから、ついに互角の勝負が見つかったんじゃないですか? これ。にらめっこ。

 

 

「ではコールします」

「あの掛け声、コールっていうんだ……」

「にーらめっこしーましょ」

 

 

 こんな棒読みのにらめっこがあるんだ。

 

 

「わーらうーとまーけよ」

 

「あっぷっぷ」

 

 

 決着は一瞬でした。

 

 刹那、スカーレットさんが割と乙女失格な感じに表情を歪ませ、そして、残りの二人が変顔なんてする気が無いと解り二秒で顔を戻します。そして、ルールを知ってるのか知らないのか少し微笑んだいつもの表情だったスズカさんがその早変わりに「くくっ」と噴き出し、ふふん! と勝ち誇ったスカーレットさんは当然ここで失格です。つまり。

 

 

「ブルボンさんの勝ち!」

「やりました」

「……はっ!? ちょっと! ずるいじゃないですか! ちゃんとにらめっこしてくださいよ!」

「ご、ごめんなさい……一旦様子を見ようかと思って……も、もう一回やってスカーレットさん、さっきの顔」

「ぶっ飛ばしますよマジで!」

 

 

 いやあ良い変顔でした。あれは私達六人でやっててもなかなか出ませんよ。主に変顔するのは私かエルちゃんですけど、過剰に煽り倒すとキングちゃんも本気でやってくれます。どんなに唆してもグラスちゃんはやってくれません。セイちゃんも。

 

 なお私達の変顔のクオリティはセイちゃん曰く互角だそうです。あんまり嬉しくないですけど。

 

 

「ともかくケーキは私が頂きます。一口食べますか」

「今それどころじゃないです! スズカさんに変顔をさせないと私の気が収まりません!」

「ブルボンさんは……?」

「ブルボン先輩はいつもあんな感じだから良いんです!」

「私は……?」

 

 

 肩を掴んでぐわんぐわん揺らすスカーレットさん。よほど悔しかったのか顔を真っ赤にして声を荒げます。クスクス笑っていたスズカさんでしたが、しばらくして笑い終えると、ブルボンさんに一口貰いつつ、なおも掴みかかるスカーレットさんをパワーで投げ捨てます。

 

 

「しょうがないわね。ちょっとだけよ?」

「え、やるんですか?」

「んー……まあ、ちょっと可哀想かなって」

「へー」

「スペちゃん? スマホはしまって」

 

 

 はっ……つい……。

 

 

「行くわよ」

 

 

 スズカさん、エルナトだといつにもまして楽しそうです。スズカさん中心の場所だからってのもあるのかな。それに、普段私達といる時は結構その……たぶん気にしてないと思いますけど、六人+一人みたいになることもありますし。

 

 でも、こうしてスズカさんが楽しく過ごして、あのトレーナーさんと幸せに暮らすことで、巡り巡ってスズカさんの走りの切れ味が上がると思うとぞくぞくします。今度トレーナーさんを拝み倒したら併走させてもらえないかな。

 

 

「あっぷっ──」

ガチャ

「ごめんスズカ! 時間かかっちゃった!」

「──ぷ?」

 

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

『あの、スズカさん』

「つーん」

『マジで、すみません本当に』

「ふーん」

『大丈夫よスズカ。可愛かったわ』

『トレーナーさんは余計なこと言わないでください』

 

 

 元凶のスカーレットさん、トレーナーさん、そして何故か何も言われないのに付いていったブルボンさんを締め出して、半泣きで私に抱き付くスズカさん。ドアの外から懺悔の声が聞こえてきます。

 

 

「スペチャン……」

「あんなの変顔のうちに入らないですよ」

「スペチャン……」

「むしろ可愛かったですよ? ふくれ顔」

 

 

 ドンッ(スズカさんが私を突き飛ばす音)

 

 バタンッ(スズカさんが私を締め出す音)




スズカ:まったく女を捨てきれていない
ブルボン:やろうと思えば女を捨てられるし変顔が上手い
スカーレット:やや女を捨てきれないが変顔は上手い

スペ:変顔が上手い
エル:変顔が上手い
ツル:変顔が上手いが表情を変えすぎるとえずく
キング:別に上手くないが努力は伝わる
スカイ:気付いたら変顔しなくて良い流れになっている
グラス:女を捨てる覚悟もないし変顔も下手

トレーナー:変顔は下手だし女も捨てられない。舌出しのみのレベルを平気で変顔と言い張るタイプ


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敗北するダイワスカーレット

メインは中盤だけなので他は読み飛ばしても大丈夫です。


 

『スズカさん……ちょっとご相談があるんですけど』

「え? うん。どうしたの?」

 

 

 ある日。お風呂を済ませ、ぽかぽかで寝る準備をしている時のこと。通話画面の中で、髪を下ろしてベッドに正座するスカーレットが、結構真剣な顔でスズカに問いかけた。

 

 

『ブルボン先輩って確か、ルドルフ会長とかブライアン先輩と併走したんですよね、クラシック前に』

「そうね。プレゼントが思い付かなくて」

『それって……スズカさんが副会長と仲が良いからですか?』

「まあそうね。エアグルーヴにお願いしたわけだから、友達だからってのはあるかも」

 

 

 私に髪のケアをさせつつ自分で尻尾を手入れするスズカ。足の間に座らせているけどほかほかで気持ちが良い。ウマ娘の体温は高くて素晴らしい。湯たんぽに向いてる。あと抱き枕。

 

 

『……私もお願いしたりできますか?』

「え? うん。良いわよ。お願いするだけなら……誕生日プレゼントの前払いってことで……」

 

 

 スズカに咥えて貰っていたヘアゴム、それから大きめのシュシュでスズカの髪を結って纏める。その後、今日は必要ないな、と思いつつもそのままの流れでマッサージへ。

 頼まれたスズカは即答すると自分のスマホを取り出し、私に乗られつつエアグルーヴとのメッセージアプリを開く。

 

 

「ブライアン先輩はたぶん誘えばいつでも走ってくれると思うわ。ルドルフ会長は……忙しいかなあ」

 

 

 かなり頻繁にやり取りをしているらしい二人のLINEに、『今度また生徒会との併走を頼んでも良い?』という書き込みが追加される。すると、割とすぐに既読が付いた。

 

 

「はっや」

「マメなんですよエアグルーヴは」

 

 

『誰とだ?』『スカーレットさん』と続く。確かブルボンの時は、自分で言うのも何だけど、私が「三冠確実」と豪語していたからこそ、あの二人が来てくれたわけで。ということは、今回もスカーレットがトリプルティアラを勝ち取れるという保証が必要かも。

 

 基本的にあの三人も暇じゃないしね。それに、併走したい生徒もいっぱいいるはずだ。

 

 

『明日会って話そう。ちょうど学園に行く用がある』

『良いわよ。スカーレットさんはいた方がいい?』

『いていい』

 

 

 が、そこはシビアな現実というか……トップウマ娘はトップウマ娘と引かれ合うのだ。格下との併走は『サポート』だが、同格との併走は『トレーニング』になる。スズカもそう、ブルボンもそう、そしてスカーレットもそう。強ければ強いウマ娘と併走が組めるからさらに実力差が開く、というのがトレセンの闇である。

 

 一応時間を決めておき、スズカの『よろしくね』LINEスタンプが送られ、スズカの『任せて……!』スタンプが返ってくる。エアグルーヴのスタンプも作れば良いのに。

 

 

「明日会えるかって」

『もちろんです。ありがとうございます』

「エアグルーヴに言ってあげて。それじゃあ寝るわね。文面もそのまま送っておくから」

『あ、はい。お休みなさい』

 

 

 メッセージを転送……と思いきやスクショで回し、スマホを放り投げて私を押し倒すスズカ。定位置につくと、手を伸ばしてリモコンで部屋の電気を消す。

 

 それからいつも通り私の腕の中に収まると、しばらくもぞもぞと微調整をして、はあ、と一息つきつつ私の胸に抱き付いた。おでこをすりすりして、気持ち良さそうに、んー、と鳴くスズカ。

 

 

「ねえスズカ。私トイレ行きたいんだけど」

「今収まりが良いので明日にしてください」

「いやいや……放してスズカ。もう二十代も後半だからさ。流石にまずいって」

「私は嫌いにならないので」

「そういう問題じゃなくて……!」

 

 

 私の尊厳が。

 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 

「すまんスズ……カ……何してるんだ」

「お仕置き中よ」

「そうか……何をやらかしたんだ」

「待ってエアグルーヴ。一言目くらいは私を擁護してくれても良いんじゃない? というかお願い、助けて。本当におかしくなりそうなの」

 

 

 翌日。朝三時にギリギリ目覚めることができたので尊厳は守られたが、元凶たるスズカはお仕置きのためVRゴーグルを着けさせられている。

 

 音を切った状態ではあるが、山間部を駆け抜けるロードバイクの主観映像を流している。音があると暴走してしまうが、一応まだ制御できる範囲だ。はっ、はっ、と浅い呼吸を繰り返しているし全身が痙攣してはいるが、まあたぶん大丈夫だろう。

 

 

「大丈夫よ。映像で人は死なないわ」

「拷問の映像を見ながら液体を垂らされるとショックで死んでしまうそうです。つまり私も同じです。ランニングの映像を見ながら風に当たると死にます」

「風は無いじゃん」

「私の心には吹いてるんです……!」

「じゃあ純度100%の妄想じゃないか」

 

 

 危ない薬でもやってそうな悶え方をするスズカは置いておいて、私の隣には緊張のあまり挨拶を忘れているスカーレット。別にエアグルーヴは初めてじゃないし、何ならスズカ繋がりでよく話しているはずだけど、どうやらこの訪問を面接か何かだと思っているらしい。

 

 

「それでエアグルーヴ、本題なんだけど」

「……ああ。併走の話だったな。とりあえず様子を見ようかと来てみたんだが……大丈夫か? スカーレット」

「は、ははははははいっ!」

「緊張してるのよ。なにせGⅠ2勝、オークスウマ娘の面接だから」

「お前の先輩はGⅠ6勝と三冠ウマ娘だろう」

「二人は普段が普段なので……」

「そうか……まあ……そうだな……」

 

 

 遠い目をするエアグルーヴ。実際問題エアグルーヴは歴史的名ウマ娘ではあるのだ。あの二人と、これからのスカーレットがそれを越えてしまうというだけで、並のウマ娘では手も足も出ないのは間違いない。

 

 それに、彼女がこうして支持や畏怖を集めているのは戦績だけの話でもないし、スカーレットがどっちに緊張するかといえばエアグルーヴだろう。

 

 

「まあ安心してくれ。さっきも言ったが面接という話じゃない。むしろ私が話したいのはこっちだ」

「私? そうよね。私よね」

「ああ。どうなんだ、ダイワスカーレットは」

「そうねえ」

 

 

 もちろん、この評価が高ければ高いほど承けてくれる可能性も上がるんだろうし、実際エアグルーヴもそのつもりだから私に聞いているんだろう。

 

 ただ、だからと言って嘘はつけない。エアグルーヴは私より賢いし、ウマ娘の敏感さなら浅知恵による嘘なんてすぐ解る。嘘をついてもエアグルーヴに嫌われスカーレットを傷付けるだけだ。

 

 

「トリプルティアラの大本命だと思う」

「……ッ!?」

「ほう」

 

 

 なのでちゃんと本当のことを言わないと。

 

 

「こんなことを言ってはなんだけど、スカーレットは稀に見る才能の持ち主なの。それこそエルナトでも一人抜きん出てる。まず距離適性が良いのよね。あんまり長い距離は苦手かもしれないけど、1600から、そうね、2600くらいまでは問題なく走りきれると思う。今のところまだスタミナは足りてないけど、それでもティアラ路線のウマ娘にしては圧倒的ね。スピードは元々同世代でも抜けてるから、今走ってもスタミナが弱点になる前に圧勝しちゃうと思うわ。というか、もちろんそういう適性も素晴らしいんだけど、それ以上にスカーレットの魅力は勝負根性と身体の出来よね。見ての通り凄く体つきは恵まれてるんだけど、しっかり柔軟性もあるしこう見えてかなり絞れてるのよ。特に走らせると解るんだけど、これはブルボンとも似たようなところがあって、スズカみたいに細身で身軽に走るのも良いんだけど、重めの身体で走ると競り合いとか重バ場に強くなるのよねやっぱり。走りに迫力と安定感があるというか。あんまり本人は嬉しくないかもしれないけどそもそも迫力がある子だから、合わせると番手に構えても前を抜きやすくなるのよね。圧力を振り撒けるっていうのはレースではもはや特技と言っても良いレベルだと思うし。それで勝負根性もあるから、脚の残り方で負けていてもスピードと気合いで抜かせずに粘れるというか。そもそも逃げ先行が選べるっていうのも一つ強いポイントよね。スズカやブルボンは逃げしかできないから、まあ本人に通用するかは置いておいて、二人より前に出るっていう明確な対策があるのよ。でもスカーレットは先行策もとれるから無理に前に出なくても勝負できるし、後ろから抜く子の気持ちをある程度理解しているからそんじょそこらの先行相手には負けないの。だからスカーレットに勝つにはもたつかずにコーナーで抜けて直線で並ばずに一気に抜かないといけないんだけど、それって外を回されるしインを突いてるスカーレットより圧倒的に不利じゃない? そう考えるとスカーレットの気性と能力ってぴったり合ってるというか、前に前に出る掛かり癖もそれでリードをとれるなら上等だし、スタミナが切れても根性で残れるからそう考えるとスムーズに前に出られればその時点で勝ちが決まったようなところもあるのよ。そう考えると直線短めのコースは圧倒的有利よね。それにスカーレットの根性とパワーがあれば急坂でも対応できると思うし、できるようにパワーもしっかり鍛えてるから東京や京都でも問題なく押し切れるだけの実力があると思うの。それに私がいればトレーニングで怪我なんてさせないから、トリプルティアラも必ずとれると信じてるわ。というかずっと才能才能言ってきたけどね、スカーレットは努力も凄いのよ。あのブルボンに並ぶようなトレーニングは並のウマ娘が耐えられるようなものじゃないし、しっかり疲れきっていても立ち上がる気合いがあるのよ。真面目で一生懸命だしセンスもある。完璧よね。唯一懸念点があるといえばウオッカね。あれは才能一点勝負なら頂点に近いと言っても良い逸材だと思うけど、でもスカーレットと違って戦法が後ろ好みっぽいから安定感に欠けるし、スカーレットほどの常勝無敗感はないというか、解る? 調子が乱高下するタイプなんじゃないかなあと思うのね。アルテミスも阪神も実力通り勝ったけど、その前の条件戦は正直負けるような相手じゃなかったって感じだし、単純な実力勝負でも互角かスカーレットが上だって……これは私の願望だけど、スカーレットなら誰が相手でも勝てるって信じてるし、それを可能にするだけの精神力があるわ。もちろんウオッカも例外じゃなくて、直接対決も不安こそあれ勝率としてはスカーレットの方が高いと思う。これはスズカやブルボンにも並ぶ可能性のある逸材よ。何なら今この時点でもエアグルーヴと良い勝負ができるんじゃないかしら。決して格下相手で得られるものがない、なんて勝負にはならないと思う。何なら仕掛けが遅れればエアグルーヴでも普通に負けかねないくらいの食い縛りができ」

「ちょっと表出られますかァトレーナーさん!!!!」

 

 

 スカーレットに引きずられ部屋の外へ。痛い痛い痛いマジでちぎれちゃう腕がちぎれちゃう本当にみしみし言ってるってマジで! ちょっと!? 

 

 

「……むぅ」

「どうしてそこで不機嫌になるんだお前は……」

「私あれされたことない……」

「されたいか?」

「エアグルーヴはされたくないの? 自分のトレーナーさんに」

「それは………………まあ…………されても良い」

「でしょ?」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「何のつもりよアンタ……」

「な、何……? 何怒ってるのスカーレット……」

「自分の胸に聞いてみたらァ……?」

 

 

 中に声が聞こえないところまでそのまま私を引きずり、尻尾をびんびんにして私に迫るスカーレット。耳こそ絞っていないが明らかに怒っている。肘で壁に押し込めて超至近距離でメンチを切ってきた。

 

 私の胸を指差そうとして、お互いのそれが邪魔でできなかったのでその指をそのまま私の頬に突き刺すスカーレット。煙が出そうなくらい顔が赤い。

 

 

「し、失言があったとかなら言ってくれれば二度と……」

「鈍感気取ってんじゃないわよこのバカ。たらし。おたんこにんじん」

「顔が怖いわよ……?」

「誰のせいだと思ってんのよ……ッ!」

 

 

 いい匂いするなあ。

 

 

「全部本当のことでしょ」

「~~~~ッ!!! そういうところだって……!」

 

 

 私の胸元にぐっと寄りかかり、そのまま強めのドアノックばりに私を殴るスカーレット。壁に押し込まれているので、跳ね返りで後頭部ががこんがこん当たって痛い痛い。

 

 

「バカバカバカ……ッ!」

 

 

 ひとしきり私を攻撃した後、辺りを見回し私から離れ、指を今度こそ私の胸に突き立てた。うーっ、と顔を真っ赤にして歯を食い縛る。胸に穴が開きそう。

 

 

「二度とああいうことは言わないで」

「ああいうことって……どれのこと?」

「全部! 人前でああいうことを言うなってんのよ……! こっちがどんな気持ちでいるのか解ってるの!? いい、本当にもうやめて。次やったら先輩の前でもグーで行くから」

「それでダメージが入るのはスカーレットだけじゃない?」

「問答無用ッ!」

「いったぁっ!?」

 

 

 ごつん! と頭突きを受けた。死ぬほど痛かった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「失礼しました先輩! ちょっと連絡事項を思い出しまして!」

「いや……そうか。まあ、ここに来た時点で何が来ても流そうとは思っていたからな。気にするな」

「あ……りがとうございます……ッ」

 

 

 部屋に戻り。この期に及んでまだ何とか猫を被ろうとしているスカーレットだったが、普通に何かを察した目をされ顔を引きつらせた。そりゃそうでしょ。どこの誰が連絡事項思い出したくらいでトレーナー引きずって部屋から走り出すの。

 

 まあ、良いんじゃない。エアグルーヴとはたぶんこれからも話す機会は多いだろうし、彼女は口も固いだろうし。本性がバレても問題ないんじゃないとは思うけどね。

 

 

「それで、どう? 解ってもらえた? スカーレットの強さを」

「それは十分解った。まあ、何だ。実はさっき二人には頼んである」

「そうなの? ありがたいけど、話が早いわね」

「スズカはこれでも考え無しじゃない。誰彼構わず会長の手を煩わせるような真似はしないだろう。ブライアンは……まあ、あれは良い。いつ誘っても走る」

 

 

 大変そうね、と言葉をかけてみるが、スズカよりマシだと返されてしまった。そのスズカは私達が部屋に帰ってきたあたりでお仕置きに飽きたらしく全部外して私の隣でにこにこと話を聞いている。

 

 ……いや、お仕置きに飽きたって何? 

 

 

「ブライアンは承けるとして、会長がどうされるかは解らん。そもそも直接頼めば良いじゃないかとは思うが」

「私が頼んだら圧みたいに……ならないか。シンボリルドルフって教員やトレーナーより発言力あるもんね」

「それで良いのか……? まあ、会長はそれだけのお方だからな」

 

 

 シンボリルドルフを褒められた方が自分を褒められるよりも嬉しそうなエアグルーヴ。いつの間にかスズカが提供したらしい紅茶を口にして、タイミング良く鳴ったスマホを取り出す。

 

 

「……ああ、ほら見ろ。ちょうどブライアンだ」

「おっ」

 

 

 画面を見せてもらう。『やる』『いつやる?』『できるだけ遅くしてくれ』とナリタブライアンから連絡が来ていた。怖い……できるだけ遅くっていうのがなお怖い。ブルボンとやり合ったときの二人の眼光、本当に怖かったんだからね。

 

 

「……こういう奴なんだ。やるなら会長が先だな」

「ねえ待って。続き来たけど」

「ん?」

 

 

『サイレンススズカも頼めないか』『ブルボンとも再戦したい』と続けてきた。ええ……? ナリタブライアン、戦闘狂が過ぎるって……。

 

 なお私としてはあんまり一緒には走らせたくない。特にスズカ。恐らくスズカとナリタブライアンが勝負したら二回目はナリタブライアンが勝つだろう。だからやりたくない。その後が怖いというのもあるし、スズカが負けるところも見たくないし。

 

 

「とりあえず今回はスカーレットだけでお願い、エアグルーヴ。適当に誤魔化しておいて」

「簡単に言うな」

「そのうちブルボンは行かせるから」

「頼む。二週間くらいに一回思い出したかのように聞かれるんだ。スズカは……」

 

 

 私を見るスズカ。

 

 

「スズカはナリタブライアンとは走らないで」

「私が負けるってことですか?」

「そうは言ってないでしょ」

 

 

 これ以上何か言われても誤魔化すのが面倒なのでスズカは抱き締めて黙らせておく。膝に乗せて頭を撫でると一気に静かになっていった。

 

 

「あの! え、エアグルーヴ先輩と走ることは……」

「……私か? まあ……構わないぞ。それも含めて予定は調整しておく。悪いがこっちの予定で動かさせてくれ。年度終わりは少し忙しくてな」

「もちろんです! よろしくお願いします!」

 

 

 立ち上がって最敬礼まで頭を下げるスカーレット。おー、と私の膝の上で拍手を始めるスズカ。こいつは……という視線が向けられるも当然意に介さない。私の手をとって遊び始めた。

 

 スカーレットVSエアグルーヴかあ……まあまだ勝率は怪しいかもね。でもスカーレットならゼロじゃない、かもしれない。エアグルーヴはレースが上手いからラッキーパンチは起きないだろうけど、それでももしかしたら? いや、怪しいか……? 

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 また後で、とエアグルーヴは部屋を出ていった。それと同時にスカーレットは気が抜けて顔を覆って大きく背もたれに寄りかかり、あーっ! と適当に声をあげた。

 

 何だかんだスカーレットも中学二年生、まあ怖いわよね。思ったより淡白に終わっちゃったけど、ただそこにいるだけでプレッシャーがね。

 

 

「良かったわねスカーレットさん」

「どうしましょうスズカさん……私副会長に挑戦状叩き付けちゃいました……」

「あれってそういう認識なの? 後輩のお願いにしか見えなかったけど……」

「うぅ……」

「大変なのね……色々」

 

 

 業を背負ったウマ娘ばっかりだ。相対的に一番やりやすいのはブルボンかな。それでも一回スイッチが入るとダメなんだけど。

 

 

「でも大丈夫。エアグルーヴは優しいから。多少無茶を言っても許してくれるわ」

「あなたはエアグルーヴを困らせるのやめなさいな」

「困らせてませんよ。勝手に困ってるんです。私が走ることは私で完結するじゃないですか」

「友達になんて言い種……」

 

 

 でもたまにスズカはエアグルーヴに連れ歩かれているし、振り回され方は対等……なわけないか。エアグルーヴにはこれからもよろしくしてあげてほしいわ。卒業後も、きっとスズカ達ならみんなに囲まれるだろうし。



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露骨に匂わせるサイレンススズカ

スカーレットはどこかオープンを走るとは思います。


 

「はあぁあぁああぁっ!!!!!!」

「…………ッ!!!」

 

 

 ある日。今日は普通にトレーニングの日。ブルボンとスカーレットが二人で並んで坂路を登ってくる。ブルボンはこれでスピードとスタミナが上がり続けるし、スカーレットに今足りてないのはスタミナなのでこれでちょうど良い。

 

 二人からは物凄い勢いで特別メニューにしろという圧がかかったが、私は強いトレーナーなので負けなかった。そんな簡単に担当に押し切られるようではトレーナーとして失格なのだ。ふははは。

 

 

「っあぁっ!!!」

「む」

 

 

 しかし素晴らしい脚だ。ストップウォッチ担当のスズカもどことなく嬉しそうにしている。他人を速いと褒めることはできないものの、圧倒的に自分が上だという自負があるので多少時計が上がったところで焦ったりはしない。

 

 もちろん、並んで走ったら一気にダメになるんだろうけどね。

 

 

「タイムは!?」

「+1.3」

「ぐっ……も、もう一回! もう一回お願いします!」

「良いでしょう」

「良くない。休憩ね。十分」

「……チッ」

 

 

 今舌打ちした? 怖過ぎ。

 

 

「休んだ後やって良いから」

「絶対よ」

「はいはい」

 

 

 最近のスカーレットは気合い乗りが非常に良い。スカーレットが良いということはブルボンも良くなる。この子達は一人高まり始めると呼応して全員やる気が高まるので何も悪いことはない。行き過ぎても私が止めれば良い話だし。

 

 ウッドチップに座り込みドリンクを呷るスカーレット。ぼちぼちトレセンにも人気が戻ってきたけど、まあこれくらいはみんなと同じようなものだし。疲れてるにしては座り方はお淑やかだし流石って感じ。

 

 

「次は私とやらない? ね? 良いでしょ?」

 

 

 そして人目など関係無く絡みに行くスズカ。こっちはこっちでもう少し隠せないの? 

 

 

「スズカはダメ」

「良いじゃないですか一回くらい。減るものじゃないんですから」

「あなたの脚の寿命は減るかもね」

「どうしてそんな怖いこと言うんですか……?」

「ごめん」

 

 

 それを言い出すとトレーニングもできなくなるし。すべては消耗とのトレードオフ。スズカは割と何歳になっても走ってそうだけど。

 

 しばらくゆっくり休んでいたところ、ブルボンがウマ耳をぴこぴこさせながら私に寄ってくる。今日はスカーレットがメインなのでブルボンにとっては負荷がとても軽い。あまり疲れていない様子で四つ足で近付いてきた。

 

 

「マスター。例の件ですが」

「あ、うん。今朝準備してきたから帰ったら作ろうね」

「ありがとうございます」

 

 

 競走寿命という常識に怯え始めたスズカはベンチで膝枕でもしてあげて、へにゃったウマ耳を無理やり立たせながら。ブルボンの言う例の件とは、ブルボンの実家からカタログギフトが贈られたことだ。本当に申し訳ないと思いつつせっかくなのでブルボンの欲しいものをと思って見ていたんだけど、そのなかのおせちセットをえらく気に入ったようで。

 

 

「じゃあ今日の晩御飯はおせちですか?」

「そうだねえ。あんまり単品で食事にするものじゃないかもしれないけど」

「というかちょっと遅いわよねたぶん」

「スカーレットさんは来ます?」

「絶対に行きます」

 

 

 こんなことを言うのは良くないけど、おせちは自分でも作れるので買う必要がない。じゃあみんなで作って食べようか、と言ったのが一昨日。材料を買って簡単に終わるように下処理等を済ませたのが昨日の夜から今日の朝にかけて。

 

 

「ステータス:『高揚』。調理方法のインプットも完了しています。お任せください」

「頼りになるわあ」

 

 

 縁起物だし、めったに食べないものだし、いつになくブルボンのテンションも上がっているような気がする。カタログギフトで何を買うかも一緒に決めたいね。流石にこの状態でコンタクトをとらないのは人間として終わっているし、シンプルにありがたいので久しぶりにご両親と挨拶をすることになるんだけど。

 

 

 そういえば、今年はスズカの親御さんから特に何も来なかったな。スズカ自身が何も気にしていないから私も気にしていなかったけど、何かあったんだろうか。休憩時間も終わり、二人が走り出したのでそれとなくスズカに聞いてみる。

 

 

「ああ、最近私がほとんど寮に帰ってないことがお母さんにバレたんです」

「うん」

「だからです」

「うん?」

「ん?」

 

 

 ……よく解らないけどまあ良いか! 会うたびスズカとの進展を聞かれるのも面倒だったし! 

 

 

「でも卒業の時は一回会うのが良いと思いますよ。それからのことにも関わるので」

「まるで結婚の挨拶ね」

「そうですよ?」

「うん?」

「ん? ……いたたたたたトレーナーさん痛いです耳が千切れちゃいます」

 

 

 変なこと言わないでよね。絶対にそういう関係にはならないから。確かにしばらく一緒に住むとは言ったしその件での挨拶はしないといけないけど、結婚とかじゃないから本当に。私はスズカとは結婚しないしマジで。

 

 意味不明なことを供述するスズカのウマ耳を引っ張って脚をばたばたさせる。その状態でもしっかりストップウォッチは止めてくれるスズカ。

 

 

「タイムは!?」

「+1.3」

「ぐぅ……ッ!」

「もう三本目よ。むしろ離されてないだけ上出来だと思うけど。相手は坂路のプロなんだから。ねえ?」

「はい」

 

 

 圧倒的に消耗が少なく見えるブルボンを撫で回す。尻尾をびゅんびゅんにして自慢げにしているブルボン。可愛い。

 

 

「バカ言うんじゃないわよ……私は一番になるの。誰にも負けないウマ娘になるのよ! ブルボン先輩にだって必ず勝つんだから!」

「そう……」

 

 

 流石だ。結局生徒会三人との併走も決まり、さらにやる気が漲っている。

 

 

 実際問題勝てはしないだろう。今のスカーレットでは一戦目ナリタブライアンもたぶん無理だ。エアグルーヴに勝つには明確に身体能力で上回るのが最低条件になる。あれは作戦勝ちできる相手ではない。彼女は速さ以前にレースが上手すぎる。

 

 それに、多少強くなったくらいでは──それこそ、GⅠを安定して勝てる程度のレベルではシンボリルドルフには勝てない。あれはスズカと同じ理外の化物だからだ。一回負けた後のナリタブライアンも同様。

 

 

 ただ、それでもスカーレットならそのうち並べるくらいにはなれると思う。これに関してはブルボンがそこに行ける確率より高いし、なんならそこに行かなくてはいけなくなる時が来る。何故なら──本人に言ったら怒られるが、ウオッカがそういう域のウマ娘になる可能性があるからだ。それに勝てれば良い。確固たるライバルというのはそういう意味では素敵よね。

 

 

「次行くわよ! じゃなかった、行くます、行き、行きますわよ!」

「もうめちゃくちゃじゃない」

「私相手に敬語を使う必要はありませんが」

「噛んだだけです!」

 

 

 四本目。感覚がバグってるけどこれでもかなり過酷なトレーニングのはずなのよね。ブルボンはかなり速度を落としているから平気として、スカーレットが平気な顔をしているのは普段のスパルタに慣れてしまったからか。悲しいなあ。

 

 

「……そろそろ一回走っておきますか? なんかトレーナーさん、今失礼なこと考えていた気がするので」

「……顔に出てた?」

「理事長の前でちゅーしますよ」

「どうしてそんな怖いこと言うの……?」

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「んー……美味しい……」

「だってさブルボン」

「ありがとうございます。なますは私の担当です」

「そうなの。やっぱりブルボンさんは料理が上手よね」

 

 

 帰宅後。予定通りみんなでおせちを作って食べている。たぶん足りないと思うのでテーブルのど真ん中に大きめの鍋うどん。おせちを作ったのはスズカ以外の三人だ。

 

 

「私も作りたかったわ。一緒に」

「作れば良かったじゃない」

「いらないって言われたので……」

 

 

 料理が上手いのはスズカだけど、お手伝いが上手いのはスカーレット。行動が早いから。だから私はどっちでも良かったんだけど、ブルボンは確定で手伝うとして、正直三人は多い。というわけでスズカかスカーレットだったのだけど、走ることが絡まないとカーストが底辺になってしまうのが我らがチームの最年長、サイレンススズカである。何ならスズカは次の誕生日で二十歳になり、一方のスカーレットは中学生だというのにこの力関係はどうしちゃったの。

 

 スカーレットはお手伝いしたがりなので無事内定し、結果としてスズカは味見担当として時々呼び出されてはあーんされて感想を言って帰っていくという、まあ大体幼稚園児くらいの扱いだった。

 

 

「スズカさん、こちらもどうぞ」

「うん、もちろん全部食べるけど……よほど自信があるのね?」

「本日のため、インプットを完璧に行いました。ライスにも太鼓判を貰っています」

「そうなのねえ」

 

 

 自分の作った分を次々にスズカに差し出していくブルボン。ウマ娘じゃなかったら迷惑なくらいぐいぐい来ているが、もちろんスズカなら大丈夫。着々と食べ進めていく。一方、手伝いに終始したので渡せるものがなく悔しそうなスカーレットの頭を撫でる。

 

 

「助かったわスカーレット。本当に」

「別に……当然のことだし……」

「でも偉い。またよろしくね」

「ん……」

 

 

 ちょろかわ。少し加減があったブルボンと違ってスカーレットは相当疲れているはずなんだけど、それでも手伝ってくれたので実際偉い。助かったのも本当だし。一人で作れなくはないけど大変だしね。

 

 

「デザート食べる? アイスがあるけど。スカーレットから選んでいいわよ」

「にんじん……」

「良いけど……いつも思うけどあんなのよく食べられるわね。にんじんアイス。めちゃくちゃまずいと思うけど」

「トレーナーさんがおかしいです」

「人間の味覚は理解できません」

「アンタよくそれで美味しい料理作れるわね」

 

 

 めちゃくちゃ言うじゃん。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「トレーナーさん……次はいつ走って良いですか? 明後日ですか? 明日ですか? 今日ですか?」

「普通未来に行かない? そういうの」

「スズカさんは一昨日走ったはずですが」

「あれは許可を貰ったわけじゃないのでカウントしないわ」

「何を誇らしげに……いつでも怒れるんだからね」

 

 

 入浴権についてはスズカに権力が戻る。基本的に他二人は複数でも一人でも良いタイプなので、時間的にも長くなるので三人一人で分かれることが多い。これは私も恥ずかしいんだけど、私と入らないんだったら一人でも良いかあ、らしい。嬉しいやら何やら、たぶん洗う技術の話。湯船に浸かりぽかぽかのスズカと、私に洗われるのでただ座っているだけのブルボンを見ると解る。

 

 

「ブルボンさんだって私が走れたら嬉しいでしょ?」

「いえ特には。本質的には無関係ですから」

「そんな……良い後輩だと思っていたのに」

「以前スペシャルウィークさんからもお聞きしました。スズカさんは走らないことで際限なく強くなる可能性があるため、むしろ走らないでほしい、と。やや誤認も見られますが、概ね私も同意見です」

「そんな……スぺちゃんには後でお説教しておくわ」

 

 

 哀れスペシャルウィーク。でもあの子も本望でしょう。

 

 

「でも本当のことじゃない。宝塚を走るとして、またランニング禁をするわけでしょ? 今回はスペシャルウィークも直接監視に来るかもね」

「走るのやめようかな……」

「そんなに?」

「冗談ですよ?」

「スズカさんなら本気の可能性もあります」

「無いわよ。スペちゃんがあんなにやる気なのに」

 

 

 ブラッシングが終わったのでシャンプーへ。以前ブルボンがうきうきで買って来たシャンプーハットを着けて洗い始める……今思ったけど、お風呂の床で正座は痛くない? 

 

 

「無いけど禁止は三日くらいで良いですか? それくらいならギリギリ頑張れると思うんです」

「三日でギリギリは理性が弱すぎるでしょ」

「では仮に、禁止を自らの意思のみで達成したらマスターがスズカさんと結婚するとしたらどうですか?」

「なんてこと言ってるの」

「……一週間……ううん、十日くらいなら……でも……も、物凄い頑張れば二週間いけるかも……? でも十四日なんておかしくなっちゃうし……そう考えると十日ってのも長すぎるような……い、一週間でどうですか? トレーナーさん……何とかなりませんか……?」

「仮定の話で何を言ってるの」

 

 

 それを言われて私はどんな反応をしたらいいの。スズカをして二週間を悩ませるくらいだって喜べばいい? それとも、結局一週間しか我慢できないスズカの理性か私への好感度を嘆くべき? 

 

 

「一週間なら本当に頑張って我慢するので……いや、そうです、私の手足を縛って風も太陽も届かない地下に閉じ込めてくれたら誘惑が減って二週間いけるかもしれません。やってみませんか」

「やりません。お縄よ私が」

「二十歳になったら合意の上で……」

「言うほどそこまでして結婚したい?」

「誘惑に弱すぎませんか」

 

 

 シャンプーハット越しだし後ろからだから見られないけど、流石のブルボンも呆れているような気がする。この子結構ずばずば行くし仲良いと雑に扱うわよね。でもそれはウマ娘みんなそうか。スズカとマチカネフクキタルなんてその最たる例でしょ。スズカってば仲良い相手ほど話半分だからね。

 

 

「そもそも結婚しません。付き合うこともしません。スズカはいつか素敵な旦那様を見つけて幸せな家庭を築きスペシャルウィークかエアグルーヴあたりが友人代表スピーチをするのよ」

「トレーナーさんじゃないんだ……」

「ご祝儀くらいは送っても良いわよ」

 

 

 スズカのウエディングドレスを見たら絶対に泣くから式には行かないけど。

 

 

「では私とではどうですか?」

「は?」

「ブルボンは可愛いねえ。ブルボンにお相手がいなかったらね」

「待ってください。私の時と反応が違いますよね」

「ブルボンは可愛いけどスズカは可愛くないから」

「泣きます」

 

 

 嘘泣きを始めるスズカ。ブルボンのトリートメントを終えて浴槽に放り投げて、やっと私自身を洗う番だ。私の代わりにブルボンに軽いマッサージをしつつ、思いっきり唇を尖らせてこっちを睨むスズカ。怖い怖い。でも普段のスズカだろうが『異次元の逃亡者』だろうが今更スズカの圧が私に通るわけもなく、思ったより強い肩揉みにブルボンが全身を震わせたくらいで済んだ。おあ、うあ、と魘されつつも、スズカの力加減はそう簡単には崩れないから、かなり痛いマッサージで済んでいる。

 

 

「スズカさん。肩に深刻なダメージが」

「そこまで拒否しなくても良いじゃないですか。ちょっとした世間話ですよね」

「でも承諾したらそのまま流してくるでしょ」

「……しませんよ? とりあえずトレーナーさんが一生一緒にいてくれるってことは約束しているので、戸籍は些細なことです」

「スズカさん? スズカさん。鎖骨が、鎖骨が軋んでいます」

「そんな約束してないわ」

「私が結婚するまで一緒ですよね。なら一生です」

「スズカさささささささ」

 

 

 今度スズカ用のお見合いとか組もうかな。トレセンに掛け合ったら組んでもらえないだろうか。




トレーナーさんのヒミツ
実は、スズカに匂わされる度に心臓が破れそうになっている。


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嘘を強いられるサイレンススズカ

 

「じゃあスズカ、覚悟は良い?」

「嫌です……」

「じゃあこっちで勝手に決めちゃうわよ」

「嫌です……!」

 

「凄いよねスズカさんは。ライスこういうテレビって出たこと無いなぁ」

「私がいつか出る際はライスにも出演していただきます。最大のライバル兼親友として」

「良いけどその紹介はやめてほしいな……照れて話せなくなっちゃう……」

 

 

 ある日。自室に三人、テレビ局から貰った資料をテーブルに並べて、私とスズカは炬燵に並んで座っていた。たまたま暇になったということで、ブルボンは向かいでライスシャワーとみかんを食べる係を全うしている。今日は今度の密着ドキュメンタリーに向けて、スズカの一日の予定を決める日だ。

 

 正直テレビと言うのは八割九割が台本であって、完全アドリブなんてことは無いと言って良い。特にスズカ達レースウマ娘はどこまで行っても芸能人ではない。現在も隔週で放送されているブルボンのラジオもしっかり台本があるし、スズカが行ったときも割と言うこと聞かれることは決まっていたらしい。

 

 

 で、今回は特に、一日密着するということで、制約なんかもたくさんあるし、撮りたいシーン、入れたいシーンも要求されている。もちろん嘘はいけないが、スズカの場合はそれも方便、ありのままの姿を見せてしまうと私もただでは済まない。

 

 

「じゃあ朝から言っていくから」

「はい……」

 

 

 一応このことはスズカにも許可は取ってあるし、スズカ自身もメディアで生きていくのが一番楽だと理解しているはずだ。スズカの場合ドリームリーグに行かないということは公表しているため、今年で卒業することが確定している。もちろん大学課程を修めるのも選択肢の一つではあるが、それとは別に、女優やらモデルやら、そっち方面のスカウトもたくさん来ている。

 

 ウマ娘はいつまでも若く美人な種族である。特にスズカは癖のない美人さんなので、需要は大いにある。それこそ肌を見せなくても大丈夫なくらいに。

 

 

 そういうのもあるから、テレビの仕事だって大切にはなってくる。もちろん私が養っても良いけどね。そしていつの日かスズカが結婚しおえった時に旦那さおえっんに引き継げばいおえっい話なんだから。それに、私生活についてこられる分にはそんなにストレスではなさそうだし。

 

 

「まず導入だけど、六時ごろから自主トレとしてランニングを一時間とってあるわ」

「……もう一声」

「オークションじゃないのよ。ダメです」

「そんな……いくら何でも一時間は短すぎます。せめて三時間くらいないとこう、気持ちが乗り切らないですよ。それに走ったり止まったりするんですよね? 耐えられませんそんなこと……生殺しです」

「そこを何とか、ね?」

 

 

 どちらかというとスズカが嫌がっているのはこういうところだ。あくまで撮影であるため、ある程度走っている最中にカメラ映えするように速度を落としたり、話すために止まったりをしなければならない。そうでないとウマ娘にカメラは付いていけないしね。

 

 スズカにとって、走れないことと走ることを満足する前に中断させられることは同等のストレスになりうる。そして今回はそれを避けられない。だからこそ、走っても良い、と言われておきながらスズカはかなり凹んでいる。

 

 

「別にトレーニングとかは言わなくて良いから。走るのが好きだから走ってますで良いから、ね? あんまり長く走ると真似されたときに困っちゃうから。未来ある後輩のためよ」

「うぅ……せめて五時間……」

「なんで最初より増えてるのよ」

 

「ブルボンさんって白いのも取るよね。嫌いなの? 栄養あるらしいよ」

「把握しています。ですが……ミカンは橙色であるべきですし、食物繊維は足りています。毎日便つ」

「そこまで聞いてないから」

 

 

 朝寮を出るところからスタートして、ランニングから朝食。トレセンの学食にスペースを設けてブルボンやスカーレット……まあチームの後輩と食べることになる。

 

 

「ちょっと待ってください。ということは私は寮に帰らなきゃいけないってことですか?」

「そりゃあね」

「でも撮影は三日間ですよね? その間毎日ですか?」

「んー……まあ、一応ルール上は泊まっちゃダメだからね、寮以外には」

「そんな……」

 

 

 そんな、と言われても。肩に寄りかかりウマ耳でぺしぺしと私を叩くスズカ。既にフジキセキもヒシアマゾンもエルナトへの言及はやめて久しい。それが二人の判断によるものなのか、スズカが何か働きかけたのかは不明だ。まあ、ウマ娘寮にトレーナーが行く方が圧倒的に問題だし、外泊届はそんなに厳しく取り締まられるようなものじゃないけど。

 

 いじけて唇を尖らせ、私の胸を揺さぶって遊び始めるスズカ。どう見ても納得していないが、まあ、別にやろうと思えば夜抜け出せばいいのだ。よくやってるでしょ、スズカは。ランニングのために。

 

 

「良いじゃない。早起きして寮に帰れば」

「でも……トレーナーさんとゆっくり朝ごはんが食べたいです……」

「解ったから。じゃあその日は四時に起きてスズカの分だけ作ってあげるから」

「本当ですか……?」

「本当本当。四時半から食べて六時から撮影しようね」

 

「どっちが早く剥けるか競争する?」

「良いでしょう。負けたら飲み物を取りに行くということでよろしいですか」

「良いよ。ライス早いよ?」

「器用さで私に勝てると思わないことです」

 

 

 朝食と午前の動きはそれくらいかな。基本的には授業を受けたりってだけだからね。授業中のスズカは……まあ、あんまり集中して授業は聞いていないだろうけど、その辺はいいや。休み時間とかもスズカなら普通に過ごすだろう。ちょっと交友関係は変わってるけど、授業をサボって走りに行ったことはない。

 

 問題は午後だ。トレーニングに密着。これがもはや一番のメインコンテンツになる。とはいえ、私ができることはそんなに多くない。一般的なトレーナーができることしかできないから、走らせたり、筋トレしたり。プールはやらない。スペシャルウィークやエアグルーヴにも既に話が行っているし、ブルボンとスカーレットもいる。普通のトレーニングのように見せかけることができるだろう、たぶん。

 

 

「トレーニングはタイム走と坂路かな」

「どれくらいできるんですか……?」

「普通のウマ娘と同じくらいのレベル」

「三十本くらい……?」

「普通って知ってる?」

 

「遊園地に行く件ですが、ライス。フラワーさんのご両親から許可が下りたようです。お泊り可能です」

「本当? やったぁ。じゃあホテルの予約もしておくね」

「就寝時と起床時のビデオ通話が条件だそうです。それと、できればマスターを連れて行くように、と。女性同伴で、とのことです」

「ああ……そうだよね。じゃあ予定を聞いてからだね」

 

「坂路は三本ね」

「そんな……」

「夜もランニングしていいから。一時間」

「んぐ……ん……むぅ……」

 

 

 走る時間を追加していく。冷静に考えれば何も解決はしていないが、それにもかかわらず、とりあえず走る許可を出されているという事実に心が躍ってしまうスズカ。朝三暮四というか……まあ、総合時間は増えてるし良いでしょ。良くないのは解ってるけど、良いでしょう。

 

 嬉しいやら悲しいやらで自分の感情を見失い、私の脚元に寝転がってくるスズカ。お腹辺りに顔を埋めてむぐむぐと何か呻いている。正直朝と夜に走らせるのもあんまり真似してほしくないけど、流石にスズカが可哀想だし。取材の前日と後日にも目一杯走らせてあげないと。

 

 

 へにゃへにゃのウマ耳を立たせてあげて、撫でつつ諸々を纏めていく。学園エリアと寮での過ごし方は学校側に任せているので良くて、こっちは……まあ、それくらいかな? 細かいトレーニング内容なんて説明しても仕方無いし。ああ、後はあれよね、間に挟まるインタビューも考えておかないと。

 

 

 スズカのメディア用インタビュー、無限にやったけどね。あとはブルボンとスカーレット……スカーレットってもしかして、エルナト唯一のアドリブインタビューができる子なんじゃない? 嬉しい嬉しい。

 

 

「どうやって回ろうか。ライスいっぱい調べたから、ブルボンさんなら一番たくさん回れる回り方解るよね?」

「任せなさい。ですが、当日の混み具合等も考慮する必要があります。リサーチを行います」

「やったぁ」

 

「じゃあ後でインタビューの話もしようね、スズカ。これはいつも通りだけど」

「ぁむ……」

「噛まないで。あとお腹を出さないで。寒いから」

「トレーナーさん痩せました? 走って来て良いですか?」

「媚びるなら欲望を隠しなさいな。あとちゃんと痩せたからもっと褒めても良いわよ」

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「もちろんやるわ!」

「ああ、そうよね。スカーレットはそう言うと思ってた」

 

 

 スズカとのトレーニングはブルボン、スカーレットにとっては結構貴重だったりする。特にNPCギミックスズカではなく、普通に勝ちに行くスズカとのそれは本当に滅多に無い。今度やってもらうという話をすると、うっきうきで受け入れてくれた。

 

 

「嬉しそうね……私は悲しいけど」

「ストレスがかかった方がスズカさんは強いって知ってますから。そのまま悲しんでくれていいですよ」

「人の心が無い……」

「そうと決まればそのためにトレーニングをしないと! やるわよトレーナー!」

「なんで?」

 

 

 ふふん! と勝ち誇った顔でぱくぱくと唐揚げを平らげるスカーレット。この子の食欲、最近留まるところを知らないわね。成長期かしら……いやまあ、年齢的にはまごうこと無き成長期だけど。

 

 

「スズカさんと走れるんでしょ?」

「うん」

「その時、無様な走りはできないじゃない」

「……まあ、そうね」

「私は全然追い縋ってこない方が嬉しいけど……」

「じゃあスズカさんとのトレーニングに備えてトレーニングをしないと!」

「そこが解らないのよね……気合入れる程度で良いでしょ」

「バカ!」

「ちゃんと理論を付け足さないとただの罵倒じゃない」

 

 

 やる気満々だなあ。どうしようかな、これ。まあ、やりたければやれば良いか。二月の重賞もあるし。スカーレットもちゃんと重賞ウマ娘にしてあげたいしね。何もしなくてもウオッカ以外に負けることはそうそうないだろうから……スカーレットがチューリップ賞に出てウオッカとやりたいとか言わない限り大丈夫だけど。

 

 スカーレットがやるならブルボンもやらせないといじけちゃうなあ、面倒だなあ本当に……なんて考えつつ、やる気が不調まで下がっているスズカを撫で回す。ウマ娘にはあるまじき食欲の無さで私と同じくらいのタイミングで食べ終わっていた。しばらく走らせてあげよう。別にトレーニングをたくさんやるわけじゃないから効率的にはやる気なんて無くて良いけど、私の精神衛生上良くないからね。

 

 

「じゃあスズカ、今日からしばらく夜は走ってきて良いわよ」

「え……本当ですか?」

「うん。日付が変わるまでには帰って来てね」

「はぁぁぁああ…………!!!」

 

 

 ぎゅんぎゅんとやる気が上がっていく。同時に立ち上がると、服を脱ぎ捨てながらクローゼットに飛びついた。勢いで下着まで脱ぎ捨てているので慌ててクッションを投げつける。また正気を失ってからにこの子は。

 

 

「ぐぇ」

「下着を着ける。防寒はちゃんとする。GPSとライトを着ける」

「はい……」

「言わなかったらこの勢いで外出たんですか? 死にますよ」

「つい……急がないとと思って……」

 

 

 油断も隙も無い。この分だとどうせ日付が変わっても帰って来ないし、明日のベッドもぐちゃぐちゃになっていることだろう。

 

 ……というか翌日、実際そうなった。



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嫉妬に狂うサイレンススズカ

コミケ行ってました(懺悔)


 

 ピンポーン

 

「お客さん?」

「ん……誰だろ。スズカの友達なら勝手に入ってくるはずだし……」

「アンタもうちょっと警戒しなさいよ。若い独身女性でしょ」

「銃以外ならウマ娘がいれば何も起きないから大丈夫よ」

「ウマ娘を暴力装置だと思ってるでしょ」

 

 

 ある日。休日を自宅で過ごしているとチャイムが鳴った。特に何をするわけでもなく普通にうちに入り浸っているスカーレットが応対しようとして、良くないので諦める。トップウマ娘の所在は隠した方が良いしね。

 

 玄関まで出ると、ドアの外に嘘みたいな大きさの段ボール箱があった。ドアを通るかもギリギリのそれを見て、ピンと来る。そういえばこんなの届くって連絡来てたな。いつものグッズの試供品だけど、いざ来てみると物凄い迫力ね。

 

 

「ありがとうございまーす……はーい……スカーレットー! ちょっと手伝ってー!」

「なになに? どうしたのよ……うわっ何これ」

「新しいブルボンのグッズ」

「こんな大きさのグッズが存在して良いわけないでしょ」

 

 

 煎餅を咥えつつリビングから廊下を覗くスカーレットが引いている。私もちょっと引いた。数字の上ではちゃんと聞いていたけど、実物はヤバい。まだ箱は開けてないのに感じ取れる迫力。

 

 スカーレットに持ってもらって中まで運び入れて封を開ける。ちゃんと保護されたでっかいでっかいぬいぐるみが出てきた。特大ぬいぐるみ、どきゅーと、ミホノブルボンver.である。

 

 

「ええ……本当にグッズじゃない」

「ね。びっくりよ。世の中にはこういうのがあるのね。他の子もあるみたいよ」

「えぇ……? いる……?」

「……まあいらないけど。大体全部グッズは貰ってるし……思ったより大きかったな……」

 

 

 こたつに座りぐったり中のスズカより大きなサイズのデフォルメされたブルボンが鎮座している。処分方法や洗浄方法の説明書はしまっておいて、これは……どうしよう。寝室に置いとく? 

 

 

「どうするんですか? それ」

「どこかに置くわ。寝室とか」

「ええ……それに見られながら寝るんですか?」

「まあ所詮ぬいぐるみだし」

「まあそれもそうですね……」

「え? 受け入れるんですかこれ?」

 

 

 そりゃスズカがこんなんでごちゃごちゃ言うわけないでしょ。走ること以外どうでも良いんだから。基本的に家具は……いや待てよ、よく考えるとスズカって家具に関しては割と口を出してくるし新調したりするな。うちの家具、結構スズカチョイスが多いような気がする。どうして。

 

 

「お話聞いてたけど、これってかなり人気じゃないと作られないみたいじゃない? 私はこういうの無いし……ブルボンさんもきっと喜ぶわ」

「へー……いや知ってましたけど、スズカさんのどきゅーとが無いの意外ですよね。実績的にはありそうですけど」

「不思議よね」

 

 

 なんでこっち見るの。スカーレットも知ったような顔しないで。私何もしてないから。その大きさのぬいぐるみが全国に配られるのは私の気分がよくないとか思ってないから。マジで話が来てないだけだから信じて。

 

 ……それに私にはスズカ本人がいるし。そんなんでどうこう思うようなことじゃないし。うん。困るのよね、そういう邪推をされちゃあね。

 

 

「まだ何も言ってないけど」

「ふふふっ。んー……ちょっと気分が良いので走ってきますね。上着上着」

「……黙りなさいスカーレット。座りなさいスズカ」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 ある日、寝る前。せっかくなのでどきゅーとをベッドに乗せてみることにした。

 

 

「お? おー……お゛っ……」

「声汚なっ」

「抱き心地が良い……」

「……へー」

 

 

 抱き付くとこれがたまらなく気持ちが良い。大きくて柔らかいし力を入れても大丈夫。部屋の暖かさを吸って適度に温度があって、材質がすべすべでちょうど良い。これは見付けちゃったわね、私の抱き枕。

 

 

「そんなに良いんですか?」

「スズカも抱き付いてみれば解るわ」

「……ん」

 

 

 私とは反対側から抱き付くスズカ。するとそのまま眠ってしまった。

 

 

「相変わらずの寝付きね」

「気持ちいいもの……スカーレットもやる? 癖になるわよ」

「やめとく。人としてダメになりそう」

 

 

 床から呆れ顔で見ていそうなスカーレット。でも仕方がない。小さい頃に抱いていたぬいぐるみみたいな感じ……良いねえ。

 

 その夜から、ベッドにミホノブルボンがいることになった。本物のブルボンは割と寮に帰るので。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「んー……」

「んー……」

 

 

「トレーナーさ──あ、もう寝てる……」

「んー……」

「まったく……もうっ」

 

 

「トレーナーさん? あの」

「んん……」

「……あの」

 

 

「トレーナーさん、今日は──」

「んふ……」

「その、トレーナーさん?」

 

 

「トレ──」

「むぐ」

「……はあ。ふー……ふぅ。ふーっ……はぁ……」

 

 

 そんなある日。突然にスズカがキレた。

 

 

「トレーナーさん。起きてください」

「んー……」

「起きないとベッドごとひっくり返します」

「怖い……」

 

 

 いつも通りどきゅーとブルボンに抱き付きながら寝ようとしていたところ、どきゅーとを挟んで反対側からスズカの声。今日は洗ったばかりなのでいつもより良い感じだったんだけど、私がそれを放すと床に投げ捨てた。

 

 

「おかしいですよね」

「何が?」

「この世界が」

「広いなあ……うわっ」

 

 

 スズカがぐっと私を引き寄せて、そのまま引きずって押し倒した。暖房がまだ効いていないからかスズカの身体から少し蒸気が見える。私に股がったまま両手で頬を包む。ひえっ近い……

 

 

「トレーナーさん。人間とウマ娘には解消しなければならない三大欲求がありますね」

「食欲、睡眠欲、あとは性欲か排泄欲よね?」

「走行欲、睡眠欲、トレーナー欲です」

「ぶっ飛びすぎてるって」

「みんなそう言いますよ。聞いてみてください」

「スカーレットに聞くわ」

「彼女は例外です。前に言いましたよね。私に走ることを禁止しておいて、トレーナーさんまで奪うんですか? と」

 

 

 よくされるわその話。スズカの顔が近付いてくる。歯磨き粉のいい匂いがする。次いで垂れてきた髪の私と同じコンディショナーの香り。ふーっ、とゆっくり、ゆっくり私の耳元まで降りてくる。

 

 顔を撫でる手のひらがもぞもぞ動き回りながら私の耳まで来て、指の腹で耳たぶやら穴の表面をなぞる。目がかなり怒っている。このまま殺されるんじゃないかという気迫を当てられドキドキしてきた。

 

 

「でもスズカ、一昨日私に黙って抜け出したわよね」

「星が綺麗だったのでそれは関係ありません」

「でも」

「それ以上反論したら何するか解りませんよ」

 

 

 黙るしかなくなった。

 

 

「良いですか。トレーナーさんがご飯を毎日食べるように、私は毎日走ってトレーナーさんを抱かなければいけません」

「抱くって言い方はやめない?」

「は?」

「何でもないです」

 

 

 あんまり意地悪するとスズカはこうなる。今回に関しては意地悪した覚えはないんだけど、よほどご立腹らしい。有無を言わせない迫力で少し起き上がり私の目を覗き込んだ。綺麗な瞳……吸い込まれて飲まれて死んでも良いかも。

 

 いや、呑気なこと考えてる場合じゃないな。こっちとしては何のこだわりもないからじゃあ明日からいつも通りに寝ましょうね、で終わる話だけど、暴走状態にあるスズカは話を聞くつもりがないらしい。参ったね。

 

 

「つまり今私は飢えています。飢えたウマ娘に与えたらどうなるか? ということですよね」

「……今から私、殺される?」

「……反省しているようですしとりあえず許します。絶対に動かないでください」

 

 

 言われた通り動きを止める。数秒間、私と顔を合わせて何か考え込んでいたスズカだったが、ゆっくり私にもたれ、そのまま私の上で目を閉じた。流石に上に乗られたまま寝るのは厳しいんだけど……まあ、良いか。スズカにしてはよく我慢したって感じよね。

 

 

「トレーナーさんの一番は私ですよね?」

「当たり前でしょ」

「言動の不一致は嫌われますよ」

 

 

 いっそ嫌ってくれると心労が一つ減るんだけど。

 

 

「嫌わないであげます。でもそれはそれとして怒っているのでしばらく口は利きません」

「そう……いつまでできるか見物ね」

「ふん」

 

 

 ひとしきり終わったのかな、と思って上から下ろし、いつも通りの格好に戻って生身のウマ耳を弄る。頬を膨らませていたスズカも少しずつ緩んでいき、首元を擽ったあたりでふにゃふにゃに戻ってしまった。

 

 

「甘やかしても誤魔化されませんよ。私は怒っています。婚姻届かランニング1000kmで手を打ちます。トレーナーさんに選ばせてあげます」

「じゃあ手を打たなくて良いわ。無理やり納得させてあげる」

「トレーナーさんには無理です」

「どうかしら」

 

 

 ふいっと目を逸らしたスズカの顎をとって私を向かせる。パジャマ、そしてベッドの中というノーガードの状態でスズカが私に勝てるわけがないでしょうに。案の定私の擽りに負けて悶えた挙句ベッドから落ちていくスズカ。床に転がっていたブルボンどきゅーとが物凄い勢いで叩きつけられた。勝てないからって力で解決しようとしないでよ。

 

 ちょっとムカついたので再びブルボンを抱いて寝る。すぐにスズカが私ごと投げ捨てた。そして、一人で掛け布団を独占すると、転がる私に対してちらっと開けて、そのスペースを叩いた。

 

 

「ん」

「……はいはい」

 

 

 されるがままにスズカに抱きしめられる。私の左足を両足で絡めて私の顎に入り込み、前からの羽交い絞めを受け、骨が軋む中で我慢してスズカの頬を撫で目尻をなぞる。ん……と軽い声と共にしばらくより密着しようとしてきたスズカだったけれど、しばらくするとそのまま眠りについた。

 

 

「お休みスズカ」

 

 

 これくらいで済んでよかった、と深く安心しつつ、私は、どきゅーとブルボンの処遇をどうするべきか一晩中考えて気を逸らすのだった。



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要求するダイワスカーレット

投稿遅れまして申し訳ありません。昨晩投稿したつもりで寝落ちしてました。

朝起きて感想ゼロ件で、ついに需要が無くなったか……と愕然としてました。


 

「そろそろバレンタインのこと考えます?」

「あ……そうね。そうかも。予約取れなくなっちゃうし」

 

 

 一月二十五日、快晴。記録者、ミホノブルボン。本日はマスター不在につき、オーダー:『自主トレーニング』となります。

 

 私は以前購入した全身ギプスを着用しただ座っているのみですが、関節を伸ばそうとする特注のバネの負荷はこれまでにないレベルが検出されています。商品注意書の『決して人間には使用しないでください』の切実さが窺えます。なるほど、これをもしマスターが着用すれば、全身の関節が逆に折れ曲がるでしょう。

 

 

「とりあえず日付だけ決めて家庭科室の予約だけ取っちゃおうか。お休みの日は……」

「こっち見ないでください。確認できるわけないですよね」

「ブルボンさん覚えてる?」

「はい。二月中の、トレーニング予定の無い日でよろしいですか」

「そうね」

「開示します」

 

 

 スカーレットさんはダンベルトレーニング。片手で50kgなので低負荷でしょうか。会話の余裕もあるようです。スズカさんは全身重りの上プランシェ、さらに毎度倒立まで戻っています。流石のバランス感覚と言わざるを得ません。筋力上は我々でも同様のことが可能でしょうが、ぶれることなく回数を重ねるには力不足です。

 

 二月のトレーニング・オフの日付を列挙します。今回はバレンタインデーに向けて、ですので、第一候補は二月十三日のマスターの出張日でしょうか。

 

 

「前日は予約も殺到しそうですね」

「まあ今から予約すれば大丈夫だと思うけど……その前のオフは?」

「二月七日です」

「そうなりますよね。頼んで休みをずらします?」

「しかし二月十二日のトレーニングは特別メニューです」

「じゃあダメですね。絶対にずらせません」

 

 

 予約は私にはできませんので、一度トレーニングを中断してスズカさんが行います。トレセンの家庭科室は調理器具が少し古めかしく私でもそのほとんどを扱うことができる、という利点があります。

 

 マスター宅の調理器具は全てがかなり新しく──以前、私用にデチューンしたキッチンコーナーを作る計画もありましたが、マスターが数秒考えた後却下しています。自宅に我々の選んだ家具が増えることを危惧しているようです。手遅れであろうとは思いますが、スズカさん曰く「あと数か月だから」とのこと……数か月後、何が起こるのでしょうか。

 

 

「予約……うーん……朝一番が良いかしら。ちょっと早すぎるような気もするけど……」

「別に多少早いだけなら大丈夫じゃないですか?」

「そうよね。じゃあ予約しておいたから、ブルボンさんよろしくね。朝九時半からだから」

「了解しました。当日の起床時間、調理開始時間はメニューによります」

「あー……何作ります?」

「そうねえ……」

 

 

 マスターの好みに合わせるのが無難でしょうか。マスターはあまり甘いものを好みません。普段飲んでいるコーヒーも、ウマ娘の味覚からすればほとんど甘味の無いものを呑むことがあります。果実を中心にしたものや、コーヒー系統……チョコレートも甘味の少ないものを選ぶのが無難でしょうか。

 

 

「甘くないものが良いんですかね?」

「そうね……ビターチョコで何かするか、お砂糖を控えるとかコーヒークリームをメインにするとかで抑えていけば何とかなるかしら。ブルボンさん、何か適当にレシピを……って言っても難しいかしら」

「レシピの検索については書籍でも行えるので問題ありませんが……実際の味については解りかねます」

「そりゃそうですよね」

「じゃあ食べに行きましょうか。今日、この後」

「え? 今からですか?」

「ええ。もう終わるでしょ?」

「まあ、トレーニングは大丈夫ですけど」

 

 

 と、いう会話がありまして。

 

 

「食べ放題を三つ……はい。全員ウマ娘です。はい、大丈夫です。はい」

「あ。先輩、ドリンクバー付いてないみたいです」

「じゃあドリンクバーもお願いします。一時間更新で。はい、お願いします」

 

 

 スイーツバイキングに来ています。早速注文を済ませた後、各自……私の分はスズカさんが持ってきてくれます。冷却設備及びドリンクバーを破壊するわけにはいきませんので、毎回、外食時は私にできることはありません。ずらりと甘味の少ないスイーツが並べられます。料金が高く制限時間が短いことからウマ娘からは好まれない店ですが、品数は飛び抜けていますので味見には最適です。

 トレーニング後ですので空腹……嗅覚、視覚情報からさらにそれが煽られ、欲求が……くぅ。

 

 

「「「いただきます」」」

 

 

 手を合わせまして。

 

 もぐ。

 

 ……なるほど。

 

 

「どう?」

「美味しいです」

「そう……」

「小学生みたいな感想……」

 

 

 すぐには解りません。もっとたくさん食べなければ。

 

 

「私達も食べましょうか。ブルボン先輩止まらなくなっちゃいましたし」

「私達は食べたいだけですよね、この会」

「食べないか食べるかなら食べた方が良いじゃない。それに、これでちょっと太っちゃったらそれを理由に走らせてもらえるかもしれないし」

「ああ……なるほど」

 

 

 しばらく食べ進めていると。

 

 

「あのー、すみません、み、ミホノブルボンさんですよね?」

「んぐ……ん、はい。ミホノブルボンです」

 

 

 ファンの方に話しかけられました。変装は簡素なものなのですから気付かれるのは想定内です。男女カップル……私より少し年上、大学生からマスター程度でしょうか。バッグを漁り、恐らく筆記具を探している黒髪の女性の方。視線から察するに、金髪の男性の方はあまり詳しくないのでしょうか。

 

 

「わあ! ファンなんです、えっと、何かにサインを……て、手帳忘れた……アンタ書くもの無い? 私いくらでも買うけど」

「いや、別にあげるよ。まだ大したもの書いてないし。新しいのあるし」

「感謝……ッ」

「ああ、うん」

 

 

 手帳が手渡されましたので、サインを書くことにします。マスターとの話し合いのうえ決定した、筆記体をベースに記号等を少しだけ付け足したサインです。スズカさんのそれより少し華美なものですが、ライスやフラワーさんのものよりややシンプルなもの。書き終えて手渡します。もちろん、「いつもありがとうございます」の一言を忘れないように。

 

 すると、黒髪の彼女は息を荒くして隣の方の肩を叩き始めました。どうやら本当に解っていないようで、男性が小突き返します。それを察して、私達の紹介が始まりました。あまり大きな声を出されても困るので、席の横のところに座っていただきます。

 

 

「この方はミホノブルボンさん。史上六人目の三冠ウマ娘さん」

「三冠」

「とにかく歴史に残るってことよ」

「ああ……え? お二人は?」

「こちらがサイレンススズカさん。現役最強って言われてる方」

「あっ最強。それは凄いわ……」

 

 

 む。

 

 まあ良いでしょう。三冠という栄誉は確かにウマ娘レースを知っている者にとっては圧倒的な名誉ですし、それはマスターも認めてくださっています。当然、知らない方にとっては大した栄誉ではありませんし、それよりも解りやすい、最強という称号の方に価値を見出すのは理解できます。不機嫌になるようなものでは……むむ。

 

 

「えと……」

「ああ、こっちはダイワスカーレットさん。今年ティアラに進む子です」

「こんにちは。ダイワスカーレットです。良ければ応援よろしくお願いします」

「へー! すみません、ティアラ路線はあんまり詳しくなくて……」

「やっぱ強いんですか?」

「バカ! 聞き方ってもんがあるでしょ!」

 

 

 スカーレットさんが気分を悪くしたのが解ります……が、エルナトとして近い距離で生活しているから解るだけでしょう。間違いなく一般人には気が付けません。流石はスカーレットさん、表情を隠し営業用笑顔のまま応対を続け……ると思われたところ、スズカさんが割って入りました。

 

 

「とても強いですよ。今年のティアラ路線はスカーレットさんが主役だと思います。ぜひ応援してくださいね」

「は、はい! レース見に行きますね!」

「ありがとうございます!」

 

 

 視線だけでスズカさんに何か言いたげなスカーレットさん。二人はお礼を言って離れていきました。次走と、次走であるフェアリーステークスの開催レース場の確認をしていましたので、本当に来るのでしょう。スカーレットさんのファンが増えることは喜ばしいことです。スカーレットさんもファンが多ければ多いほど良いというタイプのウマ娘ですから。

 

 

「スズカさん……ありがとうございます」

「え、何が……?」

「まさかスズカさんが私のこと、強いって言ってくれるなんて」

「トレーナーさんも言ってるもの」

「スズカさん自身もそう思ってくれてますよね?」

 

 

 不安げにスズカさんを見るスカーレットさん。

 

 切り分けたショートケーキを口に運び、おしぼりで拭うスズカさん。流れるようにカステラにフォークを突き刺し一口で飲み込むと、オレンジジュースを一息に飲み干し、そのままドリンクバーのため立ちあがり、補充を済ませて戻ってきます。

 

 

「スズカさん?」

「ちょっとお手洗いに行ってくるわね」

 

 

 再び席を外すスズカさん。戻ってくるとプリンを食べながら、ふう、と一息つきました。それから、スカーレットさんに少し微笑みかけます。

 

 マスターが時々目を奪われ立ち止まる笑顔です。スズカさんがそれを自覚しているかどうかは不明ですが。

 

 

「ええ」

「何の間ですか、今のは」

 

 

 マスター曰く、スズカさんは本質的に独善的で、自己中心的なウマ娘である、と。心の底では自分が一番速く強いと思っているが、培われた良心や社会性、優しさがそれを覆い隠しているから正常な言動が可能なのだそうです。

 

 つまり、気を遣うかどうか、親しいかどうかでそれらのオブラートは消え、本性が見えるということです。

 

 

「トレーナーさんはそう言ってるわ」

「スズカさんの意見を聞いてるんですけど」

「……あむっ」

「ドーナツに逃げないでください」

 

 

 無言で食べ進めるスズカさん。スカーレットさんも早々に諦め、今度は私に……フォークに刺したベリーを差し出しながら問い掛けます。

 

 

「ブルボン先輩はそう思いますよね」

「あむ」

 

 

 ステータス:『幸せ』。追加の食事を進めます。

 

 

「先輩!?」

「はい」

「私のこと強いと思ってますよね?」

 

 

 ……なるほど、これがお笑いにおけるテクニック、オペレーション、『天丼』。ライスが時々クラスで要求される例の──実行します。

 

 

「そうですね。スカーレットさんは強いウマ娘であると思います」

「ですよね! ブルボン先輩大好き!」

「マスターはそう評価しています」

「……ふー……」

「あっ」

 

 

 私のショートケーキが奪われました。これはいけません……とも思いましたが、バイキングなので無関係でした。また持ってきていただきましょう。

 

 

「ぜっっっっっ……たいにフェアリーステークス、二人も見にきてくださいね……絶対に見返しますから」

「そうですか」

 

 

 実際、現在の状態ならともかく、同じ時期の比較であれば、私はスカーレットさんを見下すほどの能力はありませんが、スカーレットさんのやる気が出たならば何も言わない方が良いのでしょう。私は三冠ウマ娘ですので、コード:『空気を読む』を習得していますから。



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自覚するダイワスカーレット(FS)

 

「スカーレット! 残り500! あと一バ身離しなさい!」

 

 

 ある日。スカーレットのフェアリーステークスに向けて追い切り中。後ろから一定ペースで追ってくるブルボンから逃げつつ、ノールックでバ身差をコントロールするトレーニングである。あんまり身体能力のことは考えていない。

 

 というか、何ならトレーニング自体はあんまり必要ないとすら思っている。いやもちろん、アスリートとしてするべきラインのトレーニングはあるし、ちゃんとやるけど、このレースに向けてどうこう、なんてのはない。今の時点で出走したってスカーレットが負けるはずがない。

 

 

 それでもこうしてやっているのは……まあ、スカーレットのやる気が留まるところを知らないからだ。あの子の負けん気はスズカを超えている。

 

 スズカの目標は最速孤高、スカーレットの目標は一番。つまりスカーレットのその衝動はスズカよりも対象が広い。何となくマトモに見えているが、一番おかしいのはあの子だとスズカも言っていた。それに関しては全員が全員自分がマトモだと思ってるからあてにはならないけど。

 

 

 で、そんな情動を持っていて、それを普段から優等生の皮で隠しているのがスカーレットであるが、最近ちょっと、まあその……かなり短気になってきている。気が立っていて、当たりも強い。

 

 

「もうちょっと圧力かけてブルボン。一バ身外出てレベル7まで上げましょう」

 

 

 ブルボンが着けたイヤホンに指示を入れる。この煽り耐性の低下は、スズカによく見られる症状だ。走るのを禁止すると、スズカは煽り耐性がゼロになる。普段から『遅い』という言葉に反応してウマ耳を絞るけど。

 

 で……まあ、本来スカーレットについては掛かろうが何しようが良い。スタミナを補強して掛かっても勝てるようにはしている。ただまあ、困ることもね、あるから。

 

 

「っはぁっ!! はぁっ! はっ! はあっ!」

「お疲れスカーレット。目標達成ね。少し休んでクールダウンを」

「もう一本!」

「いえその、クールダウンを」

「良いから! まだできるでしょ!」

 

 

 こういうところ。帰ってくるなり次に行こうとするスカーレットをスズカが力ずくで止めてくれる。

 

 

「ダメよスカーレットさん。トレーナーさんがダメと言っているんだからダメ」

「スズカさん……次止めたら先週のスズカさんのランニング履歴を細かく話します」

「もう一回走らせてあげてください、トレーナーさん」

「あなた弱すぎるわ。先輩の威厳を見せてよ」

 

 

 エルナト唯一絶対の鉄の掟、それは私のトレーニング指示に必ず従う、というものだ。私にできることがそれしかないので、それをしないならこのチームにいる意味がなくなる。

 まあ現実にはそれを無視して自我を突き通そうとするのが三人娘のいつものムーブだけどね。それにしても最近のスカーレットはそれが露骨だし、昨日ついにこっそり夜中ランニングに出ていってしまった。自分で言っててなんだけど、唯一絶対の掟すら守らせられない私って一体何なのよ。

 

 

「あなたがこっそり走ってなければこんな脅し大したことないんじゃないの」

「走って……ないですけど」

「じゃあほら、スカーレットにガツンと言ってあげなさい」

「スカーレットさん……勘弁してください……今スカーレットさんのせいで追い詰められてます」

「自業自得でしょ」

 

 

 半ば自白したスズカを膝に乗せて貧乏揺すりでガタガタ言わせながら肩を強めに揉んでおく。平気な顔でドリンクを呷るブルボンにそういうことは期待できないし、ちょっと強めの言い方になってしまうので私がやることにする。

 

 

「スカーレット。今日は終わりよ。それと後で昨日のランニングについても話があるから」

「でもスズカさんは走ってるじゃない……!」

「ほらスズカのせいで説得力がゼロになっちゃうでしょ!」

「ゃぁゎぁ」

 

 

 スズカの頭を掴み私のお腹に叩き付ける。同時に首元を擽り鳴かせつつ、スカーレットを説得しないと。

 

 

「とにかく終わり。レースに疲れを残したら困るでしょ」

「残らないわよこれくらい……!」

「それを判断するのは私よ。ブルボン、クールダウンを手伝ってあげて」

「はい。行きましょうスカーレットさん」

「……明日はもっとやるから!」

 

 

 良かった良かった。スカーレットも解ってくれた。悪態なんか誤差みたいなものよ。私は普段スズカの圧にも動じない強いトレーナーなのだから、所詮クラシック初期のスカーレットの圧に負けるはずがない。

 

 立ち去っていく二人を見送りつつ再度スズカの背中や腕を撫でていると、ちらりとこっちを見るスズカ。ちら。一旦伏せて。ちら。一旦伏せて、ちら。あら可愛い。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ねえトレーナー。出走者のファイルってどこにやったの?」

「鞄に入ってるけど……」

「借りるわね」

「え? 今から?」

 

 

 自宅。スズカと一緒にコタツでゆっくりしているところ、お風呂上がりのスカーレットが顔だけ出してきた。もう十時を過ぎている。忘れがちだがスカーレットはまだ中学生。そろそろ二十歳になるスズカとは寝る時間が違う。それに、本番たるフェアリーステークスも三日後だ。

 

 

「今日はもう寝なさい。身体を壊すわ」

「平気よ。慣れてるから」

「寝不足での授業と寝不足でのレースは違うわ。とにかく寝なさい」

「……勝手に取るから」

 

 

 私の指摘にちょっと眉を顰めて出ていくスカーレット。反抗期の娘がいたらこんな感じなのかしらね。出走者チェックも何度かやったし、今さらやる意味もないと思うけど。

 

 このところ毎日何かやっている気がする。今日も放っておいたら夜中に抜け出すんだろうか? そのためにこっちに泊まっている節もありそうだし。

 

 

「いつ何とかしてくれるんですか? 心配なんですけど」

 

 

 と、隣のスズカ。置いてあるみかんを口に運びつつ、私の口にも無理矢理放り込んでくる。

 

 

「別に。レースが終われば気付くわ」

「そうですか? 夜ちゃんとお話しした方が良いですよ? ……夜は私、外に出ていますから。真面目なお話でしょうし」

「良いのよ、気を遣わなくて。話すにしてもスズカは寝ていれば良いじゃない」

「……? 何を言ってるか解らないです。それじゃ私の走る時間が無いじゃないですか」

「あなた本当に心配してる?」

「してますよ。でも心配することと私が走ることは両立しますよね。徹夜で話し合ってもらって良いですよ? 明日は学校休みます」

「無茶苦茶言うなあ」

「言ってません。ただ走りたいと言っただけです」

 

 

 くすくす笑って私にくっつくスズカ。狭い。ドキドキする。暑い。でも力ずくで来られると抵抗できず、そのまま寝転がされる。私の腕を勝手に枕にしたスズカが私の胸を叩きつつ目を閉じた。

 

 

「お休みなさい」

「……ここで寝れば何かあった時部屋から出るふりして外に行けると思ってるでしょ」

「……そういうのを見抜くトレーナーさんは嫌いです。いつもみたいにもっと鈍くなって良いんですよ」

「私があなた達のことで鈍かったことがある?」

「……そうですね」

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 レース当日。しっかりエルナト総出で応援に来ている。体操服に着替えたスカーレットは既に掛かりまくっている。マトモなトレーナーとマトモなウマ娘の関係なら恐らくちょっとお説教が入るくらいには入れ込んでいる感じがするわね。

 

 しかし、もちろんここはマトモなチームではない。今のスカーレットの状態が良くないのは間違いないが、多少気持ちが乱れた程度でGⅢに勝てないようなのはうちにはいない。今回は将来GⅠに絡みそうなのも出てきていないし。

 

 

「準備は良い、スカーレット」

「当たり前でしょ……! 勝つ、勝つ……絶対に勝つ……ッ」

 

 

 スカーレットは勝つ。そして、勝てば全て解決する。今のスカーレットは要するに自信を無くしているのだ。私が伝える数字上の強さは知っていても、比較対象が二人の怪物なので実感が追い付いていない。でも、勝てば全部解る。

 

 

「一つだけ言っておくわね、スカーレット」

 

 

 今回はあまり刺激しない方が良いだろう。いつもの会話はしない。スカーレットも求めてこないし。

 

 

「しっかり噛み締めて走りなさい」

「……はァ?」

 

 

 何を言っているか解らない、といった風に目をギラつかせて出ていくスカーレット。同時にスズカがモニターをつけた。

 

 

「見ます?」

「まあ……別に見なくても良いけどね。勝つし」

「そうですか」

「ところでマスター。今度ライス達と遊園地に行く約束をしまして、引率をお願いします」

「良いけど」

 

 

 スズカもブルボンも一切心配していない。スカーレットに興味が無いなんてことはないはずなので、よほど私のことを信じてくれているか、あるいは、二人からしてもスカーレットが負けるとは微塵も思っていないかどちらかだろう。

 

 ……え? 興味はあるよね? 大丈夫よね? 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

『──一着はダイワスカーレット! ダイワスカーレットです! まったく他を寄せ付けないままのゴール! これは物凄いウマ娘が現れましたダイワスカーレット!』

 

 

 歓声の中に私はいた。やたらと声を荒げる実況がターフまで聞こえてくる。

 

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

 

 不思議と疲れていない。まだまだ走れる、という確信があった。スパートを終えて、確かに全力を出したはずなのに、どこか余力のようなものがある。

 

 

「勝てた……?」

 

 

 スタートの時。私のスタートはイマイチだった。あんなスタートじゃスズカさんには勝てない。だけど、外枠から番手に構えるつもりだった私は先頭にいた。

 

 中盤。私はつい掛かってしまった。それを直そうと落としすぎた区間もあった。ブルボン先輩ならあんな無様な走りはしない。だけど、誰も私についてこなかったし、惑わされている様子すら聞こえていた。

 

 スパート。私はかなり脚を使っていた。思ったより伸びなくて、トレーナーに顔向けができないと思った。だけど、私はぐんぐんみんなを突き放していた。

 

 負けたらウオッカに何て言えば良いのか、なんて思った。でも、私はこんな簡単に勝ててしまった。

 

 

『ダイワスカーレット、素晴らしい走りでした。これはティアラ路線にも期待ができそうです』

 

 

 トレーナーは、私を物凄く評価してくれる。あの二人がいるのに、私が一番才能がある、だなんて。私はトレーナーを信じてジュニア女王を諦めたのに、ずっと私は、どこかそれを信じていなかった。

 

 だって、私って弱い。ブルボン先輩みたいに冷静ではいられないし、スズカさんみたいに自分を貫いていられない。周りが気になって、すぐにダメになる。それに、脚も遅くて、なんて、思ってたのに。

 

 

「おめでとー……びっくりしたよスカーレット……凄く速かった……」

「ねー……あー……ちょっと手応えあったんだけどなー……!」

「悔しーっ!!!! 揺さぶられたっ!!!!」

 

 

 そうだったんだ。そうなんだ。

 

 

 ……そっか。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「あ、いたいた。スカーレットさーん」

「お疲れさまです、スカーレットさん」

 

 

 なかなかスカーレットが戻ってこないので、地下通路まで迎えに来た。スカーレットは通路の途中で立ちすくんでいた。一応怪我とかは無さそうだけど……まあ、やっと解ってくれたんだろう。

 

 レースは終始スカーレットが支配していた。というか、結果的にスカーレットがそうしていたというのが正しい。スカーレット自体の走りは正直ボロボロだったんだけど……当初の予想通りそれでも勝った。

 

 

 圧倒的に身体能力で勝っていれば適当に走っても勝てる。スズカがその一番の例である。そして、スカーレットはその他大勢のウマ娘にはそれができてしまう。普段は比較対象が壊れてるだけで。

 

 

「スカーレット、お疲──」

 

 

 どん、と私に突っ込んでくるスカーレット。スカーレットにしては珍しく、ただただ普通に私に抱きつき、肩に顔を押し付けた。

 

 

「──スカーレット?」

「……トレーナー、あのね、私、ね」

 

 

 震えた声で、背中に回す力が増していく。ぐり、とちょっとだけさらに押し付けて、スカーレットは呟いた。

 

 

「強かったん、じゃない……」

 

 

「私、強いじゃない……」

 

 

「当たり前でしょ」

 

 

「……そう、よね……ずっと……そう言ってたわよね……」

 

 

 綺麗なままのツインテールを撫でる。レース前より、心拍も体温も落ちていた。しばらくそのままでいたけれど、少しするととん、と私を突き放し、その流れで後ろにいた二人を両手で巻き込んだ。

 

 

「……これで、追い付きました?」

「誰に?」

「スカーレットさん。私は三冠ウマ娘です」

「……ですよね。うん、そうですよね」

 

 

 スカーレットがくっくっと笑い、強く二人を抱き寄せた。

 

 

「痛、す、スカーレットさん? 痛い痛い痛い」

「スカーレットさん。スカーレットさん? 骨が、骨が」

「二人はそういうムカつくことを言うんですよね……!」

 

 

 あら微笑ましい。

 

 

「肩が、腕が壊れる、壊れる……」

「耐久……限界……」

「すぐに二人に勝てるようになりますから。まずはトリプルティアラ、それからいつか直接対決でも」

 

 

 ぐるっ。ばんっ!!! 

 

 

「は?」

「スカーレットさん……マスターも認めていますので、あなたの実力を卑しめることはしません。が、私は常に成長していますので、理論上それは不可能です」

「……ひぇっ」

 

 

 一転攻勢、二人に壁際に追い詰められるスカーレット。沸点が低すぎるのよね、本当に。

 

 

「戻るわよ。部屋でやりなさい部屋で」

「まったく。ダメですよスカーレットさん、滅多なこと言っちゃ」

「戦力差の分析は正確にお願いします、スカーレットさん」

「あーっ!!!! ぜっっっっったいに一番になる! トレーナー! やるわよ! 特別トレーニング!」

「えっ」

「私にもお願いします、マスター」

 

 

 えっ。




思ったより慢心フラグっぽくなっちゃいましたが、トレーナーは決してウオッカ相手に勝てるとは言わないので問題ありません。


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とても寛容なサイレンススズカ

長距離シューズが……長距離シューズが足りない……


 

「トレーナー。今日さ、私をでろでろに甘やかしてよ」

「は?」

「何言ってるんですか、スカーレットさん」

 

 

 ある日のトレーナー室。スカーレットが突然そんなことを言い出した。基本的に促されない限り話に加わらないブルボンですら指摘してしまうほどの突然かつ意味不明な物言い。ついにスカーレットが壊れたか、こうなったのは誰のせいかしら、と考えていると、さらに畳みかけてきた。

 

 

「この間ついに重賞に勝ったでしょ? それで、やっと予定通りウマッターのアカウントを作ったわけ。それでまあ、この間のレースの挨拶を投稿したんだけど」

「ああ、見たわよ。死ぬほどバズってたやつね」

「でしょ! 思ってた百倍反応来てたでしょ!」

「いや、まあ……スカーレットなら当然じゃない? むしろまだあなたを知らない方が見る目が無いと思う」

「そ……ういうのは今良くて……そうじゃなくてね?」

 

 

 隣で腕を抱いてうたたね中のスズカの頭を撫で、ウマ耳のぴこぴこふわふわを堪能しつつとりあえずスカーレットに甘い言葉を囁いてみる。ぐ、と歯を食い縛るスカーレット。あら可愛い。

 

 

「もう、めちゃくちゃテンション上がったわけ。でもね、このチームにいる限り、正直この自己肯定感もすぐに無くなると思うの」

 

 

 突然切実な顔になるじゃん。

 

 

「そんなことは無いと思いますが」

「ブルボン先輩が原因その二ですからね」

「私は事実を伝えているだけです」

「チッ……こういうことだからさ、いい気分になれるときにできるだけなっておきたいわけ。嘘でも良いから一回。お願い」

「ああ……うん、まあ良いけど」

 

 

 どうせその他大勢からいくらでも称賛されるような状態になれると思うんだけど、まあ、ちやほやされたいなら拒否する理由は無い。スズカをそっと抱き上げてブルボンに投げつける。しっかり受け止めてベッドに寝かせたところでスズカが目覚めた。

 

 

「な、何ですか……今何をされたんですか私」

「今からマスターがスカーレットさん専用になります」

「え?」

 

「おいでスカーレット」

「……そう言われるともう恥ずかしいわ、なんか……」

 

 

 顔を赤くして私の横に座り、ぽんぽんと叩いた腿に寝転がるスカーレット。美容師さんみたいに頭を上げて髪をちゃんとしてあげて、きっちり決めた前髪をちょっとだけずらす。あまりこういうことはしないので難しいかもしれないけど……まあ、できるだけやってみましょう。要するにスカーレットの自己肯定感が高まるように褒めちぎれば良いのよね。完璧よ。

 

 

「ブルボン。可能な限りスズカを黙らせておきなさい」

「承知しました。筋力差等を考慮し、およそ三分間行動を制限できます」

「よろしい。こっちも三分で終わるわ」

「は? あのさ、こっちも今日一日でやられる覚悟なんだけど。それが三分とか甘く見てない? 私そんなにすぐ靡く軽い女じゃないけど」

「そういう言い回しをどこで覚えるの?」

 

 

 まあ見てなさいって。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「──ね、そうでしょスカーレット。一番のスカーレット。私の大好きなトリプルティアラウマ娘のスカーレット?」

「ぁ、ぁ……」

 

 

 スカーレットが壊れちゃった。

 

 

 二分間の囁きにより情緒が壊れたスカーレット。私としては『一番』のワードを使った以外は本当のことしか言っていないが、よほど効いたようで、私のお腹に抱き付いて動かなくなってしまった。

 

 

「私トレーナーと結婚する……」

「はいはい。結婚しましょうね」

 

「なんて単純な子……」

「スカーレットさん、甘言で誘拐されたりはしないでしょうか。心配です」

「それで言うとブルボンさんも心配だけどね。三冠ウマ娘にインタビューとか言われて変な車に乗らないでね」

「……乗りませんが」

 

 

 一応ブルボンにはスズカの制止を頼んでおいたんだけど、思いの外冷静だったので普通に座ったままになっている。圧倒的に大人になってるわね、スズカが。

 

 さて、スカーレットには『今日』甘やかしてと言われたけど、実際のところこれ以上があるんだろうか。もうふにゃふにゃで立ち直れなさそうだけど。

 

 

「スズカこそランニングの新商品とか言われてついていかないでね」

「私が知らない新商品は企業の方しか知らない物なので、名刺で解ります」

「流石だわ」

 

 

 ふにゃふにゃになったままおでこを擦り付けてくるスカーレットを撫でつつ、そこまで気分を害した様子もないスズカに感心もしている。スズカのことだし、浮気一回につき50kmで許すくらいのことは言いそうだと思っていた。

 

 

「私を何だと思ってるんですか?」

「いや言いそうだなって」

「20kmで許しますよ。私は寛容な妻ですから」

「将来の旦那は慎重に選びなさいね」

「寛容な夫の方が良いですか?」

「将来の妻は慎重に選びなさいね」

「ふふふ」

 

 

 ふふふじゃないのよ。またまたぁ、みたいな顔して。こっちは吐きそうになりながらあなたのパートナーの話をしてるんだからね。スカーレットが犠牲になるわよ。

 

 

「私もスズカさんならそう言うと思っていました。これまでの言動から推察するに、浮気一回30kmかと」

「ほら見なさい。普段の言動が問題なのよ」

「じゃあ適用します。今から走ってきます」

「浮気とかじゃないじゃない。私達恋人じゃないんだから」

「今はですよね」

「将来的にもないのよ」

 

 

 スカーレットが少し復帰したので、また一言二言囁いて黙らせる。面白くなってきたので、どこまでスカーレットをこのまま引っ張れるかチャレンジしてみたいと思う。まあお腹空いたとかトイレ行きたいとかそういうのは中断せざるを得ないけど。

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「はい、スカーレット、あーん」

「あーん……ん……」

 

 

 その夜。甘やかしは一日なので、しっかり家に帰ってからも継続している。いつも通りスズカもいる。スカーレット用に晩御飯を改めて作り、好物だけで固めて食べさせている。ここまで来ると甘やかしとかではないような気もするが、本人は嬉しそうなので大丈夫だろう。

 

 問題は度重なる特別扱いを見たスズカの反応である。

 

 

「……、っ、……」

 

 

 耳を思い切り引き絞り、誰がどう見ても不機嫌になって、突っ伏したままこっちを見つつこつんこつんとテーブルを指で叩くスズカ。可愛いその一。

 

 怒っているというよりは拗ねているだけかな。ちゃんとスズカも解っているはずだし。今のスカーレットをちょっと甘やかしたくらいでどうこうなるわけがない。調子は不調まで落ちているけどこれは誤差だ。

 

 

 それに、この子は何だかんだ言って一度自分が上だと感じたらそこに疑問を持たずそういうものだとして受け入れてしまう。私が一番好きなのは──まあその、実際一番好きどころの話じゃないんだけどそれが伝わっているかはともかく、一番好きなのはスズカだということは解っているはず。

 

 

「……トレーナーさん」

「ん?」

「走ってきても良いですか? 今過去最高に気持ちよくなれそうな気がします」

「すぐ過去最高を更新するじゃない」

「過去最高に高まってるんですよ。何かが」

「……日付が変わる前に帰ってくるのよ」

「やった、トレーナーさん大好きです。行ってきます!」

 

 

 それに、走ることがちらつくと難しいことは全部飛ぶ。こういうあほなところも可愛くて好きなのだ。うきうきのままその場で全部脱いで、まだ二月の寒いなか平気で廊下に飛び出し着替えに行くスズカ。ウマ耳も戻り、調子も絶好調まで回復した。全部これで良いじゃん。

 

 

 それ以上こちらに話し掛けてくることもなくドアが割と乱暴に開く音がした。相変わらず着替えるのが早い。でも一応毎回諸々の道具は持っていってくれるし、スマホを見ると発信器の電源も入っている。真面目な子ね。

 

 

「ほらスカーレット。食べてお風呂に入りましょう。一緒に入る? 寝るのはどうする?」

「……一緒に入る……寝るのはいい……」

「解った」

 

 

 一瞬逡巡があったのはどうしてだろう。これ以上されると戻れなくなると本能的に悟ってしまったのだろうか。それとも寝る時くらい一人でいたい派……何回か寝たこともあるけど、結構一人の方が多いし。私とスズカと三人じゃ狭いってだけかもしれないけど。

 

 

 そこからも予定通りスカーレットを甘やかし、囁いて褒め、認め、最終的に自己肯定感が高まりに高まったスカーレットを寝かしつけるまでそれは続いた。それが大体十時くらいのこと。

 

 

 そして、玄関が開いたのが一時くらい。当たり前のように門限破るじゃん。

 

 

「お帰りスズ──わっ」

「寝ましょう」

 

 

 顔だけだして出迎えてみたけど、普通に部屋をこじ開けられてそのままベッドへ。普通に押し倒されるみたいに引きずり込まれ、スズカは私の胸元に抱き付く定位置へ。

 

 冬の夜に走ってきたスズカらしく、暖まった身体の芯と冷えた表面、ばくん、ばくん、と身体全体を揺らすほど昂る鼓動がベッドを軋ませる。仄かに汗の匂いが香り、ご機嫌に揺れるウマ耳が私の顎先を掠める。外にいた人特有の埃っぽさやちょっとだけキューティクルの無い髪を手櫛で鋤く。

 

 

「どうだった?」

「最高でした……過去最高かはちょっと悩ましいですね。走る時は心を空っぽにしていたいという感じはあるんです。やっぱり走るという行為に向き合って、景色や風、音を楽しむには余計なことは考えていてはいけないんです」

「うん」

「でも、考えごととかを走って振り切るのも違った気持ち良さがあるんです。どんどん私から余計なものが抜けていって、本来の私に戻る感じがします。走るために生まれてきたんだなあって心から思うんです。あ、私の悩みなんかどうでも良いんだなあって」

 

 

 走ることになると急に早口になるスズカ。スズカの気持ちを真に理解できる日はたぶん今後来ないけど、まあ楽しかったようで何よりだ。ぐりぐり顔を押し付けて深呼吸を続け、少しずつ熱が冷めていくスズカ。

 

 

「なので、今私は最高に幸せです。何となく怒っていたような気もしますがどうでも良くなりました」

「どうでも良くなるくらいの怒りだったんだ」

「トレーナーさんの一番は私ですから。速さでも愛でも」

「愛って言わないで」

「性愛以外の愛もありますよね? 今何を想像しました?」

「…………」

「ふぁふぁふぁ」

 

 

 うるさいので顔面を胸に叩きつける。何と生意気なことか。はあ、と落ち着くと、スズカは改めて私の背に手を回し、きゅっと密着して、ちらりと目だけ私に向けた。

 

 

「まあでも」

 

 

 とことことこ、と背中を指が駆け上がってきて、頸椎を撫でる。くすぐったいなあ、もう。

 

 

「それと妬くかどうかは別なので、ちゃんと構ってくださいね」

「……、はいはい」

 

 

 ……今のはかなり危なかった。私、気持ち悪いなあ。



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幻聴に狂うサイレンススズカ

久しぶりのステータス開示なんですが、スピードの上限値は変わらずSS+で固定です。

これは、実質的に環境下で最大値が存在しないことが理由です。1601Ucと見せかけて因子でさらに上がるんですよね?スピード継承はしないので解らないですけど。

なので、スピードが1~1200でしか変化しません。よって、ゲームよりスピードの値による壁が分厚くなってます。ブルボンはスペちゃんにワンチャンありそうなステ差ですけど、無いです。

まあそんなの関係ない化物もいっぱいいますけどね!


 

「音声作品?」

「はい。スズカさんいつも大変そうなので、ちょっとでも助けになれたらなって」

 

 

 ある日。エルナトのトレーナールームにスペシャルウィークが来ていた。宝塚記念で最終決戦が行われると報道されまくり実際その通りになるだろうけど、それはそれとして二人は仲良しである。放課後喋る場としてエルナトが選ばれることもまああるわけだ。

 

 ただ、ここではスズカは普通にお菓子を食べるけどスペシャルウィークは食べられないので毎回やや辛そうにはしている。物凄い音でお腹を鳴らしている時もある。

 

 

「風の音とか、そういうのをちゃんと録音したやつです」

「へえ……ありがとうスペちゃん。聞いてみるわ」

「お試しなので専用のイヤホンも渡しておきますね。私達で使い回してるやつですけど、気にしないなら」

「そういうのもあるんだ。ありがとうね」

 

 

 イヤホンを渡され、早速着けるスズカ。音楽プレーヤーにそれらが入っているようで、そのまま目を閉じて聞き始めた。

 

 

「流行っているの?」

「ですね。最近セイちゃんが不眠気味だって言うのでみんなで探してたらハマっちゃいまして」

「じゃあ睡眠導入の方がメインなんだ」

「そ……うですね。なのであれですよ、人の声とかもあります」

「へー」

 

 

 セイウンスカイ、大丈夫? よその子とはいえ心配ね。

 

 

「スズカさんのせいですけどね」

「えっ」

「みんなスズカさんに勝つためにやってるんですよ、色々と。スズカさんはそういうのないでしょうけど」

「もちろん。必要ないからね」

「……はあ。ブルボンさんはこういう人になっちゃダメだよ」

「善処します」

 

 

 スペシャルウィークはすぐ私に圧をかけるんだから。でもまあ、圧の強さとかでいうならスズカやブルボンの方が強いわね。大体実力に比例するけど、スペシャルウィークはなんというか、明るさの方が印象が強くてあんまり感じないのよね。

 

 

「ふぅ。うん、良い感じ」

 

 

 話しているうちに聞き終わったのか、イヤホンを外すスズカ。一息ついて立ち上がると、そのままの流れで制服を脱ぎ始めた。

 

 

「こらこらこら」

「スズカさん!? ダメですよ!」

「落ち着いてくださいスズカさん。今日は許可は出ていません」

「出てるわ。聞こえるでしょ? 風の音、葉っぱの擦れる音……これは外が私を呼んでいるということなの。そうじゃなきゃおかしいわ」

「何言ってるんですか?」

 

 

 ブルボンとスペシャルウィークに止められつつ、それでもなお脱ごうとするスズカ。よく見るとスカートは既に脱いでいる。あまりにも早すぎる脱ぎっぷりに、慌てた二人が両手をそれぞれ掴んで止めた。こう見るとブルボンはまだギリギリ片腕で動かされているが、スペシャルウィークには余力がありそうだ。

 

 ……さて。

 

 

 スピードSS+

 スタミナB+

 パワーS

 根性A+

 賢さB+

 

 スピードA

 スタミナA+

 パワーA+

 根性A

 賢さA

 

 スピードB+

 スタミナA

 パワーB+

 根性C

 賢さC

 

 

 うーん相変わらずスズカのステータスには惚れ惚れする。伸び率としてはスズカは大したことはない。しかし、一番伸びないスピードというステータスで圧倒しているから、他で負けていようがレースについては問題にならない。

 

 それに、スピードを一切伸ばす必要が無いのだから、他のトレーニングに偏重できるという利点もある。パワーや根性がそうだ。この先もスズカが負けることはないだろう。

 

 

 しかしスペシャルウィークも素晴らしい。全体的に高いステータスにスピードもある。よくここまで仕上げられるものだ。流石は私みたいなインチキ無しでトレセンでベテランとしてやっていけているだけある。

 

 そしてブルボンも強くなったなあ、と。今なら距離にもよるけど、スタミナを使って脚を使えばスズカと張り合えるかもしれない。もちろん脚質と最高速度的に勝つことは無理だが。

 

 

「聞いてますかトレーナーさん。トレーナーさんからも何とか言ってください。私は外で走らなければいけないと」

「いけないことはないでしょ」

「だってまだ聞こえるんです……私を呼んでいます……」

「責任とってスペシャルウィーク。スズカが壊れちゃったじゃない」

「別に変な音声じゃないんですけど……」

 

 

 ウマ娘用のイヤホンは私には使えない。部屋にあったヘッドホンを着けて聞いてみるが、まあ普通の環境音って感じ……あっ耳が気持ちいい……ASMRって感じね。

 

 

「環境音で我慢できなくなっちゃったのよね。ほらおいでスズカ。落ち着きなさい」

「落ち着いている場合ですか? 呼ばれたら行かないといけないでしょう」

「呼ばれてないのよ」

「でも確かに聞こえるんです」

 

「スズカさんってここまで酷かったっけ……? 悪化してないですか?」

「外的刺激に弱くなっているのは間違いありません。絶対的に走行量が減りましたので」

 

「ほら! 走る距離が減ったってブルボンさんも言ってます!」

 

「余計なことを言ったようです」

「めちゃくちゃさ加減はあんまり変わってないんですけどね」

 

 

 昔聞かせた環境音はそんなに効いてなかった気がしたけど、やっぱり質かな。それとも単なる相性? どちらにせよ、珍しく私が抱き締めてもなお抵抗して逃げ出そうとするスズカ。とりあえずスカート穿こ? 

 

 

 しばらくの攻防戦の後ギリギリスズカを収めることに成功し、服を整えさせ俯せの上に乗る。重いとか言われた。重くないって。マジで。めちゃくちゃ気を遣ってるんだからね。

 

 

「理不尽です……思わせぶりな態度をして、いざ私が乗り気になったらお断り……私がそれでどれだけの我慢を強いられると思ってるんですか?」

「ランニングの話よね?」

「当たり前です……今それ以外に何があるんですか。音は聞こえるのに肌に風が当たらない、こんなの拷問です。私は三人とも制圧して走りに行っても良いんですよ。感謝してほしいくらいです」

「感謝してるわ」

「感謝の意とは言葉ではなくランニングです」

「感謝するのはやめるわ」

「あっ……ぅ……」

 

 

 感謝の代わりに背中のマッサージを始めて黙らせる。ゴリゴリに関節を立てて静かにさせて、腰掛けたまま、思った十倍平然としていた二人に向き直る。ブルボンはともかくスペシャルウィークは久し振りなのに流石ね……と思ってたけど、この子はこの子でぶっ飛んでたわね。スズカがあまりに寮に帰らないから完全に部屋を独占して、たまに帰ると追い返したりするらしいし。

 

 本当にスズカのこと尊敬してるんだろうか? 

 

 

「もちろん。それはずっとしてますよ。初めて見た時のスズカさんの走りはずーっと覚えてますから」

「そうなの」

「それはそれとして突然帰ってこられるのは片付けの都合もあるのでやめてほしいとは思ってます」

「二人の部屋よね……?」

 

 

 実家の親かよ。

 

 

「しかしこれは有益なデータです。人は良質な音声刺激で狂うと」

「そのデータから何が解るの」

「マスターも同様かと」

「は?」

「なるほど……?」

「何がなるほどなんです?」

 

 

 またスズカが変なことを思いついたらしい。

 

 

「つまり、トレーナーさんに音声を聞かせて狂わせればいくらでも許可が貰えるように……?」

「ならない。ならないから」

「ブルボンさんもいくらでもスパルタできるように……」

「直ちに作成しましょう。トレセンになら機材もどこかにあるはずです」

「ありそうなのが怖いですね」

「私の職場よ、一応」

 

 

 でもありそう。ウマ娘が言ったら何でも用意しそうだものね、理事長、ウマ娘のためなら文字通り何でもしそうだし。

 

 妙なことを思いついた結果、何やら話し合いが始まった。スペシャルウィークが止めてくれるかと思ってはいたものの、彼女にとってはブルボンの強化は望むところだし、スズカのランニング禁止はまだ勝負とは関係ない。勝負とは関係ないならスズカが喜ぶようにするだろう。

 

 

「スペシャルウィークは止めてくれたり」

「いや……うーん……正直スズカさんのASMRは聞いてみたいですから……」

「ねえ」

「良いじゃないですか。恋人のASMRですよ」

「恋人じゃないもの」

「時間の問題だってスズカさんが」

「スズカ」

「あっスペちゃんそれは内緒の話って……」

 

 

 私のことを何だと思っているの。スペシャルウィークもおかしいと思わなかったの? 

 

 

「むしろなんで付き合わないんだろうって……だってスズカさんの話を聞いてると、もう本当にただの恋人というか……最近また距離が近付いてませんか?」

「気のせいでしょ」

「そうなんですかね?」

 

 

 そうなのよ。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「いや、待ってくださいトレーナーさん。ダメです。ちょっと、もう無理みたいです」

「何が?」

「いやもう、本当に……ずっと頭の中で音がしてて……お、おかしくなりそうです……」

「ええ……」

 

 

 スズカを宥めながらさらに一時間ほど。スペシャルウィークも交えゆっくり話していたんだけど、突然にスズカがキマった眼で私の肩を掴んだ。尻尾がぴんと立っているし、ダル絡みというより爆発寸前でゆっくりとこちらを見ているあたり、本当に限界なのかもしれない。

 

 

「……本当に限界そうね」

「ですね。こんな死んじゃいそうな顔一週間ぶりくらいです」

「これは許可ですか、マスター」

 

 

 スズカ検定一級の二人もこう言っている。無意識に制服を脱ごうとして、それを止めてを繰り返すスズカ。多大なストレスで脳がやられてしまったのかもしれない。うーん、流石にか。

 

 

「解った。じゃあ」

「走りに行って良いんですか!!??」

「うん……まあ……」

 

 

 これはしょうがないか。スズカにはたくさん我慢させているけど、別に絶対に走るな、って話じゃないからね。特に今はレース前でもないし、そこまで固く禁止をする必要は無い。普通に許可を出そう、とぴりぴりのスズカに話しかけようとすると、その前に、スペシャルウィークが割り込んできた。

 

 

「じゃあ、私と一回併走しませんか? 勝ったら走って良いってことにしません?」

「スペシャルウィーク?」

「私も参加します」

「ブルボン?」

「それで良いわ。早くして。何でも良いから走らないと死んじゃいそうなの」

「スズカ?」

 

 

 私ってトレーナーよね? こんなに勝手に物事が進行するの? 

 

 呆れている間にどんどんと話が進み、芝左回り2200mが勝手に始まりそうになっていた。とりあえず勝負になりそうなのでオーラを出し始めるブルボン、それに気付いてはいるがそこまでの威圧感はないスペシャルウィーク、そして勝てば走れると聞いた瞬間から圧がダダ漏れのスズカ。これは止まらないわね……スペシャルウィークのトレーナーも、スズカとの経験を止めるとは思えないし。

 

 

「終わったらそのまま走りに行きます……トレーナーさんは準備をしておいてください……待つことがあれば待たずに行きます。絶対です。スぺちゃんも、準備が遅れたら知らないから……」

「ちょっと! 早すぎます、す、すぐ準備して許可を取ってくるので! お願いしますね!」

 

 

「マスター。スズカさんとの対戦にあたり、作戦コードS、サイレンススズカ対応モードの発動を要請します」

「……許可しないわ。別途目標タイムを設定するから、その通りに走るように」

「承知しました」

 

 

 ……ま、いっか。




トレーナーASMR
→咀嚼音や筆記具の音なんかを持ってくる

ブルボンASMR
→自分では作れないのでライスに助言と手伝いを求めた結果、ミホライ囁きボイスを持ってくる

スカーレットASMR
→周波数音声を持ってくる


スズカASMR
→風の音がボボボボボボ!!!!


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密着されるサイレンススズカ

コロナかと思ったらコロナではなく風邪でした(威風堂々)

今回は一回やってみたかったドキュメントパロディですが、あんまり上手くはいきませんでした。
後半に掲示板がありますが、別に見ても見なくても大丈夫です。一般人には詳しい奴と詳しくない奴がいます。


 

 異次元の逃亡者、サイレンススズカ。取材班は、彼女の日常に密着することとなった。

 

 

 ──おはようございます。

 

「あ……おはようございます」

 

 

 午前四時、気温はまだ一桁と突き刺すような寒さの中、サイレンススズカさんが学生寮から出てきた。トレセンのものとは違う運動着に身を包んでいる。

 

 

 ──こんな時間から早朝トレーニングですか? まだ暗いですし、かなり冷え込みますが……。

 

「あ、いえ……趣味のランニングです。走ってからシャワーを浴びて、って考えるとこんな時間になっちゃって……」

 

 ──なるほど。ちなみに、そちらのポーチには何が? 

 

「ああ、これは……小銭と、応急処置セットと、あと発信器です」

 

 ──発信器。

 

「はい、えっと……事故とか、何かあった時のために持たされてるんです。スマホを持ち歩かないので」

 

 ──なるほど。ありがとうございます。行ってらっしゃい。

 

「はい。ありがとうございます」

 

 

 サイレンススズカの趣味はランニング。彼女によると、週に三回から四回ほど、早朝に行うらしい。一切トレーニングの意図は無く、ただ走りたいから走るとのこと。

 取材班は、撮影車で彼女を追った。

 

 レースの時と違わぬ圧倒的な速さ、一分の乱れもないランニングフォーム。速く走ることに全てを懸けたとも言われる機能美をしばらくご覧いただきたい。

 

 

 およそ一時間後。とある公園で、サイレンススズカさんは立ち止まる。自動販売機でスポーツドリンクを買うと、ベンチに座った。冬のウマ娘特有の蒸気を振り払いながら、一気にそれを飲み干していく。

 

 

 ──休憩ですか? 

 

「はい。水分補給はしないとなので……すみません、映像大丈夫ですか? 冬の朝はどうしても湯気が立っちゃうんです」

 

 ──大丈夫ですよ。ところで、やはり夜に走らないのはトレーニング後だからでしょうか? 

 

「いえ、早朝は早朝、夜は夜の良さがありますから、朝走るか夜走るかは気分ですね。その日の気温とか天気、湿度、風向きにもよります。本当に気分次第というか。曜日によって音の大きい日とかありますから、そういう時は避けたりもしますね。星が綺麗だったら夜にも……」

 

 ──夜も走られてるんですか? 

 

「あっ……そ……う、そうですね。まあ走って……た、たまにですよ? 本当にたまにです」

 

 ──なるほど。

 

「じゃあ私、ランニングに戻りますのでっ」

 

 ──はい。ありがとうございました。

 

 

 走ることには強いこだわりがあるらしい彼女。走ることについて語る彼女の目は、真摯に向き合う職人のような目だった。これが、彼女がサイレンススズカたる所以なのかもしれない。

 

 

 再び一時間かけて学園に戻る。満足そうに白い息を吐くサイレンススズカさん。しかし、我々は、彼女の表情がほんの少し曇ったのを見逃さなかった。

 

 

 ──どうかしましたか? 

 

「え? いえ、特には……その、こう……明日もこんな風に走らないといけないと思うとちょっと……いえ、走るのは大好きなんですけど」

 

 ──走らないといけない? 

 

「あ、い、いえ。言葉のあやです。私は本当に好きで走ってますから。強制とか無いですから」

 

 ──なるほど。

 

「え、あの、じゃ、じゃあ私、シャワー浴びるので、お疲れさまでしたっ」

 

 ──お疲れさまでした。

 

 

 まさに日常からトレーニング。それに支えられたサイレンススズカの速さを、我々は目の当たりにした。

 

 ここで、サイレンススズカの足跡を見ていこう──

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 シャワーを浴びて、身支度の後登校。隣には、一つ下の世代の後輩であり、ダービーウマ娘、スペシャルウィークさんがいた。

 

 

「おはようございますっ!」

 

 ──おはようございます。普段から登校は一緒に? 

 

「そ……そうですね! はい! 一緒です! 寮が同室なので!」

 

 ──なるほど。朝食は学食ですか? 

 

「そうですね。学食で……朝食セット……が、ある、ので……えっそんな名前だったわよね? 

そうです

「なので、朝はこの時間に……朝御飯、楽しみね。イチゴジャムが好きなんです」

スズカさん、イチゴジャム、少し前に変わってます! 今リンゴです! 

「……リンゴジャムでした。ごめんなさい、ランニング以外はあんまり気にしたことなくて……」

 

 

 走ること以外にはあまり興味が無いという、サイレンススズカさん。学食のメニューすらあやふやな天然ぶりに、撮影班にも笑みが溢れた。

 

 登校中、お二人の会話には、驚くほど自分のレースについての話が出ない。後輩や共通の知り合いのものは出れど、サイレンススズカ、スペシャルウィークにかかるレースの話は無かった。

 

 

 ──レースの話はしないんですね。

 

「そうですね……そこはチームも違いますし、作戦とかもあるみたいなので……ね、スペちゃん?」

「ですね。あんまり大っぴらに話すことでもないかなって」

「大変ね、そういう、難しいことを考えながら走るのは……」

「……ええ、本当に大変なんです」

 

 ──今何か、寒気が……? 

 

「こらスペちゃん。ダメでしょ脅かしちゃ」

「はっ……って、誰のせいだと思ってるんですか!」

「ふふふ。頑張ってね。楽しみにしてるから。これは本当」

「む……言われなくても頑張りますよ!」

 

 

 どうやらお二人の会話ではスペシャルウィークさんが話し役で、サイレンススズカさんが聞き役らしい。和気藹々とした雰囲気のなか、お二人の会話が尽きることはなかった。

 

 学園に到着し、他の後輩達が声をかけてくる。かなり慕われているようだ。孤高な我々のイメージとは反して、彼女は常に人の輪の中にいるらしい。そしてその中に、サイレンススズカさんが所属するチーム・エルナトの直属の後輩、ミホノブルボンさんの姿もあった。隣には、彼女と寮が同室であるニシノフラワーさん。

 

 

 ──おはようございます。

 

「おはようございます」

「おはようございますっ。しゅ、取材って今日だったんですね……何か緊張します。えへへ」

「解ります。撮影にはまだ慣れません」

「そのうち慣れるわ」

「でもスズカさんめちゃくちゃ緊張してますよね? 普段こんな触れ合う距離で歩かないじゃないですか」

「あっ……い、言わなければバレなかったのに……」

「この距離がデフォルトだとみなされる方がデメリットが大きいのではないでしょうか」

 

 ──ミホノブルボンさんは直属の後輩ということですが、普段から行動をともにしているのでしょうか? 

 

「いえ、チーム・エルナトとしての行動が主で、学生としては学年も違いますのであまり接触はありません。時間が合えば昼食を共にすることはあります」

 

 ──なるほど。

 

 

 午前の授業に向かったサイレンススズカさん。彼女は既に高校課程を終え、提携大学のリモート授業を受けている。学園エリアについては撮影許可をいただいているので、そのままついていくことにした。

 

 休み時間。同じく大学課程のクラスメイト達と談笑するサイレンススズカさん。登校の際もそうだったが、どうやらサイレンススズカさんはここでも聞き役が多いようだ。

 

 

 ──ちなみに、スズカさんは大学課程はどのような選び方をされたんですか? 

 

「将来のことを考えたらスポーツ系かなと……本格化を伸ばす研究をしていると聞いて生物学も考えたんですけど、それでもいつかは終わってしまうので、流石に身になることを学んだ方が……色々役にも立つので」

 

 ──ウマ娘には、将来はトレーナー、ないしサブトレーナーになる方も多いと聞きます。

 

「なるならサブですね。トレーナーは……まあ、私じゃなくても良いかなって……あんまり、人に教えるのは得意じゃないので」

 

 ──やはり中央トレセンに? 

 

「たぶん、そうですね……サブトレーナーとしてでなくとも、家にいて支えるのでも良いといえば良いんですが」

 

 

 将来のビジョンもあるらしい彼女。いずれ、彼女の教えを受けたウマ娘も現れるのかもしれない。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 ──お疲れさまです。

 

「お疲れさまです。よろしくお願いします」

 

 

 放課後。この日はダンスレッスンが無く、 そのままトレーニングだった。

 

 チーム・エルナトのメンバーが三人揃い、トレーナールームでミーティング。それを終え、トレーニングウェアに着替えて部屋を出てくる。先頭はチーム・エルナトのトレーナー。

 

 

 ──今日はどんなトレーニングを? 

 

「今日はフリーランニングです」

「ス……ズカ。勘違いしてるわ。今日はウェイトトレーニングよ」

「フリーランニングですよね?」

「ウェイトトレーニングよ」

 

 ──メニューはその場で決めているんですか? 

 

「いえ、もちろん事前に決めています。今日はウェイトトレーニングだったんですけど、スズカが勘違いしているみたいですね」

「……」

 

 

 トレーニングの決定権限はトレーナーが持っているようだ。かなりの強権を行使する様子は、やはり噂通りのチーム・エルナトである。彼女を前に、孤高の逃亡者サイレンススズカも反論はできないらしい。

 

 他のメンバーにも、トレーニングの様子をお聞きした。

 

 

 ──普段のトレーニングはどのように? 

 

「そうですね、大体全部トレーナーさんが決める感じです。今週はこれ、とか、次のレースに向けてこれ、とかですね」

 

 ──お三方側からの提案等はありますか? 

 

「修正……いえ、ありません。トレーニングは全てマスターの決定に従い行っています。我々から変更を申し出ることは一切ありません」

「あっいえ、でもあれですよ、嫌なことは嫌とは言えますし、お休みとかも普通にあります。私達もトレーニングが専門じゃないのであんまり意見しないってだけで、理由を聞けば教えてもらえますから」

 

 ──ありがとうございます。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「じゃあ今日は終わりにしましょう。お疲れスズカ。ダウンをしておいてね」

「え? ……あ、は、はい。お疲れさまでした……」

 

 

 一日のトレーニングも終わり、トレーナーが一足先に後処理のために去っていく。ストレッチを始めたチーム・エルナトの三人にお話をお聞きした。

 

 

 ──お三方は仲が良いんですか? 

 

「そうですね、かなり……やっぱり三人しかいないチームですし、慕ってくれてるので」

 

 ──普段も遊んだりするんですか? 

 

「しますよ。三人もそうだし、二人でも……ブルボンさんとスカーレットさんって二人の時あるわよね」

「あります」

「前回何でしたっけ。あっ待ってください思い出しました言わなくて良いですこれ全国放送なので」

「s──」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 トレーニングが終わり、寮で夕食が提供されるまでの時間、再びサイレンススズカさんは外に出ていた。早朝と同じ服装と持ち物で準備運動を始めている。

 

 

 ──ランニングですか? 

 

「はい、夜の……今日はトレーニングで走ってないので、走りたいなって」

 

 ──本当に、走るのが好きなんですね。

 

「ええ、大好きです。本当に、毎日走っていたいくらいで……でもその、も、門限があるので、この一時間しか無いんですけど」

 

 ──失礼しました。いってらっしゃい。

 

「ふふ。いってきますね」

 

 

 走ることが何よりも好きなサイレンススズカさん。何よりも嬉しそうな姿に我々も心を奪われた。夜の街に加速していく彼女を見送る。彼女が帰ってきたのはそこからちょうど一時間後、門限と同時刻のことだった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

 ──レースを始めたキッカケは? 

 

「えっ……と……走るのが好きで、たくさん走りたくて……だったらレースが良いでしょって周りも言うので……」

 

 ──あまり目標などは無い状態で? 

 

「そうですね……このレース、とかはあんまり無かったです。今もあんまりそういうのは無くて……気持ちよく走れるのが一番かなって思います」

 

 ──やはりそれが、破天荒な大逃げの秘訣なのでしょうか。

 

「かもしれないです。トレーナーさんも、その走りが合ってるからって……先行策も少しやったんですけど、どうしても合わなくて」

 

 ──記憶に残っているレースなどはありますか? 

 

「え、ん……やっぱり、天皇賞でしょうか……怖い思いはしましたけど、ちゃんと得られるものもありましたし、トレーナーさんとの関係とか……」

 

 ──トレーナーとの関係? 

 

「あっ……ええと……その、より仲良くなったって感じで、何も無くても仲良しだったんですけど、うーんと……まあ、深まったって感じで……」

 

 ──確かに、とても仲が良さそうでしたね。同性というのもありそうですが。

 

「はい。………………とても仲良くしてます。旅行とかも連れていってもらいますし。大切な人です」

 

 ──素晴らしいことだと思います。トレーナーの方針と合わないウマ娘も多いと聞きますから。

 

「うちは逆で……方針が合うからトレーナーさんと契約したので、そういうことだと思います」

 

 ──ありがとうございます。

 

 

 

 

 ──サイレンススズカさんとはどのような方でしょうか。

 

「なんというか……不思議な人です、色々と。何も考えてないようで、割と色々考えてたり……でも、物凄い人なのは間違いないし、優しくて素敵な人です」

 

「心情としては私の最終目標到達地点です。三冠ウマ娘として、絶対の強さが必要です。スズカさんはその象徴です」

 

「とても素敵な先輩です。いつも道を示してくれるし、先輩を見てるとやる気が出るんです!」

 

「そうですね……危なっかしいやつです。目が離せません。ですが、彼女に助けられた場面も多くあります」

 

 

「大切な教え子です。私がトレーナーを続けている理由でもあります。ずっとあの子が走っているところを見ていたいですね。とても幸せに過ごさせてもらってますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1:名無しのウマ娘ファン

【超絶朗報】サイレンススズカさん、ついに密着される

 

3:名無しのウマ娘ファン

 きちゃあああああああああ

 

6:名無しのウマ娘ファン

 俺はこの日をマジで待ってた

 

8:名無しのウマ娘ファン

 っぱサイレンススズカよ

 

12:名無しのウマ娘ファン

 よくやってくれたわマジで

 

15:名無しのウマ娘ファン

 もっと早くやるべきなんだよなあ。マチカネフクキタルなんてやってる場合かよ

 

17:名無しのウマ娘ファン

 なんでや! フクキタル可愛かったろ! 

 

18:名無しのウマ娘ファン

 デートを見せつけられたんですがそれは……

 

22:名無しのウマ娘ファン

 そらデートくらいするだろ二十歳になるんだから

 

23:名無しのウマ娘ファン

 アスリートの密着取材で寺社回りを見せられたから混乱してんだよなあ

 

25:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカがデートしてても同じこと言えるの? 

 

27:名無しのウマ娘ファン

 言えるが

 

31:名無しのウマ娘ファン

 お前はサイレンススズカの何なんだよ

 

35:名無しのウマ娘ファン

 デートってトレーナーとか? 許せる。

 

38:名無しのウマ娘ファン

 そんなわけなくて草。まだいたのか百合厨が

 

39:名無しのウマ娘ファン

 始まるぞ喋るな

 

43:名無しのウマ娘ファン

 くる? 

 

46:名無しのウマ娘ファン

 きたあああああ

 

47:名無しのウマ娘ファン

 きちゃ! 

 

49:名無しのウマ娘ファン

 うおおおおおサイレンススズカ最強!!! サイレンススズカ最強!!! サイレンススズカ最強!!! 

 

53:名無しのウマ娘ファン

 はい可愛い

 

57:名無しのウマ娘ファン

 初手可愛すぎる

 

60:名無しのウマ娘ファン

 あまりにも可愛い。なんだこの生き物は

 

64:名無しのウマ娘ファン

 伝わってくるワクワク感。本当に走るの好きなんだな

 

66:名無しのウマ娘ファン

 朝四時で草

 

69:名無しのウマ娘ファン

 朝四時ィ!? 

 

71:名無しのウマ娘ファン

 おばあちゃんかよ

 

73:名無しのウマ娘ファン

 上着無しは死ぬだろ

 

76:名無しのウマ娘ファン

 格好が寒すぎる

 

80:名無しのウマ娘ファン

 二十歳の俺なんか夕方四時まですやすやだったが

 

84:名無しのウマ娘ファン

 おまニート

 

87:名無しのウマ娘ファン

 発信器!? 

 

90:名無しのウマ娘ファン

 発信器は流石に草

 

93:名無しのウマ娘ファン

 発信器……エルナト……あっふーん……

 

97:名無しのウマ娘ファン

 管理主義はプライベートにも及んでたんすねえ! 通りでねえ! 

 

99:名無しのウマ娘ファン

 これは極悪トレーナー

 

102:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカを解放しろ定期

 

104:名無しのウマ娘ファン

 解放するなマジであの時代のスズカを俺は見たくない

 

106:名無しのウマ娘ファン

 クラシックのサイレンススズカを黒歴史扱いするのはNG

 

110:名無しのウマ娘ファン

 ダービーは何着でしたか……? (小声)

 

114:名無しのウマ娘ファン

 出てるだけ偉業定期

 

118:名無しのウマ娘ファン

 本人が良いって言ってるなら良いんじゃねえの、知らんけど

 

121:名無しのウマ娘ファン

 うおっ綺麗なフォーム……GⅠウマ娘かな? 

 

125:名無しのウマ娘ファン

 GⅠウマ娘だぞ

 

129:名無しのウマ娘ファン

 最強議論常連なんだよなあ

 

130:名無しのウマ娘ファン

 マジで見てて気持ち良すぎる

 

134:名無しのウマ娘ファン

 一生走っててくれ

 

136:名無しのウマ娘ファン

 めちゃくちゃ手抜いてくれてる? こんなスピードじゃないだろ

 

138:名無しのウマ娘ファン

 バカかお前。常日頃からレース並の速度で走ってるわけないだろ

 

142:名無しのウマ娘ファン

 俺トラック運転手だけどこの間後ろから飛ばしてきたサイレンススズカに抜かれたぞ

 

143:名無しのウマ娘ファン

 見間違いだろ

 

144:名無しのウマ娘ファン

 ターボババア的な都市伝説だろ

 

148:名無しのウマ娘ファン

 そんな速度で週三で走ってたら足壊れるで

 

152:名無しのウマ娘ファン

 それはそう

 

154:名無しのウマ娘ファン

 一時間か

 

157:名無しのウマ娘ファン

 結構走るやん

 

159:名無しのウマ娘ファン

 蒸気ヤバくて草

 

162:名無しのウマ娘ファン

 ほかほかで草

 

165:名無しのウマ娘ファン

 スチームアイロンかよ

 

166:名無しのウマ娘ファン

 冬にウマ娘が走ると割とこうなるんだよなあエアプか? 

 

170:名無しのウマ娘ファン

 ウマ娘エアプって何だよ

 

172:名無しのウマ娘ファン

 冬のGⅠなんかあんな感じだろ。知らんのか

 

174:名無しのウマ娘ファン

 スズカしゅぽしゅぽで草

 

175:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカが飲んでるのポカリじゃんやっぱりポカリがNo.1なんやねわかる人にはわかるものや

 

179:名無しのウマ娘ファン

 アクエリなんだよなあ

 

181:名無しのウマ娘ファン

 画面見れてなくて草。サイレンススズカが選んだのはポカリだぞ

 

184:名無しのウマ娘ファン

 お前こそ知らんだろスズカはアクエリのCM出てるぞ

 

187:名無しのウマ娘ファン

 勘違いだろ? 流石にテレビに映るのに同業他社の飲み物持たないだろ

 

190:名無しのウマ娘ファン

 そりゃそうだ

 

192:名無しのウマ娘ファン

 急に早口になるじゃん

 

195:名無しのウマ娘ファン

 へー可愛いじゃんもっと語ってもらっていいかな

 

198:名無しのウマ娘ファン

 感謝祭のサイレンススズカって何となく大人しいイメージあったけどな

 

199:名無しのウマ娘ファン

 お前が拒否られてるだけじゃないのか

 

200:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカが人によって態度を変えるわけないだろ! 

 

203:名無しのウマ娘ファン

 現実を見ろ

 

204:名無しのウマ娘ファン

 少なくともトレーナーにはベタベタだぞ

 

207:名無しのウマ娘ファン

 でもそれってお前の妄想じゃん

 

211:名無しのウマ娘ファン

 トレセンで働いてるんだよなあ

 

214:名無しのウマ娘ファン

 でもその働いてるのってお前の妄想じゃん

 

217:名無しのウマ娘ファン

 夜も走ってんねえ! 

 

220:名無しのウマ娘ファン

 絶対にたまにじゃないやん

 

221:名無しのウマ娘ファン

 毎日走ってますねこれは……

 

224:名無しのウマ娘ファン

 全然管理されてなくて草。エルナトは優しいチームやったんやね

 

225:名無しのウマ娘ファン

 勘違いだぞ

 

226:名無しのウマ娘ファン

 まだあのトレーナーが走らせてる可能性あるからな

 

227:名無しのウマ娘ファン

 そのための、発信器

 

231:名無しのウマ娘ファン

 発信器が動いてなかったら説教……ってコト!? 

 

232:名無しのウマ娘ファン

 やっぱりとんでもチームじゃねーか! 

 

236:名無しのウマ娘ファン

 これは三冠取りますわ

 

239:名無しのウマ娘ファン

 なお後輩はティアラ路線でウオッカとぶつかる模様

 

241:名無しのウマ娘ファン

 相手が悪すぎる

 

243:名無しのウマ娘ファン

 ウオッカは怪物だからノーカン

 

247:名無しのウマ娘ファン

 あんなのと同世代なのが可哀想だ

 

249:名無しのウマ娘ファン

 何がティアラだよお前三冠路線行け

 

253:名無しのウマ娘ファン

 ダービーには出るらしいから……

 

254:名無しのウマ娘ファン

 ティアラ路線に絞ればトリプルティアラ確定みたいなものなのにわざわざオークス外すとか刺されても文句言えんだろ

 

255:名無しのウマ娘ファン

 ティアラ路線からダービー勝ったら英雄だから……

 

259:名無しのウマ娘ファン

 ん? 

 

262:名無しのウマ娘ファン

 あっ

 

263:名無しのウマ娘ファン

 今走らないといけないって言った? 

 

267:名無しのウマ娘ファン

 やっぱ強制されてるやんけ! 

 

271:名無しのウマ娘ファン

 おいおいパワハラか? 

 

273:名無しのウマ娘ファン

 トレーニングの一貫ならパワハラじゃないから……

 

276:名無しのウマ娘ファン

 完全に嫌がってるんですがそれは

 

277:名無しのウマ娘ファン

 めちゃくちゃ否定してて草

 

278:名無しのウマ娘ファン

 これは説教やろなあ

 

282:名無しのウマ娘ファン

 やっぱ強制なんじゃん騙されたわ

 

283:名無しのウマ娘ファン

 あの美人がパワハラクソトレーナーってマジかよファンやめます

 

287:名無しのウマ娘ファン

 元々トレーナーのファンって概念がおかしいんだよ

 

288:名無しのウマ娘ファン

 シャワーシーンも映せ

 

290:名無しのウマ娘ファン

 テレビ局、無能

 

292:名無しのウマ娘ファン

 は? 

 

295:名無しのウマ娘ファン

 ここカットは人の心がない

 

296:名無しのウマ娘ファン

 許されないだろ

 

300:名無しのウマ娘ファン

 やられたわ

 

304:名無しのウマ娘ファン

 局の株売ります

 

307:名無しのウマ娘ファン

 幻滅した

 

310:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカの戦績とか良いって! 知っとる知っとる! 

 

314:名無しのウマ娘ファン

 見れば見るほど意味不明な戦績で草

 

317:名無しのウマ娘ファン

 クラシック無冠で最強議論に入ってくるウマ娘はやっぱ違うな

 

319:名無しのウマ娘ファン

 スペシャル! スペシャルじゃないか! 

 

320:名無しのウマ娘ファン

 スペちゃんほんとすき

 

321:名無しのウマ娘ファン

 明らかに寝足りないスペシャルウィークすき

 

322:名無しのウマ娘ファン

 むしろサイレンススズカはなんでこんなお目目ぱっちりなの

 

326:名無しのウマ娘ファン

 というか平日かよ! 休日に密着しろ! 

 

328:名無しのウマ娘ファン

 はえーええなあ学食。さぞ旨いんやろなあ

 

330:名無しのウマ娘ファン

 昔オグリの取材で見たけど嘘みたいな量だぞ

 

334:名無しのウマ娘ファン

 オグリだからじゃないのか

 

336:名無しのウマ娘ファン

 オグリをウマ娘の枠に入れるな

 

338:名無しのウマ娘ファン

 オグリは十倍換算定期

 

339:名無しのウマ娘ファン

 メニューあやふやで草

 

340:名無しのウマ娘ファン

 名前覚えてないやんけ! 

 

342:名無しのウマ娘ファン

 まあ職場の食堂のメニューなんて覚えてないから……

 

343:名無しのウマ娘ファン

 いや覚えるだろ

 

346:名無しのウマ娘ファン

 走った後だから記憶が飛んでるんでしょ

 

347:名無しのウマ娘ファン

 つまり走らせてるトレーナーが悪いってことか

 

349:名無しのウマ娘ファン

 これも全部トレーナーってやつのせいなんだ

 

350:名無しのウマ娘ファン

 許せねえよ

 

353:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカに作戦とかあるの? 

 

355:名無しのウマ娘ファン

 無いわけないよなあ! 

 

359:名無しのウマ娘ファン

 実際無いわけなくないか? 無かったらGⅠなんか勝てないだろ

 

360:名無しのウマ娘ファン

 ただ速いだけの可能性もあるからな

 

361:名無しのウマ娘ファン

 ただ速いだけでレースに勝てたら苦労しないんだよなあ

 

362:名無しのウマ娘ファン

 大逃げってめちゃくちゃ繊細な作戦だからな。なおカブラヤオー

 

365:名無しのウマ娘ファン

 マルゼンスキー「そうわよ」

 

366:名無しのウマ娘ファン

 緻密なタイムキープがあってはじめて成り立つ戦術だぞ

 

370:名無しのウマ娘ファン

 そう考えるとただ厳しいだけじゃないんだなあのトレーナーも

 

372:名無しのウマ娘ファン

 ただ厳しいだけならあそこにいない定期

 

376:名無しのウマ娘ファン

 今一瞬凄い気迫出なかった? 

 

377:名無しのウマ娘ファン

 気のせいじゃないの

 

379:名無しのウマ娘ファン

 スペちゃんは可愛いからな

 

383:名無しのウマ娘ファン

 聞き役のサイレンススズカ、解釈一致すぎる

 

387:名無しのウマ娘ファン

 スペちゃんはよく喋るからな

 

391:名無しのウマ娘ファン

 バラエティに出てくるスペシャルウィークマジで好き。芸人より好き

 

392:名無しのウマ娘ファン

 スペちゃんもなかなかのサイレンススズカファンだからな。すぐサイレンススズカの話するから

 

394:名無しのウマ娘ファン

 一番のファンだからな

 

397:名無しのウマ娘ファン

 というか黄金世代からサイレンススズカの話が出過ぎてる

 

400:名無しのウマ娘ファン

 まあ越えるべき壁だし

 

401:名無しのウマ娘ファン

 越えられますか……? 

 

405:名無しのウマ娘ファン

 俺はエルコンを信じてるから

 

408:名無しのウマ娘ファン

 グラスワンダーだぞ

 

412:名無しのウマ娘ファン

 やっぱり俺は、スペシャルウィーク! 

 

416:名無しのウマ娘ファン

 頼むキングヘイロー宝塚に出てくれお前は短距離の器じゃない

 

418:名無しのウマ娘ファン

 セイウンスカイの話もして差し上げろ

 

421:名無しのウマ娘ファン

 突然意味不明な作戦で勝つ可能性あるからなセイウンスカイは

 

425:名無しのウマ娘ファン

 ツルマルは……

 

428:名無しのウマ娘ファン

 まずレースに出てくれ応援するから

 

429:名無しのウマ娘ファン

 ブルボン! ブルボンじゃないか! 

 

432:名無しのウマ娘ファン

 出たな三冠ウマ娘

 

434:名無しのウマ娘ファン

 名誉エルナト代表出たな

 

438:名無しのウマ娘ファン

 一番の被害者

 

442:名無しのウマ娘ファン

 ニシノフラワー可愛すぎる。これは短距離のエースやろなあ

 

444:名無しのウマ娘ファン

 桜花賞勝ってる定期

 

448:名無しのウマ娘ファン

 この可愛さでバクシンに勝ってるの凄すぎる

 

452:名無しのウマ娘ファン

 バクシンは今年圧勝するから見てろよ見てろよ

 

453:名無しのウマ娘ファン

 バクシンは『王』だから

 

455:名無しのウマ娘ファン

 あら~

 

456:名無しのウマ娘ファン

 てぇてぇ

 

458:名無しのウマ娘ファン

 不安でスペちゃんにくっつくスズカ可愛いが過ぎるだろ

 

459:名無しのウマ娘ファン

 あまりにも可愛い

 

462:名無しのウマ娘ファン

 これは仲良し

 

466:名無しのウマ娘ファン

 寮も同室だからね、仲良しにもなる

 

468:名無しのウマ娘ファン

 付き合っちゃえよ

 

470:名無しのウマ娘ファン

 スズカにはトレーナーがいるから……

 

472:名無しのウマ娘ファン

 ブルボン語クセになる

 

473:名無しのウマ娘ファン

 ラジオのブルボン語、テンション上がるとガバガバになるのほんとすき

 

474:名無しのウマ娘ファン

 ブルボンのラジオを聴け! なあ! お前も聴け! 

 

477:名無しのウマ娘ファン

 毎週言ってること一緒やんけ! 

 

481:名無しのウマ娘ファン

 大体のことは努力で何とかなるという頭エルナト

 

485:名無しのウマ娘ファン

 実際努力で何とかしてるからな

 

486:名無しのウマ娘ファン

 にしてもあれで人気番組なの意味が解らなすぎる

 

487:名無しのウマ娘ファン

 あれは真面目に相談するんじゃなくて背中を押してもらうための番組だぞ。絶対にやめろとは言わないから

 

489:名無しのウマ娘ファン

 本格化が終わったサイレンススズカとか俺見たくねえよ

 

493:名無しのウマ娘ファン

 本格化が終わるとどうなるん? 

 

496:名無しのウマ娘ファン

 走るスピードが大きく落ちる

 

498:名無しのウマ娘ファン

 どれくらい落ちる? 

 

501:名無しのウマ娘ファン

 個人差だけど落ちる子はデビュー前ウマ娘にも負けるくらい落ちる

 

505:名無しのウマ娘ファン

 見たくないなあ

 

507:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカはそんなに落ちないという謎の信頼がある

 

511:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカのあの走り方で足遅かったらおもろいでしょ

 

513:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカ、マジで教えるの下手そう

 

515:名無しのウマ娘ファン

 めちゃくちゃ感覚で教えそう

 

518:名無しのウマ娘ファン

 これって旦那をトレーナーから選ぶってこと? 

 

519:名無しのウマ娘ファン

 まあレースウマ娘はトレーナーと結婚することも多いらしいし

 

520:名無しのウマ娘ファン

 今のトレーナーは……

 

523:名無しのウマ娘ファン

 まあこのご時世同性婚だってあるだろ

 

525:名無しのウマ娘ファン

 チーム揃ってるやん! 

 

527:名無しのウマ娘ファン

 チームが豪華すぎる

 

530:名無しのウマ娘ファン

 一番実績無い後輩でも重賞勝ちってマジかよ

 

532:名無しのウマ娘ファン

 重賞圧勝という事実

 

536:名無しのウマ娘ファン

 トレーナー強くて草

 

540:名無しのウマ娘ファン

 めちゃくちゃ黙らせるじゃん

 

543:名無しのウマ娘ファン

 堂々としたウエイトトレーニングごり押しで草

 

547:名無しのウマ娘ファン

 まあでも思ったよりではあった

 

551:名無しのウマ娘ファン

 確かに問答無用で走らせてるイメージあったな

 

554:名無しのウマ娘ファン

 いやわからんぞ。外面を良くするために今日は抑えてるのかもしれん

 

557:名無しのウマ娘ファン

 確かに

 

559:名無しのウマ娘ファン

 そう思うとサイレンススズカの反応にも納得行くな。普段走らされまくってるから今日もそうだと思ってて、でもトレーナーは隠そうとして別のメニューを指示したと

 

560:名無しのウマ娘ファン

 つまり闇ってこと? 

 

562:名無しのウマ娘ファン

 まあそういうことだな

 

564:名無しのウマ娘ファン

 DV被害者みたいな精神構造なのかもしれない。トレセンはちゃんと教育してんの? 

 

565:名無しのウマ娘ファン

 結果出してるから強く言えない説

 

569:名無しのウマ娘ファン

 うーんこの

 

570:名無しのウマ娘ファン

 おいおいおい

 

571:名無しのウマ娘ファン

 めちゃくちゃ焦ってて草

 

573:名無しのウマ娘ファン

 ウマ娘からの意見が一切通らないってマジ? 

 

577:名無しのウマ娘ファン

 ダイワスカーレットのフォローが悲しすぎる。絶対に嘘じゃん

 

578:名無しのウマ娘ファン

 ミホノブルボンが嘘つくわけないからな

 

582:名無しのウマ娘ファン

 つまり嫌なことは嫌って言えないし休みはないし理由も教えてもらえないってことじゃん! 

 

583:名無しのウマ娘ファン

 ええ……

 

584:名無しのウマ娘ファン

 イカれたチーム過ぎる

 

588:名無しのウマ娘ファン

 ここまでしないと勝てないのかレースって

 

591:名無しのウマ娘ファン

 世知辛すぎる

 

592:名無しのウマ娘ファン

 人権とか……お持ちでないんですか? 

 

594:名無しのウマ娘ファン

 そこに無いなら無いですね

 

595:名無しのウマ娘ファン

 流石にトレーニングはカットか

 

596:名無しのウマ娘ファン

 まあイメージ映像レベルでしか見せられないよな

 

599:名無しのウマ娘ファン

 真似されたら困るしな

 

600:名無しのウマ娘ファン

 ミホノブルボンとダイワスカーレットの消耗えぐくて草

 

602:名無しのウマ娘ファン

 完全にふらついてて草

 

604:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカの密着なのにサイレンススズカの消耗が一番少ないやん

 

605:名無しのウマ娘ファン

 そら慕うわ

 

607:名無しのウマ娘ファン

 レジェンドやししゃーない

 

610:名無しのウマ娘ファン

 二人でお出掛けはデートやん

 

611:名無しのウマ娘ファン

 デートか? 

 

613:名無しのウマ娘ファン

 百合厨の反応が早すぎる

 

614:名無しのウマ娘ファン

 !? 

 

616:名無しのウマ娘ファン

 今言っちゃいけないこと言った? 

 

617:名無しのウマ娘ファン

 全国放送で流しちゃ不味いものを口にするな

 

620:名無しのウマ娘ファン

 ブルボンってそういうところあるからな

 

623:名無しのウマ娘ファン

 ラジオで何故か規制音がかかるブルボンさん!? 

 

625:名無しのウマ娘ファン

 何を言ったら規制がかかるんですかね……? 

 

629:名無しのウマ娘ファン

 ウマ娘は未成年だからコンプラが異様に厳しいんだぞ

 

631:名無しのウマ娘ファン

 何でも正直に話すからな。聞けば電話番号でも答えそう

 

632:名無しのウマ娘ファン

 本当に答えそうでおもろい

 

635:名無しのウマ娘ファン

 いや夜も走るんか──ーい

 

639:名無しのウマ娘ファン

 普通に夜も走るの草

 

641:名無しのウマ娘ファン

 なお持ち物が朝と同じ……あっ(察し)

 

642:名無しのウマ娘ファン

 強制されてんねえ! 

 

645:名無しのウマ娘ファン

 走るの好き(意味深)

 

648:名無しのウマ娘ファン

 本当に好きなんですかね……? 

 

651:名無しのウマ娘ファン

 まあウマ娘だし好きなのは本当だろう

 

652:名無しのウマ娘ファン

 好きだからって朝晩走れるか? 

 

654:名無しのウマ娘ファン

 まあゲームみたいなものだと思えば

 

658:名無しのウマ娘ファン

 趣味ならいける。ただ朝は強制されてるっぽいこと言ってたからな

 

662:名無しのウマ娘ファン

 際どいところ

 

666:名無しのウマ娘ファン

 個別インタビュー来たな

 

668:名無しのウマ娘ファン

 密着パート短くね? 

 

671:名無しのウマ娘ファン

 どういう取材をしたらこんな尺になるねん

 

673:名無しのウマ娘ファン

 よっぽどカットしまくったか

 

677:名無しのウマ娘ファン

 まあ本来休みの日に密着しろよって話だからな。なんで休日じゃないのか知らないけど

 

679:名無しのウマ娘ファン

 授業は見せられないしトレーニングも無理だから……まあそういうものだと思うしかない

 

682:名無しのウマ娘ファン

 でも可愛かったので、OKです

 

684:名無しのウマ娘ファン

 それは本当にそう

 

688:名無しのウマ娘ファン

 走るの大好きなのね

 

692:名無しのウマ娘ファン

 ほな強制とちゃうか

 

693:名無しのウマ娘ファン

 本人が好きって言ってるのに信用が無さすぎて疑われるエルナトトレーナー可哀想結婚したい

 

697:名無しのウマ娘ファン

 ミホノブルボンは前に限界まで自分を追い込むことが秘訣って言ってたし……

 

700:名無しのウマ娘ファン

 トレセンの新入生が三日で辞めたって噂もあるからな

 

704:名無しのウマ娘ファン

【悲報】サイレンススズカ、目標レースが無い

 

707:名無しのウマ娘ファン

 どうして勝てるんだ

 

708:名無しのウマ娘ファン

 存在がバグ

 

712:名無しのウマ娘ファン

 まあ走れるGⅠなら何でもってタイプなんじゃないの

 

713:名無しのウマ娘ファン

 でもマイル戦は出ないよね

 

717:名無しのウマ娘ファン

 中距離専門なんでしょ

 

718:名無しのウマ娘ファン

 まあマイルにはタイキがいるし

 

720:名無しのウマ娘ファン

 目標無しで勝てるのはやべーよ

 

723:名無しのウマ娘ファン

 先行スズカ……うっ頭が

 

727:名無しのウマ娘ファン

 覚醒前だから……

 

728:名無しのウマ娘ファン

 覚醒してふっ切れたのと、よっぽど逃げの管理が上手いんだろうな、トレーナー

 

732:名無しのウマ娘ファン

 そういえば担当はみんな逃げか

 

734:名無しのウマ娘ファン

 逃げに一家言ありそう

 

737:名無しのウマ娘ファン

 天皇賞の話はしないで

 

741:名無しのウマ娘ファン

 こっちが辛い

 

745:名無しのウマ娘ファン

 生きてて良かったでマジで。完全に転倒したら危なかった

 

746:名無しのウマ娘ファン

 むしろよく復帰できたよ

 

747:名無しのウマ娘ファン

 引退を確信したからなあの時は

 

750:名無しのウマ娘ファン

 たらればを言っても許されるレース

 

751:名無しのウマ娘ファン

 より仲良くなったんか……

 

755:名無しのウマ娘ファン

 足折ったことでトレーナーを恨んでも不思議じゃない事故だからな

 

758:名無しのウマ娘ファン

 これが絆ってやつか

 

762:名無しのウマ娘ファン

 旅行いいなー

 

766:名無しのウマ娘ファン

 ワイ京都で出会ったで

 

768:名無しのウマ娘ファン

 それあれでしょ突然ウマッターで呟いて突如としてファンサ会場になったやつ

 

772:名無しのウマ娘ファン

 団子屋が死ぬほど儲けたやつか

 

776:名無しのウマ娘ファン

 伝説の団子屋事件

 

778:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカの弱点はSNSが下手なことだからな

 

782:名無しのウマ娘ファン

 SNSだけは信じられないほど下手だから

 

786:名無しのウマ娘ファン

 すぐ周りの風景映すし

 

787:名無しのウマ娘ファン

 トレーナーの顔出しすぎ問題

 

790:名無しのウマ娘ファン

 まあテレビにも出てる人だからそれくらいは

 

791:名無しのウマ娘ファン

 メディア欄見てみろ半分くらいツーショットだぞ

 

792:名無しのウマ娘ファン

 でもめっちゃリプ返してくれるから好きだよ

 

796:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカのフォロバの基準って何なん

 

797:名無しのウマ娘ファン

 ウマ娘七不思議の一つだぞ。マジで

 

798:名無しのウマ娘ファン

 噂によるとトレーナーを褒めるとフォロバされやすいらしい

 

800:名無しのウマ娘ファン

 はえー

 

804:名無しのウマ娘ファン

 よっしゃ! トレーナーめっちゃ褒めたろ! 

 

807:名無しのウマ娘ファン

 あとトレウマ勢がフォロバされやすいって

 

810:名無しのウマ娘ファン

 それはまあ……

 

812:名無しのウマ娘ファン

 じゃあサイレンススズカはトレーナーと結婚しろって呟いとくわ

 

816:名無しのウマ娘ファン

 それはやり過ぎ

 

820:名無しのウマ娘ファン

 絶対にフォロバされたいから……

 

822:名無しのウマ娘ファン

 ダイワスカーレット可愛すぎる

 

826:名無しのウマ娘ファン

 あのチームで擦れてないのはそういう才能じゃん

 

829:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカを見てこの笑顔で素敵な先輩は人間ができすぎている

 

831:名無しのウマ娘ファン

 先輩二人を見てやる気が出るのか……

 

832:名無しのウマ娘ファン

 本物じゃん

 

834:名無しのウマ娘ファン

 出たな

 

836:名無しのウマ娘ファン

 出たわね

 

839:名無しのウマ娘ファン

 全ての元凶やんけ! 

 

841:名無しのウマ娘ファン

 諸悪の根源

 

842:名無しのウマ娘ファン

 スパルタの風

 

845:名無しのウマ娘ファン

 この美人から繰り出される泣くほど辛いトレーニング

 

848:名無しのウマ娘ファン

 綺麗すぎないか? 今いくつよ

 

852:名無しのウマ娘ファン

 新人でスズカの担当だから26とか27とか

 

853:名無しのウマ娘ファン

 ええ……

 

855:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカがトレーナーやってる理由なのか

 

856:名無しのウマ娘ファン

 これは『愛』

 

857:名無しのウマ娘ファン

 俺もサイレンススズカが走ってるところをずっと見ていたいよ

 

858:名無しのウマ娘ファン

 やっぱりトレーナーなんだなあ

 

861:名無しのウマ娘ファン

 素晴らしいお方やで

 

865:名無しのウマ娘ファン

 こんな愛に満ちた目ができる人がウマ娘に辛く当たるわけない

 

867:名無しのウマ娘ファン

 勘違いされがちだがエルナトトレーナーはウマ娘に辛く当たってるんじゃなくてとにかくトレーニングが厳しいだけだぞ。泣くまでやらせるけど虐待してるとかそういう話じゃない

 

868:名無しのウマ娘ファン

 愛ゆえの鞭じゃん

 

870:名無しのウマ娘ファン

 やってる奴の常套句なんだよなあ

 

871:名無しのウマ娘ファン

 でも美人なのでOK

 

872:名無しのウマ娘ファン

 SNSフォローします

 

873:名無しのウマ娘ファン

 本人のアカウントは無いぞ

 

877:名無しのウマ娘ファン

 どうすりゃいいんだ

 

880:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカかダイワスカーレットのアカウントをフォローすれば定期的に写真は流れてくるぞ。あとエルナトメンバーのハッシュタグ見ろ。トレウマツーショットが溢れてる

 

883:名無しのウマ娘ファン

 探すか

 

887:名無しのウマ娘ファン

 本人に頼めば撮ってくれるぞ

 

891:名無しのウマ娘ファン

 ミホノブルボンは? 

 

894:名無しのウマ娘ファン

 アカウントはあるけど動いてない

 

895:名無しのウマ娘ファン

 スペシャルウィークのアカウントにも割と出てるぞ

 

898:名無しのウマ娘ファン

 出過ぎィ! 

 

900:名無しのウマ娘ファン

 今度はトレーナーに密着してくれ

 

901:名無しのウマ娘ファン

 休日に密着してくれ。あわよくばデートしてくれ

 

902:名無しのウマ娘ファン

 まあ確かに一応学生なんだから平日密着は意味が解らないからな。今度は考えてやってもろて

 

905:名無しのウマ娘ファン

 サイレンススズカが休日はトレーナーと過ごしたがったんだ。俺は詳しいんだ

 

908:名無しのウマ娘ファン

 ハイハイおじいちゃんこのスレは閉じるよ

 



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大体理解しているサイレンススズカ

すみません!!!!!!鬼のようにUAFを回してたら普通に更新忘れてました!!!!!トレパス二日でした!!!!!

それはそうと八割くらいは書けてたのでお待たせした割にはうすあじです。申し訳ありません本当に。


 

「はーっ……はーっ……はっ……」

「お疲れブルボン。ここが限界ね」

「あり……げほっ、ぐ……ぉぇ」

「喋らなくていいから」

 

 

 ある日。今日はブルボンの限界トレーニングの日。スカーレットは残念ながら友人との約束があり欠席。比較的落ち着いているスズカを連れて、またブルボンを気絶寸前まで追い込んでしまった。

 

 長年の研究により、ウマ娘ごとにトレーニング許容量があることは何となく解っている。消耗しやすいかしにくいかの話だ。で、それとは別に、体力を限界まで消耗した後に何が起こるかもそれぞれによる。

 

 

「水……またかける? そろそろ普通に飲めるんじゃない?」

「……」

 

 

 首を振るブルボン。仕方無いので仰向けの顔面に水筒をひっくり返す。相変わらず好きね、これ。

 

 ブルボンの場合、消耗しきるとペースが大幅に乱れる。逆に言えば、それだけしか起こらない。速度は平均的には下がるのだろうが、瞬間速度は上がったり下がったりする。

 

 スカーレットは暴走気味にペースを大幅に上げるという特徴を持つ。ウマ娘の一流二流と関係あるんだろうか……それでいうとうちの子達は全員一流なので参考にはならないかな。

 

 

「スズカ」

「はい」

 

 

 ブルボンを気にかけつつスズカに目配せをすると、歩いてどこかに消えていく。最近はもう気にしない振りも面倒なので、どうせ少し離れたところにいるだろうライスシャワーを気にするようにしている。

 

 本当ならライスシャワーのことを見る必要はないが、彼女はブルボンに良くしてくれたわけだし、大規模チーム勢を本人の承諾を得て管理する分には問題も起きない。というか、本人の承諾を得た範囲なら他のチームだろうと免許さえ持っていれば違反にはならない。

 

 

 しばらくして、ライスシャワーを連れてスズカが戻ってきた。横になっていたのだろう、ジャージには芝や泥が付着しているが、完全に倒れて起き上がれないブルボンと違いふらつくこともなく隣を歩いている。

 

 

「こんにちは、ライスシャワー。調子はどう?」

「えっと、あの……はい、大丈夫です……」

「良かった。ブルボンが回復したら二人でストレッチをしてね」

「はい……」

 

 

 相変わらずライスシャワーはブルボンをストーキングして、同じようにトレーニングをやっている。ブルボンの坂路とライスシャワーの坂路は意味合いが違うからちょっと騙しているような気持ちがあるわね。

 

 いつも同じようにやっているし、場合によってはそのまま倒れていることもあるようなので、こうして一応見ることにしている。普段はやらないけど、これに関しては私の非も無いわけじゃないから。

 

 

「それにしてもライスシャワーは本当に丈夫ね。身体は何ともないの?」

「え? うーん……な、何ともないってことはないですけど……」

 

 

 ブルボンを横抱きに持ち上げて、スズカに少し汚れを叩いてもらう。片付けは既に終わっているので、荷物を持ったスズカ、ブルボンを抱く私、そして普通に歩いているライスシャワーでトレーナールームに帰ることに。

 

 

「疲れてるなあ、って感じです」

「それだけ……? 見てブルボンを。落ちる寸前だけど」

「何かこう、疲れてるしとっても辛いんですけど、気を失っちゃうとかそういうのは無いかも?」

「丈夫なのね。ブルボンさんやスカーレットさんは大体倒れちゃうけど」

 

 

 そんなスズカの一言に引っ掛かったらしい我がチームのスパルタ担当ミホノブルボン。私に抱き上げられたまま拒むように動き出した。

 

 

「降ります」

「何ブルボン、危ないでしょ。私も楽勝で抱えられてるわけじゃないのよ」

「降ろしてください」

「ダメよあなた倒れちゃうから」

「倒れません。ライスが倒れないのですから、ライスに勝つためにはこの程度で倒れていてはなりません」

 

 

 じたばた暴れるブルボン。抱っこを拒否する赤ちゃんかな? でも仕方無いので降ろしてあげる。すると、やはり回復が足りていなかったようでずるずると廊下で倒れそうになって、後ろの私に寄りかかった。脇を支えると、座るように吊り下げられる。

 

 

「ほら」

「ブルボンさん、危ないよ」

「む……マスター。私は耐久力において自信があります。ライスよりもです」

「いやあ無理でしょ流石に」

 

 

 ブルボンはエルナトでは間違いなく消耗耐性が一番高い。それは間違いない。間違いないが、ライスシャワーは明らかにそれを越えている。なにせブルボンと同じことを長らくやっていて、しかも私のようなケア要員がいなかったわけだ。そんな状態でよく今まで生きてこれたものだと感心する。

 

 明確にライスシャワーに負けたことでむくれるブルボン。スズカが面白がって膨らんだ頬をつつく。ふしゅ、と空気が抜けると、ブルボンはふふ、と自信ありげに小さく笑った。

 

 

「ライス。あなたは忘れているようですね。ミホノブルボンには特殊コード入力による強化モードがあります。今お見せします」

「こらこら。そんな気軽に命を捨てようとしない」

「ぅぉぁ」

 

 

 強化モードとはあれだろう、菊花賞で見せたやつ。あの瞬間ブルボンの怪我率は異様に跳ね上がり、その瞬間だけライスシャワーを上回っていた。本来勝てない勝負をひっくり返した代償として病院送りになったわけだが、まさか任意に発動できるのだろうか。

 

 

「どうでしょうね? 私はできますよ、天皇賞の……あっごめんなさい、そんな泣きそうな顔しないでください。やらないですから」

「冗談ですマスター。私も今後レース外で発動させるつもりはありません」

「そこは今後一切やらないって言いなさいよ」

 

 

 解ってはいたことだけど、ウマ娘はみんなこんなんだ。小さな勝負ならともかく、大切なレースやライバルや、それらに勝つためならそこで死んでも構わない、というのが割と多くいる。私は死んでまで勝ってもしょうがないと思うし、そう思ってるウマ娘も中にはいるだろう。だけど、それを本気で言ってるウマ娘が多いというのは事実なのだ。

 

 もちろん、そうならないように、そうしなくてもライスシャワーに勝てるようにするのが私の仕事だけど。

 

 

「まさかライスシャワーはできないわよね?」

「何の話ですか……?」

「知らなくて良い話よ」

 

 

 できたら不味いし。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「やっぱりこう、走るために生まれてきたんだなって感じはするんですよ」

「いつも言ってるわね、それ」

「いえ、真面目な話ですよこれは」

 

 

 トレーナールーム。流石に疲れたのかライスシャワーも眠ってしまっていた。ベッドで並んで眠る二人が起きるまで、私とスズカはソファでいつも通り雑談に興じていた。

 

 

「可能な限り速く走れるようにプログラムされてるんだと思います。でも、私達は自分の限界に気付いていないわけです」

「哲学的ね」

「ですね。だから、一度速さを知ってその扉を開けてしまったら、もうその扉は開けられるようになるんですよ」

 

 

 両手で両扉を作ってぱかぱかと開いたり閉じたり。天皇賞のスズカ、菊花賞のブルボン……そして、私が昔から観測していた『爆発力』。それらについて、スズカは自覚的らしい。

 

 もちろん、他のトレーナーだって自分の担当の力の引き出し方について把握しているのは間違いない。だからこそスペシャルウィークのトレーナーは彼女の退路を絶ったし、フクキタルのトレーナーも色々難儀しているわけだ。

 

 それも含めて実力とするトレーナー達と、それを『実力以上』とする私のどちらが間違っているかは解らない。しかしいずれにせよ、そこには何かが存在するのだ。

 

 

「だから、私も走ってると解るんです。普段のランニングじゃなくて、勝負服を着た時のターフのやつです。トップスピードに乗って、あぅ……」

「真面目な話じゃなかったの」

「ぃっ……すみません、つい」

 

 

 想像してトリップしかけたスズカを抱き寄せて額を弾く。

 

 

「トップスピードに乗ると、こう、あ、私あと一段速く走れるんだ、って気付くんです。もちろん、それをやっちゃいけないことは解ってますし、やらないですけど……うん、そうですね、走れるんです」

「……ありがとうね、スズカ。ごめんね」

「……別に、それは良いんですけど」

 

 

 気にしているのかいないのか、変わらない表情のスズカ。慈しみ頭を撫でると、空いている方の手を引いて首もとに当てた。心拍は上がっていなかった。

 

 

「だから、ブルボンさんもそうだと思います。私とはちょっと違うのかもしれませんけど」

「どうして?」

「私が世界で一番速いからです。トレーナーさんが言ってくれたように」

 

 

 んー、と気持ち良さそうに目を細め、私にもたれかかるスズカ。くりくりと顎下のところを指で突く。ふふ、と口角が上がった。

 

 

「だからまあ、そうですね……ブルボンさんは私より賢いですから、全部解っててやってるんだと思いますよ。それに、本当にできるかはまだ解りません。気持ちが入って覚悟を決めないとできないかもしれませんし」

「……本当に申し訳無いわね」

「ん、ちゃんと反省して責任を取ってくださいね……あ、変な意味じゃないですよ」

「まだ何も言ってないけど?」

「その責任は私にお願いします」

「ぶつわよ」

 

 

 スピードの向こう側は、ウマ娘の限界までスピードを高めたスズカがたどり着いた場所。ブルボンの自壊は、一時的にライスシャワーに勝てるところまで速度を上げるために必要な行為だ。

 

 スズカはともかく、ブルボンのそれは、ブルボンがもっと強ければ済む話なのだ。ブルボンの問題のほとんどは、私の気持ちによって解決される。もっと私が心を鬼にして頻繁にブルボンを限界まで鍛え上げれば……まあ、ライスシャワーはそれすら貫通してきそうだけど。

 

 

とにかく、夏のようなトレーニングを毎日やり続けることで、少なくとも必要性を減らすことはできる。ブルボンはいざとなれば代償付きで速くなれるからと慢心するタイプではないし、私がやらないでほしいと言っていることも理解しているはずだ。

 

 

「普段のトレーニングだって普通と比べれば大分厳しいですし、毎日スパルタは現実的にできないってことも解ってると思いますよ」

「……だとしてもね」

「ふふ」

 

 

 スズカの雰囲気から、真面目な話をそれ以上するつもりが無いことが解る。ぽんぽんと私の膝を叩き、そのまま仰向けに身体を投げ出した。頬に伸ばした私の手を掴んで口元に当てる。

 

 

「ちなみにライスさんはどう思う?」

「えっ」

「……すやすや~……」

「いやいや」

 

 

 起きてたの。全然気付かなかったという気持ちと、何故か寝たふりでいけると思ってるライスシャワーに呆れる気持ちと、ライスシャワーの素敵な声から繰り出される「すやすや」ボイスに不覚にもドキッとしたときめきが一挙に押し寄せる。

 

 え、起きてた……聞かれたかなこれ。限界を超える方法がある、しかもそれを任意に……まあリスクはあれど、任意に限界を超えられる方法をライスシャワーが聞くと良くない。ブルボンの勝ちの目が下がる。

 

 

「起きてたなら言ってくれたら良いのに……」

「ごめんなさい、聞いておけば何かヒントになるかなって……」

「いつも思うけどあなた結構図太いわよね」

 

 

 チームの部屋でも私の部屋でも慣れたら普通に過ごしてるものね。ライスシャワーって名前書いたプリン、私の家で冷え冷えになってるけど大丈夫そ? 

 

 

「え、ブルボンも起きてる?」

「ブルボンさんは寝てます」

「そっか……そう……」

 

 

 すっと起き上がるライスシャワー。根性がありすぎる。この短時間では当然回復しきらず怪我率も高いままだ。それは変わらない。だけど、限界の状態でなお動く能力が高い。

 

 

「今の話はあんまり気にしないでね」

「え、でも……」

「これでライスさんが怪我したら、トレーナーさんが悲しんじゃうでしょ」

「……ごめんなさい、それでも私、ブルボンさんに勝ちたいので」

「……」

「……」

 

 

 私に膝枕されながらじっと見つめるスズカ、まったく怯まずに見返すライスシャワー。今でもブルボンやスカーレットが一瞬怯む視線に晒されながらも退かない彼女に私が引いている。強すぎる。なんだこの子。

 

 ……実際あってほしくはないけど、ライスシャワーの走り方について私は口を出せる立場にはない。エルナトで連れ帰っているのも気持ちの問題だ。

 

 

「……一応聞いておくけど、決戦をどこか適当なGⅡにしてくれたりはしない?」

「ライスは日経賞から天皇賞に行きます。ブルボンさんも天皇賞には来てくれますよね?」

「そうよね……」

「そんな真面目な顔で格好悪いこと言わないでください。ブルボンさんに泣かれますよ」

 

 

 だって怖いし……。

 

 

「でも、大阪杯には行かないです。今のライスじゃまだ勝てないですから。まだ気持ちもできてないし。でも、天皇賞で必ず決着をつけます。今度こそ必ず、悔いのない勝負をします」

「……どこに悔むっ」

「そう。頑張ってね」

 

 

 どこに悔いがあるのか、と聞こうとした私の口をスズカが塞ぐ。二人とも真剣勝負をしたのだし、そこに悔いはないと私は思うけどね。ブルボンは倒れたけど、それは全力を出した結果だし。どこまで鍛えたところであのお手軽限界突破手段がある限りブルボンはそれを選ぶだろうし。

 

 

「……ライスもうちょっと寝ますね」

 

 

 スズカで慣れていなかったら間違いなくちょっと怯えてしまうような眼光が一瞬見えた。普通に図太く二度寝を始めたライスシャワーに末恐ろしいものを感じつつ、口から頬に手をずらしてそのまま近付いてきたスズカの顔を払う。どさくさに紛れて何を。

 

 たぶん言われなくても解ってたと思いますよ、とスズカは言う。だったらそうなのだろう。スズカの見る目はそれなりに正しい。ふふん、と自慢げに笑うスズカの肩に額を乗せる。

 

 

「私頑張るからね」

「ブルボンさんに言ってあげてください」

「ブルボンに直接言ったら過剰に頑張りそうじゃない」

「確かに」

 

 

 くすくすと笑った。三月からブルボンはまた走り始める。地獄の道を行ってなお、その先に怪物が待っているのだけど。




UAFスズカさんイベント、公式から狂気がお出しされたって感じしますね。


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貴族の遊びをするサイレンススズカ

更新遅れました。私用です。申し訳ありません。

ところで、ライスシャワーの次走がころころ変わっている件ですが、とりあえず日経賞で落ち着きました。ライスの史実についての記憶から日経賞が抜けてまして、育成もしないものですから、史実通りの目黒記念と書いたわけです。

ただ、目黒記念は時期の変更がありまして面倒なので、史実にはない阪神大賞典にしたわけですが、それを考えただけで修正しないまま投稿してまして、まあなんやかんやご指摘いただいて調べ直した結果日経賞で全て解決することに気付いたという次第です。お騒がせしました。


 

「ミホノブルボンさん! 金鯱賞制覇、おめでとうございます!」

「ありがとうございます」

「率直に今のお気持ちをお願いします!」

「何よりも勝利に対する喜びが検出されています。次いで高揚、興奮などです」

 

 

 金鯱賞後のインタビュー。ブルボンは体操服にジャージを着て、GⅡとは思えないほど大量のカメラの前に立っていた。記者の方々もこれは記事として固いと思っているのか、勝利者インタビューにしては熱が入りすぎている。

 

 とはいえそれも当然のこと、菊花賞を僅差で制し、直後に倒れターフを去った三冠ウマ娘の復帰レースである。そのレースを全く変わらぬ走りで制覇し、しかもそれが大阪杯へのステップレース。当初の予定通りシニア王道路線を走るという宣言のようなものである。

 

 

「春シニア王道路線を走るかと思いますが、何か意気込み等あればお願いします!」

 

 

 ブルボンの情緒も育ってきたし、言って良いことと悪いことの区別もつきつつある。クラシックでは割と私が想定質問とかを考えていたんだけど、もう大丈夫だろうということで、私はブルボンの後ろでニコニコしているだけの簡単なお仕事だ。

 

 ……マスコミにもね、私に聞くとウマ娘の意思に反したことを言うんじゃないか、みたいな嫌な信頼が出てきているようだし、本人に聞きたがるようになった。おかしいな、別に名誉とかはいらないけど、私、ちょっと前まで記者さんからは『あのサイレンススズカを覚醒に導いた天才トレーナー』みたいな扱いだったような気がするのに。

 

 

「はい。オペレーション『三冠ウマ娘』を達成し、トレセン入学当初の目標は消失しました。しかし、栄誉ある三冠ウマ娘として強さを示し、後進の目標となることは責務だと考えています。よって、最適解である『グランドスラム』を次なるオペレーションに設定しました」

「なるほど……目下ライバル等としてどなたか想定していますでしょうか?」

「当然全員が脅威として設定されるべきです。しかし、私の走行プロセスを考慮するに、特定のウマ娘を警戒して特別な対策を行うべきではありません。常に自らの走りを貫くことが重要です」

「それはライスシャワーもでしょうか」

「はい」

 

 

 メディアも世間もブルボン語に慣れてきたし、ブルボンも解りやすい話し方をするようになってきたし。まあこの間のスズカの密着は怪しかったけど、何とかなったと思い込んでいる、私は。

 

 

「極限までミホノブルボン(わたし)のスペックを高め、あらゆる外的要素を無視して走ることが最善です。よって、ライスシャワーも例外ではなく、私が対個を想定した作戦をとることはありません」

「ではトレーニングも変わらず?」

「はい。マスターの指示のもと、限界までミホノブルボン(わたし)のスペックを高めるようトレーニングを続けています。その方針は今後更新しません」

 

 

 ……まあこれくらいならセーフでしょ。わざわざ勝利者インタビューでオーバーワークとか聞いてこないだろうし。

 

 

「オーバーワークによる影響も懸念されていますが」

 

 

 なんでだよ。

 

 

「マスターと医師の連携等、ミホノブルボン(わたし)のメンテナンスシステムも強化されています。また、純粋な耐久力も上昇しました。ご安心ください」

 

 

 ……良いわよブルボン。上手に返せるようになったわね。よく見たらその人結構評判悪い記者さんだから、ある程度悪いことを書かれてもどうせ信用されないし。

 

 良い記者さんはウマ娘の言葉を都合よく解釈してくれたりするので、あんまりインタビューで不利になることはないのよね。まあ一部誇張するのもいるけど、その人だって悪くは書かないし。ウマ娘は何故か気性が……性格に癖があるのが多いから、記者さんとしても表面をなぞる取材ではやっていけないと解っているのだろう。

 

 だから、この調子ならそのうち私は本当に黙っているだけでも……

 

 

「復活の秘訣は何でしょうか!」

「トレーニングです。いかなる困難も努力で覆す、それがミホノブルボンの走りですから」

 

 

 頼むわ、マジで。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「ぁーっ……」

「トレーナーどうしたんです?」

「ああ、毎年恒例のやつよ」

「今年は何通の応募が?」

「52……」

「結構減りましたね」

 

 

 その日の夜。私はパソコンを前に倒れていた。今日は三人とも泊まりに来ている。三人泊まりに来ると言っても、スズカはほぼ毎日だけど。次いでスカーレット。いちゃついてるカップルくらいの頻度でウオッカと口喧嘩をしては私の家に逃げ込んでくる。

 

 

「減ったんですか?」

「全然100通とかあった時もあったから。見てみる? 動画が付いてるのがあるのよ」

「確認しましょう。スカーレットさんのような才能の持ち主がいる可能性もあります」

「うわびっくりした……褒めるなら褒めるって言ってからにしてください」

 

 

 寝転がる私を退かして、三人でパソコンに陣取る。操作役は正面に座るスズカ、当然触れられないのでその右にちょこん座りのブルボン、飲み物を持っているのでパソコンからは離れ、スズカの左後ろにしゃがむスカーレット。

 

 一応チーム申請メールはチーム宛のものなので、規約上はチームメンバーなら見ても問題はない。それに、私が見てもただ見下してしまうだけで誰も幸せにならないので好きにやらせることに。

 

 

「ありますかね?」

「たぶん。割とみんな動画ごと送ってくるから……あ、ほらあった。こういうの」

 

 

 必須ではないにしろ、チーム申請や逆スカウトなんかだと動画やら自己アピール文章やらは定番だ。特に私に応募するようなのはありとあらゆるアピールをしてくる。三人がそれを開いた。

 

 

「おお……結構画質良いんですね。もうちょっと適当かと思ってました」

「ちなみに撮影申し込みの窓口はトレセンにあるし、調べれば出てくるし、新人の中では有名よ。スカーレット知らないの? 染まっちゃったわね」

「……!?」

「あーあ、スカーレットさんが初心を忘れちゃった」

「スカーレットさん……」

「待ってくださいよ! 良いんですよ私は! 最初からエルナトに決めてましたし! 迷ってなんかないですし! あと後でトレーナーは殴るから面貸しなさい」

 

 

 それが女の子の台詞? 

 

 

 ともかく。映像内ではとある一人の栗毛のウマ娘が走っていた。なるほどなるほど。そういえば、私が新メンバーをとらないのは栗毛のウマ娘が性癖だからって根も葉もない噂をネットに流した奴は後で殴るから面貸せ。

 

 

「なるほど」

 

 

 しばらく走って、1200mを走りきったところで映像が終わる。集中していたブルボンがふむ、と首をかしげた。

 

 

「何か解ったの?」

「恐らく脚質があっていませんね。もっと脚を使い続ける走り方が適正でしょう」

「そうですか? 芝が合ってないだけだと思うんですけど」

 

 

 まあ、正直な話三人に比べたら私と出会う前の段階と比べても数段劣る、その他大勢に属するような子ではある。しかし、そういう子達はそもそも走る場所や走り方を間違えている場合も多く、そこを改善すると運次第で勝てたりもするのだ。

 

 ただし、それを見抜けるトレーナーに巡り合えれば。これがトレセンの闇なのよね。

 

 

「はぇ……ぜんぜんわからない……」

「マスター。いかがでしょうか」

 

 

 ん……どれどれ。

 

 あー……うん……その、正直なんか言うような適性ではないかな。ただ、まあどちらが合っているかというとそれは、

 

 

「ブルボン」

「勝利しました。冷蔵庫に保管されているスカーレットさんのにんじんプリンを要求します」

「は!?」

「勝者ですから」

「ぐ……次行きますよ!」

 

 

 え? その勝負受けるの? 

 

 

「じゃあこの子」

「む」

「……ふむ」

 

 

 突然に勝負が始まってしまった。ノーリスクでプリンを強奪されたスカーレットも、勝負に気を取られ何故か納得してしまっている。交渉は勢いの方が大事ということね。続いて、ダートを走る鹿毛のウマ娘。

 

 

「適正です」

「距離が短いと思います! もっと長く走れるわね!」

「たのしそう……?」

「うーん……ブルボン」

「やりました」

「なんでよ!!!!」

 

 

 机を殴……ろうとして、パソコンがあるので思いとどまり頭のところでわちゃわちゃやり始めるスカーレット、かなり勝ち誇るブルボン。ふふん、とでも言いたげに私の方に寄り掛かってきたので、頭を撫でてあげる。お風呂あがりの良い香りがする。ブルボンは私やスズカと同じシャンプーだけど。

 

 

「ん……」

 

 

 顔はあんまり見えないけど、恐らく目を細めてさらに寄り添ってくるブルボン。ブルボンのウマ耳も即座に私を避けるようになってきている。起き上がり、どうせパソコンには触れられないブルボンを隣に座らせる。膝枕で撫でを継続しつつ、第三問。なお第二問ではスカーレットは今日のおやつにデパートで買ったケーキを徴収された。

 

 

「くっ……」

「分析完了。発表してもよろしいですか」

「待ってください!」

 

 

 本当に悔しいのだろう。かなり理不尽を押し付けられてはいるが、何故か受け入れて腕を組んで考えているスカーレット。いや実際、『見る目』で負けたのはかなり響いたようで、ウマ耳を絞ってしまっている。

 

 

 スズカやブルボンは走ることにしかプライドが無い。二人とも、走ること以外で……後はまあ、スズカは私関連以外では何を言われてもムキにはならない。しかし、スカーレットの勝ち気は森羅万象に適用される。

 

 そして、いわゆる『お勉強』ではブルボンには絶対に勝てない。つまり、頭脳面でブルボンに勝つにはそれ以外の部分である必要がある。それこそ今やっているようなもの。知識100ではなく、思考や経験の余地があるものでないとブルボンには勝てない。ブルボンに至ってはその気になれば教科書を自力再現できるんじゃないかというレベルで覚えているし。

 

 

「どうぞ」

「……適正です」

「距離短縮及び芝への転向が必要です。いかがですか、マスター」

「ブルボン」

「はァ!?」

 

 

 どうやら『見る目』はブルボンの方があったらしい。なんでだろうね? 二人とも別ベクトルで他人への気遣いはできていると思うけど。

 

 

「ほぇ……」

「あなたは本当にさっきから可愛いのね」

 

 

 そして何一つとして解らないスズカ。悔しさに狂ってしまったスカーレットがブルボンを持っていってしまったので、代わりにスズカを持ってくる。後ろから抱いて羽交い締めみたいに手を回しぽんぽんと胸元を叩く。スズカも手を重ねて押し付けてきた。

 

 最初から、スズカに解るわけがないと思っていたけどね。他人の適性なんて興味もないだろうし、走りにだって関心はないだろう。

 

 

「全然解らないですけど」

「でしょうね。あなたには永遠に無理よ」

「うぅ……」

 

 

 土台スズカには無理なこと、悲しむ必要すら無い。しかし、どうやらスズカは何かが気に入らない様子。唇を尖らせてこちらを見上げてきた。

 

 

「でも将来サブトレーナーになるかもしれませんし……」

「サブ? 誰の?」

「トレーナーさんの」

「スズカにトレーナーは無理でしょ。サブでも」

「む……」

 

 

 一緒に暮らせばそういうこともあるだろうけどね。向いてないわ。もっと他人……もしくはレースに興味が持てるようになったらかな。

 

 

「次この人で行きましょう!」

「……より脚を溜める動きが適性でしょう」

「私は! ………………し、芝じゃなくダートが向いてると思いますけど!」

「ブルボン」

「あああああああ!!!!」

「スカーレットさん脊椎が、振動で脊椎が折れます」

 

 

 ブルボンをぐわんぐわん揺らすスカーレット。なお、最終的に賞品は全て返還となった。ブルボンによるジョークだったらしい……それを受け入れられずスカーレットが何故かごねたのはまた別の話だ。




4月には天皇賞(春)と桜花賞、5月にはスズカの誕生日と目白押しなので、時間が飛ぶ可能性もあります。


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脳が壊れるミホノブルボン

 

「実際どうなんですか?」

「何が?」

「新メンバーの話」

 

 

 委細省略。記録者、ミホノブルボン。本日マスター不在につき、エルナトメンバーのみでのトレーニング中です。私とスカーレットさんのトレーニングは終了し、スズカさんのみが逆さ吊り腹筋をしている状態です。

 

 筋力持続トレーニングであり、マスターの監視もありませんのであまり負荷は高くありません。スズカさんも重りやギプスは着用していませんし、特に話し方に違和感が生まれるほど負担でもないようです。

 

 

「入れないでしょ。トレーナーさんのことだし」

「へー……やっぱりスズカさんがいるからですか?」

「どういう意味?」

「手がかかるから……」

「そんなこと……ない、とは思うけど……」

 

 

 スズカさんが首を傾げます。マスターの手間……であれば、我々は皆通常のウマ娘に要する以上の管理が必要ですから、負担は大きいのでしょう。そのためにマスターが新たな担当を加入させられないのであれば、早急に改善する必要があります。

 

 

「そもそも入ってほしいの? 私はそんなに、増えてほしくはないけど……」

「どっちでも良いですけど……後輩がいると何か変わるんですかね」

「マスターの手間が増えるか、あるいは我々への管理に費やす時間が減るかのどちらかでしょう」

「減るのは確かに困りますけど」

 

 

 スズカさんのトレーニングが終了し、通常通りスカーレットさんが片付けを始めます。マスター不在時の後処理は当番制だったはずですが、いつしかスカーレットさんに全て奪われていました。スズカさんには報告等の役割がありますので、私だけ何もせずただいることになります。どうもこれではいけないとは思うのですが、事実として機械には触れられませんし、雑用についてはスカーレットさんが『やりたい』と言ってこうなっているのですから仕方がありません。今度マスターに直訴の後何かのタスクを頂きましょう。

 

 

「後輩がいるってのも成長に繋がるかなって」

「そうなの? たくさん走れば速くなるじゃない」

「スズカさんはそうかもしれないですけど」

 

 

 そのまま更衣室へ向かいます。ここでも一人だけ脱衣の早いスズカさんが、スマートフォンでトレーニングの報告をしながら呟きました。

 

 

「それにね、私も二人の時より過ごす時間が少なくなったなあって……思う……わよ?」

「なんで自信無さげなんですか」

「うーん……なんかよく考えると減ってないなあって……」

 

 

 普段通り体型について哀れまれつつシャワールームへ。衝立越しに真ん中が私、左側にスズカさん、右側にスカーレットさん。洗う順番は体、頭、顔です。

 

 

「二人のおかげでトレーナーさんの距離感が前より近付いたような気もするし。前より頻繁にトレーナーさんの家に泊まってるなあって」

「泊まるというか住んでるじゃないですか。スぺ先輩も何も言わないし」

「スぺちゃん、もう私のベッドをお泊りベッドだと思ってるから……」

「ブルボン先輩シャンプー終わりました?」

「終わり……ぁぅっ」

 

 

 し、視界エラーにより衝突……視覚器官から泡を取り除いて……ぐわっ。エラー、エラー……鈍痛……

 

 

「先輩!?」

「動かないで。今行くから」

「今行くからじゃないですから! 裸裸!」

「誰も見てないわ。見られたってウマ娘しかいないんだし」

「そういう問題ですか!?」

 

 

 スズカさんの助けにより視界回復。お礼と共にボディーソープを頂きます。リンスインシャンプーをスカーレットさんに渡し、彼女の持っていた洗顔フォームをスズカさんへ。

 

 

「今度シャンプーハットとか買う?」

「待ってくださいスズカさん。私が幼児同然であるかのように聞こえます」

「手遅れじゃないですか?」

「スカーレットさん?」

 

 

 幼児ではありません……オペレーション『一人でお留守番』も可能ですし、一人で真っ暗な部屋で眠ることもできます。自分の精神がライスやフラワーさんより幼いことは間違いありませ──いや、飛び級のフラワーさんより低いのはどうなのでしょうか……? 私ももう製造から十八年……いえやめましょう。私の性質も私の個性であるとマスターも言っていましたから。

 

 

「今度買いに行きましょうね」

「必要ありません。偶然です」

「いやそんな話じゃないんですよ。新人の話です」

 

 

 シャワーを終えて更衣室に戻ります。こちらもスズカさんの着衣が最も早いのですが、スズカさんは髪や尻尾が濡れている状態で風を受けると死ぬのでドライヤーの時間が異様に長くなっています。雨天走行は問題無いようですが、果たしてそこに何の違いが……? 

 

 

「うーん……まあでも、二人はともかく他の子が来たらたぶんもっと時間が減っちゃうと思うし、来て欲しくはないかな……」

「私達二人は良いんですか?」

「…………まあ、まあ。良いわよ。うん……」

「スズカさん?」

 

 

 黙り込むスズカさん。やはり我々は邪魔なのでしょうか。確かに、マスターの関心を三分してしまったことは間違いないのですが……スズカさんも、私達を後輩として認めてくださっていたと思っていたのですが……

 

 

「あっブルボンさん待って。違うの。本当に微妙なの。だから泣きそうな顔はやめて」

「何のフォローになってたんですか? 今の」

「違うの、トレーナーさんの時間が減ったのは間違いないし、二人のせいでトレーナーさんの傷が増えちゃったのは間違いないんだけど」

「何も違わなかったですよね?」

「でもその、それはトレーナーさんも解ってやってることだし、二人のおかげでトレーナーさんの鎖が増えたから、そこは感謝してるの」

「ええ……怖……」

 

 

 しばらくスズカさんの乾燥を待ち、チームルームに戻っていきます。幸運にも人気がありませんので、スカーレットさんも気を張らずに話すことができているようです。

 

 

「だから、追い出そうとかは思ってないから信じて? 本当に」

「何も信じられないんですけど……」

「あの、えっと……でもほら、ふ、二人も想像してみれば解るわ。チームメンバーが増えて、トレーナーさんが構ってくれなくなったときのこと」

「……いや、別に……」

「考えてみてブルボンさん。ブルボンさんなら解るわよね。ブルボンさん一人がメンバーとして、専属トレーナーとして接してくれるトレーナーさんのこと……」

 

 

 シミュレーション開始。チームメンバーの増加、マスターからミホノブルボンへの興味関心の低下を考慮するべく、現在の理想から修正を試みます。

 

 

 

 

『マスター。オペレーション『坂路5000兆本』を終了しました。バイタル、オールグリーン。問題はありません』

 

『凄い! 偉いわブルボン! 流石私の誇りの三冠ウマ娘よ! 褒めてあげるわ、こっちにいらっしゃい。さあブルボン、私の愛バね!』

 

『ありがとうございます──』

 

 

 

 ──なるほど。これは……

 

 

「でも、人が増えたらその時間が減るのよ」

 

 

 

『すみませーんトレーナーさーん! ちょっとご相談があるんですけど……』

『トレーナーさん! 練習見てください!』

『トレーナーさん! マッサージお願いしまーす!』

 

『あ。ごめんねブルボン。期待の才能溢れる後輩達のことを見てあげなきゃ。ごめんだけど一人でダウンしといて! じゃーね!』

 

『いえ、あ、あの……』

 

 

 

 …………???? 

 

 

 

「ブルボンさん? ブルボンさーん」

「あーあ、フリーズしちゃった。スズカさんが変な想像させるからですよ」

「再起動する?」

「ふふっ……あんまり機械には良くなさそうですけど……」

「まあ大丈夫でしょ。ぽちっと。シャットダウンっ」

 

 

 ミホノブルボン、シャットダウン。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「起動っ」

「ミホノブルボン、起動します」

 

 

 起動。バイタルチェック──正常。現状認識。ここは……カフェテリアでしょうか。

 

 

「あ、ブルボン先輩。パフェ買ってきたんですけど、デラックスとスペシャルとキャロットどれが良いですか?」

「キャロットで」

「じゃあこれどうぞ」

 

 

 目の前にキャロットパフェが置かれます。カフェテリアの看板メニューにして一番人気メニューです。スズカさんがスペシャル、スカーレットさんがデラックスを取って食べ始めます。

 

 

「何故カフェテリアに?」

「甘いもの食べたいわねって話してて。ちょうどブルボンさん倒れちゃって、近かったから……」

「倒したのはスズカさんですけどね」

「でもこれで解ったでしょう。人が増えるのは大体嫌なの。例外はあるけど」

 

 

 ……甘くて美味しいです。

 

 

「じゃあ後輩無しですか……? ちょっと楽しみにしてるんですけど私。後輩への指導とか、一緒にトレーニングとか」

「スカーレットさん、それは……」

「私の指導能力が低いと思われるのも嫌ですし」

「……そうよね、スカーレットさんはそういう感じよね」

 

 

 普段の発言権や行動の決定権はそのほとんどがスカーレットさんに支配されています。私は自発的な行動を得意としていませんし、スズカさんも一定の事項の他は興味を持っていませんから。

 

 しかし、新メンバー勧誘はスズカさんにとってその『一定の事項』に該当するといえます。よって、スズカさんが拒否している限り、新メンバーは加入しないのでしょう。マスターも、スズカさんの意思に反することはしません。

 

 

「後輩を教え導く素敵な先輩って良くないですか? そういうのに憧れますよね。身近にはいないので」

「私は……?」

「導かれたとは思ってますけど教えられた覚えはないです」

「スカーレットさん。私は教えています」

「勉強をですね。レースの話をしてるんです。そもそも勉強も全部覚えろとしか言われてないですよ」

 

 

 む……定期試験であれば、教科書と授業のノートを全て暗記すれば問題はないと思いますが……

 

 

「また体験とかできないですかね」

「良いけど……耐えちゃう子がいたら困るわ。二人みたいなのはそうそういないと思うけど……」

「でもみんなで厳しくやるってことなら私達無制限に走れるんじゃないですか?」

「っ……そ……ふーっ…………」

 

 

 葛藤するスズカさん。私とスカーレットさんのトレーニングに他のウマ娘がついてこられるはずがない、という確信はあります。スズカさんも理解してくださっているでしょう。

 

 つまり、一時的にメンバーが増えようが、恐らくは脱落するでしょう。しかし万が一、耐え得るウマ娘がいたら参加することになります。マスターのトレーニングとそれに耐え得る身体があれば結果は残せるわけです。私ですら三冠ウマ娘になれたのですから。

 

 

「スズカさん?」

「今すぐ電話するわトレーナーさんに」

 

 

 スズカさんは本当に電話を始めました。したり顔で胸を張り、スズカさんのパフェを掬うスカーレットさん。何だかよく解りませんが、とにかく特別メニューの実施ができそうです。素晴らしい。

 

 

『い、いきなり何? 今ちょっと会議終わりで急いでるんだけど。長引いちゃってちょっと……』

「体験を許可してくれたらお手洗い行って良いですよ」

『意味が解らない……突然何?』

 

 

 今のうちからカロリーを大量に摂取しておきましょう。さしあたってはお代わりのパフェを注文します。太り気味……は、怖いので控えめに。大阪杯もありますから。




次回か次々回、桜花賞。


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幸せを掴むサイレンススズカ

不自然に感じたあなたは自然です。


 

 ある日。久しぶりにスズカと二人きりで、家でゆっくりする時間がとれていた。つい最近炬燵を片付けたリビングで、ソファに座る私の膝に寝転ぶスズカ。流れた髪を指に絡ませつつ、さして興味もないテレビを眺める。今日も変わらず、ゴールデンタイムはグルメかクイズが多かった。

 

 

「スズカこれ読める?」

「『きょなん』ですかね」

「へー……よく読めたものね」

「そういうサービスエリアがあるんですよ。一回行ったことあるので」

「……千葉にあるらしいけど。しかも田舎の方じゃない? これ」

「日本に私が走っていないところなんてほとんどありませんよ」

 

 

 よく考えるとかなり恐ろしいスズカの台詞は流して、マグカップのはちみーを少し。スズカも欲しがったのでストローを入れて差し出す。そろそろ飲み終わりそうだし、お代わりを取ってこないと。

 

 

 まあ、私と出会ってからも頻繁に走っているし、出会う前はそれに輪をかけて走っていたわけだから、まあギリギリ理解できなくはない。それにしても、とは思うけど。

 

 

「それよりトレーナーさん。明日なんですけど、お日柄も良いので走ってきても良いですか?」

「明日は仏滅だけど」

「でもフクキタルは縁起が良いって言ってましたよ」

 

 

 番組をほとんど見ず、そこそこ流れの速いウマッターを眺めるスズカ。仲の良いウマ娘や交流のあるウマ娘、それから謎フォロバにより厳選された一部のヒト。そのおかげか、彼女のタイムラインはインターネットにしてはやたらと治安が良い。

 

 たまに返信をしたりしなかったり。友達には割と返信をするようにはしているらしいが、まあ、そちらは別に個別に連絡先を知っているわけで。どちらかといえば、ウマ娘同士がパブリックで交流を持っていることそのものがファンサの一種なのかもしれない。

 

 

「あの子神社の娘でしょ? シラオキ唯一神じゃないの?」

「フクキタルは割とオカルトなら何でも良いと思ってるので良いんじゃないですか」

「そんなことある?」

「神社で神様面する子ですよ。今さらです」

「辛辣ゥ」

 

 

 まあ、お互い迷惑をかけあってるんだし構わないか。どっちが正しいとは言わないけど、少なくとも彼女らはこれで良いんだろう。ところで、凄く自然に言ったけど、この子明日レースなのよね。

 

 

「じゃあ明日レースだからってトレーナーさんに何かあるんですか? 言っておきますけど、控えろとか言ったらいくら私でも怒りますよ」

「言うわけないでしょ。普通に走れば勝てるのに作戦を立てて歪めてどうするの」

「……んふふ。ですよね」

 

 

 そう言わせたいだけでしょ、とは思ったがぐっと飲み込む。可愛いので大体のことは許せるし、スズカも私のことが大好きなので許してくれる。ちら、と目線だけでこちらを見上げる彼女に胸がくすぐったくなった。

 

 

「好きに走りなさい。あなたが一番速いんだから」

「……ん、良いですよ。ランニングの許可をくれたら許してあげます」

「ああ。それでも無条件では許してくれないんだ……ん? 今私何かした? 何も悪いことしてないよね?」

「バレた……」

「バレた、じゃないのよ。適当に押し切ろうとしないで」

 

 

 まあ、何の心配もいらないだろう。スズカのことだ、負けるはずがない。何がどうあれ、速度そのままに走るだけで誰も追い付けないのだ。背中からうなじ、後頭部まで丁寧になぞって撫でる。そのまま起こすと私の首に腕を回し、再び私ごと寝転がる。

 

 

「いくらでも言ってほしいですから。明日のレースも私は勝てますよね」

「もちろん。絶対に勝てるわ。スズカだもの」

 

 

 ご機嫌に口角を歪めるスズカ。んふふ、と笑う彼女に口付けを落とす。優しく私の頬を挟んで数秒受け入れると、彼女はそのまま眠りに落ちていった。

 

 

 

 ────

 

 

 

『──あ、ご、ゴールイン! 今ゴールインしました! 一着はサイレンススズカ! サイレンススズカです! 後続はいまだ最終コーナーを抜けたところ! 信じられません! 歴史に残る大差となりました! タイムオーバー対象者がいないことが幸運とも言えるレースでした!』

 

 

 翌日。スズカはあまりの大差にレース中盤から実況が黙り込んでしまうほどの圧倒的な力を見せつけ、全てを置き去りにしてGⅠをぶっちぎった。後続がまだ走っているなか観客から拍手で迎えられる異次元の逃亡者を、私は涙ながらに眺めていた。

 

 

「トレーナーさんっ」

「スズカ!」

 

 

 歓声すらあがらない、風の音しか存在しないターフを駆け抜けたスズカが戻ってきて、扉を開けるとすぐに私に飛び付いた。その勢いで鼻先をくっつけ、唇を軽く合わせてから、ドキドキと身体が跳ねるような鼓動を腕のなかで落ち着ける。大逃げ直後のスズカの体温で私の心臓は煩くなるけど、それはともかくとして。

 

 

「気持ち良かったです……」

「良かった。素敵だったわスズカ。惚れ直した」

「ふふ……良かったです、私も大好きですよ、トレーナーさん」

「もちろん、私も。大好きよスズカ」

 

 

 少し崩れた化粧がスーツに付いた。人目につくからあまり派手なことはできない。だけど、さっきの走りを見て、やっぱり私はスズカのことを愛していることに気付いてしまっていた。今すぐに拐ってしまいたい。ライブでのファンサービスすらもやもやするくらいに。

 

 

「……? どうしました? トレーナーさん」

「ううん。何でもないの。でも……スズカ。今日は夜、どこかに出掛けようか」

「…………はい。楽しみにしていますね」

 

 

 だけど、スズカは私のものだ。誰にも渡せない。

 

 

 ────

 

 

 

 スズカとの夜のデートは、結構早くに終わることが多い。彼女はお酒が飲めないし、夜になれば行けるところも限られてくる。食事も私とは量が合わない。

 

 

「~~♪」

 

 

 だから、少し遊んで、ご飯を食べて、その後はこうなる。お気に入りのランニングウェアに身を包み、準備運動をするスズカ。しなやかで細い身体が伸び、縮むたびに期待にウマ耳がぴこぴこと振れる。

 

 フリーランニングだ。やはりこれが一番良い。スズカはたくさん走れて幸せ、私もスズカが幸せで幸せ。誰も損をしない。

 

 

「じゃあ、行ってきます、トレーナーさん」

「ん。気を付けるのよ」

 

 

 頬にいってらっしゃいのキスをして、アスファルトを抉って駆け出す彼女を見送った。一瞬遅れて吹き荒れる土埃に身体を持っていかれそうになりながら、一歩目からトップスピードの天才を見ながら、私は車のトランクを開けた。

 

 

 

 ────

 

 

「あ、トレーナーさん。やっと来た」

「速いのよスズカが。これでも飛ばしてきたのよ」

「気を付けて運転してくださいね」

 

 

 あなたに言われたくない、と額を小突く。夜景の見える小高い丘のベンチに、スズカは座って待っていた。隣に座る。

 

 

「長生きしてほしいですからね」

 

 

 たらふく走った後だからか、普段の数百倍可愛い。上気した頬、静かに上下に揺れる肩、囁くような声。やっぱりダメだ。私、この子が好き過ぎる。

 

 ──本当に、あなたのことを愛してる。

 

 

「ねえ、スズカ」

「はい」

 

 

 ばくん、ばくん、と暴れる心臓に気付かれないように、スズカには触れない。少しでも冷静に見えるように大きく息を吸った。

 

 

「結婚、しようか」

 

 

 

 

 

 

「……やっとですか? 私、ずっと待ってたんですけど」

「……うん、ごめんね」

 

 

 言いたいことは言えたから、今度はぎゅっと抱き締める。すぐに、スズカも手を回して抱き返してくれた。そして、思った以上に軽く頷く。

 

 

「じゃあ、結婚しましょう」

「……スズカ、私、重いよ」

「良いですよ」

「凄く束縛するよ」

「良いですよ」

「すぐに嫉妬するよ」

「良いですよ」

「スズカが私のことを嫌いになっても、私はずっと好きでいるよ」

「嫌いになんてなりませんよ」

「一生スズカの隣にいるよ」

「良いですよ。……まだ、何か言いたいことはありますか」

 

 

 

 

 

「あなたを愛しているわ、スズカ」

「はい。私もですよ」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

「おいで、スズカ」

 

 

 スズカに手招きして呼び止める。まさか、そのまま寝られると思っていたのだろうか。

 

 

「……その、一回良いですか? 埃っぽいですよ私」

「それでも良いの。早く来てスズカ……待ちきれないの」

「しょうがないですね……ふふ。悪い人ですトレーナーさんは」

「スズカが可愛いのが悪いんでしょ」

 

 

 手を引いてベッドへ引き込む。薄暗い自室。超至近距離に来るまで表情ははっきりとは見えない。だけど、息がかかる距離で向き合えば、柄にもなく照れで顔を赤らめるスズカの姿が映る。ぷちん、と脳内で何かが切れる音がしたその瞬間! 耳を貫く轟音と共に窓ガラスが割れ、数人のウマ娘がもつれるように飛び込んできた!!!! 

 

 

「!?」

 

 

「スズカさん!!!!!!!! 今日のカフェテリアのパフェはメロンですよ!!!!!!」

「スズカ!!!!! おいスズカ!!!!!! 見てくれ!!!! 綺麗な花が咲いたんだ!!!!! 見ろ!!!! 

「た゛い゛へ゛ん゛て゛す゛スズカさん!!!! 今日のスズカさんは大吉です!!!!! 全てが上手くいく素晴らしい日ですよ!!!!!」

「しゃいっ!!!!!!!!!!!!」

 

 

「!?」

 

 

「スズカ見て!!!!! ほら!!!!! 結婚式しよ結婚式!!!!!!」

「結婚式!!!!????? マスター!!!!!! 余興モードに移行します!!!!!!!!」

「余興も私が!!!!! 一番なんだから!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

「!?」

 

「あ、起きた。どうしたの? 珍しいわね、スズカが魘されるの」

 

 

 四月も一日、早速春の温度が部屋を包み、暖かな小春日和の中でうたた寝をしていたスズカが、突然にぱちんと目を見開いた。さっきまで顔をしかめていたのだけど、悪夢か何かからやっと脱出できたって感じかしらね。

 

 

「……!?」

 

 

 私の膝で寝て起きて、まず辺りを見回すのは今までにない行動ではある。普段はまず私の方を見るからね。

 

 

「……あの、トレーナーさん?」

「ん?」

「えっと……ん、ん? あら? んー……」

 

 

 何かを語ろうとして、忘れてしまったのか首をかしげるスズカ。コーヒーでも飲む? と差し出すも、やはり砂糖を入れていないものは拒否されてしまった。というか、飲む余裕すらなかったきらいすらある。

 

 まあでも、顔をしかめるといっても苦しんでいる様子ではなかったし。よく友達に振り回されている時の可愛い困惑顔だったから、起こさずに眺めてしまっていたわけだし。

 

 

「どうしたの?」

「……何でもないです。ちょっと……はぁ……ごめんなさい、走ってきます……」

「え? ダメだけど」

「お願いしますぅ……」

 

 

 何やら疲れきったような顔でねだってくるスズカ。これは珍しい。欲望が感じ取れないまである……なんかちょっと怖いかも。今日は特別に許可しようかな。

 

 

「夜遅くなる前に帰ってくるのよ」

「あ゛ぃ゛……」

 

 

 走れるというのにテンション低めのスズカ。普段からは考えられないスピードで着替えて、そのまま部屋を出ていった。どんな夢を見たらそうなるの。相変わらず何を考えているんだか……

 

 ……スズカが何を考えているか解らないって認めるの嫌だな。スズカのことだもんな。親を除けば世界で一番私が詳しい……ああ恥ずかしい。何言ってるんだろ私。仕事しよ。




次回、桜花賞。


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一番最初の、ダイワスカーレット(桜花)

前も言ったような気はしますが、『基本的に』ネームドウマ娘はそれぞれにトレーナーがいて、限りなく個別ストーリーに近いようなことをしています。スペちゃんとライスだけは違いますけど、これはスズカやブルボンから来る歪みです。


 

 桜花賞。それは、ティアラ路線のウマ娘が目指す三冠──トリプルティアラの一冠目にあたるクラシックレースだ。

 

 皐月賞から始まるダービー路線に比べ、オークス路線は伝統的にレベルが低いと言われている。数字の上でもそうだし、3000mまでが求められるということから生まれるイメージからしてもそうだ。

 

 時に、オークス路線の一流ウマ娘はダービー路線の二流ウマ娘にすら勝てない。男尊女卑思想と結びつき、いつしか完全に隔絶したものとして扱われ、ダービーを含む路線は王の『冠』に、オークスを含む路線は王から一段落ちて女王の『ティアラ』に位置付けられたとか何とか。単に『三冠』と言った時も基本的にはダービー路線のことを指す。

 

 

 まあ、ティアラウマ娘の方がレベルが低いのは間違いないし、距離適性が短めだと軽く見られがちというのも否定はできない。世間の風潮に何かを言うつもりはないし、長い距離を走れた方が強そう、短い距離を速く走る方が華麗、というイメージもよく解る。

 

 

 しかしその一方、私からすれば二つはあんまり変わらないと言って良い。歴史や権威なんて教科書で習った知識以上のものではないし、ダービーとオークスは一律に中距離としかこの目は認識しない。1600mに求められるスピードと3000mに求められるスタミナのどちらに価値があるかなど知ったことではない。

 

 別に一年に二人三冠チャンスが与えられると思えばむしろ良いことでは? とすら思う。ダービーとオークスなんて開催条件は同じじゃんって感じで。何が違うわけ?

 

 

「トレーナー。ストレッチ終わったわよ」

「ん。じゃあ少しそこに立ってて」

「了解」

 

 

 それに、私の目の前には例外が立っている。青と白の礼服ドレスに身を包んだ出走前のスカーレット。最初から悩むことなくティアラ路線を選択したスカーレットが、果たして三冠路線に負けているか、というと、そんなわけがない。

 

 スカーレットは傑物だ。それこそ、スズカやブルボンよりも圧倒的にレースへの才があり、それを活かす頭と情熱がある。同世代でこれに勝てるウマ娘がいるはずがない。目に映るステータスによれば、完全に抜け出して追い付けない領域にいるはずだ。

 

 

 スピードC

 スタミナE+

 パワーD+

 根性D

 賢さD+

 

 

「……ん。体調もバッチリね。スカーレットはどう? 何かおかしなことはある?」

「アンタが無いって言うなら無い。あっても気のせいでしょ」

 

 

 阪神JFを回避したことで、スカーレットの勝負服は秋から半年に渡り封印されてきていた。見てしまったら後悔するかもしれない、それは嫌だから見ない、とのことだった。

 

 そして今、スカーレットはそれを着て立っている。仕上がりは完璧、誰にも負けないトリプルティアラ納得のステータスを誇っている。胸を張るスカーレットの首筋に触れ、驚くほど静かな脈拍を爪で弾く。

 

 

「流石ね」

「そうでしょ?」

 

 

 だが、今回ターフにはウオッカがいる。あれは怪物だ。シンボリルドルフやナリタブライアン、エルコンドルパサーのような暴力的な才能を持つ、歴史に残るスーパーウマ娘がウオッカだと思う。

 

 ちらり、と印刷してあった資料に目をやる。昨日スカーレットにビデオ通話をさせて見たステータスが書かれている。

 

 スピードC

 スタミナD

 パワーC+

 根性D

 賢さC

 

 

 やはり信じられないステータスだ。完全にどうかしている……どころか、スカーレットを超えている。唯一スピードだけは同格ではあるが、それも誤差レベルでしかない。

 

 ステータス効率ならば、この学園に私より上位のトレーナーはいない。にもかかわらずこの体たらくは何? スカーレットだって去年のブルボンより強いのよ。

 

 

「……じゃあ、そろそろ私行くから」

「ん。頑張ってね」

 

 

 私の両手を掴み、自分の頬に当てるスカーレット。滑らせるように俯いて、大きく息をついて、向き直る。

 

 

「トレーナー。トレーナーの目から見て、私はどう見えてる? 私はこれからどうなっていくと思う?」

 

 

 まっすぐ見つめるスカーレット。長い睫がぱちぱちと数回瞬いた。目を合わせて、私は覚悟を決める。

 

 

「あの中で、ダイワスカーレットは抜けていると思う。こんなことを言ってはいけないけど、手を抜いたって勝てるほど実力は隔絶してる」

「……それで?」

「だけど、ウオッカは別よ。あれは格が違うわ。はっきり言って、後世に名が残る強者はウオッカで、ダイワスカーレットはそのライバルとして語られることになる、ってそれくらい違う」

 

 

 嘘をつくなとスカーレットが言っている。スカーレットのことを信じていることと、どう評価するかは別のこと。私ならなおさら、真実を告げる。それを聞いても、スカーレットは表情を変えなかった。少し視線が下にぶれただけで、すぐににっと笑った。

 

 

「そうよね。ありがとう」

 

 

 きしし、と歯をくっつけて笑うスカーレット。ごつん、と私に額をぶつけ、怯んだ私に縋るように抱きついた。

 

 

「じゃあアンタはどう思ってる? このアタシが後世、どう名を残すと思う?」

「無敗のトリプルティアラウマ娘でしょう、もちろん」

「……ふふ。任せときなさいよ。アンタを史上唯一のダブル無敗三冠トレーナーにしてあげるわ」

 

 

 ぽんぽんと私の胸を叩いて、スカーレットは歩き出した。

 

 

「期待して待っときなさい」

「……ん。いつも通り走んなさいね」

 

 

 控え室を出るスカーレットに、もはや不安は一切残っていなかった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「──来たかよ、スカーレット」

「──来たわよ、ウオッカ」

 

 

 ターフへの地下道。俺もスカーレットの勝負服は最近初めて見た。とことんこいつとは趣味が合わねえな。俺の後ろから歩いてくるスカーレット。俺より背は低いが、ガタイが良いしドレス型の勝負服はデカく見える。思ってた通り堂々と歩いてきやがる。

 

 

「お互い頑張りましょう」

「おう」

 

 

 追い抜かれないタイミングで俺も歩き出す。後ろのスカーレットは恐ろしく落ち着いていた。やっぱすげえよ。俺が阪神でアガってなかったのはコイツに誓ったから、ってのは否定できねえ。だが、俺は今回コイツに何も言っていない。

 

 やっぱりコイツに勝たなきゃならねえ。他に強いのはたくさんいる。今日の二番人気はマーチャンだ。スカーレットは三番。だけど、やっぱり。

 

 

 外の光が射し込んできた。歓声が聞こえる。俺とスカーレットの一戦目だ。俺が勝つ。箔はつけるだけつけてダービーに進む。ふっと息を吐いて光のもとへ駆け出そうとすると、後ろから、声が聞こえた。

 

 

「──ありがとうね、ウオッカ」

 

 

「……は?」

 

 

 ごく小さな、ウマ娘でもギリギリ聞こえるかどうか、歓声に掻き消されない寸前で、スカーレットは言った。

 

 

「……ああ」

 

 

 言い方で、その大きさで、その礼がスカーレットが苦手なタイプの礼ってのが解った。ちょっとからかってやるか。

 

 

「……何だよ、いきなり? 何か変なものでも食べたのか? それとも影武者か何かか。スカーレットがそんな素直に礼なんか言えるわけ──」

「アンタアタシのこと何だと思ってんのよ! あァッ!?」

 

 

 いけね。言い過ぎた。

 

 

「お礼なんか言ってないわよ! ただ、ただ……そう! 女王(アタシ)のためのティアラ防衛ご苦労様って! ね、労っただけだから!」

「それはそれでどういうこったよ」

「うるっさい! とにかく、後は全部アタシが引き継ぐから! アタシがみんなを引っ張って、残りのティアラも全て持っていくから! アンタはもうお役御免よ! 解った!?」

 

 

 顔を真っ赤にして逸らす。スカーレットとは深い付き合いだ。言いたいことなんてすぐに解る。コイツは知っているはずだ。俺にそれを頼んだことで何が起きたか。これから何が起こるか。

 

 

「おー、おー。上等だよ。はっ、俺もそこ(ハナ)で走るのは性に合わなかったんだ。むしろ清々したぜ」

 

 

 スカーレットより先に外に出てやるぜ。ムカつくからな。

 

 

「やっぱよ。強くてカッケーウマ娘は逆境を……向かい風を切ってこそだろ」

「今日の最終直線は追い風よ。アタシが逃げ切るためのね。カッコつけるならレース研究くらいしたら?」

「……追い風とも仲が良いんだよ俺は。どうだってお前に勝つことは変わらねえ」

「ふん。言ってなさいよ。主役(女王)はアタシ。今日のレースの中心もアタシなんだから」

「はん。さぞ気持ちいいだろうぜ、女王様を差し切って勝つのは」

 

 

 …………。

 

 

「舐めんじゃないわよ」

「舐めんなよ」

 

 

 ほとんど駆け出すようにして、俺達はターフへと出ていった。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

『さあ、各ウマ娘ゲートイン完了。18人、最後のゲートインは大外ダイワスカーレットです。花曇りの阪神レース場、咲いた桜に酔うも良し、ウマ娘達に酔うも良し!』

 

 

 大外枠。前に出るのはマーチャン含め三人か、四人くらい。アタシの勝利条件は少なくともウオッカの前にいること。トレーナーは、ウオッカに関してだけはアタシの方が上とは言わない。つまり、普通にスピード勝負をしたら負けかねない。いや、そうでなくても前脚質のアタシがウオッカと直線よーいどんはできない。これはアイツが前目につけてもそう。根本の瞬発力が違いすぎる。並ばれた時に粘る自信はあるけど、流石に後ろからは無理。

 

 でも、だからといって逃げに交じるのはリスクが高い。私は大外からになる。少なくとも真ん中のマーチャンと競り合うのはあり得ない選択肢だ。トレーナーは、アタシの強みは逃げと先行を自分の意思で選べることだって言っていた。ここは先行策の方が安全だ。抜け出すのは最後でも問題ない。

 

 だから、レース展開はこう。アタシは番手。大体三番か四番、できれば二番がベスト。ウオッカはもっと後ろ、少なくとも中団から。マーチャンは今回は競り合って逃げるから、ちゃんとプレッシャーを掛ければ追い抜くチャンスは必ずある。

 

 

『桜花賞、スタートしました!』

 

 

 まず、少し控えて番手に──

 

 

『まずまずのスタート。先頭争いは9番アマノ──いやこれは行った行った! アストンマーチャンが行った! アストンマーチャンがどんどんと前に出ます。つられて数人前に出ていく! これは苛烈な先行争いが起こりそうです! さあダイワスカーレットはどうする! ダイワスカーレット動かないか』

 

 

 番手に……

 

 

『これは中団からでしょう。ダイワスカーレット先行集団の少し後ろにつけました。ウオッカはさらに少し後ろ、今回は少し前目に控えています』

 

 

 ばんて……

 

 

『先頭から見ていきましょう、前に出たのはアマノチェリーラン、追ってすぐ後ろ、アストンマーチャン。一番人気ウオッカは中団前の集団、ダイワスカーレットがその前、ウマ込みに入れられて三番手集団から追います』

 

 

 

 ──アタシが、一番。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

『ここで上がっていきますダイワスカーレット。一気に先頭集団に並んだ。これは作戦でしょうか』

 

 

「あ、掛かった」

「やはり無理でしたか」

 

 

 委細省略、記録者、ミホノブルボン。本日、桜花賞。現在ミッションその一、『スカーレットさんの応援』を実行中。

 

 私の希望により、私とスズカさんは控え室のモニターではなく一般観客の観覧席に降りてきています。スカーレットさんに限って応援など不要かとは思いますが、このレースは彼女のトリプルティアラの栄えある一冠目となるものですから。

 

 レースは問題なく進み、スカーレットさんは直線で順位を上げていきます。道中で順位が変動するレースはエルナトでは新鮮です。

 

 

「無理だとは思っていましたが」

「何秒持った?」

「十一秒ほどです」

「頑張ったわね……」

 

 

 いつも通り、我々に作戦はありません。スズカさんはそのスピードに任せて無制限に加速するのみ、私はマスターに指示されたラップタイムを全力で遂行するのみ、そしてスカーレットさんも、基本とにかく前に出て彼女の勝負根性を活かすのみになります。どうせできないから作戦を考えるだけ無駄、だそうです。私も同意見です。

 

 

「掛かることでの影響はあるのでしょうか」

「さあ……? 速く走ったら早くゴールに着くから良いんじゃないの?」

「なるほど」

 

 

 しかし、その走り方と彼女の気性は相性が良くない、とマスターはおっしゃっていました。すなわち、彼女は賢いので作戦を立てて走ることを目指すし実際先行策への適性はあるが、だからといって番手に控え後を追うことを許容できるような性格ではない、と。難儀なものですね。

 

 

「あっ先頭……ッ」

「スズカさん。スカーレットさんの応援です」

「わ、解ってるわ……解ってるけど、あ、あぁっ、ぬ、抜かされちゃう、あぅ、ぁあ痛いっ!」

「スズカさん」

 

 

 本日のミッション、その二。先頭が入れ替わる度に周囲に威圧感を放ってしまうスズカさんを制止することです。『応援はしたいが、たぶん私は正気を保てない』というスズカさん直々のオーダーになります。薄い上着に隠し腕を後ろ手に掴んでいますので、捻り上げます。

 

 

「ブルボンさん……か、加減、加減……っ」

「応援してください」

「わ、解った、解ったから……もう大丈夫だから……」

 

 

 この『大丈夫』は、先頭の交代に掛からない、という意味ではなく、ついにスカーレットさんが先頭に立ったためここからは問題が起きない、という意味でしょう。しかし、当面の危険はないので手を放します。

 

 

「肘がおかしくなっちゃう……」

「最終直線です、スズカさん」

「はぁい……」

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 歓声が聞こえる。最終直線のステージに、アタシが一番乗り。誰より早くここに来て、誰より速く踏み出す。

 

 

『さあ最終直線に入りました! 先頭ダイワスカーレット! アストンマーチャン脚色は悪くない! 後続は射程圏内で差し切り体勢、そして一番人気ウオッカ外に出た! ここから勝負!』

 

 

 1600とは思えないくらい、アタシ、疲れてる。完全に息があがっていて、正直、脚もスタミナも残っていないような気がする。やっぱりダメだった。いつもそう。一回負けるくらい、一度しゃがむくらい、膝をつくくらい、受け入れられた方が良いのに。

 

 

「っらあぁぁあぁぁああっ!!!!!」

 

 

 ウオッカが来る。来る。来てる。差される。負ける。嫌だ。絶対に嫌。負けたくない。勝ちたい。勝ちたい勝ちたい勝ちたい。

 

 

「っあぁあああぁあぁあああぁぁっ!!!!!!!」

 

 

 負けてたまるか。アタシはダイワスカーレットなんだから。エルナトのウマ娘は先頭を譲ったら死ぬんだから。スズカさんみたいなスピードもなくて、ブルボン先輩みたいに冷静でもないアタシがコイツから逃げ切るためには、こんな、こんなことで……

 

 

『いつも通り走んなさいね』

 

 

 ……アタシの、アタシ達のいつも通りって、つまりそういうことよね。アタシ達、間違ってないわよね、トレーナー。

 

 最初から最後まで一番で走れば一着。最初から最後まで全力で走るのが一番強いに決まってる。そういう狂ったことを大真面目にやるのがアタシ達で、合ってますよね、スズカさん。

 

 

「あぁあぁああ゛あ゛ぁぁあ゛っ!!!!!」

 

 

 アタシはまだ走れる。スタミナが尽きたなんて気のせいですよね、ブルボン先輩。

 

 

『ダイワスカーレット粘る! ダイワスカーレット先頭! 外からウオッカ驚異的な末脚! しかし先頭、先頭は! 先頭はダイワスカーレット! 残り200を切った! まだ二バ身ある!』

 

 

 行ける。行ける行ける行ける行ける行ける。負けるはずがない。アタシの方が速い。アタシが一番強い。勝てる。絶対にアタシが勝つ。誰よりも強くなる。必ず、トレーナーとママと、どこかの世界のダイワスカーレットに誓ってトリプルティアラを勝ち取る。見ててよママ。

 

 

『逃げる逃げる! しかしここまでか! ウオッカ差し切るか! これは届くぞ! 今並びかけ──』

 

 

 絶対に、先頭(いちばん)は譲らない。

 

 

『いや! ダイワスカーレット譲らない! 譲らない! 半バ身から! 並ばない! 先頭は! ダイワスカーレット! ダイワスカーレット!』

 

 

 ────ッ! 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 

『ダイワスカーレット、逃げ切ってゴールインッ! クラシックで初のGⅠ制覇! 前年のミホノブルボンからチームエルナト、クラシック連覇です! 桜のティアラはダイワスカーレットに輝きました! 二着ウオッカ、素晴らしい末脚も半バ身届かず!』

 

 

 負けた。

 

 負けた、負けた。

 

 

 負けたァ! 

 

 

「あぁっ、クソッ!」

 

 

 俺の脚が悪かったか? 能力が足りなかった? レース展開が向かなかった? 作戦が狂っていた? 違う。事実マーチャンには勝った。その時点で、俺の走りがダメだったなんてことはない。

 

 

「っしゃあああっ!!!!」

 

 

 ただ単に、目の前で我と猫を忘れて叫ぶスカーレットの方が強かった。それだけじゃないか。それは受け入れないとならねえ。

 

 ……待てよ? 受け入れないと、だと? 

 

 

「……ダッセェ……」

 

 

 スカーレットと勝負するために、わざわざ桜花賞に来たのによ。とにかく挑戦すりゃ良いって考えは捨てて、出るからには結果をって思ったのに。どうして俺は納得してるんだ。ちょっとスッキリしてるのは何でだ。

 

 

「はあっ、はぁっ! はぁっ……! げほっ、ぇっ、げほっげほっ!」

 

 

 スカーレットは死に体でえずいている。お互いに全力を出したのは間違いない。そのうえで、届かなかった。粘られた。勝てる勝負だったとは言わねえ。だが、俺の方が有利ではあったはずだ。それなのに、負けて、死ぬほど悔しくて、だけど、何となくこれでも良かったんじゃないかと思う俺もいる。

 

 

 ……これはあれだな。嬉しいんだな俺。クラシックもそうだけど、ジュニアだって立派な『一生に一度』だ。ジュニアGⅠにしろ、最優秀ジュニアウマ娘の称号にしろ、二度と手に入らない。それを捨ててでもトレーナーについていったスカーレットは間違ってなかった。こうして俺の前に立ちはだかってきてくれた。

 

 

「はっ……は、お、お疲……お疲れ、はぁっ、ウオッ──ウオッカ! どう? アタシ……っ、アタシに、負けた、き、気分は……! 思い知った……でしょ……!」

 

 

 誰よりも息絶え絶えで胸を張るスカーレット。内ラチに寄り掛かるようにして俺に指を突きつける。

 

 ……クソッ。最高にカッコいい結果じゃねえかよ、おい。

 

 

「よく言うぜ。ふらふらじゃねえか」

「か……勝ちゃ良いのよ……! 良い勝負になったわ……アンタが追い縋ったおかげでね……!」

「ぐ……次、次だ! 次見てろよ! 次は必ずぶっちぎってやる!」

「上等じゃない……次も、アタシの……! 引き立て役になってくれることを期待してるわ……!」

 

 

 ……いや、こんなやり取りしてる場合じゃねえな。まずはスカーレットを医務室……いや、トレーナーのところに連れていかねえと……。

 

 次だ。次だぜスカーレット。次こそお前を差し切ってみせる。舞台は……舞台は……あれ、俺、どこでスカーレットとやりてえんだっけ? 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

「……ただいま、トレーナー」

「おかえりスカーレット」

 

 

 スカーレットが帰ってきた。予想通り掛かりまくって逃げ、そのまま気合いの逃げ切り勝ち。理想ではないが、スカーレットにとれる最善だったとは思う。かなり強く言わないと控えられなかったと思うし、控えたところで勝てるわけでもなし。

 

 結果として勝てば良いのだ。もっと言えば、スカーレットが満足できれば良い。負けることがあってもだ。もちろん、負けないようにはするけど。

 

 

「──ッ」

 

 

 帰ってきたスカーレットはそのまま私に縋ると、勢い良く控え室のフラットベンチに押し倒す。胸元でごんごんと頭突きを繰り返し、同時に、物凄い勢いで私の顔の横を平手でぶん殴った。

 

 ばんっ!!! バンッ!!! バンッッ!!!!! 

 

 

「くぅ……っぅ~~~~っ!!」

 

 

 当たったら間違いなく私の頭が破壊される。というか、押し倒す力も強過ぎて全身の骨が軋んできている。背骨とか、その辺は本当にやめてね。脊椎は死んじゃうから。肋骨とか四肢ならギリギリ良いけど、体幹は流石に不味いからね。

 

 

「ん~~~~ッ!!!」

 

 

 モスキート音みたいな雄叫びが吐かれた。すっと顔を上げると、頑張って真面目な顔をしようとしているが、にまにましてしまって緩みきった顔面のスカーレット。

 

 

「あああああっ!!!!」

 

 

 平手が拳になった。とんでもない声量が放たれている気がするが、私の体で音は吸われ、雄叫びが体を震わせる。

 

 そして、しばらくすると落ち着いたのか、まだ少しにやにやとはしていたが、ちょっと興奮したくらいのテンションで治まって顔を上げる。余韻なのか私の肩をぽんぽんと叩くと、震える声でこう聞いた。

 

 

「見てたでしょ、アタシの走り……どうだった? アンタはどう思った?」

 

 

 何と言われたいか、それから私が何と言いたいか。食い違うが、どちらを言うべきかは決まっている。

 

 

「及第点ね」

「……ふふっ」

 

 

「じゃあ、次はもっと頑張らないとね! 見てなさい!」




本来ならすぐに天皇賞なんですが、いくら何でも連続はお話としてあれなので少し天皇賞が後になります。といってもすぐです。


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